真夏のエリカチュ作戦です! (ばらむつ)
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プロローグ
エリカとカチューシャ、作戦を話しあう


 夏の終わり。

 日の沈みおえる寸前。

 あかね色の光が空を満たして、山々の稜線を影で黒く染めあげる逢魔が時。

 どこかでヒグラシがさびしげに鳴いている。

 私は高台から望遠鏡で見下ろす。

 平原を進むのは、くさび形の隊列で進む戦車の小隊。

 

「T-34四輛、IS-2一輛、前進中」

 

 隣で、少女のかわいらしい声が数え上げる。

 でも、かわいらしいだけじゃない。

 声の中にあるのは、暴君めいた傲慢さ。

 いや、子どもっぽいわがままと言うべきだろうか。

 

「さすがプラウダ。きれいな隊列組んでるわね」

 

 うんざりと、私はつぶやく。

 声の主がますます自慢気になる。

 

「そりゃそうよ。あれだけ速度を合わせて隊列を乱さないで動けるなんて、すごいでしょ!」

 

 今は敵なのに、なんでそんなにうれしそうなんだか。

 

 練度なら、うちの学校だって負けてない――

 そう言い返してやりたい。

 だが、口に出してもしかたがない。

 今の私は、黒森峰の副隊長でもなければ、戦車長でもない。

 わが愛車(ティーガーⅡ)が恋しい。

 それに、規律正しい隊員たちも。

 でも、彼女たちがいるのは、千キロ以上かなた。

 私がこんな山奥で、やっかい事に巻き込まれているなんて、知りもしない。

 味方は愚連隊めいた寄せ集めだけ。

 頼りないことこのうえない。

 だから私は、これだけ言う。

 

「向こうにはIS-2の122㎜砲がある。こっちが近づく前に撃ち抜かれるわよ」

 

「そこは戦術と腕よ」

 

 びっくりするくらい自信満々な声。

 望遠鏡を下ろして横を見てみる。

 横にいるのは、黒い戦車帽にモスグリーンのユニフォーム、かぼちゃパンツ、黒のブーツ姿の、背の低い金髪の少女。

 あきれた。

 この子ときたら、仁王立ちで腕組みなんかしている。

 見つからないよう地面に伏せていた私が馬鹿みたいだ。

 こっちは私服なのに。

 

 起き上がって服のほこりをはたく。

 その間に、先に戦車にたどりついた彼女が、ふりかえって、怒ったような目で私を見る。

 なんだろう。

 ああ、わかった。

 背が低いから、車体の上にのぼれないのだ。

 

――はいはい。手伝えってことね。

 

 気をきかせたつもりで、両腕を彼女の脇の下に入れて持ち上げ、斜面を登っている最中にずり落ちないようにお尻を支えてやると、彼女は礼を言うでもなく、むしろプライドを傷つけられたような表情で、上から私をにらむ。

 

 なによ。どうしろっていうのよ。

 

 私は彼女に続いて、濃緑の傾斜装甲を登る。

 操縦席に座っているのは、ちゃんと会うのは今日が初めてであるはずの、赤毛でおさげの女の子。

 開いたハッチ越しに目が合う。

 この子も何も言わない。

 ただ、おもしろがっているような表情で、白い歯を見せてにやりと笑う。

 なにを考えているのかわからない。

 不可解だ。

 ここにいる人間は全員不可解だ。

 

「行動開始。エンジン音が響かないように注意しながら展開するわよ!」

 

 車長用ハッチから上半身を出した小さな暴君が、私を待たずに号令をかける。

 ちょっとくらい待ちなさいよ!

 私はあわてて砲塔に登り、もうひとつのハッチに両脚を滑りこませる。

 T-34/85が、カタカタと履帯を鳴らして進みはじめる。

 左右にひかえるのは、プラウダのおちびさんがごった煮(ボルシチ)小隊と命名した、頼りない仲間たち。

 いや、私の乗るT-34はいい。

 黒森峰を何度となく苦戦させてきた傑作戦車だ。

 しかし、あとの車輌ときたら。

 

 頭でっかちのうすのろが一輛。

 戦車未満のトラクターもどきが一輛。

 残る一輛ときたら戦車ですらない。ただの輸送車輌ではないか。

 

(……これでプラウダの一軍とまともに渡り合えたら、それこそ奇跡ね)

 

 だが、車長席の彼女は自信たっぷり。勝算ありげだ。

 ただの虚勢(ブラフ)だろうか。

 それともほんとうに勝つ気だろうか。

 

 ちらりと横を見る。

 併走するトラクターもどきの天板から上半身を出しているのは、黒のリボンと緑のツインテールの少女。

 あいさつするように、こちらに鞭を振っている。

 のんきなものだ。

 とても事態を飲みこんでいるようには見えない。

 

 でも、事情を知らないという点では、私も同じ。

 所属する学園艦が違う。目的だって違う。

 そんな私たちが、なぜこんな混成部隊で、プラウダに立ち向かう羽目になったのか――

 逸見エリカは、すべてが始まった瞬間を思い出していた。



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1:エリカとカチューシャ、出会う
その1


 逸見エリカは大洗に来ていた。

 目的は、県立大洗女子学園による、戦車道全国高校生大会優勝記念のエキシビションマッチを観戦するためである。

 

 大洗女子――

 決勝で黒森峰女学園を破った、次の大会で雪辱を果たすべき相手。

 でも、尊敬する西住隊長は、次は―― 来年はもう、いない。

 いなくなってしまう。

 

 西住隊長は、二年連続で優勝を逃した。

 黒森峰の中にさえ、そのことを悪く言う者がいる。

 隊長の素質がないとそしり。

 西住流の後継者にふさわしくないと陰口をたたく者が。

 それが悔しい。

 そうでないことを―― 隊長こそ西住流の体現者であることを、今年こそ証明したかったのに、あんなことになってしまった。

 私たちがふがいないばかりに。

 だから、来年こそ。

 来年こそ全国大会で優勝して、西住隊長の戦車道が間違っていなかったことを証明してみせる――

 そんな決意を胸に、エリカはこの地を訪れたのだった。

 隊長にも、チームメイトにも内緒で、こっそりと。

 

 大洗女子は、本来それほどのチームではない。

 けして負け惜しみではない。あくまで冷静な分析の結果だ。

 純粋に戦車のスペックを比較してみよう。

 こちらにはティーガーがいる。

 パンターがいる。

 Ⅲ号もⅣ号も、ヤークトティーガーもヤークトパンターもエレファントも、なんだったらマウスもいる。

 

 大洗はどうか。

 まともな戦力はⅣ号とⅢ突くらい。

 残りは――?

 おこがましくも中戦車を自称する軽戦車。

 走っているだけで火を吹く失敗戦車。

 装甲がちょっと厚いだけのカモ。

 甲羅を脱ぎ替える節操のないカメ。

 アリクイ形の遮蔽物。

 ラッキーだけの初心者ウサギ――

 黒森峰の足元にもおよばないではないか。

 

 今年、黒森峰が破れたのは、奇策につぐ奇策にしてやられたからにすぎない。

 そして、奇策にしてやられたのは、相手が新興チームで、情報が少なく、動きが読めなかったからだ。

 対して、相手はこちらの戦術を知りぬいていた。

 だから、相手を研究すれば。

 相手を過不足なく研究さえできれば、戦術面の条件は対等になる。

 そうなったら、もう、負けない。

 負けるはずがない。

 負けたくない。

 西住隊長のためにも、負けられない。

 

 エキシビションは四校による二対二のチーム戦。

 ほかの高校の来年度のチーム編成や戦術を探るチャンスでもある。

 

 (セント)グロリアーナは、クルセイダーの軽快な走行性を間近で確認できたのが大きな収穫だった。

 あれを上手に運用して、マチルダやチャーチルときっちり連携できる指揮官が出てきたら、今年以上にやっかいなチームになる。

 

 プラウダは、三年生の存在感がいまだに大きすぎる。そして、下級生が小粒だ。

 来年、主力が抜けた穴を埋められないようなら、うちにとってはありがたい。

 

 知波単は……あいかわらず。

 あそこの突撃馬鹿は病気という表現でもなまぬるい。血に染みついたなにかだ。

 おまけに一斗缶並の紙装甲に豆鉄砲。

 百回当たっても負ける気がしない。

 

 心残りは、参加の噂があった継続高校の姿がなかったこと。

 容易に手の内を見せないチームなので、おそらく出てこないと予想はしていたが、やはり残念ではある。

 来年の全国大会までに、一回でも多く試合をチェックしたい相手なのに。

 

 そう。そうだ。

 私は情報収集と分析に来たのだ。

 これは任務だ。

 仕事だ。

 間諜(スパイ)だ。

 夏らしいワンピースを着てきたのは、目立たないための変装だ。

 髪をポニーテールにしてきたのだって、そうだ。

 知波単の連中が総突撃したとき、なにやってんのよと思わず叫んでしまったのは、統率を乱す無謀な戦術に腹が立っただけ。

 不利なほうを応援したのは、いわゆる判官びいきというやつ。

 群衆にまぎれてエールを送ったのだって、集団心理に流されただけだ。

 なにもおかしくない。

 自然なことだ。

 

 ともかく、試合は終わった。

 試合の采配について、どこかの誰かさんに文句のひとつでも言ってやりたい気もするが、考えてみれば、そんなことを言える筋合いではないし、間柄でもない。

 

 もう夕方だ。

 

 どこかもやもやした気分のまま、まいわい広場と隣のショッピングモールを回っているうちに、私は気がつく。

 ああ、そうか。

 私はおみやげを買いたいのだ。

 それも西住隊長に渡したいのだ、と。

 

 干しいも。

 ……だめだ。大洗の生徒会長の顔がちらつく。

 

 海産物。

 ……ああ、めんたいこがある。

 でも、黒森峰は博多が近いからな。

 

 干物。

 ……これなら日持ちがする。

 でも、渋すぎる。

 いくら隊長が大人と言っても、これはない。

 

 大洗と言えば、あんこう。

 ……あれって冬のものよね。夏場もあるのかしら?

 冷蔵で送ってもらって、隊長とふたりで鍋を囲むとか。

 シチュエーションにはひかれるけど、この季節だとガマン大会になってしまう。

 

 これはマスコット?

 ……ふうん、アライッペっていうの。

 こういうのは隊長より元副隊長の領分ね。

 あの子、かわいいの基準が妙だから、この手のゆるキャラを見たら変なテンションになりそうだけど……

 ああ、だめだ。

 ちがうちがう。

 私は元副隊長を喜ばせたいのではない。

 隊長を喜ばせたいのだ。

 

 それに――

 何でもいいから、おみやげを買ったとしよう。

 買ったとして、どうやって隊長に渡すのだ。

 いや、わかっている。

 悪事を働くわけではない。

 季節の贈答品なんて、世間の人がみんな月並みにやっていることだ。

 練習前か後のちょっとした空き時間に、自然に隊長に近づいて、夏休みに旅行したときのおみやげですって、さりげなく渡せばいい。

 それだけだ。

 

 でも、私にはわかっている。

 自分にそんな、器用な真似ができないことくらい。

 どうせ、声を掛けようとしたあたりで、自分の行為がひどくわざとらしく思えてきて、ぎこちなくなって、いたたまれなくなって、別の用事で来たふりをして、下手をしたら練習内容のダメ出しなんか始めちゃうのだ。

 そうしたら、またチームメイトにいやな顔をされてしまう。

 

 隊長は……

 隊長はいやな顔なんか絶対しないけど。

 でも、ああいうときの隊長の目は、ちょっと苦手だ。

 まっすぐで。

 静かで。

 力強くて。

 すべて見透かしているようで。

 それとも私のふがいなさを怒っているようで。

 あの瞳で見つめられると、自分がすごく小さな、だめな人間に思えてしまう。

 だから、そんなもの買っていかないのが一番なのだ。

 

 あきらめよう。

 人間には分相応というものがある。

 家族と、それと自分用に、なにかちょっとしたものを買っていこう。

 それで十分ではないか。

 

 そう結論づけて、しょぼくれた買い物をすませ、市場から外に出たときだった。

 私が一番見たくなかったものが、まっすぐ視界に飛びこんできたのは。

 

 

 ちょうちんあんこう。

 腹が立つくらい、まぬけな顔をしたやつ。

 

 そのパーソナルマークを、砲塔側面のシュルツェンにプリントしたカーキ色のⅣ号戦車が、まいわい市場に隣接する大通りを、軽快に走り抜けてゆく。

 学園艦へ帰るところだろう。

 試合は終わったのに、フラッグ車の印である青い三角の旗を、まだつけたまま。

 

 そして――

 

 あの子がいた。

 砲塔上部の車長用ハッチから上半身を出して、前を見ていた。

 

 あまり長くない、明るい栗色の髪。

 黒のスカーフ。

 襟元に緑が入った白のセーラー服。

 普段あわあわしているくせに、戦車に乗っているときだけ不思議と凜とする瞳。

 大洗女子の隊長、西住みほ。

 距離が離れていても、彼女であることは一目でわかった。

 

 私は、いつの間にか口を開けていた。

 声をかけようとした―― のだろうか。

 

 でも、何のために?

 

 私だって戦車乗りだ。

 走行中の戦車が、とにかくうるさい乗り物で、ハッチから頭を出していたとしても、外の人声――しかも、遠くにいる相手の声を聴き取るのが難しいことくらい、よくわかっている。

 

 だから私は、本気で彼女に気付いてもらおうとしたのではなかった。

 口を開けたのは、単に反射的なもの。

 深い考えがあってのことではなかった。

 

 でも、次の瞬間。

 私は唇を閉じていた。

 

 Ⅳ号の砲塔の側面左右にひとつずつあるハッチ。

 それが両方開いて、女の子がふたり身を乗り出したからだ。

 

 知っている子だ。

 名前も覚えている。

 装填手の秋山優花里と、砲手の五十鈴華。

 

 秋山優花里は、大会前に戦車喫茶で会ったとき、私に突っかかってきた子だ。

 五十鈴華は、あんなおっとりしたなりをして、すご腕の砲手だという。

 

 車体前方のハッチから顔を出して頰づえをついたのは、通信手の武部沙織。

 その隣のハッチから頭のてっぺんだけをのぞかせているのは、いつもなにを考えているのかわからない、操縦手の冷泉麻子。

 

 あれが彼女の今のチームメイト――

 

 どうしてだろう。

 そう考えると、胸がきゅっと痛んだ。

 秋山とかいう子が、横からひと言ふた言話しかける。

 彼女はそっちを向いて――

 

 笑った。

 

 屈託なく。

 ふわりと、自然に。

 黒森峰にいるときは一度も見た覚えのない、何の気負いも、憂いもない表情で。

 まるで、そこらへんにいる、ごく普通の女子高生みたいに。

 

 キュラキュラと履帯の音。

 

 はっとわれに返ったとき、Ⅳ号はもう、いなかった。

 とっくに通りすぎたあと。

 見えるのは背中だけ。

 

 M3リーに三式中戦車、カモのマークのB1bis――

 

 大洗の後続が走ってゆく。

 でも、私は見ていなかった。

 きびすを返してずんずん歩いていたから。

 

 だから、大洗の子たちはあいかわらず規律がない、なんて思わなかった。

 場所が校外で、誰が見ているかわからないのに、どの戦車もハッチを開けっぱなしにするなんて、とも思わなかった。

 好き放題に顔や体を出して、風を浴びたり、無駄話に興じたり、あさっての方角をぼんやり眺めたり、別の子にお菓子を投げて渡したりなんかして――とあきれたりもしなかった。

 黒森峰で同じことをしたら、先輩にどやしつけられて、懲罰として、練習後の戦車清掃かじゃがいもの皮むきを命じられているところなのに、とも。

 

 さっきからサンダルのひもが足に食い込んでいる。

 痛くはない。

 ぜんぜん痛くなんかない。

 なぜこんなに心が乱れるのか、自分でもわからない。

 とっくにふっ切れたと思っていたのに。

 全国大会で決着がついて、きれいに別れたと思っていたのに。

 

 なによ。

 なによなによ。

 なによなによなによ――

 

 なぜだかわからないけど、心の中でそうくり返す自分がいる。

 

 気付いてほしかったのだろうか。

 こっちを向いて、私を見つけたとたん、目を丸くしてほしかったのだろうか。

 戦車を止めて、なんだったら世間話でもしてほしかった?

 

 私が?

 あの子と??

 

 馬鹿馬鹿しい。そうじゃない。

 そういうことじゃない。

 だいたい私は偵察に来たのだ。

 見つかって喜ぶスパイはいない。

 私を傷つけたのは、彼女の笑顔だ。

 

 そう。そうだ。

 私は傷ついた。傷ついている。

 あの子があんな笑い方をするから。

 あんなふうに笑うなんて知らなかったから。

 それを見て、もしも、なんて思ってしまったから。

 思いついてしまった「もしも」が、とてもとても重かったから。

 

 馬鹿だ。

 私は馬鹿だ。大馬鹿だ。

 

 今さらそんなことを考えても、何にもならないのに。

 私は足元に視線をやったまま、速度を落とさずに角を曲がろうとした。

 そして、そのとたん、誰かにぶつかった。

 



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その2

「痛いわね! 気をつけて歩きなさいよ!」

 

 ぶつかった相手が、高い子供の声で叫ぶ。

 

 今日はついてない。

 前を見ていなかったせいで、エキシビションの観戦か海水浴に来た小学生とぶつかって、床に突きとばしてしまったらしい。

 

「こっちは急いでるのよ! 見つかったらどうしてくれるの!」

 

「ごめんなさい。大丈夫? 考えごとをしていて……」

 

 私はその子に手をさしのべる。

 そうしながら、どこかで聞いたことのある声だな、と考える。

 向こうも同じように思ったらしい。

 声の調子が変わる。

 

「あら。あなた、黒森峰の」

 

 尻もちをついたまま、抗議するように片腕を突きあげていたのは、やはり見覚えのある、小柄な少女だった。

 いや、見覚えがあるどころの話ではない。

 黒森峰の一員としては、忘れたくても忘れられない因縁の相手だ。

 

 昨年の全国大会決勝で黒森峰を破った北の強豪、プラウダ高校の戦車道チーム隊長、地吹雪のカチューシャ――

 

 セミロングの金髪。

 勝ち気な青い瞳。

 とがった八重歯。

 タンクジャケットは濃緑の詰め襟。上下がつながっていて、下はスカートではなく、かぼちゃみたいに丸くふくらんだショートパンツ。

 肌が妙につやつやして血色がよいように見える。

 ついさっきまで温泉にでも入っていたのだろうか。

 

「あら。そうなの。ふぅん」

 

 少女の表情が、何かを察したようにみるみるゆるむ。

 

「黒森峰の副隊長さんが、熊本からはるばる大洗まで、カチューシャの勇姿を拝みに来たってわけ?」

 

「違うわよ。ちょうど夏休みで、ちょっとだけ暇ができたから……」

 

「隠すことないわ。どう? 二対二のエキシビションとはいえ、全国大会の優勝校を破ったのよ。真の勝者はこのカチューシャ率いるプラウダだって、よっく理解できたんじゃないかしら?」

 

 あれは聖グロリアーナの作戦がよかったんでしょ――と、この小さな暴君相手に口に出して言わないだけの分別が、エリカにもあった。

 

――やれやれ。

 

 今日はとことんついてない。

 思い出したくない昔のことを思い出しただけでもうんざりなのに、今度は聞きたくもない自慢話。

 この子ったら、えらそうにふんぞり返っちゃって。

 いつも横にいる、ノンナとかいう長いつっかい棒はどうしたの。

 そんなんじゃ、またすぐ後ろに倒れちゃうわよ。

 

 ところが――

 エリカが、さっさと別れようと思いながら適当に相づちをうっているうちに、またカチューシャの表情が変わる。

 

「待って。あなた、戦車の操縦できるわよね」

 

 なんだろう。急に真剣な顔になって。

 

 黒森峰は基礎を重んじる校風だ。

 だから、今の担当である車長以外のどの役割に関しても、基本は叩きこまれている。そこが大洗のようなぽっと出とは違うところだ。

 

「まあ、少しなら……」

 

「よかった。ついてきて。用事があるの」

 

「ええ? ちょっと。帰りの時間があるんだけど……」

 

「緊急事態よ。人助け。戦車道受講者たるもの、困っている人がいたら見捨てるべからず。教本にも書いてあったでしょ」

 

 そんなの書いてあったかしら。

 

 でも、さっきたしかに、急いでいると言っていた。

 用事があるのは本当なのだろう。見捨てて帰るのも気が悪い。

 それに、どうせケチのついた日だ。最後に人助けをするのも悪くない。

 

 カチューシャがエリカの手を引いて走る。

 半分やけになりながら、エリカがカチューシャの後を追う。

 エリカの指を握ったカチューシャの小さな手のひらは、まるで雪の中で脈打つ心臓みたいに、赤く、そして熱い。

 

#

 

 ……おかしい。

 

 エリカがその結論に達するまで、時間はかからなかった。

 

 この子、人を助けるために急いでいるにしては、妙に人目を気にしている。

 どこかに目的地があって、そこを目指しているのは間違いない。

 だが、動きがゆっくりだし、物陰に隠れたがる。

 私にも背を低くするようしつこく言ってくる。

 

 それに、これは何だ。

 さっきからプラウダの戦車が何輛も、通りをさかんに往き来している。

 隊列を組むでもなく。

 特定の方向へ向かうでもなく。

 まるで何かを、あるいは、誰かを探しているみたいに――

 

 日が傾き始めた頃。

 カチューシャがエリカを導いたのは、まいわい市場からしばらく行ったところにある温泉施設だった。

 

 駐車場にプラウダの戦車が止めてある。

 

 いちばん数が多いのは、プラウダの主力であるT-34/76。

 あっちはT-34/85。

 エキシビジョンでカチューシャと、留学生らしい金髪の子が乗っていたやつ。

 あの砲塔の長いやつはIS-2。

 カチューシャの副官、ノンナの愛機だ。

 

 KV-1にBT-7、エキシビションに出ていなかった戦車もいる。

 が、黒森峰もよくやる手なので驚きはしない。

 規程の台数より多めに持ってきておいて、調子の悪い機体と取り替えたり、直前でオーダーを変更して、対戦相手の予想の裏をかいたりするのだ。

 

「よかった。誰もいないわ」

 

 背伸びをしてコンクリート塀の向こうをのぞき込んでいたカチューシャが、もがもがしながら塀を乗り越え、T-34/85のそばまで走り寄って手招きする。

 しかたなく、私も走る。

 着いたと思ったら、あの子の姿がない。

 

「ねえ、ちょっと。どこに行ったの」

 

 ひそひそ声で呼びかけてみる。

 返事がない。

 

(……帰ろうかしら)

 

 そう思い始めた頃に、カチューシャがようやく戦車の角から顔を出す。

 

「早く。早く乗って」

 

 周囲に人の気配はないのに、このおびえた声。

 誰に見つかりたくないというのだ、この子は。

 私は尋ねる。

 

「待ちなさい。どういうこと」

 

「どういうことって」

 

 やはり、なにかある。

 尋ねただけなのに、いたずらを見つかった子供みたいに目が泳いでいる。

 

「人助けって言うから来たのよ。困っている人はどこにいるの」

 

「それは、その」

 

「それにこれ、T-34じゃない。プラウダ戦車の操縦なんて知らないわよ」

 

「うそ」

 

「うそって、あなたがなにを知ってるの」

 

「ちゃんと知ってるわ。黒森峰はほかの学園艦の戦車の操縦も勉強するんでしょ。もしものときに備えて」

 

 本当によく知っている。

 前々からうわさはあった。

 聖グロリアーナやプラウダには、ほかの学園艦の動向を探るための、専門の諜報機関があるのだと。

 ただのゴシップだと思っていたけど、この様子では、それなりに根拠のあるうわさだったようだ。

 

「やるのは座学だけ。実際に搭乗するまではやらないわ。それに……」

 

「それに?」

 

「プラウダには生徒が山ほどいるでしょ。どうして全然関係ない私に頼むの」

 

「それは……」

 

 そのとき――

 

「誰かそこにいるのですか」

 

 遠くから声がした。

 同時に、懐中電灯の明かりがこちらに向けられる。

 

 まぶしい。

 光のせいで、声の主がわからない。聞き覚えがある気はするけど。

 でも、カチューシャにはわかったらしい。

 一気に様子がおかしくなった。

 

「お願い。すぐに戦車を出して。後で説明するから。ほんとうに一大事なのよ」

 

「ええ?」

 

 よっぽど、いやよ、と言ってやろうかと思った。

 出会うなり偉そうにして。

 うそをついて、人をこんなところまで連れてきて。

 今日中に帰れなくなったらどうしてくれるの。

 

――でも。

 

 目の前の少女を見ていると、とても言えなかった。

 

 だってあなた、プラウダの全生徒から恐れられる、小さな暴君じゃなかったの。

 それなのに、すがるような目をしちゃって。

 小さく震えてるじゃないの。

 いつもの偉そうな態度はどこへ行ったわけ?

 

 私はため息をつく。

 

「わかった。でも、少しだけよ。こっちにも都合があるんだから」

 

「ありがとう!」

 

 わあ。なんなの。

 いきなり抱きついてくるなんて、大洗の生徒会長じゃあるまいし。

 あわてて引きはがす。

 カチューシャは満面の笑みを浮かべている。

 なによ。さっきのはうそ泣き?

 それとも、今泣いたカラスが……ってやつ?

 

「操縦席わかるでしょ。時間ないわよ」

 

 おまけにその、人の変わったような偉そうな態度ときたら。

 当然のように車長席におさまってるし。

 いつの間にか戦車帽までかぶっちゃって。

 サイズ合ってないわよ。ぶかぶかじゃない。

 あごひもを結ばずに下でぶらぶらさせてるし。危ないじゃないの。

 黒森峰だったらあれだけで懲罰ものだわ。

 

 それに、ひょっとして、だけど。

 私に飛びついたのも、戦車に飛び移るための足場にするためだったんじゃ……?

 心の中で疑いながら、エリカはT-34/85の操縦席に滑りこむ。

 

 ああもう。狭いったら。

 プラウダの戦車ってどうしてこう窮屈なの。

 えーっと、ティーガーみたいなハンドルはなくて、レバー式なのよね。

 ギアレバーどこ? なんでこんな場所にあるの?

 

「ねえ、教本ないの? 見ながらやりたいんだけど」

 

「ロシア語のならそこにあるわよ」

 

「読めないわよ。さわりだけでも翻訳して」

 

「無理」

 

「なんでよ」

 

「わたしも読めないから」

 

「なんで置いてあるのよ!!」

 

 運転席前の小窓から見える狭い視界を、懐中電灯の光が横切る。

 

「誰です。誰か乗っているのですか? 返事をしなさい!」

 

 さっきと同じ声。

 でも、さっきより距離が近い。

 後ろからカチューシャが言う。

 

「準備ができたらすぐに出して。音は気にしなくていいから」

 

「平気? 人身事故なんて絶対ごめんよ」

 

「大丈夫。ちゃんと見てる」

 

 背後をうかがうと、カチューシャは背伸びしてキューポラをのぞいていた。

 

 ふうん。ちゃんと背が届くんだ。ぎりぎりだけど。

 

 理由は知らないが、どうやらこの子はプラウダから逃げたいらしい。

 なぜ?

 チームの隊長で、絶対的な権力を持っているはずのこの子が、なぜ彼女を崇拝する部下たちから逃げようとする?

 

 興味がないと言えばうそになる。

 ……が、知りたくないようにも思う。

 

 プラウダの政争がいかに陰湿でおぞましいか、うわさは聞く。

 知らないでいた方が、捕まったときに言い訳がきく。

 巻きこまれただけの被害者だと。

 もしくは、法律でいうところの、善意の第三者というやつだと。

 

 それにこの子は、プラウダの戦略を改革して、戦車道強豪校としての地位を確固たるものにした知将だという。

 

 この外見で?

 この言動で?!

 誰だってそう思う。

 この子はいわばお神輿――つまり祭り上げられているだけで、彼女の業績とされているものは側近の手腕なのではという説も、黒森峰内部では根強い。

 本当に名司令官なら、きっと学べることがある。

 お神輿だったとしても、それがわかれば、それだけで収穫だ。

 

 いや、ちがう。

 

 いくら計算高いふりをしても、それは本心じゃない。

 問題はこの、胸の中のもやもやだ。

 これを吹き飛ばしたいという私の気持ちだ。

 

 彼女と出会ったとき。

 この子なら、ケチがついたこの一日を、きれいにふっとばしてくれる気がした。

 だから、ついてきた。

 それが私の、本当の気持ちだ。

 

 エンジンはたしか、ここをこう……

 よし、かかった!

 

 小窓の視界を、懐中電灯の光がふさぐ。

 

「そこ、乗っているのは誰です! 誰か! こちらへ!」

 

 ホイッスルの鋭い音。

 声の主が吹いたのだ。

 

「後退! 早く!」

 

 頭上からカチューシャが叫ぶ。

 

――なにこのトランスミッション。ちゃんと整備してんの?

 

 私は心の中で悪態をつきながらクラッチを踏み、重いギアをつなぐ。

 後になって思えば、その瞬間、私の運命は決したのだった。

 

#

 

 エンジンがうなりを上げる。

 履帯がギャリギャリとアスファルトを噛む。

 

「後退しながら右旋回! その後直進して道路に出るわよ!」

 

 カチューシャが背後から指示を出す。

 

 ええい、無理言ってくれちゃって。

 ほかの車にぶつけても責任持てないわよ!

 私は腹立ちを乗せてレバーを引く。

 

 後退しながらの旋回は、奇跡的にうまくいった。

 でも、前進しようとしたところで、がこん、と重い音。

 戦車が止まり、車内が不安定に揺れる。

 

 頭上から鋭い叱責が降ってくる。

 

「なにやってるの!」

 

「だから、初めてだって言っているでしょ!」

 

 言い返しながら、講義で教わったプラウダ戦車の操縦方法を、必死に思い出す。

 

 外から鋭い警笛の音。

 

「誰か! こちらへ!!」

 

 呼びかけにこたえて、人の声と足音がこちらに近づいてくる。

 

 ええと、こうか?!

 

 ぐん、と動力の伝わる衝撃。

 履帯がふたたび回りはじめる。これで安心だ。

 

「……って、こっち壁じゃないの! ぶつかるわよ!!」

 

「だーいじょうぶ! 戦車なんだから」

 

 そうじゃなくて、壁を壊したら修繕費が大変でしょ!

 試合じゃないんだから!!

 

――と反論する間もなく、敷地の壁にぶつかった戦車は、ごりごりとコンクリートを削りながら、それを乗り越える。

 

(……ああ。大丈夫だったかしら)

 

 私は壁が壊れなかったことを心の中で祈る。

 小さな暴君が冷静に命令する。

 

「壁を越えたら右折。速度はこのままを維持。道路にそって北上するわよ」

 

「追いかけてくるんじゃない?」

 

「大丈夫。履帯にいたずらしてきたから。しばらくは動けないわ」

 

 だから私が追いついたとき、近くにいなかったの。

 かわいい顔してえげつないわね、この子。

 

「でも、市街地よ。町中をうろついている戦車に見つかったら――」

 

「だから、出くわさないように調べるんじゃない」

 

 背後でなにやら、ごそごそしている気配。

 ふり向いてみたら、カチューシャは車長席そばの通信機をいじり回していた。

 ああ、無線を盗聴するわけね。

 元(?)自軍とあらば、そりゃあ盗聴もしやすいでしょうよ。

 

「ふふ。ノンナがあわててる。言ったでしょ。私はあきらめないって」

 

 カチューシャが、ヘッドフォンを片耳に当てて、通信機のつまみを動かしながら、得意げに鼻をそびやかす。

 

「集合をかけてるわ。大通りは危険。そこの路地を直進して」

 

「あっちの高架に入っちゃえば?」

 

「今は駄目。上は目立つし、逃げ場がなくなる」

 

 はいはい。仰せのままに。

 

 私は重いレバーをえっちら動かして、慣れないT-34/85を駆る。

 カチューシャが不満げにほおをふくらませる。

 

「もう。クラーラったら、またロシア語で話しちゃって」

 

 カチューシャの態度はどこまでも横柄だった。

 だが、指示は的確だった。

 

 通信で相手の動きを読みながら、大通りを避け、駅とマリーナに近づかないよう、路地をぬって進む。

 その間、プラウダの戦車とは、一度も出くわさなかった。

 姿を見かけることすらなかった。

 おまけにカチューシャは、一度も地図を見ていない。

 戦車道の戦車に、カーナビなんて無粋なものは装備されていない。

 この少女は、地理をすっかり記憶しているのだ。

 大洗はプラウダのホームではない。

 つまり、今日のエキシビションのために覚えたことになる。

 

――なるほど。

 

 どうやらお飾りではないらしい。

 プラウダの少女を少しだけ信用する気になって、私は声をかける。

 

「どっちに進むの。大洗から出るなら、ここから北西へ向かって、橋を――」

 

「だめ。そっちのルートは川の先でさっきの高架とぶつかるから、先回りされるかもしれない。わざと遠回りする」

 

 大洗は、関東平野の東北東の外れに位置する。

 太平洋に面した町で、東は海、北と西は大きな川と湖に囲まれている。

 川を越える橋の数はきわめて少ない。

 車で湖は越えられない。

 南は地続きだが、方向が逆。

 

「つまり――」

 

「北東よ。ゴルフ場が見えるまでは見つからないように路地を進んで、そこから108号線を一直線。アクアワールドのそばの橋を渡って、北に抜けるわ」

 

 エリカにも異議はない。

 

 しかし……

 カチューシャの指示が間違っていたのか。

 それともエリカが違う角を曲がってしまったのか。

 入り組んだ路地を進むうち、ふたりは方向を見失ってしまう。

 ようやく知っている道に出るまでに、何度言い争いをしたことか。

 

 おまけに、出た場所が予定とちがう。

 ゴルフ場の西側をかすめて走るはずだったのに、ここはゴルフ場の南にある神社の近く。このまま進むと海沿いを走ることになる。

 

「どうする、右に曲がって108号線に戻る?」

 

「時間が惜しいからこのまま行く。どうせ昼間も通った道よ」

 

 車長席に戻ったカチューシャが、キューポラから周囲をうかがいながら言う。

 

(――ああ、そういえば)

 

 エリカも、その様子をモールに設置された巨大ビジョンで見た。

 榴弾で盛大にふっとばされたホテルが、たしかこの近くだったはず。

 

 それに、たしかに戻っている時間はない。

 

「道路でいいの? それとも降りる?」

 

「降りて。海岸の方が見つかりにくいから」

 

 エリカはカチューシャの指示にしたがって、人気のない砂利の海岸に降りる。

 

(大洗にもできたんだから……)

 

 スロープを使わずに段差を飛び越えてみたら、着地の衝撃が意外に大きい。

 車内が倒壊寸前のあばら屋みたいにぐらぐら揺れる。

 

「もう。下手ね!」

 

「この車のサスペンションがヘボなのよ!」

 

 文句を言い合いながら、まだ破壊の後が生々しいホテルを横目に、通りすぎようとしたときだった。

 カチューシャがいきなり叫ぶ。

 

「ストップ! 停車!!」

 

「何!? いきなり言われても止まれないわよ!!」

 

 なにを慌てているのかと、エリカは小窓から前を覗く。

 

 とたんに、視界に飛び込んできたもの――

 それは、プラウダのチームカラーである濃緑に塗られた、大型の戦車だった。



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2:アンツィオ一行、不運に巻きこまれる
その1


 夕日を右に見ながら、がたがたと揺れる戦車の中。

 

「あー、見たかったなぁ。エキシビション」

 

 さっきから操縦席のペパロニがうるさい。

 

 アンツィオ高校のムードメーカー。

 瞳はとび色。

 髪はにび色。

 髪は外に跳ねていて、片側だけ、耳の前に小さなお下げがある。

 かぶっているのは、スカート付きのハーフヘルメット。

 その上にゴーグルを引っかけている。

 

「こんな時間じゃ、大洗に着くころはもう夜ですよ? 絶対試合終わってるじゃないっすかあ」

 

「まあ、そう言うな。今度こそ、この道で正しいはずだから」

 

 答えたのは、アンツィオ戦車道のリーダーであるアンチョビ。

 本名は安斎千代美。

 もしくは統帥(ドゥーチェ)

 もしくはねーさん。

 黒のリボンと、縦巻きロールのツインテールにした緑の髪がトレードマーク。

 マントを羽織り、鞭をたずさえている。

 

「なんでまた遅刻しちゃうかなあ。ドゥーチェのせいっすよお?」

 

「どうして私のせいなんだ」

 

「地図を読み違えたのはドゥーチェでしょ」

 

「道を間違えたのはペパロニだろ」

 

「出発時間を間違えたのはカルパッチョっすよ」

 

 先刻からこの繰り返し。

 エキシビションに出る大洗女子を応援しようと、三人でCV33(カルロ・ベローチェ)一台に乗りこんで、アンツィオから出ばってきたのはいいのだが、途中で何回も道を間違えて、この有様なのだ。

 

 大洗の試合を寝坊や遅刻で見逃すのは、全国大会決勝に続いて二回目。

 車内の空気が悪くなるのも当然である。

 アンツィオの頼れる統帥であるアンチョビとしては、ここらでひとつ、驚天動地の打開策を見いだしたいところなのだが。

 

「やっぱりドゥーチェが悪いと思う」

 

 またか。もう。

 そんなに唇をとがらせるなよ。

 試合を見たかったのは私だって同じだっての。

 

「だって、ドゥーチェがCV33で行こうなんて言うから」

 

「足の速い車で行ったら、いい場所で観戦できるって言ったのはペパロニだろ」

 

「そりゃそうっすけど。なにもアンツィオからCV33で行くことないじゃないですか。大洗までトラックに載せて行けばよかったのに」

 

「だってお前、CV33単体で行くのと、CV33を載せたトラックで行くのでは、どっちがガス代を節約できると思う。うちはP40の修理代だってまだなんだぞ?」

 

 ペパロニがため息をつく。

 

「貧乏学校はやだなー。だいたいP40だって、ドゥーチェが乗り回すから」

 

「修復記念にみんなにお披露目しようって言ったのお前らだろ?!」

 

 アンツィオ高校は、全国大会二回戦で大洗女子に敗れた。

 その際破壊されたアンツィオ唯一の重戦車P40が、先日レストアを完了して学園艦に戻ってきたのだが、調子に乗って箱乗りをしているうちに石畳を踏み外し、戦車にあるまじき大回転を演じてまた大破。アンツィオの虎の子は退院即日ふたたび病院送りとあいなった。

 

 戦車道連盟は、競技中に破損した家屋や戦車の修理費用をすべて負担する――

 

 これは絶対的なルールだ。

 だからこそ、家屋を破壊された民間人が、運がついたと大喜びするのが、試合の風物詩になっている。

 しかし、逆に言えば。

 競技以外の理由で破損した戦車の修理費用に関しては、連盟は負担しない、ということでもある。

 かくして。

 金欠のアンツィオは、P40の修理費用をかせぐために、ホームページで募金までつのる羽目になったのであった。

 

「あー。見たかったなあ、試合。大洗がピンチになったら、CV33で乱入して華麗に活躍してやろうと思ってたのに」

 

(……そりゃ遅れてよかったわ)

 

 アンチョビがこっそり考えていると、反対側からカルパッチョが言う。

 

「見たかったなー、試合。せっかく応援グッズも用意したのに。たかちゃんうちわでしょ、たかちゃん鉢巻きに、たかちゃん横断幕まで……」

 

 こちらは長い金髪に萌黄色の瞳をした、アンツィオの名(?)参謀。

 今はCV33の砲手席に座っているが、ふだんはM41セモヴェンテを率いる。

 たかちゃんとは彼女の幼なじみ、大洗女子でⅢ突を駆るカエサルのことだ。

 

「いや、悪かった。私のミスだ。次は絶対トラックにCV33を載せて出るから」

 

 左右からステレオで責められてはどうしようもない。

 平謝りするしかないアンツィオ統帥アンチョビであった。

 

#

 

「でも、変ですね」

 

 カルパッチョが無線機をいじりながら言う。

 謝ったおかげですこし機嫌が直ったのだろうか。

 

「変って、なにが」

 

「試合は終わったはずなのに、まだ通信している戦車がいるんです」

 

「撤収の作業中じゃないのか?」

 

「最初はそう思ったんですけど」

 

 カルパッチョが、アンチョビのツインテールにヘッドフォンを押し当てる。

 

「……なるほど。やけに数が多いな。それに焦ってる。ロシア語か? だとすると、プラウダ?」

 

「もしかして!」

 

 今までむくれて溶けかかっていたペパロニが、がばっと起き上がる。

 

「まだ試合やってんじゃないですか?!」

 

「いや、どうだろうな、それは……」

 

「引き分けで延長戦とか。こりゃあ今からでも間に合うかもしれないですよ!」

 

「おい。聞け、ペパロニ」

 

「こいつはぐずぐずしてらんねー! 全速前進!」

 

「全速前進、おー!」

 

「おーってカルパッチョ、お前まで……」

 

 あんまりペパロニを乗せるなよ――と、アンチョビが抗議の視線を送る。

 カルパッチョが、いいじゃないですか、と言いたげに小さく舌を出す。

 

 まあ、たしかに、よどんだ気分のままで運転するより、希望をもって進むのがアンツィオ流かもしれない。

 たとえそれがぬか喜びで、後でがっかりするにしても。

 

#

 

 CV33は、なだらかな丘陵地帯に引かれた、未舗装の道路を移動している。

 

 周囲に人里の気配はない。

 道路の片側は、さっきからずっと林が続いている。

 反対側は、最初は砂や岩の多い荒れ地で、次にテーブル状の台地になり、今は起伏に欠ける平原だ。

 中央にひとつ、小高い山が突き出ている。

 おそらく、以前はスキー場だったのだろう。樹木が生いしげった山の片面に、草地の斜面が扇状に広がっている。

 

 のんびりした光景ではある。

 ただ、いくつか問題はある。

 最大の問題―― それは、大洗が海沿いの町であること。

 

 それなのに。

 右を見ても左を見ても、海どころか、水たまりのかけらすら視界に入らない。

 いささかなりとも判断力をそなえた人間であれば、本当に自分たちは目的地に近づいているのか、疑問をもってしかるべき状況である。

 

 さて、どうしたものか。

 アンチョビは、さっきからずっと、苦虫をかみつぶした表情のまま。

 

「あー、早く着かないかなー、大洗」

 

 その横で、ペパロニが、瞳を期待で輝かせながら体をゆする。

 

「ドゥーチェ、前方に車輌が」

 

 上からカルパッチョの声。

 先ほどから、オペラグラスで前方を偵察していたのだ。

 

「戦車?!」ペパロニが意気込む。「プラウダ? それとも大洗?!」

 

「おちつけ、ペパロニ。カルパッチョ、一般車輌か?」

 

「トラックのようです。マークからすると……テレビの中継車かもしれません」

 

「なに、報道? それはまずい!」

 

 アンツィオは、ただでさえ新聞の三面記事になりやすい。

 

 二回戦で、マカロニ作戦と称して張りぼてを用意したのに、予備まですべて設置したせいで即バレしたことも。

 大会決勝に前乗りしたのに、宴会でテンションを上げすぎて寝坊したことも。

 修理したばかりのP40を、すぐまた破壊してしまったことも。

 隠していたのに全部すっぱぬかれて、さんざん物笑いの種にされてしまった。

 これ以上の醜聞は困る。

 

「いいいいいか! われわれは決して、大洗の試合に向かっていたのに、道に迷って遅刻したのではない。これは正当な作戦行動の一環である!」

 

「えー? なに言ってんですかねーさん。うちらは大洗に……」と、ペパロニ。

 

「かっ、カルパッチョ! われわれの任務は何だ!」

 

「はっ?!」もうひとりの部下のほうは、さすがにもうちょっと察しがよい。「そ、そうですね。えーと、ピザに載せるキノコを探しに来たというのはどうでしょう!?」

 

「よし、それだ! われわれはキノコを捜索中なのだ。本日大洗でエキシビションが開催されていたことなど、なにも知らん。いいな!」

 

「ピザにキノコってあんま好きじゃないなー。水っぽくなんねーすか、あれ?」

 

「ペパロニ、お前は私がいいと言うまで口を閉じてろ!」

 

 ええー、とペパロニが口をとがらせる。

 優秀な統帥たるアンチョビがなだめに入る。

 

「いいか、報道には友好的に接するんだぞ。悪印象をもたれてはいかん。笑顔だ。いかなるときも笑顔を忘れるな」

 

「なに言ってんすか、ドゥーチェ」と、ペパロニ。「プレスの人はアンツィオ大好きですよ。うちらのことを教えてあげたら、いつも大喜びしてくれますもん」

 

「お前かぁ!!」

 

 アンツィオのドゥーチェは、この部下の首根っこをつまんで物置小屋に閉じ込めてやりたい、三食くらいメシ抜きの刑にしてやりたい、という内なる衝動を、必死で押し殺す。

 

 いや怒るな。怒っちゃいかん。

 いい子なんだ。悪意はないんだ。

 悪意がないから困るんだけど、ともかく、悪意はないんだ。

 

「ドゥーチェ、気づかれました」カルパッチョがグラスを覗いたまま報告する。「一名、こちらに向かってきます」

 

「くそ。えーい、とにかく笑顔だ。そして全員、なるべくしゃべるな!」

 

 部下に厳命しながら、アンチョビはもういっぽうのハッチから頭を出す。

 貼り付けたようなにっこり笑顔。

 演説のときに使うとっておきの表情である。

 

 カルパッチョの報告通り、前方に見えるのは、緑色のトラック。

 

 しかし――

 

 違和感がある。

 あのトラック、どこかで見た覚えがある。

 

 それに、こちらに近づいてくる銀髪の女性……

 白のワンピースを着ている。

 紐のサンダルをはいている。

 髪はポニーテール。

 避暑地のバカンスがお似合いの、夏のお嬢さんという風情。

 戦車ともマスコミとも無縁そう。

 

 ああいう知り合いはいない。

 いないはずだ。

 

 それなのに、どこかで見たことがある。

 前にどこかで会ったような気がしてならないのだが……

 

#

 

「なんであなたがいるのよ!」

 

「それはこっちの台詞だ。どうしておまえがこんなところにいる!」

 

 アンチョビは、白のワンピースの少女と言い合いを続けながら、道路沿いの林の中を歩く。

 

 どこかで見た覚えがあると思ったのも当然だ。

 こいつ、黒森峰女学園の逸見エリカじゃないか。

 なんでこんなお嬢さんみたいな格好をしている?

