科学の都市の大天使 (きるぐまー1号)
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Chap.1 翼を持った少年 Angel_Imitation
ep.1 9月1日-1


きるぐまー1号と申します。駄文書きです。よろしくお願いします。


 ここは『学園都市』。

 

 総人口230万人のうちの8割を学生が占める、超巨大な教育機関であり、同時に学生を対象として『超能力』の研究が行われている最先端科学の研究機関でもある。

 

 東京、埼玉、神奈川の1都2県にわたる広範囲を開発して作られ、東京都の中央3分の1を占める広大な面積を持つ。

 

 技術の漏洩を防ぐため、外周部は厚く高い壁に囲まれ、交通遮断・衛星による監視が行われている。

 

 そんな、ある種の箱庭にも思える学園都市の中。

 

「あー、やっぱり日が出てくると暑いなー……」

 

 雲一つない美しい青空の下、太陽がギラギラと照り付け、まだまだ残暑が厳しく残る新学期の1日目。男子高校生としては平均的かやや小さめの体を制服の夏服に包んだ黒髪の少年がぼやきながら通学路を歩いていた。

 

 照り付ける日光がジリジリと彼の肌を焼き、たまらず汗が噴き出してくる。

 

 彼の名前は千乃(せの)勇斗(ゆうと)。学園都市第7学区にある、とある高校に通う高校1年生である。

 

(あーもー汗ばんできたなぁ……)

 

 と、心の中で1人この残暑を呪いながら歩いていると、後ろの方から走ってくる足音と勇斗を呼ぶ声が近づいてくるのに気が付いた。

 

「おーっす勇斗。おはよう」

 

「……おう。おはよう当麻」

 

 勇斗は後ろを振り返って、走ってきた少年――上条当麻の様子をまじまじと見つめた。

 

 上条当麻――――幻想殺し(イマジンブレイカ―)という正体不明の、学園都市の技術をもってしても解析不明の能力を持ち、もはやギャグとしか思えないほどの不幸体質を持つ少年であり、勇斗の親友であるフラグマイスターだ。

 

 夏休みの初め頃にインデックスという少女を巡る事件で記憶を失い、吸血鬼を求める錬金術師との戦いに巻き込まれたり、8月21日には学園都市最強のレベル5、一方通行(アクセラレータ)を倒し、1万人近い第3位御坂のクローン、妹達(シスターズ)を救い出したりと、このところハンパじゃ無い規模の(公的私的問わず)事件に(そしてその都度女の子と仲良くなったりもしている)巻き込まれ続けている……というか、首を突っ込み続けている度が過ぎた愛すべきお人好しである。もっとも、今は女の子と同棲しているとんだリア充野郎であるが。

 

「お前……またなんか事件に首突っ込んだだろ?」

 

 上条の特徴であるツンツン髪はいつもよりもボサボサで、目の周りにも濃い隈が浮かんでいた。

 

「……くっ、俺が自分から進んでやったように聞こえるのは気になるけど、今回ばかりは否定しきれない何かがある……! ……そーですよ! カミジョーさんはまた事件に巻き込まれたんですよ! お陰で夏休みの宿題未完だよ! コンチクショウ!」

 

 そう言って、夏休み中の武勇伝(ふこうばなし)を語り出す上条。その話に相槌を打ちながら、勇斗は学校へと向かった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「うあー、……朝から茹で上がりそう」

 

「なんやなんやゆーやん、朝からだいぶグロッキーモードやな。大丈夫なん?」

 

 暑さにやられそうになりながら勇斗が教室に到着すると、先に登校していた青髪の大男、青髪ピアスが勇斗に声をかけてきた。

 

「……まーなんとか?」

 

「っだー……! 暑い……暑すぎる……」

 

 勇斗が応えたタイミングで、ちょうど上条も教室に入ってくる。

 

「な……、カミやん……だと……? カミやんが新学期初日に遅刻せずに学校に来られるなんて……これは一体何の予兆なんや……」

 

 その姿を認めた青髪が、大げさといっていいほどの驚愕の表情を浮かべる。声に出しはしなかったものの、残りのクラスメイトも似たり寄ったりの表情を浮かべていた。

 

「……朝からずいぶんなあいさつだな青髪ィ……」

 

 そんなやり取りをきっかけに、すぐに騒ぎ出す上条と青髪。その様子に苦笑して肩をすくめつつ、勇斗は自分の席へと向かった。

 

「あら、おはよう千乃」

 

 荷物を置いたところで、勇斗は隣席の少女に声を掛けられた。

 

「ああ、おはよ、吹寄」

 

 勇斗もそれに言葉を返す。隣席の少女――対カミジョー属性完全ガードをほこる鉄壁の女、吹寄制理は腕を組んで、夏休みの課題のテキストに向き合っていた。

 

「……ねえ、ぶしつけで悪いんだけど、お願いがあるのよ。聞いてくれない?」

 

「夏休みの課題関連なら多分ほぼどうにかなるんだぜ」

 

 その吹寄の様子から何となく事情を察した勇斗はそう言って、カバンから課題を――各授業科目ごとに存在するテキストを取り出した。

 

「じゃあ……、大脳生理学入門のテキスト見せてもらってもいい? ちょっとわかりにくい所があって……」

 

「心行くまでどーぞ。ただ、確実にあってる保証はないからそん時はあきらめてくれ」

 

 そのセリフに、手渡されたテキストを受け取りつつ、吹寄はため息をつきながら勇斗に呆れたような表情を向けた。

 

「……あんた、この学校の首席じゃない。それで解けないんじゃ誰も解けないわよ、そんな問題。誰も気にしないわ」

 

「まあ……確かに」

 

