DOG DAYS DUAL-BRAVER (天木武)
しおりを挟む

第1部
プロローグ ガレットの決断


 

 

 地球上には存在しない、異なる世界・フロニャルド。平和なこの世界に住む人々には特徴的な外見がある。それが獣の耳や尻尾を持つということであった。そしてこの世界でのもうひとつの大きな特徴として、頻繁に国同士の「戦」が行われていた。

 そのフロニャルドの国の1つ、ビスコッティ共和国。かつてビスコッティは隣国、ガレット獅子団領国の侵攻に敗戦を重ねていた。

 だがビスコッティは最後の切り札として地球人のシンク・イズミを勇者召喚する。勇者として呼び出されたシンクは戦に参加して勝利をもたらし、さらに古に封印されていた魔物を討伐するというフロニャルドの危機ともいえる事態も救い、地球へと帰還した。

 

 それからしばらくの時が流れた。

 ビスコッティとガレットは、その戦の後は互いに良好な関係を築いていた。

 だが、ここに来てガレット国内でこれまでと異なる機運が高まりつつあった。

 

 輝歴2911年紅玉の月、地球の暦でいう7月。ガレット獅子団領ヴァンネット城。

 会議室の空気は緊張で張り詰めていた。そこにいる者の目は1人の女性に向けられている。

 ガレット領主、レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ、愛称はレオ。若くしてガレットを治める姫である。が、本人は「レオ姫」と呼ばれることを嫌っていた。

 

「これまでは五分と五分の成績じゃった。じゃが、あの勇者が再び召喚されての大敗。レオンミシェリ閣下、もしこのようなことが続くようであれば閣下の評判にも悪い影響が出かねませんぞ」

 

 円状の長机の向かい側から聞こえる老人の声に、レオは腕を組み机を見つめたままの瞼を一瞬動かした。

 

「現に今日の大敗を受けてこれまでの領民達の機運はますます高まっています。そこで何も手を打たない、とあればそれこそ閣下の評判に関わります。そうでなくても最近は野盗も増えてきたという噂も耳にします。このままでは……」

 

 老人たちの中でも比較的若い男が、最後の方を口ごもりながらそう述べた。が、レオは何も言わず、ネコのようなその耳を立てて話を聞くだけで、沈黙を守るままである。

 

「まあまあ元老院の皆さん、そう事を急がなくとも……」

「バナード将軍! もうそんな呑気なことを言ってられる状況ではありませんぞ!」

 

 腕は確かで頭も切れる、ガレットの騎士団長を務めているバナード・サブラージュ将軍だったが、この状況での発言は逆効果だったらしい。

 

「この領民の機運は無視できるものではありません。閣下、どうか我らが以前から述べている提案をお受けくだされ……」

 

 やはりレオは一言も発さずに腕を組んだまま考え込んでいるようであった。

 

「レオ様……」

 

 レオの側近で近衛隊長のビオレ・アマレットも心配そうに主を見つめる。

 

「閣下、ご決断を!」

 

 その元老院の老人からの言葉に決心したようにレオは組んでいた腕を解いた。

 

「わかった……」

 

 重々しくそう呟く。

 

「ガレット獅子団領主、レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワの名に於いて、我々ガレット獅子団領国も『勇者』を召喚する……!」

 

 ――これは、2人の勇者と、耳と尻尾と勇気と希望の物語。

 




紅玉=ルビー。7月の誕生石。
原作DOG DAYS'のカレンダーの文字を解読するとルビーと書かれているらしい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 1 勇者、召喚

 

 

 日本の夏は、暑い。今が7月下旬の昼時ならなおさらだ。そのことを象徴するように蝉たちが競い合うように鳴き声を辺りに響いている。加えてここは男子更衣室。人が集まっているせいで暑さは余計に増すだろう。

 

「お疲れ様でした、お先に失礼します」

 

 その暑さを感じさせないような抑揚のない声と共にロッカーが閉まる音がして、その場にいた全員が音の方を向いた。

 

「おいおいソウヤ、今日はお前の優勝祝いをするつもりでいたんだぞ? 大会空けで午前練だけなんだ。せっかくの夏休みなんだしたまにはちょっと付き合えよ」

「暑苦しいです、先輩」

 

 ソウヤと呼ばれた少年に大柄な少年が肩を組んでくる。が、至って冷静にそう返しつつ、彼は回してきた腕から抜けた。

 彼の名はソウヤ・ハヤマ。日本風に言えば葉山蒼也。16歳の高校1年生ながら、つい先日行われた弓道の夏のインターハイにおいて優勝するほどの腕前である。

 身長はやや小柄、髪は短く整えられ、端正な顔立ちではあるが、その瞳は鋭く、言葉少なで斜に構えた問答をすることがあるためにどこか人を寄せ付けない雰囲気があった。

 

「暑いって、そりゃ夏だからな!」

 

 ソウヤに先輩と呼ばれた少年は、そう言って笑いながらソウヤの肩をバンバンと叩いた。他の部員が接するのをためらう中、この弓道部の主将である先輩だけは、ソウヤにも他の部員と分け隔てなく接してくれていた。

 

「……今日は習い事があるので」

「習い事? ……ああ、あの脚で戦う格闘技か。なんだっけ、カンフーじゃなくてそれっぽい……」

「カポエイラ」

「そうそう、それだそれだ。型とかあるんだろ? 今度見せてくれよ」

「見せるほどの腕前ではないので……。では先に失礼します」

 

 主将がまだ何か言いたそうだったが、ソウヤは足早に更衣室を後にした。

 

「主将……あいつ誘うのはやめません? どうせ来やしませんよ」

「そうそう。あいつスポーツ万能で弓道全国1位、噂じゃ中学のときは空手と剣道でも全国大会行ったとか……。なのに他人と接しようとしないし……」

 

 ソウヤがいなくなったのを確認すると他の部員が口を開き出す。部の中では1年にしてエースのソウヤだが、全く周囲とコミュニケーションをとろうとしないためにその存在は浮いていた。まだその腕を鼻にかけるようなら部員も目の敵に出来るだろう。しかしそれすらもせず、自分達を嫌っているでもなく、ただ話そうとしない。そんなソウヤに対してどう接していいかわからず、部員たちは困惑していた。

 主将がため息を1つこぼす。そんな状況を改善しようとしてはいたが、やはり当のソウヤ本人は打ち解けてはくれなかった。

 

「まあ気難しいって奴だってのはわかるけどよ。もっと俺たちに心を開いてくれりゃいいんだがな……」

 

 

 

 

 

 時間帯はこれからが昼、もっとも暑くなる頃合である。

 自宅に着いたソウヤは鍵を回してドアを開けると、無言で中に入って鍵を閉める。どこにでもあるようなアパートの一室、高校に入ってからソウヤはそこで1人暮らしをしていた。暑さのこもる室内はお世辞にも豪華とは言えない殺風景な様式。唯一本棚だけはびっしりと本が入っていたが、それらの大半はファンタジー小説であり、それを読むことが10歳から続けてきた習い事以外では数少ないソウヤの趣味だった。

 

 着ていた服を脱ぐと浴室に入る。シャワーをやや冷ために調節して頭から浴び、汗の不快な感覚を一気に洗い流す。

 シャワーを浴びながら、やっぱり人付き合いは面倒だと彼は思う。ほうっておいてくれればいいのに主将はやけに自分に構ってくる。確かに自分は弓道部の部員ではある。だがそれは弓の腕を磨きたい、ただそれだけの理由だ。馴れ合うつもりはない。それが彼の考えでもあった。

 

 体を拭き、ソウヤは腰にバスタオルを巻いたまま冷蔵庫を開ける。クールサーバーに入った麦茶と、あとは必要最小限の調味料しかない、部屋同様殺風景な中身。それを全く気にする様子もなく、冷蔵庫から麦茶を取ると水切りカゴに逆さに置いてあるグラスに注ぎ、一気に飲み干す。

 やはり夏の麦茶はいいものだ、と思いつつ、壁にかかっている時計を見る。稽古の時間は夕方すぎ、家を出るには遙かに早い時間である。

 そういえば今日は読んでいるファンタジー小説の最新刊が発売する日であることを思い出した。それを買ってどこかで読んで時間を潰し、あとは早めに道場に着いたら準備運動を入念にやっていればいい。そう考えながら、机の上にある栄養バーの箱を開け、口に加えながら服を着ていく。着終わると同時に袋の中にあった2本目の栄養バーを食べ終え、適当に荷物の入ったバッグを背負って玄関を後にした。

 

 道場までは最寄の駅まで15分ほど歩き、そこから電車で約30分。さらに駅から5分と、片道だけでほぼ1時間はかかる。だがソウヤはそれを苦とも思わず、4月から週に3度欠かさず通っていた。これまで格闘技は空手をやってきていたが、カポエイラほど足技に特化した格闘技ではなかったため、今までと大きく異なる格闘技を面白く感じたからである。習い始めてわずか数ヶ月ではあったが、元々空手をやっていたためにセンスはいいのか、今では道場の誰もが一目置くほどの腕前となっていた。

 

「ん……?」

 

 駅までの道のりを半分ほど進んだ辺り。住宅街の間に1匹の大きなネコがたたずんでソウヤのほうを見上げているのが目に入った。奇妙なのはネコのくせにネクタイなんてのを締めていること、そして背中に鞘に入った短剣のようなものを背負っていることだった。まさか本物ではないだろうが、アクセサリーとしてはいささか珍妙と言わざるを得ない。

 無言でソウヤが屈み、ネコの頭を撫でる。「にゃーん」と一声鳴き、ネコはソウヤに背を向けて路地の方へと入っていった。まるでついてこい、と言わんばかりのその態度。

 つられるようにソウヤはそれについていく。ネクタイを締め、背中に短剣を背負ったネコ。もはやファンタジー以外の何物でもないじゃないか、という考えが思わず頭をよぎる。

 

(じゃあ何か、着いていった先にあるのは異世界への入り口か?)

 

 ありえない、俺の心はそこまでご乱心か、とソウヤは自嘲的に笑みを浮かべた。いくらファンタジー小説が好きだし妄想に近い空想を頭の中で抱くこともあるとはいえ、その辺りの線引きがつけられなくなったら重症だろう。

 ネコがようやく足を止めてソウヤの方へと振り返る。人目につかないような裏路地。辺りに人の気配はない。

 と、その時だった。

 

「なっ……!?」

 

 魔方陣のような紋様が地面に浮かび上がり、蒼い光が辺りを眩しく照らし出す。不可思議な紋様と見慣れない文字のようなものが敷き詰められたその中心、先ほどのネコが背中に背負っていたはずの短剣を口にくわえ、ソウヤを手招きしている。

 驚いた表情のままソウヤは、その手招きに手繰り寄せられたかのようにネコに近づいてく。

 すると――。

 

「うわっ……!」

 

 ネコが地面に短剣を突き刺し、ますます光が辺りを眩しく照らし出した。そのまま光が広がっていき――光が収まった後、そこには初めから何もいなかったかのように、ネコも、そしてソウヤの姿も消え去っていた。

 

 

 

 

 

 ソウヤが眩しい光の次に見たものは、眼下に広がる広大な景色だった。だがその両脚は宙に投げ出されている状態で、景色が段々と迫ってきている。早い話が空中に浮いている状態、そして落下している状態だ。

 

(なんでこんなことになったんだ……?)

 

 もう1度記憶を整理する。部活から帰ってシャワーを浴び、カポエイラ教室に行く途中で変なネコを見つけて光に包まれて……。

 

(じゃあ今いるここは、この状況は何だ!?)

 

 まさか本当にファンタジーな世界に入り込んだのか、と辺りを見渡す。紫の空、浮いた島――普段は見ることすらないそれらを目にし、そんな妄想ともいえる考えはますます強くなる。さらに目を動かし、山、森、海、そういった遠くの風景の手前、何かが視界に入った。さっきのネコだ。

 

「ったく、何がどうなってんだよこりゃ……。いくらネコは高いところから落ちても平気っつったってこの高さじゃお前も死んじまうだろ……」

 

 ソウヤはネコの首根っこをしっかりと掴む。驚いたようにネコは「にゃん!」とかわいらしい声を上げたが、気にせず抱きかかえた。眼下に視線を向ける。どうやら地面ではなく海に落ちるらしい。だったら運がよければ助かる、悪けりゃ死ぬだけだと考え、その表情に自嘲的な笑みが浮かんだ。

 が、急に落下の速度が遅くなったように感じた。ソウヤは驚いて首を下に向ける。間違いなく速度はゆっくりになっており、さらに驚くことに海の中から何かが浮かび上がってきた。それは石畳の台座のようなものだった。浮き上がってきた原理も何も不明だが、どうやらそこに着地することになるらしい。

 その台座に近づくに従ってさらにゆっくりになっていく。と、このまま落ちていくであろう場所に女性のような人影が2人と、巨大なダチョウのような鳥が2羽、目に入った。片方は黒、もう片方は黄色がかった毛並み。

 

 ソウヤは空中で体勢を立て直し、足を下に向ける。そのままゆっくりと、それこそ空から落ちてきたとは思えないほどゆっくりとその場に着地したのだった。

 地にしっかりと足が着いたことを確認し、目の前の人物を見つめる。銀の髪に女性らしい肉感的な胸、肌が覗く色っぽく大胆な衣装、そして――頭にはネコの耳のようなものが、腰の辺りからは尻尾のようなものが生えていた。傍らに立つより年上そうなもう一方の女性は紫の髪、だがやはり頭と腰には同様のものが生えている。

 

(耳に尻尾……?)

 

 まるでファンタジーな、頭の上にぴょこんと生えた獣の耳を見つめる。

 

「よく来たな、勇者」

 

 と、その銀髪の女性が口を開く。

 

「勇者……?」

 

 普段の日常生活ではまず聞かないであろう単語にソウヤが顔をしかめた。

 

「チェイニーもご苦労じゃった」

 

 その言葉とほぼ同時にソウヤの腕の中にいたネコが飛び出した。ネコ独特のしなやかな動きで、ネコの耳を持ったその女性の腕に入る。

 

「さて、お主の名はソウヤ・ハヤマ、間違いないな?」

「なぜ俺の名前を?」

「ワシがお主を召喚したんじゃ、まあ当然知っていることになる」

「召喚……?」

「何をとぼけておる。召喚に応えたから、ここにいるんじゃろうが。チェイニーの召喚の陣に書いてあったであろう」

 

 ネコが女性の手から地面に下りる。すると石畳にソウヤが先ほど吸い込まれた魔方陣のような紋様が描き出された。

 

「ほれ、ここに書いてあるじゃろう。『これは勇者召喚です。応じる場合のみこの紋章を踏んでください』」

「……どこの文字だよこれ」

 

 思わずソウヤが呟く。彼女が指差す先にある文字は見慣れたひらがなや漢字でも、アルファベットやその類でもない。先ほど見かけた文字と同じ、あえて表すとするなら古代ギリシャ文字、あるいはロシアの方で見られるキリル文字をさらにややこしくしたような文字であった。

 

「ああ、今はここにいるからこの文字だが、お前が見たときはちゃんと知っている文字になっていたであろう?」

「……なってなかったし、これと全く同じ文字でしたけど」

 

 そのソウヤの一言に女性は固まった。

 

「そ、そんなはずは……。いや待て、確かあの辺りの紋章回路を面倒だと省いた記憶が……。だとするとそのせいで……。いやいや、それともあそこの回路を書き間違えたか……」

「レ、レオ様! ひとまず落ち着いてください!」

 

 レオ、と呼ばれた女性は頭を抱えてなにやらぶつぶつと呟き、傍らにいた紫の髪の女性がそれをなだめようとする。その漫才よろしくな2人のやりとりを、ソウヤはため息をこぼしつつ眺めていた。

 

「弱ったの……。しかしまあ、こうなってしまっては仕方ないか……。状況を説明してダメなら諦めることになってしまうが……」

 

 大きく肩を落とした後で「まず自己紹介をしておこう」と彼女は口を開く。

 

「ワシの名はレオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ。レオでよい。ガレット獅子団領の領主じゃ。こっちはワシの側近で近衛隊長のビオレ・アマレット」

「ガレット……? 聞いたことの無い国だ」

「ここは『フロニャルド』と呼ばれるあなたのいた世界とは全く別な世界なんです」

 

 ビオレが補足する。それを聞いたソウヤは一瞬呆けたような表情を見せて俯き、肩を震わせる。突然の事態に動揺しているのか、あるいは泣いているのかもしれないとレオは心配そうに覗き込もうとするが、彼の表情は全く逆――口元を緩め、笑いを必死に噛み殺しているのだった。

 

「笑っているのか?」

「……すみません、あまりにおかしったので。事実は小説よりも奇なり、昔の人はうまいこと言ったもんだ。……まあいいや、さっき勇者とか言ってましたよね? それに召喚とも。じゃあ俺はさしずめこの世界を救うために異世界から召喚された勇者だ、とかって話ですか?」

 

 レオが驚いたようにビオレと顔を見合わせる。

 

「何も驚くことはありませんよ。俺のいた世界じゃその手の話は作り話として受けがいいからよくあって、そして俺はそういう本を読むのが好きだった、ってだけの話です」

「なるほど……お前のいた世界はワシらの世界とは大きく異なると聞いていたからもっと驚くと思っていたが、それでさほど驚かないというわけか」

「驚いてはいますよ。まさか自分がファンタジー小説の世界に入り込んじまって、目の前にネコの耳をもった女性が現れるなんて思ってもいなかったですからね。まったく笑うに笑えない話ですけど」

「あ、あの勇者様……」

 

 レオとソウヤが話しているところにビオレが申し訳なさそうに口を挟む。

 

「レオ様はガレットの領主……。一国の主に当たるわけですから、勇者様といえどもう少し言葉遣いの方を……」

「ワシは構わん。見たところ年もそう離れてはおるまい」

「ですが……」

 

 ふう、とソウヤが1つ息を吐いた。

 

「領主、と聞いた後は一応気をつけてはいたんですが。ま、一国の主となれば民や他の家臣からの目ってのもあるでしょうからね。……以後はもう少しかしこまらせて話させていただきます、レオ姫様」

 

 姫、という単語に対してレオが眉をしかめた。勇猛な武人として常日頃から振舞う彼女は姫、と呼ばれることを嫌う。そのために臣下たちに閣下と呼ばせ、姫と言った者に対しては「閣下と呼べ」が半ば口癖となっていた。

 

「姫はやめろ。それなら閣下と呼べ。……じゃが先に言ったとおりレオでよい。それから言葉遣いも無理せんでいい」

「そうもいかないでしょう。貴女は領主と言う立場ですから。今後も気をつけてはみます。……それで、勇者ってのはわかりましたが、俺に何をさせる予定だったんです? 悪しき魔王でも倒して来い、ですか?」

「いや、そういうものではない。お前を召喚した理由は戦において華やかに戦い、我が国に勝利をもたらしてほしい、というものじゃ」

「戦ねえ……。相手はどちらで?」

「隣国、ビスコッティ共和国」

「へえ……!」

 

 一瞬ソウヤの表情が変わる。まるでいびつな笑顔のようにも見えたそれは、レオとビオレを寒気立たせるに十分だった。

 

「それで、侵略戦争か防衛戦争か、まあ戦争の内容や目的に興味はないですが。とにかくそこでの殺し合いに俺も参加すればいいわけですか?」

「協力してくれるのか? ……いやその前に勇者、お前は戦について何か勘違いしているようにも思えるが。まあいい、戦については、この後実際に戦場(いくさば)を見てもらうつもりじゃし、その上でお前にワシ達に協力してくれるかを改めて聞くつもりじゃ」

「それですがレオ様、もう戦は始まっておりますしそろそろ向かった方が……」

「む……そうか。では続きは移動しながら話すとしよう」

 

 レオがダチョウのような鳥に近づき、慣れた様子でまたがる。ビオレももう1羽の方にまたがると、自分の後ろ側をポンポンと手で叩いた。

 

「勇者様、私の後ろに乗ってください」

「後ろって……このダチョウに?」

「ダチョウ……? これは『セルクル』というフロニャルドで乗用に使われる動物ですよ。見るのは初めてですか?」

「セルクル……。まあ馬みたいなもんか」

「あの、何か……?」

「いや、なんでもないです」

 

 ビオレの後ろにソウヤが乗ろうとセルクルと呼ばれた鳥の背に手を置く。だが飛び乗ろうとした後、何やらためらった。

 

「どうしました?」

「……女性の後ろに乗せてもらうと言うのは格好がつかないと思ったんで」

「もう、そんな細かいこと気にしてないで。はい!」

 

 ビオレがソウヤの腕を掴む。思わず嫌がる表情を見せたソウヤだったが、おとなしくその助けを借りてセルクルへと跨った。

 

「行くぞ」

 

 レオを乗せた黒いセルクル「ドーマ」が走り出し、次いでビオレとソウヤを乗せたセルクルも走り出す。

 

「ビオレ、さっきの続きを勇者に説明してやってくれ」

「わかりました。えっと、勇者様に来ていただいた目的はもう言ってるから……。おそらくもっとも重要な話、滞在期間について説明させていただきます。こちらに滞在していただく最長期間は16日、帰る期日は勇者様に決めてもらうことは出来ますが、一度元の世界に帰ると勇者様が戻って来たいと望んでも91日以上空けないとこちらに戻ってくることは出来ません」

「……ちょっと待ってください。帰れるんですか?」

「可能です。ただ、先ほど申し上げました通り91日以上空ける必要がありますので、この後帰還を要望されればすぐにお帰りいただくことは出来ますが、間をおかずにここにまた来ることはできません」

 

 なんだよそりゃ、というソウヤの声がビオレの耳に届く。何が不満なのだろうか。勝手にフロニャルドに連れて来られたことだろうか。それとも今このタイミングで不満を漏らしたということは元の世界に戻れる、ということなのだろうか。

 

「……勇者様、何かご不満な点がございましたか?」

 

 今抱いてしまった疑念は払っておきたい。そう思ってビオレは尋ねる。自分の主が選んだ勇者に対して疑いの目で見るつもりはない。だが、先ほどの不吉な笑顔に「殺し合い」という言葉。そこがどうしてもビオレにはひっかかっていたのだ。

 

「いえ。大抵は勝手に召喚されて戻れない、というのがお約束だったもので。……いや、俺は半ば勝手に召喚されてんでしたっけね」

「それについては本当に申し訳ないと思ってます……」

 

 考えすぎだったか、とビオレはひとつ息を吐く。

 

「……あ! でも急にこちらに来ると言うことになったらご家族の方とか心配するんじゃ……」

「……その辺は問題ないです。俺は今1人暮らしだから。学校も今は夏休みだからないし、強いて言えば部活と習い事に顔を出せないぐらい。もっとも、俺が失踪したところで大した問題にはならないと思いますが」

 

 いや、どうにも思い過ごし、の一言で片付けられない部分があるようにも感じられる。ビオレの疑念はますます深まるばかりだった。

 とはいえ、そこを判断するのはレオだろう。今の自分は説明を続けるのが仕事、と言い聞かせ、ビオレは更に説明を続ける。

 

「『ケータイデンワ』と言うものをお持ちではないですか? それで連絡を取ることができます」

「『ケータイデンワ』? ……ああ、携帯電話のこと? あるにはありますが……」

「でしたら前に一時的に元の世界と連絡を取ったことがある、という話を聞いたことがあるので、大丈夫だと思います」

「何から何まで優遇されてる異世界だ……」

 

 天を仰ぎ、ソウヤは1つため息をついた。

 

「私から大まかには以上です。勇者様から何か聞きたいことはありますか?」

「……俺を召喚したレオ様にはあるんですが、いいですか?」

「なんじゃ?」

「なんで俺なんです? 俺が読んでる小説から考えても、俺は勇者とか言われるタマ(・・)じゃない。そこら辺にいるような、至って平凡な高校1年生だ」

「平凡? お前の世界ではその付近の年の者が集まって行われる弓の大会で、国の中でもっとも優れた成績を収めた者を平凡と呼ぶのか?」

「……インターハイのことですか。よくご存知で」

「お前の活躍は見させてもらった。その卓越した身体能力、高い技術、何よりその度胸。勇者としてふさわしいとワシが判断し、召喚した」

「……そりゃ光栄です。ま、過剰評価とも思いますけどね」

 

 このレオとのやりとりで、ビオレは少しずつこのソウヤという少年のことがわかってきていた。彼は謙遜、というより自身を卑屈に捉えて余計な一言を付け足してしまう、要するにひねくれ者なのだろう。それも極度に。彼女も知っている隣国の勇者とは全くの逆だ。

 

「ビスコッティの勇者……あの『シンク』に対抗できる逸材がほしかったからな」

「じゃあ俺以外にも召喚されてる奴がいるわけですか?」

「ああ。ビスコッティは過去にその勇者、シンクを1度召喚しておる。そして昨日ビスコッティが勇者を再召喚し、その時の戦でワシらは大敗した。本来ガレットはビスコッティより強大な戦力がある、と言われながらもこれまでは五分五分の成績で、しかしそれが勇者の登場によって崩れた。ならばガレットも勇者を召喚するべきだ、という機運が高くなってきた、というわけじゃ」

「確かに敗戦が続けばより大きな負けに繋がりますからね。……でもそんなたった1人でバランスが崩れるようなもんなんですか? もし相手がそんな化け物なら、たかが俺1人を呼んだところで大して変わらないと思いますけど」

「それは戦を見ればわかるじゃろ。丁度いい。戦場が見える場所に着いた。ビスコッティの勇者が戦っている様子がここから見えるはずじゃ」

 

 レオはセルクルを止め、岩場に降りる。ビオレとソウヤもそれに倣って降りた。

 そこから眼下に広がる雄大な景色、その中心に湖があった。だが、ただの湖ではない。そこはさながら巨大水上運動場とでも言うべきか、雲梯や細い橋などのアスレチックが並び、そこを渡ろうとする人、そしてそれを妨害しようとする人とに分かれている。水中に落ちた人にはすかさず船が寄って救助をしていた。

 

「勇者はあそこじゃ。今砦の城壁から内部に侵入しようとしてる。まずいな、ここも落とされては……。本隊も押し切れないとは、バナードの部隊は何をしとるんじゃ……」

 

 レオの声に従い、ソウヤは砦の方へ目を移した。そこに砦の城壁にかけられた梯子を駆け上がり、右手に持った棒を駆使しして周りの兵士をなぎ倒す金髪の少年が見えた。少年に殴られた兵士たちは毛玉のようなものに変化し、その場で動かなくなっている。

 

「……これが戦?」

 

 しばらくその様子を無言で眺めた後、ソウヤはようやくそう呟いた。

 

「そうじゃが……何か?」

「見たところ死人どころか怪我人も出てないように見えますが?」

「そりゃ勿論じゃ。参加者の安全を確保するのも開催者の責任じゃからな」

「……なるほど、俺の知ってる『戦』じゃなく、戦争ごっこってわけか」

 

 はぁ、とソウヤは1つ大きくため息をつく。そこから落胆の意思をレオは感じ取った。

 

「乗り気ではないようじゃな?」

「いいえ。命のやり取りこそ出来なそうだとは言え、このファンタジー小説のような展開、ずっと俺が望んでいたものに近いものがありますからね。喜んでやらせていただきますよ」

「そうか。それはよかった。……じゃが勇者。今の言葉、貴様は殺し合いをしたいのか?」

 

 そのレオの言葉にソウヤが彼女の瞳を見る。冷たく、何の意思も持たぬようなソウヤの瞳にレオは一瞬ゾクリと数刻前に感じた感覚をもう1度感じていた。

 

「いえ。ただ、どうせなら命を賭ける方が面白い、そう思ってただけですよ……」

 

 そう言って砦の方に目を移し、再びレオのほうを見たときには、ソウヤの瞳はもう先ほどまでと同じ様子に戻っていた。

 

「それで、俺は早速戦線に加わって暴れてくればいいわけですか?」

「一旦本陣のキャンプ地に行け。そこに騎士数名とビオレの部下の近衛隊が待機しておるし、一式の装備がある。戦のルールや他にも説明した方がいいことが多くあるからの。そこで準備を整えてから出発するといい。その後で、平野のほうのワシの弟、ガウルの部隊の援護に行ってほしいが……」

「レオ様はどうなされるんですか?」

 

 少し心配そうにビオレがレオに尋ねた。

 

「この砦は長くもたんかもしれん。が、このまま易々と砦を落とされるのも癪じゃ。ちとワシが行って士気を上げさせ、粘ってみるとしよう。逆転できれば、勇者の戦線加入も含めてこの戦をひっくり返せるかもしれんからな。……ビオレ、これを預けておく。勇者に使わせてやってくれ」

 

 そう言うとレオは懐から蒼い宝石のはまった指輪のようなものを取り出し、ビオレへと手渡す。

 

「そんな! 今日レオ様は『グランヴェール』をお持ちになってないはず、丸腰ではないですか! この『エクスマキナ』はレオ様がお持ちになった方が……」

「砦の中にも武器はある。ワシはそれでいい。それよりも使いたい武器に形を変えてくれる以上、そのエクスマキナは勇者が持っていたほうがいい。……勇者よ、これは我が国に伝わる『神剣』じゃ。ひとまずお前に預ける。うまく使えよ」

「使えって言われても……」

「詳しいことは後でビオレに聞け。……ではワシは行く。ビオレ、頼んだぞ!」

 

 そう言うとレオはドーマにまたがり、そのまま急斜面をものすごい勢いで駆け下りていった。

 

「さて、私たちも行きましょう」

 

 ビオレに促され、再びソウヤがビオレと共にセルクルに乗る。そしてレオが降りていった斜面と反対、ガレットの本陣があると言う場所に向かって2人を乗せたセルクルは走り出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 2 白熱する戦場

 

 

『さあ、プラリネ砦の攻防戦も佳境に差し掛かってきました! 引き続き実況は私、ガレット国営放送のフランボワーズ・シャルレーと』

『ビスコッティ国営放送のエビータ・サレスがお送りいたします!』

『おっと、ここで新しい情報です! ガレットにとっては重要な拠点であるこのプラリネ砦を防衛するため、総大将のレオンミシェリ閣下ご本人が戦場に登場との情報が入ってまいりました!』

 

 戦、と一口にいっても、フロニャルドの戦は特徴的である。一定量以上のダメージを受けた相手は「けものだま」と呼ばれる状態に変化し、一定時間無力化される。騎士級などのランクが高い兵の場合は、まず防具がダメージを肩代わりし、その上でさらにダメージが大きい場合は防具破壊後に同様にだま化する、というものだ。

 これはフロニャルドに満ちている「守護力」によるものである。「フロニャ(ちから)」とも呼ばれるその力はけものだまになる場合にだけ働くわけではなく、体内の命の力と混ぜ合わせることによって輝力(きりょく)と呼ばれるエネルギーに変換ができ、それを用いることで「紋章術」と呼ばれる大技を繰り出すことが可能となる。

 他にもソウヤを呼び出した召喚台が海から浮いてきたことや、実況をしているブースが空中に浮かんでいるのもフロニャ力によるものである。フロニャルドの全域に多大な恩恵を及ぼしているのがフロニャ力なのだ。

 その戦の様子を伝える実況ブースからレオ参戦の情報がもたらされると、押され気味だった砦のガレット兵達が雄叫びをあげた。自分たちの君主の登場とあっては、兵たちも奮起しなければならない。

 

『今回は勝利条件なしの時間一杯ポイント勝負ですから、ここを落とされてはガレット側としても非常に苦しくなりますからね』

 

 戦の勝利条件には本陣制圧、重要物奪取など様々なものがある。今回はそういったものはなく、ポイント――つまり兵を倒した分だけポイントは加算、他に拠点奪取や騎士級・隊長クラス撃破によるボーナスが与えられえる――によって純粋に勝敗が決められるものだった。

 

「うわー……レオ様登場だって。ガレットの人たちも戦う気満々って感じだし、ちょっとこれは厳しいんじゃないの、エクレ?」

 

 そんな戦意の高揚した兵の攻撃を避けた少年が手に持った棒で反撃の一撃を繰り出す。兵の背中に攻撃はクリーンヒットし、その兵は毛玉のようなけものだまに変化し無力化された。

 金の髪に青いハチマキ、赤を基調とした服を身に纏い、まだ幼さも残る顔立ちにビスコッティの神剣「パラディオン」を変化させた長尺棒を持つその少年こそ、ビスコッティに勇者として召喚されたシンク・イズミであった。

 

「話す前に手を動かせ、勇者。……だったらレオ様が着く前に出来るだけ戦力を削っておくだけだ」

 

 シンクに話しかけられた少女は、不機嫌そうにそう返すと両手の短剣を振るって手身近な兵士2人をけものだまに変えた。

 緑の髪とそこから生えたやや垂れ気味の犬のような耳、黒の短いスカートからはすらりとした健康的な脚が覗き、利き腕の右手に黒のリストバンドをつけ、それぞれの手に短剣を持つ少女。

 彼女の名はエクレール・マルティノッジ。15歳と言う若さながらビスコッティ騎士団親衛隊の隊長を務めていた。

 

「それに……こっちにレオ様が来るなら逆に好都合だ。湖側には兄上たち本隊の1番隊が、平野側にはダルキアン卿率いる2番隊を中心にした部隊が展開している。砦攻め部隊の私たちの方に敵の大将が来るとなれば、その分他の場所への負担が軽くなる」

「ま、つまり僕らはその分大変になるってことだとは思うけどね……」

 

 シンクは苦笑いし、また兵の1人をけものだまに変えさせる。エクレールと話しながらでもシンクは全く危な気なく戦っていた。その実力を知っているからこそ、エクレールは無駄口を叩く勇者に余計に言わないし、互いに背中を預けあえているのだ。

 

「でも、レオ様と戦うとしたら、手合わせするのは久しぶりだな。前はエクレと二人がかりでも全然本気出してるって感じじゃなかったもんね。今度は少しは本気になってくれるぐらいには頑張りたいなあ」

「ほう、貴様ら2人程度でワシが本気を出すに値すると思っているのか?」

 

 突然聞こえた方に2人が、いや、他の兵たちもその声の主の方へと目を移す。砦の上に大剣を肩に担いだ闘姫が不敵な笑みを浮かべたままそこに立っていた。

 

「レオ姫……」

「閣下と呼ばんか、この無礼者が!」

 

 エクレールからの呼称を無理矢理訂正したお約束のセリフと共に登場した総大将。その姿に兵達が一斉に沸いた。

 

「うおおおおおーっ!」

「レオンミシェリ閣下がいらしてくださったぞー!」

 

 ガレットの兵達が口々に叫びだす。

 

「ビスコッティのダメ勇者にタレミミ親衛隊長よ、ワシがいぬ間に随分と兵達をかわいがってくれたようじゃの。兵達の仇、ワシが直々に相手をしてやろう!」

 

 レオが砦の上から飛び降りシンクとエクレールの前に着地する。

 

「誰も手を出すな、勇者とタレミミはワシが相手をする!」

「閣下の決闘だ!」

「うおおおお閣下ー!」

 

 ガレット兵の熱気はピークに達している。

 エクレールが目で周りの兵達に下がるように伝え、ビスコッティ側もシンクとエクレールを残して兵達は距離を取った。

 それを確認したところで、そこまで険しかったレオの表情が僅かに緩む。ガレットとビスコッティは基本友好関係、故にレオとシンクも久しぶりの再会となればまずは挨拶を交わしたいところだろう。

 

「久しぶりじゃの、勇者」

「お久しぶりです、レオ閣下。昨日こっちに召喚された後に伺いたかったんですが、そのまま戦と、あと閣下の方も都合が悪かったと伺ったので挨拶しそびれてしまいました」

「そうか。まあ気にするな。ワシが忙しかったのは事実だしの。……ところで、次来るときは知り合いを連れて来るとか言ってなかったか?」

「はは……。幼馴染2人を連れてきたかったんですけど、うまく予定合わなくて……。もう少し後にしようかと思ってたところで、連絡ミスもあったりしてまた今回も半ば急に召喚されちゃったんです。そのせいでまた僕1人なんですよ……。あ、でも滞在するからには楽しんでいきますよ! この戦が終わったら、ガレットに正式に挨拶に行きます。ガウルにも会いたいですし」

「そうか。確かにガウルの奴はお前に会いたがっていたな。……じゃが来るのはこの戦に勝った上での招待、というのはどうじゃ?」

 

 ニッと笑ってレオが大剣を構えた。

 

「そうはいきませんよ、閣下。前と少しは変わったってところを見せてやります!」

 

 シンクも棒状のパラディオンを構えて戦闘モードに入る。

 

「行くよ、エクレ!」

「言われなくてもわかっている」

 

 冷静に答え、エクレールも両手の短剣を構えた。

 

「来い、勇者にタレミミ……。少しは強くなったところを見せてみろ!」

『さあ! いよいよレオンミシェリ閣下が登場! プラリネ砦の攻防戦、ますます盛り上がってまいりましたー!』

 

 実況がこの熱狂にさらに拍車をかけ、プラリネ砦は今日最大の盛り上がりを見せていた。

 

 

 

 

 

 セルクルでガレット本陣のキャンプに向かうソウヤとビオレの間にはしばらく沈黙が広がっていた。レオの側近として仕えてきたビオレの話術なら何か話題は提供できそうなものだったが、ソウヤの「特に何も話したくない」という雰囲気に飲み込まれ、何も切り出せずにいた。

 彼女としては問いただしたいことは山ほどある。元の世界に帰れることは不満なのか、戦の様子を見て乗り気ではなかったのに協力を受け入れてくれたのはなぜか、そして何よりなぜ「命を賭けるほうが面白い」などと言ったのか。

 これまでの言動を見るに勇者としてふさわしいとは到底言い難い。だが領主であるレオが選んだのだ、腕は一流に違いないだろう。しかしいかに腕がよかろうとそれだけで勇者が務まるものではない。隣国の勇者シンクは彼女もよく知っている。確かに行動に少々子供っぽさが出るところもあるし、危なっかしいところもある。だが戦場を華麗に駆け抜ける彼の姿は、それを補って余りある魅力だろう。

 では今自分の後ろにいるこの少年にそれはあるのだろうか。レオが惹かれたものは一体なんだったのだろうか。

 

「……ビオレさん、だったっけ?」

「あ、はい! なんでしょう……?」

 

 そんな考えを延々と頭でめぐらせていたところで不意に話しかけられた声。動揺したビオレは声を裏返しかけた。

 

「戦っていうのはいつもあんな風に安全に行われるんですか?」

「基本的にはそうですね。ただ、以前の戦の最中に神剣に惹かれたのか、フロニャ力が弱まった場所だったからか、封印されていた魔物が復活して戦どころではなくなったことがありましたが」

「フロニャ力……? ……まあいいや。とりあえずそれがどうなったか知りたいんですが」

「最終的にはビスコッティの勇者シンク君と姫君のミルヒ様を始めとする方々の手によって魔物は封印されました。『禍太刀』とも呼ばれるある妖刀が原因になった、とも聞きましたが……」

「そのときレオ様は?」

「ガレットのもう1つの宝剣、魔戦斧『グランヴェール』を手に魔物と戦いました。しかし魔物の力が強大で、1人で討つことは適わなかったようです」

「へえ……」

「でもそんなのは本当に稀、基本的には怪我や事故がないように行われます。大陸に布かれたルールに則り、フロニャルドの国民が健康的に運動や競争を楽しむ行事でもありますから」

「ますますスポーツだ……」

 

 ボソリとソウヤが呟く。

 

「で、攻撃されても怪我をしない原理ってのがフロニャ力とかって物のおかげなわけですか?」

「そうです。フロニャ力はこの世界の力の源でもあります。この力が満ちている場所では戦で怪我することなく、ダメージは防具や服の破壊という形になり、さらに大きなダメージを受けても先ほど見たような『けものだま』に変わるだけですみます。ガレットの人々はねこだまに、ビスコッティの人々はいぬだまになります」

「俺も攻撃されたらけものだまに変わる?」

「いえ。勇者様は異世界の方ですから、変われません」

「じゃあ俺が攻撃を受けすぎると怪我するってこと?」

「フロニャ力の恩恵によって治癒力は高まります。ですが大きいダメージを受けた場合は……怪我に繋がるかもしれません」

「……つまり勇者2人がぶつかったら、本当の意味で戦ってことか……」

 

 自分の位置から表情は確認できないが、ソウヤの言葉にどこか喜びが混じっていたようにビオレは感じた。

 

「それじゃあ俺達異世界の人はあまりフロニャ力の恩恵は受けれないわけですか」

「そうでもありません。フロニャ力と自らの力を混ぜ合わせることで『輝力』というエネルギーに変換でき、それを使って『紋章術』という力を使うことが出来ます」

「魔法は使える、ってことか。ますますファンタジーでいい。その力の使い方は教えてもらえます?」

「はい、本陣で準備が終わった後、私が教えられる範囲でなら可能です」

「そうか……。ただのスポーツかと思ったがこれは意外と面白そうだ……!」

「勇者様、本陣が見えてきましたのでもうすぐですよ」

 

 複雑な内心を押し殺し、ビオレがそう告げる。その言葉通りテントの集まったキャンプ、この戦におけるガレットの本陣が近づいてきていた。

 

 

 

 

 

「くっそー! いくらこっちは本隊じゃないとは言え、俺にゴドウィンにジェノワーズまで揃っててこの様かよ……!」

 

 平野部での戦闘、シンクとさほど年の変わらなそうな少年がそう愚痴をこぼす。銀の髪とそこに生えた耳、獰猛そうな目、その他の風貌からもどこかレオの面影が見える。それもそのはず、若干14才ながらこの部隊の指揮を執っている少年こそ、レオの弟でガレット王子のガウル・ガレット・デ・ロワであった。

 現在両腕に展開している輝力から作り出した爪は、彼得意の紋章術「獅子王爪牙(ししおうそうが)」である。輝力武装と呼ばれる高度な紋章術で、それだけでも彼がかなりの使い手であることが窺える。その他にも槍、剣といった様々な武器が使用でき、姉のレオほどではないにしろその実力は折り紙つきで、ビスコッティの勇者であるシンクと互角に渡り合えるほどであった。

 加えてこの場にはガウルの直属の配下でガレットの将軍でもあるゴドウィン・ドリュール将軍、さらにはガウル直属親衛隊と言う手だれ達が揃ってもなお苦戦していた。

 

「ぐぅおあぁ!」

 

 豪快なうめき声を上げ、これまた豪快にゴドウィンがガウルの脇に吹き飛ばされてくる。鉄球つきの大戦斧を武器とするゴドウィンは巨躯な体格を生かした力が自慢である。だがそれでさえもここまであっさりと吹き飛ばされてきていることから、2人が対峙する相手は只者ではないことが証明されていた。

 

「参りましたな、殿下……。さすが『自由騎士』と言ったところですかな……」

 

 珍しく弱音を吐き、ゴドウィンが体を起こす。

 ガウルとゴドウィンが2人がかりでも手が出ないほどの相手、それが目の前にいるビスコッティ隠密部隊頭領であり「討魔の剣聖」や「自由騎士」とも呼ばれる女剣士、ブリオッシュ・ダルキアンであった。物腰柔らかな風格からは想像もできないほどの剣の腕前は大陸一との呼び声も高く、あのレオが本気で戦っても勝てるかわからないと認めるほどの実力者である。

 

「いやいや、ガウル殿下とゴドウィン将軍もなかなかでござる。拙者も久しぶりに熱くなってきたでござるよ」

「けっ! よく言うぜ……!」

 

 苦笑しながらガウルが口を開く。目の前の相手からはまだ本気、という印象は受けない。それは確かに癪だが、しかしそこまで至らせていないのは自分の力不足だということもガウルは気づいている。そこがより気に食わなかった。

 

「あん!」

「……ぐう」

「どぉわー!」

 

 そんなガウルの苦悩をさらに増やしたのが、気の抜けるような声と共に吹き飛ばされてきた3人だった。

 「立ち耳」と呼ばれるウサギ耳が特徴の弓使いであるベール・ファーブルトン、短剣とナイフの使い手で無口無表情のノワール・ヴィノカカオ、西方の訛りで喋り力自慢で斧を使うトラジマ娘のジョーヌ・クラフティ。3人ともガウル直属親衛隊「ジェノワーズ」であり、その連携は見事なものがある実力者のはずであった。

 しかしその3人を1人で相手にしても全く動じることがなく、むしろ圧倒してさえいるのが忍装束のような衣装を身に纏うビスコッティ隠密部隊筆頭のユキカゼ・パネトーネである。ブリオッシュのことを「お館様」と慕っている彼女もまた相当な使い手であり、弓、短剣、体術と様々な武器で戦う。ビスコッティでは「天狐様」と呼ぶ者もおり、その名の通り土地を守る天狐の土地神であり、狐の耳と尻尾を持っていた。

 

「ジェノワーズのお三方、どうしたでござるか? 拙者はまだまだ戦い足りないでござるよ?」

「ぐ……おいノワ、あんなこと言われてるで! ちょっと何とかして来てや!」

「無理。3人でも無理なんだから1人じゃ無理」

「そうだよー。ユッキーさん強いから……」

「だあー! もうそんなこと言っとる場合か! ウチらガウ様の直属親衛隊『ジェノワーズ』なんやで! これ以上コケにされてたまるかい!」

 

 ジョーヌの奮起する声がガウルのところまで聞こえてくる。だが自分も向こうもかなり分の悪い戦いをしているのは明らかだった。

 

(ちくしょう……姉上がうまくすれば援軍をよこすとか言ってたが……その姉上がプラリネ砦に行った以上、誰が援軍に来るってんだよ……)

 

 湖上ではエクレールの兄でビスコッティ騎士団長のロラン・マルティノッジが指揮するビスコッティ軍本隊の1番隊と、同様にガレット騎士団長で将軍のバナード・サブラージュの指揮するガレット軍本隊がぶつかり均衡状態にある。とても援軍は見込めない。

 

(だとすると本陣からか? それでもいたのは確かビオレと近衛隊、あとは最初姉上がそこで指揮を執っていたからそのために騎士が少しと護衛の兵士程度……。いや、そもそも前線にいるのが信条の姉上がなぜあんな後方で指揮を執った? っつーか、昨日の戦の状況から元老院とぶつかってたわけだし、戦況をよくしようとするなら最初から前線にいてもいいはずじゃ……。そうでなくても昨日の敗戦から間をおかずの連戦も疑問が残る……)

 

「ぅおおりゃぁぁぁああ!!」

 

 ガウルが考えを巡らせているとそんなことを知らずにかゴドウィンがブリオッシュ目掛けて突撃をかける。

 

(考えてても埒が明かねえ、姉上の言葉を信じてここは戦うしかないか……!)

 

 ゴドウィンの雄叫びに続き、ガウルも獅子王爪牙を煌かせてブリオッシュへと襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 砦での戦いも激しさを増していた。

 

「はあッ!」

 

 気合と共にエクレールが両手の短剣を振るう。正面から迫る見え見えの攻撃を、レオは大剣で受け止めて弾き飛ばそうと力を込める。

 

「勇者ッ!」

「いけぇーッ!」

 

 が、やはりエクレールは囮だった。彼女がそう叫んだ瞬間、レオの死角からシンクが迫りパラディオンによる脚払いを繰り出す。阿吽の呼吸、「ビスコッティの名コンビ」と呼ばれるシンクとエクレールの絶妙の連携だ。

 

「チッ!」

 

 舌打ちをし、エクレールへの反撃を諦めてシンクの攻撃を回避することに専念するレオ。だが見逃してもらったエクレールは容赦なかった。シンクの攻撃と反対側に回り込み追撃を狙う。

 

「このッ……タレミミが!」

 

 レオの左手に魔方陣のような緑の紋章が浮かび上がる。

 

「くっ……! まずいっ!」

 

 追撃をやめてエクレールが体の前に両腕をクロスする。そのエクレールの両腕の甲にも水色の紋章が浮かび上がった。

 

「吹き飛べ、タレミミ!」

 

 突き出されたレオの左手から光を纏った衝撃波が走り、エクレールの手前で爆ぜる。「紋章砲」、輝力を放つ紋章術の一種である。紋章術は3段階のレベルに分かれる。紋章を発動させるレベル1、紋章を強化して背後に輝かせるレベル2、さらに強化して眩く彩らせるレベル3。

 

「うわあっ!」

 

 そのままエクレールは数メートル吹き飛ばされて背中から地面に落ちる。だが今のレオの一撃は咄嗟に放った名も無い紋章砲のレベル1、対するエクレールもレベル1で防御している。ダメージはさほどでもないらしく、すぐに立ち上がる準備を整える。

 

「お前もだ、勇者!」

「わ、わわっ!?」

 

 レオが背を見せているのをチャンスと見て大上段からの一撃を狙ったシンクだったが、振り向き様に横に振るわれた大剣に、攻撃に出したはずの一撃は防御へと変わった。レオの攻撃はシンクの手にするパラディオンに当たり、その勢いで体ごと後ろに飛ばされる。が、シンクは得意の身軽さで空中で体勢を立て直して地面に着地した。

 そのまま互いに睨み合いの状況に移行する。

 

「エクレ、大丈夫?」

「人のことを心配する前に貴様は自分の心配でもしたらどうだ?」

「ははっ。それだけの口が利けるなら大丈夫そうだね」

 

 勇者と親衛隊長の軽口のやり取りに水を差そうとレオが口を開きかけたが、そのまま言葉を飲み込む。

 

(……確かに以前とは比べ物にならんほど強くなっておる)

 

 まだ相手が本気を出していないのはわかる。勿論レオ自身本気には程遠い、まだ全力の半分程度も出していない。

 だが下手に挑発して向こうが全力で来る、と言うことになったらこちらも少々本気を出さないと厳しい、と感じるほどにシンクとエクレールは腕を上げ、また互いのコンビネーションもよくなっていた。

 無論レオに負ける気など露ほどもない。しかしこの後自軍の勇者が戦場に登場する、となれば戦局が変わる可能性は大いにある。そうなったとき、ビスコッティ側が砦から撤退、となったのに肝心要、総大将の自分が疲弊していては士気にかかわる、とレオはそこまで考えていた。

 

(つまり今すべきは勇者が来るまでの時間稼ぎ。この砦の兵達を消耗させず、かつ勇者登場後にここを反撃の拠点とするにはワシがあの2人を抑え切ることが重要……)

 

 考えをまとめると、ヒュン、と横に大剣を1度薙いでレオはそれを肩に担ぐ。

 

「やれやれ……。さすがに2人同時はちと骨が折れるのう」

「よく言いますよ。まだまだ閣下余裕そうですけど?」

「そうでもない。最近は体も訛り気味でな。領主などと言うことをしてると己を鍛える時間が少なくなって困る。ガウルの奴がもう少し大人になれば、ワシとしてはこの座を明け渡してもいいんじゃが……」

「でもガウルもそういうのは嫌いそうですよね?」

「あやつもまだまだ子供じゃからのう」

「勇者、何を呑気に敵と喋ってるんだ」

 

 エクレールにシンクとの会話に水を差され、レオは小さく舌打ちした。話好きの勇者に乗ってきそうな話題を振れば食いつくという予想は当たったが、真面目な親衛隊長はそれを止めにきた。このまま話していれば多少の時間は稼げたと思うとやや恨めしい。

 

(勇者の奴はまだか……?)

 

 ギリッと奥歯を噛む。

 

「あはは……ごめんエクレ、レオ様と話すの久しぶりだったから。……さてと、体もあったまってきたし、そろそろ全力で行こうか?」

「フン……いいだろう、貴様に合わせてやる」

 

 シンクとエクレールの闘気が高まるのがわかる。おそらく今までの力では足りない。

 

(仕方ない……ここは腹をくくるしかないようじゃの……!)

 

「ほう……。本気を出したところで、この『百獣王の騎士』レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワを倒せると思うてか……!」

 

 決心したように己を昂ぶらせ、大剣を構えようとした。その時――。

 

『おおっと! たった今、衝撃的なニュースが飛び込んでまいりました!』

 

(来たか!)

 

 実況からのその言葉が耳に入り、レオは構えを解く。

 

「悪いが、しばし待て」

 

 手で目の前の2人を制し、実況に耳を傾けた。一瞬驚いたように目を見合わせたシンクとエクレールだったが、レオに倣って実況に意識を集中する。

 

『ガレット軍、レオンミシェリ閣下の側近、ビオレさんから実況放送宛に驚くべき内容の情報が届いています! ガレット領主のレオンミシェリ閣下はこの戦の最中に極秘裏に勇者召喚の儀を行い、これに成功。……なんと、その勇者が今戦場に向かっているという情報です!』

「な……! レオ様、それは本当ですか!?」

 

 エクレールの質問に答える代わりにレオはマイクをよこすように要求する。砦内部へ戻った兵からすぐにレオの手元にマイクが渡された。

 

『あー、聞こえているか?』

『はい、こちら実況席、よく聞こえております! この放送は戦場全体に流れております!』

『ガレット軍総大将レオンミシェリだ。今話があったとおり、先の戦での大敗を受け、我らガレットに勝利をもたらす者として、我らも勇者を召喚することとなり、そして召喚に成功した!』

 

 ざわざわと砦の兵達がざわつく。ガレット国内でもごく一部の者にしか知らされていない事項なだけに、彼らにとっては寝耳に水の話だったであろう。

 

「僕と同じ……勇者が……?」

 

 驚くのはシンクも同じであった。が、その目は自分と同じ勇者が現れたという事実を知ってか、嬉しそうに輝いても見える。

 

『では紹介しよう! ガレットの勇者、ソウヤ・ハヤマ!』

 

 

 

 

 

 平原、というよりはいささか荒野とも呼べるような大地を、跨ったセルクルで走りつつソウヤはレオの放送を聞いていた。戦場へと向かうための道中、まだ遠い戦場エリアから音声だけは聞こえてくる。が、それを耳にして彼はどこか呆れたような様子でため息をこぼした。

 

「まったくレオ様も気が早い……」

「それだけ勇者様のご登場を心待ちにしていらっしゃったのですよ。いくら閣下とはいえ、プラリネ砦に進攻してきた勇者と親衛隊長の2人を相手にするのは少々骨でしょうから」

 

 現在ソウヤと共に走る騎士の1人がソウヤの独り言を聞いてそう返す。レオからソウヤと共に戦場に向かうよう指示を受けて待機していた騎士である。

 既にソウヤはさっきまでのTシャツにジーンズというラフな私服とは違い、ビオレ達が用意してくれた上下黒でまとめられた戦闘用の服にマント、そして銀の防具に身を包んでいる。両腕に手甲、両脚にはくるぶしまで隠れる脚甲を装備し、背中に矢筒を背負ってそこに弓をかけ、腰にはサイズの小さめな片手剣を吊るしている。どれも用意されていた武具の中から、ソウヤのチョイスによって選ばれたものである。

 

「とはいえ、こっちはまだ移動中だからどうしようもないと思うけどな……」

「そんなことないですよ。国営放送のカメラの方々が多分そろそろ私達の動向を掴む頃でしょう」

『どうやら、ガレット国営放送が移動中のガレット軍勇者を捉えたようです! 現場のジャン・カゾーニさん?』

『はい! こちらジャンです! 今、プラリネ砦の南西平野部をお供の騎士数名と共にセルクルにて疾走している様子を確認いたしました! ご覧いただけますでしょうか!? こちらがガレットの勇者様です! 弓と矢を背負っています、弓が得意なのでしょうか!? このルート、どうやらこのままガウル殿下の部隊と合流する模様です!』

 

 自分の様子が空中の映像に大きく映し出されたのを確認し、ソウヤは再びため息をついた。

 

「……まったく仕事熱心な連中だな」

「そうでしょう。彼らは我等ガレットが誇る国営放送の人々ですから」

 

 皮肉のつもりで言ったつもりが、この騎士にはどうやらそれが通じなかったらしい。

 

「これじゃ動向がバレバレだ。奇襲も何もあったもんじゃない」

「それは必要ありませんよ。勇者様の腕前ならきっと正攻法でも大丈夫なはずです」

「俺の戦いを見たこともないのになぜそう言い切れる?」

「閣下がこの方だと選んだのです。自分は、その他ならぬ勇者様を信じてますから」

 

 騎士はいたってまじめな顔でソウヤを見つめつつそう言った。ソウヤは視線を逸らし、三度ため息をこぼす。

 

「俺がそこまでの信頼に足る人物だといいがな……」

 

 隣を走る騎士に聞こえないようにそうポツリと呟いた。

 

「勇者様、そろそろガウル殿下の部隊が見えるかと思われます」

「わかった。あとは兼ねての計画通りそっちはレオ様の援護に。俺もやれるだけのことはやってみる」

「承知しました。ご武運を!」

 

 それまで並走していた騎士数名が離れ、砦の方へと向かう。その姿をソウヤは目でしばらく追い、やがて前方へと目を移した。

 

「さてと……。俺は『勇者』なんて器じゃないだろうが……。本を読んで頭の中で空想するだけだった世界にせっかく来れたんだ……好き放題暴れさせてもらうとするか!」

 

 左手を背に回し、矢筒にかけてある弓に手をかける。そのまま左手で弓と手綱を握り、右手で背中から矢を1本掴んで番える。ビスコッティの兵士が遙か前方に小さく見えた。

 

流鏑馬(やぶさめ)……か」

 

 過去に読んだ小説の登場人物は難なくこなしていた。この距離なら立ち止まっていれば狙うことは可能ではある。だが馬、いやこの場合厳密にはセルクルだが、それに乗ったままやったことなど勿論ない。

 

(バランス感覚さえ取れれば……)

 

 両手を離し、弓を射る姿勢をとる。目の前がぶれる。バランスをとるのも思ったより難しい。

 だが、ソウヤはフッと一瞬笑った。

 視界の先にビスコッティの兵士を捕らえる。そこに神経を集中し矢を放つ。矢はまだ遙か前方遠い距離にいる兵に命中し、兵をけものだまへと変化させた。

 

「よしっ……!」

 

 弓を左手に持ったまま手綱を握りなおしたソウヤの耳に、遠方の歓声が飛び込んできた。

 

『な……なんという射撃! セルクルに乗ったままであの距離を撃ち抜きましたー!』

 

 

 

 

 

「す、すごい……」

 

 プラリネ砦でレオとの戦いの手を止め、空中に映し出された映像を見ていたシンクは思わず驚嘆の声を上げた。

 

「別にあの程度、ユキやベールなら何の造作もなくやる」

「それはそうだけど。でも弓の腕だけならユッキーとかベールといい勝負できるんじゃない?」

「今の一射だけではどうだという判断は出来ん」

 

 興奮気味に映像を見るシンクと冷静に分析するエクレールの横でレオは一見静かに、だが内心は穏やかならぬ心持ちだった。静かに映像の中の己が召喚した勇者を見つめる。彼女のソウヤに対する評価は今のエクレールとほぼ同じであった。

 だが、今の一射はソウヤの弓の技術「のみ」で命中させたことにもまた、気づいていた。

 

(さすがのワシも、あの距離で当てようと思ったら紋章術のサポートがなければ厳しい……。じゃがあやつは純粋に弓の技術のみで当ておった……。おそらくセルクルに乗るのも初めてだというのに)

 

 思わず体がブルリと一瞬震える。

 

(ワシが見込んだ通りの腕前……いや、それ以上か……。セルクルを乗りこなすというあの吸収力に失敗を怖れない心……。もしかしたらワシは、とんでもない者を呼び出してしまったのかもしれん……)

 

 

 

 

 

 セルクルを走らせながら、ソウヤは前方に目を凝らす。ビスコッティ兵の集団が展開しているのが目に入ってきた。

 

「もう一発……試してみるか……」

 

 そう呟き、ソウヤは息を大きく吸い、ゆっくりと吐き出した。それと同時にソウヤの左手に地を這うような二頭の獅子が描かれた濃紺の紋章が浮かび上がる。

 紋章砲。先ほどガレット本陣でビオレに原理を説明してもらい、要領は掴んでいる。「想像力が大切」とビオレはアドバイスしてくれた。

 

(だとするなら……その手の小説ばかり読んでいてイメージをしょっちゅう膨らませていた俺にはおあつらえ向きの「魔法」ってことだ)

 

 再び深呼吸すると、今度はその紋章が背後に現れる。レベル2である。

 

「ハアッ!」

 

 さらに気合の声を上げると、背後に現れた紋章はより巨大に、鮮やかに現れた。レベル3、体内の力とフロニャ力を混ぜ合わせ、輝力を最大限に高める。そのまま右手を背の矢筒に回し、1本矢を取って番える。

 

「吹き飛べッ!」

 

 放たれた矢は白く輝き、敵の集団に吸い込まれ――次の瞬間、大爆発が巻き起こる。打ち上げられた兵士達は大量のけものだまへと変化し、その中をソウヤがセルクルと共に疾走していく。

 

『こ、こ、これは紋章砲だー! なんと、ガレットの勇者は早くも紋章術を使いこなしている模様です! それにしてもすさまじい威力!』

『これは驚きです! ここに来てまさかの隠し玉、戦況が変わる可能性も大きくなってきました!』

 

 興奮気味の実況と共に、前方左手側からも歓声が聞こえてきた。

 

「今のが紋章砲か……。確かに威力はすごいが体に返ってくる反動もでかい……。大技は使いどころを考える必要があるってわけか。せっかくだ、後で名前でもつけよう。……それよりさっきの歓声、レオ様の弟のガウル殿下の本隊だと思うが」

 

 独り言のように現状を確認するソウヤだったが、視界の隅に飛来する何かを捕らえた。反射的に上体を倒れこむようにセルクルの横に寝せると、それまで座っていた位置に矢が飛来して来る。

 

「撃ち損じもあるか……。ますます万能じゃないな」

 

 体を起こし、矢の飛来方向を確認。弓を持った兵は思ったより近くにおり、2射目を構えていた。

 

「安全な場所に隠れてろ!」

 

 セルクルに自分の言葉が通じるかは疑問であったが、ソウヤは乗ってきたセルクルにそう声をかけると飛び降りた。着地と同時に矢筒から1本手に取って番える。一瞬で狙いを定め、相手のビスコッティ兵が二射目の矢を番えるより早く放ち、けものだまへと変化させた。

 ソウヤはガウルの本隊の方へと走り出す。途中、ビスコッティ兵数名に出くわすことは会ったが、接近すら許さずにソウヤは矢で撃ち抜いていった。

 戦では相手の頭や背中に手で触れてけものだまに変える「タッチダウン」という方法も存在する。危険は大きくなるが、その方が多くボーナスも入る、という説明をビオレから受けていた。だがソウヤはそれを一切狙おうとせず、あえて距離を詰めさせる前に全ての兵を矢で射抜いていった。

 

 しばらく走り、ようやくガウルの本隊へと到着する。

 

「ガウル殿下はどちらに?」

「あちらです!」

 

 ソウヤの声に1人の兵が方向を指す。そこに大柄な男とそれより遙かに小さな少年が、刀を構えた女剣士と睨みあっていた。

 

「ガウル殿下!」

「なんだ!」

 

 兵から取り次いだ騎士がガウルの名を呼び、小柄な少年の方が顔を動かさずに返答した。

 

(こっちがガウル殿下か。てっきりでかい方かと思ったが……いや、よく見ればレオ様に似てるか)

 

「勇者様がご到着されました!」

 

 ソウヤが考えを巡らせていた相手が振り返り、目を合わせる。そのままソウヤはファンタジー小説で読んだ騎士がそうしていたように、左膝を立ててもう片方の膝をついた。

 

「レオ様に勇者として召喚されたソウヤ・ハヤマです。ガウル殿下の隊の戦力となるようレオ様の命を受け参上しました」

「あ、ああ……」

 

 ソウヤがあまりに畏まっていたからか、ガウルが一瞬狼狽する。と、向かい側から手を叩く音が聞こえ、ソウヤは顔を上げて立ち上がった。

 

「先ほどから勇者殿の活躍を映像で時折見させてもらっていたでござるが見事であった。今のガウル殿下への挨拶も見事でござる」

「……そちらは?」

「これは失礼した。拙者はビスコッティ隠密部隊頭領、ブリオッシュ・ダルキアンと言うものでござる」

「ビスコッティ……ということは敵か」

「ああ。今しがたまで俺とこのゴドウィンで相手をしていた。ビスコッティどころか、大陸一の剣の腕を持つとも言われる自由騎士だ。俺達2人がかりでも簡単にあしらわれちまったけどよ」

「ご謙遜を。ガウル殿下はまだまだ本気ではないようでござったが。……さて、せっかく勇者殿がご登場されてるわけであるし、ここはひとつ拙者と手合わせを願いたいが、いかがでござるか?」

 

 ブリオッシュからの提案にガウルが舌打ちしてソウヤに耳打ちする。

 

「……挑発に乗るな。向こうとしては状況打開のために送り込まれてきたお前を倒すことで再び戦局を有利に戻そうとしてるんだ」

 

 だが、そのガウルの言葉を嘲笑うかのように、ソウヤはフッと1つ笑った。

 

「それは逆に言えば、ここで俺が勝てば、戦局はこちら側に大いに有利になると言うわけですよね?」

「お、おい勇者……」

 

 ガウルが制止しようとするがソウヤは続ける。

 

「向こうが強いのはわかりますよ。俺もある程度は戦いの真似事はしてきてるつもりですからね、雰囲気からして只者じゃないってことも。でも俺はこの戦に勝つために呼び出された。ならここで勝って、戦局を有利にしないといけない義務がある。

 ……それに、強い相手だからこそ戦ってみたい。ある程度の強敵と戦うときのピリピリした感覚を感じることは今までもあった。だけど心から強いと感じた相手と戦うことは今までないと言ってもよかった。……もし今目の前にいる相手に勝ったら、そんな俺の飢え、渇きにも似た感覚を満たしてくれるかもしれないと思うと、俺もここは譲れませんね」

 

 そう言うとソウヤは一歩前に出る。

 

「お前……」

「すみません、ガウル殿下」

 

 ソウヤの意思が固いことを確認すると、ガウルは諦めたようにため息をついた。

 

「……わかった。お前に任せる。ただ、お前は異世界の人間だ。フロニャ力によってけものだまになることはできない。大きなダメージを受ければ怪我に繋がることもある。それだけは忘れるなよ」

「わかっています。ビオレさんから聞きましたから。……ありがとうございます」

 

 ソウヤは腰の剣を抜き、正面に構える。

 

「では、ひとつよろしく頼むでござるよ、勇者殿」

 

 刀を構えながらブリオッシュ。

 

「大陸一の剣の腕前、見せてもらいますよ」

「ご期待に添えられるかどうか。……では、参る!」




プラリネ……焙煎したナッツ類をキャラメルでコーティングしたもの。
原作中で用いられるお菓子用語から付けられた名称はフランス語が多いが、プラリネはドイツ語。なおフランス語だとプラリーヌ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 3 激突・勇者VS自由騎士

 

 

 ブリオッシュが地を蹴る。同時にソウヤもブリオッシュの方へと数歩前進した。ブリオッシュが横に構えた刀が振り抜かれ、ソウヤがそれを剣で受け流す。

 相手の切っ先が逸れたことを確認し、反撃に上段からソウヤが斬りかかるが、自由騎士はそれを体を捌くことで避けた。と、同時に次撃がソウヤを襲う。

 再び剣で受け流し、反撃に転じようとするソウヤ。だが、ブリオッシュは休まず連撃を放ち、その隙を与えてくれない。辛抱強くソウヤは避けられる斬撃は避け、それ以外は剣で受け流し続けた。

 

 攻撃を続けていたブリオッシュが距離を取る。ソウヤも無理に距離を詰めようとせず、ここは一旦間を取った。

 

「さすがでござるな。見事な剣捌きでござる」

「これはどうも。……しかし大陸一、と呼ばれているのも納得だ。数度剣を合わせてその実力はよくわかりましたよ」

 

 話しながらソウヤは剣を地面に突き立て、背中の矢筒を固定しているベルトを外し始める。それを外して矢筒と弓を後ろに放り投げると、次いで腰の剣の鞘も外した。

 

「これでよし。あなた相手に弓を使う暇はないでしょうからね」

 

 身軽になった両脚を屈伸させて具合を確かめると、ソウヤは左手で地面に突き立てた剣を抜き、それまでのしっかりした構えとは一転して剣を持った左手を少し前めに、腰を低めにするようにゆったりとした構えを取った。

 

「それがお主の本気の構えでござるか?」

 

 ブリオッシュは先ほど同様に刀を正面に構える。

 

「本気というか、俺が独自に考えたスタイル、といったところかな。……ダルキアン殿、確かにあなたは強い。が、かといって俺に勝ち目がないわけでもない」

「ほう……?」

「『勇者』なんて呼ばれてる以上、その呼称に副うだけの活躍はしてみせますよ……」

 

 ゆらっとソウヤの体が右に揺れる。と、ソウヤの足元が光ったように見え――その瞬間、ソウヤの体がその場所から消えた。いや、厳密には()()()()()()()()()

 ブリオッシュが左側頭部に刀を構え、それと同時にそこから金属音が走る。一瞬のうちに距離を詰めたソウヤが左手の剣で斬りかかったのだ。

 そのまま剣をブリオッシュの刀に沿わせてスライド、体を前屈させて両手で支え、そこを軸にするかのように左脚での後ろ回し蹴りを上段へと放つ。「コンパッソ」と呼ばれるカポエイラの蹴りの一種である。相手に上体を反らされて蹴りは空を切った。

 ブリオッシュが数歩間を空ける。

 

「なるほど、体術でござるか。独特の動きのいい蹴りでござるな。利き腕と逆の左手に剣を持った、ということはそっちは防御を重視してその蹴りを武器にする、というわけでござるか」

「一目で見抜かれたか、さすがですね。……弓師というのは両手で遠隔武器を持つ以上、近接戦に弱くなる。今回のような腕の立つ相手との一騎打ちとあればもはや弓を捨てて剣を持った方がマシですが、そうでない場合の不意の接敵において近接戦の弱点を解消するにはどうしたらいいか。……俺が出した答えは手に頼らず足で戦う、ということです。小説を読みながらずっとそんなことを考えて足技に憧れ、鍛えていましたからね」

「それにしても弓に剣に体術……うちのユキカゼに似てるでござるな」

「ユキカゼ……?」

「ああ、紹介してなかったでござるな。そこでそちらの親衛隊、ジェノワーズの3人を相手にしていたのが隠密部隊の筆頭、ユキカゼ・パネトーネでござるよ」

 

 ソウヤが目を横に移す。

 

「……ああ、その巨乳ちゃんか」

「きょ……!」

 

 ユキカゼの顔が紅くなる。

 

「しょ、初対面の相手を呼ぶ呼び方としてはふさわしくないと思うでござる!」

「別になんだっていいだろ、事実を言ってるだけなんだ」

「うう……! 親方様! 拙者はこんな破廉恥な勇者と似てると言われたことは心外でござる!」

「ははっ。戦い方のスタイルが似てる、と言っただけで体のスタイルの話には触れてないでござる、気にするほどでないでござるよ」

「いくらお館様でもそれはあんまりでござる……」

 

 ユキカゼが不満そうに口を尖らせた。

 

「さて……それより勇者殿、さっきの移動は足に輝力を込めての高速移動でござるな? こちらに来て早々、まさか紋章術をそこまで使いこなしているとは考えてもしていなかったでござる。紋章術の取得速度はうちの勇者殿に匹敵するほどで驚きでござるよ」

「そりゃあどうも。元々妄想少年だってことでイメージするのは得意なのと、あと時折見様見真似で坐禅を組むこともあるんでね。そのおかげで体内のエネルギーの流れみたいなものを感じ取るのは慣れてた、ってことだと思いますよ」

「フム……『坐禅』でござるか……。どのようなものか是非勇者殿に伺いたいところでござるな」

「いいですよ。……ここでそちらの兵を退いてくれるなら、今すぐにでも」

「ご冗談を。こちらにそのつもりはござらんし、もっとも、せっかく勇者殿も楽しんでおられるようなのにここで退くのは興ざめでござろう?」

「確かにあなたと戦うのは楽しいですけどね。……でもま、俺は勝つために呼ばれたらしいですから。だったら勝つためにはどんな手を使ってでも勝つ、それが俺の信条です。戦いたいという俺個人の感情よりそちらを優先しますよ」

「なるほど、なかなか勇者らしいことを言うでござるな」

「今のが勇者らしい発言ですかね? まああいにく、俺は勇者なんて器じゃないと思ってますよ。とはいえ、期待されてる以上は出来る限りその期待にも応えないといけないと思っていますけどね」

 

 そこまで言ったところでソウヤが一つ息を吐いた。

 

「……俺らしくもなく喋りすぎた。続きをやるとしましょうか」

 

 持った剣と一緒に左手首を軽く1度回し、ソウヤが先ほどと同じ構えを取る。無言を回答した代わりに、ブリオッシュも構えた。

 再びゆらりと一瞬体がぶれ、ソウヤが動く。今度はブリオッシュが構えから動かない。その構えてる刀の真正面へソウヤが斬りかかる。ブリオッシュが切っ先を僅かに変え、その斬撃を受け止めた。

 

「正面では簡単に受け止められるでござるよ?」

 

 挑発にも聞こえるブリオッシュの言葉を鼻で一つ嗤って流し、ソウヤは右手に拳を作り相手のわき腹を狙って叩きつける。一瞬意表をつかれた形になったが、ブリオッシュは左の肘をソウヤの拳にうまく合わせ方向をずらす。

 それと同時に右後方に飛び退き距離を取ろうとするブリオッシュ。だがそれを見越していたかのようにソウヤが間合いを詰め、自身の右足側から相手の中段目掛けて剣を斬り上げる。

 

「くっ!」

 

 短く呻いてブリオッシュが左側から迫る刃を刀で防御。が、ソウヤが体を逆に半回転させ、上段に右後ろの回し蹴りを放つ。ガツンッ! と何かがぶつかる音がし、ブリオッシュが後方に吹き飛んだ。

 

「お館様!」

 

 ユキカゼが不安そうな声を上げたが、ブリオッシュは空中で体を回転させて体勢を立て直すとそのまま地面に着地した。

 

「今の攻撃、命中していたのでは……」

 

 そう呟いたのは目の前のソウヤに相手を奪われた形となったゴドウィンだった。2人の戦いを言葉を発するのも忘れて見つめ、ようやく口を開いたということになる。

 

「いや……。あの自由騎士、後方に飛び退きながら柄の部分に蹴りをぶつけさせて勢いを完全に殺しやがった……」

「な、なんと……」

 

 ガウルの説明を受け再びゴドウィンの表情に驚愕の色が浮かぶ。

 

(あれが本当に今日召喚されたばかりの勇者かよ……。紋章術をいきなりあれだけ使いこなしてやがるってのがまず信じられねえ。それにあの元の戦闘能力……そこだけを見たら俺といい勝負、いや、実際あのダルキアンがそれなりに本気で戦ってるんだ、それ以上と言えるかもしれねえ……)

 

 一旦距離を開けた2人が再度斬り結ぶ。ソウヤはこれまで同様、剣の斬撃を見せながらも体術による攻撃を繰り出している。一方のブリオッシュは防御の合間に反撃を加えてソウヤの連撃を止めているが、防御に徹しているのかほぼ防戦一方のように見えた。

 

(だが相手はあのダルキアンだ、勝ち目があるとは到底思えねえ。……思えねえが……)

 

 そう、普通に考えればガウルが今思っている通り勝ち目があるはずがないのだ。相手は彼の姉をも上回るといわれる百戦錬磨の手練れだ。パワー、スピード、テクニック、そして紋章術。どれを取っても超一流、いかに優れた身体能力と紋章術の飲み込みが早いとはいえ、今日召喚されたばかりの勇者が勝てるはずがない。

 だが、目の前の勇者からは言葉に出来ない雰囲気が醸し出されている。まるでそんなありえないことをこれからやってしまう、ということを期待させるような。お世辞にも華やかとはいえないその戦いのはずなのになぜか目を惹かれるような。

 だから、ガウルは目を離せず戦いを注視していた。

 

 何度かの攻防の後、2人は大きく距離を取った。

 

「やれやれ……これでは決着がつかんでござるな」

「よく言いますよ……。相当力をセーブして戦ってるご様子だってのに」

「はは、しかしそう言っている勇者殿もまだまだ余力たっぷりという具合でござろう」

 

 フン、と1つ鼻を鳴らし、戦ってる最中の表情とは一転し、不機嫌そうにソウヤは剣を横に一度振るった。

 

「……このまま消耗戦を続けたら紋章術に不慣れなこっちの方が不利だ。そろそろケリをつけますか」

 

 そう言うとソウヤの背後に紋章が浮かび上がる。紋章術、それもレベル2以上、つまり大技による勝負を仕掛ける、ということである。

 

「ほう……どうやら言葉に違わず本気でござるな。では、拙者もそれに応えるとするでござるよ」

 

 どこか嬉しそうに言ったブリオッシュの背後にも紋章が浮かび、手にしていた刀を鞘へと戻した。

 

「居合い抜き、か……」

「拙者がこの紋章剣を出すときの構えでござるよ」

「まあ真似、ってわけじゃないですけどね……」

 

 ソウヤも利き腕である右手に剣を持ち替えて左脚側に回し、体勢を低く構えた。両者とも似た構えのまま、無言で動きを止める。

 

「……殿下、どう見ます?」

 

 互いに睨み合う2人から目を逸らすことなく、ゴドウィンは主君に尋ねる。

 

「言うまでもなく普通にぶつかればダルキアンに勝てるはずがねえ。とはいえ、あのまま続けるよりは可能性があるだろう。確かにダルキアンの攻撃は姉上辺りと比べたらまだ軽いが、勇者と比べると得物の都合から言っても勇者の方が軽い。それをここまで捌ききってるだけでも勇者は賞賛に値する戦いっぷりだ。だがその分消耗は激しく、加えてあそこまで使えてるとはいえ慣れているとは言いがたい紋章術。あのまま続けたら勇者が先に消耗し切るのは目に見えてる。そこで全力の真っ向勝負を仕掛けた、と俺は思うがな」

「ですがそれだとしても……」

「ああ。ダルキアンの紋章剣の威力はかなりのもの……。剣の腕と相俟って、どうあがいても勇者が勝てるような相手ではないはずだ。だがあの目、あの気迫……あいつ、勝負を諦めるどころか勝ちに行くつもりでいやがる。そこまで紋章剣に自信があるのか、それとも何か策があるのか……」

 

 そこまで説明してガウルは口を噤んだ。辺りの兵達、ガレット側もビスコッティ側も関係なく、2人の戦いの様子を固唾を呑んで見守っていた。

 風が吹き抜ける。

 動いたのは2人ともほぼ同時だった。

 

「紋章剣・裂空一文字ッ!」

 

 ブリオッシュが鞘に収めていた刀を抜刀し、横一閃に振るう。

 

「斬り裂けッ! オーラブレード!」

 

 ソウヤも左足元から濃紺の輝力の光に輝く刃を逆袈裟に狙って斬り上げた。金属同士のぶつかるような鋭い音が響き、2人の刃が交わる。

 

「な、なんて輝力のぶつかり合いだ……!」

 

 ガウルが驚くほどの力の激突。地面をめくり上げるほどの衝撃が辺りに走る。力はほぼ同等らしく互いに一歩も譲っていない。

 

「ぬうっ……!」

 

 ブリオッシュもこれは予想外だったらしく顔からは余裕の表情は完全に消えていた。ぶつかり合う互いの力が光となり、辺りが眩く照らし出される。

 

 だが、数秒間続いたその均衡は突如として破れた。ソウヤの体を包んでいた濃紺の光が不意に消え、体が前のめりに倒れる。

 

「なっ!? しまっ……!」

 

 呟きながらブリオッシュは状況を一瞬で判断した。

 オーバーヒート――いわゆる輝力の使いすぎによる体への反動。相手は今日召喚されたばかりの勇者、紋章術を使ってるというだけでも驚きの存在なのだ。その可能性が最も大きい。

 無論それを考慮に入れていなかったわけではない。いや、ある意味ではブリオッシュの計画通りであった。今の紋章剣も相手に命中させることなく打ち倒せるように力を加減していた。相手の輝力を消耗させ、戦闘を続行できなくなる程度にしたらその得物を払うか破壊すれば勝負は決まる。フロニャ力によってけものだまになれない異世界の者に怪我なく安全に勝利を収める方法として、ブリオッシュはそういう算段を持っていた。

 しかしこのオーバーヒートはあまりに突然のことで予想外、ある程度力は絞っていたとはいえ、予想以上のソウヤの打ち込みに対処するだけの輝力を込めていただけに急に止めることはできない。

 

「勇者殿……御免ッ!」

 

 出来る限り勢いを殺したが、それでもソウヤの体に刃が命中する。体の鎧が吹き飛び、左腕の手甲も跡形もなく崩れ、左腕から鮮血が流れ落ちる。

 が、おそらく後ろに吹き飛ぶと予想していたブリオッシュの考えと裏腹に、その体はその場で踏みとどまっていた。

 

「な……!?」

「……やっぱりな」

 

 小さく、だがはっきりと、ブリオッシュはソウヤの声を聞いた。

 

「あんたはそういう人だと思ってた。剣がそう言っていた。俺が異世界人で怪我をする可能性があるなら、その可能性をもっとも少なくして勝ちに来る。全力は出し切らない、相手に怪我をさせないギリギリの力で勝負に来る。そして俺に異変が起これば何かしら対処してくる。……そう思ってた」

 

 よく見ればソウヤの左腕は本来刃が当たるはずだった体の間に割り込まれていた。そしてその左手がブリオッシュの刀身を掴む。

 

「ま、まさか演技だったと……!?」

「騙し合いは俺の勝ちだったな。そして……捕まえた。この勝負も勝たせてもらう!」

 

 再びソウヤの背後に紋章が浮かび上がり、体が濃紺の光に包まれる。

 

「撃ち抜けッ! パイルバンカー!」

 

 右足を踏み込み、同時に相手の胸元目掛けて輝く右手の剣を突き出す。ブリオッシュは刀で払おうとするがソウヤに掴まれて動かない。覚悟を決め、彼女は紋章を輝かせた左手を切っ先の前へと割り込ませた。

 次の瞬間、爆発を思わせるような激しい音ともにブリオッシュの体が宙に舞う。数メートルは吹き飛ばされ、体の上着が弾ける。掴んでいたソウヤの手から抜けた刀が地面に突き刺さり、その一瞬後にブリオッシュの体が背中から地面に落ちた。

 

「お、お館様ァー!」

 

 たまらずユキカゼがブリオッシュの元へと駆け寄る。

 

「あ、あの野郎……やりやがった……!」

 

 ガウルが呟く。それを皮切りにしたかのようにガレットの兵が沸いた。

 

 だがソウヤは「クソッ!」と悔しげに短く叫ぶと右手の剣を地面に突き立て、そこに寄りかかりながら両膝をつく。

 

「ユキカゼ……心配はいらないでござるよ……」

 

 ユキカゼが着くより早く、ブリオッシュは上体を少し起こした。そして安心そうな顔を見せたユキカゼの頭を撫でる。

 

「浅かった……。武器さえ封じれば防御は破れると思った……。しかしさすが大陸一の剣士、そう易々とは事を運ばせてはくれなかったか……!」

 

 憎々しげに呟き、奥歯を噛み締めてソウヤは目の前の敵を睨みつけた。ブリオッシュが上体を完全に起こし、心配そうに手を貸そうとするユキカゼを左手で制して立ち上がった。

 

「騙し合いまでは拙者の完敗でござった。しかしそれにしてもいい突きでござるな。あれだけ紋章術を酷使した後に放ったというのに、咄嗟とはいえ本気で防御してこれだけダメージを受けるとは見事でござる」

「褒められてもあまり嬉しくはないですね……。決め損ねた一撃ですから」

「……勇者殿、戦いとは勝つことが全てではござらん。己の身を賭して得る勝利など危険が高すぎる。そんな勝利にどこまでの価値があるのか、拙者は疑問でござる」

「なんとでも言ってくれて構いませんよ。……でも俺は『勝つために』ここに呼ばれた。だったらそれを成すだけだ」

 

 ソウヤが立ち上がる。既に体の鎧は吹き飛び、血が流れる左腕は力なく垂れ、呼吸も荒い。完全に満身創痍の状態である。

 

「さて……まだ決着はついてない。続けましょう。今のを外したので俺の勝ちの目は消えた。でもただじゃ引かない。このまま粘れるところまで粘って、あなたの体力を削る。その上で次にあなたと戦う人に譲る。もうちょっと付き合ってもらいますよ」

 

 肩で呼吸をしながら右手1本でソウヤが剣を正面に構える。しかしブリオッシュは目の前に突き刺さる刀に手を延ばそうとしない。

 それどころか、パッと胸の前まで上げた両手には小さな白旗が握られていた。

 

「参った。降参でござる」

 

 一瞬驚いた顔を見せたソウヤだったが、ややあって俯いてフッと一つ笑った。

 

「お館様! なぜでありますか!?」

「これ以上は拙者の露出が増えるかもしれない、それは困るでござる。それに今日召喚された勇者殿に華を持たせる、というのも悪くないと思うでござるよ」

 

 そう言うとブリオッシュはソウヤのほうを向いた。

 

「そういうことでござるが、勇者殿はよろしいでござるか?」

「俺の目的は『勝つこと』だ。手段はどうあれ、ね。そちらが降参というならそれでいいですよ。あなたを完全に打ちのめせるだなんて思ってもいませんでしたし」

「うむ。では決まりでござるな」

 

 その瞬間、ガレットの兵達がワッと再び沸きあがった。自国の勇者がビスコッティの自由騎士を打ち破ったのだ。

 ソウヤは構えていた剣を右肩に乗せ、ガウルの元へ戻ろうとする。

 

「……それから勇者殿」

 

 今までの声の雰囲気と明らかに違う、硬いブリオッシュの声にソウヤは一瞬肩を震わせる。が、何事もなかったかのように首だけを振り返らせた。

 

「先ほど拙者が言った『勝利の価値』ということを、よく考えて、覚えていてほしいでござる。もし次に戦場で合うときにそのことを覚えていないようであったら……。今度は容赦はしない故……」

 

 冷たく、重い声。有無を言わせない、絶対強者からの忠告。

 それを無表情で聞いていたソウヤだったが、何が面白いのか、一瞬口元を緩めた。

 

「ええ、わかりました。なるべく覚えておくようにしますよ。他人の身を案じるために降参を選択するような優しいあなたに、()()()()()()()()()()()()()()()ですからね」

 

 捨て台詞のようにも聞こえたその最後の言葉。それを聞いたブリオッシュは表情を僅かに曇らせ、勝者の背中を見送った。

 

 

 

 

 

『なんとなんと! 自由騎士ダルキアン卿がまさかの降参宣言! よって勝者はガレットの勇者、ソウヤ・ハヤマ!』

 

 2人の戦いの様子は実況放送され、プラリネ砦のレオはその様子を放送を通じて観戦していた。ソウヤの勝利が宣言された瞬間、砦内のガレット兵士達が沸き立つ。

 

『これにより拮抗していた点差が崩れます! ダルキアン卿を倒したことによりガレット側に大きなボーナスが加算! ガレットは非常に有利を通り越し、勝利はほぼ確実となりました!』

 

 実況の内容は自軍にとって喜ばしい情報であるはずだ。なのにレオはどこか浮かない顔でその実況を聞いていた。

 

「うわあ……あのダルキアン卿に勝っちゃうなんて……ガレットの勇者はすごいなあ!」

 

 代わりに率直に賞賛の声を上げたのはビスコッティ勇者のシンクだった。そんな能天気な自国の勇者に鋭い視線を送るエクレール。

 

「うるさいぞ勇者。今こちら側が不利になったというのに喜んでいるとは貴様は阿呆か? それにあのダルキアン卿が本当に負けるわけないだろう。召喚されたばかりの相手だ、華を持たせるために勝ちを譲ったと考えるのが普通だ」

「でもエクレ、勝ちは勝ちじゃない?」

「やかましい! 大陸一の剣士が今日呼び出されたヒヨッコなんぞより弱いわけがないだろうが!」

「エクレ……何をムキになってるの?」

「なってない!」

「まったくお前らは仲がいいのう」

「誰と誰がですか!」

 

 レオの冷やかしにエクレールが怒りの矛先を向けて反論する。その様子を見てレオはやれやれと一つため息をついた。

 

「……レオ様、あまり嬉しそうじゃないですね」

 

 シンクの不意の質問にガレット総大将は驚いた表情を見せ、次いでその顔がやや陰った。

 

「……あいつの今の戦い方は好きになれん」

「戦い方?」

「お前も見てただろう。奴は騙まし討ちで勝ちを取った。騎士道精神に反する」

「タレミミの言うことも一理ある。じゃがそれ以上に己の身を危険に晒したことが、ワシは気に食わんのじゃ。確かにあいつの能力を評価したのは他ならぬワシじゃ。事実あのダルキアン相手に一歩も引かぬ戦いぶりは多くの人間の目を釘付けにしたことじゃろう。しかし戦は怪我のないように気をつけて行うもの。なのにあの捨て身とも言える方法……。そういう考え方ではいずれ奴自身の大怪我か、あるいは他人を傷つけることにもなる」

「でもフロニャ力に守られててけものだまになるから怪我はしないんじゃ……」

「お前はならないぞ、勇者」

 

 エクレールの指摘にシンクは「あっ」と声を上げた。

 

「そう。あいつがお前と戦うときが1番気がかりじゃ。あいつはいまひとつ何を考えているかわからんところがある……。お前と勇者は大きなダメージを受ければ怪我をする危険性もある。だがそれをわかったうえでお前に戦いをふっかけるかもしれん、そんな不安があった。これからもあんな戦い方を続け、それでも勇者、お前と戦うことになったら……」

 

 そこまで話すとレオは言葉を切った。ため息をこぼし、今口走った不吉な言葉をかき消すかのように頭を左右に振る。

 

「……ワシらしくもない、考えすぎじゃな。杞憂と思いたい。……それに話しすぎた」

「続き……ですか?」

 

 シンクが身構える。

 

「いや。それも面白そうじゃが、そちらのダルキアンが敗れた以上、ミルヒはこの後お前たちには退却を命じそうだと思うがの」

「ええ!?」

「……なるほど、確かにこの点差は決定的。もう勝ち目がないなら私達騎士がポイントを稼ぐより、一般参加者の人達がポイントを稼ぎやすい状況を作る……。姫様ならその判断は十分にありえますね」

 

 驚くシンクを尻目にエクレールも同意した。戦において個人のるポイントが大きければ大きいほど報奨金は多くもらえる。もはや負けが確定、となれば少しでも一般参加の民達が得を出来るように騎士達の出番を減らすというエクレールの予想は十分ありうる展開である。

 

「ま、このままもう少し待ってみるとするかの……」

 

 レオがそう言い、事の進展がないか空中に映し出される実況放送へと目を移した。

 

 

 

 

 

 ソウヤとの戦いが終わった後、ブリオッシュは心配そうな顔で話したがるユキカゼを制し、フィリアンノ城との連絡を取り次ぐように指示していた。

 しばしの後、通信装置にピンクの髪をしたかわいらしい少女が映し出された。

 

「突然の通信失礼するでござる、姫様」

 

 ブリオッシュが畏まって話すこの少女こそ、若くして現在のフィリアンノ領の領主を務めるミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティであった。

 

「構いません、ブリオッシュ。この通信は戦況についてですね」

「はい。お恥ずかしながらガレットの勇者殿との一騎打ちに敗れてしまったでござる。拙者が負けたことで向こうが圧倒的有利になった以上、これから先は負け戦になってしまう可能性があるのではないかと……」

「映像で拝見させていただきました。ブリオッシュもガレットの勇者様も、見事な戦いぶりでした。恥じることはありません。負け戦となってしまうのであれば、この後は一般参加の方々が挽回できる機会にしたいと思います。元老院の皆さんに私から進言してみます」

「それはいい案だと思うでござる。かたじけない、よろしく頼むでござるよ」

 

 ブリオッシュがそう言うと通信が切れ、1つため息をついてから振り返る。

 

「待たせたでござるな、ユキカゼ。それで言いたいことは何でござるか?」

「何でござるか、ではないでありますよ! なぜあそこで降参したのですか!?」

「さっき拙者が勇者殿に言ったのは聞こえていたでござろう? それ以上の意味はないでござるよ」

「しかし!」

「ユキカゼ」

 

 有無を言わせないブリオッシュの声色にユキカゼは肩をビクッと震わせ、目を伏せる。

 彼女としては主の負けを認めたくなかった。初対面の自身をぶしつけな呼び方で呼び、その上卑怯ともいえる騙まし討ちで尊敬する主の顔に泥を塗った相手。そんな相手に降参するという主の判断はどうしても受け入れがたい。

 しかしそれほどまでに敬愛する主の言葉だ、これ以上の追及は非礼に当たるだろう。

 

「……申し訳ありません。出すぎた発言でした」

 

 自分にも言い聞かせるように、ユキカゼはそう謝罪の言葉を口にする。

 

「いや、わかってくれればいいでござる」

 

 ポン、とブリオッシュはユキカゼの頭に手を乗せた。

 

「あの勇者殿は……勝利に固執しすぎていたでござる。……強い者と戦いたいと言う気持ちは拙者もよくわかる、最初は拙者と似た者かもしれないと思っていたでござる」

 

 そこまで話したところで、大陸最強の剣士の顔が曇る。

 

「……しかしあの一撃、最後の紋章剣を受けた後、わかったでござる。彼には戦いを楽しむ気持ちはあるが、その一方で、それ以上に勝利に、いや、もしかしたらそれ以外の何かかもしれないが、飢えていた、と。それ故手段を選ばない。……そして何より面食らったのは、拙者の思考まで読み切って最後の突きへと繋げたこと……」

「お館様の思考……?」

「別に自分の力を誇示するつもりはないでござるが、拙者が本気で紋章剣を放てば今の勇者殿では到底耐えられないでござろう。その結果、けものだまになれない異世界人の勇者殿は怪我をする可能性がある。拙者はそれを好まない、よって勝てるギリギリの力しか出さない。そして不測の事態が起これば対処してくる。……勇者殿はここまで読みきった上で、あの捨て身の演技を敢行したと思われるでござるよ」

「でも、騙し討ちと言うのは……」

「よくない、と言うでござるか? ではユキカゼ、そなたは相手に勝てるかもしれないが、同時に自分の身を危険に晒す可能性もある方法を思いついたとして、それが実行できるでござるか?」

 

 ブリオッシュの質問にユキカゼは口を噤む。

 

「そう、普通はそれでいいのでござる。それでもあの勇者殿は何の躊躇もためらいもなく、それを実行に移した。あのまま続ければ本当に倒れるまで戦い続けたでござろう。華を持たせる、と言うのは半分本当でござるが、もう半分は勇者殿にこれ以上愚かな戦いをしてほしくなかった、ということでござる。だから最後に忠告をしておいたでござるよ。……しかし……」

「しかし……?」

「勇者殿はそこでの拙者の心まで見抜いていた。『他人の身を案じるために降参を選択する』、『出来ないことをやらせたくない』。……つくづく恐ろしい者でござる」

「お館様……」

 

 心配そうな声を上げるユキカゼの頭をブリオッシュが撫でる。

 

「大丈夫でござる。次に戦が始まるまでに勇者殿と話す機会もあるでござろう。それにレオ様もそういったことに対して全く気に留めてないとは考えにくいでござるし」

 

 ブリオッシュがそこまで話したところで、実況放送の方で動きがあった。

 

『ガレットの勇者がダルキアン卿を下して興奮冷めやらないところですが、ここでミルヒオーレ姫様から戦場の方々へメッセージがあるということです! どうぞお聞きください』

「どうやら拙者の提案は聞き入れられたようでござるな」

 

 先ほどブリオッシュと通信で話した少女が、空中に大画面で映し出される。味方を鼓舞させ、敵でさえその目を奪われる可憐な少女の映像に、兵たちの誰もが手を止めて映像に見入った。

 

『ビスコッティ、ならびにガレットの皆さん、こんにちは。ミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティです』

 

 

 

 

 

「フィリアンノ・ビスコッティ……? ってことはあの女の子が……」

「ああ。今俺達が戦っていたフィリアンノ領の領主、相手国の姫様だ」

 

 ソウヤの活躍を称えられていたところで始まった放送、それを見ていてソウヤが呟いた質問にガウルが答えた。そのガウルの説明を聞きつつ、ソウヤはチラリと自身の左腕へと目を落とす。大怪我を負う覚悟を賭してブリオッシュの一撃を受けた左腕は早くも血が止まりつつあり、痛みも和らいできたように感じる。フロニャ力の加護の恩恵だろう。まったくもって便利なものだと鼻を鳴らし、再びその映像へと視線を移した。

 

『ただいまの我が国のダルキアン卿とガレットの勇者様の戦い、放送で拝見させていただきました。手に汗握る、素晴らしい戦いでした』

「姫様に褒められるとは、お前、誇ってもいいことだぞ?」

「そんなもんですか?」

 

 興味なさそうにソウヤは答え、画面の姫を眺める。事実、彼は世辞の言葉を社交辞令にすぎないと捉えていた。

 

『その他の戦いも拝見させていただいてます。プラリネ砦の我が国の勇者様とマルティノッジ親衛隊長、それに立ち向かったガレット総大将、レオ様の戦い、湖での騎士団長同士の激突、それ以外でも互いの国の兵士の方々の戦いは、どれも見事なものであったと思います』

「あの年で姫、か……」

 

 しかしその「社交辞令」もここまですらすらと出てくると見事なものだろう。思わずソウヤは感心の意味を込めてそう呟いていた。

 

「あの年って、15だぞ。姉上と2つしか違わないし、俺より1つ上なだけだ」

「……ってことは殿下、俺より2つ年下だったんですか。ちょっと意外だ」

「意外って、俺がガキっぽいって言いたいのか!?」

「いえ、そんなつもりは。自分と同い年か1つ下ぐらいだと思っていたからそう言っただけです」

 

 ソウヤの答えに不満気味のガウルはまだ噛み付いているが、そんな2人をさておいてミルヒのメッセージは続く。

 

 

 

 

 

『さて、先ほどのガレットの勇者様の活躍により、我がビスコッティは点数に大きく差を開けられてしまいました。もはやビスコッティの負けは確定的、ここからは負け戦となってしまうでしょう。……ですが、個人のポイントは別です。この後は騎士級の皆さんは一旦撤退、一般参加の皆さんが中心となって、最後までポイント獲得のチャンスとして頑張っていただきたいと思います。では皆さん、最後まで戦を楽しんでください!』

 

 ふう、とミルヒのメッセージを聞いていたレオがため息をついた。ビスコッティの一般参加組はこの激励を受けたら奮起しないわけにはいかないだろう。

 しかし今レオの目の前にいるのは騎士を中心とした砦攻めの強襲部隊。今のミルヒの発言からだとこの後は撤退、ということになる。

 

「……というわけじゃ。悪いの」

 

 自分達の戦いはここまで、と判断したレオが、だが言葉とは裏腹にそれほど悪びれた様子もなくそう言った。

 

「いえ、姫様が決められたことですし」

「今日のところは貸しにしておくだけですから」

「言うのタレミミ!」

 

 ハッハッハとガレットの総大将は声を出して笑った。

 

「……とにかく、戦が終わったらこっちは宴になるじゃろうな」

「出来れば行きたいですね。ガウルと話したいし、そっちの勇者とも会ってみたい」

 

 シンクの言葉にレオは一瞬複雑な表情を浮かべた。

 

「ガウルはいいが……勇者と会うのはどうかの……」

「え?」

「いや、なんでもない。……さっきは『この戦に勝った上での招待』と言ったが、実は明日、ビスコッティを訪問しようかと思っておる。この後ミルヒに話してみるつもりじゃが」

「そうなんですか?」

「珍しいですね。通常は戦勝国の戦勝イベントに敗戦側を招待するのが常ですが。……ああ、勇者の紹介ですか?」

「まあ……そんなところじゃ。その他にもちと思うところがあっての。……ともかくそういうわけじゃ。2人とも、今日は戦えて楽しかったぞ」

「僕もですよ」

「ではこれで」

 

 ビスコッティの2人の背中を見送り、レオは再びため息を1つついた。確かに勇者は勝ちを導いた。が、その過程がいかんせんよろしいものではない。戻ったらその辺りを含めて話し合わなければならない、という重い気持ちのまま、レオはプラリネ砦内へ戻るために足を進めた。

 

 

 

 

 

 プラリネ砦からヴァンネットの城下町へと凱旋したレオは、領民からの歓迎を受けた後、自分の治めるヴァンネット城へと戻ってきていた。海に面し、豊かな水産資源に恵まれたガレットを象徴するかのように、切り立った崖の上にそびえ立つ城である。

 

「おかえりなさいませ、レオ様」

 

 側近で近衛隊長のビオレが帰還した主にねぎらいの言葉をかけ、それに「うむ」と答えた後で城の主は玉座へと腰を下ろした。部屋には既に騎士団長のバナードが戻ってきて待機している。

 

「プラリネ砦の攻防、見事でした」

「お前もビスコッティの本隊をよく止めてくれた、バナード。感謝するぞ」

「いえいえ。私の活躍など勇者殿に比べたら」

 

 ガレット騎士団長のバナードはそう謙遜の言葉を述べる。発言主が切れ者将軍ということを考えると皮肉の類も考えられなくもないが、今回に限って言えばおそらく本心から述べているだろう。

 

「して、その勇者は?」

「まだ戻られていません。ガウル殿下の隊がもう間もなく到着と言うことですので、おそらく一緒かと」

「ふむ……」

 

 そこまで話すとレオは背もたれに寄りかかる。そんなお疲れの領主を労うように、メイドが持って来たグラスをレオに手渡した後でビオレは果実酒を注いでいく。

 

「しかし……私は知っていたからよかったですが、何も知らされていなかった兵士や騎士達は大層驚いてましたよ」

「それはそうじゃろうな。ガウルにも言っていなかったから、帰ってきたら文句の1つは言われるのを覚悟しておるが」

「それは言われるでしょう。援軍のことをどう説明していたんです?」

「運がよければ援軍を送る、としか言っておらん」

「はは……」

 

 バナードは苦笑を浮かべた。

 

「レオ様、その勇者様ですが……。さすがレオ様のお眼鏡にかなった方だということはわかりました。あのダルキアン卿を前に一歩も引くことなく戦ってみせ、結果を見れば最後は勝利をもぎ取った。ですが……」

「わかっておるわ、皆まで言うな」

 

 一気に果実酒を飲み干し、レオは眉をしかめた。

 

「そのことについてはこの後釘を刺す。腕前だけを見ればワシの見立て通りだったが、中身までを把握し切れなかったのはワシの責任じゃしな。……時にビオレ、お前はあいつをどう見る?」

 

 質問を返され、グラスに代えの果実酒を注ぎ終えたビオレは難しい表情を浮かべた。

 

「……はっきり申し上げますと、不安です。本陣への移動中、私と話す時間があったのですが、どうにも本心は図りかねます。戦のときに見せた捨て身の行動と合わせて考えると……あまりにも自分を粗末に扱いすぎているのではないかと……。それは言い過ぎかもしれませんが、一言多いあの物言い、それから皮肉めいた言い回しから少々ひねくれていらっしゃるのではないか、とは思いますね」

「別に物言いは気にしておらん。多少ぶしつけな方がワシとしては話し甲斐があると感じるし、お前たち2人もそういう相手の方が話していて楽しかろう?」

 

 これには将軍と近衛隊長の2人も苦笑いして互いの顔を見合わせる。

 

「……しかし自分の身の危険を顧みない行動だけは、謹んでもらわなくては困るな。まあこの後戦勝祭の時にでも、なんとか時間を取ってゆっくり話をしてみたいところじゃが……」

「ガウル殿下のご帰還!」

 

 と、その時、外から兵士の報告する声が聞こえてきた。ガウルの隊が帰ってきた、ということはソウヤもいるはずである。

 

「お、噂をすれば、ですね」

 

 バナード将軍がどこか他人事にそう言った時、部屋の入り口のドアが開いた。

 

「姉上!」

「ご苦労じゃったの、ガウル」

「ご苦労、じゃねえよ姉上! 勇者を召喚するなんて俺は一言も聞いてねえぞ!」

「そうじゃろう。言ってなかったからの」

「いつそんなことが決まったんだよ!」

「決まったの自体は昨日です。勇者召喚については前々から議論されていましたが。殿下もここ最近のガレットも勇者を召喚するべき、という機運は感じておられたかのではないですか?」

「いや、そりゃ感じていたが……。召喚なんてのは初耳だぞ。バナード、お前知ってたのか!?」

「はい。閣下を補佐する騎士団長として会議には出席していましたから」

「すみません、私もレオ様の側近と言うことで会議に出席していたので既知しておりました」

 

 ビオレも口を挟む。

 

「だったら俺にも言ってくれたってよかったんじゃねえか?」

「お前に言ったら浮ついた心が行動に出るじゃろ? それで勘ぐられるのは嫌だったからの。驚かせる企画というものは直前まで伏せておくからこそ、効果があるのじゃ」

「なんだよそれ……。ったく、運がよければ援軍を送るとか言っておいて蓋を開けてみれば召喚したばかりの勇者ときたもんだからな……」

「活躍は十分だったじゃろう?」

「そりゃあ……。あの自由騎士に勝っちまうくらいだからな」

「して、その勇者は?」

「ああ、今医務室に行ってる。なんでもダルキアンとの戦いの後から左手がまだ痛むとかって……」

 

 その言葉を聞くとレオは顔色を変えた。

 

「何!? 怪我をしているのか!?」

「血流してたぜ。守護力の加護のおかげでもう止まってたみたいだし、本人は大したことないとか言ってたけど、一応行っておけって俺が薦めたんだよ」

 

 ガウルの言葉も耳に入ってない様子で、レオは果実酒が入ったままのグラスをビオレに預けて立ち上がると、部屋の入り口の方へと速足で歩き出す。

 

「おい姉上!」

「閣下、どちらへ?」

「医務室だ。勇者に会ってくる」

 

 

 

 

 

 豪奢な造りの廊下を城の主が進む。いつもと違う雰囲気の主に使用人や兵士達がやや不思議そうな顔をしたが、当人には問うことなく、すれ違うたびに道を譲っていく。

 医務室に着くとレオはノックもせずにドアを開けた。

 

「おお、これはこれは閣下」

 

 初老の男が振り返り、眼鏡を上げながら答えた。その向かい、左腕を伸ばして診察してもらっているソウヤが腰掛けていた。

 

「レオ様」

 

 驚いた顔のソウヤを一瞥し、レオは初老の男、つまりこの部屋の主である城の医師の方に視線を移した。

 

「勇者の具合は?」

「はい。左腕の傷がフロニャ力だけでは完治しきれない程度でしたが、今紋章術で治療したところですじゃ。加えて紋章術を使いすぎたことによる疲労も見受けられる。ですが、まあ一晩も寝ればなんともなくなるでしょう」

「そうか」

 

 安心したようにレオが肩をなでおろす。彼女が幼少時代から世話になっているこの医師には大きな信頼を置いている。その臣下からの言葉だ、間違いはないだろう。

 

「この後でレオ様のところに伺おうと思っていたのですが、遅くなってしまってわざわざご足労させてしまい、申し訳ありません」

「いや、よい。……こいつはもう大丈夫か?」

「はい、もう大丈夫ですじゃ。ですが閣下の方からもあまり無茶をせぬように一言お願いしますぞ」

 

 「ああ」と返してレオは医務室から出る。それにつられるようにソウヤも廊下へと出てきた。

 

「それで、お前自身は問題ないのか?」

「ええ。さっき言われたとおり、寝ればなんともなくなるそうです。傷の方も治ってますし、さすが紋章術は便利ですね」

「紋章術とて万能ではない。命を落とせば勿論、それに関わるような身体への大きなダメージのときは効果がないときもある。それは忘れるな」

「……わかりました。頭に入れておきます。……ああそうだ、レオ様」

 

 そう言うとソウヤはポケットから何かを取り出しレオに手渡した。鮮やかな蒼い宝石の指輪、他ならぬエクスマキナであった。怪訝な表情でレオはそれを見つめる。

 

「エクスマキナではないか。なんじゃ?」

「返しておきますよ」

「返すって……なぜじゃ?」

「これはこの国の宝剣なんでしょう? だとしたら俺のような者はそんな大切なものを持つに値しない」

「しかしお前はこれを使いこなしていたではないか」

 

 皮肉っぽく、ソウヤが笑った。

 

「使いこなす? 何言ってるんです。先ほどの戦いでは俺はそれを使()()()()()()()()()()

「なん……じゃと……?」

 

 レオの表情が固まる。

 

「エクスマキナを使わずにあれだけを戦いを……。しかし、なぜじゃ!? なぜ使わなかった!」

「言ったでしょう。俺は持つに値しない人間だと。そんな大切な剣をよそ者である俺が使うわけにはいきません。レオ様かあなたの弟君がお使いになるべきでしょう」

「しかし……」

「とにかく俺はそれを使うつもりにはなれません。返しておきます」

「……わかった。そこまで頑なに断るならこちらも無理強いはせん。じゃがお前がこれを必要に思ったときはいつでも言ってくれ。……それともう1つ」

「なんです?」

 

 エクスマキナを受け取った後でより表情を厳しくし、レオは続ける。

 

「さっき言ったとおり、今後は怪我をするような危険な戦い方はしないようにしてほしい」

「……頭に入れておくといいましたが。……でもわかりませんね」

「何?」

「結局は俺の体です。仮に死のうが俺の責任だ。異世界で果てるというのも案外悪くはないと思ってますしね。それにレオ様がそこまで気にかける必要はないと思いますが」

「……貴様、それは本気で言っているのか?」

 

 厳しくなるレオの顔。ソウヤは肩をすくめて返す。

 

「俺は嘘はつかないをモットーにしてますからね。割と本気で言ってますよ」

「ならその考えは今すぐ変えろ。ワシはお前を呼び出した召喚主じゃ。お前が元の世界に帰るまでを保障する責任がある」

「そうですか。……ま、頭に入れておきますよ。でもつまるところ俺もあなたも他人同士、ましてやあなたは主で主従関係なんだ、俺の身など気にかけすぎないほうがいいでしょう」

「……勇者、なぜ貴様はそうなのじゃ? 元の世界に戻れば心配する者がおるじゃろう?」

「いませんよ。せいぜい顔を知ってる、ぐらいの間柄です。その程度の人付き合いしかしてません」

 

 そう言って彼は自嘲的に鼻を鳴らす。

 

「……思い入れが深いほど、それだけそれを失ったときの痛みが大きくなる。深く付き合えば付き合うほど、別れの苦しみが大きくなる。出会いがあれば別れがある。住む場所が変わる、ケンカをする、最終的に言えば人はいつか死ぬ……。だったらいずれ別れは訪れる」

 

 ソウヤがレオの瞳を見つめた。それは冷たく悲しいものであったが、どこか物寂しくも見えた。

 

「仲の良い間柄で別れを喜ぶ人間なんていませんよ。なら別離の痛みなんて少なくすむほうがいい。自分も、他人も傷つくことだ。……だから俺は人とは深く付き合わないようにしてるんです」

「勇者……貴様……」

「なのでレオ様も俺にあまり肩入れしなくて結構です。どうせ十数日で帰るんですから。戦のときに役に立つ助っ人、または傭兵程度にでも考えてください」

 

 レオは言葉を発せなかった。ただ驚いたような、どこか悲しそうな顔のままその場に立つだけだった。

 

「……出すぎた発言すみませんでした。輝力を使いすぎた反動がきてるんで、今日はもう休ませていただきます」

 

 そう言うとソウヤは領主に背を向け、自室へと歩き出した。物寂しげな、孤独なその背中を見てもレオはやはり声をかけられなかった。今彼女の目に映る背中は周囲の物を突き放し、踏み込むことすら許さない。そう錯覚させるほど、強い拒絶の意志のこもった「勇者」の背中であったからだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 4 フィリアンノ城訪問

 

 

 翌日、前日の輝力の使いすぎからか体に気だるさが残るソウヤだったが、晴天の空の下でセルクルに乗っていた。無論、昨日の戦勝イベントの参加を拒否し、その時間からずっと倒れるように寝ていた彼自身がそれを望んでいるわけはなく、左手側でセルクルを走らせているレオにほぼ無理矢理連れ出された形である。「出かけるから支度をしろ」とだけ言われてために目的地もわかっていない。

 昨日半ば口喧嘩に近いものになってしまったためか、レオの機嫌もあまりよくなく、城を発ってから結構な時間が経過しているのにソウヤに対して一言も口を開かなかった。その2人のぎこちない様子をやや後ろからビオレが心配そうな面持ちで見つめている。

 ビオレだけではなく、この一団の中にはガウルやジェノワーズもおり、騎士も相当数連れている。そのことからただの散歩や自分にこの世界を案内する程度の目的ではなく、それなりの意味のある事だとソウヤは予想していた。

 だが昨日レオに自分のことを「傭兵」と言ったソウヤの言葉は本心であった。そのため込み入った事情や目的があるなら別に聞く必要もないと彼は考えていた。

 両手が森の中、その間を走るように伸びる街道を進む。ソウヤが暮らしていた場所と違って自然が多く、興味を惹かれたのか、辺りを見渡している。

 

「……どこに行こうとしてるのか、気にならんのか?」

 

 不意に羽の黒いセルクル、愛騎のドーマを寄せてレオが話しかけてくる。

 

「ま、ならないと言ったら嘘になりますがね。これだけのメンツをそろえての行軍ならそれなりに重要な内容でしょう。なら情報が漏れないように一部の人間にしか情報を与えてないものだと考えてましたが」

 

 ハァ、とレオはため息をつく。

 

「そんな重要なものでもない。実際お前以外ほぼ全員目的地を知っておる」

「そうですか」

 

 それでも薄い反応に領主は苛立つような表情を一瞬浮かべる。いや、事実昨日のやり取りからどうにももやもやした心をレオは抱き続けていたのだ、実際苛立ったのだろう。

 

「本当に貴様は……。まあいい。今ワシらが向かっているのはフィリアンノ城じゃ」

「フィリアンノ城って……ビスコッティ領でしょう?」

 

 ここでようやくソウヤに反応があった。珍しく驚いたような声を出す。

 

「そうじゃ」

「敵国じゃないですか。本陣に仕掛けるにしては奇襲にしても兵力が少なすぎると思いますが……」

「戦いに行くわけではない。お前を正式に紹介してなかったからの」

「……紹介? そんな必要があるんですか?」

「戦と言っても、言ってみれば外交手段の1つでもある。お前たちの世界の戦とは違う、とは言ったはずじゃがな。ここでの戦は戦興業として成り立つもの、外交手段とも言えるわけじゃ。

 あくまでガレットとビスコッティは敵対関係ではなく基本的には友好関係。同じく勇者を召喚しているビスコッティと情報を共有したり交換したりするのはワシらにとっても、お前にとっても有益じゃろう。ついでに兵達は合同訓練をしてきてもらい、相手のいいところを吸収して弱点を見つけてきてもらう予定でいる」

「なるほど。俺はともかく、確かにガレットとしては有効だ」

 

 再びレオがため息をついた。

 

「のう勇者、いつまで下らん意地を張る気じゃ? 貴様が昨日言ったことはわからんでもないがいい加減に……」

 

 そこまで言ってレオはソウヤの様子がさっきまでと違うことに気づいた。視線が明らかに鋭くなっている。そして見つめる先は自分ではなく、その先にある森林であった。

 神経を研ぎ澄まし、レオもソウヤが感じてるであろう気配に気づく。

 

「全員止まれ!」

 

 レオの声に一団が止まった。先頭集団を進んでいたガウルが振り返る。

 ――と。

 

『さすがは百獣王の騎士様だ、お陰で威嚇する手間がはぶけた』

 

 森の中から拡声器を通したような声が聞こえてくる。

 

『俺達は『武装遊撃団・クーシュ』だ! 金目になりそうなものはいただかせてもらうぜ!』

 

 突然響き渡った声に兵達がざわつく。

 

「静かにせい!」

 

 レオが一声発し、それにしたがって兵達はざわつくのをやめた。次に自分たちがどう動くべきか、指示を待つ意味も込めて己の領主のほうへと視線を向ける。

 

「……勇者、お前も待て」

 

 明らかに殺気を出しながら左手を背の弓に回したソウヤにもそう制止の言葉がかけられた。

 

「なぜです? 相手は自分達を実質盗賊だと宣言したようなものでしょう」

「そうじゃが、まだワシはその宣戦布告を受けておらん。断ればそれで済む話じゃ」

「……言ってる意味がわかりませんが」

「えっと勇者様、戦興業がどのように始まるか、昨日説明したのを覚えてますよね?」

 

 後ろからビオレが口を挟んできた。ソウヤは記憶を呼び起こす。確か本陣に戻った後、装備を見繕っている時に言われたことだ。

 

「ええ。宣戦布告をされた後それを受けて初めて正式に戦になる、あるいは逆に宣戦布告をしてそれが受けられれば戦になる。逆に言えば拒否する、もしくはされた場合は戦にはならない」

「その通りです。それで、これも同じことなんです。この場合相手は武力による戦いを宣言してますから、戦いの結果によって積荷やあるいは金銭を奪われる割合が決まるんです。相手としてはそれ以上に『相手を倒した』という名声も得られるようですが。基本的に戦は安全を考慮してフロニャ力が強く働く場所で行われますが、ここは比較的フロニャ力が強い場所ですから、怪我もあまり心配ありません。相手もそれを考えているようです」

「……ちょっと待てよ。それじゃあつまり戦と同じくこれも……」

「はい。興業になります。ですから、受けなければこのまま何事もなく通過できると言うわけです。もっとも、その場合『ガレット軍が怯えをなして盗賊の宣戦布告を断った』などという風説も流れることがありますが……」

「……道理でバカ正直にこれから襲うことを宣言したわけだ。合法の強盗とはまったく畏れ入った」

 

 呆れたようにソウヤがそう言った。彼は知らないことだが、実際この世界では誘拐も興業として成り立っている。一国の姫様が隣国の親衛隊に誘拐され、それを奪還するための戦いが興業として放送されてしまうような世界なのだ。

 

「それで……いかがされます、レオ様?」

「ワシらの目的はフィリアンノ城の訪問じゃ。こんなところで道草を食うのは本来の目的から外れる」

「ですが、先ほど申しましたように余計な風説が流れる可能性もありますが……。実際この手の野盗が増えているのは元老院の方々もあまりよろしくないことと頭を悩ませていたようですし……。それにクーシュと言えば野盗の中でも最大規模の集団です。そんな集団が得意になるのも得策ではないかと……」

「じゃが兵力を割くというのは……」

「なら俺がやりますよ」

 

 2人の議論に突如割って入ってきた、何の躊躇もない申し出に2人がソウヤのほうを振り返る。

 

「何……?」

「要は戦と同じく相手を倒せばいいわけでしょう?」

「それはそうじゃが……しかし」

「言い合ってるだけ時間の無駄です、こうしてる間にケリはつけられる」

 

 一方的に会話を切り上げ、ソウヤがセルクルから降りる。周りの兵たちがざわつき始める。おそらく「勇者が1人で相手をする」という方向でまとまったようだと思ったのだろう。

 

「おい勇者!」

 

 レオの制止も聞かず、ソウヤは部隊が待機する道から離れて声が聞こえてきた森側へと近づいていった。

 

『……なんだァ!? そっちは1人か?』

「ああ、俺1人でいい」

『ふざけやがって……てめえ、多少は名のある騎士か?』

「騎士ではない。傭兵みたいなもんだ」

『そんなわけのわからん奴1人倒したところで俺達の評価が……。……いや、待てよてめえ確か……』

 

 拡声器から聞こえてきていた男のいかつい声が止まる。

 

『……思い出した。てめえ、昨日の戦でビスコッティの自由騎士を倒した勇者だな?』

「……一応そうは言われてる。もっとも、俺自身は自分のことを勇者なんて器じゃないと思ってるがな」

 

 ヒューと拡声器の向こうから口笛が聞こえた。

 

『昨日の戦い、放送で見させてもらった。あの自由騎士を倒した勇者とあれば相手にとって不足はない。そしてそんな勇者を倒したとあれば俺らの評判はうなぎのぼりだ! 金目のものよりも価値がある!』

「皮算用だな。そういう算段は勝てる見込みがあって初めてするものだ」

 

 ソウヤが背中の弓を左手に持ち、右手を背の矢筒の矢にかける。彼には戦闘を避ける気は毛頭ない。明らかに挑発して煽っているのだ。

 

『言うじゃねえか。でもな、1人で挑んできたこと、後悔させてやるぜ!』

 

 その言葉が開始の合図だった。森の中から無数の矢がソウヤ目掛けて飛来する。

 

「勇者!」

 

 その身を案じてレオが叫ぶ。

 が、一瞬のうちにソウヤの背後に紋章が煌き、弓を持ったままの左手を振るった瞬間、飛んできた矢は全て見えない壁に当たったかのようにその場に落ちた。

 そして弓を横に構える。矢筒から持ってきた右手には親指以外の指の間に2本づつ、計6本の矢が握られていた。それを横に構えた左手の隣に移動させ、弦を引き絞る。同時にソウヤの背後に先ほどよりも鮮やかな紋章が浮かび上がった。

 

「避けられると思うなよ……! ヘッジホッグ・アルバレスト!」

 

 そのソウヤの声と同時に体から発する濃紺の光を吸い込んだ矢が放たれる。それは次の瞬間には倍以上へと数を増やし、森の中へと飛翔していく。

 

「なっ!?」

「うわっ!」

 

 何名かの悲鳴が聞こえた後、「ニャー」という声と共にけものだまが多数宙に一度舞い、再び森の木々の中へと吸い込まれえていった。

 

「く、クソッ! なんだ今の紋章砲は……! 被害は!?」

「だ、ダメです頭! ほとんど直撃で戦闘不能です! 壊滅的ですぜ!」

「な、何ィ!?」

 

 頭と呼ばれてた最初に拡声器から聞こえてきた男の声とその部下と思われる声が聞こえてくる。2人ともかなり狼狽しており、向こうの被害が甚大なのは明らかだった。

 

「ぐっ……! 撤退だ! 勇者、今回の借りはいずれ返すぞ!」

 

 ガサガサと森の中を人が駆ける音が聞こえ、やがて殺気も人の気配も消えた。

 

「やれやれ。今日日(きょうび)三流の悪党も吐かないような捨て台詞をご丁寧に残して行きやがった」

 

 そう呟き、ソウヤがクルリと隊の方へと振り返る。それを待ってガレットの兵達がワッと沸いた。

 

「すごい!」

「さすが勇者殿だ、まさか一撃とは……!」

 

 賞賛の声を上げる兵達を気にもかけない様子で、ソウヤは弓を背にかけ、待機させておいたセルクルへと飛び乗る。

 

「勇者、今のは……」

「進みましょう。話は進みながらでもできます。余計な時間は食いたくないんでしょう?」

「あ、ああ」

 

 レオが前進の声をかけ、一団が目的地へ向けて前進し始める。

 まだ兵達は興奮が冷めないのか、互いに話している者もいる。浮ついた様子にレオはそれを咎めようかと思ったが、自分もソウヤに対して話そうとしていたためにそれをやめた。

 

「……それで勇者、今の紋章砲だが、輝力により矢の勢いを加速させ、数を増やし、さらには誘導までした、という原理か?」

 

 全体が進みだしてしばらくしてから、レオはソウヤに尋ねる。

 

「そうです。相手は矢を一斉射した。そのせいで場所はバレバレですからね。……それにしてもさすがですね、一目でそこまで見抜くとは」

「さすがというのはこちらのセリフじゃというのに……。3つを同時にこなすなどなかなか出来んことじゃぞ。ワシも気安くおいそれとはできん」

「でもつまりはできると言うことじゃないですか。なら驚くに値しないでしょう」

 

 そうは言われても驚かざるを得ない。レオは輝力制御が苦手というわけではないが、だからと言って特筆するほど得意でもない。むしろそんな細かい制御云々よりも、底なしとも言われる輝力を大出力で展開した紋章術で全てを薙ぎ払う。それが彼女のスタイルであるのだから、気にする必要がないといえばそうではある。

 だが、自分にはない部分だからこそレオは衝撃を受けていた。それをフロニャルドにきたばかりの人間がこなす。自分の勇者を見る目は、戦闘能力を見れば間違えていないことの裏づけに他ならないだろう。

 

「……いつ、今の紋章砲の練習をした?」

「してませんよ。ついでに言うと昨日使ったものもね」

「……やはりか」

 

 呻くようにレオが呟いた。ぶっつけ本番で出来るなど、やはり只者ではない。

 

「なぜそこまで自信を持って試してもいないことができる?」

「できる、とわかっているからです。昨日最初に紋章砲を撃ったときに一発で撃てた。なら他のもできると思っただけです。……ああ、ちなみにその紋章砲、名前を『スマッシャー・ボルト』か『エクスプロード・ショット』にしようかと思ってるんですが、どっちがいいと思います? 『オーラブレード』と『パイルバンカー』は前々から頭の中で思ってたものを咄嗟につけちゃったし、今の『アルバレスト』もほぼ思いつきなんですけど」

「知らん。好きにしろ」

 

 珍しく嬉しそうに話すソウヤだったが、レオは興味がなさそうに短く答える。

 

「なんだ……つれないですね」

「……それよりその自信はどこから来る? 紋章術はまず技のイメージを固め、その上で輝力を用いる。そのイメージが強ければ強いほどいい。とはいえ、輝力を使うのは昨日が初めてのはずじゃが?」

「確かに輝力を扱うこと自体は昨日が初めてですがね。イメージならとうの昔に固まってましたよ」

「なんじゃと?」

「言いましたよね、俺の趣味のひとつはファンタジー小説を読む事だって」

「ああ。要は空想の物語、ということじゃったな」

「ええ。……それを読むたびに俺の心は躍った。華麗な技を持つ登場人物に憧れた。じゃあ俺がその登場人物になれたらどんな技を使う? ……そんなことをしょっちゅう考えてた。だからイメージはずっと前から固まってるんです」

「……そういうことだったか。じゃがそれと実際にできるということは別問題じゃろう」

「だからさっき言ったとおり、最初の紋章砲が自信に繋がってるわけです。あれが出来れば輝力を使う量、手間、共にそれより簡単な紋章剣の『オーラブレード』と『パイルバンカー』は間違いなく使える。はっきり言ってこの2つは輝力を込めて切っただけ、突いただけですから。……まあ今のアルバレストだけは絶対に、とは言い切れませんでしたが。でもイメージは固まっていた。だから成功する自信はありましたよ。どうせ失敗しても名前検討中の紋章砲を数発打ち込めば事足りたでしょうし」

 

 ソウヤの説明を無言で聞いていたレオだったが、その説明が終わるとふうとため息をついた。

 

「……自信、か。それだけで説明が付くことではないと思うがな。いずれにしろそれで出来るというのなら、お前は天才かもな」

「俺は決して天才じゃない。それだけは言えますよ。天才と言うのは血筋が優れていて、かつ努力を惜しまない人のことだ。……例えるならあなたのような」

「世辞はよせ。……じゃがお前の親は達人だった、ということはないのか?」

 

 それを聞くとソウヤは一瞬眉をしかめた。が、何事もなかったかのようにいつもの抑揚のない声で話し出す。

 

「親父もおふくろも普通の人でしたよ。……達人だったらよかったのに」

「『でした』……?」

「死んだんですよ。5年……いや、もう6年前かな」

「な……。……そうだったか、すまなかった」

「いえ。昨日も言ったでしょう、レオ様が何かを気にやむ必要はないと」

「しかし……。……いや、わかった。そうしよう」

 

 それきりレオは口を閉じ、ソウヤも何も話そうとはしなかった。

 一団はガレット領を抜け、ビスコッティ領にさしかかろうとしていた。

 

 

 

 

 

 朝にヴァンネット城を発った一行がフィリアンノ城に着いたのは昼前だった。中央の巨大な門が開くと、城の前に騎士と、それとは異なる風貌の者が数名立っていた。

 ソウヤは目を凝らす。集まっている人々の真ん中に立っているピンクの髪の少女は見覚えがあった。

 

「ミルヒ、急な訪問の要請を受け入れてくれて感謝する」

 

 その真ん中に立つ少女の元へレオは歩みを進めて手を差し出す。それを彼女の親友でもあるミルヒが固く握った。

 

「いえ、こちらこそお待ちしておりました。……それでガレットの勇者様というのは……」

「ああ。……おい、勇者!」

 

 一団の中に埋もれるように待機しているソウヤをレオが呼んだ。

 

「……なんです?」

「なんです、ではないだろう! 貴様を紹介するためだと言っただろうが」

 

 ポリポリと後頭部を掻きつつ、めんどくさそうにソウヤは領主の下へと進む。

 

「こいつがガレットの勇者、ソウヤ・ハヤマだ。もっとも、本人は勇者とは思ってないようだが」

「ええ、その通りです。自分では傭兵みたいなもんだと思ってます」

 

 嫌味に言ったつもりの言葉だったがソウヤには効果がなかったようだ。むしろ綺麗に返されてしまう。

 

「いえいえ、ご謙遜を。昨日のブリオッシュとの戦いはまさに勇者と自由騎士の戦いとして見事なものでした。……挨拶が遅れました。私がミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティです、初めまして」

「姫様のお姿は昨日の戦中に映像で拝見させていただきました。……おっと、こちらは『姫様』でよろしかったですか?」

「……勇者、貴様……」

 

 小憎らしそうにソウヤを睨みつけるレオ。どうやらこの手のやり合いはソウヤに分があるらしい。

 

「ま、まあレオ様落ち着いて……。あと数名紹介させていただきます。ビスコッティ王立学術研究院主席研究者のリコ」

「リコッタ・エルマールであります。リコと呼んでほしいであります」

 

 ミルヒの紹介を受けて現れたのは茶色の髪をした小さな少女だった。

 

「……主席研究者?」

「はい。リコはとても優秀で、小さいときにつくった通信機は今大陸中で使われていたり、他にも以前シン……ビスコッティの勇者様が帰還できなかった問題を解決してくれました」

「へえ……。人は見かけによらない、ってことですね」

「うぅ……た、確かに自分は小さいでありますがそこまで言わなくても……」

 

 リコッタが悔しそうな声を出す。

 

「……失礼。失言でした。……しかし俺が召喚されたときはもう帰還は保障されてる、って話だったと思いますが。帰還できなかった問題なんてあったんですか?」

「う……」

 

 今度はミルヒが気まずそうな顔をした。

 

「ひ、姫様は悪くないであります!」

「で、ですがあれは召喚した勇者様を元の世界に返せない、ということを知らずに召喚してしまった私が悪いことで……。それに今回だって……」

「でもでも、勇者様は実際に戻ることが出来たし、再召喚することができたであります! それにそのことをきちんと確認しなかった自分にも責任はありますし、勇者様も今回のことも大丈夫って言ってくれたであります!」

「まあうまくいったことじゃ、今更気にすることでもなかろう。一応再確認しておくが、今はもう戻る方法も確立されとる。だから勇者、その点は心配いらんぞ」

「……わかりました」

 

 ビスコッティの2人がついたため息に呼応するようにソウヤも一つため息をこぼす。

 

「そうじゃ、発明王」

「はい……ってそれは自分のことでありますか?」

「他に誰がおる。その……こちらも少々手違いがあって勇者が急にこちらに呼び出された形になった。連絡を取らせてやりたいんじゃが、できるか?」

「はい、大丈夫であります。『ケータイデンワ』があればここからでも連絡が出来るように装置を改良していたでありますから」

「そりゃ助かります」

 

 リコッタが誇らしげに胸を張った。

 ミルヒの紹介が続く。

 

「親衛隊長のエクレール・マルティノッジ。今この場にはいませんが騎士団長のロラン・マルティノッジは彼女の兄に当たります」

 

 緑の髪に少し垂れた耳、やや不機嫌そうな表情の少女が数歩前に出る。

 

「エクレールだ。よろしく頼む」

 

 そう言うとエクレールは元の場所へと戻っていく。

 

「エクレール、もう少し何か……」

「いえ、姫様。他に話すこともありませんので」

「エクレは恥ずかしがりやでありますな」

「……リコ、誤解を招く発言はやめてくれ」

 

 あははとミルヒが少し困ったように笑った。

 

「本当は勇者様や隠密部隊頭領のブリオッシュ・ダルキアンと筆頭のユキカゼ・パネトーネも紹介したかったのですが、今この場にはいないので、後ほどということで……」

「ダルキアン殿……いや、卿と呼ぶべきかな。あの方とは昨日戦場で手合わせしましたし、パネトーネ筆頭とも一応面識はあります」

「勇者様はユッキーたちと一緒にダルキアン卿の住まいである『風月庵』にいるであります。自分が呼びに行って来るであります」

「お、だったら俺達も行くぜ。ついでにシンクと軽く手合わせしたいし」

 

 話を聞いていたガウルが後ろからそう言った。

 

「そうじゃな……。会食まで時間もあるじゃろうし。ではガウルたちはリコッタと一緒に行くといいじゃろ。ミルヒ、リコッタ、いいか?」

「はい」

「了解であります」

「ワシはミルヒと会談がある。他の者はビスコッティの兵達と合同訓練じゃ。……勇者、お前はガウルと一緒に行くか?」

 

 一瞬、間があった後でソウヤが答える。

 

「……いえ。ですが、かといって合同訓練、と言うのも遠慮したいです。できれば城下町を見て歩きたいですが」

「ふむ……」

 

 要するに1人にしてほしい、あまり群れたくないというのがソウヤの本心だった。だがレオにその意図はいまひとつ伝わらないらしい。考え込んでいる様子を見るに、誰かをお目付け役としてつけようとしているのだろう。

 

「でしたら私が案内役をしましょう。よろしいですか、姫様?」

 

 そこでそう言って出たのは先ほど無愛想に挨拶をしたエクレールだった。

 

「エクレール? エクレールがいいのであればいいですが……」

「構いません。元々こちらの勇者の教育係は私ですから、こういうのは慣れています。あとはそちらの勇者が不満でなければ」

「何も文句はありませんよ」

「決まりじゃな。すまんの、タレミミ。……しかしこちらの人間も1人ぐらいはつけておいた方がいいか……」

 

 レオが視線を動かす。

 

「ジョーヌ」

「は、はい!?」

 

 急に名前を呼ばれたことに親衛隊の黄、ジェノワーズのジョーヌ・クラフティは驚いた声を上げた。

 

「お前も勇者についていってやれ」

「え、ええ!? なんでウチが……」

「ビオレはワシと一緒にミルヒとの話合いに付き合ってもらう。そうなるとジェノワーズ辺りから1人を選出すべきじゃろうが……確かにノワールは出来る子じゃが、無口すぎて観光ガイドにはむかん。ベールはドジだから任せられん。そうなると消去法的にお前が適役じゃろ。まあお前は面倒見もいいほうじゃしな」

「そ、そんな! ジェノワーズのセンターはノワや、そういうのはノワに……」

「ワシの命令が聞けんのか?」

「……へーい」

 

 一方的に決められて肩を落とすジョーヌの隣でノワールとベールも「無口……」「ドジって言われたー……」とがっかりしている様子だ。

 

「では勇者様達が戻ってきましたら会食とします。兵士の方々はロラン騎士団長の指示に従ってください。それではまた後ほどお会いましょう」

 

 ミルヒがそう言うとレオ、ビオレと一緒に城内へと入っていく。

 兵達はビスコッティの兵が訓練をしている場へ、その他の者たちは城門を抜けて街の方へと進んでいった。

 




クーシュ……クリームやバターを一面に塗って出来る層のこと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 5 それぞれの時間

 

 

 城内に入ったレオとビオレを待っていたのはミルヒの専属秘書官であるアメリタ・トランペだった。きりりとした眼鏡から覗くその表情とタイトな衣装から受ける印象はまさに「出来る女性」そのものである。多忙なミルヒのスケジュールを管理し、ミルヒを公私共に支えているよき理解者であり、幼い頃のミルヒとレオの関係をよく知っている人物でもあった。

 

「お待ちしておりました、レオ様。応接室にご案内いたします」

「すまんな」

 

 アメリタを先頭にミルヒ、レオ、ビオレと続く。

 と、フィリアンノ城の廊下を歩いている途中、ミルヒがレオに近づいてきた。そしてそっと耳打ちをする。

 

「レオ様。アメリタのことなんですが……」

「ん? アメリタがどうしかたのか?」

「近々結婚するかもしれないんです」

「な、なんじゃと!?」

 

 思わずレオが大声を出してしまい、前を歩くアメリタが驚いて振り返った。

 

「ど、どうしましたレオ様?」

「アメリタ、お前……」

「あー! レオ様、せっかくこっそり話したのに……」

 

 そのミルヒの様子を見て話の内容を察したのだろう。アメリタにしては珍しく困った表情を浮かべて大きくため息をつく。

 

「もう……姫様、そのことはあまり広めないでほしいと言ったはずです。このことをよく思われない方も少なくないでしょうから……」

「でもレオ様もアメリタのことをよく知っていますし、お耳に入れておいた方がよかったかと……」

「そうじゃ、ミルヒの言う通りじゃな。……して、相手は誰じゃ?」

 

 再びアメリタはため息をついて右手で頭を抱えてしまった。そんな困り顔の彼女に代わってミルヒが口を開く。

 

「騎士団長のロランです」

「なんと! ……そう言われてみれば以前からいい感じではあったな。アメリタ、お前もなかなか隅に置けないのう」

「茶化さないでください。……私などでは身分が違うということはわかっていたのですが、あの方が……あまりに熱心にアプローチをなされるので……」

「よいではないか。細かいことは気にするな。いざとなったらミルヒの一声でよく思っていない者などどうとでもなる」

「そうですね……ってレオ様、それじゃ権力濫用ですよ!」

「いざとなったら、の話じゃ」

 

 愉快そうにレオが笑う。

 

「それで式には是非とも呼んでほしいが、予定はいつじゃ?」

「まだそこまでは……。何分私もあの方も忙しいですし、私達の仲も正式に、というわけでありませんから……。今のところは折を見て、としか申し上げられません」

「ほう、そうか。しかし相手が騎士団長とはのう……。どうじゃビオレ、お前もバナードと……」

「あの方は愛妻家と有名な妻帯者ではありませんか。レオ様、私に不倫の相手をしろとおっしゃるのですか?」

 

 困り顔でビオレは領主へ問いかける。

 

「それよりもレオ様の方こそ早くお相手を見つけられては?」

「な!? や、やかましい! ワシは領主じゃ。そんな色恋沙汰などやっとる暇はない!」

 

 なぜかその言葉を聞いたミルヒが一瞬固まったが、誰もその様子には気づかない。

 

「そんなこと言ってられませんよ? そろそろお相手を見つけられてもよろしいお年頃かと。あまり先延ばしにしては縁談を組むなどということにもなりかねません、ご自分の意思で相手を選べるうちに見つけられたほうがよいのでは?」

「……まあわからんでもないが」

「勇者様がもっと社交的でいらしたら、レオ様との仲が発展されるように私も手をお貸ししたんですけどね……」

 

 そんな話をしているうちに応接室に到着する。通された部屋は豪奢な造りで、フィリアンノ城の威厳のようなものが感じられた。

 

「……では私はこれで失礼します」

「私もアメリタ秘書官と一緒に外でお待ちしておりますね」

 

 アメリタとビオレが部屋を後にする。2人が退室して扉が閉まったのを見て、ミルヒとレオが椅子に腰掛けた。

 

「早速だが……頼んでいた件、やってくれたか?」

 

 さっきまでより表情を硬くしてレオがミルヒに尋ねる。レオのその言葉にミルヒは表情をやや曇らせて俯いた。

 

「……申し訳ありません。昨夜と、それから今朝も試したのですが……」

 

 そこで一度言葉を切って顔を上げる。

 

「ガレットの勇者様に関連することを『星詠み』しようとしましたが……影に包まれたように、ビジョンが見えないのです」

「……ワシと同じじゃ。ミルヒを持ってしても見えんか」

 

 「星詠み」というのは映像板を使って様々なことを見ることが出来る紋章術の一種である。遠く離れた世界の映像を見ることや探し物を見つけることなどができ、人によっては少し未来のことを視えるというものである。ミルヒもレオも、この星詠みによってシンクとソウヤ、それぞれの国の勇者を選び出していた。

 

「すみません、お力になれず……」

 

 ミルヒが申し訳なさそうにレオに頭を下げる。

 

「いや、ワシも昨日やってみたが見えずに不安になかったから頼んだのじゃ、謝ることはない」

「こんなことは珍しいです。普通、星詠みでは何かしら多少のビジョンが見えるはずなのですが、全く見えないというのは……」

 

 2人の間に沈黙が流れる。

 

「……はっきりと悪いビジョンが見えなかった、というだけでもよかったと考えるべきかの」

「以前、魔物が現れたときのレオ様の星詠みは……」

「ああ。見えたのは悪いビジョンだった。それもはっきりと。……そしてワシがそれを変えようとしても、見えるビジョンの結末は変わらなかった」

「ですが、最後は変わったではありませんか」

「……そうじゃな」

 

 以前、レオは星詠みでミルヒの死というビジョンを視た。星詠みで視えた未来は、確実に起こるというわけではない。それでも何度試しても視える不吉な映像は変わらず、不安になったレオはそれを避けるため、ビスコッティに戦を仕掛けたり、戦に国の宝剣を賭けてみたりと様々な手を尽くした。

 しかしレオの言葉通り視えるビジョンの結末は変わらず、一度はそこで視たとおりの光景を目にしてしまう。

 だが最終的にはその結果は変わり、今もミルヒはこうして元気に領主としての役割を全うしていた。

 

「確かにビジョンが視えないというのは不安なものです。ですがそれは如何様にも変えることができる、ということだとは考えられませんか? あの時も言ったように、未来は自らの手で決めるものだと私は思いますし」

「……相変わらずミルヒは前向きじゃの」

「それが私の取り柄でもありますから。それにレオ様がお選びになった勇者様です、信じてもいいと思います」

「そうならいいんじゃが……」

 

 レオは1つため息をついた。

 

「昨日のダルキアンとの戦い、見ていたのだろう?」

「はい。見事な戦いでしたが……」

「……ミルヒにはそう見えたか」

 

 違うのですか、とミルヒが一瞬驚いた顔を浮かべた。

 

「いや、確かに見事な戦い、という見方は間違ってはいない。あのダルキアン相手に一歩も退かない勇敢な姿は、見る者を引き込むような、まさにワシが期待した通りの戦いぶりだったと言ってもいいじゃろう。

 じゃが奴の最後のあの騙まし討ち、そして自分と相手の両方の身を危険に晒すような戦い方……。戦は怪我がないように行わなければならぬ以上、ワシはあの戦いの全てを評価すると言うことはできない。……ダルキアンには余計な気をかけさせた。ワシが謝っていたと伝えてくれ」

 

 レオが軽く顎を引き、頭を下げた。それ見たミルヒが慌てて椅子から腰を浮かし、やめさせようとする。

 

「レオ様、頭を上げてください。勇者様が怪我をされたと言う噂も耳にしました。だとしたら謝らなければいけないのはむしろ私の方です」

「……怪我はしたが大したことはない。フロニャ力の恩恵もあったし、そのあと城の医師の診察も受けておる。それにさっきここに来る途中野盗が現れたが、あやつはそれを1人、紋章砲一撃で片付けているし、もはや完治しているじゃろう」

「そうだったんですか。それにしてもさすがレオ様がお選びになった勇者様ですね。もう紋章術をそこまで使いこなしているのですか」

 

 そのミルヒの勇者を称賛する言葉を聞いたレオは1つため息をついた後で口を開いた。

 

「……ワシがあいつを初めて見たのは、星詠みであいつが出ている弓の試合を見たときじゃった。周りはあやつより数歳年上の者ばかり。なのに奴は全く気圧される雰囲気はなく、それどころか緊張、不安、そういった類とはまるで無縁であるかのように矢を放っていた。……ワシはそれを見て驚いた。雑念も何も一切なく、ただ目の前の的を射抜くその姿は、まさに勇者にふさわしいとそう思った」

「私がシンクを迎えようと決めたときと同じですね」

「……じゃが実際に会って、その戦いを目の当たりにして気づいた。初めて会った時に見たその目はまるで虚ろで何も見えていないようじゃった。そしてあの戦い方と思考……。奴には雑念がない、それは間違っていないかもしれない。しかしそれは雑念だけでなく、夢や希望、そして感情さえも欠落しているではないか、何も思っていないのではないかとまで思うようになってきた。事実、だとすればまるで死に急ぐかのような戦い方も納得できる」

「レオ様、いくらなんでもそれは……」

「杞憂、と思いたいが……。どうもいらん気を遣ってしまうのは、ワシの悪い癖のようでな。ついつい気になってしまうんじゃ」

 

 再びレオは大きくため息をこぼす。

 

「……ともかくそういうこともあって、ワシは勇者のことを不安に思っておる次第じゃ。そこで勇者を召喚したことについては先輩であるミルヒから助言をもらいたいと思っての……」

「助言、ですか……」

 

 ミルヒが考え込む様子を見せる。

 

「と言っても、そっちの勇者はバカが付くほど正直で素直な奴じゃからの……。こっちとは状況がまるで異なるから参考になりそうにもないな。ミルヒに名前で呼ばれるほどの仲になっておるほどじゃし」

「そうですね……。……って、ちょ、ちょっとレオ様何を……!」

 

 真面目な顔で考え込んでいたミルヒの顔が見る見るうちに赤くなる。

 

「べ、別に私はそんな……」

「形式上は会談ということでそこそこ堅苦しい喋り方をしてる割に普通にあいつのことを名前で呼びおって……。惚気か?」

「そ、そんなんじゃありません! それは……その……つい癖で……」

「ほう! 癖! やはり仲がいいんじゃのう、ミルヒ。どうじゃ、アメリタに続いてお前も……」

「か、からかわないでください!」

 

 恥ずかしそうにうつむくミルヒを見てレオは声を出して笑った。が、笑った後でレオの顔が真剣なものに戻る。

 

「……ワシはあいつのことをダメ勇者と言ってきたが、これだけ信頼を得ているんじゃ、勇者としてふさわしい存在に成長したのかもしれんな」

「レオ様……」

 

 不安そうな顔でレオを見つめるミルヒ。その後で表情を固くして口を開く。

 

「……レオ様、今レオ様はシンクを成長したとおっしゃいました。でしたら、そちらの勇者様もこれからその名にふさわしい存在へと成長する、とも言えるのではないですか?」

「ミルヒ……」

 

 レオがミルヒの顔を見つめる。

 

「そしてそれを助けることが出来るとしたら、レオ様を始めとしたガレットの方々、勇者様を取り巻く人たちだと思います。勿論私も手助けできることがあればそれは惜しみません。ですが……」

「結局最後は勇者自身、というわけか……」

 

 ふう、とレオが1つ息を吐き出した。

 

「……ミルヒの言う通りじゃな。ワシとしたことが、弱気になっていたようじゃ。これでは変わるものも変わらん。ワシらがもっとしっかりして奴をいい方向へと導くようにしなくてはな。助言、感謝するぞミルヒ」

「いえ、私の力など微々たる物ですから」

「堅苦しい話はこのぐらいにしよう。あとはガウルがシンクを連れて帰ってくるまで、気の張らん話でもしようぞ」

 

 レオがリラックスした様子で足を組む。ミルヒもそれに習って肩の力を少し抜いたようだった。

 

「……して、さっきの話の続きじゃが、勇者とはどのぐらいの関係なんじゃ?」

「も、もう! レオ様!」

 

 困ったようなミルヒの声とレオの笑い声がフィリアンノ城の応接間に響いた。

 

 

 

 

 

「じゃあちょっくらダルキアンのところに行ってシンクを呼んでくる。ジョー、勇者のお()りは任せたぜ」

「……へーい」

 

 ガウルの言葉にもどこか気が乗らなそうににジョーヌは答える。あまり口を利いたことはないがどうやらめんどくさいらしいと噂の勇者と、気難しい隣国の親衛隊長と一緒、となれば気も重くなるだろう。

 

「ジョー、私達3人の中からの大抜擢なんだから頑張ってね」

「……頑張れ」

「お前ら、他人事だと思って……」

 

 ジェノワーズの残り2人に声をかけられても効果は薄かったようだ。

 

「エクレも一緒でありますから、何かあったらエクレに聞くといいであります。……では自分達は行ってくるであります」

「ああ。リコ、また後でな」

 

 リコッタ達風月庵に行くメンバーとエクレール達城下町を散策するメンバーで分かれた。エクレールを先頭にソウヤとジョーヌが続いて街の喧騒の中へと紛れていく。

 街の通りは非常ににぎやかで、人通りも多い。通りの脇には出店が並び、食物の焼けるおいしそうな匂いが漂ってきた。そんな中、そういった物にまるで興味がないかのように速足気味に歩くエクレールを追いかけ、ガレットの2人も人ごみを掻き分けてついていく。

 

「ちょ、ちょい待てエクレ! ウチらを置いていく気か!? お前案内する気あるんか?」

「こう人が多くては案内も何もない。もう少しで中心部を抜ける。それまでははぐれずついてこい」

「んなついてこい言うても……」

 

 後ろの様子を確認することなくどんどん前へと行くエクレールを見失わないよう、2人もペースを上げて歩いていく。速足で歩きつつも、ソウヤは視界の隅に周りの様子を捕えていた。自分が想像していた異世界とはやはり大分違う、と改めて思う。もっと西欧的で中世的な世界がお約束であろうに、これではまるで日本の縁日かお祭りだ。そんな風に思ったソウヤの脳裏にふと幼い頃の思い出が呼び起こされる。そう、さながらこれは、小さい時に両親に連れられて歩いた歩行者天国の夏祭り――。

 

(……くだらねえことを思い出しちまった)

 

 今は亡き両親との過去が頭をよぎり、ソウヤは左右に頭を振る。もはや思い出すこともないと思っていた出来事。さっきレオと両親の話をしてしまったせいだろう、とそれきりソウヤはそのことは気にかけないようにし、前を歩くエクレールを見失わないように追いかけた。

 

 しばらく歩くとやや郊外へ出たのか、人通りが減ってくる。

 

「おいエクレ! もうペース落としてもいいやろ!」

 

 それでも速度を落とさないエクレールにジョーヌが不満を口にする。その言葉を聞いて後ろを振り返ったエクレールはようやく歩調を緩めた。周りを見渡す余裕ができ、ソウヤは何となしに周囲を見渡す。

 

「しかし活気のある街だ。さすが城下町というだけのことはある」

「ここは景観がよく下水等も整備されてて、何より食べ物がうまいからな。いい街だと思うわ」

 

 ソウヤとジョーヌの会話を聞き、だがエクレールはどこか不機嫌そうにフンと鼻を鳴らす。

 

「当たり前だ。姫様が治めている城の城下町だ。不満を持つ者などいるはずがないだろう」

「なるほど。こちらの姫様は民の心をよく掴んでいるようだな。あの年で領主というのも納得だ」

 

 どこか皮肉っぽく聞こえたその一言。過敏に感じ取ったエクレールが不快そうにソウヤを睨む。

 

「勇者、その言い方だとレオ様は民の心を掴んでない、とも聞こえかねんで?」

「そういう意図は全くなかったんだが、失言だったかな。ともかく、やり手だということはよくわかった」

「姫様は歌もうまいからなー。姫様のコンサートはそれはそれは盛り上がるで。勇者もこっちにいるうちに1回ぐらいは聞けるんちゃうかな?」

「そうか。別に興味はないが」

「そう言わんと、聞かなもったいないで」

 

 ジョーヌは呑気にそう言ったが、一方エクレールはますます機嫌を損ねたようにソウヤを睨みつけた。

 

「勇者、貴様姫様を愚弄する気か?」

「してるように聞こえるか? そんなつもりはなかったが」

「……貴様、ダルキアン卿に勝ったからと少々調子に乗っているのではないか?」

「そう見えるか? 俺自身はそんなつもりはないんだがな」

「あんな卑怯な騙まし討ちでの勝利など、私は認めん。ダルキアン卿は貴様に勝ちを譲っただけだ」

「お前に認めてもらう必要はない。確かにあの人は俺より間違いなく強い。が、それでも昨日の戦いで勝ちを取ったのは俺だという事実に変わりはない」

「貴様……!」

 

 エクレールがソウヤの胸元を掴みかかろうとする。慌ててジョーヌがその間に割って入った。

 

「ちょ、ちょい待てエクレ! 落ち着け!」

「邪魔をするな!」

「ケンカはあかんて! ウチまでレオ様に大目玉くらうわ……。そうやなくてもこんな貧乏くじで散々やってのに……」

「ジョーヌの言うとおりだな。落ち着いた方がいい。それとも客人に手を上げるのがこの国の親衛隊長の礼儀か?」

「勇者! お前も煽るなっての!」

 

 はいはい、と言わんばかりにソウヤは肩をすくめた。

 

「……ま、エクレールの気持ちはわからんでもない。どこの馬の骨とも知らん奴が、正攻法とは到底言えん手段で自国の名高い騎士を敗ったとなれば、腹も立つだろうからな」

 

 そのソウヤの言葉にようやく少し落ち着きを取り戻すエクレール。間に入ったジョーヌから離れた。

 

「……ダルキアン卿は私の目標だ。強く、気高く、そして何にも縛られなく自由だ。あの人に憧れ、習った技に自分なりにアレンジを加えて編み出した紋章剣もある」

「なるほど。それは悪いことをしたな」

 

 挑発地味た発言に再びエクレールがソウヤを睨みつける。が、慌ててジョーヌがそれをなだめた。

 

「……ったく。エクレ、なんでお前こいつに同行するなんて言ったんや? つまるところこいつのこと最初からいい目では見てなかったってことやろ?」

「だからだろ」

 

 ソウヤのその言葉にジョーヌが驚いた表情を浮かべる。

 

「え? どういう意味や?」

「半分は監視目的、もう半分は俺がどういう奴か実際話してみたかった、と言ったところだろう。違うか?」

 

 エクレールの眉がピクリと一瞬動く。

 

「……本当に小憎らしい奴だ、貴様は」

 

 そして吐き捨てるようにそう呟いた。

 

「ダルキアン卿に勝ったとはいえあの騙まし討ちを平然と行うような者。そんな貴様がどういう奴なのか実際にこの目で確かめ、その本心を聞いてみたかった。……だが確かめるだけ無駄だったな。確かに貴様は勇者として召喚され、この世界ではそう呼ばれる存在だ。しかし、真の意味で勇者と呼ぶには値しない」

「だろうな。俺もそう思う」

「何……?」

「さっきそちらの姫様に挨拶するときも言っただろう、俺は自分でそんなもんだとは思ってないと。勝つための手段を選ばず、今後味方が前線を支えているときに後ろから弓を撃ってるだけであろう俺など、勇者などと言う存在からは程遠い」

「勇者……」

 

 ソウヤの自暴自棄とも言える言葉にジョーヌが思わず心配そうな声を出す。

 

「なら貴様が変わればいいだろう」

「その気もない。こっちの世界で勝手に俺を呼び出しておいて変われ、と言うのは一方的すぎると思うが。ましてや俺がここに呼び出された理由は『戦に勝つため』だ。勇者としてふさわしい姿になれとは言われていない」

 

 フン、とエクレールがそっぽを向いた。

 

「……貴様は私やアホ勇者より年上と聞いていたが、心の方はまだまだ子供なようだな」

「かもな」

「貴様とアホ勇者が同じ勇者と呼ばれてるのが不思議でならん。あいつは貴様ほど強くないかもしれないが、ひねくれてもいない真面目な奴だ。……そんなあいつと貴様が同じ勇者だなどと……」

「……なるほどな。シンクってのはそんなに人の信頼を得るのがうまい奴なのか。……ついでに人の心を惹きつけるのもな」

 

 それに対してエクレールが何も言わないのを確認すると、ソウヤは続ける。

 

「お前はてっきり俺とダルキアン卿の件だけが気に食わないのかと思ってた。……だが違ったな。俺が勇者であること自体が気に食わないんだ」

「ああ、そうだ」

「なぜ気に食わないか。自国の勇者とあまりにかけ離れているからだ。お前が『勇者』と呼ぶシンク・イズミとな」

「……何が言いたい?」

「お前にとって『勇者』を侮辱されることは姫様やダルキアン卿を侮辱されること同様に苦痛だってことだよ。言い換えるなら……その2人と同様にシンクを心の中では大切に思ってるってことだ」

「な……!」

 

 本人としては意図していなかったのだろうが、図星だったのだろう。エクレールの顔が見る見る赤くなっていく。

 

「そ、そんなわけないだろう! 別に私はあいつのことなどなんとも……」

「おーおー、真っ赤やでエクレ」

「だ、黙れ!」

 

 ジョーヌがエクレールをからかう。だが、言った当の本人のソウヤはそれを横目に見つめてフンと一つ鼻を鳴らした。

 

「……俺はここに来るべきじゃなかったかもな」

 

 その一言にジョーヌがエクレールをからかうのをやめ、驚いたように視線をソウヤのほうへと移す。

 

「どういう意味や?」

「俺と同じ世界の人間であるシンクがここまで慕われているのを見ると……時折、羨ましいとも思える」

「嫉妬か? だったら貴様もそういった人徳を得ればいいだろう」

「必要ない。……いや、必要であってはいけない」

「『あってはいけない』……? どういう意味や?」

 

 ソウヤがゆっくりと振り返る。2人にはその目に何の色も感情も無いように見えた。

 

「この世の事柄はプラマイゼロだ。いいことがあれば、悪いことがある。人と出会い、付き合いを深めて得た喜びが大きければ大きいほど、それを失うときの悲しみは大きくなる。……俺の両親は俺を深い愛情を持って育ててくれた。だが、6年前に両親が死んだとき、俺はその絶望感に耐えられなかった。だから俺は人との付き合いを避けてきた。そうすれば別れの悲しみは受けずにすむからな。……なのに羨ましい、と感じてしまっている。一度決めたはずなのに、甘い誘惑が俺を誘ってくる。ここに来なければ、そんなことで葛藤せずとも済んだだろうからな」

「で、でもな、勇者……」

 

 ジョーヌが何かを言おうとしたのをエクレールが止めた。

 

「……放っておけ。私達がいくら言葉を重ねても、こいつには届かない」

「エクレ……」

「変わらないことを望むお前なら、その方がいいんだろう?」

 

 エクレールのその言葉にソウヤの口元が一瞬緩んだ。それはそんな選択をした自身をあざ笑うかのような、自嘲的な笑みにも見えた。

 

「お心遣い感謝しますよ、親衛隊長殿」

 

 皮肉っぽく言われたはずのその言葉が、なぜかエクレールにはさっきまでよりも力なく聞こえた。

 

 

 

 

 

「うむ、双方ともそこまで。いい勝負でござったな」

 

 ブリオッシュのその声を合図に2人の少年が地面に大の字に寝転がる。シンクとガウル、ライバルとして互いに切磋琢磨しあう2人だ。

 

「ちくしょーこりゃ引き分けってところかー……」

「疲れた……疲れたけど……楽しかったよ、ガウル」

 

 そのシンクの言葉を聞いてガウルはニヤッと笑う。

 

「ああ、俺も楽しかったぜ、シンク」

 

 その言葉を証明するかのように互いに右手をがっちりと握り合い、体を起こした。

 ブリオッシュとユキカゼ、それにオンミツと呼ばれる獣達が暮らしている風月庵に着いたガウル達だったが、到着と同時にガウルはシンクと模擬戦を希望し、丁度今それが終わったところだった。

 

 ここ風月庵はブリオッシュやユキカゼの身なり同様、言うなれば「和」に近い雰囲気を醸し出している。シンクにとって見慣れた景観に近いこの屋敷を訪れることはフロニャルドへの再訪前から決めていたことで、会食までの時間はここで過ごしたい、というシンクの申し出で訪問が決まっていたことでもあった。

 

「そろそろ出発する準備をした方がいいでござるな。会食の時間に遅れるのはまずいでござるから」

「そうですね。じゃあ急いで汗を流してきます。ガウル、こっち」

 

 シンクがガウルを連れて裏の方へと消える。過去にも風月庵でブリオッシュやユキカゼと手合わせし、稽古をつけてもらっていたシンクは裏に井戸があることも把握しており、体を動かした後はそこでタオルを絞って体を拭くようにしていた。

 

「勇者殿もガウル殿下も腕を上げられたようでございますね」

 

 風月庵の縁側、腰掛けながら茶をすするブリオッシュにユキカゼがそう話しかけた。

 

「うむ。昨日ガウル殿下と手を合わせたときもそう感じてはいたが、今の勇者殿との戦い、見事でござったな」

「そういえばお館様は昨日、最初ガウル殿下と戦っていたでありましたよね?」

 

 リコッタが横から口を挟む。

 

「そうでござるな。あの後の勇者殿との戦いの印象が強いせいで皆忘れていそうでござるが」

「うー……あの勇者……」

 

 ユキカゼの湯飲みを持つ手がわなわなと震えている。

 

「あんな卑怯な方法でお館様に勝ったなど、拙者は認めないでござる!」

「ユキカゼ、昨日からそれはもう4回目でござる。何度も言ってるでござろう? あの勝負で負けたのは拙者でござると」

「しかし!」

「勇者殿の勝利への執念に拙者が負けたと言うだけでござる」

「……それでも拙者はやはり納得いかないでござるよ」

 

 自分のことのように悔しそうにユキカゼが呟いた。

 

「……ジェノワーズのお二方には、勇者殿はどう映ってるでござるか?」

 

 ブリオッシュの問いにノワールとベールの2人は考え込む様子を見せ、

 

「すごいです。冗談じゃなく」

 

 そうノワールが短く答えた。

 

「今ノワが言った通りとにかくすごいです。今日ここに来る途中に野盗に襲われたんですが、有無を言わせず紋章砲一発で戦闘を終わらせちゃったし……。同じ弓使いとしてはいきなりあんなことやられるとへこみますよー……」

「紋章術を使ったのでござるか?どんな風に?」

 

 ブリオッシュにしては珍しく興奮気味に質問する。昨日実際に手を合わせた彼女としては気になるのであろう。

 

「えっと……技名はヘッビ……ヘンビ……? とにかく長くてよく覚えてないんですが、指の間に複数の矢を挟み、放った矢を輝力によって加速、増殖、さらには追跡までさせて、結構な数いたはずの相手を一発で撤退させちゃいました。いきなりあんなのありえないですよー……」

「なんと……こちらに来てからこの短時間でそこまで……」

「加速と増殖と追跡を同時に……? そんなのそう簡単には出来ない芸当のはずでござるが……」

 

 ブリオッシュに続き、ソウヤに敵対意識を向けているユキカゼまでも思わず驚きの声を上げる。

 

「確かにすごいです。すごいけど……あの人怖いです」

「怖い、でありますか?」

 

 リコッタが不思議そうにそう問いかける。

 

「他者との接触を拒絶してるように感じる……。お守りさせられたジョーがちょっとかわいそう」

「ジョーには悪いけど、正直言ってあの役割を任せられなくてよかったって思っちゃった」

「……でも無口に任せるよりマシって言われたけど」

 

 先ほどレオに言われたことをまだ引きずっているのか、ノワールは拗ねたようにそう言った。

 

「勇者殿はガレットの人々とはうまくいってないでござるか?」

 

 再びのブリオッシュの問いに親衛隊の黒と緑は互いの顔を見合わせた。

 

「仲良く、って感じじゃないです。昨日はレオ様とケンカしたとか」

「ケンカ!? あのレオ様とでありますか?」

「あ、ケンカといってもそういうのじゃなくて、考えのすれ違い、みたいなものでちょっと口論というか、そういう感じだったらしいですよ」

「レオ様にケンカを売るなど……あのバカ勇者、命知らずでござるな……」

「これ、ユキカゼ」

 

 主に咎められてユキカゼは軽く頭を下げる。

 

「しかし、だとすると拙者の心配は杞憂とは言えないかもしれないでござるな。レオ様ならなんとかできると思っていたでござるが……」

「姉上はなんとかするつもりではいる。ただあの勇者が異質すぎる……自己が強すぎるうえに性格が変わりすぎてるんだ」

 

 首にタオルをかけ、さっぱりした様子のガウルが姿を現すとそう口にした。その後ろにはシンクも同じような格好で立っている。

 

「おまけにべらぼうに強い。確かな戦果を上げてるしこちら側が召喚している以上、こっちとしても強く言えないってんで姉上も困ってるんだろう。話をしようにもそんな雰囲気じゃないみたいだしな。俺の方も話とか手合わせとかしてみようとは思ったんだが、昨日の今日だからまだだし……」

「ガレットの勇者……ソウヤさんってそんな変わってる人なの?」

 

 ガウルがシンクの方へと振り返る。

 

「シンク、あいつに関わるのはやめとけ。特に戦場ではな。……あいつ、お前を殺す気で襲い掛かりかねない、とか姉上がぼやいてたぞ」

「え、ええー!? そんなまさか……」

「……まあそれはあまり真に受けなくてもいいと思うでござるよ。拙者も釘を刺しておいたでござるし。……ただ、少々気難しそうと感じた拙者の感覚は本当のようでござる」

 

 ブリオッシュがそう言うとシンクはなにやら考える様子だった。

 

「……でも強いのは確かなんですよね? だったら僕個人としては、同じ勇者として1度戦ってみたいと思うんですが……」

 

 どこか呆れたように、だが表情は嬉しそうにブリオッシュがため息をついた。

 

「勇者殿も拙者の悪いところが似てしまったようでござるな。……まあこの後の会食で話す機会もあるでござろう。その時に実際に会って話してみるといいでござる。……さて、準備も出来たし、そろそろ向かうとするでござるか」

 

 中身を空けた湯飲みを盆の上に置くとブリオッシュは立ち上がった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 6 会食

 

 

 会談を終えたミルヒとレオが応接間から出てくる。ゆっくり話すのは久しぶりだったというのもあるのだろう、2人とも表情は明るかった。

 

「予定より少し早く終わりましたね」

「元々形式上の会談じゃったしの。……お陰で後半はミルヒの惚気話になってしまったわ」

「あ、あれはレオ様が根掘り葉掘り聞いてくるから、仕方なく……」

 

 困った様子のミルヒを見てレオが笑った。

 

「もうレオ様……笑わないでください……」

「……会談はそのような愉快な内容だったのですか?」

 

 2人が応接間から出てきたのを確認して近づいてきたアメリタが思わず怪訝な表情を浮かべる。

 

「え、い、いえ。ただ最後の方はちょっと関係のない話になってしまって……」

「関係なくはないじゃろ。今日の会談は『勇者について』じゃったからのう」

「もう! レオ様!」

 

 再びレオが笑う。

 

「……その勇者様ですが、あ、ガレットの勇者様です。先ほど騎士エクレールとジョーヌ様と一緒に戻られましたので、食堂にお通しております。こちらの勇者様はもう間もなく到着されるかと」

「そうですか。では私達も食堂に向かいましょう。いいですかレオ様?」

「……いつまでもタレミミとジョーヌにあいつを任せておくのも悪いしの。行くとしよう」

 

 レオの言葉がどこか引っかかる部分はあったが、ミルヒは特にそれについて聞こうとはせず、自分達を案内するアメリタに続く。

 食堂のドアを開けると窓から外を眺めるソウヤ、その様子を横目に眺めながら腕を組んで柱に寄りかかるエクレール、疲れた様子で壁際で中腰になっているジョーヌの3人が目に入った。自分の主が登場したのを確認すると、すぐにエクレールは姿勢を正す。

 

「姫様、ガレットの勇者の城下町案内を終えました」

「ご苦労様でした、エクレール。勇者様、フィリアンノの城下町はいかがでしたか?」

 

 ミルヒの声にソウヤがゆっくりと振り返った。

 

「いい街でしたよ。活気があって行きかう人々が皆生き生きとしてる。さすがやり手の姫様のお膝元だ」

「いえ、私はまだまだ未熟ですし……」

「丁寧に案内してくれたそちらの親衛隊長殿にも感謝してます」

 

 一瞬エクレールが横目にソウヤを睨みつける。

 

「何が丁寧に案内や……」

 

 次いで誰にも聞こえないようにボソッとジョーヌが呟いた。

 

「ジョーヌもご苦労だったな」

 

 自分にかけられた労いの言葉に、ジョーヌは視線を声の主に向ける。

 

「もう大変でしたよ……。この役割は金輪際遠慮したいですわ」

「まあそう言うな」

 

 ポンポンとレオに肩を叩かれたジョーヌだったが、答える代わりにため息を返した。

 

「姫様、レオ様。今勇者様やダルキアン卿方が到着されました。もう間もなく会食を始められそうです」

「わかりました。ご苦労様ですアメリタ」

 

 アメリタが一礼して入り口から姿を消す。少し間を置いて一団の足音が部屋へと入ってきた。

 

「姫様、勇者様到着であります!」

「遅くなってしまって申し訳ないでござる、姫様」

「いえ、私の会談も先ほど終わったところですし。勇者様……えっと、ガレットの勇者様、先ほど紹介できなかった隠密部隊のダルキアン卿とパネトーネ筆頭です。もう戦場で会っているのでご存知かと思いますが」

 

 ブリオッシュが数歩前に進み、不機嫌そうにユキカゼがそれに続く。

 

「隠密部隊頭領、ブリオッシュ・ダルキアンでござる。改めてよろしくでござる、勇者殿」

「昨日はどうも。……言われたことは忘れてませんから、心配しなくてもいいですよ」

「そうでござるか。それはありがたいでござるな」

 

 あてつけ気味の付け加えられた一言を特に気にするでもなく、ブリオッシュはそう短く答える。次いで後ろのユキカゼに挨拶を促した。

 

「……ユキカゼ・パネトーネでござる」

「機嫌が悪そうだな、巨乳ちゃん」

「次にその呼び方をしたら怒るでござるよ」

「そりゃ失礼。……なんでも俺と似た戦い方をすると聞いたんだが」

「答える必要はないでござる」

 

 プイっと後ろを振り向いてユキカゼが離れていく。「こら、ユキカゼ」とブリオッシュが声をかけるが歩みを止める気はないらしい。

 

「やれやれ、嫌われたな」

 

 ソウヤが肩をすくめた。

 

「最後になりましたが、我がビスコッティの勇者様、シンクです」

 

 金色の髪にどこかあどけなさの残る凛々しい表情。ビスコッティの勇者、シンクがソウヤの前に出る。

 

「初めまして、シンク・イズミです。よろしくお願いします」

 

 シンクが右手を差し出す。ソウヤはその右手を握り返すと、

 

「……ソウヤ・ハヤマだ」

 

 そう短く答え、すぐに手を離してしまった。

 

「ソウヤさん、昨日のダルキアン卿との戦い、放送で見させてもらいました。すごい戦いで興奮しましたよ!」

 

 嬉しそうに話すシンクに対し、ソウヤは何も返さない。いや、それどころかシンクの目を見ようともしていなかった。

 

「えっと……住んでるところはどこですか? 僕は紀乃川って言う……」

「シンク・イズミ」

「は、はい……?」

 

 不意にフルネームを呼ばれ、シンクは驚いたように肩を震わせた。ソウヤはこれまで逸らして視線をシンクの方へと戻す。

 

「悪いな、馴れ合う気はない」

「えっ……? それってどういう……」

「2人とも挨拶はそのぐらいでいいじゃろう。せっかくの会食じゃ、続きはそこでということで、ミルヒ、いいかの?」

「あ……はい、そうですね。もう料理も出来てるでしょうし。……では皆さん、会食を始めようと思いますので、お席のほうにお願いします」

 

 ミルヒのその言葉に場の全員が席へと向かう。それに倣ってソウヤも向かおうとしたとき、レオに腕を捕まれ引き寄せられた。

 

「……勇者、ミルヒの前であまりワシに恥をかかせんでくれ」

「……努力しますよ。でも俺としてはあまりシンクと馴れ合うことはしたくないですが」

「なぜじゃ?」

「戦場で会ったときに情を挟めば手が鈍る可能性がある。互いに命がかかってる状況ならなおさら、その躊躇は致命的なものになる。それは避けたいですから」

「ワシらは殺し合いをするわけではない。あくまで戦じゃ。互いの国の親睦を深めるという意味でも……」

「だとしても、昨日も言いましたよね。どの道10日もすれば自分は帰る存在だと。それに俺は人と深く付き合わないとも。だから……」

「……わかった、もういい。じゃがここに来る途中に言ったと思うが、これは外交の1つとも言える。こちらにとって不利益を生む発言は控えてもらうと助かる」

 

 一応要求の体裁は取っている形ではあったが、ソウヤは言葉の端々からレオに半ば強制されていることを感じ取った。

 

「……努力します」

 

 先ほどと同じ言葉を口にする。レオは少し不満そうに一つ息を吐いたが、掴んでいたソウヤの腕を離した。そしてそのままテーブルへ。長机の中央に座るミルヒの向かいの席へとレオが腰を下ろす。

 

「勇者様はレオ様の右隣へどうぞ」

 

 いつの間に背後に近寄ってきていたのか、耳打ちをしてきたのはビオレだった。それを言い終えると端の席へと離れていく。

 ソウヤがレオの右隣の席に座ろうとすると、フィリアンノ城のメイドの1人が椅子を引いて座らせてくれる。慣れないことに一瞬躊躇したが、椅子に座り顔を上げると、向かいではシンクが座ろうとしているところだった。

 

「こういう経験はないのか?」

 

 戸惑ったことに気づいたのだろう、レオが小声で話しかけてくる。

 

「俺は庶民ですからね。こんな改まった席ってのはないですよ」

「そうか。お前にも苦手なものがあったとはな」

「さっきの仕返しですか?」

「さあ? さっきのとはなんじゃったかの」

 

 思わずレオの表情が意地悪く変わる。だがソウヤは特に気にした様子もなく、汚れ一つない机のテーブルクロスを見つめていた。

 全員が席に着くとドアが開き、フィリアンノ城のメイド隊が料理を載せたカートを押してくる。そのメイド隊の長、細目が特徴的なリゼル・コンキリエが一歩前に出て頭を1つ下げた。

 

「お待たせいたしました。ビスコッティの名産をふんだんに使用した料理をご用意させていただきました。ごゆっくりお楽しみください」

 

 メイド達が料理を各人の前に持ってくる。皿に盛り付けられたのは色とりどりの野菜の数々。

 次いで、グラスに色鮮やかな液体が注がれていく。

 全員の前に最初の料理が出揃うとミルヒがグラスを持って立ち上がった。

 

「ではこれより会食を始めたいと思います。……一応公式な会ではありますが、あまり硬くなりすぎずにお話できたらと思います。……それでは、昨日のガレットの勝利とビスコッティの健闘を称え、また、両国のこれからの友好関係を祈って、乾杯」

 

 ミルヒがグラスを前に差し出す。他の全員も同様にグラスを前に差し出し、ソウヤもそれを見て真似た。続けてグラスの液体を口に運ぶ様子を確認し、同じ様にグラスを口元に近づけたところでソウヤは顔をしかめた。

 

「……レオ様、これ酒じゃないですか?」

「何を言っておる。会食の席じゃ、当然じゃろう」

「勇者様、もしかしてお口に合いませんでしたか?」

 

 腰を下ろし、グラスの中身を半分ほど飲み終えたミルヒが尋ねる。

 

「いや、口に合わないというより……」

「姫様、僕達のいた世界、というか国では未成年者は飲酒禁止で、20歳にならないとお酒は飲んじゃダメということになっていて……」

 

 ソウヤがこれから言おうとする言葉を汲む形でシンクが答えた。

 

「そ、そうだったんですか!? すみません、いつもはお茶だったので気づかずに……」

「なんじゃ、めんどくさい決まりがあるんじゃな。ここではそんなものはないというのに。それにしてもこんなうまいものを飲めんとは勿体ないのう、なあダルキアン?」

「そうでござるな。拙者が普段飲む酒とは違うものの、これはこれで美味でござる」

「レオ様もブリオッシュもお酒が好きですからね。……勇者様、他のお飲み物を用意しましょうか? 果実ジュースなどありますが……」

「あ、じゃあ姫様、僕はそれをお願いします」

 

 ミルヒとしてはソウヤの方を見ながら尋ねたのだが、勇者という単語に反応したのだろう、横からシンクがそう答えた。

 

「勇者、お前はどうする?」

 

 前菜のサラダを半分ほど食べ終えた――というより、我慢して食べた、という印象の方が強かったが――レオがソウヤに尋ねる。

 

「……水をいただけますか?」

「はい、かしこまりました」

 

 ミルヒが隅で待機していたリゼルに視線を送る。メイド長が1つ頷くと、メイド隊の2人がドアから出て行った。

 

「姫様、『勇者』と呼ぶ存在が2人いてはどちらがどちらかわからなくなるでしょう。『硬くなりすぎずに』ともおっしゃりましたし、そちらの勇者を呼ぶときは普段通りに呼んではいかがですか?」

 

 意外なことにそう提案したのはここまで口数少ないソウヤだった。それに対してミルヒとレオが驚いたように顔を見合わせる。ソウヤが話した、ということもあるのだろうが、それ以上に「勇者」以外に普段の呼び方をしている、ということを知っているからだった。そのことはソウヤは知らないはずである。

 

「な、なぜそのことを……」

「お前が知っておるんじゃ……?」

「さっき城の前で紹介があったとき、名前で呼ぼうとして訂正したと思ったからです。以前1度召喚したとも聞きましたし、仲がよければ名前で呼ぶぐらいはあることでしょう」

 

 ミルヒがどうしようか迷ったようにテーブルに目を落とす。その間に次の料理である白い色をしたスープが運ばれてくる。冷静スープらしい。

 次いで、先ほど部屋を出て行ったメイド達がオレンジ色と透明な液体の入ったグラスを持って入ってくる。前者をシンクに、後者をソウヤの前に置くと、早速ソウヤはその水を口に運んだ。

 

「よいではないか、ミルヒ。紛らわしいのもなんじゃし」

「……ではそうさせていただきます。ガレットの勇者様のことはソウヤ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

 

 飲んだ水のグラスを戻すソウヤの手が一瞬止まる。

 

「『様』、ねえ……。それもなんだかこそばゆい気がしますが……。まあ勇者とか言われるよりはしっくり来るか。構いませんよ、好きに呼んでください」

「では拙者達もシンク殿、ソウヤ殿と名前で呼んだほうがよさそうでござるの」

「だ、そうじゃ。……よかったの、タレミミ」

「な!? な、なぜそこで私が出てくるのですかレオ様!」

「さてな。自分で考えればよかろう」

 

 レオが声を上げて笑う。

 

「えっと……エクレ、これって笑うところなの?」

「や、やかましい!」

 

 エクレールが顔を真っ赤にしながらシンクの頭をグーで叩く。その光景に思わず周りから笑いがこぼれた。

 

「い、痛いよエクレ! なんで僕が殴られなくちゃならないの……」

「黙れ! アホ勇者が!」

「これこれ、『勇者』ではなく『シンク』じゃろ、タレミミ」

「レオ様もからかうのはやめてください!」

「ま、まあまあレオ様もエクレールもその辺で……」

 

 思わずミルヒが2人をなだめたところで3品目の料理が運ばれてくる。

 肉料理、おそらくメインだろう。茶に焼けた表面の色と対照的にやや厚く切られた肉の内部にはまだ赤みが残っており、周りに添えられたソースが香ばしい香りを漂わせている。

 その料理を目にすると同時にレオの目の色が変わった。

 

「ミ、ミルヒ……もしやこれは……」

「はい。フォンセのロースト、ランシッドソース添えです。レオ様はこれがお好きでしたよね?」

「そうじゃ! よく覚えていてくれた……」

 

 レオにしては珍しく興奮気味に、そして目を輝かせて、運ばれてきた目の前の料理をナイフで一口大に切って口へと運ぶ。

 

「ああ……この噛み締めるほどに味の溢れ出すフォンセの旨みと、芳醇な香りのランシッドのソースが格別じゃ……。ほれソウヤ、お前も食べてみろ」

 

 初めてレオに名前で呼ばれたことに、ソウヤのナイフを持つ手が一瞬止まる。が、その後は気にかけていない様子で肉を切り分けて口に入れた。

 そのまましばらく噛んで味を確かめた後に飲み込む。

 うまい。まず真っ先に彼が感じた感想がそれだった。肉などせいぜい牛丼屋で食べる程度、質がどうのとかサシがどうのとかそういう難しいことはわからないが、とにかくこの肉が格別だということだけは味に疎いソウヤでもわかる。確かに今レオが言ったとおり噛み締めるほどに肉汁と共に旨みが溢れ出し、ソースと見事にマッチしている。日本で食べるとしたらお値段は間違いなく4桁の後半、ここまでのコース料理とあわせれば5桁まで届くのは確実であろうというクオリティである。

 

「あの……お口に合いませんでしたか?」

 

 だがそういったことを全く言葉に出さず、無言で食べたせいでどうやら余計な心配をかけてしまったらしい。ミルヒは心配そうにソウヤの方を見つめて尋ねる。

 

「いえ、おいしいですよ。……よく考えたらこんなうまいものを食べたのは久しぶりだったってことを思い出しただけです」

「普段は何を召し上がっておられるのですか?」

 

 ソウヤが二口目を飲み込んで口を開く。

 

「朝と昼は適当に、ブロックの栄養バーかゼリー飲料。夜はスーパーの半額弁当か惣菜辺りです」

「え? えいようば……え?」

 

 単語の意味がわからなかったらしくミルヒが固まってしまった。しかもソウヤは説明する気もないらしく、黙々と食べることに集中している。苦笑を浮かべ、シンクが補足を始めた。

 

「えっとですね、姫様……栄養バーって言うのは僕の世界にある食べ物で……このぐらいのサイズのお菓子みたいなものなんですが、それで食事を取ったと同じぐらいの効果を得られるって食べ物です」

「シンクの世界ではそんな食べ物があるんですか!?」

「はい。急いでるときとかは僕もお世話になりますね。あとゼリー飲料って言うのはそれの飲み物版みたいなものです」

「面白そうであります。それは美味しいんでありますか?」

「いや、味の方はあんまり……。あとスーパーっていうのは僕の世界のお店のことです。そこではお弁当やおかずとかを前もって作り置きしていて、作ってから時間が経つと悪くなっちゃうんで、その前に値段を下げて買っていってもらおうという売り方があるんです」

「へー。やっぱお前の世界って色々面白いんだな、シンク」

 

 ガウルが早くも料理のほうを平らげてそう言った。

 

「そうかな……僕はこれが普通だと思ってたけど……。でもソウヤさん、そんな食事で大丈夫なんですか?」

「……1人暮らしの食事などそんなもんだろう」

「お一人で生活されてるんですか?ご両親とかは……」

 

 ミルヒのその質問にそれまで料理を食べることに集中していたレオが手を止める。つい食事に夢中になって水を差し損ねてしまった。面倒なことを言い出すのではないかと不安げな表情を浮かべる。

 

「……もういませんよ。6年前に死にました」

「あっ……。……失礼しました、私……」

「いえ、気にしないでください」

「亡くなったって……両親とも?」

 

 シンクの問いかけに苛立ちを隠す様子もなく、ソウヤは声の主を睨み返した。

 その目の鋭さ、そして瞳の色に思わずシンクがうろたえる。明確な怒り、あるいは敵意が込められた視線だった。だがそれと同時に、どこか寂しいような、悲しいような、そんな色も含まれているとシンクは感じ取っていた。

 

 ソウヤは何も返さず、ただ深くため息をこぼした。そしてそのまま椅子を引き立ち上がる。

 

「おいソウヤ!?」

 

 突然席を立った勇者に召喚主のレオが不安そうな声をかけた。だがソウヤはそのレオの方を見ようともせず、吐き捨てるように口を開く。

 

「……外の空気を吸ってきます。俺に気にせず続けてください」

 

 その背中は、何人(なんぴと)も自分に構うな、という強い拒絶を表しているようだった。そんな雰囲気に気圧されし、レオが声をかけるタイミングを失う。

 そうこうしているうちにソウヤは戸惑うメイド達の横をすり抜けて部屋を出て行ってしまった。部屋には気まずい空気が残される。

 

「えっと……もしかして今のは僕のせい……?」

「いや、気にすることはないでござるよ」

 

 ブリオッシュが立ち上がりつつ、シンクに配慮の言葉をかける。

 

「彼はなかなか気難しい性格のようである故、まっすぐなシンク殿とはかみ合わないのかもしれないでござるな」

「あ、敬称省略の呼び捨てでいいですよ。……でも、悪いことを言っちゃったなら、謝りに行きたいけど……」

「いや、お前は行くな。あいつを刺激しかねない。……代わりに私が行って来る」

 

 言うなりエクレールも立ち上がった。

 

「ユキカゼ、お主も来るでござるよ」

「……お館様がそうおっしゃるのでしたら」

 

 主に促され、ユキカゼも立ち上がる。その様子に思わずレオも立ち上がった。

 

「待て、これはガレットの問題じゃ。お前たちより先にワシが……」

「レオ様、ここは拙者達に任せては下さらんか? 拙者は彼と一度剣を交えたことがあることに加え、おそらくガレットに戻ってからは話す機会もないと思われる故、頼むでござる」

 

 しばらく考え込み、レオはため息をこぼした。

 

「……わかった。頼むぞ、ダルキアン」

「御意に」

 

 ブリオッシュ、エクレール、ユキカゼが部屋を後にする。それを見送ったレオは重々しく腰を下ろした。

 

「よかったのか、姉上?」

「いいも悪いもないじゃろ。あのように言われては任せるしかないわ。恥ずかしい話じゃがワシはあいつを知らなさ過ぎる……。慌てて今話すよりももっとゆっくりと話さなくてはならないじゃろうからな」

 

 それに、とレオは思う。自分よりもはるかに長く生きているビスコッティの自由騎士なら、こういう場合の説得においても自分のように感情的にならず、きっと的確な助言をしてくれることだろう。

 結局他国の騎士に任せてしまったことを少し情けなく思いつつ、その気持ちを振り払うようにレオはグラスの中の液体を一口呷った。

 

 

 

 

 

 1人中庭に出たソウヤは空を見上げてため息をついた。よく知る世界の空と違う、紫に光る空。何となしにその風景を見上げながら物思いに耽っていた。

 

(くそっ……)

 

 心に浮かんだ苛立ちを隠そうともせず舌打ちをこぼす。どうも感情的になってしまっている、とまだ頭の冷静な部分で分析する。

 やはりシンクという少年は自分と正反対、相容れない存在ではないかと彼は予想する。普段なら気にもかけないようなやり取りのはずだった。だが、無邪気な表情と共に向けられた悪意がないとわかっているはずの言葉に対し、自身の不可侵領域を侵されたように感じてしまったのも事実だった。だとするなら、その人懐っこそうな相手に対し、人との接触を拒む自分が反射的に拒絶を示したということだろうか。

 

 やはりここはよくない、と彼は思う。心を閉ざした自分には刺激が強すぎる。忘れ去ったはずの過去を思い起こさせ、それこそが本来自身のあるべき姿なのだと、今の自分は躍起になって孤独を演じようとしているだけなのだと、この世界自体が語りかけてくるような錯覚さえ覚える。

 しかしそんな甘美なささやきに耳を貸したとして、最後はどうなるのか。昨日レオに言ったとおり、別れはいずれ訪れる。そこでご破算にされるぐらいなら最初からなければいい。結局それこそが自分の行き着く考えなのだ、とソウヤは改めて思いなおす。

 

 では、頭ではそうわかっているはずなのに、シンクに対してこうまで抱いてしまっている敵対感のような感覚は何か。もしかしたらそれは先ほど親衛隊長に言われた嫉妬心に近いものなのだろうか。

 

(馬鹿げてやがる……。何を嫉妬する必要がある)

 

 頭を悩ませても答えが出ない。が、そんな状態でもさかしい彼の感覚は背後から近づく気配を感じ取っていた。

 

「俺のことは気にせず会食を続けてくれと言ったはずですが?」

 

 その言葉は聞こえているはずなのに足音は近づいてくる。

 

「私に貴様の言うことを聞いてやる義理はない」

 

 その声にソウヤが振り返る。エクレールとその後ろのブリオッシュ、ユキカゼの姿を見て、彼は1つ鼻を鳴らした。

 

「意外だ。自由騎士殿はまだしも、親衛隊長と筆頭がいらっしゃるとはね」

「貴様がさっき言ったことの理由が少しわかった気がしたからな」

「さっき言ったこと……?」

「ああ。城下町を歩いているときに貴様が言ったことだ。『自分は他人と深く関わるつもりはない、そして変わるつもりもない』。そういうことを言ったな?」

 

 一瞬の沈黙。

 

「……それが?」

「その発言と、さっきの態度でなんとなくわかった。……貴様は逃げてる」

「逃げてる……?」

「ああ。まるであいつと話すことを避けるように部屋を出た。それは貴様が言った深く付き合えば付き合うほど、別れる時の痛みも大きくなる、という考えからだろう。でもそんなのは逃げだ。後の痛みのことだけを考えすぎて、出会いまでもないがしろにしている」

「そうだ。逃げて悪いか?」

「……貴様はアホだ、うちの勇者以上に。私もかつて似たようなことを考えたことがあった。あいつはいつか元の世界に帰る、思い入れすぎると別れが辛くなる、と。……だが同時にこうも思った。いっそ別れがつらくなるくらいの楽しい思い出ができるなら、それはきっといいことだ、とも。

 ……私は……あいつに会えてよかった。短い時間だったがともに過ごせて楽しかった。……たとえ別れの時がきても私がその時に感じた気持ちは変わらない。貴様はプラマイゼロだとも言った。でも私はそうは思わない。あいつがフロニャルドで過ごした時間はあいつにとっても、そして姫様や私やリコ……ビスコッティの人々にとってもプラスの方が大きいと信じている」

 

 ソウヤはエクレールの話を黙って聞いていた。

 

「……頭はいいほうじゃないんで、要点をまとめて言ってもらえますかね?」

「出会いで得るものは別れで失うものと等しいものではない、とエクレールは言いたかったでござるよ」

 

 エクレールの代わりに答えたのはブリオッシュだった。

 

「ソウヤ殿、別れを恐れて出会いも避けるというのは勿体ないことでござる。せっかくの人生、より多くの人と出会って楽しく過ごしたいとは思わないでござるか?」

「……思いませんね。今の俺は死んでるようなもんだ」

「でも実際は生きてるではないでござるか」

 

 3人目の声にソウヤが意外そうな顔をした。

 

「……巨乳ちゃんは俺のことは嫌いじゃなかったのか?」

「どうしても好きにはなれないでござるよ。その呼び方をする時点でそうでござる。……でも両親を失った者の気持ちは……わかるでござる。拙者も魔物によって両親を失ったでござるから」

 

 一瞬、ソウヤの眉が動いたように見えた。

 

「あの時は自分の命も、何もかももうどうでもいいと思っていたでござる。……それでも拙者はお館様に会えて、その過去から立ち直ることが出来た……。だから……!」

「もういい」

 

 吐き捨てるようにそう言い、ソウヤが目を逸らす。不機嫌さを隠すつもりもなく、舌打ちをこぼして口を開く。

 

「……なぜだ? エクレールもユキカゼも俺のことなどよく思ってないんだろう? なのになぜそこまで俺のことを気にかける? 放っておけばいいだろう?」

「2人ともわかっているからでござる。ソウヤ殿の考え方は間違っている、と」

「間違っている……?」

「かつては自分が思って選ぼうとした誤った道……その道を今ソウヤ殿が進んでしまっている。だからそれを止めたいと思っているでござるよ」

「……だとしても俺を気にかけるという理由にならないと思いますが」

「そんなの理由も必要ないでござる。困っている人、悩んでいる人がいたら助ける。誤った道を進んでほしくないと思う。……ただそれだけでござるよ」

 

 ソウヤは反論しない。いや、出来なかった。今までここまで突っ込んで話をしてくれる人はいなかった。これが初めての経験だったからだ。

 そしてひねくれてると自分でもわかっている物言いに対してここまで真摯に答えを返してもらえることも初めてだった。

 お人好しな連中だと思う。だがそう思いつつも、ソウヤは心のどこかでそれを嫌がっているわけではない、むしろ逆のような、言葉に出来ない感覚を抱いていることを実感していた。

 

「……落ち着いたら戻ってきてほしいでござる。リコッタがソウヤ殿の世界と連絡を取れるようにしてくれると言っていたでござるから。……では拙者たちは先に戻ってるでござるよ」

 

 遠ざかる足音を目で追おうともせず、自問自答を続け、ソウヤは中庭に1人立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 会食は終わった。

 結局ソウヤはあの後戻ってこようとはせず、リコッタとリゼルが呼びに行くまで、まるで呆けたかのように中庭にずっと立っていた。

 その後はリコッタの案内でフロニャ周波の強化増幅装置によって元の世界に数件メールを送り、レオと合流。そのままヴァンネット城へと帰る運びとなった。

 

「急な訪問ですまなかった。久しぶりのランシッドソースのフォンセは美味じゃったぞ。また馳走になりたいものじゃな」

「わかりました。またご用意して待たせていただきます」

「うむ、それは嬉しいのう。……ソウヤ、お前からは何かあるか?」

 

 会食を途中で抜けてからより一層気難しそうに、そして口数の減った自国の勇者にレオが話を振る。

 

「……せっかくの会食の場を乱してしまってすみませんでした。親衛隊長、ダルキアン卿、筆頭、わざわざ俺なんかを気にかけてくれたことは感謝します。……次は戦場で会いましょう」

 

 そう言うとソウヤは口を閉じる。おそらく会話を促してももう話すことはないだろう。それを感じ取り、レオはあっさりと諦めた。

 

「ではワシらはこれで失礼する。……ミルヒ、近いうちにまた戦になるかもしれんが、そのときはよろしく頼むぞ」

「こちらこそ。次は負けませんよ」

 

 ニッと笑ってレオが自分のセルクルであるドーマを進ませる。ガレットの一団がそれに倣って進み始めた。

 

「じゃあなシンク! またな!」

 

 ガウルに対して笑顔で手を上げたシンクだったが、その姿が見えなくなると力なくその手を降ろした。

 

「やっぱり……ソウヤ殿のことが気になるでござるか?」

 

 シンクは無言で頷く。

 

「私やダルキアン卿が話をしたが……あいつは相当なひねくれ者で頑固者だ。どこまで私達の話が届いたか……」

「エクレ、何を話したの?」

「あいつは別れの痛みを避けるために出会いも避けてる、と言った。だからそれは間違っている、出会いで得るものと別れで失うものは等しくはないという話をしてやった」

「……確かに僕はここに来れて、姫様やエクレやリコ、ダルキアン卿やユッキーやロラン騎士団長、他にもたくさんの人達に会って楽しい思い出をたくさん作れた。そしてまたここに来ることができた。それはとても嬉しいことだった……」

 

 エクレールが一瞬頬を染めたように見えた。が、シンクは気づかずに続ける。

 

「だから僕は……ソウヤさんにもこの気持ちをわかってもらいたい……。同じ世界から来ている人間として、悲しいことがあってもつらいことがあっても、それ以上の嬉しいことできっともっと元気になれるって教えてあげたい……!」

「シンク……」

 

 ミルヒがどこか嬉しそうに勇者の名を呼ぶ。そして頷いて言葉を続けた。

 

「シンクの言うとおりだと思います。いつまでもションボリしているより、笑って楽しく過ごせれば、それがきっと1番だと思います」

「姫様……。……よし、決めました!」

 

 そう言うとシンクの顔が明るくなる。次いでブリオッシュのほうへと向き直った。

 

「ダルキアン卿、僕に稽古をつけてください。修行したいと思っています」

「修行……でござるか?」

「僕は次の戦でソウヤさんと戦うつもりです。そこでソウヤさんにフロニャルドの戦は明るく楽しいものであることを示して、全力でぶつかって、そして仲良くなりたいと思っています。……でもソウヤさんは強い、今の僕じゃ相手にならないかもしれない。それに異世界から召喚された勇者同士の戦いは、互いの身を傷つけあう危険性もある……。だからそうならないためにも、ダルキアン卿、お願いします!」

 

 シンクが頭を下げる。その様子を見てブリオッシュはやれやれと、しかしやはりどこか嬉しそうにため息をついた。

 

「わかったでござるよ。……姫様、いいでござるか?」

「ええ。シンクが望んでいることです。それに、ソウヤ様と仲良くなれるということであれば、私のほうからも大歓迎です」

「決まりでござるな。……拙者の修行は楽ではないでござるよ?」

 

 ブリオッシュの脅し文句に思わずシンクが苦笑を浮かべる。

 

「う……が、頑張ります!」

「シンク、拙者も手伝うでござるよ。あやつは体術も使う。間近で見ていたし、拙者のユキカゼ式体術も役に立つでござろう」

「ありがとう、ユッキー」

 

 自分と同じ「勇者」と呼ばれる者と戦うため。言葉を重ねるより、互いの力をぶつけ合って、その思いを伝えるため。

 ビスコッティの勇者、シンク・イズミの表情に迷いはなかった。




フォンセ……型の底に生地を敷きこむこと。
ランシッド……油脂の酸化、加水分解のこと。
「フォンセのロースト、ランシッドソース添え」は「牛フィレ肉のトリュフソース添え」辺りのイメージ。

なお、飲酒シーンがありましたが、フロニャルドは生まれたときからお酒飲んでオッケー、あるいはいわゆるアルコールではないか、アルコールが非常に弱い、ぐらいの解釈で書いてます。
日本において未成年者の飲酒は法律で固く禁じられています。

追記:過去回想削りました。元々やりすぎだと思っていた部分もあったので。ただ、ニュアンスを大きく変えないで最小限の修正でいこうという無難な方法を取ったので削った以外あまり手を加えてなかったりもします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 7 束の間の日常

 

 

 翌日はソウヤにとってフロニャルドに来てから初めての落ち着いた日であった。

 今日はどこに行くという話はなく、特に予定も言い渡されていない。朝食を取り終えたソウヤは自室に戻り、そのままベッドへと腰掛けた。それと同時にため息をこぼす。手持ち無沙汰になると、昨日からずっと頭の中に引っかかっているブリオッシュの言葉が余計に気にかかってしまっていた。

 

『2人ともわかっているからでござる。ソウヤ殿の考え方は間違っている、と』

 

(間違っている……か。たとえそうだとして、俺はどうすればいい……?)

 

 答えの出ないとわかっている質問を自分に投げかけ、やはりわからない答えによって頭を悩ませる。いや、もしかしたら答えはもうなんとなくわかっているのかもしれない。エクレールに言われた通り変わればいいのかもしれない。

 だが今更それが出来るだろうか。両親との死別からずっと心を閉ざし、頑なに人との接触を拒み続け、別れの痛みを受けないために出会いすら避けてきた、こんな自分が。

 仮に出来たとして、それが「正しい」と言い切れるのだろうか。結局別れは訪れる。なら、それを超えるほどの出会いというものがあるのだろうか。

 そう疑念を投げかけつつ、しかし心のどこかでそのことに対して僅かに希望を抱いてしまっているような自身の心を、ソウヤは無視し切れなかった。

 弓道のインターハイで優勝した時も、武道で強い相手と対峙し打ち勝った時も、今ひとつ満たされなかった自分の心。その飢え乾いた心を満たしてくれるのは、ひょっとしたら未だ自分の知らない、変わることによって得られる感覚なのではないだろうか。

 だがそこまで考えたところで命題は振り出しに戻る。「自分は今更変われるのだろうか」と。結局思考は堂々巡り、出口のない迷宮を延々と彷徨い続けるような錯覚にすら陥りそうになる。

 

 やはり答えは出ない。ならこれ以上考えるのはやめよう、とソウヤは頭を悩ませることをやめることにする。そう決めると、考え事をせずに済むように荷物の中からファンタジー小説を1冊取り出して読み始めた。「サモン・ヒーローズ・オペラ」と名の付けられたその小説は、奇しくも召喚された勇者が異世界を救う、というどこか今の彼と似たようなストーリーの小説である。もう何度も読んでいたものだったが、お気に入りのためにバッグに入りっぱなしになっているものだった。だが一般的には受けなかったのか、巻数は全3巻までしかなく、荷物の中にはそれが全て入っている。

 

 見慣れた書き出しから始まり、次第に意識が小説へと没頭していく。やはり余計なことは考えずに済むと安心しつつ、読み始めてしばらく経ったときにドアをノックする音が聞こえた。

 

「どうぞ」

 

 しおりも挟まずに小説を閉じる。何度も読んだこともあって話の流れで大体のページがわかっているし、そもそも考えごとをしないで済むように読んでいただけだ。詳しい場所がわからなくても大して困らない。そうしたところで部屋の入り口から1人のメイドが入ってくる。

 近衛メイド隊長のルージュ・ピエスモンテ。メイドでありながら時には武器を取って戦うこともある。

 普段ソウヤの世話をしていたのはレオの側役を兼ねるビオレであったが、ビオレが手を離せない時や他の優先すべき用がある時等、時折ルージュもその役割を受け持つという話だった。

 

「失礼します勇者様。……本を読んでいらっしゃったのですか?」

「特に他にやることも見つからなかったから読んでただけです。もう何度も読んだものですし」

「そうでしたか。……もし勇者様がよろしければ、兵達の訓練に一緒に参加されてはいかがですか? 特にガウ様は勇者様と一度手合わせをしてみたいとおっしゃっていましたし……」

「……わかりました。レオ様からやることも特に言われてませんでしたし、参加させてください」

「かしこまりました。では訓練場に案内しますので着いてきてくださいませ」

 

 本をバッグに戻したソウヤは立ち上がり、ルージュの後に続く。

 城の中庭まで案内され、そこが兵士達の訓練場であった。兵士達の視線の先、その中央で少年と大柄な男が模擬戦を行っていた。

 

「ん……? ゴドウィン、ちょっと待て!」

「む……なんですかな?」

 

 少年、すなわちガレット王子のガウルが自分の相手をしていた戦士団将軍のゴドウィンに中断を命ずる。兵士達も何事かとガウルの視線の先を追った。

 

「来たか勇者……あ、昨日から名前で呼ぶことになったんだっけか。……えーっとソウヤ、なんでも暇そうだって聞いたからな。よかったら相手でもしてくれねえか?」

 

 右手に持っていた長剣を肩に担ぎながらガウルが言った。

 

「まあ昨日何言われたか知らねえし、お前自身色々あったってことはわかるが……。俺は頭いい方じゃないからよ、とりあえず体動かすってのはどうだ? その方が気も紛れるだろ」

「……うまいこと言って、実際のところは俺と戦ってみたいってのが本音でしょう?」

 

 ニヤッとガウルが笑う。どうも否定する気はないらしい。なるほど、この王子は裏表のない性格のようだ、とソウヤは察する。

 

「わかってるじゃねえか。そういうことだ。どうだ?」

「やらせていただきます。実に面白そうだ」

 

 部屋で悶々と頭を悩ませ、読み飽きたと言ってもいい小説を読むよりは、せっかくの異世界で暴れている方が楽しいだろう。そう考えつつ、ソウヤは手近にあった武器立てから剣を1本手に取り、重さを確認するために横に一度薙ぐ。

 ゴドウィンが場所を開け、2人が近づいた。

 

「得物はそいつでいいか?」

「ええ。そう言う殿下は先日のように爪じゃなくていいんですか?」

「ありゃあ輝力武装だが、俺はどんな武器でも戦えるってことをモットーにしてるからな。これでも遅れを取る気はないぜ。……それから姉上のことを愛称で呼んでるなら、俺のこともガウでいい」

 

 裏表のない性格に加え、人当たりも良いらしい。一見した時に王子らしくないと思っていたソウヤだが、心中でそれは撤回する。この少年にはおそらく人徳がある。相手を惹きつける、人の上に立つ者の魅力のようなものだろう。

 自分と戦いたいのも本音だろう。だがそれを通して自分ともっと交流したいという面もあるに違いない。ソウヤはそう考え、同時に王子にそこまで気を遣わせていることになんだか申し訳なさも感じていた。なら、相手を尊重して申し出通りの名で呼ぶのが礼儀だろう。

 

「そうですか。ではこれからはガウ様と呼ばせていただきます。……ルールは?」

「紋章術はなし。それだけだ」

「では武器以外での攻撃もいいわけですね」

「体術か? いいぜ、俺も使わせてもらうけどな」

 

 不敵に唇の端を一瞬緩め、ソウヤが剣を両手に持って正面に構える。

 

「……ダルキアンのときの構えはしないってか?」

「まずは様子を見させてもらいますよ」

「へっ、いいぜ。……それじゃ、行くぞ!」

 

 ガウルが地を蹴り、2人の模擬戦が始まった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、元老院との会議を終えたレオはため息をこぼしながらバナードとビオレを従え、自室へと歩いているところだった。

 

「ある程度予想はしていましたが……それ以上でしたね」

 

 騎士団長バナードが話しかける。

 

「ひとまず勇者を召喚したことで高まっていた機運に応える形にはなりましたが、逆にそのことに対する期待が大きくなってしまった……」

「仕方ないじゃろうな。元々ガレットは戦好きな者達が多くおる。負ければそれを返上する勝利を、勝てばそれ以上の大勝を求める。……そしてソウヤは良くも悪くも活躍しすぎた」

「まさか自由騎士相手に勝ちを治めるというのは……正直言って私も予想していませんでした」

「ワシもじゃ。それなりに善戦、程度を想定していた。ダルキアンは物事をわきまえておる。なんだかんだと引き分け扱い程度にして退くと思っていたが……。あそこで勝ったのはかなり影響が出たな」

「元老院の方々もおっしゃっていましたが、勇者殿の活躍をさらに見たいという領民の声は多く挙がっています。勇者同士の戦いを希望する声もあります。……やはり、再度戦の機運かと」

 

 ふむ、とレオは考え込むように間を置く。

 

「レオ様、戦の風潮はビスコッティ側でも高まっているようです。自国の自由騎士と1度勝利した勇者の再戦、あるいはやはり勇者同士の戦いを望む声は少なくないようです」

 

 ビオレに補足され、レオは難しい表情を浮かべた。

 

「……閣下としてはあの勇者殿にご不安が?」

「……バナード、昨日の会食のことは聞いているな?」

「はい。しかし杞憂かと思いますが。過去の話から性格に少々癖があるのはわかりますが、閣下もダルキアン殿も釘を刺したのでしょう。ならば大丈夫かと」

「……だといいんじゃが」

 

 レオは難しい表情を崩さない。

 

「レオ様、あまりお一人で考え込まないでください」

「そうは言うがな……。あやつを呼び出したのはワシじゃ。何か問題があれば、責任はワシにある」

 

 思わずバナードとビオレが顔を見合わせ、真面目すぎる領主に対して苦笑する。

 

「……じゃが、同時に戦を通じてあやつの心が変わるかもしれんという期待も抱いておる。事実、戦っているときのあいつは楽しそうにも見えるからな」

「そうお考えになっているのはレオ様だけではないようですよ」

 

 ビオレが足を止めて窓から外を眺め、レオとバナードもそれに倣う。

 外ではガウルとソウヤが剣を取り、互いに手合わせをしているところだった。

 

「……ガウル」

「レオ様、ガウ様はガウ様なりにソウヤ様のことを気にかけていらっしゃるんだと思います。そしてそれはガウ様だけではなく他の方々も。……以前レオ様はおっしゃったではないですか。なんでも1人で背負い込みすぎていた、と。もう少し周りの方々を、そしてソウヤ様自身を信じられてはいかがでしょう」

 

 自らの側役の助言にレオは考えた様子を見せる。

 

「……ビオレの言う通りかもしれんな。なんでもかんでも1人でなんとかしようとしてしまうのはワシの悪い癖のようじゃ。ここはひとつビオレの言うことを信じてみようかの」

 

 再び窓の外へと目を移す。

 ガウルと戦うソウヤの姿は、やはり自分が言った通り楽しんでいるようにレオの目に映った。

 

 

 

 

 

 ソウヤとガウルの攻防にそれを見つめていた兵士達は目を奪われていた。先ほどまでガウルと手合わせをしていたゴドウィンでさえ、瞬きを忘れるほどであった。

 

「お、おっちゃん……あの勇者、ホンマとんでもないんじゃ……」

「とんでもないどころではない……さすがあの自由騎士に勝利しただけのことはあるということか……」

 

 目を離さず呟いたジョーヌにゴドウィンが答える。

 

 その間も2人の攻防は続いている。

 ガウルが剣による突きを繰り出せばソウヤも剣でその軌道を逸らし、()()()()()右手で裏拳を繰り出す。その拳をガウルが上体を屈めてかわして下段へと足払い。

 

 バランスを崩したかに見えたソウヤだったが、右手と右脚を地に着き、体を捻らせながら左足の蹴りでガウルの顔を狙う。アクロバティックに出された「シバータ」と呼ばれるカポエイラの蹴りに、上段からの攻撃を狙ったガウルは咄嗟に剣の柄の部分で攻撃をやり過ごすと間合いを取った。

 

「またかよ。お前、なんて姿勢から蹴り打ってくるんだ?」

「俺の習ってる格闘技の特徴ですからね。いや、厳密には本来は相手に当てないから格闘技、とは言い切れないですが。監視の目を盗んで格闘技の練習をしてると思われないようにするために、ダンスに似せたという話も聞くようなものです」

「へえ……。やっぱお前らの世界は面白そうだな」

「そうですかね、俺としてはこの世界の方が十分面白いと思いますが」

 

 ()()に持った剣の感覚を確認するように左手首を1度回してソウヤが構える。

 既にソウヤはブリオッシュと戦ったとき同様、剣を左手に持つ構えに変えていた。最初の構えで受けたのは数度、あとはこの構えに切り替えて先日同様に体術を織り交ぜながらの戦い方をしていた。

 一方のガウルは剣を主体に攻撃してきたが、先ほどの足払いなど時折体術を見せてきていた。

 

「よっしゃ、もうちょっと続けるとするか」

「まだやるんですか? ガウ様も好きですね」

「このまま引き分け、ってのも盛り上がりに欠けるからな。どっちか決定打を一発入れたらそこで終わりにしようぜ」

「……言っておきますが俺は空気が読めない方なんで。相手が王子でプライドがどうのとか全く気にかけませんが、いいんですね?」

「勝つ気でいるのか? それは考える必要はないぜ。勝つのは……」

 

 ガウルが駆ける。

 

「俺だッ!」

 

 真っ直ぐ突っ込むと見せかけて重心を左へ。

 ソウヤが右足で上段へ回し蹴りを放つがガウルがそれを掻い潜る。反撃の斬撃を出そうとした瞬間、ソウヤが体を浮かせて軸足にしていた左足で蹴りを撃つ。ガウルは剣の胴でそれを受け、数歩後ずさる。

 開いた間合いを詰めながらガウルは横に剣を薙ぐが、今度は剣でソウヤがそれを受け、両者とも間合いを取った。

 舌打ちをしつつ、再びガウルが飛び込む。今度は真っ直ぐ、左脚側から逆袈裟に剣を切り上げる。

 だがソウヤが数歩後ろに退いたことで切っ先は空を切った。その隙を見逃さずにソウヤが突きを繰り出す。剣を振り下ろしてそれを叩き落しつつ、ガウルはもう1度間合いを取り直した。

 

「……ヘッ! やるじゃねえか」

 

 言いながらガウルが笑みを浮かべる。だがその表情にはどこか焦りの色が滲んでいるようにも見えた。

 

「……ノワ、ベル、信じられるか? ガウ様は間違いなく本気や。なのにあいつはそんなガウ様と互角以上に戦っとる……」

 

 ここまでの戦いを眺めていたジョーヌが傍らで同じように見つめるジェノワーズの2人に呟く。

 

「信じたくなくても、目の前で起こってることが全て」

「弓の技術もあれだけ高いのに……それ以外でもここまでだなんて……」

 

 ジェノワーズが驚くのも無理はない。確かにガウルは強かったが、自分達やゴドウィンと戦うときはやはりどこか余裕を持っていることが多かった。

 それが今はその余裕が全く感じられない。それどころか焦りすら見え始めていた。

 その色を振り切るかのようにガウルが突っ込む。

 と、これまで待ちに徹してきたソウヤも前へと出た。上段からの剣筋では間合いの内側に入り込まれる、と判断したガウルは上げかけた剣を斜めに振り下ろす。しかしソウヤはそれを剣で止めながらなおも前へ、ガウルの左の懐へと潜り込む。

 

「なっ……!?」

 

 慌てて左の膝でソウヤの胴体を狙うガウル。

 だがソウヤは右の拳をその膝に合わせて直撃を避けると、体を半回転させて左手で剣の柄の部分をガウルの後頭部目掛けて叩きつけようとする。

 目の端でその動きを捉えたガウルは頭を沈み込ませて攻撃をやり過ごす。が、同時に腹部に鋭い衝撃を受けてそのまま数メートル吹き飛んだ。

 

「がはッ……!」

 

 今の攻撃を放った勢いを殺さず、ソウヤが右の膝蹴りを中段に放ったのだ。

 見ていた兵達がざわつく。今まで滅多に見ることのなかったガウルの背が地に着くという光景、それをたった今目の当たりにしたのだ。

 

「大丈夫ですかガウ様?」

 

 クリーンヒットさせてしまった王子の身を案じてソウヤが声をかける。

 

「ああ、なんともねえ。……体のほうはな」

 

 ガウルが立ち上がる。

 

「……だが心の方はダメージがでかいぜ。完膚なきまでに叩きのめされちまった」

「いいえ、紙一重でしたよ。今の中段蹴りを止められてたら危なかった」

「よく言うぜ……」

 

 地に着いた背中と腰を手で叩き、汚れを落とす。

 

「やっぱお前は強いな。……その強さを見込んで頼みがあるんだが、次の戦が始まるまで俺やゴドウィンと一緒に兵達を鍛える役をやってはくれねえか?」

 

 ガウルの申し出に再び兵達がざわついた。

 

「ガ、ガウ様! ウチらそいつみたいなそんな突拍子もない動き出来へんで?」

「そんなの俺だって出来るわけねえ。そういうことじゃなくてもこいつから学べることは多くあるだろ。例えば……ベール!」

「は、はい!?」

 

 突然名前を呼ばれてベールは自慢のウサギ耳を思わずピンと立たせる。

 

「こいつは弓も得意だ。お前と一緒に弓部隊の訓練を見てもらうってのもいいだろ。逆に紋章術についてはお前らのほうが使ってる経験が長い……とはいっても、もうこいつも大分使いこなしてるようだが……。まあ教えられることは教えてやれば、互いにとって有益だろ?」

「えっと……それはそうですが……」

 

 ベールが困ったように返事をする。本人の前で言ってはないとはいえ、一旦「怖い」と感じてしまった相手である以上、やはり若干抵抗がある。

 

「ソウヤさん本人はどうなんですか……?」

「あ、そういやお前の返答聞いてなかった。どうだ?」

 

 ふう、とソウヤがため息をつく。

 

「……俺は教えるのは下手ですよ」

「だとしてもお前が強いのは事実だしな。まあ人に教えれば自分もその分うまくなるとか聞くし、やってみろよ」

 

 一瞬無言でソウヤは考え込む。

 今朝ずっと考えていた「変わる」ということ。いきなり大きな一歩は踏み出せないかもしれない。だがこの異世界で、小さな一歩を踏み出すのはいいかもしれない。ダメだとわかればその出した足を戻せばいいだけのことだ。そう考え、ソウヤは口を開いた。

 

「……わかりました。引き受けましょう。これ以上ガウ様の顔に泥を塗るようなことはしないほうがいいでしょうからね」

「おう、ちょっと待て! 『これ以上』ってのは聞き捨てならねえぞ!」

「……失言でしたね」

「ケッ! 1回勝ったぐらいでいい気になるなよ? 今の言葉はいつかそっくり返してやるからな。……まあともかく任せるぜ、勇者」

 

 期待を込める意味でガウルがソウヤの肩をポンポンと叩く。思わずやれやれとソウヤは1つため息をついた。

 

 

 

 

 

『……そして我等ガレットは再び勝利し、美酒を味合うことになるだろう! ここに、ガレット獅子団領国はビスコッティ共和国への宣戦を布告する! 戦の開催日は3日後、ビスコッティの返答を待つ!』

 

 悠々堂々とした様子で高らか宣言した彼女のその雰囲気は、国営放送の人間からの「オッケーです」という言葉と共に消えた。

 ソウヤがガウルから兵達の指導役を引き受けた翌日、レオはビスコッティに宣戦布告を行っていた。両国共に戦の風潮が高まり、加えて勇者と言う存在が期間限定であるということもそれに拍車をかけていた。

 今国営放送を通じての宣戦布告を行ったところで、あとはビスコッティからの返事を待ち、了承された上でそれに応えれば3日後の戦は確定する。もっとも、ミルヒと仲のいいレオは昨日のうちにプライベートながら連絡を取っており、ほぼこうなることは確定済みのことではあった。

 カメラが回っていないことを再度確認し、レオは国営放送の人間の後ろへと目を移す。肘掛に肘を置いて頬杖をつきながら、どこか不機嫌そうに口を開いた。

 

「……あまりじろじろ見るな」

「……失礼。領主なんてのはやっぱりめんどくさいものなんだなと思っただけですよ」

 

 やや表情を緩めながら答えたのはソウヤだった。関係者以外は立ち入り禁止であったが、せっかくだからというガウルの計らいで側役のビオレと共にソウヤはこの場を見学させてもらっていた。

 

「戦は興業じゃ。こういう布告の仕方で領民の機運を盛り上げて戦へと向ける」

「わかってますよ。ガウ様から色々と言われました。戦い方に華がないといけないだとか、紋章砲は派手に使ってなんぼだとか。俺のような曲芸染みた戦い方は受ける、とかっても言われました」

「……あいつの言うことは極端じゃ」

「それは思いますね。でもショーとして見せるのであれば、ガウ様の言うことも一理あると思います」

 

 話しながら、レオは少し安心していた。フィリアンノ城での会食の後はどうしたものかと頭を悩ませたが、ガウルと模擬戦をした後、兵達の指導に当たったせいもあるのか、まだ癖はあるものの角は若干取れてきていたと感じたからだ。だとすれば弟の行動には感謝をしないといけない。

 そんなことを考えているとピンク色の髪をした少女の映像が浮かび上がる。

 

『フィリアンノ領主、ミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティです。ただいまのレオンミシェリ閣下の放送を拝見させていただきました。……さて、ただいまの宣戦布告に対してですが、我々ビスコッティはそれに対して受けて立ちたいと思います!』

 

 レオは無言でミルヒの演説を聞く。

 

『先の戦では残念ながら敗北してしまいましたが、今度はそうはいきません! ガレットも勇者の召喚を成功させていますが、ビスコッティにだって素敵な勇者様がいます!』

「公共の場で惚気話か、さすがやり手の姫様ですね」

 

 皮肉をこぼしたソウヤをレオが睨みつける。角が取れてきた、とはいえこの口の悪さと一言余計なのは一向に改善の余地は見られないらしい。

 

『敗戦でションボリなんてしてられません! ビスコッティの皆さんの力を、私に貸してください! そして共に勝利の喜びを分かち合いましょう! ……以上、ミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティでした』

 

 映像として映し出されていたミルヒの姿が消える。

 代わりにレオが厳しい表情へと変えて口を開いた。

 

『ビスコッティの英断に感謝する。……それでは3日後、互いに雌雄を決しようぞ!』

 

 そこで放送は終わるが、既に気分の昂ぶった兵達は少なくないらしく、外から雄叫びのような声が聞こえてきた。

 

「ありがとうございました、閣下」

「うむ。そなた等もご苦労じゃった」

 

 国営放送の人々に労いの言葉をかけるとレオは立ち上がり、そのまま急遽放送用に設えた応接室を出る。ビオレとソウヤもそれに続いた。

 

「宣戦布告ってのはいつもあんな感じに行われるんですか?」

「ああ。大抵は数日後を指定してその日から戦が始まる」

「戦は国を挙げての興業です。盛り上がる形にしなければなりません」

 

 ビオレが補足する。

 

「その通りじゃ。まあそのせいで熱くなることもあるがの。例えば……戦に互いの国の宝剣を賭けよう、などという提案があったりな」

「そんなことがあったんですか?」

 

 その時の状況を知らないソウヤの発言にビオレが思わず苦笑を浮かべた。

 

「あれは、レオ様が星詠みで見たミルヒ姫様の未来のビジョンを変えようとして行った苦肉の策ではありませんか。熱くなって、と言うことではないと思いますが」

「じゃが民が盛り上がったのは事実じゃ。……とはいえ、魔物の乱入で結局はなかったことになったがの」

「それってビオレさんが話してくれた戦場に魔物が現れたと言う話ですか?」

「そうじゃ。……あれは例外中の例外じゃったな」

 

 思い出すようにレオが話す。

 と、ソウヤが立ち止まった。廊下の分かれ道、右に行けば兵達の訓練場へと続いている。

 

「俺はここで。レオ様の放送の様子を見終わったら弓部隊を見てくれとガウ様に頼まれてますので」

「そうか。手腕に期待しとるぞ」

「あまり期待しない方がいいですよ。教えるのは下手ですから」

 

 自嘲的にソウヤが軽く笑った。その様子を見たレオも表情を崩す。

 

「そう謙遜するな。戦の日取りも決まったことじゃし、兵達の士気も上がっとるだろう。任せたぞ」

「努力しますよ」

 

 ソウヤが訓練場へと向かい、その後ろ姿をレオが見送る。心なしか、数日前に見送った背中よりも力強く彼女の目に映った。

 

「……やはり少し変わられましたね」

「ビオレもそう思うか?」

「はい。特に最初会ったときとフィリアンノ城から帰ってきた直後は……刃物のような、誰にも触れられたくないような感じがありました。ですが今はそれが少し和らいだような気がします」

「だとすればガウルには感謝せねばならないな。あいつが兵士達の指導役を任せたおかげじゃろう。……その調子で3日後の戦も、『勇者らしく』活躍してもらえれば何も言うことはないんじゃが……」

 

 戦は3日後、しかしそれまでに戦の準備や関連した公務など仕事は多くある。まずは戦に向けて商工会への書類の確認作業のためにレオは自室へと足を進めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 8 戦、再び

 

 

 そして3日後。紅玉の月から橄欖(かんらん)の月へ、すなわち地球の暦でいう7月から8月へと変わったその日が戦の日であった。

 

 今回の部隊構成は大きく2つ、レオ率いる本隊とガウル率いる攻砦(こうさい)部隊に分けられた。本隊にはバナード、ゴドウィンといった将軍と多数の騎士、兵士、一般参加者が配備される。一方の攻砦部隊はガウル親衛隊のジェノワーズが同伴するものの、兵の数自体は本体と比べると遙かに少ない、少数精鋭部隊であった。その状況を聞いて、ソウヤはガウルの部隊への配属を志願していた。

 その上で、あえて進軍ルートを変えて奇襲をかけることをソウヤが提案した。攻砦部隊が狙うシトロン砦は、今回主戦場となるであろうロックフォール平原の後方に位置している。そこで少数部隊という見つかりにくい点を利用すれば、通常考えられる平原を突っ切っての進軍ではなく、迂回することで奇襲を仕掛けられる、というわけだ。

 砦を攻めて落とせれば退路を絶て、挟撃を狙うことも出来る。それが無理でも後方への奇襲は相手の動揺が期待できる。ソウヤの提案にガウルも賛成し、レオもそれを了承した。

 

「お前がいるとは心強いな。こっちは少数精鋭による奇襲だ、お前なら弓と突撃と両方の役をやってもらえる」

 

 セルクルを走らせながらガウルがソウヤに話しかけた。本隊より先に出撃し、ビスコッティと国営放送の両方の目を避けるように進行している。

 

「それはいいですが、この戦力、やはり少々厳しいかと思いますが」

 

 ソウヤがそう言うのも無理はない。ガウル、ソウヤ、ジェノワーズ以外は騎士団、戦士団から選りすぐった200名程度を連れているだけであった。砦の防衛人数を具体的に把握してはいないが、少なくとも500、つまり倍以上いると見てまず間違いないだろう。

 

「仕方ねえだろ、あんまり数を割くと本隊も厳しくなるだろうし、こっちの動向も捕まれかねない。俺やお前やジェノワーズがいない時点で奇襲や待ち伏せの線は想定してくるだろうから、動向捕まれて進軍ルートがばれたら奇襲にはならなくなっちまうし。……とは言ったものの、まあ正直言って落としきれなくてもいい。後方を攻めることで本隊に揺さぶりをかけることは出来る。それだけでも効果はあると思うぜ」

「しかし攻めるからには俺は落としたいと思いますがね」

「言うじゃねえか。……だがその意見には俺も賛成だ」

 

 ニヤッとガウルが笑う。

 

「落としたいと言うからには何か策でもあるんだろ?」

「ありますよ。……うまく転べばこの戦力でも砦を落とせる」

「やっぱりか。わざわざ志願してきたお前のことだ、何か考えてはいるだろうと思ったが……本当に考えてやがったか」

 

 ソウヤとガウルの会話を聞いていたのだろう、後ろからジェノワーズがセルクルを寄せてくる。

 

「なんや、いい案があるならウチらにも教えてな」

「大分無茶な話だ。今聞いたら士気が下がりかねない。もっと戦場に近づいてからの方がいい」

「……本当に落とせるのか?それ」

 

 ガウルのもっともな質問にソウヤは苦笑を浮かべた。

 

「この戦力で砦を落とす、と考えたらまともな考えじゃ無理でしょう。……もっとも、勝機があるとするなら、その『無理』と思い込んでいる、そこだとは思いますがね」

 

 ソウヤがそう話したところで上空に花火が打ち上がった。迂回ルートのために映像板が近くになく、詳しい状況確認は出来ないが開戦の合図であろう。

 

「始まったな。……俺達も急ぐぞ」

 

 ガウルがペースを上げ、全員がそれに続いた。

 

 

 

 

 

『さあ、たった今戦が開始されました! 今回の実況放送は私、ガレット国営放送のフランボワーズ・シャルレーでお送りいたします! 今回も勝利条件なしのポイント勝負です! 戦の開始と同時に今回の主戦場になると予想されるロックフォール平原ではさっそく両軍が激突しております!』

 

 流れてくる実況放送に耳を傾けながら、本陣キャンプのテントの中でレオは戦の様子を眺めていた。傍らには両将軍であるバナードとゴドウィンが待機している。

 

「よろしかったのですか、閣下。ガウル殿下の部隊はいくら挙動を敵に察知されないためという勇者殿の意見もあったとはいえ、数が少なすぎたのでは……」

「自分もバナード将軍の意見に賛成ですな。出来れば殿下の部隊に同行させていただきたかった」

「それはすまなかった、ゴドウィン。じゃがあくまで本隊はこっちじゃ。戦力を充実させなくては本隊が押し切られる」

「それはごもっともですが……。でしたらあちらに配属した勇者をこっちに回せばよかったのでは……」

「それも考えた。しかしあいつ自身が攻砦戦を強く望んだからな」

 

 ゴドウィンが顔をしかめる。

 

「それは承知してはおります。しかし……」

「少数の遊撃的な部隊の方がやりがいがある、とか言っておったな。ともかくゴドウィン、戦士団将軍であるお前がこっちにいてくれる方が前線の兵士達の士気も上がるだろう、という考えもあっての判断じゃ」

「……承知しました。出すぎた発言でしたな」

「いや……。攻砦部隊がうまくやってくれるかはワシも気にかけておる故な……」

 

 レオはポケットからある物を取り出してそれを見つめる。色鮮やかな蒼い宝石のはまった指輪――ガレットに伝わる神剣、エクスマキナ。

 使用者が望む形に姿を変えるこの指輪は、これからレオが使う予定の魔戦斧・グランヴェールと対をなす神剣である。以前の戦でソウヤは手渡されていたが結局それを使わず、今回もレオが渡そうとすると頑なに拒否した。

 

「前も言ったはずです。自分はよそ者だ。勇者なんて器じゃない。国の宝剣を使ってもしものことがあったら、と考えると気が引けます」

 

 ガウルも「俺は元々使う気はねえし、あいつの気が変わったら渡せばいい」と言って使用を拒み、この神剣は使い手がいないままレオが所持していた。

 エクスマキナを見つめてため息をこぼし、ポケットに戻したところで実況放送から興奮気味の声が聞こえてきた。

 

『ビスコッティは早くも親衛隊のエクレール・マルティノッジ卿の登場! さらにロラン・マルティノッジ騎士団長も戦場にその姿を現しました! この兄妹の前にガレットが押されております! さあ、レオンミシェリ閣下はどのような判断を下すのでしょうか!?』

「閣下、そろそろ私達の出番では?」

 

 バナードの提案にレオが頷く。

 

「そうじゃな。ガウル達もそろそろシトロン砦に着く頃じゃろう。……ここらでワシらも派手に暴れるとするかの」

「了解しましたぞ閣下。自分はタレミミの相手をすればいいので?」

「そうじゃな。バナードは兄のほうを任せる」

「お任せを。閣下はどうなさいます?」

「最前線でビスコッティ兵を蹴散らす。……シンクとダルキアンが動いていないのが気になる。ワシが動けば動かざるを得なくなるじゃろう。ダルキアンとまた戦うのも悪くはない」

 

 レオの顔から笑みがこぼれた。領主としての務めも多く、難しいことを考える時間も増えたが、やはり強敵と相見えるときは心が躍る。

 それまで腰掛けていた椅子からゆっくり立ち上がると、レオは愛騎のドーマに跨った。

 

 

 

 

 

 戦が始まりロックフォール平原で両軍の激突が始まった頃、ソウヤは森の中にいた。場所はシトロン砦の西側の高台。

 だがガウルはこの場にはいない。ここにいるのはソウヤとジェノワーズの他は軽装戦士、重装戦士、弓術士がそれぞれ10名ずつと元々少数な部隊からさらに少数であった。

 

「しかしソウヤ、ホンマにこの作戦成功するんか? 相手の戦力を分断してガウ様に正面を突破してもらう、はわかったけど、そんなうまくいくんか?」

 

 砦の方の様子をじっと伺っているソウヤにジョーヌが不安そうに尋ねる。

 

「……さあな」

「な……! さあなって、お前……」

「成功する可能性があるから、ガウ様にあんな無茶な役をやらせたんじゃないの?」

 

 ノワールの指摘にフン、とソウヤは鼻を1つ鳴らした。

 

「黒いのの言うとおりだ。勝算がなきゃ、王子様にこんな危険なことはさせねえよ」

 

 ソウヤの立てた作戦は、元々少数のこの部隊をさらに2つに分け、自分のいる隊を囮として敵の兵力を割かせる。その間にガウルの隊に正面を突破してもらう、というものである。この砦を落とすとなった場合、いくらガウルにジェノワーズ、それにソウヤとの腕が立つ者が揃っているとはいえ、相手に地の利があることに加え、数の差が大きい。しかし正門を突破し、内部戦に移行できれば後は乱戦だ、数の差をひっくり返すことも不可能ではない。

 賭けとしては分はあまりよくない。が、ソウヤにはノワールに言われた通り勝算があった。真っ向からぶつかる、であれば現実主義者な彼は即刻砦を落とすことを諦めただろうが、要は内部に入り込めればほぼこちらの勝ちなわけだ。敵の集中砲火を浴びず、かつ相手の戦力をうまく割くことが出来ればガウルの突破力なら正面突破は可能。この数日間共に訓練に励んだ王子に、そこまでの信頼を置けるようになっていた。

 

「そのガウ様……そろそろ仕掛けるようですよ」

 

 ベールの言葉にソウヤは砦の正面に目を移す。見ればガウルを先頭に率いた全ての兵力がセルクルと共に迫る様子が見て取れた。

 

『……えっ!? シトロン砦!? シトロン砦ですか!? ここで未確認の情報ですが、シトロン砦にガレット軍が奇襲をかけているという情報が入ってきました! どういうことでしょう、確かにガウル殿下やジェノワーズ、それに勇者の姿は本隊に見当たりませんでしたが、ロックフォール平原に進撃してきた数を考えると砦を奇襲するほどの戦力はないはずですが……』

 

 実況が奇襲を伝えるとほぼ同時に砦からガウル達の方へと矢が放たれるのが見えた。敵も気づいたようだ。

 

『ただいまの奇襲の情報ですが、ここで映像が入ってきました! 現場のビスコッティ国営放送のパーシーさんと連絡が繋がったようです! パーシーさん?』

『はーい! こちらシトロン砦前のパーシー・ガウディです! ここに奇襲をかけてきたのは……なんとガウル殿下です! 殿下自ら隊の先頭に立ち、猛然と砦へと突っ込んでいきます! しかし兵の数があまりにも少ない! これは何か狙いがあってのことでしょうか……!?』

 

 その放送を聞いたソウヤが口の端を僅かに緩めた。

 

「儲けたな。国営放送のレポーターが仕事熱心で助かった」

「え……どういうことや?」

「普通あんな少数で正面切って突撃というのは考えられない。数の差がありすぎる。しかし隊を率いているのは王子であるガウ様だ。囮、あるいは陽動としての部隊にしては重要な駒が配置されている。……よって敵はあの部隊を囮と決め付けることは出来ない。ガウ様が本当に砦を狙って突撃してくるのか、他に別働隊があるか、あるいはさっき実況が言ったような別の狙いがあるか……。そんな具合に相手を惑わすことが出来る」

 

 言いながらソウヤは背の弓を手前に持ってきた。

 

「実況の方で何かあるかもしれない、ということを示唆してくれたおかげで、相手は無意識にその困惑を植えつけられる。そしてそのタイミングで別方向からの攻撃があれば……別働隊がいる、と思うだろう。その攻撃が激しければそれが本隊、とみなす。そうなれば戦力の大半は本隊と思われるほうへと割いてくる」

「え……えーっと……?」

「つまりこっちの部隊を本隊と思わせて敵を多く割き、その隙にガウ様達に正面を突破してもらう、ってこと」

 

 ノワールの説明になるほどと頷いたジョーヌ。しかし次第に何かに気づいたように顔色が変わっていった。

 

「……ってちょい待て! それってつまりウチらが敵の猛攻にさらされるってことじゃ……!」

「そういうことだ。お前たちには敵の矢の防御も頼むが、他に相手が突っ込んできたときの近接要員が必要でジェノワーズと軽装戦士、重装戦士を借りたんだよ」

「な……実質ウチとノワと20の兵で突っ込んできた砦の兵士ほとんど相手にしろってことか!?」

「ここに来る前にある程度数は減らす。親衛隊の弓の名手がいるんだ、そのぐらいはやってくれるだろう」

「え……ええ!? ……が、頑張ります……」

 

 困り気味のベールを見てソウヤが1つ笑う。が、すぐに顔を引き締めた。

 

「……そろそろやるぞ。いいか、とにかくこっちを大部隊の本隊と相手に思わせるのが目的だ。出来る限り矢を撃て。相手の戦力がこっちに集中し始めたらお前たちは無理せず退いてガウ様となんとか合流しろ」

「その時のしんがりがウチとノワってことか……」

「そうだ。……よし、弓兵、矢を構えろ」

 

 とても大部隊とは思われない僅か10名の弓兵、そしてベールが矢を構える。ベールは紋章を輝かせて紋章砲の準備をしている。

 が、ソウヤは何を思ったかその場に腰を下ろした。

 

「……ソウヤ、なんで座るの?」

 

 ノワールが怪訝な目でソウヤを見る。

 

「なるべく多く矢を放つ、なら撃てるだけ多く元の矢を放ち、あとは紋章術で増やせばいい。多く矢を番えるには……」

 

 両脚で弓を支える。さらに紋章術によって弓自体を強化。両手の指の間にありったけ挟んだ矢を、強化した弦に当てて引き絞る。

 

「な、なんつー……」

「……こいつが1番だ。名づけて吹き荒ぶ弩弓の嵐、ストーム・オブ・バリスタ……!」

 

 ソウヤの紋章がひときわ明るく輝く。

 

「いくぞ! 弓隊、撃てェッ!」

 

 その声と共に西側からシトロン砦へと矢の雨が降り注いだ。

 

 

 

 

 

『じ、実況席! こちらシトロン砦のパーシーです! 大変です! なんと砦の西側から矢の雨が砦に降り注いでいます! やはり別働隊がいた模様! それにしてもこの矢の数、かなりの大部隊を隠していたようです!』

『なんとなんと! これは驚きです! ガレット王子のガウル殿下を囮に使って別方向からの奇襲! 弓ということとここまで姿を見てないことから推測するに……おそらくガレットの勇者、ソウヤ・ハヤマ殿が指揮を取っているのではないかと思われます! それにしてもこの矢の数! 一体どこにこれほどの大部隊を隠していたのでしょうか!?』

 

 自分の方へ飛来する矢の数が激減したところでその実況を聞いて、ガウルは不敵に笑った。

 

「やるじゃねえか、あいつ……。本当に向こうを本隊だと思わせやがった。矢は来なくなったし攻撃も散発的……。このぐらいなら、いける!」

 

 ガウルは背後を振り返った。敵の弓により元々少ない兵の数は最初よりさらに減っている。だが自分が先陣を切れば兵達は間違いなく着いて来る。砦を落とせる可能性は0ではない。

 元より、たとえ自分1人になってもガウルは諦めるつもりはなかった。この世界に来てからしばらく経つが、ずっと他人を避けるような態度を取ってきた勇者が初めて積極的に動いた。しかもこの作戦の肝、正面突破の役割はガウルが任されている。だとするなら、考えすぎかもしれないが、自分は勇者に信頼されてこの立ち位置を任させたのだ、と彼は考えていた。

 

(堅物のあいつがやっと俺を信頼して任せてくれたんだ。だったら……やってやらなきゃ王子の名折れってもんだろ!)

 

 決意も新たに、ガウルが咆える。

 

「行くぞお前ら! この人数でシトロン砦を落としたとなりゃあ全員大ボーナスだ! 気合入れろォ!」

 

 うおおおおおっ! と背後からの心強い雄叫び。やれる、これでこそ戦無双のガレット領民よ、とガウルは思わず笑みをこぼした。

 

「その意気だ! ガレットの底力、見せてやれ!」

 

 

 

 

 

 後方のシトロン砦への奇襲という突然の情報にビスコッティ側は明らかに浮き足立っていた。

 最初の快進撃はガレットの将軍、バナードとゴドウィンの登場によって止められていた。現在の戦績は五分と五分、この状態で後方の砦が落ちたとなれば部隊は退かざるを得ない。それではポイントに水をあけられてしまう。

 

「まずいでござるな。こうなってしまっては致し方ない、拙者たちも砦の方へ……」

 

 ブリオッシュが作戦連絡を取り持つ騎士と話をしていた、その時だった。

 

「獅子王炎陣! 大爆破ァ!」

 

 聞こえたその声にブリオッシュは声の方を見る。その次の瞬間、大爆発が巻き起こりブリオッシュの前方にいたはずの兵達が吹き飛ばされてけものだまへと姿を変えられていた。

 

『決まったー! レオンミシェリ閣下必殺の獅子王炎陣大爆破! 前線を抜けていきなりの爆破に、これはビスコッティ側も驚きを隠せないー!』

 

 爆風の余波を遮るためにブリオッシュも思わず左手で顔をかばう。その余波が引き、彼女は声の主を改めて確認する。爆発によって立ち上った爆煙の中、不敵に笑みを浮かべながらレオが長柄斧を肩に仁王立ちしていた。

 青天の霹靂、とも呼べる敵大将の登場に、ブリオッシュは実況の言葉通り一瞬驚いた表情を浮かべた。が、すぐ平常心を取り戻し、普段通りの顔へと戻る。

 

「意外でござるな、まさかレオ様自らがこれほど深くまで切り込んでこられるとは」

「ワシはお前と戦いたくてのう、ダルキアン。今日はこの魔戦斧、グランヴェールも持ってきた。ちと本気でやろうではないか?」

 

 ブリオッシュがレオの肩に担がれた斧にチラリと視線を移す。

 

「……なるほど、言葉に違わず本気、というわけでござるな。……しかしそれはレオ様本人の意思か、それともあくまで拙者をここで足止めしておきたいというのが本音か、どちらでござるかな?」

 

 レオの瞼がピクッと動く。

 

「……貴様はここでワシが相手をする。砦へは行かせん」

「そうでござるか。承知した。ではその誘い、乗らせていただこう」

 

 ブリオッシュが腰の刀を抜いた。言葉通り誘いに乗って戦う、という意思表示。

 

「お館様、では拙者が……」

「いや、ユキカゼ。砦へは行かなくてよいでござる」

「え!? し、しかし……」

 

 うろたえるユキカゼと対照的、何かを決意したかのように落ち着いた様子で、ブリオッシュはゆっくりと口を開く。

 

「……砦の方は、『彼』に任せようと思うでござるよ」

「何……?」

 

 驚きの表情を浮かべるレオ。ブリオッシュ、ユキカゼの姿は確認したがここまでまだシンクの姿は確認していない。では、彼は――。

 

「まさか……シンクは砦に!?」

「厳密にはこの部隊の最後尾でござる。しかしシトロン砦に奇襲があったという情報と同時に飛び出して行ったでござるよ」

「まずい……あそこには……」

「ソウヤ殿がいる、でござるか?」

 

 再びレオが目を見開く。

 

「シンクは奇襲をしかけたのはソウヤ殿と確信を持ったから行ったでござるよ」

「な……だがあの2人が戦えば……!」

「……異世界から召喚された勇者同士、傷つけ合う可能性もある、と?」

 

 レオが無言で、重々しく頷く。

 

「勿論拙者もそのことは知っていたでござるし、シンクも知っていた。だが知っていた上で、あえてシンクは今度の戦でソウヤ殿に挑む、そのために拙者に稽古をつけてほしいと言ってきたでござる。強い者と戦いたいという気持ち、そしてそれ以上に、ソウヤ殿に全力でぶつかってその頑なな心を氷解させたいという気持ち……。彼はそんな気持ちをずっと持っていたでござるよ」

「シンク……」

 

 無意識のうちにレオはその名を呟いていた。レオが期待した「戦の中でならソウヤが変わるかもしれない」という期待。どうやらそれは隣国の勇者も感じていたようだ。そして実に彼らしい方法――フロニャルドの戦で全力でぶつかり合うという方法で、その願いを現実へと変えるつもりらしい。

 

「だから拙者はその彼らの戦いを見守ることにしたでござる。出来る限りのことは教えた、あとは本人たち同士がどうにかするでござろう。……レオ様はどうお考えになっているでござるか?」

「……お前と同じ考えだ。戦の中でなら、ソウヤは変わるかもしれんという期待を持っている。……あのチビ勇者め、立派なことを言うようになりおって……」

 

 ブリオッシュの表情が緩む。この隣国の領主にも認められたとなれば、やはりビスコッティの勇者はまさに勇者足る者として成長したという証明に他ならないだろう。

 

「そういうわけでござるから、あとは彼らに任せればいいでござろう。……拙者はレオ様の誘いを受けた。本気で手合わせ、ということでよろしく頼むでござるよ」

 

 緩んでいた表情はどこか嬉しそうに、しかしブリオッシュからは確かな闘気の高まりが感じられる。

 

「……そうじゃな。ではひとつ、派手に行くとしようかの?」

 

 レオもグランヴェールを構える。憂いは絶てた、いや、余計な考えを抱くなど、この大陸最強の自由騎士の前では自殺行為にも等しい。気持ちを切り替え、目の前の敵へと視線を交錯させる。

 やや間があり――互いに同時に地を蹴って、百獣王の騎士と自由騎士の2人が激突した。

 

 

 

 

 

 その頃、シトロン砦の攻防は一層白熱していた。

 ソウヤ達別働隊を本隊とみなした様子のビスコッティ軍はガウルの隊への攻撃の手を緩め、代わりにソウヤの隊が猛攻に晒され始めた。

 始めは矢の応酬、しかしそれでは状況が変わらないと判断したビスコッティ軍は歩兵を進軍させる。弓兵や砲術士など、飛び道具を主力とする相手には歩兵で距離を詰めた方が有効であるからだ。状況はそれまでの砦への攻撃から、迫る歩兵を撃ちながらの後退戦へと変わった。

 

「どぉりゃぁあああ!!」

 

 ジョーヌが自慢の大碇斧と呼ばれる戦斧を振り下ろし、ビスコッティ兵を薙ぎ払う。大振りの一撃はそれだけで数名の敵兵をだまへと変化させたが、それでも仕留め損ねた数名が攻撃後の隙をつこうと迫る。しかしノワールが目にも止まらぬ速さで動きつつ短剣を振るい、あるいは投擲してそこをカバーし、相手をだまへと変えていった。

 

「くっそー! おいソウヤ! こんなんじゃ押し込まれるで! 兵士はどんどん来る……うちらだけじゃ止めきれん!」

 

 後退しつつ、次の一団がも迫りつつあるのを見てジョーヌが悲壮感溢れる声を上げる。既に軽装戦士と重装戦士の20名はだま化して戦闘不能となっており、近接戦を行っているのはノワールとジョーヌの2人だけとなっていた。

 

「もう少し時間を稼げ! ……ガウ様はまだ内部に入れてないのか!?」

「相手が防御を固め始めてる……。こっちの数が少ないのがばれて向こうに兵力を集中させ始めたのかも。正門もまだ閉ざされたままだし、あれじゃ無理かもしれない。……どうするの?」

 

 普段は冷静なノワールでさえ焦りが見え始めている。事態はそれほどまでに切迫、非常にまずい状況なのだ。

 ソウヤが振り返って残りの弓兵を確認する。連れてきた10名の弓兵のうち既に6名は敵との矢の応酬でだま化、戦線から離脱していた。つまり残る弓兵は4名、そこにソウヤとジェノワーズを加えた僅か8名が残存戦力である。いくらなんでも数の差をひっくり返すのはほぼ不可能といっていい現状だ。

 

「……ここいらが限界かな」

 

 ソウヤは覚悟を決める。やや自嘲的な笑みを浮かべつつ、口を開いた。

 

「……ジェノワーズ」

「何?」

「俺が活路を開く。お前たちは正門側に回ってガウ様の援護に行け」

「援護に行けって……敵がぎょうさん来とるんやで!」

「だから言ってるだろう、活路を開くと。俺がなんとかする。連れてきたセルクルがまだいるはずだ。それでここから最短距離でガウ様のところまで突っ切れ」

「ソウヤさんは……どうするんですか?」

 

 ベールの質問にソウヤが言葉を止める。

 

「活路を開くのはいいですが……ガウ様の元へ行くのは私達だけ。ではソウヤさんは……」

 

 ソウヤは答えない。代わりに残った弓兵の方を向いた。

 

「……お前たち、悪いが俺と一緒に地獄に付き合ってもらいたい」

 

 弓兵が顔を見合わせた。

 

「な……! ソウヤ、お前まさか自分を捨て駒にする気じゃ……!」

「ジョーヌ、ちょっと黙ってろ。……すまないが俺に命を……いや、死にはしないか。ともかく、俺のわがままに付き合ってもらえるか? うまくいけば砦を落とせる……頼む」

 

 ソウヤの真剣な眼差しに最後の4人の弓兵達は互いに顔を見合わせた後で大きく頷いた。

 

「わかりました、勇者殿を信じますよ」

「うまくいきゃあ大儲けだ、やってやりますぜ!」

「恩に着る」

 

 小さく頭を下げ、ソウヤはジェノワーズのほうへ向き直る。

 

「お前たちが出た後、俺が囮になってお前たちへの攻撃をそらせる。弓兵には俺を援護してもらう」

 

 ベールがセルクルを3人分引いて来る。ジェノワーズはそれに乗った。

 

「……ソウヤ、お前は異世界の人間や。大きなダメージを受けると……」

「わかってる、ジョーヌ。言われるまでもなくな」

「ならそんな無茶……!」

「無謀にも砦に突撃してガウル殿下とその親衛隊ジェノワーズ、そして勇者は戦線から離脱しました、などアホな話になりたくはない。だからといってこのまま引く気もない。俺はこの砦を落とす。……敵が来る、行くぞ!」

 

 一方的に続きを切ってソウヤが弓に矢を番えた。

 

「輝力解放……! 食らえ! スマッシャー・ボルト!」

 

 初めて使った時は名称未定だった紋章砲を撃つ。放った矢は白く輝きながら飛翔し、迫るビスコッティ兵に吸い込まれた。直後、大爆発を引き起こし、吹き飛ばされた兵はけものだまに変わって空から落ちてくる。

 

「今だ! 行け!」

 

 ソウヤの声と共にジェノワーズの3人を乗せたセルクルが駆け出す。迫る敵兵がそれに気づき、狙いを3人へと変えた。さらに自軍の歩兵進撃によって誤射を避けるために手を休めていた砦の弓兵が3人を狙いだす。

 

「俺が()()したらどこかに身を隠すか、うまいことなんとかしろ! 援護任せるぞ!」

 

 振り返ってそう弓兵に告げるとソウヤも砦へと駆け出す。

 ソウヤが考えた最後の手段は、自身の砦内への突入である。砦壁は確かに高いが、紋章術で跳べば跳びきれない高さではない。正門さえ開けられれば、本隊のガウルたちがなだれ込み乱戦へと移せる。

 その本隊の戦力には強力な援軍となるであろう、ジェノワーズを援護するため、走りながら矢を指の間に挟み、ソウヤはジェノワーズを標的とする兵に狙いを定める。

 

「ヘッジホッグ・アルバレスト!」

 

 放たれた矢は次の瞬間には増え、弓を構えていた兵を次々と撃ち抜いた。が、数名の撃ち漏らしが確認できる。

 

「チッ……矢の軌道が制御しきれなくなってきた……」

 

 既に最初の対攻塞用紋章砲から幾度となく紋章術を酷使している。元々紋章術を使いこなし気味であり、さらに最初の戦よりもその勝手がわかったとはいえ、これだけの連発は体のほうに堪えてきていた。

 だがソウヤは疲労の色を滲ませたため息を一つ吐いたものの、背中の矢を抜き、純粋に弓の技術だけで砦の敵弓兵を撃ち抜いていく。

 しかしそうしている間に敵の兵5名がソウヤの元へと迫ってきた。

 

「勇者、覚悟ー!」

 

 敵兵が斧を振り上げる。が、次の瞬間後方から飛来した矢にその敵はけものだまへと変わった。絶好のタイミングでの援護にソウヤの口の端が緩む。

 

「やるじゃないか。鍛えた価値があったってもんだ」

 

 次の相手が怯んだ隙に矢筒から矢を抜き、手の甲の紋章を輝かせて撃ち抜く。レベル1、放つ矢の威力を強化しただけのただの射撃だが、直線上の2人を巻き込むには十分な威力だった。これで残りは2人。

 2人が左右に散る。左右からの挟み撃ち。

 ソウヤは慌てず再び矢を構えて左の1人を撃ち抜いた。さらに右から来る兵の攻撃を目の端で捕らえて体を捌いて交わす。その勢いそのままに右の回し蹴りを上段へと叩き込んだ。

 5人を片付けたのを確認する間もなくソウヤは砦へと駆け出す。まだ歩兵が迫りつつあるが、後方からの矢の援護により脚が少し遅くなっている。

 そこを見逃さずソウヤは両脚に紋章術を発動させた。

 

「この距離なら……届くはずだ!」

 

 輝力を込め、力いっぱい踏み切る。そしてソウヤは飛翔する――濃紺の輝力の軌道を残し、砦壁よりも高く。その高さに、頭上を越えていく敵国の勇者に、ビスコッティの兵達が唖然と空を見上げた。

 

「スマッシャー・ボルト!」

 

 砦壁の内側、着地地点と思える場所へ紋章砲を撃ち込む。運悪くその場にいた兵が吹き飛んだ。

 着地と同時にソウヤは正門側へと駆け出す。それを捕らえようと敵兵が迫るがソウヤはその攻撃を交わし、あるいはうまくやりすごし、前へ。

 そして巨大なレバーの前に構える兵を矢で撃ち抜くとそのレバーを一気に降ろした。

 轟音と共に正門が開く。砦壁を攻めあぐねていたガウルと兵士達がその様子に気づき、内部へと突入してきた。

 

「ソウヤ!」

 

 ガウルが開門レバーの脇で壁にもたれかかるソウヤを見つけて声をかけてくる。

 

「お前……なんて無茶しやがる!」

「これで門の内側には入れたでしょう? ……ジェノワーズは?」

「最後尾に合流した。しかし正門突破したとはいえこれで砦内戦は……」

 

 ソウヤがガウルの視線の先を追うと、元々少なかった兵がさらに少なく、もはや当初の3割程度しか残っていない。

 

「……十分でしょう。中にさえ入れてしまえば、あとは俺達でここは落とせる」

「よく言うぜ。満身創痍だろ? 1人で相当無茶しやがって……。しかしこれなら回りくどい手なんか使わず最初からお前が中に突っ込んで正門開ければよかったじゃねえか?」

「それは無理です。相手の戦力が集中しすぎる。ある程度分散させて削ったから出来たことです。本当はこの役割はあなたにやってもらいたかったんですが……。結局そっちに戦力集中しちゃいましたからね。やむを得ず俺がやっただけですよ」

「そうかい。でもこっからは敵さんの戦力は全部集中だぜ?」

「外と状況が別です。ここなら乱戦に持ち込める。俺にガウ様にジェノワーズ……残っている兵の数を考えても勝機はあると言えるでしょう」

 

 ケッ、とガウルが笑った。

 

「……まあそうだな。ここまで来りゃああとは突っ込むだけだもんな……! よっしゃ、シトロン砦、落とさせてもらうぜ……!」

 

 ガウルが輝力武装を展開しようとしたその時――。

 

「ちょっと待ったあああああ!!」

 

 空から叫び声と共に飛び降りてくる1つの影。睨み合うガウルとビスコッティ兵団の間に着地したのは――。

 

「ビスコッティ勇者、シンク・イズミ! ただいま参上!」

『ゆ、勇者だー! ビスコッティの勇者、なんとシトロン砦に登場! どうやら得意の輝力武装、トルネイダーにより空から砦壁を越えて飛んできた模様です! しかし、これで互いの国の勇者が初めて戦場で合間見えることとなりました! これは……もしかしたらこれは……!』

 

 実況がシンクの登場を更に盛り上げる。睨み合うビスコッティ側とガレット側、両方が思わずどよめいた。そして今しがた登場したばかりのシンクはガレットの兵団へと目を移す。

 

「へっ! 来やがったかシンク! いいぜ、ここでお前と……」

「ごめん、ガウル。今日はガウルと戦うために来たんじゃないんだ」

「な……。お前、まさか……」

 

 不安げにそう口にしたガウルを差し置き、シンクの視線がソウヤへと向けられた。

 

「……ソウヤさん」

 

 ソウヤは何も答えない。ただ、その言葉の次を待っていた。

 

「……ビスコッティの勇者として、あなたに一騎打ちを申し込みたい!」

 




橄欖(かんらん)……ペリドット。8月の誕生石。
ロックフォール……ブルーチーズの代表格。
シトロン……フランス語でレモンのこと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 9 対決・2人の勇者

 

 

『き、き、き、来ましたー! ビスコッティの勇者、シンクによる一騎打ちの申し出! もしもこれをガレット勇者、ソウヤが受ければ勇者同士による一騎打ちとなります! これは前代未聞! 勿論私も見たことがありません! そして、おそらく両国の国民にもこの戦いを見たい人は数多く存在するでしょう! さあ、ガレット勇者の返答は如何に!?』

 

 白熱する実況とは対照的にソウヤは冷たい視線をシンクに向けていた。

 

「ま、待てシンク!」

「ごめんガウル、これだけは口を挟まないでほしい。僕はソウヤさんの答えが聞きたいんだ」

 

 硬い表情を崩さず、そしてソウヤから視線を外さず、シンクははっきりとそう告げる。

 

「……俺もお前も異世界人、俺達がぶつかれば最悪の場合どうなるか、お前はわかっているんだな?」

「勿論」

「言っておくが俺は手加減はしない。本気でいく。……この言葉が何を意味してるかもわかっているんだな?」

「わかってますよ」

「……そうか」

 

 ソウヤが剣を抜き、背の矢筒と腰の鞘を外して弓と一緒に地面に落とした。そして切っ先をシンクへと向ける。

 

「……ガレット勇者、ソウヤ・ハヤマ、その一騎打ちの申し出、受けさせていただく!」

 

 ウオオオオオッ! と兵が沸いた。ビスコッティもガレットも関係なく、勇者対勇者という通常では見ることの出来ない戦いに対する期待感で溢れていることが見て取れる。

 

「お、おいソウヤ!」

 

 完全に戦う気の勇者に、ガウルは思わず声をかけていた。勇者対勇者、両国民が盛り上がるのはわかる。だが一歩間違えて、双方とも大ダメージを受ければそれが怪我に直結しかねない戦いだ。

 確かにソウヤは以前と少し変わった、それはガウルもわかっている。だがだからといってこの戦いを両手放しで喜んで見物に回ることはまだ出来ない。

 それはガウルの不安でもあった。ソウヤはまだシンクを敵としてみなし、フロニャルドの「戦」としてではなく、彼がいた世界での「戦」として戦うつもりではないのだろうか。だとするなら、この一騎打ちを容認することはしたくない。

 

「ガウ様、これは俺達の戦いだ。口出ししないでもらいたい」

「でもよ……!」

「……あいつはわかっている。あれは覚悟を決めた者の目だ。例え己が傷つくかもしれないとわかっていても、それでもこの戦いをやめる気はない者の目だ」

「そうは言うが……お前ここまでの攻砦戦で体力は随分消耗してるんじゃ……」

「……関係ありません」

「関係ないって……」

「この戦いは避けられない。……そして俺も避けるつもりはない。ガウ様にだってわかるでしょう?」

 

 ソウヤの心は頑なだった。その様子にガウルはため息をこぼす。

 

「……わかった。もう言わねえ。お前に任せる」

「ありがとうございます」

 

 依然として先の懸念に対して幾ばくかの不安はある。ソウヤ自身の消耗が激しいことに対する心配もある。だが、それでもガウルは信じてみようと思ったのだ。自身の姉が見込んで召喚したこの勇者を、そしてライバルとしてまた腕を上げ、その名にふさわしい存在となった隣国の勇者を。

 まだ互いに一撃も交わしていない。しかし、この戦いはひょっとしたら後世にまで語り継がれる、勇者対勇者の名勝負になるかもしれない、という期待すらガウルは抱くようになっていた。不安がないわけではない。それでも、この2人の戦いを見てみたい。その思いに負け、結局ガウルは折れたのだった。

 

「へっ……そういや最初のダルキアンとの一騎打ちの時も、こうやってお前に譲ったんだっけな」

 

 あの時みたいな戦い方だけはするなよ、と心の中で付け加えて、ガウルはソウヤから離れる。

 そして、ゆっくりとソウヤがシンクの方へと歩く。攻めるには僅かに足りない程度の距離を残し、その足を止めた。

 

「……お前の目、命のやり取りをする覚悟は出来たみたいだな」

「そんなものは出来てないよ」

「何……?」

「フロニャルドの戦は明るく、楽しく、元気よく! だから、互いを傷つけあったりの殺し合いじゃないんだ」

「何と言おうと俺とお前は互いの身を賭ける戦いだ。場合によっては怪我をする、最悪の場合命を落とす。なら殺し合いとなんら変わらない」

「それは違うよ! ……ソウヤさん、本当はわかっているんでしょう? ソウヤさんは意地になってるだけだってことを!」

「意地だと……?」

「本当は皆と一緒に笑ったり、仲良くしたり、そういうことが楽しい事だって。そしてこの戦はそういうものだって、わかってるんでしょう?」

 

 ギリッと思わずソウヤは奥歯を噛み締める。図星だ。彼自身そのことには薄々気づいている。だがこれまでそれを否定し続けてきた自分が、今更どうしろというのだろうか。

 素直になれるなら当の昔にそうしている。だが心を閉ざしてからの6年という歳月は彼にとって長過ぎた。今ここでシンクの言ったことに首を縦に振ることは、その6年を否定しているとも思いかねない。だから彼は素直になれなかった、シンクの言ったとおり「意地になって」しまっていた。

 

「……黙れ」

 

 自身の心に土足で入られてきたことに対して苛立ちを滲ませつつ、ソウヤは呻くようにそう吐き捨てた。しかしシンクはその様子に全く気づかないらしい。あくまで、自分の気持ちをソウヤに伝えたいと、畳み掛けるように口を開く。

 

「気づいているはずなのになんでそれを認めようとしないの? レオ様だってガウルだってジェノワーズの皆だって、ソウヤさんと本当はもっと仲良くしたいと思ってるはずなんだ!」

「黙れと言ってる!」

 

 ソウヤが地を蹴って一気に間合いを詰め、力任せにシンクに剣を振り下ろす。しかしシンクはそれを長尺棒にさせているパラディオンの腹で受け止めた。

 

「黙らないよ! 仲良くなりたいって気持ちは僕も一緒だ!」

 

 シンクがソウヤを力任せに押し返す。ソウヤが後方に跳び距離を離した。

 

「だから僕は、僕なりのやり方で、無理矢理にでもソウヤさんと仲良くなるって決めたんだ!」

 

 シンクが追撃をかける。ソウヤの右手側から迫る水平な薙ぎ。ソウヤは剣をぶつけ、その腹で攻撃を受けつつ距離を詰める。

 

「勝手なことを!」

 

 右足の上段回し蹴り。シンクはパラディオンを握っていた左手を離し、それを受ける。次いで右手でパラディオンを一旦引いて突き出す。ソウヤは左腕の手甲でそれを弾くと後ろへと飛び退き、その突きの間合いから逃れた。

 

(棒か……厄介だな)

 

 少し熱くなってしまった自分を反省しつつ、ソウヤは相手の得物を見つめた。まずは冷静さを取り戻すことが先決、相手に乗せられては勝てる勝負も勝てない。一度深呼吸して呼吸を整える。

 

(こんなことなら剣道だけじゃなく他の武器の武道もやっておくんだったな……。ま、後悔しても始まらんが)

 

 ない物ねだりをしても始まらない。そんなことを考えるぐらいならこの状況を打破する方法を考えた方が意義がある。相手は両手で扱うサイズの棒、つまり長柄物だ。リーチが長い武器は手元が弱い、というのがセオリーだとソウヤは考える。なら、懐に潜り込めば勝機はあるだろう。

 

 考えをまとめ、足に紋章術を発動、加速力を高めてソウヤが飛び込む。

 それに反応し、シンクが突きを出す。ソウヤの高い加速力によって相対的に数倍の速度を得た一撃だが、間一髪、ソウヤはそれを右によけた。が、その突き出された棒が横に振るわれる。

 左手の剣でそれを受け止め、さらに前へ。踏み込みつつ、右の拳を固める。

 だがシンクはパラディオンを手元に引き寄せると、背を通して反対側でソウヤの右肩を狙ってきた。棒術独特の予想不可能な動き。完全に意表を突かれた形のソウヤは相打ちの覚悟を決め、固めた右拳をシンクの脇腹へと打ち込んだ。

 

「ぐっ……!」

「うわっ……!」

 

 シンクが数歩分あとずさる。だが攻撃を打とうとした矢先に右肩にぶつけられた一撃のせいで、予想よりも手応えが軽いとソウヤは感じていた。追撃をかけたいところだったが、予想外のダメージを受けたことで足を伸ばしきれない。

 

「いったぁ……。ある程度勢いは殺せたと思ったけけど……やっぱユッキーより一発が重いな……」

 

 脇腹を押さえつつ、だがダメージはあまりなさそうにシンクが呟く。

 

「チッ……巨乳ちゃんまで協力してんのか……」

「ユッキーのこと? まあね」

「体術対策もしてきた、ってわけか。……だがそんな付け焼刃な方法で……」

 

 足に紋章術を展開、ソウヤが地を蹴る。

 

「なんとかなると思うな!」

 

 シンクのリーチを生かした攻撃がこない。変わりに相手を懐まで呼び込んだところで棒をスライド、持ち替えての下段からの攻撃を繰り出そうとする。

 しかしソウヤはそれを右足で踏みつけて攻撃を止めると、そのままそこを軸に左足で上段後ろ回し蹴りを放つ。

 シンクは上体を逸らして攻撃を交わし、抑えられていたパラディオンを力任せに引き抜くと、そのまま突きへと移行。

 左手の剣でソウヤは攻撃をそらし、接近して右拳をシンクの顔面目掛けて伸ばした。

 が、シンクは左手でその拳を払い、右足の前蹴りの姿勢に入る。すかさずソウヤも右足をその蹴りに合わせて直撃を避け、そのまま自然と距離が開く。

 だがソウヤはすかさず距離を詰めなおし、シンクが体勢を整えるより早く踏み込んで、パラディオンの真ん中に剣を打ち込む。そして鍔迫り合いの密着体勢へ。

 

「ぃやあああ!」

 

 均衡状態を破ったのはシンクだった。パラディオンを押し込んでソウヤの剣を跳ね除け、、さらに棒の右端で上段を狙う。

 ソウヤは上体を逸らしてそれを避け、バランスを崩しながらも右の回し蹴りを上段へ放つ。

 今度はパラディオンの左端でシンクはそれを受け止め、さらに先ほど攻撃を空振った右側でソウヤの軸足を刈り取ろうとする。

 その攻撃をソウヤはアクロバティックにバク転でやりすごした。「マカーコ」と呼ばれるカポエイラ特有の動きだ。その着地と同時に体を半回転させつつ地に腰がつくほど重心を落とし、右かかとの足払いを放つ。が、それは飛び上がったシンクの足の下をかすめていく。だがソウヤはその勢いを殺さずさらに一回転、左手と左脚で体を支えたまま中段に右の後ろ回し蹴りを打ち込んだ。

 しかしこれもシンクがパラディオンを縦に構えたことによって防がれる。ここで攻防が一旦止み、両者とも間合いを取った。

 

『こ、これが勇者同士の戦い! 目まぐるしいほどの攻防です! 互いに軽装ということもあり動きが速い! 目で追うのもやっと! なんという戦いでありましょうか!』

 

 元々熱気は高かったギャラリーが実況によってさらに盛り上がる。そんなギャラリー同様、根っからの戦好きなシンクはやはり楽しそうな表情だったが、ソウヤもそれにつられてか、普段より表情が生き生きしてるようにも見えた。

 

『驚くべきは2人ともここまでほぼ紋章術らしい紋章術を使っていないということでしょう! 勇者ソウヤの方は移動力を増すために使用していることがあるようですが、それでもここまでほぼ2人の身体能力のみでの戦いです! それがほぼ互角! やはり期待は裏切らない、まさにこれぞ勇者対勇者!』

 

 さらに煽ってくる実況にソウヤは内心苦笑を浮かべた。なるほど、どうやら傍から見るとこの戦いは互角に見えるらしい。しかし直接剣を合わせている彼の感想は全く異なっていた。

 シンクは予想以上に強かった。いや、予想以上、では控えめな表現かもしれない。なぜなら、ソウヤは移動時以外にも回避と防御の際に時折身体能力を輝力によってカバーしていた。そうしなくては相手の速度についていけなかったからだ。

 やはり噂どおりの天才少年だとソウヤは思う。自分よりも2つ年下だというのに既に身体能力は自分と互角以上、自分の間合いで戦わせてもらっているのに未だにソウヤはペースを掴めていない。それより何より、彼の戦うその姿、それこそが彼を天才せしめているのだろうとソウヤは気づき始めていた。

 

 シンクの戦う姿は、華麗で、鮮烈で、そして見る者の目を惹きつける。

 それが互いに剣を交わした人間ならなおさらだろう。事実、この戦いが始まる前に心に土足で踏み込まれた、と不快感を持っていたソウヤでさえ、その怒りを忘れ、むしろ感心しているほどでもあった。彼の剣は自身のそれとは異なり曇ってなどいない。清く澄み渡り、ただただ自分との「フロニャルドの戦」を目的として織り成される。

 目の前の勇者は、かつて自分に忠告をしてきたエクレールやブリオッシュ同様、だが言葉ではなく戦でもって間違えた道を進むことを止めようとしている。ソウヤにはそれがわかってきていた。

 しかし、だからといって「はいそうですか」と剣を収めるつもりは彼にはない。良くも悪くも彼は頑固であり意地っ張りだ。戦いは終わっていない。進んでいる道が間違えているか否か、それはこの戦いが終わった時に判断すればいいことである。

 

「やっぱり強いな、ソウヤさん」

 

 そんな「天才」の勇者が声をかけてくる。ソウヤは思わず小さな笑みをこぼした。

 自分が同じセリフを言えば皮肉の意味がこもるだろう。しかし彼は純粋にソウヤのことを賞賛している。

 

「……よく言う。相当俺の動きを研究してきやがったな」

「あ、わかる?」

 

 わからないわけがあるか、と心の中でソウヤは呟く。彼の体術は空手をベースにしながらカポエイラを織り交ぜるという異色の我流スタイルだ。動きはトリッキーでアクロバティックなことが多い。これまでの戦いでも蹴りでは来ない、と思うような場面から蹴りに移行していることがあったわけだが、シンクはそれに対して大きく動揺するでもなく対処をしてきた。1度ブリオッシュ戦で見せている以上、そのとき側で見ていたユキカゼから事前情報を仕入れているのだろう。

 

「お前の間合いではリーチを生かした突きと薙ぎ、それを避けようと懐に潜り込めば今度は手元に戻して棒の両側による攻撃と防御、上段への徒手の攻撃に対する徒手の防御、さらに意表をついてるはずの蹴りまで初見で避ける……。ダルキアン卿に相当しごかれたようだな」

「体術はユッキーだけどね。足技が主体みたいだったから大陸を渡ってる時に聞いた武術を織り込んでみた、って言ってたよ」

 

 やっぱりか、とソウヤが一つ息を吐く。疲労の色が滲んでいるのが自分でもわかる。どうやら長期戦は不利らしい。

 

「……いい師を持ったな」

「師であり、仲間であり、友達だよ。ソウヤさんも今度ダルキアン卿とユッキーに稽古をつけてもらうといいよ」

「仲良く、などという考えはない」

「……戦ってるときのソウヤさん、楽しそうなのに……」

「フン……」

 

 ソウヤが剣を左手から効き手の右手へと持ち替える。

 

「……前言は撤回する。付け焼刃かと思ったがお前の体術対策はなかなかだ」

「ありがとう」

「……だが」

 

 ソウヤの背後に2頭の獅子を模した、ガレットの紋章が鮮やかに輝き出す。

 

「紋章術……」

「……勝つのは俺だ」

「僕も負けないよ。その勝負、受けて立つ!」

 

 シンクも背後に紋章を輝かせた。大きな羽を持つ2頭の竜が描かれた、美しく鮮やかなビスコッティの紋章。

 

『輝くはガレット紋章とビスコッティ紋章、そしてその前に立つのは互いの国の勇者! 勇者対勇者の戦いはいよいよクライマックス、互いの全てを賭けた紋章剣に移行する模様です! 果たして勝つのはどちらか!?』

 

 興奮気味の実況と真逆、砦で2人の戦いを見ていた者たちは言葉を発せずただその様子を見つめていた。勝負は間違いなく次の一撃で決まる。誰もが目を逸らせず、その戦いの行く末を固唾を呑んで見守っていた。

 その中心、勇者2人は武器を構える。奇しくも互いに得物を左脚の脇に構える同じ構え。

 

「俺の残りの輝力全てを叩き込んでやる……!」

「望むところ!」

 

 ソウヤとシンク、両者の輝力が高まっていく。濃紺と橙、互いの輝力の光を纏い――。

 眩いばかりの紋章を輝かせて、2人は同時に動いた。

 

「オーラブレードッ!」

「紋章剣! 裂空……」

「ダルキアンの技か! 2度は通じん!」

 

 ソウヤがシンクの「裂空一文字」に合わせて濃紺の輝力を纏う剣を振るう。居合い抜きの要領の一撃だ、互いの獲物がぶつかり合う瞬間に最大輝力をぶつけて勢いを殺し切る。そこで押し切れればそれでよし、決め切れなかったら返す刃で決定打を放てばいい。

 1度本家の技を目にしていた故にソウヤが立てた勝利への算段。だが、それが裏目だった。死角から現れたシンクの右手のパラディオンは棒状ではなく、一対の()()へと姿を変えていた。

 

「なっ……!」

()()()!」

 

 右の剣がソウヤの剣を止める。さらに逆手に持った左手の剣が右の剣と重ねられ――。

 ギィン! という金属のぶつかり合う音と共に、ソウヤの持っていた剣が中ほどから折れた。

 さらにその斬撃はソウヤの身につけた甲冑も砕く。その衝撃にソウヤは僅かに後ろに仰け反るが、それでもその体に傷は付いていなかった。

 信じられないというように折れた自分の剣を呆然と見つめつつ、ソウヤは口を開く。

 

「俺が……負けた……?」

 

 視線がシンクの方へと移る。

 

「お前の今の技、あれはダルキアン卿の……」

 

 シンクが首を横に振る。

 

「今のは『裂空十文字』。……ダルキアン卿の紋章剣を元にエクレが編み出したのを教えてもらった技なんだ」

「そうか、あの親衛隊長が言っていた技ってのはこれだったか……」

 

 ソウヤが自分の体を触り、傷がないことを再確認する。

 

「……狙って切らなかったのか?」

「勿論。言ったでしょ、フロニャルドの戦は明るく、楽しく、元気よくだって」

「……そうか」

 

 その口元が緩む。

 

「一度見たことのある技と思わせて別の技、そして武器と防具だけを破壊するように調整された力加減……。俺得意の騙し合いも、戦闘での技量も、全て上をいかれた、ってわけか……」

 

 ソウヤが声を上げて笑う。今までのような皮肉めいた、あるいは自嘲めいた、そんな意味を全く含んでいないような笑いだった。

 そしてそのまま地面に大の字に寝転がった。

 

 満足だった。負けて満足したなど、彼にとって初めての経験だった。

 強い相手に勝っても満足できなかった。心が満たされなかった。だから命を賭けた方が面白い、などと言った。しかし、それは違う。ソウヤが飢えていたものはただ強いだけの相手でも、自身の命を危険に晒して得る刺激でもない。

 

 それは好敵手――すなわち、互いに全力でぶつかり合い、切磋琢磨しあうライバルだったのかもしれない。事実、今のソウヤは負けてなお満たされていた。相手の強さに感服したのもある。だがそれ以上に、ただひたすらに真っ直ぐな剣――互いに剣を交わしたものだけがわかるその感覚をソウヤが感じ取ったからかもしれない。

 

「……負けた。完敗だ。お前の強さに……それ以上にお前の素直すぎる心に」

「ソウヤさん……」

「実際に剣を交えてわかった。お前がこの世界を、この世界に住む人々を心から愛していること。……そして俺にフロニャルドの戦の楽しさを伝えようとしていること。……迷いのない真っ直ぐな剣だった。俺のように何もないものとは違う、羨ましいと思えるほどの、真っ直ぐな……」

「……僕はソウヤさんと友達になりたかっただけなんだ。悲しいこと、辛いこと、今までそんなことが一杯あったかもしれない。でも、ううん、だからこそ、これからは楽しいことが一杯になってほしい。そしてフロニャルドはそういう場所なんだってことを、僕は教えてあげたかったんだ。同じ世界から来た人間として、ビスコッティの勇者として、何よりションボリしている人を見過ごせない、ただのシンク・イズミとして」

「友達……か……」

 

 ポツリとソウヤが呟く。

 

「……久しく考えもしなかった単語だ」

「ソウヤさん、僕の友達になってくれる?」

 

 必要ないと思っていた。他人との係わり合いを避けるなら用のないものだと思っていた。だが今のソウヤは違った。純粋に、真っ直ぐにぶつかってきてくれたこの少年の言葉になら、耳を貸してもいいのかもしれない。信じることが出来るのかもしれない。

 だったら、そうしてみるのも悪くない。そう、ソウヤは思った。「出会いで得るものは別れで失うものと等しいものではない」、その言葉を信じてみよう。

 だからソウヤは、()()()意地の悪そうな笑顔を浮かべ、

 

「……ダメだな」

 

 短くそう呟いた。一瞬期待を裏切られたような表情がシンクに浮かぶ。思ったとおりの反応だったのだろう、笑いを噛み殺しつつ、今度こそソウヤは期待通りの答えを返した。

 

「友人にさんづけってのは変だろ? ……ソウヤでいい」

 

 そのソウヤの言葉にシンクの表情が見る見るうちに明るくなっていく。

 

「うん! わかったよ、ソウヤ!」

 

 シンクが手を伸ばす。ソウヤはその友の手をがっちりと握り、体を起こした。

 

 

 

 

 

『決着ー! ビスコッティの勇者、シンク・イズミとガレットの勇者、ソウヤ・ハヤマの勇者同士の戦いは勇者シンクの勝利となりましたー! しかし互いに素晴らしい戦い! そして何よりこの微笑ましい両者の健闘を称えあうような握手! ビスコッティとガレットの戦の歴史に名を残すような名勝負といっても過言ではないでしょう!』

 

 なおも興奮冷めやらない様子の実況が続く。その様子が放送されていたロックフォール平原でも、兵達の誰もが戦の手を一旦休めて2人の戦いを見ており、そして今は見事な戦いを演じた2人に拍手を送っていた。

 それは一騎討ち中だったレオとブリオッシュも例外ではなく、2人も勇者同士の戦いを見守っていた。

 

「やはり拙者達は少々心配しすぎていたようでござるな」

 

 ブリオッシュのその言葉にレオも胸を撫で下ろしたように1つ息を吐いた。

 

「……シンクには後で礼を言わねばならんな」

「必要ないと思うでござるよ。あれは彼が自分から望んでやったことである故。……それよりレオ様、我らの戦い、続けるでござるか?」

 

 レオの耳がピンと立つ。予想していない内容だったのだろう。

 

「それはどういう意味じゃダルキアン?」

「今ソウヤ殿は輝力を使いすぎの状態でござろう。おそらくこの後救護班に拾われると思われる。……レオ様としてはその時近くにいてあげたいのではござらんか?」

「なっ……! なぜワシが!?」

 

 ブリオッシュが不思議そうに首をかしげる。

 

「レオ様はソウヤ殿の召喚主である故、そう思っただけでござるが……。特に他意はないでござるよ」

「な、なんじゃそういうことか……。確かにそう言われてみればその方がよいかもしれんな」

「この戦いは預けておくでござる。どうやら少しは考えも変わった様子、ゆっくり話す時間があってもいいでござろう。行ってさし上げてはいかがでござるか?」

 

 レオは一瞬黙って考える。

 

「……では言葉に甘えるとするかの。すまんな、ダルキアン。1つ貸しじゃ」

「なんの、気になさらないで下され」

 

 魔戦斧グランヴェールを肩に担ぐと、レオは愛騎ドーマへと飛び乗り、自陣へと引き返していく。

 

「よかったのですか、お館様?」

 

 2人の戦いの様子を後方から見守っていたユキカゼがブリオッシュの元へと駆け寄り問いかける。

 

「確かにレオ様と戦うのは楽しみではあったが……まあ仕方のないことでござるよ。心ここにあらず、という具合だった故なあ」

「そうだったのですか?」

「自身の心を懸命に隠しているようではあったが……内心では相当にソウヤ殿のことを心配……いや、あるいはもっと他の感情があったようでござるよ」

「あんなのでも気にかけられるとは、レオ様はさすがでござるな」

「これこれユキカゼ」

 

 主は困った顔を見せるが、臣下のユキカゼは済まし顔で聞き流している。

 

「まあ実際のところ拙者も心配はしていたでござるから、一安心でござる。……ユキカゼ、そなたもなんだかんだで気にかけてはいたのでござろう?」

「……確かに親を失った、ということでは拙者に似た境遇だったし、シンクや姫様、他の方々の協力をしたいという心はあったでござる。……でも拙者のことをあんな呼び方で呼ぶ以上、個人的に好きにはなれないでありますよ」

「はは、ユキカゼもそういう自分に正直になれないところはエクレールに似てきたでござるかなあ」

「な!? 拙者はいつだって自分に正直でござる!」

 

 愉快そうに笑うブリオッシュに対してユキカゼが懸命に反論している。

 と、そこに作戦の連絡を取り持つ騎士がセルクルを寄せてきた。

 

「ダルキアン卿!」

「おお、作戦の変更でござるか?」

「はい! ダルキアン卿揮下の3番隊は本陣手前まで後退、シトロン砦の動きに注意されたし、とのことです」

「シトロン砦の動き? ……ではもしやシトロン砦は……」

「はい……。勇者殿同士の一騎打ち後、ガウル殿下指揮する奇襲部隊によって砦内部の制圧はもはや時間の問題とのことです……!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 10 勇者と召喚主

 

 

『な、な、なんと! ここでまたしても驚くべき情報です! 先ほどの勇者同士の一騎打ちの熱気も冷めやらぬシトロン砦ですが、ガウル殿下が内部戦を攻略し、制圧したという情報が入ってまいりました! 一騎打ちでついた点差がこれで大幅に縮まり、ビスコッティのリードが大きく詰められるという状況に変わりました!』

 

 救護隊のセルクルが引く車に揺られながら、ソウヤはその放送を聞いていた。

 

「さすがガウ様だな。シンクという助っ人分を差し引いても、きっちり落としたか……」

 

 ソウヤは口元を緩めた。

 今ソウヤはシトロン砦からガレット本陣へと戻る道にいる。シンクとの戦いのダメージはそれほどでもなかったが、輝力の使いすぎのために救護班の世話になることとなった。そしてその際、レオからの命令で本陣で休ませたいという旨を受け、救護隊と共に引き返している途中だった。

 

 しばらくしてソウヤを乗せた車がガレット本陣へと着いた。

 救護隊が担架を出そうとするが、それをソウヤが手で止めて車から飛び降りる。少し足元がふらつくが、特に問題がない様子でレオ専用のテントの前へと進んだ。

 見張りの兵に事情を話し、兵が中のレオに確認を取る。レオの「入れ」という言葉を聞いた兵士は入り口の道を譲り、ソウヤはその入り口をくぐる。中にいたのは椅子に腰掛けたレオとその傍らに立つビオレの2人だけだった。

 

「ソウヤ・ハヤマ、戻りました」

「……まさか自力でここまで来たのか?」

「いえ、そこまでは救護隊に送ってもらいましたよ。さすがに輝力の使いすぎで足元が多少ふらつきますからね」

「やはりそうじゃろう。だから呼び戻したんじゃ。……貴様はそんな状況でも戦うとか言い出しかねんからな」

「さすが閣下、わかっていらっしゃる」

 

 ソウヤの減らず口にフンと不機嫌そうにレオは一つ鼻を鳴らした。

 

「そこのベッドを使え。横になったほうが楽だろう」

「いいんですか?」

「構わん」

「では失礼します」

 

 言葉に甘えてソウヤはベッドに横になり、大きく息を吐く。シンクとの一騎打ちの前から感じていたが、やはり疲労の色が濃い。

 と、ビオレが扇子のようなものを手に扇ぎ始めてくれた。

 

「すみません」

 

 その言葉にビオレはにっこりと微笑を返した。

 

「……お前とシンクの戦い、いい勝負だったな」

 

 レオが椅子から立ち上がり、ソウヤへと近づく。

 

「いい勝負かどうかの判断は見ていた第三者に任せます。ただ俺はあの戦いで負けた、というのだけは事実です。……その点については謝らなければなりません、俺のせいでポイントに水を空けられたわけですから」

 

 フン、と再び鼻を鳴らし、レオはソウヤが寝るベッドの渕に腰掛ける。

 

「相変わらず気取ったセリフを吐きおって……。貴様自身、シンクとの一騎打ちは楽しくはなかったのか?」

 

 一瞬ソウヤは考えた様子を見せたが、

 

「……楽しかったですよ。あいつにこの世界の戦はこんなにも楽しいってことを教えてもらいましたから」

 

 はっきりとそう言い切った。

 その言葉にレオは内心安堵する。映像を通して見ていたときに感じた感覚は、やはり間違っていなかったらしい。

 

「ならそういうことじゃ。お前自身がそう思えたならそれでいい。結果など二の次じゃ。相手が万全の状態で神剣まで使っていたのに対し、お前は攻砦戦で疲労困憊、使っていたのも普通の武器、これでは勝てるものも勝てんしな」

「負けたことに対しての言い訳はしませんよ。もしなんとかなら、ってのは仮定の話ですし」

「まったく可愛げのない奴じゃ。……ともかく、負けたせいで点差が云々も気にするな。ガウルがシトロン砦を落とした、お前の負け分は差し引きゼロじゃ。今はゆっくり休め」

「そうしたいところですが戦はまだ終わってないんでしょう? ならゆっくりはできませんね。さっさと輝力を回復させて戦線に戻りたいところですが……」

「……やはりそう言うか」

 

 レオがため息をこぼす。

 

「仕方ない、お前はこのまま休ませるつもりじゃったが……」

 

 チラリとレオがビオレに視線を送る。するとビオレが扇ぐのを止めた。そしてそのまま外へと出て行く。と、レオが右手をソウヤへとかざした。手の甲の紋章が輝き始める。

 

「……何をするんです?」

「ワシの輝力を分けてやる」

「輝力を分ける? そんなことが出来るんですか?」

「……まあな」

「そうですか……」

 

 そう言うとソウヤは噛み殺すように笑った。

 

「何がおかしい?」

「いえ……俺が普段読む小説じゃその手の方法は粘膜同士の接触、とかが多かったもので。ビオレさんも出て行ったし、てっきり空気を呼んだのかと、勝手にそう思っただけです」

「フン、そうか……って粘膜同士じゃと!? そ、それってまさか……せ、せ、接吻……」

 

 レオの顔が見る見るうちに赤くなる。

 

「……レオ様、意外とウブなんですね。からかいがいがある」

「や、やかましい!」

 

 そんなレオの様子に、声を出してソウヤは笑った。

 

「……ちゃんと笑えるではないか」

 

 一瞬の間を置き、その様子を見てまだ顔が少し赤いままのレオがそう言う。

 

「ワシはお前のことが気がかりだった。星詠みで見たお前は威風堂々とし、的を狙うその姿はまさに勇者としてふさわしいものだと思っていた。じゃがここに来た時のお前は、ワシの想像と違った……。何の感情もなく、虚ろな目をして他人との接触を拒む……そんな者なのではないかと不安に思っていた」

「……ま、ずっとそんなもんでしたよ。でもどこかの馬鹿がこんな俺のために無理矢理にでも仲良くなる、とか言い出して挙句俺に勝っちまった……。そいつの真っ直ぐな心と剣に、俺は間違っていたって教えてもらったんです」

「……そうか」

 

 言葉が途切れ、沈黙が広がる。

 

「……そういやレオ様、まだ謝ってませんでしたね」

「謝る? 一騎討ちに負けての点差のことならよいと言ったはずだが?」

「いえ、そのことではないです。……召喚してもらってからずっと迷惑ばっかりかけてることです。ただでさえ領主の仕事に追われてるだろうに俺なんかのせいで余計に気苦労も増えたでしょうし……。今もこうして迷惑かけてますしね」

「フン、謝る必要などない。お前を召喚したのはワシじゃ。言ったであろう、お前が元の世界に戻るまでワシにはその安全を保障する責任がある、と」

「そうですか。……あまり無理しすぎは体に毒ですよ。普段気丈に振舞っておられるから忘れがちですが、あなただって俺と大して年の変わらない女性なんだ。……それも意外とウブな、ね」

 

 再びソウヤにからかわれ、思わずレオの顔が赤くなる。

 

「や、やかましいわ! それ以上言うと輝力を分けるのをやめるぞ!」

「ええ、もう十分ですよ。大分体も楽になりましたし、ありがとうございます」

「む……。そうか」

 

 レオがかざしていた右手を戻し、ソウヤが起き上がる。そのままレオと並ぶ形でベッドの渕に腰掛けた。

 

「……こうやってお互いにちゃんと話したのは初めてですかね」

「そうかもな……」

 

 また、会話が止まる。

 しばらく続いた沈黙を破ろうとレオが口を開きかけたとき、入り口からビオレが入ってきた。

 

「ソウヤ様、冷たいお水をいただいてきましたが、お飲みになりますか?」

「ありがとうございます。いただきます」

 

 しばらくソウヤの様子をみつめていたレオだったが、やがて床へと目を落とす。ビオレがソウヤの持つグラスになみなみと透明な液体を注ぐと、それを一気に飲み干してソウヤは大きく息を吐いた。

 

「……さてと、俺としては戦場に舞い戻りたいのですが、いいですか?」

 

 その言葉に思わずレオはやれやれとため息をこぼした。

 

「どうしても行くか?」

「行かせてください。俺のせいで取られた分の点を取り返す……というのもありますが……。滞在期間が決められてる以上、その間は勇者として戦って、この世界を満喫するってのも悪くない、とか思うようになりましたから」

 

 そのソウヤの言葉を聞くとレオは一つ頷き、満足そうな表情を浮かべる。そしてポケットから蒼い宝石のはまった指輪を取り出した。

 

「……エクスマキナ……。使えと言うのですか?」

「そうじゃ。今のお前の言葉を聞いて確信した。お前は間違いなくガレットの勇者じゃ。今のお前にこそこの宝剣はふさわしい」

「ですが俺は……」

「ソウヤ様、お使いになってください。あなたはこの国の立派な勇者様です。きっとエクスマキナもあなたに使われることを望んでいるはずです」

「ビオレの言う通りじゃ。宝剣には意思がある、と言われておる。じゃが今なら間違いなくエクスマキナはお前を受け入れ、主として認めてくれるじゃろう。だとするなら、これを使うことを誰も咎めはせん。もしそんな輩がいたら、ワシがガレット獅子団領主、レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワの名の下に叩き伏せてやる」

 

 しばらくエクスマキナを見つめていたソウヤだったが、根負けしたように小さく笑った。

 

「……レオ様、それは領主権力の濫用でしょう。……でも、ま、領主様に認められたなら、喜んで使わせていただくとしますかね……!」

 

 レオがソウヤの手を取り、人差し指にエクスマキナをはめさせる。それを見ていたソウヤは小さく笑った。

 これではまるで婚約の儀式ではないか。だがこの世界でそんな風習はないのであろう。だとすると、口にしたらまたレオを赤面させることになりかねない。ソウヤは口を閉ざしたままにしておこうと心に決めた。

 

「……何を笑っておる?」

「いえ、別に。使い方は?」

「お前が望めば剣だろうが弓だろうが、好きな形に変えることができる」

「へえ……」

 

 指輪をまじまじと見つめた後、手を反対に返す。すると光と共に派手な装飾があしらわれた金の剣が現れてソウヤの手に握られた。

 

「……それは剣か?」

「俺が読んでた小説の中に出てきた剣をイメージしてみたんですが……。なるほど、派手すぎますね。実戦には向かないな」

 

 一度その剣が光に包まれる。再び現れた剣は先ほどまでソウヤが使っていたような実にシンプルな剣だった。

 

「ま、これでいいか」

「今度は逆にえらく飾り気がないな……」

「じゃあ……」

 

 ソウヤの手の甲の紋章が輝く。すると刀身が鮮やかな青を放ち始めた。

 

「ほう……」

「見た目でもある程度の派手さは必要でしょうからね。魅せてなんぼ、の戦でしょうから」

「なんじゃ、ガウルみたいなことを言うようになったの」

 

 フッと笑みをこぼし、握っていた剣を消す。

 

「……それで、俺はどうしたらいいですか、総大将殿」

「ビオレ、現在の状況は?」

「はい。主戦場のロックフォール平原ですが、現在もガレットの本隊とビスコッティの1番、2番隊の戦いが続いています。戦況は五分と五分。ですがダルキアン卿揮下の3番隊が本陣前まで後退。おそらくガウ様が落とされたシトロン砦の動きを警戒してのことかと思われます」

「シトロン砦には多少の戦力は向かわせた。が、到底本陣に攻め込めるほどではない。ガウルも三馬鹿の連中も疲労しきっておるじゃろうしの。逆にそこで3番隊、殊にダルキアンと天狐に攻め込まれてはかなり厳しいじゃろう。そのままでは再奪還されてしまうかもしれん」

「じゃあ俺は3番隊を抑えに動くと?」

 

 その言葉にレオがソウヤを見る。

 

「お前ではない。ワシ達じゃ」

「ではレオ様もおいでになるわけで?」

「当然じゃ。やはり戦場にいるほうが性に合っておる。それに……平原でのダルキアンとの戦いは預けたままだしの」

「私もお供します」

 

 ビオレの発言に驚いた顔を見せるソウヤ。

 

「……ビオレさんって戦えるんですか?」

「あら、こう見えてもレオ様の側役である前に近衛隊の隊長ですよ?」

「伊達に近衛隊の隊長をやっておるわけではないぞ? 近衛隊の他にルージュやメイド隊を鍛えてもおるしな。……ビオレ、すまないがお前の近衛戦士団を借りれるか?」

「お任せください。レオ様とソウヤ様、確かにビスコッティ3番隊の元へとお届けいたします」

 

 ビオレが畏まったように頭を下げる。

 

「よし……では準備じゃ。出来次第出発するぞ」

 

 

 

 

 

 ロックフォール平原を僅か20騎あまりの隊が駆けて行く。隊の指揮を執る総大将のレオ、さらに勇者のソウヤ、レオの側役でありながら近衛隊の隊長でもあるビオレ、そしてその配下の近衛隊戦士団。

 数こそ少ないが精鋭揃いの部隊であり、その目的はシトロン砦に揺さぶりをかけようというビスコッティ3番隊の足止めであった。

 と、前方から先行して偵察に出ていた近衛戦士団2名が戻ってきて合流する。

 

「ビオレ姉様、ビスコッティ3番隊はどうやら先行隊約200騎をシトロン砦に向かわせて様子を見るようです」

「ありがとう。200……ですか」

「まずいな……今のガウル達の戦力でも厳しいかもしれん……。このままだと攻砦戦に切り替えてくるじゃろう」

「逆にチャンスでしょう」

 

 ソウヤの発言にレオとビオレの視線が集まる。

 

「なぜじゃ?」

「200程度、となればこの隊で側面を突けばそれなりの打撃を与えられる。こっちにはレオ様の紋章砲もあることですし。しかも先行隊ならある程度の被害が出れば一旦引くでしょう」

「それはそうかもしれんが……。じゃがまた奇襲か? 今日の最初の作戦もお前が提案したはずじゃったし、お前は奇襲が好きなのか?」

「好きか嫌いかと聞かれれば好きなほうですよ。奇をてらう攻撃というのは面白いですし。それに真正面切ってぶつかるなんてのは大部隊同士がやることです。相手は200、こっちは20だ。10倍戦力差に正面からぶつかるのは無謀でしょう。……それに予想外の展開が起こった方が盛り上がったりもするもんですよ」

 

 ソウヤの目をしばらく見つめていたレオだったが、やれやれとため息をついた。

 

「……お前の案を採用するか。奇襲なら人目につかないように進軍したい。先の進軍ルートを使えるじゃろ?」

「はい。頭に入ってます」

「よし、案内せい」

 

 ソウヤを乗せたセルクルが前に出る。これまでの道を逸れ林の中へ。木を避けつつ一団が進む。

 しばらく進むと小高い丘の上に出た。右手前方にはシトロン砦、そしてそこを攻略しようかと砦に迫るビスコッティ兵の姿。

 

「うむ。いいタイミングじゃな」

 

 レオの言葉にソウヤも口の端を緩める。

 

「それで、レオ様先行しますか?」

「それがよかろう。ワシが先に突っ込んで蹴散らしてくれよう。適当に残敵の掃討を任せるぞ」

「期待してますよ、閣下」

 

 ソウヤの方を振り返りレオがニヤッと笑う。

 

「任せるがよい。行くぞ、ドーマ!」

 

 レオの声に応える様に一つ(いなな)いたドーマがスピードを上げ、先行し始める。ぐんぐんと距離は離れていき、あっという間にその背中は小さくなっていった。

 

「……レオ様、楽しそうです。あんなに楽しそうにしてらっしゃるのは、きっと勇者様のおかげだと思います」

「……俺は何もしてませんが」

「レオ様としては、一緒に肩を並べて戦える方がいるというだけで嬉しいんだと思います。それが御自分が呼び出された勇者様なら、なおのことです」

「そんなもんですかね」

「それに……フフッ。……まあとにかくレオ様としては楽しいし嬉しいんでしょう」

 

 自分のことのように嬉しそうに話すビオレにソウヤは表情を崩して答えとする。

 

「……レオ様がそろそろ切り込まれる。こちらもスピードを上げましょうか」

 

 ソウヤのセルクルがスピードを上げる。ビオレ達近衛隊もそれにつられるように速度を上げていく。

 ビオレの心中は、これまで彼と話していた中ではもっとも穏やかであった。ここまで抱いていた不信感はまるで嘘だったかのように、今の彼はガレットの勇者そのものである。ようやくレオが肩を並べて戦える相手が現れてくれたと、ビオレは嬉しそうに微笑み、勇者となったその少年の背中を見つめていた。

 

 

 

 

 

『実況席! 実況席ー! こちらシトロン砦のパーシーです! ガウル殿下に落とされたシトロン砦を奪回すべく、ビスコッティ3番隊の先行部隊が迫る中、なんと側面から迫る影があります!』

 

 映像板に横から情報が割り込んでくる。主戦場のロックフォール平原を映していた映像が切り替わり、シトロン砦の様子が映し出された。

 

「今日は気分がいい……2発目、行くぞ!」

 

 今まさにシトロン砦に迫ろうとするビスコッティの先行隊。国営放送のカメラがその先行隊に迫る1人の戦姫の様子を捕えた。

 

『はいパーシーさん! こちらでも映像を確認しました! こ、これは……!』

 

 先行隊の左側面から猛スピードで迫る黒いセルクル。そしてその主がそこから飛び降りて着地すると同時に紋章が浮かび上がり、地面から幾つもの火柱が立ち上る。

 

「獅子王! 炎陣……」

 

 さらには空から降り注ぐ巨大な火の玉。突然のことに虚を突かれ、逃げ惑う3番隊の兵達がそれに巻き込まれて次々とけものだま化していく。

 

『レ、レオンミシェリ閣下だー!』

「大! 爆! 破ァ!」

 

 愛斧グランヴェールを高々と掲げるとその周囲にすさまじい爆発が巻き起こり――死屍累々のけものだまの山の中に、レオは堂々と立っていた。

 

『ば、爆破ー! 今日2度目! 戦場で2度もレオンミシェリ閣下が獅子王炎陣大爆破を披露したことがあったでしょうかー!? 2度目でも容赦なし、相変わらずのこの威力! 先行隊は大打撃だー!』

 

 突然の奇襲に先行隊の残存兵達が動揺を見せる。が、紋章術直後は体への反動が大きく隙が生まれやすいこともまた彼らは知っている。

 

「紋章砲の連続はない! 全員、総大将を討ち取れー!」

 

 撃ち漏らした兵達がレオに迫る。だがそのレオの背後、1人の弓師を乗せたセルクルが駆け寄ってきていた。

 

「ヘッジホッグ・アルバレスト!」

 

 放たれた矢は生きているかのようにレオに迫ろうとした兵へと狙いを定める。そしてその兵達全てを少しの違いもなく撃ち抜いた。

 

『こ、これは勇者だ! なんと先ほど一騎打ちに敗れて救護隊に連れられていったはずの勇者が早くも戦線に復帰してきたー!』

 

 レオがソウヤの方を振り向く。ソウヤはセルクルから飛び降りるとレオの横に並んだ。

 

「さすがじゃ。的確な援護じゃの」

「レオ様こそ。ド派手な技ですね」

 

 フッとレオが得意気に笑い、ソウヤも微笑を浮かべる。

 

「近衛隊、レオ様と勇者様を援護しつつ残敵掃討!」

「了解!」

 

 ビオレの凛々しい声と共に近衛隊戦士団が突撃していく。ビオレは普段の側役の服装とは異なる黒を基調とした服に身を包み、その両手には武器が握られていない。

 彼女は格闘戦を得意としていた。素早い動きで懐へと潜り込んで相手をノックアウトする、それがビオレの戦い方だった。いざとなれば紋章術によって相手の武器と打ち合える。よって徒手空拳のデメリットをそれだけで大きく解消していた。

 そんなビオレと近衛隊の前にビスコッティの兵達は次々と打ち倒されていく。ビオレは普段のおっとりした様子からは想像できないほど俊敏に、そして華麗に舞うように戦い、時には頭部へのタッチアウトも決めていった。

 

「だ、ダメだ! 全軍撤退! 一時撤退!」

 

 既に戦力の半分以上を失ったビスコッティ兵が敗走を始める。その様子を確認すると砦から歓声が上がった。

 

「姉上! ソウヤ!」

 

 砦の門が開き、中からガウルとジェノワーズが駆け寄ってきた。

 

「ガウル、よくここを落としてワシらの到着まで持ちこたえてくれた」

「礼を言うのはこっちだぜ。姉上が来てくれなかったらあの数でもどうなってたかわからなかったからな。……それよりソウヤ! お前あんなに無理したってのにもう戦線に戻ってきてもいいのかよ?」

「レオ様の許可は降りてます。……それに」

 

 ソウヤは右手の人差し指をガウルへと見せる。

 

「お前まさかそれ……エクスマキナか!?」

「ええ。レオ様から正式に預かりました。俺はフロニャルドの戦を楽しみたい、そう思ったからここに戻ってきたんです」

 

 ガウルがソウヤの目を見つめる。が、何かを悟ったように微笑んだ。

 

「……なるほど。シンクと戦ってようやく自分に素直になれたらしいな」

「おかげさまで。……そのお礼をあの馬鹿に返してやりたいところですが、あいつは平原の方に行ったらしいですし。このあと3番隊を抑えないといけないんで、今日のところは見逃してやるってところですかね」

「3番隊を抑えるって……姉上、どうする気だ?」

「今向こうの3番隊にはダルキアンと天狐がいる。タイムアップも迫っておるし、この2人を攻砦戦に参加させなければここは守りきれるじゃろう」

「それはそうかもしれないが……」

 

 ガウルが少し考えた後、レオとソウヤを見る。

 

「……その2人、どうせ姉上達2人で抑える気だろ?」

「ワシはダルキアンとの勝負を預けたままになっておるからな」

「俺は個人的に巨乳ちゃんと戦いですし」

「やっぱり俺は除け者か」

 

 思わずガウルがため息をこぼす。

 

「しかしソウヤが負けた後の内部戦、お前がシンクをうまいこと封じてくれたおかげで制圧が出来たんじゃろ?」

「……まあな。あいつが文字通りバカで助かった。俺との戦いに気を取られてる隙にジェノワーズと残りの兵でここは制圧できた」

「じゃがその影響でお前には疲労が残ってる」

「それを言ったらソウヤだって一緒だろ?」

「俺は大丈夫です。レオ様に輝力を分けてもらいました」

 

 そのソウヤの言葉を聞いてガウルの顔色が変わる。

 

「な……輝力を分けてもらった、って……。おい、姉上! 大丈夫なのか!?」

「何も心配はいらん。ともかく、ワシとソウヤで行く。お前はジェノワーズやビオレ、近衛隊、それに残った兵達の指揮を取ってこの砦を守り抜け。現在のポイント差ならここを守りきることは勝利へと繋がる。……あとは平原で動きがあるか、ワシかソウヤが善戦をすれば逆転勝利も見えてこようぞ」

 

 しばらく黙っていたガウルだったが、

 

「……わかった。ここは守り抜く。向こうの2人は姉上達に任せるぜ」

 

 硬い表情を崩さずそう言った。

 

「よし、そうと決まればワシ等は行く。ジェノワーズ、ビオレ、任せたぞ!」

「了解。お任せください」

 

 ノワールが短く答える。

 

「大丈夫や、ビオレ姉やんもいることやし。……姉やん、頼りにしてまっせ!」

「ジョー、私達も頑張るのよ……」

 

 いつもの調子のジョーヌとベールを見てレオは小さく笑った。

 

「……行くぞ、ソウヤ!」

「仰せのままに」

 

 レオがドーマに跨り砦から離れていく。それに続くソウヤも見送り、ガウルは砦の中へと引き返していった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 11 決戦・隠密部隊筆頭

 

 

「なるほど、先行隊はレオ様とソウヤ殿、それに近衛隊の攻撃によって被害甚大ということでござるか」

 

 先行隊の撤退という報告を受けたブリオッシュはそう言うと考え込むように右手を顎に当てる。状況次第では自身も砦への進軍を考えていたが、これで容易ではなくなったということになる。

 

「いかがなさいますか、お館様?」

「ふむ、砦攻めのつもりではあったが、あの2人が来たとなると少々手こずりそうでござるな。残り時間とポイント差を考えると、ここを諦めて平原部へと行ったほうが得策とも思えるが……」

「現在僅かながらビスコッティがリードの状況であります故、このままなら我々の勝ちとなります。お館様のおっしゃるとおり、あえて火中の栗を拾うような真似はしないほうがよいかと拙者も思います」

「うむ。ボーナスがなければ今のところ我々の勝ちは揺るがない。……しかしそう易々と勝たせてくれるとは思わないでござるがな」

 

 ブリオッシュがそう漏らすとほぼ同時、

 

「て、敵襲です!」

 

 辺りを警戒していた兵の声が飛ぶ。

 

「やはり打って出てきたでござるか。数は?」

「そ、それが……」

 

 ブリオッシュが兵から手渡された望遠鏡を覗き込む。

 

「……なるほど、これは面白いことになってきたでござる」

 

 微笑を浮かべつつ、今度はユキカゼへと望遠鏡を手渡す。

 

「……2人!? レオ様と勇者の2人だけですか!?」

「そのようでござる。おそらく拙者たち2人を止めるために来たのでござろう」

「でしたらこちらの戦力全てをぶつければ……」

「それは無粋でござろう。それにせっかくの向こうからの誘いを断るのもまた無粋でござる。勝つだけなら簡単でござるが、ここは向こうの誘いを受け、最後の盛り上がりを見せた上での勝利、ということでなければ、この戦に勝ったとは言えないと拙者は思うでござる」

「……承知しました。拙者はお館様の意思に従います」

「うむ。助かるでござるよ、ユキカゼ」

 

 そう言うとブリオッシュは隊の騎士の1人を呼ぶ。エミリオ・アラシード、親衛隊所属の騎士でブリオッシュ率いる3番隊において代理で指揮を執れると彼女が判断した人物である。事実彼は親衛隊においてもエクレールを補佐する役割であり、隊長不在時には隊長代行を務めるなど指揮能力もある。不意を突いた形とはいえ、ベールを撃破した実績もあり、その腕前は本物だ。

 

「何でしょうか?」

「拙者とユキカゼはここでレオ様とソウヤ殿を迎え撃つ。そなたにこの隊を預ける故、その間にシトロン砦へと攻撃を仕掛けてほしいでござる」

「自分が指揮を……でありますか?」

「そうでござる。親衛隊注目株のエミリオの手腕、期待してるでござるよ」

「了解いたしました。ですが自分は注目株などでは……」

「ははは、謙遜を。ともかく任せたでござるよ」

 

 わかりました、と生真面目なエミリオは頭を一つ下げ、兵達に命令を伝達して移動を開始する。その様子を見送ると、ブリオッシュは自分のセルクル、ムラクモから降りた。

 

「ですが……ここまで2回連続で奇襲をかけている勇者のことです、もしかしたら本隊の動きを読んでいて待ち伏せを仕掛けているのでは……」

「いや、それはないと思うでござる。2人がこちらに向かってくる、つまり拙者かユキカゼのどちらかに勝つことによるポイントの逆転が狙いと考えられる。しかしせっかくそこで勝ちを治めてもシトロン砦を奪取されてはその勝利によるポイントも水泡となってしまう。なら下手な小細工をして多いとは言えない貴重な兵力を割くことはせず、残りの兵力は守りに徹してくる、と拙者は考えているでござるよ」

「……なるほど、お館様のおっしゃる通りと思います」

「もっとも、他人の心配をするより……」

 

 話す2人の前に2羽のセルクルが近づく。そしてそこからそれぞれが降りてくる。

 

「……拙者達は自分達の戦いに集中した方がよさそうではござるが」

「ダルキアン、それに天狐。貴様らだけか?」

「そうでござる。拙者達以外の3番隊の兵はシトロン砦へと進攻したでござるよ」

 

 予想通り、と言わんばかりにレオがフンと鼻を鳴らした。

 

「そっちのことはガウルに任せてある。……ワシはさっき預けてもらった勝負の決着をつけに来た」

「ここでの勝利はそのまま全体の勝利へと繋がるから、でござるな?」

「ああ、そうじゃ。……できるなら先ほどの続き、一騎打ちでやりたいところじゃがの?」

 

 ブリオッシュは一瞬言葉を切り考えた様子を見せる。

 

「……その提案、お受けしよう。ユキカゼ、ソウヤ殿を任せるでござる」

「……承知いたしました」

 

 少し嫌そうな顔を浮かべたユキカゼ。だが主からの命である。渋々とそれを了解した。

 

「場所を変える。……ソウヤ、そっちは任せたぞ」

「努力しますよ」

 

 自分の主を見送り、ソウヤは目の前の相手へと視線を移す。

 

「……さてと、邪魔もなくなったところで2人で楽しむとでもしますかね」

「拙者は別に楽しそうともなんとも思ってないでござる。……シンクとお主の戦いは見させてもらったでござる。いい戦いだったござるし、シンクもお主も互いに認め合ったということはわかった……。ただ、それでも拙者は個人的にお主を好きにはなれそうにないでござる」

「随分なことを言ってくれるな、巨乳ちゃん」

 

 そのソウヤの言葉に露骨にユキカゼが顔をしかめた。

 

「それでござる。……人のことをバカにしたようなその呼び方……。拙者ばかりそんな風に呼んで、胸だけで言ったらレオ様だって相当なものでござろう?」

「そりゃそうだが。……あの方は俺にとっては主にあたる、お前にとってのダルキアン卿みたいなもんだ。ならそんな人に失礼な物言いは出来ないだろ?」

「失礼とわかってるなら拙者に対してもやめてほしいでござる」

「そうか。……なら俺が負けたら呼び方は改める、ってのはどうだ?」

 

 ユキカゼが不愉快そうに一つ息を吐く。そして懐から短刀を逆手に抜き、構えを取った。

 

「大した自信でござるが……拙者はお館様のように甘くないでござる。勝ちを譲るなどということをするつもりは毛頭ない故……」

「甘くない、じゃなくて俺が気に入らないだけだろう。……まあそれでいい。弓に剣に体術、俺と似た戦い方、見せてもらう……!」

 

 ソウヤもエクスマキナを剣状に変化させて左手に持って構える。その様子に思わずユキカゼが驚いた表情を浮かべた。

 

「その剣……まさかガレットの宝剣……」

「そうだ。エクスマキナ。レオ様からお借りした」

「そうでござったか……。しかしたとえ宝剣を使っていようと、拙者は負ける気はないでござる」

「それはこっちも同じだ」

 

 互いに構えを取り、張り詰めた空気が流れる。

 先に動いたのはユキカゼだった。紋章術による高速移動、ソウヤとの間合いを一瞬にして詰め、懐へと潜り込む。

 

「紋章拳! ユキカゼ式体術……」

 

 ユキカゼの左手の甲に黄色の紋章が浮かぶ。そしてその拳をソウヤの腹部目掛けて叩きつけた。

 

「狐流蓮華昇!」

 

 ソウヤの足が宙に浮いたところで輝力を込めた蹴り。その体が宙に吹き飛ばされる。

 

「斬!」

 

 再び紋章術による高速移動で吹き飛ばしたソウヤに追いつき、右手の短刀を振るう。

 だが、ソウヤは空中でその刀をエクスマキナで受け止めた。

 

「なっ!?」

 

 そのまま体を捻り、左の膝をユキカゼの側頭部目掛けて振りぬく。

 

「くっ!」

 

 攻撃を止められた右手でその膝蹴りの頭への直撃を避けるユキカゼ。そのままバランスを取り直して着地した。

 ソウヤも何事もなかったように足を地につける。

 

「なるほど。突き、蹴りで浮かせてとどめの斬撃か。いい連携だ」

 

 冷静なソウヤの分析を聞きつつ、ユキカゼは内心穏やかではいられなかった。

 今のユキカゼの攻撃をソウヤは全て的確に防いでいた。左の突きを右手で払って流し、蹴りは足の裏で受け止め、そして斬撃は剣で打ち払う。その上で更に反撃の膝蹴りまで放ってきているのだ、もはや感情論でどうこうという次元ではなく、素直にその能力を評価せざるを得なかった。

 意図せずユキカゼはギリッと奥歯を噛み締める。

 

(この勇者……口だけではないでござる。先ほどあれだけ紋章術を使い、さらにシンクと戦った後でさえこの動き……うかうかしてはいられない……!)

 

「どうした?尻に火がついた、って顔をしてるぞ?」

 

 ソウヤの挑発にもユキカゼは乗らない。ただ隙をうかがうようにじっと構えている。

 

「やれやれ、今度は無視か……」

 

 そういうとソウヤの左手に持った剣が光に包まれる。直後、エクスマキナは指輪へと姿を戻した。

 

「なっ!? ……何を考えているでござるか?」

「格闘主体の巨乳ちゃんに対抗するのにこいつじゃ長すぎる。かといって短いのであったとしても持てば左手の小回りが利かなくなる。……ならもっといいのは……」

 

 ソウヤの両手両脚が光に包まれる。装備している手甲と脚甲が蒼い光を放ち始めた。

 

「……輝力武装、でござるか」

「いや、格闘用にエクスマキナで補強しただけだ。あんなガウ様みたいに輝力武装なんて方法を取ったら、輝力がバカ食いされていくらあっても足りなそうだからな」

 

 そう言って構えたソウヤだったが、今度はまるでステップを踏むようにその体を左右へと振り始めた。「ジンガ」と呼ばれるカポエイラの特徴的なステップ、踊るように、見ようによっては相手を挑発するような構えである。

 

「……ふざけてるでござるか?」

「いいや、いたって真面目だ。俺が習ってる格闘技の構えなんだが、踊りのリズムが元になっているらしいからこうなってる。……まあいい。来ないならこちらから行く」

 

 体が右に振れた瞬間にソウヤが紋章術による高速移動を行う。瞬時に間合いを詰め、手をついて左脚で下段への足払い。ユキカゼが足を浮かせてその攻撃をやり過ごすが、今度は体を捻らせながらの逆の右足による回し蹴りが上段へと伸びてきた。「シャペウジコウロ」と呼ばれる連携攻撃だ。

 ユキカゼは左手でその蹴りを止める。だが間髪置かずに今度は左脚による中段への突き出し式の蹴りがせまる。右手を割り込ませて彼女はなんとかそれを防御し、そのまま数歩後ずさった。

 

「なるほど、さすがシンクに体術を教えただけのことはあるってわけか」

 

 追撃を止め、立ち上がりながらソウヤはそう言った。その表情からは動揺は見て取れない。

 だが一方のユキカゼには焦りの色が出始めていた。

 

(目の前でお館様との戦いを1度見てはいたが……そのときより明らかに動きがキレているでござる……。確かにシンクに対策を教えたのは拙者でござるが……ここまでは想定していなかった……)

 

 一旦深呼吸し、気合を入れなおす。まずは心を落ち着け、次に倒すべき相手をキッと睨みつけた。

 

(奴の戦い方は蹴りがほとんど。奇抜な動きが多いとはいえ、蹴りであることに変わりはないはず。なら拳の間合いに入り込めば……)

 

「俺は足技を中心に戦うから、懐に潜り込めばいい、とか考えてそうだな」

 

 考えていることを的中させられたユキカゼの表情に今度は明らかに動揺が浮かぶ。

 

「な……なぜそれを……」

「なんだ、図星か。素直ないい子、という噂を聞いていたから最初に思いつきそうなことを言ってみただけだが、意外と当たるもんだ。本当に素直なんだな」

「……褒めてるでござるか? それにそれを当てたからといって拙者に勝つことにはならないでござるよ」

「まあその通りだな」

 

 ソウヤが構える。先ほどの動揺を振り払うかのように、今度はユキカゼの方から仕掛けていった。

 

 

 

 

 

「獅子王烈火! 爆炎斬!」

 

 レオとブリオッシュの戦いも白熱していた。

 紋章剣の名を叫んだレオがグランヴェールを軽々と振り下ろす。炎を纏ったその斧による一撃を、一方のブリオッシュも輝力を込めた刀で受け止め、さらにうまく勢いを殺して攻撃から逃れた。

 

「むう……」

 

 レオが焦ったような声を上げる。

 力で勝るレオと技に長けるブリオッシュ。その戦いは傍から見ればほぼ互角、しかしそれは周りから見た評価であり、レオの感じていることとは異なる。

 実際レオの攻撃は今のようにブリオッシュにうまくいなされ、一撃も命中していない。時折紋章剣を織り交ぜているのにも関わらず、である。

 片やブリオッシュはほぼ防御に徹していたが、レオの攻撃後の隙を見て反撃していた。こちらも直撃はない。だが気を抜けば当たるような場面はこれまで幾度とあり、そのことがレオに焦りを生ませていた。

 加えて残り時間もその焦りに拍車をかける。もう残り時間が少ない。彼女がここでブリオッシュを倒せば、その時点で勝利は大きく近づく。逆に引き分け、あるいは自分が負けるようなことがあればビスコッティの勝利は確定的だ。

 

「レオ様、少し落ち着いた方がいいでござる。攻撃が大振りになってきているでござるよ」

 

 そんなレオの内心を見透かしたかのようにブリオッシュが苦言を呈す。

 

「やかましい、敵の貴様の戯言をワシが聞くと思うのか?」

 

 そう返しながらも、レオはブリオッシュの言っていることは適格だ、と判断した。

 

「いやいや、先ほどは勇者殿の心配で心ここにあらず、といった具合でござったが、今度は少々焦りすぎではないか、と思った故……」

「な!? 心ここにあらず、じゃと!?」

「おや、自覚がなかったでござるか? レオ様は相当に勇者殿のことを心配していて戦いどころではない、と先ほどの剣は語っていたでござるが」

「そ、そんなわけがあるか!」

「しかし実際に今度の剣は、ああ、まだレオ様の剣に焦りの生まれてない一騎打ちが始まった直後でござるが、とても生き生きしていたでござるよ。……それこそ御自分がお認めになった勇者殿と一緒に戦場を駆け、共に戦えることを喜んでいるかのように」

「や、やかましいわ! ……貴様、そうやって時間を稼ぐつもりじゃな!?」

 

 レオがグランヴェールを構える。

 

「おっと、拙者の企みがばれてしまったようでござるな。……とはいえ、今言ったことを拙者が感じていたいうのは事実にござる。実際レオ様はどう思われたでござるか?」

「……確かに奴は勇者という名にふさわしい存在になった、とワシは思っておる。それに……奴と共に駆けた時、戦場であれほど心踊ったのも久しぶりじゃ。……じゃがそれだけじゃ! 別にそれ以外は……」

「やれやれ。ユキカゼのことをエクレールに似てきたと言ったでござるが、ここにも似てきたお方がいらっしゃったでござるかな。レオ様、もっとご自分の気持ちに素直になったほうがいいでござるよ?」

「だ、誰がじゃ! ……ええーい、これ以上問答してる時間が惜しい、行くぞっ!」

 

 レオが大上段からグランヴェールを振るう。その側面に刀を当て、ブリオッシュはその攻撃を逸らす。

 

「レオ様、心が乱れているでござるよ」

「誰のせいじゃ!」

 

 さらに大斧を横へ薙ぐ。ブリオッシュは大きく飛び退き範囲の外へ。

 

「拙者のせい、と認めるとご自分が素直でないことを認めることにもなるでござるが?」

「ぬ、ぬう……。……もう貴様の言うことには耳を貸さん!」

 

 レオが不機嫌そうに地面にをグランヴェールで叩いた後、パタッとネコのようなその耳を閉じてしまった。

 

「おろ? レオ様? おーいレオ様ー?」

 

 ブリオッシュが声をかけるが、レオは完全無視モードで構えを取る。

 

「少々やりすぎたでござるかな……」

 

 苦笑を浮かべ、ブリオッシュも構える。

 両者が再び激突する。だが戦の残り時間はもう僅かになっていた。

 

 

 

 

 

『さあ戦の残り時間もあと僅か! 現在の状況はビスコッティ側のリード! しかし十分ガレットの逆転もありえる状況です!』

 

 実況の声が響く中、ソウヤとユキカゼの戦いは未だ続いていた。だが互いに決定打に欠いたままの状況。一発ではなく、手数勝負の打撃戦が展開されていた。

 

 ユキカゼがソウヤの顎先目掛けて左の掌底を伸ばす。ソウヤが右手でそれを払い、代わりに固めた左拳をユキカゼの腹部へ。が、これには右の掌底を当てられて止められた。だがソウヤは左腕を引く勢いを利用して体を半回転させ、上半身を低く倒しながら左の後ろ回し蹴り、「コンパッソ」をユキカゼの上段目掛けて放つ。

 間一髪、後ろに飛び退いて鼻先をかすめつつその蹴りをかわす。そのまま蹴りの間合いを続けられることを嫌ったユキカゼはさらに大きくバックステップし、2人の距離が開いた。

 

『主戦場のロックフォール平原の戦績が五分と五分である以上、この戦いの勝敗の鍵を握るのがシトロン砦の攻防戦、さらにその砦の前方シトロン平野で繰り広げられているレオ閣下とダルキアン卿、勇者ソウヤとパネトーネ筆頭の一騎打ちでしょう! ガレットがここで勝利を収めるためにはシトロン砦を守り抜き、かつこの一騎打ちのどちらかが勝利、さらにもう一方も敗北とならないことが条件となっています! しかし時間はもうほとんどありません! このままこの一騎打ちは引き分けとなってしまい、ビスコッティの勝利となってしまうのか!?』

 

 肩で息をしながらユキカゼは実況を半分ほど耳に入れ、現在の状況を整理する。

 

(そうでござる……。拙者がここでこやつに勝てばビスコッティの勝利はほぼ確実……。仮に勝てなくてもこのまま時間切れとなればお館様が負けぬ限り勝利となる……)

 

 目を凝らしてソウヤの様子を確認する。やはり肩で息をして疲れは見せている。が、動きのキレは衰えていない。

 これに関しては、(こと)ソウヤのことを好ましく思ってないユキカゼでさえも賞賛したくなるほどであった。ソウヤは攻砦戦からシンクとの一騎打ち、その後多少の休息は挟んでいるとはいえさらに連続で自分との戦い。疲労がないはずがない。

 加えて特筆すべきは彼の戦いのスタイル。自分との戦いの時にはこれまで以上にアクロバティックな動きが増えていた。おそらくそういった類の格闘技だろうと予想はつく。だがそれが余計に疲労を重ねているであろうことにもユキカゼは気づいていた。

 しかしその動きに翻弄され、あるいは本来蹴りの間合いではない位置から放つ蹴りを目にし、ユキカゼは拳の間合いに入っても攻めきれずにいた。今のもそうである。拳の応酬が続くと思った矢先、ソウヤは無理矢理とも言える体勢から蹴りを放ってきた。今までの攻撃からある程度の予想がついたとはいえ、この状況からの蹴りというものはほぼ経験がなく、結果ユキカゼは間合いを空けて仕切りなおすしかなくなった、とも言えた。

 

(スタミナはかなりのもの……連戦に加えてあれだけ激しく動いてまだキレが衰えない。そこは見事でござる。……しかしそれももう限界のはず。このまま引き分け狙いの持久戦を続けてもいいが、ここは……)

 

「なんだ、考えごとか? それとも時間稼ぎか? ……どちらにしろこちらは時間がもうない。そろそろ勝負に出させてもらう」

 

 ソウヤの闘気が高まる。しかし紋章術で来るというユキカゼの予想とは裏腹に、ソウヤの背後には紋章は輝かない。

 

「紋章術ではないようでござるな」

「真っ向勝負をかけてもあんたはそれを避けてきそうだからな。なら一撃勝負ではなく手数勝負。避けきれないだけの攻撃を打ち込めれば、俺にも勝機は見える。それに紋章術勝負をやるには少々輝力を消耗しすぎた」

 

 ステップを踏みつつ、ソウヤが構える。おそらく言葉に偽りはないだろう。彼は紋章術による体術の威力の上乗せを最小限にとどめてきていた。それはつまり輝力に余裕がない、ということの裏づけともいえる。

 

「来ないのか?」

「勝負に出るといったのはそっちでござろう? そちらから来てはどうでござるか?」

 

 ユキカゼの挑発にソウヤが微笑をこぼす。

 

「ま、それもそうか。せっかくの巨乳ちゃんからの誘いを断っちゃ悪いな。……じゃあ、行くぞ!」

 

 開く間合いを一気に詰めようと、紋章術を発動させてソウヤが地を蹴る。

 

(乗ってきた!)

 

 内心で笑みをこぼすユキカゼの右手の紋章が輝き、その掌に輝力が集中する。計算通り、彼女が巡らせた必勝の策のままに事が運ばれようとしている。

 

(あれだけのスピードなら回避は不可能、仮に防げてもそこから追撃をつなげれば防ぎきるだけの余裕はないはず。つまりこれで……)

 

 その輝力が巨大な手裏剣のように形作られていく。

 

「終わりでござる! 閃華裂風!」

 

 巨大な輝力の手裏剣をソウヤ目掛けて投げつける。紋章術の高速移動で向かってくる以上、その相対速度はかなりのものとなる。

 自身に迫る手裏剣を目視すると同時、脚で急制動をかけつつ両腕に輝力を集中させてソウヤがそれを防御する。だが強力な衝撃にソウヤの上体が仰け反った。

 それを見逃さずユキカゼが突進。再び右手の甲に紋章が浮かび上がる。

 

「ユキカゼ式体術……!」

 

 その右手をソウヤの腹部目掛けて伸ばす。紋章砲を防御したことでガードが上がっている。おそらくこの一撃に対する防御は間に合わない。ユキカゼは直感的に勝利を予感していた。

 

「狐流蓮華……」

「……狙いは悪くなかったんだがな」

 

 だが、そのソウヤの声が、彼女の抱いた勝利への光明を陰らせた。声が聞こえたと同時、両手を地面に着いて側転気味に後方へと体を捌いたソウヤの姿が目に入る。

 

(まさか今の動きで勢いを殺した、いや……もしかしたら拙者は誘い込まれた……!?)