 見たことがあるのが堅苦しい制服姿だけだっただから、すぐにはわからなかったじゃないか。

 

「それで、話っていうのは何だ。われわれはこう見えてとても忙しいんだぞ」

 

「知らないわ。話があるのは私じゃなくて、あっち」

 

 エリカが林の奥を指さす。

 

 道路脇に停められているのは、後部にリフトのついた緑色のトラック。

 そばを通りながら、アンチョビは、もうひとりの部下にも心の中でクレームをつける。

 

 なんだもう、カルパッチョのやつ。

 なにがテレビだ。これは継続高校のポルトルカだぞ。

 側面の「継」のマークを見て、中継車だと勘違いしたんだな。

 アンチョビは、首をふりつつ、エリカの後を歩く。

 

 たどりついたのは、林の中のたき火。

 青白縦縞の制服を着た三人の女の子が、火のまわりに座っている。

 

「あれ? おまえらは……」

 

 こいつらにも見覚えがある。

 たしか継続のエースチームだ。

 

 チューリップハットをかぶって、ハープに似た楽器をひざの上に乗せた長い黒髪の子が、隊長のミカ。

 

 青い瞳で、はちみつ色の髪を後ろでふたつ短くお下げにした子が、砲手のアキ。

 

 ジャージの上からスカートをはいた赤毛でツリ目の子が、操縦手のミッコ。

 

 たきつけにされているのは…… なんだこれ。看板じゃないか。

 公園での禁止事項が書いてある。抜いて燃やしちゃっていいものなのか?

 

 三人は糧食(レーション)らしきものを食べている。

 夕食の最中だったらしい。

 お腹がぐうと鳴る。

 そう言えば、道に迷うのにいそがしくて、昼からまともに食事をとっていない。

 

「えーと、それで何だ。話ってのは?」

 

 尋ねてみたが、三人とも答えない。

 ただ、継続のリーダーが、ぽろろん、と手にした楽器をかき鳴らす。

 

「おい。人を呼びつけておいてその態度は何だ」

 

 重ねて尋ねてみる。

 それでも返事なし。

 はちみつ髪の子が、申し訳なさそうな表情で、横のほうを指さしただけだ。

 

「ああ? 何だ。そっちになにが……」

 

 そちらに目をやったアンチョビは、びくりと体を震わせる。

 視界から逃れていたが、アンチョビの横にもう一人、人物がいたのだ。

 闇に紛れていたのと、その少女の背が低いせいで、ちっとも気がつかなかった。

 

「じゃあ、そういうことでいいわね」

 

 その少女――プラウダ高校のリーダー、地吹雪のカチューシャが言う。

 話しかけている相手は、火のそばに腰かけた継続のリーダー、ミカ。

 だが、またしても返事はない。

 帽子の少女は、ぽろろん、と楽器をつまびいただけ。

 

「ちょっと、聞いてるの!?」

 

 カチューシャがじだんだを踏む。

 アキが、隣のミカに、とがめるような視線を送る。

 ミカがようやく口を開く。

 

「さて。風に聞いてみるよ」

 

 まったく要領を得ない。

 カチューシャが不満げにほおをふくらませる。

 アキが横からおずおずと口をはさむ。

 

「あの、OKだってことだと思いますよ」

 

「そう!」

 

 カチューシャは、ぱっと笑顔。

 ようやくアンチョビに向きなおる。

 

「ようこそ、アンツィオさん。いいところにきてくれたわ」

 

 アンチョビが口を開こうとする。

 遠くから、逸見エリカの声がそれをさえぎる。

 

「ちょっと! 傍受できたわよ! 接近してる!」

 

 声がしたのは、林の向こうから。

 

 止めてあるのは、濃緑に塗られたT-34/85。

 エリカは砲塔のハッチから顔を出している。

 陰になってよく見えないが、奥にもう一台、大型の戦車がいるようだ。

 

(……む。これは)

 

 なにやらきな臭い。

 いやな予感がする。

 こういう場合、相手に主導権を取られてはいけない。

 余裕があるふりをしてペースを握るのだ。

 アンチョビは胸の中で自分に言い聞かせる。

 

「なんだ。われわれは重要な任務の真っ最中で、話している時間はないのだが」

 

 しかし――

 

 アンチョビの警戒心は、カチューシャのひと言であっけなく吹き飛ばされる。

 

「ちょっと協力してくれない? 報酬は…… そうね、プラウダで採れた食料一年分でどうかしら」



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3:ノンナ、追跡する
その1


 まったく、カチューシャにも困ったものだ――

 

 闇が迫る中。

 ノンナは、走行中のIS-2の車長用ハッチから上半身を出して夕風に当たりながら、ため息をつく。

 

 ブリザードのノンナ。

 凜とした長身は、極寒のシベリアにそびえる針葉樹のよう。

 瞳は氷河の青。

 長い髪はオオワシの翼のような黒。

 ダークグリーンの襟元から赤がのぞく、プラウダのタンクジャケット姿。

 プラウダ戦車チームの副隊長。

 大口径長砲身のIS-2でレンジ外から敵を撃ち抜くスナイパーである。

 

(まさか、ここまで強情だとは……)

 

 そう思いながらも、表情は変えない。

 もしかしたら心の中では、まあ、そこがカチューシャのかわいらしいところなのだけど、などと考えているのかもしれないが、そこは徹頭徹尾の鉄面皮。

 真実を知るのは氷の女王本人のみである。

 

 ともあれ、珍事にして怪事である。

 偉大なプラウダの戦車長が、こともあろうに、チームを捨てて逃亡するとは。

 ことが(おおやけ)になっては、プラウダにとって恥であるだけでなく、カチューシャの将来にも大きな汚点となる。

 なんとしてでも、そうなる前に追いついて、戻ってくれるよう説得しなければ。

 

 温泉の駐車場からカチューシャのT-34/85が逃亡したとき、それを誰何(すいか)したのはノンナだった。

 

 逃亡した方角と部下の報告から、T-34は北に向かったと判断し、信頼できるクラーラにだけは真実を伝えて、大洗の北側にある二個所の橋両方に部隊を派遣するため、隊を分割。

 先回りするため、クラーラには51号線を北上してもらい、ノンナは可能性の低いもう一本の橋を選んだのだが、この時間になってもクラーラから報告がないところをみると、どうやらこちらの線が濃厚なようだ。

 

(……あるいは、完全に裏をかかれて、南進でもされたか)

 

 カチューシャならそれもありえないことではない、とノンナは思っている。

 

 だが、大洗近辺には、後詰めとしてまだ数輛、戦車を残してある。

 いくらカチューシャでも、まったく見つからずに行動するのは不可能だろう。

 事実、大洗の路地を北上するT-34/85の姿は、部下に数回目撃されている。

 

 気になる報告もある。

 民間人がひとり、カチューシャと行動をともにしていたというのだ。

 ノンナ自身、駐車場でT-34を見たとき、内部に複数の人物がいたように感じた。

 あの動きは視界の限られた操縦手ひとりでできるものではない。

 

 しかし、誰が?

 何のためにカチューシャと同行している?

 他校のスパイ、という可能性もあるだろうか。

 服装は完全に観光客風だったというが。

 

(まさか、一般人を人質にとるつもりでもあるまいが……)

 

 カチューシャがそんなことをするとは思えない。

 だいたい、意味がわからない。

 人質をとることに価値があるような状況ではないのだ。

 

 インカムがざーっとノイズを鳴らす。

 

「T-34発見! 9時の方角です!」

 

 僚機からの報告に、ノンナは双眼鏡を覗く。

 

 高台に、緑の戦車が一輛。

 夕闇にまぎれるように、こちらに背を向けて逃げてゆく。

 あのシルエットは、間違いなくカチューシャのT-34/85だ。

 

「あの狭い峡谷へ向かっています。発砲しますか!?」

 

「いえ」

 

 同行する部下たちは、T-34/85に搭乗しているのがカチューシャであることを、まだ知らない。逃亡者とだけ伝えてある。

 

 強固な統率力は、プラウダの偉大なる長所だ。

 他校はそれをうらやんで、校風が全体主義的だと揶揄したり、あるいは、生徒会が秘密警察を使っているとか、秩序を乱した者には陰湿なまでの処罰があるのだと陰口をたたく。

 だが、それはいずれも正しくない。

 過酷な北の大地を支配する法則は、太古からつねにひとつ。

 統率力の正体は、いつだって、強力なリーダーに対する個人崇拝だ。

 

(……それが乱れるのは、まずい)

 

 逃亡者の正体を知ったら、部下たちは激しく動揺するだろう。

 脱走者を甘く遇していては、プラウダの統率は守れない。

 しかし、カチューシャを傷つけるのも論外だ。

 

 なるべく穏便に。

 そして、なるべく短時間でかたをつけるしかない。

 

「許可があるまで、けして発砲はしないように。小隊をふたつに分けます。二輛は私に続きなさい。あとの二輛は別ルートで先行。渓谷の出口をおさえて、挟み撃ちにします」

 

「了解」

 

 後続のT-34/76の二輛がノンナのIS-2に従い、二輛が隊列を離れて動き出す。

 

#

 

「砲塔が旋回しています!」

 

 部下の声が緊張を帯びる。

 双眼鏡をのぞくノンナにも見えている。

 T-34/85が逃走を続けながら、こちらに主砲を向けていることが。

 

 だが、カチューシャは撃たない。撃たないはず――

 

 ノンナの願いもむなしく、こちらに目をつけたT-34/85の砲口が光点を生ずる。

 

 砲弾の風切り音―― 

 そして、着弾。

 

 先頭を行くIS-2の手前で土砂がはじけ飛び、ノンナの頭上から降り注ぐ。

 

「どうします。応戦しますか?」

 

――いまのは威嚇のはず。

 

 ノンナはまだ冷静である。

 

 情報が正しければ、あのT-34/85の乗員は二名。

 走行を続けているということは、ひとりは操縦にかかりきりで、手が空いているのはひとりだけ。

 カチューシャは操縦より指揮を好むから、撃ったのは砲手席に近いカチューシャ。

 装填も彼女がひとりでやるから、すぐには次弾を発射できない。

 

「落ち着きなさい。ただの脅しです。当ててはきません」

 

 だが。

 ノンナの予想に反して、T-34/85はすぐさま二発目を発射する。

 しかも、初弾よりも正確に。

 

 がいん!

 

 悲痛な金属音。

 後続のT-34/76が一輛、黒煙を上げながらきりもみし、IS-2の視界から遠ざかる。

 

――早い!

 

――そこまでしますか、カチューシャ!

 

 ノンナの心の中で、二つの驚きが交錯する。

 

「被害状況は!」

 

「履帯の破損です! 修理は可能ですが、しばらくは……」

 

(追っ手の足をつぶすつもりか――!)

 

 こうなっては仕方がない。

 ノンナは全車に号令を発する。

 

「発砲を許可します。だが、T-34/85には当てないように。動きを妨害できれば十分です。崖を崩して、進路を封じなさい!」

 

「了解!」

 

 狭い峡谷に入るT-34/85を、IS-2とT-34/76が追う。

 残り二輛のT-34/76は、先回りのために、峡谷のある台地を全速力で迂回中。

 自分たちがカチューシャの思惑通りに動いていることを、彼女たちはまだ知らない。

 

#

 

「ホントにやるんですかぁー、ドゥーチェ?」

 

 低木の茂みに隠れたCV33の中。

 エンジンを暖機しながら、ペパロニが尋ねる。

 

 まるで疑問を持っているかのような口ぶりだが、瞳が輝いているし、笑いを抑えきれずに白い歯が見えちゃっているし、レバーを握る手にも力が入っているし、どこからどう見てもすっかりやる気だ。

 エキシビションに間に合わなかった鬱憤をここで晴らす気だろう。

 

 もちろん、尋ねられたアンチョビにだって否はない。

 

「悪い話じゃないだろ。食料一年分だぞ。うちの欠食児童たちがどんなに喜ぶか」

 

「プラウダの食料って言ったら、やっぱ麦ですかね!」

 

「おう。やつら学園艦の上でも麦を育ててるっていうくらいだからな!」

 

「パスタ作り放題じゃないっすか!!」

 

 ペパロニの鼻息が荒い。

 

 無理もない。

 アンツィオ高校はただでさえ金欠な上に、生徒がそろいもそろって大飯喰らいの美食家と来ている。

 食料はいくらあってもあるだけ足りないのだ。

 

 もしかしたら生徒が大飯喰らいだから金欠なのかもしれないが、その疑問を口にしたり、のみならず是正を図ろうとすると、どんな名指導者でも政権が危うい。それほどまでに、アンツィオ生徒の胃袋は幸福に直結している。パスタと戦車(サーカス)さえ与えておけば満足する生徒たちなのである。

 

「ドゥーチェ、来ました!」

 

 ハッチからオペラグラスで外を覗いていたカルパッチョが報告する。

 

「予定通り、T-34/76が二輛です。まだ気づかれていません」

 

「ふん。やるな、プラウダのちびっ子め」

 

 元は味方で、しかも指揮をしていた当人ということはある。

 それでも、ぴったり当てるのは簡単ではない。

 カチューシャの洞察力を、アンチョビは憎まれ口半分ながら称賛する。

 

#

 

「――いい? エキシビションに来ていたのはたしかにプラウダの一軍だけど、追ってくるのは全員じゃないの」

 

 場所は、薄暗い林の中。

 

 たき火の炎に照らされながらカチューシャが説明したのは、つい先刻のことだ。

 

「戦力が各地に分散していることは、通信傍受で確認済み。だから、そのごく一部を、短時間だけ足止めできればそれでいい。逃げるにはそれで十分だから」

 

 聞いているのは、黒森峰女学園の逸見エリカ(なぜか私服)と、継続高校のミカ、アキ、ミッコの三人(なぜか全員無口)、そしてアンツィオ学園の統帥ことアンチョビ(なぜ自分がここにいるのかまだよくわかっていない)である。

 

 アンチョビが尋ねる。

 

「ごく一部って?」

 

「五~六輛」

 

「逃げるには十分って、逃げてどうするんだ、その先は」

 

 アンチョビとしては、ごく当然の疑問を提出したつもりだったのだが、それを聞いたカチューシャは、林檎だったら破裂している勢いでむくれまくった。

 

「どうするって、逃げて、逃げて、もっともっと逃げて、逃げて逃げて逃げまくるだけよ。でも、それに付いてこいって言ってるんじゃない。協力してほしいのは、あくまで、この周辺区域での話」

 

 あまり建設的な答えとは思えない。

 が、アンチョビにとって、カチューシャの動向は重要ではない。

 大事なのは、仕事の内容と、それにともなう報酬だ。

 

「われわれはこの場で足止めを手伝うだけでいい。そういうことだな?」

 

「ええ」

 

 カチューシャがうなずく。

 

「ノンナはおそらく発砲を避ける。私が谷に向かえば、部隊をふたつに分けて挟み撃ちにしようとするはずよ。アンツィオさんは、谷を迂回する戦力にちょっかいをかけて、先回りを失敗させてほしいの――」

 

#

 

「よし、行くか。ものども、覚悟を決めろ!」

 

 アンチョビが鞭をふりかざす。

 マフラーから小気味よい破裂音を響かせながら、CV33が茂みから飛び出す。

 

 目指すは、前方を走行する二輛のT-34/76.

 快足で知られるタンケッテだ。

 追いつくのなんてわけはない。

 あっという間に併走に持ちこむ。

 

 ……が。

 

「どーやって足止めするんです、ドゥーチェ?」

 

 そこまで考えていなかった。

 まずは注意を引く必要がある。

 が、たぶんこいつら、横にCV33がいることすら気づいていない。

 

「とりあえず銃でも撃ってみるか」

 

 カルパッチョが、前方の暗闇めがけて、ぱらぱらと8㎜機銃を撃ちこむ。

 機銃を横に振って挑発もしてみる。

 二輛とも無反応。

 

「聞こえてないんじゃないでしょうか」と、カルパッチョ。

 

「前に出ましょう、ねーさん。例のあれです!」

 

 ペパロニがアクセルを踏み込む。

 一段と速度を上げたCV33が、T-34の前に滑りこむ。

 

 アンチョビが号令する。

 

「よし行け! 二回戦で大洗の八九式を苦しめ、疲弊させ、多大なる戦果を上げた(※ことにアンツィオではなっている)CV33ターン、別名ナポリターン!!」

 

 ペパロニがブレーキを踏み、左右のレバーを倒す。

 ドリフトしたCV33が、華麗な180度ターンを決める。

 すかさずペパロニがギアをバックに入れる。

 タンケッテはそのまま全速で逆進。

 進行方向はそのままで車体の前後だけを入れ替える、アンツィオの超絶テクニックである。

 カルパッチョからそれを伝授された大洗のⅢ突が、今日のエキシビジョンで同じターンを決めたと知ったら、カルパッチョは大喜びしたに違いない。

 もっとも、不用意にターンしたせいで、Ⅲ突は直後にやられてしまったのだが。

 

「撃て、カルパッチョ! ドアをノックして、やつらの目を覚まさせてやれ!」

 

 CV33の二連8㎜機銃がふたたび火を吹く。

 

 前面装甲が弾丸をはじく、かんかんかん、という景気のよい音。

 弾丸はT-34に間違いなくヒットしている。

 にもかかわらず、二輛ともまったく反応しない。

 砲塔どころか、機銃のひとつも動かさず、平然と走行を続けている。

 

 アンツィオ一行は車内で頭を抱える。

 

「全力で無視されてるな」

 

「さすがはプラウダ。規律正しいです」

 

「地元の不良にからまれてると勘違いされてるんじゃないですかね、うちら」

 

「うむ。うちの子たちも、これくらいきちんと命令を守ってくれたら……」

 

「ねーさん、そりゃないっす。うちの連中は、気持ちじゃどこにも負けてないですよ。ほかの学園がいいなんて言わないでください!」

 

「いや、すまん。よくわかってる。そういうつもりじゃなくてだな」

 

「ちょっと運転かわってくれますか」

 

「え、なんて? おい、ちょっと、なにを」

 

「ちくしょープラウダめ。ねーさんの心をもてあそびやがって。文句を言ってやらなきゃ気がすまねー!」

 

 操縦をアンチョビに押しつけ、立ち上がってハッチを開けたペパロニが、後方のT-34めがけて拳を突きあげる。

 

「やい、プラウダのせませま戦車! おまえらの戦車は狭っこいから、子供しか乗れないって聞いたぞ!」

 

 なにを低レベルなことを……と、車内でアンチョビが頭を抱える。

 むこうだって、CV33に三人乗りしているやつらに言われたくなかろうに。

 

「どうした、出てこーい! それとも、出したくても出せないのか? すぐ逃げ出そうとするから、ハッチに外から鍵を掛けられちゃったんだろー!」

 

 恥ずかしいからやめてくれ……と、アンチョビが中からペパロニを引っぱる。

 と、反対側のカルパッチョまで立ち上がる。

 

「そうだそうだ! ピロシキ頭! 粗製濫造の雨漏り戦車! くやしかったらルーデルに勝ってみろー!!」

 

「カルパッチョ、おまえまで?!」

 

「このお、いいかげんにしろー!」

 

 T-34/76の操縦手用ハッチが、中からガチャコンと押し上げられる。

 

「黙って聞いてればいい気になって! 機銃だけの豆戦車に、そんなことを言われる筋合いはない!!」

 

「よっしゃ、釣れた!」

 

 喜々として運転席に滑り込んだペパロニが、レバーを押し込む。

 CV33は履帯を正回転。

 後ろ前で走っていたCV33は、半分横滑りするようにして、今までとは逆方向に走りだす。

 

 先頭を走っていたT-34/76が、待てこらと言わんばかりに、Uターンで後を追う。

 

「うまくいきましたね、ドゥーチェ」

 

 ペパロニが白い歯を見せて笑う。

 それに同意しながらも、プラウダの連中に悪いことを言ってしまった……と、ドゥーチェは心の中でしきりに謝るのだった。



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その2

 ノンナは、先を行く二輛のT-34を、無言で見守っている。

 

 追いかけっことなると、重戦車であるIS-2は分が悪い。

 そこで、T-34/76を先行させて、IS-2は後方から援護することにしたのだが…

 二輛の距離は、先ほどからいっこうに縮まらない。

 

 カチューシャのT-34/85は、T-34/76の改良型だ。

 最大の変更点は主砲のサイズ。

 型番()は体を表すのことわざ通り、T-34/76の主砲が76.2㎜であるのに対し、T-34/85の主砲は85㎜。砲塔のデザインがターレットリングの口径から見直されており、容積が増加し、居住性が大幅に改善された結果、以前は車長一人乗りだったスペースに、三人まで搭乗できるようになった。

 

 だが、いいことばかりではない。

 改良戦車ではありがちなことだが、エンジンは同じまま装備を追加したせいで、最高速度はわずかながら落ちている。

 落ちているはずなのだ。

 

 それなのに、二輛の距離は縮まらない。

 それどころか、遊ばれている気配すらある。

 おとりで釣ってからの待ち伏せは、プラウダがよく使う手だ。

 全国大会でも大洗相手にこの戦略を披露して、あと少しまで追いつめた。

 

(……ほかにも戦車がいる?)

 

 T-34/85のあの装填速度。

 瓦礫を避け、こちらをおちょくるように動く手慣れた運転――

 搭乗者が二名でないことは確実だ。

 間違いなく協力者がいる。

 

「車長、距離を詰めましょう! このままだと逃げられます!」

 

「いえ」

 

 速度をゆるめるよう、前方のT-34/76にも警告しようとしたとき。

 当の車輌から通信が入る。

 

「ノンナさま! 成功です。前方の高台に、先回りした友軍が!」

 

 たしかに、ノンナも肉眼で確認できる。

 

 狭い峡谷は、前方でいったん開けている。

 広場に入ったところで、断崖が行く手をさえぎり、道は左右に分かれる。

 分かれた道は、高台のへりに沿う坂道となり、弧を描いて崖の上へ続く。

 

 戦車が一輛、その崖の上に陣取っている。

 色は濃緑。

 まちがいなくプラウダ戦車の色だ。

 

(……考えすぎだったか)

 

 一瞬安堵しかけたノンナの警戒心は、しかし、すばやく目覚める。

 

 フォルムがおかしい。

 あれはT-34/76のシルエットではない。

 それに、先回りするのが早すぎる。

 

 ノンナは双眼鏡を覗く。

 アンバランスなほど巨大な箱形の砲塔。

 ずんぐりと太く短い砲身。

 あれは――

 

「KV-2!?」

 

 なぜこんなところに。

 あの戦車は、大洗の海岸で撤収を待っているのではなかったか。

 

 ノンナの困惑をよそに、KV-2の砲塔は、じりじりと回転する。

 狙いをつけているのは――

 カチューシャのT-34/85ではない。

 その後ろのT-34/76だ。

 

「いけない! 止まりなさい!!」

 

 ノンナが叫ぶのと、KV-2の152㎜榴弾砲が咆哮を発したのは、ほぼ同時だった。

 

#

 

 爆発の土煙は、遠くからでも確認できるほど盛大だった。

 

 KV-2の砲弾は、T-34/76をかすめもしなかった。

 当たったのは、大きく外れて、崖の側面。

 しかし、爆発が断崖をえぐり、土砂崩れを起こす。

 結果として、T-34/85を追っていたT-34/76は生き埋めに。

 ついでに道もふさがれてしまった。

 

「いやー、ひさしぶりの命中弾だべ!」

 

「んだなあ!」

 

 KV-2の内部では、ニーナとアリーナが再装填の作業にいそがしい。

 

 毛皮の狩猟帽をかぶったお下げの子がニーナ。

 

 黒髪おかっぱの子がアリーナ。

 

 ふたりともKV-2の装填手である。

 

 KV-2の砲弾は、弾頭と装薬が別々になった分離装薬式。

 ただでさえ砲が大口径で、弾薬が重たくてかさばる上にこれである。

 再装填には時間がかかる。

 西住流のような手練れには、いつもその弱点を突かれてしまうのだ。

 

「んでも、土砂で押しつぶすのは、命中って呼んでいいんだべか?」

 

「いんだあ。試合だったら絶対白旗が上がってるところだべ?」

 

「んだな! 埋まっちまって見んねぇけど!」

 

 KV-2は、全国大会の準決勝で、フラッグ車の盾役を満足につとめられなかった。

 エキシビションで破壊できたのもホテルだけだった。

 ニーナに至っては、準決勝で偵察に来た大洗のスパイ秋山優花里とエルヴィンに、機密情報をぺらぺらしゃべるという失態をしでかしている。

 ひさしぶりの戦果に浮かれても仕方がないところではある。

 

 彼女たちはなぜこんなところにいるのか?

 

 話は今日のエキシビションにさかのぼる。

 

 怪獣か海坊主のごとく海中から登場したKV-2は、不安定な岩場の上で砲塔を回したせいでバランスを崩し、砂利の海岸に砲塔がささって自壊した。

 試合後には、参加校全員が集まって、温泉施設で懇談会が開かれた。

 行動不能になった車輌は、そのあいだに引き上げてもらう手はずだった。

 ところが、そこで連絡が入る。

 

 KV-2は重すぎるから、クレーンを使っても立て直すだけで精いっぱい。

 とても牽引はできない。

 さいわい大きな故障はないようだから、運転して船へ戻ってくれ――というのだ。

 

 彼女たちは、ふたたび海岸へ戻った。

 立て直しの終わったKV-2を点検してみたところ、走行も、砲塔の操作も、発砲も可能だったが、ひとつだけ問題があった。

 通信機がおかしくなっていたのだ。

 

 具体的にいうと、受信がおかしい。

 音声が乱れて聞こえる。

 もしかしたら発信はできているのかもしれないが、返事がまともに聞こえないので、確認するすべがない。

 つまり、本部と連絡が取れない。

 おまけに、切れ切れに聞こえる通信の内容から推しはかると、むこうでなにか事件が起きている。

 試合で活躍できなかったおらたちが、ここで勝手に動いて、また迷惑をかけるのもしのびねえ。きっと用事が終わったら探しに来てくれるべ……という想定のもと、KV-2の搭乗員たちは、夕暮れの海岸で蟹とたわむれて遊んでいたのである。

 

 そこへやって来たのが、カチューシャとエリカの乗るT-34/85。

 カチューシャは、最初は肝を冷やしたようだったが、ニーナたちがなにも知らない様子なのを見て、それならついて来なさいと自信たっぷりに命令。なにも知らないKV-2を丸め込んで、ここまで引っぱってきたのだ。

 

 作業を進めながら、アリーナが疑問を口にする。

 

「それにしても、どうしてカチューシャさまは、味方を撃てなんて言うんだべ?」

 

「わっがんね。おらたちが試合で不甲斐なかったから、学園艦に帰る前に、模擬戦で根性をたたき直すつもりじゃなかっぺか」と、ニーナ。

 

 アリーナは、ああー、と一回納得しかけてから、ふたたび首をかしげる。

 

「たしかにKV-2(おらたち)は不甲斐なかった。けど、プラウダはエキシビションに勝ったんでなかったか? 特訓の意味がわからねえだ」

 

 んだなあ、とニーナも首をかしげる。

 

「でも、あのちびっ子隊長のことだから、きっとなにか深い考えがあるにちがいねえだ。下手に逆らって後で補習(シベリア)送りにされるくらいなら、おとなしく従っておくに限るだよ」

 

「んだなあ」

 

「んだ、んだ」

 

 かくして、プラウダ流の思考停止術に染まったKV-2の搭乗員たちは、そうとはまったく知らないまま、カチューシャの脱走に深く関わる羽目になったのであった。

 

#

 カチューシャの乗るT-34/85は、カーブの坂道をきゅらきゅら登って高台にたどり着き、KV-2と並んで崖下を見下ろす。

 

「見なさいこの威力! KV-2(かーべーたん)が本気を出せば、ざっとこんなもんよ!」

 

 車長席のカチューシャが勝ちほこる。

 砲手席のエリカは絶望のあまり天をあおぐ。

 

(無心よ。無心になるのよエリカ。動揺してはだめ)

 

 しかし、何度深呼吸をしても、スコープから見える光景は変わらない。

 

 崖を大きくえぐられ、変化した地形。

 取りのぞくのに数日はかかりそうな量の土砂崩れ。

 さすがKV-2。戦車戦より陣地攻略に向いていると言われるだけはある。

 

 それに、エリカは目撃した。

 T-34が、あの土砂の下敷きになるところを。

 

(――えらいことに巻きこまれてしまった)

 

 なぜ後のふたりが平然としていられるのか、エリカには理解できない。

 

 エリカはT-34/85の砲手席に座っている。

 横で装填手をしているのは、さっき出会ったばかりの継続高校の子。

 たしかアキという名前だったはず。

 操縦手は、同じ継続の、ミッコという赤毛の子だ。

 

 エリカとカチューシャが継続の三人と会ったのは、完全に偶然だった。

 KV-2を連れてT-34/85で逃亡している途中に、三人がキャンプしていた林にたまたま飛びこんだ。それだけの関係だ。

 継続はカチューシャとなにか取引をしたらしい。

 だが、エリカはその内容を知らない。

 T-34/85車内の通信機で、プラウダの動向に耳を澄ましていたからだ。

 

 しかし、不思議な縁である。

 

 歴史的な関係でいえば、プラウダと継続は仲がよくない。

 黒森峰とプラウダの関係だって、良好とは言えない。

 黒森峰と継続は、過去に共同戦線をはったことがある。

 だが、あれが心から信頼しあう互恵的な関係だったとは、とても言えない。

 互いの打算と、複雑怪奇な学園の関係性が生み出した、奇妙でいびつな代物だったように思う。

 その三校の生徒が同じ戦車に乗っているのだ。呉越同舟どころの話ではない。

 中国でたとえるなら、魏・呉・蜀が同じ船に乗り合わせているようなものではないか。

 

 それに、他校の戦車だから手こずるはずと思いきや、このふたり、びっくりするくらい手際がよい。

 アキはT-34の砲弾の格納場所を最初から知っていたようだった。

 ミッコは、エリカが苦心して動かした重いギアを、楽々と操作している。

 

 カチューシャが通信機をいじりながらぶつぶつつぶやく。

 

「ノンナったら、本気であの瓦礫を乗り越える気? ま、時間が稼げるからいいけど。あ、またロシア語。クラーラね」

 

「で、これからどうするのよ?」

 

 エリカが尋ねると、即座に返事がかえってきた。

 

「渓谷を出る。アンツィオのCV33が、T-34/76を二輛とも釣っていてくれればそれでよし。もしダメだとしても二対二ですもの。挟み撃ちじゃなきゃなんとかなるわ」

 

 カチューシャは、車長用ハッチを開放して頭を突き出すと、身ぶり手ぶりをまじえて、隣のKV-2に命令する。

 

「さあ、出口に急ぐわよ。ちゃんとついて来なさい!」

 

#

 

 いったん広がった峡谷が、また狭い一本道に戻る。

 道はゆるやかな下り坂。

 渓谷を抜ければ、緑の平原がはじまる。

 

 時刻はもう、夜だ。

 視界はいちじるしく制限される。

 エリカは主砲のスコープ越しに、前方の闇に目をこらす。

 

「いた、峡谷の出口! T-34/76が一輛、半分崖に隠れてるわよ!」

 

「しゃらくさい! 旧型が太刀打ちできると思ってんの? エリカ、外側から撃ち抜いちゃって!」

 

 ああもう。走りながら撃つのは好きじゃないのよ。

 えーと、T-34の車幅は約三メートル。で、この目盛り一刻みが…… シュトリヒじゃないのよね。なんで距離計が左右に二つあるの。どっち使えばいいのよ、これ。おまけに砲塔は手動旋回式だし!

 

 心の中で悪態をつきながら、エリカは85㎜砲を発射する。

 

「はずれ。うまくないわねえ、エリカ」

 

「だから、黒森峰と照準の形式が全然違うんだってば!」

 

 スコープに映ったT-34/76の砲口が光る。

 どうっと、地面がはじける音。

 車体が軽く揺れたけれど、スコープから目を離さなくてもわかる。はずれだ。

 

「二発目急いで! 次は当ててよ!」

 

「簡単に言わないで!」

 

 エリカは足もとのペダルを踏み込む。

 

「はーずれー」

 

 頭上からのんきな声が降ってくる。

 危機感ないわね。誰のために戦ってると思ってんのよ!

 敵の第二射が着弾する。前回より音が近い。

 

「ほらほら。当てないとあとがないわよー」と、カチューシャ。

 

「装填終わったよ!」横から継続のアキの声。

 

「もう! せめて躍進射撃でやらせなさいよ!」

 

 ええい。理論はこのさい後回しだ。

 前の二回の弾着位置から逆算して、目分量で修正して当ててやる――!

 

「じゃあ停車!」

 

 カチューシャの合図にあわせて、T-34/85が動きを止める。

 第三弾発射!

 自分でもうんざりするくらい、やぶれかぶれの一発だった。

 

 ところが。

 スコープの中のT-34/76が、がいんと軌道をゆがませて白旗をあげたものだから、エリカは喜ぶよりも憮然とした気分になる。

 

(……なんで当たっちゃうのよ、あれが)

 

「やるじゃない、エリカ!」

 

 車長席のカチューシャがウラーと拳を突き上げて称賛するが、返事をする気にもなれない。

 

「平原に出る! T-34/76がもう一輛、どこかにいるわよ、注意して!」

 

 T-34/85は、煙を上げるT-34/76を横目に、狭い谷間から滑り出して左折する。

 KV-2が、二呼吸ほど遅れてそれに続く。

 

「見える?!」

 

「待って。いま探してる」

 

 エリカに問われたカチューシャが、闇に覆われた草原に目をこらす。

 

 ここは周囲を山に囲まれた盆地。

 山べりに林があるほかは、ときおり高い木が生えているだけで、視界をふさぐものはほとんど何もない。

 

 遠くから、ぱらぱらと機銃の音。

 そちらに目をやると、かすかな閃光が定期的にまたたいている。

 

「いた、(なな)時の方角! CV33と追いかけっこしてる!」

 

「七時ね!」

 

 七時…… 七時…… ええい、ハンドル重っ。絶対明日腕がパンパンになってるわ。プラウダの子はこれを毎日やってるわけ?

 

 どーんと、どこかから主砲の音。

 しかし、CV33の機銃音は止まらない。

 あれをずっと避けているのだから、アンツィオの子たちも大したものだ。

 

(……というか、逃げながらどうやって機銃で戦っているのかしら?)

 

 というエリカの疑問は、CV33がスコープの視界を横切ったとたん氷解する。

 

 あきれた。あの子たち、ずっと後ろ向きで走ってるの?!

 

「とらえた! 停止射撃させて!」

 

「オッケー。今度こそ一発で当てなさいよ!」

 

 うるさいわね。黒森峰のドクトリンでは、停車してから撃てって言われてるの。聖グロリアーナみたいに行進間射撃やったら怒られるのよ。

 

 ぎいっ、と機体をきしませて、T-34/85が停車する。

 

 よし!

 

 T-34/76は、CV33の追跡にそうとう入れ込んでいたらしい。

 85㎜砲の発射に気づいたかどうかも怪しいもの。

 砲弾に直撃され、派手に回転しながら窪地へと消えてゆく。

 

「エリカ、今のはよかったわよ! やればできるじゃない!」

 

 そりゃどうも。

 っていうか、いつの間に呼び捨て?

 油断も隙もあったものじゃない。

 半分あきれながらも、エリカはスコープから目を離す。

 

「よくやってくれたわ、あなたたち。これで残るは、ノンナのIS-2一輛だけ。T-34/85でも余裕で逃げられるわ。もうすぐ約束のものをあげられるわよ」

 

 車長席のカチューシャが、自慢気に胸を張る。

 やれやれ終わったかと、エリカもため息をつく。

 

#

 

 そのときだった。

 

 ぱうっ、と乾いた音。

 同時に、夜空に黄色い光の玉が生ずる。

 まぶしく輝きながら、しっぽのように煙を引いて、ゆっくりと落ちてゆく。

 あれは……

 

「照明弾?!」

 

 カチューシャが車外に身を乗り出す。

 

 一発だけではない。

 破裂音が断続的に鳴りひびき、そのたびに、夜の高原は前より明るくなる。

 

 人工の星々に弱められた薄闇の中。

 特徴的なシルエットが次から次へと、山際の林から平地へとすべり出す。

 

 T-34/76にT-34/85、KV-1、BT-7にT-26、IS-3……

 昼間にエキシビションで見かけたやつ、温泉の前の駐車場に止まっていたやつ、そこにすらいなかったやつ――

 いるわいるわ。プラウダ戦車が大集合だ。

 

「いつの間に接近してたの!?」

 

 カチューシャが歯がみする。

 

「わかった、クラーラね! カチューシャがわからないと思って、こっそりロシア語で連絡を取りあって、逆側から接近してたんだわ! ずるい!!」

 

 元友軍という立場を生かして、無線を盗聴していた側が言うことじゃないでしょ――と口にしないだけの思慮が、エリカにもあった。

 

 照明弾は次々と上がる。

 範囲が広い。

 進行方向の前方と右側を、ほぼ囲まれている。

 左側はさっき抜けてきた台地。出入り口はひとつだけで、そこにはIS-2がいる。

 一八〇度ターンして逃げたとしても、険しい山にぶちあたる。

 

 CV33がT-34/85に走り寄る。

 ハッチから上半身を出しているのはアンチョビだ。

 

「おい、どうする。囲まれるぞ!」

 

「あわてちゃだめ。こっちの動揺を誘うために、わざと姿を晒しているんだわ。逃げ道がないことを見せつけようとしてるの」と、カチューシャ。

 

「あわてちゃだめと言われてもな」アンチョビが腕組みする。「むこうには、重戦車(硬いやつ)軽戦車(速いやつ)もまんべんなくいる。撃ち破るのも、足で逃げ切るのもむずかしいぞ」

 

 砲手席でスコープをのぞくエリカも同じ考えだ。

 見せつけようとしている……?

 とんでもない。そうじゃない。実際逃げ場がないのだ。

 こちらのまともな戦力はせいぜい二輛なのに、むこうは見えるだけで十輛以上。

 

 この絶対的な戦力差を、どうやって跳ね返すというのだ。



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その3

「いえ。逃げ場はあるわ」

 

 車長席から降ってきたのは、自信たっぷりの声。

 

「照明弾のつながりを見て。切れている部分があるでしょう。あそこへ向かう」

 

「切れている部分って……」

 

 たしかに、松明行列のように連々と続く光球が、前方右手でいったん途絶えて、そこだけ闇の空間になっている。

 なってはいるが――

 

「おいカチューシャ、あそこは山だぞ!」と、アンチョビ。

 

「ええ。あの山に登る」

 

 アンチョビが驚きで目をむく。

 だが、一瞬だけだ。

 

「どうなっても知らんからな!」

 

 捨て台詞を残して、快速のCV33はT-34/85を追い越して走り去る。

 

 一列縦隊。

 先頭はCV33、T-34/85が続き、末尾はKV-2。

 T-34/85とKV-2の距離は、谷を出たときよりさらに離れている。

 

 砲手席からエリカが叫ぶ。

 

「撃っていいの?!」

 

「射程に入ったらお好きに!」

 

 包囲戦になるなら、相手が態勢を整える前に、一輛でも多く減らしておきたい。

 ふたりともそれがわかっている。だからこその台詞だ。

 

「KV-2にも撃たせなさいよ! こういうときなら役に立つでしょ!」

 

「言われなくてもわかってるわよ!」

 

 どなりあいながら、エリカはスコープの中の光景をじりじりと眺める。

 望遠鏡に映る小さな像に、一刻でも早く大きくなってほしいのか、それともなってほしくないのか、自分でもわからない。

 

#

 

 口火を切ったのは、プラウダの重戦車IS-3。

 初弾にして、おまけに走行しながら発射したのに、着弾位置がすこぶる近い。

 T-34/85の車体がぐらぐら揺れる。

 

――腕がいい!

 

 エリカは歯がみする。

 

 強豪校はこれだから始末が悪い。

 選手層が分厚いから、ふだん試合に出ない生徒の中に、意外な伏兵がいる。

 もっとも、エリカの黒森峰だって立派に強豪校だから、ふだんは対戦相手から同じように恨まれているのだが、それはそれ、これはこれである。

 

 IS-3の主砲は、IS-2と同じ122㎜。

 エリカのティーガーⅡの砲塔を、二五〇〇メートル以上離れた場所から貫通できるだけの性能がある。

 T-34/85は、ティーガーIIの砲塔を側面から抜くのでも、八〇〇から一〇〇〇メートルまで近寄らねばならないというのに。

 おまけに、IS-3は車体が低い。

 傾斜装甲も優秀ときている。

 

 むこうはあの距離から、いつでもこちらを抜ける。

 だが、T-34/85は、たとえ近接しても、IS-3の正面装甲は撃ち抜けない。

 すくなくとも、馬鹿正直に真っ正面から撃ちあっている限り。

 だから、エリカにできるのは待つことだけ。

 いつまた撃ってくるのかわからない相手の姿を、スコープの拡大された視界の中で、ずっととらえたまま。

 

 距離の接近は、自分たちだけでなく、相手にとっても有利となる。

 それでも、近づくしかない。

 はやく。

 はやくはやくと、気だけがせく。

 

 ずっと黒点だったIS-3の砲口が、ぴかりと光る。

 

 一瞬後。

 

 ごぐぃぃん、という響動(どよ)みとともに、車内がすさまじく揺れる。

 

「やられた?!」エリカはそれでも、スコープから目を離さない。

 

「大丈夫、はじいた!」と、カチューシャ。

 

 はやく撃っちゃってよ、とは、それでも誰も言わない。

 車内の全員が、二台の戦車の特性を知りぬいている。

 

 だが、遠い。

 まだ遠い。

 まだ、あそこが見えない。

 このままでは相手に三発目を撃たれてしまう――

 

 エリカが歯を食いしばったとき。

 

 すぐちかくで轟音がした。

 弾着ではない。発射音だ。

 

 ほぼ同時に、IS-3の近くで火薬が炸裂して、望遠スコープの視界が盛大な土煙で真っ黒に塗りつぶされる。

 

――KV-2!

 

 後方の重戦車が、IS-3の122㎜をさらに越える152㎜榴弾砲を発射したのだ。

 その最大射程、じつに一二四〇〇メートル。

 怪物と呼ばれるだけはある、異形にして比類なき戦車である。

 

「見なさい! かーべーたんはすごいんだから!!」

 

 背後でカチューシャが勝ちほこる。

 ええ、まったくね――と、エリカも心の底から同意する。

 当たりはしなかったが、すくなくとも目つぶしにはなってくれた。

 貴重な時間を稼いでくれた。

 

 土煙が薄くなる。

 スコープの中では、進路を狂わされたIS-3が、きゅらきゅらと履帯を回して軌道を修正している。

 見えているのは、無防備な側面。

 

――ここ!