 ――――勇斗や上条が通うこの高校は、何も特徴が無いことが特徴である、を地で行く『普通』の高校だ。在籍する生徒のおよそ6割が無能力者(レベル0)であり、残りの生徒もほとんどが低能力者(レベル1)異能力者(レベル2)である。強能力者(レベル3)を超えるような能力者など片手で足りるくらいしかいない。その中で、大能力者(レベル4)である勇斗は、校内でトップの成績優秀者なのである。

 

「解答よりも、そこまでの過程が知りたいのよ」

 

 そう言って、吹寄はテキストと向き合い始めた。

 

 なるほどと納得して、集中し始めた吹寄に話しかけるのは申し訳なく、ヒートアップしている上条と青髪の間に割って入る元気もなく、手持無沙汰になった勇斗はふと、携帯に目をやった。

 

 ――――新着メール:18件 着信:8件

 

「うおっ!?」

 

 予想外に大量のメールと着信が入っていた。とりあえず電話をかけなおそうとして、ちょうどそのタイミングで、勇斗の携帯が鳴った。発信者は――177支部と表示されている。

 

「……もしもし?」

 

『あ、やっとつながりました!』

 

 電話口から聞こえてきた声は、普段から聞き慣れた、勇斗が所属する風紀委員(ジャッジメント)177支部の後輩、初春飾利の声だった。

 

『すいません先輩、今大丈夫ですか?』

 

 普段のおっとりした声とは違い、緊張感を含んだやや硬い声になっている。

 

「あ、うん。どうしたんだ?」

 

『メールにも書いてあると思うんですが、今日の朝……1時間ほど前に学園都市への侵入事案が起こりまして、現在「第一級警戒宣言(コードレッド)」が発令されてるんです』

 

「……何だって?」

 

 声のトーンを落とす。そのことに含まれる何かを感じたのだろう、怪訝そうな顔で吹寄が勇斗に視線を向けた。しかしそれに気づくことなく、勇斗は話を続けた。

 

「で、どういう状況なんだ?」

 

『詳しい話はまた後でしますが……、風紀委員には公欠と侵入者の捜索指示が出されてます。勇斗先輩も急いで来てください!』

 

「わかった!」

 

 通話を切って、勇斗は持ってきたテキストを全て机の上に置いた。

 

「どうしたの?」

 

「かくかくしかじかで公欠になった。でもまあせっかく来たんだし課題は置いていく。提出は任せた」

 

「……わかったわ。気をつけて行ってきなさい」

 

「うぃーす」

 

 そう言って、勇斗はカバンを掴んで教室を走って出て行った。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「あ、勇斗先輩。おはようございます」

 

「おはようございまし、勇斗先輩」

 

 大慌てで支部に入った勇斗を出迎えたのは、初春飾利と白井黒子の中学1年生コンビだった。

 

 肩にかかるくらいの黒のショートヘアに、大量の花飾りをあしらった髪飾りを付けた初春。長い、手入れの行き届いた茶髪を、ツインテールに結っている白井。絶妙な力関係と強い信頼関係が互いをつないでいる、177支部の誇る名コンビである。

 

「遅れて申し訳ない。気づかずに学校行ってた」

 

「いえ、大丈夫です。それで詳しい現状なのですが――――」

 

 そして、早速初春は本題に入った。

 

 今朝の7時前のことだ。学園都市の外部からの侵入事案があったという。勇斗は侵入者の写真を見せてもらった。そこに映っていたのは、金髪で、褐色の肌をゴシックロリータで包んだ外国人の女だった。この女が真正面から学園都市の門の1つを襲撃したのだという。死者こそ出なかったものの、重傷者3人を含む多数の負傷者を出し、その女はそのまま学園都市の内部に侵入してきていたのだった。

 

「――――というわけで、現在風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)が総動員されて、この人物の捜索が行われています」

 

「なるほどね……。結構大事になってたんだな」

 

「そうなんですの。おかげでこの炎天下の中歩き回らないといけませんの。はあ……女性のくせに、乙女の大敵ですわ」

 

「……女の子も大変なんだな」

 

「全くですわよ!」

 

「ですよねえ……」

 

「初春……? あなた、監視カメラ網の検索とか何とかでずーっとここにいるはずでしたわよね?」

 

 ジロリ、と白井は初春を睨み付けた。

 

「いやー……、固法先輩にそういう指示を出されちゃったものですから。仕方ないですよー」

 

 はははーと微妙な微笑みを浮かべつつ、初春は答える。

 

「でも私は私でパソコンの画面の前に釘付けですからね。適材適所ってことで、いいじゃないですか。うん!」

 

「……なんだか釈然としませんが、まあ確かにそうですわね。それでは私も、私の仕事をしましょうか」

 

 不承不承、といった表情を浮かべて、そしてそれから白井は勇斗の方を向いて口を開いた。

 

「参りましょうか、勇斗先輩。今回の索敵は二人一組が義務付けられていますの。……炎天下のデートと参りましょう」

 

 



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ep.2 9月1日-2

 

風紀委員(ジャッジメント)です。動かないでください」

 

「あなたを傷害および器物損壊の疑いで拘束させていただきますの」

 

 人通りが絶え、不気味な静寂に包まれる駅前広場。勇斗と白井の前、およそ10メートル程の所に、件の金髪ゴスロリ女が立っていた。

 

 捜索開始から2時間程が過ぎた頃だ。正午を過ぎ、青空からの日差しがさらに強く照り付けるビル街を汗だくになりながら歩き回っていた2人のもとに、学園都市の監視カメラネットワークで捜索を進めていた初春からターゲット発見の知らせが入った。それがつい15分ほど前の事。その知らせを受け、2人は急いで現場に向かい、そして学生が溢れる駅前広場で堂々と歩いているターゲットを発見したのだった。