 

 右拳が宙を切る。予定ではこの一撃からの連撃でほぼ決まるはずだった。だが誘い込まれたとしても接近戦でも遅れを取るつもりはない。先に決定打を打ち込めばそこまでだ。右手を引き、踏み込みつつ逆の左拳で起き上がるであろうソウヤの体を狙う。

 しかし側転後の左手を残して体を支えたまま、ソウヤは側転で戻ってきた体を前方へと浮かす。そのまま倒れこむように右足でユキカゼの左拳を叩き落した。

 

「なっ!?」

 

 「アウーバチードゥ」と呼ばれる、あまりにも予想外のトリッキーな動きの蹴り。「側転と打撃」を意味するその名の通り、側転のように体を浮かせた状態からの蹴りによってユキカゼに一瞬の隙が出来た。加えて左拳を叩き落されたことでバランスが崩れる。そこをソウヤが見逃すはずがない。

 地面に着いた体を捻り、左脚による後ろ回しの蹴り込み。ガードの間に合わないユキカゼの体へとそれが吸い込まれる。

 

「カハッ……!」

 

 肺の中の空気がユキカゼの口から吐き出される。

 

「ハアッ!」

 

 さらに体を回転させつつ、勢いを乗せての浴びせるような右回し蹴りをソウヤは放った。

 今度は声もなくユキカゼが吹き飛ぶ。数メートル吹き飛び地面にぶつかると同時、機動性重視のために耐久力の低いユキカゼの装束がはじけ飛んだ。

 

 ユキカゼの必勝だったはずの策は、ソウヤによって看破されていたのだ。飛び道具が来る可能性があることをソウヤは想定していた。そこで敢えてダメージを受けたかのように振舞い、懐へと誘い込む。そこで動揺した相手に決定打を放つ。策を練ったはずの彼女はソウヤの手のひらの上で完全に踊らされていたのだ。

 

「……悪いな。さっきシンクにはやられたが、騙し合いやら意表を突く策なんてのは俺の十八番なんでね。一枚上手を行かせてもらった」

 

 得意気にそう言うと、ソウヤはニヤッと笑みを浮かべた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 12 ガレット地酒祭り

 

 

『き、き、決まったー! 勇者ソウヤの鋭い蹴り! ここまで奇抜めいた攻撃を連続で出しながらもきわどいところでそれを捌かれていた勇者でしたが、ここに来ての直撃! そしてパネトーネ筆頭の防具を破壊! さらにそれと同時にここでタイムアーップ! もしや、これはもしかするともしかして……』

 

 実況席からの声が、点差を確認するために途切れる。その結果が出るのをソウヤは黙って待っていた。

 

『……逆転! ガレット、ただいまの勇者の活躍によりその点差をひっくり返しました! よって今回の戦勝国はガレット獅子団領国と相成りましたー!』

 

 その実況の言葉に平原や砦のガレット兵達が歓喜の声を上げる様子が映像で流される。ソウヤもまた、一安心したように息を吐き出した。

 

『それでは勝利を収めたガレットのレオンミシェリ閣下のお言葉を頂きたいところですが……。えー、現在国営放送のレポーターがレオ閣下とダルキアン卿の一騎打ちの場へと駆けつけているところですので、しばらくお待ちください』

 

 そんな実況を聞き流しつつ、ソウヤは肌を晒している自分の対戦相手のほうへと近づいていく。

 

「巨乳ちゃん?」

「よ、寄るなでござる! 見るなでござる!」

 

 両手で前を隠すようにし、さらにソウヤに背を見せるユキカゼ。

 

「あーわかったわかった。でもちょっとだけ文句は言うな」

 

 そう言うとソウヤは自分が身につけていたマントを外し、ユキカゼの体へとかけてやる。

 

「これでいい。言われた通りもう寄らないし見ない。……怪我はないのか?」

「……大丈夫でござるよ。ここは守護力が働いている故……」

「そうか。なら安心した」

 

 ユキカゼが体を隠すようにマントを両手で掴みながらソウヤのほうを見る。彼女が言ったとおりソウヤは距離を置き、あられもない姿を見ていなかった。

 

「……拙者の完敗でござるな」

「よく言う。辛勝ってところだ。勝てたのが不思議なぐらいだ」

 

 世辞ではなく、心からソウヤはそう言った。確かに最後は彼の思惑通り事が運んだ。だがどれかが少しでもずれていたら敗者は目の前の狐耳の女性ではなく、疲労困憊状態の自分だっただろう、と思っていた。

 

「予想外だったでござる。ここまでの連戦でもっと疲れている状態だと思っていたのに……」

「ああ、疲れてはいたよ。……でも久しぶり、いや、ひょっとしたら初めてなんだ、こんな清々しい心でいられるのは。シンクに負けて、フロニャルドの戦の楽しさを教えてもらって、レオ様に認められて、エクスマキナを預かって……。俺は何かが吹っ切れた。そうしたら疲れてる場合じゃない、って思ったんだ。俺がずっと夢見てたようなこんな異世界に今俺はいて、そしてそこで勇者なんて呼ばれてる……。……まあエクスマキナが俺を助けてくれたってのもあるだろうけど、そう思ったら自然と体が軽くなったんだ」

 

 空中の映像版にレオの姿が映る。どうやらレポーターが着いたようだ。

 

「ソウヤ……」

「……ま、俺のそんなどうでもいい話より、レオ様のありがたいお言葉でも聞くとしますかね」

 

 ソウヤがそう言うとほぼ同時、レオの話が始まった。

 

『ガレット総大将、レオンミシェリじゃ。ワシはずっとダルキアンと一騎打ちをしていたから、恥ずかしい話じゃが最後の方の状況をあまり把握しておらんかったが……。我らの勝利、ということのようじゃな』

 

 

 

 

 

『ワシとダルキアンの勝負は決着がつかなかった。……つまり今回も勇者がひとつやってくれた、ということになる。フランぼーず、ワシなんぞより勇者の方の話を聞きに行ったほうが盛り上がるぞ? そっちにカメラを移せ』

『え!? し、しかし……』

『ワシがいいと言っておるのじゃ、そうしろ。ワシの話などこの後の戦勝イベント、ガレット地酒祭りの最初にちょろっとするだけで十分じゃ。……ほれ、お前ら行かんか』

 

 レオからマイクを預かると、言われるままレポーター達が今度はソウヤのいる方へと走っていく。

 

「レオ様、いささかぞんざいではありませんかな?」

「今回最も勝利に貢献した者はワシではない。ならその勝利の立役者に譲るまでのことじゃ。……実際お前との決着はまたしてもつかなかった。しかしあいつは勇者としての務めを十分に果たし、ガレットに勝利をもたらした」

 

 ふむ、とブリオッシュが相槌を打つ。

 

「……それよりダルキアン! 貴様先ほどの戦い中好き勝手なことを言いおって……!」

「おや、全部本当のことと思って言っていたでござるが?」

「ぐ……!」

 

 レオが言葉に詰まったのを見てブリオッシュは愉快そうに笑う。

 

「……しかしよいではないでござるか。もっと御自分の心に素直になって、ソウヤ殿と話してみてはいかがでござるかな?」

「そうではあるが……」

「うちの姫様はシンクに対してそれはもう仲良く接しているでござる。レオ様ももっと仲良くされては? 今のソウヤ殿ならレオ様のお心にも気づくかもしれないでござるよ」

「……フン!」

 

 レオは答えずそっぽを向く。と、映像版にソウヤの姿が映った。レポーターが今度はそっちに着いたようだ。

 

『えーそれでは閣下直々に勇者のコメントをもらえとのことでしたので、今回の勝利の立役者といってもいいでしょう、ガレットの勇者ソウヤ殿よりコメントを頂きたいと思います!』

 

 映像の中のソウヤはマイクを持つとひとつ大きくため息をついた。

 

『……どうも、ガレットの勇者ってことになってますソウヤ・ハヤマです。ま、話すのはあんま得意じゃないんですが……』

 

 レオがその映像を見つめる。その瞳は一国の領主、レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワとしてではなく、年頃の、1人の少女の瞳のようにも見えた。

 

 

 

 

 

 戦が終了し、ガレット軍はヴァンネット城下へと戻ってきた。連勝に加え、このあと戦勝イベントが行われるとあって既に人々は興奮気味である。それはヴァンネット城内も似たような雰囲気であった。

 そんな空気が城の内外に満ち溢れる中、ソウヤは前回の戦終了後と同様医務室に来ていた。

 

「ふむ、今回は大丈夫のようですな。ただ輝力の方は前回以上に酷使した様子が窺える。この後の祭りが終わったらゆっくり体を休めてくだされ」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 礼を述べ、ソウヤが医務室を後にしようとする。と、その時入り口のドアが開いた。

 

「入るぞ。ここに勇者が来てると聞いたが……」

「おやおや閣下。またいらしたのですか。それほど勇者殿のことがご心配のようで……」

「そ、そんなではないわ!」

 

 茶化した様子の初老の医師の言葉に思わずレオの顔が赤くなる。コホン、と一度咳払いを挟んで彼女は仕切りなおした。

 

「……ただ今日も医務室の方に向かったと聞いたから来ただけじゃ」

「ご心配おかけしてすみません。ですが今日は輝力の使いすぎ、ということだけのようなので疲れてる程度です。言われた通り危険な戦い方は避けましたし」

「そのようじゃな」

 

 レオは安心したような表情を見せる。

 

「しかし閣下、輝力の使いすぎも考え物ですぞ。閣下の方からも一応釘を刺しておいてくだされ」

「何、足取りもしっかりしとるしその程度は心配するに足らん。お主もあまりやかましく小言を言うとまたシワが増えるぞ」

「おやおや、これは手厳しい。閣下には叶いませんな」

 

 医師の愉快そうな笑い声を背に受けつつ、レオが医務室から出る。ソウヤもそれに続いて部屋を後にした。

 

「今日は……戦勝イベントどうするんじゃ?」

「参加させていただきたいと思っています。ガウ様に街の方に繰り出そうと誘われてますし。ビスコッティの連中にも声をかけたから、とのことなので」

 

 ヴァンネット城の廊下をレオと並び、話しながらソウヤが歩く。話しつつ、レオは安堵していた。やはりシンクとの一戦は大きな影響を及ぼしたらしい。前回は戦勝祭に参加するしない以前の問題だったというのが嘘のようだ。

 

「そうか。それはよかった。……祭りが始まるまでは今しばらく時間があるが、それまで用事はあるか?」

「いえ、特に。部屋で休もうかと考えていた程度でしたが」

「……よければ少し顔を貸してほしいんじゃが」

「構いませんよ。なんですか?」

「……先ほど戦場では少し話をしたが……その……もう少し話したいと思っての……」

 

 レオにしては珍しく歯切れが悪い。だがソウヤは特に気にした様子もなかった。ここまで話す機会もほとんどなかったのだ、ソウヤからしても嬉しい申し出である。

 

「それは願ってもない話です」

「そ、そうか。それで場所なんじゃが。……ワシの部屋ではどうじゃ?」

「レオ様のお部屋に? お邪魔してもよろしいんですか?」

「……嫌か?」

 

 レオが不安そうな顔を見せる。が、ソウヤの口元が緩んだ。

 

「いえ。では遠慮なくお邪魔させていただきます」

 

 この城で生活を始めてから約1週間。城の中はなんとなくわかってきていたソウヤだったが、それは基本的に自分に関係のあるところだけの話であり、レオの部屋のように他人の部屋へは入ったことがない。

 レオに続き、ソウヤがこれまで来たことのない城の場所へと進む。自分の部屋の入り口を開け、レオがソウヤを中へと招き入れた。

 

「お邪魔します」

 

 領主、ということである程度は豪奢な部屋ではあったが、それでも思ったよりは質素だ、とソウヤは思った。絵画や花を活けた花瓶は数点見受けられたが、そういった芸術品は他にほとんどない。調度品も質素なものが揃っていたし、何より「お姫様といえば天蓋付きベッド」と勝手に決め付けていたソウヤにとって、それがないだけで姫の部屋と呼ぶにはいささか物足りないと思ってしまったのだった。

 

「まあ……適当にかけておれ。今飲み物を持ってこさせる」

 

 そう言うとレオは一旦部屋を出て行く。来客用と思われる椅子に腰を下ろし、ソウヤはもう1度部屋を見渡す。広いは広い、が、やはり想像より質素だ、と改めて思った。

 

(お姫様なんてのはもっと豪華な部屋に住んでるものかと思ったが……。まあ天蓋がないとはいえベッドは立派だしこの椅子もかなりいいものなんだろう。壁に飾られた絵もきっと高価なもの……ん?)

 

 その時、床に寝そべる生き物がソウヤの目に止まった。似たもので言うならメスのライオンだろうか。思わずその生き物を凝視していると、閉じられていた瞳が開いた。ソウヤとの視線が合う。すると体をのっそりと起こしてそのライオンらしい生き物はソウヤの方へと近づいてきた。

 思わずソウヤが身構える。が、相手からは敵意を感じない、と思ったソウヤは恐る恐る右手をそのライオンの頭へと伸ばしてみる。目を閉じ、撫でられるのを待っている様子で、ソウヤの右手が頭を撫でると気持ちよさそうな顔を見せた。

 

「待たせたな。……なんじゃ、もうヴァノンと打ち解けたのか」

 

 ティーセットが乗ったトレイを持ったメイドと共にレオが部屋へと戻ってきた。

 

「ヴァノン?」

「今お前が頭を撫でている相手じゃ」

「噛み付きませんかね?」

「何を言う。ヴァノンは聡明じゃ。そんなことはせん」

 

 メイドがティーセットを置くと一礼して部屋を出て行く。それを確認したレオはカップにお茶を注いでいく。

 

「すみません、領主様にやらせてしまって」

「気にするな。ここはワシの部屋じゃ、もてなすのは部屋主の義務じゃろう。……甘さはどうする?」

「レオ様と同じで構いませんよ」

「そうか。甘くないと文句を言ってもお主の責任じゃからな?」

 

 そう言うとレオは粘度の高い液体を少しお茶に垂らしソウヤの前へと差し出す。ヴァノンから右手を離したソウヤはティースプーンでそれをかき混ぜ、熱い液体を口に運んだ。

 

「……紅茶ですか」

「口に合わんか?」

「いえ、おいしいですよ。この果物のような香りは実に素晴らしい。……ただ個人的にもう少し甘い方が好みだったかもしれませんがね」

「だから言ったじゃろ。まあそれを適当に加えるとよい」

 

 お茶の入ったポットとは別、先ほど垂らした粘度の高い液体の入った容器がソウヤの目の前に差し出される。中を開けてみると何かの蜜のような液体が入っていた。

 

「ハチミツ、ですか?」

「……ああ、そうか。お前たちの世界にも『ハチ蜜』はあるのか。じゃがそれは違う、花蜜じゃ」

「花蜜……」

「蜜の取れる大きな花から採取したものじゃ。ビスコッティの名産でな。ちなみにこのお茶の茶葉もビスコッティの名産、どちらもミルヒから贈ってもらったものじゃ」

「へえ……」

 

 ソウヤは花蜜をお茶に少し垂らして口へと運ぶ。先ほどより甘さが増し、より香りも感じられたような気がした。

 

「ガレットの名産は酒じゃから、本当はそれを用意するのもよかったんじゃが……。この後地酒祭りじゃし、何よりお前は飲めんのじゃろ?」

「そうですね。お茶の方が助かります」

「全く持って勿体無いのう。ガレットの地酒はうまいというのに」

 

 そう言うとレオは1杯目を飲み干し、2杯目をカップへと注ぐ。

 

「もう一杯どうじゃ?」

「いえ、まだ残ってますので」

「そうか」

 

 花蜜を2杯目の茶に入れ、レオがそれをかき混ぜる。そのまま2杯目を口に運び、カップを置く。その間、2人の間に沈黙が広がっていた。

 

「……話すのは嫌いか?」

「嫌いではないですが、苦手なので。……まあ今までは意図的に話すを避けてましたが」

「やれやれ。シンクと戦って少しは丸くなったと思ったが、そのひねくれた物言いは相変わらずじゃな。……ま、そんなところも、ワシは嫌いじゃないがな……」

 

 口に運びかけたカップを止め、思わずソウヤが驚いたような顔でレオを見つめる。その視線に気づき、そして自分が言った言葉の意味をもう1度考え直したところで、彼女はようやく自分が言った言葉の別な意味を自覚したようだった。次第にその顔が赤く変わっていく。

 

「い、いや! ち、ちが……そ、そういうことじゃなくてじゃな、その、お前の個性として、なかなか面白い物言いじゃ、ということを言いたかっただけで……」

 

 レオのしどろもどろな様子のせいか、ソウヤが笑みをこぼす。

 

「わ、笑うな!」

「すみません。ですが自分でもひねくれてるとわかるこの物言いを面白いといってくださったのは、レオ様が初めてだったもので」

「な、なんじゃ……。そっちの意味でか……」

「……勿論レオ様の慌てる様子が可愛かったってのもありますけどね」

「なっ……! き、貴様!」

 

 今度は声を出してソウヤが笑った。

 

「……フン! 貴様だって戦終了後のインタビューで相当いっぱいいっぱいだったじゃろうが」

「あれは……。まさか俺のところにそんなのが回ってくるとは思ってませんでしたから」

「お前は今日の勝利の立役者じゃ。当然インタビューは求められるじゃろう。しかしもっと盛り上がるようなコメントを返してやったほうがよかったな。レポーターが困っていたではないか」

「……話すのは得意じゃない、とは最初に断りましたよ」

「あんなものは勢いで話せばいいんじゃ。お前の場合聞かれた質問に『そうですね』とか『そんなところです』とかしか言ってないからな。せっかく盛り上がる戦いをするのにあれでは勿体無い。あの手のことはガウルが得意故、あとで聞くといいじゃろ」

「……わかりました。今後は努力します」

 

 そう言うとカップに口を着け、ソウヤは残っていたお茶を飲み干した。

 そのまま会話が途切れ、再び2人の間に沈黙が広がる。

 

「……そういえば」

 

 沈黙を破ったそのレオの言葉にソウヤの視線がレオのほうへと動く。

 

「お前はさっき戦中にワシに謝ったが、ワシはお前にまだ感謝の気持ちを言ってなかったな」

「感謝……?」

「ワシはガレットに勝利をもたらす勇者、としてお前を呼び出したんじゃ。そしてお前はそれに見事に応え、ガレットを2連勝へと導いてくれた。……ありがとう」

 

 レオが顎を引き、頭を軽く下げる。その様子にソウヤは困ったような表情を浮かべた。

 

「よしてください。今回はともかく、前回は勇者としては失格と言っていい戦い方をしたんだ。それに俺自身この体験を楽しんでますし、何より楽しんでると素直に言えるようにもなった。礼を言うのはこっちの方です」

「……だとしても、ワシは礼を言いたい。……ワシが望んだことが今日叶った、久しぶりに心躍る戦じゃった」

「レオ様が望んだこと……?」

 

 どこか恥ずかしそうにレオが視線を外し、カップの中のお茶へと移す。

 

「……言ったかもしれんが、ワシがお前を初めて見たのは弓の大会の時じゃった。素晴らしい技術、揺れることを知らない心、そしてガレットの勇者としてふさわしいであろうその風格……。ワシは驚くと同時に、この者と共に戦場を駆けたい、背中を預けて共に戦ってみたい、そう強く願うようになった」

 

 そこまで言ってレオはひとつ息を吐き出す。

 

「……じゃがここに来たばかりお前の瞳はまるで空虚で、ワシは映っていなかった。そのままお前はワシやこの世界の戦を受け入れず、ただ戦うだけなのかと不安にも思った。……しかしシンクと戦った後のお前はまるで憑き物が落ちたかのように、その瞳は意思を持ち、ワシを受け入れてくれていた。……そんなお前と今日に一緒に戦えてワシは本当に嬉しかったのだ。だからもう1度言わせてくれ。……ありがとう」

 

 再びレオは軽く頭を下げた。それを見たソウヤは、珍しく困惑するような照れたような、そんな表情を浮かべていた。

 

「……まいったな。そんなレオ様の心中は露知らず、本当に迷惑ばかりかけてしまいましたね。……でも俺も今日レオ様と一緒に戦えて楽しかったですよ。……それからこうやって一緒に話せてることも、ね」

「……そうか。それはよかった」

 

 小さくレオが微笑を浮かべる。三度訪れる沈黙。

 そんな中、深呼吸し、レオが口を開く。

 

「ソウヤ」

「なんです?」

 

 ソウヤがレオを見る。が、レオの視線が定まっていない。尻尾も落ち着きなく左右に動いている。

 

「その……ワシは、じゃな……。……ワシは……」

 

 どこか決まりの悪そうに口ごもる様子のレオ。それでもソウヤはそんな彼女を急かすこともなく彼女の言葉を待っていた。

 

 と、その時部屋のドアがノックされた。

 

「レオ様?」

 

 思わずレオが椅子から小さく飛び上がる。

 

「な、なんじゃ!?」

 

 さらにその声が裏返りそうになりながら返事をした。

 

「間もなく戦勝イベントが開始されるお時間です。ご準備の方、よろしくお願いします」

「わ、わかった! すぐに行く!」

 

 部屋の外へと言葉を返し、ため息をこぼした。そしてどこか少し寂しそうにレオは苦笑を浮かべた。

 

「領主と言うのはやはりお忙しいんですね。ご苦労様です」

「……まあ、そうじゃな。……ワシは最初の挨拶の後、戦で功績を挙げた兵を労い、それから商工会の方へも顔を出さねばらなん。さらにその後はミルヒを接待することになるじゃろう。そんなわけでワシはお前と一緒には行けんが、ワシのことは気にせずガウルや三馬鹿、ビスコッティの連中と仲良くやってくれ」

 

 レオが席を立つ。それに合わせてソウヤも立ち上がった。

 

「わかりました。そうさせてもらいます。話せて楽しかったですよ、レオ様」

「ああ、ワシもじゃ」

「お忙しいかとは思いますが、また話せる時間があることを願ってますよ」

 

 これまでのソウヤからは想像できない言葉だったのだろう。レオは虚を突かれたように目を見開いた。

 

「では失礼します」

 

 だがそんなレオの様子を特に気にかけた素振りもなく、ソウヤが部屋を後にする。その姿を目で追い、レオはどこか嬉しそうに小さくため息をこぼした。

 

 

 

 

 

 ガレットの戦勝イベント、地酒祭りが始まった。城の中では兵達がお祭り騒ぎをし、城下町もたくさんの人たちでにぎわっている。

 ソウヤ、ガウル、ジェノワーズの5人はそんな城下町を歩いていた。この後ビスコッティ側とも合流して食事を取り、それから祭りを歩く予定である。だがその一行の姿がからきし見当たらない。

 

「ビスコッティの連中、もう着いてると思うんだけどな……」

「そもそも歩き回ってるわけですが……ガウ様、待ち合わせ場所とかちゃんと連絡取ったんですか?」

 

 ソウヤのもっともな質問にガウルは胸を張って答える。

 

「あたぼうよ! ジェノワーズを通して向こうに連絡が行ってるはずだ」

「……三馬鹿、なんて連絡したんだ?」

「ちょ、ちょい待てソウヤ! お前までウチらを三馬鹿呼ばわりか!?」

「レオ様もガウ様もそう呼んでたからな。それでいいものかと思っていたが」

「よくないです! ちゃんとジェノワーズって呼んでください!」

 

 ベールが必死に反論する。ジョーヌもそのベールの言葉にそうだそうだといわんばかりに大きく頷いた。

 

「リコにヴァンネットの城下町で、って連絡した。だからしばらく探してれば会えると思う」

「……この広い城下町を探すのか?」

 

 ソウヤの当然とも言える問いかけにノワールが「う……」とうめき声を上げ、背を向けてしまった。

 

「……連絡したもん。リコがわかった、って言ってくれたもん」

「ああ! ノワ、いじけないで……」

「おいソウヤ! ウチのセンターは拗ねると長いんやで!? どうしてくれるんや!?」

「……どうするも何も、至極当たり前のことを言っただけなんだが」

 

 ソウヤが苦笑する。と、その時。

 

「あ、いたであります! ガウル殿下ー!」

 

 耳に入ってくる聞き覚えのある声。

 

「お! 来た来た、ビスコッティ御一行様だ。ほら見ろソウヤ、うまく合流できたじゃねえか」

「……完全に結果オーライですよね」

 

 再びソウヤは苦笑を浮かべたが、ガレット側残り4人は全く気にしていないらしい。

 

「ガウル! 来たよ」

「おう、待ってたぜシンク! あとは……」

 

 ガウルがビスコッティ側のメンツを確認する。シンク、エクレール、リコッタ、ユキカゼ……。

 

「そっちは全部で4人か。姫様は姉上のところか?」

「はい。とてもこちらに来たそうにしておられましたが……」

「まあ仕方ないだろうな。それが仕事みたいなもんだ。……よし、ジェノワーズ! 場所のセッティングと食い物と飲み物の確保だ!」

「「了解!」」

 

 ガウルの命を受けてジェノワーズが準備にかかる。ノワールは食べ物、ジョーヌは飲み物を確保に向かう。ベールに物を、特に飲み物を運ばせるとこぼす、ということをガウルはよく知っていたため、ベールは適当な場所を探してシートを広げて場所を取る役割だった。

 

「……ガウ様」

「ん? なんだソウヤ」

「さっき姫様のことを『それが仕事みたいなもんだ』って他人事みたいにおっしゃりましたが……。いずれはガウ様がそうなるのでは?」

 

 一瞬ガウルの顔が難しくなる。

 

「……まあ、な。俺自身、本当は早く姉上に認められてさっさと領主の座を奪い取って、『今までご苦労だったな、あとは俺がやるから適当に楽してな!』とか言ってやりたいところではあるんだが……。なんだかんだで姉上は姉上でもう少し領主やってそうだしな。だったら、ま、今のうちに俺のほうが楽しんでおくかな、ってところだ」

「へえー」

 

 感心したような声を上げたのは質問したソウヤではなくシンクだった。その小馬鹿にしような言い方にガウルが怪訝な表情を浮かべる。

 

「な、なんだよシンク……」

「てっきりガウルは領主みたいなのは合わない、とか言うのかと思ってた。政治とか外交とか、そういう裏があったり細々したもの苦手そうだし」

「ぐ……! た、確かに細々したのは得意じゃないが……。でもな! いつまでも姉上に任せっぱなしってのも気が晴れないってのは事実だ。だからいざってときは姉上を蹴落としてでも俺が領主になってやる。……ま、そういうことだ。覚えとけ、ソウヤ」

「わかりました。でも俺に対して覚えておけ、とはどういう意味ですかね?」

「……へっ。ま、わかるときがきたら、わかるんじゃねえか」

 

 答えになっていないガウルの返答にソウヤが突っ込もうとしたとき、ジェノワーズの2人が帰ってきた。2人とも両手に大量の戦利品を抱えている。

 

「屋台で色々売ってた。適当に買っておいたから」

「ウチは地酒たんまり持ってきたで。ああ、シンクとソウヤは飲めへんって話やったから酒じゃないもの持ってきたわ」

「場所のセッティング、完了ですー」

「よし! ほんじゃ、ま、全員座れ!」

 

 全員が座り、手元に飲み物が渡ったことを確認し、ニヤッと笑ってガウルが酒の入った容器を手にする。

 

「そんじゃ、今日のガレットの勝利と、ビスコッティの健闘と、両国の関係発展……ああ、細かい話は別にまあいいか! ……あ! 最後に両国が誇るこの勇者2人に!」

「え!?」

 

 いきなり話題を振られて戸惑うシンクだったが、ガウルはそんなことお構い無しに容器を高々と掲げた。

 

「乾杯!」

「「乾杯!」」

 

 全員が一気に飲み物を呷る。

 

「かあーっ! さすがガレットが誇る地酒!」

「うむ、やはり美味でござるな」

「酒といえば、巨乳ちゃん、酒好きの主は?」

 

 相変わらずのソウヤのその呼び方にユキカゼは嫌がる素振りを見せた。

 

「その呼び方……うー……でも今日拙者は負けてしまったでござるし……。……お館様はロラン騎士団長とアメリタと、あとそちらのバナード将軍が奥方のナタリー殿を連れていらしているということで、一緒でござるよ」

「へえ、アメリタがこういう場に来るなんて珍しいな」

「ロラン騎士団長がお誘いになったから、まあある意味当然とは思うでござるが。お館様としてはお2人の惚気話が聞きたいご様子でしたが、しかしいくらバナード将軍夫妻も来るとはいえ、野暮と言えるような……。まったくあれは悪い癖と言わざるを得ないでござる」

「へ? 惚気話ってなんだ?」

「あれ、ガウル殿下ご存じないでありますか?」

「しらねえ。どういうことだ、シンク?」

「いや僕もわからないんだけど……」

 

 エクレールがため息をつく。

 

「……兄上とアメリタ秘書官のおふたり……」

「近々結婚するかもしれないでありますよー!」

 

 食べ終わった骨付き肉の骨をかじっていたガウルの手が止まる。

 

「え、ええー!? マジかよ!?」

「アメリタってあのいつも姫様にくっついてる秘書の女性やろ?」

「そのお相手が騎士団長! わあ、なんてロマンチック!」

 

 ガウル、ジョーヌ、ベールが驚く様子を見せる。が、ノワールだけは普段のように落ち着いていた。

 

「おいノワ、お前驚かないのかよ!?」

「うん。知ってたから」

「は!? 知ってた、って……」

「リコから聞いてて、知ってた」

 

 ジェノワーズの「黒」ことセンターのノワールとビスコッティ王立学術研究員のリコッタは実は親友同士で、時々プライベートでのやりとりもしている。今回ビスコッティ側にノワールが連絡を取ったのはこのことが理由でもあった。

 

「し、知ってたって、なんでウチらに教えてくれんかったんや!?」

「リコからあんまり言わないで、って言われたから……」

「アメリタ、秘書官の相手が騎士団長ということで身分の差とか周囲の目を気にしてたでありますから……。本人からもあまり無闇に口外しないでほしいと言われてたであります」

「そっか……しっかしあのアメリタがなあ……」

「僕、あまりアメリタさんのこと知らないけど、そんなに意外?」

 

 シンクがガウルに問いかける。それに対してガウルは笑いながら答えた。

 

「意外だ、意外。すげー意外。ずっと姫様のために尽くしてて仕事が生きがいの出来る女、みたいに俺には見えたからな。……で、ロランのほうから言い寄ったのか?」

「らしいです。まあ……このことを兄上にはあまり聞きにくいのでちゃんと聞いてはいませんが……」

「だとよ。シンク、ソウヤ、やっぱ男の方からいかねえとダメってことだな!」

「ガウル、なんでそのことを僕に言うの……?」

「ついでに俺が出たのもわかりかねますが」

「ケッ! これだ、勇者殿おふたりは……。ま、いいか」

 

 酒が入っているからか、いつもより饒舌になっている様子のガウル。空にした容器に追加の酒を注ぐと焼いてある小さめの魚にかじりついた。

 

「それはそうと、勇者様といえば、今日の勇者様同士の戦い、すごかったであります! 自分、感激であります」

「そやな。ウチは目の前で見てたけど、まさに名勝負やった」

「え!? そ、そうかな……」

 

 シンクはどこか照れたように頭をかきながらソウヤのほうへと助けを求めるように視線を向けた。

 

「……シンク、勝者はお前だ、お前の口から答えてやれ」

「へっ! シンクとあんなにがっちり握手交わしたわりににそういうところはお前相変わらずなんだな」

「……なんとでも言ってください」

 

 少し面白くなさそうにソウヤが飲み物を口に運ぶ。が、ガウルはその様子から以前ほどの敵意、あるいは攻撃性がなくなったと感じていた。

 

「まあ……確かに勝ったのは僕だったけど、ソウヤはあの前からずっと攻砦戦に参加してて、しかも1人で強行突入して正門空けちゃってるんでしょ? コンディションで言ったら圧倒的に僕の方が有利だったし……」

「しかもお前はパラディオン、こいつはそのときは普通の武器だったしな」

「攻砦戦のときのソウヤさん、すごかったですよ。1人で1個大隊レベルの火力を叩きだすような紋章砲使って……。あんなの連発して輝力大丈夫かって心配でしたし」

 

 シンク、ガウル、ベールから擁護の言葉が出る。しかしそこまで話を聞いていたソウヤはそれらを拒否するように大きくため息をついた。

 

「……どうあれ負けたのは俺だ。言い訳するつもりはない」

「でもよ、お前としちゃあ勝ち負け以上に得た物はでかかったんだろ?」

「それを俺の口からわざわざ言わせますか? ……どうせ全員気づいてるんでしょう?」

 

 やはり不機嫌そうにソウヤがそう言う。しかし案の定、心から嫌がっている様子ではなかった。

 

「だったらあえて口にはしません」

「フン! 相変わらず貴様は素直じゃない奴だな」

「お前にだけは言われたくなかったな、エクレール」

「な、なんだと!?」

 

 その2人の様子に場にいた全員が笑った。

 

「……でもそのあとのソウヤとユッキーの戦いを見てわかったよ。今ソウヤはフロニャルドの戦を楽しんでるんだって。僕のことも友達として認めてくれて、この世界は楽しいって事を伝えられて……。僕はそれがとても嬉しかった」

 

 フン、とどこか決まりが悪そうにソウヤが鼻を鳴らす。

 

「……そのせいで気が抜けてガウ様に簡単に砦を落とされた、ってわけか?」

「え!? あ、あれは……」

「ああ! こいつアホだからよ、俺がつっかかっていったら見事にひっかかって俺との戦いしか目に入ってないでやがるわけよ!」

「その隙に私達が内部制圧」

「さっすがガウ様親衛隊のジェノワーズ!」

「シンク君には悪いことしちゃったけどね」

 

 ガレットの4人が得意気に話す一方、シンクはうなだれていた。

 

「まったく、本当に貴様のアホさ加減にはうんざりする」

「……それについてはもう何回も謝ったじゃんエクレ……」

「何回謝っても謝り足りん!」

「でもま、そのおかげで……」

 

 ソウヤが揚げ物を口に運びつつ話す。どうやら地球にもあるような芋の揚げ物のようだ。

 

「俺は巨乳ちゃんと戦えたわけだ。点差がもっと開いてたらあんな無茶はしなかったわけだしな」

「そういうことでいうと、シンクはソウヤさんの見せ場をもう1つ作った、ということになったわけでありますね」

 

 先日の「勇者を名前で呼ぶ」という話以降、「勇者様」から「シンク」へと呼び方の変わったリコッタが補足する。本当は彼女としては「さん」付けで呼びたかった様子だったが、「シンクでいいって」という勇者の笑顔に負け、この呼び方に落ち着いていたのだった。

 

「……同時に巨乳ちゃんの恥ずかしい場面を作ることにもなったわけだがな」

 

 ぐ、とユキカゼが動きが止まる。

 

「ああ! そ、そっか……。ゴメン、ユッキー」

「……謝らないでほしいでござる。あそこで敗れた拙者の実力不足である故……」

「まあ国営放送的には嬉しいサプライズだっただろうがよ!」

「もうガウル殿下!」

 

 再びその場の全員が笑った。

 

「……こういうのも、悪くはないな」

 

 全員の笑いが収まったとき、ポツリとソウヤが呟いた。

 

「シンクの言うとおり、くだらない意地だった。親衛隊長のおっしゃった意味が今ならわかる。『いっそ別れがつらくなるくらいの楽しい思い出』か……。……しかし俺のここの滞在期間もあと半分しかなくなっちまったがな」

「半分『しか』じゃないよ。『まだ』半分ある」

 

 ソウヤがその声の主――シンクに視線を移す。

 

「まだまだ、これから楽しい思い出を作ればいいじゃない。これで終わりじゃないんだし、またここに戻ってくることも出来る。それに……元の世界に戻っても、僕達は友達でしょ?」

 

 真っ直ぐなそのシンクの言葉にソウヤはうつむいて笑みをこぼす。ソウヤなりの照れ隠しだろう。

 

「……そうだな」

 

 その場の全員の表情が緩む。それを確認したガウルが容器を再び掲げた。

 

「よーっし! 偉大なる2人の勇者のために、飲むぞー!」

 

 おーっ! とジェノワーズがそれに乗っかる。ビスコッティ側はやや苦笑を浮かべていた。

 

「……そうだ、シンク。忘れないうちに」

 

 ソウヤがポケットから何かを出す。現在の地球ではよく見かけるもの、携帯電話だ。

 

「うわあ、すごい年季が入ってるね……」

「連絡取れればいいって考えだからな。一応これでも赤外線機能はついてる。……番号とアドレスの交換、いいか?」

 

 シンクの顔が明るくなり、

 

「勿論! 僕もそれをやろうと思って持ってきてたんだ」

 

 言うなりシンクも携帯電話を取り出した。

 

「えっとこうやって……はい!」

「……お、きた。じゃあ今度は俺が……」

 

 その2人の様子をもの珍しそうに全員がまじまじと見つめる。ここフロニャルドでは目にすることがない光景なのだろう。特にリコッタはその目が輝いていた。

 

「うん! オッケー。ここじゃ電波がないから確認はできないけど……お互いに向こうに戻ったらメール送るよ!」

「そうだな」

 

 互いに目を合わせ小さく笑う。が、すぐその手にある物を狙う影に2人は気づいた。

 

「いやあ……それが2つあるということは……どっちか片方は分解してもいいということでありますよね……?」

「え!? ちょ、ちょっと待ってリコ! どっちか片方でも動かなくなったから困るから! ほんと困るから! せっかく今いい雰囲気だったのに台無しになっちゃうから!」

「大丈夫であります! 動かなくなっても、自分が直すであります!」

「……いや、分解したら補償が効かなくなる」

「でしたら自分が保証を……」

「あー! それ前も聞いた! ダメなものはダメー!」

 

 リコッタから逃げ惑うシンクに思わず全員が大きく笑う。同じように笑いながら、ソウヤは1人考えをめぐらせた。

 

(人とこんなに笑ったのなんていつ以来だろうな……)

 

 ソウヤが夜空を見上げる。月が2つ浮かぶ異世界の夜空は、今まで地球で見てきたそれより美しく感じた。

 

(でも……本当に悪くない気持ちだ……)

 

 澄んだようなソウヤの思いの中、ガレットの戦勝イベントと共に、夜は更けていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 13 ハチ蜜取り

 

 

「ほう、ハチ蜜取り、でござるか」

 

 戦勝イベントの翌日。ガレット領内で一夜を過ごした後、シンク達はビスコッティ領へと戻ってきていた。その後、シンクはここ風月庵に顔を出しているところだった。

 

「帰り道に皆で話してたんです。以前来たときに口にしたハチ蜜がすごくおいしくて、また食べたいねって。前回リコは一緒に行くことができなかったから、今度は行こうって話になって」

「向こうの勇者やらガウル殿下も誘って皆で行きたいという話になったわけでございます」

 

 ユキカゼがシンクの説明を補足する。その間この屋敷の主は茶をすすりながら話を聞いていた。

 その言葉通り、シンクは以前の召喚時にハチ蜜を取りに行ったことがあった。その時の体験と、その後食べたハチ蜜尽くしのフルコースの数々。それらを思い出してまた行きたい、友人の勇者にも経験させてあげたいという気持ちになったようだ。

 

「よかったらダルキアン卿もいらっしゃいませんか?」

「ふむ、まあそういう楽しいことは若い者同士で……と思う心もないわけではないでござるが……」

 

 そう言うと湯飲みを盆へと戻す。

 

「母熊殿と拙者は顔馴染み故、拙者もついていった方が話は通じそうでござるな」

「では、お館様」

「うむ。拙者も参るとしよう」

「本当ですか!? きっとエクレが喜びます」

 

 シンクが笑顔を見せる。

 

「ただ実力行使、ということになった場合、拙者はあまり手を出さない故、そこからは若い者同士汗を流してくだされ」

「わかりました」

 

 ブリオッシュが空いた湯飲みに再び茶を注ぎなおし、口に運ぶ。

 

「そういえば、先ほどソウヤ殿も来られる、と言ったでござるか?」

「確定ではないですが多分来てくれると思います。昨日の戦勝イベントでも一緒に話しましたし」

「おお、そうでござったか。……そのように心が変わったということは、シンクの願いは」

「はい。叶いました。昨日はアドレス交換……っと、僕のいた世界で仲がよくなった人同士が行うこともしましたし、色々話すこともできました」

「そうでござるか。いやあ、よきかなよきかな。あの後のユキカゼとの戦いの様子を見たかったでござるが、拙者もレオ様の相手をしていた故、ソウヤ殿の様子が確認できなかったでござる。……しかしこのユキカゼに勝った、ということは己をもう1度見定め直し、ガレットの『勇者』としてあるべき姿になった、とも言えるでござるな」

 

 その主の言葉を聞いたユキカゼは大きくため息をこぼした。

 

「……拙者としてはあそこで敗れたのは不覚でござる」

「いやいや、話に聞けば先の勇者同士の戦いに勝るとも劣らない名勝負だったと聞いたでござる。両者とも最後まで果敢に攻め続け、最後の最後まで一歩も譲らない、息をするのも忘れるような戦いだったと。故にユキカゼ、何も恥じることはないでござるよ」

「そ、そうでありますか……?」

 

 主にここまで称賛されてはユキカゼとしても納得せざるを得ない。

 

「……とはいえ、最後のサービスカットは放送的に非常においしかった、と昨日祭り中にフランが感謝していたでござるが」

「お、お館様!」

 

 愉快そうにブリオッシュが笑った。

 

「あれ? ダルキアン卿、昨日は騎士団長とアメリタさんと向こうのバナード将軍夫妻と一緒と聞いていたんですが……」

「途中でフランとジャンに会ったでござる。……そういえば2人は騎士団長とアメリタの関係はまだ知らなかったようでござるが、2人の様子から『スクープの匂いがする』とか言い出して、無理矢理聞き出してしまったでござるよ」

「うわあ……」

 

 若干呆れ顔でユキカゼ。

 

「すっごいプロ魂……。あ! でもあの人たちにバレちゃったら本当にスクープとかで流されちゃうんじゃ……」

「それは大丈夫でござる。騎士団長もバナード将軍もしっかり釘を刺しておいたでござるから。……ただ、代わりに結婚式を行うことになったら是非ともビスコッティだけでなくガレットでもその様子を放送させてくれと頼み込んでいたでござるが」

「はは……。どこの世界にもああいう人っているんだな……」

 

 シンクも少し呆れたような顔でそう言った。

 

「……さてと、じゃあ僕はそろそろお城に戻ります」

「おお、そうでござるか。もう少しゆっくりしていっても構わないでござるよ?」

「いえ、お気持ちは嬉しいですが、この後騎士団の訓練に参加する、ってエクレに言ってあるんで」

「昨日戦は終わったばかりだというのに、シンクは元気でござるな」

「まあね。ここにいられる間は出来るだけ体を動かしていたいから。……じゃあユッキー、ダルキアン卿、また明日!」

「うむ。気をつけて帰られよ」

「また明日ーでござるー」

 

 隠密部隊の2人に手を振り、シンクが風月庵を後にする。

 今日はこの後騎士団との訓練、そして明日はハチ蜜取り。まだまだ楽しいことはたくさんある、とシンクの心ははずんでいた。

 

 

 

 

 

 一方、ヴァンネット城内、大浴場、男湯。

 

「ハチミツ取り、ですか?」

 

 肩までお湯に浸かりながらのガウルに投げかけられた言葉を、のぼせてきたからか、風呂の渕に腰掛けたままのソウヤがオウム返しに口にした。

 

「ああ。以前シンクがフロニャルドにいたときに皆でハチ蜜取りに行ったんだ。あん時はやけに盛り上がってよ。……んで、さっきノワのところにリコッタから連絡があって、よかったらまた行かないか、って話になったらしいんだよ。お前も来るだろ?」

「そりゃいいなら行きたいですが……。でもハチミツなんて大勢で行って取るものですか?」

 

 当然のように行く、と即答したソウヤの様子にガウルから思わず笑みがこぼれた。

 やはり数日前とはまるで別人。自分がなんとかしようとしても最後まで氷解することのなかったその心は、シンクとの戦いによって綺麗に晴れ渡っているようだった。

 言うまでもなくそれは喜ばしいことではあるが、一方で自分ではそれができなかったとも思うと少し寂しいというか、どこか悔しいと感じざるを得ないとも彼は思っていた。

 

「そりゃ大勢であるに越したことはないし、どうせ行くなら皆で行った方が楽しいだろ?」

「まあ、そうですね」

 

 脚だけをお湯につけていたソウヤももう1度湯に体を沈めながらそう答えた。

 

「ぶぅああ、訓練後の風呂はやはり最高ですな。……殿下は、明日はハチ蜜取りでございますかな?」

 

 聞こえてきたいかつい声とともに巨躯が湯船に浸かり、お湯が豪快にこぼれていく。

 

「おう、ゴドウィン。なんならお前も来るか?」

「殿下とご一緒したい気持ちはやまやまですが、明日も兵達の訓練を見なければなりませぬ故……」

「ああ、そっか……」

「私めのことなど気にせず、殿下はお楽しみになってきてくださいませ」

「わりいな、言葉に甘えさせてもらうわ」

 

 いえいえ、と言いながらゴドウィンが大きく伸びをする。それだけでまたお湯が少しこぼれていった。

 

「そういやよ、ゴドウィン。お前昨日はバナードと一緒にいたのか?」

「いえ。閣下が兵達を労った際は城内で兵達と飲んでおりましたが、その後は……」

 

 ゴドウィンにしては珍しく、どこか決まりが悪そうに言葉が尻すぼみになる。

 

「あ、エリーナか。まあそうだわな」

「エリーナ?」

 

 ソウヤの問いかけにガウルがにやけながらソウヤの方を振り返る。

 

「ああ。こいつの妻だ」

「妻、って……」

「嫁さんってことだよ。こいつ、こう見えて結婚してんだよ」

 

 ソウヤにしては珍しく、相当驚いた様子でゴドウィンをみつめている。

 

「……ソウヤ殿、そんなに自分に妻がいることが意外ですかな?」

 

 そんなソウヤの顔を見るのは初めてだったか、ゴドウィンは訝しげな表情でそう問いかけた。

 

「意外ですね。あなたのような方は戦が全て、という感じだと思ってましたが……」

「ぬう……。そこまではっきり言いなさるか……」

 

 思わずゴドウィンが苦笑を浮かべる。

 

「こいつだって最初はそんなだったんだぜ? 俺と初めて会ったときは武芸者とか言って各国渡り歩いてて、国の王になりたい、とか言ってたっけな」

「……やめてくだされ殿下。もはや昔のこと故……。あの頃はまだまだ未熟者でしたしな」

「んで俺が姉上に口を利いてスカウトしてもらったらめきめき頭角を現して、今じゃガレットの将軍だからな。しかも美人な奥さんまでもらってよ」

「へえ……」

「惚気話と思われるかもしれませんが……。自分はエリーナと結婚できて、彼女との家庭を、そしてドリュール家の名誉を守るということを生きがいにできました。かつては何の背景もない自分のような男がそのような生きがいを持てる。人生とは何があるかわかりませんな」

 

 愉快そうにゴドウィンが笑う。

 

「やっぱ結婚する、ってのは何かが大きく変わるもんなんだな」

「そりゃそうでしょう。俺のいた世界じゃ『結婚は人生の墓場』なんて言葉まであるぐらいです」

「なんだそりゃ!? どういう意味だ?」

「結婚すれば自分1人の時間や使える金、そして空間。それら全てが不自由になる、ってことから言われる話です。つまり生活の様子はこれまでと一変する、ってことでしょう。……もっとも、この言葉もこんなネガティブではなく、もっとポジティブに捉える人もいるようですが」

「……そこんとこどうなんだ? 愛妻将軍?」

「自分はそれほど愛妻家というわけでは……。しかし、それら自分1人のときにあったものを失っても、得るものは大きいと思いますぞ。……などと私めが申し上げても惚気にしかならないでしょうが」

 

 へっ、とガウルが小さく笑った。

 

「ま、本人が幸せならいいんじゃねえか? いつまでも一人身ってのも寂しいだろ。そういう意味だとロランとアメリタもようやく、って感じだよな」

「む……? ロラン殿とアメリタ殿が何か……?」

「ああ、お前も聞いてないのか。あの2人結婚しそうらしいぜ。言われてみりゃあ元々仲がよかった気がしないでもないしな」

「おお、それはめでたい。結婚の際には是非お祝いの品を送りたいところですな」

 

 少しのぼせてきた、と感じたソウヤは再び風呂の渕に腰掛ける。が、上がろうとする様子はない。

 

「これでバナード、お前、そしてロランと妻帯者が増えるな。……この調子だと次は姉上か?」

「こう言ってはなんですが……閣下を迎える男性は、閣下と張り合えるぐらいでなくてはなくては務まらないでしょう」

「だよな。……つーわけでソウヤ、お前姉上と結婚する気はないか?」

 

 急に話を振られ、一瞬ぽかんとした表情を浮かべた後、ソウヤは眉をしかめた。

 

「……なぜそこで俺が出てくるんです?」

「だってよ、お前姉上にケンカ売ったそうじゃねえか?」

「売ってませんよ。あの方にケンカなんて売ったら今頃ここでこうしてられないでしょう」

「おや、妙ですな……。自分の耳にも勇者殿が閣下を黙らせた、と入ってきましたが」

 

 ソウヤの表情がおかしいと言わんばかりの様子に変わる。

 

「……ちょっと待ってくださいよ。ガウ様、その話の出所どこです?」

「ジェノワーズだ。お前と姉上が口論してるところを見たって話を聞いた、って言ってたぜ」

「又聞きじゃないですか、それ。確かに口論……までいってないな、意見の衝突で話をしたことは以前ありましたよ。ですが俺がレオ様を黙らせたとかケンカ売ったとか、尾びれ背びれが着きすぎでしょう」

「噂話などそんなものですぞ。……しかし実際閣下と舌戦を繰り広げた、ということなら、まさに閣下と張り合える男性ではありませんかな?」

「だな。どうよソウヤ? 姉上もお前のこと段々気に入ってきたみたいだし、お前もまんざらじゃないんだろ?」

 

 はあ、と大きなため息。

 

「相手は領主、俺は勇者とか言われてても元の世界に戻ればただの学生ですよ? 身分が違いすぎるでしょう」

「身分なんて気にすんなよ。ゴドウィンとエリーナは騎士とそれに仕えるメイド、ロランとアメリタだって騎士団長と姫様の専属とはいえ一秘書だぜ? ましてや元の世界とか関係ねえ、ここじゃお前は勇者だ。それだけで何の問題もねえよ。お前さえその気なら明日にでも俺が姉上を引き摺り下ろして領主になってやる。その方が都合もいいだろうしな」

「……昨日俺に『覚えておけ』と言ったのはそういう意味だったんですか」

 

 再びため息をこぼし、ソウヤが立ち上がった。

 

「……のぼせてきました、先に上がらせてもらいます」

 

 そう言うと2人に背を向け、浴室から出て行ってしまった。

 

「おや……気に障ってしまったようですかな」

「いや、あいつきっと照れてやがるんだよ。……ったく、シンクと戦ってちっとは素直になったかと思ったが、ああいうところは素直になってねえなあ」

「……本当にそうですかね?」

 

 ゴドウィンはガウルの予想は見当違いだ、と言いたげであったが、一方のガウルは間違いない、と自信たっぷりである。

 と、その時ガウルはあることを思い出した。

 

「……あれ? そういや俺あいつにハチ蜜取りに行くって事しか言ってなかったような……。ま、いっか!」

 

 

 

 

 

「昨日今日とお疲れ様でした、レオ様」

 

 ヴァンネット城、レオの自室。昨日の戦に対する領主会見を終えて部屋に戻ったレオにビオレが労いの声をかけた。

 

「うむ。戦も一段落つくじゃろう。ようやく少し落ち着けそうじゃ」

 

 椅子に腰掛けると手にグラスを持ち、ビオレがそこに色鮮やかな液体を注いでいく。

 

「……これでやっとソウヤ様とゆっくり話でもできるんじゃないですか?」

 

 口に運んだ果実酒を思わず噴出しそうになってレオが咳き込む。

 

「な、なぜそこでソウヤが出てくるんじゃ!」

「あら、だってレオ様、昨日の戦勝祭の前の僅かな時間にソウヤ様とお話したと聞きましたよ。あれだけの時間では何も話せなかったでしょうから、もっとゆっくりお時間を取りたいと思ってるのではないかと」

「……何でそのことを知っておる?」

「メイド達の間で話題になってましたよ? レオ様の部屋にお茶を持っていったらソウヤ様がいらした、って」

 

 チッとレオが舌打ちをこぼす。

 

「……あいつら、本当にそういう話が好きじゃな」

「ですからそんなレオ様のために、明日のスケジュールを空けておきました」

「……は?」

「ガウ様から聞いたんですが、明日ハチ蜜取りに行くそうです。勿論ソウヤ様も一緒に。なのでレオ様も明日一緒に行ってはいかがですか?」

「いや一緒にって……明日のレザン王子との定例の通信会談はどうするんじゃ!?」

「ドラジェの方から、ここのところ戦続きで忙しいだろうから今回は中止で構わないという申し出があったので、私のほうでそれを了解しておきました」

 

 ドラジェ領国。それはガレットの貿易相手で近隣国である。ビスコッティ同様友好な関係を築いており、時折戦も行われていた。レザン王子はそのドラジェ領国の王子にあたる。

 

「中止、って……仮にも公式の会談じゃぞ!?」

「……レオ様、向こうからの申し出を断っては逆に失礼に当たります。ここのところ戦の連続で忙しかったのは事実です」

「しかし……」

「とにかく、それを除けば後に回しても構わない公務ばかりです。明日は気分転換にお出かけください。こうでも言わないとまた無理をされるし、ソウヤ様がこちらに滞在していられる期間も限られているんです。勇者様の接待をするというのも、召喚主として重要な仕事と思いますよ」

 

 レオは何も返さずグラスの液体を一口呷った。

 

「……わかった。せっかくのビオレの気遣いじゃ。それに甘えるとしよう」

「ありがとうございます」

 

 頭を下げ、ビオレが空いたグラスに再び酒を注いでいく。

 

「では私の方からガウ様に伝えておきますね。……レオ様がソウヤ様と一緒に行けるのを楽しみにしていた、と」

「だ、だからなぜそうなるのじゃ!」

「違うのですか?」

「違うわ! ……まったく寄って集って人をからかいおって……」

 

 不機嫌そうにそう言うとグラスの中の酒を一気に飲み干す。しかし口ではそういいながらも、内心では明日を楽しみにしているレオであった。

 

 

 

 

 

 明くる日。ビスコッティ南部、ハチェスタ森林地帯を目指し、一行はヴァンネット城を出発してビスコッティへと続く街道を進んでいた。

 

「しかしよ、姉上が来るなんて珍しいな」

 

 セルクルを寄せ、ガウルがレオに話しかける。

 

「丁度スケジュールが空いていたのでな。ビオレに行ったらどうだと薦められたので、ついて行くことにしたんじゃ」

「へえ……」

 

 姉のその言葉を聞いて弟はニヤリと意地悪そうに笑う。さらにセルクルを寄せ、姉にそっと耳打ちをした。

 

「……ビオレからはソウヤが行くって言ってたからついていく、って聞いたぜ」

「なっ……!」

 

 見る見るうちにレオの顔が赤くなっていく。

 

「ち、違うぞガウル! ワシは……」

「大丈夫だって姉上、わかってるから。ったく、いつの間にこんなからかいがいのある姉になっちまったんだ?」

 

 そういえば昨日戦の時本陣でソウヤにも同じようなことを言われた、とレオは思い出し、再び顔を赤らめた。

 

「ん? どうした、姉上?」

「な、なんでもないわ!」

 

 そう言ってガウルの背を平手で叩く。

 

「いってえ!」

 

 思いのほか力が篭っていたらしい。ガウルがセルクルから落ちそうになった。

 

「あ……。す、すまん」

「すまんじゃねえよ! 弟をもっと労われよ!」

 

 そんな姉弟の後ろをソウヤとジェノワーズの4人が続く。

 

「いやあ、やっぱあの2人は仲ええで」

「いや、どう見てもガウ様が一方的にどつかれたように見えたんだが……」

「多分そんなことない。きっとガウ様が余計なこと言ったんだと思う。……ベール、どうなの?」

「んー……。おそらくそんなところですねー。さすがにこの距離だとあまりよくは聞こえないけど……」

 

 自慢のウサギ耳をピンを伸ばしつつ、ノワールの質問にベールが答えた。前の姉弟との距離はそこそこ開いている。何かを話している声は聞こえてくるが、ソウヤの耳では内容まではまったくわからないような状態だった。

 

「この距離で2人の会話が聞こえるのか?」

(サンクト)ハルヴァー王国出身の私の聴力を持ってすれば結構遠くの音まで聞こえたりするんですよ。……でもさすがにこれだけ離れてて小声だと全て聞き取るのはちょっと難しいですけど」

「せやからソウヤ、お前も誰にも聞かれてないと思って迂闊に話すと、ベールには全部筒抜けだった、何てこともありかねんで?」

「……これからは話す時に周りにベールがいないか確認してからにする」

「え、ええ!? なんかそれちょっと酷くないですか!?」

 

 ソウヤがベールのほうを向いて一つ小さく笑った。

 

「……ソウヤ、変わったね」

「何がだ?」

 

 ノワールにかけられた声に対し、振り返りながらソウヤが尋ねる。

 

「前はもっと無愛想で、全然笑わなくて無口だった。でも今は私たちとも普通に話すようになった、と思って」

「……お前に無愛想とか無口とか言われるとは思ってなかったな」

 

 その返しに思わずノワールが「う……」と言葉を詰まらせる。

 

「おいソウヤ、前も言ったと思うけどこの子拗ねると長いんやから、あんまいじめんといてな」

「……今のも悪いのは俺か?」

 

 ソウヤが苦笑を浮かべた。

 

「おう、三馬鹿プラス勇者。楽しそうなのはいいけどよ、待ち合わせ時間に遅れるのは嫌だからちょっとばっかしスピード上げるぞ?」

「りょうかーい。……ほら、ガウ様にまで怒られたわ」

「別に怒ってはいなかったろ。……お前らと話すと疲れる。先に行くぞ」

 

 少し呆れ気味に、だが本心から嫌がっている様子ではない表情を浮かべ、ソウヤがセルクルの速度を上げた。ジェノワーズの前に出て、さらに距離が開いていく。

 

「あいつ、本当に先に行ったで」

「元々無口な人だったし、話すことに慣れてないのよ、きっと。……でもノワの言うとおり変わったわね」

 

 3人が顔を見合わせ、全員が笑って頷く。そしてソウヤに遅れないよう、3人ともセルクルのスピードを上げた。

 

 

 

 

 

 ソウヤ達6人がハチェスタ森林地帯に着いたとき、ビスコッティ側で到着しているのはブリオッシュとユキカゼの2人だけであった。

 

「おや、レオ様がいらっしゃるとは珍しいでござるな」

「そう言うダルキアン、貴様もな」

 

 昨日2度にわたって激闘を演じた2人が言葉を交わす。

 

「他の連中まだ来てないのか?」

「拙者達は先に出て来たでござる故。シンクとエクレとリコのお城組も荷物と共にもうすぐ到着すると思うでござるよ」

 

 ソウヤが隠密部隊の2人を見る。共に戦や任務の時用の騎士服と装束をそれぞれ身に纏い、ユキカゼは背に矢筒と弓まで持って完全武装である。

 それはガレット側も同様で、輝力武装するガウルこそ丸腰に見えるが、ジェノワーズの3人も武器を用意し、レオも右手の指には緑の宝石の指輪、すなわち魔戦斧グランヴェールが存在している。

 

「ガウ様、城を出たときからずっと気になってんたんですが……」

「ん? どうした?」

「なんで全員武器持参なんです?」

「そういうお前だってエクスマキナ持ってきてるじゃねえか」

「それはそうですが……。国の宝剣を正式に預かってるわけですから、責任持って肌身離さず身につけているぐらいのつもりでいます」

「ほう、なかなかいい心がけじゃな。さすがわが国の勇者、というわけじゃな」

「……からかわないでください、レオ様」

 

 ソウヤが苦笑を浮かべる。

 

「それでさっきの俺の質問なんですが……」

「ごめーん! ガウルー!」

 

 口にしかけたソウヤの質問は、遠くから聞こえてくる声によってかき消された。

 

「お、シンク!」

 

 シンクにエクレール、そしてリコッタが合流する。さらにその後ろには大量の荷物が積んであると思われるセルクルとそれに引かれる荷車。

 

「すみませんレオ様。お待たせしてしまい……」

「気にするな、タレミミ。それより食料を用意させてしまってすまなかったな」

「いえ。元々こちらが言い出したことですし、それに前回はガレット側に出してもらっているので……」

「……お話中いいですかね?」

 

 ソウヤがレオとエクレールの会話に割り込んだ。先ほどから疑問の数は増える一方である。

 

「なんじゃ?」

「ハチミツ取るのに食料とか必要なんですか? ついでにさっき聞きそびれた全員が武器持参してる理由も出来れば答えてもらうと助かります」

「それは勿論必要でありますよ」

「詳しいことは行ってからのお楽しみ、ってことで。僕も最初びっくりしたし」

「シンク、知ってるなら教えてくれ」

「ダメダメ。行ってからのお楽しみだって。その方が楽しいだろうし」

「シンクがそう言うなら行くまで伏せておくか」

 

 ガウルも意地悪そうに笑う。

 

「……それならそれでいいですが、でしたら早いところ行きましょう。意外とこう見えて気になるのはさっさと処理しておきたい性格でしてね」

 

 ソウヤにしては珍しい、ジョークとも取れる一言に思わずレオの表情が緩まる。

 

「では勇者殿のご希望通り、『ハチ蜜』取り、行くとするかの!」

 

 

 

 

 

『なんやワレエ?』

 

 いざ、「ハチ蜜」を取りに来た一向だったが、森に入って出会ったのはなんとクマだった。

 

「……クマ?」

「ああ、クマだ。こいつらがハチくま、正式名称『ハチェスター黒熊』だ。こいつらは摂取した蜜や果物を体内の蜜袋に溜めて熟成させるんだ。で、それを取り出したのが『ハチェスター黒熊の蜜』、略して『ハチ蜜』ってわけだ」

「……は?」

 

 得意気なガウルの説明を聞いたソウヤが、らしくなく間の抜けた声を上げる。

 今ガウルが言ったとおり、ここフロニャルドにおいて「ハチ蜜」とはハチェスター黒熊が体内生成した蜜のことを意味する。全員が武装していることから、凶暴ではないだろうが蜂がいる、ぐらいまではソウヤも予想していたが、さすがにこれは予想の範疇を越えていた。

 というか、本来ならクマが現れたこと以上にクマが話している、しかも言葉遣いがやけに悪いということをソウヤは突っ込むべきだったかもしれない。だが良くも悪くも彼はこの数日間でフロニャルドという異世界に順応してしまっていた。結果、「ありえることだ」という考えでその突っ込みを放棄することにしていた。

 

「ね、びっくりしたでしょ? 僕も自分の世界のハチミツ取りを想像してたから、最初すごく驚いちゃって」

「いや、驚くというか……。『ハチェスター黒熊の蜜』? 略し方が紛らわしすぎる……もっと違う略し方があるだろ」

「ま、ガレットやと『ハチくま蜜』って言い方もするんやけどな」

「なら最初からそう言っておいてくれよ、黄色いの。……それで、まさかこのクマの腹を掻っ捌いてハチ蜜を持ち出すとか言うんじゃないだろうな?」

「そんな恐ろしいことはしないでありますよ。ハチくまはハチ蜜を巣に溜め込んでいるでありますから、それを分けてもらうであります」

「その第一段階が交渉。だから食料をシンクたちに持ってきてもらった、ってわけ」

 

 ノワールの補足にようやくソウヤが納得した表情を見せた。

 

「なるほどな。それで交渉決裂したら実力行使、ってわけか。だから食料持参、全員完全武装だったと」

「まあそういうことだ。……おいハチくま! 今日はハチ蜜を分けてもらいに来たんだ! 食料はたんまり持ってきたし、これと交換ってことでどうだ?」

「こいつの姉、ガレット領主のレオンミシェリ・ガレット・デ・ロワじゃ。ワシからも頼みたい」

 

 ガレット権力者の2人が頼み込む。ハチくまは一瞬考えた様子だったが、

 

『おとといきやがれや』

 

 そっぽを向き、あっちへ行けと手を動かした。

 

「この野郎、上等じゃねえか! だったら決闘を……」

「あー、ガウル殿下、しばし待っていただいてもいいでござるか?」

 

 血気に逸るガウルを制し、ブリオッシュが一歩前へと出る。

 

「ハチくま殿、母熊殿は元気にしてるでござるか? 昔馴染みのダルキアンが参ったと伝えていただけると嬉しいでござるが」

『ダルキアン……? もしかしておかんが武芸を教わった……?』

「そうでござる。頼めるでござるか?」

『……ちょっと待っとってや。おかんに話通してくる』

 

 そう言うとハチくまは森の奥へとのしのし歩いていく。それを確認するとソウヤはブリオッシュへと話しかけた。

 

「ダルキアン卿、知り合いなんですか?」

「そうでござる」

「ここのハチくまの母熊さんの先生なんだって」

「昔故あって武芸を教えたことがあってな。拙者がいたほうが話が早いかもしれないと思って今日は着いて来たでござるよ」

「……さすが大陸一の剣士。獣までが師事してるとは思ってもいませんでしたよ」

 

 ソウヤの皮肉っぽい一言に思わずエクレールとユキカゼがムッとした表情を浮かべ、ソウヤを睨みつける。

 

「……信奉者の2人、そう睨むな」

「別に」

「睨んでないでござる」

「嘘付け。……こりゃダルキアン卿のことで迂闊な発言は出来そうにないな」

「はは。拙者は気にしていない故、構わないでござるよ」

「そうは言いますが、あなたが構わなくても、あの2人が許してくれそうにないですからね」

 

 苦笑を浮かべつつソウヤがそう言った時、森の奥から2頭のクマが近づいてくるのが見えた。片方はさっきまでここで話しをしていたハチくま、もう1頭はそれより大きく頭に花の飾り物をつけたハチくまだった。

 

『あら、ほんとにセンセやないの』

「元気そうでなによりでござる、母御殿。実は今日はお願いがあって来たでござるが……」

『ああ、息子達から話は聞いとるで。ハチ蜜がほしいんやろ? いくらセンセでもただでは……と言いたいところやが、まあウチとセンセの仲や。食料と交換でええから持っていきいや』

 

 母熊が子熊に視線を送る。それを受け、子熊が再び森の奥へと戻っていった。おそらくハチ蜜を持ってくるのだろう。

 

「かたじけない。恩に着るでござる」

『ええってことよ。……代わり、と言ったらなんやが、一つ頼み聞いてくれんか?』

「頼み……でござるか?」

 

 

 

 

 

 母熊がブリオッシュに頼んだ内容とは、「近頃森の土地神が減ったような気がしており、守護力が弱まったように感じる。その原因を調べてほしい」というものだった。

 土地神とはその土地に暮らす精霊に近い生き物である。形は様々、地球の生物でいえばカエルのようなどこか愛嬌のある物から、夜道に現れたら思わず声を上げてしまうような姿の物までいろいろである。その土地神が住むということは自然の実りが豊かな証、そしてフロニャの守護力が強く働いている証でもある。

 

「つまり人であれ獣であれ、大抵は土地神が多く住む、フロニャ力の強い場所に住居を構える。その方が生活がしやすいからじゃ。そのため、土地神が減るということを何か良くないことの前触れ、と捕える者もいる」

「土地神が減るということはフロニャ力が弱まるということ。私達が戦で怪我をしないのはフロニャ力のおかげ。だからその地のフロニャ力が弱まるのはよくないことだし、原因は究明した方がいい」

 

 レオの説明にノワールも補足する。ソウヤはその説明を黙って聞いていた。

 今この場にいるのはガレット側の6人のみ。ブリオッシュとユキカゼは別行動を取り、シンク、エクレール、リコッタの3人はハチくま相手に食料品とハチ蜜の交換作業を行っていた。

 

「でもよ、ダルキアンが言ってたのは本当なのか? 『もしかしたら魔物の可能性がある』とかって……」

「ありえると思うで。魔物ってのはフロニャ力の弱いところで出やすいんやろ?」

「だとすると……またあのときみたいな魔物が出てくるの……?」

「それはないじゃろ。ダルキアンもそう言っておったし」

 

 平和であるはずのこの世界、フロニャルドにおいてその平和を根底から覆しうる存在、それが魔物である。歴史を紐解けば国が一つ魔物に滅ぼされた、という事例もある。

 かつてシンクとミルヒが打ち倒した魔物は古に封印された強大な存在であり、それほどの存在となれば気候が変動し、大気は荒れ、大地を切り裂くほどの力を持つものとなる。

 だがそこまでの力を持つ魔物は非常に稀である。それは魔物を生み出す元となる呪い、あるいは悲運の元凶となる怨恨、憎悪など、そう言ったものの重さと魔物の力が比例するからであり、そこまでの呪いを持つ存在自体が稀少であるから、というのが理由だった。

 

 「討魔の剣聖」とも呼ばれるブリオッシュとその右腕であるユキカゼは、実はこういった魔物を狩る狩人でもある。その狩人が母熊から土地神が減った、という話を聞いたとき真っ先に疑ったのは魔物の存在であった。

 通常、魔物狩りは極秘に行われることであり、ブリオッシュも基本的にユキカゼに口外を禁止するほどである。だが、ブリオッシュとユキカゼが危険すぎるほどの強大な力は感じないこと、今顔を合わせているメンバーは信頼できること、何より魔物が原因と決まったわけでないこと、という点から協力を要請してきたのであった。

 

「通常は極秘でござるが、今回は魔物と確定したわけではないし、仮に魔物であったとしてもそこまで強大ではないようである故、皆で手分けして魔物、あるいは土地神が減少した原因を探してほしいでござる。その方が早く原因を究明できると思うでござるし。ただし、魔物の類を見つけたら真っ先に拙者に連絡すること」

 

 それを条件とし、現在手分けして探しているところである。もっとも、ここまで原因らしい原因は見つかっていない。

 

「しかし魔物か……。平和なファンタジーの世界かと思ったら意外と危険な存在もあるんだな」

「お前の読んでる物語にも魔物のような存在が出るのか?」

「しょっちゅう出ますよ、というか敵のほとんどはそういった類です」

「ならお前としては嬉しい展開ではないのか?」

 

 レオにそう言われ、ソウヤは苦笑を浮かべる。

 

「本音を言えばそうです。……ですがこれは物語じゃない。俺だけならまだしも、フロニャ力が弱まっているとあればここにいる全員が怪我をする危険性がある。なら浮ついた気持ちだけではいけないってこともわかってます」

 

 ソウヤのその言葉にレオはほう、と感心したような声を出した。

 

「なかなかいいことを言うようになったの。じゃがな、『俺だけならまだしも』というのは気に入らん。お前はもっと自分を大切にしろ」

「無論、もう自分を粗末にするつもりはありませんよ。ただ、場合によってはそうなる可能性もあるという、覚悟を言ったまでです。……もしあなたを傷つける存在がいれば、俺がこの身に変えてもあなたを守る、ってことですよ」

「な……!」

 

 レオの顔が赤くなる。それを見ていた4人もニヤけ出して2人を見る。

 

「き、貴様ごときがワシの身を守るなど、思い上がりもはなはだしいわ! 馬鹿なことを言っとらんでさっさと原因を探すぞ!」

 

 レオがソウヤに背を向け、ドーマを進める。

 

「レオ様、あなたを守る存在より前に行っちゃダメやないですか?」

「う、うるさいぞジョーヌ! 貴様、ワシをからかうなどどうなるかわかってやっておろうな!?」

 

 グランヴェールを実体化させて手にしたレオの背後に紋章が輝き始めた。

 

「え、え!? いやそんないきなりマジギレされましても……。ちょ、ちょっとノワ、ベル! ついでにガウ様も! 見てないで助けてな!」

「しらねえな、お前の責任だ」

「自業自得」

「ジョー、骨は拾ってあげるからね……」

「あー! もうこの白状者共!」

 

 ジョーヌがセルクルを走らせレオから逃げようとする。が、レオもドーマをそれより早く走らせ、もはや紋章砲を放ちそうな勢いだ。

 そんな様子を見ていたソウヤがやれやれとため息をつく。そして少し距離を離された一団に追いつこうと自分のセルクルを進めようとした。

 

 ――その時だった。

 

『見つ……けた……』

「ん……?」

 

 何か声が聞こえたような気がしてソウヤが辺りを見渡す。だが少し距離を離されたじゃれあう5人以外の姿はどこにも見えない。少なくとも聞こえたのは老人のような皺枯れた声だった。一緒にいる者の声ではない。

 

(気のせいか……)

 

 ソウヤがそう思い、再びセルクルを進めようとした時。

 

『見つけた……』

 

 今度はよりはっきりとその声が聞こえる。

 

「誰かいるのか!?」

 

 声が聞こえたと思う方へソウヤが尋ねる。だが返事はない。

 

『こっちだ……』

 

 代わりに自分を呼ぶ声が聞こえる。

 ソウヤはセルクルを降り、その声の方へと歩いていく。

 

「ちょ、ちょっと待ってーな! レオ様落ち着いて……。ほら、ソウヤからも何とか言って……」

 

 5人が異変に気づいたのはその直後だった。

 

「あれ? ソウヤどこや?」

 

 ここにきてようやくジョーヌはソウヤがいなくなっていることに気づく。

 

「ジョーヌ、その手は食わんぞ……!」

「いや、ほんとにいないんや! さっきまで1番後ろにいたはずなのに……」

 

 ジョーヌのその言葉に全員が今までソウヤがいたはずの場所へと視線を移す。しかしそこには誰もいない。

 

「ソウヤ? どこ行った?」

 

 ガウルが言葉を投げかけるが答えはない。ガウルは自分のセルクルを来た道を少し引き返す形で進ませる。

 

「おい……。こいつ、ソウヤが乗ってたセルクルじゃねえか!?」

 

 主を失ったセルクルはその場で立っていた。4人もその場所へと駆け寄ってくる。

 

「おい! お前の主人、どこに行った!?」

 

 そう問いかけられたセルクルはクエッとより木が生い茂る森の奥をクチバシで指す。

 レオがその指し示された先へ行こうとしたその時――身震いするほどの寒気が背中を走った。何か、まずい。彼女はそう直感する。

 

「……ジョーヌ、ベール。ダルキアンを呼んで来い」

「レオ様?」

「どうかなさいまし……」

「いいから呼んで来い! 今すぐに!」

 

 さっきまでの雰囲気と一転した硬い声色、そしてその口調に2人は顔を見合わせた。これはただごとではない、とセルクルを走り出させる。

 

「どうしたんだよ、姉上!?」

「……ガウル、お前は感じないか? この奥から溢れてくる禍々しいまでの気配……」

「気配? ……いや、俺は何も……」

 

 ガウルの返答を最後まで待たずに、レオがその木々の奥へと脚を踏み入れる。

 

「お、おい! 姉上!」

 

 嫌な予感がする。

 ミルヒの死を星詠みで見たときのような。一度その光景を目の当たりにしたときのような。――そしてソウヤを星詠みしようとして何も見えなかった、あの時のような。

 鼓動が早くなる。先ほど感じた寒気は止むことなく続いている。ますます強くなる嫌な気配に、それを振り払うように草木を掻き分けてレオが足を進める。

 

 そして、レオは見た。

 

「ソウヤ……?」

 

 そこに立っていた「ソウヤ・ハヤマ」を。

 だが、その右手には漆黒の剣が握られ、その周りには剣同様、夜の闇のような色の瘴気が立ち上り――その瞳は血に飢えた獣のように紅く変わっていた。

 「ソウヤ」を取り巻いていた漆黒の瘴気が広がる。

 

「こ、これは……」

 

 ドクン、と大きく心臓が鳴る。

 

『ソウヤを星詠みしようとしたとき、影に包まれたように何も見えなかった』

 

(違う……!)

 

 レオはその時ようやく気づいた。

 あれは見えていなかったのではない、間違いなく()()()()()のだ。それもここまではっきりと。

 

「ソ、ソウヤ!」

 

 自国の勇者の名を呼び、瘴気を振り払いながらレオが「ソウヤ」に駆け寄ろうとする。

 その時、瘴気が漆黒の剣に吸い込まれていく。

 

(あれだ、おそらくあの剣を離させれば……!)

 

 レオがそう思うと同時――。

 

「レオ様! いけない!」

 

 背後からノワールの声が聞こえたと思ったその刹那、レオは体に何かがぶつかった衝撃を感じ、ややあって腹部に激痛が走った。

 

「ソ、ソウ……」

 

 だが、呼ぼうとしたその名を最後まで口にする代わりに喉に熱い液体がこみ上げ、それを吐き出す。

 見れば自分の脇腹に漆黒の刃が突き立てられ、今この瞬間も赤い染みを服に広げている。

 そして自分を刺した者の口が残虐そうに醜く歪み、レオはそこから発せられる人ならざる者の声を耳にした。

 

『見つけたり……我の最強の使い手……! 我、ここに甦らん……!』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 14 悪夢の魔剣

 

 

「この気配……!」

 

 ソウヤの異変と時を同じくしてブリオッシュとユキカゼはただならぬ空気を感じていた。

 

「お館様、これはもしや……!?」

「ああ……。拙者の嫌な予感が当たってしまった……!」

 

 ガレット勢と手分けしてハチェスタ森林を調査し始めてから数刻、自分達が調べていた範囲において土地神は減っているどころか、むしろ増えていると感じた辺りで、ブリオッシュは一つの不安を抱き始めていた。

 土地神とはその地に留まるのが常ではあるが、己の身の危険を感じれば留まっていた地を離れることもある。そしてその己の危険とは――「魔」の存在。すなわち魔物である。

 魔物はフロニャ力の弱いところに生息すると言われている。一般的にその説明で間違いはない。だが厳密にはフロニャ力の弱いところに生息するのではなく、魔物を恐れて土地神が逃げるために、結果としてその地のフロニャ力が弱くなるのだ。

 その逃げた土地神は当然他の地へと移る、すると今度はその地のフロニャ力が強くなったと感じられる。すなわち、フロニャ力が弱くなった気がする、といわれた地においてむしろ逆に強くなったと感じられた場合、その地の近辺に魔物の存在する可能性が高い、ということでもある。

 

(それにしてもこの気配……。最初拙者が感じたときよりかなり邪悪に感じられる……。どういうことか……)

 

 胸騒ぎがする。そしてその胸騒ぎは不幸なことに的中することとなる。

 

「ダルキアン卿! ユッキー!」

 

 聞こえてきたのはジョーヌの声だった。

 

「ジョーヌ、それにベールでござるか。この気配、魔物でござるな?」

「え? そ、そうなんか? ウチらはレオ様にすぐにダルキアン卿を呼んで来いって言われただけで……」

「ソウヤさんがいなくなっちゃって、探してるときに突然そう言われて……すごく焦っていたようでしたが……」

 

 ベールからの報告を受けるとブリオッシュの顔色が変わる。

 

「……ジョーヌ、ベール、すまないがエクレール達にこのことを伝えてもらえるでござるか?」

「え? まあいいですけど……」

「よろしく頼むでござる」

「あ! 場所は……」

「大丈夫、大体の予想はついているでござる」

 

 そう言うとダルキアンは自身のセルクルであるムラクモを全速力で走り出させ、ユキカゼもそれに続いた。

 

「お館様、先ほどの話、もしやソウヤは……」

「考えたくはない……。が、この胸騒ぎ……。拙者の見積もりが未熟だったと言わざるを得ないかもしれないでござる……」

 

 ユキカゼが主の顔を窺うと、珍しく焦燥の色が濃く出ている。

 

(それほど良くないことが起ころうとしている……)

 

 そう思って表情をやや曇らせ、ユキカゼはブリオッシュに遅れぬようセルクルのスピードを上げた。

 

 

 

 

 

「姉上っ……!?」

 

 ガウルが目にしたのは、自国の勇者がその召喚主に刃を突き立てるという衝撃的な光景だった。

 その「ソウヤ」が左腕を突き出す。そこから放たれた衝撃波がレオの体を吹き飛ばした。

 

「姉上っ!」

 

 咄嗟にガウルが駆け出す。間一髪、地面に激突しようとするレオの間に体を割り込ませた。

 

「おい姉上! 大丈夫か!? しっかりしろ、姉上!」

「ガ……ガウ……ル……」

 

 弟の呼びかけにレオは呻くように名を呼ぶ。

 レオの腹部を支えた左手に熱くぬめる感覚を感じる。見れば、その左手は赤く染まっていた。

 慌ててノワールが駆け寄り、手の甲の紋章を輝かせながらレオの傷口に両手から生まれる光を当てる。

 

「ソウヤ……てめえ……!」

 

 レオをノワールに任せ、ガウルが立ち上がった。

 

「ガウ様! ダメだよ!」

 

 ノワールの忠告を無視し、

 

「輝力解放! 獅子王爪牙!」

 

 両手に輝力武装による爪を展開してガウルが「ソウヤ」へと飛び掛った。

 

「だ……ダメじゃ……ガウル……」

「レオ様喋らないで! 今紋章術で治療してるから……」

「そいつは……間違いなくソウヤなんじゃ……そいつを斬れば……ソウヤが傷つ……ゴホッ!」

「レオ様……」

 

 口から血を吐き、そして気を失ってしまう。それでもレオはガウルにその「ソウヤ」と戦ってはいけないと伝えようとしていた。

 だがその声はガウルには届かない。

 

「うおおおおおおっ!」

 

 ありったけの力を込めてガウルが「ソウヤ」へと輝力の爪を連続で叩きつける。しかしそれは右手の漆黒の剣によって軽々と打ち払われていく。

 

「なぜだソウヤ! お前は姉上を守るって言ってたじゃねえか! なのになぜだ!」

 

 その問いへの答えはない。代わりにその口元が残忍そうに歪んだ。

 

「答えろ! ソウヤ!」

『なるほど……。ソウヤというのはこの者の名か……』

「な、何……!?」

 

 聞こえた声に思わずガウルが動揺する。彼の知るソウヤの声とは異なる、人ならざる者の声。その一瞬の隙を突かれ、下からの切り上げに反応が遅れた。

 

「ぐっ……!」

 

 防御した両腕が大きく払われる。続けて突きの構えを取られたのがガウルの目に入った。

 

(間に合わねえ……!)

 

 やられる、そうガウルが覚悟を決めた時、

 

「一の矢・花嵐!」

 

 紋章術の矢が「ソウヤ」目掛けて飛来する。その矢を弾くために追撃の手が一度止まる。が、続けてガウルへの追撃を仕掛けようと踏み込む瞬間、今度は2人の間に割って入る影があった。

 その者の刀によって斬撃を防がれ、さらに反撃を交わすために「ソウヤ」が飛び退き、距離が空く。

 

「ダルキアン!」

 

 割り込んだ自由騎士、討魔の者の名をガウルが呼んだ。

 

「ガウル殿下、お下がりくだされ」

「下がれるかよ! あいつは姉上を……」

「お下がりくだされ」

 

 有無を言わせぬ二度目の口調に思わずガウルがたじろぐ。いつも飄々(ひょうひょう)としている彼女らしからぬ、重々しい声だった。

 

「……あれを討つのは我々の役目故……」

「何……? 『あれ』って……ソウヤじゃねえのか?」

「我々が狩るべき『魔物』とは不幸に見舞われた存在。ある者はその体を妖刀で貫かれて魔物となり、またあるものは捨てられた悲しみが怨恨となって魔物となる……。しかし前者のように、そういった呪われた物……すなわち、『禍太刀』が原因となって、魔の物へと変えてしまう場合があるでござる」

 

 説明しつつ、ブリオッシュとガウルの間にユキカゼが立つ。最初に紋章術の矢を放ったのは彼女だった。

 

「な……! じゃ、じゃあソウヤは……!」

「そう……。今はその禍太刀に体を乗っ取られている状況でござる」

『乗っ取られている、とはいささか誤っているぞ、我らを討つ者よ……』

 

 「ソウヤ」の口から発せられた、しかし明らかにソウヤとは異なる声。

 

『もはやこれは我が完全に支配した……。すなわち我は器で器は我なり。これは実に素晴らしい器だ……。まさに最強の器……。そして我は最強の剣なり……。すなわち我に敵なし……』

「ほう、最強とは大きく出たでござるな。……それを証明するためにソウヤ殿の体を使うつもりか?」

『理解が早いのは助かるぞ……我らを討つ者よ……。すなわちそのために……まずは主達を斬る……』

「させぬでござる。『討魔の剣聖』として」

『我を討つことはこの器を斬ることと同義なり……。主に斬れるのか……? この器を……』

 

 ソウヤを通して出る「禍太刀」からのその声に一瞬ブリオッシュの言葉が止まる。

 

「……斬る。ソウヤ殿もきっとそれを望むはず」

『よかろう……できるものならやってみるがよい……!』

 

 「禍太刀」がブリオッシュへと斬りかかる。それに対し、彼女は手に持つ大太刀でそれを止めて鍔迫り合いへ。

 そんな主の戦いの様子を見つつ、ユキカゼは視線は逸らさずに首だけを少し後ろへと傾けた。

 

「ガウル殿下、レオ様を安全な場所へ。可能ならシンク達と合流し、拙者達の戦いが終わるのを待っていてほしいでござる」

「しかし、お前ら2人で……」

「禍太刀狩りは拙者達の役目故……。まずはレオ様の無事を確保してほしいでござる」

 

 ガウルが返答に詰まる。

 

「ガウ様、私1人の治癒じゃ限界がある……。出来ればリコの手も借りたいし、ここから離れた方が守護力も働くから、その方がレオ様のためにもいいと思う」

「……わかった。ノワがそう言うならそうする。……ユキカゼ、ソウヤを頼んだぞ」

「了解でござる」

 

 最後まで主の戦いから目を離さずに答えたユキカゼを見送り、レオの右腕を肩にかけてガウルがその場を離れていく。

 

 その間もブリオッシュと「禍太刀」の攻防は続いていた。「最強」と自負しただけのことはあり、その剣はブリオッシュにも引けを取らない。加えて器となるソウヤの体の影響により、時折出される格闘が非常にやっかいなためにブリオッシュは攻めあぐねていた。

 

「くっ……!」

 

 今も相手の剣を払ったために追撃をかけようとした瞬間、見えない角度から蹴りが伸びてきたのだ。それを避けるためにブリオッシュの手が止まったところだった。

 

「閃華裂風!」

 

 ユキカゼの手に生み出された輝力による巨大な手裏剣が「禍太刀」を狙い、反撃を諦めさせる。その援護を受けてブリオッシュは距離を取り直した。

 

「助かったでござる、ユキカゼ」

 

 礼を言う主の顔からは余裕の色は完全に消えていた。

 

(やはり……乗っ取られた相手が悪かった……。剣術だけでなく体術にも長けるソウヤ……。しかも相手が異世界人のソウヤという影響もあってお館様は迂闊に相手を斬れない……)

 

 ギリッとユキカゼが奥歯を噛み締める。

 

(もはやソウヤの体自体が禍太刀として支配された以上、その体ごと斬らねばならない……。フロニャルドの者であれば、弱いとはいえフロニャ力が多少は働いているこの状況ならなんとかなるかもしれないでござるが、異世界人のソウヤは……)

 

『……剣が迷っているな、我らを討つ者よ』

 

 そのユキカゼの不安を見越したかのように「禍太刀」が口を開く。

 

『我ごと器を斬ることを躊躇っているのだろう……。我には解る』

「……斬る、と言ったはずでござる」

 

 あくまで冷淡にブリオッシュはそう返す。が、「禍太刀」は器となっているソウヤの口を醜く歪ませた。

 

『……ではそうするがよい』

 

 「禍太刀」が地を蹴る。上段からの力のこもった一撃をブリオッシュは刀の腹で受け流す。反撃に出した返す刀は離された距離に空を切る。

 再度両者の打ち込み。力が拮抗した瞬間、互いの刃が離れて「禍太刀」が中段へと右の回し蹴りを放つ。それをブリオッシュが肘で防ぐと同時、今度は上段からの打ち込みが迫る。

 だが蹴りの直後、バランスを取りきれていない状態からの攻撃ということをブリオッシュは見抜いていた。彼女がその攻撃を力強く上へと払う。剣ごと両腕が開け、防御を失った体がブリオッシュの目の前に見えた。

 

(好機……!)

 

 上へと払った刀を振り下ろす、狙うは上段からの袈裟斬り。防げない、と確信したブリオッシュだったが――。

 しかしその手は振り下ろすことを一瞬躊躇した。

 

『……やはり迷いがあったな』

 

 残忍な笑みを浮かべ、ブリオッシュの刀より早く、払われていた剣を「禍太刀」が振り下ろす。

 

「ぐっ……!」

「お館様ァー!」

 

 ブリオッシュのうめき声とユキカゼの悲痛な叫び声が森に響き、そして鮮血が宙を舞った。

 

 

 

 

 

「ここまでくりゃいいだろ……」

 

 ガウルは傷ついたレオを連れて戦闘の場から離れていた。

 

「ノワ、姉上の様子は?」

「……傷が深い。命に別状はないけど、私1人じゃこれ以上の治癒は難しいかもしれない……」

「くそっ……。なんだってこんな……」

 

 愚痴りながら素手で地面を殴り、意識が虚ろな姉の顔を心配そうに覗き込むガウル。

 確かにガウルは輝力の使い方には長けているが、こういった治癒のような方法として紋章術を使うことは不得手であった。こんな状況なのに何も出来ない自分が恨めしい。

 

「ガウ様ー? ガウ様どこやー?」

 

 と、その時ガウルを呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「ジョー! ここだ!」

 

 立ち上がって声を張り上げ、自分の所在を知らせる。少し離れた位置に残りのジェノワーズであるジョーヌ、ベール、そしてハチくまとの物資の交換を行っていたシンクとエクレールとリコッタの姿が見えた。

 

「ガウ様! 無事そうでよかったわ……ダルキアン卿が魔物が出たとか言うとったし、エクレ達もハチくまに嫌な空気を感じるって言われたとかで……。え!?」

「レ、レオ様!?」

 

 ガレットの2人は領主の傷ついた姿に思わず言葉を失う。それは少し遅れてその場に着いたビスコッティの3人も同じだった。

 

「な、なんでレオ様が……」

「リコ、手伝って。治癒の紋章術使えたよね?」

「……あ、ご、ごめんであります。使えるであります」

 

 衝撃的な光景に思わず呆然としていたリコッタだったが、自分を呼んだ声我を取り戻す。そのまま自分の手をノワールの手の側へとかざし、手の甲の紋章を輝かせ始める。心なしか、レオの顔色が少し良くなったようにも見えた。

 

「フロニャルドの人達って怪我するぐらいのダメージを受けるとだま化するんじゃなかったの?」

 

 ずっとそれを聞くタイミングを窺っていたようにシンクの質問が切り出される。

 

「説明しなかったか? フロニャ力の弱いところでは私達も怪我をすることもある、と」

「……そうか。そういえば……そうだった」

 

 おそらくシンクは以前魔物と戦う前に、単身ミルヒを救出しようとして叶わずに怪我をしたレオを思い出したのだろう。

 

「それでガウル殿下、このレオ様の傷はやはり魔物が……?」

「……魔物といえば、もう魔物なのかもな……」

 

 ため息と共に意味ありげなセリフを一つ呟き、

 

「……姉上を刺したのはソウヤだ」

「「なっ……!?」」

 

 ガウルの言葉にその場の全員が息を飲んだのが解った。

 

「そ、そんな……どうしてソウヤが!?」

「……厳密には、もうあいつじゃねえ。ダルキアンがそう言った……」

「あいつやない……?」

「……魔物に体を奪われた、ということですか?」

 

 その言葉の主であるエクレールの方を向くとガウルは重々しく頷く。

 

「禍太刀とか言ってたな。ソウヤはそれに体を支配された、と」

「あの時の子狐と一緒……」

 

 シンクは再び以前の魔物と戦ったときを思い出す。あの時の原因は子狐に突き刺さった妖刀――すなわち禍太刀が原因であり、シンクとミルヒの手によってその妖刀は抜かれ、子狐を呪いから解放している。

 

「だったら、その禍太刀を破壊しちゃえば……」

「いや……。どうもそれが……できないらしい」

「そんな!」

「あの禍太刀はソウヤの体を乗っ取って言葉を話していた。どうも自分を消したければ、ソウヤごと切るしかない、ということを言っていた……」

「ダルキアン卿の様子を考えると……それが嘘じゃないんだと思う……」

 

 ガウルに続いてノワールからももたらされる事実にシンクが愕然とする。

 

「じゃあ……どうしたら……」

 

 そのシンクの問いは皆答えが知りたい問いだ。だがその答えは誰も教えてはくれない。

 誰もが言葉を発せず、その場で黙り込んでいた。

 

「う……」

 

 その沈黙を破ったのはレオのうめき声だった。

 

「レオ様!?」

「意識が戻ったでありますか!?」

 

 皆がレオへと駆け寄る。全員が見つめる中、うっすらと彼女の瞼が開かれていく。

 

「ワシは……」

「レオ様は怪我をしたんです。今私とリコの紋章術で治療を……」

「怪我……。確かソウヤを見つけて……それで……」

 

 そこまで言ったところでレオの瞳が見開かれ、意識が完全に覚醒する。

 

「そうじゃ……ソウヤ! ソウヤは……!」

 

 そう言って上体を起こそうとして、左腹部に走った激痛にレオは思わずうめき、顔をしかめた。

 

「レオ様、まだ応急処置しかしてないんです。無理しないで……!」

「ワシのことなどいい……! それよりソウヤは……」

 

 レオがその場の全員を見渡す。だが誰もその質問に答えようとせず、目を伏せる。

 

「……そうか。あれは……現実じゃったんじゃな……」

 

 そのことを確認させるように腹部がまたズキリと痛んだ。

 

「今ダルキアンとユキカゼが戦ってる……。もうあいつの体は禍太刀に支配されていて……あいつを斬るしかないとかって……」

「……そうか」

 

 辛そうに現状を報告するガウルを見つめた後でレオは目を地に落とす。

 

「……本当になんとかできないの?」

 

 シンクが再び訪れた沈黙を破る。

 

「シンク……」

「だって前のときは僕と姫様で禍太刀を抜いて、それで子狐を救うことが出来た。だったら……!」

「実にお前らしい意見じゃ。……もしかしたらまだワシらのことを覚えていて、禍太刀の呪いに打ち勝てるかもしれん……」

「レオ様……!」

 

 同意を得てシンクがレオのほうを見返した。

 

「よっしゃ! だったら行こうぜ! 俺達の声であいつを元に戻してやればいい!」

「でも……うまくいくでしょうか……?」

 

 ガウルの提案にベールが不安な表情でそう尋ねる。

 

「知るかよ! でもよ、何もしないでいるよりは可能性はあると思わねえか?」

「さすがガウ様、たまにはいいこと言うで!」

「一言多いぞ、ジョー! ……とにかく行くぞ、皆が反対しても俺は行く」

「無論ワシも行く。……無理強いはせん。残りたい者はここに残ってもいいぞ」

 

 そう言ってレオが全員を見渡す。だが皆の目はもはやその意思を決めている輝きを放っていた。

 その様子を確認したレオがフッと笑いをこぼした。

 

「……これだけ多くのものに心配してもらえるようになりおって。……行くぞ、あの偏屈勇者を説得するために……!」

 

 ガウルに肩を貸してもらいながらレオが歩き出す。そこにいた全員がそれに続いた。

 

 

 

 

 

 左肩を抑えながらブリオッシュが飛び退く。仕掛けようと思えば追撃が出来ただろうに、「禍太刀」はそれをしなかった。

 

「くっ……」

 

 傷の具合を確認する。左肩から胸部にかけてざっくりと斬られてはいたが、致命傷を覚悟していただけに思ったよりは深くはない。だがそれよりも「己の剣が迷っていた」という事実を突きつけられたことのほうが痛手であった。

 

「お館様、大丈夫ですか!?」

 

 不安そうな声を上げて駆け寄ろうとするユキカゼだが、ブリオッシュが怪我をした方の左腕でそれを制した。

 

「心配ない。致命傷からは程遠いでござる」

 

 そう聞いて一度胸を撫で下ろすユキカゼ。だが、主の傷口を押さえていた右手が離れ、そこが赤く染まっているのを目にして再び表情に不安の色が生まれた。

 

『肩から上を離してやるつもりだったが……少し浅かったか……。さすがだな……』

 

 そう言った「禍太刀」の口元が歪む。

 

「……よく言う。先ほどは追撃をかけようと思えばかけられたはず。だがそれをしなかった。……拙者が苦しむ姿を見て楽しんでいるんでござろう?」

 

 今度は歪んだ口元から歯が覗いた。

 

『……聡明聡明、実に物分りがいいな、我らを討つ者よ……。悲哀は愉悦に、苦痛は快楽に……。主達の心が絶望に染まるその瞬間こそ、我の至高の瞬間なり……』

「お世辞にもいい趣味とは言いがたいでござるな」

 

 軽口とは対照的にブリオッシュの顔に嫌悪の色が浮かぶ。

 

『……ではどうする? 我らを討つ者よ……』

 

 「禍太刀」の質問に答えず、ブリオッシュは僅かに顔をユキカゼのほうへと向けた。

 

「……ユキカゼ、『封魔陣』を頼むでござる」

 

 主からのその言葉にユキカゼが驚愕の表情を浮かべた。

 

「しかしお館様……それは……」

 

 そこまで口にしたところでユキカゼは主の表情に気づく。

 その表情はもはややむをえない、と言いたげであった。だがそれを言葉にはしない。すれば今迷いが生まれているその剣がより迷う、とわかっているからだろう。

 もはや目の前の「ソウヤ」を斬るより他にない、と解っているつもりでいても、それでも何か方法がないかと考えてしまっている。しかしそれ故に心に隙が生まれ、剣が迷う。その結果が左肩の傷だ。

 ブリオッシュはそのことを痛感している。そして封魔の者として自分が倒れることは許されない、そのことも承知している。加えるなら、心を決めねばならない、ということも。

 だからこその「封魔陣」の要求なのだ。ユキカゼはそのことに気づいた。

 

「……承知しました」

 

 短く答え、一つ息を吐く。そして懐から短刀を取り出し、逆手に持つと顔の前に構えた。

 

「……浮世に仇なす外法の刃……」

 

 ユキカゼの紋章術の詠唱が始まったのを聞くと同時。ブリオッシュが地を蹴り、「禍太刀」に斬りかかる。

 

「……封じて廻るが、我らの務め……」

 

 ブリオッシュの刃を受け流し、反撃に右の上段回し蹴り。だがブリオッシュが深追いしないためにそれは空を切る。

 

「……大地を渡って幾千里……浮世を巡って幾百年……」

 

 ユキカゼの足元に光り輝く魔方陣が広がる。さらに辺りにも同じ光が満ち溢れてくる。しかし今剣を交える2人の手は止まらない。

 

「……天狐の土地神ユキカゼと、討魔の剣聖ダルキアン……」

 

 一層光が激しくなる。ユキカゼの周り、いや、そこを中心として半径数メートルの周りを取り囲むように、光の剣が宙へと浮かんでいた。

 

「……流れ巡った旅の内、封じた禍太刀……五百と十本……!」

 

 これまで切り結んでいたブリオッシュが大きく後ろへと飛び退き、距離を開けた。追おうとした「禍太刀」だが異変を感じたのか、その脚が止まる。

 

「……天地に外法の華は無し!」

 

 光の剣が「禍太刀」の方へと切っ先を向ける。次の瞬間それは一斉に飛来し、「禍太刀」の全身へと突き刺さる。

 

『ぐ……!』

「朽ちよ! 禍太刀!」

 

 光の剣によって「禍太刀」は動きを封じられ、さらに残りの光の剣がブリオッシュの刀に吸われていく。それを受けて刀身は紫の輝きを放ち出し、一回り巨大化したようにも見える。――いや、実際にそれは彼女の輝力の光を纏い巨大化していた。そしてその紫の光はブリオッシュをも包み込む。

 

「……ソウヤ殿、御免……!」

 

 小さくそう呟いたブリオッシュの体が宙に舞う。大上段に構えた光を纏うその刀に、落下のスピードを加え――。

 

神狼滅牙(しんろうめつが)天魔封滅(てんまふうめつ)!」

 

 叫びと共に、刀を振り下ろす。それに対して「禍太刀」は動かない。いや、動けないのだ。

 封魔陣と神狼滅牙は一体の技と言ってもいい。光の剣によってその技の文字通り動きを封じ、そこをブリオッシュにしか扱えない秘技の神狼滅牙によって魔を絶ち斬る。

 2人の連携は完璧であり、これまで数百もの禍太刀を封じてきた方法である。それ故、逃れる術は存在しない。

 

 ――はずだった。

 

「な……!」

 

 ブリオッシュが驚愕する。動けるはずのない封魔の術を受けたのに、目の前の「禍太刀」は器であるソウヤの腕とその漆黒の刃によって己の太刀筋を受け止めたからだ。

 

『甘いぞ……我らを討つ者よ……』

 

 勝ち誇ったような声と共に剣を払い、体を一回転させて右の後ろ回し蹴りでブリオッシュの胴を狙う。動揺、加えて空中でバランスを崩していたブリオッシュはそれへの反応が遅れ、右のかかとが綺麗に体に吸い込まれていった。

 

「ガハッ……!」

 

 何かが折れるような音と共にブリオッシュの体が吹き飛ぶ。木を数本なぎ倒したところで、その体はようやく止まった。

 

「お、お館様!」

 

 慌ててユキカゼが駆け寄る。木にぶつかったときに出来た切り傷が目に付くが、おそらく問題はそこではない。

 

「ぐっ……! う……」

 

 苦悶の表情を浮かべ、ブリオッシュが左手で胴の右の部分を抑えている。

 

「……抜かった。まさかこのようなことが……」

「封魔陣は完璧でありました……。なのになぜ……」

『言わなかったか……?我らを討つ者よ……』

 

 背後から聞こえた声にユキカゼが険しい表情で振り返って短刀を構え、主を庇うように間に割って入る。

 

『我は器で器は我である、と……。我に支配されたとはいえこの器は元はヒト……。すなわち、我には通じず……』

 

 ニヤリ、と冷酷な笑みが口元に浮かぶ。

 

「そんな……」

 

 悲壮感溢れる声をユキカゼが漏らす。それを聞いた「禍太刀」はますます愉快そうに笑みをこぼした。

 

『いいぞ……主のその絶望の顔……。それこそまさしく我らの糧……!』

 

 悦に浸る「禍太刀」を苦痛に歪む表情でブリオッシュは睨みつける。だが状況は最悪、必勝の策を封じられ、自身もこの深手。もはや打てる手などないに等しい。心を決め、ブリオッシュはユキカゼにそっと耳打ちをする。

 

「……ユキカゼ」

 

 その言葉にユキカゼが僅かに首を傾ける。

 

「……お主だけでもこの場を離れるでござる」

「なっ……!」

 

 思いもしない主からの言葉にユキカゼが振り返った。

 

「そんなことできるはずありません! 例えお館様の命令であっても拙者は……」

「ユキカゼッ!」

 

 自分を呼んだその声は、最初自分を咎めているのだと思った。しかしブリオッシュの視線はその先に向けられていることに気づく。

 振り返ったユキカゼの目に入ってきたのは上段に剣を構える「禍太刀」の姿であった。

 

「しまっ……!」

 

 剣が振り下ろされる。

 

 間に合わない。

 

 そう直感したユキカゼは反射的に目を瞑る。だがその剣の衝撃が体にぶつかることはなかった。

 恐る恐る目を開けると、自分と相手の間に割り込んだ緑髪の友が、その両手に持った短剣で漆黒の刃を受け止めてくれていた。

 

「……いくらユキに相手にされないからって……」

「エクレ!」

 

 両手に力を込め、エクレールがその剣を押し返す。

 

「戦って互いに認め合った友に剣を向けるほど貴様は愚かだったのか、ソウヤ!」

 

 一度黒い剣が引かれる。だが続けて中段への斬撃へ移行。しかしそれも再び割って入ってきた白銀に輝く長尺棒の腹で受け止められた。

 

「シンク!? お主まで……」

「目を覚ましてよソウヤ! 僕に言ったじゃない、フロニャルドをもっと楽しむって! 元の世界に帰っても僕達は友達だって!」

 

 攻めあぐねる、と判断したか、「禍太刀」は一旦距離を取り直した。

 

「エクレール、シンク、2人ともなぜ……」

「2人だけではない」

 

 声の方へブリオッシュが視線を移す。そこに自分同様傷つき、肩を借りながらも威厳を漂わせて立つレオの姿があった。

 いや、レオだけではない。ガウル、ジェノワーズ、リコッタ……。先ほどまでハチ蜜取りのために集まったメンバーが全員その場に集まっていた。

 

「そんな、なぜ……」

「……皆、ソウヤを助けたいからじゃ。体は禍太刀に支配された、と言われて、はいそうですか、と納得できんのじゃ」

「ウチらの呼びかけなんてもう届かんかもしれん。無駄かもしれん。でも……こうでもしないとウチらは納得できんのや……!」

「俺はあいつを信じるぜ。あいつが禍太刀なんぞに負けるわけがねえ!」

「ガウルの言うとおり。……僕もソウヤを信じる……!」

「皆……」

 

 全員の目がまだ諦めていないことをブリオッシュは確認する。

 

「ワシらは誰もまだ諦めてはおらん。……自分達の呼びかけでソウヤの心が打ち勝つのではないか、ソウヤへの信頼が勝るのではないか、そういう希望を抱いている」

『……それは実に愚かな考えだな、獅子の姫よ……』

 

 響いたのはレオの、いやその場にいる全員の心に僅かに残る希望を打ち砕くような声。

 

『信頼……? 希望……? 笑わせる……。その心が絶望へと墜ちる瞬間、それこそが我らの至福のとき……。すなわち我の愉悦となるより他はない。……そしてそちらから来てくれるとは、探す手間が省けた……。先ほど仕留め損ねた主、まずは獅子の姫から切り裂いて……』

「黙れ下郎」

 

 短く、だがはっきりとレオはそう言った。

 

「貴様に気安く姫などと呼ばれる筋合いはない。そして……貴様に斬られる気もない!」

 

 怪我をしているにもかかわらず、レオの体から溢れんばかりに闘気が高まる。

 

「ワシはソウヤを信じる。自分が選んだ……ガレットの勇者を信じる! 笑いたければ笑うがいい。じゃがこのレオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ、己の選択に、後悔は一切ない!」

 

 一瞬空白が流れるが、「クックック……」と声を漏らして「禍太刀」が笑い出す。

 

『……笑止。主がなんと言おうと結局は……』

「……信じた者が最後は勝つ、それがお約束なんだよ」

 

 「ソウヤ」の口から出た人ならざる者の言葉、しかし次に同じ口から聞こえた声はまごう事なくソウヤの声であった。

 

『な……何……?』

 

 「自分」の口から出た言葉に「禍太刀」が動揺する。

 

『馬鹿な……この器は我が完全に支配したはず……』

「そう思うなら、目の前の『姫』を斬ってみたらどうだ?」

『あ、ありえぬ……体が動かぬ……』

「ちょっとばっかし……返してもらうぞ」

 

 同じ口から発せられる、独り言のような会話。しかしそれが独り言ではないことは、この場の全員が気づいていた。

 

「そ、その声……ソウヤ……なのか……?」

「ええ、俺ですよ、レオ様……」

「ソウヤ……!」

 

 側に寄ろうとレオが数歩足を進めるが、ソウヤが「待ってください」とそれを止める。

 

「……今現在、この体は俺のものであって、俺のものではない状態です。……呼びかけが聞こえて、あるいはユキカゼの封魔の術のおかげもあるかもしれまんせんが、俺はかろうじて自我を保つことに成功しました。しましたが……気を抜けば一瞬でこの体を再び占拠されかねないようです」

「な……。で、ではどうすれば……」

 

 ふう、とソウヤが息を吐き出す。まるで何かを決意するかのように――。

 

「……俺を斬ってください」

「なっ……!」

 

 思わずレオが言葉を失う。

 

「ダルキアン卿とユキカゼの封魔の技でも封じ切れなかった。なら、俺がこいつを抑えて抵抗しない間に、俺ごと斬るしか方法はない。俺の体は禍太刀に支配されている状態にある……だがそこを逆手に取って器である俺ごと禍太刀を破壊すればそれで済む話だ」

「じゃ、じゃが……」

「そんなのダメだよソウヤ!」

 

 レオの言葉をかき消して叫んだのはシンクだった。

 

「何かきっと方法があるはずなんだ! だから……」

「……気持ちはありがたい、シンク」

 

 ソウヤが短くそう答える。

 

「だがもうこれしか方法がない。お前も俺を友と呼んでくれるのなら、最後になるかもしれない俺の頼みを聞き届けてほしい。俺にとって……大切な人たちが、この手で傷つけられていくのを何も出来ずに見させられるぐらいなら、いっそ死んだ方がマシだ。……だがな、俺は死ぬ気はない」

 

 矛盾とも取れるソウヤの言葉。

 

「ここはフロニャルドだ。俺が夢見たファンタジーの異世界だ。……だったら奇跡ってもんが、きっと起こるはずだ。たとえ禍太刀ごと斬られても、俺だけが生き残る、そうなるはずだ……」

 

 そう言うとソウヤは視線だけをブリオッシュと、そこに付き添うユキカゼのほうへ向ける。

 

「……ダルキアン卿、ユキカゼ、その可能性は、ゼロではないんでしょう?」

「……拙者の見解から言えば、無謀、と言わざるを得ないでござるな……。ソウヤ殿は異世界の人間である故、フロニャの守護力の恩恵は薄く、さらにここはその力が弱まっている……」

「……それでも拙者はソウヤを信じるでござる」

 

 ブリオッシュに対し、ユキカゼははっきりとそう言い切る。

 

「ユキカゼ……」

「ソウヤはガレットの勇者、そしてレオ様が信じた者。……なら、奇跡だってきっと起こすでござる」

 

 フッとソウヤが笑った気がした。

 

「……ありがとよ、巨乳ちゃん」

「……承知した。では拙者が……」

 

 顔を苦痛に歪ませ、右の肋骨辺りを押さえながらブリオッシュが立ち上がろうとするが――。

 

「いや、いい、ダルキアン。……ワシがやる」

 

 言うが早いか、レオはグランヴェールを実体化させた。

 

「レオ様!? しかし、もしものことがあっては……」

「そんなものはない。……万が一にあったとして、召喚主はワシじゃ。そうなった場合全ての罰は、ワシが受けてしかるべき。……ソウヤを斬った、という罪を永遠に背負う覚悟はできておる……!」

 

 レオの背後に紋章が輝き出す。

 

「……お前の覚悟はいいか、ソウヤ?」

「レオ様に斬られるなら本望ですよ」

「その気取ったセリフは相変わらずじゃな」

「……そう聞こえますか?」

「……何?」

「あなたに斬られるなら本望だ……それは紛れもなく俺の本心です」

「な……ソウヤ……お前、まさか……」

 

 何かを悟ったようなレオの声。だがその続きは口にしない。いや、できないのだ。それを口にしたら本当にそうなってしまう、そんな予感がしたからだ。

 口では強がっていた。しかしそれは虚勢だ、とレオ自身気づいていた。むしろ逆に、だからこそ虚勢を張るような態度を取らなければ、不安に押しつぶされてしまう、それを怖れていたのだ。

 そしてソウヤの言葉はそのレオの本心、怖れを呼び起こすのに十分すぎた。――ソウヤ自身、死を覚悟している――そう気づいてしまったのだ。

 

 一瞬空いた間の後、ソウヤがゆっくり口を開く。

 

「……最初にも言ったとおり死ぬ気はありません。……ですが、もしこの命を落とすことになったとして……他でもないレオ様の手で俺の命を奪っていただけるなら、俺個人として思い残すことはありません。……ただ、あなたの高貴な手を俺の血で染めさせてしまうということは申し訳なく思って……」

「ワシの手など……!」

 

 うつむいたまま、レオがそう声を絞り出す。その声は震えていた。

 

「ワシの手など……どうなってもよい……。それよりもワシは……ワシは……!」

 

 レオが顔を上げる。その瞳には涙が溜まっていた。

 

「ワシは……お前を失うのが怖い……! 召喚主としてだの、領主としてだの、そんなものは全く関係なく……ただお前を……お前を失いたくないんじゃ……!」

 

 嗚咽交じりの涙声。その姿は普段の凛としたレオンミシェリ・ガレット・デ・ロワではなく、大切な人を失いたくないがために涙を流す1人の少女そのものであった。

 

「……あなたにそこまで気にかけてもらえるとは、俺は幸せ者です」

 

 ソウヤが呟く。

 

「ですが俺だってあなたを失いたくない。このまま体を支配されれば、先ほどのようにまたあなたを斬ることになる。……あんなことをするのはもう2度とゴメンだ。だから……そうなる前に、俺を斬ってください」

 

 再びの懇願。そのソウヤの言葉を聞き、レオのは下をうつむき、涙を零した。

 

「ソウヤ、その言い草じゃソウヤは……」

「口を出さないでくれ、シンク。……もう時間がない。心配しなくても……俺は……」

 

 ソウヤの口調が遅くなる。体も小刻みに痙攣しているように見えた。

 

「いけない……禍太刀に体を支配されてしまう……!」

「レオ様、やはり拙者が……」

 

 その声をさえぎるようにレオが左手をブリオッシュの前へと突き出した。

 

「言ったはずじゃ……。……ワシがやる……!」

 

 右手の甲で涙をぬぐい、決意を決めた表情のレオがソウヤを見つめる。

 

「……ソウヤ、ワシはお前が言った奇跡を信じるぞ……!」

「……俺は……死にませんよ……。約束します……ガレット勇者の……名にかけて……!」

「その約束を違えたら……地獄の淵まで貴様を呪ってやるから覚悟しておれ……!」

 

 レオの背後の紋章が鮮やかに輝き始める。グランヴェールを両手に持ち、大上段へと構えた。

 

(やめさせよ……。主は思い人の手を己の血で染めさせる気か……?)

 

 朦朧とするソウヤの意識に「禍太刀」の声が聞こえてくる。

 

(お前はわかってないな……。思い人()()()()()斬ってもらうんだよ。命あるものはいずれその命を落とす。……だったら、その唯一の命、思い人にこそ奪ってほしい、そうは考えないか?)

(な、なんと……。主は……)

(狂ってる、とでも思うか? ……そう思ってしまったなら、この俺を乗っ取ろうとした貴様は最初から間違いを犯してたってことだよ。今貴様が抱いた感情は他ならぬ「怖れ」だ。……貴様は俺を「怖れた」、ならそんな相手を乗っ取ることなどできるはずがないだろう?)

(主は……主は……!)

 

 己の意識の中で聞こえる声に対して鼻で嗤い、薄れつつある意識を保ちながらソウヤはレオの姿を目に焼き付ける。

 

「獅子王烈火!」

 

 斧の刀身に燃え盛る炎がほとばしる。涙で視界がぼやけながらも、レオは己の斬るべき、自身が呼び出した大切な人を見つめ続けていた。

 

「……さよならは言いません。また会いましょう、レオ様……」

 

 ソウヤの呟きが聞こえた瞬間、レオの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

 それが地に着くより早く――。

 

「爆炎斬!」

 

 レオは己の手にした炎を纏う魔戦斧を、漆黒の剣と、それを持つ者目掛けて振り下ろした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 15 甦る蒼

 

 

 夢を、見ていた。

 

 平凡な少年はある日、自分が住む世界とは違う世界へと召喚された。

 そして自分を呼び出した美しい姫に少年はこう言われる、あなたは勇者だ、と。

 

 少年は戦う。魔を斬り、邪を払い、とうとう倒すべき魔の長の元へと辿り着く。

 魔の長は勇者となった少年へと囁きかける。我の元へ来い、そうすればこの世界を半分あたえてやろう、と。

 少年はそんな誘いには全く耳を貸さない。

 

 両者の激しい戦いが始まる。

 いつ終えるとも知れない激闘の果て、両者の相打ちという形でその戦いは幕を閉じた。

 

 城へと無言で帰って来た少年の亡骸を目にし、姫は泣き崩れた。

 だが、その姫の涙が少年へと触れたとき、開かれるはずのない少年の目が開いていく。

 目覚めたことを不思議そうにする少年へと姫は抱きつき、こう言ったのだった――。

 

 

 

 

 

「……あなたを信じてよかった。やはり奇跡は起こるものなのですね、か……」

 

 どこかたどたどしい口調で独り言のように文を読む声。その声で目覚めたか、眠り姫よろしく眠り続けていた「彼」は閉じていた目をゆっくりと開けた。

 

「んー……1冊目は……あとは後書きやからこれで終わり、と……。なんや、えらいご都合主義やな……。それに最初でいきなり敵の親玉倒したらまだ2冊残っとるのにどうするんや、これ……」

「2巻はな……」

 

 突如聞こえた声に「ひゃあ!」という声を上げ、その少女――ジョーヌは思わず椅子から跳び上がる。

 

「戦うべき敵を失った人間同士の醜く愚かな争いだ。3巻は再び魔王が甦り、もう1度人間達が結束して戦う話になる」

 

 先ほど跳び上がったと同時、思わず手に持った本を落としてしまい、彼女は慌ててそれを拾い上げた。さらに普段はかけているところを見かけない眼鏡を額にずらしていたが、飛び上がった拍子に半分ずり落ちていた。傍らで眠る「彼」がまさか起きている、とは夢にも思っていなかったのだろう。

 

「……俺の荷物を勝手に漁るとはあまり感心しないな」

「ソ、ソウヤ! いつから起きてたんや!?」

 

 名前を呼ばれ、ベッドに横になったままの眠り姫ならぬ勇者――ソウヤは小さく笑う。

 

「どの辺りかな……。夢では見ていた気がするんだが……。目が覚めている、と実感したのは多分245ページ目、帰ってきた勇者を見て姫が泣くところ辺りからだ」

「え……245……?」

 

 ジョーヌが額の眼鏡を目元に戻して慌ててページをめくっていく。

 

「……お前、眼鏡なんてかけるのか?」

「いや、視力はいい方や。これはリコの発明品で、これのおかげでソウヤ達の世界の文字がフロニャ文字に解読して読むことができる、っちゅーもんや。……ってほんとに245ページ……お前すごいな……」

「もう何度読んだかわからんからな。もっとも、個人的に1番好きなのは2巻だ。共通の敵を失ったことで己の利益を得ようとする人間のエゴがぶつかりあい、信頼する人々にも裏切られた主人公が翻弄されていく。そこの泥沼の展開が面白く、またそこがあるから3巻でのドラマが深まってると俺は思ってる。……しかしあまりに展開が暗く、内容が重すぎたために読者が離れ、次の3巻で終わりにせざるを得なかった、とかっても聞くがな」

「へえ……」

 

 本を閉じ、眼鏡を再び額にずらしながらジョーヌが関心したような声を上げた。

 

「それからお前は『ご都合主義』なんて言ったが、まさか紋章術でほとんどの問題を解消できるようなこの世界の人間の口からそう言われるとは思ってもいなかったぞ。……だから実際に俺はこうして今も生きてるわけだろうしな」

「そ、そうやった! こんな世間話しとる場合やない! レオ様に報告にいかんと!」

 

 手に持った「サモン・ヒーローズ・オペラ1」と書かれた本と額にずらしていた眼鏡を近くの机に置き、ジョーヌが立ち上がる。

 

「すぐレオ様連れてくるから待っとってや!」

「あ、ジョーヌ、ちょっと待て」

 

 部屋を出て行こうとするジョーヌをソウヤが呼び止める。驚いた顔でジョーヌが振り返った。

 

「なんや?」

「……意外と眼鏡姿も似合ってたぞ」

「な……!」

 

 ジョーヌの顔が赤くなっていく。

 

「あ、アホなこと言っとらんと、おとなしく寝とけ!」

 

 乱暴にドアが閉められ、足音が遠ざかっていく。その様子を見てソウヤはやれやれとため息をこぼした。

 

「……まさか本当に生きてるとは、な」

 

 ポツリと独り言を呟き、ソウヤは苦笑を浮かべる。

 あの時は死ぬ気はない、などと大層なことを言った。しかし心の中では既に死を覚悟していた。だから先ほどのようにジョーヌをからかいつつ話し、今こうして生きているということに今ひとつ実感がもてない、と思っているのも事実だった。

 

(……夢オチ、って話はないよな?)

 

 そんな小説も読んだな、という考えがふと頭をよぎる。いや、夢であるなら自分は生きてるということになるはずだ。だがその夢はもしかしたらフロニャルドに来る前から続いているとしたら。それに死の間際に見る夢もあると聞く。

 取り留めのない妄想だ、と思わず彼はため息をこぼした。だがやめようにも考えは次から次へと頭を巡り、ソウヤを困惑させる。なるべく頭を働かせないようになんとなしに天井を見つめ、ソウヤは来るべき人を待つ。

 

 早足で足音が近づいてくる。その音を耳にしつつ、ソウヤはゆっくり上体を起こす。そして一つ大きく深呼吸をした。

 当然その足音の主には会いたい。それは相手も同じであろう。

 だがこれだけ迷惑をかけた自分がどんな顔をして会えばいいのかわからない。 

 

 結局、その答えが出るより早く、扉が開かれた。

 

「ソウヤ……」

 

 ずっと、会いたかった。その人を前にした時、さっきまで悩んでいたことなど、もうソウヤの頭の中から消え去っていた。

 

「……おはようございます、レオ様」

 

 まるで不慮の事故で引き裂かれた恋人同士が、ある時突然に再開を果たしたような。そんな表情を浮かべ、レオは開けた扉の前で立ち尽くしていた。

 

「ソウヤ……!」

 

 瞳に涙を溜め、ソウヤに駆け寄ったレオは――躊躇なくその体を抱きしめた。フワリ、とレオの髪の香りがソウヤの鼻腔をくすぐる。

 

「レ、レオ様……」

「この……馬鹿者が……! ワシが……ワシ達が……どれだけ心配したと……!」

「……本当に申し訳なく思ってます。それでも……『すみません』なんて月並みな言葉しか出てきませんが……」

「いい……。それで許す……。許してやる……。お前のその素直でない物言いをまた聞けて……ワシは嬉しいぞ……」

 

 その言葉を証明するかのようにレオがより強くソウヤを抱きしめる。

 

「俺もあなたの声がまた聞けて嬉しいですよ。ですが……さすがにちょっと苦しいんで……」

「あ……す、すまん」

 

 慌ててレオがソウヤから離れた。

 そのまま互いの瞳を見つめ、思わず頬を赤らめてレオがその視線を外して下を向く。そこでさっきまでジョーヌの座っていた椅子を見つけそこに腰を下ろした。

 

「……さっき謝りましたが、改めて謝らせてください」

「ん……?」

「俺はあなたを守る、なんてことを言っておきながら実際は全く逆のことをしてしまった……。あなたに選ばれた勇者として情けないと思うと同時に本当に申し訳なく……」

「もうよい。ワシの傷は癒えた。それにお前自身望んでやったわけではないのだろう。だったら……」

「だとしても……。……すみません」

 

 ソウヤが深々と頭を下げる。

 

「いいと言っておろうに……そういうところは真面目な奴じゃ。……だが……本当にすまないと思っているなら……」

 

 下げていた頭を戻し、レオを見つめる。一方、レオはソウヤから少し目を逸らし、ベッドの辺りを見つめている。

 

「その約束を……『ワシを守る』と言った約束を……2度と違えないと……」

 

 ソウヤは答えず、レオを見つめ続ける。レオは顔を上げ、今度は正面からソウヤを見つめた。

 

「ワシを守るための盾となってくれると……誓ってくれるか……?」

 

 その瞳は不安、あるいは決意の色を滲ませていた。それを感じ取ったソウヤは1度開きかけた口を閉じる。そしてやや考えたように間があった後、ゆっくり口を開いた。

 

「俺は……」

 

 と、その時、廊下から騒がしい声が近づいてきた。「ソウヤが目を覚ましたんだろ!」というガウルの声と、「そうですけど、今はダメです!」「そやそや、今はあかんてガウ様!」と言うそれを止めようとするジェノワーズの声。結局は「邪魔すんな!」というガウルの声が聞こえ、乱暴に走る足音の後、扉が開けられたのだった。

 

「おいソウヤ! 目覚ましたって……」

 

 開いた扉、ガウルの奥ではジェノワーズが申し訳なさそうに謝るようなジェスチャーを繰り返している。

 ソウヤはそれに一瞬視線を移した後で、ガウルのほうを見直した。

 

「……ご覧の通りです。おはようございます、ガウ様」

「この野郎……! おはようございます、じゃねえ! 散々心配かけさせやがって……!」

「……返す言葉もありません。すみませんでした」

 

 顎を引いてソウヤが頭を下げた。

 

「……けっ! 俺だけじゃなく、姉上やジェノワーズ、それにその他大勢にもちゃんと申し訳ないって気持ちを持てよ! 皆散々心配したんだからな!」

「ガウル、その辺はワシがもう言っておる。あまり言わんでやっても……」

「姉上はこいつに甘いんだよ! かく言う姉上はこの数日間、ほとんど飯も喉を通ってないような状況だったじゃねえか!」

「ま、まあまあガウ様……」

「せっかくソウヤが目を覚ましたんや、そのぐらいで……」

「……ソウヤ、もう1回寝たふりとかした方がいいかも」

「おいノワ! 余計なこと言ってんじゃねえ!」

 

 普段通りのガウルとジェノワーズのやり取りを見て、やれやれと、だがどこか嬉しそうにソウヤはため息をついた。

 

「……話が逸れちまった。とにかく丸3日……お前はこの3日間ずっと眠り続けてたんだよ。医者が言うに『命を落とすことはないが輝力が著しく損なわれている状態で、いつ目を覚ますかわからない』とかだったらしいぞ」

「3日……」

「ワシがお前を呼び出して今日で11日目じゃ。滞在期間中にお前が起きなかったらどうしようかと心配もしたんじゃぞ」

 

 そう告げるレオの顔は先ほどまでのような不安や決意の色は消え失せ、いつも通りとなっている。

 

「そうでしたか」

 

 そう言い、ソウヤが一つ息を吐く。

 

「……もし、知ってる方がいたら教えてほしいんですが」

 

 そのように切り出すと、ソウヤはその場にいる5人を見渡した。

 

「……なぜ、俺は助かったんですか?」

「なっ……! てめえ、それはどういう意味だ! あの時死ぬ気はねえとか言ってやがった癖に……!」

「……やはり、お前はあの時……」

 

 驚くガウルと対照的、レオは静かにそう呟いた。

 

「あ、姉上……?」

「……気づいていらっしゃったんですか」

「……ああ」

 

 レオが俯く。

 

「口では死ぬ気はない、だの奇跡を信じる、だの言っておったが……。本当は死ぬ気だったんじゃろ……?」

「お見通しでしたか……。あの時は魔物狩りの専門家であるダルキアン卿でさえ、器である俺ごと禍太刀を破壊しなければならないと判断した状況でした。……ですが、皆俺を斬ることためらい、助ける方法を考えてくれた。それはとても嬉しいことでしたが……その方法を模索したせいでより被害が拡大する、なんてのは絶対に嫌だったんです。……ああでも言わないと、皆心を決めることができなそうでしたから」

「そうじゃろうな。……じゃが言われても心を決めかねた」

「それでもレオ様は俺の頼みを聞いてくれた。……俺が死ぬ気だとわかっているにも関わらず、です」

「ワシもお前と同じ立場に立ったなら……きっと同じ頼みをした、と思ったからじゃ。……しかしまあその結果、実際お前は今こうして生きておる」

「ええ。そこで最初の質問に戻るわけです。なぜ俺は助かったんですか?」

「……やっぱ……『アレ』かな……?」

 

 一瞬の間を空け、ジョーヌがそう口にした。

 

「『アレ』?」

「ああ、レオ様がお前を斬った直後や」

「突然蒼い光と緑の光がソウヤを包んで……蒼い光はレオ様が斬った傷を包み、緑の光はソウヤが握っていた黒い剣を包んだ」

「そうしたら……ソウヤさんの傷が見る見るうちに塞がっていって……。剣の方もダルキアン卿が力を完全に失ってる、って……。一応大事を取ってユッキーさんが封印していたみたいですけど……」

「蒼い光と緑の光……」

 

 ソウヤには心当たりがあった。布団の中に入っている右手を上へと出す。

 

「やはり……お前もそう思うか」

 

 レオも自身の右手を見つめた。

 

「エクスマキナ……それにグランヴェール……お前達が俺を助けてくれたのか……?」

 

 答えはない。しかし、自分の指にあるエクスマキナが一瞬光ったように見えた。

 

「可能性としてはあるじゃろうな。宝剣には宝剣の意思がある、と以前言ったであろう。……だとすれば、エクスマキナはお前を主として認めて助けようとし、グランヴェールもその己の対となる剣の主を助けるために力を貸した、と考えられなくもない」

「……確かに俺を乗っ取った禍太刀には意思があった。だとすれば宝剣に意思がある、というのも十分頷ける話ですね」

 

 自分の指にあるエクスマキナに語りかけるようにソウヤが言った。

 

「……そういえば、そもそもなんでお前禍太刀に乗っ取られるようなことになったんだ? ダルキアンがお前を乗っ取る前の禍太刀はそこまで強力な力は発していない、みたいに言ってたんだが……」

 

 ガウルにそう尋ねられると、ソウヤは思わず苦笑を浮かべた。

 

「……間抜けな話ですよ。俺を呼ぶ声が聞こえたんです。その声の方へ行ってみると、見るからに禍々しい漆黒の剣がそこにあった。……頭ではそれに触っちゃいけないってわかっていたのに、俺の体は言うことを聞いてくれなかった。そしてその剣の柄に触れ……あとは俺の意識が存在するのに体は好き勝手にあいつに動かされてる、って状態でした」

「それも禍太刀の魔の力じゃろうな……。ソウヤを優れた使い手とみなしたからじゃろう」

「ったく半分ぐらいはお前の不注意じゃねえか。……まあダルキアンの話じゃあの禍太刀自体の力はそれほどでもないが、お前と合わさったことによって何倍にも膨れ上がった、ってことだそうだ」

「なんにせよ、お前が無事で本当に良かった。……お前の言ったとおり奇跡は起こるものなんじゃな」

 

 先ほどジョーヌが読んでいた小説の文章のようなセリフにソウヤが思わず小さく笑う。

 

「……運がよかっただけです。奇跡ってもんが、たまたま安売りされてただけですよ」

「けっ! その調子は相変わらずだな。……でもま、それだけの口が利けるなら心配はいらなそうだな」

「はい、体にだるさは残ってますが、それだけですね」

「さっきガウルが言ったかもしれないが、医者の話では体自体はなんともないが、輝力が著しく損なわれている状態じゃそうじゃ。意識は戻ったし、もうしばらく休めばすぐによくなるじゃろう。……さてと」

 

 レオが椅子から腰を上げる。

 

「あれ、レオ様、ソウヤの付き添いはいいんで?」

「ああ。もう大丈夫そうじゃしな。ビスコッティ側もお前のことを心配していたから、ちとミルヒに連絡してくるとしよう」

 

 そう言ってレオが背を向けるが、

 

「待ってくださいレオ様」

 

 ソウヤがそれを呼び止めた。

 

「なんじゃ?」

「ビスコッティ側に連絡するなら……1つお願いがあります」

 

 

 

 

 

 それから3日が経った。

 

『皆さんこんにちは! ガレット国営放送のフランボワーズ・シャルレーです! ここからの時間はレギュラー放送の予定を変更してお送りいたします!

 ……しかし、この変更を不満に思う人は少ないのではないでしょうか!? 先日レオンミシェリ閣下からされた驚くべき発表……本日はその特別興業、勇者シンク対勇者ソウヤの再戦の様子を全編生放送でお送りいたします! さらにさらに! その後夜はミルヒオーレ姫様によります特別コンサートの様子まで生放送でお送りさせていただきます!』

 

 いつも通りのハイテンションでフランボワーズの声が響く。

 

 3日前にソウヤがレオに言った「お願い」とは、他ならぬシンクとの再戦であった。

 その話を聞いたとき、レオはおろか、その場にいた全員が賛成しかねるという表情をした。だが、ソウヤも譲らなかった。

 

「俺は今回の一件で多くの人たちに迷惑をかけた。……だからそのことに対して謝罪の意味を込めて、同時にもう元気だから心配いらない、ということを伝えたいんです。それに……俺を主として認めてくれたなら……このエクスマキナを手に、もう1度シンクと戦ってみたいんです」

 

 こうなるとソウヤは頑固である。渋々レオがそれを承諾し、ミルヒに連絡して都合をつけてもらい、商工会や後援会の協力を得て、わずか3日での強行開催へとこぎつけたのだった。

 同時にミルヒはこの興業後に自分のコンサートも計画し、そのためこの再戦の会場にビスコッティの施設を提供。その後のコンサートにも移動しやすいように、と利便を図ってくれたのであった。

 

『会場となりますフィリアンノ闘技場は既に満員の大入り! それもそのはず、昨日発売されたチケットは発売前の列段階で席全ての分がなくなるという人気の高さです! しかしチケットを買えなかった皆様もご心配いりません! 我々ガレット国営放送が責任を持って最後まで放送いたします! さらにさらに! ここに強力なゲストをお二方招いております! まずはビスコッティ騎士団、現在幸せ絶頂のロラン・マルティノッジ騎士団ちょ……え……?』

 

 一言で言うならば放送事故。ハイテンションで喋り捲っていたフランボワーズの声が一旦止まり、空白が流れる。関係者用の特等席に座っていたレオはそれを聞いて苦笑を浮かべた。

 

「フランめ、余計なことを言いおったな」

「バナード将軍も釘を刺したとおっしゃっていたんですけどね……。やっぱりあの人には効果がなかったみたいですね」

 

 傍らのビオレがそう返す。

 

「喋り好きにはいい薬じゃろ」

 

 身も蓋もないレオの言葉に今度はビオレのほうが苦笑を浮かべた。

 

『えー……大変失礼いたしました。手元にあった……えっと原稿が……少々間違っておりまして……』

「苦しい言い訳じゃ」

 

 声を噛み殺してレオが笑う。

 

『……では改めまして、ビスコッティ騎士団より、ロラン・マルティノッジ騎士団長にお越しいただいております!』

『……こんにちは』

 

 ロランの声が少し不機嫌そうに聞こえる気がするのは、おそらく気のせいではないだろう。

 

『そしてもう一方(ひとかた)! こちらは愛妻家の……あーっと! なんでもありません! え、えー、ガレット騎士団、バナード・サブラージュ将軍です!』

『こんにちは、今日はよろしくお願いします』

 

 一方のバナードは普段どおりの()()()で、何事もなかったかのように挨拶した。

 

『さて、両国の騎士団長にお越しいただいたわけですが、まずはお二方にこれから互いに戦います、各国の勇者殿の話を伺いたいと思っております。それにより勇者殿2人についてより詳しく知っていただければと思います。では最初にロラン騎士団長。ビスコッティ勇者、シンク殿はどのような方でしょうか?』

『そうですね、非常に明るく、活発で元気な少年です。戦をご覧になった方はわかるでしょうが、すばやい身のこなしと棒術、何より戦を盛り上げる戦い方は見事、の一言に尽きます。うちの妹の婿にほしいぐらいですね』

 

 会場から笑いが起きる。また、その笑いを切り裂いてどこからともなく「兄上!」と咎めるような声も聞こえてきた。

 

「ロランめ、それは墓穴じゃぞ……」

 

 ボソッとレオが呟き、

 

『いやあ騎士エクレールまで婿をもらったとなっては、それこそマルティノッジ家は安泰……』

『フ・ラ・ン・君……?』

『お、おわああ! し、失礼しました! な、なんでもありません!』

「ほれ見ろ、言わんこっちゃない」

 

 再びレオが笑いを噛み殺して笑った。

 

『……えー、では気を取り直して。今度はガレット側にお聞きしましょう。バナード将軍から見てガレット勇者、ソウヤ殿はどのような方でしょうか?』

『彼は弓術と体術が非常に長けてますが、それ以上に紋章術の扱いが見事ですね。この短期間で物にするばかりでなく、かなり制御しているようで、こちらも見事、の一言に尽きるでしょう。……もっとも、私と彼はあまり話したことはないんですけどね』

『おや、そうなのですか?』

『元々彼は話すのはあまり得意ではないそうですし、彼の周りには大抵ガウル殿下か、あるいはレオ閣下がべったりですので』

「な……! おいバナード! べったりとはなんじゃ!」

 

 思わずレオが立ち上がって放送席の方へ文句を言う。それを見ていた会場から再び笑いが起こった。

 

「もう……やめてくださいレオ様、恥ずかしい……」

「ぐ……! バナードめ、あとで覚えておれ……!」

 

 憎々しげにレオがそう呟き腰を下ろした。

 

『さて、両者について騎士団長に伺いましたが、2人のこれまでの戦歴を映像にまとめてあります。両国の勇者がどのような活躍をしてきたのか、これをご覧になればわかることでしょう。では映像、スタート!』

 

 会場の中央にある巨大な映像板に映像が映し出される。シンクの初めての戦の様子が映り、それが解説され始めた。

 

 

 

 

 

『まずは勇者シンクにとって初の戦、レイクフィールド攻防戦です』

『ここでの勇者殿の活躍は目覚しいものでした』

 

 シンクが次々とガレットの兵達を相手にノックアウト、あるいはタッチダウンを行っていく光景が映し出される。さらには棒を空に高々と舞い上げ、落下してくる間に次々にタッチダウンを決めるなど、その動きはかなりアクロバティックである。

 

「昔から派手好きな奴だったんだな……」

 

 闘技場の選手控え室、そこで国営放送が編集した過去の戦のダイジェストを見ていたソウヤはそう独り言をこぼした。

 今この部屋にはソウヤしかいない。ただ、入り口には付き添いとしてルージュとメイド達数名が待機しているために、ソウヤから要望があればすぐに動いてくれる状況ではある。

 

 と、その入り口がノックされた。

 

「ソウヤ様、お客様がお見えになっていますが……」

 

 あの禍太刀騒動のあと、ソウヤはビスコッティ側の人間とは顔を合わせていない。本当なら自分の方から行くべき、とわかってはいたのだが、レオが「シンクとの再戦の場で元気な顔を見せればよい」と言ってくれたからであった。

 そうではあったが、おそらく自分の控え室を訪ねてくる人はいるだろう、ともソウヤは考えていた。そのため、ルージュには前もって客が来たら通していい、とは言ってある。だが真面目な近衛メイド長はそれでも改めて確認を取ってきたのであった。

 本音を言うとシンクの過去の戦いが気になり、もう少し映像を見ていたかったが、そうも言っていられない。

 

「どうぞ、お通ししてください。……それからルージュさん、最初にも言ったと思いますが、次からは確認とらなくてもいいですよ」

「かしこまりました」

 

 ルージュの返答から一呼吸置いて入り口の扉が開かれる。

 

「ダルキアン卿、それに……ユキカゼ」

「元気そうでござるな、勇者殿」

 

 部屋に入ってきたのはソウヤにとってビスコッティ側で最も関係が深い人物達であった。両者とも戦った経験があり、加えて先日の騒動でもっとも迷惑をかけた隣国の人間といえば、隠密部隊のこの2人だろう。

 

「ご覧の通りです。シンクと戦う、と言ったぐらいですから体調の方は万全ですよ」

「そうでござるか、それはよかったでござる」

「そういうダルキアン卿のほうは大丈夫ですか? ……あの時はあなたを随分傷つけてしまった……すみません」

「なんのなんの、もう何ともないでござる。それにソウヤ殿が望んだことではないとわかっている故、気にすることはないでござるよ」

 

 そう言ってブリオッシュは笑顔を見せる。

 

「……そう言っていただけると助かります」

 

 ソウヤは頭を下げた。

 

「事の顛末は、レオ様から聞いたでござるか?」

「はい。……どうやらエクスマキナが俺を助けてくれたみたいですね」

「そのようでござるな。……よき剣に主として認められた、ソウヤ殿は素晴らしき使い手とみなされたと言うことでござる」

「どうですかね……。禍太刀にも見初められたような人間ですよ、俺は」

 

 と、自嘲的な笑みを浮かべつつソウヤ。

 

「つまりそれほど使い手として引く手数多、優秀である証明でござろう」

 

 今度は声を上げてソウヤが笑った。

 

「……これは一本取られた。あなたには敵いませんね」

 

 それを聞いてブリオッシュも小さく笑った。

 

「……拙者はソウヤ殿の顔を見ておこうと思って来ただけでござるから、用は以上でござる。あとは言葉を交わさずとも、シンクとの戦いの中でわかることにござるからな。……ユキカゼ、お主からは何かあるでござるか?」

「……元気そうで安心したでござる。拙者もシンクとお主の戦い、楽しみにしてるでござるよ」

「ありがとう、巨乳ちゃん」

 

 その呼ばれ方でユキカゼの眉が一瞬動いた。

 

「さっきもこの前も普通に呼んでくれたというのに……。……まあいいでござる。好きなように呼べばいいでござるよ。もしかしたらもうそんなふざけた呼び方で呼んでくれることはなかったのかもしれなかったでござるからな……」

「……なんだ、らしくないな」

「そのぐらい、ユッキーもソウヤさんのことを心配してたでありますよ」

 

 その声は部屋の入り口から聞こえてきた。

 

「リコッタ、エクレール」

「勿論自分も、それにエクレもであります」

「フン! 私は貴様の心配など大してしていないがな」

「またまた、エクレは本当に素直じゃないでありますな」

「お、おいリコ!」

 

 ソウヤを含めた、その場にいたエクレール以外全員が笑った。

 

「……なんだかんだで本当にいろんな人に迷惑をかけちまった。謝っても謝りきれないぐらいだな……」

「だが貴様はその気持ちがあったから、この戦いを企画したんだろ? ……ならその気持ちは勇者同士の戦いの中で証明してみせろ」

 

 普段通りの仏頂面に厳しい口調だったが、それがエクレールなりの気遣いだとソウヤは感じていた。

 

「……言われるまでもなく、そのつもりですよ、親衛隊長殿」

 

 だからそれが少し嬉しく、ソウヤは表情を緩めながら、こちらも普段通りの物言いで答えた。

 

「なら私はもう貴様に用はない。うちのアホ勇者にはお前は全快しているから、遠慮なく戦えと伝えておいてやる」

「よろしく頼む。……ついでに本気で来なかったらただじゃおかない、っても追加しておいてくれ」

「わかった。確かに伝えてやる」

 

 そんなソウヤとエクレールの様子を見ていたリコッタが口を開く。

 

「では自分達はそろそろ退散するであります」

「あれ、リコもういいでござるか?」

「はい、自分はソウヤさんの様子を見たかったというのが目的で、ほとんどエクレの付き添い、という意味合いが強かったでありますし。あまり長居してお邪魔しても悪いでありますから」

「では拙者たちも御暇するでござるよ」

 

 部屋の入り口へ向かったエクレール、リコッタに次いでブリオッシュとユキカゼも続く。

 

「わざわざ来ていただいてありがとうございます。ご心配をかけた分、いい興業にできるよう頑張りますよ」

 

 ソウヤのその言葉を聞き4人が表情を緩める。かつてとは違う「勇者」のしっかりとした一言に皆満足したような表情だった。

 

「期待してるでござるよ。では、拙者達はこれで」

 

 4人を見送り、椅子に腰掛けるとソウヤは一つ息を吐く。と、遠くから賑やかな声が聞こえてくる。どうやら今出て行った一団と会話しているらしい。その声から誰が来るか、ソウヤは薄々勘付いていた。

 

「やれやれ、今度は賑やかな連中か……」

 

 そう言い終わるとほぼ同時、入り口の扉が勢いよく開かれた。

 

「ようソウヤ!」

「どうも、ガウ様に三馬鹿の皆さん」

「また三馬鹿って言った……」

「馬鹿っていうほうが馬鹿なんやで!」

「そうですー! ちゃんと呼んで下さい!」

 

 いつもと変わらない様子の4人にソウヤが大きくため息をこぼす。

 

「……俺は今戦いの前ですよ? 空気読むとかって発想はないんですか?」

「必要ねえだろ。お前はいつもの調子で戦えば、それだけで十分興業として客を喜ばせるだけの戦いになるんだからよ。調子の方はもう戻ってるんだろ?」

「一昨日丸1日休んで、昨日動いて大丈夫でしたから。……それで俺がどれだけ出来そうかは、手合わせしたガウ様が1番わかってると思いますが」

「なら問題ねえよ。余計に気負ったり緊張する必要もねえ。……なんてこと俺が言わなくても、お前はわかってるだろうけどよ」

 

 フッと、ソウヤが笑う。

 

「今シンクのところに行ってきた。あいつも調子は万全そうだ。お前が病み上がりだってんで大丈夫かって心配してたが、余計なこと考えてると痛い目に合うって忠告しておいたぜ」

「ありがとうございます。あいつが俺に余計な気を使うんじゃないか、ってのだけが気がかりでしたからね」

「大した自信やな。ズバリ、勝算は?」

 

 ジョーヌの問いに、ソウヤは不敵な笑みを浮かべた。

 

「お前馬鹿か? 100%に決まってるだろう。2度負ける気はさらさらないし、俺は負けるとわかってる勝負はやらない」

「すごい自信……」

「でもまた馬鹿って言ったー!」

「馬鹿って言う方が馬鹿なんですー!」

 

 変わらぬジェノワーズの様子に再びソウヤが大きくため息をこぼした。

 

「まあ、調子の方はバッチリそうだな」

「おかげさまで。……さっき来たビスコッティ連中にも言いましたが、今まで心配かけた分と、俺はもう大丈夫だってことをアピールするために、あとはシンクと派手に戦ってきますよ」

「よっしゃ、その意気だ。期待してるぜ」

 

 ガウルとソウヤの目が合い、2人が笑う。その時、入り口をノックする音が聞こえた。

 

「ソウヤ様、そろそろ選手入場の入り口においでください、とのことです」

「わかりました、今行きます」

 

 ソウヤが立ち上がる。ガウル達が一足先に入り口へ向かい、ドアを開けた。

 

「行って来い勇者! ガレット勇者の名は伊達じゃないってところ、見せて来い!」

 

 ガウルが激励し、右拳を顔の位置まで上げる。ソウヤが小さく笑うと、その拳に自分の右拳を合わせた。

 

「行って来ます」

「おう! 客席で見ててやる!」

 

 ガウルとジェノワーズに背を向け、ソウヤがルージュの後ろをついていく。

 その後姿にかつて見ることは出来なかった勇者としての威厳、風格、そう言った物を感じ、ガウルは満足そうに笑みを浮かべた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 16 蒼と紅

 

 

『以上、過去の映像から振り返る勇者2人の活躍でしたが、いやあ両者とも素晴らしいですね』

 

 これまでのソウヤとシンクの戦いの様子をまとめたダイジェストが終わり、フランボワーズはそう感想を述べた。

 

『我がビスコッティのシンク殿はレオ閣下から、ガレットのソウヤ殿はダルキアン卿から、形はどうあれ勝利を収めている、ということですからね。腕は折り紙つきでしょう』

『その両者の再度の激突……実は私も楽しみにしているんですよ』

『そうでしょう、ですがそんな楽しみにしているのはバナード将軍だけではないはずです! この会場、そして放送をご覧になっている視聴者の方々、もう少々お待ちください! もう間もなく始まるかと思われます!』

 

 相変わらずのハイテンションなアナウンスが続く。

 

「遅くなりました! 立て込んでしまっていて……まだシンクとソウヤ様の再戦は始まってませんよね!?」

 

 と、その時、可愛らしい声とともにレオの座る特等席へと駆け寄る姿があった。

 

「丁度いいタイミングじゃ。間に合ってよかったの、ミルヒ」

「本当ですか!? よかった……」

 

 息を切らせながら、しかし間に合ったことをホッと安堵するようにレオの隣の席へと腰掛けるミルヒ。

 

「今勇者2人の過去の軌跡が終わったところじゃ。これから双方とも入場になるじゃろ」

「そうでしたか。……ですがレオ様、連絡を受けたときからずっと気がかりだったのですが、ソウヤ様は今戦っても大丈夫な状態なんですか?」

 

 ミルヒの最もな質問にレオは一瞬言葉を詰まらせた。

 

「……本音を言えば、ワシとしてはあいつをもっと休ませてやりたかった。……じゃがやる、と言い出したら聞かない奴じゃからな。それにあいつなりに今回の責任、だとかまあ思うところもあったようじゃし……。昨日ガウルと軽く模擬線をして、問題ないとガウルからのお墨付きじゃ。安心して見守れるじゃろ」

「……わかりました。では大丈夫そうですね。シンクもそのことだけを気にかけていましたから」

「そうじゃろうと思ってガウルが既にシンクのところに行っておる。余計な心配は無用、と伝えるためにな」

「さすがガウル殿下、抜かりはありませんね」

 

 そう言ったミルヒに軽く笑いかける。しかしその後でレオは何か考え込むような表情に変わった。

 

「……ワシとお前の星詠み、あれは何も見えていなかったのではなく、ああもはっきりとソウヤの不吉な未来を見ていたんじゃな」

「みたいですね……」

「ワシはかつてお前の未来が見えてしまった時……そしてその光景を一度目にしてしまった時同様、ワシにとって大切な人が目の前で失われてしまうのではないかととても怖れた。事実奴は一度は禍太刀の手に落ち、ワシに刃を向けたしな……。まあ最後は結果よし、と言うところじゃが……」

「レオ様は最後、ソウヤ様をその手でお斬りになった、と伺いましたが……」

 

 一度間を空け、レオが重々しく口を開く。

 

「……ああ。あいつが懇願したんじゃ。これ以上自分の意に反して大切な人たちを傷つけるくらいなら、いっそ斬ってくれ、と。その後口では斬られても自分は生き残るみたいなことを言っておったが……本心ではそのまま禍太刀と命を共にする覚悟だったようじゃ……」

「そうでしたか……」

 

 レオ同様にミルヒもうなだれる。

 

「……なあミルヒ」

「何でしょう?」

「……ワシの行動は正しかったのじゃろうか?」

「レオ様……」

「ワシは自らの手で召喚した勇者を、結果はどうあれ、一度はこの手で斬った。……それは正しかったのじゃろうか?」

 

 考え込むような素振りを見せ、ミルヒが口を開く。

 

「……すみません、私にはわかりません。それに、私なら同じ状況になっても、シンクを切るという決断はできません。最後まで皆が納得できる、助かる方法を探すと思います」

「……そうか」

「ですが……」

 

 その言葉に一度視線を下に落としたレオがミルヒへと視線を移す。

 

「結果としてソウヤ様は助かりました。でしたら、レオ様の取った行動は間違いではなかったのだと思います」

 

 強く、真っ直ぐなミルヒの瞳に見つめられ、レオは再び視線を下に移した。

 

「……そう言ってくれるか」

「それに……」

「ん……?」

「レオ様はソウヤ様のことを本当に大切に思っていらっしゃるんですね。……私同様失いたくない存在だとおっしゃいましたもの」

「な……! いや、ワシは……」

 

 レオの顔が赤くなる。ミルヒは小さく笑うと先を続けた。

 

「隠さなくてもいいですよ。……この間フィリアンノ城でソウヤ様のことを話したときと、今ソウヤ様のことを話してるレオ様の目はまったく別なものになってますから。……でも、だとしたらレオ様は本当にお強い方だと改めて実感しました」

「強い……?」

「はい。先ほど言った通り、同じ状況に私がおかれたら、シンクを斬ることはできません……。言葉通り『できない』のです。ですがレオ様はソウヤ様をお斬りになった……。そこまで大切に思っていらっしゃる方を斬る、という判断をなされたレオ様の強さは、私などには到底真似できないものだと感服したのです」

「ワシは……強くなどない……。あいつがそう望んだから……もしワシがあいつの立場なら、きっと同じことを望むと思ったからそうしただけじゃ。……じゃがもしあいつを失っていたら……ワシはどうなっていたかわからん。それはミルヒ、お前が相手でもそう言えることじゃがな」

「レオ様……」

 

 どこか照れくさそうに、ミルヒがレオの名を呼んだ。

 

「……やめじゃ。今更過去の話をしても結果は変わらん。ソウヤは助かった、その事実だけでワシは十分じゃ」

「そうですね。……ですがレオ様、そこまでソウヤ様のことを思っていらっしゃるなら、レオ様のお気持ちをお伝えになってもよろしいのではないでしょうか?」

「な!? な、何を言う!」

「私は……シンクが以前元の世界へと帰ってしまう時に勇気を出して自分の気持ちを伝えました。それに対してシンクは私のことが、そして皆のことが大好きだ、と答えてくれました。ですが……それは、私が求めているものとは違う、と時折思ってしまうんです……」

 

 ミルヒがぎこちない笑顔をレオへと向ける。

 

「浅ましい、とお思いになるかもしれません。確かに私はシンクと一緒にいれて、皆のことが大好きだと言ってもらえてとても嬉しいです。嬉しいですが……私の本当の気持ちはシンクにはうまく伝わってないのかな、って思ってしまうんです。……ですからレオ様にはご自分の気持ちをちゃんとソウヤ様に伝えてほしいんです」

「ミルヒ……」

「……なんて、私らしくもないですね。すみません、レオ様に対して出すぎた発言でした。忘れてください。……あっ、そろそろ始まるみたいですよ!」

 

 今までの話の雰囲気を振り払うようにミルヒが闘技場を見るようにレオに言葉をかける。

 その横顔を見たレオは自分はどうするべきなのかを考えつつ、その気持ちを伝えるべき相手が決戦の場に現れるのを待った。

 

 

 

 

 

『皆さん大変お待たせいたしました! これより特別興業の本番、勇者シンク対勇者ソウヤの一騎打ちが始まります! それでは両者入場! まずは赤ゲートよりビスコッティ勇者、シンクの入場です!』

 

 片側の入場ゲートを閉ざしていた門が開き、そこから1人の金髪の少年を乗せたセルクルが走り出してくる。駆け出してしばらくしたところで少年は持っていた棒を空高く放り投げた。そのままセルクルを飛び降り、側転、バク転、そして飛び上がって空中で回転を加える。そこで投げた棒を掴んで着地を決めた。

 

「ビスコッティ勇者、シンク・イズミ! ただいま参上!」

『今回もド派手に鮮烈に登場! 今巷で話題のエクストリームキャッチを華麗に決め、ビスコッティの勇者、シンク・イズミが見参です!』

 

 それを見ていた会場の観客達が声援と拍手を送る。シンクはそれに対して手を上げて応えた。

 

『いやあ鮮やかな登場でしたね、ロランさん』

『勇者殿は派手好きでいらっしゃるからね。それがまた見ている者の心を惹きつけるんだろうね』

『そうですねー。……さあ、続きまして、青ゲートよりガレット勇者、ソウヤの入場です!』

 

 先ほどと反対側の門が開き、鞘に収まる剣を持つ黒色短髪の少年を乗せたセルクルが走り出す。こちらはシンクより長くセルクルを走らせたが、そのまま普通に降り、鞘ごと剣を空中へと放り投げた。

 そしてバク転しつつ、右足で鍔の部分を蹴り、剣を空へと跳ね上げる。その隙に地上では鞘を左手に取ると飛びながらの回し蹴り、側転、バク転と全て蹴り技としても通用する動きをし終えたところで、左手の鞘を構える。そこへ空から降ってきた剣が綺麗に収まった。

 

『な、なんと! こちらも派手な登場だー! 華麗な足技を披露しつつの登場、ガレットの勇者、ソウヤ・ハヤマ!』

 

 こちらにも観客は熱い声援と拍手を送った。ソウヤもそれに対して慣れていない様子だったが右手を軽く上げて応える。

 

『バナード将軍、こちらも派手な登場となりましたね』

『驚きですね。もっと落ち着いた、淡々とした登場かと思いましたが、これは相手方に刺激されたのでしょうかね』

 

 実況放送を耳にし、ソウヤは鼻を鳴らす。今のパフォーマンスは別にシンクへの対抗意識、というわけではなかった。ただ、興業としてのこの戦いにおいて、自分に求められていることは何か。それを考えた時、「見ている人たちも喜んでくれるようなものにしたい」というのが、彼が辿り着いた答えであったからだった。

 声援に応えた後で、シンクの方へと歩き出す。シンクもソウヤの方へと近づいてきた。

 

「ソウヤ、元気そうだね。安心したよ」

「おかげさまでな。……迷惑かけたな、お前にも」

「ううん、全然。ソウヤが無事ならそれでいいし」

「ありがとう。……だが、それと戦いは別だ。ガウ様やエクレールからの話もいってると思うが、俺はもう全快だ。本気で行く、お前も本気で来い」

「勿論! 手を抜くなんて失礼なことはしないよ!」

 

 小さくソウヤが笑う。そして右腕を前へと差し出した。

 

「いい戦いにしよう。……それでも勝つのは俺だがな」

「こっちも負けないよ!」

 

 シンクもその手を握り返す。握手を終えると両者は距離を開け、ソウヤはエクスマキナを形状変化させていた鞘と剣を一度消した。その後で蒼く輝く刀身の剣を改めて実体化させて左手に持つ。シンクの方も感触を確かめるように長尺棒を数度回転させて構えた。

 

『神剣パラディオンを操るビスコッティの勇者シンクと、こちらも今度は神剣エクスマキナを持つガレットの勇者ソウヤの戦いが今始まろうとしております! ルールはどちらかがギブアップするか、防具破壊までの時間無制限! では、開始の合図を両国の代表であるミルヒオーレ姫とレオンミシェリ閣下によって行っていただきます!』

 

 手元にマイクを渡されるとミルヒとレオの両者が立ち上がった。

 

『シンク、頑張ってください』

『ソウヤ、ガレット勇者として連敗は許されんぞ』

 

 レオの言葉に思わずソウヤに苦笑が浮かぶ。

 

『それではいいですか、両者、構えて……』

 

 ミルヒの声に2人が互いに構えを取る。その間合いを中心として張り詰めた空気が広がる。

 

『始めッ!』

 

 そんな空気を打ち破るように告げられたレオの開始の声と共に――ソウヤとシンク、2人の勇者が同時に地を蹴った。

 

 

 

 

 

 戦いが始まると、途端に会場の熱気は高まった。

 互いに踏み込むと同時、シンクが挨拶代わりのパラディオンによる突きを繰り出す。ソウヤは左手のエクスマキナで弾き、間合いを詰めようとするが、シンクはそれを読んでいたか、後ろにステップを踏みつつ、迫るソウヤに対して手元に戻した棒の反対側で攻撃を繰り出した。が、対するガレットの勇者は右の掌でその攻撃を防ぎつつ、さらに加速して踏み込む。

 

 速い、と一瞬シンクに動揺が走る。以前戦ったときより踏み込みにキレが増している。やはり前回は本調子ではなかったのだと気を引き締めなおし、しかし本調子の相手と戦えることに喜びを覚えてもいた。

 そのシンクに対して出されるソウヤの追撃の右の膝。それに対してシンクも左の膝をぶつけて一度間合いが空く。

 

 再びソウヤが駆ける。今度はシンクがパラディオンを横に薙いだ。上体を屈め、エクスマキナがそれを上に払って受け流す。その屈んだ姿勢のまま左の後ろ回し蹴り、「コンパッソ」がシンクの上段へと伸びた。しかしシンクは上体を反らせてこれをやり過ごす。

 両者が体勢を立て直すと同時、シンクが力を込めてパラディオンを振り下ろす。ソウヤもそれにエクスマキナをぶつけて力比べとなるが、それも長くは続かず、再び両者が間合いを空けた。

 

『や……やはりすごい! まさしく勇者同士の戦い!』

 

 興奮気味の実況に会場も沸き上がった。

 

 呼吸を整えなおしてソウヤから仕掛ける。それに対してシンクがパラディオンを突き出す。先ほど同様剣の腹でそれを受けて間合いを詰めようとするが、シンクもより早くパラディオンを引き、再度突き出した。

 それをまたエクスマキナで払うが、代わりに突進の脚が止まる。そのチャンスを狙い、シンクは自分の間合いで連続で突きを繰り出していく。ソウヤも負けじと打ち払い、あるいは身を交わして隙をうかがう。

 事態が動いたのはシンクが上段への突きを出したときだった。ソウヤが上体を屈めつつ勢いよくそれを上へと払う。そのまま踏み込み、蒼い刃を返して振り下ろしを狙った。

 

「まだまだ!」

 

 同時にシンクが脚に紋章術を発動、大地を強く蹴って一気に間合いを空けた。蒼く煌く切っ先が宙を切るが、ソウヤは距離を詰めようとはせず、もう一度仕切り直しを選んだ。

 

『なるほど……勇者シンクは自分の距離での戦いをやり通すつもりのようですね。長尺棒、というリーチを生かして勇者ソウヤを懐へと潜り込ませないつもりでしょう』

『だとすると、ソウヤ殿はまずその間合いを切り崩すところから始めなくてはならない。しかしうちの勇者殿の機動力を考えると、それも簡単なこととは言いかねる……。これはソウヤ殿がどう戦うか、見物と言えそうです』

 

 解説を聞き流しつつ、ソウヤは一つ鼻を鳴らし、剣ごと左手首を1度回した。

 

(まったくもって両騎士団長の仰るとおりだな。前回と打って変わってあいつは自分の間合いを守ることに専念してる。……だが、だったらそれを逆手に取れば……)

 

「前回のように俺の間合いでは戦わないのか?」

「悪いけどこちらからは遠慮するよ。ユッキーとソウヤの戦いを見て、ベストな状態でのソウヤは相当やりにくい、ってことがよくわかったからね」

 

 ソウヤの挑発とも取れる言葉に、シンクはあくまで自分の戦い方を続けることを返す。

 

「一応断っておくがあれもベターだ。ベストじゃない。……まあそっちにその気がないなら仕方ない、強引にこちらのペースに持って行かせてもらう……!」

 

 またもソウヤが距離を詰める。それに合わせてシンクの突き。今まで同様にエクスマキナでそれを払う。

 後方へと飛び退きつつ、シンクがパラディオンを手元に戻して下段からの振り上げ。ソウヤは突撃の脚を一度止めてそれをやり過ごす。シンクの攻撃が空振ると同時、再び間合いを詰めつつ、エクスマキナの突きを伸ばす。パラディオンでその切っ先が変わるが、ソウヤは勢いをそのままに右手に拳を固め、踏み込む姿勢に入った。

 

「くっ!」

 

 先ほど同様にシンクが脚に紋章術を発動、距離を空けなおす。――ここまではほぼ先ほどと同じ展開だった。

 だが今度は追うのをやめたソウヤの左手のエクスマキナの形状が突如として変化する。弓状に変わった左手のエクスマキナと、右手には輝力で作り出された矢が生まれていた。

 

「くらえっ!」

 

 手の甲の紋章を輝かせて矢を引き絞り、放つ。

 間合いを空けたことで一旦集中が途切れていたシンクはそれに対する反応が遅れた。

 

「う、うわっ!?」

 

 咄嗟に両手を交差させ、輝力による防御。威力はそれほどではなかったものの、隙をつかれた形にシンクの心に動揺が生まれた。

 矢を防ぎ切り、シンクが防御を解く。だが自分の相手が視界の中にいない。慌てて左右に目を動かすが相手は見つからず、その時自分の足元に影が生まれたことに気づいた。

 

「上!?」

 

 落下の勢いを乗せてソウヤが剣状に戻したエクスマキナを振り下ろすのと、シンクがそれに気づいてパラディオンで防御の姿勢に入ったのが同時だった。金属音を響かせて2本の神剣がぶつかる。

 

「くっ……!」

 

 互いに押し合いの状態でソウヤが着地、すぐさま左足で下段へと脚払いを仕掛ける。シンクが脚を上げてそれをかわすが、休むことなく上段への回し蹴り、「シャペウジコウロ」。それを避けられるもさらに攻撃を続け、ソウヤはシンクを防御一辺倒へと追いやっていく。

 しばらく続いた攻撃に耐えかね、シンクが間合いを空ける。それを待っていたかのようにソウヤは再びエクスマキナを弓へと変化、先ほど同様狙い済ました一発を放った。

 再びシンクはそれを腕を交差させて防ぐ。が、エクスマキナを剣に変えていたもののソウヤの追撃はなく、そこで両者の手が止まった。

 

『な、な、なんという攻防でしょう! 先ほど両騎士団長が述べた間合いの問題、勇者ソウヤはそれに対してエクスマキナを得意の弓にするという方法で解消! そして自分の間合いに入ってからは連打連打! まさに独壇場!』

『今のソウヤ殿の弓による攻撃は見事でした。攻撃自体は紋章術のレベル1程度、威力はそこまででないにしろ、エクスマキナの形状変化、輝力による矢の生成と同時に行った、と言うことを考えれば素晴らしい攻撃です。彼の輝力制御の質の高さが窺い知れる場面ですね』

『加えて今のはシンク殿の動揺があったために攻勢に転じることが出来たと言えるでしょう。つまりそれだけ迅速な攻撃、と言うことでもあります。しかし今ので逆に距離を離しすぎれば自分の間合いになる、と言うことを植え付けたとも言えそうですね』

 

 実況、次いでバナードとロランの聞き流しつつ、一旦肩の力を抜いたソウヤは息をひとつ吐いた。続けて左手に持った剣を手首ごと1度回す。

 

「なんで今仕掛けなかったの? 飛び込まれてたら僕は危ないところだったよ」

 

 かけられたシンクの言葉に対し、ソウヤは一つ鼻を鳴らした。

 

「よく言う、悪いがその手には乗らん。……今のは俺を誘い込むための罠だろう?」

「え!? な、なんのこと……?」

「しらばっくれても無駄だ。言ってるだろう、騙し合いは俺の専門分野だと。俺を呼び寄せてカウンターでも狙ってたんだろ?」

 

 はあ、とシンクがため息をこぼす。

 

「なんだ……バレてたのか……」

「同じ手がそうそう通じるとも思っていない。……だが俺には弓がある、ってことは思い出してもらえたようだな」

「ソウヤは弓の名手だもんね。実を言うとちょっと忘れてたけど……」

 

 フン、とソウヤがもう1度鼻を鳴らした。

 

「……さて、次も俺が飛び込んでもいいが……さすがにまた同じ展開になったとあれば客も飽きてきそうだしな。乱打戦は見せたわけだし、そうなったら次は……」

 

 ソウヤの背後に2頭の獅子が描かれた濃紺の紋章が鮮やかに輝き出した。

 

「……大技勝負、ってのはどうだ?」

 

 それを聞いたシンクも僅かに微笑む。

 

「……あの時と同じってことだね。いいよ、その勝負受けて立つよ!」

 

 シンクも負けじと2頭の竜が鮮やかな、オレンジの紋章を輝かせた。

 

『こ、これは! 両者とも紋章術の構えのようです! 以前の戦いでは勇者シンクが親衛隊長直伝の紋章剣、裂空十文字によって勝利を収めていますが、果たして今回はどうなるのでしょうか!?』

 

 実況によって熱を煽られ、観客の歓声が高まる。

 

「行くぞ……前回の手は食わないから、覚悟しておけ……!」

 

 ソウヤがエクスマキナを利き手の右手に持ち替え、左脚の脇に構える。

 

「その構えだと前回と同じだね。……なら僕も、今回はダルキアン卿直伝の一文字で勝負するよ」

 

 シンクもまた同じ位置にパラディオンを構えた。

 

「いいのか? 自分の技を宣言して。俺がそれを聞いて考えを変えるかもしれないぜ?」

「それはないね。ソウヤはこの一撃に関しては真っ向からの全力勝負で来る。……だって、それを望んでるんでしょ?」

 

 ソウヤの口の端が緩む。

 

「……そう言われちゃ、期待を裏切るわけにはいかないか。いいだろう。力でお前を捻じ伏せる……!」

「望むところ!」

 

 互いの闘気が高まっていく。それに連れて、それまで歓声が飛んでいた観客席が次第に静かになっていった。観客も2人が全力で打ち込む、と言うその緊張感を無意識のうちに感じ取ったのだ。

 今目の前にいる2人にはそうさせるだけの迫力があった。見ている側にまで緊張感を伝えるほどの気迫。レオがかつて「ガレット勇者としてふさわしいであろうその風格」と評したソウヤから発せられる空気が、鮮烈さを期待させるシンクのそれとぶつかって生み出されるものだった。この空間、空気を全て支配したかのような2人に会場中の、そして映像を見ている人達の視線までも釘付けにしていく。

 場内が水を打ったように静まった。普段ハイテンションで喋りやめないフランボワーズでさえ思わず言葉を発せずにいたとき、両者が同時に飛び出す。

 

「紋章剣! 裂空一文字!」

「斬り裂けッ! オーラブレード!」

 

 両者の全力による打ち込み。オレンジの輝力の光を纏ったパラディオンと、濃紺の輝力の光を纏ったエクスマキナが激突する。その互いの輝力のぶつかり合いは荒れ狂う風となって観客席を吹き抜け、あるいは地を抉り砂礫を舞い上がらせた。

 輝く力同士のぶつかり合いの中心で、2人の紋章剣の威力はほぼ拮抗していた。

 だが、しばらく続いた互角の均衡状態が破れる。ソウヤがシンクを押し切ったのだ。

 

「う、うわっ!?」

 

 パラディオンを持つシンクの両腕が押し戻される。だがソウヤはエクスマキナを振り抜いたものの、相手の腕を弾く程度に留まり、シンクにダメージは与えられていない。

 その振り抜いた刃を今度は右手1本で上段へと構える。蒼い刃が煌き、シンクはそれを止めるために痺れが残る両手で上段への防御の姿勢を取った。その右手から見える蒼い光を注視し――。

 

 だが次の瞬間、シンクは信じられない光景を目撃する。

 

「え、ええっ!?」

 

 ソウヤの右手からエクスマキナが消えていた。あったのは蒼い光のみ。だが先ほどまでは確かにそこに剣が握られていたはずだったのに――。

 

「……約束どおり、最初の一撃は真っ向勝負したぞ」

 

 そう言ったソウヤの口元が笑う。それを一瞥した後、シンクは目を動かし、エクスマキナの在り処を見つけた。

 

「左手……!?」

「撃ち抜けッ!」

「ま、まずいッ!」

 

 左手に握られた剣の切っ先はシンクへと狙いを定めていた。ソウヤが右足を踏み込みなおすのとシンクが防御解いて逆に咄嗟の攻撃へと切り替えたのがほぼ同時。

 

「パイルバンカー!」

 

 両者共まったく同じタイミングで突きを放った。

 

「くっ……!」

「うわっ……!」

 

 両者とも体に攻撃が命中。そのまま互いに吹き飛び、身につけた防具も打ち砕かれた。

 

『あ、相討ちー!? い、いや! これは……』

 

 ソウヤが立ち上がる。防具は吹き飛んでいるが体はなんともない様子だ。

 

『勇者ソウヤ立ち上がった! 防具は破壊されましたが、まだまだ元気な様子! 一方勇者シンクは……』

「い、いてて……」

 

 シンクも立ち上がる。ソウヤ同様防具は破壊されているがダメージとしてはこちらの方が大きそうだった。

 

『こちらも立ちました! しかしダメージは勇者シンクのほうが大きいようですが……』

『両者とも防具が破壊されています。勝利条件は防具破壊ですから、ここまででしょう』

『バナード将軍の言う通りと思います。……しかしここまで、とすると……』

 

 実況席から聞こえてきた声にシンクが頭をかき、困ったような表情を浮かべながらその席の方を向く。

 

「僕の方がダメージ大きいから……僕の負け、ってことになっちゃいますね……」

「いや」

 

 不意に聞こえた声にシンクが驚いて今度はその声の主を見る。

 

「俺もお前も『防具破壊』という事例に変わりはない。そしてそれが起こったのは同時。だからこの勝負は引き分けだ。……そうでしょう、騎士団長殿お二方?」

 

 ソウヤからの申し出にバナードとロランの2人は顔を見合わせた。

 

『確かに両者とも防具破壊されていますし……』

『ソウヤ殿からの申し出ならいいかとは思いますが……』

 

 結論を出し切れずにいる騎士団長を見かねたか、ソウヤが観客席の方へと視線を移し、口を開いた。

 

「俺とシンクの再戦は互角の引き分け。勝負の結果は次に俺たちが召喚されるときまで持ち越しのお楽しみってことで……。俺たちの戦いをご覧になった皆さんは、これじゃ不満ですかね?」

 

 ソウヤにしては珍しく声量を上げ、観客席へと問いかける。それを聞いた観客は最初こそざわついていたが――。

 当初まばらに聞こえた手を叩く音は、水面を伝う波のように一気に広がり、会場を包んだ。中には立ち上がり、歓声を送る人までいる。

 

「騎士団長殿、観客の皆さんは納得済みです。引き分け、ということでいかがでしょうか?」

 

 ソウヤからの問いかけに実況席で再び顔を見合わせたバナードとロランだったが、笑顔をこぼすと互いに頷いた。

 

『引き分けー! 勇者同士による再戦は互いに防具破壊と言うことで引き分けとなりました! 今一度! 素晴らしい戦いを披露した勇者両名に惜しみない拍手を!』

 

 フランボワーズの声に観客席から再び雨のような拍手が降り注ぐ。

 それに対して右手を上げて応えつつ、ソウヤはシンクの元へと歩み寄った。

 

「シンク、大丈夫か?」

 

 ソウヤ同様、手を上げて拍手に応えていたシンクだったが、どこか少し困っているようにも見えた。

 

「大丈夫。防具壊れたときの衝撃がちょっとあったけど、基本的になんともないよ。……でもソウヤ、よかったの? あのままならソウヤの勝ちだったと思うんだけど……」

「1回目の俺はお前に完敗した。……だから俺が勝つときは、お前をぐうの音が出ないほどに打ち負かしてやりたいんだよ。……その点、今日の戦いはお世辞にもそんな風にはならなかった。防具破壊が同時だったってのは事実だからな」

「意外と負けず嫌いなんだね」

 

 フッとソウヤが笑う。

 

「まあな。……だが……パイルバンカーへのつなぎは我ながら悪くないと思ったんだが……」

「あ! あれどうやったの?」

「背を通してエクスマキナを落とし、右手から左手へと持ち替えた。その時に右手にダミーの光を紋章術によって発生させてお前に気取られないようにしたつもりだったんだが……」

「うわ! あの一瞬でそんなことしてたんだ……。完全に騙された、右手の方から光が見えてたからそこにあるものと疑いもしなかったよ」

「そこまではうまくいってたのか……。誤算があったとすれば……お前が死なばもろとも、という行動に出たってことだったな」

「あの状態からじゃ防御も間に合わないし、こっちの攻撃を当てて威力を殺ぐ方がいいと思ったからね」

「……俺がお前の怪我など気にせずに紋章剣を放っていたらどうするつもりだったんだ?」

 

 そのソウヤの言葉にシンクがニコッと笑った。

 

「それはないよ。だってソウヤはガレットの勇者だからね!」

「……なんだそりゃ」

 

 つられるように苦笑をこぼすソウヤ。

 

 だが、どこか嬉しくもあった。シンクは自分を信頼してくれた、とわかったからだった。かつての彼なら迷うことなく全力で二撃目を打ち抜いていただろう。結果シンクは多少なりとも怪我を負っていたかもしれない。

 しかし彼の心はそのシンクによって変わり、そしてシンクはそれを信じた。そうやって信頼しあえ、互いに強さを認め合えるライバル。そんなライバルと激闘を繰り広げることが出来た。本音を言えば満足する形での勝ちは得たかったが、それ以上に自身が満足する戦いを出来たことを、一度死の淵を彷徨いながらもまたこうして自身の好敵手と相見えられたことを、ソウヤは嬉しく思っていた。

 

「だがつまるところ、この勝負は最後の咄嗟の一撃で引き分けをもぎとったお前の勝ちと言えるのかもな。……いや、正直な話、勝ちだの負けだの、それよりも俺はこうしてまたお前と戦えたことが嬉しかったんだがな」

 

 だから、彼にしては珍しく本音で心中を語っていた。そしてシンクもそれを察したのだろう。

 

「ソウヤ……」

 

 嬉しそうに笑顔をこぼし、シンクが右手を差し出す。

 

「また戦おう! この明るく楽しい、フロニャルドの世界で!」

 

 ソウヤも笑顔を見せる。そして差し出された右手を固く握り返した。

 

「……ああ!」

 

 客席の拍手が一層大きくなる。見事な戦いを演じた両国の勇者に、惜しむことなく拍手が捧げられた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 17 歌姫達の二重奏

 

 

 ソウヤとシンクの再戦から数時間、段々と陽は傾き始め、夕方の様相を見せ始めてきていた。

 今はソウヤとガウル、ジェノワーズの5人でフィリアンノの城下町を散策しているところである。

 

「姫様のコンサートまでまだ時間があるからって城下町をブラブラするってのは別にいいんだが……。お前、なんでシンクに声かけなかったんだ? てっきりお前の方からかけてるもんだと思ってたから……んぐ……俺の方からは何も言ってねえぞ?」

 

 ガウルが先ほど露天で買ったフロニャルドの焼き物、ココナプッカを口にしながらソウヤにそう言った。地球の、日本の食べ物で言えばクレープか薄く焼いたお好み焼き、といったところだろうか、とソウヤは考えた。

 

「あいつは俺より1日早く召喚されてますよね? だったら明日にはもう元の世界に帰るはずです。夜はあいつの部屋に泊まるってガウ様の話でしたし、だったらその前の時間ぐらいは自国の人とゆっくりした方がいいんじゃないかと思ったんですが……。独断でしたね、すみません」

「いや、別にいいさ。あいつとは風月庵で模擬戦をしてるし、戦勝祭の時も喋ってる。それに姫様のコンサートの後もあるからな。お前があいつのことを考えてそうしたってんなら、俺は何も口を出さねえよ」

「……そう言ってもらえると助かります」

 

 普段どおりの調子のソウヤに思わずガウルが笑いをこぼした。

 

「ソウヤも何か食べないんか?」

 

 ガウルとソウヤの会話に後ろからジョーヌが口を挟む。

 

「ビスコッティのココナプッカはおいしいよ。……あ、ガウ様が食べてるやつね」

「栄養価も高いし、オススメですよ」

「……そこまで言うなら買ってくる。ちょっと待っててくれ」

「あ、せやったらウチの分も買ってきてな」

 

 ノワールとベールにも薦められ、ソウヤも買うことにしたらしい。左手で返事をしつつ回れ右をし、先ほどガウルがココナプッカを買った店に向かおうとする。

 

「ソウヤ、金はあるんだろうな?」

「今日の特別興業分がたっぷりありますよ。気にせずとも……」

 

 首をやや傾けながらそう言いつつしばらく歩いたソウヤだった。が、何かに気づいた様子で、気まずそうに苦笑を浮かべつつ振り返って戻ってくる。

 

「なんだ? どうした?」

「……ジョーヌ、リコッタの便利眼鏡はあるか?」

「便利眼鏡? ……ああ、ウチがお前の持ってた本を読んだときのか。ウチの部屋にあるで。でもなんで?」

「……フロニャ文字を正確に読む自信がない」

 

 思わず4人が顔を見合わせる。そして声を上げて笑った。

 

「……笑わないでくださいよ」

「わ、わりい! 完璧超人のお前にもそんなところがあったとは思ってもいなくてよ……」

「完璧超人って……。俺はそんなじゃないですよ」

「しかもソウヤ……あの眼鏡だとお前の世界の文字がフロニャ文字に変換されるわけだから……お前がかけても意味ないで?」

 

 ガウルに続いてジョーヌも笑いながら答える。

 

「……逆の機能ないのかよ。じゃあいい。ジョーヌ、ちょっと来い」

「はいはい、了解や。まったく人使いの荒い勇者様やで」

 

 文句を言いつつも嫌がる素振りは見せずにジョーヌがソウヤについていった。

 

「なんだ、最初あいつのお守りをした時は『あんなの二度とゴメンや』とか言ってたくせに、ジョーの奴もすっかり気許してるな」

「ガウ様、それは私たちも一緒だと思うよ」

「私なんて最初怖い人だと思ったけど……いい人ですね」

「いい奴か? お世辞にも口がいい奴とは言えねえぞ? ……まあ根は悪い奴ではないってわかったけどよ」

 

 ガウルが声を上げて笑う。

 

「……ほらやっぱり今の声……あ、いたよ……。おーい、ガウルー!」

 

 そのガウルの笑い声を聞いてか、最初遠くで何かを確認したような声が聞こえた後、ガウルの名を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「あ!? シンク!?」

「いたいた、探したよ。レオ様に聞いたらソウヤとジェノワーズと一緒に姫様のコンサートが始まるまで城下町にいるって言われて……」

「ひどいでありますよ。どうせなら自分達にも声をかけてほしかったであります」

 

 合流したのはシンク、エクレール、リコッタ、ユキカゼのいつもの仲良し4人である。

 

「ああ、わりいわりい。でもソウヤがよ……」

「あれ? そのソウヤは?」

 

 シンクが辺りを見渡す。と、ココナプッカを両手に持ったソウヤが近づいてくるのが見えた。

 

「シンク……?」

「ソウヤ、なんで誘ってくれなかったの? 誘ってくれたら喜んで一緒に行ったのに」

「お前は明日には日本に帰るわけだろ? だったら最後の夜はビスコッティの連中と一緒にいたほうがいいんじゃないかと思ったんだが……」

「そんな……水臭いこと言わないでよ。ビスコッティもガレットも関係なく、僕にとっては大切な人たちなんだから」

「……お前はよくそういう恥ずかしいセリフを平気で言えるな」

「へ?」

 

 シンクの間抜けな声には何も返さず、ソウヤはノワールにココナプッカを手渡す。ベールにはジョーヌが1つ手渡していた。

 

「……私頼んでないよ?」

「俺のおごりだ。拒否は認めない」

「ウチのも、ベルのもソウヤ持ちや。遠慮せんほうがいいで」

「本当? じゃあお言葉に甘えて……」

「おいソウヤ、これじゃ俺だけ自腹じゃねえかよ。俺にはねえのかよ?」

「王子様にわざわざ庶民が物をおごる義理はないでしょう。それにどうせおごるなら可愛い女の子のほうがいいでしょうし」

 

 それを聞いたガウルがフン、と鼻を鳴らし、眉をしかめた。

 

「……さっきの悪い奴じゃねえって発言撤回していいか?」

「何の話です?」

「気にせんでええって。可愛い女の子、とか、ソウヤわかっとるやないか」

「はいはい」

 

 調子に乗ったジョーヌをソウヤが軽くいなした。が、直後ソウヤは予想もしない手痛い一撃を食らうことになる。

 

「じゃあ可愛い女の子の拙者達にも、ごちそうしてくれるでござるか?」

 

 それがこのユキカゼの一言だった。思わずソウヤが固まる。

 

「……くそっ、失言だった。……でも巨乳ちゃんは土地神で最低でも100年は生きてるって聞いたぞ。『女の子』か?」

 

 ソウヤの返しに今度はユキカゼが固まった。だがすぐ両手で目を押さえて「ウッ、ウッ……」と声を上げ始める。

 

「あんまりでござる……。拙者はまだまだ女の子だと言うのに……そうやって拙者のことを恥ずかしい呼び方で呼ぶだけでは飽き足らずいじめるでござるか……?」

「……おい、普段の態度と違いすぎるだろ。嘘泣きだってバレバレだぞ」

「ユッキー、泣かないでほしいであります。……ソウヤさん、女の子を泣かせちゃダメでありますよ」

 

 リコッタにそう言われてソウヤは呆れたように大きくため息をついた。

 

「……はいはい、俺が悪かったですよ。……で、そっちの女性分3個でよかったか? シンクは男だから自分で買えよ」

「え、ええ!? なんかひどくない!?」

「私はいらん。ユキとリコの2つだけでいい」

「ちょっとエクレ、僕はやっぱり入ってないの?」

「わかった。3つだな」

 

 そう言うとソウヤは店の方へと歩き出した。

 

「おい! 私の話を聞いてるのか!?」

「エクレ! 僕の話も聞いてよ!」

「だあー! もうやかましい!」

 

 シンクの頭をエクレールがグーで殴る。痛そうに頭を押さえるシンクを見てその場の全員が笑った。

 

「この頭をどつかれてるのとパシリで買い物に行かされてるのがビスコッティとガレットの勇者で、今日の特別興業の主役2人だったとは到底思えねえな、こりゃ」

 

 笑いながらガウルがそう言う。

 

「まったくやで。あの戦いが嘘みたいやわ」

「ですがさすが勇者様、という戦いぶりでありましたよ。最初の打ち合いもすごかったでありますが、最後の紋章剣の激突は尻尾の付け根がずっとぞわぞわ言いっぱなしでありましたし」

「まったくだ。……それ以上にずっと勝ちにこだわってたようなあいつがあそこで自ら引き分けを選んだことに俺は驚いたがな」

 

 ガウルの発言に全員が頷いた。

 

「勝つならもっと圧倒的に勝ちたい、って言ってたよ。……あと勝ち負けより僕と戦えて嬉しかった、っても言ってくれたし」

「……結局ソウヤも恥ずかしいセリフ言ってるよね」

 

 ノワールがポツリと呟き、全員が再び頷いた。

 

「まあ引き分けだったが、あいつの戦いぶりは姉上も称賛してたし、興業としても大成功って言っていいだろうよ。あいつなりに考えた結果の興業であれだったんだ、本人も満足してるんじゃねえか? ……あ、そういやその姉上だが、俺たちのこと姉上から聞いたって言ったか? じゃあ姉上は姫様のところに?」

「はい。なんだか神妙な面持ちをしていらっしゃいましたが……」

「その前には姫様の控え室からレオ様が姫様と言い争ってるような声も聞こえたであります」

 

 ガレット側の4人が顔を見合わせる。

 

「なんだ……? あの2人がケンカか……?」

「それは考えにくいと思うでござるが……。特別興業をご覧になっていた際は両者とも仲良さそうに話していらっしゃいましたし……」

 

 ガウルが考え込む様子を見せる。

 

「だとすると……。明日シンクが帰るから……シンク絡みで何かか? お前、何かやったのか?」

「ええ!? ……心当たり何もないんだけど」

「心配しすぎだと思いますが」

 

 その時ココナプッカを両手に2つずつ持ったソウヤが帰ってきて口を挟んだ。

 

「仲がいいって言ったって考えの衝突とか些細な問題は起こるものでしょう? ……ほらよ、巨乳ちゃん」

 

 そのうちの右手の1つをユキカゼに、もう1つをリコッタに渡す。

 

「親衛隊長」

「いらんと言ったはずだ」

「拒否は認めん。……どうしても嫌ならそこで食いたそうにしてるシンクと半分ずつにでもしろ」

 

 エクレールが横を見る。そこにソウヤの言葉通り食べたそうなシンクの顔があった。

 

「……半分、食べるか?」

「いいの!? ありがとうエクレ!」

「……半分食べたらよこせよ」

 

 顔をやや赤らめつつ、エクレールがシンクにココナプッカを手渡す。

 

「……で、さっきの話ですが。皆さんいい人だってことはよくわかってるし、他人を心配するのもわかりますけどね。人には放っておいてほしい時ってのもあると思いますよ。仮に当人同士の問題として、あれこれ俺たちが心配したところでどうしようもないですし、結局は当人達がなんとかすると思いますけど」

 

 そう言うとさっき一口食べたきりだったココナプッカにソウヤがかぶりつく。予想通りソースを塗ったクレープか薄いお好み焼きといったところか。素直においしいとソウヤは思った。

 

「いやまあそうだけどよ……。お前が言うなよ」

「まったくでござる。シンクとお主の最初の一騎打ちのときとか、周り皆がヒヤヒヤでござったし。結局は当人達がなんとかしたでござるが」

「……悪かったですね。……だったらなおさら、前例があるんだから気にしすぎだ、ってことでしょう」

 

 ソウヤの言葉に反論はない。

 

「まあソウヤの言うとおりだと思うよ。どうしても気になるなら、姫様のところ行ってみる?」

「この後コンサートやで? 本番前に行くのはあまりよくない気がするわ」

「……それこそお前が言うなよ、だろうが。シンクとの一騎打ち直前に俺の控え室に来たくせに」

 

 ボソッとソウヤが呟くがジョーヌは知らん振りだ。

 

「だったら姉上だな。どうせフィリアンノコンサートホールじゃ俺たちと一緒の特別席だろうし。そこにいなくてもビオレかルージュに話通せば……」

 

 ガウルがそこまで言った時、「あーっ!」と言うエクレールの声が響いた。

 

「この馬鹿勇者! 半分だと言ったはずだ! 何でお前は全部食べてるんだ!」

「あ、ああ! ご、ゴメン! おいしくてつい……。でもエクレ、いらないって言ってたんじゃ……」

「さっきはいらなかったが今はいる! 何で貴様はそうなのだ!? まったく貴様と言う奴は……!」

「ご、ゴメンエクレ! 買って返すから……」

 

 シンクとエクレールの様子を見てソウヤが大きくため息をこぼす。

 

「……とにかく、皆さん気になるんなら今ガウ様が言ったとおり、レオ様に会うか、ビオレさんかルージュさんに話聞くとかでいいんじゃないですか?」

「そうだな。……よし、食ったらあの馬鹿2人おいて行こうぜ」

 

 いつまでも夫婦漫才よろしく言い争う2人を一度見た後で、その場の全員が頷いた。

 

 

 

 

 

「え……? 来ない……?」

 

 ミルヒのコンサートの開演時間が近づき、城下町を散策していた一行はコンサートが開かれるフィリアンノコンサートホールに来ていた。

 そこでルージュから告げられた言葉に思わずガウルが驚いた表情を浮かべる。

 

「ルージュ、それは本当なのか? 姉上が姫様のコンサートに来ないって……」

「えっと……。このホールの特別席にはお来しになりません」

 

 ガウルの表情が険しくなる。

 

「どういうことだ……。姉上は姫様のコンサートは以前の一件があった時以外は基本的に会場で聴く、ってのが常のはずなんだが……」

「も、もしかしてさっき言ってたことが本当にあったりとか……?」

「いや、それこそないと思うんだが……」

 

 そう言うとガウルがルージュの方を見る。思わずルージュはびくっと体をすくませた。

 

「ルージュ」

「は、はい!」

 

 今度は声が裏返る。

 

「姉上と姫様……まさかケンカした、なんてことはないよな?」

「そんなこと! あの一件以来お2人の仲は非常によろしいです。むしろ……」

「むしろ?」

 

 ハッとしたようにルージュが両手で口を抑えた。

 

「……いえ、なんでもありません」

 

 怪しむようにガウルがルージュを見つめる。

 

「……なあルージュ、本当に何もないのか? リコッタが2人が言い争うような声を聞いたっても言ってたし、ここにいる連中も心配してんだ」

「少なくともレオ様と姫様がケンカをなされた、とか、そういうことはございません。ですから、その点は安心していただいて大丈夫です」

 

 まだ納得していない様子のガウルではあったが、

 

「ルージュさんもそこまで言ってますし、心配ないってことでしょう。ガウ様がいい弟だってことはわかりますが、俺がさっき言ったとおり放っておいてほしい時だってあるかと思いますよ」

 

 そのソウヤの言葉に説得されたらしく、大きくため息をついた。

 

「……わかった。まあ大した問題でもなさそうだしな。……んじゃあ姫様の歌声を堪能するとすっか」

 

 ガウルが関係者用の特別席に腰を下ろす。それにつられるように一緒に来た全員が椅子に座った。

 

「で、俺は姫様の歌を聴くのは初めてなんですが、どんな感じなんですか?」

「どんな感じとはなんだ! 姫様の歌はそれはそれは素晴らしくていらっしゃる! 貴様も姫様の歌を聴けば愚かな質問だったとすぐにわかるだろうよ」

「ま、まあまあエクレ……」

 

 興奮気味のエクレールをシンクがなだめた。それを見ていたソウヤは一つため息をこぼす。

 

「……盛り上がるってのは前にジョーヌから聞いた気もするな。だが俺はこういうコンサートとかライブとか、そういうのは初めてなんだが……」

「そうなの? 僕が以前野外ステージで姫様の歌を聴いたときは、昔ベッキーに連れて行かれたライブみたいな雰囲気だったよ。曲に合わせてリズム取ったり、ヒカリウムだっけ? 光る棒を振ったり」

「……まあ楽しみたいように楽しんで聴け、ってことか」

「そういうことや。あ、ヒカリウムいるか? ウチ多目に持ってきたから、余ってるで」

 

 ジョーヌの手元にピンクに輝く光の棒が握られている。これはフロニャルドにおけるコンサートグッズで、フロニャ力によって発光するものだった。

 

「いや、遠慮する。座って大人しく聴いてることにする」

「盛り上がってきたら立ってもいいのでありますよ?」

「ああ、そうするよ」

 

 と、そこで会場の電気が暗くなり、人々の歓声が上がった。

 

「お、始まるな」

『皆様、お待たせいたしました! それではこれよりミルヒオーレ姫殿下によりますスペシャルコンサートを開催したいと思います!』

 

 ますます歓声が大きくなる。それはせりあがるステージによって、その舞台の主役が現れるとさらに大きくなった。ステージ上に現れたミルヒは白のワンピースタイプのフリフリなドレスに身を包み、普段シニョンキャップに纏めてある髪は解かれて背中付近までウェーブがかかって伸びている。

 

『皆さん、こんばんは!』

 

 「こんばんはー!」と観客の声が返事をする。

 

『お昼に行われた勇者様2人による特別興業、とても素晴らしいものでしたね! 私もそんな2人に負けないように、また、これまで目覚しい活躍を見せてくださったビスコッティ、ガレット、両国の勇者様にありがとうの気持ちを込めて。そして、今日ここに私の歌を聞きに来てくださった皆さん、放送を通じてご覧になってくださっている皆さんのために、心を込めて歌っていきたいと思います! では1曲目、聞いてください。【Brand-new SKY】!』

 

 アッパーチューンな曲が流れ始め、ステージの上でミルヒが踊りだす。前奏が終わると、振り付けをしながら歌い始めた。

 今ソウヤ達のいる2階の関係者用の特別席からは1階の客席のヒカリウムがよく見える。その光が幻想的な波となって広がっていた。

 

「すごい……」

 

 思わずソウヤがそう呟いた。

 

「でしょ! 姫様の歌はとても素敵だから!」

 

 歌と周りの熱気、両方にかき消されないようにシンクがそう声量を上げる。アップテンポな曲のせいか、既に体でリズムを取っていた。同時に、ソウヤはよく今の自分の呟きを聞き取ったなと感心した。

 

「そうだな! 確かに歌がうまいってのはある! だがそれ以上にこれだけの人を惹き付ける魅力ってのがすごいんだろうな!」

 

 ソウヤも声量を上げて答える。

 ミルヒが踊りつつステージ前方へと歩き、くるりと1度ターンをしたところで、曲はサビの部分へと入った。照明演出と観客の熱気がそれをさらに盛り上げる。

 

「……さすがお姫様、か……。生まれ持った、人を惹き付ける魅力と言ったところか」

「んなもん、お前だって持ってるだろうがよ」

 

 隣のガウルからかけられた声にソウヤが驚いて振り向いた。

 

「俺が? そんなもの持ってませんよ」

「そう思ってるのはお前自身だけじゃねえか? 今日のシンクとの戦い、見ていた客は皆お前とシンクの戦いに魅了されてた。謙遜してるのかもしれねえが、お前は自分で思ってるほど小さな人間じゃねえよ」

「だとしても俺は人の上に立てるような器じゃない。姫様やガウ様、レオ様のようには到底なれません」

 

 ガウルが一旦言葉を止める。ミルヒの歌は1番を終え、2番へと差し掛かった。

 

「……今姉上の名前を出したけどよ」

 

 てっきり話は終わったと思っていたソウヤはステージに移していた目を再びガウルの方へと戻した。

 

「俺は、お前になら姉上を任せられると思ってる。姉上はああ見えて不器用だからよ。なんでも1人で背負い込んじまうんだ。俺がそれを分けてもらおうとしたときもあったんだが……。いっつも姉上は俺をガキ扱いして、結局俺は姉上と肩を並べることは出来なかった。……でもよ、あの禍太刀の一件のとき、姉上はただお前を失いたくないって言って涙を流した。それを見たときに気づいちまったのさ。……姉上が背負い込むものを分ける相手は、俺じゃなくてこいつなんだ、って」

 

 ソウヤは答えない。無言でガウルを見つめ続けていた。

 

「だからよ、お前は姉上と肩を並べて歩くことが出来る、姉上を任せられるって思ってんだ。前にお前がその気なら俺が領主になって姉上を蹴落としてやる、って言ったが、まああん時は半分ぐらい冗談だったけどよ。……今なら本気でそう思えるようになった。……だからよ、そんな姉上を任せられるお前は、お前が自分で思ってるほど器が小さい人間じゃねえんだよ」

「ですが俺は……」

 

 そこまでを口にしてソウヤは言葉を止めた。次に言う言葉を考えている、そんな雰囲気だった。

 その様子を感じ取ってか、ガウルが一度鼻を鳴らした。

 

「……ま、お前に今すぐどうこうしろ、って言ってるわけじゃねえんだ。ただ俺は、お前だって十分すげえ奴だって、姉上と対等に渡り合える奴だってことを言いたかっただけさ」

「……そう、ですかね……」

 

 なんとなしにステージに目を移し、ソウヤが呟いた。

 1曲目が終わり、2曲目が始まる。「HONEY HONEY BABY」と言う名のつけられたその曲が始まると、1曲目同様アップテンポなイントロが流れ始める。

 

「……まあいいや。今言ったことはあんま気にしないでくれ。くれぐれも姉上には言うなよ、あとで怒られるからな。せっかくの姫様のコンサートだ、今日はそいつを楽しもうぜ」

 

 そう言うと、それきりガウルはソウヤにこの件を話そうとはしなかった。ソウヤはガウルに言われた通り、ミルヒのコンサートを楽しむために意識をステージに集中する。

 

 コンサートは素晴らしいものだった。

 最初はテンポ感のいい曲で始まったが、ミルヒは時にしっとりと歌い上げ、時にのびのびと歌っていた。曲間に挟まれるミルヒのトーク、2度変わった衣装など、どこを取っても最高のコンサートであった。

 

 だが、コンサートがまさに終わりに近づき、この後予想だにしない事態が起ころうとしていることを、この時特別席に、いや、客席に座っている誰もが知る由もなかった。

 

『皆さん、楽しんでくれてますかー!?』

 

 ステージ上のミルヒからかけられる声に客が歓声で答える。

 

『ありがとうー! 私もすっごく楽しいです! ……でも名残惜しいですが、次が最後の曲となってしまいました』

 

 それに対し、今度は「えー!」と観客席から残念がる声が上がった。

 

『ですが、最後の曲を一緒に歌ってくれる、とても素晴らしいゲストが来てくださっています!』

 

 それを聞いた観客が誰だろうとざわつき始める。

 

「へえ、姫様と一緒に歌うゲストか。一体誰だろうな」

 

 ガウルも他の観客同様、誰が来るのか楽しみにしている様子である。だが、一方のソウヤは渋い顔で、眉をしかめていた。

 

「……ガウ様、なんかすごく嫌な予感がするんですが」

「あん? どういうことだ?」

 

 そのガウルの質問にソウヤが答えるより早く、

 

『ではご登場していただきましょう! スペシャルゲスト、レオンミシェリ閣下です!』

「な、何ぃぃぃいい!?」

 

 ミルヒによって明かされた正解にガウルは思わず叫びながら立ち上がり、ソウヤは呆れたように左手で頭を抑え、会場の他の観客はどよめいた。

 

『……あれ?』

 

 が、ミルヒがレオの名前を読んでもレオが出てくる気配がない。

 

『レオ様? 出番ですよ?』

 

 慌てたようにミルヒがステージ袖へと走っていく。

 

「おい、まさか本当に姉上が……。ってソウヤ! お前もしかしてこのこと知ってたのか!?」

「……知ってるわけないでしょう。ただ、本来ここで聞いてるはずなのにいないレオ様、そのレオ様の行方を聞くと明らかに動揺した様子で応答をしたルージュさん、そして今の姫様のスペシャルゲストって言葉……。その辺からもしかしたら、って思っただけです。……まさか本当にそうなるとは思ってもいませんでしたが」

「ちょ、ちょい待てソウヤ! その話が本当だとするとレオ様と姫様の言い争いって……」

「ステージにゲストとして出る出ない、あるいは衣装でなにか、とかそういう感じの話じゃないのか? 少なくともステージに呼ぼうとしてるんだ、ケンカとかって線はないだろう。……まったく人騒がせな」

 

 やれやれとソウヤはため息をつく。

 

「……ガウ様、レオ様って歌うの得意だっけ?」

「得意じゃねえけど……。別にまったくダメってわけじゃないはずだ。……それでも姉上はそんなのは絶対断るような性格のはずなんだが……姫様はどうやって説得したんだ?」

 

 関係者用特別席であれこれ考えながら混乱している様子だったが、それはステージでも同じだった。一旦舞台袖に引っ込んだミルヒがなかなか戻ってこない。

 ただ、マイクを切り忘れているせいか、「レオ様、皆待ってますよ!」「無理じゃ! やはりこんな恥ずかしい格好……」「いいと言ってくださったではありませんか! さあ!」と言うような声を拾っている。

 

 結局、しばらくしてステージ袖からミルヒが帰ってきた。その手に引かれて白いフリルの覗く青いドレスに身を包み、今のミルヒの髪型同様に2つ分けて、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしつつ嫌々ながらステージに上がるレオの姿がそこにあった。

 その姿が現れた時、会場が今日1番に沸きあがる。普段決して見ることのない、戦場では勇ましい姿の闘姫がかわいらしい衣装に身を包んでステージに現れると言う光景は観客にとって衝撃的だったようだ。

 

『では改めて紹介します。今日のスペシャルゲスト、レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ閣下です! 今日は両国の勇者様が頑張ったので、自分も特別興業に関わって皆を喜ばせたいと仰り……まあ半分ぐらい私が無理矢理誘ってしまったのですが……とにかく、私と一緒にステージで歌う提案を了承してくださいました! レオ様、何か一言ありますか?』

 

 ミルヒの紹介に会場が再び揺れる。マイクを手に何かを話そうとするレオだったが、その姿は戦場で見るレオの姿からは程遠く、観客席から波のように寄せる歓声にマイクを口元に持っていったまま固まってしまった。

 そのレオの様子に気づいたか、レオの話を聞くために次第に歓声は収まっていく。

 

『あ……えー……これは、その……』

 

 普段の堂々とした態度と真逆、顔を赤らめて視線を下へと逸らし、言いたいことも口ごもってしまっている。

 それを見かねたか、2階の席の方で立ち上がった影があった。

 

「かわいいですよ! レオ様!」

 

 静かになっていたその状況で聞こえた声にレオがハッと顔を上げた。言った本人の顔は見えないがその声は聞き間違えるはずもない。ソウヤだ。

 

「似合ってるぜ! 姉上!」

 

 次いで聞こえたその声の主は会場の皆がわかったらしい。会場が笑いに包まれ、その笑い声と共に「お綺麗ですよ閣下!」「眼福です!」と言った声も飛ぶ。それを聞いていたレオが先ほどまでとは違う風に顔を赤らめた。

 

『き、貴様ら! ガレットに帰ったらどうなるか、覚えておれ!』

 

 マイクに向かって叫んだレオに再び会場から笑いが起きた。

 

『レ、レオ様……そろそろ歌のほうを……』

『……もうお前に任す! 勝手にせい!』

 

 ステージ中央、レオがミルヒに背を向けて立ち、不機嫌そうに目を瞑る。

 それを見ていたミルヒが苦笑を浮かべつつ、その中央に寄り、レオと背を合わせた。

 

『……それでは最後の曲です! 聞いてください、【きっと恋をしている ミルヒ&レオ・スペシャルバージョン】!』

 




姫様ライブの曲名はフロニャ文字を解読したセットリスト(1期3話かな)より。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 18 2つの月が昇る夜

 

 

 その夜。ソウヤ、ガウル、ジェノワーズの5人は明日故郷へと帰る予定のシンクの部屋へと来ていた。フィリアンノ城の一室と言うこともありなかなか豪華ではあるが、来客用にしては少々小さい気もする、とソウヤは感じた。

 

「ここがシンクが使ってる部屋か……。思ってたより質素だな、俺が借りてる部屋よりは大きいが」

「何言ってやがる。お前だって最初はもっとでかい部屋を姉上が用意してくれたってのに、お前が落ち着かないとかってビオレに言って、結局使用人用の空き部屋使ってんじゃねえか。もっといい部屋はいくらでもあるってのに全然聞こうとしないしよ」

「あ、やっぱりソウヤもそうなんだ。僕も最初はもっと大きな部屋だったけど、落ち着かないからってここに変えてもらったんだ」

「……とまあ庶民の感覚というのはこういうものなんですよ、ガウ様」

 

 ソウヤの言葉に対して「はいはい」とガウルが適当に返事をする。

 

「で、明日にはシンクは帰っちまうわけだし、今日は朝まで遊びまくるぞ! ってことでいいか?」

「うん、構わないよ」

「……本当にいいのか? さっき姫様と明日の朝散歩に行くとか約束してたろ? ガウ様のことだ、本当に朝までつき合わされるぞ」

 

 そう言ったソウヤに対してシンクは苦笑を浮かべ、ガウルは不満そうな顔をする。

 

「まあ……そうだけどね。でもそれは僕が頑張ればすむことだし、最後まで楽しい思い出を多く作りたいから」

「それからソウヤ、お前は俺をなんだと思ってんだ? 最近俺の扱いがぞんざいだろ?」

「そうですかね? ……まあ王子様だってんで最初は遠慮してましたが、要は腕白小僧だってことがわかったってのは事実ですが」

「な! ソウヤ、てめえ!」

 

 ガウルがソウヤに掴みかかろうと迫る。が、ソウヤはひらりと身を交わした。

 

「ソウヤ、それ正解だね」

「ガウ様の扱い方がわかってきたやないか」

「図星だからってガウ様も怒らないでくださいよ」

「おい! 三馬鹿! お前らも言いたい放題言ってるんじゃねえ!」

 

 再びガウルが不満の声を上げた時、シンクの部屋の入り口が開かれた。

 

「失礼します。先日皆様が持って帰ってきてくださったハチ蜜を使って、ハチ蜜尽くしのメニューをご用意させていただきました。どうぞお召し上がりください」

 

 メイド長のリゼルとフィリアンノ城のメイド隊がティーセットやお菓子の乗ったカートを押して部屋へ入ってきたのだ。

 

「お! 待ってました!」

 

 その甘くいい香りにさっきまで不機嫌だったガウルの機嫌が一気に直る。甘いお菓子が好きなのは何も女の子に限ったことではないのだ。

 お茶とお菓子を来客用の机に置くと、一礼してメイド隊は部屋を後にした。机の上にはパイ状のお菓子に切り分けられたケーキ、パンにサンドイッチ……。目移りしそうなほど数多くの食べ物が並び、どれも見るからにおいしそうである。

 

「よーし! それじゃいただきまーす!」

 

 まだノワールがお茶を注ぎ終わっていないうちからガウルはケーキを1つ自分の取り皿に分けた。

 

「あー! ガウ様ずるいで!」

「へっ! 早い者勝ちだ!」

「じゃあ僕も……」

「文句を言ってる暇はなさそうだな。早いうちに確保しておくか。……ノワール、お茶入れてくれてるなら代わりに取っておいてやる。何がいい?」

「ありがとう。なんでもいいよ、フィリアンノ城のハチ蜜メニューはなんでもおいしいから」

「了解、っと……」

 

 言われた通りソウヤは手近なところにあったケーキをいくつか見繕ってノワールの取り皿に取り、次いで自分の取り皿にはパイのようなお菓子を切って取り分けた。ノワールの取り皿を本人の前に置いたあとで、自分の取り皿にある甘い香りのその食べ物を口へと運ぶ。

 

「……うまい」

 

 驚いた表情でソウヤはそう呟いた。馴染みあるハチミツとは明らかに違う。もっと芳醇な香りと、それでいて繊細な甘味が負けることなくその個性を主張している。これならハチくまという荒くれ者と戦ってでも手に入れたい、と思う気持ちも納得だろう。

 

「そりゃそうだ。このハチ蜜は特産品だぜ? お茶も飲んでみろよ」

 

 ソウヤの考えを裏付けるかのようにガウルがお茶も薦めてくる。言われるままにソウヤは今度はティーカップに口を着ける。やはりうまい。以前レオの部屋で花蜜を入れて飲んだビスコッティ名産のお茶だが、香りと甘味がますます増している。果実の香りを思わせるその名産のお茶にやはり見劣りしないほどの主張をするハチ蜜は、このお茶に入れるものとしてはベストマッチと言えるのではないだろうか。

 

「……なるほど、やっぱり俺は甘い方が好きらしい」

「あ……もしかしてハチ蜜足りなかった?」

「いや。このぐらいで丁度だ」

 

 かつてレオと共に飲んだ時よりも口にあったのだろう。ソウヤはそう言うと、もう一口カップに口をつけた。

 

「それにしてもハチ蜜尽くしで豪華ね。まさに『HONEY HONEY BABY』と言ったところかしら」

 

 ベールの口から先ほどのコンサートでミルヒが歌った曲名が出る。お調子者のジョーヌが次のケーキに手を伸ばしながらその歌を口ずさみ始めた。

 

「……ああ、どこかで聴いたことある曲だと思ったら、さっき姫様が歌った曲か」

「なんだよ、聴いたばっかだってのにもう忘れたのか?」

「俺が聴いたのは今日が初めてですよ?」

「ああ、そうだっけか。……そういやよ、コンサートといえば、まさか姉上が歌うとは思ってもいなかったぜ」

 

 反射的に全員が深く頷く。

 

「姫様と一緒に素敵な歌声を披露してくださったから、一言声をかけようと思ったんですが……まさか突っ返されるとは思ってませんでしたけどね」

 

 コンサート終了後、ソウヤ達は2人の控え室の方へ顔を出した。だが、ミルヒは応対してくれたものの、レオは誰とも顔を合わせたくないとかで最後まで控え室の中に篭ったままだった。まあ無理もないだろう、とソウヤは一応納得してはいた。普段見せないような恥ずかしい姿を見せたのだ、顔を合わせにくいというのはある。意外とウブだ、ということに気づいているソウヤはそのように考えていた。

 

「恥ずかしかったんだろ。姉上があんなことするのは珍しいし」

「というか、レオ様が何かを言おうとしてる時に、かわいいだの似合ってるだの茶々入れた方が悪いとウチは思うんやけど……」

 

 ジョーヌの一言に思わずガウルとソウヤがお茶とお菓子の手を止め、互いに顔を見合わせた。

 

「私もジョーの言うとおりだと思う」

「お、おいちょっと待てジョー、ノワ! あそこで俺たちが助け舟を出さなかったら姉上はずっと固まったままだったかもしれねえんだぞ? ……まあ俺はソウヤが先に言ったのを見て勢いで言っちまったんだが」

「だとしても、あそこでガウ様が言っちゃったせいで、会場のお客さんが笑っちゃって、それでレオ様が怒っちゃったわけじゃないですか?」

「く、くそ……ベルまで……」

「まあそういうことらしいですよ、ガウ様」

「待てソウヤ! お前はこっち側だろ! そもそもお前があそこで言わなきゃ、俺だって言わなかったんだよ!」

 

 やれやれとソウヤがため息をこぼす。

 

「……俺としてはさっき控え室に言った時に謝ろうとも思っていたんですがね。門前払い食ってしまったんで、またそのうち、俺が帰る前にでも謝っておこうとは思ってます。……でもまあ、寝て起きれば機嫌も直るでしょう。睡眠は万物の特効薬って言いますしね」

「……言うか? シンク、お前の世界では言うのか?」

「えーと……僕も初めて聞いたんだけど……」

「そこは嘘でも言う、と言っておいてほしかったな」

 

 ソウヤが苦笑を浮かべつつ空いたカップにお茶を注ぎなおした。

 

「でもソウヤの言うとおりだとも思う。多分レオ様は今頃、姫様に接待されてなでなでされてる最中のはずだから」

「……なでなで?」

 

 ノワールの口から出た単語をソウヤがオウム返しに口にする。

 

「そや。姫様のなでなでは至極の喜びらしいで。で、姫様とレオ様は姉妹のような関係、と言われてるけど、そのなでなでのせいか、姉は姫様でレオ様が妹、とかって噂も流れるほどや」

「まあ……エクレも姫様になでてもらってる時はヘブン状態だしね」

「つまり姫様のなでなでもあるんで、レオ様は明日には機嫌を直してる、ってことですね」

 

 ベールのまとめにガウルが頷く。

 

「まあそういうことだ。……だから俺たちは気にせず、目の前の物を食っておけばいいって話だな」

 

 言うなりガウルがパイを大きく切り分ける。最初にソウヤが切ったパイだ。

 

「ちょっとガウ様! 取りすぎ!」

 

 自分の分がなくなる、と焦った大食いのジョーヌが思わず文句をつける。が、ガウルも気にした様子はない。

 

「うるせえジョー、文句があるならお前も取ればいいだろ!」

 

 そしていつも通りのガウルとジェノワーズのやり取りが始まる。

 その様子を見て、再びやれやれとため息をこぼし、ソウヤは競争率の低そうなケーキを自分の皿に取り分けた。

 

 

 

 

 

「ん……?」

 

 時刻は既に夜中。部屋の照明は落とされ、複数人の寝息が響き渡っている。

 ハチ蜜尽くしのパーティタイムを終えた後は腕相撲、ガレット式レスリング、フロニャルドのカードゲームと一頻り遊んでいた。だがそこまで経過したところで、朝まで遊ぶと豪語していたガウルが真っ先に寝てしまった。

 その後はなし崩し的に全員が眠り始めたために、例に漏れずソウヤも寝る姿勢には入っていた。だがいまひとつ眠れずにいた時に、部屋を出て行く物音を耳にしたのだった。上体だけを動かし、入り口の方へと目を移す。

 トイレかと思ったが、その部屋を出た影はトイレのある方向とは逆へと進んだところまで見えて、扉が閉められた。つまり目的はトイレではないということだ。

 ソウヤも体を起こす。そして物音を立てないようにそっと部屋を出ると、先ほどの「影」が進んだ方と同じ方向へと歩き出す。行く場所の見当はなんとなくついていた。

 

 中庭を覗く。そこにソウヤの予想通り、1人佇んで夜空を見上げているその姿があった。

 

「シンク」

 

 その名をソウヤが呼ぶ。驚いたようにビスコッティの勇者、シンクは振り返った。

 

「ソウヤ……? もしかして起こしちゃった?」

「いや、寝られなくてな」

「そっか、ソウヤもか……」

「お前もか?」

 

 シンクは頷く。

 

「今日も色々あったし、体は疲れてるだろうから眠いはずなんだけどね……。明日でまたしばらくここに戻って来れない、って思うと……ちょっと眠れなくてさ」

 

 そう言い、中庭の芝生に腰を下ろしてシンクは夜空を見上げる。ソウヤもそれに倣って腰を下ろした。地球では見ることのできない月が2つという異世界の夜空。今日はその両方が満月でとても美しい。

 

「……ここに来て、2週間とちょっとか」

「2回目だけど、短いようで、長いようで……でもやっぱり短かったな、って思う」

「……だな」

 

 ソウヤも空を見上げる。

 

「なあシンク」

「何?」

「……お前、姫様のことどう思ってるんだ?」

「ど、どうって……」

 

 思わず言葉を詰まらせたシンクの方をソウヤが見つめた。

 

「いや、ちょっと気になっただけなんだがな」

「……そりゃあ大好きだよ。でも、姫様だけじゃなくて、エクレもリコもユッキーもダルキアン卿も……ビスコッティの人たちだけじゃなくて、レオ様やガウルやジェノワーズの皆も……。あ、勿論ソウヤもね」

 

 それを聞いたソウヤが一つため息をこぼす。期待していた答えではなかったらしい。

 

「……それを逃げじゃなく普通に答えるってのが、いかにもお前らしいな」

「え……? 僕何かまずいこと言った……?」

「いいや、なんでもない。気にするな。……じゃあ、お前は姫君に当たる相手と……友達のように接することに抵抗を感じたことはないか?」

「抵抗……? うーん……」

 

 シンクが再び考え込む。最初その様子を見つめていたソウヤだったが、やがて視線を夜空に浮かぶ月のほうへと移した。

 

「……最初は、確かにお姫様って聞いて、ちょっと気後れをしてた感じはあったけど……。でも話してみたら普通の女の子だし、本人もそう接してもらいたいみたいだったから。そんなわけで今はまったくそういうのは感じてないよ。それに僕のことも勇者として認めてもらってる……。だから、ただのシンクとしても、勇者シンクとしても、もう抵抗とかは感じないかな」

「……そんな風に割り切れるお前が羨ましいな」

「割り切ればいいじゃない、ソウヤも」

「言うのは簡単だがな。俺はお前ほど素直じゃない」

 

 シンクが口を噤む。何かを考えてる様子だった。

 

「……ソウヤ、もしかしてレオ様と自分が吊り合わないんじゃないか、って不安に思ってるの?」

 

 ソウヤの顔に驚きの色が浮かぶ。

 

「鈍い奴かと思っていたが……そういうことは気づくんだな」

「鈍い? 僕鈍いかな……」

「大抵そういうのは自覚がないもんだ」

「はは……」

 

 困ったようにシンクが苦笑した。

 

「まあ……お前が今言ったとおりだ。俺はようやくガレット勇者、なんて呼ばれた時に一応はそうだと返せるぐらいにはなった。だが勇者としてはそれでいいかもしれないが、果たして俺にあの方と肩を並べる資格はあるのか。……ふと、そう思ったから、お前に色々聞いたわけだ」

「そんなの、不安に思う必要もないじゃない。ソウヤはレオ様が選んで召喚されたわけだし、ガレットの神剣エクスマキナにも主と認められたんだから」

 

 シンクの返事は即答だった。だがソウヤはすぐには返さず、やや間が空く。

 

「……そうか」

 

 そしてポツリと、ソウヤはそのように短く呟いた。

 

「少なくとも僕はソウヤを勇者としても、自分の友達であると同時にライバルとしても認めてるし、レオ様とも吊り合える存在だと思ってるよ。それにガウルにはもう友達みたいに接してるじゃない。なら気にしなくてもいいと思うよ」

「そうか……。わかった、ありがとう。すまなかったな、明日帰るってのに変な話をして」

「いいよいいよ。同じ勇者だもん、悩み事は互いに相談して解決するのが1番でしょ?」

「そうだな」

 

 ソウヤがシンクを見つめて笑う。つられるようにシンクも笑顔を見せ、次いであくびがこぼれる。

 

「長話して悪かった。そろそろ眠くなってきたなら寝た方がいいんじゃないか? 明日の姫様との散歩に遅れるぞ」

「うん、そうだね。……ソウヤは寝ないの?」

「もう少しここにいる。今日は月が綺麗だし、お前が散歩から帰ってきた後ぐらいにゆっくり起きればいいからな」

「そっか。……じゃあお先に、おやすみ」

「ああ。おやすみ」

 

 芝生から立ち上がり、ソウヤに手を軽く振ってシンクが遠ざかる。その背中を見送り、城の中に入ったところまで見届けるとソウヤは夜空を見上げた。

 

「……あいつぐらい、前向きになんでも考えられる性格ならよかったのかもな」

 

 無い物ねだりだ、とソウヤは自嘲的に小さく笑った。変わろうとして変われた部分はある。だが大元は変われそうにない。結局こうやって自分のことに対してはどこか後ろ向きに、出来ることだけを現実的に考える自分の性格は変わりそうにない。加えるならひねくれた話し方をし、余計な一言を付け加えてしまうその癖も、だ。だがそれはそれでいいか、とソウヤは割り切っている部分もあった。

 らしくなくまた物思いに耽ってしまった、とソウヤはため息をこぼす。そして立ち上がり、首だけを後ろに向けた。

 

「……もう俺1人ですし、そろそろ出てきてもいいんじゃないですか?」

 

 誰もいないはずの空間へとソウヤが言葉を投げかける。その言葉は闇へと吸い込まれ――しばらくして柱の陰から1人の女性が姿を現した。

 

「いつから、お気づきに?」

「俺がシンクの脇に座った後すぐ……要は最初からですよ、ビオレさん」

 

 ソウヤにそう言われたからだろうか。月明かりで見えたビオレの顔には苦笑が浮かんでいた。

 

「そうでしたか……。一応隠密行動もする近衛隊の隊長としてはそれはちょっとショックですね」

「そこまで隠そうと言う気もなかったでしょう。それに……これだけ月が綺麗な夜なら、たまたま外の空気を吸いに来て俺たちを見かけた、って可能性もありますし」

「では後者にしておきます。その方が私としては面目を保てますから」

 

 軽口を叩きつつ、ビオレがソウヤの近くへと歩を進める。が、ソウヤはビオレに背を向けたまま口を開く。

 

「それで、たまたま外の空気を吸いに来た近衛隊長殿は、俺に何かお話が?」

 

 一瞬の沈黙。その後でビオレが切り出す。

 

「……先ほど、ソウヤ様はシンク君に『姫様のことをどう思ってるか』と質問されました。では私も同じ質問をさせていただきます。……ソウヤ様はレオ様のことをどう思っておられるのですか?」

 

 ソウヤは答えない。いや、沈黙を答えとした、と言った方が正しいか。

 しばらく待ったビオレだったが、ソウヤが答えないと判断すると再び口を開く。

 

「……ソウヤ様はお気づきになられていないかもしれません。ですが、レオ様は、ソウヤ様のことを……」

「わかっています。……だから皆まで言わないでください」

「え……? わかっている、って……」

「そもそも、『星詠み』で俺のことを知った、俺と共に戦いたいと思った……。その動機だけでも十分です。……言うなればそれは『慕情』だ。それが行き着く感情は……。……いや、そうじゃなくても、『閣下』ではなく最初から自分を名で呼ばせた。だったら、あの方は最初から俺に多少なりとも、好意を持って接してくれていた、ってことでしょう」

「そ、それでは……ソウヤ様はレオ様のお気持ちにお気づきに……?」

 

 ビオレの方を見つめ、ソウヤが皮肉っぽく笑った。

 

「……あいにくシンクほどは鈍くないんですよ。ですが……元々の俺は人と接することを拒絶する人間だった。……浅い付き合いで、ただ好き勝手暴れて、そして淡々と帰る。それでいいと思っていたんです。そんな俺にとって好意なんてのは天敵といってもいい。別れを辛くする原因ですからね。だから気づかない振りをしていたし、その気持ちに応える必要はないと思っていたのですが……。どっかの正直すぎる馬鹿のおかげで俺は変わった。変わった時に……レオ様の気持ちに応えなくてはいけない。1度はそう思いました」

 

 そこまで言ったところで、再びビオレから視線を逸らし、ソウヤは満月を見上げる。

 その時、先ほどビオレがいた柱の陰に身を隠す人影があった。が、2人はそれには気づかない。

 

「……ですが俺は彼女を形はどうあれ一度は傷つけた。約束を破り、気持ちを裏切った。なら俺にあの方の気持ちに応える資格なんてない。よしんばあったとして、俺にはその覚悟がない……。あの方の気持ちに応えると言うことは、あの方と同じものを背負うと言うことですから」

「覚悟がない……そう言って、お逃げになるんですか?」

「そうです。そう思っていただいて結構です。その覚悟を決められない俺など、あの方の相手としてふさわしくない。それに、一国の領主であるなら、俺なんかより優れた、もっとその身分にふさわしい人間と交際をするべきだ。……恋なんてのは熱病みたいなもんだ、それがウブな女性の抱いたものなら、なおさらでしょう。だから、一時の感情でその一生を棒に振らせてしまうぐらいなら……」

 

 一瞬の沈黙があった後、

 

「……俺は自らこの身を引く。彼女の気持ちに気づかないふりをして帰る。そう決めたんです」

 

 ソウヤははっきりとそう言い切った。

 それと同時、先ほど柱の陰に隠れていた人陰が離れていく。が、やはり2人はそれに気づかなかった。

 

「そんな……! それではレオ様のお気持ちはどうなるんです!?」

「言ったでしょう、恋は熱病みたいなもんだと。……そのうち冷めれば、俺への気持ちなんて忘れる」

「ソウヤ様は……それでいいんですか? レオ様があなたを忘れて、違う方と一緒になった姿を見て、それでもあなたは納得できるんですか?」

「……全てはレオ様のためです。その方が高貴な領主であるあの方のためになる、そうであるなら……。……俺の気持ちなど、介入する余地はありません」

 

 ビオレが奥歯を噛み締める。俯き、足元の芝生を見つめた。

 出会った当初こそ勇者としてふさわしいかわからない、とビオレは思っていた。だが次第にその心を氷解させ、勇者としてふさわしい威厳を放ち始め、そして今日あれだけの勇者同士による名勝負を演じて見せた目の前の少年を、もはや疑う余地はない。

 彼女はレオの気持ちに気づいていた。それでも何も言い出さない主のために、たとえ汚れ役になってでも自分がなんとかしようとした。なのに、この勇者はそんなレオの気持ちに気づいていてなお、自分を押し殺そうとしている。確かに彼の言うことは一理あるかもしれない。だが、それでは今レオが抱いている気持ちも捨てろと言うのだろうか。

 受け入れがたい思いに、彼女は意図せず拳を握り締めていた。

 

「……結局のところ俺は、レオ様を幸せにするなどというできるかわからない約束をする度胸も、同じものを背負って共に歩いていくという覚悟も持てない、ただの小さな人間なんです。この手で一度傷つけた彼女を、再び傷つけることを怖れている、その程度の人間なんです。……そんな俺に、レオ様を愛する資格など、あるはずがありません」

「……あなたは……!」

 

 呻くように呟かれるビオレの声。それを聞き、ソウヤが振り返る。

 

「これが俺が出した答えです。変えるつもりはありません。ですが、納得がいかないというなら……ビオレさん、俺を殴ってください」

 

 ビオレが驚いて顔を上げる。

 

「それであなたの気が済むなら安いものだ。……もっとも、その程度じゃ本当に気が済むとは思ってませんけど」

 

 再びビオレが俯き、奥歯を噛み締め――しばし間があった後、ビオレは両目を瞑った。

 そして決意したように顔を上げる。閉じていた目を開き、真っ直ぐソウヤを見据えた。

 

「……失礼します……!」

 

 乾いた音と共にソウヤの左頬に平手が張られた。

 そのままビオレはソウヤに背を向けて数歩足を進める。

 

「……ソウヤ様、1つ、これだけは言わせてください」

 

 顔を振り返らせず、ビオレが口を開く。

 

「ソウヤ様は覚悟がない、とおっしゃりました。……ですが、レオ様はもうあなたを受け入れる覚悟を決めておられたのです」

 

 ソウヤは何も言わず、次の言葉を待つ。

 

「以前、レオ様は、あなたに輝力をお分けになりました。……フロニャルドにおいて、輝力を分けるということは、親族、あるいはごく親しい間柄でしか行われない行為……。あるいは……将来を約束した男女で執り行われる儀式、という要素もあるのです」

 

 ソウヤの表情に驚愕の色が浮かぶ。

 

「レオ様は、エクスマキナをあなたに預ける時に、勇者として認めるだけでなく……あなたを将来の相手としてもお認めになっていた……。あなたと、これからの人生を共に歩む覚悟は出来ていた……。それだけは覚えておいてください」

 

 そう言い終えると、ソウヤの方を振り返ることなくビオレは城の中へと歩いて行った。

 1人残されたソウヤはしばらく呆然と立ち尽くした後、2つの満月を見上げる。

 

「……ずるいですよ、そりゃ……」

 

 ビオレに叩かれた左の頬がズキリと痛む。

 それはもしかしたら、本心をこれまで殺してきた、ソウヤの心の痛みだったのかもしれなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 19 紅の帰郷

 

 

 翌日。シンクにとって滞在期限の最終日。フィリアンノ城ではシンク帰還のための式典が行われていた。

 ガレット勇者ということでソウヤもそれに出席しており、他にもガレット側からはレオとガウル、側近のビオレ、将軍であるバナードにゴドウィン、それにジェノワーズと錚々(そうそう)たる面々が揃っていた。とはいえ、式典と言いつつも堅苦しい式でもなく、シンクから一言と、あとはシンクに最後の挨拶をするための会、と言い換えてもよかった。

 

「では勇者様、一言ご挨拶をお願いします」

 

 勇者のコメントを求められてアメリタからマイクを受け取ったシンクは、その顔ぶれにやや緊張気味に壇上へと足を進めた。

 

「え、えーっと……。今日はこのような会を開いていただき……あれ? 違うかな……。えーっと……」

 

 「何緊張してんだよ!」とガウルから野次が飛ぶ。それを聞き、そこに出席していた人たちから笑いが起きた。

 

「あはは……ゴメンガウル。……えっと、今日はこれだけの人が集まってくれて、あとガレット側からもたくさんの人たちが来てくださって、本当にありがとうございます。今回も16日間っていう長いようで短い期間の滞在だったけど、いろんなことがありました。中でも1番印象深いのは……」

 

 シンクがソウヤのほうへ視線を移す。

 

「自分と同じ世界から、もう1人の勇者がガレットに召喚されたことです。ソウヤ……えっと、ガレットの勇者ソウヤとは戦場でと、あと昨日の特別興業での2度、剣を交えさせてもらいました。1度目はかろうじて僕が勝てたけど、2度目は引き分け……でもそういう結果以上に、フロニャルドの戦を通して仲良くなれて、一緒にこの世界での滞在を楽しめた、っていうのが、僕としてはすごく嬉しかったりします」

 

 ソウヤが俯く。照れ隠しだろう。

 

「他にも今回も姫様のコンサートを見ることが出来たし……あっ、レオ様の歌も……」

「それは言うな……」

 

 遮るように横から呟かれたレオの声に再び笑いが起きる。一晩経ったおかげだろうか、レオは早くもこれを「笑い話」として捉えることが出来たようだった。

 

「……とにかく、今回も楽しい16日間でした。次の長い休みはちょっと先になっちゃうけど、それでもまた必ず戻って来たいと思います。そして、ビスコッティ勇者として、また皆と一緒にこの熱い日々を過ごしたいと思います!」

 

 出席していた人々から拍手が送られる。少し照れくさそうに一礼し、アメリタにマイクを返してシンクは壇を下りた。

 

「勇者様、ありがとうございました。それでは勇者様の送還の儀まで今しばらくの時間がありますので、それまで皆様ご歓談くださいませ」

 

 そうアメリタが言うと会場内が話し声に包まれる。

 と、レオとビオレが席を立った。会場を後にするのだろう。それを横目に見て一つ息を吐いたソウヤも立ち上がる。が、2人を追いかけるのではなく、バルコニーの方へと歩いて行った。

 

 会場内の喧騒から離れ、ソウヤはバルコニーの手すりに肘をつく。そのまま昨日の夜は2つの月が出ていた空を見上げた。

 

「いいのか? 勇者に会いに行かずに」

 

 聞こえた声に首を傾ける。そこにエクレールがいつもどおりの不機嫌そうな顔で立っていた。それを確認し、ソウヤは振り返って手すりに背をもたれかける。

 

「そういう親衛隊長殿こそいいのか? さっきシンクが言っていた通り今度来るまでの期間は長いんだ、やせ我慢などせずにあいつに会ってくればいい」

 

 ピクッとエクレールの眉が一瞬動く。

 

「……今あいつは最後の挨拶をして回っているところだ。この後私は送還が行われる召喚台まであいつを連れて行く役割がある。最後の話は、そこですればいい」

「勇者をエスコートする女性騎士様か。立場が逆だと思うが」

 

 フンと鼻を鳴らすエクレール。

 

「……明日は姫様の付き添いでお前の見送り式典には顔を出す。だが姫様は多忙だ、その後すぐビスコッティに戻られなければならなく、私もそれに付き添ってこっちに戻らなければならない。だから今日がゆっくり話せるのは最後だと思ったから来てやったというのに……」

「別に話に来てくれと頼んだ覚えはない。……だが、お前にも色々世話になった。俺が『禍太刀』に乗っ取られたあの時、お前が割り込んでくれなかったら、俺はユキカゼを斬ってたかもしれなかったからな」

「友人を助けただけだ。貴様のためではない」

 

 ソウヤが小さく笑う。

 

「それでもいいさ。明日話す時間がないなら今のうちに礼だけは言っておく。……ありがとう」

「それは……こっちのセリフだ。貴様のおかげであいつは……シンクはとても楽しそうだった。戦場で肩を並べて戦ったこともあったが、それ以上に、あいつは貴様と戦っている時は輝いていた。お前のおかげであいつは楽しくこの期間を過ごせたんだと思う。だから……」

「……なんでお前がそれで礼を言う必要がある?」

 

 エクレールが驚いた表情を浮かべた。

 

「それはシンクの話であってお前じゃないだろ」

「そ、それは……」

「あいつの喜ぶ顔を見られてお前も嬉しい、そう捕えていいのか?」

「な……ち、ちが……」

「前に城下町を歩いた時も言ったと思うが……お前は心の中ではあいつのことを大切に思っているんだろう?」

「いや……私は……」

 

 エクレールがソウヤから視線を逸らす。だがソウヤはそのまま続けた。

 

「なら、違うなら聞き流せ。……この数日間の付き合いで感じたことだが、あいつはこういうことに関してはどうしようもなく鈍い馬鹿だ。言葉で伝えなければ……いや、言葉で伝えたってちゃんと伝わるかわからないほどの鈍感だ。だから、お前があいつのことを大切に思ってるなら……ちゃんとそのことを伝えてやれ」

 

 エクレールは顔を赤くし、俯いたままだった。

 

「……別にどうするもお前次第だ。その気持ちを心にとどめておく、というならそれでいい。でもな、本人を前にしたらまだ言えないにしろ、あいつのいないところでは名前で呼んでやれるぐらいにはなったんだろう? だったら、もう少し勇気を出して……後悔する選択だけはしないようにしろ」

 

 そう言うとソウヤはエクレールに背を向け、再びバルコニーの手すりに肘を着いた。

 

「よ、余計なお世話だ! せっかく来てやったというのに貴様という奴は……!」

 

 ソウヤはその愚痴を背中で聞き流す。その時部屋の中から「エクレール」と彼女を呼ぶ声が聞こえた。兄のロランのものだろう。

 一言二言、言葉を交わした後、エクレールは背を向ける隣国の勇者に声をかけた。

 

「……私はあいつの付き添いで出かける準備をしなくてはならないから、そろそろ行く。お前もあいつに最後の挨拶をしておきたいなら、早いうちに声をかけておけよ」

 

 了解、という意思を伝えるためにソウヤは左手を軽く上げた。

 

「……礼は、言っておく」

 

 そう言い残し、エクレールの足音が離れていった。

 

「全く本当に素直じゃない奴だな」

 

 だがそこがまた可愛いところでもあるか、とソウヤは思った。

 

 と、外にレオとビオレ、それに数十名の騎士がセルクルに乗ってフィリアンノ城を離れていくのが見える。

 

「後悔する選択だけはするな、か……。人のことを言えないほど、俺も大概卑怯だな……」

 

 昨夜ビオレに張られた左頬に触れ、離れていくレオの背を見ながら呟く。

 

 エクレールは以前、「いっそ別れがつらくなるくらいの楽しい思い出ができるなら、それはきっといいことだ」と言った。そういう前向きな思考をできる人間に「後悔する選択だけはするな」と言えばどうなるか。

 ソウヤはその答えをこう予想する。「おそらくエクレールはシンクに自分の気持ちを伝える」と。それは「伝えなければ後悔する」とわかっているからだ。だから、エクレールはそれを回避しようとするだろう。

 

 ではソウヤは同じことを言われたらどうするか。答えは、昨日ビオレに伝えた通りなのだ。

 なぜなら、伝えなければ後悔することは目に見えているが、伝えたところで後悔がついてまわるだろうということにもまた、ソウヤは気づいてしまっているからだ。

 例えばエクレールの例で言うなら、同じくシンクに好意を抱いているであろうミルヒとシンクを取り合うことになるだろう。敬愛する姫君と文字通り愛する勇者。その板ばさみで親衛隊長は悩むことになるかもしれない。

 つまりどちらの選択をしようと、後悔はすることになる。早い話がやって後悔するか、やらないで後悔するか、なのだ。だからソウヤは自分を卑怯と言ったのだ。

 しかし、そうわかっていてもなお、エクレールには、いや、自分以外の人には自分と同じ道を進んでほしくない、そうも考えていた。そのためにエクレールにさっきの言葉を投げかけたのだ。そんな状況になってもエクレールは前向きな答えを出せる、そう思ったからだった。

 

 ソウヤは見えすぎていた。大切な人のことを思いすぎるあまりに、結局はその人の気持ちを裏切ろうとしている。

 だがそれをわかっていてもなお、自分の気持ちを押し殺す。それがその人のためになるのならそうする。やって後悔よりもやらずに後悔を躊躇なく選択する。それがソウヤ・ハヤマという人間なのだ。

 そうであったはずなのに、別れを避けるために出会いも避けてきたような考えの持ち主のはずなのに、今ソウヤの心は迷い、揺れている。このフロニャルドに来たことで変わりつつある心は、冷静というよりむしろ冷酷ともいえたかつての判断が下せなくなっていた。だから、エクレールにそんな話をしてしまったのだった。

 

「……ヤキが回ったな。他人をおせっかいする前にてめえのことを何とかしろって話だな」

 

 ポツリと呟き、ソウヤが手すりから肘を浮かせる。

 迷う心を隠しつつ、ソウヤはシンクに最後の挨拶をするために城の中へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 結局物思いに耽った時間が長かったせいか、シンクは城の外に出てしまっており召喚台へと向かおうとしているところだった。

 

「あ、いたいた! よかった、レオ様は公務があって先に帰るって言ってたから、ソウヤも一緒に帰っちゃったのかと思ったよ」

「いくら俺でも最後の挨拶ぐらいはちゃんとするさ」

「そっか。まあそうだよね。……じゃあソウヤ、一足先に日本に戻ってるよ」

「ああ、わかった。……最後まで見送りに行きたいところだが、送還の儀は召喚主と勇者でしか行われないってことだもんな」

「そうだね……」

「約束、忘れるなよ?」

「約束……?」

 

 シンクが一瞬考える様子を見せる。

 

「……おい」

「あ、元の世界に戻ったらメール送るってことだよね。勿論忘れてないよ」

「……本当か? 明日の昼ごろには戻ってると思うが、その後部活があるからもしかしたら返信が遅れるかもしれない」

「わかった。でも帰ってきてるかってこととアドレス正しいかの確認はしたいから、明日中に返信は頂戴ね」

「わかったよ」

 

 シンクが笑顔を浮かべ、セルクルに跨った。

 

「じゃあね、ソウヤ。続きは日本で!」

「……ああ、そうだな」

 

 見送りに来てくれた他の人たちにもシンクは手を振った。

 

「それじゃあ皆、ありがとう! また来るよ!」

「またシンクが来てくれるのを楽しみにしてるでありますよー!」

「土産話を用意して待ってるでござるー!」

「また来いよー! こっちも戦の準備して、楽しみに待ってっからよー!」

 

 別れを惜しみつつも、離れていく背中に声をかけ、シンクは手を上げてそれに応えた。

 エクレールに連れられたその姿が見えなくなるまで、皆手を振っていた。

 

「……さてと、じゃあ俺たちもガレットに帰るとすっか」

 

 シンクの姿が見えなくなるまで見送った後、ガウルはそう切り出した。

 

「もう帰ってしまうでござるか?」

「すまねえな、こっちの勇者も明日帰るからよ。で、その手続きっつーか済ましておかなきゃならねえ事務ごとに全然手つけてねえんだ。一応これでもこいつ数日前まではずっと寝続けてたような人間だしな」

「そういえば……そうでありましたね」

「ルージュがよ、シンクを見送ったら出来るだけ早く戻って来い、とか結構真顔で言いやがったから、多分それなりに急ぎだと思う。……ってか、よく考えたら召喚もだが、勇者を送還するのは今回が初めてだから、焦ってるってのもあると思うんだが」

「でもその点は大丈夫」

 

 いつの間に背後に回っていたか、ノワールがリコッタの両肩に手を置いた。

 

「今日からリコがガレット入りして、不測の事態に備えてくれるから」

「頼りにしてるで、発明王!」

「いやいや、自分はそんなじゃないでありますし、送還の知識もノワやガレットの研究員の方々には伝達済みでありますので、自分が行っても役に立つかどうか……」

「そんなのどうでもいいんですって。リコちゃんが来てくれた方が私達は楽しいんだから」

「ともかくそんなわけで俺たちは帰らないといけねえ。リコッタ借りていくぜ」

 

 ガレットの騎士がセルクルを連れてくる。6人がそれぞれセルクルに跨った。

 

「ユキカゼ、ダルキアン連れて明日来るんだろ?」

「今頃お館様は騎士団長かゴドウィン将軍辺りと晩酌してそうでござるが、明日は伺うと言っていたはずでござる」

「んじゃあソウヤとの最後の挨拶はそん時でいいか。とりあえずルージュに怒られるのは嫌だから、俺たちは行くぜ」

「了解でござる。では殿下、お気をつけて」

 

 「おう」とガウルがセルクルを走らせる。ジェノワーズ、ソウヤ、リコッタがそれに続いた。

 

 

 

 

 

「まあ今回は戻って来られる、ってわかってるから、あいつの別れもあっさりだったな。……っつってもその事実を知ったのはあいつが帰った後だったけどよ」

 

 ビスコッティとガレットをつなぐ街道を進みつつガウルが口を開く。

 

「前回は……本当に悲しかったでありますよ。戻る時に記憶を失ってしまう、ということでありましたから……」

「リコ、ずっと徹夜して一生懸命皆が悲しまずに済む方法を探してくれてたんだよね」

「じゃあリコッタがその方法を見つけたと?」

 

 以前の状況を知らないソウヤが問いかけた。

 

「うーん……あれは自分とは言えないような……」

「でも封筒を見つけたのはリコだし……」

「それも、自分とは言えないような……」

「……わかるように説明してくれないか?」

 

 置いてけぼりを食ったソウヤが苦笑を浮かべる。

 

「シンクが戻った後も諦め切れなかった自分は調べ物をしていて、つい眠ってしまったであります。その時にノワが持ってきてくれた本の中か、あるいは自分がまだ調べていなかった本の間か……詳しいことはまだわからないでありますが、ある封筒が挟まっていたであります」

「ビスコッティの蝋緘(ろうかん)が捺してあって、その中に勇者召喚の注意点と、送還を一時帰還に変える方法が書いてあって……」

「ああ、その封筒の謎、まだ解けてないんや?」

「うん……。とにかく、そこに書いてあった方法でシンクは記憶を戻すことが出来たし、またフロニャルドに来ることも出来るようになった、ってわけ」

「じゃあなんだ、あいつは帰るその時まで、もう2度とここには来れないし記憶も失う、そういう状態で帰っていったってことか?」

 

 ソウヤの問いかけにリコッタが当時を思い出すように重々しく頷いた。

 

「……やっぱあいつは勇者だな」

 

 ポツリと呟いたソウヤの言葉の真意を知りたいと全員の視線が集まる。

 

「どういう意味だよ?」

「だってそうでしょう。あいつのことだ、きっとそのことは誰にも話していなかった」

「……そうであります。言わないように、と釘を刺されたであります」

「で、そんな心を隠して普段どおりに振舞って、今日みたいな会もこなして、そして帰っていった」

「……であります」

「俺が同じことをやれと言われたら、到底できませんね。2度と来られないとわかっているなら、そのことを知った瞬間から当初の俺の通り、別れの痛みを減らすためにより深い付き合いを避けますよ。『いつかまた来る』という淡い希望を抱かせ続けるよりは『もう来ない』とはっきり諦めさせたほうがいい。なら、別れもあっさりしたほうが、後に引かずに済む。残酷かもしれませんが、諦めることで人はまた前に進めることだってある」

「……お前はどこまで現実主義者だよ」

 

 思わずガウルが顔をしかめる。

 

「基本俺は現実主義です。シンクのように嘘の約束を交わすことも、到底ありえない可能性を信じるなんてことも、俺にはできません」

「よく言うぜ。『禍太刀』のときは奇跡を信じるとか言ったくせによ」

「……出まかせですよ。本心を言えば、俺はあそこで死ぬつもりでいた。言ったでしょう、運がよかった、たまたま奇跡が安く売られてただけだと」

「じゃあ何か? お前が姉上を守るとかいったのは嘘か? あれも出まかせか?」

「……それは……」

「ま、まあまあ2人とも! ソウヤは明日帰るんやし、最後にそんなケンカみたいにならんでも……」

 

 ソウヤとガウルの間に険悪な空気が流れたと判断したジョーヌが止めに入った。

 

「そうですよ。シンク君もまた戻って来れたんだし、ソウヤさんも今こうして元気なんだし、それでいいじゃないですか」

「……そうだな。悪かったソウヤ、別に責める気はなかったんだけどよ……」

「いえ、気にしないでください。俺の口が悪いのが原因ですし、直そうにもこればっかりは直しようがありませんから」

「……まずはそういう余計な一言を無くした方がいいんじゃねえか?」

 

 思わずそう口走りながらガウルが苦笑を浮かべた。

 

「……まあそれはさておき、再召喚の条件ってなんだっけ?」

「えっと……91日以上再召喚までの期日を空ける、召喚主以外の3名に身につけていたものを預ける、召喚主に再び戻ってくるという約束の書と身につけていたものを預ける、であります」

「……身につけていたものって何でもいいのか?」

「ソウヤさんが元の世界から持ち込んだものなら何でもいいでありますよ」

「参考に聞きたいんだが、シンクは何を置いていった?」

「えっと……姫様にはアイアンアスレチックの記念でもらった時計、エクレにはリストバンド、自分には『ボールペン』というものと『スピーカー』というもの、ユッキーには紐飾り、ダルキアン卿や騎士団長には記念のコインだったであります。あ、前回預かったものを皆大切に持っているようなので、今回は書状を書き残しただけでありましたが」

 

 リコッタの話を聞いていたソウヤが大きくため息をこぼした。

 

「どうしたでありますか?」

「……なんであいつはそんなに物を持ち歩いてるんだよ。俺は基本的に何も持ち歩かないから、預けられるような物は何もないぞ?」

「なんだっていいだろ。なんなら、そこの三馬鹿で丁度3人だ、そいつらとあと姉上に物預けるなら、俺には何もなくても構わないぜ」

「……そうもいかないでしょう。仕方ない、帰ったら荷物ひっくり返すか……。それにしても面倒な条件があるんだな。まあ戻って来れない、よりは遙かにマシだが」

「そうでありますね……。その召喚の方法については、おいおいもっと簡略化したいと思っているのでありますが……」

「リコが頑張れば、きっとそのうち『ケータイデンワ』っていうのを使って好きに連絡を取ったりとか、ソウヤたちの世界とフロニャルドを好きに行ったり来たりとか出来るようになると思うよ」

「いやいや! ノワ、それは自分を買い被りすぎであります! さすがに好きに行ったり来たりは……」

「そりゃいいな。頼りにしてるぞ、リコえもん」

「リ、リコエ……?」

 

 ソウヤが突然つけたリコッタの渾名の意味がわからないと、当のリコッタ本人が固まってしまった。

 

「なんや、その『リコエモン』っちゅーのは?」

「俺の世界ではそんな感じの名前の、困った時はなんでも解決してくれる架空のキャラクターがいるんだよ。それとリコッタの名前を組み合わせてリコえもんだ」

「お、それ新しい愛称にいいんじゃねえか?」

「でもなんかそれはリコに合わない気がする……」

「自分もそれはちょっと遠慮してほしいであります……。でも、ソウヤさんたちの世界と自由に連絡を取り合えたりというのは、フロニャ周波を増幅して、もっと研究すれば可能になるかもしれないでありますよ」

「本当かよ!? こりゃますますもってそのリコエ……なんとかだな!」

「だからガウル殿下、それはやめてほしいであります……」

 

 思わずガウルが笑い、それにつられるように全員が笑った。

 だが笑いながらも、ソウヤは心の中では別なことを考えていた。

 

 ビオレに言ったことをレオにも伝えなければならないのか。あるいは、レオの気持ちに気づいていないふりをして帰ってしまうべきなのか。そもそも、ビオレに言ったことをレオ本人を前にして口に出来るのか、そのまま言うべきなのかオブラートに包むべきか。

 様々な思惑が心の中で渦巻き、5人の会話もあまり耳に入らないまま、遅れないようにセルクルを進めた。

 

 

 

 

 

 ソウヤが元の世界へと帰る日がやってきた。

 昨日はヴァンネット城に戻った後、ルージュが付きっ切りでフロニャ文字について指導してくれて約束の書を書いたのだが、そもそもフロニャ文字を正確に読みきれないソウヤにとって、その文字をさらに書こうというのは難易度がかなり高いものとなってしまった。結果、予想以上に時間がかかってしまったのだった。

 さらに、国営放送が翌日の式典に合わせて特番を組むため、帰還直前の勇者のインタビューがほしいだとかで余計に時間を割かれてしまい、準備がまだ終わってはいない状態であった。

 

「まいったな……」

 

 式典と送還の儀は数刻後に迫っていると言うのに、ソウヤは荷物をまとめるどころか、逆にベッドの上に荷物をひっくり返していた。

 

「預ける物、って言ったってな……」

 

 ソウヤが頭を悩ませているのは召喚主、及びそれ以外の3名に預けなくてはならない物を何にするか、と言うことであった。シンクほど物を持ち歩かないソウヤは預けられそうなものは少なく、どうしたものかと困り果てていた。

 

「仕方ない。安物だがレオ様にはこの腕時計でも置いていくか……」

 

 家電量販店で安く買ったものだが、気に入ってずっと使っていた腕時計を見つめつつ、ソウヤはそう呟いた。

 と、その時入り口の扉がノックされる。

 

「どうぞ」

 

 ルージュか、もしかしたらビオレだろうと思ったソウヤの予想とは裏腹に、そこに現れたのはジェノワーズの3人とリコッタだった。

 

「お邪魔しまーす……ってなんや、これから帰るってのに荷物ひっくり返して」

「置いていく物がないんだよ。俺はあいつみたいに色々物を持ち歩く人間じゃないからな。音楽を聴かないからプレーヤーもないし、ゲームもやらないからゲーム機もない。……あったところでそういう高額品を置いていくのもちょっと気が引けるが」

「プレーヤー……?」

「ゲーム機……?」

 

 ノワールとリコッタが首をかしげる。

 

「俺の世界にある機械のことだよ。音楽を聴くことのできる持ち運べる機械がプレーヤー、遊べる物がゲーム機。リコッタがシンクから預かったって言ってたスピーカーを使えばそこから音も出せる」

「す、す、すごいであります! それは是非ぶんか……いやいや、見てみたいであります! どこにあるでありますか?」

 

 尻尾をすごい勢いで左右に振りつつ、リコッタが期待の篭った目でソウヤの荷物を覗き込む。

 

「だから持ってないんだって。俺のいる世界じゃ持ち歩く人は多くいるが、あいにく時間を潰す用なら俺には本が……」

 

 そう言ったところでソウヤが言葉を止めた。

 

「ソウヤさん……?」

「……そうか、本か。なんで気づかなかったんだ」

 

 ソウヤが荷物の中からポケットに入るサイズの本を3冊手に取る。

 

「ジェノワーズ」

 

 呼ばれた3人がソウヤに近寄る。その3人の手にそれぞれ1冊ずつ本を手渡していった。

 

「……これは?」

「暇つぶし用に俺がいつも持ち歩いてたお気に入りの小説だ。禍太刀騒動のあと、俺が寝てる時にジョーヌが読んでたやつさ。大分年季入ってるが……丁度全3巻だ。リコッタが作ったって言う便利眼鏡使えば読めるだろうし、お前たちに1冊ずつ預けておく」

「でも……お気に入りだったら悪いんじゃ……」

「気にするなベール、どうせ何度も読んで頭に話は入ってる。それでもなんとなく持ち歩いてた、ってだけの物だし、買おうと思えば戻ってから買うことも出来る。それにジョーヌは1巻を読み終えたところだから、続きが気になってるだろうしな」

「ええ!? いや、なんか重い話って聞いて読む気がなくなったんやけど……」

「そう言うな。読めば案外面白く感じるかもしれないぞ」

「これで召喚主以外の3名、という条件はクリアでありますね」

「それでも預ける物がある限りは預けたいが……さすがにないな……」

 

 ソウヤがベッドの上の荷物を眺める。

 他にあるのは財布やタオルや着替えのシャツに折りたたみの傘、その他は制汗スプレーに栄養バーと緊急用の絆創膏やテーピング、筆記用具といった消耗品ばかりだ。

 

「俺の使い古しのタオルやシャツ預けるのもあれだし……消耗品渡すのもな……。あとはガウ様辺りに俺の世界の硬貨、ってことで渡せるぐらいかな……。悪いなリコッタ、来てくれてるのに渡せそうなものがない」

「気にしなくていいであります。あ、その栄養バーっていうのに興味があるでありますが……」

「食ったらなくなるんだ、預けるものとしての効果あるのか? ……まあ帰ればいくらでも買えるから、ほしいならくれてやる。夜食にでもするといい。味は保証しないがな」

 

 ソウヤはまだ封の空いていない黄色い箱をリコッタへと手渡した。

 

「ありがとうであります。大切にするであります」

「……いや、大切にされては困る。かなり保存が利くとはいえ一応食い物だからな。次に俺たちが来る時ぐらいまでには食べておいた方がいいぞ」

「では来た時にシンクとソウヤさんと一緒に食べるであります」

「……だからそういうものじゃねえっての」

 

 ソウヤがため息をこぼした。

 

「あとは、書類は昨日書いたんだよね?」

「ああ、苦労した。できればフロニャ文字の一覧表のようなものをくれ。次来る時までに覚えてくる」

「あれ? ここから何か持って帰るのって大丈夫なんか?」

「……そう言えば何も持って帰れない、と言う話が当初だったと思ったけど……」

「でもシンク君は記憶が戻ったわけだし、確かパラディオンも持参して来たんですよね?」

「あいつ、パラディオン持って帰ったって言ってたぞ」

 

 5人の視線が入り口から聞こえた声に向けられる。

 

「本当ですか、ガウ様」

「ああ。……っと、悪い、ノックしようと思ったんだが、声聞こえたんでつい開けちまった」

「いえ、別に。……それよりそのシンクの話……」

「姉上が姫様から聞いたって言ってたし間違いない。ただ、ここに来る時はタツマキだっけ? あいつがお前らの世界に行かないといけないらしいが」

「じゃあ俺の場合はチェイニーが必要になる、と?」

「それはですね……」

 

 コホン、とリコッタが咳払いをする。これは彼女の専門分野と言ってもいいだろう。

 

「ソウヤさん達の世界とフロニャルドをつなぐ通路が普段は狭い状態なのでありますよ。タツマキやチェイニーといったオンミツ達はそこを通過できるわけでありますが、勇者召喚のためには召喚の剣でそれを広げる必要が出てくるであります。

 あと物の持ち運びについては、その遣いのオンミツ達が持てるサイズなら添付することができるであります。前回のシンクはそれでパラディオンを受け取って、その後姫様と手紙のやり取りをしてたわけでありますね。それから、もう帰還の方法は再召喚可能なものに変更なっているので、物を持って帰ることも可能であります。なので、その気になればソウヤさんもエクスマキナを持って帰ることができるでありますよ」

「本当かよ……。いや、さすがに置いていけと言われるだろうが……」

「あれ? お前知らないのか?」

 

 ソウヤがそう言ったガウルの方を見る。

 

「何がです?」

「今日の式典、エクスマキナ返還は入ってないぞ。持って帰ってもいいってことだろ」

「な……! ……何考えてんですか?」

「簡単なことだろ。姉上はそのぐらいお前を信頼してるってことだよ」

「……まあいいや。レオ様に用事があるんで、ついでにエクスマキナも返してきます」

「受け取ってもらえるといいな、エクスマキナ」

「受け取らせますよ。……ああ、そうだガウ様」

 

 一度立ち上がったソウヤが荷物の中から財布を探し出して硬貨入れを開ける。そこから真ん中に穴の開いた黄色の硬貨を取り出し、ガウルの方へと指で弾いて飛ばした。それをキャッチしたガウルが不思議そうにその硬貨を見つめる。

 

「これは?」

「俺の世界……というか国の硬貨です」

「へえ! でもいいのか? 帰ったらこれ普通に使えるんじゃ……」

「使えますよ。でもお金の価値としてはかなり低いものです」

「……なんで俺に渡すのはそんなもんなんだよ」

「お金の価値以上に意味があるからです。それは五円と言って、俺の国では『ご縁』にかけて使われることがあるんです。ご縁があるように、縁が切れないように……そんな意味も込められるんですよ」

 

 しかめっ面だったガウルの表情が一瞬で元に戻った。

 

「そ、そうか。悪いな、価値しか考えてなくて……」

「いえ。価値としても安いものだし、意味合いもあるから丁度いいと思ったので」

「……前の方が本音、ってことはないだろうな?」

「さあ? どうですかね」

 

 言いつつソウヤが腕時計をポケットに入れながら、部屋の入り口へ向かう。

 

「ソウヤ? レオ様のところに行くんか?」

「ああ。条件の最後をクリアしてくる。レオ様にずっと愛用してるこの安物の腕時計を預けてくる。あとエクスマキナもな。……すぐ戻る」

 

 扉が開けられ、部屋の主が出て行った。

 

「……賭けねえか? エクスマキナを姉上が受け取るかどうか」

「ガウ様、多分それ賭けにならんで」

 

 ジョーヌにそう言われ、ガウルは小さく笑った。

 

 

 

 

 

「ソウヤ様、ありがとうございました。ではこれにて会の方は終了とさせていただきます」

 

 ルージュが一礼する。それを横目に流し見て、壇上から降りてきたソウヤは椅子に腰を下ろした。

 昨日のシンクの時の式典同様、今度はヴァンネット城でソウヤの番であった。そしてソウヤが慣れない挨拶を丁度終えたところだった。

 

 実のところ、ソウヤの右手人差し指には蒼い宝石の指輪がまだ輝いている。

 あの後、ソウヤは自分の時計とエクスマキナをレオに渡すべくレオの部屋に向かおうとしていた。だがその途中でルージュと会い、レオの居場所を聞いたところ、時計は自分が渡しておくと言って預かってくれたが、エクスマキナだけは受け取ってくれなかったのだった。

 

「今レオ様は送還の儀の最終確認等、お忙しいご様子で手が離せないようですので、ソウヤ様の時計は私が預かってレオ様に渡しておきます。ですが、エクスマキナはこの後の式典まではそれを身にお付けになったままのほうがいいかと思います。レオ様にお返しになるのであれば、送還の直前に直接レオ様にお渡しになってくださいませ」

 

 そう言い、ルージュは頑なにエクスマキナを受け取ることを拒んだ。そのため、エクスマキナは今も主と認めた者の手に収まっている。

 

 と、そんなソウヤの前に近づく影があった。

 

「ソウヤ様」

 

 名を呼ばれたソウヤが顔を上げる。が、声の主を確認すると改まった様子でソウヤは立ち上がった。

 

「失礼しました、姫様」

 

 ソウヤが声の主、ミルヒに頭を下げる。

 

「いえ、こちらこそ急に声をかけてしまってすみません。この後ビスコッティに戻らなくてはならなくて……」

「そう言えばエクレールが昨日そう言ってましたね」

 

 チラリとソウヤは視線を後ろに立つ親衛隊長へと移す。普段どおりの仏頂面をしているように見えるが、昨日までのそれとは少し違うようにも見える、とソウヤは感じていた。

 

「すみません、隣国の勇者様を最後まで見送ることが出来ずに……」

「気になさらないでください。どの道召喚台では召喚主と勇者2人じゃないといけないわけですし」

「まあ……そうですね……」

 

 ミルヒの視線が泳ぎ、頬が赤くなったように見えた。

 それを見てソウヤは小さく鼻を鳴らす。

 

「……あっ、えっと、元の世界に戻っても、シンクと仲良くしてあげてください」

「戻ったら今日中に連絡は取ってみるつもりです。ですが何分お互い住んでる場所が結構遠いですから……顔を合わせるのはしばらく経ってからになってしまうかと」

「そうなんですか……」

「まあ、またこっちに来る時までには向こうの世界で少なくとも1回は会っておくつもりでいますよ。その時に遊ぶかどうかは……年の差もありますしわかりませんけど」

「そんな、全然問題ないじゃないですか。私とレオ様も2つ違いですし」

「そういえば……そうか」

 

 ソウヤが視線を上へと逸らして考え込んだ時。背後に立っていたエクレールが「姫様、そろそろ……」と声をかけた。

 

「すみませんソウヤ様、もう行かねばならないようですので……」

「いえ。お忙しいところわざわざ来ていただきありがとうございます」

「……ソウヤ様」

 

 一瞬間を空けた後、決意したようにミルヒは口を開く。

 

「レオ様を……お願いします」

 

 真面目な雰囲気で言われた言葉に、ソウヤは目の前の姫君が何を言わんとしているのかを察した。だが彼はそれに対して明確な答えは出せていない。

 

「俺はこれから帰る人間ですよ? そんな、何かをお願いされても困ります」

 

 はぐらかそうと、あやふやな答えを返すソウヤ。

 

「ですが……それでも、お願いします」

 

 ミルヒはそう言って軽く頭を下げる。ソウヤは困ったような表情を浮かべただけで、それに対して特に返事はしなかった。

 

「……最後なのに変なことを言ってしまってすみません。……エクレール、何かソウヤ様とお話したいことは……」

「大丈夫です。昨日のうちに話しておきましたから」

 

 そう言うエクレールの方にソウヤは視線を移し、声を出さずに「よかったな」と口を動かした。

 

「なっ……!」

 

 その口の動きでソウヤが伝えたかったことが伝わったらしい。

 

「エクレール……? どうしました?」

 

 そのソウヤの様子はエクレールの方を振り返っていたミルヒには気づかれない。

 

「な、なんでもありません! 参りましょう、姫様!」

 

 頬を赤く染めつつエクレールがソウヤに背を向ける。

 

「あ、待ってくださいエクレール! ……ではソウヤ様、これで失礼します。またお会いできる日を楽しみにしておりますね」

「ええ。こちらこそ」

 

 今度は深く頭を下げ、ミルヒがソウヤから遠ざかる。

 それを見送ったソウヤは思わずため息を一つこぼした。

 

「ソウヤ殿は、姫様やエクレールともすっかり仲良しになったでござるな」

 

 次いで聞こえた声に苦笑を浮かべつつソウヤが振り返る。彼の視線の先に立っていたのはこの滞在中、ビスコッティ側で最も世話になった長身の女性、隠密部隊頭領のブリオッシュだった。

 

「そう見えますか? 姫様はまだしも、エクレールはどうですかね……」

「いやいや、あれが彼女なりの感情表現でござるよ。ユキカゼもそう思うでござろう?」

「さあ……。ただ、拙者はお主と仲良しになったとは思ってないでござるが」

「……というように、これもユキカゼなりの感情表現でござるよ」

「お、お館様!」

 

 愉快そうにブリオッシュが笑った。

 

「さてユキカゼ、ソウヤ殿に言いたいことがあったのでござろう?」

 

 そう言ってブリオッシュが数歩下がり、代わりにユキカゼが主の前へ出る。

 

「次に来た時は負けない故……覚悟するでござる」

「お、次もまた戦ってくれるのか?」

「負けっぱなしは嫌でござるからな。拙者があの戦いで受けた恥は、お主に返すでござるよ」

「意外と負けず嫌いだな。……でも俺も負けてやる気はないからよろしくな、巨乳ちゃん」

 

 最後まで変わることのなかった自分に対する呼び方を聞くとユキカゼは背を向ける。やはりよそよそしい態度ではあったが、それでも当初よりはいささか毛嫌いする様子は薄らいだようにソウヤは感じていた。あれだけ最悪なファーストコンタクトのすぐ後に、彼女の主に対して卑怯と罵られかねない方法で勝利を取ったのだ、印象はずっと悪かっただろう。その後だって意思に反するとは言えその主を傷つけてもいる。だがそれでも自分に対して口を利いてくれて、再戦の約束もしてもらえたことをソウヤはありがたく思っていた。

 

(今度来たときは……さすがに「巨乳ちゃん」は封印するか……)

 

 ふとそんな考えがソウヤの頭をよぎる。しかしユキカゼはそんな彼の考えは露知らず、ブリオッシュの後ろへと下がっていった。

 

「ユキカゼ、もういいでござるか?」

「はい。言いたいことは伝えました故……」

「そうか。……ソウヤ殿、よければ人の少ないところへ……」

「ええ。構いませんよ」

 

 ブリオッシュがソウヤをバルコニーへと案内する。そういえば昨日は同じようにバルコニーでエクレールと話したことを思い出した。

 

「それで、なんでしょうか?」

「……ソウヤ殿は、拙者と戦った際に拙者のことを『相手の身を案じるために降参を選択する優しい者』と言ったでござるな?」

「……言いましたっけ? 物覚えはよくない方ですので」

「ようやく気づいたでござる。あれは……ソウヤ殿自身のこともまた、指していたのでござるな」

 

 ソウヤは答えない。

 

「盗み聞きをするつもりはなかったでござるが……昨日のエクレールとの会話を聞かせてもらったでござる」

「耳がいいのは聖ハルヴァー人だと思ってましたが。あなたもよかったんですか」

 

 ソウヤの皮肉を聞き流し、ブリオッシュは続ける。

 

「……ソウヤ殿は見えすぎていたのでござるな。だから、エクレールにかけた『後悔する選択だけはするな』と言う言葉を、自身で卑怯と言った……」

「まいったな。独り言まで筒抜けですか」

「……後悔しない選択などない、そうわかっているのでござろう?」

 

 視線を逸らし、またしてもソウヤは答えない。

 

「だから……レオ様にご自身の気持ちを伝えないつもりでござるか?」

「あなたには関係のない……」

 

 質問に対する拒否の答えを言いかけたところで、ブリオッシュの表情を見たソウヤの口が止まる。それは言うことを強制させる、と言うものとは真逆、言いたくないなら言わなくていい、だが自分が力になれることなら協力する、そう言いた気に見えた。

 

「……そうですよ」

 

 だから、ソウヤは話そうと思った。ひねくれものの(さが)か、それとも、本当は誰かに胸のうちを話したかったのか。何百年も生きているとも噂される年長の大陸一の剣士になら、悩みを解決してもらえるかもしれない。以前自分にくれた助言のように、何か答えが見つかるのかもしれない。ひょっとしたらそんな淡い期待もあったのだろう。

 

「どの道後悔がついてまわるなら、やって後悔するよりやらずに後悔する……。それが俺なんです。俺は守ると言った約束を違えて、あまつさえてめえのその手で約束した人を傷つけたような人間です。それに、あの人の背負っているものを一緒に背負うほどの覚悟もない。……なら、俺などと言う人間に縛られず、自由に生き、ふさわしい人を見つけるべきだ。だったら、やらずに後悔で俺はいい」

「……ソウヤ殿、それは悲しすぎる考え方でござるよ」

 

 言葉の通り、ブリオッシュは表情を曇らせる。

 

「ソウヤ殿はまだ若い……。なら、後のことは後で考え、自分がその時思ったようにした方がいい……」

「……いかにも年寄りの言いそうなことですね」

「年寄りはそれを若い頃にできなかったと言う未練がある、だから若者にそう苦言を呈すでござる」

 

 皮肉で言ったはずのソウヤの言葉はあっさりとブリオッシュに返されてしまった。

 

「どの道後悔するとわかっているのであれば……『良い後悔』ができる方を選べばいいでござるよ」

「『良い後悔』……?」

「後悔をする、しないではなく、どうせ後悔するなら『良い後悔』をするような選択をする。それはいかがでござろうか? ……拙者は、かつて『良い後悔』を選択することが出来なかった。そして今もそれは胸に残っている……。相手の身を案じるために自分の身を引く……。それほどの決意ができる相手を諦めるというのは……一生『悪い後悔』として付き纏うでござるよ」

「俺はそうなろうが別に……」

「ソウヤ殿だけの話ではない。レオ様も、でござる」

 

 ハッとしたような表情を浮かべ、ソウヤはブリオッシュの顔を見た。

 

「相手の身を案じすぎ、良かれと思った自身の選択が、場合によっては相手も不幸にしてしまうこともある……」

「だったら……だったら俺は……どうすれば……」

「酷なようでござるが……それを決めるのはソウヤ殿自身でござる」

 

 ソウヤが俯いていた視線を戻した先にあったのは、優しいブリオッシュの顔だった。

 

「ソウヤ殿が納得できるような……『良い後悔』が選択できるよう、拙者はこれ以上何も出来ないでござるが……。それでも、祈っているでござるよ」

「ダルキアン卿……」

 

 一度視線を外した後、それまで迷っていたはずの目が、まっすぐブリオッシュを捕えた。そしてソウヤは右手を差し出す。

 

「……ありがとうございます」

 

 ブリオッシュも右手を差し出し、その手を握り返した。

 

「なんの。帰る直前だというのに説教じみたことをすまなかった」

「いえ。……今度こちらに来た時には是非稽古をつけてください」

「稽古……でござるか?」

「はい。あなたのその強さの本質はどこにあるのか……。剣を通してそれを覗いてみたい」

 

 ブリオッシュが苦笑を浮かべる。

 

「それは期待に応えられないかもしれないでござるが……剣を合わせるということは歓迎するでござるよ」

 

 ソウヤが微笑む。初めて見たようなその表情に、ブリオッシュは思わず虚をつかれた。

 

「お話中すみません。ソウヤ様、そろそろ外の方へお願いします」

「わかりました。すぐ行きます」

 

 ルージュに声をかけられ、ソウヤは握手していたその手を離した。

 

「ではダルキアン卿、また会いましょう」

「ああ。達者でな」

 

 ソウヤがルージュの後に続いて部屋の中に戻り、次いでその入り口の方へと歩いていく。

 その様子をブリオッシュが見送っているとユキカゼがバルコニーへと出て来た。

 

「お館様、随分長話でありましたね?」

「ソウヤ殿を見ていると……どうもかつての自分と重ねてしまうところがあった故な……」

「アイツとお館様が? 全然似てないでありますよ」

 

 歯に衣着せぬ物言いに思わずブリオッシュが苦笑する。

 

「大体お館様はアイツをご自分と似てる、だの、拙者と似てる、だの、そうやってなんやかんやで贔屓しすぎでござる」

「何だユキカゼ、嫉妬でござるか?」

「そ、そんなではないでございます!」

 

 ブリオッシュが声を上げて笑う。

 そして勇者が出て行ったその入り口の方へ視線を送り、一瞬真面目な表情を見せたが、

 

「……さあ、飲もう! 勇者殿の無事の送還を願って、そして若者達の素晴らしい明日を願って!」

 

 次の瞬間には、いつものブリオッシュの顔へと戻っていた。

 

「いや……飲むのはいいでござるが……拙者はお館様と飲むのは少々……」

「どうしたユキカゼ、ノリが悪いでござるな? ほら、付き合うでござるよ!」

 

 まだ酒を飲んでもいないのに既に酔ったかのような隠密部隊の頭領は、筆頭と肩を組んだまま部屋を後にしようとしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 20 蒼の誓い

 

 

 ソウヤがヴァンネット城の入り口付近へと降りてくる。水辺へと迫り出した岩の上に建築されたこの城は、2週間あまりのこの日々においてソウヤの第2の家としての役割も果たしていた。

 今、ソウヤが荷物をまとめ、来た時同様のTシャツにジーンズという姿でその第2の家から出ようとしているところだった。

 

「お、来たか勇者」

 

 ガウルが現れたソウヤに声をかける。

 

「姉上は召喚台の方にもう行ってる。つってもすぐそこだが、そこまではビオレが案内するから、皆に挨拶が終わったらついていくといい」

「わかりました」

 

 そう言い、ソウヤは2人の将軍の方を向く。

 

「バナード将軍、ゴドウィン将軍、お世話になりました」

「いやいや、こちらこそ勇者殿の活躍のおかげで2連勝に大盛り上がりの特別興業と、非常に助けられましたぞ」

 

 ゴドウィンがそう返した。

 

「今度来た時は是非将軍と奥様の話を伺いたいものですね」

「そんな、以前言ったと思いますが、自分はそれほど愛妻家というわけでは……。そういう話は愛妻家のバナード将軍から伺ったほうが面白いかと」

「そこで私に話を振るのか、君は」

 

 思いがけないタイミングで話を振られたことに、バナードは苦笑を浮かべた。

 

「へえ、バナード将軍は愛妻家なんですか」

「さあ、どうだかね。周りはそう言うけれど」

「初耳でした。……まああまり話したことがないから、ですかね」

「一昨日言ったことを根に持っているのかい? 私は事実を言っただけだよ。私のようなおじさんより、年の近いレオ閣下やガウル殿下と一緒にいた方が、勇者殿としては楽しいだろうからね」

「まあ確かにそうはそうですが、あなたのような方と互いに腹を探り合うような会話をするのも、俺は嫌いじゃありませんよ」

「……ソウヤ殿は本当に16歳か?」

 

 再びバナードが苦笑を浮かべる。

 

「とりあえず次来た時は是非奥様を紹介してくださいよ」

「ナタリーはソウヤ殿に一度会いたいと言っていたから、今度来た時に紹介するよ。ゴドウィン、君もエリーナを紹介するんだろう?」

「むう……。そのことはエリーナと相談して、次にソウヤ殿がいらっしゃる時までに考えておく、ということではダメですかな?」

「何をそんな恥ずかしがる必要があるんです?」

「エリーナは美人だからね。ゴドウィンは、君にエリーナを取られるんじゃないかと不安なんだよ」

「バナード将軍!」

「それはないでしょう。こんなガキに色目を使うほどだったら、ドリュール家は崩壊秒読みでしょうから」

 

 バナードが声を上げて笑った。

 

「……これはまいった。腹を探り合う会話が好きと言うのは本当のようだ。……次に来た時はゆっくりお茶でも飲みながら話をしよう」

 

 そう言うとバナードは右手を差し出す。

 

「こちらからもお願いしたいですね」

 

 ソウヤもその右手を握り返す。次いでゴドウィンのほうにその手を向けた。

 

「先ほどのはジョークですよ。気を悪くされたら謝ります」

「いや……そういうわけでは……。ともかく、またお会いできる日を楽しみにしておりますぞ」

 

 ゴドウィンもその手を握り返した。

 

「こちらこそ。……では」

 

 2人に頭を下げ、ソウヤは次の3人へと視線を移す。

 

「……おい、なんで泣いてるんだ?」

 

 そこで目にした光景にソウヤが戸惑う。ジェノワーズの黄、ジョーヌが目を拭っており、ノワールとベールがそれをなだめていた。

 

「お前らいじめたのか?」

「そんなやない……。せっかく仲良くなれたと思ったソウヤともうお別れなんて思ったら……涙が溢れてきて……」

 

 ため息をこぼし、ソウヤがジョーヌの頭に手を乗せる。

 

「……やっぱ馬鹿だな、お前は」

「な……馬鹿って言うな……」

「別に2度と会えないわけじゃないんだ。お前がそんなだとこっちまで調子狂う。……大体、俺のお守りは2度とゴメンなんじゃなかったのか?」

「あの時はそう思ったんや……そう思ったんやけど……」

 

 再びソウヤがため息をこぼす。

 

「……こいつ、どうやったら元に戻る?」

「わからない……。ジョーがここまで泣くなんて珍しいから……」

「私達の中でソウヤさんと1番接していたのはジョーですし、思いも一入(ひとしお)なんだと思います……」

 

 困った表情を浮かべ、ソウヤは乗せていた手でジョーヌの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。

 

「い、痛い! 何するんや!」

「ジェノワーズが三馬鹿なんて言われてる要因のほとんどはムードメーカーのお前にあるんだからよ、そのお前がこんなじゃ他の2人も困るだろ。……だから俺のことは笑って見送ってくれ」

「ソウヤ……」

 

 また溢れ出そうになった涙を手の甲で拭い、ぎこちないながらもジョーヌは笑顔を浮かべる。

 

「……わかった! お前の言うとおりやな!」

 

 それを見たソウヤも小さく笑った。

 

「……そう、それでいい。……ついでに景気づけにあれやってくれ」

「あれ……? あれって……」

「あれ、やろな……」

「ですよね……?」

 

 無言でソウヤが頷く。3人は一様にため息をこぼしつつも、ノワールを真ん中に、左手側にジョーヌ、右手側にベールが立った。

 

「……我ら、ガレット獅子団領!」

「ガウ様直属親衛隊!」

「「ジェノワーズ!」」

 

 ビシッと3人がお得意の登場ポーズを決め、それを見ていたソウヤが拍手を送った。

 

「なんかやれって言われてやると恥ずかしいな、これ……」

「いつもは勢いでやってるから……」

「いや、いいもの見せてもらった。やっぱりお前たちジェノワーズはこうじゃないとな」

 

 3人が顔を見合わせて思わず笑う。

 

「あ。預かった本、大切にしますね」

「大切にするのもいいが、とりあえず読め。……次に俺が来た時に感想を聞くから、それまでに読んでおけよ」

「え、ええ!? 本気か!?」

「勿論」

「ノワ、何か言ってやってな!」

「……私、意外とあれ読みたかったりしてた」

「ここでまさかのカミングアウト!」

「じゃあ約束だぞ。読んでおけよ」

 

 そう言い残し、ソウヤはこの十数日間、身分を越えて友のように接してくれた王子の前に立った。

 

「……お前がいなくなると、寂しくなるな」

「そんなことないでしょう、ガウ様。腕白坊主がいればいつだって賑やかでしょうに」

「……へっ! そう言ってくれる相手がいなくなるから、寂しいってんだよ」

 

 言葉通り、どこか寂しそうな表情でガウルがそう言った。

 

「……本音を言うと俺としてはここに永住してくれてもいいとは思ってるんだがな」

「面白そうな話ではありますが……その件についてはもう少し時間をください。一応俺の一生に関わる話ですから」

「まあ昨日の今日でいきなりずっとここにいろとも言わねえからよ。……とりあえず、また来いよ」

「ええ。そうさせてもらいます。……ではガウ様、お元気で」

「ああ。お前もな!」

 

 シンクとの再戦直前と同じように、ガウルが右拳を顔の位置まで上げる。ソウヤが笑みをこぼし、そこに自分の拳を合わせた。

 挨拶を終えたところで近衛メイド長のルージュへソウヤは視線を移す。

 

「ルージュさんにもお世話になりました」

「いえ。またいらしてくださるのをお待ちしております」

 

 完璧ともいえるメイドスマイルを見た後で、ソウヤは全員の方を振り返る。

 

 と、そこで「にゃーん」という声を聞き、ソウヤは足元へと視線を落とした。

 

「……ああ、お前にも世話になったな」

 

 短剣は背負っていないが、ネクタイ姿は最初に見たときと同じく決まっているチェイニーだ。屈んでソウヤはその頭を撫でる。

 

「お前がいなきゃ俺はここに来れなかったわけだしな。感謝してるぞ」

 

 再び「にゃーん」という満足そうな鳴き声を聞き、ソウヤは笑みをこぼした。撫でていた手を止めて立ち上がる。

 

「……では皆さん、本当にありがとうございました。また会いましょう」

 

 そして全員に背を向け、外へと歩き出した。

 

「ああ! またな!」

「じゃあね、ソウヤ」

「また会えるのを楽しみにしてるでー!」

「さよーならー!」

 

 皆の声を背に受けながら、眩しい光が目に入ってくる。外に出て、ソウヤは前方で待機している女性の元へ歩みを進めた。

 

(さてと……。正直な話、本番はここからか……)

 

 ソウヤの姿を確認して一礼したビオレが、ソウヤが歩いてくるのを待つ。心中を隠すように、ソウヤもその近衛隊長の下へと近づいていった。

 

「こんにちは、ビオレさん」

「こんにちは。召喚台までの短い距離ですが、ここからは私がご案内いたします」

 

 そう言って、ビオレはソウヤに背を向けてゆっくりと先導し始めた。しかし召喚台は目と鼻の先、別に案内が必要となる距離でもないだろう。

 要するに話す時間がほしかったのだろう、とソウヤは推測した。

 

「まず……謝らせてください」

 

 そのソウヤの推測が正しいことを証明するかのようにビオレがそう切り出す。

 

「何がです?」

「先日は感情が昂ぶってしまっていたとはいえ、客人であり、ガレットの勇者でもあるあなた様に手を上げてしまった……。申し訳ありません」

「気にしないでください。殴れと言ったのは俺です。それに……あの夜は月が綺麗だったせいで、他の些細なことは忘れてしまいましたよ」

「なるほど、いい殺し文句ですね。でも……殴っていいとおっしゃったのは覚えているのに、ですか?」

 

 一枚上手を行かれた、と思ったのだろう。思わずソウヤが苦笑を浮かべる。

 

「……で、それで顔を合わせにくかったから、この2日間の俺の世話役はルージュさんに任せていたわけですか?」

「そういうわけではありませんが……。そう捉えられても仕方ないですね……」

 

 今度はビオレが苦笑を浮かべた。

 

「……ソウヤ様のお気持ちは、お決まりになりましたか?」

 

 一瞬間を空け、ビオレが聞きたかったであろう本題を切り出す。

 

「以前あなたに伝えた通りです。あれから大分考えましたが……俺は自分の出した答えを変えるつもりはありません。少なくとも俺の方から切り出すと言うことは、ありえません」

「……そうですか」

 

 落胆したようにビオレが息を吐いた。

 

「……既成事実があれば考えが変わると思ったんですけどね」

 

 ソウヤがかろうじて聞き取れる程度にポツリとビオレが呟いた。

 

「既成事実? 何の話です?」

「いえ、独り言ですのでお気になさらないでください。……ソウヤ様、またガレットにいらしてくださるんですよね?」

「レオ様が俺を嫌いになって召喚をやめてしまわない限りは、そうしたいと思っています」

「でしたらそれで十分です。レオ様だけでなく、ガウ様も、他の方々も、またあなたに会うことを楽しみにしておられますので」

「会うことを楽しみにしている、か……。俺は幸せ者ですよ。ここで色々な人に出会えてよかった……」

「それをご自分でお認めになられたと言うことが、ソウヤ様の一番の成長と言えるのではないでしょうか」

 

 驚いたようにソウヤがビオレを見つめた。

 

「……失礼しました、出過ぎた発言でしたね」

「いえ。……ビオレさんの言うとおり、ここで俺はひとつ大人になったってことでしょうね」

 

 召喚台と、そこに立つ1人の少女の姿が見えてくる。その姿を確認すると、ビオレは歩く足を止めた。

 

「私がご一緒できるのはここまでです。あとは召喚主と勇者の2人で送還の儀を行う、と言うのが決まりですから」

「ありがとうございました。色々迷惑かけました。……あ、そうだ」

 

 ソウヤが荷物を探り出す。何事かとその様子をビオレが見つめていた。

 

「ビオレさん、これを」

 

 そう言ってソウヤが渡したのは日本の文房具店ならどこででも売っているような黒のボールペンだった。

 

「シンクが4色ボールペンを置いていったって聞いたんで……。大した物でもない安物ですが、買ってからあまり使ってませんから。非公式な書き物をする時にでも使ってください」

「そんな……私になど……」

「最初から最後まであなたには身の回りを世話してもらいっぱなしでしたから、感謝の気持ちとでも思ってください。それにレオ様とのことで心配も迷惑もかけましたし……。何より、個人的にあなたのことは好きですし」

「ありがとうございます。では、遠慮なく受け取らせていただきますね」

 

 ビオレがペンを受け取り懐にしまう。

 

「……ではこれで。ビオレさん、お元気で」

「ソウヤ様も体にお気をつけて。またいらしてください」

 

 召喚台、そしてそこに立つ少女の元へ、勇者と呼ばれた少年が歩いていく。

 

「……もっとも、私にかけた最後の言葉は、私などではなく、レオ様にかけてほしかったですけどね……」

 

 ソウヤの背を見送り、自身も背を向けつつ、ポツリとビオレが呟いた。

 

 

 

 

 

 召喚台の前、銀髪の少女が召喚台を見つめたまま立ち尽くしている。

 

「レオ様」

 

 名前を呼ばれた少女が名を呼んだ少年の方を向く。

 そういえば顔を会わせるの自体久しぶりのようにソウヤには思えた。思い起こせば特別興業の日の朝に少し話したぐらいだっただろうか。丸2日ほど、ちゃんと喋ってないことになる。

 

「来たか、ソウヤ」

「ええ。……なんだかちゃんと話すのは久しぶりな気がしますね」

 

 まるで俺を避けるように、と付け加えようとしてソウヤはそれをやめた。避けていたのはレオではなく自分だ、と気づいたからだ。

 元々レオが忙しいという事実はあったものの、レオの姿を見れば自分の心が揺らぐかもしれない、そう思っていたから、ソウヤはこの2日間はレオと必要以上に接しようとしなかった。いや、ほぼ接していなかったと言ってもいいだろう。

 

「ここ数日忙しかったからな。お前の特別興業の事前準備と事後処理にシンクの送還、そしてお前の送還と立て続けじゃったし」

「レオ様も歌われた姫様のコンサート、が抜けてますよ」

「それは……言うな」

 

 恥ずかしそうにレオが失笑した。

 

「ああ、その件で謝ってませんでした」

「何がじゃ?」

「あそこで俺が茶々入れたせいでレオ様が恥をかくことになった、とジョーヌに言われましたよ」

「別にお前のせいではない。ミルヒの押しに負けてステージに上がるといったワシが全ての原因じゃからな」

「押した姫様の方が問題な気もしますけどね」

 

 言いつつ、ソウヤは召喚台の中心へと足を進め、台の様子を見る。従来海の中に隠れている召喚台は今は既に浮いてきてはいる。が、それ以外は見たところ変わった様子はない。

 

「見ただけではわからんかもしれんが、準備は終わっておる。あとは時間が来ればお前が来た時と逆、お前は空へと舞い上がり、元の世界に帰れるだろう」

「へえ……。……あ、ルージュさんから俺の時計は受け取りました?」

 

 荷物を召喚台に置き、ソウヤはレオと向かい合う。

 

「ああ。シンクの奴も時計だったと聞いておるし、お前の世界ではそういう場合は時計を渡す決まりでもあるのか?」

「渡しやすい、ってことだと思いますよ。もっとも、俺の場合他に選択肢がなかった、と言ってもいいですが。安物ですみません、一応ずっと愛用してたものなんで……」

「わかってる。値段じゃない、と言うことぐらいはな」

 

 ソウヤが一呼吸置く。

 

「……あと、エクスマキナですが……」

「それはお前に預けておく。勇者の証としてシンクもパラディオンを持って帰ったそうじゃ。お前も持っていけ。……勇者の証であると同時に、またここに来る、という証として、な」

 

 反論しようかとも思ったが、レオは断固受け取りを拒否するように見えた。

 何より、レオは「ここに来るという証」と言った。ならこれを返せばもうここには来ない、という意思を表すことになる。

 

「……わかりました」

 

 結局ソウヤがやむなくそれを了承する。

 そしていつ時間になってもいいように――いや、時間が来たらこのままあっさりとした別れで済ませることができるように――ソウヤは召喚台の中心付近で待機しようと、数歩踏み出した。

 

「……ワシは……お前を……自分の相手としてふさわしくない、などと考えたことはない」

 

 その時、それまでの声色と一転して聞こえたその声に思わずソウヤが振り返る。

 

「確かにワシはお前に馬鹿にされるようにウブじゃ。それはわかる。わかるが……それでも、ワシのこの気持ちは一時限りの物ではない、そう思っておる……」

「レオ様……まさか……。あの時の俺とビオレさんの会話を……?」

「……すまない。盗み聞きをするつもりも、あんな形でお前の心を聞き、そしてここでこうして言うつもりもなかった。じゃが……このままワシもお前も互いの心を隠したまま別れるというのは……我慢ができなかった。気づかぬ振りをすればいいとわかっていながら……それはできなかった……」

 

 レオの瞳に涙が溜まっていく。

 

「……初めて星詠みでお前を見たときから、ワシはお前に惹かれていた。そのときはただ共に戦場を駆けたいという憧れだったかもしれない。じゃが、エクスマキナを手にして真に勇者として目覚め、共に戦場を駆け、そしてお前を失うかもしれないと思ったあの時、ワシははっきりと自分の心に気づいたんじゃ。

 じゃから……お前がどう思っていようが……その心のうちが決まっていようが……言わせてくれ。……ワシは、お前が好きじゃ」

 

 一瞬狼狽した表情を見せ、ソウヤはレオに背を向ける。

 

「……あの時の俺の話を聞いていたんでしょう? ならもう言っているはずです。……俺にはあなたを愛する資格などない」

「それでも……! ワシにはお前が必要なんじゃ……!」

 

 答えず、ソウヤは一歩足を進める。

 

「ソウヤ!」

「……あなたが必要とすべき人間は俺じゃない。俺のような器の小さな人間じゃ……」

「器など関係ない……! ワシが必要としているのは……ソウヤ・ハヤマ、他でもないお前じゃ……!」

「ーッ!」

 

 ソウヤが声にならない叫びを漏らす。

 

「ワシはいつまででもお前を待っておる……! 今お前が自分に納得できんのであれば、ワシはいつまでも待つ……。じゃから……今のお前の気持ちを答えにしないでくれ……勇者としてまたフロニャルドを訪れてくれ……。じゃが……それでも心が変わらないというのであれば……その時に今の心を答えにしてくれ……」

 

 答えず、ソウヤはただ俯き、拳を握り締めていた。

 

「ワシは……もう心を決めておる……! この先どんなことがあってもお前となら乗り越えていける……そう信じておる……! じゃから、もう1度言わせてくれ。ソウヤ、ワシはお前が好きじゃ……!」

 

 自分の気持ちを押し殺すようになおも硬く握られるソウヤの拳。

 

「俺は……!」

 

 呻きの後で、否定の言葉を続けてもよかった。そのまま無言で背を向け続けてもよかった。

 だが、ソウヤにはそれが出来なかった。彼の心は迷い、困惑していた。自分はレオと肩を並べる資格があるのか。否、そんな回りくどい、都合良く逃げることの出来るような問いなどではない。

 

 このまま帰って、いいのか。

 

 ソウヤは自身の心に再度問いかける。自分を好いていると言ってくれた女性に涙を流させたまま、自分はこの地を去るのだろうか。それで勇者などと呼べるのだろうか。ブリオッシュに言われた「良い後悔」を本当に選んだのだろうか。

 

 それは、嫌だ。

 

 はっきりと、ソウヤはそう思った。勇者としてだのなんだの、そんなものは関係ない。このまま帰るなどということは絶対に嫌だ。だが、自分にここで振り返る資格が、彼女と共に生きると言える覚悟があるのだろうか。

 そう思ってなお悩むソウヤの脳裏を、この世界で出会った人々の言葉が駆け巡り、背中を後押していく。

 

『俺は、お前になら姉上を任せられると思ってる……』

『レオ様を……お願いします……』

『そんなの、不安に思う必要もないじゃない。ソウヤはレオ様が選んで召喚されたわけだし、ガレットの神剣エクスマキナにも主と認められたんだから……』

『ソウヤ殿が納得できるような……『良い後悔』が選択できるよう、拙者はこれ以上何も出来ないでござるが……。それでも、祈っているでござるよ……』

『レオ様は、エクスマキナをあなたに預ける時に、勇者として認めるだけでなく……あなたを将来の相手としてもお認めになっていた……』

 

 ソウヤは天を仰いだ。

 

「……俺は……馬鹿だ……」

 

 何を迷う必要があっただろうか。

 ポツリとそう呟き、息をひとつ吐く。 

 

 そして何かを決意した表情でレオの方を振り返り、彼女の元へと歩み寄った。

 

「レオ様」

 

 瞼に涙を溜めたまま、レオはソウヤを見つめる。

 

「レオ様、あなたは俺が禍太刀騒動で意識が戻った後、『自分を守るための盾になってほしい』、そうおっしゃいましたね?」

「……ああ」

「それに対する答えがまだでした」

 

 一旦間を空けたソウヤの顔を、期待と不安の入り混じった顔で見つめるレオだったが――。

 

「……すみません、俺はあなたの盾になることはできません」

 

 その言葉に明らかにレオの表情に失意の色が浮かび、次いで目を伏せた。

 

「……そうか」

「……ですが」

 

 レオが顔を上げる。

 

「俺は矢になることはできる。しかしその矢を打ち出すには弓が必要だ……。だからレオ様、あなたが弓となって矢を放ち、守るのではなくあなたに迫る敵を撃ち抜いてください」

「ソウヤ……」

「……好きです、レオ様。気高く美しい百獣王の騎士、レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワを……俺は、あなたを愛しています」

「あ……あ……!」

 

 レオの肩が震え、瞳から涙が溢れ出る。

 

「……俺のような人間があなたを幸せに出来るかどうかはわからない。ですが……あなたは俺を必要だと言ってくれた。待っていてくれるとも言ってくれた。なら、今はまだ肩を並べる資格が俺になかったとしても、いつかきっと並べる存在になってみせる。そしてあなたをもう2度と傷つけないと約束し、共に生きていく。……あなたから預かったこのエクスマキナにかけて、俺は……ソウヤ・ハヤマはそれを誓います」

 

 レオが膝をついて泣き崩れる。そして涙でぐしゃぐしゃになった顔を両手で抑えた。

 

「き……貴様と言う奴は……! 自分に資格がないだの覚悟がないだの散々言っておったくせに……! このタイミングでそんなことを言うなど……卑怯じゃぞ……!」

「……本当はこのまま帰るつもりでしたよ。ですが、周りの皆は俺を認めてくれた……。そしてなにより、愛するあなたの涙を見て気づいたんです。……あなたを泣かせたまま帰れば……俺はきっと『悪い後悔』をすることになると。だから……俺も覚悟を決めます。あなたが背負うものを、俺も背負います」

 

 レオは泣きじゃくっていた。ソウヤを失いたくないと泣いたあの時と全く逆の涙を流していた。それは「綺麗な涙」と言い換えてもいいだろう。

 

「……それに卑怯なのはお互い様でしょう。女性の涙というのは最強の武器ですし、それ以前にあなただって、俺が気づいていない状態で将来を約束する契りを交わしたわけでしょう? だから俺は最後の一歩を踏み出せたわけですし」

「……ワシが?」

 

 涙は流しながらも、レオはきょとんとした表情を浮かべる。

 

「将来を約束する契り……? いつ、じゃ?」

「え……。いつ、って……戦の時に俺に輝力をわけたでしょう?」

「ああ、わけたが……」

「わけたが、って……。ビオレさんが言ってましたよ。それはフロニャルドにおいては家族以外で行われる場合、男女が将来を約束した時に行う行為だって……」

「ビオレが? ……そんな話聞いたこともないぞ。確かに輝力をおいそれとわけることはあまり行われないが……」

「な……」

 

 ソウヤが固まる。確かにビオレはあの夜、最後にそう言ったはずだ。

 

「本当にビオレがそう言ったのか?」

 

 その時ソウヤは、先ほどビオレが意味ありげに呟いたその言葉を思い出した。

 

『……()()()()があれば考えが変わると思ったんですけどね』

「……そうか、そういう意味か!」

 

 ソウヤが声を上げて笑う。何が起こったかわからないレオは完全に置いてけぼりだった。

 

「やられた……! 騙し合いは俺の専門分野だと思っていたのに……完全に騙された! あの紫猫め、次会った時はとっちめてやる!」

「なんじゃソウヤ、1人で納得してないで……ワシにもわかるように説明してくれ!」

「ですから……」

 

 ソウヤがレオに顔を近づける。頬を赤くしながらも、まるで魔法にかけられたかのようにレオはその瞳を逸らすことができない。

 そこからはまるで最初から予定されていたかのようなソウヤの動きだった。

 

 ソウヤの右手がレオの顎に添えられる。2本の指で優しく触れられて少し上を向いたレオの顔の、その唇にソウヤのそれが重ねられた。

 そして流れる一瞬の空白――。

 

「な……!」

 

 レオが何をされたか気づいたのは、ソウヤが顔を離した後だった。

 

「……こういうことですよ。俺はあなたを愛してる、行き着くところはそこだったってわけです」

「き……貴様! ワシの肌に触れるどころか、あまつさえ、く……唇など!」

 

 レオが文句を言おうとしたその時だった。

 突然背後の紋章台が光を放ち始める。

 

「おっと、そろそろ時間か」

 

 レオに、愛する者に背を向け、ソウヤは中心部へと近づいていく。

 

「お説教は、また今度来た時に聞きますよ」

「……貴様はいつもそうじゃ。そうやって気取ったセリフを吐く。……だがそこが……」

「俺のいいところでもある、とか言いたいんでしょう?」

 

 レオが微笑む。

 

「……ああ!」

 

 光が強くなる。ソウヤの持ってきた荷物が宙に浮かび始め、ソウヤの体も浮き上がり始めた。

 

「ソウヤ! またお前が来る日を……ワシは……レオンミシェリは待っておるぞ!」

「ええ! 必ずまた来ます! 愛するあなたに会いに来ます! だから、さよならは言いません! また会いましょう、レオ様!」

 

 空に吸い込まれながら、いつか聞いたセリフを残し、ソウヤ・ハヤマはフロニャルドの空へ消えていった。

 

「待っておるぞ……。お前が、また来る日を……」

 

 ソウヤが見えなくなった後もレオはその空を見上げ続ける。

 そんなレオを祝福するかのように、優しいフロニャルドの風が彼女の頬を撫でた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ 勇者、帰還

 

 

 8月10日。日本で言うお盆を直前に控え、しかしそれでも部活動というものは行われていた。

 

「おはようございます」

 

 そしてそれはソウヤが所属する弓道部でも同じであった。フロニャルドから戻ってきたばかりだったが、ソウヤの姿は部の更衣室にあった。

 

「おう、ソウヤじゃねえか! 真面目なお前が練習ここまで休むのなんて珍しいんじゃねえか?」

「すみません主将。親戚の旅行に急に連れて行かれたもので……」

 

 普段なら理由を聞いても返してくれることが稀なのがソウヤのはずだった。だが聞いてもいないのに理由が返ってきたことに弓道部主将は驚いた顔を見せる。

 

「……いや、まあかまわねえさ! お前はうちのエースだからな。たまにゃあ気分転換もいいだろ、ちょっとぐらい休んでも問題ねえよ!」

 

 主将は豪快に笑う。だが当のソウヤはそれを聞き流し、部活の準備をしようとしていた。

 

「……そうだ、ソウヤ。お前の優勝祝い、この間はお前が習い事あるってことで流れたんだが……今日練習終わった後どうだ? 駅の近くのファミレス、お前が主役なんだから付き合えよ」

 

 ソウヤが考える顔を見せる。他の部員はどうせ来ないだろうと諦め気味の表情であったが――。

 

「……お邪魔でなければ、是非」

 

 予想にもしていなかった答えに部員達が顔を見合わせて固まった。

 

「お……おう! 邪魔なわけねえだろ! お前が主役だって言ってんだからよ! お前らも来るんだろ!?」

 

 主将の問いかけに「ソウヤが来るってんなら……」「この機会逃したらソウヤと飯食うとかないかもしれないからな!」と他の部員も乗り気である。

 

「よっしゃきまりだ! そうと決まりゃあ練習気合入れてやるぞお前ら!」

 

 主将の発破に対しては「おー!」という声と「えー」という声が半々だった。

 そんな周りを気にせず、ソウヤは着替えを始める。

 

「……ソウヤ、お前、変わったか?」

「さあ、どうですかね。周りから見てそうであれば、そうなんでしょうけど」

 

 ジーンズを脱ぐためにポケットに入っていた携帯を椅子におきながら、ソウヤはそう答える。その物言いは相変わらずだったが、それでもやはり以前とは変わったと主将は感じていた。

 

 と、椅子の上の携帯が震え出す。

 ソウヤがその携帯を開き、届いたメールを見て思わず笑みをこぼした。

 

『やあソウヤ、1日ぶり! フロニャルドからは帰ってきた? こっちは今日も暑いけど、僕は元気だよ! とりあえず、届いてたら返事頂戴ね』

 

 あいつらしい文面だ、とソウヤは思い、返信を打ち始める。

 

「……なんだソウヤ、彼女か?」

 

 その様子に気づいた主将が声をかけてくる。

 

「いえ。……あの人は携帯を持ってませんから」

 

 ヒューッと主将が口笛を鳴らした。

 

「じゃあなんだ、お前、彼女はいるのかよ!」

「ええ、まあ」

「まあ、って……お前も隅に置けねえなあ!」

 

 主将の冷やかしを聞き流す。が、数刻前に触れ合った唇の感触を思い出し、思わず笑顔がこぼれた。異世界の恋人への思いを馳せつつ、ソウヤは本文を打ち終えた。

 

『無事に帰ってこれた。これから部活でその後ファミレスで食事会らしい。また家に戻ったらメールを送る』

 

 送信ボタンを押し、ソウヤが携帯を閉じる。

 

「じゃあそのメールは知り合いからか?」

 

 その問いかけに対し、表情を緩めながらソウヤは振り返った。

 

「ええ。俺の……大切な友達からですよ」

 

 

 日本の夏は、暑い。

 だがこれは、それよりも熱い情熱の日々を駆け抜けた、2人の勇者と、耳と尻尾と、愛と勇気と希望の物語――。




第1部はここまでになります。
次からは第1部の後日談という名目の短編集になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間短編集
BE・TSU・BA・RA!(ミルヒ・リコ)


ここからは第1部の後日談であると同時に第2部への繋ぎの物語、という名目の短編集になります。
要するに書きたいと思ったものをなるべく原作の、それもドラマCDのようなノリで好き勝手に書いてみたものになります。
なお、にじファン投稿時は物語中の時間軸をバラバラに投稿していましたが、今回は投稿順が時間順になるようにしています。


 

 

「これで最後、っと……。アメリタ、今日の分はこれでおしまいですよね?」

「ええ、そうです。ご苦労様でした、姫様」

 

 眼鏡をかけ、タイトな服装に身を包んだ秘書官のアメリタにそう言われ、ピンクの髪の少女は「はーい」と答えながら伸びをした。

 

 地球と異なる世界、フロニャルドの国の1つ、ビスコッティ共和国。今のはここフィリアンノ城で生活している代表領主、すなわち、ミルヒの執務室での一幕であった。輝歴2911年青玉(せいぎょく)の月、地球の暦でいう9月。シンクの2度目の召喚から2ヶ月弱が経過していた。

 

「今日のご公務の予定はこれで終了となります。……この後はどうなされるんですか?」

「リコが私の部屋に遊びに来てくれることになってるんです。以前はよく遊んでいたんですが、お互い最近は何かと忙しくてそんな時間も取れなかったので……」

「そうでしたか。……そこに勇者様もいらっしゃれば、なおよろしかったのでしょうけれど」

 

 アメリタがトントンと書類を整えつつ話しかける。

 

「そればっかりは仕方ありません。前回の召喚からまだ再召喚の条件である91日以上が空いていませんし。でもリコのおかげでタツマキを通してお手紙のやり取りは出来るようになりましたから、以前ほどは寂しくありません」

 

 と、立ち上がりながらミルヒ。そのまま部屋の入り口へと向かう彼女を先導するようにアメリタが進み、扉を開けた。

 

「主席の努力の賜物ですものね。今も勇者様の召喚方法についてお調べに?」

「みたいです。大きな進展はまだですが……近々手紙じゃなくて、シンクが持っている『ケータイデンワ』というものと連絡が取れるようになるかもしれない、と言ってました」

「それは……さすがは主席ですね」

「はい。そんな頑張ってるリコのために、今日は私から恩返しっていう意味もあるんです」

 

 ミルヒとアメリタが廊下を並んでミルヒの私室へと向かって歩く。と、向こうからメイド服に身を包んだ女性が近づいてくるのが見える。フィリアンノ城のメイド長、リゼルだ。

 

「あら、姫様。予定より少し早くご公務を終わられたのですね?」

「はい。この後リコが私の部屋に遊びに来ることになっているので、お茶を用意してもらえますか?」

「かしこまりました。ご公務ご苦労様でした。後ほど伺わせていただきますね」

 

 目こそいつもどおり細目のままだったが、それでもメイドスマイルを浮かべてリゼルは答えた。

 

「ですがお2人で遊ばれるということでは……そこに勇者様がいらっしゃればよかったでしょうに」

「もう、リゼルまでアメリタと同じことを……。私はそんなにシンクシンク言ってません」

「おっしゃってるでしょう?」

「おっしゃってますね」

 

 2人からの波状攻撃に思わずミルヒに困惑の表情が浮かぶ。

 

「え、ええー!? ……言ってるんでしょうか?」

「ご本人には自覚がないようですね」

 

 ウフフ、とリゼルに笑われてミルヒは恥ずかしそうに俯く。

 と、ミルヒの私室の前、尻尾を左右に振らせながら小動物のように部屋の前に立っている少女の姿が見えた。

 

「リコー!」

 

 ミルヒが手を振りつつ、その少女に声をかける。

 

「あっ! 姫様ー!」

 

 一方その小動物のような少女、リコッタも手を振って応えた。

 

「ごめんなさい、待ちました?」

「大丈夫であります。ちょっと楽しみにしすぎて自分が早く来てしまっただけでありますから。姫様こそ、予定より少し早いと思うでありますが……」

「私も楽しみにしすぎて頑張っちゃいました」

 

 エヘヘ、とミルヒとリコの2人が笑顔を見せ合う。

 

「では私はこれで。お2人で楽しんでください」

「私もお茶を持ってまいりますね」

 

 アメリタ、リゼルと別れてミルヒとリコはミルヒの私室へと入っていった。

 

 

 

 

 

「これで……よし、と」

 

 リコッタが椅子に腰掛けて待ちきれないような視線を送る中、ミルヒが何やら機械をセッティングする。一見すると鏡のようであるが、しかしそうではない。これは「映像板」という機械、戦の時に映像を映し出すものをより小さくした、同じ原理の物である。

 

「リコ、エクレールはやはり親衛隊の仕事が……?」

「はいであります。一応声をかけたでありますが、親衛隊の仕事で手が離せないから、と断られてしまったであります」

「そうですか……。残念ですけど、仕方ないですね」

 

 一瞬しょんぼりした表情を見せる2人。

 

「でも、そんなエクレの分まで!」

「はい! 私達がしっかりと目に焼き付けておきましょう!」

 

 しかし次の瞬間には明るい表情に戻る。そしてミルヒが手の甲の紋章を輝かせ始めた。

 

『……のじょに同情するわ』

 

 すると映像板に映像が映し出され始める。1人の女と男が海の近くの公園を歩いており、その下にはなにやら文字が右から左へとスクロールしていく。その男女とも、頭から耳は生えていない。要するにこの世界の映像ではない、と推測できる。

 

「やったであります! 映ってるであります!」

「綺麗に映ってくれてよかったです」

 

 紋章術の一種、「星詠み」である。星詠みは近い未来を見ることや探し物をみつけるといったことが可能であり、ミルヒはこの「異世界の様子を見る」、より具体的には「異世界からの電波を受信してその放送を見る」ということを得意としていた。

 

 映し出されたのはいわゆる2時間ドラマのラストシーン、無論2人の目的はこれを見ることなどではない。

 

『次は、魅惑のスイーツ特集!』

「「うわあ~……」」

 

 2人の目当てはそのドラマの次の枠、甘いものを特集して放送する地球の番組であった。事実、予告で数種のスイーツが映っただけで目を輝かせている。

 

 実はミルヒの星詠みで地球のテレビ放送を見られる、と知ったビスコッティの勇者シンクが手紙のやり取りの中でこの番組を教えてくれたのである。「女の子は甘いものが大好きだって聞いたし、幼馴染もこれを楽しみにしてるから」と。

 実際彼女達は異世界の甘い物に非常に興味があった。というより、甘いものが大好きなリコッタ曰く、甘いものは「いっぱい必要」らしく、食べるものは無理でもせめて見るぐらいは、とシンクの薦め通りこの放送を見ることにしたのであった。

 

「いやあ、異世界の甘味、ものすごく期待であります! これを教えてくれたシンクには感謝感謝であります!」

「リコは本当に甘いものが好きですからねー。……なんて言ってる私もすごく楽しみなんですが」

 

 2人が話している間に番組は始まった。女性レポーターといかにも地球の若者という風体の女子2人が映し出されている。

 

「いつも思うんですが、地球の方の服装って不思議ですね」

「そうでありますね。それに皆()()()()がないでありますよね」

 

 どうやら番組は女性3人が色々なお店を回ってスイーツを食べ歩く、という番組のようだ。まずは最初の店へと向かう前に3人が何が好きだ、とかどんなものを食べたことがある、と言った話を始める。ミルヒとリコッタの2人からすると「そんな話はいいからさっさと甘味を映せ」という心境だろうが、番組と言うものには構成がある。致し方がないのだ。

 

 そんな2人の期待に応えてくれたのか、とうとう3人が最初のお店へと足を踏み入れる。

 

「「うわあ~!」」

 

 予告を見たときと全く同じ歓声を2人が上げる。いや、番組の中での女性3人も同じ声を上げたから実際は5人か。

 映し出されている映像はケーキの絨毯、といえるような、様々な種類の並べられたケーキだった。

 

「お、おいしそうであります! 全部食べたいであります!」

「リ、リコ……よだれ出てますよ」

 

 思わずミルヒが苦笑を浮かべる。が、かく言う自分もこのケーキの絨毯が目の前に現れたら喜んで食べることだろう。

 

『じゃあ苺のショートを……。ああ! おいしい!』

『このチーズケーキもふわっふわですよ!』

『モンブランも栗の甘味がしっかり出てておいしいです!』

「「ああ~……」」

 

 映像の中の3人がおいしそうにケーキを食べるのを見て、2人が同時に悩ましいため息を漏らした。確かに異世界の甘味ということで興味深いものではある。だがいくらなんでもこれでは生殺しだ。この「お預け」は厳しいものがある。

 

「見てるのは楽しいしおいしそうでありますが……見ることしかできないというのは辛いであります……」

 

 と、リコッタが悲しそうに呟いた時。部屋の入り口がノックされた。

 

「姫様、お茶をお持ちしました」

 

 聞こえてきたのはリゼルの声だ。先ほど頼んでいたお茶とお菓子を持って来たのだろう。

 

「わあ! リコ、ちょっとは気を紛らわせそうですね。……どうぞ、入ってください」

「はいであります! 映像の中のお菓子を食べた気になってお茶をいただくであります!」

「失礼いたします。……あら、『星詠み』をされていたんですか?」

「はい。リコと一緒にシンクの故郷のお菓子を特集する番組を見ていたんです。リコは甘いものが大好きですから……」

「そういう姫様も、かと思いますが。……どうぞ」

 

 話しつつも慣れた手つきでカップにお茶を注ぎ、リゼルは2人の前にお茶を差し出した。

 

「……なるほど、これはおいしそうですね」

 

 リゼルも思わず映像板に映る甘い物に視線を奪われる。彼女も女性ということでお菓子には興味があるのか、しばらく映像の中の甘味をまじまじと見つめた。

 

「勇者様の故郷のお菓子とは異なりますが、お茶請けに少々甘味を用意させていただきました。よかったらお召し上がりください」

「わあ、ありがとうであります!」

 

 言うが早いか、リコッタは皿に盛り付けられたお菓子を1つ手にとって頬張る。地球でいうところのクッキーといったところか。

 

「主席、あまり食べ過ぎてご夕食に影響が出ないようにしてくださいね?」

「大丈夫であります、甘いものは別腹でありますよー」

「それはお腹が一杯になってから言うと思うのですが……」

 

 アハハ、とミルヒは困った笑顔を浮かべた。

 

「では私はこれで。また何かありましたらお申し付けくださいませ」

「ありがとうリゼル」

 

 一礼し、メイド長は部屋を後にした。

 

 それからも魅惑のスイーツ特集は続く。特別な牛乳と卵から作られるプリン、ふわふわの生地がおいしそうなシュークリーム、見るからに濃厚そうなソフトクリーム、色とりどりの洋菓子等々……。

 それらが映し出されるたびに2人は「わー」だの「おー」だの妬ましげな声を上げ、羨望の眼差しでそのスイーツ……というよりは()()()()()()()を見つめていた。

 

「羨ましいであります……。あんな風にたくさん甘味を食べられるだなんて……羨ましすぎるであります……」

「ですがあんなに食べたらさすがにお腹が一杯になってしまいそうですね」

「そういうときこそ、甘いものは別腹であります!」

「……最初から別腹を使ってしまったら別腹も一杯になってしまうのでは?」

 

 もはや苦笑しながらのミルヒの突っ込みも聞こえない、と言った具合でリコッタは映像に釘付けになっている。

 

 その後も番組はしばらく続き、胃もたれしそうなほど甘いお菓子を取り上げた番組はそろそろ終わりそうであった。先ほどのドラマのラストと同様、白い文字が右から左へとスクロールしていく。

 

『甘いものは、別腹ー!』

 

 今日リコッタが散々言ったようなセリフを映像の中の3人が合わせて言ったところで、番組は終了した。それを確認してミルヒは星詠みをやめ、映像板から映像が消える。

 

「あー……夢のような時間だったであります。あとはあれを食べられれば何も文句はないであります」

「そうですねー。リコはどれが1番気になりました?」

「どれもこれも気になったでありますが……自分は『ギモーブ』というのを食べてみたいであります。他の物は見るからに甘そうなものが多いのにあれだけはそうは見えず、しかも不思議な食感、というのが気になったであります。姫様はどうでありますか?」

「私は『塩バニラキャラメル』ですかね。番組をレポートしていた方が『塩はしょっぱいはずなのに、それが甘味を引き出していて、しかもバニラの香りと合わさって~』とおっしゃっていて、どんなものなのか想像できなくて……。きっとびっくりするような味と香りなんでしょうね」

「ああ~話していたら食べたくなってきたであります……」

 

 既にお茶請けに用意されたお菓子は全て食べ終わり、代わりとして欲求を満たしてくれるものはない。空になった皿を見てリコッタはため息をこぼした。

 

「そうだ! 今度シンクがこちらにいらしてくれる時に持ってきていただくというのは……」

「それはナイスアイデアであります! 是非手紙のやり取りでお願いしてほしいであります! ……あ、シンクのことで思い出したでありますが」

 

 コホン、とリコッタは咳払いを1つ。

 

「……実は、シンクの『ケータイデンワ』に連絡を取ることができるようになったかもしれないであります!」

「ええー!? 本当ですか!?」

 

 思わずミルヒが立ち上がり、興奮気味に尻尾も逆立っている。

 

「いやあもう大変だったでありますよ。地球の『デンパ』というものの特性を掴み、さらにこちらから連絡しても記録や所在地が怪しまれないようにシンクの故郷に設置してある『コウシュウデンワ』というものから無作為にかかるように……」

「え、え? えーと……」

 

 得意気に話すリコッタだったが、ミルヒはなんのことかよくわからないらしい。

 

「……と、とにかく! シンクと手紙以外で連絡を取り合えるようになるんですか!?」

「はいであります!」

「やったー!」

 

 リコッタの自信たっぷりの頷きに満面の笑みを浮かべて喜ぶミルヒ。

 

「でもそのために、『番号』と『アドレス』を知る必要があるであります。今度手紙のやり取りをする時に聞いてほしいであります」

「『番号』と『アドレス』ですね。わかりました。今度聞いてみます。それから、このことはガレット側には教えてあげてもいいでしょうか?」

 

 てっきり2つ返事が返ってくると思ったミルヒだったが、予想に反してリコッタは渋い表情を浮かべる。

 

「まだ成功してはいないでありますし、これで相互の世界間に影響が出ない、と決まったわけでもないでありますから……。言葉は悪いでありますが、少し様子を見てからの方がいいかと思うであります」

「そうですか……。わかりました。リコがそう言うならそうしましょう」

「それから再召喚期日と滞在日数の条件変更でありますが……こっちはもう少しかかりそうであります。次にシンクが来るといっていた瑠璃の月までにはなんとか、と思ってはいるでありますが……」

「確か冬休み、という時でしたっけ。あと100日近く空いてしまうんですよね……」

 

 寂しそうにそう呟いてミルヒは俯いた。

 

「でもでも、『ケータイデンワ』が繋がれば声は聞けるでありますよ!」

「……そうですね! それに次にシンクが来てくれる時にちゃんとお迎えできるように私もしっかりしないと!」

 

 「がんばるでありますー」「おー!」と少女2人は気合を入れるように右手を上げた後、顔を見合わせてプッと吹き出した。

 

「あ、でも姫様」

 

 思い出したようにリコッタが口を開く。

 

「なんでしょう?」

「頑張るは頑張るでありますが、そのご褒美という意味も込めて、是非次シンクが来る時は地球のお菓子を持ってきてくれるようにお願いしてほしいであります」

「そうですね。それとこれとは話が別ですものね。……だって甘いものは」

「はい! 別腹でありますから!」

 




青玉……サファイア。9月の誕生石。
ギモーブ……フランスのマシュマロのようなもの。独特の食感が特徴的らしい。近年風評被害に悩まされているとかいないとか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

親衛隊長の憂鬱(エクレ)

 

 

「ハァ……」

 

 書き物の手を止めて私は()()ため息をこぼす。そのまま頬杖をつき、もう1度ため息をこぼした。

 普段ならこんな書き物はすぐに終わらせられる。得意、というほどでもないが、特段苦手というわけではない。今までもずっとやってきたことだし、慣れていることだ。

 だがこのところずっとこうだ。気を抜くとふと思いに耽ってしまうことがある。それもこれも全てはふた月ほど前に再びこの国を訪れて帰っていった()()()()のせいだ。

 

『私は……私はお前がまた来てくれて嬉しい……。だから……たとえ次来る時まで間が空くとしても……必ず……また来い……。……私はお前を待ってる……』

「ハァ……」

 

 なんであんなことを言ったのだろう。思い出すだけで自己嫌悪に陥る。まあリコやユキに見られていなかった、というのだけが救いだろう。見られていたらどんなに冷やかされるか知れたものじゃない。

 しかし、そう思うと同時に顔は火が出そうなほど熱くなり、そして()()()()()()()のだ。

 

『ありがとう、エクレ。なんかエクレにそう言われるのはちょっとびっくりだけど……。でも、そこまで思ってもらえるなんてうれしいよ。だから、また来るからね』

 

 そう言われて頭を撫でられた。あの時は心臓が爆発しそうだった。その頃よりはマシにはなったが、今も思い出すだけで心拍数が上がってしまう。困ったものだ。

 だが、だからと言ってリコやユキには相談できない、鈍い私でもこれがどういうことかぐらいは多少わかっている。冷やかされるのがオチだ。

 

 この原因として考えられるのは、1つ目は非常に認めたくないしそんなことなどあるはずがないのだが、私があいつに好意を持っているからということ。……いや、そんなはずはない。ありえない。可能性から消去してもいいぐらいだ。

 2つ目はあいつがリコやユキ、特に姫様をどう思っているのか、というのが気がかりだからということ。……だがこれも突き詰めれば1つ目と同じ結論にたどり着く。やはりありえない、可能性から消去だ。

 

 なら……。なぜ私はこんなに心穏やかではないのだろうか。原因があいつだとするなら……他に何か可能性があるのか? いや、本当にあいつが原因なのか?

 

「ハァ……」

 

 結局考えてもわからず、こんな具合にため息をこぼしてばかりだった。何より私自身、あいつに関連する話を避けるようになってしまっている。

 さっきもそうだった。リコに「シンクの世界の放送で甘味の特集があるらしいであります。姫様が星詠みしてくださるそうで、自分は姫様と見るでありますが、エクレも遊びに来ないでありますか?」と言われたが、もうあいつの名前を聞いた瞬間に断ることしか頭になかった。……後から考えたら甘味には非常に興味があったので惜しいことをしたと少し悔やんだが。

 

「シンク……」

 

 無意識に名前を口にしてしまった。燃えるような顔の熱さと後悔の念に思わず頭を掻き毟る。

 

「……だあーっ! あのアホめ!」

 

 1人で叫び、八つ当たり気味に机を拳で叩く。……なにしてんだ、私は。

 

 コンコン。

 

 と、その時叩かれたドアに飛び上がるほど驚いた。

 

「……誰だ!?」

 

 ……しまった、高圧的な聞き方をしてしまった。

 

「あ……エミリオです。お茶持ってきたんですが……もしかして邪魔してしまいました?」

「いや、そんなことはない。入ってくれ」

「失礼します」

 

 その声の通り、部屋に入ってきたのは私と同じく親衛隊、正式には違うが実質副隊長格のエミリオだ。生真面目な奴でこうして時々差し入れを持ってきてくれたりもする。

 

「……行き詰ってるみたいですね」

「まあな……」

「隊長の悩んでる声が外まで漏れてましたよ」

 

 う……。不覚だ……。

 

「隊長でも苦労することがあるんですね。……どうぞ」

「助かる。……私も万能ではないからな」

 

 答えつつ、エミリオが差し出してくれたお茶に口をつけた。

 

「……大方、勇者様のことでも考えていらしたんじゃないですか?」

 

 そしてそのお茶を盛大に吹いた。……書類が数枚ダメになった。

 

「た、隊長!?」

「き、き、貴様! 何を言い出すかと思えば……!」

「すみません! まさかそこまで過剰に反応されると思っていなくて……」

「べ、べ、別に私はあいつのことなど考えてもいないしなんとも思っていない! 今度ふざけたことを言ってみろ、裂空で貴様をだまにしてやるからな!」

「申し訳ありませんでした!」

 

 エミリオが立って深々と頭を下げる。

 ……私は何をやってるんだ。気遣ってお茶まで持ってきてくれたエミリオにまで八つ当たるなんて。

 主に自分が取った行動に対して苛立ちと申し訳なさを感じつつ、私は吹き出してしまったお茶を拭き、カップの中の茶をもう1度飲みなおした。

 

「えっと……これ以上邪魔しちゃ悪いんで、自分はこれで……」

 

 そうなるだろうな。せっかくお茶を持ってきたのに、その相手に半ば理不尽に怒鳴られたのだから。だが、だからと言ってそのまま帰しまうのも悪い。なぜなら……

 

「いや。……カップを2つ持ってきた、ということはお前も飲んでいくつもりだったんだろう?」

「まあそのつもりだったんですが……。隊長もお忙しいようですし……」

 

 まったく、こいつはいつもこうだ。真面目というか、融通がきかないというか……。

 いや、私が言うなと言われそうだな。そういえばあいつじゃない方の()()()()()()()には「素直じゃない」と言ったら「お前には言われたくなかった」と返されたこともあったな。

 

「……どうせ書類に向かっても進まないと思っていたところだ。少し話でもして気分を変えたほうがいいらしい。付き合ってくれるか?」

 

 エミリオの表情が明るくなる。わかりやすい奴だ。

 

「はい! ありがとうございます!」

 

 手近な椅子にエミリオが腰掛け、その間にこれ以上書類をダメにしないように私は机の上を整理する。……いや、また吹き出すなどという愚行を犯すつもりはもうないんだが。

 

「そういえば……お茶をもらいに行った時にリゼル隊長と会ったんですが、姫様と主席が姫様のお部屋でお遊びになるから、お茶を持って行くって言ってたんですよ。隊長は行かなくてよかったんですか?」

「ああ。書類が溜まっていたからな」

 

 半分は本当だ。嘘は言っていない。

 

「そんなの自分に押し付けてくれてよかったのに……。隊長、ここのところ働き詰めじゃないですか。少しは自分達に仕事を投げてくれて構いませんよ」

「そうはいくか。私がやらねばならないことだ。お前たちの時間を奪うわけにはいかない」

「隊長は本当に真面目と言うか、融通が利かないというか……」

「お前が言うな」

「え……? そ、そうですか?」

 

 さっき私がこいつに対して思ったことをそっくりそのまま返されるとは思わなかった。……でもまあ、私もエミリオも似た者同士なのかもしれないな。

 

「ですが、くれぐれも無理はしすぎないでくださいね。隊長あっての親衛隊なんですから」

「別に私がいなくてもお前がなんとかするんじゃないか?」

 

 事実、私がいないときはエミリオが隊長代理になる。それにエミリオは不意打ちとはいえ千騎長であるジェノワーズのベールを撃破したこともある。実力も十分だろう。

 

「いえ、そんな! 自分に隊長の代わりなどとてもとても……」

「だがお前は実質ナンバー2だからな。私に何かあったらお前が……」

「何かあるなんて、やめてください」

「エミリオ?」

 

 真面目な表情でそう言ったエミリオを私は思わず見つめ返す。

 

「さっきも言ったとおり、隊長あっての親衛隊です。ですから、何かあったらなんて縁起でもないことを言うのはやめてください」

「エミリオ……」

「……あ、す、すみません! なんだか偉そうなことを言ってしまって……」

 

 別に咎めるつもりはなかったのだが、エミリオは頭を下げて謝り出す。……むしろ逆だというのに。

 多分ずっと上の空だった私を心配して書類を書いている私にお茶を持ってきてくれたり、自分に仕事を任せてくれていい、と言ってくれたのだろう。そこまで心配をかけてしまっていたということが申し訳がない。

 

 それに……。「隊長あっての親衛隊」か……。いつまでも私などに頼るというのはよくないとわかってはいるが……。なかなか嬉しいことを言ってくれる。こんな私を隊長として認め、そして慕ってくれている。私の方こそ隊の皆に助けられてばかりだ。

 

「いや……。むしろ感謝してる」

 

 たまには、自分の気持ちに素直になってみよう。そう思って思ったとおりのことを口に出してみる。

 だがそれを聞いたエミリオはまず意外そうな顔を浮かべ、次いで小さく笑い出した。

 

「……何がおかしい?」

「いえ、すみません。隊長がここまで自分の気持ちを素直におっしゃるなんて珍しいと思ったので」

「悪かったな」

 

 やはり慣れないことはするものじゃないのかもな。結局文句を言ってしまった。若干後悔しつつ私はカップに口をつける。

 

「……ですが、そうやって素直な気持ちをおっしゃる相手は自分ではなく、勇者様にしてあげてください」

 

 再びお茶を吹き出しそうになり、だが今度はグッと堪える。代わりにお茶が変なところに入ってしまい激しく咳き込んだ。

 

「エミリオ! お前な!」

「まあもう殴られるのも覚悟してるんで言っちゃいますけど……勇者様といるときの隊長、すごく楽しそうに見えるんですよ。でも、隊長なかなか素直になれないから……。自分……いや、自分達にとって、隊長が楽しそうに、嬉しそうにしてる姿を見られるということは自分のことのように幸せに感じるんです」

「エミリオ……」

 

 真剣そうな、しかしどこか遠くを見つめるようなエミリオの瞳を見て、なんだか怒る気を殺がれてしまった。

 

「自分にその役割が出来ればよかったのですが……でもやっぱり隊長にもっとも相応しい方は自分なんかではなく、勇者様以外にいらっしゃらないんですよね。だから、隊長には勇者様ともっと仲良くしてほしい、って思ってるんですよ」

 

 どうも怒る気になれず、一先ず頭を掻く。

 リコやユキの場合、「なんだか面白そうだから」みたいな理由で私にけしかけてくるところがあったが……。今のエミリオは明らかにそれとは違う。ここまで面と向かってそんなことを言われたら……言い返せないじゃないか。

 

「……なんて、すみません。出過ぎた発言でしたね。でも……自分は隊長と勇者様のことを……応援してますから」

「……ああ。わかった。ありが……」

 

 いや、待て。今こいつは何と言った? 「応援してますから」と言ったか?

 それに対して「ありがとう」と言ったらどうなる? さっき消した選択肢の1つ目の可能性を自ら認めることになるんじゃないか?