 

 エリカの一撃が、IS-3後部の燃料タンクを見事に撃ち抜く。

 IS-3が、派手な爆煙をあげて動きを停止する。

 

#

 

 だが、ほっとしているひまはない。

 

 散開して逃げ場をふさいだプラウダの戦車たちが、包囲を狭めつつ、次々に発砲を開始する。

 ボルシチ小隊の周辺は、たちまち砲弾の雨あられ。

 小型のCV33など、ときおり爆風にあおられて、車体を浮かせてしまっている。

 

 エリカは主砲で応戦をつづける。

 だが、今度の相手は、小回りのきく快速戦車BT-7や軽戦車T-70。

 相手がちょこまか動くせいで、まったく当たらない。

 やたらに動いているせいで、むこうだって砲撃精度が大幅に落ちているし、だいたい小口径だから、当たったところでたいして痛くはないのだが、わずらわしいことに変わりはない。

 

 そんな中、カチューシャはハッチから上半身を出したまま、夜の闇をにらむ。

 

「どうするの! このままだと危ないわよ?!」

 

 下からエリカがうるさい。

 が、カチューシャは返事をしない。

 闇に目をこらすうち、探していたものがようやく見つかる。

 プラウダの包囲網が切れた一角、闇の山麓に、ちかちかとまたたく光。

 

 照明弾ではない。

 自然の反射でもない。

 人工の明かり―― 明滅で信号を発する車のヘッドライトだ。

 

「いた! 方向転換! 二時の方角!!」

 

「ええ?! いたって、なにが?!」

 

「継続のトラックよ。先行してもらってたの!」

 

(ああ、だから一人いなかったんだ……)

 

 エリカははじめて納得する。

 姿が見えないから逃げたかと思ってたわ――とは、さすがに口にしない。

 なんて言ったっけ、帽子をかぶった…… たしかミカという名前の子だ。

 

 継続のミッコが操縦するT-34/85が、カチューシャの指示にしたがって進路を変え、KV-2がそれに続く。

 先頭のCV33が反応したのは、いちばん最後。後続がついて来ていないのに気がついて、あわてて後を追いかける。

 

 速さを生かして回りこんできたBT-7とT-70たちが、後方から一行を追う。

 前方左右からじわじわと距離を詰めてくるのは、主力のT-34の群れ。

 こちらが先に山へたどり着けるか。

 それともむこうが先に包囲網を完成させるのか。

 息がつまるような追いかけっこだ。

 

「エリカ、前を狙って! 主力をできるだけつぶしておきたい!」

 

 そう命令しながら、カチューシャは後方を見ている。

 

 見つめているのは、カチューシャお気に入りの頼れる同志、KV-2。

 なにも知らないのに、騙して連れてきてしまった機体。

 T-34/85との距離は、先ほどよりさらに離れている。

 後方から45㎜や46㎜の砲撃を浴びて、ときおり車体を揺らしながら、それでも懸命に走っている。

 

 平地でも遅れてしまうくらい重いのに。

 山道に入ったら、KV-2は付いてくることができるのだろうか。

 KV-2に山道を登らせることはできるのだろうか。

 もし捕まってしまったら、あの子たちは――

 

 カチューシャの迷いを吹き飛ばすように、KV-2が主砲を発射する。

 狙いは前方。

 輝く光球がカチューシャの頭上を飛び越え、並んでこちらに接近するT-34の前方で炸裂する。

 

「カチューシャさまー!」

 

 砲塔上部のハッチを開けた狩猟帽のニーナが、こちらに手をふる。

 

「おらたちがここで盾になって、できるだけ敵を食い止めます! おらたちのことは気にしないで、先に進んでけろじゃー!」

 

「ばか! ニーナ! 中に入りなさい!」

 

 自分だって外に出ているくせに、それを棚に上げて、カチューシャは怒る。

 

「もう、こんなときだけ察しがよくてどうするのよ!!」

 

 その選択肢だって、もちろん考えた。

 小を犠牲にして大を取るのは、基本的な戦略のひとつ。

 プラウダが大会で使ったおとり戦法は、まさにその最たるものだ。

 

――だけど、逃げるなんて。

 

 見下ろすのは、車長席そばの通信機。

 こんなこと、普段だったら絶対にやらない。

 卑怯だし、屈辱的ですらある。

 誇り高いプラウダのリーダーのすることじゃない。

 

 でも――

 

#

 

「ええい!」

 

 カチューシャは、意を決してマイクを握る。

 

「仲間をおいて逃げるなんて、そんなの隊長じゃないわ!」

 

 あらかじめチャンネルは合わせてある。

 追っ手のプラウダ全車に聞こえるように。

 だから、スイッチを入れて、思いきり叫ぶ。

 

「あなたたち、誰を相手にしているかわかってるんでしょうね! このカチューシャに砲弾の一発でも当ててごらんなさい! 卒業まで一生シベリア送りよ!!」

 

 効果はてきめんだった。

 戦列は一瞬で乱れる。

 

「カチューシャさま?!」

 

「カチューシャさまが、どうして??」

 

「逃亡者がカチューシャさまなの?!」

 

「どういうことですか、ノンナさま!!」

 

 プラウダの生徒は、なにも権力と恐怖で押さえつけられているから服従しているのではない。

 たまにちびっ子隊長と軽口を叩くこともあるが、隊長カチューシャに対する絶大な信頼と敬愛から従っているのだ。

 カチューシャは、彼女たちのその忠誠心を利用した。

 悪いとは知りながら。

 速度をゆるめ、あるいは停車するプラウダの戦車たちを見ながら、カチューシャは唇をかむ。

 

「今よ! この隙に走り抜ける! ニーナ、ちゃんと付いてくるのよ!」

 

 ニーナはハッチから頭を出したまま、目を丸くして硬直している。

 

「あの、カチューシャさま。いま、通信機から、カチューシャさまが逃亡者って聞こえた気がしたんですけど……」

 

「いいから、付いてくる!!」

 

#

 

 夜の闇につつまれた斜面のふもと。

 待ちかまえていた継続のトラックの前に、CV33が止まる。

 つづいて、T-34/85。

 KV-2が到着するまで、まだもうすこし時間がかかる。

 

「うまくいったな、おい!」と、CV33のハッチを開けつつ、アンチョビ。

 

 ミカがトラックの運転席でカンテレをかき鳴らす。

 口ではなにも言わないけれど、どうやら称賛しているらしい。

 

 だが、カチューシャは黙ったまま。

 表情は明確にご機嫌ななめ。

 こんな状況でなかったら、まるで泣いているように見えたかもしれない。

 小さな体に、クレムリンの尖塔より高いプライドを秘めた彼女である。

 隊員たちに正体を明かすのが、よほど本意でなかったのだろう。

 

「だが、どうする。今のですこし時間は稼げたかもしれんが、あのKV-2(でっかいの)が上までたどり着くまで効果があるか?」

 

 アンチョビが、それを気にする様子もなく尋ねる。

 

 不機嫌を無視したのは、わざとだ。

 遠慮している気配を出すと、むこうもそれを感じ取って、雰囲気がぎこちなくなり、言いたいことも言えなくなってしまう。

 こういうときは、まるで何も起きていないかのように接する。

 そうすることで、相手も反応しやすくなる。

 アンツィオの統帥(マーマ)ならではのテクニックである。

 

 小さく鼻をすすり上げてから、カチューシャは言う。

 

「大丈夫。ちゃんと方法を考えてあるから」

 

「ほう。どんな手だ?」

 

「いやな手よ。すごくいやな手」

 

 カチューシャの表情は、まだ冴えない。

 

 



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その4

 いっぽう、プラウダの戦車隊は、三々五々に立ち止まったまま、まだ混乱から立ち直っていない。

 

「ねえ、どうする?」

 

「逃亡者だよ。逃亡者なら攻撃しなきゃ……」

 

「でも、相手はカチューシャさまだよ?!」

 

「本当にカチューシャさまだった? ニセモノかも」

 

「そう、そうだよ! カチューシャさまが私たちを見捨てるはずないもの!」

 

「でも、カチューシャさまの声だった」

 

「それは……」

 

「――落ちつきなさい」

 

 浮き足だった通信に割りこんできたのは、静かな声。

 不用意に発言しようとした者の口をつぐませるのに十分な、氷のようにひそやかな緊張を帯びた声。

 こんな声を出せるのは、プラウダでもひとりだけ。

 

「ノンナさま――」

 

「相手は逃亡者です。プラウダが逃亡者にとる対応はつねにひとつ。どんなときでも変わりはありません。たとえ相手が誰であろうと、です」

 

「でも」

 

「さあ、一番に撃つのは誰です。それとも、私に撃たせたいのですか?」

 

 プラウダ戦車隊が凍りつく。

 

 だが、まだわずかに迷いが残っている。

 本当に撃ってよいのか。

 誰かが先に撃ってはくれないか。

 

 様子見のおびえた空気――

 そこへ、闇夜を切り裂いて、一発の砲弾が飛来する。

 

 狙いは山麓の敵小隊ではない。

 砲弾が着弾し、爆発したのは、プラウダ戦車隊のすぐ後方の地面。

 発射したのは、峡谷を越えて後方からあらわれた、ノンナのIS-2だ。

 

「攻撃しなさい。でなければ、次は当てます」

 

 最初とまったく変わらない、落ちついた声。

 その静かな声が、プラウダの生徒たちに決断を強いた。

 

 今までばらばらな方角を向いて立ち止まっていた戦車たちが、一輛、また一輛とエンジンを始動させる。

 整然と隊列を組んで、一点へと主砲を向ける。

 プラウダの生徒が命令に服従する理由は、必ずしも権力と恐怖ではない。

 だが、権力と恐怖は、いつだって服従に効果があるのだ。

 

#

 

 プラウダの戦車たちが、ボルシチ小隊の停車した山麓に砲を向けたころ――

 山のふもとは、不思議な霧におおわれていた。

 

 いや、霧ではない。

 カチューシャのT-34/85が車体後部から噴霧した煙幕だ。

 まだ遠い目的地を、後方から双眼鏡で確認しながら、ノンナは眉をひそめる。

 

(……なぜわざわざ、夜間に煙幕を?)

 

 煙にまぎれて別の場所に逃げるつもりか。

 それとも、よほど見せたくない何かがあるのか。

 

 左右は包囲してある。

 空いているのは山頂方面のみ。だが、行き止まりだ。

 この戦力差で籠城するような無謀は、はたしてカチューシャの流儀だろうか。

 カチューシャは囲むのは好きだが、囲まれるのは嫌いだ。

 だいたい、むこうにはKV-2がいる。

 あれを連れてこの山を登ることはできまい。

 

 ……となると、残るのはよっぽどの奇策。

 

「監視を強化。煙幕に隠れて逃亡する気かもしれません。砲撃はまだですか」

 

 ノンナの通信に応じたかのように、どずん、と重い発射音。

 しかし、砲弾が発射されたのは、煙幕の内部からだった。

 ゆるやかな弧を描くように横隊を取ったプラウダの戦列のただ中で、榴弾が炸裂する。

 軽量のBT-7とT-70が一輛ずつ、ごろんごろんと地面を転がった末に白旗をあげる。

 

――またKV-2!

 

 ノンナはほぞをかむ。

 まったく、味方のときは頼りないのに、敵に回すとこんなに厄介だとは。

 

「各自応射!」

 

 ノンナの叱咤に、プラウダの戦車が砲撃を開始する。

 

 だが、標的は煙の中。

 見えない相手めがけて、おのおのが好き勝手に狙いをつけ、場当たり的に弾を撃ちこんでいるだけだ。

 爆風が煙幕を消し散らすどころか、ひっきりなしに爆煙があがるせいで、視界はますます悪くなる。

 

――逆効果か。

 

 しかし、相手の行動を阻害できるなら価値はある。

 そう考えて好きにやらせているのだが……

 位置を察知されるのを恐れてか、最初の一発以来、むこうは攻撃を控えている。

 

 相手の動きを見たい。

 まずは現状確認だ。

 ノンナはマイクを握って、砲撃中止を命令しようとする。

 

#

 

 まさにそのときだった。

 巨大な航空機が、空を引き裂くすさまじい轟音とともに、彼女たちの上空を通過し、大地にひときわ暗い闇を落としたのは。

 

 エキシビションの日の夜――

 それは、学園艦に戻った大洗女子が、突然の廃艦を告げられ、それぞれに別れを惜しみ、戦車だけでも救うことはできないかと奔走していた時間帯。

 大洗の生徒会長角谷杏の緊急要請に応じて、サンダース大附属高校のケイが大学の航空輸送師団から借り出した超大型長距離輸送機、C-5Mスーパーギャラクシーが、偶然なにも知らずに、この空域を通りすぎたのだ。

 

 だが、なにも知らないのは、下界で戦うプラウダの生徒たちも同じ。

 巨大な機影と耳をつんざく爆音は、少女たちを動揺させ、いったん持ち直しかけた士気を崩壊させるのに十分だった。

 

「飛行機!?」

 

「サンダース! あれはサンダースの軍用機だぞ!」

 

「敵襲! 敵襲!!」

 

「敵の援軍だ!」

 

「ルーデルが来た!」

 

「爆撃だ! 爆撃される!!」

 

「カチューシャさまは私たちを捨てて西側に亡命するつもりなんだ!!」

 

「あなたたち! 落ち着きなさい!」

 

 いつも冷静なノンナも、さすがに声のトーンを強める。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 カチューシャには、サンダースに遠距離通信を入れる装備も、連絡する時間もなかった。たとえ連絡できたとしても、サンダースが協力するはずがない。

 

 いや――

 

 ノンナの脳裏を、サンダースの戦車隊長ケイの脳天気な笑顔がちらつく。

 

 お祭り好きの彼女なら、他校のもめ事すらイベントにしてしまいかねない。

 他校の事情に彼女たちなりの善意で首をつっこんだはずが、いつの間にか一番の当事者になり、泥沼にどっぷりはまりこんで抜け出せなくなるのが、サンダースという学園の伝統なのだ。

 

 そもそも最初から、カチューシャには協力者がいた。

 T-34/85の機敏な動きは、搭乗員が十分に揃っていることを物語っている。

 部下からの通信を信じるなら、アンツィオのCV33まで出没していたという。

 

(まさか、本当に援軍が――?)

 

 ノンナの思索を、部下の叫びが切断する。

 

「ノンナさま、T-34/85です! 山の中腹に!」

 

 双眼鏡を目に当てたノンナは、驚くというより呆気にとられる。

 

(……なんだ。あの集団は)

 

 統一感もなければ、戦略性も感じさせない。

 場当たり的。

 ごちゃまぜ。

 ただの寄せ集めではないか。

 おまけに、五十二トンもある重量級のKV-2が、多少遅れるだけで集団に追従している。

 

 だが、こちらの謎はすぐにとけた。

 ケーブルで牽引しているのだ。

 KV-2に繋がる二本のケーブルを引いているのは、カチューシャの乗るT-34/85と、緑色の軍用トラック。

 役に立っているのかどうかは不明だが、アンツィオの黄色いCV33が、その二台から繋がるケーブルを先頭で引っぱっている。

 

「カチューシャったら、あんなことを!」

 

 ノンナが思わずつぶやく。

 

 あれは大洗女子の西住みほが、全国大会決勝で黒森峰相手に見せた、ポルシェティーガー(P虎)引っぱり戦術の再現ではないか。

 

 西住みほを高く評価しつつ、同時にライバル視するカチューシャが、西住みほの戦術をそのまま模倣するなんて――!

 

 ノンナはカチューシャを知っている。

 けして口に出して誇ったりはしない。

 だが、誰よりも深く彼女を知っているという熱い自負が、この胸にある。

 だから、理解できる。

 プライドの高いカチューシャにとって、それがどれほど難しい決断であったかを。

 

(……そこまでして、ですか。カチューシャ)

 

 当のカチューシャは、T-34/85のハッチから出した上半身をそびやかしつつ、得意満面で腕を振りまわしている。

 

「どう! ミホーシャにできてカチューシャにできないことはないんだから!」

 

 ヤケなのか、虚勢なのか、それとも本当にもう機嫌が直ったのか。

 砲手席のエリカにはわからない。

 わかるのは、どうやらこの作戦がうまくいったらしい、ということだけ。

 

「攻撃しますか」

 

 部下からの通信に、ノンナが答える。

 

「いえ。砲撃中止。様子を見ましょう」

 

 そして、小さく息を吐いてから、こう付け加える。

 

「思っていたより長引くかもしれません。持久戦の用意を」



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4:エリカとカチューシャ、ノンナと交渉する
その1


 T-34/85の操縦席で、エリカは不安な夢から目覚める。

 起き抜けに、くしゃんとくしゃみをひとつ。

 

(なんでこんなに肌寒いのよ……)

 

 そう考えながら両腕を身体に寄せたところで、着ているのがノースリーブのワンピースだけだったことを思い出す。

 自分たちが、逃げ場のない小高い山の頂に追いつめられていることも。

 

 季節は八月の終わり。

 あと十日ほどとはいえ、まだ夏休みの最中なのに、戦車の中は妙に冷え込む。

 ふもとから聞こえてくるのは、あいかわらずの音声。

 

 昨晩、一行が山の頂上にたどり着いた前後から、敵の砲撃はぱたりと止まった。

 入れかわりに始まったのが、投降を呼びかける放送である。

 

 いわく、悪いようにはしないから投降しろ。

 人道的に扱うことを約束する。

 こっちに来ればあたたかいごはんがある。

 おまえらの父母兄弟は国賊となるので皆泣いているぞ。

 自由の女神は破壊された――等々。

 

(よくもまあ、飽きないもんね)

 

 黒森峰でみっちりしごかれてきたエリカには、その程度の感想しかない。

 

 頂上にいるエリカですら、うるさくて何度も安眠を妨害されたというのに、下で包囲している連中は、あれを至近距離の大音量で絶え間なく聞かされているのだ。

 とんだ爆音上映である。

 

(ここで待ちつづけていたら、もうやめてって、あっちの方が投降してきたりしないかしら)

 

 エリカにはまだ、そんな冗談を考えるだけの余裕がある。

 

 心配なのは、むしろ別のことだ。

 本来の予定では、この時間にはもう、黒森峰に戻っているはずだった。

 それがこんな、どことも知れぬ山の中で、プラウダ戦車に取り囲まれて一夜をすごす羽目になるとは。

 おまけに、いつケリが付くのかもわからない。

 

 隊長は心配しておられるだろうか――

 

 そうひとりごちたところで、そうではなく、もしかして心配してほしいのだろうか――という考えが心に浮かんで、エリカは複雑な気分になる。

 ついでに妹の方の顔まで思い出してしまったから、ますます気分が悪い。

 

(ええい、もう。どうしてあなたが出てくるのよ)

 

 エリカの脳内ランキングにおける、昨日の今日で絶対に思い出したくない人物堂々のワーストワン、西住みほが、どうして。

 

 いや。

 本当はわかっている。

 いま自分が置かれている状況のせいだ。

 この状況が逆境だからだ。

 だから、戦力的に十分とはとてもいえない大洗女子を率いて、圧倒的に不利な状況を何度もくつがえしてきた彼女のことを、つい考えてしまう。

 

#

 

(……こんな場所でくよくよ考えていてもしょうがない)

 

 エリカは操縦席前のハッチを開けて、外に出る。

 

 まず視界に飛びこんでくるのは、青い空。

 眼下には、緑の平野と、それを埋め尽くすように布陣した濃緑の戦車たち。

 セミの鳴き声が、拡声器の割れた音声に混じって、下から登ってくる。

 

 ここは山の頂上にほど近い、緑の斜面。

 

 T-34/85は、掘り返した赤土に車体を半分埋めるようにして、扇状にひろがった敵に対して、ほぼ正対に構えている。

 

 右側面、すこし離れた場所に、同じように斜面に車体を埋めたKV-2がいる。

 

 継続のトラックとアンツィオのCV33が停車しているのは、より頂上に近い後方。

 

 ひらけた斜面は、T-34/85とKV-2が監視しているこの方角のみ。

 残る三方向は、頂上からふもとまで、太い樹木が密集した森林になっており、戦車でも容易に登攀できない。

 

 たき火のある頂上へ向けて坂道を登ってゆく途中で、CV33とすれちがう。

 

 上部ハッチから上半身だけ出したアンツィオの隊長が、片手に双眼鏡を握ったまま、天板に突っ伏して寝息を立てている。

 見張りの途中で力尽きたのだろう。

 黒のリボンと緑の縦巻きツインテールが、天板にもたれてへんにゃりひしゃげているのが、どことなく不憫だ。

 中で寝返りを打った気配。

 残りの二人も車内にいるらしい。

 

#

 

 火のそばにいたのは、カチューシャひとりだけだった。

 前夜にも増して、不機嫌な表情。

 倒木に腰かけて、片腕でほおづえをついている。

 

「ほかの子たちは?」

 

 おはようと挨拶するのがなんだかむずがゆかったので、かわりに尋ねる。

 返事がない。

 

「まだ寝てるの?」

 

 もう一回尋ねる。

 やはり返事がない。

 ふくれっ面のまま黙っている。

 

 ……変な子。

 昨夜、西住みほの戦術を真似したことが、そんなに気に入らないのかしら。

 

 頂上の森のそばに置かれた継続のトラックや、斜面のKV-2を見回してみる。

 どちらも静まりかえっている。

 

 みんなまだ寝ているのか。

 無理もない。

 

 あの後、一行は、見張りを立てて交代で仮眠することにした。

 だが、あの馬鹿みたいなプロパガンダ放送が夜通し続いたせいで、全員うまく眠れなかったのだ。

 

 後方で妙な音がした。

 ずべべっと、滑った音。

 直後に、ずごんと、なにかが金属に当たった音。

 

 ふり返ると、CV33の上部ハッチから、アンチョビの姿が消えていた。

 

(……どんだけ寝相悪いのよ)

 

 あきれて見ていると、妙にあわてた様子でハッチをよじ登ってきたアンチョビが、下の方を指さしながら、エリカとカチューシャに向けて叫ぶ。

 

「おい、誰か来る! こっちに近づいてきてるぞ!」

 

#

 

「ええ?!」

 

 エリカは走って、斜面の下をのぞき込む。

 

 うるさいプロパガンダ放送は、いつの間にか止まっていた。

 履帯に荒らされたスロープを登ってくるのは、サイドカー付きの軍用バイク。黒森峰のコピー品だ。

 運転しているのは、エキシビションにも出ていた金髪碧眼のプラウダ生。

 名前はたしか、クラーラ。

 そして、サイドカーに座っているのは――

 

「ブリザードのノンナ!」

 

 エリカの声に、カチューシャがびくりと体を震わせる。

 

「白旗を揚げてる。交渉だな」双眼鏡を覗きながら、アンチョビ。

 

「降伏勧告でしょ」と、エリカ。

 

「だから、同じだろ?」

 

 エリカはカチューシャをふり返る。

 

「ねえ、使者が来てるわよ。あなたに会いたいんだと思う」

 

「いやよ」

 

 座ったまま、カチューシャはおびえたように体を引く。

 

「わたしは会わない。エリカ、あなたが会えばいいじゃない」

 

「私が会ってどうするのよ」

 

 皮肉でもなんでもなく、本心である。

 当事者でもなんでもなく、一〇〇%純粋に巻きこまれただけで、事情なんてまったく知らない私が、会って何を話せというのだ。

 

 そうだ。

 まったく知らない。

 さんざん戦車で追い回されて、危険なデカブツに狙い撃ちされて、こうやって山の上に逃げ込んで、包囲されて、一晩ろくに眠ることもできなかったというのに――

 

「あなた。いったいどうして逃げてるの」

 

 さすがに質問する権利くらいあるはず。

 そう思って尋ねると、カチューシャは居心地悪そうに視線をそらす。

 

「言いたくないわ」

 

「あのね――」

 

 それじゃ通らないでしょ、と言おうとしたとき。

 

 CV33から降りてきたアンチョビが、背後からエリカの肩を叩く。

 

「まあ、いいじゃないか。きっと言いたくない事情があるんだ」

 

 あなたはそれでもいいかもしれないけど――と、エリカは反論しようとする。

 体を寄せたアンチョビが、エリカの耳元で囁く。

 

「プラウダの事情だ。下手に首をつっこまない方が身のためかもしれんぞ」

 

 それは―― たしかに。

 

 プラウダ。

 鉄のカーテンの向こう側を漂う、謎につつまれた学園艦。

 

 生徒会の重要メンバーだったはずの生徒が、とつぜん行事に登場しなくなり、まるでそんな人物最初からいなかったかのように記録から存在を抹消される、それがプラウダ。

 

 公式な発表がなされないため、生徒総会の挨拶の順番や、体育祭の貴賓席の並び順から権力の動向を推しはかるしかない、それがプラウダ。

 

 そして、部活動での成績をあげるため、選手に最新の科学技術を駆使した人体改造をほどこしているという噂が絶えない、それがプラウダである。

 

「それなら交渉に出てよ。こっちは事情がわからないんだから」

 

 エリカは言う。

 カチューシャは逃げ場を探すようにあちこちを見る。

 

「じゃあ…… じゃあ……」

 

「じゃあ、何よ」

 

 下手に口をはさんだのがまずかった。

 視線がかみ合った瞬間、プラウダの少女は立ち上がって、エリカを指さす。

 

「じゃああなた、カチューシャを肩車しなさいよ!」

 

「はあ?!?!?!」

 

 意味がわからない。

 

 肩車とはなんだ。

 なぜここで肩車が出てくる。

 プラウダの政治用語? いや、それとも。まさか。

 

「肩車って、あの肩車?」

 

「そう。その肩車」カチューシャがうなずく。

 

「私が? あなたを??」

 

「いやなら出ないわよ。帰ってもらってちょうだい」

 

 カチューシャが小さな胸をそびやかす。

 

 いやいや。待って。

 何その強気。

 何その自信。

 交渉に出なかったら、一番困るのはあなたじゃないの?

 

 ぽんと、アンチョビがエリカの肩を叩く。

 

「いいじゃないか。してやれよ、肩車」

 

「なんで!」

 

「だっておまえ、肩車ひとつで交渉に出てくれるんだぞ」

 

「じゃあ、あなたがしてあげなさいよ! 頭の左右にふたつ、持ちやすそうなハンドルが付いてるじゃない!」

 

「いやー。そうしてやりたいのは山々なんだが」

 

「あー。そーよね。そーですよね。下手に引っぱって取れたらまずいものね」

 

「取れるわけあるか! 地毛だ!!」

 

#

 

 結局、エリカはカチューシャを肩車して、ノンナとクラーラが待つバイクのそばまで坂を下りてゆく羽目になった。

 

 カチューシャは得意顔。

 なにが嬉しいのか、エリカが担いだ両脚を気ままに振りまわしている。

 バランスが崩れたら泣くのは自分なのに。

 

(無心よ、エリカ。無心になるの)

 

 エリカはさっきから、それだけを心の中でくり返している。

 まさか自分が、プラウダの政治闘争に立ち会う羽目になるなんて。

 傍観者とはいえ、考えるだけで気が重い。

 

 それに……

 正直に言うと、あの黒髪の子は、ちょっと苦手だ。

 

 エリカはバイクのそばにたどり着く。

 

 クラーラと並んで立っていたノンナが、サイドカーの中から袋を取り出す。

 

「お腹がすいたでしょう、カチューシャ。食べ物を持ってきましたよ。それからお薬も」

 

「いらないわ」

 

 見えないけれど、頭上でカチューシャがぷいと顔をそむけた気配。

 

「機嫌をなおして、帰ってきていただけませんか。みなが動揺しています」

 

 答えはない。

 

「カチューシャ、あなたを信頼する同志たちですよ」

 

 また返事なし。

 

 何か言えばいいのに――と思いながら、なんの気なしに視線をめぐらせたとき。

 

 私は気づいてしまった。

 

 え、なに。

 

 怖い。

 こわいこわいこわい。

 あのノンナって子、なんでずっと私を見てるの。

 話しかけてる相手はカチューシャでしょ?

 それなのに、視線がずっと私に向いている。

 上にいるカチューシャじゃなくて。

 間違いない。

 絶対に私を見ている。

 

 怒っている……ようには見えない。

 非難するようでもないし、悲しんでいるようでもない。

 ただ、感情の読めない瞳を、ずっと私に据えている。

 据えたまま動かさない。

 それが怖い。

 

 未曾有の恐怖に震えるエリカの頭上で、カチューシャがようやく口を開く。

 

「いやよ。ノンナが何を言っても、絶対に帰らない」

 

 ノンナがため息をつく。

 

「帰らないって、ずっと山の上にいるつもりですか」

 

「それもいいかもね。冬までここで過ごすわ。スキーにちょうどいい山だもの」

 

「そんなこと無理だって、自分でもわかっているでしょう、カチューシャ」

 

「じゃあ、その前にどこかへ行く」

 

「どうやって? この山は完全に包囲されています」

 

「集まったプラウダの戦車を、すべて行動不能にする。楽勝だわ」

 

「この二輛で、ですか?」

 

 ノンナがはじめてエリカから視線を外して、斜面上のT-34/85とKV-2を見やる。

 今までカチューシャの下で凍りついていたエリカが、荒い息をつく。

 

「そうじゃなかったら、包囲を突破して逃げ出すわ」

 

「自他の戦力を正しく見積もることのできない指導者に勝利はありませんよ、カチューシャ。どちらも絶対に不可能です」

 

「正しく見積もってるわ。その上で言ってる」

 

「あら」

 

 ノンナがふたたび視線をカチューシャの側に向ける。

 より正確には、カチューシャの下のエリカに。

 エリカの身体がまた硬直する。

 

「それだけ自信があるなら、試してみますか?」

 

「望むところよ」

 

「条件は?」

 

「戦闘区域を定めましょう。勝利条件は、区域内の相手の車輌をすべて行動不能にするか、わたしの乗っている車輌が区域外までの逃亡に成功するか」

 

「殲滅戦とフラッグ戦を合わせたようなルールになりますね」

 

「戦車道の試合じゃないわ。だから、戦車以外の使用も可とする」

 

 ノンナが細い眉を上げる。「そういえば、そちらにはトラックがいましたか」

 

「ただし、こちらは人数が少ないから、乗り換えを許してもらうわ。白旗が上がる前に車輌から脱出できた人員は、別の車輌に乗り換えてもよいこととする」

 

「いいでしょう。そのかわり、こちらからも条件を」

 

「どうぞ」

 

「こんな状態が長期化してしまったら、のちのちの士気に関わります。期日を定めましょう。今日を含めて三日のうちに勝負がつかなかったら、こちらの勝ち。三日目の夕方になっても状況が膠着したままだったら、カチューシャには無条件で降伏してもらいます。いかかですか?」

 

「文句ないわ」

 

「では握手を」

 

 長身のノンナと、エリカの肩に乗ったカチューシャが、作法にのっとって丁重に握手をかわす。

 

「では、帰ります。われわれが下の陣地にたどり着くまで、攻撃はなしですよ」

 

「そんなことするわけないでしょ」

 

 カチューシャが強がる。

 だが、ノンナが食料の入った袋を持ち上げると、あっ、と小さく声をもらす。

 

「どうしました、カチューシャ?」ノンナの声に、からかうような響きがある。

 

「な、なんでもないわよ!」

 

「そうですよね。試合をするとなれば、私とカチューシャは敵同士。敵からの施しを喜んで受け取るような指導者は、プラウダにはいませんものね」

 

「言うまでもないわ! 持って帰りなさい!!」

 

#

 

 しばらく後。

 バイクを運転して坂を下りながら、クラーラはサイドカーのノンナに尋ねる。

 

「大丈夫なのですか?」

 

「なにがです」

 

 流れる光景を眺めながら、ノンナはなぜか鼻歌を口ずさんでいる。

 

「このことがよそに知られたら、問題になるのではありません?」

 

「すでに昨夜のうちに、戦車道連盟に届けを送ってあります。エキシビションの内容が、プラウダの理想とする戦車道にそぐわぬ不出来だったので、急きょ予定を変更して、校外で大規模な演習をしてから帰ることにしたと。問題にされることはありませんよ」

 

「同志たちには、なんと?」

 

「あなたたちが試合でだらしなかったので、カチューシャが怒ったと言っておきましょう。あなたたちを鍛えるため、心を鬼にして敵の役に徹しているのだから、全力で挑まない者はシベリア送りだと」

 

 ハラショー、とクラーラは相づちをうち、それから小さく首をかしげる。

 

「カチューシャさまは、本当に勝つ気でいらっしゃるのでしょうか? それとも強がっておられるだけ? とても勝てるような状況とは思えません」

 

 プラウダの陣地には、無傷の戦車が十輛以上控えている。

 山上に陣取ったカチューシャからは、それが見えているはずだ。

 

 だが、カチューシャの側で戦力と言えそうなのは、T-34/85とKV-2くらい。

 残る車輌がCV33とトラックでは……

 てんでお話にならないように、クラーラには思える。

 

「どうでしょう。私にもわかりません」と、ノンナ。

 

「でも、あなたは楽しそうに見えます、同志ノンナ」

 

 クラーラが指摘すると、ノンナがちらりとほほ笑む。

 

「……そうですね。カチューシャのことだから、本当に勝つ計画を立てているのかもしれません。油断していると足をすくわれますよ」

 

了解(パニョラ)!」

 

 そんな会話をロシア語で交わしつつ、ふたりは坂を下ってゆく。

 



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その2

 肩車したまま坂を登った後で、エリカはようやくカチューシャから解放された。

 地面に両手両ひざをついてぜえぜえ息をついていると、アンチョビが言う。

 

「なんだ、肩車くらいでへばったのか? だらしないな」

 

 違うわよ。

 肉体的な疲労じゃないんだってば。

 あなたにはわからないでしょうけど、こっちはね、ついさっきまで、深淵に通じる井戸をのぞき込んだら向こう側からのぞき返している誰かと目が合ったような、宇宙的な恐怖を味わってたのよ。

 

――とは、言いたくても言えないエリカである。

 

 

「で、どうなった」

 

 恨めしげな目で見上げるエリカをさらっとスルーして、アンチョビがカチューシャに尋ねる。

 

 アンチョビは、なぜか白のエプロンを着けて、片手にトングを持っている。

 アンチョビの後ろには、同じくエプロン姿のペパロニとカルパッチョ。

 離れたところで、KV-2の搭乗員たちが、不安げにこちらを見守っている。

 

「試合をするわ」

 

「試合!」

 

 カチューシャのひと言で、ペパロニが目を輝かせる。

 

「勝てば無罪放免。大手を振ってここから出て行けるわよ」

 

「われわれとの約束は」と、アンチョビ。

 

「もちろん守るわ。わたしたちが勝てたら、の話だけど」カチューシャがあたりを見回す。「それより、お腹が減ったわ。食べながら話をしましょう」

 

「それはいいが」

 

 アンチョビが腰に手を当てる。

 

「うちが提供できるのはパスタだけだし、三人のつもりで持ってきたから、これだけ人数がいるとな…… 何日持たせればいい」

 

「すくなくとも、今日を入れて三日」

 

「三日ぁ?!」

 

 腹が減っては戦ができぬ――

 

 それがアンツィオのモットーである。

 エキシビションの観戦に出かける前、もしもの場合にそなえて、CV33の後部に乾麺をぎっしり詰め込んでおいたのが、思わぬところで役に立った。

 すこし下った森の中に、小さな清水が見つかったので、それでお湯をわかすことにして、アンツィオの統帥(ドゥーチェ)がじきじきに朝食を準備中なのである。

 

「割り当て減っちゃいますねぇ」と、ペパロニ。

 

「それより重要なのは栄養バランスだ」と、アンチョビ。「炭水化物は偉大なエネルギー源だが、それだけではいかん。たんぱく質やビタミンをきちんと摂取しなければ、育ち盛りの肉体を維持できんぞ」

 

「栄養ならサプリでいいじゃない。タブレット持ってるわよ」と、エリカ。

 

「サプリだと?!」

 

 黒森峰のやつらはこれだから、とでも言いたげに、アンチョビが天をあおぐ。

 

「なによ、どこが悪いの。食品より効率的に栄養をとれるのよ」

 

 エリカが反論していると、カチューシャが横から言う。

 

「それより、エリカ。あなた、食べ物持ってるでしょ」

 

「どうして知ってるのよ!?」

 

「知ってるもなにも、戦車の中がずっと魚臭いったら。夏なんだから、さっさと食べないとだめになっちゃうわよ」

 

 そんなことないわよ、干物なんだから――と思うエリカではあったが、出さずにいるのも気が悪いので、昨日まいわい市場で買った魚の干物をしぶしぶ供出する。

 

 アンツィオ一同が喜びにわきたつ。

 

「魚!」

 

「どうします、このまま焼きます?」

 

「小さく切ってパスタと絡めたら合いませんかね、バッカラみたいに」

 

「アリだな! やってみるか!! おい、トマトピューレの缶出せ」

 

「オリーブオイルもありますよ」

 

「パセリもあるとよかったのになー。乾燥のやつを荷物に入れときましょうよ」

 

「お、見ろ。大洗産だぞ。シールが貼ってある」

 

「あ、いいなあー。エキシビション見たかったなぁー」

 

「まだ言ってるのか。いいかげん機嫌をだな……」

 

「大洗の名産品でパスタを作るのもおもしろそうです」

 

「あ、それいいなあ」

 

「大洗の名物といったら何だ。はまぐり? 干しいも?」

 

「干しいもパスタってどうでしょうね、ねーさん?」

 

「うーん。悩ましいな。パスタに練りこむか、それとも具材にするか……」

 

 わいわい楽しそうに調理にはげむアンツィオの三人を横目に、エリカはビニール袋に残ったお土産を取り出す。

 

 自分用に買った、アライッペのキーホルダー。

 結局これだけになってしまった。

 

 輪っかのところをつまむと、鎖でつながった小さなそれが、ゆらゆら揺れる。

 

 白い、丸っこい身体。

 黒いつぶらな瞳。

 顔の中央にはまぐり。これは鼻? それとも口なの?

 しっぽは潮干狩りにつかう熊手。

 全身に触手めいた太い毛が生えていて、まるでモップみたい……と思いきや、この毛に似たものはしらすだという。道理で、目のような黒点が付いている。

 

 ぶさかわいいという形容がぴったり。

 どこに出しても恥ずかしくないゆるキャラである。

 

(……なによ。なにを見てるのよ)

 

 私は、ぶらぶら揺れる小さな怪物をにらむ。

 人の気も知らないで、のんきなものだ。

 

 どうして買ってしまったんだろう。

 こんなもの、私には全然、これっぽっちも似合わないのに。

 私がこれを鞄に提げて、学校に行ったとして。

 それかわいいね、なんて言ってくれる人がどこにいるのだ。

 なにイメージに合わないことしちゃってるのと、陰で笑われるのがオチなのに。

 

 いや、それを言えば――

 

 隊長にだって。

 隊長にだって、似合うとは思えない。

 

(……じゃあ、どうなろうが結局無駄なんじゃない)

 

 そう自嘲しながら顔を上げる。

 

 カチューシャが青い瞳で私を見ていた。

 

「な、なに? 用事?」

 

 すばやくキーホルダーを隠して、何もなかったように装う。

 

 見つかってしまっただろうか。

 きっとからかわれてしまう。

 似合わないわね、とかなんとか――

 

 私は心の中で身構える。

 だから、彼女の次の言葉は、私にとって青天の霹靂だった。

 

「それは自分用? それとも、だれかにあげるのかしら?」

 

 ギクリとする。

 この子、ときどき不思議なくらい鋭い。

 

「あなたに関係ある?」

 

 なんとか言い返す。

 皮肉のひとつでも返ってくると予期していたのに、カチューシャは、言われてはじめて気がついたというように、肩をすくめる。

 

「そういえば、ないわね」

 

 かと思ったら。

 ぱっと表情を輝かせて、こんなことを言いだす。

 

「そうだ、エリカ。あなたにもあだ名があったほうがいいんじゃないかしら」

 

「はあ? どうしてよ」

 

「だって、あだ名のほうが親しみがもてるわ」

 

「いいわよ別に、そんなの」

 

 断ったのだが、この子ときたら聞いちゃいない。

 

「そうね。なにがいいかしら。カチューシャはカチューシャでしょう。西住みほはミホーシャ。あなたは逸見エリカだから……」

 

 エリーシャとか言いだしたらどうしてくれよう。

 警戒する私にむかって、プラウダの少女は言う。

 

「エリカ…… エリ…… エリツィンっていうのはどうかしら」

 

「それだけは絶対に嫌」

 

#

 

 やがてパスタがゆであがって、遅い朝食が始まる。

 

 アンツィオの子が作っただけあって、料理はおいしい。

 緑髪の隊長が、どうだどうだと何度も尋ねてくるので、まあおいしいけどと返事をすると、そうだろうと胸をそびやかす。

 戦車道の試合で勝ったときより、よほど嬉しそうだ。

 

 むこうでは、おそるおそるパスタを口に運んだKV-2の搭乗員たちが、驚きのあまり目を見張ったり、盛大にむせたりしている。

 たしかに、これよりまずいパスタを出すトラットリアだって、世間にはある。

 だが、あそこまで感動するなんて。

 プラウダの子たちはふだんなにを食べているのだろう。

 

 あの子はどうなのかしら――

 横目でちらりとうかがってみる。

 

 あきれた。

 フォークを握りしめて、すごい勢いでがっついている。

 本当に子供みたい。

 

「なによ」

 

 私は本当にあきれていたのだろう。

 ずっと見ていたせいで目が合った。

 

「別に」

 

 因縁をつけられてはたまらない。

 目をそらし、フォークを回してパスタを巻いていると、ばかにされたとでも思ったのか、おちびさんが口をとがらせる。

 

「黒森峰では、パスタがそんなに珍しいの?」

 

「そんなわけないでしょ。プラウダこそ、生徒になにを食べさせてるの? パスタなんて食べたことないんでしょ」

 

 むっとして言い返す。

 相手もむっとした様子で言い返してくる。

 

「ばかなこと言わないで。プラウダでは、すべての生徒が、平等に配給を受けられるの。パスタだってもちろん出る。ほかの料理だってたいしたものだわ」

 

「たとえば?」

 

「ボルシチとか。それに、ビーフストロガノフもある。ピロシキも」

 

「どんくさい田舎料理ばっかりじゃない」

 

 つい鼻で笑ってしまった。

 直後にしまったと思ったが、もう遅い。

 金髪の少女が、顔を真っ赤にして怒り出す。

 

「ぼ、ボルシチはすごく栄養のある、立派な食べ物だわ! 食べると身体が温まるのよ! 黒森峰こそ、ソーセージと黒パンくらいしか食べ物がないくせに!」

 

 そんな言い方をされると、こっちだって黙っていられない。

 

「そっちこそばかにしないで! 黒森峰には、ソーセージと黒パン以外にも、誇れる料理が山ほどあるんですけど!」

 

「たとえば?」

 

「は、ハンバーグとか」

 

 ちびっ子がぷーっと吹き出す。

 

「ハンバーグ! あなたったら、高校生にもなってハンバーグが好きなの?」

 

 顔がかーっと赤くなる。

 

「な、なに。なにが悪いの?!」

 

「だって、いつも小難しい顔して大人ぶってるくせに、よりによって好物がハンバーグ? ハンバーグ。ああ、ハンバーグ。逸見エリカの好物はハンバーグ」

 

「ボルシチよりましよ!」

 

「そんなことない! ハンバーグとボルシチだったら、ボルシチのほうがおいしいわ!」

 

「いいえ、ハンバーグのほうがおいしい!」

 

「ボルシチ!!」

 

「ハンバーグ!!」

 

「ボルシチ!!!」

 

「どうでもいいけどなあ、おまえたち」

 

 緑髪ツインテールというへんちくりんな髪型をしたアンツィオの隊長が、横からあきれ顔で口をはさむ。

 

「黙って食え。食事の席で喧嘩なんて、料理にも、同席している人たちにも失礼だろうが」

 

 私は黙る。

 アンツィオの生徒に従うのはしゃくだけど、この場合は正論だ。

 

 でも、プラウダのおちびさんは、まだ不満げな表情。

 矛先をアンツィオの隊長に転じて、追究を続ける。

 

「じゃあ、あなたは、ボルシチとハンバーグのどちらがおいしいと思うの?!」

 

 軽い質問ではない。

 尋ねる瞳が真剣だ。

 

「そうだな……」

 

 アンツィオの隊長もそれを悟ったらしい。

 ちびっ子にちらりと視線を送り、考えるように黙りこむ。

 

「どっち?!」

 

 返答によっては焦土作戦も辞さないと、おちびさんの表情が物語っている。

 ゆっくりと咀嚼を終えた後に、アンツィオの隊長がようやく口を開く。

 

「たしかに、どちらもおいしい料理だ。甲乙つけがたい」

 

「そんな答えじゃ……」

 

 カチューシャが口をはさもうとする。

 アンチョビが途中で制する。

 

「うん。だからいっそのこと、ハンバーグの上からボルシチをかけたら、両者の美点を兼ねそなえた、もっとおいしい料理ができるんじゃないか?」

 

 その答えは予想していなかったのだろう。

 カチューシャが、あっけにとられたように口を閉じる。

 アンツィオの統帥(ドゥーチェ)の大岡裁きによって、一触即発の危機はみごと回避されたのであった。

 

#

 

「おめ、勇気あんなぁ」

 

 食事が終わった後。

 私がひとりでいるときに、KV-2の搭乗員が話しかけてきた。

 

 この子も背が低い。

 黒髪を頭の後ろで短いお下げにして、狩猟帽をかぶっている。

 

「カチューシャさまに口答えなんて。後でどうなっても知んねえから」

 

「どうなってもって、どうなるのよ」

 

 私が尋ねると、狩猟帽の少女は恐ろしそうに身を縮ませる。

 

「どうなるって、そりゃ、恐ろしいことになるに決まってるべ。以前、プラウダの大食堂で、カチューシャさまはチビだって叫んだ生徒なんか、卒業まで永遠にシベリア送りになっただ」

 

「侮辱罪にでも問われたの?」

 

「んでねぇ。機密漏洩罪だ」

 

 なんだ、その、くだらないプラウダジョークは。

 

 私があきれていると、むこうで誰かが大声を出す。

 

「おーい! ドゥーチェ、大変です。こっち来てください!」

 

 ヘルメットをかぶったアンツィオの子だ。

 継続のトラックのそばで、大きく腕を振っている。

 

「なんだなんだ、どうした」

 

「なに。大声出しちゃって」

 

 アンツィオの隊長やカチューシャがそちらに集まる。

 

 私も行ってみる。

 

「寝てると思ってたんだ」

 

 私が近づくと、ヘルメットの子が言う。

 

「でも、いくらなんでも寝坊すぎると思ってさ。起きてこないなら、おまえらの分まで食っちゃうぞーって言いに来たんだ。そしたら」

 

 ヘルメットの子が、トラックのドアを開いて、車内を指ししめす。

 

 運転席と助手席が見える。

 前夜使った毛布が、くしゃっと乱れたまま放置されている。

 見えるのはそれだけ。

 

 つまり、誰もいない。

 

「近くにいるんじゃないのか?」と、アンチョビ。

 

「ひととおり探してみたんですけど、見つかったのは……」

 

 ヘルメットの子が、一歩森に踏み込んで、地面を指さす。

 

 やわらかい下生えに残っているのは、ブーツの跡。

 六足、つまり三人分の足跡がある。

 どれもふもとの方に向かっている。

 戻ってきた形跡はひとつもない。

 

 私は、アンツィオの隊長と、無言で顔を見合わせる。

 

 いったい、いつの間に――?

