ナンパ勇者と魔物たち (図らずも春山)
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「結婚しよう」

……

……………………

………………………………………………………

 

 

『魔物は人間の敵である。』

 

 

 誰が言ったかもわからないそれは、いつのまにかこの国、この世界の常識となっていた。

 

 

 

 

………………………………………………………

……………………

……

 

 

 

 ルカは鬱蒼と生い茂る草木の中を突き進んでいた。その草木の纏わりつくような感覚にイラつきが貯まる。

 彼の腰には鞘に収められた剣がぶらぶらと下げられていた。そのような格好はこのご時世そう珍しくはない。なにせ自分の身は自分で守らなければならないのだ。人里離れ、魔物がいつ襲ってきてもおかしくない森の中をたった一人武器を持たずに行くなんて正気の沙汰では無い。

 

 男がこんな獣道を歩いている理由はただひとつ……。

 

「……くそぅ! カワイイ娘はどこなんだ!!」

 

 

♦♦♦

 

 

 事の発端は七時間前の友人との会話であった。

 夜の繁華街。いくつもの外灯が夜の寒さを暖かくし人々を照らし出す。王宮のある街というだけに辺りは大勢の人間で賑わっていた。

 人混みの中ルカは一人で宛もなくその場をさまよっていた。夕食はまだ済ましていなかったが特別何処かの店へ行こうなどとは考えていなかった。

 そんな彼の肩を突然叩く者がいた。

 

「よぉ、ルカ」

 

 ルカが振り返るとそこには見知った友人が立っていた。少しウェーブの掛かった髪の毛を風になびかせその聡明そうな顔に笑みを浮かべている。

 

「おお! ヨハンじゃないですか!」

 

 男とルカは互いにハイタッチを交わす。

 

「この人混みの中よくわかりましたね」

「まあな、目は良い方なんだよ。ま、とりあえずどっかで飲もうや」

 

 丁度いい。そこで夕食を済ませてしまおう。ルカはそう考え承諾した。二人は近くの居酒屋に足を運んだ。運良く二人席を見つけヨハンは席につくと早速エールと焼き鳥二人前を注文した。すかさずルカもエールを頼む。

 

「いやぁー、久しぶりだな」

「ええ、そうですよね」

「ホントだな。なんか、こう……大人びたか?」

「そんなこたぁないですよ」

「そうか? ハハハ。」

 

 他愛のない話をしていると早速2つのエールが運び込まれてきた。

 二人は無言でジョッキを取ると互いに軽くぶつけ合った。

 カコン。

 そんな音が周囲の喧騒のなかに溶け込んでいく。

 

『乾杯!』

 

 エールはジョッキを伝い胃の中へと流しこまれる。

 

「……で。どうよ、ルカ」

「どうよって……なにがです?」

「どこかに冒険出たりだとか探索とかしたのか?」

「いや……どこにも行ってませんよ」

「えぇ!? なんでだよ? お前はその剣の腕をかわれて勇者の一人に選ばれたんだぞ!?」

 

 心底驚くヨハンを見て、ルカは乾いた笑みを浮かべる。

 

「剣術に優れてるからってなんですか……」

 

 ルカは1口エールを飲むと続けた。

 

「それに、目的がないじゃないですか。誰かを守るわけでもないですし」

「そりゃあお前、魔王討伐して人類を守るってがあるじゃねぇか」

「じゃあヨハンさんがやってくださいよ。ヨハンさんの方こそ剣強いですし」

 

 ルカはジョッキについた水滴を手で拭き取りながら黙ってしまった。そういう話はあまり興味がないらしい。

 やっぱり変わった男だな、とヨハンは感じた。

 そこへ二人前の焼き鳥が届く。機嫌が悪いのかルカは次々に口の中へ放り込んでゆく。

 そんなルカを見ながら彼はなんとなしに新しい話題へと移った。

 

「そういやこの前ギルドにいた時にな、そこにいたよれよれのじーさんと話したんだけどな。どうも聞いた話によると魔族にはカワイイ娘がおおいんだってよ」

 

 ガタッ!

 

 ルカはその言葉を聞くといきなり席を立った。

 

「ど……どうした? ルカ」

「ヨハンさん……それ、本当ですか……?」

「……え?」

「俺……行ってきます。美女探しに!」

「は……?」

 

 そう言うとルカは颯爽と店を後にしたのだった。

 

 残されたヨハンはつくづく変わった男だな、と再び思いつつ焼き鳥の皿に手を伸ばした。しかしそこにあったのは油まみれの串だけだった。

 

「あれ……。あいつ焼き鳥全部食べやがったのか………」

 

♦♦♦

 

 

 ガサガサガサッ!

 

 ルカが黙々と獣道を歩いていると奥の方からなにか大きな音がした。何かが空から落ちてきたようだ。ルカは急いでその音がした方へ駆ける。

 

「この辺からだと思うけど……」

 

 あたりを見渡してみると背の高い草の一部分がヘコんでいた。近くまで草を掻き分け進むと、ひょっこりとヒトの頭のようなものが見えた。

 

「人間か……?」

 

 確かに人間そのものであった、その胴体は。だが、その腕には立派な翼が生え、下半身は体毛で覆われ、猛禽類の様な足には鋭い爪が付いていた。

 

 そう、そこに居たのは半分は人間、半分は鳥の紛れもないハーピーであった。

 

「!!」

 

 ルカは思わず息をのむ。

 

 ルカの存在に気づいたハーピーは振り向いた。サラサラとした桃色の髪の毛が宙を踊る。ハーピーはその鋭い眼でルカを睨みつけた。

 

「来ないで!」

 

 しかしルカは更に一歩ハーピーに近づき片膝をついた。そして片手をハーピーに差し出して言った。

 

 

「結婚しよう」



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「約束ですよ」

 

「え……え?」

 

 ハーピーは突然の求婚に驚きを隠せなかった。なんせ今あったばかりなのだから。それに相手は人間である。そんなハーピーに追い打ちをかけるようにるルカがしゃべる。

 

「どうしたんだいハニー。そんな固まっちゃって」

「は、ハニー!?」

 ハーピーは素っ頓狂な声を上げた。

「何!? 何なのあんた! いきなりあって結婚だなんて! 頭にクリームパンでも詰まってるわけ!?」

「ええっ!? ダメですか!? やましい事しか考えてないのに!!」

「ダメに決まってるでしょ! 私は魔族、あなたは人間なのよ?」

「だからなんだって言うんだ!! そんな種族の壁なんて二人が愛し合えば関係ないんですよ! うん!」

「はぁ!? 無理よ無理! それにあたしはあんたのこと好きでもなんでもないのよ!? ていうか誰よあなた!!?」

「申し遅れました。私、ルカと申します。キリッ」

 

 ルカは自己紹介をしてキリッと言った。自分で言った。ハーピーは呆れている。

 

「なんなのよあんた……」

「あなたの夫です」

 

 もはやこの男に恥ずかしいという感情が欠如しているのではないかと思えてくる。

 

「なんであたしなのよ……」

「好みだからです。好きだからです。あぁん、もうたまらないっ!」

 

 ルカは体をクネクネとさせる。

 はぁ……、とひとつため息をつくとハーピーは無意識に脚をさすった。

 

「もう……帰ってくれない?」

「………………」

「……はやく」

「……わかりました。では失礼します」

 

 そう言い残すとルカは足早にその場を去ってしまった。辺りに静寂が訪れる。

 

「一体全体何なのよ、あいつ……」

 

 ハーピーは立ち上がろうとした。脚に鋭い痛みが走る。

 

「ッ!」

 

 そして再び座り込んでしまう。

 

「もう……なんなのよ今日は」

「僕とあなたの出会った日ですよ」

「え!?」

 

 声のした方を振り返るとそこにはルカの姿があった。

 

「いやぁー、何の日か?って記念日に聞かれたら答えるしかないですもんね。いやぁ、まさに理想の彼氏像ですよこれは」

「…………」

 

 再びいきなり現れたルカをハーピーは鋭く睨みつけた。ルカはそんな彼女に手を差し伸べた。

 

「なによ……」

「脚、怪我してるんでしょう?」

「…………」

「違いますか?」

 

 二つの視線がぶつかりあった後、ハーピーは顔を背けて呟いた。

 

「……ニンゲンには…………頼らない……」

「なんでそう種族が違うだけで拒むんですか?」

「……ニンゲンはヒドイ……から……嫌い」

「あなたにヒトのなにがわかるんですか?」

「……仲間が被害をうけた……から……ヒドイ……」

「そんなやつが居たから僕もそういうやつだと?」

「…………」

 

 ハーピーは答えない。

 

「あなたのその考えで行くと僕にとってハーピーは麗しい種族ってことに……あれ? あってる……」

「…………」

「なにか言ってくださいよ」

「…………」

「まったく、素直じゃないんですから」

「…………」

「まぁ、そこも可愛いんですけどね」

「…………」

 

 ルカはハーピーの正面で背中を向けた。

 

「ほら、乗って。おぶってあげますよ」

「いや、あたし飛べるんだけど……」

「えぇ!? 怪我してるんじゃなかったんですか!?」

「それは足だけよ。羽根はなんともないもの」

 

 そう言ってハーピーはバサバサと羽を動かしてみせた。

 

「なんでケガしてないんですか! おんぶさせるとこでしょ今のは!! それで体全体で『女の子』を感じたいんですよこっちは!!」

 

 ルカはすごい剣幕でハーピーをまくしたてる。

 

「………………」

 

 彼女はまたもや無言で冷たい目線でルカを見ていた。

 

「はぁ…………」

 

 と、ここでルカにあるの脳内にある仮説が浮かび上がった。

 

(もしかしてこの子、飛ぶことが苦手なんじゃ……!)

 

「それじゃああたし帰るわ」

 

 そう言ってハーピーは何の滞りもなく宙に舞い上がった。

 

「飛べるんかーい!」

「さっき言ったばっかりじゃない……」

「くそぅ……僕の計画が台無しじゃないですか」

「知らないわよそんなの」

 

 ハーピーは呆れ顔だ。

 

「あ! そういえばまだ名前教えてもらってませんよ! なんて言うんですか!?」

「えー……」

「人に名前を聞いておいて自分は言わないだなんて!」

「それはあんたが勝手に名乗ったんでしょ……。まぁ……名前くらいいいか」

 

 ハーピーはそう呟くと言った。

 

「あたしはセラよ。まぁ、もう二度と合うことはないでしょうけど。それじゃあ」

 

 そしてそのまま飛び去ってゆく。ルカは即座に木に登り始めた。なんとか上まで登り終えると、彼方にハーピーが飛んでいるのが見えた。

 

「逃しませんよ……フヒヒ……」

 

 その顔はまさにストーカーの顔であった。

 

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

「ハァ…………ハァ………」

 

 ルカはハーピーが飛んでいった方向をただひたすら真っ直ぐに進んでいた。彼を動かしているのは最早執念である。

 

「くそぅ……どこだ、どこにあるんだ」

 

 ルカがセラの住処を見つけようと奮闘していると、近くから羽音が聞こえてきた。目を閉じ、聞き耳を立てる。それが聞こえなくなるまでルカはその状態を保った。

 

「……よし」

 

 顔には満面の笑み。ルカは軽やかな足取りで進んでいった。

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「ここか……。ここが、ハーピーの集落か」

 

 ルカはハーピー達の集落に堂々とつったっていた。そんな堂々としているからにはすぐに目立つわけで……。

 

「!?」

 

 一匹のハーピーと目が合う。ルカはウインクをした。恥ずかしさを微塵も見せずにウインクをした。

 

「ニンゲンよ! ニンゲンがいるわ!!」

 

 案の定、ハーピーは叫んだ。その声につられて他のハーピーたちが姿を現した。

 

「え? ニンゲン!?」

「どういうこと?」

「なんでこんなところに!?」

 

 ルカの周りを色んな言葉が飛び交う。ルカはそんな中目が合うすべてのハーピーにウインクをしていた。

 

「くそ……なんでみんな睨み返してくるんだ!」

 

 ルカは改めて周りを見渡した。沢山の可愛らしい目が鋭くルカを睨みつけている。

 

「にしてもみんな可愛いな……天国か、ここは……うぅっ!」

 

 感激の涙がルカの頬を伝う。そんなことをしているとルカを囲うハーピー達の円の中から一匹の凛々しいハーピーが出てきた。

 

 

 ハーピー達はその凛々しいハーピーのために道を開ける。

 

「あなたは……クィーンハーピーですね」

「いかにも」

 

 ルカはクィーンハーピーと目を合わせた。吸い込まれそうな翡翠色をした綺麗な瞳だ。ルカは思わず息をのんだ。それほどに美しいのだ。

 

 続々とハーピーたちが姿を現す。気づいた時にはルカはハーピーの円の中に居た。

 

「わらわの村に何か用があるのか? ニンゲン」

「ルカです。以後お見知り置きを」

「…………それで?」

 

 クィーンハーピーはルカのことをじっくりとねめまわす。ルカはビシッ、と姿勢を正して言う。

 

 

「私、ルカは、セラさんのことを嫁にもらいに来ました!」

 

 

 辺りの空気が止まる。

 

 と、そこにセラがやってきた。

 

「えっ! なんであんたがここにいるの!?」

 

 ハーピー達の視線が一気にセラに注がれる。

 

「セラよ………」

「あ、はい。なんでしょうか女王様」

「おぬしはあのニンゲンと知り合いなのか?」

 

 あんぐりとした表情でクィーンハーピーが尋ねる。セラは複雑な顔をして答えた。

 

「さっき森の中で初めて会いました……」

「初めてだと?」

「はい。そしていきなり……」

「いきなり?」

「そっ、その……け、結婚しよう……だなんて言ってきて……」

 

 セラは顔をあからめながら消え入りそうな声で言った。

 

「そのうえしつこいんです! 女王様! どうにかしてください!」

「わかった」

 

 クィーンハーピーはルカの方に向き直った。それまでざわついていたハーピー達も、空気を読み口を止めた。

 

「ルカとやら、おぬしを信用するために頼まれてほしいことがある」

「はい、なんなりと!」

「最近、ニンゲンの村を襲う魔物の集団がいると聞く。そいつらをどうにかして欲しいのだ。やり方はおぬしに任せる。わかったか?」

「はい。でも、どうして人を助けるようなことを?」

「ちがう」

 

 クィーンハーピーはキッパリと言った。

 

「わらわたちのためだ。魔物がニンゲンを襲えば、腹いせに魔物を襲うであろう?」

「なるほど」

「最後におぬしに一つ忠告がある」

「なんですか?」

「他のニンゲンにここのことは絶対に話すなよ?」

 

 クィーンハーピーは毛を逆立ててルカに迫った。それは目だけで人を殺せてしまうんじゃないかと思うほどの鋭さであった。

 

「わかってます」

「ならばいい」

「帰ってきたらあなたと一対一で話してみたいですね」

「フッ……帰ってこれるならばな」

「約束ですよ」

 

 ルカはクィーンハーピーにウインクをするとハーピーの集落をあとにし、例の魔物を探しに行ったのであった。

 ルカの姿が見えなくなるとクィーンハーピーはセラに言った。

 

「おぬしはあやつを観察しにいけ」

「え!?」

「あやつが話をでっち上げるかもしれぬ。そのために監視するのだ」

「は、はい」

 

 セラは仕方なしに頷くと羽を羽ばたかせていった。



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「すっかり夜になってしまいました」

 

「ハァ………ハァ………」

 

 ルカの体力はもうすでに限界を超えていた。それもそのはず、セラと出会った場所からハーピーの集落、そし今いる場所までほとんど止まらずに歩いてきたのだ。気合とは時に強大な力を発揮するようである。

 

「ふぅ……」

 

 しかしそれも底をつきた。

 ルカは木の根本に座り込んだ。今の彼にはもはや立ち上がる力さえ残っていなかった。

 

 ──すこしだけ……休もう……。

 

 ルカはゆっくりと目を閉じた。

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

「すっかり夜になってしまいました」

 

 ルカは一人つぶやく。

 

「早いとこ村を見つけなくてはいけませんね」

 

 ゆっくりとルカは立ち上がった。軽くその場でジャンプする。蓄積されていた疲労は幾分か軽減されたようだ。ルカは早速歩きだした。

 

 しばらく歩いていると、ルカは何かの気配を感じ取った。あたりを見渡してみるが、暗闇が広がっているだけである。念のため、ルカは近くの茂みに身を隠すことにした。

 

 数分が過ぎる。気配はより濃くなり、足音が聞こえてくる。聞く限り複数いるようだ。足音が目前を通過する。ルカは茂みの中から目を凝らして覗いた。

 

「オオカミ……?」

 

 ルカの薄暗い視界に映ったものは四足歩行で歩くオオカミであった。その横には人型のスライムと、ラミアの姿がある。

 

 ルカがオオカミを凝視していると、オオカミの姿がだんだんと人間のそれに近づいてきた。

 

「!?」

 

 初めは我が目を疑ったルカだったが、すぐに合点がいった。どうやらあのオオカミはウェアウルフのようだ。

 

 もしかしたら村を襲う魔物たちはこの魔物なのかもしれない。

 

 そう思いルカはウェアウルフ達の後をつけていくことにした。

 

 

♦♦♦

 

 

「なにしてるのかしら」

 

 セラはクィーンハーピーの命令通り、ルカを監視していた。見る限り、ルカは何かの後をつけているようだった。その何かがなんなのかはセラには暗くて見えなかった。

 

 そうこうしているうちにとある村の近くまで来ていた。

 

 

 

 ルカは茂みに隠れて、ウェアウルフ達の行動を監視していた。近くには小さな川が流れており、その先には木々を切り開いてつくったであろう村がみえた。

 

 まだ彼女たちがこの村を襲うかはわからない。なのでルカは待機しているのであった。

 

 と。そこに風が吹いてきた。微弱な風である。しかし運悪くルカは風上となってしまった。そのニオイに気づいたのか魔物達が一斉にルカの方を向いた。

 

 ルカは慌てて茂みの隙間から目を逸らした。

 

 一瞬迷った後、ルカはあろうことか勢い良く立ち上がった。三匹の魔物は突然の出来事に驚き、臨戦態勢に入った。

 

 ウェアウルフはルカを鋭く睨むと一気に飛びかかってきた。

 

「くっ……!」

 

 ルカは咄嗟に剣を抜き受け流す。その時にウェアウルフの顔がはっきりと見ることができた。

 

 すこしつり上がった目、頭部には狼の耳。小柄な顔を覆う髪はトップは短いが、襟足は長く肩まで伸びていた。

 

 次の瞬間、ルカは剣を地面へ落としてウェアウルフの方を向いた。

 

「!?」

 

 予想外の敵の動きにウェアウルフ達は戸惑いを隠せなかった。

 

 ルカはウェアウルフと視線を合わせると叫んだ。

 

 

「結婚しよう!」

 

 

 

「…………」

 

 魔物たちは突然の求愛に唖然とするばかりだった。ルカはウェアウルフに近づく。ウェアウルフが少し後ずさったがルカは構わず近づき手をとった。

 

「なっ……! や、やめろっ!」

 

 慌ててウェアウルフは手を払った。

 

「おや、すみません。貴方が美しすぎてつい勝手に……」

 

 ルカはキザったらしい言葉を吐く。よくもまあそんなことをすらすらと口にできるものだ。闇夜に溶けてウェアウルフの表情は見えない。

 

「何が……目的だ」

「だから結婚したいんですって」

「…………」

 

 沈黙が流れる。

 

 先に口を開いたのはルカだった。

 

「ところで、貴方たちはここでなにをしていたのですか?」

「…………」

「なんで黙るんですか?」

「あたしらが何しようと別に関係ないだろ」

 

 スライム娘が口をひらいた。

 

「そう、だといいんですがねぇ」

 

 ルカは遠い目をして答えた。それからウェアウルフの方を向く。

 

「で、あなたはお嫁さんになってくれないのですか?」

「お前になんぞ興味はない」

「そんなこと言わずに」

「…………」

「せめて名前だけでも」

「答える気はない」

「いけずですね」

「フン……」

 

 ルカはウェアウルフの瞳をじっと見据える。月夜に照らされ光っている。瞬きをしてルカは一歩後ずさった。その顔は少し笑っているようだった。

 

「それでは……」

 

 そう言ってルカはその場を立ち去った。

 

 その後、ルカはウェアウルフたちに見つからないように大回りして村へ向かった。

 

 村の近くまでやってきたルカは適当な木を選び、登り始めた。登り終えたそこから見える景色は木ばかりである。しかし下を通るものは確認できる。

 

 ルカはウェアウルフたちがいた地点を眺める。そこから村への直線上での最短距離に当たる場所だ。

 

 ルカはそこでしばらく待機することにした。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 数分後、何かが近づく音がしてルカは目を凝らした。

 

 それは先程のウェアウルフたちだった。

 

「ハァ……」

 

 ルカはひとつため息をつくと木から降り始めた。

 

 降り終わったところでルカはあることに気がついた。

 

 ──剣拾うの忘れてたッ!!!

 

 

 そう、ルカは先程のウェアウルフたちとの接触の際、手放した剣を拾うことなくその場を去ってしまったのだった。

 

 この男、実に迂闊である。

 

 だがしかしルカは戦闘中、万が一剣が弾き飛ばされた時のために腰の両端に双剣を忍ばせておいていたのだった。よもやこんな形で使うことになるとは、とルカは嘆いた。

 

 まあいい、と開きなおるルカはウェアウルフたちを待った。彼女たちはもうすぐ近くだ。

 

 ルカが足音に聞き耳を立てているとどこからか羽音が聞こえてきた。それはどんどんこちらへ近づいてくる。

 

 ルカは空を見上げた。狭いその視界の中に、一瞬だけ何かの影が映った。遅れてまた別の何かが落ちてきた。その何かはすぐに地面に叩きつけられた。

 

「これは……」

 

 その落ちてきた何かは、ルカの剣だった。

 

 ルカは再び空を見上げた……のも束の間、背後からウェアウルフたちが襲ってきた。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 時は少し前に戻る……。

 

 

 

「レナさん……どうします? 村を襲うことバレてるみたいですよ」

 

 ラミアはウェアウルフに尋ねた。

 

「どうするも何も……やるに決まってるでしょう! アタシたちの命がかかってるんだから!」

「それもそうね……」

「あのニンゲン、向こうで待ち伏せでもしてそうだな」

 

 スライム娘は体をくねくねさせながらそう言った。レナは少し考えるてから話した。

 

「いい? もしあのニンゲンが待ち伏せしてるんだったら、見つけた瞬間攻撃開始よ」

 

 その言葉に二匹とも頷いた。

 

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 ルカは即座に後退し間合いをつくった。対峙するのは先程のラミア、スライム、ウェアウルフの三匹だった。

 

 剣を握りしめ、構えた。

 

「…………」

 

 混じり合う視線。

 

 先に動き出したのはラミアとスライム娘たった。スライム娘は変形し、ラミアの身体を覆っていった。そして自らを硬化させた。固形化したスライムの鎧というわけだ。

 

 それを纏ったラミアがルカに向かって突進してきた。

 

 ルカはタイミングを見極め剣を振り抜く。しかし硬化したスライムに弾き返されてしまった。

 

 刹那も置かずラミアの後方からウェアウルフが飛び込んでくる。

 

「ぐっ……」

 

 体重の乗った重い拳をなんとか剣で受け止める。思わずルカは呻いてしまった。

 

「チッ」

 

 ウェアウルフは素早く下がり、間合いをとる。

 

 すると、今度はラミアが尻尾を振り回してきた。ルカは冷静に迎撃するが、例の如くスライム娘が覆っているため、大きなダメージは与えられない。

 

 そのままジリジリと後退していく。気づくとすぐ後ろには木の幹があった。

 

「フフ……」

 

 ルカは不敵に笑うと後ろに跳んだ。そして木の幹を後ろ向きに駆け上がり再び跳んだ。それはまるで逆上がりを逆再生しているようだった。

 

 ルカの片足は空中で伸ばされ、かかとがラミアの脳天を直撃した。

 

「カハッ!」

 

 その衝撃はスライム娘の鎧を伝い、ラミアの脳を激しく揺らした。

 

 ルカが着地するとラミアはフラフラとした後、倒れていった。

 

 ウェアウルフは目を見開いた。ここまで強いとは思っていなかったのだ。自分を睨む男の目は月の灯をひどく濁して反射していた。先ほどとは違い、全く笑みが見られない。

 

 ウェアウルフは一呼吸置いてからルカに突っ込んでいった。

 

 連続で引っ掻きを繰り出すが動きが全て読まれているかのように受け止められてしまう。

 

 自分が攻撃しているはずなのに、段々と押されていった。まずいと思ってもそれを打破する索はない。

 

 レナは感じ始めていた。自分より強い相手に対する本能的な恐怖を。それほどまでにルカの出す気は強くなっていた。

 

 段々と攻撃が弱くなっていく。

 

 気がつくとレナは木の幹まで追い詰められていた。そして攻撃をやめてしまう。

 

 そんなレナをルカは鋭い眼光でつんざく。

 

「ぁ…………あぁ……」

 

 声にならない声を上げる。

 

 ルカは剣を引き、構えた。

 

 ルカは剣を突き出した。

 

 

 ザクッ!