 ないない、それは断じてない。別に私はあいつのことなんかなんとも思ってない。そんなリコやユキがニヤニヤするような展開になってたまるか。

 

 ……ん? リコやユキがニヤニヤする展開? 待てよ、ということは……。

 

「あの……隊長?」

「……そうか、わかったぞ」

 

 なるほど、やっとわかった。真面目なこいつはさっきみたいなことを面と向かって言い出すような奴じゃない。()()()じゃ私が怒るだけで終わってしまうから、とエミリオを使ったのだろう。だとするなら、

 

「お前にそんな話を吹き込んだ()()は誰だ?」

「え? 黒幕……?」

「お前みたいな真面目な奴が私を茶化すような話題を切り出すとはどうも考えにくいからな。裏で誰かにそんな話をして私をその気にさせろ、という指示でも受けているんだろう?」

「え、え? 隊長何言ってるんです? 別に自分は誰からも何も……」

「じゃあ……お前は自分の意思で私を茶化しに来たのか?」

「い、いや……あの……茶化してたつもりはない……んですけど……」

「ほう……? じゃあなんで『応援してます』なんてことを言ったんだ……?」

 

 グーを握った手に力が篭る。返答次第では鉄拳制裁だ。

 

「え、えっと……あの、その……す、すみませんでした!」

 

 頭を一度下げ、脱兎のごとくエミリオは私の前から逃げ出した。

 

「おい! エミリオ!」

 

 まったく何を考えていたんだ、あいつは。

 ため息を1つこぼし、私はカップに残っていたお茶を全て飲み干した。

 と、そういえばこのお茶を持ってきてくれたのはエミリオだったか、と思い出した。なんだかんだで差し入れは助かった。さっきの一件はこの一杯でチャラにしてもいいかもしれない。

 それに……。ちょっと怒ったら、さっきまでのもやもやした気分は全部吹き飛んでいた。

 

 ああ、そうか。黒幕がいないのだとしたら、あいつはあいつなりに私のことを気遣って、それで気分を変えさせるために私にあんなことを言ってきたのかもしれない。

 だとしたら……感謝はしないといけないのかもな。いや、そうじゃなくても普段から私のことをよく支えてくれる親衛隊の副隊長格だ。あとで謝る……のは私の性格からは無理かもしれないが、それでも感謝の気持ちは忘れないようにしよう。

 

「……よし! やるか!」

 

 机に向かう。さっきまでと打って変わった晴れやかな心で、私は残りの書類と睨み合った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4層のスポンジケーキ(ガウル・ジェノワーズ)

 

 

 こうやって数字や文字の羅列を見てると頭が痛くなってくる。だがこれも仕事だ。とやかく言ってられねえ。俺はこの書類を投げ出したい衝動を抑え、なんとか最後まで目を通して異常がなさそうだ、と確認した。

 

「前回の興業の収支はこれでよし、と……。ノワ、前々回の方のチェックはどうだ?」

「今確認終わった。大丈夫、問題ないよ。ガウ様もやればできるじゃない」

「おう、でもそれはちょっと発言に問題ありじゃねえのか?」

 

 口ではそう言ったが、本心では全く気にしていない。俺とノワは幼年学校からの腐れ縁だ、昔はもっと口が悪かったし今更この程度でどうこう言うつもりはない。……まあ昔の話題を蒸し返すとノワが拗ねそうだからやめておくが。

 

 今俺がやっているのは興業の収支報告書に異常はないか、要するに会計監査な仕事だ。そんなもんは手の空いてる事務を得意とする奴がやりゃあいいとも思うのだが、あいにくこの興業のガレット側の責任者は俺だ。よって最終確認は俺が自ら行わないといけない。

 

 とはいえ、俺は元々こういうのが苦手だからうっかり怪しいところを見落としちまう可能性がある。……まあここに来るまでにチェックが入ってはいるから、そんなもんがここに来るなんてことは前例がない。ないが、可能性はゼロでないのでこうして俺も目を通し、さらにノワにも手伝ってもらってるってわけだ。

 

「しかし毎度わりいな、手伝わせちまって」

「ううん、気にしないで。私はガウ様の親衛隊なんだし」

 

 そう、実のところ「毎度」手伝わせちまってる。戦にしろ競技戦にしろ、興業ってのはタダで出来るわけじゃない。参加者をを募って参加費を集め、商工会や後援会などにも協力してもらい、その上で開催。んで勝ち負けによって分配される。そうすると俺が興業主の度に毎度こういう収支報告書が転がり込んでくる、ってわけだ。

 無論興業主がやることはこの事後処理だけじゃなく、どういう興業にするか、どこを使うか、規模はどうするか、といった事前準備も必要となる。全部興業主がやるわけではないし手分けして任せる部分もあるが、最終的にゴーサインを出して責任を持つのは興業主だ。決して楽じゃない。だが国民や参加者、視聴者が喜んでくれるってんならまあ頑張れるってもんだ。王族ってのはいい暮らしが出来てる分、そういった苦労は背負い込むもんだと俺は思ってるからな。

 

 だから毎度手伝わせちまってるノワやら他のジェノワーズの連中にはすまなく思ってる部分もある。今ノワが言ったとおり「親衛隊だから」と言っちまえばそれまでかもしれないが、俺が背負うべき重荷まで任せちまってるみたいで、どうも申し訳がない。

 

「つってもなあ……。ジョーには次の興業の打ち合わせのために外部との連絡を取り持ってもらってるわけだし、ベルはその補佐任せてるし……。いくら親衛隊とはいえ、なんだかんだお前らに頼りすぎてんなあ、俺も」

「……私達はガウ様の親衛隊だよ? そんなこと言わないで頼ってくれていいの」

 

 ……なんだ、ノワの奴、不機嫌そうに返して。こっちは申し訳なく思ってそう言ったってのに。

 

「んでもよ、俺だっていつまでもお前らに頼りっぱなしってわけにはいかねえだろ。一応いつかは姉上を蹴落として領主になろうとしてんだからよ」

 

 そう、それが俺の夢だ。姉上はまだ領主の座に居座るつもりのようで、俺も俺でもう少し成長しないといけないとわかってはいる。が、いつまでも任せてはおけないという気がしてもいる。いや、姉上が領主にふさわしくないなんていうつもりは毛頭ない。ただちょっと前までは「いい加減恋人でも作れ」と冷やかすことができたのに、とうとう最近それができなくなっちまった。それが今年の橄欖(かんらん)の月の頭、今が紅水晶の月に代わって間もなくだから、60日ほど前の話だ。

 こうなるとさっさと姉上の肩の荷を降ろさせて今度は「とっとと結婚して楽して暮らせ」って言いたくなる。……もっとも、相手の現実主義の口の悪い勇者は告白するだけして帰った薄情者らしいので、まだ将来がどうとかって話はないらしい。俺がそんな話を振ったところで「まだそんな年じゃない」とか言ってのらりくらりと俺の()()をかわすんだろうが。

 それでもいずれは領主になるつもりでいるんだ、なら成長しなくちゃいけないってのはわかってる。それなのにいつまでもこいつらに頼りっぱなしじゃ次期領主としてのメンツが保てねえ。それ以上にこいつらの負担を増やすってことは気に食わねえ。だからしっかりしなくちゃいけないんだ。

 

「……頼ってくれていい、って言ってるじゃない。今更そんな他人行儀なこと言わないでよ」

 

 が、どうやらノワはますます機嫌を悪くしたらしい。

 

「だから頼らないっては言ってねえだろ。お前らの負担増やしたら悪い、って言ってんだ」

「……怒るよ? 私達の負担だとか、ガウ様はそんなこと考えなくていいの」

「んなわけいかねえだろ。お前らだっていつまでも俺の親衛隊ってわけにはいかねえだろうし。将来のことを考えたらお前らのやりたいことの時間奪っちまうってのも……」

「私達はガウ様のためにジェノワーズを結成したんだよ! なのにいつまでも親衛隊ってわけにはいかないって……ジェノワーズは必要ないって言うの!?」

 

 まずい、これは()()()()()()()()だ。このままだと()()()にはまる。

 

「だからそういうことを言ってんじゃねえって! 国のことを考えたらお前らだっていつまでも俺の親衛隊って器に収まってるわけにいかねえだろ? 将軍になるだとか隊を持つだとか、そういうポジションにつける逸材を3人も俺1人が抱えるわけにはいかねえって言ってんだよ!」

 

 会話に沈黙が生まれる。……思わず俺も興奮しちまったがわかってくれたらしい。

 

「……ガウ様、私たちのこと嫌いになったの?」

 

 訂正だ。わかってなかった。しかもこいつ涙目だ、()()()

 

「ハァ? だからなんでそうなるんだよ?」

「さっきの話だって結局はジェノワーズはもういらないってことでしょ?」

「だからお前何聞いてたんだよ!? そんなこと言ってねえだろ! 俺が言ったのは将来的にだな……」

「……もういい。……ガウ様のバカ」

 

 そう言ったノワは入り口の方へ駆けて行っちまった。

 

「おい! ノワ!」

 

 俺の言葉を無視してドアを開けようとしたノワだったが、それより一瞬早く入り口のドアが開く。

 

「しつれいしまー……。あれ? ノワ?」

 

 俺の今の仕事とは別な物を任せておいたジョーだ。だがそんなジョーの脇をすり抜け、ノワは走って出て行っちまった。

 

「頼まれてた外部との摺り合わせ、終わらせてまとめておきましたよ」

「……ああ、すまねえな」

 

 頭を抱えたいが、あいつは拗ねると長い。それに俺の仕事も残ってるし追いかけるのは諦める。しばらくすりゃ頭も冷えて帰ってくるだろう。……まあ頭を冷やすってのは()()()言えることなんだが。

 一先ずジョーから書類を預かって目を通し始める。

 

「……ノワとまたケンカですか?」

「また、って言うな。……あいつが勝手に拗ねたんだよ」

「んなこと言って、どうせガウ様も半分ぐらい責任あるんちゃいますか? どんな風になったか聞かせてくださいよ」

 

 書類を確認しつつ俺はさっきの出来事を大雑把に話す。はっきり言ってジョーがどう反応するのか気になって書類の情報が全然頭に入ってこねえ。

 

「……なるほど。やっぱ半分ぐらいガウ様が悪いんじゃないですか」

「なんでだよ?」

「あの子、ウチやベル以上にジェノワーズに対する思い入れが強いんですよ。ノワとしても今後どうなるのか気にしてたところで当の本人が将来は解散する、なんて言い出したら……」

「んなこと言ったってよ、事実は事実だろ。お前だって将来は将軍だろ?」

「まあウチが将軍になれるかどうかはおいておくとして……。ガウ様、もうちょっと乙女心っちゅーもんをわかったほうがいいんちゃいますか? 女の子の心ってのは複雑で繊細なもんですよ?」

「お前が女の子、とかいうと変な感じすんな……」

「ほら、それがダメなんですよ。……全く、それじゃ姉のレオ様からかう前に我が身見ろっちゅー話ですわ。もっとも、もうレオ様をからかうこともできへんと思いますけど」

 

 ……くそう、こいつ言いたい放題言ってやがる。

 

「ま、ノワの件はウチとベルでなんとかしますんで」

「いや、お前らの手を煩わせるのも悪い。いつものことだし放っておけばそのうち……」

「だからそれだから女心をわかってない、って言われるんですよ。……ともかくウチらに任せておいてください。その間にガウ様は書類に目でも通しておいてくださいな」

「……わかった。後は頼む」

 

 結局ジェノワーズを頼ることになっちまった。それにこんな状態じゃ書類も何も頭に入ってこねえよ……。

 俺のそんな心など知らずか、ジョーの奴は「失礼しましたー」なんて元気な声を残して部屋を去っていった。

 

 やっぱ俺が悪かったのかな……。あいつらなら俺の親衛隊なんてポジションよりもっといい待遇を受けられるはずだ。それを思って言ったってのに……。ジョーの言うとおり女心ってのは複雑で繊細なのかもな。

 

 一先ずそれは置いておくとして、俺は頭に入ってこない書類と無理矢理睨めっこすることにした。

 

 

 

 

 

 ガウ様に任せろといった手前、ウチはノワを探すためにヴァンネット城内を歩き回ることにする。今日はずっとデスクワークやったから歩き回るのは苦やない。やっぱ頭使うより体使う方がウチには向いてるわ。

 

 しかしガウ様とノワにはちょっと困ったもんや。時たまああやってケンカしてノワが拗ねる。で、ウチらが機嫌をとって仲直りをさせる。ケンカするほど仲がいいとは言うけど、ケンカしすぎるのも考えもんや。……まあこのところ落ち着いてはいたけど。

 元々ガウ様とノワは付き合いも長い。幼年学校からの付き合い、とか言ってたっけ。ウチはレオ様の紹介で、それからベルが留学生ってことで、それからウチら4人の付き合いが始まったんやった。なんだかんだ、結局ウチらも長い付き合いになってるんやな……。

 

 ウチが最初に向かったのはノワが1番行きそうなところ、ってことでウチらの部屋や。

 

「ノワー? いるかー?」

 

 返事はない、まあ拗ねてるんやからここで「いる」なんて答えは返ってこないやろな。いるはずはないけどベッドの中、あとはベッドの陰、それからたまにいることもある小さい箱の中。でもこの部屋で隠れられそうな場所にはどこにもいないらしい。

 

 そう簡単には見つからんか。一先ず部屋を出ることにする。

 

「あら、ジョーヌ」

 

 部屋を出ると同時にかけられた声にウチはその方を向いた。

 

「あ、ルージュ姉」

 

 近衛メイド長のルージュ姉や。丁度通りかかったみたい。

 

「どうしたの? 何か探し物?」

「まあ……探し物っちゃあ探し物かな……。ノワ見なかった?」

「ノワ? 見てないけど……どうかしたの?」

「ガウ様とまた()()()()()……」

 

 ハァ、とルージュ姉がため息をこぼすのが見えた。

 

「もう、本当にあの2人は……。ケンカするほどなんとやら、かしら」

「ああ、ウチも同じこと思ったわ」

 

 ウチが苦笑を浮かべたのを見てルージュ姉も苦笑した。

 

「中庭の方に行ってみましょうか。騎士達が見たかもしれないし、天気がいいから外でひなたぼっこかもしれないわ」

「まあ……それもあるかもしれんな……。でも、ウチに付き合って仕事はいいんか?」

「ええ。今のところ急ぎの用はないから」

「そっか。すまんな、ほんま」

「いいのよ」

 

 完璧なメイドスマイルでルージュ姉は答えてくれた。

 

「それで、原因はなんなの?」

「大元はガウ様が女心をわかってないっちゅーことや。すっごく掻い摘んで説明すると、ガウ様とノワは一緒に仕事してたらしいんやけど、ガウ様はガウ様なりにウチらのことを心配してくれて、『自分のために苦労をかけさせるのは悪い』って。それに対してノワも『そんなの気にするな』って言ったらしくて、まあそこまではいいとしても、『いつまでもお前らも親衛隊という器に収まっているわけにもいかないだろう』って」

「なるほど……。ノワはそれを『ジェノワーズは不要だ』って言われたと捉えちゃったのね」

「さっすがルージュ姉、理解が早い!」

「ガウ様も悪気はないんでしょうけど……。ジョーヌの言うとおり女心をわからないのね、あの方は……」

 

 そう、女心というのは複雑なんや。ノワの場合は特に、やと思う。

 ノワ本人の口から聞いた事はないから予測やけど、ノワは今の状態がいつまでもは続かないことに気づいていて、それで不安に思ってるんやと思う。それでガウ様の口から直接そういうことが出たら、そりゃ不安を煽られるやろうな……。

 いや、そうでなくてもノワがガウ様に抱いてる感情はウチらと()()()()ってことは薄々わかってる。ウチとベルは、まあ王子にこういう言葉が適切かわからんけど、いい友達、と思うと同時にいずれ国をまとめるべき人として尊敬の念を持ってる。

 

 でもノワは……。ウチらと似た部分はあるにしろ、その中には他の……、より強く()()()()気持ちも含まれてると思う。だけどガウ様は次期領主、自分は()()()()対象じゃない、ってノワもわかっていて板ばさみになってるから……。だからノワはこの話題に敏感すぎるぐらいに反応しちゃったんじゃないかとも思ってる。

 

「まあ……男なんてそんなもんなんやろな」

 

 結果、ウチが今口にした一言が、ウチの考えをまとめた感想になるわけや。

 

「そうね……って言いたいところだけど、その男ってのはガウ様以外に誰が入ってるの?」

「勿論、しれっと帰ろうとした()()()()()()のことや」

「でもあの方はあの方でいろいろ悩んでたみたいよ」

「その辺はビオレ姉やんから聞いたけど、それでもレオ様の心を無視してたわけやし」

「まあ……そうだけど……。今回のとはちょっと状況が違うと思うわ」

「なんやルージュ姉、あいつの肩持つんやな?」

「それはそうでしょう? だって将来のレオ様のパートナーとなるであろう方なんですから」

 

 ルージュ姉の言ってることはごもっともや。でもだから女心がわかってるということにはイマイチ繋がらんと思うんやが……。

 

「ま、そうやな。でも実際レオ様幸せそうやし、別にいいか」

「ん、なんじゃ? ワシが何かしたか?」

 

 不意に曲がり角から聞こえてきた声にウチは飛び上がりそうなほど驚いた。

 

「レ、レオ様?」

「なんじゃ、そんな驚いて。……ワシの陰口でも叩いておったのか?」

「いえいえ、そんな……」

 

 ……あーでもこれって捉え方によっちゃそうなるんかな?

 

「ルージュ、何の話をしていたの?」

「ああ! ビオレ姉やん、それはずるいで!」

「いえ、()()()()()みたいですが、丸く収まってレオ様は幸せそうですという話をしていただけですよ」

 

 ルージュ姉ナイスフォロー! で、それを聞いたレオ様は顔色をほとんど変えずフンと鼻を鳴らした。

 ……ちょっと前まではこの手のからかいにはオーバーすぎるほどリアクションしてくれたのに、最近は慣れてきたのかレオ様の反応がどうも悪い。まあ原因はウチがからかいすぎたせいで免疫がついたから、だと思うんやけど……。

 

「お前はまたワシをからかっているのか。人のことを言う前に、お前も相手を見つけたらどうじゃ?」

 

 ……で、今じゃこの有様や。とうとうこっちが投げた球をよけるどころか、掴んで投げ返すようにまでなってもうた。それを言われるとこっちとしても何も言い返せません。

 

「……はーい、努力しまーす……」

 

 とりあえず項垂れてウチはそう返す。

 

「あ、そうだ。レオ様、ビオレ姉様、ノワ見ませんでした?」

 

 そうやった、目的それやった。ウチが忘れてた本題をルージュ姉が切り出してくれた。

 

「いや、ワシ達は国営放送から今戻ってきたところ故な。じゃがここまで姿は見なかったぞ。……なんじゃ、また拗ねたのか?」

「ちょっとガウ様とぶつかっちゃって……」

「まったくあいつらも懲りんの……」

「ガウ様ももう少しその辺り大人になってくれると安心なんですが……」

 

 ああ、レオ様とビオレ姉やん、全く持ってその通りです!

 

「すまぬが、ワシはこのあとドラジェと通信会談がある故手伝えんが……」

「いえいえ! レオ様の手をお借りするなんて申し訳なくてできませんわ!」

「そうか。まあ頑張るんじゃな」

 

 はいはい、とウチとルージュ姉はレオ様とビオレ姉やんと別れる。

 

 そして中庭へ。戦士団が訓練をしているのが見える。……さすがにこんな人目に着くところで拗ねたりはしてないかな。

 

「んん? なんだ、訓練の様子を見に来たのか?」

「あ、おっちゃん」

 

 訓練を見守ってたおっちゃんことゴドウィン将軍がウチらに声をかけてきた。

 

「ノワ見なかった? あいつ拗ねちゃって、今ウチとルージュ姉で探してるところなんや」

「黒猫ぉ? いや、見ていないが……」

「うーん……中庭は外れかな……」

「あれー? ジョー、どうかしたの?」

 

 よく聞くゆるーい口調の声が聞こえてくる。この声は……。

 

「ベル! なんや、お前はここにいたんか」

「一応デスクワーク終わったし、体動かそうかなって思って。……何かあったの?」

「ああ、ノワが拗ねちゃって……」

「ええー!? またー?」

 

 ハァ、とベルがため息をついた。

 

「……仕方ない、私も手伝うわ」

「中庭にはいないみたいだし……いないんよね、おっちゃん?」

「知るか。見てないと言っただろうが」

「じゃあ中に戻りましょう。その後3人で手分けしましょうか」

 

 ルージュ姉の提案にウチとベルは頷き、再びヴァンネット城の中へと戻ることにした。

 

 

 

 

 

 私がガウ様、ノワ、ジョーと初めて会ったのは私が留学生としてここに来たときだったから……もう何年前かしら?

 そのときはもうノワは結構喋るようになってて……ああ、でもやっぱり今よりは口数少なかったかな。ジョーの話だと彼女が初めて会ったときは今ほどは喋らなかった、って言ってたっけ。

 でも昔より減ったとは言っても、それからもガウ様とケンカをすることは結構あったし、私達とも……あ、でも私達とはノワが一方的に拗ねちゃう方が多かったかな。ともかくガウ様とノワは幼馴染ってこともあって言いたいことを言い合える仲だから、逆にお互い言いすぎちゃうこともあるみたい。だけどお互いがお互いを思ってるからそうやって言い合えるのよね。

 

 ジョーから聞いたら今回のも互いのことを思い合った結果ぶつかっちゃった、ってことみたいだし。……まあジョーは「ガウ様が女心をわかろうとしないからいけないんや」っても言ってたけど。

 とにかく、こうなるとノワはどこかで1人で拗ねてることが多いわけで。ジョーが私達の部屋と中庭は探した、ってところで手分けしようということで私は前庭の方に来てみたけれど……。

 

 今日は本当にいい天気ね。ここでぽかぽかひなたぼっこしたいぐらい。……っていけない、ノワを探さないといけないんだった。だけどこれだけいいお天気ならノワもこの辺にいるかも。

 

「ノワー? いないー?」

 

 うーん……いないかな……。でも植え込みの裏とか木の陰とかにいるかも。ちょっと探してみよう。

 

「ノワー?」

 

 木の陰には……いない。植え込みの裏も……いないかな。ここにはいないみたい。

 

「おや、ベール。何をしてるんだい?」

 

 と、その時不意にかけられた()()()に私は振り返る。

 

「あ、バナード将軍。将軍、ノワ見ませんでした?」

「ノワール? いや、見ていないな。……というか、私は今来たところなのでね」

「え? そうなんですか? 半日休?」

「ああ、急遽、ね。……実はナタリーが体調を崩したらしく熱を出してしまって……」

「あ、なるほど……」

 

 そうよねー。愛妻家のバナード将軍は奥様が寝込まれた、となったらそうなるわよね。

 

「今日は大した予定もなかったから休んで側にいる、と言ったのだが、風邪ならうつすと悪いし自分のせいで今日休ませるというのはどうしても気が引ける、と言われてしまってね。メイド達が付き添っていてくれるからと、こうして出てきたのさ」

「そうだったんですか」

「ノワールはまたガウル殿下とケンカでも?」

 

 むう、さすが切れ者将軍。鋭い。

 

「ええ、そうなんですよー。拗ねちゃってどこかに行っちゃったって。天気がいいからひなたぼっこかなーって思ったんですけど……」

「少なくとも、私が1人になりたいときはこんな人目につくような、しかも陽気で()()()()()()ようなこういう場所には来ないね。考え事をするなら、暗くて人目につきにくい、極端な話、部屋の隅辺りの方が落ち着くよ」

「へえー……。将軍でもそういう時があるんですか?」

「たまにはね。まあさすがに部屋の隅、は言い過ぎだけど、机に向かって書き物をして忘れるようにする時はあるさ」

「机に向かって書き物……」

「彼女は1人で抱え込むようなタイプだからね。そういう時私なら人目につかないところに行くんじゃないかと思うよ。それこそ……誰の目にも着かない書庫の中とか」

 

 書庫……そうだ! 確か以前ガウ様と結構大きなケンカしたとき、書庫の中の古い机に向かってたことがあったような……!

 

「……どうやら思い当たる節があったようだね」

「はいー! さすがバナード将軍です! 心当たりがある場所があるんで、行って来ますね!」

「ああ。無事見つかってガウル殿下と仲直りすることを祈ってるよ」

 

 失礼とは思いながらも将軍の声を背で聞いて私は城内へと駆け戻る。と、丁度食堂を探し終えたのだろう、ジョーの姿が見えた。

 

「ジョー!」

「お、ベル。見つかったか?」

「ううん。でも心当たりがある場所があるの」

「本当か!?」

「今バナード将軍とそこで会って……」

「え? 将軍がノワの場所知っとったのか?」

「いや、そうじゃなくて……」

「ベール、バナード将軍いらしたの?」

 

 ああん、もう、階段の上からルージュさん割り込まないでくださいよ!

 

「ええ、今そこに……」

「大変! 将軍に頼まれてたことがあったのよ。今日お休みって伺ったから後でいいと思っていたのだけど……。ごめんね、ジョーヌ、ベール。私そっちをすませないと……」

「いやいや、むしろ手伝ってくれてサンキューや、ルージュ姉。頑張ってな」

 

 「そっちもね!」と言い残してルージュさんは走って行ってしまった。

 

「しかし今日将軍休みの予定やったのか」

「奥様が熱を出されたそうよ。付き添っていたけど本人に自分のことはいいから行ってきてほしい、って言われたって」

「なるほど。互いに信頼しあってるんやな。ガウ様とノワもそんな風になれば……ってそうや! ノワの居場所に心当たりあるんやって!?」

「あ、そうよ! もう、ルージュさんに水刺されて忘れちゃうところだったわ。多分書庫よ」

「書庫? ……あ、そういえば以前……」

 

 ジョーも思い出したいみたい。表情が多分そうだ、という確信を持つものへと変わっていく。

 

「よし、行ってみよか」

「ええ」

 

 私達はヴァンネット城の書庫を目指して歩き出した。

 

 

 

 

 

「……ガウ様のバカ」

 

 もう何度この言葉を呟いただろう。でもいくら呟いても呟き足りない。

 「いつまでも親衛隊ってわけにはいかない」、「逸材を3人も俺1人が抱えるわけにはいかねえ」。……なんでガウ様はそんなことを言うの? 私はずっとガウ様と一緒にいたい。ガウ様だけじゃない、ジョーとベルと、ずっとジェノワーズとしてガウ様の親衛隊として付き添っていたい。なのに……。

 ……ううん、本当は私もわかってるんだ。こんな時はずっとは続かないって。ガウ様は次期領主だし、ジョーは今じゃ将軍に最も近い存在って言われてるし、ベルも独立した弓術師隊を新たに編成してそこの指揮を任せてもいいんじゃないかって話も持ち上がってきたし……。私のほうもいろんなところから声がかかってる。リコとも仲がいいから学術研究員に、って声や、今度新たに諜報部隊を設立するかもしれないから是非部隊の隊長に、って声とか……。

 でも……今ガウ様や皆と一緒にいられる時間を……限られてる時間を、「いずれなくなる」ってはっきりガウ様の口から言われたみたいで……すごく嫌だった。……私の()()()()()は叶わないってわかってる。わかってるから、だからジェノワーズとして一緒にいたいって思ってるのに……。

 

「……ガウ様のバカ」

 

 もう1度呟いてみる。でも、それでも何も変わらないという事もわかってる。

 抱えていた両膝を離して床にかかとをつける。そのまま前のめりに、机に肘を着けて頬杖を着いた。

 

 ……ああ、やっぱりこの机は私にぴったりだな、って思う。でも、前より少し窮屈になったかな……。私も成長してるってことかな。

 ……そうだよね。変わっていかない人なんていないんだよね。わかってた。わかってたけど、認めたくなかった……。ずっと今のままでいたいのに……。

 ……ガウ様、怒ってるかな。怒ってるよね……。一方的に飛び出してきちゃったんだもん……。どんな顔をして謝りに行こう……。

 

「……ハァ」

 

 やっとガウ様への文句以外の言葉が出たと思ったらため息か……。私何してるんだろう……。

 

「ノワ」

 

 そんな私の耳によく聞き馴染みのある声が入ってきて、反射的にそっちを振り向く。

 

「ジョー……ベル……」

 

 多分2人はあの後ずっと私を探してくれていたのだろう。すぐ拗ねちゃうのは私の悪い癖だとわかっていてもどうしても直せない。そうなると私を探しに来てくれるのはいつもこの2人だった。

 

「なんや、こんな暗いところで1人で頬杖なんてついて。いつもはもっと見つかりやすいところにいるのに、そんなに今日はご機嫌斜めか?」

「……いいじゃん、別に……」

 

 ……また言っちゃった。本当は謝りたいぐらいなのに……。

 

「もう、ジョー。そんな言い方したらまたノワが拗ねちゃうじゃないの。……ノワ、前もここにいたわよね。その机、気に入ってるの?」

「……うん。私に丁度合うから。書き物する時とか、ぴったりですごくしっくり来るの」

「へえ……。机なんてどれも一緒ちゃうんか?」

「ジョー、あなたそれでよくガウ様に『もっと女心をわかったほうがいい』なんて言えるわね? 同じように見える武器でも癖が違うように、机にだって個性というか、僅かな違いがあるのよ。……そうよね、ノワ?」

 

 ……いつもはドジばっかりなベルがなんだか今日は頼もしい先生みたい。

 

「うん、そう。……でもこの机も少し窮屈になってきちゃった。私が成長してるってことなんだよね。……だから変わらないことなんてないってわかってはいるんだけど……」

「ノワ……」

「……ううん、大丈夫。ちょっと頭冷やして落ち着いたから。……いつも私が勝手に拗ねたりして、2人にも迷惑かけてごめんね」

「何今更そんな水臭いこと言ってるんや!」

「そうですよ。気にしないで。……だって私達は」

「ガウ様直属親衛隊!」

「ジェノワーズ! ……ですから」

 

 ……ありがとう、ジョー、ベル。

 

 うん、そうだ。今の私はジェノワーズのセンターなんだ。いつか、もしかしたら3人とも別々な配属になるかもしれない。でも今はジェノワーズで、それでいいんだ。

 

「お、笑えるようになったやないか」

 

 ジョーに言われて初めて気がついた。無意識に私は笑っていたみたい。

 

「さ、ガウ様のところに行きましょう」

「うん」

 

 しっくりくる机と椅子から立ち上がり、書庫を後にする。そのままさっき走ってきた道を戻る形で会議室へ。でも、書庫を出たときは軽かった足がなんだかちょっと重い気がする……。

 

「ほら、ノワ」

 

 とうとう扉の前で足を止めてしまった私にジョーが入るように促してくる。一旦深呼吸してドアを開けた。

 部屋の中で机の上の書類と向かい合っていたガウ様は1度私のほうを見たけど、すぐ書類の方へ目を戻してしまった。

 

「ガウ様……」

「どこ行ってたんだよ?」

 

 その質問には答えず、ずっと心の中で練習してた3文字を、私は勇気を出して口にした。

 

「……ごめん」

「悪いと思ってんなら、ほれ、さっき放り出していったお前の担当分だ。確認しといてくれ」

「うん……」

 

 そう言って書類を受け取ろうとしたんだけど、ガウ様が書類を掴む指を離さない。

 

「ガウ様……?」

「……俺の方こそ悪かった。お前の気持ちも考えないで軽はずみなこと言っちまって。お前のことを思っていったつもりだったんだが……逆効果だったな」

「ううん。ガウ様の言いたいことはわかってたはずなのに……ごめん」

 

 今度は自然にその言葉が出てきた。

 

「……よっしゃ! 2人とも仲直りしたところで、パパーッと片付けようで!」

「そうですね。私達も手伝えることがあったら手伝います」

「お、そうか。悪いな、ジョー、ベル」

「ええてええて。ウチらの仲やし」

「じゃあこいつとこいつを……」

「失礼します。ノワが戻ってきたって聞いたけど……あら」

 

 私達が残りの仕事を片付けようかという時に部屋に入ってきたのはルージュだった。

 

「あ、ルージュ姉。将軍のなんかがとか言ってたと思うけど、もういいんか?」

「ええ。大丈夫。それよりノワが見つかって、ガウ様と仲直りもできたみたいでよかったわ」

「ルージュも2人を手伝ってくれたの?」

「丁度手が空いていたからね」

「そっか……。ごめんね」

「いいのよ。……あ、そうそう。お茶を持ってきたのよ」

「お! さすがルージュ。気が利くじゃねえか」

 

 ルージュがお茶をカップに注ぎ、私達の前に置いていってくれる。

 

「じゃあ皆頑張ってね。……ガウ様もノワとのケンカはほどほどにしてくださいね」

「うるせえ、やりたくてやったわけじゃねえんだ、わかってるよ」

 

 ニコッとメイドスマイルを浮かべて、ルージュは部屋を出て行った。

 

「……よっしゃ! お茶飲みながらラストスパートだ! さっさと終わらせちまおうぜ!」

「「おー!」」

 

 ガウ様の言葉に私達が手を突き上げて答える。

 

 ……こうやって4人でいるのはもしかしたらずっとは続かないかもしれない。でも、今は、せめてもうしばらくはこうやって4人でいたい。私の()()()()ガウ様と、大切なジェノワーズの両翼であるジョーとベルと一緒に――。

 

 




「ジェノワーズ」とは本来の意味ではスポンジケーキのこと。
3人をそのケーキの層に見立て、ガウルも入れて4層、というのがタイトルの由来。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異世界で過ごす1日 前編(レオ・ソウヤ)

 

 

 ポットから急須へとお湯を注いで机に戻ろうとしたところで俺は足を止める。いや、正確には止めざるをえなかった、と言う方が正しいが。

 俺の目の前にはかつて見たことのある女性が立っていた。まあ立っていただけなら別に文句はないだろう。問題はその女性が先ほどまではこの部屋の中に()()()()()ということだ。

 と、いうより正確には今床から()()()()()、と言う方が正しいかもしれない。どちらにしろ一般的に考えれば非現実的だ。

 

 だが俺が戸惑っているのはそこじゃない。……いや厳密に言えばそこも戸惑ってはいる。しかしそれ以上になぜこの人が今ここに()()()()のかという驚き、あるいは疑問の方が大きかった。

 

「なんじゃ……。随分狭いしそれに殺風景な部屋じゃの。ここがお前の家か?」

 

 そんな俺の心中など知らずか、彼女はかつて話した時のように俺に話しかけてきた。久しぶりに聞く彼女の声は俺に懐かしさと嬉しさと、それ以上の感覚を呼び起こさせる。

 

「……ええ。まあ俺の家、と言っていいでしょう。この建物の中のいわゆるこの部屋、ここが俺の居住空間になりますので。他の部屋は他の人の家、ということになります」

「ほう……。そういうものなのか……」

「じゃあ今度はこちらから質問いいですかね?」

「なんじゃ?」

「……なんであなたが()()()()にいるんです? ()()()

 

 俺の質問に、俺がレオ様と呼んだ彼女――レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワはニヤッと笑顔を浮かべた。

 

「無論お前に会いに来たからに決まっているだろう、ソウヤ」

 

 俺――ソウヤ・ハヤマは大きくため息をこぼす。期待していた答えからは程遠い、いや、今言われたことは嬉しいことではあるが、俺が聞きたいのはそんなことじゃない。

 

「……まあいいや。()()であらせられるあなたを立たせたまま立ち話というのは申し訳がつきませんし……」

「姫と言うなと言ったであろう」

「わかりましたよ、()()

「ソウヤ」

 

 名を呼ばれただけで俺はこの人が何を言いたいのか把握する。まあそうだろう、そんな呼び方で呼んだのはほとんどない。会ったその時から彼女は自分を名で呼ばせたのだから。

 

「じゃあレオ様。……これでいいですか?」

()()()()()があった後じゃ、もう呼び捨てでいいぞ」

「それは出来ません。例え俺とあなたの仲であっても、今の俺にはその資格はありませんから」

「まったく変なところだけ真面目な奴じゃ……。まあよい。今までどおり、そう呼ぶがよい」

 

 レオ様はそう言うと嬉しそうに微笑んだ。その笑顔に一瞬()()()()()()なる。

 ……まずい、危うくその笑顔に思考を放棄するところだった。それはまずい、現状俺の疑問は何も解消していないのだ。なんとか思考を繋ぎとめまずどうするべきかを俺は考える。

 

「……で、聞きたいことは山ほどあるんで、お茶でも入れるんでゆっくり話しましょう、と言いたいところですが……」

 

 俺は彼女の足元を見る。彼女の姿を見たとき、まず何よりも気になっていたのはそこだった。

 

「とりあえずまず靴脱いでもらえますかね?」

「靴……?」

「この世界……いや、日本だけかな。まあともかく、この国、少なくともこの家では玄関で靴を脱ぐことになってるんで……」

「ほう……そうだったか。いや、それはすまなかった。脱いだらどこに置けばいい?」

「この部屋出てまっすぐ、外への扉の前の段差になってるところに俺の靴もあるんで、そこにでも置いておいてください」

 

 わかった、と言ってレオ様は靴を脱ぎ始める。できればそれも玄関でやってほしかったが……。このまま靴で部屋を歩き回られるよりはマシだから、しょうがないか。

 俺はその間に6分目程度までしかお湯を入れなかった急須にギリギリ一杯お湯を注ぐ。来客なんて想定していないから、使えそうなのはマグカップだけだ。マグカップにほうじ茶というのも変な感じはするが、致し方ない。もてなしのお茶すら出さない、よりはマシだろう。

 脱いだ靴を置くためにレオ様が玄関へと向かう。その間に自分の湯飲みとマグカップにほうじ茶を注ぎつつ、俺は過去を――レオ様と出会い、過ごしたあの日々を、思い出していた。

 

 俺が彼女と初めて会ったのは()()()()()()()()だった。その世界の名はフロニャルド。人が死なない「戦」が頻繁に行われる、一言で言うならファンタジーな世界。俺はそこの国の1つ、レオ様が治める「ガレット獅子団領国」に勇者として召喚された。

 そこでのガレットとの人々との出会い、隣国「ビスコッティ」との戦、俺と同じ地球人で召喚されたビスコッティの勇者、シンク・イズミとの戦い等を経て、俺は成長し、そしてその世界を満喫して帰ってきた。それが今から約3ヶ月前。

 

 傍から見ればまるでファンタジーであり、そういう小説の読みすぎだと思われるかもしれない。事実俺はそういう小説を読むのが趣味だ。

 だがそれも事実なのだから仕方ない。嘘だと思うのならさっきまで俺以外誰もいなかったはずのこの部屋にレオ様がいるというだけでもその証明になるだろう。それも信じられないというのなら彼女の容姿を見れば否が応でも納得するだろう。なぜなら彼女には、まるで()()()()()()がその頭に、()()が腰の辺りに生えているのだから。

 それがフロニャルドの人々の特徴でもあった。俺が召喚されたガレットの人々は猫のような耳と尻尾を(例外としてウサギ耳の弓術士がいたが、彼女は別な国の出身という話であった)、今では俺の友人となったシンクが召喚された隣国ビスコッティの人々は犬のような耳と尻尾を、それぞれ持っていた。

 

「置いてきたぞ」

 

 そう言いながらレオ様が部屋に戻ってくる。丁度自分の湯飲みとレオ様に使ってもらう用のマグカップにそれぞれお茶を入れ終えたところだった。

 

「椅子がなくてすみません」

「いや、気にするな」

 

 唯一ある座布団の場所へ彼女を誘導し、自分の座る場所の前と、彼女の前に煎れたお茶を置くと俺も腰を下ろす。

 

「……茶か?」

「はい。この国のお茶でほうじ茶っていいます。俺がレオ様の部屋でいただいたようなお茶とは全然別物ですが」

 

 レオ様がマグカップを手に取り、一口流し込む。一瞬不思議そうな表情を浮かべるのがわかった。

 

「……これが茶か」

「俺は好きですがね。まあ安物の茶葉ですし、口に合わないなら残してください」

「いや……。あまり口にしたことはない味だが、悪くはないな」

 

 続けてもう一口。そのカップが彼女の口から離れるのを見計らって俺は口を開く。

 

「……で、このまままったりしたいところですが、聞きたいことは山ほどあるんですよ」

「まあ……そうじゃろうな」

「まずもう1度さっきの質問です。なんであなたがこの世界にいるんです?」

「さっきも答えたじゃろ。お前に会いに来た、と。……じゃが聞きたい答えはそれじゃない、と言いたそうじゃな」

「はい」

「来たのは……まあ試験というのもかねておる」

「試験?」

「ああ。発明王の奴がな。新しい召喚の方法を発見したとかでな」

 

 発明王、というのは隣国ビスコッティの王立学術研究員主席であるリコッタ・エルマールという少女のことだ。俺も彼女の優秀さはよくわかっている。この世界とフロニャルドで異なる文字を自分の世界の文字へと変換できる眼鏡を作ったり、そもそも召喚の方法についても彼女の頭脳なしでは不可能だったと言っても過言ではないだろう。

 

「今度は滞在日数の期限なし、オンミツによる召喚の剣の使用もなし、再召喚までの日数をあける必要もなくなりそうじゃ」

「……本当ですか?」

 

 こいつばかりはさすがに驚いた。俺が召喚された時は滞在日数は最長16日と決められ、再召喚までには91日以上日数をあけなければならない、加えて遣いのチェイニーという名のネコが召喚の剣によってゲートを開ける必要があるということになっていたからだ。

 

「ってことは、言葉が悪いですが日帰り旅行感覚でそっちに行けるって事ですか?」

「それも可能、ということになるな」

「……俺の中のファンタジーの世界観が崩れていく……」

 

 「ちょっと異世界行って来る」って隣町やコンビニに行くんじゃないんだぞ……?

 

「連絡が取れるようになる、という前に移動の方が解決されるとは……」

「いや、連絡の方も解決されているぞ」

「……はぁ?」

 

 思わず間抜けな声を出してしまった。

 

「ただお前の『ケータイデンワ』の、それの番号というものか、あるいはアドレスというものがわからないと連絡が取れない、とリコッタが言っておったな。シンクの奴はタツマキじゃったか? あの遣いの犬を通してその番号とアドレスをミルヒに教えたから、時折連絡し合っていると言っていたぞ」

「……あの野郎、電話でもメールでも一言もそんなこと言ってなかったってのに」

「当然ソウヤもやってるものだと思っていたんじゃろ。会った時にそういう話にならなかったのか?」

「まだ会ってませんよ。たまに連絡は取り合ってましたが、互いに時間が合わなくて。それでも今月の末ぐらいに1度会おうという話にはなりましたが。……っていうか、だったらレオ様の方こそチェイニー使って俺と手紙のやり取りとか出来たじゃないですか。そこで言ってくれればいいのに……」

「そうも思ったが、お前が再びガレットを訪れるのが近づいたらでいいか、と思ったんじゃ。ワシ自身手紙を書くというのは……少々苦手故な……」

 

 そう言うとレオ様がマグカップのお茶をすする。なんだかんだ言いながら気に入ってもらえたようでよかった。

 

「……まあいいや。で、リコッタが新しい召喚の方法を確立したってのはわかりましたが、それとレオ様のいうところの『試験』とで何の関係が?」

「地球からフロニャルドへの移動だけでなく、フロニャルドから地球への移動も容易になった、ということで、それの試験じゃ」

 

 ……危なく湯呑みを落としそうになった。

 

 そりゃ確かに俺がフロニャルドに行くことができたなら、その逆もまた可能と考えるのが普通だ。だが今の地球に突然頭にネコミミが生えた人間が現れたらどうなる。

 噂に聞く程度だが、秋葉原だとかお盆と年末の有明だとかならコスプレと勘違いされて「本物みたいなネコミミだ」ぐらいで済むかもしれない。しかしそんな反応をするのはごく一部だろう。

 街中をネコミミの少女が、しかも尻尾つきで歩いていたら、まず人目につく。人目につけば噂になる、見たことないその容姿に下手すりゃ混乱を巻き起こす。で、研究者が興味を示して行き着く果ては人体実験か解剖か。さらにこの世界と別な世界がある、なんて話になったら馬鹿なこの地球の人間どもは資源と領地を求めて文字通りの侵略戦争を仕掛けるかもしれない。

 ちょっとばかりファンタジー小説を読みすぎた人間の発想だとは自分でも思うが、それでもこんなことになる可能性は否定できない。世間知らずな隣国の姫様ならふらっとやってきてシンクシンク言いながら街中を歩く姿は想像できてしまうからだ。

 

「……で、それに成功した、と」

 

 俺は落とさなかった湯呑みに口をつける。

 

「ワシがここにいるということは、そういうことじゃな」

「試験、ということにかこつけて俺に会いに来たってことですか」

「そうじゃ」

 

 予想と違った反応に俺は一瞬戸惑う。俺の知ってるレオ様はこの手のからかいにはとても()()ですぐ顔を赤らめる方だったし、普段とそこのギャップがまたかわいらしいところでもあったはずなのだが。

 

「……なんじゃ?」

 

 自分でも気づかないうちに彼女を見つめてしまっていたのだろう。俺を見つめ返しながらそう問いかけてくる。

 

「いえ。反応からウブっぽさが消えたなと思っただけです」

「毎日毎日、城の中でそんな冷やかしばかり受ければ慣れもするじゃろ」

「……ああ」

 

 思わず苦笑を浮かべる。その冷やかしを受ける原因の一端は俺にもあるからだ。

 俺とレオ様の関係は勇者と召喚主であると同時に、少し恥ずかしい気もするが恋仲だ。なんだかんだあったが、俺は彼女が好きだし、彼女もそうだと言ってくれた。だがあの時は俺たち2人だけだったはずだが、まあ元々こういうことに関してはウブなレオ様だ。雰囲気で勘付かれたか、詰め寄られて口を割ってしまったのだろう。

 そうなった後の光景は容易に想像できる。どうせ側近のあの紫猫に「今頃ソウヤ様はなにしてるんでしょうかね」と言われたりだとか、元気だけが取り得のトラジマ娘に「ソウヤがいなくて寂しいんちゃいますか?」とか言われ続けたんだろう。そりゃウブっぽさも消える。

 ウブな反応を見られるのも悪くなかったというのに、その楽しみを奪われたと思うと今度顔を会わせたときにはあいつらを一発どついてやりたい気分にもなる。しかし今はそうするわけにもいかず、俺はため息をこぼすにとどめた。

 

「……来た理由はわかりました。で、そのお茶飲んだら帰りますか?」

「……お前、ワシが嫌いになったのか?」

「なるわけないでしょう。今でも愛してますよ」

 

 フン、とレオ様が鼻を鳴らす。

 ……ちくしょう、本当にウブな反応が消えてる。言った俺の方が恥ずかしいぐらいだ。やっぱりあいつらは今度会ったら一発どつこう。

 

「でもあなたは領主だ。国を空けるわけにもいかないでしょう?」

「ああ、そうだ。だから()()には帰る」

 

 平然と言われたそのセリフに、俺は飲んでいたお茶を噴出しそうになった。

 

「……今なんて言いました?」

「明日には帰ると言ったんじゃ」

「正気ですか!? 領主が国を空けて1日異世界で過ごして帰るなど……」

「ビオレはこのことを承知しておる。公務も特にない日を選択したし、いざとなればガウルがなんとかするよう話を通してある。問題ないじゃろ」

 

 いや、問題だろ。あなたもだが、それにオッケー出して送り出す側近のビオレさんも弟のガウ様も。

 

「たまには休めとビオレに言われていたところでリコッタから話が来ての。しかし互いの世界間の移動じゃ、そもそも自国の領主に言ったら飛び出して行きかねないためにそこに話を通せず、あまり話を広めることも出来ずに試したいのだが人がいないと言っていたところでワシが名乗り出たんじゃ。そうしたらビオレがついでに一泊して来い、たまには休んでこい、と」

 

 ……余計な気つかいやがって、あの紫猫め……。

 前回の送還直前の一件といい今回といい、今度会ったら絶対お灸を据えてやる。……でもあの笑顔に騙されてのらりくらりとかわされるんだろうな、きっと。

 

「……話をまとめます。リコッタが新たな召喚の方法を発見した。それに伴ってフロニャルドから地球への移動も容易になった。そしてその方法の試験のためにレオ様がこの世界にいらっしゃった。ついでにたまには休んで一泊してこいとビオレさんに言われたので帰るのは明日。……こんなところですか?」

「そういうことじゃな」

 

 そう言って彼女は空になったマグカップを俺の方へ差し出した。

 

「お代わりじゃ。もらえるか?」

「はいはい……」

 

 ため息をこぼしながら俺は立ち上がる。茶葉を変えようかと思ったが、どうせ飲んであと1杯だろうとそのまま急須にお湯を注ぎ、それからレオ様のマグカップにお茶を注いだ。

 

「……それでこの後のご予定は?」

「お前に任せる。ワシとしてはこの世界を見てまわりたいから、お前に案内を頼みたいところじゃが。……なんじゃ、この茶、先ほどより薄いぞ」

「二番茶って言ってそこには最初よりも控えめながら味の深さがあり、それを楽しむというのが俺の国の和の心でもあるんですよ」

 

 勿論デタラメだ。確かに二番茶という言葉はある、だがそれは茶摘みの段階で言われる言葉だ。今レオ様が文句を言ったお茶は二番茶などではなく、単に使いまわした味の薄いお茶でしかない。多少は薄くなるがまだ使えるんだから勿体無いからと使ったが……。さすが王族、舌はよく肥えているらしい。次は茶葉を変えざるをえない。

 

「……で、案内でしたっけ? 観光したいと?」

「ああ。お前の家で過ごすのもいいが、せっかくじゃから外を歩いてみたい。ダメか?」

「ダメではないですが……」

 

 幸い今日は土曜日。部活も習い事もなく、それがなければ自然と俺の用事はないと言ってもいい。

 

 俺はレオ様の頭、次いで腰の辺りへと目を移す。

 今レオ様が着ている服は戦時の格好ではなく執務時の格好ではあるため、多少は落ち着いている格好ではあるが……。

 いや、それ以上にやはり問題は耳と尻尾だ。今の格好のまま外に出たら間違いなく注目を浴びる。そうなったら観光どころではない。

 

「……ちょっと待っててください」

 

 俺は押入れを開けてタンスを漁る。女物の服など当然ないが、女性が着ても違和感のない服ぐらいはあるだろう。今来ている服よりはマシなはずだ。

 とりあえずこれと……これは入ればいいけど……。あとはこの2つ。冷え始めた11月の頭ならこれを着ていても「寒がりなんだな」で済むだろう。

 

「レオ様、これ着られますかね?」

 

 そう言って俺が放り投げたのは紺のトレーナーにジーンズ、この時期では少し早いダウンジャケットとニット帽。前3つは俺が自分で買ったものだが、ニット帽だけは部活の先輩からもらったもので、俺が夏のインターハイで優勝した時にくれたものだった。「安かったから買ったけど別に俺帽子被らないし、まだ使ってないからくれてやる」などとかこつけて渡してくれたが、見ようによってはいらないものを押し付けられた形になったと言えるかもしれない。それでもこれから役に立つなら、その見方は今後しなくてすみそうだが。

 

 その4つを手にとって眺めていたレオ様だったが、ジーンズを手にした時に表情が変わった。

 

「……ソウヤ、この服、尻尾はどこから出せばいい?」

「出さないでください」

「な、何!?」

 

 有り得ないと驚くレオ様に俺はさも当然のように告げる。

 

「俺やシンク、この世界の人間に尻尾がありますか? ……あなたのたっての願いだ、観光をしたい、案内をしろ、それは受けます。受けますが、代わりにこの世界の人間であるように振舞っていただきたい。……『フロニャルドの人間だ』ということがばれないように、です。混乱を大きくしたくないですから」

「そうは言うが……しかし……」

 

 レオ様は納得いかない様子だ。

 

「尻尾が窮屈だと……どうも落ち着かないんじゃが……」

「うまくなんとかしてください。服の下で体に巻きつけておくとか」

「そんな長くもないし器用に扱えんわ。……仕方ない、腰の辺りでまとめてみるか」

「耳は帽子被ってくれればいいです……って何してるんですか!」

 

 らしくもなく、思わず俺は叫んだ。いや、叫ぶだろう、目の前でレオ様が着替えを始めようとしているんだから。

 

「何って、着替えじゃ」

「そうじゃなくて、俺がいるんですよ!?」

「いたって構わんじゃろ、減る物でもないし、いるのはお前じゃしな。恋人同士なら着替えぐらい……」

「そ、それでも恥じらいぐらいは持ってください! 終わったら声かけてください、廊下にいるんで!」

 

 思わず視線を釘付けにされるその様子から目を逸らして俺は部屋を出る。……これじゃ昔ウブな反応をしたなんてのがまるで嘘じゃねえか、とまで思えてしまう。今のだって完全に俺の方が動揺していた。

 大きくため息をこぼして携帯を取り出す。さて、このことをシンクに報告しようかどうしようか。

 

「終わったぞ」

 

 結局シンクには知らせることなく、携帯を適当にいじっていたところでかけられた声に俺はドアを開けて部屋に戻った。

 ニット帽にダウンジャケットにジーンズ。傍から見れば寒がりの女子、ぐらいに見えるだろう。少なくともその帽子の中に猫の耳が、ジーンズの中に尻尾があるとは夢にも思われないはずだ。

 

「これでいいか? ……やはり耳と尻尾が窮屈じゃが……」

「見た目は大丈夫です。パッと見、異世界人だとは思われませんよ」

 

 本音をいうとジーンズが入ってよかった、というのが正直な感想だ。

 

「そうか。……しかしこれがお前たちの世界の服か……。ちと暑くはないか?」

「この時期にその服は少し早いですからね。ですが女物の服とか持ってないですし、女性が来ても違和感がない服なんてのはそれぐらいしかなかったんですよ」

「なら致し方ないな」

「で、どこ行きます? ……って決めるのは俺か」

「ああ。ワシは何も知らんからな。お前に任せる」

「とりあえず……都内にでも出るか。この辺りは何もないしな」

 

 かけてあるジャケットを羽織り、財布の中身を確認。まあこのぐらいあれば十分足りるだろう。

 行く場所は歩きながら考えることにする。駅までは約15分、何か思いつくだろう。思いつかないなら動物園とかでも問題はないだろうし。

 

 ……いや、檻の中の動物を見せる、というのはもしかしたらまずいかもしれない。実際レオ様の部屋ではライオンを飼ってたっけ。

 なら水族館か。いくら猫っぽいといっても泳いでる魚を見てそれにとびかかったりはしないだろう。

 そんなことを考えながら俺は廊下への入り口を開ける。レオ様も俺に次いで出てきたところで部屋の電気を消して玄関に向かった。

 靴を履いたところで振り返ると、レオ様が不思議そうに部屋の中を見つめていた。

 

「行きますよ」

 

 俺の声に振り返り、「すまない」と言いながら最初に部屋の中で履いていたブーツを履き始める。その格好を全身見直してみたが、一応はこの世界の人間のようには見えるだろう。

 まあ、ばれたらばれたでその時か、と楽観的に考え、部屋の鍵を開けて外への扉を開いた。

 

 

 

 

 

 外は思いのほか肌寒かった。つい数週間前まではそこまででもなかった気がしたが、11月ということを考えればこんなものかもしれない。このぐらいならダウンジャケットを着ていても怪しまれなくてすむだろう。

 ……いや、外よりもやはり中を気にかけるべきだったかもしれないな。

 

「ソウヤ、今脇を通り過ぎた者が乗っていたものはなんじゃ? 車のように見えたが……」

「……あれは自転車って乗り物です。自分の力で漕いだ分だけ進む乗り物で、歩くより断然楽に進めるものです。まあセルクルみたいなもんですかね」

「自転車……? さっきの走る箱もそう言わなかったか?」

「それは自動車です。こっちは自分の力で漕ぐもの、むこうは燃料を使って走るもの、全然別物です」

「ふむ……」

 

 さっきからずっとこの調子だ。確かに物珍しいのはわかる。フロニャルドとはまるで環境が異なってるということも理解している。

 だが挙動が不審すぎると言わざるをえない。きょろきょろしすぎ、何かを見つけるとまるで子供のように俺に聞いてくる。格好の違和感は感じずにすむのに中身の行動は違和感ばかりである。

 

「レオ様、少し落ち着いてください。気持ちはわかりますがそれじゃいくら格好が変じゃなくても怪しいです」

「そうは言ってもな……初めて見るものばかりじゃし……」

 

 口ではそう言いつつもやはり周りは気になる様子だ。

 

「これから駅で電車に乗るってのに……この調子で大丈夫かな……」

「駅? 電車? なんじゃそれは?」

 

 聞こえないようにぼやいたつもりだったが耳に入ってしまったらしい。また説明するのか……。

 

「電車というのは……まあ自動車が大きくなったものって感覚でいいと思います。詳しくは乗ってる時にでも説明しますよ。駅はその電車の発着所です」

 

 正直な話説明するのが段々少し疲れてきた、というのもあってやや大雑把にまとめる。まあ間違ったことは言っていない。

 

 そうこうしているうちに駅が見えてくる。うちの最寄駅はターミナル駅でも複数の路線が走る乗換駅でもないために規模は非常に小さい。

 だがそれにしてもレオ様からすれば十分衝撃的だったらしく、呆気にとられたように何の飾り気もない駅舎を見つめていた。

 

「大きいな……。ヴァンネット城より大きいのではないか?」

 

 その言葉に俺は苦笑を浮かべる。だって浮かべざるをえないだろう、それはもう最低でも()()は言っているからだ。

 最初に言ったのは俺のアパートを外から眺めたときだった。俺が暮らしているアパートは全3階建て、お世辞にもでかいとはいえない、今の日本ならその辺にあるようなアパートだ。

 しかしレオ様は驚いたように目を見開いてさっきのように言ったのだった。

 その後はちょっと大きな家があったり、マンションがあったりすればそう言っていた。マンションはわかるにしても、家と比べるとしたらおたくが暮らしてる城のほうが大きいでしょうよ、と突っ込まずにはいられなかった。

 

 この程度で大きい大きい騒いでたら都内に入ったら一体どうなるのか……。

 と、そこで俺はいいことを思いついた。

 そうか、日本を代表する建造物に案内すればいいのか。幸いあそこは観光スポットとしても有名だし、さぞかし衝撃的だろう。

 そう思って駅への道を進もうとするが、都合悪く駅前交差点の信号が赤に変わってしまった。……俺としてはこのとき赤になった信号を呪わずにはいられないことになるわけだが。

 

「あれが『信号』、それで赤は渡ってはいけない。合ってるじゃろ?」

「その通りです。さすがですね」

「その言い方、馬鹿にしとるのか?」

「いえ、そんなつもりは……」

「お、ソウヤ! ソウヤだろ!」

 

 そう思った原因がこの、俺を呼びかけた声だった。

 聞き覚えのある声に思わず振り返る。そこに立っていたのは――

 

「主将……」

 

 いや、厳密にはもう主将ではなく、

 

「『元』な」

 

 俺が所属する弓道部でつい先月まで主将だった、まあつまり元主将だった。

 はっきり言ってまずいときに出くわした。どうしたものかと俺が頭を悩ませるより早く、目ざとい元主将はレオ様の存在に気づくと、俺の肩に腕を回して彼女に背を向けた。

 

「おいソウヤ、あれ……もしかして前にお前が言ってた彼女か?」

「……ええ、そうですよ。せっかくのデート中なんで邪魔しないでください」

「かーっ! モテる男は辛いねえ! すっげえかわいい子じゃねえか!」

 

 肩に回した右手で肩をバンバン叩いてくる。

 

「俺にも紹介してくれよ!」

「人の彼女奪う気ですか? それを言うならデートの話聞かせろ、とかでしょう。……それが望みでしたら今度話してあげますから、今日のところは邪魔しないでください。彼女人見知りなんですよ」

「いっひっひ、そうかいそうかい。んじゃあ約束だぞ」

 

 面倒なことがまた一つ増えたと俺は大きくため息をこぼす。

 

「じゃあな、ソウヤ。……麗しのお嬢さん、機会があったらまた会いましょう」

 

 普段絶対言わないようなセリフを吐いて元主将はその場を去っていく。レオ様が余計なことを言わなかったことだけがせめてもの救いだった。

 

「なんじゃ……あの者は」

「俺が所属してる弓道部の元主将です。悪い人ではないですが……このタイミングで会うと面倒な人ではありますね」

「ワシのことをお嬢さん、とか言いおったか? ……無礼な奴め」

「その非礼は俺が代わりに詫びますよ。あの人も悪気があったんじゃないですし、素直にあなたを褒めようとしたんでしょう。……まあいきなりグランヴェール出すだとか大爆破するだとか殴るとかやってくれなかったんでホッとしましたよ」

「お前ワシをそんな野蛮な者と思っておるのか? 大体グランヴェールは置いてきた。……そもそもここはフロニャ力がない。紋章術を使うことは出来ん。お前だってそのぐらいのことはわかっておるんじゃろ?」

「そりゃわかってますよ。例えです、例え」

 

 レオ様の言う「グランヴェール」とは他ならぬガレットの宝剣の1つ、魔戦斧グランヴェールだ。さすがに重用品ということで今日は置いてきたらしい。

 一方俺も「再びフロニャルドを訪れる証」という名目で宝剣を預かっている。もう1つのガレットの宝剣、神剣エクスマキナだ。言うまでもなく大切な国の宝剣である。さすがに常日頃から身につけるのは人目につくのでやめていたが、それでも肌身離さず持ち歩くという意味で財布の中に常に入れておくようにしていた。

 だが先ほどレオ様が言ったようにここでは武器への変化は出来ない。要するにただの指輪といってもいいだろう。……それでも俺にとってはレオ様に誓いを立てた大切な指輪であることに変わりはないが。

 

「それより信号は青じゃぞ。渡るなら今じゃろ?」

「おっと、そうですね」

 

 これ以上ここにとどまってまた別の部員にでも見つかったら面倒だ。さっさと電車に乗ることにした。

 

「えーっとここからだと……」

 

 俺は電子マネーの乗車カードがチャージ十分であったので切符を買う必要はなかったが、レオ様の分を買おうと上の料金が乗っている路線図を見上げる。

 

「レオ様、この切符をそこの改札を通る時に入れてください。それでゲートが開くので、出てきた切符を取って通ってください」

 

 ジュース数本買える程度の値段で切符を買い、それをレオ様に手渡す。

 

「人に見せんでいいのか?」

「はい。その券自体に情報が入っていて、機械を通すだけで判別してくれます」

「なんと……すごいな……」

 

 俺に言われた通り切符を改札へと入れるレオ様。切符が吸い込まれた時にビクッと一瞬体を震わせたが、俺に言われた通り出てきた切符を回収して改札を抜けた。

 俺も財布から出したカードをタッチして改札を抜ける。

 

「ソウヤ、お前はそのカードでいいのか?」

「このカードには前もってお金が……いや、お金を払ったという情報が入っていて、電車に乗る時と降りる時、乗った区間を機械が自動で判断して、その分だけのお金を引き落とすようになってるんです」

 

 次の電車が来るまでの時間を見る。あと8分、まあ少し待つ程度か。

 

「……また機械か。すごいな。リコッタの奴が来たら大喜びじゃろうな」

「でしょうね。……でも俺としては、フロニャルドはこの世界のようになんでもかんでも機械、となってほしくはないと思ってますが」

「ほう? なぜじゃ?」

 

 階段を下りてホームへ。電車が来るまではまだ少し時間がある。

 

「確かに機械は便利です。ですが、同時に人と人とが触れ合う時間を奪っている、とも思えてなりません。今の改札にしたって、元は人が手作業で切符を確認していた。ですが機械の発達により、人件費も抑えられるということで今では機械がその役割を果たしている。結果、人は他人と触れ合う時間が減っていき、そして無機質になっていった、と言えなくもないと思っています。

 俺はフロニャルドでそこら辺をとても痛感しました。別にこの世界の人たちが皆心が冷たいだとか、そういうことを言う気は毛頭ありません。ですが、フロニャルドの人々はこの世界のような便利さはなくてもそれに勝るとも劣らない心を持っていた。

 だったら……こんな機械などに頼らなくても、フロニャルドはあのままでいい、発展を焦る必要はなく、今のままのペースでゆっくり時を過ごせばいい、そうも思うんです」

 

 ……なんだ、俺らしくもなく感傷的なことを言っちまったな。

 

「そうでなくても、あそこはフロニャ力が働いてるわけだし、リコッタが作った増幅器やら国営放送やらがある。この世界の技術をわざわざ取り入れる必要なんてないと思いますよ。……まあ元々人との接触を拒絶してた俺が言うセリフでもないですがね」

「そうか。……お前としてはワシ達は積極的にこの世界に関わるべきではない、と言いたいのか?」

「本音を言うと。ですが一方で俺はフロニャルドに呼ばれたおかげで人生を変えるほどの経験が出来た。そこを考えるとやや複雑な心境ではありますがね」

「わかった。参考にしておこう」

「参考? なんのです?」

「異世界からの召喚が容易になったということでもっと地球人を召喚するべきだという意見や、もっと押し進めば地球と外交をすべきという声もあがるかもしれん。そんな時になった場合の参考、じゃ」

 

 やはりそうなるか、と思わず心で呟く。

 その手のファンタジー小説は読んだことがある。結果どうなるかは、召喚された異世界人と元の世界の人間との間で考えが衝突して戦争、あるいは異世界人が優れているからと多く召喚しすぎて最後は異世界と元の世界の2つの世界での戦争。

 なんにせよ大抵ろくなことにはならない。俺やシンクのように召喚された人間全てがフロニャルドを愛し、第2の故郷とみなすことが出来るとは限らないからだ。そうなればフロニャルドを利用しようという者が現れてもおかしくない。加えるならフロニャルドの人々は人が良すぎる。口車に乗せられるなんてこともあるだろう。だとすると先に言ったとおりの展開になりかねない、と言える。

 

「……まあそんなポンポンと勇者召喚をするわけでもないでしょうし、そもそも慎重に考えて行うものなんでしょう?」

「当然じゃ」

「だったら俺の心配なんて杞憂でしょうね。そういう小説の読みすぎってことだと思います」

 

 電車が入ってくる、というアナウンスが流れる。いつの間にか時間が経っていたらしい。

 レオ様が興味深そうにホームを覗き込む。

 

「危ないから下がってください」

「危ない? どういう……」

 

 彼女が疑問を口にしかけた瞬間、電車がホームへと入ってきた。何両も連なって走るその鉄の箱に、レオ様は驚いた様子で目を見開き、ただ呆然と眺める。

 扉が開いて乗客が数人降りてくる。土曜日ということもあってか、車内は席がまばらに空いている程度で、2人が並んでかけられる椅子はなかった。

 仕方ないと扉の脇に立っていようと思ったところで、レオ様がまだホームに立ち尽くしていることに気づいた。

 

「早く乗らないとドア閉まりますよ」

「あ? あ、ああ……」

 

 ようやく電車に乗り込んだレオ様が俺の傍らに立つ。

 

「びっくりしたんですか?」

「そうだ。……まさかこんな巨大な物だとは思っていなかったからな。さっき自動車のようなものだ、と言ったではないか。大きさが全然違うぞ」

「大きくなったもの、ってちゃんと言いましたよ」

 

 我ながら説明不足だったかもしれない、とは思う。そのため非難の言葉が来るだろうと予測していたが、それが返ってこない。見れば彼女は走り始めた車窓から見える風景に釘付けになっていた。

 その横顔は威厳溢れる、普段の領主としての顔とは全く違う。未知の物に出会い、嬉しそうに、そして驚きながらそれを見つめる、まさに少女の顔そのものであった。

 それを見た俺は少し安心した。ウブさがなくなり、会えなかったこの3ヶ月間に彼女は変わってしまったのではないか、などといういらない心配も少ししてしまっていたからだ。だが年相応といってもいいその表情を見て、余計な不安だったと思った。

 

「なあ、ソウヤ」

 

 しかし如何せん、年相応というのも少々考え物か、とも思ってしまった。

 

「あの大きな物はなんじゃ?」

 

 レオ様が指差す先を覗く。高層マンションだ。

 

「マンションですよ」

「マンション……? ああ、さっきも聞いた気がする、人がたくさん住む建物か。ではあれは?」

「……マンションですよ」

「あれも同じなのか!? 造りが全然違うではないか! ソウヤ、ワシを騙そうとしとるんじゃろ?」

 

 その言葉を聞くとやっぱり普段どおり威厳のある方が彼女らしいと思わざるをえなく、俺はため息をこぼした。

 

 

 

 

 

 電車に揺られること小一時間。途中一度乗り換えて目的の駅に到着した。電車が都内に入ってからはレオ様はますます興奮した様子で窓から外を眺めていた。それはそうだろう、都内は今までよりも高い建物が増える。

 

 乗った時同様少し戸惑いながら改札を通過するレオ様。一足先に改札の外に出ていた俺はその様子を見守り合流した。

 

「やはりなんだか不思議な感じがするな……。機械の受付も、電車という乗り物も」

「そうですかね」

「お前もフロニャルドに来た時は不思議な感じばかり受けたのだろう?」

「そういや……そうですね」

「ならそういうことじゃ。……それでどこに連れて行ってくれるんじゃ?」

「塔ですよ」

「塔?」

「高い塔です」

「それはマンションよりも高いのか?」

「比じゃないですね」

 

 ほう、とレオ様は関心したように相槌を打つ。

 

「それは楽しみじゃな」

「ただ、ちょっと歩くことになりますが」

「構わん。歩いた方が街の様子が目に入るからな」

 

 駅から外に出る。周りに見えるのは高層ビルの群れ。その先に目的の場所が一応見えてはいる。

 

「これは……また……」

「言うなれば『鉄の木々が聳え立つ森』なんてとこですか?」

「……なかなか詩人じゃな」

 

 さすがに俺の家からの最寄駅近辺の風景とは比べ物にならない。道路の路肩には無数のタクシーが停まり、人の数もあの駅近辺の比ではない。

 その人ごみの中を俺と異世界の姫の2人が歩く。やはり彼女は辺りをきょろきょろと見回しているが、都内でなら「田舎から来た人なんだな」程度の印象で済むだろう。口うるさくは言わないでおくことにした。

 

 途中昔からあるという巨大な大門をくぐり、その門の先にあった寺院への入り口の前を横切り、敷地に沿う形で歩く。はっきりいって思ったより遠い。私鉄を使えばよかったと軽く後悔している。

 しかし当のレオ様がどこか楽しそうだからいいだろう。寺に興味があるのか、入り口の前を横切った時はなんだか入りたそうだったし、今も敷地の中を気にしている。

 

「気になるんですか?」

 

 行きたい、ともし言われたなら予定を変更しようかと思ってそう尋ねる。

 

「いや、そういうわけではないが……。なんだか雰囲気がアヤセの町並みに似ている気がしてな」

「アヤセ?」

「ああ、お前は行ったことがなかったか。ガレットの東部にある町でな。東方の人間が故郷の景観を再現した町並みでな。ここのような感じじゃ。お前が知っているところで言うと……ダルキアンの居住もそんな感じじゃ」

「ああ……『風月庵』ですか」

 

 言われてみればそうか。アヤセという町は俺は知らないが、「大陸一の剣士」とも呼ばれていたビスコッティの自由騎士であるブリオッシュ・ダルキアン卿の住まい、風月庵はかなり和風な感じと聞いている。聞いている、というのは実はフロニャルド滞在中に行ったことがないからだ。行きたかったのは山々だったのだが、後半、色々()()()()()してしまい、行きそびれたのだった。

 しかしシンクからその風月庵の話は聞いていたし、言葉遣いや服装などからも和風な感じは受けていた。とはいえ、よく考えてみればここまでそんな和風なものはなく、近代的な部分にだけ触れてきたのだから、ふいに表れた自分の知っているかもしれない雰囲気にレオ様は驚いたのだろう。

 

「ここは昔から日本にある寺のはずですからね」

「寺?」

「俺は宗教関係には疎いんで、宗派とかは知りませんが、要はお祈りする場所です」

「神聖な場所、ということか」

「そんな具合ですかね」

 

 「ふむ……」とレオ様はなにやら考え込んだ様子だった。彼女の頭の中でどんな思考が描かれているのか。それを知る術はないが、次にその表情がどうなるか、というのはなんとなく予想がつく。

 

「着きましたよ」

 

 目的地に到着。それを見上げたレオ様の反応は、やはり俺が思ったとおり、ぽかんと口を開けて高くそびえるその塔をただただ見つめるだけだった。

 

「これが……」

「はい。俺があなたを連れてこようと思った『東京タワー』です。今日本……つまりこの国で2番目に高い建造物です」

「2番!? これで2番なのか!?」

 

 無言で頷き、俺も333mのその電波塔を見上げる。

 

「なんで1番の方じゃなくこっちにしたんじゃ? お前の家からでは場所が遠いのか?」

「いえ、家からなら移動時間はここと同じぐらいです。ですが向こうはまだ建築中で昇れないんですよ」

「……今昇る、と言ったか?」

「言いましたよ」

 

 レオ様がもう1度東京タワーを見上げた。

 

「……昇れるのか?」

「昇れます。上には展望台もありますし。……ああ、階段でもいけますが、エレベーターもありますよ。あ、エレベーターっていうのは……」

「昇降機のことか? それなら知っておる。グラナ砦にあるからな」

 

 時折どこまでがフロニャルドにあって、どこからがないのかがわからなくなる。実際カメラ、テレビに準ずる物は存在していたが、自動車や自転車なんてものは存在してなかったし、さすがに機関銃はなかったが迫撃砲や先込め式の銃は存在して、戦によっては使われることがあるという話だった。

 

「しかしこの高さを昇る昇降機か……。それはまたすごいな……」

「上からの景色は多分もっと凄いと思いますよ。……実のところ、俺も昇るのは初めてですけどね」

「そうなのか?」

「観光名所として多くの人が訪れる場所ですが、近辺に住んでると逆に来ないものなんですよ」

 

 灯台下暗しか。いや、ちょっと意味が違うな。ともかく俺は入場用のチケットを買うために窓口へ行く。

 買うのは大展望台を2枚。他により高いところにある特別展望台があったが、ここまで足を伸ばそうとすると少々懐具合に響く。それを2枚となればなおさらなので、今回は諦めることにした。

  大展望台へのエレベーターは土曜日ということもあってそれなりに混んではいた。しばらく並んでエレベーターに乗り込む。そしてそこを降りた先が――。

 

 地上150m、大パノラマが広がる展望台だった。

 その景色を見て言葉を失ったレオ様はそのまま窓際へと歩み寄る。かく言う俺もここから眺める景色は初めてで、それはまさに壮観、の一言に尽きた。

 

「ソウヤ……」

「なんです?」

「この……眼下に広がる建物は……ビルというものか?」

「そうですよ。さっき歩いていた時に見えた、マンションよりも高いビルの群れです」

「それが……こう見えるのか……」

 

 ただただ驚きを隠せない様子で、彼女はその風景に目を奪われ続けていた。

 

「しかしすごいな……どこを見ても……」

「ビルばかり、でしょう?」

 

 レオ様が俺の方を振り返って頷く。

 

「確かにすごいですよ。まさに人工の森林、『鉄の森林』です。……でもどこか、この景色を見てると落ち着かないんですよね」

「落ち着かない……?」

「俺にとってはフロニャルドみたいな景色を見るほうが性に合ってる気がするんです。この景色はなんだか息苦しい……。人が集まりすぎて、そして、無機質な建物がひしめき合っている……」

「……お前は、この世界が嫌いなのか?」

「嫌いではない、と自分では思っていますが……。でもフロニャルドの方が魅力を感じるような気もします」

「では、なぜお前は戻ったのだ?」

 

 そうだ。なんで俺は戻ってきたんだろう。ガウ様に「永住してくれてもいい」と言われた時、なぜそうすると言えなかったのだろう。

 その時はまだ、俺は彼女に自分の心を伝えずに帰ってくるつもりだった。だから、レオ様が自分という存在に縛られてほしくないと思ったからだった、と言える。

 

 なら、彼女と互いの気持ちを伝え合って、誓いを立てて、それなのになぜ戻ってきたのだろう。

 

「……なぜなんでしょうかね」

 

 結局出た答えはそれだった。つまり、正確には答えなど出ていないということだ。なんとなく、戻ってきてしまったのだ。いずれ永住するつもりはあっても、今はその時ではないと考えてしまったのだ。だが、その理由はわからなかった。

 

「……自分にとって本当の故郷というものは、そう簡単に捨て切れるものではないぞ」

 

 悩む俺にレオ様がそう囁きかける。

 

「いい思い出がなかろうと、しばらくそこを離れていようと、故郷というのは心が還ることの出来る場所じゃ。それは……おそらく理屈ではないじゃろう。お前がフロニャルドを愛してくれるのは嬉しい。じゃが、そのために故郷を完全に捨て去る必要はない。そこは、たとえ時が経とうと、人にとって帰ることのできる場所なのだからな……」

 

 ……そうか。俺は帰ってくるべくして帰ってきたのかもしれない。国を思う領主が言うのだから、今言ったことは間違っていないだろう。そこで衝動的に残るという決断をくだしていたら、結果的に故郷を捨てることになって後悔していたかもしれない。

 

「そもそもそういう話の前に、お前はまだ学生じゃろ? まずはその学校を卒業するのが優先じゃろうが。フロニャルド永住などとはそれから考えても十分間に合う。……ワシの伴侶になるなら、それなりの学はもってほしいしな」

 

 せっかくの人の感傷的な気分をぶち壊すような現実的な一言に俺は思わず失笑した。

 ああ、現実主義の俺が何センチメンタルな気分に浸っちまってたんだ。レオ様の言うとおり、まず今の学校を卒業しろって話だった。

 

 結局なぜ戻ってきたか、の答えは明確には出ない。だが別にいい。戻ってきて、今レオ様とこうしてこの世界を歩いている。ならそれは結果としては()()()()()()()()()のだろう。

 

「……ありがとうございます、レオ様」

「ん? 何がじゃ?」

「……いえ、単なる独り言ですよ」

 

 「独り言のわけないだろうが」と噛み付く彼女を引っ張る形で展望台を進む。せっかくの360度のパノラマだ、たとえ似たようなビルの群れの景色でも、ぐるりと回らなくては勿体無い。

 と、俺はあるものを見つけた。地上150mには似つかわしくない、その施設。

 

「……神社?」

「なんじゃ?」

「いえ、神社です」

 

 「はぁ?」とレオ様が首をかしげる。

 

「神様にお願いをして、ご利益を得る場所ですよ。……いやこの説明は大雑把すぎかな」

「神様にお願い? そんな習慣があるのか」

「困った時の神頼み、という言葉もあります。……まあお願いすれば、少なくとも心は落ち着くでしょうね」

「なるほど。ワシも戻ってビスコッティに行くことがあったら天狐にお願いでもしてみようかの」

 

 俺は苦笑する。天狐というのはビスコッティの隠密部隊筆頭、ダルキアン卿の右腕であるユキカゼ・パネトーネのことだ。彼女は土地神の子らしいのだが、俺から言わせてもらえば土地神(とちがみ)というより乳神(ちちがみ)である。

 もっとも、滞在中もこんなセクハラまがいの接し方をしていたし、第一印象から最悪だったせいで未だに彼女の俺に対する態度は冷たい。最初はそれでいいと思っていたが、最近はそれもどうかと思うし、今度行った時に一応謝ろうと思ってはいる。

 

 ともかく、あの陽気な巨乳ちゃんを神様だと崇めて何かいいことがあるのかあやしい。効果があるとしたら胸のサイズアップとかかもしれないが、それを願うのはリコッタかビスコッティ親衛隊長のエクレール・マルティノッジ辺りで、少なくともレオ様がそれを願う必要はないだろう。

 

「せっかくですし……お賽銭あげておきますか」

 

 財布から10円玉を2枚取り出しレオ様に1枚手渡す。

 

「これは?」

「この国のお金です。これをそこの賽銭箱に入れるんです。神様だってタダで願いをかなえてくれるわけではないでしょうし。とりあえず俺を真似てください」

 

 10円を賽銭箱に入れる。レオ様もそれに倣う。

 

「で、二礼する」

 

 俺は2度お辞儀し、彼女もそれを真似た。

 

「そして2度手を叩き、目を閉じて心の中でお願いする」

 

 パン、パンと二拍して俺は目を閉じる。特に願うことは思いつかないが……。

 ……まあ、これからもレオ様と一緒にいられますように、かな。

 チラッとレオ様の方を伺うと丁度目を開けたところだった。

 

「最後に一礼する」

 

 もう1度頭を下げる。

 

「これで終わりです」

「ふむ……。興味深いな……」

「多分厳密にはこれも簡略化されてるはずです。本当は手や口を清めるだとか鐘を鳴らすだとかあるはずですから」

「よし、この方法で、あとはお金を渡して天狐にお願いすればいいんじゃな?」

「……やめてください。絶対効果ありませんから」

 

 ため息をこぼしつつ、このフロアは一通り見たので、大展望台の1階へと降りる。

 風景は変わらないが下りのエレベーターはここにあるので降りてくるしかない。カフェが目に入ったが、ここでまったりというよりは、そろそろ昼時だし降りた後で何か食べた方がいいだろう。……大体こういう場所の飲食店は場所代がかかるから高いしな。

 

 と、そのフロアで「LOOK DOWN」と書いてある面白い場所を見つけた。

 

「レオ様、こっちへ」

 

 「なんじゃ」と寄って来た彼女に足元を指差す。その俺の指示通りに視線を下に向けて――。

 思わず蒼ざめた顔で数歩後ずさった。

 

「な、な、なんじゃこれは!?」

「ガラスの床みたいですね」

「みたいですね、ではない! 割れたらどうするんじゃ!?」

「割れないでしょう。一応この世界の技術での強化ガラスなら人1人程度はなんともないでしょうし。それより、ここからなら下がよく見えますよ」

 

 俺の声に彼女が下を覗き込む。

 

「……吸い込まれそうじゃ」

「高いところはダメですか?」

「ダメではないが……高さの度合いが違うじゃろ」

「まあ、そうですね」

 

 ふう、と顔を上げてため息をこぼすレオ様。

 

「まったく驚くことばかりじゃな……」

「あとは下るだけか……。まあこんなもんですが、楽しんでいただけましたかね?」

 

 上げていた視線を俺の方へと戻す。

 

「ああ。お前が案内してくれたし、何よりお前と一緒にいられたからな」

 

 微笑を返され、本来彼女がするべきだった照れるという反応を俺がしてしまう。

 ……まずいな。完全にペースを握られてる。

 まるで将来は尻にしかれることが約束されている、と言われたようで、俺は苦笑をこぼし、彼女と下りのエレベーターが来るのを待つことにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

異世界で過ごす1日 後編(レオ・ソウヤ)

 

 

「しかしこれの中腹から景色を見下ろしていた、とは……。やはりどうも信じられんな」

 

 東京タワーから外に出てきて、もう1度見上げながらレオ様はそう言った。

 

「まあそんなものですよ。……で、そろそろお昼にしませんか? もう昼時を若干外してしまってはいますが……」

 

 実のところ朝は栄養バーで済ませたので空腹感はそれなりにある。ひとまず駅の方に戻れば何かあるだろう、と俺は来た道を引き返す形で歩き始めた。

 

「そうじゃな。確かに空腹じゃ。せっかくじゃから、普段お前が食べてるようなものが食べたいがの」

「普段俺が食べているもの、ですか……」

 

 少し前まで俺の食事は朝と昼は栄養バーかゼリー飲料、夜はスーパーの見切り品というのが大体の食生活。外食するにしても牛丼かハンバーガーといったところだった。

 今でこそシンクの奴に「栄養は体の資本だから、もっと栄養価のある物を食べた方がいいよ」とメールやら電話やらで口うるさく言われ、時折自分で作ったり、コンビニでサンドイッチや野菜ジュースを買うことも増えたが基本的に食生活は変わっていない。

 そのため外食をするといってもほとんどワンコインで収まる範囲内、せいぜい部活の人間に誘われて行くファミレス辺りが限界だ。そうでなくても懐の厳しい高校生が2人分を払うとなると、おのずと店は限られる。加えてこの辺りに来たのは初めてで、どのお店が美味しい、など到底わからない。そもそもそういうのに詳しくなるのは社会に出て色々と食べ歩いてからの話だろう。

 よってここから導き出される結論は、どこででも見かけるようなチェーン店が味的にも値段的にも無難、というものだった。

 

 とはいえ、フロニャルドでの食生活を思い出してみると、使われた食器はフォーク、ナイフ、スプーン辺りで箸というものは見かけなかった。ダルキアン卿やユキカゼ辺りなら使ってそうではあるが、危険な()を渡るのはやめた方がいい。……()だけに、か……。くだらねえ。

 ともかくそうなると俺の胃袋を支えてくれることの多い牛丼やラーメン屋はダメだろう。そもそもデートの食事場所が牛丼屋、というのは少し考え物な気がする。いや、断じて牛丼屋を否定するつもりはないが長居するには不向きな場所だ。

 それなら……。

 

「ソウヤ? どうした?」

「いえ、どこで食べようかと考えていたもので……」

「そんな考えるほどでもなかろう。普段食べてるものでよいではないか」

「普段食べてるもの……いいのかな……」

 

 まあココナプッカなんてものもあったし、パン(正確には「のようなもの」だが)はフロニャルドでも常食されていたはずだ。何よりレオ様は肉好きのはず、だったらいいだろう。

 

「何をそんなに悩んでおるんじゃ?」

「いえ、決まりました。口に合わなくても俺に任せたレオ様の責任ですよ?」

「む……。それは困るが…」

「ですがレオ様、肉は好みでしたよね?」

「ああ。好きじゃ」

「なら大丈夫でしょう。……使ってる肉の品質は保証しかねますがね」

 

 来る途中にチェーン店で見かけたその店を思い出しつつ、俺はそう答えた。

 一先ず記憶を辿って、レオ様と並んで歩きながらその店へと向かう。異世界の姫君はすれ違う学生やカップルが気になるのか、横目に見つめている。

 

「ソウヤ」

「なんです?」

「手を握らんか?」

 

 思わず俺の脚が止まる。一瞬の思考停止状態(フリーズ)から復帰(リカバリ)して俺は彼女の方を振り返った。

 

「……何言ってんですか?」

「いや、この世界では男女が一緒に歩く時は手を握るようじゃからな。通り過ぎる人々はそうしておったぞ」

「……そりゃ仲のいいカップルはそういうことをするかもしれませんが……」

「ならよいではないか。ほれ」

 

 そう言って無造作に右手を差し出してくる。あの、「ほれ」と言われましても……。

 しかしまあ今更手を握る()()で恥ずかしがることもないか。……()()()は「肌に触れるな」みたいなことを言われたような気もするが、本人がいいと言っているのだからいいだろう。

 

 差し出された右手の指の間に俺の左手の指を割り込ませて握る。こんな経験は初めてで少し戸惑う。見ればレオ様の表情もどこか硬いようだ。

 だが日本でレオ様とこんなことになるとは夢にも思わなかった。見せ付けるように恋人同士で手を繋ぐ連中の気持ちが少しわかってしまう気がする。……本音を言えば、このまま繋いでいたい。

 

 そう俺が思った矢先だった。ポケットの中の携帯電話が震えだした。メールにしては長い、着信だろう。

 取り出して発信者を確認すると……。

 

「……あいつかよ」

 

 ディスプレイにはシンクの文字が映っている。タイミングが悪いのか、それとも逆に天才的にタイミングがいいのか。いや、普通に天才であることは認めるが、それは別の話だ。ともかく、よりにもよってこのタイミングである。

 

「『ケータイデンワ』か? 急用かもしれんじゃろ、話した方がいいのではないか?」

 

 レオ様にそういわれた以上は出ないわけにはいかない。ため息をこぼすと俺は繋いでいた手を離して少し彼女と距離を取り、かなり旧式の携帯を開いて通話ボタンを押した。

 

「……はい?」

『あ、ソウヤ? シンクだけど。今大丈夫?』

「……大丈夫といえば大丈夫だが……お前はこういうタイミングを読むのの天才か?」

『え? どういうこと?』

「いや、気にするな、独り言だ。何か用か?」

『あ、うん。ほら、再来週会おうってことになってたじゃない? それどこ行くのがいいか、とか待ち合わせどうしようか、とか話そうと思って』

「……まだ2週間前だぞ? 急ぎすぎだろ」

『そうかなあ? 僕は今から楽しみにしてるからさ。まあそれについてはベッキーとナナミも……あ、2人のことはメールに書いたよね?』

「ああ、読んだしお前からの電話でも聞いた。……ともかく都内合流予定だろ? なら俺はそれなりに融通が利くからお前に任せる。幼馴染と相談でもして、ある程度決まってから俺に連絡してくれりゃそれでいい」

『うーん、そうは言ってもなあ……。ソウヤの意見も聞きたいし……』

 

 雰囲気を察する、ということができないのかこいつは。ここまで話せば今それなりには忙しい、ってぐらい察するだろう? それに気づけよ。

 

「……シンク、実のところ今ちょっと面倒な状況になってる。できれば後だと助かるんだが……」

 

 が、俺もここで奴の名前を出したのはミスだった。

 聞いたことのある名を耳にしてレオ様が俺の方を見つめる。

 

「ソウヤ、もしかしてシンクと話をしておるのか?」

『え……? あれ……? ソウヤ、今レオ様の声が……』

「気のせいだ。気にするな、忘れろ」

「気のせいではないじゃろうが。あいつと話してるならワシにも話させろ」

『あ……え……? やっぱりレオ様の声……』

「……言っただろ、今ちょっと面倒なことになってる、と。……悪いな、一端切るぞ。詳しいことは後で教えてやる」

 

 そう告げるとまだ携帯から聞こえてくる声を無視して俺は一方的に通話を切り、大きくため息をこぼした。

 

「なんじゃソウヤ……冷たいのう。ワシにも奴と話させてくれてもよかったじゃろうに……」

「……意外と俺は嫉妬深いんですよ。自分のデート中に彼女が他の男と話しているところを見るというのは、どうもいい気はしないもんでしてね」

 

 勿論デタラメだ。これ以上話をややこしくしたくないだけだ。こんなところで長電話もゴメンだし、もしかしたらレオ様がいると知ったらあの猪突猛進の馬鹿は今すぐ行くとか言い出しかねない。そもそもこの携帯電話は()()()()()()だ。()()()()()()()()()()()()の通話には適さないだろう。

 

 そんなことで気が滅入りそうになりながらも、俺達は来る途中に見つけたハンバーガー店へとようやく到着し、足を踏み入れた。

 

「何にします?」

「上にある絵から察するにサンドのようなものとはわかるが、あとはわからんからお前に任す。そもそも文字も読めんしな。まあ読めたところでそれが何かわからん」

「リコッタの便利眼鏡持って来てないんですか?」

「あれはフロニャ力が働かないと使えんらしい」

「……中途半端に便利なわけか」

 

 まあ基本的にフロニャルドの人々はフロニャルドで暮らすのだから、当然といえば当然か。

 俺はメニューを見上げながらどうしたものか考える。

 

「レオ様、チーズは?」

「チーズ?」

「……いや、なんでもないです」

 

 もういいや、全部自分が決めよう。 

 

「ご注文お決まりでしたらどうぞー!」

 

 無料でいただける笑顔を受け取りつつ、俺はカウンターに近づく。興味があるのか、レオ様も背後に付き添っていた。

 

「えっと……てりやきバーガーのセットとチーズバーガーのセットを」

「ありがとうございます。店内でお召し上がりですか?」

「はい」

「サイドのポテトはオニオンリングにすることもできますが、いかがなさいますか?」

 

 意見を仰ごうと反射的に彼女の方を振り返る。しかし一瞬後にそれを聞いたところでどうせわからないということに気づいた。

 

「なんじゃ?」

「ポテトにするかオニオンリングにするか……ああ、芋の揚げ物にするか玉ねぎの揚げ物にするかです」

「じゃからよくわからんが……。まあ1つずつ選べば、両方食べられるじゃろ」

「そうですね。……じゃあポテトとオニオンリング1つず……」

 

 そのとき、俺はある()()()()()に気づいた。

 

「……両方ポテトでお願いします」

「え!?」

 

 さっき言ったことと違う返答に思わずレオ様がそう声を上げる。

 

「お、おい、ソウヤ!」

「あの……ポテト2つでよろしいでしょうか……?」

「ポテト2つで。飲み物は両方コーラでお願いします」

 

 これ以上は時間をとりたくない、さっさと会計を済ませようとドリンクも前もって言ってかかる時間を省き、言われた金額を俺は支払う。

 ……思わずセットにしちまったがやはり2人分は予想以上にかかるな。普段はケチって単品で頼むしな……。しかしデートで単品というのもどうもな……などという俺のくだらないといえるかもしれない意地によってセットという判断になったのだった。

 少々お待ちください、と言われて場所を横にずれて待つ。レオ様のほうを見るとさっきの一件から不機嫌、というか、なぜ自分の意見を無視したのか、という表情をしていた。

 

「怒ってるんですか?」

「怒ってなどいるか。じゃが理由を知りたいの」

「ポテトの方がいいと思ったからですよ。オニオンリングは広義で見れば野菜だ。レオ様野菜は苦手でしょう?」

「まあ……確かに苦手ではあるが……」

 

 実際の理由はそんなところではない、だがそれは本人に言ったらさすがにまずいだろう。

 

 と、いうのも、何かで聞いた話だが()は玉ねぎを食べられないらしい。いや厳密には食べさせてはいけないと言った方がいいか。なんでも体内の赤血球が壊れるとかで冗談抜きにまずいらしい。

 ガレットの人々は猫っぽい人々が多い。さすがに体組織は地球の猫とは異なるだろうと思うが、万が一異世界でレオ様が倒れたなどとなり、しかも俺にも原因があるとかなったら、次に俺がフロニャルドに行く時は勇者としてではなく領主の命を狙った()()としてだ、ともなりかねない。それはあまりにもぞっとしない。

 

「……ともかく、ワシのことを気遣ってのことだったんじゃな?」

「ええ、そうです」

「ならよい。むしろ感謝するぐらいじゃ」

 

 レオ様が俺に笑顔を見せる。

 ……ああ、その笑顔を見られるならもう何でもいいか、なんて安易な考えが頭に浮かぶ。

 

 お待たせしましたー、という店員の声を聞き、俺はトレイを両手に持った。

 

「2つは大変じゃろ、片方はワシが持つ」

「しかし……」

「自分の分は自分で運ぶ、と言ってるんじゃ」

「……わかりました」

 

 てりやきバーガーセットの方を俺は彼女に手渡した。

 

「ほう、なかなかいい香りじゃのう」

 

 階段を上がり席を探す。土曜日のせいで客は多いが、運よく空いていた席に俺とレオ様は向かい合って座った。

 

「ではいただくとするかの。……とは言ったものの、かぶりつけばいいのか?」

「そうですね。……王族の方から見たら少々はしたないかもしれませんが、汚れたら口はその紙で拭いてください」

「ふむ……」

 

 レオ様が少々お困りの様子なので見本を見せる意味でも俺が先にチーズバーガーにかぶりついた。この濃い味とチーズの具合がやはりいい。

 シンクに食事のことをあれこれ言われてから料理をするようにもなったが、そこで気づいたのは「とりあえず味をそれなりに濃くすればうまい」ということだった。無論やりすぎはまずいが、濃い味というのはどうやら人間の味覚はうまいと感じるらしい。言うまでもなく薄味はおいしくないというわけではない、ただ濃くした方が無難にうまいと感じる、というだけだ。

 だからこの濃い味つけは俺は好きだ。あとはレオ様がそれをどう感じるか、だが……。

 俺が食べたように、鋭い犬歯が覗く口を開いててりやきソースたっぷりのそのハンバーガーへとかじりつく。こんな光景はめったに見られるものじゃない、録画していたら永久保存物だろう。

 

「……ほう!」

 

 もぐもぐと噛んだ後に飲み込んでレオ様はそう感心したような声を上げた。

 

「なんとも初めての味じゃが……なかなかに美味じゃ」

「それはよかった。付け合せのポテトもどうぞ」

「……おお、これはガレットでも食べられるぞ。これほど口当たりは軽くないが……」

「あ、そうでしたね。戦勝祭の時にそういや食べたことがありました」

 

 俺は手元のコーラを流し込む。

 

「それは飲み物か?」

「そうです。吸い出してください。……あ、でも炭酸飲料飲んだこととか……」

 

 ……遅かった。と、思ったが、何と言うことはなくレオ様はそのままコーラを喉に流す。

 

「……なんじゃ?」

「いえ、フロニャルドに炭酸があるのか怪しく思ったので……」

「味は違うが似たようなものはあるぞ。酒にもこういうものはある」

 

 ……やっぱり時々どこまでがフロニャルドにあってどこからがないのかわからなくなる。

 

「しかしこれがお前が普段食べているものか」

「庶民が気軽にお金を出して食べられるものです。学生はよくこういうところに()()()して喋ったりしてますね」

「ふうむ……」

 

 レオ様はそう言うとなにやら考え込む様子を見せる。

 

「ガレットにもこういう軽食を取りながら時間を過ごせる店をもっと作るのも悪くないか……」

「領主様はこういうときも大変だ」

「茶化すな」

 

 そう言って互いに見つめあって思わずプッと吹き出す。

 

「その辺りはまたお前がガレットを尋ねた時に詳しく聞くことにしよう」

「俺を経営者にでもするつもりですか?」

「面白いではないか? 勇者経営の直営店、とかな」

「それこそ茶化さないでほしいですね」

 

 彼女との他愛もない会話。それを楽しむことが出来るというだけで俺は今幸せだった。結局俺たちはそれからしばらくの間、同じぐらいの年の人たちがそこでそうするようにおしゃべりを続けたのだった。

 

 

 

 

 

 それからしばらくその店で駄弁った後は適当にウィンドウショッピング。やはりレオ様も年頃の女の子ということでアクセサリや服などは気になる様子だった。

 ……もっとも、「ソウヤ、この世界の服はなんだか戦には不向きではないか? 機能性が乏しいように感じるが」などと言われた時にその前言は撤回されることになったが。この人は俺の中の年頃の女の子、というくくりでくくってはいけないらしい。

 

 そんなことをしている間に時刻は夕方に近づき、段々と陽が傾き始める。暗くなる前に帰ろうと早めに電車を乗り継いで最寄の駅まで戻ってきた。その後、行きつけのスーパーへと足を伸ばす。

 本当は夕食も外食する予定だった。だがレオ様が「いい加減耳と尻尾が窮屈すぎるからお前の家でゆっくりしたい。お前が普段家で食べるものを食べられればそれでいい」と言い出したため、仕方なくの選択だった。

 夕方ということで得意の見切り品には頼れない。ここの値引きが始まるのは20時過ぎ、それを待つ連中もいるために見切り品の倍率は意外と高い。シールを貼りに来る店員を待ってパッと商品を持っていくのあの駆け引きを「この世界の戦だ」とかレオ様に紹介するのも面白いかとは思った。

 だがこの時間では値引きシールが張られた惣菜はほぼなく、たまに店で見かける見切り品狙いの連中の姿も全く見えない。仕方ないのでここは自分が作る、という最終手段を取る事にしたのだった。「普段食べているもの」という要求は満たしているのだから、味についての文句は言わせない。

 

 そんなわけで俺は今台所に向かって夕飯を作っているところだった。レオ様は、というと、今入浴中で大分ご機嫌は()()()ようだ。

 帰ってくるなり「耳と尻尾が窮屈じゃ、もうこの服は着たくない」と不満そうに言って、彼女は着てきた執務用の服へと着替えた。その間に俺は普段シャワーで済ませるために使わない湯船を掃除し、お湯を張り、風呂の準備をすませておいた。「耳と尻尾が蒸れて洗いたい」と言っていた彼女にこれは効果的だったようで、その時点で機嫌は直りつつあったが、風呂場からの「極楽じゃー」という声を聞く限りその心配はしなくてよさそうである。

 しかしレオ様が風呂でくつろぐ一方、こうやって俺が白菜を切ったりじゃがいもの皮を剥いたりしてると、なんだか将来までこんなことになりそうで怖い。今じゃ主夫も増えてるしそういう偏見を持つつもりもないが、これでは完全に尻に敷かれてしまっている。……将来もしこの人と暮らす、なんてことになったら絶対家政婦を雇おう。ああ、レオ様にビオレさんを無理矢理説得させてヴァンネット城から連れ出すなんてのもいいかもしれない。……何考えてんだ俺は。

 

 アホな考えに自らため息をこぼした俺はコンロの火をつけて万能の中華鍋に油を敷く。中華鍋というものは非常に便利だ。火の通りが早く、底が深いから煮物も出来る。勿論フライパンの機能は十分に果たす。自分1人の食べる分を作る程度なら、フライパンだの鍋だの買い揃えずともこれ1つで十分と言ってしまってもいい。

 その中華鍋と油が熱されてきたところで肉を投入、火が通ったところで切った具材も投入し、軽く火を通す。さらに水とめんつゆを入れて煮込んでいく。あとは具材が煮えれば完成だ。

 そうしてる間に炊飯器が炊き上がりを知らせてくれる。それを聞いた俺は蓋を開けてご飯をほぐす。まさに文明の利器、機械に頼りすぎるのはよくないなどと言った自分だが、始めちょろちょろ中ぱっぱだの知らなくても簡単に米を炊き上げてくれるこの機械には感謝せざるをえない。

 今度は鍋の方の様子を見る。灰汁を取りつつ味見、まあ悪くない。やはりめんつゆは万能の調味料だ。「さしすせそ」の「し」と「せ」ぐらいは1本でなんとでもしてくれる。一応言っておくと「さ」が砂糖、「し」が塩、「す」が酢、「せ」が醤油(せうゆ)、「そ」が味噌だ。「し」が醤油で「そ」がソイ・ソースだから醤油なんてことを言うと恥をかく。それはともかくとして肝心の料理の方は、味はいい感じだが煮込み具合からいってももう少しだろう。

 

「お、いい匂いがしてきたの」

 

 と、レオ様が風呂から戻ってくる。執務用の服の上着を脱いで手に持っており、つまり上半身は戦時の上着を脱いだ状態の格好である。前々から思っていたが目のやり場に困る。

 

「もうすぐ出来ますのでもう少し待っててください。あ、さっき水買っておきましたけど飲みます?」

「お、気が利くの。いただくとしよう」

 

 冷蔵庫開けて500mlペットボトルの水をレオ様に手渡す。が、彼女はペットボトルを不思議そうに眺めた。

 

「ああ、ペットボトルとかないのか。使い捨ての水筒みたいなものですよ」

「なんと。これは中身を飲み終わったら捨ててしまうのか?」

「そうです。でもそれを一旦原料に戻して……いや、違うかな。ともかく一応再利用は可能なので、本当に使い捨てというわけではないですが」

「ふーむ……」

「キャップを捻ってください」

 

 言われた通り蓋を開け、レオ様は水を喉に流す。

 

「……ほう、なかなかうまいの」

「天然水ですからね。それでもフロニャルドの水には到底かないませんが」

 

 話しながら煮込んでいたじゃがいもを菜箸でつついてみる。個人的にはもう少し煮崩れた方が好みだが、食べることは可能だろう。火を止めて大皿と小皿を1枚ずつ取り出し、冷蔵庫の中から透明な袋に入っている液体に入った白菜も取り出して小皿に盛り付ける。大皿の方には鍋で煮込んだ料理を盛り付けた。

 それを机に運ぶと炊飯器を開けてご飯茶碗と汁碗にご飯を盛る。ご飯茶碗など自分の分しかないため、仕方なく片方は汁碗ということだ。そっちをレオ様に出すわけにもいかないので今日の俺のご飯茶碗は汁碗になる。あとは箸を使えるかあやしいレオ様のためにスプーンとフォークも用意し、ほうじ茶を入れて今日の夕食は完成だ。

 

「出来ましたよ。普段召し上がっているものと比べたらかなり質素かとは思いますが……」

 

 作った料理は肉じゃが、それから白菜ときゅうりの浅漬け。俺が普段作ることが多い上になるべく和食な物を考えた結果こうなった。「肉じゃがを作る女性は家庭的」などとよく言われるが、俺から言わせてもらえば材料切って水とめんつゆで煮込めばできるわけだし、味付けを間違えない限り大きく失敗しないこの料理のどの辺が家庭的か聞いてみたい。もっと手間のかかる揚げ物やさらに長時間煮込む必要のある煮込み料理だとかのほうが家庭的じゃないかとも思う。

 

 ちなみに和ということでいうなら本来外せないのは味噌汁だろうが、如何せん汁碗が1つしかなく、しかもそれを俺のご飯茶碗代わりに使っている以上却下。何よりこの冷蔵庫には味噌がない。ついでに酢もない。俺は「さしすせそ」「す」と「そ」を放棄した料理しか作れないのだ。というか、実際なくてもさほど困らない。味付けはめんつゆか塩コショウでなんとかなるといえばなるからな。

 

「ほう……。お前が作った料理か……」

「普段から一流の料理人が作ってるであろう料理を食べてるあなたの舌には物足りないかもしれませんが……。食べたいっていったのはあなたですから、食えればいいぐらいの感覚で、あまり期待しないで食べてください。……じゃあいただきます」

 

 肉じゃがを適当に取り皿に分けて口に運ぶ。……さすがめんつゆ、無難な仕上がりだ。じゃがいももいい具合に煮えている。あとはレオ様がこれをどう感じるか、だが……。

 

「……ふむ、珍しい味付けじゃ。普段あまり食べない味じゃが……なかなか美味だぞ」

 

 ……正直ホッとした。フロニャルドの人と俺たちとの味覚が大きく異ならないで助かった。

 

「お前がこれを作った、か……。どうじゃ、勇者をやめて料理人としてフロニャルドに来る、というのは?」

「やめてください。確かに自分で作るようになってから少し楽しいと感じ始めてますが……。だったら戦場で暴れる方が俺の性にあってます」

 

 笑いながらレオ様が浅漬けにフォークを刺して口に運ぶ。しかしスプーンで食べる肉じゃがとフォークで食べる浅漬けというのもなかなか斬新な光景だ。

 

「これは……野菜か。ワシは野菜は苦手じゃが、お前が作った、と思えると不思議と食べられるものじゃな」

「作ったとも言えませんよ、それは。材料切って浅漬けの素に漬けただけですから。……でもまあそう言ってもらえると俺としては嬉しいですが」

 

 なるほど、普段は自分で作って自分で食べるだけだから気づかないが他人に「おいしい」と言ってもらえるとどこか嬉しいもんだ。

 

「野菜苦手だって言ってる割に肉じゃが食べてるじゃないですか」

「肉じゃが?」

「そのメイン料理ですよ。確かに肉は使ってますが、他は野菜ですよ。じゃがいもに人参に玉ね……」

 

 ……まずい。

 

「ん? どうしたソウヤ?」

「……レオ様それ食べました?」

「肉じゃが、か? 食べたぞ。おいしいと言ったではないか」

「その玉ねぎ……透明な葉っぱみたいなものも?」

「ああ、勿論。甘みがあってうまいぞ」

 

 思いっきりため息をこぼす。なんで今の今まで気づかなかったんだよ……。

 

「なんじゃ、どうした? まさかお前これに毒を盛った、などいうわけではなかろう?」

 

 いや、もしかしたらそうかもしれません……。もう1度ため息をこぼした後、俺は猫っぽいガレットの人と地球の猫の体組織が異なっているという部分に願いを託して全て白状した。

 

「隠しててすみません。昼のオニオンリングについてもそういう意味で止めたんです」

「なんじゃ……そういうことか。なら心配いらんわ。似たような食材はフロニャルドにもある。それに今現在ワシも気分が悪いだの、そういうことはない」

「……そうですか。それを聞いて一安心です」

 

 とりあえず勇者ではなく罪人として呼び出されることはなくなったようだ。

 

「それに猫っぽい、って……ワシは獅子じゃぞ? 猫などというな」

「それは失礼しました、()()()

「……ソウヤ、次にその呼び方をしたら勇者ではなく()()()としてお前を呼び出すから、覚悟しておけ」

 

 だが代わりに料理人として召喚される可能性は残ってしまったようだ。まずい、口は災いの元だ。

 

「とはいえ……。なかなかうまいのは事実じゃ。お前にでも作れるならワシも作れそうじゃな。今度作り方を教えるがよい」

「……レオ様料理とか出来るんですか?」

「なんじゃ、料理人で呼び出されたいか?」

 

 いや、それだけは本当に勘弁してほしい。

 

「ワシが作るかどうかは置いておくにしても、お前の世界の料理、ということでガレットに広めるのも面白かろう?」

「それはなかなか面白そうですね。……ですが昼の話と今さっきの話、これを繋ぎ合わせると『勇者が経営調理する店』とか作ろうとしてるんじゃないですよね?」

「お、その発想はなかったぞ。それはなかなか良さそうじゃな」

 

 本当に口は災いの元だと俺は痛感した。余計な一言を言ってしまうのが俺の悪い癖だが、直した方がいいのかもしれないとまで思ってしまった。

 

 ちなみに余談ではあるが、後で知ったのだが猫に玉ねぎを食べさせてはいけないように、犬に紅茶を飲ませてもいけないらしい。これがフロニャルドの人に当てはまったとしたらビスコッティは大変なことになるだろう。あの国の特産品は茶だ。シンクもよく姫様とお茶は飲んでいたらしいし、それを知っていれば俺はこんなに玉ねぎで神経質になる必要はなかったのだ。

 

 

 

 

 

 食事を終え、食器を片付けた後で俺はシャワーを浴びるために浴室に入る。この家で誰かが使った後の浴室に入るというのは初めてのことでなんだか新鮮に感じられた。

 風呂から上がるとレオ様は()()テレビに釘付けになっている。実は洗い物をしている時からずっとその具合だった。しかも相当熱心に見入ってはいるのだが、なぜか時折チャンネルを変えている。

 

「何か面白い番組でもありました?」

 

 冷蔵庫開けて風呂上りの一杯、といってもミネラルウォーターだが、それをグラスに注ぎつつ俺は尋ねる。

 

「ああ。とても面白いな。……お前の世界では放送している場所が複数あるのか?」

 

 一瞬思考が停止した。

 

「……番組の内容じゃなくてですか。そうですよ。民間で複数あります」

「それはまた……」

「そうか、ビスコッティもガレットも国営放送だけですか」

「そうじゃ。ここは国営放送というのはないのか?」

「この国では()()()()()()()()()()()()。しかし国営に限りなく近い局はありますね」

「……民間の放送局か」

 

 レオ様が興味を示しているようだ。これはもしかしたらガレットの放送が多局化するかもしれないな。

 なおもレオ様はテレビ番組に興味津々のようで食い入るようにみつめている。局ごとの差異とか気にしているのかもしれない。

 

 と、そこで俺の携帯が震えるのがわかった。メールが1件着信している。

 

「……あ、やべ」

 

 シンクからだった。そういえば昼間に「後で説明する」と言ったきり全く説明していないということを完全に忘れていた。案の定内容は『後で説明、って言われてから全然連絡ないんだけど、何がどうなってるの? 凄く気になるから教えてよ!』という説明を急かす内容だった。

 一先ず地球とフロニャルドの行き来が簡単になりそうなこと、そのために向こうからこっちに来るのも可能になってるだとかで今レオ様が来てるということ、ついでにちょっと街を案内してきたことをまとめて返信する。

 それから1分と経たないうちだった。今度は着信だった。まああいつはそういう奴かと思いつつ通話ボタンを押す。

 

「……はい?」

『もしもし!? ちょっと、さっきのメールどういうこと!?』

「お前今何時だと思ってるんだ? こんな夜にかけてくるなよ」

『いやそういうのいいから! じゃあ何、今そこにレオ様いるの!?』

「ああ、いる。今テレビ見てる。代わるか?」

『え、ええ!? ほんと? ほんとに!?』

 

 どうやらあいつは信じられないらしい。俺はスピーカーモードに切り替えてテレビに集中するレオ様に携帯を差し出した。

 

「なんじゃ?」

「シンクです。話したいっていってましたよね?」

「おお! いいのか?」

 

 答える代わりに俺はレオ様に携帯を手渡した。受け取るとレオ様は嬉しそうに携帯に話かける。その間に俺は通話の邪魔にならないようにテレビの電源を落とした。

 

「ようへっぽこ勇者、元気しとるか?」

『え、ええー!? 本当にレオ様の声……』

「そうじゃ。本物のワシじゃ」

『じゃ、じゃあソウヤが言ったことって本当なんですか?』

「ソウヤが言ったこと……?」

「地球とフロニャルドの行き来が簡単になってあなたがここに来た、ってことです。言ったらまずかったですか?」

「いや、まあそこまでまずくはないが……。……シンク、ソウヤが言ったのは基本本当じゃ。今ソウヤの家でワシは明日の朝にガレットに帰る。だがミルヒと連絡を取る際、特にフロニャルドから地球に来られる、ということは伏せておいてくれ」

『え……? いいですけど……なぜです?』

「今日歩いてみて、またソウヤの話を聞いてわかった。まずワシ達は容姿が異なる。これでは目立ってしまう、とソウヤに前もって言われていたし、歩いてみてもそれを実感した。歩く時に容姿を隠すためにこいつの服を借りたが、どうにもこうにも耳と尻尾の居心地の悪い服じゃったしな」

 

 その前に男物ですがね。

 

「じゃから何もわからないまま突然ミルヒがお前の元を訪ねてパニック、などということも起こりかねん。このことをあいつに教えたら『シンクシンク』言いながらお前のところに行きかねんからな」

 

 ……俺も全く同じことを考えたわけだが。レオ様がそう言うのなら間違いないのかもしれない。

 

『……そうですね。レオ様の仰るとおりかもしれません』

「じゃが……お前としてもミルヒには会いたいだろうが、すまないな」

『いえ、気にしないでください。冬休み……っと、来月に夏ほどではないですけど少し長めの休みがあるので、元々その時にそちらに行こうってことでしたから。なので大丈夫ですよ。それにさっきのソウヤのメールの内容だと、この後は週末ごとに行く、なんてことも出来そうですし』

「そうじゃな。これからは一気に距離が近くなるわけじゃ」

『最初僕が戻ってくる時は記憶までなくしちゃう、って言われたのに……なんだかそれが嘘みたいですよ』

 

 そう言って電話の向こうのシンクが笑う声が聞こえた。

 

「まあ近いうちにまたフロニャルドに来る、というのであれば積もる話はそのときにでもするとしよう。今はガレットもフロニャルドも落ち着いておる故、今度はゆっくり話が出来るじゃろう」

『わかりました。今度行く時を楽しみに待ってますよ。……あ、ソウヤ、昼ちょっと話した再来週の件だけど……』

 

 レオ様が携帯を俺に差し出す。一先ず受け取ってそれに話しかけた。

 

「そのとき言ったとおりお前に任せる。ある程度まとまったら連絡くれればいい。……お前は幼馴染2人連れてくるんだろう? ならその()()()()を枯らさないように、そっちで大体決めてくれ」

『……じゃあまずベッキーとナナミに話してみるよ。それで大体まとまったらソウヤのほうに話を振るから、それから行きたいところを追加する方向でいい?』

「それでいい。よろしく頼む」

『オッケー。決まったらまた連絡するね。じゃあそういうわけで。レオ様、ソウヤ、おやすみ』

「ああ、おやすみ」

 

 通話が切れたことを確認して俺は携帯を閉じた。

 

「ソウヤ、先ほどのお前たちが会うという話じゃが。お前が言った両手の花を枯らすな、とはどういう意味じゃ?」

「あいつ幼馴染を2人連れて来るって言ってましたよね? 両方ともあいつと年の近い女の子らしいですよ」

「なんと! ……まさかあいつ、()()()()ではないじゃろうな?」

「そんなわけないでしょう。……いや、本人は無自覚なだけかな。でもあいつからすると幼馴染2人は仲のいい友人、というぐらいじゃないですかね。その2人だけじゃなく、姫様やエクレールに対してもそういう感情なのかもしれません」

「……なるほど」

「もっとも、それはあいつと仲のいい女性陣から見ても同じなのかもしれませんが」

「タレミミはどうだか知らんが、ミルヒは……少し変わってきたようじゃぞ」

「へえ……」

 

 俺は素直に驚く。俺の送還直前に話したときにはシンクとの話題で顔を赤くしていたことには気づいていた。だがてっきりあの様子では2人で話せて嬉しかった、程度のものだと思っていたが……。少し違ったらしい。

 そうなればエクレールにはかわいそうだが勝ちの目はないと言わざるを得ない。姫様が奥手なうち、あるいは友達として見ているうちがチャンスだと発破をかけてやったのだが……。

 

「あいつ自身、シンクと互いを思い合う感情の温度差を少し感じ始めたようじゃ。……まあワシとしてはその結果、ミルヒを取られるということになれば少々寂しいが」

 

 取られる、ねえ……。寂しい、ねえ……。

 ここで「お前には俺がいるだろ」何て言うことも考えたが、もはやウブじゃないこの人にそんな恥ずかしいセリフを吐いたら自爆するのは目に見えてる。そのセリフはお蔵入りだ。

 

「まあいいんじゃないですか。周りが気を揉んでも仕方ない。俺たちは見守る側、ってことで」

「そうじゃな。……しかしソウヤ、その考え方はいささか年寄り臭くないか?」

 

 ……そうか? 偉大な剣士に「年寄り」なんて暴言を吐いたこともあったが、俺自身がそう言われるのは予想外だった。

 

「それに見守る側、とはな。()()()()()()なことを言う。まだお前自身、ワシと肩を並べる資格はないとか考えておったのではなかったのか?」

 

 正直痛いところを突かれた。こいつばかりは言い返せない。

 さてこういう困った時はどうするか。簡単だ。寝るに限る。幸い時間も寝てもいい具合だ。

 

「……レオ様、明日早くに戻った方がいいんですよね? だったらもう寝ましょうか?」

「お? なんじゃ、都合が悪くなって逃げるのか?」

「ええ、そうですよ。俺はそういう人間ですから」

 

 ややふてくされたように俺はそう言い、昼にレオ様が着たダウンジャケットを今の服の上から着込んだ。

 

「寝るのではないのか?」

「寝ますよ。俺は床に寝るんで着込んでるんです。ベッドは1つしかないので、レオ様が使ってください」

 

 当然だろう。姫君を床に寝せるわけにはいかない。まだこの季節なら少し着こんでジャケット辺りを足にかければまあなんとかなる。幸いこの建物は断熱性が高い。

 しかし当の本人はありえないといった表情で俺を見つめていた。

 

「何を言うか! 部屋の主がベッドを使わんでどうする。ワシが床に寝る」

「そんなことできるわけがないでしょう。あなたを床に寝せたとビオレさん辺りに知られたら俺はどうなるか想像もできませんし、したくもありません」

「ワシがいいと言っておるんじゃ、ワシの命令が聞けんのか?」

「いくらレオ様の命令でもこれは譲れません」

「……そうか、そこまで言うのならわかった」

 

 よかった、頑固な人だがなんとか納得してくれたようだ。

 

「ならワシとお前、2人でこのベッドで寝るぞ」

 

 ……は?

 

「それならワシが床で寝るわけではないんだし、お前もベッドで寝れる。問題ないじゃろ」

 

 問題だらけだろ! と普通に突っ込みそうになって慌てて言葉を飲み込んだ。

 

「……問題だらけです。まずそのベッドは元々1人用だから狭い。次に布団も1人用だから2人で使ったら寒い。そして3つ目、これが1番重要なことですが、そういうことには()()ってものがある。俺はその辺はわきまえてるつもりですが」

「順序? 何を言ってるんじゃお前は?」

 

 ……あーやっぱりこの人はウブだった。結局冷やかしに対する耐性がついただけで、恋愛がどうのだとかに対してはとことん鈍いらしい。これじゃさっきの自爆を回避しても結局俺が自爆した形だ。

 

「……なんでもないです。ともかくその意見は却下します。俺は床で寝ます」

 

 頭を抱えたい衝動にかられつつ、俺は靴下を履いて昼に着たジャケットを下のジャージの上にかける。

 

「おいソウヤ!」

「じゃあ寝ますね、おやすみなさい」

 

 一方的に会話を切り、座布団を枕代わりにして横になるとリモコンで部屋の電気を消してしまった。

 

「おい! 照明を消すな! 何も見えんぞ!」

「ベッドの場所はわかってるでしょう? そこに行って布団被って寝るだけでしょうが」

 

 取り合う気もないのでとにかく寝た振りを決め込む。レオ様も床に寝に来るのだけが気がかりだったが、どうやら諦めたらしく布団に入った音が聞こえて正直ホッとした。

 

「……床は寒いじゃろ? 半分空けておくから入れ」

 

 心遣いは嬉しい。だがそれは断じて却下だ。

 

「……ソウヤ? もう寝たのか?」

 

 はい、寝ました。寝ましたよ。だから何も聞こえません。

 

「……フン」

 

 ようやく諦めたらしく、レオ様の声が止まってこちらに背を向けるような布団の音が聞こえた。

 

「……()()()()()め」

 

 しかしポツリと呟かれたその言葉に危うく反応しそうになる。反論したいのは山々だったが、今の俺は寝てることになってるので無視を決め込んだ。

 それきりレオ様は眠りに入ったらしく、安らかな寝息だけが聞こえてきた。

 

 ……ちくしょう、意気地なしとか一方的に言ってくれる。さっきも言ったとおり順序をわきまえてるだけだってのに。……もっとも、彼女に対して取った()()()()()()()を考えればわきまえてるとも言い難い面はあるが。

 だが意気地なしなら、()()()()よりは数倍マシだろと思い、俺はそのまま眠りについた。

 

 

 

 

 

 翌日は俺のほうが早く目が覚めた。冷たい床で寝たから、というのもあるだろう。ついでに硬いというのもあったせいで体の節々が痛い。

 レオ様はまだ眠っている様子なのでそっとしておく。元々無理を背負い込む気質の人だから疲れも溜まっているかもしれないし、そうでなくても昨日は慣れない異世界を窮屈な服を着て歩き回ったのだ、きっと疲れているだろう。まだ6時を回ったところ、7時過ぎまで起きなかったら起こしてあげよう。

 そう考えをまとめて洗面所へ向かう。顔を洗って携帯をいじりつつ部屋へ戻ると、先ほどまではぐっすり寝ていたはずのレオ様がまだ寝ぼけている様子で起き上がっていた。

 

「おはようございます、レオ様。もしかして起こしてしまいましたか?」

「ん……。おはよう……。いや……そういうわけではないが……」

 

 さらにフワァ、と欠伸を1つ。

 

「朝食どうします? 普段俺は適当に済ませますが、お望みなら少し作りますよ」

「……頼む。洗面所を借りるぞ」

「どうぞ。ああ、味は昨日同様期待しないでくださいよ」

 

 一応断って冷蔵庫から卵とベーコンを取り出す。普段ならこの材料からだと文句なくベーコンエッグ、あるいは玉ねぎも加えてチャーハンというのが相場だが、前者は大皿が1つのために取り分けるのが面倒、後者は朝食としては重いという理由で両方却下。取り分けやすいスクランブルエッグとベーコンをカリカリに焼いておかずにすることにした。といってもスクランブルエッグを作るためにバターだの牛乳だのそんな手の込んだことはしない。油を敷いて卵を炒めて塩コショウで味付ける、早い話が卵炒めただけベーコン焼いただけという朝食だ。あとは冷凍しておいたご飯をチンで完成、となる。

 

「すまんな、全てやらせてしまって」

 

 先ほどまでの寝惚けた様子から一転し、いつも通り凛々しい表情に戻ったレオ様が部屋へと戻ってくる。

 

「いえ、ですが本当に侘しいですよ?」

「構わん。ワシが食べたいと言ったのじゃし……。お前が作った、ということがきっと最高の調味料として働くじゃろ」

 

 ……ちょっと待て、それは女が男に言うべきセリフと言うよりは男が女に言うべきセリフだろう。俺は断じて料理人にはならないし家事をやる気もない。それだけは自分の心の中ではっきりさせておく。

 しかしどんなに心の中で言ったところで結局は尻に敷かれるのかもな、ともやはり思ってしまう。実際今朝食の準備をしてるのは自分だし、意外とこうしているのも悪くないなどと思ってしまったりもする。

 ……いやダメだ、俺は戦場で暴れる方が性に合ってる。夢にまで見た異世界に召喚されて料理人というのは……いや、そんなファンタジー小説を読むのは面白いかもしれないが、俺自身がそうなるのは御免蒙る。

 などとアホなことを考えているうちに溶いた卵にいい具合に火が通って固まり始める。皿に取り分け、次いでベーコンをじっくり炒める。少し弱めの火力で脂を出すようにややじっくりと焼くのがカリカリに焼くコツらしい。とはいえ、市販のパックベーコンではそううまくもいかないが。だが極論を言ってしまえば食えればいいというのが俺の考えだ。問題はないだろう。

 ベーコンを焼き上げてチンしたご飯を昨日同様に(ただし昨日よりは量を少なめにしてあるが)ご飯茶碗と汁碗に盛り、大皿にはスクランブルエッグとベーコンを盛り付ける。侘しい朝食の完成だ。こうなるとふりかけだとか味付け海苔だとか納豆だとか常備しておいた方がいい気分になる。いや、ふりかけや海苔はともかく納豆は保存が利かないし、俺自身は好きだが好き嫌いが激しく分かれるからレオ様には不向きか。

 

「出来ましたよ。本当に少ないです、すみません」

「いや、庶民の朝食というのはよくわかっていないがこういうものなのだろう?」

「……もう1品ぐらいはあるかとも思いますけどね」

 

 いただきます、と炒めた卵を口に運び味を確認する。塩コショウのみのシンプルな味付けだがまあ悪くない。次にご飯を口に運ぶ。

 

「ふむ、質素な味付けに質素な食事、たまには悪くないな」

 

 と、レオ様の感想。本人としては普通にそういう感想を口にしたのだろうが、普段から皮肉っぽくそういうことを言う俺としてはどうも勘ぐってしまう。しかしまあ実際見た目から判断すればおいしそうに食べているのだから、言葉に他意はないのだろう。

 

「帰るときはどうするんですか?」

「時間になったら自動的にワシをフロニャルドに戻すように召喚術式をセットしてきた」

「……もうなんでもありだな」

「それもリコッタの発明だが、無論誰でも使えるというわけではない」

「あなたが領主だから使える、と?」

「そういうことじゃ」

 

 つまりこの人が領主をしてる間はガレット領民が地球に溢れ出すなんてことはないわけだ。昨日も異世界同士の交流の危険性を釘刺しておいたし、おそらく俺は余計な心配をしないでいいだろう。

 

「ああ、お前のケータイデンワの番号とアドレスというものを教えろ。そのほうがこれから便利じゃしな」

「……ちょっと待ってください。それ……もし繋がったら電話会社だとかなんだとかいろいろまずくないですか?」

「大丈夫じゃ。その辺はリコッタが……」

「また()()()()()かよ……」

 

 俺はため息をこぼす。まあしかしシンクと姫様も時折連絡を取っていた、という話だったはず。なら大丈夫なのだろう。

 

「難しいことはよくわからんが、なんでもこちらからかけると、お前の国にある公衆電話というものの中から1つを無作為に選んでかけたことになるらしい」

 

 ……つまりフロニャルドからの着信は公衆電話からの着信扱いになる、ってことか?

 

「……まあリコッタが1枚噛んでるなら何も心配しなくてよさそうですが」

「そうじゃな。ともかく番号とアドレスじゃ」

 

 まだ少し残っているご飯を食べる手を休め、手近にあったメモ帳を1枚破ってボールペンで番号と携帯アドレスを記す。

 

「どうぞ」

「……これだけ見てもよくわからんな。まあリコッタに見せればいいか」

「番号はわかりましたがアドレスはなぜです?」

「通話というものはこちらから発信するだけの一方通行になるが、メールというものはアドレス、というものを取得できれば相互やり取りが可能らしいからな」

 

 ……メールで繋がるフロニャルド! 連休はあなたも勇者になりませんか!? 思わず頭に浮かんだ。異世界と交流することになったらこのキャッチフレーズで決まりだろう。こんなご近所の異世界とは、俺が自分の体験を小説にしたら「そんな身近に異世界があってたまるか」と怒られるかもしれない。

 

「ひとまずごちそうさまじゃ」

 

 そんな妄想をめぐらせている間に、見ればレオ様はご飯を平らげていた。おかずの皿はスクランブルエッグがまだ少しと、5枚焼いたうちのベーコンが1枚だけ残っている。

 

「ベーコンあと1枚食べていいですよ」

「いや、お前1枚も食べておらんじゃろ? ワシに気を使うのは嬉しいが、お前が作ったんじゃ、食べるがよい」

 

 そこまで言われたら食べないわけにはいかない。

 

「じゃあ遠慮なく……」

 

 最後のベーコンを口に運び、ご飯をかきこむ。残りの卵もいただいた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 茶を飲んで1つため息。

 

「お代わりもらえるか?」

 

 マグカップを差し出しつつレオ様がお茶を要求する。

 

「はいはい……」

 

 丁度自分ももう1杯飲みたかったし、と思って急須を手にポットのところまで歩く。そういえば昨日2杯目を入れたら薄いと言われたことを思い出した。まあたまにはいいか、と今使った茶葉を捨てて新しいものと取り替える。

 

「……すまなかったな」

 

 そのとき突然聞こえたその謝罪の声に俺は思わず彼女の方を振り返った。

 

「急に押しかけてお前にこの世界を案内させて……その上食事まで馳走になって、手を煩わせた」

 

 急須にお湯を注ぎつつ俺はため息をこぼした。

 

「……今更何言ってんですか」

 

 ほんと、何言ってんだよという気持ちだ。

 戻ってレオ様のマグカップにお茶を注ぐ。

 

「楽しかったですよ。フロニャルドじゃなくてこの日本であなたと一緒に歩けたことも、お世辞にも上手いといえない俺の料理を食べて美味いと言ってくれたことも。それに俺がフロニャルドに行ったらあなたに迷惑かけっぱなしになるんだ。お互い様……というには俺のほうが迷惑かけるような気もしますが」

「そんなことあるか。お前が来てくれるだけでワシは嬉しい。ワシだけじゃない、ガレットの皆、ビスコッティの人々も同様に……な」

「だったら俺も同じってことです。……まあできれば、今後こちらに来る時は前もって連絡してくれると助かりますね。せっかく連絡先を教えたわけですから」

「そうじゃな。……まあ、たまには来たいかもな」

「俺はこれからは毎週末にでもそちらに伺う勢いですけどね」

 

 レオ様が微笑む。

 そう、あなたのその笑顔が見たいから、俺は毎週だってフロニャルドに行くさ。フロニャルド永住はまだでも、これからはご近所だ。連絡も取れるし、いつだって会いに行ける。だからもう少し、高校を卒業するぐらいまでは俺はこのまま日本とフロニャルドを往復する生活でいいだろう。

 

 と、その時、部屋にかつて見たことある光が溢れ出す。

 

「おっと、もう時間か」

 

 レオ様がマグカップの中の茶を飲み干した。

 

「……名残惜しいですが、来月にはシンクとそちらに行きます。近くなったらまた連絡を取り合いましょう」

「……そうじゃな」

 

 そう言うなり、レオ様は俺の体を抱き締める。危なく理性が吹き飛ぶところだった。

 

「……待っておるぞ」

 

 耳元でささやかれ、頭がくらくらする。

 

「ええ、必ず行きますよ。だからさよならは言いません」

 

 フッと小さく笑う声が聞こえ、俺の体が彼女から離れる。が、そこで彼女の全身を見て俺はあることに気づいた。

 

「……やべえ、靴」

「あ……」

「ちょっと待っててください、今急いで持ってきますから」

 

 玄関までダッシュし、レオ様の靴を手に取る。そのまま戻ると光はますます強くなり、今にもレオ様はフロニャルドに戻ってしまいそうだった。

 

「レオ様!」

 

 靴を手渡して手が軽くなった感覚を覚え、間に合った、と思った瞬間、目を覆うほどの光に包まれる。そしてレオ様の姿が消え――

 

「……え?」

 

 ()()()()()()()()。では帰還に失敗したのかといえばそれも()()だ。レオ様は帰還に成功している。だが、()()()()()にいる。そして俺たちが今いるのは()だ。

 

 早い話が、俺までフロニャルドに()()()()()()()()()()

 

「……ありゃ?」

 

 空中から落下中、俺の姿を見たレオ様が間抜けな声を上げる。

 

「ありゃ、じゃないです。……レオ様、これどういうことですか?」

「……お前まで一緒に巻き込まれた、のか?」

「俺のほうが聞きたいんですけど」

 

 ……おい、さっきの感動的な別れを返せ。

 

「まあ……よいではないか」

「よくないですよ! 明日からは学校です!」

「なら今日1日だけ遊んでいけ。どうせもう簡単に帰れるんじゃし。そうじゃ、夕食を食べたら帰ればよい」

「確かに今日はこれから暇ですが……。いや、そういう問題じゃないでしょう!」

「キーキーやかましいのう。ほれ、地上に降りるぞ」

 

 ……まあもういいや。きっと帰れるんだろうし。俺は考えることをやめた。そんな先のことよりまず当面の問題は、今()()()()()()ということだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11月、都内某所にて(地球組)

 

 

 冬の気配が街を包み込み始めていた。今は11月の第4土曜日。12月を間近に控え、肌寒い空気を感じる。寒いのは嫌いだ。暑い方がまだいい。

 2週間前は薄手のジャケットで出歩けたのに、それからめっきり冷え込んだこの気候を呪わずにはいられない。仕方なく、そのジャケットを着て出歩いた2週間前に()()()()で引っ張り出した()()()()()のダウンジャケットを着込み、俺は電車に揺られていた。向かう先は都内。最寄駅から小一時間で着く。

 と、ポケットに入れていた携帯が震えた。取り出して開く。送信主の「シンク・イズミ」の名を見てなんとなく内容が予想できて苦笑を浮かべた。

 

『ソウヤ、今どの辺? こっちはベッキーとナナミともうすぐ着くところ』

 

 やっぱり思った通り。本当にわかりやすい奴だ。返信ボタンを押して文字を打つ。

 

『あと数駅で着く。着いたら前に言ったとおり西口の改札前で待ってるぞ』

 

 送信して携帯を閉じる。しばらくしてまた携帯が震えた。そうなるだろうと思って今度は手に持ったままにしてあった。

 

『了解、楽しみにしてるよ!』

 

 まあ楽しみなのは俺も楽しみなんだが……。如何せん寒い。今も停車駅でドアが開いて入ってきた寒気に思わず眉をしかめてしまった。

 

 今日はシンクと遊ぶ約束をした日だった。なんでもあいつの幼馴染でイギリス在住のナナミが丁度日本に来てるらしい。さらに都合のいいことに祝日、土曜、日曜の3連休、今日はその中日だし予定も合ったということでこの日になったのだった。

 実はフロニャルドで初めて出会い、戻ってきてからの約4ヶ月間、こっちであいつとはまだ1度も顔を合わせてはいない。携帯でメールやら、時折電話やらはしたのだが、互いにうまくスケジュールが噛み合わず、結局ここの連休までうまく日程を取れずにいた。まあ住んでる場所も遠いってのもあったが。

 

 電車が止まる。目的の駅だ。ドアが開いての寒気に再び俺は眉をしかめてダウンジャケットの中へ亀のように首を縮め、襟首に顔をうずめる。うずめてから気づいた。このダウンジャケットは2週間前、()()()が着た物だった、と。

 なんだか後ろめたいような、背徳感のような、そんな感情を覚えて三度眉をしかめて俺はホームの階段を下る。待ち合わせたのは大型駅だ、ホームから降りる人も改札へ向かう人も多い。その人の波に乗って改札を通過し、辺りを見渡す。

 どうやらシンクはまだ来てないらしい。改札が見え、かつ人が少ない場所を見つけてそこの壁に寄りかかりつつ、俺はシンクを待った。

 が、姿を目視するより先に携帯が震える。メールが着信していた。

 

『着いたよ! 今改札前にいるよ』

 

 もう1度辺りを見渡す。だがやはり姿は見えない。仕方ない、と俺は電話帳を開いてあいつの番号を探し出して通話ボタンを押した。

 数度の呼び出し音の後で電話が繋がる。

 

「……もしもし?」

『あ、もしもしソウヤ? 今どこ?』

「こっちのセリフだ。俺は改札前にいるぞ。お前間違えたんじゃないか?」

『ええ!? 西口でしょ? ここ西口って書いてあるし……ベッキーもナナミもここが西口だって言ってるから間違いないよ。ソウヤこそ間違えたんじゃない?』

「俺だって改札出るときに確認したんだぞ。確かに西口って……」

 

 言いながら周りを見渡す。そして思わず「あ」と言葉をこぼした。確かにここは西口と書いてあった。ただし、その前に「中央」と着いていて「中央西口」と書いてあったが。

 

「……中央西口じゃないよな?」

『ただの西口。やっぱりソウヤが間違えてたんじゃん』

「……俺にだって間違えることぐらいある。多分そんなに距離はないはずだ、すぐ行く」

 

 電話を切って構内の案内図を見る。「現在地」と書いてある場所は確かに「中央西口」と書いてあった。そこから北に少し進めば「西口」と書いてある。紛らわしい……。

 ともあれ地図の通り歩き出す。券売機を通過し、今度こそ本当の「西口」と書いてある改札を発見した。そして改札から少し離れたところ、見たことのある金髪が()()()()でこっちに手を振っている。これだけ人が多いと少し恥ずかしいからやめてほしい。

 

「ソウヤ! 久しぶり!」

「ようシンク。場所間違えちまった、悪い」

「いいって。でも完璧超人のソウヤが待ち合わせ場所間違えるなんて……」

「……その言い方、どっかのやんちゃ坊主みたいなんだが」

 

 4ヶ月前に似た様な事を言われたのを思い出した。なぜか俺はなんでも出来る、と思われていることが多い。……まあ比較的なんでもやる、とは自分でも思ってるが、器用貧乏だと思っている。

 

「あ、それより2人を紹介するよ。僕と一緒に紀乃川のインターナショナルスクールに通ってる幼馴染のベッキー」

「えっと……レベッカ・アンダーソンです。皆ベッキーって呼んでるから、よかったらそう呼んでください」

「こっちはイギリスに住んでる、幼馴染でライバルで師匠のナナミ」

「ナナミ・タカツキだよ、よろしく!」

 

 茶色の髪をいわゆるツインテールにまとめているのがベッキー、黒髪で見るからにスポーティなのがナナミ。シンクから話だけは聞いていたが、イメージと違う。特にベッキーが日本在住、一方のナナミがイギリス在住という()()()()な感じが余計にイメージとのギャップを強めているのだろう。

 

「ソウヤ・ハヤマです、よろしく」

 

 とりあえず俺も挨拶しておく。多分俺についてはシンクがあれこれ説明してるだろうから省くことにした。

 

「へえー。シンクから話だけは聞いてたけど……。ちょっと意外かな」

 

 どうやらこのナナミという女性は思ったことをストレートに口にするタイプらしい。

 

「……何が?」

 

 確かシンクから高2と聞いていた。今の俺は高1、基本年上には敬語を使うのが俺の信条でもあったが、多分このタイプは「普通に話してよ」と言ってくることが多い。だから俺は最初から普通に話すことにした。

 

「あ、気を悪くしたらゴメンね。いやさ、シンクの友達っていうと()()()()()()()鹿()ってわけじゃないけど、もっとこうスポーツに命捧げてます、みたいな人が多いのかなーと勝手に思ってたから……」

「ナナミ、前に言ったと思うけどソウヤは今年の……インターハイだっけ? 高校生の弓道の大会で全国1位になった生粋のスポーツマンだよ? 他にも中学時代は空手や剣道で全国常連だったとか……。今も格闘技習ってるんだっけ?」

「……一応な」

「わお、そりゃすごいや。失礼しました」

 

 なんだかあの()鹿()()()の女版みたいな人だ。こりゃシンクと馬が合うだろう。

 

「ナナミさんはシンクの師匠なんだっけ?」

「あー『さん』はつけなくていいよ、ソウヤ君。別にあたしはデコスケ野郎とか怒らないからさ」

 

 やっぱり思った通りのタイプだった。

 

「なら俺にも『君』はつけなくていいよ、ナナミ」

「了解、ソウヤ。……で、あたしがシンクの師匠か、って質問だっけ? イエスだよ。棒術を教えたのもあたし」

「なるほどね」

「2人とも立ち話も何だしさ、また後でゆっくり話すことにして、とりあえずここ動かない?」

 

 俺とナナミの会話にシンクが割って入ってきた。

 

「だな」

 

 一先ずシンクの提案に同意して歩き出す。確かにこんな人の多いところにいつまでも突っ立ってるのは通行人にも迷惑かもしれないし、待ち合わせをしてる人から場所を奪ってることにもなる。

 

「で、動くのはいいがどこに行くんだ?」

「えーっと……」

 

 悩むシンクを横目に「はいはい!」とナナミが手を上げている。

 

「まずは女の子2人の買い物タイムから!」

「ええー!? ベッキーもナナミも買い物の時間長いから……」

「ちょっとシンク、それひどい言い方じゃない?」

 

 ベッキーが口を尖らせながらそう反論する。

 

「シンク、女性の買い物は長いって相場が決まってるんだ。文句を言うもんじゃないぞ」

「……ソウヤ、それ自分で墓穴掘ってない?」

「まったくシンクもソウヤもデリカシーって物がないよね」

「……それを言えるとしたらこの中じゃナナミじゃなくてベッキーが適役だと思うんだが」

「ええ!? 何それ!? ……まあいいわ。デリカシーのない男2人は荷物持ちね!」

 

 ……ダメだ、ナナミに完全にペースを握られてる。仕方ない、ここはおとなしく従っておくが吉というものだろう。

 

「……わかったよ」

「え、ソウヤ、いいの?」

「仕方ないだろ」

 

 聞いてきたシンクも別に嫌ではなかったようだ。「ま、いっか」と納得したらしい。

 

「よーし、じゃあデパート行こう! ベッキーに似合う可愛い服さがしてあげるんだー!」

「あ、あたし?」

「自分じゃないのか?」

「あたしが着たってつまんないじゃん。やっぱ着て映える人が着ないとね!」

 

 ナナミはノリノリだし、ベッキーの方もどうもまんざらじゃないようだ。

 

「じゃあそれで行こうか。ソウヤはそれでいい?」

「元々そっちに今日の予定は全部投げたんだ、任せるよ」

「けってーい! じゃあ早く行こ行こ!」

「ナ、ナナミ……そんな引っ張らないで……」

 

 言うが早いかナナミはベッキーの腕を引っ張り駆け出していた。やれやれと俺とシンクは互いの顔を見合わせてそれに続く。

 なんだかんだ、結局勇者とか言われてるこの2人はフロニャルドじゃなくても女の子に振り回されっぱなしなのかもな、とも思ったのだった。

 

 

 

 

 

 このフロアについてから早くも1時間は経とうとしている。女の子向けのファッショショップに入っていった2人……というかナナミは、ベッキーにいろんな服を試着させては「ねえねえシンク、ソウヤ、これとかどう?」ってな具合で俺たちに意見を求めてきた。

 男の感覚からいうと「今のでもさっきのでも、その前のでもなんでもいいじゃねえか」というものなのだが、そんなことを言った日には「女心をわかってない」と怒られそうなので俺は黙っていた。シンクももう慣れっこなのだろう、作った愛想笑いを浮かべてナナミが満足するのを待つつもりらしい。

 だったら、と俺は「何着かに絞れたら呼んでくれないか、シンクと2人で話したいこともあるし、あそこで座ってる」とうまいこと言ってなんとか椅子へと逃げることに成功した。シンクも大きくため息をこぼして椅子に腰掛ける。

 

「あの2人、いつもあんななのか?」

「まあね……。ナナミは可愛い女の子が好きだし、ベッキーもベッキーでおしゃれさんだから結構乗り気になっちゃって、こんな具合にいつも時間かかるんだよね」

「女の買い物は時間がかかるもんだと言ったのは俺だが……。本当にかかるもんだな」

 

 まあでも別にいい。こいつと久しぶりに顔を合わせて、出来れば2人で話した方がいいようなことはたくさんあるからな。

 

「女の子の買い物っていえば……。2週間前、レオ様がこっちの世界に来たって話、本当なの?」

「俺の電話越しにあの人の声を聞いたろ?」

「いや、まあそうなんだけど……。どうも信じられなくて……」

「だろうな。俺だって今思うとあの人連れて歩き回ったとか嘘じゃねえかと思えてくる」

 

 ほんと、よくばれなかったもんだ……。

 

「どこに行ったの? あ、どんなデートしたの、のほうがいいか」

「……おい、お前この手の話に鈍いんじゃなかったのか」

 

 確かにこいつに「俺はレオ様と肩を並べるにふさわしい人間か」と聞いたことはある。だから仲が良い、とは思っていただろうが、こいつがその話だけで「デート」なんて単語に結び付けるのはやや無理があると思う。どうしようもなく鈍いしな。おそらく誰かから聞いた、という線だろう。

 

「前も言ったと思うけど僕そんなに鈍いかな……」

 

 どの口が言う、どの口が。もう1回ビスコッティに呼び出されたときに姫様や親衛隊長の前で同じこと言ってみろ、どうなるか知れたもんじゃねえぞ。

 

「姫様とメールのやり取りしてた時にさ……」

「……ちょっと待て、思い出した。お前俺にフロニャルドと連絡取れることをなぜ教えなかった?」

「え? いや、てっきり知ってるものだとばかり……」

「……まあお前の場合使いの犬を通して最初手紙のやり取りしてたんだっけ? だからってのはあったんだろうし。今となっちゃ別にもういいから、一応言うだけは言っておこうと思っただけなんだがな。

 ……で、なんだっけ、なんで俺とレオ様の関係を知ってるか、だ。鈍いお前じゃ他からの情報がなくちゃ気づかないだろうと思ってたが、やっぱり姫様が出所なんだな?」

「うん、そう。姫様がリコから聞いたって言ってたよ」

 

 ということは……。おそらくそのリコッタは親友のノワールから聞いた、でノワールはジェノワーズだから……。やはりあの()()()()が全ての諸悪の根源ってわけだ。おそらくもうガレットはおろか、ビスコッティにも広まっているだろう。次に顔を合わせたときはどうしてくれようか……。

 

「別に大したことはしてない。観光ってことでちょっと東京タワーまで連れて行って、ハンバーガーショップで昼飯食って、その辺ブラブラして帰ってきただけだ。ああ、帰ってきてから俺の手料理食わせてテレビ見せたか。そんなぐらいだ」

「そんなぐらい、って……。よく異世界人だってばれなかったね」

「ニット帽被せて耳隠して、尻尾はジーンズ履かせて出さないように頼んだ。まあ帰ってきてから尻尾が蒸れたとか相当ご機嫌ななめだったがな」

「ああ……。なるほど……」

 

 何かを考えながらシンクが苦笑する。この辺はフロニャルドに行って来た人間だから出来る想像だろう。

 

「で、レオ様はこの世界を観光してどうだって?」

「目に入るもの全てに驚いてるようだった。フロニャルドにはビルも電車もないからな。東京タワーも気に入ったようだった。食べ物も、ハンバーガーも俺が作った肉じゃがもうまいって言ってくれたしな」

「肉じゃが……。ソウヤ、料理できたの?」

「体は資本だから栄養のあるもの食えと言って来たのはお前だろ。だから時間があるときは作るようにしたんだよ。味付けはめんつゆで基本的にできるからな」

「へえ……。さすが完璧超人」

「だからその呼び方はやめろ」

 

 事実、最初に肉じゃがを作った時は煮込み時間が足りなくてじゃがいもが固く、さらに目分量で入れためんつゆが明らかに過量でかなりしょっぱい作りになった。一応失敗したからあの程度になったわけで、完璧超人なんてものからは程遠い、と俺自身は思っている。

 そんな俺の気など知らない様子で、シンクは遠いものを見るように中空に視線をさまよわせた。

 

「そっかあ……。そんな話聞いちゃったら、僕も姫様やエクレやリコにこの世界を案内してあげたくなってきたなあ……」

「レオ様も言ったと思うが、やめておいた方が無難だ。はしゃぎまわる姿と、見るもの全てに驚いて挙動不審そうに辺りを眺め回す姿と、逆に好奇心をくすぐる物ばかりでなんにでも飛びつく姿の3人が容易に想像できる」

「えーっと……。ああ、確かにそうなるかも……」

 

 再び考えながらシンクは苦笑した。

 

「それより、俺たちにとっちゃ召喚方式が簡略化されたってことの方が重要だろ。これで極端な話、いつでもフロニャルドに行けていつでも戻ってこれるわけだからな」

「発見したっていうリコを疑うわけじゃないけど、それ本当に大丈夫なの? だって僕が初めて召喚された時は地球に戻れない、から始まって、見つかったと思ったらフロニャルドに2度と戻って来れないし記憶も失う、って話だったのに……。信じたくてもどうしても信じられないんだけど……」

「それは大丈夫だ」

「何でそう言いきれるの?」

 

 俺は得意気に小さく笑う。ああ、鏡で見てないからわからんが、おそらくこれが世間でいう()()()って奴なんだろう。

 

「なぜなら2週間前の日曜日、俺は()()()でフロニャルドに行って来たからだ」

「え……ええーっ!?」

 

 シンクが思わず立ち上がる。近くを歩いていた人たちが何事かと一旦足を止めた。その様子に気づいたシンクは困ったように手を後頭部に回して周りに頭を下げる。

 いちいちリアクションの大きい奴だ……。いや、でも同じことを聞かされたら俺もこんなリアクションを取ってしまうかもしれないが。

 

「……それどういうこと!?」

「正確にはレオ様の帰還に巻き込まれたんだ。どうやらあの人は俺の部屋にこっちと向こうを繋ぐゲートか何か……。いや、これは俺が読んでる小説の話だったか? とにかく、俺の部屋の中から向こうに帰るわけだったんだが、部屋の中なんで靴は脱いでいた。で、それを忘れそうになったから俺が取りに行って渡した……と思ったら、次の瞬間にはフロニャルドの上空にいたんだよ」

「巻き込まれたって……それ結構一大事だと思うんだけど……」

「俺もそう思ってたんだが……レオ様が『どうせいつでも帰れるだろ』みたいな感じで言うからな。結局軽く顔だけ出して、夕飯ごちそうになって帰ってきた」

「なんか……話だけ聞くと隣町の親戚の家にちょっと行ってきた、って感覚だよね……」

 

 どうやらシンクは信じられないらしい。まあそうだろう、俺もやはり信じられないところがある。

 

「だけど……これでフロニャルドとの距離は一気に縮まった、ってことでいいんだよね?」

「だろうな。だが俺たちも一応学業が本分だからな。平日行くわけにもいかないし、今後を考えると次は冬休みか?」

「そうなるね。短い期間になるからベッキーとナナミは春休みに連れて行こうかなって思ってるんだ」

「というか……本当に連れて行くのか、あの2人?」

「まずい?」

 

 なんで、と言いたそうにシンクがこちらを見つめる。

 

「やめろ、と頭ごなしには言わないが……。フロニャルドのこと、どこまで話してるんだ?」

「全然。思いっきり体を動かせる場所が見つかった、ってぐらい」

「俺のことはどう説明したんだ?」

「そこでたまたま知り合って仲がよくなった、って」

「……よくそれで通じてるな。普通もっと突っ込んで質問してくるもんだろ?」

「そうかな……。ベッキーもナナミも特にそれ以上突っ込んだ質問してこなかったから……」

 

 ここで俺は少しわかってきた。多分あの2人はシンクに対して格別の信頼をおいているのだろう。それはおそらくシンクから2人に対しても、だ。そのシンクが2人を連れて行っても大丈夫、と判断してるなら、俺が口を出すことではないのかもしれない。

 だが、それでも気にかかる部分はある。

 

「2人とも一般人だろ? 呼び出されて『あなたは勇者です、この国を救ってください』なんて可愛い女の子に言われて、思いっきり体を動かせそうだなんて理由であっさり適応したお前はさておき……」

「……そう言ってるソウヤだってすぐ適応してたんでしょ?」

「俺の場合その手の小説を多く読んでる。そういう世界で暴れてみたいと思ったことは数え切れないほどあった。だから比較的簡単に受け入れられた。……だが、自分で言うのもなんだが、俺たちは特例だと思うぞ。異世界なんて本来ありえない世界に連れて行かれたらパニック起こすなんてことにもなりかねない」

「そうかなあ……。ベッキーはソウヤと一緒でファンタジー小説大好きだし、ナナミも楽しそうな場所ならそんな細かいことは気にしなさそうだし……」

「……細かいことで済むのかよ、あの姉ちゃん」

 

 いや、でも会ってからまだ少しの時間しか話してないが、今までのことから考えると笑いながらそう言いそうで怖い。

 

「だから僕は2人については心配してないよ。きっと受け入れられると思ってる。あとは姫様や皆の了解を一応取ってから、っては思ってたけどね」

「……わかった。その件で俺が口を出す必要はなさそうだな。お前に任せる」

 

 結局そういうことでまとまる。俺が心配しすぎなだけだろう。「元の世界の人間と異世界人との間で軋轢(あつれき)が生まれる」なんて小説を読んだせいだ。あくまでそれは多数の人間を呼び出した場合に起きる現象、俺とシンクに加えてあと2人呼んだところでなんてことはない話だろう。

 もっとも、ベッキーはわからないがナナミはシンクと同等、あるいはそれ以上の身体能力を持ってると聞く。だとするとこんな化け物がもう1人加わるとなるから……ビスコッティ側で呼び出されたらガレットとしては結構しんどいことになるだろう。戦力調整で自由騎士殿には空気を読んでもらう必要とかも出てきそうだ。

 

「……そういや思い出した」

 

 ナナミの身体能力がシンクと同等かそれ以上、で思い出したことだった。

 

「お前、今年はナナミに勝って()()()()んだっけな」

「アイアンアスレチックのこと? ……まあね」

「テレビで見てた。最後はほとんどタッチ差だったが……勝ててよかったな」

「ありがと……って、メール送ってくれたんだっけ。去年悔しい思いをしたから、今年は絶対勝ちたかったんだ」

「フロニャルドの経験が生きた、ってか?」

「かもね。紋章術は使えなかったけど」

 

 それが使えるなら俺だって大会に出れる。そう一瞬思ったが、こいつとは元の身体能力が異なる。紋章術でカバーしたところで最後はガス欠になるのが関の山だろう。

 しかし、もしこれでナナミも紋章術を使えたらどうなる? さっきの話だが、要はアイアンアスレチックの1位と2位が紋章術というブーストつきでフロニャルドに現れることになる。……戦好きのあの人に言ったら「手応えのある奴が増えた」とか言い出して小躍りしそうな話だ。

 

「シンク! ソウヤ! やっと絞れた! ちょっと来てー!」

 

 と、俺が考えをめぐらせていた当の本人からお呼びがかかった。ベッキーの服がようやく絞り込めたらしい。

 

「……ま、つまるところフロニャルド関連で今特に心配するべきことなんてないってことか」

「そういうことだよね」

 

 元々悩みなんてなさそうな声でシンクがそう答えて立ち上がった。

 こいつの能天気さともいえる性格が少し羨ましくも感じる。これだけ悩みがないような、真っ直ぐな目で()()()()フロニャルドを見つめることが出来ていたら、今頃どんな思いになっていたのだろうか。

 

 ……いや、考える必要もないか。

 経過はどうあれ、今の俺はこいつ同様フロニャルドを愛してるわけだ。だったらそれでいいだろう。

 

 シンクに続いて俺も立ち上がりつつ、だが絞り込んだとはいえこれからあと30分はかかるだろうなと悲観的な予想を立てて、俺たちを呼ぶナナミの元へ足を進めた。

 

 

 

 

 

 結論から言うと30分なんて俺の見立ては甘いと言わざるを得なかった。俺の感覚だと「絞った」と言ったら2着か3着辺りだと思っていたが、どうやらあの姉ちゃんの感覚は俺とずれてるらしい。

 ナナミは10着近くある服からどれにするかを迷っている状態だった。そんなに残ってるのは絞るとは言わねえだろ、と突っ込みたかった。そこからなんだかんだ3着まで絞り込み、我慢しきれなくなった俺が「全部買えばいいだろ」と口走ったところ、ナナミが半分出すということで3着お買い上げとなった。

 

 その後昼食。服で出費したからなるべく安くしようというナナミの提案でチェーンのイタリア料理のファミレスに入ることになった。

 だが言ってることとやってることが違うというのがこのナナミという女性の怖ろしいところだと俺は気づいたわけで。彼女はジョーヌもびっくりなほどの大食いで、俺の倍以上は平気で食べていた。安くすませるんじゃなかったのかよ、とこれまた思わず突っ込みたいところだったが、これだけフリーダムな彼女に何か言ったところでどうせ焼け石に水だろう。何も言わないことにした。

 

 満腹になった後でファミレスから外に出る。空は晴れ渡っているがやはり風が冷たい。

 

「それで、この後はどうするんだ?」

「いつものルート、腹ごなしもかねてバッティングセンター行くよ!」

「……バッティングセンター?」

「うん。ナナミと競争なんだ、どっちが多くホームランを出せるか!」

 

 ホームラン出るのは前提かよ、こいつら……。

 しかしバッティングセンターというのは少し興味がある。格闘技や武道をやってきた俺だが、実は球技はてんでダメである。だが何を隠そう野球だけは知識が豊富な自信がある。面白そうだ。

 

「ソウヤもやる?」

「お前ら2人に勝てる気はしないが、俺はこう見えて野球は好きだからな。やるぞ」

「よっし! じゃあ2位と3位が1位とベッキーにジュースおごりね!」

「やった、誰が勝ってもあたしはお得!」

「待て、ホームラン出るのが前提の勝負じゃ俺は勝ち目ねえぞ」

「そんなのやってみないとわかんないじゃーん! 1度参加表明をしたらもう逃げられないのだ!」

 

 来る者は拒まないが去る者は決して許されない。はめられた、俺がジュース1本おごるのはもはや確定的だった。

 

 

 

 

 

 バッティングセンターに着いた俺たちはそれぞれの打席とでも言うべきか、区切られたボックスに入る。と、いっても俺がいるボックスとあの2人のボックスは少し異なる。今俺がいるのは球速120キロのピッチングマシンがあるボックスだ。

 一方あいつらは150キロなどというありえない速度のマシンを選んだ。冗談じゃない、150キロなどバットに当てられる気さえしない。そもそも今の日本球界なら150キロなら打者に対する強力な武器となるレベルだろう。ここによくブレーキのかかるカーブ1つ持ってるだけでも怖ろしいピッチャーになりかねない。

 おまけにあそこは変化球がたまに来るらしい。150キロの高速スライダーなんて考えただけで寒気がする。シュートなんて来た日には問答無用で逃げる。150キロが自分に迫ってきたら逃げるしかないだろう。

 だが120キロならなんとかなると思う。120キロのストレートといえば高校球児レベル、プロならスローボールを得意とするピッチャーが投げることがあるらしいが基本はもっと速い、つまり基本的にアマのレベルだ。それにこっちはストレートのみ、それなら……。

 

 ……などと甘い考えだった。飛んでくる球に対して必死に俺はバットを振るが全然当たらねえ。当たったところでファールボール、前に転がったのは2球程度で、ホームランなんて夢のまた夢だった。

 ま、そりゃそうだろう。俺は野球が好きなのは事実だが、それはあくまで()()であって、ちゃんとした野球をやったことなんて()()()()()わけだし。

 

 球が飛んでくるのが止まった。1ゲーム終わりというわけだ。やはり頭でっかちじゃ実戦には通用しないか。もう1ゲーム、という気にもならず、俺はボックスを出る。

 出たところで景気よくスカーンスカーンと長打を連発してるあの2人が目に入った。……ありえねえ、150キロだぞ?

 

「あー惜しい、もうちょっと右だったのに!」

「じゃあ今のうちに僕がっ……! って、ちょっとつまっちゃった……」

 

 いや、シンク、お前の今のはつまったとは言わない。普通なら間違いなくセンターオーバーの2ベースヒット……いや、お前の足の速さなら3ベースまで狙える飛距離だ。

 あんな規格外の連中と競うなんて不可能に決まってる。紋章術を使わせてくれるなら多少は……。だがそれでもバットに当たらないんじゃ話にならねえか。

 結局勝ち目のなかった勝負だったと諦め、椅子に腰掛けて2人の様子を見守るベッキーの元に近づいた。

 

「2人はどんなだ?」

「あ、ソウヤ……さん」

「『さん』はいらない。あと敬語もやめてくれ。シンクもナナミも普通に話してくれてるからな」

「うん、じゃあ普通に……。ソウヤ、もういいの?」

 

 ため息をこぼして俺はベッキーの隣に腰掛ける。

 

「そもそもバットに当たらない。好きだとは言ったがあくまで見るのの話、やるの自体はほぼ初めてだ」

「え!? そうなの? ……じゃあ最初から勝ち目なかったんじゃ……」

「そういうことになる。……とはいえ、約束は約束だ。何がいい? 買ってくる」

「2人が言ってたジュースの話? いいわよ、元々2人が言い出したんだし」

「そう言うなよ。どうせ俺も何か飲みたかったところだ。何がいい?」

「じゃあお言葉に甘えて……ミルクティーお願い。ホットで」

「了解」

 

 1度下ろした腰を上げる。近くの自販まで行き、自分用にスポーツドリンク、ベッキー用にあたたかいミルクティーのボタンをそれぞれ押して商品を回収する。

 俺がベッキーの元に戻るまでの間も2人は快音を響かせていた。当たりは全てホームラン級、だが惜しくも「ホームラン」と書かれた看板にはまだ当たっていないようだ。

 そしてそれを真剣な――いや、どこか()()()でベッキーが見つめていることに気づいた。2人の勝負の行方が気になる、なんて雰囲気じゃない瞳。

 

「お待たせ」

 

 そのベッキーの視線を遮るようにミルクティーの缶を差し出す。

 

「あ……。ありがとう」

 

 ベッキーにミルクティーを手渡して俺も腰掛け、自分の缶のプルタブに指を掛けた。プシュッと中の空気が抜ける音と共に口が開き、中身を喉に流し込む。

 その間ベッキーは心ここにあらず、といった具合か、先ほどのように視線をさまよわせつつ、両手の平で缶を転がしながら2人の様子を見つめている。

 

 ……さて、どうするべきか。

 

 ()()()は大体どういうものかはわかる。レオ様、姫様、親衛隊長……。その辺りでああいう目は見てきた。自分では届かない何かに思い憧れるような、要するに()()()()()の瞳だろう。

 そんな目を見て、いつまでも吹っ切れない姿を見るに見かねて、以前はあの堅物親衛隊長に発破をかけてやったことはあった。そうしないと鈍いあいつは気づかないぞ、と。

 

 だがここで同じようにベッキーにけしかけるというのは……。それでいいのだろうか。違う相手なら喜んで応援するだろう。だがよりにもよって相手は同じ、あの()()()()()()なのだ。

 そこで俺がけしかけたとあれば……まるで場をかき回して喜んでいる奴みたいにも思える。言うなればシンクとエクレールの仲を見てニヤつくリコッタや()()()()()といったところか。いや、あの2人も純粋にエクレールの進展を応援してるだけかもしれないが。ともかくそれはどうなのだろうか。

 

「……あ、そういえばソウヤ」

 

 その問いに対する答えが出るより先にベッキーが俺に話しかけてきた。

 

「シンクから聞いたんだけど、ファンタジー小説好きなんだよね?」

 

 ひとまずさっきの答えは保留するとしよう。

 

「まあな」

「1番好きなのって何?」

「……『サモン・ヒーローズ・オペラ』」

 

 ジェノワーズの3人に1冊ずつ預けた全3巻の小説のタイトルを口にする。自分で言うのも何だが、これを好きだという人間は結構な()()()だろうと思う。王道な1巻の話をぶち壊す2巻は相当にアクが強く、多くの人が煙たがるからだ。いや、そもそも少し古いタイトルで、今更こんなのを知ってる方が少ないのではないか。そう思ったのが俺が一瞬ためらった理由だ。

 

「え!? 『サモヒロ』!? ……なかなかマニアックな線突いてくるのね」

「知ってるのか?」

「そりゃ勿論よ。いろんな意味で話題作だったもの。一応最後まで読んだわよ。もう1回読もうって気分にはならないけど……」

「2巻がダメなんだろ?」

「え……? なんでわかるの? そうよ、3巻はいいと思うけど、2巻がちょっと……」

 

 だろうな。1巻の「召喚された勇者が魔王を倒す」なんて王道展開から、人と人とが憎しみあい、自国の大臣や信頼していた人間にまで裏切られるあの2巻への落差はそうそう受け入れられるもんじゃない。

 

「あれがいいんだけどな……。だから3巻が映える」

「それはそう思うけど……。ファンタジーにしては夢が無さすぎるっていうか……」

「正確な評論だ」

 

 本当にそう思う。ファンタジー小説なんてものは夢と希望に溢れてなんぼ、とも思う。それが微塵も見当たらないのが2巻なわけだからな。

 

「そういうベッキーが1番好きなのは?」

「うーん……。『2ダース半の小さな騎士達』かな」

 

 王道だ。巷の人気タイトルの1つ。そのタイトルの通り2ダース半、つまり30人の中学生の1クラスが修学旅行に行く途中、まるまる異世界に召喚されて騎士になるという話だ。30人という大所帯でありながら、うまく1人1人の個性を立たせ、話によって主人公が変わっていくという点が評価されている。

 

「『2ダース半』か……。なんでだ?」

「話が面白いっていうのはあるけど……。それ以上にキャラが魅力かな」

 

 この小説、人気のイラストレーターを複数名据えて、美麗なイラストで登場人物30人を描いたということでも話題になっている。ネット上ではどのキャラ推しか、このイラストレーターのこのキャラがいいということで論議が白熱することもあるほどだ。

 

「ベッキーは誰が好きなんだ?」

「やっぱりわかってる人に言うとこの話になるわよね。そこがいいんだけど。あたしは……ヒロかな、出席番号7番の」

「ああ……」

 

 タイトルと一転、こっちはメジャーとは言いがたい。人の好きな小説を「マニアック」と評しておきながら、ベッキーの選んだお気に入りのキャラは人のことを言えないようなキャラだった。出席番号7番、河合弘美、作中での愛称はヒロ。部活動に所属しておらずに勉強もスポーツも特に出来るわけでもない地味なキャラだ。ただ、家事全般を得意としており、一応騎士でありながら城内の掃除や行軍時の炊き出しに精を出し、代わりに戦闘にはほとんど参加しないために出番は少ない。

 

「なんでだ? かなり地味なキャラだと思うんだが」

「うん。でもそこがいいというか……。大体先陣切って飛び込んでいくマサとか魔法で薙ぎ倒していくチーとかが、キャラデザインの絵師さんの人気と相俟ってメジャーどころだと思うんだけど……。でも、そんな中で普通なヒロがいいなって思うの」

「というと?」

「縁の下の力持ち、っていうのかな。見えないところで、きっと文で描かれてないところでも、ヒロはご飯作ったり怪我した兵士の治療に当たったり、そういうことしてるんじゃないかな、って思ったら……。なんだかそういうところが好きになってきちゃって……。他の人たちみたいに目立った活躍は出来なくても、それでも騎士なんだって、自分に出来ることを頑張る姿が好きなのよね」

 

 プシュッ、とベッキーがミルクティーの口を開ける。

 と、前方のボックスから「やったー!」という声が聞こえてくる。見ればシンクがホームランのボードに直撃させたらしい。

 

「すごーい! さすがシンク! ナナミも頑張って!」

 

 嬉しそうにベッキーが声を上げる。シンクは次来るボールを見逃さないよう、目は無効に向けたまま右手だけをバットから離して軽くこっちの声援に応えた。

 

「……ベッキー」

 

 そして俺は今彼女がシンクに声援を送ったときに心を決めた。さっき保留にしていた答えだ。シンクのことで喜んでいるときの彼女は自分のこと以上に嬉しそうに見えた。だったら……

 

「何?」

「……シンクのことをどう思ってるんだ?」

 

 後悔する彼女は見たくない。たとえあいつがベッキー以外の女性を選ぶとしても、ベッキーが今のままの関係を続けて自分の心を伝えないで後悔するなら伝えて後悔した方がいい。それが()()()()だ。……俺がフロニャルドで教えてもらったことだった。だから、俺は率直にその質問をぶつけた。

 

 予想外の質問だったのだろう。ベッキーは驚いた表情を浮かべた後、困ったように視線を手に持った缶の方へと落とす。

 

「どう、って……。別にあたしとシンクはただの幼馴染だから……」

「本当にそうか?」

「ほ、本当よ! 変な勘ぐりしないでよ!」

「それでいいっていうならまあこれ以上余計な口は出さないが。……でも『本当に』それでいいのか?」

 

 「本当に」の部分を強調する。茶化す目的だけじゃない、という意味をはっきりさせるためだ。どうやらベッキーは俺のその意図に気づいてくれたらしく、ムキになって反論した表情から少しずつ熱が引いていく。

 

「……そう。それでいいの」

 

 すっかり熱の引いた表情でベッキーはミルクティーを一口呷る。

 

「……シンク、あたしといるときより……ナナミとああやってるときとかアスレチック遊びしてる時のほうが楽しそうだし。あたしはナナミみたいに運動できるわけじゃないから、きっとシンクはあたしといるより思いっきり体を動かせる場所で大暴れしてる方が楽しいんだと思う。……前の春休みとこの間の夏休み、ちょっと連絡取りにくくなった後のシンク、なんだか変わったっていうか、前よりもっと体を動かすことに夢中になったっていうか……。だからそれは邪魔したくないし……。……あたしじゃそんなシンクに不釣合いじゃないかな、って思うから」

 

 ……くそっ。「不釣合い」とか、()()()()()()()()だ。

 

「だから……別にいいかな、しょうがないかな、って。その方が……きっとシンクのためだから。だから……いいの」

 

 俺がミルクティーを手渡した後同様、両手の平で缶を転がしながらベッキーはそう言った。

 

「……そうか」

 

 彼女なりの決心、そんなものを感じ取り、俺はそう返すだけにとどめた。

 目の前でシンクが特大の一発を放つ。その球はボードに吸い込まれ、どうやら今日2本目のホームランのようだ。

 が、ベッキーは今度は声援を送らずにぼーっとそのホームランバッターの後姿を眺めていただけだった。

 

「……ベッキー、野球は見るか?」

 

 でも……彼女が心を決めていようと、どうしても俺は1つだけ納得がいかない、いや、()()()()()()()()()部分がある。だから口を開いた。

 

「野球? お父さんがたまに見てるから、それで見ることはあるかな……」

「死んだ親父が昔こう言ってたんだ。『野球を面白くするのは4番バッターじゃない。2番バッターだ』ってな」

「2番バッター?」

「2番というのは器用さが問われる打順だ。打席が多く回るから出塁率や足の速さを重視する1番、長打力が求められる3、4、5番とは違う。1番をいかにホームに返しやすい状況を作り出せるか、後のクリーンアップが打ちやすい状況を作り出せるか、そして隙あらばいかにして自分も塁に出るか。それを求められるのが2番だ。そしてそんな2番で、さらにショートを守る選手が親父は大好きだった」

「ショート……」

「ピッチャー、キャッチャー以外の内野でショートは唯一数字でないポジション、日本名もまさに遊撃手。つまり他のどのポジションよりも技術が要求されるポジションだ。言うなれば2番ショートというのは技術に長ける選手の代名詞、といってもいい。

 しかし一般に見りゃ野球の華はホームランであり、息のつまるような投手戦でもある。2番ショートというのはどうしても日の目を見ることは少ない。だがそれでも親父は2番ショートが好きだったし、俺もそれが好きだ。なぜなら、華があるから勝てるとは限らないからだ。華を捨て、実を取ることが勝利に繋がることもある。俺はそう信じてる」

 

 ベッキーは何も返さず俺の方を見つめている。俺が意図していることをいまひとつ図りかねるのだろう。

 

「さて、話をまとめよう。今話した2番ショート、そしてベッキーが好きな『2ダース半』に出てくる出席番号7番のヒロ、どちらにも共通することがある」

「……目立たない、ってこと?」

「そうだな。一般的に見れば目立たないってことだ。……しかしチームの勝利、あるいは物語においては必要不可欠な存在だ。つまり華がなくても、目立つ特徴が無くても、引けを取らないってことだ。

 ベッキーはナナミのように体を動かしてシンクと一緒に過ごすことは出来ないかもしれない。でも、それが全てじゃない。ベッキーにはベッキーにしかない強みがあるじゃないか。だったら、華のある4番にならずに実のある2番になればいい、好きなヒロのようになればいい。今はまだ無理だというのなら、いつか成長してそうなればいい。……だから『不釣合い』なんて言うな」

 

 言い聞かせるように、勿論ベッキーにだが、半分は()()()言い聞かせるように、俺はそう言った。

 「不釣合い」と聞いた時、彼女に俺の影を重ねた。俺はあの人に不釣合いな存在かもしれない。だが、いつか肩を並べられる存在になりたい。だから今の話は俺が俺なりに考えての答えでもあった。「不釣合い」ということでベッキーが諦めてしまったのでは、なんだか俺の答えが否定されたように感じてしまったからだ。

 

「ソウヤは……優しいね」

「どうだかな。口は悪いと自認してる。まあ昔からの反動かもしれんが最近は余計な世話も焼くようになった。だがお節介焼きなら……」

「あたしの方が得意、かな」

 

 小さくベッキーが笑う。

 

「……ありがと。あたしなんかじゃ仕方ない、って思ってたけど……。そんなことないんだって思ってみる。だからあたしなりの答えが出せるように……シンクと一緒に過ごして考えてみる」

「それがいい。仕方ない、じゃなくて自分なりに本当に納得出来る答えを出すことだ。そうなるように、俺は祈ってるよ」

「うん……。頑張る」

 

 もう1度微笑んだベッキーに俺も笑顔を返す。よかった。少しは吹っ切れたようだった。

 

 と、そこで目の前のボックスが開いてナナミがため息をこぼしながら出てきた。

 

「ダーメだー! 今日は打てない!」

「0本か?」

「うーん、いい当たりは出てたんだけどね……。ボードには当たらなかったんだよね」

「じゃあ俺と引き分けか」

「引き分けって、ソウヤは随分早くここに来てあたしと話してたじゃない」

「そうそう。諦めよすぎ」

 

 なんだ、ナナミも俺には気づいてたのか。

 

「見るのは好きだが、知識だけじゃダメだな。バットに当たらない」

 

 などと俺が言っているうちにシンクの方から「やったー!」という声が聞こえてくる。これでホームラン3本目らしい。ぶっちぎりで優勝だ。

 そこで丁度今のゲームが終わったらしい。次のゲームに移行しようとしたところでこちらをチラッと見つめ、そして二度見して、シンクもボックスから出てくる。

 

「あれ? ナナミにソウヤ、もう終わり?」

「打てない」

「打てなーい」

 

 俺が言ったことを繰り返すようにナナミもふてくされ気味にそう言った。

 

「じゃあ1位は……僕でいいの?」

「そういうこと。ベッキーには俺がジュースを買ってきたからナナミはシンクに買って来てやってくれ」

「むう……。悔しいけど仕方ないか……。シンク、何がいい?」

「スポーツドリンク!」

 

 はいはい、とナナミが自販機へと向かっていく。

 

「そういえばソウヤとベッキー、すっかり仲良くなったみたいだね。何の話してたの?」

「え!? えーっと……」

「ファンタジー小説の話をな。さすが好きな人間と話すと話が合う」

「う、うん、そうなのよ」

 

 ベッキーが俺に目配せしてくる。感謝の意思を示しているのだろう。

 

「へえー。そういや2人とも好きだって言ってるもんね」

 

 そしてベッキーが少し()()()()ことに全く気づいてないらしい。さすがミスター鈍感だ。

 

 まあ出来るだけのアドバイス……いや、発破をかけたというべきか。とにかくあと俺に出来ることは見守ることだろう。最後に誰を選ぶのか……それはシンクのみぞ知るといったところか。まったくもってあいつは罪な男だ、と思い、俺は缶の中に残っていたスポーツドリンクを一気に飲み干した。

 

 

 

 

 

 バッティングセンターを出た俺達はゲームセンターへと足を伸ばす。本当はカラオケを間に挟むのがシンク達のいつものルートらしいのだが、俺は歌が苦手なのでそれだけは勘弁してもらった。むこうから提示された予定で唯一俺が変更を申し出た内容だった。元々歌がうまくないというのに加え、最近の歌手だとかアーティストだとか、そういうのを全くといっていいほど聞かない俺にとっちゃ苦痛以外の何物でもない。

 そうでなくても昼の短いこの季節では段々と日が傾いてくる頃だ。時間的にもそろそろお開き、となりそうだということで、駅へと戻る途中でゲームセンターに寄ったのだった。

 

 ここはベッキーの独壇場だった。クレーンゲームで欲しい物を見つけたかと思えば数回でその景品をかっさらい、リズムゲームをやったかと思えばハイスコアを叩き出し、シューティングゲームをやったかと思えば全ステージをあっさりクリアする。さっき俺に「自分は普通だ」みたいなことを言ったのはどこのどいつだと突っ込みたくなる。

 

 そうして可愛いマスコットキャラやらでっかいぬいぐるみやらいろいろ取ったベッキーは、最初にナナミが選んだ服と一緒に荷物を全部シンクに持たせている。幼馴染ゆえの特権だな。

 そのベッキーとシンクは前を歩いている。あとは駅に戻るだけ。今日の予定はこれで終わりだ。

 

「結局あたし達のいつものコースとあんまり変わらなかったけど……ソウヤはこれでよかったの?」

 

 自然と俺と一緒に歩くこととなったナナミが尋ねてくる。確かに俺がしたリクエストといえば「カラオケはやめてくれ」というだけだが、残念ながら俺は遊ぶ方法を詳しく知らない。なら知ってる人間に任せればいい、ということで結局全部投げてしまっていた。だがナナミとしては俺が何も希望を言わなかったから、と気にしているのだろう。

 

「ああ。楽しかった。そもそも人と出歩くことが少ないからな」

「そうなの? ベッキーともすぐ仲良くなったみたいだし、社交性ある方だと思ったけど」

「ない方だ。……いや、だった、になるのか。こんなひねくれ者で口の悪い俺なのに、あいつは友達になりたい、って言ってくれて……。だから俺は前よりは話せるようになったのかもな」

「ふうん……」

 

 両手を頭の後ろに組みつつ、ナナミはそう相槌を打った。

 

「……言いにくいことは言わなくてもいいんだけどさ」

 

 少し間があった後、ナナミはそう切り出した。

 

「ソウヤがシンクと出会った場所……()()()()()()ところでしょ?」

「え……」

 

 さっきシンクはベッキーとナナミにはフロニャルドのことは全然話していないといっていたはず。なのになぜナナミはそのことを……。

 

「あーやっぱりか。いや、いいよ。シンクは秘密にしておきたいみたいだし深く聞くつもりはないから。ただ、夏休みに会った時、なんだかちょっと変わったな、って思ってね。以前にも増して力強くなったっていうか、体だけじゃなくて心の方も成長したなって思ったからさ」

「それでなんで普通じゃない、という考えに至れる?」

「実を言うとシンクにとって心から喜んで体を動かせる場所なんてもうないのかもしれない、って思ってたの。そんなシンクが明らかに成長した、ってわかったわけだし、本人も『すっごく楽しいところ!』って言うし、普通じゃないんだろうな、っては思ってた」

 

 「すっごく楽しいところ」、か。やっぱりあいつは根っからのアスレチック馬鹿だ。楽しいことはとことん楽しむ、そんな天性のものがあるんだろう。

 

「……で、そこでソウヤ以外にもいろんな人と会ってるわけ?」

「まあ、そうなる」

「……女の子とも?」

 

 俺はナナミのほうを振り返る。おちゃらけた姉ちゃんかと思っていたが、カンはいいらしい。2人にとってよきお姉さん、というところなのだろう。

 

「……ああ」

「そっか」

「なぜそれがわかった? あいつの行動にそんな兆候があったか?」

「ううん、全然」

「じゃあなぜ……」

 

 前の方を向いていたナナミが視線を俺の方に向けると同時に俺をピッと指差す。

 

「ソウヤがベッキーと深刻そうに話してたから」

「俺が……?」

「そ。さっきバッティングセンターで何か話し込んでたでしょ。最初は同じ趣味についてかなーとか思ったけど、途中で様子を窺ったらなんだかやけに深刻そうだったから……。趣味以外で深刻になる2人の共通点といえば……シンクでしょ? そのシンクからベッキーに関係することって異性関係かなって。それでソウヤがベッキーの背中でも押してるのかなーって思っただけ」

 

 ……参った。カンが鋭い、なんてレベルじゃない。全部筒抜けだったわけか。

 

「……シンクと楽しそうにしてるベッキーを見たら……なんだか応援してやりたくなってな。でもそのライバルが多いってことを俺は知ってしまっている。一方でシンクは多分それは伝えてない……いや、あいつにとっちゃ()()()()対象じゃない、とか思ってるだろう。だからその()()()()()に参加するように、なるべく後悔しない選択をするように話をした」

「ふふーん、なるほど。やっぱそういう話だったか。いやあお姉さんその辺が気になっちゃってさー。もうバッティングどころの話じゃなかったのよ」

「じゃあもしかして今日全然打てなかったってのは……」

「そ、君のせい。2人が後ろで深刻そうに話してるからさ。まあ別にジュース1本だしどうでもいいんだけどね。……で、その対抗レース、かなりの混戦なの?」

「ああ。激戦が予想されるな。……ちなみにナナミ、この際だからはっきり言っておくと、俺の中じゃお前もエントリーしてることになってる」

「え、あたし!? ……あたしは除外しておいて。確かにシンクといると楽しいけど、恋愛対象、ってのとはちょっと違うから。あたしは2人のお姉さんとして見守っていく役割だと思ってるからさ」

 

 ナナミが小さく笑う。が、笑った後で不意にその笑顔が消えていく。

 

「……でもいつまでもお姉さん面してもいられなくなってきちゃった。この間のアイアンアスレチックでは負けちゃったし……。シンクは今成長盛りの男の子だから、もうちょっとしたらきっとあたしの手の届かないところに行っちゃうんだろうな……」

「そんなことはないだろう。春休みと夏休みのあいつの秘密特訓の成果じゃないか?」

「それもあると思うよ。でもね、それ以上に心も体もシンクは成長してるからだと思う。……まあその『すっごく楽しい場所』での秘密特訓はシンクにとって相当プラスになったみたいだけどね。あたしの推測だと……ソウヤにとっても」

「まあな」

「いいなあ、そんな楽しそうなことして。いや、まあ『楽しかった、いろんな人に会った』ぐらいしかシンクは言わなかったから実際はどんなことしたのかわかってないんだけど……」

「次の春休みにでも、2人を誘うって言ってたぞ」

「ほんと!? よかったあ。夏絶対誘うから、とか言ってたくせになんか急にスケジュール決められた、とか言って行けなかったし……」

 

 ああ、そういやそんなこと言ってたかな。シンクが1回目に召喚された時同様、急に使いの犬が現れてフロニャルドに連れて行っちまったとか。今の召喚方式がその時に確立してれば1度戻って2人を連れてくるとか出来たのかもしれないが、まあもしもの話だな。

 

「……ま、とにかくベッキーの背中を押してくれてありがとね。あの子、シンクに対する思いは人一倍強いはずなのになかなか足を踏み出せないでいたから。お姉さんとして礼を言っておくよ」

「別に俺のお節介だ、礼を言われる筋合いはないぞ」

「もう、かわいくないなあ。……あ、あとシンクとも仲良くしてくれてありがと。兄貴分としてこれからも仲良くしてあげてね。で、シンクが困ってる時は相談に乗ってあげて。男同士の方が相談しやすいこともあるだろうから」

「兄貴分、か……。そう考えたことはなかった」

 

 そうか、フロニャルドでの人を考えてもあいつの身近であいつより年上の男、って言ったら俺か向こうの騎士団の人たち……ロランさんやエミリオさん辺りになるのか。

 ……ああ、なんだかビスコッティの人たちのことを考えてたら、向こうの国の人たちとはちゃんと顔を合わせてない人が多いことを思い出した。冬休みは滞在期間が短いだろうから、春休みになったらビスコッティに呼び出されるであろうナナミやベッキーに会いに行きながらちゃんと挨拶しよう。()()()()()()()その方が都合もよさそうだろう。

 

「……とにかく、これからもよろしくね、兄貴!」

 

 バン、とナナミが平手で俺の背中を叩いた。

 

「いてえな。俺はナナミより年下だぞ?」

「それでも前の若い子らよりは兄貴じゃない」

 

 何が面白いのかナナミが笑う。

 俺は兄弟がいないからよくわからないが、もしいたならきっとこんな感じなんだろう。なるほど、レオ様とガウ様があれだけ互いに信頼し合って仲がいいのが少しわかった気がした。

 

 と、荷物を抱えた前の()がこっちを振り返る。

 

「2人とも楽しそうに何話してるの?」

「なんでもないよー。ただの年寄りの世間話。ね、ソウヤ?」

「ああ。そうだな」

「年寄りって……2人ともあたしとそんなに変わんないじゃない……」

 

 呆れたようにベッキーが突っ込みを入れる。それを聞いたシンクも困ったように笑っていた。

 その()に俺は心の中で感謝の気持ちを述べる。

 

 あの時、お前が俺と無理矢理にでも仲良くなる、とか言ってくれなかったら、俺は今こうしてなかったかもしれない。互いに剣を交えて、戦いの中で俺にフロニャルドの戦の楽しさを教えてくれなかったら、俺は以前のまま腐っていたのかもしれない。

 もしそうだったらベッキーとナナミとも……このお節介焼きだけど素直になれないファンタジー小説が好きな少女と、おちゃらけてるけど実はしっかりしてるお姉さんとも出会えなかったかもしれない。今日2人と話せてよかった。楽しかった。

 

 だから俺は心の中だけじゃなくて、やっぱり口に出してあいつに伝えてやろうと思った。

 

「シンク」

 

 名を呼ばれ、夕日を浴びながらシンクは振り返る。

 

「今日はありがとな。楽しかった」

 

 シンクの表情が緩む。

 

「改まって何言ってるの。いいんだって、僕とソウヤの仲なんだし」

 

 俺も表情を緩める。

 夕暮れと共に、楽しかった今日の1日が終わろうとしていた。

 




中央西口……都内の某巨大ターミナル駅にある出口のひとつ。他にも東南口やら新南口やらサザンテラス口やら多数の出口がある。「とりあえず改札を出ればいい」という考えを改めさせてくれる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

short / long(シンク・エクレ)

 

 

 その日、フィリアンノ城の中は朝から浮ついたような空気で満ちていた。それは騎士団の親衛隊とて例外ではなく、朝の訓練を終えた親衛隊一同を前に、隊長のエクレールが険しい表情で口を開く。

 

「いいか、今日また()()()()()ということだが、だからといって浮かれるな。今朝の訓練もお世辞にも身が入っている、とは言えない様子も窺えた。このフィリアンノ城、そして姫様をお守りするのは我々親衛隊だ。数日後にはまたガレットとの戦も控えている。決して浮かれすぎないように! ……ではこれで朝の訓練を終わりにする!」

 

 エクレールの話が終わり、辺りに弛緩した空気が流れる。私語を交わす者も多く、勇者様が参加する数日後の戦が楽しみだ、と言う者からまた勇者様と親衛隊長の模擬戦がみたい、と言う者まで。今釘を刺したばかりなのにもうこれか、と思わず小言を言ってやろうかと彼女は思ったが、かくいう自分もどうも今日は落ち着かないのは事実だし、と特に何も言わないことにした。

 

 輝歴2911年瑠璃の月。日本の暦なら12月、その下旬。大抵学校はこの時期冬休みに入るわけで、それはシンクの通う紀乃川インターナショナルスクールでも例外ではなかった。その期間を利用し、彼は三度目の訪問を予定していたのである。

 久しぶりにシンクが来る。そう思っただけでエクレールは地に足が着かないような感覚だった。何より先ほど親衛隊の一同に偉そうなことを言ったが、話してる間に「()()が大人しくできていたか」と問われたら「勿論だ」と言い返す自信もない。無意識のうちにせわしなく動いていた可能性は否定できない。事実、彼女もシンクが来ることを楽しみにしているのだから。

 

(……いかん。私までこんなことでは示しがつかん)

 

 気を引き締めよう。そう思いつつ、訓練場所の中庭から城内へと戻ろうとするエクレール。

 

「あら、騎士エクレール。丁度よかった」

 

 その時聞こえた声に彼女はその声の方へと視線を送った。呼び止めたのはフィリアンノ城メイド隊の長であるリゼルだった。

 

「リゼル隊長。私に何か御用が?」

「はい。姫様から伝言がありまして」

「姫様から?」

 

 なんだろうか。考えてみると、いくつか思い当たる節があった。とりあえず真っ先に思いついたことを口にしてみる。

 

「……召喚台までの護衛でしょうか?」

「あら、さすが親衛隊長ですわね。ご名答。この後勇者召喚のために姫様が召喚台へと向かう際、護衛をお願いしたい、とおっしゃっておりました」

 

 むう、と言いたげな表情でエクレールは一瞬黙り込む。姫様からの命令だ、逆らう余地など自分にないことはわかっているし、その命令自体に不服なわけではない。だがどうにも彼に顔は合わせにくいと思っていたからだった。

 別にケンカをした、だのそういうことはない。ただ、以前の別れ際にあんな()()()()()ことを言ってしまった、と思い出すと今でも顔が燃えそうに熱くなる。きっと当の本人はそんなの全く気にしていないだろうが、言った側としてはどうにも気になってしまうのだ。どんな顔をして会ったらいいかいまひとつわからない、というのが彼女の心情だった。

 

「……何が都合が悪かったかしら?」

 

 思わず黙り込んだエクレールを不審に思ったのだろう、リゼルが問いかける。

 

「いえ、そんなことは……」

 

 とにかく、姫様の命令なのだからそれに従うのが騎士として当然の姿だ。それに、どうせフィリアンノ城に来る、自分達の訓練にも顔を出す、そうでなくても彼は以前もそうだったように着いたら挨拶してまわることだろう。なら遅かれ早かれ、顔を合わせることになるのだ。早いか遅いかの違いだ、とエクレールは思うことにした。

 

「喜んで姫様にお供させていただきます」

「そうですか。では姫様にそう伝えておきます。半刻後出発ということでしたので、準備をしておいてください」

 

 そう言い残し、リゼルはその場を去っていく。それを目で追い、エクレールは思わずため息をこぼした。

 

「どうしました、隊長? 何か厄介事でも?」

 

 そんな彼女の様子を見て声を書ける青年がいた。実質親衛隊の副隊長格のエミリオだ。実際には副隊長ではないが、エクレール不在時には親衛隊の取りまとめも行っており、実力も親衛隊中ナンバー2との呼び声も高い。しかし本人が実力が伴っていないことを理由に今は副隊長となることを辞退していた。

 

「いや……。姫様からの命令でな。この後姫様を召喚台まで護衛してほしい、ということだ」

「それの何が不満で……。……ああ」

 

 何かを納得したのか、エミリオは1人で頷く。

 

「……なんだ貴様、1人で頷いて」

「気にしすぎですよ、隊長。今までどおりでいいじゃないですか」

「な、何がだ?」

「大方勇者様にどんな顔をして会ったらいいか、とか考えていたんでしょう? だから言ったんですよ、今までどおりでいいじゃないですか、って」

「な……!」

 

 図星を突かれ、彼女は言葉を詰まらせる。

 

「無理に何かしようとか思わなくても、普段のままの隊長の姿を見せてあげれば、それだけで勇者様は嬉しいでしょうし、十分じゃないんですか? それに自然体の方が隊長も気が楽でしょうし」

 

 エミリオに言いたい放題言われ、しかしどれも間違いではないだけに言い返せずにエクレールは黙り込んだ。

 

「リラックスですよ、隊長。どうせ勇者様はここに来るんです、いずれ顔を合わせるんだからちょっとそれが早くなっただけじゃないですか」

「……好き放題言ってるな、貴様」

「はい。こうでも言わないときっと隊長は勇者様を前にしたら緊張しっぱなしとかになってしまうんじゃないかと思いましたから」

「……フン。余計なお世話だ」

 

 そう言うと話は終わり、とばかりに隊長は副隊長格に背を向けた。それに対してエミリオは何も声をかけてこない。満足したのだろうか。だがそっけない態度をとりつつも、内心で彼女は彼に感謝していた。

 「今までどおりでいい」「普段のままの姿でいい」。そう言われただけで少し気が楽になったように感じた。

 考えてみれば自分が思い込みすぎていただけのようにも感じる。2度目の時もどう顔を合わせるか悩んでいるうちに再会して、なんだかんだ悩んでいたのが馬鹿らしくなったのだ、今回もきっとそうなるだろう。

 

(まったく……。真面目な堅物の癖にお節介焼きめ)

 

 そう思いつつ、だがそんな風に吹っ切れたのはやはり彼のおかげなのだろうと、彼女は再び心の中で感謝しつつ、召喚台へ向かうための準備をすることにした。

 

 

 

 

 

 護衛ということでミルヒに付き添ったエクレールは、今は召喚台を臨む林の中で自身の主君と、その主が異世界より呼び出す客人を待っていた。

 移動しているときからずっと姫様は嬉しそうだったな、とエクレールは思い出す。まあ当然だろう、連絡は取り合えていたようだが、顔を合わせるのは約5ヶ月ぶりだ。

 そこまで考えをめぐらせたところで、そうか5ヶ月か、と彼女は気づいた。自分でさえ久しぶりと思うのだから、姫様にとっては一日千秋の思いだったのだろう。ならあれだけ浮かれた様子になるのも仕方ないと言える。

 などと他人事のように考えているが、エクレール自身も楽しみではある。……なのだが、その前に緊張の方が先に来てしまうのだ。いや、考えすぎだろうとわかってはいる。さっきエミリオに言われた通り、平常心で今までどおりでいい。何も今回だけこんな身構えなくてもいいはずだ。

 

 エクレールがそんなことを考えているうちに、召喚台のほうから天へと眩い光が伸びていく。他ならぬ召喚の光。ああ、あの中にあいつがいるんだ、そう思うと、やはり鼓動が早くなった。

 しばらくして光が収まる。今頃はミルヒと久しぶりの挨拶でも交わしてるのかもしれない。

 

(姫様は……あいつのことをどう思っているのだろうか……)

 

 ふと考え、思わず頭を振る。

 エクレールはこう考えていた。姫様があいつを好ましく思うというのは、不釣合いだと思うし、姫様はもっと優れた方とお付き合いするべきだとも思う。そのため非常に不本意ではあるが、それでも可能なら姫様の意思を尊重したい、と。

 事実、勇者と姫、まあ厳密には姫というと当の本人は怒るのだが、ともかくそういう関係で交際をしている、という事例がここ最近、しかもよりによって()()で起こっているという話である。なら、勇者と姫という立場の人間同士が交際しても問題ない、ということが証明されていることになる。

 

 しかしそれはあくまでミルヒの意思を尊重した時のビスコッティ親衛隊長エクレールとしての意見であり、()()()としての彼女の本心はやや異なっていた。

 悔しさ、焦燥感、あるいは嫉妬……。もしかしたら将来ミルヒの夫としてシンク・フィリアンノ・ビスコッティが誕生するかもしれない、そういう未来を想像すると、先に述べた負の感情に似たようなものを抱いたしまうのを隠し切れなかった。

 

(……しかしそれではまるで私があいつに惚れているようではないか。断じて認めたくない。私はあいつのことなど、別になんとも……)

 

 だが、認めたくない、と思いながらも、認めなければ自分の元から勇者が離れていってしまうのではないか。そうも思えて、それでエクレールは悩んでもいた。

 また来てほしい。待っている。シンクにそう伝えたエクレールの心は本心だった。そこまでは認めることが出来る。が、それ以上となると認められない。ウブな年頃の彼女はどうしてもその一歩を自ら踏み出すことができずにいた。

 

(……やめよう。埒が明かない。エミリオが言ったとおり普段通りでいい。姫様があいつをどう思っていようが、あいつが姫様をどう思っていようが関係ない。またあいつに背中を預けて戦に参加できる、それだけで私は嬉しい)

 

 それを素直に認められると言うだけでも、以前の彼女と比べたら大きな進歩ではあったろう。もっとも、本人はそれに気づいていないようではあったが。

 

 と、召喚台の方から2人が歩いてくるのが見える。その片方、金髪の少年を目にして、やはりというか、エクレールの鼓動が早さを増した。その心を落ち着かせようと大きく数度深呼吸をする。

 

(よし……平常心だ……)

 

 務めて自身の心を顔に出さないように――まあつまるところいつものような不機嫌そうな仏頂面になるのだが、その表情で彼女は5ヶ月ぶりに会う勇者を出迎えた。

 

「あ、エクレ。久しぶり」

「……ああ」

「迎えに来てくれたの? ありがとう」

「まあ……姫様の命令だからな。……ほら、こいつに乗れ」

 

 淡々と答え、連れてきたセルクルをシンクの前へと歩かせる。それを彼は笑顔で迎え、その表情に再びエクレールの鼓動が早くなった。気づかれないように彼女は背を向け、自分のセルクルに跨る。

 

「さあ、行きましょう、シンク」

 

 既にハーランに乗ったミルヒに促され、シンクもエクレールが連れてきてくれたセルクルに跨った。3人をそれぞれ乗せたセルクルがフィリアンノ城へと続く道を進みだす。

 

「えっと姫様、今回の予定ってどうなってるの?」

「はい、3日後にガレットとの戦が予定されてます。その後は特に何もないですので……多分レオ様やガウル殿下がいらっしゃるんじゃないかと」

「レオ様は『恋人』を連れて、かな。了解」

 

 その「恋人」と呼んだ人間の顔を思い浮かべてだろう、ミルヒの答えにシンクが笑いながら了承の意図を示した。

 

「そういえば……シンク、そのソウヤ様とはそちらの世界でお会いになりました?」

「はい。幼馴染のベッキーとナナミと一緒に。買い物したり、ご飯食べたり、ちょっと体動かしたり……。楽しかった、って言ってくれました。あ、その幼馴染の2人ですけど、今回はあまり長くいられないから誘えなかったけど、次また3月……こっちだと珊瑚の月かな? その時にでも連れてきたいなって」

「そうですか、それは楽しみです。……でも珊瑚の月、ということは……シンクが勇者としてビスコッティにいらしてくださってから、もう1年経つんですね」

「あ……そっか」

 

 シンクが思い出すように視線を上にあげ、視界に綺麗なフロニャルドの空を捉えながらそう呟く。

 話す2人の後ろを付き添うように続くエクレールはその言葉にふと思いをめぐらせた。

 初めて会ったときのシンクはどうしようもない奴だった、とエクレールは思い出す。いや、今もどうしようもないかとも思うが。だが自分に対して「女の子?」と言った上に胸を触り、あまつさえ攻撃を誤爆して服までひん剥かれたあの時を思い出せば、あれは本当に最悪だったと言っていいだろう。

 その後は……奪還戦でコンサートに間に合わなそうな姫様をコンサートホールに送り届けたり、魔物に捕らわれた姫様を救い出せたのはシンクのおかげと言わざるを得ないし、勇者なりの活躍はした、と評価していいとは思う。

 

 それから2度目の召喚。今度は頑なに心を閉ざしていた隣国の勇者の心を、その戦の中で解放させてみせた。あれこそまさに勇者同士の名勝負と言えるだろう。後日、改めて開催され、互いにベストコンディションと言える状況で戦って引き分けた2人の一騎打ちも含めて、その2人はそれぞれビスコッティとガレットの勇者にふさわしい存在として、人々に広く認められている。

 

 思い出せば短いように感じるが、それでも充実した日々だった。そして今日またそのシンクが召喚されてきている。

 

(また……こいつと一緒に戦える、か……)

 

 はっきり言って嬉しい。が、言葉に出すのはなんだか悔しいような、恥ずかしいような。そんな感覚を覚え、黙っていようとエクレールは1人そう思った。

 

「あの……エクレール?」

 

 が、思いに耽っていたせいか、どうやらミルヒの呼びかけに気づかなかったらしい。前へ視線を向けると、怪訝そうな表情で2人がこちらを見つめている。

 

「す、すみません姫様。ちょっと考え事をしていて……。えっと、何か……」

「はい。私はこの後もまだ公務があるので……。それでシンクが是非親衛隊の訓練にご一緒したいそうなので、これからのことはエクレールにお願いしようかと」

「戦は3日後って聞いたし、その前にちょっと体動かしておこうかなと思ってさ」

「……わかりました。こいつは私の方でみっちりしごいておきます」

「えっと……戦に響いては困りますので……その、ほどほどに……」

 

 やや困り顔でなだめるようにミルヒはエクレールに声をかける。

 

「大丈夫、姫様。そのぐらいの方が僕としてはやりがいがあるから!」

「……ほう? 貴様その言葉、忘れるなよ?」

 

 言いつつ、ああ、やっぱり無駄な思い過ごしだった、とエクレールは感じていた。結局話し出せばこうなる。どんな顔をして会おう、とか何を話そう、とか考える必要もなかった。この()()鹿()にはそんなしちめんどくさいことは不要なのだ。

 だったら、共に体を動かして、また以前のような熱い日々を過ごせばいい。

 前を向いたミルヒとシンクにばれないよう、エクレールはこっそりと微笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 王立学術研究院。その主席研究室内で書き物をしていたリコッタは、書類をまとめ終えると大きく伸びをした。それから小柄な体にはやや不釣合いな椅子から降り、部屋から出て行く。

 

「あれ、主席、お散歩ですか?」

 

 と、研究室から出てきたリコッタに気づいた学院の研究員が声をかけてきた。

 

「はいであります! 今日はまたシンクが来る日でありますから、そろそろ来てると思うであります」

「あ……そうでしたね。今日は勇者様がいらっしゃる日でしたね」

 

 もう1度「はいであります!」と嬉しそうに答えたリコッタは学院の入り口へとスキップするようにうきうきと進んでいった。

 

(シンクに会えるのは久しぶりだから楽しみであります! それに……姫様、シンクに地球の甘味を持ってきてほしい、とお願いしたはずでありますから……そっちも楽しみであります!)

 

 以前ミルヒの星詠みで見た地球のスイーツを紹介する番組。その中で見た色とりどりの甘味を思い出し、リコッタは思わず垂れそうになった涎を飲み込んだ。

 とはいえ、本当にシンクがもうフロニャルドに来ているのかもまだわかっていない。来ているにしても場所もわからない、と思ったところで、向こうにそれを聞くに丁度いい人物が歩いている姿を見かけた。

 

「リゼル隊長ー!」

 

 自身を呼ぶ声にメイド長のリゼルが振り返る。

 

「あら、主席。どうかなさいました?」

「リゼル隊長、シンクってもう来てるでありますか?」

「勇者様? ええ、いらしてますよ。親衛隊長に連れられていたので、今頃中庭で親衛隊の訓練に参加してる頃かと」

「訓練でありますか? ……シンクは本当に体を動かすのが好きでありますな」

 

 少し呆れたようにため息をこぼすリコッタ。

 

「まあそれが勇者様、とおっしゃってしまえば、それまでかもしれませんが。……ああ、そういえば、主席にお土産を持って来たとか……」

「やったであります! 楽しみであります! では自分は行ってくるであります!」

 

 嬉しそうに小さく跳び上がり、リコッタは中庭の方へと駆け出した。

 中庭が近づくに連れ、騎士達の声だろうか、盛り上がっているような声が聞こえてくる。その声から普段とは違う雰囲気を感じ取り、やはりシンク1人がいるだけでまるで城内が戦勝祭のように明るい空気になるな、とリコッタは感じていた。

 

 中庭に出る。そこの中心を取り巻くように騎士達が立ちながら真ん中の2人を見つめている。その様子を横目に見つつ、やや離れたところに腰掛けるロラン騎士団長のところへと彼女は駆け寄った。

 

「騎士団長」

「おや、主席。主席も勇者殿の顔を見に?」

「はいであります。……ですが今は……」

「ああ。取り込み中、だね。見ての通り」

 

 ロランの視線の先をリコッタも追う。その先に少し前にも見た真ん中の2人――つまりシンクとエクレールの模擬戦という風景があった。

 2人とも得物は兵が普段使うような普通の剣。一見するとどちらもほぼ互角、シンクは嬉しそうな表情を浮かべて戦っているところからも軽く手合わせ、という印象を受けそうだった。

 だが戦いを見始めたばかりの研究院主席の目にはそうは映らなかった。戦では砲術士として参加することもあるリコッタだが、戦いは本分ではない。しかしその彼女をもってしても、エクレールはかなり本気になりつつあるように見えた。そしてそうさせるほどに、シンクが強くなっているのだ、ということにも気づいていた。

 というのも、シンクの故郷、地球での戦、と呼ばれるアイアンアスレチックというものを、ミルヒの星詠みを通してリコッタは見ていたからでもあった。もっとも、リコッタだけではなく、その際はビスコッティ側は勿論、ガレット側からもわざわざレオやガウル、ジェノワーズまで来て観戦していた。

 そのアイアンアスレチックの決勝、シンクは僅かな差とはいえ1年前に苦汁を舐めさせられたライバルのナナミに勝利し、優勝を収めていた。そこだけを見ても、初めてフロニャルドを訪れた時より腕を上げているということがわかる。

 

「エクレ……本気でありますね」

「やっぱり主席の目にもそう映るか。……全力ではないとはいえ、エクレールには以前ほどの余裕はなくなっているように見える。勇者殿、相当腕を上げられたな……」

 

 先ほどまで均衡していた展開は、次第にシンクが押し始めた。エクレールは得意のスピードを武器にシンクの攻撃を避けつつ反撃を繰り出しているが、同様にスピードを武器にするシンクも負けじと反撃を捌き、さらに力強さの増した一撃を放っていく。

 徐々に劣勢となっていったエクレールは武器で受け止める回数が増えていく。とうとうシンクの力の篭った一撃が彼女の持つ剣に当たり――。

 乾いた音と共にエクレールの持っていた剣が中ほどから真っ二つに折れた。

 

「……私の負け、か」

 

 しかしシンクは首を横に振る。

 

「ううん。引き分けだよ」

 

 その言葉が終えるとほぼ同時、シンクが持っていた剣も折れる。

 

「互いに武器が壊れちゃったから、引き分けでしょ?」

「だが内容はお前のお前の勝ちだ。……悔しいが」

「何言ってるの。ここに紋章術が入ってきたら、扱いのうまいエクレには僕は全然叶わないよ」

 

 エクレールはまだ何か言いたそうだったが、たとえ何を言ってもシンクには通じないと思ったのだろう、開きかけた口を閉じた。

 

「シンクー、エクレー」

 

 と、その時自分達を呼ぶ声が聞こえて2人は声の主へと目を移す。

 

「あ、リコー! 久しぶり!」

「はいであります! お久しぶりであります!」

「僕がここに来た時はいなかったと思うけど……いつからここに?」

「ついさっきでありますよ」

「……じゃあ私がこいつに無様に負けたところも見られていたのか」

「だから引き分けだって」

 

 あくまでシンクは引き分けを主張する。気を遣ってくれているのは彼女もわかっていたが、騎士としては逆にその心遣いが少し辛く感じてもいた。

 

「あ、そうだ。リコにおみやげが……」

「それ! それであります! 姫様を通してお願いしていたはずでありますが……」

「うん、たくさん持って来たよ。地球のお菓子」

 

 そう言ってシンクは自分が持って来た荷物の方へと歩いていく。その後ろをまさに小動物のように、パタパタと尻尾を左右に振らせながらリコッタが続いた。

 それを目で追いつつ、エクレールは隊に訓練休憩の指示を出した。自分も甘味は気になる。それに少し気分を変えないとさっきの敗戦を引きずりそうでまずい、そうも思ったからだった。

 

「僕は女の子の好きなお菓子とかよくわからなかったからベッキーに選んでもらったんだけど……こういうのでよかったのかな?」

 

 シンクが持って来た保冷材も入っている袋の中から紙の箱を1つ取り出して蓋を開ける。その中身を見た瞬間――

 

「「うわあ……」」

 

 エクレールとリコッタの声が綺麗にハモった。

 箱の中にあったのは眩いばかりの宝石……にも劣らない洋菓子の数々だった。見るからに甘そうで、美味しそうで、そして女性にとって天敵といえるカロリーが高そうなものばかりだった。

 

「す、す、すごいであります! 姫様と映像版を通してしか見ることのできなかった甘味が目の前にこんなにあるであります!」

「これは……美味しそうだ……」

 

 リコッタは言うまでもなく、思わずエクレールまでも箱の中のお菓子を凝視する。

 

「姫様の分は別にもう預けてあるけど、あとこれを風月庵に持っていかないといけないから、ダルキアン卿とユッキーの分は残しておいてね。……あ、でもあの2人は和菓子の方がよかったかな? まあいいや、好きなの取っていいよ」

「じゃあ遠慮なく……。エクレも食べるでありますよ」

「わ、私もいいのか……?」

「勿論。エクレにも食べてもらおうと思って持って来たんだし。あ、よかったらこれで手拭いて」

「ああ……。じゃ、じゃあ……」

 

 シンクから渡された使い捨てのウェットティッシュで手を拭いた後、エクレールは切り分けられたロールケーキを、リコッタはシュークリームをそれぞれ取り、シンクが持って来た紙皿に乗せる。そして2人同時にそれを口に運んだ。

 

「どう?」

「お、美味しい……」

「であります……!」

「そっか。よかった」

 

 嬉しそうにシンクが微笑む。それを見たエクレールは先ほど久しぶりにシンクを見たとき同様、鼓動が早くなるのを感じた。紛らわせようと残っていたロールケーキにプラスチックのフォークを突き刺して一気に口に運ぶ。

 

「あ、エクレもう食べちゃったんだ。ロールケーキ気に入ってもらえた?」

「あ、ああ……」

「なんでもここのロールケーキはすごい人気らしいよ。卵が違うから、スポンジのふわふわ感が他の店じゃ真似できないとかなんとか……。ベッキーが力説してたよ、自分が食べたいぐらいだって。僕はお菓子に詳しくないから忘れちゃったけど……」

 

 そう言ってアハハ、とシンクは笑う。

 

「シンク、エクレが食べたのが気になるでありますが……まだ食べてもいいでありますか?」

「勿論いいよ。はい」

 

 箱をリコッタのほうに向けて差し出す。そこから彼女は遠慮なくロールケーキを取り出した。

 

「ではいただくであります。……おお! このふわふわの食感にほどよい甘さ……完璧であります! シンクはいつもこんな美味しいものを食べてるでありますか!?」

「いや、さすがにいつもじゃないよ。それに人気のお店だと売り切れちゃうこととかもあるみたいだし」

 

 シンクの説明を聞いているのかいないのか、その後もリコッタは「もうちょっといいでありますよね?」と全部食べそうな勢いでタルト、ワッフル、またロールケーキと食べ進めていく。

 

「リコ、そこまで。これ以上は風月庵の2人の分がなくなっちゃうから……」

「ううー……。全部食べたかったであります……」

「いや、食べすぎだ……」

 

 悲しそうな表情のリコッタに呆れつつエクレールが突っ込みを入れる。箱の中にあったお菓子は既に半分近くリコッタ1人の胃袋に収まってしまっていた。

 

「リコはたくさん食べるとは思ってたけど、これはちょっと予想外だったかな……。まあ持って行く分は残ってるからいいか。……で、リコ、満足してくれた?」

「はいであります! 大満足であります! ……もうちょっと食べたかったではありますが」

「そっか。よかった。エクレはどうだった?」

「言っただろう。美味しかった、と」

 

 言葉にそぐわない、いつも通りの不機嫌そうな表情でエクレールは答えた。

 

「そう? それにしてはなんだか不服そうだけど……」

「そんなことはない」

 

 やはり変わらぬ表情のエクレール。

 

「あ、わかった。本当はリコみたいにもっと食べたかったけど、騎士としてそんな格好は見せられない、とか意地張っちゃったんでしょ?」

「そんなわけあるか! ……貴様は私を馬鹿にしてるのか? それに不服そう、と言ったが、生まれつき私はこういう顔だ」

「うーんそうかあ……。なんか、勿体無いと思うけど……」

「勿体無い……?」

 

 意図が解りかねる。そう思った彼女は次のシンクのセリフを全く予想していなかった。

 

「うん。そういう不機嫌そうな顔をしてるのも……まあエクレっぽいとは思うけど、でもやっぱり笑った方がエクレはかわいいんじゃないかな、って思って」

「か、かわ……!」

 

 一気にエクレールの顔が紅くなる。最初こそ緊張したもののその後は普通に接することが出来ていただけに、この一言はあまりに急で心の準備が全くできていなかった。故に耳まで顔を真っ赤にすることとなる。

 

「あれ? エクレ顔真っ赤だけど大丈夫? 熱でもあるじゃない?」

 

 さらに固まるエクレールの額に、お菓子の箱を置いたシンクの手が当てられる。この追い討ちが完全にとどめだった。

 

「な……な……!」

 

 完全に頭の中がパニック状態になったエクレールは反射的に拳を握り締め――

 

「こ、こ、このバカ勇者があー!」

 

 見事なボディーブローをシンク目掛けて全力で打ち込んだ。

 

「おごふぉー!?」

 

 聞くからに痛々しい声と共にシンクが悶絶し、お腹を抑えて地面を転がりまわる。無理もない、戦で敵に放てば即だま化レベルの一撃だ。

 

「き、騎士の額に気安く触れるなと言ったろうが! このアホが!」

「い、痛いよエクレ! ひどいよ!」

「やかましい! 自業自得だ!」

 

 結局いつも通りか、とリコッタは苦笑を浮かべてため息をこぼす。以前よりもエクレールは素直になったとは思うが、やはりこういう不意打ちには弱いようだ。自分は大歓迎なのに勿体無いとも思う。

 

「まあエクレ、その辺にして……。それはそうとシンク、この後風月庵に行くでありますよね?」

「あー……。うん、そうだよ……」

 

 まだお腹を抑えてうずくまったまま、シンクは顔だけを上げてリコッタに答えた。

 

「だったらエクレ、シンクと一緒に風月庵に行ってあげればいいであります」

「な、なんで私が!?」

「自分がついていければいいでありますが、まだ書類まとめの途中で……。お客様である勇者様を1人で行かせる、というのもなんだか悪いような……」

「別に1人でいいだろう。子供の使いじゃないんだ、お前だって道ぐらい覚えてるだろう?」

「覚えてはいるけど……。でもせっかくなんだし、僕としてはエクレと一緒に行ける方が嬉しいかな」

「なっ……!」

 

 まだお腹を抑えつつ、だがようやく立ち上がれたシンクの、歯に衣着せぬ言葉に再びエクレールが赤面する。一方でリコッタは狙い通り、とばれないように唇の端を僅かに上げていた。

 

「そうでありますよ、エクレ。シンクもこう言ってるでありますし、お世話係としてはついていってあげなくてはダメであります」

「し、しかし親衛隊の訓練が……」

「それでしたら自分が代行で隊を見てますよ」

 

 そこで会話に割り込んできたのがエミリオだった。

 

「エミリオ!? でも私は……」

「主席がおっしゃったとおり客人の勇者様を1人で行かせるのはあまりよろしくないのではないでしょうか。それに勇者様は隊長といけるほうが嬉しい、とおっしゃったんですから、他でもない隊長がついていってあげた方がよろしいかと。なので自分が隊を見てますよ」

 

 むう、と悩んだ表情のエクレールだったが、やがて諦めたように大きくため息をこぼした。

 

「……わかった。そこまで言うなら仕方ない、私がついていってやろう。……それで満足か?」

「うん! ありがとうエクレ!」

 

 勇者は満面の笑みで親衛隊長に感謝を述べる。その表情に再び顔を赤らめ、エクレールは瞳を逸らした。

 

「あ、エミリオさんもありがとう。ちょっとエクレ借りますね」

「はい。隊長をよろしくお願いします」

 

 それに対して「了解!」とシンクは嬉しそうに答える。

 そしてシンクとエクレール、2人の視線が自分から外れたのを確認してエミリオは傍らのリコッタにチラッと視線を送った。それを見たリコッタは小さく微笑み、親指を上へと向けて見せた。

 

 

 

 

 

 

 風月庵に向けてフィリアンノ城を出発したシンクとエクレールの2人だったが、エクレールは明らかに緊張した面持ちだった。別にさっきまで模擬戦をしていたわけだし、その前だって他の人はいたとはいえ話もしている。

 だが2人きりになって、というのは今回の訪問では初めてだった。そのため、否が応でも相手を意識してしまい、何を話すか、どう振舞うのかで困ってしまっているのだった。

 どうしたものかとエクレールがシンクをチラリと横目に見つめる。それだけで、今ここには自分と2人しかいない、ということを再認識し、やはり鼓動が早くなる。

 

 と、その勇者がお腹を抑えているのがわかった。そこで彼女はようやく思い出す。先ほど本気で殴ってしまった、ということを。

 自業自得、とさっきは言ったし、そう思っているのも事実だ。が、それにしてはいささか強く殴りすぎた気もする。

 

「シ……勇者、さっきは思わず殴ってしまったが……その……大丈夫か?」

 

 仏頂面ではあるものの心配する言葉をなげかけつつ、だが()()()ダメだった、とエクレールの気持ちは僅かに沈んだ。

 彼の名を呼んだことはある。だがそれは()()()()()()ところでだ。つまり本人を前にして名で呼んだことは未だないのだ。いつかは呼びたい、そう思っていても今までどおりの「勇者」だの「貴様」だの、そんな呼び方しか出来なかった。

 

「あ、大丈夫だよ。鍛えてるから。でも心配するぐらいなら、最初から殴らないでいてもらえると僕としては嬉しいけど……」

「フン、貴様がアホなことばかりするからだ」

「ひどいなあ……。さっきのはエクレを心配しての行動だったんだけど……」

「だとしたら記憶力も相当なものだな。『騎士の額に触るな』と最初来た時に言っただろう?」

「でもその後のコンサートの時、思わず手握っちゃったけど、何も言い返してこなかったし」

 

 う、と思わずエクレールは言葉を詰まらせる。

 そういえばあの時はそうだった。そしてその後も「なるべく早く、また帰って来い」とも言ったし、もらったリストバンドを後生大事に身につけていた。いや、リストバンドは今も身につけているか。

 

 だが次にシンクが来た時、()()()()()()()はそこではなかった。せっかく前進したと思ったのに少し後ろからのスタート。早い話が、シンクが前回最後に帰る時ほど素直に話すことが出来なかったのだ。

 それでも彼の滞在中、前回同様に少しずつ彼女の心は打ち解けていった。隣国の勇者のお節介もあったせいだろう、帰り際には「また来てくれて嬉しい」と、少し素直に自分の気持ちを伝えることが出来た。

 

 しかし今回もスタートラインはまた少し後ろ。かつてはシンクの言ったとおり手を握られてもそれを許容したというのに、さっきは反射的に手が出てしまった。これではもう1歩を踏み出して名前で呼んでみよう、などまだまだ先のことである。

 

「それにさ、エクレ」

「……なんだ?」

 

 心の中での葛藤を悟られないように、努めて平常を装ってエクレールは答える。が、それも無駄な努力だったと、この直後彼女は知ることになる。

 

「さっき……僕のことを名前で呼んでくれようとしたでしょ?」

「な……!」

「確かエクレが僕のことを名前で呼んでくれたことってなかったと思ったから嬉しかったんだけど……。よかったらさ、名前で呼んでくれない?」

「な……な……!」

 

 顔を真っ赤にしたエクレールは呆然とした表情で魚のように口をパクパクとしている。その様子に思わずシンクは小さく吹き出した。

 

「エクレ……なんか面白い顔になってるよ?」

「ぐ……。わ、悪かったな。生まれつき面白い顔だ」

「はは……。まあそれはともかく……。エクレ、僕のことは名前で呼んでよ」

「なんでそんな今更……」

「その方が僕が嬉しいから。僕のことを名前で呼んでくれる人が増えて、リコとかも名前で呼んでくれてるから、やっぱりエクレにも呼んでもらいたいなって。ダメかな?」

 

 自分に真っ直ぐに向けられた瞳を一度直視し、まるで煌く何かを見てしまったかのようにエクレールはその視線を逸らす。

 

「……ダメ……じゃない……」

 

 一瞬の間を空け、搾り出すようにそう呟いた彼女の言葉を聞き、彼は嬉しそうに表情を崩した。自然とセルクルの速度が落ちた彼女に合わせ、自分のセルクルの速度も落としてゆっくりと並走する。

 横に並んでからも、シンクは特に急かさなかった。恥ずかしそうに俯く彼女の横顔をじっと眺めつつ、自分の名を呼んでくれる時を待っていた。

 

「シン……ク……」

 

 そのまま永遠に続くかと思われた沈黙は、震えるエクレールの声によって破られた。自身と肩を並べ、戦場では背中を預け合う勇者を、初めて本人を前して名前で呼んだ瞬間だった。

 

「うん! ありがとう、エクレ!」

 

 眩いほどの笑顔で、シンクは嬉しそうに微笑む。再び、恥ずかしそうにエクレールは俯いた。

 だが、そんな恥ずかしいという気持ちと別な思いもまた彼女の心の中に芽生えていた。

 

(やっと……名前で呼ぶことが出来た……)

 

 いつかはそうしたい、ずっとそう思っていた。それでも出来ずにいたことが、今日ようやく叶った、叶えられたという小さな喜び。

 いや、それ以上に彼女の心に残ったのは自分に見せた彼の笑顔だった。見るもの全ての心を暖かくするような、勇気づけるような、太陽のようなその笑顔。

 殊にこの少年において、そこには持って生まれた才がある、と思わずにはいられないほどだった。隣国の勇者が「自分にはない」とよく言っていた人を惹きつける才。結局はそう言ったそのひねくれものの勇者も彼に心を開き、今やビスコッティの人々皆が勇者シンクの活躍を心待ちにしている、そう言ってもいいほどだ。

 だからきっと自分も惹かれたのだ、そう自覚する心がエクレールの中に生まれていた。そこに気づいたところで自分はシンクに惹かれている、と認めざるを得なくなってしまったのだった。

 認めたくない、という以前の気持ちはまだある。だが、それ以上に彼の言葉、彼の笑顔……それらがエクレールの意固地な心を氷解させていったのだった。

 なるべく早く帰って来い、と伝えられた。また来てくれて嬉しい、と伝えられた。そして今名を呼ぶことが出来た。なら……もう一歩踏み出してみるのもいいかもしれない。自分のこの気持ちに素直になるのもいいかもしれない。

 

(ああ、らしくないな)

 

 でも、それも悪くないかもしれない。思わずエクレールは小さく笑みを浮かべた。

 

「あ。エクレ、今笑った?」

 

 それに目ざとくシンクが気づく。

 

「い、いや別に……」

「隠さなくていいよ。さっき言ったじゃん、エクレは笑った方がきっとかわいい、って」

 

 思わずエクレールは心の中でため息をこぼした。

 見事な殺し文句だ。笑うのは苦手、とわかっている彼女だが、その言葉に心動かされる。

 さっき一歩を踏み出せたのだ、なら、もう一歩も踏み出せるかもしれない。

 

「……笑うのは得意じゃない」

 

 そう言いつつも、彼女はぎこちない笑顔を浮かべてみせた。それを見たシンクは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐその表情を崩す。

 

「やっぱり……! 笑った方が絶対いいよ!」

「フン……。おだてるのがうまい奴だ」

 

 心とは逆、いつも通りの言葉が口を突いて出る。しかし彼女の本心は……。

 

 ただただ、嬉しかった。

 

 その気持ちから、さっき気づいたこと、それが彼女の心の中で否定できないこととして改めて広がる。

 それは、自分がシンクを異性として気にかけてしまっているということ。笑顔が似合うと言われて嬉しさを覚え、胸が高鳴る。

 

 これはもはや「恋」以外の何物でもない。

 そうだ、自分はシンクを、この馬鹿で女心もわからないような鈍いアホ勇者に、間違いなく恋してしまっているのだ。エクレールは再度、改めて実感した。

 

 どうしても意地を張ってしまう自分だが、この気持ちにだけは素直になろう。いや、なりたい。そう思った。

 だから……次はこの気持ちを彼に伝える。それが彼女にとっての最後の一歩、と言っていいだろう。だがその一歩はこれまでの歩みとは全く異質だ。ここまで彼女としてはそれなりに荒れた荒野を歩く一歩程度だったが、最後の一歩はまさに断崖絶壁に掛けられた綱を渡るにも等しい行為。決意と覚悟が必要だった。

 

「……あ、そういえばさ、エクレ」

 

 しかしそんな彼女の内心に全く気づく気配もない勇者は普段通りの明るい調子で声をかけてくる。

 

「……なんだ?」

 

 彼女も彼女でその内心を悟られんとして、なるべく普段どおりの声で返した。

 

「今回姫様のコンサートって予定されてる?」

 

 自分の話題から離れたことにホッとしたような、どこか残念なような、そんな思いが心に渦巻く。とはいえ、質問には答えるのが礼儀だろう。

 

「勝てば戦勝イベントとしてあるかもしれんな。普通には予定されていない」

「そっか……。じゃあなんとしても勝たないと! 久しぶりに姫様の歌が聞きたいし!」

 

 ミルヒの歌を聞きたいのはエクレールも同じだった。心に安らぎを与えてくれるような姫君の歌声は国の内外を問わず人気が高いし、彼女も大好きである。

 

「なら今度の戦に勝つことだな。しかし相手はガレット、あの()()()勇者も来てるはずだ。一筋縄ではいかんぞ」

「わかってる。でも僕は負けないよ!」

 

 どこからこの自信が来るのか。思わずエクレールはため息をこぼす。

 

「でも姫様のコンサートっていえば……前回はレオ様も一緒にステージに立ったんだよね」

「ああ……」

 

 シンクが2度目の訪問した際のコンサートでは最後にレオがステージに立ってミルヒと一緒に歌うというサプライズがあった。観客の誰もが予想できなかった展開にコンサートホールは大いに盛り上がったのを彼女は思い出した。

 

「……今度はエクレもステージに立ってみたら?」

「はぁ!?」

 

 予想もしてなかった一言にエクレールは驚きを隠せなかった。

 

「馬鹿を言うな! 私はそんなこと……」

「でもレオ様も歌ったんだし、いいんじゃない? それに姫様が着てるようなステージ衣装を着たら、きっとエクレも似合うと思うよ。……そういえば姫様はコンサートの時はまとめてる髪をほどいてるんだっけ。じゃあステージ衣装が無理ならさ、エクレも髪を伸ばすってのはどうかな?」

「髪を……伸ばす……」

 

 右手で緑の自分の髪をいじる。動きやすいよう、戦の邪魔にならぬように、物心ついたときから彼女の髪は短く切り揃えられている。今まで伸ばそうと考えたこともない。

 

「……お前は……髪が長い方が好みなのか?」

 

 言ってから、らしくないことを聞いてしまったとエクレールは後悔する。だがシンクはそれに特に突っ込むことなく、うーんと言いつつ考えているようだった。

 

「どうかな……。考えたことないけど……。でも長い髪のエクレも見てみたいな、って思うんだ。さっきの笑顔みたいに似合うんじゃないかなって。だから……エクレも、姫様みたいに髪伸ばしてみたら? その方がきっと似合うと思うよ」

 

 言葉と共に向けられた笑顔に彼女の心が高鳴った。

 

(そんな笑顔を向けられたら……断りたくても断れないだろうが……)

 

 俯き、一呼吸置いて口を開く。

 

「……わかった。伸ばして……みる……」

 

 口調こそためらい気味だったが、心はその前にもう決まっていた。きっと似合う、なんて言われたら伸ばしてみるしかない。すっかり乙女心となってしまった彼女は、あっさりとそう決意したのだった。

 

「本当!? うわあ、髪が伸びたエクレってどうなるんだろう……楽しみだなあ……」

 

 一方でシンクは能天気そうにそんな声を上げる。

 しかし髪が伸びるまでどのぐらいか。長くなればなるほど手入れは大変だと聞くし、結構な時間がかかるかもしれない。

 だが、エクレールはそのことに気づいた時、別なことを考えていた。

 未だ踏み出せずにいる最後の一歩。その一歩はこの髪が伸びた時に踏み出そう。髪が伸びた分だけ時間が経ち、自分が成長したことになる。その間に自分の気持ちももっと素直になって、きっとこの気持ちを伝えられるようになる。そんな願掛けの思いもあったのだろう。

 

「……シンク」

「何?」

 

 それまで、この気持ちは保留だ。そう決心し、少し安らかな顔で彼女は名を呼んだ勇者を見つめた。

 

「……姫様と同じぐらいまで髪が伸びたら言いたいことがある」

「髪が伸びたら? 今じゃダメなの?」

「ああ。ダメだ」

「ふうん……。なんだかよくわからないけど……。わかった、エクレの髪が伸びるのを楽しみにしてるよ」

 

 そう言って、彼は今日何度目かわからない笑顔を見せた。

 

(そうだ、その眩しいまでの笑顔を直視するために、私はこの髪と共に成長する。そして、いつか……)

 

 エクレールは小さく笑みをこぼした。

 

「だがその前に、お前が勇者として不適格という烙印を押されてフロニャルドを永久追放になるかもしれんがな」

 

 そしていつも通り、辛辣な言葉を口にする。

 

「ええー!? そりゃないよエクレ!」

「なら勇者として恥ずかしくない活躍をすることだな。まずは次の戦、そこで勇者シンクの雄姿をビスコッティの人々に見せてみろ」

 

 いつもの調子に戻ったエクレールに対してシンクが「勿論!」と拳を握り締めて見せる。フン、と再びエクレールは小さく笑い、進行方向を見つめなおした。

 その視線の先に将来の髪を伸ばした自分の姿が見えた気がして、エクレールは思わず鼻を鳴らした。

 

 




瑠璃……ラピスラズリ。12月の誕生石。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

遠き過去の出会い(ブリオッシュ・ユキカゼ)

 

 

 もう、嫌だ。

 

 何度この言葉を呟いただろう。

 あの悪夢のような存在に皆命を奪われた。数刻前まで私と話していた人たちは、皆……。

 奇跡的に命を奪われずにすんだ私は廃墟と化した集落から、とぼとぼと、行く当てもなく森の中を彷徨っていた。

 

 もう、嫌だ。

 

 いっそこのまま、ここで命を落としたほうがマシとも思えた。孤独、絶望、悲嘆……。もう心は押しつぶされそうだった。

 あの時、あの()()()はなぜ怯える私だけ見逃したのだろう。殺すにも値しない、そんな存在だからだろうか。それとも私をこうやって彷徨わせることで、さらなる絶望を味わわせるためであろうか。

 

 もう、嫌だ。

 

 当てもなく彷徨った私は開けた場所に出た。目の前には池が広がる。腰を下ろす、というより、これまでの疲れで崩れるようにその場に座り込んだ。

 この池に飛び込んだら……私は父様と母様のところにいけるのかな……。

 そうだ。もう嫌なら、飛び込めばいい。そうすれば……。

 でも、死んじゃったらどうなるの? 本当にもうういいの? 私は、本当に……。

 だって、生きてたって仕方ない。家族も、住むところも全て失った。そんな私は、もう……。

 

 座った状態から這うように進んで水面を覗き込む。泣きすぎて真っ赤に晴れ上がった目と、生気をなくした私の顔が映し出された。

 ここに身を投げ出せば、終わる。今日起こった悪夢も、苦しいことも、いや、その前にあった楽しいこと、嬉しいことまで全て。本当にそれでいいのだろうか。

 

 もう、嫌だ。

 

 そうだ。もう嫌だ。こんな気持ち。なら、私は……。

 

「この時期の水は、まだ冷たいでござるよ」

 

 その時突然聞こえた声に私は身を震わせて池から一歩遠のき、声の方を見る。見れば腰に剣を挿した背の高い女性がこちらを見下ろしていた。

 

「落ちたら危ないでござる」

「別に……落ちたっていい……」

「よくはないでござろう。そなたのご両親が心配するでござるよ」

 

 両親。その言葉に胸がズキリと痛んだ。

 

「……いない。今日……死んじゃった……」

「今日……? 何があったでござるか?」

「わからない……。黒い……化け物が、突然……。父様と母様だけじゃない。あそこに暮らしていた人、皆……」

「なんと……。……そうか。あの集落の……」

「だから……もう嫌なの。父様も母様もいないこの世界なんて……。私が生きてる意味なんて……もう……」

 

 瞳の奥が熱くなる。涙は枯れたと思っていたのに、それでもまだ私の目から零れようとしていた。

 

「……そうか。お主がそう言うのなら、拙者は無理には止めない。しかし、無念にも命を落とされたそなたのご両親は、そんなことを望んでいたと思うでござるか?」

「え……?」

「生者は死者の意思を継がねばならない。……それが無念に命を散らせたのなら、なおさらでござる。そなたはまだ生がある。もし亡くなられた両親に報いたいのなら……命ある限り生きるべきでござる。

 何より……死はお主が思っているより暗く、冷たい存在でござる。それでも己の命を投げ出すというのであれば……拙者は止めない。……どうするでござるか?」

「私……私は……」

 

 もう、嫌だ。

 

 父様も母様もいない、絶望しかないこの世界は、嫌だ。

 だけど。

 

 ()()()()()()()()()

 

 そう実感した時、私は声を上げて泣いた。そんな私をその女性(ひと)はただ抱き締め、背中を撫でてくれていた。

 

「……それでいいでござる。命は、粗末に扱うものではない……」

 

 まるで母様に諭されたときのようなその感覚に、懐かしさと悲しさを同時に覚え、私はまた声を上げた。

 

 どれほど泣いていただろうか。その女性(ひと)はずっと私を抱き締めてくれていた。

 

「落ち着いたでござるか?」

 

 涙で目を腫らしながら、コク、と私は頷く。

 

「自己紹介もまだでござったな。拙者の名はブリオッシュ・ダルキアン。お主の名は?」

「……ユキカゼ。ユキカゼ・パネトーネ」

「ユキカゼか。いい名でござるな。……ユキカゼ、お主がよければ、拙者と一緒に来ないか?」

「ブリオッシュさんと……?」

「ああ。……実は拙者も昔、お主と同じように『魔物』に国を滅ぼされたことがあってな……」

「『魔物』……」

 

 それが、父様と母様の命を奪った、あの悪夢の正体……。

 

「拙者はその魔物や『禍太刀』と呼ばれる妖刀を封じる討魔の者で、そのために諸国を旅して回っている。ユキカゼ、お主がよければ拙者と一緒に来ないか?」

 

 魔物を封じている……。じゃあブリオッシュさんと一緒に行ければ、父様と母様の仇も討てる……!

 

「行きたい……! ……けど、私じゃ邪魔になるだけだと思うし……」

「そんなことはない。今はまだ未熟でも、そなたは天狐の土地神の子と見受けた。いずれ、拙者にも並ぶ使い手となるでござろう」

「……本当?」

「拙者の目が、嘘を言っているように見えるでござるか?」

 

 私はブリオッシュさんの瞳を覗き込む。真っ直ぐに澄んだ、綺麗な目だった。無言で首を横に振る。

 

「なら、あとはお主の心次第でござる」

 

 考える。私はこのままついていっても本当にいいのだろうか。

 いや、1度はもう捨てようと思った命だ。今更惜しむ必要もない。それに……「生者は死者の意思を継がねばならない」。なら、私はもう1度立って、自分の足で歩き出したい……!

 

「……ブリオッシュさん、私を連れて行ってください」

 

 はっきりと、私は自分の意思を口にした。

 

「……心得た。今からユキカゼは討魔の見習い、でござる」

「はい! これからよろしくお願いします……でござります!」

 

 慣れない私……いや、()()の口調のせいだろう。ブリオッシュさんは小さく吹き出した。

 

「どうしたでござるか、急に……」

「だって……拙者はブリオッシュさんの弟子に当たるわけでござりますから……。師匠を真似るのは当然でござります」

「まあそうではござるが……。あと『師匠』はやめてほしい。なんだか……こそばゆい感じがする故な……」

「ではなんとお呼びすれば……」

 

 ふーむ、とブリオッシュさんは顎に手を当てて考えている。

 

「……お館、とかどうでござろう?」

「お館様……」

 

 ブリオッシュさん……いや、お館様はそれで気に入ったらしい。満足そうに頷いた。

 

「ではユキカゼ、参るとしよう」

「はい! お館様!」

 

 お館様が拙者に手を伸ばす。それを握り返そうと手を伸ばしたところで光が広がって――。

 

 

 

 

 

「ん……お館様……」

「なんでござるか、ユキカゼ?」

 

 頭上から聞こえた声に、ユキカゼはまどろんでいた瞳を見開き、「うにゃっ!?」とらしくない驚きの声を上げた。

 ユキカゼの瞳に映っているのはその()()()での彼女から年老いたように見えない姿の、今のブリオッシュだった。

 

 今彼女の頭があるのはブリオッシュの膝の上、要するに膝枕されて寝ていた、ということになる。しかし先ほどまでは彼女の姿はなかったはず、と記憶を探り、確か縁側で横になっているうちに心地よくなって意識が薄れていったところまでは思い出せた。

 

「お、お館様!? せ、拙者はいつから……」

「縁側で気持ち良さそうに昼寝をしているのを見かけたから、つい、な。昔はよくそうしていたなと思い出したら、なんだか懐かしくなったのでござるよ。……ああ、せっかく人が懐かしんでいるから、もう少しそのままでいてくれると拙者としては嬉しいが」

 

 ユキカゼは立ち上がろうとするが、その言葉通り、ブリオッシュはそれを阻止しようと額に手を置いた。仕方なく、ユキカゼはそのままで口を開く。

 

「そうでしたか。……きっと、だからあのような夢を」

「夢?」

 

 お猪口の酒を口元に運びつつ、ブリオッシュはユキカゼに尋ねる。

 

「はい。拙者がお館様と初めて会った日の夢でした。かれこれもう随分と前のこととなるはずなのに……やけにはっきりとした夢でした」

「拙者とそなたが初めて会った日、か……」

 

 酒を注ぎなおしつつ、ブリオッシュは遠い目をする。

 

「……今夢を見て久しぶりに思い出しました。拙者は最初、両親の仇討ちのために、お館様に着いて行きたいと言った……。ですが今は、自分のような者を増やしたくない、そして魔物になるような不幸な存在を少しでも減らしたい……そんな思いにございます」

「ふむ……。拙者の目に狂いはなかった。やはりユキカゼはよき使い手として成長したでござるな」

「そんな……。拙者など、お館様に比べたら、まだまだでございます」

「そう謙遜するな」

 

 言いつつ、ブリオッシュは空いている左手でユキカゼの頭を優しく撫でた。もうそんな子供でもないだろうに、と反論したいユキカゼだったが、親代わりの師の手は温かく、その心地よさにもう少し甘えていたい、という気分になっていった。

 同時に、再び意識がまどろんでくる。やはり今日の日差しは心地がいい。こんなのんびりした日は悪くない。

 

「お館様……」

「うん?」

 

 半ば眠りの中に意識を沈めつつ、ユキカゼが呟く。

 

「拙者はお館様とずっと一緒にございます……。これからも……ずっと……」

 

 その言葉を聞き、ブリオッシュは目を細め、左手で再びユキカゼの頭を優しく撫でた。

 

「ああ……。そうだな……」

 

 ブリオッシュが空を見上げる。温かく、優しいフロニャルドの風が、縁側の2人の近くをゆっくりと吹き抜けていった。

 




勝手に想像して書いた捏造過去話になりますので、もし原作でこの後2人の出会いが明らかになったら、この話はなかったことにするかもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Imitation Braver(2人のフロニャルド初訪問)

 

 

「キーッ! ミルヒ姉もレオ姉も、ウチが留学でいない間に勇者召喚とか楽しそうなことをやっててずるいのじゃずるいのじゃー!」

 

 リスのような容姿の人々が住む国、パスティヤージュ。その中心都市、エスナートにあるエッシェンバッハ城に騒々しい()()()()声が響き渡る。

 

 輝歴2912年珊瑚の月。かつてシンクが初めて召喚されてから大体1年となるこの時期、エッシェンバッハ城は久しぶりの喧騒に包まれていた。理由は単純、次期領主候補で現在領主見習い中のために留学に出ていた第一公女、クーベル・エッシェンバッハ・パスティヤージュが久しぶりに故郷の城へと帰ってきたからであった。

 そして戻ってくるなりの大騒ぎである。一見すればその小さい身長と愛くるしいふわふわの尻尾から愛玩動物のような可愛さを持つ彼女であるが、一度口を開くと出てくる言葉は何気に辛辣でそして直球だ。確かにその容姿から可愛がられ芸は見事であり、彼女が「姉」と慕うミルヒやレオからも非常に可愛がられている。だがそのせいか、構ってもらいたがりであり、あまりに構ってもらえないとこのようになってしまうことがあった。

 そうでもなくても久しぶりの帰郷で意気揚々と帰ってきてみれば、姉と慕う両者は勇者召喚という珍しいことを行い、しかもその勇者を数度召喚したことで非常に仲良さそうにしているとも聞く。そこでますますの疎外感を感じた彼女が癇癪するのはある意味当然とも言えた。

 

「ずるいのじゃ! ずるいのじゃ! ウチもその輪に入れてもらいたいのじゃー!」

「ま、まあまあクーベル様、まずは落ち着かれてください」

「落ち着いてなどいられるか! あまりの寂しさにウチは寂死(さびし)してしまいそうなのじゃー!」

 

 そんな死因など聞いたことがない、と彼女の傍らに立つエッシェンバッハ騎士団指揮隊長のキャラウェイ・リスレは苦笑を浮かべた。しかしこの状態の公女に何かを言ったところで焼け石に水だ、ということはこれまで散々振り回されている彼はよくわかっている。ここは下手なことは言わずに彼女が騒ぎ疲れて平静を取り戻すまで待つのが吉と判断し、愛想笑いを浮かべるに留めることにした。

 

「うう……。ミルヒ姉もレオ姉もきっとウチのことなんかすっかり忘れて勇者と仲良くやってるに決まってるんじゃ……」

 

 そのキャラウェイの読み通り、一頻(ひとしき)りベッドで暴れていたクーベルは、疲れたのかようやく落ち着きを取り戻したらしい。ところが今度は暴れた反動なのか、不貞腐れモードに入ってしまったようだ。

 

「どうせパスティヤージュは戦に対して積極的ではないし、楽しく戦してるビスコッティとガレットの間には入れないから、ウチはもう2人からは忘れられた存在なんじゃ……」

「そんなことありませんよ。お2人はクーベル様のことを妹君のように可愛がってくださるではありませんか」

 

 もはや社交辞令的になりつつもある擁護の言葉をキャラウェイは淀みなく口にする。しかしそれでもやさぐれるクーベルには多少の効果はあったらしい。「きっとそうだとはわかっているんじゃが……」と寝転がっていた体を起こした。

 

「しかしせっかくウチが帰ってきても2人に構ってもらえないというのは寂しすぎるんじゃが……。キャラウェイ、2人のところに遊びに行ったら迷惑じゃろうか?」

「迷惑かは計りかねますが、現在レオ様のところにはガレット勇者のソウヤ様がいらしているそうです。なんでも、今は長期休暇中だからごゆっくりされるとのことで……」

「あー……。そいつ最近レオ姉とやけに仲が良いと噂の奴か。そいつには『ウチのレオ姉を返せこのあんぽんたん』と文句を言ってやりたいから今すぐにでも行きたいんじゃが……」

 

 レオに会いに行くだけなら別にキャラウェイとしても止めはしない。だが悪態をつきに行く、と宣言されてしまっては苦言を呈さざるを得ない。

 

「文句を言いに行くのは……あまり感心できません。クーベル様がおっしゃいましたとおりお2人は非常に仲がよろしいらしく、勇者様への無礼はそのままレオ様の無礼に当たってしまうのではないかと」

「うー……。レオ姉がウチを怒るとか考えにくいんじゃが、ないとは言い切れんし、怒られるのも勘弁願いたいしな……。ミルヒ姉はどうじゃ?」

「そちらも今日勇者召喚を行うというお話です。なんでも、今回はビスコッティの勇者シンク様がご友人2人を連れていらっしゃるとか」

「あーもう2人ともそうやってウチを蚊帳の外にして……。やっぱり寂しいのじゃ! 構ってほしいのじゃ!」

 

 不貞腐れモードから再び騒ぎモードにクーベルが入ってしまう。ベッドの上で駄々をこねる子供のように両手両脚をばたつかせ、その様子に思わずキャラウェイが頭を抱えた。

 と、突然騒ぎ立てていたクーベルの声が止む。今度は随分早く落ち着いてくれたか、と一旦胸を撫で下ろしかけたキャラウェイだったが、彼女の目を見てそれは早計だったと考えを改める。

 あれは明らかに()()()()目だ。これまでの経験から彼はそう直感した。そしてあんな目をした後は大体彼女に振り回される自分がいる。

 

「あの……クーベル様?」

 

 それは避けたい、と彼は未然に説得を試みる。だが既に奔放な彼女の頭の中では、補佐する指揮隊長を悩ませるような計画が構築されつつあった。

 

「そうじゃ……。なんで気づかなかったんじゃろう」

 

 不意にクーベルがベットを飛び降りる。

 

「キャラウェイ、行くぞ!」

「え……? 行く、ってどちらに……?」

「決まっておる、ミルヒ姉のところじゃ!」

「え!? あ、あの、クーベル様……」

「ビスコッティに()()が3人も来るのであれば1人ぐらい借りればいいのじゃ! それでそのレンタル勇者を中心としてパスティヤージュも戦興業を仕掛けるのじゃ!」

 

 陽気に部屋を出て行こうとする彼女の背中を、キャラウェイは呆気にとられて見つめていた。

 そもそも「勇者」が3人来るわけではない。ビスコッティ勇者シンクとその友人が2人なだけだ。まずそこを勘違いしている。

 そしてその客人を「借りる」ということなど、通常に考えれば出来るはずがない。

 

 それを言おうと思ったキャラウェイだったが、ふと思いとどまった。

 そう、普通に考えれば出来るはずがないことをしようとしているのだ。だったらここで無理に止めなくてもいずれわかることだろう。自分があれこれ言うよりも実際に無理だとわかった方が、彼女も納得するに違いない。

 

 それに、と彼は思う。

 これまで振り回されることが多かったキャラウェイだが、しかし結果としてその彼女の奔放さがいい結果へと結びついたことは決して少なくない。なら、もしかしたらこの思いつきもいい方向へと進むかもしれない。「借りる」という通常不可能な頼みが聞き入れられたとしたら、それは何かしらいい結果がついてくるのかもしれない。

 

 そんな僅かな期待を抱き、キャラウェイはこの厄介事に首を突っ込もうとする公女を見守ることにしたのだった。

 

 

 

 

 

 時を同じくして、ビスコッティ共和国フィリアンノ城前。セルクルに引かれた車から3人の少女と1人の少年が姿を表す。

 

「ここがフィリアンノ城になります。レベッカさんとナナミさんには勇者シンクのご友人として、滞在中はこちらを拠点として生活していただく予定です」

 

 ピンクの髪の可憐な少女にそう説明され、レベッカとナナミと呼ばれた2人の少女はぽかんと口を開けてその城を見上げる。普段なら歴史的建造物としてしか見ることのできないような立派な城だ、驚くなと言う方が無理であろう。

 いや、それ以前にこの2人はしばらく前から驚きの連続なのだ。とりあえず驚くのがもうお約束の反応となっていたとも言えた。

 

「ほら2人とも、そんな突っ立ってないで中に入ろう!」

 

 金髪の少年、ビスコッティ勇者のシンクにそう声をかけられ、2人も慌ててシンクの背中を追いかけた。

 

「ちょっとシンク。シンクは見慣れてるお城かもしれないけどね、あたし達からしたら初めて見る大きなお城で本当に驚いてるんだからね!」

 

 先を歩くシンクの背中にレベッカことベッキーが不満そうに声をかける。

 

「そうそう。ずーっと『行くまで秘密』とか言っておいて、蓋を開けてみれば旅行先は異世界で、シンクはそこで勇者とか呼ばれてて、しかもお姫様と仲がいいとかどこのファンタジー小説よ。そういうのはベッキーが呼んでる小説の中の話だけだと思ってたのに……」

 

 ベッキーに続いてナナミも口を尖らせた。

 

「ごめんごめん。でもやっぱり驚いてもらうためには直前まで秘密にしておかないと面白くないじゃない?」

 

 謝るシンクだが、口調から全く悪びれている様子はない。ベッキーとナナミは顔を見合わせ、まあいいかと同時にため息をこぼして納得することにした。

 

 今地球は春休みの時期である。去年の今頃は初めてシンクが勇者召喚された頃であり、その1年の節目を迎えるにあたり、予定の都合をつけることのできた幼馴染2人をこの異世界へと招待したのだった。

 もっとも、先ほど2人が述べたようにシンクは旅行先をずっと伏せていた。そのため、出発口と言われて学校の屋上に連れてこられる、そこに待っていた犬によって異世界へと連れて行かれる、連れて行かれた先の異世界の人々は皆動物のような耳と尻尾がある、しかもその世界でシンクは勇者と呼ばれている、という怒涛の展開にここまで驚きっぱなしだった。

 2人としてはまだ突っ込みどころは大いにある。なにせ目にするもの全てがこれまで見たこともないようなものばかりなのだ。召喚台からフィリアンノ城へ移動する時の車の中では自己紹介もそこそこにずっと話をしてはいたが、それでもまだ話し足りないのは事実であった。

 

「レベッカさんもナナミさんもまだまだ聞きたいことが一杯あるでしょうし、この後ビスコッティ名産のお茶を飲みながらお話しましょう」

「ビスコッティのお茶は美味しいよ。きっとベッキーもナナミも気に入ってくれると思う」

 

 完全にペースを握られたベッキーとナナミを顔を見合わせて思わず苦笑する。元々楽しいことに没頭している時は周りが見えなくなってしまうシンクだが、ここでは常時その状態になってしまうようだ。とりあえずこの世界では「先輩」のシンクに2人は任せることにした。

 

 城内へ入るとメイド隊が領主の帰りと、勇者とその友人の訪問を待っていた。細目が特徴的なメイド長のリゼルが一歩前へ出る。

 

「お帰りなさいませ、姫様。勇者様もお久しぶりです。それからレベッカ様にナナミ様、よくいらしてくださいました」

 

 丁寧な挨拶と、その後ろに並ぶメイド達に圧倒されたか、ベッキーとナナミが思わずたじろぐ。

 

「リゼル、この後お茶を飲みながら勇者様とそのご友人の方々とお話したいと思っているのですが」

「はい。そうだと思って既に展望テラスの方を準備させていただいております。……それから、隣国からのお客様もいらしておりますので、そこでお待ちいただいております」

「お客様? ……あっ!」

 

 ポン、とミルヒが手を叩く。その様子にリゼルも無言で頷いた。そういえば前もってこのことは連絡してあった。来る、という連絡は受けていないが、きっと驚かせるために連絡無しで来たのだろう。しかし何も問題はない、むしろ嬉しいぐらいである。

 

「じゃあ早速参りましょう。あまりお客様を待たせるのもよくないですし」

 

 まるでスキップをしそうなほど軽い足取りでミルヒが歩き出す。その歩調に合わせ、尻尾も嬉しそうに左右に揺れていた。その様子に思わずベッキーの視線が釘付けになる。

 

「姫様……嬉しそう。尻尾すっごく動いてるし……」

「そりゃあね。隣国の客、っていったら多分姫様と姉妹のように仲のいいあの人だから。それにあの人がいらしてるなら、多分……」

 

 そこまで言ってシンクはどこか意地悪そうに口を噤んだ。

 

「何シンク、また隠し事?」

「うん、そう。きっとこれも隠してた方が面白いだろうから」

「もう一通り驚いたからきっと何がきてもそんなに驚かないと思うけどなあ……」

 

 両手を後ろに組みつつ、ナナミがそう口走る。が、シンクはそれを聞いてもいたずらっぽく笑うだけだった。

 

 一行が展望テラスに到着する。そこには既に一組の男女が腰掛けていた。そのうち女性の方が待ち人が来たことに気づいて立ち上がり、近づいてくる。

 

「ミルヒ、すまんが待たせてもらっていたぞ」

「レオ様! やはりレオ様でしたか」

 

 銀の髪にネコのような耳、ガレット領主であるレオがミルヒに挨拶を交わす。

 

「驚かせようと思って連絡も無しで来てしまったが……」

「全然構いません。以前連絡した時にもしかしたらいらしてくださるんじゃないかとは思っていましたから」

「なんじゃ。ミルヒにワシの考えなど筒抜けか」

 

 そう言い、愉快そうにレオは笑った。

 

「レオ様、ご存知かと思いますが、今回はシンクがご友人を連れてきてくださったんです」

「ああ。久しぶりじゃの、シンク」

「はい。レオ様もお元気そうで」

「それに……レベッカにナナミじゃな? 話は聞いておる。ワシはこのビスコッティの隣国、ガレットの領主をしておるレオンミシェリ・ガレット・デ・ロワじゃ。よろしく頼む」

 

 勇ましく、それでいて煌びやかなその領主に挨拶され、2人は反射的に挨拶を返していた。が、その視線はレオの耳へと注がれている。ミルヒが犬だったのに対して今度はネコ。どうやら国によって違う動物になるらしい、と2人は気づいた。これには先ほどは「驚かない」と言ったナナミも多少はびっくりした様子だった。

 

 だがこの後、2人は言い訳出来ないほどの驚く事態に直面することになる。

 

「……おい! お前も知り合いなんじゃろ? ちゃんと挨拶せんか」

 

 そのきっかけが、レオが振り向いて言ったこの一言だった。その声を受けてどうやら彼女と一緒にテラスにいたらしい青年が立ち上がる。髪は黒、だがこの世界の人々ならそこから生えているはずの耳がない。ではもしかしたら自分達と同じ世界の人間なのではないかと2人が思った直後、その青年が近づくに連れて顔がはっきりとわかり、思わず2人は「ええーっ!?」と叫んでいた。

 

「……よう、ベッキーにナナミ。久しぶりだな」

 

 2人が以前会ったときのような格好とはまるで異なるこの世界の衣装に身を包んではいたが、その顔は見間違えるはずがない。いつの間にかシンクが「友達になった」と紹介してきた、一見ちょっと気難しそうに見える青年――。

 

「ソウヤ!?」

「ウソ!? なんでソウヤがここにいるわけ!?」

「まあこいつはこう見えても我がガレットの勇者じゃからな」

 

 そのレオの言葉に再び2人が驚いた様子でソウヤを見つめなおす。

 

「ま、そういうことだ。……というか、ナナミは以前俺に『シンクと会った場所は普通じゃない場所でしょ』とか言ってたんだ、予想はついてたんだろ?」

「つ、つくわけないでしょ! どこか海外か、あるいは日本の山の中とかだとばっかり思ってたし! それが異世界で……しかもシンクもソウヤも勇者!?」

「で、でも考えてみればシンクが以前行った『すっごく楽しいところ』が異世界で、しかもそこで勇者なら、同じくそこで会ったって言ってたソウヤも勇者だった、って話は納得よね……」

 

 あまりの驚きの連続にどうやらベッキーはその考えまでこの時まで至らなかったらしい。

 

「立ち話もなんですし、続きは座ってお茶を飲みながらはいかがでしょう?」

「うん、賛成! 早く2人にもビスコッティのお茶を味わってもらいたいし」

 

 ミルヒの提案を受けたシンクのその一言で全員がそれぞれの席へと向かう。それを待っていたかのようにリゼル達メイド隊がお茶とお菓子を運んできた。

 

「あ、レオ様、今日はガウルやジェノワーズは?」

「留守番じゃ。明後日の戦の準備をさせておる。まああまり大人数で急に押しかけても迷惑じゃろうしな、戦が終わってゆっくりしてからお前達にガレットに来てもらって、顔を合わせるのはその時でいいかと思っていたんじゃ」

 

 お茶が注ぎ終わる。シンクから散々勧められていた、ということもあってベッキーとナナミの2人はまずそのお茶を口へと運び――次いで顔を見合わせた。イギリス人のベッキーと現在イギリス在住のナナミ、2人とも紅茶で有名なイギリスに縁のある人物だ。その2人が目を見開いている。

 

「おいしい……!」

「ほんと、シンクが言った時はいくらなんでも大げさでしょ、って思ったけど……。これすごくおいしい。この味も香りも初めての経験……」

 

 ベッキー、次いでナナミが漏らした感想にミルヒもレオも意図せず表情が緩む。ミルヒは自国の特産品を褒められたから当然であろうが、隣国のレオもまるで自分のことのようにそれを嬉しく感じていたようだ。

 

「ほう、さすが女子は感想がなかなかいいのう。ソウヤ、お前も少し見習ったらどうじゃ? これを初めて飲んだときの感想はなんじゃったか、『お茶ですか』じゃったか?」

「……悪かったですね。味には疎いんですよ。そもそも貧しい食生活を送ってる貧乏学生に気の利いたコメントを求める方が無茶かと思いますが」

 

 ミルヒ、シンクからしてみればいつも通りのレオとソウヤのやり取りだ。だがこれを初めて見る2人からしたら非常に珍しい光景を見るかのような目でそれを見つめ、それからナナミがベッキーの服の裾を引っ張った。

 

「……なんかレオ様とソウヤ、すごく仲良くない?」

「うん……あたしもそれ思ってた。相手は姫様と同じく領主様でしょ? でも全然そんなの気にかけてない、っていうか……。仲のいい友達、っていうにはちょっと仲が良すぎるっていうか……」

 

 こそこそと話す2人の声にミルヒが耳をそばだて、2人の顔を近づける。やはり女子はこの手の内緒話が好きなのだ。

 

「……レオ様とソウヤ様、実は恋人同士なんです」

「「ええーっ!?」」

 

 少し前に「もう驚かない」と言っていたのは誰だったか。それを言ったはずのナナミもベッキーも席を立ち上がって驚愕の声を上げる。

 

「……なんだよ、びっくりするな」

「ほ、本当なの!? ソウヤとレオ様、その……こ、恋人同士だって!?」

 

 ナナミの問いかけにソウヤは答えず、視線をレオのほうへと流した。代わりに答えてくれ、という意思表示らしい。やれやれとレオはため息をこぼして代わりに口を開く。

 

「……まあ否定はしないな。こいつはめんどくさい奴じゃし紆余曲折色々あったが、今は仲良くさせてもらっておる」

「言ってくれますね、めんどくさいとか。そのめんどくさい部分まで含めて俺を認めてくれたのはどこの誰だか知りたいもんですが」

「……ほう? 貴様、人前だとやけに態度がでかくなるのではないか?」

 

 そんな2人の様子にたまらずミルヒは「まあまあ……」となだめる声をかけ、そうなるきっかけを作った2人は「ごちそうさま……」と苦笑しながら呟いていた。

 

「……あ、姫様。そういえば戦は明後日って言いました?」

 

 そこで場の空気を変えるように話題を切り出しのはシンクだった。が、今のも空気を変えようなどという考えは彼には毛頭なく、純粋に頭に浮かんだからしただけの質問である。シンクはそういうことに対しては致命的に鈍感なのだ。

 

「はい。明後日ガレットとの戦が予定されています。……あ! お望みでしたらレベッカさんもナナミさんも参加されてはいかがですか?」

「うん、僕もそう思ってたんだ。ベッキーもナナミも一緒に戦に参加しようよ!」

 

 戦、という普通に考えたらあまり好ましくない言葉。そこにシンクの笑顔も加わって誘われたことに2人はうろたえる。

 

「シンク、いきなり戦と言っても地球の人間は戦争をまず思い浮かべるぞ」

「あ、そっか。えっと……」

「……要するに戦争ごっこだ。こいつが得意そうな、国別対抗運動会とでも思ってもらえばいい」

「大雑把だけど……まあそんなところかな。僕としては2人にその雰囲気を最初に味わってもらいたくて、ここに到着と同時に歓迎戦を提案しようと思ったんだけど……」

 

 そのシンクの言い分に思わずソウヤがため息をこぼす。

 

「友人を招待しておいてもてなしもそこそこにいきなり戦です、ってのもどうかと思うと言った筈だ。確かに戦興業はフロニャルドの特徴であることは認めるが、それ以外だっていいところはたくさんある。まずは落ち着いてからの方がいいと思ったんだがな」

「お前はそういうところはめんどくさいというか融通が利かんな。よいではないか、来て早々戦があっても」

「やっぱりレオ様もそう思います? 僕もそう思ったんですけど……」

「……戦馬鹿共はこれだ」

「ソウヤ様も人のことをおっしゃれないかと……」

 

 予想外なミルヒからの指摘に意外そうに彼女を見つめた後、ソウヤは肩をすくめた。

 

「姫様からそう言われるとは……。まあ違いないですし否定できないですけどね」

「とにかく……なんだっけ? そうそう、2人も戦に参加したら、ってこと。全然危険はないし楽しいし」

 

 シンクの提案に女子2人が顔を見合わせる。「自分が楽しいことは人に教えてあげないと勿体ない」というのがシンクの信条だということはわかっている。そして彼がここまで言うのだから、きっと本当に楽しいものだろうということもわかる。だがそれで迂闊な返事をしてとんでもないことに巻き込まれないとも限らない。いや、普段そんなことは滅多にないが、ここは異世界だ、ないとは言い切れないだろう。

 

「そう言われても実際見てみないとわからないし……」

「ほらソウヤ、やっぱり僕達がそうだったみたいにいきなり戦でよかったじゃん」

「……はいはい、俺が悪かったよ」

「まあまあ……。戦も1日中やるわけではありませんし、少しご覧になられてそれから、というのはいかがでしょう?」

「そうじゃな。特にナナミの能力についてはミルヒの『星詠み』でアイアンアスレチックの様子を見させてもらったからな。盛り上げてくれることは間違いないじゃろ」

 

 レオからの称賛の声を受けて「いやあそれほどでも……」とナナミが照れた表情を浮かべる。だがその傍らのベッキーはナナミに合わせて笑顔を浮かべたものの、どこかぎこちない様子だった。

 

 シンクやナナミが楽しめる環境。つまり――自分はこれまで同様「見ている側」になってしまうということだ、と彼女は直感していた。それも嫌ではない。だが本音を言えば、2人と一緒に遊びたい、出来ることなら一緒に思いっきり体を動かしたい、という思いはあった。しかし優れた身体能力を持つ2人と違ってベッキーは良くも悪くも一般人だった。2人が熱中するようなアスレッチック遊びには到底入っていけそうにない。

 本心では異世界、ということでもしかしたら自分も魔法が使えるんじゃないか。そんな通常ではありえないような希望も僅かに抱いていた。しかしこの異世界は思った以上に自分がいた世界と似ているらしく、やはり絵空事でしかなかったのだ、と軽い諦めの気持ちも持っていた。

 

「レオ様の太鼓判があるなら間違いないよ! ナナミも参加しようよ」

 

 それでも、相変わらず空気の読めないこの幼馴染は心から楽しそうだった。なら、その笑顔を見られるだけでいいか、とベッキーは思うことにした。

 

「まあまずはその戦、っていうのを実際見てからじゃない? それにそれまでは時間があるんでしょう? だったらシンク、ちゃんとあたし達にこの世界を案内してよね」

 

 それに戦に参加できなくてもこの世界の観光やら旅行は十分楽しめるだろう。欲張りすぎると罰が当たる、異世界への旅行という普段出来ないことをしてるだけでも、十分非日常な体験が出来る。重ねて、ベッキーは自分にそう言い聞かせる。

 

「そうですね。観光で外泊、ということになる時まではこのフィリアンノ城で生活してもらって構いませんので。ご不便をおかけしないよう、おもてなしさせていただきます」

「ありがとう、姫様」

 

 ベッキーはミルヒに微笑み返した。

 

 次いでベッキーは手元のティーカップを口に運ぶ。やはり美味である特産のお茶で喉を鳴らしつつ、その時自分と陽の光の間を何かが横切ったように一瞬陰ったことに気がついた。

 空を見上げる。そこに巨大な鳥が数羽舞っているのが目に入った。

 

「……鳥?」

 

 彼女の声に全員が上を見上げる。その鳥は予想よりも巨大で、それこそ人を乗せることが出来るほどだった。その鳥が段々と高度を下げてくる。

 

「あれは……」

「おーい、ミルヒ姉、レオ姉!」

 

 レオの言葉の続きをかき消し、空から2人の領主を呼ぶ声が聞こえてくる。

 

「この声……」

「クー様ですか?」

 

 ミルヒがそう言ったとき、鳥は展望テラスに横付けするように高度を合わせた。そこからとがった耳とふわふわとした大きな尻尾を持つ少女が飛び降りてくる。

 

「いかにも! ウチじゃ!」

 

 突然の来訪者に全員の視線がその彼女に集まった。この場で彼女を知っているのは先ほど名前を呼ばれたミルヒとレオだけであったが、そんなことを全く気にかけていない様子でその少女はレオの元へと駆け出した後で話し出す。

 

「もうミルヒ姉もレオ姉もひどいのじゃ。全然構ってくれないから寂しくてつい来てしまったのじゃ」

「お久しぶりです、クー様」

「久しいのう。しかしお前は留学していたと聞いたが。いつ戻ってきたんじゃ?」

「つい今さっきじゃ。本当は公務もあるにはあったんじゃが……。このままでは寂死してしまうとキャラウェイを説得して出てきたんじゃ」

 

 テラスに更に数羽の鳥が横付けされる。その先頭の鳥、ブランシールに乗っていたキャラウェイは困った表情を浮かべて会話の中心へと視線を送った。

 

「ああ、こいつを紹介しておくか。クーベル、知ってるかとは思うが、ガレットで勇者召喚を行ってな。こいつが我がガレットの勇者、ソウヤじゃ」

 

 勇者、という単語に一瞬彼女の眉が動く。そして明らかに歓迎していないような視線でソウヤを見つめた。

 

「こいつが勇者……。こいつのせいでウチのレオ姉が取られたのじゃ!」

 

 一方的に敵視した様子で彼女はソウヤを指差す。売り言葉に買い言葉、こうやって敵意を向けられれば、ソウヤの対応もそれ相応のものとなる。

 

「……レオ様、誰です? このちびっ子」

「ちび……!」

 

 思わずレオが小さく吹き出す。だが言われた当の本人は一瞬驚いた後、信じられないとばかりに眉をキリキリと吊り上げた。

 

「口を慎め無礼者! ウチはパスティヤージュ第一公女、クーベル・エッシェンバッハ・パスティヤージュじゃぞ!」

「……パスティヤージュ? ああ、隣国の芸術の国か。……それはさておき、第一公女ってことは王族でしたか。そりゃ失礼しました」

 

 全く悪びれる様子のないソウヤにますますクーベルは憤慨する。

 

「なんじゃその態度は! このあんぽんたん勇者!」

「まあまあクーベル、こいつは少々口が悪い故、ここはワシの顔に免じて勘弁してはくれんか?」

「うう……やっぱりウチのレオ姉はこいつに取られたのじゃ……。ウチは悲しくて悲しくてどうしたらいいかわからないのじゃ……」

「いや、別にワシはこいつに取られたとかそういうわけでは……」

「あながち間違ってないんですし、訂正するのも面倒だからそのままでいいんじゃないですか?」

 

 やはり反省の色が全く見られないソウヤに再びクーベルが噛み付いた。

 

「キーッ! その態度、本当に気に食わないのじゃ! いつかきっとぎゃふんと言わせてやるのじゃ!」

「ぎゃふん。言ったぞ」

「あー! もうムカつくのじゃムカつくのじゃー!」

 

 地団太を踏むクーベルを見かね、レオがソウヤに「大人気ないからその辺にしておけ」と声をかける。その様子がますますクーベルを刺激する結果となり、思わずミルヒが「クー様、落ち着いてください」と心配そうに話しかけてきた。

 ミルヒの説得の甲斐あって、ようやくクーベルが落ち着きを取り戻す。が、キッとソウヤを睨みつけた後で彼女はミルヒの方へと視線を移した。それに対してソウヤは肩をすくめてやれやれとため息をこぼす。

 

「それで、ガレットのおたんこなす勇者はわかったが、そっちにいるのがミルヒ姉が召喚した勇者か?」

「はい。我が国の勇者シンクです。それからお友達のレベッカさんとナナミさん」

「あーもう2人ともひどいのじゃ。そうやって勇者召喚とか楽しそうなことをやって、それでウチだけ除け者にして……」

「別に除け者にしたわけではないぞ。ただお前は次期期領主になるための勉強として留学していると聞いていたからな。邪魔したら悪いと思っただけじゃ」

「それが除け者なんじゃ。ミルヒ姉もレオ姉も立派な領主で、ウチだけ見習い領主だから、結局ウチだけいつも除け者なのじゃ……」

 

 クーベルが口を尖らせて項垂れる。その様子をずっと見ていたベッキーは、あることに気づいていた。

 

 彼女は自分に似ているのかもしれない。シンク、ナナミという仲がいい存在がいながら、その実2人の背中を見守ることしか出来ない自分。そんな自分と、憧れの2人が身近にいながらその背を追い続ける小さな少女の影を思わず重ねてしまっていた。

 だから、ベッキーにはクーベルのわがままともいえるその態度を、なぜがいたたまれない目で見つめていた。自分はある種諦めに近い感覚で割り切ってしまった感情、だがまだ幼い彼女にはそれを割り切ることが出来ないでああやって駄々をこねてしまっている。いや、いっそ割り切らないでほしい。その大きな2人の背を追い続けてほしい。

 

 会ったばかり、まだ口を利いてもいない。なのにベッキーはそこまでクーベルのことを気にかけていた。彼女は一人っ子で兄弟はいない。だからだろうか、まるで妹のことのようにクーベルのことが見えていたのだった。

 

 なおも落ち込んだ様子のクーベルを見かねて、レオが仕方ないという風に口を開く。

 

「じゃあなんじゃ、クーベル。実は明後日ビスコッティとガレットで戦が予定されているが、パスティヤージュも参加するか?」

 

 その助け舟にクーベルは飛び乗った。目を爛々と輝かせてレオを見つめる。

 

「いいのか!? それは是非とも参加したいが……。ああ、そうじゃ!」

 

 そこまで言ってクーベルはビシッとミルヒを指差した。

 

「な、なんでしょう、クー様……?」

「ミルヒ姉は勇者を3人も召喚しておるんじゃろ?」

「えっと、それは違うんですが……」

「3人もいるなら、ウチに1人貸してくれ!」

 

 もはやミルヒの言葉も耳に入らずクーベルは一方的に話を進めようとする。

 

「え!? あの、貸し借りとかそういうことは……」

「ビスコッティは勇者3人、ガレットにも勇者がいるのにパスティヤージュだけ勇者無しでは勝負にならんのじゃ! だから1人借りたいのじゃ!」

「えっと……」

「あ、あの!」

 

 その時、会話に割って入ってきたのはベッキーだった。

 

「あたしは勇者じゃないんですけど……でも戦に参加することって出来ますか!?」

「ベッキー……?」

 

 先ほどまで乗り気ではなかったはずのベッキーの心変わりにナナミが驚いたような声を上げる。

 ベッキー自身、反射的に名乗り出ていた。少し前に抱いた親近感、妹を見ているような感覚……。それらが、本能的に彼女を突き動かしたのだった。

 自分に何が出来るかわからない。でも、この小さな、一目見たときから妹のように思えた少女のために力を貸してあげたい。そんな決意と不安の入り混じった気持ちで、ベッキーはクーベルを見つめる。

 

「おお! 協力してくれるのか? お主、名は?」

「レベッカ・アンダーソンです。……あ、でもあたしはシンクやナナミみたいに運動がすごく出来るってわけじゃないけど……それでも大丈夫って言うなら……!」

「フロニャルドの戦は運動能力が全てじゃない」

 

 そこで口を挟んできたのはソウヤだった。名乗り出てはみたものの、最後の一歩を踏み出しきれないベッキーを説得するかのように、彼は続ける。

 

「紋章術……まあ要するに魔法がある。それはイメージが強ければ強いほどいい。……ベッキー、小説を読むのが趣味だろ? 同じ趣味を持った俺も紋章術の制御は得意な方だと自負してる。だったら、ベッキーにだって十分この世界の戦を楽しむことは出来ると思う」

「ソウヤ……」

「なるほど、おたんこなす勇者もたまにはいいことを言うらしいな。ぼんくら勇者に格上げしてやろう」

「……どっちもかわんねえだろ」

「冗談はさておき……。レベッカよ。我がパスティヤージュには『晶術』という独自の輝力運用技術が発達しておる。この晶術はいわゆる術士タイプと非常に相性が良い。そこのぼんくら勇者の話から察するに……お前は術士タイプとしての素養があるようじゃ。それに……お前の目はウチと似た目をしてる気がするのじゃ。レベッカとなら、ウチは一緒に楽しく戦場を飛ぶことが出来るような気がするのじゃ……!」

「クーベル公女……」

 

 名を呼ばれたクーベルが首を横に振る。

 

「クーでよい。……レベッカ、レンタル勇者として、我がパスティヤージュで共に戦ってはくれないか……!?」

「クー様……あたし……!」

 

 そう言って口を一旦閉じた後、何かを決心したようにベッキーはシンクとミルヒの方を向いた。

 

「……シンク、ナナミ、姫様、ごめん。あたし、クー様と一緒に戦に参加してみたいの。だから……」

「ううん、全然。その方が楽しそうだし僕は構わないよ。ね、姫様?」

「そうですね。レベッカさんともう少しお話したいという気持ちはありましたけど……。パスティヤージュはお隣ですし、戦が終わればまた時間を取ることも出来ると思いますので」

「あたしも反対する理由無いよ。まあベッキーが急に言い出したのはびっくりしたけどさ。……でももし戦う、ってことになったら手加減はしないからよろしくね」

「みんな……ありがとう」

 

 軽く頭を下げるベッキー。その後で彼女はソウヤの方を振り向いた。

 

「……ソウヤもありがとう」

「俺は何もしてない。礼を言う相手はこのちびっ子だろ」

「ちびっ子と言うな、ぼんくら勇者!」

 

 どうやらクーベルとソウヤはあまり馬が合わないらしい。そんな2人のやり取りに思わずベッキーは笑顔をこぼした。

 

「……そうじゃ、いいことを思いついたぞ」

 

 そしてここで終わらないのがフロニャルド、さらにはこの領主達である。なにやら悪そうな笑みを浮かべたレオが笑い声を噛み殺している。大抵こういう顔をされた後はろくなことがない、とわかっているソウヤは反射的にため息をこぼしていた。

 

「……何かよくないことでも思いつきましたか、領主様?」

「よくないことではない、いいことじゃ。……ナナミよ」

「はい?」

「お前の能力はよくわかっておる。ここはひとつガレットから戦に出てみないか? そうすればシンクはビスコッティから、お主はガレットから、そしてレベッカはパスティヤージュからと、まさに3国で争うにふさわしい戦になると思わんか?」

 

 その場の全員が顔を見合わせる。これには「よくないこと」と決め付けていたソウヤも意外そうな表情を浮かべていた。

 確かに悪ふざけの類、と見ればそうかもしれない。だがアイデア自体は非常に面白い。なるほど、それなら3人の思い出としては非常に印象的な形で残るだろう。強いて不満を上げるとするなら、自分が蚊帳の外になる可能性が高い、ということぐらいだ。しかしソウヤはその辺りは大人、というよりは達観している。クーベルのように除け者にされたからと腹を立てるような人間ではなかった。

 

「……あんな子供がいたずらを思いついたような顔をした後にまともな意見を出すこともあるんですね」

「貴様、ワシをなんだと思っておる。……まあよい。ともかくそれはどうじゃ、ナナミ?」

 

 レオからの提案にナナミは破顔する。

 

「あたしは大歓迎です! せっかくの異世界、本物勇者のシンクとレンタル勇者のベッキーとまとめて相手しますよ! 偽勇者として!」

「おい、偽勇者ってネーミングはいいのか?」

 

 ソウヤがやや眉をしかめてナナミに問い返す。

 

「だってしょうがないじゃない。ガレットには本物勇者のソウヤがもういるわけだし。で、シンクもソウヤと同じく本物勇者、ベッキーもレンタル勇者、なんて言われてたらあたしにもそういうのがほしいじゃない? だから偽勇者……それがまずいっていうなら、横文字でイミテーション・ブレイバー!」

「なるほど。ナナミよ、お前もソウヤに似てそういう洒落た名前をつけるのが好きらしいの。どうじゃソウヤ、そのネーミングは?」

「……まずい、偽勇者の方が本家よりかっこよくなっちまいそうだ、それ」

 

 その手の小説を読み、自身の紋章術の技名にも横文字を用いているソウヤとしては魅力的な名前だったらしい。

 

「ともかくガレット側としてあたしは戦うつもりです。いい、シンク、姫様?」

「僕も全然! 楽しいことなら賛成だから。姫様もいいですよね?」

「もう当のご本人達がこの様子なので……私が口を挟む余地はありませんね」

 

 困ったように笑顔を浮かべつつ、ミルヒも了承した。

 

「そうと決まればナナミ、さっそくガレットに参るぞ。明後日の戦までにルールと紋章術の使い方、それにコンディションの調整をするとよかろう。幸いソウヤは紋章術の扱いに長けている。そのことはこいつから学ぶとよかろう」

「……多分この姉ちゃんもシンククラスの天才ですから、帰り道に原理を教えたらあとは普通に使いこなすと思いますけどね」

 

 立ち上がったレオに続き、ソウヤも悪態をつきつつ立ち上がる。

 

「ではミルヒ、すまないがワシらは帰ることにする。戦が3国合同興業になった件はあとでうまく調整するとしよう。明後日の戦、楽しみにしておるぞ」

「ウチらも帰るぞ。これからレベッカと共に戦のために訓練なのじゃー!」

 

 クーベルも乗ってきた大型鳥のブランシールに飛び乗り、ベッキーもその後ろへと乗った。

 

「なんだか……あたしの提案ですごいことになっちゃったけど……」

「いいんだって、気にしないでベッキー。あたしは楽しければ何でもいいんだし」

「そうそう。じゃあ戦の時にまた会おうね!」

 

 そのシンクの別れの言葉をきっかけに、シンクの幼馴染達がそれぞれの国へと分かれていく。

 来た当初はこんなことになるとはシンクは全く思っていなかった。だがそれでも構わない。楽しければなんでもオッケー、それこそが彼のスタイルなのだ。観光やらなにやらはその後でやればいい。むしろガレットとパスティヤージュについてより情報が入るであろうから、観光するにしてもむしろプラスだろう、とポジティブ思考の彼はそこまで考えていた。

 とはいえ、せっかく客人を迎える準備をしてくれていたミルヒには少し申し訳ないことをした、とも感じていた。だから形式だけでも一応謝っておこう、とシンクはミルヒの方を振り返る。

 

「姫様、なんだか急にこんなことになっちゃって……。せっかくおもてなしの準備をしてくれてたのに、すみません」

「いえ、気にしないでください。この方が盛り上がるのは間違いないですから。……でもシンク、最後には必ずビスコッティが勝ちましょうね!」

 

 ミルヒからのその要求に、ビスコッティ勇者のシンクは力強く握りこぶしを作って応えた。

 

「勿論です! 必ず勝ってみせますよ! だって僕は……勇者だから!」

 

 




珊瑚……コーラル。3月の誕生石。原作中もこの呼称あり。

活動報告中で言った通り、放送前に勝手に持ったイメージのクー様を書いてみたくなった、2人もフロニャルドを訪問したことに触れておきたかった、ということで殴り書いたものになります。何気に新作だったり。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

笑顔の裏にある心は(メイド長・近衛隊長)

 

 

「んー、やっぱりミルヒのなでなでは殺人的なよさじゃのぉー」

 

 輝歴2912年水晶の月、フィリアンノ城、ミルヒの私室。言葉に違わず心地良さそうな、()()()()()猫なで声が聞こえてくる。文字通り、というのは、部屋の主であるミルヒの膝の上でそんな声を出しているのが隣国ガレットの領主レオであるからだ。

 普段の凛々しい姿からは想像も出来ないような甘え切った声。しかしこれもまたレオの一面に他ならない。レオとミルヒは姉妹のような関係、と言われており、普段の姿を見ていれば、いや、そうでなくても年を考えればレオが姉でミルヒが妹、と思うのが普通であろう。しかし実際のところはこの関係のようにレオが妹でミルヒのほうが姉、という見方をできるほどであった。

 

「あーたまらんのぉー」

「そう言っていただけると撫で甲斐があります」

 

 頭を撫でていた右手が今度は喉を撫でる。その撫でるポイントが変わったことに、撫でられているレオは勿論、撫でているミルヒのほうも満足そうな顔である。

 

「レオ様、姫様に甘えるのもよろしいですが、そろそろお時間ですよ?」

 

 側近ということで着いてきたビオレがレオに苦言を呈した。

 今日は形式上は隣国訪問、という形を取ってはいるが、はっきり言ってしまえば遊びに来たようなものである。レオと側近のビオレの他には騎士団長同士で話をしたいと言っていたバナードと護衛の騎士達という編成であった。

 

「硬いことは言うな、ビオレ。もう少し……」

「まったくもう……」

 

 それでも動じない領主にビオレはため息をこぼした。

 

「バナードもまだロランの奴と話しこんでおるようだし……。もう少しよいではないか」

「……わかりました。じゃあ私が将軍を呼んできます。それまでに()()()()()おいてもらってください」

「わかった……。おおー! さすがはミルヒのテク……!」

「ビオレ、案内をつけましょうか?」

「ありがとうございます。ですが大丈夫です、姫様」

 

 断りつつ一礼し、ビオレは部屋を後にした。

 

(ハァ……。全くレオ様には困ったものだわ)

 

 普段の様子からは想像もできないような姿を思い出し、ビオレは再びため息をこぼした。自分は知ってるからいいものの、何も知らない領民達があんな光景を見たらどんな感想を持つか。

 

(まあ……。昔から時折姫様に甘えるところもあったし仕方ないのでしょうけどね……)

 

 別に今更どうこう言うつもりはない。()()が出来ても領主のその癖は変わらなかったのだ、それほどまでに姫様に撫でられるのが心地よいということなのだろう。なら本人のそんな楽しみを奪う必要も、やかましく言いすぎる必要もない。

 そう思いつつビオレはフィリアンノ城の廊下を進む。他国の城内ではあるが、幾度となく訪れた場所だ、迷うことはない。

 

「あら? これはこれはガレットの近衛隊長殿ではありませんか」

 

 その時不意にかけられた声にビオレは足を止めて振り返る。次いで、その顔が一瞬ピクリと動いた。

 

「……これはメイド隊長殿、ご機嫌麗しゅう」

 

 しかし特段何もなかったかのようにビオレは笑顔を浮かべて目の前のフィリアンノ城メイド長、リゼルにそう返す。が、もしここに人がいたら2人の間に流れる空気にわずかな違和感を感じたことだろう。

 

 実は以前、宝剣を賭けた大戦(おおいくさ)においてビオレがビスコッティの本陣に急襲をかけたことがあった。だがビスコッティ側の機転により急襲は失敗、ビオレは捕えられてしまう。その時ビオレを捕まえたのが他ならぬリゼルであった。

 以来、2人の仲はお世辞にもいいとはいえない状態が続いている。ビオレにとっては不覚を取らされた相手に他ならず、リゼルにとっては本陣を狙ってきたという傍若無人極まりない行いを取った相手となるからである。無論2人とも大人であり、公の場でそういった私情を挟むことはないが、ここはそういう場ではない。思わず嫌味たらしい挨拶もしたくなる、というものだろう。

 

「お一人でどうかなされました? 道に迷われたとか?」

「いえ、そちらのロラン騎士団長と話をしているうちのバナード将軍を呼びに行こうと思っていたところです」

「あら、そうでしたか。私はてっきり()()()()()をされていたのかと……」

 

 ピクッ、と再びビオレの眉が一瞬動く。

 

「そんなフリなどしても何の意味もないではないですか。ここには()()()メイド長様がいらっしゃるのですから」

「これはお褒めいただいて光栄ですわ」

「急襲を見破って逆に罠を張るような()()()()を持つ人がいる城で、迷ったフリで内偵などするはずがないではありませんか」

 

 今度はリゼルの眉が一瞬動いた。

 

「それもそうですわね。でも私は内偵などとは一言も言っておりませんけどね」

「そうでしたかしら? それは失礼しました。ですが顔にそう書いてありましたし、()()のある私を疑ったのかと思いましたけど」

「そんな滅相もない。()()()()()()()()()()()()()方を疑う必要などありませんもの」

 

 ピクピクッ、と誰の目にも明らかにビオレの笑顔がひきつる。

 

「……これはすみませんでした。そうですわよね。まさか()()()()()()()()()()()()程度の実力のはずがありませんものね」

 

 今度はリゼルの笑顔がひきつる。

 

「……勿論でしょう? 姫様を守るメイド隊の長として、真っ向からぶつかっても()()()()()()()()程度に負けるはずがないではありませんか」

「あら? まるでそれは私のように聞こえますけど、そうやって()()を張らないと自信がないとも聞こえますわよ?」

 

 そこで沈黙が訪れ、互いに怖い笑顔のまま見つめあった後、

 

「うふふふふふふ……」

「おほほほほほほ……」

 

 不気味に笑いあった。

 

(な、なんだあれ……)

 

 それを遠めに見ていたのが騎士のエミリオである。丁度通りかかったところで珍しい組み合わせの2人の会話を聞いていたが、途中から明らかに雲行きが怪しくなり、最終的に至ったこの怖ろしい空気を感じ取ってしまったらさっさと逃げるが吉である。

 

(見なかったことにしよう……)

 

 そそくさとエミリオはその場を離れようとする。だが――。

 

「エミリオ君?」

「は、はいっ!」

 

 背後からかけられた声に思わず身をすくめて反射的に返事をしてしまい、恐る恐るエミリオは振り返る。

 一見すればリゼルは普段どおりの笑顔、のように見えるが、背後に黒い何かが見えるようである。立ち聞き、とも捉えられかねない状況、今そのことを咎められたら土下座して謝ってでもこの場を立ち去りたい。

 

「親衛隊の訓練、終わりました?」

「は、はい! 先ほど……」

「では中庭は空いておりますわね?」

「あ、空いております!」

「そうですか」

 

 蛇に睨まれた蛙よろしく、直立不動でエミリオは答えた。その蛇は今度は自分と話していた者の方へと視線を移す。

 

「近衛隊長殿、少しお付き合いよろしいでしょうか?」

「すみませんが、私はあなたと違って忙しい身ですので……」

「あら、そうですか。……せっかくお手合わせでも願おうかと思ったのですが、残念。自信がないのは私ではなくあなたの方でしたわね」

 

 もはや誰が見ても明らかなほどにビオレの笑顔が引きつった。

 

「……わかりました。ではお付き合いさせていただきますわ。どうやらメイド長殿は自国の方々の前で無様な負け姿をご披露することをお望みのようですから」

 

 言うまでもなく今度笑顔が引きつるのはリゼルのほうである。

 

「……エミリオ君」

「は、はい! まだ何か……」

「この後の私と近衛隊長殿の一騎打ちの立会人をお願いします」

「じ、自分がですか!? ……あの、この後ちょっと忙しくて……」

「エミリオ君?」

 

 リゼルが振り返り、ビオレと合わせていたその視線が注がれる。普段は晴れやかな気持ちにさせてくれるその笑顔だが、今日に限っていえば()()()()()()だ。

 

「……喜んでやらせていただきます……」

 

 ガクッと首を項垂れてエミリオは答えた。

 

「では参りましょうか、近衛隊長殿。あなたの墓場へ」

「いいですが、そのお墓は満員のようですよ? 先客が1人いらっしゃったようで、私が入る前に埋まってしまうみたいですわ」

 

 再び2人が沈黙し、

 

「うふふふふふふ……」

「おほほほほほほ……」

 

 また不気味に笑い合った。

 

(もうやだ……。この人たち怖い……)

 

 そんな2人を見てエミリオは項垂れたまま、心の中で涙を流すのであった。

 

 

 

 

 

「やれやれ……」

 

 親衛隊長のエクレールがため息をこぼしつつフィリアンノ城の廊下を歩く。先ほど親衛隊の訓練が終わり、隊の小隊長に用事を頼んだのだが、一向に戻ってくる気配がない。おかしいと思って詰め所に顔を出したが戻ってきていないということで、結局自分でその用事を済ませて、ついでに()()したその小隊長を探そうかというところだった。

 

(真面目な奴のはずなのに……。どこで何をやってるんだ、あいつは)

 

 つまみ食いをするようなことはないだろう、とも思うが、他に心当たりもないので食堂でも覗いてみるかと彼女が考えていた時、廊下の向こうから2人の男性が歩いてくるのが見えた。

 

「兄上!」

 

 彼女の兄で騎士団長のロランと、その友人で同じくガレットの騎士団長で将軍のバナードだ。

 

「エクレール、どうしたんだい?」

 

 ロランに問いかけられて、エクレールはバナードのほうへと一礼した後に話し出す。

 

「兄上、エミリオを見ませんでしたか?」

「エミリオ? ……いや、見ていないな」

「あいつどこに行ったんだ……」

「何かあったのか?」

「いえ……。ちょっと詰め所まで野暮用を頼んだのですが、いつまでもたっても戻ってこなくて……。私が詰め所に顔を出してみたら来ていない、という話で。真面目なあいつが私の頼みを反故にするというのも考えられず、何かあったのかと思ったものでしたから」

「そうか……。そちらも探し人か」

 

 そのバナードの一言にエクレールは視線を兄からその友人へと移した。

 

「バナード将軍もですか?」

「ああ。うちの近衛隊長が見当たらなくてね。なんでも、私を呼びに行くといって姫様の部屋を出たらしいんだが、その後私のところには来ていないし、レオ閣下のところにも戻っていないというので、少しロランと城内を歩かせてもらっていたところなんだ」

「ビオレ隊長が? ……そうだったんですか」

「そのビオレ殿とエミリオと、何か関係があるかもしれないな……。城の中の者に話を聞いて……」

 

 と、その時。3人の耳に歓声のような声が届いた。

 

「……なんだ、騒がしいな」

「中庭の方でしょうか?」

「騎士達のケンカか何かか? ……行ってみるか」

 

 そう言ったロランを先頭にエクレールとバナードが続く。

 中庭が近づくに連れ、歓声は大きさを増していく。どうやら声の出所は中庭で間違いないらしい。

 

「一体何が……」

 

 中庭に到着し、3人がそこの様子を窺う。ビスコッティ側だけでなく、護衛についてきたガレット側の騎士もいるために結構な数のようで、何やら盛り上がっていた。やはりケンカか、と思いながらエクレールは騎士たちの下へと近づいていく。

 

「一体何の騒ぎだ!?」

「あ、隊長」

 

 聞き覚えのある声にエクレールがその声の主を見る。エミリオと同じく小隊長級の女性騎士、アンジュだ。

 

「アンジュ、これは何の騒ぎだ?」

「模擬戦ですよ。というか……正確にはもうこれはほとんど一騎打ちですけど」

「一騎打ち!? ……実質ケンカじゃないか?」

「うーん……そうなんですかね……」

「一体誰と誰が……」

 

 野次馬を掻き分けるように覗き込んだエクレールは、次の瞬間「えぇ!?」とらしくない声を上げた。

 戦っているのは、一方は刀身の細い突剣を2本持ったフィリアンノ城メイド隊長のリゼル。もう一方は同様に両手にグリップダガーと呼ばれる、持ち手の先に刃が来る造りの短剣を持ったガレット近衛隊長のビオレだった。そしてその2人の戦いに立ち会うかのようにエミリオがあまりよろしくない顔色で立っていた。

 

「リゼル隊長にビオレ隊長……それに……エミリオ!?」

「なんか両隊長が話しているところで丁度通りかかっちゃったらしくて……立会人にさせられたそうですよ」

「ああ……」

 

 あいつも不運な奴だ、とエクレールは思った。宝剣を賭けた大戦のとき、本陣強襲をかけたビオレとそこの警護をしていたリゼルとの2人の間で()()()あったらしい、ということはエクレールも耳にしていた。

 いや、もしかしたらそんなのは関係なく、ただ互いに手合わせを願いたいという話になったのかもしれない。そんな風にも親衛隊長は考えたが、すぐにそれは却下した。

 目の前の2人は明らかに本気だ。模擬戦、などという生温い言葉とは違う。互いの意地とプライドを賭けての戦い、そう感じ取れるほどの気迫が2人から感じ取れる。

 

「……なるほど、見当たらなかったビオレ殿にエミリオの答えはこれだったか」

 

 背後から聞こえた声にエクレールは声の主である兄の方を見上げる。

 

「どうします? 止めに入ったほうがいいかと思いますが……。いささか覚悟がいるかと」

「まったくだね。ここで水を差したら2人になんと言われるかわからない。それに……。個人的にはこの戦い、興味がある。勝ち負けよりも、互いの国の実質的には近衛隊長同士の戦い……。なかなか見ごたえがあると思うよ」

「私もロランと同意見だ。ここで止めに入ったら帰ってからビオレ殿になんと言われるかもわからないからね。ここはおとなしく見守らせてもらうよ」

 

 この2人にそう言われたのなら、特に反対する理由もない。「わかりました」と了承する意思を伝え、エクレールは戦う自国のメイド長と隣国の近衛隊長の方へと目を移す。

 

 一応模擬戦の形を取っているためか、互いに紋章術は使用していない。しかしその攻防は目まぐるしい。

 リーチを生かし、リゼルが牽制気味に左の突剣を突き出す。右の短剣でビオレがそれを払って懐へ。だが素早く左手を引き戻し、リゼルは先ほどよりも鋭く突きを放った。

 ビオレが体を捻りつつその突きをかわし、勢いを利用して下段への足払い。数歩リゼルが後退してそれを避ける。体を起こしつつ間合いをつめようとするビオレだが、リゼルもそれに合わせて本命の右の突剣による突きを繰り出した。

 しかし左の短剣でビオレがそれを打ち払いつつ間合いを詰める。さらに踏み込み右手の突き。間一髪、リゼルが体を捻らせたことでグリップダガーが宙を割き、その空いた体へと左の突剣を切り上げた。が、残っていたもう一方の短剣によって防がれ、そこで両者が間合いを開けなおす。

 

 周りの野次馬からは歓声が上がった。騎士級同士の戦いでもここまで息を飲むような攻防は珍しいからだ。

 

(両者とも刺突重視の戦い……。いや、本来格闘主体と言われているビオレ隊長の場合、紋章術の使えない模擬戦の防御用として両手に短剣を持った、とも言えるか。ともあれ、ビオレ隊長が攻め込むにはリゼル隊長の間合いを打ち崩さないといけないのに、その相手はメイド流護衛剣術の突剣二刀流マスター……。親衛隊のエミリオやアンジュが2人がかりでも後れを取らないほどの腕前だ、それは容易ではない……)

 

 腕を組み、難しい表情で、しかし尻尾はややせわしなく左右に振りつつエクレールは考えをめぐらせる。

 

(しかも間合いに入り込めたとして、先ほどのリゼル隊長の体捌き……。見事と言わざるを得ない。刀身の細い突剣では剣を使って弾く、ということが難しい。そうなると防御に頼れるのは自身の体の動きとなるわけだが……。斬撃に適さない武器とはいえ、踏み込んだ時の反撃に斬撃を受ければ無視できるダメージではない、それを利用して相手を後退させるという防御……。さすがだ)

 

「どうしました、近衛隊長殿? そろそろ息が上がってきたのでは?」

「あら、それはそっくりお返ししますわ、メイド隊長殿。私はまだまだ若いですから、ご自分の心配をなされては?」

 

 そのビオレの言葉にリゼルの表情が引きつる。

 

(……まあ関心するのは剣の技術だけにしておこう。これは真似たくない)

 

 思わずそう思い、エクレールは苦笑を浮かべた。

 

「いつまでそうやって減らず口を叩いていられるかしら……!」

「それは勿論いつまででも……!」

 

 ()()と同時に2人が再び剣を交える。間合いを詰めたがるビオレとそうはさせまいとするリゼル。この2人の戦いの様子に、エクレールはある2人の戦いを思い出していた。

 

(そうか、()()()()もこんな戦い方だったか)

 

 かつてビスコッティの勇者とガレットの勇者、その2人が戦ったことがあった。長尺棒という長柄物を得意とする自国の勇者と、剣に格闘というより近い間合いでの戦いを狙う隣国の勇者。人々の語り草となっている戦いは主に最初の2度であったがどちらも最後は紋章剣の応酬となり、1度目は自国の勇者が勝ったが2度目は痛み分け。しかしその均衡した戦いは見ていた観客を魅了し、エクレールもその戦いを評価せざるを得ないほどであった。

 それから召喚術式が簡略化し、近頃では両国とも勇者は月に1度以上フロニャルドを訪れている。それに合わせるように戦が行われることも多く、勇者の活躍を見れる機会は飛躍的に増えた。

 

(……なぜ私は今ここであいつのことなど思い出しているんだ)

 

 意図せずエクレールの頬が赤く染まる。が、本人も、周りの人々もそれに気づく様子はない。皆、目の前の戦いに釘付けだからだ。戦いは佳境、次の一手で勝負が決まるかもしれない、という状況である。

 

「いい具合時間もかかってギャラリーも増えましたし……そろそろ決着といきましょうか?」

 

 本人達もそのことを実感しているのであろう。右手の突剣を器用にヒュンヒュンと回した後、リゼルが切っ先をビオレへと向けつつそう言った。

 

「降参でもしてくれるんですか?」

「ご冗談を、近衛隊長殿。それはそちらがしてくれると思っていましたが」

「論外ですわね。勝てる戦いを降参する理由が見当たりません」

「ではご覚悟を。後から嘆くこととなりますがね」

 

 リゼルが両手の突剣を構える。ビオレも眼光鋭くグリップダガーを握り締めた。

 

 緊張した空気が流れる。両者がまさに地を蹴ろうとした、その時――。

 

「双方とも! そこまでじゃ!」

 

 空気を切り裂いて聞こえた凛とした声にリゼルとビオレだけならず、その場にいた全員が声の方へと視線を移した。

 

「レオ様……」

「ビオレ、何をやっておる! バナードを呼びに行くと言っておきながら一向に帰って来ずに……」

「リゼルもです! 客人相手に剣を振るうなど!」

 

 レオと、その傍らに寄り添うように立っていたミルヒの姿を目にすると、リゼルは突剣を鞘へと収めた。

 

「……申し訳ありません。廊下で丁度ガレット近衛隊長殿を見かけたもので、私が一手ご指南願いたいと模擬戦を提案したのです。ですので責任は私に……」

「いいえ。その提案を受けたのは私です。ですから、私にも責任の一端はあります。メイド隊長殿がお咎めを受けるのであれば、私も同様です」

 

 ビオレの申し出にリゼルは驚いたように視線を彼女の方へと移した。

 

「……ミルヒ、どうする?」

「2人とも反省しているようですし、互いに了承して、ということであれば……。まあ今回は不問、ということで、レオ様、いいですか?」

「お前に任す。……いや、その2人よりも」

 

 チラッとレオは自国の騎士団長を見つめた。

 

「バナード、貴様なぜ止めなかった?」

「止められる雰囲気ではありませんでしたからね。それに興味もありましたし」

「それについては私も同罪ですね。騎士団長という立場でありながら止めに入らずに観戦に回ってしまったわけですから」

「バナード将軍と兄上を責めるのでしたら、この場にいた私にも……」

「あーもういいです! 皆今回は何も無しです! これじゃ水を差した私が悪者みたいじゃないですか!」

 

 不機嫌そうに頬を膨らませるミルヒ。

 

「しかしお前たち3人が止めに入れないほど、となると……。なかなかの戦いだったようじゃな」

「ええ、それはそれは。十分客を取れますよ」

 

 そのバナードからの推薦の言葉を聞くと、レオの表情が意地悪く変わった。

 

「ほう、そうかそうか。どうじゃ? 今度メイド長と近衛隊長の一騎打ちの興業というのは……」

「やめてください、レオ様。私などが戦ったところで盛り上がりません」

「よく言うわ。国営放送の解説に出てるせいか、お前のファンは多いとも聞くぞ?」

「からかわないでください!」

「私の方も遠慮させていただきます。私はあくまでメイドですから、非常時以外は裏方に徹しさせていただきます」

「そうか。……なら水を差して悪かったな。いずれ正式な形で……」

「いえ、お気遣いだけ受け取っておきます。()()()()()()で戦うのは、今日ので十分ですし。……そうですわね、近衛隊長殿?」

「ええ。ここでの決着など()()()ですから。今日はいい勉強をさせていただきましたわ」

 

 そう言うと2人は「うふふふふふふ……」「おほほほほほほ……」と互いに笑い合った。そんな様子に思わずレオは呆れたように苦笑を浮かべる。

 

「……まあいい。ビオレ、バナード、それにガレットの騎士達。帰るぞ、準備せい」

 

 そのレオの言葉で場は解散の空気となった。

 と、リゼルがビオレの方へと右手を伸ばしてくる。

 

「……何か?」

「いえ、本日()()()いただきありがとうございました、と言いたかったもので」

 

 ビオレも右手を差し出してそれを握り返す。やや力が篭っているとは感じた。

 

「……この決着は、いずれ時が来たら、またつけましょう」

 

 普段どおりの、細目でやや笑顔を浮かべた表情でリゼルがそう言った。

 

「そうですわね」

「そのときは()()()()()戦いたいですわね」

「それは保証しかねますわ。何分、近衛隊は荒事も引き受ける隊ですから」

 

 フフッと小さく笑った後、リゼルは()()()()()()()()

 

「……一応礼は言っておきますね。まさかあそこで私を擁護する発言が出るとは思っていなかったものですから」

 

 そのリゼルに対して驚いた表情のビオレだったが、すぐにリゼルは普段どおりの細目に戻って右手を離した。

 

「では近衛隊長殿、お達者で」

「そちらこそ」

 

 ビオレに背を向け、突剣を外しながら、リゼルは巻き込んで立会人にさせた騎士のほうへと歩いていく。

 

(本当……食えない相手だわ)

 

 その背を見送りつつ、ビオレはそんな感想を抱き、レオの元へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 ビスコッティからガレットへと続く街道。フィリアンノ城を出たレオ達一行がヴァンネット城を目指して進んでいた。

 

「ビオレ、大方予想はついているが……。なぜああなったのか説明せい」

 

 城を発ってからやや経ち、レオはビオレにそう問い詰める。

 

「あそこでメイド長が言ったとおりですよ。模擬戦を提案され、私はそれを受けただけです」

「よく言うわ。……本陣急襲の際に捕えられた雪辱を晴らそうとでも思っておったのだろう?」

 

 ハァ、とビオレが大きくため息をこぼした。

 

「レオ様は私がそのような安い女とお思いですか? ……まあ常々あの不覚を気にしていたのは事実ですが。そこで当の本人に煽られたもので、つい……」

「ワシの言ったことで大体当たっておろうが。……それで、気は晴れたか?」

「多少は。……ただ、これで向こうのメイド長の強さは身をもって実感できました」

「ほう?」

()()()()が本陣を守っていたのでは、それは急襲をかけてもうまくいかないわけです。私ももっと近衛隊長として、自身を鍛えなくてはいけないようです」

「そうか。まあお前がそう望むなら、そうすればよかろう」

 

 そのレオの一言に、呆れたようにビオレは苦笑を浮かべた。

 

「何他人事みたいに言ってるんです?」

「何?」

「私が自分の時間を取るためには、レオ様にもっとしっかりしていただかないといけないんですよ?」

「な!?」

 

 心外、とばかりにレオが口を開く。

 

「ワシは十分しっかりしておろうが!」

「いいえ、まだまだです。ガウル殿下のことをどうこう言う前に、まずご自身がもう少ししっかりなさってください」

「ワシのどの辺がダメというんじゃ!?」

「ここ最近、勇者様が頻繁においでになるということで戦のほうと、あとは彼の()()()にかまけすぎです。今だって来月の東西戦のことばかり……。他の事にももっと目を向けてください」

 

 ()()()()の話になり、レオはどこか気まずそうな表情を浮かべた。

 

「そんなことを言っても……。あいつは常にガレットにいるわけではないんじゃし……」

「でしたらさっさとご結婚でもなさってください。それでしたら、私のほうも諦めがつくというものです」

「貴様他人事と思って……! ……まあ実のところ互いにまんざらでもないんじゃが……あいつがもう少し待ってほしいと言うからの……」

「あら……。私の知らないうちにそのような仲にまでご発展されていたんですね。年寄りの冷や水でしたわ」

「おい! ビオレ!」

 

 冷やかしに対してレオが不満そうに口を尖らせる。しかしそれを傍らで見ていたバナードは、ビオレがうまく矛先を逸らして話題を摩り替えたな、と感心していた。同時に、こんな簡単に手玉に取られているようでは、やはりレオにはもう少し成長してもらいたい、と思わずにもいられなかった。

 

 

 

 

 

「聞きましたよ」

 

 フィリアンノ城内の廊下。たまたま出会ったミルヒ専属秘書官のアメリタにいきなりそう言われ、リゼルは首をかしげた。

 

「何がです?」

「ガレットの近衛隊長とやりあったそうじゃないですか」

「あら。もう広まってるの?」

「城勤めの者なら皆知ってますよ。勝ったのですか?」

 

 一つため息をこぼし、リゼルは間を空ける。

 

「いえ。決着はつきませんでしたけど」

「そうですか。……それで、どうだったんです?」

 

 さっきと同じ質問ではないか、とリゼルは怪訝な表情を浮かべた。

 

「どう、とは?」

「互いに近い立場でしょう? 私は剣を持たないのでそういうことはわからないですが、何か思うところがあったのではないですか?」

 

 一瞬考え込む様子を見せるリゼル。

 

「あの方は……姫様の本陣に奇襲をかけるということをかつて行いました。無礼極まりないその行為に、よく思っていなかったことは事実でしたが……。いざ手を合わせてみると、なかなかどうしてやる相手ですわね。さすがレオ様の側役というだけある、もし裏をかけなかったら、宝剣はあっさりと持ち去られたことでしょう」

「……あなたがそこまで言うのですか」

「あの時姫様が止めてくださらなかったら、どちらが勝っていたか……。しかし決着はつきませんでしたが、あれでまあよかったとも思っていますけどね」

「と、言うと?」

「1番丸く収まっていると言えるでしょう。向こうは2度屈辱を味合わずに済み、こちらは私のメンツが潰されないわけですから」

 

 随分とあっさりしたリゼルの言い様にアメリタは少し拍子が抜けた。城内の汚れは徹底的に落とす、自分の仕事は責任を持って最後までやりきる……。これまでの付き合いでそんな完璧主義な部分があると思っていたからだ。

 

「完璧主義者のあなたにしては珍しいですね」

 

 だから、思ったことをそっくりアメリタは口にした。

 

「そうかしら? 逆に私らしいのでは? だってあちらとも約束しましたし」

「約束?」

 

 フフッと小さくリゼルが笑う。普段どおりの微笑だが、その裏に何かが隠されたような含まれた笑み。

 

「……次に戦う時は戦場で、という約束です。あんな模擬戦という場ではなく、正式に戦場で相手を敗り、私が勝ったということをはっきりと証明する。……それなら完璧主義者らしいかしら?」

 

 リゼルの微笑に対し、アメリタは苦笑を浮かべた。

 やはりこの人は間違いなく完璧主義者だ。中途半端な決着を望まない、だから()()()()で一度戦場で合い見えた相手と、今日戦場でもない場所で決着をつけることを拒んだのだ。

 

「……ですが、あなたの方から戦いをふっかけたのでしょう?」

「ええ。ちゃんと一度手を合わせて、実力を窺っておきたかったですからね」

 

 そして抜け目ない。さすがは近衛隊のいないビスコッティにおいて、実質近衛隊長扱いである人間だとアメリタは感心した。

 

「まあ久しぶりにいい運動になりましたわ。……あ、でも巻き込んでしまったエミリオ君には悪いことをしましたけど」

 

 

 

 

 

「あ……隊長、そういえば隊長に頼まれていた用事を済まれる途中で巻き込まれてしまったので……。すみません」

「気にするな。話は聞いた。リゼル隊長とビオレ隊長の話していた場にたまたま居合わせたんだろ? 私のほうは大した用事でもなかったし、不運なお前をこれ以上責める気にもならん」

 

 メイド隊長と近衛隊長の模擬戦の後、立会人を無理矢理やらされていたエミリオは疲れた様子で詰め所へと戻ってきていた。そこにエクレールも来たのを見て、思い出したように彼はそう言ったのだった。

 

「しかし……。あの2人、さすがは実質近衛隊長クラスといったところか。間近で見てどうだった?」

「すごいですね……。いや、それ以上に……。腹を探り合うような、あの裏のあるやり取りというのは、どうにもこうにも……」

 

 だろうな、とエクレールは小さくため息をついた。

 自分もそういうのは苦手だ。というより、ビスコッティでそれを得意とする人など、リゼル以外にいないようにも思える。一方ガレットではそのリゼルとやりあったビオレ、参謀役のバナード、さらにはあの()()()()勇者もそんな調子で話すことが多いわけだが。

 

「女性というのは笑顔の裏に何を隠しているかわからないものですね……」

「エミリオ、それは私に対しての嫌味か?」

「あ! そんなつもりは……。……というか、そもそも隊長は()()()()()()はずなのに()()()()()から全く当てはまらないかと……」

「……ほう?」

 

 エクレールの顔が引きつる。だがエミリオは彼女の方を見ていないためにその様子に気づかない。

 

「でも、自分はそれでいいと思いますよ。勇者様のこととかになるとすぐ顔に出ちゃって……しかもそれなのに素直になれずに思ってることと違う行動をしてしまう隊長が、すごく隊長らしくて……って、た、隊長?」

 

 そこでようやくエミリオはエクレールの様子に気づいた。表情が引きつり、右の拳が震えている。

 

「あ、あの……もしかして怒ってます……?」

「さあ? どうだかな? 私はすぐ顔に出るんだから、わかるだろう?」

「い、いや、あの、馬鹿にしたとかそういうつもりは全くなくてですね……」

「じゃあなんだ? なんでわざわざ()()()を引き合いに出した?」

「え、えーと……」

 

 あはは、と笑ってごまかすエミリオ。

 

「笑ってごまかせると思ってるのかー!」

 

 どうやら自分は今日戦った2人と違って笑顔の裏の心を隠しきれないらしい。そう思ったこの日散々のエミリオは、結局とどめとしてこっぴどくエクレールに怒られたのだった。

 

 




水晶……クォーツ。4月の誕生石。

リゼルとビオレの関係ですが、おそらく原作はここまで悪くはないと思います。
が、自分が確認している限り、ここまで2人の間で明瞭な会話はなかったはずなので、更に言うと1期の閣下撫で撫でのシーンにもリゼルはいたけどビオレがいなかったということもあって、妄想を膨らませてこういう形になってます。
まあ2期EDで同じくくりで出てきてますし、実際はそんなことないとも思ってますけどね……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Princess VS Braver!(ガレット東西戦)

 

 

 ゴールデンウィークというものがある。いわゆる大型連休だ。大体4月末から始まり、5月頭ぐらいまでが該当する。何連休になるかはその年の休日と曜日のぶつかり具合によるが、今年は4月28日の土曜日から始まり、祝日である翌29日が日曜日にぶつかって30日に振り替え休日。5月に変わって2日間平日を挟んだ後に祝日の3連休、さらに6日が日曜日と比較的連休を取りやすい日程となっていた。

 

 そして今日は5月3日……いや、()()()()()()()の暦でいうなら5月ではなく翠玉(すいぎょく)の月か。ともかく、平日2日を挟んだ後、ゴールデンウィークの後半戦が始まる日だ。

 

 今頃日本は連休ムードだろう。学校の部活の連中には、ここは練習を控えめにして部員で遊びに行くという予定を組んでる奴もいるらしく、おかげで練習は組まれていない。まあ練習がないってのは最初からこっちに来るつもりだった俺としては好都合だ。春休み以来の長期滞在ができるわけだからな。

 

「……おいソウヤ、聞いてんのか?」

 

 と、そんな俺の物思いに耽っていた頭は横から投げかけられた声に現実へと引き戻された。銀の髪に獰猛そうなその表情、そして髪と同じ色の()()()()()()耳を持つ少年。

 

「……すみませんガウ様。ちょっと物思いに耽ってました」

 

 俺は素直に彼に謝罪を述べた。一瞬怪訝な表情を見せたが、特に気にしてない様子でその王子は口を開く。

 

「いや、まあ別にいいけどよ。ちらっと聞いた話だが、確かお前の世界じゃこの時期にかかる病気に五月病とかってのがあるんだろ? それじゃねえのか?」

 

 これには苦笑を浮かべざるを得ない。なるほど、俺のいる世界について以前よりは遙かに知識がついているようだ。しかし残念ながら認識が若干間違っている。

 

「五月病を知ってるというのは感心しますが……。意味合いが違いますよ。今俺がここにいるのは連休の賜物なわけですが、そもそも俺の世界では4月……えっとこの世界だと水晶の月でしたっけ? そこから年度が変わって、職場や学校の学年など環境が変わるわけです。それからひと月経った頃にこの連休を迎えてこれまでの疲れが出て、休み明けにやる気が出なくなる、学校や職場に行きたくなくなる、というのが本来の五月病です。だから厳密には病気とはちょっと違うんですよ」

「でもソウヤ、さっきボーっとしてたんだから、それなんじゃないの?」

 

 それこそお前の方が五月病じゃないのか、と突っ込みたくなるほど低いテンションでそう言われた。ガウ様の親衛隊、ジェノワーズのセンターであるノワールだ。

 

「そいつは違うな、黒猫。あいにく俺は五月病なんてのとは無縁な性格なんでな。……もっとも、勇者としてここに召喚されるまでは1年中五月病みたいな精神状態ではあったが」

「おいおい、よせよ。ガレットの勇者が何もやりたくない病気にかかった、なんていったらシャレにならねえぞ」

「まったくや。ウチを見てみい?」

 

 今度は元気だけが取り得のジョーヌだ。むしろお前は陽気すぎだろと言ってやりたい。が、ここは少し言葉を変える。

 

「ああ、そうだな。お前は1年中()()()()だもんな」

「あ、さすがソウヤさん。その通りー」

「ちょ、ベル!」

 

 ベールへの突っ込みにこの場の全員から笑いが起きた。

 

 今ここにいるのは俺とガウ様、それからその親衛隊ジェノワーズの合計5人だ。俺がフロニャルドに呼ばれるようになってから、なんだかんだこの5人でつるむことが多い。どうもガウ様には人を惹きつける天性の素質があるらしく、こんな絡みにくいであろう俺ともいち早く打ち解けてくれていた。俺の方が2つ年が上ではあるが、そんなのは気にせず接してくれている。その方がこちらとしてもありがたい。

 

 もっとも、2歳の年差ということでいうとビスコッティに召喚された勇者のシンクも同じだが、やはり気にせず接してくれている。紆余曲折はあったが、今じゃよき友人で同じ勇者でライバルだ。あいつもこの連休中にフロニャルドに来るとは言っていた。が、今回はちょっと顔を合わせる余裕がないかもしれない。

 

「……また話が逸れちまった。んじゃ、話を戻すぞ」

 

 その理由が今ガウ様達と話している内容、明日に控えている「ガレット東西戦」だ。

 これは元々ガレット領内を東西に分けて戦う、いわば国内の戦になる。まあ戦と言ってもこの世界の戦は俺たちの世界の戦争とは全く違うわけだが。

 ともかく、その内戦だが、通常は主に領民達や若手の騎士達主体の戦いとなる。要するに国家間の戦よりグレードが低いために敷居も低く参加しやすい、ということだ。だが今回の様相は異なっている。

 

「もう1回今回の国内戦についてまとめておくぞ。俺たち……つまり俺とジェノワーズとソウヤは西軍に配属される。一方東軍は姉上とバナードとゴドウィン。領主に将軍2人だ、こっちの方が千騎長クラスのジェノワーズ分頭数は多いが、戦力的には五分か、こっちが不利かってところだろう」

 

 そう、今回の東西戦はガレットの将軍、隊長クラスが双方に分かれるという豪華な顔ぶれとなっているのだ。どうも俺は勇者ということで過剰な期待がかけられているらしく、国内の強者との戦いもみたいと領民が望んだ形だそうだ。

 だが俺としては少々不満な点がある。

 

「……で、俺が戦う相手、考慮しなおしてもらえましたか?」

「勿論却下だ。この状況、お前と姉上が戦うという選択肢以外ありえねえだろ?」

 

 やっぱりか、とため息をこぼす。

 俺の不満というのはもう言うまでもなくレオ様と戦うように仕向けられる、ということである。

 俺は学校では弓道部所属、そのため得意武器は弓だ。そもそも一対一に不向きな武器、まず一騎打ちを強制させられる、ということが喜ばしい状況ではないのだ。

 とはいえ、中学までは剣道とあと格闘技を数種習っているおかげである程度は対応できる。が、それはあくまである程度、だ。シンクやガウ様のようなスピード主体の戦闘スタイルならまだ対応が利く。あるいは、ゴドウィン将軍やジョーヌのような()()()()鹿()も、速いとはいえない俺のスピードでかく乱が可能だからなんとかなるだろう。しかし相手は()()レオ様だ。パワー主体でありながらスピード、テクニック共に一流。相性からいったら最悪の相手、非力な戦闘スタイルの俺がごまかしながら戦い切れる相手ではない。

 

「はっきり言って勝ち目薄ですよ? 俺にとっちゃ天敵と言っていいタイプだ。あんまり無様な負けっぷりを見せると領民も冷めるんじゃないですか?」

 

 だから俺は本心を包み隠さず言っておく。……もっとも、そうじゃなくても俺にはあの人とは()()()()()()()()があるわけだが。

 

「なんだよ……お前にしちゃ弱気だな」

「弱気というか、俺は現実主義者だと言ってるでしょう? それに則って考えれば、大陸最強剣士のダルキアン卿とタメ張れるあの人に勝てる気などしないんですが」

「でもソウヤ、そのダルキアン卿には1度勝っとるやないか?」

「ありゃあ勝たせてもらったんだ。実力じゃ俺は遠く及ばない。……ああ、()()()()()()()()()()()()から()()()()だ」

 

「……これは酷いブラックジョーク」

 

 ノワールにそう突っ込まれた。ダルキアン卿本人を前にして言ったらあの人は困った顔をするだろう、それ以上に傍らのあの()()()()()に凄い目で睨まれそうだが。

 

「だったらお前も新技とか作ればいいんじゃねえか? そうだ、輝力武装とかどうだ? 紋章術の飲み込み速度はずば抜けてるお前だ、ここで案を出せばすぐ実践できるだろ?」

「冗談はよしてください。身体能力を紋章術で補う俺にとってあんな輝力をバカ食いする方法なんてのは自殺行為です。それに輝力の出力自体はお世辞にも強力といえない俺だ、やったところでたかが知れてるでしょう。……ともかく、勝つ見込みが厳しい以上、個人的には了承しかねるのですが」

「ダメだな。領民達が見たがってるし、俺も見たい。お前らも見たいよな?」

「見たい」

「そりゃ勿論」

「領主と勇者の対決なんて滅多に見れませんから」

 

 ガウ様と親衛隊の波状攻撃に俺は思わずため息をこぼした。

 

「大体よ、お前姉上と肩を並べたいだとか守る存在になるとか言ったんだろ? ならいつかは越えなきゃならない壁ってことだろうが」

 

 ……くそっ、恥ずかしいことは全部だだ漏れか。

 今ガウ様が言ったことはほぼ正解だ。いや、厳密には守る、と直接的には約束していない。まあ結果的に同じだしそれを訂正したところでジョーヌ辺りに冷やかされるのが目に見えるからやめておくが。

 つまるところ、この国の領民達は……

 

「そんなに俺の()()()()()()()が見たいわけですか?」

 

 そう、こんなことを言うのは照れくさい気もするが、俺とレオ様は恋人同士に当たるわけだ。で、俺にその恋人と戦え、という。

 

 確かに俺はレオ様に召喚されて勇者とか言われてるし、レオ様も領主なわけだから、その戦いは注目されるものだと言うのはわかる。しかしこれはどうやらそれだけの理由ではない。どうも俺たちの関係は領民達にもバレバレのようで、ならなおさら、という声が上がっているらしい。

 

「おう、見たいね。いいじゃねえか、一足先に()()()()しとけよ」

 

 ……他人事と思ってこのバカ王子め……。

 

「そやそや。家庭円満の秘訣は夫婦喧嘩にあり、らしいで」

「実際お前は家庭どころか付き合ったことすらないんだろうが。適当なこと言ってると殴るぞ」

「うわ、こわ……。っていうか今のさりげに酷くないか!?」

「でも事実じゃない?」

「おいベル!」

 

 いつもの漫才が始まり、思わず俺はため息をこぼす。これじゃ話が進まん。いや、進んだところでこれは既に決定事項、な空気を押し付けられて俺が納得させられるという説が濃厚だ。

 

「お、作戦会議中か?」

 

 そんな俺の悩みの種の大元が現れる。部屋の入り口を開けたのはレオ様だった。

 

「よう、姉上。まあそんなところだ。もうちょっとソウヤ借りてるぜ」

「別にワシの物というわけでもないじゃろ。それに……明日の東西戦では敵同士じゃ、それが終わるまではあまり話さない方が、戦いに集中できると思っておったしな」

「じゃあレオ様自身もここの連中と同じく、俺と剣を交えることは賛成なんですか?」

 

 せっかくここに来たのだから単刀直入に聞いてみる。

 

「周囲がそれを望むようじゃから、ワシは構わん。……本音を言えば、お前と全力でぶつかれるのは楽しみでもあるがな」

 

 俺はまたまたため息をこぼす。決まりだ。こりゃ明日はこの人と戦わないといけないらしい。

 

「領民達も今までにないほどこの東西戦を楽しみにしておるそうじゃ。本来ローカルでしか放送されない内戦じゃが、今回はビスコッティやパスティヤージュも放送を予定しておるらしい。……無様な負け姿は見せぬよう、コンディションだけはベストにしておけよ」

 

 ニヤッと、どこか嬉しそうに笑みを浮かべてレオ様は部屋を去っていく。さすがは戦闘狂(バトルマニア)、戦が大好きな国の領主様だ。三度の飯より戦が好きなようにすら見える。……もっとも、俺もこの世界の戦自体は嫌いじゃない、というより好きではある。が、今回は状況が別だが。

 兎にも角にも俺があの人と戦うことはもう確定事項だ。

 

「……ちくしょう、また話逸れちまったな。で、だ。ソウヤが率いる隊は姉上の部隊とぶつかった後、頃合を見計らって一騎打ちに移行だ。俺の部隊は……」

 

 ならもうここまで聞けばあとはもう関係ない、といってもいいだろう。要は俺とレオ様が戦えば、もうその後はないわけだ。なぜなら俺はぶっとばされて救護班行きか、運よく勝てたとしてそれ以上の戦いは不可能だろうからやはり救護班行きとなるからだ。行きの片道分だけを考えればいい、なんて楽な旅の予定だよ。

 ……まあいいや。なるようにしかならない、か。せめて勇者らしく戦うことだけは心がけよう。

 

「……とまあこういうわけだ。じゃあソウヤ、姉上はお前に任せるぜ」

 

 一通り明日の展開を話し終えたガウ様が俺へと話を振ってくる。俺は嘘はあまりつきたくない。出来ない可能性の高い約束も安請け合いはしない。だから、こういうときの決まっていつもの通りの答えを返すことにした。

 

「努力しますよ」

 

 

 

 

 

 ガウ様との翌日の打ち合わせを終えた後、俺はジョーヌと城内を歩いていた。最初にこちらに来たときは俺の世話役はレオ様の側近であるビオレさんだったのだが、俺がこっちに来る回数が増えるに連れて、お()り役はこいつが引き受けることが多くなっていた。俺としてはビオレさんと一緒に歩く方が嬉しいのだが……まああの人も何かと忙しい様子だし。今回の東西戦には出ないようだけど、ゴールデンウィークの前半は時折近衛隊と訓練している様子も見受けられた。以前はそんな様子はなかったのだが、どうやら俺やシンクが不在の間にビスコッティのあの()()()()()()とやりあったらしく、それ以来訓練に顔を出すことが増えたそうだ。結局レオ様が止めに入ったから勝敗はつかなかったらしいが、その勝負は見てみたかったな……。

 

「しかしこんなまたすぐ来るなら、一旦そっちの世界に帰った2日間もこっちにいればよかったんちゃうか?」

 

 と、歩きながらジョーヌが話しかけてきた。

 ゴールデンウィークというのは4月29日の祝日の後3日間平日を挟む。今回は振り替えで30日も休みになったが、5月の1日2日は平日で学校は平常授業だった。

 世の中の大人共は、そこの平日は社会人パワーで有給とか使って無理矢理10連休とかにしてしまう人もいるらしいのだが、高校生の俺にはそんなパワーはない。今回俺はゴールデンウィーク開始と同時の4月28日にこっちに来て3日間過ごしていた。しかし次の連休の間が2日ぐらいなら、と学校を休んでずっとここにいる予定だったのだが……。

 

「レオ様に『学業を疎かにする勇者など勇者とは認めん! また再召喚してやるから行って来い!』って言われたんだよ。……召喚が簡略化されて行き来しやすくなったはいいが、そのせいで学校に行くハメになっちまった」

「学校嫌いなんか?」

「嫌いじゃない。まあ好きでもないが。だったらここで戦に精を出す方が楽しくていい」

「ならさっさとここに永住したらええんちゃうか?」

「……人事だと思って気安く言いやがって」

 

 とはいえ、俺の意思はもう決まっている。高校卒業と同時にここに永住するつもりでいる。将来の進路はどうするかどこに住むか云々がまとめて解消されちまう夢のような選択肢だ。が、同時に親戚にどう説明したらいいかという問題もある。これまで面倒をかけた以上、「探さないでください」でふらっといなくなるのも申し訳がない気もする。

 だが俺の場合その悩みはシンクよりかは大分少ないと思ってる。あいつは家族や幼馴染が地球にいるわけだが、俺は両親が共にもういないわけだし兄弟もいない。最終手段としてパッと消えてもまあいいかと思うところもある。「地球に2度と帰れないか、地球に帰れるがフロニャルドに2度と戻って来れないか、どちらか選べ」と言われたらノータイムで前者を選ぶ。今の俺にとってはそれほどこの世界が大好きだし、それにここには()()()()がいるからだ。

 しかし今先ほどの決定をしなくてはならない、というのでなければ、今はまだそのときではない、と思ってる。

 

「いつかはそうする」

 

 だから俺はそう答えた。

 

「なんでや? 心が決まってるなら、早い方がええんちゃう?」

「高校……今行ってる学校は出ておきたい。それに……俺のいる国じゃ()()()()()()()()()だ」

「ああー」

 

 ニマッとジョーヌの顔がにやける。……余計なことを言っちまったか。

 

「なるほど、ソウヤ意外とそういうところ真面目やもんな。でもここじゃそんなのはないで? 今すぐにでも結婚することは可能や」

「うるせえ。俺の気持ちの問題だ。……それに、こっちに永住するってことは向こうの世界と決別する、って言い換えてもいいだろう。なら、心の方も一区切りをつけられる高校卒業までは先延ばしにしたいってことだよ」

 

 こっちも本心。ちょっと真面目なことを言えばこいつも黙るだろう。

 

「あ……。そっか……。ウチが考えてるほど気楽なことじゃなかったんやな……。ゴメン……」

 

 が、どうも利き過ぎたらしい。一気に落ち込んじまった。うるさすぎる調子者だが、黙りこくられるのもこっちとしては調子が狂う。

 

「気にするな。いずれはこっちに永住する、その覚悟は出来てる。ただもう少し待ってほしい、ってことだ」

「え……。さっき決別とか言ったやろ? そっちの世界はいいんか?」

「ああ。恋人置いて元の世界に帰ります、なんて言えるか」

「ならレオ様をそっちに連れて行くのは?」

「おい、ガレット領民、その発言はいいのか? 将来的にはガウ様に領主の座を譲るにしても、仮にもお姫様だぞ。そのお姫様をたかが召喚勇者に過ぎない俺が連れて行く、なんて許される行為じゃないと思うが。

 それにこっちの世界の人々は俺が異世界人だってことを知ってるからか、()()()でも問題はなさそうだが……。逆の場合、地球じゃそうはいかない。異世界がある、などとまるで夢物語な話を信じる者など基本的にいない。だがそこに耳がある者が現れれば……それこそ()()の目で見られ、何をされるか知ったものじゃない。異世界があると知れば侵略を仕掛けるかもしれない。だからレオ様を俺の世界に連れて行くというのは却下だ」

 

 とはいえ、レオ様は地球に来たことはあるわけだが……。その時は耳は帽子で隠し、尻尾は服の下に隠してもらうことでなんとかばれずに観光をしたが、地球に住む、となれば夏場などそうはいかないだろう。

 

「なるほど……。いろいろ面倒なんやな」

 

 頭をかきつつジョーヌがそう言った。まあそうだ、はっきり言っていろいろ面倒なことではある。だがそんな面倒の代わりにここでこうして勇者をしてられるのなら、その面倒も悪くはないだろう。

 

「ほんなら、『ソウヤ・ガレット・デ・ロワ』殿が誕生するのはもう少し先か」

 

 ああ、なるほど。俺がさっき口を滑らせた後、こいつはその話にもっていきたかったのか。しかし……

 

「……おい、俺は婿入り前提かよ」

「え? 違うんか?」

 

 違う、と言えないのが現実だ。こっちに永住、となれば今の召喚勇者と言う立場でいるわけにもいかないだろう。そうなればせいぜい騎士辺りの身分に落ち着くだろうが、そうだとして王族が騎士に嫁ぐというのは無礼にあたるんじゃないかと思ってる。

 なら、汚い話だが、俺が王族側に婿入りしてしまえば向こうのメンツは保てるだろう。「たかが召喚勇者が王族に取り入った」と周りから冷ややかな目を向けられるかもしれないが、それは俺が受ければ済むことだ。一応勇者という立場上、それは問題ない、とレオ様と少し話したりもしたし。

 

「……まだどうするか決めていない」

 

 とりあえずお茶を濁しておく。

 

「そうか。……でも、今の口ぶりだと……やっぱりレオ様と結婚するつもりはもうあるみたいやな?」

 

 ……しまった。こいつ相手に不覚を取ったか。

 

「いやあレオ様に聞いてもその辺はうまくごまかされてな……。昔はこの手の質問には顔を真っ赤にして答えてくれてたのに、今じゃ簡単にあしらわれるから聞き出せんかったんよ」

「そのお前のせいであの人のウブな反応を見る、という俺の楽しみが奪われちまったんだよ。責任取れ」

「ハァ!? ウチ1人のせいか? ビオレ姉やんだって結構言ってたみたいやで?」

 

 本当に……こいつと話してると疲れる。決して嫌なわけじゃないが、物事は適度が1番だ。うまい食べ物も満腹時に食べれば苦痛になるのと一緒だ。

 

「……まあいい。ほら、ルージュさんいたぞ」

 

 すっかり忘れていた目的の人物を発見した。そもそもはルージュさんのところに俺を連れて行く、ということでこいつと城内を歩いていたのだった。

 

「あ、ほんまや。おーい、ルージュ姉!」

 

 ジョーヌの声に気づき、ルージュさんが振り返る。

 

「あら、ジョーヌ。それにソウヤ様」

「ルージュ姉、こいつに()()見せてやってな」

「あれ? ……ああ! あれね」

 

 パン、とルージュさんが両手を合わせた。

 

「ソウヤ様、私の後についてきてください」

 

 そしてルージュさんは先頭を切って歩き出す。

 

「……おいジョーヌ、あれってなんだ?」

「ふっふーん、見てのお楽しみや」

 

 ここで教えてくれる気はないらしい。素直に諦め、俺はルージュさんの後をついていくことにした。

 

 

 

 

 

 ルージュさんが来た場所は戦で乗用されるセルクルを管理、飼育している鳥舎だった。そういえばここには来たことがない。

 

「えっと……。あ、この子ね」

 

 何十羽という数のセルクルがいる中の1羽、茶色の羽毛に包まれたやや小柄なセルクルの前でルージュさんは足を止めた。

 

「ソウヤ様、あれ、とはこちらになります。こちらがあなた専用のセルクルです」

「俺専用……?」

「そや。勇者なんやし専用のセルクルがあったほうがいいだろう、ってことでレオ様が用意させたんや。小柄だけど、その分足の速さはなかなからしいで。まあレオ様のドーマには叶わんと思うけどな」

 

 確かにレオ様にはドーマ、ガウ様にはウィルマ、隣国ビスコッティでは姫様専用として飛翔可能な珍しい種でもあるハーランと専用のセルクルを持っている。なら仮にも勇者であるなら、俺も専用セルクルがあっても不思議ではない。

 

「ですが、別に俺は……」

「そんなこと言うもんやないで。レオ様からの贈り物や。そして明日の東西戦で初お目見え。盛り上がること間違い無しやろ?」

 

 ……まあそうか。それにレオ様からの贈り物、と言われたら受け取らざるを得ない。あの人の顔に泥を塗るなどしたくないし、できるはずもないからな。

 

「一応名前は今までは『ヴィット』と呼ばれていましたが、もしソウヤ様が他の名で呼びたいというのであれば、新たに名をつけてあげてください」

「いえ、今までのままで構いません。……ヴィット、か。よろしくな、ヴィット」

 

 俺の言葉にヴィットはクエッと小さく嘶いた。

 

「よかったら少し騎乗されては? 感覚を掴むのもいいかと思いますし」

「そうですね。じゃあお言葉に甘えて」

 

 俺はヴィットに飛び乗る。小柄な見た目の通り、今までより視点がやや低い。しかし気になるほどではないし、その分足が速いということだ。なら問題ない。

 鳥舎から外に出る。眩しい日差しにヴィットの茶の毛並みが美しく輝いた。

 

「行くぞ、ヴィット!」

 

 嘶きと共にヴィットが駆け出す。駆け出しからトップスピードまでが速い。どうやら短距離をより得意としてるらしい。なら、長距離を走る時は俺が輝力で手助けしてやればいいわけだ。そこで懐に潜り込んだら温存しておいたこいつの足でさらに切り込む。そうでなくても弓を使うことの多い俺の場合は瞬発力が高い方が助かる。俺とベストマッチだ。

 

 しばらくヴィットを走らせた後、その様子を見ていた2人の前にヴィットを止めて俺は地面に降りる。

 

「いかがですか?」

「素晴らしいですね。俺のいい相棒になってくれそうだ」

「それはよかった。可愛がってあげてくださいね」

「これで明日の東西戦はばっちりやな」

「それとこれとは別問題だ。結局は降りて一騎打ちになるんだろうからな」

「ま、こっちの勝敗がかかってるんや。そんなこと言わんと頼むで勇者」

 

 全くもって他人事のようにジョーヌは気楽に言って来る。しかしまあ専用セルクルが初お目見え、となればさっきこいつが言ったとおり盛り上がるだろう。興業的に見ればそれは悪くない。戦局が終盤を迎えるまではこいつと戦場を大暴れさせてもらうとするか。しかしその後のことを考えると……憂鬱になるが。

 そう思って苦笑を浮かべる。だがじたばたしても始まらない。出し切れる力だけは出し切ろうと腹をくくっておくことにした。

 

 

 

 

 

『皆さんこんにちは。ガレット国営放送、ジャン・カゾーニです! これからの時間はガレット国内で行われる東西戦の様子を生中継で放送していきたいと思います!』

 

 翌日。快晴な空の下、予定通り東西戦は開催されることとなった。ま、俺の心はそんな晴れの天気とは真逆、どんより曇り空なわけだが。

 

『本来はローカルで放送される内戦ですが、今回は少しばかり様相が異なります! それもそのはず、ガレットの勇者様が今回東西戦に初参戦となるからです! それに伴いレオンミシェリ閣下、ガウル殿下、そして将軍や親衛隊の方々なども参戦、まさに国内オールスター戦となっております! そのためにこの放送は隣国ビスコッティやパスティヤージュでも放送される予定です! なので参加者の皆さんは頑張ってください!』

 

 そういえば今日の実況はあのハイテンションなやかましい兄ちゃんじゃないようだ。こっちの少し落ち着いてる感じの方が今の俺のテンションには合いそうだ。

 

『ここで解説を紹介させていただきます。レオンミシェリ閣下の側近にして近衛隊隊長、解説役として登場していただけばそれだけで視聴率が大幅アップ! 勝利の女神、ビオレ・アマレットさんに来ていただいています! ビオレさん、よろしくお願いします!』

 

 ……いや、そうでもないようだ。こっちも大概だったか。

 

『よろしくお願いします。……でもジャン君、その私の紹介の仕方、まるでフラン君みたいよ?』

『あ、そうですか? 先輩が言いそうなことをちょっと借りたんですけど……。ともあれ、私はビオレさんと一緒の放送席に座らせていただくのは今日が初めてですので、ちょっと緊張しております。今日はよろしくお願いします』

『はーい。こちらこそよろしくね』

『えー、イチャついてるところ悪いんですけど、実況席、聞こえてますー?』

 

 ここで聞こえてきたのはいつものハイテンションアナの声だ。

 

『あ、はい! 聞こえてます! ……いや、イチャついてはいませんけど。フランさん、どうしました?』

『こちらフランです。主戦場となりますモラセス平野からですが、東軍も西軍もかなり気合が入っているようです! 今日の東西戦は波乱の展開になりそうですよ!』

『ありがとうございました。……波乱の展開ですか。まあそうなりそうなのも頷けるかもしれません。何と言ってもオールスター戦ですからね。……では両軍の顔ぶれをご紹介していこうと思います』

 

 ジャンさんのその声の後、映像板にゴドウィン将軍の姿が映し出される。どうやら東軍から紹介のようだ。

 

『まずは東軍からまいりましょう! その怪力が自慢のゴドウィン・ドリュール将軍! 戦好きの多いこのガレットにおいてまさに武人と言うにふさわしい豪快な戦いを得意としております!』

『ゴドウィン君は比較的最近ガレットの将軍となったのですが、その出世スピードは目を見張るものがあります。今日も大暴れしてくれることでしょう』

『続きましてバナード・サブラージュ将軍! ガレットきっての知将であり、騎士団長でもあります!』

『そして愛妻家という側面も持ってますね。……それを言ったらさっきのゴドウィン君もですけど』

『そしてそして、やはりこの方抜きには語れないでしょう! 東軍の目玉、我らの領主、レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ閣下です!』

『レオ様はずっとこの東西戦を楽しみにしていらっしゃいましたからね。……それこそ公務も手につかないほどに。ですから、今日の活躍は期待していいのではないでしょうか?』

 

 ビオレさんのその解説に対し、レオ様がカメラに対して「余計なことを言うな!」と叫ぶ様子が見えた。反射的に笑ってしまったが、この様子だと俺のときに何と言われるか知れたもんじゃない。笑ってる場合じゃないようだ。とはいえ、今からどうすることもできそうにないが。

 

『次に西軍に参りましょう! こちらも非常に豪華な顔ぶれです! まずはレオンミシェリ閣下の弟君、ガウル・ガレット・デ・ロワ殿下!』

『最近のガウル殿下の戦いには今までのスピードに加えて力強さも見受けられるようになってきたと思います。そこも見所と言えるでしょうね』

『続きましてそのガウル殿下の親衛隊、ジェノワーズの御三方! 素早いスピードで相手を翻弄するノワール・ヴィノカカオ千騎長、パワーが自慢のジョーヌ・クラフティ千騎長、弓矢による適格な援護を行うベール・ファーブルトン千騎長!』

『この3人はコンビネーションが見事です。互いの弱点をうまくカバーし合い長所を生かす戦い方、今日も華麗な連携に期待できそうですね』

 

 さて、順番的にいって次は間違いなく俺だ。……ビオレさんが余計なことを言いそうで怖い。

 

『そして! お待たせいたしました! 西軍最大の目玉、ついに東西戦に初参戦です! 国内の強者相手にいかなる戦いを見せてくれるのか!? 勇者、ソウヤ・ハヤマ!』

『西軍、というより、間違いなく今回の最大の見所でしょうね。おそらくレオ様と戦うことになるでしょうから』

『そうなれば盛り上がることは間違いありません! 領主対勇者、しかも互いに()()()()()()の間柄です! レオ閣下が勝つのか、それともソウヤ殿が勇者としての意地を見せるのか!?』

『今ソウヤ様が乗っておられるセルクルはレオ様より贈られたヴィットです。この戦で初お目見えになるわけですので、こちらも期待ですね。……ところで、ですけど。ソウヤ様だけ敬称がつけいにくいと思いません?』

『あー……。そうですね。召喚勇者ということで私は先ほど「殿」でお呼びしたわけですが、この国の正式な騎士として「ハヤマ卿」と呼べる日はいつになるか……。あ、いや、その場合もしかしたら姓が変わっている可能性も……』

「やかましいぞ実況! いらんことまで言うな!」

 

 思わず俺は叫んだ。……俺の中でこのアナの評価ガタ落ちだ。これじゃハイテンション兄ちゃんの方がまだマシじゃねえか。

 背後では兵達も笑っている。これでは示しがつかない。

 

「……今笑った奴、前列のガウ様の突撃隊に入れ」

「ええー!? そりゃないですよ、勇者様!」

「そうですよ! 俺達は勇者様と閣下の仲が発展するように願っていてですね……」

「おい、そんなに突撃隊に配属希望か?」

 

 再び兵達が笑う。まあこれで笑っていられるってことは、俺がそんなことはするわけがない、と信頼されているからだと捉えることにしよう。しかし本当に俺たちの関係は広く知れ渡っちまってるのか……。

 

『えー……。勇者様に怒られてしまいましたが……。気を取り直して参りましょう! 間もなく開戦となりますモラセス平野では両軍がにらみ合っている状態です! 東軍はなんとレオ閣下の隊が陣の中心に位置しております! その両翼をゴドウィン将軍、バナード将軍の隊が固める中央の突破を狙うかのような陣形。一方西軍はガウル殿下、ジェノワーズが率いる隊の順に前列を固め、その後方にソウヤ殿の隊を温存するという防御重視と取れる三列の陣形です。ビオレさん、これはどう見ますかね?』

『そうですね。彼は弓が得意ということですし、後列からの援護を重視する、という形でしょうか』

 

 なるほど、さすが解説に呼ばれるだけのことがある近衛隊長、なかなかいい目のつけ方だ。今ビオレさんが言ったことは半分正解。確かに俺が率いる隊には弓兵が多い。開始と同時にガウ様が率いる隊がまず突撃を仕掛け、俺たちがそれを援護する。ガウ様の隊が押され始めたところで今度は残りのジェノワーズの隊が突撃をかける。

 まあ大方ここまでの予想は出来るだろう。だがこれには続きがある。こちらの突撃後、おそらくここからは弓の援護も難しいだろうから混戦となると予想されるが、両軍の数が減ってきた、あるいはこちらが押され始めたところで今度は温存しておいた俺の隊が最後の突撃をかける。そして敵の攻撃をかいくぐってレオ様との一騎打ちに持ち込む。こういう展開は盛り上がる、とガウ様に吹き込まれ、そして実際にやることとなったわけだ。

 

『さあ、戦闘開始の時間が刻一刻と近づいてきましたが……。ビオレさん、ズバリこの戦い、どう見ますか?』

『そうですね……。確かに隊長クラスの頭数は西軍の方が多いですが……。領主に2人の将軍、やはり東軍有利というのが妥当な見方でしょうかね』

『なるほど』

『ですが……』

『ですが?』

『それはあくまで一般的に考えて、の話になります。西軍には勇者様がいる……。もしレオ様がソウヤ様に敗れる、ということになれば、状況は一変すると言ってもいいでしょう。勇者とはその名の通り見る者に勇気を与える存在。だとすれば、レオ様に勝つような、そんな戦いを見れば兵の方たちの士気も上がることでしょう。見ようによってはソウヤ様の隊が後列に下がっているのは勝つための切り札としての温存、と見ることもできます。よって、この勝負の鍵はやはりソウヤ様が握っている、と言っても過言ではないでしょう』

 

 ……まいったな。そりゃ過剰な期待だ。いくら俺が勇者だ、とか言ってもさすがにそこまでの影響力はないと思ってる。そもそもそれはレオ様に勝つ、というのが条件だ。それが出来れば苦労はしない。

 それからさっき半分正解と言ったが、全部正解に訂正しないといけない。俺の隊の温存まで見抜いたとは、さすがは近衛隊長。しかし、だとすると向こうもこっちの狙いはわかってるだろうが……。いや、だとしてもおそらくはこちらの狙い通りに動いてくるだろう。なぜなら、それがレオ様だからだ。伊達に「獅子王」などと紋章術にご大層な名前を付けるだけのことはあるわけで、王たる者は堂々と、優雅に構えて物事を進めなければならない存在だからだ。彼女はそれをわかっている。そして、その上での戦いを領民が望んでいることも知ってるだろう。

 

 ま、つまりそいつは裏を返せば、俺のように小細工に走る者は王としての器にふさわしくない、とも言えるわけでもある。だがそれでもいい。「勇者」なんて言われているが、俺は裏方でいい。王なんてのは勿論、人の上に立つ器ですらないことにも自分で気づいている。

 とはいえ、俺が望むと望まざるとに拘らず、俺は表舞台に立つことを強いられるのかもしれない。しかしそれがこれから先レオ様と共に肩を並べて歩いていく条件だというのなら……。俺は甘んじてそれを受ける。受けてやる。その覚悟は彼女に誓いを立てたあの時に既に出来ている。

 

『さあ! 間もなくガレット東西戦が始まります! 勝つのは東軍か、それとも西軍か!? 領主か、はたまた勇者か!?』

 

 だから……。今は勇者としての戦いを見せる。生きることに意味を見出せなかった、周りの人間など邪魔なモノとしてしか見ることが出来なかった、あの悶々とした日々を吹き飛ばしてくれたこの世界に感謝を込めて。こんな俺を勇者として認めて召喚してくれたレオ様に、あなたの目は正しかったと証明するために。俺は戦おう。

 

 思わず、小さく笑みをこぼした。

 

 らしくない。ついさっきまで憂鬱だったはずなのに、そんな気持ちは吹っ飛んじまってる。それにここまで感情が昂ぶったのも久しぶりだろう。人のことを戦闘狂(バトルマニア)と言う前に、俺も大概だったか。

 

 そんな俺の考えをかき消すかのように、空に花火が上がった。戦闘開始の合図だ。

 なら、もう余計なことを考えてる暇はない。戦いに集中するだけだ……!