 

 信号弾による緊急避難命令を出し、学生たちを避難させ、そしてターゲットの女に対峙する2人。対する女は無表情な中に怪訝そうな感情を浮かべながら周囲を見回している。

 

「ちっ……面倒かけさせやがって」

 

 舌打ちをして、今度は明確な苛立ちと敵意を声に乗せて、目の前の女は2人の方に向き直る。勇斗の言葉を無視してドレスの袖に手を差し込み、――――その瞬間、フォン! という風切り音と共に、勇斗の隣に立っていた白井が女の目と鼻の先に出現していた。次の瞬間には女の体が地面に叩き付けられ(たように見え)、ドレスやスカートの余りの部分に大量の金属矢が突き刺さり、まるで昆虫採集か何かのように女を地面に縫い止めていた。

 

「動かないでと申し上げたはずなのですが……? 聞こえていないんですの?」

 

 地面に転がる女を見下ろすようにしながら、白井は言った。

 

(流石の早業だな……)

 

 その一瞬の捕り物を眺めつつ、言葉には出さずに口の中でこっそりと勇斗は呟く。たくさんの能力者がひしめく学園都市の中でも希少な、白井黒子が誇る大能力(レベル4)空間移動(テレポート)。そしてその能力単体の性能のみならず、能力を巧みに織り交ぜた体術を駆使する彼女の戦闘能力は非常に高い。

 

 地面をもぞもぞと動こうとするドレスの女。しかしその動きは完全に封じられている。

 

(……後は確保するだけだな。よし……)

 

 存外あっさりと終わった侵入者の確保に拍子抜けしつつ、勇斗は白井と地面を転がる女の所に近づいて、――――近づこうとして。勇斗は見た。無表情だった女の顔、その一部。薄い唇がさらに薄く横に引き伸ばされて、嫌な笑みを浮かべているのを。

 

 その様子に白井も気付いたのだろう。目を見開いて驚愕の表情を浮かべて、――――そこで勇斗と白井の間の地面が爆発した。

 

「なっ……!?」

 

 爆風と地面の隆起が勇斗に襲い掛かり、後方に吹き飛ばされる。地面を転がされ、痛みをこらえて再び立ち上がった勇斗の目に入ってきたのは――――

 

「なんだ……あれ……」

 

 勇斗の目前に出現していたのは、2メートルを優に超す大きさのアスファルトや土砂、果ては放置してあった自転車やガードレールなどを材料に捏ね上げられた、巨大な腕だった。あんな物体、普通に出現するはずがない。という事はそこには何らかの能力が関わっていることになる。白井の能力は空間移動(テレポート)。勇斗の能力もあんな物体を作り出すようなものではない。必然的に、作成者はあの金髪ゴスロリ女という事になる。

 

(まさかあの女……能力者だったのか……? 外部からの侵入者だってのに? ……念動力者(テレキネシスト)、……いや、違う(・・)。これは……」

 

 と、そこで、勇斗は見た。巨大な腕の根元に白井が座り込んでいる。その頭上では、白井を狙うように、その小さな体を押し潰そうとするように、腕が、そしてその先にある指が形を変え、振り上げられていく。それを見上げながら、しかし白井は動こうと、逃げようとしない。

 

 勇斗は、はたと思い出した。白井の能力(テレポート)は能力行使に際する演算の量、複雑さが通常の能力の比ではない。それ故に、何らかの要因で集中力を乱されれば、まともに能力を発動させることができなくなってしまうのだ。アスファルトで組み上げられた腕が限界まで引き上げられ、引き絞られていく。振り下ろされるまでもう猶予は無い。あれこれと考えている猶予も無い。後輩の命を救うため、勇斗は飛び出した。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 白井黒子の目前にはアスファルトで作られた巨大な腕があった。その腕は振り上げられ、今にも振り下ろされようとしている。

 

 彼女は逃げられなかった。右足がひび割れたアスファルトにがっちりと挟まれてしまっている。激痛と、そして迫りくる死への予感が、彼女から空間移動(テレポート)を使わせる余裕を奪い去っていた。

 

 振り上げられたアスファルトの腕が動きを止めた。カタカタと体が震え、無意識に目じりから涙がこぼれる。

 

 そして、一瞬の猶予の後、重みで落下するような勢いで巨大な腕が振り下ろされた。そこまでを視界に捉えて、白井はきつく目を閉じた。

 

 ――――その時。

 

 突然足首がアスファルトによる縛めから解放された。そのことに驚く間もなく体に猛烈な加速度がかかる。白井の耳が破砕音を捉えた。アスファルトの腕が地面を粉砕したのだろう。

 

しかし、白井の体に痛みが走ることは無かった。本来なら下敷きになってぐしゃぐしゃに潰されているはずだというのに。

 

 白井は目を開く。視界に飛び込んできたのは、青空と、自分を見下ろす少年の顔、そしてその背から延びる、白い翼(・・・)だった。

 

「白井、大丈夫か?」

 

「……ええ、大丈夫ですわ、勇斗先輩」

 

 鼻をすすりながら、彼女は自分を抱えて空に浮いている少年――勇斗に言った。

 

 下を――地上を見る。いつの間にか金属矢の縛めから抜け出していたゴスロリ女が、驚愕の表情を浮かべて2人を見上げていた。が、ゴスロリ女はすぐに軽薄な笑みを顔に張り付けると、右手を、正確に言えばその手に握られたチョークのような物体を振るった。

 

 地面に叩き付けられていたアスファルトの腕が跳ね上がり、2人を握りつぶそうと迫ってくる。

 