 

 ミカ、アキ、ミッコ。

 継続の三人は、トラックを山頂に残したまま、姿を消してしまったのだ。

 



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5:カチューシャ、咆哮する
その1


「継続のやつら、薄情ですねえ。なにも言わず逃げちゃうなんて」

 

 隣でペパロニが口をとがらせる。

 

「まあ、そう言うな。あいつらにはあいつらの事情があるんだろう」

 

 アンチョビは、双眼鏡で下界を見下ろしながら言う。

 ふたりは山の頂上近くに止めたCV33から、並んで上半身を出している。

 うかがうのは下界。プラウダの動向。

 

 時刻はすでに午後。

 空は青く、大地では緑の草花が風にそよぐ。

 宣戦はすでに発されたというのに、やけにのんびりした光景だ。

 それもそのはず。

 両軍は、山の上と下でお見合いをしたまま、今朝から一歩も動いていない。

 

「あいつら、なんで攻めてこないんですかね?」

 

「こちらの出方を見ているんだろう」

 

「あっちのほうが数が多いのに? ガンガン攻めて来りゃいいじゃないですか」

 

「まあなあ」

 

 ペパロニにこういうのは難しいか……と、アンチョビはこっそりため息をつく。

 

「むこうの攻め口はこの緑の斜面ひとつだけだろ? こっちからは丸見えだ。ということは、当然、最初に来たやつが狙い撃ちにされちゃうだろうが」

 

「それでも攻めましょうよ。数で上回ってるんだから、多少の犠牲は覚悟の上っす。物量で押し切るってそういうことでしょ、ドゥーチェ」

 

「そうはいかん。この斜面はあまり幅がない。大軍で一気には攻められないし、先頭の一輛か二輛がやられたら、それがそのまま障害物になって、後続は動きが取れなくなる。狭い坂道で立ち往生したところで、上から撃ちこまれて終わりだ」

 

 なるほどー、とペパロニが感心した声を出す。

 

「じゃあこっちは、どうして攻めていかないんです?」

 

「そんなもん、攻められるわけがないだろ。まともに撃ち合えるのが何台いる。T-34/85とKV-2の二輛だけだろ? それならここで籠城してたほうがマシだろう。攻めるよりも守るほうがやりやすいからな」

 

「カルロベローチェだっているじゃないっすか!」

 

 いや、いるよ。

 いるけどさあ。

 おまえ、本気でCV33をこういう場合の戦力に数えてるんだな……

 

 ペパロニの戦車愛に半分あきれ、半分感心するドゥーチェである。

 

「じゃあ結局、どういうことになるんです?」

 

「さあな」

 

 もったいぶったのではない。

 アンツィオの頼れる統帥(ドゥーチェ)をもってしても、この先どうなるのか読み切れないのだ。

 

「下手をしたら、ずっとお見合いのまま終わっちゃうかもしれん」

 

「ええー。せっかく派手にドンパチできると思ったのに」

 

 あからさまにがっかりしたペパロニが、CV33の天板にくずれ落ちる。

 

「それって、負けってことですよね?」

 

 CV33の中から、仮眠中だったカルパッチョが言う。

 なんだ起きてたのかと、ドゥーチェが車内に視線を送る。

 

「そうなるな。ドローの場合はこっちの負けだ」

 

「じゃあ、うちらから攻めるしかないじゃないですか。うちのちっこい大将はなにしてんのかなあ」と、ペパロニ。

 

 たしかに。

 ペパロニの言うとおりではあるのだ。

 

 アンチョビは双眼鏡の方角を動かして、自分たちのすこし下、T-34/85の車長ハッチから上半身を出したカチューシャを観察する。

 さっきから難しい顔で、ずっと腕組みしたまま。

 

――はたしてなにを考えているのやら。

 

#

 

 カチューシャにどういう思惑があったにせよ、それが発揮されることはないまま、夜が来た。

 

 変わったことと言えば、夕刻、サンダースのC-5Mが、またもや轟音をあげて上空を通過したことくらい。

 さすがに今回は、プラウダ生も落ち着いたもの。

 動揺したりはしなかった。

 だから、それを期にカチューシャが攻撃をしかけたりすることもなかった。

 

 山上ですごす二日目の晩。

 大洗の戦車道履修チームが、廃艦の決まった学園艦から追い出され、疎開先の小学校で初めての不安な夜をすごしていたころ――

 ごった煮(ボルシチ)小隊の内部には、緊張の弛緩といらだちの入りまじった感情がひろがっていた。

 

 緊張の糸がゆるんだのは、相手から攻めてくることはないだろう、という読みが、小隊全体に広がったからだ。

 

昼間、アンチョビがペパロニに説明したように、戦力上は相手が有利で、決着がつかなかった場合は相手の勝ちなのだから、攻めてくる理由がない。

 勝つにはこちらから攻めるしかない。

 が、いつ攻めるのかを決定するのはリーダーのカチューシャであり、自分たちではない。

 そして、攻撃命令は出されていないのだから、今は落ち着いていていい。

 そういう理屈である。

 

 いっぽうのいらだちは、じゃあ、いつ攻めるんだ、という疑問に起因する。

 

 いらだちを振りまいているのは、もっぱらペパロニ。

 あいかわらず、CV33のハッチから上半身を出して、いつでも出撃できる体勢だが、外から見えない車内では、貧乏ゆすりを続けている。

 

「夜襲すんのかなあ。夜襲ならうちらでも活躍できますよねえ?」

 

「まあ、昼間よりかは可能性あるな」

 

 CV33車内に腰かけたアンチョビの声にも、多少うんざりした調子がある。

 なにしろ、このやりとりも十数回目なのだ。

 

「夜襲するなら、はやく命令してくんないかなー。こっちにも心の準備があるんだけどー」

 

 ペパロニがそう言いながら体をゆする。

 

 と、横から声。

 

「夜襲はしない。休んで英気を養いなさい」

 

 坂の下のT-34/85へ向かう途中、CV33の横を通りがかったカチューシャの声だ。

 

「おい。じゃあ、むこうの攻撃を待つのか?」

 

 起き上がったアンチョビが、ハッチから頭を出して尋ねるが、カチューシャはふり向きもしない。

 

「ええ。攻めてくる。ノンナなら絶対にそうするわ」

 

「ホントかよ」

 

 アンチョビは、隣のペパロニと顔を見合わせる。

 

#

 

 深夜。

 

 カチューシャの予言通り、プラウダの猛攻が始まった。

 それも予想外の方向―― 上空から。

 

 最初に聞こえたのは、なにかが空気を裂いて飛ぶ、細く、高い音だった。

 ついで、炸裂。

 山頂付近の地面が勢いよく弾けて、土砂が高く舞いあがる。

 一発や二発ではない。

 四方八方で、やたらめったらに爆発が起きる。

 

「だんちゃーく!!」

 

 小隊は大あわて。

 寝ていた者は飛び起き、起きていた者はてんでばらばらに戦車の中に避難する。

 

 CV33の内部では、寝起きのアンチョビが混乱する。

 

「なんだ! なにが起きた?!」

 

 アンチョビはひたいをさすっている。起きたときにぶつけたのだ。

 ヘルメットを押さえながら、ペパロニが答える。

 

「くそ、あいつらこれを待ってたんですよ! だから動かなかったんです!」

 

「だから、なんなんだ、これは?!」

 

「カチューシャです!」

 

「カチューシャ?! うちのちびっ子の?」

 

「ちがいます! 音聞いてください、ドゥーチェ! カチューシャロケット! BM-8ですよ!!」

 

 BM-8。

 プラウダの自走多連装ロケット弾発射機。

 ロケット弾を設置したレールを並列にいくつも並べ、射角を調整するためのフレームに乗せて、車輌に搭載しただけの兵器。

 構造はシンプルきわまりない。

 軍用トラックにのっけたやつなど、寝ぼけた兵士が遠目に眺めたら、ものほし竿売りと間違えるかもしれない。

 

 しかし、威力はあなどれない。

 精度はたいしたことないのだが、問題は速射能力と面制圧能力。

 トラック型のBM-8は三十六連装もしくは四十八連装だが、全弾を撃ちつくすのに要する時間はたったの十秒前後。

 しゅうしゅう、うぉんうぉんという、冬の魔女のうめきにも似た特徴的で規則的な発射音とともに、一面に降り注いでは炸裂する。

 戦場の兵士に与えた恐怖心には、物理的な破壊力以上のものがあったという。

 

「戦車じゃないじゃないか!!」と、アンチョビ。

 

「だから、取り決めです。継続のトラックを使えるようにって、こっちが申し出たんじゃないですか」と、カルパッチョ。

 

 そうだった、とアンチョビが頭をかかえる。

 

「じゃあ、むこうは、試合が決まってからあれを呼びよせたってことか?」

 

「そうなりますね」

 

 えー、とペパロニが不満を表明する。

 

「ずっこいなー。ほかにも来てるんじゃないですか、それ」

 

「そういや、台数の上限決めてなかったな」アンチョビが腕組みする。

 

「どーすんすか。相手が百輛とかだったら、いくらうちらでも相手しきれないっすよ?!」

 

「考えてなかったなあ」

 

 いっぽう、T-34/85の車内では、カチューシャがいささか錯乱中。

 

「ノンナはもうカチューシャがいらないんだわ! こっちにいっぱいカチューシャがあるから、カチューシャなんかいなくていいって言いたいのよ! カチューシャが泣いても、カチューシャが鳴いてるから気にしないんだわ!!」

 

「ちょっと! 落ち着いて!」

 

 砲手席のエリカになだめられても、まだ涙目。

 

 爆発、爆発、また爆発。

 遠くで、近くで、爆音がはじけ、まるで竜巻に吹き飛ばされたみたいに、戦車ががたがたせわしなく揺れる。

 

「カチューシャさま! カチューシャさま!」

 

 通信機から、なまりのある声。

 エリカにも聞き覚えがある。

 朝食後に話しかけてきた狩猟帽の子だ。

 

 カチューシャが涙を拭いて、マイクをひっつかむ。

 

「なに! どうしたの、ニーナ!」

 

「申し訳ねえです! 砲撃で砲塔が故障しました! 回りません!」

 

「白旗は?!」

 

「上がってません! だけど、履帯もおかしくなったみてえで……」

 

「どっちが!?」

 

「両方です」

 

「両方?!」カチューシャがうめく。

 

「外れただけかもしれねえです。それなら修理できます!」

 

「だめよ!」

 

 カチューシャがニーナの言葉をさえぎる。

 

「砲撃が続いている間は、ぜったいに外に出ちゃだめ! BM-8(あれ)は再装填に時間がかかるから、その間に被害状況を確かめなさい。砲塔を最優先!」

 

 マイクを置いたカチューシャがほぞをかむ。

 

「やってくれたわね、ノンナ!」

 

 エリカにもカチューシャの焦燥の理由はわかる。

 

 BM-8の射程は五・五㎞。

 わざわざ見える場所から撃つ理由はないから、いるのはどこか遠く。

 いちばんの対抗手段が射程の長いKV-2なのに、よりによって、最初に故障してしまうとは。

 

 しかも――

 

 砲撃が止まらない。

 ある部隊が撃ち終わると、ほとんど間を置かずに、ほかの場所にいる別の部隊がミサイルを発射しはじめる。

 それが終わったら、また別の地点から閃光が生じる。

 そのくりかえしだ。

 おかげで修理する時間もなければ、反撃の糸口もつかめない。

 

「撃ち終わった後はすぐに移動。再装填のスピードも良好。今年の一年はなかなか練度がいいわ」

 

 ペリスコープをのぞきまわしながら、カチューシャがどこか嬉しそうに言う。

 

 なに自慢してんの、いまは敵なのよ――と言ってやりたいエリカではあるが、たぶん言うだけ無駄なので、かわりに尋ねる。

 

「何輛いるの」

 

「そんなに多くないわね。多くても六輛くらい。撃った後に場所を移動してごまかしてるのよ」

 

「……で?」

 

「で、ってなによ」

 

「どうするの。どうやって対抗するの」

 

「まあ、やることないわね」カチューシャの声はあっさりとしたものだ。「好きに撃たせておくわよ。エリカだってわかってるでしょ。本番はこの後だって」

 

 もちろん、エリカにもわかっている。

 これが本攻に先立つ準備砲撃であることが。

 

「待ってる間ヒマね。ばば抜きでもする?」

 

 ふたりでやって楽しいものでもないだろうが、ほかにやることもないので、エリカは同意することにした。



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その2

「――待っていてください、隊長!!」

 

 エリカは自分の声で目を覚ました。

 見ていたのは、忘れたくても忘れられない、あのときの夢。

 

 全国大会の決勝戦。

 大洗女子の作戦で、フラッグ車同士の一対一に持ちこまれ、隊長の危機に駆けつけることができずに敗れたときの。

 あんな悔しい思いは二度とごめんだと、心に誓ったはずなのに――

 

(……はずなのに?)

 

 なにが「はずなのに」なのだろう。

 エリカはぼんやりと考える。

 

――そうだ!

 

 閃光のようなひらめき。

 がばっと身を起こす。

 

 夜じゅう続いた、BM-8の砲撃。

 あれが終わったのはいつだったろう。思い出せない。

 考えてみれば、その前の晩もガーガーうるさいプロパガンダ放送のせいで寝不足だった。二晩連続でまともに寝ていなかったせいで、あのすさまじい砲撃の最中にもかかわらず、ついうとうとしてしまったのか。

 

 エリカの目の前では、プラウダのちびっ子隊長が、片手にトランプを握ったまま眠りこけている。

 起きているときは小鬼みたいにやかましいのに、こうして眠っている姿は、皮肉屋として知られるエリカですら、おもわず胸がきゅっとするくらいかわいらしい。

 

 雪のように白い肌。

 長いまつげ。

 ふわりとやわらかそうな金色の髪。

 陳腐な表現だが、本当に天使のように見えなくもない。

 

「ねえ、ちょっと」

 

 揺さぶってみるが、起きない。

 寝言が返ってきただけだ。

 

「んー…… もう…… 伴奏はバラライカにしてって言ってるでしょ……」

 

 どういう寝言なのよ……と思いつつ、ごそごそと移動して、操縦席のハッチを開ける。

 

 空はすでに白んでいた。

 

 まだ日は昇りきっていない……だろうか。

 昨日まで緑におおわれていた斜面は、昨夜の砲撃ですっかり表層をまきあげられて、痛々しい赤土を晒している。

 周囲はしんと静まりかえっている。

 物音ひとつしない。

 

(相手も疲れて寝てしまった……?)

 

 一瞬そんなことを考えてしまったのは、油断以外のなにものでもない。

 相手がそんな甘い考えの持ち主でないことは、理解しているつもりだったのに。

 

 最初に気がついたのは、あまりにも静かすぎることだった。

 

 鳥が鳴いていない。

 はげしい砲撃に晒された頂上付近だけではない。

 下界からもなにも聞こえない。

 

 それに、この、低く重い響き。

 音ではないものになりかけたような、地鳴りのようなこの音は……

 

――いけない!

 

 全身がさっと冷たくなる。

 

 双眼鏡を使うまでもない。

 ほど近い眼下の斜面を、きゃりきゃりと履帯をきしませながら登ってくるのは、朝の暗がりに溶けこむような濃緑に塗られた、冷たい金属の塊。

 

 プラウダの重戦車!

 

 一輛だけではない。

 後ろに数台が続いている。

 こちらに気づかれないよう、わざと砲撃を封印して、なるべく音を立てないように、じわじわと上がってきていたのだ。

 

(来ることは読めていたのに……!)

 

 エリカは、疲労と睡魔に勝てなかった自分を呪いながら、狭い戦車に潜り、車長席のカチューシャをゆり動かす。

 

「起きて! 敵よ! すぐそばまで来てる!!」

 

 さっきは何度ゆすっても起きなかったのに、今度は一瞬。

 ばっと跳ね起きたカチューシャが、頭の戦車帽を押さえながら尋ねる。

 

「何輛?!」

 

「少なくとも三輛! ぜんぶ硬いやつ!」

 

「ニーナ、起きなさい! ニーナ! アリーナ!!」

 

 カチューシャがマイクを握って叫ぶが、通信機から反応はない。

 

「ええい、もう! エリカ、一発撃っちゃって! 目覚ましよ!!」

 

「いいのね?!」

 

 エリカは大急ぎで、下から砲手席に滑りこむ。

 狙いをつけている時間はない。

 先頭の戦車をスコープに入れて、適当にぶっ放す。

 

 ずどぉん―― と、景気のいい音。

 

 惰眠を破られた通信機の向こう側で、混乱した声が入りまじる。

 

「なんだべ?!」

 

「また砲撃だか?!」

 

 カチューシャが叫ぶ。

 

「ニーナ、敵が来てる!! すぐ下! 撃って!!」

 

 だが、返ってきたのは、悲痛な叫び。

 

「カチューシャさま、だめですだ! 砲塔が!!」

 

「ああ、そうだった!」

 

 カチューシャが唇をかむ。

 

 昨晩の砲撃で、KV-2は砲塔と履帯を破損している。

 主砲は発射できるが、肝心の向きを調整できないのだ。

 

 先頭を進むKV-85の主砲が、ゆるゆると上に向き始める。

 こちらが撃ったということは、発見されたということ。

 もはやなりをひそめる必要はない。

 至近距離で重砲の撃ち合いだ。

 

 カチューシャが、なにかを決意したように、マイクのスイッチを入れる。

 

「俯角は取れる?!」

 

「回せねえだけで、そっちならできます!」

 

「じゃあ、砲を下に向けて待機! 相手がいい場所に入ったらすぐ撃つのよ!」

 

 マイクを切ったカチューシャが、砲手席を下りて再装填中だったエリカに叫ぶ。

 

「エリカ、そっちはいい! 操縦して!」

 

「装填は?!」

 

「わたしがやる!」

 

 エリカは大忙し。

 きゅうくつな戦車の車内をごそごそ這いまわって、また操縦席に戻る。

 

「前進!」小さな身体で85㎜徹甲弾を持ちあげながら、カチューシャ。

 

「前進?!」あいかわらず重いギアと格闘しながら、エリカ。

 

「いいから前進!!」

 

 エリカがT-34/85を発進させるのと、KV-85の砲弾がいままでT-34/85のいた場所に着弾したのは、ほぼ同時だった。

 

 履帯が赤土に爪を立て、エンジンがうなりを上げる。

 

 とたたたた、とどこかで機銃の音。アンツィオのCV33だ。

 

 ドライバーシート前のスリットから外を覗くエリカの視界の中で、KV-85の姿がどんどん大きくなる。

 

「ぶつかるわよ?!」

 

「ぶつけるの!!」

 

 避けようと舵を切ったKV-85の横腹に、T-34/85は突進する。

 がいぃぃぃん、と重い金属音。

 

「後退!!」

 

 カチューシャの号令に合わせて、エリカはギアをバックにつなぐ。

 車体が離れる。

 主砲がすべりこむ距離ができたところで、カチューシャがすかさず発射。

 ターレットリングとの継ぎ目を的確に狙い撃つ。

 KV-85が白旗を上げる。

 

 プラウダの後続が撃った砲弾が、KV-85の周囲につぎつぎ着弾する。

 後ろにいたのは、KV-1が二輛。

 だが、T-34/85は再装填が間に合わず、KV-2は向きが合わない。

 

「どうするの!?」

 

「後退! 五時方向!」

 

「え?! そっちは……」

 

「全速!!」

 

 ええい、どうにでもなれ。

 

 エリカはおもいきり左右のレバーを引く。

 

 T-34/85がむかう方向にずでんと構えているのは、動きを封じられたKV-2。

 がいぃぃぃん、とふたたび衝突音。

 下から全力で押し上げられて、KV-2の車体後部が、ずるずると斜面をのぼる。

 

 KV-2は砲塔を動かせない。

 だが、車体の向きが変われば――

 

 ずばうっ!

 

 カチューシャの指示通り。

 敵が射線に入った瞬間、KV-2が152㎜砲を発射する。

 

 榴弾は、今回も直撃しなかった。

 だが、大爆発に至近距離で巻き込まれては、さすがの重戦車も耐えられない。

 KV-1が一輛、おもちゃかなにかのように盛大に斜面を転げ落ちて白旗を出す。

 

 しかし、KV-1はあと一輛生きている。

 おまけに、すでにこちらへ砲塔を向けている。

 KV-2は装填が遅い。

 再装填を終えるまで、むこうに少なくとも一発は撃たれる。

 

「エリカ、砲手お願い!!」

 

「ええ?!」

 

 エリカは、せま苦しいT-34/85の車内を、身を細めるようにして移動して、どうにかこうにか砲手席にたどりつく。

 横ではカチューシャが再装填の真っ最中。

 

「いいわ! 撃って!!」

 

 T-34/85とKV-1の発砲は、ほぼ同時。

 

 だが、T-34/85がすこしだけ速かった。

 砲弾ははじかれたが、弾着の衝撃でKV-1の狙いがずれ、おかげでカチューシャたちは命をつなぐ。

 

「ニーナ、装填は?!」

 

 カチューシャの問いに、通信機越しにニーナが叫ぶ。

 

「もうすぐ! でも、射線が合いません!」

 

「エリカ、また操縦!!」

 

「もう!!」

 

 エリカは狭いすき間を逆戻り。

 頭をぶつけ、ワンピースからむき出しの腕をすりむきながら、操縦席に潜りこむ。

 

「ちょっとだけ前進! がんばって支えるのよ!」

 

 やることはわかっている。さっきの逆だ。

 

 T-34/85が前進する。

 支えをなくしたKV-2の重い車体が、斜面をずるずると滑り始める。

 エリカの仕事は、それを受け止めること。

 

 停車!

 

 ずぐおぉぉん、と後部から重苦しい震動。

 ギアをバックに入れ、重さに負けないように、必死で履帯を回す。

 

「カチューシャさま、いけます!」

 

「よし! ()ぇっ!!」

 

 KV-2が発射した光弾が、T-34/85のすぐ頭上を飛ぶ。

 

 直撃!

 

 KV-1はきりもみしながら吹っ飛んで、白旗を揚げながら斜面の下に消える。

 

「よーし!」

 

 カチューシャが車長席で片腕を突きあげる。

 通信機からも、ウラーとKV-2組の歓声。

 

 だが、広がりかけた楽観ムードは、一瞬でなりをひそめる。

 KV-2の砲塔をかすめて、山頂で爆発した一発の砲弾――

 

「まだいたの?!」

 

 カチューシャがキューポラから外を覗く。

 

 近くには―― 敵影なし。

 

 発砲したのは、下方からゆっくりと上ってくる戦車隊の先頭車両。

 小さな砲塔と、それに不釣り合いなほど長い砲身。

 特徴的なシルエットだ。

 

「……ノンナ!」

 

 カチューシャの顔色が変わる。

 濃緑の戦車は、吹雪のように冷徹な狙撃手が乗るIS-2だった。

 

「ニーナ、狙える!?」

 

「この角度では無理ですだ!」

 

 ニーナの返事に、カチューシャがほぞをかむ。

 

 方角が悪い。

 KV-2の主砲をIS-2へ向けるには、KV-2の車体を押し上げる必要がある。

 だが、さっき斜面を滑らせたせいで、KV-2はアンバランスな角度で止まってしまっている。

 

「どうする!? いったん離れて押し上げる?」と操縦席から、エリカ。

 

「だめ! 支えがなくなったら横転する!」と、カチューシャ。

 

 つまり――

 

 履帯が故障したKV-2だけでなく、T-34/85も動けない。

 この場に釘付けになったまま、超高校級の砲手の攻撃に晒されるしかない。

 

「じゃあ、どうするの?!」

 

「操縦はもういい。砲手席へ!」

 

 エリカも今回は不平を言わない。

 切迫した状況であることがわかっているからだ。

 

 エリカは、手脚をすり傷だらけにしながら砲手席にのぼり、スコープをのぞく。

 視界には、主砲をこちらにぴったり合わせたIS-2。

 相手は122㎜。

 対するこちらは85㎜。

 装甲もむこうのほうがはるかに厚い。

 相手のほうが強くて硬いのに、相手が近づくまで待っているしかない状況――

 初日の対IS-3戦の再現だ。

 

 だが今回、こちらはまったく身動きが取れない。

 

(これは、危ういか……)

 

 口には出さない。

 だが、心の中で、エリカは半分敗北を認めかけている。

 

 夜明けが来ていた。

 太陽にかかっていた雲が晴れ、戦場は明るい朝日に照らされる。

 

 その時だった。

 ふもとの平地で待機中だったT-34/76の一輛が、じわりと移動を開始したのは。



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その3

 ノンナの視界には、山頂近くでKV-2に寄りそうT-34/85が見えている。

 

――やはり。

 

 KV-2の砲塔はあさっての方角を向いたまま。

 先行した三輛の報告通り、どこかが故障しているらしい。

 

 いっぽう、T-34/85の砲口は、まっすぐノンナをにらみつけている。

 だが、この距離ではIS-2の装甲を抜けないことを、ノンナは知っている。

 カチューシャがそのことを知っていることも知っている。

 

――がんばりましたね、カチューシャ。

 

 どこか惜しいような気がしながら、ノンナが主砲のフットペダルを踏もうとした、そのとき。

 

 通信が、やにわに乱れた。

 

「このぉ! 血迷ったか!」

 

「反動だ! 裏切り者! 反逆者が出た!!」

 

 ノンナはスコープから顔を離して、ため息をつく。

 

「落ち着きなさい。なにごとです」

 

 通信機のざーっという雑音の中に、部下の声がまじる。

 

「ノンナさま、大変です! 同士討ちで――」

 

 音声がとぎれる。

 ほぼ同時に、どかんと砲撃のこだま。

 

(……下から?)

 

 ノンナは、停車を命じておいて、ハッチを開けて外に顔を出す。

 

 そして、絶句する。

 双眼鏡をのぞくまでもない。

 

(――なんだ、これは)

 

 ふもとの平原は、いつの間にか大混乱におちいっていた。

 

 ノンナが出発したときは整然と並んでいた戦車の列が、見る影もない。

 視界の左側―― 弧を描いて山を包囲した陣形の右翼が、無残に崩れている。

 

 白旗と黒煙を揚げて立ち往生した戦車が数輛。

 猜疑心にかられてか、互いに主砲を向け合ったまま、身動きの取れなくなっている戦車が数輛。

 混乱を避けるために待避しようとして、互いに方向が入り乱れ、結果として混乱に拍車をかけている戦車が多数。

 

 その中に一輛だけ、こまねずみのように駆け回っている戦車がいる。

 見間違えるはずもない、濃緑のプラウダ戦車。

 

 だが、その戦車は、味方であるはずのほかのプラウダの戦車にためらいもなく砲口を向け、撃破し、あるいは部分破壊に持ち込んでいる。

 

「ばかーっ! 味方だぞーーっ!」

 

「こっちくんなーーっ!」

 

「ノンナさま、反撃してよろしいですか?! ノンナさま!」

 

 部下たちは大混乱だ。

 

「かまいません。撃破しなさい」

 

 命令を出しておいて、ノンナは考える。

 

(カチューシャに同情した部下が裏切った……?)

 

 その可能性もないではない。

 ないではないが、なにかが引っかかる。

 

 山の中腹から、ノンナは眼下の戦車を数える。

 

 T-34/76、BT-7、T-70……

 カチューシャと試合の約束をしてから、増援を大量に呼び集めたから、下には四十輛以上がいたはずだ。

 

 平原にいるのは、軽戦車や旧式が中心。

 KV-2との撃ち合いを考慮して、登山組は硬いやつで固めたのだ。

 さかんに動きまわっている不穏分子はT-34/76。

 居残り組の一員ではある。

 

 だが、あの戦車は……?

 

 ノンナがあと少しで真相に気付きそうになったとき。

 別の地点で、また異変が起きた。

 

#

 

 聞こえたのは、雷鳴のような轟音だった。

 続いて、平原の一角で大地が大きくはじける。

 

(――KV-2?!)

 

 ノンナは頭上をふり返る。

 だが、目的の重戦車は見えない。

 その下にいたT-34/85の姿も見えない。

 

 視界が、ない。

 

 少し目を離した隙に、山頂は灰色がかった霧におおわれていたのだ。

 

「煙幕ですか!」

 

 おもわず声が出る。

 遠距離から撃ち抜こうとする相手への対抗策としては、単純だが効果的だ。

 

 だが、爆発が起きたのは、T-34/76がかき回している反対側にあたる、陣営の左翼。

 さっき見えたKV-2の砲身の向きと方角が合わない。

 

 ノンナは、頭上に広がる煙幕を凝視する。

 相手の再装填が早く終わってほしいような、ほしくないような、複雑な気分。

 

 装填に時間のかかるKV-2にしても、かかりすぎるくらい時間がたった後――

 

 どーーんと、遠い発射音。

 ずずーんと、榴弾が爆発した音。

 

 だが、動きはない。

 

 煙幕の中から、砲弾は飛んでこなかった。

 音が聞こえたのも山頂からではない。

 背後からだ。

 

 ノンナはふり返って、広大な草原を見渡す。

 今回の弾着は、プラウダの戦車一輛を吹き飛ばして、白旗に追い込んでいた。

 

 どこからだ。どこから来た。

 砲手の腕はいいのに、なぜ次弾までこれほどかかる?

 とろ火が火縄を食うような、じりじりとした時間がすぎる。

 

 ようやく三回目の砲撃音。

 白い光の矢が、緑の野を裂くように一直線に飛来する。

 

 榴弾が炸裂!

 また一輛が白旗を上げる。

 

――あそこか!

 

 ノンナは双眼鏡を両眼に押し当てる。

 プラウダの隊列の後方はるかに見えたのは、ここでもプラウダ戦車の濃緑。

 

 銅鑼を伏せたような扁平な砲塔。

 長い砲身。

 山形の折れ目がある正面装甲――

 

 IS-3!

 

 T-34/85に外部燃料タンクを爆破された機体。

 爆発は派手だったが、それは燃料に火が付いたせいで、白旗は上がっていない。

 しかし、爆発の影響でエンジンと転輪が不調になったので、修理するより、余った人員を増援として到着した戦車に回したほうが効率的だと考えて、いままで放置していたのだ。

 スタックしたのが包囲から遠く離れた地点だったので、問題はあるまいと考えていたのだが……

 

(――鹵獲された!)

 

 瞬間、頭の芯がくらりとくるほどの激情がノンナを襲う。

 

 表情には決してあらわさない。

 だが、屈辱で手が震える。

 右翼を荒らしまわるT-34/76を見たときの違和感の正体も、これだ。

 

 増えていたのだ。一輛。

 

 あれも初日だ。

 T-34/85に最初に履帯を破壊されて、渓谷のむこう側で放置されていたT-34/76。

 いるはずのないあの機体が、なぜか、この場所にいる。

 

 このやり口は、あの学園だ。

 こんな腹立たしい手を使ってくるのは、あの高校しかない――!

 

 ノンナの耳に、試合前の交渉で、カチューシャが口にした言葉がよみがえる。

 

「乗り換えを許してもらうわ。白旗が上がる前に車輌から脱出できた人員は、別の車輌に乗り換えてもよいこととする」

 

 少ない人員をやりくりして戦車を操作するための条件かと思った。

 

 乗り換え。

 別の車輌。

 なんと都合のよい言葉を選んだものか。

 乗り換えに、前の車輌が駄目になった場合というただし書きはない。

 車輌は、自軍のものに限定されていない。

 

 まったく、カチューシャときたら。

 人数が少ないとかなんとか、もっともらしい理由をつけておいて。

 

 カチューシャは最初から、こちらの戦車を鹵獲して使うつもりで、あの条件をつけ加えたのだ!

 

 知らないうちに、ノンナはこぶしを握りしめている。

 

#

 

「鹵獲とニコイチは北欧の誉れ――!!」

 

 疾走するT-34/76の内部。

 赤毛のミッコが、わけのわからないことを叫びながら操縦席のレバーを引く。

 

 砲塔では、緑の瞳のアキが砲弾を装填中。

 装填が終わったら、大急ぎで砲手席に移動して狙いをつける。

 発射したら、移動してまた装填。

 

「右、BT-7が近づいてるよ!」

 

 合間には、キューポラから外をのぞいて車長のまね事まで。

 会話は最低限だし、本来四人乗りのT-34/76を半分の人数で操作しているのに、じつにみごとなチームワークだ。

 

 すばやく移動して狙いをつけさせず。

 敵の側面や背面に回りこみ。

 そいつを盾に別の戦車の砲撃をかわし。

 急制動から履帯を逆転させて相手を翻弄。

 この戦車は履帯。

 この戦車は燃料タンク。

 この戦車はどこでも抜ける――

 的確に弱点をついて敵を倒してゆく。

 

 継続高校は、物資が豊富な学園艦ではない。

 サンダースやプラウダ、黒森峰に大きく劣る。

 だから、もらえるものはもらって使う。

 拾えるものは拾って使う。

 拾っちゃいけないものでも拾って使う。

 継続の生徒がプラウダや黒森峰の戦車に精通しているのはそのためだ。

 

 鹵獲は、継続のような小さな艦が、物量をかさに着る大型艦に食らいつくために編み出した――というより、拾得せざるをえなかった生活の知恵であり、生存に不可欠な技術なのだ。

 

 その技術を生かす機会を求めて、三人がひそかに山を下りたのは、二日目の早朝、カチューシャたちが目を覚ます数時間前のことだった。

 

 当初の狙いは、履帯の外れたT-34/76だけだった。

 だが、徒歩で進んでいる途中に放置中のIS-3を発見し、まだ使える状態であることが判明したため、両方とももらっちゃうことにしたのだ。

 

「風がそう言うなら、そうするさ」というのが、ミカの弁。

 

 ミカは残って、IS-3にひそむ。

 アキとミッコは、修理したT-34/76で、何食わぬ顔をして戦列に忍び込む。

 そうしておいて、プラウダに打撃を与える機会をうかがっていたのだ。

 

 そして今こそ、千載一遇のチャンス。

 

 右翼では、ミッコの駆るT-34/76が、違法改造でもしたのではと疑いたくなるような高速機動で、プラウダの戦車を攪乱する。

 左翼では、ミカが単独で立てこもったIS-3が、遠距離から敵を撃ち抜く。

 

 歴史的に、継続はプラウダとの間に浅からぬ因縁がある。

 そのせいでもあるまいが、三人とも、声を出して歌いながら戦っている。

 

#

 

 山の中腹では、ノンナがめずらしく方針を決めかねている。

 

 このまま登るべきか。

 それとも下りて混乱する部下を救うべきか。

 

 とりあえず、通信で方針は伝えた。

 

 敵は二輛だけであること。

 鹵獲した戦車を使っているだけで、同志の裏切りではないこと。

 ちょこまか動きまわるT-34/76は、いったん距離を取って隊列を立て直してから、足の速い戦車で囲んでしまうこと。

 IS-3は移動できないはずなので、長竿で遠距離から応戦しつつ、数を生かして側面や後方に回りこむこと。

 敵にこれ以上の隠し球がなければ、このやりかたで対処できるはずだが――

 

 ノンナはふり返って、山頂の動向を確認する。

 厚い煙幕は、まだ晴れない。

 

#

 

 そのころ。

 煙幕が薄くなる山の頂上まで上がって、下界をうかがう一輛の戦車がいた。

 

 アンツィオのCV33。

 三人そろってハッチから上半身を出し、ぎゅうぎゅう押し合いながら、双眼鏡やオペラグラスをのぞいている。

 

「継続さんでしょうか?」と、カルパッチョ。

 

「だろうなあ」と、アンチョビ。

 

「逃げたんじゃなかったんですねえ」と、ペパロニ。

 

「あー、そっちはまずい。回りこまれるぞ。そっちじゃなくてこっち、こっちに…… おおー、避けたぁ。やるなあ」

 

「うわ、あっちまた当てましたよドゥーチェ。一輛撃破」

 

「大混乱ですね。プラウダは」

 

 お茶の間のテレビで観戦しているかのようなくつろぎっぷり。

 カプチーノとお茶うけのビスコッティがないのが不思議なくらいである。

 

 だが。

 

「あー、でも装填遅いなあ。もうー。急げ急げ」

 

 ペパロニのなにげないひと言で、アンチョビの表情が変わる。

 

「……おい、継続のメンバーは三人だったな」

 

「そうっすよ。帽子かぶった子と、お下げの子と、赤毛の子で」

 

「戦車は二輛だ。どっちに何人乗ってると思う」

 

「それは、動きながら撃っているT-34/76にふたりで……」

 

「動かないIS-3にひとりでしょ。そんなこともわかんないんですか、ドゥー……」

 

 ペパロニが途中で口をつぐむ。

 アンツィオの三人が、たがいに顔を見合わせる。

 

#

 

 プラウダは、混乱から立ち直りつつあった。

 

 不意打ちが恐ろしいのは、敵の正体と、数と、方角がわからないからだ。

 プラウダの戦列が大きく乱れたのも、同志の裏切りではと疑心暗鬼になったせいが大きい。

 敵の情報が周知徹底されれば、立て直しは難しくない。

 敵が少数とわかればなおさらだ。

 

 この場合、プラウダに幸いしたのは、冷静な司令官が、高地から戦場の全景を見渡していたことだった。

 

 IS-2の砲塔を平原に向けて、ノンナは通信機で指示を出す。

 

T-34/76(ねずみ)は檻に入れるだけで十分。無理に攻めず、つかず離れずで遠巻きに囲んでしまえば、むこうは攻め手がなくなります。火力はIS-3(川カマス)に集中!」

 

 そう言いながら、自分でもIS-3の方角へ主砲を発射する。

 この距離では届いても抜けないだろうが、すこしでも妨害ができれば御の字だ。

 

 足を封じられ、単なるトーチカと化したIS-3の周辺で、プラウダの戦車が放った榴弾がつぎつぎと弾ける。

 IS-3はIS-2以上の重装甲。

 この程度でやられはしない。

 

 だが、応戦は―― きびしい。

 

 IS-3の主砲は、IS-2と同じD-25T122㎜砲。

 KV-2とおなじく分離装薬式で、重量は弾頭だけで25㎏前後。

 その重い弾を、IS-2より狭い砲塔内を動きまわって、一人で装填するのだ。

 さすがのミカも、優雅にカンテレを弾いているひまはない。

 それでも鼻歌を口ずさみながら、少しもあわてずに作業を進める。

 スコープの視界の隅で、アキとミッコのT-34/76が元気に駆け回っているのを見つけて、たまにほほ笑んだりしながら。

 

 もっと大きく映っているのは、こちらに主砲を向けて走るプラウダの戦車たち。

 敵のシルエットは、さっきより大きくなっている。

 そして、さっきより散開している。

 こちらが一輛を狙っている間に、別の戦車が横か背後に回りこんで、装甲の薄い部分を狙うつもりだろう。

 

 だが、ミカに焦りはない。

 作戦を考えたときから、この展開は覚悟していた。

 

――さて、それまでに、あと何輛削れるかな。

 

 鼻歌は止まらない。

 きっと最後の時まで、止まらないだろう。



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その4

 煙幕に守られたT-34/85の操縦席では、エリカが焦りをつのらせている。

 

「残量は?!」

 

「もう切れそうね」

 

 カチューシャは他人事のような口調で言う。

 煙幕の残量のことだ。

 

「それまでに間に合うんでしょうね?!」

 

「さあ。なんでも好きなものに祈っときなさい」

 

 この少女が切迫した場面で見せる肝のすわりっぷりに、エリカはときどき感心し、ときどき腹が立ってたまらなくなる。

 

 いらいらしながら、操縦席前のスリットをのぞき込んだとき――

 棒一本分の狭い空間を、すごいスピードでなにかが突っ切った。

 

 煙幕の切れ目からちらりと見えたのは、見覚えのある黄色いボディ。

 ペパロニの元気な叫び声が、切れ切れに飛んでくる。

 

「よっしゃー!! 目にもの見せてくれるぜーー!!」

 

「ばか! あんたたちが行ってなんになるのよ!!」

 

 エリカの制止の声などどこ吹く風。

 

(――まったく、急造チームはこれだから! 規律もチームワークもあったものじゃない!!)