 

『今! 開始の花火が上がり……ガレット東西戦、スタートです!』

 

 

 

 

 

 東西戦が始まった。前方から雄叫びが聞こえる。打ち合わせの通りガウ様が率いる隊が突撃をかけ始めたのだ。

 

「こちらも前進後、ガウ様の隊の突撃を援護する! 相手の足を止めるだけでいい、間違えても味方には当てるなよ!」

 

 隊の兵達に叫びつつ、ヴィットを前へと走らせる。同時にこれまで指輪の形をさせていたエクスマキナを弓へと形状変化。次いで背の矢筒から3本矢を取り、指の間へと挟む。

 

 紋章術は無しだ。矢の数を撃つだけなら前進後にヴィットから降りて「バリスタ」を使えばいい。が、あれは対攻城用と自分で銘打ってるだけあって、相当数の矢を放てる代わりに大きく輝力を消耗する。この後のレオ様との一騎打ちを考えれば俺にとって()()()である輝力は出来るだけ温存しておきたい。だから今回は矢も輝力生成を控え、援護の間は持参したものを使うことにしている。

 

『ああーっと! 戦闘開始の合図と同時に西軍、ガウル殿下の隊が猛然と突撃ー! そしてそれに続くかのように残りの西軍の部隊も前進! しかし……一方の東軍も真っ向からぶつかるつもりでしょうか、レオ閣下の部隊を先頭に両翼も前進してきたー!』

 

 実況用のカメラは高台から撮ってるらしく、両軍の陣形が一目でわかる。なるほど、向こうは一列かと思ったが、どうやらレオ様の隊がやや突出し、両将軍がその両翼につける形、つまり「く」の字になってるわけだ。

 なら、狙うは中央だ。こちらもいる位置は中央、それにまずはレオ様の部隊の足を止めないとガウ様の隊が押し切られてしまう。

 

「止まれ! 弓兵は弓を構えろ! 狙うは相手の陣の中央……レオ様の隊だ!」

『実況席、こちらフランです! 前列、ガウル殿下の隊に目を奪われがちですが、後列ソウヤ殿の隊が不穏な動きを見せ始めました! 隊が停止、そしてこれは……!』

「撃てッ!」

 

 俺の声に合わせて隊から矢が飛ぶ。放たれた矢はガウ様の隊の頭上を越え、そこに迫ろうとするレオ様の隊へ。

 

『後列からの弓攻撃だ! やはり弓が得意な勇者が指揮を取る隊、これを狙っていた!』

 

 カメラを通して矢の命中状況、そして相手の被害状況を確認する。元から期待してはいなかったが、やはり重装戦士隊によって多くの矢は防がれたようだ。だが()()()してる姿も見受けられる。何よりガウ様の隊の突撃に合わせて前進しかけた敵の出鼻をくじけたことの方が大きい。

 ……と思っていたのだが。

 

『しかしレオ閣下もこれを見抜いていたか!? 突撃のスピードは衰えないー!』

 

 やられた。全体で見れば隊の速度を落とすことに成功してはいる。だがレオ様とその一団は怯んだ様子すらない。こうなったらあの人は一旦ガウ様に任せるしかないだろう。

 

「狙いを変える! 俺より右は敵陣の左翼を、左は右翼をそれぞれ狙え!」

「勇者様! 前方、矢が来ます!」

 

 背後の騎士からの声に俺は空を見上げる。どうやら向こうはまずこっちの弓を潰しに来たらしい。

 

「防御だ! やりすごすぞ!」

 

 俺の声に合わせて隊の重装戦士が前へと出る。

 が、それより早く――。

 

「紋章発動、レベル2! 烈風落とし!」

 

 前方ジェノワーズ隊の中から聞こえた声と共に一発の紋章砲が打ち上げられ、迫り来る矢を全て叩き落した。

 

「ジョーヌか!?」

 

 さすが千騎長扱いなだけはある。普段馬鹿にしてるが重装戦士としての腕は一流だ。

 

「今度はこっちの番だ! 撃て!」

 

 先ほどの狙いと変わって、東軍の両翼へと矢が飛ぶ。が、さっき同様向こうも矢を放ってくるようだ。何度もジョーヌに頼るわけにはいかない、ここからは隊の重装戦士に防御を任せた矢の応酬となる。

 隊の重装戦士隊が敵の矢を防ぎ、反撃の矢をこちらから飛ばす。防御はうまく機能しており、こちらの被害はほとんどない。

 

「怯むな! 撃ち続けろ!」

 

 指示を出しつつ、上空の映像板へ目を移す。ガウ様の隊とレオ様の隊の戦闘の様子が映し出されている。

 既にウィルマを飛び降りたガウ様は得意の輝力武装、「獅子王爪牙」によって両手と両足に輝力の爪を纏って大暴れしているようだ。

 

『ガウル殿下絶好調! 輝力武装の獅子王爪牙と得意の紋章術、爪牙双拳によって東軍を次々と薙ぎ払っております!』

 

 実況の興奮ぶりからしてもガウ様の心配は無用だろう。

 一方のレオ様はドーマの上から大剣を振るいこちらの兵を蹴散らしている。まだグランヴェールは使ってないようだ。

 

『さあレオ閣下の隊とガウル殿下の隊が激突! 戦場は混戦模様となってまいりました!』

『これで現在交戦中の前線への援護は難しくなりますね。両軍がどう動くか見ものですね』

 

 その実況と解説の直後、ジェノワーズの隊が前進を開始する。第2段階だ。

 

『あーっと! ここで西軍、第2列目が前進です!』

『温存しておいたジェノワーズの隊の突撃ですね。これはますます混戦になりますね』

『そして最前線、ついにレオ閣下とガウル殿下の戦いが始まりました! まさか領主対勇者ではなく姉弟対決となるのかー!?』

 

 映像にガウ様とレオ様の戦いの様子が映し出される。獅子王爪牙でガウ様はレオ様に迫るが、それを難なく打ち払って反撃に転じる。まだ2人とも様子見程度ではあるが、少々予定を前倒ししないといけないかもしれない。

 

「勇者様、そろそろ我々も前進を!」

 

 隊から声が上がる。既に敵からの矢は止まり、こちらも混戦への援護が困難になりつつある。ジェノワーズの隊もそろそろ前線へと到着する頃だろう。なら、まだ少し早いが……

 

「よし! 突撃する! 俺に続け!」

 

 俺の声に隊から雄叫びが上がった。それを確認し、ヴィットを走らせて輝力を込める。

 

『前線の混戦状態は東軍がやや有利でしょうか。ジェノワーズの隊の突撃もありましたが、既に全軍を前線に集めているために東軍が数で勝っている形になっています! 数で劣っている西軍は最後列の勇者殿の隊がどのような動きをしてくるか……おおっと!』

『動きましたね。最後まで温存された隊、勝敗の鍵を握る勇者様の隊の突撃です』

『来ました! 勇者の行軍! 進む先に見えるは……レオ閣下だ! いよいよ領主対勇者か!?』

 

 前線が近づいてくる。だが、一旦ここで徐行だ。そう易々と彼女のところまで通してはくれないだろう。そろそろ()()()をせびられる頃合だ。

 

「来やがったな勇者!」

「俺たち三兄弟、ここで勇者を倒して名を上げてやる!」

「覚悟しやがれ!」

 

 やはりこの手の輩はお約束か。見るからに風体の悪そうな男が3人、棍棒やら斧やら大剣やらを振りかざして俺へと近づいてくる。悪いが構ってる暇はない。

 右手を背に回して矢を3本、指の間へと挟む。

 

「ヘッジホッグ・アルバレスト!」

 

 増殖は無し、加速と追跡だけを輝力でサポートした紋章術を放つ。3本の矢はまだ距離のあった3人へ吸い込まれるように命中し、直後だまへと変化させた。

 よし、紋章術の調子は問題ない。そして驚いたのはこのヴィットだ。こいつ、短距離は確かに速く、頭もいいようだ。今俺が紋章術を放つと同時、撃ちやすいように調整してたのか、それまでの緩めていた速度から一気に加速している。あとは自分の足で走るから輝力を温存しとけ、とでも言いたそうだ。

 

「お前の好意に甘えるぜ」

 

 右手で軽く頭を撫でてやる。一鳴きし、ヴィットはデ・ロワ姉弟が戦う場へと近づいていく。いよいよ2人の姿がはっきり見え始めた。

 ヴィットの頭を撫でた右手を背に回した。矢を1本持ってきて番える。そのままガウ様と睨み合うレオ様の横っ面目掛け、俺は躊躇なく矢を放った。

 こちらを見ようともせず、レオ様は大剣を軽く振るってその矢を叩き落した。

 

「1対1の戦いの最中に横槍を入れるとは、随分失礼なことをするんじゃな?」

 

 走らせてきたヴィットを止めて飛び降りた俺にレオ様が非難の言葉を浴びせてくる。

 

「よく言いますよ。全然本気を出していなかったくせに」

「おいソウヤ、予定より早いぜ?」

 

 今度はガウ様にまでそんな声を投げかけられた。

 

「仕方ないでしょう。あなたの方こそ予定より早くレオ様とぶつかったんですから」

「チッ……。グランヴェールまでは俺が引き出してやろうかと思ったんだがよ……。まあいい、ここはお前に任せる。当初の予定通り俺はゴドウィンを抑えに行くぜ」

「わかりました。ご武運を」

「お前もな」

 

 待機させていたウィルマに飛び乗り、ガウ様が走り去る。その間、レオ様はその後姿を目で追うだけだった。

 

「さて……。それで一応最終確認ですが、本当にやるんですね?」

「何を今更。先ほどワシを狙っておいてそれか?」

「当たるなどと思ってもいませんよ。挨拶みたいなもんです。ですが、これから本気でやりあう、となればこっちも覚悟を決めないといけないですからね」

「覚悟? 負ける覚悟か?」

「いいえ。……あなたに剣を向ける、という覚悟です」

 

 これは予想外だったらしく、レオ様は意外そうな顔を見せた。

 

「約束しましたよね? 『あなたを2度と傷つけない』と。だが戦興業とはいえあなたに剣を向ければその約束に反することになる……」

 

 それがレオ様と戦いたくない理由の一番大きいところであった。だが、

 

「ならんじゃろ。興業じゃ、傷つかんからな。……いや、その前にお前、このワシに一太刀でも浴びせられると思っているのか?」

 

 俺の心中などお構いなし、ニヤッとレオ様が不敵に笑った。

 

「いらん心配じゃな。今更それを理由に逃げるとあれば勇者の名が泣くぞ。……それにいつかワシと肩を並べて共に歩く、とか言っておったろ? なら今ここでお前がその存在足りえるかどうか、ワシに証明してみせい」

 

 俺は目を閉じ、一つ息を吐く。ため息じゃない。腹をくくった、という心の表れだ。

 ここまで言われて黙って引き下がれるほど俺は人間ができちゃいない。はっきり言って最初は乗り気じゃなかった。相手がレオ様だ、まあそれなりに適当に戦って見てる人たちが満足すりゃあいいか、ぐらいの心もどこかにあったということも否定できない。だがもうやめだ。

 

 閉じていた目をゆっくり開く。そして目の前の相手を――親愛なるレオ様ではなく、今俺が戦って倒すべき相手のレオンミシェリ・ガレット・デ・ロワを睨みつける。

 

「……では本気で行きます」

 

 俺のその気配、言葉にレオ様は一瞬気圧されたようだった。だが再び不敵に笑い、手にした大剣を放り投げる。

 

「当然じゃ。そうでなくてはつまらん」

 

 右手人差し指のグランヴェールを斧状に変化させ、右手1本で軽々とそれを横に振るう。俺もエクスマキナを左手の弓から剣へと変化させ、背中の矢筒を外して後ろへと蹴り飛ばした。

 

 互いに構える。ここから先は言葉はいらない。

 

 俺が地を蹴るのと、レオ様が地を蹴るのはほぼ同時。俺たちの戦いの幕が切って落とされた。

 

 

 

 

 

『とうとう始まりました、レオ閣下と勇者ソウヤの戦い! 早くも2人の戦いはヒートアップしております!』

 

 興奮気味の実況の声が耳に入る。だがそれをちゃんと認識してる暇はない。

 今俺の目の前にいる、俺と戦っている相手は百獣王の騎士という異名さえ持つレオ様だ。一瞬でも気を抜いたらこの獰猛な獅子に食い殺されかねない。

 現に始まってからまだ僅かな時間しか経っていないが、どれも当たれば即致命傷……いや、この世界でその表現は不適切だが、とにかくくらったら即退場モノの一発ばかりだ。

 

 長期戦はまずい。初手のグランヴェールによる一撃を受け止めた時に真っ先に持った感想がそれだった。

 紋章術抜きの()()で正面からぶつかった場合、そう時間がかからずににエクスマキナはへし折られるだろう。宝剣の差ではない、俺とレオ様の力量と技量の差だ。

 俺の戦闘スタイルは非力だ。だが、だからと言ってシンクやガウ様のような相手を翻弄するスピードを持っているわけでもない。(ひとえ)に俺が勇者とか言われて名のある騎士たちと対等以上に渡り合えるのは紋章術の恩恵に他ならない。

 

『レオ閣下猛攻ー! 勇者はそれをなんとか凌ぎ、防戦一方だー!』

 

 上下、左右から迫るレオ様の斬撃をなんとかかわし、体に向けて振るわれた一撃にエクスマキナをぶつけて防御、勢いを殺す意味と間合いを取り直す意味を込めてそのまま後ろへと飛び退く。

 さすがに一撃が重い。紋章術の恩恵、すなわち、エクスマキナに輝力を込めて不足している力を補ってなんとか受け止めているのだが、つまりそのたびに俺は輝力を消耗することになる。だから長期戦は避けたいのだ。

 防御以外、回避においてもそれは同様だ。シンクやガウ様ほどのスピードがない俺がどうやってそれを補うか、と言えば体に輝力を込めて高速移動するしかない。

 しかしそれをもってして、ほとんど紋章術を行使していないレオ様とようやく五分の状況。明らかに分が悪い。あの人が輝力をパワーに上乗せして攻撃を振るってきたら俺の小細工など全て打ち砕くだろう。そのせいで得意の策謀も張り巡らせずにいる。

 だからこそ俺にしては珍しい正攻法による短期決戦が狙いなのだが、如何せん付け入る隙が全くない。ぐずぐずしてたらこっちがガス欠になるってのに仕掛けられるような状況じゃない。真正面のぶつかり合いでは勝てない、レオ様がどこかで気を緩めるか、攻め方を曲げてきたときじゃないとどうしようもないが、そうなる気配すらない。俺のほうで曲げたら押し切られる。打つ手無しの状態だ。

 

「どうしたソウヤ? さっきから防戦一方、そろそろ攻めてきたらどうじゃ?」

 

 レオ様から挑発気味な声が飛ぶ。その言葉に乗ってあげたいところだが、グッと堪えて俺は口を開く。

 

「そちらこそ大丈夫ですか? 今の最後の一撃、最初よりやけに軽くなってましたよ。そろそろお疲れなんじゃ?」

 

 返した挑発にレオ様の眉が引きつる。あからさまに利いてるな、全く乗せやすい。

 

「ほう……? 言ってくれるな」

 

 大気を通じて戦意が高まっていっているのがわかる。間違いなくさっきより力を出してくるだろう。

 

「ならワシが疲れているかどうか、その身をもって確かめるがよい!」

 

 レオ様が地を蹴る。思った通りだ。

 力を出す、と言っても、言い換えちまえば要は頭に血が上ったってことだ。なら動きはより直線的になり、攻撃に特化する。そこに隙が生まれる、攻撃に特化した分守りが手薄になるわけだ。ならそこをつけばいい。

 紋章術を使うだののレベルまで力を出されればこの策は失敗だ。手薄になった守りをつく前にその絶対的な攻撃力で捻じ伏せられる。だが今はまだそこまで本気を出してこないだろう。そうなるにはまだ早い、王たる者は「決め所」を把握している。今はその時ではないからだ。

 

 果たして俺の予想通り、レオ様は特に輝力を上乗せするでもなく、感情を昂ぶらせただけで真っ向から突っ込んできた。それを視認する間もなくエクスマキナを形状変化、左手に弓を作り出し、右手で輝力の矢を生成する。番えると同時に輝力を込め、

 

「スマッシャー・ボルト!」

 

 輝力を解放して矢を放つ。どうやら狙い通り意表をつけた形になったようだ、慌てた様子のレオ様が速度を落とす。が、回避は間に合わないだろう。

 轟音と共に爆煙が立ち込める。だがこれで決まったとは夢にも思っていない。続けざまに足に輝力を込めて加速、さらにエクスマキナを剣へと形状変化させ、利き手の右手に持つ。続けて輝力をエクスマキナへと集中。

 煙が晴れる。そこで防御体勢を取っているレオ様を確認するより早く、俺は剣を大上段に構えて跳ぶ。

 

「斬り裂けッ! オーラブレード!」

 

 連続の紋章術によりベストな一撃とはいえない。だがそれでも向こうもベストな状態で防御できない、とあれば勝機はある。

 俺を見上げたレオ様は小さく舌打ちし、反射的にグランヴェールを振り上げる。俺のエクスマキナとレオ様のグランヴェールがぶつかり、互いの輝力の光だろうか、辺りを眩しく照らし出した。

 

「まだだ!」

 

 着地と同時に右回し蹴りへと以降、上段を狙う。だが左手の篭手で蹴りを受け止められた。続けて上段への左後ろ回し蹴り。今度は頭をそらされて空を切る。

 追撃をかけたかったがレオ様は右手のグランヴェールを振るってきた。だがこの距離でそんな大物を振るわれてもそこまで恐くない速度だ。グランヴェールを振るう右手を掴みつつ乗っかる形で体を上へと半回転、右足を顔へと伸ばす。

 入った、と思ったが顔の間に左手を割り込まれた。追撃に剣による斬撃を2、3度打ち込むがあんなでかいグランヴェールだというのに器用に打ち払われる。

 埒が明かない。グランヴェールの横薙ぎを回避するついでにバックステップ。再び弓へと形状変化させ、狙いすました一射を放ったが――。

 

「なっ……!?」

 

 レオ様のグランヴェールも斧から弓へと形が変わっていた。そして俺とほぼ同時に放たれた輝力生成による矢は互いに相殺しあい、辺りに輝力の光を撒き散らす。

 

「なるほど、やはり狙っていたか。最初の一撃、いい狙いじゃったが、ワシに2度は通じんぞ?」

 

 思わず舌打ちをこぼした。紋章術を使われなかったのが幸いだ。この人の弓による紋章砲・魔神旋光破なんてのを撃たれていたらそこで勝負は決まっていた。もしさっきの近接戦中に輝力をチャージされていたら、今頃俺の意識は失われていただろう。

 

「正直言って参りましたね……。一撃でも通れば流れは来ると踏んでいたんですが……まさか一撃すら通らないとは。さすが百獣王の騎士様だ」

 

 本心からそう思っている。世辞でもなんでもなく隙がない。

 

『すごいすごい、すごいです! さすがはレオ閣下と、そして勇者! 勇者は防戦一方かと思いきや、一気に攻撃に転じて惜しいところまで詰め寄りました!』

『確かに勇者様はいいところまでいきましたが……。少々厳しいかもしれませんね。弓の紋章砲、続けての紋章剣、どちらもレオ様に決定打を与えるところまでは遠く届いていない。今の攻勢での消耗が気になるところです』

 

 さすがビオレさん。的確すぎる指摘だ。

 そう、さっきので切り崩せなかったのでほぼ決定的。力量と技量の不足分をなんとか紋章術でカバーしている俺に死神の足音が近づいてくる。輝力の枯渇だ。

 実は今の攻勢で輝力は大分消耗している。まだ致命的なほどの消耗ではないが、だがそれだけしても相手の牙城は切り崩せなかった。なら、このまま続けても消耗戦になるだけ、負けが明白だ。だったら……。

 

「さあ、どうするソウヤ? また守りに入るというのならワシが攻め込んでやろう。来るというのなら喜んで迎え撃ってやる。どちらが望みじゃ?」

 

 レオ様の質問に答える代わりに、一度大きく息を吸い、そして吐いた。

 

「……そうか。そのどちらでもない、ということか」

 

 俺の()()を見つめ、レオ様はニヤリと笑った。

 

 俺は背に紋章を輝かせた。紋章術勝負。無論紋章術をぶつけ合ったとしても真っ向から当たったら勝ち目は0だ。だがそれはあくまで近接戦の話。弓同士での紋章砲の撃ち合いなら、まだそれよりは勝ちの目がある。面で敵を薙ぎ払うスマッシャー・ボルトではなく点で撃ち抜く紋章砲。それならもしかしたら打ち破れるかもしれない。

 それに仕掛けるならここしかない。どうせさっきの展開を続けても消耗戦、輝力不足によって大技の紋章術の威力が落ち始めるより前にこの勝負をやらなければ負けの可能性は大きくなるばかりだ。

 弓を構え、矢を輝力生成する。あとはレオ様がこれに乗ってくるかどうかだ。

 

「いいだろう、受けてやろう! ワシの魔神旋光破、打ち破れるものなら破ってみるがよい!」

 

 レオ様の背後にも2頭の獅子が描かれた紋章が輝いた。

 2つの同じ紋章が対称的に輝く。その紋章と、そしてその前に立つ彼女を見つめて弦を引き絞る。俺の残りの輝力を全て込め、そして解放……!

 

「紋章砲……サイクロン・アロー!」

「魔神ッ! 旋光破ァ!」

 

 

 

 

 

 ……体が重い。

 俺はベッドの中にいた。東西戦があったのはもう昨日のこと、国内戦は終わったのだ。俺とレオ様の戦いの結果はどうだったのかというと……。

 

「お? 起きておったか」

 

 ()()のレオ様が寝転がったままの俺の側へと歩み寄り、近くの椅子に腰掛けた。

 

「どうじゃ? 体のほうは?」

「……冗談抜きでだるいです。あなたが来ても体を起こして挨拶するのがしんどいほどに」

「ははっ! まあ、そうか」

 

 レオ様は軽く笑った。

 

「本気で放ったワシの魔神旋光破を()()()()()んじゃ、そうもなるじゃろうな」

 

 あのとき、俺のサイクロン・アローはレオ様の魔神旋光破をかき消した。だが、そこまでだった。要するに一発目の紋章砲の打ち合いは引き分け、勝負は二の矢に持ち越しとなったのだが……。

 既に輝力を全て使い果たしていた俺の意識はそこで途絶え、勝負自体はレオ様の勝利となった。

 

 さらにそれが尾を引き、戦全体としても東軍の勝利。なんでも、ガウ様がとうとうパワーでもゴドウィン将軍を圧倒し始めたとか、ジェノワーズの見事な連携がバナード将軍の頭脳といい勝負をしていたとか、全体を見れば互角以上の戦いだったらしいのに、俺のせいで負けになってしまったようなものだった。

 

「驚いたぞ、お前が倒れた時は」

「最初に言いましたよ。本気でいく、と」

「本気すぎじゃろ。昔初めてシンクと戦ったときも全力を出し切った、とか言っておったくせに、あの時は倒れなかったではないか」

「本能的に力をセーブしたのかもしれませんね。今回はそのリミッターが外れてた、と」

「まったく……。身を危険に晒すような戦い方はするな、と常々言っておるではないか」

「そうですね。その点については謝らないといけませんね。……すみません」

 

 相変わらず体は起こせないので、俺は顎だけ軽く引き、謝罪の意を表した。

 

「……しかし、まあ……少し嬉しくもあるんじゃがな」

「嬉しい? こんな格下に勝てたことがですか?」

「……自分を卑下するのもほどほどにしろよ?」

 

 別に卑下したつもりはない。事実を言ったまでだ。結局のところ、俺は終始レオ様に圧倒されていた。格下といってもなんら差し支えはないだろう。

 

「お前がワシと戦うのに、倒れるほど本気になってくれた、ということじゃ」

「それの何が嬉しいんです? 全力を出し切った相手を捻じ伏せる方が気分がいいってことですか?」

「……お前はシンクとの戦いのときは倒れなかった。だがワシとの戦いでは倒れた。極限まで輝力を出し切った、この差はなんじゃ?」

 

 それは俺にもわからなかった。ただ負けたくない、この人と肩を並べる存在と認められるために勝ちたい、そう思っていただけだった。

 

「勝利への執念、ではないか?」

 

 まるで心中を読まれたかのように錯覚し、俺はレオ様を見つめなおす。

 確かに、言われてみれば俺は勝ちたかった。今まで抱いていたような単純な勝利への渇望ではなく、心の底から負けられないと思って戦ったのはもしかしたら初めてだったかもしれない。ここで負ければ俺は彼女と肩を並べる存在としては認められなくなるのではないか。最初にレオ様に言われた一言も相俟って、本能的にそのことを直感していたのかもしれない。

 

「お前の剣から伝わってきた。勝ちたい、と。……始める前に意地の悪いことを言ったな。じゃがな、ワシはもう心の中でわかっているんじゃ。お前はもうワシと肩を並べる存在として相応しくなった、と。そしてお前は倒れるほど本気でぶつかってきてくれた。だから嬉しいんじゃ」

「でも、俺はまだあなたと肩を並べられるとは……」

 

 続きを言いかけた俺の言葉をかき消すように、レオ様が小さく笑った。

 

「お前ならそう言うと思った。ワシがどうこう言っても、周りがどうこう言っても、結局はお前自身が納得しておらんのじゃろ? ……でもな、ワシが本気で放った紋章砲を打ち消した。それが、お前がワシと肩を並べる存在として相応しい、何よりの証明ではないかとワシは思っておる」

 

 黙って俺はレオ様から目を逸らす。

 

 この人にそう言ってもらえるのは嬉しい。だが……本当にそうだろうか。

 俺はレオ様の矢になると約束した。だが、こんな頼りない矢では敵は撃ち抜けないのではないだろうか。

 

「……お前はジョーヌのことをよく馬鹿と言っておるようじゃが、ワシから言わせればお前も相当の馬鹿じゃな」

「な……!」

「なんでもかんでも1人で背負おうとするな。前のワシの悪いところを見てるようじゃ。……お前は以前、『自分は矢でそれを放つには弓が必要だ』とか言ったろ? なら、矢がどんなに鋭かろうと、優れた材質から出来ていようと、弓に合わなくては意味がないのではないか?

 ワシという弓に合う矢は、ソウヤ、お前しかいない。じゃから、あまり自分を勿体無く扱うな。力だけが全てではない。お前という存在全てが、ワシにとって必要なんじゃ。じゃから、お前はもうワシと肩を並べられる存在なんじゃ」

 

 ……ぐうの音も出ない。

 俺の心を見透かされたかのように、ここまでこの人に言われたら何も言い返せないだろう。……いや、そんな回りくどい言葉よりも、俺の心中を率直に言い表せば……。

 

 嬉しかった。

 

 この一言に尽きる。

 

 勝つことでしか肩を並べられる存在だと証明できないと思っていた。だが、それだけじゃない、と他ならぬ本人の口から言ってくれた。だったら、ずっと心で引っかかったままだった、俺のこの悩みは解消したと言ってもいいのかもしれない。

 

「……ありがとうございます」

 

 少し照れくさくて、俺は目を逸らしたままお礼の言葉を口にした。

 

「……ソウヤ。ワシはお前を認めた。じゃから、その敬語も、ワシに『様』などと他人行儀で呼ぶのも、今日限りやめたらどうじゃ?」

 

 予想もしなかった提案に俺は思わず逸らしていた視線をレオ様の方に戻した。

 

「ワシとの()()の話は……お前が今通っている学校を卒業するまで待ってほしいということは承知している。じゃが、別に言葉遣いぐらいは……」

「すみません、それは出来ません」

 

 レオ様の表情が暗く沈む。

 

「……そうか」

「それは、俺が正式にあなたの()()()()()()に取っておきます」

 

 ……ああ、こんなだからジョーヌに「意外とそういうところだけ真面目」と馬鹿にされるんだな。だが性分だ、仕方がない。

 

「今の俺はただの客人の召喚勇者だ。でも、俺が正式にあなたの夫となれたなら……。それこそ、『ソウヤ・ガレット・デ・ロワ』となれたその時は、愛を込めて『様』を取って、普通に話させてもらいますよ」

 

 レオ様の表情が明るくなる。同時に少し頬も紅くなっているようだった。

 

「……ああ、わかった。お前はそういう奴じゃからな。そういうところまで含めて……」

「俺のいいところでもある、とか言いたいんでしょう?」

 

 いつか話したようなそのやり取りに、思わず俺もレオ様も同時に吹き出した。

 

「ならこの後は『お前がワシを名だけで呼んでくれる日を待っておるぞ』とか言っておけばいいのか?」

「……まったくあなたには叶わないや」

 

 今度は声を上げてレオ様が笑った。

 

「……まあいい。まだ体はだるいか?」

「ええ、まあ」

「なら輝力をわけてやろう」

「いいんですか?」

「構わん。またビオレにありもしないでたらめを吹き込まれるとしても、()()()()()()将来を約束しているんじゃ、そっちの意味でも問題ないじゃろ」

 

 参った。この人には叶わないな。でも、ま、それでいいのかもしれない。

 レオ様が俺を認めてくれた、それだけで「俺はガレットの勇者だ」と、少しは胸を張って言えるようになった気がしたから。

 

 少しずつ楽になっていく体と共に、俺はこれまで重い鎖に繋がれていたような心も軽くなっていくような感覚を覚えたのだった。

 

 




翠玉……エメラルド。5月の誕生石。
ヴィット……欧州で製造される「アクアビット」と呼ばれるジャガイモの蒸留酒が元ネタ。ちなみにハーランもドーマも酒の名前が元ネタらしい。
モラセス……廃糖蜜のこと。砂糖を精製する際に生まれる副産物。多分豆腐におけるおからのようなもの。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

苦労人騎士団長と生真面目秘書官(ロラン・アメリタ)

 

 

 輝歴2912年真珠の月。

 

 なにやら城内が慌しいな、と思いつつも今日1日の仕事を始めるために秘書官のアメリタは歩みを進める。彼女が向かう先はこの城の主、すなわち若干16歳ながらこのビスコッティを治める姫君であるミルヒの私室である。

 まだ朝の早い時間ではあるが、既に彼女は朝食を取り終えてメイド隊によって身支度を終えている頃だろう。今日は地球では()()ということで午後からは勇者シンクが来ることになっている。そのために公務を前倒しして今日の予定は軽めにしてある。とはいえ、決して楽な内容ではないが。

 

 彼女の心中を察すれば公務の前倒しというのは当然のことだろう。出来るだけ長く勇者様と一緒にいたいのだろうから。召喚方法が簡略化されて再召喚の期日条件がなくなったことにより、長い休暇があるときは勿論、月に1度、多い時は毎週のペースでシンクはフロニャルドを訪れている。もっとも、どうやらそれはビスコッティ側だけでなくガレット側でもそのようであった。

 加えて今月は地球、日本の月でいうと()()という月らしい。長期休暇のある月ではなく、祝日も存在しない月。そのため今月は長期滞在が期待できず、長くても2日ずつ程度の滞在しか見込めない、という話はアメリタもシンクから聞いていた。

 だから今日の姫様はいつもより一段と気合が入っているに違いないだろう。そう思ってアメリタは目的の部屋の前で足を止めた。

 

「失礼します。おはようございます、姫様」

 

 ドアをノックし、アメリタはミルヒの私室に入る。

 

「あ……お、おはようございますアメリタ」

 

 なにやら一瞬()()()()ミルヒが挨拶を返す。既に身支度は終えている様子だったが、もしかしたら自分がドアを開けるのが少し急でそれに驚いたのかもしれない。あるいは自分の()()()()をメイド達と丁度話していたところというのも考えられる。やめてほしいといってもこの手の話は周りでは好んでされるものだ、仕方ない。

 

「今日の体調はいかがですか?」

「も、勿論ばっちりですよ! 午後からシンクも来ますし」

 

 やはり少々怪しい。世間話にも動揺したこの様子。だが、それは()()()()勇者様の話題を出そうとしていたから、かもしれない。実際彼女の顔色が悪いだの、具合が悪そうだだの、そういった様子は見受けられない。

 自分の考えすぎだろう、特に気にするほどではないと判断したアメリタは手帳を開き、ミルヒの今日のスケジュールを確認して読み上げ始めた。

 

「早速ですが本日のご予定です。午前は各書類に目を通していただき、その後午後の特別興業に関して開催主であるガレットのガウル殿下との通信会談。昼食を挟んで午後は勇者様の召喚と、その後の接待、さらに特別興業の挨拶と……」

「あの……アメリタ……」

 

 遮られるように挟まれたミルヒの声に思わずアメリタも言葉を止めた。彼女が割り込んで話を止めるなどというのは珍しい、そう思いつつスケジュール帳に落としていた視線を上げる。するとミルヒはなにやら申し訳なさそうな顔でもじもじとした後――

 

「……ごめんなさい!」

 

 突然頭を下げて謝りだした。

 一体何が、とアメリタが問うより早く――

 

「じゃじゃーん!」

 

 どこに隠れていたか、まあおそらく机の裏かベッドの陰だろうが、3人の少女達が姿を現した。その姿を見てもミルヒもメイド達も驚かない。つまりアメリタ以外この部屋にいた人間ははこの事実を知っていた、ということになる。

 

「我ら、ガレット獅子団領!」

「ガウ様直属親衛隊!」

「「ジェノワーズ!」」

 

 唖然とするアメリタの前で3人の少女達は決めポーズを取った。そしてその中央にいるノワールが平然と、だが穏やかではない言葉を告げた。

 

「アメリタ秘書官、あなたを誘拐させていただきます」

「……え?」

「姫様の了解はいただいてるんで、堪忍してや!」

「そういうわけなんで、ごめんなさーい」

 

 何がそういうわけなのか全くわからないアメリタだったが、ミルヒがひたすら謝っている様子を見て、ああ、さっきの違和感はこれか、と気づく。同時に、午後の特別興業というのは()()()()()()()とも気づいたのだった。

 

 

 

 

 

「……今日はやけに城内が騒がしいな」

 

 これから朝の騎士たちの訓練に向かおうと城内の廊下を歩いていたところで、ビスコッティ騎士団長のロランはそう独り言をこぼした。

 午後から勇者殿が見えるからだろうか。いや、それにしては少し騒がしくなるのが早いかな、と思っていたところで廊下の向こうから「兄上!」と叫びながら走ってくる少女の姿が見えた。自分と同じ垂れ気味の耳がチャームポイントの妹、親衛隊隊長のエクレールだ。

 

「兄上!」

「どうしたエクレール、城内をそんなに走って……」

「それどころではありません! 放送をご覧になってないのですか!?」

「放送?」

 

 とりあえず近かった食堂に2人が駆け込む。朝の訓練前の騎士たちが数名いたが、一様にそこの映像板を見ていた。そしてその映し出される映像を見て思わず「なっ……!」とロランは驚きの声を上げる。

 

 映像板に映し出されていた場所は城の屋根の上だろうか。そこにいたのはよく見る隣国ガレット王子のガウルの親衛隊、ジェノワーズの3人。しかしそのうちの1人、トラジマ娘のジョーヌに抱えられているのは紛れもなく自国の秘書官、そしてロランにとっては()()()()()()()アメリタに他ならなかった。

 

『我らジェノワーズは、ミルヒオーレ姫殿下専属秘書官、アメリタ・トランペ秘書官を誘拐させていただきます』

『つまり、大陸協定に基づいて、要人誘拐奪還戦を開催させていただきたい、っちゅーこっちゃ!』

『もうお気づきかと思いますが、午後の特別興業というのは……』

「……あいつら!」

 

 ベールの言葉を最後まで聞くことなく、珍しく語気を荒げたロランが部屋の入り口へと駆け出す。

 

「兄上! どうなさるんですか!?」

「決まってるだろう! 布告を断ってアメリタを返してもらってくる!」

 

 普段決して見ないような兄の姿を見送ってエクレールはため息をこぼす。

 

「隊長……騎士団長、相当()()()きてません……?」

 

 丁度食堂にいた親衛隊の副隊長格、エミリオがエクレールへと話しかけてきた。

 

「ああ……。あんな兄上を見ることはめったにない……。兄上は怒らせない方がいいというのをあいつらはわかっていないらしいし……」

 

 そう言いつつ映像を見守る。なおも同じ内容を繰り返す3人だったが、突如聞こえた「お前たち!」という言葉にカメラの映像が切り替わった。映し出されているのはさきほどまでここにいたロランだ。

 

『お、来よったで色男!』

『お前たち、何を考えている! アメリ……トランペ秘書官は姫様のスケジュールを管理している大切な秘書官、その秘書官を誘拐するなどということは姫様に対する無礼にも当たることになるぞ!』

『それは大丈夫です。姫様の了解は取りましたし、一時的に代理としてメイド隊のリゼル隊長に姫様のスケジュール管理はお任せしましたから』

『な、何……?』

「リゼル隊長にまで根回しされていたって……エクレール隊長、そのこと知ってました?」

「知るか……! いつの間にそんな話が進んでいたんだ……!?」

 

 何も知らなかったのは自分達兄妹だけかと思ったエクレールだったが、どうやらエミリオや他の親衛隊、さらには食堂にいた人間が皆知らなかったらしい。だとしたら()()鹿()などと普段馬鹿にしていたが、その根回しの能力は本物ということになる。

 

『こちらはプラリネ砦に100の兵力を用意させていただきました』

「……100?」

 

 エクレールは疑問形でその数を口にする。数としては少ない。つまり多人数対多人数ではなく、こちらからは少人数を要求されることになりそうである。

 実例でいえばシンクが初めて召喚された日に行われたミルヒの奪還戦で用意された数は200だった。そこに仕掛けたのはシンクとエクレール、援護として学術研究員で砲術士でもあるリコッタがいたが、基本は2人だった。もっとも、その後強力な助っ人の登場と、()()()()()()()()の登場によって済し崩し的にその奪還戦は終わりを迎えたわけだが。

 

『要求はマルティノッジ騎士団長が1人で来ること』

「え……?」

 

 だがこれには少人数と予想したエクレールも予想外だった。しかしすぐその意図に気づく。わざわざ騎士団長の兄1人を指名、しかも誘拐されたのはアメリタ。これは2人の噂を聞いていればどんな鈍い人間だってその狙いがうっすらと見えるだろう。

 

「余計なことを……!」

 

 心からエクレールはそう思った。

 事実兄がアメリタ秘書官を好いていることは、いや、好いているどころか結婚を約束していたことも知っていた。だがお互いに忙しく、プライベートのために仕事に影響が出るのは望まない、ということで一定の距離を取っていた。

 それは大人な対応として見事だ、とエクレールは思っていた。しっかりとそこを()()()()()兄を尊敬していた。しかしこれはそんな事情を知っていれば余計なことと言わざるを得ない。確かに婚約者を助けに行く騎士団長というのは()()()()()()だろう。だが例えそうだとしても、子供がからかい半分で首を突っ込むようなことではない。これは大人の事情なのだから。

 

『私1人だと……!?』

『先ほども言ったとおり、午後の特別興業とはこの誘拐奪還戦のことです。まさか断りにはなりませんよね?』

 

 ノワールの挑発的な言葉。だがロランは、

 

『断るに決まっているだろう! アメリタは何の関係もない!』

『関係ないなんてよく言うで、色男。それともなんや、1人じゃ大切なアメリタはんを助け出す自身がないから断るんか?』

『何だと……!?』

『これは姫様からの了承も得ています。ここで断ったとなれば姫様の顔に泥を塗る形にもなりかねませんよ? ……もっとも、その前にビスコッティの騎士団長が恐れをなして布告を断った、という噂が広まるでしょうが』

 

 まさに悪役よろしく3人は声高らかに笑い声を上げる。

 

「……ノリノリだな、あの馬鹿ども。あとの自分の身を考えた方がいいだろうに……」

 

 言いつつも、だがエクレールも兄がどういう対応をするのか興味があった。騎士団の名が傷つくことは好ましいことではないが、奴らの口車に乗せられる、というのもなんだか癪だ。しかし一騎当千で百騎の敵兵を薙ぎ払う兄の姿を見てみたい、という気持ちもどこかにある。

 

『……いいだろう。そこまで言うのなら受けて立ってやる。……だがお前たち、よく覚えておけ。大人を怒らせるとどういうことになるか、2度と忘れぬようにその身に刻み込んでやるからな……!』

 

 この脅し文句には妹であるエクレールでさえ思わず身震いするほどの凄みがあった。それはジェノワーズの3人も同様だったようで、カメラが切り替わった時は一瞬顔色が蒼ざめて怯んだ様子だった。

 

『……は、はん! やれるものならやってみいや! ほな、アメリタはんは預からせてもらうで!』

『では私達はプラリネ砦でお待ちしております』

 

 その言葉を最後に映像は終わり、見ていた騎士たちがざわつき始める。

 

「なんだか……すごいことになりましたね、隊長」

「あの冷静な兄上がこうも簡単に口車に乗せられるとは意外だが……。はたしてどうなるのか……」

 

 そう言いつつ、エクレールはふと兄が出て行ったときの様子を思い出していた。

 あの時はジェノワーズと抱えられたアメリタが映っていて、その時の話は「秘書官を預かった、誘拐奪還戦を開催したい」という内容だけだったはず。つまりその段階でロランを出せ、という要求はなかったはずだ。確かに交渉の窓口として騎士団長が出て行くというのは間違えてはいない。しかしそれにしては出て行ったのがいささか()()()()

 

 つまるところ、冷静なはずの兄だったが、実は最初から向こうのペースにはまっていたのだ、とエクレールは気づいた。いくらなんでもらしくなさすぎる、と思わざるをえない。

 

 だが同時に、もし自分がアメリタと同じ立場になったら()()()はどうするだろうとも思ってしまった。姫様のときは布告の仕組みがわかっていなかったとはいえあいつは即答した。では自分がそうなったら?

 そこまで考えてエクレールは小さく笑みをこぼした。それはありえない、と。

 

 なぜなら、そうなる前に自分があの3人を切り伏せるだろう、と思ったからだった。

 

 

 

 

 

「……ったくあの馬鹿め! 『今回の興業は全面自分に任せてほしい。何があっても口も手も挟まないでもらいたい』などというからそのつもりでいたというのに……。なんじゃ、あれは!」

 

 ガレット獅子団領、ヴァンネット城。断崖の上に建つこの城の通路を、不機嫌さを隠すことなくそう言いながら1人の女性が歩いている。この城の主にしてガレット獅子団領国の領主であるレオだ。

 彼女が不機嫌な理由はいうまでもなく先ほど放送されたアメリタの誘拐劇とそれの奪還戦を興業にする、という内容に対してだった。

 その彼女の後ろを2人の男性と1人の女性が付き添うに続いていく。

 

「このところ真面目な興業ばかりでしたし、それも成功させていたのでまさかあんなことをするとは……。ですが、姫様に向こうの()()メイド隊長まで絡んでいたというのは……。もうそれでは仕方がなかったといえるのかもしれませんね」

 

 ため息をこぼしつつ、レオの側近であるビオレは呆れたようにそう呟いた。

 

「仕方がなかった、で済むか。ルージュもついておりながら、次期領主がこんなことをやった、というのでは示しがつかんぞ」

「起こってしまったんだから、今更言っても仕方ないでしょう? それに()()を信頼したあなたにも多少の落ち度はあると俺は思いますけど?」

 

 領主に対してさらりと、ガレット勇者のソウヤが失礼とも取れるような発言をする。その勇者であることを証明するように彼の右人差し指には蒼い宝石の指輪、ガレットの神剣エクスマキナがはめられている。

 

「ソウヤ様、いくら()()とはいえ、それはレオ様に対しては失礼にあたるのではないですか?」

「よい。こいつが言ったのも事実故な」

 

 恋人、と言われたことに対しては否定せずにそうレオは答えた。

 

「だがそれにしてもたまに()()()()()()ことはあってもここまで大それたことはやらなかったというのに……。ワシ達を油断させるために真面目を装っていたのか?」

「それはないでしょう。知将のバナード将軍がやったのであれば、その線を疑うのはありかと思いますが」

 

 ソウヤに名前を出され、傍らを歩いていたガレットきっての切れ者将軍であるバナードは苦笑を浮かべた。

 

「それは私を褒めているのかい?」

「そうじゃろ。『知将』と言ったのじゃからな」

 

 ソウヤの代わりにレオにそう返されてバナードは再び苦笑する。

 

「それはそうとして……。どうなさるんですか?」

「無論介入する」

「手を出すな、と釘を刺され、形はどうあれ一旦了承したのに、ですか?」

 

 勇者からの指摘を受け、領主は考え込む様子を見せる。

 

「……仕方ない。あの方法を使うか」

「あの方法?」

「ああ。()()()()()()()()()の方法じゃ」

 

 それを聞いたビオレとバナードがやめてほしいと言わんばかりに困った顔をする。一方その時はまだ地球で普通の学生だったソウヤは何のことかわかっていない様子だ。

 

「前もって言っておきますが私は辞退します」

「おい、ビオレ。……まあいい。バナード、お前は当然……」

「私の友が関わっていますからね。()()はやや不本意ですが、乗らせていただきますよ」

「何の話です?」

 

 自分以外の3人で話が進められていると感じたソウヤがレオに問いかける。その質問を受けるとなにやらレオは()()()()()()()笑みを浮かべた。

 

「ワシとバナードは戦が始まったらそこに()()する。ソウヤ、お前も来るか?」

「……あなたが来い、と言うのであれば」

「なら来い。そのほうが()()()

 

 やはりニヤリと何かいたずらを思いついたような子供のような笑顔。

 

「ではご一緒します。……ですが相手はロラン騎士団長1人でしょう? 確かあの()()()()()()はジェノワーズの他にゴドウィン将軍も連れて行ったはず。そこで俺たちまで乱入したらいくらあの人がビスコッティの騎士団長とはいえ……」

「何を勘違いしておる」

「え……?」

「ワシ達が加勢するのは()()()()()じゃ」

 

 そう言って再び見せた小悪魔のような笑みに、ソウヤは嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 プラリネ砦客室。()()されてきたアメリタはここで椅子に座っていた。彼女は拘束などされていないどころか、机の上には飲み物や食べ物も用意されており、部屋の窓や扉には鍵さえかかっていない。しかも机の上にあるのは彼女にとって大好物なはずのドーナツだ。「誘拐」などという言葉からは程遠い待遇。しかし彼女はそのことにはなんの疑問も抱いていない。()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 むしろ彼女の疑問はなぜこのタイミングで、しかも()()()()()ということであった。彼女はロランにプロポーズをされてそれを受けた。しかし互いの忙しさとプライベートよりも仕事を優先したことで結婚自体はまだである。口止めをしたはずなのにいつの間にか広まっており、もう城内の人間はおろか、隣国の人間までも知っていることではある。自分を誘拐してロランをご指名なのだから、多かれ少なかれ今回はその辺りの事情も含まれてはいるだろう。

 しかしそれと自分の誘拐がどこか繋がらない。確かに婚約者を助けに来る騎士団長、という構図は庶民受けするかもしれない。だがそれをわざわざやったとして、これが終わった後の()()を考えれば割に合わない興業のはずだ。

 

 彼女がそんなことで頭を悩ませていると客室の扉が開いた。現れたのはこの興業の仕掛け人でレオの弟、ガウルだった。

 

「よう、アメリタ。悪かったな、急に誘拐なんて」

 

 アメリタが立ち上がって一礼したのを見た後で、ガウルは「まあ楽にしてくれ」と手で着席を促す。だがそれでも生真面目な秘書官は座ろうとせずに立ったままでいる。

 

「いえ……。私は構いませんが、あの人は……」

「ああ……。すっげえ怒ってたもんな、あいつな……」

 

 ガウルが気まずそうな顔をする。

 

「三馬鹿の連中なんて戻ってきた後震え上がってたし。まあ今回は()()()()を引くつもりでいたから、あいつらもそれはわかってたろうが……」

「なぜですか、ガウル殿下?」

 

 アメリタは思ったままの疑問を口にした。

 

「確かに興業としては盛り上がるかもしれませんが……。殿下はあの人に怒られるだけでなく、城に戻ればレオ様からのお叱りも受けるでしょうに、なぜこのようなことを……」

「一応俺なりに頭を絞ってのことだから、な。……まあガキの余計な気遣い、ってでも思ってくれ」

 

 そう言ってガウルはどこかばつが悪そうに笑顔を見せた。

 

「ともかく、やるからにはとことん盛り上げるぜ。俺は戦の準備があるから多分ここには来れないと思うが、何かあったらルージュの奴が部屋の外に待機してる。声をかけてくれ」

 

 ガウルのその言葉の通り、部屋の入り口には近衛メイドのルージュが立っている。ガウルからの紹介を受けて御用がある時は声をかけてください、とばかりにアメリタに一礼した。

 

「じゃあ後は()()()()()()()()()()()()が助けに来るまで、戦の様子でも見て待っててくれや」

 

 軽い調子でそう言ってガウルが部屋を後にする。残されたアメリタは椅子に腰を下ろすと、目のないはずの菓子の存在も忘れ、1人映像板を見つめる。そしてしばらく後に始まるであろう戦のことに考えを馳せていた。

 

 

 

 

 

「本当に1人でいいのですか、兄上?」

 

 フィリアンノ城から単騎出撃しようという兄ロランの様子を目にして思わずエクレールはそう問いかける。彼は甲冑を着込み、得物である槍と体を半分ほど隠す盾を身につけて既に戦闘体勢だ。

 

「1人で来いという要求だ。そして()はそれを受けた。だから1人で行くだけだ」

 

 ああ、これは相当頭にきてる、とエクレールは確信した。少なくともここ数年、いや、もしかしたら1度も、自分のことを「俺」と呼ぶのを聞いた事はなかったはずだ。しかし普通にそう言うほど、そしてそれに気づかないほど今の彼は冷静さを失っている、ということだ。

 

「……わかりました。ですがくれぐれも無茶はしないでください。兄上に何かあっては騎士団の名がどうのというのもありますが……それ以上にアメリタ秘書官が……」

「アメリタは関係ないだろう!」

 

 突然怒鳴られてエクレールは思わずビクッと体を震わせた。

 

「あ……すまないエクレール。……少し頭に血が上っているようだ」

「いえ……。兄上の気持ちはお察しします」

 

 ふう、と自分を落ち着かせるようにロランは1つ息を吐いた。

 

「……行って来る。なに、100騎ばかりを蹴散らしてアメリタを連れて帰ってくるだけのいつもどおりの戦さ」

 

 そう言ってロランは右手をエクレールの頭に置いた。しかし次の瞬間には険しい表情に変わり前を見つめ、セルクルを進める。

 

「兄上……お気をつけて!」

 

 エクレールの声に先ほど彼女の頭に置いた右手を上げて応える。そこからセルクルが加速。だがフィリアンノ城から離れていくに連れて妹の前では押し殺していた心がどんどんと溢れてきた。

 

「……俺もアメリタも互いに納得して今の関係を続けている……。互いに仕事に影響しないように、と……。だが……それをわかろうともせずにアメリタをさらって俺に1人で来いと要求するなど……!」

 

 口にすればするほどますます腹が立つ。不器用な自分はきっと仕事にばかり熱を入れて彼女のことを顧みれないだろう、そう思って今の関係のままとどめていると言う部分もある。だが、本心では当然彼女と一緒になりたいのだ。それゆえ、こんな形で自分達の関係に茶々を入れてこられるのは迷惑極まりない。普段自分の心を押し殺してアメリタと共に仕事をしている分の反動で腹が立っている、というのもあるだろう。

 しかしここでなら何を叫ぼうとどんなに叫ぼうと誰にも聞かれることはない。だったら今ぐらいは腹のうちを吐き出したところで誰にも文句は言われないだろうと、苦労人の騎士団長はセルクルの手綱を怒りに身を任せて握り締め、鬼の形相で雄叫びを上げた。

 

「この……馬鹿どもがぁーッ!!」

 

 

 

 

 

 誘拐奪還戦において開始時刻が明確に決められることは少ない。相手が戦場に現れたら開始、というのが常である。理由は()()()()()で奪還に来ました、といったのでは興醒めだからだろう。無論時刻を決めて行われることもあるが、今回のように少人数の場合はエンカウント即バトル突入、というのが普段の流れである。

 

『さあ! 朝の衝撃的なアメリタ秘書官誘拐から幕を開けた今回の誘拐奪還戦! 実況は私、フランボワーズ・シャルレーでお送りさせていただきます! ガウル殿下が指揮を執ります、現在アメリタ秘書官が捕らわれているプラリネ砦では既に100騎の精鋭達がロラン騎士団長が現れるのを待ち構えております!』

 

 そのため、この実況放送は実は時間の区切り方が難しい。相手が到着しそうな時間から逆算して戦の背景のまとめと現場の様子をうまく伝え、そして戦開始まで時間が空きすぎて視聴者が飽きないようにする時間配分が必要となるのだ。

 その点、ガレット国営放送の時間配分は素晴らしかった。無論国営放送側にはガウルと口外禁止ではあるが打ち合わせを済ませており、クルーの配備も完璧。そのため逆算も見事だったのだ。

 

『ここでプラリネ砦に迫るロラン騎士団長の様子を捕えたようです。現場のジャン・カゾーニさん!?』

『はい! こちらジャンです! プラリネ砦の前方、ものすごい形相でセルクルを全力疾走させるロラン騎士団長を捕えました! し、しかし……かなり表情が怖いです! これは波乱の戦となりそうだ!』

『うわあ……これ騎士団長相当怒ってますね……。果たしてガウル殿下とその精鋭達はこの怒りの騎士団長相手にどんな運命を辿ってしまうのか!? 間もなく騎士団長がガレット軍の弓の射程距離に入るものと思われます!』

 

 フランの実況の通り、砦の弓兵が矢を番えて構える。その中にはジェノワーズの1人、弓の名手であるベールの姿もあった。

 

「弓たーい! 構えてー!」

 

 独特の緩い喋り方でベールが指示を出す。戦闘開始の合図はなし。いや、この弓隊の矢が開始の合図と言っていいだろう。

 

「撃てー!」

 

 その指示通り弓隊が矢を放った。戦闘開始、たった1人の騎士団長による奪還戦の開始である。

 ガレットは元々武勲に優れる国であるが、その中でも弓兵の技術は他国より頭一つ抜ける技術を持っている。そのため、放たれた矢は確実にロランの下へと迫ってきていた。

 

「やはりまずは弓の斉射か。教科書通りだ」

 

 そう呟き、ロランは右手の槍に力を込める。

 

「……だが、マニュアル通りやりますというのは……」

 

 背後に紋章を輝かせ、その槍を一閃――。

 

「アホの言うことだぞッ!」

 

 紋章術によって強化されている横薙ぎの一閃が放たれ、それによって飛来した矢の全てが撃ち落される。

 

『さ、さすがです! ガレット弓術師隊の先制パンチをなんということなく全て迎撃! さすが守りの男、誰が呼んだか鉄壁のロラン!』

「うっそー!?」

 

 あっさりと攻撃が防がれたことにベールがショックの声を上げる。

 

「ベル! 後退や! 弓は残りの弓隊に任せてうちらは中を固めるで!」

「りょーかい! ……そういうわけでここはお任せしますねー」

 

 砦の中へと後退するベールに対して「了解!」と弓兵達が答えて二の矢、三の矢と放つ。しかしロランはこれを難なく防ぎ、プラリネ砦への距離をどんどんと縮めていく。

 

「ようし! 馬鹿が来るぞ! 野郎共、白兵戦用意だ!」

『どうやらガレット軍は弓での攻撃を諦め、砦の門を開けての白兵戦へと切り替えたようです! それに対してロラン騎士団長も応じる様子! セルクルの速度を緩めるどころかさらに加速だー!』

「うおおおおおおおっ!」

 

 フランの実況に違わず、ロランが猪突してくる。

 

「重装戦士隊前へ! 盾で押し返せ!」

 

 ガレットもこれに対応すべく、重厚な鎧に身を固めて半身ほどを隠す盾を持つ重戦士隊を前面へと展開させてきた。ロランの突撃を止めようという策だ。

 だが――

 

「どけえっ!」

 

 セルクルの突進力にロランの紋章術が相乗した槍を止めることは叶わなかった。勢いよく、などという生易しい言葉ではすまないほどの、まさに砲弾ともいうべき槍による突進を受けて重戦士隊が()()()する。

 

「なっ……!」

「邪魔だっ!」

 

 続けて先ほど矢を防いだ時のように槍を一閃。その一撃で多数のガレット兵がだま化していく。

 

『こ、これはすごい! 人騎一体の突進で陣を切り崩して得意の横一閃! 精鋭揃いのはずのガレット兵を赤子の手を捻るがごとく! 鉄壁の男はやはり攻めに回ってもその強さは尋常ではなかったー!』

 

 興奮気味のフランの実況の間もロランはガレット兵を次々と仕留めていく。紋章術による横薙ぎで、リーチを生かした突きで、華麗に盾を駆使して攻撃を捌いてからの反撃で。

 まさに戦無双。彼がビスコッティ騎士団の騎士団長である所以。「鉄壁のロラン」はその卓越した防御技術で攻撃を防ぎ、そしてそれに劣らぬ攻めの技術で相手を手当たり次第だまへと変えていった。

 

「お前たち、待てぇい!」

 

 砦内部への入り口の前から聞こえた声に兵達も、そしてロランもその手を止める。

 巨躯を分厚い鎧に包み、鎖によって巨大な鉄球が繋がれた斧を持つ、まさに猛将という言葉にふさわしい存在と言っていいであろう。ガレットの戦士団将軍のゴドウィンが姿を現した。

 

「……ゴドウィン将軍か」

「いやあお見事でございますな、ロラン殿。我らガレットの精鋭をこうも簡単に退けるとは……」

「悪いがのんびり話すつもりはない。邪魔をするというのなら、貴殿を切り伏せて押し通らせてもらう」

「それは穏やかではありませんな。……もっとも、最愛の人が『誘拐』されたとなれば、自分とて穏やかではいられないかとも思いますがな」

 

 ゴドウィンにはエリーナという妻がいる。だから彼としてはロランの心がわかるのだろう。

 

「わかっているなら、そこを通していただきたい」

「申し訳ありませぬが、それは出来ぬ相談ですな。自分はガウル殿下よりここの守護を命じられております故……」

「では仕方ない。力尽くで通してもらう……!」

 

 ロランがセルクルを飛び降りる。さらに盾もそのままセルクルに残し、槍を両手で持った。

 対するゴドウィンも斧を構えて臨戦態勢だ。

 

「行きますぞ、ロラン殿……!」

「今日は虫の居所も悪い……。少々手荒にいかせてもらうぞ!」

 

 

 

 

 

 時をさかのぼること少し前。フィリアンノ城騎士詰め所。

 騎士団長が単身出撃するために待機を命じられた騎士達は、そこで戦の行方を見守ろうと映像板に映し出される映像を食い入るように見ていた。それは妹であるエクレールも例外ではなく、兄の久しぶりの戦い――それもおそらく本気の戦いを見るために尻尾をせわしなく動かしつつも意識を集中させていた。

 そろそろ奪還戦が始まろうか、という時。詰め所に現れた1人の少女がいた。が、映像に集中していたエクレールはそれに気づかない。

 

「エクレ」

 

 名を呼ばれ、初めてその少女が自分の近くまで来ていたことに気づく。小動物ともいえるようなかわいらしく、しかしその小さな外見からは想像もつかないほどの優秀な頭脳を持つ学術研究員の主席、リコッタだ。

 

「リコ、どうした? お前も兄上の戦いを見に来たのか?」

「それどころではないでありますよ。姫様から直々に騎士団、及び親衛隊への通達文書が出たので持ってきたであります」

 

 なぜそれをリコッタがわざわざ持ってきたのか。エクレールはまずそこが気になり、次に「姫様直々」という部分が気になった。

 だが、彼女のそんな疑問は通達文書の中身に比べたら些細な疑問でしかなかった。

 

「……え!?」

 

 内容は騎士団、及び親衛隊はエクレール指揮の下でプラリネ砦へと()()すること。バカな、と目を疑ったエクレールだったが、最後に記されていたのは間違いなくミルヒのサインだった。

 

「そんな……姫様は何を……?」

「それはわからないでありますが……お館様やユッキーたち隠密にも同じ命令が下っているようであります。自分にそれをエクレに渡すよう言った時も真剣な目でありましたし……」

「相手の要求は兄上1人、そして兄上はそれを受けた……。なのに……」

「自分もエクレと一緒に行くように言われたであります」

「リコも? じゃあ()()()はどうするんだ? 召喚時刻はそろそろのはずだが……」

「それを渡した後、姫様は召喚台に向かうといっていたであります。ですがシンクが来るのを待たずに、その文書を読み次第内容を実行してほしい、と」

 

 エクレールの表情に疑念の色が浮かぶ。騎士団と親衛隊には進軍を命じ、シンクの到着も待てない。あまりにも急すぎる話だ。だがリコッタの目は真剣そのものだ。嘘を言っているようには思えない。

 

「……どういうことだ? 不可解な点が多すぎる……」

「エクレ、どうするでありますか?」

 

 その問いに対してエクレールはため息を1つこぼした。

 

「……どうもこうもない。姫様がそう命じたならそれに従うだけだ。……意図は全く見えないが、姫様なりに何か思うところがあるのだろう」

 

 このタイミングでの行軍というのは本当にプラリネ砦を狙っての事としか思えない。だがここで攻め込んで砦を落とせたとして、大陸協定を考えればよく見ても()()()()、人に聞けば十中八九はアウトという判断をするだろう。そんな命をミルヒが下すとはどうしても考えにくい。

 加えてロランが受けた1人で、という条件を反故にしかねない命令でもある。約束事を重んじるミルヒとしては非常にらしくない。

 だがこれは他ならぬそのミルヒからの命令なのだ。従わないわけにはいかない。

 

 エクレールは立ち上がるとなおも映像板にを見つめる騎士たちに向けて口を開いた。

 

「皆奪還戦の放送を楽しみにしているところすまないが聞いてくれ。今姫様から緊急の通達が下った。騎士団と親衛隊は私の指揮の下、プラリネ砦へと進軍するように、とのことだ」

 

 そのエクレールの言葉に騎士たちがざわめきだす。

 

「……はっきり言って私もその命令の意図が見えない。だが他ならぬ姫様からの命令だ。それに従うのが我々騎士だ。すぐに出発する。全員準備をするように!」

 

 騎士たちは立ち上がり、「了解!」と声を揃えた。それを確認してエクレールはリコッタの方を振り返る。

 

「リコ、私も準備をしてくる。お前は私達と行くようにとの命令だったな? なら準備をしてきてくれ」

「了解であります」

 

 リコッタが詰め所を後にする。が、一旦振り返ってその様子を伺った。騎士たちが慌しく準備を始め、エクレールもその命令を実行するために身支度を整えようとしている。

 

 それを横目に見た後、リコッタは部屋の扉を閉じたところで周りに誰もいないことを確認すると、口の端を()()()()()()

 

 

 

 

 

 勝負は一瞬だった。呆然と敵兵が立ち尽くし、()()()()()()()()()を信じられないといった様子で見つめる中、勝者はゆっくりと砦の中へと進んでいく。それを誰も追いかけようとはしない、いや、出来なかった。「寄らば斬る」と語るその背中と気迫を前に、誰も足を前に出せなかったのだ。

 

 ロランとゴドウィンの戦いは、突進するロランに対してまずゴドウィンが仕掛けた。大戦斧の鉄球を投げつけたゴドウィンだったが、ロランはそれを避けようともしなかった。

 だが、それが直撃することはなかった。彼に当たる直前、()()()にぶつかり、鉄球の方向が逸れたのだ。

 

 「紋章陣」、それがロランが得意とするこの紋章術の名だった。輝力によって作り出した光の壁で相手の攻撃を防ぐ。まさに「鉄壁のロラン」にふさわしい技だ。

 それによってさらにゴドウィンに肉薄したロランだったが、今度はその大斧が振り下ろされる。

 

 いや、厳密には「はずだった」か。彼の斧は振り上げたところで止まり、見えない手に斧を握られたかのように振り下ろせずにいたところで――。

 ロランの渾身の突きがゴドウィンに直撃したのだった。おそらく彼は何が起こったのか理解できないままにだま化したのだろう。

 種を明かせば、ロランは紋章陣を多重に展開し、ゴドウィンの斧の軌道上に陣を敷いた。それにより攻撃の手を止めた、というわけである。

 攻撃は最大の防御、ならば()()()()()()()()にもなりうるというロランの切り札であった。

 

「ハァ……」

 

 しかし、紋章術を短時間に連続で、それも無茶な使い方をしただけに体への反動も大きい。事実、今の彼のため息には疲労の色が滲み出ていた。

 だが、ここで立ち止まるわけにはいかないということもわかっていた。砦内部へ入ることには成功した。あとはこの()鹿()()()戦の首謀者、そして誘拐を行った張本人の親衛隊が残るぐらいだろう。

 

 とはいえ、気が抜けないのも事実だ。その連中は今外で戦った兵達より遙かに強い。切り札を用いて倒した将軍と互角かそれ以上か。だとすれば真の戦いはここからだ。

 

(それでも……負けん……!)

 

 外よりわずかにひんやりとした砦内の廊下を気を引き締めて進む。が、人の気配を感じ、ロランは足を止めてその気配の方を睨みつけた。

 

「誰だ!?」

 

 薄暗い砦内部のその先、そこへと声が吸い込まれていく。

 

「フッフッフ……。ワシ達の存在に気づくとは、さすがはビスコッティ騎士団長……」

 

 未だ姿は見えないが、その声を聞いてロランは反射的に小さく舌打ちをした。

 先ほどの予想では()()()は計算に入れていない。しかも今「達」と言った。複数人の精鋭がいるとなれば分が悪すぎる。それに普通に考えて()()の傍らには()がいるに違いない。それほど親密な仲なのだから。

 そうロランが思った瞬間、声が聞こえてきた辺りを()()()()()()()()()――。

 

「……は?」

 

 先ほどまでの緊張が嘘のようにロランは間抜けな声を上げた。

 

「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人がぁ呼ぶ!」

「悪を倒せと、我らを呼ぶ!」

 

 砦内部、柱の陰から姿を現したのは1人の女性と男性、そしてやや遅れて青年が1人の合計3人だった。それだけなら姿を見た瞬間にロランが間抜けな声を上げることはなかっただろう。問題はその3人が全員、()()()()()()()()ということだった。

 

「我が名は! 獅子王ゥ仮面!」

「同じく! 豹柄ァ仮面!」

「……同じく勇者仮面」

 

 思い思いのポーズを決める3人……もとい、()()

 

「おい! ソ……勇者仮面! やる気を出さんか!」

 

 そして登場するなり内輪揉めである。

 

「……レオ閣下、バナード、それに……ソウヤ殿まで……」

「ワシは()()()()()()()などという名ではない! 獅子王仮面じゃ!」

「私もバナードなどという名ではありません! 豹柄仮面です!」

 

「……ハァ……」

 

 前の2人に対して勇者仮面だけは否定も肯定もせず、ため息をこぼしただけだった。どうやら乗り気ではないらしい。

 

『な、なんと! 内部に突入した騎士団長の前に現れたのは、以前アーネット湖水上戦でも姿を現した獅子王仮面()()と豹柄仮面()()! さらに新たに勇者仮面まで現れました! この3人の目的は一体……!?』

 

 砦内部の映像板にその様子が映り、フランの実況が聞こえてくる。つまりこの様子は戦場の様子として放送されているのだ。まあ当然だろう、仮面の3人は国営放送のテレビクルーと()()()現れたのだから。

 

「じゃ、じゃあまあそういうことに……。……それで、3人の目的は? あいにく()は急いでいる。立ちふさがるというのならば、力尽くでも通してもらうが……!」

 

 血が上っていた頭をリセットされたのか、ようやくロランにも多少冷静な頭が戻ってきたようだった。だがあくまで言葉は鋭く、3人へと投げかける。

 

「何を勘違いしておる。言ったはずじゃ、悪を倒せと我らを呼ぶ、と」

 

 獅子王仮面が答える。

 

「たった1人で大軍を相手にし、この砦へと足を踏み入れるとはまさに見事。その貴殿の勇気に敬意を評し、ワシ達も力を貸してやろうと言っておるのじゃ」

「女性を誘拐するなど、まさに悪の行為そのもの! 愛する者をさらわれ怒りに震える貴殿の、いやそうでなくても苦労しているその心、痛いほどよくわかる……。だから力を貸すのです!」

「……だ、そうです」

「おい勇者仮面! もっとシャキッとせんか!」

 

 獅子王仮面に非難の声を浴びせられ、勇者仮面はまたため息をこぼした。

 

「……では協力してくれる、と?」

「そうじゃ。おそらく残りはガウルとかいうアホとジェノワーズとかいう三馬鹿のみ。ならば、ワシ達が三馬鹿を抑えている間にお前がガウルとかいうド阿呆をぶっ飛ばせばよかろう」

「それは助かりますが……。ですがよろしいのですか? 弟君の不始末をつけにきたのでは……」

「ワシはあやつの姉のレオンミシェリなどではない! 獅子王仮面じゃ! じゃから関係ない! ……それにあやつの姉がいたとして、この場の最終決着は当事者同士に任せることじゃろう。遠慮なくぶちのめすがよい」

 

 どこか困ったような、呆れたような、しかし嬉しそうにロランはため息をこぼした。もはや本人に隠す気があるのかないのか、正体は完全にバレバレだが、ここでの援軍というのは正直助かる。あの3人のコンビネーションはかなりのものだし、それを崩したとて最後に控えるガウルは相当の強敵だ、とロランはわかっていたからだ。それに興業としてはなかなか面白いサプライズだろう、と思ったところで、ようやく興業の状況を考えるほど自分が落ち着いた、と実感したのだった。

 

「……わかりました、助かります。このご恩は忘れませんよ、レ……獅子王仮面閣下」

「礼には及ばん。悪を見過ごすことができなかったからである故な」

 

 そう言うと獅子王仮面はフッと笑った。

 

「さあ行くぞ! あの馬鹿おと……ガウルとかいう奴をぶっ飛ばしに!」

 

 獅子王仮面が先陣を切って砦内部を慣れた様子で進む。そこにロラン、豹柄仮面と続き、ため息をこぼしながら重い足取りで勇者仮面が続いた。

 

 

 

 

 

 プラリネ砦内、兵達の訓練にも使われることもある大闘技場への扉を獅子王仮面が乱暴に開ける。

 

「ハーッハッハッハ! よく来たなロラン! それに……獅子王仮面に豹柄仮面に勇者仮面!」

 

 闘技場の中央、1人の少年が腰に手を当てながら悪役よろしくそのセリフを吐いた。しかしそんな口調、言葉とは裏腹にその顔は引きつり気味で明らかな動揺が見て取れる。

 それもそうだろう、彼はここでロランが来るのを待ちながら戦の様子を観察していたが、そこでまさかの乱入者が現れたのだから。しかもその3人が自分に敵対し、その上その実力をよく知っているとなれば、もう諦めて腹をくくって開き直るしかない。

 

「お前の大切なアメリタはこの奥の部屋にいる。だが、そこに行きたいならこの俺様と、そして親衛隊のジェノワーズを倒してからにしてもらおうか!」

 

 そしてガウルの後ろから飛び出す3つの影。

 

「我ら、ガレット獅子団領!」

「ガウ様直属親衛隊!」

「「ジェノワーズ!」」

 

 得意のポーズを決めての3人の登場、しかしその表情は一様に強張っている。なぜなら彼女達は気づいてしまっているのだ、この戦いの主役であるロランが仕掛け人のガウルと戦うのであれば、必然的に()()()()()は自分達と戦うことになる、と。

 

「現れおったな、アホ王子に三馬鹿め」

「……主役はロランさんですよ。あなたがしゃしゃり出ちゃダメでしょう」

 

 勇者仮面の耳打ちに獅子王仮面はわかっている、とばかりに振り返った。

 

「……わかっておるわ。だが開き直ったあいつらを見ていたらちぃとばかりイラッと来たからの……」

「……コホン! ガウル殿下、年貢の納め時です! アメリタを返していただこう!」

「だから言ってるじゃねえか、そうしたいなら力尽くで通れってな! ……さあ来なロラン! そっちの仮面3人はうちのジェノワーズが相手してやるぜ!」

「ほう、それは面白い。3対3なら丁度いいのう」

 

 その獅子王仮面の一言にジェノワーズ3人の顔が蒼ざめ、主君の方を振り返った。

 

「ほ、ほら! ガウ様、やっぱり3人がかりで来る気ですよ!」

「無理やて! ホンマ無理! ガウ様、ウチらのことを見殺しにする気ですか!?」

「うるせえ! もうこうなっちまったらどうしようもねえだろ! じたばたするんじゃねえ!」

「ジョー、ベル、諦めよう。もう無理だよ」

 

 冷静、というよりもう完全に諦めたノワールとは対照的にジョーヌはひたすら頭を抱えてベールは涙目で困り果てている。それでも悪あがき、とばかりにジョーヌは仮面の3人の方を指差して叫び出した。

 

「そっち3人なんて卑怯やで!」

「……お前らだって3人だろ」

「そっちは3人とも1人でこっち3人相手に出来るぐらいやないか! むしろそれじゃないとこっちに勝ち目があらへん! だったら卑怯ってことになるやろ! 1人ずつこっち3人で相手してやるわ卑怯者!」

「そーです! 卑怯です!」

「やかましいわ!」

 

 ピーピー騒ぐ2人を獅子王仮面が一喝。

 

「そこの黒猫を見習わんか、静かに戦う意思を固めているぞ!」

「……いや、あれ完全に諦めてるんでしょう」

 

 勇者仮面の突っ込みの通り、もうノワールの目は死んだ魚のようになっていた。

 

「しかしああいう頭脳こそ厄介な存在です、一発逆転の手を考えていたりもする。私がうまく抑えましょう」

 

 が、それでも容赦はしないらしい。

 

「よし、まかせたぞバ……豹柄仮面。勇者仮面はあの弓兵を任せる」

 

 ここまでテンションの低かった勇者仮面だが、その言葉を聞くと小さく笑った。

 

「了解。そいつは面白そうだ。この間の東西戦でもやれなかったわけだしな」

「ワシは黄色いのをやる。自慢の力がワシにどこまで通じるのか試してみるがよい」

 

 その獅子王仮面の声にジョーヌの顔から一気に血の気が引いていく。

 

「ど、どないしようノワ……ウチ真っ先にだま化候補や……」

「……まあ頑張って。ジョーが崩れたら私達一気に畳み掛けられると思うから」

「ちょ……! それどうしろって言うんや! ベル、せめて援護頼むわ!」

「ええー!? 無理無理! あの人相手にして自分以外のことを気にする余裕なんてないからー!」

「ああー! こうなったらもうヤケクソや! 当たって砕けるでー!」

 

 碇斧を構えたジョーヌが突撃し――。

 しかし数分後、そこには3人の断末魔の悲鳴が響いたのであった。

 

 

 

 

 

 一方でロランとガウルの戦いは未だ続いていた。

 ガウル得意の輝力武装、輝力によって作り出す爪の獅子王双牙による猛攻を、槍と紋章陣による防御でロランが捌いていく。一見すれば防御一辺倒、しかしこの堅実な戦い方こそがロランの本来のスタイルなのだ。輝力武装なら消耗も激しい。よって相手の疲弊を待って反撃に転じる作戦だ。

 だがガウルもそのことには気づいている。よって狙いは短期決戦。自分が消耗しきる前にロランを押し切るつもりでいた。ところがジェノワーズが随分あっさり、とはいえ思っていたよりはもった方かと思うが、やられた程度には時間が経過してしまっている。このままではまずい、とガウルも焦り始めた。

 

「ちくしょう、思ったよりやるじゃねえか……!」

「生憎、伊達に騎士団長などという立場ではないのでね。このまま降参していただけるなら、あなたへのお叱りはあなたの姉上にお任せして私は拳を収めるということも考えなくもないですが?」

「冗談。ここまでやっちまったら後には引けねえ、()()だぜ。俺だけ降参じゃだま化したあいつらに合わせる顔もないしな」

「交渉決裂、ですね。では遠慮なく行きますよ、あなたの姉上の許可もいただいている……!」

「やってみな! 悪いが俺様も負ける気はねえ、イチかバチか大技でいくぜっ!」

 

 ガウルがそれまで輝力武装していた獅子王爪牙を解き、最初に獅子王爪牙を展開した時と同様に両手を構えた。その両手の間に輝力によるものだろう、エネルギーの球体が生まれ始める。それが次第に巨大になっていくと、その手を上へとかざし、さらに球体を巨大化させていく。

 

「あの馬鹿め……調子に乗りおって……!」

 

 既にジェノワーズに勝利を収めてその戦いの様子を伺っていた獅子王仮面だったが、大技を繰り出そうとするガウルに舌打ちをする。咎めようと足を踏み出そうとしたが、

 

「手を出さないでもらいたい!」

 

 有無を言わせぬロランの言葉に獅子王仮面はビクッと肩を震わせ、その足を戻した。

 

「……申し訳ありません。失礼な物言いはお詫びいたします。ですが、これは私とガウル殿下の一騎打ち、そうでなくても本来は私1人の指名です。幕引きは私自身の手で行わせていただきたい……!」

「ロラン……」

 

 しかしその彼の名を呟いた後、獅子王仮面は納得したように頷いた。

 

「……わかった。無粋な真似をするところだったな。ワシたちはこの勝負の行方を見守ることにする」

「ありがとうございます」

「気にするでない。しかし……お前も難儀な奴じゃな。うちのルージュ同様の苦労人だとはわかっていたが、それではまるで自ら苦労を背負い込んでいるようなものではないか……」

 

 そう言われてロランは思わず苦笑を浮かべた。

 全くもってその通りだ。今ビスコッティの騎士団には彼のような年長者がいない。年でいうならば並の人間より遙かに長生きしているといわれる自由騎士がいるが、その自由騎士は名の通りビスコッティには籍を置いているに過ぎない。結果、今ビスコッティ騎士団のまとめ役やら総括やら、面倒ごとを一手に担っているのは他ならぬ彼だった。

 しかし彼は彼なりに、まあそれでいいと納得している部分もあった。いや、その方が居心地がいいと思うことさえあった。自分が苦労を背負い込むということは、自分を頼ってくれることが多いことなのだ、他人の分の苦労を肩代わりできているのだ、と。

 

 そんな真面目な彼だったからこそ、仕事上立場が似ていて同じく生真面目なアメリタに惹かれていき、そして求婚したのだ。だがあくまで最優先は国のこと、そして姫様のこと。真面目な2人でそう話し合って決めた。

 

 難儀だ。確かに今言われた通り難儀だ。だが自分達2人の時間が取れないことを除けば概ね満足して()()()()()()。そしてアメリタもそれをわかってくれている。そんな自分をわかってくれる彼女だから、将来のパートナーになってもらうことを願った。

 

(だから……負けるわけにはいかない。ビスコッティ騎士団の誇りのために、マルティノッジ家の名誉のために、何より巻き込んでしまったアメリタのために……!)

 

 なぜだろう、そう思うだけで疲労しているはずの体が少し軽くなった気がした。

 再びロランが笑みを浮かべる。先ほどのような自嘲的なものとは異なる、不敵な笑み。

 

「何笑ってやがる? 勝ちを諦めでもしたか?」

 

 掌の輝力によって作り出された球体を先ほどまでよりも巨大化させつつガウルが問いかける。

 

「いえ、これは勝利を確信した会心の笑みですよ」

「ヘッ! そうかい! だがそいつはこれを止めてからにしてもらいたいな!」

 

 ガウルも笑みを浮かべた。

 

「うおおおおっ! くらえッ! 獅子王轟雷弾! 壊ッ!」

 

 振り下ろされたガウルの右手から輝力の球体が放たれる。

 

「輝力全開! 障壁陣!」

 

 対するロランも左手を突き出してこれまでよりも分厚い光の壁を展開した。紋章陣の強化版、広範囲を防ぎきる障壁陣だ。

 そしてガウルの放った紋章砲がロランの障壁陣へとぶつかり――。

 

 激しい轟音と共に辺りに爆煙が立ち込めた。

 

「やったか!?」

 

 しかしその口調は勝利を期待したかのように叫んだガウルだったが――。

 煙が晴れたそこには、ガウルが紋章砲を放つ前と同じく、左手を突き出したまま立っているロランの姿があった。

 

「なっ……!?」

 

 ロランが槍を両手に持ちなおし、背後に眩いばかりに紋章を輝かせる。

 

「ガウル殿下、ご覚悟ッ!」

 

 横一閃に薙ぎ払われた一撃。直撃したガウルの体が宙に舞う。そして次の瞬間、それはだまとなって床へと落ちてきた。

 

『け、決着ー! ロラン騎士団長とガウル殿下の一騎打ちはロラン騎士団長に軍配! 同時にこの奪還戦も征することとなりましたー!』

 

 実況を半分聞き流し、激しい疲労感に襲われつつ、ロランは肩で呼吸をしていた。

 

「見事じゃ、ロラン」

 

 その満身創痍の騎士団長に獅子王仮面が拍手を送る。

 

「さあ、もうお前の邪魔をするものはおらんはずじゃ。アメリタの元へいくがよい」

「お言葉に甘えてそうさせていただきます」

 

 前に出す足も重いが、ロランは奥へと進む。ドアを開けると、そこにガウルの近衛メイドであるルージュが立っていた。

 

「お見事でした、ロラン騎士団長。アメリタ様のところへご案内いたします」

「……ああ」

 

 罠か、とも一瞬疑ったが、彼女から敵意は感じられない。もっとも、自分が倒されたらあとはお前が戦えなどという野暮な命令をガウルが下しているとも考えにくい。その言葉に偽りはないだろうとロランは後をついていく。

 

「こちらです」

 

 そう言ってルージュがドアを開けた。その扉の方へ、ずっと開くのを待っていた彼女が視線を移した。

 

「アメリタ……」

 

 愛する者の名を呼び、持っていた槍を床に放り投げてロランは駆け出す。

 一方のアメリタも立ち上がり、そして、駆け寄ったロランが彼女の体を抱き締めた。

 

「き、騎士団長……!」

「すまなかった、アメリタ……。こんなことに君を巻き込んでしまって……」

「いえ……。私は大丈夫です。それよりも私のために騎士団長がそんなに無理をなさって……」

「この程度、騎士である私にとっては大したことではない。だから、君が気にすることではないさ」

「騎士団長……」

 

 ロランとアメリタが見つめ合う。ドラマなら1番いいシーンだろう。

 ……いや、そのはずだったのだが。

 

「いい感じのところちょーっとすみません!」

 

 突然部屋の入り口から聞こえた声に2人がビクッと震えた。

 

「なっ……なんだ!?」

 

 ロランが驚くのも無理はない。アナウンサーとカメラを持ったテレビスタッフ数名が部屋に入ってきたのだから。

 

「はい! 私ジャン・カゾーニは今プラリネ砦の客室に来ております! 見事ガウル殿下に勝利しアメリタ秘書官を奪還することに成功したロラン騎士団長ですが、なんと! ここで! ()()()()から重大な発表があるということです!」

 

 マイクを持ったジャンはロランとアメリタの前に立ってカメラに向かってそう話していたが、次に部屋に入ってきた人物を見て2人は我が目を疑った。()()()()()()()()()()()()

 

「ひ、姫様!?」

「どうしてここに……!?」

 

 しかし2人の質問に答えることなく、ミルヒはジャンからマイクを受け取ると、今さっきまで彼が話していたカメラに向かって語り始める。

 

「皆さんこんにちは、ミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティです。急に私が出てきてびっくりさせてしまってすみません。

 さて、騎士団長は見事ガウル殿下に勝利し、アメリタ秘書官の奪還に成功したわけですが、今回この2人に白羽の矢が立ったのには勿論理由があります。ご存知の方もいるかもしれませんが、この2人、実は結婚を約束している仲なんです!」

「なっ……!」

「ちょ、ちょっと! 姫様!?」

 

 ロランとアメリタが同時に悲鳴にも似た声を上げる。知らず知らずのうちに広まっていたこととはいえ、庶民の間や情報をあまり知らない人たちの間では仲がいい、程度の認識だっただろう。それがこれで公に広まったことになる。

 だが、この後ミルヒの口から飛び出す発言に比べたら、こんなのはまだまだかわいいものだった。

 

「ですが、2人は結婚を約束しているというのに未だに式を挙げていません。そこで……今回この奪還戦を成功したというこの機会に、結婚式までやっちゃってそれも放送しちゃいたいと思いまーす!」

「は……?」

「え……?」

 

 再びロランとアメリタが同時に声を上げた。

 

「ま、待ってください姫様! 一体何を……!」

「だって……2人とも結婚を約束した、って言ってからもうどのぐらい経つんですか!?」

「確かにあれから大分経ってしまっていますが……。ですが、それには時期というものがあります! それは当事者が決めること、いくら姫様といえど……」

「えー……姫様による2人の説得が続いております……。今しばらくお待ちください」

 

 カメラに向かってジャンがナイスなフォローを入れる。その間も3人の会話は続いている。

 

「姫様だって私の立場をご理解しておられるでしょう? 騎士団長である以上皆のために動かねばならないのです」

「私も姫様の公務に影響が出ることは望みません。ですから……」

「ロランもアメリタも仕事仕事って、少しは自分を大切にしてください! 私のことで気を使ってくださるのは嬉しいです。……ですが、私は2人に幸せになってほしいんです!」

「姫様……」

「アメリタには今まで以上に負担をかけないように私が頑張ります! ロランには、騎士団の皆さんに私の方からお願いしてみます! 2人が私のことを本当に考えていてくれているということはわかります。だから……そんな大切な2人だから、私は幸せになってほしいって願ってるんです!」

「しかし姫様……」

「……諦めましょう、騎士団長」

 

 なおも食い下がるロランとは対照的、降参、とばかりにアメリタは微笑を浮かべてそう呟いた。

 

「アメリタ!? しかし……」

「一度決めたら決して曲げない、それが姫様です。それに……私が誘拐される時に姫様はここまで計画していたのでしょう。あなたが私を助けに来る、成功して盛り上がったところで()()()()()()にしてこの計画の真意を発表する。……だから、あそこで騎士団長が布告を受けた時点で()()()()()だったんですよ」

 

 ハァ、と大きくロランがため息をこぼした。

 

「……君はそれでいいのか? アメリタ?」

「何がですか?」

「私は不器用な男だ。堅実、などと言えば聞こえはいいが、その実あれもこれもこなすことはできないということだ。……知っての通り私は忙しい身だ。今結婚、ということになれば、これから先、君には辛い思いをさせることもあるだろう」

「構いません。一緒にいられる、というだけで幸せですし、それにそういう器用とはいえないところまで含めて、私は騎士団長のことを愛しているのですから」

「……わかった。ただ、1つだけ頼みがある」

 

 アメリタがロランを見上げる。

 

「……私の妻となってくれるのなら……今だけでもいい……名で呼んではくれないか……?」

 

 クスッと小さく笑みをこぼすアメリタ。

 

「ええ……。わかりました、ロラン……」

 

 2人が互いを見つめあい――そして唇を重ねた。

 

 それを見ていたミルヒは「わあ!」と言いながら目を手で覆うが、勿論指の間からその様子をバッチリ目撃している。テレビクルーも歓声を上げながらもしっかりとカメラに収めていた。

 

「今! 姫様の説得によって2人がめでたく結ばれることとなりました! ロラン・マルティノッジ騎士団長とアメリタ・()()()()()()()秘書官のお2人、とても幸せそうです!」

 

 その性でアメリタを呼ぶのは少し気が早いであろうが、ジャンが2人の名を呼んで祝福する。そのジャンの後ろからルージュが現れて2人に向けて一礼した。

 

「この後のためにお召し物をご用意させていただきました。お2人ともどうぞこちらへ」

 

 ルージュに連れられ、互いに手を繋いだ2人が部屋を後にする。

 

「2人の結婚式の様子は勿論この後もしっかりと放送いしていきたいと思います! それでは一旦お返しします! 現場から、ジャン・カゾーニでした!」

 

 最初から衣装を用意していたルージュと放送予定があったことを示唆する発言をしたジャン。その2人を見てアメリタは、やはり()()()()()()()()()のだと再度実感して笑みをこぼした。それは一見自嘲的にも見えたが、どこか嬉しそうにも見えたのだった。

 

 

 

 

 

 プラリネ砦闘技場。4体の()()の近くに1人の青年が座って映像板を見つめていた。ジャンからのパスを受け取ったフランが一先ず今日の戦についてまとめだす。

 と、その時だま化していた1体が元に戻った。

 

「……だま状態からはそう戻るのか」

 

 興味深そうに呟いた青年とは対照的、たった今元に戻ったウサギ耳の少女はため息をこぼす。

 

「見世物じゃないんですよ……? あとの3人は?」

「見ての通り」

「なんで私だけ早いんですか?」

「さあな。どっかの()()()()()が、うまいこと力加減を調節したんじゃねえか?」

 

 そう言って青年――ソウヤは小さく笑う。

 

「はいはい……。どのみちだま化してる時点で加減もなにもあったもんじゃないと思いますけど。……まあそれはさておき、あの2人は結果オーライでしたね」

 

 ベールがそう言った時、残った3人もだま状態から元に戻った。

 

「何が結果オーライや……。さんざんやでこれ……」

「もうこんな損な役回りはこりごり……」

「うるせえぞお前ら。うまくいったんだ、いいじゃねえかよ」

 

 だまから戻るなり愚痴をこぼすジョーヌとノワールにガウルが反論する。

 

「ま、今回は4人ともご苦労様でした、ってとこですかね」

「……ったく他人事みてえに言いやがっててめえはよ」

 

 ガウルがソウヤに文句を言ったときだった。闘技場の入り口が開かれ、1人の少年が駆け込んできた。

 

「あ! いたいた! レオ様に聞いたらここだって言ってたから……」

「お! シンクじゃねえか! いつこっちに来たんだ!?」

「今さっきだよ。こっちに来ると同時に姫様に急いで砦に行くって言われて、ハーランで飛んできたんだ」

「ビスコッティの他の連中は?」

 

 ソウヤが今来たばかりのシンクに尋ねる。

 

「えっと、姫様は僕と一緒だったでしょ。騎士団と親衛隊はリコがうまくエクレを使って連れ出すことに成功してもうすぐ到着って聞いたし……隠密の2人は僕が着いたときにはもう着いてたよ。あとはメイド隊が少し遅れて到着かな」

「よっしゃ、計画通りだ。ビスコッティご一行様の案内成功、これでこの後の結婚式も無事挙行できそうだぜ」

 

 ガハハ、とガウルが笑い声を上げた。

 

「でも姫様からこの話を聞いたときはびっくりしたんだけど……これ、前もって何人知ってたの?」

「そっちだと姫様とリゼルとそのメイド隊、あとリコッタと隠密2人って聞いたぞ」

「聞いたぞ、って……ガウルが計画したんじゃないの?」

「ああ。……いや、厳密には最初に計画したのは俺と()()だがな。いい加減ロランとアメリタの関係を発展させてやりたい、とか姫様が言い出してな。それで俺がこれを思いついて計画したんだ。

 とはいえ、そっちの協力者が姫様だけじゃ無理だから、あとはリゼルにだけ話を通してそれ以外のビスコッティの動きについては任せたんだ。リコッタと隠密2人を引き込んだってのはナイスな判断だったぜ。正直隠密2人が以前の姫様奪還戦の時みたいに乱入、ってなったら、それだけで計画全部ひっくり返りかねなかったからな」

「へえ……。で、ガレット側はガウルとジェノワーズの4人、と」

「それにルージュとメイド隊に国営放送の一部人間もか。あとは()()()だ」

 

 そう言ってガウルは親指をソウヤの方に向けた。

 

「え……!? ソウヤ、これ知ってたの!?」

「というか、()()をリクエストしたのが他ならぬこいつだ」

「確かに僕達もいる時のほうがいいだろうけど……。えっと召喚の方法が簡略化したのが去年の11月でしょ? それからだと……冬休みは短かったし、春休みはベッキーとナナミも連れてきたから忙しかったし、ゴールデンウィークはガレット東西戦があったし……。でもそっちの長い滞在期間中のほうがよかったんじゃないの? どうして今月?」

「今月は()()だからな」

 

 どうやらソウヤとしてはこれで通じるだろう、と言いたいらしい。だがシンクはわからない様子で頭を捻っている。

 

「確かに6月だけど……それ、何か関係あるの?」

「……大有りだろうが。もしかしてわからないのか?」

「えっと……うん……」

「……ヒントだ。6月が英語でなんていうかぐらいはわかるな?」

「そりゃ勿論。ジューン……あっ!」

 

 シンクが何かに気づいた。

 

()()()()()()()()!」

 

 ご名答、と言わんばかりにソウヤが鼻を鳴らした。

 

「そう。6月に結婚すると幸せになれる、って俺たちの世界での言い伝えだ。まあ()()もんだが……どうせならそういう縁起がいいときのほうがいいだろ、って思ったのさ」

「なるほど……」

「つまりお前はこの()()を最初から知っていてワシに黙っていた、ということじゃな?」

 

 不意に入り口から聞こえた新たな声にガウルとジェノワーズの4人はビクッと肩を震わせ、ソウヤは苦笑いを浮かべた。

 

「……ま、そういうことになりますかね」

「い、いや待ってくれ姉上! こいつは……」

「黙っていろ。お前の番はまた後でじゃ」

 

 ちゃんとしたお叱りはまだ受けていないガウルはここで歯向かうことなど出来ない。すごすごと黙ることにした。

 

「……で、ワシに黙っていた、ということになれば……。お前も何かしらの責任は取ってしかるべきじゃな? 鉄拳制裁ぐらいの覚悟はできておろうな?」

「そのぐらいで済むなら安いもんです。結果を見れば、まあうまく言ったといえるでしょうから。……()()()()の乱入はありましたがね」

 

 そう言ってソウヤは頭を差し出し、レオはフンと1つ鼻を鳴らして右手に拳を作る。

 

「……他に言いたいことはあるか?」

「紋章術で殴るのだけは勘弁してください」

「心配するな。普通にやってやる。ではいいか?」

「あ、あと」

「なんじゃ?」

 

 ソウヤが唇の端を僅かに上げる。

 

「……俺も結婚式をやる時はこの月を希望しますよ」

 

 その一言に虚を突かれて一瞬頬を赤くしたようなレオだったが、すぐに不機嫌そうな顔に戻るともう1度フンと鼻を鳴らし――。

 右手が振り下ろされてゴツン! という音が砦内の闘技場に響き渡った。

 

 




真珠……パール。6月の誕生石。

幕間短編集はここまでになります。
次からは2部になりますが、ある程度ストックはあるものの現在執筆中で、また原作2期の展開如何で変更せざるを得ない部分もあると思いますので、しばらくは週1ぐらいでゆっくり投稿していく予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2部
プロローグ 蒼穹の獅子


 

 

 闇が広がる。とうに日暮れは過ぎ、夜の(とばり)が降りてから久しい。輝歴2916年、真珠の月の夜。

 

 桃色のドレスのような可憐な衣装に身を包んだ女性が、対照的に飾り気のない無骨な窓からその闇を見つめていた。ピンク色の髪が闇に溶け込みそうにも見え、その頭にある()は力なく垂れ下がっていた。

 彼女の眼前、その夜の闇を切り裂き、眩い光が走る。しかしそれは一瞬の後に消え、再び目の前の光景は彼女の心の中同様、闇に包まれた。

 

「姫様」

 

 その声に彼女は一度その()()を横に振ってから振り返る。タイトな衣装に身を包み、眼鏡をかけた自分専属の秘書の表情が沈んでいるのを確認して、言葉を聞かずとも言わんとしている内容がなんとなくわかってしまった。

 

「状況はどうなのですか、アメリタ?」

 

 それでも、僅かな望みを込めてそう尋ねる。しかし返ってきた答えは自分が思ったとおり、(かんば)しくないものだった。

 

「相変わらずよくありません……。親衛隊長が必死に応戦してくれているおかげでなんとか砦門で止めることができてはいますが……このままでは時間の問題かと……」

「そうですか……」

 

 そう言って()()()となった彼女――ビスコッティ共和国代表領主、ミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティは(こうべ)を垂れた。

 

 彼女の眼前で輝いた光、それは紛れもない戦の光であった。今、この砦の門付近で自国の騎士たちが戦いを演じている。だが、戦況は先ほど秘書官が返したとおりであった。

 元々厳しいということは承知していた。承知した上で、この宣戦布告を彼女は断ることが出来なかった。相手は自国フィリアンノ領の領民だと言った。つまりは、この戦は「内戦」ということになる。

 ミルヒは国内視察を終え、少数の護衛と共に外遊の帰り道だった。そのフィリアンノ城へ戻る途中、まさにこの時を狙って領民軍は宣戦を布告してきたのだ。戦の内容は「要人誘拐戦」。要するに狙いは彼女であり、ミルヒはそのことを「自分に直に訴えたいことがあるからだ」と捉えた。だから責任を感じた彼女は不利を承知でこの戦を受けると言った。しかし自分のせいで臣下の騎士たちには負担を強いた形になっただろう。

 

「……アメリタ、もし正門が突破されたら、騎士たちに降伏するように伝えてください」

「降伏……ですか……?」

 

 それは了承したくない、というニュアンスを込めてアメリタが返す。

 

「はい。彼らの目的は私です。私に何か直に伝えたいことがあるから、このような『内戦』が起こったはずです。でしたら、私が出ていけば済むことですし、これ以上騎士の皆さんや臣下の皆さんを巻き込みたくありません」

「ですが姫様が『誘拐』されたとなれば奪還戦が発生します。それでは今後の公務にも差し支えが……」

「今後については私が努力をすれば済むことです。それに奪還戦で予定が決まれば放送も出来るでしょう。そうなればイベントとしても側面を持つことも出来ると思います。

 元々彼らのこの内戦は、私の失政が招いた結果と言えるかもしれません。なら、責任は私にあります。直接民の声を聞く、という意味でも、私が出て行くべきだと思っています」

 

 相変わらず彼女はこれと決めたら自分を曲げない。秘書官は根負けしたようにため息を吐いた。

 

「……わかりました。連絡係に取り次いでまいります」

「すみません、アメリタ」

 

 一礼し、秘書官のアメリタは部屋を出て行く。それを見送り、ミルヒは再び眼下の闇へと視線を移した。

 また水色の閃光が走り、そして消える。

 親衛隊長の紋章剣の輝きだろう。先ほどから幾度と放っていることにミルヒは気づいていた。それだけ必死の応戦を見せている彼女はこの決定に納得はしないはずだ。この身に変えても守り抜く、と言ってくれるだろう。だが本当なら最初から出て行きたかった心を抑えたのは、彼女のプライドを踏みにじりたくない、と思ったからだった。

 が、降伏、となれば結局は彼女の、いや、騎士団のプライドを潰す形になる。しかし徹底抗戦したところでもはや負けの色は濃厚だ。つまるところ最初にこの戦いを受けると言った以上、今更自分がどうこうしたところでどうにもならなかったのだ、と彼女の心は暗く沈んだ。

 

「姫様!」

 

 しかしそんなミルヒの心は()()()()で裏切られることになる。連絡係に取り次ぐ、と言って部屋を出て行ったはずのアメリタが息を切らせて戻ってきた。その様子から状況が変わった、ということが見て取れる。

 

「どうしました、アメリタ?」

「この戦場(いくさば)に迫る新たな一団を確認した、という情報が入りました」

 

 増援か。ますますもたない。そう判断したミルヒはすぐにでも降伏するとアメリタに伝えようとするが、

 

「数は20、丘の上に確認されたそうです」

 

 その情報に開きかけた口を一端閉じた。

 

「……20?」

 

 少なすぎる。今この砦を攻めている敵の数は500、対するこちらはわずか100。5倍戦力差を突きつけられながらも、騎士団の奮闘の甲斐あって300までは減った、という情報は聞いていた。だとしたら20という増援はあまりに中途半端だ。

 それに丘の上、という場所。砦攻めで正門を押し切れそうな現状だ、本隊に合流させてしまえばいい。なのにそんな位置に()()わざわざ新たな駒を配置するのは考えにくい。

 

「……もしかして、その一団というのは……」

「確認は出来ていませんが……。ただ、その中に鮮やかな()()()()()()()を見た、と」

「濃紺の輝力の光……! まさか……!」

 

 ミルヒが闇の中、丘と思われる方を見つめる。

 

「『蒼穹(そうきゅう)獅子(しし)』……!」

 

 

 

 

 

「久しぶりに戦場に戻ったと思ったら、自国の戦いじゃないとはな」

 

 やや小柄な茶のセルクルに跨った男が、月明かりに顔を照らされつつ、どこかうんざりとそう呟く。青と黒でまとめられた騎士風の服に、脚はくるぶしまで隠れる黒の脚甲と、両腕にも同様の黒の手甲が身につけられた軽装戦士風の格好。短くまとまった黒の短髪から覗くその表情は凛々しく、そして風貌こそただの青年に見えるが、彼の発する「空気」はまさに「戦士」としての威厳を放っているようであった。

 

「愚痴らないでください。()()のお姫様のピンチなんですから」

 

 副官と思われるウサギ耳の女性がそう言って男をなだめる。こちらは緑と黒を基調とした服で背中に矢筒を背負い、そこに弓をかけていた。

 

「そこを助けるのは本来俺の役目じゃないだろ? 向こう見ずなあの()()()()()()()鹿()の仕事だ」

「その()()()()()()()がいないんだから仕方ないじゃないですか。それに他に表立って動ける人がいないから、抜擢されたんですよ?」

「……まあそうだな。この状況、1番都合がいいのは俺だ。わざわざ俺に頼んできたうちの()()殿()の顔に泥塗る真似だけはしないようにするか」

 

 そう言って男は鼻を鳴らす。と、次の瞬間、蒼い宝石のはめられた右手人差し指の指輪が輝いたかと思うと、その左手に弓が現れ、さらに右手の指の間に無数の矢が生まれる。

 

「降りて、あの『バリスタ』とかいうの、やらないんですか?」

「確かに数を撃つだけなら対攻城戦用と銘打ってるあれのほうがいいが。この後突撃する。久しぶりだ、暴れさせてもらうぞ。そうなると乗りなおすのが面倒だからな。……そのときは援護任せるぞ」

「りょーかいでーす」

 

 ウサギ耳の女性は軽い調子でそう返しつつ、にこやかに微笑んだ。

 それを見た後で男は後方に控える、20人弱の隊全員の方を振り返る。

 

「これから奇襲をかける、全員ここから矢を放ち続けろ! 俺は一斉射後に敵へと突撃、副隊長には俺に続いて俺の援護を任せる! ……まあ片付いたら適当に降りて来い」

「こっから撃つのはいいですが、突っ込んだ隊長に当たったらどうするんです?」

「誰だ? 今の間抜けな質問は?」

 

 笑いながらの質問返しに隊の全員から笑いがこぼれた。全員わかっているから笑っているのだ。この人が当たるはずがない、と。

 

「俺が当たると思うのか? そうだな……。もし俺が当たるなんてヘマをやらかしたら、今度ここにいる全員に酒を奢ってやるよ」

「さっすが! そいつあいいや!」

 

 ヒューッ! と口笛と笑い声が響く。まるでこれから戦うとは思えない、宴会のような雰囲気。

 が、一つ笑いを浮かべた隊長の男が皆に背を向けた瞬間、まるでスイッチが切り替わったかのようにその軽いムードは吹き飛んだ。

 男の背には濃紺の光が、そして副隊長の背には黄緑の光が輝き出す。

 

「……いくぞ、全員構え!」

 

 その声に隊の全員が弓を構える。

 

「撃てッ!」

 

 

 

 

 

 このままならこの砦はすぐにでも落とせる。勝ちは目の前だ。そう思い、口元を緩めたのは領民軍のリーダーだ。思ったよりあっけなかったか。楽な仕事だったと楽観する。もっとも、守備側が有利とはいえ100の相手に500の兵団をぶつけたのだ、既に被害は結構なものだったが、これで砦を落とせなければ困る。

 

 が、そんな物思いに耽る視界の隅で、月明かりが何かを照らし出した。

 右手側の空に何かが浮かんでいる。いや、何かではない。あれは……!

 

「矢だ! 矢が来るぞ!」

 

 前線より僅かに引いた位置で戦況を観察していたその男の場所も含め、辺りに矢の雨が降り注ぐ。男は咄嗟に左手の盾でそれを凌ごうとするが、突然の新手からの攻撃に辺りに混乱の声が響き渡った。

 

「状況は!? 何が起こった!?」

 

 叫びながら辺りを見渡すが、その矢に命中したものは少なくはない。相当の数の兵が()()()していた。

 

「わかりません! 突然矢が……」

「そんなもの見ればわかる!」

 

 再び声を荒げて辺りを見渡す。しかし砦以外に見えるのは漆黒の闇と、それを照らす自軍の松明だけだ。

 と、砦の方で何かが輝くのが目に入った。

 

「あいつ、まだ撃てるのか……! ()()()()の紋章術が来るぞ! 避けろ!」

 

 リーダーの叫びもむなしく――。

 水色の閃光が駆け抜けた後、無数の()()が空から降り注いだ。

 

「くそったれ!」

 

 残存兵力を確認。まだ撤退するほどではないと判断して叫び声を上げる。

 

「4番隊の残りは右手丘増援の弓兵を潰しに向かえ! それ以外は突撃、タレミミの紋章術ももうないはずだ! 一気に突破するぞ!」

「右手側! 1騎、突っ込んできます!」

「1騎だァ!?」

 

 指示とほぼ同時、突撃してくる者あり、という報告を受けたリーダーは顔をしかめた。弓の奇襲までは見事だ。だが今の矢の数から推測するにそこまで大多数の隊ではないだろう。ならそのままこちらの兵が向かうまでの時間一杯まで撃つか、あるいは増援の全兵力で突撃すればいいだろうに、わざわざ少ない戦力をさらに削いでの単騎突撃とはよほどの馬鹿か、あるいはたかが1騎でこちらの進軍を遅らせるつもりか。

 

「追加だ! 4番隊、その1騎もついでに蹴散らせ!」

 

 了解、という返答とともに数十人の兵達が駆け出す。

 その向こう、確かにセルクルに跨り、器用に丘を駆け下りて単身突撃してくる影が見えた。

 

「本当に1騎だけか。一体どんな馬鹿だ……」

 

 だが、彼のこの評価はすぐに覆されることになる。

 

 4番隊の兵が迫る中、その孤高の騎兵は突如複数の矢を放つ。まるで誘導するかのような軌道を描いたそれは、迫ろうとしていた10名もの4番隊の兵士を貫いた。

 

「なっ……!?」

 

 さらに男がセルクルから高く飛び上がる。それを見計らったかのように後方から飛んできた数本の矢が領民軍の兵を撃ち抜いた。

 着地を狙うはずだった兵が全員ノックアウトされ、その男は悠々と大地に降り立つ。

 

「相手は1人だ! やっちまえ!」

 

 続けて兵が襲い掛かろうとするが――。

 その男の背後に濃紺の光と()()()()()を形取った紋章が輝き、矢を番えたと思った次の瞬間、放たれた矢は爆発を起こした。逃れ切れなかった爆炎に飲み込まれた、だま化した兵達が宙に舞う。さらに後方、空から飛来する矢をまるで見えているかのように避け、それは綺麗に領民軍の兵へと当たった。

 そしてその矢の雨の中、距離があれば矢を放ち、接近を許した相手には次々と()()を見舞っていく。

 

 相手はたった1人、だが、その男は只者ではなかった。

 

「鮮やかな濃紺の輝力の光とその紋章……!」

 

 その時になってようやくリーダーはその男の存在に心当たりがあることに気づいた。

 

「それに目を奪われるような弓技と足技……! そしてその弓はもしや……ガレットの神剣、()()()()()()! 貴様、まさか……!」

 

 男がリーダーの方へと目を移して不敵に、まさにそうだと言わんばかりにニヤリと笑った。その表情にリーダーの男は確信する。

 勝てるはずがない。なぜなら、目の前にいるこの男は……!

 

「『蒼穹の獅子』……、ソウヤ・()()()()()()()……!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 1 予兆

 

 

 戦況は一気に逆転した。奇襲、次いで一騎当千とも言われる「蒼穹の獅子」の活躍により、大打撃を受けた領民軍は撤退を始めたのだった。

 

「やった! 勝ったぞ!」

 

 砦の中では自軍の騎士たちが喜んでいる。しかし到底そんな気持ちにはなれず、()()の緑の髪に垂れた耳が特徴である()()()の親衛隊長は普段から不機嫌そうなその顔よりさらに眉をしかめた。

 

(結局、()()()がこなかったら姫様の「誘拐」をみすみす見逃すことになったのだろうな……)

 

 大きなため息と共に内心で舌打ちをこぼす。あの戦い方と輝力の輝きから、増援の正体は粗方予想がついている。それが自国の者ならここまでは思わなかっただろう。しかし、いくら友好関係にある隣国とはいえど借りを作った形に、何より彼に借りを作った形になる。どんな形でその返済を迫られるか、と考えると彼女はそれが気に食わなかった。

 

「騎士エクレール!」

 

 だが彼女も騎士である。連絡係に名を呼ばれて振り返ったときは、そのような心は表に出さないように心がけた。

 

「どうした?」

「ご苦労様でした。秘書官からの通達です。今の戦闘で増援に来てくれた方々を招き入れるように。それからその指揮を執っていた隊長と話がしたいのでお連れするよう、姫様がおっしゃっていた、と……」

 

 さすがに一瞬眉をしかめる。対応としては当然だろう。だが、やはりどうしても気に食わない。

 

「……わかった。私が案内すると伝えてくれ」

「はっ!」

 

 とはいえ、姫様からの指示なら絶対だ。それは騎士としては当然のことであり、彼女は特にそうであった。

 

「門を開けろ! 協力者を迎え入れる!」

 

 エクレールの声にここまで死守した門が開かれる。それを待っていたのか、20余名の増援はすぐに砦の中へと進んできた。

 ビスコッティの兵から感謝の声が上がる。中にはそれに手を上げて応えている者もいるが、先頭の隊長、副隊長格の2人はそうするつもりは毛頭ないようだ。

 

「……やはり貴様達か」

 

 その2人を一瞥し、表情通り不機嫌な声でエクレールが声をかける。

 

「相変わらずな挨拶だな」

「やっほー、エクレちゃん、久しぶりー」

 

 セルクルを降りながら返されたその返事にエクレールはフン、と鼻を鳴らして応えた。

 

「久しぶりといえば久しぶりか、ソウヤにベール。……不本意だが、今回は貴様達のおかげで助かった。ビスコッティ親衛隊長として礼を言う」

 

 軽く顎を引いて下げられた頭に対し、今度は逆にソウヤといわれた男――()()()となったソウヤ・ガレット・デ・ロワが鼻を鳴らした。

 

「うちの領主殿の命令だからな」

「ちなみにソウヤさんはこれが復帰戦になるんですよ」

「ベール、余計なこと言わなくていいぞ」

 

 ベールといわれたウサギ耳の女性――ベール・ファーブルトンは「はーい」と謝りつつ、だが反省した様子は特になさ気に軽く舌を出した。

 

「そうか……。貴様は()()()()()()を取っていたんだったな。……などと世間話をしてる場合じゃないか。姫様がお前に直々に礼を言いたいそうだ。ついてこい」

「……断るわけにはいかないよな?」

 

 ダメ元、と思いつつもソウヤは一応尋ねる。返ってきた答えはやはり彼の予想通りのものだった。

 

「当然だ。今の貴様ならそれが断れないことぐらい容易にわかるだろう?」

「まあそうか。……どのみち姫様に聞きたいこともあったしな。ベール、ちょっと行って来る。可能なら本国への報告を済ませておいてくれ」

「りょーかいでーす」

 

 ウサギ耳を片方だけ器用に折らせ、ベールは了解の意思を示した。

 

 

 

 

 

 エクレールに続き、ソウヤが砦の中へと入っていく。世辞にも豪奢、とはいえない砦内の廊下を進みつつ、エクレールはソウヤに背を向けたまま口を開いた。

 

「さっきの話の続きだが……1年間の()()()()はどうだった?」

 

 別に普通な質問だ。だが聞く人によっては嫌味が入っているとも思うだろう。ソウヤの場合の感じ方は後者であり、そのために自嘲的に小さく笑って答えることとなった。

 

「楽しかったといえば楽しかったが、厳密には1年丸々じゃない。半年前に戻ってきていたし……その後で()()()()()になったからな。ああ、お前と会うのはあの()()()()のとき以来か?」

 

 慰問訪問。その単語にエクレールの表情に陰りの色が浮かぶ。思えば、今ソウヤが「あんなこと」と言った()()()()から姫様は辛い日々を過ごされている、と彼女はわかっているからだった。

 

 2ヶ月前、旅に出ていたビスコッティの前領主夫妻が旅先で突如として行方がわからなくなった。興業ではなく事件としての誘拐に巻き込まれたのか、はたまた事故なのか、安否すらも不明。状況から事故という見方が濃厚ではあったものの、現在も未だその詳細な状況は全くわからず、前領主にとってご息女となる姫君の心を察すると、エクレールとしても辛いものがあった。

 

「ああ、そうか……。2ヶ月ぶりか。もっと経ってると思っていたが、そうでもなかったな」

「そのときも話したと思うが、あれから2ヶ月。式を挙げる予定ぐらいは決まったか? エクレール・()()()()()親衛隊長?」

 

 そのソウヤの一言にエクレールが足を止めて振り返った。表情には明らかに不機嫌な色が浮かんでいる。

 

「その姓では呼ぶなと言ったはずだ」

「これは失礼。……でもな、そんなのさっさと変えちまった方が気が楽になるぞ? 経験者は語る、ってやつだ」

「だとしても……今はそのときではない」

「クソ真面目で未練たらたらな堅物め、()()()鹿()がちゃんと心を決めるまでお前もそのままでいる、ってか?」

 

 明らかに嫌味を含まれたソウヤの言葉にエクレールは隠す様子もなく眉をしかめ、不快の気持ちを表した。

 

「……そうだ。だから今の私はエクレール・()()()()()()()だ」

「プロポーズを受けたってことは、お前の心は一応決まってんだろ? ならさっさと済ませた方がいいと思うが。最悪の場合お前の兄みたいな形になるぞ」

「そうはならん。なったとして、私は自力で帰る」

「お前が誘拐される側とは限らんだろうがよ」

 

 ハァ、とソウヤがため息をこぼす。そこで一度間を空けて、彼は再び口を開く。

 

「……そんなにあいつのことが諦めつかないなら、奪っちまえばいいだろ?」

 

 気楽そうに言ったソウヤと対照的、エクレールは視線を逸らして目を伏せた。

 

「出来るか、そんなこと。……私は姫様の剣だ。その剣が()()()()()()など……あってはならない」

 

 持ち手を斬る、なるほど言い得て妙だとソウヤは小さく笑った。それはそうか。自身が忠誠を尽くす主君の()()()を奪うというのは、その表現がまさに的確であろうから。

 

「本当にお前はクソ真面目だな。……まあそこがお前のいいところでもあるんだろうがな」

 

 ソウヤがエクレールの右肩を叩く。が、エクレール右手の甲でその手を払った。

 

「口説くつもりか? 悪いが貴様の()()()()に食い殺されるのはゴメンだ。やるなら私以外の、私の知らない別の女にやってくれ」

 

 それを聞いたソウヤが笑う。

 

「言うようになったじゃないか。こんないい女を捨てた馬鹿は、俺が後で代わりに殴っておいてやるよ」

「必要ない。……それにあいつは捨てた、などと思ってもいないだろうし、あいつに手を上げたら姫様への反逆にもなりかねん。間違えても手は出すなよ」

「出したくもなる。お前は以前の、()()()()()()()()()の方がかわいかったからな。それを切らせたあいつは罪な野郎だ」

 

 反射的にエクレールが舌打ちをこぼす。彼女にとっては思い出したくない過去なのだ。思い人に薦められるがままに伸ばし、しかし永遠に手が届かないとわかってしまった時に失意のうちに断たれた髪。その過去と心は断った髪と一緒に捨て去った、そのはずだったのに。

 自分の心中を振り払うかのように、エクレールは頭を振り口を開く。

 

「やめろ、もう過去の話だ。それに私が髪を切ったのはあいつとは何の関係もない」

 

 「はいはい」とソウヤが肩をすくめた。が、同時に気づいてもいた。「切ったのは関係ない」と言いつつも、「伸ばしたこと」は否定しなかった。なら結局同じことだ、と。

 

 ソウヤに背を向けてエクレールが歩き出す。それにつられるようにソウヤも後に続いた。

 

「今回の命令は、ガウル殿下が?」

 

 いい加減話題を変えようと思ったのだろう。エクレールがそう切り出す。

 

「ああ。()()殿()()()だ」

「……そうか。手間をかけさせた」

「いや。フィリアンノ城から距離があって増援が見込めないこの『内戦』という面倒な状況をガレット側として助けたい、と兵を送るなら……現状正式に復帰していない俺が適役だろう。昔のよしみで友を救うために、()()()殿()が命令した、とも言い訳できるからな」

 

 フッとエクレールは軽く笑う。込み入った事情をさも当然のように話す、そんなソウヤを面白く感じたからか。

 だったらお前の方が面白いとソウヤが口を開きかける。だが目的の部屋の前に着いたとわかり、代わりに姿勢を正すことにした。

 

「姫様、協力者を連れてまいりました!」

 

 エクレールの声に扉が開く。無骨な砦の中に作られた、周りと比べればいくらか飾られた部屋の内装。そこに、エクレールの主君である桃色の髪の姫君が立っていた。ソウヤが初めて会った時より大分大人びた、見る者の目を無意識のうちに惹きつけるような麗しき姿。その彼女が協力者の姿を確認するとどこか嬉しそうに口を開く。

 

「……やはりソウヤ様でしたか」

「ご無沙汰しております、姫様」

 

 側まで歩み寄り、かしこまった様子でソウヤは頭を下げた。

 

「この度はありがとうございました。ビスコッティ領主として礼を……」

「ああ、それはまずいです」

 

 遮られたソウヤの言葉に対し、姫君はきょとんとした表情を浮かべる。

 

「確かに命令自体はガウ様から受けましたが、表向きは昔のよしみで友を助けるための前領主の個人的な頼み、ということになってます」

「そうでしたか。……では()()()の一友人のミルヒとして、礼を言わせてください。ありがとうございました」

 

 ミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティ姫殿下が深々と頭を下げた。

 

「それで……2ヶ月前にお会いしたきりですが、レオ様はどうなさっています?」

「おかげさまで元気ですよ。この話を聞いたときに最初は自分が行くと言ってました。さすがにそれはまずいだろうと私が来ることになりましたが」

「レオ様らしい……。相変わらずですね。安心しました」

 

 そう言い、ミルヒは笑顔をこぼした。

 

「ソウヤ様、よろしかったらお掛けください。お茶もご用意いたします」

 

 横からかけられた声にソウヤは顔だけそちらに向ける。

 

「ありがとうございます、アメリタさん。よかったら、あそこで立ってるあなたの()()もご一緒に、と思いますが」

「私は騎士です。それには及びません」

 

 直立不動でそう返すエクレール。思わず苦笑し、ソウヤは「堅物」と彼女に向かって口を動かしてみる。が、本人は気にしていない様子だ。

 

 諦めてソウヤがミルヒと向かい合う形で椅子に腰掛ける。その間にミルヒ専属秘書官のアメリタ・()()()()()()()の後ろからメイド達がティーセットを持ってくる様子が窺えた。ソウヤとミルヒの前にビスコッティの特産でもある茶が出される。

 

「ありがとうございます、いただきます」

 

 遠慮なくソウヤは一口、茶を口に含む。

 

「……いつ飲んでも美味しいですね。さすがは特産品だ」

「ありがとうございます」

「さて……座ってお茶までいただいておいてなんですが、()が待ってますんで、あまりまったりとは出来ないんですよ」

「そうですか……」

 

 カチャリ、と音を立ててソウヤがカップをソーサーへと戻した。表情がやや険しくなる。

 

「なので聞きたいことを単刀直入に言わせていただきます。……なぜこの宣戦布告をお受けになったのですか?」

 

 一瞬、部屋の空気が張り詰めたように感じた。その原因は紛れもなくエクレールだった。「失礼なことを聞くな」と彼女の表情は言いたそうだったが、先ほど無視された代わりにソウヤも今度はそれを気にかけないことにする。

 

「少数の護衛しか連れていない状況での宣戦布告をわざわざお受けになった。断ろうと思えば断れたはずです。なのにお受けになったその理由はなんです?」

「……布告をしてきた相手はフィリアンノの領民でした」

「ええ。そう伺っております」

「戦の内容は要人誘拐……。目的は私です。でしたら、彼らは私に何かを伝えたかったのかもしれません。なら……それは彼らの不満を募らせてしまった、私の失政が原因かもしれない……。だから……お受けしました」

「その伝えたい何かを知りたかった、と? では要するにあなたは最初から負けるつもりでいたのですか?」

 

 エクレールの眉がピクッと動くのが見えた。

 

「そういうつもりは……。ですが、そう捉えられても仕方ないですね……」

「……この布告に異常性は感じなかったんですか?」

「異常性……?」

 

 ミルヒは首をかしげる。

 

「いえ、特に……」

「全く、とことんお人好しだ、あなたは」

 

 吐き捨てるようにそう言ったソウヤはエクレールの突き刺すような視線を感じた。だがそれを無視して口を開く。

 

「外遊の帰り道にわずかな兵しか護衛につけていない状況、戦の目的が要人誘拐、放送も不可能なほど突発的に行われた夜戦、加えてビスコッティの先代領主様が行方不明となってからまだ2ヶ月だ。さらにビスコッティ内での内戦はその時からもう()()()。これでも普通の戦だ、と言い張れるなら、それはよほどの昼行灯(ひるあんどん)だと言わざるをえませんね」

「デ・ロワ卿!」

 

 我慢できないとエクレールが一歩前へと踏み出した。その顔には怒りの表情が隠そうともせずに浮かんでいる。

 

「言葉を慎んでいただきたい! いくらあなたがガレット()()()()()()()()()()()()()とはいえ今の発言は……!」

「いえ、構いません、エクレール」

 

 そのエクレールと対照的、ミルヒは落ち着いた表情だった。

 

「……失礼しました」

 

 納得できない様子で、しかし姫様からの命令は絶対とエクレールは踏み出した足を戻した。だがソウヤのことは相変わらず睨みつけたままでいる。

 

「失礼いたしました、ソウヤ様。……ソウヤ様の言うとおりかもしれません。私が、少々浅はかだったかもしれないです」

「もっとも、私が考えすぎているだけかもしれません。その際はこの非礼は詫びさせていただきます。ただ、忠告、という形ででも捉えておいてください。

 ……それからこれは私でなく、ガレット先代領主からの言葉です。……なにやら不穏が空気が渦巻いてきたように感じる。くれぐれも気をつけるように、と」

「不穏な空気……」

 

 ミルヒがそう呟くと同時、ソウヤは温度の下がったカップのお茶を一気に飲み干した。

 

「ソウヤ様、二杯目は……」

「いえ。そろそろ御暇(おいとま)させていただきます。早く帰って()()()()に元気な顔を見せてあげたいので」

「そうですか……。……そうですよね」

 

 1人でなにやら納得した様子のミルヒ。

 

「ではお気をつけて……。本日は本当にありがとうございました」

「姫様こそお気をつけて。()()に元気だったと伝えておきますよ」

 

 先ほどから不機嫌そうなエクレールがソウヤの前に立ち、部屋を後にする。その背を見送りながら、ミルヒはソウヤが口にした「不穏な空気」という言葉を反芻していた。

 

 

 

 

 

「よく自重したな」

 

 部屋を出て開口一番、振り返ることなく前方を歩くエクレールにソウヤはそう声をかけた。

 

「姫様の命令だ。……本音を言えば納得はいかんがな」

 

 2人とも先ほどまでのミルヒの前にいたときと態度も口調も違う。本人の望みであまり高くない地位にいるとはいえ、王族に婿入りしたソウヤの身分は基本的にエクレールより高く、そのため本来であればさっきのような言葉遣いをしなくてはならないはずであった。

 だが、ソウヤはそれを、特に自身を「デ・ロワ卿」などと堅苦しく呼ばれることをあまり好ましく思っていなかった。本人曰く「元々庶民の出」であるため、そういう風な呼ばれ方はどうも落ち着かないからだった。そのため、公式な場や先ほどのようなやや堅苦しい場ではやむなしとしても、そういった場でないところではなるべく以前の「ソウヤ・ハヤマ」だった頃のように接してほしい、と願っていた。

 

 そうでなくても2人は互いに顔を合わせればずっとこんな感じだったのだ。今更それを直す方が違和感がある、とエクレールは改めようともしなかった。

 結局最初の出会いからあまり良い印象ではなく、彼女に好かれているということはなくここまで来たとソウヤは思っている。が、それでもソウヤはエクレールのことは評価して信頼していたし、エクレールもエクレールなりにソウヤのことを信用している節はあった。

 

「納得してないなら、ここで俺を殴るか?」

 

 だからどうせ殴るわけがない、と彼はわかっている。わかっているが、心の内は知りたい。そう思ってソウヤはその言葉を投げかけた。

 

「不要な気遣いだ。姫様がやめろと言ったのに手を出せば、それは姫様への反逆だ」

 

 案の定予想通りの返答。思わずソウヤの表情が一瞬曇る。

 

「やっぱりクソ真面目だな。……さっきはお前のいいところだと言ったが……それは()()()かもな」

「……何?」

 

 エクレールが振り向くと同時、ソウヤが進行方向をさえぎるように右手を壁についた。そして顔をエクレールへと近づける。

 

「……お前は()()()()()()に忠誠を誓っているのか、それとも()()()()()()()()()に忠誠を誓っているのか、どっちなんだ?」

 

 至近距離で見つめられた瞳から、エクレールは視線を逸らすことができない。

 

「……同じことだろう?」

「いや、全然違うな。今のうちにそこの違いはわかっておいた方がいい」

「どういう意味だ?」

「忠告だよ。さっき姫様に言った不穏な空気ってのと同じことだ。……もし何かがあったとき、お前は何に忠誠を誓うのか、それだけははっきりさせておけ」

「はっきりさせる必要もない。私が忠誠を誓うのはミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティ姫殿下ただ1人だ」

 

 その答えを聞くとソウヤはため息をこぼし、右手を壁から離した。同時に自分の顔もエクレールから遠ざける。

 

「……ならいい。お前がそう信じた道を信じて進め。その方が()()()()()()()()をよく考えて、な。俺が言いたかったのはそれだけだ」

「……ソウヤ、貴様何を考えている?」

「解せないんだよ。2ヶ月前の、ビスコッティ先代領主様の()()()()失踪、そこから始まったこのきな臭い空気……。異常だと思わないか? 領民による内戦、それがよりにもよってビスコッティで、だ。……しかも形はどうあれ、今回で3回目。

 ……今後姫様は今まで以上に苦境に立たされる可能性がある。俺もそれは心配だが、俺以上にレオがそのことを気にかけている」

「……私に最後まで姫様を守れ、と?」

「それを決めるのはお前次第だ。だからさっきの問いを投げかけた。……だがお前の心は最初から決まっていた。余計なお世話だったな」

 

 案内役のはずのエクレールを置いてソウヤが歩き始める。置いていかれまいと慌てて彼女はそれを追いかけた。

 

「言われるまでもないな。さっき言っただろう、私は姫様の剣だと。()()()()()()()()()。それが私の決意だ」

 

 再びソウヤの表情が曇る。その言葉が意味する通り、そういう場面になったら彼女は本当に命を賭して戦うだろう、と予想がついたからだ。

 

「折れるまで戦う、か……。だからそうやって無理をするのか?」

「無理だと?」

「ああ。紋章剣、随分撃ったんだろう?」

「問題ない。あの程度、撃ったうちに入らん」

「よく言う。最初見たときから思っていたが、顔色よくないぞ」

「生まれつきこういう顔だ」

「そうかい。ならもう言わねえよ」

 

 それきりソウヤは口を閉じ、ただ廊下を歩くだけだった。外へ出るための砦の入り口が近づく。

 

「……お前の負担を減らすためにもあの馬鹿がうまく姫様を支えてやれれば、な。……いや、逆に()()()()()()()()のかもしれんが」

 

 が、入り口付近でポツリと呟かれたソウヤの独り言。それはエクレールの耳にも入っていたが、彼女は何も返さない。図星だ、と思ったからだ。

 

 外に出る。兵には酒が振舞われていたらしく、皆上機嫌だった。

 

「あ、おかえりなさーい」

 

 彼女はまだ()()()なのか、普段と変わらない様子でベールがソウヤを迎えた。

 

「ガウ様に連絡は?」

「つきました。ご苦労様、と。あと今日は遅いから兵はそのままその砦に泊めてもらうと助かる、とも。いいですか、エクレちゃん?」

「ああ。ガウル殿下がそう仰ったのなら、私の方でそうなるようにしておく」

「俺は帰るぞ」

 

 だが自分には関係ないと言わんばかりに、あっさりとソウヤはそう告げた。

 

「え……。でも今から1人ででは危険じゃ……?」

 

 フン、とソウヤは鼻を鳴らした。そして自分のセルクルに近づき、背を手で撫でる。

 

「こいつに輝力を込めて全力で走ってもらえば一時(いっとき)もかからずに帰れる。()()()()()()の手料理を食うのはともかくとしても、愛する()()の顔を見たいってのは、世の男どもの普遍の願いと言ってもいいだろうよ。だから帰るのさ」

「わかりました……。気をつけてくださいね」

「ああ。……エクレール、こいつらを頼むぞ」

「わかった。私がちゃんと面倒を見ておいてやる」

 

 唇の端を緩め、ソウヤが乗ってきた自分用のセルクル、「ヴィット」に飛び乗る。

 

「デ・ロワ卿がお帰りになる! 正門を開けろ!」

 

 エクレールの声に閉じていた門が再び開く。

 その下をソウヤとヴィットが颯爽と駆け抜け、門が閉じられていく。エクレールはその背が門で見えなくなるまで見送りつつも、ソウヤの言った「忠告」が心に引っかかっていたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 2 獅子の安らぎ

 

 

 この家を目指して駆けて来る何者かがいる――。

 その女性はそう気づいたが、すぐに警戒心を解いた。今走ってくる足音はセルクル、しかもこの家から出て行ったものだ、とわかったからだ。それが正しいことを証明するかのように、外の鳥舎に何かを繋ぐ音が聞こえてくる。

 彼女は入り口へと向かう。出迎えは本来自分ではなく()()()が行った方がは嬉しいだろうとわかってはいたが、彼女の方は今はまだ手が離せそうにない。

 玄関の前に立つとほぼ同時、入り口の扉が開いてやや疲れた様子の家主が入ってくる。その疲れのせいで出迎えの家政婦(・・・)がいることに気づくのが一瞬遅れたのだろう、思わず驚いたように体がビクッと動いた。

 

「お帰りなさいませ、ソウヤ様」

「ただいま戻りました。……まさかずっとここに?」

「いえ。ヴィットが近づいてくる足音が聞こえましたので」

「さすがですね。出迎えありがとうございます、()()()()()

 

 家の主にそう声をかけられ、ガレットの近衛隊長であり今は家政婦を担っているビオレ・アマレットはにこりと微笑んだ。

 

 ここは現在ソウヤが暮らしている別荘であった。休養期間中は城とは離れた場所で暮らしたい、というソウヤの主張からだった。そうでもしないと彼の妻はゆっくり休もうとしない、という懸念を抱いたからである。そして別荘に移る際、ビオレが護衛役兼使用人として名乗り出てくれ、家事の一切を担ってくれていた。

 

「レオは?」

「奥におられます。手が離せないようでしたので……」

()()がぐずったかな」

 

 苦笑を浮かべつつ、ソウヤは奥の部屋へと進む。

 

「ご夕食はいかがなされますか?」

「レオとビオレさんはもう?」

「はい。先にいただきました。そう言われましたので」

「先に食べるように言っておいて正解でしたね。やはり意外と時間はかかりましたから。食事は居間にお願いします。あと酒の方も」

 

 最後の部分を聞いたビオレの顔が僅かに曇るが、

 

「かしこまりました」

 

 一礼し、その顔を戻した時にはもう元の表情に戻っていた。

 台所へと向かったビオレと別れたソウヤは居間を通り寝室へと向かう。おや、と思いながらソウヤは寝室の扉を開けた。

 

「レオ、レグは……」

 

 照明の落ちた暗い部屋を覗き込んだソウヤだが、すぐに「しーっ」という声を聞いて言葉を切った。

 人差し指を口の前においてそう言った彼女は、寝巻き姿ではあったが雰囲気から高貴な威厳を放っている。長く美しい銀の髪と、それと同じ色の猫のような耳。かつてはガレットの領主であり、今はソウヤの()となった()()()のレオンミシェリ・ガレット・デ・ロワであった。

 

「……今ようやく寝たところじゃ」

「……そうか」

 

 フッとソウヤの顔が緩む。そしてレオの傍らで静かにに寝息を立てる()()()へと顔を寄せ、優しくその頭を撫でた。

 

「……()()が帰ってきたぞ、レグ」

 

 優しく頭を撫でながらソウヤが語り掛ける。その頭には銀、というよりは灰に近い髪が僅かに生え、それと同じ色の耳が頭にある。まだこの世に生を授かって1年にも満たないその姿。

 

 レグルス・ガレット・デ・ロワ。それが()()()()()()()()である彼につけられた名であった。

 

 我が子を見るたびにソウヤは穏やかな気持ちになる。髪や耳はレオの血を濃く受け継いでいるが、今は閉じられている瞼の中の黒い瞳を見ると自分の血が受け継がれているとわかるからだった。何より、レオの血を濃く受け継いだ部分が耳だった、というところにソウヤは安心していた。もはやフロニャルドの人間となった彼であったが、容姿はこの世界の人間と異なる。特に耳と尻尾である。かつて彼が読んでいたファンタジー小説においてハーフという存在は迫害の対象として描かれることが多い。そのことが気がかりで、そこだけは自分に似てほしくない、フロニャルドの人々の姿であってほしいとソウヤは願っていた。

 もっとも、一説には「フロニャルドで生を受ければ、耳と尻尾を持つ容姿で生まれてくる」というものもある。そうでなくてもフロニャの守護力はこの世界で生を受けた者が受けられるのだから、その説は意外と有力かもしれない。だとすればソウヤの取り越し苦労ではある。

 

「ソウヤ、夕飯は?」

 

 そんな夫にレオが声をかける。顔色から少々疲れている様子をレオは感じ取っていた。

 

「まだだ。今ビオレさんに用意してもらっている」

「そうか。話が聞きたいから、食べ終わった頃にそっちに行く」

「ああ」

 

 やや名残惜しそうにソウヤはレグルスの頭から手を離す。そのままなるべく足音を立てないように寝室を後にし、着替えるために自分の書斎へと向かった。本来なら寝室ですませたいが、音を立ててレグルスを起こしたくないからだった。

 身軽な格好へと変わって居間へと戻ったところで、丁度ビオレが夕食を持ってきてくれた。

 

「どうぞ。()()()()です」

「ありがとうございます。……いただきます」

 

 ソウヤの目の前の器には日本ではよく食べられることのある料理、今ビオレが言ったとおりの肉じゃがに似た料理が盛り付けられていた。これはソウヤがレオやビオレに教えた料理の一つで、それからガレット国内に家庭料理として広まり、今では時折ガレットの家庭でも食べられるようになったものでもあった。材料はよく似ているがいわゆる地球の野菜とはやはり少し異なる。とはいえ、味付けもその料理の雰囲気も非常に元に似ており、ソウヤはこれを食べるのが好きだった。

 料理を食べ始めてしばらくしたところで、ビオレがガレットの特産品でもある果実酒を持ってくる。

 

「復帰戦となった久しぶりの戦はいかがでしたか?」

「やっぱり戦場で暴れてる方が俺の性にあってるみたいです。ヴィットの奴も嬉しそうでした」

 

 フフッと笑ってビオレがグラスに酒を注ぐ。

 

「ビオレさんも、たまには付き合ってくださいよ」

「私は使用人ですから……」

「そんな堅いことは言いっこ無しですよ」

「では……お言葉に甘えて」

 

 ビオレの手から酒のボトルを奪うように取り、ソウヤはビオレの前にグラスを置くと酒を注ぎ返した。その様子に思わずビオレが困った表情を浮かべる。

 

「先代領主の伴侶様に注いでいただくなんて……」

「今更そんな畏まる必要もないでしょう。昔は俺を騙したことも、殴ったこともあるんですし。……じゃあ俺の復帰を祝って乾杯、ってことで」

 

 一方的にグラスを合わせてチン、と音を鳴らすとソウヤはグラスの液体を半分ほど喉へと流し込んだ。

 

「……くれぐれも飲みすぎには気をつけてくださいね」

 

 小言をぼやいてビオレも一口グラスに口をつける。

 まあぼやきたくもなるだろう。ビオレはここ最近の彼の飲酒量が少し気になっていた。元々飲む人ではなく、レオと結婚して彼女が使用人になった直後は特別な席で飲む程度だった。だが近頃は毎日飲むようになっている。

 心中を察すれば当然ともビオレには思えた。彼はレオと一緒に新婚旅行と、その後の家庭のために1年間休養をもらっていたが、()()()前から休養中であったにも関わらず事務的な仕事は少し舞い込んでくるようになった。状況が状況だけに仕方ないだろう。ソウヤもそれをわかっていたから特に文句は言わず、最寄の砦まで顔を出すこともしていた。

 しかし予想以上に心労がたまっている、というのは傍から見てもわかるほどだった。彼がその心労を抱える必要は本来ない、と言ってもいい。だが()()()()()、それも()()とも言える()()が関わりそうなこととなれば、彼としても何かしら力になりたいところだろう。しかし結果として心労を増やし、そのために酒を求めるなら仕方ないとビオレは思っていた。

 だが飲む量が増えたとはいえ、まだ特段に気にかけるほどでもない。そうも思ったから、ビオレは小言でとどめたという意味合いもあった。

 

「……ワシ抜きで2人で晩酌か? ソウヤ、貴様ビオレを口説いていたのではないだろうな?」

 

 寝室の方から聞こえた声に2人がその声の主を見上げる。まだ酔いは回ってきていないだろうが、ソウヤは少し愉快そうに、いや、どちらかといえば自嘲的かもしれないが、口の端を上げてレオの問いに答える。

 

「どんなに口説いたってこの人には無意味だよ。それは彼女に格別の信頼を置いているお前の方がわかってるだろう?」

 

 フン、とレオはレグルスを抱いたままソウヤの隣へと腰を下ろした。

 

「レオ様、ソウヤ様とお話するのであれば私がレグルス様を見ておりますが……」

「いや、構わん。レグは寝付くまでかかるが、寝付いてしまえばなかなか起きんからな。その代わりというわけではないが、ワシにも飲み物を持ってきてもらえるか?」

「もうしばらく酒はやめておけよ」

「言われるまでもない。ビオレ、ミルヒからもらった茶があったろ? それを頼む」

「かしこまりました」

 

 ビオレが飲みかけの酒を置いて立ち上がる。ソウヤは肉じゃがを日本ではあまり見ないであろう、スプーンで口元へと運び、次いで酒を呷った。

 

「お前も人に言う前に酒は控えたらどうじゃ?」

「飲みたくもなる。……()()じゃあな」

「……やはりお前が行って正解だった、というわけか」

 

 答える代わりにソウヤはグラスの中身を空けた。

 同時にビオレがティーカップとポットを持ってきてレオの前へ遠く。慣れた手つきでカップへと茶を注ぎ、次に空いたソウヤのグラスへと酒を注いだ。

 

「100対500だった。俺が着いたときにはエクレールが大分無茶をしていたおかげで4割ほどは戦力を削っていたようだが」

「ほう。やるようになったな、タレミミも」

「……だといいんだが」

「何かひっかかるのか?」

 

 新たに注がれた酒を一口引っ掛け、ソウヤは息を吐いた。

 

「……あれじゃあまるで死に急いでいるようにしか見えん」

「死に急いでいる……?」

「ああ、実に()()()。確かに先代領主夫妻の行方が旅先でわからなくなり、そんな今の姫様の心中を察してなんとか支えになろうとあいつが必死なのはわかる。……いや、そうじゃなくても、改めて忠誠を誓い直してる状況のあいつだ、出来ることなら惜しまずする、ってところだろう。

 ……だがあれじゃそのためには自分の命までも平気で献上する、って具合だ。事実、あいつは明らかに紋章術を使いすぎていた。自分の体を顧みずにな」

「騎士としては正しいお姿なのでは……」

 

 ビオレが口を挟む。通常使用人が口を挟むなど断じてありえないことではあるが、元々彼女は近衛隊長だ。こういうときには意見が聞きたいからむしろ率先して会話に入ってきてほしい、と以前からソウヤとレオが言っていたのだった。

 

「確かにそうかもしれません。ですが……あいつに何かあったら、()()()()()()()()()?」

 

 「なるほどな」とレオが相槌を打つ。まるで姉妹のように長い間接してきたレオならわかる。ミルヒは優しい。が、その優しさゆえ時にもろくもある。両親の行方が知れない、そんな状況ならこれ以上誰も失いたくない、そう考えるだろうとレオは予想した。ソウヤもそのレオと同じ考えに至ったのだろう。

 

「あいつはそこをわかっていない。自分は姫様の剣で、折れるまで戦うと言った。だがそれは姫様は望まないとしたら? ……それは俺が口で言うよりあいつ自身が理解した方が早い。一応釘は刺しておいたとはいえ、それがわかるかどうか……」

「それでは、奴の()()も大変じゃな」

「ラッキーボーイかと思ったが……()()()()の奴はあれじゃ不憫だ。『名がほしいから婚約を申し出たんじゃない、だからマルティノッジ家には婿入りしない。必ず彼女を幸せにしてみせるから、エクレールを自分にください』と言ったらしいってとこまでは格好良かったが……。いざ蓋を開けてみれば嫁はいつまでもアラシード姓を名乗らない、未だに絶対に手は届かないとわかっていながら()()()()に未練たらたら、おまけに姫様のために死に急いでるとあっちゃたまったもんじゃないだろう」

「あの堅物も家庭を持つ、ということを経験すれば変わるじゃろうにな」

 

 抱きかかえたレグルスを見つめてそう呟きつつ、レオはティーカップを口に運んだ。実際、「家庭」というものは彼女が思っていた以上に甘美なものであり、ソウヤも同様のようであった。堅物のエクレールであってもそれは同じであろうし、殊に自身が子を産むという経験をすればなおさらだ。守るべき、愛する我が子は目に入れても痛くないとレオが思えるほどなのだから。

 

「まあそれがあいつだ、と言っちまえばそれまでだ。それより問題は……」

「ミルヒ姫様(ひいさま)……ですか?」

 

 グラスを傾けて一口酒を飲んだところでビオレはそう口にする。

 

「そうです。……この異常すぎる事態の宣戦布告を受けた、その理由を聞いたら自分の失政が招いた結果かもしれない、だったら自分が降伏して誘拐されたとしてもその理由を聞きたいと平然と()()()()()()()

「おい、ソウヤ」

 

 姉妹同然の友を侮辱するようなその言葉に、思わずレオの言葉が鋭くなる。

 

「……すまない。思い出したら()()()()()からな。あの人はこの誘拐戦、負けても構わない、という覚悟だったらしい。……無意識にそう思えてしまうのが、むしろ性質(たち)が悪い」

「今日はお前の世界の曜日でいうと……()()()か?」

「そういうことだ」

 

 吐き捨てるようにそう言い、不機嫌そうにソウヤはグラスを空けた。

 

「ビオレさん、もう1杯お願いします」

「ソウヤ様、飲みすぎは……」

「もう1杯までは勘弁してください。そうでもしないとやってられません」

 

 ため息をこぼしつつビオレがソウヤのグラスに自分の髪と同じ色の液体を注いでいく。それを見つめつつ、重々しくソウヤは続きを口にし始める。

 

「……例え誘拐されようが()()()()()()()()()()にはなんとでもなる、そう無意識に思ってしまっているから、そんな決断が出来てしまうってわけだ」

「それだけが原因ではないだろう」

「それはそうだが……。行方がわからなくなった先代領主がいつか戻ってくる時があったとして、その時に恥ずかしくないようしっかりしなくてはいけない、という部分が余計に彼女を締め付けている、それもわかっている。しかしそう思っていながら、あいつが来ればなんとでもなる、と思ってしまっているというのは……やはりよろしくない」

「しかしソウヤ様、それでミルヒ姫様を責めるのはお門違いかと……。かといって、()()()()もあなたとは状況が違うんですし、こういう状況だからどうにかしろ、ということも……」

「わかっています……!」

 

 渦中の人間の名前を聞き、思わずソウヤはビオレの言葉を遮った。ギリッと奥歯を鳴らし、グラスを持つ手に力が入る。

 

「……わかっています。……あいつにそれを当たるのも、だからと姫様を責めることも本来は筋違いだとわかっているから……俺はこうするしかないんです……!」

 

 並々と注がれていた液体をソウヤは一気に飲み干し、少し乱暴に机にグラスを置いた。

 

 ソウヤがここまで苛立っている大元の原因は、こんな状況でミルヒを支えるべき存在であるシンクが未だ身の振り方を決め兼ねていたからだった。「勇者」というのは本来召喚勇者の事を指し、つまり客人扱いであり、今のソウヤはもう勇者という存在ではなくなっていた。

 遡ること3年前、18歳で高校を卒業すると同時にソウヤはフロニャルド永住を決めた。この時からソウヤは勇者ではなくなった。そしてその1年後、すなわち今から2年前に領主から退いて顧問役となったレオと結婚。以降は「先代領主伴侶」でありながら、本人の希望により現場に残り、「王族騎士」という立場である。

 

 一方のシンクは今もまだ勇者のままであった。()()()となり大学に通う彼は、現在も休日となる週末に地球とフロニャルドを往復する生活をしている。地球でも優秀なアスリートとして将来が見込まれるシンクはこちらに永住、ともできずにいる状態で、しかし半年前のミルヒからの求婚を()()()()()()()ことになっていた。だがそれも正式な返事はまだしばらく保留、ということになっている。

 けれどもソウヤとしてはその態度がどうしても納得しかねていた。結局のところ「自分ではなく姫様を選んだ」という形を突きつけられたエクレールは背中ぐらいまで伸ばしていた髪をばっさりと切り、同じ親衛隊の副隊長であるエミリオの求婚を受けた。その上で「自分は姫様の剣として戦う」と改めて誓い、主と騎士である自身との間に私情を挟まない、と己の心を殺す決心までしていた。なのにエクレールがそうなっておきながら、シンクが心を決め切れていない、という部分がソウヤは不服なのだ。

 加えて2ヶ月前のミルヒの両親、すなわちビスコッティ先代領主夫妻の失踪。これにより辛い状況を背負うこととなった彼女を支えるべきは他ならぬシンクであるはずなのに、それでも態度は保留したままであった。結果としてミルヒは懸命に努力しているもののどうにも空回り気味となり、さらにシンクへの依存が高まっている。加えて20歳というミルヒの年齢。王族である彼女だ、結婚は既に遅いぐらいでもある。噂によると持ち上がる縁談の数も1つや2つでは到底すまないらしい。ならば一刻も早くシンクは態度を明確にするべきだろう。

 

 とはいえ、同時にソウヤは板挟みの状態にもあった。早々とフロニャルド永住を決め、レオと結婚したソウヤだったが、家族や友人や元の世界での生活も考えればその決断は通常は困難である。両親を既に失っていたソウヤと地球に多くの知人を残すシンクとでは、ビオレの言葉通り状況が違うのだ。加えて、早々と永住の決断をした、といってもやはり望郷の念がないわけではない。思い入れなどないと思っていたが、いざフロニャルドに永住してみると、時折、かつていた世界を思い出してひどく懐かしく感傷的な気持ちと若干の後悔が押し寄せて来ることもあった。彼はそれを大陸一の剣士にかつて言われた「良い後悔」と言い聞かせている。だが、もしかしたらもっと別な道を選択できたのではないか。そんな風に思えてしまうからこそ、シンクには自分と同じ悔やむ気持ちを味わってほしくないと願っており、怒りをぶつける先が見つけ出せずに、ソウヤは酒に逃げるしかなかったのだった。

 

「ソウヤ、今日はそれ以上の酒はやめろ。お前に倒れられてはワシもレグも困る」

 

 置かれたグラスを一瞥した後でソウヤを見つめ、半ば強制するような口調でレオはそう告げる。

 

「……ああ」

 

 レオの言葉に了解の意思を示した後で全体重をソファの背もたれにかけさせ、ソウヤは天を仰いだ。

 

「……その話はやめにするか。周りのワシ達が気を揉んでもどうしようもない部分もある故な」

「そりゃそうだが。それでもビスコッティの人々は元がのんびりだ。見てられないときだってある。……それ以上に今の厳しい状況を背負い込み、()()()()1人でなんとかしようなんて姿を見てると……噂でしか聞いたことがないが()()()()()()()()と同じだろうと言いたくなる。昔姫様はその人に『もっと自分を頼ってくれていい』と言ったらしいですが、そう言った他ならぬあなたが()()()()()以外にも、もっと周りを頼った方がいいですよ、ってな」

「どこぞの誰かさん、とは誰のことかの? それにそれをお前が言うか? かつては自分の心を全て押し殺そうとしておいてよく言う」

「それはこっちのセリフだ。……いや、まあ結局のところ俺もお前も似た者同士だった、ってことだろうが。だから今こうして一緒になってるんだろう?」

 

 そう言い終えて皮肉っぽくフン、とソウヤが鼻を鳴らし、レオはお茶を口に運ぶ。かつて「星詠み」でミルヒの未来を詠み、それを変えるために全てを1人で背負い込もうとしたレオと、愛するものの幸せを願うためにあえて己の心を殺して身を引こうとしたソウヤ。そうやって見れば、やはり2人は似た者同士と言えなくもなかったのだった。

 

「……それより久しぶりの戦場はどうじゃった? 『蒼穹の獅子』殿?」

 

 レオが変えた話題に対してソウヤの顔に苦笑が浮かんだ。

 

「やはり戦場はいい。そりゃ気分はよかったが……。その二つ名、いつ広まったんだ? 相手の領民軍のリーダーまで知ってやがったぞ?」

「結婚式の時じゃろ。ガウルの奴がフランぼーずに『いいネーミングを思いついた』とか言っておったぞ。あの時に『蒼穹の獅子、勇者ソウヤと百獣王の騎士、レオンミシェリ閣下が』とか言われておったし」

「くっそ、やっぱりあのやんちゃ坊主とおしゃべりアナかよ。なんだよそのネーミング、そんな有名なのか?」

「あら、ガレット国内や周辺各国では有名ですよ? 『蒼き輝力の光を纏う、百獣王と共に立つ獅子』といえば、他ならぬあなた様のことです。むしろ広まってないと思っているのはご本人だけではありませんか?」

 

 一度席を立ち台所の方へと行っていたビオレが戻ってきながらそう言った。手には透明な液体の入ったガラスの容器を持っている。

 

「……本当ですか? ……そもそも蒼き輝力の光って、俺のは濃紺だっての。どうせなら昔読んでた小説みたいにもっと横文字なのがよかったってのに……」

「横文字? ああ、あれか、以前お前がワシに読ませた本にあったライトニングなんちゃらとかなんちゃらブレイカーとかか?」

「ああ、そう。そういうのだ。……でもまあいい、別に大したことじゃない」

「なら以前うちの偽勇者が名乗った名称を使うのはどうじゃ? 確か……イミ……なんとかブレイバーじゃったと思うが」

「それじゃ勇者ってことになっちまうだろ。俺はもう勇者じゃない。……あ、でも『勇者じゃない』って意味じゃ偽勇者か」

 

 クックックと笑いを噛み殺すソウヤに対し、ビオレが新たなグラスに水を注ぎ差し出す。酔いを醒ますためか、彼はそれを一杯呷った。

 

「……ともかくそれの文句は、覚えていたら()()直接やんちゃ坊主に言うとするか」

「ではソウヤ、明日は……」

「ああ、ヴァンネット城へ出頭命令が出てる。一応今日ので臨時とはいえ復帰扱いだ、明日正式に辞令を受けることになるだろう」

「そうか……。ワシ達もこの別荘からヴァンネット城へと移った方がいいかもな」

 

 もう一口水を飲みながら、ソウヤは難しい表情を浮かべる。

 

「……本音を言えばお前とレグとビオレさんはここにいてほしいんだが」

「何を言う。もうしばらくしたらワシも復帰するつもりでいるぞ」

「……おい、本気か?」

「当然じゃ」

「レグの面倒はどうする?」

「ビオレがおるじゃろ。それにヴァンネット城に戻れば近衛隊側役のルージュを初めとしてメイド隊もおる」

「しかしなあ……」

「差し出がましいようですが……私もソウヤ様の意見に賛成です。レオ様はまだここに残られた方がいいかと……」

「なんじゃビオレ、お前まで」

「自分の顔を立ててくれってビオレさんは言ってるんだよ。ルージュさんの反対を押し切ってうちの家政婦の役を買って出てくれた、でもそのせいで彼女は近衛隊長というこれまでのビオレさんの役割を押し付けられた形になった。……あ、一応本人は代理を名乗ってるんだったか。ともかく、それなのに何食わぬ顔でビオレさんが戻ったら、あの人は『苦労してこんなに尻尾の毛が剥げた』などと抜けた毛を見せてくるかもしれないからな」

 

 思わず苦笑するビオレ。 

 

「そういうわけではありませんが……。いえ、確かにソウヤ様のおっしゃることも……ルージュならやりかねないと思うところもありますよ。ですが、それ以上にレオ様は今まで大変でしたのですから、もう少しごゆっくりなさっても……」

「確かに悪くないが、落ち着かんな。レグの成長を見守るのは楽しいが……やはりもう少々忙しい方が、なにより戦場に立つほうがワシとしては性に合っておる」

「『蒼穹の獅子』と『百獣王の騎士』のご夫婦2人が同時に戦場に立つとなれば、それは興業的に盛り上がることが約束されていますしね」

「……ちょっとビオレさん、あなた俺の味方だったんじゃないんですか?」

 

 困ったようにソウヤがそう言った。

 

「……ともかく明日からはどうなるかわからない、とだけ言っておくよ。面倒な配属になれば帰るに帰れないこともあるだろうし」

「そうか……。明日は早いんじゃろ?」

「ああ」

「なら今日は書斎で休め。夜中にレグがぐずってお前を起こしては悪い」

「書斎でだって変わらないぞ? 泣き声が聞こえたら飛び起きちまう」

「よく言うわ。先週夜中にレグが大泣きしたとき、お前が来ないからとビオレが書斎を覗いたら机に突っ伏して熟睡していたと言っていたぞ?」

 

 ソウヤが記憶を探る。確か砦に顔を出した日のことだった。帰ってきたのは夜遅め、加えてビスコッティの現在の状況が(かんば)しくないと聞いて頭を悩ませ、少々酒を多く飲んだ日のことだった。

 

「あれは……。……そんな時だってある」

「じゃったら書斎の方が眠れる可能性があるということじゃ。……レグと一緒に寝たいという気持ちはわからんでもないが、最近のお前は心労も溜まっている様子だしな。なるべく疲れを残さないようにして、明日行ったほうがよかろう」

 

 レオの腕に抱かれたレグルスが寝返りする。初めて寝返りを打ったのは少し前、丁度ソウヤが風呂から寝室へと戻ってきた時で、2人の目の前でのことであった。

 

「……そうだな」

 

 目を細め、ソウヤは我が子の頭を優しく撫でる。心地良さそうにレグルスが体を僅かに動かした。

 

 ビオレが立ち上がり食器類を台所をへと下げ始める。側役として一流の彼女が「いては野暮な時間」というものを把握していないはずがない。

 

「くれぐれも無茶はするなよ。お前に何かあっては……ワシもレグも悲しむ」

「わかってるよ」

「あとはガウルの奴によろしく言っておいてくれ。……ワシがさっき言った、復帰についてのことも含めてな」

「後ろのは保証しかねるな」

 

 わかった、と言う代わりに微笑を浮かべ、レオが瞳を閉じる。その彼女の唇にソウヤは優しく自分のそれを重ねた。

 

「ではワシは寝るとするか」

「ああ。おやすみレオ。……レグもな」

 

 レオが立ち上がり寝室へと向かう。その背を見送った後でソウヤは天井を見上げ、大きく息を吐いた。

 




レグルス……獅子座(レオ)にある星のひとつ。「獅子の心臓」とも呼ばれる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 3 移ろい行く人々

 

 

「デ・ロワ卿が到着されました!」

 

 翌日、昨夜レオに話したようにヴァンネット城へとやってきたソウヤ。そのまま真っ直ぐ領主執務室へと案内され、今その部屋の扉の前にいた。一瞬間があって「入れ」という声が中から聞こえる。

 

(しかし「デ・ロワ卿」という呼び方は……この部屋の主を考えるといささか不適切じゃないか)

 

 まるで「自分は王族だ」とひけらかすようで、その呼び方は元々好んでいるわけではない。加えて今の呼び方は部屋の中にいる人物を指すこともできるのではないか。ふとそう思ったソウヤだったが、扉が開き、中の3人の姿を確認するとそんな考えをやめて部屋へと足を進めた。

 

「ソウヤ・ガレット・デ・ロワ、参りました」

 

 形式的にソウヤが硬く挨拶をする。が、部屋の主は「おう」と軽く答えると座っていた椅子から立ち上がり、ソウヤの元へと近づいてきた。それを見たソウヤも表情を崩す。

 

「よく来たなソウヤ。……もう少しゆっくりさせてやりたかったんだが、昨日の急な復帰戦の要求と今日の出頭と、忙しくさせて悪かったな」

「いえ、()()()の命令ですから」

 

 そのソウヤの言葉に()()()の銀髪の青年――ガウル・ガレット・デ・ロワはため息をつく。以前と比べて伸びた髪は姉譲りと言ったところか、かつては「やんちゃ坊主」などとソウヤに呼ばれていた彼だったが、成長した今では隣を通り過ぎれば思わず異性が振り向くほどのハンサムな顔立ちへと成長していた。

 

「あのなあ、いつも言ってるがお前姉上には()()()だろ? なら俺にも敬語なんか使うなよ」

「それは出来ません。()()()は今じゃ俺の妻ですが、あなたはこの国の領主、俺にとっての主ですから」

「やっぱ変なところだけ真面目だよなお前は。それを言ったら俺にとっちゃお前は義兄にあたるわけだぜ? 身内なら普通に話したっていいだろうがよ」

「だからですよ。普通に話したら、あなたは俺のことを兄貴とか言い出しかねないですから」

「ああ、言うね」

 

 予想通りの反応だったのだろう。今度はソウヤがため息をこぼす。

 

「やめてください。あなたの姉を()()()存在の俺が兄と呼ばれるのは、どうも落ち着かない」

 

 ヘッとガウルが笑う。無論彼は姉を奪われた、などとは露ほども思っていない。むしろ互いをくっつけようとし、祝福していた立場である。

 

「ったく相変わらずだな。あ、その姉上は元気か? あとレグルスも」

「元気ですよ。レグはこの間寝返りを打てるようになりました。……それからビオレさんも元気です」

 

 そう言いながら、ソウヤはガウルが座っていた椅子の傍らに立つ女性の方へと視線を向けた。

 

「尻尾の毛は大丈夫ですか、ルージュさん?」

 

 ソウヤに問いかけられて近衛隊側役、近衛隊長代理のルージュ・ピエスモンテは苦笑を浮かべる。

 

「おかげさまで、なんとか。……ですがビオレ姉様の代役は私には荷が重過ぎます。可能なら姉様を返していただきたいですね」

「俺からはどうにもしかねます。あの方が自らついてきたわけですから」

 

 再びのルージュの苦笑を見た後、ソウヤはもう一方の傍らに立つ女性の方へ視線を移した。

 

「……段々と板についてきたんじゃないか、()()?」

 

 ソウヤにとっては昔を知ってるだけに、以前より少し格調高くなった風の今の格好はややおかしくも見える。が、そんな過去のことを知らなければ、彼の言葉通り普通に将軍に見えるのだろう。しかし以前を知っているソウヤの脳裏には馬子にも衣装、という言葉が思わず浮かぶ。

 そんなソウヤの考えがわかるのか、将軍、と呼ばれた女性は困った表情を浮かべた。

 

「よしてや。ルージュ姉やないけど、ウチもこれはちょっと荷が重いわ」

「俺からしても意外だからな。()ジェノワーズの中じゃもっとも適当そうだったお前が将軍とはな」

 

 ソウヤにストレートにそう言われ、今では女将軍となったジョーヌ・クラフティは最初の表情のまま、だが特に気にした様子もなく続ける。

 

「なんか知らんけど対外的な部分は昔からウチの担当やったし、苦手ではなかったからな。ノワは結局裏方に回ったし、ベルは……まあやっぱ危なっかしいところあるし」

「そのベールだが、立派に隊長……いや、俺が横からその座を一瞬取った形になったからあの時は副隊長だったが、ちゃんとやってたぞ。あいつもだが、選りすぐられた騎士たちも見事だった」

「当然だろ。俺がベルに直接腕が立つのを20人連れて行けと言ったんだ。元から他国と比べてもレベルの高かったこの国の弓術師隊だったが、()()()()()()()()のおかげで今じゃ近隣各国と比べてもトップクラスだしな」

「だったらそのトップクラスの部隊の指揮を執ってるあいつも、思ったよりはしっかりしてるってことですかね」

「どうやろな。相変わらず飲み物運ばせると転ぶけど」

 

 やはり大元は変わってないか、とソウヤが小さく笑った。

 

「さてと、積もる話もあるだろうが、一応話進めるぞ。俺の方もこの後予定詰まってるしな」

 

 ガウルが来客用の椅子にソウヤを促す。ガウルと向かい合う形でソウヤは腰を下ろし、ジョーヌはガウルの傍らに移動してきた。やや遅れて部屋の入り口に来たメイドからルージュが飲み物を受け取り持ってくる。

 

「ありがとうございます」

「お前、そのやたらめったら敬語使うのなんとかならねえか?」

「言われるほど使ってますかね? それにルージュさんにはこっちの方が落ち着くんですよ。年上ですし」

「仮にも俺の義兄だぞ? そんな感じに話されるほうが逆に気を使うこともあるだろ」

「考えておきますよ。……それより話進めるんじゃないんですか?」

「ああ、そうだったな」

 

 そこまで話すとガウルは真面目な表情に変わった。

 

「……お前、今の状況をどこまで把握している?」

「国内については特に気にかけてません。新たな領主様が1年間の見習い期間を経て誕生してから2年以上経ちますし、元々受け入れられ気味だったおかげもあって評判も上々と聞いてます」

「茶化すなよ。……だがお前の言うとおりガレット国内では特に目立った問題ごとはない。……まあ俺から言わせてもらえばガレットの国民達が若くて戦無双なおしどり夫婦をもっと見たいんじゃねえか、と思ってることぐらいかな」

「……レオの前でそれは言わないでくださいよ? あいつ戦場に戻りたくてうずうずしてる」

「いいじゃねえか。お前と姉上の2人が戦場に現れたらそりゃあ盛り上がるぜ」

 

 昨日ビオレに言われたことと同じことを耳にしてソウヤが苦笑する。余計なことを言った、と後悔したのだろう。

 

「……話の腰を折るんじゃなかったな。ともかく国内は気にしてません。気がかりなのは近隣諸国の動きです」

 

 一転して表情を真面目にしたソウヤ同様、ガウルも最初と同じくその顔を引き締める。

 

「ここ最近でいうならビスコッティ。先代領主様ご夫妻……つまり姫様のご両親が旅行先で行方がわからなくなってから2ヶ月。どうにもきな臭い」

「昨日お前に急遽参戦してもらった誘拐戦の前にも……先月2回内戦が起こっている。先代領主の失踪からわずか1ヵ月のうちに2回だ。初めは失踪に不安がる姫様を元気付けるため、という解釈が取られ、2回目もそれで通じるところがあった。俺もそう思っていたし、妙だとは特に思わなかった。……2回目の拠点攻防戦の舞台となった砦は『たまたま』姫様が視察に来ていただけだからな」

 

 「たまたま」を強調したガウルの言葉に突っ込もうかとソウヤは口を開きかけるが、すぐに閉じた。反論したいわけではない。むしろ逆、全く同意なのだ。だが、自分の意見は領主の話が終わってからの方がいいだろう、と判断する。

 

「だが今回は状況が別だ。明らかに姫様を狙っての布告……。前の2回目の内戦の時、お前が『裏があるかもしれない』って言ったらしいって聞いて俺は笑い飛ばしたが、お前の読みどおりだったわけか。だとするなら、先代領主の失踪を契機に何かが動き出した、とも考えられなくもない……」

「俺も全く同じことを考えてます。が、現時点では空説に過ぎません。昨日の夜戦だって、一見すれば異常と思えますが、当事者がなんとも思ってなかったと言ってるんだ、本当に何もなかったのかもしれません」

「相変わらず辛辣だな」

「俺は口が悪いですからね」

 

 そう言ってソウヤは愛想笑いを浮かべる。

 

「それにしても昨日の俺の介入、よく決断されましたね。姫様が誘拐されていたらもっと面倒なことになっていたでしょう。迅速に下した、見事な判断だと思いますよ。とはいえ、一歩間違えれば干渉だと問題にされかねないとも思いましたが」

「相当やべえって報告を諜報部隊から聞いてたからな。ビスコッティから増援を送るにしても外遊の帰り道というせいで距離がありすぎる。ガレットの方がむしろ近いってのはわかっていたがそれにしたって理由付けが難しいと思ってたところで、お前のことを思い出したんだよ。どうせもう休暇も終わりそうだし、最近じゃ近辺の砦の方に顔を出してたって話だ。なら前倒しでいいか、って俺の独断だ。……まあ後からバナードの奴に一言相談してほしかったと苦言は呈されたがな」

「ついでにレオからの個人的な頼み、とでも付け加えられるから、ガレット本国としては言及されてもかわすことができる」

「そういうことだ。……汚い話だと思うだろ?」

「いいじゃないですか。領主たるもの、そういう汚い駆け引きも必要だ、ってレオが言ってましたよ」

 

 ガウルが思わず頭を掻いた。

 

「……そんなことはしねえ、と昔は思ってたんだがな。綺麗事ですませられるほど、領主は楽じゃなかった、ってことだな」

 

 そう付け加え、目の前のカップに入った液体を口に運ぶ。カップを机へと戻し、ガウルは1度大きくため息をついた。

 

「……まあいい。やっぱビスコッティについては大分情報を持ってたか。他はどうだ?」

「貿易のお得意先、ドラジェはまあ落ち着いていると聞きました。レザン王子が次期国王として正式に決まった時にやや揉めた、という話ぐらいですかね。パスティヤージュも問題は特にないと。実際この両国は新婚旅行で巡らせてもらいましたが、平和そのもの、旅行にはもってこいの場所でしたよ。……ああ、パスティヤージュのあのやかましい()()だけ個人的にどうにかしてほしいですが」

 

 ガウルが小さく吹き出す。

 

「なんだ、クーベルの奴、まだお前に何か言ってくるのか?」

「旅行から戻った後、あいつからレオ宛の手紙が5通も出てきましてね。文章のうち4分の1は俺に対する恨み辛みでしたよ」

「仕方ないだろ。クーベルは姫様同様、姉上には妹のように懐いていたからな。それをお前が持っていっちまったわけだ」

「その前に初対面の時からお世辞にも仲はよくないですし、向こうの空騎士と俺との戦闘相性もあっちから見たら最悪ですからね。そう当り散らしたくなる気持ちもわからないではないですよ。それでもあの小娘も恋でもすりゃあ変わるだろうとは思いますけどね。ガウ様、あいつと結婚したらいいんじゃないですか? 王族同士の結婚だ、安泰でしょう?」

「やめろ、ありゃパスだ。友人として接してる分にはいいが、妻となったらじゃじゃ馬すぎて乗りこなせる気がしねえ」

 

 ソウヤが立っている2人の方を見上げる。

 

「将軍と近衛隊長代理からも結婚に悲観的な領主に何か言ってあげてくださいよ」

「ウチはガウ様の気持ちを尊重してあげたいと思ってるからなあ……。本人が嫌なら仕方ないんちゃう? ま、将軍がどうこう口出しできる問題やあらへんしな」

「だな、その前にお前は自分のことなんとかしろと言われるもんな」

「よ、余計なお世話や!」

「ルージュさんは?」

「下手な発言をすればソウヤ様に手痛い一撃をお見舞いされそうですので、ノーコメントです」

「あらら。俺は年上には敬うように心がけてたんですけどね」

 

 皮肉っぽく軽く笑い、ソウヤはカップに口をつけた。

 

「昔から思ってたが、お前と話してるとどうしても話が逸れるな」

「あなたが要因の一部としても絡んでるとも思いますが……。まあいいや、続けますか。パスティヤージュまで言いましたっけ? ベールの故郷の(サンクト)ハルヴァーと南オランジュの情報は特に入ってきませんが……。入ってこないってことは特に大きな問題はないということでしょう。……最後にカミベルですが」

 

 ソウヤが1度息を吐く。チラッとガウルの顔を見ると、難しい表情をしているのがわかった。やはり自分が聞いた情報は本当なのだ、と裏づけされたようだった。

 

()()()はここでしょう。この数年で召喚した地球人は数十名。今じゃ内政の一部を担うほどになった()()()はますます力をつけ、国内問題に発展している」

「ソウヤ、耳なしというのはやめろ。それはフロニャルド人が地球人を侮蔑してつけた呼び方だ。お前は……」

「今の俺はフロニャルド人です。……ですが、この世界に呼び出された地球人の先駆けとして責任は感じています」

「お前がそんなものを感じる必要は……。……いや、いい。やめだ。この話題になると時間がかかる。また今度にするぞ」

 

 ガウルが話を切り上げる。元々地球人のソウヤにとって、これはデリケートな問題だ。そこを差し引いても、ガウルはソウヤには必要以上に自分を卑屈に扱う癖があることを知っている。根本的な解決法が未だにない現状、ここでこの話をしてもいたずらに時間を消費するだけ、とガウルは判断したのだった。

 

「……とまあこのぐらいが俺が現在知ってる情勢です」

 

 ソウヤは背もたれに寄りかかり、一方ガウルはため息をこぼす。

 

「何がこのぐらい、だよ。ほぼ完璧じゃねえか。情報元はビオレか?」

「ええ。色々教えていただいたので。多分そのビオレさんの情報の大元は……」

「ノワだろうな。……休養中の奴に平然と情報横流ししやがって」

「別に怒ることじゃないでしょう。俺もレオもそれには感謝してます」

「お前と姉上にはそんなことは気にかけずに休んでてほしかったんだよ。言わせんな」

「弟君の配慮でしたか。これは失礼」

 

 ケッとガウルがつまらなそうに呟き、ソウヤはまたカップに口をつけた。

 

「……で、本題だ。要するにビスコッティとカミベルという不安要素が周辺諸国に2か国ある。……まあ両国の不安要素度合いは『どうも空気が怪しい』と『明らかに国内問題がある』という点で全く異なるが。で、今後戦が行われる、となったとき、協定ラインギリギリの奇襲や戦いが想定される。……仕掛けられるだけでなく、()()()()としても、だ」

 

 ガウルの言う奇襲や戦いが起こり得ることはソウヤも考えていた。とはいえ、ビスコッティは不穏の空気がある、という程度。先代領主が失踪したことはともかく、ミルヒを狙った誘拐戦の真意は未だ不明だ。ソウヤやガウルが考えすぎているだけの可能性もある。一方でカミベルは国内問題に発展するほど、その情勢が芳しくない。

 だから「仕掛けられる」という表現はおそらくないであろうが自国が奇襲を受けたときだろう、とソウヤは感じていた。むしろ話題になっているビスコッティが関係するのは「仕掛ける」方。友好関係にあるビスコッティに茶々を入れてくる国があるかもしれない。その時に素早く対応できる隊がほしい、という考えなのだろう。昨日の戦におけるソウヤの役割がまさにそれであったように。

 大体次にガウルが何を言い出したいか、自分に何を要求したいのかをソウヤは既に予想していた。

 

「その際、現在の騎士団管轄の大部隊では小回りが利かないという欠点がある。そこで……」

「何でも屋でも作ろう、ってわけですか?」

 

 先を越されて言われたソウヤの言葉にガウルが面白くなさそうに顔をしかめた。

 

「……ああ、そうだ。その何でも屋……遊撃隊を組織する。規模はあまり大きくせず、時には昨日のような荒事にも当たってもらう。つまるところ親衛隊と近衛隊を足したところかな。究極的には隊長の独断で行動可能な権限を与えて独立的に動くことで、事態の収拾までの時間をより短くし、柔軟な対応が出来る隊にしたいとも思ってる。で、お前にそこの隊長を任せたい」

 

 間が空く。どうやらソウヤは考えているようだった。

 

「お前は仮にも俺の義兄で先代領主である姉上の夫だ。このぐらいの椅子は用意して然るべきだろ。それに頭も切れるし嗅覚も鋭い。おまけにお前自身が『自称』器用貧乏のオールラウンダーときた。これだけの条件が揃ってるなら何かあったときにまず真っ先に対応してくれると信じてる」

「……2点、質問があります」

「なんだ?」

「まず1点、遊撃隊ということですが、隊でいうなら親衛隊であったジェノワーズが()()してからそう経っていないはず。なのにまた組織するんですか?」

「全員に見合うそれぞれのポストがあった。そのために一度解散し、遊撃隊はそれと関係なく新たに戻ってきたお前を中心として隊を組織しただけ、でいいじゃねえか」

 

 妥当な答えか、とソウヤは判断した。ジェノワーズに関する()()()()()()()はなんとなく知っている。そしてこの人はおそらくその()()()理由に気づいていない。が、とりあえずそれは置いておき、もう1点を尋ねるべく、ソウヤは口を開いた。

 

「もう1点。……俺は1年のブランクがある人間です。そんな人間にいきなりこんな大役が出来ると思ってるんですか?」

「昨日のお前の働きを見たら、そんな不安を口にする奴なんていねえよ。……ああ、当の本人以外は、か」

 

 人のことを口が悪い、とよく言う割に自分も大概だろう、とソウヤは思う。いや、もしかしたら自分のせいで一言多くなってしまったのかもしれない。

 それが顔に表れていたのか、ソウヤの顔を見たあと、ガウルは安心させるような口調で続けた。

 

「まあ心配すんな。副隊長にベールをつけてやる」

「なっ……」

 

 が、安心どころか彼は逆に言葉を失っていた。

 

「待遇としては十分だろ?」

「十分だろ、じゃないでしょう。あいつが今指揮してる、弓術部隊はどうするんです?」

「事実上隊の再編だ。本当は全員そのまま使いたかったが人数が多いからな。そっから特に腕が立つのをお前の隊に配属し、残りは騎士団所属になる」

「……じゃあ隊を潰すんですか?」

「潰すってのは穏やかじゃねえな。今言った通り再編だよ。遊撃隊のための隊員と、騎士団所属に分けたってことだ」

「要するに一旦潰すんでしょう。……新たな再編部隊の隊長なんてまた責任重大な役割を押し付けて」

 

 ハァ、とソウヤは大きくため息をこぼした。

 

「何を気にしてんだよ。別にいいだろ、人事異動じゃねえか。弓術隊の了解は取ったし、ベルもお前が隊長なら何の文句もないって言ってたぞ。隊の中にはお前が隊長なら是非その下で、って奴もいるらしい」

「過大評価ですよ。……俺は人の上に立てる器じゃないと昔から言ってるでしょう」

「ならなんで姉上と結婚を決めたんだ、って突っ込まれるのは目に見えてるだろ? いい加減諦めろよ。自分の望むと望まざるとに関わらず、姉上と結ばれた時にお前はこうなる運命だったんだよ。それに出来る人間がやらないってのは、出来ない人間から見たら謙遜とは取られない、嫌味にしか見えねえぞ。……しかしまあそれでも嫌なら、こう考えろ。他にやる人がいないから自分がやってるだけだ、ってな。それなら気が楽だろ」

「……ガウ様はそう思って領主をやってるんですか?」

「んなわけあるか。俺はなるべくしてなったと思ってる」

「やっぱり。それでこそレオの弟君だ。そして本来そういう考えが出来る者こそが、ガレット・デ・ロワの姓を名乗るにふさわしいんでしょうね」

 

 よくやるように自嘲的な笑みをソウヤはこぼした。

 

「まあそれは置いておくとして。……遊撃隊長の件、受けさせていただきます。ご期待に添えられるかは保証しかねますが。これで俺も正式復帰ってわけですね」

「ああ。期待してるぜ、兄貴」

「それはよしてほしいと言ったでしょう」

 

 差し出された右手を、苦笑を浮かべたソウヤが握り返す。その手が離れるとガウルが立ち上がった。次いでソウヤも立ち上がる。

 と、その自分の右手を見て、思い出したようにソウヤは口を開いた。

 

「……そう言えば。エクスマキナ、本当に返さなくていいんですか?」

「しつこいぞ。前からずっと言ってるだろ。グランヴェールとエクスマキナはそれぞれ姉上とお前が持ち主だ、ってな。それにお前の世界じゃ婚約を誓った時だか結婚した時だかに指輪をはめるとかって風習があるんだろ? ならそれはお前と姉上2人の婚約指輪(エンゲージリング)だ。本当に有事でもなけりゃ、それを奪い取るなんてできるわけねえだろ」

 

 ガウルなりの心遣いだろう。事実、彼自身は「武器に頼らない」という面があり、自身の輝力武装を磨くことに心血を注いでいる。だから不要、と言い切れてしまうのだろう。

 

「……わかりました。ではもうしばらく俺が預かっています」

「ああ、そうしろ。……っと、すまねえな。もう少しお前に付き合いたいところなんだが、そろそろ時間だ」

「いえ。それで俺はこの後隊の方に行けばいいんで?」

「いや、正式発足はもう少し後になる。実のところ隊のメンツが6割程度しか揃えられてないんだ。今ベルが人員確保に当たってるから、名ばかりの遊撃隊長で頼む。で、この後だが……ルージュ」

 

 「はい」とルージュがソウヤに何かを手渡す。どうやら書簡のようだ。

 

「こいつをビスコッティに届けてくれ。……ってのは名目だが。復帰の挨拶にでも行って来い。仮にも昨日姫様の窮地を救ったってのに早々と帰ってきたんだ、もう1回顔を出した方がいいだろ。適当にゆっくりして来るといい」

 

 書簡などわざわざ使者が届けることも珍しい。通信会談で済むことでもある。要するにガウルは書簡にかこつけて自分を復帰の挨拶に行かせたいだけなのだとソウヤは確信した。

 

「わかりました。で、挨拶なら俺1人で構いませんが」

「いや、一応公式な訪問だし持って行くものもあるから、護衛騎士20程度つけてやる。将来的にお前の部下になる……要するに昨日お前が率いた連中だ。今のうちに親睦でも深めとけ。あとはベルの代わりにノワが行くそうだ」

「ノワールが? 珍しいですね」

「あいつたっての希望でな。なんでも……」

「ガウ様すみません、そろそろ……」

 

 申し訳なさそうにルージュが会話に割り込む。ガウルはそれを咎める様子もなく「お、そうか」と言っただけだった。

 

「……つーわけで時間が来ちまった。ビスコッティの訪問隊はもうすぐ集合するようにしてあるから、あとはジョーから適当に説明受けておいてくれ。じゃあまたな」

「はい。ご苦労様です」

 

 頭を下げた義兄に軽く手を上げて応え、ルージュの先導に続いてガウルは部屋を後にした。

 入れ替わるように近衛メイドが数名部屋に入り、2人が飲み終えたカップを運び出していく。

 

「ウチらも行こか」

 

 ジョーヌに連れられるようにソウヤも部屋を出た。

 

 

 

 

 

 ヴァンネット城の廊下を女将軍と元勇者が歩く。すれ違う使用人や兵達は皆道を譲り、頭を下げていく。

 

「……どうにもこの感覚は慣れないな」

 

 どこか困ったようにポツリとソウヤは呟いた。

 

「まだんなこと言うてんのか? 勇者時代はさておき、もうレオ様の旦那なんや。いい加減その辺は慣れんと。さっきのガウ様が言ったルージュ姉の話やないけど、こっちも困るで」

「そう言われてもな」

 

 勇者時代にもソウヤはよく言っていたことだが、「庶民の出」であるためにこういう待遇はあまり慣れないという話であった。

 

「……まあその辺を無理してでも、レオ様と一緒になるほうを選んだ、っちゅーことやな?」

「そういうことだ」

「おーおー、ごちそうさま」

 

 ジョーヌが笑う。その昔と変わらない様子に、ソウヤも思わず笑顔をこぼした。

 

「そういやなんでノワールが着いて行くことになったかガウ様から聞きそびれた。お前知ってるか?」

「ああ……。表向きはリコに会いに行く、ということらしいで」

「実のところは?」

「……ウチが言ったって言わんといてな。久しぶりにソウヤと話したい、とかっても言っとったで」

「あいつが俺と? ……意外だ」

「そやろ? ウチも珍しいとは思ったんやけど……。あの子もまあいろいろあったからなあ……」

「いろいろ、か……」

 

 感慨深げなジョーヌを見て、ソウヤも似た気持ちになる。

 ジョーヌの「いろいろ」の意味はなんとなくわかっていた。おそらくその1番大きなところは()()()()()()()()()だろう。ガウルが正式に領主となってから約1年半後、今から半年前のことだった。

 丁度ソウヤにとっては第一子を授かった頃だった。ビオレを通して入ってきた情報にソウヤもレオも大層驚いた。しかもそれを言い出したのがジェノワーズのセンターであったノワールだったということでより驚く形となった。

 

 この話を続けてもいいが、どうせ感傷的な気分になることは目に見えている。この馬鹿陽気なトラジマ娘を暗くさせるのはどうにも調子が狂う、なら少し話題を変えた方がいいか、とソウヤは判断した。

 

「……しかしこうやってお前と2人で話すのも久しぶりだな」

「えっとソウヤとレオ様が結婚式を挙げたのが……大体2年前やったっけ。その1年後から今までの休養やから……。なんや、1年ぶりとかか?」

「そうか。勇者時代は随分話した気もするがな」

「まったくやな。……あ、でももうソウヤも勇者どころか、もっと偉くなったんか。……敬語使った方がよかったでしょうか、デ・ロワ卿?」

「やめろ。お前に敬語なんて使われたら鳥肌が立つ。今まで通り話せ」

「そやな。ウチもその方がしっくり来るわ」

 

 ジョーヌが屈託のない笑みを浮かべる。

 

「……悩みのなさそうな笑顔しやがって」

「な! んなことないで! ウチも今は将軍として……」

「あーわかってるよ。冗談だ」

 

 ヴァンネット城から表に出る。近衛メイド隊のメイドによってソウヤのセルクル、ヴィットは既に主を待つ形になっており、フィリアンノ城訪問の護衛のための騎士たちも準備を終えている。見渡せば先ほどのガウルの言葉通り、昨日の夜戦で共に戦った者達ばかりだった。

 その中に1人、昨日は見かけなかった顔がある。黒を基調とした騎士服に身を包み、一見無表情に見える顔色の女性。ガレット()()()()()()、ノワール・ヴィノカカオだ。

 

「ノワ! ソウヤ連れて来たで」

 

 ジョーヌの声にノワールはやはり顔色を変えずに首だけを動かす。

 

「久しぶりだな、黒猫。元気そうだな」

 

 そのソウヤの声に、ノワールの表情が少し緩んだ。

 

「ソウヤも。めんどくさい立場になった割には大丈夫そうだね」

「そうでもないな。庶民の生活が懐かしい」

「あー、2人とも、積もる話もあるかと思うけど、続きは道中でやってくれるか? ウチ、ソウヤとノワを見送ったら次にやらなあかんことあるんや」

 

 2人の会話に申し訳なさそうにジョーヌが口を挟む。

 

「そっか……。ジョーも大変だね」

「まあな。一応将軍やしな」

「んじゃあ行って来るぞ、将軍。また後でな」

 

 ソウヤがヴィットに跨る。ノワールと残りの騎士たちも、自身のセルクルに跨った。

 

「ああ。ソウヤもノワも、それに護衛騎士の皆も気ぃつけてな!」

 

 手を振るジョーヌにソウヤが振り返って応え、そしてその背が小さくなっていく。

 

「……なんや、やっぱなんだかんだ言って『レオ様の夫』にふさわしい力強い背中やないか」

 

 ポツリと、どこか嬉しそうに呟き、ジョーヌはヴァンネット城の城内へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 ビスコッティとガレットを繋ぐ街道。ヴァンネット城を出発してビスコッティのフィリアンノ城を目指すソウヤ達一行はこの街道を進んでいた。

 後ろの方では騎士たちが私語を交わしている。公式の訪問という名目ではあるが、移動の最中であるし、何よりソウヤ自身そういうところはやかましく言わない人間である。特に咎めることなく、セルクルを走らせていた。

 いや、あるいは自分もこれからノワールと話すだろうと予想していたからかもしれない。

 

「ソウヤ、レオ様は元気?」

 

 その予想通りか、ノワールがソウヤの隣までセルクルを進めて話しかけてきた。

 

「ああ、おかげさまで。今日から俺が復帰すると言ったら、あいつも着いてきたそうにしてたぐらいだ」

「そっか。よかった。お子さんはどう?」

「俺に似たのかあいつに似たのか、毎日元気だよ。……父親になるってのも悪くないもんだな。まあこれからもう少しでかくなって生意気になってくるとまた大変なのかもしれんが」

「なんか……ソウヤらしくない発言」

 

 悪かったなと言う代わりにフン、とソウヤは鼻を鳴らす。それを見たノワールの表情が少し緩んだ。

 

「ビオレさんのことは聞かないのか?」

「聞かなくてもわかるから。だって情報のやり取りしてたし」

「ああ、そうか。ガウ様がそう言ってたっけ。今じゃ諜報部隊の隊長だもんな」

 

 ガウルの名を聞いたノワールの瞼が一瞬ピクッと動く。それから特に何を言うわけでもなく、言い終えたソウヤの言葉に対してポツリと「……まあね」とだけ答えた。

 

「……ジェノワーズの解散を申し出たの、お前だって聞いたが?」

 

 ソウヤもさっきの自分の言葉でノワールの様子が少し変わったのは気づいていた。だが気づいていてなお、その質問をぶつけた。

 

「……うん、そう」

「……ガウ様への心を悟られないように、か?」

 

 ノワールが驚いてソウヤを見つめる。

 

「ソウヤ……気づいてたの?」

「前にも言わなかったか? 生憎俺は隣の国の勇者ほどは鈍くない。……ああ、うちの領主様もそこに付け足していいか」

 

 鼻で軽く嗤いつつソウヤが言うが、一方のノワールは表情は硬いまま、ゆっくりと口を開いた。

 

「……半分はソウヤの言うとおりだよ。ガウ様は領主になって国を引っ張っていく人だもん。だから、私はガウ様の相手としてふさわしくない。そうわかってた。……わかってるつもりだった。

 でもね、ジェノワーズとしてガウ様に仕えてると、わかってるはずの私の心が揺れ動いてしまうような……。そんな感覚を感じるようになって……。そして、次第にその感覚に怖れを抱くようになったの」

「それで距離を置くようにジェノワーズの解散を申し出た、ってわけか」

 

 こくり、と彼女は無言で頷く。

 

「クソ真面目はエクレールだけかと思ったが、お前も同類だったな」

 

 やはりノワールは硬い表情のままだった。うつむき、何も返そうとしない。

 

「……だとしたら、俺はお前に謝らないといけないのかもな」

 

 しかしソウヤのその言葉に少し驚いたように顔を上げた。

 

「ソウヤが? どうして?」

「俺がレオを取っちまった。だから、ガウ様が領主をやらざるをえなくなった。……もし俺がレオを取らなかったら、領主にならなかったガウ様とお前が結ばれていたのかもしれない。だとしたら、今の俺とレオのようにお前とガウ様は……」

「やめて」

 

 短く、だがはっきりとソウヤの続きを拒否する言葉だった。その声色には僅かに怒りの色も含まれているようでもあった。

 

「……怒るよ? たとえソウヤがレオ様と結ばれなかったとしても、ガウ様は領主になるべき人、私の意志は変わらないよ。それに……。私はソウヤもレオ様も、ガウ様と同じぐらい大好きだもん。その2人が幸せになってるんだから、レオ様と一緒になったことを謝ったりしないで」

 

 ただ静かにソウヤはその言葉を聞いていた。ノワールが言い終えたのを確認し、息を1つ吐き出す。

 

「……悪かった。さっきの発言は撤回する。……大人になったな、ノワール」

「元々大人だよ。元ジェノワーズのセンターを甘く見ないでよね」

 

 ソウヤが小さく笑い、ノワールの側にヴィットを寄せる。そして左手で少し乱暴に頭を撫でた。

 

「ちょっ……! ソウヤ、何するの!?」

「褒めてやってんだよ」

「やめてよ。……子供じゃないんだから」

「体の方はまだまだ子供っぽいってのにか?」

「う……! ……それは、確かにレオ様とかと比べたら、私なんか子供っぽい体かもしれないけど……」

「隊長、セクハラは嫌われますよ?」

 

 後ろから騎士の声が飛んでくる。セルクルを寄せた辺りで様子が変わったと聞き耳を立てていたのだろう。

 

「そうですよ。諜報部隊の隊長にセクハラとか、裏工作でこの隊が発足する前になくなるかも知れませんぜ?」

「そうじゃなくても愛しの奥様に『旦那がセクハラしてましたよ』なんて告げ口されたらまずいんじゃないですか?」

 

 そう言って騎士たちが笑う。これは困った、とソウヤは失笑した。

 

「……お前らは面白そうな話があると本当に食いつきいいな。わかったよ。今のまで含めて俺が悪かった。……だからレオに言うのだけは勘弁してくれ」

 

 一行全員が笑い声を上げた。それにつられる様に、ノワールも小さく笑っていた。

 フィリアンノ城への道のりは半分ほどを経過したところだった。

 

 

 

 

 

「デ・ロワ卿にヴィノカカオ()()()、それにガレット騎士の皆様、ご苦労様です」

 

 フィリアンノ城に到着した一行を待っていたのはビスコッティ騎士団親衛隊()()()のエミリオ・アラシードだった。やや堅苦しく挨拶した後、丁寧に頭を下げる。

 

「騎士団の皆さんはアンジュ小隊長がご案内いたします。デ・ロワ卿と万騎長はそれぞれ姫様と主席がお待ちですので、自分についてきてください」

 

 「いやいや、どうもご丁寧に……」などという騎士達の声が聞こえてくる。隊長であるはずの自分に対するさっきまでの態度と全然違うだろう、と思わず突っ込みたいソウヤだったが、一応ここは隣国、あまり恥を晒すような姿は見せるべきではないだろうと思いとどまった。

 

 エミリオを先頭にフィリアンノ城の内部へ。城内に入って間もなく、「ソウヤさーん、ノワー」という声が聞こえてきた。

 

「リコ」

 

 ビスコッティ王立学術研究員主席のリコッタ・エルマールの姿を見て、親友のノワールは彼女の愛称を口にした。()()()でありながら未だ小動物のような可愛さを備え持つ彼女は、現在も変わらずにビスコッティ随一の頭脳でもあった。

 

「お久しぶりであります、ソウヤさん。……あ、今はデ・ロワ卿とお呼びした方が……」

「2ヶ月前の慰問訪問のときも言わなかったか? 今まで通りで頼む。……というか、俺に会うとそれを言う決まりでもあるのか? 久しぶりに会う連中皆に言われてる気がするんだが」

「私は言わなかったよ? 言ったのジョーじゃない?」

「……ああ、そうかもしれん。ともかく公式な場ではさておき、こういうところでは以前のようにしてくれ」

「了解であります。ではちょっとノワをお借りするでありますよ」

「ああ。ノワール、迷惑かけるなよ」

「……子供扱いしないでよ」

 

 やや不機嫌そうに唇を尖らせたノワールを見て「まあまあ」とリコッタがなだめる。そのリコッタとノワールが離れていくのを見送り、エミリオが振り返る。

 

「自分達も参りましょう、デ・ロワ卿」

 

 エミリオが一歩目を踏み出すと同時、ソウヤが口を開けつつそれに続く。

 

「エミリオさん、さっきの俺の話聞いてましたよね?」

「いや……あの、デ・ロワ卿、自分などにさんづけと敬語はやめていただきたいのですが」

「じゃあ……普通に話させてもらうよ。その代わり俺をその呼び方で呼ぶのはやめてくれ」

「ではなんとお呼びすれば……」

「あとその堅苦しい敬語も。……ソウヤでいいし、普通に話してくれ」

「そうはいきません!」

 

 思わず足を止め、エミリオは振り返りつつやや強い口調でそう言った。真面目すぎる彼らしいといえばらしい。だが、今の自分の無礼に気づいたのだろう。すぐに軽く頭を下げた。

 

「あ……失礼しました」

「いや、気にしないでくれ。……じゃあ出来るかぎりでいいや、普通に話してくれ。勝手かもしれないけど、俺はあなたに親近感を覚えてるから」

「自分に……ですか?」

「ああ。……お互い()()()()()を持った。()()()()()()()んじゃないか、ってところがな」

「そ、その発言は……」

「勿論オフレコで頼む。……だがあなたは俺以上に苦労してるんじゃないか、と思ってね」

 

 エミリオが苦笑を浮かべる。そのままソウヤに背を向け、先ほどより明らかにゆっくりしたペースで歩き始めた。ソウヤはそれを追い越さないスピードで歩く。

 

「……自分は、苦労してる、なんて考えてません。……()()を、なんだかずるい方法で取ってしまったような自分が、苦労してる、などと言ったらバチが当たります」

「俺から見れば十分そう見えるぞ。式はまだだろうが、実質事実婚扱いでいいはずだ。なのに未だに嫁さんはマルティノッジ姓を名乗ることをやめようとしないし、あんな思いつめられたように戦われちゃな」

「……隊長にお会いになったんですか?」

「昨日な。夜戦が終わった後、姫様に呼ばれた時にあいつと話す機会があった。こんな感じで歩きながらだったが」

「そうだったんですか……」

 

 エミリオがうつむく。そんな彼に語りかけるようにソウヤが口を開いた。

 

「はっきり言って、あなたがエクレールに求婚するなんて考えもしてなかった。陰からあいつを支える存在だとばかり思っていたんだが……」

「……自分も、それを望んでいました。ですが、隊長にとって1番だった勇者様は……姫様をお選びになった。隊長は仕方のないことだから、と諦めているように言っていましたが……」

「諦めきれるもんじゃないだろうな。あいつがここに召喚される頻度が高くなるにつれ、エクレールと共に過ごす時間が増えた。そして少しずつ、自分の気持ちを氷解させて素直になっていった。わざわざあいつにきっと似合う、なんて言われた髪も伸ばしてな。……その上で自分の気持ちをきちんと伝えようとした矢先、あいつは姫様を選んだ。……エクレールの気持ちを考えると、諦めたくても、心のどこかでまだ未練があるんだと思う」

「勇者様が選んだ相手が、隊長が忠誠を誓う姫様という皮肉な形です。頭ではわかっているつもりでも、隊長は割り切れなかったというのもあったんでしょう。

 ……そんな隊長を見ているのが自分は辛かった。1番の支えである勇者様と一緒になれないとわかったあの人を、なんとか笑顔にしてあげたかった。……自分はその器ではないということはわかっています。わかっていてもなお、なんとかしたいと思わずにいられなかった……。隊長からすれば勇者様への当てつけという意味もあったでしょう。それでも……隊長が望むなら、自分はそれでよかった……」

 

 元々ゆっくりだったエミリオの歩くペースがさらに落ちる。放っておけば立ち止まってしまうのではないかと思うほどだった。

 

「……苦労してる、なんて自惚れたことを言うつもりはありません。隊長が望むようにしていただければ、それが自分の望みでもありますから」

「それでいいのか? あいつと結ばれることを望み、だから求婚したんじゃないのか?」

「……その気持ちがないと言ったら嘘になります。でも、そんな自分の気持ちより……隊長の幸せを願う気持ちの方が大きいんです」

 

 ソウヤが大きくため息をこぼす。そう、かつて同じように考えた人間を、彼は()()()()()()()知っているからだ。他人の幸せのために自分の思いを殺し身を削る。思えば、フロニャルドの人々、あるいはフロニャルドに()()人々はそんな人たちばかりじゃないかという気さえ起きてくるほどだった。

 

「……うまいこと立ち回ってエクレールを手に入れたラッキーボーイだとばかり思ってた。その評価は撤回するよ。……だが、真面目すぎるんだよ。あなたも、あなたの嫁も。真面目で堅物な似た者同士、お似合いの2人だと俺は思ってる。ただ、向いてる方向が2人とも全く別って致命的欠点のせいで、今こうなってるとは思うがな」

 

 エミリオが小さく笑ったような気がした。ソウヤがよくやる、鼻で嗤うような、自嘲的な笑み。

 

「……それでもいいんです。隊長が自分の方を向いてくれなくても、その向いた先に、隊長にとって明るい未来があるなら、自分はそれでいいんです」

「……クソ真面目め。馬鹿だよ、あなたは」

 

 吐き捨てるように、しかし言葉のニュアンスに嫌味は全く含まれず、ソウヤはそう呟いた。結局、自分の周りにいる人間はクソ真面目ばかりだったと改めて彼は思う。だがエミリオは聞こえていただろうに、それに反応するでもなく目的の部屋のドアを静かに開けた。

 

 フィリアンノ城応接間。来客に対応するための部屋である。名目上は公式な訪問とはいえ、ここまでしなくてもいいものをという考えが思わずソウヤの頭をよぎった。

 

「間もなく姫様が参られると思います。それまで掛けてお待ちください。……では自分はこれで」

「あ、エミリオ」

 

 ソウヤの呼びかけに部屋を出ようとしたエミリオが振り返る。

 

「今度酒でも飲もう。苦労する妻を持つ者同士で、な」

 

 エミリオのその顔に苦笑が浮かぶ。

 

「ガレットきってのおしどり夫婦と有名なデ・ロワ卿が何をおっしゃいますやら」

「こっちにはバナード将軍もゴドウィン将軍もいるんだ、うちはそこと比べたらおしどりどころかただの()()()()みたいなもんだよ。……公式にじゃなくプライベートで誘ってるんだ、杯酌み交わして話が合いそうな若い人があなたしかいないんだから、頼むよ」

「……考えておきますよ、()()()()()

 

 満足な回答だったのだろう、ソウヤが笑顔をこぼす。それに応える形でエミリオも笑顔を見せ、ドアから廊下へ出た。

 

「……では自分はこれで失礼します」

 

 エミリオの姿が消え、部屋にはソウヤが1人取り残された。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 4 勇者と元勇者

 

 

 応接間にミルヒが現れたのは、それからしばらく経ってからだった。扉を開けて秘書官のアメリタと共に部屋に入ってきた姫君を見て、ソウヤは立ち上がって軽く頭を下げる。ある意味で普段どおりの改まった態度の元勇者にミルヒは一瞬困惑し、座るように手で促した。が、ソウヤは立ったまま、ミルヒが椅子の前まで来るのを待っていた。

 

「お待たせしてしまってすみません、ソウヤ様」

 

 今度はミルヒが頭を下げる。

 

「いえ。こちらから急な訪問を申し出たのですから、お気になさらないでください」

「立ち話もなんですから、おかけになってください。今お飲み物を用意させますので……」

 

 そう言って彼女は腰を下ろす。本来は客人を先に座らせるべきとも思ったが、自分が先に座らなければ目の前の人は座らないだろうという考えに至ったからだった。案の定、ミルヒが座ったのを確認したところでソウヤもようやく椅子に腰掛ける。

 それとほぼ同時、まるでタイミングを見計らったかのように入り口のドアが開き、飲み物の乗ったカートと共に数名のメイド達が部屋に入ってきた。そのメイド達の長であるリゼル・コンキリエがソウヤに深々と頭を下げる。

 

「ようこそいらっしゃいました、デ・ロワ卿。お元気そうでなによりです」

「お久しぶりですリゼルさん。……2ヶ月前に来た時もそれほど畏まらないで以前のように話してほしい、と言ったはずですよ?」

「そうはまいりません。他国のメイド長である私如きが口を挟むのもおこがましいとは思いますが……貴方様は王族に婿入りしたのですから、そろそろ慣れていただかないと」

「やれやれ。まるでうちの家政婦に小言を言われてるみたいですよ」

 

 うちの家政婦、という単語に反応したのか、一瞬リゼルの眉が引きつったように見えた。

 

「あら。私ごときがそちらの優秀な家政婦殿に似てきたなど、あるはずがないではありませんか」

 

 思わずソウヤが苦笑をこぼす。

 今話題に上がったビオレと目の前のリゼル、実は互いに因縁浅からぬ仲である。ソウヤも以前から噂は耳にしていたし、つい2ヶ月前にはここで2人のやりとりも目にしていた。

 

 事の発端は5年ほど前に行われた、互いの国の宝剣を賭けてのビスコッティとガレットの大戦(おおいくさ)まで遡る。どんな手段を使ってでも宝剣を奪取しようと本陣に急襲をかけたビオレに対して、そこを守護していたのがリゼル。裏をかいたことでその時はリゼルに軍配が上がった。

 互いに「不覚を取らされた相手」と「本陣を狙ってきた無礼な相手」という認識であるために、その後も2人の仲はお世辞にも良いとはいえない。一度は模擬戦、という形で手を合わせたこともあるが、結果は引き分け。遺恨はまだ精算されておらず、互いに「食えない相手」と評価しつつも、もし戦場でまた自分達が相見えることがあればその時こそ互いの決着をつけるとき、という約束を交わしていた。

 目の前の彼女にとってあの優秀な近衛隊長はそんな相手だ、こんな風に言いたくなる気持ちはソウヤにもわからないわけではなかった。が、ここまでベタベタに言われたら苦笑をこぼさざるを得ないだろう。

 

「まったくビオレさんに対しては相変わらずなんですね。あなたたち2人の戦いの場を見れなかったことが、今でも悔やまれてなりませんよ」

「デ・ロワ卿の華麗なる戦いぶりに比べたら、私達の戦いぶりなどお遊戯にも等しいですわ。悔やむほどのことでもありません」

「美しい女性同士がじゃれ合う遊戯というのも、俺は嫌いじゃありませんよ。ますます見たくなった」

 

 リゼルが茶を注いでいる肩を僅かに震わせる。どうやら笑っているらしい。

 

「……やはり貴方様には敵いませんわ。さすがレオ様の心を射止めたお方、ですわね」

 

 ソウヤは何も返さず肩をすくめるにとどめた。リゼルが茶を注ぎ終えたところで、他のメイドがお菓子の乗った皿を机に置く。お茶請け、ということのようだ。

 

「それでは私はこれで。ごゆっくりしていってください、()()()()

 

 再び頭を下げ、リゼルとメイド達が部屋から出て行く。今のやり取りからどうにもいいように遊ばれてる気がする、とソウヤは感じていた。だが嫌いではない。王族に婿入りした、ということで気を遣う人は多いが、エクレールやリゼルのように今までどおりに、もっと砕けて言えばフランクに接してくれるのはソウヤとしては嬉しかった。

 しかしリゼルの言葉の通りいい加減慣れなくてもいけない。わざわざ最初は意地悪くデ・ロワ卿などと言ってきたのは彼女なりの思いやりもあるのだろうとも彼は考えていた。

 

「……さすがですね、ソウヤ様」

 

 だが、フランクに接してくれるのが嬉しい、ということは、目の前にいる姫君と話す、となればどうにも気が張ってしまって得意ではない、ということになる。最初から対等のような立場で話しかけてきてくれたからか、レオにはそんなことは感じなかった。

 ところが、目の前の姫君にはどうにも緊張感を感じざるを得ない。レオが姫らしくない、というのもあるだろうが、こちらはまさに絵に描いたような姫。いくら今では入婿の一応王族扱い、とはいえ、元が庶民でしかないソウヤからすれば気後れを感じてしまうのだ。

 だから、リゼルが出て行った後でミルヒにかけられた言葉にソウヤは反射的に身を固くしてしまい、「さすが」と褒められたのが何か思い当たらなかった。

 

「……何がです?」

「いえ、今のリゼルとのやり取りです。私だったら褒められたら恐縮に思ってそこで会話が途切れてしまうでしょう。ですがソウヤ様は見事にお返しになった。真似たくてもできない、と感心したのです」

 

 思わずソウヤはため息を1つこぼす。こんなのは感心するべきではない。ましてや真似るなど。生粋の王族の出であり、天真爛漫で純粋無垢な性格の彼女にはまったくもって無用の長物、いや、むしろあってはいけないものだ。

 

「真似るべきではありませんよ。さっきのはひねくれ者の問答にすぎません。姫様は私とは違うのですから、明るく真っ直ぐに自らの道をお歩きになれば、それでいいと思います」

「明るく真っ直ぐに……ですか……」

 

 言ってから言葉を選び損ねたか、とソウヤは後悔する。両親の行方がわかっていない娘に「明るく生きろ」というのは酷だったかもしれない。

 だが、ミルヒは特にそれ以上気にした様子は見せなかった。

 

「そうですね。誰かを無理に真似ても仕方ないかもしれないですね」

 

 ミルヒの笑顔を見てソウヤは考えすぎか、と一旦胸を撫で下ろす。が、同時にその笑顔を不憫に思わずにもいられなかった。今の彼女はどうしても無理をして笑顔を作っている、と見えたからだ。

 

「……お忙しいところを時間を割いていただいてるんだ、本題に入りましょうか」

 

 そんな彼女を見るのが辛いというのが半分、それでも無理をしようとして空回ってしまう彼女に、また昨日のように辛辣な言葉を吐いてしまいかけないという懸念が半分。だからソウヤはさっさと今日来た本来の目的を済ませておこう、と思ったのだった。

 復帰の挨拶をしてこい、とガウルに言われてはいたが表向きの訪問目的はガウルから預かった親書を手渡すことだ。ソウヤは懐にしまっていたその書簡を取り出そうと、騎士服の胸ポケットへ手を入れる。

 

「本題ですか? 復帰の挨拶にいらしたと思っていたのですが……」

「まあ本当のところはそうです。が、表向きはこの親書を姫様に渡して欲しい、という遣いが訪問の目的になってますからね」

 

 そう言ってソウヤは書簡をミルヒへと手渡す。ミルヒはそれを受け取り、確かにガレットの蝋緘(ろうかん)が捺してあること、ガウルのサインが入っていることを確認して傍らに立つアメリタへと一旦渡す。慣れた手つきでアメリタは封を破り、中身の書状だけをミルヒへと返した。内容に目を通した後で、彼女は数度目を瞬かせ、ソウヤのほうを見つめなおす。

 

「ソウヤ様はこの内容については?」

「いえ、まだ存じ上げていませんが」

「そうですか。……内容を掻い摘みますと、8日後、ビスコッティとガレットで戦を行いたい、と書かれています」

 

 8日後。そう聞いただけでソウヤは自国の領主が意図していることを察知して苦笑いをこぼした。

 今日は地球の曜日で言うと金曜日。つまり8日後は1週間と1日後であるから土曜日。その日なら今まだこの世界に来ていない勇者が来ている、つまり週末の日となるだろう。ソウヤの正式な復帰戦では元勇者対現勇者の戦いを放送したい、という狙いらしい。

 

「姫様はどうなさるおつもりで?」

「勿論お受けしたいと思っています。アメリタ、私の予定は大丈夫ですよね?」

「どの道勇者様がいらっしゃる日と思っておりましたので、スケジュールは控えめにしてあります。問題はないでしょう」

「でしたら喜んでお受けいたします。この2ヶ月間、国外との戦は自粛してきましたが、ソウヤ様の両国民にお披露目となる復帰戦であれば、ビスコッティとしても大いに盛り上げねばなりませんから」

 

 前領主が行方不明となってからの2ヶ月、ビスコッティでは3度内戦が起こったものの、国外との戦はミルヒの言葉通り自粛してきていた。ガレットは空気を読んで布告すら行わなかったが、他国から数度の布告はあったらしい。しかしミルヒはそれを丁重に断っていた、とのことだった。

 

「……責任重大ですね。そんな節目の戦が、放送される復帰戦になるとは……」

 

 ビスコッティの人々にとっては久しぶりの国外との戦だ。否が応でも期待は高まることになるだろう。

 

「気を張る必要はないではありませんか。先ほどリゼルが言ったように、いつも通りの華麗な戦いぶりを見せていただければいいのですから」

「華麗なのは私ではなく、お宅の勇者でしょう」

 

 目の前のティーカップを手に取り、ソウヤはお茶を口に運んだ。昨日も砦で味わったものだが、香り、風味とも格別に思える。やはり無骨な砦よりも格調高い城内で飲むものの方がどうにも味わい深くなるらしい。

 

「そんなことはありません。昨晩のソウヤ様の戦いを砦の窓から拝見させていただきました。単騎で突撃をしながら、次々と相手をだまへと変えていく見事な戦いぶり……。やはり『蒼穹の獅子』の名は伊達ではないということを再度認識させていただきました」

「よしてください。あれは奇襲です。誇れる戦い方ではない。それに単騎といっても後方からベールには直接援護をさせていたし、隊の弓による援護もあった。全て1人でやったわけではありません」

「だとしても、あの時ソウヤ様が助けにいらしてくださらなかったら、私は今頃『誘拐』されていて、こうしてお話している時間はなかったと思います。……その点で改めて御礼を言わせてください。ありがとうございました」

 

 頭を下げたミルヒを、ソウヤは困り顔で見つめていた。

 

「本来は私の仕事ではなかったのですが……。()()()が来てなかったんで、代わりだったとでも思ってください」

「代わりだなんて……」

「ところで、そのあいつは今日来るんですよね?」

 

 その話題にミルヒの表情が明るくなる。わかりやすいことだ、と思わずソウヤはため息をこぼしかけた。

 

「はい。このあと夕方前に来てくださいます。明後日用事があるとの事で明日の夕方には帰られてしまうということでしたが……」

「まったく忙しい奴だ」

 

 皮肉を込めてソウヤがポツリと呟く。

 

「そうですね……。でも向こうの世界でも勇者のように活躍しているということですし、仕方ないと思っています」

 

 その皮肉はミルヒには通じなかったらしい。続けて彼女はソウヤに問いかける。

 

「ソウヤ様、今日はシンクに会っていかれますよね?」

 

 あたかも当然、と言わんばかりの質問。親書を渡したらさっさとヴァンネット城へ戻り、遊撃隊の編成をベールと話し合うつもりでいたソウヤは完全に虚を突かれた形になって一瞬固まった。

 

「……私も何分忙しい身ですので……」

「そうおっしゃらず……。2ヶ月前に会ったきりですよね? シンクも会いたがっていましたし……。 ガウル殿下には後で私の方からその旨を伝えて、少々お帰りの時間を遅くしていただきたいというお願いの連絡をいたしますので……」

 

 まいったな、とソウヤは視線を外して考え込む。確かにシンクと最後に会ったのは2ヶ月前、ビスコッティ先代領主夫妻が行方不明になったと聞いたときの慰問訪問以来だ。

 久しぶりに会いたい、という気持ちはある。が、それ以上に顔を合わせたら「お前は何をやってるんだ」と弟分の彼に詰め寄ってしまいそうな気がする。「いつまでもお客様でいるな」「そろそろ腹をくくれ」。本音を言えばそう言いたい。シンクがミルヒとの口約束の婚約をちゃんと受けて結婚する、と表明すれば、空回りしつつも必死に頑張っているミルヒの華奢な両肩にかかる重みはいくらかマシになるだろう。加えてその明るいニュースによって、今ビスコッティに蔓延りつつある不穏な空気も払拭されるかもしれない。

 しかしミルヒが「仕方なく」という形での解決を望んでいない。シンクにはシンクの、地球での生活がある。だから自分のわがままでそれを奪い去ることは出来ない。だがシンクとはいつか結ばれたいと思っているのは事実だ。それでも今すぐに、というつもりはないらしい。

 シンクもシンクで結婚という事の重大さぐらいはわかっている。だから勇者として往復生活をしてる間は受けられない、と正式回答を保留しているのだった。

 

 結果が現在の様相だ。自分が悪役になってシンクを煽ることでこの問題が解決するなら、喜んでソウヤは悪者のレッテルを貼られるだろう。だが事はそう単純ではない。シンク1人を責めて済む問題ではなくなってしまっている。

 そうわかっていても当の本人と会ったら、やはりソウヤは自制し切る自信がなかった。現に昨日はミルヒに「昼行灯(ひるあんどん)」と暴言を吐いたのだ。あの場にレオがいたら、ミルヒが止めていても殴り倒されていただろう。

 だからこのまま帰りたい。が、ミルヒの頼みを反故にしたらしたで領主やら前領主やらに何かと突っ込まれかねない。

 

 仕方ない。領主殿はさっさと帰って来いとは言わなかった。むしろ適当にゆっくりして来いと言っていたはずだ。ならそれに従うか、とソウヤは考えを決めた。

 

「……わかりました。帰るのはあいつに会ってからにします。連れて来てる騎士達とノワールにも伝えていただけると助かります」

「はい。ではガウル殿下には私の方から……」

「ああ、それは私がやります。わざわざ姫様の手を煩わせた、となれば帰ってから何を言われるかわかりませんから」

 

 冗談のような口調で、だが内容はありえることだと思いつつソウヤは答えた。それを聞いたミルヒは苦笑しつつ、ここでようやくカップを口に運んだ。冷めてきているであろうが、一段落突いたからだろうか。あるいは姫様は()()かと思ったソウヤだったが、我ながらナンセンスな発想だったと笑いを噛み殺し、ごまかすようにカップの中身を空けた。

 

「そういえば……。2ヶ月前に話しそびれてしまいましたが、レオ様とは新婚旅行に行かれてらしたんですよね?」

「ええ。半年前には戻ってきてましたので、実質半年間ですが」

「周辺各国を回られたと聞きましたが……」

「ビスコッティ、ガレット、パスティヤージュにドラジェ……。周辺各国の名所を巡らせていただきました。……ああ、その際トランペ……じゃなかった、()()()()()()()()()()()()様の貴重なアドバイスはとても助かりましたよ」

 

 かつては「トランペ旅行代理店」という別名で呼ばれることもあったアメリタが困ったように笑顔を浮かべる。ミルヒのコンサートツアーや遠征の際、宿やその土地の名所などを調べているうちに情報通となってしまった彼女は、いつしかそんな名で呼ばれて旅行のコーディネートをするようになっていたのだった。

 4年前にミルヒを中心に仕組まれた()()がきっかけで騎士団長のロランと結婚した彼女だったが、今度は「マルティノッジ旅行代理店」と呼称が変わり、なおもその信頼は厚いものとなっている。ソウヤもその噂を聞いていたレオの提案で新婚旅行の旅程を相談し、結果として満足して旅行を終えることが出来たのだった。

 

「ガレットの先代領主伴侶様に喜んでいただいたとあれば、私としても光栄です」

「そのうち義妹の新婚旅行もコーディネートしてあげるといいんじゃないですか。……いつになるか見当もつきませんけど」

 

 少々嫌らしかったか、と自分でも思う。しかしアメリタは渋い表情で作り笑いを返した後、視線を下に落としただけだった。やはり彼女の兄、つまりアメリタにとっては夫に当たる人物から色々と聞いているのだろう。この後時間があるだろうからロランに会うのも悪くない、ソウヤはそのように思った。

 

「お子様は、お元気ですか?」

 

 再びミルヒが尋ねてくる。

 

「ええ、おかげさまで。レオは大分手を焼いてるようですが……やはり自分の子というのはかわいいものなのでしょう。毎日幸せそうですよ」

「そうですか……」

 

 ミルヒが再びカップに口をつける。

 ソウヤとしては「だからさっさと結婚して子を産むといいですよ」と付け加える言葉が喉まで出掛かっていた。実際、レグルスが家族に加わってからというもの、レオは確かに変わっていった。元々は勇猛で勇ましい女帝、などと見られることが多かったレオだが、今ではそこに母性の優しさ、慈愛と言っていいような部分も見え始めてきていた。

 だから結婚もそうだが子というのは大きな契機となる、とソウヤは考えていた。細かい悩みや問題ごとなど全部ほっぽり出して、さっさと結婚して生まれてきた自分の子の顔を見ればいい。そうすればその天使の笑顔の前では、これまで悩んでいたことがどれだけ些細な事柄だったか、と気づくだろう。

 

 以前ソウヤは「結婚は人生の墓場」という話をチラリとガウルに話したことがあった。その時は「1人のときより不自由になる」という程度の認識だったが、今は違う。

 「人生は旅である」と言った人がいたはずだ。それなら「結婚とは旅の終着点」と言い換えられるのではないか。だからソウヤはこう考えていた。「旅は終わり、しかし自分に守るものができた。だからこれからは旅するのではなく、守るべきものを守り、そして次の旅人を見守っていくのだ」と。

 かつては生きる意味すら見出せなかったような人間がここまでの考えを持てるようになったのだ。愛する人と結ばれること、子を持つことの影響力は誰よりも強く気づいている。だからこそ、「さっさと結婚しろ」と言ってやりたい。

 

「では、レオ様のご復帰はもう少し先になるんですか?」

 

 しかし目の前の姫様はそんな自分の心中など全くわからないだろう。子供についての話題に特に深く切り込まず、今の質問に切り替わったことでソウヤはそう思うに至った。

 

「そうですね。……と、言いたいところですが、レオの奴はさっさと戻りたいみたいです。個人的にもう少しのんびりしてもらっててほしいところなんですが」

「復帰されたら……休養前同様に顧問役か相談役といったところでしょうか?」

「さあ……。一騎士に留まらせてもらっている私にはなんとも」

 

 事実、ソウヤは先代領主伴侶、現領主義兄という立場でありながら一騎士の立場だった。望めばもっと高い地位には就ける。だがあくまで現場主義のソウヤがそれを好まなかった。

 

「ソウヤ様ももっと高い地位にお就きになってもいいと思いますが……。あ、今は部隊長ですか?」

「今日辞令を受け取りまして、新設される遊撃隊の隊長をやらせていただくことになりました。弓術師隊の再編ということですので、あの方はわざわざポストを用意してくれたってわけです」

「ガウル殿下なりのお気遣いなのでしょうね」

 

 やんちゃ坊主もいらないところの気を遣ってくるようになった、とソウヤは感じていた。だが、まあ彼なりに感謝はしている。もっと地位の高い面倒な役職に就けることもできただろうが、現場に残してくれたのだから。

 

「……すみません、姫様。そろそろ国営放送の方に向かわねばならないお時間が近づいてきましたので……」

 

 と、アメリタが会話に割って入ってきた。

 

「申し訳ありません、ソウヤ様。もっとお話したかったのですが、時間みたいです」

「気になさらないでください。時は金なり、大抵高貴な方というのはお忙しいものですから」

 

 ミルヒが立ち上がり、ソウヤもそれに合わせて立ち上がる。

 

「ではシンクが来るまでごゆっくりなさっていってください。エクレールは訓練を見てると思われますので、よろしかったら顔を出してあげてください」

「煙たがられそうですけどね」

「そんなことありませんよ。そういう態度を取るのは、彼女なりに貴方を信頼している証拠だと思います」

 

 言い返せずソウヤは肩をすくめる。その様子に思わずミルヒがクスリと笑いをこぼした。

 

「夕方、シンクの召喚のために戻ってきます。……それでは後ほど」

 

 深く頭を下げ、ミルヒは踵を返した。アメリタを連れ立って部屋を後にし、入れ替わるようにリゼルとメイド達数人が部屋に入ってくる。

 

「ソウヤ様、城内の案内役は私が務めさせていただきます。そちらの優秀な家政婦殿ほどではないかもしれませんが……」

「どれだけ根に持ってるんですか、あなたは」

 

 思わず苦笑を浮かべるソウヤ。だが特にそれを気に留めるでもなく、リゼルは普段通りのメイドスマイルを浮かべたままだった。

 

「それで、この後はどうされます? 騎士団の方にでも?」

「いや、まずガウ様と連絡を取らせてください。シンクと会ってからとなると帰るのが少々遅くなりそうなので、その辺を伝えておきたいです」

「かしこまりました。では私に着いて来て下さい」

 

 食器類をカートに乗せて片付けるメイド達を尻目に、リゼルに言われた通りソウヤはその後をついていく。

 

(あの人のことだ、「じゃあついでに泊めてもらってこい」とか言い出しそうだな……)

 

 例えそう言われても突っぱねて帰るつもりである。昨日言ったとおり、やはり愛する家族の顔を見たいというのは世の男どもの普遍的な願いだと思うからだ。

 

「そういえば、隠密2人に挨拶に行きたいとは思っていたのですが……。今は旅でしたっけ?」

「そうですわね。1年ほど前からかしら。ダルキアン卿もユキちゃんも、狩人としての使命がありますからね」

「じゃあ帰ってきてから顔を出すことにするか……」

 

 今話題に上がった2人、ビスコッティの隠密である頭領のブリオッシュ・ダルキアンと筆頭のユキカゼ・パネトーネは「魔物の狩人」という裏の顔も持っている。かつてはソウヤもその2人の裏の顔を見たことがあっただけに、時折旅に出ることがあるというのは納得であった。

 

「おお、ソウヤ殿。来ていたという話は聞いていたが……丁度いいところで会った」

 

 と、ふと聞こえてきた声にリゼルもソウヤも足を止める。声の主はビスコッティ騎士団の苦労人騎士団長、ロラン・マルティノッジだった。

 いや、ひょっとしたら苦労人、というのは合っていないかもしれない。もう彼はアメリタと結婚して4年になる。忙しいのは相変わらずのようだが、それでも随分幸せそうだという話はミルヒからレオを経由してソウヤの耳にも入ってきていた。

 

「お時間があるなら、話したいことがあるんだが……よろしいか?」

「ええ、構いませんが……。ちょっと本国に連絡をいれなくてはならないので、その後でもいいですか?」

「ああ、そのほうがいいと思う。……少々混み入った、長話になりそうだからね」

 

 やはり苦労人というのは相変わらずか、とソウヤは思い直した。話したい内容など容易に想像がつく。婚約しておきながらいつまでも結婚しない妹の話だろう。自身も()()()()で挙式され、その上妹もあの有様では結局苦労人という立場からは逃れられない運命にあるらしい。

 

「わかりました。……リゼルさん、その時はお茶お願いします。本当に長い話になりそうですからね」

 

 どうやら中庭に顔を出す時間は取れないらしい。まあ致し方ないか、とソウヤは肩をすくめてため息をこぼした。

 

 

 

 

 

 夕刻。案の定、いや、予想以上に長引いたロランとの対談を終えたソウヤは、疲れた様子でリゼルが案内した部屋に入りソファに腰を下ろした。腰掛けると同時に反射的にため息がこぼれる。

 

「ご苦労様です、ソウヤ様」

 

 その彼女は部屋の入り口にたったまま、声だけをかけてきた。

 

「……疲れましたよ、本当に」

 

 そんなソウヤの様子を見てもリゼルは笑うだけだった。疲れが出るような内容だったのは把握している。茶を差し入れた際に2人の要望でそのまましばらく談義に入っために内容を大方察しているのだ。それはため息もこぼしたくなるだろうと思う。

 

「まあよいではないですか。騎士団長はソウヤ様に相談できて随分と晴れ晴れとしたご様子ですよ」

「……俺は全く逆なんですけど」

 

 そう愚痴り、もう1度ソウヤはため息をこぼす。どうにも最近厄介ごとに首を突っ込む習性がついてしまったのかもしれない。あるいはそういうのを呼び寄せているかのどちらかか。そんなのはこの国の勇者殿の幼馴染だけでいいだろうがよ、とソウヤは心の中で一人ごちらずにはいられなかった。

 

「もう少々お待ちください。今姫様が召喚台から戻って来られるところらしいですので」

「わかりました。それはいいですが……ここはあいつの部屋ですよね? いいんですか、部屋の主が来るより先に俺がここにいて」

「構わないでしょう。兄弟のようなお二人の仲ですし。それに勇者様と話された後は、麗しの家政婦の手料理をお食べになるために夕食は摂られずにお帰りになられるんですよね?」

 

 相変わらずビオレの話題となるとリゼルの言いようはこれだ。

 

「……棘ありすぎますよ? でもまあそのつもりです」

「でしたらこちらにいらした勇者様と最も早く会えるであろう場所はここでしょうし。……あら?」

 

 リゼルが視線を廊下へと移す。どうやら早くも待ち人は来たらしい。

 

「いらっしゃったようです。では私はお茶の用意を……」

「いえ。さっきの騎士団長のように長話をするつもりはありません。ですので結構ですよ」

 

 少々意外そうな表情を浮かべたリゼルだったが、

 

「……かしこまりました。では私はこれで」

 

 一礼し、入り口から遠ざかった。ややあって小走りな足音が近づいてくる。リゼルから話を聞いて駆け出したのだろう。まったく手に取るようにわかりやすい奴だ、とソウヤは息を一つ吐いた。

 

「ソウヤ……?」

 

 ドアが開くと同時、名を呼ばれたソウヤは声の主の方へ視線を移す。最初に会った時はまだあどけなさの残る顔だったが、()()()となった今はきりりと引き締まり、しかし髪は昔と変わらず鮮やかな金髪。一方で身長は伸び、体格も細身に見えながらしっかりしてきた彼を一瞥してから、ソウヤは口を開いた。

 

「よう、シンク。久しぶりだな」

 

 声をかけられたビスコッティ勇者、シンク・イズミはその声の主を懐かしむように見つめる。そして自分が部屋に入ったときに名を呼んだ友人だと改めて確認すると表情を明るくした。

 

「ソウヤ! 久しぶり!」

 

 嬉しそうにシンクは部屋へと駆けて入り、荷物をベッドへと放り投げる。次いで自分の腰もベッドへと投げ出した。

 

「ああ、この間の慰問訪問以来……2ヶ月ぶりか」

「そうだよね、あの時も久しぶりだったけど……」

「悪いな、お前の部屋なのに先に入って待たせてもらった」

「いいよいいよ、そんなの気にしないで。……召喚台から来る途中で姫様から色々聞いたよ。休暇を終えて、遊撃隊長で復帰したんだって?」

「まあな。役割としては近衛隊と親衛隊の中間みたいなものらしい」

「そっか。親衛隊に近い……ってことは立場が近いエクレは喜ぶんじゃないかな。もうそのことは話してあげた?」

 

 まったくこいつは、とソウヤは気づかれないように瞼を一瞬引きつらせる。彼女が喜ぶのは自分と話すことではない、貴様と話すことだ、と言ってやりたい。いや、それはもう過去の話か。今のエクレールからすれば逆にそれは苦しいことかもしれない。

 最初に再会の喜びを味わったのも束の間、ソウヤの心は早くも沈みつつあった。目の前の勇者は自身も厄介ごとの渦中にいる、という認識はないのだろうか。周りの人間ばかりが気を遣って、当の本人にこれだけあっけらかんとされているとどうにも腹の虫が収まらない部分はある。

 まずいな、とソウヤは心を落ち着かせることにする。ここでシンクに当たっても状況は何も改善しない。それはわかりきっていることだ。自分はここには復帰の挨拶に来ただけだ、と言い聞かせる。

 

「……いや。昨日の夜戦で会ったきりだ。ガウ様から辞令を受けたのが今日だし、お前を待たせてもらっている間も時間が取れなかったからな。もっとも、俺がどうなろうとあいつにとっちゃそこまで興味の対象じゃないだろうよ」

「そうかなあ……。この後行ったらいいんじゃない?」

「こう見えて色々と忙しいんだよ。悪いがお前との話も適当なところで切り上げて帰らせてもらう。……ま、待ってる家族のためにもさっさと帰りたいってのが本音だ」

「そっかあ……。ソウヤとレオ様、もう夫婦でしかも子供までいるんだもんね……」

 

 シンクが遠い目をする。彼自身がそうなる、という景色は描けていないのだろう。そう認識したところで、数秒前に自制しようした心は早くも消え失せ、ソウヤは切り出していた。

 

「お前も結婚すればいいだろ」

 

 予想していなかった、と言わんばかりにシンクがソウヤを見つめる。

 

「姫様との婚約は口約束でだがしたんだろう。だが正式な回答は保留にしてほしいと。……だったら今すぐにでも正式に回答すればいいだろ」

「……気楽に言ってくれるね」

「ああ、言わせてもらう。俺はもう既婚者だしな」

 

 そのソウヤの言葉に、シンクにしては珍しく自嘲的な笑みを浮かべた後、視線を床に落とした。

 

「……できるならそうしてるよ。でも……僕は地球での生活も捨てられない……」

「なら結婚しても勇者でいればいい」

「出来ないよ。……そんな常に傍らにいることのできない人間が姫様と一緒になるなんて……ダメだと思う」

「……そこまでわかっていて、お前はなんで姫様の婚約の申し出を受けようと思ったんだ?」

「だって……姫様は僕のことを大好きだと言ってくれた。僕だって姫様のことが大好きだ。だから一緒になりたい気持ちはある。……だけど……僕には地球での生活もある。自惚れかもしれないけど、僕に期待してくれる人はたくさんいる……。そんな人たちの期待を裏切ることは出来ない。だからずっとここにいるのも難しいけど、それでも姫様のことは大好きだし、ってなって……いつも同じところをぐるぐる回っちゃってるんだ……。

 僕が欲張りだって言うのはわかってる。きっとどれかを捨てればなんとかなるんだ、って。……でも、捨てられないんだ。姫様のことも、地球での生活も。だから……どうしたらいいかわからなくて……ずっと保留したまま今日まで着ちゃってるんだ……」

 

 思わずソウヤは舌打ちをこぼし、小さく「クソッ」と呟いていた。それは優柔不断なシンクに対する苛立ちだったのか、それとも状況がわかってしまっているだけに同情を禁じえないと思った哀れみだったのか。いや、ひょっとしたら本人が「どれも捨てられない」といいつつも、気づかぬうちにエクレールを「捨てた」ことに対する憤りだったかもしれない。

 自分でも言い表しようのない混迷の心を抑えつつ、ソウヤは再度シンクに尋ねた。

 

「……じゃあ姫様との結婚……いや、正式な婚約発表でいいか。それはまだ当分できない、ということだな?」

「……そうなるね。本当は大学卒業まで、あと3年ぐらい待ってほしいけど、そんな悠長な余裕は……」

「ああ、はっきり言うがないな。姫様ももう20歳だ。いい加減相手を見つけないといけない限界の時期にさしかかりつつある。……お前もわかってるんだろう、フロニャルドは俺たちがいた地球よりも低い年齢から一人前とみなされる。地球、とりわけ日本じゃ20歳の結婚は早いほうかもしれないが、ここじゃもう遅いぐらいだ。ましてや姫様は王族だ。結婚は非常に重要なこととなる」

 

 そう言ったソウヤに対し、シンクはグッと拳を握り、搾り出すように返事を返す。

 

「わかってる。……わかってるけど」

「やっぱりすぐには答えは出ない、か。……わかった。悪かった、お前もわかってることだってのに急かしちまって。ただ、理解してるだろうが時間はない。納得いく答えをなるべく早く出せ。……まあどうせ後悔するなら『いい後悔』をするように……いや、お前には是非とも『後悔しない道』を歩いてほしいがな」

「……らしくないね。現実主義者のソウヤなら最後みたいなことは言わないと思ってたけど」

「俺自身の選択でならそうする。……現に俺は()()()()()()ここにいるんだ。だがお前を見てると……あれかこれか、ではなく、あれもこれも、って答えを出してくれる気がするんだよ」

 

 先ほど言った「らしくない」という言葉が、再びシンクの頭をよぎっていた。自分に厳しく、同様に他人にも厳しいソウヤにしては珍しい。

 

「本当に珍しいね。ソウヤがそんなことを言うなんて……」

「……言っておくが、俺だってここに永住すると決めた時にまったく後悔をしなかったわけじゃない」

「え……? そうなの……? なんか早い段階でここに永住するって決めてたって聞いたけど……」

「心はそう決まっていた。……だがやはりいざ故郷を捨てる、となると……覚悟がいったさ。今だって時々西洋にかぶれたビル群の日本の風景を懐かしく感じることはあるし、育った町並みを夢の中で見ることもある。あの安くて味の濃いハンバーガーや牛丼だの、汗をかきながらすするラーメンだのが恋しくなる時だってあるし、インターネットでくだらねえ動画を見たりしょうもねえテレビ番組を見たり……。まあここでもテレビに似たものはあるが、それでもそういうものを思い出すと……心の中じゃ完全には捨て切れてないんだな、っては思うさ」

 

 言葉通り、ソウヤは故郷を、日本での生活を基本的に完全に捨て去ってフロニャルドに来ていた。高校卒業と同時に親の代わりとしてここまで面倒を見てくれた親戚に礼を述べ、「これからは自分1人で生きていけるから大丈夫」と言い残し、地球を去った。それ以来1度も戻ったことはない。まったく戻ることができない、というわけではない。だがソウヤは自身を耳と尻尾がなくてもフロニャルド人だ、と言い張っている。だから一時的にも戻るつもりはなかった。ある種の意地とも言えるだろう。

 シンクは、ソウヤはなんの心残りもなく永住を決めたとばかり思っていた。だからこそ、「心の中じゃ完全には捨てきれない」という言葉は意外だった。

 

「だから、お前には俺と同じ苦悩は味わって欲しくない。とはいえ、そんな理想的な方法なんて基本的にないわけで、まあ難しい話なんだがな……。でも、俺はお前ならそんな問題も全部解決しちまうんじゃないか、なんて勝手に期待を抱いてるんだよ」

「僕には……そんなことはできないよ。でも、どうしてそう思うの?」

 

 フッと小さくソウヤは笑った。

 

「決まってんだろ。『勇者だから』だよ」

 

 思わずシンクも苦笑をこぼす。実にナンセンスな回答だ。言った彼自身が元は勇者だ、説得力も何もあったものじゃない。

 

「……まあいい。こんな話しか出来ずに悪いが、俺はそろそろ帰る」

 

 藪から棒に、ソウヤは帰ることを告げた。

 

「もう? 一緒に夕飯食べていけばいいのに……」

「あいにくうちには優秀な家政婦がいるんだよ。俺の夕飯はあの人の手料理と決めている。それに……愛する家族も待ってるからな」

「そっか……」

「羨ましいと思うならさっさと結婚しろ。今の悩みがどれだけ些細だったかよくわかるぞ」

「もしかしたらそうかもしれないけど……でも……」

「ああ、いい。わかってる。……お前の気の済む、お前自身の答えを出せ。出来ることならなるべく早く、な」

 

 そう言うとソウヤはソファから立ち上がった。シンクもつられるように立ち上がる。

 

「送ろうか?」

「いや、いい。明日には帰ると姫様から聞いた。俺にこれ以上時間を割くぐらいならこの国の人たちと過ごしておけ。……それから次の戦の話、姫様から聞いたか?」

「うん。来週の土曜日だよね?」

「ああ、8日後だ。俺にとっちゃ放送される復帰戦になる」

「……そっか」

 

 シンクがどこか嬉しそうに呟く。彼はわかっている、自身が戦うことになるのはおそらく目の前のこの同郷の人間であるだろう、と。

 

「いい加減休養前は負けが込んでたからな。そろそろ勝たせてもらうぞ」

「僕だって負けないからね」

 

 そう言って不敵に笑ったシンクを見て、ソウヤは内心少し安心していた。今日はきつく言い過ぎた、とはわかっていた。わかっていてもなお言わざるを得ない状況だったために、やむなしと思って苦言を呈した。ひょっとしたら恨まれるかもしれないなと思っていたが、取り越し苦労だったらしい。戦のこととなればケロッとした顔になるこの男は、やはり自分や自分の妻同様の戦馬鹿なのだろうとソウヤは改めて思う。

 

「それでいい。……さっきみたいにしょげられてるとこちらとしても張り合いがないからな」

 

 痛いところを突くソウヤにシンクは苦笑を返す。言った当の本人は全く気にする様子もなく、軽く右手を上げて背を向け、廊下へと出た。シンクもその背を追いかける。

 

「じゃあな、勇者。8日後の戦、楽しみにしてるぜ」

 

 「じゃあね」とシンクも挨拶を返す。が、ソウヤは振り返ろうとせずにそのまま離れていった。

 角を曲がって背中が消えるまでシンクはその背を見送り、やがて表情を沈める。

 

「ソウヤの……皆の言いたいことはわかってるんだけどね……」

 

 「勇者」としてぶつかった現実と苦悩。そんな葛藤を込めてシンクは一言呟いた後、俯いたまま廊下から自室へとその姿を消した。

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

 ソウヤにとって現在の我が家である別荘に戻ってきたのは夕暮れが過ぎようかという頃だった。帰り際にミルヒに挨拶を交わした後、フィリアンノ城から少し速めにセルクルをとばしてヴァンネット城へ戻り、報告を済ませた後は全速力でここまで走ってきていた。おかげでヴィットはやや疲れ気味のようだが、それはこの後の休息で回復してくれるだろう。

 

「お帰りなさいませ、ソウヤ様」

「お、今日は早かったの」

 

 昨日と違い、今日の出迎えは2人……いや、3人だった。ビオレにレオ、そしてレオに抱かれたレグルスという全員での出迎えである。

 

「……何してるんだお前?」

 

 家に入るなり開口一番、怪訝な表情でソウヤはレオにそう尋ねる。確かに彼女はレグルスを抱いていたが、特に何をするというわけでもなく、ただ立ってビオレの様子を窺っていたのだった。

 そのビオレはというと夕食の準備中。一旦ヴァンネット城に戻った際にソウヤから「今から全速力で帰る」という連絡を受けてから準備を始めたため、完成までにはもう少しかかりそうである。

 

「ビオレの料理の様子を見て、真似られるところは真似たいと思ったからな」

「お前……料理する気か?」

「いけないか?」

 

 ムッとしたようにレオが返す。

 

「やめとけ。確かに手とか怪我しながら料理して『一生懸命作ったの』なんて言われるのは男としてはグッと来るものが……いや待て、ここじゃ怪我もしないのか?」

「……お前ここに住んで何年じゃ? するわけなかろうが」

「ならなおさらダメだ。風情も何もない。どうせ俺が読んだことのある小説みたいに台所を吹っ飛ばすのがオチだろ」

「おい、お前はワシをなんだと思っておる?」

 

 さあね、と言いた気にソウヤは両手を広げた。「おい!」と呼ばれるレオの声を無視して寝室へと足を進める。

 

「着替えてくる。文句はその後受け付けてやるよ」

 

 寝室へと入りつつ、まったく今日は話し疲れる1日だったと振り返る。最初のガウルはまだしも、その後フィリアンノ城に行ってからのミルヒ、ロラン、シンクの3連続対談、さらには帰りのヴィットの全力疾走によって、ソウヤは冗談抜きで疲れていた。このままベッドに飛び込んで寝るのも悪くないとは思う。

 が、この後は家族団らんの時間だ。少々強気だが美人な妻とそれに劣らぬ家政婦、それに愛する我が子と共に食す夕食は格別の時間だろう。それを思うと寝るのは勿体無い、と着替えを終えたソウヤは寝室を後にし、3人の待つ台所へと戻ってきていた。

 

「戻ったぞ。で、文句は何だ?」

「もういい。忘れたわ」

 

 不機嫌そうに返すレオ。

 

「……おお、そうじゃ。ソウヤ、ちとレグの面倒を見ておいてくれ」

「俺がか? 別に構わないが……なんでだ?」

「せっかくじゃ、ビオレに直々に手ほどきを受けたいと思っての」

 

 いたずらを思いついた子供のようにレオが笑顔になる。それに思わずソウヤとビオレは苦い表情となった。

 

「……どうします、ビオレさん?」

「まあ……レオ様がそうおっしゃってますし……無下にもできませんので……」

 

 ハァ、とソウヤはため息をこぼしてレオのほうに腕を伸ばす。

 

「レグ預かって居間で待ってるよ」

「ああ。それがよかろう」

「……くれぐれも台所吹っ飛ばすなよ」

 

 「ワシをなんだと思っておる」と先ほどと同じセリフを言った後、レオは大事そうにレグルスをソウヤへと手渡した。愛する我が子を抱き、愛らしい瞳で自分をみつめていることに気づいてソウヤは思わず目を細めた。

 レグルスを抱いてソウヤは居間へと戻るとソファへと腰掛けた。台所からは早くも悪戦苦闘するレオの声が聞こえてくる。そんな音を聞き流し、髪が生え揃わない頭を撫でつつ、ソウヤは我が子へと優しく話しかける。

 

「お前のママも自分で料理を作るんだと。任せておけばいいのに……好きだよな、あいつも」

 

 答えが返ってこないのはわかっている。まだちゃんと話すには程遠い年齢だ。言葉を発することも出来ない。だが、赤ちゃんに話しかけることは悪いことではない、と言われている。聞く言葉を懸命に理解しようとし、将来的に言語を得る時に関係してくるらしい。だからなるべく語りかけるように話そう、とソウヤとレオは互いにそう決めていた。

 

「でもな……お前のママは立派だよ。国を治め、勇敢に戦って、お前を生んで……。俺なんかには勿体無いぐらい、最高の女性だ」

 

 常に心では思っていても、そういえば最近そんなことを口にはしていなかったな、とソウヤは振り返る。今更言うまでもなく、互いにわかりあっていることではある。

 

「でもな……俺は今でも時々怖くなる。俺は本当にレオに釣り合う人間なのか……。そして……お前の父親としてふさわしい人間なのか……」

 

 彼の息子は言われている意味が、いや、言葉すら理解していないだろう。でも、否、ひょっとしたらだからこそ、ソウヤは本心をそうぶつけることが出来たのかもしれない。

 「自身はレオンミシェリと肩を並べられる存在か」。ずっとソウヤが抱いてきた不安であった。以前と比べればそれは大分薄らいでいる。結婚したことで、ほぼ消えたといってもいい。しかし、今でも時折、ソウヤはそのように自分に問いかけることがあった。

 そしてレグルスが生まれ、今度は父親としてふさわしいか、そんな風に思うようになった。ソウヤの両親は彼が10歳の時に亡くなっている。今になれば、我が子の独り立ちを見れずにこの世を去ったことはさぞかし無念だっただろうとわかる。だから、自分は深い愛情を注いでレグルスを育てたい。そう思っているからこそ、父親としてふさわしい姿を求めてしまう。

 自分はどうなのだろうか。レオのように正々堂々、常に王者の風格を漂わせるなどということは到底出来ない。結局姑息な駆け引きと相手の隙に付け込み、結果として勝ちを取るそのスタイル。彼はそれが自身の生き方、戦い方だと思ってるし変えるつもりもない。が、それは息子が成長した時、場合によっては王となりうる存在であるその瞳にどう映るだろうか。

 

「レグ……。でっかくなった時、お前は俺を軽蔑せずに見てくれるか……? 所詮ただの小物に過ぎない俺を、レオのことを母と呼ぶように父と呼んでくれるか……?」

 

 「あーう」と言葉にならないことばをレグルスは発した。だが、今のソウヤにはそれで十分だった。意味も言葉も伝わっていない。しかし我が子に元気付けられたように錯覚し、ソウヤは思わず目を細め、優しくその頭を撫でた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode EX 1 long / short

 

 

 輝歴2915年瑠璃の月。暦の移り変わりが近づいてきたこの日も、フィリアンノ城内の中庭でビスコッティ騎士団の親衛隊は訓練に励んでいた。

 

「よし、今日の訓練はこれまで! 皆ご苦労だったな。次の戦も近い、くれぐれも体調管理は怠るなよ!」

 

 「はいっ!」という返事を聞き、親衛隊長の彼女は満足そうに頷いた。

 

「では、解散!」

 

 その声に親衛隊の騎士達が緊張から解放されたように自由となる。たった今解散の指示を出した彼女もそれは同じであった。

 

「隊長」

 

 と、背後から聞こえた、自分を呼んだその声に彼女は振り返る。

 

「エミリオ。どうした?」

「今日の訓練の記録日誌、自分に任せてください。せっかく勇者様がいらしてるんです。隊長は勇者様とゆっくりお話でも……」

「余計な気遣いだ」

 

 親衛隊副隊長のエミリオ・アラシードからの提案を彼女――親衛隊隊長エクレール・マルティノッジはあっさりと却下した。19歳となった彼女の緑の髪から覗くチャームポイントの耳はやはり少し垂れ気味であったが、その耳のところにある髪は伸ばされ続け、今では背中まで優に届くほどになっている。

 

「今あいつは姫様と懇談中だそうだ。なら話すにしても今すぐに、というわけにはいかない。だったら時間もあるし、自分の仕事だ、自分でやる」

 

 相変わらずな隊長の真面目さにエミリオは思わずため息をこぼした。かつてと比べて隊長は格段に勇者様にうまく接することが出来るようになった、とエミリオは感じていたが、それでもこの真面目さだけは直らないのだな、とも思ったからだ。とはいえ、自分がそんなことを言えば「お前が言うな」と言われるのは目に見えている。

 

「そうおっしゃらずに。自分も副隊長となって久しいですし、是非とも隊長を補佐させてください」

 

 エミリオの姿勢は強固らしい。その辺は自分と同じで融通の聞かない堅物だ、とわかっていたエクレールはやれやれと息を吐いた。

 

「……わかった。だったら頼むことにする。いつも悪いな」

「いえ、気になさらないでください」

 

 結局、エクレールはまた(・・)エミリオに自分の仕事を任せたのだった。そう、また、なのだ。昔――召喚当初と比べれば勇者の年間滞在総日数は飛躍的に増え、フロニャルドを訪れる頻度も高くなっている。だから別に仕事があって自分の時間が取れないにしてもさほど不満はないのだが、エミリオはいつも申し出て、最終的にエクレールが折れて任せてしまっていた。

 だが、お陰で自分の時間が取れたことは嬉しいことでもある。そう思えるほど、以前から比べたら素直になれるぐらいにエクレールの心は変わってきていた。

 

(エミリオには悪いことをしてるとわかってはいるが……。せっかくもらった時間だ、有意義に過ごそう)

 

 そのためにはまず今日の話題はどうするか、でも考えておくといいかもしれない。戦はまた近いからその話か、それとも異世界の話か。右手で以前よりすっかり伸びた髪をいじりつつ、エクレールは考えをめぐらせていた。

 

(……そういえば、髪を伸ばし始めてから随分経ったな)

 

 いじっていた右手の感覚から、ふとそんなことを思い出した。

 きっかけは()の何気ない一言だった。

 

『エクレも、姫様みたいに髪伸ばしてみたら? その方がきっと似合うと思うよ』

 

 その言葉を聞いた日以来、エクレールはずっと髪を伸ばし続けている。もっと早く伸びると思っていたが、伸ばしっぱなし、とはいかない。手入れもしなくてはならず、思った以上に伸びたと実感するまで時間がかかった。だがそれも今では背中まで届き、長さで言えばその姫様と同じぐらいになっただろう。

 

(なら……そろそろいいかもな)

 

 髪のことを言われた時、エクレールはある約束をしていた。「姫様と同じぐらいまで髪が伸びたら言いたいことがある」と。今日をその日にしよう。彼女はそう固く決心した。

 

(今日こそ……私は自分の気持ちを素直にあいつに伝える)

 

 

 

 

 

 その日の夜。夕食を取り終え、自室に戻ったエクレールは書類と睨めっこをしていた。隊の仕事はエミリオに任せたが、それでも自分の仕事が全部なくなるわけではない。

 直接本人には会えなかったが、廊下ですれ違ったメイド長のリゼルに、手が空いたら自分の部屋に来てもらえると嬉しいと伝えてほしい、と言伝を頼んである。いつもそれで伝わっていたし、今日ももう少し待てばきっと来てくれることだろう。

 ならそれまでに出来るだけ仕事は済ませておいたほうがいい。そう考えてエクレールは机に向かっていた。

 

 それからしばらく経ってからだった。ドアをノックする音を聞き、エクレールは走らせていたペンを止めた。

 

「エクレ? 僕だけど入っていい?」

 

(来たか……)

 

 予想通りの声にエクレールは1度大きく深呼吸をする。

 

「……入ってくれ」

 

 少し声色が固くなってるかもしれない。最近は彼を前にしても緊張することはほぼなくなった。

 

(しかし……やはりこれは緊張せざるを得ないな)

 

 扉が開き来客者が入ってくる。その姿を目にして彼女の鼓動が一瞬早くなった。

 

「ごめんごめん。姫様との懇談が長引いちゃってさ……」

 

 言葉通り申し訳なさそうな様子で笑顔を浮かべながら、18歳のビスコッティ勇者、シンク・イズミはそう謝罪の言葉を述べた。

 彼の両手にはお茶やお菓子を乗せたトレイが握られている。お詫び、という意味もあるのだろうが、エクレールの部屋を訪れる時、彼はほぼ毎回のようにお茶とお菓子を持ってきていた。

 

「いや、気にするな。懇談が長引いた、というのであれば、ここでお前を責めることは姫様を責めることと同義となり兼ねんからな」

「はは……。やっぱりエクレはその辺真面目だよね」

「悪かったな。それが私だ、直す気もない。多少散らかってるが……まあ座れ」

「じゃあお言葉に甘えて……」

 

 シンクがトレイを机に置き、カップにお茶を注ぐ。それをエクレールと自分の前に置いた後で、彼はようやく腰を下ろした。

 

「悪いな、いつもお茶を持ってこさせるばかりか、それまでやらせてしまって」

「いいって。エクレは仕事大変なんだし、息抜きって意味も兼ねてるんだから」

「……そうか」

 

 相槌を打ちつつカップに口をつけ、エクレールはどのタイミングで話を切り出そうか考えていた。

 

「そういえばさ」

 

 が、相手はお喋り好きのシンクだ。うまく切り出せるタイミングが見つかるとは限らない。まあ帰る直前なら話が途切れるだろうから、最悪そこでもいいか、と楽観的に考えて今はシンクの話題に乗ることにする。

 

「なんだ?」

「次の戦は3日後だっけ? この冬休みのお陰で久しぶりに来てすぐ戦、ってわけじゃなくなってるからちょっと変な感じでさ……」

 

 始まったのはいつも通り戦に関係する話。もう2人の間では世間話といっても差し支えないような話題だ。普段のようにエクレールもその話題に合わせていく。

 

「そういえばそうか。普段は来た翌日に戦、さらにその翌日には帰る、ということがほとんどだものな」

 

 18歳の高校3年生であるシンクがフロニャルドを訪れるのは週末か、あるいは長期休暇にほぼ限られる。普段は週末限定であるためエクレールが言ったようなことが多いのだが、今は学校が冬休み。短い期間とはいえ、まとまった数日の休みはシンクにとって久しぶりであった。

 

 それからも2人の話はしばらく続く。傍から見ればよく飽きずにいつも似たような話題を話せる、とも思えるかもしれないが、仲がいい者同士のお喋りというものは総じて大抵そういうものだ。

 そしてそれはついつい時間の経過も忘れてしまう。気づけば皿の上のお菓子もなくなり、ポットにあったお茶もほぼなくなっていた。

 

「あ……もうこんな時間か」

 

 エクレールの部屋の壁にかけてあった時計を見つめ、シンクはそう呟いた。

 

「じゃあ僕はそろそろ……」

 

 そう言ってシンクが立ち上がりかけたところでエクレールは大切な話を()()()()()()()()()()()()()。知らず知らずのうちに相手の話のペースに乗せられて、話に熱が入ってしまった。これではいつもと同じだ。今日は違う。伝えなくてはならないことがあるのだ。

 

「待て。……話したいことがある」

「話したいこと? ……あっ、僕もエクレに大事なことを話そうと思ってたんだ」

「大事なこと……?」

 

 もしかしたら、とエクレールは淡い希望を抱く。今まで改まってそんな風に言い出すことはまったくと言っていいほどなかった。なら、ひょっとしたらこれから言おうとしていることは自分が話そうとしていることと同じなのではないか。

 

「エクレ、先にいいよ」

「いや……。大事なことならお前が先に話せ」

 

 そう思った、いや、()()()()()()()から、エクレールはシンクに先を譲った。

 

「そう? ……じゃあ」

 

 一つ咳払いし、しかし次にその口から語られた言葉はエクレールにとって予想外の、いや、思っていたこととは全く逆の(・・)ものだった。

 

「……実はさっき、姫様と話していたとき、結婚を申し込まれたんだ」

「えっ……」

「まさかそんなことを言われると思ってなかったからびっくりしたし、一応大学進学はもう決まってるとはいえ僕はまだ高校生だし、すぐには答えは出せないから正式な回答はもうしばらく保留にしてもらったけど……」

 

 そこで一瞬躊躇したようにシンクは言葉を切ったが――

 

「……僕はこの姫様の求婚を受けようと思ってる」

 

 はっきりと、そう言いきった。

 

「エクレには色々お世話になってる仲だし、なにより姫様の親衛隊の隊長だし。口約束で婚約を交わしただけだから今日明日で結婚、ってわけじゃないけど、先に報告だけはしておこうって思ったんだ」

 

(結……婚……? こいつが……姫様と……?)

 

 予想もしなかったシンクの衝撃的は告白に、しばしエクレールは呆然と彼の顔を見つめていた。

 

(じゃあ……じゃあ私は……)

 

「エクレ……エクレ?」

 

 名を呼ばれ、ようやく彼女は我を取り戻す。

 

「エクレ、大丈夫?」

「あ、ああ、大丈夫だ。……大丈夫」

「急にこんなこと言ってごめん。でも、ずっと姫様を守ってきたエクレに負けないように、僕も頑張って姫様を守ろうと思うから」

 

 ミシリ、と心が軋む音が聞こえた気がした。まずい、と彼女は直感する。

 

(よりにもよって……今そんなことを言うな……。私の……私のこの気持ちは……どうしたらいい……)

 

「それで……エクレの話って?」

 

 だがシンクはそんなエクレールの様子には気づかない。良くも悪くも、彼は鈍感なのだ。察してほしかったと本音では恨み半分、だが自分の心に気づかなくてむしろよかったと思う気持ち半分。まだ揺れ動く心のまま、エクレールは口を開く。

 

「い、いや……。大したことじゃないからいい。お前の……今の話に比べたらな。……とにかく、姫様を泣かせるようなことがあれば親衛隊長である私がただじゃおかないから覚悟しておけよ」

「勿論わかってるよ。……ありがとう、エクレ」

 

 本人にそのつもりはまったくないだろうが皮肉以外の何物でもない「ありがとう」。軋み始めた心はより崩れ落ちそうに音を立て始めている。やめてくれ、と口に出したいエクレールだったが、そこは自身のプライドでなんとか踏みとどまった。

 

「……すまないが仕事がまだ残っているからな。そろそろいいか?」

「あ、うん。そうだね。長居してごめん。……じゃあ僕は行くね。おやすみ、エクレ」

「ああ……」

 

 持って来たトレイを手に、シンクが部屋を出て行く。その間なんとか表情を崩さずに見送ったエクレールだったが、扉が閉まると同時に、その扉に背を持たれかけて床に崩れ落ちた。

 

 限界だった。せめてあいつの前では気丈に振舞いたい、その気持ちだけでエクレールは自分を殺してきたが、それも限界だった。

 

「なんでっ……! 私は……!」

 

 言えなかったのだろう。血が出るほどに強く拳を握り締め、唇を噛む。

 いや、言えるはずもない。ここで言ったとして、シンクは自分と姫様の間で心が動くことになり、そこで自分が選ばれれば姫様への非礼にも当たる。ではこの八方塞の状況で自分はどうすればよかったのか。確かに彼を()()()()()()()、それ自体が間違いだったのだろうか。

 

「なんで……なんでっ……!」

 

 瞼から熱い液体が零れ落ちる。どうすればいいか、何に対しての「なんで」なのかももうわからず、エクレールは涙をこぼしながら床を殴り、頭をかきむしった。

 その左手が伸びた髪を憎々しげに掴む。

 

「こんな髪……!」

 

 伸ばした方がきっと似合うと言われた。なら、伸びた時に自分の気持ちを伝えよう。

 

 何がだろうか。もうそんな過去など、こんな髪など関係ない。見たくもない。自分の手の届かないところに行ってしまったシンクへの未練だけが残されたものに他ならない。

 

 ――だったら。

 

 エクレールは愛用の短剣を抜き、鏡の前に立った。

 

 

 

 

 

 隊の仕事を引き受けたエミリオは、その仕事を終えて書類を持ってエクレールのところへ向かうところだった。本当はもっと早くに終わっていたが、2人の時間を邪魔しては悪いと後ろにずらしている。

 と、廊下の向こうからトレイを手に歩いてくるシンクの姿が目に入った。おや、と思いながらエミリオは声をかける。

 

「ご苦労様です、勇者様。もしかして今まで隊長とお話されていたんですか?」

「あ、エミリオさん。今日は姫様との懇談が長引いちゃったので……行った時間がちょっと遅かったんですよ」

「ああ、なるほど」

「そういうエミリオさんもエクレのところへ?」

「はい。隊の仕事が終わったので、隊長に確認していただこうと」

「そうなんだ。……僕とエクレが話できるように、仕事引き受けてくれてるんですよね?」

「なぜそれを……?」

 

 エミリオもシンクが鈍い、ということはよく知っている。だから自分が伝えたわけでもないのにそのことを知っているのは気がかりだった。無論、エクレールもそれを言うような野暮な真似はしないだろう。

 

「アンジュさんが口を滑らせたんですよ。言うな、って釘は刺されたんですけどね」

「ああ、そこでしたか……。まあいいんですが」

「いつもありがとう、エミリオさん。お陰でエクレは僕と話す時間を作れているから……」

「いえ。自分は隊長が勇者様と楽しそうに話されていれば、それが1番ですから。なので、お礼を言うのはこちらです。いつも隊長をありがとうございます」

「あ、いや、僕はそんな……」

 

 照れたような、どこか気まずいような、そんな表情を浮かべてシンクが言葉を濁す。

 

「……これからお休みのところを引き止めてすみません。では自分は隊長のところへ行かなくてはならないので」

「うん。ご苦労様です。おやすみ、エミリオさん」

「おやすみなさい、勇者様」

 

 シンクと別れ、エミリオはエクレールの部屋目指して廊下を進む。

 

(勇者様が多くいらっしゃられるようになって……隊長は嬉しそうだ)

 

 いいことだ、と彼は思っている。かつて彼はエクレールのことを「素直なのに素直じゃない」と評したこともあった。だが今の彼女はずっと素直になりつつあった。そして良くも悪くも免疫がつき、今ではシンクの名を普通に呼び、接することが出来るようになっている。

 

(あと一歩、どちらかが距離を詰めてくれればいいと思うけど……)

 

 そんな考えをめぐらせつつ、エミリオは目的の部屋の前に到着し、ドアをノックした。

 

「隊長、エミリオです。隊の書類が終わったので持って来ました。いいですか?」

 

 返事がない。留守だろうか。

 

「エクレール隊長?」

 

 もう1度ノックし、それでも反応なし。まあ書類を部屋に置いて、書置きでも残せばいいか、とエミリオはその扉を開けた。

 鍵がかかっていなかったその扉はゆっくりと開き――次の瞬間、エミリオは信じられない光景を目撃することになる。

 

「隊長……!?」

 

 エクレールは部屋にいた。鏡の前に立ち尽くし、しかしその右手には愛用の短剣が、左手には自身の()と思しき物が握られ、背中まで伸びていたはずのその髪はばっさりと、かつてのように首元まで短くなっていた。

 

「隊長! その髪……!」

 

 持って来た書類を机の上に放り投げ、エミリオは駆け寄った。だがエクレールの視線は定まらずに宙を見つめ、肩をゆすられながらもう1度呼びかけられたところでようやくその目が彼を捉える。

 

「エミリオ……」

「大丈夫ですか!? 何があったんです!?」

 

 次第に彼女の瞳に色が戻っていく。よく見ればその目は赤く腫れていた。そこでエクレールが驚いたようにエミリオから一歩後ずさった。

 

「お前……いつからここに……」

「つい今です。書類を書き終えて……。いや、それよりその髪、どうしたんですか!?」

「髪……」

 

 エクレールは鏡を見つめ、そこに確かに髪の短くなった己の姿を見た。

 

「別に……何もない……。ただ……邪魔になったから切っただけだ」

「邪魔、って……それだけですか!?」

「ああ、それだけ……だ」

 

 嘘だ。エミリオにはそれがわかった。なぜなら彼女はこれまで「首元が暑苦しい」だの「うざったい」だの散々文句を言いながら、それでも決して髪を切ることはなかった。

 

「そんな……そんなわけないでしょう! だってそれは……隊長のその髪は、勇者様にきっと似合うからと言われて……!」

「黙れ!」

 

 怒鳴られ、身をすくめたエミリオだが、そのエクレールの目に涙が浮かんでいるのを見逃さなかった。

 

「あいつは……あいつは何の関係もない! 邪魔になったからこの髪を切った……ただ……それだけだ……!」

 

 最後の方は搾り出すように言われた声にエミリオは直感する。

 自分にとって恋、というより憧れに似た慕情感を抱くこの女性の思いは、愛する人に届かなかったのだと。

 

「……隊長、勇者様と何かあったんですか?」

「何もない! さっきからそう言って……」

 

 言葉を遮るように――エミリオは彼女の肩を抱き寄せた。

 

「……強がらなくていいです。隊長は強い女性だとわかっています。でも……本当に辛い時、悲しい時は……我慢せずに泣いてもいいんじゃないですか……?」

 

 カラン、と彼女が右手に持っていた愛用の短剣が床に落ちた。

 

「自分なんかですみません。でも……そんな自分でよければ……胸をお貸しします」

「う……うう……」

 

 嗚咽を漏らし――エクレールは声を上げて泣いた。子供のように泣きじゃくり、エミリオの騎士服を力任せに握る。

 

「私……私は……今日……あいつに気持ちを伝えるつもりだった……! なのに……なのにあいつは……姫様からの婚約を受けたと……!」

「姫様からの婚約……!?」

「私は姫様に忠誠を誓う剣だ……! だから……姫様と婚約を交わしたあいつを責めることなど出来ない……。なら……なら私のこの気持ちはどうすれば……どうすればいい……!」

 

 エミリオは答えない。いや、答えられないのだ。自分が恨めしい。自分などではなく彼女にとって最愛の勇者様であればどれだけよかったことか。

 そんな彼に出来ることはエクレールが落ち着くまで胸を貸すことだった。その間、エクレールはずっと泣き続け、時折右手で彼の胸を叩いてもいた。

 だがエミリオは何も言わず、ただエクレールが落ち着くのをずっと待っていた。

 

 どれほど経っただろうか。鼻をすすり、真っ赤に腫れ上がった目を手でこすりながら、ようやくエクレールはエミリオから離れた。

 

「……すまなかった。取り乱してしまって……」

 

 床に落ちたままだった短剣を拾うと机の上の鞘に収め、左手に握ったままだった髪を屑かごへと入れる。

 

「隊長……」

 

 無造作に捨てられるその髪を見て、思わずエミリオは表情を曇らせた。その髪は彼女のこれまでの積み上げてきた思いだ。それを断ち切り、捨てる。

 彼女の心中を思うと、エミリオは身が張り裂ける思いだった。彼女の心は深く傷ついている。だがこれからも勇者は召喚され、戦のよき相棒である親衛隊長と肩を並べて戦うだろう。少なくとも数日後に戦があることは明白なのだ。それが、彼女にとってどれほど辛いことであるか。

 

「胸を貸してくれたことは感謝する。……だが今は一人にしてほしい。すまないがそろそろ部屋に戻れ」

 

 エミリオはそれを断りたかった。しかし今の彼にその勇気はなかった。自分が今彼女の心へと踏み入れたら、その華奢な背中は折れ曲がって崩れてしまう。そう錯覚するほど、これまで追い続け、見つめ続け、憧れ続けてきた背中は弱々しく、全てを拒絶しているかのようだった。

 結局彼は、「……では、失礼します」と一言だけ残し、自室へと戻ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 数日が経ち、シンクは地球へと戻っていった。時を同じくして、まるでそれを待っていたかのようにエクレールも体調を崩して寝込んだ。原因は過労。複雑な自身の心を押し殺し、デリカシーなく「あれ、髪どうしたの?」と聞いてくる勇者に「イメチェンだ、邪魔になったから切った」と言い張り、その後何事もなかったかのように戦場を共に駆けたのだ。その反動が勇者が帰ったことで気が抜けて出たしまったせいだと見てまず間違いないだろうとエミリオは予想していた。

 

 代理でまとめた親衛隊の訓練を終え、エミリオは自室へと足早に戻っていった。記録日誌に筆を走らせつつ、しかし頭は寝込んでいる彼女のことばかりを考えている。

 

(なぜあの時、声をかけられなかったのだろうか……)

 

 弱々しい背中を目にしながら、何も声をかけることが出来ずに帰ってきてしまったあの日のことを、彼はこの数日間悔やみ続けている。もしあの時、自分が何か声をかけることが出来ていたなら。それで何かが変わる、と思うほど彼は自惚れても、自意識過剰なわけでもない。だが、意識せずうちにそう思ってしまうほど、あの時のエクレールの背中を自分の心の痛みと重ねてしまうのであった。

 

 結局もやもやとした頭のまま、自室で記録日誌を書き終えたエミリオは、日誌の最終確認のためにエクレールの部屋へと足を進める。歩き慣れた廊下、これまでこんな押し潰されそうな心で歩いたことがあっただろうか。踏み出す脚も重く、廊下が延々と続くような錯覚さえ覚えつつ、ようやくエミリオは目的の部屋の前へとたどり着いた。一旦深呼吸し、ドアをノックする。

 

「……誰だ?」

 

 部屋の中から聞こえてきた、耳に馴染む声にエミリオは思わず表情を緩める。が、同時にその声が普段よりも力なく聞こえたように感じ、緩めたその表情を今度は陰らせた。

 

「エミリオです。記録日誌の確認をお願いしたいと思いまして。隊長のお加減がよろしかったら、でいいんですが……」

 

 やや間があり、「開いている、入れ」という声が聞こえてくる。「失礼します」と一言ことわりを入れてエミリオは扉を開ける。普段の騎士服と異なり、寝巻き姿に上着を羽織ったエクレールがそれを出迎えた。普段よりは顔色が優れないが、それでも予想よりは良かったことに対してエミリオは胸を撫で下ろす。が、その髪が見慣れていた長さからばっさり短くなっているのを確認すると思わず心が痛んだ。

 

「こちらが日誌です」

「ああ。……今日はすまなかったな。隊の方はどうだった? うまくまとめてくれたか?」

 

 エクレールは椅子に腰掛けてエミリオから受け取った書類に目を通し始める。「まあ座れ」と意味を込めて彼女は書類に目を移す前に視線で座るよう促したが、それでも生真面目な副隊長は立ったまま受け答えた。

 

「自分では少々荷が重いですが、なんとか。ですがやはり隊長が指揮を執ってくださったほうが隊も締まるようです。……ところで具合の方はいかがですか?」

「ただの過労だそうだ。今日は1日休ませてもらった、明日からは顔を出す。……お前に荷が重いものをずっと背負わせておくわけにもいかないしな」

 

 墓穴を掘ったか、と思わずエミリオは苦笑する。本当は「無理をなさらないでください」と言いたいところだったが、最後の一言を言われてしまっては返せない。

 

「それにこれ以上周囲に余計な心配をかけるわけにもいかないだろう。……今更どうこう言って変わることでもないし、仕方のないことだったんだ。勝手に期待して、勝手に私が自爆した、というだけのことなんだしな……」

 

 そう言ってエクレールは寂しそうに笑う。その笑顔にエミリオの胸は締め付けられる。やはり割り切れてはいないのだ。いや、割り切れるはずもない。この数年間想い続けた人を忘れることなど、出来るはずもないのだ。

 

 そのエミリオの心を数日前から感じている後悔が襲う。あの時、「1人にしてほしい」と言われて何も返せなかった。このままでは今また同じことを繰り返そうとしているだけだ。

 

「……話が逸れてしまったな。書類の方は問題ない。もういいぞ」

「……隊長」

 

 それだけは嫌だとエミリオは心を決めた。自分では力不足なことは知っている。それでも、断たれてしまった髪は戻らなくても、かつてのような笑顔だけは戻って欲しい。その思いだけで、「何だ?」と怪訝な表情のエクレールに対して、エミリオは口を開いた。

 

「……ずっと前から、自分はあなたのことを思い慕っていました。今、このタイミングで傷心の女性にこんなことを告げるのは卑怯だとわかっています。それに自分の身の丈を超えているということも自覚しています。でも、これ以上あなたの悲しい顔を見たくはありません。あなたが幸せになるためなら、自分に出来ることはなんだってします。だから……」

 

 一旦言葉を区切り、心を決め――。

 

「……エクレール・マルティノッジ卿、自分と結婚してください」

 

 

 

 

 

 エミリオの告白を受けて、エクレールはすぐに答えることは出来なかった。だが数日の時間を空けた後、彼女は了承の意図をエミリオへと伝えた。迷った末の答えだった。

 このままいつまでも今の心を引きずるのはよくない、とエクレールはわかっていた。その折に受けた告白。エミリオは「ずっと前から思い慕っていた」と言ってくれた。「自分に出来ることはなんだってする」とも言ってくれた。その言葉が嬉しかった。同時に、裏切ってはいけないとも思った。だから、彼女は申し出を受け入れた。

 だが、心のどこかで手の届かぬところへ行ってしまった勇者への当て付けがなかったわけでもない。そして完全に忘れ去ることができたわけでもない。結局婚約だけを約束し、その他は保留。皮肉なことに勇者と同じ状況に身を置いてしまったことになる。

 

 エミリオもエミリオで彼女の心の中のふたごころには薄々気づいていた。彼自身、エクレールと結ばれたかったという願望が皆無だったわけではない。確かにエクレールの幸せは常々願っていた。だが彼女にとっての1番が自分ではない、という現実に口惜しさを覚えなかったわけではなかった。その1番という存在が消散してしまい、器ではないとわかっていながらその役を買って出た、いや、その役が転がり込んできた、と言ってしまってもいいだろう。「傷心の女性を口説く」という行為で婚約を取り付けてしまった彼は、自身の行為に後ろめたさを感じてもいた。だから、エクレールが望むことなら、と保留の申し出を受け入れていた。

 

 つまるところ、こうして婚約を結んだ2人だったが、その足並みはうまく揃わなかった。シンクの正式婚約までどうしても心を決めきれないエクレールと、彼女のことを思うあまりそれに対して口を出せないエミリオ。シンクとミルヒ同様、2人の仲の進展がないまま時は流れ――。

 先代領主の失踪を皮切りに始まったビスコッティの「動乱」へと、親衛隊の2人も飲み込まれていくこととなる――。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 5 戦、開始

 

 

 ソウヤがガウルから預かった親書をミルヒに届けて8日後。その親書にあった通り、今日はガレットとビスコッティの戦の日である。久しぶりの国外との戦ということでビスコッティは大いに盛り上がっている。無論、戦好きであるガレットも言うまでもなく同様だ。

 そうでなくてもガレットとしては気合が入らざるを得ないだろう。先代領主、レオの夫であり元勇者でもあるソウヤの放送される復帰戦だ。加えてそのソウヤが指揮する遊撃隊のお披露目となれば、なんとしても勝利によって華を添えたいところであろう。

 しかしそれはビスコッティも同じ。久しぶりの国外戦、新たな区切りとなるこの戦いは幸先よくスタートを切りたい。両国とも譲れない戦いとなるこの戦は5年前の宝剣を賭けた大戦ほどではないにしろ、ここ数年ではかなりの盛り上がりを始まる前から見せていた。

 

『皆さんこんにちは! ガレット国営放送、フランボワーズ・シャルレーです!』

『こんにちは、ビスコッティ国営放送のエビータ・サレスです』

『ここからは久しぶりの開催となりましたビスコッティとガレットによる戦の模様をビスコッティ、ガレットの両国営放送がお送りしていきたいと思います!』

 

 そのため、放送も今フランが言ったように両国の国営放送が担当する大きな形になっている。大抵は主催国、あるいは前の戦の戦勝国が務めるのだが、前回の戦から間が空いたことと、何より戦の規模が大きいからというのが理由であった。

 

『先ほども述べました通り、ビスコッティとガレットによる戦は久しぶりとなります! およそ半年振り……ですかね、エビータさん?』

『そうですね。前回の戦からはそのぐらい経っているかと思います。……ですが! 久しぶりということでビスコッティは気合十分! 今日は約1万人という多くの皆さんが参加してくださっています!』

『なんのなんの、ガレットも負けてはいません! こちらも参加者数は約1万! 場所も5年前の大戦と同じくチャパル湖沼地帯が主戦場、ここ最近では見ることのなかった規模の大きな戦となりそうです!』

 

 5年前に起こった大戦の参加者数は両国とも約2万人、そこからすれば半分、という印象かもしれない。しかしそれは国の宝剣を賭けた、という戦いである。根本的に異なるといっていい。そういう観点からすれば両国とも万単位の参加者というのは十分規模が大きいといえるだろう。

 そんな状況を知っているだけに、実況に耳を傾けていたソウヤは思わず表情を渋らせずにはいられなかった。久しぶりとはいえ、言ってみれば平常の戦と変わらない。そのはずなのにこの参加者数。自惚れるつもりはないが、どうにも自分に過剰な期待がかけられているように感じる。

 

『そして今回はあのガレット元勇者、今では前領主伴侶となりましたソウヤ・ガレット・デ・ロワ卿の雄姿を久々にお届けできる放送となります! 惜しくも先日の夜戦は放送が間に合わず復帰戦初戦をお送りすることはできませんでしたが……その分たっぷりと活躍していただきたいと思います! 何より卿が指揮する遊撃隊はこの戦が初お目見え! 1年の休養から目を覚ました【蒼穹の獅子】はどのような活躍をしてくれるのでしょうか!』

 

 そう思っていた矢先のこのフランの煽りようだ。気づかぬうちに反射的にソウヤはため息をこぼしていた。もっとも、こういった紹介がされるだろう、自分に期待がかけられるだろうというのはある程度予想していた。が、予想外の出来事が昨日になって彼の耳に入ってくることとなる。

 

『さらにさらに! 解説として素敵なゲストにいらしていただいています! そのデ・ロワ卿の愛妻にして前ガレット領主でもあります、【百獣王の騎士】レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ閣下です!』

 

 ソウヤが頭を痛めているのは他ならぬこれであった。昨晩、翌日の戦を控えて帰ったソウヤにレオは「ビオレにフランから解説のオファーがあったから、代わりにワシが受けておいたぞ」とあっさりと告げたのだった。何が代わりなのか、そもそもお前じゃなくてビオレさんへのオファーだろう、とソウヤは猛抗議したがレオは耳をパタと閉じて全く聞く耳を持たない。こうして頭痛の種を増やし、ソウヤは今日の戦に臨むこととなってしまったのだった。

 

『うむ。久しいの、皆の衆。レオンミシェリじゃ!』

 

 レオの姿が映像板へと映し出される。それだけでソウヤの視界に入っていた騎士達のほとんどが沸き立つのがわかった。やはり人気は相変わらず、確かに視聴率を取るゲストとしては最適かもしれない。

 

『フラン、貴様も久しぶりじゃな』

『はい! お久しぶりです、閣下! お元気そうで何よりです!』

「相変わらず閣下かよ、お前の呼ばれ方は……」

 

 思わず独り言をこぼす。まあもはや閣下というのは敬称というより彼女の愛称、と言ってもいいだろう。厳密にいえばガウルにつけられる殿下と異なり閣下というのはそこまでの意味は持たない。が、領主を退き今では子を産んだ女性が「閣下」などと呼ばれるのはどうにもおかしくないか、とソウヤは心の中で1人突っ込んだ。

 

「だってそんなこと言ったってレオ様はやっぱり閣下じゃないですか」

 

 自慢の聴力でそのソウヤの独り言を聞き取ったのだろう、遊撃隊副隊長のベールが話しかけてくる。

 

「いい加減姫様とか呼ばれろ、と思うがな。俺は姫様をめとれた、と夢を見させてくれたっていいだろう。それにその呼び方は本人が気に入っていない、というのなら俺だってデ・ロワ卿なんて呼ばれ方はあまり好かない」

「そうなんですか? かっこいいと思いますけど……」

「卿、なんてのはやはりダルキアン卿が1番しっくり来るだろう。……まあ入婿したお陰で王族とはいえ、別に王位を継ぐとか政治に関わるとかそんなつもりはさらさらなくて騎士扱いされてるような俺だ、立場的にはあの人に似てるのかもしれないから、卿がもっとも適切なのかもしれないけどよ」

 

 実際フロニャルド永住によって勇者でなくなった彼は「勇者ソウヤ」から別な呼称を提案されたのだが、「ソウヤ殿下」とか「ソウヤ閣下」などと言われると鳥肌が立つ、と本人が拒絶していた。本人は「殿」程度でいいと主張したが却下され、結果として今彼が言ったとおり「卿」という敬称に落ち着いたわけだが、そこでガウルが「姉上と結婚したらデ・ロワ卿に呼称を変えろ」と言い出した。王族の人間、ということをちらつかせているようで、無論ソウヤはそれを拒んだが本人の意思と裏腹に呼称は広がり、結局ソウヤが諦めたのだった。

 

 ちなみに、ソウヤが引き合いに出したブリオッシュ・ダルキアン卿はビスコッティでは「自由騎士」という立場である。もっとも、ほぼ籍を置いているだけに過ぎない状態であるらしい。彼女の剣の腕前はビスコッティどころか大陸一とも言われているが、騎士団の責任を一様に担っているのはエクレールの兄、ロランである。さらに「自由騎士」の名の通り、常にビスコッティに滞在しているわけではなく、現在のように諸国へと足を伸ばしていることもしばしば。しかし実際には「少々長生き」という彼女の弁の通り意見を求められることは多いために、発言権はそれなりにあるらしく重要な会議の際に顔を出すこともあるという話だった。

 今の自分の立場に近いとソウヤは思っている。一応入婿王族ということである程度の発言権はあるが、特に王政に関わる気もないので現場勤め。過剰な期待をかけられてそういった眼差しで見つめられるのは出来れば遠慮したいが、それでも楽な立場といえるだろう。レオやガウルからの配慮もある。それについては感謝をしている。だからブリオッシュに似た立場と思った時に「卿」の敬称を了解し、ガウルからの「デ・ロワ卿」の呼称も渋々受け入れた、という面もあった。

 

『いやあ夫であるソウヤ殿の放送復帰戦に妻の閣下が直々に解説にいらっしゃってくださるとは……今日は盛り上がること間違い無しですよ!』

『そうか? ワシの解説よりもあいつの活躍次第じゃろ』

『でしたら保障済みでしょう! あの2人の戦いは勇者時代から名勝負揃いですから!』

 

 相変わらずこいつは、とソウヤは再びため息をついた。基本的にテンションは低めなソウヤにとって常にハイテンションで実況するフランは正反対といってもいい。放送を盛り上げるためには必要なことだろう。だが、その矛先を向けられるのはやはり未だ慣れているとは言い難い。

 とはいえ、ここまでで止まってくれればまあいいか、と思っている面もあった。彼にとって触れられたくない話題である「戦績」についてノータッチだったからだ。

 

 「デ・ロワ卿」といういささか仰々しい呼称で呼ばれることになったソウヤだが、それを受け入れたからにはその呼称に副うだけの活躍をしなくてはならない、と考えていた。しかし今回の戦でも目玉とされている「勇者対元勇者」の戦いだが、これまでの戦績はもはや五分五分とは言い難い状況まで来ている。

 ソウヤのここまでの通算成績は7勝12敗8分。引き分けのほとんどは負け勝負であったが、他の隊の状況変動による撤退で難を逃れるという形で拾ったものであり、敗戦にカウントしてもなんら差し支えがないほど。つまりソウヤは大きく負け越していると言っても過言ではないのである。

 

 自分とシンクとの間に決定的な差をソウヤは感じていた。それを強く感じたのは3年前。それまで5勝6敗2分とほぼ五分だった戦績がその年1年で6勝10敗4分と変化し、その年は大きく負け越した。元々自身の戦闘スタイルの非力さについては重々承知しているつもりだった。だがそれを持ち前の輝力のコントロールと小手先の戦闘技能によってなんとか取り繕ってきた。しかし成長著しく才能豊かな当時16歳のシンクと、成長のピークを終えつつある18歳の「凡人」のソウヤとでは、もはや付け焼刃な技術のみで埋めることは出来ないほどの差が開いていた。

 もっとも、それを痛感しているのはもしかしたら当の本人だけかもしれない。相変わらず周りは「勇者対元勇者」と盛り立てるし、シンクにぐうの音が出ないほどに負けたとしても「今回はたまたま調子が悪いだけ」ということで片付けられる。ソウヤとしては複雑な気持ちでその評価を受け取っていた。見限られるならそれもまたいい。そうすれば過剰な期待は受けずに済む。

 が、幸か不幸か人々はまだ自分への期待を抱いている。ならそう評価されているうちは、それには応えなければならない。その責任感で自らを奮い立たせ、かつての「勇者対勇者」、今では「勇者対元勇者」の看板を廃れさせないように戦い続けてきた。

 

『さて、そろそろ戦直前のガレット軍の様子を見てみましょうか。デ・ロワ卿の様子を映せるでしょうか、現場のジャンさん!?』

 

 ソウヤの考えなど全く意に介さず、放送は進んでいく。どうやらガレットの様子を映すらしい。自分も映るだろうが、別に何かする必要もないだろう、とソウヤは表情を固くし、向けられるカメラに対しても無反応を決め込むことにした。

 

『はい! こちら現場のジャン・カゾーニです! 今回の主戦場となりますチャパル湖沼地帯に陣取りました本隊に、復帰したばかりのデ・ロワ卿とその指揮する遊撃隊の姿が確認できます! 見えますでしょうか、1年ぶりの戦場登場となるこの凛々しい表情! 指揮するのが数の多くない遊撃隊ということとこれまでの戦い方を察すると、後方ビスコッティ本陣のスリーズ砦へ進攻するかと思われましたが、あくまで本隊に随伴する形です、少々意外に感じます!』

『そうですね……。閣下、これはどう見ますか?』

『ふむ……。どうやらあくまでシンクとの戦いを選ぶようじゃな。確かに少数部隊による奇襲、強襲、相手の隊の裏に回りこんでの挟撃といった類はあいつの得意分野じゃが……。今回何を期待されておるかわかっておるようじゃ。じゃからわざと本隊に随伴して自分の居場所を知らせて相手を待つ……。なるほど、普段は堂々と振舞えない、だとか、自分は王足り得る器ではない、とか言っておるが、段々と威風を纏ってきたのではないか?』

「……んなわけあるかよ」

 

 映像板から流れてきたレオの解説に対してボソッと呟き、ソウヤは妻の意見を一蹴した。レオの言うとおり今回は正面からぶつかるつもりではいる。だがそれはやむなくであり、わざわざ「遊撃隊」という名で少数精鋭の部隊を率いているのだ、本来なら言われてるように敵本陣のスリーズ砦への進攻か、ガレット本陣のグラナ砦付近に身を隠して進攻してきたビスコッティ軍を挟撃する、という方向で事を運びたかった。現実主義者として、いかに勝つか、に重点を置くソウヤらしい発想とも言える。

 

「まあ……私は正々堂々好きですよ?」

 

 そんなソウヤにベールが語りかける。やはり聞こえているらしい。つくづく聖ハルヴァー人の聴力は侮れない。

 

「それにソウヤさんは正面からぶつかったって十分勝てる力を持ってるじゃないですか?」

「何度も言ってるだろ、それは過大評価だと。俺が1対1で勝てると確証を持てるのはせいぜい千騎長クラスがいいところ、万騎長クラスになってくると段々と雲行きが怪しくなってくる。五分五分も自信が持てりゃいいほうだ」

「そうですか? そうは見えませんが……」

 

 まあお前には勝てるかもしれないがな、と付け加えようとしてソウヤはその言葉を飲み込んだ。確かに今では万騎長クラスとはいえ、同じ弓兵のベールとの相性は悪くないだろう。だが4年前に()()()()で戦った時は圧倒していたが、今同じ展開になるかはわからない。ブランク明けだ、本来なら一騎打ちも御免被りたいような状況なのだ。

 

『そんなデ・ロワ卿の相手はどうなってるか、こちらも現場のパーシーさんを呼んでみたいと思います!』

 

 やはり実況の方はソウヤの心中など露知らず、今度はシンクの方へとカメラを向けるらしい。自身からフォーカスが外れたとわかり、ソウヤは大きくため息をこぼした。

 

(ま……うだうだ言っても始まらない。こんな俺に期待をして見てくれてる人をがっかりさせないような戦いぶりだけはするか)

 

 そう心を決め、一度緩めた心を再び引き締めなおして、ソウヤは映像板の方へと目を移した。

 

 

 

 

 

『はい、こちらビスコッティ陣営前のパーシー・ガウディです! 今回久しぶりの登場となりますデ・ロワ卿の相手といえばこの人、勇者シンクでしょう!』

 

 フラン同様、ハイテンションの突撃系アナウンサーであるパーシーがビスコッティ陣営を紹介し始める。彼女の言葉通り、シンクの姿が映像板に映し出されるとビスコッティ軍から歓声が上がった。無反応を決め込んだソウヤと対照的、シンクは握りこぶしを作って見せ、そのカメラに応える。

 

『ご覧ください、今回も自信満々の様子! 既に名コンビとなって久しい親衛隊長と今日はどんな活躍を見せてくれるのでしょうか!?』

 

 シンク、次いで傍らで憮然とした表情のエクレールを映した後で映像は切り替わった。それを確認してシンクは緊張を解き、傍らのエクレールへ視線を移す。

 

「どうしたのエクレ、不機嫌そうだけど?」

「別に。いつものことだ」

 

 特段声色を変えることもなくエクレールは短くそう返す。言葉通り、特に彼女は不機嫌というわけではない。ただ、()()()()()()()()結果、こういう声になってしまったに過ぎない。

 

 確かにシンクとエクレールはビスコッティ切り込み隊の名コンビであった。が、私情を挟まなければ、いや、シンク側から見た場合は、その評価で合っているだろう。つまりエクレール側はそうはいかない。彼女はシンクを好いていた。自身の気持ちを伝える決意まで固めていた。

 しかしその間際でのミルヒとの縁談により、彼女のその機会は永遠に失われることになる。なぜなら、自分の告白にイエスと言われれば、それがそのまま彼女の主君への背徳ともなるからだ。結果涙をのんで身を引いた彼女だが、戦ではその己の心を殺して、従来通りシンクと共に戦うことを決めていた。その方が見ている側が盛り上がる、何より当の本人が彼女の気持ちに全く気づいていない、そしてそれ以上に彼女自身、やはり戦場でシンクとともに戦うのは私情を差し引いても心が躍るからだった。

 それにしても 天才的なまでに鈍感だと彼女でさえも思う。髪を切ったときだって「イメチェンだ」の一言に対して何も突っ込んでこなかったシンクに対してはその評価で間違っていないだろう。

 だからこうして彼女が髪を切って、つまりシンクに()()()()以来、共に戦場に立つときはどうしても自身の心を隠さなくてはならない、という堅い心構えがあった。その一件後も数度戦はあったが、どれも同じような具合であった。そして今回、久しぶりということもあり余計に硬くなってしまっている。

 

「もしかして緊張してる? 久しぶりの大きな戦だからさ」

「貴様と一緒にするな。緊張などするか」

「そう? 僕も緊張はしてないよ。むしろ……久しぶりにソウヤと戦えるってワクワクしてるけど」

 

 相変わらずの戦馬鹿だ、とエクレールは思う。だが、だからこそ彼の隣で戦うときは彼女も興奮を隠し切れないのだった。派手好きでええかっこしいの勇者だが、その目を奪われる活躍は見事と言わざるを得ない。そんな彼と共に戦場を駆け抜けるのは、エクレールにとっても喜びに他ならなかった。

 

「そのあいつだが……妙だな。これまで堂々と姿を晒してきたことがあったか?」

「うーん……。あんまりないかもね。大体独立行動取ってたし、あとは本隊と一緒でも後方待機で弓隊指揮ってのが多かったと思う。今回はそういうのなしで僕とぶつかる、ってことでいいのかな」

「とにかく一応は警戒しておく。……何せ奇襲と騙まし討ちの類はあいつの専門分野だ。正面から来る、と見せかけて何をやらかしてくるかわかったものじゃない」

「……エクレはソウヤに対して辛辣だよね」

「お前が無警戒すぎるだけだ」

 

 身も蓋もない発言にシンクは苦笑した。事実、彼女の言うとおりシンクはそういうことに対しては警戒心が薄く、うまく手玉に取られてしまうことがままある。が、それでも戦績はシンクの方が上回っている、ということは、その策をめぐらせてなおソウヤは五分の状態まで持っていけていない、ということを裏付けていることに他ならない。

 

「……まあ貴様は余計な気など回さなくても、持ち前の能力でなんとかしてしまうんだろうがな」

 

 シンクに聞こえないようにエクレールはポツリと呟いた。エクレールと比較しても今やシンクは五分とは言いがたい。自身も成長しているという確証はある。しかしそれ以上に彼の成長は著しく、あのブリオッシュも稽古をつけるときは本気に近いものがある、と言うほどだった。

 そんなシンクの力を他の誰よりもよくわかっているソウヤが、いくら久しぶりの戦で盛り上がっているとはいえ、無策で真正面から仕掛けてくる、というのはエクレールとしてはどうにも考えにくくあった。相手は常に勝ちに来る、という姿勢を知っているからだ。

 

「ともかく、あいつの隊の動きに警戒しつつ、私達は兄上の隊の左翼側につく。こちらの狙いはポイント勝負、あくまで本陣は狙わずにこの湖沼地帯で勝ちを取ることにある。その上でこちらの本陣を守りきれば勝利に繋がるわけだからな」

「わかってるよ、エクレ。要するにソウヤも含めて来る相手を全部薙ぎ払う! ってことでしょ?」

「……何もわかってないように感じるが、まあそうだ」

 

 別にいいか、とエクレールは開き直った。しちめんどくさいことを考えるのは自分の仕事だ。こいつに何を言っても大して効果はないだろう、と心中でぼやく。

 

『さて、それでは間もなく戦開始となりますが……ここで最終確認です。兵力はどちらも1万、勝利条件は拠点制圧ですので、どれだけ点差が開いていようとビスコッティ側本陣スリーズ砦、ガレット側本陣グラナ砦が制圧された時点で勝敗が決まります! ですが……レオ閣下、拠点への攻撃はどうみますか?』

『ないじゃろうな。頭数もほぼあっておるし、少数の突撃もないと思う。おそらく双方とも真っ向からの激突じゃろう。拠点が制圧されるころにはもう勝敗は決しておろうよ』

『なるほど! つまり正攻法による戦いになる、という予想ですね!』

 

 それに解説のレオも正攻法、と見ているのならおそらくそういう流れになるだろう。なら大分気は楽だ。自分達の今回の相手も後方への突撃ではなく、あくまでこのメインの戦場となるチャパル湖沼地帯で戦うことになるだろう。見失う、という不安要素だけはぬぐえる。

 

「……そろそろ始まるか。気を引き締めろ」

 

 余計な心配をする必要はない。あとはいつも通り戦うだけ。戦の間は自身の心のしがらみだのなんだの、そんなものは忘れることが出来る。ただ純粋に、「戦友」に背を預けることができるのだ。

 

「うん!」

 

 そんな「戦友」のシンクは普段どおりの笑顔で答える。鈍感の能天気め、と一瞬彼の性格をのろうが、だがそのおかげで戦では共に戦うことが出来るのか、と思い直すことにした。

 シンクとエクレールが空の映像板を見上げる。戦開始の時は近づき、間もなくカウントダウンに入るところだった。

 

『5……4……3……2……1……』

 

 両軍の兵士達の緊張感が高まる。約半年ぶりのビスコッティとガレットの戦。ソウヤ・ガレット・デ・ロワ卿が復帰後初の放送。そして指揮する遊撃隊が初お目見え。

 舞台は整った。久しぶりの規模の大きな戦に参加者、視聴者、共に期待の視線が交錯し……。

 

 その戦いの幕が切って落とされる――。

 

『戦、開始!』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 6 交錯する戦場 前編

 

 

 戦開始の花火が上がる。それに合わせて「全軍前進!」「ガレット戦士団、突撃!」という声が映像板から音声として聞こえてきた。その様子を特に顔色を変えることなく、格式高い椅子に座ってガウルが見つめていた。

 

「殿下も本当は前線で指揮を取り、直に戦に参加したかったのではありませんかな?」

 

 と、傍らから聞こえてきたややいかつい声にガウルは思わず鼻を鳴らして笑った。ここはガレット本陣、グラナ砦の一室。総大将のガウルはここに2人の将軍と近衛隊、騎士団からの精鋭部隊を引き連れて陣を敷いていた。今声をかけてきたその将軍の片割れ、腹心といってもいいゴドウィン・ドリュールの方へ視線を移して彼は口を開く。

 

「本音を言えばそうだし、姉上が領主時代の俺ならそうしただろうよ。だが今は俺が領主、ガレットの総大将だからな。あるいは隠密2人がいるか、向こうの参加人数がこっちよりはるかに多かったらそれも考えた。しかし手加減……と言っちゃ言葉が悪いが、パワーバランスはなるべく釣り合せないと、見てるほうが冷めちまう。『獅子は兎を狩るにも全力を尽くす』という言葉がソウヤの世界にはあるらしいが……これは狩りじゃなくて戦だからな。道義に則った戦は魅せてなんぼ、盛り上がってなんぼのものだ。その辺の調整は俺らの役目だからよ。

 とはいえ……その煽りをお前に食わせちまって悪かったな、ゴドウィン。久しぶりの大戦だ、お前としちゃ前線で暴れたかっただろうけどよ……」

「なんのなんの。自分は殿下にお供できれば、何も文句はございませぬ故……」

 

 頭を下げた腹心に感謝の気持ちを込めた視線を向けた後で、今度はもう1人の将軍の方へ視線を移す。

 

「ジョーも悪かったな。将軍になってから戦線に出る機会も減っちまった」

「んなことありませんて。遠征やら演習やらでは指揮取らせてもろてますし、おっちゃんやないけどウチもガウ様にお供できれば本望ですから」

「すまねえな……。お前らにそう言ってもらえると助かる」

 

 そう言うとガウルは少し困ったように笑いを浮かべた。

 ガウルの言葉通り、現在ビスコッティは隠密の2人、ブリオッシュとユキカゼを欠いている。久しぶりの大規模な戦ということでわざわざ戦場を5年前の大戦の時と同じチャパル湖沼地帯、互いの本陣をスリーズ砦とグラナ砦にしているのに、先の理由からガウルは将軍2人を連れて本陣で待機していた。確かに戦力差調整という意味もある。だが、相手が本陣を狙ってくるならそれもよし、全力を持って迎撃する、つまり絶対の防衛をする覚悟は出来ていた。

 要するに勝つは勝つ、しかしその勝ち方こそが1番の焦点なのだ。久しぶりのビスコッティとの戦、いかに「魅せ」いかに「面白く」するかが、勝利と同じぐらい重要なこととなる。圧倒的差となってしまっては勝っている側はいいが、負けている側は興醒めだろう。道義を貫いた戦においてはそこまで考えてこその戦興業、というのがガウルの信念でもあった。

 しかしそのために将軍2人には割を食わせてしまった。そこに対しては彼は本当に申し訳なく思っていた。が、今回の主役はあくまで復帰したソウヤとそのライバルのシンクだ。将軍2人もわかってはくれるだろう。それに戦の前、ガウルはソウヤに「シンクとの戦いだけはちゃんと皆に見せろ」と言いつけてある。実際彼は本陣付近に隊をつけているし、開始後も不穏な動きは見せていない。このまま真っ向から、とはいかないだろうが今日の自分に何が求められているのかはわかっているらしい。いや、いちいちそんなことを言わずとも彼は自分に何を求められているのかわかった上での結果を残そうとはしていた。ただ、その過程として奇策や謀略の類が多いという難点は抱えていたが。

 

『ビスコッティとガレット、最前列が激突! 早くも混戦の様相だ! そして……注目のデ・ロワ卿率いる遊撃隊はまだこの位置、後方に控えて騎士団所属の弓隊と共に援護に徹しています! レオ閣下、これはどう見ますか?』

『どうもこうもないじゃろう。まだ動く時ではない、と判断しておるんじゃろうな。確かに奴は取る策こそ正々堂々などとお世辞にも言えた物ではないが、何をすべきかという目的だけは見定められる。そしてそれを見定めれば、揺ぎ無き精神で勝つために全力を尽くす、そういう男じゃ』

『なるほど。そして閣下はそんなソウヤ殿に心をお寄せになった、と』

『……やかましい!』

 

 放送から聞こえる漫才よろしくの解説にガウルは声を上げて笑った。1年間の休養ですっかり惚気(のろけ)ているかと思ったが、意外と彼の姉はそうでもないらしい。そこが面白かった、というのはある。だがそれ以上に自身がソウヤに対して抱いた考えと同じことを、その妻の口から聞けたということに安心感を覚えたからかもしれない。自分の判断は、見る目は間違っていなかった。やはり自分の義兄は本人が謙遜する以上に英雄であり、「勇者」なのだ。そう確信しなおし、口元を緩めてガウルは聞こえるはずはないとわかりつつも激励の言葉をこぼした。

 

「さあ……暴れて来い、ソウヤ! 俺の義兄として、姉上の夫として、『ガレット・デ・ロワ』の姓を名乗るにふさわしい存在だってことを、改めて見せ付けてこい!」

 

 

 

 

 

 戦局が早くも硬直し始めた、ということはエクレールは既に感じていた。しかしまだ次の手は打たない。先に動けば不利になる、彼女はそうわかっていたからだった。現にここの指揮を取っているロランはまだ何も動かない。五分五分の状況である前線を見守るだけだった。

 

「エクレ……そろそろ動かないの?」

 

 そんな彼女の隣で勇者シンクは痺れを切らせそうにしていた。彼の気持ちはわからなくもない。エクレールとしても動けるなら動きたい。だが自分達が動けば、シンクに狙いを定めているあの獅子を引き寄せることになる。それはまだ早い。見せ場、という意味でもそうだが、それ以上にあの隊の動きはこの戦局を左右する、と直感が告げていたからだった。遊撃隊の数はカメラを通じて確認できただけで100程度。今のエクレールの指揮する隊はその倍の200。いくら相手が精鋭とはいえこちらも粒選り、正面からぶつかればまず負けるはずはない。

 だが相手はあの策略家、100と見せておいて実は騎士団に残りの隊を隠していた、あるいは逆にそこまでの数はおらず、少数でこちらの隊を本隊から引き離して分断、などという手を打ってくる可能性もある。下手には動けない、まずは我慢だとわかっていた。

 

「向こうが動いたら動く。……こちらの本陣は比較的固めの守りだ。少数が裏をかいて後方へ突撃したところでエミリオ率いる親衛隊と騎士団が迎撃できる。なら本陣はここを抜かれない限り安泰といえる。こちらは下手に動かず戦局がもう少し動くまで待つべきだ」

「うーん、それはわかってるんだけど……。待つのは性に合わないっていうか……」

「仕方ないな。貴様は戦『馬鹿』だからな」

 

 わざわざ「馬鹿」にアクセントをつけてエクレールは答える。それを聞いたシンクは思わず苦笑した。

 

「何もそんなに強調しなくても……」

「事実だろう。私がくっついていなかったら、今頃飛び出していっただろうし」

「……確かにそうかも」

 

 まったく、とエクレールはため息をこぼす。確かにシンクはいい意味で戦馬鹿だ。だがそれは「戦闘状態に入ってから」の話である。

 戦いは目の前の戦闘だけではなく、大局的なものと言ってもいい。彼にはそこが今ひとつ見えていない節があった。一方よく正反対に位置すると言われるソウヤも根っからの戦馬鹿だと彼女は思っていたが、彼の目はシンクとは真逆だった。彼はいかに戦全体に関わるか、そこに終始している。だから自身が負けても全体で勝つための選択を取ることもあるし、一見無茶な少数による突撃を敢行して戦局を揺さぶり、判断ミスを誘い出すこともある。とはいえ、彼自身も戦いが好きなのだから、シンクと戦う時はあれだけ楽しそうにしているのだろうとも思うが。

 もっとも、それではシンクの戦馬鹿っぷりはソウヤのそれに負けているのかといえば、そんなことは全くない。むしろ自身が楽しそうに戦い、華麗に敵を薙ぎ払い、鮮烈に見る者に印象付けさせる彼は、それだけで戦の中で燦然と輝く星であり、味方の戦意を向上させる。そう言った天性の才を持ってすれば、戦局を見る、などということは細事なのかもしれない。彼が戦う場を見せれば、それだけで戦局が左右しかねないのだから。

 

『均衡を保っていた最前線、次第にビスコッティが押して来たようです!』

 

 と、聞こえてきた実況にエクレールは耳を傾ける。今実況のエビータが言ったとおり、映像は徐々にビスコッティのペースになり始めた前線を捉えていた。

 

「エクレ、いい感じなんじゃない!?」

「ああ、そうだな。……おそらくそろそろ動いてくるだろう。準備しておけ」

「うん、いつでも!」

 

 もう間もなく始まるであろう自身のライバルとの戦いに思いを馳せ、シンクは嬉しそうに答えた。

 

 

 

 

 

 一方でソウヤはその実況を苦々しい気持ちで聞いていた。どうにも領主殿は盛り上げることに神経を割き過ぎるあまり、勝てる戦いをわざわざイーブン以下にまで持っていきたがる様子だ、と思わず心で愚痴りたくなる。

 

「ソウヤさん、動かなくていいんですか? 前が押されて来たって言ってるし、そろそろ何かしら手を打たないと……」

 

 副隊長のベールがセルクルを寄せ、ソウヤに話しかけてきた。話しつつも前線へは矢を送っている。

 

「考えてはいる。だが……癪だ」

「癪? 何がです?」

 

 ソウヤの発言の意図を掴みかねて、ベールは首を傾げた。

 

「我慢比べに負けたみたいに見える。それで業を煮やした、など敵の思う壺だ。……それ以上にシンクが後ろに引っ込んだままってのが気に食わねえ。あいつが考えなしに突っ込んできてくれりゃあ分断から挟撃までいくらでも手はあった。なのにあの保護者(・・・)がうまいこと抑えてんだろ。そのせいでこっちは手が出せない。わかってるな、あいつは」

「保護者って……。ああ、エクレちゃん。彼女親衛隊長ですからね。こういう戦局を見る目は一流ですよ」

「あとはシンクのコントロールもな。使いどころ、抑えどころをよく心得てやがる。なんだかんだ、いいコンビだってのに……」

 

 そのソウヤの言葉に思わずベールの表情が曇る。エクレールとは戦場だけならず、プライベートで時折顔を合わせたときもつんけんにあしらわれることの多かったベールだが、心からは嫌がっていない、むしろ彼女なりの感情表現だと思うところがあった。元は親衛隊という同じ立場であったし、気持ちと態度が裏腹に出てしまう彼女の癖をわかっているからでもあった。そんなエクレールの心を思うと、仕方のないこととわかっていながらも、ベールも少なからず心を痛めていた。

 

「……そんな顔をするな。過ぎたことで仕方のないことなんだよ、エクレールにとっちゃな。あいつは自身の騎士道精神を貫いた。ならばそれを称え、そんな私情を挟みこまずにこっちも全力で相手をしてやるのが礼儀ってもんだろ」

 

 ベールがソウヤを見つめなおす。勝てばいいだのなんだの言っておきながら、この人は相手の心をわかっている。いや、むしろ相手の心を読む能力に長けているから怖いのか。常に先を読み、裏をかく、それはそのように相手の心がわからなくてはできないことだ。

 しかしわかっていて、弱みだけに付け込むようなことはしない、それがこの人のいいところでもあるとベールは思っていた。今だってエクレールの心をちゃんと汲み取っている。やはりなるべくしてレオの夫となった人なのだろう。

 

 初めて会ったときは他者との係わり合いを拒絶し、刃物のように鋭い目で意固地に孤独を貫く、どこか怖い人だとベールは思った。だがその実、彼の心は誰よりも敏感で繊細だったのかもしれない。「別れの悲しみを減らすために他者との接触を断つ」と言った彼の言葉が、何よりもその心を物語っているのではないか。いや、そうでなくてもレオの心を知りつつも、彼は彼女のことを思って心を殺すと一度は決めたこともあった。だとすれば、他者を思い尊重する、それこそが彼の本質ではないだろうか。

 そんなことを口にしたら「んなわけないだろ」と一蹴されるに違いない。エクレールほどではないが、彼もいささか素直でない一面がある。だがそんな彼は絶大な信頼を受けて遊撃隊の隊長を務めている。1年のブランク明けだというのに不満が出るどころかその元で戦いたいという志願者まで出るほどだ。かくいうベールも絶対の信頼を置いている。

 その隊長が先ほど言った言葉に、ベールは少し心が晴れたように感じた。彼の言うとおり、エクレールのために全力でぶつかるのが今の自分に出来ることだろう。これまで曇っていた顔の頬が思わず緩む。

 

「……なんだよ、落ち込んだり笑ったり忙しい奴だな。表情をころころ変えやがって、気持ち悪い」

「ちょっ……! 気持ち悪いってなんですかー! 女の子にそんなセリフは言っちゃダメですー!」

 

 ベールからの反論を軽く鼻で笑い飛ばすソウヤ。頬を膨らませて不満を表すベールだが、もはやソウヤはそれを意ともしていない。

 

「さてと……。ふざけてる場合じゃないな、そろそろ仕掛けるか」

「行きますか?」

「ああ。ちょっと早いが、シンク達の隊を向こうの本隊から切り離す。その後の戦況は……バナード将軍の本隊次第だな」

「シンク君と戦ってたら、周りを気にする余裕ないですもんね」

「まあそういうことだ。……遊撃隊一同、聞け!」

 

 自分の隊の隊長から聞こえた声に、隊の人間たちは援護の手を止めて声の主を見つめる。

 

「これから大外に突撃をかける! 向こうの勇者と親衛隊長の隊をそこにおびきだすぞ! 俺は勇者の相手をする、お前たちは親衛隊長と向こうの隊を蹴散らせ!」

 

 雄叫びが上がる。隊の全員はこの瞬間を待っていたのだろう。士気は十分だ。

 

「行くぞ!」

 

 ソウヤを乗せたヴィットが駆け出す。それに新設の遊撃隊のメンバーが続いた。

 

 

 

 

 

『フランさん、こちら現場のジャンです! デ・ロワ卿、ついに動きます! 遊撃隊を従え、大外をぐるりと回るように前進し始めました! まるでビスコッティの勇者を外側に誘うような動きに見えます!』

『おっと、デ・ロワ卿がとうとう動くようです! ……閣下、どう見ますか?』

『妥当じゃな。とはいえ、味方が押され始めた状況をどうにか打開しようという苦し紛れにも見えるが……。ともかく、明らかにシンクを誘い出す算段のようじゃ。じゃがこれは向こうも乗らざるを得ないじゃろう』

 

 ソウヤ達遊撃隊が動いたという情報はこの放送を通じてエクレールの耳にも入っていた。確かに今レオが言ったとおり苦し紛れに見える。が、そう「見えさせる」ことができるというのがソウヤの怖いところであるとエクレールは知っていた。故に放送を耳にしても即座に行動の判断は下せず、やや悩んでいた。

 

「エクレ、ソウヤ動いたって!」

 

 が、そんな彼女の心中など彼にとってはお構いなしのようだった。もはや久しぶりの一騎打ちしか考えていないのだろう。全く単純な奴だとエクレールはため息をこぼした。しかしこぼしつつも、動いたのは相手が先、もはや隊の数をごまかすことはできないだろうとわかっていた。数は予想通り100程度。それを再確認し、彼女も心を決める。

 

「これより我らはデ・ロワ卿率いるガレット遊撃隊の迎撃に向かう! 私と勇者に続け、遅れるなよ!」

 

 エクレールからの命令に兵達が雄叫びを上げた。その味方達に背を向け、言葉通りエクレールはシンクと共に先行してセルクルを走らせる。

 

『実況席、ビスコッティ国営放送のパーシーです! デ・ロワ卿の動きを受けてやはりこちらも動きます! 勇者シンクと親衛隊長エクレール、ビスコッティ名コンビの2人を有する隊です!』

『ありがとうございます、パーシーさん。こちらも動くようですね』

『まさに舞台は整った、というところじゃな』

『閣下の仰るとおりでしょう! さあ久しぶりの勇者対元勇者の戦いです! 果たしてどうなるのか!?』

 

 実況を耳にしつつ、シンクはここ最近では久しぶりに高揚していた。大学の実技で教官が手放しで褒めたことがあった。同級生の見ている前で高難度の技を見せて賞賛を浴びたこともあった。だがそんなものとは比べ物にならない、心躍るような胸の高鳴り。

 ああ、やはりいっそこのままこの世界に永住できたら、と彼は思ってしまう。元の世界の生活も何もかもを忘れ去り、ここでこうやって戦に勤しむ、それもいいかもしれない。だがそれはできない。地球には父がいる。母がいる。違う大学のために距離こそ離れてしまったが幼馴染の友人がいる。そして自分に期待をかけてくれるたくさんの人たちがいる。そんな人たちの期待を裏切るようなことは出来ない。

 

(……やめよう)

 

 そう思い、シンクは頭を振った。今までずっと悩んで出なかった答えだ、今ここで出るはずもない。なら今この瞬間を楽しまなくては損だ。そして何より、得意の策略を用いずに真っ向から突っ込んでくる自分のライバルにも申し訳がない。だから全力でぶつかる。持てる力をぶつけ、「勇者対元勇者」として期待される戦いを見せる。

 

 なおもセルクルを走らせ、大外に動いた相手の遊撃隊の姿が僅かに見えてくる。さらに両者の距離が詰まり、間もなく激突するかという時、前方で黄緑の輝力の光が輝いた。ソウヤではない、副隊長を務めているベールの輝力の輝きだろう。

 

「エクレ!」

「わかってる! ベールの狙いはおそらく私だ! 多分時間差で撃ってくる、お前は次の本命に備えろ!」

「了解!」

 

 返事を返した後で、シンクは「ディフェンダー!」の声と共にパラディオンを形状変化させる。盾の形状、「ライオットシールド」。矢はおろかガレット特選装備部隊が銃から放った銃弾、さらには紋章砲までをも弾く鉄壁の盾である。

 その変化が終わるとほぼ同時、黄緑の尾を引いた閃光が迫ってくるのがわかった。だがシンクは動かない。狙いは自分ではない。その先にいるのはエクレールだが、彼女は「本命に備えろ」と言った。ならここで余計な心配をするのは逆に彼女に失礼だ。そう考え、自身の身を守ることに集中する。現に今度は濃紺の輝力の輝きが目に入ってくる。

 

「さあ……来い!」

 

 放たれた濃紺の閃光が自分へと迫る。力と輝力を込め、盾を持つ左手を前へと構える。ライバルの得意の弓による先制攻撃。まずはここで確実に防ぎきる、とシンクは意識を集中させた。

 が、彼が持つ盾にその矢が命中することはなかった。シンクの盾に命中する直前、矢は大きく軌道を変え、まるで風に流されたかのように左に――そう、エクレールの元へと迫った。

 

「エクレ!」

 

 再びのシンクの叫び声に、ベールの輝力の込められた矢を弾き終えたばかりだったエクレールの表情が青ざめる。彼女はすっかり失念していた。相手はあの(・・)ソウヤだ。真っ向から来ているからといって、正攻法で、自分の物差しで計れる方法で仕掛けてくるとは限らない。この一発にしたって、シンク目掛けて放たれる、とは当人の口からは一言も言われていない。「普通はそうする」などという憶測でこちらが勝手に決め付けてかかったことだ。

 

(ぬかった……!)

 

 後悔の念に駆られたエクレールは思わず奥歯を噛み締める。咄嗟に再び2本の短剣をクロスさせて防御するが、勢いを完全には殺しきれなかった。

 

「くうっ……!」

 

 矢自体の直撃は避けたものの、乗っていたセルクルから放り出される。そのまま受身もうまく取れず、エクレールは背中から地面へと叩きつけられた。

 

「エクレ!」

 

 三度彼女の名を呼んだ彼だったが、

 

「私に構うな! 前を見ろ!」

 

 その声に前へと視線を戻した。それと同時、再び濃紺の尾を引いた閃光が迫る。先ほどより短い距離から放たれた矢が狙っているのは今度こそ間違いなく自分だ、と判断してシンクはシールドを突き出す。はたして矢は盾に命中し、だが同時に爆発を起こした。煙を晴らすために盾を横に薙ぐ。が、その煙が晴れると同時、この一瞬で距離を詰めきったのか、大上段から蒼い軌跡を煌かせた剣を手に斬りかかる好敵手の姿を、シンクは目の当たりにした。

 

「さあ……始めるぜ、シンク!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 7 交錯する戦場 後編

 

 

『つ、ついに始まりました! 本日最大の見物と言っていいでしょう、勇者対元勇者の戦いです! 閣下、どう見ますか!?』

『……見事じゃな』

『……は?』

『今のソウヤのフェイクじゃ。最初にベールにタレミミを撃たせ、次撃のソウヤの一撃をシンクに向ける、と見せかけて再びタレミミを撃つ。あの一射、奴の得意の紋章砲『サイクロン・アロー』じゃな。かつてはワシの紋章砲『魔神旋光破』と打ち消しあった、点で撃ち抜く狙い済ました一射じゃ、シンクへの挨拶代わりの一撃と誰もが思ったじゃろう。

 じゃが実際の狙いはタレミミだった。結果、隊長の足が止まったことで部隊の足も止まる。そこに遊撃隊が突撃、隊のアドバンテージを得た状態で自身はシンクとの戦いに集中する。……一歩間違えれば卑怯と罵られかねない方法じゃが、自分はシンクを狙うものだという先入観をうまく使った方法とも言えるじゃろうな』

 

 部隊への突撃の指示を出しつつ、ベールはレオの冷静な解説を聞いて苦笑を浮かべていた。ごもっともな解説、まさに模範解答であった。

 ベール自身、ソウヤからは「エクレールを狙え、俺は時間差で撃つ」とだけ言われていた。だからソウヤはてっきりシンクを狙うものだとばかり思っていた。が、標的の直前で彼の矢は軌道を変え、連続でエクレールを狙った。あれだけの出力のある紋章砲の軌道を変更するとは、まさに輝力制御に長ける彼ならではだろう。

 しかしその一射に呆気にとられていたベールに次にかけられた言葉は「畳み掛けろ、俺はシンクをやる」というものだった。意味を問いただそうとするより早く、彼を乗せたヴィットは得意の脚力によって猛スピードでシンクへと迫っていく。もう1度エクレールを見たところで、ベールはようやくソウヤの真意に気づいた。今レオが言ったとおり、相手の足を止めさせ、こちらの有利を得た状態を作り出したのだ。

 彼らしい、とベールは思っていた。自身の戦いと自軍の勝利と、同等に見ている彼の判断である。せっかく作ってもらったこの状況を使わない手はない。何より、紋章砲一発分の輝力を自身の相手ではなく自分たちのために撃ってくれたのだ、それを無駄には出来ない。

 

「悪いけどエクレちゃん……覚悟してくださいね!」

 

 ようやく立ち上がったエクレールに狙いを定め、ベールは第二射を放った。

 

 

 

 

 

 シールドで矢を防御した時の爆発から、シンクは次の手を読めていた。結果的にエクレールを狙った一射目の「サイクロン・アロー」とは違い自分に向けられたのは爆発によって多数の敵を薙ぎ払う「スマッシャー・ボルト」だ。対集団戦においてソウヤがよく用いる紋章砲だが、1対1においては着弾と同時に爆発する性質を生かし、今のように煙幕代わりに使われることが多い。事実、過去に何度もその方法を取られたこともあって、シンクにとって大上段からの一撃を盾で逸らすこと自体は容易だった。

 が、彼の怖いところはここからだ。身体強化の紋章術によるサポートを受け、ソウヤはその振り下ろした勢いをそのままに、体を捻りつつ右足の後ろかかとによる上段回し蹴りへと移行してくる。剣と体術。それこそがソウヤの近接戦における戦闘スタイルだ。

 

「パラディオン!」

 

 シンクの声に呼応して、左手の盾が一瞬で消えて右手に得意の長尺棒が生まれる。上体を屈めつつ棒の腹で蹴りの軌道を僅かに逸らし、シンクも転げるようにセルクルから飛び降りた。ソウヤのヴィットは既に主の戦いの邪魔にならないよう、離れたところに待機している。

 

「まさかエクレを狙うとは思わなかったよ」

 

 開いた間合いでの睨み合いの状態で、自身の調子を確かめるように棒状のパラディオンをクルクルと回しつつ、シンクは口を開く。

 

「お前だけを狙え、なんて決まりはないからな。文句あるか?」

 

 着地後、ソウヤは剣状のエクスマキナを左手へと持ち替えた。彼特有の戦闘スタイル、あえて利き腕と逆の手に剣を持つことで防御に使い、反撃に右の徒手と両脚の蹴りを使う方法だ。

 

「ははっ、ごもっとも。てっきり僕を狙ってくると思ってたから意外だっただけ」

「そこを利用させてもらったってだけだ。それ以上の文句は後で聞いてやる。……敗者の言葉に耳を傾けるのも、勝者の義務だろうからな!」

 

 挑発の言葉と共にソウヤが踏み込む。それに対してシンクは牽制代わりにパラディオンを突き出した。まるでそれが来るのを読んでいたかのように身を横へと逸らして攻撃を避ける。

 いや、実際ソウヤはそれを読んでいた。かつての戦いの経験から、まず牽制にこれが来ることは読める。ソウヤの得物は剣と体術、あるいは弓。一方のシンクは長尺棒。一騎打ちにおいて弓を主軸に据えないソウヤはより踏み込まなければならない。そうなると先手はリーチに分があるシンクに取られる。そこでとんでくるのが牽制の突きであった。

 

 なぜ弓を主軸に据えないのか。一対一において弓という武器は基本的に不利だからだった。一撃で勝負をつけられるならまだしも、基本的に距離を詰められれば圧倒的に劣勢となる。相手の接近に合わせて距離を離しつつ戦う、というのも厳しい。迫る相手に対し、狙いをつけながら距離を空けるというのは速度が出ないために距離を詰められやすい。無論、紋章術によって速度を補うことは出来る。が、それでも狙いを定めるのは難しい。紋章術のサポートがあればその狙いについても不可能ではないことだが、たとえ定められて命中したとして、先に述べたとおり一撃で勝負をつけられなければ結局次弾までの時間から距離を詰めきられることとなる。

 よってソウヤは一対一の状況において、「接近される前に一撃の下に相手を撃ち抜く」という思想よりも「接近戦に不得手な武器を捨てて他の武器によってあえて接近戦を仕掛ける」というスタイルを取っていた。現実主義の彼らしいといえばらしい発想である。「一撃で仕留める」というのはある種ギャンブルだ。相手の防御や回避によって初撃で撃ち損じた場合、圧倒的不利に陥る。強力な紋章砲は体へのフィードバックも大きい。輝力のコントロールは長けている彼とて、強力な紋章砲を放った後の反動は抑えきれるものではなく、決め損ねた場合は不利にさらに拍車をかける形となる。

 さらにはガウルが得意とし、他にも使い手の多い「輝力武装」を彼は用いようとしなかった。自身の身体能力を補うために輝力を使うソウヤの場合、その生命線でもある輝力を大量に消費してしまう輝力武装はスタイルに合わないと判断したからだった。

 しかしその戦闘スタイル、悪く言ってしまえば「場当たり的」な戦い方は彼が言うところの「非力」に他ならない。不幸なことに彼はレオのようなパワーもシンクのようなスピードも持ち合わせていない。加えて得意武器の弓が一騎打ちに不向きという状況。突出している部分といえば輝力の扱いに定評があるという程度。ソウヤはその助けをもってなんとかここまで戦い抜いてきた。自身のスタイルを嘆きたくはない。嘆いて変えようとしたところで、周囲の天賦の才を持つ連中には及ぶはずもない。だったら、慣れているスタイルを貫き通して、足りない部分は頭と輝力と小手先の技術でカバーすればいい。それこそが、「器用貧乏」と自嘲する彼の戦い方だった。

 

 そんな彼が頼れるものは自身の頭脳である。シンクの牽制の突きをかわした時点で次の行動を予測。多いのは一旦パラディオンを引いての再度の突き、あるいは突いた状態からの横薙ぎだ。もしくはソウヤが自分の距離に持っていくのを嫌うかのように間合いを空けてくるか。

 しかしシンクの動きはそのどれでもなかった。パラディオンを引くには引いたが、あろうことか()()()()()パラディオンの逆側、すなわち手元の部分による上段への殴打へと移行する。

 

(……誘い込んでやがるな)

 

 一瞬動揺したものの、ソウヤはすぐにその心を落ち着けた。過去に数度こういう展開はあった。自身の距離でなく、あえて相手の距離で戦うというシンクの悪い癖のようなもの。今日はソウヤの復帰戦だ、ならあえてその間合いに踏み込んでやろう、などという目論見だろう。

 

(舐めやがって……!)