 

 剣はレナの頬をかすめ、後ろの木に勢い良く刺さった。

 

「ひっ……」

 

 ルカはレナに顔を寄せる。互いの息がかかり合うほどの近さだ。恐怖に怯えるレナの瞳をじっと見つめる。その視線はレナの腰を容易に砕かせた。

 

 ルカはずるずるとへたり込むレナを侮蔑するような目で一瞥し、その場を去っていった。

 

 

 一人残されたレナは身体をわななかせ、驚いていた。

 

 何故なら、そのわななきが恐怖によるものだけではなく、快感によるものでもあったからだ。

 

 図らずもルカはレナの新しいナニカを目覚めさせてしまったのだった。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「女王様ぁ!」

 

 セラは声を張り上げながら村へ戻ってきた。

 

「おお、どうだったか?」

「はい。ちょうど村を襲おうとしていたスライム、ラミア、ウェアウルフの三匹を相手に勝利していました」

「ふむ」

 

 クイーンハーピーは目を細めた。

 

「それと、死んだ者はいませんでした」

「おぉ。そうか、ご苦労だったな」

「いえ……」

 

 セラは一度顔を俯けると続けた。

 

「あ、あの……あたし、どうなるんですか?」

 

 クイーンハーピーはセラと向き合い視線を合わせる。

 

「それは……わらわが決めるべきことではないだろう……」

「…………」

 

 

♦♦♦

 

 

 しばらくすると、ハーピーの村にルカがやってきた。ハーピーと目が合うたびに手を振っている。恥ずかしそうに片手で口を隠しながら手を振り返すハーピーや、笑顔を返してくるなどと、前回より格段に好感が上がっていた。そのためルカはちょっとしたスター気取りであった。舞い上がるのもいいところである。

 

「ただ今戻りましたよ、女王様」

「……大儀であった」

「それじゃあ早速約束の話し合いの方を……」

「うむ。わらわも待ちわびていたぞ。こっちだ」

「あ、ちょっと待ってください」

 

 そういうとルカはすべての武器をその場においた。

 

「疑われたくないんでね」

 

 

♦♦♦

 

 

 

 どれぐらい経っただろうか。あたりはもう薄暗くなっている。

 

 クイーンハーピーの家からルカとクイーンハーピーが出てきた。

 

「セラ」

「は、はい。なんでしょうか女王様!」

「ルカと魔王様のところへ行くのだ」

「…………へ?」

 

 セラはポカンとしている。

 

 ルカは満面の笑みでいる。

 

「よいか?」

 

 クイーンハーピーは妖艶な笑みを浮かべる。

 

「は……はい」

 

 セラはしぶしぶといった感じで答えた。そしてルカがどんな手を使ってクイーンハーピーを丸め込めたのかに考えを巡らせた。

 

「うむ。では出発は明日じゃ。今晩はここに泊まっていくといい。精一杯もてなそう」

「いや、そんなことしなくても大丈夫ですよ」

「ルカ。お主は謙虚だのぅ。気にせんでいい。今宵は宴じゃ」

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 その晩、ハーピーたちはルカとセラを盛大に祝福してくれた。食べて騒いでのどんちゃん騒ぎだ。初めは警戒されていたルカも持ち前の話術で次第にハーピーたちの輪の中に溶け込んでいた。ハーピーたちも人間を見るのは珍しいようで、積極的に話しかけてきてくれたのだった。

 

「ねーねーお兄さん! そ、その……あたしたちと一緒に踊ろうよ!」

 

 若いハーピーの二人がルカに声をかける。すぐさまルカは二人の手をとり「最高に激しいヤツを見せてやるよ」などと意味不明なセリフを発していた。

 

 しばらくその娘たちと踊っていると今度は大人びたハーピーがルカのもとにやって来た。何とも艷やかな色気を全身から垂れ流している。彼女はルカの顔を羽で優しく包むように引き寄せ耳の穴をぺろりと舐めた。

 

「ひゃあんッ!」

 

 ルカの身体に電撃が走る。そしてハーピーは耳元で艶めかしく囁いた。

 

「ねぇ、坊や……アタシの下で踊り狂いたい?」

 

「ふぁ、ふぁいぃ!!」

 

 宴は大いに盛り上がったのであった。



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「いやぁ、その表情もいいですねぇ」

「はぁ……」

 

 セラは深いため息をついた。

 

「どうしたんです? まだまだ魔王城は先ですよ?」

 

 ルカはこの通り元気一杯である。

 

 暗い表情をしたセラは昨晩のことを思い返す。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

『女王様! なぜあいつと魔王様の所へ行かなければいけないのですか!?』

 

 そうセラに尋ねられたクイーンハーピーはきょとんとする。

 

『何故って……。お主らが結婚するためにであろう』

『は!?』

 

 思わずセラはそう叫んだ。慌てて訂正する。

 

『いや、すいません。え? どうしてそのような話の流れになっているのですか!?』

 

 するとクイーンハーピーは不敵に笑った。

 

『ふふふ……。その意味は魔王城につく頃にはわかるであろう。というわけで明日魔王城に出発するのじゃ!』

『えぇぇぇ……』

 

 

♦♦♦

 

 

 

 その後は勢いで流されてしまった。セラは再びため息をついた。

 

 セラは軽やかに前を歩くルカに尋ねた。

 

「ところで魔王城がどこにあるのか知ってるの?」

「え、あ、はい。大体の方角なら見当ついてますよ」

「え?」

 

 セラは立ち止まった。

 

「へ?」

 

 ルカも立ち止まった。

 

「それじゃあ正確な位置はわからないってこと!?」

「え、ええまあ……」

「……そう」

 

 とっとと終わらせて帰りたかったセラにとっては想定外のことだった。そんなセラを見てルカはニンマリとした表情を浮かべた。ここの上ない気持ち悪さである。

 

「何よ気持ち悪い……」

「いやぁ、その表情もいいですねぇ」

「もう……やめてよ……」

「ふふふ……まぁ、とりあえず行くところは決めてますよ。さあ、行きましょう」

 

 

♦♦♦

 

 

 数時間。ルカとセラは小屋の前にいた。あたりは先程までではないが木々に囲まれていて、どこからか川のせせらぎが聞こえてくる。

 

「ここは僕が修行するときに使うところです」

「へぇ、修行とかするんだ」

「ええ、時々ですけどね」

 

 見ると、小屋の前には庭のような広大な空間が広がっていた。中央には一本だけ取り残されたように木が生えている。

 

「今日はここに泊まります。諸々の準備、確認をして出発したいと思います」

「わかったわ」

「じゃあ早速中へ……」

 

 ルカは戸を開けセラを中へ入れる。そこには簡易的な台所やベッド、壁には色々なものが掛けてあった。

 

 二人はしばらくそこで身体を休めた。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「うーん、日が暮れるまでまだ時間があるので釣りでもしますか?」

「……つり?」

 

 セラは不思議そうな顔をして首を傾げた。どうやら知らないようだ。

 

「ちょっとついてきてください」

 

 そういうとルカは壁にかけてある釣り竿を持って外に出た。セラもそれに続く。

 

 数分歩くと二人の前に川が現れた。

 

「ねえ、どうやって魚をとるの?」

 

 セラはルカに尋ねた。

 

「こうやって……」

 

 ルカはおもむろに腕を伸ばしてカエデから小枝を折った。そしてその小枝の先端をナイフで鋭くし、真ん中には溝を刻む。そして自分の釣り糸を刻んだ溝に巻きつけた。

 

「こんな感じです。えーと、それから……」

 

 ルカは虫を捕まえ針が隠れるようにつけた。そしてそれを川の中に投げ入れた。

 

「こうしてしばらく待つんです」

 

 数分後、ルカは釣り竿を持ち上げた。その針の先にはハスが引っかかっていた。

 

「わぁ! あんたすごいじゃない!」

 

 セラは嬉々とした表情を浮かべる。ルカは魚を釣り針から外し岸に置いた。その魚をセラはまじまじと見つめている。

 

「へぇー、これが釣りっていうんだ……って顔キモっ!」

 

 ルカはニタニタと気分を害すような笑みを浮かべている。いわゆる『ドヤ顔』である。

 

「デュフフ、どうです。すごいでしょう?」

「すごいけど笑い方キモっ!」

「……泣いちゃいますよ?」

「はいはい」

「えっ……冷たい……」

「それよりもっと釣りなさいよ」

「え、あ、はい。見ててくださいよ〜、ってもう見てない!?」

 

 

♦♦♦

 

 

 数時間後、二人は釣った魚を焼いて食べていた。

 

「火をこんな風に使うなんて初めて知ったわ」

 

 セラは少し焦げた魚を見つめる。

 

「不思議よね。同じ火でも使う種族が違うとここまで差が出てくるのね……」

 

「…………」

 

 ルカは一瞬だけ目を細めた。

 

 二人が魚を食べ終わった時には辺りは日が暮れ、暗くなっていた。どこからか聴こえてくる虫の声が鳴り止むことなく響いている。

 

「さて、今日はもう寝てしまいましょう」

「ええ……。意外と疲れたわ」

「後片付けをしておくので先に寝ててください」

「ありがt……襲ってきたりしないよね?」

「そんなことしませんよ!!」

 

ルカが大きな声で反論する。

 

「僕は紳士ですよ!?」

「……ならいいけどね」

 

 そう言うとセラは小屋の中に入りベッドに潜り込んだ。

 

 出発前の心配は杞憂だったかもしれない、とセラは今日一日通して思い始めた。しかしまだルカとの距離はある。まだルカのことを何も知らないのだ。

 

 ……と、そんなことを考えている内にセラは眠りに落ちていったのだった。

 

 

♦♦♦

 

 

 

 ルカは後片付けをし終わったあと、剣を持ち、素振りを始めた。その風切り音だけがあたりの空気を震わせている。

 

 それを数十分した後、ルカは何処かへと歩きだした。

 

 

♦♦♦

 

 

 

 セラが目を覚ますとルカはすでに起きていた。

 

「おはよう」

 

 とろけた目を瞬かせながらセラは言った。

 

「あ、おはようございます。早速なんですが、もう少ししたら出発したいと思います」

「ふぁ……早いわね」

 

 あくびを噛み殺しながら喋る。そんなセラにルカはある物を渡した。

 

「なに? これ」

「マントです。街などに入る時は、面倒臭いですがそれを着ていてください」

「……わかったわ。それよりあんたこんなモノ持ってたっけ?」

「ええ、まあ……」

「ふーん……」

 

 そう言ってセラはマントを受け取り、腰に巻きつけた。

 

「それでは十分程後に出発するので準備しておいてください」

「わかったわ」

 

 

♦♦♦

 

 

 数十分後、ルカたちは次なる目的地へと足を進め始めた。日はまだ登ったばかりで木陰は鋭く伸びている。

 

「今日はどこまで行くの?」

 

 おいしげる草木の間にあるほ細い獣道を、ルカの後について歩くセラは尋ねた。

 

「歩きっぱなしです。覚悟しておいてください」

「うげぇ……」

 

♦♦♦

 

 もう日が沈みあたりが暗くなった頃である。

 

「今日は野宿です」

 

 るルカは突然立ち止まりそう言った。

 

「え……ここで?」

 

 疲れた目を瞬かせながらセラは言った。辺りは木が生えているばかりである。

 

「ええ、そうです。ちょっとマント貸してください」

 

 そういうとルカは簡易式なテントを作り始めた。柔らかい枝を寄せ集め、その上にマントを広げて乗せた。そして落ちている大小様々な木を拾い、穴を掘りそこに石を入れ、周りを囲んだ。火打ち石を使いそこに火をつけた。

 

 二人はその火を囲み、道中拾った木の実などを口にした。

 

 今日一日の疲れからかセラはいつの間にか眠りに落ちていた。それを確認したルカは剣の素振りを始めた。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 翌朝。

 

 セラが目を覚ます頃にはすでにルカは起きていた。

 

「おはようございます。あと少しで街につくはずです。頑張りましょう」

「……ええ、わかってるわ」

 

 起きて間もないセラは眠い目を擦りながらルカの後をついていった。

 

 

 数時間後、二人の前には開けた大地と一つの町が見えていた。

 

「あそこがセノーラという町です」

「へぇ……。ニンゲンはいちいち名前を付けたがるのね」

「まあ……そうですね……。っと、町に入るときはマントを着てくださいね」

 

 二人は街へ向かっていった。

 

 

♦♦♦

 

 ルカとセラは食事をとるとすぐにセノーラを後にした。

 

「……え?」

 

 町を出るや否やセラは言った。

 

「ん? どうしたんです?」

「いやいやいや、ここの町で何かが起こるとかそういう雰囲気じゃなかったの!? 町の名前まで言ってたし!」

「いやぁ、別にそういう訳でいったわけじゃぁ……」

「紛らわしいわッ!!」

 

 叫ぶセラを見てルカは呟く。

 

「なんでそんなにテンションが高いんですか……? ちょっとひいてます……」

「やかましいッ! こちとらやっとこさ休めるものばかりだと考えてたのよ!! そしたらまた歩くだなんて……!」

「ん、それなら目的地はすぐそこですよ」

「え」

 

 そう言ってルカは数十メートル進む。そしてドヤ顔で振り返った。

 

「え……そこ崖じゃない……。顔ウザッ……」

「チッチッチ、下ですよ、下」

 

 ルカはウザったらしくピンと伸ばした人差し指を振り、その手を崖の下方に向けた。セラは多少苛つきながら崖の下方を覗く。

 

 そこから見えたのは先程のとは比べ物にもならないくらい大きな街が広がっていた。ここから下の地面までは結構な高さがあり、先程まではわからなかったのだ。

「うわぁ……」

 

 思わずセラは感嘆の声を漏らした。赤を基調とした家々の屋根が並び、中には大きな建物もある。

 

「ね、すぐでしょう?」

 

 人を苛つかせるような笑みを貼った顔でルカは言う。

 

「え……でもこれ下まですごい高さあるけど、どうやって行くの?」

「……………………」

「え……まさか……!」

 

 セラは黙り込むルカの瞳をのぞき込んだ。ルカの目は遥か彼方の空を見据えていた……。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 結局二人は一時間かけて比較的緩やかな道を探し下っていった。そして街に着くと早速宿に潜り込んだ。

 

「ふぅ……やっと落ち着けるわね」

「そうですねぇ……」

「そういえばここが目的地って言ってたけど何をするの?」

「んーと、あれです。資金集めですね」

「資金……?」

 

 セラは首を傾げた。

 

「要するにお金のことですよ」

「お金……?」

「えぇと、何か物を買うときに使うものなんですよ」

「そんなに価値があるものなの?」

「うーん、まぁ、それで色々な物が買えるので価値はありますね」

「ふぅーん」

 

 ルカはおもむろに金貨と銀貨と銅貨を取り出した。

 

「この金色のお金は銀色の10個分、銀色のお金は銅色の10個分っていうふうになってるんですよ」

「へぇー」

「まぁ、今日はゆっくり休んでください」

「ふぇー」

 

 セラは疲れのせいからか気の抜けた返事をした。

 

 次の日。深く長い眠りからセラは抜け出した。いつものようにルカは先に起きていた。

 

「おはようございます」

 

 そう言ってルカは干し肉をセラに差し出した。セラは無言で受け取り少しずつ頬張った。

 

 しばしの沈黙。部屋に干し肉をかじる音だけが響く。

 

「そういえば資金ってどう集めるの?」

 

 唐突にセラが訊く。

 

「クエスト受注所に行くつもりです」

「なにそれ」

「色々な依頼が報酬付きで集まってくる所ですね」

「その報酬がお金なの?」

 

 干し肉を水で流し込んでから訊く。

 

「そうです。依頼にも様々な種類、難易度があってそれに応じた報酬が出るんですよ」

「へぇー、それじゃああんたはどんなので資金を集めようとしてるの?」

「うーん、それはまだ決めてないですね。見てから決めます」

「それっていつから行くの?」

「今からです」

「え?」

 

 思わず開かれるセラの口

 

「今からです」

 

 それは有無を言わさぬような強い口調であった。

 



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「何者ですか!?」

 二人は早速宿を出発した。それと同時に柔らかな日差しが二人を包む。それなりにでかい街だけあってまだ朝だというのに人が多い。

 セラは周囲の人間に視線を巡らせた。自分が魔物だと疑うものはいない。どうやらマント姿というのはあまり珍しくないみたいだ。

 

 活気のある商店街を抜け、幅の広い石段を少し登ると周りよりも一回り大きな建物がみえた。

 

「ここがクエスト受注所です」

 

 二人はその中に入っていった。

 

 受注所内には様々な人がいた。服装をルカと比べると周りの人は幾分かゴツいモノであった。

 

 ルカは真っ直ぐに大きな掲示版へと歩く。その掲示版にはたくさんの紙が貼られ、クエスト遂行者を募集していた。

 

 人の隙間を縫いながらやっと掲示版全体が見えるところまで来た。よく見るといろわけがされているようだ。

 

 ルカは掲示版の端から一つ一つクエスト内容を見ていく。そして赤色の紙を掲示版から引き剥がした。それを受付まで持っていく。

 

「こんにちは。今日はどういった内容のクエストを選ばれましたか?」

 

 快活そうな女性が対応に当たる。ルカは先程引き剥がした紙を女性に手渡した。

 

「……はい、このクエストで本当によろしいですか?」

 

 女性はルカに確認するよう紙を見せる。

 

「大丈夫です」

「それではこの契約書にサインをお願い致します」

 

 ペンを渡されたルカは契約書を一通り読むとサインを書き始めた。

 

「はい」

 

 書き終わったそれを女性に渡す。

 

「はい……はい、確かに。それではご武運をお祈りしています」

 

 そうしてルカは受付を後にした。

 

 二人は外に出た。

 

「なんのクエストを受けたの?」

「雑用クエストです」

 

 そう言ってルカは先ほどの紙をセラに見せた。

 

「庭の雑草の処理や、家の掃除などの手伝い……。これほとんど雑用じゃない……」

「それはそうですよ。お金なんて地道に稼ぐもんですから」

「へぇ……、じゃあ、頑張ってね」

 

 セラはクエスト受注書をルカに返す。

 

「いや、何言ってるんですか。あなたもやるんですよ」

「……え?」

「二人で行きますって契約をしてきたんですよ」

「え……えと、え……?」

「それじゃあ早速行きましょうか!」

 

 そうしてセラはルカに強制的に連れて行かれた。

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

「つかれたぁぁ……」

 

 クエストという名の雑用を終え、セラは宿に着くなりベッドに飛び込んだ。

 

「もー花粉で鼻がムズムズするよぉ……」

 

 セラは疲れからか普段は出さないぐずるような声を漏らした。

 

「いやぁ、お疲れ様でした〜」

 

 遅れてルカも部屋に入ってくる。その手に握られているのは薄汚れた銅貨1枚であった。

 

「あんだけ働いて銅貨がたったの1枚なのね……」

「そんなものですよ。まあ、言うて銅貨一枚は金銭十枚分ですからね」

「金銭……? お金は金貨と銀貨と銅貨だけじゃなかったの?」

「ええ、その他に銅銭、銀銭、銅銭があります。銅貨とかと一緒で銀銭は銅銭十枚分、金銭は銀銭十枚分ってな感じです」

「ふ〜〜ん……」

 

 セラはあまり興味なさげに返す。

 

「なんで昨日言わなかったのよ」

「え、まぁ……」

 

 言葉に詰まりルカは頭を掻いた。言わなかったことに特段深い意味はないのだが、なんでと聞かれると答えに詰まってしまう。

 

「…………くぅ」

 

 ルカが答えられずにいるとセラの口から可愛らしげな寝息が聞こえてきた。相当疲れたようだ。つい先程まで起きていたとは思えないほど気持ちよさげに寝ている。

 ルカは寝顔をみて微笑むと、素振りをしに外へ出た。

 

 

♦♦♦

 

 

「へっくち!」

 

 セラは自分のくしゃみで目を覚ました。鼻にはムズムズという感覚。どうやら花粉のようだ。

 

「おはようございます! 今日も行きましょう、仕事に!」

 

 そこに無駄にテンションが高いルカが声をかける。ものすごい笑顔である。

 

「……やだ」

 

 セラは寝ぼけ眼でそう口にした。

 

「…………」

 

 ルカはニコニコしながらセラに歩み寄る。無言の圧力である。しかしセラはそれに動じない。

 

「…………」

「…………」

 

 両者の無言の睨み合いが続く。

 

 そこでルカは秘策に出た。

 

「働かざる者……食うべからず」

 

 その言葉を耳にした途端、セラの表情が一変した。その瞳はルカをうらめしそうに見つめる。

 

 生唾を飲み込む音の後にセラは負けを認めたのであった……。

 

 

♦♦♦

 

 

 ルカとセラは朝食を済ませた後、街の外へと向かった。

 

「それで。今日はどういった内容の仕事なの?」

「ええとですねぇ……」

 

 ルカは受注書を広げた。

 

「キノコ取りですね。なんでもこのもうちょっと先の森に高級食材として取り扱われるキノコが生えているらしんですが、最近出現するようになった生物のせいで収穫がうまいこと言ってないみたいで……」

「その生物ってなんなのよ」

「うーん。よくわかってないみたいですね」

「大丈夫なの?」

「我々の目的は討伐ではなくて採集なんですから大丈夫ですよ……。それより見てくださいよコレ」

 

 ルカはそう言ってセラに受注書を見せる。ルカが指差す所にはキノコのイラストが書いてあった。

 

「デカッ」

「これ以上の大きさのやつだけをとってくれって……。どれだけでかいんですかねぇ」

「そんなチンケな袋で足りるの?」

「うっ……なんとかなりますって」

 

 二人はそんな風に話しながら目的地に向かって歩いていた。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 生い茂る木々の枝を伝って移動する影が二つ。

それらは互いに合図を送り合いながら下を歩く標的との距離を詰めていく。

 

 標的が立ち止まる。それに合わせて立ち止まると、顔を見合わせて一気に飛び降りていった。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「ぬぬぬ〜」

 

 セラはマントを外し、羽を伸ばした。街からはだいぶん離れたので人に出くわす事はなさそうだ。

 

「あ~、やっぱり何も制限されてないのはいいわ~」

 

 ルカは受注書から顔を上げた。そして辺りを見回した。

 

「たーぶん、この辺なんですが……」

 

 それらしきものは見当たらない。辺りには木漏れ日が差し込むだけだ。

 

「まさかアンタ間違えたの?」

 

 セラはルカが手に持つ受注書を確認しようとのぞき込んだ。

 

 と。

 

 突然頭上の木から何かが飛び出してきた。その数、二つ。

 

 ルカとセラは咄嗟に後ろへ避けた。その間にそいつらは落ちてきた。

 

「何者ですか!?」

 

 ルカは叫ぶ。その二匹の容姿は人間のようであるが、そうではない。半人半獣と言ったところだ。頭からは角が生え、下半身は山羊の様な形状、毛が生えていた。

 

 その姿はまさしくサテュロスそのものであった。

 

 一体がセラと向きあった。

 

「な……なによ」

 

 サテュロスは突然セラを掴んで持ち上げた。セラは訳がわからず動くことができなかった。そしてサテュロスは囁いた。

 

「もう大丈夫だから……」

「なにが!?」

 

 担ぎ上げられたままセラはサテュロスに連れ去られてしまった。その場に残ったのはもう一体のサテュロスとルカ。

 

「え、え……あ、あの。あちらの方はあなたのお連れ様ですか?」

 

 ルカはおずおずとそう聞いたがサテュロスは無表情で答えは帰ってこなかった。

 

「あっ、もしかしておいていかれて怒ってらっしゃるんですか!?」

「……………………」

 

 ルカは顔色をうかがうが相変わらず無表情であった。

 

「あー、いや。別に気にすることないと思いますよ!? ほ、ほら。追いかけましょうよ! ちょ、あのー! お連れ様がー!!」

 

 残されたサテュロスはルカを睨んだ。そして小さな声で呟いた。

 

「……劣等種め」

「へ?」

 

 サテュロスは拳を軽く握りいまにも飛びかかってきそうな体制をとった。戦闘態勢である。

 

「え……ちょ……?」

「卑しいニンゲンめ……覚悟しろよ!」

 

 鋭く凍てついた視線がルカを貫いた。

 

 

♦♦♦

 

 

 セラを担いださサテュロスはとんでもない勢いで森の中を駆けていく。

 

「ちょ……ちょっと!離しなさいよッ!」

 

 セラは激しく羽をばたつかせ、サテュロスの中からなんとか逃れた。

 

「なんなのよ! いきなり現れて連れ去るだなんて!」

「……もう大丈夫だから。安心して」

「はい?」

 

 訳がわからずにセラは思わず聞き返す。それに対してサテュロスはおっとりとした表情で返した。

 

「あなたを誘拐しようとしていたあのニンゲンはもう追ってこないわ。だから安心していいの」

「あ……アイツ? アイツは別に悪い奴じゃないっていうかなんていうか……」

「可哀想に……。あなた騙されていたのよ。あのニンゲンはあなたを売りさばこうとしていたのよきっと」

 

 それを聞くとセラは眉をひそめた。

 

「だから、別にそういう事するような奴じゃないのよ……」

「それじゃああのニンゲンとは一体どのような関係なのよ」

「それは……」

 

 セラは答に詰まってしまった。痛いところを突かれた。

 

「それに……」

 

 セラが口を開く前にサテュロスが話し始める。

 

「あのニンゲンももうお姉様が処分しているはずよ……」

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「卑しいニンゲンめ……覚悟しろよ!」

 

 鋭く凍てついた視線がルカを貫いた。

 

「くそっ……ボクの熱烈なファンがこんなところにもいたなんて……! コレだからイケメンはツライぜ!」

「ふん……。消えろ」

 

 サテュロスはそう呟くと一気に飛びかかってきた。突き出される拳。ルカはそれを素早く見切りすんでのところを片手で受け流した。

 しかし既に二発目は放たれていた。そのもう片方の拳はルカの左肩へと吸い込まれていく。 

 

「おわっ!?」

 

 重い一撃。ルカはそのままふっ飛ばされてしまった。なんとか受け身の体制をとり無事着地した。

 先程のパンチをもろにくらったルカの左肩はだらしなく垂れ下がり動かせなくなってしまった。それほどの威力だったのだ。

 

「こんな狂信的なファンは初めてですよ……」

 

 息をつく暇もなく次の攻撃がやって来る。ルカは半身になり回避を行った。

 大方の攻撃は避けれたが、それでもサテュロスのスピードは圧倒的に速く、ルカをじわじわと追い詰めていた。

 

「おい……ニンゲン」

 

 鋭く睨んだままサテュロスは口を開いた。

 

「ルカですよ。ルカ。もう、名前で読んでくれてもいいじゃないですかぁ〜」

 

 ルカの減らず口は相変わらずである。

 

「なぜその剣を使わないのだ」

 

 サテュロスはルカの腰に収められている剣を指差した。

 

「この私を侮辱したいのか?」

「いやいや、そんなつもりじゃ」

「じゃあなぜ! その剣を抜かないのだ!」

「信じているからです」

 

 ルカはキッパリと答えた。それにはサテュロスも思わず呆然とした。

 

「な、何をだ?」

「……マモノとニンゲンの共存です」

「はぁ?」

 

 思わず素っ頓狂な声をあげるサテュロス。

 

「お前自分で何言ってるのかわかってるのか?」

「ええ、もちろん」

「あのな、ニンゲン。いいか? マモノはマモノ。ニンゲンはニンゲンなんだよ。種族という根本的なモノが違えば共存はおろかともに手を取ることだってできねぇだろうよ」

「そういう考え方が間違ってるんですよ」

「はあ!? なんだと? 現に今! マモノとニンゲンの共存なんか出来てねぇじゃねぇかよ!」

 

 辺りにはサテュロスの声が響いた。木々の葉は風に揺られざわめきを生み出している。ルカは一呼吸置き、喋り始めた。

 

「種族が違うから? 笑わせないでくださいよ……」

 

 ルカは拳を握り、軽くうつむいた。

 

「種族が違うからなんだって言うんだよ! こうやって対等に喋ることだって出来る! なのになんで互いに、無条件に敵対しなきゃいけないんだよ!! 手を取り合うことだって、協力し合うことだって可能なはずなんだ……。なんで、戦わなきゃいけないんだよ……!」

 

 感情を表にし大きく息を乱すルカ。その眼の奥には堅い決心のような何かが見て取れる。

 

「確かに……確かにそういう考えをする奴がいるかもしれない……。だが今までニンゲンがどれだけ私達を苦しめてきた!? 何もしていないのに殺された仲間だっている!! それを今更綺麗さっぱり忘れて許せだと!?」

「あぁ、そうだよ!」

「はぁ!? どれだけ虫のいい話だよ! そんなんだからニンゲンはダメなんだよ!」

「そうじゃなきゃ話が進まねぇんだよ……! このくだらない報復合戦にドコかでケリをつけなきゃいけないんだよ……」

「…………」

「今まで誰もそのきっかけを作ろうとしてこなかった……。だから、俺がそいつを作るんだ……!!」

 

 荒い呼吸音がその場の空気を支配する。サテュロスはルカを睨みつけた。

 

「……ふん」

 

 一蹴するかのように鼻を鳴らした後、サテュロスはルカに背を向け歩きだした。

 みるみるうちにそのその姿は森の中へと消えていった。ルカは脱力し、大きなため息を吐き出した。柔らかな風がルカの体を撫でる。その風が聞き覚えのある声を運んで来た。

 

「ルカー!」

 

 その声はセラはのものだった。ルカは目を閉じ、ひとつ大きな深呼吸をした。

 

「ふへへ……」

 

 ルカは笑った。驚くほど人をムカつかせるような喜びに満ちた笑みだ。

 

「あっ! いた! ……って顔キモッ!」

 

 ルカを見つけたセラがかけよってきた。

 

「ちょっとアンタ、大丈夫だったの?」

 

 その言葉を耳にした途端ルカの目はキラキラと光り輝いた。

 

「え!? 心配してくれてたんですか!? 僕のことが気になって仕方なかったんですか!?」

「バッ……! 違うわよ!!」

「ちょっとぉ〜セッちゃん照れないでいいのよぉ〜顔真っ赤じゃないですかぁ〜デュフヘヘ」

「セッちゃんじゃないわよ! っていうか照れてもいないわよ!!」

「ん〜ッ! いいよその表情!」

「はいはい」

「冷たくしないでよセッちゃん〜」

「はいもういいから、依頼されたキノコ探すんでしょ? ほらもう! いくよ!! ……って顔キモッ!」

 

 そんなこんなで二人は再び森の中を歩き始めたのであった。

 



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「すばり……変身ですよ」

 

♦♦♦

 

 その後二人は無事に依頼されていたキノコを採取し街へと戻ってきていた。

 

 一旦受注所に戻った二人は依頼達成報告をして、依頼者の名前や届け先が記された紙を受け取った。

 

「しっかし、カネを払ってまでしてキノコをとってきてくれだなんて変な依頼ね」

 

 道中、セラはそんなことを言い始めた。

 

「言われてみればそうですよね」

「でしょ? きっとよほどのモノ好きなのね」

「そうなんでしょうねぇ……」

 

 二人の足は止まることなく進んでいく。指定された受け渡し場所にはまだ遠い。空は夕焼け色に染まり、影を大きく伸ばしていた。

 

♦♦♦

 

 数十分後、二人は指定されていた届け場所と思われる場所に辿り着いた。そこには一軒のこじんまりとした家が建っていた。

 