 

 背後でエリカがそう呪っていることも知らずに、アンツィオのCV33は、元気いっぱい坂を駆け下ってゆく。

 

#

 

 やけになったわけではない。

 CV33の車内は、いたって意気軒昂だ。

 森に半分つっこんでひっくり返った重戦車を横目に、起伏のある坂道を一直線に跳ね下りる。

 

 山の中腹で止まったIS-2は、平原に砲塔に向けたまま。

 接近しているのに、アンツィオのタンケッテには気づきもしない。

 

「よーしペパロニ、やっちまえ!」

 

 めずらしく操縦席に座ったアンチョビが、上部ハッチから体を出した黒ヘルメットの部下に呼びかける。

 

「了解っす!」

 

 ペパロニが白い歯を見せて不敵に笑う。

 

 両手に握っているのは、色とりどりの小さな玉。

 赤や緑、紫色。

 大きさはピンポン球くらい。

 どれも短いしっぽが付いている。

 

 IS-2の横をすり抜けざま――

 

「フェリーチェ・アンノ・ヌオーヴォ!」

 

 ペパロニは、しっぽに火を付けた色玉を、盛大にばらまく。

 

「なんだぁ?!」

 

「ノンナさま! 変なのが!!」

 

 IS-2の乗務員が気付いて声を出したときには、もう通りすぎたあと。

 

 ノンナがふり返ったときには、色の付いた小さな玉が、まるで森に迷い入った子供たちが残した道しるべのように、緑の斜面に転々と落ちている。

 

 だが、ただの玉ではない。

 カラフルな色のボールたちが、つぎつぎと同じ色の煙を吐き始める。

 

「火事?! 故障ですか?!」

 

「いいえ。ただのおもちゃです」

 

 乗員の狼狽を、ノンナが冷静に鎮める。

 

 煙玉。

 色つきの煙をもくもく吐き出すおもちゃの花火だ。

 軍用の煙幕でも、発煙筒でもないが、ばらまけば代用品程度にはなる。

 全国大会一回戦で、大洗のアヒルさんチームが発炎筒をトスしていたのに感銘を受けたペパロニが、ああいうのうちらもやりたい!と大量に買い込んでCV33に積んでおいたのが、こんなところで役に立った。

 

「こら、一気にまきすぎるな! なくなっちゃうだろうが!」

 

「すいませーん。新年のお祭りみたいで景気いいかなーって思っちゃって」

 

 アンツィオでは、毎年大晦日の晩にみんなで集まってカウントダウンを斉唱し、年が明けた瞬間に花火を打ち上げてばか騒ぎをするのが恒例なのだ。

 そういえば、CV33のエンジンが立てる破裂音と、カルパッチョが警笛がわりに撃つ機銃の音は、まるではじける爆竹のよう。

 お祭り気分で煙と爆音をばらまきながら、CV33はなおも坂を下ってゆく。

 

#

 

 エリカは視界をふさぐ煙幕を複雑な気分で眺める。

 

 晴れてもらっては困る。

 だが、坂を下っていったアンツィオ一行も気にかかる。

 最後にちらりと見えたときは、IS-2の真横を突っ切って、下の平原めがけて一直線に走っていたが……

 

「逃げたのかもよ?」

 

 車長席をふり返って尋ねてみる

 カチューシャは不機嫌な表情で黙ったまま。

 

 エリカとしては、CV33が本当に逃亡したのだとしても、責めるつもりはない。

 まあ、それもいいかもね、くらいの気持ちではある。

 CV33なんて、どうせまともな戦力にはならない。

 それに、ここにいつづけたっていいことがないのは、目に見えている。

 

 プラウダが捕虜にひどい拷問をするというのは、ライバル校が流した根も葉もない都市伝説だと思いたいところだが、カチューシャは逃亡者だし、エリカたちはその協力者だ。

 少なくとも、シチーとコトレータで歓待はされまい。

 

 山の中腹で事態を眺めるノンナも、エリカと同じように考えている。

 

「ノンナさま、アンツィオのCV33です!」

 

「まっすぐ中央に向かってきます。発砲してよろしいですか?!」

 

 部下からの問いに、ノンナはマイクを取り上げて答える。

 

「発砲は距離がある場合のみ許可します。近距離では静観」

 

「陣に入られてしまいますが?!」

 

「CV33はこちらの装甲を抜けません。過剰に反応して、混乱や同士討ちが起こるほうが問題です。目的が逃亡であるようなら、放置してかまいません」

 

 継続に鹵獲されたT-34/76に高速でかき回された混乱から、ようやく立ち直りかけているところなのに、また同じ手にひっかかっては冗談にもならない。

 

 それにしても、視界が悪い。

 煙玉のスモークが、まだノンナをいぶしている。

 

#

 

 CV33の進路は変わらない。

 一直線に斜面を駆け下ったあとは、平地を敵陣めがけて疾走。

 カラフルな煙をしっぽのように引き、敵の砲撃をたくみにかわしながら、横隊を維持したプラウダ陣営のど真ん中につっこむ。

 

「おらーー! かかってこーーい!!」

 

 カルパッチョが機銃を撃ち、ペパロニが煙玉を投げながら挑発する。

 

 ノンナの指示を受けた戦車たちは静観の構え。

 なんだったら自分たちから道をあけてやる勢いで、CV33に包囲網の突破を許す。

 指示通り、距離ができたところで砲撃を再開するが……

 

 煙玉のスモークが視界を邪魔するせいで当たらない。

 

「うまくいきそうですね、ドゥーチェ」

 

 砲手席のカルパッチョが、隣のアンチョビに話しかけたとき。

 

「ねーさん、あれ! 十字方向!!」

 

 ハッチの上から、ペパロニが叫ぶ。

 

 渓谷の出口にほど近い崖下に見えるのは――

 ものほし竿を積んだ軍用トラック。

 否。

 一晩中ボルシチ小隊を悩ませたBM-8の群れが、横一列になって止まっている。

 

「なんだ。油断してるなあ、プラウダのやつら」と、アンチョビ。

 

「きっと寝てるんですよ。一晩中砲撃してたってことは、あっちだって一晩中起きてたってことですもの」と、カルパッチョ。

 

「なにー、あいつらだけぐっすり寝てるだとー? 許せねえ! こっちもあいつらの安眠を妨害してやりましょうよ、ねーさん!」

 

「よーし。行きがけの駄賃だ。やってやるか!」

 

 アンチョビが、にいっと歯を見せて笑いながらアクセルを踏み込む。

 本当に寝ているのだろう。

 CV33が全速で近づいても、BM-8は反応しない。

 

「行っくぞーー! 必殺、ピザ回しターーーン!!」

 

 アンチョビが足もとのペダルを踏みながら、左右のレバーをがちゃこんと倒す。

 

 左右の履帯が高速回転。

 機体がウィリーしたところで片側の動きを止めてやると、CV33は左右のグリップを失って、慣性で前進を続けたまま、くるくると回転をはじめる。

 操縦に失敗したのではない。

 意図的に車体をスピンさせることで、超信地旋回(その場ターン)のできないCV33で、超信地旋回以上の高速旋回を可能にする高等テクニックである。

 

 同時に、カルパッチョが機銃を発射。

 放射状に撃ち出された銃弾が、一列に整列したBM-8の車体につぎつぎ命中する。

 

 すこここんと丸い穴。

 すぽんすぽんと、連続で白旗が上がる。

 BM-8は戦車ではないが、戦車道の関係車輌ではある。

 だからもちろん、カーボンで守られている。

 乗務員に怪我は一切ない。

 

「こらー! ずるいぞー!」

 

「人の寝込みを襲うなんてー!」

 

 中で寝ていたプラウダの隊員たちが、あわてて飛び起き、トラックの窓から体を出して抗議するが、睡眠を邪魔されたのはこちらも同じ。

 食欲と睡眠欲にきわめて忠実なアンツィオ生だけに、同情の気配がない。

 

「ざまみろー!」と、ペパロニ。

 

「乙女の敵ー!」と、カルパッチョ。

 

「よーし。じゃあ目的地に向かうぞー」と、アンチョビ。

 

 三六〇度どころか八〇〇度くらいの華麗なスピンターンを決めたCV33は、いままで進んでいた方向にお尻をむけ、捨て台詞を残して走り去ろうとする。

 

 そのときだった。

 前方横手、数日前にカチューシャが抜けてきた渓谷の出口から、黒い大きな影がぬっと現れる。

 

「ドゥーチェ、戦車っす!」と、ペパロニ。

 

「なにい?! 護衛がいたのか!」と、アンチョビ。

 

 奇妙なシルエット。

 車体が平たい。履帯と高さがほぼ同じ。

 車体後部が妙に長い。

 側面が鋼板で覆われていて、転輪が見えない。

 なかでも異様なのは砲塔だ。

 

「おい、あれ砲塔か? あっちにあるのも砲塔か?」

 

 アンチョビが、操縦席前のスリットから前をのぞきながら驚きあきれる。

 

「いやまて、後ろにもなんか付いてるぞ? 全部でいくつある?!」

 

 大きな砲塔がひとつ。

 

 これはまあ、普通だ。

 おかしなのは、その主砲塔の斜め前後左右から、砲塔が生えているところ。

 

 右前と左後ろに中くらいの砲塔。

 左前と右後ろに小型の砲塔。

 合計すると……

 

「ひいふう…… 五つです」カルパッチョが数え上げる。

 

「五つ! 五つも砲塔があるってなんだ! 要塞か? われわれはマジノ線に迷い込んだのか?!」

 

「T-35ですよ、ねーさん!」と、ペパロニ。

 

 多砲塔戦車。

 それは、二度の世界大戦のあいだの戦間期にさかんに研究されたが、実用性に乏しいとして、やがてうち捨てられていった進化の袋小路。

 

 T-35重戦車は、その中でもとびっきりのイロモノ。

 戦車の世界におけるマンモスでありオオツノシカである五砲塔戦車の中で、唯一量産され、実戦配備もされた代物である。

 

「プラウダはえらいもん持ってやがるなあー。戦車に遊園地でも作る気か」

 

「むしろ百貨店でしょうか」

 

「一個くらいカルロ・ベローチェにわけてくんないですかねー」

 

 のんきに感想を言い合うアンツィオ一行だが、T-35の砲塔がこちらに向きはじめると、顔色が変わる。

 

「どうします、ドゥーチェ?」

 

「逃げるに決まってるだろ! あんなやつの相手なんかしてられるか!」

 

 CV33は快足を生かしてT-35の横をすり抜け、緑の草原を疾走する。

 T-35がぎゃりぎゃりと履帯を鳴らして追いかける。

 

 狙いをつけるのは、正面を向いた三つの砲塔。

 いちばん大きな砲塔は、たまに榴弾を撃つ係。

 中くらいの砲塔から飛んでくる弾のほうが速くて痛そうだし、装填も速い。

 

 軽量のCV33は、近くで榴弾が炸裂するたびにぐらぐら揺れる。

 砲弾が鋭い風切り音を立ててそばをかすめるたび、心臓がちぢむ。

 

「くそー、ばかすか撃ちやがって」

 

「ドゥーチェ、いっそ接近しては?」

 

「だな! くっついちゃえば撃たれまい!」

 

 だが、距離を縮めると、小さい砲塔が機銃を撃ってくる。

 小砲塔の機銃は7.62㎜。

 軽装甲のCV33にとって十分すぎるほどの脅威だ。

 

「ねーさん、反対側! 機銃のない側に回りこみましょう!」

 

 ハッチから上半身を出したままのペパロニが叫ぶ。

 

 T-35の機銃銃塔は二個所。左前と右後ろ。

 自分自身の砲塔と車体が邪魔をするせいで、右ななめ前は狙いにくい。

 右前の中砲塔が再装填しているあいだに近づいてしまえ―― という意味だ。

 

 操縦席のアンチョビだって心得たもの。

 いったんフェイントをかけ、敵の狙いをそらしてから、重戦車の足元にえいやっと切り込む。

 

「よーし、ここなら俯角取れないだろ!」

 

 中砲塔の真横である右前側面にくっついて、これで一安心とおもいきや……

 

 がつん、ぎゃりぎゃりと横から衝撃。

 CV33の車体が一瞬浮く。

 

「ドゥーチェ! あいつら幅寄せしてきたっす!」

 

「えーい、じゃあ後ろだ、後ろ!」

 

 CV33は履帯を逆回し。

 

 T-35の砲塔は前側に寄っていて、車体の後部が長い。

 砲塔の高さからして、後ろにくっついてしまえば、死角になって撃たれまい。

 

 ……と期待したのだが。

 

 CV33が後部につけたとたん、T-35はぎいっと急停車。

 ふみつぶそうと全速で後進をかけてくる。

 

 あわてて自分たちも後進をはじめながら、アンチョビが悪態をつく。

 

「ちくしょう、あいつら容赦ないな!」

 

「このままだと逆戻りです!」と、カルパッチョ。

 

「そいつはだめだ。戻っているひまはないぞ!」

 

 CV33は、V字で前進に切り替え、T-35の左すれすれをかすめて前部へ。

 前部から側面へまわり。

 速度をゆるめて後部へ近づき。

 相手がそれに合わせようと速度を落としたところでアクセルを踏む。

 

 なるべく密着し、併走しながらも、つねに場所を移動。

 相手に狙いをつけさせない。

 対策を考える時間もあたえない。

 小型で小回りのきくCV33ならではのちょこまか作戦である。

 

「やーい、のろまー! こっちだこっちー! 一発くらい当ててみろー!」

 

 そんなふうにおちょくりながら前進しているうち——

 CV33とT-35は、戦場の危険な領域に入りこんでいた。



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その5

 よりによって――

 CV33は、プラウダの左翼が並んで砲を向けた一角に飛び出したのだ。

 

 だが、プラウダ戦車の狙いはCV33ではない。

 射線の先にいるのは、壊れかけの戦車。

 

 はずれた履帯。

 かしいだ車体。

 砲弾の衝撃ではげ落ちて、下から地金があらわれた濃緑の塗装。

 継続高校のミカが立てこもったIS-3だ。

 

 車体には、砲撃で跳ね上げられた土砂が降りつもっている。

 ところどころから黒煙が上がっている。

 それでもまだ、白旗は上がっていない。

 きしむような音を立てながら、砲塔がぎこちなく回っている。

 

 CV33はその方角へ走ってゆく。

 

 飛んで火に入る夏の虫――

 

 T-35に追われたCV33が、なにも知らずに死地に飛び込んできた。

 プラウダの生徒たちには、そう見えた。

 さっきさんざん自分たちをおちょくった豆戦車が、逃げた先でT-35に出くわして逃げてきたのだと。

 

 あのときはノンナさまの命令があったから、格下のアンツィオごときに陣地の中央を突破され、あまつさえ暴言を吐かれても、屈辱に耐えた。

 だが、いまなら遠慮する必要はない。

 お調子乗りがしっぽを巻いて帰ってきたのだ。

 歓迎してやりたくなるのが人情というものではないか。

 

「見ろ! CV33が戻ってきたぞ!」

 

「キツネ狩りだ!」

 

「私が当てる!」

 

「なにを言う、私の獲物だ!」

 

 白旗は上がっていないが、IS-3はほぼ沈黙している。

 あと一、二発ぶちこめば――と楽観ムードが広がっていたところに、いいおもちゃが転がり込んできたのだ。

 余興とばかりに、誰が最初にCV33に砲弾を命中させるかの勝負がはじまる。

 

 いっぺんに撃っては誰の弾だかわからないから、撃つのは一輛ずつ。

 誰かが一発撃つたびに喝采を上げる。

 弾着をかわしながら懸命に走るCV33にやじを飛ばす。

 CV33を追いかけていたT-35が、爆発でできたクレーターに落ちてひとりで白旗を上げたときにも、心配するどころか、笑い声やブーイングを上げるありさま。

 

「なにをしているのです! さっさと二輛とも倒しなさい!」

 

 通信機からノンナの声が聞こえても、通信手はまだ半笑い。

 

「だってノンナさま、相手はCV33ですよ? あんなのいつでも……」

 

「いいかげんになさい!」

 

 プラウダの生徒たちは、いつも冷静な副長がめずらしく声を荒らげたことに目を丸くする。

 

「試合中になにを遊んでいるのです! わからないのですか、CV33はIS-3の乗員を回収するつもりです! それだけは絶対阻止しなさい!!」

 

#

 CV33は、砲撃でがたがたに荒れた平原を駆ける。

 薄い装甲越しにひっきりなしに聞こえるのは、砲弾の飛来音と炸裂音。

 さっきまで一発ずつだったのに、いまは連続している。

 

 砲手席のカルパッチョが、外の様子をうかがいながらアンチョビに言う。

 

「砲弾が集中し始めましたね」

 

「ああ。感づかれたな、こりゃ」

 

 アンチョビが頭上の部下に呼びかける。

 

「おい、反応あったか?」

 

「まだです。さっきから合図してるんですけど。おーい! こっちー! 見えてるかーー! ……あー、やっぱ視界に入ってないんじゃ」

 

「えーい。とりあえず手ぇ振っててくれ」

 

 ノンナの推察通り。

 アンツィオ一行の目的は、IS-3に立てこもったミカの救出である。

 まっすぐ向かっては意図を読まれてしまうから、戦場から逃亡したと思わせておいて、別方向から接近する作戦だったのだが、途中でBM-8に出くわしたせいで、よけいな時間を食ってしまった。

 

「基本は殲滅戦ですから、つぶしたことに意味はあります」と、カルパッチョ。

 

「くそー。せめてT-35が生きてりゃ盾に使えたのに。どうなんだ、転んだだけで白旗ってのは」

 

「重たいのは、足回りに問題抱えている機体が多いですから」

 

「そっすよ、やっぱタンケッテが最強っす!」

 

 タンケッテが最強かどうかはさておき、あの難物P虎(ポルシェティーガー)を乗り回し、のみならず走行中に修理までこなしてしまう大洗女子のレオポンさんチームが、ついうらやましくなるドゥーチェである。

 

 周囲は砲弾の雨あられ。

 CV33は機体を浮かしながら走る。

 あるいは、衝撃で地面に叩きつけられながら。

 

 その様子が見えているのか、いないのか。

 IS-3は動かない。

 それとも動けないのか。

 さきほどから、IS-3もはげしい砲火にさらされている。

 CV33がたどりつく前に撃破しようという魂胆だろう。

 

 ますます破損を増してゆく緑の重戦車を、操縦席前の狭いスリットからのぞきながら、アンチョビは歯がみする。

 

 水平になるくらいアクセルペダルを踏み込んでいるのに。

 

 IS-3は、まだ、遠い。

 

#

 

 山の中腹では、ノンナのIS-2がCV33に砲塔を向ける。

 いくら最大射程20㎞と長砲身ゆえの貫通力を誇るIS-2といえども、これだけ距離が離れていては、重装甲のIS-3を撃ち抜くことは難しい。

 だが、CV33であれば、直接当てる必要すらない。

 近くに撃ち込むだけで、十分に行動不能にできる。

 

 ノンナはすでに、CV33をスコープにとらえている。

 見えるのは、IS-3めがけて疾走するタンケッテの姿。

 

 猶予など、くれてやるつもりなどない。

 ノンナはためらいなく、足元のペダルを踏み込む。

 

――だが。

 

 その直前、山上から、まるで火山の噴火のような重いとどろきが響く。

 

 そして、弾着!

 

 巻きあげられた大量の土砂がスコープの視界を覆いつくす。

 CV33を隠し、一瞬発射の遅れたIS-2の標準を狂わせる。

 爆発が起きたのはCV33の手前。

 ちょうどプラウダの左翼のあたり。

 

「敵弾! 頭上からです!」

 

「やられました! 行動不能!」

 

「こちらも行動不能!!」

 

 通信機が、部下の悲鳴じみた報告をがなり立てる。

 

――KV-2!

 

 ふり返って確認するまでもない。

 これほど大規模な爆発を引き起こせる戦車は、ノンナの知るかぎり一台だけ。

 

(だが、KV-2は動けなかったはず――)

 

 ノンナはキューポラから山頂をのぞきあげる。

 

 山頂にかかっていた煙幕は、いつの間にか晴れていた。

 T-34/85は、煙幕に隠れる前と同じように、IS-2にぴったり目をつけている。

 

 違いは砲塔上部の車長用ハッチ。

 さっきは閉じていたハッチが開いている。

 そこから上半身を出しているのは、黒の戦闘帽を被った金髪の少女。

 

(――カチューシャ!)

 

 少女はさかんに腕をふって、なにか合図をしている。

 

 ノンナに…… ではない。

 

 見ているのは後方だ。

 そこで巨体をさらしているのは、言うまでもなくKV-2。

 

 まだ砲塔は故障したまま。車体との向きが変わっていない。

 車体は斜面に対してほぼ横向き。

 履帯が外れて、むき出しの転輪が見えている。

 

 KV-2の横腹にお尻をつけたT-34/85は、必死に履帯を回転させて、下からデカブツを押し上げようとしている。

 KV-2の重量は五十二トン。

 いかにT-34/85の十二気筒液冷ディーゼルが優れものといえども、独力で斜面を持ち上げるのは無理な相談だ。

 

(――カチューシャも無茶をする)

 

 ほほえましい悪あがきに、もう少しで表情をゆるませそうになったノンナが、ある事実に気付いて眉をひそめる。

 

(移動している……?!)

 

 KV-2の向きが、ゆっくりとだが、変化している。

 

 そうだ。動いている。

 だからこそ、砲塔の動かないKV-2が、プラウダの左翼を砲撃できたのだ。

 

 KV-2の車体が方向を変えるにつれ、ノンナは真実を悟る。

 

 履帯が回っている!

 

 片側だけ。

 片側だけだが、回っている。

 今まで陰になって見えなかった、反対側の履帯が。

 

(――煙幕の目的は、あれか!)

 

 IS-2に狙いをつけさせないため。

 煙幕の目的は、それだけではなかった。

 

 晴れるまで時間を稼ぎ、中でなにをやっているのかわからなくしておいて、履帯を片側だけ修理する。

 そうして修理した履帯を駆動させ、力が足りない分はT-34/85が反対側から押し上げて、同時にバランスが崩れないように支えになり、KV-2を動かしたのだ。

 

 そして今、KV-2は――

 

 じわじわとシャーシの向きを変え、砲塔を下に傾けて、山の中腹に陣取ったノンナのIS-2に、照準を合わせつつある。

 

(――まずい!)

 

「全速後退!」

 

 ノンナが叫ぶ。

 IS-2が履帯を回転させたのと、KV-2の二発目が着弾したのは、ほぼ同時だった。

 

#

 

 KV-2が巻き起こした巨大な土煙を横目に、CV33は走る。

 

 今の砲撃は、うまいこと敵の目つぶしになってくれた。

 しばらくは狙われずにすみそうだ。

 おかげでIS-3との距離を縮められる。

 

 IS-3は気付いてくれただろうか。

 それともまだ気付いていないのだろうか。

 こちらから確かめるすべはない。

 ただ、こちらがたどりつくまで生きていてくれることを祈るしかない。

 

 CV33の頭上から、ぱらぱらと土砂が降り落ちる。

 そんな状況でも、ハッチから上半身を出したままのペパロニが叫ぶ。

 

「ねーさん! IS-3の砲塔がこっち向いてます!」

 

「よし、手をふれ!」

 

「おーい! こっちー!!」

 

 IS-3の砲身が上下にゆれたのは、手をふるペパロニに返事をしたのか。

 それとも、ただ軋んだだけなのか。

 

 見守るペパロニの前で、IS-3のすぐそばを光弾がかすめる。

 土煙はまだおさまっていないのに、プラウダの戦車が砲撃を再開したのだ。

 一発、また一発と、弾幕が厚みを増してゆく。

 

 砲弾はIS-3に集中している。

 CV33の狙いがIS-3の乗員回収であることは、すでに露見している。

 それなら移動中のCV33を狙う必要はない。

 IS-3の周囲に砲弾を集めておけば、CV33の方から飛び込んでくる。

 面制圧めいた砲弾の雨に、自分から。

 

 アンツィオ一行だって、それが危険な行為であることくらい、百も承知。

 だが、真剣な表情をしているのはカルパッチョだけ。

 操縦手席のアンチョビも、上部ハッチから上半身を出したペパロニでさえ、白い歯を見せて笑っている。

 

 しばらく静止していたIS-3が、どぉん、と主砲を発射する。

 もうぼろぼろなのに、狙いはたしか。

 プラウダの包囲網にまた一本白旗が立つ。

 

 だが、それが最後の一発。

 飛来した砲弾に叩かれて、砲塔が悲しげにうなだれる。

 装甲はすでに傷だらけ。

 ところどころ深くえぐられて、生傷のようにめくれ上がっている。

 誰の目から見ても、限界は間近だ。

 

 IS-3の上部ハッチが、ゆっくり開く。

 

 中からあらわれたのは、青白の帽子をかぶった、黒髪の少女。

 はげしい砲火にさらされている最中だというのに、瞳と表情はすずやかだ。

 機上にミカの姿をみとめたアンチョビが、アクセルをいっそう踏み込む。

 

「ペパロニ、停車してるヒマはないぞ! すり抜けながらかっさらえーー!」

 

「がってん承知!」

 

 しっかと請け負ったペパロニが、大きく両腕を広げる。

 受け止めるから飛び降りろという合図だ。

 ミカにも伝わったらしい。

 ふらり、とゆらめくように、継続のエースが側面による。

 

 刹那――

 

 CV33の足元で、砲弾がはじける。

 

「こんのぉ!」

 

 アンチョビがレバーを操作する。

 その行為に、はたして意味があったかはわからない。

 ともかく、CV33は直撃をまぬがれる。

 

 けれども、無傷ではすまない。

 タンケッテは、爆風に巻きあげられて宙を舞う。

 アンツィオ一行が機体にしがみつく。

 

 飛行するCV33が、IS-3の砲塔と同じくらいの高さに達したとき――

 

 ミカが軽やかに跳躍する。

 

 ペパロニが上半身をのばして、どうにかミカの身体をつかまえる。

 勢いを受け止めきれずに、ぐるっと体が回ってしまう。

 だが、それでも回した両腕を離さない。

 ミカも両腕を回してペパロニにしがみつく。

 

 しかし、ミカが身をあずけているのは、角度の急なCV33の側面。

 ペパロニはハッチから身体を出しすぎている。

 このままでは、二人分の体重を支えきれない。

 

 ペパロニの身体が、ミカを抱いたまま、鋼板の上をずるずると滑る。

 腕は使えない。

 放したらミカを落としてしまう。

 

 あわやふたりとも落下しそうになったとき――

 

 ペパロニの制服の背中のすそを、もうひとつのハッチから体を出したカルパッチョが、しっかりとつかまえる。

 



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その6

 がんっ、がこがこと衝撃音。

 CV33が墜落……もとい、着地する。

 

「きゃあっ!」

 

「うおっ!」

 

 ペパロニたちは車内に落下。

 ただでさえ狭いCV33の車内が、とうとう四人乗りになる。

 

 ほぼ同時に、プラウダの砲弾がIS-3の砲塔を撃ち抜く。

 ぼろぼろになった戦車から、ぱっと白旗が咲く。

 

 まさしく間一髪。

 

 CV33が姿勢を崩さず、履帯からの着地に成功したのだって、けっこう奇跡的だ。

 だが、アンツィオの統帥(ドゥーチェ)の腕前はそれに留まらない。

 慣性力をドリフトに生かして、停止したときには方向転換を完了。

 

「継続の子はつかまえたか?!」と前を見たまま、アンチョビ。

 

「ばっちりっす!」と頭上から、ペパロニ。

 

「じゃあ、こんなところに用はない。さっさと引きあげるぞ!」

 

「了解!」

 

 即座にエンジンを吹かして走行を再開する。

 

 プラウダの左翼にとって、残る標的はCV33だけ。

 砲弾は、前よりいっそう、小さなタンケッテに集中する。

 

「ペパロニ、煙玉は?!」

 

「あーっと…… 全部まいちゃったかもしれません」

 

「だからばらまきすぎるなって言ったろ!?」

 

 こうなったら足で振り切るしかない。

 目指すはカチューシャたちが立てこもる山の頂上。

 さっき駆け下りてきた斜面を目指して、CV33は駆ける。

 

 プラウダだって、遠くから撃つだけでは終わらない。

 前に回って進路をふさごうとする。

 もはやCV33に対抗策はない。

 前方から飛来して鋭く地面に突きささる砲弾をかわして、ただ走るしかない。

 

「くそ。多いな」

 

 操縦席から前をのぞきながら、アンチョビが毒づく。

 

 包囲の台数が多い。

 それにむこうは、こちらの行き先を読んでいる。

 

――あれを全輛かわしきれってか。

 

 操縦の腕前より幸運が必要な場面だな、と自嘲したとき。

 

 包囲網の一角で地面が炸裂する。

 榴弾による大規模な爆発。

 直撃されたわけでもないのに、巻きこまれた戦車が白旗を上げている。

 

「ねーさん、上! KV-2だ!!」

 

 ふたたびハッチ上の定位置に戻ったペパロニが、うれしそうに叫ぶ。

 

 こっちはおまえと違って、簡単には上を見られないんだっての――

 そう言ってやりたいアンチョビではあるが、うれしいことに変わりはない。

 

 それでもどうにかこうにか見上げた狭い視界には、下界に砲塔を向けたKV-2と、それに寄りそうT-34/85の姿。

 T-34/85の砲塔から、見覚えのある戦闘帽の少女が上半身を出している。

 

(――やるなあ。プラウダのちびっ子め)

 

 足回りが故障していたはずのKV-2を、いつの間にか動かしていやがる。

 

 ともかく、退路はひらけた。

 アクセルを踏み込んだアンチョビの前で、進路をふさごうとしたプラウダのBT-7が、横から撃たれて白旗を上げる。

 BT-7の前をかすめるように視界に飛び込んできたのは、継続のアキとミッコが乗り込んだT-34/76。

 山のふもとで合流した二輛は、競うように斜面を駆け上がる。

 

 下からは、平原にとどまった包囲隊が砲撃を浴びせかけ――

 上では、お供二輛を連れたノンナのIS-2が待ち受ける。

 

 山上から、遠い雷鳴のように、どおん、と発射音。

 着弾のこだまは、CV33の背後から。

 KV-2は平原の戦車隊を妨害するほうを選んだ。

 それはつまり、IS-2はそっちでなんとかしろ、というメッセージでもある。

 

#

 

 ぐんぐんと、IS-2との距離が縮まる。

 

 IS-2とお供の一輛は、さっきより低い位置につけている。

 斜面を少し上に行ったところには、砲撃跡のくぼみ。

 近くで一輛が白旗を上げて転がっている。

 アンチョビが見ていない間に、IS-2もKV-2に砲撃されていたらしい。

 そして、IS-2の砲口は、待ち受けるようにこちらへ向けられている。

 

 合図はない。

 しかし、CV33とT-34/76は以心伝心で、狭い斜面が許すかぎり左右にわかれる。

 

 IS-2が砲塔を回したのは、継続の二人の乗るT-34/76の側。

 

 アンチョビが心の中で悪態をつく。

 さっきから隣でごそごそしていたカルパッチョが、アンチョビに手を差し出す。

 握っているのは、鮮やかな色の塗られた小さな玉が三つ。

 

「ドゥーチェ! ありました、煙玉! これが最後です!!」

 

「よーし! ペパロニ、そいつをおもいっきりIS-2の砲塔に投げつけろ!」

 

「お任せを!」

 

 カルパッチョが火をつけた煙玉を、ペパロニが受け取る。

 おおきく振りかぶった、力いっぱいのオーバーハンド。

 色つきの花火は、みごとIS-2の前面装甲にヒットする。

 

 だが――

 

 敵はさすがの傾斜装甲。

 こんなときにも防御性の高さを発揮する。

 

 車体前面に当たった煙玉は、こんころと斜面を転げ落ち……

 下端にあるひだのような盛り上がりに、一個だけが、かろうじて引っかかる。

 

「よっしゃー!」

 

 ペパロニがガッツポーズ。

 IS-2が煙に巻かれているあいだに、二輛はすばやく横をすり抜ける。

 

 まだ安心はできない。

 CV33と違って、IS-2は砲塔を回転できる。

 砲塔を後ろに回せば、抜けていった二輛を狙える。

 車体前面でくすぶる煙玉の効果もなくなる。

 隣のT-34/76に乗る継続のふたりも、そのことを理解している。

 

 だが、砲塔を回すには時間がかかるし、斜面を登りながらではバランスも悪い。

 だからT-34/76は、坂道を疾走しながらドリフトターン。

 一瞬で前後を入れ替えて、砲塔を下界へ向け、高速後退で坂を登る。

 

「継続め。うちの得意技まで盗みやがって」

 

 アンチョビの愚痴などどこ吹く風で、T-34/76が主砲を発射する。

 今ならまだ距離が近い。

 当たり所がよければ、T-34/76でもIS-2を行動不能に持ち込める。

 

 しかし、幸運は続かない。

 

 砲弾はIS-2の砲塔の傾斜に弾かれる。

 次はIS-2の番。

 こちらの主砲は、すこし距離が遠ざかった程度では、T-34/76の装甲などものともしない。

 

 だが――

 

 照準を定めきるより先に、頭上から大型の砲弾がIS-2を襲う。

 

 KV-2の榴弾による大爆発!

 

 重装甲のIS-2は、これにも生き残る。

 しかし、土煙でしばらくのあいだ視界は奪われる。

 逃走中の二輛にとっては、それだけでありがたすぎるくらいだ。

 

 けれども、ノンナは待たない。

 着弾の衝撃がおさまった瞬間、足元のペダルを踏み込む。

 

 視界のきかない状態で発射した、あてずっぽうの砲弾――

 傍観者からは、そうとしか見えない。

 

 否。

 ノンナには自信がある。

 熟練のスナイパーゆえの計算と、身体にしみついた経験がある。

 その自負にたがわず、砲弾はT-34/76に激突する。

 

 T-34/76にとっては、全速で後退中だったので力が逃げたことと、さきほどのドリフトターンで、IS-2に装甲の厚い前面を向けていたことが幸いした。

 

 ぶち当たった砲弾の衝撃で、T-34/76は全力できりもみ。

 グリップを失いそうになるぎりぎりのところで、ミッコの操縦テクで立て直す。

 カチューシャのT-34/85に衝突しそうになるのを寸前で回避し――

 KV-2にお尻をぶつけて止まる。

 

 一歩遅れて、CV33がT-34/85の横をすり抜ける。

 アンツィオの三人と継続の三人は、みごと山頂への生還を果たしたのだ。

 

 そして――

 土煙が晴れ、KV-2が次弾を発射しようとしたとき。

 

 ノンナのIS-2とお供の戦車は、すでに山腹から姿を消した後だった。



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6:ボルシチ小隊、疲弊する
その1


 その日の夜。

 平原後方に設置されたプラウダの幕営。

 テントの中で、ノンナがクラーラから報告を聞いている。

 

「――被害状況は以上です。けがをした乗員はいませんでした」

 

「がけ崩れはどうなりました?」

 

「一部ですが、除去が完了しました。小型の車輌なら通行できます」

 

「行動可能な車輌の数は?」

 

 クラーラが、手元の書類をくりながら答える。

 

「まだ修復作業中のものもありますが、T-26が四輛、BT-7が二輛、T-34/76が十二輛、T-34/85が一輛、KV-1が三輛、IS-2が一輛。さきほど到着した二輛を合わせて、ぜんぶで二十五輛です」

 

「ずいぶんと減ったものですね」

 

 ノンナがこめかみを押さえる。

 戦車道の試合なら二十五輛は多い方だが、今朝はその倍の車輌がいたのだ。

 おまけに、相手の戦力はこちらの四分の一以下。

 籠城戦は攻めるほうが不利とはいえ、完膚なきまでの大敗だと認めるしかない。

 

 だが、同志を責める言葉は口にしない。

 彼女が心の中でいちばん責めているのは、自分自身の采配だ。

 

 感情をおもてに出さないことで知られるノンナである。

 今だって、一見、顔つきはいつもと変わりない。

 ノンナの表情に疲労の色があることを見抜けるのは、よほど勘が鋭いか、そうでなかったら、よほど彼女のことを知る人物だけだろう。

 

「お疲れのようなら、今晩はもうお休みに――」

 

 クラーラが言いかけたところで、ノンナが片手をあげて制する。

 口をついて出たのは、軽口のような愚痴。

 

「まったく。他校の手助けがあったとは言え、ここまで善戦するとは思っていませんでした」

 

「さすがはカチューシャさま、でしょうか」

 

 クラーラが言うと、ノンナの表情はわずかにやわらかくなる。

 

「こちらの戦力にはまだ余裕があります。夜襲をかけるという手も――」

 

「いえ。明日があります。同志たちには休息が必要です」と、ノンナ。

 

「攻めてくるとお考えですか」

 

「状況が膠着した場合はこちらの勝ちという取り決めです。カチューシャが指をくわえて見ているだけなんて、ありえませんよ」

 

「では、むこうから夜襲を……?」

 

「それはどうでしょう」

 

 ノンナがほほ笑む。

 

 カチューシャが人一倍眠気に弱いことを、ノンナは誰よりも知っている。

 夜中にカチューシャ(ロケットのほう)で砲撃をしかけ、朝方にこっそりカチューシャ(人間のほう)に近づく作戦を立てたのは、ノンナだ。

 そうすれば、おねむになったカチューシャの不意を突けると思ったのだが……

 

「今日はお昼寝の時間がなかったはずですから、きっともう寝ているんじゃないでしょうか」

 

本当に(プラーヴダ)?」

 

 そこまで自信たっぷりに断言できるとは。

 クラーラは目を丸くする。

 

#

 

 しかし、カチューシャは眠っていなかった。

 

 カチューシャだけではない。

 ごった煮(ボルシチ)小隊全員が眠っていなかった。

 より正確には、眠れたものではなかったのだ。

 食料が尽きたせいで、空腹のまま夜をすごしていたからである。

 

 一番影響を受けたのは、食べることが三度の飯より大好きアンツィオの面々。

 

 なにしろ、自分たちのためにもってきた食料を、よその生徒に提供したせいで、自分たちまで空腹になっているのだ。

 気のよさだって人一倍どころではない彼女たちだ。

 相手に直接文句を言ったりはしないが、仲間だけのときには、つい愚痴も出る。

 

「ドゥーチェ、お腹すいたっす」

 

 ペパロニが、隣のドゥーチェに訴える。

 

 CV33が停車しているのは、すっかり定位置となった山頂近くの斜面。

 ペパロニときたら、すっかりだれきっていて、ハッチから出した上半身を、甲板にぐったりもたれさせている。

 

「そうだな。すいたな」

 

 アンチョビはさっきからずっと双眼鏡をのぞいたまま。

 見張りに専念しているといえば聞こえはよいが、時間が時間だ。

 双眼鏡の視界なんて、たいして役には立たない。

 それでもずっと顔に当てているのは、そうしていれば、不満げな顔をした隣の部下と、直接向き合わなくてすむからだ。

 

「うちらは何でここにいるんですか」

 

「包囲されてるからだろ?」

 

 アンチョビがはぐらかすと、ペパロニが不満げなうめきを上げる。

 

「そういうことじゃなくて。そもそも、うちらは何でまだここにいるんですか」

 

 そういうそもそも論を始められると、アンチョビも困る。

 そもそもの話をするなら、アンチョビだって、そもそも自分がなぜまだこんな場所にとどまっているのか、よくわかっていないのだ。

 つきつめて考えるなら、アンツィオの名物、ノリと勢いの弊害ということになるだろうが、ノリと勢いから活きのよいところだけをつまんで集めて大皿に山盛りにしたようなこの部下に、それを言うのも酷である。

 

「まあ、乗りかかった船ってやつだ。ほら、食料を提供してもらう約束だろ」

 

「そりゃそーっすけど、それだけの働きはもう十分したと思わないですか? 食料一年分どころか、二~三年分はもらわないと割にあわないっす」

 

 まあなあ、と相づちを打ってやるつもりで双眼鏡を目から離したアンチョビは、ペパロニが手のひらの上でなにかを転がしているのを見つける。

 

「それ、なんだ?」

 

「あ、これですか? さっき、継続のミカって子からもらったんです」

 

「帽子の?」

 

「そっす。助けてくれたお礼だって。むこうのアメちゃんらしいです」

 

 アンチョビは、ペパロニが手にした物体に視線を送る。

 

 黒い。

 石炭のように黒い。

 あめ玉というが、丸くない。角がある。

 ひしゃげたキューブのような形状。

 なんとなく、真っ黒な消しゴムのように見えなくもない。

 

(……これは、あれだよな)

 

 アンチョビは、複雑な視線で、ペパロニの表情をうかがう。

 この、天真爛漫というには少々邪気の多い部下は、はたしてあめ玉の正体を知っているのだろうか。

 

「それ、食べないのか? お腹がすいているんだろう?」

 

「え? どうしようかなー。食べたいけど、なんだかもったいない気がして。とっておきのときまで取っておくのも悪くないと思いません? どう思います、ドゥーチェ?」

 

 アンチョビは答えに困って、山上を見る。

 

 そちらにあるのは、緑に塗られた軍用トラック。

 そばのたき火に、継続の三人が集まっている。

 帽子をかぶったミカの横顔が見える。

 琴に似た楽器をつま弾きながら、隣のふたりと談笑しているようだ。

 

 いったいどんなつもりで渡したのやら。

 

「そうだな。せっかくだから取っておくといい」

 

 アンチョビはこれだけ言う。

 

「ドゥーチェがそう言うなら、そうします」

 

 ペパロニが白い歯を見せてにかっと笑う。

 

 アンチョビはふたたび双眼鏡をのぞく。

 のぞいたふりをして、横目でちらりと部下を見る。

 

「……逃げたいか?」

 

「え?! いやー、どうでしょ。どうなのかなあ」

 

 ペパロニのやつ、さっきまで文句を言っていたくせに、いざ尋ねられると、困ったような表情をしている。

 言葉をにごしているが、顔にちゃんと書いてある。

 たとえたった一日でも、同じ釜でゆでたパスタを食べた仲間を見捨てて逃げるのは、彼女の矜持が許さないのだ。

 

「真剣なお話ですか、ドゥーチェ」

 

 CV33の車内から、カルパッチョの声。

 

「うん。正直に言うと、私はそれも選択肢のひとつだと思っている。これは本来われわれに関係のない戦いだ。万が一、おまえたちが負傷したりすれば――」

 

「でも……」ペパロニが口をとがらせる。

 

 そのとき。

 CV33の背後で、誰かの靴音がした。

 

#

 

 KV-2組は総出で作業中。

 明かりを使って、BM-8の砲撃で不調になった砲塔と履帯を修理している。

 

 履帯はとても重い。

 暗いなかで故障個所を見つけるのは骨がおれる。

 めんどうくさくて時間のかかる作業だ。

 

 そういう集団労働の最中に軽口をたたき合うのは、どこでも同じ。

 いま仲間の注目を集めているのは、毛皮の帽子をかぶった砲手のニーナだ。

 

 同じ砲手のアリーナが、横から質問する。

 

「んでもよう、どうしてプラウダは、黒森峰や継続と仲が悪いんだべ?」

 

「そったらこと、決まってんべ」

 

 ニーナは訳知り顔。

 指揮棒のようにハンマーを振りながら解説を始める。

 

「学園艦の歴史はなげーからなあ。ほれ、戦車道だって、最近は言われてるべ? 強豪校が示しあわせてなれ合ってる、なんて」

 

「んなことねえと思うけどなぁ」と、アリーナ。

 

「おらもそう思う。でも、そう言われるのにもちゃんと理由があるだよ。母さん(かっちゃ)が言うには、おらたちが生まれるずっと前は、戦車道の空気からして違ってたってさ」

 

「ああー。連盟の力が弱い時期があって、強豪校同士がガチでやり合ってたから、雰囲気が殺伐としてたって言うなあ」

 

「んだ。スパイもあれば、試合以外での乱闘・暗闘なんでもあり。交渉でも二枚舌、三枚舌が当たり前で、どっちにもいい顔をしておいて、土壇場で両方を裏切るなんてザラだったって話だ」

 

「その頃うんとやり合ったから、今でも仲が悪いんだべか」

 

「やり合ったっていうなら、どこの学校でも同じだべ。黒森峰が嫌われるには、ちゃんとした理由があるだ」

 

 へー、そんでそんで、と合いの手が入り、ニーナは得意げに続ける。

 

群雄割拠(フリー・フォー・オール)をおもしろがる生徒もいたけど、よしとしない生徒だって、どこの学園艦にもいただよ。そういう生徒同士で寄り合いをぶったんだけど、一気に全面的な和平を達成するのは難しくてな。各校がそれぞれできることからやっていこうって話になって、その一環として、プラウダは黒森峰と不可侵条約を結ぶことにしただ」

 

「聞いたことある。黒森峰と仲よくしてた時期があるって」

 

「だべ? そうなったら、黒森峰は友好艦だ。学園艦同士の仲の良さをアピールするイベントが山ほど開かれたんだ。交換留学やったりしてな」

 

「交換留学?」

 

「選抜された生徒をお互いの学校に派遣して、相手の戦車道を学ばせようとしただよ。黒森峰の生徒にはプラウダの、プラウダの生徒には黒森峰の。数週間のあいだだけどな」

 

「ハイカラな催しだなあ」

 

「んだけど、黒森峰は、和平するつもりなんか最初からなかった。条約でプラウダを油断させて、電撃的に不意打ちするのが、本当の計画だっただよ。その時は、あともう少しで学園艦まで攻めこまれそうになるところだったってさ」

 

 仲間たちがいっせいにブーイングする。

 

「とんだ卑怯者だ」

 

「そのせいで、今でも黒森峰は恨まれてるだか」

 

「恨まれて当然だべ!」

 

「そんでプラウダはどうなっただ。負けちまっただか?」

 

「とんでもねえ」と、ニーナ。「黒森峰の戦線が伸びきったところで、その年は例年よりはやく寒波が到来してな。冬の備えをしていなかった相手を、反攻作戦でこてんぱんに打ちのめしてやっただ。うちが得意とする持久戦は、そのときの経験から編み出されただよ」

 

「ウラー!」

 

「さすがプラウダ!」

 

「黒森峰なんかに負けるわけねえ」

 

「ニーナは物知りだんべなあ」

 

 みんなの注目を浴びたニーナが、鼻高々でつけ加える。

 

「かわいそうなのは、交換留学した生徒だ。当時の生徒会書記長のお墨付きで黒森峰に留学した優等生だったのに、留学しているあいだにすっかり事情が変わっちまって、帰ってきたときは裏切り者扱い。授業もそっちのけで、風紀委員(KGB)から連日の尋問だべさ。なぜ黒森峰なんかに留学した、敵と通じているのだろう――ってな」

 

「おっかねえなぁ」

 

「当然、その子だって抗弁しただ。自分が留学したのは書記長の指示だ。書記長に聞いてくれればわかる、って。そしたら風紀委員は大激怒さ。貴様は人民の敵のくせに、偉大なる同志まで自分の犯罪に巻き込もうとするのか、って。怒りにまかせて、バン! バン、バン、バン!!」

 

 ニーナは音に合わせてハンマーを振りおろすジェスチャーをする。

 

「なんだその音」

 

「なにをされただ、その子」

 

「さて、なにされただかなあ」ニーナがほくそ笑む。「その子は卒業までなにも話さなかったから、誰も知らねえ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「尋問から帰ってきたとき、その子は総入れ歯になってたって話だ」

 

「歯が……」

 

 背後から、小さなつぶやき。

 

 ふり向いたニーナが表情を凍りつかせる。

 

「カチューシャさま……!」

 

 明かりの輪のきわに立っていたのは、戦闘帽をかぶった小柄な少女。

 おびえたように眉をひそめ、革の手袋をはめた手を片方、ほおに当てている。

 

 のんびり話に興じていたKV-2のクルーたちが慌てふためく。

 

「カチューシャさま。申し訳ありません!」

 

「すぐ! すぐに整備終わりますですから」

 

「いいの。そういうつもりで来たんじゃないから。ゆっくりやってちょうだい」

 

 心なしか、声に元気がない。

 なにか用があるのかと思いきや、背中を向けて坂を下ってゆく。

 

 KV-2の乗員たちは、ちびっ子隊長を見送りながら、ほっとため息。

 ……をついたところで、カチューシャがふり返ったので、また背筋を正す。

 

「あなたたち」

 

「は、はい。なんですか、カチューシャさま」と一同を代表して、ニーナ。

 

「今日はよくやってくれたわ。明日も頼むわね」

 

 それだけ言うと、カチューシャはまたむこうへ歩いてゆく。

 残されたクルーたちは、ただあっけにとられる。

 

「カチューシャさまがおらたちを褒めるなんて、めずらしいな」

 

 ニーナがひそひそ声で、隣のアリーナに言う。

 

 アリーナもひそひそ声。

 非難するように、ニーナの横腹をひじで小突く。

 

「それより、ニーナったら、またあんな与太話して。カチューシャさまのことだから、きっと本気にしちまったぞ」

 

 ニーナが口をとがらせる。

 

「おめえたちだって、おもしろがって聞いてたでねえか」

 

「それより、作業だ作業。早くしねえと、このポンコツ砲塔が動くようになるころには、お天道さまが顔を出しちまってるだ」

 

 そう。夜は長く、巨人の修復はまだ終わっていないのだ。

 



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その2

 空腹なのはエリカも同じである。

 

 プラウダにアンツィオ、継続―― ごった煮(ボルシチ)小隊のほかの生徒は、チームメイトといっしょだから、愚痴もこぼせるし、軽口も叩ける。

 

 エリカはひとりぼっち。

 愚痴を言える友人も、がんばろうと励ましあえる仲間もいない。

 

(……もっとも、黒森峰に帰っても、やっぱりいないんだけど)

 

 そう自嘲して、エリカはため息をつく。

 

 思い出すのは、夕刻に見たⅣ号戦車のこと。

 ハッチから身体を出した、五人の少女のこと。

 

 なぜだろう。

 もう何日も前のことなのに。

 あの光景を思い出すだけで、胸がきゅっと締めつけられる。

 

 エリカはT-34/85の操縦席に背中をあずけて、開いたハッチから空を見ている。

 

 見えるのは満天の星。

 ゆるやかな夜風の中に、気の早い秋の虫の鳴き声がまじっている。

 

 手を上にかざしてみる。

 指も腕もすり傷だらけ。

 

 見おろすと、白のワンピースにも、油の黒い汚れが何本も走っている。

 サンダルだって、片方の足のひもが切れてしまっている。

 

(なんだってこんな場所で、こんなにボロボロになっちゃってるんだか……)

 

 わからない。

 理不尽である。

 

 ただ、その理不尽さが、どこか好ましくもある。

 このめちゃくちゃが吹き荒れているあいだは、胸の痛みを忘れていられる。

 巻き込まれただけの、常識人の逸見エリカでいられる。

 どうせなら、もっとめちゃくちゃになってしまえばいい。

 心のどこかで、そう考えている気がする。

 

 そうなると私は、あのちびっ子に感謝すべきなのだろうか。

 巻き込んでくれてありがとうと。

 

(……ごめんだわ)

 

 というのが、しばらく考えた末の結論だった。

 

 あの子ったら、生意気だし。

 人使いが荒いし。

 それに。

 

(……私には、真似できないし)

 

 たとえば。

 

 あくまでたとえばの話だが、来年、エリカが黒森峰の隊長になったとして。

 こんな作戦が立てられるだろうか。

 ピンチのとき、あの子のように落ち着いていられるだろうか。

 あの子みたいな態度で接したとして、みんなはついて来てくれるだろうか。

 

(……まず無理ね)

 

 想像しただけで、エリカは苦笑いする。

 三日で隊員全員が辞めるか、三日でエリカが追放されるかのどちらかだ。

 

 私のまわりは、真似のできないすごい人ばかり。

 

 西住隊長だってそう。

 カチューシャだってそう。

 それに――

 

 まただ。

 また、夕焼けの中のⅣ号戦車。

 

(さっさと寝てしまおう。起きていてもつまらないことを考えるだけだし)

 

 エリカは目をつぶって、狭い操縦席で寝返りをうつ。

 ぐうぐう鳴るすきっ腹をかかえたままで眠れるものか、自分でも自信はなかったが、すきっ腹をかかえたままで起きているよりはマシなはずだ。

 

#

 

 がちゃりと、ハッチの開く音。

 かんかんと靴音を鳴らして、誰かが下りてくる。

 

(あの子だ)

 

 そう考えるだけで、目は開けない。

 

 眠った。

 私はもう、寝ている。

 だから声をかけないで。

 放っておいて。

 

 エリカはそういう意思表示をしているつもり。

 

(もっとも、あの子相手じゃ、狸寝入りなんてムダだろうけど)

 

 どうせ、こっちの気持ちなんかお構いなしの大声で起こされて、自慢話に付き合わされるに決まっている。

 そう身構えていたのに、いつまでたっても声がかからない。

 

 それどころか――

 

(え、なに……?)