 

 ソウヤも受けて立つ。体を屈めて攻撃をかいくぐり、下段への足払い。地面を這うように払われたソウヤの左足は空を切るが、回避によってシンクの体勢がわずかによろめく。ソウヤはそこを見逃さない。軸足にしていた右足で地を蹴り、払ってきた左足と手で体を支えつつの右足による上段蹴りへ。「シャペウジコウロ」と呼ばれるカポエイラの蹴り技、かつて空手を習っていた彼がより蹴り技に特化しようと習った格闘技の蹴りである。

 シンクはそれを左手の手甲で受け止める。トリッキーな動きから放たれる蹴りであるが、過去の戦いからシンクの目はその動きに馴れつつあった。踏みとどまって二撃目同様に今度は中段へとパラディオンを薙ぐ。だが蹴りで屈んでいた姿勢から起き上がったソウヤは、あろうことか「マカーコ」と呼ばれるバク転でその攻撃をやり過ごした。着地と同時に再び右足での上段回し蹴り。シンクは上体を反らしてその蹴りをかわす。

 来る、とシンクは直感した。その読みどおりソウヤが攻勢に入る。かわされた蹴りの勢いをそのままに体を回転させ、左手のエクスマキナで上段を薙ぐ。パラディオンで防御するシンクだが、次いで右足の踏み込みと共に右の拳が腹部に迫るのを確認した。

 

「はあっ!」

 

 気合の声と共にソウヤの右拳が振り抜かれる。すんでのところでシンクは体の間に左腕を割り込ませて防御していた。が、力を込められて放たれた強烈な一撃だ、そのまま数歩後ずさり間合いが開く。

 

「いってて……。本当に1年間のブランク明け? 全然そんなことを感じさせないコンビネーションなんだけど」

 

 腕の痛みを和らげようと左手を振りつつシンクが口を開く。それに対してソウヤは鼻を鳴らすだけで答えとした。

 やはり簡単には事を運ばせてくれない。今日も苦戦するな、とソウヤは先行きを悲観的な目で見つめた。

 

 

 

 

 

 高所からの眺めと入ってくる映像によって戦況が逐一わかる実況席では、その2人の様子に興奮気味な実況を入れていた。

 

「や、やはり凄い! さすがはビスコッティとガレットの名物勝負の一つ、勇者対元勇者! ブランクを全く感じさせないデ・ロワ卿の連続攻撃! そしてそれを捌ききる勇者シンク!」

「ブランクといっても時折ビオレと実戦形式で組み手をしていたようじゃからな。カンが鈍っているということはないじゃろ。身重でなければ喜んでワシが相手をしてやったんじゃが、如何せんそうもいかんしの」

「なるほど! あの近衛隊長相手に訓練していたとあれば、それは納得です! ですが……ビスコッティ側の勇者シンクもかなり調子は良さそうですね。ビスコッティのアナウンサーとしてはどう見ますか、エビータさん?」

「そうですね。私が実況を務めさせていただいた限りで言えば、ここ最近の中では1番キレがあると言ってもいいのではないかと思うのですが。ここはレオ閣下にも意見を伺いたいところですね。いかがでしょう、レオ閣下?」

「……そうじゃな。ワシもここ1年の間のことはわかっていないが、それ以前の戦の様子を思い出しても、かなりいい動きをしていると思う」

 

 そう答えた後で、レオは思わずその目を伏せた。傍らのアナウンサー2人は既に実況を続けており、そんな彼女の様子には気づかない。いや、その前に、彼女がシンクに対してコメントを求められた時に、思わず()()()()()ことにも気づかなかった。記憶を探っている、と思われたからかもしれない。だがそれは違った。

 

(やはり……お前はもうシンクには()()()()のか、ソウヤ……)

 

 心中にそんな思いがよぎる。いつも以上にキレのいいシンクの動きを見てコメントを求められた時に、彼女は休養中に夫が不吉なことを言っていたと思い出した。

 

『もう、俺は今後シンクに勝つことはできないのかもしれないな』

 

 自嘲気味に言ったせいもあって、いつものことだろうと、彼女は「ふざけたことを言っていると張り倒すぞ」と返した。が、彼は再び自嘲気味に笑い、「本気で言っていたとしても張り倒されるのか?」と答えたのだった。

 その時に彼女はようやく気づいたのだ。ソウヤはシンクと自分との間に埋めがたいほどの決定的な差が生まれていることに苦悩している、と。

 考えてみればその兆候はあった。互いに召喚当初は互角以上の戦いを繰り広げており、今も見た目はそう見えるし実力は互角というのが周知である。が、戦績がそれを否定していた。休養前の年にソウヤが挙げた勝利はたったの1勝。その唯一の勝利はシンクが風邪をおして強行参加した時の勝ち星だ。つまり相手の調子が落ちている時でもなければ、もはやソウヤは勝てないというほどにまで追い込まれていた。

 

 では今日のシンクはどうか。先ほど彼女の自らの口から出たとおり、絶好調なのだ。久しぶりの戦で張り切っているのだろう。対してカンを鈍らせないように訓練は怠らなかったとはいえ、正式な、殊に実戦での一騎打ちは1年ぶりのソウヤだ。この差は決定的と言える。

 

(じゃが……ワシはお前を信じるぞ、ソウヤ……)

 

 そんな思いと共に映像の夫に視線を向ける。しかしそんな彼女のささやかな願いとは裏腹、彼は今では攻めあぐねているとわかった。先ほどまでの攻勢から一転、今度は守りに回っている。距離こそ彼の距離を取らせてもらっているが、しかしそれでもなお防戦にまわらざるを得ない。

 すなわち、自分の得意距離を保たずともシンクは十分戦えてしまっているのだ。棒状のパラディオンから繰り出される変幻自在な攻撃を時に剣のエクスマキナで捌き、時に身を翻してかわす。防戦ながらも要所要所で反撃を繰り出し、なんとか押し切られる状況だけは脱している。だが攻勢でも攻め切れずにこの状況、やはり厳しいのかもしれない。

 それでも、とレオは彼を信じていた。勝てない、とレオにだけは泣き言をこぼしてなお、ソウヤは今日の戦いで引こうとしなかった。多少の小細工はあったとはいえ、あえて真っ向からぶつかった。彼には引けない理由があるのだ。元勇者として、ガレット・デ・ロワの姓を名乗る人間として、そして「百獣王の騎士」レオと肩を並べる存在として。さらには「蒼穹の獅子」と呼び、今も自身の戦いを楽しみにしてくれている自国の国民のためにも、彼は戦い続けるだろう。

 「自分は王という器ではない、人の上には立てない」などと言っている夫に対し、レオはそこだけは否定したかった。彼の戦いは見る者の心を動かす。シンクのような華こそないかもしれないが、ストイックに目の前の討つべき獲物だけを見据えて戦う姿は、かつて勇者と呼ばれ、今は「蒼穹の獅子」の二つ名を持つ者のそれとしてふさわしい。王は人の心を惹き動かす。だが裏を返せば人の心を動かすことが出来ねば、王たる資格すらないのだ。なら、彼には資格があるということになる。だから、と、そんな彼を彼女は信じるように画面越しに見つめた。

 

 戦は早くも中盤戦の様相を見せ始めていた。

 

 

 

 

 

 戦局が大分進んでいることはガレットの本隊で指揮を取る騎士団長のバナード・サブラージュ将軍も気づいていた。あとは仕掛けどころだ。現在の戦況はほぼ膠着(こうちゃく)状態。一時的には押されていたが、ソウヤ率いる遊撃隊の突撃と勇者対元勇者の戦いが始まってからは全軍の士気が上がり、盛り返すことに成功している。まだ彼が率いる本隊の戦力は温存してある状況だ、何かしらのきっかけがあれば全軍に突撃をかけて押し切れるだろう。

 

 と、策略をめぐらせる彼の傍らにひっそりと近づく1つの黒い影があった。

 

「将軍」

 

 抑揚はないが、どこかかわいらしい声で自分を呼んだ声の主の方へ彼は視線を向ける。

 

「やあ、ノワール。何かあったかい?」

 

 黒のフードつきローブを身に纏い、そのフードを頭からすっぽりと被ったノワールが音もなくバナードの側へと駆け寄り片膝をつく。ローブの下から覗く、先日ソウヤとビスコッティを訪問した際に着ていた騎士服も黒。まさに黒で統一された「闇」のような格好が、諜報部隊の彼女の正装でもあった。

 諜報部隊は平時からも他国の情報収集や要人警護、さらには魔物への対策など任務が絶えない。かといって戦の時は休みかといえばそうでもない。偵察による戦況の情報収集を主としているが、場合によっては急襲から撤退時の殿(しんがり)まで事欠かない。一線で活躍する隊ではないものの、戦況を有利に進めるための裏方の隊であった。

 

「本隊は膠着状態。敵の迂回する隊もありませんので、現在五分五分の状況です。一方遊撃隊の首尾は上々、親衛隊長の騎士エクレールこそ撃破に失敗しましたが、隊相手には確実に押しています。勇者とデ・ロワ卿の一騎打ちは現在はほぼ互角ですが、長期戦は不利なデ・ロワ卿がそろそろ厳しい状態になるかと」

「はは……。君はなかなかに辛辣だな」

「事実を述べているだけです。……でも、本音を言えばソウヤには勝ってほしいけど」

 

 それまでのお仕事モードの堅苦しい喋り方を崩し、後半は表情にも僅かに感情を表してノワールは答えた。

 

「私も同感だね。ソウヤ殿の復帰戦でもあるし、今日は気分よく快勝してくれると個人的にも嬉しいのだが」

「でも難しいかも。ブランク明けだし、今日はシンクも絶好調みたい。それにソウヤ自身が言っていた()()()()()()()まで時間がないから……」

「そうか……。彼からの頼みだ、致し方ないか」

 

 言葉通り、口惜しそうにバナードは呟く。ソウヤは前もってバナードに自身の一騎打ちの時間について話していた。基本的にソウヤの戦い方は紋章術頼り、輝力を使うほど窮地に追い込まれる。そのため長期戦には不向きなのだ。長くなればなるほど、負ける確率が濃厚になる。

 そのため、事が事なら本隊側で何かしら行動を起こしてもらえると助かる、と非常に遠まわしに彼はバナードに援護を嘆願していた。勇者対元勇者という注目の2人なだけに、戦の勝利の鍵となるポイントは非常に高い。彼の敗北はそのままガレットの敗北に繋がりかねない。バナードもそこは心得ている。

 元より、勇猛な者が多くいるせいか「脳筋」などと揶揄されるガレットにおいて、この場にいる将軍と諜報部隊長、それに元勇者の3人は数少ない知略派でもある。一騎打ちでは不利であるかもしれないが、既にソウヤは向こうの勇者と親衛隊長率いる隊の出鼻をくじき、戦局を有利に運んでいる。次はこちらの番だろう、とバナードは不敵に小さく微笑んだ。

 

「では……元勇者の遊撃隊長殿からのご要望だ。少し早いが、そろそろ戦局を終盤戦にもって行くとしよう。ノワール、一緒に来てくれ」

「了解。今本隊に集まっている数は少ないけど、諜報部隊、お供します」

 

 うむ、と頷くと、バナードは声高らかに自軍へ向けて命令を飛ばした。

 

「これよりガレット軍、全軍突撃する!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 8 道化の立役者

 

 

 金属同士がぶつかり合う澄んだ音が鳴り響き、一瞬遅れて2つの影が音の元から離れる。一方の影は着地と同時に長尺棒を回転させてまだまだ余裕があることをアピールした。もう一方は癖なのか、剣を持った左手の手首を回し、それに伴って剣から走る蒼い軌跡が宙に円を描く。その後で一旦大きくため息をこぼした。

 

 ソウヤは苦戦していた。近衛隊長であるビオレとの模擬戦でカンは鈍らないようにしつつ、その中でシンクならどう来るか、どの程度の速さがあるかを予測して調整しているつもりだった。しかし今剣を交えた勇者はその彼の予想を上回っていた。予想が甘かったわけではない。彼の想像を超えて、シンクは1年間で更に成長した結果だった。

 この天才の成長は天井知らずか、という弱音が心をよぎって思わず小さく舌打ちをこぼす。まずい。既に心が流されてきている。勝てる勝負も負けると思えば勝てない。それが負けが濃厚な戦いなら余計だ、と思ったときに、今の思考の流れはこの戦いを負けが濃厚と見ているに他ならない、と気づき、今度は自嘲的な笑みを浮かべた。

 

「……まだまだソウヤも余裕そうだね」

 

 その笑顔を余裕の笑みと取ったのだろう、シンクがそう返してきた。全く逆の意味を持つ笑みだったが意味を取り違えられている。だが、ソウヤはこれを天恵と捉えた。まだ運に見放されてはいないらしい。ここで笑みの理由を看破されれば、次の容赦ないシンクの攻撃で決着が決まるかもしれない。だがそう捉えなかったということは、まだ自分の勝ちの目は消え去ったわけではない。

 

(なら……賭けてみるか)

 

 既に消耗は激しい。最初の攻勢以降、防御に回りつつも反撃の機会を窺ってきたが、一向にそれが訪れない。そのせいで消耗戦の展開となり、防御や回避を紋章術で補うソウヤに対してそこまで紋章術を使っていないシンクはまだ余力十分。分は相当に悪い。イチかバチかを仕掛けるならここがラストチャンスだ。

 

「そうでもない。結構しんどいんだがな」

 

 再びエクスマキナを持つ左手の手首を回しつつ、ソウヤは先ほどのシンクの問いかけにそう返した。彼としては事実を述べているが、シンクは言葉通りには捉えないだろう。おそらく、自分を油断させるためのブラフと取るはずだ。

 

「またまた。その手は食わないからね」

 

 まったくもって乗せやすい。予想通りの返答だ、とソウヤは内心でほくそ笑む。

 

「さて……。守ってばかりも疲れるしな。今度はこっちから行くぞ」

「望むところ!」

 

 ソウヤが構える。つられるようにシンクも構えたのを見て、ソウヤは覚悟を決めた。

 

(よし……勝負だ……)

 

 互いに紋章術の構えは無し。が、それこそがソウヤが望んだ形でもあった。ここで紋章術の打ち合いになればまず間違いなくソウヤは押し負ける。過去の戦いで多かった展開だが、その時にシンクの紋章術の威力は既に身に染みている。加えて1年間の空きを考えると、その威力はまた上がっているに違いない。

 それだけは避けたい事態だった。だから、先に攻勢に出ることを宣言して紋章術の打ち合いにならない展開に持っていった。なぜなら、シンクが誘いをかけてきたら断るわけにはいかないからだった。片一方が紋章を輝かせてやる気十分なのに、紋章術の打ち合いを避ける、というのは見ている側としては非常に興醒めだろう。後でガウルに何と言われるかわからない。

 よってその状況を避けられただけでも可能性は出てきている。あとは彼が思ったとおり勝負。自分の輝力を消耗しきる前に、シンクの()()()()()決定打を打ち込めるか否か。

 

 空気が張り詰める。行く、と言われたからにはシンクは馬鹿正直にソウヤが仕掛けてくるのを待つだろう。付け込む隙は他ならぬそこだ。ソウヤは脚に輝力を込める。紋章術により移動速度を強化。そして地を蹴り、後ろ(・・)へと跳んだ。

 

「なっ……!」

 

 これにはシンクも面食らう形になった。だが驚くシンクを尻目にソウヤはエクスマキナを弓へと変化、輝力によって矢を精製し、シンク目掛けてそれを放つ。

 しかし意表を突かれたとはいえ、放たれた矢をシンクのずば抜けた動体視力はしっかりと見切っていた。体を右へと捻らせて回避、矢は左頬の先を掠めて後方へと飛び去りシンクはソウヤへと目を戻す。が、元の場所に彼の姿はない。

 今の一撃はかく乱させるためのものだろう。だとするなら、踏み込んでくる場所はほぼ間違いなく右手側、すなわち矢に視線を追わせることによって生まれた死角。はたして彼のその予想は正しく、そこには右手(・・)にエクスマキナを持ち、背後に紋章を輝かせたライバルの姿があった。

 

「斬り裂けッ! オーラブレード!」

「はああああっ!」

 

 乾いた金属の音と互いの輝力の光が拡散し、逆袈裟に斬り上げたソウヤ得意の紋章剣「オーラブレード」とシンクのパラディオンがぶつかる。かたや紋章剣、それも背後の紋章からレベル2と想像できるものに対して、かたや咄嗟に輝力を込めて防御に入ったレベル1程度のものだったが、その力は拮抗しており、競り合いの状態となった。

 

「くうっ……!」

 

 両手でパラディオンに力を伝えつつ、シンクは防御が間に合ったことに安心する反面、ソウヤの一撃が予想よりも軽かったことに違和感を覚えていた。

 

(疲れている……? いや、違う。確かにソウヤの一撃の重さはレオ様やダルキアン卿に比べたら軽い。でもたとえ疲れていたとしても、そこには相手を仕留めようという鋭さがあったはず。なのに……今はそれが弱い)

 

 ブランク、とは考えられない。剣と体術のコンビネーションを目の当たりにし、さらに先ほどの矢を囮にしての紋章剣への移行。これだけキレがよければブランクというわけではないだろう。なのに詰めの一撃がしっくりこない。

 

(これがフィニッシュじゃない……? なら一体ソウヤは何を狙って……)

 

 その時――。ぞくり、とシンクの背を何かが駆け下りた。彼が持つ天性の第六感。直感的に本能が危険だと告げる。

 

 狙いはこの紋章剣ではない、もしもこの紋章剣すら()だとしたら……!

 

「……ッ! ディフェンダー!」

 

 叫ぶなりシンクは左手を競り合う棒から放し、盾を具現化させる。それを自身の背の方へと向けたところで――。

 確かな手ごたえと共に何かを弾いた感覚を覚えた。

 

「クソッ!」

 

 短く叫び、ソウヤが右の回し蹴りをシンクの上段へと放つ。が、シンクはそれを屈んで交わすと、左手の盾を消して右手のパラディオンを後方へと投げ上げ、3度のバク転で距離を離した後に掴み直した。

 その間、ソウヤは距離を詰めなおすこともエクスマキナを弓へと変化させて追い討ちをかけることもしなかった。いや、()()()()()()、と言ったほうが正しいだろう。

 

「あっぶな……。囮だと思った最初の矢が本命だったってわけね」

 

 いつも通り気楽そうに言ったシンクと対照的、ソウヤは肩で大きく呼吸をしていた。無理もないだろう。初手の射撃、高速移動、紋章剣、さらに放った矢の()()()()と短時間で相当量の輝力を動員したのだ。今彼の体にはその反動が返ってきている。

 

「まさか最初に撃った矢の軌道を変えさせて背中を狙ってくるとは思わなかったよ。防御無しで当たってたら、そのまま次の攻撃を入れられて負けるところだった」

「……なぜわかった?」

「紋章剣が軽すぎたから。なんだからしくない一撃だなって思ったのが、気づいた原因かな」

 

 チッとソウヤは舌打ちをこぼす。事実、彼の紋章剣はレベル2ではなく()()()()()()で放たれていた。背後に煌かせた紋章は彼得意の紋章術によるブラフ。つまり、()()()()()()()()()という騙しのテクニックだったのだ。これにより紋章剣に割くべき輝力を節約し、初撃の矢の軌道変更に用いる。まさに輝力制御に長け、かつ策略をめぐらせてくるソウヤならではの戦法だった。

 

「……まいったな。渾身の策だったってのに」

「びっくりした。初めて見たもん」

「当たり前だ。お前に同じ手を使うのはダメ元の時だけだ。同じ手の2度目は必ず潰してくるからな。勝ちを取りにいくための方法は初見のうちに決めるしかないってのに……また1つ策がなくなっちまった。アイデアが枯渇したら責任取れよ」

「いや、そう言われても……」

 

 困った表情をシンクは浮かべる。だが、困ってるのは俺の方だとソウヤは言い返してやりたかった。

 

 手詰まりだった。軽口を叩いてこそいるが、もはやとっておきの手段は空振り、体は紋章術の反動を受け、さらに輝力は底をついた。次のシンクの攻撃の後にはおそらく倒れている自分がいるだろう、とはっきりと思えるほど、ソウヤは自身の敗北の予感を強く予想していた。

 

「さて……。じゃあ今度は僕の番かな」

 

 そして勇者は無邪気に死刑を宣告してくる。情状酌量の余地無し、まごうことなき「敗北」への審判が下されようとしている。

 

 今回もダメだったか、とソウヤはシンクの背後に煌く紋章を見て自嘲気味に笑みをこぼした。2頭の竜が天を仰ぐ、白く眩いビスコッティの紋章。それを見る人々は皆口をそろえて美しいと言う物だったが、ソウヤから言わせてもらえば死神の肖像に他ならない。過去、その紋章を見た後には敗北を噛み締める自分ばかりがいた。そしてそれをもう1度味わうことになるだろう。

 それでも、負けるときも武人であれ、と降参は口にしなかった。散るにしても華々しく、勝者を称えて敗れよう。かねてからそう思っており、そして今もそう思い、ソウヤは白旗を上げることなく戦う構えを取った。

 

 ――のだが。

 

「シンク! 撤退だ!」

 

 突如として割り込んだ声に、シンクとソウヤがその声の方へと目を移す。見れば声の主はエクレール、しかし騎士服の上着は身につけておらず、スカートと同じ色である黒の服装に変わっていた。上着の中に着ていた服らしく、どうやら遊撃隊とベール相手に上着を破壊される程度のダメージを受けたと見受けられる。

 

「撤退、って……」

 

 そこで周りの様子を窺って、シンクはようやく気づいた。ソウヤとの邂逅は乱戦の真っ只中だった。が、その喧騒は既に遠のきつつあり、周りには味方の姿が見えない。

 

『本隊を縦に破られたビスコッティ軍は全軍が後退を始めました! 既に親衛隊長が率いた隊もほぼ全滅、このままでは勇者が取り残されてしまうが、果たしてどうするのか!?』

 

 これまで目の前の好敵手に集中していたために、意識から排除していた実況の声が聞こえてくる。そこでシンクは自分が今置かれている状況をやっと理解した。

 

「エクレ、今実況で聞こえてきたことって……」

「本当のことだ! 隊は全滅、私も見ての通りダメージを受けている。早くこの場から後退しないと本隊に合流が出来なくなる! いくら私とお前でも数で囲まれたら撃破されかねないぞ! 早く来い!」

「でも……!」

 

 シンクは躊躇う。ソウヤとの決着がまだついていない。もう一押し、という手応えはある。あと少しだけでも時間をもらえれば……!

 

「いい加減にしろ! ここに留まれば奴の思う壺だ! ここでソウヤを倒せたとしてもその後でお前は集中砲火に合う、仮にそこで撃破されなかったとして本隊への合流は絶望的、本陣を落とされればこの戦はその時点で負けだ! そのお前の足止めまでそいつは考えていたんだ!」

 

 ソウヤの口元が緩む。どうやら計画通り事は進んだらしい。シンクを本隊から分断した上で一騎打ちにもっていく。自分が勝てばそれでよし、負けてポイントを大幅に失うことになってもシンクの足は止められる。その場合ポイント差から言うと本隊がビスコッティ本陣のスリーズ砦を落とすか騎士級を相当数撃破しなければならなくはなるが、その場にシンクが戻れないというのは大きなアドバンテージとなるだろう。

 結局真っ向から仕掛ける、と見せかけて既にソウヤは二重三重に手を打っていた。あくまで「ガレットの」勝ちにこだわる彼の戦い方。その掌の上でシンクもエクレールも踊らされていたに過ぎない。

 

「さあ、どうするシンク? 全てはそこの親衛隊長の言った通り。それでも俺を討ちに来ると言うなら、俺も残り全ての力を持って相手してやろう。だが俺もかつては勇者と呼ばれ、今では『蒼穹の獅子』なんて名でも呼ばれる男だ。例え勝ちが万に一つもないとわかっていても最後までその牙を折るつもりはない。追い詰められた獅子の意地を見せてやる!」

 

 ソウヤはエクスマキナの切っ先をシンクへと向け、背後に紋章を鮮やかに輝かせた。

 

「挑発に乗るな! 私達も戻らねば本隊が危険だ! シンク!」

 

 俯き、ギリッとシンクが奥歯を噛み締める。

 

「……オーライ、エクレ」

 

 そして搾り出すようにそう呟いた。

 

「ソウヤ、この勝負は預けるよ。今日こそははっきりと決着をつけよう、って思ってたんだけど……ちょっと残念だな。でもね、次に戦う時は僕が必ず勝つから」

「ああ、賢明な判断だ。だが俺も負ける気で戦うつもりはない、次もこううまくいくとは思うなよ」

 

 そのソウヤの言葉にシンクは小さく笑みを返した。その後で駆け出したエクレールに続き、遅れないようにと走り去っていく。

 

『あーっと! 勇者が撤退します! 勇者対元勇者の戦いの決着はまたしてもお預け! 拠点防衛のためにやむなく勇者が本陣へと引き返します!』

『……命拾いしたなソウヤ』

 

 実況から聞こえてきたレオの言葉にソウヤはやはり見抜かれていた、と思わず苦笑を浮かべた。そして走り去る強敵の後ろ姿を見送り、大きくため息を吐き出した後で――その体のバランスが崩れた。

 

「ソウヤさん!?」

 

 いつの間にか駆け寄ってきたベールがソウヤの体を支える。彼女はエクレールをうまく抑えて戦っていた。エクレールの上着を奪うほどのダメージを与えたのは他ならぬ彼女であり、それだけでも十分な活躍であろう。

 

「ああ……。ベールか。すまない」

「大丈夫ですか!? もしかして今立ってるのもやっとだったんじゃ……」

「その通り。……あー内心ヒヤヒヤだった。でけえこと言って紋章まで出して虚勢を張ったが、あそこでシンクが突っ込んできたら何も出来ずに退場してたぜ。ちっとはあいつが懸命になってくれたおかげで、さっきレオが言った通り命拾いした」

 

 離れた場所で待機していたヴィットが近づいてくる。ベールに預けていた体を今度はヴィットの方へと預け直した。

 

「ともあれ、今回の戦いも引き分けだ。復帰戦を黒星にしなかったってことに関しては正直ホッとしてるよ」

「よく言いますよ……。全て計画通り、シンク君たちの分断も遊撃隊による殲滅も騎士団長の本隊突撃によるビスコッティ本隊の後退も狙っていたことじゃないですか」

「それにしたって全部が全部うまくいくとは限らなかっただろ? 本隊突撃のタイミングが遅かったり押し切れなかったらそもそもどうしようもなかったし、遊撃隊も期待通りの活躍がなかったら俺は犬死(・・)だった。……ああ、この国で『犬』死にっていうのは変かもしれないが」

 

 皮肉っぽくソウヤが笑う。あはは、と愛想笑いでベールはそれに答えた。

 

「……で、遊撃隊の残存状況は?」

「7割が健在です。皆まだまだ元気なので、このまま本隊に合流して拠点進攻に参加できそうですよ」

「……本当かよ。さすがはガレットが誇る精鋭部隊だ」

 

 ソウヤから出た賛辞の言葉に、ベールよりやや遅れて集結していた遊撃隊の面々が思わず照れくさそうに表情を緩める。

 

「いやあ、隊長が頭に向こうのタレミミ親衛隊長の出鼻をくじいてくれたからですよ」

「そうそう。あれであっちは完全に浮き足立っちゃったし」

「だとしても戦力差は2倍近くあったはずだ。それでも向こうを殲滅した、ってのは他ならぬお前たちの手柄だよ。ガウ様にその辺きっちり進言しておいてやる」

 

 遊撃隊から歓声が上がる。この戦のボーナスはかなりのものになるだろう。しかし、だからと言って彼らはこれで満足するようなタマ(・・)ではないはずだ。

 

「さてと……。それじゃあ拠点進攻戦に行くとしますか」

「え!? ソウヤさん、大丈夫なんですか!?」

「はっきり言って俺は無理だ。輝力もほぼ底を突いている。後方からの援護に徹させてもらう。……でもお前たちはまだまだ暴れたりないだろう?」

 

 ソウヤの問いかけに遊撃隊の面々が雄叫びを上げる。それでこそガレット領民。猛々しい武人達の軍である。

 

「だったら俺だけのうのうと休むわけにもいかない。最後まで同じ戦場に立ってるのが、隊長としての務めだろう。……さすがに前線には出られないがな。……よし、遊撃隊! これより本隊と合流し拠点進攻戦に移る! この隊のデビュー戦だ、最後まで派手に行くぞ!」

 

 再び雄叫びが上がった。士気はまだまだ落ちていない。

 やはりこの人あってのガレットなのだ、とベールは笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

『戦、終了ー!』

 

 フランボワーズの実況が戦場に響き渡る。その彼の言葉を裏付けるように、大音量の花火が数発上がり、それを聞いた両軍の兵士達は交戦の手を休めていた。互いに健闘を称えあう者、その場に寝転がる者、反応は様々だが、一様に久しぶりとなったビスコッティ対ガレットの戦の余韻に浸っていたことだろう。

 それは終盤、後方から援護に徹していたソウヤも同じだった。いや、彼の場合はそもそも大掛かりな戦自体が久しぶりだ。先日奇襲により一応の戦は経験していたものの、国対抗のここまでの規模となると実に1年以上ぶりとなる。やはりこの戦あってのフロニャルド、もうそう言ってしまっても過言ではないだろうという気分になる。

 

「ご苦労様でした、デ・ロワ卿」

 

 と、傍らから聞こえてきた()()()にソウヤは声の主へと視線を移す。騎士団長のバナードだった。

 

「いえ。バナード将軍の方こそ突撃のタイミングがドンピシャでしたよ。おかげさまで俺は黒星を1つ増やさずに済んだ」

「他ならぬあなたからの頼みだったからね。しかしこうなるのを見越していたのはソウヤ殿だ。目論見どおり、というわけかな?」

「ええ、まあ。本音を言うとここも落とし切りたかったですが。しかし……」

「ああ。こちらの勝ちは揺るがないだろう」

 

 戦の終盤、ガレットはビスコッティ本陣のスリーズ砦へ総攻撃をかけていた。ビスコッティ側は砲術士隊、さらにはメイド隊も動員して防衛に当たったが、ガレットの勢いはかなりのものだった。あともう少しで門を突破して本陣を落とせる、という状況でタイムアップ。しかし今のバナードの言葉通り明らかに押し続けていた。勝ちはほぼ確定的のはずだ。

 

『ただいまポイントを集計しておりますので、もうしばらくお待ちください……。しかしレオ閣下、これはガレットの勝利はほぼ確実と見て間違いないでしょうが、久しぶりのご主人の活躍はいかがでしたか?』

『まあ……良いのではないか? 新設の遊撃隊を率いてタレミミの隊に勝利して本隊突撃の足がかりを作った。1年のブランク空けとしては十分すぎる成果じゃろう。ただ……シンクとの決着がつけられなかったことは見ている側も本人も残念じゃろうがな』

 

 ソウヤが苦笑を浮かべる。今の一言は明らかに皮肉を込められたものに他ならない。

 

「……苦労なさっているな、ソウヤ殿は」

 

 思わずバナードもそう声をかけてきた。

 

「確かに苦労してはいますが、元々この程度は覚悟してましたし、そうでもないですよ。第一、そこら辺を差し引いてもおつりが返ってくるのが結婚生活でしょう?」

「違いない。やはり新婚さんの言葉は私よりも重みがあるね」

「愛妻将軍が何をおっしゃいますやら」

 

 意図せずバナードは小さく笑っていた。やはり元勇者のこの人物と話すのはなかなかに面白い。

 

『おっと、ポイント集計が出たようです!』

 

 と、その時聞こえてきた実況の声に、バナードは続けてかけようとした言葉を飲み込んだ。

 

『結果は……387ポイント対434ポイント! ガレットの勝利となります!』

 

 ガレットの兵士達から歓声が上がる。それを祝福するかのように、再び花火が数発上がった。

 

「……意外に詰められていたな」

「そうですね。俺がシンクに負けてたら点差がひっくり返ってた可能性も十分にあったわけですし」

「しかし実際は負けなかった。今日の勝利の立役者だな」

「表向きは、ですけど。確かに俺は負けずにすんだし、率いた遊撃隊も期待以上の活躍をしてくれた。でもあいつが退いたのは突撃のタイミングが良かったのが原因です。だから真の勝利の仕掛け人はあなたでしょうし、俺の頼みを聞いてくれたってことで感謝してますよ。……それに遊撃隊の戦果だって俺は直接関わってないわけですし、それを言い出したら突撃でガレットの兵達が気張ってくれなかったらビスコッティの後退も誘えなかった。要するに俺は形だけの立役者、ピエロみたいなもんですよ」

 

 よくやるように自嘲的に笑ったソウヤに対してバナードも苦笑を浮かべる。時折彼は必要以上に自身を卑下しているのではないか、とバナードは不安に思うこともあった。しかし初召喚からフロニャルドに訪れる回数が増え、ガレットに永住するようになって話す機会が増えてきて、切れ者将軍とも呼ばれるバナードはなんとなくその理由に気づいていた。

 彼は嘘をつくことを嫌う傾向がある。だから「やる」と言わずに「努力する」とはぐらかす言い方をするし、現実主義といわれるようなその思想もそこに通じるところがある、とバナードは思っていた。そのために自身に過剰な期待をかけてもらわぬように、あえて卑下したようなことを言っているのではないだろうか。

 

(……またつまらぬ妄想を呼び起こしてしまったな)

 

 本人に確認を取ったわけでもなく、確証もない。結局は今バナードが思ったとおり妄想の類にすぎないのかもしれない。しかし、自分と同じく頭脳派の人間というのはやはり話すにしろ考えるにしろ面白いものだ、とバナードは思うのだった。敵に回したくない人間は誰かと聞かれたら大陸最強剣士のブリオッシュ、武勇に優れるレオやガウルと同様にソウヤも彼は挙げるだろう。そのぐらい、彼はソウヤを評価してもいた。

 

「さて、じゃあ俺はそろそろ前線の遊撃隊のところに行って来ます。どうせこの後インタビューもあるんでしょうし」

 

 どこか面倒そうにそう言うと、ソウヤはヴィットを数歩進ませた。

 

「ああ、それがいい。放送を見ている人たちが喜ぶようなコメントを頼むよ」

 

 そのバナードの言葉にソウヤが振り返って苦笑する。

 

「……努力しますよ。ピエロなりに、ね」

 

 そう言い残し、ソウヤは遊撃隊の元へとヴィットを走らせ始めた。その背を見送り、遠ざかって行ったところでバナードはポツリと呟く。

 

「ピエロ、か……。しかし舞台の中心に立って全てを動かす人間は、もはや道化の域を越えていると、私は思うがね……」

 

 ともあれ、勝利は勝利だ。この後バナードにはバナードの、騎士団長としての仕事がある。他人のことを考える前にまずは自分のことを済ませようと、彼も動き出すことにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode EX 2 console for Biscotti

EX1同様過去話になります。
前回はプロローグの約半年、今回は約2ヶ月前です。
ちなみに手直しも込みの移転分は前話まで、この話からが新作になります。


 

 

「ビスコッティ先代領主様ご夫妻が……旅先で行方不明……!?」

 

 輝歴2916年水晶の月。夕食後の団欒の時間に舞い込んできた情報にレオは我が耳を疑った。

 

「間違いないのか、ビオレ!?」

「はい……。諜報部隊長……ノワールがエルマール主席から得た情報ということですので、確実かと思われます。正確な場所は不明ですが……どうやらドラジェの山岳地帯を移動していた際に事故に巻き込まれたようです」

「事故って言いました? じゃあ興業じゃない意味での誘拐、って線もなしですか?」

「その辺りは不明です。しかし、安否の確認が取れなくなってからもう3日が経過したそうです。興業なら何かしらの発表があるのは勿論ですが、そうでなかったとしても声明が一切ないという点からソウヤ様の説はないものかと……」

 

 思わずレオの表情が強張る。が、そんな母の表情に不安を覚えたのだろうか、彼女の腕に抱かれたままの、生まれてまだ3ヶ月である赤ん坊のレグルスは泣き声を上げ始めた。慌ててレオが息子を抱き上げてあやし始める。体を揺さぶれたことで安心感を覚え直したらしいレグルスはまだぐずってはいるものの、次第に泣き声が小さくなっていった。

 

「行方不明、ということは明確に死亡が確認されたわけではないんですね?」

 

 レグルスが落ち着くのを待って、ソウヤがビオレに問いかける。

 

「今のところは……。ただ、山岳地帯と渓谷が連なっている場所らしく、フロニャの守護力も弱い場所ということです。もし谷底に落下してしまった場合は、発見すら困難ではないかと……」

「……それで、ビスコッティは先代領主様ご夫妻に対して、事実上のご逝去扱い、ということか?」

 

 レグルスを刺激しないよう、声のボリュームを落としつつも、やはり難しい表情のままレオが尋ねる。

 

「そのようです。ただ、国を挙げての葬儀は行わない、と」

「先代領主様って姫様のご両親でしょう? それなのに、ですか?」

「ミルヒのことじゃ。99%もう助かっていない、とわかっていても残りの1%で生きているかもしれない、となれば、その1%を信じるじゃろう。それがあいつだからな」

「……なるほど。確かに理想主義で夢想家のあの方なら考えそうなことだ」

 

 嫌味の入った夫に対し、レオが思わず鋭い視線を送る。それを感じ取ったソウヤは大人しく肩をすくめて言い過ぎたと謝罪の意思を表した。現実主義者である自分と真逆の思想を持つミルヒに対して時折ソウヤはこう辛辣になってしまう。相手が生粋の姫君ということで気後れを感じてしまい、話し相手として得意でないことは事実だ。だが、だからと言って別に嫌っているわけではない。言ってみればいつも通りのソウヤの余計な一言、の範疇ではある。

 とはいえ、姉妹同然の隣国の姫君に対する一言としてはやはり少々腹に据えかねたために、レオは思わず夫を睨んでいたのであった。しかし当の本人も一応は反省の色を見せている。詰め寄ったところでどうせ直ることはないだろうし、やるだけ無駄だろうとレオは諦めの意味が濃く、突っ込むことをやめた。それにここでまた険悪なムードを作ってはレグルスがそれを感じ取って再び泣き出してしまうという危惧もあったからだった。

 

「それで……ビオレ。明日慰問訪問に出かけたいが、可能か?」

 

 ある意味予想通りだったのだろう。だと思った、と言わんばかりにビオレが眉をひそめる。

 

「お言葉ですが、レオ様はレグルス様のお世話がありますし……。それにレグルス様をご出産されてまだ3ヶ月です。もう少し表立った行動はお控えになったほうがよろしいかと……」

「ちょっと顔を出すだけじゃ。お前もついてきてくれればレグルスの面倒もなんとかなるじゃろ。それに……。両親の行方がわからない、となれば、ミルヒは深く悲しんでいるに違いない。そんなミルヒを、ワシは少しでも元気付けてやりたいんじゃ……」

「レオ様……」

「ビオレさん、俺からもお願いします。多分こうなったらレオは何を言っても聞かないですし、まあそこをざっぴいても、俺も姫様のことは気になります。一応弟分が世話になってますからね」

 

 2人からの強い要望に、根負けしたようにビオレがため息をこぼした。この2人にこうやって頼み込まれては断ることなどできるはずもない。

 

「……わかりました。ヴァンネット城の方に騎車と護衛騎士を回してもらえるように手配しておきます」

「すまんな。助かる」

 

 言うほど申し訳なさを感じていないような主の口調に、思わずビオレは愛想笑いを浮かべてそれに応えた。

 

 

 

 

 

 ビスコッティとガレットは隣国同士であるが、その距離は決して近くはない。ビオレの要請によってヴァンネットから来てくれた騎車にレオ達が乗り込んだのが朝食を食べてややあってからだったが、ビスコッティに到着した時は既に昼頃になっていた。

 ちなみに騎車に乗り込んだのはレオにレグルス、そしてビオレであった。ソウヤは久しぶりとなる戦の衣装に身を包み、愛騎ヴィットと共に騎士たちと共に先頭を走っていた。万が一凶暴な野生動物、言い方を変えれば魔物ともいえる存在に出くわした時、咄嗟に対応出来るようにするためである。また、ソウヤ自身が車に揺られるよりは自身の愛騎に久しぶりに跨りたいという思いもあったのだった。

 

 フィリアンノ城に着く。出迎えたのは親衛隊長のエクレールと彼女の兄で騎士団長のロランだった。その親衛隊長の姿を見て、ソウヤは思わず眉をしかめる。

 その髪は、初めてソウヤが彼女に会ったときのように首元までばっさりと切られていた。この数年伸ばし続け、いよいよ彼の愛妻ぐらいの長さになろうかという髪型を見慣れていただけに、どうにも拭えない違和感が心に広がる。

 話は聞いていた。シンクがミルヒからの婚約に口約束ではあるが了承の意思を示したこと。それと時を同じくしてエクレールの髪が切られ、彼女は彼女でエミリオと婚約したこと。

 彼ほど頭が切れなくても少し考えればわかることでもある。シンクへの思いが届かないと悟ったエクレールは髪を切り、その傷心の彼女をうまく口説いたか、あるいは彼女の方から当て付けの意味を込めたか、その辺りだろう。どこぞの()()()()でもなければ、そのぐらいのことは察しがつくとソウヤは思っていた。

 

「お待ちしておりました、デ・ロワ卿にレオ閣下」

 

 形式的にエクレールが固く挨拶を交わす。さて、とソウヤはさっきの予想がどの程度当たっているか確かめる意味を込めて挨拶を返すことにした。

 

「お出迎え感謝しますよ。エクレール・()()()()()……」

()()()()()()()です、デ・ロワ卿」

 

 なるべく顔色を変えないようにした様子はあったが、明らかに不機嫌に返したエクレールを見てどうやら予想は前者だった、とソウヤは気づいた。当てつけで婚約したならわざわざ姓を訂正する必要はないはずだ。それを訂正したということは、傷心の彼女は流れでエミリオからの求婚を受けてしまったが、その心はまだ決まりきっていない、という線だろう。チラッとロランの方へ視線を移すとそういうことだ、と言わんばかりに彼が肩をすくめたために、ソウヤは大体の事情を察した。

 

「……失礼、エクレール・マルティノッジ親衛隊長。それにロラン騎士団長も。わざわざありがとうございます」

「何、気にしないでくれ。ソウヤ殿にレオ様の訪問と聞いていたからね」

 

 一方のロランの方は妹ほど肩肘張った態度ではないらしい。次いで騎車から現れたレオと、その腕に抱かれたレグルスを見ると思わず目を見開く。

 

「お久しぶりです、レオ様。それに……」

「久しいのう、ロラン。これはワシの子、レグルスじゃ」

「おお……」

 

 ロランだけでなく、エクレールまで初めて見るレオが抱いた赤ん坊に興味津々の様子である。

 

「興味があるならせっせと子作りに励むのはどうですかね、ロランさん。うちのバナード将軍に勝るとも劣らない愛妻ぶりと聞きましたけど」

「……それはいささか過剰な表現だな。私もアメリタも育児に割ける時間がないのが現状でね」

「苦労人は大変じゃのう」

「そんなの俺やレオみたいに1年ぐらい休み取ったらいいじゃないですか。まああなたが無理なら妹さんでもいいかと思いますけどね。婚約はしたと聞きましたし、さっさと式でも挙げて結婚したら……」

「黙れ。それ以上喋るなソウヤ」

 

 あからさまに不機嫌に、しかも最初の堅苦しい態度はどこへやら。今度は()()()()()()ソウヤを呼び捨てにしてエクレールが睨みつつそう返す。

 

「おい、エクレール」

「いいんですよ、ロランさん。こいつはこの方が()()()ですからね」

 

 フン、と不機嫌そうにエクレールは鼻を鳴らして応えた。

 

「……大体私も兄上も休みなど取れるはずがなかろう。今のビスコッティの状況を鑑みればな。呑気に1年も休める貴様と一緒にしないでもらいたい」

「エクレール!」

 

 責めるような兄の厳しい声が飛ぶ。無理もないだろうが、大分荒れているようだとソウヤは悟った。自身の主人の両親、しかも国にとっての先代領主が行方不明になった、となればこのぐらいナーバスになるだろう。加えてその前に触れるのはよろしくない話題が挙がっていればなおさらだ。

 あまり彼女をささくれ立たせるのもよくない、とソウヤは判断した。慰問訪問に来たというのに相手方を刺激してしまっては何もならない。とりあえずさっさと目的を果たすが吉だろう。

 

「いいです。気にしてませんし、俺も言い過ぎたのは事実ですから。……まあここであれこれ話すとどうにも俺が余計なことを言ってしまいそうなんで、中に案内してもらっていいですかね?」

「ああ、それなんだが……」

 

 何やら言いにくそうにロランが口篭る。昨日の今日で急な訪問だったからもしかしたらまずかったのかもしれない。

 

「実は今、姫様は城をお空けになっている」

 

 が、返ってきたその答えにソウヤは違和感を覚える。もし城を空ける予定があったなら断ればよかったはずだ。しかしそれを受けている以上、一時的に空けているにすぎないだろう。

 

「城にいない? では一体どこへ……」

 

 言いつつ、僅かにエクレールの表情が陰るのを目敏いソウヤは見逃さなかった。それである程度を把握する。

 

「……召喚台ですか」

「ご明察通り。さすがですね」

「ではシンクは今日来るのか?」

「ええ、そうなります、レオ様。姫様が嘆願したことでしたので」

 

 なるほど、どうやら姫様は生じた心の隙間をシンクによって埋めてもらおうとしているらしい。なら慰問訪問などと自分達が来る必要はなかったかもな、などと毒のある考えが思わずソウヤの頭に浮かぶ。

 しかしそれはそれだろう。恋人の慰めも大きいだろうが、姉妹同然の関係の人間、しかもその子供も一緒に、ということになれば慰問という意味合いとしては十分とも言える。

 

「じゃあ待たせてもらってもいいですかね。久しぶりにフィリアンノ城で飲む本家のお茶も頂きたいですし」

「ああ、了解した。応接間を準備してあるから、そこでお待ちいただきたい」

 

 チラッとソウヤがレオのほうを振り返る。彼女の頷きで了承の意図を確認すると、マルティノッジ兄妹へ目でそれを伝えた。そのアイコンタクトを受け、2人が歩き出し、ソウヤ達もそれに続いた。

 

 

 

 

 

 マルティノッジ兄妹が来客を応接間へと案内する。目的の部屋のドアを開けると、2人は中のメイド達に後を任せてそれぞれ自分たちの持ち場へと去っていった。

 2人が離れて行った後でガレット一行が応接間へと入る。それを待っていたかのように、部屋の中で待機していたメイド長のリゼルが頭を下げた。

 

「お待ちしておりました、デ・ロワ卿にレオ様。それに……」

 

 自慢のメイドスマイルに加えて相変わらずの線目で視線の明確な行き先はわからない。が、どうやらビオレの方を見ているらしい。

 

「……近衛隊長殿も」

「お久しぶりですわ、メイド長殿」

 

 ビオレもビオレで作ったような笑顔でそれに受け答える。放っておけばこのまま「うふふふふふふ……」「おほほほほほほ……」などと不気味に笑い出しそうな雰囲気。2人の関係をある程度把握しているソウヤは思わずため息をこぼさざるを得なかった。

 

「相変わらず仲がよろしいことで……。それはともかくリゼルさん、その『デ・ロワ卿』って堅苦しい呼び方何とかなりませんかね? 公式の場ではさておき、こういう場ではあまり畏まらなくてもいいですよ」

「そうはいくか、ソウヤ。お前はいい加減ワシの夫という立場を理解せい。そういう者はそのように呼ばれて然るべきじゃ」

 

 言葉を向けたリゼルではなく傍らのレオに突っ込まれ、ソウヤは肩をすくめる。これまで何度もそう言われてきたことだったが、彼としてはやはり堅苦しい呼ばれ方はどうにも慣れないようだ。

 

「レオ様のおっしゃるとおりですわ、ソウヤ様。……まあお掛けになってください。お茶をご用意いたします」

 

 言われた通りにソウヤとレオが椅子に腰を下ろす。ビオレはレグルスが乗った乳母車の傍らに立ったままだった。リゼルがカートの上のカップを準備しようとする。それを見たビオレが念のため、と口を開いた。

 

「私は結構ですので」

「あらそうですか。もっとも、元々カップが足りませんでしたけど」

 

 形式的に払った礼儀を無下にされたことにビオレの作り笑顔が引きつる。

 

「これ、あまり見苦しいところを見せるなビオレ」

「リゼルさんも。うちの近衛隊長を虐めないでおいてあげてください。……どうせそうやるならまた模擬戦やったらどうですか? 俺は見損ねてますし」

「見物にするほどでもありませんわ。それに戦場で互いに相見えたら決着をつけよう、という約束ですし。そうですわよね、近衛隊長殿?」

「ええ。メイド長殿のおっしゃるとおりですわ」

 

 やはり放っておけばこのまま「うふふふふふふ……」「おほほほほほほ……」と笑い出しかねない状況。意図せず、ソウヤは再びため息をこぼしていた。

 

「お子様……えっと……」

「レグルスじゃ」

「レグルス様は、さすがにまだお茶は飲めませんよね?」

 

 それはそうだ、と言いたげにレオが眉を寄せる。まだ生後3ヶ月だ。そういうのはもっと成長してから飲ませるのがいいだろう。

 

「気遣いは感謝する。じゃがレグの世話はビオレに任せてある。大丈夫じゃ」

「そうでしたか。でしたらいらぬ心配でしたわね」

 

 リゼルがソウヤとレオの前にビスコッティ特産のお茶を出す。香りを味わい、次いで実際の風味も味わう。ミルヒに送ってもらった茶葉でこれまでガレットでも幾度となく飲んだものだが、やはり本場のフィリアンノ城で飲むのは格別だ。

 

「姫様はもうしばらくしましたら戻られると思いますので、それまでお待ちください」

「わかりました。……で、メイドって人たちはゴシップネタとかをよく知ってそうだってのが相場なんで質問なんですが」

 

 カップをソーサーへと置きつつ、だが表情はこれまでよりも険しくソウヤがリゼルに尋ねる。

 

「……先代領主様ご夫妻の失踪の件。事故だ、と聞きましたが、本当にそうなんですか?」

 

 予測していなかった単刀直入な質問だったのだろう。思わずリゼルがたじろぐ。

 

「おいソウヤ」

「……どうにも引っかかる。確かに布告や声明がない以上、興業か否かに関わらず誘拐でないという話はわからないでもない。状況から事故だ、という見方が妥当だというのもわかる。……だが正式な失踪原因は不明。そして未だにはっきりしない。何とも解せない話だ。……だから質問です。ゴシップなネタでもなんでもいい、リゼルさん、何か知りませんか?」

 

 そう言われても知らないものは知らない、と言いたげにリゼルは眉をひそめた。

 

「……申し訳ありません。私共もおそらく事故だ、という以上の話は伺っておりません。姫様も大変にショックを受けていらっしゃるようで、口にしたがらない話題ですし……」

 

 そこまで話したところでリゼルは口を噤む。やはり情報が全く入ってきていない。仕方ないか、とソウヤはカップを口へと運んだ。

 

「そうですか……。すみません、変なことを聞いてしまって」

「いえ。ご期待に副うお答えを返せず、申し訳ありません」

 

 形式ではあろうが、リゼルが軽く頭を下げた。

 

 と、その時、扉をノックする音が部屋に響く。

 

「失礼します、姫様と勇者様がいらっしゃいました」

 

 その言葉から短く間があって、扉が開いた。クリーム色の髪にまだどこかあどけなさの残るメイドに連れられて現れたのは、この城の主である姫君のミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティと、この国の勇者にしてその姫君の婚約者候補のシンク・イズミだった。

 ソウヤとレオが立ち上がる。2人にとって久しぶりに目にする互いの友人に思わず懐かしさを覚える。が、久方ぶりの再会だというのにビスコッティ側2人の、特にミルヒの表情はどこか沈んでいた。それもそうだろう。両親の行方が未だわからないのだ。

 

「久しいのう、ミルヒ」

 

 だがそんな様子に気づいていてなお、レオは妹同然の、いや姉かもしれないが、隣国の姫君へと明るく声をかけた。彼女なりの気遣い、自分と話す時ぐらいは辛い現実を忘れてほしいというものだった。

 

「お待たせしてしまって申し訳ありません。お久しぶりです、レオ様。それにソウヤ様も。お元気そうですね」

 

 ぎこちない笑顔でミルヒが返す。その笑顔を見たレオは「お前もな」とは言いかね、開きかけた口を思わず閉じた。代わりにその言葉をかけるべく、今度は視線を傍らの勇者の方へと移す。

 

「お前も元気そうじゃのう、シンク」

「おかげさまで、なんとか。でも今月から新しい学校に通うようになったんで、結構バタバタしてるんですけどね……」

「ああ、そういえばお前は今年から大学生だったか」

「一応ね。実のところ、今日はちょっと無理してこっちに来たってところだけど……」

 

 ソウヤは大学に通ったことがないために実際にどのぐらい忙しくなるのかはわからない。だがこれまで高校に通いながらの往復生活が結構な負担になっていたことは事実だった。そこに加えて環境が変わっての新生活が始まったばかり、となれば暇ということはないだろう。

 しかしその状況をおしてもなお、シンクはフロニャルドへの訪問を決めていた。両親の失踪、という事態のために落ち込んでいる姫様の気持ちを思ってのことだろう。ソウヤはそのように予想したが、だったら保留している口約束の婚約を正式に了解した方が彼女のためになるだろうと思わずにはいられなかった。

 

「姫様、勇者様、ご苦労様です」

 

 そんな2人に労いの言葉をかけ、リゼルが席にお茶を差し出す。が、ミルヒはそこに座ろうとせず、レオの傍ら、乳母車の方へと引き寄せられるように歩き出す。そんな姫君の様子に一度怪訝そうな表情を浮かべた勇者とメイド長だったが、すぐその目的を察した。次いでシンクもそこへと歩み寄る。

 

「こちらは……レオ様のお子様ですか?」

「ああ。他に誰の子というんじゃ。ビオレか?」

「レオ様の……お子様……」

 

 再度同じ言葉を口にしたミルヒだが、どうにも実感がわかない、と言いたげな口調である。

 

「お名前はなんと……」

「レグルスじゃ。レグルス・ガレット・デ・ロワ」

「ってことは……ソウヤはお父さんになったってことでいいんだよね?」

「そうなる。いや、そうでないと困るな」

「……ソウヤ、それはちと笑えない冗談じゃな?」

 

 レオからの冷笑を浴び、ソウヤは肩をすくめる。その間、ミルヒはずっと興味津々といった様子でレグルスを見つめていた。

 

「抱いてみるか?」

「いいんですか?」

 

 答える代わりにレオがレグルスを抱き上げ、ミルヒに手渡す。恐る恐る、しかし好奇心には勝てない様子で彼女はレオの子を手に抱いた。愛らしい眼で自分を見つめられ、思わずミルヒの表情が緩む。

 

「……かわいいですね」

「そうじゃろう。親馬鹿と思われるかもしれんが、ワシもかわいくてかわいくて仕方ないんじゃ」

「でも何だかちょっと信じられない気持ちもします。レオ様がお子様を出産なされて母親になったと、頭ではわかっているのですが……」

「確かにそうですね。こいつが母親、なんてのは夫の俺でさえいまひとつ信じられないところがありますよ」

「ほう……? お前、最近ワシがおとなしいからと随分とでかい口を叩くようになったのではないか?」

 

 そんな2人を苦笑を浮かべつつミルヒがなだめようとするが、腕に抱かれていたレグルスがその空気を不安に感じ取ったのだろうか、次第に目元に涙が溜まり始める。次いで嗚咽のような声が漏れ始めた。

 

「あっ……! レ、レオ様……」

 

 慌ててミルヒが母親に子を返す。「よしよし……」とあやされて段々レグルスも落ち着いてきたようだ。

 

「……ま、なんだかんだ言ってもこうやってレグをあやしてるこいつを見ると、やっぱり母親なんだなっては思いますけどね」

 

 口元を緩めつつ、ソウヤが呟く。

 その様子を見たレオは初めて会った時と比べたら大分変わったなと改めて思った。だが、今でもやはり口は悪くどこかひねくれ者である。それでも時折こうやって口にされる言葉は、彼の本音に違いないと彼女はわかっていた。だから今更「愛している」だの「結婚してよかった」だの、確かに言われれば嬉しいものの月並みな言葉を(へつら)うように並べられるより、ある時口からこぼれるその一言の方が彼女としてはより意味がある言葉だった。

 今も自分と軽口を叩き合っていたが、ふと出たその一言でレオは満足していた。間違いなく自分を信頼している、という証明に他ならない。彼女も勿論彼を信頼しているし愛してもいる。しかしわざわざ言葉に出さずとももはやわかりきっていることだろうし、彼が自分にそうしているように、彼女も意図せず本音をこぼすことがあるだろうから、それで十分だろうとも思っていた。

 

 やはり家族というものはいいと改めて実感する。言葉だけが互いの信頼関係を作っているわけではないと気づかせてくれる。可能なら、ミルヒにもこの感覚を味わってほしい。両親の行方がわからないという辛い現状であっても、自分を支えてくれるパートナーがいればきっと乗り越えられるであろう。

 

「……ありがとうございました、レオ様。赤ちゃんを抱かせていただいたのは初めてですが、なんだかそれだけで元気がもらえるみたいに感じます」

「ああ、そうじゃろう。……じゃからミルヒ、お前も結婚したらどうじゃ?」

 

 予想していない問いかけだったらしい。一瞬驚いた表情を見せた後、ミルヒはその顔を陰らせた。

 

「……今はそういう時ではないと思っていますので。それに、シンクにも都合がありますから。私ひとりでどうこう、ということは出来ないと思っています」

「僕も大学に入ったばかりで、もうちょっと先延ばしにしてもらいたいと思っていたから……。もうしばらくは往復生活かな……」

 

 どこか呑気そうに聞こえたシンクの一言に思わずソウヤはため息をこぼしていた。ミルヒを支えるべきは間違いなくこの勇者のはずだ。だが、地球との生活の板挟みにあって思うように動けずにいる、ということもわかっている。それ故に強くは言えない。

 

「……私がレオ様のお子様を抱いてから立ち話になってしまいましたね。お茶もありますし、お掛けになってください」

 

 ミルヒの薦めによって4人が腰を下ろす。しかし口が悪い自分が「慰問」として訪れた役割を果たして全うできるのか、ソウヤはどこか先行き不安そうに苦笑を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 ミルヒ、シンクとしばらく話した後、旅で不在の隠密達以外のビスコッティの面々に一通り挨拶を交わし、慰問訪問は終わった。ソウヤとレオの一行はフィリアンノ城を出発して帰路へと着いていた。その騎車の中、レオが神妙な面持ちでレグルスを抱いている。

 

「姫様……やはり落ち込まれておりましたね……」

 

 ビオレにかけられた言葉にレオは無言で小さく頷いた。

 

「シンク君と口頭とはいえ婚約を交わされたと聞いていたので、喜ばれていた矢先のことと思うと……」

「いや……。それもそう簡単なことではなさそうじゃな」

「と、言いますと?」

「シンクはシンクで元の世界の生活が忙しいようじゃ。別にワシは勇者での往復生活で結婚しようが構わないと思っておる。実際ソウヤにそのように提案したこともあったわけじゃし。それにミルヒもそのようじゃが。……しかしソウヤといいシンクといい、そこはなぜか譲ろうとしないみたいでな。責任感のようなものを感じておるのかもしれんな」

 

 レグルスの頭を撫でながら、レオはため息をこぼす。彼女としてはこれまでの関係から一歩を踏み出そうとしたミルヒを応援してやりたい気持ちはあった。しかし今日の会談でわかったことだったが、現在の状況が状況なだけにミルヒは口約束の婚約を正式なものに変えようというつもりはしばらくないらしい。シンクの現状を省みてのことでもあろう。

 しかしそれだとしても2人の進展はなるべく早い方がいい。そろそろ結婚を考えるべきなミルヒの年齢、ということがある。2人のために身を引いたエクレールのため、ということもある。ミルヒは「時期ではない」というようなことを述べたが、レオから言わせればそれは逆、ここで明るい話題を出すことで先代領主失踪という暗いニュースを吹き飛ばし、領主として改めてこの状況に臨むべき、と思っていた。

 そのことは会談中に提案したのだが、やはりというべきか、ミルヒはそれを断っていた。ならせめて勇者として妹、あるいは姉同然の姫君を是非とも支えてやってほしい、とレオはシンクに嘆願した。彼はそれを了承してくれた。ならばしばらくはミルヒの支えとなってくれることを祈るしかないだろう。

 

「レオ様、あまり考え込みすぎない方が……」

 

 ビオレに声をかけられ、レオは彼女を見つめて数度目を瞬かせる。

 

「ワシはそんなに考え込んでいるように見えたか?」

「ええ、とても。確かに今回は不幸な事故(・・)でしたが、私達が手や口を出せることではないかと思いますよ」

 

 事故。その単語に対してレオは違和感を覚える。

 本当にそうだろうか。そう言えばミルヒが来る前にソウヤがリゼルに熱心に質問していたことを思い出した。

 確かに彼の言うとおり今回のビスコッティ先代領主の一件は不可解な点がある、とも思える。しかしいかに正確な情報が入ってこないとはいえ事故は事故だろう。そのようにいらない考えを働かせてしまうのはソウヤの悪い癖、とも言えた。

 だがその一方、ひょっとしたら夫が考えているようなことがあるのかもしれない。だとするなら、それはビスコッティに不穏な空気をもたらすことに他ならない。

 

 いや、あるはずがないと、その不吉な予感を振り払うようにレオは頭を振った。確かにここ最近で召喚される異世界人が増えたことで情勢が芳しくなくなった国はある。そのように情勢が悪くなるなどということが、よりにもよってビスコッティで起こるはずがない。やはり考えすぎなのだ、という結論に彼女は達した。

 

「そうじゃな。お前の言う通りじゃな、ビオレ。不安ではあるが、ワシ達は事が良き方へ動くことを願って、見守る他なかろうな……」

 

 レグルスの成長も、と彼女は心の中で付け加える。母親となってから見守ることが増えた。やきもきさせられることも多いが、そういうものなのだろう。

 

 目を細めて彼女がレグルスの頭を撫でる。心地良さそうに身を揺さぶらせた我が子を見た彼女は、これからのこの子の健やかな成長と、そして隣国の平穏な未来を思わず願わずにはいられなかった。

 

 




console for~:~を慰問訪問する。タイトルは「ビスコッティ慰問訪問」といったところで意味が合ってるはず。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 9 主席の受難

 

 

 ビスコッティとガレットの戦いから数日が過ぎた。久しぶりの戦に戦勝国のガレットのみならず、ビスコッティからも多くの人が訪れ、その日は盛大なお祭り騒ぎとなった。ガレットの戦勝祭といえば地酒祭りである。最近ではどうにも酒飲みになった気のあるソウヤはてっきり朝まで飲み明かしてくるのだろう、とレオは思っていたのだが、彼女の考えとは裏腹、戦勝祭には最初にちょっと顔を出しただけでレオが帰ってきたすぐ後に住居にしている別荘へ戻ってきたのだった。

 当然レオはもっとゆっくりして来ればよかったのに、と小言をぶつけたが、「疲れてるし今日は気分じゃない」と突っぱねて早々と寝てしまったのだった。どうやら本当に疲れていたらしい。が、後から聞いたところによると戦勝祭りに来ていたシンクとミルヒとも全く顔を合わせずに帰ってきてしまったとのことだった。仮にも事実上の復帰戦、戦ではMVP扱いで主賓といってもいいはずなのに、その態度はいかがなものかと詰め寄りたいレオだったが、その翌朝に起きてきた夫の顔を見たときにそんな気持ちは消え失せていた。

 

 何かを抱え込んでいる、そんな思いつめたような表情だった。傍から見れば普段と同じと見えるだろう。だが深い絆で結ばれているレオだからこそ、わかることだった。だから彼女は何も言わず、そして数日経った今朝も同じような表情でいる夫にむしろ心配を抱くほどだった。

 

「ソウヤ……大丈夫か?」

 

 無言で黙々と朝食を摂るソウヤにレオが語りかける。

 

「……何がだ?」

「最近のお前、随分と塞ぎこんでいるように見えるが……」

「そうか? 確かに戦の後は疲れてたが」

「何か……まずいことでもあるのか?」

 

 そのレオの詮索を嫌がるようにソウヤが僅かに眉をしかめる。何か聞かれてはまずいことだったろうか、とレオは先の言葉を打ち消そうと口を開こうとする。

 

「いや、大したことじゃないんだが」

 

 だがそれより早くソウヤの方が話し出した。

 

「次の戦……明日カミベルとある」

「それは……随分と急じゃな。それに……カミベルか」

 

 この短いやり取りでレオはソウヤが塞ぎこんでいる理由を察した。カミベル、かつてソウヤが「火薬庫」と言ったこともある国。そこにはソウヤと同郷、すなわち地球からの召喚勇者が多く在籍している国であった。

 

「同郷の人間を相手にするのは気が乗らんか?」

「別に。どうせ戦だ、加減を間違えなければ死にはしないだろう。なら普段の戦となんら変わらない。……しかし気は乗らない」

「なぜじゃ?」

「昔言ったろ? 地球人と異世界人との軋轢が原因で戦争、なんてのは俺が昔読んだような小説の中だけで十分だと。今あの国はそれを地で行きかねない状況にある。俺はあえて危険な橋を渡るような真似はあまりしたくない。可能ならこの戦は避けたかった。……あとは俺の復帰に合わせるかのように、そして戦勝祭の最中にこちらに告知してきて強行日程、ってのも不満だがな」

「目の敵にされとるわけか。人気者は辛いの」

 

 思わずソウヤは苦笑を浮かべる。確かにより先にフロニャルドに召喚され、しかもフロニャルドで成功を収めている人間としてカミベルの地球の人間達に目の敵にされてるのは事実かもしれないが、人気者というのはこれまた皮肉の込められた言い回しだ。

 

「なりたくてなったわけじゃねえよ。……だがガウ様が気を利かせてくれた。『強行日程でしかも戦勝祭中に告知してきた戦でわざわざお前を前線に出す道義はねえ』と、俺と遊撃隊を本陣付きの後方配置にしてくれるそうだ。もっとも、あの人は先日のビスコッティとの戦いで暴れることの出来なかった自分とゴドウィン将軍とジョーヌ、それに拠点守護の騎士のための埋め合わせ、と捉えてるらしい。あとは一般参加の兵もそこそこに、中規模の戦でまとめるつもりでいる」

 

 ほう、と相槌を打ちつつ、レオはようやく納得した。要するに同郷の人間が多くいる国と戦うこともぶしつけな布告をされたことも不満ではあるが、それ以上に領主であるガウルに余計な気を遣わせたことを気に病んでいるのだろう。本当に昔からそういうところだけ無駄に真面目な奴だとレオはため息をこぼした。

 

「……まあいい。お前が乗り気でないならワシが代わりに行ってやってもいいぞ?」

「だったら俺が行く。……もうしばらくおとなしくしてろ。そのうちヴァンネット城に移れるようにガウ様に今話を通してるところだからな」

「おお、本当か! ならワシの復帰ももうすぐじゃな」

「……一応言っておくと、ルージュさんはレグの面倒を見るなんて責任重大な仕事は怖くてやりたくないと泣きそうな顔で言ってたからな」

 

 ソウヤの忠告もレオには効果がないらしい。フン、と軽く鼻で笑い飛ばされてしまった。

 だがこのやり取りでレオは少し晴れた気分になっていたのは事実だった。原因がわかっただけでもいい。何か人には言えないようなことを塞ぎこむように抱える姿は、かつてのなんとしてもミルヒを助けようとしていた彼女自身を見ているようでどうしても気がかりだったのだ。

 

「まあいいや。ともかくそろそろ行ってくる。……ビオレさん、朝ご飯ごちそうさまでした!」

 

 寝室でレグルスのオムツを変えているビオレにソウヤは声を投げかけた。「はーい! お気をつけて!」という声が返ってくる。というか、その場には本来母親であるレオも同席して然るべきだろうとも思ったが、自分の身を心配してくれて声をかけてきたということは彼も気づいていた。だからそんな野暮なことは言わず、お出かけのキスだけを残して玄関の方へと向かった。

 

 

 

 

 

 同日、昼前。ビスコッティ王立学術研究員のリコッタはビスコッティではなく近隣国であるパスティヤージュにいた。この芸術の国、パスティヤージュではかねてから勇者召喚に興味を示しながらも、元々戦興業に熱心というわけではないために()()()に勇者を在籍させたことしかない。かつて勇者を召喚したという記録はあるらしいのだが、それは大昔のこと。召喚された勇者は魔王を討って国を救い、その後「英雄王」と呼ばれて国を治めたという伝承として人々の間で語り継がれていた。それを示すモニュメントとして、パスティヤージュ最大の都市であるエスナート郊外に石碑がそびえ立ってもいる。しかし今、時代の流れに従って勇者召喚を正式に行うべきという声も上がっていた。

 そのためにその手の研究について第一人者であるリコッタは出張という形でパスティヤージュのエスナートを訪れて1泊2日滞在することになっている。今は勇者召喚について意見を交わす会議が休憩を迎えたところであった。会議場となっているエッシェンバッハ城のベランダで外の空気を吸いつつ、彼女は飲み物で喉を潤す。

 

(やっぱり……どこの国も一枚岩ではないであります……)

 

 パスティヤージュ特製の胡桃ジュースをストローで飲んだ後、リコッタは大きくため息をこぼした。意見は大きく割れている。地球人は身体能力が高い者が多い、と言われている。まさにシンクやソウヤを見る限りはそうだ。だが一概にそうはいえない。とはいえ、一様に輝力の扱いが優れている、というのがこの国の人々の見解だった。

 その見解に至った大元の人物がビスコッティ勇者であるシンクの幼馴染で、ベッキーの愛称で呼ばれるレベッカ・アンダーソンである。彼女は自他共に認める「普通の人」であった。確かに身体能力はシンクやソウヤ、さらにはその時シンクが連れてきたもう1人の幼馴染であるナナミ・タカツキには遠く及ばない。だが輝力の扱いだけは見事なものでパスティヤージュの人々を驚かせたのだった。もっとも、彼女はファンタジー小説やゲームが好きだった影響もあって、想像力が豊かだったからという理由もあったのだが。

 その結果、シンク、ナナミ、ベッキーの3人をそれぞれビスコッティ、ガレット、パスティヤージュに分けて、シンク以外は擬似的に勇者として扱っての3国合同の戦が行われたこともあった。それがシンクの初召喚から丸1年が経った輝歴2912年珊瑚の月から水晶の月にかけて。今から約4年前の春休みのことである。それからもナナミとベッキーはフロニャルドを訪れることはあった。が、最近はかつてほど時間が取れなくなってしまったということで、2年前にソウヤとレオの結婚式の時に訪れたのを最後に訪問が止まっていた。2人とも地球での生活との両立が難しく、シンクの客人という扱いであったが、そのシンクと2人が現在生活している場所が遠い、という理由もあった。

 

 そんなベッキーの例がある。その時は国中が大いに盛り上がった。よって、勇者召喚によって国が大いに盛り上がる、戦力増強を見込める、なにより、勇者を召喚している国に対抗する手段は勇者召喚しかないのではないか、というのが召喚推進派の意見だった。

 一方の穏健派は元々パスティヤージュは戦が盛んではない、同じ人間である以上、勇者でもその人の元の世界での生活がある、そして勇者召喚に対しての勇者召喚という連鎖を止めなければ、際限なく地球人が召喚されてしまうという意見だった。

 

 リコッタは複雑な気持ちでその会議を聞いていた。地球とフロニャルドの行き来を容易にすることに成功した最大の貢献者は他ならぬ彼女だ。彼女はシンクと隣国のソウヤために、少しでもフロニャルドを訪れることが出来る時間を増やしたいという一心でその研究を推し進めた。だがそれがもたらした弊害に、今彼女は悩んでいた。召喚術式簡易化による地球人の大量召喚。既にカミベルがその例となり、早くも問題が噴出している。この国もそうなることだけは避けたい。しかし自分にそれを言う資格があるのだろうか。

 

 もう1度胡桃ジュースを喉に運び、再び彼女はため息をこぼす。パスティヤージュだけではない。彼女の祖国、ビスコッティも今動乱の時期を迎えていた。先代領主夫妻の失踪騒動に加えて姫様の結婚も決まらない。遠まわしに結婚の件の責任は自分にもある、と彼女は感じていた。もしも勇者召喚が従来の通り安易に行えないものであったとしたら。

 シンクの滞在日数は今と比べて激減し、否が応でも彼は地球かフロニャルドかの選択を迫られることになる。どちらを取るにせよ、結局は姫様は結婚が決まるだろう。しかし「いつでも決心できる」という()()()()な雰囲気によってシンクもミルヒもここまで態度を明確にせずに来てしまい、結果どっちつかずの状況になっている。もし自分が術式の簡略化に成功していなければ、と思ってしまう。無論、そんなことを当の本人に言えば間違いなく怒られるだろう。しかし、そう思ってしまったことは事実だった。

 三度ため息をこぼすと同時、誰かが近づいてくる気配を彼女は感じた。

 

「お疲れ様です、主席」

 

 さわやかな声と共に姿を表したのはパスティヤージュのエッシェンバッハ騎士団指揮隊長、キャラウェイ・リスレだった。

 

「キャラウェイ隊長……」

「すみません、クーベル様からのお達しとはいえ、煩わしいことに巻き込んでしまって……」

「いえ、勇者召喚の研究を進めていたのは自分でありますから。それにクー様も自分のことを頼ってくれたということで、光栄に感じてるでありますよ」

「そう言っていただけると、こちらも助かります」

 

 キャラウェイは頭を下げる。今日のこの会議は有識者の意見をまとめるものであり、この場にリコッタを召集した張本人である現領主のクー様ことクーベル・エッシェンバッハ・パスティヤージュは参加していない。彼女には今日の会議で摺り合わせた情報を報告する形になっている。そういうわけで、クーベルがあの場にいないことを申し訳なく思った意味でも、キャラウェイは頭を下げたのだった。

 

「主席の貴重なご意見は、是非とも参考にさせていただきと思います」

 

 先ほどの自分に意見を言う資格があるのか、という思いが心をよぎる。そのせいで彼女は返答に詰まった。だが、キャラウェイは特に気にした様子はない。

 

「ただ、クーベル様としましては、レベッカ様を正式に勇者として召喚したいというお気持ちがあったようですが……」

 

 かつてパスティヤージュの擬似勇者となったベッキーとクーベルは仲が良く、それ以後もシンクとともにフロニャルドに訪問した際、彼女はパスティヤージュを訪れるようにしていた。今でこそ訪問回数が減ってしまったものの、リコッタの努力によりメールのやり取りを互いの世界間で行えるために、今でも連絡を取り合ってはいるということである。

 それほど仲が良い2人だったことで、パスティヤージュで正式に勇者召喚をしたらどうか、という話題が挙がった時、クーベルは真っ先にベッキーに話を通した。しかし高校生となっていた彼女は地球での生活が忙しいことを理由にその申し出を断っていた。「勇者としてフロニャルドの空を翔んだことはすごく楽しかったけど、やっぱり地球での生活もあるから」という話だった。

 

「それも仕方ないかと思うであります。勇者様達にも、それぞれ元の世界での生活があるでありますから……」

「そうですね……。だから召喚はよく考えなくてはいけない、主席はそのようにお考えな訳でありますね?」

 

 一瞬、間を空けてリコッタが首を縦に振る。

 

「……でも自分にそれを言う資格があるでありましょうか? 形はどうあれ、自分達はシンクの都合を考えずに呼び出してしまったであります……。そして自分がさらに勇者召喚について研究したことで召喚が容易になり、このような事態も引き起こしてしまった……」

「でしたらなおさら、主席はご自身の考えを述べるべきではないでしょうか」

 

 思ってもいなかった一言だったのだろう。リコッタがキャラウェイを仰ぎ見る。

 

「主席が発見なされた方法が、お望みになっている方法と異なる、望まれていない方法で使われようとしているのでしたら、それに異を唱えることができるのは、他ならぬ主席しかいらっしゃらないと思われます。正しい使われ方を提唱するのも、その方法を発見した者の使命ではないでしょうか」

「自分の……使命……」

「……なんだかお説教みたいになってしまってすみません。どうもクーベル様を諭そうとすることが多いせいか、癖になってしまっているようです」

 

 苦笑を浮かべつつ、キャラウェイが頭を下げた。だが彼の言葉と真逆、リコッタはどこか心が少し軽くなったのは事実だった。

 

「いえ、そんなことないでありますよ。おかげで少し顔を上げることができそうであります」

「それはよかった。……お疲れかと思いますが、間もなく休憩が終わります。この後もよろしくお願いしますよ」

 

 最後までさわやかな表情を崩さず、キャラウェイはその場を立ち去る。容器の中の胡桃ジュースを飲み干し、リコッタは一度天を仰いだ。

 

(……あれこれ悩んでも仕方ないであります。自分は、今自分ができることをやるだけであります。それで……姫様もシンクも笑顔になってくれるなら、それでいいであります)

 

 一度頷き、決意も新たにリコッタは城内へと戻る。だが、リコッタにとってこの滞在がは予想以上に苦難に満ちているということを、この時の彼女はまだ知る由もなかったのだった。

 

 

 

 

 

 翌日、前日の召喚に関する会議と別に、パスティヤージュの研究員との会合を終えたリコッタはようやくビスコッティへの帰路についていた。成長しても昔とさほど変わらないその小さな見た目だが、それにそぐわない優秀な頭脳はビスコッティ随一である。そしてその噂からビスコッティのみならず、周辺各国からも羨望の眼差しで見つめられるほどであった。それ故に研究員は熱心にリコッタに質問し、あるいは説明を聞き、少しでも自分達の国の技術を高めようとする意欲がはっきりと伝わってきたのだった。

 とはいえ、昨日の長引いた会議に加えて今日は昼過ぎまでそれだ、さすがに疲労は溜まっている。もっとも、待遇は非常に良く、食事はパスティヤージュ名産料理を多く取り入れた豪華なものだったし、今も帰路とはいえパスティヤージュ飛空術騎士団が護衛についてきてくれている。何より飛空術騎士団の名にふさわしく、今彼女が取っているのは陸路ではなく空路だった。大型の鳥「ブランシール」に乗って空を翔けるパスティヤージュの「空騎士」と共に、彼女は今空の真っ只中にいるのだ。

 

「乗り心地はいかがですか、主席?」

 

 そのリコッタに声をかけてきたのは、今彼女の前に座っているパスティヤージュ飛空術騎士団隊長のリーシャ・アンローベだった。女性でありながらさっぱりした性格の彼女はまさに飛空術騎士団の隊長という名にふさわしく、その腕前は一流である。

 

「いい気持ちであります。自分もハーランで空を飛んだことは何度もありますが、やっぱり空を自由に飛べるというのはいいものでありますね」

「ハーラン……ああ、姫様のセルクルですね。それはよかったです。たまに高いところがダメな方がいらっしゃって私達がお送りできないことがあったりしたんですよ」

「そうだったんでありますか。でもなんだか申し訳ないであります。自分のためにわざわざブランシールで送っていただけるとは……」

 

 前を向いたままで「いえいえ」とリーシャは答える。その背中にリコッタは感謝の気持ちを込めた視線を送った。研究員との会合が予定より長引いてしまったが、空路のおかげでフィリアンノ城に着く時間はその分を差し引いても予定より早くなりそうだ。

 そういえば今日のビスコッティはドラジェ領国と合同演習中だったか、とリコッタは思い出した。ドラジェのレザン王子の提案を受け、ガレットとの戦のカンが抜け切らないうちに騎士団の実戦での対応強化を狙いとしてミルヒが王子と相談して決めた演習であった。レザン王子としては国外と戦を行ったビスコッティとここで関係を持っておきたいという意図があったのだろう。

 その辺りのことは置いておくにしても、可能なら砲術士としてそこに参加したい気持ちはリコッタにあった。先日のガレットとの戦では拠点防衛の砲術士として久しぶりに戦に参加している。机に向かってのデスクワークは得意であったが、やはり時折外に出て体を動かすのも悪くないと思ったのだった。シンクは今日は来ていないが、ビスコッティとして何かしら得るところがある演習に違いない。戻ったらエクレールから演習の様子を聞くことにしよう。そう思って眼下の景色へと目を移したところで、おや、と彼女は首をかしげた。

 コースが外れている気がする。これはおそらくビスコッティへの最短ルートではない。だがリーシャはその方向を修正しようという気配はない。優秀な隊長にしては珍しい、とリコッタはリーシャの背中を小突いた。

 

「どうしました?」

「あの、リーシャ隊長。コースがフィリアンノ城への最短ルートから外れている気がするでありますが……」

「そうですかね?」

 

 気のせいだろう、と言いたげにリーシャは振り返ろうともしない。しかし、リコッタのその違和感が間違っていないということを裏付けるようにブランシールが高度を下げ始めた。明らかにどこかに着陸する姿勢である。彼女の目の前にはフィリアンノ城などあるはずもない。あるのはパスティヤージュの砦だけだ。

 

「あ、あの……リーシャ隊長……?」

「……すみませんね、主席」

 

 あくまで顔だけは前を向いたまま、だが声色は先ほどまでの優しいそれではなく、緊張しているような硬いものに変わっていた。

 

「まだ、お帰りいただくわけにはいかないんですよ。申し訳ありませんが、主席にはもうしばらくお付き合いいただきたいと思います……」

 

 

 

 

 

 同じ頃、ガレット南方に広がる平野部。ガレットとカミベルの戦が始まっていた。勝利条件は拠点制圧。中規模な戦ということで今回拠点は砦ではなく、屋外に陣を敷いていた。

 しかし拠点に総大将の姿はない。この軍の総大将であるガウルは戦開始の合図と同時に将軍のゴドウィンとジョーヌを伴って騎士団と共に突撃をかけている。「道義がねえ戦をちんたらやってもしかたねえ。正面突破でさっさと向こうの陣を蹴散らして終わりにしてきてやる」と言い放っており、その言葉を証明するかのように、戦開始からまださほど経っていないがガレットはポイントで大きくリードしていた。

 一方ソウヤは拠点防衛で最後方に位置している。ここにいるのは騎士団とソウヤ率いる遊撃隊だけだ。実力と立場からいえばソウヤが指揮を執っても問題ない状況なのだが、彼は遊撃隊所属を理由にそれを断り、騎士団の方は万騎長の騎士が指揮を執っている。

 

「前回の戦から間が短かったから大変かと思いましたが……本陣付きならそこまででもありませんでしたね」

 

 ソウヤの傍ら、映像板を見上げつつベールが呑気にそう喋りかけてくる。

 

「このまま何事もなければ、な。ガウ様がわざわざ俺たちを不参加ではなく参加としてここに置いたのはなぜだと思う?」

「え? なぜ、って……」

「確かに向こうが暗に俺をご指名だった、というのはあるが……。相手はカミベルだ。好戦的な『耳なし』共が協定ラインギリギリの方法で奇襲を仕掛けてくる可能性もありうる。そうなった場合、迅速に対応できるのは少数なうちの隊だ。だからここに配置したってのもあるだろうよ。……ま、この戦い奇襲はなさそうだがな」

 

 一旦奇襲の可能性を示唆しておいて、だがそれはない、と断言したソウヤに対してベールは怪訝な表情で視線を送る。

 

「何だよ、その目は。別に確証なんかねえよ。カンだ。仮にあったとして、防衛に徹すれば、向こうがこっちを落とす前にガウ様が向こうを落とし切る」

「まあ……ガウ様があの調子ならそうですね」

 

 映像板を見上げ、ベールは軽くそう言った。久しぶりのビスコッティとの戦を戦いそびれた領主はその鬱憤を晴らすかのように大暴れしている。輝力武装、エメラルドに輝く爪の獅子王爪牙(ししおうそうが)によってカミベル軍は次々とけものだまに変えられていく。さらにその獅子王爪牙から繰り出される紋章術、爪牙双拳(そうがそうけん)が生み出した上昇気流に乗って空へ舞い上がったジョーヌが重力を利用して巨大な斧を地面へと叩きつける。それだけでまた大量のだまが宙を舞った。ゴドウィンも負けてはいない。得意の鉄球大旋風により次々と敵を薙ぎ払っていった。

 

「……一方的だな」

「そうですね」

 

 基本的に戦は盛り上げてなんぼ、と言ってるガウルだが、今回のように道義がない戦に関しては容赦がない。もっとも、今回のガレットの参加者数は約3500人。うち端数の約500を本陣守護に回して前線を支える本隊が3000である。一方のカミベル側の参加者は5000人。数の差から言っても好き勝手に暴れて問題ないだろう。

 それを証明するかのような暴れっぷりである。あれはあれで見ている側も楽しめるだろう。結局視聴者にもある程度配慮して戦ってるんだな、とソウヤは感心すると同時に、人のことを真面目という前にあなたも大概ですよ、と言ってやりたい気持ちになるのだった。

 

「デ・ロワ卿!」

「ん……?」

 

 と、その時、ソウヤの元に1人の兵士が駆け寄ってきた。

 

「ヴィノカカオ万騎長から、緊急の連絡が入っています」

「ノワールから? ……何だ?」

 

 だがその兵は「いえ、内容までは……」と言葉を濁す。城で待機中のノワールから緊急でかつ重要性の高い連絡。おそらく面倒な話が舞い込んでくるのだろう、と思わずソウヤは僅かに眉をしかめた。

 

「わかった、すぐ行く。……ベール、すまないがしばらく隊の指揮を任せるぞ」

 

 了解です、という彼女の声を聞き流し、ソウヤは本陣へ戻るとテントの1つへと入っていく。そこにはフロニャ周波を増幅して通信を可能にした通信機があった。受話側を耳に当て、目の前の機械へと声をかける。

 

「ノワールか?」

『ソウヤ! 大変なの!』

 

 ノワールにしては珍しく取り乱した様子だった。これは相当悪い情報が入ってくるに違いない、と思わず重い気分になる。

 

「戦中の俺にわざわざ連絡をよこすとはよほどやばい話か。あまり聞きたくないな」

『悪いけど冗談を言ってる時間もないの。聞いて』

 

 やはりよほど切迫してるらしい。さて鬼が出るか蛇が出るか、とソウヤは身構える。

 が、その見構えをもってしても、予想の上を行く言葉が受話器から聞こえてきた。

 

『リコが……リコがパスティヤージュで誘拐されたの!』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 10 強襲・主席奪還戦 前編

 

 

「リコッタが……誘拐された!?」

 

 一瞬前にはノワールの慌てた様子に珍しいと思ったソウヤだったが、今度は自分がそうなる番だとは思ってもいなかった。だが驚かざるを得ない。

 

『リコ、昨日今日ってパスティヤージュのエスナートに行ってたの。勇者召喚についての意見交換会とパスティヤージュの研究員との会合があるって。その帰り道、空騎士達が空路で送迎するフリをしてそのままパスティヤージュのグラサージュ砦に……』

「間違いないのか?」

『間違いないよ。パスティヤージュの動きを探らせていた隊員の情報だし、リコもまだビスコッティに戻ってきてないのは私が確認を取った』

 

 ギリッとソウヤは奥歯を噛み締める。パスティヤージュ、しかもまさに危険な橋を自ら渡ろうとするかのごとく、このタイミングでビスコッティに仕掛けたとしか思えないリコッタの誘拐。

 

「あの小娘め……! 余計なことを……!」

 

 思わずソウヤは恨み言を吐いた。ソウヤが小娘と呼んだ人物、つまりクーベルが主犯であろう。やりそうなことだと彼は思う。以前もビスコッティとガレットが互いに勇者召喚した後で、留学から帰ってきた彼女は「自分だけ除け者にされた」と大いに騒いでいたことを思い出す。その結果、三国間で擬似勇者による戦興業なんてことまで起こったほどだ。彼女には何か考えがあるのかもしれないが、ソウヤから言わせてもらえば要するに「自分にも一枚噛ませろ」と言いたいらしいということに他ならなかった。

 だがそれだとしても今はその時ではない。ビスコッティの状況を考えれば余計なことはするべきではないのだ。国内の状況に加えてこれだけあっさりと要人が誘拐された、とあってはビスコッティがやや混乱状態にある、ということを世間的に証明してしまいかねない。そうでなくても前回の姫様誘拐未遂の一件からさほど時間が経っていないのだ。これでは隣国のマイナスイメージが大きく印象付けられることになる。加えてガレットとの戦を入れれば2戦目、国外との戦を行うようになった、とあれば他国、殊にカミベル辺りがまた動き出す懸念もあった。

 

「布告は?」

『まだされてない。今ビスコッティの騎士団はドラジェと合同演習中で城に戻ってきてない。だから戻ってきてから布告するんだと思う』

「なるほど、それで時間がないって言ってるのか。もし()()()()()()とするなら布告される前でなくては意味がないからな」

 

 あの優秀な隊長が側にいながらまた暴走する領主を制することができなかったのか、と再びソウヤは歯噛みする。なんだかんだ、あの人は領主に甘い。暴走が最終的にいい結果をもたらすことが多いからと目を瞑ってしまうのだろう。今回ばかりは少々きつくお灸を据えねばなるまい、とソウヤは思う。

 

『それで……どうするの?』

「布告がされていないのなら、その前にやめさせる。とはいえ、口頭や文書で言ったところでやめる意思は見せないだろう。おそらくキャラウェイさんも釘は刺しただろうに、これだけのことをやろうとしているんだからな。ならこっちがやることはひとつ、()()()使()だ。強襲をかけてリコッタの身柄を()()()()()。それで誘拐があったという事実自体を揉み消せば、この誘拐の一件は表沙汰にならない」

 

 ソウヤはそれが妥当と判断してのことだった。別に戦を仕掛けるな、とは言わない。ただ誘拐未遂が行った後のこの時期に誘拐興業はまずいと言いたいのだ。だから、一旦これを揉み消し、後日改めてやってほしい、というのが彼の考えである。

 

『やっぱり……。ソウヤならそう言うと思ってた。でも遊撃隊は今まだ戦闘中じゃ……』

「連れて行きたいが、さすがに無理だろうな。だから俺だけ抜ける。……今動ける諜報部隊をかき集めたら何人になる?」

『えっと……30人ぐらい……』

「十分だ。それでいい。ここからガレットの街道までヴィットをとばして小一時間で着く。それまでに動ける連中と、適当に攻塞戦用の装備を用意しておいてくれ」

 

 そう言うとソウヤは通信を切ろうとする。

 

『ちょ、ちょっと待って! 相手は500……空騎士は200ぐらいは砦にいるって隊員の情報が……』

「関係ない。リコッタを奪取すれば、いや、あの()()()の前に俺が行けばそこで目的は達成できる。舌戦で負ける気はしない、言い包める方法などいくらでもあるからな。なら少数精鋭でいい。むしろ俺はお前と2人だけでも仕掛けるつもりでいた」

 

 通話先のノワールが絶句するのが、通信機越しにもわかった。まあそうだろう。500相手に2人で突破など、大陸最強の自由騎士とその相棒であるならまだしも、ソウヤとノワールという力押しができない技巧派2人では不可能にしか見えない。だがそれは正面から仕掛けた場合の話だ。

 言うまでもなくこの男は正面からの戦闘など微塵もやるつもりはない。相手はお世辞にも真っ当とは言えないの方法でリコッタを誘拐した。ならこちらもグレーゾーンの奇襲を仕掛けようが文句を言われる筋合いはない。ましてや戦力差は相当開いている。なら別に何の咎めもないはずだ、とソウヤは考えていた。手段を問わずにそこまでを考えに含めた場合、ソウヤとノワールの2人でも十分目的を達成できる、彼はそう固く信じていた。

 

「まあ任せろ。とにかく小一時間で戻る。合流までに諜報部隊を連れて準備しておいてくれ」

 

 通信を切り、ソウヤはテントを出る。そのまま駆け出し、遊撃隊が待機している本陣へと戻った。

 

「ベール!」

「あ、ソウヤさん」

「悪いが非常に重要な急用が出来た。俺は今からこの場を離れる。遊撃隊の指揮はお前に任せる。後は頼むぞ!」

 

 言いたいことだけを言い残し、ソウヤはヴィットに跨る。その姿に「え!? あ、ちょっと!」と明らかに狼狽するベールの声が聞こえてくるが、その声を無視してヴィットに輝力を込め、ソウヤは風の如く駆け出していた。

 

 

 

 

 

 パスティヤージュ、グラサージュ砦。送迎を装った「誘拐」により連れ去られたリコッタがその大広間へと通される。砦にしてはなかなかに豪奢、さすが芸術の国などという呑気な考えが一瞬よぎったが、今はそんなことを考えている場合ではないとリコッタは頭を左右に振った。

 

「おおー! よく来たな、リコ!」

 

 そんな彼女の悩みなどどこ吹く風。この騒動を起こした張本人が全く悪気のない様子で誘拐されたリコッタを出迎えた。

 

「クー様……これはどういうことでありますか!?」

 

 リコッタにクー様と呼ばれた女性――クーベル・エッシェンバッハ・パスティヤージュがその発言に対して予想もしていなかった、という表情を浮かべる。以前はリコと同じような背丈と体型であったが、どこでどう差が出たか、彼女の身長こそリコを少し越えた程度だが、それでいて出るべきところもそれなりに出てきている。

 

「どういうこと、って……。リーシャから聞いたであろう? 誘拐させてもらったんじゃ」

「だとしても……このタイミングはまずいであります! クー様も今ビスコッティがどういう状況になっているか……!」

「わかっておる!」

 

 自身の言葉を遮られる形で述べられたクーベルの強い口調。思わずリコッタはビクッと肩を震わせた。

 

「……わかっておる。でも以前から何度相談しようと連絡しても、ミルヒ姉はウチに何の相談もしてくれない……。ウチは寂しいんじゃ。またそうやってウチだけ蚊帳の外で……。力になりたいのにミルヒ姉が自分で大変なことを背負い込んでしまうなら、いっそこうやるしかなかったんじゃ……!」

「クー様……」

 

 そんなクーベルに対し、頭ごなしに否定しようとしたリコッタは出鼻をくじかれた。彼女の言いたいことはよくわかる。相手にしてもらいたいというだけでちょっかいを出してきたわけでない。あくまで彼女の大好きなミルヒの苦境を見るに見かねて、自分もそこに協力したいという純粋な思いからの行動だったのだろう。

 だがそれでもこのアプローチはまずい(・・・)と言わざるを得ない、とリコッタは思っていた。ここでの誘拐劇というのは確かにパスティヤージュが1枚噛むにはいいかもしれない。しかし同時に3度目の内戦も未遂だったとはいえ誘拐戦、しかも未遂で済んだのは隣国の元勇者の援軍が合ったからだ。さらに今回はもう誘拐済みの奪還戦となれば、今のビスコッティは国の重要人物をまともに護衛することすら出来ないとも見られかねない。それこそ国内の混乱状況を大っぴらに晒すことになる。

 それはまずい。「火薬庫」と呼ばれるカミベルは虎視眈々と周辺各国に付け入り、自国の国力をアピールする状況を狙っている。実際先代領主が行方不明になった、という情報の後、激励という名目で戦が申し込まれたこともあった。幸いロランの口添えもあり、ミルヒがしばらくの国外との戦をやらないという方針だったために事なきを得たが、あれは明らかにビスコッティの状況をさぐるためだとリコッタは思っている。そんな最中、この誘拐戦が起きれば混乱に乗じて行動を起こす可能性がある。加えて国家間で誘拐戦が発生した、という事例によりアプローチがこれまでより激化する懸念も彼女にはあった。

 

「クー様の気持ちはよくわかったであります。でも……でも今はやっぱり待ってほしいであります! 自分はこのままビスコッティに……」

「ダメじゃ! それなら布告後にミルヒ姉が断れば済む話じゃ。布告さえ出来れば、これだけの無理をやったということでミルヒ姉はきっとウチの心遣いに気づいてくれる。今まだビスコッティはドラジェとの合同演習中という話じゃから、もう少しして宣戦布告が済めば、返答次第ですぐにリコを返してやれる。それまでは待ってくれ」

 

 それではまずいのだ、と再度リコッタは歯噛みする。この事態は布告が行われるより先に、他国が動きに気づくより先に揉み消さなければならないことなのだ。

 だが自分がここでどう言おうと言い分としてはクーベルの方にある。彼女の言うとおり、当事者ではなく布告された相手が拒否しない限り解放はされない。今の自分はどうすることもできない、と彼女は俯いた。

 

 と、その時だった。彼女が何かを思い出したように顔を上げる。

 そうだ。他国――すなわち第三国(・・・)にはまだ知られていないかも知れないが、友好関係にある隣国には彼女の親友で非常に優秀な諜報部隊長がいる。だとすると、この情報は既にそこには伝わっているかもしれない。

 そしてその諜報部隊から足の軽い部隊――つい先日設立されたばかりという遊撃隊に出動命令が出て自分を横取り(・・・)されれば、自分の身はガレットの預かりに代わる。そうなればこれは表沙汰になる前に揉み消される。いや、出撃命令が出なくても、彼女の親友がこの情報を得た時点で間違いなく()は来る。

 思い当たったその考えは、やがてすがりつくような願いへと変わっていく。だったら、そこに賭けるしかない。先日の内戦による誘拐戦を未遂にした蒼穹の獅子ならきっとやってくれるに違いない。

 

 祈るような気持ちで、リコッタは砦の窓から外へと視線を移した。

 

 

 

 

 

 合流予定の街道にソウヤを乗せたヴィットが近づいてきたのは、指定時刻よりやや早い時間帯だった。その姿を確認し、ノワールを隊長とする諜報部隊のセルクルが駆け出し始める。やがてそこ追いついたソウヤがノワールと顔を合わせた。

 

「状況は?」

「まだ動き無しみたい。ビスコッティへの布告も行われていない」

「よし、なんとか間に合いそうだ。場所はグラサージュ砦だな? こっからだと小一時間ってところか。電撃戦でなんとかできそうだな」

「でも……ソウヤ大丈夫? ここまでヴィットに輝力を込め続けて全力でとばしてるんじゃ……」

「んな弱音言ってられるか。大体この後俺1人で砦の戦力の大半を引き受けようとしてたんだ、この程度でひいひい言ってられねえよ」

 

 やはりというかなんと言うか。本気でこの男はこれだけの戦力で空騎士を含むパスティヤージュの500の戦力に仕掛けるつもりなのだとノワールは改めて思った。常識で考えれば到底無理な話、失敗すれば「ガレットが横からちょっかいを出した」という自国によってあまりよくない結果だけが残ることになりかねない。

 なのにこの遊撃隊長の自信はなにか。失敗など最初から眼中にない、その目は間違いなくこの作戦の成功を、そしてその後の展開までも見据えているように見える。つくづく敵に回さなくてよかったと思える存在だという考えがノワールの頭をよぎった。

 

「なんだ、じろじろ見て。作戦が知りたいってか?」

「そういうわけじゃなかったけど……。でも作戦は知りたいよ」

「簡単だ。俺が引き付ける、お前たちが突入する、そして合流して俺が小娘にお灸を据えに行く。以上だ」

 

 説明に全くなっていない、とノワールは苦笑を浮かべた。だがおそらく言ったことをこの人はやる、ともわかっていた。

 

「信じられないって顔だな。弓と鳥との相性は抜群と、俺が読んでいた小説では相場が決まっていた。それに忘れたか? 俺と空騎士の相性は俺とレオよりいいって揶揄されてるほどだぞ」

 

 そこで彼女はようやく思い出した。ソウヤがフロニャルド永住を決めた頃に行われたガレットとパスティヤージュの戦、今から約3年程前だったと確か記憶している。

 レオが領主の座を退いて顧問役に移り、16歳になったガウルが仮領主の座についた頃の出来事だった。いよいよレオが領主の座を降り、さらに召喚勇者のソウヤもフロニャルド永住を決めたということで、かねてから噂されていた2人の結婚もついに秒読みではないか、と言われていた時期の話である。

 

 そんな2人の噂を快く思っていなかったのが、パスティヤージュのクーベルだった。元々ソウヤとは初対面から反りが合わず、しかも彼女にとって姉のように慕っていたレオを奪おうとしている存在。どうにかしてこの一件に水を差してやろうと、ガレットとの戦にかこつけて、その戦の最中にソウヤ1人を指名してリーシャが指揮を執る空騎士50をけしかけたのだ。

 だが、それは勝負にすらならなかった。個のポテンシャルが突出しているほどでもない、いわゆる「質より量」の相手にめっぽう強いのがソウヤだ。加えて遮蔽物のない空、防御より回避を得意とする空騎士、そしてソウヤの武器は弓。

 全ての状況が味方になったソウヤは一射目の「バリスタ」で空騎士の半分以上、約6割を消し飛ばした。固まると紋章砲の餌食になると判断したリーシャは隊を散開。だが今度はそれを待っていたかのように「アルバレスト」が散らばった残りの空騎士を追跡して撃ち抜き、わずか二射にしてソウヤと対峙した空騎士はほぼ壊滅状態となった。おそらくリーシャの能力を持ってすればその状態からでもソウヤといい勝負を繰り広げることは出来たであろう。だがわずか数分と経たないうちに指揮した隊が壊滅する光景を目の当たりにした彼女はもはや戦意を喪失していた。結果クーベルの目論見は失敗し、逆にソウヤの実力を広く知らしめることとなってしまったのであった。

 

 以来「ガレットの元勇者を見たら陸戦騎士に任せて逃げろ」というブラックジョークがパスティヤージュの空騎士達の間でまことしやかに囁かれるようになった。一方のソウヤも「お前が空騎士と戦うとあまりに一方的過ぎて盛り上がらない」とガウルに苦言を呈され、以降のパスティヤージュとの戦においては空騎士がいない場所に配置される、実質出禁(・・)状態にある。

 だが今回は相手もあまりよろしくない方法でリコッタの誘拐を行っている。だったら自重の必要はない。久しぶりに大暴れ出来ると、ソウヤの口元が獰猛な笑みを浮かべる。

 

「……ソウヤ、この状況を楽しんでない?」

「楽しむ? 出来るかそんなこと。……でもな、休暇前は『量より質』な相手ばっか……というかシンクとばっかやらされてたからな。あいつと戦うこと自体は嫌いじゃねえし、分の悪い勝負でいかに負けを取らないようにするか考えるのも好きだが……。あまり頭を働かせず正面からぶつかって、しかも大部隊を蹴散らすって方が結構スカッとするのは事実だ。で、久しぶりに心が躍ってるってのはある。……まあこんな面倒な状況を引き起こしてくれた、ってんでどっかハイになってる部分はあるがな」

 

 そう言って声を噛み殺してソウヤが笑う。

 ああ、こうなった時のこの人はまずい(・・・)とノワールは本能的に直感した。元々ソウヤは感情の起伏が激しくなく、直接的に怒りを表すことは珍しいと彼女は思っている。結果、怒りの感情は婉曲的に――要するに皮肉や嫌味といった形で表されることが多い。

 ではそれを超えた場合はどうなるのか。今彼女の目の前で笑みを浮かべているように、()()()()()にテンションが向かっていってしまうのだ。おそらく今の彼は相当にお冠(・・)だ。頭に血が上り普段のような綿密な作戦が()()()()()()ためにさっきのような話になってしまったのかもしれない。

 しかし相手が空騎士が中心とあれば、最初に彼が言った通りソウヤとノワールの2人だけでも勝機があったのだろう。加えて今ここにはノワールが指揮する諜報部隊がいる。本来戦闘がメインの部隊ではないためソウヤが普段指揮する遊撃隊と比べると直接戦闘の能力は劣るが、それでも手練れ揃いであることに変わりはない。

 

「じゃあソウヤが空騎士を引き出して迎撃、おそらくその対策として陸戦騎士を出してくるだろうから、その時開いた砦門に私達が突入すればいい、ってこと?」

「そういうことだ。理解が早くて助かる。どっかの小娘に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいだ」

 

 そう言って再びソウヤは小さく笑った。その様子を見てノワールは痛感する。この人を怒らせるのは避けよう、と。レオやガウルのように直情的に怒りをぶつけるのとは全く別物、退路を塞いだ相手をじわじわ追い詰めていくようなこの怒りのぶつけ方はやられたいとは到底思わない。

 

 そういう意味で彼女はこれからその矛先が向くであろうクーベルに同情せざるを得なかった。おそらく向こうもこちらの奇襲に応戦してくるだろう。だが掌で踊らされた挙句、敗北を喫す未来しか、今のノワールには想像できなかった。その上でソウヤはクーベルを丸め込み、自分に有利な方向へ話を持っていくことだろう。

 

 つくづく、今この場で彼と並走出来る立場でよかったと、ノワールは改めて思ったのだった。

 

 

 

 

 

 誘拐されてから既に2時間近くが経過しようとしている、とリコッタは部屋の時計を見つめて思った。あれから何度かクーベルを説得しようと声をかけてみたが、結局話し合いは平行線だった。ただいたずらに時間だけが過ぎていく。

 

「むう……。キャラウェイ、ビスコッティはまだ合同演習から戻ってきていないのかの?」

「もうしばらくかかるでしょう。最速でも夕刻前に始められれば早いほうかと。場合によっては明日となることも考えられますので」

「そうか……。どうもリコは早く帰りたがっているようだから、急ぎたかったのじゃが……」

 

 そしてあまりにリコッタがこの誘拐をやめるように言ったために、とうとうクーベルはリコッタが早く帰りたがっているものだと勘違いし始めてしまっていた。

 リコッタはきっと横槍が入ると信じている。だが、もう時間がない。布告をされてしまった時点でアウト、あと1時間もすれば布告自体はされてしまうだろう。

 

「ううむ、待つというのはどうにも性に合わんようじゃ。……もういっそのこと演習から戻ってきてなくても、フィリアンノ城のメイド長辺りに伝言形式で誘拐戦の布告をしておくというのは……」

「それはまずいでしょう。仮にも国家間の戦ですし」

 

 不安な心中のリコッタと対照的、聞こえてくる2人の会話はどうにも呑気に聞こえてしまう。ダメ元でもう1度説得してみようか、と彼女が口を開こうとした。

 

 ――その時だった。

 

 突如窓ガラスが割れた。飛び込んできたのは1本の矢。その矢も割れたガラスも、近辺に誰もいなかったために当たりはしなかったが、不意に破られた静寂によって部屋に動揺の空気が走る。

 

「な、なんじゃ!?」

 

 驚くクーベルとキャラウェイには目もくれず、リコッタは飛び込んできた矢を見つめていた。

 

(本当に……来てくれたであります……!)

 

 飛び込んできたのは矢だ。間違いなく「彼」だ。そうリコッタは確信する。

 

「ん? 矢の先に何か……」

 

 床に落ちた矢を拾い上げ、キャラウェイがそこに結んであった紙のようなものを開く。そしてその目が流れるにしたがって、次第に表情に驚きの色が浮かんでいった。

 

「……クーベル様、これを」

 

 次いでその文面を読んだクーベルの眉がキリキリと吊り上がる。

 

「『貴国が誘拐した主席を即時解放願いたい。聞き届けられない場合、当方に奪還の用意あり……』。どういうことじゃ!?」

「……扱いとしては要人誘拐戦ですかね。完全にこれは横槍ですが。こちらが誘拐戦を布告する前に、その()()()()()要人を()()()()()、というところでしょう」

「な……! じゃあウチの計画を邪魔しようということか!?」

「そういうことになるかと思います」

 

 未だクーベルは信じられないらしい。リコッタの誘拐はまだどこにも知られていないはず。布告のための公表をしていないのだから、表沙汰にはなっていない。

 これは契機とばかりに、リコッタも口を開いた。

 

「クー様。自分からもお願いであります。どうか、その書状の通り、自分をここで解放してはいただけないでありますか?」

「……リコ、お前はウチに……パスティヤージュに、こんな道義のない要求に屈しろ、と言うのか……?」

 

 口調こそ激しくはないものの、彼女は明らかに怒りの感情を抱いている、とリコッタにはわかった。だがそれを言い出したら自身を誘拐したこの方法自体が道義に反する、とも言える。しかしそれを指摘したところで水掛け論、こうなってしまったクーベルを見ては火に油を注ぐことになりかねない。

 

「悪いがリコ、その案は却下じゃ。……ウチはこの無礼者を蹴散らし、ミルヒ姉のために、ウチの意思を伝えるためにビスコッティに布告してみせる……!

 キャラウェイ! リーシャに指揮を執らせ、空騎士達に空からの偵察をさせるのじゃ! 怪しい影を見かけたら即座に攻撃を許可する!」

「……よろしいんですね?」

「愚問じゃ! 2度も言わせるな!」

 

 わかりました、とキャラウェイが部屋を後にする。相変わらずクーベルは眉を吊り上げていたが、果たしてしばらくした後、同じ表情が出来ているのだろうかと、思わずリコッタの頭に意地の悪い考えが浮かんだ。

 

 

 

 

 

 一応名目上の書状を()()()()()から数分の時間が経過した。ソウヤはヴィットともにグラサージュ砦を臨める林の中に身を隠していた。

 わざわざ挑発気味に矢文、などという方法を取ったのには訳があった。無論彼はこれで相手がほいほいとリコッタを解放するなど思ってもいない。いや、()()()()()()()()のだ。そうしてくれれば確かに事態は早急に解決する。が、面倒ごとを増やしてくれたという彼の煮えたぎった心がそれでは収まらないだろう。今回はきつくお灸を据える必要がある。だからあえてこちらの誘いに乗って戦闘を仕掛けるように挑発するような矢文と、あの文面だったのだ。もっとも、例え丁寧な文面にしようが相手がリコッタを解放するはずがないことは火を見るより明らかだと思ってはいたが。

 

 と、砦から何かが空に羽ばたくのが見えた。パスティヤージュ自慢の航空戦力、空騎士だ。数は数十。それを見たソウヤは反射的に舌打ちをこぼす。

 

()()()()んだよ……。出し惜しみやがって……」

 

 偵察ということはわかっている。だが彼はここで砦にいる空騎士全て(・・)を撃墜するぐらいのつもりでいた。陸戦部隊を引き出した後にノワール率いる潜入部隊が入り込むまでの時間が必要になる。そこで空騎士が残っていては空から空爆され、元々の数が少ない諜報部隊は全滅しかねない。

 出てこないなら引っ張り出すまでだ、と彼は背後に紋章を輝かせてエクスマキナを弓――それも通常よりも巨大な弓へと変化させ、その場に腰下ろした。両足で弓を支え、輝力生成した矢を同様に輝力で強化した弦に番える。

 

「挨拶代わりだ……。受け取れ!」

 

 「ストーム・オブ・バリスタ」――ソウヤの対攻城・要塞戦用の紋章砲。とにかく矢の数を撃つことにのみ特化した、まさに砲台とも言うべき紋章術により、矢の雨がグラサージュ砦へと降り注ぐ。砦敷地内に待機していた騎士の中にはこれで早くも戦闘不能になる者もいるだろう。

 だがそれは副次的なものだ。真の狙いは弓兵がいる、と相手にわからせること。それも今の矢の数からそれなりの数だ、と錯覚させることだ。

 果たしてソウヤの読み通り、砦から更に空騎士が合流するのが見えた。数は数倍に膨れ上がり、おそらくほぼ全戦力だろう。こちらに攻撃を仕掛けてくると見てまず間違いない。

 しかし二射目を撃つ前にソウヤはヴィットへと飛び乗る。今の一撃で相手にこちらの場所は相手に察知されているはずだ。二射目より先にパスティヤージュ自慢の晶術砲撃が降り注ぐことだろう。防御しきれないことはないだろうが無駄な輝力の消費になりかねない。場所を変えて回避した後、撃ち終えた相手が「やったか!?」などと思っているところに確実に二射目を撃ち込むのが彼の狙いだ。

 

「ヴィット、一先ずここを離れろ!」

 

 主の声にヴィットが最初の射撃ポイントから離れる。一瞬間があって、先ほどの場所へと鮮やかな数十もの光が殺到し、次いで土煙を巻き上げた。やはり防御という選択肢を取らなくてよかったという思いが彼の心をよぎる。あれを防ぎきるにはそれなりの輝力を動員しなくてはならなかっただろう。

 そこに巻き込まれなかったソウヤはヴィットから転がるように飛び降りる。そして一射目と同様に弓を構え、しかし今度は先ほどよりも紋章を鮮やかに輝かせる。一方で精製する矢は1本辺りの大きさは大きくなったものの数は少ない。

 ターゲットをロックオンする。相手は今の射撃で火力を集中させたために密集気味の隊形。模範的な戦い方ではあるが、自分が狙ったとおりのおあつらえ向きな状況に思わずソウヤの口元から歯が覗いた。

 

「今度は本命だ……。吹き荒ぶ弩弓の嵐、とくと味わえ! ストーム・オブ・バリスタ!」

 

 放たれた数十本の矢は一直線に空騎士へと迫る。相手もそれを目視して迎撃用の拡散防御弾を撃ち出すらしい。だが、ソウヤは命中を確信して笑みをこぼした。

 次の瞬間、矢は弾けてさらに小型の矢へと変わり、弾幕を形成した。一発の輝力の矢を弾けさせて複数発に分裂させるベールの紋章砲「フラッシュアローズ」を応用して自身の紋章砲へと組み込んだ、回避不能の矢の嵐。その矢を前にして、晶術による防御弾幕程度では迫り来る紋章砲の弾幕を防ぐことは叶わなかった。防御の幕を消し飛ばされ、空騎士達が次々とだま化していく。その嵐が駆け抜けた後には、もう空騎士の数は当初の半分程度になっていた。

 相手が散開する。防御は不可能と判断して回避に移ったのだろうか。だが隊を散開させた瞬間、既に勝敗は決していたと言っても過言ではなかった。

 

「それじゃいつぞやの時と同じ展開じゃないか、眉毛(・・)の姉ちゃんよ……!」

 

 既にソウヤは立ち上がり、左手の弓状となったエクスマキナは普段のサイズに戻っている。そして右手の指の間に輝力による矢を数本作り出し、散開した空騎士へとソウヤは狙いを定めた。

 

「とどめだ、ヘッジホッグ・アルバレスト!」

 

 

 

 

 

 彼女は自責の念に駆られていた。初撃の砦への矢により、相手は50程度、せいぜい多くて100の弓兵と見ていた。その程度なら集結している空騎士の全戦力を導入して空から砲撃すれば簡単に勝負がつく。撃ち合いになったとして数で勝るこちらに負けの要素はない。

 そう考え、密集隊形からまず様子見に一斉射。だが既にこれが相手の思う壺だったのだ。次に飛んできた回避不能、防御弾をあっさり消し去る弾幕という想定外の容赦ない紋章砲をなんとか堪え、しかし指揮した隊の半数以上がだま化した光景を目にして彼女は確信にも似たある考えを抱いていた。

 

 相手は50でも、ましてや100でもない。1だ。それも「特別」な1だ。

 

 密集隊形を崩され、防御不可と判断した隊は流動的に散開状態へと移行する。軽いパニック状態で働かない彼女の頭もそれが妥当と判断し「散開!」と声を出し――出した直後に後悔した。

 

「待って! 散るのはまずい!」

 

 だが遅かった。既に眼前には光る矢が数十本と迫り、さらに分裂して増殖する。

 

「避けるな! 防御!」

 

 防御弾が効かないならブランシールの機動力を生かして防御より回避を優先、という判断をする騎士達の何割が今の自分の命令を実行してくれるかはわからない。だが過去の経験からいうとここでの回避はだま化を意味するはずだ。なぜなら()()()()()()()からだ。先ほどのが弾幕式の紋章砲で散開を誘ったとするなら、今度はおそらく誘導式の紋章砲。回避不可能であるなら最初から防御態勢を取った方が被害は少ない。自身は発した言葉通り輝力を集中させて防御体制をとり、なんとか射撃をやり過ごした。

 防御態勢を解いて辺りを見渡し、彼女――この隊の指揮を執っていたリーシャは愕然とした。残った騎士は当初の2割以下。つい先ほどまでここで密集隊形を組んでいたはずの騎士とブランシール達がことごとくだま化し、地面に落ちていた。

 

「そ、そんな……」

 

 彼女の脳裏にかつての失態がフラッシュバックする。たった1人の人間に領主の命令で50の空騎士とともに仕掛け、わずか二射で部隊壊滅へと追い込まれたあの戦い――。

 

「間違いない……! ソウヤ・ガレット・デ・ロワ卿……蒼穹の獅子……!」

 

 ゾクリと背中を冷たいものが駆け下りる。やはりあの獅子を相手にしてはいけなかったのだ。今ではジョークのように語られる「ガレットの元勇者を見たら陸戦騎士に任せて逃げろ」というのは間違いなく本当だったのだ。

 

「こ、後退! 飛空術騎士団、後退!」

 

 落とされた騎士の仇を取る、などという考えすら浮かばなかった。このときまだ戦闘の意思が彼女にあり、それに従ってソウヤに仕掛けていれば、紋章砲を3連発したソウヤを討ち取ることは可能だっただろう。

 しかし彼女にあったのは恐怖、戦慄、あるいは後悔や自責の念だけだった。1度ならず2度までも同じ手を食ってしまった。一射目でそれなりの数と判断させられ、1人どころか少数であることすら見抜けず、その上で過去と全く同じ展開――密集隊形を弾幕式の紋章砲で崩され、散開したところで誘導式の紋章砲で各個撃破――となってしまったことをリーシャは深く悔やんだ。

 そして同時に恐怖していた。その状況を作り出したのは他ならぬ彼の頭脳だ。まるで操り人形のように彼の望むがままに自分達は動かされ、そうして大損害を受けたに違いない。

 

 ギリッと歯を食いしばり、後退したリーシャはブランシールを砦壁内に着陸させる。現状の報告と今後の指示を仰ぐために砦の中へ、そして足早に領主の待つ部屋へと戻る。

 

「失礼します」

 

 返事も待たず、苦々しい表情のまま彼女はドアを開けた。

 

「リーシャ! 何があったんじゃ!?」

 

 おそらく砦から自分達の失態の様子は見ていたのであろう、クーベルが信じられないものを見たとばかりに声をかけてくる。

 

「ご覧になられたとおりです……。やられました……」

「そんな馬鹿な……! 空騎士は200はいたはず、相手はそんなに大勢だったのか!?」

「いえ……。確認はしていませんが、おそらく1人です」

「1人じゃと!?」

 

 そこでクーベルも思い当たったらしい。かつて同様に仕掛け、そして苦汁を舐めさせられた相手――。

 

「まさか……」

「はい。『蒼穹の獅子』が来ています……!」

「あのおたんこなす元勇者……!」

 

 搾り出すようにクーベルが呻いた。

 

「あの獅子がいる以上、情けない話ですが空騎士は機能できないと言っていいでしょう……。既に甚大な被害を受けています。差し出がましいようですが、私としては向こうの要求を聞き入れるのもありかと……」

「出来るか! あいつが仕掛けてきたとなったらなおさらじゃ! このままおめおめとパスティヤージュの醜態だけを晒すわけにいくか!」

 

 だがこれ以上続け、それでも負けたとなれば今以上の醜態になる、とリーシャは口にしたかった。が、出来なかった。その最初の醜態を晒すことになった張本人は他ならぬ自分だ。そんな自分が意見する資格など無い。

 

「キャラウェイ! 陸戦部隊を投入じゃ! あのおたんこなすを蹴散らすのじゃ!」

「伏兵がいる可能性もありますが、いいんですか?」

「なら半分の100だけ割けばいい。残りの100は伏兵に備えて砦壁内待機、どうじゃ?」

「妥当でしょうね。リーシャ、陸戦部隊の隊長に連絡を。君と、あと残った空騎士は砦壁内に待機しておいてくれ」

「了解。……キャラウェイ君、可能ならあの獅子の相手、君にやってもらいたいから出撃してくれると助かるんだけど」

「いや、私はここで待つよ。あの人なら差し向けた戦力を突破してくる可能性がある。そうなった時、向こうが引渡しを要求している主席とこの場のクーベル様を守る意味でも、私が相手をする」

 

 あくまで抵抗の意思を示すことを明らかにした領主とそのお目付け役の隊長に「……了解」とだけ返し、陸戦部隊の隊長に命令を伝えるべくリーシャは部屋を後にした。だが、早くも彼女の心の中には勝てないかもしれないという気持ちがふつふつと湧き上がってきていた。どんな次の一手を打っても、全てがあの獅子の前では看破される。いや、むしろそうなるのを待っていたかのように、次々と被害が増えていく。そんな妄想さえ呼び起こされ、リーシャは頭を振った。

 




グラサージュ……表面をコーティングするというお菓子用語。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 11 強襲・主席奪還戦 後編

 

 

 ノワール達諜報部隊はソウヤと逆側の林の中に身を潜めていた。今の一連の空騎士との戦いは眼前で行われたが、その時と変わらず身を隠した状態。彼女達の作戦目的は内部への突入だ。ソウヤに対抗するために陸戦騎士を出してくるまでは、存在を気取られてはならないのだ。

 だからその先ほどの戦いでノワール達は全く手を出さなかった。いや、出す必要もなかっただろう。彼女が予想した以上に展開は一方的だった。ソウヤと隊長のリーシャとの戦いになることだけが懸念事項だったが、彼女はあっさりと後退した。かく言う自分もたった1人にあれだけの数の隊員を撃墜されては、戦意を保つことも難しいだろう。

 あとはこれで陸戦部隊が出てくれば彼の狙い通り。全部隊出してくれれば内部戦が楽になるために理想だったが、少なくとも半分は残してくるとみていた。それでも砦門の内部にさえ入れれば、あとはソウヤがなんとかすると豪語していた。

 そう自信たっぷりに言われたからには信じるしかない。少なくとも今さっきあっさりと空騎士隊を殲滅したのだ、希望を持たせてくれるには十分だろう。

 

「隊長」

 

 そんな考えを頭にめぐらせていた彼女に隊員の1人が声をかけた。

 見れば砦門が開こうとしている。陸戦部隊の引き出しには成功したようだ。

 

「仕掛けますか?」

「まだ。ソウヤからの合図を待ってから。でもいつでも突撃できるように撹乱弾(かくらんだん)は準備しておいて」

 

 了解、という返答とともに数名の隊員が前もって準備してあった鉄の筒のようなものを砦の方へと向ける。ガレット特選装備部隊が主に用いる装備、迫撃砲だ。拠点攻撃であったために、隊長としての立場を利用してノワールが持ち出した装備である。

 

「射角よし、いつでも撃てます」

「指示あるまで待機。後は予定通りに」

 

 手短に応答を済ませ、ノワールはセルクルの手綱を握る手に力を込めた。

 砦門が開く。中から出てきた陸戦部隊はかなりの数になるらしい。セルクルに跨りパスティヤージュ自慢の晶術銃を手にした騎士達は、ソウヤがいると思われるほうへと進路を取ろうとした。

 と、次の瞬間、その騎士達の元へ1本の矢が飛来する。進軍しようとした騎士達の鼻先に命中した矢は大爆発を起こし、辺りに砂煙を巻き上げた。同時に不幸なことに先頭を走っていた騎士数名もだま化して空へと舞い上がったのが確認できる。

 ソウヤの紋章砲、「スマッシャー・ボルト」だ。既に紋章砲を連発しているというのにその威力は相変わらず。出鼻をくじかれた騎士達は防御陣形を固め、そこで足を止めて撃ち合うらしい。

 しかし騎士がどう動こうが、もうノワールには関係がなかった。今の紋章砲は彼女が言った「合図」に他ならない。

 

「突撃! 同時に迫撃砲発射!」

 

 指示を飛ばしつつ、ノワールを先頭に諜報部隊がセルクルを走らせ始める。身を潜めていた林を飛び出し、開いたままの砦門へと一直線へと突き進む。

 当然その動きは相手の見張りによって察知される。異変を感じ取った見張りの兵は即座に伝えようと口を開いたが――直後起こった耳を(つんざ)く程の連続した破裂音と、辺り一面に立ち込めた煙幕によってそれは叶わなかった。

 迫撃砲による砲撃である。それも弾は通常使われる攻撃用の弾とは異なる、ノワールが先ほど言った「撹乱弾」だ。彼女が今戦っているパスティヤージュの晶術の技術も取り入れて、独自の方法で作り出した特注品。「発明王」リコッタの知恵も借りて完成したそれは、発射後に炸裂して辺りに断続的な破裂による爆音と消えにくい特殊な煙幕をばら撒くという代物だ。

 これにより相手の目と耳、つまり視覚と聴覚という五感のうちの2つを一時的に使用困難なものとする。戦場という場でこの2つを頼れなくなることは深刻な問題だ。だが相手に直接的な被害はなく、煙幕も爆音も味方にも影響を及ぼしかねない諸刃の剣。しかし今この場にいるのはガレットを代表する技巧派2人であるソウヤとノワールだ。そんな自爆するようなヘマ(・・)はしない。指示は前もって出し終えているために爆音は関係なく、さらに突撃先もわかっているために煙幕も関係ない。不意の接敵にだけ気をつけ、ノワールは隊を引き連れ一気に砦門へと駆け寄った。「陸戦騎士が出撃する機会に開いた砦門を潜り抜ける」という作戦を立てた彼女は、まだ門が開いているのを確認し、なおも前進する。

 

 だが何事もうまくいくとは限らない。砦内に待機していた残りの空騎士達がブランシールのはばたきを利用して煙幕を消しにかかっている。晶術も利用してある特注品の煙はそう簡単には消えないが、それでも多少の効果はある。その影響か煙幕の切れ目ができ、門付近の敵騎士に発見された。騎士は賢明に大声を出しているようだが、撹乱弾が放つ爆音に掻き消されてしまっているだろう。それでも攻撃されれば危険、と判断したノワールは投げナイフを2本騎士へと投擲する。輝力の込められたその一投に騎士は防御も回避も間に合わず、あっさりとだま化した。

 砦門をくぐり、内部へと潜入したところで諜報部隊はかねてからの指示通りに散らばり、ノワールは門の開閉機の掌握に走る。煙幕の切れ目から10名ほど騎士が配置されているのが見て取れる。案の定守備が固い。異変があったために咄嗟に防御を固めたのもあるのだろう。だが10名程度なら、と彼女は輝力を集中させる。

 

「輝力解放……セブンテール!」

 

 ノワールの尻尾の付近にまるで新たな尻尾が生えてきたかの如く、7本の具現化された輝力武装が展開された。「セブンテール」の名にふさわしく、まさに7本の尾のような輝力武装を身に纏い、彼女はセルクルを飛び降りる。そしてその尾を手足のように扱い、獲物を追い詰める猫よろしく、猛スピードで開閉機へと駆け寄った。

 パスティヤージュの騎士達がノワールの接近に気づく。だが既に遅い。移動に使った7本の尾を今度は攻撃に駆使し、あっという間に騎士をだまへと変える。そして開閉機を掌握した。

 あとはソウヤが内部に入るまではここを死守し、ここでソウヤと合流する予定になる。既に撹乱弾の砲撃は止まり、内部に潜入した諜報部隊員はまだ残る煙幕に紛れて更に敵を引っ掻き回しにかかっている。ようやく聞こえるようになった耳に敵の混乱する喧騒が聞こえてきた。

 

「開閉機だ! 門を閉じてこれ以上の敵の侵入を許すな!」

 

 その喧騒に混じって敵の指示を飛ばす声も聞こえる。一度掌握しても再奪還に来られるのは覚悟の上だった。ノワールはセブンテールに更に輝力を込め、いつでも迎撃体制を取れるように構える。

 だが彼女に迫っていた気配は悲鳴とともに不意に消え去った。次いで聞こえた「ノワール!」という聞き覚えのある声に彼女は僅かに安堵のため息を漏らす。そして次第に晴れてきた煙幕の中、その声と違わない遊撃隊長の姿を目にした。

 

「早かったね」

「お前たちの突撃に合わせて俺も煙幕に突っ込んだからな。……無駄話は後だ。俺は砦の中を目指す。行くぞ!」

 

 ソウヤを乗せたヴィットが駆け出す。ノワールも先ほど同様にセブンテールを駆使してそれに続いた。

 

「雑魚はいい! 敵の隊長格だ! これ以上内部に侵入させるな!」

 

 陸戦部隊の騎士から声が飛ぶ。それでもソウヤとノワールはなおも砦へ。しかし通すまいと騎士達が壁を作る。

 

「どけ!」

 

 輝力を込めた矢をソウヤが一射。爆発でその壁を薙ぎ払う。いよいよ砦に到達しようかというその時。

 

「ソウヤ!」

 

 叫ぶなりノワールはセブンテールを風車のように前面に展開し、ソウヤの左手上空側から迫る一撃を弾いた。彼女の視線の先、やや低空に羽ばたかせたブランシールの上で晶術銃を構えていたのは先ほど苦汁を舐めさせられたリーシャだった。

 

「そこまでです、デ・ロワ卿。……これ以上あなたを行かせるわけにはいかない」

 

 その表情からはよほど切迫したものが感じ取れる。先ほどの敗戦が大分応えているのだろう。その返上の機会を与えてあげたいところだったが、生憎ソウヤの目的は彼女と戦うことではない。

 

「……ノワール」

 

 名を呼ばれただけで、ノワールは彼が何を望んでいるかを把握した。小さく頷き、ベルトの裏地に忍ばせてある投擲用のナイフへ指をかける。

 睨み合いの状態から不意にソウヤのヴィットが駆け出す。反射的にリーシャは彼へと晶術弾を放つが、弾はソウヤの体を掠めて地面に吸い込まれた。

 

「待て!」

「それはこっちのセリフ!」

 

 聞こえたノワールの声に、リーシャがソウヤに向けていた目を戻す。その眼前、1本のナイフが迫り、突如激しい光量を発した。

 

「うわっ!?」

 

 反射的に目を背けたものの、その光にリーシャの目が焼かれる。盲目時の追撃を避けるために一旦ブランシールを空に浮かせ、ようやくその目が元に戻ってきた時、ヴィットはいたもののもうソウヤの姿はなかった。代わりに砦の壁の一部が吹き飛ばされ、そこの前にノワールが仁王立ちしている。

 

「ソウヤの目的はリコを奪還してクー様と話をつけること。だからここは通せんぼ」

 

 セブンテールを広げ、通すつもりはないとノワールがアピールする。

 

「……なるほど、閃光短剣、とでも言ったところだったわけね。煙幕と騒音、それに目眩まし……。随分と(から)め手が得意じゃない?」

「諜報部隊だもん。私自身力での勝負じゃ勝ち目がないってことはわかってるよ」

 

 リーシャの挑発に応えなかったノワールだったが、「……でもね」と続けた後、まるで尻尾が逆立ったかのようにセブンテールがその先端の鎌首をもたげる。7本の尾が敵意を向け、目の前の敵へと狙いを定めた。

 

「私だって輝力の扱いには自信がある……。だからここは通さない。……リコは私の大切な友達、ここで余計な不安と負担をかけさせるようなことはしたくない。この件はソウヤに収めてもらうって決めたから……!」

「クーベル様にはクーベル様のお考えがある……。ここは私も引けない。さっきの失態を晒したまま終わるわけにはいかない。悪いけど覚悟してもらうよ……!」

 

 ブランシールを飛翔させ、リーシャも晶術銃の狙いをノワールへと定めた。

 

「それもこっちのセリフ! ……セブンテール・スクイーズ!」

 

 彼女の強い意志を反映したかのように、セブンテールの先端から集中した輝力が黒い塊となって放出される。それに対する回避行動を取りつつ、リーシャも晶術弾をノワールへと放った。

 

 

 

 

 

 一方うまく内部への侵入に成功したソウヤは砦内を疾走していた。過去に数度レオと共に訪れたことのある砦だ、内部構造はわかっている。その時にも案内された来客用の部屋として使われることの多い大広間に目的の人物はいるだろう。

 幸い砦内の警備は手薄だった。が、ソウヤはまだ楽観視していない。ここまでリーシャとは顔を合わせたが、もう1人の隊長であるキャラウェイは見かけていない。おそらく領主の側に寄り添っているのだろう。だとするなら、最後の番人として現れる可能性も大いにありうる。

 出来れば戦うのは避けたいと彼は思っていた。既に輝力の消耗はかなりのものになっている。相手は自分同様の技巧派で、元々の相性は悪くないと感じているソウヤだが、それでも現在の状況で戦うとなれば勝ち目は薄い。

 だがそんな彼の願いを裏切るように、目的の部屋の前に到着したソウヤはキャラウェイが待ち構えていることを確認した。まるで「部屋に入りたければ自分を倒せ」と言わんばかりのその様子にソウヤは思わずため息をこぼす。

 

「お待ちしておりました、デ・ロワ卿」

「やれやれ。やっぱりあなたはここにいましたか、キャラウェイさん。しかし歓迎されてないだろうに『お待ちしておりました』はどうなんですかね?」

「いえ、当初の布告文を受け取った時から、私はあなたが来るのではないかと薄々感じておりました。あなたが来るということはおそらくただならぬこと。……もしそうであるなら、場合によっては私はこの場の道をお譲りすることも考えています。事を止めるには一旦クーベル様に了解の意思を示した私より、あなたの方が適役でしょうし」

 

 予想に反するキャラウェイの態度にソウヤは拍子抜けした。だがこの様子では、砦内の警備が手薄だったのは意図的に彼がそう仕向けたから、かもしれない。実際に彼は戦闘態勢を取ろうとせず、戦う意思を見せていない。

 

「やはりあなたはやり手だ。物分りもいい。……あとはあの小娘に振り回されるその癖だけなんとかすれば、と思わずにいられませんね」

「耳が痛いですね。ですがクーベル様の暴走はあれで時折いい方向へ動くこともある。見守る側としては、そこに期待したくなる部分もあるんですよ」

「見守る、か……。昔の俺なら鼻で嗤って終わりだったでしょうが……。成長を見守るってのは案外悪くないとか、最近わかるようになってしまいましたからね。キャラウェイさんの気持ちはなんとなくわかりますよ。妹の成長を見守る兄、と言ったところですか?」

 

 キャラウェイが苦笑をこぼす。完全に図星だった。以前似た様な事を少し話した時は「駄々っ子を叱るのも保護者の役目ですよ」と一方的にクーベルが悪いように言っただけだった。だが休暇を明けて久しぶりに向かい合ったソウヤは、今のキャラウェイの心中までも察してみせている。無事に生まれて今も成長しているという子の影響があるのだろう。結婚という出来事を経て、よりソウヤは成長したのだと彼は感じていた。だから、今この場を譲ってもいいとさえ考えていた。

 布告された時から、言葉通りキャラウェイはソウヤが来ていると薄々感じていた。だがそれでもあえて黙っていたのには訳があった。もとよりキャラウェイはこの誘拐には賛成しかねていた。ビスコッティはようやく国外との戦を行って、新たに立ち直るための道を歩き始めた矢先、果たしてこのタイミングでの誘拐興業というのはいかがなものかとクーベルに苦言を呈していた。しかしクーベルのミルヒを思う気持ちと、力になりたくてもなれないかもしれないという彼女の不安のような心を感じてもいた。だから「暴走がいい方向へ動くこともある」と言い聞かせてその案を呑んでいたのだった。

 

 だがそれを良しとしないソウヤが今目の前にいる。成長したとキャラウェイが認めざるを得なくなった彼がわざわざ出向いてきている。そんな彼にこの一件を是か非かと尋ねれば非と答えるに違いない。だとするならその通りなのだろう。この一件は速やかに、かつ尾を引かないように処理されなくてはならない。

 

「……1つだけ、よろしいでしょうか? ソウヤ様」

「なんです?」

 

 だからキャラウェイはこの後のことを彼に任せるつもりでいた。あとは自分の問いに満足行く答えを返してくれれば、二つ返事で道を譲るだろう。

 

「この一件への介入、あなた様ご自身での意思ですか? それとも、どなたかから命令されてのことですか?」

「俺自身の独断ですよ。そうでもなければ戦をほっぽり出して、自分の隊でない部隊を借りるなんてことはしません」

「では、そこまでして独断でなされたこの介入、現実主義者であり本来無駄なことはやらないであろうあなたに何の得があるんですか?」

 

 その問いかけに、これまで饒舌に話していたソウヤが眉をピクリと動かし、不意に言葉を止めた。表情がやや険しくなり、合わせて空気が重くなる。

 

「……食えないな、あなたは」

 

 苦笑を浮かべつつ、ソウヤがポツリと呟く。

 

「申し訳ありません。しかし、そこだけがどうしても気がかりなんです」

「謝らないでください。俺なりに褒めたんですよ。……まあいいや」

 

 重くなった空気を消そうと、ソウヤが深くため息をこぼす。

 

「俺に得があるか、と問われれば……ないかもしれませんね。これはビスコッティのため、俺にとって弟分のあいつが世話になってる国に負担をかけないため、ってところです。……ああ、ここでパスティヤージュに1つ貸しを作っておく、ってことで言えば、俺にとってはメリットですかね。

 ただ、これだけは否定しておきたいんですが、今あなたは『無駄なことはやらない』と言いましたよね? でも案外俺はお節介焼きになっちまったらしくてですね。首を突っ込む気がなくても、厄介ごとに関わってしまうらしいんですよ。だからここにこうしているのかもしれません。……そんなところです。この回答で満足していただけますかね?」

 

 軽い調子で答えたソウヤの瞳をキャラウェイはじっと見つめていた。心中を洗いざらい話してくれたか、といえば()()()()()()とわかった。特に後半、「厄介ごとに首を突っ込むようになってしまった」という言い分だけで関わる程度の領分は明らかに越えているだろう。口調でごまかしていたことも相俟って、キャラウェイはそれを鵜呑みには出来なかった。だが、彼の目は少なくとも嘘は言っていなかった。だとするなら、彼もキャラウェイの主同様、ビスコッティのことを思って起こした行動だったと思うのが妥当だろう。

 

「……わかりました。あなたを信じましょう。ここは剣を抜きません」

「助かります。今の状態でやりあったら到底勝てそうになかったですからね」

「そうとは思えませんけど。……では、どうぞ」

 

 キャラウェイが道を譲り、扉を開く。その扉の向こう、ソウヤにとって今回の奪還目標であったリコッタを確認し、次いでその視線をこの騒動の張本人の方へと移した。

 

「ソウヤさん……!」

 

 待っていた、と言わんばかりの嬉しさが滲み出るリコッタの表情とは対照的、クーベルが明らかに狼狽した表情を浮かべている。戦闘の音はなかった。なら、キャラウェイは戦わずして道を譲った、ということになるだろう。

 

「な……! キャラウェイ、どういうつもりじゃ!?」

「申し訳ありません、クーベル様。彼と話し合った結果、ここは道を譲るということでまとまりました」

「話し合ったじゃと!? 必要あるか! そいつはウチらに無礼な布告してきたんじゃぞ!?」

「お言葉ですが公女、それはお互い様、というところでしょう。確かに私は無礼な布告をしましたし、さらには奇襲と強襲でそちらの空騎士を撃破してここまで来ている。ですが、あなたもそちらの主席を誘拐する際、送迎に見せかけて行ったそうではないですか?」

 

 らしくなく、丁寧な言葉遣いで話してきたソウヤに逆に不安を抱きつつ、クーベルは思わず押し黙った。確かにそうだ。当の本人にもその彼女の国の人間にも一言も断ってない以上、自分達が行った誘拐の方法は決して胸を張れるような方法ではないと言われても仕方がない。いくら友好国の間柄とはいえ、一歩間違えれば関係の悪化に繋がると言えなくもなかった。元々キャラウェイにその辺りのことを言われた上で、それでもクーベルが押し通した意見だ。

 

「……だとしても、ここでリコを返すと言う理由にはならん! ウチはミルヒ姉にウチの気持ちを知ってもらいたかったんじゃ! しかしずっと塞ぎこんだままのミルヒ姉に訴えるにはこういう手段しか……」

「あのなあ、ちびっ子」

 

 やれやれと言いたげに、さっきまでの言葉遣いはまるで嘘だったかのようにソウヤがクーベルの言いたいことを遮る。

 

「お前が姫様を思ってることはよくわかる。でもな、方法が最悪だ。あとはタイミングもな。キャラウェイさんに言われなかったか? 所詮誘拐も興業ではあるが、このタイミングでの誘拐というのはビスコッティにとってまずいことになるかもしれない、と」

「……言われた。じゃが、それでもウチが、パスティヤージュが協力すればそんな状況など……」

「だからお前はいつまでもちびっ子なんだよ。いいか、物事にはタイミングってものがある。今回のお前の仕掛けたタイミングは最悪だ。他国の領主様に俺が口出しするのもどうかと思うが、領主たるもの待つ時は待ち、動くべき時のタイミングを見計るのが大切だとレオが昔言ってたぞ」

 

 尊敬する姉同然の名前を出されてクーベルは一瞬たじろいだ。だがすぐ反論の口を開く。

 

「レオ姉は関係ない……! レオ姉の言葉、とつければウチが何でも聞くと思ったら大間違いじゃ!」

「そうかよ。なら説得(・・)はやめだ。……こっから先は取引(・・)だ」

「取引じゃと?」

「ああ。こちらの要求は最初から言っている通りリコッタの解放だ」

 

 凄みを利かせるように言葉を重くするソウヤ。だがクーベルに動じた様子はない。

 

「アホか? 取引というのは互いに利益がなければ成立しないじゃろうが。ウチらがリコを解放したとして、お前は見返りに何をしてくれるんじゃ?」

「部隊を引き上げてこの一件をなかったことにしてやる」

 

 真面目な表情で言ったソウヤと対照的、クーベルは声を上げて笑った。

 

「部隊を引き上げるじゃと? 冗談も休み休み言うんじゃな。確かにお前たちは少数にしては奮闘したと認めてやろう。しかしこのまま戦闘を続ければそちらの全滅は時間の問題じゃ。その要求を受けてウチらに何のメリットがある?」

「何のメリットがあるか、でいうと無いかもな。……だが受けなければそちらにデメリットはある」

「なんじゃと?」

「今この状況を考えてみろ。俺の目の前に目的のリコッタだ。ここでそちらの隊長とお前を撃破すれば、その時点で俺の目的は達成される。仮にそれに失敗したとして、パスティヤージュ自慢の500の騎士達が横槍を入れてきたガレットのわずか30の戦力に、しかも正式戦闘員でない諜報部隊を軸にした部隊にいいようにしてやられた、となればそちらのメンツは丸潰れだ。違うか?」

 

 クーベルが口を閉じる。彼の言っていることは間違ってはいない。結果だけを見ればパスティヤージュが横槍を入れてきたガレットの部隊を蹴散らした、ということになる。だが空騎士を含む多くの騎士が撃破され、さらには砦門を突破されて内部に侵入、しかも自分の目の前にこの男がいることは事実だ。このことが公になればパスティヤージュとしてはあまりよろしくないことである。

 

「ウチを……脅すつもりか?」

「勘違いするな。俺はパスティヤージュの、何よりお前と同じでビスコッティのためを思ってこの取引を掲示してるんだ。こうでもしないとお前は俺の言うことなど聞かないだろうからな。俺はここが引くか引かないかの瀬戸際、ラストチャンスだと言いたいんだよ。

 このままこの誘拐を推し進めて何が残る? お世辞にもクリーンと言いがたい方法でリコッタを誘拐し、それを良しとしない少数の横槍にいいように騎士を蹂躙され、その上で強行したところでどうなる? ビスコッティは前回の姫様誘拐未遂の後、主席という要人が簡単に誘拐されてしまったという事実が残り、それが表沙汰になる前に止めようとしたガレットの部隊と交戦したパスティヤージュは10倍以上の戦力差がありながら多大な被害を受けた、となる。俺たちが横槍を入れなくても、どちらにせよビスコッティは負担を強いられたという結果は残っただろう。

 だからもう1度よく考えろ。それでいいのか? お前の姫様を思う気持ちはよくわかるが、今ここでリコッタを誘拐したことがビスコッティのためになると、はっきり言い切れるのか?」

 

 思わずソウヤに向けられていたクーベルの視線が外れた。言われてみれば、そうだったのかもしれない。キャラウェイに当初反対され、ここでリコッタにやめてほしいと頼み込まれ、最後は自分と反りの合わない目の前の男にまで苦言を呈されている。だとするなら、ミルヒのためを思って起こしたこの行動が正しかったと断言できるのだろうか。彼の言うとおり、ビスコッティのためになると言い切れるのだろうか。

 

「……ソウヤ……ウチは……間違っていたのか?」

 

 しばしの沈黙の後、クーベルはようやく口を開く。

 

「はっきりと俺の意見を言わせてもらうなら、イエスだ」

「では……どうすべきだったのじゃ? ウチはミルヒ姉の辛そうな姿を、見てみぬフリをしていればよかったというのか?」

 

 普段の傲慢な態度からは想像できないほどの、弱々しくまっすぐな質問だった。それを見たソウヤは一瞬難しい表情を浮かべ、右手で頭をガシガシと掻く。

 

「……姫様の力になりたいってお前の気持ちは、これだけ大それたことを起こしたってことからもよくわかった。本当ならここでたっぷりお灸を据えてお前に拳骨のひとつもかまさないと気が収まらないと思っていたが……それだけしょげられてるのを見たら怒る気も失せちまったじゃねえか。

 ……さっき言ったろ、タイミングが大切なんだよ。要は待つことだ。言ったとおり今回の一件、そっちがリコッタを解放してくれるなら俺もこの件はおおっぴらに出さずになかったことにしてやる。つまりは何もなかったことになる。その上で、もう少ししてから普通にビスコッティと戦を行えばいい」

「それで……ミルヒ姉はウチの心遣いに気づいてくれるか……?」

「それはお前次第だ。戦興業を通して参加者を楽しませるように運営するのは、領主であるお前の仕事だろ? 少なくとも、こうやってビスコッティに負担を強いる形にもなりかねない誘拐よりはマシだと、俺は思うがな」

 

 再びクーベルは口を閉じ、考え込んだ。彼女は一刻も早く姉と仰ぐミルヒの力になりたかった。だからガレットとの国外の戦を行った後のビスコッティになんとか興業を持ちかけようと、この誘拐を思いついた。

 しかし彼の言うとおり、ミルヒの力になりたいという気持ちだけが先走ってしまったことは否めない。リコッタを誘拐した後のビスコッティにまで視野を広げられず、側役の言葉に耳を貸せなかった自分が未熟だったと言わざるを得ない。「ラストチャンス」。彼はそう言った。ここを越えれば事は表沙汰になる。だがその前、現時点でなら彼の言うとおり揉み消すことは可能であろう。

 

「……わかった」

 

 ゆっくりと、搾り出すようにクーベルはそう呟いた。

 

「ソウヤ、お前の要求を呑む。リコをすぐに解放しよう」

「助かる、公女。……ついでに騎士達に戦闘停止を命令してくれ。多分連れてきた連中はもう全員がだま化だと思うがな」

 

 ようやく面倒ごとが片付きそうだと、ソウヤはここ最近でもっとも深くため息をこぼした。

 

 

 

 

 

「どういうことですか、クーベル様!?」

 

 あの後、戦闘はすぐに終わった。戦闘停止の命令を受けてからややあって、大広間には一騎打ちを行っていたリーシャとノワールが来ていた。2人とも上着が脱げ、中着の状態になって肌の露出が増えている。それほど激しい戦いだったのだろう。あと少し長引いたら下着か、あるいは更に肌を晒すことになっていかもしれない。

 そんな上着を既に失った状態のリーシャが珍しく領主に食って掛かっていた。彼女は領主の命令で戦い、だが結果として自分が率いた隊に大損害を出すという失態を犯していた。その汚名返上とばかりに臨んだノワールとの戦いの最中、突如戦闘停止を命じられたのだから理由は知りたいだろう。

 

「どうもこうもない。今回の一件はウチが先走りすぎた……。ここにいるデ・ロワ卿がそれを体を張ってウチに伝えにきてくれた。じゃからウチはその話を聞き、この誘拐はやはり行うべきではなかったと判断したんじゃ」

 

 リーシャが言葉を失う。ではこの戦いはなんだったのか。3年前同様、再び自身のプライドをズタズタにされ、さらには自分だけでなくこの領主までいいように言いくるめられた今回を、どう割り切ればいいのだろうか。

 

「……臣下の者たちにはすまないことをしたと思っておる。じゃが今回のことは全て表沙汰にならぬこと故、なかったことだと忘れてくれ」

「そんな……」

 

 忘れろ、と言われて忘れられるだろうか。一度ならず二度までも同じ手を食ってしまったという心は、当分回復しそうに無い。

 

「精神的ダメージを負わせたであろう張本人の俺が言うのもなんだが……。気にしないほうがいいぞ。今回俺は自分の身元を明かさずに奇襲を仕掛けたんだ。俺だとわかっていればお前はもっと別な手を打ってきた。そうだろ?」

「それは……そうですが……」

「なら気にするな、眉毛」

「その眉毛という呼び方はやめてください!」

 

 じゃあデコ(・・)か、と言おうと思ったソウヤだったが、目の前のリーシャはそれを言ったらものすごい剣幕で怒りかねない表情をしていると判断してやめることにした。火に油を注ぐのもあまりよろしくないだろう。

 

「ともかく、普通の弓の中隊規模の相手を撃つなら理想どおりの戦い方だった。隊を密集させて火力を高めてまず一斉射。次の相手の反撃を撃たせて被害状況を確認し、状況に応じて集中砲火か散開を指示する。密集隊形時の防御弾幕という選択も妥当だろう。的確だよ」

「……褒められても嬉しくありません。実際あなたはそこまで見抜いて単騎でこちらを撃墜してきたわけですから」

「まあな。理想的故に読みやすい。だがこんなことをやらかすのは俺ぐらいなもんだ、なら普段は教科書どおりでいいんだよ」

 

 リーシャは相変わらず難しい顔をしていた。納得がいっていないらしい。

 

「三度うまくいくとは俺は思っていない。うちのノワールにここまでダメージを与えたお前だからな。ま、せいぜいその時まで対策でも練ってくれ」

 

 最後は半ば挑発気味なソウヤの言葉だった。それに対してリーシャはやはり難しい顔をしたまま、特に何も返そうとはしなかった。

 

「ソウヤさん……ありがとうであります」

 

 リーシャとの話が一区切りついたとみたリコッタがソウヤに話しかける。

 

「礼ならお前の異変を真っ先に感じ取った親友に言ってやれ。あとは最終的に英断をした領主様にも、な」

「私1人じゃ何もできなかったよ。このお礼の言葉は素直に受け取りなよ」

「ノワの言うとおりでありますよ、ソウヤさん」

 

 ビスコッティとガレットの頭脳派2人に言い寄られ、観念したようにソウヤは肩をすくめる。

 

「……じゃあそういうことにしておくか。それでリコッタ、この後はどうする?」

「それは勿論ビスコッティへと戻りたいでありますが……」

「元々ウチの空騎士が送っていくという話じゃったし、こちらで送らせてもらうつもりでいた。リコ、それでいいか? 今度はちゃんとフィリアンノ城へと送り届けると約束するぞ」

 

 クーベルが会話に口を挟む。どうやら彼女はジョークを言うぐらいには調子が戻ってきたらしい。なら任せても大丈夫だろうとリコッタは判断した。

 

「ではお言葉に甘えるであります」

「そうと決まったなら俺は帰る。さすがに疲れた。しかも帰ったらガウ様への弁明やら何やらやらないといけないだろうからな」

「忙しい奴じゃの」

「ああそうですよ。だからあまりおいた(・・・)をやらかして私の手を煩わせないようにしてください、公女様」

 

 向けられた皮肉対してこちらも皮肉もたっぷりに、ソウヤは笑顔までその要素を詰め込んでクーベルへとぶつけた。受け取ったクーベルは眉を吊り上げる。

 

「今回は貴様の言うとおりにしたが……。いつもいつもそうなるとは思わないことじゃ! レオ姉を奪った貴様など、いつかぎゃふんと言わせてやるからな!」

「あーはいはい、わかりましたよ。……ま、それだけ元気が出たなら大丈夫か。クーベル、明日1時間程度でいい、予定を空けられるか? あとキャラウェイさんも」

 

 藪から棒に切り替わった質問にクーベルは思わず虚を突かれた。意見を仰ぐためにキャラウェイのほうへ彼女は視線を送る。視線を受け、代わりにスケジュールを把握しているキャラウェイが返答した。

 

「元々この誘拐戦が明日にずれ込んだ時を考えて予備日にしておりましたから……可能だとは思います。ですが、なぜですか?」

「ありがたいありがたいお説教をしに行ってあげるんですよ」

「な……! 余計なお世話じゃ!」

「冗談だよ。さっき言った『タイミング』関連の話だ。お前に、というより食えない人であるキャラウェイさんにとりあえず釘を刺しておくという意味でもちょいと話をしておきたい。……なんて言ってるとふざけてると思われるかもしれないが俺は大真面目だ。頼む」

 

 クーベルとキャラウェイが顔を見合わせる。最後にそのように付け加えられては無下にするのもなんだか引っかかるものがある。彼と話すことはクーベルはあまり好きではなかったが、彼なりに思うところがあってのことだろうと、頷いてキャラウェイに了承の意図を示した。

 

「わかりました。予定を空けさせていただきます。後ほど、追って連絡いたします」

「助かります。……じゃあ俺は帰ります。リコッタを今度こそよろしく頼みますよ」

「じゃあね、リコ」

「ノワもソウヤさんも、気をつけて帰るでありますよ」

 

 ノワールを連れ立ち、ソウヤは大広間を後にした。残された者たちのうち、リーシャがまず口を開く。

 

「……よかったの、キャラウェイ君?」

「何がだい?」

「あんなあっさりあの人の要求を受けちゃってさ。何考えてるかわからないよ、あの人」

 

 先ほどの敗戦をまだ引きずっているのだろう。辛辣なその一言に思わずキャラウェイは笑いをこぼした。

 

「ちょっと! 笑わないでよ!」

「すまない。でも、あの人には何か思うところがあったんだよ。そうでなければ犬猿の仲であるクーベル様に時間を取ってくれ、なんて頼まないだろうからね。それにビスコッティのことを思っているのは間違いない。だからこうして面倒ごとに首を突っ込んできたんだろうし」

「ウチもそう思ったから了解したんじゃ。……まあウチはウチなりに今回の件は申し訳なく思っているし、無理をして止めにきてくれたという感謝の意味もあってあいつの頼みを聞いてやったんじゃが」

 

 本人がいないところでぽろっとこぼれたクーベルの本音。それを聞いたリコッタが思わず笑い出す。

 

「な、なんじゃリコ!」

「クー様、それは是非本人がいるところで言ってあげたほうがよかったでありますよ」

「そ、そんなことできるか! あんなおたんこなすにウチの感謝の言葉など勿体無さ過ぎるわ!」

 

 

 

 

 

 ソウヤとノワール、それに先の戦いでだま化した後復帰した諜報部隊がセルクルでグラサージュ砦から遠ざかる。結局諜報部隊はほぼ全滅、ソウヤとノワールを除くとだま化していなかったのはわずか2人だけであった。

 

「それにしてもお前とお前の部隊には迷惑をかけた。あとで何かしら感謝を形にしたいと思ってる」

「いいよ。そもそもリコを助けてほしいって言って戦中のソウヤに無理言ったのは私だし」

「お前からの頼みじゃなくても、この話を聞いてたら俺は仕掛けてたさ。そのぐらい避けたい状況だったしな」

 

 クスッとノワールが笑う。それに対してソウヤは疲れの色を滲ませてため息をこぼして返した。

 

「お疲れだね」

「そりゃあな。大分無茶やったわけだ。……ああ、お前と眉毛の勝負、どうだったんだ?」

「結局は引き分けだったよ。私自慢の輝力武装から放つ『セブンテール・スクイーズ』もほとんど当たらなかったし。もうちょっと長引いてたら私が危なかったかな」

「そうか。じゃあお前もお疲れか」

「まあね」

 

 再びソウヤがため息をこぼす。

 

「……割に合わないことしちまったな。あの小娘がこんなこと思いつかなきゃ、余計な苦労しないですんだってのに。というか、帰ったらガウ様への弁解もしないと……」

「それはソウヤに任せるね。私の気持ちはわかってるだろうから」

「……おい黒猫、都合のいいときだけそうやって必要以上に『恋する乙女』ぶって逃げるなよ。……ったくずるいよな、お前は。まったく仕方ねえ……」

 

 皮肉を込めてそう言われたノワールだったが、鬼の首を取ったよう笑顔を見せただけだった。つまるところ今のやり取りはソウヤがそれを了承した、ということに他ならない。自分と諜報部隊の分まで含めて、彼が泥を被って弁解してくれるだろうとノワールはわかっていた。なら彼の小言ぐらいはぼやかせてあげておこうと思う。どうせ聞き流せば済むことだ。

 また面倒ごとが増えた、とソウヤは今日何度目になるかわからないため息をこぼしつつ、ヴァンネット城への帰路を急いだ。

 




修正:「セブンテイル」を「セブンテール」表記に統一。DD’の公式設定資料集では「セブンテール」表記でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 12 星が示したもの

 

 

 表沙汰にならずに終わったリコッタ奪還戦の翌日。領主の仕事の時間の合間を縫って騎士達の訓練に参加するべく、ガウルは執務室から中庭へと移動していた。領主という仕事はどうしてもデスクワークが多い。それ故時折こうやって時間を見つけて体を動かさないとなまってしまう、という懸念があったからだった。

 思い出せば彼の姉も、領主時代は忙しい合間を縫って顔を出していたような気もする。戦とあれば何はともあれ参加し、大暴れする姉の姿は戦無双というよりやはり戦馬鹿という言葉が似合っていると彼は思う。そんな姉は今絶賛育児休暇中。育児は楽しいらしいが、それでも復帰はしたいらしく、夫の口を通じてヴァンネット城への引越しと復帰についての話が最近入ってくるようになった。

 

 その夫といえば、と思わずガウルは眉をしかめる。昨日はカミベルを気分よく蹴散らし、意気揚々と本陣に戻ってみれば「ソウヤさんが急用とかでどこかに行っちゃったんです」とベールに言われて唖然とせざるを得なかったと思い出す。戦をほっぽり出すなどどういうつもりかと思ったが、なんだかんだ根は真面目なソウヤがどうでもいい理由でそんな判断をするはずもない。何かそれ相応の理由があったのだろうと帰ってきてから問い質すことにしていた。

 そして予想以上に疲れた様子で帰ってきた彼に尋ねたところ、パスティヤージュがリコッタを誘拐してビスコッティへと布告しかけたために事前に止めに行ったという思いもしなかった答えが返ってきたのだった。せっかく表沙汰になる前に事を済ませたのだから、隊長クラスはいいにしても一般騎士辺りに無闇に口外はしないようにとも頼み込まれた。その上で勝手に戦場を離れ、更に諜報部隊を無断で出撃させ、特選装備部隊の装備を勝手に持ち出したことについては謝罪し、責任も取ると言ってきた。しかしもしパスティヤージュによる誘拐という一件が起こっていたらビスコッティはどうなっていたか。それを考えるとガウルはソウヤを責める気にもならず不問にすることにしたのだった。

 

 そうしたら今度はどうか。ならついでに、と言わんばかりにソウヤは「今日の後処理という意味合いで明日パスティヤージュに行きたい」と言い出したのだ。普段こんな厚顔に物を頼んでくることが珍しいためにガウルは完全に虚を突かれていた。いや、それを通り越してあまりに厚かましい言い方だったので呆れさえ覚えていた。そのせいで「好きにしろ」と返してしまったが、今思い起こせば今回のパスティヤージュ関連の面倒ごとをまとめて任せてしまっているのも事実だ、少々無下な返答だったかもしれない。

 

 まあ別に帰ってきてから労ってやればいいか、とガウルは深く考えることをやめにした。物思いに耽りながら歩いていたらいつの間にか中庭に着いてしまっている。余計なことは考えずにとりあえず体を動かそうと、ガウルは騎士達の訓練を見守るゴドウィンとジョーヌ、そしてベールの元へと近づいていった。

 

「ようお前ら、ちゃんとやってるか?」

 

 声の主に3人が視線を移した後で改まった態度を取る。

 

「これは殿下。ご公務お疲れ様でございます」

「おう」

「ガウ様、訓練に参加ですか? ならまたウチとやりますか? 力比べ、今日は負けませんよ」

「お、それも面白そうだな。ちっと騎士達の様子を見たらやるとするか」

 

 元々怪力が自慢のジョーヌと成長に伴って力強さも備わったガウル。紋章術抜きの純粋な力比べなら2人の力量はほぼ同等、と呼べるほどになっていた。さすがにここにゴドウィンが入ってくると頭ひとつかふたつほど抜き出てしまうが。

 

「そういや悪かったなベル、急に遊撃隊を騎士団と同じメニューに放り込んじまって」

「いえ。隊長のソウヤさんとその護衛に20人がいないということなんで仕方ないですよ。……でもソウヤさん、昨日今日と随分忙しそうですね」

 

 この場にいる4人は表沙汰にはなっていないパスティヤージュの一件を一応知っている。だからこの2日間、ソウヤが隊の指揮を執っていない理由も把握している。

 しかし隊には「急用」ということでごまかしてある。ひょっとしたら隊員の中に不満を持つものも出るかもしれない、とベールは少し心配したが、取り越し苦労だったらしい。隊員たちもレオの夫、という隊長の立場を理解している。なら忙しいのも仕方ないだろうと配慮しているのだろう。特に誰も何も突っ込もうとはしなかった。

 やはり絶大な信頼を得ているのだとベールは改めて思う。そんな隊長の右腕として副隊長という立場を任せてもらえているのは、彼女は光栄だと思っていた。その隊長が不在の間は自分が隊を取りまとめなければならない。

 

「昨日はノワと諜報部隊と僅か30で500のパスティヤージュにケンカを売って、今日は今日でそのパスティヤージュのエッシェンバッハ城に訪問だもんな」

「もう昨日は驚いたで。カミベルの本陣を落として帰ってみればソウヤがいないわけやし」

「理由を聞いて納得はしましたが……まったくもってあの方は自由奔放な方ですな」

 

 そう言ったのはゴドウィンだった。だがガウルは笑いを堪え切れなかったらしい。思わず小さく吹き出す。

 

「……どうしました、殿下?」

「いやな、昔のお前だって随分と自由奔放だったろうがよ、と思ったんだよ。風来坊のお前を俺がスカウトしてガレット騎士になったはいいが、それでも相変わらずどっか行っちまいそうな具合だったしよ」

「……そうでありましょうか?」

「そやそや。いつかフラッといなくなるんやないかって、ウチら心配してたんやで?」

「でもそんな将軍もエリーナさんという美人な奥様を頂いて腰を据えられたようですし。今はもう全然心配してないですけどね」

 

 ガウル、ジョーヌ、ベールに畳み掛けられるように口撃され、思わずゴドウィンは押し黙る。自分では自覚していなかったが、周りがそういうのならそうだったのだろう。

 

「それは全く自覚しておりませんでしたな。……しかし、そんな自分が言うのもなんですが。最近の、特に復帰されてからのソウヤ殿はどうも忙しすぎるというか、不安を覚えるというか……」

「不安?」

「それこそ、殿下達が自分にかけてくださったような、どこかにフラッといなくなってしまうのではないかという不安を、時折覚えてしまうのですよ」

 

 真面目な顔で言い放ったゴドウィンに対し、3人が顔を見合わせる。そして声を出して笑った。

 

「ないない、絶対ないだろそれ」

「ありえへんって、そんなの」

「そうですよ。だってソウヤさん、レオ様っていう奥様がいるんですよ?」

「それにレグルスもな。嫁さんと子供置いてどこかに消えるとか、あいつがやるわけねえだろ」

 

 確かに言われてみればそうだ。今のソウヤにはレオという最愛の妻にレグルスという息子までいる。そんな彼がいなくなるなど、普通に考えたらあるわけがない。

 

「……まあ言われてみればそうですな」

 

 ゴドウィンはそう肯定の意思を示した。3人の言葉の通りだと思うようにしたが、それでもゴドウィンがそういう不安を一瞬でも抱いたことは事実だった。この4人の中では年長である彼は、ここ最近のソウヤが何か無理をしているように感じられてならなかったのだ。その無理が影響して、反動である時突然いなくなってしまうような。だから同じ将軍で切れ者と評判のバナードに軽く話を振ったこともあったが、気にしすぎだろうと一蹴されていた。彼がそういうのなら間違いないだろうし、目の前の3人もそう言っているのだ、ならばそうに違いはない。

 やはり考えすぎだろうと、次に騎士達のほうへ目を移した時にはもうゴドウィンはこのことを頭の中から消し去っていた。

 

 

 

 

 

 フィリアンノ城では昨日の面倒ごとに巻き込まれた後、無事帰ってくることの出来たリコッタが中庭を目指して歩いていた。時間はそろそろ昼時。親衛隊の訓練も昼休憩で一息着く頃だろう。彼女の目的はその休憩時間に入ったエクレールを連れて城下町に昼食を食べに行くことだった。そのリコッタの予想通り、親衛隊は丁度訓練を終えてたところのようであった。

 

「エクレー!」

 

 タオルを片手に汗を拭く親衛隊長は、その声に自分の友人が来たのだと気づく。

 

「リコ。どうした? 見学ならもう休憩時間に入ってしまったが」

「違うでありますよ。エクレをお昼に誘おうと思ったであります」

「昼食に?」

「はいであります。城下町の行きつけのお店、今日から新メニューの甘味が登場するらしいでありますよ」

「お前行きつけの……ああ、あの店か。いいよ。ただ、私は昼食をとるのが目的だからな」

「それは自分も一緒でありますよ。でも、甘いものは別腹であります」

 

 こいつの甘い物好きは相変わらずだと思わずエクレールがため息をこぼす。いつも甘いものばかり食べている印象があるのに体型が全く変わろうとしない。横に広がらないのは羨ましいが、同時に縦にもあまり伸びていない上に出るところも全く出てこない彼女を見ていると、身長を失ってまで得るものでもないか、とも思ってしまうのだった。

 

 フィリアンノ城の城門を抜け、城下町へと歩く。セルクルに乗るほどの距離でもない。2人は徒歩で城下町への道を進んでいった。

 

「そういえば、昨日は大変だったらしいな」

 

 と、不意にエクレールにそう語りかけられたリコッタは一瞬目を瞬かせる。

 

「……あ、騎士団長から聞いたでありますか?」

「ああ。大丈夫だ、他言無用と釘を刺されているから誰にも言っていない」

 

 そうでなくては困ると思わずリコッタは苦笑を浮かべた。リコッタは昨日の一件をロランにしか言っていない。せっかく表沙汰になる前にソウヤが揉み消してくれた事が広まってしまっては、彼の努力を無駄にしてしまうことになるだろう。

 

「くれぐれもお願いするでありますよ」

「念を押されるまでもなくわかっているよ。だが姫様にも内緒というのは……。お耳に入れなくてもいいのか?」

「姫様に余計な心配をかけさせないという意味でも、その必要はないと思うでありますよ」

「……まあそうか。ようやく国外との戦にこぎつけることができたとはいえ、今でも姫様は大変であろうからな」

 

 淀みなく、さらさらと出てきた自身の主を心配するエクレールの言葉にリコッタは一瞬戸惑った。確かにミルヒはこの国の領主であり、彼女が仕える主だ。だが同時に彼女が愛した人を連れ去ってしまった存在でもあるはずだ。なのにエクレールはそこに私情を挟もうとしない。そこを割り切っていた彼女に感心すると同時に、リコッタはどうにもいたたまれない気持ちになるのだった。

 

「……なんだ?」

 

 思わずそんな心が顔に出てしまっていたらしい。怪訝そうな顔でエクレールが尋ねてくる。

 

「い、いや大したことではないであります。でも昨日の一件が表沙汰にならなくてよかったでありますよ」

 

 思わずリコッタは話題を切り替えていた。だがエクレールは特に気にした様子もない。

 

「そうだな。平時ならまだしも、この状況で、というのは少々まずいと思わざるを得ない。話を聞いた時にパスティヤージュらしくないとは思ったが……」

「クー様は姫様のことを考えてのことだとおっしゃってたであります。塞ぎこんでいる姫様を元気付けたい、と。でも、それが空回ってしまったわけであります」

「そこでソウヤが直談判しに行った、というわけか。……この間のうちでの一件といい、あいつはこういうことに首を突っ込むのが本当に好きだな」

 

 再びリコッタが苦笑する。この場に彼がいたらほぼ間違いなく「やりたくてやったわけじゃない」と否定するだろう。だが彼はこの場にいない。代わりに一応否定しておこうかとリコッタが口を開いた。

 

「多分ソウヤさんもやりたくてやったわけではないと思うでありますよ。ガレットも昨日はカミベルとの戦があって、それを抜けてきたようでありますし。帰ってからもガウル殿下への弁解だとか色々大変だったと思うであります」

「なんだ、随分あいつの肩を持つんだな?」

「それは昨日窮地を助けてもらったでありますから。そうじゃなくても単騎でパスティヤージュ自慢の空騎士をほぼ無力化させたあの光景を見たら、称賛したくもなるであります」

「な……。あいつ、空騎士と戦ったのか!?」

 

 驚いた表情を見せるエクレール。兄から詳しい状況は聞いていないのかもしれない。

 

「戦ったでありますよ。紋章砲数発で勝負はついたでありますが。以前のクー様が50騎の空騎士をソウヤさん1人にけしかけたあの時とほぼ同じ展開だったであります」

「……その状況にパスティヤージュは易々と引き込まれた、というわけか。伊達に空騎士との相性が良すぎるが故に戦わせてもらえない、というだけのことはあるんだな」

「それで陸戦部隊が砦門を開けて出てきたところでノワ達が突撃。自分と一緒に作った撹乱弾が効果的に使用されて内部戦に移行し、ソウヤさんは自分がいた部屋まで辿り着いて、クー様を説得したわけであります」

「撹乱弾って……お前がノワールと一緒に開発したと言っていたあのやかましいし見えなくなる迷惑な弾のことか?」

 

 昨日の戦いのカギを握った、ノワールと共同で開発した自慢の一品をそのように評されて心外だという表情をリコッタは浮かべる。

 

「エクレ、その評価は訂正してほしいであります。昨日は大活躍だったでありますよ?」

「だが以前お前が使ったときは大変だっただろう。やかましくて指示は通らないし煙幕で周りは見えないし。『撹乱弾』という名にふさわしく、敵も味方もそれは撹乱されていたよ」

「あれは使い方が問題だったであります! ……確かに早く試してみたくて打ち合わせ無しで使ったしまったでありますが……」

「今お前が言った通り、だからまずかったんだよ。……しかし使い方次第ではそうも効果的なのか。そもそもソウヤとノワール、技巧派の2人だものな。レオ閣下やダルキアン卿のように純粋なパワーで押してくるタイプではない分、そういう搦め手を用いてくる。はっきり言って最初の2人と同じぐらい、実に敵に回したくないタイプだ」

 

 普段ソウヤに対して辛辣なエクレールだが、こういう評価は的確だった。彼女は彼女なりにソウヤを評価している。

 

「そうじゃなくてもソウヤは対空騎士用の戦力しては最高だしな。うちはリコの優れた発明品のおかげでなんとか対空砲火を強化し、一方的な戦いじゃないところまではもって来れたが……。一方で兵器が優れていても、人の方でそれが追いついていない……」

「うう……。それは砲術士として申し訳なく思うであります」

「リコだけのせいじゃない。というより、あいつがその方向に対して突き抜けすぎてるというだけだ。兄上が防御に優れているようにな。……まあ1人だけが優れなくてもいい、そこは騎士1人1人がうまく連携してカバーすればいいだけの話だ。そういう意味で言うと、昨日の合同演習は有意義だったよ」

「あ、それを聞きたかったであります。どうだったでありますか?」

「ドラジェ自慢の山岳アスレチックは訓練にもってこいだ。こことはまた違ったものだからな。姫様もその有用性を認めておられたし、また近いうちに合同演習が行われるかもしれないな」

「そうでありますか。その時は是非自分も参加したいでありますな。あとは今来ていないシンクもいれば……」

 

 そこまで言ったところでリコッタは「あっ」と何かに気づいたような声を上げた。次いで気まずそうに口を閉じる。

 

「……ごめんであります」

「いや、気にするな。というか、気にしすぎだ。私だっていつまでもそのことを引きずってるわけではないからな」

 

 嘘だ、と長い付き合いのリコッタにはわかった。それなら少し前に行われたガレットとの戦が始まる時、シンクの隣に立った彼女が妙に緊張していたような、そんな面持ちをする必要はなかったはずだ。あれは自身の心を隠そうと躍起になっているときの、素直じゃないエクレールの悪い癖。それが出ているということは、彼女はシンクに対して完全に踏ん切りをつけられていないということになる。

 いや、そうでなくても、もし本当に心を決められているなら口約束で交わしているエミリオとの婚約をさっさと済ませてしまえばいい。それが未だに出来ないというのは彼女の心がまだ迷っていることに他ならなかった。

 しかし一方で先ほどの彼女の言葉が半分は本当であるだろうとも、リコッタは感じていた。いつまでも周りが自分に気を遣っていることを申し訳なく思っているであろう、と。だからリコッタもこのことで必要以上に気を遣うのはやめることにした。

 

「では……そうするであります」

「ああ。頼む。……話を戻すが、実際ドラジェの名物アスレチックはあいつが喜ぶようなものだからな。次に合同演習が行われた時にあいつがいたら、あの難解なアスレチックをいとも易々と、楽しそうに攻略していってしまうのだろうな」

 

 そう言ったエクレールはどこか嬉しそうだった、とリコッタは感じた。複雑な事情を抱えながらも、戦場をシンクと駆ける時のエクレールは始まる時とは対称的にいつも楽しそうで、今の彼女はその時と同じ表情にも見えた。

 付き合いの長い友人として、リコッタは何かをしてあげたかった。だがシンクに対する自分の「好き」と彼女の「好き」の感覚は大きく違うことはわかっていた。それでもけしかけるぐらいは出来たし多少お節介は焼いたが、結局エクレールはその一歩を自身で踏み出した。しかし目標まで最後の一歩を前に、その対象が消え去ってしまう。そんな彼女にどんな言葉をかければいいのか、リコッタはわからずにいた。結局は時間に頼むしかないのかもしれない。それまで、自分に出来ることといったら傷心を賢明に隠そうとする彼女の側に寄り添うことだけかもしれない。

 

「……おいリコ」

 

 不意に自分の名を呼ばれてリコッタはエクレールを見つめる。お喋りと物思いで気づかなかったが、既に城下町は目の前に迫ってきていた。

 

「今言ったはずだぞ。あまり私のことで気を病むな、と」

「いや、自分は別に……」

「嘘をつけ。深刻そうに考え込んでいたように見えたぞ。気持ちはありがたいが、私だってそんなに弱いわけじゃない。……まあいい。とにかく昼食だ。腹が減っているから余計なことを考える。お前が楽しみにしている新メニューでも食べて、余計な考えは忘れるのがいいだろう」

 

 逆に気を遣わせてしまったとリコッタは申し訳なく思う。しかしエクレール自身立ち直ろうとしているのだということはわかった。なら、彼女が望んだとおりに余計な気を遣いすぎない方がいいだろう。

 一先ず楽しみにしていた新メニューに思いを馳せることにする。そうすればさっきエクレールに言われた通り余計な考えは忘れてしまうに違いない。

 

 昼時のフィリアンノ城下町。その喧騒に、親衛隊長と主席の後姿が飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 パスティヤージュへの訪問を終え、ヴァンネット城へと戻って野暮用を済ませた後、ソウヤは帰路に着いていた。既にパスティヤージュから帰ってくる時点で陽は傾き始めており、戻ってきてからはガウルへの報告程度しか済ませられていない。

 半ば無理を言ったせいもあったからか、昨日訪問を切り出した時は随分不機嫌そうに対応されたと思い出す。だが、帰ってきた時はそれをすまなかったと言いたそうな態度が滲み出ていた。そんな態度に逆に申し訳なさを覚えつつも、乗りかかった船でやっているだけだからあまり気にしないでほしいと一応はことわっていた。そんなやり取りを終えて家路を急ぐ現在、昨日ほどではないが今日も1日長かったとソウヤはヴィットを走らせる。

 

「ただいま」

「おかえりなさいませ、ソウヤ様」

 

 帰る前に連絡を入れておいたため、食事の準備をしていたビオレが出迎える。いつもの様子といえばいつもの様子だが、レオは顔を出さなかった。レグルスに手がかかっている時はそうなる。きっとまたいつものように息子がぐずっているのだろう、とソウヤは深くは考えなかった。

 

「もうすぐ夕飯が出来ますので」

「いつもありがとうございます」

 

 社交辞令と化しつつある挨拶を交わし、ソウヤは居間へと足を進める。が、意外にもレオはそこでソファに腰掛けていた。傍らにはゆりかごで眠るレグルス。ぐずっていたわけでもないのに出迎えに来なかったのは珍しいな、とソウヤは思う。

 

「なんだ、ここにいたのか。ただいま」

「……ああ」

 

 しかしレオは神妙な面持ちでそう短く返しただけだった。少々様子がおかしいと思ったソウヤだが、問いただす前にまずは着替えてからのほうがいいだろうと判断する。

 

「着替えてくる。深刻そうな顔の理由はその後聞く」

 

 言い残して寝室へ。手早く着替えを済ませて居間に戻る。だが戻ってきてもなお、レオの表情は変わらなかった。

 

「戻ったぞ。……なんだ、その顔。何かあったのか?」

「まあ……な」

「俺以外の男とでも寝たか?」

 

 嫌味ったらしくそう言って笑いを噛み殺す。てっきりこれでいつもの調子で「そんなわけあるか!」と返してくると思ったソウヤだったが、それでもレオは何も返さなかった。どうやらこれはただ事ではないと判断する。

 

「……何があった?」

 

 今度はソウヤの表情も真面目なものに変わっていた。

 

「……すまない」

 

 そんなソウヤに、レオは短くそう返しただけだった。だが何に対しての謝罪なのか全くわからない。

 

「だから何がだ? いきなり謝られても全然わからないぞ」

「……星詠みをしてしまった」

 

 搾り出すように呟かれたその彼女の一言でソウヤは固まった。星詠み――かつてレオがミルヒの衝撃的な未来と、その後ソウヤの不吉な未来を視てしまった紋章術の一種。それ以来レオは「自分が星詠みをするとロクなことがない。未来は自分の手で変えるもの故、視えてしまった未来に振り回されるようなことはしたくない」と、その行為自体を封印していたはずだった。それからソウヤと結婚してからも星詠みはしないと約束していたことでもある。

 

「星詠みを……? なぜだ? お前自身もう星詠みは行わないと決めていたんだろう? 俺ともそう約束したはずだ」

「そうじゃ。そのはずだった。……じゃが最近のお前の思いつめているような、塞ぎこんでいるような、そんな表情を見て……どうしようもなく不安になったんじゃ。確かにお前が言ったとおりカミベルとの戦という話で一旦は納得した。じゃが、それだけではないような、もっと大きな何かをお前は背負い込もうとしてるのではないか、あるいは巻き込まれていくのではないか……。ひょっとしたらソウヤは今、破滅への道を進もうとしているのではないか、というある種妄執染みた恐怖感にさえ襲われて……。それに昨今のビスコッティの一件もある。このまま何もせずにいるのはワシは嫌じゃった。それでもし何か視えれば力になれるかもしれないと思い……やってしまった」

 

 頭を抑えため息をこぼしつつ、ソウヤがソファにもたれかかる。自分のことを思ってやってしまったことだとはよくわかった。考えるより先に行動してしまうような彼女だ、仕方がないとも思える。だが、彼女の星詠みの結果は大抵悪いことばかりが視えるということもまた、彼はわかっている。そして今この態度だ、おそらく相当に視えたくないものが視えてしまったのだろう。とはいえ、それなら聞かないよりも何が視えてしまったのか聞いた方がいい。現実主義の彼はそう判断した。

 

「……で、何が視えたんだ? その様子じゃ相当なものだろうが、せっかくだ、聞かないよりは聞いたほうがマシだからな」

 

 ある種の覚悟ももってソウヤはレオに尋ねる。その問いかけに対し、ゆっくりと、重々しくレオは口を開いた。

 

「……あれは、間違いなく魔物じゃった」

「魔物……?」

 

 が、レオの口からこぼれた一言にソウヤが一瞬意外そうな表情を浮かべた。次いで再び表情が真剣なものに変わる。

 

「意外か?」

「いや……」

 

 そう答え、ソウヤは短く考え込む。

 

「……昨今のビスコッティ絡みで何かかと思ったんだよ。だから、いきなり魔物という発言が出たのは……少々予想外だった。だが、だとするなら……今回の件、魔物が絡んでいるせいもあるのかもしれない、ということか?」

「それはどうじゃろうか。以前お前が巻き込まれたような、知性ある物のようには視えなかったが。視えたのは巨大な……とはいえ、かつてワシやミルヒが戦った魔物よりは小さいが、それでもワシ達よりは優にでかい魔物じゃった。四つ足で歩き、頭が3つに分かれた魔物……」

「なんだよそりゃ……。どこぞの地獄の番犬か? ともかく魔物が絡むこともあるということか……。他には何か視えなかったのか?」

「……いや」

 

 短く返したレオに対して「そうか」とだけ述べ、ソウヤは何かを考え込んでいるようだった。おそらく思慮をめぐらせることに必死なのだろう。だから、今彼女が一瞬()()()()()ことに、らしくなく全く気づかなかったのだった。

 

(見間違いに……決まっておる)

 

 レオは心でそう呟く。

 彼女が視たものはその魔物だけではなかった。視えた魔物に大層驚いたが、そのヴィジョンが消える刹那、より信じられないものが一瞬映ったのだった。

 それは1人の人間だった。顔は黒く塗られたように見えない。しかしその口元は狂気を孕んだように歪んだ笑みを浮かべていた。そして、レオの見る限り、それは()()()()()()()見えたのだった。

 だがそんなことがあるはずがない。視えたのは本当に一瞬、確証は持てない。だからきっと見間違いに違いない。いや、そうであってほしい。そんな祈るような気持ちもあって、レオはソウヤにこのことを切り出せなかった。

 

「……魔物関連は専門家に任せるしかないな。ビスコッティに隠密達が戻って来次第、俺が直接会って話をしてくるか。まあどうせ会うつもりでいたしな……」

「ソウヤ……くれぐれも、気をつけてくれ」

 

 独り言のように呟く夫に、先ほど抱いた不安感を拭えぬままレオがそう嘆願する。だがソウヤは彼女ほど深刻そうな様子は見せず、小さく笑みをこぼした。

 

「当たり前だろ。せっかくもらった美人なお前と、最愛の我が子がいるんだ。無茶はしないさ」

 

 安心させるようにレオの肩を抱き寄せ、その頭を撫でる。ミルヒ程のテクニックはないにせよ、愛する者に撫でられた感触は至福のものであった。

 しかし逆に、そんな嬉しいはずの感情が、どこか不安を生み出してもいた。もしこの愛する夫がいなくなるようなことになってしまったら――。先ほどのソウヤの一言がむしろ不吉にさえ感じられ、さらに見間違いと願うその光景が再度頭をよぎる。いや、あるはずがないと、そんな心を忘れ去れるように、レオは意図せずソウヤの手を握り締めていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 13 獅子団領の人々

 

 

 

 レオが不吉な星詠みをした日から約2週間が流れた。今日は丁度真珠の月から紅玉への月へ、地球の暦でいうと6月から7月に変わった日である。その間、レオの不安な心とは裏腹に、自国も、そして隣国も平穏のまま時が流れていった。特にビスコッティは以前起こった3度の内戦という事例がまるで嘘であるかのように、穏やかで特に何もなくあった。まだ国外との戦はガレット、合同演習のドラジェのみに留まっているが、近々パスティヤージュとの戦が行われるのではないかという噂がある。戦を行うこと自体は歓迎だが、このまま憂うような事柄は何もなければ、と星詠みをしてしまった張本人は思う。

 だがそのヴィジョンを視た当初ほどではないにせよ、レオの不安はまだ消えてはいなかった。現在ヴァンネット城で仕事中のためこの場に不在のソウヤは相変わらず忙しい様子で、家にいても時折何かを考え込むような難しい表情を見せることもあった。話によるとガレットで唯一魔物対策部署扱いでもある諜報部隊と定期的に対策を会議しているらしいが、不確定要素が多すぎるためにこれと言った案が出ていないということらしい。加えて諜報部隊は対策部署も兼ねているといっても、普段相手にするのは悪戯程度の悪さしかしないような小型の魔物や、せいぜいが凶暴な野生動物程度の存在というのが現状だ。かつてシンクやミルヒが封印したような魔物など未経験なのだ。平和な世界のフロニャルドにおいて、凶悪な魔物に遭遇するということ自体が稀なのである。おまけに、そういった数々の魔物と対峙してきた人物達からアドバイスを仰ぎたいのだが、その相談相手であるビスコッティの隠密2人が未だ戻ってきていないという状況で、対策らしい対策が打てていないということであった。

 

 結局我慢できずに行った自分の行為がより夫を苦しめる結果になってしまったとレオは心を痛めていた。もしかしたらあの最後に見えた不吉なヴィジョンは、自分のせいで起こってしまうのではないか、とまで思ってしまう。やはり自分は星を詠むべきではないと改めて彼女は思っていた。だが今更悔やんでももう遅い。ではどうすれば。

 

「レオ様、お茶です」

 

 居間で1人悩むように考えていたレオの目の前にビスコッティ名産のお茶が出される。どうやらホットではなくアイスらしい。今日はやや暑い。ビオレが気を利かせてくれたのだろう。

 

「すまない」

 

 ちらっとゆりかごに眠るレグルスを見つめた後、レオはカップに口をつける。視えてしまったようなことになっては困る。レグルスには父の背中を追ってほしいとレオは思っている。やはり男子というものは無意識のうちに父の背を追ってしまうもの、自分よりソウヤの背を追ってほしいとも願っているからだった。その方がレグルスのためにも、そしてソウヤのためにもなるだろう。自分が目標にされているとわかれば、ソウヤもより父親らしく振舞おうとする。そうなれば「器じゃない」などと自分を卑下してしまう言葉も減るのではないか、と考えていた。

 

(まあ……。口ではああ言っても、本人はそろそろ無意識のうちにそうなろうとしてきているのかもしれんがな)

 

 そうでなければこれだけ躍起になって走り回ることもないはずだ。復帰していきなり新設の部隊長を任され、さらに隣国との架け橋としても奔走する。彼が言ってる姿とは大分異なる、デ・ロワ卿の活躍は傍から見れば本人が謙遜する以上に立派なものだった。

 だからこそ何かあっては困る。そう思い、良かれと思ったことが裏目になってしまうかもしれないと再び心胸中に配が広がる。彼女としては早く復帰して、彼を支える立場に着きたかった。しかし同時にその他ならぬ彼からレグルスを頼まれ、もう少しゆっくりするように言われている以上、強く言い出せないのも事実だった。

 

「レオ様、悪い癖が出てますよ」

 

 自分用のカップを机に置きつつソファに腰掛けたビオレにそう言われ、思わずレオは彼女の顔を見つめる。

 

「悪い癖?」

「そうやってすぐお1人で考え込む。以前からずっとそうではありませんか」

「いやワシは……」

 

 反論しようとしたレオだったが、現に今そうだったと思いとどまった。それに星詠みにしたって結局は1人で抱え込んでしまってのことと言われればそれまでだろう。

 

「……そうじゃな。昔からずっとそうじゃったな」

「あら、随分あっさりとお認めになるのですね」

 

 拍子抜けした様子のビオレ。大抵苦言を呈せばひとまず小言を挟まれるのが常だっただけに、これだけあっさり認められたのは彼女としては意外なのだった。

 

「事実だろうからな。ワシはまた1人で抱え込み、ソウヤと交わした星詠みをもうしないという約束を破ったわけじゃし」

「……私が思っていた以上に気になさっていたんですね。申し訳ありません、そのようなお気持ちを察せず……」

「いや、本当のことじゃ。お前が気にすることでもない」

「ですが、レオ様が星詠みを行おうとしていることに気づかなかったということは、側役である私の落ち度でもあると思っておりますし」

「なぜそうなる。……じゃが、結局ワシはいつまでもお前に迷惑をかけてばかりじゃな」

 

 意図せず、ビオレはため息をこぼしていた。

 

「レオ様、本当にらしくありませんよ? いつもソウヤ様におっしゃっているような威風堂々だとか王の風格だとかはどうされました?」

「ワシだって落ち込むことぐらいあるわ……」

「それはわかります。ですが、過ぎてしまったことを悔やんでも仕方ないではありませんか。もしここにソウヤ様がいらっしゃったらそのように言うはずです。それに、あの方ならその視えてしまったことを逆にいい方向に向けようとするのではないでしょうか」

 

 愛する者の名を出され、レオは口を真一文字に結んでカップの中の液体に目を落とした。ビオレの言うとおり、ソウヤがいたら間違いなくそう言うだろう。というより、現に星詠みをしてしまったと報告した時、彼は既にその後に目を向けていた。

 つまるところ、既に起きてしまった、やってしまった以上、今更自分があれこれ悩んでもどうしようもないということなのだと、レオは改めて気づいた。それをいつまでも引き摺り、周りに心配ばかりかけてしまうのはよくない。少なくとも、今現在多忙を極めているソウヤにこれ以上自分のことで負担をかけさせたくはない、そう彼女は考えをまとめた。

 

「……わかった。星詠みのことを今更あれこれ悩むのはやめにしよう。疲れて帰ってくるあいつに、ワシの不安そうな顔を見せるのもよくないじゃろうからな」

「おっしゃる通りと思います、レオ様。まあ何か悩みごとがありましたら私に相談してください。……今度は星詠みを勝手になさるなんてことの前に、です」

「やかましい。もうわかったと言ったであろうが。皆まで言うな」

 

 ようやく普段の調子が戻ったようで小言をこぼしたレオにビオレは一安心する。やはりこの方はこうしている方がいい。さっきまでの様子では帰ってきた夫も落ち着かなかったかもしれないであろう。

 よく冷えたビスコッティ名産のお茶を飲み干し、今度は安堵のため息をビオレはこぼしていた。

 

 

 

 

 

「じゃあ俺は遊撃隊の方に行く。何かあったらすぐに連絡をくれ」

「うん、わかった。ご苦労様」

 

 小客間から姿を現したソウヤとノワールは、その言葉を最後に互いに分かれていく。レオの星詠み以後、2人は時間を見つけてこうして顔を合わせて話し合いをしている。会議の内容は無論魔物対策が主だ。レオの星詠みだけではその魔物と思しき存在がいつ現れるのか、どこに現れるのか、そもそも本当に現れるのかすらわからない。だが備えあれば憂いなし、いつどうなっても対策を取れるよう、ガレットの魔物対策部署でもある諜報部隊の隊長のノワールとソウヤは話し合いを進めていたのだった。

 まず1番に行うべきこととして挙がったのが専門家のビスコッティの隠密部隊、すなわちブリオッシュ・ダルキアン卿とユキカゼ・パネトーネ筆頭への連絡だった。ノワールは部隊の情報網を駆使し、2人が今パスティヤージュにいることを突き止めた。そして2人に文書を送ったのだが、返ってきたのは「焦る必要はない」という意外な内容だった。ブリオッシュ曰く、「今現在ユキカゼの星詠みでも危険な星はまったく出ていない」とのことで、何かがあれば即座に動くが今はまだその時ではない、不用意に不安を煽るような情報を拡散するのは好ましくないということらしい。近々ビスコッティに戻るため、詳しい話はその時に聞きたいとも書き添えられていた。

 どうにも呑気すぎるとノワールは思った。が、ソウヤは「あの人はそういう人だ」という一言で済ませてしまった。信頼する偉大な大陸最強剣士の言葉だ、彼としては疑う余地もないのかもしれない。以降は2人の会議の場を設けてもその話題は大して進まず、現状の確認程度になってしまっている。一応リコッタの一件を知っているような人物、要するにガウルや隊長クラスにこの星詠みの話は知らせてあるが、専門家であるビスコッティの隠密部隊の頭領が慌てる必要はないということで、こちらからも特に何かを急かすような声は挙がっていなかった。

 

 その形式上の会議を大した時間もかけずに終わらせ、ヴァンネット城の廊下を歩いているノワールは、束の間ではあるが平穏が戻ってきていると感じていた。あのリコッタの強襲奪還戦以降、パスティヤージュは手順を踏まえてビスコッティと戦をする予定が進みつつあるらしく、今日にでも宣戦布告をするとの話であった。今度は以前のような問題ごとにはなりそうにないだろう。カミベルもガレットにぐうの音が出ないほどの敗戦を喫した後はこれと言って目立った動きがない。他の諸国も落ち着いているようである。

 いいことだと彼女は思う。自分の心を隠してガウルから逃げるように諜報部隊へと転属した彼女だが、諸国の不穏な空気という情報を聞くとやはり心穏やかではいられなくなる。特に今の立場についた後に飛び込んできたビスコッティ先代領主夫妻の失踪という件は大きな衝撃だった。そこから始まったビスコッティの空気にやきもきした時期もあったが、今現在で言うならそんな気持ちも落ち着いてきている。とはいえ、先日のリコッタ誘拐未遂の一件は相当に気を揉まされたが。

 

「ノワール、ソウヤ殿との会議は終わりかい?」

 

 と、ふとかけられた()()()にノワールは視線を上げた。声をかけてきたのは彼女同様ガレットの頭脳派、バナード将軍だった。

 

「うん。でも会議と言ってもダルキアン卿が慌てるなって言ってる以上、私達が話し合っても何も進まないけどね」

「確かに、レオ閣下が星詠みで視たという魔物対策絡みではそうなるしかないな」

 

 そう言ってバナードは口の端を僅かに緩める。それを見たノワールは小さくため息をこぼし何かを話そうと口を開きかけた。

 

「お、ノワにバナードじゃねえか!」

 

 そこに割って入ってきたは領主の言葉だった。反射的にノワールがその身を硬くする。

 

「これはガウル殿下。国営放送でのお仕事は終わりですか?」

「ああ。ったく最近あそこはどうも真面目すぎていけねえな。俺に国勢だのの話を聞くなっての。もっと民が喜ぶような話題を俺は提供するべきだろうがよ」

「ガウ様、領主なのですからその発言はいかがなものかと思いますが」

 

 得意げに言ったガウルだったが、直後突っ込まれた付き添いのルージュの容赦ない一言に思わずたじろぐ。

 

「う、うるせえ! 別にいいだろ、得手不得手は誰にだってあるだろうがよ」

「得手不得手、で済むような問題でもないかと思いますけどね」

 

 今度はバナードからの突っ込み。完全に四面楚歌状態のガウルは返す言葉も思いつかなかったようだ。

 

「……ああもういい、この話題はやめだ。大体ここ最近はどこも落ち着いてるだろうが。そうだろ、ノワ?」

 

 不意に振られた話題に思わずノワールは肩を震わせた。自身の心に怖れを抱いたあの時から、彼女はずっとこうだった。揺れ動く心を隠すようにガウルとの会話を極力避けるようにしている。どうしても話さなくてはいけない時はこうやって緊張してしまう。

 

「……うん。この間のリコの一件以来、特に何もないよ」

 

 だがガウルは良くも悪くもシンクと同じぐらい鈍い、とも言われている。特に気にかける様子はなかった。

 

「そうか。まあいいことだわな。……そういやその件は大変だったな。ソウヤから大体の話は聞いたしあいつがお前らの分まで含めて泥を被ったから特にお前にゃ何も言わなかったが。どっちにしろただでさえ諜報部隊は忙しそうだから、お前を責める気はなかったけどよ。つーかお前と話したのも久しぶりな気もするし」

「そうかな?」

「そうだろうがよ。報告だって隊員使うか、あるいは文書だし。忙しいだろうし裏方に徹するってのはわかるけどたまには顔出せよ? その方がジョーもベルも喜ぶからよ」

 

 そんなガウルの言葉に対して「ガウ様は違うの?」という質問が心に浮かびかけ、彼女はそれをかき消した。その質問をぶつける必要はない。自分の心を知られてはいけないのだから。

 

「……うん、わかった。たまには、そうする」

 

 ガウルと視線を交わらせず、ノワールは短くそう答えた。

 

「ああ、そうしろ。……んじゃ俺は行くわ。この後も公務公務だからな」

「うん、お疲れ、ガウ様」

 

 「おう!」と普段どおりの様子でガウルがその場を後にする。そこにルージュも続き、しかしややあって振り返った。

 その表情は何か申し訳なさが浮かんでいるような、哀れんでいるような、そんな色が浮かんでいた。それだけでノワールはルージュが言いたかったことを悟る。目を伏せ、彼女は小さく首を横に振った。

 

(ルージュが気にすることないよ……)

 

 近衛隊長代理は鈍感な領主のことを申し訳なく思って自分にそんな表情を向けてきたと、彼女はわかっていた。それはルージュが気にするべきことではない。ノワール自身がそう決心し、今そうしていることだ。

 ノワールの心中を汲み取ったらしく、ルージュは一瞬難しい顔をしたが、すぐにガウルに続いて離れて行った。

 

「……ノワール、私が口を出すことでもないかもしれないが、君はそれでいいのかい?」

 

 バナードも2人の様子、そしてそれ以前のノワールから事情を察しているのだろう。心配そうにそう声をかける。

 

「いいの。私が決めたことだから……」

「そうか……。なら私は何も言わないでおくよ。……ああ、ソウヤ殿との会議のまとめは後で私に報告してくれ。忙しいとは思うが……」

「ううん、大丈夫。それが私の仕事だもん」

 

 それに、とノワールは心で付け加えた。

 

(忙しい方が……気も紛れるし……)

 

 一瞬見せた陰のある表情を目に留め、何か言うべきかとバナードは口を開きかけた。が、それをやめる。彼女は彼女なりに答えを見つけ、それを必死に答えに()()()()()()()()のだろう。そこに口を挟むのは水を差すような気がしたのだ。

 

「……では私もこれで失礼するよ。無理はしないようにな」

「うん、将軍もね」

 

 短く挨拶を交わし、頭脳派の2人がそれぞれの持ち場へと戻っていく。

 が、バナードはふと足を止め、背後を仰ぎ見た。そこで目にしたノワールの華奢な背中に思わず眉をしかめる。弱々しく見えるその背中の重石を自分が肩代わりすることは出来ない。それどころか、諜報部隊という裏方として更に重圧をかけてしまっている。

 そのことを申し訳なく思いつつも、だが今は、と彼は踵を返した。彼女自身が選んだ道である。年長者でアドバイスする立場とはいえ、彼女の決意を踏みにじるようなことは出来ない。彼女自身が下した選択でその華奢な背中が押しつぶされてしまわないように祈りつつ、バナードもその場を後にした。

 

 

 

 

 

 布告自体は突然だった。その日の夕方、パスティヤージュは大々的にビスコッティへと宣戦を布告した。クーベルからのその声明を受け、ミルヒも了解の意思を示し、5日後に両国での戦が決定された。2人のやり取りがあまりに自然だったことを考えると前もって綿密な打ち合わせがあったと見ていいだろう。

 

「これでビスコッティもガレット、合同演習でドラジェ、そして今度のパスティヤージュと国外との興業も増えてきたって訳やな」

 

 ガレットのヴァンネット城下町、もはや行きつけと化した料理店のテラス席に腰を下ろしていたジョーヌは、向かいに座るベールへとそう声をかけた。

 

「そうね。ビスコッティの人々としてはやっとこれまでに近い雰囲気に戻ることが出来た、というところかしら」

 

 そのジョーヌの意見にベールも同意する。が、次いでため息をこぼしていた。

 

「……でも何も今日このタイミングに限って布告しなくても、って思っちゃうけど」

「そやな……」

 

 ベールは頬杖をつき、ジョーヌの隣、空いている席へと視線を移す。本来ここにはノワールが座っているはずだった。ヴァンネット城の廊下で久しぶりに彼女と話したらしいガウルが「あいつここのところ忙しそうでなんだか元気なさそうだったから、ちょっとベールと一緒に飯にでも誘ってやれ」とジョーヌに言ったのがきっかけだった。彼女としてはそんなデリカシーも乙女心への理解もない領主へ小言をぶつけたいところだったが、ノワールの心の内を(おもんばか)って恨み言を飲み込んでいた。その辺りの愚痴まで含めて話を聞いてあげようとノワールとベールを誘い、いつもの料理店へと行く予定を立てていたのだ。

 ところがそこで飛び込んできたのがパスティヤージュによるビスコッティへの宣戦布告だった。前回のリコッタ誘拐未遂の時ほどの緊急事態ではないとはいえ、他国の動きがあったということで諜報部隊のノワールは隊員と情報収集に当たることになってしまった。結果、当初の元ジェノワーズによる食事という予定がキャンセルされてしまったのであった。

 

「ガウ様と話したみたいやし、何か愚痴あったら聞いてあげようと思ったのに……」

「いくら仕方ないとはいえ、ちょっと残念よね。……でもノワの諜報部隊って忙しすぎじゃない?」

「確かにな。平時から情報収集に余念なく、戦でも裏方で参加。この間のリコの件の時は戦闘までこなしてるわけやし」

「もう何でも屋よね」

「それはベルの遊撃隊も一緒やろ? ガウ様は遊撃隊を組織する時にそう言っとったし」

「確かにうちもそんな感じではあるけど……。だったら遊撃隊は表、諜報部隊は裏の何でも屋と言ったところかしら。……それに遊撃隊が何でも屋、というよりソウヤさんが何でも屋という方が正しい気もするわ」

「違いないわ」

 

 ククッと笑ってジョーヌが目の前にあるグラスのお冷を一口呷る。

 

「それにしてもソウヤ、普段『めんどくさいことはしたくない』みたいな空気出しとるのに、ここ最近やけに厄介ごとに首突っ込むと思わんか? リコの件もそうやけど、その後わざわざパスティヤージュに出向いとるわけやし」

「でもそのおかげでパスティヤージュはこういう形で普通に戦を仕掛ける、という方針に変わったんじゃない?」

「それは事実やろうけど……。なんか最近の忙しくしてるソウヤはちょっとらしくないというか……」

「ゴドウィン将軍が前に言ったとおりになるって言いたいの?」

「いや、それは絶対あらへんと思ってる。でも、忙しそうにしてるのは事実やし……」

「そうね……。確かに忙しそうね。だけど、あの人はビスコッティのことを思って動き回ってるんだと思う」

「ビスコッティ……シンクか……」

 

 隣国の勇者の名を声に出したところで、ジョーヌはその口を噤む。ベール同様元親衛隊の彼女もまた、エクレールのことを不憫に思っている人間に他ならない。加えて、身近なところでノワールという似た例があるだけに余計に同情を感じ得ないのだ。

 シンクはいい奴だ。嫌う人間などいないだろう。強いて言うなら心を閉ざしていた頃のソウヤぐらいなものだとジョーヌは思う。だが、ミルヒとの関係をまだ自身の心で決め切れていないということに対して、彼女もまたソウヤ同様に苛立ちを覚えるのであった。

 

「……あのガウ様同様の鈍感君ももう少し女心に気づいてくれればええんやけどな」

 

 頬杖をついて自分でも聞き取れないほどの声量でジョーヌはボソッとそう呟いていた。だが目の前にいるのは聴力が自慢の聖ハルヴァー人、ベールだ。

 

「私もそう思うわ」

「な! お前、今のでも聞こえるんか!?」

「え? まあ一応……」

「こわ……。迂闊に独り言も言えんわ……」

「ちょっとジョー!」

 

 ジョーヌが愉快そうに笑う。が、ややあってこの場の笑い声にはかつてより人が足りないことに気づき、表情を僅かに沈めた。

 

「……変わったな、色々」

「そうね……」

 

 突如変わった話題だったが、ベールはジョーヌの雰囲気で察したらしい。

 

「ウチらがつるむ時はいつもここにノワがいてガウ様もいた。でもガウ様は領主になってジェノワーズは解散……。いつかはそんな日が来るとわかっていたけど、実際こうなると寂しいものやな……」

「本当にそうね……。でもらしくないわよ、ジョー? 確かに私も寂しいけど……だけど、いつかソウヤさんがあなたに言ったじゃない? 『お前はムードメーカーなんだからそんな顔はするな』って」

「よく覚えてるな、そんなこと。……確かそれに合わせて『ジェノワーズが三馬鹿って言われてる要因はお前にある』とか言われたような。あいつ、何気に酷いこと言ってるな……」

「以前のあの人なりの励ましの言葉なのよ。……だからね、ジョー。そんな悲しそうな顔はあなたには似合わないわ」

 

 予想もしていなかったのだろう。ジョーヌがきょとんとベールを見つめた。そしてどこか照れくさそうにその視線を逸らす。

 

「なんや、今日のベルはなんかお姉さんみたいやな」

「あら? 私はあなたよりお姉さんじゃない」

「相変わらず飲み物運ぶとこぼすのにか?」

「そ、それとこれとは関係ないでしょ!」

 

 頬を膨らませるベール。それを見たジョーヌは声を上げて笑った。

 

「ちょっとジョー!」

「ご、ごめんごめん……。あまりに面白くて……。まあ……でもおかげでちょっと気持ちは前向きになったかも。ありがとな、ベル」

「いいのよ。離れてても私達は元ジェノワーズなんだから」

「……そやな」

 

 ジョーヌの表情が緩む。が、一瞬後に何かを思いついたらしい。

 

「そや! 今度戦場で3人が一緒になった時、その時だけ勝手にジェノワーズを再結成する、ってのはどうやろか?」

「あ、いいかも! ……でもノワが了解してくれるかしら?」

「ノワだって本心ではジェノワーズでいたかったはずや。きっと乗ってくれるって」

 

 一瞬考え込んだベールだったが、すぐその表情を明るくした。

 

「そうね、きっとそうよね」

「ま、いつになるかはわからんけど、いつかまた3人で戦場を駆けような!」

 

 「ええ!」とベールが笑う。と、まるでそのタイミングを待っていたかのように、頼んでいた料理が運ばれ来た。

 

「お待たせしました! えーとこちらが……」

「ああー! 待ってました! 今持ってきてるのは全部ウチのや、この辺りによろしくー!」

 

 相変わらず食べ物に目がなく、そしてこの食事の量である。既に机の上には優に3人前の料理は運ばれてきただろう。

 思わず苦笑を浮かべたベールだが、さっきみたいに落ち込んでいるよりはこっちのほうが彼女らしいかと、小言を飲み込んで自分が頼んだ料理が運ばれてくるのを待った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 14 ビスコッティとパスティヤージュ

 

 

 パスティヤージュのビスコッティへの宣戦布告から5日。予定通りにこの日は両国の戦の日となった。

 当然この日は地球で言うと週末、つまりシンクがビスコッティに来ている日である。クーベルは戦を開催するに当たってミルヒに戦を開催してもいいものか、そしてどの日がいいかをきちんと確認したうえで布告をしていた。先のリコッタの一件とはまったく別、ソウヤに「お説教」をされたために今度はしっかりと手順を踏んだ、ちゃんとした方法を取ったと言ってもいいだろう。

 

「ふふん! これであのおたんこなすも何も文句はないじゃろう!」

 

 映像板を通じて流れてくる自慢の戦力の様子を眺めながら満足そうにクーベルは頷く。彼女とキャラウェイは「お説教」によって現在のビスコッティの置かれている状況、及びソウヤの考えを真剣に聞かされた。そしてその話をよく理解した様子のキャラウェイからゴーサインをもらっての興業だ。今度は横槍も口出しもなく、無事戦の日取りを迎えられた。

 

「どうじゃ、キャラウェイ? 相変わらずウチ達パスティヤージュの面々はいい面構えだと思わんか?」

 

 爛々と目を輝かせ、どこか嬉しそうにクーベルは側役でもある隊長へと尋ねる。

 

「ええ、おっしゃる通りと思います。久しぶりのビスコッティとの戦ということで、皆気合が入っているのでしょう」

「そうじゃろう。これは今日の戦、期待できるぞ!」

 

 彼女にとってはミルヒとの久々の戦いとなる。もっとも、ここのところミルヒは前線に出てこないようで、ガレットの時もドラジェとの合同演習の時も後方で状況を見守っていただけらしい。過去に誘拐未遂という一件があったことが原因とも考えられていた。おそらく今日も前線には出てこないであろう。だが直接対決はないとしても、ここでクーベルが活躍すればそれは自然とミルヒの目に触れる。なら彼女としては気張らないわけにはいかなかった。

 

「ですが……。ここ最近貧乏くじをひかされているリーシャは少々気にしているかもしれませんがね」

 

 が、直後にされたその指摘に思わず「う……」と領主は言葉を詰まらせる。今回の戦が始まる前、クーベルがリーシャと顔を合わせたときに浮かない表情をしていたのは事実だった。リコッタの誘拐未遂の一件では、表沙汰になっていない非公式での出来事とはいえソウヤ1人に隊を壊滅させられ、その後汚名返上の機会でもあったノワールとの一騎打ちは途中で戦闘停止の命令により水を差されている。さらに今回彼女の飛空術騎士団が担う役割は突撃隊。見ようによっては「前回の失態から捨て駒にされた」と見ることが出来ないわけでもないのだ。

 無論クーベルにそんなつもりはない。この突撃隊という役割はリーシャでなければ出来ないと判断したための配置である。が、指揮官の意思が必ずしも伝わるとは限らない。一瞬映像板に映ったリーシャの表情はそれを証明するかのようにやはり難しい様子だった。

 

「リーシャには本当にすまないことをしているな……。なんとか埋め合わせを考えんと……」

「あまり気になさらないでください。その辺りは私がなんとかフォローしておきますよ。それに本人もその辺は気にしてないでしょうから。まあこの後私も前線へと出向きます、その時話してみますよ」

 

 今回のパスティヤージュの布陣はリーシャとキャラウェイを前線に置き、本陣であるグラサージュ砦にクーベルが陣取る構えだ。リーシャとの配置が近いということもあるが、そういうところをうまくまとめてくれるキャラウェイを信頼して任せてしまった方がいいだろう。

 

「すまんな、キャラウェイ。なんだか、あのおたんこなすに『お説教』されてから、どうもウチ1人では手に余るようなことだったとわかってきてお前の負担を増やしてしまったようじゃし……」

「それもお気になさらないでください。事実、話を詳しく聞いてビスコッティがあのような状況になっているというのは私も想定外でしたし、それにクーベル様と一緒に伺えてよかったと思っていますから。そういう面倒ごとまで含めて、クーベル様を補佐するのが私の仕事です。ですから、ご自身のお仕事を全うすることだけをお考えになってください」

 

 キャラウェイにそう励まされ、「自分の仕事か……」とクーベルはポツリと呟く。

 

「……よし! なら、ウチの仕事はこの戦を大いに盛り上げることじゃ! ()()()()()()もあるわけじゃし、今日は派手に行くのじゃ!」

 

 少しは吹っ切れたらしく、いつも通りの様子に戻ったクーベルを見てキャラウェイは目を細める。一生懸命頑張っている領主の姿を見ては、今日の戦は何がなんでも成功させなければならない。そのためには、自分も前線に出て出来得る限り戦おう。

 キャラウェイの決心も新たに、戦への時間が近づいていった。

 

 

 

 

 

「リゼル……どうしてもダメですか?」

 

 一方ビスコッティ本陣の天幕、領主のミルヒはメイド隊長であるリゼルに何やら懇願しているところであった。

 

「いけません。騎士団長から固く言い付かっております」

 

 論外、と言わんばかりのメイド長の態度に、今度は秘書官の方にミルヒが助けを求めるように視線を移す。

 

「アメリタ……」

「私は秘書ですので……。あれこれ言う資格はありません。メイド長と騎士団長の意思をご優先なさってください」

 

 2人から自身の願いを却下され、領主は大きくため息をこぼす。

 ミルヒはこの戦いに自分も参加したかった。相手がパスティヤージュであれば空中戦がある。彼女のセルクル、ハーランは珍しい飛翔種であり、パスティヤージュのブランシールとの空中戦はこれまでも見物の1つとして挙げられていた。そのため、ミルヒは自ら出撃して空中戦を行うつもりでいたのだが、如何せんまだ原因が釈然としない誘拐未遂が起こってからさほど時間が経っていない。ここは問題が起こらないよう、万全を喫すために今回の出撃は騎士団長からストップがかかったのであった。

 それが彼女は不満だったのだ。公務と歌やダンスのレッスンの合間を見つけて騎士団と訓練していることもある彼女は、決して優れた使い手、とまではいかないまでも十分戦の中で戦闘をこなせるまでには成長している。これまで何度か連絡をくれたクーベルに気を遣わせないようにに平静を装いどこかそっけない態度のようになってしまっていたが、逆にそれが心配を余計にかける結果になってしまったかもしれない、とも彼女は気づいていた。だから、ここは自ら戦陣に立ち、心配ないということをアピールしたかったのだ。

 

「無理はしないと約束しますので……」

「いけません。騎士団長から固く言い付かっております」

 

 先ほどからどれだけ頼み込んでもリゼルはこの同じセリフを繰り返すばかりで取り付く島もない。同様にアメリタに助けを求めてもなんだかんだ聞いてもらえない。これは仕方ないかと、ミルヒは諦めのため息をこぼした。

 

「……わかりました。今回は本陣で戦況の確認に留めさせてもらいます」

「わかっていただけて嬉しいですわ。……申し訳ありません、姫様。もうしばらくご辛抱なさってください」

 

 ようやくリゼルはこれまでと異なるセリフを口にする。頑固な姫様が了承してくれたということで、一安心といったところか。実のところ前回のドラジェとの合同演習も、その前のガレットとの一戦も戦場に立ちたい、と主張をしてはいた。が、今回同様の理由でリゼルがそれを咎めている。その時は大人しく引き下がったのだが、今回はやや以前より余裕が出てきてたのだろう、かなり食い下がっていた。

 

「シンクはどうなってますか?」

 

 自分の参加が不可能とわかると、次にミルヒはその質問を口にした。心のどこかで、その思い人と共に戦場に立ちたいという気持ちもあったのかもしれない。

 

「騎士エクレールと共に最前、敵陣攻略部隊に配置されています。今回こちらは守備の地上部隊と攻略用の部隊の戦力を半々に割いています。空騎士を前線に配置させることによっておそらく手薄になるであろう本陣を落とす、という作戦ですからね」

 

 リゼルからの説明を聞いてなるほどと思うと同時に、ミルヒは自身の心が少し痛むのを感じていた。シンクとエクレールは誰もが知るビスコッティの名コンビだ。だが果たしてエクレールは今素直にそう思っていられるのだろうか。ミルヒはそこが気がかりだったのだ。

 

 彼女はエクレールも自分同様、シンクを好いていることに薄々気づいていた。しかし最後はシンクに相手を選んでもらいたい、例え主と仕える騎士という立場であっても、恋の前では平等にエクレールと競い合いたいと思っていた。その上でシンクがエクレールを選ぶなら、大人しく身を引いて諦めるつもりでいた。

 ところがエクレールはこういうことに対してとても奥手だ。髪を伸ばしていたのはシンクの影響だとなんとなくわかっていたミルヒだったが、いつまで経っても彼女は行動を起こそうとしない。いい加減ミルヒ自身も成婚の話が挙がりつつある時期でもある。だったら、と発破をかける意味も込めてシンクへ婚約の話を切り出したのだった。

 誤算があったとすれば、そこでシンクが口約束ではあったがあっさりとオッケーを出してしまったこと、そしてそれがエクレールの耳に入って心を決めてしまったことだろう。翌日エクレールに同じ土俵に上がるように要求しようとしたミルヒだったが、ばっさりと髪を切っていたエクレールを見て言葉を失った。自分と話す前に彼女はミルヒに仕える騎士であるということを理由に戦いを放棄してしまったのだった。

 それでも自身の心を伝えようとしたミルヒだが、「私は姫様の剣です。騎士として仕える以上、私情は挟みません」というエクレールの言葉に、それも断念していた。彼女にここまで言われても自分の心を押し通しては、彼女の騎士道精神を踏みにじることになりかねない。何より、その時ミルヒの目の前にいたエクレールの瞳からは強い決意と己の心を押し隠そうという鬼気迫る意思が感じ取れたのだった。結局、ミルヒは後ろめたい気持ちのまま、シンクとの婚約を口約束した形になっている。

 彼女がシンクに強く意思を押せない理由として、それも一部あった。エクレールに対する申し訳なさ、シンクを卑怯と言われても仕方のない方法で奪ってしまった心苦しさ。シンクに対する心は誰にも負けない自信はある。だが、エクレール本人を前にしてはそういった負い目の心を僅かでも持ってしまうことは事実だった。それでも、できるだけ様子を表に出さないようにしていたが、心のどこかでそうは思っていた。

 

 そんな矢先に起こった先代領主夫妻の失踪、さらに内戦、そして彼女自身の誘拐未遂。今、自分は試されているのだと彼女は感じている。ビスコッティの領主として、さらには勇者シンクの伴侶としてふさわしいのか。ようやく国外との戦までこぎつけることができ、一時期の大きな混乱の時期より今は少し落ち着いた、とは感じている。それでも自分への試練はまだ続いていると思っている。

 だからこそ、その不安を振り払うためにも自分を支えてくれるシンクと少しでも共にいたかった。朝の散歩やお出かけなど一緒に過ごす時間も楽しいが、ともに戦場に立つのも楽しいと感じるようになっていた。せめてそうやって辛い現状を少しでも忘れたかったのは事実だった。

 

「……姫様のお気持ちはわからないでもありませんが、戦の最中に誘拐、などということも起こりえないとも限りません。申し訳ありませんが、今しばらくはご辛抱なさってください」

 

 考え込んでいたミルヒの顔色から気持ちを察したのだろう。リゼルが再び頼み込むように念を押す。

 

「大丈夫です、わかってますよリゼル。……それでアメリタ、戦開始の合図は私に任されているということでしたよね?」

「はい。パスティヤージュのクーベル様の一言の後、姫様に開戦の合図を述べていただくということになっています。その後は申し訳ありませんが本陣で戦況の確認と、味方の士気を上げるよう鼓舞していただく、ということに……」

「わかりました。アメリタ、気を遣わなくてもいいですよ。諦め……というと言葉が悪いですが、私自身今危険な行動は慎むべきということは一応わかっています。……それでも戦場に出たかったのは事実ですが。それに気を遣ってくれるのはありがたいですが、私は自身をそれほど弱いとは思っておりませんし」

 

 最後の言葉にアメリタは一瞬表情を曇らせる。果たしてそうだろうか。本人の意図していないところでどうしても愛しの勇者様を求めてしまっているように見えてしまう。そんなに求めてしまうなら早く婚約を済ませればいい、彼女は時折そう思わずにもいられなかった。アメリタ自身はある意味身分違いの結婚、ということで騎士団長のロランと結ばれていたが、勇者と姫という立場同士なら自分の時のように反対の声など挙がるはずがないだろうと思っていたのも事実だった。勇者様か姫様が早く一歩踏み出してくれれば、と思わずにはいられない。

 

 結局のところ、やはり一時期よりは平静を取り戻した国内ではあるが、姫様の周りは変わっていないとアメリタは思うのだった。事実、彼女の夫、つまり騎士団長のロランはここ最近ずっと疲れている様子だ。理由はなんとなくは察している。彼女としてはそんな夫に早く元通りの、比較的楽な生活に戻ってほしいと願っていた。

 

 とはいえ、パスティヤージュとの戦にまでこぎつけることが出来た、ということはビスコッティは少しずつ前へと歩いていることにも他ならないとも思っていた。望むなら、このまま何事もなく、勇者様と姫様の仲が進展してビスコッティを良き方向へと導いてほしい。それが彼女の願いだった。そのために秘書官として自分に出来ることは惜しまないつもりだった。

 だが所詮秘書官の自分にどこまでその手助けが出来るであろうか。相変わらず彼女も忙しいのは事実だが、それは混乱を極めていた3ヶ月前と異なる内容でだった。その時と比べ、今増えてきているのが姫様の縁談の話。20歳を迎えていよいよ成婚を、という時期であるために、以前より落ち着きつつある現在はそういった話が増えてきてもいた。未だ大々的には公表できない勇者様との婚約の口約束という内容を提示せずにそういった話を丁重に断る。秘書である彼女の仕事といってしまえばそれまでだが、決して楽ではない、気を遣う仕事ではあった。

 しかし彼女には義妹の親衛隊長のように寄り添うことも、仕事上顔を合わせることの多いメイド長のように非常時に剣を取って戦うことも出来ない。だから、こうやってこれまで裏方として献身的に支えてきた。その自負はある。いざという時は自分が姫様を支えるのだ、という静かな意思と共に、アメリタは開戦のときを待った。

 

 

 

 

 

 ビスコッティ本陣からやや離れた平野部。ビスコッティにとっては本隊にあたる1番隊が戦の開始を待っていた。

 

「おそらく敵は我々の突撃を止めることだけを狙い、防御に徹してくるだろう! 普段の我々は守備を得意とする戦い方だが、今日に限っては敵を突破することに集中する! 向こうからは晶術弾による遠距離攻撃が来るだろうが、怯まず駆け抜けるぞ!」

 

 この1番隊の指揮を執る、騎士団長ロランの言葉に部隊から雄叫びが上がる。やはり士気は十分、先日のガレットとの戦以降、兵達の心理状態はいい状況にあるらしい。

 気合の入った隊からは、互いに鼓舞しあうような私語も聞こえ始める。そんな隊の様子を満足げに確認した後で、ロランは個人的に親衛隊のエミリオを呼んだ。

 

「なんでしょうか?」

「いや……。また戦場でお前とエクレールを離すような配置をしてしまったと、一言詫びておこうかと思ってな……」

 

 エミリオは苦笑する。戦場において騎士や参加者の部隊分けをするのは他ならぬ騎士団長の仕事だ。だがそこで一言侘びが入るということは妹の不始末を申し訳なく思っているか、あるいはその妹からそれとなく見えない圧力がかかっているかのどちらか。それともその両方、ということもあるだろう。

 だがそれを騎士団長1人が気に病むことではない。むしろ当事者である自分の責任、と叱責されても仕方のないことだとエミリオは思っていた。

 

「やめてください。そもそもその件で謝りたいのは自分です。名門のマルティノッジ家から、貴重なご息女を奪うような行為を行おうとしているのですから」

「それも過ぎた話だぞ。あの時お前が口にした『名がほしいから婚約を申し出たわけじゃない、必ず彼女を幸せにしてみせる』と言う言葉は、嘘だったのか?」

「嘘のつもりは毛頭ありません。ですが……現在のこの状況では、どう捉えられても仕方のないことと思っています」

 

 やはり真面目な返答に、今度はロランのほうが苦笑を浮かべた。

 

「まったくこういう融通の利かない者同士、よく似合ってると思うというのに……。ともかく、今回もエクレールとお前を離したのは私の判断だ。勘違いしないでほしいが、あいつ自身お前を嫌っているとか、そういうわけじゃない。ただ、複雑な心境でいることは事実だ。良くも悪くも国民や放送を楽しみにしている者たちは勇者殿とエクレールのコンビを楽しみにしている。ただでさえあいつはそれで余計に気を遣いそうな状況だ。だから、それ以上の負担をかけたくないと思ったから、私の隊にお前を配属した」

「わかってますよ。自分だって、エクレール隊長に余計な気は遣わせたくありませんし。それに勇者様と隊長はビスコッティの名コンビです。そこを外すことは出来ないでしょう」

 

 さらっと自身の心を述べたエミリオ。それに対してロランの表情が訝しげに変わった。

 

「……お前はそれでいいのか?」

「何がです?」

「勇者殿とエクレールを名コンビと呼び、まるでそこに自分の入る余地がないかのようなその言いぶり。それで納得できるのか?」

「勇者様が隊長をお選びになったら、自分はそれでよかったと今でも思っています。ですが実際はそうはならなかった……。だから、器ではないとわかりながら自分が隊長を支えなければ、と思ってしまったんです。それでも、戦場でお2人が駆けることが出来、その時の隊長の嬉しそうな表情が見られるのなら……それは自分にとっても嬉しいことですから」

 

 ロランが深くため息を吐き出す。自分の妹は堅物の頑固だと思っていたが、目の前の青年も大概だったらしい。

 

「……エミリオ、やはりお前がエクレールとの婚約を申し出てきた時、それを承諾した私の考えは間違っていなかったよ。お前はエクレールの相手を勇者様勇者様というが、私から言わせてもらえばあいつに最もふさわしいのはお前だ」

 

 これにはエミリオも全く予想していなかったのだろう。完全に虚を疲れたように数度目を瞬かせた後で、ようやく我に返る。

 

「そんな……。自分は……」

「かつてソウヤ殿の話を聞いたことがあったが……。あの方は当初レオ様のことを思う余り、自分という存在に縛られるよりももっと優れた人間と付き合うべきだ、と身を引く考えでいたらしい。……私から言わせてもらえば、今のお前も同じ考えのように見える。そういう考えが出来る相手というのは、心から思っている相手に他ならない。だから、私はお前を信じている。……もし妹に何かあったとき……困難に直面した時は、エミリオ、お前が支えてやってくれ」

「騎士団長……」

「……まあ結局自分の結婚も、周りに謀られて行ってしまった私が言ったところで、説得力がないかもしれないがね」

 

 そう言ってロランは表情を崩す。だがエミリオはロランの心遣いを深く感じ、そして感謝してもいた。

 

「とにかく、今回の配置の件から事を発した話だったが、あまり深刻に考えないでくれ。()()()()()()()()()まだ余裕がある。身の振り方はゆっくり決めてくれて構わない。……縁談が多く持ち上がる姫様とは違って、な」

 

 意味ありげな最後のロランの言葉。ひょっとしたら彼の妻がそう言った対策で日々追われているために、思わず愚痴が出てしまったのかもしれない。

 とはいえ、今でも迷っていたエミリオにとってはやはりありがたい言葉だった。わざわざ騎士団長に気を遣わせてしまったと思いつつも、感謝の気持ちで心が溢れる。

 

「……ありがとうございます、騎士団長」

「何、礼ならいいさ。それなら、言葉よりこの後の戦いで心を示してくれ」

 

 上空の映像板、今さっきロランがつい愚痴をこぼしてしまったミルヒが映し出される。さらには今回の対戦国であるクーベルの姿も映し出された。

 

『ご無沙汰じゃのう、ミルヒ姉! 久しぶりの戦じゃが、今日はウチ等パスティヤージュの勇姿をまざまざと見せてつけて勝利を頂くつもりじゃ、覚悟するのじゃな!』

 

 茶番よろしく、2人の戦闘前のやり取りが始まる。どうやら開戦の時は間近のようだ。

 

「よし、エミリオ、持ち場に戻れ。さっき言ったように今回我々は攻撃に打って出る、開戦の合図と同時に一気に突撃だ。遅れるなよ」

「はい!」

 

 気合十分のエミリオの返事を耳にし、ロランも心を戦闘へと向けて集中させる。

 

 映像板のミルヒはクーベルとのやり取りを終え、いよいよ開戦となるようであった。

 

 

 

 

 

『姫様の開戦の言葉により、とうとう久しぶりとなるパスティヤージュ対ビスコッティの戦が始まりました! パスティヤージュ自慢の飛空術騎士団はビスコッティ本陣へ一路前進! かたや、早くも地上では双方の部隊が激突、戦いは激しさを増しております!』

 

 パスティヤージュのアナウンサーであるカリンが興奮気味に戦の状況を告げる。その言葉を証明するように、パスティヤージュの飛空術騎士団、すなわち空騎士達はリーシャを先頭に一斉に前進し、少し遅れてキャラウェイが率いる隊が続き、ビスコッティ本陣を目指している。

 一方で地上では早くも互いの主力部隊が激突していた。ロランの予想通り、晶術銃によるパスティヤージュ陸戦部隊の先制攻撃によりビスコッティの1番隊は多少のダメージを受けたようだが、怯む様子もなく突撃を仕掛けている。元々パスティヤージュの主力は空騎士だ。制空権を確保して敵を殲滅。本陣の守護、残敵掃討、及びその後の制圧が地上部隊の役割となる。

 よってお世辞にもパスティヤージュの地上部隊は優れているとは言いがたい。晶術銃による遠距離攻撃は他国にはない脅威ではあるが、距離を詰められればその性能は発揮できない。劣勢に陥ってしまうのだ。

 一方でビスコッティは「鉄壁のロラン」を筆頭として防御に定評がある。晶術銃によるダメージは皆無ではないが、それで怯むようなこともない。防御を固めて間合いを詰め、白兵戦へ。

 こうなるとパスティヤージュは不利だ。両軍が激突してまださほど時間は経っていないが、戦局は明らかにビスコッティが有利となっている。

 

 この状況を打破するべく、リーシャは空騎士を一気に本陣付近へと突撃させた。途中眼下に見えた地上部隊には目もくれず、隊を猪突させる。明らかに本陣制圧の狙いを見せていた。地上部隊が時間を稼ぎ、その間に空騎士が突撃。

 リーシャとしては不満も何もなかった。もっとも危険であろう突撃役の部隊であったが、前回の戦いでいいところがないばかりか、あの時被った汚名を未だ返上できずにいる。それでもクーベルは自分を信頼し、その上でこの役を任せてくれたのだと信じていた。いや、そうでも思わなくては1度ならず2度までも打ち砕かれた彼女の自尊心が耐えられなかった。だからこそ、自分に任されたこの役割を全うしなくてはならない。そんな思いと共に彼女はブランシールを羽ばたかせる。

 だがそれを阻止するべく、リコッタ率いる対空部隊が迎撃態勢に入っていた。セルクルに引かれた荷車には何かが積まれているようだが、布がかけられていて見えない。しかし十中八九対空用の対策兵器と見て間違いないとリーシャは判断した。

 

「敵の迎撃、来るよ! 撃てる者は防御用の拡散晶術弾装填! 撃墜されないことだけを考えればいい!」

 

 荷車の布が取り払われ、その彼女の言葉が正しいことが証明される。現れたのは従来のものより大型の砲身を持った対空砲が3基、砲身の長さこそ先のそれより短いものの、砲身を2つ構える対空砲が2基。どちらも新型、リコッタの発明品と推測できる。更にこれまでの戦でも使われている対空砲が複数セルクルに引かれて鎮座し、加えて地上の歩兵達も弓や銃と言った武装で身を固めている。

 

「こりゃ主席大分本気だね……。そんなに根に持たれたかな」

 

 そんなはずはないとわかっていつつも、思わずリーシャは苦笑をこぼした。領主からの命令だったとはいえ、あの時彼女を誘拐した張本人は自分だ。後ろめたく感じているためにそう思ってしまうのかもしれない。

 

「リーシャ隊長、覚悟するでありますよー! 主砲、発射準備であります!」

 

 リコッタの声に合わせて対空砲を操る兵士達が狙いを空騎士達へと定める。

 

「散開行動!」

 

 撃とうと思えば初撃をとれる位置まで空騎士達は間合いを詰めていた。が、最初から防御弾幕を展開するつもりでいたリーシャは隊へと散開を命じる。だが部隊の移動はらしくなく緩慢、どちらかといえば密集に近い状態で、お世辞にも散開したとはいいがたい。

 しかしこれはリコッタ達ビスコッティ側にとっては好都合。主力を一網打尽にするべく、自慢の砲身が一斉に火を吹く。同時にパスティヤージュも防御弾幕を展開した。

 

「一斉発射であります!」

「防御弾幕、撃て!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 15 グラサージュ砦攻略戦

 

 

 映像板から流れてくる戦いは一方的だった。まさに近代兵器とも言うべきビスコッティの高射砲、あるいは対空砲を目にソウヤはため息をこぼしていた。一体どこであんな悪知恵を、よりにもよって好奇心の塊である天才発明王が知ってしまったのか。あれでは地球での戦争よろしく、いつか戦車や戦闘機、さらには半径数キロを吹き飛ばすような核爆弾ならぬ輝力爆弾、あるいはフロニャ爆弾なんてものまで作り出してしまうのではないかという懸念まで抱いてしまう。

 その新型の対空砲の威力は凄まじいものだった。放たれた輝力弾は拡散し、パスティヤージュが展開した弾幕を撃ち破り、その後ろにいた空騎士たちをも巻き込んだ。まるでつい先日の彼が放った紋章砲のように、である。兵力を失っての苦し紛れ、にも見えたがリーシャは残った兵力ですかさず反撃に転じる。だが、これはリコッタ新型兵器のもう片方、2門の砲身を持つ兵器によって防がれた。そこから放たれた合計4発の輝力弾が拡散すると、先ほどのパスティヤージュの防御弾幕とは比べ物にならないほど分厚い層を形成し、飛来した晶術弾をことごとく相殺していったのだ。

 

「すげえな、ありゃ。片方は攻撃用、もう片方は防御用かよ」

 

 同室でその戦の様子を見ていたガウルが関心したような声を上げる。

 ここ、ヴァンネット城の大広間ではガレットの実力者達が集まって2国間の戦を鑑賞していた。領主のガウルが映像板の前、中央のソファにでんと腰掛け、その側近であるルージュが傍らに立っている。遊撃隊隊長のソウヤと諜報部隊長のノワール、遊撃隊副隊長のベールと将軍のジョーヌとがそれぞれ並んでその左右のソファに腰掛けて、食い入るように映像板を見ていた。

 

「おいルージュ、うちもあれ作らせるのは無理か? ありゃパスティヤージュに対して効果覿面(こうかてきめん)だぞ」

「……ノワ、作れそう?」

 

 領主に質問された側近は半ば無理だろうという諦めのニュアンスも込め、ガレットにおいて頭脳面担当でもある諜報部隊のノワールに質問を振った。

 

「無理。あれはリコだからできることだもん」

「というか、そんなに対策したいなら俺を使ってくださいよ」

 

 空騎士に対しては絶対の自信があるソウヤが口を挟む。彼としては非公式な戦いだけでなく、公式な場で大暴れしたいという心もあるのだろう。

 

「それじゃあお前1人が目立って終わりになっちまうだろうが。俺としてはそれ以外の、一般の騎士達にもパスティヤージュの対策を取らせたい、って意味で言ったんだよ」

「確かにな。ソウヤ1人が強くても面白みに欠けるっちゅーか……」

「だったら別に俺だけじゃなくてもベールだっているだろう。『フラッシュアローズ』を大量射出するか、それに似た様な強力な紋章砲ぐらい出来るんだろ?」

「ええ!? ……出来なくはないですけど、それで空騎士を落とせるかはまた別問題で……」

「いや、ベルなら出来るだろ。お前の紋章砲は出力だけでいえばソウヤ以上だ。今のリコッタの発明品で向こうの防御を破って回避もとらせなかった、お前の紋章砲の威力はそれ以上だってのは間違いない。なら余裕だよ」

 

 ガウルにべた褒めされて思わずベールは照れたように「いやあ……」などと言いながら手を後頭部にまわす。が、一方でソウヤは苦い表情を浮かべていた。それに気づいたノワールが彼の服の裾をちょいちょいと引っ張る。

 

「ソウヤ。その表情、今のベルの話に対して? それとももしかしてさっきのあれに対して?」

「あ? そうか、お前も気づいていたのか」

「なんだ? ベルの方が紋章砲の出力がでかいって言われて気にしたか?」

 

 俺はその程度の器ですか、と言わんばかりにソウヤが苦笑を浮かべる。別に今更自身の紋章砲の威力についてどうこう言われたところで腹を立てるつもりも反論する気もない。「技巧派」と呼ばれているし自分でもそう言っている以上、彼の紋章砲の威力がお世辞にも強力とは言い難いことは本人がよくわかっている。それでも対攻城・要塞戦用の紋章砲としての「バリスタ」は優秀だし、集団戦用としても「アルバレスト」という切り札がある。だがそれはあくまで「質より量」の相手用。高い技術力を必要とする紋章砲であることは事実だが、純粋な紋章砲の出力は同じ弓術師のベールには敵わない。今この場に集まった面子でいうと、ルージュを除外したとして威力だけならノワールと底辺を争っていい勝負、という認識でいた。

 

「別に事実を言われて腹は立てませんよ。力押しは俺の担当じゃありませんし。……俺が言いたいのはどうにもパスティヤージュがあっさりと()()()()()()んじゃないか、ってことです」

「やられすぎた?」

 

 ジョーヌが眉をしかめる。今のどこにおかしな点があっただろうか。リコッタの新型兵器によってパスティヤージュは大打撃、反撃も相殺された。新兵器の影響が機能的に働いた結果と見て間違いないだろう。

 

「どこがや? リコの発明品が見事だった、ってことにしかならんやろ?」

「……まあそう思ってるならそれでいいか」

「なんだその含みのある言い方は?」

 

 訝しげなガウルの質問にソウヤが答えるより早く――。

 

『パスティヤージュ、打撃を受けたリーシャ隊長にキャラウェイ隊長が合流します! そしてビスコッティの新型兵器へと攻撃を仕掛ける模様! リーシャ隊長の強力な晶術砲撃に加えてキャラウェイ隊長必殺の紋章剣、スピネルファイア! そしてパスティヤージュ隊の一斉砲撃! 果たしてビスコッティはこれを防ぎきれるのか!?』

 

 実況のカリンが現状を報告してくる。映像はリーシャの隊に合流したキャラウェイの隊が攻撃を仕掛けるところだった。

 パスティヤージュ側の攻撃が炸裂する。負けじとビスコッティ側も新型の防御兵器によって弾幕を展開。だが今度はキャラウェイとその隊の助力が加わったこともあり、防御弾幕を一部撃ち抜いた。新型の防御兵器が1つ大破状態に陥る。

 

「決まりだな。次のビスコッティの一射でパスティヤージュは後退する」

 

 ボソッとソウヤはそう呟いた。まるでソウヤの予言よろしくの一言を証明するように、次弾のビスコッティ側の射撃は合流したパスティヤージュ側を一気に撃ち抜いた。それを受け、リーシャもキャラウェイもあっさりと背を向け、後退を始める。

 

『な、なんとリーシャ隊長とキャラウェイ隊長の2人を要してもパスティヤージュは後退! これは驚きました、さすがはビスコッティの発明王、リコッタ・エルマール主席が開発したという新型兵器です!』

 

 実況はリコッタの発明品を褒め称える。それを受けてリコッタもどこか得意気な様子に映っていた。

 

「すげえな、リコッタの発明品。あれじゃあ今後、パスティヤージュも迂闊に空騎士による攻撃ができなくなるだろう」

「だといいですがね」

 

 今の実況同様に称賛の声を上げたガウルに対し、ソウヤが水を差した。それに対してその場の人間の視線が一斉に集まる。

 

「おいソウヤ、さっきも妙なことを言ってたよな? それと加えて、今のはどういう意味だ?」

「どうもこうもありませんよ。俺はパスティヤージュは退()()()()()のではなく、退()()()と言いたいんです」

「はぁ?」

 

 要領を得ない答えだったらしい。ガウルが間の抜けた声を上げた。

 ソウヤが部屋の人間を見渡す。ガウル、ジョーヌ、ベール、ルージュ。ノワールと自分以外の人間は、今自分が発した言葉の意味をわかっていないと把握する。

 

「……キャラウェイさん合流後の攻撃、ノワール以外でおかしいと気づいた者は?」

 

 ソウヤの問いにノワール以外の全員が顔を見合わせた。やはりそのように気づいた者はいない、ということらしい。

 

「ノワール、お前の考えは?」

「普通に考えてあの時点で()()()の装置を破壊にいくのはおかしい。狙うなら攻撃用、あるいは戦闘要員……特に指揮官のリコ辺りが妥当なはず」

「どうして? 防御を切り崩すのがおかしいってこと?」

 

 と、頭と一緒に長い耳を傾けながらベール。

 

「あの状況ではな。確かに通常ならまず相手の防御陣を打ち崩すのは妥当だ。だが、もはや先ほどのパスティヤージュの隊は総崩れ。()()()()そこは破れかぶれ、ってわけじゃないが、勝つ可能性を見出す場合、これ以上の被害を抑える、せめて相手に打撃を与える、あるいは相手の混乱を狙うという方がいいだろう。少なくとも俺ならそう指示する。そういう意味でいうなら防御用の対空砲は撃つべき対象として優先度的に低い。さっきノワールが言ったとおり、妙だと思わざるを得ない」

「でも実際はそれをしなかった。……そう、まるで『自分達への攻撃の手を緩められたら困る』とでも言いたいように」

 

 ソウヤの意思を次いで続けたノワールの説明。それを聞いたジョーヌが驚いた声を上げる。

 

「ちょ、ちょい待て! その言い方……それじゃパスティヤージュ側は自分達を迎撃してほしかった、としか聞こえんで?」

 

 だがその声と対照的、ソウヤはニヤリと笑った。

 

「いいところに気づいたじゃないか。()()()()()()()なんだよ」

「つまり……。パスティヤージュの空騎士隊……この部隊は囮だったってこと」

「そんな馬鹿な!」

 

 ソウヤの意思を次いで核心を答えたノワールに対し、次に声を上げたのはガウルだった。数としてはビスコッティの対空部隊とほぼ五分のはずだ。さらにリーシャにキャラウェイという重要な駒まで配置されている。それで囮にするには割が合わなすぎる。

 

「数は相当数いたはずだ! これで囮とするなら……戦力に影響が出るぞ!」

「ええ、そうです。あの場にいた全員が()()()空騎士ならば、ね」

「何……?」

「最初に眉毛が隊を散開をさせて防御弾幕を撃った瞬間から妙だった……。動きが緩慢すぎる。確かにリーシャや騎士の一部は本物(・・)でしょうが……。残りはおそらくダミー……そうだな、晶術の技術を応用でもして人っぽく、ブランシールっぽく作った張りぼてってところじゃないでしょうかね。リーシャや一部騎士達がそれを引いて飛び、頭数を多く見せた……」

「ま、待った! じゃああの部隊からの攻撃はどう説明するんや? 張りぼてにしては存在する騎士と同等数の砲撃が……」

「違う……」

 

 ジョーヌの言葉をかき消したのはベールだった。彼女は気づいたらしい。

 

「違う?」

「ジョー、思い出して。先に攻撃を仕掛けたのはどっち? ビスコッティじゃない?」

「あっ……!」

「あの時点で張りぼては消し飛ばされたとなれば……。見た目の数は減っていたことになるはずよ。つまり当初の頭数より減った状態では、攻撃の手が多少緩んでいても違和感を感じないわ」

「ベールの言うとおりだ。先手をビスコッティに取らせた時点で若干の違和感はあった。その上であの行動とこれまで述べてきた一連の流れで確信した。俺ならこの空騎士隊は囮だとほぼ断定するね。……もっとも、もうちょっとすればビスコッティも気づくだろう。そもそも撃墜したにしてはだまの数が少なすぎるだろうからな。パスティヤージュも考えたもんだ、こういう戦い方を俺に仕掛けてきてくれるなら大歓迎なんだがな。

 それはさておき……。ここに割かなかった分、相当数の部隊が向こうにはまだ残っている。今度はそれを投入して、もう間もなくビスコッティの別の隊が猛攻にさらされることになるだろうな」

 

 再び出たソウヤの「予言」。思わずガウルは生唾を飲み込み、その先を促した。

 

「……じゃあパスティヤージュの狙いは」

「2つあります。1つは前の戦から間が空いたことによって、新たに何かしら空騎士への対策をしてくるであろうビスコッティの様子見。この方法なら被害を最小限にして、相手の手の内を明かせる。

 そして肝心のもう1つが、さっきからずっと述べていることです。……空騎士は囮、陸戦騎士隊は本体の足止めに必死。となればこの戦い、あの国が本命で叩こうとしている隊は……」

 

 ソウヤがそう言うと同時、映像板から流れる映像が切り替わる。そこに映し出されたのはシンクとエクレール。すなわち――。

 

「ビスコッティのパスティヤージュ本陣攻略部隊……。この2人がいる隊ですよ」

 

 

 

◇ 

 

 

 シンクとエクレールというビスコッティ名コンビを有する本陣攻略部隊は、パスティヤージュの本陣であるグラサージュ砦へと攻撃を仕掛けようとしていた。それを阻むは砦前の防衛線でもある守備隊。壁代わりに積んだ土嚢(どのう)の間からパスティヤージュの銃兵隊が射撃を仕掛けてくる。

 

「露払いは私がやる! シンク、お前は大型の砲撃だけを隊に直撃させないように防げ!」

「了解、親衛隊長!」

 

 相変わらず2人の戦場での連携は見事なものだ。手短な要求に対してこちらも手短に了承の意図を示す。それで互いに通じ合っているのだ。

 先行したエクレールに晶術弾の狙いが集まる。しかし彼女はセルクルを不規則に動かし、それでも命中しそうになった弾には右手の短剣で弾いていく。ならば、と言わんばかりにパスティヤージュの守備隊は大型の砲筒を用意した。特殊晶術砲、兵達に常備されている晶術銃などとは比べ物にならない威力の、ガレット特選装備部隊の迫撃砲を凌ぐ威力のある兵器だ。その狙いをエクレールへと定める。

 轟音と共に強力な一射が撃ち出された。しかし当然のようにエクレールはそれを読んでいた。それまで同様のランダムなセルクルの軌道により、その一射をやり過ごす。が、避けた先に待っているのは彼女の本隊だ。

 

「シンク!」

 

 後ろを確認もせずに叫んだ彼女は、それだけで間違いなく彼は仕事をやってのけると確信している。だから振り返る必要はない。今自分がするべきことは目の前の守備隊を蹴散らすことだとわかっている。

 事実、シンクはエクレールの期待通りに飛来した砲弾を得意の輝力武装の盾――ライオットシールドで弾いていた。隊への損害はゼロ。盾の曲面を生かして勢いを殺ぎつつ方向を変化させた後、隊に被害が及ばないように遠くへと弾き飛ばしている。

 虎の子の一射を無効化され、相手は浮き足立った。すぐに次弾の装填にかかるが、そうは問屋がおろさない。

 

「紋章剣! 裂空十文字!」

 

 セルクルに騎乗した状態からエクレール必殺の紋章剣が炸裂する。それにより大型晶術砲ごと、パスティヤージュの兵達を巻き込んでだま化させた。

 しかしその後ろ、更に構える守備隊が紋章術を撃ち終えて隙が生まれたエクレールへと狙いを定める。先ほどのような大型砲はないが、晶術弾が直撃すればダメージは免れないだろう。

 

 ところが――。

 

光凛剣(こうりんけん)!」

 

 まるでエクレールの腕が巨大化したかのごとく――いや、よく見れば腕は普段通り2本、それぞれ対となる短剣を持っている。それと別に篭手に包まれた腕のようなものに握り締められた、巨大な刃が具現化していたのだ。

 

烈閃光牙(れっせんこうが)!」

 

 その刃が横薙ぎに振るわれ、刀身から輝力によるエネルギーが放たれる。具現化された輝力武装からの紋章砲に、砦壁の前に陣取っていた守備隊はまとめて薙ぎ払われた。彼女が尊敬する自由騎士の紋章剣「神狼滅牙」をベースに編み出した独自の輝力武装だ。さらに彼女はこの光凛剣を二刀流で扱うことも可能としており、その気になれば今のように自身の手からの紋章砲の後に輝力武装の紋章砲を放つことさえもできるのであった。

 

「さすがエクレ!」

「世辞はいい、行くぞ!」

 

 前哨戦を終え、エクレールはスピードを落として再び本隊と合流する。守備隊を打ち払い、次はいよいよ砦攻略戦だ。しかし砦門は固く閉じられ、正攻法の対砦戦というには少々戦力が心許ない状況。

 だがシンクとエクレールには秘策があった。通常の戦なら少々咎められそうな方法だが、相手が空騎士でブランシールを有しているなら、この方法を取っても別に構わないだろう。

 

「よし、距離もいい具合! エクレ!」

「ああ!」

 

 シンクとエクレールが並走する。しかしその双方の間に丁度セルクルで言うと1羽程度の間が空いていた。

 

「トルネイダー!」

 

 その間の部分にシンクは輝力武装を展開する。ジェットボードのトルネイダーだ。そこに2人が飛び乗った。

 

「援護は砲術士隊を中心に任せる! アンジュ、可能ならお前たちも突入の動きを見せてくれ! それで十分陽動になる!」

「了解です、隊長! ご武運を!」

 

 親衛隊のアンジュがエクレールに応える。隊長同様、タレミミ気味の彼女は親衛隊の実力者であり、エクレールが不在となるこの後においては指揮を執ることになる。

 そう、エクレールはこの後隊を空けるのだ。彼女が狙うのは――。

 

「それじゃ行くよ、エクレ!」

 

 シンクのその掛け声ともに、2人を乗せたトルネイダーが一気に加速、グラサージュ砦の砦壁を跳び越えんと角度を取った。

 2人の狙いは砦壁内部への突入。砦門さえ開けてしまえば彼女の隊がなだれ込め、内部戦を一気に有利に運べるだろう。そのため、敵の攻撃が集中するというリスクはあるが、トルネイダーによる内部への突入という算段をエクレールは立てていた。幸い空騎士はほぼ出払い、陸戦部隊も本隊である1番隊と激突中。おまけにキャラウェイにリーシャという隊長格2人も前線となれば一気に本陣制圧も可能であろう。

 とはいえ敵にとっても本陣だ、防御は容易いわけではない。トルネイダーで砦に迫る2人に、砦壁上の兵から晶術弾が飛ぶ。既にトルネイダーを展開させている状況から、シンクはさらにライオットシールドを実体化し、その射撃を弾いた。次いで陰から身を乗り出したエクレールが短剣を1本、相手の兵へと投げつける。

 

「風神剣!」

 

 まるでブーメランのように飛んだ短剣は見事に相手をだまへと変え、再び彼女の手元へと戻ってきた。

 

「お見事!」

「いいから前を見ろ、攻撃はどんどん来るぞ!」

 

 バランスを取るためにシンクの腰の辺りに手をかけつつ、エクレールはそう叫ぶ。

 今この瞬間で言えば、彼女は幸せだった。やはり最高のパートナーとともに戦場を駆けるのは心が躍った。そして時折こうやって身を寄せ合って戦う時に、言葉に出来ない悦楽をどうしても得てしまう。今だけは、今このときだけはと、無意識のうちに思ってしまっているのは事実だった。

 しかし、と彼女は不意に我に返る。それは本来許されざることなのだ、と。相手は自身の主の思い人、それを奪おうとするようなことなど、「剣が持ち手を斬る」などということはあってはならない。自身が身を尽くすと決めた相手、その相手にこそ幸せになってほしい。嫉妬心がないわけではなかった。だが、それ以上にエクレールはミルヒのことを思っていたのだ。だからこそ、この戦にも勝利し、もうビスコッティは安泰だと示さなくてはならない。

 そう、それでいいのだ、と彼女は心を決めつつあった。ずっと引き摺ってきた思いだったが、戦の時に「コンビのパートナー」としてシンクを見ることが出来るようになってきていた。なら、共に戦場に立てるだけで十分なのだ。ようやく、彼女はそこまで心を割り切ることが出来てもいた。

 

 砦壁内へ侵入しようとする2人へ激しい攻撃が加わる。だが、シンクがライオットシールドでそれを弾き、エクレールが紋章剣により敵を薙ぎ払う。さらには後方からの砲術士隊による援護も受け、ついに2人は砦壁を乗り越えし、内部へと降り立った。

 狙うは砦門の開閉機。そこさえ抑えてしまえば内部戦に突入できる。

 しかしそんな彼女の希望を打ち払うように、待機していた兵の数はかなりだった。2人で真っ向切って飛び込むには少々厳しい状況。かといってこれだけの数では迂闊に紋章砲を撃ったところで薙ぎ払い切れず、その後の隙まで突かれかねない。

 

「……どうする、エクレ?」

 

 シンクとしてもこれは想定外だったのだろう、どこか不安げに尋ねてくる。

 

「どうもこうもない。このぐらいなら何とかならなくもないだろう。なら、私はただ紋章剣を撃つだけだ。その後のカバーはお前に任せる」

「エクレならそう言うと思った。……了解。多分何とかできると思う。この状況なら正面からの攻撃だけに気をつければ……」

 

 そうシンクが言った時、「避けろ!」と思わずエクレールが叫ぶ。反射的にその場を離れた2人のそこに、空からの晶術弾が飛来していた。

 撃ったのは他ならぬパスティヤージュの領主、クーベル。空飛ぶ絨毯よろしく輝力武装で作られた「スカイア」に乗った彼女は、天槍クルマルスからの一撃を2人目掛けて放ったのだ。

 

「さすがは勇者シンクに親衛隊長エクレール。咄嗟にウチの一撃をかわすとは見事じゃ」

 

 そのクーベルの後方、控えているのは空騎士達だ。しかも本来ありえないはずの数。前線に仕掛けた数を考えるとどう考えても釣り合いが取れない。

 

「どういうことエクレ!? 空騎士は前線に仕掛けたはず……なのになんでこの数……!」

「知るか……! だがどうやら……一芝居打たれたとみるしかないだろうな……!」

 

 ギリッと彼女は歯を噛み締める。方法は不明だが何かしらの手段で頭数をごまかし、本陣には相当数の空騎士を残していた、ということになるのだろう。だとするなら完全に誘い込まれた形になる。

 とにかくこれは窮地だ。迂闊に仕掛けられないどころか、再びトルネイダーで脱出しようにも制空権を抑えられている状況。八方塞がり、まさに檻の中のネズミ、いや檻の中の()だ。しかもその檻にあろうことかリス(・・)におびき出されてしまった。

 外の本隊の援護も期待できない。リコッタの発明品のような対空砲を準備していないこの本陣突撃隊の戦力も、空騎士達の前では有効な攻撃手段を持たぬ張子のトラでしかない。

 完全に手詰まり。ここでの勇者と親衛隊長、及び突撃隊の撃破ポイントは大きい。そうなれば戦局は大きく傾く。完全に相手の策に嵌ってしまったエクレールの額から冷や汗が一筋流れた。

 

「……エクレ、どうするの!?」

 

 シンクに呼びかけられても答えることが出来ない。答えが見つからない。かくなるうえは、ポイントの失点を最小限に抑えるため、どちらかが捨て駒となってもう片方を逃がす、その上で戦局を立て直すより他はないだろう。

 

「……シンク」

 

 なら、そこで退くのは足の速い、輝力武装を持つ者のほうがいい。瞬時にエクレールはそう判断した。

 

「何?」

 

 期待のこもったシンクの声。そんな期待するような答えではない、と心で前置きしてから、エクレールは口を開いた。

 

「この場で2人を失うのはビスコッティとしては大きな失点となる。……だからこの場は私が引き受ける。お前は私の紋章砲と同時にトルネイダーでこの場から脱出しろ」

「な……! そんなこと出来るわけないよ! だったらエクレも一緒に……」

「それが出来れば苦労はしない。2人で同時に動けばそこに攻撃が集中する。しかし狙いが私とお前の2つに分かれれば、それだけ攻撃が半減するということだ。……幸い私には光凛剣がある。裂空の後にそこからも紋章剣を放てば、お前を逃がす時間稼ぎぐらいは出来るだろう。だから……」

「嫌だ!」

 

 即答だった。そんな相棒の顔を信じられないとエクレールが見つめる。

 

「お前、今の状況がわかって……」

「状況も何も関係ない、僕は逃げない! エクレだけをおいて逃げるなんて、そんなことは出来ない!」

「シンク……」

「だから……最初から無理だなんて言わずにやれるところまでやってみせる! いや、最後までやり通してみせる!」

 

 真っ直ぐな、ひたすらに真っ直ぐな言葉だった。なぜだろう、ついさっきまで心に満ちていた悲壮感は、根拠すらないはずの彼のその一言で完全に消え去ってしまっていた。

 やはりシンクは戦場に燦然と輝く星だ。彼が「出来る」といえば、無理だとわかっていることでも出来るように思ってしまう。そしてそれに期待したくなってしまう。

 エクレールは小さく笑った。こいつにそう言われては、もう何も言い返せない。なら、その言葉を信じるだけだ。

 

「……相変わらず馬鹿だな、お前は」

「そういうエクレだって、結局この後僕に付き合ってくれるんでしょ?」

「そうだな。……私も大概だ」

 

 それでもいいと思う。隊長の判断としては失格だろう。それでも、彼女は自分の意思に従うことにした。それを見たクーベルが最後通告、とばかりに声を投げかけてきた。

 

「……覚悟は決まったか? シンクにエクレール?」

「ええ。でも、やられるつもりはありませんよ!」

「よく言ったシンク! じゃがそれはウチら、パスティヤージュの攻撃に耐えてから言うんじゃな! ……全員構え! 目標、ビスコッティの勇者と親衛隊長!」

 

 凛としたクーベルの声が響き渡り、パスティヤージュ兵達の晶術銃が構えられる。銃口を一斉に向けられ、2人は思わず生唾を飲み込んだ。

 

「エクレ、僕は輝力全開でディフェンダーを展開して耐える。あとは……」

「わかっている。やれるだけ、私の紋章剣で薙ぎ払ってやる」

 

 シンクはライオットシールドを、エクレールは輝力武装で光凛剣を両腕分展開した。パスティヤージュも晶術銃の狙いを定める。

 

「撃てッ!」

 

 クーベルの指示に従って一斉にパスティヤージュの晶術銃が火を吹き――。

 

 しかし、それらがシンクのライオットシールドに当たることはなかった。着弾する直前、振り下ろされた巨大な何か(・・)によりその全てが遮られたのだ。

 

「な……!」

 

 エクレールは目を見開いた。まさに巨塊。あまりの大きさにそれが何かわからない。もしそれを形容するとするなら――。

 

「盾……?」

 

 クーベルがその場全員の気持ちを代弁したように呟く。だが、その巨塊を振り下ろした主は、口元に僅かに笑みを浮かべてそれを訂正した。

 

「刀でござるよ」

 

 次の瞬間、巨塊――刀と言われたそれは砦壁の上にいた者が振り上げると同時に消え去った。全員の目がそこに移る。同時に、シンクとエクレールの表情が一気に明るくなった。

 そこに立っていたのは、狼のような耳を持つまさに侍のような女剣士と、忍装束のような衣装に身を包んだ狐耳をもつ女性の2人――。

 

「ビスコッティの戦と伺い、遅ればせながら馳せ参じ申した。拙者、ビスコッティ隠密部隊筆頭、ユキカゼ・パネトーネと」

「同じくビスコッティ隠密部隊頭領、ブリオッシュ・ダルキアン。ただいま見参でござる!」

 




エクレの輝力武装……漢字は適当に当ててるので公式と異なる可能性があります。あるいは聞き間違いでそもそもの名前を間違えている場合もあります。その時は公式情報を知り次第直すつもりです。

追記:公式設定資料集に「光凛剣」と表記があったので修正して統一しました。また、クーベルの輝力武装が「スカイア」と表記があったために修正しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 16 空翔ける戦い

 

 

『な、な、なんと! 混戦極まるグラサージュ砦に突如現れたのはビスコッティ隠密部隊、ブリオッシュ・ダルキアン卿とユキカゼ・パネトーネ筆頭の2人! これはますます戦況がわからなく、そして盛り上がってまいりました!』

 

 実況のカリンにも熱が入る。それはそうだろう。絶体絶命のシンクとエクレールの元に颯爽と現れ、巨大な刀――彼女の輝力武装である「神狼滅牙」によってその攻撃を防ぎ切る。間違いなく盛り上がる展開だ。

 二転三転する戦の様子に、ヴァンネット城で見ていた人間達も一気に映像板に釘付けとなった。

 

「ここで来るのかよ、ダルキアン! 最近見ねえと思ったら、なんとも熱いタイミングで出てきやがって!」

「もう最高やこれ! ウチもこんなタイミングでババーンと現れてみたい!」

 

 ガウルとジョーヌは完全にノリノリだった。ピンチに駆けつける仲間、という展開はやはり2人が言うとおり燃える展開なのだろう。

 

『ほほう、ダルキアンにユキカゼか。丁度よい、ウチ等自慢の空騎士が、お前達もまとめて相手してやるのじゃ!』

「いやいや無理だろクーベル、あの2人相手にしたらどうしようもねえぞ」

 

 聞こえるはずのない無粋な突っ込みを思わず入れるガウル。

 

『それはよい提案でござるな、クー様。しかし、拙者達もこの後輩達の窮地故、本気でいかせてもらおう。隊長格のいないそちら側が、拙者達を相手するには少々荷が重いのではないかと……』

『いらぬ心配ですよ、ダルキアン卿』

 

 そこで聞こえた新たなる声に、カメラがその主へとフォーカスされた。

 

『あなたの相手は私が、そしてそちらのパネトーネ筆頭の相手はこのリーシャがいたします。我々もパスティヤージュ晶術騎士団の隊長、そう易々と撃破されるつもりは毛頭ありませんので、覚悟なさってください』

『こ、これはキャラウェイ隊長にリーシャ隊長! なんと、前線から後退してきた2人が、このグラサージュ砦の部隊に合流しました!』

 

 やはり熱を帯びるカリンの実況。これにはガウルとジョーヌだけならず、大広間で鑑賞していた全員が目を奪われた。

 

『ふふーん、ナイスタイミングじゃ、キャラウェイ、リーシャ! 乱入者2人の相手は任せるぞ! ウチは……』

 

 映像板の中のクーベルがビシッと、先ほど仕留め損ねたシンクとエクレールの方を指差す。

 

『シンクにエクレール! お前たち2人、まとめて相手にしてやろう! ウチの得意な空中戦じゃ、そっちはシンクのトルネイダーの後ろにでもエクレールを乗っけてかかってくるがよい!』

 

 シンクとエクレールの2人が顔を見合わせたのがわかった。そしてややあって2人が同時に頷く。

 

『その勝負、乗らせていただきます!』

 

 自らの申し出を受け入れられ、クーベルはニヤリと不敵に微笑んだ。

 

『大変なことになってまいりました! キャラウェイ隊長とダルキアン卿、リーシャ隊長とパネトーネ筆頭、そしてクーベル様自らが勇者シンクと親衛隊長エクレールの2人をそれぞれ相手にすることとなりました! 混戦極まるグラサージュ砦、これはどんな戦いになるか全く想像がつきません!』

 

 そんな映像板からの光景をひたすら興奮した様子で見つめていたのはやはりガウルだった。

 

「うおお! すげえ! すげえことになってきやがった! こりゃあ面白そうだぜ!」

 

 先ほどよりも更にハイテンションに映像板に釘付けだ。他の面々もやはり興味津々といった様子で食い入るように映像に見入っている。

 しかしそんな中、どこか冷ややかな、いや、()()()様子で見つめていたのはソウヤだった。確かにこの展開は盛り上がる。目の前のガウルのみならず、見ている視聴者は大いに興奮することだろう。かく言う彼自身もこれは()()()と思ってはいた。

 だがそもそもシンクとエクレールが突入した理由は砦門を開け、本隊を中に入れることのはずだ。これだけ盛り上がってしまい、 しかも盛り上がってなんぼの戦興業という点ではそんなのは些細なことかもしれない。とはいえ、今も門の外で奮闘しているであろう、あの気の強そうな親衛隊のアンジュの顔を思い出すと、ソウヤとしては苦労しているのだろうと同情を禁じえなかったのだ。

 もっとも、ソウヤが呆れていたのはそれだけでなく、この茶番(・・)が実によく仕組まれ、かつそれに気づいているのがこの部屋の中で自分だけであろうとも思っていたからであった。

 

 

 

 

 

 砦の壁を飛び越えたときと同様、シンクがトルネイダーを展開する。前にシンク、後ろにエクレールという先ほどと同じ立ち位置だ。

 

「じゃあ行くよ、エクレ。できるだけ気をつけるつもりではいるけど、荒っぽくなったらごめんね」

「気にするな。私が落ちたとしても途中で拾い上げてくれればいい」

「……なるべくそうならないようにするよ」

 

 最後の一言は、困り顔と共にだった。シンク自身が落ちないように飛ぶことは何の造作もない。だが後ろに誰かを乗せた場合は別、しかもこれから空中戦をやろうというのだ。落とさない保証をする自信が彼にはなかった。

 

「まあ落ちたところでここは守護力が満ちている。気にするな」

「そう言われても……。やっぱり自分のせいでエクレを空から落下させた、なんてなったらなんだか悪い気がするし……」

「もし本当にそんな甘い考えがあるなら、今すぐ捨てろ。……私達2人を一気に相手にする、などと今までクー様が言い出したことはなかった。今回は相当に気合が入っていると見受けられる。余計なことを考えていると、足元をすくわれるぞ」

 

 シンクは黙ってエクレールの言葉を反芻する。相手の総大将であるクーベル自らの誘い、しかも2人同時に、だ。生半可な覚悟ではないのだろう。久しぶりのビスコッティとの戦、なんとしても勝つという彼女なりの決意も感じ取れる。

 

「……わかった。でも、出来るだけ気はつけるよ」

「本当にお前はそういうところだけは融通が利かないな。私は姫様の剣だ。戦場で敵を打ち破り勝利の報告を届ける。それこそが私の騎士道精神だ。私自身の多少のことなど、意にも介すつもりもない」

「僕から言わせてもらえば、それを頑なに貫き通すエクレの方が融通が利かないと思うけど。……でもま、それがエクレだもんね」

 

 貴様が言える台詞か、と思わず彼女は言葉に出しかける。一度は自分の心に素直になりながら、再びその思いに蓋をするように抑え込み、「自身は姫様の剣」と言い聞かせて彼への思いを断ち、ようやく心が決まりかけてきていたのだ。だがその「姫様の剣」として生きる生き方には誇りを持っていた。だからこそ、シンクへの気持ちを捨て去ろうという決心も出来きつつあるのだった。

 

「くぉらぁ! いつまでウチを待たせるつもりじゃ! さっさと空に上がってきて、ウチと勝負せんか!」

 

 と、そこに割り込んできたのはお冠気味なクーベルの叫び声だった。既に彼女はスカイアを宙に浮かせてクルマルスも準備万端、なのに肝心の相手がいつまで経っても戦いの場に姿を現さない。

 

「ごめーん、クー様! 今行くから! ……行くよ、エクレ!」

「ああ!」

 

 トルネイダーに乗ったまま会話をしていた2人が上空を見上げた。フワリ、とトルネイダーが浮かび上がり、一気に空へと滑空する。

 が、そこを狙っていたかのようにクーベルがまず一射、先制攻撃を放ってきた。慌ててシンクがトルネイダーの軌道を変えて攻撃を避ける。

 

「クー様! いきなりなんてずるくない!?」

「やかましいわ! お前たちがいつまでもウチを待たせた罰じゃ! 文句があるならウチに勝ってみせればよかろう!」

 

 言いたいことを一方的に述べ、クーベルはスカイアの高度を上げた。負けじとシンクのトルネイダーもそれを追う。

 先制攻撃はされたものの、現状では自分達の方が有利だとシンクは考えていた。今はクーベルが先行してそれをシンクとエクレールが追う形。軍事関係には詳しくないが、戦闘機同士の戦い、いわゆるドッグファイトにおいては後方を取ったほうが有利というぐらいはわかっていたからだ。

 しかしそんな彼の楽観視は一瞬で消し飛ぶことになる。前を飛ぶクーベルは上半身だけを捻らせ、片腕でクルマルスを射撃して来た。咄嗟にシンクはライオットシールドを展開し、その一撃を弾く。だが視界ごと塞いだ防御を解いた時、既に眼前からクーベルの姿は消えていた。

 

「上だ!」

 

 エクレールの声にシンクが上空を見上げる。その彼女は声を上げつつ名も無いレベル1の紋章砲を放った。輝力を撃ち出しただけ、ほとんど牽制の一撃。それとほぼ同時、宙返りの要領で上を取ったクーベルも眼下の相手へとクルマルスを構えていた。こちらは本命の一射、エクレールのその場凌ぎの紋章砲などとは威力がまるで異なる、彼女必殺の紋章砲――。

 

「ガーネットスパーク、最大火力じゃ!」

 

 クルマルスに収束された黄金色の光弾が撃ち放たれる。それはエクレールの紋章砲を飲み込み、2人の元へと迫る。位置的に言って自分が防御することは不可能、と判断したシンクは回避を選択。多少強引にトルネイダーの軌道を変更した。急旋回気味に取られた回避行動は、なんとか紋章砲の命中を避ける。が、その急激な制動により後方にいたエクレールがバランスを崩し、そのまま宙へと投げ出されかけた。

 

「エクレ!」

 

 咄嗟に手伸ばし、シンクは彼女の手を握り締める。

 ああ、こうやって触れ合ったのはいつぶりだったか、とエクレールは戦場でらしからぬ考えを抱いていた。しっかりとつながれたその手を見て、あの時――「姫様の婚約を受けた」と言われた時も、もしかしたら自分が手を伸ばせば届いたのかもしれないと思ってしまう。

 

「大丈夫、エクレ!?」

 

 だが再びトルネイダーの上に体を乗せ、シンクにそう声をかけられた時には、エクレールはもう先ほどの考えを頭から消すようにしていた。ここは戦場、今は戦いの最中だ。余計な雑念が命取りになる。

 それに、今更過去を悔やんでも仕方がない。時折その過去を思い出すことがある、いや、あってしまうとしても、それと決別すると決めたのは自分自身だ。だから迷いの心など持ってはならないのだと、言い聞かせるように彼女は心でそう思った。

 

「ああ、このぐらいなんともない。さっきも言ったとおり落ちたって構わないさ」

 

 そして心を押し隠し、彼女は平然と答える。

 

「やるではないか、シンクにエクレール!」

 

 そんな2人にクーベルは後方から称賛の声を上げた。今現在状況は彼女のほうが有利にある。先ほどの一撃をかわした2人だったが、今度は彼女に後ろにつかれた状態に変わっている。砲台役のエクレールがいるとはいえ、相手の武器が飛び道具である銃に対してこちらは紋章術を用いなくてはならない。長期戦になればなるほど、輝力武装を用いているシンクも攻撃役のエクレールも不利になる。

 そんな2人のことなどお構いなし、むしろ付け入らんとしてクーベルが晶術弾を連射する。天性のカンか、シンクはトルネイダーを不規則に動かしなんとか回避。エクレールも牽制代わりに輝力を放つだけの紋章砲を数発撃つが、かすりもしない。これでは輝力の浪費だ。

 

「どうする、エクレ? これじゃ……」

「わかっている。このままじゃジリ貧だ。こちらとしては短期決戦、なんとか大型紋章砲を撃ち合える状況にもっていきたいが……」

 

 しかしその誘いをかけてもクーベルは絶対に乗ってこないだろう。足を止めて真っ向からの紋章砲勝負にはまずならない。やるなら高機動戦での撃ち合い、とはいえその場合でも回避した上で反撃してくる可能性が高い。そのためにここまで狙いを定めさせぬよう、軽快にスカイアを動かし、的を絞らせないでいるのだろうから。

 ならその回避をさせぬように当てなければならない。しかしトルネイダーに勝るとも劣らない俊敏性を持つスカイア相手にどうすればいいのか。

 

「せめて、クー様が先ほどのような紋章砲を撃った後ぐらいの隙さえあれば……」

「じゃあさっきと同じ状況を作り出すってのはどう?」

「いや、あれではダメだ。回避行動で精一杯の状況では、到底反撃など出来ない」

 

 言っている間にもクーベルからの砲撃は続く。回避行動を読まれ始めたか、次第にエクレールが弾く数も増えてきた。

 

「フフン、避けきれなくなってきたようじゃな? そろそろ諦めたらどうじゃ?」

 

 優勢と見たクーベルがニヤリと笑みをこぼす。その表情を窺ったエクレールはギリッと奥歯を噛み締めた。

 

「くっ……後ろにつかれているこの状態では……!」

「それなら回頭して……」

「してどうする? 第一この状況でどうやって向こうに頭を向ける気だ? それに頭を向けたとして、紋章砲を撃って当たるとは限らない。その後の隙を突かれて反撃されるのが関の山……」

 

 そこで、エクレールは言葉を切る。明らかに何かを思いついた様子だ。

 

「エクレ……?」

「……そうか、攻撃後の隙か」

 

 彼女の頭が勝利への算段を立て始める。

 

「方法があるの!?」

「あるにはある。しかし……」

 

 方法としてはかなり強引、少々危険が伴う可能性もあるという前置きをし、エクレールは自身の考えをシンクの耳元へと囁いた。

 

「……なるほど、それならいけるかも!」

 

 それでもシンクはその案を嬉々とした表情で聞いていた。少なくともこの後ろに付かれての乱射状態よりは勝機がある。

 

「だが失敗すれば私かお前、間違いなくどちらか、最悪なら両方が欠ける状況だ。それでも……」

「やる! 僕とエクレなら、やれる!」

 

 それを淀みなく言い切れるのがお前のすごいところだよ、とエクレールは心で呟く。そして表情を僅かに緩めた。

 

「よし、なら後は任せる!」

「うん! じゃあ行くよ、しっかりつかまって!」

 

 トルネイダーが火を吹く。これまでの速度より一気に加速し、クーベルのスカイアを引き離しにかかる。

 

「む、逃げる気か!? ウチとこのスカイアから逃げ切れると思っているのか!」

 

 負けじとクーベルも速度を上げた。さすがは空中戦はお手の物のパスティヤージュ領主、機敏な動きだけでなく速度も十分である。

 しかしそれを以ってしても速度だけでいえば輝力の出力に勝るシンクの方が上だった。まるで積んでいるエンジンが違うマシン、というかのようにそのチェイスは両者の間を少しずつ開けていく。

 

「今ッ!」

 

 距離が開いた、と判断したところで高速で加速していたシンクのトルネイダーが急旋回する。速度を殺さず、そのまま左へ弧を描くように180度ターン。そしてそこのエクレールが両手の短剣を交差させて構え、シンクもパラディオンを変化させたものであろう、双剣を手に同様に構えてるのが見て取れた。

 

「そう来たか!」

 

 クーベルがどこか喜びを孕んだ声を上げた。急加速、急旋回からのすれ違い様の紋章砲。確かに後方を取られたままではジリ貧、かといって2人乗りをしている以上、先ほどクーベルが行った宙返りのようなあまりにアクロバットな方法で打開するのも難しい。

 だが急加速と急旋回のこれならエクレールも振り落とされずに、さらには同時に紋章砲を放つという強力な方法で反撃に転じられるだろう。自身のスカイアの加速を超えただけでも称賛だというのに、よくもこんな方法を思いつくとクーベルは感心する。とはいえ、空中での撃ち合いというのは地上での足を止めての撃ち合いとはまったく別物だ。ここでの撃ち合いになれば自分の方に勝機がある、と彼女は考えた。

 

「じゃがこの撃ち合い、悪いがウチの勝ちじゃな!」

 

 クーベルが銃口を2人へと向け、その先に黄金色の輝力を充填させていく。そしてそれが放たれるのと、シンクとエクレールの合体紋章砲が放たれたのは同時だった。

 

「ガーネットスパーク! 最大火力!」

「「紋章剣! ダブル裂空十文字!」」

 

 互いに撃ち合った必殺の一撃は相殺しあうことなく交差し、撃った本人達へと迫っていく。

 強力な紋章砲の反動に耐えつつもクーベルは僅かに減速し、スカイアを錐揉み状に回転させた。バレルロール、飛来した紋章砲に対してのアクロバットな回避行動だ。間一髪、彼女の服を掠めつつもその紋章砲はむなしくも後ろへと流れていった。

 一方で彼女は自分のガーネットスパークは直撃する爆発音を耳にしていた。勝った、という心と共に回避行動を終えて相手の方へ目を移す。そこには彼女の予想と違わず、爆煙が上がっているのを確かに確認した。

 

「やったか!?」

 

 勝利を確信したその言葉の通り、煙から影が落下してくる。

 だがそれに対してクーベルは目を見開いた。そこから現れたシンクは防具を多少吹き飛ばされ、さらにはトルネイダーも維持出来なくなっており、ダメージは確かに受けていると見受けられた。それでも戦闘不能になっていなかったことに彼女は驚愕する。

 いや、それ以上に驚くべきことは、その影がシンク1人(・・)だけだった、ということだった。

 

「エクレールは!?」

 

 よもやだまになったとは考えられない。左右に目を動かす彼女に対し、エクレールの声が確かに、そう、彼女の()()()()聞こえてきた。

 

「光凛剣・双牙……!」

「上かっ!?」

 

 自身の上を仰ぎ見たクーベルの目に飛び込んできたのは、巨大な篭手に包まれた2本の腕のような物と、そこに互いに握り締められた一対の剣――。

 

「裂空光牙十文字!」

 

 輝力武装から放たれたエクレール最大の一撃。防御も回避も間に合わず、クーベルはそれをまともに受けた。

 

「おわあああああ!」

 

 防具破壊、同時に輝力武装破壊。可愛らしい下着を露にさせられ、さらに足元のスカイアまでも失い、クーベルは頭から真っ逆さまに地上へ向けて自然落下を始める。

 

「や、やられたのじゃ! しかも……落ちるのじゃー!」

 

 スカイアを展開しようにも受けたダメージが大きく、しばらくは無理そうだ。よく見れば彼女の頭上、自分に一撃を放ったエクレールも力を使い切ったか、そのまま自然落下してくる様子が窺える。

 

「エ、エクレール! お前まで落ちてどうするんじゃ!? このままだと2人とも地面目掛けて真っ逆さまじゃぞー!」

 

 パニック気味にクーベルは自分同様落ちてくるエクレールに向かって叫ぶ。しかし彼女は余裕たっぷりに口の端を僅かに上げただけだった。

 

「ご心配には及びません。あいつがきっとなんとかしてくれます」

「あいつ……?」

 

 言うより早く、クーベルの体がふわりと抱きかかえられた感覚を覚えた。見れば、自身の体はシンクによってしっかりと抱きかかえられていた。

 

「シンク……」

「ご、ごめんクー様! あまり見ないようにするから!」

 

 公女に名を呼ばれた勇者は、恥ずかしそうに彼女から目を逸らしていた。腕の中には下着姿の公女、普段羽織っているマントをかけてやりたいが、先ほどのダメージにより既に消失している。

 

「ま、まあ少々恥ずかしいが……あまり気にするな。それよりエクレールの方を」

「はい、今拾うところです」

 

 そう言ったシンクは今度はエクレールの救出に向かう。だがこちらは自分で空中で体勢を立て直し、自力でトルネイダーの後方へと着地した。

 

「ナイス着地、エクレ」

「そういう貴様こそ。さすが作戦通りだな」

 

 そう言い合った2人は微笑を交わした。

 

(ああ、これは最初から勝てるわけがなかったんじゃな……)

 

 そんな様子に、クーベルの脳裏にそんな考えがよぎる。

 やはりビスコッティの名コンビと称される2人だ。得意の空中戦だったとはいえ、自分では勝てなかったかと、彼女の心に諦めというよりそんな相手と互角に戦えたという誇りにも感情が生まれてきていた。

 

「……ウチの完敗のようじゃな、シンクにエクレール」

「いえ、ギリギリでした。最後の勝負に乗っていただいたおかげで、こちらが勝つことが出来たというだけです」

「おお、それじゃ。エクレール、気になっていたんじゃ! ……どんな方法を使ったんじゃ?」

「どこまではわかってますか? 多分僕がトルネイダーを加速させて急旋回、エクレと一緒にダブル裂空を撃ったところまでは見えていたと思うんですけど……」

 

 シンクの腕の中でクーベルが激しく頷く。

 

「まさにその通りじゃ。あれでこっちも双方の撃ち合いを選んだ。当然ウチはあれで勝つつもりでいて、ガーネットスパークを射出後、間一髪そっちの紋章砲を交わして爆発音を聞いたためにてっきり勝ったと思い込んでいたら……。煙の中から現れたのはシンクだけ、というわけじゃ」

「エクレとの紋章剣を撃った後、トルネイダー前方の角度をややさげつつ急制動をかけ、角度をつけて後ろを跳ね上げたんですよ」

「急制動……?」

 

 言いつつクーベルは想像する。なるほど、セルクルで例えるなら全力で走っているセルクルが前足だけで急に止まるようなものだろう。それが速ければ速いほどどうなるかというと、乗っている人間がより遠くへと放り出される。つまりシンクはその放り出しに角度をつけ、後ろ側だけを跳ね上げた。そしてそこからジャンプ台のようにエクレールが跳び上がった、ということになる。

 

「それでエクレを上空に逃がしつつ、僕はディフェンダーで防御。でもさすがに全力ではないとはいえ紋章剣の後、しかもトルネイダーで大分無茶やっての防御だったから、防具を一部破壊されちゃったけど……」

 

 そう言ったシンクは苦笑を浮かべる。が、そんなシンクをクーベルは褒め称えたかった。彼が打ち出したエクレールの位置は正確にクーベルの上だった。本来なら計算が必要と思われるそれを、おそらく直感、天性の才能のみで判断して方向を定めたのであろう。更には彼自身も言っていた通りそれまでの輝力武装による高速移動、紋章剣と次いでの防御で、クーベルの最大火力であるガーネットスパークを撃ち止めているのだ。

 

「何を言うか。さすがお前は勇者じゃよ。……そしてそれを信じ、ウチを撃破したエクレールも、な」

「私は手柄を譲ってもらったに過ぎません。お膳立ては全部、こいつにしてもらってのことですから」

 

 それも謙遜だろう。彼女も全力ではないとはいえ紋章砲を放った後に、輝力武装を展開してのとどめの一撃を決めている。失敗の許されない状況で確実に決めた大技、確かに手柄を譲ってもらったとも言えなくもないが活躍は間違いない。

 

「かわいくないのう、お前は素直じゃないから……」

「そ、それをクー様に言われたのは心外でした……」

「なんじゃと!? 敗者が勝者を称える言葉をお前は無下にする気か!」

「わー! クー様暴れないで、落ちる!」

 

 いや今のは褒め言葉ではないだろう、と思わずエクレールは苦笑しつつ心中で突っ込みを入れる。そんなエクレールの表情が気に食わなかったのか、クーベルは再び威嚇するように「キーッ!」と声を上げた。と、同時にトルネイダーがガクッと揺れる。抱えられたクーベルはいいものの、危うくエクレールはバランスを崩すところだった。

 

「あ、あのクー様、実は僕も結構疲れがきてて、トルネイダーをやっと展開させてる状態なんです。だから出来れば大人しくしてもらえると助かるんですけど……」

「む……。そういうことなら仕方ないか……。命拾いしたな、エクレール」

「いやあの、勝ったのはこっちなのですが……」

 

 再び暴れそうな様子のクーベルにシンクが苦笑を浮かべる。だがグラサージュ砦のブランシール発着場は目の前。空中戦に勝利し、ようやくこの公女様の身柄を安全に砦に送り届けることが出来そうだと、シンクは安堵のため息をこぼした。

 

 

 

 

 

『戦、終了ー! 終わってみればビスコッティの圧勝、パスティヤージュはリーシャ隊長こそ決着がつかなかったものの、キャラウェイ隊長とクーベル様が撃破され、そのままダルキアン卿の無双状態により本陣を攻め落とされるというほぼ一方的な展開となってしまいました! クーベル様、残念な結果となってしまいましたが、久しぶりのビスコッティとの戦はいかがでしたか?』

『うー……悔しいのじゃ! ウチまで自ら出撃したというのに……。まあ、ウチを敗ったビスコッティ名コンビのシンクとエクレールには称賛の言葉を贈っておいてやろう。

 でも、これでビスコッティが元気だということはよーくわかったのじゃ! それがわかって今日は嬉しかったのじゃ。残念ながら負けてしまったが、次は絶対勝ってみせるぞ!』

 

 領主の奮起を促す言葉に、騎士達も雄叫びを上げて返事をする様子が映像板に映し出されていた。

 

 そのクーベルの言葉通り、シンクとエクレールがクーベルを撃破した頃には、既にキャラウェイも撃破されていた。その後はまさにブリオッシュの独壇場。数の差を物ともせず騎士達を撃破して突撃隊と合流、空騎士達も強力無比な紋章剣で次々と薙ぎ払い、圧倒的な力の差を見せつけ、あっさりと拠点を制圧してしまったのだった。

 

「いやあすげえ戦だったな」

 

 ヴァンネット城で最初から最後まで興奮しっぱなしだったガウルが開口一番、そう感想を述べた。

 

「リコの新兵器にシンクとエクレのピンチ、そしてそこに駆けつけるダルキアン卿とユキやん! その後はシンクとエクレ対クー様の空中戦やもんな。ダルキアン卿とキャラウェイ隊長の戦いはほぼ一方的やったけど、あのユキやん相手に粘ったリーシャ隊長の戦いもなかなかやったで!」

 

 こちらも興奮気味にジョーヌだ。この場で熱くなりそうな2人、その予想通りに興奮した様子で感想を言い合う。

 

「でもやっぱりシンク君とエクレちゃんはすごいわよね。見事な連携、さすがだわ」

「あんな感じでガレットとやる時も空中戦をしかけられたら厄介かも。対策を寝る必要があるのかな……」

 

 ベールとノワールはシンクとエクレールについての感想が最初だった。確かに2人はこの戦いのMVPと言ってもいいだろう。

 

「で、その対空対策としてならうちじゃ最右翼になるんだろうが、お前のこの戦に対する感想はどうだ、ソウヤ?」

 

 ガウルがルージュを除いた場合の主要なメンツである最後の1人、ソウヤに質問を投げかける。他の面々が途中から盛り上がる中、彼は1人ずっと黙ってこの戦の様子を眺めていた。

 

「そうですね……。よかったと思いますよ。実に素晴らしく()()()()()戦でした」

「よく出来た……?」

 

 開口一番飛び出た、どこか含みのあるソウヤの一言にガウルがオウム返しにその単語を口にした後で眉をしかめる。

 

「ええ、実によく出来ている。確かにシンクたちの空中戦は見事でしたよ。でもそれ以上に俺はこの戦の舞台を整え、ここまでの茶番(・・)を見事に演出してみせたクーベルに称賛の言葉を贈りたいですね」

「ちょ、ちょい待て! お前この見事な戦を茶番呼ばわりか!?」

 

 まず真っ先に食って掛かったのはジョーヌだった。いや、彼女が口を開かなくてもガウルが同じ事を言っていたであろう。口を開きかけ、先を越されたと閉じていたのだった。

 

「ああ、いや馬鹿にするつもりはない。『茶番』ってのは俺なりの最大の賛辞の言葉のつもりだったんだがな。……戦は興業だ。勝った負けたもあるがまずは盛り上がるものでなくてはならない。そうですよね、ガウ様?」

 

 普段から彼が口にしているモットーを尋ねられ、ガウルは頷く。

 

「ああそうだ。道義に則った戦は盛り上げてなんぼ。勝つには勝つが勝ち方が大事だと俺は思っている」

「俺もその意見に大きく異議はありません。ただ、勝ち方にこだわりすぎるよりも、やるからには勝ちたいってのが強いのはありますが。……まあいいか、話が逸れた。

 ともかくこの戦は大いに盛り上がった。その理由はシンクとエクレール対クーベルの空中戦であり、乱入してきた隠密2人であり、要するにパスティヤージュ本陣であるグラサージュ砦での戦いだった。そこに異論はありませんね?」

 

 誰も何も発しない。異議なし、だ。

 

「では次、前線の空騎士の頭数をごまかし、うまくシンクとエクレールを砦へと誘い込んだ。そこで伏兵としてその空騎士の増援。ここもなかなかに計算されている。……問題はその後、隠密2人の乱入です。これはうまいこと()()()()きた」

「仕組んだだぁ!?」

「あの日和見気味な2人が、クーベル以外に目ぼしい隊長格がいないとわかってる場所の戦いに自ら進んで首を突っ込むと思いますか? いや、それよりもタイミングを計ったかのように、そもそもなぜ()()()()()()()()()のグラサージュ砦に現れたのか」

 

 そこでノワールがハッと息を飲むのがわかった。隠密2人に文書を送ったのは彼女の諜報部隊。その2人のいた場所は――。

 

「そうか……2人ともパスティヤージュにいたから!」

「そう。あの()()()め、しばらくしたらビスコッティに帰るとか言っておいて、実のところこの戦に顔を出して帰るつもりだった、つまり早いうちからそういう予定だっただろうってことです。だとするなら、クーベルから前もって戦の話を打診され、そこで盛り上げるためにビスコッティ側の窮地を救う形で現れてほしい、とか頼まれていたとも考えられませんか?」

「な、なるほど! それならあの見事なタイミングで、しかもパスティヤージュ領のグラサージュ砦に現れたことも説明できる! ……でもソウヤ、タヌキって誰や?」

「決まってるだろうが。()()()()()卿だよ」

「……それユッキーの前で絶対言わない方いいよ。多分本気で怒られる」

 

 ノワールの冷静な突っ込みを失笑で流し、ソウヤは先を続ける。

 

「つまり当初パスティヤージュの作戦のうちと思われた最初の空騎士のごまかしに始まり、そこでキャラウェイさんと眉毛を後退させたのも、シンクとエクレールを誘い込んで窮地に追い込みそのタイミングで隠密を登場させたのも、さらにはその後シンク達の空中戦と後退してきた隊長2人と隠密2人の戦いを演出したのも、全てあの小娘が仕組んだことだと考えられてしまうんです。戦を盛り上げる演出としては実に秀逸な筋書き、まさしく言葉通り見事な『興業』だ。俺は最大級の称賛の心を以って『素晴らしい茶番だ』と言わせてもらいたいですね」

 

 思わず場が静まった。見所ばかりの面白い戦、という見方しかできなかったこの場の全員、ソウヤのような考えを持つに至らなかった。ある意味で戦というものを、興業というものの本質を最もよく捉えた見方だとも言えよう。

 

「ったくあの小娘め、口は悪いし生意気だが頭がいいのは間違いないな。本当に面白い茶番ばかり思いつきやがる。この間のリコッタの一件にしたって、平常時ならいい見世物になっただろうしな」

「お前にしちゃあ……珍しく雄弁だな」

「ええ。実に心躍りましたから。……まあ皆さんとは違う捉え方で、でしょうけど」

 

 会話を交わしつつ、ガウルは薄々気づいていた。「茶番」という、普段でいうならネガティブなイメージしか持たない言葉であるが、ひねくれもののソウヤはそれを称賛の意味で使っている、と。筋書きを作り、まさに今回の戦のように見事に事が運んだら秀逸なドラマ、と言えるだろう。それをソウヤに言わせれば「茶番」になるわけだ。

 確かに種を暴いてしまえば、それはもはや本来の意味での茶番と言っても差し支えないのかもしれない。今回だって隠密2人の登場が仕組まれたものだとしたら、それに端を発したこの盛り上がりも茶番であろう。

 しかしこの展開は戦に参加した全員が全員承知していたことではないはずだ。パスティヤージュにしたって隊長格は知っていたかもしれないが、何も知らずに参加していた兵達がほとんどだろう。言うまでもなくビスコッティ側は隠密2人以外全員が知らなかったことのはずだ。なら、事情を知らない多数の人間をも動かし、これだけの盛り上がりを見せたこの戦はもはや茶番の域を越えている。だからこそソウヤは「素晴らしい茶番」と言ったのではないだろうか。

 

「ならソウヤ、今度はお前が企画してうちで『茶番』を仕組んでみるか?」

 

 なんとなく、ガウルは彼が思ったことをわかったような気がしていた。だからこの戦の筋書きを暴いて見せたソウヤに対して気軽にそう尋ねた。やると言ってくれるなら、次の戦の内容を全て任せてもいいとさえ思っていた。

 が、ソウヤは一瞬答えを躊躇ったようだった。即答が返って来るかと思ったガウルだったが、やや拍子抜けする。

 

「……いえ、今は遠慮しておきます。そうだな……。ビスコッティがもっと落ち着いたら、それも考えましょう」

「ソウヤ……」

 

 名を呼んだのはノワールだった。彼女もガウル同様、少し間が空いたのを気にしたのかもしれない。が、そんな彼女にソウヤは視線を投げかけた。

 

「そうなったらお前にも色々手伝ってもらうぞ、黒猫。諜報部隊は裏方の便利屋だからな。ま、いつになるかわからんが」

 

 そう言ってソウヤは皮肉っぽく笑う。つられるようにノワールも引きつった笑顔をこぼした。

 

「……さて、話がひと段落したところでガウ様、頼みがあるんですが」

「頼み?」

「ええ。明日1日休暇をください」

 

 これまた藪から棒に切り替わった話題にガウルは思わず「ハァ!?」という間抜けな声を上げていた。

 

「隠密が戦に顔を出したんだ、あの人達も明日には風月庵にいるでしょう」

「ああ、そうか。お前姉上の星詠みの件で顔を合わせに行きたいって言ってたもんな」

「そういうことです」

「だったらソウヤ、私も一緒に……」

 

 最後まで言わせずに「いや」とソウヤはノワールの言葉を遮る。

 

「休暇と言ったろ。俺1人で個人的に行って来る。その後フィリアンノ城にもちょいと顔を出したいし。話はまとめておく、なんなら後から連絡を取らせるようにするから、1人で行かせてくれ。……たまには1人で気ままにフロニャルドを歩きたいんだよ」

 

 らしくない最後の一言にノワールは反論しかけた口を閉じた。確かに彼は元々一匹狼な気があったし、ノワール自身も時折1人になりたくなるときがあるからその心はわかる。本当なら隠密との話には自分も同行したかったが、今回は諦めることにした。

 

「いいんだな、護衛もつけないぞ?」

「いりませんよ。朝行って夕方前には帰ってきますし。……ああ、ベール、また隊を任せることになる。悪いな」

「いえ、私は構いませんけど……。でもソウヤさんの隊なんですし、なるべくは顔を出してくださいね?」

「俺も暇じゃないんだよ。パスティヤージュの厄介ごとに首を突っ込んじまって、それが収まりそうだと思ったら嫁さんが勝手に星詠みとか始めるからな。……事態の収束まではどたばたするかもしれんが、まあ頼むわ、副隊長」

 

 どこか気楽にソウヤはそう言った。それに対してベールは肩をすくめるだけだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 17 風月庵訪問

 

 

 翌日、休暇をもらったソウヤはヴィットと共に風月庵を目指していた。家を出たのは朝早め、遅くとも昼前には風月庵に着くだろう。だったら無理にヴィットを速足で走らせるまでも無い。それに久しぶりの1人旅でもある。心地よい夏のフロニャルドの風を肌に感じつつ、彼は目的地を目指していた。

 予想通り風月庵に着いたのは昼前だった。出来ることならここで故郷の和食に似た昼食でも出ないかと下心を抱きつつ、彼は庵の門をくぐる。

 

「あら。これはこれはソウヤ様。こんにちは」

 

 ソウヤの来訪に気づいて声をかけてきたのは風月庵使用人の1人でもあるカナタだった。

 

「こんにちは、カナタさん。ダルキアン卿に用があってきたんですが……。昨日の戦の後、戻ってきてますよね?」

「ええ。今呼んで来ますね、ちょっと待っててください」

 

 彼の故郷を思い出させるような、割烹着姿の女性が邸宅の中へと速足で駆けていく。その間、彼は「和風」という言葉の似合う風景を見渡していた。

 

 彼はブリオッシュと話すことは嫌いではなかった。いや、むしろフロニャルドに来るまではまさに「孤独」という言葉通りであった彼にとって、初めて「師」と呼べる人物であったと言っても過言ではない。それは剣や武において、というよりも人生そのものにおいて、と言ったほうが正しいかもしれない。どこか達観したような、諦めにも近い態度で生を過ごしていたソウヤにとって、異なる道を面と向かって提示してきた人は彼女が初めてだったのだ。今の彼があるのは彼女がいたから、と言ってしまっても間違いではないのかもしれない。

 だから勇者時代の彼は、フィリアンノ城を訪問した際、あるいはそうでなくても時間があるときは風月庵を訪れることが多かった。その度に時にブリオッシュと剣を合わせ、時に語らい、時に彼女の相棒でもあるユキカゼと少々舌戦気味に話したものだった。

 

 しかし、フロニャルド永住を決めてからの彼は、風月庵に訪れる回数がめっきり減っていた。確かに隠密2人が旅に出ていて風月庵を空けていた、ということもある。だがそれはここ1年の間だ。その1年という期間で言えば、ソウヤもレオと新婚旅行に出かけていた時期でもある。

 要するに、故郷を思い出すようなこの風景、そして佇まいを見るのが、永住を決めた後のソウヤとしては()()()()のだ。永住を決め、故郷と決別し、勇者ではなく将来的にはレオの傍らに立つ者として、身も心もフロニャルドに捧げるつもりでいた。なのに、この雰囲気は故郷を強く意識させる。思い出すべきものも、そうする必要もないはずのものなのにひどく懐かしいような望郷の念に駆られる。それが、どうしようもなく怖かった。「別に戻ることは出来るんじゃから、たまには戻ればいいじゃろうが」とレオは気楽に言うことがあった。確かに戻ることは出来る。だが戻ったところで、会う人はいるものの帰る場所もない。そもそも、会う人はベッキーにナナミぐらいなものだ、わざわざ戻らなくてもフロニャルドで顔を合わせることだって出来るはずだ。それなのに、その状況をわかっているはずなのに故郷を思い出してしまう。

 

 その度にソウヤはかつてレオと地球で話した言葉を思い出すのだった。「故郷というのは心が還ることの出来る場所」と彼女は言った。なるほど、その通りともいえるのかもしれない。特に懐かしむようなことなど何もなかったはずなのに、時折抱く望郷の念はそれで説明がついてしまうのではないか。「住めば都」という言葉があるが、いや、それ以前にソウヤにとって住む前からフロニャルドは都だったのかもしれないが、その都は故郷とは異なる。だから、「第2の故郷」としてフロニャルドを見ているつもりでも、心のどこかで本当の故郷を求めてしまっているのかもしれない。

 過去に読んだファンタジー小説のエピローグに、「戦争のためにその土地を離れた人々が、戦争終了後に戦火に荒れ果てた元の土地に戻り、そこを再建する」というものがあった。当時はそんな大変な場所にわざわざ帰らずとももっと住みやすいところで生活すればいいのに、という程度の感想しか持たなかった。だがそれも今のソウヤなら頷けた。人は、生まれ育った場所を離れることが出来ないのかもしれない。心に求める故郷にいつか帰りたいと願い、居住を失い戦火に荒れ果てても、その先に苦労や困難が待ち受けていると解っていても、帰ってこようとするのかもしれない。

 

 ふう、と大きくソウヤはため息をついた。やはり故郷に似た風景を見るとどうしても余計なことを考えてしまう。そしてその考えからシンクに強く言えないでもいる。自分の今のような苦悩をしてほしくないと願ってしまうからだ。だがそうも言っていられない。段々とビスコッティは平穏を取り戻しつつあるように見える。となれば、次の話題は姫様の成婚に移るだろう。以前はシンクに「後悔しない道を歩いてほしい」と言ったソウヤだが、果たしてシンクがその道を歩くことが出来るかどうか。

 いや、その前にあいつ自身が答えを出すのが先か、答えを()()()()のが先か、とも彼は思った。いつまでも現状維持は無理だろう。シンクが望む大学卒業まで、あと数年など到底論外だ。となれば、望む答えを出せなくとも周囲からその答えを、シンクの意思と関係無しに強要される可能性もある。

 結局のところ、シンク自身が答えを出せるのか、というのがソウヤの懸念、そして出してほしいという願いでもあった。いい加減周りも周りでこれ以上気を揉まされるのも疲れるものがある。さっさとケリをつけてほしいと、再びソウヤはため息をこぼした。

 

 その2度目のため息と同時、縁側に見知った顔が現れる。狼のような耳を持つ茶色の髪の女性。ブリオッシュ・ダルキアン。昨日の戦で颯爽と乱入してパスティヤージュ軍を蹴散らしてビスコッティを勝利へと導いた、大陸最強の剣士にして自由騎士、隠密部隊の頭領だ。

 

「これはソウヤ殿ではござらんか。久しいでござるな」

「ご無沙汰しております、ダルキアン卿」

 

 昨日の戦の時に身につけていた騎士団服とは異なり、和風な普段着でこの庵の主は客人を出迎える。

 

「立ち話もなんでござるから、縁側にでも」

「ええ、ではお言葉に甘えて」

 

 ソウヤが縁側に近づくと同時、奥からもう1人の見知った顔が現れた。金髪で狐のような耳、そして何より目を惹くのが朝顔風の模様が描かれた浴衣を窮屈そうに押し上げる、はち切れんばかりの果実のようなその胸であろう。ソウヤはその人物に対して僅かに笑顔をこぼすが、彼女の方はどこか不機嫌そうにも見えた。

 

「こっちも久しぶりだな、巨乳ちゃん」

「ほら、やっぱり言ったでござる。だから顔を合わせたくなかったでござるよ……」

 

 隠密部隊筆頭、ユキカゼ・パネトーネはそうぼやいてため息をこぼした。

 結局ソウヤはこの呼び方を改めなかった。真面目な話のときはちゃんと名前を呼ぶが、普段の他愛も無い会話の時はいつもこうだった。

 

「大体そんな胸を見せ付けるような服を着てたら、そうも言いたくなるだろうが」

「仕方ないでござろう、この頃は暑い故、それに久しぶりに庵に戻れたのだから、過ごしやすい格好ぐらいさせてもらいたいでござる」

 

 相変わらずな2人のやり取りに思わずブリオッシュが笑いをこぼした。

 

「本当に2人は仲がいいでござるな」

「お館様、これが仲がいい者同士のやりとりに見えるでございますか!?」

「いいだろ、実際お前だって嫌悪感を持つほど俺を嫌ってるわけじゃないんだろうし」

「そ、それはそうでござるが……って何を言わせるでござるか!」

「やれやれ。俺と話すとお前はエクレール化するな」

「エ、エクレ化? それはどういう意味でござるか、まったく!」

 

 プイっと横を向いたユキカゼを見て、再びブリオッシュは笑い声を上げる。

 

「いやいや、久しぶりに帰ってきてみればやはり愉快であるな。……ああ、ソウヤ殿にお茶もまだでござったな。エイカ、お茶を()()持ってきてくれ」

「4つ?」

 

 3つじゃないか、と言いたげにソウヤは聞き返した。この場にいるのはソウヤ、ブリオッシュ、ユキカゼの3人だけのはず。

 

「ああ、実はパスティヤージュから帰る時、もう1人居候(・・)を連れてきていてな……」

「居候とはひどいな、ヒナ(・・)。騒がしいと思ったら、お客人かい?」

 

 呑気そうな声と共に現れたのはこれまたブリオッシュ同様に侍、という言葉の似合う男性だった。顔立ちも整い、甘い言葉を街の女性にでも投げかけたら簡単に食事ぐらいには誘えるだろう。

 

「……こちらは?」

「ソウヤ、まさかイスカ様を知らないでござるか!?」

 

 ありえないとばかりに声を上げるユキカゼ。

 

「……なんでいつの間に俺はなんでもかんでも知ってるみたいになってるんだ? 俺は元々は異世界人だぞ。こっちの世界では有名人だとしても、俺の耳には今まで入ってこなかった」

「情報通、というか何でも知ってそうなソウヤにしては意外でござる……。こちらはイスカ・マキシマ様。名高き刀鍛冶でお館様同様退魔の剣士でもあるお方でござる」

「そして拙者の()()()()でござるよ」

 

 その一言にソウヤが固まった。

 

「……耳がおかしくなったかな。ダルキアン卿、今『兄』と言いました?」

「言ったでござるよ。イスカ・マキシマは正真正銘拙者の兄者でござる」

「意外かい、ソウヤ君?」

 

 自己紹介もまだなのに名前を呼ばれ、ソウヤは戸惑う。

 

「……なぜ俺の名前を?」

「ヒナから聞いていたからね。ガレットの姫君を(めと)った異世界の元勇者は、相当な切れ者で特徴的な人物だと。……ああ、堅苦しい呼ばれ方を嫌うと聞いたから名前で呼ばせてもらったけど、デ・ロワ卿と正式に呼んだほうがよかったかい?」

「いえ、そのままで。というか、呼び捨てでも結構ですよ。……ところでさっきから言ってる『ヒナ』ってのは……」

「ヒナはヒナさ。な、ヒナ?」

「……あまりそう連呼するな、気恥ずかしい」

 

 ブリオッシュにしては珍しく恥ずかしそうに頬を染めつつ目を逸らす。このやり取りから2人は間違いなく兄妹だとソウヤは察していた。

 

「お館様の本当の名は『ヒナ・マキシマ』でござる。『ブリオッシュ・ダルキアン』というのはビスコッティから与えられた騎士名、と言ったところでござるよ」

「ヒナ、ねえ……」

 

 そう言うとソウヤはククッと笑いを噛み殺した。

 

「……なんでござるかソウヤ殿、その反応は?」

「いえ、いつも凛々しい『ダルキアン卿』の本名がヒナ、という可愛らしい名だったと知ってちょっと面白かっただけですよ」

「かわ……! ……そうでござるか?」

「俺のいた世界では、少なくとも」

 

 使用人のエイカによってお茶が4つ運ばれてくる。珍しくうろたえる様子のブリオッシュを尻目に、ソウヤは出されたお茶をまず一口呷った。

 

「……ああ、やはりここのお茶はうまい。故郷を思い出しますよ。あまり思い出しすぎないようにはしてますが」

「よいではないでござるか。たまには戻っても」

「戻ったとして、俺の居場所なんてありませんよ。それに俺はもうフロニャルドの人間ですから」

 

 まあいいや、とソウヤはこぼした。

 

「さて、久しぶりの再会で話に華が咲くのもいいですが……」

「本題、でござるな。ノワールから受け取った文書に書かれていた、レオ様が星詠みされたという魔物の話……」

「ええ。本題はその辺りです。が、その前に……」

 

 チラリ、とソウヤはイスカのほうへと視線を向けた。

 

「……イスカさん、ダルキアン卿の兄と言うことはわかりました。でもどういった流れでここにいらっしゃるんです? ああ、疑うとかそういうんじゃなくて、単なる好奇心です。兄妹ならここに居ついててもいいものを、これまで見かけたことがなかったので」

「ああ。元々俺は流れの鍛冶師でね」

「風来坊、の間違いであろう?」

 

 ブリオッシュから入った指摘に苦笑を浮かべつつ「違いない」と、イスカは特に訂正しようともしなかった。

 

「……まあとにかく、各地を転々とした後で、ちょっと()()()()に会いにパスティヤージュに行っていたんだ。そこでたまたまヒナと再会したんだよ。その時にヒナから君から届いたという文書の話も聞いたし、ビスコッティに戻るなら俺もついていこうと思ったんだが、なにやらこいつはあの国の公女様から戦の乱入を頼まれていたらしくてね」

「やっぱりあの小娘の仕組んだことか。それでダルキアン卿もユキカゼも戦に参加した、と」

「拙者は断ろうかとも思ったが、クー様がなかなか熱心に頼んでこられるからな。おそらく、自国の勝った負けたよりも、盛り上がる戦にしたかったのだろうとお見受けし、引き受けたでござるよ」

「にしてはやりすぎですよ。キャラウェイさんはいいにしても、グラサージュ砦の兵を問答無用で蹴散らすとか、まったくもって大人気(おとなげ)ない」

「ははっ……。否定できないでござるな」

 

 ブリオッシュは苦笑を浮かべつつ茶を一口運んだ。

 

「まあいいか。で、なんでイスカさんは戦に参加しなかったんです?」

「俺は別にどこの所属でもないからね。戦には基本的に参加しないんだよ」

「ああ、なるほど」

 

 言いつつ、ソウヤはお茶を飲み干した。そして空になった湯飲みを盆へと戻す。

 

「ソウヤ殿、もう1杯いかがか?」

「いえ。……というか、本来ならこうやって茶をすすってる時間も、本題に入ったほうがいいんでしょうが……」

「では……」

 

 今度こそ、と真面目な表情を見せたブリオッシュ。だが、口の端を僅かに緩めつつ、ソウヤは再びそれを止めた。

 

「もう少し待ってください。その本題を差し引いて非常に興味があることがありまして。……イスカさん、ひとつ手合わせしてもらえませんかね?」

 

 予想もしてなかった申し出にイスカが数度目を瞬かせる。

 

「手合わせ? 俺と君がかい?」

「ええ。ダルキアン卿の兄、とあればその腕前は間違いなく超一流でしょう。なら是非とも剣を合わせてみたい。紋章術抜きの軽い手合わせで構いません。ひとつ、お相手していただけませんか?」

 

 

 

 

 

「ソウヤが風月庵に来てる?」

 

 フィリアンノ城、今日の夕方前には地球に戻る予定のシンクはリコッタからの話に目を丸くしていた。

 

「ノワがそう言っていたであります。本当はノワも着いてきたかったらしいでありますが、なんでもたまには1人でぶらっとしたい、とかで……」

「丁度よかった、僕も帰る前に風月庵に行こうと思ってたんだ。リコも来る?」

「いや、自分はこの後少し用事が……」

「エクレ……は騎士団の訓練中だし、僕1人で行けばいいか。じゃあちょっと行って来るよ!」

 

 言うなり、シンクはフィリアンノ城の廊下を脱兎の如く駆け出していた。

 

「あ! ちょっと待つで……」

 

 そんな彼を呼び止めようとしたリコッタだったが、それより早く、シンクは既に遠くへと行ってしまっていた。

 

「……まあいいでありますか」

 

 実はリコッタはレオの星詠みの一件を知っていた。だがそれは絶対にという口止めの約束と共に、ノワールから聞いた情報である。ビスコッティの頭脳であるリコッタの耳には入れておいたほうがいいというソウヤやノワールの判断からだった。言われた通り、彼女の口から他の誰にもこのことは言っていない。

 だから、おそらくソウヤは今日その件で風月庵に来ているのだろうという察しはついていた。そこで状況を知らないシンクが行ったのでは、もしかしたら話がうまく進まなくなるかもしれない。

 いや、その時はその時か、と彼女は特に深くも考えなかった。どうせその辺りはうまくやるソウヤだ、話が中断したなら後から文書ででも通信ででも対策を伺うことは出来る。

 

 それより彼女が気がかりだったのはガレットの魔物対策部署でもある諜報部隊のノワールを連れてきていない、ということだった。確かに1人でぶらっとしたい、という彼の言い分はわからないでもない。しかし直接話を聞くなら何もわざわざ1人で来ることもなかっただろうに、と思ってしまう。

 

 まあそれもソウヤの気まぐれ、と言ってしまえばそれまでかもしれない。自分の誘拐未遂の一件からどうにも疑心暗鬼、というわけではないが考えすぎるようになってしまった感じも否めない。そんな風に思いつつ、リコッタは自身の用事を済ませるためにフィリアンノ城の廊下を歩き始めた。

 

 

 

 

 

「……なるほど、そういうわけでござったか」

 

 再び風月庵の縁側、4人が何やら真剣な表情で話をしている、いや、丁度話が終わったところだった。だがよく見ると真剣なのはソウヤ以外の3人。ソウヤは、といえばなにやら相当に疲れた様子でぐったりと肩を落としている。

 

「まあそういうわけです。本当はその話をするためにここに来たんですが……。やっちまった、イスカさんがあまりに強いんで思わず熱が入っちまいましたよ……」

 

 ソウヤの話もだが、既に2人の模擬戦も終わっていた。口では「軽い手合わせ」と言っていたソウヤだが、いざ模擬戦が始まると次第に双方ともエスカレートしてきた。最後は紋章術、とまではいかないまでも少々輝力を動員してぶつかり合うほどの戦いとなり、さすがにこれ以上は熱くなりすぎるだろうと判断したブリオッシュによって途中でストップがかかっていたのだった。

 内容は完全にイスカのペースだった。トリッキーな動きのソウヤにやはり最初こそ戸惑った様子のイスカだったが、すぐそれに対応し、途中からはほぼ全ての攻撃を封殺、あるいは完全回避された状況だった。そんな状況に思わずソウヤのほうも熱くなり、そしてこの様相、となってしまったのだった。

 

「まさか途中から全く手も足も出なくなるとは想像もしてませんでした。一応これでもシンクに後れを取らないように日々鍛えてるつもりでいたんですが……」

「いやいや、なかなかいい剣捌き、そして実に戦いにくい奇抜な動きだったよ」

「戦いにくいとは、完全封殺の人間によくもまあ言えたもんですね」

 

 ソウヤは苦笑を浮かべる。自嘲気味に言った完全封殺、という言葉だがまさにその通りだった。倒れると見せかけて放った蹴りも、上段への斬撃と思わせておいての下段への足払いも、全て読まれたようにかわされた。得意のフェイントや予測できないはずの連携まで、有効打どころかヒヤリとさせる場面さえ作り出せない、となればソウヤでなくても自棄になりたくなるだろう。

 

「そうは言っても、全力を出し切ってはいないだろう? ……まあお疲れの様子ではあるが。それにヒナから輝力の扱いが見事だという話は聞いていた。現に見る限り、君の戦い方は紋章術を軸に据える方法のようだ。あと得意武器は弓だという話じゃないか。だとするなら、この模擬戦だけでは実力は測りきれないよ」

「……よく言いますよ」

 

 イスカの言葉の通り、ソウヤは全力ではなかった。それでも5割、場合によっては6割は出していたというのに、肝心の相手はせいぜい2割か3割程度、力量の差は圧倒的だとわかっていた。そこに紋章術が入ったところで焼け石に水だろう。この様子では出力はソウヤの比ではない紋章術を持っているようなのだから。

 

「兎も角、さすがは『討魔の剣聖』の兄上君、お手並みの程はよくわかりました。ですが、いやここはむしろ、だから、と言うべきか。協力していただけるというのなら、こちらはとても心強い。……先ほどの俺の頼み、受けてくださいますか?」

 

 珍しく、真っ直ぐな眼をソウヤは向けていた。ブリオッシュとイスカ、両名がその瞳を確認した後で互いに視線を交わす。

 

「……俺はヒナに任せよう」

「ユキカゼ、お主は……」

「拙者も、お館様の意思に従います」

 

 2人から判断を一任されたブリオッシュは一瞬黙り込む。

 

「……いや、考える理由もないでござったな。魔物対策は拙者の役目故、ソウヤ殿からのご依頼、謹んでお受けするでござるよ」

「ありがとうございます。……正直ホッとしました、魔物ってのはどうにも俺にはどのように手を打つべきか、というよりそもそもレオの星詠みが本当に当たるのかどうかさえ疑問でいましたので。それにうちの対策部署は魔物といってもそこまで大型の存在を相手にしたことすらありませんでしたから。動いていただける、とあれば一気に気が楽になったようにも感じますよ。……では改めて、魔物関連で何かあったときはダルキアン卿に全てお任せする、ということで」

「ああ。……というより、先にも言ったとおりそれが拙者の役目故な、よくよく考えればそんな改まって頼まれることでもなかったかもしれないでござったな」

「違いありませんね」

 

 鼻で笑いつつ、ソウヤはそう返した。いや、それでも「ビスコッティの」自由騎士に、それも対策をほぼ丸投げ状態で頼むのだ。やはり改まる必要はあったのだろう。

 

「ユキカゼの星詠みで不吉な星が視えたら、拙者達は動くことにしよう。今のところは大丈夫なようでござるが。何かあれば連絡するでござるよ。それで、そのさっきまでの話の他に、今話しておきたいようなことはあるでござるか?」

「いえ、俺からの重要な話は以上です。イスカさんとの手合わせも出来ましたし、満足ですよ。……せっかく個人的に休暇をもらってきてるんだ、あとは久しぶりに四方山話(よもやまばなし)に華でも咲かせますか? なんなら、酒を酌み交わしてもいいですよ」

 

 少し肩の荷が下りた様子のソウヤが提案する。ブリオッシュもイスカもそれはいいと言いたげに表情を僅かに緩めた。

 

「いい提案でござるな。しかしソウヤ殿は飲める口でござったか?」

「最近飲むようになったんですよ。苦労ごとがどうにも多くてね」

「いいね。ヒナは()()()()だからな、一緒に飲むとどうにも深酔いしてしまう」

「よく言う。兄者こそ大概であろうが」

「……ソウヤ、この2人を相手に酒の話を出したこと、絶対後悔するでござるよ」

 

 やはり兄妹、2人ともかなりの酒豪らしい。その様子を知っているであろうユキカゼが失敗だと言いたげにソウヤに忠告した。

 

「一応この後フィリアンノ城にも寄りたいは寄りたいですし、何より帰れなくなるとレオにどやされるんで、ほどほどにはする、と前もってことわっておきますよ。じゃあ……」

「ダルキアン卿ー! ユッキー!」

 

 その時だった。風月庵の入り口から聞き覚えのある元気な声が聞こえてくる。

 

「あ、シンクー!」

 

 その声にまず反応したのはユキカゼだった。表情を明るくし、入り口の門へと走っていく。

 一方でソウヤは眉間に眉を寄せた。そしてため息をこぼしつつ縁側から立ち上がる。

 

「……残念。酒は今度にしますよ」

「行くでござるか?」

「ええ。……はっきり言って、今のあいつとはあまり顔を合わせたくないんですよ。あいつもわかってるであろうことを色々言ってしまいそうになるんで」

「そうか……。お主がそう言うなら、止めはしないが……」

「兄貴分ってのも色々と面倒なもんですね。ダルキアン卿の心が、少しは判る気がしましたよ」

「拙者は好き勝手させてもらってるだけでござる。どちらかといえば拙者よりもロランでござろう?」

 

 皮肉っぽく、ソウヤは笑った。「言われてみればそうですね」という彼なりの肯定の意思表示だ。

 

「……ではダルキアン卿、イスカさん、よろしく頼みますよ」

「ああ。では、またな」

「俺も君と是非飲みたいからな。また来てくれ」

 

 2人に笑顔を返し、ソウヤは入り口へと歩いていく。

 

「あ、ソウヤ!」

 

 ユキカゼと話し込んでいたシンクがソウヤに気づいて声をかけてくる。

 

「おう。せっかく来たのに悪いな、俺はもう行かないといけない」

「え? そうなの? 元々ここに来たいってのはあったけど、ソウヤが来てるって聞いたから足を運んだのもあるんだけど……」

「別にいつだって話せるだろうが。それにいつも言ってるだろ、俺はお前と違って忙しい身だってな。……じゃあな、シンク」

 

 ソウヤは話も早々に切り上げる。繋いでいたヴィットをカナタに連れてきてもらい、それに跨った。

 

「寂しいけど、じゃあまた今度ね」

「ああ。……また戦場(・・)でな」

 

 そう言い残し、ソウヤはヴィットを走らせて去って行った。残されたシンクが訝しげな表情を浮かべる。

 

「戦場で、って……。僕と普段は顔を合わせるつもりはない、ってことかな……?」

「2人はライバルでござろう? だから意識を高める、とかだと思うでござるが。……それに普段あいつと顔を合わせても疲れるだけでござるよ」

「ユッキーはそうかもね。でも僕は楽しいんだけどな……」

 

 最近どこかそっけなくなった友人であり好敵手でもある青年のことをシンクは思う。理由はなんとなくわかっている。多分自分と顔を合わせると色々と小言を言う結果になってしまうからだろう。そうやって周りに迷惑をかけている状況はなんとかしないといけない、とわかりつつも、シンクは今も答えが出ないでいた。

 

 そのシンクとユキカゼ、そして去って行ったソウヤを縁側からじっと見つめていたイスカが不意に口を開く。

 

「……ソウヤ君か。なかなかに面白いな、彼は」

「兄者もそう思うか?」

「ああ。あの若さであれだけ達観したような物の見方を出来る人間は稀少だね。そして実に頭が切れる……いや、それ以上に()()()()()を理解している人間は、滅多にいないさ」

「確かにな。結局自分のためにどれほどなるかわからず、それでも友人のためにあれやこれやと走り回ってしまう。……滑稽といえばそうかもしれない。彼自身それをよく承知の上で動くのを見ていると、出来る限りあの若者の力にはなってやりたい、と思ってしまうのかもな……」

 

 ポツリとブリオッシュは呟く。本当は酌み交わしたかった酒の相手を逃し、仕方なく彼女は1人で酒を呷った。

 

「飲むなら付き合うぞ、ヒナ?」

「まだ昼だぞ? ……まったく兄者も人のことを言えぬほどに酒好きであろうが」

 

 それでも1人で飲むよりはいいか、と彼女は兄の御猪口に晩酌してやる。

 

「……『討魔の剣聖』殿のお酌とは、これはありがたいね」

「茶化すな。まったく……」

 

 文句を言いつつも、きっとソウヤにお酌をしたら同じことを言ってきたのだろう、とブリオッシュは小さく笑った。

 

 

 

 

 

 風月庵を後にしたソウヤは一路ビスコッティ城下町へと向かっていた。ちょうど()()()()()()()でシンクが来たおかげで昼食と、ついでに酒を口にし損ねた。酒はいいにしてもさすがに何か腹に入れておくかと空いてる料理店へと入り、適当に昼食を済ませる。野菜を織り交ぜた炒め物のご飯、地球で言うならピラフというところだが、なかなかに美味だった。とはいえ、家政婦の作る最高の料理には負けるか、と彼は思ったのだが。

 

 昼食を終え、フィリアンノ城へ。一応王族騎士、先代領主伴侶ということもあり、更には戦では有名人となればそれなりに顔は利く。見張りの兵は顔パスで城内へと入れてくれた。

 だがいくらなんでも無用心すぎないか、ともソウヤは思うのだった。確かにここ最近国自体は平穏であるようだが、内戦が起こって姫様誘拐未遂もまだ謎が多い状況であろうに、自国の者でない人間をこうもあっさり入れるとは、どうなのだろうとも思ってしまう。しかしそこがビスコッティのお国柄、お人柄といってしまえばそれまでか、と半ば諦めの心でソウヤはフィリアンノ城へと足を踏み入れた。

 そこで適当なメイドを見つけ、リゼルを呼んでくるように頼む。メイド長として忙しいかもしれないし彼自身も個人的な訪問ではあったが、色々と彼女がいる方が楽だろう。

 ややあってリゼルが小走りに駆け寄ってきた。

 

「ソウヤ様。どうなさいました? 突然いらっしゃるとは……」

「いえ、ちょっと個人的訪問です。護衛の騎士も連れてませんし俺1人です。……ちょいとエクレールと話がしたいんですが、どこにいます?」

「親衛隊長? 中庭で訓練中かと思われますが……」

「邪魔したら悪いかな……。いや、まあせっかく来たしちょっと話すか。……ああ、その後ロランさんにも話あるんで、彼にも話通しておいてください」

「珍しいですわね、親衛隊長とお話なさるとは。かしこまりました。……ではお茶は」

「あいつとの話は誰の耳にも入らないところでやりたいので、結構です。お茶はその後のロランさんとの話のときにでも持ってきてください。まああの苦労人と話すと時間がかかりますからね」

 

 前回を思い出し、ソウヤは顔を困らせつつそう言った。あの時はおかげでエクレールと話しそびれてしまった。その埋め合わせ、というわけでもないが、彼は今日エクレールと直接話をしたくてフィリアンノ城に来た、という目的もあった。勿論その後のロランとの話も合ったが。

 

「かしこまりました。では中庭まで案内しますわ」

 

 リゼルが先導し、ソウヤがそれに続く。中庭ではビスコッティの親衛隊が訓練をしているところだった。今は隊員同士の模擬戦中。しかしエクレールは監督役に徹しているらしく、丁度手が空いていた。

 

「あら、丁度よかったですわね。……騎士エクレール!」

 

 自身の名を呼ばれ、エクレールは声の方へと向き直る。

 

「リゼル隊長? どうかなさい……ソウヤ!? ……いえ、デ・ロワ卿、なぜここに?」

 

 一応公式な場、と彼女は捉えたらしい。いつもの調子で呼びかけた彼を正式な呼び方で呼びなおす。

 

「ちょっと騎士エクレールと個人的に話をしたくてな。風月庵に寄った後、寄らせてもらった」

「風月庵? ……ああ、昨日ダルキアン卿がお戻りになったから」

「そうだ。颯爽と戦場に現れて、な。……まあいい。とにかく少し時間をくれないか? ちょっと2人きりで話をしたい」

 

 ソウヤにしては珍しい。直接彼女自身に話したい、など過去何度言ってきたことがあっただろうか。成り行きで話したことは数あれど、こんな風に頼まれることはとても珍しかった。

 

「……了解です。エミリオ、すまないが少し隊を見ていてくれ。デ・ロワ卿が私に話があるそうだ」

 

 わかりました、という声と共にエミリオが駆け寄ってくる。その彼を一瞬チラリと横目で見つめ、ソウヤは踵を返して城内へ向かう。エクレールもそれに続いた。

 リゼルが案内したのは小客間だった。「では、ごゆっくり」と口上を述べ、彼女は扉を閉めて出て行く。

 

「それで、わざわざ訓練中の私を呼び出しての話とは何だ?」

 

 向かい合う椅子の片方にエクレールが腰掛ける。ソウヤもその対面に腰を下ろした。

 

「お前とエミリオ、いつもあんな感じなのか?」

「……貴様そんなくだらないことを言いに来たのか? だったら今すぐ帰れ」

「おい、そうカリカリすんなよ。挨拶みたいなもんだろ。……昨日の戦、どうだった?」

 

 あまりに漠然とした質問にエクレールは一瞬言葉を詰まらせる。一言で言えば「楽しかった」だろう。だがそう言えばなぜか、と突っ込まれて「結局シンクを捨てきれないのか」なんてことを言われるのは目に見えている。

 

「……別に。普段通りだ」

 

 そうすると彼女はシンクにとっているような、「別になんでもない」という態度を取るしかなくなってしまっていた。しかしそこまで含めて、ソウヤには予想の範疇だったらしい。

 

「やっぱ、楽しかったか」

「なぜそうなる!」

「普段通りのわけねえだろう。見てる側は最高に盛り上がった。ガウ様なんか絶賛してたぜ。ダルキアン卿の乱入から熱い展開で、特にお前とシンク対クーベルの空中戦はここ最近じゃ最高の見物だった、って言うぐらいにな」

 

 再びエクレールは黙り込んだ。結局どう言ったってこの男には通用しないのかもしれない。ならもういいか、と今度は半ば自棄に口を開いた。

 

「ああ、そうだよ。お前の言うとおり最高に楽しかったさ。まさか空中戦をやるとは思っていなかったし、こちらの策が完全にはまってクー様を撃破出来たのもよかった。……それに貴様はこの答えを望んでいるようだから言ってやろう。シンクの後ろに乗り、あいつと共に戦えて満足だったさ。これでいいか?」

「結構結構。素直なのはいいことだ。まあ実にいいコンビネーションだった。さすがはビスコッティの名コンビだよ。……それで、お前の方はそうやってあいつと共に戦っているわけだが、シンクへの未練は断ち切れたか?」

 

 ギリッと思わず彼女は歯を噛み締めた。言われるとわかっていても、実際に言われるとどことなく腹が立つというか、苛立ちを覚えずにはいられなかった。

 

「私は姫様の剣だと前に言ったはずだ! 私情は挟まない! 確かに私とあいつは名コンビ、なんて言われているかもしれないが、それは戦の中だけのこと。ビスコッティの勇者シンク・イズミはビスコッティ領主ミルヒオーレ姫殿下の婚約すべき相手、その口約束を交わした相手だ。そんな人物に私個人の私情など、介在する余地があるはずないだろう!」

 

 言ってからしまった、と彼女は思う。最後の言いようは捉え方によっては「本当は介在したい」とも聞こえるのではないか。そこを間違いなく突っ込まれる、と心の中に苦渋の色が広がる。

 

「……聞き方を間違えたな、悪かった」

 

 だがそんな彼女の予想に反し、彼は謝罪という言葉を選んでいた。

 

「冷やかしで言ったんじゃなかったんだがな。戦場であいつと共に立つとき、お前はどう思って立っているのかを聞きたかった。……未練はないのか?」

 

 一転し、真面目に聞いている、という雰囲気を出したソウヤに対し、今度はエクレールも心を静めて答える。

 

「……ない、といえば嘘になるな。だが、自身を姫様の剣と再び決めなおしたあの日から、戦場でのパートナー、としてだけ見るように心がけている。私は姫様がお喜びになる姿が見られればそれでいい。だからあいつは姫様と結ばれるべきだし、私は姫様に勝利の報告を持って帰る、そのために共に戦うだけだ。その生き方に私は誇りを持っているし、これからも貫くつもりでいる」

 

 大きく、ソウヤはため息をこぼした。

 

「……本当に馬鹿だよな、お前も」

「主に仕える騎士なら当然だ。私の騎士道精神を侮辱するつもりか?」

「いや、毛頭ない。気を悪くしたなら謝ろう。……だがあまりに不器用すぎて、そしていたたまれないと思ってな。お前は強いな、エクレール」

「……何だ急に、気持ち悪い」

「褒めてやってるのにその言い草か? まあいい。いや、正直言って安心した。以前よりはかなり吹っ切れたみたいだな」

 

 そんなに自分は思い詰めていただろうか、とエクレールは眉をしかめて考え直す。が、その表情でソウヤには何を考えるのかわかったのだろう。

 

「最初に慰問訪問でここを訪れた時のお前は相当ピリピリしてたぞ。だがお前は自分なりの答えを見つけたようだな。ビスコッティの姫君に忠誠を誓っている、よくわかったよ。なら、その答えを、姫様の剣として生きると言った己の言葉を貫き通してくれ」

 

 らしくなく、心に真っ直ぐ響くソウヤの言葉に思わずエクレールはたじろいだ。彼がここまで真っ直ぐに言葉をぶつけたことなどあっただろうか。大抵は遠まわしに言葉を選び、自分を苛立たせるような言い方ばかりする彼が、今日に限って素直に謝ったり頼んだりしてくる。

 

「……今日のお前はおかしいな。悪いものでも食ったか?」

「昼飯は城下町の飯屋で食ったぞ。うまいご飯ものだった」

「真面目に答えろ。らしくなさすぎる。何か企んででもいるのか?」

 

 一瞬、間があった。だがすぐにソウヤは小さく笑みを浮かべる。

 

「いや、俺はお前の心をただ確認したかったのさ。昨日の戦の様子を見ている限り、お前の心にはもう迷いがないようにさえ見えた。その時に……本当にそうか、って思っただけだよ」

「なら、その疑問は晴れたか?」

「ああ、おかげさまで。……話せてよかった。じゃ、あとはお前のお兄様とでも話してくるよ」

 

 言いつつ、ソウヤは立ち上がる。そこでエクレールは何かに思い当たった。

 

「待て。……心の迷いだのなんだの言っていたな? どうにも解せないと思っていたがようやく気づいた。貴様、まさか兄上と共に私とエミリオの何か(・・)を計画しているなどということはないだろうな?」

「お、それも面白そうだな。……だが、正直お前がそこまで心を決めてるなら別にその必要もないだろう。おかげでロランさんのお前への心配事をそこまで聞かずに済みそうだよ。それに今のビスコッティでそれをやらかすのはあまりよろしくないだろうしな。

 まあお前とエミリオはまだ時間がある。周りが急かさなくても、本人同士でじっくり決めればいいことだ。……むしろ急かすべき人間達は他にいるからな」

 

 急かすべき人間達。それが誰かはエクレールにはすぐにわかる。その彼らの件が決まれば、自分も心を決めることが出来るかもしれない。だが今すぐ能動的に自身の心を決めろ、と言われれば、それは出来ないだろうとエクレールは思っていた。

 

「時間を取らせて悪かったな。俺は本当にお前が気になっただけだ、それだけだよ。そしてそれを確認できてよかった。じゃあ元気でな、親衛隊長。……じっくり決めろと言ったが、エミリオとも仲良くはしてやれよ」

「やかましい。余計なお世話だ」

「見送りはいらない。……それじゃあな」

 

 エクレールに背を見せ、ソウヤは左手を上げて部屋を後にした。言われた通り彼女は特に見送りもせずに部屋に残り、考えをめぐらせていた。

 

 今日のソウヤは実に奇妙だった、と思う。だが彼は彼なりに自分のことを心配してくれていたのかもしれない。なんだかんだ今日も毒の吐き合いのようになってしまったが、思い出せば気にかけてくれたような言葉が多かったようにも思えた。

 

(エミリオとの仲、か……)

 

 その中で言われた自分の婚約の話。いい加減、自分も身の振り方を考えなくてはならないだろう。そのことを実感してはいる。ここ最近の戦で離れた配属になっていることは、彼女も気づいていた。兄の気遣いだろうとは思う。無論彼女はエミリオを煙たがってなどいない。しかし結局それも周りに気を遣わせている事に他ならない。かつてリコッタに「あまり自分のことで気を遣うな」と言った彼女だが、本当にそれを望むなら自分もそろそろ身の振り方を考える必要がある。