「こーの家ですかね……?」

「ちょっと地図見させて」

「はい」

 

 ルカは言われるがままセラに紙を手渡す。

 

「そうっぽいわね」

 

 二人は顔を見合わせ頷くとその家のドアに近づき軽くノックをした。ルカはしかめっ面で紙を見ながら大きな声で言った。

 

「すみませーん。 受注所であなた様の……えーとレナさん? の依頼を受けた者なんですけどもー」

 

 ルカがそう言うと奥からはーい、と答える声が飛んできた。足音が近づき、すぐさまドアが開かれた。そこから姿を現したのは一人の女性だった。

 

「どうもー、ありがとうござ……」

 

 女はルカの顔を見るや否や目を、そして口をあんぐりと開き固まってしまった。

 

「へ……? えと……あの……?」

 

 困惑するルカ。すると女の容姿が段々と変化していった。髪の毛の中から耳が現れ、臀部からはフサフサの尻尾が生えてきた。みるみるうちに人と狼のあいだの姿になってゆく。

 

「あ、あなたは……いつぞやの……!」

 

 そう叫んだルカにウェアウルフ、もといレナは抱きついた。

 

「やっっと逢えた!!」

「……はへ!?」

 

 今度はルカ達が硬直する番だった。

 

♦♦♦

 

 

 

「お茶持ってきたぜ!」

「あ、はい」

 

 誇らしげにやってきたスライム娘からルカとセラの二人は素直にお茶を受け取った。

 

 どういうわけか二人はレナたちの家に上がらせてもらっていた。またまたどういうわけか、ルカの腕には幸せそうな顔をしたレナがひっついていた。

 

「鍋もう少しでできるから待っててくださいね」

 

 奥からはラミアのそんな声が飛んでくる。

 

「は、はぁ……」

 

 きょとん、とし気のない返事をするセラ。一方ルカはというと、見ている側がムカついてくるくらいの満面の笑みでデレデレしていた。

 

「あたしはスイ。よろしくな!」

 

 スライム娘は弾力性に富んだ手を差し出してきた。ルカはなんの躊躇いもなく握手を交わす。

 

「あぁ、どうもよろしくよろしく」

 

 そんな二人の間にレナが割り込む。

 

「あー、向こうにいるラミアがラーでわたしがレナよ」

「どうも、貴方のためのルカですよ。キラッ」

 

 驚くほど気障ったらしい口調で放たれたルカのその言葉にレナは頬を赤らめ目線をそらし口元を手で隠しながら「もう……ばか……」と言った。

 

 なんだか面白くないセラは暇を持て余しお茶を飲み始めた。

 

「しっかしよ〜、レナが結婚だなんてなぁ〜。未だに信じらんないぜ」

 

 セラは喉元まで入り込んでいたお茶を一気に吹き出した。

 

「けけけっ、結婚!?」

「そうだぜ。この前あった時にレナのやつが告白されたんだ!」

 

 セラはバッ、と勢い良くルカを見た。ルカもセラを見た。

 

 数秒の後、ルカは小さく頷いた。

 

「はぁぁぁぁあああああッ!?」

 

 セラの怒号が辺り一面に響き渡った。

 

「え……え!? ちょっと、どういうことなの!?」

 

 セラは叫んだ。

「いやぁ、モテちゃってツライなぁ♨」

 

 笑顔でルカは返した。対してセラは怒りで冷静さを失おうとしていた。

 

「アンタねぇ……!あたしをなんだと思って……!!」

「ふふふ……ちゃんと訳があっての行動なんですよ……」

 

 ルカはそう言うが、腕に狼女をひっさげてニヤついている男の言う事なんぞはにわかに信じ難い。

 

「一旦話しましょう?」外を指差しながらそういうルカに鋭い眼光を浴びせながらセラは頷いた。

 

♦♦♦

 

「で? あんたの言うワケって、なに?」

「ズバリ……変身ですよ」

「変身?」

「そうです。どういう原理であのウェアウルフがニンゲンに化けているのかを教えて貰い、習得できれば貴方も便利でしょう!?」

「……確かに」

 

 確かにルカの言う通りだ。そうなればセラは何の制限も無くおおっぴらを歩き回れる事になるだろう。それはかなり利便性が増すこととなる。

 

「でしょ? でしょでしょ? なのであの子に近づいたというわけなんですよ〜」

「むぅ……」

 

 決して悪い手ではない、むしろいい話なのだがセラは……。

 

「なんかアンタに言われるのは腹立つ」

「なんかってなんですか!? 生理的にとかヤツですか!?」

「うん、そうね」

「酷い! ショック! 泣いちゃう!!」

 

 

♦♦♦

 

 

「ただいま〜」

 

 ルカが居間に戻りそう言うとテテテ、とレナが幸せそうな笑顔で駆け寄ってきた。

 

「お帰りなさい! ご飯の用意ができたわよ! 一緒に……食べよ?」

 

 レナの砂糖より甘い上目遣いがルカを襲う。

 

「はうわぁああああッ! もう、可愛いんだから……。そんな目で見てると食べちゃうぞっ!」

 

 そうしてルカはレナを目掛けてゆっくり手を伸ばした。変態の如きその手をセラがはたき落とす。

 

「やめなさい」

「ちぇ、つれないなぁ」

「あたしは別に良かったけど……」

「レナ……」

「ルカ……」

 

 二人は互いの視線をねっとりと絡ませ合う。頬が薄明るく染め上がったレナのしとっりと湿った唇からポロリと言葉が零れ落ちた。

 

「……好き」

 

 ルカはレナを見つめている。

 

「……合格! お嫁さんポイント20ゲット」

「やった!」

 

 そんな茶番が繰り広げられる中に鍋を持ったラーからご飯の催促の声が飛び、皆で鍋を囲んだ。

 

「えー、恐縮ながら私、ルカが乾杯の合図を取らせていただきます」

 

 そうルカが名乗りを上げると拍手が沸き起こった。それをなだめるように手を差出すルカ。

 

「皆様、ありがとうございます。えー、それではー、我々の再会を祝って……乾杯!」

 

『かんぱーい!』

 

 かくして一人と四匹の鍋の会が始まった。

 

 

 

♦♦♦

 

 

「そういえばどうしてこの街にいるんです?」

 

 温かい鍋に口をハフハフとさせながらルカはレナたちに尋ねた。そんな問いにラーが答える。

 

「……今私たちはとある街を探しているの」

「それは一体どんな?」

「コロシアムがある街よ」

 

 一瞬、ルカの動きが止まった。

 

「コロシアム……」

「そこで魔物がニンゲンに虐げられているらしいのよ」

「……」

「魔物を一方的に斬りつけたりする見世物なんかをしてるのよ……」

「だからあたしらがそいつらをとっちめてやるってワケ!」

 

 スイが話に割り込んでくる。その体は薄青く透き通り、プルプルと揺れている。

 

「とっちめる……」

 

 ルカは繰り返すように呟いた。セラはそんなルカを見ながらスイに尋ねた。

 

「コイツもニンゲンだけど憎くないの?」

「うん! だって悪いことしてないだろ?」

「ええ……ぼくは……」

 

 ルカは虚ろな目で呟いた。明らかに様子がおかしい。セラはたまらずルカに耳打ちした。

 

「ちょ、アンタどうしたのよ!」

「え……? あ、ああ、いやぁ全くひどいですね!」

 

 ハッと我に帰ったようにルカは慌てていった。一体全体どうしてたというのだろうか、セラには全く検討がつかなかった。

 そんなことを知ってか知らずかラーは続けた。

 

「まぁ、まだその街の場所がわかっていない状況だからこうしてここを拠点にして情報を集めている段階なんだけれどもね……」

「そうなんですか」

 

 少し重たい空気がその場を漂う。

 それまで黙々とご飯を頬張っていたレナがルカたちに訊いた。

 

「そういえば二人は何をしていたの?」

「おおっ! いい質問ですねぇ……! よかろう、答えてさしあげましょう」

 

 ルカはお茶を少し飲むと続けた。

 

「ええとですね、我々もあることを探してここまでやってきたんですよ」

「あること? 何?」

 

 そう返されるとルカは突然レナを指差した。

 

「えっ、何?」

「その あることとは、貴方のようにニンゲンに化ける方法なんですよ!」

 ルカは勢いよく立ち上がった。そして今度はセラのことを指差した。

「みてください彼女を! このように彼女の両腕は羽になっています! そのせいで街中を出歩く時はマントを背負わざるを得なかったり、人前では食事も儘ならない! 更には僕と手を繋ぐことも出来ないのです!」

(いや、最後のはいらないでしょ)

 

 心の中でセラは突っ込む。そんなことも露知らず、ルカの熱弁は続く。

 

 ルカは天を仰いだ。

 

「嗚呼、なんと嘆かわしい! 彼女はハーピーである為にこんなに多くの障害を抱えなければいけないのか!?」

 

 ルカはひとつ、息を吐いた。

 

「否! 断じて否! そんなのは間違っている! ニンゲンと魔物が敵対しているこの世の中自体が間違っている!」

 

 ルカの大振りなジェスチャーが空を切る。

 

「だけど! 僕一人ではこの世界は変えられない……! その日が来るまで彼女には理不尽な事感じてほしくない……そういうことなんです」

 

 喋り終えるとルカは静かに着座した。そして真っ直ぐレナを見つめて言った。

 

「何か教えてくれませんか?」

 

 レナは悲しそうにルカから顔を背けた。

 

「残念だけど……私からは教えることは出来ないわ……。感覚的なモノだから私もよくわからないし教えられないわ」

「そう、ですか……」

 

 ルカは落胆した。ニンゲンに化けることができなければこの先の旅路はかなりの苦労が待っているであろう為だ。

 

「あっ、でも……」

 

 思い出したかのようにレナが再び声を上げた。

「ん? でも?」

「やってくれそうなヤツならいるわ!」

「マジっすか!」

 

 まるで暗闇の中に一筋の光が差し込んできたかのようだった。

 

「その方は今どこに!?」

 

 ルカはレナにがっつくように尋ねる。だがそれに対してレナは少々困った顔を呈した。

 

「あ、いや、私もその話が本当なのかはわからないんだけど……」

「話……?」

「いわゆる伝説みたいなモノね」

「伝説、ですか。それは一体どんな……?」

「ええと、確かなんかこう、どっかの森の奥の、えー、湖? かなんかにこう、願いを叶えてくれる〜みたいな精霊的なヤツが居るとかなんだとか的な……みたいな」

 

 レナはぽりぽり、と頬を掻きながら話す。どうやらそこまで内容を覚えてはいなかったようだ。

 

「かなり大雑把ですね……」

「それあたしも聞いたことあるぞー! あんまり覚えてないけど」

 

 そう言ってえへへ、と嬉しそうにスイは笑う。何が嬉しいのかちっともルカにはわからなかったがその笑顔につられて顔をほころばせた。

 

 

♦️♦️♦️

 

 

 程なくして二人がレナたちの家を出ると辺りは既に暗くなっており、時折冷ややかな風が街を駆けていた。

 

「で、あんたどうするつもりなの?」

 

 宿への帰り道、セラは訊いた。こころなしかルカの気分は沈んでいるように見受けられた。

 

「あんまり有力そうな情報じゃなかったじゃない」

「いえ……そんなことはありませんよ」

「え? どういうこと?」

「…………」

 

 妙な空白を置いた後、ルカは乾いた笑い声をあげた。

 

「まあ、きっと時期にわかりますよ……」

「……ふーん」

 

 一体どういう意味なのかセラにはわからなかったが余計な詮索はよしておくことにした。

 

 

♦️♦️♦️

 

 

「明日の朝この街を出るんで、今日は早めに寝といてくださいね」

 

 宿につくと突然ルカはそう言った。

 

「ええ? どこいくつもりなのよ」

「どこって……んー、行ったらわかりますよ」

「さっきからなんでそんなに曖昧なのよ……」

「気にしなーい気にしなーい! ほら、結構歩くんで早く寝ないと!」

 

 そう言ってルカはセラの背中を押し始めた。

 

「ちょっちょっ!」

 

押されたセラはそのまますぐそこのベッドに倒れ込んだ。そしてそれに続くようにルカはベッドに飛び込んだ。

 

「えっ!? 何!?」

 

 ルカは絡みつくようにセラの腰に手を回し、ぴったりとくっついた。額を背中にこすり合わせる。

 

「ちょっとっ!? 何なのよいきなり!」

 

 一体全体どうしたものなのか。突然の出来事にセラは面食らうばかりである。

 

「悩む必要なんて無かったんだ……」

 

 そう、小さくルカは呟いた。

 

「えっ?」

 

「僕は、幸せですよ……」

 

 再びそう呟くとルカは手を離し、立ち上がった。見るとその目には薄らと涙が浮き出ていた。

 

「ルカ……」

 

 セラはわけもわからずルカの名をよんだ。

 

「さあ、明日に備えましょうか」

 

 いつもの調子でそう言うとルカは微笑んだ。

 



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「お久しぶりですね……」

♦♦♦

 

 時はめぐり、再び朝がやってきた。二人は長らく滞在した宿の退出の受付を済ませ外に出た。

 

「さぁ! 行きましょうか!」

 

 ルカはその背に新調した大きなリュックを背負っている。季節は秋。やがてめぐり来る冬にセラのような体毛を持たないルカは衣服で対応しなければならない。荷物が多くなる事は自然なことであった。

 二人は北西へと歩き出した。それはこの街に来るために歩いて来た時の方角と同じであった。街のはずれを通り過ぎ、平地を抜けると辺りは木々に覆われた山岳地帯へと突入した。

 

 

♦♦♦

 

 

 

「はぁ、もう疲れたわ」

 

 ルカが作った簡易的拠点で焚き火の熱に当たりながらセラがつぶやいた。

 

「今日ほっとんど歩きっぱなしじゃないのよ」

「ええ……」

「なんであんたまで元気ないのよ」

「ええ……」

「もう、何なのよ……」

 

 昨日からルカはずっとこんな感じである。常に何か考え事をしているかのようで、心ここにあらずといった様子だ。一体何が彼をそうさせているのか。セラには皆目見当もつかなかった。わからないことを考えていても仕方が無い、そう思いセラは心地よいまどろみの中へと落ちていった。

 

………………

…………

……

…………

………………

 

 ふと、セラは目を覚ました。炎は消えていて辺りは真っ暗だ。セラは重い瞼を擦りながらルカの姿を探す。しかしいくら周りを見渡しても荷物があるばかりでその姿はない。

 

 一体どこへ行ってしまったのだろうか。

 

「ちょっとー? ルカ〜?」

 

 少し不安になったセラは小声でルカの名を呼びながら辺りを適当に彷徨った。

 

 と、突然。木々の向こうから蒼白くまばゆい光が飛んできた。そして一瞬にして元の闇に戻った。それを見たセラは何か関係があるかもしれないと考え、その方向へ歩きだした。

 

 歩くこと数分。セラは先程と同じ様な光が先から薄っすらと差し込んできていることに気が付いた。その光の発生源へ用心深く足を進めていくセラ。どうやら光はこの先の湖上の何かから発せられているようだった。木々の影に隠れながら歩を進めていくと、その湖のほとりに一つの人影が見えた。

 

 ルカだ。

 

 更にセラは接近する。残り数メートルといった所か。セラは薄っすらと光る青白い物体に目を凝らす。

 

 それは何とも形容し難いものであった。輪郭はボヤけ、ハッキリとした境界線は確認できない。ただの蒼白い光の集合体とも見て取れた。

 

 と、その時その物体に変化が起きた。

 

 ボヤケた光が一点に集まり一段と輝く。それが少し大きくなったかと思うと、一気に光り輝いた。

 

「…………ッ!」

 

 突然の出来事にセラは思わず目を瞑った。そしてそのまぶたを開けると先程光が居た場所には一人の少女が立っていた。

 

 少女の目は例の光の如く蒼白い色をして、全身に凛々しい気を放っていた。

 

 すると突然ルカはその少女にひざまずき始めた。少女はそんなルカの額を引き寄せ、自らの額とくっつけた。数秒の後、開放されたルカは少女と何やら話を始めたのであった。

 

 彼女は何者なのか? ルカは何をしに来たのか? 

 

 そんなような疑問がセラの脳内を駆け巡る。だがいくら考えてもわかるわけがなかった。

 

 セラがしばらく観察を続けていると不意に少女の瞳がこちらを向いた。セラは慌てて木の影に隠れた。

 

 _____見つかっちゃった……?

 

 心の中で十秒数え、恐る恐る湖の方をのぞき込んだ。

 

 セラの瞳を少女の 眼まなこが捉えた。

 

 その瞬間、セラの身体に電気ショックが走る。まるで感覚が奪われ、自我が身体の隅っこに追いやられたような不思議な感覚がして、体が動かせなくなってしまった。

 

 一体どうなってるの!?

 

 少女が糸をたぐり寄せるように手を動かすと、セラの身体が勝手に前に踊り出た。そしてそのままずるずると引きずり出されてしまった。

 

 

♦♦♦

 

 

 ルカはセラが寝ていることを確認すると、ゆっくりと立ち上がった。そしてそのまま歩き出した。

 

 少しするとひっそりとたたずむ湖のほとりへと到着した。透き通ったその水は明るく丸い月を揺らしていた。

 

「お久しぶりですね……」

 

 湖を前にしてルカはそう呟く。すると水底から蒼い光が湧き上がって来た。その光は瞬く間に湖全体に広がり辺り一面を照らし出した。やがて光は一点に向かって集まってきた。すべての光が一つになったその姿はまるで燃える炎のようにおぼろげに輝いていた。

 

 そして再びその光は強く発光した。光が収まった時にはそれは少女の姿へと変貌を遂げていた。

 

「ずいぶんと派手な登場の仕方ですね」

 

 薄ら笑いを浮かべながらルカは言う。対して少女はフン、と鼻を鳴らした。

 

「まさかお前の顔を再び見るとはな。どれ、何があったか見せてみよ」

 

 少女は自らの額を前に付き出した。それを受け入れるようにルカは彼女の前でひざまずき、額を合わせた。冷たい波動がルカの身体を駆け巡る。隅々まで回ったかと思うと、それは再び少女の中へと戻っていった。

 

 彼女は額を離し、吟味するかのように腕を組んだ。

 

「なるほど……。これはまた妙な事が起きているのだな……」

「はい」

「して、魔物に求婚とはどういうことなのだ?」

「…………」

 

 ルカは一瞬口をつぐんだ。

 

「……。彼女には申し訳ないけど、守るべきものを作りたかったんです。そうでもしなきゃ僕は……」

「くくく、ならばちょうどいい。本人に聞いてもらおうではないか」

 

 そう言うと少女はルカの後方の木へと目線を向けた。そして彼女が腕を動かすと、その影からセラが飛び出してきた。

 

 

♦♦♦

 

 

 

 強制的に引きずり出されたセラはわけもわからず呆然としていた。今も身体が動かせないのだ。

 

 そんなセラへ少女は手を伸ばした。冷たい感覚が頬を撫でる。少女はそのまま引き寄せ、額と額を擦り合わせた。

 

 瞬間、セラの中に少女が流れ込んでくる。ヒンヤリとしたそれはまるで蹂躙するかのように全体をくまなく回り、戻ってゆく。

 

 少女が額を離すとセラの硬直も解けた。解放されたセラはおずおずと口を開く。

 

「な、何をしたの……!?」

「ちょいと君の記憶を覗かせてもらったのさ」

「記憶……? 一体……何者なのよ?」

 

 驚くセラにルカが囁く。もはやセラにとってはルカなどそっちのけだ。

 

「これは……彼女は、精霊です」

「せ……精霊!?」

「くくく、そうだぞ。我は精霊だ」

 

 精霊と名乗る少女は随分と偉そうに胸を張った。

 

「こんな少女が……?」

「この身は仮初の姿にすぎん。我には実態などないのだ。その気になれば____」

 

 そう言うと精霊はまばゆい光に包まれたかと思うと、次の瞬間には妖艶なハーピーへと変幻していた。

 

「じょっ、女王様!?」

 

 セラは驚きながらも反射的に彼女に向かってひれ伏していた。それを見て精霊は高らかに笑う。

 

「お前の記憶から読み取らせてもらったぞ。フフ、どうだ。これでわかっただろう?」

「え、えぇ。どうやら本当に精霊様のようね……」

 

 恐る恐る顔を上げながらセラはルカに言う。

 

「でもどうしてアンタはここに行ったのよ? しかもまるであたしに知られないように」

「…………」

 

 ルカは下を向いたままで何も答えようとはしなかった。そんな彼らを見て精霊は言う。

 

「セラよ、こやつにもそれなりの考えがあるのだ」

「でもそんなの言ってくれなきゃわからないじゃない」

「ふむ、まあそうだな」

 

 精霊はセラの考えを受け入れるとしばし思考にふけった。

 

「ならばお前も見てみるといい」

「え?」

 

 精霊は先程と同じ様にセラをたぐり寄せ、額と額を密着させた。温かくもどこか冷たい何かがセラの中へ流れ込んでくる。

 

「こ……これは」

「それはルカの記憶だ」

「…………」

 

 セラは頭の中に次々と様々な場面が浮かび上がって来た。

 

 

 

♢♢♢

 

 

 

 青空の下、山に囲まれた原っぱの中にその子供と大人はいた。

 

「父さん! また新しい技を教えてよ!」

 

 少年はじゃれるように父親に飛びつく。その背丈は父親の半分にも満たない。

 

「この前父さんから教えてもらったやつ、もう覚えちゃったんだから! 」

 

 そう言って彼は木の枝を剣に見立て、力強く踏み込むと木の剣を素早い動作で振り抜いた。ブォンと風切り音が唸る。

 

「ハハハ、ルカは筋がいいな。立派な男になれるぞ」

 

 父親は幼いルカの頭をくしゃくしゃっとする。

 

「ねえ、何かないの? カッコイイ技!」

「うーん、そうだなぁ……。じゃあちょっとだけ向こうむいててくれるか?」

「うん!」

 

 ルカは素直に頷くと反対を向いた。今度は一体どんな技を教えてくれるのだろうかと期待を膨らます。とそんな彼の臀部に突然。

 

「秘技、ダブルストレートクラッシュ砲!!」

 

 ドスっ!

 ゴツゴツとした四本の指が大きな音と共に小さな穴へねじ込まれた。父親は素早く指を抜き去り汚れた指にフッ、と息を吹きかけ言った。

 

「又の名を……四本指カンチョー」

 

 そして振り返り歩き出した。その背中はこの世の掟でも語っているかのように厳かなものであった。

 

「ぎぃやぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」

 

 大いなる痛みの波動がルカのアナルを襲う!

 

「はぐぅぅぅ!! お尻が! 穴がぁぁっ!」

 

 ルカは尻を抑えながらその場をのた打ち回る。それでも地獄のような鋭い痛みは消えそうにない。まるで尻の中で爆撃テロが起こったかのようだ。

 

「どうだルカ? お父さん格好良かっただろう?」

「微塵もカッコよくないよ! 痛いよ! ダサいよ!!」

「ふふ、そうか」

「なんで笑ってるの!?」 

 

 しばらくするうちに段々と痛みは引いていった。尻に平和が訪れる。

 

「さあ、もう帰ろうか。母さんが待ってるからな」

 

 そう言って父親はルカに背を向けた。その時をルカは見逃さなかった。

 

「直腸の支配者(レクタル・ルーラー)!!」

 

 そう叫びルカは木の枝を掴み父の尻に目掛けて付き出した。

 ズブリ!

 木の枝は二つの布地と穴を越え彼の直腸へと突き刺さった。

 

「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ!!!」

 

 醜い悲鳴が山に木霊する。

 のた打ち回る父を横目にルカはこの木の枝を宝物にしようと決心したのだった。

 

 

♦♦♦

 

 

「一体何をしたら尻から血が出るっていうのよ!」

 

 家に帰ったルカたちは母親にこっぴどく叱られていた。ズボンを血だらけにしていては当然のことである。

 

「もう、しっかりしてよねあなた」

 

 父の臀部を消毒しながら母は言う。

 

「あなたはこのカシミナ村の村長なのよ? あなたがしっかりしなくてどうするの」

「そんな大げさなもんじゃないさ」

 

 彼はそう言って笑った。

 ルカの住んでいた村、カシミナ村は決して裕福ではなかったが安定した生活を実現させていた。そしてルカの父親は人口役千人程度のこの村を治める村長であった。しかし村長と言ってもそこまで大した事はしていない。何しろ役場というものが存在しないのだ。強いて言うならば彼の家が役場の代わりを果たしていると言っていいだろう。村人が彼の家を訪ね、相談や苦情、はたまた依頼などをする。その内容はほんの些細なものだ。

 会議なんかで決めたわけではないが、不思議と彼を頼る人が多かったのだ。自然と彼はこの村の長のような存在になっていたのだった。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 ある日の昼下がりのこと。彼はまだ全快していないお尻を無意識のうちにさすりながらいつものようにルカの相手をしていた。

 

「いいか、ルカ。大切なのは腕っぷしだけの強さじゃなくて真の強さなんだ」

「しんのつよさ?」

「そうだ、これから力だけじゃどうにもならなくなる事がお前の前に立ちはだかるかもしれない」

 

 そう言う彼の目はいつに無く真剣だ。

 

「そんな時お前やお前の大事なものを守るためにはまた違う強さが必要なんだ」

「ふーん。どんなの?」

 

 彼はにこやかに笑いながらルカの頭を優しくなでた。その心地良さにルカは目を細める。

 

「そうだなぁ、お前はまず大事なものを見つけないとな」

「ふーん」

「ふーん、ってなんだふーんて」

 

 と、そんな二人の元へ一人の男性が駆け寄ってきた。

 

「村長!」

「おう、どうしたんだ? そんなに慌てて。また女の話か?」

「違う! 魔物が……魔物がやってきたんだ!」




ハーメルンの振り仮名設定の仕方がわからん


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「喰らえぇっ!」

 

「なんだって!?」

「こっちだ!」

 

 男は再び走り出した。それを追うように二人も走り出す。

 数分走ると人だかりが出来ているところが見えた。遠巻きに見守る人もいる。

 人の波をかき分け進むとそこには数十体もの魔物が立っていた。その異質な光景に見るもの全てが呆気にとられていた。

 そんな中リーダー格らしき角と尻尾が生えた女性が声を発した。

 

「突然の訪問で申し訳ないのだが話し合いがしたい。責任者を出してほしい」

 

 少し高圧的ともとれるような声色が空気を震わす。凛とした声だ。その声に操られたかのようにほとんどの村人の目線が一人に集まった。状況を察して彼は一歩前へ出て名乗りを上げた。

 

「この村に何か御用で?」

 

 彼女らの目線が一気に彼の元へと集まる。そして彼をリーダーだと認識し声を発した。

 

「端的に言うと我々をこの村の住民として受け入れてほしい」

 

 唐突なこの魔物の要求に当然辺りはざわついた。何しろ彼らにとって魔物とはほとんど未知の存在なのだ。何をされるのかわかったものではない。村人の中から声が上がる。

 

「それは……どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味だ。我々を受け入れ、共に暮らさせてほしい」

 

 彼女の態度は依然として変わらない。ざわめきは広まり、時折否定的な野次も飛んできていた。彼はそれを手で制止する。

 

「狙いはなんだ? あなたたちになんのメリットがある?」

「我々の狙い……と言うより目的は魔物の生活区域の拡大と人間との共存です。今、我々の個体数は増加傾向にあって土地が不足してしまうと懸念されているのだ。それに加えて我々魔族はあなた方人間に危害を加えるつもりもなければ争うつもりなんて毛頭ないのだ。だから我々を共に暮らさせてほしい」

 

 ころころと口調を変えながら彼女はそう言い切った。頬はももの様にほんのり赤く染まり、握る拳には力が入っていた。

 村の長は答えに詰まり、今一度彼女の出で立ちを見た。サラサラな紅い髪の毛の中から二本の牛のそれのような角が生えていて、彼女の豊満な身体を見たことのない材料で織られた服を着ている。どうやら向こうの方が文明は発達しているようだ。

 彼は考えに考え抜いた末に重々しくその口を開いた。

 

「……ああ、わかった」

 

 その一言を聞いた彼女は目の中に星を散りばめ小さくジャンプをした。

 

「ホントにいいの!?」

 人々は驚きの視線を彼女に突き刺す。彼女は恥ずかしそうに口元を手で隠し、咳払いをして言い直した。

 