「……っ、先輩!」

 

「わかってる」

 

 その言葉と同時、何らかの不可視の力が伸ばされたアスファルトの腕に叩き付けられた。手のひらにあたる位置のアスファルトが砕け、その衝撃で腕全体にひびが入り、腕の動きが停止する。再び驚愕の表情を浮かべるゴスロリ女。しかし勇斗は、その女から視線を外して、明後日の方を向きながらこう言った。

 

「とどめは任せる、……御坂」

 

 その言葉にハッとなって、白井は急いで勇斗の視線を追う。その先に、彼女が敬愛してやまない『お姉様』の姿があった。

 

 自分と同じ制服を着た、茶色のショートヘアの少女。その周囲の空気は既にバチバチと帯電しており、その事実はただ端的に、既に少女が激怒していることを示していた。こうして見ている一瞬の間にも、右肩上がりに電圧が上がっていく。

 

 突然の闖入者に、そしてその人間の様子に、流石のゴスロリ女も三度表情を驚愕に歪めた。

 

 少女――――御坂美琴は親指を弾いた。弾かれた1枚のコインが、放物線を描いて彼女の頭上を舞う。

 

「人の知り合いに――――手ぇ出してんじゃないわよ!」

 

 舞い降りたコインが、再び彼女の親指に触れた。

 

 ――――閃光。遅れて、轟音。

 

 学園都市超能力者(レベル5)の第3位、発電能力者(エレクトロマスター)の最高峰、彼女の能力の象徴たる超電磁砲(レールガン)が、炸裂した。寸分の狂いもなくアスファルトの腕に直撃した閃光は、巨大な腕のすべてを一瞬で吹き飛ばす。

 

 そして、加熱膨張した空気が烈風となって吹き荒れ、立ち込めた粉塵があっという間に掻き消された。

 

「くっ……!」

 

 なまじ空中に浮かぶが故に、白井を抱える勇斗の体がその烈風に吹き飛ばされそうになるが、背から伸びる翼を巧みに振るって体勢を取り戻す。

 

「相変わらず……とんでもない出力だな……!」

 

「……全くですわ。敵いませんわね、お姉様には」

 

「今の超電磁砲(レールガン)の余波だけで半端な風力使い(エアロシューター)が涙目になるレベルだよ。……全く末恐ろしい中学生だな」

 

 白井と勇斗が各々、御坂への賞賛の言葉を口にしていると、下の方で御坂がこう叫んだ。

 

「とりあえず降りてきなさーい。今のどさくさであの女逃げちゃったみたいだし、もう安全なんじゃなーい?」

 

 その言葉にハッとなって、勇斗と白井は周囲を見回した。視界のどこにも、金髪でゴスロリな女の姿は無かった。

 

「逃がしたか……」

 

「その……ようですわね」

 

 そう言って舌打ちをしつつも、勇斗は白井を抱えて地上に降り立った。翼を操って、重力を感じさせない舞い降りる羽のようにふわりとした着地だ。勇斗の背中から、その翼が溶けるように消えていく。

 

 地面に降り立った勇斗は、抱えたままの白井を地面に降ろした。白井は自分の足で立とうとするが、しかしすぐにへたり込んでしまう。そんな後輩の姿を見た御坂が、たまらず白井のもとに駆け寄った。

 

「ああもうアンタはすぐこうやって無茶するんだから!」

 

 うんたらかんたら。

 

 くどくどくどくどと白井に説教を重ねていく御坂。その様子をわき目に捉えつつ、勇斗はぼんやりと思考を再開していた。

 

(あのゴスロリ女……何かの能力を使ってたみたいだけど)

 

 勇斗の目前には粉々の瓦礫と化したアスファルトで出来た腕だったものが転がっている。あの女は、手に持った――――チョークのような何かを振るう事でその腕を操っていたように思える。

 

(基本的に……能力は演算さえできれば発動するからあんなわかりやすい身振り手振りなんかいらないはずなんだけど、ね)

 

 本来学園都市で開発される『超能力』という名の異能はノーモーションで発動する。特別な例として、その動作ないし何らかの道具が自分だけの現実(パーソナルリアリティ)と深く結びついている場合、能力発動に何らかのトリガーが必要になることはあるにはあるのだが。

 

(まあ……、あの女が能力っぽいものを使ってた時にAIM拡散力場の揺らぎ(・・・・・・・・・・・)全く感じられなかった(・・・・・・・・・・)し、そもそも学園都市以外で能力開発が行われてる話なんて聞いた事もない)

 

 正確には無いわけでは無いのだが、いずれの話もあくまで都市伝説レベルの域を出ないレベルのもので信憑性は全く無い。

 

「……ちょっと勇斗! 聞いてるの!? アンタも大能力者(レベル4)だからって無茶しないでよ。私の大事な後輩に何かあったらどう責任とってくれるのよ!」

 

「うお! ……あ、すまん。次から気を付ける」

 

「全く……。先輩なんだからしっかり手綱握っておきなさいよ」

 

「手綱って……ひどいですわ、お姉様……」

 

 どうやら粗方お説教も終わっていたらしい。口ではあれこれ言いつつも、御坂は心配そうな表情をしながら白井をおぶっていた。

 

「ま、ここであれこれ言い合ってても仕方ないし、一旦戻りましょ」

 

「……そうだな」

 

 御坂の言葉に同意を返し、歩き出した御坂の後ろについて勇斗も歩き出す。

 

 歩きながら再びぼんやりと思考の渦に沈む勇斗。

 

(能力行使に際するAIMの揺らぎが感じられないのはあの時(・・・)と同じ……。と、いう事は。あのゴスロリ女は――――) 

 