 

 平穏になりつつあるとはいえ未だ動乱収まらず、とも言えるビスコッティ。その国の状況と同様、彼女の心も揺れ動いていた。

 

 

 

 

 

「レオ、話がある」

 

 その日の夜、夕食を終えたソウヤは不意にそう切り出した。

 

「なんじゃ?」

「すまないが、数日後、1日ここを空ける予定でいる」

「ほう、珍しいのう。別に構わんぞ。じゃがわざわざワシに言ってくるということは、何かあるのか?」

 

 鋭いな、と言いたげに苦笑を浮かべ、ソウヤはグラスに注がれた食後の酒を一口呷る。

 

「ああ、まあな……」

「なんじゃ、愛人のところに泊まりに行く、とでも言うか?」

「愛人……いや、そいつは違うか」

「じゃがその言い方、女のところか?」

「まあ……一応な」

 

 その一言に一瞬レオはムッとした表情を浮かべた。別に独占欲が強い、と彼女自身は思っていないが、「他の女に会いに行く」と言われれば、妻であるなら多少は気を悪くするだろう。

 

「それでなんだが……。確か俺が昔()()()()()服は取ってあったよな?」

 

 が、その一言でレオは彼が行こうとしている場所を把握した。次いで意外そうな表情を見せる。

 

「移動の時にビオレが持って来たはずだからあるはずじゃが……。しかしいいのか? お前自身嫌っていたことでは……」

「ああ、そうだよ。出来れば避けたかったよ。……だが俺が直接シンクにこれ以上言ったところで効果が期待できない。なら……外堀(・・)を埋めるしかないだろ」

「本当にお前にしては……熱心に肩入れをするな」

 

 自分でグラスに酒を注ぎつつ、ソウヤはため息をこぼす。ビオレは洗い物中、妻に注がせてもよかったが頼むのも面倒だと自分で注いだのだった。

 

「首を突っ込みたくても今はできないお前の分まで俺が動かないといけないからな。……あいつの決心は、姫様の成婚関連の話の解決を導くわけだ。なら、それでお前の心配の種も一つ減るわけだろう?」

「それは……そうじゃが……」

 

 その前にお前に倒れられるようなことになっては困る、と彼女は心で付け加える。ただでさえ今忙しく駆け回っているのにさらに何か、ということではその身を案じずにはいられない。

 

「だったら俺は今出来ることをやるだけだよ。それに俺だってあいつにはさっさと心を決めてほしいと思ってる。だから、もう少し動けるだけ動いてみようと思うのさ。……ま、周囲から見たら自分のためにならないことをしている、実に滑稽な道化に見えるのかもしれないけどな」

 

 自嘲的に小さく笑った後、グラスに入った酒をソウヤは一気に半分ほど流し込む。臓腑に焼けるような感触を覚え、そしてグラスを置くと同時、再びため息をこぼした。

 

「とにかく、そういうわけだからここを1日空けるのは了承してくれ」

「ああわかってる。言わずもがな、じゃろうが」

「……まったく、本当はやりたくなかったってのに。誰かさんのせいでとんだ()()()だよ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 18 獅子は故郷の地を踏む 前編

 

 

 その日、ヴァンネット城に現れたソウヤの姿を見た者は皆我が目を疑った。普段は青を基調とした、ガウルが着ている礼服に近い騎士服を身につけている。戦のときはここに更に手甲や脚甲といった防具をを纏う形だ。だが今のソウヤの格好はそのどちらでもなく、そういった、いわゆる「フロニャルドの服装」からはかけ離れている。

 廊下で彼を見かけた近衛隊長代理のルージュも他の城の者達と同様の反応だった。思わずぽかんと口を開けて数度目を瞬かせる。その後でようやく何かを思い出したように「ああ」と言いながら手をポンと叩いた。

 

「おはようございます、ソウヤ様。ガウ様の元へ行かれるのですね?」

「おはようございます。ええ、そうです。……あなたは事情知ってるでしょう? そんな驚かないでくださいよ」

「ごもっともなご指摘です……。いつもの見慣れた格好からあまりに違ったので、思わず驚いてしまいました」

 

 やれやれ、とソウヤはため息をこぼした。家で着替えてレオとビオレにこの格好を見られたときもさほど言われなかったから大して気に留めなかったが、城での反応は正反対。さすがのソウヤも戸惑う。いや、それ以上にこの格好を見た城の人々が戸惑ったかもしれないが。

 

「ガウ様、ソウヤ様がいらっしゃいました」

 

 中から「おう」という声が聞こえてくる。それを聞いてルージュは執務室の扉を開け、ソウヤは部屋の中へと足を踏み入れた。が、踏み入れると同時にジョーヌのこれまた驚いたような視線とガウルのニヤけながらの物珍しそうな視線が彼へと突き刺さる。

 

「な、なんやその格好……何かあったんか!?」

 

 ジョーヌの反応から、彼女はガウルから何も聞かされていないのだとソウヤは察した。特にわざわざ言う必要があるわけでもないが、ガウルの場合この反応が見たいから、と伏せていた面もあるのだろう。

 

「そんなに変か?」

「変、って言うか……いや、変やけど……」

 

 ソウヤが苦笑する。まあそうかもしれない。確かに()()()()()()()から見たら変な格好と思われるだろう。今のソウヤの格好はTシャツに上着を羽織り、下はジーンズにスニーカー、肩からはバッグを提げている。要するに地球の、日本に住む若者の格好なわけである。

 

「俺が初めてここに来た時と同じ格好だぞ? 今だってシンクがここに来る時はこの格好だ。昔は制服が多かったらしいが」

「ああ、そういえば……。でもソウヤがその格好やと変やで……。もう何年もの間着てなかったんやろ?」

「まあな」

「なんでそれを急に……。ってまさか、元の世界に帰るんか!?」

 

 ジョーヌの驚きようは演技には見えない。どうやら本当にガウルは何も言っていないらしい。

 

「ちょっと野暮用でな。すぐ戻ってくる」

「なんや……。レオ様と息子を置いてホンマに家出かと思って心配したわ……」

「するかよ、そんなこと」

 

 ため息をこぼし、ソウヤはガウルのほうへ視線を移した。

 

「ガウ様、なんでこいつに説明してないんです?」

「面倒だったし、説明する必要もなかったし、まあ何より反応見たかったってのはあるかな」

 

 思ったとおりだ、とソウヤは再びため息をこぼす。シンクほどではないがこの人の思考も短絡気味で読みやすい。

 

「ともかく、用意は出来てるらしいな。ならそろそろ行くか」

「お願いします。お手を煩わせてすみませんが」

「気にすんなっての。領主じゃなきゃ勇者召喚は……ああ、お前は勇者じゃないか。しかし要するに互いの世界間を繋ぐことができるのは領主にのみ与えられてる特権だからな。俺がやらなくちゃいけないってことだ」

 

 ガウルは椅子から立ち上がる。彼の言葉通り、勇者召喚、という枠を拡大して地球とフロニャルドの世界間の行き来は既に可能になっている。4年半ほど前、勇者召喚の制限を取り払った際にリコッタによって可能となったことであった。

 が、その功績は光だけではなく闇もまた生み出していた。異世界からの召喚の安全性が確立され、さらに召喚される地球人が軒並み高い身体能力と技術、とりわけ輝力の扱いに関しては優れていたことに目をつけて召喚される例が報告されている。それが最も顕著だったのがソウヤが「火薬庫」と述べたカミベルである。かつてその国の勇者として召喚され、今では名誉騎士という立場まで上り詰めた地球出身の野心家は、既に内政にも影響を及ぼすほどの発言権を持ち、さらなる地球人召喚の策を推し進めているとも聞く。

 

 ソウヤにとって最も懸念していた事態だった。彼が趣味で読んでいた小説には「異世界間での人間による軋轢」などということがテーマにされることもしばしばだったのだが、事実は小説よりも奇なり、その通りの展開となってしまっていた。その地球人のやり方をよしとしないカミベル人と、召喚された地球人との間で主張の食い違いが起こっていると聞く。もはや国内の社会問題にまで発展している、とも言われるほどだ。「耳なし」と侮蔑される地球出身の者たちは好戦的で、戦による国取りまで企んでいるのではないか、とも噂され、ビスコッティの状況に加えてこちらも頭痛の種だ。

 

 だからこそ、ソウヤはレオとガウルに余計な地球への干渉は行うべきではない、と強く主張していたし、ガレットにおいては彼の最後の召喚から互いの世界間で行き来があったこともない。確かに主張した手前、ソウヤが帰ろうとしなかった、というのもある。が、ソウヤの本音はそこにはない。あくまで自分はフロニャルド人であり、元の世界をなるべく思い出さないようにしよう、という心の表れからでもあった。

 だがガウルは「帰りたくても自分で主張してしまった以上帰れない」と捉えたらしい。

 

「せっかくの里帰りだ、半日でいいとか言ってたが、たっぷり1日強行って来い。明日の夕方前……15時に呼び戻してやる」

 

 余計なことを、と言い掛けてソウヤは口を閉じた。彼の気遣いはわからないでもない。が、まさに余計なことだ。長く戻ってしまえば、それだけ未練がわいてしまうかもしれない。なるべく距離を取るようにしてきたかつての世界に長く触れることが、今のソウヤには怖かった。

 

「……どこに泊まれっていうんです?」

「お前の実家に……あ、すまねえ、両親は亡くなってたのか……。ならお前を育ててくれた親戚の家にでも行って来い。というか、元気な顔見せてやれよ。全く連絡取ってないんだろ? あと、その両親の墓参りでもして来い。こっちに永住を決めてから全く戻ってないんだ、そのぐらいやってこいよ」

「……気軽に言ってくれる」

 

 ボソッとソウヤは吐き捨てる。事実、親戚に顔を出すのははっきり言って面倒だった。幸い1人で暮らすと言った時も深く追求してはこないでくれたが、さすがに顔を合わせればそうもいかないだろう。そういう追及をかわすのが大変だ。その辺りを言いくるめるのに労力を使いたくないと考えていた。いや、むしろそれ以前にもしかしたら失踪届を出されている可能性すらある。そんな親戚にどんな顔をして会えばいい、とガウルに返してやりたい。

 

「せめて24時間にしてください。今が昼前、なら野暮用済ませて泊まり、夜が明けて墓参りでもすれば丁度いいぐらいだ」

「……お前がそれでいいって言うなら、そうするが、いいのか?」

「お願いします」

 

 後頭部を掻き、渋い表情を浮かべながらもガウルはそれを了承する。

 

「わかった。……じゃあ召喚台に行くぞ」

 

 

 

 

 

 数刻後、ソウヤは懐かしの世界へと戻ってきていた。が、久しぶりの故郷の最初の空気は最悪だった。人目につかないという理由から自分で要求した場所だったが、さすがに公園のトイレはまずかった。

 

「……いきなりテンション駄々下がりだな、こりゃ」

 

 実際に人目にはついていない。平日の昼下がりということもあって、幸い公園に人は少ない。そういう意味ではソウヤの選択は間違っていない。が、如何せんもう少し考えればよかった。「トイレから召喚された勇者」とか面白いかもしれない。「トイレが互いの世界を繋ぐゲート、そこが異世界への入り口だ!」なんてキャッチフレーズは小説としてはそれなりに印象に残るものと言えなくもないだろう。

 だが実際やるのは金輪際御免だとソウヤは堅く心に誓った。せっかくファンタジーな世界に行けて、小説よりも奇なりな事実を体験しているのに、戻ってきたらトイレというのは気分を大きく損なう。久しぶりの日本、7月中旬の陽気な昼下がりだというのにソウヤの心はそんな天気のようには少々なれそうにない。

 いや、これからのことを考えれば、確かに楽しみな面もあるが、それだけではダメだということもわかっている。そう思うとやはり陽気な気分にはなれないまま、彼は歩き始めた。目指すは駅、ある場所である人と待ち合わせをしてある。携帯はもう持っていないが、フロニャルドの機械を通してその人物と連絡を取り合うことは出来ていた。

 

 駅までの道のりは間違えるはずがない。なぜなら、ここは彼が数年間通い続けた道のりだからだ。慣れた場所から動くのが1番だと、ソウヤは見知った場所を帰還場所として指定した。閑散とした公園、その中でも人目につきにくいトイレ。久しぶりの故郷に対する第一印象という誤算を除けば、ほぼ見立てどおりだった。再開発でやや変わった風景もあったが、道に迷うこともなく、かつての最寄駅へと到着する。ここから待ち合わせている場所まで電車で小一時間。待ち合わせ時間は13時だから少し早いぐらいだろう。切符売り場は変わっていなかった。以前はここで今妻となった彼女と共に電車に乗ったこともある。

 ああ、まずいと彼は苦笑し、ポケットから財布を取り出した。過去のことを思い出すとは、やはりいささか感傷的になっている。自分はこの世界に決別した人間だ。そう意地になっている部分が崩れるような気がしたからだった。財布から小銭を取り出し、目的地までの料金を入れて切符のボタンを押す。彼の財布には数万円ほどの現金は入っていた。フロニャルドに行った時のままの、今の彼にとっての全財産である。もっとも、フロニャルドでは価値のないものだが、どうにも処分しきれず、衣服やバッグといった他の物と一緒に今も取ってあったのだ。結果としてそれが役に立っているのを考えると捨てなくてよかったと思う反面、やはり心を割り切れなかったのではないかとも思ってしまうのだった。

 ホームに下りるとほぼ同時、電車が入ってくる。数年ぶりだが、特に変わっていない。乗り込み、空いている席へと適当に腰掛ける。そのまま電車は動き出し、ソウヤの目には見知ったはずの風景が次々と飛び込んでくる。一見懐かしく感じるが、どこか変わっている部分も多い。3年という月日が、短いようで長いことを思い知らせるものだった。やはり切符を買うときに抱いた感傷的な気分に捕らわれつつ、ソウヤは電車に揺られる風景を眺めていた。

 

 

 

 

 

 待ち合わせ場所に着いたソウヤだったが、予定よりも30分近く早かった。都内のとある私鉄の駅。ホームのある高架から降りて改札を抜け、辺りを見渡す。都内なものの都心部からはやや外れに位置しているここは平日と言うこともあって人通りが少ない。その人の少なさから待ち人は来ていない、とすぐに判断でき、適当な壁に寄りかかって待つことにする。どうにも手持ち無沙汰を感じるが、こんな時に時間を潰せる携帯電話はもうない。駅前のコンビニから新聞を買って、自分が離れてからの昨今の世界情勢、なんてのを知るのも悪くないとも思ったが、それではまるで自分がまだこの世界に未練があるみたいではないかと頭を振った。いや、実際彼は本心では気づいている。未練がないわけではない、と。ただ、そう強がりたかった。

 結局彼はこの世界を捨てたのだ。もしかしたら捨てずともフロニャルドとの行き来で両方の生活を両立できたかもしれないのに。だがそれがどれだけ大変なことか、高校時代に往復生活をしていた彼は重々承知していた。その上で現実を見据え、フロニャルド永住を決めた。

 しかし、そこで自分が()()()せいで、弟分の今の悩みに真っ向から答えてやることが出来ない。彼が先に「両立できる」という前例を作っていれば、シンクも早々に同じ決断を出来たかもしれない。自身の弱さが、甘えが、間接的に今のシンクを苦しめているのではないか。

 

 明らかに考えすぎだろう。彼自身そう思う節はあるし、大分前に一度レオに話したこともあるが、笑いと共に一蹴された。それ以来深くは考えないようにしていた。が、こうして久しぶりにかつての世界に戻ってくると、そんな考えをせざるを得ない。もっとも、ここに来た理由もそれに関することだ。頭をよぎってしまうのは仕方がないともいえる。

 

「あ、いたいた。おーい、ソウヤー!」

 

 聞こえてきた自分の名を呼ぶ声に、考えを中断して声の主の方へと目を移す。手を振っている一見短い黒髪の女性と、茶色の髪をロングのストレートに垂らしてその傍らに立つ女性。21歳のナナミ・タカツキと19歳のレベッカ・アンダーソンの2人であった。今ではイギリスと日本の大学に通う2人ともシンクの友人であると同時に、それぞれ師匠兼ライバルと幼馴染。シンクを通じてソウヤも2人と出会い、地球にいた頃は友人として遊びに出かけたこともあった。そして2人ともシンクの異世界訪問のことは知っている、というより、彼女達自身もフロニャルドに行き、「擬似勇者」として戦に参加したこともあったのだった。

 ベッキーはこの駅から近くの大学に通っているということであった。シンクとは高校までは一緒だったが、大学は異なる。今はアパートで1人暮らしらしいが、既にテスト期間などは終わって夏休みに入っているらしい。さらにナナミももう夏休みと同様の状態らしく、来日してベッキーが暮らすアパートにしばらく居候する、という話だったので、ソウヤは2人に会って話したいと連絡したのだった。

 

「あれ、もしかして待った?」

「いや、大して待ってない。というか待ち合わせ時間はまだ先だと思うんだが……」

 

 「え?」というナナミの声にソウヤは辺りを見渡し時計を見つける。見れば時間は既に待ち合わせ5分前。どうやら考え込んでいるうちにいつの間にか時間が過ぎていたらしい。

 

「……まあいい。とにかく悪かったな、急に呼び出したりして」

「いいのいいの、どうせあたしは暇だからこっちに来てしばらくベッキーのアパートに居候してるわけだし、ベッキーもベッキーで今はテスト期間終わって夏休みに入るところだったし。だから平日希望したってのもあるんだから」

「暇って、お前確か今大学4年だろ? イギリスの……いや、それ以前に俺は大学のことをよく知らないが、忙しい時期じゃないのか?」

「そうでもないよ。単位は足りてるし、就活は一応終わってるし、卒論のテーマも決まってぼちぼち書き出してる。卒論自体は年内に書き上げれば余裕だし」

「ナナミってばいっつもこんななのよ。ソウヤからも何か言ってあげてよ」

「大学ってのがどういうものか知らんから何とも言えないな。本人がいいって言ってるなら、いいんだろ?」

 

 応援を要求したが援護先から返ってきた期待できない言葉に、思わずお節介焼きの彼女はため息をこぼした。相変わらずのそんな彼女の様子にソウヤも苦笑を浮かべつつ見つめる。

 懐かしい。まだソウヤが高校生だった頃、数こそ多くないがここにシンクも伴って街中に遊びに行ったことを思い出す。その時もシンクとナナミが突っ走り、ベッキーはそれを止める役割という関係を見てきた。そう思ったところで、やはり感傷的になっているとソウヤは改めて自覚した。

 

「っていうか、ソウヤと会うのも久しぶりじゃない? 確か最後に会ったのは……」

「あーもうナナミ、ここで立ち話するぐらいならどっかお店入ろうよ。丁度お昼時なんだし」

「ベッキーの意見に一票。腹が減った。それに……久しぶりにこの世界の飯を食いたいと思っていた」

「あ、そっか。向こうとこっちとじゃ食べる物違ったりするもんね。ソウヤ、リクエストは?」

 

 尋ねられて彼は一瞬考え込む。食べたい物は色々あるが、女学生2人と持ち金に期待の出来ない自分、それに色々話し込むつもりだし、と思ったところで、過去に街に出かけたときの食事同様の答えに辿り着いた。

 

「……ファミレスだな。この辺に長居出来そうなファミレスは?」

「あるある。来る途中見かけたよ、そこの角曲がったところにいつものイタリアンのチェーン店」

 

 確かにファミレスと言ったのは自分だが、これに思わずソウヤは苦笑をこぼす。その店は過去に何度も行ったことのあるチェーン店だからだ。もっとも、過去に何度も行った、と言ってもソウヤはこの世界に戻ってきたのが実に3年ぶり。久しぶりの味といえるだろう。

 

「ああ、そこでいい。昔を懐かしむ味に再会するとしよう」

「なんか……それはチェーンじゃない、地元の行きつけのお店とかに対して言うセリフじゃないの?」

 

 困った表情でベッキーが突っ込みを入れる。さすがお節介焼き、と心の中で感心の声を上げつつ、ソウヤは2人の案内に続いてかつてお世話になったチェーン店へ足を運ぶのだった。

 

 

 

 

 

 昼時であったが、店内は割りと空いていた。平日というのが影響しているのだろう。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 店員が入店してきた3人に店員が笑顔で声をかける。失礼だとは思いつつも、普段から完璧なメイドスマイルを見ているソウヤからするとまだまだ、という印象だった。ナナミが「3人」と人数を告げると今度は煙草を吸うか吸わないかを聞いてきた。

 

「ソウヤ、煙草吸うっけ?」

「吸わない。……いや、そもそもあそこにねえよ」

「あ、そっか。禁煙でー。……でもそれは見たことないだけであって、実際煙草ぐらいあるんじゃないの?」

 

 店員は案内モードに入っている。後ろで不明瞭な会話があろうと気にもかけないだろう。

 

「さあな。少なくとも俺の目の届く範囲では見たことがない。健全な場所だからな」

「ふーん……。お酒はあるのにね……」

 

 案内されたテーブル席へベッキーとナナミが並んで腰掛け、向かい合ってソウヤが座る。水を机に置いて「ご注文がお決まりでしたらそちらのボタンでお呼び下さい」というマニュアル通りのセリフを残し、一礼して店員は去っていった。

 

「さて、じゃあ改めて……久しぶりだね、ソウヤ」

「ああ。ベッキーもナナミも元気そうで何よりだ」

「ソウヤも。……でもちょっと痩せた?」

「元々痩せ気味だ」

 

 軽口を叩きつつ、ソウヤは目の前にある水の入ったグラスに口をつける。が、一口喉に流し込んで軽く眉をしかめた。どうやら長居するうちに体はフロニャルドの美味い水に慣れてしまったらしい。水道水そのままではないようだが、フロニャルドの水には到底かなわない。

 

「何年ぶりだっけ……。2年ぶり?」

「そうね……。確かあたしとナナミがソウヤとレオ様の()()()に呼ばれてシンクと行った時に会ったのが最後のはずだし……」

「ああ、あれ以来か」

 

 2年前のソウヤとレオの結婚式。これはシンクからの強い要望でベッキーとナナミも顔を出していた。かつてはシンクの客人としてフロニャルドを訪れ、クーベルが首を突っ込んだことで発生した()()()からビスコッティ、ガレット、パスティヤージュの3国間に分かれた3人が戦で顔を合わせる、などということもあった。しかし2人はシンクと違いあくまで客人、フロニャルドの訪問回数はそれを入れても決して多いとは言えない。ソウヤと最後に会ったのがフロニャルドで2年前、その後2人が召喚されたことはない。

 

「あの時のレオ様すっごい綺麗だったよね。いつもは露出は多めでも戦向け、って感じの結構無骨な格好してるから……」

「そっか。ナナミはガレットにいたのが多かったもんね。あたしはビスコッティとパスティヤージュにお世話になったことが多くて、ガレットはあまりないからわからないけど」

「あいつは元が美人だからな。馬子にも衣装、とはいかないってことさ」

「へえ……」

 

 ニヤニヤしながら2人がソウヤを見つめる。そのただならぬ視線に思わずソウヤはたじろいだ。

 

「……なんだよ?」

「聞いたベッキー? 『あいつ』だってさ」

「昔は『レオ様』ってちゃんと呼んでたのにね」

 

 不機嫌そうに唇を尖らせ、ソウヤは目の前にあったメニューを手に取った。どうやら恥ずかしがっているらしい。

 

「あれ? 照れてる?」

「……うるせえ」

「というか、もうお子さんいるんだっけ? シンクがそんなこと言ってたような……」

「ああ、いるよ」

 

 ベッキーのその問いにそう返すとソウヤは財布を取り出し、そこから1枚の写真を取り出した。フロニャルドで撮られた写真なために地球のそれとは若干違うが、写し出された内容を見るには十分だ。

 

「え!? これソウヤの子供!? かわいい!」

「うっそ、目元ソウヤにそっくり!」

 

 そんな会話は自分には縁がないものだとソウヤは思っていた。昔テレビで親戚の人が新たに生まれた子を見てそう言うシーンは見たことがある。が、はっきり言って自分では全然わからなかった。現にレオも「目元はお前に似ているな」と言った事があったが、目の色はともかく、目元が似てる、というのはどうにもわからない。得てして男とはそういう部分に鈍感な生き物なのかもしれない。

 

「でも他はレオ様だよね。髪と……あと耳とか?」

「そこは俺も本音を言うと安心した。俺はもう向こうに永住を決めた身だ、それで耳が俺似では不憫だと思ったからな」

「名前は何て言うの?」

「レグルスだ。レグルス・ガレット・デ・ロワ」

 

 へえ、と相槌を打ちつつ、一頻り写真を眺めた後で2人はそれをソウヤに返す。受け取ったソウヤは大切そうに財布に入れた後、ポケットに戻した。

 

「今いくつ?」

「6……いや、もう7ヶ月になるか」

「そんな可愛い息子をほっぽり出して……いいの? こっちに戻ってきて」

 

 そのベッキーの問いには答えず、ソウヤは先ほど一旦取った後で置いたメニューを再度拾い上げた。

 

「……そっからは本題だ。長話になる。先に注文した方がいいかもしれない」

 

 ソウヤの提案を了解し、ナナミとベッキーもメニューと睨み合う。結局注文したのは昼時ということで3人ともドリンクバー付きのランチセットとなった。ソウヤとナナミはハンバーグランチ、ベッキーはパスタランチ。さらにナナミが3人で分ければいいという名目でマルゲリータピザを頼み、ソウヤもそこに便乗してグラスワインを1杯だけ頼んだのだった。これには思わずナナミが「昼から飲むのか」と突っ込みを入れたが、「ガレットの名産と比較したい」という主張でソウヤが突っぱねた。

 

「じゃあ私飲み物持ってくるよ」

 

 メニューの注文が終わった後で、ベッキーがドリンクバーを取りに立ち上がる。こういうところはさすがお節介焼き、と思いながらソウヤもナナミも彼女に任せた。

 その彼女が立ち上がり、声が届かなくなったであろう距離まで離れたところで、ソウヤはナナミに切り出した。

 

「ベッキーとシンク、どうなんだ?」

 

 聞かれ彼女は眉を寄せた。そしてどうもこうもないだろう、と言いたげに彼女は両手を広げる。

 

「ソウヤだって知ってるでしょ? 結局あの朴念仁はベッキーの心にはずっと気づかなかったのよ。ベッキーもベッキーで足踏み出そうとしなかったし」

「その割には大分大人びたと言うか、美人になったというか」

「さっきソウヤが言ったレオ様と一緒で、元がいいからね。髪をほどいただけでも印象変わるってのに、シンクってば……」

「いいの、それは。私が出した足を引っ込めたんだから」

 

 いつの間に戻ってきたか、ベッキーが2人の会話に割り込んだ。彼女自身を含めたそれぞれ3人の前に持って来たドリンクの入ったグラスを置く。

 

「……本当はね、ソウヤに背中を押された後……高校生になるときかな。いつまでも『ベッキー』ってシンクに呼ばれるのは幼馴染感覚、っていうか、なんだか昔のままっぽくて、少し足を踏み出そうと思ったの。それでシンクは『レベッカ』って呼んでくれたんだけど……なんだか逆にあたしが恥ずかしくなっちゃったっていうか、なんか無理、っていうか、やっぱりその距離間よりもこれまでの距離間でいいって思っちゃったっていうか……」

「それで未だに『ベッキー』のまま。ベッキーもこうやってイメチェンっていうか、色々雰囲気を変えてみたりしたのにあいつは全く気づかないでさ。結局ベッキーが踏み出さないでいたら、あいつ姫様と婚約交わした、とか言い出したし……」

「……よかったのか、ベッキー?」

 

 ソウヤの問いかけに彼女は間を置かず頷いた。

 

「シンクが選んだなら、それでいいって思ってるから。……というより、フロニャルドに行った時に気づいちゃったんだ。姫様とは色々お喋りする時間もあったから仲良くなれたけど、私じゃ敵わないな、って。それに姫様もだけど、エクレちゃんもシンクのことを凄く大切に思ってくれてるし、あの2人のうちのどちらかとシンクが一緒になるなら……あたしは満足できちゃう、って思っちゃったから」

「……そうか」

 

 場の空気を振り払うかのように、ソウヤは彼女が持ってきてくれた炭酸のドリンクを喉に流す。久しぶりのこの感覚、これだけ甘ったるい飲み物はフロニャルドでは味わえないな、とも思う。

 

「それでナナミ、さっき『姫様と婚約を交わした』と言ったな? シンクから聞いたのか?」

「うん。……ってかエクレちゃんは?」

「身を引いたよ。あいつは自分よりも自分の仕える主の幸せを願う、と言って私情を挟まないと心に決めたそうだ。その証に伸ばしていた髪もばっさり切った。あいつの心は段々と確固たるものになりつつあるらしい。先日の戦でもシンクと共に戦場に立ったが、あいつの心はもう決まってるようにも見えた。その後話してみても、そういう意思は確認できたしな」

「そっか、エクレちゃん、髪切っちゃったんだ……。長い方が似合ってたのに……」

「それについては俺も同感だ。……で、話を戻すぞ。さっきナナミは『婚約を交わした』と言ったが、厳密には交わしていない。それはわかってるか?」

 

 2人が頷く。

 

「口約束なんでしょ? だから正式な回答を保留してるとか。あたしとしてはふざけんなって言ってやりたいけど……」

「ちょっとナナミ……」

「まあナナミの気持ちもわからんでもないが……。あいつもあいつなりに悩んでるんだろうよ」

 

 はあ、とため息をこぼし、ナナミは両手を頭の後ろに組む。そのまま椅子の背もたれにどかっと身を預けた。

 

「わかってるわよ。でもさ、エクレちゃんにもそこまでの思いさせてるのに決めきれない、ってのはどうかと思うのよ。……実はその話はシンクから電話がかかってきて知ったんだけど、その時に結構きつく言っちゃってさ。そしたらその後メールとか連絡がちょっと疎遠気味で……」

「逆にシンク、申し訳なく思ってるみたい。あたしにもどうするべきか連絡が来て、シンクが決めるしかないよって返してから、やっぱりあんまり連絡来なくなっちゃったし……。住んでる場所が遠くなっちゃった、ってのもあるとは思うけど……」

 

 思わず、ソウヤは左手で頭を抱えた。悪く思ってる気持ちはシンクにもどうやらあるらしい。それで周りにも気を遣わせまいとして1人で抱え込み、結局はそれで周りがまた気を遣う。完全に悪循環じゃないか、と思わずにいられなかった。

 

「……なんだよ、外堀埋めようと思って来てみれば、もう外堀は修復不可かよ」

「もしかしてソウヤ、あたし達にシンクの背中を押してほしい、ってわざわざ言うために……?」

「そうだ、ベッキー。そのために3年間、戻ることを避けていたここに帰ってきたんだよ。……まあ2人の顔を見たかったから、ってのはないわけじゃないけどな」

「そんなの頼むならメールでいいじゃん? まああたし達に会いたいって理由はわかるけど、頼むためにわざわざ来るようなこと?」

 

 歯に衣着せぬナナミの物言いにソウヤは思わず苦笑を浮かべる。

 

「それが礼儀ってもんじゃねえのか? 俺は誠意を見せたほうがいいと思ったから出向いたんだがな。たとえそれが自分のためになるかわからない、傍から見たら馬鹿馬鹿しいと思われることかもしれなくてもな」

 

 場が静まった。確かに帰還を嫌って、いや、()()()いたソウヤが来た、というだけでもその頼みの重さがわかる。彼としてはどうにかしてシンクとミルヒを結婚まで持って行きたい、という思いがあるのだろう。2人はそう感じていた。

 

 と、そこで料理が運ばれてくる。久しぶりの地球の食事を前に、ソウヤは場の空気を変えようと息を吐いた。

 

「……まあまずは冷める前に食おう。懐かしの地球食だ、ありがたくいただかせてもらうよ」

 

 

 

 

 

 料理を平らげた後も、3人の会話は続いた。シンク関連の話も少しはしたが、結局は2人とも「もう1回発破をかけてみる」という程度の回答でまとまっていた。

 まあ仕方ないか、とソウヤは思っていた。一度言われているならシンクもわかっているはず。それをやかましく言っても結局効果が薄いのはソウヤがこれまで体験済みのことでもあった。だからこその外堀埋め、だったのだが、そこも期待できないと知り、彼としては少々がっかりせざるを得なかった。

 その後は主にフロニャルドの話だった。特にベッキーは今も時折連絡を取り合っているクーベルのことをしきりに尋ねてきた。相変わらず口は悪くて生意気だが、一応はちゃんと領主をしてると伝えると、姉のような表情を見せて彼女は喜んだ。

 ナナミはジェノワーズのことを聞いてきた。ノワールが言い出して解散したことを伝えると、こちらはガウルに対して呆れというか、そういう悪いところはシンクと変わらないと少々ムッとした様子だった。

 

 楽しくも懐かしむ会話は数時間続いた。周りを見れば客は完全に入れ替わり、3人は完全に居座り状態になってしまっていた。

 

「……さすがにそろそろ出る? もう迷惑だろうし……」

「ああ、そうかもな」

 

 ナナミの案に賛成し、ソウヤとベッキーも立ち上がる。自分の分を確認しようとレシートに手を伸ばそうとした矢先、ベッキーがそれを取り上げた。

 

「ちょっとソウヤ、こっちのお金あんまりないんでしょ? だったらここは私達が払うから」

「いや、でもな……」

「拒否権はないよ。地球人の奢りになりなさい」

 

 ナナミにもそう重ねられ、ソウヤは観念のため息をこぼす。

 

「……わかったよ。ごちそうになる。悪いな」

「いえいえ。久しぶりに話せて楽しかったし」

 

 店を出る。入る時は昼時だったはずなのに、辺りは既に夕方の様相を見せ始めていた。

 

「それで、これからどうするの?」

「明日にはフロニャルドに帰るからな。この後は適当に漫画喫茶かカプセルホテルでも探して泊まるさ」

「だったらベッキーのうちに来れば? 今あたし居候してるし、あと1人増えたところで別に大丈夫だよ」

「お前が言うことじゃないだろ。それはベッキー本人が言うべきことだ」

「あたしも構わないわよ。3人だと少し狭いかもしれないし、ベッドは用意できないけど……」

 

 本人からの言葉を耳にしても、それはダメだ、とソウヤが頭を横に振った。

 

「……既婚の男が嫁入り前の女子の部屋に泊まれるかよ。レオに知れたら何と言われるか想像したくもない。寝床は適当に探す。それは譲らん」

「何を気にしてんのよ。別に誰もレオ様に言う人なんていないじゃない?」

「俺の気持ちの問題だ。ともかく断る。……まあシンクにそれとなく、一応言うだけは言っておいてくれ」

 

 言いたいことだけを言い、ソウヤは2人に対して背を向けた。

 

「あ、ちょっとソウヤ!」

「じゃあな。……また近いうちに会うことになるのかもしれないけどよ」

 

 そう言い残し、彼は夕方の街並みへと消えていった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 19 獅子は故郷の地を踏む 後編

 

 

 夕方の街中、寝床を探すには少々早い時間だが、その分早く寝て明日早く出ればいいかと、ソウヤは辺りを見渡しながら歩いていた。都内とはいえ都心から外れた私鉄の駅周辺、ということもありそこまで賑わってるわけでもない。それでも漫画喫茶ぐらいはあるだろうという彼の目論見は正しく、歩き始めてさほど経たないうちに目的の場所は見つかった。

 料金表を眺めて、一般料金と会員料金が別に存在し、さらにパック料金なら手持ちで十二分に余裕があると確認した上で、その漫画喫茶が入っている階へとエレベーターで昇る。ドアが開くと特有の煙草臭さが鼻をつき、同時に受付の女性が「いらっしゃいませー」と形式上の挨拶で出迎えた。

 

「すみません、ここを使うの初めてなんですが、会員証とか作る必要ありますかね?」

「あ、大丈夫ですよ。ただ入会金が発生してしまいますが、1度作成していただけば2度目以降はその方がお得に……」

「いえ、作らなくて利用できるなら結構です」

 

 説明を途中で遮られた女性は特に不機嫌そうな表情を見せるでもなく、「かしこまりました」と返し、席が映るディスプレイをソウヤのほうへと向けた。

 

「当店は個室タイプのみとなっておりまして、現在番号のある個室が利用可能となっております。お望みの席はありますか?」

「煙草は吸わないんで禁煙席で。あと仮眠を取る予定なんでリクライニングがあると助かります」

「かしこまりました。では、身分証を拝見できますでしょうか?」

 

 この一言に、ここまでスムーズに会話を進めてきたソウヤが固まった。

 

「……会員証を作らなくても、ですか?」

 

 会員証がいらなければ身分証がなくても泊まれるだろう、というのがソウヤの目論見だった。なぜなら、彼は身分証を持っていない。今の彼は「いるがいない人物」という言い方が合っているかもしれない。

 

「はい。新条例の施行によりまして、昨年からご利用なさるお客様全員に身分を証明できるものをご提示いただく決まりとなっておりますので……」

 

 これは弱った、とソウヤは眉をしかめた。条例施行、ということはどこの漫画喫茶もこうなるだろう。おそらく防犯が目的だろうが、全くもってフロニャルドと違って治安の悪い世界だと思う。が、直後に向こうがよすぎるだけかと思い直した。

 

「……ちょっと海外にいた期間が長いもので、そのことは知りませんでした。身分証も今は手元にないんですが……それだと利用は出来ませんよね?」

 

 癖になっている適当な言い訳を言い繕い、不審に思われぬように彼は尋ねる。

 

「申し訳ありませんが、そうなってしまいます……」

「わかりました。ではまた今度利用させてもらいます。すみません」

 

 こちらこそ申し訳ありません、という形だけの謝罪を聞き流しつつ、ソウヤはエレベーターの下降ボタンを押して考えをめぐらせていた。完全に当てが外れてしまった。かくなる上は野宿、となるだろうか。だが今は夏、いくら夜は涼しめだとはいえ寝苦しいは寝苦しいだろう。それに蚊や虫が寄ってくる可能性もあるし、そもそもその野宿できる場所を確保できるかが問題だ。

 

 どうしたものかと頭を悩ませ、ソウヤが建物を出てきたそのときだった。

 

「そこのお兄さん、困ってるんじゃない?」

 

 聞き覚えのある――いや、あるどころではないその声に彼は声の方を振り向く。

 その予想に違わず、声をかけてきたのはさっき別れたはずのナナミ、そしてその隣にはベッキーだった。

 

「ナナミ、ベッキー……」

「本当に近いうちに会ったね」

 

 先ほど言ったことの揚げ足を取る形で、さらに本来彼が得意とする皮肉までナナミにぶつけられては、もうソウヤは苦笑をこぼすより他はなかった。

 

「ソウヤがあそこまで断るから一旦帰ろうと思ったんだけど……。そういえばもう身分証とかないんじゃないかな、って思って」

「知らなかったでしょ? ソウヤが向こうに住んだ後、こっちじゃ漫画喫茶みたいな宿泊可能施設を利用する際は身分証が必須になったのよ。防犯の観点とかからってね」

 

 やはりそうか、と予想が正しかったことを確認する。なら泊まるところはほぼ全滅だ。

 しかしもしかしたらこの2人はあの後そのことに気づいて自分の後をつけてきて、漫画喫茶から出てきたところを待ち構えていた、ということになるのだろうか。自分が得意にするような先読みをされたようで思わず彼は困り顔を浮かべる。

 

「ねえソウヤ、うちに来なよ? 明日帰るって言ってたけど、泊まる場所なくて困ってるんでしょ? さっきはお昼食べたけど、この後夕飯も食べるだろうし……。あたしが作るから」

「ベッキーの手料理は最高だよ! 絶対食べたほうがいいって! あ、あとお酒飲みたいならスーパーで買って行くからさ。あたしも一杯付き合うよ」

「あたしは飲みませんからね。未成年ですから」

 

 当の本人は行くと一言も言っていないのに、既に話は泊まる方向で進んでしまっている。ならここは好意に甘えるか、とソウヤは折れることにした。

 

「……わかった。じゃあすまないけどお世話になるよ、ベッキー」

「うん。全く構わないわよ。ここからだと歩いて5分ぐらいだから。途中スーパーで買い物していくわね」

「全部お任せする。ただ、レオと会う機会があっても絶対に言うなよ。何と言われるか知れたもんじゃない」

「レオ様ってそんなに嫉妬深かったっけ?」

 

 3人は並んで歩き出す。

 

「さあな。でも女ってのは嫉妬深いものじゃないのか?」

「それは聞き捨てならないなあ。偏見だよ」

「まあ好きな男の人、それも結婚した人が違う女性と楽しそうに話してるのを見たら、普通はあまりいい気分はしないものじゃない?」

 

 とフォローを入れるベッキー。が、ソウヤにはこれが違和感だったらしい。

 

「……そう言う割にシンクのことは諦めたのか?」

「ちょっとソウヤ!」

 

 デリカシーのない一言と判断したナナミが即座に彼を咎める。思わず肩をすくめてソウヤは反省の色をみせた。

 

「いいのよ、ナナミ。……あたしの場合、その人が喜んでるなら、その方がいいかなって思っちゃっただけだから」

「お人好しというか、なんというか」

「ほんと。相手がお姫様だろうが親衛隊長だろうが、『シンクはあたしのものだー!』って言ってくっついちゃう権利だってベッキーにはあったとあたしは思うよ」

「そ、そんなことあたしはしないわよ。……そのことはいいんだって。シンクはずっと幼馴染で家族みたいなもので、あたしにとっては兄弟……どちらかっていうと弟かな? そんな感じで育ってきた仲だから。そのシンクが幸せそうにしてるなら、それでいいの」

 

 ソウヤは無言でベッキーの横顔を見つめていた。曇りのない表情だった。先日話したエクレールとはまた違う、諦めとも異なるある種「悟った」とも言える様子。身構える必要もなく、そう思えてしまっているのだろう。

 その様子から言うと2人は対照的とも言えた。自分の心を押し込めようとするエクレールと、自然と心が決まってしまっているベッキー。だが2人ともシンクとミルヒのためを思ってのこと、という点では共通しているともいえた。

 そういうところまで含めて、シンクには納得のいく答えを、なるべく早く出してほしいと改めてソウヤは思わざるを得なかった。既に口約束を交わしたと聞いてから半年以上が経過している。確かに「姫様の側にずっと付き添えないのに結婚するわけにはいかない」と思う一方で、数年間の勇者生活によって姫様に対して相思相愛になり、彼女からの申し出を断れなかったというシンクの言い分もわからないでもない。だが正式回答を半年も保留、挙句「可能なら大学卒業まで待ってもらいたい」などと呑気なことを言い出す彼に、今のビスコッティの状況がわかってるのかと思ってしまうのだった。第一先に延ばしたところで答えが出るとも限らない。側に付き添えないことに責任を感じるなら、今現在回答を引き延ばしていることの方にも責任を感じてほしい。結果としてそれは周りにも心配をかけているのだから。

 

「まったくあいつはかわいい幼馴染にこういう思いまでさせてるなんて、お姉さんとしてはその辺りは何とかしたいところだわ」

「同感だな」

 

 今思った通りのことを口にしたナナミにソウヤも思わず同意する。

 

「だからいいんだって。結局あたしはシンクの幼馴染で、それもあるけど元々お節介焼きで、それで勝手に心配してるだけだし。あとそれを言い出したら、わざわざここに戻ってきてるソウヤだって相当なお節介焼きと言えると思うけど?」

 

 違いない、とソウヤは思わず表情を苦くする。

 

「誰かさんのお節介焼きが移っちまったんだよ」

「あたしのせいだって言いたいの?」

「一概にそうとは言わないが、一端を担ってるとは思ってるね」

「でもまあつまり、それだけシンクって皆に愛されてるってことなのよね」

 

 ナナミのまとめにソウヤもベッキーも口を噤む。その通りなのだ。結局誰も彼も、シンクのためを思って動いているのだった。

 

「あ、スーパーここね。リクエストあったら作るから、あと欲しいものは適当にカゴに入れちゃって」

 

 目的の店に着いたらしく話は一旦そこで途切れた。代わりにベッキーにリクエストする料理は何がいいかと、ソウヤの頭の中は今日の夕飯の内容へとシフトしていった。

 

 

 

 

 

 ベッキーが暮らしているというアパートは、かつてソウヤが1人暮らししていた部屋と同じぐらいの広さが感じられた。あれでそれなりの広さだと思っていた彼としては、いくら外れとはいえ都内でこの物件ならそれなりに値も張るだろうなどと思ってしまう。

 そのアパートでソウヤはベッキーの言葉に甘えてくつろいでいた。久しぶりとなる映像板ではないテレビからは夕方のニュースが流れ、何と無しにそれを眺めてみる。家主は台所で料理中、段々といい匂いが漂ってきていた。居候は夕食前にシャワーを浴びる、ということで浴室に行っている。

 

「夕方の番組なんて面白いのないんじゃないの?」

 

 と、ベッキーが部屋に料理を持ってきながら尋ねてきた。真ん中にポテトサラダが盛られ、その周囲に千切りにした大根と包み込むように広がるレタスという特大サイズのサラダだ。

 

「いや、いつになっても夕方はニュースと相場が決まってるんだなと思ってな。……それよりそのサラダ、多すぎじゃないか? まだ他にも数品あるんだろ?」

「気にしなくて大丈夫よ。どうせナナミが全部食べるから」

「……そういやあいつの食欲はジョーヌ顔負けだったっけな」

 

 そうそう、と相槌を打ちつつベッキーは再び台所へ戻っていった。

 一方今度は浴室からナナミが帰ってくる。上はキャミソール1枚に下はホットパンツ。完全にソウヤの目など気にしていない格好だ。

 

「あー! いい風呂だったー! 扇風機もらうよー」

「お前その格好もう少しなんとかならないのか? 仮にもここに男がいるんだぞ?」

「えー? 別にいいじゃん、暑いんだし。それに私の貧相な体なんか見てもつまんないでしょ? ソウヤいっつもバインバインでボッキュッボンなレオ様の体見てるんだから」

「ああそうだな。そう言われてみればそうだった」

「ちょっと! そこは嘘でも否定するなりフォローするなりしなさいよ!」

「……めんどくせえなあ」

 

 テレビから全く視線を逸らそうともせず、本当にめんどくさそうにソウヤは答えた。ナナミのこういうところは以前よりも悪化しているように感じる。大雑把というか、適当というか。そういうところが意外にもガレットの空気とマッチし、彼女が滞在した時はあっさりと国の人々と打ち解けていたのは事実ではあるが。

 

「あ、ベッキー特製サラダ来てるじゃん! ちょっと食べちゃお」

 

 そんなソウヤにお構いなし、ナナミはレタスを器代わりにし、それでポテトサラダを包んで一足先に口へと運んだ。

 

「んーおいしい! ソウヤも食べなよ!」

「ちゃんと3人揃ってからな」

「もう、そういうとこ真面目だよね。ガレット国民のくせに。あ、そうだ、お酒お酒。お風呂上りはやっぱりビールよね。ソウヤのももう持ってきちゃっていい?」

「……どこのおっさんだお前は」

 

 まずい、突っ込みきれないとソウヤは心で音を上げそうになる。ベッキーはよくもまあこんなおちゃらけた姉ちゃんと一緒にいて疲れないもんだと思ってしまう。というか、早く料理を完成させて助けに来てくれ、とまで思ってしまった。しかし戻ってきたのはベッキーではなく、彼を悩ませている張本人の方だった。

 

「ほいビール。ベッキーには悪いけど一足先に乾杯といこうか!」

 

 もうダメだ、とソウヤは完全に諦めることにした。郷に入っては郷に従え。ここではどうやら彼女こそが掟らしい。なら長いものには巻かれた方がいい。そう割り切った彼は、外見女子大生中身おっさんの彼女からビールの缶を受け取った。プシュッ、という懐かしのプルタブを起こして口を開ける。

 

「んじゃあ、ソウヤとの久しぶりの再会を祝してかんぱーい!」

 

 一方的に互いの缶を合わせた後、ナナミは一気にビールを口へと運ぶ。倣う形でソウヤも缶の中の液体を飲み込み、眉をしかめた。

 

「かーっ! やっぱ風呂上りはこれよね! ソウヤもそう思うでしょ!?」

「……にげえ。ビールは初めて飲んだ。うまいか、これ?」

「え、初めて? ……あ、そうか。向こうで20歳になったんだっけ」

「そういうこと。向こうの酒はどちらかというとワインっぽいからな」

「ちょっとナナミ、乾杯はいいけどあたしのこと忘れてない?」

 

 次の料理を持ってきながら不満そうにベッキー。2品目はたっぷりのもやしとニラに茶色の餡がかかった料理だ。

 

「出ました、もやしとニラの肉味噌あんかけ! 安い、美味い、多いの3拍子が揃ったお財布にも優しいご飯が進む逸品!」

「……ねえナナミ、聞いてる? 無視ならこの料理下げちゃうよ?」

「ええー!? そんな殺生な……。勿論聞いてます、ベッキー様! 後でベッキーも入れてちゃんと乾杯しなおすから……」

「はいはい……。ほんと調子いいんだから……」

 

 言い残して再びベッキーは台所へと戻っていく。なるほど、このお調子者の姉ちゃんはこうやって扱うのか、とソウヤは勝手に感心してビールを再び流し込んだ。やはりどうしても好きにはなれない味だ。昼のワインもどうにもイマイチという感想が真っ先に出てきたし、自身は相当にフロニャルドの酒に慣れてしまったのかもしれない。

 

「あ、ベッキー、次ご飯運ぶー?」

「うん」

「じゃあ手伝うよ、丁度1本目空いたし」

 

 立ち上がりつつ、ナナミは缶を右手の握力だけで横に潰し、次いで縦にも潰して容量を縮小させた。その力にもだが、何よりもう1本飲み干したのかよとソウヤは驚いていた。

 

「あ、ソウヤも2本目いく?」

「……まだまだ残ってる」

「へーい」

 

 台所へと行ったナナミは2本目のビールと茶碗に盛られたご飯を持って来た。後から来たベッキーも茶碗と、平皿に盛られたご飯を持ってきている。

 

「ごめんねソウヤ、さすがにお茶碗3つはなくて……。ご飯平皿で食べてもらっていい?」

「ああ、気にしないでくれ。俺が押しかけてるわけだし。それに普通1人暮らしなら食器はそうなる。俺も足りなかったから、レオが来た時は汁碗で飯を食ったしな」

 

 と、その一言に2人が固まった。そして顔を見合わせる。

 

「今……何て言ったの? 『レオが来た時』……?」

「何それ……? 初めて聞いたんだけど……?」

 

 2人に続いてソウヤも固まる。そしてややあって「あ」とらしくなく間の抜けた声をこぼした。

 

「……それを話したのはシンクだけだったか。完全に忘れてた」

「ちょっと何それ! あ、もう今日の話題まずそれね。ベッキー、もしソウヤがその話を断るようならご飯食べさせなくていいから」

「了解、ソウヤからリクエストの最後の1品も出さないってことで」

「待て待て、横暴だぞ!?」

「だったら大人しく、包み隠さず白状すること! ……よし、料理出揃いね!」

 

 ベッキーが最後の料理の入ったどんぶりと自分が飲む用の麦茶を持ってくる。それで今ナナミが言ったとおり料理は出揃った。

 ソウヤがリクエストしたのは肉じゃが。今ではガレットでも似たような料理があるし、家政婦でもあるビオレに作ってもらうことも多い料理だが、やはり故郷の食材を使った元祖の味をどうしても食べたかったのだ。

 

「はい。じゃあいただきます……と乾杯だっけ?」

「ベッキー、音頭取って! さっきはあたしだったし」

「ええ!? ……まあいいか。じゃあ改めまして。ソウヤとの久しぶりの再会を祝して、乾杯!」

 

 先ほど缶を合わせた2人に、今度はベッキーの麦茶の入ったグラスも加わった。3人ともそれぞれの液体を喉に流す。

 

「あー! 2杯目もうまい!」

「……オヤジめ」

 

 毒のある突っ込みもナナミにはもはや効果がないようだ。ひょっとしたらもう酔いが回り始めているのかもしれない。

 

「ソウヤ、リクエストの肉じゃが食べてみて」

「ああ。じゃあいただきます」

 

 取り皿に肉、ジャガイモ、玉ねぎを適当に取り分け、口に運ぶ。一口放り込んだところで、彼は目を見開いた。

 

「うまい……!」

「本当? よかった。さっきファミレスで聞いた話じゃビオレさんが作ってる、って聞いてたし、勝ち目ないかなって不安だったんだ」

「確かにあの人の手料理はうまいが、これも十分負けてない。……ベッキー、いいお嫁さんになれるな」

「そ、そうかな……」

「そう! 絶対にそう! なのにシンクときたらベッキーの魅力をぜんっぜんわかってないのよねー」

 

 アルコールが入っている現状、これでは管を巻く性質の悪いおっさんと変わらないじゃないかと思ったソウヤだが、内容には同意した。側にこんないい幼馴染がいながら気づかないというのは、勿体無いとか鈍いとか、そういう次元を超越してある種の才能のようにさえ思える。

 

「やっぱ地球の材料で作るのはいい。調味料も多分違うんだろうしな」

「そっか、向こうだとそういうのもちょっと変わっちゃうものね。砂糖多めで、最後にみりんも入れてるからちょっと甘めにしてるの」

「みりんとか常備してるのか……。さすが料理女子。俺があいつに肉じゃが作ったときなんてめんつゆだけだった」

「あ、それ! レオ様の話! 何、肉じゃがも作ったの!? ほら、さっさと話さないとベッキーが肉じゃが持ってっちゃうよ!」

「そうそう。その話をしてもらわない限りこの部屋からは出られないからね」

 

 女子2人にペースを完全に握られ、ソウヤはたじたじだった。仕方ないと思いつつも、だがこれならナナミの酒の肴がなくなることもないだろうと思い、大人しくソウヤは過去に日本であったレオとの「デート」の話を白状し始めた。

 

 

 

 

 

「……それでさ、あたしとしてはガウルもらと思うけどノワももっとガツーンとアタックしないといけないと思っれたわけ。ちょっと、聞いてう?」

「はいはい、聞いてます聞いてます……」

 

 ついでにその話題は1ループして2回目だけどな、とソウヤは心で付け加えた。

 

 夕食は非常に美味だった。ソウヤが褒めた肉じゃがだけでなく、もやしとニラの肉味噌あんかけはナナミが絶賛したとおり実によくご飯に合う味付けだった。安いはずのもやしとニラが、ほどよいしょっぱさと辛さの肉味噌の餡によって最高のおかずへと早変わりする。シャキシャキとした食感に絡む肉味噌の餡は絶品で、それだけでご飯がどんどん進んだ。ソウヤとしては1人暮らし時代にはそれなりに世話になったつもりのもやしだったが、作り手によってここまで姿を変えるのかと感心しつつ、そんなことを考えているうちにナナミの食欲の前に全てなくなりそうな恐れもあったので負けじと箸を伸ばした。

 サラダも素晴らしかった。「ドレッシングのほうがよければ大根サラダにはこれ使って」とベッキーは市販のドレッシングを用意していたが、メインのポテトサラダの味付けがマヨネーズベースの少し濃い目ということもあり、それと大根サラダを一緒に食べると丁度の味の合わさり具合だった。

 そして何よりソウヤが最も気に入ったのはやはり肉じゃがだった。本場日本の味、フロニャルドではどうしても出すことの出来ない、和の料理。かつて「簡単に作れる肉じゃがのどこが家庭的か」という疑念を抱いたソウヤだが、その意味がやっとわかった。この味は日本人をホッとさせる。ホクホクのジャガイモを割った時に出る湯気と共に口に頬張れば、熱いその身からたっぷりとだしと醤油を吸い込んだ味が滲み出る。浸されて煮込まれた玉ねぎは鮮やかに色づき、その甘さは格別だ。そこに肉が加わることでおかずとしてご飯をかき込みたくなる。これはまさに日本のおかず、家庭の味といわれる物に相違ないと、彼は噛み締める度に思うのだった。

 

 結局、山のようにあった料理はほとんどをナナミが食べていった。同時に、彼女の酒も進んだ。ビールを3本ほど空けたところで「こんなもので酔えるか!」とか言い出した彼女は、ベッキーが調理用として買っておいた赤ワインを見つけ出し、今度はそれを嗜み始めた。今思い出せばこれがこの諸悪の根源だったのだろう。そもそもワインというのは飲み口としては意外にあっさりなことが多く、ついクイッと飲めてしまうのだが、その割に合わずアルコール度数が高い。それをワイングラスではなく普通のグラスで2杯、いや、今3杯目を注いで半分まで飲んでいるところだ、それは酔うに酔うだろう。

 結果、もはや彼女は呂律が若干怪しくなり、しかも一方的にソウヤに対してずっと話し続けていた。ベッキーは、というと適当なところで「洗い物があるから」と席を立ち、それが終わっても戻らずに「お風呂もすませちゃうね」とうまく逃げたのだ。要領の良過ぎる彼女に半ば呆れつつ、むしろ逃げられたことに妬みまで思いつつも、ソウヤは延々続くナナミの話につき合わされているのだった。

 

「ってかあんらちゃんと飲んでる? だいらいそのビール何本目よ?」

 

 2本目だよ、と心で答える。口に出したら「全然足りるか!」とか言い出されて自分もワインを飲まされかねない。昼間ちょっと飲んだときにフロニャルドの酒と似たような味わいだと思ったが、一方でフロニャルド産には到底叶わず飲む気になれないだろう、と気づいている彼は飲もうという気にはなれなかった。しかも元々は調理用、ベッキーも安物を選んだために味はそこまででもないと前置きをしている。

 いや、そうでなくても目の前でベロンベロンに酔っ払っている女子大生を見たら飲もうという気にもなれなかった。今思うと風月庵に行ったときにマキシマ兄妹――イスカとブリオッシュと一緒に酒を飲まなくて正解だったかもしれないとも思ってしまう。おそらくあの2人は目の前のナナミと違って本物の酒豪だろう。つられて飲んだら十中八九自分がこうなっていた、と考えて苦笑を浮かべた。

 

「らによ、笑って! いい、もし戻ってノワに会ったらちゃんと言うのよ! あんらはガウルと一緒にならないといけないんだ、って。身分とか何とか全然知らんから、ガツンと言ったれ! って!」

「はいはい。わかった、わかったよ」

 

 ナナミはベッキーがパスティヤージュで世話になったようにガレットで過ごすことが多かった。その時はガウルやジェノワーズと仲良くすることが多く、彼女もソウヤ同様ノワールのガウルへの気持ちには薄々気づいていたらしい。最近は連絡を取っていなかったがそのことは気にかけていたらしく、現在の状況、特にジェノワーズが解散したことを告げると、酒の影響もあってナナミの逆鱗に触れてしまったようだ。「ソウヤがいながらなんで止めなかった」「ごちゃごちゃ言わずにノワールは自分の気持ちをガウルに伝えればいい」「ジョーヌとベールも何やってんだ」とよくもまあ口が疲れないと感心するほどに愚痴り始めた。

 だがソウヤは過ごした時こそ短かれ、やはりナナミにとってもよき友人達であり、いい思い出だったのだろうともその言葉に思うのだった。とはいえ、さすがにこれだけ言われ続けるとそういう気持ちも薄れてきてはしまうが。

 

「らったくジョーもジョーだしベルもベルよ。あの2人はノワより年上らっていうのに……。ジェノワーズのばかやろー!」

 

 言うなり、彼女はグラスに半分残っていたワインを一気に飲み干した。さらに次の一杯に以降とボトルに手をかける。

 

「ナナミ、もうやめとけ」

 

 これには絡まれたくないと傍観と聞き流しで場を凌いできたソウヤも思わず止めに入った。これ以上飲んだらますます悪化する。それならいい、病院の世話などということにはなってもらいたくない。

 

「らによ、止める気!?」

「そろそろ酒は終わっとけ。麦茶持ってきてやるから」

「そんらもんいるかー!」

 

 そうは言われたが、ソウヤはボトルを彼女から取り上げてため息をこぼしながら立ち上がっていた。さすがに酔いすぎだと思う。ちょっと何かを飲ませたほうがいいだろう。確かさっきベッキーが飲んでいたクーラーサーバーに入った麦茶があったと思い出す。それを飲ませようと彼は冷蔵庫へと向かった。

 

「えーっと……」

 

 冷蔵庫の中は賑やかだった。かつての調味料と飲み物しかなかった寂しい自分の冷蔵庫とは大違いだとふと懐かしく思う。その中の手前のポケットに目的の物はあった。

 

「おいナナミ、これでも飲んで……」

 

 言いかけて彼は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。散々騒いだ彼女は、今は大の字になって既に寝息を立てていたからだ。

 

「……ったく寝てる顔は美人だってのによ」

 

 レオには負けるがな、と小声で付け加える。酔った後の、いやもうその前から中身はおっさんと言っても差し支えないほどなのに寝顔は年相応の、それも美人な部類だ。まったく勿体ないと思いつつ、ソウヤは麦茶を机に置く。次いで何かかけてやれる物はないかと部屋を見渡した。

 と、目的の物ではないが、あるものが目に留まる。本棚、それも綺麗に整頓されていた。そういえば向こうに行ってからは途中まで読んだタイトルがどうなったか全然わからないでいたな、と何気なくタイトルを眺めていく。

 

「上がったよ。……あ、ナナミ寝ちゃった?」

 

 と、そこで入浴を終えたベッキーが戻ってきた。こちらはさっきのナナミのような格好と違いちゃんと上はキャミソールなどではなくTシャツを着ている。

 

「ああ。散々わめき散らしてな。何かかけてやるものをと思って探してたんだが……」

「私がやっておくよ。それより……本棚見てたんだね。向こうに行ってから全然読んでないんでしょ?」

「まあな……」

 

 答えつつソウヤは本の背表紙を眺めていく。見知ったタイトルが多かったが、中には全く知らない物もあった。最近発売された物だろう。

 その中で、彼は気になるタイトルを1つ見つけて手に取った。そして表紙の絵をじっと眺める。

 

「あ、ナナミ酔うとあんな感じになるってわかってたから……。ごめんね、逃げたみたいになっちゃって。洗い物を終わらせておきたかったのは事実だし、お風呂から戻ってきてもまだ元気だったら付き合おうとは思ってたんだけど……」

「いや、いい。的確な判断だった。それよりベッキー、これ……」

 

 ナナミにタオルケットをかけてあげたベッキーが、ソウヤが手に持つ小説を覗き込む。

 

「『1ダースの騎士達』……。タイトルを見たときにもしかしたらと思ったが、表紙を見て確信した。こいつは……」

「そ。『2ダース半小さな騎士達』の続編に当たる作品よ」

 

 かつて、初めてソウヤとベッキーが会った時、ファンタジー小説を読むという共通の趣味のために話題に出たタイトル、『2ダース半の小さな騎士達』。修学旅行に行く途中の中学生1クラスがまるまる異世界に召喚されて騎士なるという話だ。当時ソウヤが「王道」と評した、人気作でもある。

 

「『2ダース半』終わってたのか。最終巻は9巻……。随分続いたな」

「私もてっきり一通り登場人物に触れた後で話が進んだ5巻ぐらいで終わっちゃうかと思ってた。ソウヤは何巻まで読んだの?」

「その5巻までだ。まさにベッキーの言うとおりあと1巻で終わるだろうと思ってたが……。そっから更に続いて、おまけに続編か」

「人気あるからね、今でも。その人気のある……。あ、ネタバレは言わない方がいいよね」

「いや、言ってくれ。買って帰ってもいいが、どうせ読む暇は当分なさそうだしな。……1ダースになったってことは、主要キャラを削ったってことか? まさか残り1ダース半は戦死とかじゃないだろうな?」

「死んじゃったキャラはいなかったよ。帰る方法が見つかって、帰るか帰らないかをそれぞれが選ぶことになるの。ただ、元の世界に戻れるのは1度限りで、その場合はもう2度と戻っては来れない。さらに留まることを選んだ場合も、それ以降元の世界に戻ることは出来ない、って」

 

 ククッと笑いを噛み殺したようにソウヤは小さく笑った。

 

「さすが王道。ファンタジーとはかくあるべきだ。『いつでも行ける』『いつでも戻って来れる』はその概念を既に覆している。事実は小説よりも奇なりとはよく言ったものだ」

「確かに……フロニャルドって不思議でしかも便利なところよね」

「もっとも、最初のシンクはまさにその状態だったらしいが。……それで、あの世界に残った連中が1ダース……12人、というわけか」

「そう。人気投票とかしたのよ。それで上位キャラが残ったの」

「じゃあベッキーお気に入りのヒロは?」

 

 ヒロ、というのは昔ベッキーがお気に入りと言った女子のキャラだった。特に目立つわけでもないキャラだっただけに、ソウヤはそれは意外だと評していた。

 

「残念ながら漏れちゃった。帰って来た側。……でもね、章の合間に帰ってきたキャラを中心にした短編が入るの。それのヒロが、ヒロらしくてとても良くて……」

「というと?」

「凄い経験を出来たし、わくわくして楽しい思い出だったけど……。でも、自分は元の生活の方が自分に合ってる、って。だけど異世界での経験を胸にこれからは前向きに生きていこう、って言って、段々将来は料理関係の仕事につきたいとか夢を持つようになっていって。なんかそれだけなんだけど、ジーンと来ちゃって……」

 

 ソウヤにはベッキーがそのキャラに共感できる理由がなんとなくわかってしまった。彼女は元々「自分に似たところがある」というような理由で好きだと述べていたのだが、まさに今の彼女と重なり合うとも言えてしまうからだった。

 パスティヤージュで擬似的とは言え勇者として戦に参加したベッキーの姿は、今の「平凡な女の子」という印象からは大きくかけ離れたものだった。クーベルから託された神剣メルクリウスを箒状へと変化させ、箒に跨って空を飛び回る魔法少女よろしく、地上の兵達を薙ぎ払う彼女を平凡などと言えるだろうか。自身の経験から輝力の扱いは得意ではないかと踏んで薦めたソウヤもこれは意外だった。結果、今では空騎士に対して最強といわれるソウヤでさえ彼女を撃ち落とせたのは数える程度しかない。

 しかしその後、彼女ははっきりと地球での暮らしを選んだ。今でもクーベルと時折連絡を取り合っているという話ではあるものの、最後に空を翔けたのはいつだったか。なぜその選択をしたのか、ソウヤは今もわからないでいた。

 

「……ヒロの話がいいと思っちゃう理由はわかってるんだ。あたしと被るから、かな」

 

 そんなソウヤの心を見透かしたかのようにベッキーは苦笑を浮かべながら、そう言ってきた。

 

「元々ヒロがあたしと被るのは感じてたけど……。こんなところまで被るとは思わなかったな……」

「……なんでベッキーははっきりと向こうよりこっちを選んだんだ?」

 

 以前から疑問に思っていた考えを、ソウヤは直接ぶつける。

 

「……違う、って思っちゃったから」

「違う……?」

「そう。あそこはシンクの場所であって、ソウヤの場所であって……。でも、あたしの場所とはちょっと違うかな、って」

「そんなわけないだろう。あのわがまま娘なクーベルとあれだけ仲良くしてたじゃないか」

「クー様はわがまま娘じゃないよ。それはクー様がソウヤと馬が合わないから、そう思ってるんじゃないかな。本当は寂しがりやのかわいい妹みたいな子だよ」

「……ありえねえ」

 

 2人の関係は相変わらず何だなとベッキーはクスッと笑った。彼女がフロニャルドを訪れていた時も、2人が顔を合わせるとそれは口喧嘩のようになったものだった。

 

「ともかく、確かにクー様とは仲良くしてもらったし、勇者……あ、擬似的にだけど、それで戦に参加した時も楽しかったわよ。……でもあそこで心から楽しそうにしてるシンクを見た時に……気づいちゃったんだ。ずっとシンクを見てるだけだった。だから同じ場所に立ちたいと思ってた。そしてそれが叶った。……でも、そこはあたしが本当に望む場所じゃなかったんだ、って。あたしは、()()()()でよかったんだって。普通な女の子でよかったんだって」

「本当に……そう思ってるのか?」

「うん。だからヒロが元の世界に戻るってなったとき、すごくそれがわかった。でも、ヒロと違うところがあるとするなら……。あたしは異世界から帰ってくる人を待つことが出来るってこと。シンクが向こうで姫様と結婚してもいい、永住してもいい。それでシンクが幸せになってくれるなら、あたしだってそれを望む。

 でもね、時々でいいから帰って来た時にはきっと『ただいまベッキー!』って言ってもらえる。だったら、その帰ってくる場所を守る、なんて言ったら傲慢かもしれないけど……。その場所にあたしはいなくちゃいけない、って思ったの。シンクの幸せを願いながら元の世界でそんな風に普通の女の子として生きていけるってだけで、あたしはきっと満足なんだって、思っちゃったんだ」

 

 沈黙が広がった。ソウヤとしてはてっきり「長居しすぎるとフロニャルドに未練が出て元世界に戻れなくなる」という辺り、要するに自分が地球に対して抱いている感覚をフロニャルドに対して抱いて、の選択だとばかり思っていた。

 だが彼女はソウヤが地球に対してしているほど、意固地にフロニャルドを否定しているわけではない。それがわかっただけでも、彼は少し嬉しかった。今後時々来いよ、と誘えばきっと来てくれることだろう。

 いや、むしろ彼女の考え方に感嘆してもいた。さっきのような考え方が出来るとしたら、それは他ならぬ「家族」であろう。彼女にとってシンクは本当に家族同然の、大切な存在に違いない。

 

「……そういうことだったのか」

「そういうことだったの」

「だが安心した。フロニャルドを嫌いになったわけじゃなかったんだな」

「なるわけないじゃない。ただ……。あまり入り浸っちゃうと、シンクみたいに割り切れなくなるかも、っては思ったけど」

「違いないな。……なら、時々でいい、フロニャルドにまた来てくれ。あの小娘も寂しがってるからな」

「うん、時々……。シンクの今の話が、まとまったらね」

 

 ああ、そうだったとソウヤは危うく自分がここに来た理由を忘れるところだった。そのシンクの外堀を埋めるために周りから突っつかせようとしてここに来たのだった。だが結局はそれも難しそうではあるが。

 

「シンクには……。まあそれとなく言ってみるよ」

「いや、いい」

 

 だから、彼はその外堀を埋めることを放棄することにした。自分が突っついたせいでシンクとの仲がよろしくなくなった、などということにはなってもらいたくない。

 

「……この件に2人を巻き込むべきじゃなかった。今までと変わらず、シンクと仲良くやってくれ。余計なことを言って気まずくなるなんてことになったら、俺は責任を感じるからな」

「でもそうしたらソウヤがここに来た理由が……」

「お前達の顔を見に来た、それでいいだろ。……帰ってきていいものか迷ったし、来る前は気が重い里帰りだったが、楽しかったよ」

 

 ソウヤは自嘲的に笑った。が、ベッキーは真剣な顔でソウヤを見つめる。

 

「そう言うなら……。ソウヤも人に『たまにはフロニャルドに来い』って言う前に、時々でいいから地球に戻ってきなよ」

「戻ってきたって会う人間はお前達しかいない。それにもう帰る場所もない。だったら、戻ってくる理由なんて……」

「あるじゃない」

 

 ソウヤの言葉を遮る形だった。はっきりと、ベッキーがそう言った。

 

「今、あたし達に会えるって、それにさっきも会いに来たって言ったじゃない」

「言ったが……。2人ともそのうちフロニャルドに来ることもあるだろう? だったら……」

「違うよ。()()()()()会うからいいんじゃない」

 

 真っ直ぐ、ベッキーはソウヤの瞳を見つめる。

 

「この世界はソウヤにとって故郷なんだから。『フロニャルドに永住したしもう思い入れはない』みたいに強がってるけど、だけどここはソウヤが戻って来れる場所、戻ってきていい場所なのよ。もしそれでも帰ってくる意味がない、って言うんだったら……あたし達に会いに来ればいいじゃない。ソウヤにとっても故郷であるこの世界であたし達と会うっていうのは、理由にならない?」

 

 ソウヤも、その瞳を見つめ返していた。不意にベッキーが小さく笑う。

 

「ね? どう?」

「……ベッキーの言うとおりだな」

 

 その笑みは直視するには、少し眩しかった。ソウヤは恥ずかしげに瞳を逸らし、天を仰いだ。そして息をひとつ吐く。

 

「俺が今まで張ってたのは、どうもくだらない意地だったらしい。……地球のことを思い出す度に、俺はどこか怖かった。未練がないはずのこの地に、なぜそこまで思いを馳せてしまうのか。自分には不要な感覚だと思っていた。だから心の中から消し去ろうとしていたんだが……。何もそうしなくちゃいけないわけじゃなかったんだな。……俺はここに戻ってきてもよかったんだ」

「そうだよ。……そんなの、当たり前じゃない。シンクもだけど、ソウヤも『ただいま』って顔を出してくれたら、あたしはそれで嬉しいから」

 

 ソウヤがベッキーの方を仰ぎ見る。お節介焼きな、彼の親友の幼馴染は慈愛に満ちた笑顔を浮かべていた。その表情を見て、レグルスを抱いた時のレオの表情が思わずダブる。やはり女性というのはかくも強くあるものらしい。「母なる大地」というが、そうか、人は「母」から生まれ、そして育っていく。その「母」とは女性に他ならない。

 自身が結婚していなかったら間違いなく口説いた、とソウヤははっきりと思った。これだけの幼馴染がいながら、そこに気づかないとはシンクは本当に勿体無いことをしていると思う。だがシンクの相手はその幼馴染が「自分よりふさわしい人」として名を挙げたミルヒだ。その2人がくっつかないのだとしたら、たとえベッキーが許すと言ってもソウヤ自身はそれを認めることは出来ないだろうとも思ったのだった。

 やはりその件は解決しなくてはならない。それも誰もが納得できる形で。ソウヤは、改めてそう思った。

 

「……寝るか。明日はそこそこ早くに出るつもりでいるからな」

 

 気づけば、夜も更けていい頃合だった。柄にもなく話し過ぎたな、とソウヤは思いつつ、立ち上がって台所の方へと行く。

 

「寝るのはいいけど……。どこ行くの?」

「台所の廊下で寝る」

「そんなのダメだよ。床固いし……」

「嫁入り前の女子と同じ部屋で寝ようという気にはならない」

「そういうところ頑固よね……。じゃあこの長座布団使って。あとこれタオルケット」

「……悪いな」

 

 さすがお節介焼き、と思いつつ、自分のわがままを許してくれたことにソウヤは感謝していた。

 

「あ、お風呂は……」

「いい。明日帰って、フロニャルドで入る。どうせ昼前には向こうだ」

「そっか。7時起きでいいんだっけ?」

「ああ。そのぐらいなら十分だと思う」

「アラームセットしておくね。……じゃあお休み、ソウヤ」

「お休み」

 

 長座布団を敷いて横になったところで、部屋の電気が落ちた。横になりながら、ソウヤはずっと躊躇っていた「久々に故郷の地を踏む」という行為を、今更ながら必要以上に重く考えすぎていたのかもしれないと思っていた。確かに自分はフロニャルド永住を決めた。今増えつつある異世界人の先駆けというのも事実だ。

 だが、故郷には待っていてくれる人がいた。「久しぶり」と笑顔を向けてうまい手料理をごちそうしてくれるベッキーと、酔っ払ってずっと喋ってばかりだったが相変わらずいい姉貴分だったナナミがいた。それだけで、戻る故郷があるとわかっただけでよかったのかもしれない。

 らしくなく、そんな思いを頭に浮かばせていると段々と睡魔がやってきた。そういえばアルコールも多少ではあるが入っているし大分話した。久しぶりの異世界、その前にここに来る以前からの疲れもあるのかもしれない。もしベッキーが申し出てくれなかったら野宿となり、もっと寝づらい環境で寝るハメになっていただろう。

 心の中でもう1度ベッキーに感謝の気持ちを述べ、ソウヤは眠りに付いた。

 

 

 

 

 

 翌日、再びベッキーの手料理が朝食だった。本当はそれも断るつもりのソウヤだったが、昨日あれだけうまい料理を口にしてはそれも言い出せず、結局ごちそうになったのだった。

 一方でナナミは不機嫌というか、酷く難しそうな顔をしながら頭を抑えていた。明らかに二日酔い、昨日あれだけ飲めばそうもなるだろうとソウヤはすかさず突っ込んでいた。

 

 朝食を終え、「二日酔いなら無理すんな」というソウヤの声を無視してナナミもベッキーと一緒に最寄の駅まで見送りに来てくれた。販売機で切符を買い、3人が改札の前で向かい合う。

 

「じゃああたし達はここまで」

「ああ。悪かったな、泊まるどころか飯までごちそうになっちまって」

「いいのいいの」

「うまかった。感謝してるよ」

 

 そういうと普段の皮肉っぽさをなしに、ソウヤは笑った。

 

「シンクには……」

「昨日言ったとおりだ。……仲良くしてやってくれ。それだけでいい。2人が突っつかなくても、どうしようもなくなったら最後は俺があいつに答えを出させるさ」

 

 今度の笑みは皮肉っぽくだった。その方がソウヤらしいと思いつつ、ベッキーは苦笑を返す。

 

「じゃあ……。またな。よかったら、近いうちにまた来るといい」

「ソウヤも。昨日言ったけどたまには戻ってきなよ」

「たまには、な」

「ナナミからは何かある?」

 

 昨日の喋り上戸から一転、今度は不機嫌そうに無口で立つナナミにベッキーが話を促す。

 

「……えーと、皆によろしく言っておいて。あと、昨日ちょっとはしゃぎすぎちゃったことは謝るわ」

「ああ、いい。気にしてない。あれでこそお前だ」

「……褒めてないでしょ?」

 

 クックックとソウヤは噛み殺した笑いをこぼした。そして、2人に背を向ける。

 

「……じゃあ世話になった。またな」

「またね、ソウヤ」

「それじゃあね」

 

 改札を抜け、ホームのある階段を昇る。その背中が見えなくなるまで2人はソウヤを見送っていた。

 

「……行っちゃったね」

「そう……だねっ!」

 

 言いつつ、ナナミは大きく伸びをする。そのまま上半身を左右に捻り、軽くストレッチし始めた。

 

「ちょ、ちょっとナナミ! 二日酔いなのにそんな動いたら……」

「んー? ()()()()()()()()()?」

 

 ニヤッとベッキーへと笑みをこぼしてみせるナナミ。

 

「え……?」

「このあたしがあの程度の酒で二日酔いになるわけないでしょ? 演技よ、演技」

「え、ええ!? なんでそんな……」

「……あたしさ、湿っぽいのは嫌なのよね」

 

 言いつつ、ナナミは遠くを見つめる。

 

「なんだかんださ、ソウヤとは同じ国で一緒にいた時間があったから……久しぶりに会って、それで別れる、ってなると……なんか泣いちゃう気とかしちゃって。それでしんみりしないようにしようと思ってたんだけど……さすがソウヤ、あっさり帰っちゃったわね」

 

 ハハ、と笑顔をこぼしつつ、ナナミは振り返った。

 

「……んもう、本当に二日酔いかと思って心配して損したわ」

「それは謝るよ、ごめん。……じゃあついでに言っておくと、昨日も実は途中からは起きててさ」

「え……?」

「いやあソウヤとベッキーすっごくいい感じだったよね。あれ、レオ様と結婚してなかったら間違いなくソウヤはベッキーを口説いていたよ」

「な、な……!」

「『ただいま、って戻ってきてくれるだけで嬉しい』なんて落とし言葉じゃない? あれ、ベッキーそれ意識しないで言ってた?」

 

 カーッとベッキーの顔が紅くなる。確かに昨日そう言ったが、捉え方によってはナナミが言った通り落とし文句に捉えられるかもしれない。

 

「も、もうナナミ!」

 

 二日酔いの演技に加えて狸寝入りまでされ、挙句からかわれた事にさすがのベッキーも非難の声を上げた。そこから逃げるように「キャー」なんて言いながらナナミは走り回る。どうやら二日酔いは本当に演技だったらしい。

 

「……んもう知らない! 今日はナナミ夕飯抜き!」

「えーっ!? それはないよ、ベッキー!」

「あたしを騙した罰よ」

「でも起きててよかったこともあったっていうか思いついたんだって。ほら、さっきソウヤが『シンクと仲良くしてやれ』ってあれ。今度さ、シンクも気にしてることだろうから姫様との話はなるべく触れないようにして、シンクと3人、久しぶりに遊びに行かない?」

 

 不機嫌そうに口を尖らせていたベッキーも、この一言に表情を元に戻していく。

 

「それ……いいかも!」

「でしょ! 最近シンクと会ってなかったし……。久しぶりに3人でお出かけ! 早く連絡しないとシンクも夏休み入っちゃってフロニャルドに行っちゃうから、連絡しよ!」

「うん!」

 

 2人が快晴な空の下を話しながら楽しそうに歩き出す。同時に、高架の上のホームでは入ってきた電車が人を飲み込み走り出した。

 日本の夏は、今年も暑くなりそうだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode EX 3 visit to a grave

 

 

 ベッキー、ナナミと別れたソウヤは電車に揺られていた。目的地まではまだしばらくかかる。なんとなしに窓から流れる景色を眺めていたが、次第に眠気が襲ってきた。寝床を提供してもらったとはいえ寝たのは慣れない長座布団の上、朝もそこそこ早かったせいもあって眠いといえば眠い。何より、ここ最近は帰ってきてからも事務仕事があり慢性的に寝不足だった。セルクルと違って完全に任せてしまえる文明の利器だ、乗り過ごさなければ居眠りをしてもいいだろうと、彼は目を閉じる。

 そして眠りにつくまでに、2人は変わらず元気でよかったと安堵の心が広がる。シンクとの関係は少し疎遠になってしまったらしいが、彼女達なら大丈夫だろう。相変わらずベッキーはお節介焼きだったし、ナナミはおちゃらけながらもやはり年上のお姉ちゃんとしてしっかりしていた。そんなお姉さんらしく、ガウルとノワールのことについては散々色々言われた。が、それを本人達に言うかは難しいところだ。彼としてはノワールの言い分もわかっている。自分が口を出すべきことでもない、とも思っている。酔った勢いで言ったのもあるだろうし、それについては保留か、と判断した。

 そもそも、全く酔っていなかった、ということはないだろうが、どこまで酔っていたかは怪しい。なぜならナナミはわざわざ二日酔いのフリまでしていた、とソウヤには()()()()()()からだった。湿っぽい別れ方を嫌ったからだろう。その辺り、やはり実はしっかりしてる、と言わざるを得ない。

 

(ま、俺を騙そうなんてのはちょっと早かったがな)

 

 騙し合いや演技の領分ではソウヤの方が一枚上手だ。彼はナナミの演技を完全に看破していた。それでも、彼女のなりの気の遣い方だろうと特にそのことに突っ込まず、最後まで彼女の意思を尊重したのだった。

 大体、二日酔いと言っている割にあのそこそこのボリュームな朝食を、一応苦戦しているフリはしていたものの、彼女は全部平らげている。「吐きそう」とか言っている人間があんなに食べられるわけないだろうと彼は1人心の中で突っ込んでいた。だとするなら、昨日のあれも狸寝入りかもしれないとも思える。どの道ドキッとした瞬間はあったものの、ベッキーと話しただけだ。問題ないだろう。

 そんな2人のことを考えているうちにいつの間にか意識は闇へと落ちていた。眠りについたソウヤを乗せ、朝の電車は走っていった。

 

 

 

 

 

 目当ての駅で降りたソウヤは途中一度コンビニに寄り、そして目的地へと到着した。さすがに平日昼間、しかも盆や彼岸でもない墓地は人気(ひとけ)がなく閑散としている。まあその方が都合いいか、と彼は歩き、ある墓石の前に立った。「葉山家之墓」と掘られた墓石。ソウヤの両親が眠る場所だ。異世界で王族に婿入りしたために姓は変わってしまったが彼の元の姓は「葉山」、まだ両親を失って間もない頃から、両親の代わりに育ててくれた親戚に手を引かれ幾度となくここに連れてこられたために場所は覚えていた。

 その墓前で屈むと、彼はコンビニの袋から先ほど買った線香とライターを取り出した。全部使うのは少々量が多かったが、ここ意外で使う予定もない。うまくライターで火をつけ、その全ての線香を供える。

 

「……久しぶりだな、父さん、母さん」

 

 手を合わせ、まず彼はそう切り出した。最後に来たのは高校卒業後にフロニャルド永住を決めた時だろうか。かれこれ3年ほど来ていなかったことになる。

 

「本当ならちゃんと掃除とかもしなくちゃいけないところなんだが……。何分忙しくてな。こんなダメ息子でも許してほしい」

 

 墓石に語りかけるように、彼は続ける。そこには無論彼の両親の姿などない。いや、あったとしたらフロニャルドとは別な方向でファンタジー、あるいはホラーと言えるかもしれないが。

 

「だがおかげでここまででかくなれた。……実はもう結婚して今は嫁さんもいるんだ。気は強いけど、美人で、俺には勿体無いくらいの……。息子も生まれた。7ヶ月、今が可愛い盛りかもな。今度、もし機会があったら連れてくるよ。まあ俺も、もうここにいてもいないような存在だし、それも叶うかわからないけどな。……でも、この年になって、子供が出来て改めてわかった。父さんも母さんも、俺のことを本当に大事に育ててくれたって。だから……俺もそんな2人に負けないように、立派な父親になってみせるよ」

 

 ソウヤが小さく笑う。掘った穴だったか井戸だったかに向かって「王様の耳はロバの耳」と叫んだ男の気持ちが、少しわかるような気がした。日頃自分の心をひた隠しに、なるべく弱音を漏らさぬよう、王族騎士として賢明に普段を演じている彼にとって、レグルスの前同様に誰もいないここはようやく自分の本音をこぼせる場所でもあった。

 独白が終わると、彼は口と目を閉じ、2人の魂の安息を祈る。それが終わり立ち上がった時は、普段通りの、ソウヤ・ガレット・デ・ロワとしての顔に戻っていた。

 

「……じゃあ俺はもう行くよ。天国で2人仲良くやってくれ。そして……余裕があるならでいい、俺のことを見守ってくれ。……もっとも、天国からでも異世界は見ることが出来ないのかもしれないけどな」

 

 皮肉っぽく笑顔を浮かべてソウヤは墓石に背を向けた。そしてそのお墓がある寺の裏、人目につきにくいところへと歩いていく。その時足元から、「にゃーん」という猫の鳴き声が聞こえてきて、思わず彼は表情を緩めた。

 

「助かるぜ、チェイニー」

 

 ネクタイを締め、背中に短剣を背負った猫が彼の足元を並走していた。そして人気(ひとけ)が完全にないところでその猫は短剣を口に咥え、地面へと突き刺す。今のソウヤには見慣れた、だが普通の日本人には見慣れない文字と魔方陣のような紋様が浮かび上がり、辺りに光が広がって――。

 

 その光の収まりと共に、ソウヤは再び第2の故郷であるフロニャルドへと帰っていった。

 




タイトルの意味は単純に「墓参り」。
ひとつ前の話にくっつけてもよかったのですが、この次からがいよいよ終盤となりますので、一区切りという意味も込めて分割しました。

さて、終盤はいよいよ風呂敷を包みにかかるわけですが、割とアレな展開なので一気に駆け抜けたいと思っています。が、如何せん現状ストックがほぼないですので、しばらく充電した後での投稿となる予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 20 動乱から幕が上がる

 

 

「今日から夏休み、か……」

 

 7月末、スポーツバッグに荷物をまとめつつ、どこか嬉しそうにシンクはそう呟いた。長期休暇は彼にとって数少ないフロニャルドへの長期間滞在が可能になる期間である。中学1年から2年に変わる春休みの時から、これまでずっとそうであった。

 もうフロニャルドへの訪問はこれで何度目になるかわからない。最初数年は訪問回数を数えていたが、召喚術式の簡略化に成功し、飛躍的に訪問回数が増えたこともあって早々と数えることを諦めた。当初数ヶ月おきだった訪問が月1回になり、2週間に1回になり、週に1回へ。休日は極力予定を空けるようにして、何度もフロニャルドへ、ビスコッティへと訪れた。

 だから、シンクにとってはもうフロニャルド訪問は日常の一部となってしまった、と言っても過言ではないだろう。持っていく荷物を入れるのにもいい加減に慣れ、仕度の時間はもはや30分も要さずに済む。早々に荷造りを終えて、シンクは時計を見た。時計の針は7時50分を指している。お迎えは8時だ、まだ10分あるか、と彼は部屋の天井を見上げた。

 

 思えば5年以上経っていた、と彼はため息をこぼした。そういえば5年前、あの偏屈で、だけど本当はどこか世話焼きで優しい親友と初めて会ったのも、この夏休みの時だったと思い出す。自分と同じく勇者として隣国ガレットに召喚された、今では「百獣王の獅子」を嫁に持ち、「蒼穹の獅子」の異名まで持つ彼。だが初めて会った時の彼はすごく寂しそうな、何も映っていないような悲しい目をしていた。そんな彼の心を開きたくて、フロニャルドという世界の素晴らしさを伝えたくて、シンクは剣を交えた。

 あれからシンクとソウヤはずっと親友だ。兄弟のいないシンクにとって彼は兄貴分であり、またソウヤにとってもシンクはいい弟分だった。だから、今その兄貴分に迷惑と心配をかけていることを、彼は申し訳なく思っている。

 成長するにしたがって「恋心」というものを彼は覚えた。そこで始めて自分を召喚した姫君の気持ちに気づき、そして告白を受けて婚約を申し込まれたことで、彼自身もミルヒへの感情が大きく変わっていった。だがそれに対する明確な答えはまだ出ないまま。

 

 少し前にベッキーとナナミから久しぶりに一緒に出かけようというメールがあり、3人で街に出かけた。2人と最後に顔を合わせたのは高校卒業の時以来、半年ぶりだったが、ベッキーもナナミも少し大人びて彼の目には映った。楽しい時間を過ごすことはできたが、その間、2人ともミルヒとの婚約の話題は全く出そうとしなかった。逆に気を遣わせてしまっている、と思った。一度はナナミから叱責される内容のメールが届き、ベッキーにそれを相談するメールも送っているのだ、2人とも知らないということはありえない。

 早く答えを出さなければならない、とわかってはいた。だが、中学高校ともはや日常として過ごしてきた地球での生活とフロニャルドでの生活、そのどちらかを捨てるということはできなかった。ずっと先延ばしにしてきた答えの選択を迫られ、シンクは苦悩している。そのことをミルヒが気にかけていることも気づいている。もしかしたら今回の召喚で「これ以上シンクの地球での生活に負担をかけるわけにはいかない。もう召喚はしない」と突然告げられるかもしれない。そう言われたら……どうするだろうか。

 

 シンクはその答えを決めていない。心のどこかでそんな風に言われるわけはないと高を括っている部分もあるのかもしれない。いずれにせよ考えたくない、として答えを出せないでいるのだ。

 

(やっぱりダメだな、僕は……)

 

 自嘲的に小さく笑いを浮かべる。ああ、これはソウヤの癖だったかな、と思ったところで、ふとフィリアンノ城でソウヤと話したときの会話が脳裏をよぎった。

 

『お前を見てると……あれかこれか、ではなく、あれもこれも、って答えを出してくれる気がするんだよ』

 

 理由を聞くと「勇者だから」というナンセンスな回答で根拠を述べたソウヤの顔を今でもはっきりと覚えている。彼は笑っていた。「お前なら出来る」と言いたそうだった。

 

(……でもやっぱり無理だよ、ソウヤ。姫様と結婚したのに側にいてあげられないなんて……僕自身が許せないんだ。だから、あれかこれか、しかない……。だけど……)

 

 今まで散々悩み続けた思考がまた頭を堂々巡りする。そして結果はいつもと同じ、答えが出ない、で終わるのだ。

 

 ため息をこぼし、時計を見る。いつの間にか時計の針は8時を指していた。思考を中断してそろそろかな、と思ったところで、犬の鳴く声が2度聞こえてきた。

 小さく笑ってシンクは立ち上がる。お迎えの合図だ。答えはやはり出ていない。でも、今から勇者としてフロニャルドに行く、それだけは確実なことだった。そのことに嬉しさを噛み締めつつ、シンクは靴を履くとドアを開けた。

 

 

 

 

 

 エクレールは普段通り書類のまとめ作業に追われていた。大抵この仕事をやるのは夕方以降が多いが、シンクが来る日ということもあって予定を前倒ししてやっている。兄から夕方以降に勇者を交えて騎士団と親衛隊の演習をやるので、それまでは各自に待機の指示を出しておくように言われていた。基本的に親衛隊のことは自分に任せてくれることの多い兄だけに少し意外にも感じた彼女だったが、別に言われたことに疑問はない。実際そうとでも言われなければ彼女は普段どおりの訓練をする予定でいた。

 その待機時間を利用しての書き物だったが、少し疲れを感じ、書類を書く手を止めて右の肩を回す。以前はシンクが来る日とあればエミリオが手伝いに来ることが多かった、と思ったが、頭を振ってその考えを消し去った。それは髪と一緒に断ち切った過去のはずだった。今やシンクはミルヒの婚約者、エミリオも彼女にとっての婚約者。その辺りは以前よりは割り切れてきていると思っている。だがそのエミリオとまともにプライベートで会話をしたのはいつだったか、という考えがふと頭をよぎった。彼は尽くすように仕事上で彼女を支えていたが、私情となると彼のほうから話しかけてくることはなかった。

 

『自分と同じ姓を名乗ってくれるのは、隊長の心がちゃんと決まってからでいいです。あの時は自分も勢いで言ってしまった面もあります。ですから……無かったことにしたい、というのであれば甘んじて受け入れます。そこまで含めて、隊長の心が決まるまで、自分は待っていますから』

 

 そう言われ、その返事をエクレールはまだ保留している。申し訳ないことをしているとはわかっていつつも、彼女もシンク同様、答えを出せずにいたのだった。

 

 と、その時、彼女の部屋のドアが叩かれる。今考えていた相手だったらどんな顔をして会うかと悩んだ彼女だったが、

 

「エクレ? いるでありますか?」

 

 聞こえてきた友人の声に思わず胸を撫で下ろした。

 

「リコか? ああ、いるが。どうかしたのか?」

「ちょっと大切な話が……。シンクと一緒に入りたいでありますが、いいでありますか?」

 

 シンク。その単語に僅かに彼女の眉が動く。実のところ去年の冬の()()()()以来シンクはこの部屋に来ていない。鈍い彼は時折来ようとしたこともあったのだが、仕事が忙しいだのなんだの理由をつけて彼女が追い返していたのだ。

 だが「大切な話」とリコッタは言った。彼女もエクレールとシンクのことはわかっているはずだ。元々冷やかしは好きな彼女だが、さすがにこのデリケートな話題を引き出してきたことはない。だったらどうでもいいことではシンクを連れてきたりしないだろう。本当に大切な話に違いない。

 

「……わかった。入ってくれ」

 

 エクレールの声に入り口のドアが開き、リコッタとシンクの2人が部屋へと入ってくる。過去にエクレールの部屋を訪れる時、シンクはお茶を持ってくるのがほとんどだったが、今日は持ってきてはいない。どうやら四方山話(よもやまばなし)ではないらしい。

 

「おじゃましまーす。……なんかこの部屋久しぶりだなー」

 

 既に朝方にビスコッティに到着していたシンクが懐かしそうにそう言う。到着後にいつもの部屋に荷物を置き、城の人々に挨拶を済ませていたのだろう。

 

「そんなことはないだろう」

「いや、久しぶりだって。エクレ最近忙しそうだったし、あんまり会うとエミリオさんにも悪そうだったしでここには来なかったから」

 

 つくづくこいつはデリカシーがない、とエクレールは内心で僅かに苛立つ。が、私情は挟まないと誓った自分の言葉を思い出し、心を沈めて話を進めることにした。

 

「そんなくだらないことを言いに来たのか?」

「そうじゃないんだけど……。実は……さっきリコからある話を聞いてさ」

「ある話……?」

 

 一転して真面目な雰囲気でそう口にしたシンク。どういうことなのか気になるエクレールがリコッタの方へ視線を移す。1度頷いてリコッタは口を開いた。

 

「さっき廊下を歩いていた時のことであります。騎士団長とリゼル隊長が何やら小声で話しこんでいて……」

「兄上とリゼル隊長が? 何だ?」

「それが……。『今日は勇者殿もいらっしゃる。決行は予定通りに』と……」

「決行……?」

 

 エクレールは首を傾げる。兄からは特に何も言われていない。だとすると自分にも隠しての勇者へのサプライズだろうか。

 

「陰で息を潜めて聞いているとこうも言っていたであります。『姫様は午前のご公務時に私が()()()()()する。その後のことはリゼルに任せる』と」

 

 今度は思わず眉をしかめる。「確保」というのはいかなる意味であろうか。あまりよろしくない単語だろう。もしサプライズなら「お連れする」とか「お話しする」とか、いやそもそも「身柄を確保」という言葉は姫様に対して使うだろうか。どうにも話の行く先が穏やかではないようにも思える。だが真面目な兄が何かよからぬことを考えるなどあるはずもないだろう。

 意図を図りかねる。勇者と姫様の2人に伏せているべきサプライズ、とあればなんとなくの予想はつかないでもないが、それは周りからは茶々を入れられないようなデリケートな問題のはず。せめて自分に伏せている理由ぐらいは知りたい。いや、それ以上に()()()()でそこに一枚噛まされるのは御免だ。直接会って聞くのが早いか、とエクレールは立ち上がろうとする。

 

「待つであります、エクレ」

「何だ?」

 

 エクレールを止めたリコッタは至極真面目そうな表情だった。

 

「もし何かを計画しているとしたら、意図的に自分達には伏せていたはず。そこに首を突っ込んでしまっては、計画している側としても興醒めになってしまうと思うであります。むしろ、それならまだいいでありますが、もし本当によからぬ話だったとしたら……のこのこ出て行っては自殺行為になってしまうでありますよ」

 

 むう、とエクレールは小さく唸る。確かにそうだ。だがそれは何かがある、ということが前提、特に後半はありえないと言ってしまってもいいような話ではないか。

 

「そこで……これであります」

 

 次いで表情を一転させ、得意気に笑いつつリコッタが机の上に置いた物を見てエクレールは頭を抱えた。シンクはもうリコッタからその話を聞いていたのだろう、苦笑を浮かべている。彼女が机の上に置いたものは小型のフロニャ周波受信機。要するに彼女がしようとしているのは……。

 

「お前なあ……。姫様と兄上の会話を盗み聞きするつもりか?」

 

 エクレールの問いかけにリコッタは得意気に頷いた。

 

「心配はいらないであります。さっき姫様の部屋に行ったときにこーっそり集音機を仕掛けてきたでありますよ」

 

 思わずエクレールはため息をこぼす。これだけリコッタが楽しそうにしていると思わず本来の目的を忘れてしまいそうだ。いや、もしかしたら本当にリコッタはただ楽しんでいるだけかもしれない。結局何かの企画を先に盗み聞こうとしているだけなのだろうから。

 

「あのな、何かあると決まったわけじゃないだろ?」

「だから確認をするでありますよ。これならサプライズな計画の話を聞いてしまっても、自分達が知らなかったフリをしていればいいだけであります。……お、感度良好、ばっちりであります。エクレは聞かないでありますか?」

 

 受信機を調整しつつリコッタが尋ねる。なんだか悪いことをするようで彼女の良心がそれを咎めていたのだが、

 

「……聞く」

 

 結局好奇心が勝ってしまった。どうにもリコッタにうまく手玉に取られた気がして、彼女はふくれっ面で受信機を見つめた。

 

「なんか、僕を驚かせようとしてるのを盗み聞くみたいで悪いけど……」

 

 とか何とか言いつつ、シンクもシンクで乗り気のようであった。

 ミルヒとロランの会話が聞こえてくる。リコッタの言った通り感度良好、部屋の中での会話は筒抜けとなるだろう。

 

 だが、この後受信機から流れてくる会話がビスコッティの運命を大きく左右するほどの物だということを、この時はまだ想像すらつかないのであった。

 

 

 

 

 

 フィリアンノ城、ミルヒオーレ自室。ミルヒは普段通り、書類に目を通して確認の捺印作業をしていた。傍らには秘書官のアメリタが佇み、椅子に座って作業するミルヒと向かい合うように騎士団長のロランが立っていた。書類の内容に目を通し、ミルヒは判子を押していく。

 

「いつもご苦労様です、姫様」

 

 そんな彼女にロランは労いの言葉をかける。とはいえ、ほぼ社交辞令だ。

 

「いえ。私の仕事ですから」

 

 こちらも社交辞令、とミルヒが返す。が、話しつつも確認作業の手は抜かない。確認作業といってもここに不適切な書類が紛れ込んだことなど過去に1度もない。そのまま判子を捺すだけでもいい作業だというのに、決して暇ではないにも関わらず姫君は律儀に全てに目を通してから了承の印を捺しているのであった。

 

「しかし、勇者殿もいらしておりますし、姫様としてはこのような面倒事は早々に終わらせたいのではないかと思いますが」

「そう思う気持ちがないわけではありませんが……。でも手を抜くわけにはいきません。自身の行いに責任を持たなければなりませんし」

 

 やはり真面目なミルヒの返答にロランは思わず失笑をこぼした。だが、次いでその表情がやや真面目なものへ変わっていく。

 

「責任、ですか。……その責任のために、勇者殿へ正式に婚約を取り付けることが出来ないというわけですか?」

 

 書類を追っていたミルヒの視線が止まる。明らかに動揺した様子でその視線を宙に投げ出し、彼女は考え込んだ。

 

「……以前から言ってる通り、シンクには元の世界での生活があります。ですから、私にそれをどうこう言う権利はありません。ただ、私としては結婚をしてもこれまで同様の往復生活でも構わないと言っているのですが、シンクがそれを嫌がっている状態です」

「だから、今すぐにどうこう答えを出すことは出来ない、と?」

「そうなります。……ビスコッティがやや落ち着き始め、再び成婚の話が上がりつつある現状、私としてもこの件の答えを早急に出したい気持ちはあるのですが……。やはりシンクの気持ちを無視することは出来ません。互いに納得できる答えを見つけるまで、保留にせざるを得ないと思っています」

「なるほど。……私には()()()()()でけしかけておいて、ご自身の件になるともう少し待ってほしい、と」

 

 ロランにしては珍しく皮肉めいた一言だった。これには思わずミルヒも苦笑を浮かべる。

 

「わがままだということはわかっています。それが結果として、臣下の皆さんに苦労をかけているということも」

「本当にご存知になっておられるのですか? ……アメリタ、今月これまでに上がっている縁談の数は?」

 

 「えっ」とアメリタが言葉に詰まる。パスティヤージュとの戦以降、安定しつつあると判断されたビスコッティはこれまでよりも多くの数の縁談が紛れ込んできていた。名を馳せる騎士、大富豪の商人の跡取り、さらには有力な権力者まで。アメリタはそれに丁重に断りの連絡を入れていた。

 その夫の質問への回答を答える前に、彼女はミルヒの顔色を窺う。普段怒りの表情を滅多に浮かべない彼女が先ほどと一転、今度は明らかに苛立っているとわかった。一度は皮肉めいた冗談、と捉えた様子だったが、今のはその範疇を越えていると判断したのだろう。その表情の前に、秘書官は開きかけた口を思わず閉じていた。

 

「……何が言いたいのですか、ロラン?」

「最初に言った通りです。姫様には一刻も早く身の振り方を、更に言えば勇者殿とのご関係をどうされるのかをお決めいただきたいと思っているのですよ。

 先代領主様ご夫妻の行方がわからなくなって以降、民は明るいニュースを心待ちにしている。例えるなら姫様の婚約のような話題を、です。しかし当の本人が一向にそれに応じる気配がない。……内戦に誘拐未遂、平穏を取り戻しつつあるとはいえその原因は未だ不明な現状、この国にはお世辞にもよろしいとは言えない空気が渦巻いている。しかしこれまでの流れでようやくいい方向へと動きつつある。そしてそれを完全に払拭できるとしたら……」

「くどいです。私もシンクも、互いに納得した形でなければこの件の答えを出すつもりはありません。……そして、このことについてもうこれ以上、今この場で話すつもりもありません!」

 

 珍しく、ミルヒの怒気をはらんだ口調に部屋の空気が張り詰める。ミルヒもロランも、互いに視線を逸らさず、傍らのアメリタだけが1人うろたえていた。

 ややあって、ため息をこぼしつつ、ミルヒが視線を元通り書類へと落とし、確認作業を続け始める。ロランはその様子をしばらく見つめ、そして書類が最後の1枚となったところでゆっくりと口を開いた。

 

「……私としては警告(・・)のつもりだったのですがね」

 

 その彼の一言か、いや、それとも書類の内容か。ミルヒが不意に怪訝な表情を浮かべる。

 

「……ロラン、これはどういうことですか?」

 

 再び騎士団長と交わされた領主の視線は、明らかに疑念に満ちていた。

 

「この書類……。『1週間後にミルヒオーレ姫殿下の伴侶を選別する縁談の会を大々的に開催したい』と書かれています。ありえないはずの書類です。このようなことは当事者であるはずの私の耳に全く入ってきていません。なぜこのような書類がここに紛れ込んでいたのか疑問に思いましたが、責任者の名前を見て納得しました。責任者の名はロラン・マルティノッジ……。これを紛れ込ませたのは、ロラン、あなたですね?」

 

 ますますの疑念を持って騎士団長見つめる彼女の瞳に飛び込んできたのは、これまで見たことのないような冷たい視線だった。先ほどの話と相俟って冗談やおふざけの類ではない、と暗に意味しているように感じられる。普段のロランからは想像もできないような突き刺さるほどの双眸に、思わずミルヒはたじろいだ。

 

「言ったはずですよ、警告だと。……やはりあなたは何もおわかりになっていない。今この国がどういう状況にあるのか、そして()()()()()()()()()のか。

 ……()()()()です。それに判を捺していただきたい。この国を然るべき方向へと導く、あなたの権威を改めて象徴するという意味でも……!」

「論外です。そのような要求には応じられません。確かに民は私の成婚を望んでいるかもしれません。しかし、このような形だけの行為を、本当に望むでしょうか?」

「……仕方ありませんね。では、こちらもそれ相応の方法を取らせていただきます……!」

 

 そのロランの一言が合図だった。ミルヒの部屋に突如として騎士団数名が駆け込んでくる。――しかも、その手には武器を持って、だ。

 

「なんですか、あなた達は! ここが領主である私の部屋と……」

「申し訳ありませんが姫様、既にそのような状況ではないということをご自覚いただきたい」

 

 ロランが一歩を踏み出す。向けられた視線と、明らかに普段と異質なその空気に、姫君も事ここに至ってようやく自分が置かれた立場を把握した。

 彼は、本気だ。あの目は、これから重大な何かを()()()()()としているような、何かを決心したような、そんな目だ。

 その空気に気圧され、思わずミルヒが立ち上がり、数歩後ずさる。だが立ち上がっても部屋の入り口には騎士達、そして背後には窓とベランダ。ここは3階だ、飛び降りたところでフロニャ力によって怪我はせずに済むだろうが、今目の前の彼らに背を向けることがまず出来ない空気、さらに仮に飛び降りたとしてすぐに追いかけられればそれまでだ。

 

「……お掛けください、姫様。まずはその書類に印を。その後こちらの要求に従っていただければ、手荒な真似はしないと約束しましょう……」

 

 助けを求めるようにミルヒはアメリタへと視線を移す。だが彼女も、ただ呆然と立ち尽くしていた。夫の凶行を信じられないという気持ちで見ているのかもしれない。

 

「何が……何が目的なのですか、ロラン!?」

「ずっと申し上げているではありませんか。この国の現在の混乱を解消し、領民の心を再び結束させ、国をあるべき姿へと導いていただきたい。そのための手段として姫様にはご結婚をしていただきたい。……それを成されないというのであれば、この国はやがて滅亡への道を歩むことになりかねない。だとするなら……現在の体制を変えねばならない……」

 

 国家の転覆。今ミルヒの目の前にいる騎士団長はそのことを口にしたのだと、彼女はようやくわかった。だが長年仕えてきてくれた、真面目なこの騎士団長がなぜそのようなことを言い出すに至ったのだろうか。

 いや、むしろ真面目だからそう思ってしまったのかもしれない、と彼女は気づく。自身に領主としての資格がない、とするなら、この国の行く末を(おもんばか)って、このような大それた行動を起こしたのかもしれない。

 本当にそうなのかはわからない。真面目なはずの彼にも野心があり、誰かの口車に乗せられてこの凶行に至った可能性も否定できない。ミルヒはそうも思ったが、何にせよ、今彼女がとてつもない窮地に追いやられていることだけは確かだった。逃げようにもどうしようもない。抵抗したところで、非力な自分がロランを筆頭とする騎士達を相手にしても勝ち目がないこともわかっていた。

 

「……わかりました」

 

 結局のところ、長年支えてきてくれた騎士団長にも不満を募らせてしまった結果が現在の有様なのだ、と彼女は考えた。長い空白の後で、要求に対して了承の言葉を口にする。その言葉にロランの眉が一瞬動く。彼としてはてっきり抵抗されるものと思っていたのだろうか。

 

「あ、あの……姫様……」

「アメリタ、すまないがもう少し黙っていてもらえるか。口を出さないでくれていい」

 

 何かを言おうとしたアメリタをロランが遮る。だが今のミルヒにはそれも耳に残らない。先ほど後ずさった分の数歩をゆっくりと歩み、椅子に腰掛けようとする。

 

 ――その時だった。

 

 彼女の背後、1人の人間がまるで弾丸のように、窓ガラスを突き破って飛び込んできた。

 その部屋にいた誰もが目を見開く。その金の髪を持つ青年は体を防護するように包んでいたマントを広げ、ガラスの破片を振り払う。そして目的の人物を確認するが早いか、その手をしっかりと握り締め、自分の手元へと引き寄せた。

 

「姫様、捕まって!」

「シンク……!?」

 

 名を呼ばれた勇者は、姫君の両脚を左手で抱え、さらに右手を背を通して肩を抱き締める。ミルヒを抱きかかえたままの彼がベランダへと駆け出し「トルネイダー!」と声を張り上げた。直後、ボードのような輝力武装が生まれると同時、彼はベランダの手すりを乗り越えて大空へと滑空していく。

 その彼の背中に、狼狽したようなロランの声が聞こえてきた。

 

「なっ……! 騎士団に通達、勇者が姫様を連れ去った! 『逃亡の姫君』と勇者を逃がすな!」

 

 

 

 

 

 滑空するトルネイダーの上、自身が愛する人の腕の中でミルヒは風を感じていた。そういえば最初にこのように風を感じたのは自身の誘拐興業が行われ、コンサート会場まで間に合わないという時に全速力で自分を送ってくれたあの時だった、と思い出す。

 思えばその時から、いや、その前に星詠みで視た時からずっと彼女はこの異性に恋心とも呼べるような感情を抱いていたのだ。自分の、この国の勇者として召喚した彼に憧れ、慕い、そしてこれまでを共に過ごしてきた。やはりこの青年から離れたくない、とミルヒは彼の服をギュッと握り締める。

 

「……大丈夫だよ、姫様」

 

 そんな姫君に、勇者は優しく声をかけた。

 

「何があっても、僕が姫様を守るから。絶対、絶対、守るから……!」

「……ありがとう、シンク」

 

 愛する人の名を呼び、ミルヒが今度は胸元へ顔をうずめる。

 

「もう少し飛んだら、陸路に切り替えるよ。空路は目立つから、エクレとリコがセルクルを連れて待ってくれている」

「エクレールとリコが? ……そういえばシンク、なぜ私が危ないとわかったんですか?」

「詳しくは後で話すけど……。リコが騎士団長とリゼル隊長の、なにやらよろしくない会話を聞いちゃったらしくて。今日姫様の部屋に遊びに行ったときにこっそり盗聴器を仕掛けてきたんだって」

「そういえば少し前にリコは私の部屋に来ましたが……。その時ですか、全然気づかなかったです……」

「それで申し訳ないと思ったけど、姫様と騎士団長の会話を聞かせてもらったんだ。最初はきっと僕を驚かすための何かだろうって思ってたし、リコもいたずら半分で、って感じだったけど……。段々雲行きが怪しくなってきて、それでリコがこれはもしかしたら何か謀反のようなものが起きるのかもしれない、って、そうなったら姫様を連れて逃げるしかないって。エクレは信じられないみたいだったけど、話が進むに連れて信じざるを得ないってなって……。僕が姫様を連れ出すから、その間に2人はセルクルを確保して合流ポイントに行くってことになったんだ」

「そうだったんですか……。2人にも感謝しないといけませんね……」

 

 言いつつ、ミルヒは眼下の景色に目を移した。慣れ親しんだ、彼女が愛したフィリアンノの城下町。だがもしかしたらもう自分がここを見ることは叶わないのかもしれない。彼女はこれから追っ手を逃れて「逃亡」することになる。あの場から逃げ出した以上、そうなるしかないだろうとはわかっていた。

 だが、彼女は怖くはなかった。手を握り締められた時、覚悟は決まっていた。愛するこの青年と一緒なら、きっとどこまででも逃げることが出来る。そう固く信じている。

 しかし心残りはある。結局自分はこの国のために何ができたのだろうか。ロランが言ったとおり、ビスコッティにかかる暗雲を振り払えなかったのかもしれない。彼女自身の誘拐未遂の真実も闇の中だ。いつか隣国の元勇者が「忠告」と称して述べた「不穏な空気」。それが形となって動き出してしまった。領主という立場でありながら、それを止めることができなかった。それだけは無念だった。

 そうであっても、例え逃亡者として罰せられるとしても、ビスコッティを良き方向へと導いた上でそうなりたい、と彼女は思っていた。逃げた自分には何も出来ないかもしれない。それでも、騎士団長が言ったような滅亡への道だけは絶対に取らせたくない。亡国への道はビスコッティには歩ませない。自身も、領民も、そしてシンクも、皆が納得する形をどうにかして見つけたい。ミルヒはそう心に誓っていた。

 

 城下町の上空を過ぎて少し経ったところで、段々と高度が下がってくる。合流ポイントが近づいたのだろう。見れば木々の陰に、人目を避けるように4羽のセルクルと、2人の女性が立っているのが見える。だがそのセルクルの中に本来ミルヒの愛騎であるハーランの姿はない。連れ出すことが出来なかったのだろう。

 シンクはトルネイダーを着陸させると輝力武装を解いた。ずっと抱きかかえられたままだったミルヒも両足を地面に付ける。

 

「姫様! 無事でありましたか!」

 

 木陰から現れたリコッタに、ミルヒは少し苦い表情を浮かべつつ笑みを返した。

 

「はい。シンクのおかげで、なんとか。それにリコも私の部屋にこっそり仕掛けをしてくれてありがとうございます。あれがなかったら、私はどうなっていたか……」

「いやいや、姫様にとんだご無礼をしてしまい、申し訳ないであります。……でも、それをやっていなかったら……大変なことになっていたでありますね……」

「今でも十分大変なことだ」

 

 リコッタ同様、木陰から現れたのはエクレールだ。困惑を隠そうともせず、ため息をこぼしながらそう漏らす。

 

「あの兄上が何を考えているかわからないが……。あれは明らかに謀反だ。それが起こっただけで……もはやただ事ではない」

「エクレールの言うとおりです。……ですが、幸い私は難を逃れてここにいます。それでも、この後追っ手がやってくるでしょう。だとしても、私は捕まるわけにはいきません。事の真意を問い質し、この件に対して誰もが納得できるような答えを見つけたいと思っています。……そう思ってはいるのですが、私と一緒に逃げたとあれば、3人にも迷惑を……」

「今更何を言ってるの、姫様」

 

 申し訳なさそうに言ったミルヒと対照的、3人の表情は何の迷いもなかった。

 

「さっき約束したでしょ。何があっても、僕が姫様を守るって」

「私は姫様の剣です。姫様のために、この身を投げ出す覚悟はできています」

「姫様、水臭いことは言いっこなしでありますよ。姫様旧知の学友として、このリコッタ・エルマールも微力ながら協力するであります」

「ありがとう……皆……」

 

 ミルヒは目を細める。

 そうだ。自分にはこれほど心強い勇者と親衛隊長と学友がいてくれる。だから、3人の決意を無駄にしないためにも、自分はなんとしても逃げ延び、この一件を解決してビスコッティの未来を切り開かなくてはならない。

 

「……とにかくこの場を離れましょう。一先ず状況の整理が必要です。……こんな時、ダルキアン卿がいてくれればよかたのですが……」

「エクレ、ない物ねだりをしても始まらないでありますよ」

 

 思わずこぼしたエクレールの小言にリコッタが反応する。不幸なことに隠密部隊は1週間ほど前から再び旅に出てしまっていた。もしいてくれれば、大陸最強の剣士とそこに居候している有名な鍛冶師に助けを求めることも可能だったのに、とエクレールは思わず唇を噛む。

 

「……まあリコの言うとおりだな。私達でなんとかするしかない。ともかく、リコがノワールとどうにか連絡を取って情報収集とガレットへの協力要請をしてくれるということですので、あまり人目のつかない宿屋を探して、今日はそこでガレットへの連絡と夜を明かそうと思います。姫様には窮屈な思いをさせてしまうかもしれませんが……」

「いえ、構いません。エクレールに任せます。……その後はどうしますか?」

「ガレットの返答次第、としか言えないであります。一番妥当なのは友好国であるガレットに協力を求めることでありますが……。なんにせよ、自分たちをかくまってくれるところを見つけなければならないであります。そうしないと、逃げ続けなくてはならないでありますから……」

 

 先の見えない現状に、思わず女性3人の表情が沈む。

 

「そうと決まれば、行こう!」

 

 しかし唯一の男性、シンクだけは明るかった。

 

「今ここであれこれ悩むより、まず出来ることをやろうよ。そうするしかないんだし」

「……本当に貴様は単純だな」

 

 呆れたように、だが嫌味な意味合いは全くなく、エクレールがそう呟く。彼女自身、そうするしかないのはわかっていた。それでも、思わずこの先のことを不安視してしまったのだった。

 だから、そんな自分の気持ちを振り払ってくれるような彼の発言には感謝していた。これから先、もし困難や決断をくだしかねる場面に直面しても、彼が口を開けば、自分も、そして姫君も納得して行動できるだろうとエクレールは思っていた。

 

「だったら、善は急げであります。なるべく人目につきにくい道を選びながら、出発でありますよ」

 

 リコッタの提案に全員が頷く。それぞれがセルクルへと跨り、フィリアンノの城下町に背を向けて進み始めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 21 動き出す獅子

 

 

「ビスコッティで……謀反が起こったじゃと!?」

 

 隣国で異変が起こってから数時間後。その情報は今日が休日で家族と共にくつろいでいたソウヤの元へももたらされた。

 

「どういうことじゃ、ビオレ!?」

「私も詳しいことは……。ただ、ノワールが主席から連絡を受けたそうです。興業やそういう類ではなく、本当に謀反が起きて姫様が捕らえられるところを、なんとかシンク君が助けて連れ出すことに成功し、現在逃亡中だと……」

「な……。では、ミルヒも今は逃げていると!?」

 

 ビオレが重々しく頷く。

 

「現在姫様、勇者様、親衛隊長、主席の4名で人目を避けるように、地方の宿屋で身を潜めているそうです」

「……ルビコン川を渡っちまったか」

 

 ここまで黙っていたソウヤがボソッと呟いた。彼がかつて暮らしていた地球の故事、古代ローマにおいてカエサル、あるいはシーザーと呼ばれた男が重大な局面を迎えた際に取った行動から由来する一言だった。だがレオはその真意を測りかねると、怪訝な視線を向けてきた。

 

「どういう意味じゃ?」

「とうとう一線を越えちまった、ついに幕は上がっちまったってことだよ。……状況としては最悪だな」

「何?」

「人同士の争いってのが1番面倒なんだよ。……お前得意(・・)の星詠みで魔物を見た、と言っていたからな。てっきり今回のビスコッティの一連の騒動は魔物の類が絡んでいるんじゃないかとも思ったが……。いやそれがまだ黒幕という可能性も否定できないが、相手が人ならざるものならそれを叩き潰せばそれで済む話だ。だが、相手が人間となれば話が変わってくる。下手に動けば国の存亡にまで関わる話になってくるからな」

「何を呑気なことを言っておるんじゃ、お前は!」

 

 レオが思わず声を荒げる。レグルスを産んでからは丸くなった、と思っていたソウヤだったが、この剣幕は久しぶりに見るものだった。まあ無理もないだろう、姉妹のように仲のよい隣国の姫君が現在逃亡中、となれば焦る気持ちが表れるのも納得だった。

 

「ミルヒが追われて逃げているという話じゃぞ!? 黒幕など後で如何様にもしてくれる。しかし今はミルヒを……」

「落ち着け。この件にどういう対処をするかはヴァンネットで既に話し合われてるだろう。そしてその方針が決まったからこっちに連絡をよこした、だと思うが……。多分ガレットとしては、この事態をなるべく静観したいという方向で動くだろう」

「な……!」

「ソウヤ様のおっしゃるとおりの判断が、ヴァンネットでもされたようです。ガウ様は姫様をかくまうべきという主張をしたそうですが……。友好国の姫君をかくまうということは、内政干渉、あるいは隣国を取り込んでの軍備増強のための一歩という見方も出来るために、他国から槍玉に挙げられかねません。さらに、ビスコッティの混乱を白日の下に晒す結果にもなります。そうなれば他国……殊に、現在非常に状況が不安定なカミベル辺りに大々的に付け入る隙を与えることとなります。そういうことをバナード将軍が助言し、ガウ様も渋々了承したそうです」

「さすが知将、いい判断だ。……彼としても、友人がこの件に何かしらは関わっているだろうから、本来は首を突っ込みたかっただろうがな」

「ふざけるな! ガレットが静観じゃと!?」

 

 再びレオは声を荒げた。ソウヤはそれに対してため息をこぼす。

 

「だから落ち着け」

「落ち着いてなどいられるか! ソウヤ、貴様こそなぜそんな冷静でいられる!?」

「冷静? ……お前、俺が冷静に見えるほど耄碌(もうろく)したのか?」

 

 不機嫌そうに言われた棘のある一言。その一言でレオはようやく気がついた。間違いなく頭に血が上っていて、夫の雰囲気の変化に全く気づかなかった、というのは事実だった。

 ソウヤは冷静でなどいなかった。その目は明らかに不満、あるいは苛立ちを抱いていた。結婚してからというもの、レオはそういう変化に対して目ざとく気づいていたつもりでいたが、この時に限ればそれを完全に見落としていた。

 

「俺だって出来ることなら今すぐ飛び出して行って、姫様とあの馬鹿をかくまって黒幕を暴き出してぶっ飛ばしてやりたいところだ。だが今の俺は曲がりなりにもガレットの騎士、隊を預かりしかも妻にガレットの姫君をもらってるような立場だ。迂闊な行動が出来ないってのはよくわかってるつもりだ。……だから将軍の行動をいい判断だと言ったんだよ。方針が決まってしまえば、俺もお前も口が出せない。方針を決める場に俺が呼ばれていたら、自分では冷静でいる()()()でも、本音が混じる可能性があったからな」

 

 おそらく彼の内心の苛立ちは相当なはずだ。口調こそなるべく冷静に努めたようだったが、言葉の端々から明らかな本音が見え隠れしているようにも感じられる。そんなソウヤに、レオも心を静めるよう努力した。今度は少し冷静さを取り戻して尋ねる。

 

「……お前は、それでいいのか?」

「いいも悪いもない」

 

 だが、帰ってきたのはいつも通り、どこかそっけない、そして諦めの色を含んだ返事だった。

 

「領主殿がそう決めたらそれに従うだけだ。ましてや、この判断は妥当と思っているんだからなおさらだろう。……俺1人が動いたところでどうすることも出来ない。なら、長いものに巻かれる、わけじゃないが、国の方針に従って動く方が賢明だし事態の解決により助力できる」

「そうは言うが……」

「それに、ガウ様だってただ手をこまねいて見てるだけじゃないだろう。……ビオレさん、その辺の情報は入ってきてませんか?」

 

 はい、とソウヤの予想を肯定する相槌を打ったビオレ。だが、その顔色はあまり浮かばない様子だった。

 

「ガレットとしては……自国にとって友好国であるドラジェのレザン王子に、姫様の保護を求める方針で固まったようです」

「ドラジェ!?」

「……なるほど、表向きは第三国、ってことか」

「表向き……?」

「ドラジェはガレットにとって貿易相手の友好国。だがビスコッティから見た場合はそこまでの友好国というわけでもない。この間の合同演習のように興業が行われることはあるにはあったが、決して多くないからな。そこから考えると、友好国であるガレットでかくまうよりはドラジェにかくまったもらったほうが、さっき言ったような槍玉に挙がることはなくなる。ドラジェもドラジェで友好国であるガレットからの頼みだ、無下にはできない」

 

 なるほど、とレオは顎に手を当てて考えた。確かにソウヤの言ったことは理解できる。だが理解と納得は別物だ。現在ミルヒは追われる立場になっている。目的地がドラジェということは、つまり――。

 

「ビオレ、ミルヒ達はこの後ドラジェに向かうということじゃな?」

「そうなるかと思われます。現在はビスコッティの外れにある小さな村の宿屋で身を潜めて今後の方針と休憩を取り、明日の日が昇るより早く出発する、とのことです。ただ、当初はガレットを当てにしようということでガレット側に進路を取ったため、ドラジェへは時間がかかる場所ということですが……」

「その宿屋の場所はわかるか?」

「わかるにはわかりますが……。レオ様、まさか……!?」

「ああ。……ビスコッティからドラジェまで、決して短いとはいえない距離じゃ。しかも人目を避ける、となればなおさら、さらには追っ手がかかる可能性もあるじゃろう。……なら、ワシがミルヒを守りに行く……!」

 

 確固たる意思を持った瞳で、レオはそう呟いた。

 

「いけません、レオ様! いくら今は領主ではないとはいえ、レオ様は王族……嫌がる言い方かもしれませんが姫君なんです。なのに独断で動くなど! ソウヤ様からも何か言ってあげてください!」

 

 ゆっくりと、ソウヤはレオを見つめる。

 

「ソウヤ、止めないでほしい。勝手で無茶な頼みだとはわかっている。じゃがワシにとってミルヒはかけがえのない姉妹のような大切な存在。これだけの大ごとに巻き込まれたのを、指を咥えて見ているなどできんのじゃ……」

 

 妻の懇願に、彼は大きくため息をこぼした。そこには諦めの色と、予想通りという意味合いが込められているようだった。

 

「お前ならそう言うと思ってた。……わかったよ。止めない」

「ソウヤ様!?」

 

 ありえない、とばかりにビオレが非難の声を上げる。だが、ソウヤは聞く耳をもたないらしい。一方のレオは目を伏せ、感謝の意思をソウヤに伝えていた。

 

「……すまない、感謝する」

「謝るのはこっちの方だ。本当は着いていきたいが、俺も今の立場がある。その立場を利用して協力はするつもりだがな。……ただ、1つだけ約束してほしい。必ず帰って来い。そしてまた2人で、自分の腕でレグルスを抱く。それが条件だ。それだけは約束してくれ」

「わかった。確かに約束しよう」

 

 迷うことなく即答したレオに、ソウヤは小さく笑った。了解という意思表示だろう。

 

「仕度をする。ビオレ、手伝ってくれ」

「ですが……」

「手伝ってあげてください、ビオレさん。俺からもお願いします」

 

 先ほどソウヤがこぼしたため息よりも深く、ビオレがため息をこぼした。もう彼女としては呆れるしかなかった。

 

「……わかりました」

 

 仕方ない、とばかりにビオレがレオに続いて寝室へと入っていく。その背を見送ると、ソウヤはゆりかごで眠る我が子の元へと近づいた。そしてそっと抱き上げ、その頭を優しく撫でる。

 だが、ソウヤはレグルスに何も語り掛けなかった。かつては我が子に自身の心の弱音を漏らしたこともあった。しかしそのレグルスが眠っているからだろうか、ソウヤは何も発せず、ただ、神妙な面持ちでその頭をゆっくりと撫でていただけだった。

 

 ややあって、レオが支度を終えて寝室から出てくる。ソウヤも久しぶりに見る、彼女の戦の格好。美しくも凛々しい、その戦姫の様子に思わず感心したようにソウヤが鼻を鳴らす。

 

「なんじゃ、じろじろ見おって」

「いや、お前のその格好を見るのも久しぶりだと思ってな。……家で見る綺麗なお前もいいが、そうやって凛々しい格好で戦場に立つ方が、やはりお前らしいのかもな」

「からかうな。……それにこれから行くところは文字通りの戦場じゃ、気を引き締めねばならない。だが、先ほど約束したとおり、ワシは必ず戻ってこようぞ」

「ああ。そうしてくれ」

 

 抱いていたレグルスをソウヤがレオに受け渡す。優しく我が子を抱きかかえた母は、先ほどソウヤがそうしたように頭を撫で、次いで額に口づけた。

 

「レグ、少し行って来る。またすぐに、お前をこの手で抱いてやるからな……」

 

 そう言い残し、名残惜しそうにレオはビオレへとレグルスを預けた。

 

「レオ様、私もご一緒に……」

「ダメじゃ。お前にはレグを任せたい。それにワシのわがままにお前を巻き込んで危険な目に遭わせる訳にはいかん」

「危険なこととわかっているのでしたらなおのこと……!」

「それでもワシはミルヒを助けたい。……すまないビオレ、わかってくれ」

 

 口を真一文字に結び、ビオレが託されたレグルスへと視線を落とす。

 長年仕える側近、そして近衛隊長として彼女はついていきたかった。だが、何よりも大切な主の子を任されたのだ、それが自身への信頼に他ならないとも感じていた。

 

「レオ。ここでビオレさん1人じゃ何かと大変だろうから、事が収まるまで俺はビオレさんとレグを連れてヴァンネット城へ行こうと思っている」

「ああ、それがいいかもな。ルージュやメイド隊もおるじゃろうし」

「ここに戻ってくる時はお前と一緒だ。だから……」

「わかっておる。皆まで言うな」

 

 小さく微笑を浮かべ、2人は顔を寄せ合う。そしてレオはソウヤと口づけを交わした。

 

「他に何か言っておくことはあるか?」

「……姫様のついででいい。あの馬鹿を頼む」

「わかった。ついでになんとかしてやろう」

 

 厚顔な物言いだったが、それだけでソウヤには十分伝わったようだった。満足したように表情を僅かに崩す。

 レオが3人に背を向ける。そのまま、まさに威風堂々と言う言葉が最も似つかわしいほどに優雅に、彼女は家の入り口へと歩いて行く。

 

「……では行って来るぞ!」

 

 気高く美しい百獣王の騎士は以前と変わらぬ威厳をその背から放ち、そして彼女にとっての戦場へと向かうべく、扉を開いた。

 

 

 

 

 

 レオの出発後、ややあってソウヤはレグルスを抱くビオレと共にヴァンネット城へと訪れていた。こうなってしまっては休日も何もあったものではない。彼が率いる遊撃隊はこういう場合にどうとでも動けるように組織された隊だ。なら、いつでも動けるようにしておいたほうがいいだろう。とはいえ、既に夕暮れは近い。夜の行軍は危険が伴うことに加え、逃亡中の4人も宿を取ったということだから、早くとも明日の早朝の出発とはなりそうであった。

 無論それだけが理由ではなく、先ほどソウヤがレオに言ったレグルスの世話、という点からの行動でもあった。普段からレオとビオレ2人でレグルスの面倒を見ていたことを考えると、ビオレ1人では手に余るのではないかという危惧があった。だから早いうちに動くこととしたのだった。

 

 ソウヤとビオレ、それに抱きかかえられたレグルスの3人を待っていたかのように、城内では近衛隊長代理のルージュが待機していた。

 

「お待ちしておりました、ソウヤ様。それに……お久しぶりです、ビオレ姉様」

「久しぶりね、ルージュ。近衛隊長としてしっかりやってくれていたようで、私としても嬉しいわ」

「私はあくまで代理です。姉様の代わりとしてこの役割を預かっていただけですから」

 

 相変わらずなルージュに思わずビオレは苦笑をこぼした。この様子では以前ふざけて言っていた「苦労してこんなに尻尾の毛が抜けた」ということを言い出しかねない。

 

「再会を懐かしんでいるところすみません。ルージュさん、ガウ様に会うことは可能ですか?」

 

 そこで口を挟んだのはソウヤだった。彼としてはこの状況について一刻も早くガウルと話したいのだ。

 

「あ……。はい。現在騎士団長と今後の方針について相談中のようですので、ソウヤ様でしたらそこに顔を出されても問題はないかと……」

「じゃあ早速ですが行って来ます。領主執務室ですよね?」

「そうですが……。ご案内は……」

「ここは家みたいなもんだ、いりませんよ。それよりビオレさんと一緒にレグの面倒をお願いします。俺とレオの分身だ、よろしく頼みますよ」

 

 プレッシャーをかける一言に一瞬ルージュの顔が固まる。予想通りの反応だったのだろう、愉快そうに笑みをこぼし、ソウヤはその場を後にする。

 

 先ほど述べた通り、ヴァンネット城はソウヤにとって今では家のようなものだ。もう部屋を間違えるはずもない。迷わず領主執務室へと進み、ドアをノックする。

 

「……何だ?」

 

 部屋の中から訝しげるようなガウルの声が聞こえてきた。それもそうだろう。今は騎士団長との会議中というのは周知の事実のはずだ。普通ここに水を差すのはあまり考えられない。

 

「ソウヤです。事態が事態ですので休みを返上して参りました。騎士団長と会議中と伺い、可能であるなら自分も同席させていただきたいのですが」

「お、来たか。構わねえ、入ってくれ」

 

 存外あっさり許可が出た、とやや拍子抜けしつつソウヤは扉を開いた。

 中にいたのはガウル、騎士団長のバナード、そして女将軍であるジョーヌの3人だった。普段と比べて皆表情が固い。

 

「失礼します。……急な訪室を許してくださって感謝します」

「気にするな。本来ならお前も入れて検討会議をしたかったんだが、事は急を要したからな……」

「だったら俺に真っ先に連絡をくれたら飛んできたものを」

「その場合こんな状況になったときに真っ先に飛び出していくであろう姉上を止める役割がいなくなる。……もっとも、お前がいても変わらなかったらしいが」

 

 やはりレオが独断出撃したという話はヴァンネットにも伝わっているらしい。おそらく諜報部隊からもたらされた情報だろう。

 

「すみません。止めようと思ったのですが……」

「ああ、いい。そんなフリ(・・)はやめろ。どうせお前が折れて諦めて送り出したんだろ?」

「お見通しですか。その通りですよ。それで責任を取れというのであれば、甘んじて受け入れますが」

「必要ねえ。不問だ。姉上が勝手にやったことだしな。だがそれでも責任を感じるってんなら、お前の遊撃隊にはきっちり仕事をしてもらうってことでいい。……まあ座れ」

 

 おそらく妻の無断出撃について言及されても特にお咎めなしだろう、と高を括っていったソウヤの予想は的中していた。元々ガウルはそういう人間だ。それに、彼は本心では直接的な介入を望んでいるはず。ならなおさら、その自分の分まで姉に期待を馳せるだろうとソウヤは思っていた。加えて何かあっても「姉の独断」という体のいい言い訳にも使える。なんだかんだ、領主の座が板についてきたなと思わずにはいられなかった。

 が、今はそんなことを考えている場合ではない。ガウルに薦められて「失礼します」とソウヤもバナードの隣に腰掛ける。

 

「さてソウヤ……。状況は把握してるな?」

「ええ。ビスコッティで謀反が起こり、姫様が捕らわれかけた。そこをリコッタの機転とシンクの活躍によって間一髪で助け出して逃亡。今はビスコッティ辺境の宿屋で身を潜めている」

 

 チラッとバナードがソウヤに視線を移す。その視線を感じ取ったソウヤは、顔の向きを領主から騎士団長のほうへと向けなおして続けた。

 

「それで明日の朝にドラジェへと出発する。……騎士団長が提案したと聞きましたが、ドラジェに救援要請という案は見事ですよ。ガレットでかくまったら他国の槍玉に挙がる。付け入る隙を与えることになりますからね」

「やはりソウヤ殿もそう思われたか」

「思うだけなら、ですが。実際話し合いの場に俺がいたらそれを提案しつつも、ガレットでの受け入れも捨てきれないでいたと思いますよ。俺としても同郷の人間は助けてやりたいですから」

「そう思ってて、よく姉上と一緒に行かなかったな」

「行ったところで根本解決にはならないからですよ。俺はあいつのように1人でどうこうできるほどの力を持っちゃいないことはよくわかっています。だったら、領主の判断にしたがって自分の隊を使って解決に尽力するほうがいい」

「……ったく、相変わらずの現実主義っぷりやな」

 

 茶化した様子のジョーヌにソウヤは鼻で笑って応えた。脱線しないようにガウルが続ける。

 

「とにかく、今お前が言ったとおりだ。現状でガレットが出来ることといったらドラジェに向かう逃避行のバックアップしかないだろう。おそらく人目につかないルートを選択するだろうから、レザン王子の待つドラジェのコンフェッティ城への到着は早くて明後日になると考えられる。場合によっちゃもっとかかる可能性もありうる。そこを如何にしてバックアップするか。先走った姉上はさておき、表立って動けばせっかく逸らした矛先をもう1度向けられる結果になりかねない。……そういう話を今していたところだ」

「なるほど」

「この状況……ソウヤ殿ならどういう方針を打ち出すかな?」

 

 挑発とも聞こえるようなバナードからの質問。だがソウヤは特に気にした様子もない。

 

「多分あなたと同じでしょう。バックアップといってもおそらく既に諜報部隊は動いてるでしょうし。ならあとは()()()使()用の部隊があればいい。……つまり、こういうときのために設立された遊撃隊が、諜報部隊と協力して動くのが妥当かと思います」

「ああ、まさに私も同じ考えだったよ。騎士団を動かすよりは、そちらで動いてもらった方がフットワークが軽い。それに少数の隊の方が動きを気取られにくいだろうからね」

 

 2人がガウルの方へ目を移す。あとは領主の判断待ち、と言ったところだろうか。しかし一方でガウルはどこか浮かない表情を見せていた。

 

「……はっきり言うと、隣国の姫君の窮地を手助けできねえってのは、俺としては不満なんだよな」

「それは仕方ないでしょう。領主たるもの時には我慢も必要だ、とレオなら言うでしょう。その代わり……という言い方がふさわしいかはわかりませんが、レオが動いて、俺も動こうとしている。だから、あなたの姉と、そして俺と、それからあなたの臣下達を信じてください、と言うしかないですね」

「ソウヤ……」

 

 らしくない発言だ、と思った。しかしそう思いつつも、ガウルはその義兄の言葉を信じてみたいと思っていた。

 

「……わかった。お前のその言葉を信じてみる。ソウヤ、以前遊撃隊を設立するという話をした時に『究極的には隊長の独断で行動可能な権限を与える』って話をしたのを覚えてるか?」

「ええ。うっすらとですが」

「遊撃隊はお前に完全に預ける。俺からの指示を待たずに、お前の独断で動かしていい。それから頭数が必要なら、要請をよこせば可能な限りで騎士団から送ってやる」

「いいんですか? そこまでの権限を俺に与えて」

「ああ。それがお前の言葉を信じる、という証明に他ならないだろ。他に何か望むことはあるか?」

「……厚かましいとわかってはいますが、バックアップに動いている諜報部隊も俺の指揮下で動かしたい。可能ですか?」

 

 ソウヤにしては珍しい。大抵は自分の身の丈だのなんだのを理由にこういうのは断るのが常だった。だがそれを口に出さず可能な限りで尽力しようという姿勢に、ソウヤとしてもこの問題の解決を強く望んでいるのだと、ガウルは感じていた。

 

「ノワの返答次第、としか言えねえが……。多分大丈夫だろ。なるべくお前の意思が通るようにしてやる」

「ありがとうございます。感謝しますよ」

 

 全くもってらしくない、と改めてガウルは思う。普通こういった面倒な役を押し付けられた時は文句のひとつもこぼしていたというのに、素直にその口から感謝の言葉だけが出るとは思ってもいなかった。

 

「……あまり無茶はするなよ」

 

 そんな普段と異なる様子のソウヤに、思わずガウルはそう声をかけていた。どうも今の彼は危うく見える。自身の身の危険を顧みずに、何かをしてしまうような。どこか思い詰めた様子で、無茶をやらかそうとしているような。普段との違いからそんな嫌な予感が、ガウルの脳裏をよぎっていた。

 

「覚えておきますよ。……さて、俺は行きます。出撃は明日の早朝を予定してますが、俺の指揮下に入る入らないは置いておくにしても今後の展開についてノワールと話をつけておきたいですから」

「わかった。姫様とシンク……それに姉上を頼む」

「ええ。()()()()()()()

 

 その返答に思わずガウルは固まった。だが続けてかけようとする言葉より早く、ジョーヌの声が彼にかかる。

 

「ソウヤ、ノワにもあんまり無理させんといてな」

「わかってるよ。そっちも心配すんな」

 

 ソウヤが席を立ち、部屋を後にする。その背を見送りつつも、だがガウルはやはり先ほど覚えた不安を拭えずにいた。

 今のソウヤはよく言う「努力する」ではなく「任せろ」と言った。過去に彼がそう言ったことなど、果たして何度あっただろうか。

 しかし今は義兄を、そして渦中の姫君の助けとなるべく先行した姉を信じるしかない。未だ不安感を拭えないまま、この動乱の渦に親しき人々が巻き込まれていくことだけは避けてほしいと、ガレット領主は願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 ビオレから聞いた宿は目前へと迫っていた。次第に辺りは夕暮れ、そして夜となっていくだろう。それより先に目的地に到着しなくてはいけない。レオはドーマを全速力で走らせていた。共に駆けるのは久しぶりだというのにドーマは全く衰えを感じさせず、以前と同じ感触で彼女を出迎えてくれた。そのことに喜びを覚えつつ、目的の場所へと彼女は疾走していく。

 

(ミルヒは……ワシが守らねば……!)

 

 幼い時から共に過ごした姉妹同然の隣国の姫君を思う。ミルヒはレオにとってかけがえのない存在であった。彼女を失いたくないがために、自身の領主の座、さらにはその身を賭けてまでも守ろうとし、不吉な星詠みによって視えた未来に抗おうとしたこともあった。

 今もその時と心は似ている。たとえこの身に変えても、そう思い、しかし次の瞬間夫との約束を思い出していた。

 

『必ず帰って来い。そしてまた2人で、自分の腕でレグルスを抱く』

 

 それをはっきりと約束した以上、無理は出来ないかもしれない。その約束が枷となり、もしかしたら今の自分は以前ほどの強い決意を持つことが出来ぬまま、これから死地へ赴こうとしているのではないか。

 いや、それは違うと彼女は自身の心を否定した。それは枷ではない。必ず帰る。その約束は、彼女自身何が何でも帰るという未来への渇望に他ならない。己の身を顧みない戦いをして誰が喜ぼうか。守ろうとしたミルヒも、約束を交わしたソウヤも悲しい顔をするに違いない。だとするなら、それを枷と呼ぶべきではない。

 以前とは違うのだ、とレオは自分に言い聞かせる。何が何でも、ではない。いや、確かにミルヒのことを守らねばならないのはそうだろう。だが、そのために自分の身を差し出してはいけないのだ。かつての星詠みのときの決意と、そこははっきりと異なっていた。

 

(あいつは……随分と難しい要求をしてきたものだな)

 

 疾走するドーマの上でレオは苦笑を浮かべた。だが、必ずやり遂げてみせる。ミルヒを守り抜き、自身も五体満足で帰り、そして事態を解決して愛する我が子、レグルスを抱く。そんな強い思いが、彼女の心の中を燃え盛る炎のようにたぎっていた。

 




コンフェッティ……糖衣菓子のこと。金平糖みたいなもの。早い話がドラジェのイタリア語。ドラジェ自体はフランス語。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 22 逃亡の姫君

 

 

 日が傾く。次第に辺りは闇へと包まれ始め、そして夜へとその様相を変化させていく。

 フィリアンノ城から逃れたミルヒ、シンク、エクレール、リコッタの4人は、その日が傾くより早く、人気(ひとけ)があまり多くない村の宿屋に身を潜めていた。幸い小さな田舎村というおかげか、戦では有名であっても誰の顔も疑われずに済んだ。直接宿屋の主人と話を通したのはおそらく4人の中でもっとも顔が知られていないであろうリコッタだったのもあったのかもしれない。その主人は特に4人を怪しむでもなく、何の疑いもなく中部屋一室を貸してくれた。

 まず今後の動きをどうするか考える必要があった。リコッタは自身の伝手を利用し、ガレットの親友であり諜報部隊長でもあるノワールと連絡を取った。だが、返って来た答えは芳しくないものだった。

 

「『ガレットはこの事態に直接的に介入しない。ガレットにとっては友好国、かつビスコッティにとって第三国に当たるドラジェのレザン王子に保護の要請を出したので、なんとかドラジェのコンフェッティまで逃げ延びてほしい』。……以上がノワがくれた、ガレットの返答ということになるであります」

 

 宿屋の一室、リコッタが重い表情で通信の内容を述べる。その報告を聞いた3人も、やはり一様に顔色は硬かった。

 

「仕方ないといえば仕方ないか……。下手に姫様をかくまえば友好国ということも会って槍玉に上がりかねない。……切れ者のバナード将軍辺りが言いそうな、もっとも自国にとってダメージの少ない方法とも言えるがな」

「ガウル殿下としては直接的に手助けをしたかったという話でありましたが……。今エクレが言ったとおり、バナード将軍になだめられ、已む無くこの答えを出したそうであります。代わりに、間接的な援護は惜しまないと。既に諜報部隊はバックアップのために動いてくれていて、さらに実力行使をせざるを得ない、不測の事態が起こった場合は遊撃隊も動いてくれるそうであります」

「ソウヤが!? ……それは心強いね」

 

 表情を明るくしたのはシンクだった。一方、エクレールはそれに対してつまらなそうに眉をしかめる。

 

「……結局あいつの手を借りることになるのか」

「エクレ、何もそんな毛嫌いしなくても……」

「別に毛嫌いはしていない。ただ……あいつには借りばかり作るような気がしてな。……いつか返済を迫られるんじゃないかと気にしていたんだよ」

「それは気にしすぎだと思うでありますが……。あと、そのソウヤさん絡みで、どうしても我慢できずにあるお方が単独でこちらへ向かっていらっしゃっているという話であります」

「あるお方……?」

 

 疑問系でそう言ったのはエクレールだった。だがミルヒはそのリコッタの言葉に思い当たる節がある、とばかりに彼女を見つめる。

 

「リコ、もしかしてその方というのは……」

「はい。レオ様であります。ソウヤさんも止めたらしいでありますが……。単独でここへとドーマを走らせているそうであります。おそらく、もう間もなく到着するかと……」

「そうか。レオ閣下がいらっしゃるとなれば心強い」

「……エクレ、さっきのソウヤの時と全く逆の反応だね」

 

 思わずシンクが苦笑いを浮かべながら突っ込みを入れる。確かに単純な力量だけで計った場合、ソウヤとレオならレオの方が上回っているだろう。だがソウヤはソウヤでその頭がある。更に言えば、レオは休暇上がり。その腕は衰えていないとは聞くが、さすがに久しぶりの実戦となれば多少の鈍りなどはあるかもしれない。

 しかしここでの増援は頼もしいとエクレールは感じていた。確かに先ほどソウヤに対して毒を吐いた彼女だが、頼れるならこの際贅沢など言ってられないこともわかっていた。しかもこの場に来るのが「百獣王の騎士」となればそれは心強いことこの上ない。少し状況が明るくなったように感じていた。

 

 と、その時不意に部屋のドアがノックされた。思わず全員が身を震わせる。エクレールが目で合図を送り、ミルヒに入り口からの死角、さらにはいつでも逃げられるように窓の付近へと移動してもらうように伝えた。その彼女を守るようにシンクとリコッタが付き添う。エクレールは短剣に手をかけつつ、ドアの側へと近寄る。

 

「……何か?」

「はぁ。お客様の知り合いだそうでさあ。なんでも、『獅子王と伝えればわかる』だそうで……」

 

 エクレールがミルヒへと視線を送る。彼女は頷き、意思を示した。

 

「……確かに私どもの知り合いのようです。お通ししてください」

 

 再び「はぁ」というやる気のない返事と共に足音が離れていく。ややあって、その先ほどの足音とはまるで違う、しっかりとした歩調の音が近づいてきた。

 

「ワシじゃ。……ミルヒはそこにおるのか?」

 

 扉の前で止まった足音に次いで聞こえてきた声に、噂をすれば影、4人は間違いないと確信する。再びミルヒが頷き、エクレールがその扉を開けた。

 開いた扉の前に立っていたのは美しくも凛々しいレオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ、その人だった。彼女は扉の影に隠れる形になったエクレールの存在もしっかり気づいていたらしく、一瞬その位置を確認した後で固まっていた残り3人の方へと目を移す。

 

「レオ様……!」

 

 その姿を見ると同時、ミルヒは駆け出していた。そして姉妹同然の、年齢的に言えば姉の胸へと飛び込む。

 

「ミルヒ……! よく無事でいてくれた……!」

「はい……。レオ様こそ、ありがとうございます。私などのためにわざわざ無理をなさって……」

「この程度、なんということはない。ワシにとって大切なお前の窮地と聞けば、居ても立っても居られなくてな」

 

 普段とは逆に、レオがミルヒの頭を撫でる。ずっと心細かったのだろう、その撫でられながらレオを見上げた姫君の目は安堵の色が濃く出ていた。

 

「……シンク、お前がミルヒを助け出してくれたと聞いたが」

「一応そうですが、リコが姫様の部屋に盗聴器を仕掛けてくれたおかげですよ」

「……盗聴?」

「あ、やましいつもりはなかったでありますよ。自分は騎士団長とメイド長のよからぬ会話を聞いてしまって。……まあ最初は面白半分だったんだろうと言われれば否定できないでありますが」

「じゃがそれが結果としてはお手柄となったわけであろう? ならよいではないか。それがなければ、今頃ミルヒはどうなっていたかわからなかったしな……」

 

 ミルヒの頭と肩に回していた手を離しつつ、「さて」とレオは切り出した。

 

「早速だが本題に入ろう。明日は日が昇り始めた頃に出発、ということでいいんじゃな?」

 

 この場においてまとめ役であろうエクレールにレオが尋ねてくる。それに対し、「はい」と肯定の意思を示した後で、彼女は続けた。

 

「夜道は危険ですし、それがいいかと。……ですが主要な道を使うとなれば人目に着きます。ガレット寄りに位置していますここからドラジェとなりますと、最速で明日の朝出発して夕暮れ前に着くことは可能ではありますが……」

「避けた方がいいじゃろう。主要な街道を通るなど自殺行為、追っ手を差し向けられていればすぐに嗅ぎ付けられる。いっそ、もう1日どこかで宿を取る心構えの方がいいじゃろうな」

 

 会話を交わしつつ、エクレールはやはり頼りになる人が来たと感じていた。先ほどドアの影に居た自分に一瞬で気づいた時からその思いはあった。このお方は鈍ってなどいない。さすがは「百獣王の騎士」、部屋に入る時に瞬時に全員の位置を把握していたに違いない。

 そして今の的確なアドバイス。頭で言うとリコッタは優秀な頭脳だが、こういう実践的な面においては戦場を駆け抜けてきたレオには叶わない。この場でそれを算段する役割はエクレールであり、実際ここまでその方面で指揮を執っていたのは彼女だったが、心強い味方が来てくれたと思っていた。

 

「私もレオ様のご意見に全面的に賛同します。姫様にはやはり窮屈な思いをさせてしまうかもしれませんが……」

「いえ。この際、もうそういうことは言ってられません。お任せします」

「しかしガレット方面に向かうこっちに来たのは、ドラジェに向かうには逆に距離を伸ばしてしまう形になってしまったな」

「すみません。私としては当初はガレットに全面協力を頼むつもりでいましたので……」

「ああ、責めてはいないぞタレミミ。むしろいい判断じゃ。……まさかワシもガレットが日和るとは思っていなかったからな。ワシも同じ立場なら、こちらの方角を最初に目指すじゃろう」

「それで……。具体的にはどうします?」

 

 シンクの問いに会話が途切れた。レオは顎に手を当てたまま、何かを考え込んでいる。

 

「それじゃな……。どうしたものか……」

「そのことでありますが……。自分にいい考えがあるであります」

 

 そう切り出したのはリコッタだった。

 

「考え……?」

「はいであります。ここはガレットからの距離も近い、ならそれを利用しない手はないであります」

「どういう意味ですか?」

「明日ここを出発した後、まずガレット領内に入るであります」

 

 そのリコッタの提案に、全員が驚いた表情を浮かべた。ガレットは静観を決め込む、という形でまとまっているはずだ。向かう先はドラジェ、なのにガレット領内に入るとはどういうことか。

 

「あの、リコ。いくらレオ様がいらしてくださったとはいえ、ガレット側としては私達が逃げ込んだのでは困るのでは……」

「それはそうであります。だから、ガレット領内を突っ切るでありますよ」

「突っ切る……?」

「はいであります。一旦自分達がガレット領内に入れば、周りはガレットに向かうものと考えるはずであります。そのままヴァンネットに向かえば、それはガレットも槍玉に上がると思うでありますが、一時的に突っ切るだけならまあ大丈夫ではないかと。つまり、一度ガレット領内に入ることで自分達はヴァンネットに向かうかもしれない、と思わせることで撹乱(かくらん)することが出来るのではないかと思うであります」

 

 この意見には先ほど「実践的ではない頭脳」と評したエクレールも感心の声を上げた。なかなかいい案だと思う。どうやらそう考えているのは彼女だけではなく、レオも同じ意見らしい。

 

「なるほど……。さすが発明王じゃな」

「私もリコの意見は悪くないと思います。少々ガレットに負担をかけることにはなってしまうかもしれませんが、領内ならバックアップもしやすいはず。向こうとしても動きやすいのではないかと」

「決まりじゃな。ギリギリまでガレット領を突っ切り、そしてドラジェへ入る。道の選択はエクレール、お前に任せるぞ」

「わかりました」

「あ、自分もそれに参加するでありますよ、エクレ。ノワから魔物の危険性のある道やフロニャ力についての話も多少は聞いてるであります。微力ながら、力になるであります」

 

 リコッタからの申し出にエクレールは表情を緩めて「助かるよ」と返していた。まだ状況は好転しているとは言いがたい。だが、この5人ならきっとなんとかなる。先ほどまで焦燥ばかりだったエクレールの心に、ようやく少し余裕が出始めていた。

 

 

 

 

 

 パスティヤージュ領、エスナートにあるエッシェンバッハ城。領主執務室に呼び出されたリーシャはそのただならぬ空気に身を固くしていた。部屋にいるのはクーベル、キャラウェイ、そして彼女の3人だけだが、領主のあれだけ深刻な顔を見るのは彼女は久しぶり、いやひょっとしたら初めてだった。

 

「さて、リーシャ。呼んだのは他でもない」

 

 そしてやはり緊張した声色でクーベルが話し出す。

 

「実は……。未確認情報じゃが、ビスコッティで謀反が起こったと聞いた」

「え……!?」

 

 初めてもたらされた情報にリーシャが驚きの声を上げる。だが領主の傍ら、キャラウェイは全く動じた様子はない。どうやら既にその情報は得ており、もしかしたらクーベルと対策を話し合った上で自分を呼んだのかもしれない、と彼女は考える。

 

「幸い、ミルヒ姉は難を逃れたそうじゃ。フィリアンノ城から逃亡後、今現在辺境に身を潜め、詳しい場所はわからんそうじゃが、どうもガレット付近にいるらしい。レオ姉と合流したとの噂もある。なら、明日にはガレット入りするのではないかと考えられる」

 

 なるほど、友好国に協力を求めるのか、とリーシャは考える。他国から槍玉に上がる形になるかも知れないが、友好国としてはその選択もありうるだろう。

 

「じゃがガレット領に入るとはいえ、追っ手がかかる可能性は否定できない。また、ガレットもミルヒ姉の協力を受け入れるとも限らない。そこで、じゃ……」

「私が飛空術騎士団を率いてミルヒ姫様の援護に向かう、というわけですね」

 

 領主の言葉を遮る形でリーシャが続ける。姉のように慕う姫君の危機だ。足の早い空騎士なら援護に向かうのも容易い。それにガレットが協力を受け入れなかった場合、おそらくクーベルが協力を申し出るだろうから、そのまま自分達がパスティヤージュへと運んでしまえばいい。

 だが、そんな彼女の考えは完全に覆ることになった。「いや」と深刻な顔で否定の言葉を述べた後、クーベルが重々しく口を開く。

 

「……リーシャ達飛空術騎士団には、ミルヒ姉達一行を見かけたら、そのメンバーの『保護』を命令したいのじゃ」

 

 今彼女が発した「保護」という言葉が、自分が考えているものとは決定的に異なる、とリーシャは直感的に悟った。何も自分が言ったことを言い直す必要はなかったはずだ。反射的に傍らのキャラウェイの方を窺うが、彼は全く顔色を変えようとしない。

 

「あの……クーベル様。それはパスティヤージュが姫様達に全面協力をするから、全員をこの場まで保護して連れてきてほしい、という意味でしょうか?」

 

 だから自分の思い違いであってほしい、という意味を込めてリーシャはクーベルに尋ね返す。だが、返って来たのはやはり彼女の思ったとおりの芳しくない答えだった。

 

「……もう1度言うぞ。ミルヒ姉一行を見かけたら、そのメンバーを『保護』してくれ」

 

 ゾクリと背中を冷たいものが駆け下りた。その言い方ではまるで「連行しろ」とでも言っているようなものではないか。

 

「姫様を救出しろ、と捉えていいのですか?」

「ミルヒ姉が()()()じゃが……。無理なら同行しているというエクレールでもリコでも良い。こちらの要求を飲まない場合は、実力行使も許可する」

 

 その返答で彼女はクーベルの思惑を悟ってしまった。彼女の望みは「救出」ではない。「拉致」あるいは「連行」。要するにたとえ交戦してでもその身柄を「確保」しろということだ。それではまるで――。

 

「それでは……それではまるで、クーベル様は『捕らえた』姫様達を政治的に、国家間の駆け引きに利用しようとしているとしか……!」

「リーシャ。クーベル様の望みは逃亡されている姫様達一行の全員、あるいはその一員の身柄の『保護』だ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 領主の代わりに返答したお目付け役の隊長にそう告げられ、リーシャは言葉を失った。この2人は本気で逃れている姫様達を「捕らえる」つもりなのだ。その目的と言ったら今さっき彼女が述べた政治的利用以外思いつかない。要するに人質、あるいは捕虜。そのカードをチラつかせることで交渉などの事を優位に運ぶ。

 自分が仕える領主はそんなことをする人間だっただろうかとリーシャは目を伏せて拳を握り締めた。前回の主席誘拐未遂の一件で懲りたのではなかったのか。あの獅子に「お説教」されたのではなかったのか。

 

「……良い演者とは、黙って踊る演者じゃ。ウチはそう思っておる」

 

 ボソッと呟かれたクーベルの一言に、リーシャは思考を中断させ、目を戻した。

 

「お前は良い演者だと思っていたが……。リーシャ、お前はウチに、パスティヤージュに忠誠を誓ってくれているのではないのか?」

 

 まるで彼女に対しての疑心を見透かされたかのような一言に、リーシャは再び拳を握り締める。そうだ、自分はクーベルとパスティヤージュに忠誠を誓った騎士。その領主からの命令に疑いを持つ余地などない。わかっている、わかっているはずだった。

 

「……クーベル様、確認させてください」

 

 だが、それが揺らいでしまっていたのは事実だった。だから彼女はこう問わずにはいられなかった。

 

「私の目的は姫様達の『保護』。それに相違ありませんね?」

「ああ、そうじゃ」

 

 間髪おかず、クーベルが答えた。リーシャの疑念は晴れない。だが、領主が「保護」してほしいという命令を出してきたのだ、ならそれをするのが騎士としての自分の役目だと、彼女は強く言い聞かせる。

 

「……わかりました。その命令、お受けいたします」

「助かるぞ。今日はもう日も傾いてしまった故、明日朝一で出撃してくれ。飛空術騎士団の皆にもよろしく頼むのじゃ」

 

 ようやく、最後の方になって普段のクーベルの調子が戻ってきたようにリーシャは感じていた。だが彼女の心は重い。こんな命令を下すなど、クーベルは、パスティヤージュはどうなってしまうのか。そんな心に捕らわれていた。

 

「……了解、しました」

「うむ。頼む。下がってよいぞ」

 

 領主とお目付け役の隊長に背を向けつつ、リーシャは部屋を後にする。このビスコッティの謀反をきっかけに狂いだした歯車。もしかしたらそれに彼女の国も巻き込まれ、そして行く行くは取り返しのつかないことになってしまうのではないか。

 嫌な予感が強く彼女の心を締め付け、領主執務室を出たところで、リーシャは大きく頭を左右に振った。

 

 

 

 

 

 草木が寝静まった夜更け。部屋の中ではなく廊下の壁に背を預けつつ、エクレールは汚れた窓から外の闇と、月が映し出す雲を眺めていた。部屋の中では4人が既に眠りについている頃だろう。ミルヒからは部屋で休むように強く言われたが、「廊下を見張るから、部屋では寝ない」という主張を繰り返し、結局彼女は廊下に出ていた。

 その言葉は嘘ではない。が、全てが本当かと言われればそれも違う。彼女は、シンクと同じ部屋で眠りたくなかった。仮にも婚約者であるミルヒがいるにも関わらず彼と同じ部屋で寝るということは、彼女の心が許さなかった。既に夫を持つレオや、異性同士というより兄妹のようにずっとくっついていたリコッタなまあいいだろうが、そこに自分が入ることは出来ないと思ったのだった。

 

 大きくため息をこぼす。今気にするべきはそんなことではない。リコッタが仕掛けた盗聴器から聞こえてきた、かつて聞いたこともないような冷たい兄の声を、彼女は耳の奥で思い出していた。一体兄は何を考えているのだろうか。謀反など起こすような人物ではなかったはずだ。常にビスコッティのため、姫様のために粉骨砕身の思いでその役を務めてきた、そう思っていたのに。

 真意を知りたい。だが、今自分が戻ることは出来ない。少なくともシンクの話ではあの場で兄は姫様を捕らえようとしていたらしい。だとするなら、我が身に変えても姫様を守ろうとする自分とは対極に位置してしまう。

 

(兄上……。一体どういうおつもりなのですか……?)

 

 クーデター。では、彼自身が国を治めたいのかといえば、それもまた違うだろう。兄の野心というものをここまで一度たりとも彼女は見たことがない。騎士団長にもなりたくてなった、というよりなるべくしてなったという方が的確だろうし、マルティノッジ家の名誉を守る、という心構えは常々感じられたが、より高みを目指す、という意気込みはそこまで感じられなかった。要は「鉄壁のロラン」とも言われるとおり、彼は保守的で、言葉を悪くすれば事なかれ主義的ともいえた。そんな兄が国を乗っ取るなど言い出すだろうか。

 その騎士団のことを考えた彼女は、仮にも婚約者であるエミリオはどうしてるだろうか、とも気になった。今自分が祖国でどういう扱いになっているか分からない。もし「姫様を連れ去った誘拐犯」という扱いなら、エミリオにも何らかの迷惑が及んでいるかもしれない。いや、親衛隊全てに及んでいる可能性もある。だとするなら、隊の皆には本当に申し訳ないことをしている。

 いや、もうそういう考えはやめよう、と彼女は再びため息をこぼした。今それを考えても何も始まらない。そしてそろそろ体を休めようとも思った。いい加減夜も更けた。明日は早い。少しでも体を休め、どんな予期せぬ自体が降りかかっても姫様を守らなくてはならない、と改めて心に誓う。

 

 と、その時だった。部屋のドアが静かに開く。異常か、と彼女は反射的に背の短剣に手をかけ、地につけていた腰を浮かせてしゃがみの姿勢へと移行し、何が起きてもいいように構える。だが開いた扉の影から首だけを覗かせたのは、ピンクの髪をした彼女の主だった。特に何かがあった、という顔色でもなく、エクレールの姿を見ると少し安堵の表情を浮かべつつ、そっと扉を閉めた。とりあえず異常事態ではないか、とエクレールは短剣にかけた手を離し、緊張を解く。

 

「エクレール、まだ眠ってなかったんですね」

「はい。そろそろ休もうとは思っていましたが。……何か御用でしょうか?」

「ええ。ちょっと……エクレールと話をしたいと思って……」

「話……ですか?」

 

 何もこんな時に、とエクレールは思う。明日は朝早くに発たねばならないのだ。休める時に休んでもらいたい。

 

「この一件が片付いてからでは……」

「……エクレール、あなたと2人きりで、出来れば今話がしたいんです。……いけませんか?」

 

 凛とした瞳だった。それに気圧された形になってしまい、思わずエクレールは「わ、わかりました」と答えてしまっていた。

 ミルヒがエクレールの隣に腰を下ろそうと屈む。

 

「いけません、姫様。今クッションか椅子を……」

「いえ、いいんです。……エクレールと、同じ目線でお話をしたかったんです」

 

 そう言うと、ミルヒは躊躇なく床に腰を下ろした。少し困った表情を浮かべていたエクレールだったが、諦めて自分もその姫君の隣に座る。

 

「……まずは、お礼を言わせてください」

「礼……ですか?」

 

 いきなり何を言い出すのだろうかとエクレールは怪訝な表情でミルヒを見つめた。

 

「はい。……私と共に逃亡している、とあればエクレールにもあらぬ疑いがかかるかもしれません。それに何より、今現在こうして負担を強いてしまっている……。でも、文句のひとつも言わず私のために献身的に尽くしてくれる、そのことに対してです」

「そんなこと……礼を言われるまでもありません。私は姫様の剣です。姫様のためなら、たとえこの身がどうなろうと惜しくありません」

 

 淀みなく告げられたエクレールからの言葉に、ミルヒは感謝したように僅かに表情を緩めた。だが、次いでその顔が僅かに翳り、そして目を伏せる。

 

「だから……ですか?」

 

 質問の意図がわからず、エクレールは首を傾げる。

 

「何がですか?」

「……シンクのことです」

 

 予期していない人間の名を出されたことにエクレールは僅かに戸惑った。だがそんな彼女に構わず、ミルヒは続ける。

 

「……先に謝らせてください。あなたの気持ちを知っていながら、私は抜け駆けをするようにシンクとの婚約の口約束をしてしまった……」

「待ってください、姫様。私は別にあいつのことなど、なんとも……」

「エクレールは……嘘が下手ですね」

 

 そう言われ、真っ直ぐ見つめられた視線に対してエクレールは否定する言葉を口に出来なかった。口を閉じ、思わず視線を逸らす。

 

「エクレールだって、シンクのことが好きだったんですよね」

「私は……別に……」

「……本当はね、私かあなたか、あとはレベッカさんもだったんですけど……。シンクに誰か選んでほしかったんです。ただ、レベッカさんは『あたしは幼馴染のままでいいんです』って頑なにおっしゃって……。だから私かエクレール、どちらかをシンクに選んでもらうつもりでいました。確かに私とあなたは領主と仕える騎士という関係ではあります。ですが、恋の前では平等のつもりでいたかった……。だから、シンクがエクレールを選んだのなら、私はそれを全力で祝福しよう、そういうつもりでいました。

 でも、私の元には次々に縁談の話が舞い込んでくる時期になってしまっていた……。だから焦りもあって、先に私が動いてしまったんです。シンクにその話をした翌日、私はあなたとこの話をしたかった。だけど、もうその時既にあなたの髪は今の長さになっていて、心を決めてしまったんだと気づきました。その時もでしたが、エクレール、あなたは私の剣だと言ってくれました。それはとても嬉しいですし、ありがたいことだと私は思っています。……でも、私のせいであなたに辛い思いをさせてしまった。私は、そのことをずっと謝りたいと思っていたんです」

「姫様……」

 

 自分の仕える姫君がずっとそんな思いを自分に対して抱いてくれていたとは、全く予想がつかなかった。同時に、自分が先走ってしまったのだとようやく気づく。もし、あの時早々に身を引く決意をしなかったら――。

 いや、そのもしもはありえないと彼女は頭からその考えを消し去った。「もしもなんてのは存在しない」とは、そういえば現実主義の隣国の毒舌家がよく言うことだったか。たとえミルヒから先ほどの話を前もって聞いたとして、やはり自分は身を引いただろうと彼女は思った。

 

「謝る必要などありません」

 

 そうだ。あの時は感情的になって泣き喚き、髪を断った。未練がないわけではなかった。だが、今冷静になって考えれば、なるべくしてそうなったのだ。

 

「姫様がおっしゃったとおり、私は姫様の剣です。そして、誰よりも姫様の幸せを願う者でもあります。……確かに私はあいつを……シンクを愛してしまった。それは事実です。ですが……姫様も同じく愛したというのであれば、私は喜んでこの身を引き、おふたりの仲を祝福する側に回ったでしょう。不器用と、愚かだとも思われるかもしれません。それでも、これが姫様の剣として生きると決めた私の、エクレール・マルティノッジの生き方なんです」

 

 その言葉に嘘偽りはない。本人を前に己の決意を口にして、ようやく彼女は心が少し軽くなった気がした。そう生きると決めた、それこそが自分の騎士道精神だと決めた。「不器用だ」と憐れまれたこともあった。だが、もう悔いはない。

 

「ですから、姫様が私に謝る必要などないのです。もし、それでも申し訳なく思うのであれば……姫様はあいつと、シンクと幸せになってください。それこそが、私の願いに他なりません」

「エクレール……」

 

 清々しいほど曇りのない表情でそう告げられ、ミルヒは自身の剣であるその名を呼んだ。その瞳は僅かに潤んでいるようにも見えた。彼女はその目を伏せ、一度息を吐く。そして、今度は凛々しい表情でその顔を上げた。

 

「……エクレール・マルティノッジ卿。騎士として私に仕えてくれていることを、私、ミルヒオーレ・フィリアンノ・ビスコッティは、心から感謝します」

「姫様……」

 

 驚いた表情のエクレールだったが、こちらもすぐに表情を正し、真っ直ぐミルヒを見つめ返した。

 

「……身に余るお言葉、光栄であります。ミルヒオーレ姫殿下」

 

 一瞬広がった沈黙の後、どちらが先か、小さく吹き出した声と共に2人の表情に笑みが戻っていた。

 

「……ありがとう、エクレール。あなたがいてくれて、本当によかった」

「それはこちらのセリフです。私は姫様に仕えることが出来て、とても嬉しく思っています」

「……この数ヶ月間、ずっと不安でした。でも、あなたが支えてくれたから、私は今日まで前を向いて来れたんだと思います。……だけどエクレール、私にこんなことを言う資格はないかもしれませんが……。私の幸せを願ってくれるのは嬉しいです。でも、あなた自身も絶対に幸せになってください」

 

 見ようによっては恋敵、愛するものを奪った相手とも言える人間からの労いの言葉。だが、エクレールはそれを皮肉とも嫌味とも捉えなかった。目の前の姫君は純粋に自分を心配し、今の言葉を発したとわかる。

 自分の幸せ、そう言われた時に親衛隊の副隊長の顔を彼女は思い出していた。飛び出す時に一言も声をかけることが出来なかった。そうだ、祖国に無事帰ることが出来たら保留にしていた話を進めよう。エクレールはそう思った。結果として、それが自分にとっての幸福へと繋がるかもしれない。

 

「……努力します。ですが、まずは姫様を安全な状況につかれるまでお守りするのが私の役目です。自分のことは、その後で考えようと思います」

 

 予想通りの真面目すぎる回答だったのだろう。ミルヒは小さく、だが困ったように笑みを浮かべていた。

 

「やっぱりエクレールは真面目ですね」

「それだけが取り柄ですから」

「では明日も……いえ、これからも親衛隊長として、よろしくお願いします」

「心得ています。どんな危険が迫ろうと、姫様を守ってみせます」

 

 互いに心を再度通わせた2人が同時に微笑み合う。窓から差し込む月明かりが、そんな2人を照らし出していた。

 

「姫様、そろそろお休みください。明日も早いです。お体に障ってしまいます」

「そうですね。エクレールも、見張ってくれるのはありがたいですが無理はしないでくださいね」

「はい。適当に休ませていただきます」

 

 ミルヒが立ち上がる。エクレールも立ち上がり代わりに部屋の扉を開けた。

 

「ありがとう。……話せてよかったです、エクレール」

「私もです、姫様」

「明日からも大変かとは思いますが、よろしくお願いしますね」

「お任せください。……では姫様、お休みなさいませ」

「お休みなさい、エクレール」

 

 主君が部屋の中に入ったことと、他の全員が眠っていることを確認して、エクレールはそっと扉を閉める。そして先ほど同様、壁にもたれかかって腰を下ろした。

 久しぶりに清々しい気持ちだった。心の中のわだかまりが解けたようにも感じられた。不器用で、人によっては愚かしいと思われるかもしれない自分の生き方だとわかっていたが、今日改めて誇りが持てた。姫様はこの身に変えてもお守りする。明日からの道中、たとえどんな困難が待ち受けていようと、それを打ち払ってみせる。そんな決意も新たに、そのためにも少し体を休めようと彼女はゆっくり目を閉じた。

 

 

 

 

 

 ミルヒオーレという主を失ったフィリアンノ城は、普段より明らかに不気味な静けさと共に2度目の日の光に照らし出された。実質親衛隊の隊長代理を務めているエミリオは複雑な表情でその城内の廊下を歩いていた。「勇者、親衛隊長、主席の3名が姫様を城から連れ出した」、それが騎士団長からの説明だった。しかし取られた対策は少数の偵察隊を夜が明けての今になって幾ばくか派遣した程度。国民には絶対に知らせてはならない事態、という理由だったからだ。同時に口外しないことという命令も強く受けていた。

 だが本当にそうだろうか、と彼は騎士団長に若干の疑念を抱いてもいた。「騎士団長が姫様を捕らえようとした為に勇者様が連れ出した」という噂も耳にしている。何より、親衛隊長のエクレールが自分に一言もなく城を空けるなど、あり得るだろうか。しかもあの姫様のために尽くしてきた彼女が、その姫様を連れ出した、となれば、その身を案じてのことではないだろうか。

 

 どうしても納得しかねたエミリオは直接ロランに問い質そうとした。だが彼は何も答えなかった。そればかりか、隊長不在である以上、代理としてエミリオを立てるが、指揮は騎士団長の自分が執るとも言ってきた。

 ますますわからなかった。今この城は、この国はどこに向かおうとしているのか。結局朝食もまともに喉を通らず、ため息をこぼしつつ、彼は廊下を歩いていた。

 

「エミりん」

 

 そんな彼を愛称で呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると同じ親衛隊所属の女性騎士、アンジュが心配そうな目で彼を見つめている。

 

「アンジュ……なんだい?」

「いや……。なんだか、思いつめたような背中に見えたから、思わず声をかけてしまった」

「そうかな……。いや……そうだな」

 

 一度は否定しつつ、彼はその指摘を認めなおした。仮にも婚約を交わした相手が行方不明、となれば心配しないはずがないだろう。ましてや、その相手に姫様を連れ出した嫌疑がかけられている、となればなおさらだ。

 

「だが……本当に隊長が姫様を連れ出したのだろうか。私はそんなはずはないと思っている。エミりん、お前はどう思ってるんだ?」

「それは……アンジュと一緒さ。それでも騎士団長からは『隊長が姫様を連れ出した』と言われたんだ、信じるしかないだろう」

 

 その言葉に、アンジュは露骨に顔をしかめた。「まったくお前は……」とボソッと言葉をこぼす。

 

「言われたことを鵜呑みにするのか? ……噂じゃ騎士団長が発起人となって謀反が起きているんじゃないかという話も耳にした」

 

 後半は話す距離を詰めて小声でだった。やはり彼女の耳にもその噂は入っているのか、とエミリオは目を伏せる。

 

「……知ってるよ。でも、だからと言って今の自分達には何も出来ないだろう。何が真実で、何が虚偽なのか、まだわからないわけだから……」

「お前は……!」

 

 不意にエミリオは胸倉を掴まれた。そしてアンジュが苛立つ表情を隠そうともせずに彼を睨みつける。

 

「何をそんな呑気なことを言ってるんだ! エクレール隊長のことが心配じゃないのか!?」

「……心配じゃないわけないだろう。でも、自分はあの人を信じてる。隊長は必ず帰ってくる。……アンジュ、君はそうは思わないのか?」

 

 物怖じしないその目に、アンジュは小さく呻いて手を離す。彼の言うとおりだ。自分だって隊長を信じているはずだった。いや、それでも何を信じていいのかわからなくなってしまっていた。だから同じ隊の副隊長にこうして当たってしまった。

 

「……お前の言うとおりだ。すまなかった。感情的になってしまった」

「いいさ。気にしてないよ」

 

 そう言い、エミリオは身なりを整えなおした。

 

「行こう。隊長が不在の間、親衛隊は自分達がまとめないといけないからね」

「……そうだな」

 

 そしてエミリオがアンジュの前を歩き出す。そこまで割り切れるのはさすがだよ、と彼女は心で思って彼に続こうとした。

 

 その時だった。不意に角から騎士団長のロランの姿が現れる。アンジュは反射的に身を固くしたが、見ればエミリオも同様のようであった。

 

「ああ、エミリオ。丁度いいところで会った。探していたんだよ」

 

 だがロランは特に気にした様子はなく、あくまで普段のように彼に話しかける。

 

「自分を……ですか?」

「ああ。……実は、エクレール達をガレットとの国境付近で見かけた、という噂を耳にした」

「えっ……!?」

 

 明らかにエミリオが動揺する。アンジュは気づいた。やはり先ほどのは強がりだったのだ、と。冷静を装っていたが、本当のところ誰よりも隊長を心配していたのは彼だったのだろう。

 

「捜索隊もそこに派遣しようとは思っているが、何分隊長クラスがいない。そこで、お前にも向かってほしいと思ってな。……いや、回りくどい話は抜きにしよう。お前はエクレールの婚約者、きっとあいつのことが心配だろうと思ったから、この話をした」

「それは勿論心配ですが……」

「私もあいつのことは気にかけている。あいつに限って姫様を連れ出すなどということはありえないと思っているが、兄として身が心配でね。……すまないが隠密行動になるために護衛の兵はつけられないが、それでも……」

「行きます。行かせてください」

 

 エミリオは即答だった。それを聞いたロランが小さく微笑む。だが、アンジュから見たそれは悪魔が微笑んだような、そんな不気味な笑みにも見えた。

 

「待ってください騎士団長」

 

 そう直感した瞬間、彼女は会話に割って入っていた。

 

「でしたら、私も一緒に……」

「アンジュ、今の話を聞いていなかったのか? 姫様不在、という事実を国民に知られて混乱が起きては困る。これは隠密行動で頼みたい。だからエミリオ1人に頼んでいるのだ。もしダルキアン卿がいらしてくれれば、喜んで頼んだのだがな……」

「心配はいらない。代わりに親衛隊のことを頼むよ、アンジュ」

 

 エミリオにもそう重ねられ、彼女は反論できなかった。已む無く頷き、了解の意思を表示する。

 

「……わかった。気をつけてな」

「ああ。……騎士団長、場所は……」

 

 2人が詳細な打ち合わせに入る。それを見つめていたアンジュは、やはりどうしても心の不安が拭いきれなかった。

 

(……仮に、エクレール隊長が姫様を救うために連れ出した、としたら……)

 

 誰から救うのか。風の噂でよからぬ話を耳にする目の前の騎士団長から、ではないだろうか。だとするなら、エクレールはロランの敵、そしてそのエクレールの婚約者でもあるエミリオも邪魔な存在、となるのではないか。そのためにエミリオを敢えてエクレールの元へと向かわせ、まとめて始末(・・)を考えているのではないのか。

 

 妄想ともいえるような、ありえない考えがアンジュの頭を駆け巡る。確証は何もない。結局は先ほどエミリオが言ったとおり「何が真実で、何が虚偽なのか、まだわからない」のだ。

 そんなことを考えているうちに、2人は会話を終わらせたらしい。エミリオがロランからの労いの言葉に相槌を打って答えている。

 

「……じゃあアンジュ、行って来る。親衛隊を頼んだよ」

 

 言うなり、エミリオは廊下を駆け出していった。その場にはロランとアンジュの2人だけが取り残される。

 

「さて、それでは彼に頼まれたとおり、親衛隊長の代理として頼むよ、アンジュ」

 

 その言葉を安穏と聞き流すほど、彼女は冷静ではいられなかった。まったく白々しい言葉だと、怒りさえ覚える。耐え切れず、歩き去ろうとする騎士団長に「お待ちください」と声をかけていた。

 

「……何だ?」

「よろしかったのですか、騎士団長」

「何がだ?」

 

 アンジュは彼を睨みつける。――明らかな敵意を持って。

 

「エミリオはエクレール隊長の婚約者。なら、ここで泳がせるより、あなたの目の届くところに置いておくべきではなかったのではないかと思いましたので」

 

 明らかな皮肉と共に述べられた指摘に、最初こそ無表情のロランだったが、ややあって口の端が僅かに上がった。

 

「真意を測りかねる一言だな?」

「でしたらはっきり言わせていただきます。……騎士団長、あなたは何をお考えなのですか? エクレール隊長が姫様をよからぬ目的で連れ出すなどありえない。そこに勇者様と主席も加わればなおさらです。だとするなら、その情報の出所が疑わしくなる……」

「なるほど、なかなか面白いことを言うなアンジュ。……つまりお前は、私が疑わしい、と言いたいわけか」

「ええ、その通りです」

 

 物怖じせず、彼女ははっきりと自分の意思を伝えた。その態度にロランの先ほどまで上がっていた口の端が下がり、だが今度は声を噛み殺して笑い声をこぼした。

 

「……何がおかしいのです?」

「いや、なかなかお前は恐れ知らずだと思ったからな。……だが覚えておいた方がいい。知りたがり屋は早死にするぞ?」

 

 そのロランの一言をきっかけとしたかのように、彼女を数名が一気に取り囲んだ。一瞬の出来事に、アンジュはその気配を察知することが出来なかった。騎士にメイド隊、そしてその中にはメイド長であるリゼルの姿もある。

 

「リゼル隊長……!? そうか、だから姫様の警護が簡単に……!」

「ここまで勘付かれたからには仕方ないな」

「ええ、そうですわね」

 

 リゼルは普段通りの表情だった。だが、その威圧感は本物。エミリオと2人がかりでようやく互角という相手が、自分を威圧している。更には騎士達を束ねる騎士団長。アンジュは自分の窮地を悟っていた。

 

「アンジュ、やはりお前も()()()()に引き込むしかないようだな」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 23 親衛隊長の決断

 

 

 ガレット国境付近の道を5騎のセルクルが駆けている。主要街道からは外れた道なためにやや荒れており、道幅も細い。さらには守護力こそ働いてはいるものの、野生生物が出る可能性もある道である。

 だが、いや、むしろだからこそ5人にとっては都合がよかった。長距離の移動となるためセルクルに無理はさせないようにしつつ、ただただ走り続ける。

 「逃亡の姫君」と勇者、親衛隊長、研究院主席、そして隣国の前領主。フィリアンノ城を落ち延び、その後レオと合流した4人は特に会話を交わすでもなく、日が高くなりつつあるこのガレット国境付近をずっと進んでいた。今のところ追っ手や妨害の類には遭遇していない。このまま何事もなく目的地に到着できればいい、とその場の誰もが思う。

 

 が、事はそう易々と運んではくれなかった。逃避行を続ける彼女達の頭上を何かが横切る。一瞬日の光との間に影を作ったそれは、5人の頭上を通り過ぎた後、来た時同様低空で飛来した方へとUターンして行った。

 

「今のは……ブランシール! まさかパスティヤージュが介入してきたのか!?」

「まずいでありますよエクレ、おそらく見つかったであります!」

 

 リコッタからの指摘にエクレールが舌打ちをこぼす。追っ手の類を考慮していなかったわけではない。だがこうも早く、しかも空からというのは計算外だった。

 

「姫様、スピードを上げます!」

「なぜです? パスティヤージュということであれば、協力をしにきてくれたのでは……」

「違うな」

 

 5人のセルクルがスピードを上げる。そうしつつ尋ねたミルヒの質問を、レオは一言で却下した。

 

「どうしてそう言い切れるのですか、レオ様?」

「あれは明らかに戦闘行為を意識しての飛び方じゃ。……低空過ぎる」

「ここはガレット領、高度を取れば取った分だけこちらを見つけやすくはなりますが、代わりに自分達も見つかりやすくなる……。そしてこちらを見つけるメリットより自分達が見つかるデメリットを減らすことを優先した。それはつまり、ガレット側に見つかることは好ましくない、ということを意味しているのではないかと……」

 

 エクレールがそう説明しつつ、場所を移動した。レオが先頭、その後ろにミルヒが位置し、その両脇をシンクとリコッタが、そして最後尾をエクレールが守る形で、十の字状に隊形を切り替える。ブランシールが去ったのは後方、ならそこから追いかけてくる可能性が高い、と判断してのエクレールの動きだった。レオも言葉を交わさずともそれを察知したらしい。少し前に出て、振り返ってシンクとリコッタにミルヒの両翼につくよう目で指示を出す。

 

「ですがレオ様、クー様がそのようなことをご指示なさるでしょうか?」

「……わからん。じゃが、先ほどの飛び方、それに他国であるガレット領まで空騎士を送ってきた、ということになれば……。楽観的な考えは出来んじゃろう。まずは疑ってかかった方がいい。……じゃがもし本当に戦闘を前提に空騎士を動かしたのだとしたら……クーベルめ、何を考えておる……?」

 

 レオが恨み言をこぼした。その時だった。

 

「来たであります! 6時の方角、おそらく数は100!」

 

 リコッタからの報告に再び舌打ちをこぼしてエクレールが振り返る。言われた通り、ブランシールに乗る空騎士たちが隊列を成して低空でこちらへと迫ってくる。そして数はリコッタの報告どおり約100。もし戦闘になったとするなら、正面切っての場合ならシンクとエクレールに加えてレオもいるこの状況、撃破も十分可能だ。だが現在の状況で、となれば話は別だ。まず移動の足は止められない。移動しながら応戦する場合圧倒的不利だ。エクレールは最悪の場合も覚悟した。

 そうこうしている間もブランシールの影は迫ってくる。お世辞にも環境がよくない陸路でのセルクルに対し、相手は障害物のない空路を機動力に勝るブランシール。両者の差は次第に詰まってきた。

 その時、後方を飛ぶブランシールの部隊から5人の元へと声が聞こえてくる。

 

「ミルヒ姫様! パスティヤージュ飛空術騎士団隊長のリーシャ・アンローベです! 私はクーベル様より貴殿達の『保護』を言い付かっております、ただちにセルクルを停止してください!」

 

 リーシャから聞こえた声にミルヒの表情が僅かに明るくなる。やはり思い過ごしだったのだろう。スピードを緩めようとした彼女だったが、

 

「止まるな、ミルヒ」

 

 振り返ってかけられたレオからの声にそれを中断する。

 

「どうしてですか、レオ様?」

「リーシャさんが来たって事は、クー様は本当に姫様を保護したいとしか考えられないと思うんですけど」

 

 ミルヒの疑問にシンクも便乗する形でレオへと尋ねる。だが彼女は苦い顔をしつつ、今度は振り返らずに口を開いた。

 

「……どうにも解せぬ。いや、それ以前にガレットを通じて正式にドラジェへの協力要請は出たはず。そうじゃな、リコッタ?」

「そうであります。ノワとの連絡でガウル殿下がドラジェのレザン王子に協力を取り付けた、と言われたであります」

「ならどの道ワシ達はドラジェへと向かわねばらならん。そうしなければガレットのメンツを潰す形になってしまう。……エクレール、返答を任せる!」

 

 それだけでエクレールはどう返答すべきかを把握した。「はっ!」と了解の意思を示し、彼女が僅かに速度を緩める。相対的に追いかける空騎士達との距離が縮まっていく。

 

「リーシャ隊長、親衛隊長のエクレールです。自分達は既に協力先を見つけております。ですので、貴国の保護は受けることは出来ません。戻ってそのように領主様にお伝えください」

「協力先を……? それはどちらです?」

「申し訳ないが、言うわけにはいきません。……更に付け加えるなら、我々はあなた方を、いえ、この現状、自分達が直接協力を取り付けた相手でなければ信用できません。空騎士に並走されてはこちらも目立ってしまう、すぐに隊を引き上げてそのようにご返答ください!」

 

 いささか無礼とは思いつつ、エクレールはカマ(・・)をかける意味でもわざとそう返答した。これでどう出てくるか。もし本当に協力を考えているなら、言われた通り隊を引き上げるだろう。

 だが、リーシャは引き上げなかった。引き続き追跡しつつ、今度は先ほどより固い声で切り出す。

 

「……繰り返します。ただちにセルクルを停止してください。私はクーベル様より直々に貴殿達の『保護』を言い付かっております」

 

 自身への回答ではなく繰り返された文言にやはりか、と思いつつエクレールは緩めていたスピードを上げ直し、隊列を戻した。臨戦態勢を取れるよう体を緊張させつつ、次の相手の出方を待つ。

 

「……貴殿等がこちらの要求を飲まない場合、私は実力行使に打って出ることも許可されている……! ただちにセルクルを停止してください!」

 

 3度目の要求と同時に、空騎士達は晶術銃を5人へと向けた。予想通りの最悪の展開に三度エクレールが舌打ちをこぼす。

 

「思った通りか……! リコ、防御弾幕は!?」

「数発なら張れるでありますが、持ち合わせはそこまでは……!」

「クソッ……! シンク、お前は何があっても姫様を……」

 

 言いかけたエクレールの言葉は、地面に着弾する晶術弾の音でかき消された。明らかに直撃を狙っての射撃ではない。威嚇だ。

 

「今のは威嚇です、次は狙います! お願いです、セルクルを停止してください!」

 

 聞こえてきたのは切迫した声だった。彼女としても本来友好国であるはずの姫君に銃口を向けるなどしたくないのかもしれない。

 だが付け入るならそこだ。この状況では形振(なりふ)りなど構っていられない、とエクレールは判断した。

 

「こうなったら僕がトルネイダーで……!」

「止まるな! 足を止めて撃ち合えばこちらの居場所を、私達を追う連中に大々的に知らせるようなものだ。それは避けねばならない!」

「タレミミの言う通りじゃ。蹴散らすだけなら出来ないことではない。じゃが、ここで足を止めてはその後のより悪化する事態を招きかねん。……仕方ない、逃げながらの戦闘をやるしかないのか……!」

 

 ギリッと歯を噛み締め、レオはグランヴェールを変化させようと意識を集中させる。

 

「レオ様、前方に回りこまれたらお願いします。シンクとリコは姫様の防御を最優先に!」

「エクレは?」

 

 シンクの問いを聞きつつ、エクレールは一度深く息を吸い、そして吐いた。

 

「迎撃に回る。……向こうはどうやらまだ心に迷いがあるらしい。なら、付け入るとするなら……」

 

 両手で短剣を抜く。さらに瞬時に紋章を輝かせつつセルクルから跳び上がり、バク宙の要領で背中越しに相手を自分の視界へ。

 

「そこだっ! 紋章剣、閃空二重一文字!」

 

 

 

 

 

「何!? ガレット国境付近で姫様達とパスティヤージュの飛空術騎士団が交戦中だと!?」

 

 諜報部隊を通じ、バナードからの報告を耳にしたガウルは座っていた椅子から体を乗り出して固まった。ややあって表情は変わらぬまま椅子にその腰を下ろしなおす。

 

「飛空術騎士団はアンローベ卿を隊長に約100騎。向こうはこちらに場所を気取られぬよう低空で飛んでいたことから、最初から戦闘行為まで見据えてのことかと考えられます」

「馬鹿な……。なぜパスティヤージュが……」

「将軍、間違いないんか?」

 

 ガウルの傍らのジョーヌも信じられないとばかりにバナードへと聞き返す。だが彼は表情を変えずに淡々とそれに答えた。

 

「諜報部隊からの情報だ。間違いないだろうね」

「……クソッ! クーベルめ!」

 

 机を叩き、ガウルは立ち上がる。

 

「ガウル殿下、どちらに行かれるおつもりで?」

「決まってるだろ! パスティヤージュに通信を入れてやめさせてやる!」

「それは賢明とは言いかねる判断ですね」

「何だと!?」

 

 この場にいないクーベルに向いていたガウルの怒りの矛先は、その一言でバナードへと変わった。彼は感情を露にし、自国の騎士団長を睨みつける。

 

「どういう意味だ、バナード!」

「言葉通りですよ」

「なぜだ!」

「ガレットは静観を決め込む、それが表向きの回答です。ここでこちらが表立ってパスティヤージュに口を出せば、表向きは静観を決め込んでドラジェへと協力を取り付けた先の決断が全て無駄になります」

 

 あくまで冷静な、それでいて的確なバナードからの指摘にガウルは思わず言葉を詰まらせた。

 

「じゃあ黙って見てろって言うのかよ!」

「殿下におかれましては、申し訳ありませんがそうなりますね」

「……その言い方やと、ウチらは手が出せないけど、既に手は打った、ということですか?」

 

 こちらは感情的なガウルより少しは冷静らしい、とバナードは思わず僅かに表情を緩めてジョーヌを見つめる。彼女の言うとおり、既に手は打ってある。

 

「ああ。……殿下、今朝出撃した遊撃隊は何のためですか?」

「そうか! こうなった場合のための実力行使用の部隊や!」

「だがそれじゃ表立って動くのとなんら変わんねえだろ?」

 

 いいえ、とバナードは首を横に振る。

 

「遊撃隊が対処するのは、あくまで『自国領内での不明瞭な戦闘行為』に対してです。『逃亡の姫君を逃がす手助けをする』というのは副次的な効果、いえもっと言うなら結果としてそうなってしまったということに他なりません。その辺り、彼は誰よりもうまく事を運んでくれる、『手助けをする』のではなく、『結果として手助けをしてしまった』という形にもっていってくれるでしょう」

「ソウヤなら間違いない! もし戦闘になってもうまくパスティヤージュ側だけを撃退して、姫様達はなんやかんやと見逃す手立てをきっと立ててくれる! そういうことですよね、将軍?」

「ああ。そういうことだ」

 

 ジョーヌが表情を明るくする。だが対照的にガウルの表情は苦いままだった。

 

「……間に合うのか?」

 

 そして、1番の懸念すべき事態を口にした。

 

「確かにガレットが介入する大義名分は整っている。その状況ならソウヤは間違いなくうまくやるだろう。相手は空騎士だ、そこも含めてな。……だが、遊撃隊が到着した時に既に戦闘は終わっていた、それじゃ元も子もねえ。そこのところはどうなんだ?」

 

 それに対し、ここまで流暢に話していたバナードの口が止まった。

 

「そんな……将軍、間に合うんやろ?」

 

 ジョーヌからの問いかけにも、彼は即答しない。

 

「……正直なところ、姫様達の粘り次第、としか申し上げられません」

 

 思わずガウルはうめき声を上げていた。確か護衛についていたのはシンク、エクレール、リコッタのはず。シンクとエクレールの2人はビスコッティの名コンビ、腕も確かだ。リコッタも戦闘能力こそ高くはないものの、砲術士として、なによりその頭脳は優れたものがある。さらにはそこに今では彼の姉も加わっている。そう易々とやられるとは考えられない。だが、嫌な予感は消え去ろうとしない。

 

(頼むぜ、姉上……! ソウヤの到着まで何とか持ちこたえてくれ……!)

 

 歯を鳴らし、拳を握り締めた今の彼に出来ることは、そう祈ることだけだった。

 

 

 

 

 

「高い角度から来るぞ! リコ、防御弾幕!」

「了解であります!」

 

 空から雨のように降り注ぐ晶術弾に対し、リコッタの両手に持たれたハンドキャノンから2発の砲弾が放たれる。直後、その弾は拡散し、辺りに防御用の弾幕を形成した。それによって多数の晶術弾が相殺されるが、うち何発かが弾幕を抜ける。が、今度はそれとミルヒの間にシンクが割って入り、ライオットシールドで残りを防いだ。エクレールはセルクルをうまく操ってその攻撃を回避し、上体だけを後ろに向けて反撃態勢に入っている。

 

「紋章剣、裂空十文字!」

 

 放たれた十字状の紋章剣は攻撃してきた数騎の空騎士を巻き込んだ。しかしそれを避けた残りの空騎士が彼女へと晶術弾を放つ。それをうまく短剣で弾き、あるいはセルクルを操り回避して、彼女はなんとかその攻撃をやり過ごした。

 

「リコ、残りの防御弾は!?」

「もう残り少ないであります! エクレ、このままでは……!」

 

 リコッタからこぼれたよろしくない現状に、エクレールは唇を噛み締める。晶術弾単発の攻撃はさほど恐くない。だが、集中して撃たれた場合は弾くのにそれなりの輝力を要する。ここまでシンクが全てディフェンダーによってミルヒを守ってくれていたが、彼の輝力も無限ではない。威力が増せばそれだけ込める輝力も増え、消耗が激しくなる。そうなれば、ここを切り抜けたとしても今後に影響を及ぼしかねない。

 いや、人のことより、と彼女は疲労の色を滲ませた息を吐いた。迎撃役を買って出たせいもあり、彼女の消耗がこの中ではもっとも激しい。最初の閃空二重一文字で幕が切って落とされたこの逃亡戦。その初撃はよかった。まだ心を決めかねていたリーシャの意表をつく形で、うまく20騎ばかりの空騎士を巻き込めた。だが、それでリーシャも腹を括ってしまったらしい。以降は完全に相手のペースだった。先ほどの紋章剣のようにエクレールは反撃を放ってはいるが、効果的な成果を挙げられずにいた。

 

「姫様、セルクルを止めてください! そちらが不利なのはもう十分承知になったはず! こちらの要求に従ってください!」

 

 叫び声を挙げつつ、だが焦っているのはリーシャも同じだった。エクレールからの初撃で已む無く戦闘態勢に入ったものの、仕留め切る事が出来ない。頭を抑えようと数騎を前方に展開させようとしたが、先頭を走るレオの前にあっさりと迎撃されていた。本当にこれまでずっと休暇を取っていたのかと疑いたくなる。戦闘能力は全く衰えていない。これでは前方に兵力を割いてもいたずらに失うするだけである。よって彼女は主に相手の後方からの攻撃に終始していた。この方が逃げる相手からの反撃はもらいにくい。さらに後方のエクレールを消耗させることで隊形を切り崩せる可能性がある。そうなれば先頭のレオを後退させることもできるかもしれない。そうしてなんとか頭を抑えに回りたい。

 だがエクレールはそれに気づいている様子だった。先ほどからレオが下がろうとすると絶対に下がらないように要求していた。

 

(あの人は……本気で自分の主君を守ろうとしている……)

 

 ひたむきにミルヒだけを守るための行動を取るエクレールに、思わずリーシャはそんな考えを抱いていた。今の自分はどうなのだろうか。領主の命令に従っているとはいえ、本当にそれが正しいといえるのだろうか。

 いや、そもそも騎士にそんな疑念を抱く余地などないはずだと彼女は考えを消し去ろうとする。それでも、一瞬でも疑いを抱いてしまったのは事実だ。そんな彼女にとって、今の自分と対照的な目の前の彼女を撃つことはどうしても躊躇(ためら)われた。

 

「騎士エクレール! 隊を止めてください! あなたももう限界のはず……。こちらの要求に従っていただければ手荒な真似はしないと約束します! それに……私の方からもクーベル様に掛け合ってみます! ですからお願いです!」

 

 切迫した声だ、とエクレールは感じた。やはり向こうとしても乗り気ではない戦いだったようだ。だが、だとしても命令を受けている以上実行するのが騎士だ。自分は引くつもりはないし、相手も引かないだろう。そのことは強く感じていた。

 だとするなら、どちらかが諦めるまでこの追撃戦は続く。相手を諦めさせるにはどうしたらいいか。部隊の殲滅、それが無理なら大打撃か。しかし現状そのどちらも難しい。隊長クラスの撃破、も同様だろう。なら、向こうが本隊、つまりミルヒへの追撃を()()()()()()()()状況を作り出すしかない。

 

 エクレールが背後を振り返る。空騎士は当初より半分以下まで数を減らしている。ならばやれるか、と彼女は口元に自嘲的に笑みを浮かべた。

 

「……姫様、先に行ってください」

 

 自分としても随分と乾いた声だった、と思う。既にこの展開になる可能性がある、とわかったときに心は決めたつもりだった。だが、いざ言葉にするとなると、やはり緊張を隠すことが出来なかった。

 

「エクレール!?」

「エクレ、何を言って……!」

 

 信じられないとばかりにミルヒとシンクが彼女を振り返った。

 

「私はもう輝力が底を尽き始めています。このまま応戦しつつの逃走は難しいでしょう。かといってこの役を変えたところで消耗戦にしかなりません。それは相手の思う壺です。……なら、ここは私が引き受けます。私が足を止めて迎撃に回れば、残りの数からいっておそらく向こうも私を無視しての追撃は難しいはず。そうなれば姫様たちが逃げ切れる可能性はより高く……」

「いけません! エクレール!」

 

 エクレールの声を遮ったミルヒは、珍しく声を荒げていた。先ほどの乾いた声からその決意を感じ取ったのだろう。続けて彼女へと呼びかける。

 

「あなたは私の親衛隊の隊長です! 昨日約束したではありませんか! なら……最後まで私を守ってください! これは命令です!」

 

 その声にエクレールの眉が一瞬動く。

 出来ることならそうしたい。しかしここで追っ手の足を止めなければ状況が悪いままだ。なら、自分が命を賭けるべき場所はここだ。エクレールの気持ちは決まっていた。騎士としての忠誠、親衛隊長として主君を守るための最後の仕事。リーシャは「保護」と言ったが、果たしてどういう扱いをされるかわかったものではない。だが、彼女の覚悟は決まっていた。

 心残りがあるとすれば最後まで主君の護衛が出来ないことであった。だが、その彼女にとって最愛の男性が側に仕えている。姉妹同然に接してくれた隣国の戦姫がいる。旧友でありビスコッティの頭脳である研究院の主席がいる。だったら心配はない。必ず姫君は守り通される。そしてその身の安全が保障される場所まで連れて行ってくれるだろう。

 

「……申し訳ありません、姫様」

 

 改めて自分の心を整理し、エクレールはゆっくりと口を開いた。

 

「お気持ちは嬉しいです。ですが、姫様の身の安全をより確実なものとするためには、これしかありません」

 

 ミルヒの気持ちには気づいていた。両親を事実上失ったに等しく、騎士団に反旗を翻され、国を失うかもしれない彼女はもう何も失いたくないのだということに。昨夜、自分に言ってくれた感謝の気持ちは彼女の本心だろう。自分には勿体無いぐらいだった、そのことにも気づいていた。

 しかし、だからこその英断だった。かつて自分が愛し、そして今自分の仕える姫君が愛する男性と共に逃げ切ってほしい。そのために、自分の身など投げ捨てる覚悟は、当の昔に出来ていた。

 

「ダメですエクレール! あなたを失ったら……私は……私は……!」

 

 涙声が聞こえる。彼女のセルクルのスピードも緩みそうになった。だがその彼女の腕を掴んだのは他ならぬシンクだった。

 

「シンク!?」

「……行こう、姫様」

 

 見れば、彼の手も震えていた。そこから本当は望んでいないことだとわかる。だが、それでも彼はエクレールの言葉を優先しようとしていた。

 

「エクレは心を決めてるんだ。そして、親衛隊長として今自分が何をなさねばならないか、それをわかっていて、やろうとしているんだ。だから……その気持ちを踏みにじっちゃいけない」

「でもシンク、エクレが……」

 

 そこまで言って彼を見たところでミルヒはようやく気づいた。目に映ったのは自分を掴んでいないセルクルの手綱を握っている方の手、それを血が滲まんばかりに握り締め、唇を噛み締めて必死に堪えようとするシンクの姿だった。

 

「僕だって……僕だって今すぐにでも足を止めてエクレと一緒に戦いたい……! でもエクレは……エクレはそんなことは望んでない……。今僕がやるべきことは姫様の身を守ること。一緒に付き添うこと。だから……行こう、姫様」

 

 今まで散々馬鹿にしてきた勇者だが、ここばかりは感謝せねばならないだろう。エクレールは小さく笑みをこぼした。

 

「……よく言った。アホ勇者など散々言ってきたが……感謝するぞ、シンク」

「ううん。いいよ。代わりに……必ずまた会おう」

 

 難しい要求をしてくる。そんな約束が叶う保証など全くない。一瞬間を空けたが――。

 

「……当然だ。また貴様のアホ面をもう1度拝んでやる」

 

 流れるようにその言葉が口を次いで出てきた。髪を切り、本心を隠してきたこの数ヶ月で嘘をつくなんていうのもいくらかうまくなったようにも思える。それでも、昨日はミルヒに「嘘をつくのが下手だ」と言われてしまったか。だとしても、目の前の唐変木ぐらいには通じるだろう。

 

「ひどいなあ……。でも……よかった。約束だよ?」

「ああ。……何度も言わせるな」

「エクレール……私とも約束してください……。また、必ず私の前に顔を見せてくれると……!」

「約束します。ですから……私の心配はせず、行ってください!」

 

 今度は昨日と違ってうまく嘘を言えただろうか。そのことは気がかりだったが、ミルヒは彼女の意思を尊重してくれたらしい。辛そうな顔を前へと向ける。

 

「タレミミ……。ミルヒはワシ達が必ず送り届ける。じゃから……」

「ありがとうございますレオ様。……姫様を、お願いします」

「わかった。また会おうぞ……!」

「エクレ、自分とも約束であります! 無茶だけは、絶対ダメでありますよ!」

「お前の方こそ、3人に迷惑をかけるなよ」

 

 皮肉っぽい笑みをリコッタに返す。それをきっかけとし、エクレールはセルクルを止めて降り、反転した。彼女の背中に4人が遠ざかる気配が感じられる。

 

(どうか……。うまく逃げ切ってください、姫様……)

 

 一旦そう願った後、エクレールは気合の声を上げた。輝力武装展開、「光凛剣・双牙」。巨大な篭手に包まれた2本の腕と剣を実体化し、更に自身もいつでも紋章剣を撃てるように輝力を高める。

 距離を詰めてきたリーシャがその様子に気づいた。一瞬信じられないとその目を見開いた直後、全体に「止まれ!」と指示を出す。

 そんな彼女同様、エクレールも面食らっていた。。てっきり自分の頭上を越して追撃を続行するものと思っていた。そうなった場合のための紋章剣、ミルヒ達に追いすがろうとする相手をここで出来ることなら一網打尽に、それが無理でもある程度数を減らし、出来るだけ多くの相手の狙いを自分に定めようとさせるのが目的だった。しかし相手は最初から自分にだけ狙いを絞ったらしい。我が身と引き換えに本隊を逃がそうとしている彼女にとっては好都合だった。

 

「……ここは通さない、というわけですか?」

 

 臨戦態勢をとったまま、ブランシールの上からリーシャが質問を投げかける。

 

「そういうことです。ここを通りたければ、私を撃破してからにしてもらいたい」

「……私は出来ることならあなたと、いえ、この命令自体実行したくはありません。今すぐ武装を解除してこちらの要求にしたがってはいただけませんか?」

「それは出来ない相談です。私が大人しくしたとして、それで姫様への追撃が終わるという保証はない」

「私が受けた命令は『姫様達一行の保護』、誰か1人でもいいという命令です。ですから……ここで投降していただければ……」

「……くどいですね、リーシャ隊長」

 

 不敵に笑いを浮かべたエクレールに、リーシャは彼女が考えていることを察した。この人は投降などする気はない。自分の言葉を信用してくれていない。最後まで玉砕覚悟で戦うだろう。

 いや、そもそもこんな方法を取った自分を信用してくれ、などと言う事の方が間違いだろう。もう戦いは避けられない。誇り高いこの親衛隊長は間違いなく戦っての決着を望む。

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。これほどまでに誇り高い騎士を目の前に、その相手を今の自分が数の暴力と言う形で撃破してもいいのだろうかと思わず感じる。しかし自身はクーベルに忠誠を誓った身。なら、その命令は実行しなくてはならない。

 ギリッと歯を鳴らし、リーシャは晶術銃の銃口をエクレールへと向けた。

 

「……全員、構え……。目標、ビスコッティ親衛隊長、エクレール・マルティノッジ卿……!」

 

 搾り出すような彼女の声と共に、空騎士達も銃口をエクレールへと向けた。それを見たエクレールは小さく笑みをこぼす。

 

「……リーシャ隊長、時に騎士は自分の意思と無関係に踊らなくてはならない時もある……。あなたの苦悩は十分に伝わりました。ですから、遠慮はいりません。全力できてください」

 

 ここまで来てかけられた同情の言葉に、とうとうリーシャも完全に決心した。この戦いは負けられない。「良い演者とは、黙って踊る演者」であるなら、領主の望みどおり黙って踊ってみせよう。彼女は一気に輝力を集中させた。

 

「一斉射! 撃てッ!」

 

 空騎士の射撃と同時。エクレールも両手を交差させ、自身の紋章剣を放つ。

 

「紋章剣! 裂空十文字!」

 

 迫る晶術弾と相殺しあう形となり、だがエクレールの紋章剣が打ち勝った。その一撃に数騎の空騎士が巻き込まれる。

 それでもエクレールの攻撃は終わらない。続けて輝力武装の剣へと輝力を集中させていく。

 

「光凛剣、双牙……!」

「各員散開!」

 

 それをリーシャは見抜いた。かつて見かけたこともある、エクレールの自身と輝力武装の両方から放つ連続の紋章剣。今目の前の親衛隊長はそれを狙っていると確信し、即座に散開の指示を出す。

 しかしエクレールも早い。元々集中させていた輝力だ、散開の様子が小さいと判断し、そのまま紋章剣を放った。

 

「裂空光牙十文字!」

 

 輝力武装から放たれた強力無比な一撃は、散開しかけた空騎士達を飲み込んだ。が、それでも全てではない。殊に隊長として一流のリーシャであればその飲み込まれる側に入るなどということはありえない。

 軌道を完全に見切ってリーシャは回避する。お返しとばかりに、強力な晶術弾の反撃をエクレールへと放った。

 

「ぐっ……!」

 

 2連発の紋章剣の反動で動けなかったエクレールにその攻撃は直撃した。苦悶の声と共に上着が弾け飛び、彼女自身も後方へと吹き飛ばされる。しかしエクレールはすぐに立ち上がり、転がるようにその場を離れた。直後、残りの空騎士達が放った晶術弾がその場へと降り注いでいた。

 

「待て! 全員撃ち方やめ!」

 

 あと一歩、リーシャ自身がもう一発撃てば勝負は決まっただろうに、どういうつもりか彼女は攻撃中止の指示を出した。あくまで投降を促そうというのか。

 何とか体を起こし、エクレールは相手の状況を確認する。まだ空騎士は30騎ばかりは優に残っていた。相変わらず圧倒的不利、満身創痍の現状では撃破は難しい。いや、隊長のリーシャがいる時点で絶望的とも言える。それでも、攻撃の止んだこの間に荒くなった呼吸を整えようと彼女は肩を上下に揺した。が、体力の回復は見込めそうにない。

 

「……最後通告です。投降してください、騎士エクレール。拒否するのであれば、こちらも撃破という手段を取らせていただきます」

 

 ここまでか、とエクレールは思わず舌打ちをこぼした。これまでの戦闘で疲労はかなり蓄積されていた。先ほどの紋章剣2連発の時は一発一発が体に重くのしかかっていた。紋章術はもはや使えるかも怪しい。輝力切れを起こせば、あとは煮るなり焼くなり好きにされるしかない。そうなれば相手の言葉通り「保護」されるだろう。しかし戦闘行為の上での保護など、それでは人質や捕虜と同義だということも気づいていた。

 だとするなら、それで親衛隊長として今まで戦ってきた自分は終わるかもしれない。そう気づいてもいたが、不思議と未練はなかった。主君に忠誠を誓い、だがその主君と同じ人を愛し、そして最後まで騎士として生きることを選んだ。難儀といわれればそうなのかもしれない。しかし彼女にそんな感情はなかった。

 姫様を責めるなど筋違いだ。いや、その前に責める気すら彼女にはない。国民のために、その華奢な両肩に重くのしかかるものを考えれば、自分の心などたかがしれている。その姫様を守り通し、尽くすことこそ自身の喜びだ。今のエクレールの心はそうだった。だから、最後まで付き添うことこそできなかったものの、少しでも安全な道中のために我が身を投げ出したことに悔いはなかった。

 

 だがその一方、エクレール個人としての後悔はあった。

 昨夜ミルヒに言われた彼女自身の幸せ、それを考えた時に真っ先に浮かんできた副隊長の顔。仮にも婚約をしたというのに、自分は最後までマルティノッジ姓を名乗っていた。そしてそんな自分のために、全てを賭けて求婚してきてくれた相手に優しくしてやれなかった。

 確かに、あの時の悲しみを何かにすがって忘れたいという思いはあった。心のどこかでシンクへの当て付けという思いもあった。だがそれだけが全てではない。今の彼女にそんな心は微塵もない。

 まるで尽くすように自分を支えてくれた彼に申し訳なく思う。こんな自分のために労力を惜しまなかった彼への感謝と、謝罪の気持ちはある。自分のわがままを嫌な顔一つせず聞いてくれて、アラシード姓を名乗らなかったことに文句を言おうともしなかったのだ。なんでこんな自分のために、とも思う。

 

 そこでエクレールは気づいた。彼の自分に対する感情は、自分が姫君に抱く感情に似ているのではないかと。「奉仕」や「献身」とも取れるだろう。だとするならそれは彼女がシンクに対して抱いた感情とは多少異なるかもしれない。だがそれを昇華させれば、最後には「愛」という感情に行き着くのではないだろうか。

 ああ、そうかと彼女は1人納得した。自分を親衛隊長として信頼し、慕い、尽くしてくれた。今にして思えば人のことを鈍いだの言えないほど、自分も大概だったとようやく気づく。自分のことをこれほどまでに思ってくれる、きっと幸せにしてくれる人間は、いつも一番側にいてくれたではないか。

 

(すまなかったな……。エミリオ……)

 

 心で彼女は一つ詫びの言葉を呟いた。その心に自分は応えてやれなかった。唯一の心残りがあるとすれば、それだけだった。

 投降の意思なし、と判断した空騎士達が銃口を向ける。もはや防御に回す輝力もない。回避するだけの体力も残っていない。次の晶術弾を撃たれればそこまでだ。

 

(せめて、最後にもう1度会いたかった……)

 

 叶わぬ願いだ、とエクレールが自嘲的に小さく笑みをこぼす。そして自身の最後の時を待とうと、ゆっくりと目を閉じた。

 

 ――その時だった。

 

「後方! 接近する敵影あり!」

 

 その声に諦めていたエクレールが目を開き、リーシャが背後を振り返る。直後。

 

「槍……投擲!?」

 

 輝力を込められた槍の投擲。自分達へと攻撃が向けられていると悟ったリーシャは即座にブランシールを回避行動へと移す。軌道を読みきった彼女は見事その攻撃を回避した。が、避けきれなかった数騎がそれに巻き込まれ撃破される。

 

「よくもっ!」

 

 問答無用で仕掛けられた奇襲に怒りを覚えつつ、リーシャは攻撃が来た方向へと晶術弾を撃ち込む。着弾。手応えはあった。だがセルクルを走らせる影は怯んだ様子もなく、その爆煙を切り裂き飛び出してくる。

 

「なっ……!」

 

 その様子にリーシャは目を見開いた。いや、彼女だけではない。エクレールも同様だった。迫ってきていたのは青っぽい髪に赤い鉢巻を締めた、先ほど彼女の脳裏によぎった、その当の本人――。

 

「エミリオ……!? なぜ……!?」

 

 だが彼女の問いの答えの代わりに空騎士たちの晶術銃が一斉に火を吹く。それでもその騎士はセルクルの速度を緩めず、真正面から弾幕へと飛び込んだ。轟音と共に煙が広がり、しかしその煙の中からひとつの影が飛び出し、空騎士の足元を転げるように抜けていった。見ればセルクルは撃破されている。着弾する瞬間、防御を固めて跳んだのだとリーシャは推察した。

 その相手を撃とうと銃口を向け――リーシャはその手を止めた。自分達の射撃を抜けて親衛隊長の元へと辿り着いた青年はその隊長を庇うように前に立ち塞がっている。

 

「待て! 撃つんじゃない!」

 

 その様子を目にした瞬間、反射的にリーシャはそう指示を飛ばしていた。自分達を攻撃してきた以上、間違いなく敵対する存在だ。だが、目の前にいる2人のことは風の噂で耳にしてはいた。細かいことはわからないが、仮とはいえ婚約を交わした相手が窮地と知って我が身を省みずにここまで来たのだろう。そんな相手を問答無用で撃ち抜くことは、今の彼女には出来なかった。

 

「大丈夫ですか、隊長!?」

「エミリオ……お前、どうしてここに……?」

 

 目の前の敵を睨みつけながらの質問に対し、エクレールは質問を返していた。

 

「隊長達をガレットの国境付近で見かけたという話を聞いて……。いや、そんなことはどうでもいい。大丈夫なんですか!?」

 

 彼自身もさっきの晶術弾の雨を浴びているはずだ、なんともないということはないだろう。なのにただただ、エミリオはエクレールに心配の言葉を投げかけていた。

 本当に自分を心配して、それだけの理由で来たのだと彼女は悟った。だが自分はもう戦える状況ではない。せっかく来てくれたが、彼1人ではこの相手は荷が重過ぎる。それでも、一目会えてエクレールは嬉しく感じていた。自分の願いが天に届いた、そう思っていた。

 

「……見ての通り、なんとかまだ立ってるよ。ただ……もう輝力も体力も底を突いた。正直言って、今はやられるのを待ってたような状況だった」

「そう……ですか」

 

 そう言うと、エミリオは苦笑を浮かべる。

 

「……相手は30弱、おそらく自分1人では手に余ると思います。格好良く決めたかったんですが……。わざわざ来たのにすみません、やっぱり自分は勇者様みたいにはいかないみたいです」

「あいつみたいじゃなくていいさ」

 

 エミリオにとって予想外の答えだった。思わず目の前の敵から目を逸らし、エクレールの方を振り返る。

 

「お前は、お前だからいいんだよ」

 

 エクレールは笑っていた。作ったような表情ではなく、自然に微笑んでいるようだった。そんな笑顔を最後に見たのはいつだったか。髪を切って以来では初めてかもしれない。

 

「……ようやく気づいたんだ。私の1番近くに、誰よりも私のことを思って、そして支えてくれる人がいたんだってことに」

「隊長……」

「だから、お前はお前だからいいんだ。……今まですまなかった。私の身勝手で散々迷惑をかけてしまった。一言だけでも、会って言葉を交わして、そして謝りたかった。……これでもう悔いはない」

「迷惑だなんて、思っていません……! だから、謝る必要なんてありません。ただ、隊長のことがどうしても心配で……だからここに割って入っただけなんです」

 

 エクレールが天を仰ぐ。ミルヒから幸せになってもらいたいと言われたが、自分は相当な幸せ者だと思っていた。親衛隊長として主君の安全のために身を投げ出して役目を全う出来、最後に会いたいと思った人間と共にいる。「死に場所」としてはおあつらえ向きだ。この後、自分の身がどうなろうともう彼女に思い残すことはなかった。

 

「……最後まで、私に着き合わせてしまったな」

「いいんです。自分が望んだことですから」

 

 エミリオからの返答に、エクレールは小さく笑った。次いで、その表情を引き締め、リーシャを真っ直ぐに見据える。

 何かを決めた目だった。圧されそうなその視線から目を逸らすことなく、リーシャが口を開く。

 

「……覚悟は決まりましたか?」

「ええ。ただ、投降するつもりはありません」

「勝ち目がなくても、ですか?」

 

 フフッとエクレールが笑う。不敵な笑みだった。満身創痍、四面楚歌の状況にあるとは思えないその様子は、一見すれば自棄を起こしたとも見える。

 

「……確かに勝ち目はないでしょう。傷ついた私と親衛隊の副隊長とはいえあなたには到底及ばないエミリオの2人では、はっきり言ってこの状況を打破するのは不可能です。……ですが」

 

 彼女の表情から笑みが消える。そして改めてリーシャを真っ直ぐに見つめなおす。今度は、先ほどを越えるほどの威圧感だった。

 

「……我等2人を余り甘く見ないでもらいたい! たとえ万に一つの勝ち目もないにしても、倒れるまで誇らしく戦い抜いてみせる! ビスコッティ親衛隊副隊長のエミリオ・アラシードと、同じく隊長のエクレール・()()()()()、そう易々とやられるつもりはない!」

 

 淀みのない、今の彼女のどこにそれほどの力が残っているかと疑ってしまうほどの、力強い言葉だった。

 

「隊長……!」

「……違うな、エミリオ」

 

 だが振り返った彼女からは、先ほどの力強さは嘘のように消え去っていた。その表情にはどこか気恥ずかしそうな、照れくさそうな、そんな様子と共に笑みを浮かべている。

 

「私は公私を混同したくはない。だが……今は名で、『エクレール』と呼んでくれ」

 

 エミリオは虚を突かれた。しかしすぐその表情を明るくする。他ならぬ彼にとってもずっと待ち望んでいた、親愛なる女性が自分に心を開いてくれた瞬間――。

 

「はい……エクレール……!」

 

 エクレールは、微笑でそれに応えた。そして表情を引き締め、目の前の相手を見据える。

 晶術銃が構えられる。最後の時。

 

「……エミリオ」

「なんです?」

 

 だったら、言いたいことは全部言ってしまおうと、彼女は思った。

 

「もし無事にビスコッティに戻ることが出来たら……式を挙げよう」

「た……エクレール……」

 

 これまで通り「隊長」と呼びかけて言い直したのだろう。慣れない自分への呼称に戸惑った彼に、思わず小さく笑う。

 

「私には似合わないと分かっているが、お前のためにドレスを着てやる。姫様やシンクや隣国の人々も呼んで……盛大な式にしてやるよ」

「いいですね。それは、楽しみです……」

 

 エミリオがそう答えると同時。

 リーシャ達空騎士隊が一斉に引き金を引き絞る。銃口から放たれた晶術弾は美しく弧を描いて2人へと迫り――。

 

 そして、辺りに轟音と爆煙を撒き散らした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 24 一度幕は下り、再び上がる

 

 

 おかしい、と彼女は感じた。まだ目前の煙は晴れない。だが、たった今、目の前の親衛隊長と副隊長へ放った晶術弾が直撃していないのではないか、という予感。直撃を確信した時とは異なる違和感。命中する刹那、横から何かが飛来した、そのように見えた。

 煙が晴れる。はたして彼女の予想通り、目標は目の前に2人、顕在だった。しかしそれは相手側も意外だったらしく、信じられないといった様子で呆然と立ち尽くしている。

 

「リーシャ隊長、次弾の指示を!」

 

 空騎士から声をかけられ、ようやくリーシャは我に返る。そして銃口を再び2人に向けて口を開こうとした、その時だった。

 

「双方ともそこまでだ! ただちに戦闘行為を停止しろ! 戦闘の意思を見せた場合は即座に撃破する!」

 

 街道の脇にある林、そこから凛とした声が響いてきた。リーシャにとっては聞き間違えるはずもない、散々苦汁を舐めさせられ続けている、その相手――。

 

「繰り返す、ただちに戦闘行為を停止しろ! ハッタリだと思うならそれでいい、だがその場合は俺の『アルバレスト』に即刻撃ち抜かれる覚悟ができた、と判断させてもらうぞ!」

「全員武器を降ろせ! 絶対に戦闘の意思を見せるんじゃない! 相手は『蒼穹の獅子』だ、狙われている以上、こちらに勝ち目はない!」

 

 リーシャの指示は迅速だった。状況は完全に変わった。今この場を制しているのは自分達ではない。姿を見せぬ相手の方だ。

 先ほどの違和感は間違いなかった。今も目の前に立ち尽くす親衛隊の2人に晶術弾が直撃するその瞬間、横から紋章砲を撃ち込んで防御したのだろう。一歩間違えれば守ろうとした相手ごと吹き飛ばしかねない。だが、()はそれを躊躇なく、正確かつ確実にやってのけた。ガレット随一の、いや、技巧派である彼女の国の騎士隊長でさえ到底敵わないと称するほどの、優れたという言葉では生温い輝力の制御能力。改めてそのことを確信すると同時に、称賛したい衝動に駆られ、そしてまた苦汁を舐めることになるのかと彼女は思っていた。

 隊の騎士達にかけた言葉の通り彼女は晶術銃をブランシールの上に置き、両手を見せる。戦闘の意思無し。隊の騎士達も同様に晶術銃からは手を離していることを確認し、彼女は声の聞こえてきた方へ口を開く。

 

「……デ・ロワ卿! ご覧のとおりこちらに戦闘の意思はありません!」

「賢明な判断だな、アンローベ卿」

 

 普段自分に取っているようなどこか人を小馬鹿にしたような態度からは程遠い、緊張感を感じる態度だとリーシャは思う。「アンローベ卿」などという堅苦しい呼び方を聞いたのはいつ以来か。それ程、向こうとしても真剣な状況ということを意味しているのだろう。

 

「……姫様達がガレット領に入ったときはヴァンネットを目指すものと思っておりましたが、一向に向かう様子がなかった……。てっきりガレットはこの件を静観するものだと……」

「この件? 何の話かわからないが、俺は領内で戦闘行為があったらしい、と聞いて鎮圧のために来ただけだ」

 

 よくもいけしゃあしゃあと言えたものだ、とリーシャは内心呆れていた。領内での戦闘行為、というだけでいきなり遊撃隊が動くだろうか。付近の砦辺りに駐留している兵に話をつけてまず状況を確認するなり、その時点での警告行為などがあった上で実力行使に移ってくるはずだ。その過程を全て飛ばしている以上、「領内での戦闘行為」などというのは上辺だけの理由に過ぎないだろう。

 

「……しちめんどくさい話はおいておく。本題だ。そちらの飛空術騎士団をまとめて引き上げろ。そうすれば今回は黙認して見逃してやる。断る、というのなら仮にも領内での無断の戦闘行為だ。()()()()()()の後、じっくり話を聞かせてもらうことになるが、どうする?」

 

 そのソウヤの一言でリーシャの仮説は確信へと変わった。やはり先ほどの理由は表向き、真の理由は「逃亡の姫君」への自分達の追撃をやめさせ、撤退させることに他ならない。そもそも自分達には隊を引くように命じたが、ビスコッティの親衛隊2人はどうするつもりか。それを聞いてもよかったが、どうせはぐらかされるに違いない。やるだけ無駄なやり取りだ。

 普段の彼女なら手玉に取られたと重い気持ちになっていただろう。だが今回に限れば違う。いくら領主からの命令とはいえ真意を測りかねる内容、元々乗り気ではなかった。「蒼穹の獅子に割って入られた」という理由は撤退の口実としては十分といえる。ならこれ以上ここに留まる必要も、そして領主に言われた通りに踊り続ける義理ももうないだろう。もっとも、仮に断ったとして、その瞬間に撃破されるのは火を見るより明らかだ。そのことを重々承知している彼女には拒否という選択肢すら存在しなかった。

 

「……撤退だ! 撃破された味方のだまの回収班と合流後、速やかにエッシェンバッハ城に帰投する!」

 

 考えをまとめたリーシャの判断は素早かった。空騎士達が反転する。それに続いて彼女も方向を転換しようとし、何かに思い当たったようにそれをやめた。そしてつい先ほどまで激闘を演じた、誇り高き親衛隊長を真っ直ぐに見つめる。

 

(騎士エクレール……あなたは立派だった。どうか、その副隊長と幸せに、そしていずれまた戦いましょう……)

 

 敬意を表したその視線にエクレールも気づいたらしい。傍らの副隊長と何やら話していたようだったがそれを止め、目でそれに応える。

 口の端を僅かに緩めたのは、ほぼ同時だった。両者とも互いに言葉を交わさずとも、言いたいことは伝わったようだ。

 今度こそ彼女は反転する。次いで、先ほどから声が聞こえてきている林のほうへ首だけを向けた。

 

「……デ・ロワ卿。ここまであなたには煮え湯を飲まされ続けてきた。見ようによっては今回もそうでしょう。ですが今回だけは……」

 

 続けて感謝の言葉でも述べようかと思った彼女だったが、ふとその言葉を止めた。それを口にしたらやはりいい様に手玉に取られているような、なんだか負けたような感覚を覚えたからだった。

 

「……いえ、なんでもありません」

「ああ、それでいい。これだけ散々に接してるお前に感謝なんかされたら、逆に気になって夜も眠れねえからな」

 

 どうやら普段の調子が少しは戻ってきたようである。つまり気を張る状況からは脱しつつあるらしい。その方が彼らしいと思いつつ、だがやはりこの人とは馬が合わないな、と彼女は改めて実感していた。

 

「その減らず口、いつか黙らせてみせますよ。いつもあなたの思うとおりに事が運ぶわけではない、と解らせてさしあげます。……引き上げる!」

 

 空騎士達が引き返していく。その姿が完全に見えなくなって一瞬の静寂の後、林の中から現れたのはソウヤを先頭とした遊撃隊だった。他に隊長クラスはベールとノワール、諜報部隊も数名見受けられる。

 

「良い捨て台詞だな、眉毛。やっぱお前は『出来る相手』だ。そんじょそこいらのチンピラの捨て台詞とは格が違う。……お前と真正面切って戦う機会があるなら、是非ともやってみたいと思っちまうな」

 

 既にその言葉を投げかけるべき相手はいない。結果としてソウヤの独り言となった。どの道、彼はこのセリフを彼女に贈るつもりはなかった。贈ったところで受け取りを拒否される、相手の感情を煽るだけだと解っていたからだった。

 

「捨て台詞に良いも悪いもあるんですか……?」

 

 そんな独り言をやはり耳ざとく聞いていたのはベールだった。苦笑を浮かべつつソウヤに問いかける。

 

「ああ。さっきのは捻りを利かせたうまい捨て台詞だったぞ。お前もその辺りを勉強してみてもいいんじゃないか?」

 

 彼女は苦笑を浮かべたままだった。特に何かを返すでもなく、彼の指示を待つ。その顔には「早く本題を終わらせてしまいましょうよ」と書かれているようにも見えた。

 

「……わかったよ、さっさとやるべきことを済ませる。……遊撃隊! 周囲を警戒、このドンパチを聞きつけて近づく連中がいないか目を光らせろ! 5分後にこの場から離れる!」

 

 ソウヤの命令に遊撃隊が散らばる。それを確認した後、ソウヤはベール、ノワールと共に隣国の親衛隊2人の元へと近づいていった。既にエクレールは立っているのも辛いのか、エミリオに肩を借りる形になっている。

 

「……また借りを作ってしまったな」

 

 その肩を借りたままのエクレールにぶっきらぼうに言われた一言。思わずソウヤは笑みをこぼす。

 

「なんだ、惚気てるかと思ったが、普段通りのお前じゃないか。安心したよ」

「……フン」

 

 どこか気まずそうに、いや、恥ずかしそうにエクレールは視線を彼から逸らす。だが先ほどエミリオに対して口にしたのは彼女の本心に他ならない。今の言葉を否定するのはそれを否定するのではないかと思うと、出来ずにいたのだった。

 

「まあ、でかい貸しだな。そのうち返してもらえばいい。そうだな、お前たちの結婚式にでも呼んでもらえれば、それでいいか」

「……クッ。よりにもよって貴様に全部聞かれていたというのが腹立たしい」

「俺じゃなくて聞いてたのはベールだがな。……まあいい。お前たちの身柄はガレットで『保護』させてもらう。パスティヤージュより良い待遇は保障してやる。……ああ、これは皮肉でも嫌味でもなんでもなく、そのままの意味で、だ」

 

 確かにパスティヤージュに拉致まがいで「保護」されるよりはマシだろうとエクレールは思った。この介入も表向きこそ「領内での戦闘の鎮圧」という理由だが、実のところは自分達を助けるため、「逃亡の姫君」達を助けるためという意味合いが強いということは彼女にもよくわかっていた。

 

「ああ。私とエミリオの処遇はお前達に任せる。……仮にも領内で戦闘を行った張本人、なわけだしな」

「気にしなくていいですよ、エクレちゃん。形式上の処置ですから」

「一応監視付きだけど、さっきソウヤも言ったとおり良い待遇を保障するよ。この後一先ずはヴァンネット城に移送する予定だけど、監視には私の部隊から数名付けるだけにするつもりだから」

「まあそういうわけだ。俺がさっき言ったことは聞いていたな? もうすぐここを離れる。そうなれば一応は監視付きだ。……今のうちに2人でしか出来ない話は済ませておけ。お邪魔虫は消えてやる」

 

 ソウヤは2人に背を向けた。興味津々な様子のノワールとベールだったが、ソウヤに促されて渋々彼に続こうとする。

 

「あ、そうだ、エミリオ」

 

 と、そこでソウヤは首だけを後ろへと向け、エミリオへと声を投げかけた。

 

「なんですか?」

「……『苦労する者飲み』はまた先にしよう。しばらくはいいだろうが、お前がそいつの尻に敷かれて本当に苦労するのはその後だろうからな」

 

 耐え切れずエミリオは笑いをこぼした。そういえばそんな約束を交わしていた。ひょっとしたら目の前の遊撃隊長はあの時、いつかこうなることまで見越してあんなことを言ってきたのかもしれない、とも思える。

 

「……いつになりますかね、ソウヤさん。自分は『苦労する者』にはならないかもしれませんよ」

「誰だって最初はそう思うんだよ。だが気づいたら尻に敷かれてる側になってるのさ。……ま、ならないならならないでいいさ」

 

 後は2人だけで今のうちに話しておきたいことを話しておけ、と3人はその場から離れた。周囲から人気(ひとけ)が消え去り、借りていた肩を離れてエクレールはエミリオと向かい合った。

 

「あの……たい……エクレール……」

「……慣れるまではお前はしばらくその調子だろうな。まあ悪いのはずっと答えを先延ばしにしてきた私だ。段々慣れていってくれればいい。……それよりお前、さっきのソウヤとの話はどういうことだ?」

「え!? あ、あれは……。ソウヤさんが以前フィリアンノ城にいらした時、『苦労する妻を持つ者同士でいつか酒でも飲もう』と誘われて……」

「……あいつめ。やはりいつの日か一発殴らないと気が済みそうもないな」

「す、すみません! 自分が安請け合いしたばっかりに……」

「お前が謝ることじゃないだろう。あと……段々敬語もやめていってくれ」

 

 そうは言っても真面目なこいつじゃいつになるかわからないな、とも彼女は思う。だが、悪くない。そうやって真面目な性格と、そして一途に自分を思い続けてくれたことは何よりも嬉しいことだった。

 

「……エミリオ、さっき戦いの中で私が言ったことは本心だ。だがもう1度謝らせてくれ。……今までずっと返事を保留して、お前に苦労をかけ続けてすまなかった」

「そ、そんな、謝らないでください。別に苦労したなんて思っていません。それに……形はどうあれ、結果は……自分にとって嬉しいこととなりましたから」

 

 クスッとエクレールが笑う。実に彼らしい答えだ。

 

「……さっきあいつは、『そのうち苦労する者同士で飲もう』とか言っていたな」

「ええ……」

「そうはならないな。今まで苦労をかけた分、今度はそうならないように、約束するよ」

 

 そう言うと、エクレールはエミリオに体を預け、両手を背に回した。不意に抱きつかれたエミリオは一瞬その体を強張らせたが、緊張した様子ながらも彼女の両肩を抱き締め返す。

 

 ガレットに保護されたとはいえ、これからどうなるかはわからない。無事ビスコッティに戻ることは出来るのか、この後国に戻れたとして自分の処遇がどうなるのかも不明だ。だがそれでも、今はもう少しだけこうしていたいと、エクレールはエミリオの感触を確かめていた。

 

 

 

 

 

「あーんもうエクレちゃん、そこまでいったら後はチューまでぐぐーっと……!」

「いかねえだろうなあ。エクレールはこういうことには奥手だし、エミリオはクソが付くほど真面目な奴だからな……」

 

 そんな2人からやや離れた木陰、息を潜めた3人は声を殺しながらも何やら盛り上がっていた。言うまでもなく2人の会話の盗み聞き、聴力が自慢のベールが普通なら聞こえないはずの距離の話を聞いていたのだ。提案をしたのはベール、そしてノワールもノリノリだった。仕方なく、とはいえあながちまんざらでもない様子でソウヤもつき合わされ、今こうして聞き耳を立てているのであった。

 

「ソウヤ、何か良い案とかないの? あそこまでいったらもう一押し、何かこう……!」

「……お前もこういうの好きなのな、黒猫」

「当然ですよ。女の子はこういうシチュエーションにグッと来るんです! はい、ソウヤさん、何か良い案出してください!」

「……俺のことを聞けば答えが出てくるアイデアマシーンか何かと勘違いしてるんじゃねえか、お前らはよ」

 

 ハァ、と大きくソウヤはため息をこぼす。さっきは「早く本題に入れ」みたいな顔をしていたはずのベールだったと言うのに、いざ面白そうな話が舞い込むとこの様だと頭を抱えた。いや、彼女にとっての「本題」とは実はこれだったのかもしれない。

 

「それに残念ながら時間切れだ。そろそろ5分になる。動くぞ」

「えー……。そんな……」

「ノワール、状況はどうなってる?」

 

 未だに切り替えきれないベールを無視し、ソウヤはノワールにそう尋ねた。それを聞いたノワールの表情も真面目なものに変わる。

 

「姫様達はこの街道をしばらく進んでいたけど、戦闘を行った以上ルートを予測されるんじゃないかと思ったみたい。1本迂回して、ガレット中部への道を今進んでいるところ。この後ルートを取り直すんだと思う」

「そうか。なら、主要街道を突っ走れば……楽に頭を抑えられるな」

 

 その一言に、諦めきれずにまだ盗み聞きを続けていたベールが「え?」と言葉をこぼす。一気に真面目な顔になって振り返った。

 

「ソウヤさん……? 頭を抑える、って……どういう意味ですか?」

 

 だが、ソウヤは返さない。代わりに表情をより厳しくし、口を開く。

 

「……ベール、あとノワールも。この後隊員達にも言うが、これから俺がやろうとすることに一切口も手も出すな。お前達は黙って俺のやることを見てるだけでいい。わかったな?」

 

 そんな彼の様子に、ベールは呑気に盗み聞きなどしてる場合ではなかったのかもしれないとようやく気づいた。既にノワールは真剣な表情に変わっている。

 そう、エクレールをうまく理由をつけて保護できたとはいえ、まだミルヒ達、更には彼の妻も逃亡中なのだ。こんなことをしている場合ではなかったのだとベールは遅れながら悟った。

 

「エクレールとエミリオについてはさっきも言ったとおり一先ずヴァンネットへ護送だ。遊撃隊から護衛を10出す。あとはノワール、お前の部下を監視につけておいてくれ」

「わかってる。もう手配済みだよ」

 

 さすが、と言わんばかりにソウヤは小さく微笑む。そしてゆっくりと立ち上がった。

 

「さて……。幕間休憩のおちゃらけムードはここまでだ。ベール、隊員を集めろ。すぐに出発する」

 

 ただならぬ彼の雰囲気に何かをやろうとしているのだと感じ、緊張した表情で重々しくベールは頷いた。

 

「それじゃ、次の幕を上げるとしますかね……!」

 

 

 

 

 パスティヤージュの追撃を振り切ったミルヒ達は変わらずセルクルを走らせ続けていた。途中見かけた小さな村で食料をわけてもらいしばらくの休憩はしたものの、出来るだけ移動の足は止めないようにしている。「待ち伏せを避けるために一旦迂回した方がいいかもしれない」というリコッタの提案にレオも賛成して、予定より遠回りのルートを通っていたことも関係していた。安全重視の、背に腹は変えられないという判断だ。しかしその代わりに時間は余計にかかってしまったことになる。さらには夜の行動は危険ということで日暮れまでと決めている。その辺りまでも踏まえて、ロスした分を取り戻そうと4人は口数も少なくひたすら道を急いでいた。

 そうでなくてもパスティヤージュの追撃を振り切ってからは会話は少なかった。エクレールの離脱、という事態は4人にとって、特にミルヒにとって大きな衝撃だったらしい。身を呈して退路を切り開いたエクレールのことを当初はしきりに心配していたが、3人になだめられて落ち着いてきたようだ。いや、むしろ逆に塞ぎこむように、話しかけてもあまり話をしようという雰囲気ではなくなっていた。

 

「そろそろ日が傾くな……。次に集落を見つけたら、そこで宿を探すとしよう」

 

 しばらくセルクルの足音だけが響いていたが、そこに3人に提案するレオの声が聞こえてきた。彼女はこれまでエクレールの役割だった行程の管理を引き継ぐ形となっていた。

 

「賛成であります。自分もでありますが、姫様もお疲れのご様子でありますし……」

「私はまだ大丈夫です。行けるところまで今日のうちに行きましょう」

 

 が、ミルヒはそれを否定した。塞ぎこむようになりつつあった時から懸念していた心理状態に陥ってしまったかもしれない、とレオは思わず眉をしかめる。

 

「いや、まだドラジェまではもうしばらくある。それに領内へ入れたとしても目的地のコンフェッティ城への今日中の到着は無理じゃ。なら、寝床の確保を優先するべきとワシは思う。……見る限り、ミルヒ、お前は疲れているように見えるしな」

「言ったはずです、私は大丈夫です、と。まだ走れますし、なんとしても目的地へ到着するために、今のうちに出来るだけ距離を稼ぐべきです。そうでなくては体を張って私を逃がしてくれたエクレールに顔向けできません」

 

 やはりか、とレオは唇を噛み締めた。ミルヒは優しい。だが、それ故に本来自分が背負うべきでもない責任まで背負ってしまうこともあることを、レオは懸念していたのだった。確かにエクレールはその身をもって逃走経路を切り開いてくれた。そしてミルヒはそのことを自分の責任だと気に病んでいる。だからその思いに報いるためにも先を急ごうと主張してきたのだとわかっていた。だがここで自分たちが無茶をしてそれを台無しにしては元も子もない。

 

「ミルヒ、お前の気持ちはわかる。じゃが、休息は必要じゃ」

「大丈夫です。まだ走れます」

「いい加減にせんか!」

 

 レオの怒声がとぶ。普段自分に向けられることのない荒げられた声に思わずミルヒはビクッと肩をすくめた。しかしながら、振り返ったレオの表情はさきほどの口調のような怒りではなく、苦悩とも困惑とも取れない、複雑な表情を浮かべていた。

 

「……確かにタレミミはお前のために身を呈してあの場を食い止めた。じゃが、そのお前が倒れてしまっては何にもならんじゃろ。……あいつの意志に何が何でも応えなくてはならないという、お前らしいその心は理解できる。それでも、いや、だからこそ、そのために体を休めなくてはならないと言っておるのじゃ」

 

 諭すように続けられたレオの言葉にミルヒは項垂れた。そのまま何も返さず、唇を真一文字に結ぶ。

 

「ま、まあまあ! お2人とも、ケンカは良くないでありますよ」

「……ケンカじゃないですよ、リコ」

 

 視線は落としたまま、ミルヒが返す。

 

「私が浅はかだから、レオ様がお叱りになっただけのことです。レオ様は何も悪くありません」

「ミルヒ……」

 

 あまりにも普段からかけ離れた様子のミルヒに、レオは不安そうに彼女の名を呼んだ。案の定、エクレールという親衛隊長の存在は、思った以上に彼女を支えていたのだとレオは改めて思う。同じ男性を愛し、最後は己の主君への忠誠を選んだ親衛隊長をこの場から失ったことでミルヒはここまで脆く、そして不安定になってしまうのかと思わずにはいられなかった。

 

「姫様、そんな言い方、姫様らしくないよ」

 

 だが、次に聞こえたその一言にレオは僅かに希望を取り戻す。そうだ、今のミルヒにとってもっとも心の支えとなる人物はこの勇者に他ならない。彼の言葉は暗闇に閉ざされた姫君の心を明るく照らし出してくれるに違いない。

 

「シンク……」

「姫様はいつだって前向きだったじゃない。これまでだって辛いこと、苦しいこと、たくさんあったはずだよ。でも、それを乗り越えてきたんじゃない。だから、今回だってきっと大丈夫。

 ……それに、エクレだって大丈夫だよ。現にリーシャさんたちパスティヤージュの空騎士達は追いかけてこない。それはエクレがうまくやってくれて、やられたわけじゃないっていう何よりの証明じゃない?」

 

 とはいえ、期待はしたもののその考えは如何せん楽観的過ぎるな、とレオは心の中で呟いた。少なくとも現実主義者の彼女の夫はそういう楽観視はしないだろう。その癖が移ったせいでそんな風に考えた、という線は否定できないが。

 だがそれでも、今のミルヒにとってシンクの言葉は他の誰の言葉よりも心に響いたらしい。さすがは口約束とはいえ婚約を交わした恋人、やはり自分はもうお役御免かもな、などとレオの心に自嘲的な感情が芽生える。

 

「……そうですね。ありがとう、シンク。私らしくなく、後ろ向きになってしまっていました。レオ様もすみません。この後のことは、お任せします」

 

 まあそれでも少しでも元のミルヒに戻ってくれただけいいか、と彼女は思うことにした。頷き、前へと顔を戻そうとする。

 

 ――その時。

 

「レオ様! 前であります!」

 

 聞こえたリコッタの声とほぼ同時、レオはドーマを急速停止させた。直後、彼女の前方数メートルの地点に矢のようなものが突き刺さり、爆発を起こす。マントでその砂埃をやり過ごし、前方へと目を向けたレオだったが――。

 

「なっ……!?」

 

 予想もしていなかった人間の姿を目にし、彼女は狼狽する様子を隠すことも出来なかった。だが思考を整理したところで頭がそれを裏付ける事態へと思い当たる。今の矢は紋章砲だ。そしてそれは()が得意としているあの紋章砲によく似ていたではないか。

 

「さすが百獣王の騎士様。威嚇のつもりで撃ったが、もう少しギリギリに撃ち込んでもよかったな。……いや、今のは後ろの誰かに促されなかったら気づかなかったのか? だとするなら随分と耄碌(もうろく)したと言わざるを得ないな、レオ(・・)

 

 聞き覚えのある、いやそれどころではない、聞き慣れた声だった。未だ信じられない心を抱きつつ、レオはギリッと歯を噛み締め、その声の主を睨みつけた。

 

「なぜじゃ……。なぜ、お前がワシ達の行く手を阻む……()()()!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 25 振り抜かれる剣

 

 

「ソ、ソウヤ!? なんで……!」

 

 シンクも信じられないとばかりに前方でセルクルに跨る彼へと声をかける。さらに彼の後方には遊撃隊が控えている。話が違う。「ガレットはこの事態に直接介入しない」という話だったはずだ。いや、その前にあの陣取り方はこちらの進行を阻止しようとも見えるではないか。

 

「どういうつもりじゃ、ソウヤ! 貴様達はバックアップのはず……。それがなぜこうもおおっぴらに、それにワシ達の行く手を遮るように立っておる!?」

「何、ちょっと考えが変わったってだけだ」

「考えが変わった……?」

「……ビスコッティのクーデターの原因はよくわかってはいないが、おそらく姫様関係だ、と俺は睨んでいる。婚約を早期に結ぶべきだという話にでもなって、結果暴走した人間が姫様を捕らえようとした、そんなところでしょう?」

 

 レオはミルヒの方を振り返った。彼女は肯定も否定もしなかった。正確には、出来なかった、と言う方が正しいかもしれない。それだけが理由とは到底思えない。その他積もりに積もったものが爆発した結果、と思っていた。

 それに、思いたくない、という彼女の心もあった。「婚約を早期に結べない」というのは、シンクとミルヒ、両者の納得できる答えを出したいからという事情も絡んでいる。つまり先のソウヤの質問を肯定しては、シンクにも責任の一端を担わせてしまう。そんなことはしたくない、とも考えたからだった。

 ミルヒからの返答がないと判断したソウヤは、しばらく続いた沈黙を破って口を開く。

 

「……ノーコメント、か。まあいいや。そういう前提で話を進めさせてもらいますよ。もしそうであるとしたら、俺たちがバックアップして第三国がかくまう、なんてしちめんどくさい方法を取るよりも、もっとスマートに事態を解決できる方法を思いついたわけですよ」

「スマートじゃと……?」

「ああ。……姫様が婚約を取り付けられないのは、今現在思い人がいるから。そして、その相手の都合もあって、姫様は心を決めきれず、周囲も強行な姿勢に出られないでいる……」

「違います! シンクはこのことと何も関係ありません!」

 

 反射的に上げたミルヒの声に、ソウヤは鬼の首を取った様に小さく笑う。

 

「俺はシンクとは一言も言ってませんがね。ま、本人の口から出たんでシンクってことでいいか。……話を戻します。シンクの都合を考えて婚約を交わせないというのであれば、そもそもシンクが()()()()()どうなるか」

「な、何……?」

 

 夫が何を言い出そうとしているのかレオにはわからなかった。ただ、以前の星詠みの時に「狂気を孕んだ笑み」という、一瞬だけ視えてしまったその光景が脳裏をよぎる。まさか、あれは本当に現実になろうとしているのだろうか。

 

「つまりこの状況、シンクという存在を失えばこの逃亡劇もビスコッティの謀反も全て収まる、そう思いませんか? 『シンクとの婚約』にこだわる必要のなくなった姫様は、相手は誰になるか知りませんが縁談か何かで相手を見つけることになる。そうなればビスコッティの将来は一応は安泰だ、謀反も自然と収まるでしょう」

「ふざけるな! ソウヤ、貴様それを本気で言っているのか!?」

 

 レオの問いかけに、ソウヤは皮肉っぽく笑って返した。笑みではあるが、星詠みで視た笑みからは程遠い、普段よくやるような笑みのようにも見えた。

 

「勿論本気だ。そうじゃなければ表立ってこうやって進行を妨げる必要はないだろう?」

 

 だがそれでもその口から出てくる言葉はレオにとって到底信じられないものだった。出かける時に交わした約束は、あの時の言葉は嘘だったのだろうか。

 

「ソウヤ……貴様……!」

「悪いな、レオ。俺が用があるのはお前じゃない。……シンク」

 

 最初に声を発したきり、ずっと黙っていた勇者の名をソウヤは呼んだ。シンクは、らしくなく重々しい表情で彼を見つめ返す。

 

「サシの勝負をしろ。俺とお前、一対一の勝負だ。お前が勝ったらこの場を通してやる。お前自身がこの件にも関わってるとあれば、けじめをつける必要はあると思わないか?」

「……僕が負けたら?」

 

 僅かに、ソウヤが笑ったように見えた。

 

「どうなるかな。姫様との婚約破棄、でもいいが、それよりも地球に強制送還の方が手っ取り早いか。そもそもここはそれほど守護力が強くは働いていないらしい。……五体満足でいられる保証はない、と言っておけば伝わるかな?」

 

 レオは言葉を失った。ソウヤはシンクを斬るつもりでいる。かつて初めてフロニャルドを訪れ、心を閉ざしていた頃にシンクと戦った、あの時のように戦う気だ。

 

「ソウヤ! 貴様、正気か!? ここに来たあの時のようにまた逆戻りするつもりか! お前はこの世界を、フロニャルドの戦を理解し、愛してくれたのではなかったのか!?」

「……レオ、黙っていろ。俺が聞いてるのはシンクだ、お前じゃない。……答えろ、シンク。やるのか、やらないのか?」

 

 冷たい響きを持った声だった。その声色から嘘や冗談の類ではない、と容易に推測できる。だが、シンクは物怖じした様子もなく、ゆっくりとセルクルを降りた。

 

「シンク!? お前、まさか……!」

「……僕が勝てば、ここを通してくれる。それは間違いないんだね?」

「俺は嘘をつくのは好きじゃない。そのことは知ってるだろう?」

 

 シンクは俯き、そのまま数歩足を前へと進めた。

 

「待ってください、シンク!」

 

 その勇者の腕にミルヒがすがりつく。

 

「2人が戦う理由がわかりません! ソウヤ様もこんなことはやめてください!」

「……理由ならあるよ、姫様」

「シンク……?」

「ソウヤの言ってることは基本的に正しい。僕の曖昧な態度が結果としてこういう事態を招いてしまった。そう言われたら、僕は言い返すことは出来ない。……それに、けじめをつけろ、と言われたらそうしなくちゃいけないこともわかってる」

「違います! ビスコッティで起こったこととシンクとは何の関係も……!」

「仮にそうだとしても……僕はこれまでも自分で自分が許せない時もあった。本当ならソウヤの言うとおり、こんな曖昧な態度を取り続けるぐらいなら、婚約を破棄すべきなのかもしれない。……でも姫様が僕を思ってくれる気持ちはよくわかってる、僕が姫様を思う気持ちだって本物だ。だからソウヤであっても立ち塞がるというのなら、僕は戦う。

 何より、フィリアンノ城から脱出する時に約束したよね、僕は何があっても姫様を守る、って。だから……ここで立ち止まるわけにはいかない。お互いに納得できる答えが出るまで、姫様がもう1度ビスコッティに戻れるその時まで、立ち止まるわけにはいかないんだ」

 

 シンクの強い意志を持つ言葉に、腕を掴んでいたミルヒの手が離れていく。彼女も悟ったのだ。自分の力ではシンクを止めることは出来ないのだと。

 

「それに……。僕がその誘いを断ったとして、ソウヤはそこをどいてくれるわけじゃないんでしょ?」

「当然だ」

「なら、選択肢は最初からなかったってことだね。……オッケー。その勝負、受けて立つよ……!」

 

 シンクが歩きながらパラディオンを棒状へと変化させる。それを確認して僅かに口の端を上げた後、ソウヤはヴィットを飛び降り、こちらもエクスマキナを剣状に変化させた。

 

「待たんか、シンク、ソウヤ! こんな戦いなど……!」

「……見守りましょう、レオ様」

「ミルヒ!?」

 

 止めようとしたレオだったが、意外にもミルヒにそれを遮られた。既に彼女は決意を固めた瞳をしている。愛する人の思いを受け止め、その心を信じて戦いを見守るつもりだ。

 だがレオには到底それは出来なかった。今のソウヤを信じることが出来ない。何を考えているのか、まるでわからない。最悪の場合を想定していまい、思考が嫌な方へと流されていってしまう。

 

「きっと大丈夫であります、レオ様。ここは2人を……自分達としてはシンクを信じるしかないであります」

 

 リコッタにそう言われても、レオは心の不安を拭えそうになかった。しかし2人はもう戦うつもりでいる。割って入ることが出来ないいわけではない。でもそれは「信じる」と言ったミルヒの心を裏切ることになるのではないか。そう思うと飛び出すことも出来ず、結局レオも2人同様にその戦いを見守るしかないのだと思いを決めた。

 レオの不安と裏腹に2人は距離を詰め、そして足を止める。シンクはパラディオンを両手に、ソウヤはエクスマキナを左手に構える。

 

「シンク、いつも望んでいた最後までの決着、今日はつけてやる」

「……皮肉なもんだね。こういう形じゃなくて、戦の中でつけたかったよ」

「言っておくが、生半可な気持ちで来るなよ? ……さっき言ったとおり俺はお前を本気で斬り伏せにいく」

「……わかってるよ」

 

 そうは答えたが、シンクは心のどこかで高を括っていた。ソウヤが自分を斬るはずがない。初めての戦いの時こそ、互いの身をかけての勝負となったが、それ以後はフロニャルドの戦いそのものだった。あくまで心意気を語った、という意味だろう。

 

 動いたのはソウヤが先だった。普段通り足に輝力を込めての高速移動。距離を詰めようとする相手に、形式通りシンクは牽制の突きをまず繰り出す。

 ソウヤはそれを上へと打ち払った。右足を踏み込みつつ、返す刃でエクスマキナを振り下ろす。シンクもパラディオンでそれを防御し――瞬間、違う、と察した。冷や汗が一筋、背を流れ落ちる。同時にソウヤの剣に添えられていた右手が離れる。バックブロー気味の上段への追撃、と判断してガードを僅かに上げた瞬間、腹部に鈍い衝撃を感じてシンクは吹き飛んだ。上段への攻撃はフェイント、本命は中段への蹴り。

 まともに攻撃を受けた脇腹を押さえて咳き込みつつ、シンクは先ほどの「違う」と感じた感覚は間違いないと確信した。今日の彼は「違う」。今までの彼ではない。この戦い方は明らかに――。

 

「……言ったはずだぞ、シンク。生半可な気持ちで来るな、と」

 

 そのソウヤの言葉が彼の確信を裏付けた。ソウヤは自分を斬るつもりできている。本気だ。初撃を受け止めた瞬間に流れた冷や汗は、それを本能的に悟っていたのだ。

 

「……本気なの、ソウヤ……」

「何度も言ってるだろうが。本気だと」

 

 再び先に仕掛けたのはソウヤだった。突進を止める目的で、シンクは左手側から中段にパラディオンを薙ぎ払う。だがソウヤはスピードを緩めるどころか、さらに増してその間合いへと飛び込んだ。

 

「なっ……!」

 

 驚く彼を尻目に、直撃すると思われたパラディオンが止まる。見ればソウヤの左手には逆手に持ち替えたエクスマキナ。背後に武器を回し、シンクの攻撃を受け止めていた。危険な一撃にならなくてよかったと一瞬思うと同時に、懐に潜り込まれたとシンクに焦りが生まれる。

 ソウヤの体が沈みこむ。上体を倒しながらの左の上段後ろ回し蹴り。顎を狙った一撃だったが、危うくシンクは数歩後ずさり、その攻撃をやり過ごす。だがソウヤの追撃は止まらない。持ち直したエクスマキナによる突きを繰り出す。パラディオンでそれを捌くが、空いた側から今度は蹴りが伸びてきた。かろうじて肘でブロック。そこで本命、大上段からの振り下ろしがシンクへと迫った。パラディオンで防御するが、一撃が普段より重いように感じる。いつもなら押し返せるその攻撃を受け止めるのが精一杯で、耐えかねてシンクは間合いを空けた。

 当然ソウヤはそれを待っていた。すかさずエクスマキナを弓状へ変化、輝力精製した強烈な追撃の矢を放つ。シンクも追撃は覚悟していた。ライオットシールドを展開し、攻撃を弾く。が、やはりこれも普段より重い。

 

「……おいシンク、あまり俺を失望させるな」

 

 一連の攻防を終えて、一度訪れた間。そこでボソッと、呟くような声がシンクの耳に響く。

 

「さっきてめえが言った『姫様を守る』という気持ちはその程度か? こんな俺如きにそれを揺るがされるというのなら……これから先、その約束を守り通すなど不可能だぞ」

 

 グッとシンクが唇を噛み締める。そうだ、自分は姫様を守らなくてはならない。しかしだからと言って自分の親友を打ち倒すことが果たして出来るであろうか。

 迷いを打ち払えぬまま、三度踏み込むソウヤに対して、シンクは迎撃する形となった。

 

 

 

 

 

「まずいな……」

 

 気が気でない様子で2人の戦いを見つめていたレオは思わずそう呟いていた。

 

「シンクが……押されているようにも見えるであります……」

「ように、ではない。押されているのじゃ、実際に」

「そんな……。シンクは普段ならソウヤ様と互角以上に戦っていたはずなのに……」

 

 口走ったのはシンクの戦いを常に見続けてきていたミルヒだった。ここ最近の2人の戦いでは、ソウヤが時折ペースを握ることはあったものの、それは長く続かず、全体的にはシンクのペースで戦いが進むことが多かった。しかし最終的にはうまく引き分けに持ち込まれ、その結果勝負がつかない、という事態になっていることをよく知っている。だからこそ、目の前でシンクが押されているという状況はにわかには信じられなかった。

 

「普段の戦なら、そうじゃな。じゃが今目の前で行われているのはそんな戦いを越えた……一歩間違えれば殺し合いになりかねない戦いじゃ。腹を決めているソウヤに対し、迷いのあるシンクはどうしても押されてしまう……」

「でも……それでもシンクなら……!」

「いや……。心の迷いは剣の迷い。浮ついた心はそのまま剣に表れてしまう。一方でその相手に迷いがないとすれば、この差は致命的じゃ。たとえシンクが技量で勝っていようと、力で勝っていようと、その心の差の前では今はソウヤの方が圧倒的有利……」

 

 そこが「戦」と「命のやり取り」の大きな差だとレオはわかっていた。戦は安全に行われる。故に技量や力量が勝るものが単純に勝ち、その点ではシンクはソウヤに大きく勝っていると言えるだろう。

 だがそれが互いの身を賭けた戦い、となれば話は別だ。技量や力量が優れていようと、精神力がついてこなければそれらは単なる飾りにしかならない。心で勝てなければ、戦いでも勝てない。その心に迷いなど抱いていては、勝てるはずもない。

 

「じゃが……そこまでしてお前がシンクを倒さねばならない理由とはなんじゃ、ソウヤ……!?」

 

 レオが呻く。彼女がミルヒを思う気持ち同様、彼もシンクのことを思ってきたはずだ。なのにここに来てその掌を返したかのような態度の変わり様。レオはどうしてもそれが理解できなかった。

 

 彼女の眼前では変わらずシンクが押されている。まるで普段の様相を真逆にしたかのようなその光景は、最近の2人の戦いを見たことのある者なら目を疑うだろう。ましてや、シンクの焦りの表情などなおさらだ。確実にシンクは押されている。

 望むなら、シンクがうまくソウヤを傷つけずに打ち倒す、というのがレオにとってベストな結末だった。それでソウヤは道を空け、自分達は先を進むことが出来る。だがこのままではそれは叶わぬ夢になるかもしれない。いや、そんなこと以前にシンクの身すら危ないかもしれない。

 なぜこんなことになってしまったのかと、自分の夫と親友の恋人を互いに見つめつつレオは思う。誰も彼もが悲しむことのないような結果となってくれれば良い。レオはそう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 息を飲んで戦いを見守っていたのはベール達遊撃隊も一緒だった。前もってソウヤから「何があっても口も手も出すな」と強く命令されている。それ故に誰も何もしないが、内心では皆どのように思っているかわからない。

 少なくとも、ベールの心中には懐疑しかなかった。目の前で戦いを演じている人間は、先ほどまでエクレールをからかい、自分達と盗み聞きをしてジョークを飛ばしあったようなソウヤには到底見えない。何かに取り憑かれたかのような、まるで別人のようにも見える彼は、本当に自分の意思で戦っているのかすら怪しく思える。

 

「ノワ、やっぱり止めないと……!」

「ダメ。ソウヤが言ってたでしょ、『何があっても口も手も出すな』って」

「言われたけど……。でも、こんなの……!」

「だったらソウヤを信じて。大丈夫だから。……そうじゃなくても、ベルは副隊長なんだし、隊長の命令には従わないといけないでしょ?」

 

 それは確かに自分は副隊長だけど、とベールが口篭る。過去を振り返ればこれまでも意図を図りかねる命令がないわけではなかった。だがここまで目的が不明確なことがあっただろうか。

 

「……シンクが押し返し始めた」

 

 独り言のように呟かれたノワールの声に、ベールは考えをめぐらせるのをやめて顔を前に向けた。その言葉通り、ここまでほぼ防戦一方だったシンクが次第に反撃に転じてきている。

 

「ソウヤさんに疲れが……」

「違う。あれは、シンクが吹っ切れたんだと思う」

 

 見れば、ソウヤの動きは衰えていない。一方でシンクの攻撃は鋭さを増しているようであった。先ほどまでより動きにキレが見られる。

 

「確かに……シンク君の動きがよくなってるような……」

「動きはよくなっているよ。でも……シンクは逆に追い詰められた」

「逆……? 追い詰められた……?」

 

 そうは見えない。むしろ追い詰められるのは今となってはソウヤのほうではないだろうか。

 

「でもシンク君の攻撃から迷いが消えた、ってことは追い詰められるのはやっぱりソウヤさんの方じゃ……」

「表面上はそうかもしれない。だけど、そこまで心に余裕のない状況に追い詰められたのは、逆にシンクの方」

「そ、それはそうかもしれないけど……」

 

 ノワールの言っている通りには見えない。心に余裕のない状況にシンクが追い詰められているのは事実かもしれないが、それでも押し返している以上そんなことは些事のはずだ。

 そう思った矢先、ノワールが普通の人なら聞き逃すほどの小さな声でポツリと呟いた。

 

「事は……完全にソウヤの思い通りに運んでる……」

「えっ……!?」

 

 聴覚に優れるベールだから聞き取れたのだろう。真意を測りかねる一言に、ベールは2人の戦いから目を離してノワールを見つめる。

 

「どういうこと……!? ノワ、何か知ってるの……?」

「……ごめん、詳しくは言えない。でも、ソウヤは大丈夫だから心配しないで」

「大丈夫、って……」

 

 ベールが続きを口にしようとした時、周囲の騎士達が歓声とも悲鳴ともつかない声を上げた。思わず彼女もそれに従って視線を戻し、「ああっ!」という声が口を衝いて出る。見れば攻勢に出ていたシンクの攻撃がソウヤに直撃したらしく、片膝を付いた状態でシンクとの距離が開いていた。

 

「ノワ、大丈夫も何もソウヤさん押され始めてるわよ! このままじゃ怪我しちゃうかもしれない、やっぱり止めないと……!」

「何度も言わせないで。大丈夫だから黙って見てて」

 

 もう取り付く島もないらしい。力尽くで割って入りたいが、今の2人の間にはそれを許さないほどのプレッシャーがあった。自分ではとても入れないとベールが唇を噛み締める。

 なら、「大丈夫」と断言した親友の言葉を信じるよりもう他はない。現にノワールはベールほど狼狽もしなければ取り乱しもしなかった。もしかしたら彼女はこの後何が起ころうとしているのか、わかっているからそうなのかもしれない。そして今、ノワールはゆっくりと口を開け、ベールがそのように抱いた予感を確信させるような一言を呟いた。

 

「……舞台は整ったよ、ソウヤ。あとは、踊り切るだけ……!」

 

 

 

 

 

 違和感。一言で言えばその言葉が全てだった。当初は違うと思ったが、()()()()()のではないか。これまで押され続け、それを振り払うためにも心を決め、覚悟を決めた。交わした約束を果たすため、親友を打ち伏せるのも辞さないという心と共に攻勢に転じ、ついに有効打を打ち込んだ。

 だがそこで生まれたのがやはり違う、という感覚だった。なぜだろうか。確かに友の攻撃はこれまでにないほどに鋭く、自分を斬り伏せんとばかりに迫ってきていた。しかし本当にそうだろうかという思いが頭をよぎる。確かに攻撃は鋭かった。だがそれは表面上だけ、まるで中身がないような攻撃ではなかったかと、今彼が一撃を打ち込んだ時に思っていた。自分が放った一撃と親友の一撃は決定的に何かが違う気がする。勝とうという意志も、敵意や邪気の類もまるで感じない、本当は「斬る気などない」というような、そんな気配。

 

「やっと、やる気になったか」

 

 攻撃を打ち込まれた左肩を抑えつつ、ソウヤはシンクに投げかける。

 

「今のはいい一撃だ。迷いを断ち切ったか」

「……断ち切れてなんてないよ」

 

 いや、一度は断ち切りかけた。現に今の一撃は覚悟をもって放った一撃だった。先ほどの違和感を抱かなければ、このまま目の前の親友を倒すことだけを考えただろう。

 でも彼の直感、本能が、そこに歯止めをかけていた。何かが違う。言うなれば、目の前の友の口から出る言葉と、その本心との差異のような。

 

「……ソウヤ、何を考えているの?」

 

 だからその理由を知りたいと、シンクがソウヤに質問を投げかける。しかしまったく要領を得ない問いかけだ。ソウヤは即答せず、しばらく口を閉じたままだった。

 

「今日のソウヤは何かが違う。僕に互いの身を賭けた戦いをしろ、と言った時からおかしいと思ったけど……。言った当の本人がまるでそうしたくないような、そんな戦い方をしてくる理由が僕にはわからない。最初は確かに強いプレッシャーを感じた。だけど、さっき僕が一撃を打ち込んだときは……」

「やはりお前は、黙っては踊ってくれないらしいな」

 

 ソウヤがシンクの言葉を遮る。その口からこぼれた一言はなぜか嬉しそうな色が隠れているようにも感じ、それは先ほどシンクが抱いた違和感同様、判断しかねる内容であった。

 

「ソウヤ、それってどういう……」

「口を閉じろ、シンク。……余興はここまでだ。そろそろ、終わりにするとしよう」

 

 言い終わるが早いか、ソウヤは背後に紋章を輝かせた。紋章剣。ここ最近、まともに打ち合うことを避けている彼が明らかに誘っている。

 

「……パラディオンを本当の形にしろ」

「本当の形……? それってどういう……」

「パラディオンを、本来あるべき剣状にしろ。そして、俺を、斬りに来い」

「ソウヤ……」

 

 名を呼んだ親友の目を、シンクは真っ直ぐに見つめた。互いの視線が交錯し、そのまま数秒。不意にシンクがその視線を落とす。

 

「……オーライ」

 

 シンクも背後に紋章を鮮やかに輝かせた。ビスコッティ紋章を前に、手にしたパラディオンが形状を変化させていく。神剣、その名にふさわしい形へと変えたパラディオンを右手に、シンクは左脚の脇へとそれを運び、構えを取る。

 一方のソウヤもエクスマキナを右手に持ち替え、同様に構えを取った。両者同じ構え、今でも「名勝負」と語られることの多い、あの2度の戦いの時と同じ――。

 

「……そうか、あの時と同じ、か」

 

 奇しくも状況はかつてとまったく同じとシンクも気づいたらしい。しかしソウヤはそんなことには当に気づいていたのだろう。鼻を鳴らして今頃気づいたのか、と言いたげであった。

 

「そういうことだな。『十文字』なんて1回目みたいな奇策はやめろよ。俺も今日は何もなしだ。……全力で、真っ直ぐに振り抜いて来い」

「……うん」

 

 両者の動きが止まった。空気が張り詰める。瞬きをするのも、息をするのも忘れるような、その緊張感。数十秒にも満たない時間だったか、だが、その2人を注視していた人々にとって、それは5分とも10分とも、それ以上とも取れた。

 

 均衡は、不意に破れた。両者が地を蹴る。飛び出したのはほぼ同時。そして、逆袈裟に斬り上げる、その剣筋まで同じ。

 

「紋章剣! 裂空一文字!」

「斬り裂けッ! オーラブレード!」

 

 互いの魂と輝力の込められた必殺の紋章剣が激突する。そのぶつかり合った輝力の波動は大地をめくり、荒れ狂う風となって辺りを吹き抜ける。交錯した橙と紺の輝力の光が周囲を眩いばかりに照らし出し――。

 

 乾いた、金属の折れるような音とともに突如としてそれは止んだ。両者とも、剣を振り抜き、ややあって折れた剣の切っ先が地面へと突き刺さる。

 

「……ああ、さすが……。さすがだよ……」

 

 ()()()エクスマキナを手に、ソウヤは口の端を僅かに上げて笑っていた。

 

「それでこそ……お前は、勇者……!」

 

 パッ、と宙が紅く染まり――。

 

 ソウヤは膝から地面へと崩れ落ちた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 26 仕組まれた舞台

 

 

「ソ、ソウヤーッ!」

 

 目の前で起こった惨劇を目にして、レオは夫の名を叫んだ。誰が見ても、この状況は容易に解る。

 

 シンクがソウヤを斬った。

 

 ありえないと思いながらも、彼女はソウヤが倒れる瞬間に赤いモノが宙を舞ったのを目撃していた。そして倒れたままのソウヤはまだ起き上がってこない。確かここはフロニャの守護力がそこまで強くは働いていない場所。全力の紋章剣を受けたとなれば、命に関わる危険性もある。顔面蒼白なまま、彼女はその元に駆け寄ろうと足を踏み出そうとした。

 

「ダメであります、レオ様!」

 

 が、そのマントを掴まれ、後ろへと引き戻される。

 

「離せリコッタ!」

「シンクがソウヤさんを斬るなどということがあるはずないであります! だから、ダメであります!」

「貴様の目は節穴か!? たった今起こったこともわからんと言うのか!」

 

 だがリコッタはその手を離そうとしない。その間に、俯いたままのシンクが歩いて3人の元へと戻ってきた。既にパラディオンは指輪状に戻っている。もう戦いは終わった、という意味だろう。

 

「……行こう、姫様」

「シンク!?」

「シンク、貴様……!」

「僕達は、行かなくちゃいけないんだ。……そうでしょ、姫様、レオ様」

 

 変わらず顔を上げようとしない勇者を、ミルヒは心配そうな目で見つめ、レオは射殺さんとばかりに睨みつけた。だがシンクはそれを意ともしない様子で、自分のセルクルの元へと近づいていく。

 

「……わかりました。行きましょう」

「ミルヒ!?」

 

 姫君は勇者の心を汲み取って、そう言った。彼自身親友を斬る、などということを望んでやるはずがない。苦渋の末の決断だったに違いない。それでも、自分のためにそれをやったのだ。なら、その決心を無駄にするわけにはいかない。

 

「シンクの言うとおりです。私達は……いえ、私は行かねばならないのです。……ですが、ソウヤ様のことがご心配であれば、レオ様はここで……」

「……いや、ワシも……行こう。お前を守り抜く、そう決めた。じゃから、ワシも行く……」

 

 言いつつ、ようやくレオも落ち着きを取り戻した。それを確認したリコッタが握っていたマントから手を離す。ドーマに近づいたところで、もう1度、彼女はソウヤの方を振り返った。今はベール達が駆け寄ろうとしているところだった。

 自分もそこに行きたかった。だが、ミルヒを守り抜く、そう決めた心は貫くつもりだった。

 

「……レオ様、ソウヤは大丈夫ですから」

 

 が、横を通り過ぎる時に不意にシンクがそう声をかけた。予想もしていなかった一言に、レオは驚いたように彼のほうを仰ぎ見る。

 

「な……! 貴様、自分で斬っておいて何を……!」

「詳しくは移動しながら話します。ですから……行きましょう」

 

 しかし彼は静かに、そして何か納得させてしまうような力を持っているかのように、そう述べた。その見えざる力にレオも思わず続きを口に出来なくなる。

 

「……わかった」

 

 結局、レオはその言葉に従った。4人はセルクルに跨り、崩れ落ちた遊撃隊長とそこに駆け寄った騎士達の横を通りかかる。騎士達はどうしたらよいものかと互いに顔を見合わせ、混乱している様子だった。

 

「誰も……手を出すなよ……!」

 

 だが直後聞こえた呻くようなその声に、騎士達は声の主の方を振り返る。

 

「俺と……シンクの男の約束だ……。勝てば通す、と……。……シンク……見事だった……。また……会おうぜ……」

 

 親友にかけられた声に、しかしシンクは振り返ろうとせず、その脇を通り過ぎていく。

 

「ソウヤ……!」

「レオ……俺のことは心配するな……。だから、ちゃんと姫様を守ってやれ……」

「ああ……そうさせてもらう。すまない、ワシは……」

「それでいいんだよ、百獣王の騎士様……。約束はちゃんと守ってやる……。だから、また、な……」

 

 「約束はちゃんと守る」、そう言われたらレオも夫のその言葉を信じるしかなかった。不安を断ち切るように、視線を前へと移す。

 4人が離れていく。セルクルのスピードが上がり、その背は次第に小さくなっていった。

 ややあってノワールが担架を運んでくる。見れば少し離れたところには騎車も待機していた。そこにソウヤを運ぶつもりらしい。

 

「ノワ! ソウヤさんは……」

「まず騎車に運びたいから、担架に乗せるのを手伝って。話はそれから」

 

 うずくまったままのソウヤを担架へと移す。そこで見えた、彼の左手が押さえる先が赤く染まっている様子に、ベールは思わず顔を青ざめた。

 

「……ベール」

 

 呻くように彼は副隊長の名を呼ぶ。

 

「は、はい! ここにいます。なんですか?」

「隊員に周囲警戒しつつ待機を指示しろ……」

「わ、わかりました! ですから、あまり無理に喋らないでくださいね!」

 

 ベールが命令を実行するために隊員達の方へ走っていく。その間に担架は騎車へと運び込まれた。移動を手伝った諜報部隊員と入れ替わるように、ベールが騎車の中へと駆け込んでくる。騎車の中にはソウヤ、ノワール、ベールの3人だけとなる。それを待ってノワールは入り口の戸を閉めた。

 

「……ノワール、どうだ?」

「ソウヤさん、無理して喋らないで!」

 

 無理に話そうとすれば傷に障る。なのにソウヤはそんなことを気にかけない様子で話そうとしていた。いや、彼だけでなく、ノワールも本来やるべきである治癒の紋章術による治療行為を一切行おうとしていない。

 

「来てたのは予想通りビスコッティ、パスティヤージュ、そしてカミベルだったよ」

「何言ってるのノワ!? いいから早く治癒の紋章術を……」

「なるほど。なら、無駄骨にはならずに済みそうだな」

 

 ベールは混乱していた。2人のやり取りと自分の頭の中がまるで噛み合わない。言うなれば、自分だけ別な世界にいるような。先ほど起こったことは全部夢か幻の類ではなかったのかと疑ってしまう。

 いや、彼女のその考えは半分は当たっていたのかもしれない。突然、ソウヤは体を起こした。その表情には微笑が貼り付いている。到底怪我人とは思えないその様子にベールはただ呆然と立ち尽くす。

 

「あとはうまく()()()()()だが……」

「大丈夫だと思うよ。目の前にいるベルでさえこの様子だから」

 

 2人に視線を注がれても、相変わらずベールは呆けたようにソウヤを見つめるだけだった。その様子にソウヤが噛み殺したように笑い声をこぼす。

 

「どうした、副隊長? 狐につままれたような顔をしてるぞ?」

「あ、あの……ソウヤさん、怪我してたんじゃ……」

「……ノワール、どうやら完璧らしい。俺のいた世界じゃ『アカデミー賞』ってのがもらえる演技(・・)だな」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 

 思わずベールは声を荒げた。「騙せてる」だの「演技」だの、目の前で行われる会話にやはりついていけない。もしかしたら怪我をしたということ自体嘘なのだろうか。そんなはずはない、では目の前の服に付いたその赤い染みは何なのか。

 

「ソウヤさん、シンク君に斬られたんじゃないんですか!? その服についてる血は……」

「ああ、血。これ、ねえ……」

 

 やはり何か裏がある笑みを浮かべ――。

 

「種も仕掛けもありません、ってか?」

 

 ソウヤが服の染みの上に手を滑らせる。すると、手がなぞった側から、その染みが()()()

 

「え、ええー!?」

「忘れたか、ベール。騙し合いは俺の得意分野。そして俺は輝力の取り扱いには割と定評がある」

 

 言いつつ、ソウヤは人差し指を立てる。その指の先、数刻前にシンクと一撃を交わした時に辺りに広がったような紅い液体のように見えるものが宙に浮いていた。

 

「そ、それ……。もしかしてさっき宙に舞った血も輝力による偽物……」

「そういうことだ」

「じゃ、じゃあさっきシンク君が最後に斬ったように見せた、あれって……」

 

 

 

 

 

「演技じゃとお!?」

 

 先ほどの激戦からしばらく無言でセルクルを走らせていた4人。だが、それを不意に破って語り始めたシンクの一言に、レオはらしくなく、間の抜けた声を上げていた。

 

「ではシンク、お前は……ソウヤを斬っていないと言うのか!?」

「僕のパラディオンは、彼に当たっていません。エクスマキナを折ったのも、僕がやったというよりソウヤが折れるように調整した、そう仕向けたからということになります。実際のところ、僕は特に何もしておらず、やったのはソウヤだってことになりますけど」

 

 にわかには信じがたい。あれだけの誰もが飲み込まれるような空気を作り出していながら「実は嘘でした」と言われて、果たしてどれだけの人間が信じてくれるだろうか。

 

「そうだとワシを納得させる証拠はあるのか?」

「それはありません。僕の言葉を信じてくれ、としか言いようがないですね……」

 

 レオが口を閉じる。そしてふと思い出した。確か一騎打ちを終えて戻ってきた後、シンクは「大丈夫だ」と言ったはずだ。それはこのことを意味していたのではないか。

 

「私は……シンクを信じます」

 

 迷うレオを尻目に、そう言い切ったのはミルヒだった。

 

「自分も信じるであります。というより、最初から信じてたであります」

「最初からじゃと?」

「はいであります。自分がレオ様を止めた時から、という意味でありますよ」

 

 言われてレオは記憶を引っ張り出した。あの時は動転していたが、そういえばリコッタにマントを掴まれてソウヤに駆け寄るのをやめたのだった。

 

「そうか、じゃからあの時お前は……。じゃあなんじゃ、お前はソウヤが現れた時から、全てをわかっていたのか?」

「いや、さすがにそこまでは……。ただ、シンクが人を、それも大切な友人を斬るなんてことは、あるわけがないと思ったでありますよ」

 

 リコッタに賛同するようにミルヒも首を縦に振った。言われてみればそうだ。シンクがソウヤを斬る、などということがあるだろうか。

 しかしあの場のあの空気、あの雰囲気ではそれも否定できないことではなかったかとレオは思い出す。もし演技だとするなら、どこかで打ち合わせなりなんなりあったはずだ。

 

「シンク、お前は演技だ、と言ったな。ではあの戦い、全てが演技だったのか?」

「それは違います。少なくともソウヤは最初本気で僕を倒すつもりで来ていた、そのことははっきりとわかりました。……今になって思えば、あれは僕を試していたのかもしれません」

「試す?」

「はい。僕の『姫様を守る』という意志はどの程度なのか。ソウヤはそれを知りたかったんじゃないかって。……僕は最初迷っていた。ソウヤを傷つけるつもりで戦うなんてやりたくなかった。だけど、守ると誓ったその約束を破ることもしたくない。……そして僕は心を決めて、ソウヤに一撃を打ち込んだんです」

 

 レオは記憶を探る。確かに防戦一方だったシンクは次第に攻勢に移り、そして有効打を一撃打ち込んだ。

 

「そこまでは演技ではなかったと?」

「と、いうより……おかしいと気づいたのがそこ、といいますか……」

「おかしい……でありますか?」

 

 シンクとレオの2人の間で交わされていた会話にリコッタが割り込んでくる。

 

「うん。普段の戦でのソウヤの攻撃は、なんというか、鋭さみたいなものがすごく出てるんだ。確かに今日も鋭さはあった。だけどその裏側、『心』がついてきていないように感じて……」

「……なるほど。実際剣を交えた者同士にしかわからぬ感覚、か」

 

 首を傾げるミルヒとリコッタとは対照的に、レオは1人納得の声を上げた。

 

「そこでソウヤに尋ねたら、こう言ったんです。『余興はここまでだ』『パラディオンを本当の形にしろ』『俺を斬りに来い』って。裏のある言葉だと思って、僕はソウヤを信じることにした。どうでも動けるように多少の余裕は持ちながらも、裂空は剣を交えるまで全力で打ち込んだ。向こうも全力だった。でも、交錯した瞬間、ソウヤは何かをやろうとしてるとわかったんです。カン、ですかね」

「カンじゃと!? ではお前はあいつと何の打ち合わせもなく、あれをやったというのか!?」

 

 そのカンは、彼が持って生まれた天性の第六感だ。シンクはそのカンを頼りにソウヤが何かをしようとしてると読み切り、ソウヤもソウヤでそこに気づくものとして打ち込んだのだろう。互いが互いを信頼していなくては出来ない駆け引き、どちらかがずれていたら、それこそ大怪我を招きかねなかったということになる。

 

「ええ。実際に言葉にして『こうやる』という話は、まったく交わしませんでした」

 

 そしてシンクはそのレオの言葉をあっさりと肯定した。それを平然とやってのけただけでも、やはり2人は只者でないと言えるだろう。

 事情を知らずに見ていた人間は間違いなく全員騙されたに違いない。ソウヤは本気でシンクを斬りにかかり、そして最後は逆にシンクが斬り伏せた。それ以外に見ようがない一連の流れだった。

 

「でも……なんで失敗したら大怪我をするような、そこまでのリスクをわざわざ背負うようなことを、ソウヤ様は考えたのでしょう?」

 

 話が一旦まとまったところで、至極当然な質問が飛び出す。声の主はミルヒだった。おそらくずっとそのことが気にかかっていたのだろう。

 

「多分、だけど……。さっき言ったとおり、僕を試したのかもしれないです。僕に姫様を守るというだけの資格があるのか、それを確かめようとしたんだと思います」

「じゃがそれでは最後の打ち込みの説明がつかんな。それが全てなら、あいつはお前に斬られることも辞さなかった、ということになる。……いや、あいつのことじゃ、それもあながち考えていた、と平然と言ってきそうな気もするが。ともかく、試すというだけならわざわざ最後にあんな大仕掛けをやらかす必要はないはずじゃ」

 

 4人が口を噤み、考え込む。セルクルの走る音だけが辺りに響いていた。

 

「……もしかしたら、でありますが」

 

 その沈黙を破ったのはリコッタだった。

 

「ソウヤさんは、自分達をより安全に逃がすために、あんなことをしたのではないかと」

「より安全に……ですか?」

「はいであります。あの時はパスティヤージュに追われた時と違って足を止めていたでありますから、偵察の目に入っていた可能性があるのではないかと。もしあの場を目撃している者、はっきり言うならこの事態に付け込もうとその場で息を潜めていた人間がいたとしたら、おそらくこう考えるであります。『シンクはソウヤさんを斬ってまでも、道を切り開こうとした』と。……つまり、それだけ確固たる決意を、そしてあの気迫を見せ付けることで、生半可な覚悟では逃げる自分達に手を出しても返り討ちに合う、とわからせるためではないかと思うであります」

 

 

 

 

 

「ではソウヤさんはそのシンク君の心を試す、ということと、姫様達をより安全に逃がすために、わざわざあんなことをやったと、そういうわけですか?」

 

 騎車の中、変わらずベールはソウヤに詰め寄っていた。片やソウヤはまったく気にする様子もなく、飄々(ひょうひょう)とその質問に順に答えている。

 

「そういうことだ。だから偵察の人間の目を騙す必要があった。『敵を欺くにはまず味方から』ってのは定石だ。だからこのことはあそこにいた者で言うと俺とノワール、それに諜報部隊の人間しか知っていなかった」

「でも……味方はわかりますけど、『敵』って何です? 偵察、ってさっきから言ってますけど……」

 

 その問いにソウヤが答えようとした時、騎車の扉が数度ノックされる。

 

「隊長、よろしいでしょうか?」

 

 諜報部隊だ。ノワールが扉から外に出て、一度席を外した。

 

「……あいつが帰ってきた後に話す連中だ」

「え……?」

 

 ベールは意味がわからなかったらしい。ややあってノワールが中へと戻ってくる。

 

「どうだ?」

「さっき言った全ての偵察隊の引き上げを確認したって。この事態に介入するのを諦めた、ってことだね」

「そいつはよかった。一芝居打った価値はあったな」

「さっき言った、って……ビスコッティ、パスティヤージュ、カミベルですか?」

 

 やはり状況についていけない、とベールは問いかける。ソウヤは頷き、それを肯定した。

 

「ああそうだ。特にカミベル、ここの決定を引き出すためにやったと言ってもいい。あそこは俺と同じ地球出身者が比較的多い。おそらく、今回の介入を狙ってるのも同郷の人間だろう。……これまでの戦は怪我のない、いわばスポーツ感覚の内容だった。だが、その前提が崩れたとしたら、特に『シンクが腹を括って友人までも斬って道を切り開いた』という印象を受けたとなれば、どうなる?」

「もしソウヤさんの世界から来た人達がシンク君と戦い、かつフロニャ力があまり強くない場所だった場合、怪我をする可能性がある……」

「そういうことになる。今現在お世辞にも安定といえないカミベルにおいて、必要以上の事態への介入によって負傷者が出た、となれば、その命令を出した人間の風当たりはより強くなると思わないか?」

「た、確かに……!」

「なら危険な橋は渡らない。……まあこれまでの動き方から見てもそれは裏付けられてる。以前あったガレットとカミベルの戦いを覚えているか? 俺が途中で抜けた戦いだ。あの時はガレットの一方的な戦いだったわけだが、実のところ相手は明らかに勝負を捨てていた。本来はビスコッティとやりたかったところだろうがそれが無理だった、なら友好国のガレットと一応戦をやっておこう、という具合のとりあえずの興業、俺にはそう感じられた。加えるなら圧倒的に一般参加が多かったことからガス抜きの意味もあるとは思うが。だからあの時『奇襲はない』と断言したのさ。

 このことからもわかるとおり、利の薄い行動は控える、それがあそこで指揮を執ってる人間の思考だと俺は考えている。現にカミベルは偵察隊を引き上げさせた。つまりこの事態への静観を決め込むだろう。俺はその決定を引き摺り出したかった」

 

 ベールは言葉を失った。彼は戦わずして面倒な状況にあるカミベルを引かせてみせた、ということになるだろう。さらには連れ戻そうとするビスコッティと空騎士による追撃に失敗したパスティヤージュも、である。それはこの先の4人の逃走経路の安全性を高めたということに繋がる。

 

「要するに、これから先の安全のため、ソウヤさんは一芝居打った。そういうことでいいですか?」

「合ってる。俺があいつに言った『この場を通す』ってのには、『なるべく安全になるように通してやる』って意味もあったのさ」

 

 皮肉っぽく、笑いながらソウヤが答えた。ようやく事の真意を全てわかったベールが大きくため息をこぼす。

 

「もう……。もしシンク君がソウヤさんの意図に気づかず、本当に斬りに来たらどうするつもりだったんですか?」

「もし、なんてのは仮定の話だ。実際はあいつは俺を斬らなかった。それが全てだ。だから、その質問の答えはない」

 

 さすが現実主義者、とベールは感心を通り越して呆れていた。多分どれだけ詰め寄っても彼はこの様子で逃げ切るだろう。実際のところ、怪我をする覚悟ぐらいは彼にあったのかもしれない。だが、それを考えたところで詮無いことだ。本当のところは彼のみぞ知る、というところなのだから。

 

「……じゃあそれはいいです。でも、一芝居打つならそうと副隊長の私ぐらいには一言あってくれてもよかったじゃないですか?」

「お前は顔に思いっきり出るタイプだからな。俺が斬られたのに驚かない、とか怪しすぎる。だから伏せてたんだよ」

「それは……確かにそうかもしれませんが……」

「騙し合いってのは如何に相手に『騙そうとしている』と思わせないかがポイントになる。そうする上で有効な方法は2つ。『不審がられるような挙動を極力減らす』か、あるいは逆に『あからさまに不審な挙動を増やして真意を隠す』かのどちらかだ」

「は、はあ……」

 

 眉を寄せ、長い耳も心なしか少し折れつつベールは相槌を打つ。どうもいまひとつよくわからない。

 

「今言った前者の場合、一番いいのは『情報を極力伏せる』ってことだ。要するにさっき言った『敵を欺くにはまず味方から』ってやつさ。現にお前や遊撃隊にも情報を伏せたおかげで演技ではない自然な反応を引き出せた。俺とあいつの芝居を信じ込ませるのに、一役買ってくれたってわけだよ」

 

 納得がいっていないのか、いや、そもそも説明の意味がわかっていないのか、やはりベールは難しい顔のままだった。続けて説明しようと思っていたソウヤだったが、その顔を見てやはりやめようと苦笑を浮かべる。

 

「後者の説明はまた今度にしてやる。よくわかってないみたいだしな。つまるところ、『木を隠すなら森の中』って辺りだろうが、まあいい。……お喋りはこの辺りにしよう。一先ず遊撃隊は、ベール、お前が仕切ってくれ」

「私が……ですか?」

「そりゃそうだろう。俺がここで普通に隊に復帰したら何のために一芝居打ったかわからなくなる。隊員には俺は手傷を負ったが命に別状はない、とでも報告しておいてくれ。この後俺は諜報部隊と共に動く。その方が人目につかないしな」

「わかりました。この後は、どうすれば?」

「一旦ヴァンネット城に帰投しろ。後はバナード将軍の指揮で、基本的に騎士団と共に動いてくれ。隊長不在であれば、その選択が妥当だろう。将軍にはノワールを通して俺から連絡を入れておく」

 

 再度「わかりました」とベールは頷いた。一時はどうなることかと不安だったが、とりあえずは何事もなくてよかったと彼女は胸を撫で下ろす。

 

「じゃあ、隊員に報告してヴァンネットに戻ります。ソウヤさんとノワも、お気をつけて」

「ああ。また後でな」

「ベル、ニヤニヤして外に出ないでね。一応ソウヤは重傷、って扱いなんだから」

「あ……。わ、わかってるわよ」

 

 言われなかったら危うく平然とした顔で外に出ていたところだったのだろう。ベールは息をひとつ吐き、顔を引き締める。そして騎車の扉を開け、外へと出て行った。それを見送り、今度はソウヤが大きくため息をこぼす。

 

「……随分饒舌だったね」

 

 騎車の中に一瞬訪れた沈黙は、そのノワールの一言で破られた。声の主にソウヤが視線を移すと、何かを気にしているような、気分が浮かないような、そんな表情がそこにはあった。

 

「『あからさまに不審な挙動を増やして真意を隠す』か……。ベルが()()()()に気づいたら、どうするつもりだったの?」

「気づくわけねえだろ。俺のさっきの三文芝居を見抜けないし、説明してても意味もわからず首を傾げてたような奴だ。仮に気づかれたとして、もう引くことは出来ない。それはお前だってわかってくれたんじゃないのか?」

「それは……そうだけど……」

 

 ノワールの表情に陰りが増す。そんな彼女の頭にソウヤは右手をそっと乗せた。

 

「……既に()()()()()()()んだ。あとは……目が出るのを待つしかないんだよ」

 

 ソウヤにしては珍しく、優しく彼女を撫でる。それでも、ノワールの表情は晴れず、「……うん」と短く返しただけだった。

 

 

 

 

 

「そうか。姫様と姉上達は無事ガレット領を抜けられそうか」

 

 ヴァンネット城、バナードからの報告を受けたガウルはそう言うと安堵したように息を吐いた。傍らのジョーヌとルージュも安心したような表情を見せる。

 

「うまくすれば今日中にドラジェ領に入ることも可能でしょう。明日の昼前にはレザン王子がいらっしゃるコンフェッティ城へ到着できると思われます」

「よっしゃ。そうなりゃ一安心だな。一時はどうなることかとヒヤヒヤしたぜ」

「まだ安心するには尚早かと。それでも、ソウヤ殿が一芝居打ったおかげで、他国はこの件への介入を諦めたようですが。それに、ここまででも平坦とは言いがたい道中だったと言っていいでしょう」

 

 ガウルが表情を少し険しくする。ここまでパスティヤージュの追撃を振り切る際に親衛隊長と副隊長を保護、今後の安全を確保するために一芝居打ったソウヤは当面表立って動けない、というのが現状だ。

 それにドラジェに保護されたとして、その後の方針などは未だまったく決まっていない。楽観視出来るような状況ではない。

 

「ソウヤから何か言伝はあったか?」

「はい。遊撃隊は一先ずヴァンネット城へ戻す、と。指揮は副隊長のベールではなく私に任せたいとのことでした。それはベールも了承との事です」

「ならお前に任せる。……『保護』したタレミミと()()()()については何か言っていたか?」

「自分からは特にない、こちらに一任する、と。いかがいたしますか?」

「それもお前に任せる。ただ、重要な客人だ、丁重にもてなしてやれ」

「心得ていますよ」

 

 無論「丁重に」というのはそのままの意味だ。裏などなく、それこそ彼の言葉通り「客人」として扱えということだろう。バナードは重々それを承知していた。その点について異論も何もない。

 

「報告は以上か?」

「はい。……ただ、2点ほどよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

 

 バナードの表情は変わらなかった。特に何かを気負うでも、緊張するでもなく。しかし出てきたのはガウルの予想の範疇を越えた発言だった。

 

「明日、姫様達がコンフェッティ城へ到着する頃合を見計らい、出兵を考えております。可能なら、殿下もご一緒に」

 

 これにはガウルも思わず面食らった。「事態の静観」を主張し、表立たない行動を最優先するように助言してきた騎士団長が、何を言い出すのだろうか。

 

「どういうことだ? お前の主張は事態の静観じゃなかったのか?」

「ええ、その通りです。ですが、ドラジェに保護されればその状況はまた変わります。幸い、と言っていいものかは計りかねますが、あの一行には我が国の先代領主であるレオ閣下が同行されている。そうであれば、迎えとしてこちらから赴くのは特におかしいことではないでしょう」

「それはそうだが……。あの姉上に迎えなんぞいるか?」

「いえ、それはあくまで建前です。……本当の狙いは、そこで我々が動くことによる他国への牽制。『ここまでは静観したが、今後はそうはいかない』という態度を見せるにはいい機会ではないかと思います」

 

 なるほど、この切れ者の将軍は既に現状の事後を見据えている。その場に「先代領主の迎え」と称してガレット軍が姿を見せれば、彼の言うとおり他国への牽制になる。自分では思いつかなかった、とガウルは素直に感心していた。

 

「わかった。その案を受け入れる。明日は俺も同行すればいいんだな?」

「はい。……ジョーヌ、君も来てもらうよ」

「それは勿論やけど……。そうなったらおっちゃん……ゴドウィン将軍もやろ? ここの留守番はええんか?」

「そこは近衛隊に任せようと思っていた。……そこで2点目になります。ここのお三方、特にルージュ。ビオレ殿の居場所をご存じないか?」

「ビオレ姉様……ですか?」

 

 思い当たる節はない、とばかりにルージュは眉を寄せた。

 

「メイド隊や他の近衛隊の人間にも聞いて回ったのだが、昼頃まではレグルス様の世話をしているところを目撃されている。だがそれ以降、その役割をメイド隊に任せ、姿を誰も見ていないということだったのだ。先ほどのここの守護、ということで隊長役を任せたかったのだが、見当たらなくてはそれも出来なくてね。ルージュ、君なら何か知っているんじゃないかと思ったんだが……」

「申し訳ありません、姉様の姿が見当たらないという話自体初めて耳にしました」

「そうか……。なら、近衛隊長代理として明日、我等不在時のこの城の守りの指揮は君に任せたい」

「わ、私がですか……?」

 

 ルージュがやや取り乱す。元々彼女は重役を任されることに免疫があまりない。本来ならソウヤが暮らしていた別荘にビオレが住み込む際に近衛隊長を任されるはずだったが、荷が重過ぎるとあくまで代理にこだわり続け、ようやく先日その隊長が戻ってきた、ということで安心していたのだろう。降って湧いた指揮という話に明らかに狼狽した様子だった。

 

「いいじゃねえか、ルージュ。別に大したことじゃねえんだ、任されろよ」

 

 結局ガウルの押しもあり、少し困った様子ながらも「……わかりました」と彼女はそれを了承した。一頻りの話を終えたのだろう、バナードは視線をガウルの方へと戻す。

 

「私からは以上です。何かありますか、殿下?」

「いや、特にない。……お前には何かと助けられっぱなしだな」

「いえ、それが私の仕事ですから」

「助かってる。……下がっていいぞ」

 

 一礼し、バナードは領主執務室を後にした。だが、扉を閉めたところで一瞬その顔に笑みが浮かんだ。が、すぐにそれは消え去り、普段通りのポーカーフェイスを作り出す。

 

(ですが……あなたは少々私を信頼し過ぎた。そこがあなたのいいところだと思いますし、今回はそこに感謝(・・)をしなくてはなりませんが、今後は直していただきたいところですね)

 

 ゆっくりとバナードは足を進める。決定事項を騎士達に伝える必要がある。あとは「客人」を()()()もてなさなければならない。

 

(それにしても……。あの様子ではルージュも本当に行方を知らないようだな。仮に()が一匹紛れ込んだところで大事には至らないと思うが……。いや、それでご破算となっては元も子もない。耳に入れておいてもらうに越したことはないか)

 

 危うく再び笑みをこぼしそうになる。多少誤算はありつつも、これほどとんとん拍子に話が進むとは予想していなかった。後一歩、幕が下りるまでこの調子で進めばいい。そんな考えを抱きつつ、バナードは()に思いを馳せた。

 

(さて……。舞台は整いつつある。こちらはやるべきことを終わらせた。次はそっちの番だ。今度は詰めを誤るなよ、()()()……)

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode EX 4 violet cat proact

 

 

 宵の口を過ぎた頃、日が落ちた街を1人の女性が歩いていた。マントのようなローブを身に纏い、フードを目深に被っているためにその表情は窺い知れない。日が落ちたとはいえ未だ喧騒の残る街の中、その女性は雑踏を掻き分けるようにしながら早足で石畳の道を歩いていた。

 

(この街のこの様子……。人々は今自国で何が起こっているか気づいてない……)

 

 ビスコッティ共和国フィリアンノ城下町の賑わいの中にいた彼女は、そう思うとフードの下で視線をさらに落とした。

 やはり国民達は何も知らないのだ。今フィリアンノ城で何が起きているのかも、既に自国の姫君は「逃亡の姫君」となっており、この国自体が消え去るかもしれないということも。徹底した情報の統制と操作、それを全く国民に気取られない計画の周到性。確かにビスコッティの人々は穏やかでのんびりなところはある。だがそれでも全く人々に疑念を抱かせていないというところで、やはり今回のこの一件は早い段階から綿密に練られていたに違いない、と彼女は思っていた。

 

 街の中心部が近づいてくる。こんな時間だというのに雑踏はますます増し、ここは平和な城下町の広場そのものだ。いや、一見すれば、と付け加える方が正確か。

 平和なはずはないのだ。代表領主である姫君とその彼女が召喚した勇者、それに親衛隊長に研究院の主席が今この国にはいない。彼女達は「逃亡」しているのだ。そしてその姫君と実の姉妹のように接してきた、この女性が仕える方も耐えかねて飛び出して行ってしまっていた。

 

 思い起こせば、あの時自分も着いていくべきだった、と後悔している。確かに彼女の大切な子を預けられたのは自分だ。だが、それでも本当は着いていきたかった。たとえどのような汚名を着せられようと、長年仕えてきた主のためなら己の身など喜んで差し出すことが出来た。

 いや、だからこそ、と彼女は思い直す。その未練があるから、今彼女はここにいるのだ。その時の後悔を清算し、そしてこの凶変の根源を絶つために、身を隠しながらここまでやってきたのだ。

 

 城下町の中心部を抜け、更に進む。その彼女の眼前に見えるのは、このフィリアンノ領の拠点、フィリアンノ城。彼女にとっての目的地でもある。

 ここから先は大通りを歩くと目立つ、と彼女は横に逸れて木々の中へと入っていく。日の落ちた今となってはそこは暗い闇に包まれていたが、夜目の利く彼女にとっては何も問題ではない。周囲に警戒しつつ足を進め、とうとう目の前に白い城壁がそびえたった。

 それを見上げ、彼女はフードつきのローブを脱いで投げ捨てる。ここから先は隠密性よりも速度重視。たとえ自分の身が発覚されようと、目的さえ達してしまえばいいのだ。

 フードの下から現れたのは紫の髪に普段のおっとりと優しそうな表情からは一転した厳しく鋭い目。黒を基調にした上下の戦闘用衣装はガレット諜報部隊長のそれにどこか似ているが、丈の長い黒の上着が異なるものであることを示している。そもそも彼女は諜報部隊の所属ではない。

 ガレット近衛隊長。それが彼女の肩書きである。一度はその肩書きを返そうとしたが、後任の後輩が隊長代理を名乗っているせいで実質今も彼女が隊長扱い。だが隊員は誰も引き連れてきてはいない、それどころかこのことは誰にも話してすらいない。これからやろうとしていることに失敗した時、罰せられるのは自分1人だけでいい、そんな思いからだった。

 

 周囲に見張りの気配がないことを確認すると、彼女は静かに紋章術を足に発動させ、その力で一気に跳躍した。城壁を跳び越え、音もなく着地すると素早く遮蔽物の陰に身を隠す。ややあって見張りの兵が通り過ぎるが、異常があったとは確認できなかったのだろう。何事もなかったかのように離れていく。

 それを見て彼女は再び音もなく駆け出した。城の壁に張り付き窓から中の様子を窺う。廊下に人影はない。そっと窓を開けてするりと中へ入り込み、また駆け出す。

 

 城内へとうまく潜入し、向かう先はこの一件のおそらく黒幕、と彼女が睨んでいる人物。ビスコッティ騎士団長、ロラン・マルティノッジ。証拠はないが、騎士団を抑え、姫君相手にクーデターを起こせる人物など他に心当たりはない。たとえ黒幕でなかったとして、何かしら噛んでいると見て間違いないだろう。なら事の真意を問い質す。場合によっては無力化させて自国へと連れて行く。それで事態は解決へと向かうかもしれない、少なくとも現状よりはマシになるはずだ。それが彼女の出した考えだった。

 今「逃亡の姫君」達はドラジェへと向かっている。既に姫君と行動を共にしていたビスコッティの親衛隊長はパスティヤージュの空騎士と交戦後、ガレットによって「保護」されたと聞く。さらにはガレット遊撃隊長がビスコッティ勇者と交戦し、重傷を負ったという情報も入ってきた。さすがに後者を容易に信じることは出来なかったが、それでも厳しい逃亡劇となっているのは間違いない。

 だがたとえその苦難を乗り越えてドラジェへ着けたとして、状況がすぐさま好転するとは到底考えられない。確かに友好国に援助を求めて自国の危機を周知に晒すよりは、第三国を訪れることでそこを隠蔽したままの方が他国から付け込まれる隙は少なくなるだろう。ガレットの騎士団長が出したといわれるその考え自体を否定するつもりはない。しかしそれでは根本的解決まで時間がかかる。1番早いのはこの騒動の首謀者を暴き出して捕え、逃亡中の姫君たちを呼び戻すことだ。それで事態は一応の解決を見るだろう。

 とはいえ、その首謀者に刃を向けられる人間がいるだろうか。非常に高いリスクとなる。失敗すればその身がどうなるかわからない。だからこそ、自分がやるしかないと彼女は単独でこの城へと忍び込んでいたのだった。来客として幾度も訪れた城だ、迷うことはない。スピードを緩めることなく走り続ける。

 

 と、その時突如彼女の足が止まった。迷ったのではない。気配を感じたのだ。拳を握り締め、廊下の先の暗がりを睨みつける。

 

「どうやらネズミ……いえ、猫が1匹紛れ込んでいるようですわね」

 

 声は、その暗がりの先から聞こえてきた。コツ、コツとゆっくりした足音と共に1人の女性が近づいてくる。窓から差し込む月明かりがその女性の顔を映し出した。細い目が特徴的で、メイド服に身を包みつつも、両腰には装飾されたレイピアを鞘に入れて吊り下げた人物――フィリアンノ城メイド隊長、リゼル・コンキリエ。

 

「ご機嫌麗しゅう、ビオレ・アマレット近衛隊長殿。……ですが訪問するにはいささか時間が遅く、また許可もないのではありませんかしら?」

「……アポイントメントはあなたに取ればよろしくて?」

 

 名前を呼ばれたビオレは早くも臨戦態勢を取り、拳を固めて構える。彼女の本来の戦闘スタイルは武器を持たない徒手空拳だ。以前リゼルと手を合わせた模擬戦のときはグリップダガーを持っていた。が、それはあくまで紋章術使用不可時の対応策。このような潜入任務なら武器は嵩張(かさば)るために持たず、輝力を込めた自身の体を武器として戦う。一見華奢な彼女だが、そのしなやかな動きから繰り出される攻撃は一級品。伊達に近衛隊長の名義を背負っているわけではない。

 

「そうですわね、私かしら? ……でもあなたに許可を出すつもりは、私はありませんけど」

「ならどちらにせよこうやって来るしかなかった、ということですわね。……悪いけれど話している時間も惜しいですので、そこをどいてくださればそれでよし、そうでないなら……」

「……どうします?」

 

 答えるまでもないだろう、とビオレは一層相手を睨みつける。敵意と、場合によっては殺意まで込められて向けられる視線を浴びながら、しかしリゼルはまったく応えていない様子だった。

 

「まあ、怖い目ですこと。……あの時につけそびれた決着、ここでつける、ということかしら?」

「お望みならそれでよろしくて。……今日こそ引導を渡して差し上げますわ」

 

 約5年前の宝剣をかけた大戦の時に端を発し、そしてその後の模擬戦。結局決着らしい決着はついていない。戦場で互いが相見える時が決着の時と約束した。今は戦ではない。だがここはビオレにとってはまごうことなき戦場に他ならない。今日こそ決着をつける。彼女の心の中に決意も新たに闘志の炎が燃え上がる。

 しかし、目の前のリゼルは一向に剣を抜こうとしない。それどころか戦おうという気配すら見せない。

 

「……なぜ抜かないのです?」

「残念ですが、あなたと決着をつける場はここではないですから」

 

 カッとビオレの頭に血が上る。自分はここまで危険を冒してやってきた。そして相手はこの城を守るメイド隊の長。なのにここは決着の場ではないと言う。自分を侵入者としてすら、脅威としてすら見ていないのか。

 憤怒の表情でビオレが地を蹴ろうとしたその時。彼女は背後に人の気配を感じた。標的を変え、固めていた左拳にさらに輝力を込めて裏拳の要領で繰り出し、背後に迫った人物へ叩きつけようとする。

 

 ――だが。

 

「なっ……!」

 

 その拳が振り抜かれることはなかった。月明かりに映し出されたその顔に当たる刹那、彼女の拳が止まった。

 

「なんで……あなたが……」

 

 本来ここにいるはずのないその人物へ驚愕の表情でそう尋ねた彼女への、しかしその問いに対する答えは――。

 

 ドン、と言う首への衝撃だった。ぐらりと世界が回る。体が言うことを利かない。地面に倒れる、と思ったが、それより早く肩を抱えられる感覚を覚える。

 自身に手刀を浴びせた者の腕の中で、彼女は嘘であって欲しいと望みながら、薄れゆく意識の中でその者の顔を見る。だがそれは先ほど見た顔と同じ、これまでの()()()()()と同じ――。

 

「どう……して……」

 

 ()の口元が僅かに緩んだ気がした。

 

「すみません、()()()()()。まだここで幕を下ろすわけにはいかないんですよ……」

 

 その()()()()()声を最後に――。

 

 ビオレの意識は闇へと包まれた。

 




proact:「前に、事前に」という意味の接頭語「pro」+「行動する」という意味の「act」で、「事前に動く」というような意味。「captor」のアナグラム。
つまりタイトルは「紫猫(ビオレ)が先走る」といったところです。


さて、いよいよ話も大詰めっぽくなってきたというのに筆が止まってしまいました。
展開どころかオチまで思いついてるけど筆が進まないという具合です。一方で全く違うものを考えていたらそちらの方が筆が進んだという事態になってしまい、そっちを終わらせるまでこっちが手に付かなくなってしまいました。
一応区切るところに入れてるEX話も入ってここで一区切り、とも取れるのでまあまたもう少し時間ください、ってところです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 27 視えた悪夢は現へと

 

 

 逃亡を初めて3日目。変わらずミルヒ達はセルクルを走らせ続けていた。既にドラジェ領内へと入り、目的地であるコンフェッティ城は昼前には到着できるであろう。

 幸い、シンクとソウヤの戦い以降、交戦や追撃の類には遭遇していない。「自分達をより安全に逃がすため」とリコッタが予想した、ソウヤの一芝居が効果的に働いているのかもしれない。兎にも角にも、これは助かる事態だった。昨夜も宿は取れたとはいえ、4人の疲労の色は濃い。特にミルヒが顕著であり、レオは彼女の体調を気にかけていた。自分のために身を呈してくれたエクレールに報いらなければと、彼女は決して弱音を吐かなかったが、この長距離移動はかなり堪えるものであることは推察できる。もしさらに1度でも交戦があれば、4人がこうして無事に並んで走れていたかもわからない。

 

「姫様、もう間もなくコンフェッティの城下町に入れるであります」

「はい。……気遣ってくれてありがとう、リコ。でも私は大丈夫です」

 

 それでもやはり「逃亡の姫君」は弱音をこぼそうとしなかった。一度はエクレールを失ったこともあって「脆い」と思ったレオだったが、その評価を撤回せねばならないとも思う。自分のため、シンクのため、身を呈してくれたエクレールのため、何より愛する祖国ビスコッティのため。彼女の華奢な両肩にはそれらが重くのしかかり、だが同時にそのおかげで足を止めることなくここまで前へと踏み出し続けている。その意志力たるや、常に自分が守らねばならなかったミルヒとはもう違う者のようだ、とレオは思わずにはいられなかった。

 未だ脆い部分もある。危うい部分もある。しかし彼女は間違いなく立派に成長した。ビスコッティの領主としての務めを果たし、シンクという恋人と心を通じ合わせ、両親である先代領主夫妻の失踪という事態を乗り越えた。さらには内戦、今回のクーデター、そしてこの逃亡劇。それらに心を折られることなく乗り越え、まだ見ぬ明日を明るいものとするため、彼女は必死に抗っている。

 だからこそ、レオは力になりたかった。家政婦兼近衛隊長の制止を振り切り、家を飛び出した。一芝居打たれたときに一度は肝を冷やしたが、その時に約束を交わした夫も無事なはず。もう少し。もう少しでその約束をかなえることが出来る。

 

「じゃが安心するのはまだ早いぞ。レザン王子に掛け合って保護はしてもらえるじゃろうが、その後のことをどうするか、全く見えていない」

 

 自分にも言い聞かせる意味で、レオはそう言った。今こういうことを言うべきではなかったかもしれない。しかし彼女は事実を述べていた。

 

「わかっています、レオ様。だから、私はまだ立ち止まるわけにはいかない……。ビスコッティのためにふさわしいと思える答えを見つけるまで、進み続けなければならないと思っています」

 

 やや気負いすぎの気配はある。だがその意志は確たるものだとレオは感じていた。やはり彼女は領主としてふさわしい人間へと成長した。なのに、一体なぜ謀反などということが起こってしまったのだろうか。

 いや、その意味を明らかにするためにも自分はミルヒの側に寄り添っていなくてはならない、と改めて思う。今はまだ静観という立場を取っている彼女の祖国だが、第三国に保護されたとなればきっと動き出すだろう。その時に今やガレットの頭脳とも呼べる存在となった夫と共にこの事態の解決に乗り出せばいい。

 

 ようやく少し明るい兆しが見えつつあった。そんな4人は、次第にコンフェッティの城下町へと迫っていっていた。

 

 

 

 

 

 コンフェッティ城の中へは予想よりあっさりと通してもらうことが出来た。ガレットからの保護要請は間違いないということの証明であろう。緊張した様子の騎士に連れられ、4人は大広間へと通してもらう。

 

「こちらでお待ちください。間もなくレザン王子が参られます」

 

 用意されていたソファに腰掛け、思わずレオはため息をこぼす。見ればミルヒも同様にそうしたところのようだった。疲労が溜まっているのだろう。

 

「……お疲れ様でありました、姫様」

 

 そっと、リコッタがミルヒに労いの言葉をかける。

 

「ありがとうリコ。少し……気が抜けてしまいました。でも、まだ安心するのは早かったですね」

「それはそうでありますが、これで少しは体を休めることも出来ると思うでありますよ。姫様がお疲れの様子だったので、心配だったであります」

「……やっぱりばれちゃってましたか。あまり心配をかけさせたくなかったんですが……。ちょっと疲れてしまっていたのは事実です。でも、私は大丈夫です。まだ立ち止まるところではありませんから」

「お前の言うことはわかるが……。あまり無理はするな、ミルヒ。まずは体を休めるのがよい」

「レオ様……。ありがとうございます。そうですね、多分今日は、少しゆっくり休めるんじゃないかと思います」

 

 小声で返してきたミルヒに頷きつつ、それでもレオは不安を拭えずにいた。確かに保護要請を受諾してくれたレザン王子の待つコンフェッティ城へ着くことは出来た。今日はこの城か、それが無理でもこれまでよりは遥かに良い環境で一夜を過ごせる、久しぶりにゆっくり体を休めることが出来るだろう。

 だがこの違和感は何だ、とレオは僅かに眉をしかめる。今の会話、それは全て()()()だった。今、この部屋には入り口に数名見張りの騎士が立っている。それ故、最初に話し始めたリコッタが小声となり、その後自然と全員がそうなったのだった。

 自分達は他国から来た保護対象だ。だから見張りの騎士がいるのはおかしいことではない。しかしこの圧迫感のような、重い雰囲気はどうにも腑に落ちない。見張りはこの部屋を守る、というよりも自分達を見張っている、というようにも感じられる。言い換えるなら、この部屋から逃げ出せないように、と言ってしまってもいいだろう。そんなはずはないとわかっていながら、心のどこかでレオはそんな風に考えてしまった不安感を拭い去れなかった。

 

 ややあって、広間の入り口の扉が開かれた。現れたのはシンクと同じぐらいの年で、頭にイタチのような耳の生えた青年だった。かつては華奢で小さな少年だったこの王子だが、今ではたくましく成長し、シンクやガウルほどではないにしてもしっかりとした体つきになっている。

 

「レザン王子。この度は本当にありがとうございます」

 

 ミルヒが立ち上がり礼をしつつ、感謝の気持ちを述べる。3人もそれに倣って立ち上がっていた。レザンと呼ばれた青年は微笑み返しつつ口を開く。

 

「いえ、お気になさらないでください。姫様の窮地と伺い、ガウル殿下から直々に『自分の代わりに頼む』と懇願されたことです。そうでなくても我がドラジェは可能ならビスコッティと友好的な関係を結びたく思っていたところですし、協力は惜しみません」

 

 レザンの口から述べられる言葉にミルヒはただただ感謝しているようだった。次いで彼はレオの方へと視線を移す。

 

「それにしても、レオ閣下もいらっしゃるとは驚きです。お久しぶりですね」

「ああ、久しいのう。ガウルから連絡はいかなかったのか?」

「『姉上が独断で先行したから姫様と一緒に頼む』とは言われました。それでも、ガレットは出来るだけ静観の方向でいたはずなのに閣下ご自身が、というのはやはり驚きましたよ」

「我慢できなくてな。つい先走ってしまった」

「そうだったんですか。……立ち話もなんでしょう、おかけください」

 

 そう促され、4人とレザンはそれぞれ腰を下ろす。ようやく少し落ち着ける。自分以外の3人はきっとそのように考えているだろうとレオは思う。

 だが彼女の心は全く逆だった。今の自分とのやり取りがどこか味気なく感じた。「驚いた」と言ってはいたが、彼は自分など最初からどうでもよく、関心事はミルヒにだけある、と言いたかったのではないかとも思ってしまう。

 その会話だけならそんなことは妄想だとレオも一蹴していただろう。しかし直後に着席を促され、話が進もうとしていることで彼女はますます疑心を強めた。()()()()()()()()()。そんな様子すらない。そのことが、彼女の心の中にますますの違和感をもたらしていた。相変わらず入り口には見張りの騎士が立ち、無機質な気配を漂わせている。飲み物もなしに話をしようなど、客をもてなすにしてはいささかぞんざいな扱いと言わざるを得ない。

 

「早速ですみません、レザン王子。私は現在のビスコッティの状況を知りたいと思っています。それと今後の動きについて話し合いを……」

「少々お待ちください、姫様。お気持ちはわかります。ですが、まずはゆっくり体をお休めになられてはいかがですか?」

 

 話を遮られ、逆に休養を提案されたミルヒはきょとんと彼を見つめる。

 

「長旅でお疲れでしょう。今の姫様のお顔にはその様子がありありと出ておられる」

「ですが……。ではせめて、今のビスコッティの状況だけでも……」

「姫様、それらは体を休めてからでいいではありませんか。心が(はや)っては、休まる体も休まりません。何もお考えにならず、ごゆっくりされる方がいいかと思いますよ。すぐにこの城の浴場の方にご案内を……」

「待て」

 

 が、その話をレオが遮った。もはや彼女の目に先ほど抱いたような安堵の色はない。むしろ疑いの眼差しで、レザンを見つめていた。

 

「……なんでしょう、閣下」

「王子、なぜそうミルヒの意見を聞こうとしない?」

「僕は姫様の身を心配して提案しているだけです」

「そうか。ならもうひとつ。……お前は先ほど『ビスコッティと友好的な関係を結びたい』と言ったな? それはミルヒのビスコッティか? それとも()()()のビスコッティか?」

 

 脇に座る3人が一斉に彼女を見つめた。

 

「レオ様!? 何を言い出すんです?」

「そうでありますよ! いくらなんでも失礼であります!」

「そう思うか、シンク、リコッタ。じゃがな、あまりにもおかしい。この部屋に通された時から感じている、まるで監視されているかのような見張りの騎士の視線はなんじゃ? そこを置いておくにしても、茶のひとつも出ずに話を進めようとはもてなすつもりもないように感じる。そして何よりレザンのこの言動……。ワシの思い違いなら謝ろう。じゃがレザン、貴様まさかよからぬことを企んでいるのではあるまいな?」

 

 レオに向いていた3人の視線が今度は対面に座るレザンの方へと向けられた。俯いていたレザンだったが、ゆっくりとその顔を上げる。その表情は――不気味に無表情が貼り付き、一切の感情を持たない能面のようであった。

 が、その口の端が僅かに上がる。そして笑いを噛み殺すように肩を震わせた。

 

「レ、レザン王子……?」

 

 信じたくない、とミルヒが声をかけた。それほど密接な関係があったわけではない。だが、合同演習などそれなりの親交はあったはず。陥れるようなことなどあるはずない。

 そうミルヒは願っていた。しかしその王子は彼女のその心をあっさり否定する。

 

「……さすがは『百獣王の騎士』様ですね。耄碌(もうろく)したらしいと聞いていましたが、いやはや一体どこが。こんなに早く勘付かれるとは思っていませんでしたよ」

「貴様……! どういうつもりじゃ!?」

「それについては……僕より説明に適した人間がいますので、お呼びいたしましょう」

 

 疑心の目を向けるレオと呆然とする3人を気にも留めず、レザンは芝居がかった様子で指を鳴らした。それと同時、入り口が開いて1人の男が部屋へと入ってくる。

 

「な……」

 

 誰もが思わず言葉を失った。入ってきたのは、見間違えるはずもない。この事の発端となる要因を作った、ミルヒに凍りつくような双眸を向けた、その人物――。

 

「ロラン……!」

 

 困惑する姫君にその名を呼ばれても、部屋に入ってきたビスコッティ騎士団長ロラン・マルティノッジは表情ひとつ変えなかった。代わりに冷たい瞳でミルヒを見つめる。

 

「お迎えに上がりました、姫様」

「迎えじゃと……! 貴様、どの面を下げて言うか!」

「落ち着いてください、レオ様。……勇者殿もだ」

 

 シンクとレオがミルヒを庇うように立ち塞がる。2人は互いにいつでも宝剣を武器に出来るように身構えていた。

 

「こんなところでの揉め事は私としても望まない。ここに来たのは穏便(・・)に事態を解決したいと思ったからです」

「穏便に、じゃと……!」

「姫様に反旗を翻していながら、よくそんなことが言えますね……! 騎士団長、僕はあなたを尊敬していた。でもそれは僕の思い違いだった。失望しましたよ……!」

 

 シンクからの突き刺さる発言にロランは一瞬眉を動かした。だが気にもしてない様子で先を続ける。

 

「……話を進めますよ。私がここにいるのは、レザン王子と利害が一致したからです」

「利害……?」

「ええ。聞くところによればビスコッティは現在姫様の縁談がまとまっていないと聞きました。そのせいもあってか、国にやや不穏な空気が渦巻き、国民が明るいニュースを心待ちにしている状態だと」

「そ、それは……!」

 

 多少の誇張はある。が、基本的に間違っていないとミルヒは思ってしまった。それ故、レザンに反論しようとしてその機会を逃してしまった。

 

「そして自分も少々似たような状況にありましてね。……僕が次期国王に、と正式に決まった時にやや揉めたという事はご存知でしょう」

 

 レオは記憶を探る。確か休養中の時に耳にしたことだ。丁度新婚旅行でこの国を訪れていたあたりの出来事で、それがきっかけでレザンと会いそびれたことを思い出す。

 

「その原因をどこまでご存知かは知りませんが、実は僕もそろそろ縁談をまとめる時期にさしかかっている。つまり、婚約者募集中というわけなんです。なのにその相手もいない者に果たして次期国王という座を任せていいものか。そういった反対意見が出たんです」

「そういうことか……! つまり貴様が言う利害の一致とは……」

 

 レザンは笑みをこぼした。

 

「ええ、お察しの通りです。なら、相手を探している者同士、ちょうどよいではありませんか」

「ふざけるな!」

 

 声を荒げ、レオがレザンを睨みつける。しかし彼に応えた様子は全くない。

 

「ちょうどよい、じゃと!? ミルヒにはシンクがいる。貴様の出る幕ではない!」

「そうでしょうか? でしたら、なぜ姫様はその勇者様とご婚約をなさらないのです?」

 

 思わずシンクが言葉を詰まらせた。原因は自分にもある、と彼はわかっている。だから言い返せなかったのだ。

 

「姫様と王子が結婚されれば、両国友好の象徴として申し分ない。それに先ほど王子が述べられた通り、利害が一致する。これほど良い話がありますか?」

 

 わざとらしく付け加えたロランに対し、レオはギリッと歯を鳴らした。政略結婚。確かに両国の問題が一気に解決し、かつ友好の証としてこれ以上の物はないだろう。だがそれはミルヒとシンクの感情を無視した上に成り立っている。王族である以上、政略結婚というものは心のどこかで可能性を常に考慮していなくてはならない。しかし目の前で、彼女が愛するミルヒがそれに巻き込まれるなど、黙って見過ごすことは出来なかった。

 もはや形振(なりふ)りなど構っていられない。こうなればこ敵対する者全員と戦ってでも、この場を逃げ切るしかない。レオがそう決心し、グランヴェールを展開しようとした、その時――。

 

「やめておけ、レオ(・・)

 

 扉の外。確かに聞き覚えのある声にレオの手が止まった。

 

「そんな……!」

 

 いや、レオだけではない。今の乾いた声からシンクもその声の主が誰かを既に悟っているようだった。

 入り口の扉がゆっくり開く。そこから現れたのは、予想と全く違わない――。

 

「ソウヤ……。どうして……!」

 

 デジャヴだ、とレオは感じた。昨日のあの時と同じ、まるで敵のように自分達の前に立ち塞がった夫の姿に、彼女は既視感を覚えていた。懸念していた怪我は全く見当たらない。やはりシンクの言うとおり芝居だった、とわかる。なら、今回もきっとそうに、自分達のための行動を取ってくれるに違いない。

 

「……悪いな、レオ。そんな期待するような目で見てくれたところで、今回ばかりは俺はこっち側だ。昨日とは状況が違う」

 

 だがそんな僅かな希望を打ち砕く一言にレオは愕然とした。頼みの綱、ガレットの頭脳。その彼がロランと共謀していた。だが、だとしたらなぜ昨日あんなことをしたのだろうか。

 

「う……嘘じゃ! ならなぜお前は昨日あんな芝居を打った!? ワシらを安全にここへと到着させるためではなかったのか!?」

「ああ、そうだよ。ここに来てもらわなくてはこちらとしても困るわけだったのさ。だから、他の連中が手を出せないように、一芝居打った」

「つまり……。偵察に来ていた人間に『手出しは出来そうにない』と思わせ、撤退させることが目的だった、というわけでありますか……?」

 

 補足したリコッタにソウヤは笑みを向けた。普段の皮肉っぽい、というものから遠い、邪気も含まれるような笑み。

 

「さすがはビスコッティの頭脳。ご名答だ。姫様には何が何でもここに来てもらわなくてはならなかった。……コンフェッティ城を訪れたミルヒオーレ姫殿下は、そこでレザン王子と婚約を交わす。結果、ビスコッティでは姫様婚約という明るいニュースが飛び交う。一方のドラジェも王子の婚約が決まる。この騒動を完結させる筋書きとしては十分じゃないか?」

「馬鹿げている! そんな茶番を大衆が黙って見過ごすと思っているのか!?」

「お言葉ですが閣下、『謀反が起きて姫様が逃亡した』という事態を知っている人間はビスコッティでもガレットでもせいぜい騎士の極一部。その他の国に至っては確たる証拠がない現状でしょう。でしたら、その筋書きは事実として受け入れられる。受け入れられてしまえば、虚もまた真実。事の真相を知っている人間はこの部屋のここにいる数名、そういうことになりませんか?」

 

 ロランからの指摘にレオは言葉を失う。あまりに周到すぎる計画だ。そしてそこでようやく気づく。「ドラジェに保護を求める」、既にその時点で自分達は目の前の人間達の掌の上で踊らされていたのだ。つまり――。

 

「ソウヤ……貴様最初から……!」

「厳密には……いや、この場合最初から、で別にいいか。ロランさんが姫様を確保し損ねたとなったら、それと気づかせずにここまで誘導する、それが俺の狙い……」

()()()()は見事にガウル殿下を説得してくれたようだ。姫様がここにいらっしゃることが、その何よりの証明だろう」

「そうか……バナードもか……!」

 

 ギリッとレオは奥歯を噛み締める。そういえば「ガレットは静観すべき」と主張したのはバナードだったはずだ。

切れ者将軍としてガレットの頭脳の彼にガウルもレオも彼に全幅の信頼を置き、今回も彼のその主張を了承した。それが裏目に出た、うまく計画に乗せられてしまったというのか。

 

「……もうわかったな? 言ってしまえば俺もロランさんもバナード将軍もグル(・・)だ。お前たちは安全を求めて逃避行を続けた結果、自らこの計画の終着点に足を踏み込んでしまった、ってことさ」

「全て……全て貴様の筋書き通りということか……?」

「ああ」

「ソウヤ様……今レオ様がおっしゃったこと、本当……なのですか?」

 

 ミルヒの問いかけにソウヤは答えない。チラリと彼女を一瞥しただけだった。

 

「ソウヤは……僕は姫様に付き添う者としては資格がない、そう言いたいってこと……?」

 

 先ほどの沈黙を肯定と捉えたのだろう。今度はシンクが尋ねてきた。が、この問いに対してもソウヤはシンクを一度視界に入れただけで、何も返そうとしなかった。

 

「何とか言わんか!」

 

 机を叩きながらレオが叫ぶ。そこでため息をこぼした後で、ようやくソウヤは口を開いた。

 

「……なら逆に聞くが、シンク、お前は自分を姫様を(めと)ることが出来る者としてふさわしい存在だと、はっきりと言い切れるか?」

 

 言い切れる。そう、シンクには即答できるはずだった。姫様のことを心から大切に思ってきた。たとえ親友を切り伏せてでもその道を切り開こうとした。なのに、今、その親友に投げかけられた問いに、彼は思わず返答を詰まらせた。

 果たして、本当にそうなのだろうか。姫君であるミルヒに彼女の心を告白され、自分も同じだと思い、しかしそれでも、本当に自分は彼女と肩を並べる存在としてふさわしいのだろうか。

 

「シンク……」

 

 その迷いを感じ取ったのだろう。ミルヒが不安そうな声をかける。

 

「……ソウヤ、貴様はシンクこそがミルヒの夫にふさわしい、そう思っていたのではなかったのか?」

 

 戸惑う2人を見るに見かね、先ほど怒鳴ったレオが、今度は静かに質問する。が、トーンが落ちている分、凄みは今度の方が増している。さらに普段向けないような敵意のこもった視線と共に、彼女は夫にそれらを投げかけた。

 

「……ナンセンスな質問だな。答える必要すらない」

「なんじゃと!?」

「俺個人の意思が介入する余地などないことだ。当事者で決めればいい。だがな、そこを決めかねた結果が現在のこの様だ。そして俺はそれを収めるために暗躍しただけのことだ。

 ……そもそもお前、勘違いしてないか? 俺は()()()()だぞ? 姫様の婚約が決まればそれでいいと、レザン王子に話を振った人間だぞ? だったらそもそも俺に意見など求めてくるんじゃねえよ」

「貴様……! 本気で言っているのか!? 本気でそう……」

 

 レオはそこで言葉を遮った。ソウヤは、肩を震わせていた。声を殺して笑っている。彼女にはそうわかった。

 その後彼は天を仰ぐ。次いで、大きく息を吐き出し、左手で顔を覆った。

 

「……本当に耄碌(もうろく)したな、レオ。ずれてる。実に、ずれている」

 

 そしてその左手をどかせた時――彼女は凍りついた。彼は笑みを浮かべていた。それも普段の笑みからは程遠い、決して見ることのない笑み。が、彼女は1度だけその笑みを見たことがある。いや、厳密には「見て」はいない。「視た」のだ。星詠みのとき、魔物の姿が視えた後、最後に一瞬だけ視えた――狂気を孕んだ歪んだ笑み。

 

「ソウ……ヤ……」

 

 彼女の背筋に戦慄が走った。あの時視えたことが現実となってしまった。なら、その前に視えた魔物、それによって彼も、そしてロランやバナードも操られてしまっているのではないか。

 

「人の運命なんてのはサイコロと同じさ。一天地六の賽の目次第、丁と出るか半と出るか、吉と出るか凶と出るか、その目がどう転ぶのかを見るのもまた一興だとは思わねえか? ビスコッティで謀反が起こった、姫様の逃避行が始まった、そして逃げ込んだ先が謀られたこの場。実に面白い茶番じゃねえか。まあ筋書きを立てたのは俺だが。そんな運命に翻弄された人間模様を見るというのも、乙なこととは言えねえか?」

 

 違う。

 

 この男は、違う。自分が愛したソウヤではない。もはや、彼であって彼でない。彼はそんなことを言う人間ではない。あんな笑みを浮かべる人間ではない。

 なら、目の前にいるのは心を奪いさられた別人だ。魔物に操られたかはたまた本当に乱心したかはわからない。しかし、もう彼女の知っているソウヤではない。

 

「ソウヤ……!」

「お前への話は終わりだ、レオ。しばらくそこで大人しくしてろ。……さて、姫様にシンク、答えを聞きたいな。悪いがこの期に及んで先延ばし、なんてのは無しだ。レザン王子からの申し出を受け入れるか、それとも……」

「ソウヤァァァ!」

 

 激昂と共に呼ばれた己の名に、ソウヤは声の主に目を移した。レオは目に涙を溜めて歯を噛み締めつつ、右手にグランヴェールを実体化させる。

 

「レオ様!?」

 

 突如起こった異変に、じっと考え込んでいたミルヒも、同様にシンクも反応できなかった。気づいた時にはもう彼女は立ち上がり、戦闘モードに入っているとわかった。それ故止めようとも、加勢しようにも到底間に合わない。

 

「……おい、ウソだろ!?」

 

 その光景に、らしくなくソウヤが狼狽した。あれは本気の目だ。間違いなく、自分に斬りかかってくる。

 彼のその予想に違わず、レオは右足を目の前の机にかけた。そして跳躍、眼前のレザンが腰掛けたソファを跳び越える。

 咄嗟にソウヤは後退する。その間に護衛の騎士達がソウヤの身を守ろうと2人の間に割って入る。

 

「邪魔だ!」

 

 横一閃。それだけで間に入った3人は一瞬でだまへと変えられた。

 

「待て、レオ!」

「黙れ痴れ者がァ!」

 

 ソウヤでない者の声など聞く耳無し。大上段に振りかざしたグランヴェールをレオは一気に振り下ろそうと狙いを定める。

 

「ロランさん、援護を!」

 

 させはしない。たとえロラン得意の鉄壁の防御の壁、「紋章陣」を展開されようが、それごと斬り裂く。ソウヤが剣状に形を変えたエクスマキナで受け止めようとする姿も見えたが、それも関係ない。輝力を込め、必殺のグランヴェールの一撃を叩き込もうとした。

 

 ――その時。

 

 轟音と共に城が大きく揺れた。いや、果たして本当に揺れたのは城だけだったか。この辺り一体が大きく揺れた、そう感じるほどの振動だった。

 その揺れによりレオのバランスが崩れる。同時に、ただ事ではないことが起こった、と本能的に直感していた。それ故、彼女は攻撃の手を止めていた。

 

「ソウヤさん!」

 

 レザンが立ち上がり、ソウヤの方を振り返る。ロランも一度取ろうとした臨戦態勢を解除し、今はソウヤの方を伺っていた。

 このことから、彼らにとっても予想外なことが起こったのではないか、とレオは考えた。ここで再び斬りかかってもいい。だが奇襲し損ねた以上、向こうも対策を練りかねない。その前にこの異常事態と思われる状況に乗じるより、ここは事の成り行きを待つ方がいいかもしれないとも思い、彼女は攻撃を続行できずにいた。

 

「……そのままちょっと待っててもらえると助かるな、レオ」

 

 そうかけられたソウヤの声は、普段通りにも感じられた。先ほどの狂気は消え去ったような、幻だったとさえ思える。

 

「ソウヤ殿、これは……」

「……招かれざる客がいらっしゃった、ってことですかね」

 

 ボソッとロランと、それから駆け寄ったレザンに呟くソウヤの声をレオはかろうじて聞き取る。おそらくまだソファで何があったかわからず、ひとまずミルヒの身を守ろうという構えだけは見せているシンクと、どうしたらいいかわからない様子のミルヒとリコッタには聞こえていないだろう。

 

(招かれざる客……?)