「……本当によいのか?」

「ああ。ただし三つ程条件がある」

「三つの条件……。それは一体」

「一つ、不正当な暴力をした場合には即刻退村してもらう。二つ、互いの持つ知識や知恵、文化などは積極的に交換し合うこと。そして三つめは……自分を偽らない事だ」

「え?」

「これから一緒に暮らしていくのなら素をさらけださなくちゃ」

「は、はい」

 

 彼女は少し予想外の条件に戸惑っていた。

 彼は後ろを振り返り皆に問いかけた。

 

「この魔物たちと生活することに対して何か異議がある者はいるか!?」

 

 そんな問いに民衆の中から一人の手が上がった。

 

「一つだけ言わせてもらおうか……」

 

 それによって周囲に緊張が走る。その手の主の頑固そうな老人は声を発した。

 

「家を建てるとなりゃぁ時間がかかっちまう。それまで誰かの家に居候という形になるが、構いはしねぇか?」

「え? ええ! 全然問題ないです!」

 

 彼女はブンブンと首を縦に振る。

 

「それじゃあ、決まりだな」

 

 彼は自らの右手を彼女の前に差しだした。

 

「人間と魔物、共に生きてみせようじゃないか!」

「はい……! 喜んで!」

 

 彼女は目を輝かせ彼の手をとり硬い握手をした。

 

 

♦♦♦

 

 

 その後村人内で誰がどの魔物を家に泊まらせるかを十分に話し合った。意外にも積極的な者が多く、全村人の十分の一にも満たない数の魔物たちはあっという間に各家々へと割り振られていった。

 

「この度は柔軟な御決断誠にありがとうございました」

 

 ルカの家では先程のリーダー格の女性と、ルカと同じくらいの女の子の姿があった。

 

「私、ミノタウロス族のユアラと申します。こちらは娘のイブです。不束か者ですが、どうかよろしくお願い致します」

 

 ユアラは床に膝を突き深々と頭を下げている。娘の方も母の姿を真似ていた。

 

「いやいや頭を上げてくださいよ! 本当に何にもない家だけどくつろいでくださいな! ほら、顔を上げて!」

「そうですよ。こちらこそよろしくお願い致しますねユアラさん。イブちゃん。ほら、ルカも挨拶!」

 

 母親に促されルカも二人の魔物に頭を下げた。

 

「ささっ、早いとこご飯にしましょう」

「あぁっ、それなら私が! 私がやりますよ!」

「いや、ユアラさんはくつろいでて大丈夫なんですって! 客人なんですから!」

「いやいや、何もしてないのにご飯を頂くなんて申し訳ないですって!」

「いやいやいや、申し訳ないのはこっちですよ!だからあたしに任せて!」

「いや私が!」

「いやあたしが!」

 

 言い争いながら二人の母親は台所へ駆け込んでいく。

 居間に残されたのはルカとルカの父とイブだった。ルカは今一度イブの容姿をねめまわした。

 歳はルカと同じぐらいだと思われる。彼女のサラサラな髪の毛の中からは少し小さなツノと、エルフのような三角形の毛でふさふさな耳が飛び出ていた。初めて見るそれにルカの好奇心はビンビンに反応していた。

 だけど初対面でいきなり身体を触るのも悪いかな?と、ルカは幼いながらに自制心を働かせていた。

 まさに紳士である。まあ、ただのフェミニストかもしれないが……。

 ともあれルカは再びイブのことを凝視し始めた。

 なめらかそうな服に身を包んでいる。見たことのない生地だ。これは後でどんな手触りなのか確かめとかなければいけない。

 さらなる発見を求めてルカは視線を動かす。何か未知なるものはないのかと。

 

「……!」

 

 ルカの目測レーダーは彼女の臀部から生える揺れ動く物体を捉えた。そう、尻尾だ。

 これを発見したルカは感触を確かめられずにはいられなかった。短く生え揃えた艷やかな毛並。その末端には毛玉のようにふさふさとした長い毛が円錐形に生えていた。

 それでは触感はどうなのか。ルカは尻尾をむんずと掴んだ。

 

「ひゃうっ!」

 

 どうやら中に骨が入っているらしい、柔らかすぎず、硬すぎず。正に求めていた感触だ。ルカは心の中で文句なしのA評価を下した。

 今度は尻尾を掴んだ手をしなやかかつスムーズな動きで上下に動かしてみた。

 

「んっ……!」

 

 短い毛並みがルカの手の中を滑らかに流れ、そして抵抗する。ルカはこの上昇と下降によって得られる素晴らしい感覚に感動した。止められない、止まらない。

 

「ぁ……っん」

 

 しばしその感動にふけっていると反対の手が不満を申し立てるように疼きだした。

 この疼きを止められる何かはないのかとルカが視線を泳がすと丁度いいものが目の前に映り込んだ。躊躇うことなくルカはそれを開いている手で掴んだ。

 

「あぁっ!」

 

 それは耳だった。とんがり飛び出た柔らかい耳だった。ここも短い毛で覆われている。その薄い感触はルカの手に至高の快感を生み出した。穴の入り口にサワサワと指を這わせる。

 

「んぁッ!」

 

 その瞬間耳はびくびくと震えルカの手中から逃れた。驚いたルカは同時に尻尾を握っていた手も離してしまった。

 

「あ……あの」

 

 しかしルカはまだ物足りない。もう一度……。

 

「あのっ!」

 

 ふっ、とルカの意識が現実へ帰ってきた。目の前にはミノタウロスの少女の姿。その瞳は少しだけ潤んでいるかのようにみえる。

 いつの間に移動してきたんだろうかとルカは思ったが周りを見る限りルカのほうが動いたらしかった。

 つまりルカは無意識の内に少女の前まで移動し、無許可でいきなり尻尾や耳をめちゃんこ触りまくっていたということだ。コレはいけない。紳士にあるまじき行為だ。

 

「……」

 

 イブはルカに目線で何かを訴えている。だがルカにとってはそれが何なのかなんてどうでも良かった。

 

「ツノ、触っていい?」

 

 言うが早いかルカの手は既にイブのツノの上にあった。少しザラザラとした刺激がルカの神経に伝わる。感触としては尻尾や耳に劣るB評価。やはり毛の有無は大きいようだ。

 そんな二人を見ていたルカの父が近寄ってきた。

 

「オレにも触らせてくれないか?」

「ダメ! 父さんはダメ!」

 

 父の問いに何故かルカが即答する。

 

「ハハハ、なんでだよ〜ルカ〜」

「来るな!またあの時の二の舞いにしてやるぞ!」

 

 近寄る父に対してルカは懐に忍ばせていた木の枝を取り出した。瞬間父の顔が変わる。

 

「その木の枝は、あの時の!」

「ククク。父よ、刺されたくなければ諦めるんだな」

「……。わかった、この件からは手を引こう」

 

 父は非常に賢明な判断をした。したのだが最早ルカにはそんなの関係なかった。父を倒せればそれで良いのだ。

 

「喰らえぇっ!」

 

 父の尻目掛けてルカは駆けた。

 

「同じ手は喰わん!」

 

 父は軽やかにバク宙を決めルカの頭上を通り越した。

 

「どうだ息子よ! 男とは常に進化しなければいけないのだよ!」

 

 格好つけながら彼は綺麗な着地をしてみせた。だがおしりに何か違和感を感じた。

 見るとイブのツノが彼の尻の穴にすっぽりと刺さっていたのだった。

 

「も゛ぉぉぉおおおおぉぉぉぉおぉおッ!」

 

 村中に彼の汚い悲鳴が響いたのであった。



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「……ホントだね」

「本当にありがとうございます……」

 

 晩ごはんを済ませた後、ユアラは感謝の言葉を述べていた。

 

「謝らなくていいですってば!」

 

 こんなやり取りはもう何十回目だろうか。しつこいほどに彼女は頭を下げていた。

 

「にしてもユアラさんが来た時はびっくりしましたよ。喋り方もなんかこう、堅苦しかったもんで」

 

 ルカの父はコップ片手にそう言った。

 

「あれは一応は他の魔物を束ねる身でしたので威厳を出さないといけないかと思いまして。それに相手に対等に話し合わなければいけないっていう思いからですね……でも優しい方々で本当に助かりました」

 

 恥ずかしそうにあたふたとしながらユアラはそう説明した。

 

「それにしてもあなたの影響力は凄まじかったですよね」

「いやいや、滅相もない」

 

 彼は照れくさそうに手を振り頭を掻いた。その雰囲気にみんなが惹き寄せられるのもどこか頷ける。

 

「羨ましいですよ。自分から村長に立候補したのですか?」

「いえ、なんというか。成り行きでなった、みたいな」

「へぇ、一体どんな事があったんですか?」

「ええと、あれは5、6年前のことだったかな。村に王国の使者がやって来て我々の支配下に入れって言ったんだ。元々僕らはその王国から逃げるように北へ北へと移動してここに来たんだ。だからそんな話は受け入れるつもりは全くなかった」

 

 彼は昔を懐かしむ様に話し始めた。窓から月を眺めていたルカは何となしにその話を聞いた。

 

「で、僕らはその使者にそれは出来ない、って言ったら向こうはそれは認めない、支配下に入るまで帰らないって言ったんだ。でも本当はそうじゃなかった。帰れなかったんだ」

「……? どういうことですか?」

「なんの成果もなしに国へ戻れば命はない、王様への反逆罪として殺されるって彼は言ったんだ」

「そんな……。あまりにも酷いですね」

「そこの王は我欲に溺れた哀れな人間だからね……」

「それでその後はどうなったんですか?」

 

 軽く頷きながらユアラは話の続きを急かした。

 

「その後村のみんなとその使者とで話し合いをしてね、帰れないんだったら帰らなくていいんじゃないかっていうふうに話が進んでこの村に住んでもらうことにしたんだよ」

「へぇー。平和的でいいですね」

 

 感心するように彼女は喉を鳴らす。

 

「その話し合いの中心となったってわけですね」

「ええ、まあ」

「いいリーダーさんですね、あなたは」

「……そんな立派な人じゃないよ、僕はただ臆病なだけなんだ」

 

 彼は大きなため息をついた。それは普段気丈に振る舞う彼が他人に見せた唯一のため息かもしれない。

 明るく浮かぶ月の周りには厚い雲がその光を遮ろうとしていた。

 

「大勢の上に立つってことはいくらかの犠牲を考えなくちゃいけないんだ。その使者を国へ帰さないということはその国から攻められることだって考えられた。そうなったら村は滅ぶ。何百人もの命が消えるんだ。でも僕は大勢の仲間よりも目の前の初対面の一つの命を選んだ。逃げたんだ、そのどちらかを選択することを」

 

 どこか苦しそうにそう吐き出す彼。

 

「いいんじゃないですか? それで」

 

 そんな彼にユアラは優しく言葉をかけた。

 

「一人を守れないで大勢の人を守れるもんですか。逃げたってことは優しいからなんです。優しいから他のために動けるんです。強いだけじゃ何も守れないんです。弱いからこそ他の気持ちがわかるんです。そういう強さが大勢を守るんです」

 

 その言葉たちはじんわりと彼の胸の奥へと広がってゆく。人に見せることのなかった心の奥底にしまった本心が自然と浮き上がってくる。彼の頬を静かに涙が伝う。

 

「本当は……本当はいつも、どこかで、なにか間違ってるんじゃないか、取り返しのつかない事をしてるんじゃないか……そんな陰気な考えがずっと……ずっとずっと引っかかって、不安で、心配で、ずっと……」

 

 秘めた思いが言葉となって嗚咽と共に彼から留めどなく溢れ出す。それを受け止めるかのようにユアラは更に声をかけた。

 

「大丈夫ですよ。あなたが頑張っていることは皆さんわかっているはずです。あなたはあなたが思うよりもずっとずっと素敵なリーダーさんなんですから」

 

 その言葉により遂に彼の涙のダムは決壊した。

 

「うぅぅ、あぁ、ひっぐ、うぁぁあぁ……」

 

 その父の泣き声に気づき、奥の部屋から母がやって来た。

 

「ちょっとあんた、なんで泣いてるのよ?」

「いつも、いつも、支えてくれてありがとうなぁ……」

「ちょっ、いきなり何なのよ」

 

 わんわん泣き叫ぶ夫にいきなり普段言われないようなことを言われて彼女は面食らってしまった。

 

「俺、お前が嫁で良かったよぉ……!」

「フフ、バカね……あたしもよ……って恥ずかしい!」

 

 彼女は顔を赤くして嗚咽する彼の頭を叩いた。その目には薄っすらと涙が見えた。そんな微笑ましい光景を眺めているルカにいきなりイブが話しかけてきた。

 

「つき、かくれちゃったね」

 

 ルカは窓の外に視線をやった。

 

「……ホントだね」

 

 彼女の言う通り先ほどまで顔を覗かせていた月は分厚い雲の中へと隠れてしまっていた。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 後日ユアラは大勢の村人の前に立っていた。

 

「同じ農地に何年かに一回の周期で違う種類の作物を一定の順序で栽培するのです。例えば初めは大麦を、次の年はクローバー、その来年は小麦、更に来年はカブを、そしてまた次の年に大麦に戻るのです。そうすることによって農地の地力低下を防ぐことができるのです」

 

 これを聞いた村人達は初めて触れるその農業方法に唖然としていた。

 

「何か質問はありますか?」

 

 ユアラがそう尋ねると一人の男性がおずおずと手を上げた。

 

「という事は休耕地を作らなくてもいいんですか?」

「はい、大丈夫です。更に家畜たちの餌が減る時期も来ることはなくなるでしょう」

 

 おおっ、と周囲にざわめきが広がった。今まででの方法では解決できなかった問題が出来るのだ。なんとありがたいことだろうか。

 

「さあ、早速農地の改革に取り掛かりましょう!」

 

 彼女はにこやかに笑ってそう言った。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 魔物たちがこの村を訪れ実に七年もの月日が流れた。ユアラたちによってもたらされた新しい農業方法によってカシミナ村の食料供給は安定し、次第に人口が増えていくこととなった。村の領土も広がり、定期的に魔族の使節団が訪れるようにもなっていた。

 それまで村長として村を治めていたルカの父、カシムは自らその座をユアラに譲り、妻のルミナと村人の一員として共に彼女を支えることを誓った。

 そして大きく変わったことがもう一つ。それは魔族と人間とのカップルが生まれたことだ。中には既に子を授かった者たちも居る。このカシミナ村はそれほどまでに豊かで、平和な村へと成長していたのだ。

 ルカはそんな村が大好きだった。草の海の中に寝そべり青く澄んだ空を見つめる。ずっとこの暮らしが続いていくのだ、と信じて疑うことなどなかった。眩しく優しい太陽を見つめる。

 そんな彼の視界に日の光を遮るようひょこっと頭が映り込む。イブだ。

 

「こんなところにいたのね、ルカ」

 

 ルカを見下ろす彼女はそう声をかけた。

 

「ああ、イブ。どうしたの?」

「んーとね、ルカは今なにしてるのかなーって思って!」

 

 そう言って彼女はほんわかとした笑顔をしてみせた。どうやら眩しい太陽はこんな近くにもいたようだ。

 

「あ、えと空を見てたんだよ。こうして寝っ転がって。イブもやってみたら? 気持ちいいよ」

 

 少年は恥ずかしさに若干目を逸らして言う。

 

「ええ、そうするわ」

 

 イブはルカのすぐ隣に寝転がった。ふわりと優しい香りが巻き上がる。

 

「今日はいい天気ねぇ」

「うん」

「あ、ほら見てあそこ! ヘンなカタチの雲があるわ!」

「ホントだね」

 

 嬉々としてそうルカに喋ってくるイブの横顔を見てルカはなんだか幸せな気分に包まれた。

 と、突然彼女の顔がルカの方を向いた。あわててルカは顔をそらす

 

「ねえ、ルカ。どうして空じゃなくてアタシの方を見てたの?」

「え、ええっ! あっ! みみみ見てない見てなかったよ! ちゃんと雲見てたよ!」

「ウソはいけないのよ、ルカ」

 

 イブは少し赤面するルカの脇腹を人差し指でつんつんと突っつき始めた。

 

「ちょっ、やめてよ。ホントだってば」

「ホントにぃ〜?」

「くすぐったいって、ホントに! あっ、ほら、あそこにも面白い形の雲が!」

「そうやってはぐらかさないの! コチョコチョしちゃうわよ?」

 

 そう言ってイブがわざとらしく両手の指をうねらせて見せるとルカは立ち上がり一目散に逃げ出した。

 

「あ! まちなさいよー!」

 

 ルカを追う形で彼女も草原を駆け出した。そこからしばらくの間その追いかけっこは続くこととなった。

 

「あぁ、ああぁ、もう限界っ」

 

 長い間走り回りへろへろになったルカは草の中へ倒れ込んだ。ひんやりとした感覚がルカの全身を包む。

 

「アタシもー」

 

 少し遅れてやって来たイブはルカの上へダイブした。ひんやりとした感覚がルカの全身を包む。

 

「ぐえぇっ!」 

 

 柔らかい衝撃がルカの全身を襲う。

 

「ゴロゴロー」

 

 そしてイブはそのまま転がりルカの隣に寝そべる。二人は顔を見合わせ大きな声で笑いあった。

 

「正直に言うと……実はさっき雲じゃなくてイブの顔見てたよ」

「やっぱり見てたんじゃない!」

 

 愛らしい瞳がルカを笑顔で優しく見つめてくる。

 

「ねえ、どうしてアタシを見てたの?」

「それは……」

 

 ルカは答えに詰まってしまった。いつもならここで話を曖昧にしていただろう。だが、今日は違う。今日こそは伝えるのだ。

 ひとつ、深呼吸。

 ここで頑張らなくちゃ……。

 心の中で自分を鼓舞して、踏ん切りをつけるとルカは口を開いた。

 

「イブ……」

「なあに、ルカ」

 

 優しくて癒やされるような愛くるしい笑顔で彼女は聞き返す。ふわりとした風が辺りを駆け抜けた。

 

「俺は、イブのことが……君のことが、好きだ」



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「僕のスリーサイズなんか聞いたところで誰も興奮しないでしょう?」

 ルカの鼓動は激しく脈を打っていた。恥ずかしさで顔面から融解していくようだ。そんなルカにイブは言った。

 

「あたしも好きよ、ルカ」

 

 ――好きよ。

 

 ルカの頭の中でその返事がぐるぐると回る。

 

「ホッホホホントっ!?」

 

 最高潮かと思われた脈も興奮で更に一段階激しくなる。言葉にならない嬉しさが奥から湧き出てくる。

 

「ええ、大好きよ!」

 

 刹那、ルカの頬を歓喜の涙が伝う。

 

「あなたはもちろん、お母様やカシムさんやルミナさん、この村も村の皆さんもみんなみーんな大好きなの!」

「……ん?」

 

 瞬間、ルカの顔が引きつった。

 

「あたしこの大好きな村で沢山の大好きなみんなに囲まれて暮らせて幸せなのよ!」

 

 彼女は屈託のない笑顔でそう語る。どうやらルカの伝えたかった意味の『好き』という言葉は彼女には届かなかったようだ。

 

「ねぇ、ルカ。あなたどうしてそんなに顔を赤くしているの?」

 

 天使のような笑顔がルカの恥ずかしさに満ちた顔を覗き込む。ルカは羞恥のあまり顔を背けた。もしこの時のルカにもう一つ踏み込む勇気があったのなら「俺がその中の一番になってやるよ」なぁんて臭いセリフを吐けたのだろうが、この少年には難しい話であった。まあ、それを言ったところで彼女がその意味を理解することも難しいかもしれないが。

 

「なんでもない」

 

 地面に突っ伏したルカは少しぶっきらぼうにそう言う。何も知らない彼女はそんなルカを見て笑う。

 

「さあ、お空の色が変わる前に帰りましょう!」

 

 元気にそう叫んでイブは立ち上がって歩きだした。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「それじゃあまた会いましょう!」

 

 イブはそう言うとぶんぶんと手を振った。合わせてしっぽも揺れていた。そんな可愛らしい彼女をみてルカは思わず苦笑した。

 

 ルカがイブと別れて帰宅していると一人の中年男性が声をかけてきた。

 

「よう、ルカ! 今日はお譲ちゃんを口説けたかい?」

 

 その問にルカが首を振ると男性は大きな笑い声を上げた。

 

「そうかそうか、そりゃあおめえさんじゃ無理かもなぁ!」

「毎日女の尻追っかけてるおっちゃんに言われたかないね」

「かーっ! 最近のガキは礼儀もなってねぇのかよぉ!」

 

 かっかっか、と笑い飛ばす。陽気な男性だ。

 

「まあ、相手があの天然お譲ちゃんだからな。無理もないぜルカ坊」

「そう言ってくれると助かりますよ」

「そうか? ならよかったね」

 

 すると男性は思い出したかのようにまた喋り始めた。

 

「そういやおめぇさんは村の外の話について聞いたことはあるか?」

「村の外……」

 

 言われてみればそんなことなんて考えたこともなかった。それほど今の生活に満足していたのだ。

 

「娘さんと二人で外に出てみたらどうだい。周りが違ってくればまたお譲ちゃんもなにか変わってくるんじゃねぇのかい?」

「はぁ……」

 

 考え込むルカの顔を見て彼は嫌らしい笑みを浮かべると一言付け足した。

 

「ま、俺にゃ関係ないことなんだがなぁ」

「はぁ……」

「かっかっか、他人の考え込む顔はやっぱり傑作だな! じゃあな、悩める少年よ!」

 

 男性はそう言い残すとふらふらと何処かへ行ってしまった。

 外の世界。今まで考えても見なかった未知なる場所に少年は思いを馳せる。果たして外には何が広がっているというのだろうか。もしかしたらこの村と変わらないずっと変わらない光景が広がっているのかもしれない。ただ外の世界が未知に包まれた場所であったなら自分の真意は伝わるのではないだろうか。とにかく、無知な少年には見当もつかなかった。

 そんな思考の輪廻に囚われているといつの間にか家へ着いていた。もうすぐ夕飯の頃合いだ。ルカは一旦その思考から抜け出すことにした。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 それから数日間ルカは自分の考えがまとめられずにいた。外の世界に何があるのかという好奇心と、なんとなくこの村を出たくないという曖昧で不確かなひっかかりがせめぎ合っているのだ。こうして野原の上に座っていても、答はなかなか出てこないものであった。

 

「ねえ、ルカ。悩み事でもあるの?」

 

 ルカが思考の海に潜り込んでいるといきなりルカを呼ぶ声がした。

 

「うわぁ!」

 

 驚き顔を上げるとルカの隣にはイブが立っていた。優しい笑顔でルカを見つめている。

 

「なんだ、イブか……。全然気が付かなかったよ」

「ねえ、ルカ? あなたが何を考えているかはあたしにはわからないけれど、あんまり思いつめるのはカラダに良くないと思うの」

「うん」

「だからあなたの考えていることをあたしにも考えさせてちょうだい」

「……うん?」

「だって二人で考えたほうが、うーんと負担がへっていいと思わない?」

「う、うん……」

 

 あまりの笑顔の眩しさにルカは顔をそらした。そんなルカの顔を追いかけるようにイブは顔を近づけた。

 

「ねぇ、教えてちょうだい! あたしはあなたが何を考えているのかを知りたいのよ」

「わ、わかった! わかったよ! 話す! 話すからちょっ、近い!」

「なんだってそう顔を赤くするのよ」

 

 心底愉快そうに笑う彼女はルカの隣にちょこんと座った。

 

「さあ、話してちょうだい!」

「あ、うん。えと。ここ最近村の外には何があるのかなぁって思っててさ……」

「村の外?」

「うん。今まで考えたこともなくてさ。イブは何があると思う?」

「そうねぇ、この村みたいに住んでるみんなが笑顔で幸せに暮らしているところがたくさんあると思うわ!」

 

 目を輝かせながらイブはそう言った。ルカは彼女の言う光景を思い浮かべた。幸せそうな笑い声があちらこちらに響き渡り、全てが暖かく見守ってくれるようなそんな光景。

 

「そんなに気になるのなら見に行けばいいんじゃない?」

 

 想像を膨らましていたルカにイブはそう声をかけた。

 

「え?」

「だって気になるのでしょう? なら確認すればいいじゃない!」

「そう……かな?」

「そうよ、きっとそうよ!」

「じゃあ……行こう!」

「うん!」

「今すぐ行こう!」

「……え?」

 

 今度はイブが驚く番だった。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 村を出てから数時間。二人の足は好奇心によって進められていた。深い森のなかには木漏れ日が差し込み、時折涼しい風が通り抜けていた。未知なる場所での新発見はあちらこちらに広がっていた。

 

「ねぇ、ルカ! 見て! 変なものが生えてるわ!」

「えっ、どこ?」

「ほら、あそこの木の根っこ!」

 

 イブが指差す方を見ると確かに見たことのないものが生えていた。

 

「うわぁ! なんだコレ!」

 

 ルカは思わず近づいた。かさのある背の低い植物がいくつか群がって生えていた。触るとぶよぶよしている。

 

「変なの」

 

 二人はそれらをながめた後、再びあてもなく歩き始めた。

 しばらくすると二人の耳に妙な音が聞こえてくるようになった。強弱をつけて繰り返されるその音は彼らの旺盛な好奇心を射止めた。

 

「なんの音なのかしら」

「とにかく行ってみよう!」

 

 二人は音のする方へと駆け出した。木々の間を走り抜け、開けた草むらの上に出た。その少し先は切り立った崖となっていた。そこまで歩を進めた二人は息をのんだ。

 

「うわぁ……」

「す……すげぇおっきな……水たまり……?」

 

 少年少女の眼下に広がっていたのは広大な海であった。

 

「ねぇ、ルカ。下まで行ってみましょう!」

 

 ルカは頷き下まで降りれる回り道を探した。

 

「多分こっち!」

 

 下り坂を見つけ二人は走り出す。生い茂る草の波をかき分け進むと、再び開けた場所へ出た。草ではなくてサラサラな砂が辺り一面を覆っていた。その砂を踏みしめた二人は再び息をのんだ。

 

「水が……勝手に動いてる……!」

 

 慣れない砂地に苦戦をしながら二人は波打ち際まで進んだ。少し青掛かった透明な水が、向かってきては引き戻されてゆく。

 イブは身を乗り出して水の中へと手を沈めた。

 

「冷たい」

 

 そこへ次の波がやって来る。イブは急いで身を引いて水を回避したが勢い余ってそのまま後ろへ倒れてしまった。

 逆さになったイブはルカと目が合うとニッコリと顔をほころばせて笑い声を上げた。釣られてルカも笑う。

 今度はルカが波の中に手を入れようと身をかがめた。するとイブは後ろからいきなりルカのことを押し出した。

 

「うわぁ!」

 

 とっさに両手を出して体を支えると冷たい水しぶきが飛び上がった。

 

「ちょっとぉ!」

 

 ルカが後ろを振り返ると彼女は満開の笑顔の花を咲かしていた。

 仕返しに、とルカは水をすくいイブに向かって飛ばした。

 

「きゃあ! なにするのよ!」

「仕返しだよ!」

「ならあたしも!」

「うわっ、冷たい! このー!」

 

 浜辺にはしばらく二人の若者の楽しげな声が響いていた。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 二人は先ほどの崖の上に並んで腰掛けていた。太陽がその身をゆっくりと沈めようとしている。辺りは橙色に染め上げられ大きな影法師を浮かび上がらせていた。ゆったりとした時間が流れ、それに合わせるかのように風は地表を優しく撫でていた。

 

「綺麗ね」

 

 夕日を眺める彼女はぽつりと言葉をこぼした。

 

「うん。こんな綺麗なの見たことないや」

「あたしもよ」

 

 それから少しした後、ルカは夕日を見ながらイブに話しかけた。

 

「ねぇ、イブ」

「なあに、ルカ」

「……気づいたんだ、何が一番幸せだったかを」

「ええ」

「あの村にいたから幸せだと思ってたんだ、最初は。でも、違うんだ」

「ええ」

「場所なんてどこでも良かったんだ」

「ええ」

「ただ君が……好きな人が隣に居てくれるだけで、それだけで幸せなんだ……」

 

 ルカは彼女の表情を見ていなかったが、きっと彼女は笑っていたことだろう。

 

「ねぇ、ルカ……。あたしも……あたしもあなたと同じことを考えていたわ」

 