 勇斗が導き出した結論は実にシンプルなものだった。

 

(あの女の正体は――――魔術師だ)

 

 どうやらこの騒ぎは、ただで終わりそうもなかった。

 



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ep.Ex 7月下旬

1.7月20日

 

 夜。帰宅したら、玄関前が黒焦げだった。

 

「…………………………………………は?」

 

 先日発生していた『虚空爆破(グラビトン)事件』。そしてそこから派生した『幻想御手(レベルアッパー)』に関する事案。夏休みが始まって早々、それらの調査を進め、風紀委員(ジャッジメント)の仕事から帰宅してきた勇斗が見たのは、学生寮の自室の玄関前の惨状だった。

 

「え、これ何? 何で玄関の扉溶けてんの? え?」

 

 発火能力者(パイロキネシスト)が大暴れでもしたのだろうか、手すりの部分が黒く焦げ、金属部分が全て例外なく溶けて、あるいは溶けかけている。勇斗の部屋はもっとも悲惨な被害を被っているようで、その扉は完全に焼け溶けており、とりあえずといった様子でブルーシートが張られていた。

 

「…………不幸だ」

 

 どこぞのツンツン頭の少年(クラスメイト)のようなことを口にしつつ、勇斗はがっくりとうなだれる。

 

「…………夏休み早々、何で俺がこんな当麻みたいな目に…………。…………ん? 当麻?」

 

 そこまで声に出して、勇斗は気が付いた。いつも自分のもとにやってくるトラブルの元凶は、一体誰だったのかという事に。

 

「まさか今回のこれもアイツのせいなんですかせいなんですねせいなんですよの三段活用。……問い詰めてやる」

 

 突然の出来事におかしなテンションになり、上条の口癖をぶつぶつ呟きつつ携帯を取り出し、上条の電話にコールする。ぷるるるるる、という何の捻りもない電子音が数回繰り返された後、ようやく目的の人物へと電話がつながった。

 

『……もしもし? 勇斗か、どうしたんだ?』

 

「どうしたもくそもねーだろ。学生寮の惨劇について何か一言言うことは無いか」

 

 単刀直入。真正面から勇斗は上条に問いかけた。完全に上条が元凶だと決めつけている。

 

『……ああ、わりぃ。ちょっと、いろいろあって』

 

 予想通り(ビンゴ)だった。色々と言いつのろうとして、しかしそこでふと勇斗は気付く。茶化すように言った勇斗自身の言葉に対して、本来の上条なら何というかもっとノリよく返してくるのだが。今の上条の声からは、そんな余裕が露程も感じられなかった。

 

「……何があった?」

 

 だからこそ勇斗は、ふざけた雰囲気を掻き消すように声のトーンを落とした。普段から不幸にあっている上条であるが、ここまで落ち込んでいる(ダウナーな)ことはほとんど無いのだ。

 

「……おまえ、何か厄介な問題に巻き込まれてないか?」

 

『厄介……か。そう言われればそうかもしれない』

 

 何やら思いつめたような声で、上条は勇斗の声に応えた。

 

『なあ勇斗……。ちょっと信じてもらえるかわかんねーような話をするけど、俺が今から言う事、信じてくれるか?』

 

 悔しさを必死に押し殺しているような、そんな声だった。これまで数多くの不幸になんだかんだ打ち勝っていたあの上条とは思えない、弱々しい声。

 

「……内容による。ただ、お前がそこまで悩んでるんだ。信じる努力はするさ」

 

 そんな上条に、勇斗は元気づけるように明るく言った。こんなに沈んだ様子の友人を放っておくことなどできなかった。

 

『……ありがとう。実は――――』

 

 そして上条は、ぽつぽつと、事の真相を語り始めたのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

2.7月21日

 

「いやー、ついに当麻のフラグマイスターっぷりここに極まれりって感じだよな」

 

 たばこの吸い殻や大量のビール缶が転がっていたおんぼろアパートの一室、そこに敷かれた布団で横になる銀髪碧眼の美少女の体を支えながら餌付けをするようにリンゴを食べさせていた上条に対して、勇斗は言った。

 

「突然何を言い出しやがる!?」

 

「むー、とうま、早くそのリンゴ食べたいかも」

 

 勇斗に反論しようとすることでおろそかになった上条の手元、そこに持たれたフォークに突き刺さったリンゴを眺めながら、頬を膨らませて少女――――インデックスは上条の着ているシャツの袖を引っ張る。

 

「あーごめんごめん! わかったから伸びちゃうからあんまりそこを引っ張らないで!」

 

 叫びつつ、しかしどこか楽しそうに、上条は介護(えづけ)を再開する。

 

「何かするたびに女の子と出会って、そして仲良くなりやがる上条ちゃんのその体質ってなんなんですかねー」

 

 その様子を横目で見つつ、冷たい氷水でジャブジャブとタオルを冷やしているのは小萌先生だ。勇斗は小萌先生からタオルを受け取り、よく絞ってからインデックスに手渡す。

 

「ありがとうなんだよ、ゆうと」

 

 高熱のせいで桜色に上気した顔でインデックスは勇斗に微笑む。

 

「ん、どういたしまして」

 

 その微笑みににっこりと笑顔で返す勇斗。

 

「に、しても。まさか魔術なんてもんが本当にあるとはなあ」

 

 続けて、勇斗はそう言った。

 

「すぐに理解してくれて私はとっても嬉しいんだよ。とうまとこもえはなかなか信じてくれなかったからね」

 

「せんせーはずっと学園都市(このまち)で暮らしてますからねー。そんな非現実(オカルト)なことなかなか信じられないのですよー。今でもちょっと信じられませんけど、勇斗ちゃんが言うなら仕方ないのです」