 

 何の話か、とレオが思うと同時。大広間のドアがノックもなしに「失礼します!」と荒々しく開け放たれた。

 

「どうした!?」

 

 だがレザンはそれを咎めようとしなかった。代わりに入ってきた騎士に先を促す。

 

「報告いたします! 我が国の封印洞窟に封印されていた魔物の封印が弱まり……巨大な魔物が現れた模様です!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 28 緊急作戦会議

 

 

 「魔物が現れた」、その報告を聞いた瞬間、レオの心が大きく跳ねた。やはり自分が星を詠んだ通りになってしまった。

 だがその魔物の登場は、ソウヤ達としても予想外だったとも見える。ソウヤは多少落ち着いて入るようだが、ロランもレザンもあの慌てようはおそらく本物だろう。

 

「どうする、ソウヤ殿……?」

「……プランBでしょうね」

 

 プランBという聞き慣れない単語に、レオはそれは何かを彼に尋ねようと口を開きかけた。が、それより僅かに早くソウヤの声が彼女に届く。

 

「レオ、すまないが俺を斬るのは後にしてくれ。姫様とシンクも今は一時休戦ってことを提案させてほしい。まずは魔物を片付けるのを優先したい」

「ワシがそれを聞き入れると思うのか?」

「……お前本当に耄碌(もうろく)したのか? 今()()()()()()なのか、それすら見定められないほどに頭に血が上ってるのか? だったらまず頭を冷やせ。それが出来ないなら一発俺をぶん殴らせてやるから、それで多少気でも晴らして落ち着け」

 

 虚を突かれた。今のはまごうことないソウヤ本人の言葉だ。普段通りの、彼の言葉に違いない。さっきのあの一瞬だけがまるで別人のようだった。ではあれは、あの異常な様子はなんだったのか。

 

「レオ様、私からもここはこの提案を受け入れるべきと思っています。魔物とあっては、無関係な人々に被害が出るかもしれない……」

「ミルヒ……。お前は、それでいいのか?」

「構いません。私個人の話は後でいくらでも出来ます。まずは、この国の安全を確保するべきです」

「……わかった。お前がそう言うなら従おう」

「シンクもリコも、お願いします」

「言われるまでもないよ。こうなったらまずは魔物退治が優先だものね」

 

 しちめんどくさい話は一先ず保留、となったからか、シンクの顔に少し余裕が出たようだった。ミルヒもそれは同様である。だが楽観できる状況ではない。むしろ、魔物というイレギュラーの登場により、場はより混乱したとも言えた。

 

「失礼します!」

 

 と、その時先ほどと別な騎士が部屋へと入ってきた。

 

「何だ?」

「王子と、デ・ロワ卿に謁見したいと申している者が来ています。『天狐』と伝えてくれと……」

「待ってました。王子」

「ええ。すぐに会議室の方に通してくれ」

 

 了解の意思を示し、騎士が去っていく。その会話と、そしてソウヤの様子からレオはどうにも状況が飲み込めきれずにいた。

 どうやらこのことはソウヤ達側にとっても不利益、あるいはアクシデントといったような状況らしい。だが、ソウヤはそれも予想の範疇、であるかのように振舞っている。そして「休戦」を提案し、謁見したいと言っている者を会議室に通すとなっている以上、自分達の協力も得て魔物の討伐に動くだろう。

 ならさっきのはなんなのか、と再びそのことが心に引っかかる。魔物に操られたとばかり思っていたが、これから倒そうというのならそうではないということか。いや、そう思わせるための罠か。それとも野心が実っての凶行なのか。

 

「……皆さん、場所を変えましょう。この後、現状を詳しく知っている方がいらっしゃる。その上で魔物に対しての作戦会議を開きたいと考えています。ですので、すみませんが会議室の方へご足労願えますか?」

 

 当初のもてなしの様子と一変したような、丁寧なレザンの口調だった。そこにも違和感を覚えつつ、レオはミルヒの方を伺う。彼女は頷き、肯定の意思を示していた。

 もう何がどうなっているのかわからない。ともかく今は、成り行きを見守る方がいいかもしれない。この後の作戦会議、そこで何かがわかる可能性もある。そこを信じ、レオもミルヒ達と共に会議室へと向かった。

 

 

 

 

 

 会議室には既に騎士達が大勢待機していた。ドラジェの騎士達であろう。用意された椅子は前方は空いているが、後方には腰掛けている者もいる。若い者から歴戦の戦いを潜り抜けたであろう者まで、おそらくドラジェの隊長クラスと推察できる。

 と、そのドラジェの騎士達の前、ポツンと座る見慣れた背中にレオは気づいた。黒い髪と耳、椅子の背もたれからは鉤尻尾も覗いている。

 

「ノワールか!?」

 

 そのレオの言葉に反応したように、彼女は振り返った。レオの予想通り、ノワール・ヴィノカカオその人だった。

 

「ノワ!? なんでここに……」

「ごめん、シンク。細かいことは言えないんだけど……。ともかく、私も今回は協力するから」

 

 そう言って、近くの席を促す。ノワールのすぐ隣にリコッタが座り、他の3人も腰を下ろした。さらに少し離れた位置にロラン、レザンも腰を下ろす。

 肝心のソウヤは、というと、その騎士達の前、つまり全員を前にしてまるで講師か何かのように立っていた。どうやらこの場を仕切るらしい。

 

「さて……。役者も大体揃ったことだし始めるとしますか。まずは、自己紹介でも。この国の人間じゃないんですが、今回魔物との防衛戦の総指揮を執らせていただきます、ソウヤ・ガレット・デ・ロワです。レザン王子からの承諾も得ていますので、文句があるときは王子に直接言ってください」

 

 ジョークをまず飛ばしたソウヤだが、あまり笑い声は上がらない。状況は深刻だと捉えている人間が多いという証明だろう。

 

「……冗談はほどほどにして、真面目にいきます。知っての通り、ドラジェ国内の封印洞窟に魔物が封じられていたわけですが、どうやらそれが弱まり、魔物が現れてしまったらしい……。自分も詳しい情報待ちの状態です。そろそろその辺りを詳しく知っている者が到着の予定という話ですが……」

 

 ソウヤがそこまで話した時、ドアがノックされた。次いで返事を待たずにそれが開かれる。

 

「お連れいたしました!」

「遅くなってしまって申し訳ないでござる」

「お、来たか」

 

 入り口から聞こえてきたのは聞き慣れた声、いやそれ以上に独特の口調だった。

 

「ユキカゼ!?」

「ユッキー! どうしてここに……」

 

 思わず立ち上がって彼女の名を呼んだビスコッティの2人に「おお」と関心を示しつつ、ユキカゼは部屋の前の方へと歩いていく。

 

「シンクに姫様、無事辿り着くことが出来たでござるか。しかし到着早々この魔物騒動では……」

「おい巨乳ちゃん、悪いが世間話は諸々が終わってからにしてくれ。現状の報告を頼む」

 

 こんな場でも相変わらずの呼ばれ方にユキカゼは一瞬眉をしかめた。だが彼の言うとおりかとも思い、恨み言を飲み込み、ソウヤの隣に立つ。

 

「こちらはビスコッティ隠密部隊のユキカゼ・パネトーネ筆頭。皆さんも大陸最強剣士とも噂される『討魔の剣聖』ブリオッシュ・ダルキアン卿の名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。その方の右腕が彼女です。言ってみれば魔物対策のスペシャリストと言ったところですかね」

 

 室内が僅かにざわめいた。やはりブリオッシュの名は広く知られているようだ。

 

「で、ユキカゼ、現状を報告してくれ」

「了解でござる。そもそも、拙者達はここしばらく、ビスコッティを離れて各地の封印場を巡っていたでござる。実は拙者は星を詠むことで魔物の不吉な予感をある程度知ることが出来る……。元々魔物の噂は耳にしていたでござるが、とうとうその兆候が拙者の星詠みでも少し前に出た、というのが理由でござる。しかし詳しい場所まではわからずに数国を巡り、それでも危険が及びそうな封印は見当たらなかったでござる。

 そして今日、この国の封印洞窟を確認していたところで……一部、封印が非常に弱まっているところを発見した……。お館様達はその再封印をほどこそうとしたが間に合わず、一部の封印されていた魔物が甦ってしまったでござる。しかも不幸なことにまだ精霊化が完全ではない魔物が多く存在するため、それなりの数の魔物と定義される存在が野に放たれることになりかねない、それが現在の状況でござる」

「ちょっと待った。話の腰を折って悪いが、『精霊化』ってのはなんだ?」

 

 急かすように言ってきておきながら、言葉通り話の腰を折られたことに思わずユキカゼは眉をしかめた。だがその辺りも少し詳しく話した方が、この場にいる人間の理解と、ひいては信頼を得ることにもつながるだろう。

 

「そもそも『魔物』というのは初めからそういう存在だったわけではないでござる。例えば以前ビスコッティとガレットとの大戦の時に現れた魔物は土地神に突き刺さった禍太刀が原因であったし、あるいは本来するべき成長を出来なかったものが異形化してしまい、魔物と呼ばれる存在になってしまう。すなわち、後天的に魔物になってしまうだけであり、それはいわゆる『病気』のようなもの。そしてその病気を治すことが出来れば魔物という存在ではなくなる。魔物に対して研究を続けて知識を持ち、そういう持論を持つ方がお館様の知り合いにいらっしゃるでござる。実際、魔物を封印し、年月を経ることで少しずつ悪しき力が浄化されていき、そして最終的に土地神のような精霊となった、という例も報告されているでござる」

 

 ユキカゼがそこまで説明したところでノワールが立ち上がって騎士達の方へと振り返った。

 

「横から口を挟んですみません。私はガレットで魔物対策部署も兼ねている諜報部隊の隊長、ノワール・ヴィノカカオです。今彼女が言ったことはガレットでも何例か、私も実際にこの目で目撃しています。それに一口に『魔物』といっても種類は様々です。はぐれ土地神のようなどちらかといえば精霊の類のもの、あるいは野生動物の延長程度の存在であれば、倒せばだま化しますし、私達に与える影響も深刻ではありません。ですが、先ほどあったビスコッティとガレットとの大戦の最中に現れたような強大な存在が相手だと……。守護力は弱まり、私達も怪我をする可能性が出てきます」

「……ややこしくなってきたな。ともかく、放って置いて人里に現れれば被害が出る可能性がある、それは間違いないな?」

「その通りでござる。そして問題は精霊化がほとんど進んでいない……つまり、純に『魔物』と呼ばれる存在が、数体確認されていることでござる。今現在、お館様達がその大ボス、と言っていい存在と相対していて、封印しなおすのは時間の問題だそうでござる。さらに数体引き受けることは十分に可能だが、少々数が多い、と……」

「よかったのかよ、そんな状態でお前が来ても」

 

 フフン、と言いたげにユキカゼは笑みを浮かべた。

 

「それは全くの無用な心配でござる。お館様とイスカ様の他に、()()()()()()()2人(・・)いらしてくださってるでござる。イスカ様が話を通してくださっていたでござるよ」

「その助っ人、当てになるのか?」

「お館様とイスカ様がもう1組いると思ってくれて結構でござる」

「……そりゃお前が抜けても全然問題ないわけだ」

 

 大陸最強といわれる剣士のブリオッシュと、実際に手を合わせてその彼女に勝るとも劣らない存在とソウヤ自身が感じたイスカ。その2人と同等クラスという話なら、心配するだけ無駄なことだろう。

 

「ならそっちは任せるとして……。こっちは人里の防衛に回る、ということになるわけか」

「そういうことでござる。ただし、既に中型……いや、もう大型と言ってしまっていいでござるな。その魔物が1体、ここコンフェッティ城の方向へ迫っているという情報は入っているでござる。それ以外はほぼ小型か野生動物の延長線上の類……要するに数だけの相手、と見ていいでござろう」

 

 そこまでを聞き、ソウヤはレザンのほうへと視線を移した。彼は立ち上がり、既にソウヤが言おうとしていることを察しているようだった。

 

「王子、どうしますか?」

「ソウヤさんに一任したいと思っています。……ドラジェ騎士の皆、聞いてほしい。僕はこの件を友好国ガレットの頭脳、『蒼穹の獅子』ソウヤ・ガレット・デ・ロワ卿に任せるつもりでいる。理由は魔物との実戦経験のない我々より、知識と頭脳のある彼に任せた方が適任と判断したからだ。皆には今後起こり得るもしものためにも、今回は経験を積みつつも国を守ることに尽力してもらいたい。もし自分の決定に異論のある者がいたらこの場で受け付ける、名乗り出てくれ」

 

 レザンのその言葉に、誰も異を唱えなかった。凛とした態度、かつてはもっと弱々しく見えた彼が今は少したくましく見える、とレオは思っていた。だが、だからといって今回の一件を仕組んだことを許せはしない。「休戦」という扱いになってはいるが、魔物との戦いが終われば次は自分達だということは、レオはよくわかっていた。

 しかし彼女はどうにも解せなかった。結局この場を取り仕切るのはソウヤなわけだが、彼女はてっきり彼と、そこに付き添ってきた人間達は何かに操られているのではないかと思っていた。しかし、魔物対策のスペシャリストであるユキカゼまでもがここで防衛のために助言しているとなれば、彼らは魔物に操られてなどいないということになるはずだ。では一体なんだというのだろうか。本当にあのロランが国の転覆などを企んだというのだろうか。

 

「……ありがとう。皆の理解に感謝する」

 

 レオの不安をよそに、話は進む。一礼し、レザンは腰を下ろした。これで指揮は完全にソウヤが執ることになる。

 

「ユキカゼ、魔物の被害が出る可能性のある範囲は?」

 

 珍しくソウヤは正式に彼女の名を呼んだ。それを受け、彼女はドラジェ国内を表した地図に印をつけ、背後にそれを張り付けた。

 

「……先ほど言ったとおり、もっとも危険な存在である大型が1体ここへと進行中、その他はこの地図上に表した範囲に散らばりそうでござる」

「なら、ここを中心に……この地図の印に従って北と南、そしてここの城下町手前に本陣の防衛ラインを敷く形で3つの部隊にわけよう。王子、すみませんがドラジェ側の隊をそちらで3つに分けてください。その上で、共同戦線ということにしたい」

「了解です。将軍に掛け合って、すぐにそうさせましょう」

「北はロランさん、ビスコッティの隊でお願いします。騎士団も引き連れてきてるでしょうし」

「……ああ。まあ一応、な」

「ドラジェとの合同演習が生きましたね。『鉄壁のロラン』の活躍、期待してますよ。あと、ユキカゼはそこに合流してくれ」

「え……? いいでござるか、それで?」

「ああ。ここが多分一番隊長クラスの数が少ないのが予想されるからな」

 

 次いでソウヤはノワールの方へ視線を移した。

 

「ノワール、南側をガレットに任せたい」

「待てソウヤ、ガレットはこやつとその部隊しかおらんじゃろ?」

 

 もっともなレオの質問。だが、ソウヤはニヤッと笑ってそれを否定した。

 

「今ガレットの部隊がここに向けて移動中だ。だから移動後すぐに戦闘に移れる南側を任せるんだよ」

「なんじゃと!? ガレットの部隊がここに移動中!? どういうことじゃ!」

「うるせえなあ、細かいことは後でだ。今は魔物対策で手一杯なんだ、ともかくガレットが来る、だからそこは任せるって言ってんだよ」

 

 やはり何かを企んでいるのだろうか。ガレットを動かした、ということは裏で暗躍していたバナードがガウルにあることないことをまた吹き込んだのだろうか。

 だがここでの増援というのは助かるのは事実だった。ドラジェの兵の数にも限界がある。拠点であるこのコンフェッティ城以外の守りは言葉は悪いが「質より量」で守りを固めたいところだった。

 

「さて、最後に本陣の守り。中型だか大型だか、ともかくもっとも厄介な存在。それは……ここまで逃避行してきてくださった姫様達ご一行と俺が担当しようと思う」

「な、何!?」

 

 思わずレオは立ち上がっていた。どうにもきな臭いではないか。

 

「どういうつもりじゃ!?」

「どうもこうもねえだろ。考えてみろ。ここに大型が1体進行中、つまり一番厄介な存在と言っていいだろう。で、大型の魔物を討伐した経験がある人間が、そこに2人いるじゃねえか」

 

 そういわれて目を向けられたシンクとミルヒは不意に振られた話題に一瞬固まった。その後でようやく「え?」という声だけをあげる。

 

「なら、その2人に厄介な大型を任せる。そしてそういう単体で強力な存在だ、他は『質より量』で守るのが妥当だろうが、ここは『量より質』にするべきだ。魔物討伐の経験のある2人に加え、輝力出力なら絶対的なお前、そして砲撃能力に秀でるリコッタ。加えてこの指揮を任された俺はここに陣取って然るべきだろ?」

 

 確かにそうかもしれない。当初は奇妙な布陣を敷いたと思ったレオだったが、言われて納得しかけた。が、ここにソウヤが残るのはまるで「監視役」としても見ることが出来るではないか。

 とはいえ、理にはかなっている。確かにシンクとミルヒは協力して魔物を討伐した経験がある。それが生きる可能性は大いにあるだろう。もっとも厄介といわれる相手にぶつける駒としては的確、そしてその援護に自分が選ばれたということもレオは否定するつもりはなかった。

 

「……ミルヒ、シンク、どうする?」

 

 それ故、レオは最終決定を2人に委ねた。一瞬考えた様子を見せた後、ミルヒが頷く。

 

「……私は、ソウヤ様の提案は妥当と考えます。私とシンクは魔物と戦った経験がある……。だったら、それが生きるかもしれません」

「僕も姫様の意見に賛成だよ。さっきのあんなことの後でソウヤを完全に信頼するのは少し難しいけど……でも、言っていることはもっともだと思う。姫様の意見を尊重して、僕もそれに従うよ」

「自分には聞くまでもないことであります。2人がそういうなら、喜んでお供するでありますよ」

 

 逃避行組は自分以外この提案を飲むらしい。だったら、毒を食らわば皿まで、乗せられるにしてもやれるだけやってみるかとレオも心を決めた。

 

「……いいだろう、ソウヤ。ワシもその案に乗ってやる。だが忘れるな、妙な動きを見せたら戦闘中でも後ろから貴様を斬るからな」

「おお、こええ。肝に銘じておくよ。……よし、話は以上です。各自持ち場についてください。あ、あと最後に確認ですが、魔物の影響によって守護力が弱まっている場所が生まれる可能性があります。そうなれば怪我をする可能性もある、ということだけは忘れないよう。戦の時とは違う心構えで臨んでください。……では、解散!」

 

 その声にドラジェの兵達が部屋を後にする。これから部隊の再編成があるのだろう。ロランも席を立った。

 

「我々も行こう、ユキカゼ。……姫様、私が言うのもなんですが、くれぐれも無茶はしないよう……」

 

 どの口が言うか、とレオは突っ込みたかったが、それを飲み込んだ。思わぬ形で休戦、そして事態は一時お預け状態になっている。一応は共同戦線だ、あまり仲違いをするようなことを言うのもよくないだろう。

 

「私達も行きましょう、レオ様。準備しなくてはなりませんし」

「姫様、城のメイド達に準備できる部屋へと案内させます。僕では警戒されるでしょうが、彼女達は信頼してくれて結構ですよ」

「どうじゃろうな? 妙な動きを見せたら容赦はせぬ故、それは覚えておけ」

 

 レオの一言にレザンは苦笑を浮かべるしかなかった。いくら休戦の共同戦線でもやはり煙たがられるか、と思う。が、仕方のないことだろう。

 

 人々が部屋を後にする中、ソウヤはノワールのところへと近づいていった。手には何やら書状らしきものを持っている。

 

「……お前が心配してた通りになっちまったな。すまない」

「いいよ。賽は投げられたんでしょ? そして出た目がこれだった。なら……仕方ないよ」

「そう言ってくれると助かるな。……で、さっき言ったとおりお前と諜報部隊はこの後来るガレット本隊と合流してくれ。そうしたらガウ様にこれを渡してほしい」

 

 ガウルという名に一瞬眉を動かした彼女だが、平静を装ってその書状を受け取った。

 

「この戦いの理由が書かれた書状だね?」

「ああ、ほとんどそうだ。……ま、そうじゃない部分もあるが。言うまでもないが、あの人に渡すまで開けるなよ?」

「確認されるまでもないでしょ。重要機密だもん」

「あと……ここに書いてある俺の提案をあの人が承諾したら、それは領主命令扱いだ。それは理解しておけ」

 

 一度眉を寄せ、首を傾げるノワール。だが言ってることはもっともだと思う。ソウヤからの提案とはいえ、それを受け入れれば領主命令だ、自分がどうこういう内容ではないだろう。

 

「……うん、わかった」

「悪いな、ガウ様と顔を合わせるのはあまり望んでないのかもしれないが……」

「別に嫌ってるわけじゃないから。むしろ……。ううん、それはいいや」

「複雑だな、お前も。さっさと告白でもしちまえばいいってのに」

 

 出来るわけないだろう、と彼女はチラッとだけ、ソウヤを見つめた。それに対して彼はため息をこぼす。

 

「……まあいいか、今に始まったことじゃないしな。よし、じゃガレットの方は任せた。気をつけろよ」

「ソウヤもね」

「ああ。まあこっちのことは心配すんな。最悪の場合に備えて()()()が控えてるしな」

「あ、そっか。本隊に合流させるんだ」

「まあな。……たまには華を持たせないと拗ねそうな奴がいるんでな」

 

 ノワールは思わず失笑した。やはりこの男はどうしても一言多く言わないと気がすまない性質らしい。

 

「さて、じゃあ最終演目直前の飛び入り参加だが……招かれざる客にはご退場願わないとな……!」

 

 

 

 

 

 ソウヤからの書状を受け取ったノワールは諜報部隊と共にガレット本隊へと合流すべく、セルクルを走らせていた。幸い向こうもほぼ予定通りの時間で行軍を開始してきたらしい、予想より早く彼女は本隊を見つけることに成功した。

 

「ノワールか? どうした?」

 

 声をかけてきたのは隊の先頭付近にいるバナードだった。ノワールの姿を見てその表情が僅かに険しく変わったのがわかる。

 

「あ、バナード将軍。ガウ様は?」

「もう少し後ろにいらっしゃる。……もしや、懸念していた事態が?」

「うん……。詳しくは後でガウ様から説明があると思う」

「わかった。『プランB』か」

「そういうこと」

 

 短く会話を交わし、ノワールはさらにその後方、ガウルの元へとセルクルを進める。その様子にまず気がついたジョーヌが「ノワ!」と声を上げ、それでガウルもようやく気づいたようだった。

 

「あ? ノワ?」

「ガウ様、どこまで話を知ってるか知らないけど、状況が変わったの。今、ドラジェに魔物が出没しようとしてる」

「なになにィ!? ちょっと待て、わかりやすく説明しろ」

「私からじゃ難しいから、これを読んで。ソウヤからの書状だから」

 

 彼女は懐から、ソウヤから預かった書状を取り出してガウルへと手渡した。そこに確かにソウヤのサインが入っているのを確認し、彼は封を切って中身を読み始める。初めは驚いた顔を見せた彼だったが、次第に難しい顔になって内容を読み進め――最後の方になると再び驚いた顔へと戻った。

 

「……なるほど、大体わかった。要するに封印洞窟の封印が解け、魔物が出てきてしまった。で、俺達ガレットはこの後ドラジェの隊と合流し、主に南側を守れ。そういうことだな?」

「うん、そう」

「……で、お前、この書状の内容を読んだのか?」

「え? 読んでないよ。ソウヤに『機密文書だから』って念を押されたけど……」

「そうか……」

 

 そう言ってガウルは息をひとつ吐き、「ベール!」と現在遊撃隊長代理を務めている副隊長の彼女を呼んだ。

 

「なんですか?」

「あとジョーヌも聞け。……あの馬鹿、この書状に何て書いてきたと思う?」

 

 知らないよ、と言いたげに呼び集められた3人は顔を見合わせた。口の端を僅かに上げ、ガウルは続ける。

 

「最後の方にこう書いてある。『なお、殿下におかれましては、先陣を切って戦うものと思われます。ですが、そこで御身に何かあっては一大事と思います。つきましては一時的に自分の揮下にあります諜報部隊と遊撃隊を解散、騎士団長揮下の騎士団の所属として扱っていただきたい。そしてその諜報部隊の隊長と遊撃隊の隊長代理と将軍の3人。すなわち、ノワール、ジョーヌ、ベールに殿下をお守りする直々の部隊員としての役割を与えていただきたいと思っております』。……あの野郎、今日だけジェノワーズを再結成しろと言ってきやがったんだよ!」

 

 ノワールは目を見開いた。だからあの時「絶対に開けるな」と彼は念を押したのか。同時になんでそんなことを、とも思う。彼は自分の心をよく知っているはず。なのに、なぜ……。

 

「ええやないか、ノワ」

 

 が、そんな彼女の心を見透かしたかのような、耳に響いてきたのはかつて共に親衛隊として戦った友の声だった。

 

「そうよ。実は私もジョーも、期間限定でもいいからジェノワーズを復活させたいな、なんて言ってたところだったし」

「でも……」

「何を悩んでやがるんだよ、ノワ! ……よし、悩まなくていい方法をとってやろう。領主である俺様直々の命令だ、お前たち3人、今日は俺を守るために、即席の親衛隊になれ!」

 

 まったくこの人は本当に困ったものだとノワールは思った。自分の心になんて全く気づいてくれない。だが、それでも彼に惹かれ、しかし「領主である彼の相手に自分ではふさわしくない」と心に決めて離れるようにしていた。それでも、命令なら仕方がない。今日ぐらいは、久しぶりに親友たちと肩を並べて共に戦うのも悪くない。

 

「……命令じゃ、仕方ないよね」

 

 自分に言い聞かせるようにノワールはそう呟いた。だがそうと決まったなら、最近共に戦うことのなかったこの両翼の2人と共に、大暴れしようじゃないか。

 

「……よっしゃ! ほな久しぶりに、あれ(・・)、行くか!」

「え……やるの……?」

「勿論よ! あれをやらないとジェノワーズじゃないじゃない!」

 

 昔は嫌がっていたはずなのに、いつの間にこうなってしまったか。やれやれとため息をこぼしつつ、センターの位置にノワールが、その両隣にジョーヌとベールが立った。

 そして声高らかに、かつての親衛隊の口上文句を叫び上げる。

 

「久しぶりの再結成や! 派手に行くで! ……我ら、ガレット獅子団領!」

「ガウ様直属親衛隊!」

「「ジェノワーズ!」」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 29 現れる「魔」

 

 

 ソウヤが「本陣」と銘打ったコンフェッティ城下町より遥か前方に敷かれた防衛ラインは物々しい雰囲気だった。緊急で設えられた本陣は戦の野営地とさほど変わらず、防衛ラインとしては少々心細く見える。だがソウヤはここで相手を迎え撃つつもりはないらしい。それより前方での撃破を狙い、自分を先頭に隊を前進させていた。

 そんな彼の背を、レオは複雑な表情で見つめていた。ほんのついさっき自分達に一瞬だけ見せた、あの星詠みの時にも視た狂気に歪んだ笑みは実は幻だったのではないかとさえ思ってしまう。それほど、今の彼は普段通りの彼だった。

 

「相手は大型って話だ。守護力に影響が出る可能性がある。なら、リコッタを始めとする砲術士隊は勿論、ドラジェの兵の方々も出来るだけ後方からの援護に徹して欲しい。死傷者は出したくない。仕留められるなら大技で一気に仕留める、それが無理なら城下町への進行を遅らせ、ダルキアン卿達が合流するのを待つ。そういう作戦で行こうと思う。……封印されていた魔物を打ち倒したというお二方、期待してるぜ」

 

 出発前にそう言った彼は、やはりいつもと変わらない、このドラジェの守護のために力を貸そうという態度にしか見えなかった。ドラジェの兵達まで気遣う辺り、やはりいつも通りのように思える。

 だがどこか腑に落ちない。ではなぜ自分達を陥れるような、こんな(はかりごと)をしたのか。真意を問い質したいが、今の彼はその返答を全て拒否するような、そんな背中を見せていた。

 ハァ、と思わずレオはため息をこぼして空を見上げた。と、そこで彼女はあることに気づく。

 

「……ミルヒ、雲が濃くなってはおらんか?」

 

 自分達が城下町付近へと入った頃は雲ひとつない快晴だったはず。それが今はどうか。日の光が差さぬほどに厚く、不気味な雲が頭上に広がっている。

 

「言われてみれば……」

「そういえば、あの時も確か……」

 

 ミルヒに続いてのシンクの一言に、レオも記憶を呼び起こした。自身が星詠みによって視てしまった未来を変えるために宝剣を賭けることを提案した大戦。その時、グラナ砦付近に魔物が現れる直前、天気は荒れ、雷鳴が轟いた。今はそこまでひどい天候になっているわけではない。それでも昼前より悪化しているのは確かだった。

 

「何か、悪いことの予兆でなければいいが……」

 

 ポツリとレオが呟いたその時、ソウヤを乗せていたヴィットが止まった。合わせて後方に停止するように彼が指示を出す。

 

「どうした?」

「ここで迎え撃つ」

「ここで? 野営地と城下町から出来るだけ距離を離すんじゃなかったのか?」

「……ああ。つまり、これ以上は離せないってことだよ」

 

 そこまで話を聞いて、レオはようやく彼が言わんとしていることに気づいた。前方から、身の毛がよだつ様な禍々しい気配を感じる。まだ姿は見えない。が、もう間もなく見えることだろう。

 全員がセルクルから降りる。砲術士隊は拠点攻撃用の迫撃砲や野戦砲を準備し始め、それ以外のドラジェの兵達は弓を手にいつでも射撃に入れるように用意した。

 

「リコッタ、相手が射程に入ったら遠慮せず発射指示を出してくれ。タイミングは任せる」

「了解であります」

 

 後方では重装戦士隊、弓術師隊、砲術士隊の順に列を成している。ソウヤ、レオ、シンク、ミルヒはその前に立つ形、「大技で一気に仕留めたい」というソウヤの主張を汲んでの形である。

 

「き、来たであります! 現在距離1000……800になったら斉射でいくでありますよ!」

 

 双眼鏡越しにリコッタが声を上げた。まだソウヤ達は肉眼でその姿を確認することは出来ない。だが、妖気というか不気味な空気というか、それは一層強くなっているように感じられた。

 

「……レオ、あまり考えたくないが、言っておくぞ。おそらく、砲術士隊の攻撃じゃ足も止まらないだろう。輝力を込めての弓術師隊の攻撃でも焼け石に水のはずだ」

「ああ、ワシもそれは思っていた。……なら、どうする?」

「合わせろ。お前と俺の紋章砲を合わせて撃ち込んでやる。それなら多少は効果があるだろう」

「ほう? ワシをはめておいて都合のいいときだけ合わせろ、か。随分勝手じゃな?」

「ならお前は普通に撃て。俺が合わせてやる。……どっち道俺の輝力の出力じゃ大した足しにもならねえだろうが、切り札のシンクと姫様を消耗させずに先制攻撃できる最大火力だ。多少なりとも俺のも入れてブーストした方がいいだろうよ」

 

 フン、とレオは鼻を鳴らした。肯定という意味だ。加えて、互いの信頼関係が危ぶまれる今の状況での共同作業、というのもなんとも皮肉な話だという自嘲の念も込められていた。

 

「距離800! 砲術士隊、一斉発射であります!」

 

 リコッタの命令が飛ぶ。それに応じるように、未だ肉眼では確認できない相手へと砲弾が放たれた。弧を描き、やがて着弾。その爆発の様子だけは窺える。

 が、ややあって次に聞こえたのはリコッタのうめき声だった。やはりソウヤの予想通りダメージがなかったのだろう。

 

「目標未だ健在であります! 誤差修正、マイナス20! 第二射、発射であります!」

 

 再び砲術士隊の射撃。だが、今度は一射目ほど弾幕が集中していない、とレオは感じた。おそらく動揺して目測を誤った者が数名いたのだろう。数発が明らかに手前に着弾し、砂煙が舞い上がる。

 

「……射撃一旦やめであります!」

 

 砂埃のせいで距離も効果も測れないリコッタが苦い声で命じた。砲撃がやむ。が、その砂煙の中、わずかに何かが歩く音が聞こえてきたように、辺りの人間達は感じていた。

 

「……レオ、やるぞ」

 

 未だ目標は砂煙の中だ。だが、ソウヤは出てくるところを狙うらしい。了解、と答える代わりにレオもグランヴェールを弓状にして輝力の矢を生成することで答えとした。

 その中から、何かが歩いて出てくるのが見えた。距離があるためにまだ小さく見える。が、この距離でも見えるということはやはり実際は相当なサイズとなるだろう。

 そして僅かに見えたその姿に、レオの心は跳ね上がるほどに動揺した。見える頭は3つ。巨大な犬とも狼ともつかない、4つ足で地に立つその姿は、まさに星詠みで視たままの魔物の姿ではないか。

 

(やはり……当たってしまったか……!)

 

 先ほどのソウヤの狂気めいた笑みといい、つくづく自分の星詠みは当たってほしくないことばかりを当てる。内心イラつき、彼女は反射的に舌打ちをこぼしていた。

 

「何してるレオ、いくぞ!」

 

 声に促されて視線を向けると、一度はその星詠みで視たとおりの狂気めいた笑みを浮かべたはずのソウヤが、そんな様子は全く見せずに真面目な表情で既に射撃体勢に入っていた。遅れまじと慌てて彼女もグランヴェールを構える。

 

「砲術士隊、ソウヤさんとレオ様の紋章砲まで待機! ……お二人とも、一発派手によろしくであります!」

 

 気楽そうに言ってくれたリコッタに対してソウヤは思わず苦笑を浮かべていた。が、次の瞬間再び真面目な表情に戻り、傍らのレオの様子を伺う。

 

「いいか?」

「ああ、いくぞ!」

 

 「蒼穹の獅子」と「百獣王の騎士」の背後に紋章が鮮やかに輝いた。その輝力に満ちた矢が2本、放たれた直後に交わって1本の矢となって突き進む。

 

「「ダブル魔神旋光破ァ!」」

 

 放たれた矢は一直線に遥か彼方のまだ小さくしか見えない魔物へと迫った。そしてややあって、それが直撃した。直撃したと、はっきりわかった。

 後方の兵達がどよめく。これまで迫撃砲、野戦砲を用いて雨の様に砲弾を降らせたというのにまったく怯む様子のなかった目前の化け物。それが、今わずかにたたらを踏んだのがわかったからだった。さすがはガレットの高名な「蒼穹の獅子」と「百獣王の騎士」の2人による合体紋章砲。勝てる、という予感を感じ取り、兵達の士気が高まったようだった。

 だがその合体紋章砲を撃った張本人であるソウヤとレオの心中はそんな兵達とは全くの逆であった。殊にレオにおいてはそれが顕著に、顔色にまで表れていた。

 

(馬鹿な……。ワシだけならず、ソウヤの紋章砲をも加えた合体紋章砲でさえ……わずかに怯ませるだけか……!)

 

 伊達に「純に魔物と呼ばれる存在」とユキカゼが呼称しただけのことはあるということか。思わずレオは奥歯をギリッと噛み締める。

 

「……見ての通りだ! 相手とて不死身じゃない、攻撃が通らないわけでもない! リコッタ、再度砲撃開始だ、弓術師隊も射程に入ったと判断したら撃ち始めろ!」

 

 だがそんなレオと対照的にソウヤは背後へとそう叫び、兵達を鼓舞する。それに応じるように雄叫びが上がった。次いでリコッタの「距離650……もとい、600! 発射であります!」という砲術師隊への命令が飛ぶ。そこまで確認したところでソウヤは顔を前へと戻し、小さくため息をこぼした。

 

「ソウヤ、兵達に発破をかけるのはいいが、おそらく……」

「わかってる、皆まで言うな」

「じゃったらなぜ……!」

「確かに……足止めにもならないかもしれない。俺とお前、2人合わせての紋章砲でようやく怯んだ程度だ。期待は出来ない」

「そこまでわかっているなら、ワシ達が紋章砲で仕掛けるべきとは思わんのか?」

「その通りだ。だが今はその時じゃない。……とにかく少しでも輝力を回復することに専念しろ。次に俺達が撃つ時にはシンクと姫様にも仕掛けてもらいたい」

 

 最後の一言は振り返りつつ、だった。2人の後方に控えていたシンクとミルヒは顔を見合わせた後で頷いて了解の意思を示す。

 

「最初にソウヤが言ったとおり、短期決戦……ってことだね」

「そうだ。俺とレオの紋章砲で奴を怯ませる。その隙に以前魔物を打ち倒したという紋章剣でとどめだ」

「待ってください、ソウヤ様。ではあの魔物を……斬る、ということですか?」

 

 かけられたミルヒの一言に、ソウヤはチラリと彼女を一瞥する。その視線には僅かに侮蔑の色が含まれているようにも思えた。

 

「……まさかとは思いますが、この状況でも『あの魔物も出来れば命を奪わず、助かる方法を取ってほしい』とかぬかし出すんじゃないでしょうね?」

「おいソウヤ!」

 

 非難するレオの声を手で遮り、ミルヒは続ける。

 

「ええ、おっしゃるとおりです」

「やっぱりそう言いますか。本当にあなたは甘ちゃんだ。そして理想家であり夢想家だ。『誰か1人を見捨てれば他の皆が助かる』、そんな状況にあっても、あなたは最後まで全員が助かる方法を探すんでしょうね」

「ええ、そのつもりです。魔物とはいえ元はフロニャルドに生まれついた存在のはず。なら、私はその命を奪う、ということに対して肯定的にはなれません」

「その結果、無関係な人々が巻き込まれ、より被害が大きくなるかもしれないとしても、ですか?」

「私は可能なら『大のために小を捨てる』という考えはしたくありません。皆が納得できる、幸せになる方法を見つけたい。常々そう考えています。ですから、今回も可能なら、魔物とはいえ命を奪いたくはありません。……それでも、背に腹は変えられないことはわかっています。方法を探り、その上で術がないとわかれば……。私もソウヤ様の決定に異論を唱えるつもりはありません」

 

 凛としたミルヒの瞳だった。彼女自身が常に言い続けている、「皆が幸せであって欲しい」という強い願い。それをはっきりと、曲げることなく言い切った言葉だった。

 ソウヤはその瞳をじっと見つめていた。そしてミルヒが話し終わったのを確認して、反射的にため息をこぼす。

 

「……まったくお姫様は無茶をおっしゃる。だから夢想家だってんだ。……あなたは『カルネアデスの板』の話は知らない方がいいですね。あと『方程式もの』の小説を読むこともお勧め出来ない。間違いなく、内容を楽しむことは出来ないでしょう」

 

 先ほどまでの瞳と一転、今度はきょとんとミルヒはソウヤを見つめた。意味を図りかねるとシンクやレオの方を見るが、2人も何のことかわからないらしい。首を傾げている。

 

「要するに大を救うために小を切る、というような話ですよ。……まあいいや。俺だって救える命を無駄に奪いたくはない。無論、今姫様がおっしゃった方法を最大限考慮しますよ。

 さて、そこで再確認ですが、以前2人が魔物を倒した時……正確には命は奪っていないはずだ。確か、魔物となった元凶である『禍太刀』を抜いたことで土地神が元の姿に戻った。そうでしたね?」

 

 シンクとミルヒは互いに顔を見合わせ、同時に頷く。

 

「そうです。最終的に魔物に突き刺さっていた妖刀……禍太刀を抜いたことで、土地神は元の子狐の姿へと戻った……」

「さっきユッキーが言ったとおり禍太刀を抜く、という方法で解決できることもある。もしそうなら、1度やったことがある僕と姫様は方法がわかるんだけど……」

「風月庵に行った時に聞いた話だが、確か魔物の力量は元となる呪いや怨嗟に比例するということだった。以前、俺が来る前に出たという魔物ほどではないにしろ、こいつは結構な力を持った存在と推察できる。だとするなら……その魔物同様、禍太刀が原因って線は十分ありうるだろう」

 

 そこまで聞いたところで、ミルヒは少し表情が明るくなった。

 

「では、原因になっている禍太刀を抜いてしまえばいい、というわけですね?」

「まだそうとすら決まってませんけどね。仮にそうだとして、向こうだって抵抗してくる。……なので、ちょっとばっかし相手に黙ってもらう、ってことは必要でしょう。

 ……ああ、ようやく話を戻せた。そういうわけなので、俺とレオの合体紋章砲で相手を怯ませる。その隙に2人の魔物を倒したという紋章剣で大ダメージを与えてもらう。抵抗の意思が弱くなったところで姫様の望む解決法を探る、禍太刀があるなら抜いてもらう、と。まあ足さえ止めちまえばダルキアン卿かイスカさん辺りが来てくれるんじゃないかって淡い希望もあるんですがね。そうすりゃ、何かしらの解決策は見つかるでしょう。かなり強引というか力尽くですが、そういうことでいかがでしょう?」

 

 そう言って、ソウヤは3人を見渡す。ミルヒは満足したように、だが神妙な面持ちで頷いた。シンクも「任せるよ」と肯定の意思を示す。だが1人、レオだけは渋い表情だった。

 

「何だレオ、不満か? おいしいところを譲りたくないってか?」

「そんなことではない。……今の貴様の話、ミルヒにあれこれ言わんとも、つまるところ相手の命までは奪わずともダメージを与え、その上で解決策を探す、ということを最初から言えばよかったのではないか、と思ってな」

「身も蓋もなくいえば、そういうことになるかもな」

「ならなぜわざわざミルヒに突っ掛かった? 嫌味のひとつでも言ってやりたかったのか?」

 

 言われてみればそうだ、とミルヒはそこで気がついた。彼女が「命は奪いたくない」というニュアンスで話し始めた時点で今の話に進めば済むことだった。なのに彼はわざわざ皮肉交じりに自分と会話し、その上で今の話に至っている。

 

「そこだけが気になってな。……忘れるな。ワシはまだお前に不信感を抱いている。今は休戦中、ということで手を貸しているが……」

「ああ、わかってるよ。別に嫌味でもなんでもねえさ。……ただ」

 

 そこまで言ったところで、ソウヤは顔を前に向けた。そして完全に後ろを振り返るでもなく、首だけを僅かに傾けてミルヒへと語りかける。

 

「……姫様、あなたの主張は掻い摘んじまえば『大のために小を捨てる』というだけのことはしたくない、最後まで皆が幸せになる方法を探したい。そういうことですね?」

「はい」

「ご立派な思想だ。確かに皮肉もありますが、俺はそういう考え方を出来るあなたに感心しますよ。……ですが、()()()()()がその小の側に回った時……。自己犠牲で他の皆が助かるなら、迷わず自己犠牲を選ぶ……。そんな予感がしたんですよ。

 ですから、これだけは忘れないで欲しいと言いたかったんです。()()()()()もあなたがいう『皆』の中に含まれている、とね。小を捨てず、皆が納得する方法を探す、というのであれば、あなた自身も納得しなくてはならない……。それだけは頭に入れて置いてください」

 

 一体ソウヤが何を言いたいのか、ミルヒには図りかねた。今でこそ休戦中とはいえ、自分達を陥れるような策略を仕掛けておいて、今更何を言い出すのだろう。

 

「何が言いたい、ソウヤ?」

 

 そんな疑問を抱いた彼女の代わりにレオがソウヤに問いかけた。だが彼は知らんとばかりに両手を広げてごまかしている。問い詰めようとレオが再度食って掛かろうとしたその時だった。

 

「ソウヤさん! 砲術士隊、弓術師隊、攻撃してるでありますが全然ダメであります、足を緩めてもくれないでありますよ! 間もなく距離300……そろそろまずいであります!」

 

 リコッタから悲鳴のような声が上がった。見れば魔物ははっきりとその姿が見て取れる距離まで来ている。人間の身長は優に超える巨体、4つの足を地に着け、特徴的に3つに分かれた頭からは鋭い牙が見える。

 

「リコッタ! 以前魔物との戦いの時にあったような……禍太刀のようなものはあいつに刺さってるか!?」

 

 ソウヤの声にリコッタは双眼鏡を必死で覗き込む。眉をしかめつつ、首を傾げる。

 

「……すみませんであります、よくわからないであります。ただ、真ん中の首の付け根……背中の手前辺りに何か刀のような物が刺さっている気もしないでもないような……」

 

 4人は顔を見合わせた。それなら解決法はある。多分それが禍太刀だろう。それを抜いてさえしまえばいい。

 

「おそらく決まりだ。俺とレオの紋章砲を打ち込む。その隙に2人が紋章剣を放つ。そしてダメージを与えたところで、そいつを抜いてくれ」

「シンク、抜いたら一先ずすぐに離せよ。以前はワシが魔神旋光破であの刀の柄の部分を打ち抜いたが、今日はどうなるかわからん」

「わかってます。任せてください」

 

 シンクが胸を張る。そしてパラディオンを神剣状へと変化させた。ミルヒも頷き、エクセリードを滅多に見ることのない剣状へと変化させる。準備は万端、といったところか。

 

 が、着々と進む準備に対して、ここに至って前進するだけだった相手もとうとう動きをみせる。息を吸い込むように3つの頭が後ろにもたげられた。直感的にソウヤの脳裏に嫌な予感が走る。

 

「ソウヤ!」

「わかってる! リコッタ、防御弾幕を準備! その他の者は防御体勢、敵の攻撃が来るぞ!」

 

 シンクもソウヤ同様、攻撃の気配を感じ取ったのだろう。名を呼ぶと同時に、既にライオットシールドを展開してその陰に自身の身とミルヒを隠している。ソウヤも防御の姿勢を取ろうとしたが、それより早くレオに腕を掴まれ彼女の背後へと移動させられる。

 

「……何の真似だ?」

「貴様のぬるい紋章術による防御では防ぎきれないのではないかと思ったからな」

「俺を信じなおしてはいない、不審に思ったら背中からでも斬るんじゃなかったのか?」

「ああ。だがその斬る相手がいなくなるのも困りものじゃろう?」

 

 本末転倒な言い分にも思えたが、要するに守ってやる、ということのようだ。未だ疑ってはいるようだが、「休戦」という彼の申し出に少しは素直に応じる気になったのかもしれない。

 大人しく言われるとおりに従うか、と彼が思った直後、魔物の3つの口から同時に何かが爆ぜ、ソウヤ達目掛けて降り注いだ。。火球の礫。一発の大きさこそそれほどではないにしろ、それでも優に1メートルはある礫だ。直撃すればどうなるかわからない。

 後方から防御用の弾幕が飛ぶ。果たしていかほどの効果を上げてくれるか疑問だが、無いよりはマシとソウヤは判断し、巨大な盾を展開させたレオの背後で攻撃をやり過ごす。「女性に守られる男」というのもどうも格好がつかないと思ったが、輝力の出力なら間違いなくレオの方が上だ。くだらないプライドをかなぐり捨て、彼は確実な防御を選んだ。直後、辺りに爆発音が広がり、同時に悲鳴も上がる。

 

「リコッタ! 後方の被害状況は!?」

 

 今の程度なら目の前のレオと脇の勇者と姫様には何事も無いだろう、と判断し、ソウヤは振り返ってリコッタへと叫びかけた。守り役を担当していた重装歩兵に目立った被害はないようにも思えるが、今の一撃はここまで高まっていた兵達の士気を奪い去るには十分だったらしい。明らかに戦意を失いつつあるような顔も幾らか見受けられた。

 

「な、なんとか大丈夫であります! 軽微……とはいえないでありますが、深刻ではないであります!」

 

 おそらく相手としては挨拶代わり、ほんのジャブに打ち込んだのが今の一撃だろう。もし本気で攻撃を仕掛けてきたらどうなるか。ますますもって短期決戦しかないとソウヤは判断した。

 

「後方の部隊は全軍後退! こっちの合体紋章砲で一気にケリをつける!」

 

 指示を飛ばしつつ、ソウヤはレオの隣に並ぶ。ダブル魔神旋光破。先ほどと同じ合体紋章砲で隙を作り、過去に魔物を打ち破ったというシンクとミルヒの合体紋章剣に賭ける。

 

「いくぞレオ、いいか?」

「ああ……!」

 

 険しい表情のまま、彼女は展開していた盾を消し、グランヴェールを弓へと形状変化させる。そして先ほど同様互いに輝力を高めていく。

 

「狙いは真ん中の頭だ! その首元におそらく禍太刀があるはず、頼むぞシンク!」

「オッケー!」

 

 次いで彼の視線は傍らのレオの元へ。獲物を睨みつけたままの彼女だったが、視線を感じ取り、その首を動かすことなく頷く。

 

「いくぞ、2発目! ダブル……」

「……魔神旋光破ァ!」

 

 濃紺とエメラルドに輝くそれぞれの輝力の矢。それが放たれた瞬間に交じり合い、鋭い紋章砲となって魔物の3つ首、その真ん中へと迫る。

 

「行け、シンク!」

「オーライ! 姫様!」

「はい!」

 

 その紋章砲の発射と同時、ソウヤは勇者の名を叫ぶ。そしてその彼は姫を、姫は了承の意思を、それぞれ口にした。

 シンクの足元にトルネイダーが展開される。その上に2人が乗り、パラディオンにエクセリード、ビスコッティの対となる宝剣の切っ先が合わされた。眩いばかりの神々しい光を放ちながら、2人を乗せたトルネイダーはまるで弾丸のように魔物目掛けて一直線へと飛び立つ。

 直後、ソウヤとレオの合体紋章砲が魔物の真ん中の頭、その眉間へと直撃した。先ほど距離が近いせいもあるのか、魔物は頭を振りあからさまにダメージを受けた様子を見せた。

 予定通りその隙にシンクとミルヒは一気に魔物に迫った。切っ先を掲げて目標の禍太刀を探す。

 

「あったっ!」

 

 優れた視力を持つシンクが目標を発見する。以前同様、厳重に鎖が巻かれた妖刀・禍太刀。その鎖を打ち断ち、抜きさればいい。

 だがそうは問屋が降ろしてくれなかった。残った2つの首が2人目掛けて紋章砲にも似たブレスを吐き出す。しかし一方の2人もそんなのは関係ないとスピードを緩める気配はない。

 

「一気に突っ切るよ、姫様!」

「はい!」

 

 叫び、2人の輝力が高まる。押し通る。2人の渾身の合体紋章剣ならそれが出来る。互いにそう信じ、対の神剣をそれぞれ振り上げ、紋章剣の名を叫んだ。

 

「「ホーリー……セイバー!!」」

 

 振り下ろされた剣から放たれた一撃が、2本の首から放たれたブレスとぶつかり合う。が、打ち抜ける、と信じていたシンクの期待と裏腹に互いに力は五分と五分。打ち払えない、押し切ることが出来ない。

 

「そんな……!」

「これほどだなんて……!」

 

 相手を見くびっていたつもりは毛頭ない。だがかつてはこれより強力で強大な魔物にさえ通じたはずの合体紋章剣、それがこうも止められてしまったことに、2人は動揺を隠し切れなかった。

 それが重大なミスだった。心の乱れは剣にも表れる。相殺、という形で紋章剣と魔物の攻撃は互いに痛み分けで終わってしまった。討ち取り損じた2人に、怒りに満ちた3つの頭が向けられる。

 

「まずい……!」

 

 咄嗟にソウヤは弓を構えた。アルバレストでは威力が足りない。故に3つを同時に狙う、という選択肢を捨て、彼は狙いを先ほど同様真ん中1つに絞った。そうすれば次弾の援護が隣からも飛ぶはず。最後の1つだけならシンクが踏みとどまってくれるだろう。そう踏んでの瞬時の判断だった。

 

「サイクロン・アロー!」

 

 威力特化で放たれた紋章砲。狙いは違わず真ん中の頭へと横殴りの形で直撃した。その衝撃で魔物が数歩よろめく。だがまだ残された2つの頭が2人を狙っていた。

 

「レオ!」

 

 叫んで隣に目を移し――だが次弾は飛ばないと彼は悟り、心を乱した。彼女は荒く肩で呼吸し、弓を構えていない。底なしの輝力量と呼ばれる彼女がこの程度で輝力切れということはないはずだ。何か予期せぬ事態があった。そしてそれを読み取れなかった、とようやく悟る。

 

「お前……!」

「……すまない、ソウヤ」

 

 ソウヤはその軽薄だった自分を悔いた。そういえば先ほど合体紋章砲を撃つ直前、彼女は険しい表情をしていた。あれは何かを隠そうとしていたのかもしれないと今更気づく。だがもう後の祭りだ。続けての自分の射撃は間に合わない。そしてあれだけの紋章剣を放った直後、いくらシンクとてその紋章剣を相殺したほどの攻撃を1人で防ぎきれるかあやしい。

 

「逃げろ、シンク!」

 

 無理だ、と心でわかっていながら、それでも彼は叫んでいた。だが無情にも残された2つの首は獲物に狙いを定めて口を開く。鋭く残虐な牙が覗くその奥に先ほど同様の赤い塊が生み出されようとし――。

 

 だが、その刹那。

 

「紋章剣! 裂空光牙十文字!」

 

 横から聞こえた声と共に、特大の十文字の紋章剣が魔物の右の頭へと直撃した。そこでわずかに魔物に隙が生まれる。

 

「タレミミ……!?」

 

 そしてレオはその紋章剣を放った者へ目を移し、彼女の愛称を口にしていた。そこに立っていたのは彼女の言葉通りの「タレミミ」、すなわちガレットに保護されたはずのエクレールその人だったのだ。

 

「お前……なぜここに……?」

「話は後です、レオ様。シンク! 早く姫様と共にそこを離れろ!」

 

 だが、まだだ。もう1つの頭が残っている。シンクはバランスを取り直してミルヒを抱きかかえ、賢明にトルネイダーでその場を離脱しようと試みる。しかしタイミング的にうまく逃げ切れるか五分と五分。下手をすれば背後からの攻撃をまともに浴びることになる。逃げを選ぶか、防御を選ぶか。

 

「ガーネットスパーク、最大出力!」

 

 そんな彼の迷いを断ち切ったのはかつて戦の場で聞いたこともある声だった。黄金色の一撃が命中し、さらに魔物の体に無数の砲撃が降り注ぐ。これにはたまらず、魔物は体を振り、あからさまに嫌がった様子を見せた。

 その隙にシンクは一気にその場を離脱した。それから地面に降り立ち、改めて現れた援軍を驚きの視線で見つめる。

 

「クー様!? それにキャラウェイさんにリーシャさん……パスティヤージュの空騎士まで……!」

 

 もうシンクは何がどうなってるのかわからなかった。だがそんな彼にお構いなし、颯爽と登場した空のやんちゃ公女は不敵に笑みをこぼし、声高らかに叫んだ。

 

「待たせたな、ミルヒ姉にレオ姉! さあ……騎兵隊の到着じゃ!」

 




カルネアデスの板……金田一少年にも出て来た有名な話。厳密には「大のために小を切る」ではなく、「自分が助かるために他人を犠牲にする」という話。船が難破し、漂流した男が一片の板切れを見つけてそれにしがみつく。そこにもう1人別の男が板にしがみつこうと近づいてくるが、2人では板が沈んでしまうと判断した男が近づいてきた男を突き飛ばしてしまう。その後救助された男は裁判かけられるが罪には問われなかった、という話。

方程式もの……「冷たい方程式」というSF小説を素とする、類似した題材を描いた小説のこと。冷たい方程式を簡単に説明すると、水、酸素、食料などが人数分ギリギリしか積んでいない宇宙船に密航者がいた。このままでは目的地に到着する前に全員が死んでしまう。その密航者をどうするか、というような話。転じて、本編中では「小を犠牲にすれば大が助かる」という代表的な例えとしてソウヤが語っている。


もっとも、「方程式もの」なんてのはナデシコでしか見たことがないので詳しくわかってなかったりします。しかもあれも結局ご都合でなんとかなっちゃうし。ここに書いたのもネットで得たにわか知識なので……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 30 目覚めし、眠れる獅子

 

 

 コンフェッティの南側防衛を任されたガレット軍はその持ち前の高い戦闘能力で「魔物」と呼べるかもあやしい、封印洞窟から逃げてきた野生動物の延長とも言うような相手を次々とだまへと変えていっていた。特に目を見張るのが領主でありながら最前線に立つガウル、そして期間限定で再結成している彼の親衛隊ジェノワーズの活躍だった。

 

「ガウ様、前に出すぎ! 今は領主なんだからもう少し控えて! いくら弱い魔物とはいえ、怪我する可能性だってあるんだし、怪我されたら困るんだから!」

「うるせえノワ! だったらちゃんと俺を守れ! 親衛隊だろ? 大体後ろにいるなんて俺の性に合わないんだよ!」

「そんなの知らないよ! 怪我なんてされたら私達の責任になるんだから……少しは自重してよ!」

「あーもううるせえうるせえ! 俺様に文句垂れる前に手を動かしやがれ!」

 

 が、実際はこんな具合に久しぶり、とも言えるガウルとノワールの口喧嘩のついで、とばかりに魔物達は薙ぎ払われているのが現状である。ここまで久しく顔を合わせなかった反動だろうか、2人はずっとこの調子だった。

 

「今の私が動かすのは手より尻尾なの! ……ガウ様危ない!」

 

 その言葉通り、輝力武装のセブンテールの1本を伸ばし、ガウルの側面から飛びかかろうとした猫のような魔物をノワールがだまへと変えた。だまになった、ということは精霊化がある程度進んでいた、それほど害のない魔物だったということになるだろう。

 

「あ、てめえ! 今のは俺様が振り向き様の一撃で決めようと思っていたってのに……!」

「今のはどう見ても危なかったでしょ! 適当な言い訳しないで!」

 

 そんな2人の様子に、やや後方で戦闘しているジョーヌとベールは失笑するより他はなかった。今まで何かと理由をつけて顔を合わせないようにしていたノワールだというのに、そんな必要があったのかと言いたくなる。

 

「あの2人の口喧嘩を見るのも久しぶりやけど……ノワ、これじゃ本当に複雑な心の事情抱えてんのかって疑問に思うほどやな……」

「全くだわ。でも、これまで溜め込んだものが一気に噴出したから、こういうことになってるんだと思うけど……」

「ガウ様もガウ様やで。ノワがぎこちなくしてるのを見て『何やってやがんだ、昔みたいにちゃんと親衛隊やりやがれ。それとも後方部隊にいたせいで実戦経験が鈍ったか?』とか煽るから……。まあおかげで、あんな2人を見られるのはほんましばらくぶりやわ」

 

 本来なら重装戦士であるジョーヌは4人の中で最前に立たなくてはいけないはずであった。だが、今ジョーヌが言ったガウルの挑発でノワールの方にも火がついてしまったらしい。「……いくらガウ様でもそれは聞き捨てならない」と返し、そこから先は口論しつつ「どちらが多く魔物を倒すか」というような競争まがいの様相を醸し出していた。

 そのため、本来ガウルを守るために一時的に再結成されたはずのジェノワーズだと言うのに、実質直接的にそのガウルを守っているのはノワール1人、いや、守ると言うより競っていると言った方が正しいような状況だった。2人が割って入りたくても「邪魔だ」と言わんばかりのその空気。已む無くジョーヌとベールの2人は引いた位置から、前の2人を援護する形となっていた。が、ジョーヌは近接戦闘が主である。つまるところ援護は弓兵であるベールだけの役割となってしまっており、その彼女を守ると言う形をジョーヌは取らざるを得なかった。

 

「ったく、久しぶりのジェノワーズの再結成やってのに、なんかウチだけ貧乏くじ引かされてるみたいやわ」

「ぼやかないぼやかない。私はジョーに守ってもらってるおかげで、安心して2人の援護に専念できるわよ?」

「そ、そうか? なんかベルにそう言われるとまんざらでもない気分になるわ。……しっかし前の2人、本当に喧嘩するほど仲がいいというか……」

「ほんとその通りよね……。ノワも別に気負わず今ぐらいに、普段から会話してればいいのにって思っちゃうわ」

 

 ハァ、とため息をこぼしながらもベールは援護の手を緩めてはいない。今この会話をし終わった直後も、ガウルの右側の死角から彼目掛けて飛びかかろうとするネズミの様な魔物を的確な射撃によって撃ち抜いていた。

 が、良かれと思ってやったこの行為が今は余計なことだったらしい。前方のガウルとノワール、2人が揃ってベールの方を振り返る。

 

「おいベル! 今のは俺の獲物だぞ! 後ろから横取りしてんじゃねえ!」

「違うよ! 私のセブンテールの射程内にいたから私の獲物! ベルが手を出さなかったら私が倒してたの!」

 

 再びため息をこぼしてベールは右手で頭を抱えてしまった。もうどうしろというのだ。いっそ「領主を守る親衛隊」という役割を放棄して、口論しつつ爽快に魔物を薙ぎ払っていく2人の活躍をただ見てるだけの傍観者に回るのも悪くないかとまで思えてしまう。

 

「おうお前ら、ちゃんと殿下をお守りしてるか?」

 

 と、そこで聞こえてきた声に2人は声の主へと視線を移す。巨躯をいかつい鎧に包み、肩に鎖付き鉄球の大斧を担いだ、ゴドウィンの姿がそこにあった。

 

「2人してなぜこんな後方にいる? 殿下をお守りするために、ジェノワーズが再結成されたんじゃなかったのか?」

「それなんですよ、将軍。聞いてくださいよ」

「ガウ様とノワが『どっちが多く魔物倒せるか競争だ』みたいな空気になってもうて……。ウチらが迂闊に援護すると『邪魔するな』とか言われるし、もう前線にも出れないしで困ってたんですわ。おっちゃん何とかしてくれへんか?」

「……殿下がそうおっしゃるならそうするしかなかろうな。お前らも大変だな、久しぶりの再結成だと言うのに……。殿下もその辺り、困ったお人だ。だが、そうやって最前線へと出られる故、我等の人望も厚いというものだろうがな」

 

 ゴドウィンが言っていることはもっともだとベールは思う。確かに先代のレオ然り、前線に出て戦う領主と言うのはそれだけで他の兵達の士気も上がる。だが援護したのに「獲物を横取りするな」と言われてしまってはさすがに先ほどのゴドウィンに全面的には同意しかねるしかないだろう。

 

「それはそうと……。おっちゃんの方はもうええんか?」

「ああ。粗方片付いたようだ。ある程度の隊は残してきたが、俺は殿下が気になったために駆けつけたわけだが……余計な心配だったらしいな」

「そうですね。これならここも大丈夫だと思います。バナード将軍の方に行かれては?」

「そここそ問題なかろう。あそこはお前から()()()()()部隊の遊撃隊がいると聞いたが。エリート部隊がいる以上、俺が出向く必要もないだろうよ」

 

 確かに、とベールは苦笑を浮かべつつ頷く。ソウヤからの書状に従い、ガウルは遊撃隊と諜報部隊をバナードの指揮下に移し、今はその彼が指揮を取っている。この2つはいわばエリート部隊だ、そこにバナードもいるとなれば心配は無用だろう。

 

「俺はこの辺りの掃討役でもやるとしよう。あくまで殿下の邪魔にならん範囲でだが。……しかし、殿下とノワール、随分と楽しそうに見えるな」

 

 彼のその一言に思わずジョーヌもベールも表情を緩めた。やはりこの将軍の目にもそう映ったらしい。

 

「やっぱり将軍にもそう見えます?」

「ああ。……というより、あの2人があんなに話してるのも久しぶりと言えばそうだが」

「おっちゃんは……どう思う? あの2人、お似合いと思わんか?」

「お似合い? ……俺が言うまでもなかろうよ。2人とも幼馴染、殿下曰く腐れ縁。これまで数知れず喧嘩し、それでも互いに肩を並べ合うほどの仲だ。喧嘩するほどなんとやら、それほど仲のいい2人をお似合いと言わず、何と言う?」

 

 再び2人は顔を見合わせて微笑んだ。やはり領主と騎士という垣根を越え、ガウルとノワールはお似合いなのだ。この戦いを機に2人がくっついてくれればと思わずにいられない。

 

「……少々、お喋りが過ぎたかもしれん。ともかく、俺はその辺を警戒してくる。お前らもちゃんと殿下をお守りしろよ」

 

 そう言ってゴドウィンはその場を去っていく。残されたジョーヌとベール、共に援護という名目で前方の2人を再び見つめた。

 

「……やっぱり、この戦いが終わったら、私ノワにもう一歩踏み出すように言ってみようかしら」

「お、ベルも思ったか? 実はウチもや。……やっぱ、ノワにはガウ様が、ガウ様にはノワが必要なんやないかって思う」

 

 ああ、そうだ。それがいい。2人が頷き合う。なら、その願いを遂げるために、まずはこの騒動を静めなくてはならない。

 ジェノワーズの両翼2人はそう心に思いを秘め、自らの任務を全うしようと武器を持つ手に力を込めた。

 

 

 

 

 

「エクレール……それにクー様にパスティヤージュの騎士まで……一体何がどうなって……」

 

 突然の増援に助けられながらも、ミルヒもシンクやレオ同様戸惑っていた。かつては自分を捕らえようと動いていたはずのパスティヤージュだ。なのになぜ今、しかも味方として表れたのだろうか。

 

「おせーぞ、クーベル! 予定はもうちょっと早いはずだろうが!」

「やかましいアンポンタン! こっちにも都合ってものがあったんじゃ!」

「都合だァ!? どうせ大方そこの眉毛を言いくるめるに言いくるめられなくて出撃渋られたんだろ!?」

 

 そのソウヤの一言にクーベルが押し黙り、「眉毛」と呼ばれたリーシャは露骨に顔をしかめた。それに対して彼は小さく舌打ちをこぼす。

 この口調では彼はこの空騎士の援軍を知っていた、ということになる。ガレットばかりでなくパスティヤージュもこの場に呼んでいた。一体こいつは何を考えているのかとレオは改めて頭を悩ませた。

 

「……黙ったって事は図星かよ! もういい、とにかく来てくれたのは助かる。若干手詰まり気味だった。悪いがこっちの体勢を立て直したい。そっちの空騎士に時間を稼いでもらいたいが、頼めるか!?」

 

 だが混乱する彼女はさておき、ソウヤは話を進めた。クーベルに陽動役を頼み込む。

 

「了解じゃ! パスティヤージュ自慢の空騎士による高速機動戦、見せてやる! ……キャラウェイ、リーシャ! 散開して魔物の注意を引くぞ!」

 

 領主からの命令に「了解!」と2人の隊長は叫び、自分の隊へと指示を飛ばす。その隙に空飛ぶ絨毯よろしく、輝力武装のスカイヤーに乗るクーベルは空を飛び回りつつ輝力を高めた。

 

「2発目じゃ! ガーネットスパーク!」

 

 今度は背中に直撃。そしてその一撃で魔物は目標を自分の上を飛び回るうっとおしい存在へと切り替えたらしい。歩みを止め、首を上へともたげる。

 

 そこまで確認してソウヤはずっと気にかけていたレオへと言葉をかけた。

 

「レオ、お前まさかさっき攻撃を防御した時に……」

「……貴様の言うとおり、ワシも随分と耄碌(もうろく)したらしいな。あの程度、なんということはないはずじゃったのに……足に礫の残滓を当ててしまった。深刻ではないが……動き回ることは出来ん。そして先ほどのように集中に乱れが生まれる可能性もある……」

 

 見れば彼女の右足を守っていた脚甲が一部吹き飛び、そこから痛々しい傷の様子が窺えた。本人の弁の通り重傷ではないが、これでは動き回ることは出来ないだろう。怪我をしたということは守護力も弱っていると言うことだ、自然治癒は期待できない。

 

「それでか……。異変を感じ取ってやれなかった、悪かった」

「いや、シンクとミルヒの一撃で決まると思っていた、それ以前にダメージを受けたワシの方に責任はあるじゃろう。

 ……それより貴様、この状況を説明しろ。エクレールにクーベルとパスティヤージュの空騎士と来た。今ワシは何が起こっているかわからん。おそらくシンクにミルヒもそうじゃろう」

 

 名を挙げられた2人も頷く。助かったのは事実だったが、何がどうなっているのか理解の範疇を超えている。

 

「悪いな、詳しくは言えん。だがビスコッティ、ガレット、ドラジェと手玉に取ってる俺だ、パスティヤージュにだって根回しをしている、ぐらいは考えられるだろ? ……ま、今言えるのは俺とクーベル、それからキャラウェイさんもグルだったってことだ。そしてそれが味方として来てくれた、今のところはこれで納得してくれ」

「じゃああの時僕達を追いかけてきたリーシャさんも……」

「いや、眉毛は()()()側だ。……ともかくそのことは魔物を片付けた後でゆっくり話してやる」

 

 混乱はますます深まるばかりだった。ただわかったのは、この男は用意周到に、しかも相当に根回しをし、この一件を早々から練っていた、ということだろう。そこに表れたこの魔物という存在は、彼にとってイレギュラー、排除したい存在ということのようだ。

 

「姫様! ご無事ですか!?」

 

 と、そこに駆け寄ってくる影があった。こちらも本来ここにはいるはずのない存在、エクレールだ。

 

「エクレール! 無事だったんですね! ですが、どうしてここに?」

「それは……」

「さっき同様後にしてくれ。魔物を片付けたら一から納得がいくまでゆっくり話してやる」

 

 ミルヒの質問に答えようとしたエクレールだったが、ソウヤにさえぎられた。「そのまま黙っていろ」と言わんばかりの彼の視線を受け、不機嫌そうに彼女は押し黙る。

 

「……だがお前、なぜここに来た?」

「バナード将軍に直訴した。姫様がこちらで戦われると聞いたからな」

「そこでなんであの人はあっさりオッケー出しちゃうかね。だから詰め誤ったって過去の教訓本当に生かしてんのかよ。……まあいいか。来てくれたのが助かってるのは事実だしな」

 

 ため息と共に意味ありげにソウヤはぼやきをこぼした。それに対してエクレールは特に何も返さずに鼻で笑っただけだった。

 

「ところでエミリオはどうした?」

「置いてきた。というより、あいつが『自分では戦力にならないと思うので』とか言って固辞した。ガレット軍に混じって戦うらしい」

「薄情な嫁さんだ」

 

 やかましいとばかりにエクレールは舌打ちをこぼして睨みつける。「早く話を進めろ」と言いたげな表情だ。

 

「ともかく、作戦会議といこう。いつまでもクーベルに任せてもおけない。……現状を再確認するぞ。こっちはエクレールに加えてクーベルと隊長2人を含む空騎士が来てくれたとはいえ、レオが負傷、シンクと姫様の合体紋章剣も一発目が不発、俺もぼちぼち残り輝力の不安が出てくる頃だ。シンク、姫様、さっきの……ホーリーセイバーか、もう一発撃てるか?」

 

 2人が互いに顔を見合わせる。そしてほぼ同時に頷いた。

 

「大丈夫です」

「いけるよ。でも……さっきの一発目が通じなかった以上、もう一発撃っても同じことじゃ……」

「確かにそうかもな。……そこで俺は原因を2つ考えた。それを解消すれば通じるはずだ。……まず1つ目に考えたのは威力の不足」

「じゃがかつてはこれより強大な魔物に通じた紋章剣じゃぞ? それはないじゃろう」

「だが今通じなかったのは事実だ。そのためにより一層心を通わせる、って方法はどうだろうか。合体紋章術だ、それで威力は高まる。そうじゃないか?」

 

 その通りかもしれない。あの時のシンクはミルヒを助けたい一心で、そして神剣の力も借り、互いに心をひとつにして紋章剣を放った。結果、魔物を打ち払い、禍太刀の呪いから解放している。なら、今心を通い合わせ切れてないということだろうか。

 

「……つーわけでお前ら2人、ここでキスでもしろ」

「は……?」

「え……?」

 

 あまりに唐突で全く予想も出来ない発言だった。一瞬固まった後、2人揃って顔を赤らめて明らかに取り乱す。

 

「ソ、ソウヤ! 何を言い出すの!」

「キ、キスだなんて……!」

「貴様! ひ、姫様になんて破廉恥なことを!」

「あーもうやかましいな。嘘に決まってんだろ、冗談の通じねえ連中だ」

 

 当人2人に加えてエクレールまで辛辣な突っ込みを入れられ、ポリポリと後頭部を掻きつつソウヤはぼやいた。

 

「大体そういう場面で愛し合う男女がキスしてパワーアップとか事態を解決するなんてのはお約束だろうが」

「どこの約束さ、それ!?」

「俺のいた世界の小説やら漫画やらだよ。ベッキー辺りから借りて読んだことねえのかよ」

「楽しそうに話しているところ悪いが、無駄話をしてる話があるのか、貴様?」

 

 そこでレオが話に水を差した。もともと「時間がない」と言っていたのはソウヤだ。ならこれは無駄な話、さっさと切り上げるべきと判断したからだった。

 

「……異論なしだ。話進めるか。俺が考えた原因の2つ目、それは状況が適切ではなかった、ということ」

「状況……?」

「思い出せ、シンク。あの時首の1つは俺とレオで止めた。だが残る2つ、それがお前たちに牙を剥いた。結果、紋章剣は相殺されている」

「では全てに反撃、あるいは防御の余地を与えないようにし、その上で再び合体紋章剣を放ってもらう、そういうことか?」

「さすがレオ。飲み込みが早いな。つまり、威力を底上げせずとも、然るべき状況を作り出せば相手に十分通用する。そしてこの事態は解決できる。俺はそう考えている。……だから気張る必要はない、シンク。お前は姫様を、姫様はシンクを信じ、さっきと同じ一撃を打ち込めばいい。その舞台は、俺が整えてやる」

 

 ここまで話を聞いてレオはようやく気づいた。先ほどのソウヤの話は無駄話などではない。一見すれば2人を茶化しただけのように思えたが、「合体紋章剣が通用しなかった」という不安を2人から拭い去らせるために、わざわざおどけてあんなことを言ってみせたのではないか。

 事実、シンクもミルヒも先ほどまでよりも少し表情が明るくなったようにレオには見えた。今2人は「自分達が決めなければならない」という決意を新たに抱いていることだろう。再びそう思わせるだけの心を呼び起こさせた、戦意を高揚させてみせた。

 まさしくソウヤ・ガレット・デ・ロワその人ではないかとレオは改めて思っていた。この騒動を招いた張本人という疑いは晴れないはずなのに、魔物との戦いが始まってからの言葉には力があった。彼は狂ってなどいない。何かに操られてもいない。彼は彼自身の意思で立ち、魔物が登場する前の事態を招き入れた、そんな風に彼女は思い始めていた。

 なら、何か考えがあってのはずだ。操られていないというのであれば彼を、自分が愛したソウヤを信じてみたい。そして一体何を望んだのか、事の顛末を見届けたい。そのためにも、この戦いに勝つためにも自分は彼の傍らに立ちたい。レオの心にあった気持ちはそれだった。

 

 だが、そんなレオの心と裏腹、ソウヤは彼女が考えてもいない一言を告げる。

 

「囮役は俺とエクレールでやる。シンクと姫様はそこいらの高台にでも身を隠して、攻撃のチャンスを待ってほしい。……そしてレオ、お前は野営地に引き返せ」

「なっ……!」

 

 後退。ソウヤはそう告げたのだ。

 

「ふざけるな! 後退じゃと!? ミルヒもお前もまだ戦うというのに、ワシだけのうのうと後方の安全な場所に戻れというのか!?」

「その足の怪我じゃ囮役は無理だ。かといって砲台役としてもお前単体の紋章砲となる。それだけでも十分な威力なのは百も承知だが、狙われたとしたら今のお前じゃ回避も防御もしきれない懸念がある。だから下がれ」

「出来るか! この程度、なんということは……」

「レオ」

 

 言葉を遮り、ソウヤは彼女の名を呼んだ。珍しく、真っ直ぐな瞳で見つめる。それ故、彼女は視線を逸らせなかった。

 

「お前に何かあったら、レグが悲しむ。勿論俺だって悲しむ。今お前は怪我をしている。そこをおして戦って、もしもなんてことがあった場合、俺は自分で自分を呪っても呪い切れない。レグに合わせる顔がない。だから……引き返して怪我の治療に専念してくれ」

 

 まごうことなき、ソウヤの言葉だった。彼女が愛した夫の言葉だった。今の言葉で彼女は確信する。ソウヤは、間違いなくソウヤなのだと。

 そう思えたら、これまでの奇妙な行動やら狂気に満ちた笑みやら、そんなものはもう関係なかった。「自分の腕でレグルスを抱く」、ミルヒの逃避行に参加してから片時も忘れたことのないソウヤとの約束。それを確かに果たす。そのために自分は五体満足で帰る。そして、それはソウヤも同じだ。

 

「以上だ。シンクと姫様は行ってくれ。チャンスと見たら仕掛けろ。3つ首とも、なんとか俺達で抑えてやる」

「わかった……。任せるよ。でも、無理はしないでね!」

 

 シンクはトルネイダーを展開した。ミルヒと共に、あまり距離が開きすぎず、かつ見晴らしのよさそうな高台を探して飛び立つ。

 

「エクレールは俺と囮だ。大型紋章術は取っておけ。2人の突撃にあわせる必要がある」

「わかってる。安心しろ、実剣と輝力武装分の2発叩き込んでやる。貴様の頼りない紋章砲と合わせれば、それなりになるだろうよ」

「言ってくれるじゃねえか。大口叩いただけの活躍はしてみせろよ?」

 

 フン、と鼻で笑い、エクレールは飛び出した。それを確認してソウヤは顔だけをレオのほうへと向けた。

 

「さっき言ったとおりお前は下がれ、いいな。……俺は必ず帰ってやる。約束は守る。だから心配せずに怪我を治してろ」

 

 言い残し、ソウヤは離れていく。その背中を見つめ、レオは決心した。

 帰るのは2人一緒だ。どちらも欠けてはならない。なら、自分1人だけ安全な場所にいるなど到底出来ない。この手で、自らの手でソウヤを守り、決着をつける。

 立ち上がり、痛む足を引き摺りながらレオは懸命にソウヤを追いかけ――そして、背後から彼へと抱きついた。

 

「……何の真似だ?」

「貴様1人を……死地に行かせはせん」

「死ぬ気など毛頭ねえよ」

「なら……ワシと一緒にいろ」

「出来ねえな。俺は囮役をやる。引くわけにはいかない」

「逆じゃ。ワシも共に戦う、と言うておる」

 

 ソウヤは眉をしかめた。

 

「ダメだ。危険だ」

「ソウヤ……。お前が何を考えてこれまでのことをしてきたか、ワシにはわからん。じゃが、ワシはお前を信じる……! じゃから、お前もワシを信じろ!」

「信じろっつったって……」

 

 言いかけたソウヤの言葉を遮るように、レオは彼の右手を掴んだ。そしてその中指に、本来彼女の人差し指に収まっているべきはずの指輪を通す。

 

「グランヴェール……!? お前、何を考えて……」

「ワシの残りの全輝力と……グランヴェールをお前に預けてやる。囮などと生ぬるいことを言うな。以前貴様は言ったはずじゃ。ワシは弓で、貴様は矢なのであろう? なら、囮だからと逃げ回って気を引く必要などない。相手を撃つことで隙を作り出せばいい。そうじゃろう?」

 

 言葉を失った様子で、ソウヤは呆然とレオを見つめていた。一度、少し前に本気で斬りかかり、ここまで疑惑の目を向け続けて来た彼女が、恥も外聞も捨てて共闘を申し出てきた。さしものソウヤも、これは予想外だったらしい。

 

「『百獣王の騎士』と『蒼穹の獅子』の真の力、見せてやろうぞ……! そして胸を張ってレグの元へ帰る。……ワシと共に戦ってくれ、ソウヤ!」

 

 ここまで言われてなお断れるほど、彼は神経が太く出来ていなかった。同時に、感情を表に出さないはずの彼が、珍しく口元を大きく緩めた。そして、声高らかに笑った。

 その笑いは、彼女が星詠みで、さらにはつい数刻前に見た狂気染みたものは微塵も含まれていなかった。本心からの笑い。付け加えるなら、何かを確信したような、会心の笑い――。

 

「……言ってくれるじゃねえか! 生憎俺はここまで言われてもなおお前の意見を却下するほど人間できちゃいねえようだ。おもしれえ、ああ、実におもしれえ! 俺がかつて小説で読んで夢見た、燃える展開そのままじゃねえか! よし、やってやる! グランヴェールとお前の残りの輝力、俺が預かってやる! 特大の、最高の一撃をお見舞いしてやるよ!」

 

 ソウヤにしては本当に珍しい、これまでにないほど感情を露にした言葉だった。不敵、いや、どちらかといえばこの状況を楽しんでさえいるような表情のまま、彼はエクレールに向けて口を開く。

 

「エクレール! お前の2発の紋章剣、別々の頭を狙え!」

「それは構わないが……残り1つはお前がやるのか?」

「いや、クーベルと空騎士にやらせる。タイミングは向こうの攻撃後に合わせろ」

「じゃあお前はどこを狙うんだ?」

 

 ソウヤは肩を揺らす。笑いを噛み殺しているらしい。

 

「決まってんだろ。全部(・・)だ。お前らの攻撃後、3つ全部、俺とレオの紋章砲をぶち当ててやる!」

 

 思わず、エクレールの背に冷たいものが駆け下りた。悪寒ともまた違う、戦慄したとでも言うべきか。あの皮肉屋で卑屈なソウヤがここまで自信たっぷりに、何かが吹っ切れたようにはっきりと言い切ったことなど今まであっただろうか。

 同時に彼女は直感的にわかった。彼は間違いなくやる。今まで彼に対して見下したような態度を取ってきたのがほとんどだったが、心の奥底、その実彼女は彼を認めてもいた。隣国の元勇者で「蒼穹の獅子」の異名を持ち、弓と紋章術の取り扱いに関して並ぶ者はそうそういないとまで言われるこの男。だがその態度とお世辞にも強力とは言えない紋章術の出力、さらには姑息な戦い方ゆえ、評価をしかねていた彼女だったが、今この場においての彼は間違いなく本物、「勇者」「英雄」「猛将」……。どのような呼び方でさえ当てはまるような気さえしていた。

 

 そう。蒼穹の、眠れる獅子が、ついに目を覚ましたのだ。

 

「クーベル! 30秒後に左の頭に集中砲火だ! 出来るか!?」

「了解じゃ! やってやろう!」

 

 うっとおしいハエを払うかのごとく出される魔物の火球の礫をかわしつつ、クーベルはソウヤに返した。勝負どころ、クーベルもそのことは重々承知なのだろう。伝令はすぐ隊全てへと伝わった。

 

「聞こえたな、エクレール! 30秒後だ、真ん中と右を狙え!」

「ああ!」

 

 エクレールから輝力を高める様子が窺える。まだまだ十分力を残しているらしく、力強い気配を感じる。

 負けじと、ソウヤも弓をこれまでのエクスマキナだけの状態からグランヴェールも取り入れた状態へと変化させた。元々の紺に加え、より深い色合いの青と、攻撃的なフォルムが追加された弓へと形が変わっていく。

 その弓を握る彼の左手に、レオも左手を添えた。次に右手の上にも同様に右手を添える。そしてありったけの輝力がソウヤへと流れ込んでいく。

 

「うおっ……!」

 

 反射的に、ソウヤはそう声を上げた。どこが残り少ないか。十分自分のベスト時の全輝力量を超える量だとさえ思える。気を緩めたら許容量を超えた輝力に体が飲み込まれるような、そんな錯覚を抑えて彼は必死に自身に流れ込んでくる輝力をコントロールする。

 

「さすが底無し輝力。今の段階でさえ俺の全容量超えてんじゃねえか……?」

「扱い切るんだろう? 貴様は輝力の扱いにおいて右に出るものはいないと言われるまでのテクニシャン、ワシが預ける輝力も綺麗に捌いて見せろよ?」

 

 挑発的なレオの言葉に、だが彼も今日ばかりは自信に満ちた笑みで返していた。

 

「ああ、やってやるよ。俺とお前の魂をかけた一撃、失敗してなるものかよ!」

 

 ソウヤの右の人差し指から小指までのそれぞれの指の間に輝力による矢が1本ずつ、合計3本生まれた。指の間を引き裂いてしまうような、巨大で、美しく蒼に輝く輝力の矢。

 

「そろそろか?」

「ああ……!」

 

 ソウヤは背後に眩くガレット紋章を輝かせた。一角を持つ2頭の獅子を形どった、勇猛で雄々しいその紋章。それは、これまでのどの時よりも明るく輝いていた。

 

 これまで回避、あるいは防御に専念していたクーベル達の一斉砲撃が始まる。ラストステージ、戦いの最後の幕が切って落とされる瞬間だ。

 

「ガーネットスパーク、最大出力!」

 

 その声と共にクーベルが放った黄金の一撃を筆頭に、空騎士たちの晶術弾が一斉に魔物の左頭に集中した。たまらず、残り2つの頭が空騎士を薙ぎ払おうと狙いを定める。

 

「紋章剣! 裂空十文字!」

 

 それを阻止するべく、エクレールの紋章剣がまず真ん中の頭を捕らえた。続けて彼女は輝力武装「光輪剣・双牙」の剣も十字状に振るう。

 

「裂空光牙十文字!」

 

 今度は右の頭へ。3つ全ての頭に紋章術を浴び、さしもの魔物も怒り狂ったように、最後に攻撃したエクレールの方へ狙いを変えてきた。

 だがこれはソウヤにとって逆に好都合。おあつらえ向きに目標を差し出してきた相手にソウヤは最大級の皮肉を込めた笑みを送り、弦を極限まで引き絞る。

 

「いくぞ、ソウヤ……。ワシ達の約束を守る……未来のために!」

「ああ!」

 

 瞬間、風が吹き抜けた。凄まじい量の輝力の放射であることを物語る衝撃波。その気配に魔物もようやくその存在、そしてもっとも早くに狙うべきだった存在に気づいたらしく、視線を2人へと向け、口を開けた。

 しかしもう遅い。グランヴェールとエクスマキナ、レオとソウヤ、2人の神剣に輝力と思いを乗せた、放たれるは究極の合体紋章砲――。

 

「「イクリプス……アロー!」」

 




イクリプス……日食や月食を意味する語。「ホーリーセイバー」と対をなす技名にしようとした際、負の意味を持つ単語を使いたかったが、「ダークネス」や「イビル」はちょっと負の印象が強すぎた気がしたので「イクリプスアロー」で落ち着くことに。


エクレ「エミリオは置いてきた。はっきり言ってこの闘いにはついていけない」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 31 魔は退き、そして……

 

 

 魔物から僅かに離れた高台の上、シンクとミルヒは互いの神剣を携えたままその時を待っていた。ややあって、パスティヤージュの一斉砲撃が始まったのがわかった。相手の気を引くための攻撃だろう。だが囮役をやるといっていたソウヤは動きを止めている。いや、むしろ傍らにレオが寄り添い、明らかに紋章砲の構えを取っていた。

 

「レオ様……お引きにならなかったのですか……!?」

「それどころか……ソウヤと一緒にあの体勢ってことは、合体紋章砲……僕達のホーリーセイバーみたいな一撃を撃つつもりなんだと思う」

「……あのお二方は……本当に強い絆で結ばれているのですね」

 

 ミルヒもつい少し前、血相を変えてソウヤに斬りかかったレオを目撃している。それでも今ああやって自分のパートナーを信じて寄り添っているということは、彼女なりにソウヤを信じた、つまり心の奥底では彼を信じていたということにも繋がるのであろう。

 そんな2人が、ミルヒは少し羨ましかった。先ほどソウヤに「シンクとキスしろ」と言われて動揺しながらも、内心で本当はそうしたいという気持ちもあった。エクレールが言ったとおり破廉恥かもしれない。だが自分で切り出した婚約の口約束以降、進展らしい進展はない。

 それから色々なことがあった。先代領主、つまり両親の失踪、国内での内戦、自身の誘拐未遂、そして謀反による逃避行……。その間ずっと付き添い心の支えとなってくれたのはエクレールでありリコッタであり、そして他ならぬシンクであった。だがその間、シンクから互いの仲に関連するような言葉はなかった。彼にとってもう1歩を踏み込むのは容易でないことはわかっている。だが、自分が言い出した婚約が彼を苦しめているのなら、そこまでのわがままを自分が言うべきではないのではないかとも思っていた。

 

 シンクのことは大好きだ。だが、それ故これ以上彼が悩む姿を見たくなかった。ロランに言われた通り今現在、民が明るいニュースを心待ちにしていることは事実だろう。伴侶を見つけられない自分が領主としていつまでも存在することを疑問視されて今回の謀反が起こったと言われれば否定できないだろう。よって、ここが潮時かもしれないと彼女は気づいていた。自分のわがままを我慢さえすればいい。変わらず勇者としてビスコッティを訪れ、シンクと顔を合わせられるならもうそれでもいいかもしれない。伴侶を持てばこうやって戦場に立つことはもう出来ないかもしれない。シンクと共に放つ合体紋章剣はこれで最後になるかもしれない。

 だから後悔しない一撃にしたいと、彼女は思っていた。先ほどソウヤに言われた通り気負いすぎる必要はない。だが、それでも自分にとっての全力を出し切りたい。

 

「ソウヤとレオ様の合体紋章砲……! あれが撃たれたら、行くよ!」

 

 そんなミルヒの心中なぞ露知らず、戦況をずっと伺っていたシンクがそう口走った。見ればエクレールも紋章剣を2発放ち、いよいよソウヤとレオの紋章砲が放たれようとしている。これまで見たことのないほど美しく、眩く輝く背後の紋章から、あの一射は2人の魂の篭った最高の一撃になることは彼女でも容易に予想がついた。

 

「シンク……。私は、シンクのことが大好きです」

 

 なら、その一撃に負けないぐらい、自分達も最高の紋章剣を放ちたい。ソウヤに言われたようなキスは無理でも、今自分の気持ちを素直に伝えて、少しでも絆を深めた一撃を放ちたい。

 不意にミルヒにそう告げられたシンクは驚いたように彼女を見つめ返した。次いで優しく微笑み返して口を開く。

 

「……僕もだよ、姫様」

 

 その一言だけで十分だった。自分がこの人と決めて召喚した勇者は、彼女が胸を張って「ビスコッティの勇者様です」と誇れる存在だった。次の一撃は確実に決める。いや、失敗するはずがない。

 

 ソウヤとレオの合体紋章砲が放たれる。先ほどまでのダブル魔神旋光破より遥かに威力に勝るであろう、神々しく輝く3本の矢が引き寄せられるようにそれぞれの頭に直撃した。

 

「す、すごい……」

 

 思わずシンクが感嘆した声を上げた。相当の威力のある紋章砲、ソウヤはそれを3発に分断させ、かつ軌道を操るように別々の頭に直撃させてみせたのだ。それでいてかなりのダメージらしく、魔物は体をよろけさせつつ頭を振っている。出来ることなら傷つけることも避けたいと思っていたミルヒだが、禍太刀を抜いて元の姿に戻すことが出来れば、弱まった守護力も満ちて傷を癒すことも可能だろう。そしてそのためにも、今こそシンクと共に渾身の合体紋章剣を放つ時だと、彼女はエクセリードを握る手に力を込めた。

 

「行くよ、姫様!」

「はい!」

 

 迷いはない。自分が信じた「勇者」と共にトルネイダーに乗り、魔物へと最短距離を一直線に突き進む。その2人に魔物は気づかない。今度は確実に決まる。同時に剣を振り上げ、そして振り下ろす――。

 

「「ホーリーセイバー!」」

 

 今日2発目となる必殺の合体紋章剣。その波動は真っ直ぐ禍太刀の突き刺さる魔物の背中へと伸び、命中して爆ぜた。効果が確かだったことを示すように魔物が咆哮を上げる。だがシンクはそれを聞き流しながら、ミルヒを抱きかかえて魔物の背へと飛び乗る。狙い通り、禍太刀を体に結び付けていた鎖は今の衝撃で吹き飛び、その姿が露になっている。

 かつての記憶を呼び起こしながら、シンクとミルヒはその刀の柄の部分を握り締めた。己の体の異変に気づいたのか、魔物が暴れだす。背中にいる邪魔者を振り落とそうと体を振るが、2人は禍太刀をしっかりと握り締め、そして少しずつ抜いく。刀身が現れるたびに一層魔物は激しく抵抗したが、2人はその手を緩めず、後もう少しで全てが抜けるというその時。

 

「よし! 姫様、あとは僕が引き抜く!」

「はい!」

 

 以前と同じく、最後の切っ先をシンクが引き抜いた。同時に魔物が激しく咆哮をあげる。苦痛、怨嗟、悲鳴……。だがそれらのように聞こえたその声の中に、どこか安らぎの色が含まれているとミルヒは感じた。再度、断末魔の雄叫びを上げる。「魔物」が、その呪いから解放された瞬間だった。

 

 禍太刀を抜かれた――具体的には、「突き刺さった対象」と「禍太刀」が別たれた場合、それまで魔物として存在していた体は、その形を維持できない。禍太刀の力によって巨大化し、異形化したそれまでの体は土塊へと変化し、やがては崩壊する。

 その崩壊より早く、引き抜いた禍太刀の先、だま化したような音と共に傷ついた1匹の犬が宙へと放り出される。慌てて追いかけ、背中から落下する前にミルヒはその犬を抱きかかえた。傷は深いが息は確実にしている。以前の土地神と同じでよかった、と彼女は安堵のため息をこぼす。

 

「シンク! この子は大丈夫です!」

 

 そう言って振り返った彼女だったが――禍太刀を手放そうとして出来ないシンクを見てしまった。かつての魔物から禍太刀を引き抜いたときと同じ、その刀身が生き物のようにうねり、次の寄生先を求めるようにシンクの右腕に絡み付いている。既に柄は彼の手にはなく、投げ捨てようとしたがそれが出来なかったとわかった。

 

「う、うわっ! こ、こいつ!」

「レオ様! ソウヤ様! シンクが!」

 

 その声に全力の一射を放って脱力状態にあった2人は視線を上げた。シンクが危ない。そう悟り、ソウヤは弓を再び構え、レオもその手助けをするが、背後の紋章の輝きが薄い。

 

「まずい……。さっきので輝力を使いすぎた……!」

「ワシも同じじゃ……。じゃが、シンクを見捨てられるか……!」

「わかってる! ……でもどれを撃ち抜けってんだよ!?」

 

 柄を手放してしまったことが逆に裏目となってしまった。以前のレオはその柄を撃ち抜き、シンクを禍太刀から救ったが、今回はそれを手放している状況。別れた刀身が複数シンクの腕に絡み付いており、1本で撃ち抜くことは出来ない。

 かといって今のソウヤの輝力の状況から軌道をコントロールしての紋章砲を撃つのは困難な状況にあった。仮に出来たとして、命中させられるか。さらには撃ち抜けるだけの威力を発揮できるか。

 悩んでなどいられない。事は一刻を争う。なんとか狙いを定めようと、ソウヤは体に残った輝力をフルに動員し、レオもソウヤにその輝力を分けようと弓を握る左手に力を込めた。

 

 しかし――その矢が放たれることはなかった。

 

天元(てんげん)……鷹紬(たかつむぎ)!」

 

 誰も、()の接近に、目の前まで迫られていたシンクでさえ気づかなかった。帯刀した侍風の男はその声と共に抜刀し、目にも止まらぬ速さで刀を振るう。一瞬のうちに、シンクの腕に絡み付いていた刀身が全て断ち切られていた。

 

「破ッ!」

 

 なおも次の獲物を探そうと刀身を再生させようとする禍太刀の柄へ、男は納刀と同時に何やら札を張り巡らせた。それによって生き物のように蠢いていた禍太刀の刀身の動きが収まり、普通の刀のように真っ直ぐ1本の、しかしやはり禍々しい刃となる。

 

「これでよし、と。危ないところだったな、シンク」

「イスカさん!」

 

 助かった、とばかりにシンクが彼の名を呼んだ。その声に彼は軽く笑って返す。

 

「イスカさんですか!? ……さっすが頼れる兄貴だ。ベストタイミングです。本当に助かりましたよ」

「ああ、無事かソウヤ君。すまなかった。俺達が相手にしていたのがこいつよりちょっとばかり厄介な連中ばかりだったせいでこいつを任せてしまったが……。その1匹がここまで手強かったとは思っていなかった」

 

 これより手強い、と聞き、ソウヤは反射的にため息をこぼしていた。もっと怖ろしい存在がいたと思うとぞっとする。

 

「いえ、なんとかなりましたし。……ってかこれよりヤバいのとか、想像したくないんですが」

「さすがにてこずったよ。知り合い2人連れてきておいてよかった。……おっと、無駄話はこの辺りにしよう。そろそろこの土塊が崩壊しそうだしな。禍太刀を抜く、ってのは実は強引な治療法だ。だがその方法を取ったとはいえ、その動物はおそらく手当てしてあげれば大丈夫だと思うよ。俺はこいつをユキ坊のところに持っていってちゃんと封印しないといけないから、これで失礼する」

「大丈夫なんですか、その刀?」

「今は、な。魔を抑える札で強制的にしばらくその力を抑え込んでいる。……その辺り興味があるなら、今度酒でも飲む時とかに詳しく話してやるよソウヤ君。じゃあ俺は行く。頑張ってな」

 

 一方的に会話を切り上げ、イスカは再び超人的な速度でその場を離れていった。その速度と、今の短い時間に起こったことに誰もが呆然と立ち尽くす。

 が、そんな暇はなかった。シンクとミルヒが立っていた魔物の残骸、今では土塊となったそれが崩壊を始めたのだ。

 

「崩れる……!」

「姫様捕まって! 皆も下がって!」

 

 シンクはトルネイダーを展開し、ミルヒも怪我した犬を抱えながらそれに乗る。空騎士達も距離を置き、地上にいたソウヤ、レオ、エクレールもその場から離れた。

 ややあって土煙が巻き上がり、その残骸は崩壊した。それは魔物との戦いが終わったという、魔が退いたことの証に他ならなかった。

 

 

 

 

 

 魔物との戦いが終わっても、野営地と変わらない本陣は慌しかった。幸い、怪我人はどのエリアでもほぼ出なかったらしく、野営地で確認できる範囲では禍太刀から助けた犬が1番の重傷、次いでレオの足、という状況で、他は皆軽傷どころか戻りつつあるフロニャの守護力の影響で治療すら必要がない程度であった。今、シンク、ミルヒ、レオ、リコッタの4人はその本陣の野営地に設置されたテントの中にいる。そこで禍太刀から助けた犬にリコッタが回復の紋章術を施しているところだった。傷はもう完全に塞がっている。レオはそれより先にあっさりと治療してもらい、既に何の影響もなく歩けるようになっていた。

 

「これでこの子は大丈夫であります。あとはおそらくユッキーが風月庵でしばらく様子を見てくれると思うでありますよ。でもレオ様も、大した怪我じゃなくて良かったであります」

「別に戦えたというに、ソウヤの奴は『下がれ』とか大袈裟に言うからな。この程度で下がっていられるか」

「でもソウヤさんはレオ様のことがそれだけ心配だったということでありますよ。何かあっては、一大事と思ったに違いないであります」

「……フン」

 

 レオはリコッタから目を逸らして鼻白んだ。確かにあの時はソウヤを信じ、自らの輝力とグランヴェールを預けてシンクとミルヒの「ホーリーセイバー」に匹敵するであろう紋章砲「イクリプスアロー」を放った。

 だが、あの時は心から楽しそうに、生き生きとしていたソウヤだというのに、戦いが終わった後は「助かった。休戦は、ここまでだけどな」とだけそっけなく告げると、グランヴェールを彼女に返し、リコッタに治療してもらうようにだけ言ってさっさとこの本陣へと戻ってきてしまっていた。

 その様子から、一度は彼を信じることが出来た彼女だが、今それは少し難しく感じていた。魔物という難題は解決した。しかし、この後はそれと同じぐらいの難題が待っている。そのことはわかっているからだった。

 

「テントの中の4人、治療が終わったら出てきてもらいたい」

 

 そしてそのことを裏付けるように、無機質気味な声がテントの中に響いた。今のはソウヤの声。だが、「休戦」していた時とはまた別な、冷たい声のようにも聞こえた。

 

「……行きましょう、シンク、リコ、レオ様」

 

 意外なことに切り出したのはミルヒだった。それを予想していなかったとばかりにレオが見つめる。

 

「じゃが……出て行っても……」

「わかっています。……いえ、わかっているからこそ、行かねばならないのです」

 

 何かを決心したような彼女の目に、レオは一瞬たじろいだ。その間にミルヒは外へと歩き始め、レオは声をかけるタイミングを失う。

 已む無く外に出た4人を待っていたのは、はたしてその声の主であるソウヤ、レザン、そしてロランと騎士数名であった。

 

「……まずは礼を言わせていただきたい。この度はドラジェに現れた魔物を打ち倒していただき、感謝しております」

 

 頭を下げながらのレザンの感謝の言葉だったが、白々しいとレオは鼻を鳴らして返した。ところがミルヒは丁寧にそれに返答する。

 

「いえ、国をも滅ぼしかねない魔物の出現というのは異常事態です。そのような場で、かつて魔物を倒したことがあるとはいえ、私達を信頼して戦わせてくれたというのはこちらとしてもありがたいと思っています」

「さすがは『聖剣の姫君』と勇者様です。期待以上のご活躍でした。そのことに対しては、心から礼を述べたいと思います。ありがとうございました」

 

 レザンが深々と頭を下げた。が、次に頭が元の位置に戻った時にはもう顔に完全に無表情を張り付けている。

 

「……ですが、それはそれ。申し訳ありませんが、『休戦』はここまでです。話を進めたく思っています」

「わかっています。……私も、今の戦いで心は決まりました」

 

 これにはレザンもソウヤも、一瞬虚を突かれた様子だった。だがすぐに表情を戻して続ける。

 

「……それはよかった。では先ほどの返答、お聞かせ願いたい」

「その前に確認させてください。……今ビスコッティの民は明るい話題を心待ちにしている。内戦に私の誘拐未遂……。このようなことが起こっているような現状、今のままでは私が領主として居続けることは不適格ではないか。……ロラン、あなたはそう言いたくて謀反を起こしたわけですね?」

 

 姫君に鋭い視線を向けられてそれをしばし直視した後、しかし彼はその視線を逸らした。

 

「……そう捉えていただいて結構です」

「ではビスコッティの民に明るい話題を提供し、今一度私が領主として相応しいという姿を見せれば、あなたは納得するんですね?」

「それは約束しましょう。そうなった際、私の身は如何様にでもしていただき結構です」

 

 ミルヒは一度大きく深呼吸した。それから決意を秘めた目で口を開く。

 

「……わかりました。では、私、ミルヒオーレは……」

「待て、ミルヒ」

「口を挟むな、レオ」

 

 が、レオがその彼女の言葉を遮ろうとし、それもまた遮られる。ギリッと歯を鳴らし、レオはソウヤを睨みつけた。

 

「ソウヤ、貴様……!」

「俺達が口を挟むことじゃない。これは、当の本人の問題だ。……ただ姫様、あなたは俺がさっき言ったことを早くもお忘れのようだ。皆が納得する方法を選びたいというのなら、それは自己犠牲でさえもあってはならない。俺はそう言ったはずだ。……今あなたが出そうとした答えは、その俺の忠告をちゃんと守ってくれてますか?」

 

 思わず、ミルヒは言葉を詰まらせた。図星だった。自分1人が我慢すればいい。シンクとは2度と会えないわけではない、むしろ、自分のためにこれ以上彼を縛ることは出来ない。そしてそこで半ば強制的に婚約を迫られているこの状況。なら仕方がない、と彼女は思っていた。だから、レザンからの提案を受け入れるつもりでいた。

 しかし何かおかしい。なぜわざわざソウヤは忠告してきたのか。彼はロランの側のはず、さっさとレザンとの縁談がまとまればそれでいいはずだ。彼女がそう考えているそこへ、口が挟まれてくる。

 

「……ソウヤの言うとおりだよ姫様」

 

 これまで、この件ではほぼ無言を貫いてきたシンクが、ここに来て口を開いた。

 

「シンク……?」

「姫様、まさかとは思うけど、僕にこれ以上負担をかけたくない、だから仕方ないんだ、とか考えてないよね?」

「そ、それは……」

「もしそうだとしたら……。そんなの……そんなの僕が納得するわけないじゃないか……! さっき戦ってる時言ってくれたじゃない、僕のことが大好きだって。それは嘘だったの!?」

「嘘じゃないです! 嘘じゃないから……大好きだからこそ……シンクにこれ以上負担をかけさせたくない……私のせいでシンクを縛るようなことをしたくないんです……!」

「姫様!」

 

 ビクッとミルヒは肩を震わせた。怒りの色の篭ったシンクの声。その声で自分のことを呼ばれるのは、ミルヒは初めてだった。

 だが、次に口を開いたシンクから出てきたのは、普段通りの優しい、語りかけるような声だった。

 

「……僕なりに考えたんだ。姫様は、僕がもうここに来ない、って言ったら、悲しい?」

「当然です! そんなの……そんなの絶対嫌です!」

「僕もだよ。だから、僕が地球に戻ってここに来ない、という選択肢はなくなる。……じゃあ僕がここに永住する、って言ったら?」

「それは……嬉しいですけど、でもシンクには地球での生活も……」

「うん、僕は申し訳ないって思いながらも、地球での生活を捨てることも出来ないんだ。……そしてさっき言った通り、僕に負担をかけたくないから仕方なく、なんて答えを出して欲しくもない」

 

 そこまで言うと、シンクはひとつ息を吐いた。

 

「……レザン王子、騎士団長。先ほどの話、要するにビスコッティに明るい話題が欲しい、そして姫様が領主として相応しい姿……つまり、結婚相手が必要だ、そういうことですよね?」

「そういうことです。だから僕が名乗りを上げさせていただきました」

「……申し訳ありません、レザン王子。僕はそれを認めるわけにはいかない。なぜなら、姫様は僕と婚姻の約束を交わしているからです。付き添う者が必要というのであれば、僕が付き添います」

「シンク!?」

 

 それは口約束のはずだ。ここでシンクがそのことを言い出せば、それは正式なものになる。そうなったらミルヒとしてはこれ以上なく嬉しい。嬉しいが、シンクをより縛ってしまうのではないかという懸念の方が先に出てしまう。だから彼女は彼の名を呼んでその先を止めようとした。

 が、それより先に口を挟んできたのは意外なことにソウヤだった。

 

「待て、シンク。それをこの場で認めるということは……正式に婚約を受け入れるということだぞ。……いいんだな? お前は王になるんだな?」

「王にはならないよ」

 

 シンクがミルヒの方を振り返る。どこか困ったような、申し訳なさそうな表情だった。

 

「……さっき言ったように、僕はここに来ないという選択も出来なければここに永住という選択も出来ない。そして姫様が仕方なく、という選択をするのも見過ごせない。……なら残った方法は1つ。

 姫様、以前言ってくれたよね? 僕が勇者として往復生活をしていても、互いに顔を合わせる時間が少なくてもいい、会えるだけでも嬉しいって。その言葉は、本当?」

「本当です。シンクが私と一緒になってくれると言うのなら……たとえ会える時間が少なくても、私は構いません」

「……僕は、本当はそれは嫌だった。姫様と結婚しても側にいられないなんて、そんなの婚約する資格がないと思ってた。でも、地球での生活を捨てきることも出来ない。フロニャルドでの生活も捨てられない。なら……欲張りだしわがままだけど、両方取るしかない、って思ったんだ」

「わがままでもなんでも構いません……! シンクに負担をかけたくないし自分のことで縛りたくない……。でも本音を言えば私はシンクと一緒にいられるなら、もうなんだっていい……!」

「姫様……!」

 

 思わず、2人は駆け寄り、抱き合った。そのまま数秒、シンクがミルヒの両肩を掴んで自分から離す。そして、ソウヤの方を振り返った。

 

「……ソウヤ、僕が姫様と婚約したら、今回のこの騒動は全部収まるんでしょ?」

「そういうことになるだろうな。……だがわかってるだろうな? これまでの往復生活からその大変さは身に沁みているはずだ。もしお前がこれまでどおりの往復生活を続けながら、それでも姫様と結婚する、となれば、その負担はより大きなものになるぞ?」

「わかってる。……でもそれは僕が頑張ればいいこと。ずっと一緒にいられないことだけは申し訳なく思うけど、姫様がそれで納得してくれるなら、僕は構わない。それでいいなら、僕は姫様と婚約を交わすよ……!」

 

 ソウヤがミルヒの方へ視線を移した。

 

「……と、こいつは申しておりますが、いかがですか、姫様?」

「構いません。シンクは勇者で、そして私の伴侶になっていただければ、それ以上望みません。私がこれまで同様領主として、一層精進することを誓います」

 

 ひとつ、ソウヤは息を吐き出した。

 

「……最終確認だ。シンク、お前の選ぶ道は間違いなく茨の道だ。これから先、苦難が数多く待っている。それでもいいんだな?」

「それでも乗り越えてみせる。姫様と一緒なら、きっと乗り越えられる」

「姫様もこいつがずっと側にいるわけじゃない。それでもいいんですね?」

「はい。シンクが納得する道、そして私もそれを受け入れることが出来る道です。シンクがいいというのであれば、是非もありません」

「なら最後にひとつだけ。……シンク、俺は往復生活の辛さから、言っちまえば逃げてこうなった。そのことに若干の後悔はある。……お前はその地球とフロニャルドの両方を選んだ苦難の道を、後悔せず挫折することなく進むことが出来ると思ってるか?」

「思う、とかじゃない。出来るよ」

「なぜ、そうはっきりと言い切れる?」

 

 シンクは笑った。どちらかといえばそれは、ソウヤがよくやるような皮肉っぽい笑みだった。

 

「ソウヤが言ったことじゃない。だって僕は……」

 

 息を吸い、そして吐く。そこにあったのは。迷いも曇りもない澄んだシンクの顔――。

 

「だって僕は、勇者だから!」

 

 ソウヤの口元が僅かに緩む。そして彼は天を仰いだ。大きく息を吐き出し、肩が大きく下がる。それはまるで、これまでの両肩にずっと乗り続けていた重石から解放されたようにも見えた。

 彼の顔が戻ってきた時、もうそこにはシンクのよく見知った、親友としてのソウヤの顔しかなかった。どういうことか尋ねようとするより早く。

 

「……終幕だ!」

 

 演技っぽく上げたソウヤの両腕とその言葉に呼応するように――どこかで花火が数発上がった。

 呆然とするシンクを余所に、不意に空に映像板からの映像が映し出される。

 

『ビスコッティ国営放送のパーシー・ガウディです! ここで緊急ニュースが入ってまいりました! ビスコッティ勇者シンクと領主のミルヒオーレ姫殿下が、旅行先のドラジェにて婚約を交わしたということです! ひょっとしたら婚約のための旅行だったのかもしれません! 少々不鮮明ですが、我々の優秀なスタッフがその映像を収めることに成功しています!』

 

 あることないことを言ったパーシーのアップの後、確かに不鮮明ではあるがシンクとミルヒが並んで立っている映像が映し出される。ほんのついさっきの出来事をどういうことか撮っていたらしい。だが音声では確かに「僕は姫様と婚約を交わすよ……!」という声を拾っている。

 

『お聞きいただけたでしょうか!? 確かに勇者シンクの声であります! ついに勇者様と姫様の婚約が決まりました! もうビスコッティはお祭り騒ぎになるでしょう! 以上、臨時ではありましたがパーシー・ガウディがお送りしました!』

 

 それで空に映し出された映像は消えた。ぽかんとそれを見つめていた2人に、不意に拍手が送られる。ソウヤ、レザン、ロラン、目の前の騎士達、野営地にいた者達……。明らかに2人を祝福しての拍手だった。

 

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 まず我に返ったのはレオだった。おかしい。ついさっきまで自分達を陥れようとしていたはずではなかったのか。なのにこれはどういうことか。

 

「どういうことじゃ!? レザン、なぜ貴様まで祝福しておる!?」

「嫌だなあ閣下。僕なんかが姫様と釣り合うわけがないじゃないですか。姫様のお相手は勇者様、それ以外ありえませんよ。そもそも、僕の方の縁談はまだ姫様ほど切羽詰ってはいませんし」

 

 平然とそう言ったレザンは普段通りの、レオがよく知るかつてのレザン王子そのままだった。

 

「な、何を言っておる!? じゃが貴様確かに……」

「おいおいレオよ、お前さん本当に耄碌(もうろく)したのか?」

 

 気楽そうに言ってみせたのはソウヤだった。もはや彼女が1度感じた狂気といった類は微塵も感じられない。

 

「まだ気づかないのか? ロランさんの謀反から先全部……いや、魔物の一件を除いて全部、か。俺が筋書きを書いた、と言ったな。確かに筋書きを書いたのは俺だ。だがそれは同時に茶番(・・)であり、すなわち基本的に全て演技(・・)だったんだよ」

「……え?」

「……は?」

「なん……じゃと……?」

 

 シンク、ミルヒ、レオの順に、そう間の抜けた声が響いた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 演技って、そんなわけ……」

「それが……こいつが言ってるのは全部本当なんです、姫様」

 

 その声と共に姿を表したのはガレットに保護されているはずの、しかし先ほどの戦闘でも加勢してくれたエクレールだった。表情には苦々しい様子が浮かんでいる。

 

「エクレール!?」

「さっきも思ったけど……エクレ、どうしてここに?」

「そう、今シンクが言ったとおり……本来私はここにいるはずのない存在なのです。その私がここにいるということは、何よりの証明になりませんか? 私はパスティヤージュの追撃戦の後、エミリオと共にガレットに保護された……。ですが、そんな『保護下』であるはずの私が、なんの咎めもなしにここにいる……」

 

 言われてみれば妙だとレオは思った。確か先ほど「バナードに直訴してこの場にいる」という話を聞いた気がするが、保護下の人間を自由に動かすなど通常では考えられない。その前にバナードはソウヤ側、つまり自分達を陥れた、いや、彼はそれは演技と言っていたが、ともかく相対する側のはず。だとするのなら……。

 

「ではタレミミ、こいつが言った『演技』という言葉を信じるとして、お前はワシ達を騙す側にいたのか?」

「騙す、ってのは……。いや、実際騙してたか。俺は道化(・・)だしな。こいつがこっち側についたのは保護した後だ」

「……こいつの言うとおりです。私も姫様との逃避行、パスティヤージュの追撃戦までは何も知らず、こいつの手の上で踊らされた……。その後保護され、エミリオと共にヴァンネット城に護送された時に、バナード将軍からこの一連の騒動の真相を聞かされ……腹立たしいことですが、最終的にはソウヤの側、つまり、レオ様のお言葉で言うなら『騙す側』に属していたことになります」

「ま、待て! タレミミ、お前の話はこの騒動が『演技』だという前提で進んでいるが、ではロランの謀反はどう説明する!? それも嘘だった、とでもいうのか!?」

「ええ。その通りですよ」

 

 そううそぶいてみせたのは当のロラン本人だった。その表情からはかつてミルヒに見せたような険しさはすっかり消え失せている。

 

「その度は、とんだご無礼をしてしまいました、姫様。ですが……」

「ちょ、ちょっと待ってください! あのロランの言動が……全部演技だったというんですか!?」

「……姫様をここまで欺くとは、相当熱演されたようですね。どれだけだったか見てみたいものだ」

「い、いやそれはおかしいでしょソウヤ!」

 

 愉快そうに言ったソウヤと対照的、シンクもやはり信じられないとばかりに会話に割って入った。彼はあの場に雪崩れ込んでミルヒを連れ出している。この狂言はミルヒを連れ出さなければ始まりもしなかった。なら、彼がいなければ何もかもが成り立たなかったということになるはずだ。

 

「だってあそこに助けに入ったのは僕だよ!? それじゃまるで僕が姫様を助けるために飛び込むのを最初から予想してたような……」

「してたような、じゃない。お前は俺の狙い通りにあの場に乱入し、そして姫様を助け出した。知らず知らずのうちに俺に踊らされていたんだよ」

「そんなはずは……! だってあの時飛び込むのを決めたのは僕自身だよ! それもソウヤによってそうさせられた、ってこと!?」

「思い出せ、シンク。あの時なぜお前はロランさんの動きを知ることが出来た?」

「それは……」

「『騎士団長とメイド長のよからぬ話を耳にした。だから姫様の部屋に盗聴器を仕掛けた』、そう言った人物がいたからだろ? 付け加えるなら……その人物はその時にシンクに姫様を助け出すよう提案し、その後宿を取った時にあっさりと受付を済ませ、それからもそれとなく口を出してきて、俺の揮下でこちら側のノワールと情報収集という名目で連絡を取り合っていた……」

 

 ハッとしたように、3人は一斉にある人物の方を振り返る。

 

「そんな……!」

「リコ!?」

「リコッタ、お前まさか……!」

 

 視線の集中を受けたリコッタはどこか困ったように身を縮こまらせた。

 

「いやあ……何もかもソウヤさんが言ってるとおりであります。この件ばかりは本当に申し訳なく思ってるであります……」

「リコッタはお前たちのお目付け役だ。逃避行を続ける姫様達をそれとなく監視し、連絡役のノワールを通じて状況が逐一俺の耳に入ってきてたわけだ」

「じゃあ騎士団長とメイド長のよからぬ話っていうのも……」

「それ自体でっちあげであります。そもそも騎士団長もリゼル隊長も、今回のこの一件を仕組んだ側。やましい心など全くないでありますよ」

「待て」

 

 レオが話に水を差す。まだ彼女の表情は険しい。これまでの話の一応の筋は通っていると感じながらも、容易に信じることは出来ないでいたからだった。

 

「百歩譲ってこの件が全て狂言だった、そして絡んだ人間が全員、今リコッタが述べたようにやましい心がなかった、としよう。……では、一国の領主と勇者、さらにはこのワシを手玉に取ってまで行ったこの一連の騒動、一体何が目的じゃ?」

 

 チラッとリコッタがソウヤのほうへ視線を送る。その視線を受け、ソウヤは深々とため息をこぼした。

 

「その質問がお前から出てくるとはな。本当にわかってないのか?」

「……薄々は勘付いておる。じゃがそれは首謀者の口から語られるべきじゃろう」

「ま、それもそうか。……言うまでもなく目的は、シンクと姫様の正式な婚約の取り付けだ」

 

 さも当然とばかりに告げるソウヤ。それに対してレオは視線をより鋭くしただけだったが、当の本人達、つまりシンクとミルヒは「え!?」と明らかに動揺を見せる。

 

「……ちょっと待て当人2人。本当に気づいてなかったのかよ?」

「い、いや、それは目的の一部とかにあるとは思ってたんだけど……。本当にそれだけ!? だって、たったそれだけのために、ソウヤは複数の国や隊長クラスの人達を巻き込んだんだとしたら、全く釣り合いの取れない話じゃない?」

「ワシもシンクと同意見じゃ。いくらなんでも規模がでかすぎる。シンクとミルヒの婚約の取り付け、それだけのためだとしたらこんな大騒動を引き起こす必要がなかったのではないか?」

 

 真面目なレオの質問に対し、だがソウヤはフフッと不敵に笑っただけだった。

 

「それだけのためだ……と、いいたいところだが、残念ながら半分はそうだってところだな。あとの半分は……はっきり言えばその方が面白いからだ」

「面白いじゃと!?」

「だってそうだろう。言っちまえば、こういう()()()()だって興業になるわけじゃないか? 現にこの話を国営放送の人間に振ったら興奮気味に食いついてきた。こんな俺が考えた茶番を、実に面白いエンターテイメントだと称賛して、後々にシンクと姫様の結婚式が近づいたら映像を編集して放送したいからいい絵になりそうなシーンをうまく演出してくれとかぬかしやがった。普通に考えたら実に馬鹿げてる話だよ。でもな、俺は納得しちまった。だって()()()()()()()()()()()()な。ならいっそ盛り上げりゃあいい、そういうことさ」

 

 3人が言葉を失うのがわかった。なるほど確かにこれは興業、エンターテイメントとして成り立つ方法だ。だが規模がおかしい。「面白い」という理由だけでやるには度が過ぎてはいないだろうか。

 しかしそれでも完全に否定は出来なかった。確かに似た例で言うなら以前のロランとアメリタの件がそうだろう。大いに盛り上がったという前例がある。それをさらに、大幅に規模を広げたのが今回だ、と言われればそれまでとなってしまうかもしれない。

 

「……ソウヤ様、今までのお話、全て筋が通っているとは思います」

 

 皆一応はわかったからだろうか、しばし沈黙は続いた。ややあって、それを破るように静かに口を開いたのはミルヒだった。その表情は複雑で、沈んでいるというほど暗いわけでもなく、だが話がわかったからと明るいわけでもなかった。一言で言うなら困惑、という言葉がもっとも適しているであろう。

 

「ですが、やはりどうしても納得出来ません。そもそもこの一連の『騒動』は、ソウヤ様が筋書きされたと言うロランの謀反から始まるより前に始まっていました。私の誘拐未遂、内戦、そして私の両親……先代領主夫妻の失踪。その混乱に乗じるようにしてこの一件が行われたというのであれば、私は納得することは決して出来ないでしょう。一歩間違えれば、ビスコッティは本当に混乱の渦に巻き込まれることになりかねなかった……。いえ、先に述べた真相もわからない以上、明るい話題を国民に送ることが出来たとしても、本当にその空気を払拭できるか……」

「あー姫様、ちょっといいですか」

 

 不意にソウヤによって話を遮られミルヒは言葉を止める。代わりに懐疑的な目で彼を見つめなおした。

 

「……なんでしょうか?」

「じゃあこういうことならどうでしょうか。確かに俺が仕組んだ茶番はロランさんの謀反からだった。だが、俺とは別の何者かが、()()()()から暗躍していて、俺と同じ事……要するに、あなた達2人の進展、ひいては正式な婚約の取り付けを考えていた、としたら?」

「……え?」

「そもそも俺は混乱に乗じてさらに何かを仕掛けることが出来るほど肝っ玉がでかく、また悪趣味に出来てませんよ。……信じるか信じないかはあなた達次第ですが。

 まあいいや。つまり俺は何が言いたいかというと……。()()()()んですよ、ビスコッティに立ち込める暗雲なんてものは、最初からね。内戦も、あなたの誘拐未遂も、何もかもが仕組まれての狂言だったんです」

「ば、馬鹿を言うな!」

 

 叫んだのはレオだった。

 

「貴様が復帰したのはミルヒの誘拐未遂の時からのはず、それ以前はワシと共に休暇だったはずじゃ!」

「だから、以前のことに俺は関与していない。加えるなら、あの誘拐を俺が未遂に()()()()()()せいでここまでの事態に発展しちまった……いや、させちまったのさ。

 ……それはともかくとして、時に姫様、あなたはこうお考えのはずだ。『例えそれらが仕組まれたものだとしても、あくまで内戦と誘拐未遂の話。やはり最初から、というのは言い過ぎではないか』と」

 

 まさにその通り、心の中を読まれたようなソウヤの言葉にミルヒは重々しく頷いた。それを見てソウヤはどこか満足そうに口元を緩める。

 

「……そろそろ全ての種を明かすとしますか。……王子」

 

 ソウヤに名を呼ばれ、レザンは頷き、その場を離れ始める。彼が近づいていったのは殺風景な野営地の中にはやや似つかわしくないような、そこに止められた騎車だった。丁寧に、敬意を払いながら彼が扉を開ける。中から現れたのは中年の男女だった。その姿を見た瞬間、ミルヒが目を見開き、レオが「馬鹿な……」と呟いて息を飲むのがわかった。

 唯一わからないシンクだけが誰か知りたいとミルヒの方へ視線を移すが、彼女は呆然とその2人を見つめ続けるだけだった。代わりにレオが、やはり信じられないとその2人の呼称をポツリと口にする。

 

「ビスコッティ……()()()()()()()……!」

 




天元鷹紬……DD’7話でイスカが使用した紋章剣。公式設定資料集に「天元」とありました。どうやらイスカの太刀の名前が天元のようです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode EX 5 The Beginning Day

 

 

 時はひと月ほど遡る。ガレット先代領主伴侶のソウヤが休養を終え、義弟であるガウルから預かった書簡をミルヒに送り届けに来た、要するに姫様誘拐未遂の内戦、及びソウヤ復帰の夜戦の翌日。

 

「……もう1度言ってもらえますか?」

 

 今、ソウヤはビスコッティ騎士団長のロランと2人きりで対談をしていた。その最中(さなか)、挨拶もほどほどにロランの口から切り出された一言にソウヤの顔色が変わったのだった。

 ポーカーフェイス、というのとは少し違うが、ソウヤはあまり感情を表に出さない人だ、とロランは感じていた。元々感情の起伏も穏やかなのかもしれないが、多少のことには動じない、という節がある。だからこそあれだけ勇猛果敢な妻を(めと)ることが出来たのだろう、とも思える。

 そんなソウヤがここまで露骨に衝撃を受けたことを表情に表すなどかなり珍しい。そうなる原因を作った一言を言ったロランも、見るのは初めてのことだった。

 

「実はビスコッティの先代領主様ご夫妻は、行方不明になどなってはいない」

 

 2度聞いた同じ言葉に、身を乗りだし気味だった体を背もたれに預け、天を仰いだ後でソウヤはため息をこぼす。その一言を聞くまではてっきり妹の身の振り方の相談だとばかり思っていた。が、その目論見は大きく外れたことになる。しかしロランからすればその話は今の話より優先度が低い、ということになるらしい。現にロランの今の目は嘘を言っていない目だ。そうとわかっていながらなおソウヤは信じられないでいた。

 

「……笑えない冗談だ」

「申し訳ないが冗談でもなんでもない。本当のことだ。その証拠として、ここにお2人のサインが入った書状もある。差出日は先月としっかり明記されている。これだけでも、2ヶ月前の失踪というのは虚偽であるということがわかるだろう」

 

 重ねたロランの言葉と手元にある書状に対し、冷ややかにソウヤが一つ笑って返す。

 

「ちなみにその書状、見せていただくことは?」

「残念ながら出来ない。一応、重要機密文書扱いだからね」

「なら申し訳ないがあなたの言葉だけでは信じることは出来ませんね。行方不明になっていないなら、なぜ失踪したことになってるんですか?」

「ご本人達の希望だ」

「じゃあ捕まった、あるいは政治的策略に巻き込まれた、の線もなしですか?」

「ああ。お2人は今も元気に()()()に身を寄せておられる」

 

 ソウヤは黙り込む。ある国に身を寄せている、しかし政治的策略に巻き込まれてはいない。だとすると、受動的ではなく能動的に自らの存在を隠しているということか。

 

「……その国はどちらで?」

「すまないがまだ言えない。あなたが仲間(・・)になってくれるとは限らないからね」

 

 仲間。やはりなにかよからぬ雰囲気が漂う。ソウヤは警戒心を一層強めた。

 

「……ではお2人は現在のビスコッティの状況を知っているんですか?」

「勿論ご存知になられている」

「だとするなら、なぜ無事であることを発表しないんです? 今のビスコッティはお世辞にも安泰とは言いがたい状況だ。姫様の婚約相手が正式に決まっていないという事例もそうですが、それ以上にこのビスコッティであろうことか内戦がわずか2ヶ月のうちにもう3度も起こっている。しかも3度目は姫様の誘拐未遂ときた。この異変は先代領様主ご夫妻失踪の件から始まって……」

 

 そこで何かに思い当たったかのように、ソウヤは言葉を切った。思わずロランの口の端が緩む。さすがに聡明だ。説明の手間が省ける。

 考えてみれば解らなくもないことだ。ソウヤの言う通りこの異変の発端は先代領主失踪から始まる。だが、その失踪は実は失踪ではなく、()()()()そういうことになっているらしい。その後起こった内戦、これも先代領主は知っているというのに態度を変えようとしない。となれば、そこから導き出される答えは――。

 

「……先代領主様ご夫妻がこの状況を黙認……いや、この状況を()()()()()()()……」

「ご名答。さすがですね、デ・ロワ卿……」

 

 声のトーンを僅かに落とし、ロランは言った。

 

「3度の内戦とも、先代領主様のご指示です。1度目は姫様を元気付ける形で、2度目はたまたま姫様がいらした砦を攻める形で、そして3度目はその姫様を狙う形で……」

 

 続けて語るロランに対し、思わず細めたソウヤの目が鋭くなる。思考が考えたくない答えにたどり着こうとしている。内戦を扇動したのが先代領主、そして騎士団長がそれを知っていて黙認状態、最後に狙いが姫。

 

「……クーデターでも起こすつもりですか?」

 

 話しながらソウヤは右手に意識を集中させる。返答次第、あるいは相手の出方次第によってはすぐにでもエクスマキナは剣の形を取るだろう。だが分別あるこの騎士団長がクーデター、など考えられない。未だ真意が見えないのだ。

 

「クーデター……。なるほど、それがソウヤ殿が出した答えか。……あなたがいた世界ではそういうことはよく起こるのかもしれないが、ここフロニャルドではそんなことは滅多に起きない」

「滅多に、では、極稀には起きるわけですよね?」

 

 ますますソウヤの視線が突き刺さらんばかりに鋭くなる。返答を間違えたか、とロランは思わず苦笑を浮かべた。

 

「失礼。では今私はそのようなことは考えていない、と答えよう。これならその殺気を多少は鎮めてくれるか?」

「……その言葉にどこまでの信憑性があるか知れたものじゃないですが」

 

 ふう、とロランは大きくため息をこぼした。降参、とばかりに両手を広げる。

 

「わかった、やめよう。……あなたを茶化すのも命懸けだ。それだけ臨戦態勢を取られてはこっちとしても気が滅入る。では、事の真相をお話しよう。だがそれを説明する前に……ソウヤ殿は私がどのようにしてアメリタとの結婚に至ったかご存知か?」

 

 これまで張り詰めていた空気が一気に軽くなる。これまでの言動が()()()()()だったと言わんばかりにロランからの重い雰囲気は消え去り、ソウヤと話し始めた当初のように戻っていた。ソウヤもそれを感じ、警戒をやや緩めたものの、まだ本意を掴みかねており、緊張を完全に解いてはいない。

 

「ええ、勿論知ってますよ。あの時()()()を指定したのは他ならぬ俺ですし」

「ああ、そういえばそうだった。……あなたの世界でこの月に結婚すると幸せになる、という言い伝えからだった、かな」

「そうです。結果、あなたはアメリタさんとはうまくいってるご様子だ。幸いなことに同じく去年のこの月に結婚した俺も、ですが。……まあいいや。で、それが何か?」

「アメリタが誘拐され、単騎で来るように指定された私は1人で彼女を助けに行った。そしてガレット軍を蹴散らしたところで姫様が現れて私とアメリタの関係を暴露、最高に盛り上がった状況で私は姫様の言ったことを否定することは出来ず、結局アメリタが折れて私達はあの場で挙式を行うこととなった……」

「そうでしたね。もう4年前かな。……それで?」

 

 思わずロランが笑みをこぼす。自分への不信感からか、未だ目の前の知将は話の真意に辿りついていないらしい。若いながらも策略をめぐらせることに関しては右に出る者がいないとも言われるこの男を一瞬でも手玉に取れた、というある種くだらない悦びを覚える。おそらくこんなことはもう2度はないかもしれない、そんな風にロランは考えていた。

 

「お気づきになられないか? 誘拐されたアメリタ、助けに行った私、そしてその後の結婚式……」

「だからそれが……」

 

 言いかけた言葉を切り、

 

「……おいおい、嘘だろ……」

 

 何かに気づいたらしく、彼の顔に苦笑いが広がっていく。次いでソウヤは左手を額に当てて天を仰いだ。

 

「……じゃあなんですか、置き換えるとするならアメリタさんは姫様、あなたはシンク、そしてあの時の姫様が先代領主様、ってところですか? 2度の内戦は布石、3度目の誘拐が本命で、そこで姫様を誘拐し、翌日シンクがそれを1人で助けに来る。そして助けたところで行方不明になっていたはずの先代領主様ご夫妻が現れて2人の口約束の婚約を本物に変える……」

「正解です。デ・ロワ卿。この書状に、あなたが今おっしゃったとおりのことが書かれている」

 

 ハァ、と今度は俯いて大きくソウヤはため息をこぼしつつ、ロランが差し出してきた書状を受け取って軽く目を通す。サインは本物らしく、日付は確かに先月。そして書かれていた内容は今ソウヤが言ったこととほぼ同じ。再び大きくため息をこぼして、書状を机に置いてからソウヤは椅子に深々と背を預けた。先ほどまでの警戒心はもう完全に解いている。もはや必要ない、事の真意は見えた。それなら合点がいく。

 要するにその4年前のロランとアメリタの件になぞらえて、シンクとミルヒを同じ状況にしようとしていたのだ。シンクが単身捕らわれた姫を助けに奮闘し、最高に盛り上がったところで婚約の件を発表する。そうなれば2人も断ることは出来ず、婚約は大衆の目の前で認められることとなる。

 普通じゃそんなのはありえない、で却下されるだろう。だが()()()()()()()()()()。凝ったドラマよろしくの茶番(・・)が仕立てられるのは日常茶飯事、そしてそれが()()()世界だ。捕らわれの姫を助けに単身戦った勇者が、その後で結婚を約束するとなったらさぞかし盛り上がったことだろう。

 

 つまるところ、ビスコッティは最初から不穏な空気などなかったのだ。確かに先代領主失踪という「作られた」事態は起こっていたものの、それ以外で言うと起こった内戦は3度、うち2度は多くの人間が「姫様を元気付けるため」という解釈を取っていたために問題になっていない。

 問題になるとすれば今回の3回目。しかしそれも本来なら翌日にシンクによってミルヒが助け出され、そこでこの騒動は終わる予定だったのだ。だがそれが失敗ということで、ロラン側から見れば予定が狂ってしまったことになり、周辺各国も「ビスコッティに不穏な空気が渦巻き始めた」と思うようになったのだろう。

 

「……ってことは、俺は余計な邪魔を入れた、ってことですか?」

「残念ながらそういうことになる。無論、ガレットからの増援は考えていた。そのため、私同様前もってこの情報を知っていたバナードには増援を送るということになったらそれとなくガウル殿下にやめさせるように頼んでいたのだが……」

「ちょっと待った。……あの切れ者将軍が知ってたって?」

「ああ、知っていたよ。今回のこの一件は、先代領主様ご夫妻が計画し、それ以外で知っているのは私とバナードぐらいだがね。根回しのために話を通していた」

「……数日前に会ったのに何も顔に出してなかったぞ、あの人。やっぱ食えない人だ」

 

 漏らした呟きを軽く笑って流し、ロランは続ける。

 

「とにかく、本来ならバナードが止めるはずだったのだが、ガウル殿下は独断で、まだ休養中だったはずのあなたの予定を前倒しして出撃を依頼した。……今回の誘拐戦が失敗したと聞いた時は頭を抱えたよ。ここまで事を大きくしたのに失敗してはいけない最後の局面で事を詰め誤った……」

「クソッ……。まさか良かれと思ったことが裏目になってた、ってことか……」

 

 俯いて右手で頭を抱えるソウヤ。どうあれ、結局自分が首を突っ込んだせいで段取りを狂わせたことに変わりはない。

 

「……さて、状況をわかっていただいたところで、私が最初に言ったことに話は戻る」

「最初?」

「ああ。……仲間になってくれるかどうかわからない、と私は言った」

「……俺にこの失敗の尻拭いをしろと?」

「本音を言ってしまえばそれが一番望ましいんだが……。そこまで厚顔な物言いはしないよ。出来ることならあなたの頭脳を借りたい。それが無理なら、この事態についてはレオ閣下、ひいてはガレット側を抑えて静観していてもらいたい」

 

 一瞬、ソウヤが黙り込む。

 

「……2点、いいですか?」

「なんだい?」

「まず、この茶番(・・)の始まりは2ヶ月前だ。いくらなんでも2ヶ月間、周囲の人間を騙し続けるというのは期間としては長すぎる。なぜ、失踪の情報を流したすぐ後の内戦で誘拐戦を行わなかったんです?」

「先代領主様ご夫妻のご意志だ。可能なら、勇者殿に自ら答えを出してもらいたかった。ある意味では猶予期間、と言ったところか」

「……なるほど。婚約の口約束を交わしたのは去年の瑠璃の月。そこから4ヶ月待っても状況に進展がなかったから行動を起こした、と」

「そういうことになる。加えて、その4ヶ月目は丁度勇者殿にとっては節目の年と聞いていた。だから、それに合わせて答えを出してくれるのではないか、という期待があっての猶予期間だった。その後はビスコッティの状況を改善するために婚約、という選択を取ってもらいたくての2度の内戦だったが……。効果はなかったらしい。もっとも、その2度はあなたが言った通り布石で、3度目を盛り上げるための演出という意味合いもあるがね」

 

 2度頷き、「……なるほど」とソウヤはこぼした。

 

「では2点目。……3度目の、要するにあなたとアメリタさんの時になぞらえた方法。その方法でよしんばうまくいっていたとして、最後の最後にシンクと姫様、互いに納得すると思っていたんですか?」

 

 ハッと息を飲み、ロランは口を閉じた。

 

「確かに猶予期間を過ぎてからだ。もう酌量の余地なし、という判断で無理矢理にでもくっつけてしまえ、というのはわからなくもありません。……あなたとアメリタさんの時は彼女が結局折れた。そしてあなたもまんざらではなかったためにうまくいった。でもあの2人、特にこういうことに関しては頑固という言葉ですら温いほどの姫様が、折れると思いますか?」

「いや……。それは……」

「そうなると折れるのはシンクだ。しかしおそらくそこでも姫様がシンクの妥協を認めないでしょう。結局そこでの目論みも失敗、場合によっては2人の口約束すら白紙に戻る可能性すらあった。そこまで考慮しての判断でしたか?」

「……ないわけではなかったよ。先代領主様ご夫妻は、それでダメなら姫様には勇者殿を諦めてもらって、他の人を見つけるしかない、というご意見のようだった。……私としては、妹がああなってしまった以上、勇者殿にはなんとしても姫様と一緒になってもらいたく、この話を進めていたがね」

「……そうですか」

 

 それきり、ソウヤは口を紡んだ。それをロランも黙って見つめていた。

 やはりこの青年はなんとしてもこちら側に引き込みたい、とロランは改めて思っていた。彼の本心は先ほど言葉にした通りだ。このバナードをも越えると噂される策略家を味方として、さらに一旦頓挫したこの計画を立て直す主軸となってくれればベストだ。それが無理でもその知恵を借りることが出来れば、最悪邪魔さえしてもらわなければいい。

 実際彼の嗅覚は鋭く、そして誰よりも弟分のことを考えている。互いの気持ちまで考えての2つ目の質問。それを出来る時点で彼はシンクのことを本当に心配しているのだろう。ロランも2人の仲については進展を望んでいる。その「姫と勇者の関係の進展」という点に関しては目の前の男と利害は一致する。勇者となった時期こそ後だが、年上であり先に妻を(めと)った彼の方が兄貴分だ。なら、弟分の幸せは願うに違いない。

 仲間になってほしい、それが無理なら意見を借りたい。その思いで、ロランは口を開く。

 

「……ソウヤ殿、先ほどのこちら側に来ていただきたいという返答、如何に?」

「……わかりました」

 

 しばらく黙り込んで考えた後、ソウヤはようやく口を開いた。

 

「……ったく、妹がいつまでも結婚しない、って件で相談だと思ったのにまさかこうなるとは……」

「ああ、確かにそれも相談したかったが……。今はそれどころじゃなくなってしまっていたし、勇者殿の件が片付けば、それも一応の区切りを迎えられると思っていたからね」

「参考までに聞きたいのですが、この後ロランさんはどういう方法を取るつもりでいました?」

「恥ずかしい話だが、昨日の失敗でもう考えも何もなくなってしまったよ。バナードから今日ソウヤ殿が来ることは聞いていたから、その時に意見を仰ごうというぐらいに、手が詰まっている」

 

 ため息をこぼし、ソウヤは頭を掻く。

 

「……仕方ない。乗りかかった船だ。……いや、一度船を沈めたのは自分か。俺も手伝いますよ」

「本当か! 助かる」

「あの馬鹿の幸せは俺も願ってますしね。……あいつがさっさと正式に婚約を認めてりゃこんなことにはならなかったってのに」

 

 自嘲的にソウヤが笑う。よくやるいつも通りのその笑みが、ロランには心強く見えた。

 

「……で、ある程度俺は考えが浮かんでるんですが、いいですか?」

「ああ、言ってみてくれ」

「最終的には、さっき言った『姫様をどう折らせるか』が目標になります。まあこれははっきり言ってしまえばそこまで難しくはない」

「え……?」

「本人達にそう決めさせればいい。なら、俺は『道化』となって舞台を回し、然るべき場を整えればいい」

「……話が見えないのだが」

 

 クックックとソウヤは笑いを噛み殺す。それをロランは怪訝な表情で見つめた。

 

「……失礼。やはり俺はあまりいい性格ではないらしい。これから俺が言おうとしていることは『本人達に気づかぬうちに演者を演じてもらう』ってことです。そのためには、まず味方を増やしたい」

「味方……?」

「ええ。姫様誘拐未遂という既に結構大それた事をやらかし、しかも2ヶ月も不穏な空気を漂わせているんだ。だったら、()()()()()()()()

 

 平然と言い放ったソウヤに対し、ロランの表情が固まる。既に思わせぶりな3度の内戦を行ってしまっている。ひょっとしたら大衆も気づき始めるかもしれない。そのためにロランはここまででもう限界、と思っていた。だがこの人はまだ事を大きくする、いやそれどころかその空気すら利用するつもりか。

 しかし驚くと同時に感心もしていた。自分やバナードではその発想は生まれなかった。なるべく事を荒立てずに、国内でうまくまとめきる、そのつもりでいた。しかし彼のこの口調、おそらくこのビスコッティだけでなく彼の国も巻き込むつもりだろう。

 

「何驚いた顔してるんです。あなただって結構なことをやってるでしょうに」

「いや、まあ確かにそうではあるが……」

「それにこの国で人気絶大なあいつと姫様の婚約までの道のりです。そういう派手な茶番の方が、国民にも受けがいいでしょうし、何より祝福も大きくなると思いますよ。

 それはそうと、先代領主様、確か連絡が途絶えたということになっていたのはドラジェだったはず。なら、今はドラジェに?」

「ああ。……それとなくお2人が頼んでまだ見つかっていないことになっているが……」

「ならまずドラジェのレザン王子を完全にこっち側に引き込みます。それで2人の状況は安泰だ。次はこの国での協力者が必要なところですが……」

 

 そこまでソウヤが言った時、不意に扉がノックされる。

 

「お茶をお持ちいたしました。入ってもよろしいでしょうか?」

 

 声から察するにリゼルだ。確かに茶を持ってくる、とは言っていたが、それにしては随分とゆっくりだ。

 ロランが目でソウヤに確認を取る。ソウヤは頷いてそれに答えた。一旦話は小休止、ということになりそうだ。

 

「入ってくれ」

「失礼いたします」

 

 扉が開き、一礼してリゼルはお茶の乗ったカートを押してくる。他のメイドはいないらしい。カートを部屋の中に入れ、扉を閉めた彼女はカートと共に2人の元へ近づいてきた。

 

「お話はいかがですか?」

「あ、ああ。なかなか順調だよ。さすがソウヤ殿だ、相談してよかった」

「そうですか」

 

 ロランはややうろたえた様子だったが、特に気にしていないのかリゼルはカップに茶を注ぎ2人の前に差し出す。

 が、この抜け目ないメイド長がその様子に気づいていないはずなど、いや、既にそんなことはそれ以前の問題として、話は進もうとしていた。

 

「……それで、私はその味方(・・)に入れてもらえますか?」

「なっ……!」

 

 カップに手を伸ばしかけたロランが驚愕の声を上げる。一方ソウヤはまるでこれを予期していたかのように失笑しただけだった。

 

「……やっぱりですか。あなたはそういう人だと思ってましたよ、リゼルさん」

「リゼル! 盗み聞きをしていたのか!?」

「申し訳ありません、騎士団長。……ですが昨今のこの状況に加えて、昨日の不審な人事配置……。何かあるのでは、と少々探りを入れさせていただきました」

「ロランさん、あなた昨日何やったんです?」

 

 ソウヤがカップに手を伸ばしてお茶を口に運ぶ。一方のロランは渋い表情を浮かべてソウヤの問いに答えた。

 

「……姫様の外遊の護衛を極力減らすように工作した。本来は親衛隊をつけずに私が指揮を執る騎士団のみの構成のつもりだったが……。エクレールがどうしてもと聞かないからな。私の代わりにあいつに指揮を執らせた。付け加えるなら、護衛につける騎士の数も本当は50にしたかったが、エクレールがその倍はほしいと100になったという背景もあった」

「その際、私にはここに残るよう強く言われ、その上でついていくメイド隊は戦闘経験の浅い者ばかり数名でしたので」

「それで誘拐戦が起こった。そりゃ疑われますよ。確かに誘拐を成功しやすくするための内部工作として護衛をなるべくつけないなんてのは常套と思いますが。……で、リゼルさんは途中まで立ち聞きしてたのでここまで入って来れなかった、と」

「ええ。そうです。そのためお茶が少々冷めてしまいましたね……。メイドとしてこれは本当に申し訳ありません」

 

 リゼルが頭を下げる。盗み聞きは謝らず、冷めたお茶に対しては謝る。それはどうなんだろうかと思わず突っ込みを入れたいロランだったが、話の腰を折るかもしれないとそれはお茶と一緒に飲み込むことにした。

 

「聞いてたなら話は早い。騎士団長の疑いは晴れました?」

「晴れたというより、もっと深まったというか、確定的になったというか」

「……ソウヤ殿、これはリゼルも引き込まざるを得ない状況か?」

「ええ。というより元よりそのつもりでした。姫様の身辺警護を担当し、カンも鋭いこの人は引き込んだ方が話が早い。……協力してくれますか?」

 

 ソウヤの問いにリゼルは得意のメイドスマイルを浮かべ――。

 

「はい。姫様と勇者様のためです。何より()()()()ですし、喜んで協力させていただきますわ」

 

 あっさりとそう返した。

 

「メイド達のコントロールは任せます。……これで大分楽になった。騎士団とメイド隊の頭が抑えられてますからね。あとは……ロランさん、嫁さんを説得しておいてください」

「アメリタをか? いいが……なぜだ?」

「姫様のスケジュール管理はあの人だ。シンクの……そうだな、夏休みに合わせてうまくスケジュールを調節してほしい。これで数日かけて荒事をしてもなんとかなる……」

「……ソウヤ殿、何を企んでいる?」

 

 ロランの問いにソウヤは含み笑いを返しただけだった。

 

「もうちょっとお待ちを。あと……隠密2人はいつ戻るかわかります?」

「いや、まだなんとも。帰ってきたら声をかけたほうがいいか?」

「ええ。ですが国に戻ってきたら俺に連絡をください。直接説得します。あの2人は全部をひっくり返しかねない、カードゲームで言うジョーカーだ。まず最優先で味方に入れるべき存在になりますからね。……実際あなたとアメリタさんの時もそういう見解で引き込みましたし」

「エクレールは? この案に乗ってくれるか怪しいが……」

「俺もそう思ってますし、この際なのであいつには()()()もらいます。……ちょいといい案が思い浮かびそうなので」

 

 どうにもこの男の考えていることはわからない。ロランは難しい顔で彼を見つめていた。

 

「主席はどうなされます?」

「引き込みます。……が、これはうちのノワールとセットかな。彼女には姫様たち()()()()()()()()をしてもらって、ノワールと連絡を取り合ってもらいたいですし」

「お目付け役……ですか?」

 

 リゼルが返すがソウヤは答えない。やはり先ほど同様声を噛み殺して笑っただけだった。

 

「ソウヤ殿、もはやビスコッティはかなりの人数を説得するということだが……。一体何をお考えだ? これはかなりの規模の話になると思うのだが……」

 

 業を煮やしたロランが考えの真意を聞きたいという口調で問いかける。

 

「そうですわね……。これだけとなればかなりの大ごと。何をなさるおつもりです?」

 

 続けてそう言ったリゼルの方を一瞬見た後、ソウヤは視線を落とす。やや間があって、小さく笑みを浮かべつつ、ゆっくりと口を開いた。

 

「……いいでしょう。俺が考えてる茶番(・・)を大まかにご説明しましょう。まず……姫様には()()()()()になっていただく」

 




タイトルの意味は「始まりの日」、一応beginningに形容詞的使い方があるから絶対間違ってる、とかじゃないはず……。
そのタイトルの通り、ソウヤにとってこの日が始まりの日、ここをきっかけに彼は道化として茶番を仕組んでいくことになるわけです。
時間軸は冒頭に書かれているようにミルヒの誘拐未遂の翌日、ソウヤがフィリアンノ城を訪問した時になります。
つまり、Episode 4の1つ目と2つ目の場面転換の間、そこで行われたのがこの話し合いになるわけです。もし再度読んでいただける、という機会がありましたら、既にこの時からソウヤは後の騒動を起こすことまで考えて行動していた、というところを念頭に置きながら読んでいただけるとまた違った見方ができる……かもしれません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 32 そして道化は幕を下ろす

 

 

 コンフェッティ城の中庭。いや、中庭という表現が正しいかも怪しい、城の敷地内とはいえ人目につかない芝生の上に1人の青年が無造作に腰を降ろし、空を見上げていた。大きく息を吸い、そして吐く。

 彼の表情は澄んでいた。長年背負い続けた重石がようやく取れたような、何かをやり遂げたような、そんな表情だった。

 城の中からは喧騒が聞こえてくる。あの後、野営地にいた者達、さらには魔物討伐に協力してくれた周辺各国の人々をコンフェッティ城へと招き入れ、勇者と姫君の婚約を祝うという名目で食事会が行われていた。そのためにわざわざ周辺各国の人々を前もって()()()()()()()、そうなるようにうまく仕組んだのだ。そのせいか、彼のところまで酒の入ったような声が響いてくる。長年保留だった、仲睦まじかった2人がようやく正式な婚約を発表したのだから当然ともいえる。とはいえ、少し気が早いと彼は思わずにはいられなかったが。

 人目を忍んで、その場から逃げ出すようにここに来なければならない、という責務は彼にはなかった。その場の中心にいて「全ての舞台を整えた男」として称賛されてもおかしくはない立場だった。だが、誰よりも厚い仮面(ペルソナ)を身につけて心を押し殺し、自身を滑稽に「道化」と称して場を操り、自身も踊り続けた。そして結果を見ればアクシデントがあったとはいえほぼ彼が思った通りに事は動き、誰もが喝采を送りたくなるフィナーレを作り出してみせた。しかしステージ上で演目を終えた演者達が喝采を浴びている今、もう彼は舞台に留まっていなかった。

 

 このままブラリとどこかへ消えてしまう、そんなのも悪くないとふと思う。結果はどうあれ、一歩間違えれば謀反の扇動、領主クラスという重要人物に対する欺瞞(ぎまん)、他国への必要以上の政策への介入、さらには魔物が現れた原因の一因を担っているのではないか、と疑われる可能性すらある。他にも領内による他国との戦闘行為、興業という範疇を越えているとも言われかねない一騎打ち、自分の隊以外の無断運用……。細かい事例まで挙げたら、彼が犯した「罪」と呼んでもいい行為は枚挙にいとまがない。もし彼が元いた世界でなら間違いなく重罪の烙印を押され、下手をすれば一生()()()の空気を吸うことなく終えるような結末になるかもしれない。

 しかし実際罰せられるようなことはないだろう、彼はそう高を括っていた。なぜなら、()()()()()()()()()()()()である。事前にこの計画を知っていた人間は、誰も彼を責めようとしなかった。咎めようともしなかった。それどころかこの茶番(・・)染みた筋書きを称賛し、国営放送の人間に至っては後に編集して放送する予定で密かに撮影をすると言い出し、さらには「歴史に残る名ドラマとして残る可能性すらある」とまで言ってのけた。

 とはいえ、これだけの大仕掛けをやらかし、それでもなお我が物顔で「いやあハッピーエンドになってよかったよかった」と両手を叩きながら言うことなど、彼には到底出来なかった。彼は人を踊らせてその人間の運命を弄ぶことに快楽を得ているわけでも、そうやって人を躍らせた上で己の考えがピタリと当てはまったことにこの上ない喜びを得られる性格でもなかった。百歩譲ってそう言った感覚を持ち合わせたとしても今回はそれを表に出せるほど厚顔ではいられなかった。うまくいった、さらには親友のためにやったとはいえ、その親友と一国の領主、さらには自身の妻をも欺いたのだ。一体どんな顔をして会えばいいというのだろうか。やはりどこかへ消えたい衝動へと駆られる。

 しかし彼はそれをしようとしなかった。いや、正確にはできなかった。彼をここに繋ぐ「約束」がある。まるで審判を待つ者のように、ただそこに座り続けていた。

 

「こんなところにおったのか」

 

 そしてその審判者とも言うべき、彼が待っていた声が背後から聞こえてきた。自嘲気味に笑みを浮かべ、彼は首だけを後ろに向ける。

 

「まったく食事会の会場はおろか、城内でも見かけんというから探したぞ。なぜ会場を抜け出した?」

「どの面下げて、あの場にいろっていうんだよ?」

「その面でいいじゃろ。それ以外あるか?」

 

 身も蓋もないと彼は肩をすくめる。いつだってそうだ。得意の小手先、口先のやり取りは全て彼女の前では通用しない。それほどに彼女は優雅であり、誇り高かった。だからこそ高嶺の花とわかりつつも彼は彼女に惹かれた。そして彼女も己にはない部分を見出して彼に惹かれ、結果として今のような形になったのかもしれない。

 

「お前はこの茶番劇の立役者。その主役が会場にいないとはどういう了見じゃ、ソウヤ?」

「それは違うなレオ。確かにこの茶番を仕組んだ総責任者が誰かと問われれば俺と答えるだろうな。だが主役は俺じゃない。最後まで見事に演じ切り、ハッピーエンドを掴み取ったシンクと姫様だろう」

「お前に踊らされているとも演じさせられているとも気づいていなかった、が抜けているがな」

 

 やはり包む気がない一言にソウヤは苦笑を浮かべた。レオに言われた通りだ。確かにシンクとミルヒは見事に彼が描いたシナリオを演じ切った。だが、当の本人たちは演じているとは知らず、加えればそれは彼の背後にいるレオも同じ、であった。

 

「……で、呼び戻しに来たのか? お前がそんな無粋な真似をしに来るとは思えないが」

「会場に連れて帰って衆目に晒すのもよいかもしれんな。……しかしそれでもワシの腹の虫は収まらん。シンクとミルヒとこのワシを手玉に取ったこと、果たしてどう落とし前をつけてもらおうかの?」

 

 ニヤッと彼女が不敵な笑みを浮かべる。が、ソウヤは特に動じた様子もない。この馬鹿げた計画をぶち上げた時に彼女の怒りを買うことぐらいは織り込み済みだ。そこを差し引いても友人には愛する姫君との婚約へと踏み切ってもらいたい。ついでに、どうせやるなら()()()巻き込んで派手にやりたい。そう願ったから、彼は計画を実行へと移したのだ。

 

「何を要求されようと、俺は従順な子羊のようにそれに従うよ。命さえ見逃してくれるなら鉄拳制裁だろうが、大爆破で吹き飛ばされようが、甘んじてそれを受け入れる。……ああ、離婚ってのだけは出来れば勘弁してもらいたいな。お前と、それにレグに会えなくなるってのはどこに生きる意味を見出したらいいかわからなくなりそうだ」

「なるほど、婚姻の解消か。それは思いつかなんだな。お前に灸を据えるとしてもっとも効果的なのはそれか」

「……おいレオ」

 

 それまでのどこか余裕のある表情から一転、ソウヤの表情が一気に固まった。だが予想通りの反応だったのだろう、レオが思わず小さく吹き出す。

 

「冗談じゃ。まあ貴様のことだ、生き甲斐云々はどうせ戦興業に精を出せばすぐに見つかることじゃろうが、それをワシとレグの代わりにされるのは、こちらとしても少々悔しいというか……。腹を割ってしまえば、お前がいなくなったら、ワシも寂しいしレグも寂しがる、ということじゃな」

 

 それを聞き、ソウヤはため息をこぼした。顔色にもどこか安堵感が戻る。

 

「じゃあ離婚はなし、ってことか」

「ああ。……ついでに言うなら、今回のことでは何も責めずにおいてやる」

「……いいのか?」

「本音を言えばいいはずがなかろうが。じゃが、どうせお前はこの後大目玉を食らうことになる。ミルヒ然り、ガウル然りじゃ。……言っておくが、怒ったミルヒはワシよりも怖いぞ?」

「そいつは怖ろしい。今から震えてその時を待つことにするよ」

 

 皮肉っぽく笑ったソウヤの隣に、レオが腰を下ろす。こうやって裏がなく肩を並べたのは数日、いやずっと計画を立てていたというのなら約1ヶ月振り。さらに言うなら、これだけ清々しい表情を見られたのも久しぶり。

 これこそ自身が求めていた男性の表情だとレオは思う。ずっと何かを塞ぎこんでいたような、思いつめていたような、そんな憑き物が落ちたような表情。それもそうだ。ここしばらく、頭の中ではいかにしてこの大舞台を「成功」させるか、そればかりがチラついていたのだろうから。

 それがようやく終わり、己につけられていた重厚な仮面を取った彼を、彼女は労ってやりたかった。だから、もしここで自分を求めてきたら、場所も顧みずに、はしたないとわかっていてもきっと甘んじて受け入れてしまうのだろうとも思っていた。自分はそんな気持ちになり、そして場のムードもそういう空気になっていると感じていた。

 だが彼が求めたのは彼女の唇でも、ましてや体でもなかった。そのまま体を横にし、彼女の太股に頭を乗せる。言ってしまえば「膝枕」の状態だ。

 

「……なんの真似じゃ?」

 

 思わず、怪訝そうにレオは尋ねた。いつだってそうだ。こうやってムードを作り出したところで、それを感じ取ってもくれない。「自分はシンクやガウルほど鈍くない」と彼はよく言う。確かに早い段階からレオの心を悟っていたし、ノワールのガウルに対する思いに気づいてもいた。そういう点でそれは間違えていないだろう。だが如何せんデリカシーがない、こういうときに場を察してくれない。そういった「女心をわかってくれない」というところでは、彼が引き合いに出したシンクやガウルとも似たり寄ったりだと彼女は思うのだった。

 

「疲れた……。この姿勢が楽だからな。ちょっとそのご立派な太股を貸してくれ」

「ここはレグの特等席じゃ。お前に貸す場所ではない」

「そのレグが今はいないんだ。……だったらいいだろ、別に今ぐらい」

 

 まったく、とレオはため息をこぼす。しかしここまで大役を背負ってきたソウヤは、こうやって本当は誰かに甘えたかったのかもしれなかったとも思えた。だから、普段は撫でられることを好む彼女が、この時ばかりは無意識にソウヤの頭を撫でていた。

 

「大体は……わかったか?」

「今回の一件か?」

「ああ」

「さっきお前とロラン、それにビスコッティ先代領主ご夫妻からあれほど詳しく、そして疑いの余地のないほどに詳細に説明されたんじゃ。嫌でもわかるわ。種を明かせばあれも嘘、これも嘘。全てが演技。先代領主夫妻失踪という話も、内戦も、ロランの謀反も、ワシ達の逃避行も全てが仕組まれたことじゃった、ということであろう?」

「ああ、そうだ。そこまでわかってる上で……それでも俺に聞きたいことはあるか?」

 

 レオが一瞬押し黙る。確かに今言ったとおり、この騒動のそもそもの仕掛け人であるビスコッティ先代領主ご夫妻、その代行として当初の計画を実行に移していたロラン、そして助け舟を出す形で最終的に総責任者とでも言う立場に立ったソウヤ。その詳細な説明から、ビスコッティどころか他国すら巻き込みかねないこの騒動が全て仕組まれた茶番であり、シンクとミルヒの婚約をこぎつけるための物だったということは承知している。

 しかしそうだとして、疑問が完全に晴れたわけではない。レオが口を開く。一度聞いたことだろうと、本人の口から説明があったことだろうと構わず、改めて聞きたいことだった。

 

「お前は本当に、シンクとミルヒの婚約をこぎつける。ただそれだけのためにこれほどまでに大掛かりで馬鹿げた茶番をしたのか?」

「……何度聞く気だ? 答えはイエスだ」

「ビスコッティの謀反もどきも、パスティヤージュの途中介入も、魔物の乱入も予定通りか?」

「……また最初から説明しなおしをお望みかよ。ああ、最後の以外はそうだ。魔物についてはトラブル、と捉えてくれ。元々その気配はあった。お前が星詠みで視た、と言っていたからな」

「だがお前はその魔物への対策も取っていたわけだろう?」

 

 レオはソウヤが言った「プランB」という言葉を思い出していた。おそらくそれが非常時、魔物出現時の代替策のことだったのかもしれないと思っていた。

 

「ああ。魔物が出現した時の非常用に『プランB』を用意していた。お前たちとの休戦と防衛の最優先だ。一応言っておくと、魔物が現れる可能性を示唆した時にノワールにこの計画の実行自体を反対された。だが、既にアメリタさんに日程を頼んで調整済み、シンクもさっさとしないと休みが終わっちまう状況で引けなかったから強行しちまった、って背景はあるんだがな。

 実を言うとあとはカミベル乱入時用の『プランC』もあったんだが……。使うことなく終わって助かった。もっとも、ダルキアン卿に頼み込んで、少し前から周辺を警戒してもらっていたから、本当はプランBも不発で終わってほしかったというのが本音だが。ま、ビスコッティを空けていてもらった方が、茶番を仕組む上でも都合がよかったし、うまく終わったことだからもういいんだが」

「そしてお前は『謀反で捕らえられかけた姫様を助け出した勇者との逃避行』などという『三文芝居』を考えた」

「おいおい、『三文芝居』ってのは下手な演者に投げかけるべき言葉じゃねえか? 俺に言う分には構わんが、他の人間は見事な演者だった。……そう、それこそ『本気で』演じたわけだからな。だからいうなら『茶番』が妥当だ」

 

 話の腰を折られてレオがムッとした表情を浮かべる。演者。それは何も知らずに踊った、いや、「踊らされた」者のことを言っている。それは情報を全く知らなかったシンクでありミルヒであり、そしてレオ自身のことでもあった。改めて手玉に取られたと思うとやはり少し腹立たしい。

 

「なら茶番にしてやろう。ともかく、ここまで馬鹿げたほど壮大な計画を仕掛けておき、いざその目的はといえばシンクとミルヒの婚約。……わざわざここまででかくする必要はあったのか?」

「それも説明済みだろう。本来はロランさんとアメリタさんの時のレベル程度な規模で収めるつもりが、俺のせいでそれはおじゃん。代わりに、と俺が盛り上がりそうな計画を思いついただけだ」

「そこじゃ」

 

 膝枕されているソウヤに、レオの鋭い視線が降り注ぐ。嘘は言わせない、ごまかしもさせない。暗にそう意味するだけの力のある視線だ。

 

「仮にも現実主義者を名乗る貴様が、これだけ不安要素の多い計画を『盛り上がりそう』というだけで実行に移すか? まあ盛り上がったのは事実じゃ。国営放送ではないが、結婚式とあわせてこの逃避行をドラマ仕立て、それもこれ以上にないほどリアルなドラマとなれば、視聴率は凄まじいものになるじゃろう。

 ……じゃが本当にそれだけか? いくらなんでも割りに合わなすぎる。2人の婚約、というだけなら、ここまで事を荒立てなくても済んだはずじゃ。

 そこでワシが考えたのが……。お前自身のためではないか、ということじゃった。お前に限ってハイリスクローリターンな選択はしない。じゃったら、何かしらお前に見返りが来るはず。しかし、身分や出世だの、そんな俗世な事に興味を示さないお前じゃ。だとしたら……自己満足、お前が1度口にした、『運命に翻弄された人間模様』、それを見るためにだったのではないか、と考えた」

 

 ソウヤは何も返さない。普段通りの表情を貼り付け、レオを見上げていた。

 

「……外れていて欲しい、と思いながら言うぞ。お前は、ゲームをしたかったんじゃないのか? リアルな人間達を掌の上で動かし、それがどう動いていくのか、どう運命に翻弄されていくのか、そんなゲームを楽しみたかったのではないか? 自身は設えられた絶対安全な椅子からその様子を見守り、果たして自分の作ったシナリオに対してどこまで思い通りに動いてくれるのか。そんなリアルなボードゲームを楽しむために、この計画を実行に移したのではないか?」

 

 しばらく、ソウヤは口を閉じたままだった。だが、レオの話に続きがないとわかると、ややあって、口の端を僅かに上げた。

 

「……さすがはレオ。俺のことなどお見通しか。……と、言いたいところだが、それは100点満点でいうなら30点だ。確かに俺は自分で言うのも何だが策謀家だ。戦の時、考えた作戦がピタリとハマった瞬間、それはなんとも言いがたい悦な気分に浸り、アドレナリンが脳内に溢れるのも事実だ。しかしそれをやるなら、俺は絶対安全の椅子には座らねえな。己の身もチップに代えて、そのゲームに乗らせて頂いた上で快感を得たい。そもそも今回だって『道化』として俺も舞台上で踊ったわけだぞ。

 だがな、今回のこれに関して言えば、そんな感覚は微塵も感じなかった。そんな喜びよりも先に感じたのは安心感だった。無事、幕は下りてよかった、そうとしか思えなかった。もしもここで俺が砂一粒ほどでもお前の問いにイエスと思えたなら、俺は他人の運命を左右させて快楽を得られるような悪人になる素質があっただろうにな。しかし実際に心に溢れたのは紛れもない安堵感だけだった。俺は他人を、殊に親友と愛する女を弄んで、それでさらに悦に入れるほど図太い神経じゃなかったらしい。だからお前のその予想は外れていることになる」

「だったらなぜ……!」

「30点の部分、それは『自己満足』だ。俺はあいつの、『シンク自身の口から』姫様に対する婚約の言葉を引き出したかった。そして、実際にそれを引き出したことで、俺は満足したってのは事実だ。

 『自分が決める』のと『周りに決められる』のは結構違うものがあるらしくてな。俺はかつて自分の心を殺し、お前の気持ちも無視して地球に帰ろうとしていた。だが、お前自身と、そしてこの世界で出会った人々の言葉を思い出して、もう1度考え直した。考え直して……改めて『自分の言葉で』お前への気持ちを伝えた。……だから俺は、今もこうしてお前といられると思っている」

 

 シンク自身の口から、言葉を引き出したかった。それがソウヤの真意だというのだろうか。だとするなら、そのために、そのためだけに――。

 

「そのためだけに……貴様はこれほどのことをやらかしたというのか!?」

「『人間死んだ気になれば何でもできる』とは俺の世界でよく言ったものでな。一度そんな状況で約束を交わせば、命に代えてでもその約束を守ろうとするものなのさ。シンクみたいなクソがつくほど真面目な奴なら、なおさらだ。だが逆にそれ故、シンクは最後の決断を下せなかった。口約束で婚約を交わしても、婚約予定の相手の両親が失踪しても、その後国で内戦が起きても、さらにはその姫君が誘拐未遂にあっても、だ。だったらもう()()()()()まで行くしかない。あいつも退けない状況を作り出すしかない。付け加えるなら、頑固すぎる姫様をもっとも納得させるのはあいつだろう。だからこそ、あいつの、シンク自身の言葉を引き出したかった。

 ここから先は俺の勝手な推論だ。そうであって欲しい、という願望と捉えてもらっても構わない。……あいつは当に答えなんて出していたはずなんだ。なのに地球の生活だなんだ、結局答えを先延ばしにしていた。だから、俺はあいつに期限を設けてやったんだ。絶対に退くことのできない期限を、な。

 だからあいつがこれまで通りの勇者生活を選ぶ、と言った時、狙い通りとは思った。絶対にそう言うとわかっていた。そのはずだったが……さっき言ったとおりそれ以上の安心感が生まれたさ。俺の読みどおり、という喜び以上に、あいつ自身が自分で道を選び、それを突き進んでくれるだろうって思えたからな」

 

 自嘲的に、ソウヤが笑う。結局、この元勇者は現勇者のためだけにこの計画を考え、実行したということになるらしい。

 だから彼は時に憎まれ役を買って出た。シンク当人もわかっていることを敢えて口にしたり、今回で言うなら「本当にミルヒにふさわしい存在か」と投げかけたり。それら全て、他ならぬシンクを思っての行動だったのだ。

 

「……馬鹿だな、お前は」

「ああ、馬鹿だよ。大概に、な」

「まったく心配をかけさせおって……。ワシはてっきり、またお前が魔物に取り憑かれるのではないかと心配していたというのに……」

「なるかよ、んなこと。大体お前の星詠みだって視えたのは巨大な魔物だった、という話だっただろうが。……ああ、それで思い出した。俺はお前が星詠みをしたって言った時、てっきりこの計画がお前にバレたもんだと思ってたんだよ。だかららしくなく取り乱したんだ。だがお前は魔物しか視えなかった、と言ったからな。おかげでそれに対する対策は取れた」

「……しかし『狂気に支配された貴様の顔』が、まさか演技だったとは思わなんだがな」

 

 今のレオならわかる。あの一瞬だけ、「狂気に支配された顔」をソウヤが見せた時だけ、彼が全く異質だったその原因。それは、「演技」だ。彼は狂った自分を一瞬演じてみせた。おそらく彼女を黙らせるためだろう。だから、普段とは全く異なるその様子を醸し出し、そして彼女を惑わせたのだ。

 だが当の本人はきょとんとレオを見上げる。そのこと自体が初耳だったからだ。

 

「何だその……『狂気に支配された顔』ってのは」

「ワシが星詠みの時、魔物の後に視えた、狂気に歪んだような貴様に似た男の笑みじゃ」

「な……! そんなの初耳だぞ!? なんで言わなかった!?」

「言えば本当にそれが現実に起こってしまう、そんな嫌な予感がして黙っていたのじゃ」

 

 ハァ、と大きくソウヤがため息をこぼした。そして右手で頭を抱える。

 

「……そうか。だからあの時」

「ん?」

「お前が俺に飛びかかろうとしたろ? 魔物出現の報告の直前だ。あのお前の行動だけは予想できなかった。俺のあの芝居めいた笑みを見せ、ありえないセリフを吐けば、お前なら何かを勘付いて引っ込むと思ってた。当初の予定なら魔物は出ないはずだったから、そのまま姫様が心を決めようとしたところでシンクが割って入って大団円。そういうはずだったんだよ。

 ……ところが俺の笑みを見た途端、お前は激昂した。間違いなく本気で斬りに来るとわかった。その展開だけは想像してなかった。……そうか、そういうことがあったからか。情報不足、って事だな。『人間、計画を練れば練るほどボロが出ると思うが大丈夫か』とロランさんに危惧されたが、まさにそれを地で行っちまってた、裏目ってたわけか」

 

 ククッとソウヤが自嘲的に笑う。唯一、今回の計画で完全に計画外だった行動といえばそれぐらいだった。

 次いで彼は大きくあくびをこぼす。見るからに眠そうな様子だった。

 

「……段々眠くなってきたな。質問があるなら早めにした方がいいぞ」

「もし、お前の計画に便乗する形でロランたちが本当にクーデターを起こしたとしたら、どうするつもりじゃった?」

「もし、はない。実際には起きなかった。それが全てだ」

「……では、もし、お前とシンクの一騎打ちのとき、シンクがお前を本当に斬っていたら……」

「同上。もし、はない」

「……貴様、『現実主義者』とか言っていつもそう言うが、都合の悪い質問は全部それで逃げるつもりではあるまいな?」

「お、いいところに気づくな。確かに、半分はそれで合ってる。だが、答えようがないだろう? 実際は起こらなかったわけだ。だから考えるだけ無駄だ」

 

 大きくレオがため息をこぼした。もう何を言ってもこの調子で逃げ切られるだろう。だがそれでも、最後にどうしても聞きたいことがあった。

 

「……では最後にひとつだけ。出来るなら逃げずにこれは答えろ。もし、シンクがミルヒに婚約を迫らなかったら、お前はどうするつもりじゃった?」

「同上……で済ませたいが、答えてやる。……ああ、ついでにここまでの質問の答えも合わせて答えてやるよ。今お前が言ってきた質問、それは、全て有り得ないんだよ」

「なぜじゃ?」

 

 ニヤッとソウヤが笑う。全てを悟ったような、それ以外に答えはないと言いたいような。まるでこの世の全てを知る賢者が物事を滔々(とうとう)と説くように、彼は淀みなく告げた。

 

「なぜなら、あいつは勇者だからだ。そして、()()()()()()()()()()()()だよ」

 

 一瞬虚を突かれた表情を浮かべ――そしてレオは心から笑った。実にナンセンスな、説得力のない答えかもしれない。だが、それで十分だった。それが、全てだった。

 一体何を不安に思う必要があったろうか。この世界と彼の何を疑う必要があっただろうか。そうだ、ここはフロニャルドだ。謀反だの侵略だの、そんなことが起こるはずのない世界だ。そして、誰よりもその世界を理解しようとして愛したソウヤが、それを起こそうなどと動くはずもなかった。

 結局こんな答えで満足してしまった自分まで、この男の掌の上だったのだとレオは気づいた。だがそれでいい。踊らされるのは好きではない。それでも、この男になら、死ぬまで踊らされてもいい。そうとさえ思えてしまう。だから今こうして、彼女は己の太股の上で心地良さそうに寝そべる夫をただ優しく見守るだけだった。その彼の瞼が次第にまどろんでくる。

 

「……悪い……。さすがに……疲れた……。少しでいい……このまま寝させてくれ……」

 

 レオは頬を緩める。ここまで「道化」として舞台を回し、自らも最後まで演じ切ったのだ。今ぐらい、夫のわがままにつきあい、労ってやろう。彼女はそう思い、右手でそっとソウヤの頭を撫でた。

 

「……ああ。大役ご苦労じゃったな。我が夫、『蒼穹の獅子』よ……」

 




タイトルはEpisode 31からの続き。うまく五七五調にまとめた……つもりが最初と最後が字余り。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 33 演者達のカーテンコール 前編

 

 

 シンクとミルヒの婚約が大々的に報じられてから数日が経った。

 パスティヤージュ領、エスナートにあるエッシェンバッハ城。領主執務室に3つの顔が並んでいる。険しい、というより明らかにお冠な様子のリーシャと、その前には申し訳なさそうに縮こまりながら領主机の前に腰掛けるクーベル、そしてその傍らに立つキャラウェイの3人だ。

 

「さて、クーベル様。私がここに来たのは他でもありません」

 

 いつぞやのデジャブ、しかしかつて行われた時とは立場がまるで逆だ。

 

「先日は何が何だかわからないうちに出撃を命じられ、『姫様達を保護しろ』という理不尽な命令の後だったために拒否しようとしましたが、あなたにしては珍しく強く命じられたために仕方なくそれに応じた。そこで待っていたのはなんと魔物との戦闘だった。そしてその後も何が起こっているかわからないうちに終わり、食事会ということになった……。魔物の登場は本当にイレギュラーで、どうやらシンク君と姫様は婚約を取り付けた。あの()()()がそれを仕組んだ、そこまではわかりました。ですが細かいことは未だ私は何もわかっておりません。あなたは『後日改めてちゃんと説明する』とおっしゃいました。さあ、洗いざらい話していただきますよ!」

 

 蛇に睨まれたカエルの如く、ビクリとクーベルが肩を震わせる。そう、本来の領主はこんな様子であるはずだったではないか。よくよく考えれば、あんな深刻な顔をして有り得もしないようなことを言い出したこと自体がおかしかった、その時になぜ気づかなかったのだろうか。

 

「リーシャ、まあ落ち着いて……」

「キャラウェイ君は黙ってて!」

 

 これは触らぬ神に祟りなし、とキャラウェイは大人しく引っ込むことにした。助けを求めるクーベルの視線を申し訳なく思いながらも無視することにする。

 

「いや……あの……。リーシャには本当にすまないことをしたと思っておる……」

「すまないことをした!? まったく本当ですよ! クーベル様もキャラウェイ君も事情を全部知っていて私だけ知らないなんて、あの詐欺師に馬鹿みたいに踊らされただけじゃないですか!」

「あーリーシャ、一応ソウヤ殿を詐欺師呼ばわりするのは……」

「キャラウェイ君は黙っててって言ってるでしょ!」

 

 この剣幕ではやはり何を言っても無駄だとキャラウェイは判断する。一応今回の一件の最大の功労者の苦労人に対して「詐欺師」呼ばわりだけはやめてもらいたかったが、これまで散々煮え湯を飲まされ続けた挙句、今回も知らぬ間に踊らされていたとなれば彼女の怒りももっともだろう。この場にいない本人には申し訳ないが、こればかりは致し方ないかとも思う。

 

「大体なんで私に黙ってたんです!? 2人が知ってることなら、私に言っても良かったじゃないですか!」

「あー……。ウチもそう言ったんじゃが……。あいつがどうしても『お前たち2人以外には口外禁止だ』と強く言うもんで……」

「いつの話です!? いつからそう吹き込まれていたんですか? 主席の誘拐未遂の一件のときですか?」

「そうじゃ。あの後来たソウヤがリコ誘拐の件で色々言った後、この計画について一枚噛みたいなら、とさっきの口外禁止の条件つきでウチらにもその説明をしてくれた。あいつとしてはパスティヤージュはしばらく静観すると見ていたらしい。じゃからあの時、自分の計画に狂いが生じる、特に不確定要素の第三国を刺激する可能性があると判断して、ノワと少数の騎士と共に仕掛けてきたというわけじゃ。……本当なら、リコの一件がなければもう少ししてからキャラウェイ経由で話をよこす予定だったらしいがな」

「でもなぜ2人だけなんです!? なぜ私はそこから外されたんですか!?」

「あのアンポンタンが言っておった。『良い演者とは、黙って踊る演者』じゃと。あいつは、お前にエクレールと踊る場を用意するつもりでいる、そう言っておった。じゃから、あの時にお前に追撃を命じたのじゃ」

 

 エクレールと踊る場を用意する。つまり、彼女のあの追撃におけるエクレールとの戦いすら、彼は計算のうちだったのだ。おそらく一行は足を止めずに戦う、やがて消耗する、そしてエクレールが残る。そう判断したからこそ、あえてリーシャにだけはこの話を言わず、2人を戦わせたのだ。

 その上で前もってエミリオを間に合わせるようなタイミングで出発させていたのだろう。結果はあの通り。エミリオは窮地の姫を助ける王子にはならずとも、その場でエクレールの心を決めさせるだけの効果を発揮し、そして丁度いいタイミングでそのシナリオを書いた張本人が介入してくる――。

 

「それじゃあ……それじゃあ私は、騎士エクレールの引き立て役としてあの場で踊らされた、と……!?」

「すまない、リーシャ。そういうことになる。……私が引き受けるといったんだが、ソウヤ殿がどうしてもと君を指名したんだ」

 

 キャラウェイの補足に、リーシャはようやく納得した。「良い演者とは、黙って踊る演者」。そうだろう、事情を知る人間より、知らない人間の方がリアリティが増す。ドラマとして盛り上がる。いや、それ以上に適した理由にリーシャは気づいていた。何よりもあの男は、つくづく自分をコケ(・・)にしたいらしい。

 

「……クーベル様」

 

 しばし黙り込んだリーシャが口を開く。声のトーンが落ちているのが逆に怖い。

 

「な、なんじゃ……?」

「クーベル様はあの時、私に『良い演者とは、黙って踊る演者』と、先ほどあの詐欺師が言ったということと同じことをおっしゃった。そしてあなたがそう思っているともおっしゃった。……それは本心ですか? それとも……」

「本心のわけがなかろうが」

 

 即答だった。迷う暇すら、クーベルにはなかった。

 

「ウチはお前を演者などと思ったことはない。あの時はお前も迷っていたようだし何かあと一押し言わねば、と思って受け売りを咄嗟に言っただけじゃ。……まあ確かに時々ウチが無茶を頼むせいで、その演者もどきにしてしまうことはあるかもしれんが……。ともかく、ウチやパスティヤージュのために懸命に尽くしてくれる立派な飛空術騎士団の隊長。それこそがリーシャ・アンローベ、お前じゃと思っておる」

 

 小さく、リーシャは笑みをこぼした。

 

「その言葉を聞いて安心しました。それでこそ、私の知る、この国の誇れる領主様です」

「そ、そうか……?」

 

 そうだ、それでこそクーベル・エッシェンバッハ・パスティヤージュ。そそっかしく、時に先走ってお目付け役のキャラウェイや自分を困らせる。それでもきちんと領主としての役を全うし、皆からの信頼を得る領主、それこそが彼女だ。

 

「ですが!」

 

 だが、彼女に振り回されるのはよくても、()にはもう振り回されたくない、とリーシャは語気を強めて続ける。

 

「あの()()()()の戯言で引っ掻き回されるのは金輪際ゴメンです! 今回甘んじていいように扱われたご様子ですが、クーベル様はあんな男に好き勝手に言いくるめられて悔しくないのですか!?」

「そ、それは悔しいわ! 今回だけは特別、あんなアンポンタン、いつか絶対ぎゃふんと言わせてやるのじゃ!」

「私も全くの同意見です! 私も協力します、いつかかならず吠え面をかかせてやりましょう!」

「おお! いい案じゃ、リーシャ! ウチも乗るぞ!」

 

 女性陣2人でひたすら盛り上がる様子を、キャラウェイは苦笑を浮かべて見つめるしかなかった。このままでは自分もこの2人の側に引き込まれるか、はたまたこの国の歯止め役としてソウヤから目をつけられるか。どっちに転んでも自分の明日はどうにも暗いんじゃないかと、キャラウェイは将来に対して少々悲観せざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 ガレット、ヴァンネット城。領主執務室から1人の男が出てくる。ソウヤ・ガレット・デ・ロワ。この一連の騒動の張本人だ。

 今彼は領主であるガウルとの直接の対話を終え、部屋を後にしたところだった。結論から言えば、彼への処罰はなし。結果的にシンクとミルヒの婚約問題が解消したこと、ビスコッティ先代領主夫妻が寛大な処置を求めてきたこと、その他諸々、問題はあれどそれと差し引けるぐらいのプラスの面があったことは否めず、一先ずフィリアンノ城へ行って巻き込んでしまった張本人たちに詫びぐらいは入れて来いと部屋を追い出されるように出てきたところだった。

 そこで、部屋の前で待っていたノワールとすれ違う。彼女もソウヤ側で暗躍していた人間だ。ガウルからの沙汰待ち、直接の出頭を命じられていた。

 

「どうだった、ソウヤ?」

 

 心配そうに尋ねる彼女にソウヤは気楽そうに腕を広げて答える。

 

「なんらお咎めなし。とりあえず小言はぶつけられたが、それだけだ。でも姫様に詫びだけは入れて来いとは言われた。これからフィリアンノ城に行ってくる」

「そっか……。よかった」

 

 ノワールはホッとしたような表情を浮かべる。彼が無罪放免ということは、彼女もそうなる可能性は高い。

 

「ただ、俺の場合は圧力がかかってたからな。お前は後ろ盾がない、俺みたいにはいかないかもしれない。その辺は……」

「大丈夫。覚悟は出来てるよ」

「何を言われても、か?」

 

 コクリ、とノワールは頷いた。それを見たソウヤは、満足そうに笑みを浮かべる。

 

「なら、いいか。……あとは、お前次第だ。頑張れよ、黒猫」

 

 意味深な一言を残し、ソウヤは右手を上げて去っていく。「頑張れ」と言われた最後の言葉の意味を知りたいノワールだったが、既にその背中は離れていってしまっていた。

 

「おいノワ! いるならさっさと入って来い!」

 

 さらに部屋の中からもガウルの促す声が聞こえる。諦め、彼女は領主執務室へと入っていった。

 

 椅子に腰掛けるガウルの表情は真剣だった。「お前には後ろ盾がない」と言ったソウヤの言葉を彼女は思い出す。場合によっては降格や左遷、ということもあるだろう。

 

「……ノワール・ヴィノカカオ。ガウル殿下の命により出頭いたしました」

「ああ。よく来た」

 

 形式的に2人が固く挨拶を交わす。が、それが終わってもガウルの表情が緩むことはない。

 

「さてノワール・ヴィノカカオ万騎長、呼ばれた理由はわかってるな?」

 

 さらには愛称ではなくフルネームでの正式呼称。どうやら真剣なものになるらしい。

 

「……はい」

「部隊の私的独断使用、それに準ずる命令違反、さらには領主である俺に対する欺瞞(ぎまん)……。いくらデ・ロワ卿に協力を要求されたとはいえ、つまるところそれを受けたのはお前自身だ。そうだな?」

「……そうです」

「そのことに対して弁明はあるか?」

 

 シンクと姫様の、そしてその2人を心配するガウ様のためだから。本当はノワールはそう言いたかった。だが、その言葉を飲み込んだ。自分はガウルに褒められたくてやったわけじゃない。ソウヤから見たときに動かしやすいポジションに自分がいた、そしてシンクとミルヒをくっつけたかった。自分とガウルは一緒にはなれない、でもその分まで2人に幸せになってほしかった。そんな思いからだった。

 しかし、それをここで言う必要はない。彼は自分の思いを知らぬままに、自分なんかより素晴らしい女性と婚約し、そしてこの国を導く。その時陰ながらサポートできればいい。それだけで自分は満足だ。ノワールはそう思っていた。

 この騒動中に久しぶりに肩を並べた。互いに口喧嘩しながら魔物相手に戦った。彼女はそれを心から楽しんだ。可能なら、またああやって口論しながら昔のように過ごしたい。でもそれは叶わぬ願いだ。それはこれまでで重々承知している。だから、やはり彼女は自らの思いを全て飲み込むことにした。

 

「……いえ、何もありません」

「なら、何を言われても文句はない、そういうわけだな?」

「はい」

 

 ガウルが一度間を空ける。息を吐き、ゆっくりと口を開いた。

 

「……ではノワール・ヴィノカカオ万騎長。ただ今をもって、騎士である権利を剥奪する」

「え……」

 

 予想していなかった。後ろ盾がないとはいえ、ソウヤに対して無罪放免で自分は騎士権の剥奪。だが何を言われても言い返すつもりはなかった。お前はもう騎士である資格も、自分の裏方で何かをする資格もない、ガウルにそう告げられたのだとわかり、彼女は俯いて返事を返す。

 

「……わかり……ました……」

「代わりに……」

 

 続けられたガウルの言葉に、彼女は項垂れたその頭を僅かに上げた。

 

「……俺の、側にいてくれ」

 

 そしてその言葉の意味がわからず、きょとんと彼を見つめる。

 

「……え?」

「俺と……俺と結婚しろって言ってんだよ!」

 

 顔を赤くし、これまでより声量を上げてガウルはそう叫んだ。やや遅れて、今度はノワールの顔も赤くなる。

 

「な、な、何言ってるのガウ様!?」

「何度も言わせんな! 結婚しろっつってんだ!」

「そうじゃなくて! どうして急にそんなこと……! ガウ様、私の気持ちに気づいてたの!?」

「いいや……! 恥ずかしい話だが全然気づかなかった、これっぽっちも思ってなかった! ……でもソウヤの奴にさっき言われたんだよ。『俺が魔物と戦う時に送った書状の理由がわかりましたか』ってな。俺はてっきりジェノワーズの一時的な再結成程度だと思ってた。だが違うとあいつは言った。ノワが解散を申し出た理由を今までに考えたことがあったか、なんで解散なんて申し出たのかわかっているのか、と。……俺から距離を置きたかった、俺を意識したくなかった、そうだろ!?」

「ソウヤ……! なんでそんな余計なことを……!」

「余計なことだと!?」

 

 机を叩き、ガウルが立ち上がる。

 

「何が余計なことだ! あいつに言われるまで、俺はお前の気持ちを全く考えようともしなかった。家族同然に育って、そんなお前がジェノワーズ解散を言い出して、いよいよそれ相応のポジションにつこうという気になったのかとしか思わなかった。

 俺は馬鹿だよ、今おめでたいシンクより馬鹿だ! なんで身近にいたお前の気持ちにすら気づいてやれなかった!? あの時久しぶりに一緒に戦ったってのに、俺はただ懐かしさと楽しさを感じることしか出来なかった。共に戦場を駆け、背中を預けたのに、その心の中を察してやることが出来なかった!

 そしてお前もお前だ! 今までずっと自分1人で飲み込むような真似をしやがって……! なんで自分の気持ちを俺に伝えようとしなかった!?」

「伝えられるわけないでしょ! ガウ様は領主だよ!? でも私はただの騎士……。そんな私が、ガウ様と結ばれていいわけがないじゃない!」

「ふざけんじゃねえ!」

 

 再び机を叩き、ガウルはノワールの元へと歩み寄った。後ずさろうとするが、その両手で両肩を掴まれ、彼女は後ろへと下がれなくなる。

 

「結ばれていいわけがないだと!? そんなの誰が決めた!」

「でも……でも私じゃ……!」

「俺はずっとお前と過ごしてきた。お前に対して恋愛感情があったかと言われればはっきり言うがノーだ。だがな、これ以上ないほどの自分の事を思ってくれている大切な女を見捨てて別な女を(めと)れるほど、俺は図太い神経で生きることは出来ねえ。そしてここしばらく、どこか物寂しいと思っていた俺の心が、あの時お前と一緒に戦えたことで満たされたような気がしたのも事実だ。だからノワ、お前の気持ちを聞かせてくれ。俺は、お前の気持ちが聞きたい!」

「私……私は……!」

 

 好きだ。それだけ言えばいい。だがずっと心の中で思い続けているその3文字を言うことが出来ない。本当に自分でいいのか。自分はガウルの相手にふさわしいのか。

 

「……やっぱりダメだよ! 私とガウ様じゃ身分が違いすぎるよ!」

「だったら!」

 

 ノワールの両肩を掴む、ガウルの腕に力が入った。

 

「だったら、その身分が上である領主の俺様が命令してやる! お前は俺が幸せにしてやる! だからノワ! 俺の女になれ!」

 

 包み隠そうという気さえない真っ直ぐで、そしてあまりに理不尽な命令だった。だがツーッと彼女の瞳から一筋涙が零れ落ちる。

 

「……私なんかで……いいの……?」

「良いも悪いもねえ。命令だ。お前には拒否権もないんだよ」

 

 強引過ぎる。だが、命令なら仕方ないと自分に言い聞かせ、ノワールは本心に従うことにした。ガウルの胸へ顔をうずめ、背中に回した手で力強く彼を抱き締める。

 

「ガウ様……ガウ様……!」

「……すまねえ、ノワ。俺は馬鹿で不器用で、こんな形でしかお前の気持ちに応えてやれない男だ。だが、それでも俺のことを思ってくれるのなら……俺はお前しかいらない。だからノワ……そう思ってくれているなら……結婚してくれ」

 

 胸元で彼女の顔が上下に動くのがわかった。思わず表情を緩ませ、ガウルは彼女の頭を撫でる。

 

「お前は、俺が必ず幸せにしてやる……。だからこれからよろしく頼むぜ、ノワ……」

 

 涙と、鼻を啜る声と共に小さく「……うん」という声が聞こえる。領主執務室に涙交じりの、だが嬉しさの色を含ませた嗚咽だけが響いていた。

 

 

 

 

 

「よかった……。ノワ……本当によかった……」

「まったくや……。ソウヤも罪な奴や、最後の最後、こんなんを用意しとるなんて……」

 

 その執務室の扉の前、壁に耳をあてがいながら2人の女性も涙を流していた。かつては同じ親衛隊のジェノワーズとして肩を並べたジョーヌとベールの2人だ。

 

「ソウヤの奴、出て行くときに『もし何かあったらノワールのことを頼む』とか言うから一体何事かと思ったら……。こういうことやったんか……」

「だから魔物と戦うあの時、わざと私達3人を近くに配置してジェノワーズを再結成させた……」

「ウチらがやりたがっていたことをさりげなくやって、しかもその実それが布石でガウ様とノワをくっつける……。シンクと姫様、エクレとエミリオに続いて3組目、結婚請負人やないか……」

 

 その例えにはベールは苦笑を浮かべるしかなかった。確かに彼はここまで3組の間を取り持つことに成功している。とはいえ、その呼び方は本人が耳にしたら嫌がるに違いないだろう。

 

「しかし……。ガウ様の口説き文句、かっこよかったなあ……」

「あ、ジョーもそう思った? 『俺の女になれ!』なんて言われたら……ちょっとドキッとしちゃうわ……」

「もし言われたら……ウチもころっと転がってしまいそうや。……ま、ノワほどお似合いなカップルにはならんやろから、結局譲ることになると思うけどな」

 

 互いに顔を見合わせ、2人はフフッと笑う。そして盗み聞きしていた執務室のドアから離れようと振り返ったところで、「うひゃあ!」と同時に間の抜けた声を上げた。

 そこに立っていたのはルージュとバナード。だがバナードはソウヤより先にガウルとの謁見を終えたはず。今更この部屋に用事はないはずだ。

 

「将軍の言うとおり、やっぱりここで盗み聞きしてたのね……」

「私の、というよりソウヤ殿の言うとおり、だな。そしてこの2人の様子なら部屋の中でも彼の目論見どおりになった、ということのようだ。……ジョーヌ、ベール、私がソウヤ殿に言われたのは『盗み聞きはかまわないが、くれぐれも2人の邪魔はするな』ということだ。ばれないうちに、ほどほどにして引き上げた方がいい」

「と、当然や! ウチらもそうするところやったんや! 勿論水を差そうなんて野暮なことは考えてないですし!」

「じゃあ善は急げですね。一先ずここを離れましょう」

 

 4人が執務室から離れていく。ドアが空いても怪しまれないだろう、という距離まで進んだところで、ジョーヌが口を開いた。

 

「しっかしソウヤの奴、ガウ様とノワの結末も、ウチらが盗み聞きすることもお見通しか……」

「それはそうよ。今回これだけの大仕掛けをやってのけた人だもの」

「つってもあいつ1人だけの力やないみたいやけどな。ノワと、あと将軍も協力してたんやろ?」

「協力、というよりもともとは私と、そしてロランから振った話だからね」

 

 それを聞いてジョーヌがため息をこぼす。そしてどこかつまらなそうに両腕を頭の後ろに組んだ。

 

「ったく、それやったらウチらにも一言あってもいいものを……」

「まったくよ。私なんてあの人の隊の副隊長よ? なのに一言もなしだなんて……」

「彼の中では、ビスコッティの人間を中心に舞台を作り上げて、あくまでガレット、パスティヤージュ、その他の周辺各国は聴衆に過ぎなかった、ということだったのさ」

 

 バナードの説明にまだジョーヌは納得がいかない様子だ。

 

「それもよくわからんわ……。もしウチらが余計な動きをしたら、計画そのものを破綻させてたかもしれなかったんやろ?」

「だがそうはならなかった。なら、そのもしはない、とこの場に彼がいたら言うだろうね。事実、ビオレ殿は独断で動いたが、大事には至らなかった」

「……それは将軍が姉様の動きに気づき、ソウヤ様に連絡したからではないでしょうか?」

 

 思わずルージュが突っ込みを入れる。ミルヒ達がドラジェに入りそうだとバナードが報告した時に、彼はビオレの動向を気にしていた。てっきり近衛隊の指揮、という表向きの言葉をあの時は信じていたルージュだったが、今思えば不測の事態に備えての情報収集だったとわかった。

 

「ああ、確かにあの時はそうだった。だがおそらく私があそこで気づかなくても、事態は何も変わらなかったと思うがね」

「監視的な要素は薄かったですものね。どちらかというと将軍はガウ様の動きを制御する役割、のようでしたし」

 

 鋭い指摘だ、とバナードは苦笑を浮かべた。彼女の言うとおり、バナードの主な役割は将軍、それも頭脳役としてガウルをソウヤが望むべき道へと誘導すること。結果、「逃亡」した姫様の直接の保護を見送り、ドラジェへ連絡をつけて、そこに逃げてもらう、という一連の筋書きを作り上げたのだ。

 

「……しかし最後の最後、ガウル殿下とノワールのこの件までは、私も今さっきまで知らなかったよ。彼は見事に『味方』であるはずの私まで欺いてみせた。……そして私はこのことに関しては『関係者』でも『演者』でもなく、『聴衆』にまわったということになるわけだ」

「その……さっきから言ってる演者だの聴衆だの、どういう意味なんでっか?」

 

 バナードが口の端を僅かに上げる。

 

「彼はこの一連の事態において、役割を『演者』『関係者』『聴衆』に分けた。今回メインとなったシンク殿や姫様、何も知らずに動いたレオ閣下などは『演者』、私やロラン、ノワールなど事情を知っていた者は『関係者』、そしてそれ以外、この騒動を見守っていたものが『聴衆』だ。彼は『聴衆』をなるべく多くなるように望んだ。なぜなら、彼にとってこれは『茶番』であり、フロニャルドの方式に則ったいかにも本物のように見せた虚偽のドラマであり、そしてそれはあくまでエンターテイメント……『聴衆』を楽しませるための物だったからだ。……だが結果、この国で『関係者』と思っていた私とノワールも、最後の最後で彼に一杯食わされた。彼は最後まで道化を演じ切った、というわけさ」

「じゃあソウヤがやりたかったことって……」

「出来るだけな派手な道のりを経ての、最終的にはシンク殿と姫様の婚約の取り付け、加えて向こうの親衛隊長と副隊長も、だと思っていたが……。自国の領主殿も含まれていた、ということだな。それを、あくまでこの世界の方式で演出して、そしてまとめあげた、ということだろう」

 

 ジョーヌとベールが顔を見合わせた。ソウヤという人間はそういう男だと改めて実感する。常に全てを見透かし、そして思ったとおりに事を運ぶ。敵には回したくないが味方にすれば心強いことこの上ない男。それがソウヤだ。

 

「でも……私も安心したわ。ノワのことは心配だったのよ。ガウ様はガウ様で全然あの子の様子に気づいていないし……。まったく、あの人の耳に入れる前に断り続けていた縁談をそろそろ諦めて報告しようかと思ってたところだったし、その前でよかったわ」

「え、ルージュ姉それ本当か!? ……ってまあそうか。姫様やないけど、ガウ様もそういう年頃やしな」

「だけど……。ノワはガウ様と結ばれてよかったけど、あなた達はそれでよかったの?」

 

 ルージュの問いかけに、ジョーヌもベールも軽く笑って返した。「野暮なことを聞くな」と言わんばかりの表情が、そこにあった。

 

「ウチらはそういうんと少し違うから。確かに家族同然でここまで来たけど……。ノワが抱いていたような恋愛感情とは、ちょっと違うって言うか」

「仮にこの気持ちが恋だったとしても、私じゃノワには敵わないし。だから結ばれるべき人と結ばれたと思ってるんで、私もジョーもその辺は納得してるんです」

 

 やれやれとルージュはため息をこぼした。離れていてもジェノワーズの心は繋がっていた。違う部隊になっても、この子達は互いに互いを信頼しあえている。そして親友の幸福を素直に喜んで上げられる。

 

「……いい子達ね、あなた達は」

「よしてや。もうそういう扱いされる年やないで」

「だが君達のような若者が隊長格としていてくれるおかげで、ガレットの未来も明るそうだよ。ジョーヌ、私もいつでも安心して君に自分の分まで任せられそうだ」

「や、やめてくださいよ! ウチにバナード将軍の代わりはまだ荷が重過ぎますわ!」

 

 声を上げてジョーヌ以外の3人が笑った。

 

「……でもジョー、『子ども扱いされる年じゃない』って言ったけど、ノワじゃないけど私達もそろそろそっちのことを考えないといけないかもね」

「ああ……そやな……。ソウヤにも冷やかされるしな……。ルージュ姉、何かいい案……」

 

 そこまで言いかけてジョーヌはしまったと気づいた。彼女は今、意識せずに地雷を踏み抜いたのだ。

 

「……大丈夫よ、ジョーヌもベールも私なんかと比べたらまだまだ若いから。相手なんていくらでも、すぐに見つかるわ。フフフ……」

 

 ルージュの笑顔は引きつっていた。近衛隊長の代理を務めなくてはいけない、と困っていた彼女だったが、それ同様にこの結婚についての話題もかなりナーバスになっていた。自分より年下のレオやノワが結婚という話になっているのに、いつまでも自分が独り身なのを負い目に感じていたのだ。

 

「な、何言うてんのや! ルージュ姉だってまだまだ若い……」

「へえ……? 世間だと私ってまだ若い、って認識でいいのかしら……?」

 

 傷口を広げた。どうしようと困った顔でジョーヌはベールに助けを求める。が、固い絆で結ばれているはずのジェノワーズの片翼は知らん振りで顔を背けていた。続けて愛妻家の切れ者将軍にいい案を求めようとバナードを見るが、こちらも知らん振りで前だけをじっと見つめている。完全に孤立したジョーヌは苦し紛れにごまかそうと口を開いた。

 

「え、えーっと……。そや、あれや! 今回3組もの仲人を務めた『結婚請負人』のソウヤに頼めばきっとなんとかしてくれるに違いないで! ()()()だけにきっと()()()! ……なんちゃって……」

 

 相変わらずルージュは笑顔を貼り付けたままだった。結局ジョーヌも愛想笑いを浮かべてごまかすしかなく、彼女のシャレだけが虚しくヴァンネット城の廊下に響き渡った。

 

 

 

 

 

「へっぷし!」

 

 ガレットとビスコッティを結ぶ街道、そこでヴィットに乗っていたソウヤはひとつ大きくくしゃみをこぼす。

 

「どうしました、ソウヤ殿? お加減でも優れないので?」

 

 そのソウヤと並走していたゴドウィンが心配そうに彼を覗き込む。が、ひらひらと手を横に振って彼は気にしなくていいとジェスチャーした。

 

「そりゃ疲れてましたけどね。でも心労が降りた分、ここ数日は随分ゆっくりさせてもらってますよ。今のは、大方どっかのトラジマやらウサギ耳やらが俺の噂でもしてたんでしょう」

「それならいいですが……。しかしそういうホッとしたような時こそ、気の緩みから体調を崩しかねませんからな。用心するに越したことはないでしょう」

「……見た目と裏腹にそういうところは几帳面ですよね、あなたは」

 

 ゴドウィンが思わず顔をしかめる。だがそこに嫌悪感は全く伴っていない。むしろ意外そうな意味合いの方が強かった。

 

「……そうでしょうかね?」

「体格も戦い方もも豪快なのに、そういう気配りだけは細やかだ。だからいい部下に恵まれ、嫁さんも最高で、将軍として出世街道を順調に昇ったのでしょう?」

「よしてくだされ。それを申されるのならソウヤ殿こそ、最高の妻を得たのではありませんかな?」

「最高の妻、ねえ……」

 

 チラリとソウヤは背後の騎車の方を振り返る。以前フィリアンノ城を訪問した時同様、ソウヤはヴィットと共に外に、レオはレグルス、ビオレと共に騎車の中にいたのだった。

 

「愛妻家は、俺よりあなたでしょう?」

「またまたそうおっしゃる。自分もそうかもしれませぬが、今回の件でもその関係が揺るがなかったソウヤ殿とレオ閣下も、相当な間柄ではございませぬか」

 

 ガレット指折りの愛妻家にそういわれ、ソウヤは苦笑を浮かべるしかなかった。確かに今回の一件、最悪の場合離婚もありえるだろうとソウヤは思っていた。

 だが実際は何もなかった。自分を信頼してくれたということだろうか。逆に不気味なほど、特に何を言ってくるでもなかった。「これに対してはもう終わったこと」とでも言いたげな彼女に、彼もそれでいいかと思うことにした。

 よって、ソウヤが今騎車ではなく外にいるのはそういった喧嘩の類、というものではない。フィリアンノ城を訪問するとなったとき、ガウルが半ば無理矢理護衛役としてつけたゴドウィンに対して感謝の意味を込めて並走しているのが主な理由であった。

 

「それにしても、あなたも忙しいだろうにすみません。俺の護衛、なんてことで目付け役をやらせてしまって。まあ一応大騒動を引き起こした張本人ですので、監視という名目の人間は必要でしょうが」

「ソウヤ殿が謝ることでもないでしょう。かといって、殿下を責める気も自分は毛頭ありませぬが。それに自分はソウヤ殿を監視する、などと考えてはおりませぬ。あくまで、殿下が護衛を命じられたからそれに従っているだけのことです故」

「やっぱそういうところしっかりしてるな、あなたは。あ、あと……結果的にあなたも騙すことになってしまった。出来るだけガレットでは情報を知っている人間を少なくしたかったとはいえ、将軍クラスであるあなたにまで黙って計画を進めたことは、詫びたいと思います」

「なんのなんの。自分は舞台には乗っていない、あくまで観衆の側だった故、楽しませていただきましたぞ」

 

 聞き様によっては皮肉だろう。おそらくゴドウィン自身その自覚は全くないと思われる。が、ソウヤとしてはそれを言葉通りに受け取れるほど素直ではなかった。

 

「でしたら、もし次があったら、あなたも舞台で演じていただこうと思いますよ」

「それは面白そうですな。……ですが、すぐ次に、とはいかないのではないかと思いますが」

「と言うと?」

「噂だとミルヒオーレ姫は結構にお冠だとか。今日もこの後、危ないのではないですかな?」

「あの姫様が? そういやレオが『怒るとワシより怖い』とか言ってた気がしないでもないですが……。まさか。大丈夫でしょう、きっと」

 




本来エピローグにする話だった第1弾。ところが長すぎて1話=上限の4万字にすら収まらないんじゃないかという結果に。
そんなのはエピローグに適してるのか、ということで本編組み込みとなりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 34 演者達のカーテンコール 後編

 

 

「ソウヤ様、今、私ミルヒはすごーく怒ってます!」

 

 結論から言うと、高を括っていたソウヤの期待は華麗に裏切られ、全然大丈夫ではない状況となっていた。今フィリアンノ城の大広間にいるのは訪問してきたソウヤ、レオ、レグルス、ビオレと、ビスコッティ側はミルヒ、シンク、ロラン、アメリタにリゼルをはじめとしたメイド隊。促されるままに客間のソファに腰掛けたソウヤを待っていたのは、ミルヒの「お説教」であった。堰を切ったように始まった、身を乗り出してのお説教モードを誰も止めようとせず、いや、止めることの出来ないほどの彼女の勢いに、ソウヤも、そして周りの人間ももはや言葉を全て飲み込むしかなかった。もう出来ることなら地べたに正座して可能な限り身を小さくしたいと思いつつ、ソウヤは項垂れてそのお説教をただ受けていた。

 

「確かに結果だけを見れば大成功だったでしょう。国営放送の人も大喜びでしたし、編集して放送されればきっと凄まじい視聴率を叩き出すドラマかドキュメンタリーか知りませんが番組となるでしょう。だけどあんまりじゃないですか! 『ドッキリでしたー!』で許される範囲を越えてます! さすがの私も怒ります! 仏の顔も三度までです! 鬼の目にも涙です!」

 

 それを言うなら「堪忍袋の緒が切れた」でしょう、と突っ込みを入れたいソウヤだったが、この状況でそれが言えるほど自殺志願者ではなかった。大人しく身を縮めたまま、お説教を甘んじて聞き入れていた。

 さすがにそれを見かねたか、自国の騎士団長でビスコッティ側での発起人でもあるロランが思わず口を挟む。

 

「ま、まあまあ姫様。あまりソウヤ殿をお叱りにならずとも……。今回の件は私から振ったことですし……」

「心配せずともロランの番はこの後です! アメリタも一緒です! それが終わったらリゼルとメイド隊ですから、全員よく心しておくように!」

 

 しかしこれは完全に逆効果だったらしい。普段のおしとやかな姫様はどこへやら。まるで別人が乗り移ったかのような豹変振りに、誰もが口を噤むしかなかった。

 

「……ちなみに好奇心からの質問です。リコッタがそのリストに入ってなかった気がしましたが?」

「昨夜のうちにみっちり済ませておきました!」

 

 あららとソウヤは肩をすくめた。どうやら()()()()の人間は全滅らしい。このままこのお説教を受け続けるのは別に苦ではないが、生憎彼にも予定というものがある。この後()()()()の演者達にも挨拶しなくてはならないし、それ以前に目の前の勇者と姫君ともまともに会話を交わしていない。いつまでもこれでは時間がなくなってしまうと、ソウヤはこの場でもしかしたら唯一彼女の制御装置となるかもしれないシンクへと目で訴えかけた。それを受けてため息をこぼしつつ、シンクは口を開く。

 

「姫様。気持ちはわかるけど、そろそろソウヤのことを許してあげたら?」

「シンク!? シンクは怒ってないんですか!?」

「怒ってる、って言うか……。どっちかっていうとびっくりだった、っていうか、本当のことじゃなくてドッキリでよかったっていう安心感の方が強かったって、いうか……。まさかソウヤが本当にこんなことをやるわけないと思ってたし、やってほしくないと思ってた。だから、その僕の思い通りでよかったって気持ちの方が大きいかな。

 それにソウヤだって悪意だけであんなことをやったわけじゃないだろうし、多分僕が最後の一歩を踏み出せずにいたから、そこを後押ししたって意味合いが1番強いんじゃないかって思うんだ。……勿論、面白そうだったから、っていうのも否定は出来ないと思うけど」

「さすがシンク。パーフェクトな回答だ」

 

 どこか茶化し気味にソウヤにそう言う。それに対して苦笑を浮かべつつ、シンクは続けた。

 

「……でも、その面白そうだから、っていう部分でも、どうしても僕はソウヤを怒れないんだよね。僕自身もそこでなんか納得しちゃうっていうか……。だって、()()()()()()()()()()()

 

 ニヤッとソウヤは笑みをこぼし、レオは声を噛み殺して笑った。全てのネタ晴らしを終えた後、ソウヤがレオに告げた実に説得力のないナンセンスな理由。だがそれと全く同じ理由を目の前の、巻き込まれた当事者の勇者も述べたのだ。笑わずにはいられなかった。

 

「……やっぱお前は勇者だよ。俺と一緒でこの世界を心から愛している、な」

「面と向かって言われるとちょっと恥ずかしいけど……。否定できないし、するつもりもないよ。僕はフロニャルドが大好きだからね」

「それから隣にいる姫様も、だろ?」

 

 再び茶化し気味に突っ込まれたソウヤに、思わずシンクは顔を赤らめて俯いた。否定することではないし、今となってはなにかとごまかす事もないことだ。

 

「もう、ソウヤ様!? やめようかと思ったけど、また怒りますよ!?」

「すみません、ちょっと調子に乗りすぎました。一言多いのは俺の悪い癖ですよ。深く反省してますので、そろそろ勘弁していただけると助かります」

「ミルヒ、ワシからも頼む。お前の気持ちももっともじゃろうし、別にこいつがどれだけ怒られようがワシの知ったことではないが、これ以上はワシ達が話す時間もなくなってしまう故な。……それにレグの奴はこういう空気に敏感らしく、先ほどからぐずりそうでビオレが少々焦っておるんじゃ」

 

 親愛なる2人から頼まれ、ミルヒは深くため息をこぼし、乗り出しつつあった身をソファへと収めた。

 

「……わかりました。この件で皆悪意があったわけではない、盛り上がるようにという若干(よこしま)な考えはあれど、私達2人のことを考えてのことだった。そのことはよくわかっているつもりです。

 いえ、むしろそこまでしてでもと私達のことをと考えてくださっていた。そのこともわかっています。わかっていますが……。理解と納得はやはり別なのですね。シンクが言った通りだと思いつつも、どうしても振り上げた拳をそのまま下ろしきれず、つい自国の人間ではないソウヤ様に当たってしまいました。すみませんでした」

 

 次いで、軽く顎を引いて頭を少し下げる。これにはさすがのソウヤも思わず眉をしかめた。

 

「やめてください姫様。謝るべきは私であって姫様ではありません。自分は怒られるどころか、場合によっては極刑に値するとも取れる行動をしたわけです。そのお怒りはごもっともですよ」

「……ともかく、私のお説教はこのぐらいにしておきます。これ以上時間を割くのもすみませんし、これからソウヤ様は会わねばならない人が多くいるとも伺いました。私達のお話を進めましょう」

「え、そうなの? てっきりゆっくりしていくものだと思ったけど……」

 

 シンクとしては久しぶりに面と向かい合って話す機会があったと思い込んでいたのだろう。意外そうに聞き返す。

 

「いや、ゆっくりはしていくさ。今日はここに泊めてもらうつもりで来た。ただ、話すべき人間が多くいるからな。ここでの会話もほどほどに、挨拶してまわらにゃならん。……そんなわけでシンク、お前は最後に回すぞ。明日までいるんだから、明日でいいだろ?」

「えー……。まあいいけど……」

「お前とは色々と話さなくちゃならないことが多いからな。……だから、周囲の人たちとの話を終えて、最後にさせてくれ」

「うん……わかった。ソウヤに任せるよ」

 

 結局話したかったこともたくさんあるだろうに、シンクはソウヤのこの提案をあっさり受け入れた。それを確認し、彼は背後の近衛隊長の方を振り返る。

 

「さて……。まずはビオレさん辺りから切り込みますか」

「あら? 私に話すことなど、何もないのではありませんか?」

「うわ……。棘しかねえや……」

 

 思わずソウヤは苦笑を浮かべる。事が収まって以降もソウヤ達は元住んでいた別荘には戻らずにヴァンネット城で生活していた。だが、その間ビオレはこれと言って言葉を交わそうとせず、明らかに機嫌を損ねているとわかっていた。

 

「あなたがここに忍び込んだあの晩に俺が気絶させたことをそんなに恨んでるんですか? それとも宿敵との一騎打ちを邪魔したことの方かな?」

 

 あの日、ビオレが単身フィリアンノ城に潜入した夜、気を失う間際に彼女が見た「見慣れた顔」、それは言うまでもなくソウヤだった。つまり、彼が彼女の気を失わせたことになる。

 

「そのどちらでもありませんし、そもそも怒ってもいません」

「だったらその不機嫌そうな顔を治してくださいよ」

「生まれつきです」

 

 取り付く島がないとソウヤはため息をこぼす。彼女と顔を合わせて以来、ここまでへそを曲げられたのは初めてのことだった。

 

「……ただ、私が怒っているとするなら、どうして私にまで黙っていたのか、ということです。レオ様に対してはわかりますし、ガウ様も……まあなんとなくわかります。ですが、ノワールやバナード将軍には通した話なのに私には一言も相談がなかった、それはどういう了見からでしょうか?」

「俺はガレットの人間は出来るだけ『聴衆』に回って欲しかった。だからノワール揮下の諜報部隊にこそ話は通しましたが、近衛隊はおろか自分の遊撃隊にもこの話はしなかった。

 ……この計画を実行に移すとき、レオが飛び出すことと、その時にレグをあなたに預けることは計算済みだった。それに後輩のルージュさんに近衛隊長の座を実質受け渡していた。だから、レグの面倒を見ることに専念してくれると踏んでいたのですが……昔の血が騒いだらしいですね」

「別にそういうわけではありません。ただ、首謀者を暴き出せば事は解決する、そしてそういう汚れ仕事を引き受けるとしたら……私が適役だろう。そう思っただけです」

「ついでにレオが飛び出すときについていけなかった。そのことに対して後悔も強く感じていたから、じゃないですか?」

 

 ソウヤからの指摘を特に顔色を変えずに聞いていたビオレだったが、そこまで話を聞くと思わず眉をひそめて息を吐いた。

 

「……そこまでおわかりになられているのでしたら、私が飛び出すことは計算済みだったのでは?」

「いえ。バナード将軍からあなたがヴァンネット城に見当たらない、という情報をもらうまでは信じられませんでした。あの日、俺はシンクと戦ってやられたフリをした後、諜報部隊と共にひっそりとこの城を訪れていた。そして翌日……つまり、最後の詰めの部分をどうするかをロランさんと相談している時に飛び込んできたその情報に耳を疑いましたよ。ノーマークでしたからね。なので、俺が予想できなかったのは事実です。……ただ、そこにその情報を聞いても顔色ひとつ変えなかったメイド長はいましたけどね」

 

 言いつつ、ソウヤはその時と同じであろう、メイドスマイルを貼り付けたリゼルの方へ視線を移した。

 

「リゼルさん、あなたはあの時確かこう言いましたよね。『ああ、やはりですか』と」

「ええ。よく覚えていらっしゃいますね」

「……なるほど、さすが優秀なメイド長殿。私が来ることなどお見通しだったわけですか」

「そういうわけでもございません。ただ、ソウヤ様からこのお話を伺ったとき、あなたに話を通していない、という点だけはずっとひっかかっておりました。場合によっては我が身を顧みずにこのフィリアンノ城まで直接来るかもしれない。そうは思っておりましたわ」

 

 リゼルの表情は変わらない。やはり、そこから何かを読み取ることは困難だった。だが、ビオレは自嘲的に口の端を緩める。

 

「……そこまで読まれていては、私の完敗のようですわね」

「それも違いますわね。まだ勝敗は決していないではありませんか。あの場は決着の場ではなかった。『次に戦場で互いに相見える時が決着の時』と約束しましたが、あそこは戦場ではありませんでしたから」

「あの場は俺が作った『舞台』上の袖と言ったところでしたかね。確かに戦場ではなかったわけだ。……で、どうします? 止めた俺が言うのもなんですが、個人的に2人の戦いは是非とも拝見したいところです。機会を設けるなら、見届け人だろうとなんだろうと俺が引き受けますが」

 

 ビオレとリゼル、2人の視線が交錯する。そして、同時に小さく笑った。

 

「必要ありませんわ。『戦場で互いに相見えたとき』が決着の時ですもの」

「そういうことです。なら、決着はその時までとっておきますわ」

 

 そして互いに「うふふふふふふ……」「おほほほほほほ……」と不気味に笑いを交わした。思わずその場の全員が引きつるような表情を浮かべる。レグルスが怖がって泣かなかったことだけが幸いだろう。

 

 ソウヤは次に自身をこの件へと巻き込んだ張本人、ロランとその妻であるアメリタへと視線を移した。

 

「さてと、次はロランさんですかね。大役お疲れ様でした」

「その言葉、そっくりお返しするよ」

「俺は舞台にそこまで留まってはいませんでしたからね。姫様に『ただ事ではない』と信じ込ませただけのあなたの気迫というか演技力、それがなければそもそもこの件は始まりもしなかったわけですから。……あとで映像で見せてもらいますよ。噂だと凍りつくほどの双眸だったとか」

 

 ロランが苦笑を浮かべる。確かに声色を随分冷たくして、普段の温和な自分を殺してミルヒに迫ったわけだが、それを改めて見られるというのはどこか恥ずかしいのだろう。

 

「あれは誰が見ても完璧でしたよ、私を信じ込ませるに十分な気迫でした。私からもそれは付け加えておきます。いっそ役者になった方がいいのでは、とも思いますよ」

「姫様まで。……やめてください。何も知らずに踊らされた姫様よりはよかったかもしれませんが、もう踊りたいとは思いませんよ」

 

 彼自身、謀反役としてこの舞台に立つことは乗り気ではなかった。だが、自分が詰めを誤ってソウヤに泣きついた以上、やれることはやらなくてはならない。そのこともまたわかっていた。だから彼はその顔を重厚な石仮面によって隠し、「クーデターを企てた騎士団長」という役割を演じ切ったのだ。

 

「アメリタさんもありがとうございました。この数日間、うまいこと姫様のスケジュールを調節していただきまして」

「確かに……今思うとあの数日だけ後にしても差し支えない公務ばかりだったと気づけますが……」

「申し訳ありませんでした、姫様。私はスケジュールの調整さえしてもらえば、勇者様の登場のときまであの部屋にいても特に何もしなくていい、と言われていました。……ですが、その事情を知ってる私でさえ、あの時のこの人の表情は鬼気迫るものがありましたわ」

「アメリタ! お前まで……」

 

 笑い声が上がる。今でこそ笑い事で済ませられることだが、当時からしたら本当に謀反が起こったという話だっただろう。

 

「……ですが姫様、実のところ私は当初はこの計画に反対でした。でも、私は以前この人と結婚する際に姫様にかけられた言葉を思い出し、考えを改めたのです」

「私がかけた言葉……?」

「はい。『大切な2人だから幸せになってほしいと願っている』……。その言葉を思い出したとき、姫様にはご負担がかかるかもしれませんが、勇者様と幸せになる道を歩んでほしい、そう思ったから、この計画に協力することにしたんです」

「アメリタ……」

 

 長い間自分を支えてくれてきた秘書官の名をミルヒが呼ぶ。アメリタはそれに笑顔を返して応えた。

 

「……ありがとう、アメリタ。あなたがいつも陰ながら私を支えてくれているから、私は安心して公務に励めます。これからもよろしくお願いします」

「勿体無いお言葉です。私などでよければ、いくらでもお支えいたします」

「ロランも、今回はちょっとやりすぎかなと思ってもいますが……。騎士団長として、これからもよろしくお願いします」

「深く反省していますよ。もう姫様にあのような視線は向けないと、固く誓いましょう。その上で、ビスコッティ騎士団の騎士団長として、改めてこの国のため、姫様のために剣を取ると誓います」

 

 ミルヒは満足そうな笑みを浮かべた。「お説教はこの後」と言ったが、その必要などないのではないか、と思えてしまう。なぜなら、彼女自身、もう2人に対しての怒りの心など当に消え去ってしまっていたからであった。

 

「……さてと、それじゃあここは大体収まったかな」

 

 話が一息ついたと判断したソウヤは、そう述べてゆっくりと腰を上げた。

 

「なんじゃ、ミルヒやシンクともっと話していかんのか?」

「姫様とのお話はお前に任せる。俺と話すより、その方が姫様も楽しいだろうからな」

「いえ、私はそんなことは……」

「それに、俺の迂闊な失言でまたお説教モードに入ってしまっては大変ですからね。……レオも落ち着いて姫様と話すのは久しぶりだろう? 俺に気にせずゆっくりしろ。俺は挨拶して回ってくる」

「そう言っておいて、貴様はこの後、夜にはダルキアンのところに飲みに行くと聞いたが?」

「お、耳が早いな。()()()()()とは前々から飲もうと約束していたからな。いい機会だろう」

 

 ニヤッとソウヤが笑みをこぼす。その笑顔に酒好きのレオはやや不満そうな表情だったが、諦めたようにため息を吐いた。

 

「……今日のところは文句は言わんが、もう少ししたら今度はワシも誘えよ」

「ああ。そうするよ。……それじゃあ行って来る」

「エクレールのところに行くのかい? 親衛隊なら中庭で訓練中のはずだ。まあ……くれぐれも気をつけてな」

 

 渋そうな顔でロランはソウヤに忠告する。温厚なミルヒでさえ拳を上げたあとでなんとか振り下ろすのをやめたのだ、エクレールは間違いなく、それも躊躇なく振り下ろしてくるだろう。

 

「一応紋章術展開して全力でぶん殴られる覚悟ぐらいはしてきてますんで、多分大丈夫ですよ」

「はは……」

 

 ロランの先ほどの渋そうな顔は戻らなかった。結果良しとはいえ過程はエクレールにとってかなり不満だったのはよくわかっていたからだ。事実、兄のロランにさえ事が終わった後は珍しく小言をぶつけるほどだった。

 

「中庭でしたら、私がご案内いたします」

「いつもすみませんね、リゼルさん」

「いえ。……いざというときはソウヤ様の身を守るために割って入らなくてはならないですからね」

「……あいつそんな怒ってんですか?」

 

 果たして「討魔の剣聖」と約束した夜の酒宴の席に参加出来るのかと思わずソウヤは苦笑を浮かべる。元々借りを作ることを嫌がっていた様子の彼女だ、怒りは相当だろう。

 

「とりあえず行ってきます。その後は……少し早いけどダルキアン卿のところに行くかな」

「ではお前は朝帰りじゃろうから、次に会うのは明日の朝か?」

「……朝帰り許してくれるのかよ、この寛大な嫁さんは」

「ダルキアンは酒に関しては底なしじゃぞ? お前など()()()()()()に酔わされた挙句、結局庵で酔い潰れるのがオチじゃろ。そこであいつなり天狐なりに()()()()()()をしないというのであれば、朝帰りぐらいは多目に見てやろう」

「……なんとか自制心を失わないよう、理性だけは保つ努力をするよ」

 

 結局、部屋を出るまでソウヤは苦笑を崩すことは出来なかった。レオにいいように扱われている気がする。よくこれで以前は手玉にとって茶番を成功させられたものだと思わずにはいられなかった。

 

「ではいってらっしゃいませ、ソウヤ様。……くれぐれもお気をつけて」

「僕と後で話すって約束したんだからちゃんと帰ってきてよー……」

 

 ミルヒとシンクにまでこう付け加えられてはどうしようもないだろう。深く、そして大きくため息をこぼしてソウヤは大広間を後にした。

 

 

 

 

 

 フィリアンノ城中庭。親衛隊はこの日も変わらず訓練を続けていた。中庭が見える位置まで差し掛かったところでソウヤはその様子を見つめ、真面目なのはいいことだがたまには休んでもいいだろうとも思ってしまう。と、いうより、訓練より先にやるべきことが、主に隊長と副隊長にあるだろうと彼は突っ込みを入れたかった。

 

 その中庭で訓練に励む隊員を監督していたエクレールは、城内から中庭に現れた訪問者を目にした途端、隠そうともせず露骨に顔をしかめた。次いで「全体、休憩だ!」と指示を飛ばす。

 彼女が飛ばしたその指示より早く、少し離れたところで見学していた背の小さな女性はソウヤの存在に気づいていた。立ち上がり、彼のところへと近づいてくる。

 

「お疲れ様であります、ソウヤさん」

「ああ、お疲れ様。()()()()()の主席殿」

 

 どこか少し困ったように、リコッタは笑顔をソウヤへと返す。彼女はソウヤと()()()に位置していた。つまり、今回ミルヒに大目玉を食らった側になる。

 

「大丈夫だったか? 昨日姫様に散々絞られたと聞いたが……」

「ああ……その話題には触れないでほしいであります。姫様とのお付き合いは長いでありますが、もう二度と、金輪際、絶対に姫様を本気で怒らせないようにしようと心に誓ったであります……」

 

 一体どれだけ、それこそ拷問のような「お説教」を受けたのだろうか。それはそれで興味があったソウヤだが、ここまで言っているトラウマを抉り起こすのも酷というものだろう。その興味は心の中にしまっておくことにした。

 

「そういう貴様はなぜ無事にここにいられる?」

 

 聞こえてきた声は彼の予想通りに不機嫌そうだった。そして仰ぎ見たその表情もやはり不機嫌そうである。近づいてきたのは声の主であるエクレール、その背後には正式に婚約者として認めてもらったエミリオ、そして親衛隊のアンジュの姿もあった。

 

「姫様の寛大な恩赦を受けてな。振り上げた拳をなんとか収めてもらった」

「そうか。そいつはよかったな。だがな、生憎私はその拳を収めるつもりはない」

「だろうな。そういう奴だ、お前は」

 

 そこまで話したところでニヤリ、とエクレールから不敵な笑みがこぼれた。

 

「だが私も鬼ではない。それに姫様が恩赦をかけられたのに私ばかりが過剰に手を下すのもなんだか気が引ける。本当は貴様が気を失うまで紋章剣を叩き込むなり紋章術込みで殴り続けるなりしてやろうかとも思ったが……。今日のところは全力で一発殴るだけで済ませてやる。あとはこれまでの借りまで含めて全てチャラ、それで勘弁してやろう」

「お、これは意外だ。貸し借りゼロにされるのは少々失うものとしては大きいが……。まあ我が身には変えられないからな。それでお前の気が済むなら、それでいい」

「済むか、阿呆。我慢してやる、と言ってるんだ」

 

 エクレールが平手を構える。素直にソウヤは諦め、その手の届く範囲まで足を進めた。そして目を閉じ、衝撃に耐えられるように歯を食いしばる。

 それを確認したところで、再びエクレールはニヤリを笑みをこぼす。次いで平手を閉じて()()()()、彼の()()に一発全力で叩き込んだ。

 

「ゲホッ……!」

 

 予想もしていなかった一撃に耐え切れず、悶えながら腹部を抑えてソウヤはその場にうずくまる。

 

「エ、エクレ! ひどいでありますよ! 平手じゃなかったでありますか!?」

「私は『一発殴らせろ』としか言わなかった。顔を殴るとも、平手で殴るとも一言も言ってないぞ。……そもそもこいつはそういうことを平然と言ってやってのける奴だ、私がやったところで文句はないだろう?」

 

 得意気に笑みを浮かべつつ、まだ咳き込むソウヤをエクレールが見下ろす。苦痛に顔を歪めながらも、彼もその顔を上げてなんとか笑顔を返した。

 

「ゴホッ……。ま、まあこいつの言うとおりだ……。いつも言ってやってることをそのまま返されただけだ……。文句も言えねえよ……」

「だがこれで今回のことと、これまでの借りは全部チャラだ。寛大な処遇に感謝しろ」

「お前だって最後は()()()()だっただろうがよ……」

「あれは望まずにそうなっただけだ。結局貴様の掌の上で……エミリオと共に踊らされ、そして貴様の言い方で言うなら舞台を降りた、それだけのことだろう?」

「まあ……そういうことだな」

 

 ようやくソウヤが立ち上がる。まだ腹部を抑えてはいるが、大分ダメージは引いたらしい。一度大きく深呼吸し、改めて彼女に向き直った。

 

「そういうわけなら、これで貸し借りチャラ、今回お前を踊らせた責任も俺は取った。それでいいんだな?」

「ああ。そうだな」

「わかったよ。……だがこれで貸しを使ってお前とエミリオの結婚式に呼んでもらう計画はおじゃんだな。それだけは残念だ」

「……いや」

 

 エクレールは視線を逸らした。そのまま恥ずかしそうに顔も俯かせる。

 

「……仲人を呼ばないわけにはいかないだろう。だから……貴様は呼んでやる」

「へえ……?」

「か、勘違いするな! 他の呼びたくて呼ぶ人たちとは違うからな! しょうがなく呼んでやるだけだ!」

「頑なに拒もうとされたので、自分も説得したんですけどね」

 

 ここまで心配そうに2人のやり取りを見ていたエミリオがようやくここで口を挟んできた。

 

「仮にも、ソウヤさんが今回のこの騒動を仕組まなかったらこういう結果にはなってなかったでしょうから。……ちなみに、あなたの頭の中では、自分と隊長のこの一件も計画されていたんですか?」

「一応な。確率は……はっきり言って五分五分だった。不確定要素が多かったからな。エクレールが盾になってあの場に残るのは計算していたが、リーシャ隊が姫様達を見つけられるか、その戦闘中にあなたが間に合うか、間に合ったとしてこいつの心に届くことが出来るのか……。だがそれら全てを見事やってのけた。だからエミリオ、あなたはそこの隊長と肩を並べるにふさわしい存在だと、俺は思ってるよ」

 

 照れくさそうにエミリオは俯く。一方でさっきまでそういう表情だったエクレールは普段通り、いや、普段よりも表情を渋くし、ソウヤに尋ねた。

 

「つまるところ、やはり貴様の掌の上で遊ばれていたというわけか」

「一言で言えばそういうことになるのかな」

「どうだった、軍師殿? 私達をうまく手玉に取れて、思い通りに動かすことが出来て、満足か?」

 

 その問いかけに、ソウヤの表情から一瞬色が完全に消えた。肯定したら即座に罵詈でも浴びせてやろうと準備していたエクレールは出鼻をくじかれる。

 

「……確かにお前の言うとおり、俺は軍師みたいなもんなのかもしれないな。足りない分をなんとか搾り出した知恵……というより、奇策やら姑息な方法で乗り切ることが多い。戦の時、うまく策がはまって相手の優位に立てたとき、それは心の中でほくそ笑んでうまく出し抜けた喜びを感じるさ。

 だが、今回ばかりはそんな喜びはなかったよ。俺が掌で弄んだのは戦の勝敗じゃない、その人間の今後の人生まで懸かっていると言ってもいい事柄だ。うまく狙い通りに事は運んだとはいえ……覚えたのは喜びの類よりも安心の方が上だった。……いや、その安心でさえも結局は自己満足だ。特にお前たち2人においては、本当に背中を押していいものか迷ってもいた。

 だからエクレール、エミリオ、逆に聞きたい。過程としては俺に仕組まれた形となったかもしれないが、結果としてお前たち2人はめでたく結ばれる運びとなった。そのことを、お前たちは今幸せに感じているか?」

 

 エクレールとエミリオは互いに顔を見合わせた。そして同時に頷く。

 

「答えるまでもないな」

「幸せですよ。いえ、彼女はこれから自分が幸せにします。そういう、約束ですから」

「そ、そういうことを平気で言うな、お前は……」

 

 最初の発言時の態度とは一変、エクレールは頬を赤らめて視線を泳がせる。そこまでの様子を伺い、ようやくソウヤは表情を僅かに緩めた。

 

「……それを聞けてよかった。俺の勝手な善意の押し売りをやっちまって、逆にそれが迷惑になるとしたら、お前に殴られた分だけじゃ自分で納得できないところだった」

 

 赤らめていた表情を戻し、エクレールが眉をひそめる。そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「……はっきり言ってやる。私はお前が好きではない。初めてここに来た時の戦いで、尊敬するダルキアン卿に正当と言い難い方法で勝利し、そして私に滔々(とうとう)と自分の考えを語ってみせた。その後はまるで手玉に取るように戦において策を張り巡らせ、常にそのどっから湧いてくるかわからないような自信に満ち溢れた表情を貼り付けている。そんなお前が、私はどうしても好きにはなれない」

「だろうな。別に俺もお前に好かれたいとは思っていないし、好かれる性格だとも思ってねえよ」

「だがな、今さっきのお前のセリフでわかったよ。……お前は悪い人間じゃない。そして、根っからの悪人になることも出来ない。結局貴様は根はいい奴なんだ。だから、そうやって掌で踊らせた人間のことまで気にしてしまう。うまく他人を弄んでも『ざまあみろ』と言うことが出来ないでいる。勝手にお節介を焼いて、私のことを不器用だとか愚かだとか散々言ってくれたが、言った貴様が人のことを言えないほどに不器用だったらしいな」

 

 しばしの間エクレールの話を驚いたように聞いていたソウヤだったが、不意に声を上げて笑った。

 

「……そうだよ、その通りさ! 言ってくれるじゃねえか! ……結局戦で相手をはめた時こそ『ざまあみろ』と言えても、今回の件で俺はそう言ったことを全く感じられなかった。他人の人生を左右させて、そこに悦楽を得るほど神経が太く、図々しく出来てなかった。どうやら残念ながら俺は悪人にはなれそうにないらしい。だがおかげで、お前に心から嫌われることはなさそうだな」

「そういうことにしておいていやる。……さっきは殴ったが、今回のことは私なりに感謝はしてるぞ」

 

 その一言で十分だった。ここまで散々苦労を背負ってきたが、それが少し報われた気がした。絶対に感謝の気持ちを述べないような堅物の親衛隊長に感謝の言葉をかけてもらえた。そのことで思わず彼の頬が緩む。

 

「……だがな、そのせいでうちの親衛隊にも迷惑をかけたことは自覚しろ。特にアンジュは面倒な目に遭ったんだからかな」

「……ああ、そういえばロランさんから聞いたな。あの人に真っ向から歯向かったんだって?」

 

 思わずアンジュが苦い表情を浮かべる。当時状況を全くわかっていなかったとはいえ、今になって思えば何の証拠もなく目上で格上の騎士団長に食って掛かったということになる。

 

「隊長や勇者様、それに主席が姫様を誘拐などするはずがないとはわかっていましたから。騎士団長が怪しいのではないか、という噂は騎士の間でも囁かれていましたし、そんな風に思っていた時にあの人がエミりんに声をかけていて、それが余りにわざとらしかったので……。思わず感情的になって突っかかってしまったんですよ」

「いや、でもその芽は早いうちに摘めてよかった。……一歩間違えたらうちの近衛隊長みたいになっていたかもしれなかったからな」

 

 その「近衛隊長」という単語にエクレールが反応した。「ああ」と相槌を打ち、続ける。

 

「そういえば聞いたな。ビオレ隊長、ここに夜中潜入したんだって? 随分無茶をやる……」

「全くだ。ともかく、そうはならなくてよかったよ。……もっとも、こっちじゃリゼルさんが目を光らせていたし、カンが良さそうな人を見かけたら早いうちに()()()()に引き込むよう言ってあったから、突っかからなくても時間の問題だったんだろうけど」

 

 ハァ、とアンジュはため息をこぼした。何度か短く話したことはあったものの、面と向かい合って長く話したのはこれが初めて。なるほど、隊長が「好きになれない」という人間だと彼女は理解していた。彼は本当に己の一挙手一投足まで見抜くような、いや、見透かしてくるような人間なのだ。あれだけの壮大で途方もなく、そして馬鹿げた計画を平然と行ったのも納得だった。伊達に「蒼穹の獅子」の異名を持ち、あのレオ閣下を(めと)った人間だということだろう。

 

「しかし兄上に突っかかったという度胸は大したものだと私は思うぞ。まあ私はもうしばらくこの地位に留まりたいと思ってはいるが……結婚、となれば新婚旅行とかもあるからな……。義姉のアメリタ秘書官も『姫様と勇者様もですが、その前にまずあなたの旅行プランを組んであげますよ』とかノリノリだし……。そうなった場合、アンジュ、私とエミリオが不在の間この隊を頼むぞ」

「わ、私がですか!?」

「僕も賛成だよ。君になら問題なく出来るさ」

 

 親衛隊の隊長と副隊長に背中を押され、一瞬考えた様子のアンジュだったが、決心したようにその顔を上げた。

 

「……わかりました。その際は、責任を持ってこの隊を預からせていただきます」

 

 2人の表情が緩む。理解ある隊の人間に恵まれて本当によかったと、エクレールは心から感謝していた。

 

「……とまあ、これでエクレ絡みの親衛隊の件は一件落着でありますな!」

 

 ここでずっと聞き側に回っていたリコッタが無理矢理まとめようと割って入ってきた。

 

「勝手にまとめるな、リコ。……しかしまあ、こいつの言う通りかもな」

 

 フフッとエクレールにしては珍しい笑い方を見せた。今のリコッタの言うとおり、エクレール本人としては不満でも一応は一件落着、ということになるだろう。

 

「リコッタも苦労かけたな。お前無しでは成功はありえなかった。勇者召喚の有識者って事で引っ張りだこで忙しかっただろうに……」

「いやいや、自分はあくまで連絡役、ソウヤさんの指示通りに動いただけでありますから。……それに他国も自分を頼ってくれるというのはありがたいことだと思っているであります。幸い、パスティヤージュは勇者召喚についてはしばらく保留という結論を出しそうだという話でありますし、その手で少々厄介なことになっているカミベルからも、一度意見を伺いたいということで今日書状が届いたであります」

 

 それにはソウヤも意外そうな顔を見せた。今回魔物と同等に懸念していたイレギュラー、そのカミベルが融和な姿勢に出たというのは少々予想外だったからだ。

 

「……まあ行く時は一応気をつけろ、以前のパスティヤージュの二の舞になる可能性もないわけじゃない。だが……向こうの勇者様……いや、俺と似たポジションに着いたらしいから『元』か。ともかくその人間も頭が固すぎるわけでもないらしいな。行って、思ってることを意見してきてくれ。それで姿勢が変われば、俺もあの国に対して少し評価を改められる」

 

 コクリ、とリコッタは頷いた。勇者召喚は方法を彼女が確立させ、同時に思わぬ弊害まで導いてしまった事柄。自分の手でなんとかしたいという思いがあるのだろう。小さな体に似合わぬ苦労をかけてしまうと思ったソウヤだが、彼女はそんな彼の心配を跳ね返すほどの瞳をしていた。

 

「だがリコも大変だな。そんな苦労ごとの最中、こいつの面倒ごとに巻き込まれたわけだろう?」

「エクレールの言う通りかもな。それはすまないと思ってる。少なくともパスティヤージュ連中との戦いはガチ(・・)だったわけだし、それと知られず意見するとか前もって宿になりそうな辺りや道を調べるとか、結構面倒な役を振っちまったからな」

「それも苦ではなかったでありますよ。時々ノワも協力してくれて色々知識を借りることが出来たでありますし」

「……お前ら、本当に綿密にこの計画を練ってたんだな」

 

 呆れたようにエクレールが言う。

 

「当然だろ。こんだけでかい馬鹿げたことをやるんだ、失敗は許されない。出来るだけ関係者を少なくして聴衆を増やし、そして盛大に成功させる。この世界で、フロニャルドで受けるようなそんな茶番を、俺はやろうとしていたわけだからな」

 

 これには先ほど呆れていた彼女も苦笑を浮かべるしかなかった。その彼の望みは理想的な形で叶った。多少のアクシデントがあったが、それでも見事に完成された茶番だった。途中までは演者だった彼女も、最後は知っている側に回ったわけだが、だとしても称賛したい終幕だった。

 殊この男は本当にフロニャルドを愛しているとわかる。だからこそ、この世界に似合う最高の形で2人の婚約を盛り上げ、そして自分達もそこに乗せられたのだと今のエクレールはわかっていた。過程はどうあれ、結果として彼女は幸せを掴むことが出来そうだ。だからもういいか、と彼女は自身を納得させることにした。

 

「……貴様には頭が上がらん。これからもその活躍を期待してるよ、『蒼穹の獅子』殿」

 

 完全に虚を突かれた形でソウヤは目を見開いた。が、すぐ渋い表情へと変わる。

 

「……お前に面と向かってそういうことを言われると背中がゾワゾワッとするんだが」

「安心しろ。おそらく後にも先にも今回だけだろうよ」

「そうかい」

 

 まあいいか、とソウヤは天を仰いだ。日は傾きかけ、やがて夕方の様相を示し始めそうだ。これから行こうとしている場所には予定より少々早くなりそうだが、別に構うことはないだろう。そう思い、ソウヤはそろそろこの場からお暇しようと考えた。

 

「……ま、話したいことは一頻り話した感じか」

「そうだな」

「んじゃ俺は行くか。この後ダルキアン卿と飲み会でな」

「ああ、聞いている。酔い潰されて来い。そして胃の中の物をひっくり返して無様に醜態を晒すといい」

「……鬼か、お前は」

「ついでに寄った勢いでユキ辺りに抱きつけ。そうしたらレオ様の耳に入れてやる。みっちり絞られる貴様を拝めるからな」

「やらねーよ。さっきレオにそれだけはやめろと念を押されてる。……ったく見送りぐらい普通にしろってんだよ」

 

 ソウヤが城の方へと振り返った。これ以上話してもまともなことにならないだろう。ならさっさと去るが吉だ。

 

「じゃあな。まあまたそのうち来る」

「来なくてもいいぞ」

「自分は待ってるでありますから、またでありますよソウヤさん」

 

 ああ、お前はいい奴だよリコッタ、と彼は心の中で一言呟く。そして背を見せたまま右手を上げて別れの意志を表すと、次の目的地である風月庵へと向かうべく、城内へと足を進めた。

 

 

 

 

 

「では、未来ある若者たちに幸多きことを願って、乾杯」

 

 地球で言うお猪口サイズに注がれた酒を掲げ、場の4人――ソウヤ、ブリオッシュ、イスカ、ユキカゼは一気に中の液体を飲み干す。

 予定より少し早く、ソウヤの到着をもって予定されていた酒宴の席は始まった。まず最初の乾杯、いくら飲みすぎには気をつけようと一応思ってはいるソウヤでも、最初の一杯ぐらいはなんの気兼ねもなく飲み干していた。

 

「……強いな。でも、うまい」

 

 普段自分が飲む酒とは全く異なる酒を飲み、ソウヤは率直にそう感想を述べた。

 

「お、このうまさがわかるとは、ソウヤ殿はやはりいい酒飲みになりそうでござるな」

「飲みすぎて酔っても知らないでござるよ。もし拙者に抱きつくとかいやらしい事をやらかしたらレオ様に報告する故、ゆめゆめ忘れぬように」

 

 ブリオッシュに続いて述べられた棘のあるユキカゼの一言に、思わずソウヤは苦笑を浮かべた。レオにもエクレールにも釘を刺され、挙句ユキカゼまでもだ。自分はそんなに女たらしかと反論したくなる。

 

「大丈夫さ、ユキ坊。ソウヤ君はこう見えて真面目で誠実だ。それにいざとなったら俺が止めるさ」

「助かりますよ、イスカさん。でもそれはちょいとばっかり俺を買い被りすぎじゃないですかね?」

「買い被り? よく言うよ。今の言葉でも足りないぐらいだ。君はあの大舞台を見事に成功させてみせた。それも自身が主演ではなく、あくまで可能な限り裏方として舞台を回して、だ。何も知らない人間を主演に据えて君のシナリオ通りになるべく、まさに操るようにあの場を整えてみせ、種を明かせば実に何ということのない茶番だったと平然と言ってのける。そんなことが出来る人間は、只者じゃないと俺は思うよ」

 

 新たに注がれた酒を一口含み、ソウヤは無表情で視線を床に落とす。自分は褒められるようなことをしてはいない。むしろその逆、咎められても仕方のないことをしたと思っている。先ほどエクレールに話した言葉は彼の本心に相違なかった。

 

「……俺はそんな大層なもんじゃありません。親友と、あと踏ん切りを漬けられないでいる人間を見るに見かねて、茶番を仕組んでそれを助けようとした。結果、俺自身は滑稽な役回りを演じ続けた、ただの道化に過ぎませんよ」

「そこさ。俺が君を一番買っているところだ」

 

 何を言ってるんだろうか、とソウヤは眉をしかめてお猪口に残った残りの酒を流し込む。熱い感触が食道を流れ落ちていく感覚がなんとも心地良い。

 

「思い当たる節がない、って顔だね」

「……ええ、まあ」

「君は自分を『道化』と呼んだ。さらには自分が仕組んだ計画を『茶番』とも呼んだ。失礼かもしれないが、君は己の身の丈を誰よりも理解していると見受ける、俺はそういう人間は嫌いじゃない。……あ、いや、少々自分で自分を過小評価している面はあるか。ともかく、そういう表面的には自嘲的としか取られない言葉でもって、しかし見事にその『茶番』を『道化』として完結させてみせた。この規模でそれをやらかしたとなれば、『道化の本質』を理解していなくては到底出来ないことだ」

「道化の本質……?」

「そう。自らが舞台の中心に常に立つでなく、主に裏方からその舞台を回して主演を盛り上げ、さらには演者にすらそれを勘付かせず、聴衆を飽きさせることなく楽しませる。それこそが道化の本質、言うなれば道化であることを自覚した真の道化。まさに君ではないかと、俺は思ってる」

 

 プッとソウヤは吹き出した。そして声を上げて笑う。

 

「それこそ過大評価ですよ。所詮俺はこの馬鹿げた茶番を仕組み、滑稽に役を演じ続けた道化でしかない。

 ……でもま、そこまで言ってもらえると俺としては嬉しいってのは本音ですね。別に見返りがほしくてやったことじゃありませんが……。ここまで見抜かれて褒められると、案外悪くないと思えてしまう」

「では『蒼穹の獅子』の異名も返上してもよいのではござらんか? 『道化の獅子』だとか……いや、何でも巷では『結婚請負人』やら『請負仲人』やらの異名まで飛び交っていると伺ったでござるよ」

「……は?」

 

 初めて耳にした単語にソウヤは間の抜けた声を上げる。「道化の獅子」まではこれまでの話の流れから理解できるにしても、その後の2つは初耳だ。

 

「なんです、その請負人とか仲人とか……」

「おやおや、情報通のソウヤらしからぬ発言でござるな」

 

 こちらは状況を知っているのだろう。普段の仕返しとばかりにユキカゼが笑いを噛み殺した。

 

「勇者殿と姫様、さらには親衛隊長と副隊長。そして今日になってガレット領主と諜報部隊長の婚約の仲介までしたらしい元勇者。それ故、巷でそんな風に呼ばれているらしいでござるよ」

「お、ってことはあの鈍感領主に迫られて黒猫もついに腹を決めたか。発破かけて正解だったな」

「ではガウル殿下にノワに迫るように仕向けたのは、やっぱりソウヤだったでござるか!?」

 

 ユキカゼが驚いたように尋ねる。情報の出所はどこかしらないが、おそらくトラジマかウサ耳辺りだろう。

 

「いい加減あの2人の関係を見てるのも嫌気が差してきてな。勇者に領主、親衛隊長に副隊長、その前には騎士団長に秘書官なんて前例もある。だったら、領主と騎士だっていいじゃねえかと思ったんだよ。

 ……それにあいつを……ノワールを見てると昔の俺を見ているみたいで辛かった。どうせガウ様なんて告白しちまえばイエスってしか言うわけねえのに、いつまでもウジウジと言い訳がましく逃げ道を作って逃げて、なのに諜報部隊なんてつかず離れずのポジションを取ってた。……だったらくっつくか離れるかどっちかにしろと、恨まれるの覚悟でガウ様にノワールの心のうちを全部話したんだよ。もともと、茶番の最中に布石だけは打っておいたからな」

「そこまで来ると、お節介焼きもいいところでござるな。もしかしたらノワに恨まれるかもしれないでござるよ」

「かもしれない。もしかしたらただの善意の押し売りだった可能性もある。だが、それでもあいつが諦めるしかないと長年殺し続けてきた思いが遂げられたなら、俺は恨まれようが嫌われようが別に構わないさ」

 

 その発言を聞いたイスカは笑みを浮かべ、お猪口の酒を一気に飲み干した。結局はこの騒動が終わった、と見せかけて最後の最後まで領主と自分の右腕だった諜報部隊長まで手玉にとって見せたということか。やはり自分の思ったとおりの面白い人間だと改めて思う。

 

「……何はともあれ、今日はいい日にござる! さあ、改めて乾杯でも……」

 

 ブリオッシュが再び仕切りなおそうとしたその時だった。僅かだが地響きを感じる気がする。いや、気ではない。確かに地響きだ。次いで、空の方から何やら音も聞こえてきた。その音の雰囲気からまだ距離があるとわかるが、もっと近づいたら間違いなく轟音だろう。

 

「……ダルキアン卿、なんだか地響きと轟音がしてる気がするんですけど」

「気のせいではないよ。……どうやら、ご到着のようでござるな」

 

 ややあって、その地響きと音は収まった。代わりに庵の入り口からソウヤにとっては聞き慣れない声が聞こえてくる。

 

「お邪魔するのです、ヒナ」

「なんだよ、もう始めてやがったのか?」

 

 入ってきたのは一組の男女だった。男の方は白髪に狼のような耳。一見するとレオを思わせるような風体だが、その尻尾が特徴的に分かれて鋭いところが大きく異なる。何より、醸し出す雰囲気が「光」か「闇」かで判断した時に後者に近い、というのがソウヤの第一印象だった。

 それよりソウヤが驚いたのは女性の方だった。金髪で青い瞳の彼女には耳も尻尾もない。つまり、自分と同じく異世界の人間だとわかる。だがブリオッシュを「ヒナ」と呼んだことからつい最近召喚された人間ではなく、ブリオッシュとは深い仲、要するに自分よりずっと早くに召喚されたということは推察できた。付け加えるなら、レオといい勝負が出来るぐらいにスタイルもいいとソウヤは感じていた。

 

「よう、アデル、ヴァレリー。悪いな、ソウヤ君がちょっと早く来てくれたからな。先に始めてた。お前らだって遅刻だ、文句はないだろう?」

 

 こちらも知った様子で話すイスカ。この場でユキカゼだけがやや緊張した様子から、大体の事情をそれだけでソウヤは察した。

 

「あら、こちらが今回の仕掛け人であるソウヤ・ガレット・デ・ロワ卿ですの?」

「ええ。俺がソウヤです。堅苦しい呼ばれ方は嫌いなんで、呼び捨てで結構ですよ。……で、ダルキアン卿。このおふたり、イスカさんが話を通してくれて、あなたとイスカさんと共にあの場の厄介な魔物共の相手をした後に再封印した、ユキカゼ曰く『強力な助っ人』のおふたりで間違いないですね?」

「ほう……?」

 

 ヴァレリーと呼ばれた男が感心したように声を上げた。この短いやり取りで事態を把握するとは、なかなかの洞察力と見抜いたのだろう。

 

「ああ、その通りでござるよ。英雄王アデルと魔王ヴァレリー……。拙者と兄者の友人で、対魔物戦では最前線に立たせてもらっていた者達でござる」

「アデライド・グランマニエなのです。よろしくなのですわ」

「ヴァレリア・カルバドスだ」

 

 女性の方の名を聞いてソウヤは眉をしかめた。次いで、酔いつつある頭をフル回転させて記憶を必死に探る。

 

「英雄王アデル……。アデライド・グランマニエ……。すみません、失礼ですがご出身は? あ、この世界で、です。別に元の世界の出身に興味はありません」

 

 アデルは苦笑を浮かべた。ブリオッシュから大体の話を聞いてはいたが、予想以上に怖いもの知らずと言うか、無遠慮だ。だが彼女は特に気にした様子もない。

 

「パスティヤージュなのです」

「……ああ、やっぱり。やっと思い出した。パスティヤージュの英雄王伝説、『白き英雄王』アデライド・グランマニエ。まさかガレットの図書館で読んだ伝記の人間の名を耳にするとは思ってもいませんでした」

「あら、なかなか博識なのですね」

「趣味なんですよ、そういう伝記だの小説だのを読むのは、昔からね。……で、あなたはその何代目アデライドになるわけですか? それとも……」

「アデライド・グランマニエは私しかいません。子孫として、今はクーベルがパスティヤージュを治めていますけど」

「ああ、やっぱりか。さすがフロニャルド」

 

 そう言ってソウヤは失笑をこぼしただけだった。伝記に載る、ということはそれは数百年単位で昔のこと。だが、目の前の彼女は「それは私だ」と平然と告げた。しかしそれに対してソウヤは何の疑問も持たない。なぜなら、()()()()()()()()()()()()だ。もう細かい理屈など抜きに、目の前の人間は英雄王アデルその人なのだと、ソウヤは確信していた。

 

「……で、付き添いの方は魔王とおっしゃいましたが、どうせこの世界だ、この魔王、いい人なんでしょう?」

「いい人だと!? 貴様、俺の恐ろしさを……」

「お黙り、ヴァレリー」

 

 アデルにそう言われただけで飼いならされた犬よろしく、ヴァレリーは唸りながら口を閉じた。その様子にソウヤは声を噛み殺して笑う。

 

「……おかしいか、小僧」

「ええ、おかしいです。俺がいた世界の物語じゃ、魔王って存在は十中八九悪い存在、倒されるべき存在でしたから。……まあ中には勇者と仲良くなってしまう美人の魔王なんて話もありましたけど。そこから言うと、そちらのおふたりは、その関係に近いのかな?」

「ヴァレリーは厳密には魔王ではない。魔神の力を使うことに長けているから、魔王を名乗っているのさ」

 

 イスカから入った説明に「なるほど」とソウヤは相槌を打つ。

 

「つまりは『自称』魔王様か。……そしてその魔王様は俺同様、嫁さんにいいように尻に敷かれていると」

「う、うるせえ! これはアデルの奴が……」

「お黙り、ヴァレリー」

 

 先ほどと同様の一言で、同様の展開となった。これにはソウヤだけでなく、場の全員から笑い声が上がる。

 

「……まあいい。丁度仕切り直しをしようとしていたところだ。エイカ、カナタ、アデルとヴァレリーの前にも酒と料理を」

 

 かしこまりました、という声が台所の方から響いてくる。アデルは丁寧に腰を下ろし、ヴァレリーはムスッとした様子で胡坐をかいてそれを待つ。

 

「で、おふたりがこの兄妹の友人だということはわかりました。あと巨乳ちゃんからの説明で実力も同等クラス、つまり俺なんかが真っ向切ってケンカを売っても瞬殺されるレベルだってことも。ですが、どういうきっかけで今の関係に?」

「私とヒナとイスカとヴァレリー、そこに今は亡き私の召喚主を入れたパーティで、魔王を倒したのです」

「その魔王はこれじゃなくて本物の?」

「おい小僧! 『これ』とはなんだ!」

「お黙り、ヴァレリー。……まああなたが読んだという伝記の頃の話ですから、かれこれいつのことか……」

「巨乳ちゃんはその後にダルキアン卿と会ったのか?」

「ユキカゼとは確かそうでござる。アデルとヴァレリーはその後世が治まったということで眠りについた。……まあふとしたことでまた今こうして目の前にいるわけではあるが。ともかく、それで2人が眠りについた後に兄者とも別れ、その後拙者が旅をしていた時に出会ったでござる」

「つまり、ここにいる者全員、拙者も含めてソウヤより随分と長生きということでござる。ソウヤはもっと敬意を払うべきでござるよ」

 

 ここぞとばかりにユキカゼは胸を張った。英雄4人からすれば自分などまだまだヒヨッコだが、それでも普通の人間のソウヤよりは長生きだ。ここぐらいは虚勢を張ってもいいだろう。

 

「……じゃあお前のその立派な胸に敬意を払ってやるよ」

 

 が、返って来たのは相変わらずのセクハラまがいの一言だった。それに対してユキカゼが思わず顔を赤くしたところで、アデルとヴァレリーの前にも酒と料理が用意される。

 

「さて、全員が揃ったところで改めて乾杯といこう」

 

 場の全員に酒がいきわたったことを確認し、ブリオッシュは続ける。

 

「……では、我らの久方ぶりの酒の席であることと、この度盛大な『茶番』を企画し、見事それを成し遂げたソウヤ・ガレット・デ・ロワ卿と、これからの未来ある若者たちに幸多きことを願って、乾杯!」

 

 6人が杯を掲げ、中の液体を飲み干す。いい加減何杯目だったか、段々とソウヤもほろ酔い気分になりつつあった。

 「未来ある若者たちに幸多きことを願って」。ブリオッシュの締めの文句は先ほどと同じだった。ソウヤはさっきユキカゼが言ったとおりこの中では相当の若輩。だが、思いは音頭を取ったブリオッシュと一緒だった。シンクとミルヒ、エクレールとエミリオ、ガウルとノワール。皆が幸せになってくれればいい。善意の押し売りはしたくないと思いつつも、彼はその背中を押した。かつて「やって後悔するよりやらないで後悔でいい」と発言した人間の行動とはとても思えない。だが、結局レオと結ばれてなんやかんや苦労しつつも幸せを感じている自分は、もう「やって後悔」している側なんだとわかっていた。だから、彼らの背中を押したのだ。

 

「ダルキアン卿、改めて、今回は感謝します。自分の茶番に付き合っていただいたこと、魔物の登場という想定の中とはいえ予定外のアクシデント。それを見事に解決していただいたこと……」

「何を今更。言ったはずでござるよ、魔物討伐は拙者のお役目、と。それに、兄者やアデルやヴァレリーも理解を示してくれた。皆、ソウヤ殿に同調したからでござるよ」

「私は面白そうなことをしようとしていると思ったからですけどね。しかもそれを考えたのがまだ若い元勇者の青年……。実に興味を惹かれた、だからヴァレリーと共に協力しただけなのです」

「俺はしょうがなくだけどな」

 

 つまらなそうに言い、ヴァレリーは酒を喉に流し込んだ。次いでお世辞にも行儀が良いとは言えない様子で料理も口へとかきこむ。

 

「ともかく、全面的に協力していただいて本当に助かりましたよ。あなたがたはカードゲームにおけるジョーカー、こちらの計画を根底からひっくり返すだけの力を持つ存在だ。それを味方に引き入れられなかったら、この計画は頓挫するしかなかったでしょうね」

「私たちはあくまで若者たちの未来を見守る側なのです。だから、ヒナから話を聞いた時点で心は決まっていたのです。……それに、私は面白い話だと思いましたし、それを計画したというあなたに会いたいとも思ったのですけどね」

「俺に? ……珍しい方もいたもんだ。で、どうです? 会った感想は?」

「やはり面白い人なのです。なんでもガレットの凛々しい姫君を(めと)ったと聞きましたが、納得なのですわ」

「おう、あの美人な姉ちゃんか! 遠めに見たがなかなか美人だったな、特に胸の辺り……」

「ヴァレリー」

 

 ジト目でアデルに睨まれ、ヴァレリーは愛想笑いを浮かべる。そのまま酒を飲んでごまかした。

 

「なるほど、魔王様の目に止まるほどあいつは美人に見えますか。そいつは俺としても鼻が高い」

「アデルにはかなわねえが、なかなか美人だな。お前のような小僧の妻にしておくのは勿体無い。是非とも着替えやら入浴を覗かせていただきたいものだ」

「ヴァレリー、いい加減に……」

「いいですよ、別に」

 

 予想外のソウヤの答えに止めようとしたアデルの声が止まった。さらにヴァレリー自身も意外そうな表情を浮かべる。

 

「ただし、あいつが平然と覗きを許すほど寛大だとは思いませんけどね。だからそう簡単には出来ないと思いますよ。それに……万が一うまくいったとしても、一応俺はあいつの旦那ですから、黙って見過ごすのも腑に落ちない。その時は対価を払ってもらいたいですね」

「対価だぁ?」

「つまり、俺にもあなたの嫁さんを覗かせろって言ってるんですよ」

「な……」

「な……!」

 

 驚きの声を上げたのはヴァレリーとアデル同時だった。それを確認した後で、悪戯っぽくソウヤは微笑み、酒を喉に流し込んだ。

 

「……冗談ですよ。確かにアデルさんは魅力的な女性だと思います。ですが俺は別に人妻が好きなわけじゃないし、他人の女性を狙う趣味もない。それに『白き英雄王』とまで呼ばれる偉人を覗くなど恐れ多い。そしてなにより……俺にとっちゃあいつが1番ですからね」

 

 ヒューと口笛を吹いたのはヴァレリーだった。そしてニヤリと笑みをこぼす。

 

「言うじゃねえか、小僧。……気に入った! 今回の馬鹿げた騒動を引き起こしたことといい、今の物言いといい……。そして何よりこの俺を前に微塵も臆する様子のないその度胸。お前は間違いなく大物になる。これからも、お前とはうまい酒を飲みたいもんだな!」

 

 ソウヤもお猪口に酒を注ぎなおしつつ、不敵に笑みを返した。

 

「勿体無いお言葉、ありがとうございます魔王様。……俺もあなたと飲めて嬉しいです。今後とも末永く頼みますよ」

 

 そう言い合って笑顔を交わし、2人の男は同時に酒を飲み干した。

 

「おらアデル、次だ次! じゃんじゃん注げ!」

「ヴァレリー、私はあなたの召使いではないのですよ」

 

 文句を言いつつもさすがにそこはアデルとヴァレリー、アデルは次の一杯をヴァレリーのお猪口へと注ぎ始めた。

 

「巨乳ちゃんもここで俺に注ぐぐらい気を遣ってくれ」

「断固辞退するでござる。そんなに飲みたいなら自分で注げばいいでござろう?」

「なら俺が注いでやろう。かわいい女の子じゃなくて悪いが」

「いえいえ、ご高名な刀鍛冶に注いでいただいたとあれば、これから先の自慢にもなりますよ」

 

 ユキカゼに断られた代わりにソウヤはイスカからお酌を受ける。既に彼の顔は赤く、相当量飲んでいるのがわかる。だがまだ飲むらしい。というより、完全にイスカのペースに乗せられている。

 これは完全に酔い潰されるな、とブリオッシュは思った。いや、彼女自身、今日は彼に限界まで飲ませてみたいという悪戯心に駆られている。今日ぐらい、少しはハメを外してもいいだろう。「道化」と称して裏方に回り、見返りを求めずに他人を踊らせながらも自分も懸命に踊った、この青年を労ってやりたい。

 ああ、未来ある若者たちに幸多かれ。三度、今度は心の中でそう呟いたブリオッシュは、お猪口の中にあった酒を一気に飲み干した。

 




本来エピローグにする話だった第2弾。エクレのところとダルキアン卿のところは力を入れたせいで2万字オーバーになってます。このせいで1話に収めるのが不可能となりエピローグから本編組み込みになりました。
そして事実これがエピローグ前の最終話ですが、ここまで散々存在を匂わせておいたアデルとヴァレリーがようやく登場。原作は優遇されすぎ(まあ新キャラなので……とも思ったけど、ならキャラウェイとリーシャの扱いはもっとよくてもいいはず……)と思ったので、今回のダルキアン卿同様ずっと裏方に回ってもらったことになってます。
ところであの2人、本編中で完全に夫婦扱いしてますが実際どうなんでしょう……。原作でもはっきりとは明言されてなかったような……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ フロニャルドの風

 

 

 枕元にある携帯が鳴る音で、彼女は目を覚ました。時刻はまだ7時前。電話がかかってくるにしては朝早いと思いつつもディスプレイを見て、そこに表示されていた名を目にして彼女は納得した。まだ少し寝ぼけつつも、通話ボタンを押す。

 

「……もしもし?」

『あ、もしもしベッキー? ナナミだよ。……あれ、もしかしてまだ寝てた?』

 

 ソウヤが一度地球に帰った時はベッキーの家に居候していたナナミだが、今はもうイギリスに戻っていた。日本は早朝だがイギリスは今は夜。ナナミもそこはわかっていたが、ベッキーなら起きていると思ってかけてきたのだろう。

 

「んー、実を言うとまあこれで起きたかな……。でも大丈夫だよ」

『そっかー。こっちは夜なんだけどそっち朝かなーと思って。ちょっと早いかなとは思ったんだけど、もう電話かけるの我慢できなくてさ。……シンクからのメール、見た?』

 

 そのメールは、ベッキーの元には昨日の昼頃に届いていた。内容はミルヒとの婚約を正式に交わした、でも今まで通り勇者として往復生活を続ける。というものだった。婚約を交わしたとはいえ式の予定は未定で、決まったら是非ともベッキーもナナミもフロニャルドに招待したい。そう書かれていた。

 

「うん、見たよ。びっくりしたけど……やっと決めてくれたんだ、って感じかな?」

『それだけ!? ……あたし今日に限って携帯の充電切らしちゃってさ。今さっき充電した時にこのメール見たんだけど、思わず変な声あげちゃったわよ。シンクの事だからなあなあでいっちゃうんだろうなとか思ってたのに、急にこんなメールだったし……』

「多分……。ソウヤが背中を押してくれたんじゃないかな。あたしのせいとか言ってたけど、色々お節介焼きになったらしいし」

『レオ様とももう結婚してるしね。ほんといい兄貴分よ』

 

 電話越しにナナミが笑う声が聞こえた。

 

『……ところでベッキー、あいつからメールは受け取ったけど、電話あった? さっき言ったけど、あたし今日充電切らせてたからあったかどうかよくわかんなくて……』

「着信はまだかな。こういう重大なことは出来れば電話で報告してもらいたかったけど……」

『でしょー!? ベッキーもそう思うでしょ!? あいつほんとこういうところわかってないわよねー、まったく!』

 

 どうやらナナミはお怒りモードに入ってしまったらしい。「まあまあ」とベッキーはナナミをなだめつつ、内心ではどこかホッとしていた。彼女もシンクの事はずっと気がかりだったのだ。そしてナナミも同じだから、こうやってついくどくどと言ってしまうのだろう。

 

『……まあいいわ。あの朴念仁もこれでやっと腰を据えられそうね。……でも往復生活を続けるって事はこれまで以上に大変にはなるんだろうけど』

「シンクもその辺は覚悟の上だと思うよ。前に少し話した時に『往復生活は負担が大きいし、姫様の側にいられないからなんだか申し訳ない』みたいなこと言ってたし」

『それでよくこの英断をしたわね、あいつ。ソウヤはどんな魔法を使ったんだか知りたいもんだわ』

 

 魔法か、とベッキーは小さく笑った。ファンタジーを愛したあのソウヤのことだ、本当に魔法のような方法を使ってシンクのこの決断を引き出してしまったのだろう。そんな風に勝手に思ったからだった。

 

『とにかく……。シンクの件がまとまったみたいでちょっと安心したわ。朝早くにごめんね。メール見たら居ても立ってもいられなくなっちゃってさ』

「ううん、いいよ。私もナナミにかけようか迷って、結局時差気にしてやめちゃったわけだし」

『じゃあこっちは段々夜中なんであたしはぼちぼち寝る時間だけど、朝早くにごめんね。ベッキーも二度寝でもしてくれたまえ。じゃーねー』

 

 やはりいつも通りというべきか、言いたいことだけを言って通話は切れた。携帯を耳から離し、ベッキーは携帯をいじり始める。意識していないうちにメールの履歴を確認し、シンクからのメールを再び読み返していた。

 

(シンクが結婚……か……)

 

 少し、寂しい気持ちはある。でもそれ以上に、祝ってあげたい気持ちの方が大きかった。しかも相手は彼女が一緒になってほしいと願ったミルヒだ。もし式に呼ばれたときは、心から祝ってあげようと思っていた。

 

 と、その時不意に携帯が再び鳴った。その着信画面を見て「あ……」と反射的に声をこぼす。ディスプレイに表示されたのは、今彼女が思っていたその人の名前、「シンク」の文字だった。1度深呼吸し、彼女は通話ボタンを押す。

 

「……もしもし?」

『あ、もしもしベッキー? シンクなんだけど……。今大丈夫?』

「うん、大丈夫。……何?」

『あ、えーっと……。実はメールで書いたことなんだけど……。ソウヤにメールでは報告したって言ったらそういう重要なことは電話でやれってすっごく怒られて、それで今さっきベッキーにかけたら話し中だったからナナミにかけたんだけど、ベッキーが先だろってやっぱり怒られて……』

 

 思わずクスッとベッキーは笑う。実にシンクらしい。ソウヤとナナミが説教する様子が目に浮かぶようだ。

 

『そんなわけで、ちょっと変な感じっていうか、恥ずかしい気もするけど改めて』

 

 そう言うと、電話の向こうの主はひとつ咳払いをこぼした。

 

『……シンク・イズミは、この度ビスコッティ領主ミルヒオーレ姫殿下と、正式に婚約を交わしたことを、報告したいと思います』

 

 意図せず、ベッキーの表情が緩む。そして心から祝いの言葉を口にした。

 

「……うん。おめでとう、シンク」

『ありがとう……っていうべきなのかな。……ベッキーにも色々迷惑とか心配とかかけちゃって、ごめんね』

 

 謝る部分がそこということは、やはりナナミがさっき言ったとおり相当な朴念仁ということだとベッキーは改めて思った。結局自分は幼馴染の範囲を越えることは出来なかった、いや、だが彼女はそこに不満を抱いてはいない。そこから「恋人」という方向とはまた別、「家族」というベクトルへ進めたのではないか、と思っていたからだった。ずっと家族同然に育ち、今も自分を気遣った言葉をかけてくれた。だからベッキーもシンクの幸せを願い、そしてそれが叶ったということは、自分のことのように嬉しかった。

 

『式とかまだ全然決まってないけど……決まったらナナミと一緒に招待するよ。その時は久しぶりにクー様と空を翔けてみたら? フロニャルドでの方法に則るから……何か派手な催し物とか、前後に戦とか用意されると思うし』

「……そうね。それもいいかも」

『よかった、クー様きっと喜ぶよ。まあまだいつになるかわからないんだけどね……』

 

 そう言って、誤魔化すようなシンクの笑い声が聞こえてきた。

 

『……じゃあごめん、多分朝早くだと思うけど、いきなりかけちゃって』

「ううん、気にしないで」

『それじゃ……』

「あ、シンク」

 

 電話を切ろうとしたシンクを、ベッキーは反射的に止めていた。なぜ止めたのか、何を言うべきか。

 考えたのは一瞬だった。

 

「……おめでとう」

 

 淀みなく、ベッキーの口を次いでその言葉が出た。電話の向こうでおそらくシンクが驚いてぽかんとしたのだろう、沈黙が流れた。

 

『……うん、ありがとう』

 

 返ってきた言葉は、幸せそうだった。それだけで、ベッキーは嬉しかった。

 

『……じゃあまた。たまにはメールとか送るから』

「うん。またね」

 

 短い会話だったが、それで通話は切れた。通話終了のボタンを押した彼女の顔は僅かに緩んでいた。その心には自分のことのように幸せな気持ちが満ちていた。

 

「……本当におめでとう、シンク……」

 

 

 

 

 

 美しい湖畔沿いの草むら。その木陰に1人座って難しい顔をして空を見上げていたソウヤは、近づいてきたシンクに気づいてその顔を彼の方へと向けた。

 

「終わったか?」

「うん。でも最初ベッキーにかけたら話し中だったからナナミにかけたんだ。そうしたら『なんであたしからなんだ、待ってでもベッキーが先だった、早くベッキーにかけてやれ』って怒られて、ナナミとはあんまり話せなかったんだけどね……」

「……姉御の言うとおりだ。それは怒られてもしょうがない」

「そ、そうなの……?」

 

 まったくつくづく鈍い男だとソウヤはため息をこぼす。ベッキーとナナミにちゃんと報告したのかソウヤが尋ねたところ、一応メールはした、と言われてソウヤは大いに呆れた。彼にとっても大切な人に対してメールだけとはいかがなものか。「そういう重要なことは電話で言え」と思わずソウヤは小言をぶつけ、その電話が終わったところであった。

 今はシンクにとって定例のミルヒとの朝の散歩の時間。そこにソウヤとレオも邪魔させてもらうと言う形で来ていたが、「シンクと2人で話がしたい」というソウヤの申し出により、互いに同姓同士2人きりになっていた。出発前にメールでしか連絡していないと聞いたために、ソウヤは「携帯を持って行け」と前もって言っており、このタイミングで地球の2人にちゃんと電話で報告させて、その後で自分と話す時間に使うつもりでいたのだ。

 

 が、ソウヤの顔は険しい。なぜなら、昨日の記憶を探るのが危ういほどに、マキシマ兄妹と英雄王、魔王との晩酌につき合わされたからだった。今は大分よくなったが、少し前までは喋るのも辛いほどの吐き気と割れんばかりの頭痛が彼を襲っていた。さすが歴史に名を残すような偉人クラスとなると酒に対する耐性が半端ではないらしかった。ブリオッシュもイスカも底無しで、ほろ酔いな様子は見せるが、その頃にはもうソウヤはかなりべろんべろんになっていた。

 とはいえ、アデルも結構酔っていたらしく、途中で酔いつぶれて寝た、というところまでは覚えているが、いつ自分が意識を失ったのかを明確に覚えていない。「だから言ったでござる」と目覚めた時にざまあみろとばかりにユキカゼに言われたが、その彼女はいつの間にかいなくなっていたわけで、つまりうまいこと逃げた、ということだろう。その後二日酔いに利くという薬をイスカから頂戴し、朝早くにフィリアンノ城に戻ったソウヤに「散歩に行くぞ」とレオは冷酷な提案を切り出した。が、元々シンクと話したかったのは事実で、ここが1番のタイミングと思っていた彼は断るわけにもいかず、体調をおして出かけ、そしてようやくよくなってきた頃だったのだ。

 

「それよりソウヤ、大丈夫? さっきより顔色はよくなってきたけど……」

「ああ。イスカさんからもらった薬が大分効いてきた。城出た頃は喋るのも辛いぐらいだったが、今はよくなってきた」

「そっか……。それはよかった。でもそんなになるなんて、僕はお酒は飲めないかも……」

「嗜む位は飲めた方がいい。飲みすぎなければいいものだぞ。特にガレット名産の酒はうまい。俺が保証しよう。それに姫様の夫になるなら、なおさら飲めた方がいいだろうしな。……ただ、マキシマ兄妹と飲むのだけはやめておけ。あの連中は剣の腕前もだが酒の量も化け物だ。付き合わされたら俺みたいにあっさり酔い潰されるぞ」

 

 思わずシンクが苦笑を浮かべる。常に尊敬の念を抱いているようだった相手をこう言ったということは、昨日相当酷い目に合ったに違いない。そこまで思わせるほどなら、やはり自分は酒は控えようと思ってしまうシンクだった。

 

「さてと……。せっかく久しぶりに2人きりになったんだ。なんか言いたいことはあるか? あれだけの馬鹿げた茶番を仕組みお前を騙し続けた俺に対する恨み辛み、なんでも聞くぞ」

 

 遠くを見つめたまま、ソウヤはそう切り出した。その横顔を一瞬見た後、シンクも彼の視線の先へと目を移してみる。湖畔に日の光が反射し、美しく輝いていた。

 

「そうだね……。まずは……ありがとう、かな」

 

 その言葉を聞くとソウヤは意外そうにシンクを見た。

 

「……馬鹿かお前」

「ひどいなあ、その言い草。……僕は本当に感謝してるよ。ソウヤは僕の背中を押してくれた。それは、凄くよくわかったから」

「お前を騙し続け、俺の掌で踊らせ続けたのにか?」

「うん。もしソウヤが騎士団長と結託して本当に謀反を煽動した、とかなら軽蔑したけど……。全部筋書き通りのドラマだったとわかった時、安心したっていうか、ソウヤらしいっていうか……。なんか、怒る気にならなかったんだ。……だって、()()()()()()()()()()()()ね」

 

 プッとソウヤが吹き出した。そして声を上げて笑う。

 やっぱりそうか、と思った。彼も自分と同じ、相当の()()()()()()()鹿()だった。この世界の様式を心得、それを愛していた。自分の見立ては間違っていなかったと嬉しく思う。

 

「……何かおかしいこと言った?」

「言ったな。やっぱ馬鹿だ、お前は。ただし……いい意味でな。……この世界で、つくづくお前と会えてよかったと俺は思うよ。俺もお前もこの世界を心から愛している。それは間違いないんだな」

「勿論でしょ。言うまでもないことだよ」

 

 そうだ、言うまでもないことだった。ソウヤにとってはもう故郷となっている場所、だがそれはシンクにとっても同じだったのだ。

 

「ソウヤは休養空けに僕と会ったとき、『後悔しない道を歩いてほしい』って言ったよね。それに『あれかこれか、じゃなくて、あれもこれも、って答えを出してくれる気がする』って」

「……よく覚えてやがったな」

「ずっと引っかかってたんだ。……多分それは、ソウヤが望んだけど選べなかった道。そして、選べなかったことで後悔してしまった道じゃないかって思ったから」

 

 シンクは鈍い男だとソウヤは思う。だがそれは女性関係に限ったことだけかもしれない、と時折思うのだった。今のだって言った当の本人でさえ覚えているか怪しい話だった。だが確かに彼の本心を思わずこぼした話に他ならない、そしてシンクの予想通り、まさしくその通りだったのだ。

 

「だから、そういう意味でも僕はソウヤに言われた『後悔しない道』を選びたいって思ったんだ。ずっと姫様の側にいる、ってことだけは妥協しちゃったけど……。でも姫様は納得してくれた。きっとあれが皆が1番納得できる方法なんじゃないか、そう思ったとき……僕は勇者なんだから、その道を進まなくちゃいけないって思ったんだ」

 

 思わず、ソウヤはため息をこぼした。呆れではない。感嘆だった。

 

「……やっぱり、お前は勇者だよ」

「そういうソウヤも勇者じゃない」

「元、な」

「肩書きはそうかもしれないけど。でも、これだけの大ごとを中心に立って仕掛けて、当の本人である僕や姫様、レオ様に全く勘付かせることなく事を運ぶなんて、勇者どころか英雄とかって言われてもいいぐらい凄いことだと思うよ」

「あれのどこが英雄だよ。あんなのは道化のやることだ。そして……案外俺はその道化って呼び方を気に入ってる。勇者なんてのは俺の器じゃない。勇者ってのは、このドラマで中心に立って姫様を見事(めと)ってみせたシンク・イズミ、他ならぬお前さ」

 

 少し照れくさそうにシンクは俯く。それを見たソウヤは軽く鼻で笑ってその続きを述べた。

 

「……だが、次の戦、おそらくお前は『シンク・フィリアンノ・ビスコッティ』とか言われることになるからな」

「え、ええー!? ……まだ婚約しかしてないよ、僕。その辺だってどうなるか姫様と相談してないし……」

「それでも言われるんだよ。そう相場が決まってる。……だってここは」

「「フロニャルドだから」」

 

 完全にハモった言葉に、2人とも同時に吹き出して、声を上げて笑った。またこうして一緒に笑うことが出来てよかった。時に親友として、時にライバルとして、一緒にフロニャルドを愛した2人は紆余曲折ありながらも、やはり心は通い合っていた。親友だった。

 

 共に語り合う、そんな親友2人の間を、フロニャルドの風が優しく吹き抜けていった。

 

 

 

 

 

 かつて暮らしていた別荘にソウヤ達4人が戻ってきたのは久しぶりだった。そこでのご無沙汰なビオレによる手作りの夕食を取り終えた後、ソウヤはなんとなしにベランダに出て夜空を見上げていた。肩の荷が下りたせいもあるだろう、いつもより星々が美しく見える。

 

「夕涼みか?」

 

 と、そこでレグルスを抱きかかえたレオが外へと出てくる。レグルスは眠っているわけではなく、まだ言葉にならないことばを発して、構ってもらいたそうにしている。

 

「まあ……そんなところか」

「ようやく大役を終えて一息、と言った所か、『道化の獅子』殿?」

「……その呼び名、やっぱ広まってるのか?」

「いや、ごく一部じゃ。やはり『蒼穹の獅子』がもっともしっくり来るらしい。……それより約束じゃ。ちゃんと守れ」

 

 言うなり、レオはレグルスをソウヤへと差し出した。一瞬考えた様子を見せた後、「ああ」と声を上げてレグルスを抱きかかえる。

 

「……まさか忘れていたわけではあるまいな?」

「忘れちゃいないが、あまりに急で唐突過ぎるだろ」

「お前はムードというものが読めんらしいな。ここはそういうムードだろう。その辺りを読めないのは、ワシとしては不満じゃな」

 

 そうは言われても出来ないものは出来ないだろう、とソウヤはレグルスを抱いたまま肩をすくめた。

 

「……今思えばあの約束はワシに対して『無理をするな』という意味だったのだろう? 自分が描いた茶番で何かあっては困る、と」

「アクシデントはあったがな」

 

 魔物との戦いは肝を冷やした。万に一つのこともあっては困ると後退を指示したのに、レオはそれに従わずに彼と共に戦う道を選んだ。だが、おかげで魔物の封印に成功している。

 

「……あの時、お前を少し見直した」

「あの時?」

 

 慣れない様子でレグルスをあやしつつ、ソウヤはそう聞き返す。

 

「ああ。ワシがグランヴェールと輝力を預けた時、お前は『全てを撃ち抜く』とはっきり言い切った。……あんなお前は初めてだった。普段卑屈な態度をとるお前には、到底見えなかった……」

「あれか。……まあ当たり前といえば当たり前なんだがな」

「何?」

「だって考えてみろ。お前からグランヴェールを託され、輝力まで預けると言われた。さらにはあの時、お前はまだ俺を完全に信頼できる状況じゃなかったはずだ。なのにあそこまでやられたら……失敗するわけにはいかないだろ。俺が読んでた小説であったような最高に燃える展開。今俺がその中心にいる。そう思うと、もう外すわけがないと思った。出来ないわけがないと思ったのさ。

 ……あのひと時だけ、俺は道化であることも、自分が小さな人間だってことも完全に忘れて、無心で紋章砲を放った。道化として舞台を回すのも気に入ってるが……なんだかんだ、俺は本当は心のどこかでヒーローに憧れていたのかもしれねえな」

 

 どこか呆れたように、レオは小さく笑みをこぼす。だが同時に、だから彼が普段はあれほど卑屈な態度を取っているともわかったような気がした。

 ソウヤは、諦めが良すぎた。物分りが良すぎた。それ故、自身の身の丈を誰よりもよく知ってしまい、過剰評価されないように普段から自分を過小評価するようになってしまった。しかし心の奥底、彼は今言ったとおりヒーローになりたかった。「勇者」になりたかった。だからフロニャルドに来た時に勇者になることを受け入れ、成長し、しかしその実、理想と現実のギャップに悩み続けていた。それでも、今こうして自分と肩を並べている。

 どれもこれも勝手な妄想に過ぎないかもしれない、とレオは思った。だが妄想でも何でもいい。今自分と肩を並べていてくれる、それだけで彼女は満足だった。

 とはいえ、その気持ちを直接口に出来るほど、彼女は素直ではなかった。「ヒーローに憧れていたのかもしれない」、それだけは確実にソウヤが言ったことだ。なら、自分の妄想はさて置くとして、そこに触れて返事を返そうと思った。

 

「……子供じゃな、お前は」

「そうかもな。……悪いか?」

「いや。その方が、レグにとってもいいのかもしれんしな」

「レグにとって? どういう意味だ?」

「……ワシは、レグにはお前の背中を見て育ってほしいと思っている」

 

 予想していなかった言葉にソウヤは数度目を瞬かせる。だが、構わずレオは続けた。

 

「やはり男子は父親の背を見て育つのがいい、そう思ったからじゃ。じゃが、どこかひねくれ者なお前の背を追わせていいものか。そんな風にも思っていた。……しかし杞憂だったな。あの時のお前はまさしくワシの夫、そしてガレットが誇る猛将、ソウヤ・ガレット・デ・ロワに他ならなかった」

 

 ハァ、とソウヤはため息をこぼした。そしてレグルスをレオへと返す。

 

「……俺はそんなんじゃねえよ。俺の背を見て育つか、お前の背を見て育つか、それはもうちょっとでっかくなった時に、レグ本人にでも決めさせりゃあいい。……でもな、その時に恥ずかしくないよう、俺ももっとしっかりするよう、お前と堂々と肩を並べられるようになってやるよ」

 

 フッとレオが笑う。そんなに気張る必要はない。なぜなら、もう肩を並べる存在としてふさわしいからだ。だが、彼女はその言葉を飲み込んだ。彼自身がそう思っているなら、もっと上を目指してもらってもいいだろう。卑屈な彼にはそのぐらいで丁度いいのかもしれない、と彼女は少し意地悪くそう思った。

 

「お、そういえば」

 

 そこまで思ったところで、彼女は話すべきことをようやく思い出した。

 

「なんだ?」

「10日後、ビスコッティと戦があるそうじゃな?」

「耳が早いな。そうだ。シンクと姫様の婚約決定記念、とか一応銘打たれてるらしいが。……なんだ、国営放送から解説のオファーでも来たか?」

「ああ、まさにその通りじゃ」

「そうか。お前が解説に来るとなれば、そりゃ盛り上がるだろうな」

「いや、ワシは断っておいた。その役はビオレに任せてある」

 

 意外そうにソウヤはレオを見つめた。だが彼女の表情が意味ありげな笑みを浮かべているのを見て、それは意外でもなんでもない、ある種必然ともいえることだと気づく。どうにも嫌な予感を覚えずにはいられなかった。

 

「……おい、お前……まさか……」

 

 

 

 

 

『さあ、天気も快晴! 今日も絶好の戦日和となりました! 本日行われますは、ミルヒ姫様の婚約を祝っての、ビスコッティとガレットとの戦となります! 実況は私、フランボワーズ・シャルレーと、解説役にガレット近衛隊長のビオレさんでお送りいたします! それにしても両軍ともかなりの気合の入りようです! ガレットはまず何と言っても……』

 

 カメラが切り替わる。ソウヤを隊長とした遊撃隊が映し出された。傍らに副隊長のベール、そして――。

 

『デ・ロワ卿率いる遊撃隊に、なんと隊長補佐という取ってつけたような肩書きでこの方、レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ閣下が復帰しております! ついに来ました、蒼穹の獅子と百獣王の騎士の戦場での共闘! これは否が応でも期待せざるを得ません!』

 

 ソウヤの嫌な予感は的中していた。国営放送からのオファーを断ったレオは、そのままガウルをうまいこと言いくるめてこの戦を復帰戦とするように約束を取り付けていたのだった。もう少し休養を取っていてもいいだろうにとも思ったが、既に先日の彼が仕組んだ茶番で彼女は戦っている。ならもういいかと、深く考えずにいたのだった。

 

『一方のビスコッティも気合十分! 姫様の陰に隠れがちですが、先日、とうとう婚約を受け入れたエクレール・アラシード親衛隊長とエミリオ・アラシード親衛副隊長、ついに同じ部隊での登場となります! そして、その騎士エクレールと共にビスコッティの切り込み役といえば、言わずと知れたこの方でしょう! この名で呼ぶのは少し気が早いかもしれません、しかし婚約を受け入れたとあれば、もう呼ばせていただいてもいいでしょう!』

 

 ガレットに続いてビスコッティの紹介が始まり、画面に金髪の青年が映し出される。青い鉢巻に凛々しくその表情を引き締め、だが僅かに笑みを浮かべた、神剣パラディオンを手にするビスコッティの勇者――。

 

『ビスコッティ勇者、シンク・フィリアンノ・ビスコッティ!』

 




 DOG DAYS DUAL-BRAVERをここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。以上をもってこの物語は完結となります。
 当初は2期制作決定の発表前に、2期を意識してこれの1部を書き始めたわけですが、その後本当に2期のDD’が発表、そして放送され、今度さらに3期も決定ということで嬉しく思っています。
 次はどんなフロニャルドでの日々が待っているのか、今からとても楽しみです。

 さて、1部、短編集、2部と書いたわけですが、それぞれコンセプトがありました。
 まず1部は先ほど書いたとおりプロットを組んだのが2期発表前だったので、自分なりの2期を意識して、ガレット側を主軸とし、オリ主として原作にいないようなキャラを据えて、そのキャラの成長を描くということをテーマにしました。
 しかしその据えたソウヤのキャラがキャラだったためにややシリアス風が強かったのは否めません。あとは感想でも指摘されましたが、「成長」ということで書いたつもりではいたのですが、見ようによっては周りの意見に左右されすぎた、となってしまったのも良くなかったかもしれないです。

 次に短編集ですが、これはなるべく原作の空気に近づけるよう、ノリとしてはドラマCDや原作2期を意識してる部分が大きいです。
 ある種実験的要素というか、割と聞くネタを取り入れたりしてます。レオの逆召喚とかガウルとノワールのケンカとかロランとアメリタとか。
 この辺からオリ主分を抑えられる話は抑えようという風潮が自分の中で出てきてます。あくまで話の中の1キャラクターとして扱いたい、そう思ったりしてました。

 そして2部。衝撃的な、犬日々らしくない展開から始まり、それが続き、しかし終わってみれば「嘘ぴょーん」という、一見原作ではありえないシリアス風な、それでも最終的に自分の中ではDOG DAYSらしい締め方で行こうと決めて書くことにしました。
 そのためこのらしくない展開から、否定的意見は多く来るだろうとは見越していました。穴を突っ込まれないよう、なるべく念入りにプロットも組んだつもりです。ですので、2部は書き始めたときから、もうこの展開、このラストということは決まっていました。
 2部のテーマは原作では絶対に触れないであろう、シンクとミルヒを筆頭とした恋の結末、という部分にしたつもりです。そもそも原作3期を放送して終わったとしてもシンクはフラグだけ乱立させて結局相手を誰にするかは決めないと思いますし、同時に一ファンとして原作では決めてほしくないとも思っています。が、これは二次ですし、こういうのもあるんじゃないかなという思いで、2部を書かせてもらいました。
 そのためソウヤの出番は控えめ、特に終盤においては狂言回し的(そもそもの狂言回しの意味を取り違えてるかも……)な役割を与えようと書いていました。……が、実際は結構出番多かったなとも思います。それでも逃避行以降はソウヤ主眼で描くことは極力避け、その役割はレオに回すようにしてあります。
 その上で、基本全員が幸せなハッピーエンドで終わるようにしたいと思っていました。ですがシンクとミルヒはいいにしても、そのせいでエクレはちょっと無理があるカプとなってしまいましたし、ガウルとノワも駆け込み的にまとめてしまった感は否めません。ベッキーに至っては原作の待遇から本当に程遠くなってしまいました。そもそも自分はラブコメとか恋愛もの、特にハーレムものを敬遠しがちな傾向があったりします。うまく書けていないとしたらそこが要因として大きく働いていると思います。それでも、今自分に出来る渾身の力で描かせてもらいました。

 あとは全体を通して「脇役にスポットを当てる」という部分にも力を入れました。ビオレ、リゼルの因縁を勝手に作ったり、ロランとアメリタの関係を掘り下げようとしてみたり、エミリオを主役格の相手役に押し上げてみたり、リーシャの出番を大幅に用意してみたり……。特にリーシャは原作あまりに不憫すぎたのでかなり力を入れました。一方キャラウェイが割を食ってしまったわけですが……。
 ジェノワーズも1部でジョーヌに大分スポットを当てたつもりです。しかしそのせいか、2部は同部隊ということでベールと、あと自然にノワールの出番が増えてしまいました。ゴドウィンとバナードはもう少し出番用意できればとも思いました。
 ただ、ベッキーとナナミは1部を書き始める前から「普通の人」ということで描こうと決めていたために、原作2期と大きくかけ離れた役回りとなってしまいました。それでもなんとかベッキーの魅力を出そうとは頑張ったつもりです。加えて出番が少なかったのが英雄王と魔王。この2人は原作で優遇されてましたし、ダルキアン・イスカ・ユキカゼが裏に回らざるを得なかった2部だったので、登場は顔見せ程度になってしまいました。

 ちなみに原作は3期が決定しましたが、このデュアブレにおいて今後続編を書く予定はありません。レグルス主役とかにしたら世代交代で、もうDOG DAYSの原型留めなくなっちゃいそうなので。でも短編で一本ぐらいならいいかも……。
 ただ、原作3期見て何かいい案があったら短編とかでちょっと書いてみたりはするかもしれません。とにかく今のところは予定無しというのが現状です。
 また、もしDOG DAYSで長編を書くとしたら、今度はソウヤという道化のいない、完全な別物、おそらくオリキャラなしという状況で書くことになるでしょう。


 気づけば合計約100万字という結構な量となってしまいましたが、少しでも楽しんで読んでいただけたのなら、書いた人間としては嬉しい限りです。ここまで読んでくださった読者の皆様、本当にありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アフター短編集
ある日のトラジマ娘の昼食風景


デュアブレは完結したと言ったな?
あれは嘘だ。

……いやまあ本筋は完結ですけどね。
そんなわけでステータスが完結扱いですが、今後も思いついたり書きたい短編があったらちょいちょい書いていこうと思います。
主に書きたい事だけをだらだら書く日常系になる予定です。


 

 

 「盆と正月が一緒に来たようだ」とは地球の日本ではよく言われることわざで。「お盆に正月という忙しい期間が両方一緒に来た」ということから多忙を意味すれば、同時に「珍しい催し、特に良いことがたくさん来た」という意味でも使われる。そういう意味で言うのなら、今ビスコッティとガレットはまさにそのことわざがぴったりという状況だったであろう。

 ソウヤ・ガレット・デ・ロワによる一世一代の「大茶番劇」により両国は大きく変化の時を迎えた。ビスコッティでは領主である姫君ミルヒオーレと勇者シンクが正式に婚約を交わし、親衛隊長エクレールと副隊長のエミリオもまた結婚する運びとなった。また、ガレットでも領主のガウルがノワールにプロポーズをしたということで祝賀ムードが高まっている。

 まさに先に述べた「盆と正月が一緒に来た」という状態だ。多忙と祝い事が同時に押し寄せる。無論それはいいことではあるが、そうとばかりも言っていられない。当事者達も勿論忙しくなるだろうが、その後に待っている幸せな日々を考えれば歯牙にもかけないことと言ってしまってもいい。

 だが当事者たちの取り巻き、取り分け仲の非常に良い友人達ともなればまた話が変わってくる。その友人をいかにして祝うか、あるいは式を取り仕切るとなったらどういう進行をするべきか。またそれまでの下準備をどうするか。考えるべきことは山ほどある。加えてそこに平常から決して楽とはいえない業務も入ってくるとなれば、その苦労ごとはなおさらだ。

 

 後に2人の結婚に合わせるように「逃亡の姫君・仕組まれた愛の逃避行」となどと()()()()な名のドラマとなって編集、放映されることにもなった、ソウヤによって仕組まれた茶番から数週間。直接的に事態は進展してはいないものの、ビスコッティもガレットもそれぞれの祝賀事に向けて忙しく奔走している日々だった。

 女将軍、ジョーヌ・クラフティもそんな中の1人であった。彼女と長い間「ジェノワーズ」としてコンビを組んできたノワールがいよいよ結婚するとあって、業務の合間の休憩時間や夜など、同じく元ジェノワーズのベールと共に話を進めていた。が、2人の時間が合うときはあまりない。というか、ジョーヌ自身が将軍、それも将来的にはバナードのポジションを担える逸材ではないかということで元からなかなか忙しいのだ。

 今も首を鳴らしてため息をこぼしつつ、彼女は小会議室から出てきたところだった。ようやく業務に一区切りをつけることが出来、これから遅めのランチというところだ。既に昼時は過ぎている。やむを得ないこととはいえ、食事は生き甲斐のひとつでもある彼女にとっては少々辛いことでもある。

 そうして視線を前へと戻した先、彼女にとって見知った顔の男が壁に寄りかかって左手を挙げていた。他ならぬ一連の騒動の主催者、ソウヤその人だった。

 

「ソウヤ? 何してるんや?」

「よう、将軍。ご苦労さん」

 

 何か急ぎの用事だったのだろうか。だがそれなら遣いでもよこせばよかったものを、と彼女は思う。

 しかし彼は特に何かを急いでいるというわけでもなく、ゆったりともたれかかっていた壁から背を離した。

 

「ルージュさんに聞いたら飯も食わずにずっとここだって聞いたからな。もし昼飯まだなら食いに行かないか? お前達行きつけの海龍亭、今なら人もいないだろうしすぐ食えるだろ。今日は俺持ちでいいぞ」

「ほんまか!? ……でもソウヤに貸しを作っておくと後で利息付きで返済迫られるしな……」

「俺がいつそんなことを迫った。それにどこのどいつだ、そんな失礼なことを言ってるのは。……というか、どうせ言って回ってるのはお前だってオチだろ?」

「ウチやないって! エクレが昔よく言ってたんや、あいつにだけは貸しを作りたくない、って」

「……拒絶はされてないとはいえ嫌われたもんだな、俺も」

 

 ソウヤは苦笑を浮かべる。元々噛みあわなかった者同士であることは本当のことだ。それに確かに何かの時のために貸しを作るようなことを彼は以前にやったことはある。だがそれは全て先日の一件でチャラになったはずだ。今後言われることはないだろう、とも思う。

 

「ともかく、行くのか行かないのかどっちだ? 貸しとかそういうんじゃなく純粋な善意から奢ってやるって言ってるんだ、余計なお世話だってんなら俺1人で食ってくる」

「ちょ、ウチはまだ何も言ってないやないか! もらえるものはもらっておく、それに越したことはないで。……でもいいんか? ウチに奢るって、おそらく結構な金額になるで? ……って余計な心配か。戦では大活躍、ドラマの筋書きで国営放送からもガッポガッポ。ウチ1人が(たか)ったところで、このお方の懐は痛くも痒くもないもんな」

「……クソッ、好き放題言われてるのに否定できねえ。でもまあそういうことだ。行くなら俺の気が変わらんうちに行くぞ」

 

 特段ケチ、というわけではないがソウヤからこういう申し出があるのは珍しい。そういう意味でもジョーヌは以前エクレールから聞いていた「貸し」ということを口にしていた。だが本人にそんなつもりは全くないらしい。意図は見えないがせっかくご馳走してくれるといっているのだし、まあいいかとジョーヌは深く考えるのをやめ、ヴァンネット城の入り口へとソウヤに続いていった。

 

 

 

 

 

 海の国であるガレットを象徴するように、テラス席からはその海が臨める人気の料理店、海龍亭。さすがにお昼時を外したこの時間は普段人気のテラス席も人がまばらであった。普段は1時間待ちもありえる人気店に待ち時間なしで席についた2人は目的である昼食を注文し始める。が、ソウヤはいいとして連れてきているのは大食いのジョーヌだ。注文量は優に3人前はあるだろうというほどだった。

 

「……相変わらずよく食うな、お前は」

「ん? 奢りやろ? あんま金持ってきてなかったとか?」

「いや、そっちを言ってるんじゃねえ。食う量が多いなってことだ。ナナミを思い出す」

「ナナミもよう食ったな、そういえば。ウチと張り合えたのはあいつだけやった。……あ、それで思い出した。ちょっと前にナナミとベッキーに会いに戻ったんやって?」

 

 机の上にあったコップを一口、ソウヤが口に含む。美味い。今のジョーヌの話で上がった時のこと、故郷の馴染みのチェーン店で出された水とはまるで別格だとふと彼は記憶を呼び起こしていた。

 

「……まあちょいとばっかしな」

「『茶番』の下ごしらえ、ってことか」

「逆だ。あの2人が説得して()()()()が起きずにシンクが腹を括るならそれに越したことはない、と思って外堀を埋めにいったんだ。……だが、結局俺の里帰り程度の意味しか持たない訪問だったがな」

「ええやないか。故郷ってのは大事やで。……そういやそのこと詳しく聞きそびれてたわ。ナナミ元気やったか?」

「元気すぎた。というか、酒癖が最悪になってた。シンクの結婚式をやるってなったらあいつも呼ぶんだろうが、必要以上に酒勧めるなよ。本当に面倒くさいことになる」

「でも……それはそれで見てみたいかも」

「責任は自分で取れよ。俺は忠告したからな」

 

 この言い草では相当に面倒なことになったらしい。だがそれを本能的に望んでしまうのが、ジョーヌの悪い癖というところだろう。久しぶりに顔を合わせたらたっぷりガレット名産の地酒を飲ませてあげようと彼女は密かに思うのだった。

 

「……ところで、なんで急にウチのことを食事になんて誘ったんや? 浮気か?」

()()()の目の届くところでそんなことしてみろ? 紋章術の的にされる」

「……うわあ」

 

 半ば引きながら言いつつ、彼の妻であるレオンミシェリならやりかねないとも思うジョーヌだった。実際今ではジョーヌ同様の将軍であるゴドウィンを初めて連れてきた時、レオは「なかなかタフそうな奴だ」みたいなことを言って、対戦という名目でやりたい放題紋章術を叩き込んでいた。あれはゴドウィンだったから無事だったのであって、だま(・・)になれない異世界出身のソウヤでは下手をすれば三日三晩寝込む、なんてことにもなりかねない。

 

「何、この間の一件で()()()だったノワールと接する機会は多かったし、ベールも今や俺の隊で話すことは多い。だが昔と対照的、お前と話す機会が減っちまったと思ってな。

 しかも俺がガウ様のケツを引っぱたいたおかげでノワール絡みで普段から忙しいお前がさらに忙しくなっちまったときてる。その辺りの埋め合わせ、ってのもあるんだよ」

「なんや、何かあるとは思ってたがそういうことか。別に後半のことなんて気にせんでええのに、そんなこと」

 

 確かにガウルとノワールが結ばれる、ということになり、ジョーヌがより忙しくなったのは事実だった。だが別にそこまで深刻に気になどしていない。むしろ家族同然で育ってきた2人がようやく、という嬉しさの方が大きかったからだ。

 

「そうは言うがな。一応ベールの奴は最近忙しそうだったから適当に数日休日をくれてやった。本人は嫌がったがそうでもしないとなんだか俺のせいで忙しくさせたみたいでどうにも落ち着かないからな。どうせ今じゃ『遊撃隊長補佐』なんてよくわからん肩書きでレオの奴が毎日顔出してんだ、俺もあいつもいなくたって遊撃隊はどうにだって回せるんだよ」

「だから最近ソウヤ暇そうにしてたんか」

「……暇じゃねえよ」

 

 それでもちょっと前よりは相当マシだが、と彼は付け加える。それはそうだろう。友人の婚約のために数国を巻き込んで壮大な茶番劇を仕組んでいたのだ、それは寝る暇もないほどに駆けずり回っていたに違いない。

 

「で、まあそんなわけでちょいと飯にでも誘ってみたんだ。ルージュさんに聞いたら案の定最近忙しそうで昼飯の時間も遅いって言うからよ」

「別に忙しいのは将軍になってからずっとやし、結構慣れっこやで。……ああ、でもこの頃バナード将軍が自分のポジションを譲りたそうにしてるせいかやっぱ忙しいけど」

「そこは気をつけておけよ。あの人は本当に食えない、気がつくとお前があの人のポジションになっちまっていた、ってことにもなりかねないからな」

「う……。気をつけておくわ……」

 

 バナード同様「頭脳派」と称されるソウヤからの忠告だ。聞いておいて間違いはないだろうとジョーヌは苦笑いと共にそのことを頭に入れておくことにした。

 

「それより……。お前、よかったのか?」

「何がや?」

 

 藪から棒に、話題が切り替わったとはわかったが何のことを尋ねているかわからず、ジョーヌは問い返す。

 

「ガウ様のことだよ。……結果的に俺はガウ様のケツを引っぱたいてノワールの背中を押したわけだが、お前に了承も何も取らなかった。ノワールの感情とは違うとはいえ、お前もガウ様を慕っていたってことは俺もわかってる。だからいいのかと……」

「なんや、それでも本当に道化を演じ切った頭脳派の『蒼穹の獅子』殿か? ソウヤらしくもない、愚問やな」

 

 ソウヤの言葉を遮ってジョーヌが否定の言葉を口にした。

 

「ルージュ姉にも同じこと言われたわ。確かにウチもベールもガウ様のことを家族のように慕ってたで。でもな、今ソウヤが言ったとおりノワとは抱いてる感情が少し違った。……ソウヤだってわかってたやろ。今更確認取るなんて野暮すぎるで。取るなら前……って、ウチを驚かせようとしてたからそれも無理か。

 ともかく、シンクやガウ様ほど鈍くないとソウヤは言うしウチもそう思うで。でもな、ウチから言わせてもらえばソウヤだって乙女心っちゅーもんはいまひとつわかってないようやな」

 

 心外だ、とばかりに眉を寄せてソウヤは机の上の水を一口含む。まるでその心中を見抜いたかのよう、ジョーヌはニヤッと笑みを浮かべただけだった。

 

「ウチはノワが幸せになってくれただけで嬉しいんや。あ、ベルも同じ気持ちか。せやから、別に嫉妬とかって気持ちはないし」

「それでよかったのか? もしかしたらお前がガウ様の傍らに立つ存在になっていたのかもしれないぜ?」

「『もし』はないんやろ? 現実主義者殿?」

「……返す言葉もねえ。おっしゃるとおりだ」

 

 失笑しつつ、ソウヤはそう返した。

 結局、ジョーヌもベールも、近い例で言うならシンクに対するベッキーのような心境だったということだろう。だが少し違うところがあるとすればベッキーから多少なりとも感じ取られたようなある種の「諦め」ではなく、ジョーヌもベールも十二分に納得し、その上で親友の幸せを願ったという点だろうか。

 

「……でもこうやってこんなウチにまで気を遣ってくれるってのは素直に嬉しいで。結局ソウヤが初めてここに来てからもう数年……。最初はとっつきにくそうな奴と思ったけど、そうでもなかったし」

 

 そして先ほどの考えと今のジョーヌの一言で、ソウヤはこの人間はつくづく人がいい、ということを承知した。伊達に将軍という地位にまで上り詰めただけのことはある。体外的な部分がジェノワーズでもっとも得意だった、と言われていたのも納得だ。彼女には人を惹きつけるだけの魅力がある。将来は間違いなく立派な女将軍になるだろうと思いつつ、ソウヤは口を開いた。

 

「それはお前の人が良すぎるんだよ。未だに俺はエクレールやら巨乳ちゃんやらクーベルやら眉毛には嫌われてる」

「……その呼び方が問題なんやろ」

 

 確かに自分でも人当たりは良い方だとジョーヌは思う。だが今挙げた若干2名の呼び方をされたら、それはよく思わないでも仕方ないだろうとも考えた。

 

「だが最初こそ『もうお守りはゴメンだ』とか言ってたはずのお前だったが、俺が帰るってなったときは泣いてたしな」

「な……! あ、あれは……!」

「さっきも言ったとおり人がいいんだよ、お前って奴は。調子者だしはっきり言えば馬鹿だが……」

「馬鹿言うな!」

「褒めてんだよ、半分はな。あとの半分は言葉通りだが」

「それ褒めてるちゃうやろ!」

 

 さすがノリが関西人、とソウヤは心で呟いて小さく笑った。だがすぐ表情を戻して続ける。

 

「……ともかく、今でこそノワールやベールと接する機会も増えたが、元々ジェノワーズといえば俺の中じゃお前の印象が強かったのさ。そういう意味で俺がここに馴染むことができたのは、お前の底無しの明るさといい加減でお人よしなその調子と馬鹿っぽさのおかげってのもあるんじゃないかと、個人的には思ってたりもしてる」

 

 一瞬間があって、ジョーヌの顔が赤くなった。褒められた、とようやく気づいたのだ。

 

「い、いや……。まあ確かにあの頃ソウヤとよく話してたのはウチやけど……」

「今でこそレオを妻に持つ俺だが……。もしレオを(めと)れなかったら俺の傍らにいたのはお前だったのかもな」

「な……な……!」

 

 ますますジョーヌの顔が赤くなる。放っておけば頭から湯気が出てくるんじゃないかという程まで真っ赤になった彼女を見て、だがソウヤは小さく吹き出して答えとした。

 

「……冗談だっての。さっきお前自身が言っただろうが。俺は『もし』なんて話はしない、ってよ」

「し、しまった……! 一本取られた……! って、からかうにしても限度ってものがあるやろ! 今のレオ様に報告するで!?」

「おっとそいつはやめてもらいたいもんだ。あいつは時々冗談が通じないからな。……それに丁度いい具合に、そのことに対する『口止め料』が来たらしいぜ」

 

 ソウヤのその言葉と同時、注文していた料理が運ばれてきた。

 

「お待たせしましたー! えーっとこれが……」

「あー今持ってきてるの全部ウチのや、この辺に置いといてー。……まあええやろ。今日のところはこれで『口止め料』としておいてやるから、感謝するんやな」

「ああ、そうするよ。……ほれ、遠慮なく食え。俺の奢りだしな。ついでに今回の一件で皺寄せがいってしまったことの謝罪の意味もこめて、な」

 

 運ばれてきたパスタを一口頬張りながら、そういえばそれが当初の理由だったとジョーヌは思い出していた。いつの間にか口止め料も追加されたが、まあ別にいいだろう。タダより安いものはない。ご馳走するといってくれているものを食べなくてはバチが当たる。

 

「……ま、次に俺が『茶番』を仕組む時は是非ともお前も演者の側に立ってくれ。お前なら気兼ねなく踊らせられそうだしな」

 

 だが次にソウヤの口から出た言葉にジョーヌは思わず咳き込んだ。今回「演者」の側に立った人間は皆散々だったと聞いている。当初は「なぜ自分を省いたのか」といぶかしんでいたジョーヌだったが、話を聞けば聞くほど「演者」はおろか、「聴衆」の側でよかったとつくづく思ったのだった。

 

「ちょ、ちょい待て! それは断固辞退したいで! ……あ、まさかこの食事誘ったのってそれの分を貸しを作るつもりじゃ……」

「お、それもいいかもな。……でもこれは労いとあとはなんか知らんが口止め料が入っちまったが、それで全てだよ。だから気兼ねなく食え、普段多忙な女将軍さん。……ま、お前にゃずっと世話になってんだ。俺なりに感謝しての行為、とでも捉えてくれや。今後ともご贔屓によろしくな」

 

 一度ため息をこぼしてから、ジョーヌは再び食を進めることにした。やはり目の前の男は一言多い。そしてなかなか本音を語ろうとしない。

 でも最後に言ったセリフは、間違いなく彼自身の本心であると彼女は気づいてもいた。最近でこそ話す機会が少なくなったものの彼の勇者時代はよくつるんだものだ。だから本心だとわかる。「家族同然」と言ったガウル、ノワール、ベール。気づけばそこにソウヤも入っていたのだから。

 口に含んでいたパスタを食べ終える。それを待つ時間すら惜しいと、ジョーヌは満面の笑みを浮かべてソウヤへと笑いかけた。

 

「当たり前やろ! こうやってたまに飯も奢ってくれるし、勇者時代からの長い付き合いや! これからもずっとずーっと贔屓にしたる! なんたってウチは、女将軍、ジョーヌ・クラフティやさかいな!」

 

 




海龍亭……おそらくDD’5話等でガレット勢が食事を取っているお店。設定資料集に「海龍亭のウェイトレス」という設定画があり、猫っぽい尻尾なので多分合ってると思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ルージュへの伝言

 

 

 全くもって困ったことになった。だから嫌だとあれほど言ったのに。いくら言ってもあの人は耳を傾けてもくれない、それどころか今日に至っては()()()すら連れて来なかった。それで起こったこの事態、だが誰の責任かと問われれば間違いなく自分だろう。本当にもう勘弁して欲しい。

 

 そんなことを心の中で何度も繰り返しつつ、ヴァンネット城の廊下を歩く1人の女性がいた。近衛隊長代理、ルージュ・ピエスモンテ。代理を名乗ってはいるものの、実質は近衛隊長扱いであり、同時に城内の世話係であるメイド達を束ねる存在でもある。

 しかし彼女は今、誰にも相談出来ない問題に直面していた。ここしばらくの時間は城内をずっと歩き回っているが、その問題の解決の糸口すら見えない。

 ああ、また尻尾の毛が抜ける、と彼女は早足で歩きつつも自分の尻尾を手にとってチラッと見る。いや、むしろ抜けた程度で済むならまだマシかと思えてしまうほどに今彼女が置かれている状況はよろしくなかった。大きくため息をこぼして尻尾を手から離し、再び顔を前へ向ける。

 

 と、そこへ廊下を通りかかった1人のメイドの姿が目に入った。ルージュがそのメイドを呼び止める。声をかけられた方は何事だろうか怪訝そうに視線を返した。

 

「なんでしょう、ルージュ姉様?」

「い、いえ……。大したことじゃないんだけど……。その、何か変わったことはなかった?」

「変わったこと……ですか……?」

 

 ますます表情に訝しむ様子が浮かぶ。唸り声とともにそのメイドはしばらく考え込む様子を見せた。

 

「特にないと思いますけど……。何かあったんですか?」

「そ、そう。別に無いなら無いでいいの。忙しいところ邪魔して悪かったわね。……あ、レオ様は、どちらに?」

「中庭だと思います。今日もソウヤ様と一緒にいらした後、遊撃隊の訓練に参加しているはずですので……」

「ありがとう。もし、何か変わったことを耳にしたらすぐ私に報告して頂戴ね」

 

 なおも意図を図りかねるとばかりに呼び止められたメイドは「はあ……」と曖昧な返事を返したが、当のルージュ本人はそんなことを全く気にもかけていない。自分に突き刺さる疑念の視線を無視しつつ、また足早にその場を立ち去っていた。

 まだ城内でこのことを勘付いた人間はいないらしい。特に()()()が気づいていないのがまだ救いだという安心半分、しかし有力な情報はやはり得られなかったという落胆半分。兎にも角にも、この件は可及的速やかに、かつ可能であれば城内の誰にも知られること無く解決しなくてはならない。さもなれければ自分はどんな憂き目にあうかわかったものではない。否、自分が責任を負うことで済むならもはや御の字と言ってもいい。今彼女が抱えている問題は、自分の身の丈を越えてしまった、下手をすればどう責任を取っても取りきれないようなことであったからだ。

 

 ルージュが少し目を離した隙に、ソウヤとレオから子守りを頼まれていたレグルスが本来いたはずの部屋から姿を消してしまっていたのだ。

 

 

 

 

 

 だからビオレ姉様を連れてきて欲しかったのに、と彼女は今日何度目かわからないぼやきを心の中でこぼす。ルージュとて常時暇というわけではない。先代領主とその伴侶の子を任される、というのは非常に重大な役割であることは重々承知している。だがメイド達を取り仕切る近衛隊長代理としての仕事もあり、四六時中レグルスの側にいるのも難しい。だからこそ自分などではなく今も家政婦としてソウヤとレオの暮らす別荘で世話係をしているビオレに来てもらいたかった。

 あるいはいっそもう城内に引っ越してくればいいのに、とも彼女は思う。一時期そうするという話が上がり、ガウルも検討していたのだが、()()()()以来、結局「もう少しレグが大きくなるまでは、ビオレと共に面倒を見ようかと思う」とレオは考えが変わったらしい。4人は今も別荘暮らしだった。

 別にそれ自体にルージュは文句などない。もっとも、文句を言える立場ですらないが。しかし実際のところ、そう言って別荘を居住場所としているはずなのにレオはソウヤにくっついてほぼ毎日のように遊撃隊の訓練に顔を出しに来る。「遊撃隊長補佐」などという、副隊長にベールがいるのだから役割が重複するのではないかというよくわからない肩書きを名乗り、その度にレグルスを連れて来るのだ。普段はビオレが様子を見てくれているから大した問題ではない。だが今日に限ってビオレは「ちょっと家の掃除をしたいので、今日はルージュに任せます。もう慣れたでしょ?」などと一方的に連絡をしてきて、突然重責が彼女の肩に圧し掛かったのだ。そして目を離したら失踪、とくればさすがの彼女もぼやきたくなるものだろう。

 

 そもそもそれほど長い間目を離していたわけではなかった。メイド達の状況を確認するためにほんの数分。代理のメイドを立てておかなかったことが悔やまれてならない。だがそう思うと同時、「少しの間見ているだけでいい」と言ってもおそらく誰もこんな責任重大な役割をやろうとはしないだろう。自分がそうなのだから、他のメイドだってそう思うに違いないとルージュは考えていた。

 しかし今回は完全に裏目だった。「この頃ようやくハイハイが出来るようになってな」とレオが自慢しているように言っていたのを、いなくなってから思い出したのだった。同時に、今日は暑いこともあって部屋の空気が流れるようにドアを開けっ放しにしておいたのも裏目だった。出来るようになったハイハイで部屋を出て行ってしまった可能性は十分に有り得る。

 だが城内で噂になっていない、ということはレグルスが1人で部屋を出たところは誰にも見られていないわけであり、同時に誰かが連れ去ったという線はないはずだ。もし後者であるとすれば尻尾の毛どころの話ではない。その場で自害しても責任を取り切れないほどだ。しかしその可能性は排除してもいいと言ってもいいだろう。なぜならここはフロニャルドだ。誘拐など興業のために行われることはしばしばあれど、乳児を対象に、などと聞いたこともないし、そのぐらいの分別はこの世界の人間なら誰しも持っているはずだ。

 

 ああもう何でもいい、このネガティブに、最悪の事態しか考えられない頭を誰かなんとかして頂戴と、ルージュは俯いて大きくため息をこぼした。そして視線を戻した先、そういった「情報」に関してはエキスパートである人物を見つけて思わず名を呼びつつ彼女は駆け寄る。

 

「ノワ!」

 

 彼女の目に飛び込んできたのは、今では「領主婚約者」という立場になったノワールだった。だが彼女はその立場でありながら、あくまで現場にこだわり続けているらしい。ガウルと正式に婚約を交わしつつも、隣国の勇者と領主同様、結婚の時期は今もまだ探っているところであった。そしてその間、彼女はそれまでと同じ諜報部隊長の立場でいたいと主張していた。本人曰く「引継ぎもあるし、ちゃんと私がガウ様のお嫁さんになるまでは少なくとも以前のままの役割でいたい」ということだったらしく、一旦は「騎士権剥奪」などと言っていたガウルもそれを渋々了承していたのだった。

 

「……ルージュ? どうしたの、そんなに慌てて」

「別に大したことじゃないんだけどね……。今日何か変わったことはない、って聞きたくて」

「今日? ……それは周辺各国の国家間単位で? それともこの国の中、あるいは隣国の話?」

 

 この城内、とまで限定したかったが、いささかそれはおかしな範囲かもしれない。彼女は無難な選択を取った。

 

「とにかく、今日で何か。ほら、情報といえばノワじゃない? それで聞いたんだけど……」

「……まあどの範囲で尋ねられても『特に何もない』が答えになるんだけどね」

 

 だったら最初からそう言ってくれ、と危うく喉まで出掛かってルージュはどうにかその言葉を飲み込んだ。しかし逆に言えば他国でも国内でも、さらにはこの近辺でさえ目立った動きも何もない、平穏そのもの。やはり連れ去られた、という線はないだろう。それだけでもまだ救いだ。

 

「どうかしたの、ルージュ?」

「な、何でもないのよ。……あ、レオ様は中庭?」

「うん。今日は珍しく訓練に参加じゃなくて見ていたみたいで……」

「そう、ありがとう。……じゃあ私急いでるからこれで」

「あ、ルージュ」

 

 呼び止めようとするノワールの声を背中で聞き流し、ルージュは足早にその場を去っていった。普段と異なるその様子にノワールは首を傾げる。

 

「……何かあったのかな」

 

 自分の知る範囲では何も事件などは起こっていなかったはず。だがあのルージュの慌てよう、何かがあったのかもしれない。そう思い、彼女は隊員にでも世間話がてら聞いてみようかと思ったのだった。

 

 

 

 

 

 異変に気づいて城内を歩き回り始めてから30分強。そろそろルージュの焦りはピークだった。既にこれまで数人に「何か変わったことはなかった?」という質問をしている。段々と勘付かれてくる可能性がある。加えて、先ほどノワールに聞いたのは後々になってミスだったと気づいた。もしかしたら彼女は諜報部隊を使って情報を集めにかかるかもしれない。そうなれば「城内で近衛隊長代理が変わったことは無いかを聞いて回っている」などという怪しい噂はまたたく間にノワールの耳に入り、そこからこの一件が露見してしまうなどということは十二分に有り得る事だ。そもそも本来レグルスの様子を見ていなくてはならないはずの彼女が城内をうろついているだけでも妙な話だと気づく者が出てもおかしくない。

 いや、問題はそこよりももっと根幹にあるだろう。レグルスはまだ1歳にも満たない乳児、時間が経てば経つほど起こる可能性のある事態は悪化していくのは容易に想像できる。だとするなら、もう自分の立場だの責任だのなんだの、そんなものは二の次として、まずはレグルスを見つけることを最優先事項とするべきだ、とルージュは思い至った。

 

 とうとう決心し、ルージュは中庭へと進路を取る。まずは両親であるソウヤとレオに報告するのが筋だ。それから手の空いている人間を総動員して城内を探す。それで見つかってに何事もなかった、となれば自分が責任を取れば済むだけの話だ。しかしもし王族のご子息であるレグルスに何かあったとなれば……。

 そこから先は考えないようにしようと彼女は頭を振った。どうしても思考が悪い方へ悪い方へと流れていってしまう。こんな想像をしているだけでも尻尾の毛が抜けそうだと心に重圧を覚えつつ、彼女は早足で中庭を目指す。

 窓から様子を窺うと遊撃隊が訓練しているのが見えた。ソウヤが指示を出し、レオは珍しく座って見学しているらしい。ルージュがいる側からでは丁度レオの背中しか見えず、その表情は窺い知れないが、果たして自分の失態を報告した時、彼女の表情は不安に満ちたものとなるのだろうか、はたまた鬼の如き憤怒の表情となるのだろうか。

 

 自らを奮い立たせ、彼女は中庭に出て、レオの元へと近づいて行った。ソウヤがそれに気づく。が、彼女がレオの方だけを見ていることから、用事は自分ではなく妻の方にあるのだろうと悟ったようで、すぐに視線を騎士達の方へと戻した。

 

「あ、あの……。レオ様……」

 

 声の届く距離まで近づき、搾り出すようにルージュは前領主の名を呼んだ。「ん?」とレオは首だけを彼女の方へと向ける。が、今の近衛隊長代理にはその相手の顔を見ることは到底出来なかった。

 

「申し訳ございません!」

 

 前置き無しで、深々とルージュが頭を下げる。それを見てレオも何事かと思ったのだろう。体をルージュの方へと向ける様子が窺えた。

 

「なんじゃ、急に」

「私が少し目を離した隙に……レグルス様が部屋からいなくなってしまいました……! この失態の罰は後から如何様にも甘んじて受け入れます。ですが、まずはレオ様のお耳に入れておかねばと思い……恥ずかしながら報告に上がりました……!」

 

 緊張と、不安と、ストレスで途中からちゃんと報告できているのかルージュにはもう判断できなかった。怖くて顔を上げてレオの表情を窺うなどもってのほかだった。硬く目を閉じ、次にレオの口から下されるであろう沙汰をただじっと待つ。

 

「……何を言っておるんじゃ、お前は」

 

 しかし返って来た言葉は彼女の予想していたどの返答でもなかった。あまりに意外、その真意を知りたいとレオの表情を見るために顔を上げようとして――ルージュの視線はその途中で止まった。

 

「レグなら、ほれ、ここにおるではないか」

 

 自分は幻でも追っていたのだろうか。つい30分ほど前、忽然と部屋から姿を消したはずのレグルスは、レオの腕の中でしっかりと抱かれ、嬉しそうにルージュの方へと笑顔を向けていた。

 

「……え?」

 

 状況を把握できずにルージュが固まる。先ほどまでの不安が今度は疑問へと姿を変えてルージュの心を占領していく。だがそんな彼女のことなどつゆ知らず、レオはレグルスをあやしながら特段何事もなかったかのように続けた。

 

「最初は訓練にワシも参加しようかと思っておったのじゃがな。今日はビオレを連れて来ていない故、お前1人に任せてしまうのも申し訳ないと思って、あの後ワシがここに連れて一緒に来たんじゃ。今から訓練を見せておけば後学のためになるかと思ってな。……まあまだ戦いの様子を見ても何のことか全くわかっていないかもしれんが、このワシの子じゃからな。将来はきっと派手に戦場を駆け抜けてくれることじゃろう。……ソウヤの方を継いで小細工に走らないかだけは心配じゃがな」

 

 これには訓練を見ていたはずのソウヤも「悪かったな」と小言を返す。耳だけは傾けていたのだろう。だが、そんな2人のやりとりも、レオの途中から話でさえも、今のルージュの耳には全く残らなかった。とりあえずレグルスは無事だった。それに対する安堵が浮かび、思わずその場にへたり込んだ。だが、次いでどうして自分に、いや、メイドの誰かでもいい、一言でも言ってくれなかったのかとういう怒りの感情がふつふつと沸き上がり、座り込みながら彼女はレオへと恨み言をぶつけていた。

 

「もう! どうしてレオ様はいつもそうなのですか!? 少しは私のことも考えてください!」

「な、なんじゃ急に……。考えたからお前1人に任せるのは悪いと思って……」

「……この流れから察するに、だが……。お前、そのことをルージュさんに言うなり書置きを残すなりメイドの誰かに伝言を頼むなりしたのか?」

 

 遊撃隊の訓練を見つつも、聞き役に徹していたソウヤがそう指摘する。それに対してレオは「あ」と一言だけ間抜けな声を漏らしただけだった。

 

「……そういえば……言っておらんかったかも……しれんな」

 

 ハハハ、などと笑って誤魔化しつつ、レオはあさっての方向を見てそう返した。そんな態度は今のルージュにとっては火に油を注ぐ結果しか呼び込まない。

 

「何を笑ってるんです! このしばらくの間、私がどんな気持ちでこの城内を歩き回っていたか……。生きた心地がしませんでした、気が気じゃありませんでした! 明日にはもう私の尻尾の毛が全部禿げてるかもしれないです!」

 

 一体この30分間はなんだったのかとルージュは泣きたかった。不安に駆られながらひたすら歩き回ってレグルスを探し、「何か変わったことはない?」などと途方もない質問をしていたこの時間の意味は。今になって考えれば、変わったことなどあるわけがなかった。仮に廊下で誰かがレグを抱いたレオの姿を見ても、親が子を抱いているとしか映らなかったはずだ、何もおかしな光景ではないのだ。つまり、「連れ去ってもおかしくない人物が連れ去る」という可能性を、ルージュは完全に排除してしまっていたのだった。

 加えてノワールはさっきレオについて尋ねた時に「珍しく訓練に参加していない」と言っていた。そこも今になって思えば、我が子を抱いているから訓練に参加できない、とわかる。「戦無双」を通り越して「戦馬鹿」とまで言っていいレオがおとなしく見学に回っていたこと自体、少し考えればわかったかもしれないことであった。

 

「い、いやまあ……。それについてはすまなかった。確かにソウヤの言うとおり誰かに伝言でも頼むべきじゃった……」

「……もういいです。レグルス様がご無事で、私が1人で勘違いしただけのことです。……もう、こんなことになるのが嫌だったから、重大な役割はビオレ姉様にお願いしたかったんです。なのに姉様は今日いらっしゃらないとか言い出して……」

 

 ああ、これはまずいとレオは苦笑を浮かべた。ルージュは完全にやさぐれモードに入ってしまった。今日この後のレグルスの世話を頼むのは到底無理だろうし、それどころかもしかすると今後は断固としてレグルスの世話役を拒否するかもしれない。これからはビオレを連れて来られない時は大人しく家にいるのが賢明か、とレオは考えをまとめることにした。

 

 だが、ルージュはやさぐれてるとはいえようやく問題が一件落着しかけたその時。事態は思わぬ方向へと展開することになる。

 

「ルージュ! やっとわかったよ、ルージュが気にしてたこと!」

 

 息を切らせて中庭に走って来たのはノワールだった。もうレグルスは見つかった。だから気にしてたことも何ももうない。そうルージュが切り出そうとするより早く――。

 

「今日アヤセで開催される『地域衣装による懇談会』。表向きはアヤセで主に着られている衣装を着てのパーティっていう形だけど、ここで出会った男女が結婚するっていうパターンも多いって。ルージュが気にしてたのってもしかしてこれじゃ……」

 

 ピシッ、という音がもしかしたら聞こえたかもしれない。ルージュが引きつった笑みを浮かべる。結婚を気にする今の彼女にとってその話題はタブーだ。だからこそノワールはそこが気になっていたのだろうとかき集めた情報からこれをピックアップした。

 だがそれは完全に裏目である。ルージュが()()()笑みを作った瞬間、耳だけ傾けて様子を窺っていたソウヤは「我関せず」とばかりに意識を訓練の方へと集中させた。レオも苦笑を浮かべてレグルスをあやしてこの場を乗り切ることにしたらしい。

 

「へえ……。ノワ、それは随分と興味深い話ね……」

「え……? あ、あれ……。これじゃ……なかった……?」

 

 明らかにルージュの体から立ち上る負のオーラに、ノワールは地雷を踏んだと確信した。それも踏んだのは並ではない、特大の地雷だ。レオの獅子王炎陣大爆破が仕掛けてあるぐらいのトラップだったと言っても過言ではないだろう。

 

「じゃ、じゃあルージュが気にしてたことって……」

「ああ、もうそれはいいの……。今さっき解決したところよ。……それよりノワ、あなたってば本当にいいタイミングで来てくれたのね。一応私は近衛隊長代理を名乗ってるのに、この頃訓練する暇がなくてちょっと体が鈍り気味だったのよ……。なんだか今は体を動かしたい気分だし……。ノワ、少し稽古でもつけてくれないかしら……?」

「え……。えっ……?」

 

 地雷を踏んでしまったのはわかったが状況が把握仕切れないとノワールはソウヤと、次いでレオに助けを求めるように視線を送る。だが2人とも完全に無視を決め込んでいるらしい。全く視線を交わそうとしない。

 

 そんなノワールとルージュを横目に見つつ、レオは2人に少し悪いことをしたと思うのだった。結局のところ彼女がルージュへの伝言を怠ったためにルージュはレグルスが失踪したと勘違いして探すために奔走し、その様子からノワールも何かがあるのだと察して気を回したが完全に余計な気遣いとなって逆に彼女を刺激する結果となってしまった。とりあえず今日のところは不幸な事故に遭ってしまったとでも思ってルージュの相手をしてくれ、とレオは心の中でノワールに頭を下げる。そして後で2人には改めてちゃんと謝らなくてはいけないなと思いつつ、ルージュにあまり苦労や負担をかけたり、特に怒らせるような事態にだけはしてはいけないのだと、ルージュから立ち上る負のオーラを見ながらレオはつくづく思うのであった。

 

 




2期で出番ほぼゼロだったルージュさんをメインに何か書きたいな→そういえば少し前にCMで某たまゆらOVAのOP曲流れまくってたな→それ歌ってる人の曲にルージュのなんちゃらってなかったっけ?