 そう優しく呟いた彼女はルカによりかかり、自身の頭をルカの肩の上に預けた。

 

「ずっと……いつまでも二人でこうしていたいって思ったの」

「うん……」

「ねぇ、ルカ」

「うん」

「……好きよ」

「…………」

「ねぇ、ルカ。顔が赤いわよ?」

「……ゆ、夕日のせいだよ。きっと」

 

 恥ずかしさからか少年は少しぶっきらぼうに答えた。

 

「フフ……。それじゃあ、そろそろ帰りましょうか」

 

 そうして二人は立ち上がり、愛する村へと足を進め始めたのだった。

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

「何かいるのかしら?」

「え?」

 

 帰り途中、突然イブがそんなことを言い始めた。長い木の枝を拾って歩きながらガリガリと土を削っていたルカは素っ頓狂な声を上げた。

 

「ほら、何かきこえない?」

 

 足を止めて耳を澄ましてみたがルカには何の音も聞こえなかった。

 辺りはもう薄暗くなり真っ暗になる前に帰るには一刻を争う状況だった。

 

「何も聞こえないよ。それより早く帰ろう」

「うん……そうね。行きましょう」

 

 イブは少し不安げだったが二人は帰ることを優先させた。

 そのまま村の方へ進んで行くと何やら複数の灯りが見えてきた。

 

「誰かいるっぽいね」

「そうね。何をしてるのかしら」

「うーん、俺らがいないから探してるとか?」

「きっとそうだわ! 挨拶しないと」

「そうだね」

 

 二人は意見をまとめると例の灯りの元へと駆け寄っていった。

 

「いやあ、身勝手な行動でご迷惑をお掛けして……」

 

 そんなルカの謝罪の言葉は最後まで紡がれることはなかった。途端にいくつものギラつく眼が二人を睨め回した。

 見たことのない大人たち。よそ者。その体には簡易的ながらも鎧が装着され、

腰には鈍く光を反射する剣がぶら下がっていた。

 

「誰だ貴様らは!」

 

 彼らから怒号が飛んできた瞬間、ルカは全身で危険を察知した。

 急いでイブの手を取り逃げ出した。

 

「ど、どうしたのよルカ!」

 

 動揺するイブにルカは必死で叫んだ。

 

「いいから逃げるんだ! あいつらはよそ者だ! イブはここから逃げてこの事を村のみんなに伝えるんだ! いいね!?」

 

 イブは無言で頷いた。ルカの態度で事の状況をなんとなく把握したのだろう。

 二人が逃げ出した数秒後、背後から再び怒号が飛んできた。

 

「おい! あの女、尻尾が生えてやがる! マモノだぞ!」

「逃がすな! 追え! やれぇ!」

 

 二人がどれだけ必死に走っても、鍛え上げられた大人たちに叶うはずもなかった。彼らとの距離はみるみるうちに縮まっていく。このままでは二人とも捕まってしまう。それだけはなんとしてでも避けなければいけない。

 

「イブ、ここは君だけで逃げてほしい……」

 

 ルカはそう、決断した。

 

「嫌よ! 嫌! 二人で逃げるのよ!」

 

 イブは珍しく激しい感情をあらわにしたが、ルカはゆっくりと首を横にふった。その目から溢れた涙が微かな光を反射する。

 

「村で……また会おう……」

 

 そう言ってルカはイブの背中を強く押し、後ろを振り向き立ち止まった。そしてしゃがんで地面の砂をかき集めた。

 武装した男たちはすぐさま追って来る。

 そんな男たち目掛けてルカは砂を投げつけた。

 

「うぐっ! なんだ!?」

 

 突然の砂に視界を奪われた男たちは立ち止まり目をこすったり、訳もわからずそのまま木に激突したりした。

 苦肉の策ではあったが、ルカはなんとか男たちを足止めすることに成功した。

 一旦木陰に身を潜めたルカは再び走り出そうとする男に向かって体当たりを仕掛ける。すると死角からの一撃に思わず男は吹っ飛ばされた。

 

「このっ! 小僧!」

 

 ルカを見つけた一人の男が怒りに駆られ拳を飛ばしてきた。重い一撃がルカの脳を揺らす。

 

「うぅっ!」

 

 衝撃でルカはその場に崩れ落ちた。男たちはそこに群がり、立ち上がろうとするルカをこぞって蹴り出した。頭の先から爪先まで鋭い痛みがルカを襲う。ルカは痛みをこらえてなんとか一人の男の足にしがみついた。

 

「このクソガキがっ! 離せ!」

 

 男は反対の足でルカの顔を蹴り上げる。何度も何度も何度も何度も。ルカは骨の髄まで響く痛みに見舞われた。鼻から一筋の血がすーっと垂れてきた。

 半ば意識を失いながらもルカはその男のもう片方の足をどうにか捕まえた。両足を固定された男はバランスを失い後ろに倒れ込んだ。

 

「この野郎っ!! ナメやがって!」

 

 男は激高しながら起き上がると勢い良く剣をぬいた。最早体に力が入らなかったルカは脱力しながら男が剣を振り下ろそうとするところを眺めていた。

 と、その時。

 

「待て」

 

 辺りに一際低い男の声が放たれた。目を動かし声の主を見てみると他の男たちよりも一回り大きながたいの良い男だった。隣には他の男たちとは少し服装の違う聡明そうな男もいた。

 

「お前たちはこんなところでゴミをいたぶっている暇など無いはずだ。今回の遠征を成功させなければ我々は処刑される。わかっているだろう?」

「……くそっ」

 

 体格の良い男がそう言うと先ほどの男は渋々剣を鞘に収める。だが苛立ちを抑えることができない男密かにはルカを蹴り上げた。

 

「わかったらさっさと先のマモノを追え」

 

 そう体格の良い男から命令が下ると男たちはイブが逃げた方へと走っていってしまった。道端に落ちたゴミのようにうずくまるルカにはもう止めることは叶わなかった。

 体格の良い男がルカの髪を引っ張り顔を持ち上げた。岩のような顔がルカの目の前に現れる。

 

「隊長、コレはどうすればいい?」

 

 隊長、と呼ばれた隣の男はルカのことを一瞥すると言った。

 

「情報源になるだろう。持って帰れ」

「了解」

 

 岩男はルカの首根っこをむんずと掴むと力強く絞め上げた。

 

「……ぁ!」

 

 酸素の供給が断たれ視界がぼやけてくる。とても苦しいが抵抗できる力など、無い。頭の奥がチカチカしたかと思うと、ルカの意識は深い海の底へと落ちていった。

 

 

♢♢♢

 

 

 そこでセラの頭の中に映し出されたルカの記憶は途絶えた。

 

「えぇっ!? ここで終わり!?」

 

 なんとも目覚めの悪いセラはあくびをしているルカを問い詰めた。

 

「あんたあの後どうなったのか教えなさいよ!」

「い、イヤですよぅ〜」

「いいから教えなさいって!」

「そんなに僕のことを知りたいだなんて……セっちゃんのエッチ!」

「なんでそうなるのよ!?」

 

 そんなやり取りを見ていた精霊がクスクスと笑う。

 

「全く、余計なことをしてくれましたね……」

「くくく、だがお前の隠し事はこれだけではないだろう?」

 

 ニヤつく精霊に対してルカはウンザリとした顔つきだ。

 

「ていうかこんなことをしにきたわけじゃないんですよ」

 

 ルカは続ける。

 

「僕のスリーサイズなんか聞いたところで誰も興奮しないでしょう?」

「その前に誰もそんなこと聞いてないんだけど。というか続きを教えなさいよ。あんたとこの精霊がどうして知り合いなのかとかの記憶がなかったんだけど!」

 

 そんなセラの言葉を無視してルカは叫んだ。

 

「精霊よ! 我の願いを聞き入れ給え!」

「おい! はぐらかすな!」

「……願いはなんだ?」

「勝手に話を進めないで!」

 

 精霊は青白く光ったかと思うとクイーンハーピーの姿に変身した。

 

「じょ、女王様!」

 

 突然現れた彼女の忠誠の対象にセラはひれ伏した。

 

「セラよ、少し静かにしててもらえるか?」

「ははぁ、仰せのままに……!」

 

 こうしてセラを黙らせると、精霊は再びルカに問うた。

 

「……ルカよ、此度のお前の願いはなんだ?」

 

 ルカはちらりとセラの方を見ると、言った。



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「それではお茶なんてどうでしょう?」

「僕の願い、それは彼女に変身する術を与えることだ!」

 

 ルカは精霊に向かってそう叫んだ。

 

「……承知した」

 

彼女は静かに頷いた。そして続ける。

 

「元来、精霊とは様々な気の集まりだ。気とは万物の源だ。その気というのはお前らマモノやニンゲン、それから草木や水などのありとあらゆるものひとつひとつに宿っている。言うなればお前らは器で気はそれを満たす水だ。そしてお前のその願いを叶えるとするならば、まずそこのハーピーに空気から気を取り込むことを教えなければならん」

「…………?」

 

 その説明を聞いたルカとセラはきょとんとした顔で精霊を見つめる。その顔には?マークがはっきりと浮かんでいる。

 

「あー……伝わってるか?」

「う、うん……! 大丈夫! 水でしょ? うん、水水」

「ルカ、貴様……」

「てへぺろ」

 

 薄っすらと怒りをにじませる彼女にルカはふざけた顔で舌を出しVサインをしてみせた。この上なく憎たらしい姿である。

 

「あー、精霊さん?」

 

 怒りに肩を震わせる精霊に少しうつむくセラが呼びかけた。

 

「む? なんだ」

「そのー、差し支えなければそろそろ女王様の姿から戻っていただけるかしら……」

 

 頭で違うとは認識していても彼女に刻まれた女王への忠誠心が反応をするようだ。セラはクイーンハーピーの姿をした精霊にすっかり腰が引けてしまっていた。

 

「むぅ。そうだったな。今変身しよう」

「可愛い娘頼みますよ〜」

「うっさい」

 

 小うるさいルカを叱咤しつつ彼女はまばゆい光で辺りを青白く染め上げながら先ほどとは違う少女の姿に変身した。

 

「女の子キター」

 

 新しい少女の姿にルカは小躍りしている。そんなルカにセラと精霊は冷ややかな視線を送る。

 

「あんたって本当、女なら何でもいいのね……」

「はぁっ!?」

 

 その一言にルカは驚きの声を上げた。

 

「えぇ……? 違うの?」

「そんなワケないでしょう! 僕のことをなんだと思ってるんですか!?」

「ゴミ」

「変態」

「うぐっ!」

 

 二人の辛辣な言葉がルカの精神を深くえぐり取る。

 

「あと、ウザいよね」

「あっ、それわかるわ〜」

「でしょ~?」

「あの顔本当ムカつく」

「そうそう!」

 

 セラと精霊はすっかり意気投合したようだ。二人は次々とルカの悪口を吐き出していく。

 

「今さーあいついないから言えるんだけどさー」

「いやいや! 居る! 目の前に居る!」

「うん、なになに?」

「え、無視!? それとも聞こえてないの!? 耳ついてないの!? その耳っぽいやつはなに!? 飾り!?」

「あいつ、キモくね?」

「ぐはぁっ!」

「はー、本当それ」

「マジなんなの? もう吐き気止まんないよね」

「あいつと話すくらいだったらその辺の石ころと話してるほうがマシだっつーの」

「うぎゃあっ!」

 

 繰り出される怒涛の罵倒によってルカは膝から崩れ落ちた。

 しかし二人による攻撃はまだ止まらない。

 

「え、ねぇちょっと見てあそこ。でっかいゴミ落ちてない?」

「うわ、本当だ。服着たゴミが落ちてる。道理で臭いのね〜」

 

 ルカはまるでトカゲのように這いずりながら二人の所へ移動を始めた。

 

「やだ、こっち来てるんだけどキモい!」

「来んな来んな!」

 

 近づくルカをセラは足で押し返した。

 

「あぁ……」

 

 妙に色っぽい声があがる。

 

「えっ、キモ」

 

 更にセラが押し返す。

 

「んっ……もっと……」

「え?」

 

 予想だにしないその返答にセラは思わず聞き返した。

 

「あぁ……! 女王様、このイケない僕をもっとなじってください!」

 

 そう言ったかと思うとルカはセラの足を捕まえ、甲にキスをした。

 

「…………!」

 

 一瞬でセラの動きが固まる。

 それを見てルカは「僕の方が一枚上手でしたね。まあ、僕二枚目ですしね」と言いながら立ち上がった。なんという汚い演技。なんという自意識。

 

「うっ……うっ……」

 

 顔を真っ赤にして肩をわななかせているセラが言葉を漏らす。そして次の瞬間、そのダムは決壊した。

 

「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!」

 

 叫び声とともにセラの物理的攻撃がルカを襲った。羽を鞭のようにしならせ殴りつける。

 

「うおおおおっ!?」

 

 右、左、右、左、とその攻撃はとめどなくルカの顔面へ吸い込まれていった。

 

 

♦♦♦

 

 

 

「もうほんっとあり得ない!」

 

 セラは随分とご立腹のようだ。恥ずかしさと腹立たしさに毛を逆立てて、少し潤んだ瞳でルカを睨んでいる。

 そんな彼女にボッコボコに殴られたルカは素直に謝った。

 

「いや、本当……すんませんした」

「…………」

 

 しかし不機嫌なセラは口を開こうとはしなかった。

 場を取り持つように精霊がしゃべりだす。

 

「全く、お前がふざけ始めたせいで我の話が台無しではないか」

 

 澄ました顔の精霊のそのしゃべり方は以前のような威厳あるものに戻っていた。

 

「無理してキャラ作んなくていいんですよ。さっきみたいに普通に喋ったらどうです?」

 

 ルカはまたしても彼女の怒りのスイッチを全身全霊で押し込んだ。

 

「……殺すぞ」

 

 おぞましい程の殺気がルカに向けられるが当の本人は何食わぬ顔だ。なんと白々しい男であろうか。

 

「怒るのはそのキレイな肌に悪いですよ。ほら、笑って笑って〜」

 

 怒りの原因は、彼女を笑わせようと変顔をしてみせる。だがそれもまた、彼女の神経を逆撫でするような不愉快なものであった。

 彼女が怒りを必死にこらえていると、ルカは突然変顔をやめて呟いた。

 

「おや、いつの間にかもう明るくなってきましたね」

 

 見ると先ほどまで真っ暗だった空が今では群青色へと変わっていた。夜が明けたようだ。風に吹かれて木々がまるで起床の合図かのようにざわざわと声を上げる。

 

「じゃあ僕は向こうにおいたままの荷物取ってくるんで」

 

 そう言ったかと思うとルカは向こうへ駆けていった。

 残された二人はため息をついた。

 

「災難だったな」

 

 精霊は慈愛に満ちた声でセラに話しかける。

 

「ええ、流石にびっくりしたわ。バカは何を考えているのかわからないわね」

 

 未だにぼーっとしているセラは一息つくと続けた。

 

「ずーっとそう。あいつが考えている事があたしにはわからない……」

「……そうか、そうかもな」

「あなたにはわかるの?」

「……そのうちわかるさ」

 

 いつのときか、似たような言葉をクイーンハーピーから言われたことをセラは思い出した。一体何が分かるというのだろうか。今までのことを振り返っても『変な奴』くらいのことしか分かっていない。一体あの男は何を……。

 セラが考えを巡らせているとルカが荷物を持って戻って来た。

 

「よっこいしょ」

 

 ルカはほとりの近くにその荷物を下ろすと二人に向かって言った。

 

「じゃ、あとよろしく」

「……は?」

 

 セラが思わず聞き返したが、ルカが気にする様子はない。

 

「そのうち戻ってきますから」

 

 そう言い残してどこかへ歩いていってしまった。

 それを見てセラは先程までの自分が急に馬鹿らしくなってきた。

 やっぱりなんにも考えてないんじゃないのあいつ!

 セラは何度目かわからない、深いため息をついた。

 ルカの姿が見えなくなったところで精霊はセラに問うた。

 

「して、お前はどうするのだ?」

「ど、どうするって?」

「お前はあいつの言う通りに変身できるように気の扱い方を学ぶのか?」

「…………」

 

 セラは少しの間口をつぐみ逡巡した。そして、答える。

 

「……やるわ」

「そうか」

「もちろんあいつなんかの為じゃなくて女王様の仰っていた意味を理解する為よ?」

 

 慌ててセラは付け足した。

 

「ほ〜お」

 

 精霊がからかうような目でセラを見る。

 

「な、なによ!」

「まあ、いい。それより早速始めようではないか」

 

 その言葉にセラはこくりとうなずいた。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「ふー、疲れた」

 

 ルカは湖から数時間歩いた場所にある、フォーマントという街の食事処にいた。それなりの広さを誇るフォーマントだが、国の中心地からは距離があるため少し静かな街だ。

 ルカは数人が行き来する道を眺めつつ団子を口に頬張る。もっちりとした食感にほんのり甘い風味が舌を走り抜ける。この甘さはハチミツだろうか。団子を練るときに一緒にハチミツも混ぜたようだ。程よいその甘さは団子全体に染み込み、優しい口当たりになっていた。だが、実際そんなことはどうでもいい。『美味しい』、それさえわかれば十分ではないだろうか。

 ルカは団子によってもたらされた思考の渦を消し去って、残りの団子も平らげた。

 

「ごちそうさまです」

 

 ルカはお皿をお店の人に返す。店員は(なんでコイツこんな顔面腫れてるんだ?)と内心思いながらも笑顔でお皿を受け取った。

 

 食事処を後にしたルカは街をぶらぶらと歩いていた。

 建物のほとんどが住宅で、その中にこじんまりとした店がちらほらと見え隠れする、そんな街だ。

 そんな街の中心部には王都からやって来た行商人が見受けられた。街の人々はそれに群がりそれぞれ必要なものを買っていっていた。

 

「お?」

 

 広場を歩くルカの目にひとつの人だかりがはいってきた。

 椅子に座ったひとりの少女を机を挟んで大勢の人が集まっている。

 ルカはその人混みの中に紛れ込んでいった。

 

「皆さん、お集まりいただきありがとうございます!」

 

 少女が明るく快活な声を上げるとざわついていた人々は水を打ったように静まり返った。それを確認した彼女はボーイッシュな髪をゆらしながら言葉を続けた。

 

「おまたせいたしました! これより開店致しますので何か聞きたい情報がある方は一列にお並びください!」

 

 すると人々は快活な少女の言う通りに列をなし始め、あっという間に長蛇の列ができる。

 

「あのー、すいません」

 

 ルカは列の最後尾に並んでいた年配の男性に声をかけた。

 

「なんじゃ、お前さん。ど、どうしたんじゃその顔」

「あ、いえ、これは別に大したことはなくて。そんなことより一体皆さん何に並んでいるのかと」

「ケガは大事じゃろうが!」

 

 おじいさんはルカを怒鳴りつけた。

 

「ケガといえば先日ワシの家内がだな、右足を捻挫しながらも押しずもう大会で優勝したんじゃよ」

「そんなアクティブなばあちゃんの話なんてどうでもいいですから。この列が一体何……」

 

 おじいさんをいなすようにルカが喋り始めたが年をくったこの男性は遮るように喋りだす。

 

「うちの家内がばあさんだって!? ふざけるんじゃないよ!」

「いや、あの……」

「家内はまだワシの3つ上だぞ」

 

 そう言って老人は高らかに笑った。その何とも言えない世界観にルカはたじたじであった。

 

「は、はは……」

  もう笑うしかない。

 

 (くそぅ……こんな時にツッコめる奴がいれば……!)と、ルカは悔しさに奥歯を噛み締め、一人で来たことを少し後悔するのであった。

 

 

 

♦♦♦ 

 

 

 

「へっくちゅん!」

 

 セラの大きなくしゃみが湖のほとりに響き渡る。数秒後に遠くで鳥の羽ばたく音が聞こえた。

 

「随分と大きなくしゃみだな。風邪でも引いたか?」

 

 精霊がそう尋ねるとセラは神妙な顔で答えた。

 

「いや、なんかこう、誰かに頼られた気がして……」

 

 セラは辺りをキョロキョロ見回すが、当然誰の姿もなくただ草木が揺れているだけだった。

 

「ほぅ。少し気を感じられるようになってきたのかもな」

「本当に!?」

 

 精霊のその言葉にセラの表情は一気に明るくなった。

「嘘だ」

「えぇ……」

 

 そして表情は一気に暗くなった。

 それを見て精霊はくすくす笑う。

 

「さあ、続きだ続き。頭の中に点をイメージしてそこに意識を集中させるのだ」

「ううぅ……」

 

 技の習得にはまだまだ時間が掛かりそうであった。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「情報屋?」

 

 街の広場の列の中、ルカは老人にそう聞き返した。

 

「そうじゃよロペ君」

「ルカです」

「この娘さんは各地を転々と移動しそこで得た情報を売っているんじゃ」

「へぇー。すごいですね。ちなみにおじいさんは何を聞きに?」

「そりゃあおめえ、あの娘さんのことに決まっておろうが」

「はあ」

「まずは彼氏はいるのかじゃろ、次にスリーサイズはで、そして身長体重年齢はいくつなのかを……むふふ」

「セクハラですよそれ」

「男はこうであるべきなんじゃよルーペ君」

「ルカです」

 

 ルカと老人がこんなしょうもない会話をしていると、だんだんと前に並ぶ人の数が減ってきていた。情報を聞き終えた人の顔をみると満足感に満ちていた。

 

「うほぉ、そろそろじゃ……」

 

 順番が近づくに連れて老人の表情は明るくなっていく。まるで好きなモノを買ってもらえる子供のようだ。

 

「ほら落ち着いて落ち着いて」

 

 はしゃぐおじいさんの背中をルカがさする。

 そうこうしているうちにも順番は回っていく。

 

「では次の方ー、どうぞ」

「はいっ!」

 

 ついに少女からお呼びがかかった。

 老人は机越しに少女と向かい合った。天真爛漫そうな顔つきで屈託のない笑顔を浮かべている。

 老人は机の上に置かれた箱にお金を入れて椅子に座った。

 

「今日はどういった情報を探しに?」

 

 少女にそう聞かれた老人は興奮のせいか息が荒くなっていた。そんな状態で彼は答えた。

 

「ハァ、ハァ、今……何色のおパンツ穿いてるの……?」

 

 極めて非常に変態性の高いその一言で少女の笑顔が引きつった。サーッと顔が青ざめていく。

 

「あ……えと……その……」

「ねぇ白なの? 白なんじゃろ? 白だよね!?」

 

 狼狽える無垢な少女におじいさんはグイグイと迫る。少女は今にも泣き出しそうである。

 ルカは見るに見兼ねて変態おじいさんを椅子から引きずり下ろした。

 

「こら! 女の子が困っちゃってるでしょ! めっ!」

 

 ルカは見るに見兼ねて変態おじいさんを椅子から引きずり下ろした。

 

「でも、だって……!」

 

 変態は激しく抵抗する。あまりに激しすぎて死んでしまうのではと感じる程だ。ルカも地面に押さえつけるのがやっとの状態である。

 

「だってじゃない!」

 

 ルカは老人の頬をピシャリと叩いた。

 その音で辺りはしんと静まり返る。

 

「いいか? 好きな女ができた、結構! その人と話がしたい、大いに結構! だがなぁ……」

 

 ルカは立ち上がり、大きな声で叫んだ。

 

「女を泣かす奴は男である資格なしだ! さっさと立ち去れ!」

 

 ルカに檄を飛ばされた老人は泣きべそかきながらに何処かへ走っていった。

 その光景を見た後列の中からちらほらと拍手が沸き起こった。拍手が拍手を呼び、盛大な拍手がルカに送られた。

 

「あ、あの……。ありがとうございます……!」

 

 少女は澄んだその目に涙を浮かべながらお礼の言葉を述べた。

 

「いえいえ、貴方のその素敵な笑顔をずっと見ていたかっただけですので」

「へ?」

 

 いきなり飛び出してきたキザなセリフに少女はきょとんとする。

 ルカは椅子にドカッと座りちょうど先程の老人のように身を乗り出した。

 

「ねぇ君、名前は?」

「え……あの……?」

「この街の娘? ほぉら、ね、固くならないで。子猫ちゃん」

 

 ルカは少女の瞳を覗き込むように顔をグイッと近づけた。

 拒絶するように少女は顔を遠ざける。

 

「ちょ……!」

「それではお茶なんてどうでしょう?」

 

 一杯だけ、ね? 一杯だけだから。とルカは得意のウインクをして少女を誘惑した。

 

「いや、これナンパじゃねーですか!!」

 

 少女は今日一番の大声で叫んだ。



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「男にゃ興味ないっすから」

「何なんですあなた! 冷やかしなら帰ってください!」

 

 声を荒げた少女はルカに向かってそう言った。

 

「冗談ですよ冗談。本当は仕事の話をしに来たのです」

 

 ははは、と爽やかに笑いながら話すルカ。少女から見るととんでもなく怪しい男だ。限りなく黒に近いチャコールグレーだ。

 

「……本当です?」

 

 そう少女は訊ねられずにはいられなかった。顔面ボコボコ爽やか笑顔の青年は表情を崩さずに頷く。

 

「紳士、人、騙さない」

「は、はぁ……。じゃあその内容はなんです?」

 

 しぶしぶといった感じで少女はルカに聞いた。

 ルカはひとつ咳払いをして喋り出した。

 

「事は一刻を争います……。近いうちに魔物たちが人間を襲って来るとのことなんです」

「え……えぇっ!?」

 

 ルカの口から飛び出した予想外の言葉に少女は驚いた。

「なんでまたそんな事を……」

「魔物が……私を襲った魔物がそんな事を言っていたのです……」

「魔物に襲われたんですか!?」

「えぇ、先程……」

 

 少女はルカの膨れ上がった顔を見て納得する。

 ルカは少女の表情を確認すると更に言葉を重ねた。

 

「そして貴女には魔物が攻めてくると言う事を噂程度でいいので各地に広めて皆の警戒心を上げてほしいのです……!」

 

 先程とは打って変わってルカの真剣な表情に少女は深く頷いた。

 

「わかりました! アタシに任せてください!」

「あぁ……助かります! ありがとうございます!」

「そんなとんでもない。こんな一大事ですから!」

 

 少女はルカの頼みを快く承諾した。

 

「僕の方でも詳しい事を調べていくので、また何かあったら連絡したいんですけれど、名前やこの先の予定を聞いても大丈夫ですか?」

「はい! 今紙に書きますね!」

 

 またもや少女は快諾し、ペンを走らせルカに名前とこの先行く予定の街々の名前を書いた紙を渡した。

 

「……ランさんですか。いい名前ですね」

「は、はあ。ありがとうございます」

「僕はルカです。どうぞよろしくお願いします」

 

 そう言ってルカはランの前に手を出した。ランはなんの躊躇いもなくそれを握り返した。実に純粋な娘だ。

 

「はい! こちらこそよろしくです! 一緒に人類を守りましょう!」

 

 ルカはにこやかに微笑んだ。

 

「あっ、そうだ。あと一つだけ質問いいですか?」

 

 思い出したかのようにルカが言った。

 

「はい、なんですか?」

「今何色のおパンツ穿いてるんですか?」

 

 その質問によって、ルカは新たにもう一つたんこぶを作ることとなった。

 

 

♦♦♦

 

 

 湖のほとりでは精霊によるセラの気の扱い方の練習が続いていた。

 

「まずは意識を一点に集中させるのだ」

 

 セラは精霊に言われるがまま、意識を集中させた。

 

「そしてその意識を外へ向けるのだ。集中させたままだぞ」

 

 セラは内側に集中させた点をそのまま外へ移動させるイメージをなんとか作ろうとする。

 この感覚がどうにも掴めないでいた。

 

「ぐぐぐ……」

「気の流れと言う概念を身体で理解するんだ。そのイメージをもて」

 

 ゼロからのスタートというものは予想以上に大変なものである。頭で理解したつもりになっていても身体がその感覚がわからなければどうしようもないのだ。

 

「気の流れ……気の流れ……」

 

 と、不意にセラは周りの音がすーっと遠くから聞こえるような感覚に陥った。

 肌に触れる空気がひしひしと伝わり、今までとは違うものであるかのように感じる。

 

「来た! 今一瞬だったけどなんか違った!」

 

 気を感じられたのは僅かな時間だったがセラは大きな声で喜んだ。

 まるでそれを祝福するかのように湖のほとりに柔らかな風が吹き抜けていった。

 

「ねぇ! 来た! 来た来た!! ねぇ! 来た!!」

 

 かなりの時間を使ったこともあって彼女の興奮は中々冷めやらない。

 

「その感覚を感知できたということは変身まであと少しだな」

「本当に!? 案外行程ははやいわね」

「ゼロから一の感覚を自分の力だけで掴むことが一番重要だからな」

「それには苦労したわ……」

「次はその感覚の強化なんだが、ここは我に任せてみろ」

 

 そう言うと精霊の姿は揺らぎ、元の青白く揺れる玉の姿になった。

 

「な、なにするの?」

「……少しの間だけ我慢しておけ」

 

 そして精霊はピザの生地のように薄く大きく広がっていき、すっぽりとセラを包み込んでしまった。

 

「え!?」

 

 するとその驚き開かれたセラの口をめがけて精霊は飛び込んできた。

 

「!?」

 

 鼻や耳など、穴という穴全てから次々と精霊が入り込んでくる。

 上から下から、色々な場所から様々な感覚が大いに刺激される。それにより、セラの身体は大きく、ゆったりとした痙攣を起こした。

 

「……がっ……んっ……ゴッ……」

 

 気がつくと精霊は既にセラの体の中に入っていた。それは一瞬であったのだが、セラにとっては数十秒の出来事のように感じられた。

 呼吸が大きく乱れている。

 

「な、何をしたの?」

 

 いつの間にか座り込んでいたようである。セラは体毛に覆われたその猛禽類のような足腰に力を入れて立上がりながらそう言った。

 

(気の流れの感覚強化のために、お前の身体に入ったのだ)

 

 セラの頭の中に精霊の声が響く。

 

「そう……。なんか、あたしの中に入るのにもうちょっと別の楽な方法とか無かったわけ?」

(あったぞ)

「あったの!? じゃあなんでわざわざきつい方にしたのよ!」

(そっちの方がみんな喜ぶかな、って思って)

「誰が!?」

 

 頭の中の声と言い争うセラの姿は、はたから見ると近寄りがたい変人である。

 

(まあそんなことより、感じないか?)