 

 エリカは耳を疑う。

 

 かすかに聞こえてきたのは、鼻をすする濡れた音。

 それに、しゃくり上げるような、短い呼吸。

 泣いている、のだろうか。

 

「……うしよう」

 

 聞き覚えのある声が、切れ切れに耳に届く。

 

「……のせいで……が……しちゃったら……」

 

 エリカはようやく悟る。

 

(私がいることに気づいていないんだ……!)

 

 私はサンダースの誰かさんとは違う。

 盗み聞きなんて趣味じゃない。

 泣いている子をなぐさめるのは、もっと不得手だ。

 

 寝たふりを続けるのは居心地が悪い。

 いまさら起きていたことにするのは格好が悪い。

 たまたま目を覚ましたけれど、なにも耳に入っていないふりをする?

 そんな白々しいこと、自分には絶対不可能だ。

 

 自縄自縛で勝手に進退窮まったエリカの背後で、カチューシャがつぶやく。

 

「どうしよう、全部カチューシャのせいだわ」

 

 あらまあ。

 この子でも責任を感じて自分を責めることがあったんだ。

 

 驚きにまつげを震わせるエリカの耳に、さらに意外な言葉が届く。

 

「カチューシャが巻き込んだせいで、あの子たち、歯を全部折られちゃう……」

 

 え? なにそれ?!

 

 エリカは驚愕に目を見開いて、後部上方の車長席を見上げる。

 

 そのとたん。

 目元に涙をためてうつむいていたカチューシャと、ばっちり視線が合う。

 

#

 

 カチューシャがあわてて涙をぬぐい、つんとあごを上げる。

 

「な、なに! いるならいるって言いなさいよ!」

 

 エリカもむっとして反論する。

 

「寝てたのよ! そっちこそ、どうして泣いてるのよ」

 

「泣いてないわ!」

 

「うそ。悲しそうにしくしく泣いてたくせに」

 

「泣いてない! カチューシャが泣くわけないでしょ!!」

 

 カチューシャが叫ぶ。

 

 エリカは沈黙する。

 

 何でもない風を装おうと、カチューシャは何度も目元をこする。

 

「どこから聞いてたの」

 

「なにも聞いてない。言ったでしょ。寝てたの」

 

「そう。ならいいけど」

 

 ごそりと、操縦席で寝返りをうった音。

 

「……それで、歯を折られる子の中には、私も入ってるの?」

 

「しっかり聞いてるじゃないの!!」

 

 冗談よ、とエリカが言う。

 

「プラウダにそういう習慣があるとは知らなかったわ」

 

「あるわけないでしょ。カチューシャは寛大なんだから!」

 

「じゃあ、なんでそういう話になるのよ」

 

「だって、裏切り者はそういう目にあうって、ニーナが……」

 

「ニーナ?」

 

「装填手。KV-2の。毛皮の帽子かぶってる子」

 

「ああ、あの」

 

 その子なら記憶にある。

 朝食のとき、カチューシャの身長にまつわるジョークを披露してきた子だ。

 

 エリカは、あの時のニーナの、得意げな表情を思い出す。

 

「……それ、本当じゃないんじゃない?」

 

「どういう意味」カチューシャが鼻をすすり上げる。

 

「冗談だったのよ、たぶん」

 

「そうかしら」

 

 しばらくの沈黙。

 

 納得したのかと、エリカが思いかけたころ。

 砲塔からまた、すすり泣きが聞こえる。

 

「ちょっと、どうしたのよ。話聞いてた?!」

 

 もう。こんなの私の柄じゃないってのに――

 

 エリカは絶望しながら、狭いすき間をぬけて砲塔に登る。

 カチューシャは、床にぺたんと座りこんで、ぽろぽろ涙をこぼしていた。

 

 こういうときにどうしたらいいのか、エリカには本当にわからない。

 とりあえず叱咤してみる。

 

「しっかりして。そんなの本当なわけないでしょ」

 

「だって、カチューシャだって、そうだったらいいなって思うけど、黒森峰のあなたが、ニーナよりプラウダに詳しいはずないし」

 

 ああ。

 頭の回る子って、こういうとき、すごく厄介。

 

「カチューシャだけならともかく、ニーナやアリーナや、エリツィンまで、歯をどうにかされちゃうなら、あんなことしなきゃよかったって……」

 

「その呼び方、やめてって言ったでしょ」

 

 何なの、この子。

 戦車戦の最中は、どんなに窮地に追い込まれても平然としていたくせに、

 くだらない冗談を真に受けて、子供みたいに泣いちゃうなんて。

 戦車道が優秀な子はアンバランスじゃなきゃいけない決まりでもあるのかしら。

 

 カチューシャが、しゃくり上げながらエリカを見上げる。

 

「ごめんなさい、エリカ。あなたの歯まで……」

 

 だから、なんで歯を砕かれることが決定事項になってるのよ。

 

 エリカはため息をついて、カチューシャの隣にしゃがみ込む。

 

「安心しなさい。私がどこの生徒だと思ってるの? 黒森峰よ。私にそんなことしたら学際問題だわ。学園側が黙ってないし、強豪校が文句をつけたら、連盟だって見て見ぬふりはできないでしょ。継続高校や、えー、アンツィオだって同じよ」

 

「ニーナやアリーナは……?」

 

「心配なら、私から隊長に頼んで、連盟に掛けあってもらうから。あなただって知ってるでしょ? プロリーグの設立を目前に控えているから、連盟は今、そういう不祥事にすごく神経質になってるって。虐待なんて許すはずない」

 

 プロリーグ……不祥事……と、エリカの言葉をおうむ返しにするうち、カチューシャの表情が少しずつ明るくなる。

 

「そう…… そうね! 戦車道連盟がそんなこと許すはずないわよね!」

 

「ええ。許すはずないわ」

 

「そうよ! プラウダはつねに西側の一歩先を行く進歩的な学園艦ですもの。そんな野蛮な行為、許されるはずがないんだわ! まったくニーナったら、いいかげんなデマを振りまいてくれちゃって! 許せない!!」

 

「そうね。許せないわね」

 

「学園艦に戻ったら、さっそく補習室(シベリア)送りよ! 泣いたって許してあげないんだから!!」

 

 エリカが、小さな暴君の機嫌が直ったことにほっとしながら、はいはい、シベリア送りでもす巻きでも市中引き回しでも好きなようにしてあげて、と心の中で思っていると、カチューシャがエリカを見上げて言う。

 

「ありがとう。エリカって優しいのね」

 

 優しい……?

 

 私が?!

 

 厳しいとか、口が悪いとか、性格が歪んでるとか、ネガティブな評価には慣れっこだけど、優しいなんて言われたの、生まれて初めてかもしれない。

 

 とまどうエリカに、カチューシャがほほ笑む。

 

「エリカには、なにかお礼をあげなくちゃ」

 

「お礼?! いいわよ、そんなの。この程度のことで」

 

 カチューシャはエリカの言葉を無視して、しばし考える。

 

「そうね。エリカには、カチューシャをいつでも肩車していい権利をあげる。うれしいでしょ?」

 

 それはお礼なのかしら……

 

 エリカが頭を悩ませていると、カチューシャがほおをふくらませる。

 

「うれしくないの? ほかにこの権利を持っているのはノンナだけなのよ。クラーラだって持っていないんだから」

 

「そんなわけない。うれしい。すっごくうれしいわよ」

 

 これ以上機嫌を損ねられたら、たまったものではない。

 

 エリカが喜んでいるふりをすると、カチューシャはにっこり笑う。

 

「でしょう? これで、わたしとあなたは友だちね、エリカ」

 

 友だち――

 ピンと来ないのは、友だちという存在になじみがないせいだろうか。

 

 どう反応していいのかわからず、エリカはぎこちなく笑顔を作る。

 

 カチューシャが満面の笑みで応じる。

 

 そういう風にして、夜はふけてゆく。

 

#

 

 そして――

 CV33が山頂から姿を消したのは、翌朝早くのことだった。

 



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7:ノンナ、撃ち抜く
その1


「ノンナさま、アンツィオのCV33です!」

 

 ノンナは、天幕の外から聞こえる部下の声で目覚める。

 寝台から起きあがりざま、声を張る。

 

「どこです?」

 

「それが、発見したときは、すでに平原を移動中で……」

 

「遅い! なにをしていたのです!」

 

「申し訳ありません。霧が……」

 

 霧がどうしたというのです――

 

 そう叱りつけようとしたところで、ノンナは気がつく。

 

 高原は、いつの間にか、白い朝霧につつまれている。

 

 すでに日は昇っている。

 かすみのむこうに陽光が透けて見える。

 濃くはない。すぐに晴れるだろう。

 しかし、見張りの目をくらませるには十分だったわけだ。

 

「……それで、CV33はなにを?」

 

「単独で移動中です。逃亡するつもりかもしれません。三時の方角です」

 

 部下の報告を聞きながら、ノンナは愛機IS-2に登る。

 

 中には入らない。

 砲塔の上に立って双眼鏡をかまえる。

 

 部下が指し示したのは、プラウダの右翼の、さらに右手――

 

 たしかに、見える。

 はるか遠く、あともう少しで森という平原の境目。

 黄色い豆戦車が、カチューシャたちが立てこもる山から遠ざかる方向へ、のろのろと進んでいる。

 

「発砲しますか? T-34/76でも、ぎりぎり撃ち抜ける距離ですが……」

 

 それも、たしかに。

 ぎりぎりだが、撃ち抜けなくもない。

 だが、それが不審だ。

 

 小柄なタンケッテであれば、森の中を突っ切ることも不可能ではないはず。

 本気で逃げる気なら、そうしたほうがはるかに有利だ。

 速度も妙に遅い。

 

 どこか故障しているのか?

 それとも、われわれを誘っている……?

 

#

 

「山頂の様子は。ほかの車輌はどうしていますか」

 

「それが、霧のせいで……」

 

 また霧ですか。

 ノンナは、舌打ちしそうになる自分を抑えながら、山頂へと視線をめぐらす。

 

 双眼鏡の視界に白雲がまとわりつく。

 だが、霧は晴れかけている。

 とばりの切れ目から、ときおりむこう側がのぞく。

 

 山頂付近――

 砲弾で表土が吹き飛ばされ、無残なあばたがいくつも開いている。

 

 最初に見えたのは、KV-2の奇怪な砲塔。

 

 次に見えたのは、その下からKV-2の巨体を支えるプラウダの戦車が一輛。

 

 なにもおかしな所はない。

 最初はそう思った。

 でも、なにかが違う。なにかが記憶と食いちがう。

 だが、なにが……?

 

 ノンナは記憶をたどる。

 

 昨日、KV-2は不調だった。

 履帯が外れていたのが下から見えたし、砲塔も動かないようだった。

 動かない砲塔の向きをむりやり変えるため、カチューシャのT-34/85が下から突きあげた。

 それからずっと、T-34/85はKV-2にくっついている。

 今見ている光景と、まったく矛盾しない。

 

 いや。違う。

 

 カチューシャに味方する誰かが、プラウダから鹵獲したT-34/76。

 あの車輌も、KV-2に下から激突したのではなかったか。

 ノンナが撃った砲弾にはじき飛ばされるようにして。

 

 だから、KV-2の下には、戦車が二輛いるはずなのだ。

 それなのに、一輛が消えている。

 

 どこだ。どこへ移動した。

 

――ああ、霧が邪魔だ。

 

 確かめたいのに、白い雲が邪魔をする。

 ノンナは眉をひそめて、双眼鏡を目に強く押し当てる。

 

#

 

 次に霧が晴れたとき。

 ノンナはようやく、二輛のシルエットをはっきり確認する。

 

 山頂近くの斜面に停車した、二輛の戦車。

 

 一輛はもちろん、KV-2。

 あの特徴のありすぎる面構えを間違えるはずがない。

 

 だが、もう一輛はT-34/85ではない。

 砲身が短いし、砲塔後部の形状が異なる。

 あれは、鹵獲されたT-34/76のほう。

 消えているのは、カチューシャのT-34/85だ――!

 

 ノンナが号令する。

 

「CV33はおとりです! 探しなさい! カチューシャは、霧にまぎれて逃げるつもりです!!」

 

 カチューシャがこの試合に勝利するには、二通りの方法がある。

 プラウダの全車輌に白旗を上げさせるか。

 あるいは、カチューシャが戦車で戦闘区域外まで脱出するか。

 カチューシャは後者を狙うつもりなのだ。

 

#

 

 霧に沈むように眠っていた濃緑の戦車たちが、あわただしくエンジンをふかす。

 黒い煤煙がマフラーから吹き上がって、白い霧をかき乱す。

 

 通信機越しに、部下が指示を求める。

 

「ノンナさま、どこを探せば……?」

 

「CV33のいないところです。斜面にはいませんか」

 

「見ていません。でも、ずっと起きて見張っていたんです。寝てなんかいません。信じてください。ぜんぶ霧のせいで……」

 

 通信機のむこうから、泣きそうな声が聞こえてくる。

 

 こっちだって泣きたいくらいだ――

 表情を変えずに心の中でそう思いながら、ノンナは小さくため息をつく。

 

「その話はあとで。今は見つけるのが先決です。そんな情けない声を出していては、カチューシャに嫌われてしまいますよ」

 

「は、はい! かならず! 必ず発見してご覧に入れます!」

 

「CV33はどうしますか、同志ノンナ」

 

 入れ代わりに、通信機から別の声が尋ねる。

 ノンナの腹心、クラーラの声。

 ノンナはまたため息。今度は安堵の息だ。

 

「山頂に残った車輌の動きが気になります。逃げるように見せて、連携するつもりかもしれません。包囲をかねて数輛残しますから、クラーラ、あなたが指揮してください。本当に逃げているだけだったら、好きにしてかまいません。判断は任せます」

 

了解(パニョラ)!」

 

「T-26四輛とBT-7二輛、KV-1二輛、残りの右翼は、クラーラと一緒に残りなさい。ほかの車輌は散開。カチューシャのT-34/85を探します!」

 

#

 

 ノンナの命を受けて、プラウダの戦車は平地に散る。

 

 重点は左翼。

 CV33がこれ見よがしに逃げている方向の反対側。

 

 あれがおとりなら、T-34/85は、豆戦車が見てほしくない方向にいる。

 見える距離にいるということは、T-34/85もまだ遠くへは行っていない。

 追いつけないほど距離が稼げているなら、わざわざ姿を見せて、こちらを惑わせる必要はない。

 それがノンナの読みだ。

 

 ロジックとして100%正しいとは言えない。

 ほかの可能性を切り捨てた、一種の賭けだ。

 

 だが――

 

 今回、賭けは当たった。

 

「いました! T-34/85です!」

 

 じりじりしながら待っていたノンナのもとに、報告が入る。

 

 発見された場所は、やはり、プラウダの右翼。

 右翼を台地方向へ走るCV33とは、場所も移動する方角も正反対。

 

 カチューシャのT-34/85は、渓谷のある台地に背を向け、昨日まで立てこもっていた山を右手に見ながら、数日前に定めた戦闘区域の境界を目指して走っている。

 

#

 

 ノンナが通信機に命じる。

 

「正確な位置を。動いている全機で包囲します」

 

「いえ、その必要はありません! 単独で撃破してみせます!」

 

 だが、通信機から返ってきたのは、意気込みの上滑りした声。

 

 ノンナは、マイクを握ったまま、しばし固まる。

 理由の半分は、命令を無視されるとは思わなかったから。

 もう半分は、声の主に気がついたからだ。

 

(彼女は――)

 

 聞き覚えがある。

 霧のせいで動きを見落としたことを、しきりに詫びていた隊員だ。

 

(――功を焦ったか)

 

 ノンナはこめかみを押さえる。

 

 聖グロリアーナではないが、熱い紅茶が飲みたい。

 砂糖たっぷりのジャムをなめて、気持ちを落ち着けたい。

 

 だが、ノンナは、それが部下だけの落ち度でないことも、よくわかっている。

 これは、部下を恐怖で支配しようとしたノンナに対するしっぺがえしだ。

 

 世の中のあらゆる選択には、副作用がある。

 

 自主性を重んじれば、規律が損なわれる。

 安定を追い求めれば、革新はうち捨てられる。

 

 人を律するのに恐怖をもってすれば――

 いつか、律せ得ぬものに膨れあがった恐怖に手を噛まれるのだ。

 

 ノンナは優秀な副官である。

 部下の心理を、頭では理解できる。

 

 部下にしてみれば、失態をしでかして、学園艦に戻ったら死ぬよりもひどい罰が待っていると絶望していたところに、失地回復のチャンスが降ってわいたのだ。

 独断専行もしたくなるだろう。

 

 だが、理知的な天才ゆえの悲しさか。

 どうすれば部下の暴走を防ぐことができたのか、それがノンナにはわからない。

 

(カチューシャなら……)

 

 ノンナは、心から思う。

 

(隊を率いているのがカチューシャなら、こうはならなかったでしょうに……)

 

 カチューシャのように、部下から恐れられながらも、同時に深く敬愛され、ちびっ子隊長と呼ばれて親しまれるようなリーダーには、ノンナはなれない。

 ノンナは、どこまでいっても、ただの優秀な副官だ。

 ノンナに理解できるのは、このままでは部下が各個撃破されてしまう、ということだけ。

 

「急ぎますよ!」

 

 砲手席から、ノンナは強い調子で呼びかける。

 

#

 

 晴れかけた霧の中。

 追跡隊の一番手となったT-34/76が、T-34/85を追う。

 

 T-34は足回りがよい。

 

 重量はT-34/76が三十一トン程度、T-34/85は三十二トン。

 CV33は三・一トンだから、T-34/76はその十倍。

 アンツィオ生でもできる簡単な計算だ。

 だが、最高時速は、CV33が四十二㎞であるのに対し、T-34は五十五㎞。

 図体は大きいくせに、じつはCV33より快速なのだ。

 

 そして、同じT-34同士の追いかけっこなら、操縦手の腕のよい方が勝つ。

 

 戦功をあせるT-34/76にとって不運なことに、T-34/85の操縦手はすご腕だった。

 

 T-34/85が速度を上げ、霧の中に消える。

 追いつこうと、T-34/76も速度を上げる。

 

 だが、ふたたび視界にあらわれたT-34/85は、なんと後退中。

 T-34/76の側面をかすめて通りすぎながら、ターレットリングの継ぎ目を的確に撃ち抜き、また霧に消える。

 

「申し訳ありません! やられました! 行動不能です!!」

 

 ノンナに報告する声の悲痛さったらない。

 それを聞いて、ノンナとクラーラをのぞくプラウダの全隊員が思った。

 かわいそうに、あの子たち、卒業まで永遠にシベリア送りだわ――と。

 

 自分も彼女たちと同じ運命かもしれない――

 

 次に全員の頭に浮かんだ考えが、ある者の行動を浮き足立たせる。

 別の者を必要以上に慎重にする。

 追跡隊の足並みが乱れる。

 

 T-34/85はその隙を見逃さない。

 ばらばらになったT-34/76の一輛に、死角からたくみに接近する。

 

 撃っては離れる。

 離れたと思ったらまた近づく。

 高速でくるくる移動して相手を翻弄。

 至近距離から相手を叩く。

 

 プラウダの戦車がこの手口にしてやられるのは、昨日に続いて二日目だ。

 

「ノンナさま、あいつが操縦手です! 鹵獲したT-34/76に乗っていたやつ!」

 

 白旗の上がった二輛目のT-34/76から、乗員が悔しそうに報告する。

 

 T-34/85は、車輌の特性を把握し、目的を的確に理解した者だけができる動きで、敵をかき乱しながら、着実に戦闘区域外へ近づいてゆく。

 

#

 

 ノンナのIS-2は、現場に急行している。

 

 が、IS-2は足が遅い。

 中軍にいたせいで、左翼までの距離が遠いのも災いした。

 

 周辺に散開中の戦車は、ほとんどがT-34/76だ。

 数で勝っているとは言え、性能はT-34/85が上。

 むこうの車長がカチューシャであれば、なおさら不利だ。

 クラーラに連絡して、後方からBT-7二輛を送ってもらったが、到着までまだ時間がかかるし、足の速さならともかく、主砲の性能では、こちらも及ばない。

 対抗できる車両は――

 

「ノンナさま、自分が!」

 

 マイクを取り上げて叫んだのは、KV-1の車長。

 これからT-34/85がむかう方角に捜索に出ていた車輌だ。

 

「自分たちが前をふさぎますから、その間に!」

 

 KV-1は、T-34に並ぶプラウダの傑作戦車。

 登場からしばらく無敗を誇った頼れる重戦車だ。

 製作はT-34/76とほぼ同時期で、主砲も同じ76.2㎜。

 主砲の性能ではT-34/85に劣るが、装甲ははるかにぶ厚い。

 そのぶん重量があるので、速度ではT-34/85にかなわない。

 

 それでも自信ありげなのは、理由がある。

 

「近くに味方のT-34/76が二輛います。三輛で当たれば、足止めくらいは……」

 

「まかせます。撃破は狙わず、なるべく長く持ちこたえてください」

 

「了解!」

 

 三輛のプラウダ戦車が、T-34/85の前に立ちふさがる。

 

 抜け駆けはしない。

 ノンナの指示を守り、連携して足止めを狙う。

 

 T-34/85が足で駆けぬけようとすると、おなじく快速のT-34/76が前をふさぐ。

 近距離から撃ち抜こうとすると、追いついたKV-1が壁になる。

 T-34/85が一輛の裏を取ろうとすると、ほかの二輛がT-34/85の裏に回る。

 フェイントで抜き去ろうにも、三輛のうちどれか一輛が出方をうかがっているので、裏をかけない。

 

 KV-1は、すでに何発か、T-34/85にいい弾をぶち込まれている。

 それでも、びくともしない。

 元からの装甲にくわえて、砲塔と車体の側面に、ボルト止めで装甲を追加したモデルだからだ。

 

 日が高くなってきた。

 平地に垂れこめていた霧は、完全に晴れてしまった。

 

 おまけに、T-34/85が手間取っているあいだに、包囲隊はさらに増加。

 周辺にいた二輛が合流して、KV-1一輛とT-34/76四輛になる。

 後方からは、ノンナのIS-2がじわじわ接近中。

 

 T-34/85の立場は、悪くなるいっぽうだ。



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その2

 T-34/85が、KV-1の懐に切り込む。

 相手の側面か、裏を取る動き。

 

 だが、その意図は読まれている。

 T-34/76二輛が、T-34/85の背後に回りこむ。

 守りの弱い背面を狙おうというのだ。

 

 それを見て、T-34/85が逃げる。

 すでに何度も繰り返されたやりとりだ。

 

 しかし、今回の行動は、ただの欺瞞。

 逃げたように見せておいて、T-34/85は、ドリフトでT-34/76のさらに背後に回り込む。

 

 ところが、これも読まれている。

 すこし離れたところから様子をうかがっていた別のT-34/76二輛が、砲弾を発射して、T-34/85の行動を邪魔する。

 

 傾斜装甲で弾きはした。

 それでも、一発がT-34/85の砲塔にひっかき傷を残す。

 

 操縦手の腕は、まちがいなくT-34/85が上だ。

 だが、一対五では分が悪い。

 立ち止まることができない。

 動きまわることはできても、包囲を突破することはできない。

 

 この状況は、昨日、ノンナが指示した戦術の再現――

 こまねずみは罠にかかってしまったのだ。

 

 T-34/85が、考えあぐねたかのように速度を落とす。

 前方をふさいだ五輛が、すかさず砲火を集中させる。

 

 が、土煙がおさまったとき、T-34/85はその場所にいない。

 履帯を逆転させて、全速で後退している。

 逃げているのは、ノンナのIS-2が接近中の方角だ。

 

(戦闘区域外に出るのをあきらめた……?)

 

 部下から報告を聞いて、ノンナは一瞬そう考える。

 鈍足のIS-2なら、足で振り切って別方面へ抜け出せると踏んだのだろうか。

 

(そうはいきませんよ、カチューシャ――!)

 

 ノンナはスコープをのぞく。

 

 見える。

 T-34/85が、装甲の薄いお尻をこちらに向けたまま疾走している。

 IS-2なら、この距離でも撃ち抜ける。

 

 ノンナはフットペダルを踏み込む。

 

 だが、発射の瞬間――

 

 T-34/85は、それを読んでいたかのようにドリフトする。

 

 後退したまま、ぐるりと大きく半円を描いて、IS-2の砲弾を回避。

 今度はIS-2に正面を向けて、いま来た方角へ、全速後退で逆戻りする。

 

 そうなると、当然……

 前方で待ち受けるKV-1とT-34/76からは、弱点の多い側面と背面が狙い放題だ。

 

 相手が自分たちから逃げ出した、という思いこみもある。

 完璧に連携してきた五輛の動きが、はじめて乱れる。

 二組のT-34/76が突出し、足の遅いKV-1を置き去りにする。

 

 T-34/85は、大きくカーブして戻ってきた。

 だから、コースが前と違う。

 横にずれている。

 それに合わせようとすると、T-34/76の進路もいびつになる。

 

 二輛は、T-34/85の背面を取ろうとする。

 残る二輛は、T-34/85の側面へ回ろうとする。

 

 先にいい位置につけたのは、背面を取った二輛。

 後進を続けるT-34/85の進路正面に陣取って、次々と主砲を発射する。

 

 T-34/85が、またも大きくドリフトする。

 今回は四分の一回転。

 着弾を避け、発射したT-34/76二輛の側面に回り込むように動く。

 

「くそ!」

 

「横を取られるぞ! 急げ!」

 

 T-34/76は履帯を動かして、車体の向きを合わせようとする。

 

 だが――

 T-34/85に、砲戦に付き合う義理はない。

 

 前をふさいでいた壁が横にどいてくれたのだ。

 停止するどころか、T-34/76には目もくれずに、境界線の方角へ一直線。

 

 T-34/76の乗員たちは、自分たちの判断ミスを悟る。

 

「追いかけろ! 逃げさせるな!」

 

 二輛が急発進で追いかける。

 側面に回ろうとした別の二輛が、後方から追随する。

 動きの遅いKV-1は、斜めに突っ切るルートで、前の四輛に追いつこうとする。

 後方から追いかけるIS-2は、味方の戦車が邪魔になって、T-34/85を狙えない。

 

 境界線は、すでに視界に入っている。

 

 数日前にプラウダの本隊が抜けてきた、うっそうとした森――

 あそこにたどり着ければ、カチューシャの勝利だ。

 

 T-34/85は、いまだ全速で後退している。

 後方から行進間射撃するT-34/76の砲弾は、車体前面の傾斜装甲で受け流す。

 そして、追う側にとっては腹立たしいことに、たまにちくちく撃ち返してくる。

 

 ところが――

 思わぬ誤算が生じる。

 

 T-34/85の一撃が、たまたまヒットしたのだ。

 

 先頭を走っていたT-34/76が、すぽんと白旗を上げる。

 いままでペアで走っていたT-34/76が、一輛だけになる。

 

 後続が追いついてくるまで、まだすこし時間がある。

 T-34/85が、ぎいっと車体をきしませて停車する。

 

 砲塔をめぐらせ、狙うは残されたT-34/76。

 T-34/76が、前進をやめて、逃げに転じようとする。

 

 その行動が逆に災いした。

 動きが止まったところを撃たれて、片側の履帯を破損。

 片方だけでもがいている最中に二発目を撃ちこまれて、こちらも白旗を上げる。

 

 もはや、T-34/85は単機。

 

 森は目の前。

 まっすぐ走れば、追っ手が到達するより先に境界線を超えられる。

 そうすれば、勝利は確定だ。

 

 だが――

 

 T-34/85は意外な行動に出る。

 戦闘区域外へ向かわず、追っ手であるT-34/76の方角へ走りだしたのだ。

 

#

 

 後方からスコープ越しに見守りながら、ノンナは嘆息する。

 

(――まったく。カチューシャときたら)

 

 逃げっぱなしではプライドが許さなかったか。

 

 らしいと言えば、じつにカチューシャらしい行動ではある。

 

 カチューシャが部下から愛される理由のひとつが、これだ。

 ノンナのように、計算一辺倒では動かない。

 ときおり、この手の、児戯とも傲慢ともつかない行動をとる。

 

 だが、ノンナはこれまで、口をすっぱくして何度も意見してきた。

 その気位の高さが、いつか災いする時が来ると。

 

 けっこう。

 逃げずに勝負するつもりなら、望むところです。

 きつくお灸をすえてあげましょう。

 

 ノンナは通信機のマイクを握る。

 

#

 

 T-34/85は、プラウダの追跡隊めざして前進する。

 

 二輛のT-34/76は、ぎこちなく停車。

 T-34/85から視線をそらすように、いま来た方向に逆戻りを始める。

 かたかたと履帯を回し、のたのたした速度でUターン。

 大洗あんこうチームの冷泉麻子や、継続のミッコの操車を見ていると、それが当たり前のテクニックであるように思えてしまうが、戦車でのドリフトなど、簡単にできるものではないのだ。

 

 しかし、いったん走り始めると、T-34/76は快速。

 追いかけるT-34/85の足にも、熱が入る。

 逃げるT-34/76めがけて、砲弾を発射。

 T-34/76も砲塔をめぐらせて応戦する。

 そんな追いかけっこが、しばらく続いた後――

 T-34/85の近くで、砲弾が炸裂する。

 

 だが、発射したのは、逃げる二輛のT-34/76ではない。

 飛来したのは、T-34/85の側面から。

 別のT-34/76が二輛、そちらから走ってくる。

 

「引っかかりましたね、カチューシャさま!」

 

「今度はこっちの番です!」

 

 先を走っていたT-34/76二輛が立ち止まる。

 T-34/76は、逃げるふりをしてT-34/85を釣ったのだ。

 

 指示したのはノンナである。

 

 連れ込んだのは、プラウダの戦車が集結中の地域。

 これでT-34/76は、T-34/85の前方に二輛、側面に二輛。

 前方の二輛の奥からは、KV-1が迫る。

 

 状況は、またしても五対一。

 T-34/85は、能力を過信したせいで、今度は自分から罠にはまってしまった。

 

 事態に気づいたT-34/85が、後進で逃げようとする。

 

「そうはさせませんよ!」

 

 側面の二輛が、すかさず回り込んで退路を封じる。

 

 だが、T-34/85は後退を継続。

 T-34/76の放った一撃を、装甲ではじき飛ばす。

 

 近接したところで、車体を横に滑らせて、ぐるりと大回り。

 大洗あんこうチームが得意とするドリフトでの回り込みで、T-34/76の背後に回ろうとする。

 

 平隊員のT-34/76では、T-34/85のトリッキーな動きに追随できない。

 

 一輛だけなら、追随できなかったろう。

 しかし、T-34/76は二輛いる。

 二輛目の位置取りは、一輛目のぴったり側面。

 反対側に砲塔を向けて、一輛目の背中を守っている。

 

 これもノンナの指示だ。

 一輛では格上に歯が立たなくても、二輛で力を合わせれば食らいつける。

 T-34/85は、その射線に、自分から飛び込む。

 

「やった、ノンナさま! 指示通りです!」

 

 二輛目が主砲を発射!

 砲弾はみごとT-34/85にヒットする。

 

 だが、当たった場所が悪かった。

 砲塔前面にぶつかった砲弾は、かぃぃんと高い音を立てて弾かれる。

 

 T-34/85が、一瞬遅れて主砲を発射するが……

 こちらも、あらぬ方向に飛んで行く。

 

「くそぉ! 硬いな、改良型は!」

 

 いったん静止した三輛が、行動を再開する。

 

 T-34/85は、密着した二輛のT-34/76の周囲を、ぐるりと円軌道。

 T-34/76はそれぞれ砲塔をめぐらせる。

 しかし、味方が近すぎる。

 そのせいで、視界も、砲塔の回転も制限されてしまう。

 

 さっきまで囮役だった別の二輛が、遠くから主砲を発射して援護する。

 だが、T-34/85は落ち着いたもの。

 再装填が終わったところで、いちばん近くにいた一輛を撃ち抜く。

 

 位置取りも憎らしい。

 撃破したT-34/76の影に隠れるように停車したせいで、密着したもう一輛からも、後方から迫りつつある二輛からも狙えない。

 

「どうする、回り込む!?」

 

「だめ! 待たれてる!」

 

 密着していた一輛は、まず距離を取ろうとする。

 角を曲がっても狙い撃ちされると読んだのだ。

 

 しかし、T-34/85の動きは最小限。

 車体をすこしだけ動かし、白旗を上げたT-34/76の影から砲塔を出して、逃げてゆくもう一輛に砲弾を撃ちこむ。

 

 直撃はしなかった。

 だが、T-34/76は至近弾に転輪を破壊され、足を封じられる。

 

「じゃあ、これならどうです!?」

 

 残る二輛が二手に分かれる。

 左右に分離して回り込めば、どちらか一方がやられても、生き残ったもう一輛が、T-34/85の裏を取れる。

 正しい戦術だ。

 

 だがそれは、T-34/85が静止を続けていたらの話。

 

 T-34/85はすかさず前進。

 単独になったT-34/76に猛然と接近する。

 

「ああ!? ずるいです、カチューシャさま!」

 

 やられる前から泣き言をもらす部下を叱りつけるように、T-34/85は主砲を発射する。

 

 この一輛が白旗を上げたところで、すかさずドリフトし……

 履帯で草原にきれいな半円を刻みながら、倒したばかりの戦車の影に回り込む。

 

 目的は、もう一輛のT-34/76が背後から放った砲弾を、白旗を上げた一輛を盾にしてかわすこと。

 

 勢いを生かして、反対側から飛び出して止まる。

 そのときにはもう、T-34/85の砲口は、最後のT-34/76に合っている。

 

「だから、カチューシャさまに勝つなんて無理だったんだぁ!」

 

 T-34/76の装填手は、必死で再装填を進めながら、すでに半泣きだ。

 

――しかし

 

 T-34/85が躍進射撃した砲弾が、T-34/76に到達する寸前。

 別の戦車が、横から滑り込んで、厚い装甲で砲弾をはじき飛ばす。

 

「KV-1だ!」

 

「KV-1が来てくれた!!」

 

 T-34/85の弾を何度もはじき返した重戦車が、ようやく到着したのだ。

 

 停車したKV-1が、ゆっくりと砲塔をめぐらせる。

 

 T-34/85はふたたび走行開始。

 KV-1の裏を取ろうと、曲線を描いて走る。

 

 KV-1が主砲を発射!

 T-34/85の砲塔をかすめた徹甲弾が、鐘のような音を立てて跳弾する。

 T-34/85も応射する。

 KV-1が前面装甲で跳ね返す。

 

 T-34/85が、KV-1の砲塔が回りきるより先に、砲塔の裏側に回り込む。

 十八番のドリフトだ。

 

 だが、そこでは、T-34/76が待機中。

 当然、砲塔は、T-34/85の砲口に向けられている。

 先ほどの状況の再現だ。

 

 おまけに、さっきとは違い、砲身は俯角を取ってある。

 砲塔ではなく、より装甲の薄い車体を狙う気だ。

 

――しかし

 

 T-34/85は、そこまで読んでいた。

 

 慣性がおさまるより先に、履帯への動力伝達を再開。

 停止の瞬間、V字を描くように逆方向への移動を開始して、T-34/76の決死の一撃をぎりぎりでかわす。

 

 切り裂くような鋭い回り込み!

 停車位置は、KV-1ののど元だ。

 

 至近距離での一撃が、重戦車のターレットリングの継ぎ目を撃ち抜く。

 T-34/85は、五対一の不利をものともせず、T-34/76とKV-1に打ち勝ったのだ。

 

#

 

 しかし、KV-1を撃破した直後――

 

 意外な方角から、T-34/85を砲弾が襲う。

 

 撃ったのは、さきほど転輪を破壊されたT-34/76。

 足は奪われたが、白旗は上がっていなかった一輛だ。

 

 砲弾はT-34/85に命中!

 鋼鉄を引き裂く重い音とともに、黒煙が上がる。

 

 だが、致命傷ではない。

 

 白旗は上がっていない。

 T-34/85は、黒煙を上げながらも、まだ動いている。

 後ろから自分を撃ったT-34/76の方向へ、ゆっくり砲塔を回転させている。

 

 そこへ、空気を切り裂いて、もう一発の砲弾が飛来する。

 

 発射したのは、ノンナのIS-2。

 

 その一撃は、装甲の薄い車体後部を、遠距離から的確に撃ち抜く。

 

 T-34/85が動きを止める。

 

 長い砲身が、うなだれるようにがくんと落ちる。

 入れ代わりに、ぱたりと、砲塔の上部から白旗が上がる。

 

#

 

「ウラー!」

 

「カチューシャさまを撃ち取ったぞ!」

 

「われわれがカチューシャさまに勝てるなんて!」

 

 僚機が続々と歓声を上げる。

 

 だが、ノンナは無言のまま。

 顔色ひとつ変えず、スコープをのぞき続けている。

 ノンナが見ているのは、T-34/85砲塔上部の車長用ハッチだ。

 隣で白旗がはためいているのに、誰も出てこない。

 

 ノンナの脳裏に、不安が芽生える。

 

(まさか、戦闘不能になった戦車に立てこもるつもりでは……)

 

 いや、いくらカチューシャでも、そこまで傲慢ではない。

 自分で決めた試合のルールを破るのは、むしろ、プライドの高いカチューシャにとって屈辱であるはずだ。

 

(では……)

 

 戦車道の採用戦車は、内部に特殊なカーボンコーティングがほどこされている。

 乗員の安全は保証されている。

 それでも、万が一ということがある。

 

「近くの車輌、カチューシャの無事を確認してください」

 

 ノンナはスコープを顔に当てたまま、マイクをつかんで命令する。

 

 やがて、一輛のT-34/76が、カチューシャのT-34/85に横付けする。

 全員でかかればいいのに、T-34/76から出てきた隊員は、ひとりだけ。

 

(早く! カチューシャにもしものことがあったらどうするんです……!)

 

 スコープをのぞくノンナのいらだちをよそに、隊員はゆっくりとT-34/85の砲塔にのぼり、ハッチを開けて内部をのぞき込む。

 

 とりあえず、ノンナはほっとする。

 内部から、黒煙や炎が吹き出てこなかったからだ。

 

 しかし、顔を上げた隊員は、なぜか眉をひそめている。

 

 彼女は、さっきとは打ってかわったあわただしい動きで砲塔を飛び降り、車体前部の操縦手用ハッチを持ちあげる。

 表情が確信に変わる。

 隊員が、となりのT-34/76に向けて、口を大きく開けてなにかを叫ぶ。

 

 だが、遠くから見ているノンナには、その声は届かない。

 ざーっと、通信機がノイズを上げる。

 

「どうしました。カチューシャは無事ですか」

 

 ノンナは急いでマイクを取り上げ、早口で尋ねる。

 

 その声に、反対側から、もっと狼狽した声が重なる。

 

「ノンナさま、やられました! T-34/85にカチューシャさまは乗っていません! 乗っているのは三人、全員継続高校の生徒です!!」

 

#

 

 ノンナは凍りつく。

 

 スコープの視界の中で、T-34/85の車長用ハッチから、誰かが顔を出す。

 

 たしかに、部下の報告通り。

 カチューシャではない。

 

 見えるのは黒髪と、青と白のチューリップハット。

 片手にカンテレを携えた、継続高校のエースだ。

 腹立たしいくらい、涼しげな表情をしている。

 ノンナの心に、あの戦車をもう一度撃ち抜いてやりたいという衝動が芽ばえる。

 

 操縦者用ハッチから出てきたのは、赤毛の子。

 こちらも憎らしいくらい不敵な顔つきだ。

 

 最後に出てきたはちみつ髪の少女だけが、申し訳なさそうな表情をしている。

 

 乗り換え。

 

 乗り換えたのか、戦車を――!