……という流れから曲名パロってこのタイトルに。しかもタイトルを先に決めてからそこにこじつける形で中身を考えるという普段と逆の方式で書いてみました。
まあ事情があったためにルージュの出番が少ないのは仕方ないとはいえ、ちょっと寂しかったです。といいつつも、本編2部中でもあまり出番用意できなかったので、今回書きたいと思ったわけでもあります。

出番が無かったといえばアメリタ。こっちは中の人の事情絡んでないはずなのになぜせとみんは2期のアフレコに呼ばれなかったのか……。
今回気分転換がてらにちょっと書いたわけですが、次書くならアメリタをメインに据えた話を何か書きたいと思っています。
リゼルとお酒飲みながら女子会とか面白そうかも。それならアンジュも入れてみるのもいいかな、とか思ったり。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勇者と王子 前編

原作3期のお見合い興行にちなんだ話です。当然のように捏造改変が多いにあります。本作の設定に割り込ませているためにお見合い興行の年が原作より1年ずれている、原作の参加者はもっと多かった、ギャラリーにいるはずの原作キャラが少ない等々……。

話自体は2部のアフターの時間軸ですが、内容の大半は1部幕間短編集付近の時系列の回想になります。


 

 

 シンクとミルヒが巻き込まれる形として起きた「大騒動」からしばらくが経過した、輝暦2916年のある日。肩の荷がようやく下りたソウヤは、自身が指揮を執る遊撃隊の訓練を見ていた。

 まだまだ自分が動くべき事案は多く存在する。だがやはり気がかりだった一件が解決し、しばらくは暗躍しなくてもいいと思うと気は楽だし、晴れ晴れとする。

 となれば、興行をうまく盛り上げることが出来るためにも、自分と隊の修練を怠らないようすべきだと彼は考えていた。事務作業や裏で動くことも嫌いではないが、体を動かしているほうが楽しいことは否めない。妻同様、つくづく自分も戦馬鹿だな、と考えをまとめて小さく自嘲的な笑みをソウヤがこぼした、その時。

 

「あの……ソウヤ様」

 

 ふと、横からかけられた声にソウヤは視線を移す。そこにどこか困ったような表情を浮かべて立っていた近衛隊長代理を見て、数度目を瞬かせた。

 

「どうしました、ルージュさん?」

 

 そういえば少し前は息子のレグルスの世話を任せていた時に、少し目を離した間にいなくなってしまったと青い顔をして頭を下げに来たこともあったと思い出す。結局それは母親であるレオがルージュに断り無く連れ出したことによる連絡不行き届きで済んだ訳だが、当人は随分とごねていた。普段から彼女に負担をかけてしまっていることはソウヤも自覚している。今回もそういった関係の話かと、少々不安になったのだが。

 

「あの……今、お時間よろしいですか?」

「今……ですか?」

「はい。あるお方が急にご訪問されてまして。本来なら応対をガウ様にお願いしたいところなんですが、現在国営放送の方に出向いているところでして、レオ様も先ほどレグルス様とビオレ姉様とご一緒にお散歩に出られてしまって。適任はソウヤ様かと。……あ、ベールでも……いえ、それは公的にはよろしくないわよね……」

 

 遊撃隊に混じって訓練しつつ指示を飛ばす副隊長のベールを見かけ、最後の方は独り言のようにそう言っていた。とはいえ、やはりルージュはソウヤに時間を割いてもらいたい、と言いたげだった。

 別に自分がいなくてもベールがいればこの隊は回る、とも考えてしまっているソウヤだ。すぐにここを抜けても何ら問題は無いと思っている。が、「ガウルがいないから自分、もしくはベール」というその人選に疑問を抱いていた。彼とベールの共通点といえば弓を使うところと同じ遊撃隊に所属していることぐらいだろうか。

 

「……ああ、そういうことか」

 

 そこで「公的にはまずい」という言葉から、ソウヤは相手をなんとなく推測することが出来た。なるほど、その人物なら確かにガウルかレオが適役。それが無理なら自分に回ってくるだろうし、私的であるならベールでもいいということになるだろう。

 

「王子ですよね? 北国の」

「え? ええ、その通りです」

「わかりました、俺が行きましょう。……ベール!」

 

 訓練中のベールへとソウヤは声をかけた。呼ばれたことに気づいた彼女は、特徴的なウサギのような立ち耳を一度ぴょこんとかわいらしく動かしてから振り返る。

 

「はいー? なんですか?」

「ちょいと急用が出来てこの場を空けるから、少し任せるぞ。もうしばらくして手が空いたら応接室に来るといい。お前の遠縁の王子様がいらっしゃってるんだとよ。最初は公的対応するから俺が出向くが、後でお前も顔を見せてやれ」

 

 一瞬考えた素振りを見せてから、ベールは納得したように手を叩いた。「了解でーす」という独特な緩い感じの返事が聞こえてくる。

 それを確認してから、ソウヤはルージュへと頷いた。行きましょう、という合図だとわかった彼女は、ソウヤと共に訓練場を後にして城内へと向かおうとしていた。

 

 

 

 

 

 ヴァンネット城、応接室。豪奢に飾られたその部屋で、1人の青年が椅子に腰を下ろしていた。鮮やかな金の髪と、そこから伸びる可愛らしい耳。線の細い中性的な顔立ちも相俟って、場合によっては女性とも間違われかねないほどの美青年であった。

 

「お待たせしてしまって申し訳ありません、リーフ王子」

 

 と、その時部屋の入り口から聞こえてきた声に、王子と呼ばれたその青年は、ベールと同じ耳を1度小さく揺らしてから顔を動かしつつ立ち上がった。

 

「いえ、急に訪問したのはこちらですから。それにちょっとガレットの皆さんの顔を見たいと思って寄らせていただいたのですが、なんだか無理をさせてしまったようで逆に申し訳なく思っています」

 

 形式張った挨拶に呼応するような堅苦しい返事。だが2人の間の空気は穏やかであり、共に表情を緩めている。

 リーフ・ラング・ド・シャー・ハルヴァー。ベールの遠い親戚であり、彼女と同じ(サンクト)ハルヴァー王国出身の王子である。

 

「レオとレグがもう少し落ち着いたら王子へのお礼も兼ねてこちらから向かおうかと思っていたのですが……。すみません、そちらからご足労願うようなことになってしまって」

 

 フッと小さくリーフが笑ったようだった。その笑みを受けてから、ソウヤは顎を引いて頭を下げる。

 

「……先日の自分が仕組んだシンクと姫様の一件、ハルヴァーに傍観するよう働きかけていただいたことを、心より感謝いたします」

「礼には及びません。むしろドラジェではなくハルヴァーを舞台にしてもらいたかった……と言いたいところですが、継承順位のそれほど高くない僕ではどこまで力になれたかわからなかったですね。それでも事態の把握と静観を提案するぐらいは訳ありませんでした」

「助かりましたよ。気を回すことが多かったもんで」

「その甲斐はあったでしょう。我がハルヴァーも多いに盛り上がりましたよ。……ソウヤさんとレオ様の時と同様に、ね」

 

 思わずソウヤの顔に苦いものが浮かぶ。自分を引き合いに出されるとどうにもきまりが悪い。一先ず腰を降ろして一旦話を止めることにする。

 さらに丁度いいタイミングでルージュがソウヤの前に飲み物を置いてくれた。まだ熱いとわかってはいたが、仕切りなおすという意思表示の意味でも、ソウヤはそれへと手を伸ばす。

 

「そういえば」

 

 つられるようにリーフもカップを口へと運んで飲み終えたところで、そう切り出す。

 

「僕とソウヤさんが初めて会ったのも、そのレオ閣下絡みでしたね」

 

 再び苦笑を浮かべるソウヤ。こっちは先ほどの話よりさらに過去に遡るためにまだマシではあるものの、やはり触れられるとどうにもこそばゆい話だと思うのだった。

 

「これまた懐かしい話を持ち出してきたもんだ。何年前でしたっけ? 4年前ですか?」

「えっと……。そうですね。()()興行で、ソウヤさんが駆り出された時です」

 

 大きくため息をこぼし、ソウヤは頭を掻いていた。本来なら公的対応をしなくてはならないだろうし相手も王子ではあるが、そこに気を使う余裕も削がれた。この調子では王子はその話を続けることだろう。

 

「懐かしいですね。今でも思い出しますよ」

「俺はあんまり思い出したくないです」

「あはは……」

 

 変わらないな、とリーフは笑って誤魔化していた。

 

 初めて会った時――剣を交えたあの時からこの辺りの性格は全然変わらないと彼は思う。将来的にレオの傍らに立つ人物と言われ続けていたソウヤは、次第に口数も増えたし人付き合いも慣れてきた様子だったが、皮肉屋で斜に構えた態度はそのままだった。リーフ自身、最初は勘違いにより怒りをぶつけられたこともあり、付き合いにくい相手かもしれないと思ったが、剣を交え終えてからすぐにその考えは変わり、気づけば互いに打ち解け合っていた。いや――。

 

「……あんなことになっちゃったから、何事もなかったかのように打ち解けられたのかな」

「王子、やっぱりその話に持っていくんですか? レオが戻ってきた後に話してみればわかると思いますが、どうせ笑い話にされておしまいってオチが待ってますよ。そうですよね、ルージュさん?」

 

 ソウヤに問われても、ルージュは苦笑を浮かべるだけだった。が、それこそが先ほど彼が言った「笑い話」であることの証明でもあるだろう。

 とはいえ、リーフとしては小さく呟いただけのつもりだったはずなのに、ソウヤがそれを耳に入れていたことに驚いていた。しかしこう言われると、逆にからかってみたくなってしまうのが心情というものであろうか。

 

「ハルヴァー人顔負けの地獄耳ですね」

「……あの純朴な少年がなんでこうも口が悪くなっちまったんだか」

「ソウヤさんに影響されてる部分があることは、否めないと思いますけどね」

 

 完敗だ、と言わんばかりにソウヤは肩をすくめていた。この手の切り返しは特にガウルにやられる。口が悪いことを自覚している以上、こう言われると彼としてはもう返す言葉が無くなってしまうのだった。

 

「やれやれ。……ほんと、あの頃のあなたはウブ過ぎる美少年だったってのに」

 

 小さくひとりごちたところで、否が応でもリーフとの初対面の時が思い出されていく。4年前。そういえばあの頃はまだ勇者でソウヤ・ハヤマの名だったな、とか、レオとの関係も今と違っていたなと、ソウヤは記憶を遡り始めていた。

 

 

 

 

 

 輝暦2912年青玉(せいぎょく)の月。日本でいう9月。比較的連休が多いこの月の、所謂シルバーウィークを利用して勇者であるソウヤはガレットを訪れていた。しかしそこでレオとガウルから聞かされた話に、嫌そうな顔を隠そうともせずに再度尋ねなおす。

 

「……えーと、もう1回言ってもらえます? お見合い、とか聞こえた気がするんですが」

「ああ。言ったぞ」

「姉上のお見合い興行だ。ガレットじゃ有名な興行で結構盛り上がるんだよ。去年は召喚術式が確立されてなくてお前はいなかったからわかんねえだろうが、毎年やってるんだ」

 

 表情を変えないままに、今度はため息がこぼれる。心底うんざりした様子のまま、ソウヤは口を開いた。

 

「勘弁してくださいよ。ついこの間の5月……翠玉(すいぎょく)の月でしたっけ? あの時の東西戦で無様な負けっぷりは披露したじゃないですか。またやられろって言うんですか?」

「おいソウヤ。あまり自分を卑下するな。あの時のお前は立派に戦ったとワシは言ったであろう」

「それにそいつも早とちりだ。……でもま、姉上のお見合い、と言われて自分を引き合いに出されることがわかってるってことは……まあいろいろと心構えはあるわけだな」

 

 ニヤけつつガウルにそう言われ、ぐうの音も出ないとソウヤは黙りこくる選択を取った。不機嫌そうな勇者の顔を見て、だがどこか愉快そうに小さく笑ったその王子は先を続ける。

 

「安心していい。お前と姉上が戦うわけじゃない。従来の形式を説明すると、予選審査を勝ち抜いた数名が姉上と直接戦うんだよ」

「予選審査? 書類選考とかですか?」

「いや。ワシは希望する者が強者であるなら、誰であろうと拒むつもりはない。よって腕前を確認もせずに書類で落す、などということはせん」

「でも1000人とかとやるわけでもないんでしょう? ……まああなたなら1000人だろうと斬り伏せそうな気はしますけど」

 

 どこか投げやり気味に、それも嫌味をこめた風に言ったソウヤをジロリとレオが一瞥する。「まあまあ」と取り持つように姉をなだめつつ、ガウルが説明を始めた。

 

「一次審査は近衛隊に担当してもらってる。そこで戦ってある程度骨がある、と判断されたら通過だ。……まあその時点で数十人、多くても百人前後にまで減るけどな」

「続けて同様の方法で、二次審査をルージュを筆頭とした近衛隊の中でも腕利きの連中が担当する。さらに十余名まで減ったところで最終審査、近衛隊長であるビオレの登場じゃ。これで最後は数名となり、ワシが直々に戦う」

「……ルージュさんとビオレさんと渡り合えるほどの腕前って、騎士でいうと千……いや、万騎長クラスじゃないんですか? 下手すりゃ将軍クラスとかもありうると思うんですが」

 

 信じられないとばかりに言ったソウヤに対し、「そうじゃが、どうした?」とさも当然のようにレオが返事をする。

 

「そんな連中数名と連戦でやるんですか? 『百獣王の騎士』なんてふたつ名は伊達じゃないってわけですね……。で、勝ったらお見合いをする、と」

「するわけじゃねえよ。お見合いの話を考える、って話だ」

 

 ガウルの説明にソウヤは訝しい表情を浮かべていた。

 

「……前向きに検討します、ですか? 俺のいる世界じゃそれはやんわり否定する場合の常套文句なんですが。『貴殿のますますのご検討をお祈り申し上げます』とかと一緒です」

「なんじゃそれは?」

「……いや、いいです。俺がひねくれすぎてました。ここがフロニャルドだってことを忘れてました。……で、まあ限りなくゼロに近いとは思うんですが、もし勝つ人がいたらお見合いの話に前向きに考える、と」

「そういうことじゃ」

「一応確認しておきます。この世界でのお見合いも俺の世界でのお見合いと一緒……つまり、交際、ひいては婚約を前提として男女が対面する、ということで合ってますか?」

「ああ。それで合ってるぞ」

 

 どうにも表情を変えることが出来ないと思いつつ、ソウヤは「へえ」とだけ短く返していた。

 

「お、やっぱ不服そうだな」

 

 それを目ざとく気づいたガウルが突っ込んでくる。

 

「もしそこで勝っちまう奴が出たなんて場合……姉上を取られるんじゃないか、って不安なんだろ?」

「……そりゃ不安ですし不服ですよ。冷やかされるのを覚悟で言いますけどね。俺はまだまだ器として未熟すぎるのは自覚してますが、それでもレオ様にはそれなりに認められてるはずですし、俺との関係も一応公になってないとはいえ周知の事実のはずです。そこでお見合い、とか言われると俺としては穏やかではないですね」

 

 ニヤッと獅子の姉弟が同時に笑った。その表情にソウヤは不気味さを覚える。

 

「ガウル、聞いたな?」

「ああ、聞いた。……ソウヤ、つまるところお前は姉上のこのお見合い興行、ぶっちゃけて言っちまえば面白くない、ってことになるわけだな?」

 

 誘導尋問だな、とも思う。が、別に否定する必要もない。嫉妬深い性格でないと、彼自身思ってはいる。それでも自分という存在を差し置いてレオの相手が決まるかもしれない興行と言うものは、どうにも納得がいかなかった。

 

「……ええ、そうですよ」

「よっしゃ! 決まりだ、姉上!」

「ああ。盛り上がるのは決まりじゃな」

「何がですか?」

 

 さっきから置いていかれっぱなしなために声に苛立ちが含まれていた。だがそれを表に出したにも関わらず、ガウルは全く気にかけていない様子である。

 

「決まってんだろ。不服だって言うわけだ、お前もお見合い興行に参加するんだよ」

「……は?」

 

 しばらくソウヤは固まっていた。最初にガウルは何と言ったか。レオと戦うのではないかと尋ねたソウヤに早とちり、と言ったはずではなかったか。

 

「ああ、安心しろ。さっき言ったとおり姉上と戦うってわけじゃねえ」

「レオ様と戦うわけじゃない? じゃあどう参加するんです? 予選の番人であるルージュさんとビオレさんとでもやれってですか?」

「お前ならあの2人が余裕でオッケー出すだろ。仮に()()()参加するとなっても予選免除だ」

「……普通じゃない参加の仕方をしろってですか。何をさせようって言うんです?」

 

 再び2人が同時に笑みを浮かべる。反射的に背筋にゾクッと寒気が走ったソウヤだったが、次の言葉を聞いて、自分の予感は的中してしまったと嘆くことになるのだった。

 

「ソウヤ。今回のお見合い興行……ワシの代わりとして貴様が戦え」

 

 

 

 

 

 なんでこんなことになったんだと、興行会場の控え室に腰掛けながら、ソウヤは何度目になるかわからない自問自答を繰り返していた。会場から盛り上がった人々の歓声が聞こえてくるのが恨めしい。

 戦興行にお見合い興行。結局は「興行」でありエンターテイメントのショーだ。それは彼も頭ではわかっている。だが、だからといって誘拐まで興行としてしまうこの何でもありの世界は、人様の恋路やら何やらまでバラエティーにしてしまうのかとも思う。人の不幸は蜜の味とはよくもまあ言ったものだと、彼は1人心の中でずっと愚痴り続けていた。

 

「なんや、暗いな。もっと元気出さんと、戦う前から負けてまうんちゃうか?」

 

 そんな彼の心中など全く意にも解さないような馬鹿明るい声が聞こえてきた。ガウルの親衛隊であるジェノワーズのジョーヌだ。隣にはノワールとベールもいる。

 

「……レオ様のお見合い興行をやる、まではわかる。人気がある興行らしいからな。百歩譲ってそこまでは認めよう。だがどこをどう考えたら、あの人の代わりに俺が戦うって理屈に結びつくんだ?」

「だってソウヤ不服なんでしょ? それにレオ様が言ってなかった? ソウヤとレオ様は互いに将来を誓い合うほどの仲であろうことは、おそらく広く知れ渡ってる。でも楽しみにしている人も多いお見合い興行をやめてしまうのは気が引ける。だからその代理として、将来夫になるかもしれないソウヤが戦って、もしそこで打ち負かすような相手が出てきたらレオ様も考えを変えるかもしれない、っていうのが表向きの理由だって」

「安心していいですって。ソウヤさんは負けませんよ。それに万が一負けたとして、レオ様も、これから戦う相手の方々も、その辺りの暗黙の了解はわかってるはずですよ。レオ様だってあくまで『考える』っていうのは名目だけのはずでしょうし。どちらかといえばソウヤさんがレオ様の相手として相応しいのを広く知らしめるためにって意味合いが強いはずですから」

 

 ノワールとベールにそうフォローされても、ソウヤの表情は晴れなかった。

 今2人に言われたようなことは、「参加しろ」と言われた後に、実際レオとガウルからも説明されていた。彼自身も頭ではわかっている。が、理解と納得は別物。この数日はどうにも落ち着かないでいたのだから、直前ともなればナーバスになるのも無理はないだろう。

 

「周りがどんな評価を下そうと、仮に暗黙の了解やら周知の事実があるとしても、無様な負け姿を晒すことになったら俺自身の気持ちが収まらない。前回の東西戦でのレオ様に対して負けたことだって、本当はまだ心に引っかかってるんだからな。それがレオ様とのお見合いを目的に来た相手となったら……なおさらだろ」

「そりゃあ……まあそうかもしれへんけど」

「ソウヤってそういうところ変に真面目過ぎ」

 

 思わずジロリと今発言したジョーヌとノワールの方へ視線が移る。どうやら今の彼は得意の皮肉も返せないほどに余裕がない、とわかるには十分だった。

 

「まあそういうわけで頑張ってください、ってしか私達は言えませんが……。ソウヤさんならきっと大丈夫だって信じてますよ」

「……見てる方は気楽でいいだろうよ。当事者としてはたまったものじゃねえってのに。……でもま、励ましの言葉はありがたく受け取っておく。元より最初から負ける気は無いしな。ベストを尽くすよ」

 

 それをきっかけとして、3人は退散して観客席へと移動するようであった。ひらひらと手を振って適当に見送った後で、ひとりとなったソウヤはやはり自問自答へと耽ってしまう。

 

(ベストを尽くす、か……。ベストを尽くしたけどダメでした、って言い訳、今回使うとしたら自分自身に、なわけだが……。そんな言い訳で済ませられる話じゃねえんだよな)

 

 ならば「負ける気は無い」と言った以上、「必ず勝つ」と3人に強がって見せてもいいはずだった。だがそこが「変に真面目」と言われた彼の由縁なのだろう。常に心に抱いている、嘘をつきたくない、という心情。しかしそれも普段なら「ベストを尽くしたけどダメでした」で自分の中で納得させられることが出来る。

 ところが今回に限ってはそれが出来そうになかった。「自分はレオンミシェリと肩を並べられる存在足りうるか」という不安を、彼は常日頃から抱いていた。

 以前の東西戦後にレオにある程度認められた。それはわかっている。周囲からの目も温かいものが多いだろう。そのことも承知の上だ。それでもなお、彼自身の心は落ち着かなかった。結局は勇者として戦い、その姿でもって人と自分を納得させるしか無いということなのだろう。

 

(まあ、そういうことだな……。どう足掻こうが俺は勇者としての活躍を見せ続けるしかないってわけだ。でもそれがレオ様と肩を並べる条件だとするなら甘んじて受け入れる。……以前もそう考えたじゃねえか。今更うだうだ言っても始まらねえ。やるしかねえ、ってことだ)

 

 自身を鼓舞させるとソウヤは立ち上がった。会場から上がる歓声が耳に入る。そこで今回参加者が戦う相手がレオで無く、勇者の自分であることが紹介されると、ゆっくりと足を進め始めた。

 

 

 

 

 

『さあ、今年もいよいよ開催の時が近づいてまいりました、レオンミシェリ閣下のお見合い興行! 実況は私、フランボワーズ・シャルレーでお送りいたします! ご覧いただけていますでしょうか、既にヴァンネット城前にあります特設会場は大賑わいです!』

 

 そんな実況のフランボワーズの声の通り、会場は「興行」の名に相応しい盛り上がりを見せていた。入場できなかった人のために、会場の外にはパブリックビューイング用の映像板が多数設置されており、今の実況の声もそこから聞こえてきたものである。さらには屋台や物販のブースもあるなど、お祭りかライブかという有様だった。

 

『さて、本日は非常に強力な解説の方々にお越しいただいています。まずはガウル・ガレット・デ・ロワ殿下です! 殿下、本日はよろしくお願いします!』

『おう、こっちこそよろしく頼むぜ。……でもま、俺はおまけみたいなもんだ。本命はもう1人いるからな』

『いえいえ! 殿下にお越しいただきありがたく思っております! ……しかし! 今殿下がおっしゃられたとおり、もう1人非常にビッグな方がいらしてくださっています! というか、なぜこの方がここにいらっしゃるのか、という話でもあります! レオンミシェリ閣下です!』 

 

 会場から歓声と、合わせてどよめきが起こった。レオのお見合い興行である以上、当人が戦って然るべきだ。一応事前に告知はあったものの、疑い半分という観客もいたのであろう。どよめきはそう言った人達から上がったものだと推測できた。

 

『レオンミシェリじゃ。今年もワシが直々に名乗りを上げてくれた者達の相手を……とも考えたのじゃが、折角勇者が来てくれているわけであるからな。少々趣向を変えてみようと思い立った。……改めて説明しよう。今日はワシの代わりに、勇者であるソウヤが相手をする!

 理由はまあ色々あるが……あえて言わんでおこう! なお奴の腕はワシが保証するし、皆も理解していると思っている。とはいえ、ワシの戦いぶりを楽しみにしていた者達には少々申し訳ないとも思うが……きっと期待を裏切らぬ活躍を見せてくれることじゃろう!』

 

 今のレオの提案を観客はどう思ったか。答えは、割れんばかりの会場の歓声が如実に表していた。異論は無し。そうわかると、映像板の中の彼女は満足そうに頷いた。

 

『皆の理解に感謝する。じゃが参加者の中には当然それで納得がいかない、ワシと戦いたいという者もおることじゃろう。そう思うなら……まずはソウヤを打ち破ってみせい! そうすればワシも勝負について応じ、見合いの話についても検討することとしよう!』

 

 再び会場が沸く。それは勇者の活躍を期待する声か、はたまた挑戦者達へのエールか。いずれにせよ、事前のレオとガウルの予想通りの大盛り上がりとなるのは間違い無さそうだった。

 

『それでは閣下にご説明いただいたところで、本日の閣下に変わる主賓をお呼びいたしましょう! 我がガレット王国の勇者、ソウヤ・ハヤマ!』

 

 百獣王の騎士と戦うために待ち構える最後の番人、勇者ソウヤ。スモークを焚かれた闘技場の奥からその姿を現し、歓声がとぶ舞台の中央へと、どこか渋々といった様子で脚を進めてくる。

 

『それではソウヤ殿、閣下に代わる本日の主役として、挨拶なり意気込みなりをお願いできれば、と思います!』

 

 地上の国営放送クルーがソウヤへとマイクを手渡す。やけに気だるそうに受け取ってから、勇者は口を開いた。

 

『どうも。いきなりですが、今回のこの件、上で解説してる姉弟が謀ったせいでこうなったわけでして、はっきり言って俺は乗り気じゃありません。俺なんかが戦うよりも当人が戦ったほうが盛り上がるでしょうし、筋も通っているとは今でも思っています。……ただ』

 

 やる気の無さそうだった目がすうっと細められた。一気に闘気が膨れ上がり、彼の目の前に並んだ7名の男達――これから戦う、お見合い興行の参加者達へとぶつけられる。

 

『俺とてガレット領主、レオンミシェリ閣下によって召喚されたガレット勇者なわけでして。まあ最後の関門とでも思ってください。それに一度言ってみたかったんですよね。……ここから先、俺に勝ったら通してやる、ってね。……レオ様のお相手として相応しいか否か、俺が変わりに見定めさせていただくとしましょう!』

 

 言うなり、ソウヤはエクスマキナを剣状へと変化させ、参加者達へと向けた。それを受けて実況にも熱が入り、いよいよ興行が始まろうとしていた。

 

『さあ! レオ閣下の代理人として勇者ソウヤはどんな戦いぶりを見せてくれるのか!? 1人目の相手はオランジュ王国からやってきた凄腕の若手騎士、レイモンド卿です! それでは……』

『ワシの代理勇者によるお見合い興行、開始じゃ!』

 

 

 

 

 

「実際問題よ、姉上的にはいいのかよ?」

「何がじゃ?」

 

 実況ブースの中、マイクに声が拾われないよう、オフレコ状態でガウルはレオへとそう尋ねる。

 

「確かに俺も乗り気でこの話を進めちまった。でもよ、もしソウヤが負けたりしたら、姉上はどうするんだ?」

「どうもこうもない。倒した相手とのお見合いの話を前向きに検討する。それだけじゃ」

「そうは言ってもなあ……」

「それに、じゃ」

 

 どこか皮肉っぽく笑う姉へ、弟の視線だけでなく顔までもが動かされる。

 

「あやつがよく言っておるじゃろう。『もしもという仮定の話は存在しない』と。なら、そうなった時に考える。それだけじゃ。……もっとも、ソウヤは負けん。あいつ自身、踏ん切りがつかないようじゃからこうやって意地の悪いことをしてしまっているが、きっと勝ち抜き、ワシにふさわしい勇者であることを皆に証明してみせる。そう信じておるよ」

 

 少々虚を突かれたようにガウルは目を見開いていた。姉にはもうお見合いなど必要ない。なんだかんだ、将来パートナーとなるであろう勇者のことを心から信頼し、だが踏み出し切れない相手の背中を押す形としてこの催しを企画した。そうはっきりとわかって、少し嬉しく思っていた。

 

『えー……私ばかりが実況しっぱなしなわけですが、実は今ブース内でレオ閣下がオフレコで惚気話をしているのが理由でして……』

「なっ……!? フラン、貴様余計なことを!」

『閣下、マイクが今も入っておりませんので、入れてからどうぞ』

 

 ぐっ、と息を詰まらせ、レオはマイクを入れなおした。それからわざとらしく咳払いを挟み、舞台上で行われている戦いへと目を移す。

 ソウヤはレオの予想通り、順調に勝ち続けていた。既に5人を相手に勝ち抜き、次で6人目。あと2人で全員抜きというところまできている。

 

『……失礼した。少々ガウルと内密な話をしていた故な』

『オープンにしてもいい話だと思いますけど?』

『フラン! 貴様なあ!』

 

 レオに噛み付かれてもフランボワーズは特にこたえた様子は無かった。軽くそれを流し、再び実況へと戻る。

 

『はいはい、内輪揉めはこの辺りとしまして。勇者ソウヤ、ここまで実に見事に勝ち抜いております! 現在6人目、ヒノウラ出身の剣士ミヤマとの戦闘中ですが……。いやあさすがですね! 相手にペースを掴ませない!』

『ゴホン! ……これがソウヤの強みでもある。相手に合わせた戦い方が出来るのがあやつじゃが、それは裏を返せば今フランが言ったとおり相手のペースを乱せる、ということにもなる』

 

 実況と解説は間違えていないことを証明するかのように、今のソウヤは剣の間合いのさらに内側、インファイトでの格闘をメインに戦っていた。剣士というだけあって、刀での間合いを好む相手は非常にやりにくそうな様子を見せ、防御一辺倒となっている。

 

『勇者ソウヤ、剣士ミヤマの懐へと潜り込む! これは嫌がられております!』

『ここだけの話じゃが……。あいつはここまで残った面々を密かに研究して対策を練っていたからな。ワシやビオレに以前手を合わせた時や事前審査の時の印象などを聞き、その上で過去の記録映像も漁り出しておった。それほど負けたくないのじゃろう』

『他人事だよな、姉上は。大体ソウヤに聞かれたって剣の使い手、とか槍の使い手、ぐらいしか教えてあげなかったじゃねえか』

『細かいところは気にせん性質(たち)でな。なんと言ってもワシは出たとこ勝負じゃからの! ハッハッハ!』

 

 豪快に笑う姉に苦笑を浮かべつつ、今も間合いを守って戦うソウヤに目を移し、仮に結ばれたとして将来的に苦労するのだろうなとガウルは同情していた。将来の義兄候補は必死になって、レオの言葉通り負けたく無いという一心で今戦っているのだろう。事前研究などと入念に下調べをしていたことからもそれは推察できるし、ガウル自身も相談を受けていたからそうと想像がつく。

 とはいえ、そこを差し引いてもここまで見事な戦いを続けている、とガウルは思っていた。剣士ミヤマはどうにか有効打を凌いではいるものの、明らかに劣勢。そろそろ焦りが出てくる頃だ。

 

(はま)ったな』

 

 故に現状に耐えかねて、相手の剣士が大きく間合いを離した姿を目にした瞬間、ガウルはポツリと呟いていた。おそらく今回の戦いにおいてソウヤが導き出した勝利の方程式。相手の嫌う間合いで戦い、それを嫌がって仕切り直しをしようとしたところで――。

 

「サイクロン・アロー!」

 

 舞台上から必殺の紋章術の名を叫ぶ声が聞こえた。今しがたまで剣だったエクスマキナはソウヤ得意の弓へと姿を変えており、輝力によって作り出された矢が放たれている。威力こそレオの紋章術と比べればパワー不足といわれるが、比較対象がおかしいだけで、それでも十分すぎる一撃は慌てて防御をしようとした相手へと直撃。見事撃破して相手をだまへと変化させていた。

 

『決まったー! 距離が離れたのを見計らったかのようにエクスマキナを弓に変えての狙い済ました一射! 今日ここまで何人がこの方法で敗れてきたでしょうか!? ついに6連勝、残すところあと1人となりました!』

『じゃが……その最後の1人。どうやら一筋縄ではいかんらしいな』

『ああ。姉上の記憶の中にも記録映像にもない。ビオレもかなり印象的だったと話す相手。さらに武器に機械仕掛けの弓に剣という、ソウヤの得意間合いに対抗しうる武器。とどめに……姿もわからず出身地不明名前も匿名希望、ときたもんだ』

 

 ガウルとしてはソウヤに勝ってもらいたいし、そのまま姉と結ばれればいいとも思っている。だが、この戦いはそういう希望と天秤にかけても面白いと思えるほど、彼としても興味が惹かれていた。

 

『さあてソウヤ、最後の1人のその匿名希望野郎……。お前はどう戦う!?』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

勇者と王子 後編

 

 

 実況も解説も好き勝手言っているとは思っていたが、今しがたの発言は同意せざるを得ないとソウヤは思っていた。目の前の最後の相手、それはフードとロングコートに加えて覆面で身を完全に隠し、書類にも匿名希望として名を明かさず参加している謎の存在だったのだ。

 正体、出身地、名前、全てにおいて不明。容姿も年齢も不詳ときた。わかっているのは機械弓――ボウガンらしきものと剣の使い手であるということと、あのビオレをもってして只者では無いと言わしめたこと。つまり、事前調査もろくに出来ずに、ソウヤが得意とする間合いでも戦うことが可能という、最も戦いたくない類の相手が、この最終戦という場面になって現れたということだけは確かだった。

 

(何でよりにもよって1番疲れてる最後に、こういう対処しにくい相手が出てきちゃうかね……)

 

 底無し輝力と言われるレオならまだしも、ソウヤは疲労がたまり、輝力の消耗も無視できないレベルになってきていた。自分より小柄な身長から、こういう場面で最も嫌なパワータイプでは無いとは思う。力押しをされてしまえばそこで終わりとなりかねず、加えて得意の小細工を打ち破ってくる力重視の相手を、彼は元々嫌う傾向がある。それが無さそうなだけ、まだ分が悪いわけでは無いと思っていた。

 

「すみません、訳あって名前も姿も明かせず、こういった格好で……」

 

 舞台に上がると、覆面の相手はそう実況ブースへと唯一覗く目を移して声を投げかけた。おそらく、本来戦うはずであったレオへと声をかけているのだろう。

 

『よいよい、気にするな。強い者であれば来る者は拒まない、それがこの興行故な』

「ありがとうございます。でも本音を言えば……レオ閣下と戦いたかったですが」

 

 その時、相手の発言を聞いていたソウヤの眉がピクッと動く。

 

『いや、こちらこそすまなんだ。じゃが最初に言ったとおり、そこにいる勇者を見事打ち破れば、ワシとの手合わせも応じるし、見合いという話についても考慮しよう』

「感謝します。是非そうしていただけるよう、代理の勇者様との戦いに勝利してご覧にいれたいと思います」

「俺に勝つ、か。随分とでかく出たな」

 

 苛立ちを隠さない様子で、ソウヤは目の前の相手へとレオとの会話を中断させるように声をかけた。身分も名前も明かさないからというのはある。自分を無視してレオと話しているということもある。だがそれ以上に、「自分を倒す」とはっきりと言われたことが気に障ったのだ。感情を余り表に出さない彼としては珍しく、声色に怒気が篭っている。

 

「勇者様に対する無礼は謝ります。ですが、私はあなたに負けるつもりはありません」

「それで俺に勝って、レオ様とお見合いをご所望か? ……ガキが、ませやがって。10年早いんだよ。年上嗜好を否定する気はないが……女性に必要以上の母性を求めてるなら、10代になったばっかのてめえぐらいの年だとママのおっぱいでも吸ってる方がお似合いだ」

「なっ……!」

 

 覆面姿の相手は、明らかに動揺した様子だった。

 

「なぜ……()の年を……!」

「まずはタッパ……身長が低い。顔を隠そうと背格好まで変えるのは困難だ。まあフロニャルドの人のことを完全に把握してるわけじゃないから、背が低い人もいるのかもしれないがな。それから声が明らかに若い。俺よりさらに数歳年下と予想できる。そして何より……俺のカマかけに対してのその様子から、図星だってことがわかるからだ。誤魔化そうとしてたらしいが、一人称が『僕』に戻ってるぜ、お坊ちゃん」

 

 ソウヤの挑発に、相手は息を呑んだようだ。それからややあって、静かで硬い声が返ってくる。

 

「……なるほど。風の噂でガレットの勇者様は頭が切れるらしいとお聞きしましたが、その通りなわけですね」

「口が悪いっては聞かなかったか、坊や?」

「……これ以上の問答は無用です。始めましょう」

 

 話せば話すほど、ソウヤの術中に嵌ると相手は判断したらしい。殺気を膨らませて右手に機械弓を構え、ソウヤにその先を向けた。受けて立つべく、エクスマキナが弓状に変化される。

 

 動いたのは同時だった。ボウガンの一射と、速番えで放ったソウヤの速射。両者の矢が命中し、爆煙を巻き起こす。その煙の中、エクスマキナを剣状へと変化させたソウヤが飛び出してきた。

 

「……ッ!」

 

 弓同士による距離を離しての戦いになると予想していたのだろうか。覆面の相手に見て取れる動揺が走っていた。そこにつけ込まんと、ソウヤは剣を振り下ろす。

 相手は手に持つ機械弓の胴の部分で、それを受け止めていた。飛び退いて間合いを離しつつ機械弓を一射。だがソウヤはその軌道を見切って避け、なおも肉薄した。再び先ほど同様の攻防を経た後、相手は右手に持った弓を手放し、左の腰に差している剣へと手をかける。

 

(よし、ロングレンジの武器を捨てさせた。これで……)

 

 踏み込んで接近戦を続けると見せ、打ち込んだ後に再び間合いを取り直して弓で狙い撃つ。ここまでの連戦で勝利を収めてきた、必勝の策。

 それが嵌ったと思ったソウヤだったが――。

 

「なっ!?」

 

 離された機械弓は腰に巻かれたベルトに繋がれており、巻き取られて腰へと戻っていった。次の手を潰され、一合剣を交えてからソウヤは飛び退き、だが弓での攻撃をすることなく思慮を巡らせていた。

 

(こいつ……。弓だけじゃなくて装置まで機械仕掛けでそんなもん持ってやがるのか。こりゃ一筋縄じゃいきそうにない……。今の剣を交えた感覚から察するに、力こそそこまでじゃないものの明らかに使い手だ。……さて、どうする?)

 

 自問自答をしつつ、血を上らせていた頭を冷やして状況を分析しようとする。声や言動からまず間違いなく相手は子供だ。だが腕を軽んじては、自分が負けることに繋がりかねない。それだけは心に刻み込む。

 その上で、今の一連の行動を記憶から呼び起こしていた。相手は片手で扱える機械弓を使用し、さらにそこに巻き取り用のベルトを用いることで接近戦になっても武器を手放すことなく戦っている。一方でソウヤは武器の切り替えを宝剣の武器変化で賄っているわけだが、要するに両者とも近距離も遠距離もカバーできているわけで、これまでのように距離で揺さぶるのは難しいということになる。

 

(ボウガンである以上、弓、というより銃と考えた方がよさそうだな。片手で扱えるというのはでかい。空いた方に剣を持てば遠近両方を潰せる。ボウガンを手から離させたとして、ベルトで回収される。つまりロングレンジの武器を捨てさせる、もっというなら相手の苦手間合いで戦うという方法は困難か。……ならいっそ)

 

 剣にしていたエクスマキナを弓へと変化。続けて輝力で作り出した矢を番い、速射で相手目掛けて放つ。

 

(レオ様みたいに出たとこ勝負でやってやる!)

 

 今度は迎撃は無かった。正体を隠した相手は軽快なフットワークで射撃の瞬間に射線上から身をかわしていた。まるでダンスのステップのようにひらりひらりと舞って狙いを絞らせないようにしつつ、右手の剣を宙に放り投げて左手へと持ち替える。その間に空いた右手を腰へと持っていき、先ほど引き戻したボウガンをソウヤへと構えた。

 反撃の射撃がとんでくる。それに合わせ、ソウヤも再度矢を放っていた。少し前と同様、互いに相殺しあって爆煙を撒き散らす。

 来る、とソウヤは直感した。姿が見えない煙の向こうから、矢ではなく剣と共に迫る予感がある。闇雲に撃つ選択も姿を現したところで撃つ選択も射撃後の隙を突かれる可能性を考慮して捨て、エクスマキナを剣へと変化させて迎え撃つ。

 

「はあっ!」

 

 煙の中から、短い気合と共に小柄な相手が飛び出してきた。手に持った剣を大上段に構え、ソウヤ目掛けて振り下ろす。

 対するソウヤも全身に力をみなぎらせ、横薙ぎに剣を振り抜いた。十字に刃同士が交錯し、蒼と緑の互いの輝力の光が辺りへと撒き散らされる。

 次いで互いに剣を引いた後、相手の着地の隙を狙ってソウヤ得意の右回し蹴りが放たれる。体を後ろに仰け反らせての回避しつつ、相手の右手にはボウガンが。

 蹴りの直後を狙われた形。しかしソウヤは驚きも焦りもしなかった。地に着いたままだった左足1本で、矢が放たれる瞬間にその場を蹴り、射線から逃れていた。さらに蹴りの勢いをそのままに体を横に回転させ、無茶な姿勢のまま間合いを詰める。遠心力も乗せ、相手目掛けて紋章剣が叩きつけられた。

 

「オーラブレード!」

 

 即座に発動させたレベル1相当の紋章術であったが、直撃すれば一撃必殺の威力を誇る紋章剣。相手は咄嗟に左の剣をかち合わせ、さらに機械弓の胴を体の間に割り込ませて防御に入る。それでも勢いは殺し切れない。華奢な相手は数メートル吹き飛ばされつつ、地面を抉りながら足でブレーキをかけてようやく止まっていた。

 

『こ、これはすごい! ここまで勇者ソウヤが紋章術を使えばほぼ必殺という状態が続いていましたが……。この正体不明の対戦者、見事に耐え切りました!』

『ソウヤはここまで、基本的に決め所でしか紋章術を使ってこなかった。そのために必殺となっていたわけじゃが……相手も無傷とはいかないまでも防ぐとは、なかなかのようじゃ。しかし、今のソウヤの防戦から反撃に転じるときの体捌き……まったく、相変わらず読めん動きをする奴じゃの』

『だがその意表をつく形のソウヤの攻撃を、後手に回りながらも防いだ相手はやっぱりかなりのもんだな。とはいえ……今姉上が言ったとおり、ちょっとはダメージがあったらしいが』

 

 実況、レオ、ガウルと続けて述べたところで、相手の身を隠していたコートの一部がはじけとんだ。完全に殺し切れなかった、ソウヤの紋章剣による衝撃の余波だ。

 破れた装束の下から騎士や剣士といった雰囲気とは異なる、緑を基調としたどこか高貴そうな衣装が覗いていた。その下に隠れているであろう体格はソウヤの事前の予想通り華奢で、年で言うなら間違い無く10代前半程度の少年であると予想するのは容易だった。

 

「顔までは暴けなかったか。まあいい。次で暴いてやる」

「いえ、それには及びません」

 

 続きを始めるために構えようとするソウヤだが、目の前の相手はそう述べていた。そして、顔の部分も含む、残っていたコートを全て脱ぎ、ついにその全貌を明らかにする。

 

「やっぱりー!」

 

 ふと、そんな声が客席の一部分から聞こえてきた。視線だけを移し、その発言主がベールであることをソウヤは確認してから、目の前の相手へと目を戻した。

 案の定まだ少年、それも美少年というのがこれほど合っている顔立ちも珍しいだろうといえるほどの、女性に間違われかねない可愛らしい素顔がそこにはあった。頭には麗らかな金の髪。そこから今しがた客席で声を上げたベールと同じ、ウサギのような立ち耳がピンと上へと立っている。

 

「ウサギ耳……ハルヴァー人か……?」

「そうです! この子は……」

 

 まさか今の独り言も聞きとがめていたのかと、ハルヴァー人の聴力にソウヤは一瞬肝を冷やしていた。が、それ以上の衝撃の事実が、ベールの口からもたらされる。

 

「私の祖国……(サンクト)ハルヴァー王国の第8王子。私にとって遠縁にも当たる、リーフ・ラング・ド・シャー・ハルヴァー王子です!」

「ハルヴァーの……王子だって!?」

 

 予想もしていなかったその身分に、普段滅多なことで動揺しないソウヤも平静を保っていられなかった。到底信じられないと目の前の少年を見つめるも、その相手は本当だと言わんばかりに実況ブースの方へと視線を移し、口を開いた。

 

「お久しぶりです、レオ様。以前は稽古をつけていただいたこともあったのですが、僕のことを覚えておいでですか?」

『リーフ……。ああ、思い出したぞ、王子よ。確かにワシがハルヴァーに赴いた際、話したこともあったな。懐かしいのう。以前より随分と逞しい姿になっておったから、すぐには気づかなかったぞ』

「しかも正体隠してましたからね……。レオ様に無用な手心や気苦労をかけないようにと思ってのことだったのですが、それはそれで無礼なことをしてしまって申し訳ありませんでした」

『よい。ワシは特に迷惑を被ったということはないからな。謝るとしたら目の前のソウヤに対して、かもしれんな。正体もわからないことを随分と嫌がっておったようじゃからの』

 

 そう言われ、リーフは今一時手を休めているソウヤの方へと見つめた。覆面越しではない、明らかとなった王子と視線と交錯し、どこか気まずそうに勇者は目を逸らす。

 

「……正体を知らなかったとはいえ、王子ともあろう方に随分な暴言を吐いたことは謝罪します」

「いえ、僕もお忍びの身ですし、余計な気遣いは無用ということで正体を隠していたのですから。こちらこそ勇者様に失礼なことをしてしまったとも思いますし、気になさらなくて結構です」

「ですがどうにも解せませんね」

「解せない? 何がです?」

 

 リーフとしては正体を明かし、相手からの謝罪も受け入れた以上、憂いは全て断ったつもりだったらしい。しかし釈然としない様子のソウヤの表情とその言葉に、首を傾げていた。

 

「王子であるあなたほどの身分の方となれば、こんな方法を取らなくてもレオ様と手を合わせる機会はあったはずでしょう。戦馬鹿という言葉がこれ以上無いほどに似合う方がレオ様だ。かつて稽古をつけた相手からの頼みとあれば二つ返事で了解をしかねない。なのに、あなたは素性を隠した上で今回の興行に参加するという面倒な手を取った。それがどうにも理解しかねまして」

「ああ、なるほど」

 

 軽い返答に、なおもソウヤの目が細められる。それを意に介した様子も無く、リーフは説明を続けた。

 

「そうですね、先ほども述べたとおり余計な手心をかけてもらわないように、というのがまずあります。あとは……ここで勝利できれば『お見合い』が検討される、ということも大きな要因を占めています」

 

 ピクリ、と自分の眉が意図せず動いたことを、ソウヤは意識せずにはいられなかった。

 

「では王子はレオ様とのお見合いを望まれている、というわけですか」

「はい」

 

 ハッキリとした返答だった。今度はソウヤから舌打ちが零れていた。

 

「……なるほどね。周りからは色々と言われてはいるものの、俺自身はレオ様と肩を並べられる存在足りうるか、常に自問自答はしてたわけです。相手が王子ともなれば、立場的にも俺より適格かもしれませんね。しかしまあ、初めて会った相手にこうもはっきり『てめえはふさわしくねえよ』と言われると……。イラッとはくるもんですね」

「え……?」

 

 らしくなく、ソウヤは怒りを露わにしていた。体から溢れる怒気を殺気へと変え、目の前の王子へとぶつける。

 

「あ、あの勇者様、何か勘違いされていませんか……?」

「勘違い? ……ああ、自分で言うのもなんですが、そもそも俺とレオ様の噂をお耳に入れてもいらっしゃらなかったか」

「いえ、それは聞いております。ここまで手を合わせていてさすがは勇者様だと感じています。レオ様が勇者と選んだ方は間違いなく本物で、先ほどの言葉に返すならば、おふたりは肩を並べ合うにふさわしい存在だと思っていますので」

「そこまで知っていて、なのにこの興行に参加して、お見合いを望んでいるわけですか?」

「はい」

 

 再度の明瞭な返事に、またも零れる舌打ち。

 

「……かわいい顔して皮肉はいっちょまえか。おまけにおねショタに加えて寝取り属性持ちとは、こいつは驚いた」

「お、おねしょ……なんですか?」

「いや、いい。些事だった。つまるところ、俺がここで勝てば全てが済むことだ」

「よくわかりませんが……。続きですね。やりましょう」

 

 リーフがそう答えて手に持つ剣を構えるより早く、ソウヤは地を蹴って一気に飛び込んでいた。それから力任せな一撃が振り下ろされる。

 

「くっ……!」

「そんなにレオ様と見合いがしたいかよ! ここで俺に赤っ恥をかかせて!」

「勇者様に恥をかかせる気はありません! ですが、僕はレオ様と2人でゆっくりとお話をしたい……『お見合い』をしたいというのは本心です!」

「それが俺に恥をかかせて、不適格の烙印を押させることに他ならないじゃねえか!」

 

 リーフの左手側からエクスマキナの横薙ぎ。それを剣で打ち払った瞬間、反対側から蹴りが飛んでくる。今度はリーフが右手でどうにか防御。勢いで間合いが少し離れたのを見計らって、防御した手を機械弓に伸ばしてソウヤへと放つ。

 だがソウヤも退かない。普段ならもっと冷静な対処をするであろうが、放たれた矢を剣の力技でもって弾き、さらに肉薄していた。

 

「うおおおおおおおおッ!」

 

 気合の声と共に大上段から叩きつけられるエクスマキナ。対するリーフは機械弓を手放して剣を両手持ちにし、華奢な腕の膂力を動員してどうにかそれを防ぐ。

 

『あーっと、勇者ソウヤ猛攻! 果敢に攻めていく! これは珍しい!』

『いや、果敢というより……。あやつ、完全に頭に血が上っているようじゃな……。らしくもない……』

『ああもはっきりお見合いしたいって言われりゃ、さすがのあいつもキレるだろ。……ってかなんかリーフとの話噛み合ってなかった気がするんだが』

 

 フランボワーズとレオとガウルの実況と解説を聞き流し、鬼気迫る勢いで攻撃を仕掛けつつ、ソウヤはリーフに対して叫ぶように問いかけていた。

 

「俺より自分の方がレオ様に相応しいと思っている、そうはっきり言えばいいだろ!」

「思っていません! 確かにレオ様を慕ってはいますが……レオ様に勇者様という心に決めた方がいるのであれば、妨げになる気はありません!」

「そう言ってるくせにお見合いはしたいってかよ! 本当はあの人のことが好きなんだろ!?」

「好き、って……。それは好きか嫌いかで問われれば間違いなく好きです! そう言う勇者様は違うのですか!?」

「んなもん好きに決まってるだろうが! そうじゃなくちゃここまで苛立ちもしなけりゃ追い詰められた思いをしたりもしねえ!」

 

 実況ブースのレオの眉が、僅かに動いた。

 

『あのー、レオ閣下……』

『……なんじゃ』

『ガウル殿下も先ほどおっしゃられましたが、どうも2人の話が食い違っているように感じますが……』

『……ワシもじゃ』

 

 それ以上に、大衆の面前で告白とも思えるソウヤの発言を聞いたのが、レオとしては不本意だった。が、必死な表情で鍔迫り合いの力比べをする今の彼に、その思いは全く届きそうに無い。

 

「僕はレオ様と2人でゆっくりとお話をしたいだけです!」

「愛してますから結婚してくださいってか!? 見合いの席で!」

「言いません! 勇者様は『お見合い』の場でそういうことを言うのですか!?」

「ああ言うね! もし俺があの人とお見合いとなったら、愛してますと俺の意思を伝えてやるよ! 常日頃から思っていても口に出せない言葉でも、はっきりと口にしてやる!」

 

 それは直接ではないとはいえ、明確な告白に違いなかった。「暗黙の了解」ということではっきりとした答えをはぐらかされ続けてきた聴衆達は、とうとう勇者の口から飛び出した発言に一気に湧き上がる。

 

『うわっ! あの野郎言いやがった! おいどうすんだよ姉……』

 

 その盛り上がったという意味では、ガウルの心も同様だった。予想に反してこの興行が面白い方に転がっていると心が沸き立つ。ここで姉をおだてて事を公にしてしまうのも悪くない。何より、姉が普段見せない顔を見せてくれるのではないかと、そんな悪戯心で持って、レオに声をかけようとしていた。

 だが、彼の言葉は尻すぼみとなって最後まで続けられなかった。視線を移した先、明らかに姉が憤怒しているとわかったからだ。額に青筋が浮かび、頬が引きつっている。こうなっている時は、可能なら半径数十メートルには寄りたくない。そうわかるほどの怒りのオーラが、体からにじみ出ていた。

 

『……ガウル』

『なっ、なんだ、姉上……?』

 

 思わず声が裏返る。からかおうとしたことで怒られるかもしれない。

 そう思ったガウルだが、予想に反し、レオはゆっくりと立ち上がっただけだった。しかし怒りを収めているわけではない。その矛先が自分には向いていないというだけだと気づいていた。

 

「ちと席を外す。恥知らずな馬鹿者共に、お灸を据える必要がありそうだからな」

『そ、そうか……。いってらっしゃい……』

 

 今のレオの発言はマイクに乗っていない。解説ブースにいるフランボワーズとガウル以外、誰もわからないだろう。

 いや、仮にスピーカーから響いていたとして、それをどれだけの人が聞いているかも怪しい。既に会場内の熱気は最高潮。同時に、舞台上で戦う2人――いや、ソウヤもまた、らしくなく感情を剥き出しにし、対するリーフは必死で受けている。聞こえもしないだろう。

 

「そこまでじゃ、貴様ら!」

 

 故にスピーカーを通さない、生のレオの声が聞こえたことに、ソウヤとリーフは思わず手を止め、驚いたように声の方へと目を移していた。歓声をあげていた観衆達も、別な意味で再度歓声を上げ始めている。

 

「れ、レオ様!?」

「なんでここに……?」

 

 防具こそ身につけていないが右手にはガレットの宝剣、グランヴェールを斧に変えて握り締め、レオは特設舞台の端に威厳すら纏わせて立っていた。が、その表情が見るからに機嫌を損ねているとわかる。

 

「ルール変更じゃ! 貴様ら2人、まとめてワシが相手をしてやる! かかってこい!」

 

 突然の事態に、当事者2人は状況をつかめないと戸惑う。が、見ている観客達はお構い無しだった。今しがた五分の戦いを演じた、ガレットの勇者と身分を隠していた王子。そんな2人と戦う、とレオが宣言したことで期待の歓声が上がる。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいレオ様! どういうつもりですか!?」

「そうです! まだ僕と勇者様の戦いは終わっては……」

「貴様らの恥知らずな会話を垂れ流しながらの戦いはもう十分じゃ! ソウヤはワシと2人きりのときに言うべき台詞を大衆の前で言いおって、リーフもそんなソウヤを相手に感情を煽るような発言をしおって! 貴様ら、大勢の人間が見ている興行の場と言うことを忘れてはおるまいな!?」

 

 両者とも同時に「いや、それは……」と弁解しようとする。が、レオは聞く耳を持たんとばかりにグランヴェールを横に薙ぎ、背後に紋章を浮かび上がらせた。

 

「問答無用! ソウヤが勝とうがリーフが勝とうが禍根を残すというのなら……この勝負、貴様ら両方ともまとめてワシが蹴散らして、今年もワシの目に適う者はいなかったということで終わりにしてやろう! 行くぞ! 獅子王、炎陣!」

 

 口にされた紋章術の名と、それが嘘でないことを証明するように空から降り注ぐ火球。ついさっきまで感情を剥き出しにして敵対していた2人は、もはや戦うつもりもなくなったらしい。それどころか、放たれる紋章術の威力と範囲を考えれば防御も回避も不可能と判断した。どうにかしてレオを説得するということで目的は一致し、いつの間にか2人の間では休戦協定が結ばれていた。

 

「今回は俺と戦わないって言ったでしょう! 約束破る気ですか!?」

「僕が勇者様を煽ったということがよくわかりません! 教えてください、レオ様!」

 

 懸命に訴えかける2人。しかし当のレオ本人は聞く耳持たずと、グランヴェールを高々と掲げ、必殺の紋章術の名を、最後まで口にした。

 

「大爆破ァ!」

 

 

 

 

 

(……で、結局俺も王子も仲良く吹っ飛ばされてノックアウト。ルール無視の乱入で幕を下ろしたけど面白いからよしという、いかにもフロニャルドらしい理由でまとまり、興行は終わった。その後、俺と王子はレオの奴に呼び出されて大目玉を食らったっけな……)

 

 記憶を呼び起こし終え、今ではレオの夫となっているソウヤは小さく笑いながらため息をこぼしていた。

 

 興行が終わった後、2人はレオに呼び出された。そこでそもそもの大元を探ったところ、リーフはお見合いを「結婚が前提」という認識はなく、あくまで「2人きりでゆっくり話し合うもの」程度の行いだと思っていたらしい。

 元々ソウヤがナーバスになる話題だったことに加えて、この致命的ともいえる勘違いと、噛み合わないがために逆上させてしまった会話。それが原因だとわかると、リーフはひたすら平謝りしたのだった。一方のソウヤもソウヤでらしくなく頭に血を上らせ、目上の相手に暴言を吐いてしまったことは反省し、謝罪していた。結果、ようやく2人の間の確執は解消されたのである。

 

(ま、誤解が解けたどころか、「あの興行で勘違いした挙句、両成敗されて吹っ飛ばされた者同士」ってんで、俺と王子はすっかり仲は良くなったわけだが……。困ったことに未だにあの話は笑い話としてたまに話題に上がるんだよな……)

 

 やれやれ、とソウヤはため息をこぼす。それに気づいたのだろう。当時同様中性的な顔立ちでありながらも、青年となったリーフは小さく笑い、心の中を読んだように口を開く。

 

「ソウヤさんもあの時の僕との事を思い出していたんですか?」

「話を振ってきたあなたのせいですよ。……まったく、あの後レオにこっぴどく怒られましたよ。大人気(おとなげ)ないだの、自分との関係を民にバラすなだの、愛の告白をしたいなら2人きりの時に直接言えだの。確かに言われたとおりだとは思いますけど、あの時は気が気じゃなかったってのに……」

「人の恋路を邪魔する気はない、とか言われておきながらお見合いをしたいなんてはっきり言い切られたら、それは皮肉だと思いますよね……。特にそういうのに敏感なソウヤさんなら、なおさらです。今の僕としては、とんでもない勘違いをしていたものだとわかります。ソウヤさんが怒るのも無理ありませんよ」

 

 再びソウヤから、今度は深いため息がこぼれた。もう彼自身、このことでリーフを責める気は毛頭ない。

 

「それは当時のあなたが余りに純朴だった、という他ならぬ証ですよ。……こうやって俺をからかうことなんて、まるでわからなかった、当人としては皮肉を言ってるつもりなど微塵もなかった少年の、ね」

「あはは……」

 

 リーフは笑うしかなかった。昔よりは随分と口が達者になったと自覚してはいるが、やはりこの手のやり合いでは元々分がある元勇者には叶わないらしい。

 

「……それで、その後レオ様にちゃんと愛の告白をなされたから、今ソウヤさんはレオ様と肩を並べられている、というわけですね」

 

 だが、この一発はソウヤにとって予想外で、かなりこたえたらしい。さっき愚痴るついでにうっかり口を滑らせたことをそのまま返されては、完敗と言うものだろう。

 

「……まったく、本当にあの純朴な少年がなんでこうも口が悪くなっちまったんだか」

 

 少し前に言ったことを再度口にしつつ、ソウヤは頭を抑えて天を仰いだ。

 しかし当時はかなりの敵意を持って剣を合わせたというのに、気づけばここまで腹を割って話せる関係になれたというのは嬉しくも思っていた。立場で言うなら、どこの馬の骨とも知れない召喚された勇者であった自分より、王子と言う身分のリーフの方がレオにはふさわしかったかもしれない。

 だがリーフはレオを慕ってこそいたものの、お見合い興行の時に述べたこと同様、恋路を邪魔することはなかった。そのことでも、ソウヤは深く感謝していた。

 

 と、その時。応接室の扉が開いた。腕にまだ小さな赤ん坊――レグルスを抱いたまま立っていたのは、過去の一件の時に2人をまとめてノックアウトしたレオンミシェリその人だった。

 

「すまなかったな、リーフ。ちとレグと一緒に散歩に出かけていたところでな。……なんじゃ、ソウヤと2人して。ワシを見て笑いおって。ワシの顔に何かついているか?」

「いえ。……よくよく考えると、あの場で全てを吹っ飛ばして終わりにしたと言うのは、今思うと随分とレオ様らしい発想だと思いまして……」

「おっと、王子も同じ事を考えていましたか。禍根を残さない、なんて言ってましたが、喧嘩両成敗という名目で紋章術をぶっ放すとは、実にこいつらしいやり方だと、俺も思いますよ」

「何の話じゃ? 2人だけでこそこそと。ワシにもわかるように説明せい」

 

 どこか不機嫌そうにレオがソウヤの隣に腰を降ろす。そんな2人――いや、2人の愛の結晶でもあるレグルスも入れた3人を見て、リーフは目尻を下げていた。

 

「王子と話してたら、ちょっとした昔話を思い出してたんだよ。俺とリーフ王子が出会うきっかけとなった、今じゃ笑い話にされるあれだ」

「笑い話……。ああ、あれか。……まったく、あの時のお前達と来たら……」

 

 そして楽しい昔話は、レオを交えて再開する。

 

 時を経ても変わらない友情と、ほんの少し恋にも似ていた、尊敬の気持ち。それらを抱いたまま、リーフは大切で愉快なこの時間を謳歌しようと思うのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3部
Episode 1 若き傭兵


 

 

『なんだなんだ、何が起こったー!? 紋章砲が放たれたように見えましたが、とにかく鉄壁と思われた防衛線があっという間に見る影もなし! 総崩れだー! どうやら谷を使って隠密行動後、飛び出しての奇襲のようです! 本来の入り口ではない両脇が崖に阻まれる位置のはずですが、そこを飛び出して来た模様!』

 

 混乱する戦場(いくさば)を反映したかのように、実況もまだ正確な情報をつかめない。しかし聞こえてくるその放送に、奇襲を掛けた張本人はニヤリと獰猛な笑みをこぼした。今言われた通り、本来は切り立った崖でもって登ること自体が困難と思われる谷から飛び出し、敵陣営の右側は切り崩した。そのタイミングを見計らったかのように友軍が突撃を仕掛け、鉄壁と思われた守備を蹴散らしにかかっている。

 

『南オランジュのアランチア地方名物、一般参加の攻撃側と騎士団の守備側に分かれての、一般参加対騎士団による拠点攻防戦! 非常に盛り上がってまいりました! 毎回数では劣勢でありながらも鉄壁と謳われる守備側の騎士団を前に、一般参加側は拠点攻略に辿り着くどころか、その前の絶対的な防衛線にどうしても攻めあぐねて手をこまねいた挙句、苦し紛れの突撃で散るのが常でしたが、今回は違います! 既に防衛線の右側は壊滅状態、これは全体がやられてしまうのも時間の問題かー!?』

 

 その混迷の真っ只中、この切り崩しを行った張本人達2人がいた。一方は()の短髪にそこから生えた猫のような耳。年の程は15歳、と言ったところか。脚甲以外まともに防具をつけてもいない軽装スタイルのその少年は長剣(ブロードソード)で目前の騎士をだまに変えつつ、背後に振り返って叫ぶ。

 

「プロヴァンス、今度は逆側を潰しにかかるぞ! それで済し崩し的に勝負は決まりだ!」

「了解、殿下!」

「殿下はやめろって言ってんだろ!」

「こりゃ失礼!」

 

 もう一方、プロヴァンスと呼ばれた大柄な、しかし顔の様子からまだ先ほどの声の主とさほど年の変わらないであろう少年がそう答えた。クリーム色の長めの髪を後ろにひとつで纏めたこちらは、対照的に要所を固めるよう、重厚な鎧を着込んだ典型的重装スタイル。さらに手にした得物も大剣(バスタードソード)ということも相俟って、その存在感だけで圧倒的な威圧感を誇っていた。

 

「よし、レベル1で地面えぐって砂塵舞い上げろ! それに乗じて一気に向こうまで突っ切ってやる!」

「いいんですかい!?」

「混戦だ、バレやしねえよ!」

 

 プロヴァンスが笑みを浮かべ、地面に剣を突き立てながらその手の甲に紋章が浮かべた。黒によって重々しく表されながらも赤のアクセントが映える紋章。それを通して輝力を増大させ、「ぬぅおりゃぁああああ!」という気合の声と共に、指示された通りに一気に地面をえぐり上げた。数メートルにわたって大地に溝が生まれ、砂礫が辺りに降り注ぐ。

 

「行くぞ!」

 

 それを確認するより早く、指示を出した方の少年は脱兎のごとく駆け出した。混乱状態でさらに視界悪化したことにより、相手はまともに対抗策を打ち出せないでいる。

 

『おおっと防衛線の真っ只中、派手に砂埃が舞っているぞ!? 何が起こった!?』

 

 空から様子を窺っていた実況もこれに気づいたらしい。そのことをマイクに向かって叫んだ直後、しかし『……っと、少々お待ちください』と声のトーンを急に落とす。

 

『情報が入ってまいりました! 守備陣を切り崩す突撃を仕掛けたのはスフォリア・テッレ! ご存知の方もいるかもしれません、北オランジュの戦に飛び入り参加して鮮烈な戦いぶりを見せ、その後ここ南オランジュで行われた地方戦においても八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せた、若き流れの傭兵です! その彼がまたもやってくれました! 連れている相棒と共に守備陣を切り崩すつもりでしょう。砂埃で完全には確認出来ませんが、どうやら今度は残った左側へと突進していく模様!』

 

 そんな自身を紹介する実況を聞き流しつつ、スフォリアは敵の真っ只中を駆け続けていた。一発強烈な紋章砲を叩き込めばおそらく反対側もガタガタになるだろう。それを狙える攻撃ポイントまで辿り着き、仕掛けてきた近くの騎士に回し蹴りを叩き込んでだまに変えた後で、彼は気合の声を上げた。

 

「……ったく、やっぱレベル3を2連発は堪えるね」

 

 ボソッと呟き、彼は背後に鮮やかに紋章を輝かせた。彼の華やかな戦いぶりやお供のプロヴァンスの紋章とは対照的な、中央に銀の剣が1本描かれ、その周りは黒く塗られたただけの実に質素な菱形の紋章。だがこの質素さこそが「傭兵」であることを何よりも意味しているとスフォリアは考えている。

 そして生み出した輝力を気合の声と共に一気に放出した。横薙ぎに振るった剣を通して放たれた力がうねりを上げ、敵の騎士達を飲み込む。

 言ってしまえば輝力を撃ち出しただけの単純な紋章砲。しかしその威力は相当なものだ。放たれた一撃は多くの守備騎士を巻き込み、彼の思惑通りこれで陣形の左側も総崩れの状態へと陥った。

 

『ああーっと! スフォリアの紋章砲だー! かなりの威力の様子、これには騎士もひとたまりもありません! 数多くのだまが降り注ぐ中、悠然と立ち尽くす流れの傭兵、スフォリア・テッレ! 全軍突撃の足掛かりを作ったこの男、只者ではありません! この後に控える最後の砦の攻略戦、さらには今後この国においての戦でどれだけ活躍してくれるのかー!?』

 

 自分に向けられた賞賛とも取れる実況を、しかしスフォリアはどこか冷めた表情で聞き流していた。今言われたとおり既に周囲の敵は粗方自分の紋章砲で吹き飛ばした。あとは友軍の突撃をもってこの防衛線は完全に撃破、砦の攻略戦へと移行していくだろう。

 だが、スフォリアは手に持っていた剣を腰の鞘へと収めた。そして駆け寄ってきた足音の方を振り返り、プロヴァンスも無事健在であることを確認する。

 

「さすがですな。これで左も切り崩し完了。あとは友軍の突撃でここは決着がつく。……それで、俺達は一足先に砦攻略ですかい?」

「いや」

 

 プロヴァンスの意見を否定しつつ、スフォリアはいたずらっぽく笑みを浮かべた。

 

()()()()()

「は……?」

 

 一瞬意味が分からないと、プロヴァンスは首を傾げた。

 

「ここにも長居し過ぎた。そろそろ潮時だ。勝ちの舞台は整えてこれだけ盛り上げたんだ、十分だろう。あとは俺達がいなくてもどうとでもやると思うぜ」

「で、ですが……。今回の賞金諸々はいいんで? このまま行けば俺達はMVPでしょうが……」

「金は前までの2回分で十分稼がせてもらってる。MVPなんていらねえよ。むしろそれで独占インタビューなんざ、そんな必要以上に目立つことはこっちから願い下げだ」

 

 先ほどは疑問の声を上げたお供であったが、今度の言い分に対しては「……確かに、おっしゃるとおりだ」と肯定の意思を見せた。

 

「そうと決まりゃさっさとおさらばだ! さっきよじ登った谷んところにセルクルは置きっぱなしだ、来た時と同じルートで移動後、うまいことドロンといこうや!」

「了解!」

 

 まだ混戦が続く防衛線を、2人が横断していく。聴衆や実況、参加している人間達の目は既に次の砦の攻略戦へと移っている。彼らがこのまま戦場から逃亡(・・)しても誰も気づくものはいないだろう。

 その彼の予想は正しく、奇襲時の逆ルートで谷へと飛び込んでセルクルに乗っても誰も気づいた者はいない様子だった。それを証明するような実況が聞こえてくる。

 

『さあ、いよいよ防衛線が完全に破られた! 残るは砦の攻略戦、一般参加側の勝利が見えてきたかもしれません! 果たしてこの拠点攻防戦において攻撃側が勝利するのは一体いつ以来でしょうか!? その足掛かりを作ったスフォリアとそのお供の姿が見えませんが……。また何かを狙っているのでしょうか、ますます目が離せません!』

 

 苦笑をこぼし、確かに狙ってるは狙ってるな、とスフォリアは心中で1人呟いた。しかしその狙いは彼らの思っていることとは真逆だ。

 

「プロヴァンス、谷を抜けたら森に突っ込むぞ。そのまま今日中にこの国を抜ける」

「了解です。あとはこれまで通りほとぼりが冷めるまでのんびりと、次の目的地に向かうわけですね?」

「ああ。次の国でこの辺りはほとんど周ったことになるからな。その後どうするかは……ま、それから考えるか」

 

 戦はまだ熱を帯びているらしい。実況も同様だ。しかしもう彼らにとってこの戦場は興味の対象から外れていた。ひたすらにセルクルを走らせ、そして彼らはこの戦場から完全に姿を消す。

 

『砦陥落はもはや時間の問題だー! なんという予想外の展開、今回も守備の騎士側圧勝かと思われましたが、これは大番狂わせ! 今回のMVPはこの足掛かりを作った流れの傭兵、スフォリア・テッレにほぼ確定でしょう! しかし、攻略戦に彼の姿がないぞー! 一体どこに潜んで、何を考えているのかー!?』

 

 

 

 

 

「今日も馬鹿みてえにいい天気だよなあ」

 

 透き通るような青空の下。心地よい風が吹き抜ける。その風を感じた後、セルクルの上で1人の少年が空を見上げて伸びをしつつ、そう溢した。

 スフォリア・テッレその人である。結局、あの後南オランジュの戦は一般参加者で構成された攻撃側が勝った、と彼は風の噂で耳にしていた。同時にMVP候補が突如として姿を消した、ということも。

 

 彼は今、南オランジュからは離れ、国と国とを結ぶ街道をセルクルに乗って、お供のプロヴァンスと一緒に進んでいた。オランジュの一件からは、もはや2週間近く経過している。いい加減ほとぼりも冷めたころだろう、と彼は考えていた。

 

「そうですね。こういう日はまさに旅日和、といったところですかな、殿下」

 

 と、それを聞いたスフォリアが振り返る。その表情にはどこか不満げな様子が浮かんでいた。

 

「おい、殿下はやめろって言ってんだろ。……そういやこの間の戦の最中にも言いやがったな。いいか、俺は……」

「はいはい、わかってますよ、流れの傭兵スフォリア・テッレ殿。俺とあなたは各地を回って適当に戦に参加する傭兵同士、その関係でしかない。俺が敬語を使ってるのはあくまであなたが1つ年上だから。そう言いたいんでしょう?」

 

 プロヴァンスが小さく肩を揺らしながら返答する。これまでの長い付き合いで互いに相手のことはよくわかっている。だから彼はこう言ってスフォリアをからかえば面白いことを知っているし、同時に本気で怒ることもないと気づいていた。

 

「わかってんならそれでいいんだよ。いちいち俺をおちょくるな」

「おっと、常に一言多いあなたに言われるとは心外だ」

「うるせえ。お前だって人のこと言えなくなってきてるぞ?」

「だとしたらきっとあなたの影響でしょうな」

 

 そこまで言ったところでプロヴァンスは豪快に笑い声を上げた。体格に似つかわしいその声量はいかにも予想通りで、スフォリアは反射的に顔をしかめていた。

 別に嫌なわけではないし不快とも思わない。だが如何せん、やかましいのだ。人によっては「その豪快な笑いっぷりはこっちまで楽しくなる」などという人もいたが、四六時中こんなやかましいと気が滅入る時もある。どうやったらそれだけ物事をなんでも楽しめるように笑えるのか聞いてみたくなる時さえあった。

 

「……お前のその笑い方は完全に父親譲りだよな」

「まあ……。そうですな。否定しませんよ」

「ついでに図体のでかさもな」

「それを言い出すと……どうにも父方の血を受け継ぎ過ぎてる感は否めませんが。母方からどの辺を継いだんでしょうかね?」

「図体に合わず意外と几帳面なところだろ。……ああ、それも親父譲りだったか?」

 

 言い終えたところで声を噛み殺してスフォリアが笑う。これは彼の癖のひとつだ。相手を皮肉った時に出る癖。だから、それを見たプロヴァンスの方も言い返さずにはいられなかった。

 

「そう言うあなたのその笑い方も、父親譲りですな」

「おう、違いねえ。ついでに一言多いのもな」

「しかしあなたの場合は母方からの血も、はっきりとわかりますがね」

 

 だが、それを聞くと今度はスフォリアの表情が自嘲めいた笑みへと変わった。これも彼の癖だとプロヴァンスは知っている。この表情を浮かべるのは痛いところを突かれた時、あまり都合がよくない時だ。それに気づき、からかおうとはしたものの、言ってしまってからあまり触れない方がいい話題だったかと若干後悔の念を覚えていた。

 

「……すみません、失言でしたな」

「いや、気にしてねえよ。俺自身肝が据わってるとか言われるときは親父よりおふくろの血なんだろうなとは思うさ。ただ……こうやってぶらぶらとしてる俺が、誇り高き風格を身に纏うおふくろの血を継いでるのかと考えると、時折疑問に思ってみることもあるってだけだよ。……ま、その親父もおふくろも、最後はお前の好きにしろって俺のケツを引っぱたいてくれたから、こうやってるわけだけどな」

 

 そこまで話したところでこの話は終わりだ、と言いたげにスフォリアは手をひらひらと振る。それに応じて話題を変えるかとプロヴァンスが視線を前へと戻したところで――丁度目的地が見えてきたということに気づいた。

 

「スフォリア殿、前を」

「ああ、わかってる。……今回の目的地、ドラジェだな」

 

 ニヤッとスフォリアが獰猛な笑みを浮かべる。戦いの時に時折見かける、心から楽しんでいるとわかる表情。さながら、獲物を追い詰めた獅子を思わせるその雰囲気に、プロヴァンスはやはりこの人物についてきてよかったと心から思うのであった。

 

「今回も派手にやるんで?」

「当たり前だろ。受け売りだが、戦は派手にやってなんぼだ。そしてその上で勝つ。そうすりゃ金はがっぽりだ。国内戦に外様(とざま)として参加してんだ、派手に見せないとその国の人達を喜ばせることなんて出来ねえだろ?」

「おっしゃるとおりで。さすが、舞台を回すお方は言うことが違いますな」

「それは俺じゃねえだろ。そもそも俺はそこまでの器なのか怪しいもんだぜ? 15年前に歴史に残るとまで言われる大舞台を回した偉大なお方には到底及ばないかもしれない」

「まったく、そのお方の子であるというのに何をおっしゃいますことやら」

 

 そう言うとプロヴァンスは先ほど同様に豪快な笑い声を上げた。彼は確信している。自分が心から敬服するこのお方は、いずれきっとどんな大きなことでもやってのけてしまうのだと。

 

「……お前も親父やおふくろ同様に俺を買い被り過ぎじゃねえか? まあいい。ともかく、まずは目の前のことからだ。これまで外様で参加させてもらってきた時同様、ドラジェの国内戦もいっちょ派手に行くとするか!」

 

 スフォリアのその言葉にプロヴァンスが雄叫びを上げる。戦から戦へと渡り歩く、まだ若い2人の傭兵を乗せ、セルクルは街道を進んでいた。

 

 輝歴2931年水晶の月。春先の暖かいこの日も、フロニャルドの風は変わらず優しく吹き抜けるのだった。

 

 

 

 

 

 スフォリアとプロヴァンスは流れの傭兵だ。傭兵、とはいってもその実態は国から国へと渡り歩き、そこで行われる戦に参加して稼ぎを得る風来坊である。厚生が豊かなフロニャルドにおいてこういった存在は珍しく、大抵どこかの国に腰を据えれば、そこで十分暮らしていくことは可能だ。加えて、2人は戦においてその国の者ではない、いわゆる「外様」の一般参加者でありながら、本参加である騎士級の相手はおろか場合によっては隊長クラスまでも討ち取ることすらある、という程の実力者である。定住を申し出れば即騎士級になることぐらいは造作もないだろう。

 しかし2人はそのようなことを決してしようとしなかった。さらには、その国での戦に数度参加し、国民が2人の活躍を楽しみにする声が上がり始めると、それを嫌うかのようにそこを後にするのだった。場合によっては、南オランジュであったように戦の最中に姿を消す、ということまでして。それ故、気まぐれな「流れの傭兵」として2人の名は次第に広まるようになっていた。

 

 だから、スフォリアは今現在自分が置かれたこの状況を予想していなかったわけではない。とはいえ、あまりに急な展開に少々戸惑っているのも事実ではあった。

 

「……よかったんですか? いきなりこんな目立つような状況になっちまって」

「仕方ねえだろ。俺達の噂が段々と広まってるのはわかってたんだからよ」

「ですが……。外様の俺達を、この国で戦う様子を見たでも無しにいきなり直々に、ってのは……」

 

 その小声でのやりとりをしつつ、プロヴァンスの言い分はわかるとスフォリアは思っていた。

 今2人がいるのはドラジェ商工会に顔の利く、ソンブレロという権力者の屋敷である。今回2人が参加しようとしているドラジェでの戦の後援者、あるいはスポンサーとも言い換えられる。

 

 事の発端は、普段のように戦への参加の手続きを済ませようとした時だった。今回参加する予定の戦はドラジェ国内の東西戦。国内戦としてはかなり大規模である。

 別に東軍西軍、どちらの所属になろうと大した気にかけていなかった2人は、もっとも手近なところで受付を済ませるつもりでいた。そこでスフォリアと名を述べると、戦の受付をしていた担当者が少し待つように告げ、突然どこかに連絡を取り始めたのだ。それからややあって使いの女性が現れ、丁寧に挨拶と事情を説明された後、ここまで連れて来られたのである。

 断ろうと思えば出来ない雰囲気でもなかった。が、有力者でありさらには戦の後援者からの誘いを無下にしては今後この国での戦においての風当たりも悪くなりかねない。よって、スフォリアは素直に従うことにしていた。

 スフォリア達の前を歩く使者、あるいは使用人と護衛を兼ねたような女性から話を聞くに、どうやら2人の名は既にそこそこ広まっており、そのソンブレロという人物がこれまでの他国での戦いの様子を見てえらく気に入っているということであった。

 

「おふたりが戦に参加された映像は、ソンブレロ様と一緒に私も拝見しました。南オランジュでしたかね。たった2人で敵本陣へと奇襲、両翼を切り崩して揺さぶりをかけ、本隊突撃の足掛かりを作った。お見事としか言いようのない戦いぶりでした」

 

 後ろで交わされる小声での話を2人が不安からしているものだと感じたのだろう。前を歩く使いの女性は僅かに首を傾け、そう話しかけてくる。

 

「今回ソンブレロ様は東軍のメインスポンサーなんです。それで是非ともおふたりにご活躍いただき、戦を大いに盛り上げて勝利したいと大変意気込んでおられます。時折我が強いこともある人ですが……悪い方ではありませんよ」

「こんな風来坊に目をかけていただいているんです、出来るだけ泥を塗るようなことはないようにしたいと思いますよ。もっとも、ご期待に添えられるかどうかはまた別問題ですが。さっきの話も、『その後MVP候補が消えた』という続きが抜けてますしね」

 

 そう言って声を噛み殺して笑うスフォリアの隣で、プロヴァンスが苦笑を浮かべているのがわかった。また始まった、とか思っているらしい。もはやいつものことと、と化している彼はそんな相棒の苦い表情を見ても特になんとも思わないが、顔色を窺えない案内役の彼女はどんな表情をしているのだろうか。おそらく隣の相棒と同じような苦笑いだろう、と思うことにした。

 

「ソンブレロ様はこちらです。今はアドバイザー兼今回のゲスト解説としてお呼びしている方との会談中です」

「では自分達以外にも外様……外部からの呼び寄せた人間がいると?」

「はい。有名な方ですから、おふたりもご存知かと思われますよ」

 

 思わずスフォリアは隣のプロヴァンスと顔を見合わせた。相手も自分同様少々渋い顔をしているとわかり、肩をすくめる。

 案内された談話室の扉が開けられる。中で向かい合うように腰掛けていたのは2人。顎鬚を蓄え、恰幅が良く嫌味にならない程度に装飾品を身に纏った中年の男と、同じぐらいの年でありながら体格は対照的に細身でスラリと背の伸びた男であった。前者はこのドラジェの人々の特徴であるイタチのような耳から、2人を呼び寄せたソンブレロという人物であると推察できた。

 

「ソンブレロ様。スフォリア様とプロヴァンス様のおふたりをお連れいたしました」

「おお! 来てくださったか。いやいや前々から噂は耳にしていましてな。そろそろこの国に来るらしいという話を聞いたが、なんでも突然いなくなることもある気まぐれやだとか。そんなわけで来てくれないのではないかと少々心配だったのですよ」

「これからこちらの国で一稼ぎさせてもらおうと思っていた矢先でしたので、そのような野暮な真似は出来ませんよ。……それで自分達2人がここに来るって話は、そちらの方から聞いたんですかね?」

 

 スフォリアがもう1人の男の方へ視線を移しながらそう口を開いた。彼の視線の先にはこの国の人間とは異なる、豹のような耳を持つ男が微笑を浮かべながら2人を見つめている。

 

「ああ、紹介……するまでもなく知っているかもしれませんが。こちらは……」

「バナード・サブラージュ()将軍。ガレット切っての知将と有名で名は耳にしていましたよ。数年前に騎士団長と将軍の座を退いたと聞いていましたが……」

「若いのに随分とお詳しいのですね、スフォリア殿。自分ではそれほど名が知れているとは思っていませんでしたよ」

「何をおっしゃいますやら。自分のような若輩者でさえ耳にしたことがあるほどご高名ですよ。……お会いできて光栄です、はじめまして」

 

 微笑を崩さず、バナードは軽く顎を引いてそれに応えた。それで挨拶としたのだろう、次いでスフォリアはバナードの右手側にある長椅子に腰掛け、どこか緊張した面持ちで突っ立ったままのプロヴァンスを目で促して腰掛けさせる。

 

「それで、バナード元将軍も戦に参加するんで?」

「いや、私はあくまで相談役ですよ。それにゲスト解説も頼まれている。ソンブレロ氏に呼ばれたのは今回の戦をいかに盛り上げて勝利するか、それを助言させていただくためにお声をかけていただいただけのこと……」

「そうは言いますがな、バナード殿。なんでしたらゲスト解説などほっぽり出して参加していただいても結構ですぞ? 貴殿はガレットの勇猛な将軍であった方、登場していただければきっと聴衆も盛り上がることでしょう」

 

 ソンブレロからの提案にバナードは一瞬困ったような表情を浮かべた。東軍側の要望でゲスト解説として呼ばれたわけだが、ついでに知恵を貸してほしい、ということで話を受けていた。戦場に立つつもりはないという様子だ。

 

「自分はここドラジェにおいては外様ですので……」

「それを言い出すと自分達も流れの存在ですから、外様ですけどね」

 

 しかし続けて重ねられたスフォリアのこの台詞には、彼も肩をすくめるしかなかった。なかなか痛いところを突く。

 

「私のような年寄りがいつまでも戦場に残るより、あなた方のような若い者達が戦を盛り上げるべきでしょう。だから私は今回裏方に徹するつもりですよ」

 

 鼻からひとつ息を吐き、今度はスフォリアが肩をすくめた。降参、ということだろう。

 

「……失礼ですが、お二方は本当に今日が初対面で?」

 

 そのやり取りを見ていたソンブレロがここで口を挟んできた。予期しなかった質問にスフォリアとバナードが一度顔を見合わせる。

 

「なぜ、そう思われたので?」

「いえ、互いのやり口を知っているような、探り合うやり取りのように思えましたので」

「さっき『はじめまして』と述べた通りですよ」

「私の悪い癖でしてね。軽口を叩き合えるような、しかもまだ若いのにそういった心得のある人を見るとついこういう具合で話してしまうのです」

「ははあ……」

 

 蓄えた顎鬚をいじりつつドラジェの権力者は一応納得したような声を上げた。ともかく、初対面であるとすれば、それにもかかわらずこれだけの会話を交わせるこの助っ人はかなり頭も切れる、ということだと彼は思うことにした。

 

「まあ、戦まではまだしばらくありますからな。スフォリア殿もプロヴァンス殿も長旅の後でありましょう。戦についての話はまた明日ということで。この館の中におふたりの宿泊場所を用意させていただいたので、くつろいでくだされ」

 

 その言葉に、これまでポーカーフェイスか、あるいは微笑を貼り付けていたスフォリアの表情がここで一瞬崩れた。

 

「……ありがたいお話ですが、自分達は流れの身です。あまりご迷惑をかけるわけにもいきませんし、適当に宿屋を取りますので」

「何をおっしゃる! 私が招いた客人にそのような真似をしたとあってはこちらが困ることになってしまいます。お荷物の方は既に部屋に運ばせましたので」

「ソンブレロ氏のおっしゃるとおりです。お若いのに謙遜を知っていらっしゃるという心には感心ですが、時には相手側の提案に素直に応じた方がよろしいこともあるということですよ」

 

 年上の2人に畳み掛けられては、これ以上スフォリアに反論の余地はなかった。やれやれとため息をこぼし、了承の意図を示す。

 

「……わかりました。ではお言葉に甘えさせていただきます」

「それはよかった。ではすぐ案内を……」

「いえ、部屋はわかってますし私の部屋の近くですので、その役は引き受けますよ」

 

 使用人に案内をさせようと思ったのだろう。ソンブレロは人を呼ぼうとしたが、意外なことにそれを止めたのはバナードであった。

 

「バナード殿? しかし、客人に案内をさせては……」

「どの道私もこの顔合わせが終われば部屋に戻るところでしたし、気になさらないでください。それに、若き傭兵殿にあまり大っぴらにせず少々個人的に尋ねたいこともありますので」

 

 どこか不承不承、という様子ではあったがソンブレロはそのバナードの申し出を了解した。戦場にほとんど立ったことのないソンブレロにはわからないような話か、あるいは各国を流れている2人だから、他国の現状の確認か。いずれにせよ詮索しなくてもいいだろうと思ったのだった。

 

「いえ、バナード元将軍のお手を煩わせるのも申し訳がありません。部屋さえ教えていただければプロヴァンスと2人で行けますよ」

「そうはいかないでしょう。迷われては大変だ。……それにお話したいことがある、とも申したが?」

 

 再びため息をこぼし、観念したようにスフォリアは立ち上がった。やや遅れてプロヴァンスも同様の行動を取る。

 

「……わかりました。案内、お願いしますよ」

「承知しました」

「ではごゆっくり休んでくだされ。何かありましたら、その辺りを歩いている使用人に声をかけていただければ」

 

 ソンブレロに対して感謝の意を表し、スフォリア達は部屋を後にした。

 

 談話室から3人が出て、宿泊用に用意された部屋を目指して歩き始める。だが、少し離れたところ、周囲にひと気のない廊下。そこで不意にバナードが小さく吹き出した。

 

「……何笑ってんだよ?」

 

 先ほどまでの口調と一転、そう話しかけたのはスフォリアだった。彼はバナードに対しての敬語をやめ、()()()で話しかけたのだ。だが、バナードはまったく気にする様子もなく、さらにはこちらは敬語をやめることなく答える。

 

「申し訳ありません。ずっと我慢していたものでして……」

「はん、ひっでえ文字通りの茶番だったけどな。俺も役者が板についてきた、とか言いたいのかよ。……つーか変装って程でもないがそれなりに誤魔化してたのに、やっぱ即バレか」

「それはあなた様をよく知っていますからね。()()()()()を変えたぐらいでは、一般の人々は気づかなくても私達のような者はすぐに気づきますよ。それに、お供を隠す気が全くない」

「こいつは下手に芝居打つと余計に怪しいからな。偽名すら使わせるのもボロを出しそうで危ういぐらいだ。だから普通にさせたんだよ。まだ名も広まってなかっただろうしな」

 

 自分の横を歩くお供を親指で指しつつ、スフォリアはつまらなそうに述べた。だが指差された本人であるプロヴァンスは特に反応するでもなく、身を固くしている。

 

「……で、俺を案内する口実に使った話したいことって何だ? いつ国に戻るのか、か? それともこの馬鹿げてると思われているであろう旅の功績はどうか、か? あるいは……おふくろ辺りに何か言われたか?」

 

 明らかに棘を隠そうとしない物言いだった。バナードは失笑を返してそうではないという否定の意思を表す。

 

「私はその辺りのことにとやかく口を挟むつもりはありませんよ。ご両親も特に何もおっしゃっていません。確かにさっきのは今あなた様がおっしゃったとおり口実に過ぎません。ですが、むしろそちらから私に聞きたいことは、あるのではないですか?」

「ああ、あるね。ここにお前がいるのは偶然じゃねえだろ?」

「いえ、それ自体は偶然です」

「それ自体は、ねえ……。その言い方だと俺達がこの国に来るのは計算済み、ってか?」

「各地を回るルートから見て、次はここだとは思っていました。ですので、戦の時になって私の存在を知り動揺なされるよりは、早いうちにコンタクトを取ったほうがよろしいかと思いまして。それにこちらの戦力となればアドバイザーも兼ねてある私としても助かりますし」

「その言い分はどこまで信用できたもんだか。しかし知将と名の知れた元将軍様には俺達の行動なんざ筒抜けか。さすが親父が互いに一目置き合う存在と言うだけあるってわけだ」

 

 そう言って声を噛み殺して笑うスフォリアを見て、部屋を出てからというもの、どうも苦笑以外の表情が出来ないとバナードは思っていた。ペースを握られている、というわけではないが、よほど()に似たのだろう。口は非常に達者だ。バナード自身、その父と話しているような錯覚さえ覚えるほどであった。

 

「ともかく、私はお目付け役でもなんでもありませんが、せっかくですので呼ばれたこちらの戦力として迎えようと思ったわけです。ですので、ここにいる間はあなたを『若き流れの傭兵、スフォリア・テッレ』として接することにさせてもらいますよ」

「当然そうしてくれ。そうじゃなきゃわざわざ名を偽って、さらには髪の色やら紋章(・・)やらまで誤魔化してるのが全部無意味になる」

 

 ここでようやくバナードに苦笑ではない、微笑が生まれた。次いでその視線を2人の少し後ろを歩くプロヴァンスの方へ向ける。

 

「話は聞いていたかい? ずっと黙りこくったままだけど、プロヴァンスもそれでいいね?」

「は、はっ。バナード元将軍がそうおっしゃるのであれば……」

「そんな固くならなくていい。別に君の()()()は小言をこぼすようなことはしていないよ」

「こいつは融通利かねえから仕方ねえ。部屋入ってお前の顔見た時とかあからさまに動揺してたし、バレんじゃねえかとひやひやだった」

「違いないですね。私達が顔見知りではないかと見抜いたソンブレロ氏は、あれでいてなかなか鋭いカンをしているようですので」

「お前が馴れ馴れしく話すからだろ」

「先に話を進めたのはそちらと記憶していますが?」

 

 うるせーよ、とこぼして「スフォリア」が苦いものの混じった自嘲的な笑みを浮かべる。丁度そこでバナードは足を止めた。2人の部屋へと着いたのだ。

 

「こちらが部屋になるようです。ヴァンネット城ほどの広さではありませんが……」

「こちとら流浪の間、街の宿屋に散々世話になってる身だ。今更気にもしねえよ」

「そうでしたね。では、ごゆっくりなさってください。……殿下のことは、あとは君にお任せするよ、プロヴァンス・()()()()()百騎長」

「念を押すな。こいつは今までよく尽くしてくれてる。心配いらねえよ」

 

 緊張した面持ちで何かを返そうとするプロヴァンスより先にそう言い残し、「流れの傭兵」を自称する少年は部屋へと入っていく。それを見送り、頭をひとつ下げてドアを閉めつつバナードは口を開いた。

 

「それでは失礼いたします、スフォリア・テッレ殿。……いえ」

 

 その先が予想できたのだろう。改まって言い直すとしたら、次に口から出てくるのは自身の本名。そう考えつつ、「スフォリア・テッレ」は足を止めて振り返り、面白くなさそうに視線をバナードの元へと向けた。

 

「……レグルス・ガレット・デ・ロワ殿下」

 

 




スフォリアテッレ……イタリアの焼き菓子。スフォリアテッラとも。
プロヴァンス……フランスの地方名。姓のドリュールがフランス語のお菓子用語なので、そこからの連想。
ソンブレロ……テキーラの銘柄。原作も後期にはお酒関係が用いられたのでそこにあやかる形で。
アランチア……イタリア語でオレンジの意味。なお、オランジュはフランス語でオレンジにあたる。

本文中に書かれている通り、舞台は輝歴2931年水晶の月(4月)です。原作1期は輝歴2911年珊瑚の月(3月)から水晶の月にかけて、原作2期及び本作1部は同年紅玉の月(7月)付近、本作2部は輝歴2916年真珠の月(6月)付近の話となっています。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 2 獅子の子ら

 

 

 時は変われど、変わらないものはある。

 それは存続し続ける国であり、変わらず吹き抜ける風であり、さらに広い目で見ればここフロニャルドにおいては戦興行、というものもそうだろう。

 

 ガレット獅子団領国、切り立った崖の上に立つヴァンネット城の中庭。その戦に備えて本来訓練しているはずの兵や騎士達はその手を止め、輪の中心で繰り広げられる戦いに見入っていた。

 一方は銀の長髪にそこから同じ色の猫のような耳が覗く男性。手甲と脚甲を身につけ、青を基調としている服を纏っている。そこから露わになった逞しい筋肉の肩が、背後になびくマントから時折覗いていた。右手に持たれた剣は棒切れか何かのように軽々と振るわれ、相手の攻撃を次々と捌いている。

 もう一方はまだ幼さの残る、黒いショートカットの髪と、色こそ髪と同じものの男性と同様猫のような耳の少女。防具はほぼ身につけておらず、見るからに機動力重視だ。黒の服に身を包み、ショートのスカートから伸びた細く健康的な脚は、膝上まで覆うニーソックスに隠れている。しかしソックスとスカートの間からは可憐な太股が露出し、まだ幼さが抜け切らない少女の魅力を引き出していた。

 

「ほら、動きが遅いぞパンシア! それでも『獅子の子』か? もうへばったか!?」

 

 しかし、時が変われば、当然変わるものはある。

 国は変わらずとも、そこに暮らす人々は変わる。移ろい行く時は、人々を巻き込み変化させていく。

 

 相手の強烈な蹴りと共にガードごと吹き飛ばされたパンシアと呼ばれた少女は、どうにか両足で踏みとどまり、手をついてバランスを取った。右手に持った短剣(ダガー)を握り締め、叱責された言葉に対して奮起する表情を隠そうともせずに猛然と相手へと駆け出す。

 それに対し、男の方は剣を肩越しに構えた。苦い表情のまま、舌打ち混じりに口が開かれる。

 

「いつも言ってんだろ! 動きが直線的過ぎると……」

「相手に簡単に読まれる、でしょ!」

 

 構えはそのままに、男も駆け出して迫る。袈裟に斬ってくる、と直感した少女は短剣による防御ではなく、身をかがめてその切っ先の下への回避を選択。果たしてその予想は正しく剣は空を斬る。が、直後。

 

「わかってるなら言わせんな!」

 

 斬撃からの連撃、次に蹴りがとぶ。これが懐に潜り込もうとする少女へと容赦なく直撃した。しかし彼女は両腕を交差させてこれをガード。とはいえ、威力は先ほどのガードごと吹き飛ばされたものと同等だ。小さな体が浮き上がるほどの衝撃で吹き飛ばされかけた、その瞬間――。

 

「輝力解放! ()()()()()()!」

 

 不意に、猫を思わせる鉤状である彼女の尻尾(・・)が輝いた。次いで三つ又に分かれ、先端に鋭い刃が生まれる。

 そのうちの1本を地面へと突き刺してそこを支点に回転、飛ばされるはずだった勢いを受け流す。さらに受け流したその勢いも利用しつつ、残り2本の尻尾で地面を抉り、一気に反撃の距離を詰めにかかる。

 

「お、おいおい待てパンシア! 模擬戦っつったんだ、紋章術は……」

「いただき!」

 

 聞く耳持たず、とばかりにパンシアは変化させた3本の尻尾と右手の短剣、さらには左手にも投擲用の小型短剣を指の間に挟んで相手へと向けた。絶好のチャンス、またとないタイミング。攻撃後の姿勢を崩した状態でこの連続の攻撃を防ぐ(すべ)は無いはず。そう考え、投擲からの攻撃を狙った彼女だったが――。

 

「ったく、そういう負けず嫌いすぎるところは母親似だよな、お前は。……()()()()()!」

 

 叫ぶと同時、男は右手の剣を捨て、代わりに美しいエメラルドに輝く鉤爪を作り出した。刹那、右手が振るわれた、とパンシアが視認したときには、既に投擲された小型短剣は叩き落とされ、3本の尻尾の先に存在した刃と手に持った短剣は全て破壊されていた。

 

「そんなっ……!」

 

 必殺のタイミングも、確信したはずの勝利も、するりと彼女の手を抜けていった。次手を考えるより早く、着地した彼女の眼前に輝力武装の爪が突きつけられる。

 

「勝負あり、だな」

 

 ニヤッとした笑顔と共に投げかけられた言葉と対照的、パンシアは深くため息をこぼして肩を落とした。

 

「……参りました、()()()

 

 降参宣言と同時、周りの兵達から拍手と喝采が起きる。悔しそうにうつむく少女――パンシア・ガレット・デ・ロワの肩へ、父と呼ばれた男は優しく手をかけた。

 

「いや、前とは比べ物にならないほどよくなってるぞ。ただ……紋章術禁止の模擬戦だって言ったのに輝力武装したのはいただけねえな」

「それは……。『勝つためには手段は選ぶな』と……その、以前()()()が言っていたから……」

 

 「伯父様」という単語を聞くと、「あーまったくあの野郎……」と頭をかきつつ、彼は思わず一人ごちる。

 

「あいつの言うことを鵜呑みにするな。それだっておそらくは『本当に負けられない勝負なら』って前提条件がつくはずだぞ。……ったくあの野郎、自分の息子だけじゃなくてうちの娘にまで余計なこと吹き込みやがってよ」

「でも……! ……結局はお父様も輝力武装を使ったではないですか」

「うっ……。それはお前が先に使ったからだな……」

「いや、パンシアの言う通りじゃな、()()()

 

 兵達の間から1人の女性が堂々と近づいてくる。戦場で着るような動きやすさと見た目を重視しての大胆な露出を見せる格好とは対照的、今は青で纏められた戦士団の礼服姿だ。

 その姿を見つめる2人の目は正反対だった。パンシアはその可愛らしい瞳をぱあっと輝かせ、一方で彼女の父――ガウル・ガレット・デ・ロワは苦虫を噛んだような表情を浮かべる。

 

「なんだよ、姉上(・・)はこいつの肩を持つのか?」

「いや、あくまで客観的意見を述べているだけじゃ。確かにパンシアは輝力武装を展開した。じゃがお前も展開した。なら()()()()じゃろう。とはいえ……やはりいくら勝ちたいとはいえ、紋章術禁止、という前提があったんじゃから、パンシアもそこは反省せねばならんじゃろうな」

「はい……。()()()()()

 

 再びパンシアがうなだれる。しかしレオンミシェリ・ガレット・デ・ロワはそんな彼女の頭を優しく撫で、膝を曲げて彼女の顔の高さと同じ目線まで頭を下げつつ、優しい口調で続けた。

 

「じゃが、先ほどの輝力武装、なかなか見事じゃったぞ。まだまだノワール……お前の()ほどではないにせよ、随分と器用に扱えるようになったものじゃ」

「お母様が教えてくれたの。……お父様はお前にはまだ早いって全然教えてくれないけど。もう13歳になったのに……」

「年は関係ねえよ。お前は輝力武装の前に基礎をもっと固めろ、って言ってんだ。……大体俺が教えてなくても、もう獅子王爪牙も勝手に練習してんだろ?」

「な、なんでそのことを……」

 

 「やっぱりかよ……」と呟きつつ、ガウルは頭をガリガリとかく。そして「いいか、そもそもな!」と堰を切ったように話し始めた。

 

「ずっと言ってるだろうがよ。戦で活躍したいなら、紋章術だの輝力武装だのより前に基礎を固めろ、ってよ! 確かにお前のさっきの……トライテールか? 3本だったからな。ノワほどじゃないにしてもあれは見事だ。それは認めてやろう。でもな、そこにさらに獅子王爪牙を加えるような戦闘スタイルでいるつもりなら、そんなの輝力をバカ食いして仕方ねえだろ!」

「そ、それは……。短期決戦で一気に決着をつければいいから……」

「短期決戦だァ? よく言うぜ。それはつまり相手にペースを握られたらガス欠になりますと宣言してるようなもんだぞ?」

 

 見ていた兵達から「またお始めになられた」「ほんとケンカするほどなんとやらな親子でいらっしゃいますな」なんて声が飛ぶ。これにはレオも思わず苦笑を浮かべていた。いい加減止めるべきかどうするか彼女が迷っていた、その時。

 

「その辺にしておいて、2人とも」

 

 先ほどのレオ同様、輪の中から1人の女性が歩み寄ってくる。黒い髪に猫のような黒い耳、そしてパンシア同様の鉤尻尾。一見するとパンシアの格好に近くも見えるが、ロングスカートに長袖と肌を晒すのを控えており、さらに動きやすさよりも見た目に重きが置かれているようで、より格調高いような仕上がりとなっている。

 その姿を見るなり、パンシアは「お母様!」と叫び、駆け寄った。その娘を、母であるノワール・ガレット・デ・ロワは優しく抱き締める。

 

「皆の前だよ。あまり見苦しい姿は見せないで」

「大体お前が甘やかし過ぎてんだよ、ノワ! いいか、こいつは()()()()()()だ。そんな存在が戦に参加して、そこで無様な姿を晒したら、ガレットにとってもこいつにとっても恥になるんだぞ?」

「わかってます! だから私は懸命に……!」

「本当にわかってんならいいけどよ。お前、領主ってものを甘く見てねえか? ふらっと出て行った()()()の肩を持ちたいって気持ちだけでやるって言ってんじゃねえだろうな?」

 

 母の腕の中でキッとパンシアは父に厳しい視線を向ける。「違います!」と叫ぶが、彼は続きをやめるつもりはないらしい。

 

「お前があいつを……()()()()を兄のように慕ってるのはわかってる。理由の一部にそれがあってもいい。だが、だからってあいつの心を尊重するがあまり、自分が領主候補にならなきゃいけないなんて責任感じて、そのためにやるつもりなんじゃねえだろうな?」

「お父様! ()()()は関係ありません! それはもう済んだ話のはずです!」

「そこまでにせい」

 

 その先を続けさせない、とばかりにぴしゃりとレオが止めに入った。彼女特有の物を言わせない、という気迫に、言い合っていた2人が口を(つぐ)む。

 

「……ガウル、次期領主候補の話はワシらも納得の上でのことじゃ。レグの件ではワシも責任を感じておるが……今更蒸し返さないでくれ」

「……悪かった。それは謝るし撤回する」

 

 ふう、とレオは一度ため息をこぼし、ノワールとパンシアの元へ近づく。そして再び膝を曲げ、姪であるパンシアの目線まで顔を下げて先ほどのように頭に手を優しく乗せた。

 

「パンシア、確かにお前の成長は目覚ましい。さすがはガウルの子、ワシの姪じゃ。伊達に『獅子の子』なだけのことはある。いい素質を持っておるぞ。じゃが、やはりガウルの言うとおり基礎は大切じゃ。焦りは禁物ということを忘れてはいけない」

「……はい」

「レオ様の言うとおり。パン、獅子王爪牙は我慢して。その代わり、トライテールをもっと有効活用できるように、私の時間があるときに教えてあげるから」

「ありがとう、お母様!」

 

 そんな女性達の会話の中、ガウルだけは1人不満そうに頭をガリガリとかいていた。「やっぱノワも姉上もこいつに甘いよなあ……」と独り言をこぼしながらその場を離れようとする。

 

「お父様、どちらへ?」

「公務だ。お仕事だよ、お仕事。領主ってのは忙しいんだ。悪いが稽古なら姉上とかお母様辺りにつけてもらえ。……ほらお前らもいつまでも見物してねーでとっとと訓練に戻りやがれ! おいジョー、()()()()なんだからこいつらに指示出せ!」

 

 見物していた兵達をあしらう様に手を払いつつ、ガウルはそう言い放った。「ウチがガウ様に怒られるから、全員持ち場に戻ってやー」という女将軍、今では騎士団長も兼ねているジョーヌの声が辺りに響く。それを聞いて見物客達も段々と散っていく。

 その兵達の間を縫うようにガウルが数歩遠ざかったところで、不意に背後から「待て、ガウル!」と彼を呼び止めようとする姉の声が聞こえてきた。が、彼は足を止める気配はない。一言二言、レオがパンシアと何やら会話を交わしたのを耳にしつつ、あくまで歩くペースを落とさずにガウルは中庭を後にした。

 ややあって、小走りに駆け寄ってくる足音に、城内へと入ったところで彼は足を止める。振り返れば、レオがやや不満そうな表情を浮かべて近づいてくるところだった。

 

「待てと言っておろうに」

「忙しいって言ったろ。話なら移動中に聞く」

 

 言うなり、再び彼は歩き出した。遅れまいとレオがそれに並ぶ。

 

「少々パンシアにきつく当たり過ぎているのではないか? 先ほども嫌われているのではないか、怒らせてしまったのではないかと心配しておったぞ」

「だから言ってるじゃねえか、姉上達が甘やかしすぎてるんだよ。その分俺が釣り合いを取ってるのさ」

「……お前がさっき言った……次期領主候補の件がそんなに不満か?」

 

 そのレオの一言にガウルは足を止め、振り返った。彼の表情には複雑な色が浮かんでいるのが分かる。

 

「それについては、レグも関係している以上ワシも責任を感じてはいる。年齢でいうならパンシアはまだ領主候補としては時期尚早、と言ってもいいかもしれん……」

「その話の結論は出た、って今さっき言ったのはあんただぜ、姉上。俺達保護者4人と、そしてパンシアと、今この城にいないレグルス当人達全員が納得した上での話だ」

「じゃったらあの場でその話を出さんでもよかったろうに」

「……勢いで言っちまったんだよ」

 

 本当のところ、後継者問題の件をガウルは完全に納得してはいなかった。血縁関係でもっとも適格であろう現領主である自分の娘、というだけで、レグルスより2つ年下のパンシアに次期領主という大役を押し付けたくなかったのだ。

 しかし、結局はパンシアの固い意志に押し切られた。ガウル自身、彼女が「兄さん」と呼び実の兄のように慕う従兄(いとこ)のレグルスを思ったが故の決断であろうことは容易に想像できた。

 ところが直後、レグルスはふらりとヴァンネット城から姿を消した。仲の良かった百騎長の騎士プロヴァンス――年長の将軍として騎士団長のジョーヌのを補佐することを選んだゴドウィンとその妻エリーナの息子を連れて旅に出た、というのだ。その2人の保護者、そしてパンシア当人の了解があったとはいえ、ガウルとしてはそこは不満でもあった。

 それ故、あくまでも己の口から「次期領主を務めたい」と言い出したパンシアにはそれ相応の器になってもらうべく、どうしても厳しく接してしまっていた。もっとも、先ほど彼が述べたとおりレオとノワールはどうも甘やかし気味だから釣り合いを取る意味で、という部分もあると自覚してはいたが。

 

「パンシアはパンシアなりに精一杯やっておるぞ。そこはわかってやれ」

「言われなくてもわかってらあ。……姉上こそ人に言う前に、今どこにいるかもわからねえ自分の息子を引っ張り戻すなりなんなりするべきじゃねえか?」

「それを言われるとお手上げじゃな。……まあ一応、レグが出て行ったのはパンシアが意思表示した後、じゃったからな。留学とか経験のための勉強の旅、とでも捉えてくれ」

「勉強、ねえ。まったくいつからこんな丸くなっちまったんだか。俺が領主になるときは大分しごかれたってのによ」

「そういうお前こそ昔はジェノワーズを連れてお忍びであちこち回っておったろうが。……まあワシもかなり好き勝手やったがな。じゃから、ワシらが言えた口ではないじゃろう。それに、そのワシの代わりを今お前がやっておる。ならそれでいいではないか」

 

 これでは取り付く島もない、とガウルは肩をすくめた。結局のところパンシア自身がやる、と言った以上、血縁的にも適格であるために済んだ話となってしまうのだ。

 

「まあ今更あれこれ言っても始まらねえか。俺達は子供達の成長を見守りつつ、自分に与えられた役割をこなすしかない、ってことだな」

「そういうことじゃ。お前は領主の仕事をしつつ、パンシアの面倒をみてやればいい。まあ基本的にノワールと、あと騎士団長のジョーヌやら()()()()のベールやらも手が空いている時は見ているようだがな」

「あいつらに任せっきりだと甘やかしてしょうがねえだろうからたまには俺も見ないといけねえな、そりゃ。……っと、そういや姉上。しばらくしたらまた出張だったか?」

 

 思い出したようにそう切り出したガウルに、姉は「ああ、まあな」と肯定の返事を返す。

 

「旦那も昨日からカミベルに出張ってるんだったか? なんだか両方とも飛び回らせて悪いな」

「何、気にするな。あいつもかつては『火薬庫』とか言っておったあの国の連中と随分と打ち解けたようだしな。ここの人間とあやつの世界の人間との軋轢(あつれき)を自分が解消してると思うとやり甲斐はあると言っておったぞ。……まあ大変なのは嫌そうではあったが」

「そりゃあいつだ、色々と首突っ込むくせに面倒なのは避けたいとか言うだろうからしょうがねえな。……んで、姉上は各国の戦で目玉ゲストとして引っ張りだこ、と」

 

 皮肉っぽく向けられた笑顔にレオは苦笑でもって返す。どうにもその言い方は夫を連想させてよろしくない、と心の中で思っていた。

 

「あいつは遊撃隊顧問でワシが顧問補佐。もう好き勝手やってくれという役職じゃしな」

「そういうこった。元々姉上は領主の座を退いた時点で好き勝手やっていいポジションなんだ。だからこそゲストとしてお呼びがかかる。あの戦無双と呼ばれる『百獣王の騎士』の戦いっぷりが自国で見られる、となりゃその国の人間は大いに盛り上がるだろうよ。加えて、こちらから人を出してるとなれば外交的な側面も生まれる。姉上は好き勝手暴れられて、それでこの国のためにも相手の国のためにもなる、いいこと尽くしじゃねえか」

「まあ……そうではあるがな。じゃがいい加減ワシも段々と衰えを感じる時があるぞ」

「よく言うぜ。未だにこの国の中で姉上に勝てる人間を探したとして、おそらく俺以外にいねえだろうが。その俺だって勝率は5割切ってるだろうしよ」

「昔は10回戦えばワシが9回は勝っておったわ。……まあよい。そんなワシでも、未だ戦う様を楽しみにしてくれる人がいて、しかもゲストとして呼んでくれるなど、武人としてはこれ以上ない喜びじゃしな」

 

 既に全盛期は過ぎた、とレオ自身わかってはいる。しかしそれでもまだまだ大暴れできると言う自覚はあったし、実際戦場に立てばそれだけで輝かしい華であった。そのために人気は根強く、可能なら自国の戦にゲストとして参加してほしい、あるいは解説を頼みたいというオファーは数多く存在している。

 

「それで、出かけるの自体は明後日かい?」

 

 今回もそんなオファーを受けてのゲスト参戦である。もう慣れた出張だ。レオは「ああ」とガウルに返す。

 

「人気者だな。今度はどこで大暴れして来るんだ?」

「友好国からのお呼ばれじゃよ。国内戦なのにワシをご指名で戦う様を見たいと」

 

 へえ、と答えつつ、ガウルは頭の中でどこからのオファーかを考える。友好国、とはいえビスコッティではないはずだ。あそこは比較的戦興行が盛んでわざわざ姉を呼ばずとも盛り上がるし、呼ぶぐらいならこちらに直々に布告してくるだろう。パスティヤージュは戦興行がさほど盛んではないために可能性があるが、確かつい1週間前にレオをゲストに呼んでいたはずだ。と、なれば――。

 

「今回の出張先は貿易のお得意さんか」

「そう、()()()()じゃ」

 

 

 

 

 

 スフォリア・テッレことレグルス・ガレット・デ・ロワと、お供にして相棒であるプロヴァンス・ドリュールの2人は、ドラジェの有力者であるソンブレロの屋敷内で割り当てられた部屋にいた。時間は夕方から夜になる頃、これまでの旅でなら適当に食事どころで腹を満たし、その地域の情報収集がてら地域の人々に絡む、というのことが多かった。

 だが、今日はソンブレロの招待で夕食をとって適当に談話に応じた後、レグルスは部屋に戻ってきて、以降外に出ようとはしなかった。バナードという彼の祖国の人間がいる以上、あまり好き勝手に行動するのはどうにも居心地が悪いと思ったからだった。

 

 そもそもレグルスは「ガレット・デ・ロワ」の姓が示すとおり、現在領主であるガウルと血縁関係である。ガウルの姉であるレオとその夫であるソウヤの子である彼はガウルから見て甥っ子であり、次期領主候補として名が挙がったこともあった。

 しかし彼自身、「領主」という座にこだわりも関心もさほどなかった。むしろそんな役職に縛られない、今のように自由気ままで、自身の腕だけでどれほど名を上げられるかというような生活の方がどうしても楽しいと感じてしまっている。さらには現領主のガウルからは甥という存在。血縁的にいえば直接の娘であるパンシアの方が近い、ということになる。

 とはいえ、それを理由に逃げるのはなんだか気が引けていたのも事実だった。パンシアはレグルスを兄のように慕う存在。そんな年下の彼女に重責を背負わせることは出来ないという思いの方が、先の理由よりも彼の中では強かった。

 

 そんなレグルスだったが、結局はまるで領主継承から逃げるようにこの旅を始めたのだった。そしてそのきっかけを作ったのは、他ならぬパンシア。彼女は兄同然であるレグルスの気持ちに気づいていた。だからガウルの娘である自分が次期領主の座に着くと言い出したのだ。

 当然それは強がりだとレグルスにはわかった。しかし母親譲りと言ってもいい頑固さを持つパンシアもこうなると譲らない。結局はレグルスが折れ、主従関係でありながら仲の良かった百騎長のプロヴァンスを連れて出奔(しゅっぽん)まがいの「武者修行」という名の旅に出たのである。

 

「……殿下、なんとなくわかっちゃいますが、今日は外に出ないんですかい?」

 

 寝るでもなく、しかし何をするでもなくベッドに寝転がるレグルスへと視線を移しつつ、プロヴァンスは不意にそう尋ねた。彼は映像板から流れてくる番組を適当に見ていたが、どうも興味を惹かれないでいた。これなら街へと繰り出して若い連中に腕相撲でも吹っかけて絡み、与太話まがいの噂ごとを聞いているほうが十分に楽しい。

 

「バナードの奴がここにいるんだぞ? お忍びでお世辞にもお上品とはいえないようなことを俺達はやってるんだ。あいつに知られて、それが国の年寄り共の耳にでも入ったらまた口やかましく言われるだろうよ。いや、それならまだいいかもな。そのことをネタにあいつが()()()なんてことをやらかしてきたら事だからな」

「……バナード元将軍がそんなことをするでしょうかね?」

 

 ベッドに仰向けに寝転がっていたレグルスが小さく鼻を鳴らす。次いで、その体を起こしてプロヴァンスの方へと向けた。

 

「知略派ってのは敵に回すと怖い。だから付け込む隙をなるべく与えるな。……親父によく言われたことだ。バナードは親父と並んでガレットの頭脳だからな」

「いや、確かにそうは思いますけどね。でも俺が言ってるのは……」

「わかってるよ。あいつはそんなことする奴か、って話だろ? 俺だってやるわきゃねえとわかってるさ。ただ、そういうでかい規模じゃなくて……俺個人との取引材料に使われる可能性はある。将来的に俺を説得させる時とかよ。そういう時に不利に働くのは御免だ。だからおとなしくしとくんだよ」

 

 どうにも考え過ぎじゃないか、とプロヴァンスは苦笑を浮かべざるを得なかった。とはいえ、一騎士である自分と人の上に立つべきレグルスとでは考え方や見方は違うものなのだろう、とも思う。きっと自分にはわからぬ発想なのだと納得することにした。

 

「……あんま本気にするな。6割ぐらいは冗談だよ。まああいつだってここでは俺に対して『スフォリア・テッレ』として接すると言ってるわけだし、羽目を外し過ぎない程度にいつも通りやっておけばいいってことだ」

「ええ、そりゃ……。そうですな」

 

 つまるところ今の最後のまとめに全て集約されてるではないかとプロヴァンスは反射的にため息をこぼす。どうにもこのお方はこういう回りくどいやり取りやら言葉遊びやらを好む傾向がある。さっさと結論にたどり着いてほしい、と思うことは今回に限ったことではなかった。

 

 と、その時だった。2人がくつろぐ部屋の扉をノックする音が響く。2人は互いに顔を見合わせ、プロヴァンスが扉に向けて声をかけた。

 

「……どちら様で?」

「バナードです。お休みのところ申し訳ありません。緊急でお耳に入れておいていただいたほうがよろしい情報が飛び込んで来ましたので。私1人ですがよろしいですか?」

「ああ。入ってくれ」

 

 振り返ったプロヴァンスに目で合図を出すより早く、レグルスは自身の声でもって返答していた。扉を開け、「失礼いたします」という声と共に、やや敬った様子でバナードが室内へと入ってくる。

 

「なんだ? ここじゃ流れの傭兵スフォリアとして俺に接する、って話だったはずだぞ。必要以上の接触は避けた方がいいと思うんだが」

「ええ。ですが先ほども述べたように予想外の事態が起きたものでして。まだソンブレロ氏は知りませんが、諜報部隊を通して私の耳に入ってきた情報なので、確かなことです」

 

 バナードがそこまで言うからにはよほど重大なことなのだろう。面倒なことは出来れば避けたい、とレグルスは考えていた。

 

「お前、現役退いたのに相変わらず諜報部隊と太いパイプあるのかよ。……まあいいや。で、そりゃあなんだ?」

「今回のドラジェの東西戦、我々に対する西軍のメインスポンサーはソンブレロ氏とライバル関係にある者になります」

「そうだな、そういやさっきの食事の時にそんな話を聞いたっけな。んじゃなんだ、妨害工作でもあったか?」

「いえ、そこまで露骨ではありません。ただ、こちらで私をゲスト解説にかこつけてアドバイザーとしても雇った、という話は早いうちから知っていたようです。そのため、向こうもそのことへの対抗策を打ち出した……」

 

 ははあ、とレグルスは唸る。一方プロヴァンスはまだ事態を把握出来ないと首を傾げていた。

 

「つまり向こうも傭兵……とまではいかないだろうが、人を雇ったってことだな?」

「そういうことです」

「それでお前がわざわざここに来たってことは結構まずい人物ってことか」

「まずい?」

 

 プロヴァンスが口を挟む。その「まずい」という意味がいまひとつ掴めない。

 

「単純に考えれば、俺達じゃ敵わないかもしれないレベルの相手ってことだろうよ。それも緊急って言うほどだ、相当の、な。……んで、誰だ? お前同様現役を退いたロラン辺りか?」

「今の推察は半分は正解です。が、ロランでしたらそこまで急を要しません。前もって話さなくてもいいことでしょうし、一刻も早く耳に入れていただこうとは思いませんよ。……それにレグルス様でしたら私やロランとも五分以上に戦えるかと」

「はっ。言ってろ」

 

 あの「鉄壁のロラン」――ロラン・マルティノッジを打ち崩すなど相当に骨の折れる話だ。それ故にそう短く吐き捨てた後で、顎に手を当ててレグルスは考える。推察は半分は正解、かつ、目の前にいる元将軍と互角といわれたロランよりも厄介な存在。だとすれば。

 

「実力的な意味での『まずい』もあるが、それよりも別な方向性で『まずい』ってことか? ……となると、俺の素性が知られてる可能性のある、ガレットの人間か」

「そうです」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ殿下!」

 

 やおら声の音量を大きくしたのはプロヴァンスだった。

 

「それって本当に言葉通り『まずい』じゃないですか! 俺は大丈夫でしょうが、殿下はガレットじゃかなり顔が割れてますぜ。偽名使ってたって戦なんかに出たら一発でばれますよ!」

「だからその偽名に加えてこうやって髪の色ごまかしたり、戦の時も偽の紋章使ったりしてんだろうがよ。それだけで印象はだいぶ変わる。バナードとは城内で俺と顔を合わせる時間が長かったから呆気なくばれたわけだが、あんま顔合わせてない千騎長とか万騎長クラスの人間なら……」

「それが、間違いなくあなたの素性を知っているお方が来るのです」

 

 今のバナードの物言いでレグルスの顔から余裕が完全に消えた。自分の素性を間違いなく知っている、かつこの元将軍が「お方」とまで言う人物。

 

「おいおい、まさかガウル叔父さんが来るなんてわけじゃねえだろうな?」

「そうではありません」

「んじゃこいつの親父……ゴドウィンか?」

「げっ……!」

 

 反射的にプロヴァンスが青ざめる。それを見てバナードは意図せず小さく笑いつつ返した。

 

「それも違います」

「だよな。だったらお前が『お方』なんて言い方しねえもんな」

「で、殿下! 心臓に悪いからやめてくださいよ!」

 

 そうプロヴァンスに噛み付かれたがレグルスはまったく堪える様子はない。いや、むしろそのことはもう歯牙にもかけていないようにさえ見えた。

 

「お前は『心臓に悪かった』で済むからいいぜ? だがよ、どうやら俺はそれじゃ済みそうにないらしい」

「どういうことですか?」

 

 一度ため息を挟んでレグルスがバナードを見つめる。自嘲的な笑みと共に、その顔にはどこか諦めの色も含まれていた。

 

「……おふくろだろ? 西軍が雇った人間って」

「さすがはレグルス様、ご名答です。レオ閣下がドラジェの東西戦に西軍として参加するために、数日後にこちらに来るという情報がつい先ほど入ってきました」

「な……なんでレオンミシェリ閣下がいらっしゃるんで……?」

「現役を退いたバナードを除いた場合、今現在ガレットでゲストとして呼びやすく、かつ知名度抜群で戦の花形となりえるのはおふくろだ。大体今までだってそうだったろ? 遊撃隊顧問補佐なんて、顧問の親父以上によくわからん肩書きでいるんだからな。ドラジェとガレットは貿易相手として友好国、規模の大きなこの国内戦の目玉ゲストとしてはうってつけ、ってわけだ」

 

 両手を広げつつ、諦め気味に話すレグルス。その姿に、バナードは彼の父の姿を重ね合わせていた。

 実に良く似ている。ソウヤもこういうときは諦めた風に、きっとああやって「降参」とばかりに手を広げるジェスチャーを見せるだろう。傍から見れば諦めて事態を受け入れているようにも見えるが、あれは当人からすれば抗議の意味合いもある、とバナードにはわかっていた。

 だがそれ以上の抗議はしないだろう、とも思っていた。既に事態はレオが西軍のゲストとして登場することが決まっている。なら今更あれこれ言ったところで何も変わりはしない。それよりも、今後をどうするかを考える方に労力を割く方が効率的、という考え方をする。現実主義者であるレグルスの父はそうした。そして、その父の血を引いているレグルスも同じ思考にたどり着く。そう、バナードは予想を立てた。

 

「いやいや殿下、何他人事みたいに言ってんですか、いいんですかい!?」

「いいも悪いもねえだろ。もう決まったことだろうし。それに……遅かれ早かれ、親父かおふくろか、多分おふくろが先だとずっと思ってたが、いずれ戦場で相見えるときが来るかもしれないことは予想していた。まあ本国に戻ったときに盛大に一戦やってもらうとかってのも考えていたが、残念ながらガレット本国じゃなくなっちまったな。

 でもその時が来たってだけのことさ。……いや、むしろ遅過ぎたぐらいだ。放浪している俺達とゲストで呼ばれるおふくろ、いつかこうなる日が来かもしれないことはわかっていた。なら、今更あれこれ言うよりもどんと構えてりゃいいんだよ。そうだろ、バナード?」

 

 しかしこの発言にバナードは虚を突かれた。いささか彼の予想が外れたことになる。彼は諦めの気持ちでもって、レグルスがこの事を受け入れるか、あるいは場合によっては逃げ出すとか言うものかと考えていた。しかしそんな諦めの心はあまり無い様子で、いつか来るであろう親子での戦いの時まで見据え、そしてあっさりと受け入れたことが予想外だったのだ。

 そこが父親であるソウヤと異なる点ではないか、とバナードは思考をめぐらせていた。思慮深いソウヤと王者の風格を身に纏うレオ。今の一言は、まるでその2人の子、彼の従妹と共に「獅子の子」と呼ばれる存在であることを証明するかのようなものだったではないだろうか。

 

「おい、聞いてんのか? 俺はあくまで可能な限り『スフォリア・テッレ』として戦うつもりでいるが、それじゃまずいことでもあるか?」

 

 レグルスの問いかけでバナードは我に返る。またくだらない妄想を働かせてしまった。やはりこのお方は面白い、これから先の成長が楽しみでならない。この流浪の旅が将来への糧となり、彼を大きくしてくれればと思わずにはいられなかった。

 

「ええ、聞いてます。レグルス様のおっしゃるとおりです。そこまで心が決まっているのでしたら、何もまずくはありません。ですが、殿下におかれましては閣下と戦うとなりますと、現在隠している身分が認知されることになる可能性もあるかと」

「そりゃそうだわな。まあその時は……その時だ」

「今回の戦参加を破棄して逃げ出す、ということも出来ますが?」

「お前とソンブレロさんの顔に泥塗れってか? そこまで俺は無神経で無遠慮に出来てねえよ。ってか俺がおふくろに恐れをなして逃げ出したみたいじゃねえか。出来るか、んなこと」

「では、お望みでしたら、相手があなた様であることを閣下にお伝えすることも可能かと思いますが、いかがいたしますか?」

 

 だがそのバナードの提案をレグルスはひらひらと手を振って一蹴した。「さっきから余計なことばかり言ってるんじゃない」と言いたげな様子である。

 

「気持ちは感謝するけどよ。知ったところでおふくろだって雇われてる以上、やめるって選択肢はねえと思うぞ。俺だって事をばらさず戦ってくれ、なんて言うのも野暮な話だしな。……それに映像やらなにやらで俺の存在は筒抜けになるだろう。同じ戦場に息子がいる、とわかればむしろ嬉々として襲い掛かってくるようなのがおふくろだ。『どれほど成長したか見てやろう』とか言って戦いを仕掛けてくるだろうよ」

「ああ……レオ閣下なら言いそうですね」

 

 納得する様子のプロヴァンスの言葉に付け加えるように、レグルスは「だからよ」と続ける。

 

「どうあがこうが、同じ戦場に立つ、と決まった時点で戦いは避けられねえ。むしろあの化け物を抑えてこっちをどう勝たせるかに頭を割くほうが利口で効率的だし、現実主義の親父だってそうするだろうよ」

「なるほど。そしてあくまで勝つのは盛り上げた上で、と」

「そういうこった、プロヴァンス。わかってきたじゃねえか」

 

 ニヤリと笑みをこぼすレグルス。その表情を見て、考え過ぎだったと元将軍はひとつため息を吐いた。

 家出同然、という噂をバナードは耳にしていた。そのため、彼の両親と話したときは親子間で問題はないようだったが、もしかしたら彼は母親と会うことを拒絶したいのではないか、とも考えていた。しかしあらぬ心配だった。そんなことは些細として、自軍の勝利、ひいては戦全体の盛り上がりにまで目を向けている。

 

「……いやはや、年寄りの冷や水でした。出過ぎた真似だったようですね」

「そんなことはねえよ。事前の情報は大助かりだ。こっちも心構えは出来たし……色々と覚悟も決まった」

「覚悟……?」

 

 バナードが問い返すより早く、レグルスは立ち上がった。なにやら身支度を始めつつ、「おい」とプロヴァンスに声を掛ける。

 

「行くぞ。いつまでくつろいでんだ?」

「え、殿下、行くってどこへ?」

「街だよ。遊びに行くぞ。……あと街中ではその殿下ってのやめろよ」

 

 思わず「ハァ!?」と間の抜けた声をプロヴァンスは上げていた。ついさっきまで言っていることとまったく違う。しかもバナードの目を気にしていたはずが、当の本人が目の前にいるのにこの言い様。一体どういう心境の変化だろうか。

 

「下手すりゃこれがこうやって旅する最後の傭兵稼業になる可能性がある。バナードにおふくろまで揃っちまったら、この戦が終わった後は俺達はガレットに強制送還かもしれねえぜ? だったら、もうこいつの目がどうとか一切関係ねえ。少なくとも表面上は『スフォリア・テッレとして接する』と約束したんだ、俺達が多少()()()をしたところで見て見ぬ振りをしてくれるだろうよ。それに最悪、何かあってもソンブレロさんが握りつぶしてくれるさ」

 

 この開き直りには先ほどの話を聞いていたプロヴァンスも、聞いていなかったバナードを苦笑を浮かべるしかなかった。あまりにもふてぶてしい。お目付け役ではないとはいえ、バナード当人を前にしてこの言いようは逆に賞賛したくなるほどであった。

 

「で、でもレオ閣下もいらっしゃると言う話は……」

「おふくろは西軍、こっちは東軍。これだけでかなりの距離がある。加えて、あっちは来賓で来るのは数日後。今日は絶対に安全だし、来たとしても街中には繰り出してこねえだろうよ。……ほら、早くしろ。どうせここで腐ってたってつまんねえって後悔するだけなんだ。だったら、後からこいつに渋い顔されようがやりたいことやって後悔した方がいいだろ?」

 

 笑いを噛み殺したように言ったレグルスの言葉に対し、まったくとバナードは心の中で呆れを通り越してもう諦めていた。どの道自分はあれこれ言える立場ではない。この部屋を出れば彼は「レグルス・ガレット・デ・ロワ」ではなく「スフォリア・テッレ」になるのだから。

 

「無論、無粋な口出しはしませんが……。騒ぎを起こして戦参加不可、などという不祥事だけは避けてくださいね」

「だからそれが無粋なんだよ。さっきも言ったとおりソンブレロさんが握りつぶすだろうっての。それにこれまでの道中でそこまでやらかしたのが俺だとばれたこともねえよ」

「……逃げ切りましたもんね。ハルヴァーの飯屋でいかにもガラの悪そうな連中に絡みに行って、騒ぎでかくなって相手ぶっ飛ばした時は」

「おいプロヴァンス! 余計なこと言うんじゃねえ!」

 

 お目付け役ではない、と言いつつも、バナードは思わずため息をこぼしていた。予想以上にやんちゃをやってきたらしい。深く聞かないほうがいい。知らないほうがいいことが世の中に数多くあるということは、知略派である彼は重々承知している。

 

「……では私は失礼します。節度を持って楽しんできてください」

 

 もはやそれ以上のことは言えそうにない。緊急事項を伝えに来たはずなのに、それは些事とばかりに最終的には完全にペースを握られていたと部屋を出てからバナードはようやく気づき、深く深くため息をこぼした。

 




パンシア……「獅子」を意味するレオと「雄牛」を意味するガウルにあやかる形で「豹」のパンサーから。愛称は「パン」になるので、お菓子用語の延長線上と言えなくもない。

ちなみに細かいことですが、おじ・おばの漢字表記は、親の兄・姉にあたる場合は伯父・伯母、親の弟・妹にあたる場合は叔父・叔母となります。ですので、レグルスから見るとガウルとノワールは叔父と叔母に、パンシアから見るとソウヤとレオは伯父と伯母という表記になるわけです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 3 もう1人の姫

 

 

 ビスコッティ共和国フィリアンノ城。応接間に隣国の客人2人の顔が並び、人を待っていた。そのうちの片方、ガウルの表情は特に普段と変わった様子はない。一方でその隣に腰掛けたパンシアは落ち着かない様子で、顔にもどこか緊張の色が浮かんでいた。

 特に何ということはない隣国訪問である。友好国同士のガレットとビスコッティ、互いに時折こうして訪問しあうことで親睦を深めている。領主同士が直接顔を合わせて互いに今後の国の係わり合いを話す、という意味合いもあるが、深刻なものからは程遠いために特に肩肘を張るような事柄ではない。それ故、ガウルは傍らのパンシアの様子がどうしても気になっていた。

 

「おいパンシア、何そわそわしてんだよ。トイレか?」

 

 デリカシーの無い父親の一言に「ち、違います!」と彼女は顔を赤らめつつ答えた。

 

「姫様とお会いになられるのはお久しぶりですから、緊張なされているんだと思いますよ」

 

 フォローするようにそう答えつつ、メイド長はビスコッティ名産であるお茶を2人の前へと差し出した。答えたかった内容を先に言ってもらえたことと、鼻腔に広がる果実を思わせるような独特のお茶の香りに、パンシアはわずかに緊張が解けたように感じる。

 

「そうです。ミルヒ姫様とは、あまりお顔を合わせる機会がなかったので……」

「ああ、そうか。いっつも()の方とばっか遊んでるからな」

「おふたりとも仲がよろしいですからね。まるで幼い頃の姫様とレオ様を見ているようです」

「幼い頃の、って……。そのときはまだ俺達(・・)だって幼かっただっただろうがよ」

 

 言いつつ、ニヤッといたずらっぽくガウルは笑う。そして改めて、メイド服に身を包んだ緑髪(・・)長髪(・・)()()()()の全身を眺めなおした。

 

「ところで……。見るたびに思うんだが、やっぱお前は髪伸ばしてる方がいいし、その格好もなかなか様になってるぜ、()()()

 

 冷やかしのような一言に、エクレール・アラシードは反射的にため息をこぼしていた。お茶の入ったポットをカートの上へと戻し、味を調節するための花蜜の入った容器とお茶請けのお菓子を机へと用意しつつ返答する。

 

「ガウル殿下、その言い方はあまり好きません。あなたの義兄に言われているような錯覚を覚えてしまう」

「なんだお前、まだあいつのこと嫌ってるのか?」

「嫌っているわけではありませんが……。もう条件反射ですよ。私はあいつと相容れない性格ですから。……あと髪は随分と前から伸ばし続けてますし、私がリゼルさんから正式に直属メイド隊長の座を譲っていただいてからもう1年になります。仮隊長の期間を入れればもっとです。いい加減この格好を云々言うのはやめてください」

 

 彼女の言葉通り、今のエクレールの肩書きは姫様直属メイド隊長、リゼルのかつての肩書きを引き継いだ形である。エミリオと結ばれ、その後子宝にも恵まれた彼女だったが、産休中は夫のエミリオが隊長代理を務めたもののしばらくは親衛隊長のままだった。しかし数年前、ガレットでバナードが将軍と騎士団長の座を退くのと時を同じくして、彼女の兄であるロランも騎士団長の座を自分より若い者に譲る考えでいた。その時に抜擢されたのが彼女の夫で当時は親衛隊副隊長だったエミリオだった。

 それを契機に、彼女にも後進の育成のために立場を譲るべきかもしれない、という考えが生まれたのだった。その時丁度いいタイミングで前メイド隊長のリゼルが彼女に声を掛けたのだ。結果、エクレールはメイド隊長、エミリオは騎士団長、そして親衛隊長はアンジュが務める形となっている。こうしてエクレールは「姫様の剣」として、親衛隊長からメイド隊長に鞍替えをしたものの、今も己の信念を貫き通しているのであった。

 

「いや、そうは言ってもよ。やっぱ親衛隊長やってたお前の印象が俺の中では強いからな」

「確かに、今でも私はその方が合ってる気がしないでもないこともあります。リゼルさんに言わせればメイドとしての心構えはまだまだ、と言われることもありますし。……ですが、それをおっしゃるなら、私は殿下の奥方に対しても同じような印象を受けますよ。あの負けず嫌いの黒猫が今では姫になった、という話を昔の私が聞いたら果たしてどう思うことやら」

「おうタレ耳、ノワに『姫』っては言わない方がいいぞ。あいつ、なぜかそう言われるのを嫌ってやがるからな」

 

 そう言ってガウルは愉快そうに笑う。エクレールも「ガラじゃなさそうですからね……」と思わず苦笑を浮かべていた。

 

「つーかお前の話聞くとどうしても思い出しちまうな、ベールのあの笑い話」

「もう何度目ですか、それ? 私が親衛隊長からメイド隊長に鞍替えしそうだから、ベールにも同様に近衛メイド隊長辺りに鞍替えしてはどうかとガウル殿下が提案なされた。ところが……」

『飲み物をこぼすメイドがいるか!』

 

 ガウルの声にハモる形で重なったパンシアの声に、思わず3人とも吹き出した。パンシアも幾度となくその話は聞いた。もう有名な笑い話ではあるが、さすがにベール本人の前でこれを言うと怒られるものでもある。

 

「んで結局近衛隊長ってわけだ。あいつもしばらく前に結婚して二度産休挟んだから、もっと裏方に回れるようにしたかったんだがな」

「相手を婿に入れたんですよね? ファーブルトン姓名乗ってますし」

「ああ。相手は騎士じゃないから、家柄を貶めたくないとかってクソ真面目なこと言ってたっけな。子供も父親の方に似たらしくて学者肌みたいだし。

 それよかジョーだ。あいつ、バナードの後任として騎士団長になっちまって忙しいから男どころじゃねえとか言ってやがる。まあ別に結婚が全てじゃねえ……とは思うが、姉上がずっと言ってた通り実際家庭っては持ってみるといいもんだな」

「違いありませんね。今なら姫様に早いうちから結婚を勧めていらっしゃったレオ様のお気持ちもわかります。……っと、申し訳ありません、パンシア様。私と殿下がずっと話していては、パンシア様に退屈な思いをさせてしまいますね」

 

 そんなことないよ、とパンシアは首を横に振りつつ答えた。パンシアは話すことは嫌いではないが、聞き役に回ることも苦とは思っていない。ましてや、自分の知らない父や母の昔の話、そして目の前の元は親衛隊長だったというメイド長の話は聞いていて十分に面白い。

 

「エクレの話は面白いよ。お母様と一緒に修行のために合宿した時の話とか、戦で戦った時の話とか。私の知らないお母様を知っていて、時々うらやましいとも思うもん」

「そうなのですか。パンシア様は私などと話すより、私の()と話す方が楽しいのかと思っていましたが……」

「おお、そうそう、お前の娘だよ。()()()()、百騎長になったんだって? 千騎長になるのも時間の問題で、次期親衛隊長候補だとかっても聞いたが」

 

 そう言われると、エクレールは困ったような表情を浮かべた。

 

「殿下、アラアラはやめてください。あの子、その呼ばれ方を好んでいません。確かに()()()()という名を付けたのは私とエミリオですが……」

「シュアラ・アラシードだもんな。そりゃアラアラ呼ばれるぜ。言い出したのは……ソウヤだったか?」

「そうですよ。そのせいでレグルス様もそうお呼びになられる。娘までそう呼ぶなんて、あいつ、そんなに私に恨みでもあるんですかね」

 

 そうエクレールは言ったが、これまでよくあったような嫌がらせ、と言うと言い過ぎかもしれないが、彼がしょっちゅう言ったりやったりしてきたようなことだ。もう気にも留めていない。もっとも、それが彼の息子に影響し、自分の子にも似たようなことを言われているとなると、まだ免疫の少ない娘はあまり気分のいいものではないだろうとも思うのだが。

 

 と、そんな話をしていた時。応接間の扉が開いた。メイドの1人が「姫様達がいらっしゃいました」と一礼し、部屋の中へと2人を案内する。その姿を目にし、ガウルとパンシアは席から立ち上がって迎え入れる態度を示した。

 姿を見せたのはピンクの髪をシニヨンキャップに纏め、華麗な衣装に身を包んだ女性と、麗しい金色の髪を2つに分けて肩先に垂らして、白を基調としたドレスのような衣装を着た、パンシアと同じぐらいの年の少女だった。

 

「お待たせしてしまって申し訳ありません、ガウル殿下」

「気にしないでくれ、姫様。タレ耳と世間話してたらあっという間だった。……ほれ、パンシア、挨拶だ」

 

 ガウルに促され、緊張した面持ちでパンシアは姿勢を正す。

 

「お、お久しぶりです。ミルヒオーレ姫殿下」

「久しぶりですね、パンシア。そんな堅苦しくならないでください。私までなんだか緊張しちゃいますから。……さ、()()()、あなたも挨拶を」

 

 今度はミルヒの傍らに立っていた少女が、パンシア以上にガチガチに固まったまま口を開いた。

 

「ご、ごごご機嫌麗しゅうございます、ガウル・ガレット・デ・ロワ殿下! お久しく存じております、クリム・フィリアンノ・ビスコッティであります! ほ、本日はお日柄もよく……」

 

 自分の娘以上に緊張して、しかもまだ続けようとするその少女の姿に、ガウルは思わず声を上げて笑った。一方で母であるミルヒは苦い表情を浮かべている。

 

「おいおいクリム、お前パンシア以上に緊張してんじゃねえかよ! 姫様、さっきこいつに言ったセリフ、まんま自分の娘に言ってやってくれよ!」

「クリム、いくらなんでもちょっと緊張しすぎかと……」

「で、でも母様、ガウル殿下と会うのは久しぶりだし、それに……。とても厳しい方だそうですし……」

「そいつは心外だな。姫様、俺のことをそんな風に吹き込んだのか?」

「え? 私ではありませんよ。シンクでもないでしょうし……」

「と、なると……」

 

 ガウルは隣の娘へと視線を移す。それを感じ取り、彼女は思わずビクッと肩を震わせた。

 

「……パンシア、お前だな?」

「クリム! なんでそう余計なこと言っちゃうの!」

「だ、だって! 2人で話してるといつもパンが『お父様が厳しい』って言ってるじゃない……」

 

 反射的にガウルはため息をこぼす。妻と姉が娘に甘い分自分が釣り合いを取っている、と思ってはいるが、親の心子知らずらしい。

 

「パンシア、一応ことわっておくが俺はお前のためを思って色々言ってるんだぞ?」

「そ、それは勿論わかっています! ……でもお母様や伯母様と比べると、やはりどうしても厳しいから」

「その2人が甘すぎるんだよ。そもそも姉上は昔は俺以上に厳しかったんだぞ? それが結婚してレグルスを家族に迎えてからと言うもの随分と丸くなりやがって……」

「レオ様は昔からお優しかったですよ?」

「それは姫様に対してはそうだろうけどよ。……っていつまで立ち話してんだ、俺達は。ほれ、全員座れ。タレ耳がお茶出したくても出せないでいるじゃねえか」

 

 ガウルに指摘され、皆腰を降ろす。それを見計らい、気を使われたことに対して苦笑を浮かべながらエクレールがビスコッティ側2人の前にお茶を準備していく。「ありがとう、エクレール」という主の声に、彼女の表情が僅かに緩んだ。

 

「そもそも今日だって堅苦しい話じゃないだろ。単なる隣国訪問なんだからよ。……ああ、そういや俺は先日のクリムの誕生日に来られなかったから、それを兼ねてるといえば兼ねてるのかもしれねえけど。13歳になったし、いよいよ次期領主候補として、勉強期間に入るわけだろ?」

「はい。当人もそれを望んでおりますし。……といっても、まだ遊びたい盛りでしょうから、私としてはあまり強制したくはないのですが」

「そんなことないよ。母様だって14歳の時にはもう領主として立派にやっていた、という話はよく聞くし。私も母様に負けない立派な領主を目指したいと思ってるよ」

「……と言ってる割には、机に向かうのは苦手みたいなんです、この子。シンクに似たんでしょうね。どちらかというと年の近いシュアラを相手に体を動かしてる方が楽しそうですし」

 

 思わずクリムは「もう、母様!」と非難の声を上げる。それに対してその場の全員が小さく笑いをこぼした。

 

「立派な心がけだとは思うがよ、あんまり無理はするなよ。まあそれはうちのパンシアにも言えることなんだがな」

「でも、パンはもう輝力武装も使えるし、私なんかよりすごく強いから……。私も負けないようにしないと」

「んなもん気にする必要ねえよ。クリム、お前はあの(・・)シンクと姫様の子なんだぞ? いずれ優れた使い手になるのは保障済みじゃねえか」

「それをおっしゃるなら、ガウル殿下とノワールのお子様であるパンシアもそうではありませんか」

「どうだかな。こいつ、俺の言うことなんて聞かないでノワと姉上に甘えてばっかいるからな」

「甘えてなんていません! ……お父様が厳し過ぎるんです」

 

 口を尖らせつつ反論するパンシアを見て、まあまあ、とミルヒが2人をなだめる。次いで彼女は一瞬尋ねるべきか迷うような表情を浮かべた後、やはり聞いておこうと躊躇しつつ口を開いた。

 

「ガウル殿下。その……今レオ様のお話が少し出たのですが……。レオ様のお子様……レグルスからその後連絡は……」

「ねえってよ。まああいつこそあのソウヤと姉上の子だ、どっかで野垂れてるなんてことはねえだろ。戦いの腕前で言えば俺だって隙を見せたら食われかねないほどの実力だしな。……ま、すまんがそのことについてはあんま話したくねえ。文句を垂れるとパンシアに怒られる」

「パンシアは彼を兄のように慕ってましたからね。……パンシア、寂しくはないんですか?」

 

 ミルヒからの問いかけに、パンシアは少し返答に困った様子だった。やや間をおいてから口を開く。

 

「寂しくない、と言えば嘘になります。でも、現領主の子は私ですし、兄さんには歩みたい道を歩んで欲しく思っている……。だから、そのことについてはもう私の中で答えは出ています」

「って頑なに言うからな。俺も出来るだけ話題には出さないようにしてるんだ」

「そうだったんですか……。でも、クリムからするとその方がいいかもしれないですね」

「うん。一緒に立派な領主になろうって約束したし、パンとならそれが出来る、って思ってるから」

 

 その言葉を聞き、ガウルは僅かに眉をしかめた。視線をミルヒの元へと動かしてみるが、彼女は特に気にかけた様子もなくビスコッティ名産のお茶を口にしている。

 

「ま、仲がいいのはいいこった。互いに高めあうことも出来るしな。ただお友達ごっこにだけはならないようにしろよ」

「勿論心得ています。……こういうことを言うから、お父様は厳しい、と言ってるんです」

「ガウル殿下も、何も嫌がらせで言っているわけではないのですよ、パンシア。そこは勘違いしないでくださいね」

 

 ミルヒにもそう忠告されてはパンシアに返す言葉もない。「……はい」と了承の意思を示すに留めた。

 

「さて、と。あんま俺らが説教みたいなことしてもお前らはつまんねえだろうしな。パンシア、姫様に元気な顔は見せたんだし、クリムと一緒に遊んで来い。いいよな、姫様?」

「はい。2人とも折角顔を合わせてるんだし楽しい方がいいでしょうから」

「え……。お父様、本当にいいの?」

「俺も姫様もいいって言ってんだ、いいんだよ」

 

 パンシアのほうはまだ半信半疑の様子だが、クリムは既に表情を明るくさせ、「やったー!」と喜んで椅子から立ち上がっている。そしてパンシアの元へと駆け寄り、彼女の腕を掴んだ。

 

「お許しが出てるんだし、行こうよパン! どうする? シュアラのところに行く?」

「訓練中じゃない? 邪魔するのは悪いよ。だからって見学してると体動かしたくなっちゃうけど、今日はその準備してきてないし……」

「じゃあリコのとこ! パンの母様も来てるんでしょ? けってーい!」

 

 半ば一方的にクリムはそう決めると、ぐいぐいとパンシアの腕を引っ張る。パンシアは困った様子でゆっくり立ち上がった。

 

「でしたら、エクレール、案内してあげてください」

「大丈夫だよ、母様。迷うわけないじゃない」

「いえ、私も個人的にリコのところに行きたいですし。ご一緒しますよ」

 

 腕を引っ張ってパンシアを立ち上がらせたクリムは、今度はその手を離してエクレールに抱きつきつつ「ありがと、エクレ大好き!」と喜びの声を上げている。

 

「では失礼します、姫様。殿下、大切なご息女をお預かりします」

「おう、任せたぜ」

 

 楽しそうな声は扉の奥に移り、やがて遠ざかっていく。それを耳にしつつガウルはお茶を口にし、それからため息をこぼした。

 

「クリムのお転婆は、姫様じゃなくてシンクに似たんだろうな」

「でしょうかね……」

 

 それ以外考えられねえだろうがよ、と返し、彼はお茶のカップを受け皿に戻した。そしてやや神妙な表情で切り出す。

 

「……なあ、姫様。俺は……やっぱ厳しすぎるのか? ただ単に女子の気持ちが理解できてねえだけかもしれねえが、わかっていてもどうしてもパンシアにきつく当たっちまう……」

「いえ、そんなことはないかと思います。殿下は我が子のためを思っておっしゃっていることだと感じますし。むしろ、私がクリムを甘やかし過ぎている気もしています。先ほど殿下がおっしゃられた『お友達ごっこ』という忠告、本来なら私がすべきかもしれないとも思いました」

 

 再びガウルがため息をこぼす。まったくもって難しい。そのことについては先輩であるソウヤやレオに意見を仰ぎたいところであったが、息子を流浪の旅に出させてしまうような保護者だ。あまり期待は出来ないだろう。

 

「ですがいつか、あの子達も自分のことを思って厳しく言ってくれていたんだと分かる日がきっと来ると思います」

「……だといいがな」

「きっとそうですよ。親の心子知らず、とも言いますし」

 

 ああ、さっき自分が思ったこととまったく同じじゃないかとガウルは思わず表情を緩めた。だとするなら、あれこれ心配してもしょうがない。いつか分かってもらえる日が来る、そう自分に言い聞かせるしかないのかもしれない。

 

「楽じゃねえな、親ってものも」

「ですね」

「ま、楽じゃねえのは領主も一緒か。……どれ、じゃあ領主同士の、ちょっと事務的な話に入るかな」

 

 ミルヒはそれに対し特に異を唱えるつもりはないらしい。「はい」と了解し、話題は子供達の件から移り変わっていった。

 

 

 

 

 

 応接間を後にしたパンシア、クリム、エクレールの3人は王立学術研究院を目指して歩いていた。先ほどまでの緊張から解放されたからか、パンシアとクリムはやけに嬉しそうでテンションが高いように見える。

 特にクリムは元々テンションは高めである。よほどシンクの血を濃く受け継いだのか、体を動かすことが大好きな故に「お転婆姫」とまで呼ばれるほどだ。そんな彼女がより高いテンションになっている、というだけでもはや雰囲気すらかしましい気配もある。

 

「パンが色々言ってたから、殿下と顔を合わせるの緊張しちゃったよ……」

「私だって、姫様と会うの久しぶりで緊張したよ?」

「おふたりとも固くなり過ぎです。ガウル殿下は怖い方ではありませんし、姫様も……まあ雰囲気に気圧されそうになるのかもしれませんが、無駄に緊張する必要はありませんよ」

 

 フォローしつつ、だとすると何故自分はこうも懐かれているのだろうとエクレールは感じざるを得なかった。と、いうのも、今現在両手は2人に繋がれて塞がれているのである。

 

「あの……。それで、おふたりとも殿下と姫様を前になさると緊張する、とおっしゃったはずですが……。私は大丈夫なのでしょうか?」

「勿論! だってエクレって強いし、かっこいいし、優しいし!」

「私もクリムと、あとお母様からそう聞いてるから。なんだかお姉さんみたいなイメージを勝手に持っちゃってたりして」

 

 意図せずエクレールは苦笑を浮かべる。親しみを持たれるのは嬉しいことだが、少々度が過ぎるのはよろしくないかもしれない。2人とも次期領主候補、そんなクリムの口から「優しい」という言葉が出たとなると、もう少し厳しく接するべきだろうか、という考えも頭をよぎる。先ほどガウルが口にした「お友達ごっこ」になってはいけないのだ。

 

「お言葉は嬉しいですが、私は直属メイド隊長です。言うまでもなく、王族に相応しい振る舞いをしていただくよう厳しくしつけることもありますから、そこは覚えておいてください」

「わかってるよ。母様が怒らない分、エクレが怒るもん」

「姫様怒らなそうだもんね……」

「その分母様は怒ると怖いよー。私はそこまで怒らせたことないけど、聞いてない? 昔パンの伯父様のソウヤ様にマジギレしたとかなんとかって。凄かったって聞いたよ」

 

 パンシアは数度目を瞬かせ、「本当?」とエクレールへと尋ねる。その質問を受け、彼女の表情に苦いものが浮かんでいた。

 

「少々尾びれ背びれがついてるかと……。ただ、私は直接その様子を見てはいませんが、場に居合わせた兄上が相当なものだったと言ってましたよ。まああの時はあいつよりリコの方が貧乏くじを引いてましたね。止める人がいない状況でみっちり絞られて、『二度と怒らせないと心に誓った』と言ってましたから」

 

 もっとも、自分は姫君が言葉だけで済ませた人間に対して鉄拳を叩き込んだわけですがね、と彼女は心の中で1人呟く。しかしその時殴った相手の姪がこの場にいる以上、それは黙っておいた方がいいかとも思うのだった。

 

「そんなに凄いんだ……。やっぱりちょっと緊張しちゃうかも」

「普段は大丈夫だって。ほんと滅多なことないと怒らないから。私を怒る役はちょっと前まではリゼルで、今はエクレだしね」

「クリムのお父様は、怒らないの?」

 

 そのパンシアの問いにクリムは唸ってしばらく考える。

 

「……怒る怒らないの前に、喋る機会もあんまりないかな。父様は未だ勇者として2つの世界を行き来してるから、忙しくてあまり会う時間ないし」

「あ……そうか……ごめん」

「いいのいいの。気にしないで。母様もそれを了承してる、って話だし、私も父様はどっちの世界でも勇者でいる本当に凄い人だってわかってるから。……あれ? パン、最後に会ったのいつだっけ?」

「直接顔を合わせたのは去年が最後かな。戦の放送でたまに見るけど。お父様やレオ伯母様と一緒で凄い戦無双だよね。確か以前はエクレと名コンビ、とか言われてたって……」

 

 2人の視線を受け、やれやれとエクレールはため息をこぼした。確かに親衛隊長時代は随分と共に戦場を駆けた。しかし衰え知らずのあの化け物と、産休などを経て既にピークを過ぎて久しい彼女との実力差は開くばかり。段々と戦場でのパートナーを務めるのが厳しいと思っていた矢先にかかったリゼルからのメイド隊への誘いの言葉に、惜しまれつつも彼女は裏方へと回ることになったのだ。

 

「昔の話です。今はあくまで城内の平和と清潔と規律を守るメイド長として役割が、私の仕事ですから」

 

 その言葉に嘘はない。過ぎ去った日は思い起こせばどれも輝かしいものばかりだった。それを良き思い出とし、今でも「姫様の剣」として決めた己の心に従い、彼女はミルヒと、その娘であるクリムという2人の姫に仕えている。それだけで十分だった。

 

「パン、父様とエクレの活躍なら昔のライブラリ漁れば映像板の記録で幾らでも見られるよ? あと……あの有名な『逃亡の姫君』の中でパスティヤージュの空騎士と戦うエクレも、見事なタイミングで飛び込んで来る騎士団長のエミリオの姿も見られるし」

「ちょ……! クリム様、あれを薦めるのはやめてください! 当事者としては、あの時はもう気が気ではなかったんですから!」

「残念、エクレ。私もう見てるよ。伯父様が見事な筋書きを書いて演出した、って。兄さんと見た」

「ぐっ……。レグルス様はそういうところは本当にお父上にそっくりでいらっしゃる……!」

 

 だから自分の娘にも、旅に出る前は似たように接していたな、と思い出す。つくづく自分も娘も、あの男の系譜とは合わないのだと思うのだった。

 

 そんなことを話しながら歩いているうちに、目的の学術研究院へと到着した。本が大量に並んだ部屋の中では研究員達がそれぞれ思い思いの本を読んだり要点を写したりと、精力的に活動しているようであった。

 そんな彼らも扉が相手の来客には気づいたらしい。「ああ、クリム様にエクレール隊長」「これはこれはパンシア様」と無礼がないように声をかける。それらにこちらも挨拶を返しながら、3人はさらに部屋の奥へ。部屋の中で1番の大机で何かを読んでいる2人のところへと近づいていく。

 

「あ、エクレ。それにクリム様にパンシア様も。お久しぶりであります、パンシア様」

 

 この研究院の主でもあり、今でも小動物のような愛くるしさを持つリコッタ・エルマールが3人に気づき、本を読む手をやめて声をかける。それを受け、傍らの彼女の親友のノワールも視線を移した。

 

「ご苦労様、パン。どう? 姫様と話すの、緊張した?」

「うん……。久しぶりだったから。でも、私よりクリムがお父様と話すときに緊張してた」

「だって……。パンが厳しいっていつも言ってたから……」

 

 これにはノワールが思わず苦笑をこぼす。確かにガウルはどうにも娘に厳しい節がある。夫に言わせれば自分が甘やかしすぎだから、とのことだが、やはりかわいい娘はどうしても大切に接してしまう。とはいえ、ガウルも娘を思って言っていることもまた承知している。そこはこの場にいない当人のためにも補足しておこう、とノワールは口を開いた。

 

「確かに厳しすぎる時もあるかもしれないけど、お父様はあなたのためを思って言ってるんだよ。それは忘れないで」

「分かってるけど……。なんだかいつまでも子供扱いされてるみたいだし。私はもう十分一人前なのに……」

 

 それを聞いて、なぜか小さくリコッタが吹き出した。皆その理由がわからず首を傾げる。

 

「なんでリコが笑うの?」

 

 真っ先に尋ねたのはノワールだった。それに対してどこか気まずそうにリコッタが返答する。

 

「いやあ……。昔はノワもよく同じことを言っていたなあ、と思ったでありますよ」

「う……。そういえば言ってたかも」

「血は争えないな。……うちのシュアラももっぱら私みたいだとか言われているらしい」

 

 3人はそう言い合い、小さく笑った。今も昔も変わらない。こうやって3人で交わす他愛もない話はやはり楽しいものだ。

 

「エクレもリコもお母様も、本当に仲良しなんだね」

 

 そんな様子を見ていたパンシアが口を挟んできた。普段の母と違う一面を見れているからか、その目が僅かに輝いているように見える。

 

「そうでありますね。……まあエクレとノワは、互いに競い合っていたところもあるかと思いますが」

「確かにな。こいつの負けず嫌いにはまいったもんだ」

「なんかその言い方……。ちょっとカチンと来るかも」

 

 まあまあ、とリコッタが2人をなだめる。ところが、少女2人は止めようとするリコッタには加勢せず、むしろ目を嬉々と輝かせて火の中に火薬を投げ込むつもりらしい。

 

「お母様、そういう時は実際に戦ってどっちが強いのか白黒はっきりつけるというのは?」

「パンの言うとおり! エクレが本気で戦ってるところ、間近で見たいな」

 

 戦に興味津々のパンシアとクリムからすると、自分と馴染みのある2人が目の前で本気で戦う様子というのは非常に魅力的なのだろう。どうにかそういう状況にならないものかと口を添えてくる。

 が、エクレールもノワールももう大人だ。ましてや、普段はこうして以前と変わらず接しているとはいえ、本来は身分を気にしなくてはいけない。メイド長と姫が戦うというのは、互いにどうにも気が引けてしまうと思っているのは事実だった。

 

「パン、あまりエクレを困らせちゃダメだよ。……確かにさっき文句を言ったのは私だけどさ」

「私達よりもガウル殿下やレオ閣下といった、もっと見ごたえのある戦いをする方が近くにいらっしゃるではありませんか」

「……エクレ、それだと私達の戦いに華がない、って言ってるみたいじゃない」

 

 折角火消しをしているのになんでまた燃やそうとするのか。エクレールは苦笑でもってノワールを諭すことにした。

 

「そこまで言う気はないが……。さっき言ったガウル殿下やレオ閣下、それにうちの勇者辺りと比べるとどうしても見劣りするのは事実じゃないか? 未だ現役で、戦においても若手を完全に食ってしまっているからな」

「それは……。そうだね」

 

 ようやくノワールを納得させられたとエクレールは意図せずため息をこぼした。こうなればあとの少女2人を説得するのは造作もない。いや、その前に既に2人ももうけしかけるのは諦めているような表情だった。

 

「なあんだ……。せっかくエクレとお母様の戦いが見られると思ったのに……」

「エクレ、私に稽古つけてくれるときはいっつも手抜いてるし、本気で戦うところをこの目で見たかったなあ」

「いや、クリム様は見たことがあるでしょうに……。シンク……あなたのお父上がここに来ては、何かと昔のように私と手を合わせたがりますから。もうこっちは到底敵わないというのに」

 

 確かにかつてはビスコッティの名コンビと言われた。未だにそう呼ぶ人達がいないわけではないが、如何ともしがたい実力差が開いてしまっていることは確かだ。それ故、シンクの調整を兼ねた手合わせでもエクレールは手を抜く、という余裕などない。紋章術抜きであるため全力とはいえないが、単純な技量と力量なら彼女は持てる限りを動員して戦っている。

 

「それに仮に私とノワールが戦うとしても、基本的に紋章術は抜きですよ。やはり戦の場で戦う様子をご覧になった方が、実際に紋章術もご覧になれますしよろしいかと」

「でもそれだとエクレは戦場に立たないじゃん。紋章術の名手とまで呼ばれてるんだから、たまには参加してかっこいいところ見せてよ」

 

 このクリムの提案に対し、これは困ったと彼女は苦笑を浮かべた。名手などと言い出したのは一体誰であろうか。確かにビスコッティで見ればそれなりに扱いのうまい方だという自負はあった。が、国外にまで目を向ければ、特に隣国には紋章術の扱いだけでいうなら彼女でも舌を巻くほどの存在がいる。戦いの最中に輝力を用いて騙し合いを行うなど、到底真似出来ないことだと思うのだった。

 

「名手というのは、いささか誇張が過ぎるかと。それに私はメイド長ですから。有事でもなければ、戦には参加しても剣を取ることはないと考えています」

「そんな固いこと言わず、たまには前線に出ればいいでありますよ。自分だって今も時々砲術士として参加させてもらってるでありますし」

 

 気軽そうに言ったリコッタのそんな一言に対しても、エクレールは表情を変えられずにいた。そもそもリコッタは彼女と立場が違う。メイド長はビスコッティにおける実質近衛隊長扱い。ミルヒとその娘であるクリムの安全の確保、あるいは拠点防衛において最後の砦として動くことが求められる。進んで前線へと出るようなものではないのだ。

 もっとも、クリムは母親もそうだが父親にも似た部分が多いらしく、戦のデビューは済んでいるものの、まださほど戦う場がないことから不満な様子でもあった。最前線で颯爽と敵を蹴散らし、存在するだけで戦場における燦然と輝く星であるといえる父に憧れ、いつかそうなりたいと思っているのかもしれない。そうなれば、守護する存在として自分もまた前線に出る機会はあるかもしれない、とも思うのだった。

 

「何にせよ実際の戦を見た方がいい、っていうなら……。お母様、明日ドラジェに行くことは出来ないかな?」

 

 と、そこで不意にパンシアがそう切り出した。質問の意図がわからないと母は首を傾げる。

 

「ドラジェ……? どうして?」

「だって、レオ伯母様は明日のドラジェでの戦に呼ばれたんでしょ?」

「あ、そういえばそうだったね。……見に行きたいの?」

 

 間を置かずに「うん!」とパンシアは勢いよく頷いた。少し考えてから、ノワールは諭すように言う。

 

「……わかった。お父様には私も一緒に掛け合ってあげる。明日は元々予定もなかったもんね」

「やった! お母様大好き!」

 

 満面の笑みを浮かべながら母に抱きつくパンシアを見て、一方でクリムは口を尖らせていた。

 

「いいなあ……パンばっかり。……ねえ、エクレ」

「いけませんよ。明日も勉学の予定があります。励んでいただかないと、私が姫様からお叱りを受けてしまいます」

「まだ何も言ってないじゃん! ……エクレのケチ」

「まあまあ。クリム様、あくまで風の噂で、ですが。近いうちにビスコッティと他国で戦があるのではないか、という話でありますよ。その時まで楽しみにされていてはどうかと」

「ほんと!?」

 

 そう言ったクリムもだが、エクレールも本当だろうかという意味でもって視線を送る。それに対し、リコッタは意味ありげにメイド長に片目だけを閉じてみせた。

 

「自分は他国へと出向く機会も多いでありますから。そういう噂には耳が早いでありますよ。でも噂でありますから、あくまで内緒、でお願いするであります」

 

 今度は先ほどのパンシアのようにクリムが嬉しそうに「うん!」と頷く。しかし、エクレールはさっきの親友の仕草から、大方状況を察していた。

 おそらく出まかせであろう。嘘も方便、とでもいうことだろうか。とにかくこれでクリムは一応は納得するだろうし、もし後で問い詰められても「あくまで噂だったから」などとシラを切ればいい。真面目な自分には出来ない返し方かもな、とエクレールは考えつつ、5人での談話は弾むのであった。

 

 

 




クリム……シンク→真紅→クリムゾンと、ミルヒ→ミルク→ミルククリームという連想から、共通する部分を抜いた形。
シュアラ……シュークリームのフランス語、シュー・ア・ラ・クレームから。同じシュー生地を使うという点でエクレア(フランス語でエクレール)と共通点がある。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 4 東西戦前日

 

 

 ドラジェの国内戦を翌日へと控えた日。レグルスとプロヴァンスは初日に通された談話室に呼び出されていた。予定ではもう少しすれば明日の詳細なミーティングがあるはずだが、それを前倒ししたような形になっている。それほど緊急で何かがあるのだろう、とレグルスは予想していた。

 談話室に入ると既にソンブレロとバナードはソファに座っており、机の上にある図面らしきものに駒のような物を置いて難しい顔で眺めていた。おそらく明日の部隊配置の打ち合わせか何かと思われる。レグルスがそれより気になった点と言えば、今日はそれと別にいかにも騎士、という出で立ちの人間が数名、この部屋にいることだ。うち1人、隊長クラスと見受けられる人物は先の2人同様ソファに腰掛けている。腰に下げた剣と要所を守る比較的軽装の鎧。女性、それも見るからにまだ若い。自分より少し上な程度の年だろうとレグルスは考えた。

 

「おお、お二方、急に呼び出してすみませぬ」

 

 いえ、と社交辞令的に返しつつ、騎士がいると言うことはやはり先の予想はあながち間違えていないようだとレグルスは推察する。

 

「まず紹介しておきます。こちらは今回東西戦で我が東軍の指揮を執ってくださいます、ドラジェ騎士団所属のテワナ・コンテレ千騎長殿です」

 

 紹介を受けて女性隊長が立ち上がる。切れ長の鋭い目に赤みがかった黄色い髪。この国の人特有のイタチのような耳と尻尾以外、見るからに()()()()な印象だ。

 

「テワナです。今回東軍の指揮を執らせていただきます。よろしくお願いします、流れの傭兵スフォリア殿」

 

 そう短く返し、彼女は頭を下げるでも、握手を求めてくるでもなく腰を降ろす。それきりレグルスへの興味などない、とばかりに机に視線を向け、早く話を進めたがっているようだった。

 ははあ、と彼は直感する。間違いなく、この人間は自分とウマ(・・)が合わない。まあ無理も無いだろう。彼女からすれば、どこの馬の骨とも知れない傭兵をVIP待遇もいいところにメインスポンサーが囲って、指揮を執る自分よりも重視している風なのだから。ここで自分の本当の身分を明かせばどれだけ態度が急転するのだろうか。興味をそそられるレグルスだったが、あくまでここにいる限りはスフォリアだ。元々父譲りで好かれる性格ではないことは承知している。なら、話を進めればいいかと、彼もソファに腰を降ろした。

 

「それで、急な呼び出しの理由はなんです?」

 

 レグルスがバナードに尋ねる。きっちりと()()()()の出来るバナードも、ここは何事もないように「ええ、そのことですがね」と必要以上に敬意を払わずに切り出した。

 

「西軍がゲストに大物を呼んだらしいのです。ソンブレロ氏が先ほど相手方との挨拶に行ったところ、突然告げられた、と」

 

 チラリと一瞬、バナードがレグルスへと目配せをする。それだけで今後どう対応するべきか、そしてこの呼び出しの理由を、彼は即座に理解していた。

 

「大物? 誰です?」

 

 言うまでもなく彼とプロヴァンス、それにバナードは前もって知っている。だが、あくまで知らないフリ(・・)をするところから始めなければならない。バナードには何か考えがあったのだろうか、どうやらレオの存在をソンブレロには言っていなかったらしい。と、なれば、これは「メインスポンサーが挨拶に行ったときに初めて耳にしてここに持ち込んだ情報」という扱いになるのだ。

 

「レオンミシェリ閣下ですよ! 勿論ご存知でしょう、ガレットの『百獣王の騎士』! ……向こうは私がゲスト解説と言う名目で呼んだバナード殿のことを根に持っていたらしい、対抗策などといって呼んだらしいんですよ!」

「……また随分な大物を呼ぶんですね。まあ盛り上がるのは約束されるんでしょうが」

「盛り上がるのは結構、でも負けてしまってはこちらとしては歓迎出来ない状況です! 急にお呼び立てしたのは、その彼女への対策を、一刻も早く練りたかったからに他ならないのです」

 

 やはり、と彼は自分の予想が正しかったことを悟った。とは言っても、最早手遅れだろうとも思う。今からこちら側を補強するのは不可能、だったら今話し合おうが予定通りの時刻で話し合おうが結果は同じだろう、とも客観視していた。が、同時に焦れば少しでも早いうちにそれを解決したいのが人情か、とも思うのだった。

 

「スフォリア殿達を呼んだのは、ソンブレロ氏がお二方をこちらの切り札、と捉えているからです。レオ閣下の対策会議としては欠かせない存在だろうと思いまして」

「とは言いましてもね。バナード元将軍は直接あの方の戦いをご覧になったことも多いのでしょう?」

「ええ。そういうスフォリア殿は?」

 

 これは文字通りの酷い茶番だな、と思わず苦笑がこぼれた。だがその笑みの意味をすり変えるために、彼は次の言葉を紡ぐ。

 

「それは勿論、映像で何度かは。……変な期待を持たれないようにはっきり言いましょう。自分が戦ったとして、勝つ見込みは限りなく低いと思います」

 

 諦め、という意味にすり変えられた自嘲的な笑みと共に、しかしはっきりとレグルスはそう言い切る。それを聞いたソンブレロが「そんな……」と頭を抱えるのが目に入った。

 

「それにしても規定的にゲストにレオ閣下とか、よく通りましたね。いくら盛り上げるためとはいえ」

「ハンデとしてこちらの兵力5000に対し向こうは4000と1000減らしてあります。さらにポイントを相当数前もってこちらには加算されることになりました。……しかしあの方が暴れ始めたら、兵力差があろうが、ポイントを貰っていようが関係ない! 場合によってはこちら全てを吹き飛ばすことだってありえるほどのお方なんですから!」

 

 違いない、と息子は心中で母が暴れる様を想像する。ハンデでなど意味を成さない。たった今目の前のメインスポンサーが言ったとおり、全滅敗北すらありえるのだ。

 

「そこで我々が案を出させてもらうことになりました」

 

 と、ここまで沈黙を保ってきたテワナが不意に口を開いた。しかしその視線はソンブレロに向けられ、レグルスの方を見ようともしない。

 

「レオンミシェリ閣下は我々騎士団が総出で相手をします。討ち取ることは難しいかもしれない。しかし、参加枠の騎士団を全て投入すれば、あるいは……」

「不可能ですね」

 

 きっぱりと、レグルスはそう言い切った。それを聞いてテワナがその鋭い視線を発言者の方へと向ける。

 

「何……?」

()死だ、と言いたいんです。……ああ、ビスコッティでなくこの国でその言い方が的確かは、図りかねますが」

 

 声を噛み殺して笑いつつそう言った彼の横でプロヴァンスが小さく吹き出すのが分かった。父親譲りのレグルス得意のブラックジョークだ。共に旅をしてればこの手のジョークを聞くことには事欠かない。

 

「……それこそ、どういう意味か図りかねますが」

「言葉通りですよ。無駄なことはやめろ、と言いたいんです。貴重な高ポイントの騎士を割いたところでみすみす相手にポイントをくれるようなものだってことです」

「我々ではレオンミシェリ閣下の相手にならない、と……?」

 

 ますます鋭くなるテワナの視線。しかしレグルスは堪える様子はまったく無い。

 

「さっきの言葉をそれ以外の意味に捉えられるなら、逆に教えていただきたいですね」

 

 露骨な挑発に、テワナが耐え切れず机を拳で叩いた。やっちまった、と言わんばかりに隣でプロヴァンスが頭を抱えているのと、バナードが渋い表情を浮かべているのがわかる。

 

「口は達者だな。相手を不快にさせるのも得意なようだ」

「ひねくれ者ですから。口八丁手八丁、ってね。……伊達に流れの傭兵なんてやってると、口も手も達者になってくるんですよ」

「ほう……。腕にも自信がある、と」

「多少はね。ないと傭兵なんて言ってられませんし、相手をおちょくるような自殺行為もしません」

 

 一気に空気が張り詰めた。レグルスは飄々としているが、テワナは完全無視を決め込んでいた当初とは対照的、彼を射殺さんとばかりに睨みつけている。2人の間に険悪な雰囲気が広がる。まさに一触即発。

 

「お、おふたりとも落ち着いてくだされ! 仲間割れをしている場合ではありませんぞ!」

「ソンブレロ氏のおっしゃる通りです。……スフォリア殿、少々戯れが過ぎます」

 

 おいおい、という表情で視線をバナードのほうへと送るレグルス。今の言い方は「スフォリア」ではなく「レグルス」に言ってるみたいじゃないかと心の中で無意識に愚痴っていた。

 

「……失礼しました。ソンブレロ様、話を進めてください」

 

 仮にも千騎長、指揮を執る人間という器は本物らしい。テワナは視線を戻しつつ軽く頭を下げて自身を律し、そう切り出した。

 

「うむ。とにかくレオンミシェリ閣下への対策なんじゃが……。スフォリア殿からすると騎士での対応はやめたほうがいい、と?」

「ええ。そうです」

「では代替案はありますかな?」

 

 問われて、レグルスは一瞬黙った。ないわけではない。いや、むしろバナードから母の存在を聞かされたときから対策は考えていた。というより、厳密には()()()()()()()なこととわかっていた。

 

「……戦の開始前、自分の紹介を一瞬でいい、『流れの傭兵』という触れ込みと共に映像で映していただくことは可能ですか?」

 

 ソンブレロが意図を図りかねて押し黙る。ややあって「いや、それは勿論可能じゃが……」と口篭りつつ返答した。

 

「なるほど、自分を売り込むのか。さすがは流れの傭兵殿だ」

 

 先ほどの反撃、のつもりだろう。テワナがそう切り出した。しかしレグルスは彼女に一瞥をくれただけで、それを無視して先を続ける。

 

「開戦前に自分を映せるのでしたら、それだけで事足ります」

「何!?」

「レオンミシェリ閣下の相手は、自分が引き受けます。あの方は、間違いなく自分のところに来る」

「なぜそう言い切れるのだ!?」

 

 興奮気味に女隊長は食って掛かってくる。既に上辺だけでも態度を取り繕うという余裕もないのだろう。

 しかしレグルスはそれにどう答えたものかと考えていた。先ほど一瞬黙った理由もそれだ。

 なぜだ、と問われても、それは理屈ではない。自身の姿を見れば、確実に母は正体を見抜いて自分の元に来るという直感的な結論に、話を聞いた時から至っているからだった。ふらりと旅に出た息子を戦場で見かけたなら、どれほど成長したのか見てみたいというのは母の本能だろうと彼は考える。ましてや、戦馬鹿とまで呼ばれるあの(・・)母親ならそれは疑う余地も無い。

 

「先ほども言ったように、自分が勝つ見込みは限りなく低い。ですので、狙うのは時間稼ぎです。ハンデ分の兵力差とポイントを有効活用して、仮に自分が倒されても被害を最小限に抑える……」

「その前に理由を述べていただきたい、スフォリア殿。なぜレオンミシェリ閣下はあなたを狙うと言えるのか!」

 

 しかし、結局「親と子だから」という答えを避けたとき、うまい理由は思いつかない。可能なら答えずに済ませたい、と彼は狙いを話した。が、テワナがそれを見過ごしてはくれなかった。あくまで理由を述べるまで納得しないらしい。

 それなら仕方ない、とレグルスはため息をこぼす。相手方の自分達を不愉快に思う気持ちはわからないでもないが、最初から不遜な態度をとられ続けたという事実はある。それは向こうがこちらを見くびっているからに他ならない。それでは明日の戦の時にひずみが生じる可能性があるし、何より売られたケンカは買わねばなるまい。彼はそんな自身の信条で持って、これまでで最大限の挑発で答えを返した。

 

「そこまで知りたいのならお答えしましょう。……一流の使い手は、相手を見ただけである程度の実力を察せる。レオンミシェリ閣下程の腕となれば当然そうでしょう。だから自分が紹介されれば事足りる、と言ったのです。

 さっき騎士が総出で相手をする、と言ったときに無駄だと答えた理由も一部ここにあります。あの方は心から戦いを楽しむような様子が窺える。そんな人物にたとえ騎士をけしかけようとしたところで、相手にすらされないでしょう。なぜなら、あの方にとっては自分を楽しませるような強き者でないなら、騎士だろうがなんだろうが、その程度の者など歯牙にも掛けぬ存在と同義。逆に楽しませてくれそうな者がいれば、その相手と戦うことを望む……。つまり、一目でその力量を察すれば、あなたを含む騎士連中などよりも自分のところに来るであろうと予想できるからですよ」

 

 机が激しく叩かれた。その音に思わずソンブレロが肩を震わせる。見れば、両拳を叩きつけ、怒りの表情を露わにテワナがレグルスを睨み付けていた。

 

「貴様……それだけの大言壮語を吐き、あまつさえ我々へ侮辱の言葉を投げかけたと言うのであれば、覚悟は出来ているのだろうな?」

「失礼ですがテワナ千騎長。……俺は事実を可能な限り客観的に、かつ率直に述べているだけです」

 

 テワナが立ち上がり、腰に下げていた剣を抜いた。その切っ先をレグルスへと向ける。

 

「お、お待ちくださいテワナ殿! どうかその剣を……」

「申し訳ない、ソンブレロ様。たかが傭兵風情にここまでコケ(・・)にされて黙っていたとあればドラジェ騎士団の名折れ。……抜け。得物を持って来い。さっきの発言を撤回させてやる」

「必要ないですよ。……自身の発言を証明するだけなら、得物など不要。今この場でものの1分もかからずに終わることだ」

 

 刹那、テワナが跳んだ。一足飛びに机を乗り越え、瞬時に己の剣の間合いへ。

 

「やめられよ、テワナ殿!」

「口出すな! 煽ったのは俺だ!」

 

 止めようとしたバナードに対して叫びつつ、レグルスは立つと同時にソファを蹴り背後へと飛ぶ。一瞬遅れてそれまで彼の首があった位置を刃が横に薙いだ。

 さらに次の跳躍でテワナはソファも飛び越え、距離をとったレグルスへと再び間合いを詰める。同時に大上段から剣が振り下ろされた。

 身をよじってレグルスはその一閃も避ける。続けて一歩分バックステップ。

 次手の踏み込みで詰め切れる間合い、とテワナは判断した。振り下ろした刃を返し、素早い踏み込みと共に今度は逆袈裟に斬り上げる。

 対してレグルスは上体を反らして沈め、切っ先をかいくぐる。次いで不安定な姿勢にもかかわらず、左足で剣の柄の部分を蹴り上げた。

 

「ぐっ……!」

 

 予想の範疇を越えての反撃にうめき声をこぼしつつも、テワナは武器を手放すことだけは堪える。しかし攻撃を受け流された形となったことで、前につんのめったようにバランスが僅かに崩れた。

 

 そこで勝敗は決した。

 

 そのままレグルスは右足一本で地を蹴る。蹴った勢いを利用しつつ空中で体を捻り、浴びせるように側頭部目掛けて回し蹴りが放たれる。

 ガードも回避も間に合わない。バランスを崩された上で完璧なタイミングで放たれたカウンター。やられる、と直感した千騎長に出来ることは、来るべき衝撃に備えて心を準備して身を硬くすることだけだった。

 

 しかしその衝撃は、終ぞ永劫訪れなかった。代わりに反射的に固く閉じていたテワナが目を開いた瞬間、突風、とも言える空気の流れが顔と前髪を撫でる。それが蹴りを寸止めしたことで生じたものだと理解するには、目の前の傭兵がバランスを整えなおして両足を地面につけているのを確認するまでの時間を要した。

 

「あなたを煽って先に抜かせた無礼な振る舞いはお詫びします。ですが、これで自分の発言、多少は信じてくれる気にはなりましたかね、テワナ・コンテレ千騎長?」

 

 まったくなす術がなかった。テワナは己の心に冷たいものが押し付けられたような感覚を覚える。仮にもドラジェの千騎長、ほぼ自身の腕だけでこの地位まで昇ってきた以上、それなりの自信はあったはずだった。

 だが挑発に乗せられ、いざ剣を抜いて仕掛けた結果はどうだ。相手は丸腰という心の隙があったかもしれない、たかが傭兵という見下した思いもあったかもしれない。しかしそんな心の緩んだ部分を突かれたという点を差し引いても、己の3度の斬撃は全て空を切り、一方相手は得物どころか()()()使()()()圧倒してきた。

 もはや是非もない。自分にも相手にも一撃もまともな命中は無いが、これ以上続ける気など起きるはずもない。あの止められた足が振り抜かれていたら、最悪だま化までありうるほどの一撃だった。いや、その前に相手は果たして実力の何割ほど出していたのだろうか。グッと唇をかみ締め、テワナは剣を収める。

 

「……完敗です、若き傭兵殿。腕前は、十二分に理解しました」

 

 評価を改めなければならない。この強さは本物だ、自分とは格が違う。そんな存在が味方になっている、この状況を有効活用するべきだ。

 テワナは即座にそう思考を切り替えた。彼女が隊長たる所以、レグルスにうまく乗せられて頭に血を上らせたが、冷静さを取り戻せば判断は的確かつ客観的に行えるのが彼女の強みであった。

 

「ですが……。ここまでのあなたほどの腕をもってしても、レオンミシェリ閣下には敵わない、と?」

「さっきまでは過小評価で、今度は過大評価ですか? あるいは相手を過小評価しているのかもしれませんが。まあ到底敵わないでしょう。その辺り、長年あの方を近くで見てきたあなたはどう感じますか、バナード元将軍?」

 

 レグルスに不意にそう振られ、バナードは思わず苦笑を浮かべる。確かに長年レオを見てきた。だが、実際に手を合わせたことは決して多くない。むしろ母親にしごかれたと聞く、質問主の方が誰よりもわかっているだろう。

 

「スフォリア殿の腕前は確かなようだ。ですが……レオ閣下はそのさらに上を行くでしょう。あの方の持った生まれた卓越したセンス、それでいて己を磨くことを忘れぬ精神、さらに心から戦いを楽しむ気質、そして長年の戦いで培った経験。かつて傍で見ていて、それらは強く感じます。もっとも、スフォリア殿もあの方に負けず劣らずのセンスとお見受けしました。あとは経験を積めば、いずれレオ閣下のような戦無双になるのではないか、という期待を抱かせてくれますがね」

 

 危うく舌打ちをこぼしかけ、レグルスはなんとか自重した。見ればバナードはどこか皮肉っぽい表情を浮かべている。自分が今言い返せないのをいいことにしてやった、というところか。

 それこそ先ほど彼がテワナに言った「過大評価」だと言い返したいところだった。いつかは越えたい壁だと思いつつも、自分が父と母に肩を並べるなど、まだまだ先の話だとレグルスは思っている。

 

「ひとまず話し合いに戻りましょう。……すみません、ソンブレロさん。屋内で揉め事を起こしてしまって」

「いえいえ、なんのなんの。肝を冷やしましたが……スフォリア殿の実力は折り紙付き、やはりこちらで囲って正解だったと改めて実感しましたぞ」

「ですから過大評価ですって。……この際はっきり言っておきますが、俺は過大評価されるのが嫌いだ。戦で活躍すれば有名になる。そうなって知名度が上がれば期待を生む。それ自体は嬉しいことですが、過剰に期待されてそれにそぐわなかった場合、落胆させたとしても結局は自分の責任です。そう思わせてしまうと言うのは、どうにも自分の心の居心地が悪い。だから過剰な期待が生まれないように同じ国にとどまらずフラフラしてたんですよ」

 

 半分はだが、と心の中でレグルスは付け加える。もう半分は当然有名になれば自分の正体が露見する可能性が高まるからだ。この流浪の旅ははっきり言って楽しい。だが自国での立場もわかっている。だから逃げでしかないとわかっていつつも、彼は今が心地よかった。

 しかしいささか長く逃げすぎたかもしれない。これまでは運良く同じ戦場に立つことはなかったわけだが、とうとう母と戦場で再会という舞台が整ってしまった。ツケ(・・)を払う時が来たのだろう。この戦の後、今までどおりの放浪生活を続けられる保証はもうない。

 

「……いちいち一言多い嫌味な方だと思っていましたが、根は真面目過ぎるぐらいだとは。てっきりあなたの性格でしたら、期待されようが『そんなのは知らん』と一蹴するものだとばかり思ってました」

「その方が俺らしいんでしょうがね。……ま、色々あるんですよ」

 

 含ませたような答えでもって、しかし適当とも取れる内容でレグルスはテワナに返答する。既に彼女はソファに戻り、レグルスも同様だ。そこで「さて」と前置きをして彼は話を進めようと思うのだった。

 

「どこまで話しましたっけ。レオ閣下を自分が引き受ける、と言うところまでですか?」

「それで合っています。開始前に紹介すればあの方は間違いなくあなたを狙う。その理由は身をもって味わいました。それでレオンミシェリ閣下を相手に時間を稼ぐ、と言っておられたかと思いますが」

 

 多少皮肉は込められたようだが、彼女はレグルスの実力を認めている様子だった。レオが彼と戦うことを望む、という理由は了承したらしい。

 

「そうです。かなり消極的な案ですが、自分とプロヴァンスで出来るだけ時間を稼ぎます。幸いこちらはソンブレロさんにVIP待遇してもらっているとはいえ、一般参加の身。撃破されてもポイントはさほどでもありません。あとは同様に一般参加で()()()()な連中は、あの方狙いで仕掛けるかもしれませんが……。まあ烏合の衆でしょう。戦力として期待は出来ないし、撃破されてもポイント的にそこまで痛手ではない」

「では、あくまで我々騎士はレオンミシェリ閣下を完全に無視し、相手の騎士を狙うなりしてポイントを稼ぐ。同時に撃破ポイントも高いために撃破されないように動き、そしてポイント差での勝利を狙いに行く、というわけですか」

「その通りです。そもそも今回は時間制限いっぱいのポイント勝負、いかに相手にポイントを譲らず、かつこちらが頂くかがカギと言えるでしょう。なら、自分が敗れようがさほどの痛手とは思っていません。

 勝負に負けても試合に勝てばいい。名を捨てても実を取ればいい。……勝利をもたらすために雇われた傭兵として、自分が負けるとしても、東軍が勝つための礎になるのでしたら、喜んでその役を引き受けましょう」

 

 沈黙が訪れた。何よりも勝利を優先する姿勢、それに皆圧倒された雰囲気だった。その沈黙を嫌ってか、不意にレグルスが「ああ、とはいえ」と口を開く。

 

「露骨に時間稼ぎには走らないようにしますよ。それをやると盛り上がりに欠ける。そんなことをしたら戦の本末転倒ですからね。……とまあ、これが自分の意見なんですが、参謀役としても呼ばれているバナード元将軍、どう思いますか?」

 

 そういえばここまで黙りこくって自分の案を聞いていたとレグルスは思い出しつつ、彼にそう尋ねる。やや間を空けて、彼はゆっくりと口を開いた。

 

「……私がここに呼ばれた意味はなかったかもしれませんね。あのレオ閣下を相手に迎えて勝ちを取れ、と言われても妙案が浮かぶ気はまったくしません。今スフォリア殿が述べられた案が、もっとも妥当で勝つ確率が高い、と考えます。補足するとすれば、今回は純粋な戦いは平野部に限定されます。山岳部はドラジェ自慢のアスレチックがある。そこは攻略するだけでポイントとなりますので、主に一般参加の方々にそちらの攻略を斡旋するのもポイントをうまく稼ぐとしてはひとつの手ではないかと」

「なるほど、確かにそうですな。テワナ殿はどうお考えか?」

「バナード元将軍のご指摘は頭に入れておきます。レオ閣下の対策については、もはや是非もありません」

 

 ひとつ頷き、ソンブレロはレグルスへと視線を移す。

 

「ではスフォリア殿、大役お願いしますぞ」

「努力しますよ。あくまで出来る範囲で、という注釈つきですので保証はしかねますが。……さて、あとは自分がいなくても話が進むと思いますが、ここで退席しても? 相手がそれ相応とわかったのなら、今から明日に備えて少々体をほぐしておきたい」

「ええ、どうぞ。あとは私とテワナ殿で話を詰めておきます。……といっても、テワナ殿は指揮官として優秀でいらっしゃる。私のアドバイスなど、もう不要かもしれませんが」

 

 そう言ったバナードに対して「いえ、私などまだまだ……」と謙遜の言葉を述べるテワナ。しかしそんなやり取りはもう自分には関係ない、とばかりにレグルスは立ち上がっていた。

 

「では自分はこれで。先ほどは色々とありましたが、明日はよろしくお願いします。千騎長殿」

「期待してますよ、スフォリア殿」

「だから言ってるでしょう、期待に添えられるかは保証しかねる、ってね」

 

 皮肉っぽく答えを返し、レグルスはプロヴァンスを連れて部屋を後にする。バナードとテワナが色々と話し込む様子がまだ聞こえてきたが、気にかけた様子もなく彼は部屋を後にした。

 

「まったく殿下、バナード元将軍じゃないですが戯れが過ぎますよ」

 

 廊下に出て周りに人がいないことを確認してから開口一番、プロヴァンスはそう切り出した。

 

「なんだよ、お前まで俺に説教か?」

「相手はドラジェの千騎長ですよ? わざわざ揉め事起こさなくても……」

「向こうは明らかに俺に不満と不信感を抱いていたからな。直接実力を見せて黙らせた方が話が早い。それに……先に手を出してきたのは向こうだ」

「よく言いますぜ。散々煽ってそう仕向けたくせに」

 

 違いない、とレグルスは自嘲的に小さく笑う。あれだけ露骨に挑発して乗ってこないのは腕に自信のない取るに足らない存在か、あるいは自分より口も腕も一枚上手な相手のどちらかだ。そして彼も優れた使い手だ、後者はある程度一目で見極められる故に、煽るような真似はしない。だから挑発すれば乗ってくる、そして勝てるという確証はあった。

 

「まああれだけ頭に血上らせてたら、俺でも勝てそうな相手でしたけどね」

「お? お前も言うじゃねえか」

「いえ、あくまでさっきのように冷静さを欠いてるなら、の前提つきですよ。初手から大振りで来るのは読めましたし、得物さえ背負ってれば力任せに叩きつけて相手の武器ごとぶっ壊して、すぐ勝負はついたと思ってますけどね」

「確かにお前の馬鹿力ならそうだわな。……ただお前自身言ってる通り、冷静さを欠いてるなら、の前提つきだな。俺もそこに付け込んだから大振りの隙をつけた。平常時なら相当優秀そうだぞ、あの姉ちゃん」

 

 だから明日の全体指揮は何も心配いらなそうだしな、とレグルスは心の中で付け加えた。少々熱くなりやすい面もあるようだが、基本的には落ち着いて判断できる指揮に向いているタイプのようだ。もっとも、性格はやはりきつそうだから仲良くなるのは難しいだろう、とも彼は思うのだが。

 いや、そんなことを心配している場合ではないか、とレグルスは表情を引き締める。もはや母と戦うことは確実となった。ならあとはいかにしてその戦いの時を迎えるか。それを考えるべきだろうと、来るべき明日に備えて彼は廊下を歩く足を進めた。

 

 




テワナ・コン・テレ……テキーラの銘柄。唐辛子の入った度数の高い酒。テワナ・コン・チレとも。

ソンブレロに合わせる形で同様にテキーラの銘柄から取りましたが、結果自分の中でドラジェ=メキシコなイメージになってしまった……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 5 再会の戦場

 

 

 そして、ドラジェ東西戦の日はやってきた。

 

 西軍の本陣。昨日ドラジェを訪れ、夜はスポンサーの館で特別待遇を受けて、体をゆっくり休めたレオが専用に設えられたテントの中で戦の準備をしているところだった。

 歳月を経ても失われることのない彼女の美貌と力強さをより強調するような、同時に動きやすさも求められた大胆な露出のある服装に身を包む。それだけで彼女はこれから始まるであろう戦へと心が昂るのを感じていた。

 

「レオ閣下、他に何か御用はございますか?」

「いや、大丈夫じゃ。武器もここに相当数用意してもらったしな。助かったぞ」

「勿体無いお言葉です。では、私どもはこれで。何かございましたら、見張りの兵を通して私どもにお申し付けくださいませ」

 

 着付けを手伝った、メイドの格好をした女性達が(うやうや)しく頭を下げ、テントを後にする。彼女達は西軍スポンサーの館で使用人として働いている者達で、レオが訪れた昨日からずっと身の回りの世話を引き受けてくれていた。

 おかげで不満な点などない。むしろ少々気を使われすぎなようにも感じる。とはいえ、ガレット先代領主、さらには戦の花形として呼ばれた身だ。その好意は受けなければ逆に失礼になる、と彼女はわかっている。それ故、遠慮をすることなく、もてなしをあえて受けていた。

 

 戦の格好になった彼女は、さて、とテント内に並べられた武器へと目を移す。大剣に斧に盾に弓……。彼女が得意とする大振りの得物からそれ以外まで、注文以上に揃っているのを確認し、今日はどれを使うべきかとそれぞれを手に取り始めた。

 今の彼女はグランヴェールを所持していない。それはかつてエクスマキナを所持していた彼女の夫も同様で、宝剣はあくまで有事以外は使わない、と互いが決めた上で今はヴァンネット城の領主の部屋、すなわちガウルの部屋に保管してある。ところが、ガウル自身もやはり使う気は無いために、今のところ使われずじまいなのだが、いずれはパンシアと、戻ってきたときにレグルスが使うことになるのではないかとレオは考えていた。

 

「閣下、よろしいでしょうか」

 

 さすが貿易大国ドラジェだけあってか剣も斧もいい素材を使っている、と彼女が武器を迷っていたところで、外から不意にそう声をかけられた。「どうした?」と右手に剣、左手に斧を持って比べながら彼女はそう返す。

 

「レザン様がお見えになられました。今お通ししてもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わん」

 

 手にしていた武器を戻しつつ、彼女は答える。ガレットと貿易の友好国であるドラジェとしてはレオは大切な来賓だ。国が直接のオファーを出したわけではないとはいえ、王族で古くから親交のあるレザンが挨拶をしたいと言って来ても何も不思議ではない。ただ、本来はレオが到着した昨日中に顔を合わせたかったらしいのだが、彼の都合がつかなかったために直前で申し訳ないが戦の前でもいいだろうか、という連絡は前もって受けていた。

 テントの入り口から姿を現したのは格調高い礼服に身を包んだ成年の男性だった。頭からはイタチのような耳が覗き、引き締まった表情とどこかギャップを生み出していた。

 

「すみません、レオ閣下。戦の前の貴重なお時間に」

「何、気にするな。むしろ国内戦のゲストにわざわざ国王(・・)がお見えになることの方が、ワシとしては申し訳なさを感じるがな」

「またまた、何をおっしゃる。……相変わらずですね。お元気そうで何よりです」

「貴様もな」

 

 レオとレザン、互いにそう言葉を交わし、僅かに表情を緩めた。

 

「1人か? 自慢のハルヴァー美人の奥方は城か?」

 

 だが次に述べられたそのレオの言葉に思わずレザンは苦笑をこぼす。確かに自分の妻はウサギのような立ち耳が特徴的なハルヴァー人、それも美人だと彼は思ってはいる。しかしいくらなんでも直接的に言い過ぎではなかろうかと思わずにはいられない。

 

「ええ。子供達を見ています。なにぶん元気過ぎますからね。1番上は11歳なのでまだいいですが、1番下はようやく3歳になったところですから……」

「しかもその間に2人じゃったか? 男2人に女2人。ハルヴァー美人を相手にお前も随分と張り切ったものじゃな」

 

 これにはまいった、と先ほど浮かべた苦笑から彼は表情を変えられずにいた。昔はウブ(・・)だったと聞くが、いやはや一体どこが。際どいジョークまでさらりと言ってのけた彼女はよほど旦那に影響されたのだろうか。

 

「そういうレオ閣下のお子様はどうなされました? 確かもう15と聞きましたが……」

 

 しかし返されたその質問に対し、反射的にレオは視線を外してしまっていた。そして気まずそうな表情を浮かべつつ「ああ、まあな……」と適当に相槌を打ち、お茶を濁す。そこでようやくレザンは国を飛び出したらしいという彼女の息子のことを思い出し、聞くべきではなかったと後悔した。

 

「……申し訳ありません。気が回りませんでした」

「いや、何、気にするな。そのうち帰ってくるじゃろ。便りがないのは元気な証拠と、ワシもソウヤも信じておるしな」

 

 彼女はそう言ったものの、どうも強がっている様子が窺える。やはり触れない方がいい話題だとレザンは判断し、次いで別な話題を切り出した。

 

「そういえば、今回はゲスト解説としてバナード元将軍を呼んでいるとか」

 

 が、その話題に変えてもレオはどこか渋い表情を浮かべたままだった。とはいえ、先ほどのとはまた違う、今度は嫌がるような気配はさほどなさそうな色である。

 

「あいつめ、昨日ワシがここに来るまで全然連絡をよこしてなくての。なんでも東軍の口添え役も兼ねているとかで、それで対抗意識を燃やして西軍はワシを呼んだという話ではないか。しかしバナードのことは一切触れられていなくてな。昨日ここに来たあとの夕方に顔を出してきて驚いたわ」

「まあそのせいで西軍はハンデを背負う形になったんですけどね……。盛り上がるなら、と向こうも了承したようですが、いきなり閣下を呼ぶというのは、自分も少々やりすぎではないかと思いましたよ」

「ワシは構わんぞ? 貰えるものさえ貰えて、戦で暴れられ、それで盛り上がるなら何も文句はない」

 

 改めてこの人には敵わないとレザンは思うのだった。器がまるで違う。些事など気にかけない、大らかさを通り越して豪快とまで言えてしまうその性格。よくもこれほどまでの存在を相手に、かつては一芝居打とうなどという気になったものだと今更ながら思ってしまう。

 

「その派手な暴れっぷりは、城に戻って放送で拝見するとします。楽しみにしてますよ」

「なんじゃ、観覧用の特等席で見るのではないのか?」

「美人な妻と、子達と一緒に見ると約束してますからね」

 

 これには一本取られたとレオは肩をすくめた。昔は頼りなさそうな様子を窺わせていたのに、今では立派に国を治めるものとしての風格を身に纏っている。軽口を返してみせる辺りその考えは間違っていないだろうと彼女は思う。

 

「では自分はこれで失礼しますが……。閣下にお客様がお見えになってますよ」

「客?」

「ええ。自分の代わり、ではありませんが、そのおふたりが特等席でご覧になるかと思われます。……それでは」

 

 客、そしてレザンの代わり。誰であろうかとその発言主の背を見送りながらレオは思考をめぐらせる。2人なら、まさか人生経験という名目の放浪の旅に出た息子がお供を連れてか、とも思ったが、そんなはずはないだろうと否定する。レグルスは人を通して、ましてや他国で会いたいということは言ってこないだろうし、自分の意思で戻ると決めるまでは会うことも極力避けるだろうと思っていた。戻って来た時以外で会えるとするなら偶然、という運の要素に任せるしかない。いずれにしろ、その旅は永遠でないとわかっている以上、待っていれば帰ってくる、それでいいと彼女はわかっていた。

 そしてその考えを証明するかのように、テントに入ってきた来訪者は息子ではななかった。しかしいささか予想外であったために「おお」とレオは言葉を漏らす。

 

「ノワール、それにパンシア。どうしたんじゃ?」

「伯母様が参加する戦をどうしても生で見たくて。お母様と一緒にお父様に頼み込んだの」

「なかなか首を縦に振ってくれなかったけど……。私とパンは言い出すと聞かないってわかってるみたい。最後は『勝手にしろ』って言ってくれた」

 

 それは了承を取り付けたのではなく、諦めさせただけだろうと思わずレオは小さく吹き出した。だが2人、特に姪であるパンシアが来た以上は恥ずかしい戦いなど出来ないと彼女は改めて思うのだった。無論、最初からそんな戦いをするつもりなど毛頭なかったわけだが。

 

「よし、そこまで無理を通したからにはワシはお前を満足させるような戦いぶりを見せねばなるまいな」

「大丈夫。伯母様なら普通に戦うだけで盛り上がるから。派手な紋章術をドーンって撃ってくれれば、私はそれで満足」

「はっはっは。では命知らずの者共がワシに群がってきたら、まずは挨拶代わりに大爆破でもお見舞いしてやるとしよう」

「うわあ! それは楽しみ! ちゃんと見たことあるの数えるぐらいしかないもん!」

 

 無邪気にそう喜ぶパンシアを見て、レオは表情を緩める。そして優しくその頭を撫でた。

 

「でもレオ様、頭数が少ない上に相当なポイントがハンデでつけられたって話だけど……。大丈夫?」

「関係ないじゃろ。ワシが暴れれば勝つ。それが戦の道理じゃ」

「そうだよお母様。するだけ野暮な心配ってものだよ」

 

 頭を撫でられたままレオの胸に顔をうずめていたパンシアも振り返りつつ母にそう返す。2人にこうも畳み掛けられては彼女としては返す言葉もない。実際その通りなのだ。

 

「そうじゃ、パンシア。今日使う武器を迷っていたんじゃが、お前が選んでくれぬか?」

「え!? いいの!?」

「ああ。折角じゃ、リクエストの武器でひと暴れしてやろうと思ってな」

 

 パンシアは表情をぱあっと明るく輝かせ、武器を眺め始めると今度は一転して真剣な表情となる。それからあれでもないこれでもない、と独り言を言いながらレオの得物を見繕おうと必死な様子だった。

 

「……見た目も負けず嫌いな性格もお前そっくりだと言うのに、あんな風に表情がコロコロ変わるところは似なかったのかもな」

 

 そんな彼女の邪魔をしないよう、レオは母の方へと近づきつつ小声で話しかけた。少しムッとした表情を浮かべつつノワールが返す。

 

「……悪かったですね。どうせ私は表情豊かじゃありませんよ」

「悪いとは言っておらんだろうに。ワシは一見無愛想ながら意外と懐いてくるお前のその性格も嫌いではないぞ」

「褒められてる気がしないんだけど……」

 

 まだ拗ね気味のノワールの頭に、先ほどは娘にしたようにレオが頭に手を乗せる。それに対して怪訝な視線が返ってきているのを感じていた。

 

「……レオ様、まだ私のことを子供扱い? それとも私にとって義姉だから、姉っぽくしてるとか?」

「いや、そうではない。感謝、とでも言ったところか。……ワシの弟をお前に任せて正解だったと思ってな」

「え……? どうしたの、急に……」

「あれだけパンシアが楽しそうにしているのを見ると、お前達2人が結ばれ、そしてパンシアという子を授かって本当によかったと思ってな。あの子が嬉しそうにしているのを見ると、ワシまで嬉しくなってくるようじゃ。……っと、いかんな。どうにも自分の子をしばらく見ていないせいか、姪を本当の娘のように錯覚してしまいそうでな」

 

 そう言って目を細めたレオを見て、ノワールはふと思った。やはり大切な子であるレグルスが近くにいない今、彼女は寂しい思いをしているのだ。それ故、ガウルが言うようにパンシアに甘くなってしまうのではないだろうか。

 

「うん、やっぱりこれ! 伯母様には斧が1番似合うもんね!」

 

 と、大人2人の心などまったく知らず、真剣に武器を選んでいたパンシアがそう言って彼女の体には不釣合いな斧を両手に振り返る。「ほほう」と相槌を打ちつつ、一方でレオはそれを片手で軽々と持ち上げて眺め始めた。

 

「……うむ、悪くないな。これなら片手でも使える。あとは盾を使うとするか」

「本当は魔神旋光破も見てみたいから弓も使ってもらいたいけど、荷物になるから……。グランヴェールがあればこんなことで悩まないのに」

「あれはワシの占有物ではないからな。いずれはパンシア、お前が使うことになるのかもしれんがな」

「本当? ……私なんかに扱えるのかな」

 

 不安げにそういった彼女の両肩に優しく乗せられたのは、暖かい母の手だった。

 

「大丈夫だよ。レオ様が今そう言ったんだから。それに……あなたは私とあの人の子なんだよ」

「その通りじゃ。……そしてワシはそんな将来の大物になるであろうお前の後学のためにも、良い戦いぶりを見せねばなるまいな」

 

 心意気も新たにレオが気を引き締め直したところで、外から「レオ閣下、そろそろ準備の方よろしいでしょうか?」という声がかかってきた。応じる返事を返し、彼女は姪の方を見つめなおす。

 

「さて……では行くとするか。2人は特等席を用意してもらっているんじゃろ?」

「うん。レザン様の好意で来賓席用意してもらった」

「よし、ではしかと見るがよい。……『百獣王の騎士』の戦いぶり、とくと堪能していただくとしよう!」

 

 時を経ても色褪せることのない、誇り高く凛々しい彼女の背がテントをくぐる。その後姿だけで、パンシアの心にこの後の大きな期待を抱かせるには十分であった。

 

 

 

 

 

『さあ、いよいよ開戦の時が近づいてまいりました、ドラジェ国内戦でも最大級と言っていいでしょう東西戦です! 今回はこの東西戦を盛り上げるため、両軍とも外部から強力な助っ人を呼んでいるようです! さらにさらに、解説にも素晴らしいゲストをお呼びいたしました! かつてはガレット戦士団将軍で騎士団長でもありました、バナード・サブラージュ元将軍です! バナードさん、今日はよろしくお願いします!』

『こちらこそよろしくお願いします』

 

 各所に設置されたスピーカーを通して聞こえてくる、耳に馴染んだ昔から変わることのない()()()を半分程度耳に入れつつ、レオは今回指揮を執る西軍の隊長のところへと近づく。戦支度を済ませ、セルクルに乗った彼女の接近に気づいた青年の隊長は、彼女同様にセルクルには乗ったままだが姿勢を正し、一礼して敬意を表した。

 

「本日はよろしくお願いします、閣下」

「ああ。こちらこそ頼む」

 

 昨日1度顔を合わせたときもそうだったが、どうもこの若者は少々自分を相手に緊張し過ぎではないか、とレオは思わずにいられなかった。とはいえ、彼女はガレットの先代領主、さらに特別ゲストで戦無双の花形となればどうしてもそうなってしまうのはやむを得ないこととも思えたために、特に何を言うでもなく、しかしあくまで彼女は普通に話すことを心がけていた。

 

「それにしてもゲスト解説がバナード元将軍でこちらの助っ人が閣下となりますと……。もはやガレット様様ですよ」

「逆に国内戦なのに外様がでしゃばるようで少々申し訳なくも感じるがな。しかしバナードが解説、ついでにいうと相手方の口添えで呼ばれていると知ったのは昨日こっちに来てからじゃったし、大目に見てくれ」

「そのようなこと。この国はガレットほど戦が盛んではありません。そこに有名人、殊に閣下のようなお方がいらしてくださるとなれば誰も文句は言いませんよ。今日も昨日軽く打ち合わせしたとおり、好き勝手に暴れてください。私達はバックアップに徹して、邪魔はいたしませんので」

 

 今自身が言ったとおり、いささかでしゃばっているような後ろめたさをレオが持っていたことは事実だった。が、昨日今日とこう言われたのなら遠慮は無用だろう。ついでに、と先ほどパンシアと交わした約束のことも付け加えておくことにする。

 

「助かる。実は少々盛り上げるために、開幕に群がってくるであろう相手に派手に紋章術を叩き込む予定でいたからな。下手に味方が近くにいたのでは巻き込んでしまう」

「もしかして大爆破ですか!? ……いやあ、実は生で見るのは初めてなのでちょっと興奮しそうです。了解しました、皆に伝えておきます」

 

 興奮しそう、とは予想していなかったと彼女は小さく笑みをこぼした。やはり自分を持ち上げ過ぎている感は否めない。

 

「ああ、それと一応閣下のお耳に入れておいたほうがいいかと思うことがありまして」

「ん? なんじゃ?」

「先ほど実況であった通り、向こうも助っ人を雇っているようです。流れの傭兵でスフォリア・テッレという若者……まだ少年といってもいいほどの者だそうです」

「少年? そんな若くして傭兵を名乗るのか。それだけの大言を吐くからには腕も確かなのじゃろうが、面白そうな奴がいたものじゃな」

「ええ、かなり強いらしいですよ。向こうの指揮を執る隊長……テワナ千騎長と昨晩の夕食の時に話す機会があったのですがね。なんでも彼女が手も足も出ずに一瞬で力の差を見せ付けられたとか」

 

 ほう、と少し興味ありげにレオは相槌を打つ。

 

「そのテワナという千騎長はやり手なのか?」

「はい。戦の盛んなそちらと比べると、同じ千騎長でも見劣りするのは事実だとは思いますが……。それでも騎士の家の出ではないにも関わらず、女性で若くして千騎長まで昇ってきている、将来有望で優秀な人材です。少々プライドが高いのが玉にキズですが、自身で受け入れたことには素直に従う一面も持っています。そのために吸収が早く、また先ほどは欠点とは言いましたが、その自尊心でもって己を常に奮い立たせ、ここまで驚くべき速さで成長してきています。いい騎士ですよ」

「それをあっさりねじ伏せた、と」

「そうです。プライドの高い彼女がきっぱりと『格が違う』と言い切りました。実力の差をはっきり痛感している……。間違いなくかなりの使い手と思われます」

 

 意図せず、レオは笑みをこぼしていた。この国の優秀と呼ばれる人材を遥かにしのぐ流れの存在。興味を惹かれる。強者は強者とぶつかってこその戦。未だ正体を知らぬ傭兵に思いを馳せつつ、彼女の心は決まった。

 

「よし、開幕の紋章術の後はその傭兵を叩きに行くとしよう。よいか?」

「勿論です。閣下の動きたいようになさってください。……ああ、もうすぐ東軍の様子が映りますね。その傭兵殿の姿も確認できるかと思いますよ」

 

 その隊長の言葉通り、映像板を通して空中に映し出された映像からは東軍の主力騎士を中心にカメラが映像を捕らえていた。

 

『今回の東西戦はレオ閣下参加、という知らせを聞いてか、直前になっての駆け込み参加が相次ぎました! 結果、東軍5000対西軍4000というかなり大規模な数となっております! 無論この数の差はレオ閣下の戦力分、という配慮ですが……さらに東軍には事前に200ポイントというハンデ分のポイントが加算という異例の事態です! しかし……解説のバナードさん、どう見ますか?』

『それでも足りないでしょうね。あの方がその気になれば1人で相手を全滅、なんてことをやりかねませんから』

 

 それはさすがに言い過ぎだろうとレオは1人苦笑をこぼした。全盛期ならまだしも、衰えを感じ始めた今はそこまで出来るかわからない。

 

『そんな不利、と言われる東軍ですが、指揮を執るのは若き女性騎士、テワナ・コンテレ千騎長です! 実力は折り紙つき、しかもそのクールな雰囲気と秘めた美しさも相俟って、早くも多くのファンがいると聞きます!』

 

 じろり、と紹介を受けた騎士がカメラの方をひと睨みする。なるほど、きつそうな性格ようだがなかなかいい目をしているとレオは感じた。その騎士をもって格が違うと言わしめるほどの傭兵。一体どんな存在かと姿を見るのを心待ちにしていた彼女は――。

 

「なっ……!?」

 

 次に映し出された少年の姿に絶句した。

 

『さらに東軍には強力な助っ人がついております! これまで様々な戦場を渡り歩き、先日は南オランジェで大暴れした後、MVP最有力候補だったにも関わらず突如姿を消したという流れの傭兵、スフォリア・テッレ! そんな気まぐれやが東軍に姿を見せています!』

 

 しかしレオが言葉を失っていたのはそこまで。次には声を殺したまま小さく笑っていた。

 

 髪と耳の色こそ違うが、あれ(・・)は間違いない。いや、彼女が彼を見間違えるはずがない。

 

「あの……。レオ閣下、どうかなされました?」

 

 いきなり様子が変わったことを不審に思ったのだろう。西軍の隊長がそう尋ねてくる。それに対し、レオは浮かべた不敵な笑顔を崩すことなく静かに、しかし異を唱えさせない声色で告げた。

 

「……さっきも言ったが、あの傭兵はワシが相手をする。一般参加の連中は構わぬが騎士には絶対に手を出させるな。よいか?」

「え、ええ……。わかりました」

 

 畏怖を感じたような返答であったが、レオはそれをもはやまともに聞いていなかった。この後の戦いと、そして偶然という巡り合わせに感謝をしつつ、沸き立つ心を抑えることが出来ずにいた。

 

「時が来た、ということじゃな……。祖国ではなかったが、戦場での再会とはいかにもワシとお前におあつらえ向きな話ではないか。久しぶりに心が躍る、いい戦になりそうじゃ。

 ……さて、どれほど成長したか見てやろうぞ、レグ!」

 

 

 

 

 

『対する西軍! こちらの目玉はもはや説明不要! あの『百獣王の騎士』レオンミシェリ閣下です! 数多のハンデを貰いながら、それでもバナードさんに足りないと言わしめる戦無双! 今日はどれほどの活躍を見せてくれるのか!?』

 

 映像に映し出されたのは何やら不敵に笑みを浮かべたレオの姿だった。カメラに視線を向けようともサービスに手を振ろうともせず、ただただ不敵に笑っているだけ。そんな母の姿を見て、息子は思わずため息をこぼす。

 

「で、殿下……。本当にレオ閣下ですよ……」

「言われるまでもなく見りゃわかるだろうが。……しかもおふくろ、俺の存在に完全に気づいたな。あの顔見りゃわかる、ありゃ俺だけを狙ってくるぞ」

 

 どこか諦め気味にレグルスはそう答える。当然ではあるが彼も、そしてプロヴァンスも戦支度は既に済ませてある。レグルスは防具としては脚甲だけを身に着けて腰に剣、背に矢筒とそこに弓をかけている。プロヴァンスは重厚な鎧と背中に大剣だ。

 やはり以前にレグルスが思ったとおり、レオは一応隠している彼の正体などあっさりと見抜き、さらに嬉々として自分を狙ってくるらしい。いかにも母らしい。大方、戦場での再会という事態を喜んでいるのだろう。

 

「じゃあ予定通りにいくんですかい?」

「ああ。特攻覚悟で一般参加がおふくろに突撃するだろうから、そこが蹴散らされてからが本番だ。うまいこと予定場所におびきだす」

「了解です。出来る限りでお供いたします」

「頼りにしてるぜ、プロヴァンス」

 

 謙遜したように「いやいや」と述べた従者兼相棒だったが、レグルスは己の言葉通りにプロヴァンスを頼りにするつもりでいた。

 レオのパワーは何度も手合わせして身に染みている。自身では足りない。スピードとテクニックでもって自分が撹乱し、パワーのプロヴァンスが押し切れるような状況を作り出す。そこに勝機があると踏んでいた。

 

「スフォリア殿」

 

 と、そこで不意に凜とした声がかけられる。声の主はテワナ。戦の前に嫌味のひとつでも言われるのかと、「何か?」と適当に返事を返した彼だったが――。

 

「大役、お任せします。この戦の後、共に勝利の美酒を味わいましょう。ご武運を!」

 

 これには虚を突かれた。既にテワナは視線を戻して周りの騎士達に指示を飛ばしており、レグルスは返答のタイミングを完全に失ってしまっている。代わりに本人には届かないとわかっていながらも、笑みでもって自身の中で完結する答えとしていた。

 

「あの高慢ねえちゃん、なかなか面白いじゃねえか。ウマあわねえと思ってたのによ」

「そうなんですかい? どう考えても顔を合わせたら嫌味を言うあなたと不快感を見せるあの千騎長という構図しか思い浮かばないのですが」

「確かに普通に話せばそうなるだろうよ。だが、俺の腕だけは信じてくれたらしいからな。まさか激励されるとは思ってなかった。……こいつはご希望に添えなきゃならねえな」

 

 そう呟き、レグルスが己を奮い立たせるように笑みをこぼしたところでハイテンションな実況が響き渡る。どうやら間もなく開始らしい。

 

『そろそろ開戦の時間となりますが、最終確認です。今回の主戦場はドラジェ山岳アスレチック地帯周辺となります。真っ向勝負はその山岳部南側にあります、限られた平野部で行われるものと推測されますが、腕にさほど自信がなくても問題ありません! そんな参加者の方々は、北側にあるこのドラジェが誇る名物アスレチックを攻略するだけでもポイントを稼げ、自軍の貢献となります!』

『そこはまさにこの国の名物、と言えるでしょう。山岳地帯の多いドラジェの特徴をうまく生かした様々なアスレチック、私が将軍だった頃は合同演習でいい特訓材料として騎士から好評な声が上がってました』

『これは元将軍からのありがたいお言葉ですね。そこのアスレチックの方も興味深いですが……。しかしやはり目玉はレオンミシェリ閣下でしょう! いかがですか、バナードさん?』

『おっしゃるとおりですね。一太刀でも浴びせることが出来ればたちまち名はあがります。命知らずな東軍の方々が、彼女に仕掛けようと殺到するかもしれませんね』

 

 レグルスがフン、と鼻を鳴らした。その意図を図りかね、プロヴァンスが「どうしました?」と尋ねる。

 

「うまいな。さすがバナード」

「は?」

「煽ったんだよ。これでおふくろのところに特攻覚悟で突っ込む馬鹿が増える。するとどうなるか」

「でかい紋章術で一掃、ですか? でもそれじゃ結局玉砕でしょう? 向こうに一般参加の撃破分ポイントをくれるだけじゃ……」

 

 違うな、とレグルスはそれを否定した。

 

「確かに表面上、数字の上では向こうに有利となるだろう。だがおふくろに一発紋章術を撃たせるというのは、それだけ疲弊を誘える、ということになる。……とはいえ、全盛期より衰えたとか言ってても相変わらず底無し輝力と言ってもいいおふくろには効果薄かもしれねえけど」

「じゃあ結局無駄じゃないですか!」

「それがそうでもない。まず間違いなくおふくろは俺を狙ってくるが、有象無象といえど数が群がってきたらそれを蹴散らすために俺への注視を一旦切って、紋章術で蹴散らすという対処を取る。つまり、その間はこっちの動きから目が離れ、俺たちが気づかれずに移動する時間が生まれるってことだ」

 

 一度は否定の声を上げたプロヴァンスだったが、なるほど、と納得したらしい。2人はレオを平野部で相手にするつもりはない。山岳アスレチックの一角、自分達にとって有利になる場所に引きずり出すつもりでいるのだ。

 しかし狙い通りに事が運んだとして、それでもまだまだ分が悪いことをレグルスはわかっている。とはいえ、無策で相手に挑むよりは遥かにマシだろう。

 

『間もなく開始の時間と相成ります! 時間いっぱいポイント勝負のこの戦、勝つのは東軍か、はたまたレオ閣下有する西軍か!?』

 

 その実況からやや間が合って、花火の音が辺りに響き渡った。

 あとは己の立てた策と相棒を信じて戦うだけ。周りで上がる雄叫びに混じって、レグルスも短く気合の声を上げた。

 

 戦開始。ドラジェ国内戦、そしてレグルスとレオ、2人の再会の戦場という舞台の幕が、今上がった。

 

 

 




ドラジェについてはドラマCD2で比較的詳しく描かれています。レザン王子(あくまでこの話の中ではそこから年数経過しているので国王扱いにしていますが)のことや、ドラジェの人はイタチのような耳と尻尾を持っていること、山岳部にアスレチックがあるということもここで判明します。
また、今回ゴドウィンの息子、という形でプロヴァンスを出してるわけですが、そのゴドウィンと妻エリーナとの出会いも、その中で語られます。

なお自分はドラジェのオリキャラの名前をテキーラの銘柄統一としてしまいましたが、おそらくメキシカンな国ではないと思われます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 6 高らかなる咆哮

 

 

 

 開幕と同時、両軍とも部隊はほぼ2つに分かれた。南側平野部で真っ向勝負を仕掛ける部隊と、北側アスレチックエリアを攻略する部隊。当然レグルスは前者だ。しかし平野の中央部に展開するテワナの隊からは離れ、やや北寄りのエリアをセルクルとともに駆ける。

 注目ゲストということもあってか、ほぼ常時カメラに撮られっ放しなせいでレオの移動ルートはレグルスに筒抜けだった。案の定、自身に狙いを絞り、最短距離で突っ込んでくる様子だと予想できる。しかし、それ故その移動ルートは読みやすい。

 レグルスは手でプロヴァンスを制し、セルクルの速度を緩めさせた。代わりに彼が「特攻覚悟」と評した一般参加者達が前へと出て行く。こちらは結構な数だが、相手はレオの周りに味方を配置させていないらしい。おそらく彼女があえて遠ざけさせたものだろう、と推察できた。

 

 先行した部隊がレオと激突しそうなところで、映像の中の彼女は突然セルクルから飛び、その前方へと降り立った。そのまま背後に紋章を(まばゆ)いばかりに輝かせる。青と黒に彩られ2頭の獅子が描かれた、雄々しさと荒々しさが共存する、レグルスにとっても馴染みの深い紋章。そこを通し、エメラルドグリーンの輝力の光がレオの体から溢れ始めたのを見て彼は小さく笑みをこぼした。

 

「狙い通りだ。最大級のをぶっ放してくれるようだぜ。……プロヴァンス、進路変更だ。予定地点に向かうぞ!」

「了解です。しかし最大級、っていうと、やっぱ……」

「ああ、あれのようだぜ」

 

 移動しつつも、彼は映像を確認する。自分の予想を証明するかのように、彼女は気合の声と共に斧を地面へと叩きつけた。直後、地面から火柱が昇るのがわかる。

 

『で、出たー! あの紋章術はレオ閣下の代名詞、獅子王炎陣大爆破! 開幕にいきなりとは驚きではありますが、東軍の出鼻をくじくつもりでしょうか!? 既に多くのだまが宙を舞っていますが、まだ本発動ではありません! 一体何人ここから逃げ切れるかー!?』

 

 実況がそこまで言ったところで、「大爆破!」という叫び声がレグルスの耳に入ってきた。間を置かずして、進路を変更した彼の背後でその言葉通りの大爆破が巻き起こる。

 

「……ったく、相変わらずやることが派手だね。あんなもん食らったらひとたまりもねえだろうな」

 

 そんな彼の独り言を証明するように、映像には爆発後に降り注ぐだまの様子が映し出されている。しかし技を放った当の本人はそれを気にもかけていない様子で、紋章術の範囲外に逃れていたセルクルが駆け寄ってくると再び跨った。

 

『爆破ー! これに巻き込まれてはひとたまりもありません! レオ閣下にしかけようとした者は漏れなくだま化の全滅です! 相変わらずの凄まじい威力!』

『派手な開幕花火です。いやはや、閣下らしい』

『……っと、しかしレオ閣下、無双の余韻に浸ることなく、早くもセルクルを走らせ始めました。これはどうしたことか?』

 

 その実況を聞いたからというのもあるが、確実に追って来ている、とレグルスは感じていた。距離があってもわかる。己に突き刺さるような、戦う楽しみも求めているような、そんな殺気。

 どうやら相手はそれほどに再会が待ち遠しくて我慢できないらしい。やはり自分の予想通りだったと改めて感じる。母は自分と戦いたくてしょうがない。久しぶりに剣を交えて成長を確かめたがってやまない。戦場での再会、それが自分達には相応しいのだと、はっきりそうわかっていた。

 

 2人を乗せたセルクルが足を止める。山岳アスレチックエリアのひとつ、「飛び木地帯」と呼ばれる場所だ。その名の通り、傍から見ると巨大なキノコのようにも見えるその足場は、上から見れば飛び石よろしく木で作られて点々と存在しているのがわかる。ひとつの足場はそれぞれに高さもサイズも少々異なってはいるが、大体が地上から高さ、四方のサイズが共に約2メートル程、人が2人も乗れば狭いぐらいに感じるだろう。今回は攻略することでポイント対象のアスレチックとはならなかったが、単純なアスレチック戦の場合には使われる場所である。また、狭い足場での戦闘訓練としてはもってこいであり、演習等ではよく使われていた。

 彼はここを母との戦いの場所に選ぼうとしていた。ところが相手は大振りな得物を使ってのパワー戦が得意。一見この自然と近接戦(インファイト)にならざるを得ない足場はレオ有利、と見えるかもしれない。だが相手の得物は大振り、かつ、防御という点まで含めて移動範囲を制限される状況では一概にそうとも言えない。

 レグルスはそこに勝機を見出そうとしていた。防御重視の自分が相手を揺さぶり、パワーのプロヴァンスが重い一撃を打ち込む。とにかく相手のペースを乱し、そのパワーの一撃で押し切ろうという考えでいた。2対1が前提の、プロヴァンスとの連携による攻撃。それを使って相手を揺さぶり、あわよくば有効打を打ち込むのが彼の狙いである。

 

 そんな彼の狙いを知っているのかいないのか、それとも意にも介さないのか。ややあってそこに着いたレオは、目標が飛び木の上とわかると同じ足場ではなく、隣り合った足場へと跳躍して飛び乗る。そして、目標の相手を見つめ、ニヤリと獰猛な笑みをこぼした。

 

「久しぶりじゃな。……いや、あくまで初めまして、と演技するところから入った方がいいのか? 流れの傭兵殿?」

 

 思わずレグルスは苦笑をこぼした。再会を懐かしむものだろうと思い込んでいたが、うまい皮肉がとんできたと思う。だがなんでもいい。確かなのは、この後剣を交えるということだ。

 

「好きにしてくれ。どうせおふくろの目はごまかせないだろうし、間違いなく俺を狙ってくるとは思ってたからな」

「そうか。……じゃがなんじゃ、その髪の色は? まったく、ワシに似た自慢の髪が台無しではないか」

「偽装だっての。紋章術によるこの手のトリックは、この黒髪を似せた相手である親父の得意技だろ。これだけで印象変わるんだよ。先代領主の息子って身分を隠して放浪するにはこういうのがいいだろうしな」

「結果、『流れの傭兵』か? ……面白いことをしていたもんじゃな」

 

 へっ、と返し、レグルスは静かに腰の剣を抜いた。プロヴァンスは既に背中から大剣を抜いており、構えてこそいないものの両手に持っていつでも戦闘態勢に移行できる状態だ。

 

「その旅の成果がどんなもんかは、これから見せるってことで。……2対1でやらせてもらうけど、文句は?」

「ないな。別に構わんぞ。プロヴァンス、お前はワシがゴドウィンの代わりにどれほどになったか見てやろう」

「お、お手柔らかにお願いします……」

 

 その返答に、耐えかねてレグルスが吹き出した。レオは失笑しているらしい。

 

「馬鹿野郎、そんなガチガチじゃ一瞬でだまになるぞ」

「レグの言うとおりじゃ。余計な遠慮は無用。……死ぬ気でかかってこい。さもなくば、ドリュール家の名を汚すことにもなりかねんぞ」

 

 さて、とレオは斧を軽々と一振りし、感覚を再確認した。そして、静かに、だが確かな気迫とともに構える。

 

「では……始めるとするかの!」

 

 

 

 

 

 睨み合いの状態を破り、レグルスとプロヴァンスが飛び出したのは同時だった。しかしレグルスは左の足場へ、プロヴァンスは右の足場へと位置を変える。典型的な挟み撃ちの形。

 その迂回を経て、先にレオに斬りかかったのはレグルスだった。紋章術を発動させるでもなく、己の身体能力だけで彼女の立つ足場へと飛びつつ、剣を振り下ろす。

 それに対し、彼の母は右手の斧を軽く振るっただけだった。それだけで両腕で力をこめて振り下ろしたレグルスの斬撃と拮抗、いや、わずかに押し返し、彼を足場の縁へと着地させる。

 その隙に、やや遅れてプロヴァンスも足場から飛び移りつつ大上段に大剣を振り下ろして斬りかかった。挟み撃ちに加えての時間差攻撃。さらには右手をレグルスの迎撃に使わせた後。盾を持っているとはいえ左手1本での防御は、プロヴァンスの怪力をもってすれば破れるかもしれない。そう踏んでのレグルスの仕掛けだったのだが――。

 

「甘いわ!」

 

 レオはあえてプロヴァンスの方へ距離を詰める。これによって武器の振り下ろしのポイントをずらされた相手に対し、盾で攻撃を受け流すのではなく、相手に叩きつけることで行動自体を封じた。

 シールドバッシュ。本来防御に用いる盾で相手を殴る攻撃方法だ。レオ持ち前の力で叩きつけられた盾による打撃は、重厚な鎧に身を包み、さらには巨躯でもあるプロヴァンスをやすやすと先ほど飛び出した足場まで吹き飛ばす。

 今度はそこを狙って死角からレグルスが迫る。しかし相手は百戦錬磨のレオだ。気配でそれを感知、袈裟に斬り下ろした切っ先を見切り、後退して攻撃をやり過ごす。

 が、そこで狭い足場ギリギリに追い込んだのをレグルスも見逃してはいない。追撃に今の斬撃の勢いを利用して体を捻りつつ上段への左後ろ回し蹴りを放つ。上体を反らしてレオはそれをかいくぐった。体勢を崩したそこへレグルスの本命、大上段からの斬撃。だが絶妙のバランスコントロールとその身体能力でレオは体を戻しつつ、左手の盾で剣を受け流した。反撃に斧を横に薙ぎ、回避を選んだレグルスが跳び退く。そのままもう1度後ろへと跳び、3人それぞれ別の足場についたところで一旦間が空いた。

 

『こ、これは目まぐるしい攻防だ! スフォリアとプロヴァンスの見事な連携による挟撃と時間差攻撃! しかしそれをあっさりとかわしたレオ閣下! やはりこれは目が離せない戦いになりそうだ!』

 

 興奮気味の実況を、レグルスは焦りと予想通りという相反する思いで聞いていた。ほんの短い時間の攻防だったが、それだけでわかったことはある。まずは心を落ち着け、それを冷静に、かつ迅速に理解と分析をしなくてはならない。

 

 これまで他の国の戦において、隊長クラス程度ならこの連携で十分通用した。だが相手がレオとなれば当然それで決まるなどと思っていない。それでも多少の効果はあると見込んでいた。

 しかし実際のところ、有効打はおろか相手を揺さぶることさえできない。むしろ完全に防ぎ切られたことで、逆にこちらが精神的にダメージを受けてしまっている。

 

『どう見ますか、解説のバナードさん!』

『確かにスフォリア殿の連携による攻撃は見事です。しかし……そこはさすが戦無双。レオ閣下は全てを看破しておられるようですね。移動を制限される足場という不利な状況をまったく感じさせない、見事な立ち回りです』

 

 さすが元将軍は適切な観察眼をお持ちだ、とレグルスは内心で彼を評価する。わざわざ体を捌きにくい、動きを制限される足場に誘い込んだというのにそのアドバンテージを生かし切れない。死角を突いても研ぎ澄まされたカンでそれを読み切られ、自分の攻撃は片手の斧と盾に止められた。まるで付け入る隙がないように思える。

 しかし、と彼はそれを頭の中で否定する。あくまで止められたのは自分の攻撃のみ。プロヴァンスの攻撃に対しては盾でいなすのではなく、攻撃自体を潰しにかかった。そここそが未だ残る可能性。得物の重量に怪力が乗った一撃を片手で防ぎ切れない場合を配慮してのシールドバッシュではないだろうか。

 だとするなら、まだ2人合わせての素の技量勝負で完全に負けている、とは言いがたいとレグルスは考える。イチかバチかの危険性のある勝負を仕掛けるには少々早い。牽制の延長線、同じ戦い方を続ける意味はまだある。

 チラリとレグルスがプロヴァンスに視線を送った。僅かな視線の動きで主が何を望んでいるのかを汲み取り、彼は小さく頷く。

 

 次に仕掛けたのはプロヴァンスが先だった。レグルスは踏み込む、と見せかけて一歩を踏み出したが、そこで足を止めている。

 息子はフェイント、と判断したレオは矛先を完全にプロヴァンスに向けた。大上段に振り下ろされる大剣に今度は斧をぶつけて迎撃する。元々握り締めていた右手と、盾を持ってはいるものの添えられた左手。完全に両手分とまでは行かなくとも、実質片手以上の力を得て豪快に振るわれた彼女の得物が、大剣と刃を合わせて火花を散らしつつ激しい金属音を打ち鳴らす。次いで先ほどのシールドバッシュ時同様、相手の巨体ごとレオは力で押し返した。

 が、直後、振り抜いた斧に添えられていた盾を持つ左手を背後へと回す。そこに一瞬遅れて矢が飛来し、盾はそれを防いだ。

 レオが背後を振り返ると同時、レグルスも足場を踏み切って飛び出す。今の弓による一射のために空中に放り投げていた剣を掴みなおし、弓を背中の矢筒へ戻す。そのままレオが立つ足場の縁ギリギリ、互いの間合いの僅か外に着地し、低い姿勢で間合いを詰めて近接戦(インファイト)へ。

 させまいとレオが斧を横に振るう。それに合わせてレグルスが下から剣でかち上げ軌道を変え、かろうじてその下をかいくぐった。反撃に剣を横に薙ぐ。レオは左手の盾でそれを防御。

 続けて放たれた左足の回し蹴りを斧を持った右手の手甲で受け止める。さらに続きそうな連撃の予感、このままではペースを乱されるとレオは感じた。間合いを空けて仕切りなおしたいが自身の今の位置は狭い足場の縁。やむなし、と彼女は隣の足場へと大きく跳躍した。

 

「プロヴァンス!」

 

 それを待っていたようにレグルスが叫んだ。隣の足場への着地と同時、レオは横から迫る気配を感じて攻撃を繰り出す。レグルスの叫びの通り、飛び込んできたのはプロヴァンス。先ほどの切り結んだ時と同様、大剣に斧をぶつける形で迎撃となった。しかし今度は着地間際というベストからは程遠い姿勢、少し前のように相手を押し返すことは叶わなかった。レオは攻撃を食い止めるのが精一杯となり、たまらず間合いを空けて追撃に備える。

 そこに矢が飛来した。目で確認するより早く気配で察知し、レオはそれを斧で弾く。

 直後、再びプロヴァンスが仕掛けた。得物の重量と怪力を乗せ、大剣を横一文字に振るう。矢に対する防御後ではあったものの今度は姿勢もほぼ万全、レオはそれを真っ向から受け止め、力で確実に押し返した。反撃に転じようとするレオだが、プロヴァンスは後方の足場へと飛び退き、さらに追撃を阻むようにまたしても矢が飛んでくる。身をよじって交わしたレオは、レグルスが剣を足場に突き刺して弓を放ったこと、退いたプロヴァンスが彼と同じ足場に移動したことを確認し、追撃の手を休めてインターバルを挟む選択を取った。

 

『ご、ご覧いただけていますでしょうか! 2対1とはいえ、あのレオ閣下相手にこれだけの善戦を見せている流れの傭兵、ただものではありません! いかがですか、バナードさん!?』

『実に見事な連携ですね。スフォリア殿が持ち前のスピードとテクニックでレオ閣下を揺さぶり、ここぞというところでパワーが自慢であろうお供に仕掛けさせる。事実、純粋な力だけならレオ閣下にも劣らないほどの強力な攻撃のようだ』

『では、もしその強力な攻撃が当たるようなことがあれば、もしかしたら、ということもあると……?』

 

 その実況の言葉に、戦場の親子は同時に小さく笑みをこぼした。共にわかっている、そんな「もしかしたら」はまずあり得ない。ここまではあくまで互いに純粋に技量勝負、いうなれば模擬戦の延長線上。しかしここから先は違う。互いにそれを悟り、これまでと戦いの質が変わる、と予感したからの笑みだった。

 

『そううまくはいかないでしょう。ここまで互いに紋章術を見せていない。つまり双方、特にレオ閣下にとってはまだ準備運動に過ぎないわけです。……私個人としては、ここからスフォリア殿がどう仕掛けるのか、非常に興味がありますね』

 

 他人事のように気安く言ってくれたバナードに対して、レグルスは思わず失笑をこぼしていた。今すぐ返答できるなら「見事な解説ですね」と皮肉をこめて言ってやりたい。しかしそれは叶わないと諦め、代わりにこれからの展開を話そうと横のプロヴァンスに小声で喋り始める。

 

「どうにかこうにかいいペースで戦えてきてるが……。残念ながらここまでだろう。今バナードが言ったとおりだ。こっからはおそらくおふくろは紋章術を使ってくるぞ」

「本気……ってことですか。やべえやべえ……」

 

 まだプロヴァンスは軽口を叩く余裕ぐらいはあるらしい。もしかしたら自分の攻撃がいい線までいったことで自信をつけているのかもしれない。自惚れかもしれないが、今はそのぐらいでいい。心で負けるようでは、戦う前から負けることになるのだから。

 

「腕を上げたな」

 

 と、そこでレオが2人に話しかけてきた。だが言葉とは裏腹、表情はどこか嬉しそうに見える。

 

「特にプロヴァンス。ワシの体勢が崩れていたことと少々衰えを感じつつある現状分を差し引いても実に重い、いい一撃を打ち込むようになったものじゃ。父に胸を張って強くなったと言っていい。出てきたときは百騎長だったか? もし国に帰ったときに騎士団に戻るつもりがあるのなら、ワシが直々に千騎長に推薦してやろう」

「きょ、恐縮です……」

「ここまで2対1、加えてこの足場というアドバンテージをうまく使って、技量を五分まで持ち込もうと工夫して戦ったことは見事じゃ。しかし、先ほどバナードが言ったとおりここから先はワシも本気で行く。……やはり模擬戦感覚で戦って勝てる相手ではないようじゃからな」

 

 言うなり、彼女は紋章を背後に輝かせた。ここからは紋章術を使う、という先ほどの言葉の証明と意思表示、そして勇ましい紋章を誇示することによって相手に与える威嚇。その紋章を背に、彼女は得物を追い詰めた狩人のように獰猛に笑みを浮かべた。

 

「さあ、どう来る? 好きにかかって来るがよい!」

 

 やる気満々の母に対し、息子は小さくため息をこぼした。先ほどプロヴァンスに言ったとおりここまではいいペースだった。プロヴァンスの一撃を全て押し返されたわけでない点を考えれば、出来過ぎと言ってしまってもいい。だが問題はここからだ。

 

 正体を隠すために紋章を偽っている自分と、お世辞にも紋章術の扱いがうまいとは言えないプロヴァンス。どう考えても、通常なら勝ちの目はない。偽の紋章などという小細工をしながら使った紋章術で戦えるような相手ではない。やるからには全力をぶつけないと話にならない。そのことは彼は重々承知していた。

 かといって本物の紋章を輝かせれば、目の前にいる王族と同じものであることからほぼ間違いなく正体は露見する。それはすなわち、彼のこの旅の終わりを意味していると言ってもいい。

 だが同時にもうやむをえないという諦めの気持ちも、彼の中にはあった。可能ならまだこれからも流れの傭兵などということをやっていたかったが、ツケを払う時が来たと、少々長く逃げすぎたともわかっている。だったら、と彼が己の真の紋章を展開しようとした、その時。

 

「……殿下、そいつはちょっと待ってもらえますか」

 

 自身が何をしようとしているのかを見抜いたのであろう。プロヴァンスが不意にそう声をかけてきた。

 

「待て、ってどういうことだ?」

「それをやったら、殿下はもうお忍びで自由気ままな傭兵稼業なんてことは出来なくなるでしょう。それでいいんですかい?」

「いいも悪いも、これまでのなんちゃって紋章術なんざ到底通用しない相手だぞ? 俺もお前も本気でかからないと、一瞬でだまになってノックアウトすらありえる状況に突入するってわけだ。もはや策をめぐらせて戦う範疇は越える。だが俺もお前も紋章術全力で戦えば、うまくすりゃいい線まで持っていけるかもしれねえ」

「確かにおっしゃるとおりかと思います。ですが俺が聞いてるのは、この旅が終わりになるかもしれませんが、それでもいいかということです。これまで殿下は随分と楽しそうでいらっしゃった。それを終わらせてもいいんですか?」

「そりゃ今まで楽しかったけどよ、いつまでも続けられないことはわかってる。だったらもうしょうがねえだろう。この際、自分の手でそれを終わりにするのも、まあ悪くねえとは思えるぜ」

 

 僅かに、プロヴァンスの口元が緩むのが見えた。こいつにしては珍しいとレグルスは思う。

 

「さすが殿下だ。それでこそ俺が心底尽くしたいと思えるお方ですよ。……ですが、要するにどうにかすればいいわけでしょう? あなたが正体を隠したままでも、ね」

「それはそうだが……。言ってるだろうが、それが出来る相手じゃねえって」

「そうかもしれません。が、()()()()()()かもしれません。……殿下、最後の手を打つ前に、ダメ元で一発大勝負をしませんか?」

「大勝負だぁ?」

 

 訝しむ表情のレグルスに対して何やら含んだように笑うプロヴァンス。普段とまったく真逆の構図だと、らしくない声を上げてからレグルスはそう思っていた。

 

「ええ。俺は紋章術はお世辞にもうまくはない。ですが……出力だけならそれなりに自信はあります。加えて、パワーなら父譲り、先ほどレオ閣下からもお墨付きをいただき、事実、状況によってはあの方を押し切りかけた……」

「お前……まさか……」

「俺に前座をやらせてください。あくまで、俺だけが紋章術全開の全力で打ち込む。もしそこで運よく勝つなりうまいこと押し切れそうなら、殿下は紋章を披露することなく終わって正体がばれることもなく、それで万事収まります。ダメだったとしたら、その時に最後の手を打てばいい。……いかがです?」

 

 レグルスはしばし押し黙る。プロヴァンスとは共に旅をする前から何かと仲が良く長い付き合いだ。だが相手がこれだけはっきりと何かを頼み込んでくるのも、さらには明らかに分の悪い賭けまがいの話を持ち出すことも初めてだった。裏を返せば、それだけ自分のことを思ってくれている、ということに他ならない。本当ならまだ「スフォリア・テッレ」でいたいという未練を見抜き、少しでも今後そうしていられる可能性の高い方法、ということでの提案なのだろう。

 

「だがドリュール家の紋章だって、俺の紋章ほどじゃないにしろ有名だろうが。いいのかよ」

「何、その辺りはいくらでも言い訳が聞くでしょう。スフォリア殿が旅の途中でたまたま俺と出会って意気投合、それで旅をしている、でも話としては辻褄が合うでしょうし。加えてそういうのを考えるのはあなたの得意分野でしょうから、問題ないかと」

 

 彼としては最終確認のつもりだった。しかしこれはうまいこと言いくるめられた。ならばもうこれ以上の念押しは野暮というものだろう。レグルスは、ここまでよく尽くしてくれている相棒の一撃に賭けることにした。

 

「……よし、そこまで言うならお前に任せる。隙はなんとかして俺が作ってやる。そこまで力は温存しておけよ。そんでいけると思ったら……全力の一撃をぶち込んでやれ!」

「了解!」

 

 打ち合わせを終えた2人は、紋章を輝かせるレオに対してあくまでこれまでと同様に構えた。それを見て小さく鼻白み、レオは背後の紋章を消して構えなおす。

 

「いきなり撃ち合いはなし、か。……まあよい。楽しみは最後に取っておいたほうが面白かろうしな!」

 

 ともすればそれだけで足がすくみそうな程の気迫。それを真っ向から浴びつつも、レグルスはまったく怯むことなく飛び出した。紋章術により身体を強化、先ほどを越える速度で一気にレオの足場へと飛び移る。

 速い、と実感しつつも、レオも得物を振るって迎撃へ。彼女も同様に身体強化をしている。これまでの速度以上で振るわれた武器だったが、レグルスはその手前で踏み込んだ体を急制動させて足場の縁ギリギリまで後退、間合いを離して回避する。

 攻撃をやり過ごし、今度こそ彼の間合いへ。手の甲にわずかに紋章を輝かせ、輝力を込めて両手で剣を振り下ろした。

 しかしレオはこれを左手1本の盾でもって受け流す。そのまま反撃の予兆をレグルスは察知し、食い止めるために下段へと足払い。が、これは相手の跳躍に回避された。

 そのままジャンプの重力の勢いも利用し、さらに手の甲に紋章を輝かせてレオは斧を振り下ろした。レベル1分輝力を上乗せした攻撃。だがレベル1とはいえ、先ほど彼が放ったものとはその破壊力が違う。それを重々承知しているレグルスは受け止めるという愚行を最初から選択肢に含まず、回避に専念してやり過ごそうとした。

 狙い通りにレグルスは回避こそ成功したものの、足場に叩きつけられた斧はその破壊力を遺憾無く見せ付けていた。強度の限界を越える衝撃に飛び木が悲鳴を上げ、亀裂を生んで崩壊を始める。その足場が完全に崩れ去る前に、2人はそれぞれ別の足場へと移動していた。

 直後、レオが着地して仕切りすために一旦心を落ち着かせようとしていた時だった。左手側から鋭い殺気が迫る気配。見れば、レグルスが背後に紋章を輝かせて飛びかかりつつ斬りかかろうとしているところだった。彼女がよく知る紋章ではない。だが輝きから見てレベル3と推測できる。

 

「チイッ!」

 

 幾らレオの紋章術発動速度が優れているといっても、この状況からレベル3は間に合わない。真っ向切ってのぶつかり合いを望みたかったがそれは叶わず、やむなく彼女は咄嗟に背後に紋章を浮かび上がらせるレベル2でこれを迎え撃つ選択を取った。あくまで防御重視、まずは攻撃を防ぎ切ることを優先し、輝力を込めて彼女は斧を振るう。

 

「はあああああッ!」

 

 そこに渾身の力を込めていると予測できるレグルスの一撃が振り下ろされた。互いの輝力と得物が衝突し、辺りにも衝撃が走る。

 が、レオはこの一撃に大きな違和感を感じていた。

 

 自分自慢の息子の紋章術レベル3による一撃は、この程度の軽さだっただろうか。これでは旅に出る前より劣ってしまっている。この程度なら、レベル2も不要、レベル1でも十分に事足りる。

 そう思いつつ、彼女は自身の予想通りにあっさりと息子を押し返した。刃を交えた時間はさほど長くない。しかしその間に手加減、というのとはまた違う何かを感じていた。まるで息子は本気を出さないのではなく()()()()ような。

 そしてどうにか隣の足場に受身を取って着地したレグルスを確認すると同時、紋章のことに思い至った。そこで自分がさっき抱いた感覚は間違えていなかったと悟る。

 

「……そうか。そういうわけか」

 

 そもそも紋章術とは輝力を源として発動させるものであるが、その際発動の補助をするのが紋章である。紋章は何も家系(かけい)や所属を表すシンボルという意味だけではなく、その中に存在する紋章回路によってより効率よく輝力を変換させ、紋章術の発動を手助けするという側面も持ち合わせている。

 つまり、偽りの紋章を見せているというのは本来の紋章を使用してないことになるために、紋章回路を使用せずに紋章術を使っていることに他ならない。それでは言うまでもなく輝力の変換効率は劣悪となり、本来の力の半分も出し切れないことを意味している。

 だがレグルスの本来の紋章はガレットの王族、あるいは召喚した勇者などの限られた者にしか使用を許されないガレット紋章だ。この紋章を使用出来る者はそう多くはない。使用を許可された15歳前後の男、という条件で考えれば、この流れの傭兵はレグルスではないかという結論に人々が行き着くのは容易なことだろう。

 

 よって、ここからレオが導き出した結論はひとつだった。それは、レグルスはあくまで己の正体を徹底して隠したい、ということ。

 

「そこまでして、お前は……」

 

 考えがまとまり、レオがポツリと独り言をこぼすと同時だった。今度は背後からの殺気。

 振り返れば、ドリュール家の重厚な紋章を眩いまでに輝かせ、大上段から斬りかかって来るプロヴァンスの姿がそこにあった。

 

「叩き込め!」

 

 レグルスの言葉にプロヴァンスが吠える。させまいと、レオも再び紋章を背後に浮かばせた。

 

「うおりゃあああああ!」

 

 先ほどのレグルス同様相手と切り結び、しかし今度は少し前のそれを上回る重さをレオは感じていた。さすが父譲りの馬鹿力、紋章術こそ荒削りでまだまだではあるが、連発時の今の自分からすれば脅威になりうるほどの一撃だと彼女は判断する。故に手を抜く余裕などない。

 気合の声と共にレオはさらに輝力を動員し、込める力を増す。ほとばしる彼女の輝力とプロヴァンスの攻撃を受け止めた衝撃によって足場に亀裂が走る。しかしなおもその力を膨れ上がらせ、ここまで拮抗していた大剣の一撃を僅かに押し返した。プロヴァンスはどうにか堪えようとする様子だったが、こうなってしまってはもう止められない。次の瞬間には武器を振り抜かれて吹き飛ばされていた。

 

 相棒の攻撃が失敗に終わったのを見て「やっぱダメか……」と漏らしたレグルスの一言を、レオは崩壊を始めた足場から飛び移って、僅かに肩で呼吸しながら耳にしていた。短期間に連続で紋章術を発動、さらに2度目はそれなりの輝力を持って対処している。いくら底無しの輝力と言われる彼女でも、少し体に堪えていた。

 いや、それ以上に心の方にダメージを受けていた。それは今プロヴァンスに追い詰められたから、などという類のものではない。端的に言うならば、落胆、あるいは失望。

 

 レオは冷たい視線でレグルスを見つめる。戦場での再会という状況に心を躍らせ、久しぶりの成長を確かめたいという抑えがたい期待感があった。最初の技量勝負の戦いではそれに応えてくれるような、まだまだ真の力を隠しているようなそんな予感があった。

 だがそれが終わり、いざ戦いの質が変わった本番となればどうか。息子は策に走り、未だ己の身分を隠したまま戦おうとしている。正体の露見を怖れ、実力を出し切れずにいる。それなら、と彼女は静かに口を開いた。

 

「貴様が囮でプロヴァンスが本命とはな。あくまで『スフォリア』とかいう者として身分を隠して戦う、ということじゃな。……ならもうよい。ワシの興味は無くなった。……この戦いを終わりにしてやろう!」

 

 言うなり、彼女はガレット紋章を今日もっとも激しく輝かせた。何をするのかとレグルスが考えるより早く。

 

「ぬうん!」

 

 レオは斧を足場へと叩きつけた。そこを通して流れ込んだ輝力により、地面から火柱が上がる。

 意図せず、レグルスは自分の顔から血の気が引くのを感じた。間違いない、母がこれから出そうとしている大技は――。

 

「う、嘘だろ!? 俺達をまとめて片付ける気かよ!」

「大爆発だァ!? 冗談きついですぜ! 殿下、逃げましょうや!」

「この距離じゃ間に合わねえ、叩き伏せて止めるぞ!」

 

 2人が左右から挟みこむように距離を詰める。もはやフェイントを入れる余裕もない。技を発動させる前になんとしても止めなければ、撃破は免れない。

 

「破壊したアスレチックの修理代はあとでワシが払うから大目に見てくれよ、レザン! ……獅子王! 炎陣!」

 

 輝力の高まりとその声に呼応するかのように、火柱の数はなおも増え、空からは火球が降り注ぐ。既にいくつか足場は巻き込まれて破壊されているが、その合間を縫うように2人は懸命に回避しつつ、先に到達したレグルスが紋章術のレベル1分の輝力を上乗せして斬りかかった。

 しかし、レオは武器を使うでもなく、体を捌いてレグルスの攻撃を避ける。そのまま蹴りを叩き込み、続けて襲いかかろうとしたプロヴァンスの方へ吹き飛ばした。相棒もこれに巻き込まれる形となり、2人とレオの距離が再び開いてしまう。

 

「や、やべえ! 間に合わねえ!」

 

 プロヴァンスと共に足場へと落下しながら、悲壮感溢れる声でレグルスは叫んだ。あの技の威力と範囲は身をもって知っている。防御に成功した者はいない、とまで言われるほどの超威力の紋章術だ。防御など無意味。しかし回避しようとしたとしてもはや彼の言葉通り間に合わない。

 

 やはり自分に枷をかけたままでは、まともに相手にすら出来ない存在だったとレグルスは改めて悟った。スフォリアとして戦ってどうにかなる相手ではなかった。それでもギリギリまでそこにこだわろうとしてしまった。自分の手で終わらせるのも悪くないと言っておきながら、その実今のこの居心地のいい状態を終わらせたくないという心がどこかに残っていた。

 結果がこの様だ。そう思う苦い気持ちと共に、しかしどこか僅かにそれでもいいかという気持ちも、彼の中には生まれていた。あくまで母は自身が「スフォリア」として戦いたがっていることを感じ取り、そこに落胆の心は見せつつも、正体をばらすことなく撃破してくれるらしい。なら、今後もこの生活を続けられる可能性はある。

 

 そう思い、レグルスが諦めようとした時だった。力強く左腕が握り締められる。見れば、プロヴァンスが得物を離して腕を掴み、もう片方の手を腰の辺りに掛けていた。

 

「プロヴァンス!? お前、何を……」

「すみません、殿下。俺が未熟だったためにこんなことに。……ですが、まだあなたは全力を出し切っていない、それじゃ悔いが残るかもしれない。もし本気を出せば、あなたならきっとあの戦無双と言われる母君と互角以上にやりあえる。そんな期待を抱かせてくれる。だから……!」

「待て! お前……!」

 

 言うなり、彼はレグルスの言いかけた言葉を無視して空へと全力で放り投げた。直後――。

 

「大! 爆! 破ァ!」

 

 レオの声が響き渡ると同時。その言葉に違わない大爆発が彼女を中心として巻き起こった。

 

『ば、爆破ー! 今日2度目!! しかしやはりすさまじい威力、これにはいくらここまでいい戦いを演じてきた流れの傭兵と言えどもひとたまりもないでしょう! 飛び木も本当にここにあったのかと思うほど、跡形もなく吹き飛んでしまっています!』

『……その点に関しては閣下が自腹で修繕費を出してくださると思いますので、ご了承ください』

『いえいえ、大した問題ではないでしょう。……それより今の大爆破、2人はもはやだま化でしょうか!?』

『……いや』

 

 煙が晴れ、破壊した足場から大地へと降り立ったレオは一度大きく深呼吸して辺りを見渡した。実況にあったとおり、アスレチックの飛び木地帯ごと吹き飛ばす形となってしまったわけだが、普通に考えればあのタイミングからでは回避は間に合わないはず。そう思った推察を裏付けるように、やけに巨大なだまが1体、完全にノックアウト状態で地面に転がっているのを確認した。が、もう1人の姿は見えない。

 彼女は空を見上げる。そこに目標が未だ健在なのを目にし、口の端を僅かに上げた。

 

「なるほど、プロヴァンスが身を挺して空へと逃がしたか」

 

 しかし己に枷をかけたままの息子と戦ったところで、興は乗らない。とどめをさしてやろうと、彼女は斧を横に構え、手の甲に紋章を浮かび上がらせた。

 

『あーっと! バナードさんのおっしゃるとおり、スフォリアはまだ健在! どうにか空中に逃げていた模様! しかし、それを待ち受けるようにレオ閣下が狙っている!』

 

 空中の相手は意識があるのかないのか、自由落下に身を任せている。だがそんなものは関係ないと、レオは得物を横に薙ぎ、紋章剣を放った。

 

「魔神旋空斬!」

 

 斧の刃を通して放たれた光の刃がレグルスに迫る。直撃コース、避けようとも防御しようという動きも見えない。やはり身分を隠したままこの戦いは終わるのかとレオが再び落胆しかけたその時。

 まるで息を吹き返したかのように彼の背後に紋章が輝き、振り抜かれた剣でもって母の紋章剣を弾いた。まだ戦う気があったと僅かに嬉しく思いつつも、今の紋章は偽のものであったために、レオは息子の考えを図りかねる。戦う気があるのかないのか、あったとしてやはり身を偽ったままなのか。複雑な思いと共に、地面に降り立ったレグルスに問いかけた。

 

「弾いたか。弾いたからには、まだやる、という意思表示と受け取るぞ。じゃが、やるからには本気で来い。そんな偽の、お前の力の何割も出せないような紋章を見せながら戦うというのであればワシは……」

 

 そこで、不意にレオは言葉を切った。レグルスは剣を地面に突き立て、背中に掛けた矢筒のベルトを外し始めていた。

 意図せず、彼女から笑みが漏れる。夫がよく見せた、本気を出す時の癖。もはや弓を使うつもりがないのなら、少しでも身軽になった方がいい。そういう思考から生まれる、装備の排除だ。矢筒と弓を放り投げ、続けて腰の剣の鞘も外す。

 

「ほう。ようやく本気で来る、というわけじゃな?」

 

 どこか嬉しそうに、レオはそう呟く。だがそんな彼女の期待と裏腹。レグルスは剣を抜くと、それも放り投げた。

 

「……どういうつもりじゃ?」

「やめた」

 

 疑念の思いでもって、視線も鋭くレオは再び問いかける。それに返ってきたのは、たった一言だった。やはり意図が図れないと、レオはますます鋭く息子を睨みつける。

 

「やめた、じゃと? ならばなぜワシの紋章剣を弾いた? おとなしくあれを受けておけばそこまでじゃったろう? なのに貴様は……」

 

 続けて罵声でも浴びせてやろうかと思ったレオだったが――。目にしたレグルスの様子に、それをやめた。

 

 彼は肩を僅かに震わせていた。噛み殺したような、そんな笑い方をしていた。俯いているためにレオは表情を窺えない。だが、夫であり目の前の相手にとっては父でもある存在――ソウヤがよくやるような、不敵で不気味とも取れる笑みを浮かべているだろうことは想像に難くなかった。

 

「……プロヴァンスめ、頼んでもいねえのに捨て身で俺を勝手に逃がしやがってよ。俺はもうこのまま身分隠して終わりでいいか、まあしゃあねえか、とか思ってたってのに。しかもあの野郎、『期待を抱かせてくれる』とか抜かしやがった。まったくほんと勝手だ、勝手だよ」

 

 そこまで言って、彼は少し顔を上げた。ようやく見えた表情に、レオは自身の背中にゾクッと何かが走るのを感じていた。

 先ほどの予想通り、笑みを浮かべた表情。一見諦めたか自棄を起こしたようにも見えるが、むしろ逆だと彼女にはわかる。

 

 そうだ、これだ。これを、この時を待っていた。

 眠れる獅子が目覚める。「獅子の子」が真に牙を研ぎ澄ます。そんな予感。

 

「でもな、それで『そんなのは知らん』なんて言えるほど、俺は図太くねえらしいんだ。忠義を尽くしたあいつの好意を踏みにじることは出来ねえ。そんな真似をしたら我が身を犠牲にしてまで俺にもう1回チャンスをくれたあいつに顔向けできねえ。それより何より、『蒼穹の獅子』と『百獣王の騎士』の息子としてそんな自分は許せねえ。……だからよ」

 

 レグルスが右手で髪をなぞる。その手が過ぎたところで――。

 

「もう、俺を偽り続けることはやめた」

 

 少年の髪は、相対する戦無双の女性と同じ銀の色となった。

 

『あ、ああーっと、どういうことでしょう? スフォリアの髪の色が変わった!』

『いえ。……正確には戻った、と言うべきでしょう』

 

 実況から聞こえてきたバナードの言葉に、彼は口角を上げ、小さく肩を数度揺らした。そしてその実況席の方を指差し、声を張り上げて叫ぶ。

 

「おい実況席! 俺の声が拾えるか!?」

『はい? え、えーっと可能です!』

「なら拾って放送で流せ! ……いいか、よく聞け! そして見ておけ! 今日の東西戦を見れてる連中、参加してる連中は幸運に思うがいいぜ! こんな珍しい見世物は、おそらくそうそう見られたものじゃねえからな!」

 

 そして彼は背後に紋章を輝かせる。代わり映えのない、地味な剣が描かれただけの紋章。しかし、そこに次第にひびが入っていく。やがてひびが全体に広がった時、それはガラス細工が砕け散ったように跡形もなくなり――。

 

 現れたのは、2頭の獅子が描かれた、偽りでもなんでもない、彼にとって本物の紋章だった。

 

「輝力解放! フォースセイバー!」

 

 とうとう解放された紋章回路をフルに活用し、輝力武装が展開される。輝力を収束して作り上げただけの、単純でありながら蒼く輝く美しき剣。それを目にし、レオは笑みをこぼして盾を捨て、同様に背後に紋章を展開した。まったく同じ雄々しい獅子の紋章が、戦場に2つ輝く。

 

『こ、これは! なんと、スフォリアの背後にレオ閣下と同じ紋章が!? も、もしや……!』

『そうです。あれこそ、あの方にとって本当の紋章であるガレット紋章。そして、それを輝かせることが出来るのは……!』

 

 輝力の剣の切っ先が、実況席、そのカメラへと向けられる。そして「流れの傭兵」を自称していた少年は、声高らかに吠えた。

 

「スフォリア・テッレは偽りの姿。俺の本当の名はレグルス……。この『百獣王の騎士』レオンミシェリの息子、レグルス・ガレット・デ・ロワ! ……さあ、始めるぜ! 滅多にお目にかかれない、本気の親子喧嘩だ!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 7 2人の獅子

 

 

 誰もが、その光景に見入っていた。元から見ていた者は勿論のこと、アスレチックを攻略していた者も、平野部で先ほどまで戦っていた者も。皆、己の手を止め、ただただ、映像板から流れてくるその光景に引きこまれるように見入っていた。

 果たしてここは本当にドラジェなのだろうか、という疑問さえ浮かぶ。映像の中で激闘を繰り広げる2人は、共にガレットの人間だった。それも片や身を隠して諸国を放浪し、「若き流れの傭兵」スフォリア・テッレとしてその腕だけで名を広めつつあった「獅子の子」レグルス・ガレット・デ・ロワ、片や先代領主にして彼の母である戦無双の「百獣王の騎士」レオンミシェリ・ガレット・デ・ロワ。共に同じ姓を持つ2人の獅子による「本気の親子喧嘩」が、祖国のガレットではなくこのドラジェで行われているのだ。

 

 目まぐるしいほどの攻防と、類まれなる2人のセンスを目の当たりにし、東軍の指揮を執る千騎長のテワナも例に漏れずにその光景に目を奪われていた。本来ならそんなことをしている場合ではない。1ポイントでも多くポイントを稼ぎ、自軍の勝利に貢献しなくてはいけない。

 しかし、頭でそうわかっていても、体が言うことを聞いてくれなかった。生唾を飲み込み、映像の中の少年をひたすらに見つめる。

 美しい蒼き輝力の色、それによって作り出される輝力武装の剣。振るわれる度に一撃必殺を思わせるほどの剣による斬撃は、あのレオ相手にまったく謙遜なく打ち込み合い、華麗に戦い、見るものの心を奪っていく。鎖から解き放たれた「獅子の子」の本来の姿は、あまりにも眩しく彼女の目に映っていた。

 

「レグルス・ガレット・デ・ロワ殿下……」

 

 ポツリと、テワナはその名を呟く。

 自分が一度剣を向けた相手は、真の名をそう名乗った。あの「蒼穹の獅子」と「百獣王の騎士」の子、現在ガレット次期領主候補のパンシア・ガレット・デ・ロワ姫殿下と共に「獅子の子」と呼ばれる、国の将来を担っていくであろう存在。

 

 剣を向けた時、一瞬で力の差を見せ付けられて圧倒された。自分とは格が違うと感じた。

 当然だ、持って生まれた器がまるで違う。いち騎士でしかない己に対し、相手は場合によっては王足りうる存在なのだ。自分などでは到底敵う相手ではない。

 あの戦無双の母獅子を相手に引けをとらずに戦うその若き獅子の姿は、本来プライドが高いはずのテワナをしてそれだけの思いへと至らしめるに十分だった。

 

 騎士の家の出ではないテワナは、己の力だけで千騎長の座まで昇ってきた。家柄など関係ない、力こそが全て。強き者こそが騎士の中で成り上がり、隊長となっていくべきだ。そう、彼女は考えていた。

 ある意味で、目の前の戦いはそれを証明していると言ってもいい。つまるところ、強き者同士が戦い合う光景は目を奪われ、戦の花であるのだ。

 だが皮肉なことにそう思わせた2人はガレット王族だった。家柄を二の次と考える彼女にとって、それを頭から否定されたような事実。しかし今自分が目を奪われているのは家柄が偉大な2人の戦いだからというからではない、純に戦いが美しいからだと思考を改める。

 

『な、な、なんという戦いでしょう! ここドラジェで! あの! レオ閣下とレグルス殿下が親子で剣を交えるというありえない展開が! 今! 目の前で起こっています!』

 

 いつか、自分もあのような戦いを演じることが出来るだろうか。見るものの心を打ち、戦場に己の存在を轟かせることが出来るだろうか。

 我を忘れたような実況の声だけが響く戦場で、彼女は自問自答をしながら立ち尽くす。そして、何かに魅入られたようにその映像を見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

「兄さん……」

 

 特別観覧席でここまで戦の様子を見ていたパンシアは、そう独り呟いた。兄のように慕う人物が、伯母であるレオと逆の東軍にいることは、開始前に様子が映し出されたときに既に気づいていた。その時は髪と耳の色こそ今と違っていたが、長年慕い続けている相手の姿を見間違えるはずがない。

 母にそのことを告げるとはじめは懐疑的な様子であった。が、プロヴァンスと共にレオと戦う姿を目にしたときにはもう娘の言葉を信じる他なくなっていた。

 そしていざ始まった2人の全力の戦いは、パンシアだけなくノワールの予想も遥かに越えていた。2人とも引きこまれたように映像板から目を離すことが出来ない。

 

「レグ……。ここまで腕を上げていたなんて……」

「あの伯母様相手にまったく引けをとっていない……。すごい……!」

 

 少なくともパンシアの目には、レオは先ほどまでより余裕がなくなっているように見えた。にも関わらず、これまで見たことがないほどに瞳を輝かせて笑みをこぼし、見るからに戦いを楽しんでいるとわかる。

 それはレグルスも同様のように思えた。自分といる時もよく笑顔をこぼしてくれていたと記憶を呼び起こす。独特の皮肉めいた笑みだったことが多かったが、それでも時折心から笑ってくれたことも少なくなかった。

 そんな笑い顔ともまた違う、心から何かを楽しむ笑み。自分ではそんな顔を作らせることは出来なかったと少し寂しく思うと同時に、相対する母も同様の表情であると知る。どちらかというと父に似ていると言われることが多いレグルスだが、この時ばかりはまさに母と瓜二つの表情を浮かべていた。

 彼女は気づいた。今、あの戦無双をもってして楽しませるほどの存在、とうとう自分の兄代わりの従兄はそれほどまでに強くなったのだと。意図せず、心が沸き立つのを感じていた。

 

「……パン、しっかり見ておいて。さっきレグが言ったとおり、こんな戦いは滅多にお目にかかれない。レオ様がこれほどまでに楽しそうに戦うなんて、ここ数年見たことがなかった……」

「私も初めて見るよ。きっと相手が兄さんだから、心から楽しんでいるんだと……」

「違う、それだけじゃない。レオ様はレグを……自分の息子を対等に戦えるだけの相手として実力を認めたから、あれだけ嬉しそうに戦えてるんだと思う」

「対等に戦えるだけの相手……」

 

 先ほどの自分の予想を裏付けるような母の言葉に、やはり顔を合わせない間に兄代わりの人物はどこか遠くへと行ってしまったようにも感じる。しかし映像の中で母同様に楽しそうに戦うレグルスは彼女の知っているその顔に他ならなかった。

 

 同時に彼女は思う。強く、なりたい。この映像の中の、自分と共に「獅子の子」と呼ばれる従兄のように、自分も見る者の心を奪うような鮮烈な戦いをしたい。次期領主として恥じない、というだけでなく、兄と呼ぶ人物と肩を並べ、共に戦場を駆け抜けたい。

 

 震えるような気持ちは抑えきれない。そのパンシアの心が乗り移ったかのように、映像の中のレグルスは雄叫びを上げ、輝力の剣を振るって力強い一撃をレオに向かって放っていた。

 

 

 

 

 

 レオにとって、それは待ち望んだ時間だった。さっきまでの打ち込みがまるでなまくらに思えるほどに違う。輝力によって作り出された剣の一太刀一太刀全てに、こちらから勝利を刈り取ろうとする意思が伝わってくる。威力だけではない、そこに篭る心が遥かに強さを増している。

 その気迫、闘志、魂……。全てが彼女が望んだものだった。一体これほどの満ち足りた感覚で戦っているのはいつ以来だろうか。まさに待ち焦がれた戦い、自身を心から悦ばせる戦い。

 

 袈裟に切りかかってくる我が子の輝力の剣に、こちらも輝力を纏って威力を増した斧を全力でぶつける。だが押し返せない。両手持ちになった以上、単純な力で劣っているはずがない、なのにそれが出来ない。

 互いに得物を引き、再度の打ち込み。ところがこれも拮抗。またしても押し切ることが出来ない。

 

 しかし、彼女はそれが嬉しかった。強敵と戦場で相見えたときの心躍る感覚。しかも相手が自分の息子だと言う事実が、その感覚をさらに加速させる。心が満たされていく、筆舌に尽くしがたい悦びの一瞬。ある種のエクスタシーとさえ錯覚するほどの興奮。

 枷を外し、鎖から解き放たれた我が子はこれほどまでに強かったのかと、それだけで心が沸き立つ。今はただ目の前の敵である自分を打ち倒すことのみを考えたその剣には、迷いというものが全くない。故に強く、鋭い。

 それは旅の功績に違いないと彼女は思っていた。これまで次期領主候補の1人となったこともあって、身の振り方に縛られていたことはやはり彼の心に陰を指していた、と思える。それが自由気ままな傭兵稼業をしながらの旅で、己を見つめなおし、心が晴れたのではないだろうか。

 

 足場を気にする必要のなくなったレオは後退しつつ防御に斧を一閃。まさにそこに合わせたようなタイミングで飛び込むレグルスが鋭く剣を横に薙ぐ。再び刃は交わり、拮抗し、互いに飛び退いて間合いを空ける。

 間を取る時間も惜しいと、再度飛び込んだのは同時だった。共に上段からの振り下ろし、両者の顔の前で刃が交錯する。

 僅かに力で勝り、レオがレグルスの刃を引かせた。チャンスと見て飛び込もうとした瞬間、直感的な感覚で踏み込みを止める。

 直後、回し蹴りが空を切った。父譲りの鋭い蹴り。紙一重でそれを見切り、今度こそとレオは必殺の一撃を振るう。

 だがレグルスは蹴りのまま体を回した勢いをもって、これも止めてみせた。そればかりか、気合の声で吠えながら互いの得物を弾き合い、反撃の一撃を繰り出す。

 呼応するようにレオも吠えた。弾かれた斧を半ば無理矢理力で推し戻して、相手の得物にかち合わせる。

 

 獅子王炎陣大爆破という大技を2発に加えてその後も身体強化、武器の補強と相当量の輝力の動員に、さすがのレオも疲弊を感じているはずだった。だが異様なまでの心の高揚が、それを麻痺させている。戦う者が限界を越えて感じる境地。実に甘美で、止まらない興奮が続き、それでいて五感に加えて六感までが鋭いほどに研ぎ澄まされ、満ち足りた心が疲れを無視して戦い続けられる状態。

 あとどれだけこれが続くのか。いや、続いてくれるのか。永遠にこのまま我が子と戦い続けていたい思いすら生まれる。

 

 だが、何事にも終わりはやってくる。ここまで間隙を置かずに切り結んできたレグルスが、ついに間を取った。見れば、荒く肩で呼吸しているのがわかる。

 一息挟んで続きをやるならそれでよし、そうでなくても受けて立つ。レオは敢えて仕掛けようとせず、相手の出方を待った。

 まさに漂う風格は王者のそれ。威風堂々という言葉がこれほどに似合う者が他にいるだろうかというほどに悠々と立ち、様子を窺っている。

 対して、荒い呼吸で一旦表情が消えていたレグルスだったが、再び僅かに口の端を上げた。短く気合の声を上げ、背後に紋章を浮かび上がらせる。彼が輝かせた紋章は、今日最も眩しかった。

 それを受け、レオも同様の行動を取った。言葉など交わさなくてもわかる。

 

 紋章剣勝負。息子の表情が自分同様、不敵に笑っているとわかると、彼女は思わずその口元から歯を覗かせた。

 

 全力でぶつかる。そんなことを確認するまでもない。我が子の気配が、紋章が、そう言っている。真っ向切っての大技対決。これがこの戦い、最後の一撃になると彼女は直感していた。

 レグルスは左脚の脇に、レオは胴の右の辺りに。それぞれに得物を構え、輝力を高めて仕掛け時を待つ。極限まで集中した輝力によって向かい合う紋章がはっきりと煌き、2人の獅子の姿を浮かび上がらせている。

 

 どれほど続いたか。その睨み合いの均衡が破れたのは突然だった。

 

 研ぎ澄まされた感覚は互いに飛び出す瞬間を完全に見切り、結果として踏み込みは同時だった。子は逆袈裟に斬り上げ、母は袈裟に斬り下ろす剣筋。

 蒼き輝力の剣にさらに輝力を纏い、レグルスは父親譲りの紋章剣を。

 対するレオは斧に輝力が具現化した火の鳥を纏い、相手の輝力の剣を喰らい尽くさんと。

 放たれたのは、共に必殺の一撃に他ならなかった。

 

「オーラブレード!」

「獅子王烈火爆炎斬!」

 

 

 

 

 

――ねえ。兄さんは将来やりたいことって、ある?

 

――明確にはねえんだよなあ。そこらの国ぶらぶらして戦に参加して飯食えりゃ、それでいいかなとか思うこともある。とはいえ、立場が立場なだけにそんな勝手は出来ねえんだろうけどよ。

 

――何もしないことが、やりたいことなの?

 

――そういうんじゃねえ……のかな。でも何をしたいのか、って言われると答えに困っちまう。領主候補として資格がある、とか言われてもあんま興味はねえし。そんな縛られるようなことよか、自由気ままな生活の方に憧れる。でもそれがやりたいことなのか、って言われるとやっぱ明確にそうだとは言えないんだよな。

 

――じゃあ夢とか目標とかもないの?

 

――そりゃあるにはあるけどよ。人様にペラペラ喋るようなことでもねえし、具体的なことでもねえからあんま話したことはねえな。それにどうせ話したところで笑われるのがオチなだけだし。

 

――そんなことないよ。私絶対笑わないよ。だから、教えて。

 

――……俺は、いつか親父とおふくろを越えたいんだ。戦の場で、戦無双と称えられる「蒼穹の獅子」と「百獣王の騎士」相手に勝ち名乗りを上げる。それこそが、尊敬する両親への最大の恩返しじゃねえかって思ってるからよ。

 

――すごく大きな目標だと思う。私、それを応援するよ。だって、私の夢って……。

 

 

 

 

 

「……そういやパンにそんな大見得切ったこともあったっけな。なのに結果はこの様、か」

 

 いつかのやり取り。だからそれが夢だ、と彼は気づき、独り言をこぼしつつ目を開いた。

 視線の先にあったのは空ではなかった。布で出来た天井からテントの中と推測でき、さらに背中の感触からベッドの上であることがわかる。

 

「お、殿下。お目覚めですか」

 

 聞こえた声に、彼は普段より重さを感じる体をどうにか起こす。首を動かした先には、鎧を脱いだ状態のプロヴァンスが腰掛けていた。

 

「……随分と元気そうだな、お前は」

「そりゃあ恥ずかしながらだま化しちまいましたからね……。おかげで調子はばっちりです。しかし殿下は意識が吹っ飛んだのにそれを(こら)えになられた。体、大丈夫ですかい?」

「輝力切れだ、やべえ。フラフラする。しかしまあ、負けるにしてもだま化だけは避けるつもりでいたからな」

 

 そう言って、レグルスは大きくため息をこぼした。その様子を見てか、プロヴァンスは立ち上がり水をグラスに入れて差し出す。感謝の言葉を述べ、レグルスはそれを喉に流し込んだ。

 

「……で、戦のほうはどうなった?」

「もうそろそろ終わるところらしいです。今のところこっち優勢ですが、殿下の身の上がばれた以上なにかしらのペナルティがあると思うんでどうにもこうにも、ってとこですかね」

「ま、それは追々わかるか。……おふくろ、どうなった?」

「どうなった、って……。覚えてないんですかい!?」

「全力出して輝力武装……フォースセイバーにオーラブレード乗っけておふくろの紋章剣相手に叩き込んだところまでは覚えてるんだけどよ。そっから先の意識吹っ飛んでんだ。気づいたらここだった」

 

 プロヴァンスは右手で頭を抱える。「よくもまあそれでだま化しなかったもんだ……」と感嘆よりも呆れの色が強い様子でそう呟いてから続けた。

 

「結論だけ言えば殿下はだま化こそ免れたものの防具完全破壊で撃破、レオ閣下は防具一部破壊扱いでした。マントと手甲までは吹っ飛ばされて本陣へと後退。ですが退いた後は出てくることはありませんでした」

「そうか……。防具一部破壊、か。俺もまだまだな……」

 

 聳え立った母という壁はやはり堅牢で偉大だった。倒せる、などという自惚れはなかったが、あわよくば、と思っていたのは事実だった。

 それでも、全力で剣を交えた母は楽しそうだった。実際、彼自身もこれまでにないほどに心が躍った。自らを偽り、各国を放浪して自分が経験したことのない土地での戦に参加する楽しみとはまた違う、全てを解放してなお打ち崩せない存在との邂逅。もっとも近くにいて、それでいて目標であった存在との本気の戦いが、これほどまでのものだとは思ってもいなかった。

 

「しかしあのレオ閣下相手に防具破壊までこぎつけるとは……。さすが殿下、あの方のお子さんですよ」

「とはいえ負けは負けだ。すまなかったな、我が身犠牲にしてまでも俺に期待してかばってくれたってのによ」

「何をおっしゃいますやら。最高の見世物でしたよ。あなたがおっしゃったとおりの」

 

 皮肉で返したつもりが、うまいこと返されたと彼は自嘲的に笑みをこぼした。誤魔化し気味にグラスの中を液体を飲み干し、さてどうするかとレグルスが今後のことを考えようとした時。

 

「おお、声が聞こえていると思ったら、やはりお目覚めになられていましたか!」

 

 テント内から話し声が聞こえてきたからだろう。ソンブレロが入り口から様子を窺い、そう2人へと話しかける。レグルスは一先ず体をベッドの縁へと移動させる。が、ソンブレロは立ち上がろうとしていると誤解したらしい。手で申し訳なさそうにそれを制止しつつ口を開いた。

 

「いやいや、楽な姿勢でいてくだされ。何はともあれ、まずはレグルス殿下とは知らずにご無礼を働いてしまったことをお詫びしなくてはなりません」

「気にしないでください、隠してたのはこっちです。それにバナードとも口裏合わせてましたし」

「なるほど、やはりそうでしたか。まったくバナード殿もお人が悪い……」

「ああいう奴なんですよ。知略派と言えば聞こえはいいが、この手の策謀はお手の物ってわけだ。俺がこの国に訪れることを予測してて、早い段階からこっちに入れるつもりだったらしいです」

 

 なるほど、とソンブレロは納得したような声を上げる。が、責めるつもりは全くないらしい。

 

「ともかく、お加減のほうは大丈夫ですか? あのレオ閣下相手にあれだけの大立ち回りを演じられ、だま化も我慢なされたとあればお疲れかと思いますが……」

「輝力切れがしんどいですが、あとは大したことありませんよ。……ああ、でも俺の身分がばれたとなると撃破ポイントに変動なりペナルティなりつくかもしれませんね。それはすみません」

「なんのなんの。まさかこのドラジェで『獅子の子』と『百獣王の騎士』の戦いが見られるとは夢にも思っておりませんでした。それはそれはもう物凄い盛り上がりでしたよ」

 

 そうは言われても負けは負け。レグルスはそのように感じていた。故に表情には苦いものが混じっている。盛り上がりは大切だし、事実彼もそれを重視するがために実況に声を拾わせて自分の身分を明らかにした。それでも負けては元も子もない。

 

「ですが俺は勝つために雇われた傭兵ですからね。過程はどうあれ、結果身分をばらした挙句負けたことに変わりはないですよ。これで東軍が負けたということになったら、俺はあなたに謝罪のひとつも入れなきゃならない」

「何をおっしゃる! あなた様に謝っていただくなどとてもとても!」

「そうですか? 『レグルスに頭を下げさせた男』ということで語り草になるかもしれませんよ?」

「やめてくだされ。既に殿下を傭兵として雇い入れたという事だけでも話題になりそうなんですから」

 

 噛み殺したような笑いをこぼし、レグルスは腰掛けていたベッドの縁から立ち上がった。そのまま軽く体をほぐし、だるさはさておき動いても支障がないことを確認する。

 

「東西戦、まだ終わってはいませんよね?」

「ええ。ですがもう間もなくタイムアップになります。殿下を破ったとはいえレオ閣下も防具一部破壊扱い。それで撤退なされて以後復帰することはなく、さらにこちらに防具破壊分のポイントが入ったは入ったので現状リードなのですが……」

「俺が正体を偽ってた分ペナルティの可能性がある」

「そういうことになってしまいます。しかしお気になさらないでくだされ。どんな結果になろうとも、この親子対決が大いに盛り上がったことは事実。その上さらに欲を張っては、(ばち)が当たるというものです」

 

 そのソンブレロの言葉から「スフォリア」の時以上に気を使われている、とレグルスは感じた。だが本来の自分の立場を考えればそうなってしまうのもやむを得ないだろうとは思える。いくら今の自分が言ったところで余計に配慮されるのが関の山。素直に受け入れた方がいいかと判断した。

 

「とりあえず外行きませんか? 参加した身としては、戦終了のときをこの目で見たい」

「なんでしたらこちらに映像板お持ちいたしますが……」

「そこまで手を焼かせるのもなんですので、大丈夫ですよ。それにいつまでも休んでるというのはどうにも性に合わないんで」

 

 言うなり、レグルスはプロヴァンスとソンブレロをさて置いてテントの外へと歩き出した。テントから出来てたのが身を隠していた王族と気づくと、見張りをしていた兵達が(うやうや)しく頭を下げる。どうにもこういう対応を好ましく思っていないレグルスは、やはり身を隠して気ままに旅をしてた頃の方がよかったな、などと思いつつ、空に映し出される映像へと視線を移した。

 

『戦ももう間もなく終了、両軍とも最後の追い込みをかけている模様です! 状況を整理しますと、平野部は東軍テワナ千騎長が指揮する隊が大活躍、ここは東軍有利となっています! しかし、山岳アスレチックのポイント差はほぼ五分、さらに正体を隠していたレグルス殿下とレオ閣下の戦いはレオ閣下に軍配となっている以上、まだどう転ぶかわかりません!』

 

 実況の言葉通り、どうやら平野部のテワナはしっかりと役割をこなしたらしい。さすが冷静ならやり手と自身が判断しただけのことはある、とレグルスは心中で彼女を再評価していた。

 

「やはりこちらが有利ですかな。テワナ殿は数の優位をうまく利用して平野での戦いをうまく運びましたな」

 

 映像を確認したソンブレロがレグルスへと話しかける。それに対してどうしても自嘲的な笑みを隠し切れず、レグルスは答えた。

 

「しかし俺の分のペナルティがある、さっき実況が言ったとおりまだどう転ぶかわかりませんね」

「どっちに転んでも、先ほど言わせていただいたとおり気になさらないでくだされ。この後審議となるでしょうから、私が赴いてあまり重くならないようになんとかしてきますよ」

「頼りにしてますよ」

 

 そこまでレグルスが話したところで花火が打ちあがった。同時に、実況のかしましい声が響き渡る。

 

『戦、終了ー! まさかのレオ閣下対レグルス殿下というサプライズもあり、稀に見る非常に盛り上がった戦となりました! 結果は現在のところ東軍圧倒的有利なポイントではありますが、当然この後審議が行われますので、その結果次第ということになります! いやあ、いかがでしたか、ゲスト解説のバナードさん?』

『結果如何についてはコメントを控えさせていただきますね。……東軍側からの招待ということで実のところ私も一枚噛んでいる。殿下の正体を知りつつ隠していたわけですから。私もこの後審議の場に向かわせていただきます。

 さて、それを置いておくとしても、見ごたえとしては十二分な内容と言って差し支えないでしょう。私としましても、レグルス殿下があそこまでレオ閣下と戦える存在になっているとは予想していなかった……。ガレットの人間が言うと身内びいきと思われるかもしれませんが、久しぶりの表舞台への登場の場としては申し分のない、鮮烈なものであったと思いますよ。自ら舞台を作り上げた、と言っても過言ではないでしょうし』

 

 反射的にレグルスは「けっ」と不満そうに気持ちをこぼしていた。今のバナードの言い分からは明らかに父を意識しての含ませたものを感じ取れる。それはどうにも居心地が悪い。必要以上に持ち上げられている感じを受けてしまうからだ。

 

「何がご不満で? バナード殿の評価はごもっともと思いますが?」

 

 不思議そうな顔をしてソンブレロは尋ねる。

 

「過大評価なんですよ。『舞台を作り上げた』とか、まるで親父を引き合いに出してるみたいだ。俺なんかじゃまだまだ親父には及ばない。実際、おふくろにはまったく敵わなかったわけですから」

「それはどうでしょうかね。殿下はまだお若い。将来を感じさせるには十分すぎる、バナード殿はそうおっしゃりたかったのではないんですかね。かく言う私も、あなた様には期待していますよ」

 

 レグルスは肩をすくめる。やはり居心地がいいものではない。

 

「期待されるなんてのは、あまり性に合わないんですがね」

「ですが今日の殿下は戦場に燦然と輝く星でした。見る者の目を、心を奪い、称えたいと思えるほどの存在。それだけの器は、滅多におりません。そんな逸材を目にしてしまえば、人は期待を抱いてしまう。そういうものですよ」

 

 なんだかな、とやはりレグルスの表情は冴えなかった。それを見てか、「ただ」とソンブレロは続ける。

 

「その期待に応えられる存在であったとしても、それがその人間のやらなければならないこと、ではないとも思います。殿下が先日おっしゃった、『期待を抱かせてしまったのに落胆させるのは居心地が悪い』というお気持ち、よくわかります。期待させておいて裏切ってしまうかもしれなら最初から期待を抱かせなければいい、それもひとつの選択でしょう。出来るのにやらないのは罪だ、という意見もあるかと思いますが、私は一概にそうとも言えないと思っております。……つまるところ、それを決めるのもまた、本人の意思次第ということです。答えを見つけるまで保留することは、私は罪とは思いませんよ」

 

 ソンブレロの話を、レグルスは特に肯定するでも反論するでもなく、黙って聞いていた。が、ややあって頭を掻きつつ下をうつむき、苦笑をこぼす。

 

「……すみません、恐れ多くも殿下相手にお説教のようになってしまいました。私の一個人の意見ですので、気に障りましたら申し訳ありません」

「いえいえ、人生の先輩からのありがたいアドバイスと捉えさせていただきます」

「では、私は審議委員に顔を出してこようと思います」

 

 そう言って去りかけたソンブレロを「ああ、一点だけ」とレグルスは呼び止めた。

 

「どうしました?」

「一応確認です。ソンブレロさん、まさかあなたはソウヤ・ガレット・デ・ロワが化けている姿だ、というオチはありませんよね?」

「まさか! 私はドラジェのただの商人ですよ。殿下は面白いことをおっしゃりますな!」

 

 恰幅のいい中年男性はそういうと愉快そうに笑い、その場を後にした。笑いを噛み殺しつつ、レグルスは振り返って背後のプロヴァンスを仰ぎ見る。

 

「まったく、ただのドラジェの有力者だと思ったが、食えねえ人だ。そう思うだろ?」

「は? はぁ……」

「まあお前は何も感じねえかもな。でもどうにも俺は、親父に言われてるような錯覚を覚えちまったよ。これであの人が親父が化けてた姿だとしたら、バナードといい呼ばれたおふくろといい、完全に手の平の上で遊ばれてることになるだろうし、それが否定できないのが怖いところなんだけどよ。……ま、親父もそこまで暇じゃねえか」

 

 さてどうしたものか、とレグルスはふと考え込む。このまま戦後のインタビューに答えるというのはどうも性に合わない。適当にドロンといきたいところだが、母親に見つかってる以上、再会の言葉をかけたほうがいいだろうし、そろそろ一旦ガレットに戻ることも考えた方がいいかもしれない。そう思っていたときだった。

 

「レグルス殿下!」

 

 聞き覚えのある声に、確か戦開始前に激励の言葉をかけてきた隊長の女騎士だったかと彼は思い当たる。自分が素性を隠していたことに恨み言のひとつでも言われるかと彼が視線を移すと――。

 

「この度は殿下とは露知らず、ご無礼の数々……申し訳ございませんでした!」

 

 確かに彼の予想通り声をかけてきたのはテワナであった。が、彼女は膝をつき頭を垂れていた。しばらく前までと180度変わった態度に思わずレグルスは苦笑を浮かべつつ、口を開く。

 

「構わん、(おもて)を上げよ。……ってか? 俺はそういう口じゃねえですって。気にしなさんな、千騎長殿」

「し、しかし……。過程はどうあれ、私が剣を向けたことは事実ですし……」

「だから気にすんなって。俺はあの時身分を隠してたんだし、その状態であなたの信用を勝ち取るには実力差を見せるしかなかった。それでわざわざあれだけ煽って仕掛けさせたんだからな」

 

 そう言われてもテワナは俯いたままだった。性格がきつそうなのはわかっていたが、加えて堅物の生真面目らしい。レグルスはため息をこぼすと彼女の肩に手を乗せる。意外そうに彼女は顔を上げ、彼へと視線を移した。

 

「テワナ千騎長、今回の戦では平野部の見事な指揮によって優勢に事を運んだと聞いた。見事な活躍だ。いずれあなたはドラジェでも指折りの優れた騎士となると思ってる。もし俺に剣を向けたことに後ろめたさを感じているなら……将来、それだけの存在になった時に、改めて戦場で俺に剣を向けに来い。……その時もまた、高慢姉ちゃんの鼻っ柱、俺が叩き折ってやるよ」

 

 そう言って不敵に笑ったレグルスに対して、テワナは苦笑を返すより他はなかった。

 まったくもって癪に障る物言いだ。だが、今度は自然と嫌悪感はなかった。これこそが、レグルスという人間なりの励まし方なのだろうと、今ならわかる。

 しかしそれを素直に「はい」と受け入れるのはやはり自分の気がすまない。舌戦で勝てる気はしないとわかりつつも、彼女も精一杯の皮肉で答えを返した。

 

「ええ、そうさせていただきます。ですが私の鼻を折られる前に、殿下に向けた2本目の剣が今度こそそちらを捕らえるかもしれないことをお忘れなきよう願いたいものです」

 

 肩を僅かに震わせた後で、レグルスは声を上げて笑った。確かにそりは合わない。だが面白い相手に巡り合えたものだと思うのだった。

 

 テワナは立ち上がり、頭を下げると「では失礼いたします」とその場を後にした。今度こそ母に会いに行くべきか悩み、レグルスは先ほどのテワナとのやり取り中ずっと黙ったままだったプロヴァンスの方を振り返る。

 

「さて……どうするかね?」

「どうもこうも、閣下のところにいかないとまずくないですかね?」

「そりゃそうかもしれねえけど、放っておけば向こうから来る気もするしよ。だったら待っててもいいかな、なんて思っちまってな」

「……なるほど。その予想は、遠からずとも近からず、ということですかね」

 

 そのプロヴァンスの言葉は、自分を通り越してその先に向けられつつ言われたとレグルスは感じ取った。つまり、今自分が言ったとおりのこととなったのだろうと推測できる。

 やれやれとため息をこぼし、この顛末をどう話すべきかと考えたレグルスの目に飛び込んできたのは、母ではない、しかしよく見知った顔だった。

 

「兄さん……」

「パン……お前、なんでここに……」

 

 戸惑うレグルスの前に、従兄の彼を兄と慕うガレットの次期領主候補――パンシア・ガレット・デ・ロワが、母のノワールと共に立っていたのだった。

 




だま化は実質戦闘不能状態のようです。KOという認識です。
一方防具完全破壊は戦闘続行が不可能。TKOという認識でいます。

だま化については、しばらくだま状態になるかわりに疲れやダメージなどが抜けてすっきりする、という設定のはずです。
代わりにフロニャルドでは人前でだまを晒すのは恥ずかしいことらしく、騎士級などはだま化するぐらいなら防具完全破壊で撃破された方がマシ、という設定を見かけた気がしたのでそういうことで書いています。
おそらくだま化関係の話は本編か、ドラマCDが出典元だったと思います。もし違った場合、多少独自設定ということで脚色してるということにしてください……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Episode 8 舞台はまた回り出す

 

 

 ドラジェとガレットを結ぶ街道、そこをどこか物々しい雰囲気の集団が進行していた。ガレットの騎士に加え、ドラジェの騎士も混じっている。騎車を中心としてセルクルが囲むその一団の中には、ガレット先代領主レオンミシェリの姿もあった。さらに元将軍のバナード、現領主伴侶のノワール、そして百騎長プロヴァンス。さらにはドラジェのテワナ千騎長の姿もある。

 早い話が、ドラジェの東西戦を終え、ガレット側の面々が引き上げる道中である。身分を隠していたレグルスがいたということで、レザンはドラジェ側からも護衛として騎士を出してくれた。その時に戦が終わって間もないというのにテワナが真っ先にドラジェ側の騎士の指揮を名乗り出ていた。だがそのセルクルに乗る人物達の中にレグルスとパンシアの姿だけがない。パンシアたっての希望で、2人は騎車の中にいるのだった。

 

 チラリと背後の騎車の方へと目を移し、プロヴァンスがため息をこぼしつつ顔を戻す。本来なら出奔まがいの旅からガレットに戻るまで、可能な限りレグルスの傍らでお供をしていたかった。しかしパンシアの強い要望により、主は次期領主候補と2人きりとなっている。別に不安なわけではないが、なんだか少し物寂しさは感じていた。

 

「不満そうだな、百騎長殿」

 

 と、その様子が目に入ったのか、横からプロヴァンスへと声がかかって来た。だが自国の者の声ではない、ドラジェ側から護衛としてきているテワナだ。

 

「ええ、まあ。確かに俺と殿下は身分越えて仲いいのも事実ですけどね。でも俺は殿下に心から忠誠を誓っているからこそ、この旅についてきたわけですよ」

「その相手の傍にいられないのは不満だ、と」

「そこまでは言いませんよ。パンシア姫様にたてつくつもりはありません」

「じゃが不満そうじゃな。顔にそう書いておるぞ?」

 

 テワナに続いてレオにもそう畳み掛けられ、プロヴァンスは思わず困り顔を浮かべていた。まだ何も言っていないが、ノワールもその様子を窺っている。

 

「これだけのメンツの視線を浴びると……いやはや緊張しますね。俺は殿下と違って顔に思いっきり出ちまうんでと嘘も簡単に見抜かれるでしょうから本音を言いますと……。可能なら殿下を擁護するためにも騎車でパンシア姫様に弁明したいところではありますよ」

「別にパンはレグを責めようという気はないと思う。ただ久しぶりの再会だからゆっくり話したくて、2人きりを望んだだけだと思うよ」

「ノワの言うとおりじゃな。それに他人の心配をする前に、お前は国に帰ったら父親になんと報告するかを考えた方がいいのではないか? 確かにワシが戦の最中に言った千騎長クラスへの推薦という言葉は嘘ではないが、父への報告はちゃんと自分の口でするがよかろう。……まああやつに限って怒鳴りつけるなどはないであろうが。もし雲行きが怪しくなったらワシもバナードもかばうつもりではいるがな。なあ、バナード?」

 

 背後からかけられた声にバナードは振り返りつつ「そうですね」と返事する。この2人がバックに着く、と明言してくれている以上、実質何も心配する必要はないだろう。が、そうなるとやはり思考は騎車の中にいる主の方へと流れていってしまうのだった。

 

 戦が終わった後のレグルスは、様々な対応に追われて戦の結果どころの話ではなかった。結局のところ、レグルスは正体を隠していたためにペナルティが発生、だが元々東軍についていた200ポイント分のハンデの帳消し程度で妥当だろうという判断で審議委員会の意見は一致した。しかしそれでも東軍のポイント有利に変わりはない。にもかかわらず、西軍側は「今回の戦は勝敗以上のものがあった」と、結果云々についてそれ以上の要求をしようとしなかった。

 無論、レオも事前に西軍側のスポンサーにそれとなく話は通していた。彼女が息子との一騎打ち後に戻らなかったのも、その後興の乗らない戦いをしたくなく、激闘の余韻に浸りたかったという身勝手な要求に他ならない。そしてそんなゲストのわがままを西軍スポンサーも快諾していた。

 つまるところ、気づけば勝敗などもう二の次となっていたのだ。勝利自体は東軍が収めたものの、人の目はもはやそこ以上にレグルスとレオの親子対決に向いていた。

 だが、レオはそれなりにインタビューにも答えたものの、レグルスはそれら一切を拒否、代わりに自軍のアドバイザーも兼ねていたバナードに代理を任せ、ひたすら沈黙を貫いてドラジェを後にしている。表向きはこれまでがお忍びの旅だったので、今回の一連の件についてはガレットに戻ってから正式に発表したい、というものではあるが、当然実態は異なる。

 理由はパンシアだ。彼女は東軍の本陣を訪れてレグルスと再会してからずっと、兄と慕う従兄の傍から離れようとしなかった。その間はプロヴァンスもパンシアの母であるノワールと同席していたが、パンシアがガレットに戻るとなると半ば強制的にレグルスも連れ戻される形となり、さらに騎車の中に2人きりで話がしたいと閉じこもってしまったのだった。

 

 救いを求める意味でもプロヴァンスはレオに再会を祝さなくていいのかと尋ねたが、「戦場で剣を合わせて言葉を交わさずとも心は通じ、基本的には満足した」と、いかにも戦馬鹿な返答が帰ってきただけだった。詳しくはガレットに戻ってからでもいくらでも話せるし、それよりも一日千秋の思いで待ち続けていたパンシアに今は話す機会を譲ると言われてしまった。ノワールも同じような態度であったため、不承不承ながらも傍を離れることに下のだ。

 とはいえ、テントの中で聞いていた様子では、話したがるパンシアに対してレグルスはあまり口数は多くなかった、とプロヴァンスは感じていた。適当に誤魔化すか、自分にうまいこと話を振ってはぐらかすか。それで業を煮やしたパンシアが2人きりになることを望んだという側面もある。まあ自分が首を突っ込める範疇を越えているかと、巨躯の百騎長は取りとめのない考えをめぐらせるのをやめようかと考えていた。

 

「それはそうと百騎長、フルネームはプロヴァンス・ドリュール殿と窺ったのだが。あのゴドウィン将軍の息子だと。本当なのか?」

 

 と、そんなことをプロヴァンスが考えていたところで不意に横からそう声をかけられた。声の主はテワナ、彼女は千騎長で自分は百騎長、その立場相応の態度で構わないと彼は既に伝えている。そのため、この物言いに対して何も文句はない。

 

「ええ、本当です。この図体は父親譲りですよ。俺の出迎えに来てくれてるかはわかりませんが、もしかしたら本物に会えるかもしれませんね」

「やはりそうか……。いや、殿下のお強さは身をもって知ったわけだが、あの方が実力を隠していた当初は、むしろお供の方が腕が立つのではないか、という思いがあったからな」

「ほほう。プロヴァンス、随分と高く買われたの?」

 

 テワナの声が聞こえたのだろう、茶化し気味にレオが語りかけてきた。プロヴァンスは主がやるように反射的に苦笑を浮かべていた。

 

「まあ俺は殿下と違ってそういうのを偽るのが苦手ですからね。でも千騎長殿は冗談が通じない、と殿下がおっしゃってた気がしましたが……。なかなか口もお上手じゃないですか」

「……私は本気で言っているんだが。レグルス殿下はこんな私に『改めて剣を向けに来い』とおっしゃられた。その言葉にいつの日か応えられるよう、もっと強くなりたいと考えている。そのためにも、近いうちに千騎長になるかもしれないあのゴドウィン将軍の息子、という存在は相手にとって不足はない。……殿下の前にまずはプロヴァンス殿、あなたを打ち倒すつもりでいる。戦場で顔を合わせたとき、是非ともお手合わせ願いたい」

 

 一瞬プロヴァンスは虚を突かれた様な表情だった。が、すぐ普段通り豪快な笑い声を上げる。

 

「いいですね。その勝負、受けて立ちますよ。殿下をもってして『相当優秀』と言わしめたあなたを相手に戦うとなれば、俺も血が騒ぐってもんです」

 

 ドラジェの千騎長とガレットの千騎長に近い百騎長、2人が顔を見合わせて不敵に微笑みあった。それをレオとノワールがしげしげと見つめていた。

 

「……なんか、プロヴァンスがゴドウィン将軍みたいに見えてきた。将来大物になりそう」

「違いないな。ワシ相手に怯むことなくあれだけの強烈な打ち込みを見せたんじゃ、いずれは将軍、そして騎士団長を勤められるほどの器になりそうじゃな。……しかしプロヴァンスもじゃが。ドラジェの千騎長、テワナと言ったな?」

 

 予想していなかった呼びかけに思わず彼女は身を硬くした。声からレオに呼びかけられたとわかる。緊張気味に「は、はいっ!」と答え、彼女は視線をプロヴァンスから移した。

 

「ワシはレグとの戦いであまり見られなかったが、平野部での戦いを見事指揮したようじゃな」

 

 そこでバナードも振り返って話題に加わる。

 

「それは私からも推薦出来ますね。アドバイザーとして東軍に呼ばれましたが、私が口を出すことはほとんど何もありませんでした」

「ほほう。バナードにそこまで言わせるほどか。加えて今のプロヴァンスとのやりとりとワシの息子をいつか倒したいというその意志……。なかなか見応えのありそうじゃな」

「は、はい! ありがとうござ……あ、いえ、申し訳ありません! レオンミシェリ閣下の大切なご子息であるレグルス殿下に対して『倒したい』などと不遜な物言いを……」

「いや、構わん。むしろあいつもその程度言われようと気にせんじゃろう。それにレグの奴に倒しに来いと言われたのであろう? なら、それだけの相手とレグも見込んだ、ということじゃしな。……そうじゃな、もしレグを倒せるほどなら腕としては申し分ない。そのままあいつの嫁になるというのはどうじゃ?」

 

 どこまでが本気で言われているのか、テワナには判断できなかった。自分の息子を倒せるものなら倒してみろ、まではまだわかる。だが倒した暁には嫁になる権利をくれてやろう、などと聞いたこともない。どう返答したものか、テワナは困り果てた表情で、さっきは自分とプロヴァンスがこのやりとりをしたような気がしたと、デジャヴを感じつつ返した。

 

「……レグルス殿下は口が達者でいらっしゃるのは身をもってしっていましたが、レオンミシェリ閣下もそうだとは思いもいたしませんでした」

「ん? ワシは本気で言っておるぞ? あいつの口の悪さはワシではなく旦那の方に完全に似たようじゃからの」

 

 これにはテワナは絶句するしかなかった。本気で言っているのだとしたら息子に絶大な信頼を置いているのか、あるいは口では自分を称えるように言いながらその実軽視しているのか。だがそこで彼女は第3の考えに思い至った。それは、レオの口から出たその言葉通り、「本気で言っている」ということ。つまり、身分など関係なく、息子を打ち倒せるほどの力を持つ相手ならば、自分からすれば息子の伴侶としては是非もない存在だと言いたいのだと。

 それこそ、テワナがずっと追い求めいた、家の出や立場など関係なく、純に力を追求する姿勢そのものではないかと思うのだった。そしてそれを平然と言ってのけるほどの器。なるほど、「閣下」と呼ばれ、今なお戦場に燦然たる存在として輝くその人物は、やはり伊達ではなかったのだと、テワナは知った。そんな彼女の心を見透かしたかのようにノワールが語りかけてくる。

 

「変わってるでしょ、レオ様って。戦馬鹿だからしょうがないの」

「これ、ノワ。義姉を馬鹿呼ばわりするとは何事じゃ。……まあ事実だから否定できんがの」

 

 そう言ってレオはプロヴァンスにも負けないほどの豪快な笑いを上げる。それにつられ、周囲にいた人々もまた笑い声をこぼした。

 これがレグルスの母獅子、レオンミシェリかとテワナは改めて実感する。この母と、そして知略に長けるといわれる父に育てられれば、それは息子も無双の強さを誇るのも納得だった。

 そんなテワナに気づいてか、プロヴァンスがそっと声をかけてくる。

 

「……千騎長殿には眩しく映るかもしれないですけどね。実際この環境の中に放り込まれるとしんどいことの方が多いんですよ。うちは父も厳しいし、閣下も何かと騎士達と手合わせたがるし」

「聞こえてるぞプロヴァンス。ワシはお前達騎士のことを思ってじゃな……」

「半分ぐらいは、でしょ?」

 

 ノワールに突っ込まれ、「た、確かに残り半分は自分が楽しいからじゃが……」とレオは一度口篭る。が、開き直ったようにその先を続けた。

 

「ともかく、じゃ。ワシを前にしてそんなことを言うとはお前もいい度胸をするようになったの? さっきの戦では紋章術がまだまだじゃったな、帰ったらみっちりしごいてやろうぞ!」

「ちょ、勘弁してくださいよ! そうじゃなくたって俺は父譲りでタフだからって理由だけで殿下の紋章術の実験台にされることだってあるんですから! それが閣下にランクアップしたら体もちませんって!」

 

 プロヴァンスは悲痛な主張をするが、レオは全く聞く耳を持たないらしい。そして回りも誰もそれを止める気はないようだ。現に、テワナを含めたその場の全員が笑っていた。

 

 

 

 

 

「あー、ったく外は楽しそうだよな……」

 

 一方騎車の中。レグルスは左手に顎を乗せて窓から外を眺めつつ、そう呟いていた。

 

「ちょっと兄さん、聞いてる!?」

「聞いてるよ。続けろ」

「続けろ、じゃないでしょ! ……さっきテントの中にいるときはプロヴァンス使ってのらりくらりと私の話をかわして。今度は今度でそうやってはぐらかして!」

「はぐらかしてねえよ。放浪の旅なんて馬鹿なことやってた俺が、どの面下げてお前に会ったらいいかわかんねえからこうしてんだよ」

 

 変わらず、レグルスは視線を外に向けたままだった。それを不満に思ったのか、パンシアはなおも食ってかかる。

 

「会ったらいいかって、もう会ってるじゃん!」

「話が堂々巡ってる。それ多分3回目だ」

「だからそんなのはどうてもよくて……。あーもう!」

 

 ヒステリー気味に癇癪を起こしていたパンシアが天を仰いでため息をこぼした。

 心待ちにしていたはずの再会だったのに、久しぶりに会った兄代わりの従兄はそっけなかった。わざわざ本陣の待機場所まで会いに行ったのに対応は適当、その場に居合わせたプロヴァンスをうまく使って詰め寄ろうとするパンシアをかわしていた。さらに戦後のインタビューは代理のバナードに全部丸投げし、レグルスであることが露見してからはほとんど表に姿を表さずにドラジェを後にしている。

 

「……私はずっと兄さんとまた会えることを考えてたのに」

「それも3回目だ。……話題もループしてるぞ」

「兄さんがちゃんと聞いてくれないからでしょ!」

「聞いてるっての。これが俺のスタイルだってのはお前だってよく知ってるだろ」

「でも私の話はいつもちゃんと聞いてくれてたじゃない! ……きっと旅してる間に私のことなんてどうでもよくなったんだ」

「だからそうじゃねえっての」

 

 ついでにそれも3回目、と言いかけてレグルスはやめた。さすがにもうからかうようにやり取りを続けるのも不毛だろう。そろそろちゃんと話を聞いてあげようという気になる。

 

「……悪かったよ。結局次期領主候補の件をお前に全部投げて俺は好き勝手やってて」

「私はそこは全然怒ってないよ。それにそれはもう済んだ話だもん」

「でもよ、そうやって飛び出して行ってちっとは成長したかな、なんて思ってたらおふくろにはボロ負けだ。……やっぱお前にゃ合わせる顔はねえよ」

「それも違うよ」

 

 自嘲気味な発言に対し、帰ってきたのはまっすぐな言葉だった。思わずパンシアの方を仰ぎ見ると、彼女はその言葉と同様に曇りのない目でレグルスを見つめていた。

 

「兄さんの戦いは凄かった。お母様もそう言ってたもの。あのレオ伯母様があれだけ楽しそうに戦ってるのはここしばらく見たことがなかったって。それは単に息子と戦えてるという喜びだけでなく、相手を自分と対等に戦える存在だと認めたからに他ならない、って」

「……あれが対等な戦いに見えるか? 結局俺は有効打を一撃さえ打ち込めなかったんだぞ。最後の紋章剣だって簡単にあしらわれたしな」

「でもそれは兄さんも一緒じゃない? 最後の紋章剣以外はほぼ捌いてみせた。そして最後の紋章剣は……おそらく伯母様も全力で放ったと思うよ」

 

 先ほどまでのようにレグルスは窓の外へ視線を移しながら、しかし表情はよりムスッとした感じに変わっていた。パンシアにはわかる。これは彼の不機嫌な様子を表しているわけだが、同時にそれは笑みを浮かべる余裕がないほどに図星を突かれたときに他ならない、と。

 

「……でも負けは負けだ。やっぱ合わせる顔はねえ」

「意地っ張り。その性格はどっちに似たの? ソウヤ伯父様? レオ伯母様?」

「知らねえよ。親父じゃねえか? ……ともかくこれで国に帰るのもなんだか晒し者みてえだな」

「そんなことないよ。皆兄さんの帰りを待っててくれるって。お父様とか、伯父様とか」

「ガウル叔父さんには絶対色々言われるだろうよ。そこだけ憂鬱だ。親父は……なんだかんだ放任主義だしな。今回の旅のことも全く咎めなかったし、多分おふくろとやりあって負けた、って言ってもそのうち自然と越える、とか言い出すだろう。……そもそも親父はもう俺の方が上回ってるとか戯言抜かしてやがるし」

 

 どこか吐き捨てるようなレグルスの最後の言葉。それに対し、意外そうにパンシアは数度目を瞬かせた。

 

「兄さん、ソウヤ伯父様のこと嫌ってるの?」

「んなわけあるか。尊敬してる。いつか、おふくろと一緒に越えるべき壁だと思ってる。……なのにその当人があまりに自分を卑下するようなことを言い出すのを見ると、それを否定したい気分になって、同時に越えたいと思ってるジレンマに陥ってなんとも言えなくなるんだよ」

「そっか……。そうだよね。だって、兄さんの夢は伯父様と伯母様を相手にいつか勝ち名乗りを上げることだもんね」

 

 変わらず、レグルスは窓の外を眺めていた。その口がポツリと「……よく覚えてんな」と言葉を溢す。

 

「それはそうだよ。だって、私の夢って、その兄さんが夢をかなえる姿を見ることだから」

 

 不意に、ずっと視線を逸らしたままだったレグルスがパンシアをまっすぐに見つめた。

 そうだった。母に意識を刈り取られ、意図せず見た過去の夢。その中で言ったパンシアの夢とは、そのはずだった。どんなに彼が言い聞かせようとしても、彼女は兄代わりの従兄が活躍する姿を見たいと言って仕方がなかった、と思い出した。

 

「どうかした?」

 

 だがそのことを知る由もないパンシアは首を傾げている。レグルスは小さく笑い、また窓の外へと視線を逸らした。

 

「なんでもねーよ。ちょっとばっかし思ったことがあっただけだ」

 

 彼自身、本来ならガレットを継ぐべき身だということはわかっている。だがパンシアが頑なに主張して、彼女が次期領主候補となっている。

 なら彼女が望む、兄代わりである自分の活躍する姿を見せてあげることが、自分の成すべきことかもしれない。さっき戦が終わったときにソンブレロは「答えを見つけるまで保留するのも悪くはない」というようなことを言ったはずだ。だとするなら、今は遮二無二、活躍出来るようにもっと強くならなくてはならない、と思うのだった。それこそ、今日戦った母親にも勝てるほどに。

 

「……しっかしどうにも今日のソンブレロさん、親父みてえなこと言ってくれたなあ」

 

 今の思考に行き着いたのも、その彼の助言のおかげだ。そう思いつつポツリと呟いた彼の独り言を聞きとがめ、「どうしたの?」とパンシアが尋ねる。

 

「独り言。帰ったらお前のために、俺もちょっと本国で大暴れしてやらねえといけねえかなと思っただけだ」

「本当!?」

 

 言いつつパンシアは身を乗り出す。思わず怯み、「お、おう……」とレグルスは返すのが精一杯だった。

 

「やった! じゃあ兄さんには言葉通り大暴れしてももらわないと! ……そうだ! 昨日ビスコッティに行った時にね、リコが近々ビスコッティで大きな戦があるんじゃないか、って言ってて。で、私とクリムが主催する形で戦を行えばいいんじゃないかって思ってるの!」

「ハァ!? 待て待て、確かにお前もクリムも次期領主候補だからその権利あるだろうけど、いきなりすぎだろ!?」

「だって兄さんは大暴れしてくれるんでしょ? そうなったら私はクリムかシュアラと戦うから……兄さんはシンク様と戦うとか!」

「無茶言うな! 親父ですらもう戦わないと宣言するほどの凄腕じゃねえか! 戦主催するならもうちょっと俺に勝つ見込みのあるカード考えろ! アラアラ辺りをぶつけてくれよ!」

「シュアラじゃ兄さんの相手にならないでしょ? ……そうだ。私とクリムとシュアラ、3人で兄さんの相手になれば……」

「なんでお前がビスコッティ側に回ってんだよ!」

 

 気が付けば、騎車の中の兄妹のような2人の会話は、いつものやりとりとなっていた。どうパンシアの機嫌を直そうか考えていたレグルスはようやくそんなのは杞憂だったと気づく。

 戦無双の「蒼穹の獅子」と「百獣王の騎士」を相手に勝ち名乗りを上げる。当面はそれを目標に、ひたすらガレットで大暴れすればいい。パンシアはそれを楽しみにしてくれるといったし、そうすることが自分の肩代わりのように次期領主候補となったパンシアに対する恩返しといえるだろう。

 そして目標を達成した時、その時にまた自分の身の振り方を考えてみるかと、保留と先延ばしというあまりよろしくないとわかりつつ、彼はその選択を取ることにした。

 

 将来の希望である若き「獅子の子」の2人を乗せ、騎車は祖国であるガレットへの道を進む。時が流れても変わらない獅子の魂は、確かに2人の心に刻まれていた。

 

 

 

 

 

 ドラジェ、コンフェッティ城。来客用の談話室で落ち着きなく待っていた男性は、扉が開いて入ってきた2人に気づき、反射的に立ち上がっていた。片方がこの城の主であるレザン、もう片方が()()()()()姿()というありえない組み合わせにもかかわらず、彼の表情には安堵の色が浮かんでいた。

 

「お二方! こういうことならそうだと前もって言ってくだされ! 何がなんだかわからないうちにこの事態というのは……!」

「それについては俺から謝るよ、()()()()()さん」

 

 部屋で待っていた男性と同じ格好の男が同じ声でそう言ったと思うと、羽織るように着ていた服を脱ぎ、左手で顔の前をなぞるように滑らせた。その手が通り過ぎたところから、()の本当の顔が現れる。

 

「だがおかげであいつが言ったとおり、最高の見世物を特等席で見れた」

 

 聞こえた声は、先ほどまでの中年の男性のものとは全く違った。それどころか、フロニャルドの人々なら本来あるはずの耳も、彼の黒い頭髪からは見えなかった。

 

「勘弁してくださいよ、()()()様! 見るだけならわざわざ同じ衣装を着て紋章術で私の顔と声を真似て、今日1日()()()()()必要もないじゃないですか!」

 

 ソンブレロに指摘されても、本当の姿を見せたその男――ソウヤ・ガレット・デ・ロワは不敵な笑みを浮かべただけだった。その彼の代わりにレザンが口を開く。

 

「おっしゃるとおり。でも、彼は終わった後の我が子と話がしたかったんだ。わかってあげてくれ」

 

 自国の国王であるレザンにそうフォローを入れられてはソンブレロには反論の余地はない。まだ何かを言いたそうだったが、黙って納得した様子だった。

 

「重ねて謝罪するよ。でもさっき言ってもらったとおり、おかげでレオと戦った後のレグと話が出来た。……思った以上にあいつは自分で悩んで、でも今回の旅がいい経験になったみたいだってわかった。俺も言いたいことが言えたし満足だよ。……悪いね、親馬鹿で」

「それにしても今朝早くにこっそりとソウヤさんがいらしたときは驚きましたよ。しかも要求が『東軍スポンサーと入れ替わらせろ』ですからね」

「一応耳は早いんで。昨日ガレットに戻ったときに、諜報部隊からそれとなく話は仕入れて、ちょいと茶番打ってみるかと思ったんですよ。うまいことバナードさんにも事前に話がつきましたし。……ま、そんな裏でこそこそとやってた俺以上にあいつは自分の手で舞台を回し、黒子であった俺の存在にも気づきかけていたようですが。……文句ないほどの成長っぷりだ。ああ、やっぱ親馬鹿ですね、すみません」

 

 ソウヤは苦笑を浮かべる。もうソンブレロは突っ込みを入れる気もないのか、ひとつため息をこぼしただけだった。それからゆっくり口を開く。

 

「……ですが、ソウヤ様のおっしゃるとおり、ご子息は本当に素晴らしい、将来が楽しみな逸材ですよ。今日ここに呼び出されても自分が囲い入れた傭兵がレグルス殿下だとは半信半疑、戦中に正体を現されたのを見てやっと信じたほど、見事に騙されてました。それ以上に戦における親子対決は心が打ち震えた……。これまで見てきた戦の中で、あれほど画面に見入ったのは初めてと記憶しています」

「これは父親として鼻が高いお褒めの言葉だ。……で、やっぱ親馬鹿になるわけだけど、俺もあいつはいつかはもっと大きな舞台を回す存在になると確信してる。それも表に立ち損ねて『道化』として裏から回すしかなかった俺のようにではなく、本当の意味で『勇者』として表に立って、回すんじゃないかってね。今日のレオとの戦いを見れば、あいつは実力だけなら既に俺を越えたといってもいい。俺の手を完全に離れるのも時間の問題かもな……」

 

 ソンブレロもレザンも、彼の言葉を静かに聞いていた。それを見てソウヤはなぜか少し照れくさそうな表情を浮かべる。

 

「……突っ込み無しですか? 完全に俺親馬鹿じゃないですか」

「事実でしょう? わざわざ一芝居打つほどですし」

「違いありませんな」

 

 笑い声と共に2人に畳み掛けられ、ソウヤは困ったように笑みをこぼした。

 

「……否定できねえや。まあいいか。とにかく俺はそろそろ帰ります。あんま遅いと怪しまれるでしょうし。おふたりとも今日は助かりましたよ」

 

 礼を述べ、ソウヤは部屋を後にしようとする。

 

「それではまたお会いしましょう。……ご子息のご成長、隣国より楽しみにしてますよ」

「ありがとうございます。そちらも子沢山の子育て、頑張ってください」

 

 かつて歴史に残るとまで言われた大芝居を打った2人は、互いにそう言い合って笑みを交わした。

 

 時は変わり、時代は流れ行く。だがこれからの時代はおそらく明るく照らし出されているであろうことを、人々に予感させている。その先駆けともいえるドラジェの東西戦はカーテンコールも終え、今本当の意味でようやく幕を下ろしたのだった。

 

 

 




「俺達の戦いはこれからだ!」みたいな展開ですが、ひとまずここで風呂敷を包もうと思います。
元々、一旦の着地地点としてここは考えていました。ただ、その前のジャンプ最高点までしか見据えていなかったために着地まで厳密に考えず、ここに到達するのに時間がかかってしまいましたが。

やりたい放題やったはずなのに、配置するだけして生かしきれなかったキャラもいます(主にビスコ側)。まあその辺はもしかしたら気が向いたらまた続き書くかもしれません、ということで。

前2つと比べると明らかに短いですが、一応完結にしたいと思います。読んでくださった方、ありがとうございました。また、期待を裏切る形となってがっかりした方、偏に自分の実力不足です。その点は申し訳ありませんでした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。