 

「……小萌せんせー、その言い方はもしや暗にワタクシめが説明しても信じていただけないという事を言っているのでせうか?」

 

「別に『暗に』言っているわけではないのですよ?」

 

「酷い……」

 

 小萌先生の物言いに、orzよろしく打ちひしがれる上条。再びリンゴが遠ざかり、インデックスが不満の声を上げた。

 

「仕方ないのですよー。勇斗ちゃんの能力は『AIM拡散力場の観測と操作』ですからねー。AIM拡散力場が観測され(かいはつされて)ないせんせーとこの子だけであれだけの怪我を治してしまった以上、この街で開発されている『超能力』とは別のシステムで動いている『異能』があるという事を認めないわけにはいかないのです」

 

 その言葉を聞いて満足したのか、うんうんと頷くインデックス。

 

 こんな風にただの風邪っぴきの体でいるインデックスであるが、実は昨日の夜、彼女を追っているという魔術師によって大けがを負わされていたというのだ。上条が言うには、腰を何か鋭利な刃物で一閃されていたのだという。その怪我に関しては勇斗も確認している。昨日の夜、上条から電話を受けた後、寮に配備された掃除ロボットの撮影したデータを参照したのだ。そんな怪我も、今では傷1つ残っていない。小萌先生がインデックスの助けを借りて回復魔術を使い、治療したのだという。魔術師の襲撃といえば、勇斗の家の前の惨劇も魔術師の手によるものらしい。とりあえず会ったら一発ぶちのめしてやろうと心に誓う勇斗だった。

 

(魔術師がこんなか弱い女の子を寄ってたかって狙っていると。……胸糞悪い話だ)

 

 そして、小さく舌打ちをしつつ、勇斗は思う。インデックスが目の前で上条、そして小萌先生とはしゃいでいる様子を見る限り、普通の少女にしか見えなかった。

 

(10万3000冊の魔道書を所持する魔道書図書館、ね)

 

 インデックス。禁書目録。Index-Librorum-Prohibitorum。彼女は勇斗にそう名乗ったのだった。そして彼女は自らの立場をも語ってくれた。

 

(いずれにしても、……まともな人間のすることだとは思えない。暗部がドロドロしてるっていうのは、科学だろうと魔術だろうと変わらないんだな)

 

 風紀委員(ジャッジメント)の権限を濫用してでも手助けしようか、そんな決意を頭の中で決定した勇斗。

 

 そんな彼に、

 

「ねえねえゆうと。ゆうとはわたしとこもえのどっちが胸があると思う?」

 

「…………いつの間にそんな話になったんだ?」

 

 インデックスが放った突然の言葉に、混乱の渦に叩き込まれる勇斗だった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

3.7月24日

 

「…………疲れた」

 

 幻想御手(レベルアッパー)を追って行ったその先で、突如出現した幻想猛獣(AIMバースト)

 

 御坂の手も借りて、というかほとんど御坂の活躍で収束したその事件ではあったが、規模の大きさや捜査への関連度などから風紀委員(ジャッジメント)第177支部所属の面々は総出で事件の報告書を書く羽目になったのだった。

 

 虚空爆破(グラビトン)事件から始まり、幻想御手(レベルアッパー)事件に至るまでの調査の過程。そしてその結果、犯人の動機。完全下校時刻となったために一応解放はされたのだが。あくまで『一応』であり、提出しなければならない報告書の束はまだ山のように残っているのだった。

 

「めんどくさいなあ……」

 

 ぼやきながら歩く勇斗。目の前に見えてきた交差点を勇斗は左に曲がった。――――いや、曲がろうとして。勇斗の心にふとした疑問が生まれた。

 

(……あれ? 何で俺わざわざここを曲がろうとしたんだ?)

 

 この交差点は直進した方がずっと速く家に着く。元気ならいざ知らず、ここまで疲弊しきっている自分に遠回りするような余裕なんて無いはずなのだが。交差点で勇斗はまごつく。理由は無いが、何故か直進したくない(・・・・・・・・・・)

 

 数瞬程悩んで、――――勇斗は結局左に曲がることにした。不可解に思考を捻じ曲げられた感覚がしたような気がするが、頭がうまく働かない。足の赴く方向に、勇斗は歩いて――――いこうとして。

 

 少し離れた場所から爆音が響き渡り、夜闇を切り裂くオレンジ色の大炎と黒煙が勇斗の視界に飛び込んできた。

 

 スイッチを押したようにパチン、と一瞬で思考が切り替わる。踏み出しかけた足を引き戻し、地を蹴って勇斗は走り出した。

 

 ――――――閃光と黒煙を目印に少し走ると、前方、白地に金の刺繍が入った布地の安全ピンまみれの修道服を着た少女の特徴的な後ろ姿と、それに対峙する漆黒の修道服を着た赤い髪の大男の姿が目に入ってきた。その男は、無防備に立つ少女――インデックスの前で、巨大な炎のカタマリで出来た剣を構えていた。それを見た瞬間勇斗は思い出す。上条が言っていた、襲撃者の容姿、そして、操る『異能』の特徴を。

 

 一歩、二歩、とインデックスに近づいていく大男。そして三歩目が踏み出された瞬間、赤髪の大男は一気に足を踏み出しインデックスに接近すると、手に持った炎剣を振りかぶった。

 

「ッ!!」

 

 そこまでを認識して。――――勇斗は演算を組み上げ、同時に前へと飛び出した。

 

 ――――――――

 

 ――――――――

 

 インデックスに叩き付けられようとする、大男の操る炎剣。その2つに割って入るように、何かが飛び込んでくる。

 