「感じてなんかないわよ!」

(違う、そうじゃない。わからないか?)

「はぁ? 何がわかるかって……」

 

 そこまで言って、セラは口をつぐんだ。

 気がついたのだ、自分の中を流れ抜けていく大量の気に。

 

「うわぁ! すごい! 感じるわ!!」

 

 それは先程セラが頑張って感じられた気の何百倍も強く感じられる。

 

(ふふ、そうだろう? それではこの調子で次のステップへと行こうか)

「そうね!」

 

 セラの特訓はまだまだ続くのだった。

 

 

♦♦♦

 

 

「ありがとうございましたー」

 

 本日何本目かわからない団子を食べ終わったルカは食事処の外へ出た。昼間の明るさが傾き始め、時折ひんやりした風が吹き込んでくる。

 ルカはそんな新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 

「よし……!」

 

 決意に満ちた顔でそう吐き出すと、ルカは再び街の中心部へ歩きだして行った。

 中心部へ続く道は相変わらず寂しいものであった。人影は少なく、そびえるようにぴったりとくっついて建つ家々があるのみである。

 そんな染みったれた道を数分歩くと広場となっている中心部へ着いた。

 そこそこな人数が行き来しかうその広場には、稼ぎを確認するランの姿もあった。

 ルカは少女の所へと駆け寄っていった。

 

「ランさーん」

 

 その声にランは反応して顔を上げた。

 

「あぁ、先ほどの! どうしたんですか? 何か新しい情報でも?」

 

 ランは軽く拳を握り、いつでもパンチを繰り出せるような体制で訊ねる。

 

「いや、違うんですけど。も一つ頼みたいことがあって……」

 

 ランの拳に入れる力がにわかに強くなった。

 

「……なんです?」

「いやぁ、僕、この後アロガントっていう国のリユニオンっていう街に行こうとしていたんですよ」

「えぇと、リユニオン……。確かコロシアムがある街です?」

「そうですそうです、そうなんですが、実は魔物に襲われた際にお金を奪われてしまったみたいなんですよ」

「はぁ」

「それで、そのー、あなたが乗る馬車にですねー、連れて行ってもらえないかなぁ? と思いまして〜」

「はぁ……随分と身勝手なお願いですね……」

 

 ランはそう苦笑した。

 

「んー、そういうことはアタシからは何とも言えないんで、アタシらの旅団長に聞いてみてください」

「その方は今どこに?」

「旅団長ならそこの出店で呑んでやがりますよ。帽子被ってるんで行けばわかると思います」

 

 ランは広場にポツポツと存在する出店の一つを指差した。

 

「まあ、あの旅団長がokを出すとは思いませんけどね」

「はぁ。ところでその方は女の人ですか?」

 

 ルカは更に質問を重ねる。

 

「いや、男の人ですよ」

「チッ……はぁ……そっすか。情報どーもっす。はあぁぁ……男かぁ……」

「露骨にテンション下げてくるんですね……」

 

 途端に元気をなくしたルカにランは再び苦笑いを浮かべた。

 

「男にゃ興味ないっすから」

 

 ルカはそう返して、大きなため息をつきながら出店へふらふらと歩いていった。

 

 そんな背中を見てランは言葉を漏らす。

 

「ほんっと変な人……」

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「旅団長中々戻ってこないッスね」

 

 馬車の中でくつろぐランに同じ旅団員の女がそう話しかけてきた。

 

「そうね……」

「あの人呑むからなぁ。面倒臭そうな人に絡まれてなきゃいいけど」

 

 別の団員が声を上げる。

 その言葉にランはルカを思い浮かべる。よく考えるとスッゲェ面倒臭い奴を旅団長の元へ送り込んでしまったではないか。

 どうか面倒くさい事になっていませんように、とランは心から願った。

 

「あっ、団長帰ってきた!」

 

 団員の一人が声を上げる。

 

「な、なんか知らない人と肩組んでるっス!」

 

 ――まさか……。

 

 ランの体に悪寒が走る。

 

 窓から体を乗り出し外を見た。

 そこに広がっていた光景は……。

 

「だんちょーのせてくれるなんてほーんとこころひっろいねぇ〜!」

「なーっはっは! だろぉ!? まあルカ君、行き先は君の好きなよ〜にしてい〜から!」

「ひゅ〜っ! だんちょーカッコいー! 抱いて!」

「なーっはっはっは!」

「いえーい!」

 

 酔っ払った男性二人組が互いに肩を組み合い上機嫌で歩く姿であった。



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「神よ、僕に、紳士に自由を!」

 冷たい夜風が地表を舐めるように通り過ぎていく。

 

「えー、紹介しよう。彼はこの度我々とともに行動する事となったルカ君だ」

 

 団長は馬車の横に団員を集めてそう宣言した。強面の顔はお酒のせいかニヤけた表情になっている。

 団員たちはわけがわからず、皆呆気にとられた。

 一つ咳払いをするとルカは固まる団員に向かって挨拶を繰り出した。

 

「あー、どうもどうも。えーとね、うん、みんな僕の隣に来たい余りに争ってケンカしないように仲良くね?」

 

 そう言ってルカはウインクをしてみせた。もちろん皆は無反応である。

 

「……だ、そうだ。それじゃあみんな仲良くな」

「ちょっ! 団長! 本気なんですか!?」

 

 話を締めようとした旅団長に団員であるランは食いかかった。

 

「なんでいきなりこんな人を旅に連れて行くんです!?」

 

 ランのその言葉に団員たちは頷く。ルカという未知の介入を快く思っていないようだ。それもそうだろう。突然見ず知らずの男性と行動をともにしろと言われて喜ぶ者はいないだろう。

 

「もちろん俺は本気だぞ」自信有りげに団長はそう言ってルカの肩に手を置いた。「彼からは非凡なものを感じるんだ。そう、君達のように」

「イェーイ、ピースピース」

 

 無駄にVサインをつき出すことによってルカは団員の苛立ちを順調に積み重ねていく。

 

「周知の通りに君達は俺が可能性を感じたからこうして団員として迎え入れているんだ。それと同じことだろう」

「そうですけど、あんまりいきなりすぎると言いますか……」

「ハハハ、心配するな! 君達もルカ君とならすぐに打ち解けられるだろう!」

「えぇ……」

「さあ、そろそろ出発だから、乗って乗って」

 

 何を言っても耳を貸さないとわかったのか、団員たちはしぶしぶ馬車の中に乗りこんだ。

 ルカも彼らの後を追って馬車の中に入る。

 屋根付きの立派な馬車は高さ約三メートル、全長四メートルほどの大きさを誇り、馬車内の半分は向かい合わせの椅子に、もう半分には食べ物から金品といった商業用の荷物が積まれていた。

 団員は――ルカを合わせると男二人女二人の合わせて四人だ。ルカの隣にはルカよりも少し年上の男が座った。

 

「チッ……野郎かよ……」

 

 ルカはあからさまに嫌な顔をした。たまげるほどの態度のデカさである。

 

「おいおい、聞こえてるよ」

 

 優しそうな顔つきに爽やかな笑顔を浮かべたその男はルカに右手を差し出した。きょとんとした瞳でルカは男を見た。

 

「あの団長がああ言っているんだ、少しは君のことを信頼してみるよ。ボクの名前はギルティさ、よろしくね」

 

 なめらかに歌うようにギルティは挨拶をした。

 

「ん」

 

 その握手のために差し出された右手に対してルカは自分の左手を差し出した。これではどちらかが差し出す手を変えなければ握手することは不可能だ。なんて自己中な男だ。

 ギルティは怒りに震えながらも右手を引っ込めて左手を差し出した。そして半ば強引にルカの手を取り握手をした。

 

「よろしくね……っ!」

 

 目にも握る手にも力を入れてギルティは言葉を絞り出す。

 

「あ、はい」

 

 しかしルカは興味なさげにギルティを一瞥すると手を引っ込め、服の裾で素早く手を拭いた。そして長いため息を漏らした。

 

 ――ため息つきたいのはこっちの方だよ! 

 

 その叫び声は今すぐ掴みかかってやりたい気持ちと共にギルティの心の中に閉じ込められた。場所が場所だ。それにいつまでかはわからないか共に行動するのだ。自分が我慢するだけで険悪な雰囲気になることを防げるのならばそれでいいじゃないか。ギルティはそう自分に言い聞かせて緩やかにウェーブのかかった長い髪を手でかきあげた。

 

 軋む木の音を響かせて馬車がゆっくりと動き出した。荒い地面の感触が伝わる馬車の中、ルカは声を上げた。

 

「そこの可憐なお嬢さんは……名前、なんていうのかな?」

 

 それは先ほどのギルティに対する態度とは天地がひっくり返ったかのような違いである。

 話しかけられた少女は長く垂らした茶色い髪に表情を隠し口を閉ざしている。

 

「さあ、遠慮することは何もないんだよ?」

 

 ルカが甘く優しい声を出すが彼女は依然として口を開かない。そこに助け舟を出すかのようにギルティが口を開いた。

 

「彼女の名前はルキさ。僕らの中では一番新しく入った新人だよ」

 

 ギルティは僕ら、という言葉を強調した。ささやかな抵抗だ。そんな言葉にルキは口を尖らせた。

 

「もう一年以上いるんスから新人じゃないッス」

「ハハッ、そうだったね。ごめんよ」

 

 爽やかな笑みを浮かべながらギルティはルカの方にちらりと目をやった。

 ルカは睨んでいた。まるで獲物を横取りされたことに腹を立てる肉食獣かのような鋭い目つきでギルティの方を睨んでいたのだ。

 と、不意にルカは睨むのをやめて再度ルキに話しかけた。

 

「ねぇ、ルキちゃん、今歳はいくつなの?」

「…………」

 

 今度もルキの口はつぐまれたままである。するとギルティが再び口を挟んだ。

 

「そうそう、この前団長が、ルキ君は若いのによく働いてくれるって褒めてたよ」

「それホントッスか?」

 

 ルキのテンションがぐーんと上がった。

 

「ああ、もちろん本当さ」

「へ~……へへっ」

 

 ルキは嬉しそうに人懐っこい笑顔を浮かべた。団長に褒められたということが相当嬉しかったようだ。

 

「あ、でも早く馬には慣れて欲しいなって笑っていたよ」

「そっ、それは仕方ないんスよ! アタシが撫でようとすると馬の方がなんでか怒っちゃうんスよ!」

「ハハハ、何か恨まれることでもしたんじゃないのかい?」

「そんなことしてないスよ〜!」

 

 ギルティはルキとの会話に花を咲かせ、笑みを浮かべた。横目でルカに一瞥をくれてやる。

 ルカはものすごい形相でギルティのことを睨んでいた。限界まで見開かれた目はそれだけで人を殺せてしまうんではないかと感じる程だ。

 ギルティはこのささやかな優越感に浸り、ほくそ笑んだ。

 

 

♦♦♦

 

 

「ん……」

 

 ルカは目を開けた。明るい光が差し込む馬車の中だ。どうやらいつの間にか寝ていたらしい。

 馬車内に人影はなく外から声が聞こえてくる。

 ルカはのっそりと動き出し、馬車の外に出た。座って寝たせいか腰の骨がポキポキと鳴る。ルカは大きな伸びをしながら周りを確認した。

 木々がポツポツと生えていて目の前には流れの緩やかな大きい川が通っていた。

 

「おう、ルカ君」

 

 突然ルカを呼ぶ声が聞こえた。旅団長だ。馬の隣に立って毛づくろいをしている。奥にはギルティの姿もある。

 

「よく眠れたか?」

「ええ、おかげで」

「そいつは良かった」

 

 団長は大きな口を曲げニンマリと笑った。

 

「ところで、ここで一体何をするんですか?」

 

 ルカは辺りを見回りしながら尋ねた。民家などはなく、とても商売をするところのようには見えない。

 

「ああ、ここで一旦水浴びをしてから街に行くんだ。そっちの方が印象がいいだろう」

「なるほど確かにそうですね。じゃあ早速」

 

 そう言ってルカは川に向かって歩きだした。

 

「ああっ! 待って待って!」

 

 そんなルカを慌ててギルティがとめる。

 

「男女で時間をわけて入るんだよ! それで今は下流で女の子が入ってるからここで待っていてくれ!」

 

 ルカは一瞬だけ振り返ってギルティを見ると、全速力で走り出した。

 

「おい!」

 

 慌ててギルティが後を追いかける。流石にそうやすやすと行かせるわけには行かない。

 長い手足を活かしてなんとか川の手前でルカを捕まえることに成功した。

 

「ヤメロォ! 離せぇ! うおおおぉっ!」

「離すもんか!」

「神よ、僕に、紳士に自由を!」

「暴れるなって!」

 

 ルカは激しくもがき、やがてギルティの脇をすりぬけ川に飛び込んだ。

 

「ヒャッハー! 自由を勝ち取るんだぁ!」

「くそっ!」

 

 ギルティの視界から逃れようとしたのかルカは川底に潜り込んだ。だが上からはルカの服がまる見えだ。それは川の流れに乗ってぐんぐんと下流へ進んで行く。

 

「させるかよ……っ!」

 

 ギルティはすぐさま並走するように岸を走り出した。ぐんぐんと速度を上げて川の中に見える服を追い抜いた。

 

 ――スピードはこっちのほうが上だ!

 

 ギルティは数メートルの差をつけて川に飛び込んだ。そして手を伸ばして流れてくるルカの服をつかんだ。

 

「つかまえたぞ!」

 

 ギルティは意気揚々とその腕を引っ張り上げた。

 が。

 

「あ、あれ!?」

 

 そこにルカの姿はなく、あるのはただ単にルカの服だけであった。川に飛び込んだ隙に服を脱いでそれだけを流したというのか。

 愕然とするギルティは背中に鋭い視線を感じて振り返った。

 そこには優雅に水浴びを楽しんでいた二人が真顔でこちらを見ていた。

 

「あっ、いやこれには訳があって……!!」

 

 ギルティは必死に弁解しようと試みるが二人の表情は変わらない。

 するどランは無表情のまま、川底の巨大な石を引っぺがして軽々と持ち上げた。彼女の華奢な肢体のどこからこんなパワーが湧き出しているというのか。

 

「違うんだ! 本当に! ねぇ! 聞いて僕の言葉に耳を貸してぇ!!」

 

 ギルティの制止も彼女の耳を通り抜けていく。

 

「ウォォォオオラァァアッ!!!」

 

 ランはその巨大な石をギルティめがけてぶん投げた。

 

「うぎやぁぁぁぁぁああっ!!」

 

 悲惨なギルティの悲鳴が辺りにこだまする。その様子をルカは団長の隣で遠巻きに見ていた。

 

「どうだい? あいつら」

 

 団長がおもむろに口を開いた。

 

「そうですね。集団に対する配慮と自己犠牲が凄いですね。普通だったらもう何発も殴りかかってくるレベルですよ」

「ハハハハ、そうだな」

「まあ、あなたにぴったりの仲間じゃないですか?」

「フッ……君にとっても、だろう?」

 

 男二人は互いに顔を見合わせると、高らかに笑い出した。




まあ、まだ意味がわからないと思うんで、適当に。


つぎ→遅い


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「なるほど、僕の美しさが罪ってわけですね」

 

「はぁ〜! スッキリしましたねぇ」

 

 川で洗濯され、しっかりと乾かされた服に袖を通したルカがしみじみともらす。

 この地域は乾燥気味な気候なので汗がすぐに蒸発してしまい不快に感じることが少なく、人々は普段からそう頻繁に水浴びなどを行わない。だが体を洗うという行為はやはり心地がいいものだ。

 

 ルカは大きな伸びをした。体が幾分か軽くなった気がする。

 

「もうしばらく休んでから進もうか」

 

 旅団長は団員たちに向かってそう言うと荷台から大量の干し草を取り出し二頭の馬にあげ始めた。

 

 団長が馬に近づくと二頭は首を伸ばし顔をすり寄せ彼の首筋を甘噛みする。相当懐かれているようだ。団長が手に持った干し草を地面に置くと、二頭はむさぼるように食べ始めた。

 

 そんな馬たちの背後からそろそろと忍ぶように近寄る人影があった。ルキだ。その手には少量の干し草が握られており、馬とどうにかしてコミニケーションを図ろうとしていることが見て取れた。

 

 しかし馬に怯えているのか、一メートル程の距離を残したままルキの足は止まってしまった。

 

 そんなルキを見てルカは何を思ったのか、気配を消し、音もなく彼女の背後に忍び寄った。ルキの意識は完全に馬の挙動に集中しており、ルカに気づく気配は微塵もない。

 

 そしてルカはルキの耳に優しく息を吹きかけた。

 

「はわあああっ!?」

 

 彼女の身体が震え上がったかと思うと、驚いた声を上げながら横に飛び退いた。そして彼女の声に驚いた馬がこちらを向いたことに驚き、「ひぃぃぃぃい!」と悲鳴をあげながら更に後ろに飛び退いた。

 

「ななななにするんスか!」

 

 驚きと怒りに満ちたこえをルキがあげる。

 

「後ろからいきなり来られるとびっくりしますよね」

「当たり前ッス! 何なんスか一体!」

「いやー、馬も一緒なんじゃないかな〜って思いましてね」

「え……?」

「まあつまり、そういうことですよ」

 

 そう言ってルカは笑う。

 

「この馬たちの名前、なんて言うんですか?」

「あ、ええと、奥がアシゲで手前がクリゲっス」

「名前は結構安直なんですね」

 

 ルカはそう笑いながら手前の茶色い毛色をした馬に近づいた。

 

「ほーら、クリゲ、こっち向いて〜」

 

 馬の左後ろからルカが声をかけると、クリゲはルカの方へ顔を向けた。ルカはそのまま数秒間見つめる。するとクリゲの耳が同じようにルカの方を向いた。

 

「よーし、いい子だ」

 

 ルカは落ちていた干し草を拾うとクリゲの口元へ差し出した。クリゲはそれを素直に口にした。

 

「んー、美味しいか?」

 

 声をかけながらルカは馬の首元に近づきやわらかく叩いてやる。クリゲは嫌がる素振りを見せずに干し草を食べていた。

 

 そんな様子をルキは口をあんぐりと開けて見ていた。自分にはなかなか懐かない馬をほぼ初対面のルカが簡単に手懐けたのだ。驚くのもおかしくはないだろう。

 

「な、なんでそんなすんなり行くんスか!?」

「んー、そうですね」

 

 彼女の問にルカは考える。

 

「馬は人のことをよく見ているんですよ。おそるおそる近づかれたら返って不安にもなりますしね」

「じ、じゃあどうすれば……?」

「知りたい?」

 

 もったいぶるようにルカは訊く。

 

「もちろんッス!」

「……なんで?」

「えぇ!? なんでってなんスか!?」

 

 予想だにしない質問にルキは面食らったが、頰をぽりぽりとかくと恥ずかしそうに答えた。

 

「まあ、その……いつまでも馬が扱えないんじゃあ皆さんに迷惑かかるじゃないッスか。だからコレを克服したいんス……」

「ふーん」

「ふーんってなんスか!?」

「いや、別に……」

「はぁ……」

 

 ルキはつくづく掴み所のわからない男だなぁと感じた。だが、別に悪い人では無さそうだ。

 

「そんなことより、馬の扱い方のポイントは何なんスか?」

「馬に敵意を与えないことですよ」

 

 ルカはきっぱりと答えた。

 

「ど、どうやって……」

「近づくときは正面から行くことにたくさん声をかけることと馬の表情をよく見ること、それから馬に怯えないことなんかですかね」

 

 その答えを聞いてルキは少し狼狽えた。

 

「まあ、とりあえず練習しましょうか」

「はい!」

 

 こうしてルカによるルキのための馬の手なづけ方講座が始まったのであった。

 

 

♦♦♦

 

 

 

「さっきはひどい目にあったなぁ……」

 

 ギルティは傷ついた自分の体を自分で手当しながら呟いた。

 ルカに騙されるような形でランとルキが水浴びしている中に飛び込みボッコボコにされたのだ。神に一体自分がどんな悪い事をしたというのかと問いただしたくなるような運の悪さだ。

 

「いてて」

 

 傷口に冷たい水が染みる。

 

「あぁ、神様……僕が一体何をしたっていうんですか……!」

 

 ギルティは思わずそうもらした。まさに言ったとおりだ。

 

「はぁ……まだ怒ってるかな〜」

 

 ギルティは頭を抱えた。

 

 いくら気まずいとは言えいつまでもこんなところでうなだれているわけにもいかない。皆に迷惑かけない為にももう一度しっかりと謝らなくては。僕が悪いわけではないし。ていうかなんで僕がこんな目に合わなきゃならないんだ?

 

 ギルティはため息をつくと意を決して馬車の方へ歩きだした。

 

 馬車の周りではなにやらルキが嬉しそうに飛び回っていた。一体何があったのだろうか。ギルティにはわからなかったが自分の姿を見て彼女が先ほどのことを思い出して急に不機嫌になってしまいそうで固めた決意が剥がれそうになる。

 

 だがそんな不安を振り払い、ギルティはさらに馬車へと歩を進めた。

 

「あっ! ギルティさん!」

 

 嬉しそうなルキの声がギルティを呼ぶ。間髪入れずにルキは続ける。

 

「聞いて聞いて! ついに馬を手懐けることが出来たんスよ!」

「え……えぇ!? 本当なのかい!?」

 

 予想外の報告にギルティが考えていた謝罪のセリフはどこかへ吹き飛んでいった。

 

「マジっスガチっスホントっス! ルカさんに教わったら出来たんス!」

「うおおお! やったね! おめでとう!」

 

 二人は一緒になってぴょんぴょんと喜びのジャンプをする。

 

 そんな様子を遠巻きに見ていた旅団長が声を出した。

 

「よし、それじゃあそろそろ進もうか!」

 

 団員達は返事をすると意気揚々と馬車に乗りこんだ。

 

 程なくして馬車は出発した。アロガントのリユニオンを目指して。

 

「馬の扱いが随分と上手いのね」

 

 珍しくランの方からルカに話しかけてきた。

 

「ええ、まあ」

「昔誰かに習ってたんです?」

「そうですね。一応一通りは」

「なんだか意外」

「男のたしなみってヤツですよ」

「はいはい」

 

 ランは軽く受け流す。

 

「にしても、あなたの方から話しかけてくれるだなんて初めてじゃないですか? 僕の魅力に気がついちゃいました?」

「ちげーますよ、ルキちゃんの気分を害さないようにしようと思ったんです」

「と、いいますと?」

「せっかく喜んでるルキちゃんの気分をあなたの余計な一言で台無しにさせないためです」

「つまり?」

「あなたがルキちゃんに余計な一言を出しやがらないようにするためです」

「なるほど、僕の美しさが罪ってわけですね」

「そんなことは言ってねーです」

「まあまあ、そんなつれないこと言わないで。目的地はまだなんですから仲良く行きましょう」

「はいはい」

 

 ランはまたもやその言葉を軽く流したのであった。

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 朝霧がうっすら霞む湖のほとり、そこでセラは力なくうずくまっていた。

 

「む? どうしたのだ?」

 

 ふよふよと漂いながら精霊は尋ねた。

 

「どうしたもこうしたもないわよ……」

 

 セラはゆっくりと顔をあげる。そして言い放った。

 

「お腹が空いたのよ!!」

「なんだ、そんなことか」

「そんなこと!? こちとら死活問題なのよ!」

 

 冷たい返しにセラは声を荒げる。空腹によって相当苛立っているのだ。

 

「あんたねぇ! あたしがどれくらいの間何も食べれてないと思ってるのよ!」

「一日と二十時間だろ?」

「当てちゃったよ……」

 

 セラの気持ちを代弁するかのように悲しげなお腹の音が響く。

 

「あー、無理。無理よもう無理」

 

 セラは仰向けに転がった。眩しい太陽がのぞき込んでくる。

 

「なんか……あの雲美味しそう……ヘヘ……」

 

 そんなことを呟いてセラは目線を精霊に移した。物欲しげな目でじーっと見つめる。

 

「やめろ。見てても何にも出んぞ」

「じゃあ一体どうやってこの空腹をしのげばいいっていうのよ……」

「知らんわ。荷物とか持ってないのか」

「荷物……?」

 

 セラの脳裏にルカが背負っていた大きめのカバンがちらりと浮かぶ。

 

「それだわ!」

 

 早速セラはルカのかばんの元へと走る。急いで開き、食料を求めて中身をまさぐりまくった。

 だが、出てくるのは衣類ばかりでお目当ての食べ物は見つからない。

 

「無いじゃない……」

 

 セラはがっくりと肩を落としその場に崩れ落ちた。

 そんなセラを見て精霊が一言。

 

「食べ物も無ければ希望も無いな」

「上手いこと言ってないで旨いもんでも出しなさいよ……」

「無いもんは無い」

 

 きっぱりと言い切る精霊。地面に突っ伏したまま深いため息をつくセラ。静まり返る湖のほとりには弱々しい腹の虫の声が響くばかりであった。

 

 

 

♦♦♦

 

「いやあ、暖まる……」

 

 何事もなく国境を越え、リユニオンに到着したルカたちは大衆料理店で熱々のお粥を頬張っていた。

 

 お粥、と言っても具は穀物だけではなく、塩漬けされた肉やキャベツ、カブ、玉ねぎなどが一緒に煮込まれている。その横にはパンが添えられていて、お粥に浸すも付けるも自由となっている。

 食事を済ませ、お腹を満たした団員たちは停めておいた馬車の元へ向かった。

 

 広大で道もしっかりと整備されたこの街は活気に満ち溢れており、流石は城下町と言ったところだ。大勢の人とたくさんの物が行き交っている。

 そしてこの街の中で一際目立っているのは何と言っても街の中央部にずしりと構える巨大なコロシアムだろう。

 そこでは剣闘士たちによる試合や罪人の処刑、はたまた魔物を一方的に虐げるショーなど、市民たちのための娯楽施設としてさまざまなイベントが催されている。

 

 団員たちは馬車にたどり着くと荷台を開けて荷物をおろし、商売の準備をし始めた。

 その傍らでは机と椅子を用意したランが声を張り上げ、情報屋の仕事を始めていた。

 

 ルカはというと、人混みに流されるように街の中をウロウロとしていた。八百屋、道具屋など市民向けの店から、武器・防具屋、鍛冶屋など、戦士や冒険者向けの店などが軒を連ねている。