 

 ノンナは血が出そうなほど唇をかむ。

 

 カチューシャが見た目に似合わぬ知将であることを、ノンナは知っている。

 知っているつもりだった。

 

 だが――

 

 乗り換えのルールを入れたのは、鹵獲戦車を使うためだと思った。

 

 しかし、違った。

 そのためだけではなかった。

 

 いざというときに、カチューシャが、愛機T-34/85を降りる。

 ほかの人員を乗せて、おとりに使う。

 その展開を用意するために、二重に罠を仕込んでいたのだ。

 

――では、カチューシャはどこにいる。

 T-34/85をおとりに使ったとしたら、目的はなんだ。

 

 ノンナの頭脳が、めぐるましく回転する。

 

 脳裏に閃光のように蘇ったのは、朝方に見た光景。

 平原のへりを、のろのろと逃げてゆくCV33。

 

 あの、見つけてくれ、追いかけてくれと言わんばかりの姿――

 そう。そうだ。

 CV33は、見つかった場所も、進む方角も、T-34/85とは正反対だった。

 

 装甲の薄いCV33が、なぜわざと見つかるように逃げたのか。

 おとりだと思わせるため。

 見え見えのおとりだと思わせて、より本命らしい罠に食いつかせるため。

 カチューシャは、用心深いノンナの性格を逆手に取ったのだ。

 

(――やられた!!)

 

 ノンナはマイクを取り上げて、全軍に号令をかける。

 

「一杯食わされました。カチューシャはCV33で反対側に抜けるつもりです! 全軍、全速で追跡! かならず捕まえますよ!!」

 

 だが、ノンナが命令を出すより前に、そのことを察知していた生徒がいた。

 

 山麓で待機していたクラーラである。

 ノンナの腹心である彼女は、T-34/85にカチューシャが乗っていないという通信が入った時点で、すでに僚機四輛をつれて、自身のT-34/85で追跡を開始している。

 

 だから、ノンナはもちろん、クラーラもまだ気づいていない。

 

 いままで放置されたかのように静止していた山頂の戦車が、砲塔をゆっくり動かしはじめていることに。



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8:カチューシャ、勝ちほこる
その1


 クラーラが追撃を始めてすぐ、CV33は速度を上げた。

 

 CV33は、なりふりかまわぬ速度で平原を突っ切る。

 追いかけるT-34/85も全速力。

 

 CV33が目指す場所は一目瞭然。

 山地へ続く森林と、峡谷がある台地に挟まれたすそ野――

 数日前、プラウダのT-34/76が、カチューシャのT-34/85に先回りしようと、峡谷を迂回したときに通った道だ。

 

 クラーラのT-34/85とT-26四輛が、後方からCV33を追う。

 

 T-26は軽戦車。

 ちんまい砲塔は、大判焼きみたいな円柱状。

 砲塔の後部から四角い箱が飛び出ている。

 か細い主砲は45㎜。

 小さな車体は平たい台のよう。

 履帯は起動輪のある前部が高く、後部が低い。

 結果、履帯の上辺がななめっている。

 

 見た目は速そうだが、作られた時代が時代。

 エンジンが非力なせいで、速度はそれほど出ない。

 四輛の軽戦車はどんどん遅れる。

 

 クラーラは後続を待たない。

 待つ余裕がない。

 CV33にカチューシャが乗っているなら、逃がすことは敗北を意味する。

 

#

 

 ノンナのIS-2とプラウダの主力T-34/76は、クラーラに追いつこうと走る。

 先頭は、さっきまで最後尾だったIS-2。

 後方からT-34/76が距離を詰める。

 

 ノンナたちは、T-34/85の陽動に引っかかり、昨夜までカチューシャが立てこもっていた山をはさんで、CV33とは正対称の場所に釣り出されてしまっている。

 全速でも足りない。

 

 だが、カチューシャにこれ以上の隠し球はない。

 

 残りの戦車はKV-2とT-34/76のみ。

 二輛は山頂で静止している。

 昨夜、早朝になるまでKV-2の周辺に明かりがともっていたことは、部下の報告で判明している。

 ここまで動きがないということは、修理が完了しなかった可能性もある。

 

(――いや)

 

 ちらりと山頂を見上げたノンナは、おもわず苦笑する。

 

(カチューシャが、そんなに甘いはずがなかったか)

 

 目に飛び込んできたのは、先ほどまで別の方角を向いていた、KV-2の砲身。

 黒いひとつ目が、草原を駆けるノンナのIS-2を見おろしている。

 

 驚いているひまもない。

 ひとつ目がぴかりと光り、轟音がとどろく。

 

 着弾地点は、ハッチから上半身を出したノンナの目の前。

 砲弾が炸裂し、黒い土砂がど派手に舞いあがる。

 

「なんだぁ!?」

 

「地雷か!?」

 

 後方でT-34/76があわてふためく。

 

「落ち着きなさい。山頂のKV-2です。次が来ますよ」

 

 T-34/85で釣っておいて、KV-2で足止めする。

 その間にカチューシャを乗せたCV33が戦闘区域外まで逃げる――

 

(そこまでが作戦ですか、カチューシャ)

 

 カチューシャったら、まったく。

 ノンナはすこし腹立たしくなる。

 

 カチューシャはすばらしい。

 それはノンナにとって、唯一にして絶対のドクトリンだ。

 

 この世に存在するすべての学園艦に、カチューシャのすばらしさを知らしめる出先機関を設けて、広く布教につとめたらどうか――というアイディアを、ときおり頭の中で真剣に検討してみるくらいには、カチューシャを崇拝している。

 

 だが同時に、カチューシャの理解者は自分だけでいい、とも思う。

 

 他校のうわさくらい、ノンナの耳にも届いている。

 

 かわいいから神輿に祭り上げられているだけ?

 えらそうにふんぞり返っているだけで、本当の作戦は副官が立てている?

 

 結構。おおいに結構。

 好きなだけ誤解すればいい。

 カチューシャの真の姿を知っているのは自分だけでいい。

 ほかの人間は、せいぜい彼女の表面的なかわいらしさを愛でていればいいのだ。

 

――それなのに。

 

 カチューシャったら、あんなに才能をひけらかして。

 

(そんなことをしたら、全世界の人々が、カチューシャの本当のすばらしさに気がついてしまうではないですか……!)

 

 それはそれで許しがたい気がするノンナである。

 

「停車。ここで撃ちあいます」

 

 ノンナはIS-2に停車を命じる。

 

「ノンナさま、私たちも!」

 

 通信を聞いたT-34/76たちが足を止めようとする。

 

「あなたたちは、一刻も早くクラーラに合流を。こんどKV-2が発砲したら、再装填している間に、全速で駆けぬけなさい!」

 

 それを制しながら、砲塔を回転。

 主砲を頂上近くに鎮座したKV-2へ向ける。

 

 KV-2も砲の向きを調整している。

 

(……次は当ててくるか?)

 

 ノンナの予想は外れた。

 

 KV-2が狙ったのは、IS-2を追いこそうと前進を続けるT-34/76の隊列。

 榴弾で吹き飛んだ一輛が白旗を上げる。

 

 だが、ノンナも、犠牲は最初から覚悟のうち。

 

「突っ切りなさい! 私が時間を稼ぎます!」

 

 爆煙におびえて足を止めようとする部下たちを叱咤しながら、主砲を発射する。

 

 KV-2は砲塔の旋回が遅い。

 高速で走る相手に砲身をぴったり合わせ続けるような、器用な真似はできない。

 

 T-34/76が全速で走り切れば、数輛はやられても、残りは追撃に参加できる――

 ノンナはそう読んだ。

 だから、主砲もKV-2が撃つまで待った。

 着弾の衝撃で相手を邪魔して、すこしでも次弾の装填を遅らせるためだ。

 

 次弾はどちらが早いか――

 

 ノンナはスコープをのぞきながら眉をひそめる。

 

#

 

 クラーラはCV33を追う。

 

 二輛の戦車は、すでに広い平原を抜けた。

 いま走っているのは、まばらに木の生えた荒れ野。

 数日前にカチューシャが抜けてきた峡谷よりは広いが、片側は山脈につながる深い森林で、反対側は切り立った崖で平地から断ち切られた高台。

 左右どちらにも逃げられない。

 戦闘区域外に出るには、高台が終わるまでこの荒れ野を突っ切り、その先にある岩と砂だらけの平地を抜けるしかない。

 

 先ほどから、T-34/85は主砲を発射している。

 

 距離は確実に縮まっている。

 

 が、当たらない。

 行進間射撃に、CV33の不規則な蛇行。

 当たる理由のほうが少ない。

 下手に距離が近いのも不利だ。

 蛇行するCV33に追随するために、砲塔を大きく回す必要がある。

 

 おまけに、T-34/85にとって腹立たしいことに、地面になだらかな起伏がある。

 窪地に入ると、背の低いタンケッテは隠れてしまう。

 

 CV33はその隙を見逃さない。

 見えないあいだに方向を変えるので、どこから出てくるのかわからない。

 追う側としては始末に負えない。

 

(いっそ、足を止めて撃ったほうがよいかもしれませんが……)

 

 だが、もし撃ちもらしたら、取り逃がしてしまう。

 停止するのにも勇気がいる。

 

 クラーラはキューポラから後方をうかがう。

 T-26の姿はない。

 旧式の足では、快速の二輛に追いつけないのだ。

 

(連携もとれない。それなら……!)

 

 クラーラが操縦手に命令を下す。

 

 停止ではない。その逆。

 クラーラが命じたのは急加速。

 

 主砲は撃つ。

 しかし、狙いはCV33本体ではなく、その前方。

 

 撃破をめざすのは、やめた。

 当面の目標は、CV33の邪魔をすること。

 徹底的に邪魔すること。

 そうすることで、仲間が追いつくまで時間を稼ぐ。

 

(……まずはCV33(カチューシャさま)の前に出る。話はそれからです!)

 

#

 

 再装填が完了したのは、ノンナのIS-2が先。

 今回は待たない。

 装填が終わった瞬間に、山頂めがけて発射する。

 

 着弾はKV-2の手前。

 スコープの視界の中で、KV-2の砲口がノンナを見つめ返す。

 

 四角い巨大な頭部。

 意思の読めない漆黒の瞳。

 頂きからこちらを見おろす重戦車は、まるで一つ目の巨人のよう。

 

 その瞳が、一瞬、ぶ厚いほどの殺意をひらめかす。

 

 今回の着弾地点は、IS-2の近く。

 しかし、狙いはまたしてもIS-2ではない。

 榴弾は、駆けぬけようとしたT-34/76の群れの中心で破裂する。

 

 さいわい、白旗を上げた戦車はいない。

 一輛が足回りを壊され、爆発でできたクレーターに頭をつっこんで、土をかぶりながら、動輪をむなしく空転させているだけ。

 

 残りの車輌は、KV-2の射線から逃れようと、全力で疾走する。

 KV-2が、それを追って砲塔をめぐらす。

 

(――そうはさせません!)

 

 IS-2が次弾を発射。

 KV-2の砲塔にヒットする。

 

 だが、当たったのは、主砲のつけ根にある、丸みを帯びた防楯(ぼうじゅん)の部分。

 徹甲弾は綺麗に弾かれる。

 KV-2は、大きな頭をにぶく揺らしただけ。

 

(さすがに、この距離だと厳しいか――)

 

 ノンナが眉間のしわを深める。

 

 ここからだと、山頂まで目算で三千メートル以上の距離がある。

 ノンナが使う徹甲弾は、発射の運動エネルギーで装甲を撃ち抜く砲弾。

 遠くへ飛ぶほど、貫通力が低下する。

 ここからでは、KV-2砲塔前面の防楯(マントレット)は撃ち抜けない。

 

 いっぽう、KV-2が使用しているのは、火薬による爆発で損傷を狙う榴弾。

 距離によって威力が変化しない。

 

 KV-2の下では、その巨体を支えるT-34/76が、こちらに砲塔を向けている。

 大きな親と、寄りそう子供のようなたたずまい。

 76㎜では、この距離では当たっても撃ち抜けないのに、がんばって主砲を発射しているのが、けなげですらある。

 

(――そうだ)

 

 二輛の戦車が、別々の方角に砲身を向けた光景――

 それを見るうち、ノンナの頭に、ある考えが浮かぶ。

 

#

 

 クラーラのT-34/85が速度を上げる。

 CV33もそれに追随する。

 だが、T-34/85のほうが足が速い。

 

 距離がさらに縮まる。

 いつ砲弾が当たってもおかしくない距離だ。

 それでも、CV33には当たらない。

 操縦手の技量がよほど巧みなのだ。

 

 ちょろちょろ動いて狙いを絞らせない。

 こちらが距離をあければ地形に隠れ。

 距離を詰めれば、こちらの車体にぴったり寄りそって、死角に入る。

 近づきざま、離れざまを狙おうにも、むこうもこちらの砲塔の動きを見ている。

 射線の外から出入りされては、手の出しようがない。

 

(……前に回って、止まってから撃ちましょうか)

 

 最初はそう考えていたクラーラだが、計画を変更する。

 あの小回りの良さでは、どこから撃とうが、どうせ当たらない。

 それに、どうせ当てることは目的ではない。

 

 目的は嫌がらせ。

 戦車にできる嫌がらせは、なにも主砲を撃つばかりではない。

 

 クラーラはまず、CV33の前方に一発ぶち込む。

 

 だが、これは相手を誘導するためのブラフ。

 CV33を予測したルートに追い込んでおいて……

 横から幅寄せで進路を妨害する。

 

 昨日、多砲塔戦車T-35がやったのと同じ手である。

 ノンナについて山に登っていたクラーラは、そのことを知らない。

 ちょこまかと逃げるCV33を相手にするとなると、けっきょくは、同じ戦術にたどりつくのだ。

 

(どうせなら、ひっくり返ってしまえばいいんです……!)

 

 それくらいの勢いでぶつかったのに、CV33はぎりぎりでバランスを保つ。

 横からがりがりと装甲を削られて火花を上げながら、走行を続ける。

 

 後方のT-34/76が彼女たちに追いつくには、まだ長い時間がかかる。

 しかし、クラーラにとっては、これで十分だ。

 

#

 

 IS-2は、山頂のKV-2と対峙を続ける。

 

 T-34/76の群れは、すでにKV-2の射線を逃れた。

 ノンナは足止めの役を果たしたのだ。

 だが、IS-2は足を止めたまま。

 ここで動くのは逃げるのと同じだとでも言いたげに、主砲を発射する。

 

 冷静なノンナには珍しい判断ミス――

 はた目からは、そうとしか考えられない。

 

 IS-2は重戦車。

 KV-2の榴弾でも容易には貫通できないほど、装甲が厚い。

 

 だが、どんな戦車でも、上から狙われるのは苦手だ。

 

 戦車の装甲の厚みは均一ではない。

 もっとも厚いのは、敵にいちばん狙われやすい前面。

 次に厚いのは側面。

 背面や上部の装甲は、比較的薄いのだ。

 

 傾斜装甲の問題もある。

 

 黒森峰のティーガーⅠは、装甲がどこも水平垂直。

 四角い箱の上に砲塔が載っているように見える。

 いっぽう、T-34やIS-2は、車体前後左右の装甲がななめに傾いている。

 これが傾斜装甲。

 装甲を傾けることにより、砲弾の運動エネルギーを分散させて跳弾を誘い、実際の装甲の厚み以上の防御力を得る手法である。

 

 ななめにするだけで……?と軽く見てはいけない。

 装甲を六十度傾けると、まっすぐにした場合の半分の厚みで、同じだけの防御力を発揮できるのだ。

 

 しかし、それはあくまで、砲弾が前から飛んでくると仮定した場合。

 斜め上から撃ち込まれれば、当然、傾斜装甲は無意味になる。

 

 山上の相手との戦闘、それは――

 重装甲の利点を殺し、鈍足という不利だけを残した状態で戦うことを意味する。

 

 だが、ノンナが考えているのは別のこと。

 

(――こっちを向きなさい、KV-2!)

 

 ノンナの心の声に応えるかのように、KV-2がゆっくり砲塔を回頭させる。

 砲口が狙っているのは、今度こそまちがいなく、ノンナのIS-2。

 

 だが、ノンナはIS-2を動かさない。

 

 待っている。

 

 ノンナはただ、待っている。

 



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その2

 クラーラは全力でCV33を妨害する。

 

 幅寄せ。

 進路妨害。

 フェイントをかけて相手をまどわせる。

 砲塔の向きすらブラフに使って、CV33の動きをコントロール。

 

 相手がこちらをおちょくるのなら、こちらも相手をおちょくり返せばいい。

 プラウダの生徒にだって、それくらいのユーモア精神はある。

 

 とうとう、CV33がねを上げる。

 前進を中止して、いま来た方角へ戻り始めたのだ。

 

やりました(クラース)――!)

 

 クラーラは心の中で快哉を叫ぶ。

 

 どうせ、本気で戻るつもりでないことは読めている。

 CV33は距離を取りたいだけ。

 しばらく逆戻りしたところで、引き返してくるに決まっている。

 だが、それでいい。

 好きなだけ時間を浪費すればいい。

 

 目的はひとつ。

 

 クラーラは、追いかけっこから脱落した四輛のT-26に、別の指示を送っている。

 追いかけるのではなく、別ルートをとること。

 クラーラが時間を稼いでいる間に、峡谷を突っ切って台地をショートカットし、荒れ地で先回りすること。

 T-26は旧式だが、CV33が相手ならマッチアップになる。

 四対一なら十分すぎるくらいだ。

 

 だからクラーラは、先ほどから、あえてCV33を泳がせている。

 

 主砲は撃つが、目的は妨害。

 前に出さない。

 速度を出させない。

 

 クラーラの目的は、そこにある。

 

#

 

 山頂からの砲撃に、何回耐えただろう。

 ノンナのIS-2は満身創痍。

 

 直撃はされなかった。

 だが、砲塔の塗装は無残にはげ落ちている。

 車体は土くれを浴びて汚れている。

 砲塔の動きがおかしい。

 まだ動くが、きしむような違和感がある。

 

 それでも愚直に足を止めて撃ち合っているのには、わけがある。

 

 KV-2砲塔の防楯(マントレット)は、装甲110㎜。

 この距離では、抜けない。

 

 しかし、硬いのは防楯だけ。

 KV-2の砲塔の装甲は、前面・側面ともに75㎜。

 いかつい巨体の印象に反して、じつはそれほど厚くない。

 側面装甲は、ほぼ垂直。

 おまけにデカ頭が災いして、面積も広いときている。

 横を向かせてしまえば、IS-2の122㎜砲ですぽんと撃ち抜けるのだ。

 

 では、どうやって横を向かせるか……?

 

 スコープの視界の中で、KV-2の車体に、かつんかつんと砲弾が当たる。

 IS-2が発射したものではない。

 

(よし……!)

 

 ノンナがさっきから待っていたものが、ようやく到着した。

 

 クラーラは、CV33の追跡に出たとき、山のふもとにKV-1を二輛残していった。

 ノンナはその二輛に山を登らせたのだ。

 

 KV-2は、KV-1の派生モデル。

 ベースの車体は同じで、砲塔だけが異なる。

 すなわち、KV-1の装甲はKV-2とほぼ等しく、主砲の性能ははるかに劣る。

 二輛で向かったところで、レンジ外から撃ち抜かれるのがオチだ。

 

 だが、同時に二つの方角に砲塔を向けることはできない。

 KV-2がKV-1を狙うには、砲塔を動かす必要がある。

 言いかえると、IS-2に砲塔側面を見せる必要があるのだ。

 

 KV-2の砲塔は手動旋回式。

 砲塔を横に向けている間に、こちらが狙う時間はたっぷりある。

 

(さあ、どうします――?)

 

 KV-1をかたづけて、ノンナに無防備な砲塔側面を晒すか。

 それとも、IS-2に砲塔正面を向けつづけて、KV-1に接近を許すか……?

 

 KV-1の主砲は76.2㎜。

 近接さえできれば、KV-2の側面を抜けるだけの貫通力はある。

 

 手番はKV-2の側。

 だが、動きようがない。

 

 ノンナの作戦勝ち。チェックメイトだ。

 

#

 

 クラーラの予想通りだ。

 CV33は、逃げると見せてぐるりと大回り。

 クラーラのT-34/85から距離を取りつつ、ふたたび荒れ野の方角に頭を向ける。

 

(そうはいきませんよ、カチューシャさま――!)

 

 クラーラが主砲を発射する。

 

 今回は当てるつもりで撃ったのだが、外れた。

 CV33が起伏に隠れたせいだ。

 

(――まったく!)

 

 この凹凸はやっかいだ。

 さっきから、地味に、着実に、T-34/85の足を引っぱっている。

 だから、幅寄せのような間接的な手段に頼りたくなる。

 

 T-34/85はCV33に走り寄る。

 

 CV33の動きは、あいかわらずトリッキー。

 だが、戦車で可能な動きには限界がある。

 意外性のある行動で惑わせようとしても、いつかは種が尽きる。

 その証拠に、T-34/85は、追いかけっこを始めた最初のころよりずっと、CV33の進路を妨害できるようになっている。

 

(この様子なら、T-34/85単独での撃破も可能かもしれません――)

 

 あなどったつもりはない。

 しかし、クラーラがそう考えたのは、やはり油断だった。

 

 クラーラはひとつ忘れていたのだ。

 T-34/85がCV33の動きを学習しているように、CV33もT-34/85の動きを学習していることを。

 

 T-34/85がCV33に幅寄せをしかける。

 

 が――

 

 衝撃がない。

 

 がつんという衝突音も、履帯が装甲を削るがりがりという音も聞こえない。

 反動に備えようとしたT-34/85の車体が、大きく流れる。

 

(――なにが起きたんです?)

 

 キューポラの狭い視界ではわからない。

 クラーラはハッチを開けて、車外に上半身を突き出す。

 

 幅寄せをしかけた側に、CV33の姿はない。

 

 急加速や急制動で距離を取ったのではない。

 ぴったりと身を寄せて、死角に隠れているのでもない。

 

(……まさか、踏みつぶしてしまった?)

 

 本当のお姫さまは、二十枚の敷布団と羽根布団の下に置かれた一粒のえんどう豆の存在を感じ取るという。

 クラーラはお姫さまではないが、CV33だって豆粒ではない。

 いくら相手が豆戦車でも、踏みつぶしたら感触があるはずだ。

 

 ねんのために後方を見てみる。

 

 やはり、なにもない。

 かつてCV33だったものの残骸は転がっていない。

 

(……それでは、どこへ?)

 

 周囲をぐるりと見渡して、クラーラはおどろく。

 

 いた!

 

 信じられない。

 CV33は、T-34/85が幅寄せをしかけた反対側を走っている。

 高速でT-34/85から遠ざかろうとしている。

 

 CV33は、音もなく、動きも感じさせず、いつの間にか反対側へ移動していたのだ。

 

「いました! 十時の方角です!」

 

 操縦手に告げて、再接近をはかる。

 もう一回、幅寄せをこころみる。

 今度は、さっきの逆側から。

 

 だが――

 T-34/85の体当たりは、今回もすかされる。

 

(……また?!)

 

 やはり、反動はない。

 気がついたときには、車体を寄せた反対側を、CV33が走っている。

 いったいどんな魔術を使ったのか。

 

「くそぉ!」

 

 クラーラが止める間もない。

 あせった操縦手が、なりふりかまわず、後方からCV33を踏みつぶそうとする。

 

 CV33は、T-34/85の車体の下に巻き込まれたように見えた。

 

 しかし、今回も同じ。

 

 金属のかたまりを踏みつぶす音はしない。

 激しい衝撃もない。

 あたりを見回すと、CV33がいつのまにか横を走っている。

 

 けれども、クラーラは感じ取った。

 T-34/85の車体底面に、一瞬、こつんとかすめるような衝撃があったことを。

 

 それに、地形――

 

 最初の時は、車内にいたから見えなかった。

 だが、二回目と三回目は、ハッチの上から観察できた。

 

 CV33が消滅するとき、周囲の地形に共通点がある。

 くぼんでいるのだ。地面が。

 

(――まさか)

 

 信じられない。

 サッカーボールでもあるまいし。

 だが、そうとしか考えられない。

 

 戦車は車体が長い。

 履帯の底部はまっすぐだ。

 だから、くぼみにさしかかると、ときおり履帯の一部が地面から浮く。

 さしかかった瞬間は前が浮く。

 小さいくぼみを乗り越えるときは、中間にすきまができる。

 

 CV33は、そのすきまをくぐって、T-34/85の体当たりを回避しているのだ。

 

(――戦車で股抜き?! そんなことができるのですか!!)

 

 小型で背の低いタンケッテだからこそ。

 理論的には可能だとしても、実行する者がいるとは思えない。

 そんな離れ業を、目の前のCV33はやってのけている。

 

 クラーラは、敵の豆戦車を、畏敬の念で見つめる。

 

「このぉ! 幽霊戦車め!」

 

 だが、その感動は、ハッチの上から観察するクラーラだけのもの。

 T-34/85の操縦手は平静を失っている。

 指示を待たず、横を走るCV33に独断で体当たりをしかける。

 

 一瞬、CV33が横に動いたのは、適当なくぼみが現れるまでの時間を稼ぐため。

 黄色いタンケッテは、クラーラの目の前……いや、眼下で、くぼみにさしかかったT-34/85の車体をくぐり抜ける。

 

 まさに間一髪。

 あと少しで、T-34/85の履帯が、CV33の天板を巻き込んでいたところだ。

 

「いけない!」

 

 クラーラの警告は、間に合わない。

 

 逃げるCV33にとっては絶好のくぼみだった。

 しかし、T-34/85にとっては、角度が急すぎた。

 T-34/85は、くぼみに頭からつっこんでしまう。

 

 抜けられない深さではない。

 だが、立て直しには時間がかかる。

 

(――でも)

 

 CV33の背中を見送るクラーラには、まだ勝算がある。

 

(でも、これだけ時間を稼ぐことができれば――!)

 

#

 

 まだ負けてはいない。

 

 T-34/85を駆りながら、クラーラは考える。

 

 荒れ地では、T-26四輛が待ちかまえているはず。

 いくらCV33でも、前に回られては、すべてをかわしきるのは難しい。

 その隙に追いついて、こんどは五輛で時間を稼ぐ。

 時間を稼いで、本隊の到着を待つ。

 そうすれば、まだ十分に勝ち目はある――

 

 T-34/85が荒れ地に入る。

 クラーラは、はやる心を抑えて双眼鏡を覗く。

 

(――いました!)

 

 前方に、黄色い豆戦車。

 そのむこうに、濃緑に塗られたプラウダの戦車たちが見える。

 

 おまけに。

 前にいるのはT-26だけではない。

 いったんT-34/85の追跡に送り出した、快足のクリスティー式軽戦車BT-7。

 後方から追いついたあの二輛が、T-26に合流している。

 

(――さあ、どう出ます? カチューシャさま)

 

 クラーラが双眼鏡をのぞきながらほほえむ。

 

 前からはT-26四輛とBT-7二輛。

 後方からはクラーラのT-34/85。

 戦闘区域外に出るには、軽戦車の隊列を突破する必要がある。

 

 CV33は小回りのきく車輌。

 操縦手がすご腕であることも証明済みだ。

 

 しかし、それでも、六輛を相手にするのは無理が過ぎる。

 足を生かして道をふさぐBT-7。

 足を止めて撃ちまくるT-26。

 操縦の腕だけでこの組み合わせを突破するのは、不可能に近い。

 

 むこうもわかっているのだろう。

 CV33は先ほどより速度をゆるめている。

 

 かといって、引き返すこともできない。

 あの腕であれば、もういちどT-34/85単機を引き離すことは可能かもしれない。

 だが、その背後からは、大量のT-34/76が接近している。

 

 進むも地獄。戻るも地獄。

 CV33は絶体絶命だ。

 

#

 

――だが、そのとき。

 

 その場にいる全員にとって、予想外のことが起きた。

 

 ぼかん、と砲撃音。

 

 前方にひかえたT-26の一輛が、突然黒煙を吹き、白旗を上げる。

 

 CV33の機銃ではない。

 味方の誤射でもない。

 砲弾は、T-26の後方から飛んできた。

 

「誰です、撃ったのは?!」

 

 クラーラはあわてて双眼鏡の方角を動かす。

 

 視界に入ったのは、ここにいるはずのない戦車だった。

 

 砲塔の位置は車体の前寄り。

 砲塔は小ぶり。前がとがっている。

 砲塔の上に、さかさにした鍋のようなドーム。

 装甲板はリベット止め。

 車体前部、履帯と履帯のあいだから、太く短い二本目の砲身が飛び出ている。

 そして、転輪側面の装甲板にプリントされた、動物のパーソナルマーク。

 

 あれは、プラウダが数日前に対戦したばかりの戦車――

 

 大洗女子カモさんチームのB1bisではないか!!



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その3

 話は前夜までさかのぼる。

 

 大洗女子学園の戦車道履修チームが、小学校に疎開して二日目の晩――

 そど子こと園みどり子、ゴモヨこと後藤モヨ子、パゾ美こと金春希美の三名は、全人生を傾けていた風紀委員という仕事を奪われて、どん底までやさぐれていた。

 

 戦車での夜間外出。

 コンビニに戦車で乗りつける。

 駐車場で戦車の上にヤンキー座りして買い食い。

 深夜の暴走行為。

 無断外泊。

 

 そして翌朝、夢も希望も目的もなく荒野をさまよっていたところで、プラウダのT-26を発見し、自暴自棄の感情と徹夜明けのテンションに流されるまま、うちらのシマで何してんのよとばかりに、背後から奇襲をしかけたのだ。

 

 そう――

 生徒会長角谷杏の留守中、奮闘する書記河島桃のもとにもたらされた、「風紀委員の三人が地元の生徒とケンカしている」という一報。

 

 あの情報のもとになったのが、この乱入行為だったのである!

 

#

 

 プラウダの生徒たちに、大洗の事情はわからない。

 もとより他校だし、ここ数日、山の中に居続けなのだ。

 大洗の学園艦が廃艦になったことも、まだ知らない。

 カモさんチームが、見えるものすべてに噛みつくマッドダックスと化していることなど、知るよしもない。

 

「おい大洗! 何をする?!」

 

「どっから入ってきた!」

 

「こっちは演習中だぞ!」

 

 正当な抗議など、B1bisは聞く耳持たない。

 通信に割り込んで騒ぎ立てる。

 

「うるさーい! うるさいうるさいうるさーい!! どいつもこいつも人のシマで好き勝手やってくれちゃって! この場所は渡さないわよ! 今度こそ死守してみせるんだから!!」

 

「いや、だから、演習ちゅ……」

 

「いいわ、そんなに知りたきゃ教えてあげる! この世に、風紀を忘れた風紀委員ほど恐ろしい存在はいないってことをね!!」

 

 問答無用。

 近距離からの一発で、T-26がもう一輛沈む。

 

 プラウダの生徒たちも、さすがに悟る。

 B1bisの乗員が、話の通じる相手ではなさそうだということを。

 

「同志クラーラ、反撃してよろしいですか?!」

 

「は、はい。正当防衛になる、と思います」

 

 後方から見守るクラーラも、困惑を隠せない。

 

 カチューシャが呼びよせた援軍……?

 その可能性も、クラーラの頭にはある。

 しかし、通信の意味がわからない。

 言っていることが支離滅裂である。

 

 CV33の動きも不思議だ。

 連携を取って行動しているなら、この間に突破を試みるはず。

 

 だが、CV33は、速度をゆるめたまま。

 こちらと同じくらい、B1bisの登場に面くらっているように見える。

 

 B1bisは、T-26やBT-7と同じく、一九三〇年代に設計された戦車。

 装甲は、厚いところで70㎜、いちばん薄いところで20㎜。

 対して、BT-7の装甲は最厚部で20㎜。

 T-26は防楯のみ25㎜で、残りは15㎜。

 戦間期の戦車にしては、すこぶる硬いやつなのである。

 砲塔の47㎜はT-26やBT-7とそれほど差がないが、これは副砲。

 主砲は車体に備え付けの75㎜。

 本来は歩兵用の榴弾砲だが、T-26やBT-7相手であれば、十分な貫通力がある。

 

 ひとことで言えば、格が違う。

 T-26やBT-7は、CV33をオーバーキルできる。

 しかし、B1bisは、そんなプラウダの軽戦車を、一輛でまとめてオーバーキルできるのだ。

 

 CV33も、B1bisが敵でないと判断したらしい。

 ゆっくりと前進を開始する。

 

――ところが。

 

 B1bisが、またしても意味不明な行動を取る。

 カチューシャに味方するのかと思いきや……

 

「そっちはアンツィオね? あんたたちも大洗を取りに来たんでしょう!?」

 

 CV33にまで砲撃を始めたのだ。

 

 事情を知っていれば同情もできたかもしれない。

 だが、なにも知らない相手にしてみれば、B1bisの行動は恐怖の対象でしかない。

 

 CV33は大あわてでコースを変える。

 見ているだけのクラーラたちも大混乱だ。

 

「何がしたいのです、あの戦車は?!」

 

 軽戦車のもとに急行しながら、クラーラは首をひねる。

 

#

 

 ノンナは山頂のKV-2とにらみ合ったまま。

 

 KV-2が砲塔を動かす気配はない。

 KV-1二輛が問題になるのはまだ先と見て、先にIS-2を片付けるつもりか――?

 

(――そうはいきません!)

 

 KV-2の視線を引きつける必要は、もはやない。

 ノンナはIS-2に移動を命じる。

 

 さっきより、微妙に距離を縮めつつ……

 KV-2の砲塔の移動角度が、ますます大きくなる方角へ。

 

 動きを察知したKV-2が、そうはさせるかと主砲を発射する。

 

 だが、狙いが甘い。

 弾着は、IS-2のはるか手前。

 爆発で巻きあげられた土砂が、かんかんと砲塔の天板に当たる。

 

(……焦りが出ましたか)

 

 ノンナは、その音を聞きながらほくそ笑む。

 

 しかし――

 爆煙が晴れ、山上がふたたび視界に入ったとき。

 ノンナの表情が変わる。

 

 KV-2が、こちらに砲塔の側面を向けている。

 

 それはいい。

 作戦通りだ。

 ふに落ちないのは、速度だ。

 速すぎる。

 KV-2の砲塔が、たったこれだけの時間で回頭できるはずがない。

 

 だが、ノンナがのぞくスコープには、見えている。

 見間違えようのない、長く、大きな、KV-2の横っ面が。

 

(……ばかな?!)

 

 自分が見ている光景が信じられない。

 ノンナはそれでも、足元のペダルを踏む。

 

 砲弾は、KV-2を大きく外れた。

 

 ここ数発は、砲塔の前部に当てることに成功して、マントレットに弾かれていたのに。

 今回は、砲塔をかすめもしない。

 

 焦ったと、人のことを笑っておいて。

 動揺していたのは自分ではないか――

 

 スナイパーとしてのプライドを深く傷つけられて、ノンナは歯がみする。

 

 山上から、どおんと、雷鳴に似た響き。

 山の中腹で、大きな土煙があがる。

 

(――やられたか!?)

 

 ノンナはかたわらのマイクを取り上げ、通信機に呼びかける。

 

「KV-1、応答を! 聞こえますか?!」

 

 返事はない。

 聞こえるのは、ザーザーというノイズだけ。

 

(せめて、一輛だけでも生き残っていてくれれば……)

 

 そう願いながらスコープをのぞき直したノンナは、信じられないものを見る。

 

 拡大された視界の中で、ノンナを見つめ返しているのは、黒いひとつ目。

 KV-2が、ノンナのIS-2に、ぴったりと砲口を合わせている。

 

(すでに回頭を終えている――!?)

 

 一度ならず、二度までも。

 いったいどんな手を使ったのだ。

 まさか本当に山の神にでも化身したというのか。

 

 ノンナの理解を超えたなにかが、山上で起こっている。

 

#

 

 CV33が、B1bisを回避するために曲がる。

 プラウダのBT-7も、B1bisの周囲を回りはじめる。

 

 回る方向は同じ。

 位置はB1bisを挟んで、CV33と正対。

 なりふりかまっていられる状況ではない。

 敵と連携してでも、B1bisを排除しなければ――

 

 相手が一般的な戦車であれば、この対処方法でよかっただろう。

 しかし、B1bisは多砲塔戦車。

 車体の主砲と砲塔の副砲、ふたつの砲を別々の方角へ向けることができる。

 二輛では足りないのだ。

 

 その程度、軽戦車の乗員たちだって百も承知。

 信地旋回しつつ砲塔を動かすB1bisの死角から、T-26が切り込む。

 近距離で足を止めて、側面めがけて砲撃!

 

 すかぁん、と景気のいい音。

 

 貫通したのではない。

 T-26の45㎜徹甲弾が、B1bisの側面装甲に弾かれた音だ。

 回頭したB1bisの砲塔が、T-26にじとりと目を付ける。

 

 すぱん!

 

 逃げようと動き出した直後。

 T-26は、B1bisの副砲に撃破される。

 

 B1bisは、返す刀で車体の主砲を発射。

 快足のBT-7は、間一髪でそれをかわす。

 

 B1bisは砲塔をめぐらす。

 次の標的は黄色いタンケッテ。

 

 最後のT-26ともう一輛のBT-7が、それを見て、別々の方向からB1bisに近づく。

 一輛目のBT-7が、すかさず横に回り込む。

 B1bisがCV33に気を取られている間に、左右の側面と背面、三方向を囲む作戦だ。

 

 これなら一発は当たるはず――

 その思惑は、もろくも外れる。

 

 動きに気づいたB1bisは、砲塔を回転させながら、おなじ方向へ信地旋回。

 プラウダの軽戦車が停止したときには、左右から接近した二輛に、主砲と副砲を合わせている。

 

 回した背中の側にいるBT-7を、まずは副砲で撃破。

 正面に来たもう一輛のBT-7を、主砲で撃ち抜く。

 残ったT-26の砲弾は、転輪まで覆った側面の装甲板でガードする。

 

 野生の風紀委員の勘がとらせた行動である。

 見る人が見れば、まるで島田流のようだと感心したもしれない。

 

「カモのくせにぃ!」

 

「なんでネギじゃなくて砲塔ふたつもしょってんだあ!」

 

 T-26乗員の泣き言など、どこ吹く風。

 B1bisは無慈悲に砲塔を回す。

 

 そこへ――

 

 ぱたたたと機銃の音。

 

 T-26の窮状を見るに見かねたのか。

 足を止めたCV33が、M14/35機関銃を発射している。

 

 だが、8㎜機銃で、B1bisの装甲に歯が立つはずがない。

 カモの神経を逆なでしただけだ。

 

「うるさいわね! そんな豆鉄砲、ハトにでも食わせなさいよ!!」

 

 B1bisの履帯が、がりがりと荒れ地の土を跳ね上げる。

 信地旋回で車体の向きを変え、主砲でCV33を狙おうというのだ。

 

 CV33の装甲では、近くで榴弾が爆発しただけで危ない。

 

 プラウダの軽戦車隊がほぼいなくなったと思いきや。

 CV33は、またまたピンチだ。

 

#

 

 B1bisが、車体正面をCV33に向ける。

 

 CV33が逃げ出そうとする。

 しかし、B1bisの砲塔は、すでにその動きを捕捉している。

 小ぶりな砲塔が、副砲を発射しようとしたとき――

 

 ずがぁん!

 

 濃緑のかたまりが、全速でB1bisの側面に激突する。

 クラーラのT-34/85が、後方から追いついたのだ。

 

 B1bisは、分類上は重戦車。

 T-34/85は中戦車。

 だが、時代が違う。

 T-34/85の時代には、B1bisの60㎜装甲など、珍しいものではなくなっている。

 

「何よ、なにしてくれてんの!? 人にぶつかっといて挨拶もなしなわけ?!」

 

 B1bisの車内で、そど子が自分の悪行を棚に上げてわめく。

 

 クラーラは聞いていない。

 狙うは左側面。パーソナルマークのすぐ後ろ。

 装甲板に大きく開いたラジエーターグリル。

 

 密着からの離れざまに、そこを撃ち抜く。

 B1bisが吹き飛ばされて、コマのようにくるくる回る。

 

 しかし、人生の意義を奪われた風紀委員の執念は、どこまでも深い。

 

 白旗を上げる直前。

 

 B1bisは回転しながら、最後の砲弾を発射し――

 その砲弾が、横で見ていただけのT-26に命中する。

 

 T-26にとっては、ほとんどもらい事故のような不運。

 大破して白旗を上げる。

 

 だが、おかしなときには、おかしなことが重なるもの。

 着弾の衝撃で、T-26は主砲を発射してしまう。

 

 最後っぺのような、狙いもろくに付けていなかった一発。

 ところが、その一発が、あんなに用心深かったCV33の側面に、たまたま当たる。

 

 命中弾は、最初、なんでもないないように見えた。

 

 CV33は、具合を確かめるように、ゆっくりと走行を再開し……

 数メートル走ったところで、大丈夫だと判断したのか、速度を上げる。

 

 それと同時に、ぷすんと黒煙。

 すこん、と白旗が上がる。

 

 華麗に敵弾をかわし続けたCV33の最期にしては、あっけない。

 

 あっけないというか、拍子抜けである。

 

 拍子抜けというか、ありていに言うと、微妙すぎる。

 

 クラーラには言葉がない。

 

(この状況を、ノンナさまにどう報告したら……)

 

 考えるだけで頭が痛い。

 唯一生き残った自分が、ひどい悪人であるような気すらしてくる。

 

「そうだ! カチューシャさま!!」

 

 白旗を上げたCV33にカチューシャが乗っていれば、試合は終了。

 ノンナ率いるプラウダ側の勝利だ。

 CV33の車内を確認しなければ――

 

 クラーラはT-34/85から降りようとする。

 

 そのとき。

 

「いやー、まいったなー」

 

「あと少しだったんですけどねぇ」

 

「なんだったんだ? あのB1bisは」

 

 CV33のハッチが、内側から押し上げられる。

 

 姿を現したのは、ふたりの女の子。

 

 ひとりは緑髪ツインテール。

 黒のマントをまとい、片手に鞭を持っている。

 

 もうひとりは短い黒髪。

 ハーフヘルメットをかぶり、その上にゴーグルを乗せている。

 

 ご存じ、アンツィオ高校のアンチョビとペパロニである。

 

 ふたりとも、顔がすすだらけ。

 それでも、してやったりの満足げな表情だ。

 

「カチューシャさま? 乗っておられないのですか!?」

 

 クラーラがCV33に駆け寄る。

 ふたりを押しのけて、内部をのぞき込む。

 

 狭い。

 長細いコンパートメントに、座席は二つだけ。

 トランスミッションが中央を貫いている。

 

 砲手席に座っているのは、髪の長い金髪のアンツィオ生。

 はにかむような表情で、挨拶するように片手を上げている。

 

 だが、それだけ。

 カチューシャの姿は、どこにもない。

 

 クラーラがじっと見つめると、ヘルメットをかぶった黒髪の子が、いたずらを見つかった子供みたいに笑う。

 

(――やはり!)

 

 クラーラはふり返って、T-34/85の乗員に叫ぶ。

 

「ノンナさまに連絡! CV33にカチューシャさまは乗っていません! こちらもおとりです! 繰り返します、CV33もおとりです!!」

 

#

 

「なん……です……って」

 

 もう少しのところで、ノンナはイヤフォンを取り落としそうになる。

 

 スピーカーからは、まだ部下の声が響いている。

 だが、聞こえない。

 

(――まんまと躍らされた!!)

 

 いつも乗っているT-34/85はおとりだった。

 こちらこそ本命と信じたCV33もおとりだった。

 逃げる戦車を追いかける、ノンナとプラウダの右往左往は、すべてカチューシャの手のひらの上だったのだ。

 

 圧倒的な無力感が、ノンナを襲う。

 砲手席に腰かけていたからよかったようなものの、そうでなかったら、IS-2の床にへたり込んでいたかもしれない。

 

 私が、カチューシャのいちばんの理解者?