 それは背中に白い翼をはためかせ、2人の視界の外から飛び込んできた。そしてそれと同じタイミングで不可視の力が炎剣に叩き付けられ、形を保てなくなった炎剣が爆散する。飛び散った火の粉は再び振るわれた翼が巻き起こした風で吹き払われる。

 

 ――――そして、勇斗と大男は至近距離で対峙する。甘い香水の匂いと、たばこの匂いが鼻につく。交錯する視線が捉えたその顔――右目まぶたの下にバーコードの形のタトゥーが刻まれ、耳にはごてごてしたピアスがいくつもぶら下がっていた。

 

 慌てて大男が大きくバックステップして、距離を取る。

 

「まさか……今の力は天使の力(テレズマ)か? そしてその背中の翼……学園都市(このまち)は人工的に天使でも作っているのかい?」

 

 大男の表情が驚愕と苛立ちに歪み、そしてこう言った。

 

「だとすれば……ずいぶん僕ら魔術サイドを馬鹿にしてくれてるね……!」 

 

「『天使』ね……。……何を勘違いしてくれてるのか知らねーけど」

 

 その言葉に、勇斗は呆れ顔を浮かべて言葉を返した。

 

「俺が操ってるのはそんなオカルトめいた力じゃないさ。ありふれた……そう、この街じゃ珍しくもなんともない、ありふれた力だよ」

 

 ――――再び不可視の力が炸裂し、大男の体が後方に吹っ飛ばされる。その体が、無様に地面を転がった。

 

「……AIM拡散力場の反応無し。赤い髪の大男。炎を操る異能者。お前が人ん家焼いた魔術師だな」

 

 転がる大男――魔術師を冷たく見下ろしつつ、勇斗はやはり冷たく言った。

 

「ふん……個人だか組織だか知らねーけど、寄ってたかって女の子1人を追い回すとか意外と情けないんだな、魔術師って」

 

 インデックスの境遇、希少性、貴重性。その全てを聞いたうえで、勇斗は煽るような声色で魔術師に声をかけた。言葉を重ねるにつれて、目の前の魔術師は拳を握りしめ、奥歯を強く噛みしめていくのが手に取るようにわかる。

 

魔術(オカルト)なんて……所詮はその程度か」

 

「――――我が名が最強である理由を(Fortis)ここに証明する(931)!!」

 

 そして、勇斗の言葉がついに一線を越えてしまったのだろう。強烈な殺意を目に宿らせて、憤怒の形相で目の前の魔術師は立ち上がった。

 

「本来ならむやみやたらに魔法名(ころしな)なんて名乗らずにステイル=マグヌスと名乗りたいところだったんだけどね……君はどうやらよっぽど僕に殺されたいみたいだな!」

 

 感情をそのまま形にしたような巨大な炎剣が右手に形成される。そして。

 

「灰は灰に――――塵は塵に――――吸血殺しの紅十字!!」

 

 激情そのままの叫びと共に、左手から青く燃え盛る炎剣が出現した。

 

「――――死ね」

 

 魔術師――ステイルは、2本の炎剣を交差させるように振るった。炎剣が1本だった時とは比べ物にならないほどの大量の火焔が勇斗に降り注ぐ。勇斗の後方で、インデックスが鋭い悲鳴を上げた。交差し、ぶつかり合った炎が相乗効果で勢いを増し、巨大な火柱が勇斗を中心に燃え上がる。大量の空気を吸い込みつつ、灼熱の業火が赤々と夜の学園都市を照らした。

 

「……ふん、あれだけ減らず口を叩いておいて、所詮はその程度か、能力者!」

 

 多少は溜飲が下がったのか、若干余裕を取り戻したような顔でステイルは叫ぶ。

 

「ゆうと! ゆうとっ!!」

 

 火柱の後方、インデックスは目に涙をためて血を吐くように叫んでいる。

 

 ――――と、そこで。

 

 煌々と燃え上っていた火柱が、一瞬で吹き飛ばされた。

 

 魔術をよく知る2人は言葉を失い、目を見開く。ステイルの扱う炎は摂氏3000度もの高温である。人間を『焼く』のではなく『溶かす』ほどの高温の世界に閉じ込められ、しかし火柱の中から現れた少年には火傷1つ着いていない。

 

「……摂氏3000度、ね。学園都市の発火能力者(パイロキネシスト)の何人がこんな真似できるかは知らないけど、この街に来れば結構いいとこに食い込めるんじゃないか? ただまあ、残念ながら、知り合いに5~6000度くらい平気で作り出す能力者がいるもんでね。3000度くらい慣れたもんさ」

 

 苦笑しつつそう言って、未練がましく残る小さな火のカタマリをもう一度振るった翼で巻き起こした風で完全に吹き飛ばす。

 

「ッ――――魔女狩りの王(イノケンティウス)!!」

 

 再びステイルは叫ぶ。目の前の信じられない現実を、振り払おうとするかのように。彼が繰り出したのは、彼が持つ最大の魔術だった。一滴の炎が、虚空から地面にぽたりと落ちる。

 

その落下地点を中心に真紅の業火が円を描くように広がり、その中心から重油を凝り固めたような黒っぽいヒトガタの何かが生まれ出る。

 

「この魔術の意味は――――『必ず殺す』だ能力者!!」

 

 その叫びに呼応するように、黒い何かが勇斗目がけて大量の炎を纏って突撃してきた。

 

「――――ッ!」

 

 勇斗の顔が初めてひきつったような表情を浮かべる。しかし、またしても不可視の力が叩き付けられ、ヒトガタの物体が弾け飛ぶ。安堵の表情を浮かべる勇斗。しかし、ステイルは先程までとは逆に邪悪な微笑みを浮かべていた。

 