 

 そんな活気あふれる街中を歩いていると一段と人だかりの出来ている所を見つけた。一体何の行列だろうか。ルカは人だかりの向こうに目を凝らしたがよく見えなかった。

 

「すいません。これは一体なんの行列なんですか?」

 

 ルカは行列を整理する係員に尋ねた。

 

「ええ? ああ、冒険者さんですか」

 

 係員はルカを一瞥するとそう判断した。腰に剣をぶら下げているので当然といえば当然だ。

 

「ここはですね、ここリユニオンの名物コロシアムの観戦チケット販売所ですよ」

 

 係員はまるで流れる川の水のようにスラスラと答えた。この手の質問には慣れているのだろう。

 

「へぇー」

 

 ルカが適当な返事をすると係員は聞いてもいないのにペラペラと喋りだした。

 

「いやあ、良い時期に来ましたね。今日やる罪人対マモノもなかなか人気なショーなんですが、二日後には一番の人気を誇るマモノの調教があるんですよ」

「はぁー」

「先程お客さんから聞いたんですけどなんだか近頃マモノの軍勢が攻めてくるらしいですけど、そいつらと調教したマモノを戦わせたら面白いと思いません?」

 

 係員はそう言って笑った。すると他の係員からの怒号が飛んできた。

 

「おい最後尾! サボってんじゃねぇよ!」

「す、すいません!」

 

 慌てて謝ると係員はルカの方を向き直した。

 

「まあ、興味があれば是非よろしくお願いします!」

 

 そう言って行列の整理へと戻っていった。

 

 ルカがランに流させ始めた情報が噂となって人から人へと伝わっていき、すでに大きな広がりを見せているようだった。

 情報に飢えた人々の間では噂というものは恐ろしいほどの速さで広がっていく。この噂が世界中に広まるのも時間の問題だろう。

 ルカが馬車に戻る間で、幾人かの商人がルカにその話をしてきた。その内容は、魔物が攻めてくるからこの武器が重宝されるだの、食材の蓄えを作らなければならないよだのと、すぐに商売に利用されていた。

 

 ルカが馬車に戻ると、旅団員たちは今日の売上の確認をしているところだった。

 衣類や地方の特産品なんかはよく売れたが、どこにでも売っているような野菜なんかはあまり売れなかったという。そういったことを踏まえてつぎの仕入れ品を決めている、と旅団長はルカに話してくれた。

 

 ランの方は売上は良かったがいいネタが入らなかったと頬をふくらませていた。ルカにとってはどうでも良かったのだが、女の子に話しかけられた以上無下にすることはできなかった。紳士だ。

 

 その後一行は夕食をとって馬車の中で眠りについたのだった。

 

 

♦♦♦

 

 

 ルカは早朝に目を覚ますと、忍び足で馬車の外へ出た。ひんやりとした空気がルカの顔を舐める。寝静まった街の中をルカは黙々と歩いていった。

 しばらく歩き続けてリユニオンの外へ出た。ルカはそれから更に歩き続け、開けた平原に出るとそこに腰を下ろした。

 

 一体何をしようというのだろうか。

 

 その状態のまま数十分が過ぎたその時。

 バサバサという羽音とともになにかがルカの後ろへ降り立った。

 

 するとルカは振り返って叫んだ。

 

「姐さん!」

 

「誰が姐さんじゃ」

 

 ルカの呼び声にそのなにか――クイーンハーピーは素っ気なく答えた。

 

 



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「是非!」

 大きく羽を広げながら降り立ったクイーンハーピーの元にルカが駆け寄る。

 

「いやぁ、いつ見てもお美しいですね姐さんは」

「姐さんじゃないって言っておるだろうが。ついばむぞ?」

「是非!」

「アホめ……」

 

 クイーンハーピーはどうしようもないアホに呆れてため息をついた。

 

「そんなことよりももうそっちの方にも噂は広まっていたんですか?」

 

 ルカはひとつ咳払いをするとクイーンハーピーにそう尋ねた。

 その問に彼女は首を縦に振った。

 

「ああ、そうだ。ニンゲンはよっぽど根も葉もない噂話が好きなのだな」

 

 そう言って肩をすくめる。

 

「まあ、僕もこんなに早く噂が広がるとは思ってませんでしたけどね。それでも早いにこしたことはありませんよ」

「ふん、そうだな。それで、いつ出発するというのだ? 今からか?」

「いや、明日でお願いします」

「明日だと? それまでどこに居ろというのだ」

 

 女王がそう聞くとルカは北東の方角を指差した。

 

「向こうに湖のある森があるのでそちらに居てください。セッちゃんも居ますから」

「セッちゃん……?」と、ハーピーは首を傾げたがすぐさま「わかった」と首肯した。

 

「それでは、明日のこの時間にこの場所で。よろしくお願いします」

 

 ルカは深々と頭を下げた。慈愛に満ちたハーピーの長は、その大きな翼を広げて一振りすると宙に浮かんだ。

 

「ルカよ。そうかしこまることはない。我はお主に協力をしたいのだ」

 

 そう言って優しい笑みを浮かべた。

 

「姐さん……」

「ふん、誰が姐さんじゃ」

 

 女王はそう微笑むと翼をはためかせて飛び去っていった。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「うぉっ! 見ろよキレーなハーピーが飛んでるぜ!」

 

 見晴らしのいい草原の中、スイは大きな声を上げた。高速で飛んで行く優雅なハーピーを目で追う。

 

「もう、スイったら! 街が近いんだから声の大きさには気をつけなさいよね」

 

 そんな脳天気なスイをラーは叱った。

 ラーはロングドレスを履き、車いすに乗っていた。蛇のようなその下半身を隠し、ニンゲンにマモノであるとバレないようにするためだ。そしてその車いすを人に化けたウェアウルフのレナが押している。

 これをみてマモノだと即座に気づく者はまずいないだろう。

 

 ラーはそのまま言葉を繋いだ。

 

「もし見つかりでもしたら私の計画は台無しよ」

「そ~だけどよー。オマエの作戦ってなんか、こう、今ひとつじゃんかよ」

 

 辛辣なスイの言葉にラーは反応した。

 

「なんですって!?」

 

 対するスイは毅然とした態度で身体をぷるぷる揺らしている。

 

「まずあっこの村を襲えってデュラ様に言われた時にはよ、適当に行こうって言って失敗したしよー」

「あれはあのニンゲンが邪魔してきたから……!」

「次にそいつの情報を集めろって言われた時にはよ、あのニンゲンを虜にさせていろいろ聞き出そうって言って結局何も聞き出せないまま帰っちまうしよ〜」

「あ……あれはあのニンゲンがレナに告白していたのを利用としたから……!」

「ふーん。まあでも、レナもよくあんな作戦やろうと思ったよな。普段とは真逆のキャラじゃんかよ」

 

 話を振られたレナはおもむろに口を開く。

 

「……ワタシはデュラ様のためならなんだってするよ」

 

 その言葉にスイは大きく頷いた。

 

「まあ、そうだよなぁ。やんなきゃひどい目に遭うだろうし」

「そうじゃないよ、ワタシはワタシのしたいことをしてるだけ」

「ふーん、健気だな」

 

 スイはつまんなそうに呟いた。それを聞いたラーが振り返ってスイを見る。

 

「あなた拾ってもらった御恩を忘れたの?」

 

 スイはラーから逃げるように目を逸らし頭の後ろに両手を組んだ。

 

「忘れたわけじゃねーけどさ……」

「なら私の作戦に文句をつけないの! あと少しでリユニオンなんだから、ほら、中に入って!」

 

 ラーは車いすの横につけられた大きめの筒を指差した。そこに入って身を隠せということだ。

 渋々と言った感じでスイはその筒の中に入り込む。

 

「それじゃあ、進みましょう」

 

 そうして一行は首都、リユニオンへと再び足を進め始めた。

 

 

♦♦♦

 

 

 

 風が木々の間を縫うように通り、開けた湖のほとりへと吹き抜ける。座禅を組んでいるセラの髪も風に煽られたが、彼女は全く気にする素振りをみせなかった。

 

「良い集中だな」

 

 様子を見ていた精霊が声をかける。

 

「ええ、なんか色々通り越して逆に清々しい気分よ」

 

 すっきりとした表情でセラはそう答えた。腹の虫は空腹によって力尽き鳴くことをやめ、心は張り詰められた水面のようにひどく落ち着いているのだ。もはや一種のトランス状態だ。

 

「……そうか。ならばそろそろ次の段階へ行ってみようか」

 

 少女の姿をした精霊は顎をさすりながらセラに言った。

 

「ええ、お願いするわ……」

 

 セラは座禅を組んだまま答えた。

 

「まずは空気中から気を取り込み身体の中に貯めるのだ」

「……出来てるわ」

 

 そう応えるセラは涼しい顔を浮かべていた。つい数日前までは気を感じることさえもままならなかった者とは思えない。

 

「次に、それを維持したままなりたい姿を想像するのだ」

「なりたい姿……」

 

 セラは言われるがままに翼、下半身を覆うふさふさの体毛、猛禽類のような鉤爪のない姿を思い浮かべた。

 

「出来たわ」

 

 精霊は頷くと次の言葉を発した。

 

「最後に、そのイメージを気を使って具現化するのだ。気で変換する、といったほうがいいだろうか。ここはどうしても感覚的なことになって難しいのだが……」

 

 精霊が言い切らない内にセラが声を上げた。

 

「あっ……出来たわ……」

 

「えっ?」

 

 精霊は大きく目を見開いた。確かにセラの姿は羽もなければ深く曲がった爪もなく、人間の姿をしている。

 

「えっ……ええっ!? はやっ……怖っ……」

 

 本人もわけがわからずにポカンとした表情を浮かべているが、精霊の方は若干引いている。

 

 トランス状態であったためであろうか、とにかくそれだけ異例すぎる速さなのだ。

 

 セラはふらふらと立ち上がった、その綺麗な裸足で。

 

「お……うおぉ……」

 

 感嘆の声を漏らしながら彼女はペタペタと歩き回る。

 自身の腕をベタベタと触る。

 

 ふるふるっと震えたかと思うとセラは仰向けに倒れ込んだ。

 

「やったーー!」

 

 喜びの雄叫びを上げた。努力がやっと報われたのだ。

 

 セラはそこに倒れたまますぐに眠りに落ちてしまった。心身の限界はもうとっくに通り越していたようだ。

 

 と、精霊が変身の解けたセラの元へ近寄ろうとした丁度その時、どこからか大きな羽音が聞こえてきた。

 



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「水玉パンツのクセに」

 

 

 

 甘くふんわりとした匂い。心地よい温もり。それは大いなる母に愛されたかのように穏やかで優しいもの。

 

 セラはハッキリとしないまどろみの中考えていた。

 

 ずっと……ずっとこの優しさの中に包まれていたい……。まるで生命の原点に還ってきたような感覚。

 規則的な鼓動の音、温かい体温、寧静な呼吸による身体の浮き沈み。その全てがセラを安心させ、そしてひどく懐かしい気持ちを思い起こさせる。

 

 セラの頬を暖かな羽毛が撫でる。

 

 それさえも懐かしく感じる。悠久の時をこの温もりの中で過ごしてきたような、そんな……。

 

「……セラよ」

 

 その柔らかい声がセラの意識を覚醒させた。

 虚ろなまなこにうつった光景は女神のような顔だった。

 

「女王……様……?」

 

 雄大なその身体でセラを優しく抱きすくめたクイーンハーピーはにっこりと微笑んだ。

 

「そうじゃ」

 

 セラは全身が天国に包まれたかのような錯覚に陥った。

 

「で、でも……」

 

 とろけきった脳みそで必死に考える。――そんなはずはない。こんな所に女王様が来るはずがない、と。

 だとすれば彼女は精霊に違いない。

 

「ハハッ……」

 

 セラは笑い声を上げた。また精霊にしてやられたのだ。

 

「どうしたのだ?」

 

 クイーンハーピーはきょとんとした顔をつくる。

 

「あ~いいっていいって、もうわかったから」

「セ、セラ?」

「だ~、とぼけなくていいって! どうせあんた精霊でしょ? そうあたしを何度も騙そうたって……」

 

 そこまで言ってセラは固まった。

 

 なんと、目の前にその精霊がいるではないか。こちらを見て意地悪そうに笑っている。

 精霊は口をあんぐりと開けたセラに言い放った。

 

「呼んだか?」

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

「申し訳ありませんでした!!」

 

 セラは地面がめり込むほどの勢いでクイーンハーピーに土下座した。

 

「セラよ、謝らんでいい。気にしておらん」

 

 彼女は優しい眼差しでセラを見つめた。

 

「だがセラよ、先程お主はこの小娘に何度も騙されているような発言をしていたな。あれはどういうことじゃ?」

 

 この質問に、セラではなく少女の姿をした精霊が反応した。

 

「小娘、だと? あまり舐めた口を聞くなよ鳥人間」

「ちょっ! あんたねぇ!」

 

 クイーンハーピーへの挑発にセラが食ってかかろうとしたところを、女王は羽で制した。

 

「うむ? その姿のどこが小娘でないと言うのだ?」

「はっ、この姿は仮初に過ぎんわ。こちとら貴様の何倍も長く生きてるんでね」

「あら、本当の姿で居られないなんて相当醜い姿なのだろうな。およよ、可哀想じゃのう」

 

 その一言でクイーンハーピーを睨む精霊の目が一段と鋭くなった。負けじと精霊も言い返す。

 

「ふん、そういう貴様も己の一族の娘に偽物だと間違われるとは、嗚呼らなんと哀れなことだろうか!」

 

 クイーンハーピーの片眉がピクリと跳ね上がる。

 どうやらこちらにも怒りのスイッチが入ったようだ。刺さるような目線を送りながら女王は言う。

 

「お主……精霊だかなんだかしらんが、卑しい奴じゃのう」

 

 その目線を突き返すように精霊も睨みつける。

 

「貴様の方こそお山の大将気分で調子のっちゃってるんじゃね~のぉおおん!?」

 

 抉るような視線のぶつかり合いが火花を散らす。プライドの高い二人はもはや全身に殺気を滲み出させていた。

 

 と、刺々しい空気の中にひとつの音が響いたのはその時だった。

 

 くぅ〜……。

 

 いつぶりだろうか、セラの腹の虫が息を吹き返したようだ。その音は沈黙した空気の中、それはそれはよく響いた。

 

 ポカンとした二つの顔がセラに向けられる。

 

「……お腹……すいた」

 

 そう一言だけつぶやく、セラは体の力を抜いてその身を地面へと預けたのだった。

 

 

♦♦♦

 

 

 

「色々とお世話になりました!」

 

 ルカは旅団の皆に深々と頭を下げていた。

 旅団長がまぁまぁ、と声を上げる。

 

「俺もここに来てみたかったし、ルカ君の役に立てたなら良かったよ」

「まさか……天使がこんなおっさんだったなんて……」

「ハハハ、そんな人じゃないよ俺は」

 

 団長は顔の前で手のひらをひらひらと踊らせた。

 

 ルカは視線をランへと移した。

 

「ランさん、あなたにも色々と助けてもらいましたね……」

 

 ランはそんなルカを鼻で笑った。

 

「なんかあなたらしくねーですね」

「何を今更……。僕はこの世に生を受けてからこのかた紳士として生きてきたんですよ?」

「はいはい」

「なんですか冷たいなぁ」

 

 ルカは頭を掻きながら更につぶやいた。

 

「水玉パンツのクセに」

 

 その瞬間ランの素早い右ストレートがルカの顔面へとめり込んだ。

 

「な、なんで知ってやがるんですか!?」

 

 ルカは顔面を真っ赤に染めるランにピースをしてみせると、次はルキの方へ視線を移した。

 

「ルキさん、あなたに伝えたいことが」

「な、なんスか……?」

「自分で頑張ることは確かに大切だ。でも君にはせっかく仲間がいるんだ。まずはその頼れる仲間に相談することが大切なんだ」

 

 ルキは思わず目をぱちくりさせた。

 

「なんか……真面目なことも言えるんスね……」

「ええもちろん。なんたって僕は紳士ですから」

 

 そう言ってルカはドヤ顔でウインクをしてみせた。一体何のためのウインクなのだと言うのだ。

 

 最後にルカはギルティを見た。ギルティの方も、真っ直ぐルカを見る。

 

「……う~ん、え~。なんだ……その……」

 

 ルカはしかめっ面で何やら言葉を絞り出そうとしている。

 

「……特に無いです」

「無いのっ!?」

 

 一行に笑いの波が起きた。

 

「はい。なんかあったかなって思い返したんですが、本当に何にもなかったです」

「厳しくない!? 俺にだけ厳しくない!?」

 

 見ると皆の顔には満面の笑顔。こうすることで皆が笑顔になるのならば……。そう考えたギルティの肩を不意にルカが引き寄せた。

 そして皆に聞こえない程の声で。

 

「自分を失うな」

 

 そう言った。

 

「……へ?」

 

 ギルティはそう聞き返したがルカは聞く耳を持たなかった。

 

「それじゃあ、本当にありがとうございました!」

 

 手を振りながらルカは体をひるがえし、街の人混みの中へと溶けていったのであった。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「なにかしらあれ……?」

 

 リユニオンの入り口付近でラーは口を開いた。

 その目線の先にはうずくまって頭を抱える一人の女。

 だが、その姿は人間のものではなかった。頭に角が生え、背中の向こうにはヤギのような足が見え隠れしている。

 どうやら魔物のようだ。

 周りに木が少し生えているが、なぜこんな人に見つかりそうな所に……。

 

 一行はその魔物のそばへ近づいて行った。

 近づくに連れて魔物のすすり泣く声が聞こえてくる。

 

「あの……どうかされたんですか?」

 

 変身をとき、耳だけだして人間ではないことを主張しつつ、レナはその魔物に声をかけた。



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「よし……」

 

 

 

 レナが声をかけるとその魔物は振り返って一歩後ずさり、泣き腫らした目でレナたちを見つめたまま固まった。

 

「あ、心配しないで。アタシたちもマモノだから」

「ぁ……」

 

 更に声をかけたが彼女の硬直は解けない。涙を目に貯めうめき声を漏らすだけだ。

 見かねたラーが重ねて声をかけた。

 

「こんな所にいたらニンゲンに見つかってしまうわ。気をしっかり持つのよ」

「ぅう……っく……」

 

 短い角の生えたその魔物は頬に涙をたらしながらしゃくり声をあげている。

 

「ほら、泣かないの。ね?」

 

 ラーは車いすから立ち上がり彼女の前に出た。ロングスカートの裾から蛇のような下半身がちらりとはみ出る。

 ラーはそのままヤギのような下半身のその魔物に近づいて、優しく抱きしめた。

 

「何があったのか、ゆっくりでいいから、私に話してごらん?」

 

 一瞬体を強張らせたものの、魔物はすぐに身体をラーに預けた。

 ラーは彼女に優しく語りかける。

 

「あなたの身に一体何が起こったのかしら……?」

 

 するとその魔物はおもむろに話し始めた。

 

「……私というか……お姉様が……」

「うん、話してくれてありがとう。それであなたのお姉さんがどうしたの?」

「お姉様が、にっ……ニンゲンに捕まってしまったの」

 

 そこまで言うと彼女は声を上げて泣き出した。ラーが背中をさすって声をかける。

 

「大丈夫、きっと大丈夫よ」

「いきなり……ひっく、いきなり大きな音が鳴ったと思ったらお姉様の脚に……先の尖った空の容器が刺さっていたの」

「うん」

「それで……それで、そこからとりあえず私たちは逃げたの。うぅ……、でも、途中で、お姉様が急に動けなくなってしまって……私はどうすることもできなかった……」

「……」

「お姉様を担ごうとしてたらまた大きな音がなったの……気がつけば地面にさっきの容器とおんなじものが刺さってたわ……それから私は……怖くなって……お姉様を置いて……うわぁああんあぁ……」

 

 ラーは泣きじゃくる彼女の背中をポンポンと叩きながら頭をなでた。

 

「私はお姉様がニンゲン共に攫われていくところを影で見てることしか……出来なかったの……」

 

 魔物は溢れ出る涙を腕で拭った。

 

「それで……この街に来てみたのだけれど……私はお姉様が居なければ……何も出来なくて……」

「いいえ、そんなことないわ……だってあなたはあなたの意志でここに来たんでしょう? それにあなたは何も悪くない……だから自分を責めるのはやめなさい」

 

 ラーは彼女の今一度しっかりと抱きしめてやった。

 それまで静かに話を聞いていたレナが口を開いた。

 

「きっとコロシアムに連れて行かれたのね……」

 

 その一言にラーも頷いた。

 

「ええ、きっとそうね」

 

 ラーは後ろを振り返りレナの目を見た。レナもその目を見返し頷いた。

 視線を魔物に戻したラーは彼女に尋ねた。

 

「ねえ、あなた名前は?」

 

 それに対して彼女はおずおずと答える。

 

「私はロロ、サテュロスのロロよ」

「それじゃあロロ、私たちと一緒にそのお姉さんを取り戻しましょう!」

 

 突然の提案にノノはまたもや固まった。それを和らげるようにレナは続けた。

 

「大丈夫、アタシらも丁度用があってこの街に行くとこなんだ。お互い協力しよう」

 

 そう言って手を差し伸べる。

 ロロは震える右手でその手を掴んだ。

 

「ありがとう……ぅぅ……」

 

 歓喜のあまり、三度ロロは泣き出してしまった。

 

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

「ちょっとちょっと、旅のお兄さんっ」

 

 通りを歩いていると、不意に肩を叩かれルカは後ろを振り返った。

 その手の主は女の子だった。歳は十代前半だろうか。その身体に似合わない優艶な服を身にまとい、上目遣いでルカを見つめている。

 ルカと目線があったことを確認すると、少女は甘えた声で喋りだした。

 

「ねぇ、お兄さんは今晩どこに泊まるかもう決めたの?」

「あ、いや、今晩は……」

 

 ルカが言い切ってしまわないうちに少女は次の言葉を発した。

 

「それならウチの店に泊まろう! 他の店なんかよりずっと安いんだから!」

 

 少女は少し前のめりにかがんでから胸の前で手を組み、いわゆる"お願いのポーズ"をしてみせた。かがんで出来た隙間によって服がずれ落ち、狙ったかのようにはだけた胸元が更にあらわになる。

 

 だが、ルカは遠くを、まるで追想にふけるかのように遠くを見つめたまま固まっていた。

 

「ちょっ、お兄さん? ねえ! 聞いてる?」

 

 少女がそう強く呼びかけると、ルカはハッとして我に返った。

 

「ねえ聞いてたの?」

「あっ、いやごめ、あの、アレを急ぐから! アレ、えと、先を! 僕はこれで!」

 

 しどろもどろにそう言うと、ルカはその場から逃げるように走り出した。

 

 息を切らして人混みの中を駆ける。途中で誰かにぶつかったりしたが、気にする余裕などは持ち合わせていなかった。

 

 人気のないところまで走ったルカはそこで足を止めた。

 肩で数回息をすると、その場をウロウロと歩き回った。

 

「あぁ、くそっ……」

 

 ルカは小さな石ころを蹴飛ばした。不規則な飛び方をした後、壁にぶつかって石は止まった。

 

 ――あぁ、俺はまだ……。

 

 ルカは頭を抱えてため息をついた。

 

 自分が情け無くてしょうがないのだ。過去を切り捨て意思を固めたはずだったのに……。

 

 だが、こう感傷に浸っている時間ほど無駄なものはない。ルカは両手で自分の両頬を勢い良く叩いた。

 

「よし……」

 

 ため息混じりの一声を吐き、ルカは再び前へと進み始めた。

 



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「僕は今燃えているんだよ! 恋という炎に!」

 

 

 

「なんとか潜入できたわね」

 

 車いすを押すレナは小さな声で呟いた。

 

「ええ、それにしてもヒトが多いわね……」

 

 長いスカートで下半身を隠して車いすに乗ったラーはあたりを見渡した。

 人々は車いすを物珍しそうに覗いてくるが、まさか彼女が実はラミアだなんて、更には彼女のスカートの中にサテュロスが、筒の中にはスライムが、そして車いすを押しているのがウェアウルフだなんて、夢にも思っていないようだ。

 

 そんな魔物たちが人の流れに飲まれて歩いていくと、更に人が多いい通りに出た。どうやらメインストリートにやってきたようだ。

 人混みがまるで壁のようにレナたちを囲む。

 

「あぁ、居心地は最悪ね」

 

 と、突然人の壁の中から男が飛び出してきた。走る男の肩がレナの肩にぶつかる。

 

「痛っ!」

 

 レナは睨みつけてやろうと男を探したが、男はすでに壁をかき分け目の届かないところまで行ってしまっていた。

 

「はーほんっともう……」

 

 レナは軽く舌打ちをする。そんな彼女をなだめるようにラーが声をかける。

 

「まあまあ、それよりも早く帽子と服を買っちゃいましょう」

「そうね、いつまでもそんな所に押し込んでおくわけには行かないもんね」

 

 レナはラーのスカート越しに、中にちぢこまるロロに視線をやる。それから、前方にそびえる巨大な建造物に目をやった。

 

「コロシアムはそれからね……」

 

 そう、レナは呟いた。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 ルカは先ほど走ってきた道を戻っていた。大通りを抜け、一つ隣の道に入るとついさっき話しかけられた呼び込みの女の子がいた。

 ルカはその子に向かってずんずんと歩いていく。

 そのことに気がついた女の子は今度こそ宿に呼び込もうと声をかけた。

 

「あっ! さっきのお兄さ〜ん!」

 

 ぴょんぴょんと跳んでおいでおいでをする少女の手をルカはむんずと掴んだ。

 

「うぇっ!?」

 

 いきなりの恐怖に少女は悲鳴をあげる。

 構わずルカはその手を掴んだままその場にひざまずいた。そして高らかに声を上げる。

 

「嗚呼、綺麗なお嬢さん!」

 

 その声に道行く人々は好奇の視線を浴びせる。

 

「先程は逃げ出すなんて無礼な真似をしてしまい、誠に申し訳ない!」

「は……はぁ」

 

 少女は訳もわからず固まっている。

 

「高貴な君から逃げ出してしまうとは……君に、君のその透き通る程澄んだ君の純真な心をどれほどの傷をつけてしまっただろうか!」

「え、いや別に……」

 

 少女は激しく引いている。だがルカはそんなことは気にしない。

 

「僕はその重たい重たい罪を身を持って償わなければならない! 違うか!?」

「うん、違うね」

「違うはずなんてない! そう、僕は! 責任をもって君を愛することをここに誓おう!」

 

 あまりの騒ぎに宿の女将まで出てくる始末だ。だがルカはそんなことは気にしない。

 

「ほっ、本当にやめてください! 治安部隊呼びますよ!」

 

 変人に絡まれたという状況が理解できた少女は叫ぶ。だがルカはそんなことは気にしない。

 

「治安部隊? 呼ぶ部隊が違うんじゃないかな子猫ちゃん?」

 

 ルカは天に向かって叫んだ。

 

「僕は今燃えているんだよ! 恋という炎に!」

 

 そう言い切ったルカに、大量の水がぶっかけられた。恋の炎、ここに鎮火す。

 

 振り向くと宿屋の女将がバケツを持って立っている。

 

「冷やかしならとっとと帰んな!」

 

 そう叫ぶと女将は少女を連れて宿の中へ入っていった。

 

 残されたルカは静かに微笑んだ。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「なあ、コイツ、なんて名前だったかな」

 

 長身の男は肩に掛けた鉄の塊を持ち上げ太陽にすかした。鈍い光が反射する。

 

「んー、ええと、厶……マスイジュウ? だとか言ってたな」

 

 もう一人の男はそう答えた。こちらは大きな箱を乗っけた台車を転がしている。

 

「マスイジュウのマスイは麻酔ってわかるけどよ、ジュウってなんだ?」

「んえー? わからねえよ。数字の十しか知らねぇな……」

 

 男は頭を掻きながら続ける。

 

「んまー、だけどよ、ジュウが一体何なのかがわからなくてもよ、性能の良さは俺でもわかるぜ?」

「はっ、確かにな」

 

 長身の男は鼻で笑った。

 

「コイツの引き金を引くだけでマモノが簡単に捕まえられちまうなんて、全く、楽な仕事だぜ」

「そうだな」

 