 聞いてあきれる。

 とんだ思い上がりではないか。

 カチューシャのすばらしさを理解していなかったのは、私だ。

 自分の知略がカチューシャに及ぶと思い込んでいた、私だ。

 

 カチューシャは、太陽だ。

 まぶしく輝くのに、誰かの力を借りる必要はない。

 誰の力も、知略も、及ばない。

 私など必要ない。

 私がカチューシャに教えられることなど、何も。

 

 はるか山頂で、KV-2の砲塔ハッチが開く。

 そこから顔を出したのは、戦車帽をかぶった金髪の少女。

 よっこらしょ、と外に現れて、マイク片手に、砲塔の上でふんぞり返る。

 

 顔を上げて見るまでもない。

 彼女が誰なのかを理解するには、通信機から聞こえる、あの声だけで十分だ。

 

「ようやくわかったようね。たった四輛の戦車でプラウダの一軍を翻弄した天才指揮官が、どの車輌に乗っているか。最初から言ってるでしょう、逃げるなんて隊長じゃないって!!」

 

 

 

 



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9:エリカ、爆発する
その1


 カチューシャはご満悦。

 KV-2のすみからすみまで行き渡りそうなくらい、鼻息が荒い。

 

 カチューシャは、今朝からずっと、KV-2の車内で息をひそめていた。

 戦車を乗り換えたことをノンナたちに悟られないためには、必要な行動だった。

 だが、目立ちたがりのカチューシャのことだ。

 

 貧乏ゆすりをする。

 戦況を観察しながら、ぶつぶつ文句を言う。

 見てられないわと、砲手をどかして自分がシートに座ろうとする。

 装填にまで手を出そうとする。

 ストレスためまくり。我慢が限界に近かったのだ。

 

 それをようやくお披露目できた。

 啖呵まで切ってみせた。

 テンションも上がろうというものである。

 

 対して――

 

 プラウダの陣営は、精彩を欠く。

 

 カチューシャが正体を現してすぐ、ノンナのIS-2は後方に引いた。

 

 主力であるT-34/76は、CV33の追跡から山すそに戻ってきた。

 が、カチューシャの作戦にまんまと引っかかって、西に東に振りまわされたせいか、元気がない。

 先ほどから、数輛でのろのろと山に登っては、KV-2の榴弾で撃破されている。

 

 勝利をあきらめたのか。

 まるで消化試合のような行動である。

 

 T-34/76のふるまいには、理由がある。

 ノンナだ。

 

 カチューシャが誇らしげに姿を見せて、大見得を切ったあと――

 

 ノンナは、笑った。

 めずらしく、声を出して。

 

「ふ、ふふ」

 

 ははは、という乾いた笑いに、IS-2の乗員がふりかえる。

 表情がおびえている。

 

 無理もない。

 めったに感情をあらわさないノンナが、こんな状況で笑っているのだ。

 

 いつも冷静な副隊長が、感情的になっている。

 策略で出しぬかれて、失意のあまりおかしくなってしまった。

 乗員たちには、そう見えた。

 

 だが、ノンナの心を占めていたのは、失意でも、悲しみでもない。

 怒りだ。

 

――それは傲慢です、カチューシャ!

 

 逃げるなんて隊長じゃない?

 

 部下を置いて逃げるのが、隊長として心苦しいのはわかる。

 卑怯だと後ろ指を指されるかもしれない。

 勇気がないと笑われるかもしれない。

 こういうときに逃げないから、カチューシャは同志から愛され、信頼されているのだということも理解できる。

 

 でも、隊長でも。

 隊長だからこそ、逃げなくてはならないときがある。

 

 隊長が一番先に倒れてしまったら、残された部下はどうすればいいのだ。

 隊長が持つ高い理想と深い思慮は、生き残ってはじめて役に立つのではないか。

 

――なぜ。

 

 なぜ逃げなかったのです、カチューシャ。

 

 あなたは逃げるべきでした。

 T-34/85をおとりにして、CV33で戦闘区域外まで逃げる。

 それが最善ではないですか。

 

 たとえ卑怯だと後ろ指を指されても。

 勇気がないと笑われても。

 それでも、生きてほしい。

 生き残って、勝利をつかんでほしい。

 部下のその気持ちを、どうして理解してくれないのです。

 

 わざわざ危険な山頂に残ったりして。

 自分はやられないと。

 自分が乗っている戦車が白旗を上げることは絶対ないと。

 本気でそう信じているのですか?

 

 間違いです、それは。

 危険な傲慢です。

 戦車なんて、性能がどれだけ優れていても、クルーがどれだけ優秀でも、ときには流れ弾一発で白旗を上げるものなんです。

 

――ああ、そうだ。

 

 ノンナは悟る。

 ノンナがカチューシャに教えられることが、ひとつあった。

 

 そのためには、この試合に勝たなければ。

 全精力を傾けて勝たなければ。

 試合に勝利して、カチューシャに、間違いであることに気付いてもらわなければ――

 

 その熱情が、ノンナを動かしている。

 

 T-34/76は、目くらましだ。

 

 おそらく、カチューシャは、下りてこない。

 KV-2は山頂で籠城を続けるだろう。

 

 それなら、主砲の弱いT-34/76を残しておいても、意味はない。

 準備が整うまで、作戦に気づかれては困る。

 残る六輛のT-34/76には、捨て駒として、むこうの注意を引いてもらう。

 

 それに――

 T-34/76の乗員たちには、事前に指示を与えてある。

 

 どこで立ち止まり、どのあたりでやられるか。

 ただ捨て駒にするのではない。

 

 これは、布石だ。

 

#

 

 KV-2の乗員は六名。

 箱形の砲塔には四名が詰めている。

 

 カチューシャは、もちろん車長。

 

 カチューシャに手を取られて引きずりこまれたエリカは、ニーナとふたりで装填手を担当中。

 

 カチューシャとエリカが入ったせいであぶれた二名は、下のT-34/76に乗り込んでいる。

 

 車内の空気は明るい。

 カチューシャの作戦は連続で当たり続けている。

 今だって、プラウダのT-34/76を連続で撃破中だ。

 

 昨日の朝、プラウダ戦車の戦列は、平原を埋めつくすかに見えた。

 それが、今はもう、数えるほどしか残っていない。

 

 狩猟帽のニーナが、装填を続けながら上気した声を出す。

 

「これ、もしかしたら、本当に勝てるんでねえべか?!」

 

「なに言ってんの! 勝つわよ、ぜったい!」

 

 カチューシャが、すこしだけ開けた砲塔ハッチから外をのぞきながら叱咤する。

 

「T-34/76は、いま残っているのが最後! あとはノンナのIS-2と、クラーラのT-34/85だけ! 気合い入れていきなさい!!」

 

「「「ウラー!!」」」

 

 やれやれ。体育会系ですこと。

 エリカは黙って装填を続ける。

 

 隣のニーナがひじで小突いてくる。

 

「おめ、態度わりぃなあ。ちゃんと声出してけや」

 

「え?」

 

 私も入ってたの?

 プラウダの生徒用のかけ声かと思っていた。

 

「う、うらー?」

 

「声がちぃせぇ!」

 

「ウラー!」

 

「よし、そんでいい」ニーナがエリカの背中をたたく。「おめさ、でっけぇんだから、もっとしゃんとせねば」

 

 あのねえ。なんで体験入部した新入生みたいな扱いなのよ。

 私だって黒森峰の一軍なんですけど?

 

 ……と言ってやりたいところではある。

 が、雰囲気を乱して得をする場面でもないので、エリカは黙っている。

 

――それにしても。

 

 エリカは、戦闘帽をかぶった金髪の少女を見やる。

 

 KV-2のちびっ子たちが意気盛んになるのもわかる。

 この子、五十対四の圧倒的な不利を、本当にひっくりかえして見せた。

 お飾りなんてとんでもない。

 地吹雪のカチューシャ、たいした指揮官ではないか。

 

 プラウダなんて、釣り野伏せか、そうでなかったら物量でのゴリ押ししかできない学園だと思っていたのに。

 

――そう、やっぱりあなたも()()()()なの

 

 ええ、知ってた。

 最初からわかってた。

 それでも、なにか学べるかもしれないと思った。

 なにかひとつでも学び取って、生かすことができるんじゃないかと。

 

 だけど、違いすぎる。

 すごすぎて、参考にならない。

 胸の中のもやもやが、ますます大きくなっただけ。

 真っ黒で、ぐるぐるしたものに育っただけ。

 

――あなたは

 

 私は、ふいに、氷のような瞳をしたプラウダの女生徒のことを思い出す。

 いつもカチューシャの横に長い影のように控えている、背の高いの少女のことを。

 

――あなたは、どうして平気なの

 

 いつもこんな光に照らされていて、目を背けたくならないの。

 強すぎて、まぶしすぎて、周囲の人をいやおうなく陰に飲み込んでしまいそうな輝きの横で、どうしてずっと立っていられるの——?

 

#

 

 そのとき。

 

 まるでエリカの問いが呼びよせたかのように、轟音がとどろく。

 

 そして、震動――!!

 

 KV-2の車内がはげしく揺れる。

 乗員たちが、あわててどこかにしがみつく。

 ハッチに登っていたカチューシャは、あやうく下に落ちそうになる。

 

「なに、IS-2?!」

 

「違う!」

 

 エリカの問いに、カチューシャは鋭く答える。

 

 視界にIS-2の姿はない。

 それに、いまのは榴弾。

 ノンナのIS-2が使っているのは徹甲弾だ。

 

 おまけに、爆発の規模が大きい。

 KV-2の152㎜榴弾と同程度はある。

 

 ハッチのすきまから下界を観察していたカチューシャが、短くうめく。

 斜面をゆっくりと登ってくる、濃緑の車輌。あれは――

 

「ノンナったら、とんでもないもの持ち出してくれちゃって!」

 

「なに? なんなのよ!?」

 

「オブイェークト704! 試作機じゃないの!!」

 

 オブイェークト704。

 戦車ではない。自走砲である。

 

 ただし、ただの自走砲ではない。()自走砲。

 

 見た目は、黒森峰のヤークトパンターに似ている。

 ヤークトパンターといえば、ヘッツァーのお兄ちゃんみたいなやつ。

 つまり、大洗女子カメさんチームのヘッツァーにもちょろっと似ている。

 

 回転する砲塔はない。

 前面は一直線の傾斜装甲。

 砲身が異様である。

 切り出した水道管でつくったのかと思いたくなるほど、長く、太く、肉厚で、一様で、愛想のない長竿が、前面装甲にずっぽり突き刺さっている。マズルブレーキすら付いていない。

 

 前面装甲は120㎜。側面でも90㎜。背面でようやく60㎜。

 主砲の根元にあるコブのような部分にいたっては、防楯(ぼうじゅん)もろもろを合わせると、装甲厚が300㎜を超えてしまう。

 

 主砲は152㎜。

 KV-2と同等…… というか、こちらの方が性能がよい。

 

 簡単に言えば、砲も装甲もKV-2よりすごいやつなのだ。

 

 ちなみに、ヤークトパンターの主砲は88㎜で、装甲はもっとも厚い前面で80㎜。

 サイズはヤークトパンターのほうがオブイェークト704より大きいのに、である。

 

 カチューシャが不満げに口をとがらせる。

 

「いくらKV-2(かーべーたん)がすごいからって、あんなのを連れてくるなんて! ノンナったら、ほんとに大人げないんだから!」

 

(……プラウダでいちばん大人げないのは、たぶんあなただと思うわよ)

 

 そう考えるエリカだが、口には出さない。

 エリカにもその程度の危機管理能力はある。

 

 が……

 まるで心の中で悪口を言った罰が当たったみたいに、KV-2がぐらぐら揺れる。

 ふたたび、榴弾の爆発だ。

 

「また704?!」

 

「違う! 別方向!」

 

「別方向?!」

 

 しかし、爆発の規模は、前回とほぼ同じだった。

 

 つまり――

 オブイェークト704並の化け物が、どこかにもう一輛いるのだ。

 

「別方向ってどっちよ?!」

 

「待って、今探してる!」

 

 カチューシャが、ハッチにしがみつくようにして、周囲を見渡す。

 

「いた! 右の平原! さっきノンナがいたあたり!!」

 

「なんなの? 704が二輛なんてごめんよ?!」

 

「安心して! こっちはSU-152(ズヴェロボーイ)だから!」

 

 わあ。それは一安心だわ。

 

 ……なんて言う人間が、どこにいる。

 

 SU-152は、オブイェークト704と同じく重自走砲。

 おおざっぱに言うと、オブイェークト704の先々代である。

 

 装甲はいちばん厚いところで75㎜。

 その点では704よりマシだが、主砲はこちらも152㎜。性能はほぼ同じだ。

 

 外見でいちばん目立つのは、主砲根元のコブ。

 704のコブは丸っこいが、こっちは角ばっていて、出っぱりも大きい。

 そして、正直に言うと、キモい。

 ひたいの巨大な昆虫か魚の頭部中央から、角が飛び出ているように見える。

 大洗で発見されていたら、シイラさんとか、ナポレオンフィッシュさんというあだ名が付けられていたかもしれない。

 

「もう! あの二輛で最後じゃなかったの?! あと何輛いるのよ?!」

 

「知らないわよ! とにかく全部倒せばいいの!!」

 

 エリカとカチューシャがどなり合う。

 

#

 

 704が、坂を登りながら榴弾を発射する。

 平原のSU-152が追随する。

 爆発が重なる。

 KV-2を、さきほどよりも強烈な震動が襲う。

 

 がぎぃんと、車外から金属音。

 なにかが折れたか、割れたかした音だ。

 

「被害状況!」カチューシャが叫ぶ。

 

「右の履帯! 動輪が空転してます!」

 

 KV-2の操縦手が、レバーと格闘しながら報告する。

 

「白旗は?!」

 

「上がってません!」

 

 ニーナの声が重なる。

 

「カチューシャさま、また砲塔が動かなくなっちまったです!」

 

「ニーナ! ちゃんと修理したんでしょうね?!」

 

「そんな、カチューシャさま!!」

 

 全員で整備したのになんでおらばっかり、とニーナが涙目になるが、いずれにせよ、口論しているような場合ではない。

 

 正面からは、オブイェークト704が迫る。

 側面では、SU-152が、KV-2にぴったりと目を付けている。

 704とSU-152の主砲は、KV-2より性能が上。

 KV-2の榴弾では、704の重装甲は撃ち抜けない。

 そんな状況なのに、KV-2は自由に移動することも、砲塔を動かすこともできなくなってしまったのだ。

 

 

 



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その2

 ノンナはスコープをのぞく。

 

 視界に映っているのは、KV-2と、それを下から支えるT-34/76。

 今の砲撃で、両者とも少なからず損害を受けている。

 

 ノンナの作戦は単純だ。

 さきほど、IS-2とKV-2二輛で試みた、二方向からの同時攻撃。

 あれを、昨夜プラウダ本艦から到着したオブイェークト704とSU-152を使ってやり直す。それだけだ。

 

 この二輛であれば、ロングレンジでKV-2と負けずに殴り合いができる。

 704の重装甲であれば、近接もできる。

 

(――でも)

 

 この二輛にまかせるつもりはない。

 IS-2も、704の背後について山を登っている。

 

(カチューシャのKV-2にとどめを刺すのは、私――!)

 

 使命感にも似た熱情が、ノンナを突き動かしている。

 

 KV-2の榴弾が、上から704とIS-2を襲う。

 

 だが、着弾が遠い。

 二輛から遠く離れた斜面で爆発が起きる。

 

 どちらにせよ、704の装甲は榴弾をものともしない。

 じりじり、じりじりと、704が坂を登る。

 無骨な砲身をKV-2にすえたまま。

 

#

 

 704が発射した榴弾が、KV-2の近くで炸裂する。

 

 まちがいなく、これまでで最大の危機だ。

 KV-2の車内には、ぴりついた緊張感が漂っている。

 

 だが、そんな切迫した空気など、意に介さない人物がいた。

 そど子こと、B1bisの車長園みどり子である。

 

 通常、戦車道の試合で、白旗の上がった車輌が通信を送っていいとされるのは、撃破された直後のみ。その後の通信は厳しく制限される。

 しかし、ぐれた風紀委員に理屈は通じない。

 そもそも、そど子にとっては試合ですらない。

 河島桃がB1bisを引き取りにあらわれるのも、風紀委員の三人が疎開先の小学校に連行され、営倉がわりの飼育小屋に軟禁されるのも、もうちょっと先の話である。

 

 白旗が上がった戦車は、動かない。

 動かない戦車の中にいるのは、たいくつだ。

 そんな理由で、そど子はさっきから通信に割り込んでは、だれかれかまわず絡みまくっている。

 

 通信手がチャンネルを変えても、ついてくる。

 聞いている側にとっては、気にさわることこのうえない。

 ただでさえ、空気が張りつめた大事な局面なのだ。

 

「ちょっと、大洗のあなた、いいかげんにして!」

 

 エリカは、KV-2の通信手の手からマイクを奪い取って叫ぶ。

 

「切るわよ、悪いけど! 関係ない話ならあとにしてちょうだい!」

 

「なによ! 誰なの!? 頭ごなしに!」

 

「誰でもいいでしょ! とにかく、もう割り込んでこないで! こっちは取り込み中なんだから!!」

 

 エリカは問答無用で、通信を切ろうとする。

 でも、すこしだけ遅かった。

 

「あら、あなた――」

 

 なぜだろう。

 

 声には、不吉な響きがあった。

 続きを聞いたら、よくないことが起きる気がする。

 そう思わせる何かがあった。

 

「誰かと思ったら、黒森峰の逸見エリカじゃない。黒森峰のあなたが、どうしてこんなところにいるわけ?」

 

 ぎくりとする。

 来年の大会に備えて大洗をスパイしに来たなんて、言えるはずがない。

 

「あ、あなたに関係ないでしょ」

 

「ふん」

 

 通信機のむこうの相手が、鼻を鳴らす。

 

「あなたって――」

 

 スピーカーから聞こえた言葉に、エリカが目を見開く。

 

 言った当人は知るよしもない。

 だが、後から考えると、結果的には、園みどり子のひと言が、この試合の勝敗を定めたのだった。

 

#

 

 園みどり子は、こう言った。

 

「あなたって、ほんとに聞いてた通りね。いやなやつ」

 

 いやなやつ。

 

 短い言葉が、エリカの胸に鋭く突きささる。

 

「あ、あなたが、私の、何を知って……」

 

「だってあなた、黒森峰で西住さんをいじめてたんでしょ」

 

 また、鋭い一撃。

 力強い決めつけに、一瞬、無力感が湧く。

 

「いじめてた?! 私が?! あの子がそう言ったの?!」

 

「あなた以外に誰がいるのよ。西住さんはこう言ってたそうよ。黒森峰では友だちがひとりもできなかった、戦車道を楽しいと思ったことも一度もなかった――って。だから大洗に転校してきたんじゃない」

 

「な――」

 

 なにか言い返してやろうと思った。

 

 でも、その時にはもう、相手は通信を切った後だった。

 

「ちょっと! 待ちなさいよ! ちょっと!!」

 

 呼びかけてみるが、返事はない。

 

 なによ。

 こっちがいやなやつなら、そっちは勝手なやつじゃない。

 さっきまで好きに騒いでいたくせに、こっちに言いたいことができたときには、聞こうともしないなんて――

 

 エリカはふり返る。

 車内の全員が、エリカを見ている。

 

「なに!!」

 

「へぇ?!」

 

 エリカに問いただされて、狩猟帽のニーナが砲弾を抱えたまま震え上がる。

 

「言っとくけど、私じゃないわよ!」

 

 エリカはニーナの手から砲弾をひったくって、装填トレーにたたきつける。

 

「そりゃあ、あんな負け方したんだし、黒森峰はばりばりの武闘派ですもの。口さがないやつはいろんなこと言うわよ! 川に落ちたのは実力がない隊員の自業自得なのに、そんなやつを助けるためにフラッグ車の指揮を放り出すなんて、本当に西住流の師範の娘か、とかなんとか! でも、私は言わなかった!!」

 

「おら、なんも言ってねえ、ですけど……」

 

 エリカは続いて、ニーナの手から装薬までひったくる。

 

「私だって、もっとしっかりして、くらいのことは言った。でもそれは、立ち直ってほしかったからじゃない! くよくよしてないで奮起してって、そういうつもりだったのに、あの子ったらますます思い詰めて! 私が悪かったの?! どういう言い方をすればよかったのよ!!」

 

 KV-2の車内が、がたん、がたんと激しく揺れる。

 どおん、と砲撃音。

 

 エリカは意に介さない。

 

「あの子もあの子よ! ひとりで責任をしょい込んで、思い詰めて、壁を作って! 悪口なんて笑いとばしなさいよ! 西住流の娘なら、それくらい慣れっこでしょ?! せめて相談くらいしてくれればいいじゃない!!」

 

 叫びながら、エリカにはわかっている。

 西住みほは、それができないから西住みほなのだということが。

 

 ふわりと、ひざから力が抜けそうになる。

 

「エリカ、装填!」

 

 カチューシャの声。

 エリカはぎゅっと唇をかんで、壁にかかった大型の砲弾を持ち上げる。

 

「ええ、そうよね! 家元の娘の苦労なんて、私にはわからないわ! だけど、なにも言わずに逃げ出すことないでしょ! それどころか、転校先でまた戦車道を始めるなんて!! あなたは知らないでしょ! 西住隊長が、あなたのことをどんなに心配していたか! それなのにあなたったら、新しい学校のチームメイトと、のんきに戦車喫茶なんかで遊んじゃって! いやみのひとつくらい言いたくなるわよ! はい、装填終わり!!」

 

 KV-2の砲手が、すかさず主砲を発射する。

 休む間もなく再装填の作業がはじまる。

 

「黒森峰には友人がひとりもいなかったですって?! 上等よ! どうせ私なんか、あなたにとっては口うるさい小姑と同じよね! じゃあ赤星はどうだったの! あの子だってひどく責められたわ! それでも黒森峰でがんばってる! ほかにも心配してる子はいた! 黒森峰でなにひとついいことがなかったなんて言わせないわよ!!」

 

 KV-2の周囲で、着弾の衝撃音がいくつも響く。

 

 だが、エリカの耳には入らない。

 壁から持ち上げた砲弾を装填トレーに乗せ、後ろに薬嚢をセットし、ラマーで薬室に送りこむ。

 砲弾の重量にも、轟音に負けずに叫び続ける。

 

「そりゃあ、厳しいことも言ったわ! でもそれは、戦車を降りたときのあなたが、あわあわ頼りないからじゃない! この子は私がいなきゃダメなんだって、私が補佐してあげなきゃって思うじゃない! 三年になったら、あなたが隊長になって、そのときは私が副隊長で、ふたりで西住隊長の後を継いで、西住まほがいなくても黒森峰は強いって、世間のやつらに言わせてやろうと思ってたのに! でも、それを夢にしていたのは私だけだったのね! あなたにとって、私はただの、いやなやつだったんだ!!」

 

 頭を振ると、乱れた髪が、汗ばんだ首筋にまとわりつく。

 爆発の衝撃で、いつのまにか、結んでいたリボンがほどけてしまったらしい。

 だけど、そんなこと、どうでもいい。

 エリカは叫ぶ。

 

「あなたは、ずるい! さっさと転校して、新しい学校で友だちを作って、戦車道を楽しんで! 残された側がどういう気持ちでいるかなんて、考えたこともないんでしょう?! 私はずっと考えてる! あのとき、なんて声をかければよかったのか、どうすれば、あなたが転校しなかったか! いったいどうすればよかったの?! 教えてよ!!」

 

 ふいに、言葉が切れる。

 

 なにも出てこない。

 身体が軽くなったような。

 胸の中にずっとずっと詰まっていたものを全部吐き出してしまったような。

 そんな気持ち。

 

 エリカは気がつく。

 いつのまにか、自分がKV-2の床にへたりこんでいることに。

 そして、あたりが妙に静まりかえっていることに。

 

「あなたもいろいろあるのねえ、エリツィン」

 

 ハッチにしがみついたままのカチューシャが、上からエリカを見おろしながら、白い歯を見せて笑う。

 

「その呼び方、やめてって言ったでしょ」

 

 エリカは目の下をこすりながら答える。

 

 エリカの横では、ニーナが迷っている。

 言うべきか、言わざるべきか。

 

 だが、ニーナは結局、黙っていることにした。

 エリカがたった今、KV-2の弾薬再装填のプラウダ校内記録を、大きく塗り替えたことを。

 

#

 

 話は、すこしだけさかのぼる。

 

 エリカが、通信機から聞こえたそど子のひと言に凍りついていたとき――

 車外ではまだ、緊迫した状況が続いていた。

 

 KV-2の正面、斜面下からは、オブイェークト704とIS-2が迫る。

 右側面では、遠距離からSU-152が狙いを定める。

 どちらを狙うにしても、どちらかに装甲の弱い側面を向ける必要がある。

 

 だが、KV-2は、敵の砲撃により、履帯の片側と砲塔を破損してしまった。

 もはや、応戦すら難しい状況だ。

 

 しかし――

 カチューシャはあわてていない。

 

 KV-2は、車体側面を斜面に垂直に向けた状態で停車している。

 簡単に言えば横向きだ。

 それを下から、T-34/76が支えている。

 

 履帯が壊れたのは、頂上に近い側。

 反対側はまだ動かせる。

 

「あれをやるわ! T-34/76に連絡! 方向を微調整!!」

 

 指示に従って、KV-2の通信手がマイクを握り、操縦手がレバーを動かす。

 

「いっくわよーー! みんな、どこかに掴まりなさい!」

 

 号令と同時に、KV-2の車体が、がくんと大きく震動する。

 

 ほぼ同時に、平野のSU-152が主砲を発射する。

 今回発射したのは、徹甲弾。

 KV-2の砲塔は、SU-152の側に側面を向けている。

 この状態なら抜けると判断したのだ。

 

 だが、しっかり狙いを付けたはずの砲弾は、KV-2のデカ頭から大きく外れる。

 

 砲手の腕が悪かったのではない。

 狙いはまちがいなく正確だった。

 SU-152の砲弾が着弾する寸前に、KV-2の砲塔が移動したのだ。

 

 斜面の中腹では、ノンナがスコープに押し当てた目を見開いている。

 

(――さっき外れた原因は、あれか!)

 

 カチューシャの合図とともに、KV-2を下で支えていたT-34/76が、わずかに前進する。

 同時に、KV-2が、残っている側の履帯を回転させる。

 破損した履帯がばきんと音を立てて取り残され、生の転輪が地面に食い込む。

 KV-2の車体が、斜面をななめに滑る。

 それをT-34/76が受け止める。

 

 結果――

 KV-2は、車体を斜面に水平にした状態で止まる。

 

 主砲が向いているのは、平原のSU-152の方角。

 片側の履帯を回して、方向を微調整する。

 

 発射!

 

 砲弾はSU-152を大きくそれる。

 だが、視界をふさげただけで御の字だ。

 

「もう一回!」

 

 合図にあわせて、T-34/76がふたたび前進し、KV-2が履帯を回す。

 KV-2はまたもや斜面をななめに滑り、車体を斜面に垂直にした状態で停止。

 いま砲身が見つめているのは、斜面を登る704とIS-2だ。

 砲塔側面を抜こうとした二輛の砲弾が、砲塔のそばをかすめて通りすぎる。

 

 KV-2の装填手エリカは、そど子の捨て台詞のせいでぶち切れ中。

 ミカがカンテレで鼓舞したときの継続のメンバー以上に、能力が向上している。

 再装填の速度が、すこぶる速い。

 

 KV-2は、停車とほぼ同時に榴弾を発射する。

 狙いなど、つけていないに等しい。

 この砲弾も、二輛を大きくそれる。

 

「もう一回!」

 

 T-34/76が坂を下り、KV-2がななめに車体を滑らせ、T-34/76が受け止める。

 そのたびに、砲塔の向きが変わる。

 車内でエリカがわめく。

 KV-2が砲弾を発射する。

 

「もう一回! もう一回!! もう一回!!! もう一回!!!!」

 

 KV-2とT-34/76は、斜面を滑り降りながら、同じことを繰り返す。

 

 斜面の704とIS-2、平原のSU-152の周囲で、大爆発が連続する。

 プラウダ側は榴弾の爆発に視界を奪われて、応射する余裕もない。

 

「よーーし、撃ち方やめ! 再装填しときなさい!」

 

 カチューシャが、満足げに指令を下す。

 

 二輛が停車したのは、山の中腹にほど近い斜面の上だった。

 KV-2は、斜面下方に砲身を向けて止まっている。

 

 カチューシャが、床にへたり込んだエリカに呼びかける。

 

「あなたもいろいろあるのねえ、エリツィン」

 

「その呼び方、やめてって言ったでしょ」

 

 それが、エリカの返事だった。

 

 

 



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その3

 周囲は沈黙に包まれている。

 

 誰も動いていない。

 音を立てるものもない。

 

 やがて、風がそよぐ。

 それを契機に、ずっと沈黙していた鳥たちが、一羽、二羽と、遠慮がちに鳴き始める。

 爆煙が、風に流されて晴れてゆく。

 

 平原のSU-152は、白旗を上げていた。

 爆発でやたらめったらに叩かれたのだろう。ボディが傷だらけだ。

 

 山腹に立ちこめた煙も、切れ切れにちぎれてなくなろうとしている。

 

 だが――

 

 晴れかけた黒煙をするどく切り裂いて、高速の光弾が飛来する。

 

 標的はKV-2ではない。

 下で支えるT-34/76だ!

 

 すかぁんと撃ち抜かれて、T-34/76は白旗を上げる。

 

 晴れた煙のむこう側から、オブイェークト704とIS-2が姿を現す。

 無傷とは言えない。

 が、どちらも行動可能な状態を維持している。

 

 T-34/76を撃ち抜いたのは、ノンナのIS-2。

 704は、IS-2の盾になりながら、すでにKV-2に照準を合わせている。

 

「両方とも?! しぶといわね!」

 

 KV-2の車内で、カチューシャがこぶしを握りしめる。

 しかし、カチューシャはまちがっている。

 

 二輛ではない。

 

 CV33に台地のむこう側まで釣り出された、クラーラのT-34/85。

 カチューシャが存在を忘れていた三輛目が、前の二輛に追いつこうと、いままさに山を登っている最中だ。

 

 状況は三対一。

 おまけに、KV-2は砲塔が動かない。

 T-34/76が行動不能になってしまっては、さっきのようなテクニックも使えない。

 まさしく絶体絶命だ。

 

()えっ!!」

 

 ずどんと、KV-2が榴弾を発射する。

 

 やぶれかぶれの一発だった。

 そのわりに、狙いは悪くない。

 だが、爆発は、704の手前ではばまれる。

 

 数輛ずつ山に登って、KV-2に各個撃破されたT-34/76の群れ。

 704とIS-2は、その背後に隠れながら前進している。

 白旗を上げた車輌を、そのまま防塁に使っているのだ。

 

「ノンナ!」

 

 黒髪の副官の意図を今ごろ理解して、カチューシャが歯がみする。

 

#

 

「カチューシャさま! カチューシャさま!」

 

 下のT-34/76から通信が入る。

 話しているのはアリーナだ。

 

「カチューシャさま! あっちが白旗の上がった車輌さ盾に使うなら、おらたちも同じことすっぺ! がんばって耐えるから、撃てるだけ撃ってけろじゃ!!」

 

 装填手のニーナが、カチューシャの背後から同意する。

 

「んだ! まだ負けって決まったわけでねえ! 最後まで戦うべ、カチューシャさま!」

 

「ニーナ、アリーナ……」

 

 カチューシャが瞳をうるませる。

 

「ありがとう。本当によく戦ってくれたわ。アリーナたちだけじゃない。みんなもよ。みんな、よくわたしのわがままに付いてきてくれたわね。あなたたちの気持ち、とてもうれしかった。絶対に忘れないわ」

 

「カチューシャさま……」

 

 KV-2の乗員たちも、感極まる。

 

 みな、覚悟した表情である。

 敬愛する同志といっしょなら、どんな運命でも受け入れると、瞳が語っている。

 

「もったいないお言葉ですだ。カチューシャさま」

 

 ニーナが鼻をすすりあげる。

 

 しかし、一瞬後――

 

 カチューシャは、からりと乾いた声で指令を下す。

 

「はい。じゃあ、T-34/76組は、十数えるうちに戦車から待避。逃げおくれるとひどいことになるわよー。十、九、八、七、五、三……」

 

「カチューシャさま?! いま数字が飛びましたけど?!」

 

 小さな暴君は、アリーナの疑問になど耳を貸さない。

 

 T-34/76の乗員ふたりが、あわててハッチから逃げ出す。

 

 KV-2が、履帯を回して位置を微調整する。

 

「……いち!」

 

 ひときわ高い轟音とともに、KV-2の主砲が火を吹く。

 

 だが、砲身は、704とIS-2の側に向いていない。

 向いているのは、自分を下から支えるT-34/76だ。

 

 KV-2の弾薬は、砲弾と発射用の装薬が別々になった、分離炸薬式。

 装薬の量を調整することによって、砲弾の飛距離をコントロールできる。

 やろうと思えば、火薬のつまった薬嚢だけを薬室に詰めて、空砲を撃つことだって不可能ではない。

 

 カチューシャは、それをした。

 そうすることで、味方のT-34/76を、弾丸がわりに撃ち出したのだ!!

 

 T-34/76が宙を舞う。

 

 地面に激突し、もんどりをうちながら斜面を下って、704にぶち当たる。

 さしもの重自走砲も、戦車一輛を高速で打ちつけられてはたまらない。

 ずがあんと重い音を立てながら、二輛まとめて後方にはじかれる。

 

 それでもオブイェークト704は、白旗を上げない。

 

 きっと、カチューシャは破れていただろう。

 高速で斜面を駆け登ってきたクラーラのT-34/85が、はじき飛ばされたオブイェークト704に激突されて、燃料タンクを爆発させ、704ともろともに白旗を上げていなかったら。

 

#

 

 残る戦車は、カチューシャのKV-2と、ノンナのIS-2だけ。

 

 IS-2は、飛んできたT-34/76とはじかれた704を、ぎりぎりで回避した。

 後方で白旗を上げた三輛の戦車を尻目に、きゃりきゃりと履帯を回して、いい位置を取ろうとしている。

 

 いっぽう、KV-2の足回りは、ひどく損傷している。

 砲塔も動かない。

 

 それどころではない。

 今まで下で支えていたT-34/76を撃ち出してしまったのだ。

 当然、バランスが取れない。

 頭でっかちのKV-2は、ゆっくり前にかしぎ始める。

 

 このままだと、エキシビションのときのように、前に倒れて自壊してしまう。

 誰もが、それを予想した。

 

 だが――

 

 片側の履帯が外れ、転輪が地面に食い込んでいたせいで、奇妙な作用が生じる。

 KV-2が倒れきる前に、足元の地面が、ぼこっと大きくえぐれたのだ。

 

 えぐれた土は、上にKV-2を乗せたまま、斜面を滑り始める。

 周囲の土砂を巻き込んで、軽い地滑りのようになる。

 KV-2は、その上に乗って斜面を下っている。

 

 にわかには信じられない光景。

 

 だが、火砕流の中を進む戦車がいるなら、土石流の上を滑る戦車がいてもいい。

 戦車道とは、そういうことではないだろうか。

 

 KV-2の車内はがたがた揺れまくり。

 全員どこかに掴まって、衝撃に耐えている。

 

 KV-2が、段差にさしかかる。

 がつん、と軽い衝撃。

 今まで振動を続けていた車内が、ふわりと静まる。

 

 巨人(ゴリアテ)が宙に浮いたのだ。

 

「助けてけろ、母っちゃ――!」ニーナが絶叫する。

 

「ちょっと! どうするの、これ!?」エリカが叫ぶ。

 

 カチューシャはなにも言わない。

 ただ、不敵な表情で歯を食いしばっている。

 

 見ているノンナだって、発砲どころではない。

 スコープをのぞいたまま、まるでKV-2を受け止めようとするみたいに、おろおろと両腕を広げている。

 

 KV-2は、勢いにまかせて、空中で半回転。

 奇跡的に、履帯から無事に着地する。

 

 だが、勢いはまだ止まらない。

 そのまま横滑りして、IS-2の横を通過。

 先ほど自分が撃ち出したT-34/76の車体に衝突して、ようやく止まる。

 

「カチューシャ――!!」

 

 ノンナが、席を蹴るようにして立ちあがる。

 ハッチを下から押し上げようとする。

 のぞき窓の外の光景が目に入る。

 

 そこで、気がつく。

 

 KV-2が、まだ白旗を上げていないことに。

 IS-2の後部に回り込んだ格好で、主砲をこちらに向けていることに。

 

(――まさか!?)

 

 そう。

 土砂崩れの斜面に残された履帯の軌跡を見れば、よくわかる。

 

 ミホーシャにできることは、カチューシャにだってできる――

 

 カチューシャは、斜面の勢いを生かし、T-34/76をストッパーにすることで、大洗あんこうチームの得意技であるドリフトでの後方回り込みを、大重量のKV-2で実現してみせたのである!

 

 身構えたときには、もう遅い。

 

 ずごぉぉぉん!!

 

 KV-2が至近距離から発射した砲弾が、猛烈な速度でIS-2のボディにぶちあたり、二輛を巻き込んで炸裂する。

 

 そして、爆煙が晴れたとき――

 ノンナのIS-2とカチューシャのKV-2は、二輛とも白旗を上げていた。

 

#

 

 KV-2の砲塔ハッチが開く。

 

 いちばんに出てきたのは、もちろんカチューシャ。

 砲塔の上で腰に両手をあてて、白旗を上げたIS-2を満足げに見おろす。

 

「カチューシャ!!」

 

 ノンナが、IS-2のハッチを、勢いよく押し上げる。

 KV-2の砲塔に駆け上がり、自慢気に仁王立ちしたカチューシャを抱きしめる。

 

「なんて無茶をするんです! 怪我はありませんか?!」

 

「大げさねえ、ノンナは。このくらい何ともないわよ」

 

 ノンナが、怪我がないことを確かめようと、カチューシャの後ろ頭や肩、背中に、せわしなく腕を回す。

 金髪の少女が、くすぐったそうに受け入れる。

 

 続いて、KV-2のハッチから顔を出そうとしたのは、銀髪のエリカ。

 上にノンナがいるのに気がついて、そのまま中に戻ろうとする。

 

 だが。

 ノンナの次の言葉が、エリカの動きを止める。

 

「まったく。歯医者に行くのが、そんなに嫌だったんですか?」

 

 ……は?

 

 なんですって??

 

「はあああああぁぁぁぁ!?!?!?」

 

 おもわず奇声を上げたエリカを、カチューシャとノンナが見おろす。

 

「ちょっと待って! じゃああなた、歯医者に行きたくないっていうだけで、この騒動を巻きおこしたわけ!?」

 

「そうよ」

 

 金髪の少女が、平然と答える。

 

「だって嫌じゃない、歯医者って」

 

 黒い瞳の副官も、そんな当たり前のことをなぜ今ごろ尋ねるんです?、とでも言いたげな表情で、エリカを見おろしている。

 

「ジャムばかりなめているから、虫歯になるんです」

 

「だって、それがロシアンティーの正式な飲み方だわ」

 

 ぼう然とするエリカを尻目に、カチューシャとノンナは平然と会話を続ける。

 

 カチューシャの歯がひどく痛み始めたのは、エキシビション後、温泉に入っている最中だった。

 おそらく、お湯につかって血行がよくなったせいだろう。

 カチューシャは、すぐに歯医者に行こうというノンナの助言をいやがって、その場から逃亡。

 まいわい市場をうろついていたところで、幸か不幸か、エリカと出くわしたのだった。

 

(そんなことで、たったそんなことで、これ……?!)

 

 試合が始まる前は一面の緑だった平原と斜面は、履帯に掘り返され、砲弾で吹き飛ばされて、荒れ放題。

 白旗を上げた戦車が、あちらこちらに転がっている。

 

 この惨状を目の当たりにしておいて、この悪びれない態度。

 

 わからない。

 文化が違う。

 エリカは頭を抱える。

 頭を抱えたまま、ずるずるとすべり落ちて、KV-2の車内にへたり込む。

 

 その横では、ニーナたちKV-2の乗員が、まだ目を回している。

 

 カチューシャとノンナは、エリカの驚愕など歯牙にもかけない。

 周囲を見渡しながら、カチューシャが小さな胸を張る。

 

「どう、あれだけの台数でも、ここまでできたわよ?」

 

「ええ、たしかに」

 

 長身の少女がうなずく。

 

「じゃあ、もう歯医者に行かなくてもいいわね?」

 

「いけません。是非にでも行ってもらいます」

 

「もう。ノンナったら」カチューシャが、ぷうと頰をふくらませる。「虫歯なんか、放っとけば治っちゃうわよ」

 

「それはありません」ノンナは、どこまでも冷静だ。「痛み止めでごまかすにも限度があります。ここ数日、お薬なしで、痛みを我慢するのは大変だったのではありませんか?」

 

「そんなこと、ないけど」カチューシャが目をそらす。「ともかく、歯医者には行かない。約束でしょ?」

 

「ええ、引き分けです。ですから、私の言うことも聞いてもらいます」

 

「へえ、引き分け」

 

 カチューシャの瞳が、きらりと輝く。

 

「じゃあ、ノンナのほうに、もう残っている戦車はいないんだ?」

 

「ええ。プラウダから呼びよせた増援も、すべて出してしまいましたから」

 

「それなら引き分けじゃないわ。わたしの勝ち」

 

 ノンナが、まあ、というふうに目を見開く。

 

「勝利に貪欲であるのは、指導者としては優れた資質ですが、事実を曲げてまでそう主張するのはどうでしょう。足元を見てください、カチューシャ。KV-2は白旗を上げていますよ」

 

「でも、こっちの車輌は、ちゃんと一輛残っているもの」

 

 カチューシャが山頂を指さす。

 

 そこに鎮座していたのは——

 無傷のままの、継続の緑のトラックだった。

 

 

 



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エピローグ
エリカ、回想する


 その後のことを、すこしだけ書いておく。

 

 アンツィオ高校には、約束通り、プラウダから食料一年分が届けられた。

 

 だが、小麦を期待して目を輝かせる生徒たちの前に転がり出したのは、大量のじゃがいも。

 生徒たちは、おおいに落胆した。

 絶望した、と言っていいほどだったという。

 

 しかし、それは一時のこと。

 アンツィオの総統(ドゥーチェ)は、じゃがいもでニョッキを作ることで、生徒たち全員の顔に笑顔を取り戻したという。

 

 カチューシャが継続の三人になにを約束したのかは、不明なままだ。

 

 ただ、試合後の撤収作業中――

 KV-1が一輛、行方不明になっていることが発覚した。

 

 後日、よく似たKV-1が、継続高校で目撃された、とも聞く。

 

 それを知ったプラウダは、ただちに声明を発表し、遺憾の意を表明した。

 だが、強硬なことで知られるプラウダの外交部は、なぜかこのときに限ってそれ以上の抗議を行わず、話はうやむやになったそうだ。

 

 そして、私は――

 

 試合の後、勇気を出して、黒髪のあの子に聞いてみようかと思った。

 カチューシャのような天才のそばにいて、つらくないのか。

 嫉妬したり、無力感で絶望したりしないのか。

 

 でも、やめておいた。

 近くで見ているうちに、あのふたりの関係は、私が想像していたのとは、すこし違う気がしてきたから。

 それに、あの子のことは、やっぱり、すこし苦手だ。

 

 黒森峰に帰ってからのことだが……

 

 べつにこれといって、書くことはない。

 

 カチューシャの指揮をじかに見たからといって、戦車道の技術が向上したりはしなかったし、チームメイトとの関係も変わらない。

 結局のところ、私は、私だ。

 人は簡単に変わったりしない。

 

 ただ――

 

 あの子を見ているうちに、思うようになったのもたしかだ。

 ちょっとくらいずうずうしくても、非常識でも、人は生きていける。

 その程度で死んだりはしないのだと。

 

 あの事件以来、私の心に、金髪のおちびさんが棲みついている。

 その子はときどき、ひょっこりと顔を出しては、私に勇気がないと笑ったり、ああしなさいよとけしかけたり、ときには私のかわりに怒ったりするのだ。

 

 私は今も、その子にせっつかれている。

 

(……もう。わかったわよ)

 

 私は、小さく息をついて、手もとを見おろす。

 手のひらの上でころんと転がったのは、ぶさかわいいご当地キャラのキーホルダー。

 この不細工さんのせいで、私はこのところずっと、おちびさんに責められっぱなしなのだ。

 

 視界を、あの人が横切る。

 黒森峰のパンツァージャケットをきりりと着こなした、私のあこがれの人。

 胸が、どきんと鳴る。

 

「隊長、すこしよろしいですか――」

 

 緊張のせいで、声はひどくかすれている。

 

 あの人がふり向く。

 私は走って、あの人に近づく。

 

 ああ、視界が、真っ白だ。

 

 

 




というわけで完結です!

じつをいうと、ぼくは今まで、自分の書いたものを人に読んでもらったことがほとんどありませんでした。
このお話も、誰かに見せるつもりで書いていたのじゃなかったんです。

そんでもって、まあ、ぶっちゃけると、半分くらい書いたあたりで先に進まなくなっちゃったのですね。

ただ、完成させたいなーという思いはあったので、じゃあどっかで公開しちゃえばいいんじゃね? 連載ってかたちにすればしめきりができるからがんばって書く気になるんじゃね? と考えたのが、ハーメルンさんにおじゃまするきっかけになったのでした。

公開する前は、人に読んでもらっても別にたいして変わらないんじゃ? と思ったりもしたのですけど、これは大間違いでした。びっくりするくらい励みになるものですね! 感想をもらえるのがすごくうれしかったです! (次の展開を当てられると多少ヘコみますが)

ちなみに作品の目標は以下の三つでした:

- 大学選抜戦で活躍しなかった(※何回か観ると、あっそんなことねーわカッちゃんすげー活躍してるわってなるんだけど、初回の印象ではこうなる)カチューシャを活躍させる
- いつも不遇なKV-2を活躍させる
- エリカをめちゃめちゃ苦労させた末に爆発させる

どうでしょう。達成できていたでしょうか!?

最後まで読んでくださったみなさまに感謝です!
それではまたいつか!


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