 男たちは陽気に笑う。

 

「ま、さっさと金受け取って飯でも食おうや」

「ソイツがいいな」

 

 そんなことを言いながら彼らはコロシアムの中へと入っていった。

 

 

♦♦♦

 

 

 

 ララは低迷した意識の中、先ほどの出来事を思い返していた。

 自分の名を呼ぶ悲痛な妹の声。身体全体にまわる謎の気だるさ。ニンゲンの笑い声……。

 と、身体に冷たい感覚が走りララは目を覚ました。

 

「うぅ……」

 

 重くのしかかる重力にうめき声を上げる。

 身体を動かそうとしたのだが、どうもうまく動かせない。ぼんやりとする頭で視覚の情報を必死で処理する。

 見ると自分の四肢が鎖によって後ろの壁に繋がれていた。周りを見渡すと自分と同じように鎖に繋がれうなだれる何体もの魔物の姿が一定感覚に見えた。

 そして目の前には冷徹な目でこちらを睨む一人の男がいた。細身ではあるがしっかりと筋肉のついた男だ。

 

「くそ……劣等種が……」

 

 ララのそのつぶやきに男の片眉がつり上がった。

 

「……なんと言った」

 

 男はララを見下しながら小さな声でそう言った。

 

「はっ、劣等種は大きな声でしゃべることもできねぇの……」

 

 ララがそう言い切らないうちに男の右足がララの顔面へと飛んだ。

 

「あがっ……!」

 

 男はすかさずララの髪を鷲掴みにして引き寄せた。

 

「お前、立場がわからないのか?」

 

 低く冷たい声がララに飛ぶ。それでもララは睨みつけることをやめなかった。

 

「貴様こそニンゲンのくせに偉そうだな」

 

 男はララの髪を引っ張り上げ地面に打ち付けた。無言のまま男はうつ伏せに倒れるララの右腕を背中へ動かし両腕で強く押し込んだ。必死の抵抗も虚しく、可動域を超えたララの肩は脱臼した。

 

「アァァッ!」

 

 あまりの痛さに叫び声がこぼれ、冷や汗が流れ出た。

 ララは痛みを堪えて男の足首を左手でつかもうとした。だが、男はその手を容赦なく踏みつけた。

 

「……殺してやるッ! 貴様のような下賤で卑劣なニンゲンは……ぶっ殺してやる……!」

 

 威勢良くララが吠えるが男は相変わらず冷たく見下ろしている。

 静寂が訪れ、ララの不規則な息遣いだけが薄暗くて広い部屋に響いた。

 

 沈黙を破ったのはその男だった。

 

「予定変更だ。今夜のショーのおもちゃはお前だ」

 

 そう言って男は笑った。

 その笑顔は、ララが今まで見てきた中で一番邪悪な笑顔であった。

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

 

 セラは女王が採ってきた果物をほおばった。瑞々しい果汁の味が口の中を駆け巡り喉を通っていく。

 

「はぁ……生き返る……」

 

 久しぶりの食事にセラは感嘆とした。

 

「ふうむ、それは良かった」

 

 クイーンハーピーは美味しそうに果物を食べるセラを見て満足げに微笑んだ。

 

「それにしても、食事も出せない無能精霊なんているとはなぁ。たまげたもんじゃ」

「あぁ?」

 

 貶された精霊はじろりと女王を睨む。

 

「ふん、我は食事を取る必要などないのでな!」

 

 偉そうに精霊が反論するが、クイーンハーピーは微塵も聞こえていないかのように無視をした。

 そんな女王にセラは思い出したかのように質問をした。

 

「そういえば……女王様は何故ここに来られたんですか?」

「うむ……」

 

 その質問にクイーンハーピーは目をつむった。何かを考え込んでいるようである。

 少しの間があった後、女王はその口を開いた。

 

「そうだな……そろそろ頃合いなのかもしれん……」

「……?」

「セラよ……わらわがあの男、ルカと話をしたということは知っているな?」

「はい。内容までは知りませんが……」

 

 セラはこの旅が始まる前のことを思い返した。女王とルカが二人きりで話し合いを行い、その結果ルカと魔王の元へ向かうこととなったのだ。その内容はずっとセラの中で疑問に思っていたことだった。

 女王は今一度目を瞑り、一息をつくと話し続けた。

 

「……今からおぬしにその時の話をしよう」



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「姐さん……!」

〜前回のあらすじ〜
ルカはずぶ濡れになり、ララはいたぶられ、女王様は過去にルカと話したことを話し始めました


♢♢♢

 

 

 

「そこに腰掛けるといい」

 

 クイーンハーピーは家に入ったルカに座るよう促した。ルカは言われたとおりに丸太の椅子に座った。クイーンハーピーもテーブルを挟んでルカと向かい合うように椅子の上に腰を落とした。

 

「それで、おぬしが話したいこととはなんだ?」

 

 ハーピーの一族をまとめる女王は水をルカに差し出すと、そう聞いた。

 

「僕は……」

 

 コップに手を添え、少しうつむいたルカは口を開く。

 

「僕は、この世界が好きです……」

 

 言葉をゆっくりと、紡いでいく。

 

「他人ひとの笑った顔が大好きです……」

 

 部屋の静寂にルカの言葉は溶けていく。クイーンハーピーは見定めるようにじっとルカを見つめている。

 

「僕は、この世界が嫌いです……」

 

 ルカは更に顔を下げて続ける。

 

「常にみんながいがみ合っているのが大嫌いです……」

 

 ルカのコップを握る手が一段と強くなる。

 

「変えたいんです……僕は変えたいんです、そんな世界を」

 

 そこまで言うと、ルカは顔を上げてクイーンハーピーの顔を見つめた。

 

「そこであなたに頼みたい……僕に、人と魔物が笑い合って過ごせる世界をつくるために、あなたの力を貸してください」

 

 女王は深々と頭を下げるルカを静かに見据える。

 

「おぬしがそう強く思うにはなにかきっかけがあるようだが、それで世界は、他の者たちも喜ぶというのか?」

「僕はそう信じています。少なくとも共存を始めることで悲しむ者はいないでしょう。何か問題が起きたとすれば、僕が解決します」

「フン、殊勝な心がけだな」

 

 そう言うとクイーンハーピーは席を立ち、窓のそばまでゆっくりと歩いた。沈みかかる太陽が地を照らして影を伸ばしている。

 

「ならばおぬしはどうやって世界を変えようというのだ?」

 

 窓の外をみつめながら女王が尋ねた。ルカは答える。

 

「そうですね、世界を変えるためには、まず人間による魔物の認識、魔物による人間への認識を変えなければなりません」

「ふむ、そうだな」

「そこで僕が考えたのは、魔王の許可を得た上での勇者と魔物の結婚、です」

 

 ルカは続ける。

 

「人々に固着した考えを拭い取るには話を聞いてもらうことが必要です。魔物を、魔王を倒すことを使命とした勇者が魔物と結婚することで良くも悪くも種族間の問題に目を向けるでしょう。そして理由を求める声が飛んでくる、そこでみんなの前で人間と魔物の共存を訴えかけるんです」

「そうか……。おぬしの作戦はだいたい伝わったが、それならまずは勇者をその気にさせねばならんのではないのか?」

「ああ、それなら大丈夫です。僕、勇者ですから」

「ほう……」

 

 そこまで意外そうな顔をせずに女王は返した。

 

「まあ、正確に言えば勇者のうちの一人ですね」

「というと?」

「えーとですね、勇者ってのはですね、ここスタット、そして隣国のアロガット、北にあるドルミットの三国からそれぞれ二名ずつ選ばれているんです」

「そうなのか」

「ええ。魔族に対する反感を一番強く持つアロガットの呼びかけで三国間勇者連盟が発足され、三年に一度、六人の勇者をドルミットのさらに北にある魔物が多く生息しているデルビットへと送り出すんです」

「おぬしはもう送り出された身なのか?」

「いや、まだです。今年の春に送り出されます」

 

 クイーンハーピーは窓のそばから椅子へと戻り、再びルカと向き合った。

 

「それで、おぬしはわらわの協力を得たいと言うが具体的にどのようなことなのだ?」

「それはですね……、魔王城まで僕を連れて行って欲しいんです」

「ほう?」

 

 その言葉にクイーンハーピーの片眉がつり上がった。若干身を乗り出しながらルカに訊く。

 

「このわらわを乗り物扱いするというのか?」

「いえいえとんでもございません」

 

 ルカはすぐさま否定して、続ける。

 

「あくまで『僕があなたに乗って城まで行く』のではなく、『あなたが僕を掴んで城に行く』のです」

「ふん、小賢しい」

 

 クイーンハーピーは小さく笑みを浮かべる。

 

「おぬしの要求は把握した。もしお前の言う通りに世界が変わったとすれば、わらわたちにも良い影響となるだろう」

「それじゃあ……」

 

 次の返事を待つルカはツバをごくりと飲み込んだ。

 

「ああ、交渉成立だ。喜んで協力しよう」

「姐さん……!」

「誰が姐さんじゃ」

 

 女王はルカの発言を冷たくあしらう。

 

「して、いつおぬしを運べばよいのだ?」

「その時が来れば僕が『魔物が襲ってくる」と噂を流します。そうしたらここの、アロガットのリユニオンという街まで来てください」

 

 ルカは地図を広げて大陸の西側あたりを指差した。それを確認してクイーンハーピーは頷いた。

 

「それでは改めて」

 

 そう言ってルカは手を差し出した。女王も手の代わりに翼の先を差し出す。ルカはそれを軽く握って言った。

 

「よろしくお願いします」

 

 

 

♢♢♢

 

 

 

「と、いった具合じゃ」

 

 そこまで喋り終えたクイーンハーピーはそう結んだ。




お ま た せ


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「やあやあやあ、綺麗なお姉さんたち」

〜前回のあらすじ〜
クイーンハーピーによる、ルカとの会話の回想会でした。


「それじゃあ何……」

 

 それを聞いたセラは静かに口を開いた。

 

「あたしは……あいつの目的のためだけに利用されてるっていうの?」

 

 半ば自問自答のようなその問に答えるものは誰もいない。

 

「ハハ……」

 

 セラは乾いた笑い声をあげるが、その顔はまるで泣いているようだった。そんな彼女を女王と精霊は静かに見守る。

 

「もう、なに? この気持ちは。どうとも思ってなかったけど、その……っ、裏切られたっていうか……。あぁ! もう何なのよ!」

 

 ぶつける場所がわからないもやもやした気持ちがセラに頭を掻きむしらせる。

 

「わかんないわよ……一体あいつは……一体あたしは何なのよ……」

 

 辺りに静寂がわだかまった。セラのやるせない気持ちがひしひしと伝わってくるようだ。

 

「あいつもあいつだけど女王様も女王様よ! あたしをまるで都合の良く利用できるメスとして送り出したんですからねぇ!」

 

 半べそを掻きながらセラはクイーンハーピーに迫る。

 

「何!? あたしの自由は!? なんであたしの生き方を他の人に決められなきゃいけないのよ!? ねぇ! おかしいでしょ!? 操り人形じゃないのよあたしは!」

 

 セラは溢れ出る言葉を女王にまくし立てる。そんな彼女を女王はやさしく呼びかける。

 

「……セラ」

「なによ! 今更何か言おうたってあなたがしたことは一生……」

「セラ!」

 

 クイーンハーピーはセラの言葉を威厳あるその声で遮った。そして、セラに問うた。

 

「おぬしは……何故泣いておるのだ?」

「えっ」

 

 セラは急いで頬のあたりを触った。ヒヤリとした感覚が返ってくる。涙だ。目からホロホロと涙がこぼれ落ちているのだ。

 

「おぬしは、何故泣いておるのだ?」

 

 もう一度女王が問う。

 

「あたしは、その……裏切られた感じ……あいつの言うその計画に利用するためだけに接しられてたって言うのが、嘘だったて言うのが……許せない……というか……」

「それではおぬしがあやつと接して感じていたものも全て嘘であったのか?」

「それは……」

 

 セラの脳裏にルカの影がちらりと浮かぶ。セラはそのイメージを振り払うように頭を横に降る。

 

「でも! あいつはなんの気もなしにただその辺にいた魔物を利用したっていうわけなんでしょ!?」

「それは知らん」

「はぁ!?」

「そんなもんあやつに訊くしかわからないだろうが」

「で、でも……」

 

 セラは再び頭をかきむしる。わからないのだ、自分の気持ちが。わからないのだ、どうすればいいのか、どうしたいのか。

 そんなセラに精霊が声をかける。

 

「なあ、セラ。お前はなんでルカがそんな「世界を変える」だなんてことをしようと思ったのかわかるか?」

「いや……知らないわよ。聞かされてないもの、当たり前でしょう?」

「へぇ〜、知らないのか」

 

 まるでからかうように言う精霊にセラは思わずムッとする。

 

「知ってるんなら教えなさいよ」

「やだね」

 

 精霊は即答した。

 

「知りたいんだったら直接あいつに聞きに行けばいいんじゃねーか」

「…………」

 

 精霊のその言葉に、セラは口をつぐんでうつむいた。そのままその場に静寂が居座る。

 しばしの沈黙のあと、口を開いたのはクイーンハーピーだった。

 

「わらわは早朝にあやつの所へ向かう、ついていくかどうかはそれまでに決め…」

「行くわよ……!」

 

 女王の言葉を遮ってセラはそう答えた。

 

「行ってやるわよ! もう! なんであいつなんかのことであたしが悩まなくちゃいけないのよ! 絶対殴ってやるんだから!!」

 

 

 

♦♦♦

 

 

 

「本当にありがとうございます……!」

 

 服と帽子を買ってもらってモコモコの下半身と角を隠したロロはリユニオンの広場の中でレナたちにへこへこと頭を下げていた。

 

「いや、いいんだってそのくらい!」

 

 そんな彼女をラーがなだめる。姉が人間に捕まったことでいささか感傷的になっているようだ。

 

「まあ、ともあれこれであとはあのコロシアムにうまいこと忍び込むことに集中できるわね」

 

 レナの言葉にラーは頷く。

 

「ええそうね、早速行きましょう」

 

 そうして一行はコロシアムの元へと向かった。

 

 

「デカイわね……」

 

 間近で見るコロシアムは予想の倍以上に大きく感じられた。それこそそびえ立つ壁である。

 

「どこから忍び込むのが一番かしら……」

「そもそも入れる場所が限られていますね……」

「そうね……」

 

 彼女たちが頭を悩ましていると、後ろからいきなりこえがかかった。

 

「やあやあやあ、綺麗なお姉さんたち」

 

 その妙に腹立たしいその声にレナたちは振り返った。



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「なぜなら僕はあなたの心を奪うつもりですからね」

 

 レナたちが声に反応して振り返ると、やけにニコニコしたずぶ濡れの男の姿があった。

 

「ルカ!?」

「いえーいピースピース」

 

 Vサインをしながらルカは答えた。この男、相変わらずである。

 

「なぜお前がここに!? しかもびしょ濡れだし……」

「なぜって、あなたがいるからですよ、キラッ」

 

 ルカはそう言った。自分で「キラッ」と言った。

 

「うっわ、きっつ……」

 

 いつも通りのルカの態度にレナは天を仰いで呆れた声を上げた。

 

「なぜそんな暴言を……。あなたは僕に惚れていたはずでは……!?」

 

 ルカがそう尋ねると、レナは鼻で笑いながら答えた。

 

「んなわけないでしょ。あんたから情報を聞き出す作戦よ作戦」

「そんなぁ……しょんぼり」

 

 事実を知ったルカはその言葉通りにしょんぼりとする。しょんぼりとしていてもどことなくムカつくような顔をしているあたりはさすがと言えよう。

 

「ていうかあの時、コロシアムのある街なんて知らないとかなんとかって言ってなかったけ?」

「あ〜、いや、え~、そんなことあったかなぁ〜?」

「…………」

 

 ルカの煮え切らない返事に鋭いガンが飛ぶ。まさにケモノの眼だ。

 

 ルカは逃げるように言い返す。

 

「それだったら僕にもなんでそんなことを聞いたか教えてくれますよね?」

「うっ……」

 

 そこに周りを気にしながらラーが割り込んだ。

 

「話をするのはいいんだけど、まずはひと目のつかない所へ行きましょう」

 

 

♦♦♦

 

 

 一行は人の寄り付かない路地裏へと場所を移した。

 

「えーと、じゃあ改めまして、みなさんは何しにここに来たんですか?」

 

 ルカがそう問うと、レナとラーは顔を見合わせた。数回のアイコンタクトの後、レナが答える。

 

「私たちはこの娘のお姉さんを取り戻しに来たわ」

 

 唐のロロはルカを一瞥もせずにうつむいている。そんな彼女にルカはいつもの調子で喋りかけた。

 

「ねぇ、君と会うのはこれで二回目なんだけど、僕のこと覚えてる?」

 

 物憂げなサテュロスの娘はルカの言葉に反応を示さない。

 

「ほら、森の中で会いに来てくれた僕のファンの子だよね? 覚えてるよ〜」

 

 微妙にねじ曲がった事実をすらすら話すルカに、ロロは一言言い放った。

 

「劣等種め……」

「…………」

 

 風が吹き溜まる路地裏に重たい空気が訪れる。

 

「劣等種、ですか?」

「劣等種よ! あなたたちは!」

 

 荒げた声は辺りに響く。

 

「劣等種だから……わたしたちから全てを、そうやって、姑息に、奪っていくのよ……」

 

 涙を乗せた声が彼女からこぼれ落ちる。

 

「わたしたちが何をしたっていうの? なにもしてないじゃない! わたしたちの土地を、仲間を、家族を奪っているのはあなたたちの方じゃない!!」

 

 真新しい洋服で頬を拭き、再びルカを睨みつけた。

 

「ああ……わからないでしょうねあなたには……。ねぇ! わたしたちの気持ちなんてわからないんでしょう!?」

「ええ、わかりませんよ」

 

 淀みも間もなくルカは即答した。

 

「ちょっ、あなたねぇ……」

 

 火に油を注ぐかのようなその対応に、ラーが思わず言葉を漏らす。

 

「いや、わかるわけがないでしょう?」

 

 当然といった顔でルカは語る。

 

「あなたは僕の気持ちがわかりますか? 何を考えてるかわかりますか? わからないでしょう?」

「そうだとしても想像ぐらいできるでしょ! 彼女がどんなつらい思いをしているのか!」

「それはあなたの気持ちじゃないですか」

「はあ?」

「自分がその立場にいた時に感じる自分の気持ちですよ。当人とは考え方も違うし感じ方も違う。なのに想像しただけでわかってるだなんて、そんなこと言えませんよ」

「…………」

 

 ラーの口はそこで悔しげに閉ざされた。だがルカの話はまだ続く。

 

「て、言うのが僕の考えてたことです。はい、これもう伝わりましたよね? 僕のきもち。人の気持ちがわからないなら聞けばいいし、わかってほしいなら話してくださいよ」

 

 そこでルカはロロの方へ向き直した。

 

「ひとつ言っておきますが、確かに僕はあなたの考えから行くと僕は劣等種です」

 

 ルカは数秒間ロロを見つめると、言った。

 

「なぜなら僕はあなたの心を奪うつもりですからね」

 

 ルカはドヤ顔のままウインクをした。



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「そんなぁ!」

 

 

 ルカのふざけたようなセリフに、ロロの視線は更に鋭くなった。

 

「ふざけないでよ……」

「ふざけるだなんて、とんでもない。僕はあなたの心を奪いたいだけですよ」

「…………」

「あー、どうしたらこの子の心を奪えるんだろうかなぁ〜」

 

 聞こえよがしに大きな声でルカはつぶやく。

 

「うーん、どうしたものかなぁ」

 

 大きな歩幅でその場をぐるぐると回る。

 

「……はっ、そうだ!」

 

 これまたわざとらしい身振りでルカは手を叩いた。

 

「僕がお姉さんを取り戻せればいいんですね!?」

「誰があなたなんかに……ッ!」

「そんなぁ!」

 

 ルカはミュージカルにでも出ているかのような動きで天を仰いだ。

 

「僕はただ、あなたのお力になりたかっただけだというのに!」

 

 ルカはおもむろに上着を脱ぐと、それを投げ捨てロロの前にひざまずいた。上着は弧を描いてラーの乗る車椅子の麓に着地した。

 

「ああ、それでもあなたの心は動かすことができないのですね……!」

 

 無表情で睨みつけてくるロロの返事を待たずして、ルカはそそくさと上着を拾い、そのまま立ち去ってしまった。

 その場にはなんとも言い難い変な空気が残された。

 

「まあ……元々わたしたちでやる予定だったし、大丈夫よ。きっとあなたのお姉さんを取り戻してみせるわ」

 

 雰囲気を変えようと、ラーがそうロロに声をかけた。

 

「ありがとう……」

「それじゃあ、4人で力を合わせて頑張りましょう!」

 

 しかしラーが挙げた拳に賛同して挙がった手は、2つだった。

 

「あれ、スイは?」

「ええと、車椅子の横の……あれ?」

 

 彼女たちが気がついたときにはスイのはいっていた筒は、すでになくなっていた。

 

 

♦♦♦

 

 

 レナたちの元を小走りに去ったルカは上着をその手に抱えながらまた違う路地へと駆け込んだ。周りに人がいないことを確認するとくるまれた上着の中をまさぐった。

 中から出てきた筒に向かってルカは声をかけた。

 

「スイさん、ちょっと出てきてください」

「んー」

 

 少し間を開けて返事が帰ってきたことを確認し、蓋を開けて筒を逆さにする。すると固形物並みに固くなったスイが筒の形そのままで出てきた。完全に外に出るとスイの身体がどんどんと膨らんでいった。そのままスイは十秒足らずでいつもの大きさまで戻った。

 

「んたぁー!」

 

 人型になったスイは大きな伸びをした。

 

「お久しぶりです。密度まで変化させられるんだなんて、すごいですね」

「おうルカ! 久しぶりだな! あれ結構疲れるんだぜ」

 

 久しぶりの新鮮な空気に幾ばくかテンションが上がっているようだ。声が大きい。元気で何よりである。

 そんなスイはあたりを見渡して訊いた。

 

「あれ、レナたちは?」

「えーと、さっきまでのやり取りは聞いてました?」

「いや、全然!」

 

 どこか嬉しげにスイは答える。

 

「まあ、簡単に言うと別行動です」

「ロロの姉ちゃんを助けるんだよな?」

「ええ、そうです」

「……なんでルカはそう魔族に肩入れするんだ?」

 

 ルカはポリポリと頭をかきながら答える。

 

「うーん、そんな肩入れしているつもりはありませんよ。ただ僕がそうしたいだけです」

「ふーん……ま、いいや。で、どうするんだ?」

 

 望むような答えではなかったのか、スイはさっさと切り替えると話をもとに戻した。

 

「そうですね、まずはコロシアム周りの偵察です」

 



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「ああ……スイさんの中、温かい……」

 

 コロシアム周辺。辺りはチケットを買い求める客で賑わっていた。そんな人混みの中をかいくぐり進む一人の男の姿があった。ルカだ。

 

 手にしたりんごにかじりつきながら何食わぬ顔で通りの路地の奥へ進む。ルカは周囲に人がいないことを確認すると物陰の中に声をかけた。

 

「スイさん」

 

 すると木箱の裏からぬるぬるっとスイが姿を現した。

 

「おう、早かったな」

「そりゃあ僕ですからね、早いに決まってる。っと、りんご買ったんですけど、食べますか?」

 

 ルカは無駄にデカい袋の中から赤く染まった果実を幾つかちらつかせる。

 

「もちろん食うぜ」

 

 そう言って伸ばされたスイの手にりんごを乗せた。スイはりんごを口元に寄せる。その挙動をルカはじーっと見つめていた。

 

「ん? なんかおかしいか?」

「あっ、いえ、いや、スライムはどうやって食事するのかなぁって思ってですね……」

「? 別に普通だぜ? やっぱりおまえ、変なヤツだな」

 

 スイはりんごを口の中に放り込んだ。もぐもぐと口を動かす。外からはりんごを噛み砕く様子が透けて見て取れる。

 

「へぇ〜……噛むこともできるんですね」

「うん、身体のどこでも自由に固くできるからな」

 

 頬に潰れたりんごを含んだままスイはどこか嬉しそうに言う。

 

しばらく咀嚼した後、りんごはスイの身体の中へと落ちていった。

 

「おおお、落ちた落ちた、飲み込んだ」

 

 ルカからはその様子が丸見えである。

 

「やめろよ〜なんか恥ずかしいな〜」

 

 少し照れるスイの身体の中をふよふよと砕かれたりんごが漂う様を見ていたルカにある考えが浮かぶ。

 

 ――このりんご、取り出せるのではないだろうか。

 

 思うが早いか、ルカの手はスイのお腹めがけて飛び出していた。勢いのままお腹の中にルカの手が入り込んだ。

 

「ひゃうっ!?」

 

 スイの短い悲鳴が上がった次の瞬間、今度はルカの悲鳴が上がった。

 

「いででででぇっ!?」

 

 スイはルカの手が入り込んできた部分を即座に硬化させていたのだ。痛みを伴う圧迫感がルカの手のひらにかかる。

 

「それは、ダメだ。それだけは、ダメ」

 

 スライムなのでしっかりと判別は出来ないが、心なしか頬を赤らめスイは言う。

 

「ごめんなさい……いだい……潰れ……あの、痛くて……手が、その、痛い……」

「もうやらないな?」

「はい、すみませんでした……」

 

 ルカの謝罪をスイは許容し力を解いた。途端にルカはころっと表情を笑顔に変える。

 

「ああ……スイさんのなか、温かい……」

 

 そう言って懲りずに手のひらをスイのなかで動かす。すぐさまスイは身体を硬化させたが、間一髪ルカの手は引き抜かれていた。

 

 勝ち誇ったようにルカは声を上げる。

 

「今のはセーぶべらぁっ!?」

 

 言い切らないうちにスイの拳はルカの頬に放たれていた。

 

「で? コロシアムの偵察の方はどうだったんだよ?」

 

 痛がるルカを尻目に冷たくスイは訊く。赤く腫れたほっぺたをさすりながらルカは答えた。

 

「ああ、警備はザルでしたよ。裏口に一人だけでした」

「一人っつってもよ、ちゃんと作戦はあるのか?」

「ええ、バッチリです」

 

 ルカは自信満々に言い放った。

 

 

♦♦♦

 

 

「あのー、すみませーん」

 

 コロシアム裏口前に立つキャップを被った黒服の男に話しかける一人の青年がいた。ルカだ。手には何かが入った大きめの袋を持っている。

 

「ええと、コロシアム関係者の方ですよね?」

 

 ルカがそう尋ねると、男は服装を見て判断しろという態度で「そうですが」と答えた。

 

「あー、あの、なんかぁ、さっき偶然魔物に遭遇してですねぇ、なんか生け捕りすることができたんですけどぉ、こういうのはコロシアムの方に引き渡すのがいいのかなぁって思ってですねー」

「その魔物は……その袋に?」

「ええ、そうです」

 

 そう言ってルカは袋を男の前に差し出した。流れで男はそれを受け取った。そのまま中身を確認しようとして袋を開けると、中からスイが飛び出してきた。

 

「うわぁっ!」

 

 突然の出来事に驚いた男は袋を投げ捨て後ずさった。男の背後へと移動していたルカは、よろける男の首元を腕で引き寄せ締め上げた。

 

「くふぅっ」

 

 頸動脈を締め付けられたことによって血圧が低下し、男の脳に運ばれる酸素の量が少なくなっていく。十数秒後には男は力なく腕を垂らし失神していた。

 

「よし」

 

 ルカは男を近くの茂みまでなんとか引きずると、男の着ていた制服を奪い取り服の上からそれを着用した。

 

「なんで上から着るんだ? 分厚くみえるぞ?」

 

 スイが尋ねるとルカは少し照れた顔で答える。

 

「服をおいておく場所が無いんです」

「ああ……なるほどな」

「まあ、とりあえず中に行きましょうか」

 

 ルカはスイに再び袋に入るよう促した。

 

「え、この先の作戦はないのか? 聞かされてないけど」

「ありますとも。プラン『臨機応変に』です」

 

 またもや自信満々に言い切るルカ。

 

「いやそれ、ノープランじゃねぇか!」

 

 スイのツッコミには耳も貸さず、ルカは裏口の扉を開けた。

 



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