 その様子を視界に捉えて、――――勇斗は慌ててその場を飛び退った。一瞬前まで勇斗がいた場所を灼熱の腕が通り過ぎる。3000度の炎に慣れているとはいえ、まともに直撃すれば溶かされるのには変わらないのだ。

 

 後ろを見れば、破壊したはずの炎のヒトガタが復活していた。

 

「ゆうと! それはルーン魔術だから炎本体を破壊しても意味無いの! ここら一帯の『ルーンの刻印』を破壊しないと何回でも蘇るんだよ!」

 

「はっ。そんな簡単にいくと思うか! 今回準備した刻印は全部で16万4000枚でそれら全てが順調に機能して周囲2キロに結界を形作っている! 無駄なあがきはやめるんだな能力者」

 

 魔術師2人の声が夜の学園都市に響く。

 

「――――そっか。だったら」

 

 ステイルは見た。絶望の淵に立たされたはずの能力者が、場違いで不釣り合いな笑顔を浮かべているのを。

 

「こうすればどうだろうね」

 

 全身がぞわりと総毛立ち、第六感が危険信号を鳴り響かせる。

 

「いの――――ッ!」

 

 イノケンティウス、と名前を言い切ることはできなかった。ステイルを中心として半径3メートルの範囲が円形に押しつぶされたからだ。クレーターか何かのように地面が陥没している。

 

 そのクレーターの中心で、ステイル=マグヌスは倒れていた。術者が意識を失い、体を維持する魔力の供給がされなくなったからか、『魔女狩りの王』も姿を薄れさせ、弾け飛ぶように姿を消す。

 

「……ゆうと、すごい」

 

 後方で戦いを見守っていたインデックスがポツリとつぶやいた。

 

「魔術師との戦いってホントに初めてなの? 自信満々にしか見えなかったんだよ」

 

「……まあ、煽って煽ってキレさせればどうしても動きは単調になるからね。一回当麻にぶちのめされてるぶん、『能力者』に対してはいろいろ思うところがあっただろうし、そこを刺激すればその点は楽勝だったよ。学生寮の恨みもあったしな」

 

「じゃあじゃあ、時々ゆうとが使ってた力って一体どんな力なの? 力場だけなら天使の力(テレズマ)にそっくりだったし、でもゆうとはその力を『この街でありふれてる』って言ったよね。でも全くそれを感じられないんだよ!」

 

 そう言って、ずいとインデックスが勇斗に詰め寄った。

 

「……近い。ちょっと離れなさい。俺が使ってるのは『AIM拡散力場』っていう力さ。で、その『AIM拡散力場』っていうのは学園都市で開発されてる『能力者』が誰でも無意識に発してしまっている超微弱な力なんだ」

 

「ふむふむ」

 

「で、その力ってのは普通は精密機械……携帯電話とかテレビとかよりもずーっとすごい機械を使わないと観測できないくらい弱いんだよ」

 

 『精密機械』という言葉にきょとんとした表情を浮かべたインデックスのために、かみ砕いて勇斗は説明を続けていく。

 

「え? でもゆうとが使った時はすぐにわかったんだよ?」

 

「そ。そこがミソなんだよ。実はその『AIM拡散力場』っていうのは不思議な性質があって、ある程度の量を収束させて同時に扱うと爆発的に力が増大するんだ。俺の能力は『AIM拡散力場』を観測して操るっていうやつだから、その『ある程度の量』を超える量の『AIM拡散力場』を操って、それを叩き込んだりしてるって訳だね」

 

「……なるほどなんだよ。じゃあその背中の翼はどういう訳なの?」

 

「うーん……、その説明はなかなか難しいんだけど。自分の能力の『AIM拡散力場』を操ってみたら勝手にこんな風に展開されちゃったんだよね。空を飛んだりもできるんだけど、そんなに出力もないから人間3人分くらいまでしか支えらんないけどね」

 

「ふーん。……一定量を集めると破壊力を持ったり、『天使』と関係したり、なんだか聞けば聞くほどテレズマ……あ、魔術用語で天使の力のことだよ。とそっくりかも」

 

 不思議そうな表情でつぶやくインデックス。

 

「……ま、たまたまだろうな」

 

 そんなインデックスと、クレーターの中心で倒れたままのステイルを眺めて、勇斗も静かに呟いた。 

 



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ep.3 9月1日-3

 ゴスロリで侵入者でテロリストな魔術師と一戦を交えた後、勇斗は地下街に来ていた。戦闘後に一旦第177支部に戻った際、初春から『侵入者が地下街にいること』、『確保作戦が進行していること』、『そのために一般人の避難誘導が必要であること』が伝えられたのだった。

 

 ――――ちなみに勇斗の横に白井の姿は無い。先輩たちにより留守番が命じられている。

 

 勇斗は先輩と白井のやり取りを思い出す。いや、あれをやり取りと呼んでいいものかわからないのだが。

 

 床に正座させられているツインテールテレポーター白井黒子。その白井を見下ろすように立っているのは1組の男女だった。1人は固法美偉(みい)。レベル3の透視能力(クレアボイアンス)を持つ、メガネで巨乳な高校2年生。もう1人は坂本大地(だいち)。勇斗と同じ高校に通うこちらも2年生で、がっしりとした体格で背が高く、坊主頭の体育会系。能力はレベル3の念動能力(テレキネシス)

 

 先輩から反論する間も与えられることもなくお説教を受ける白井。終わったころにはグロッキー状態で、気の毒そうに御坂、初春、佐天が彼女を見つめていた。

 

 ――――またまた補足すれば、その後に勇斗と御坂もお説教を頂戴している。後輩を危ない目に合わせるんじゃない! と、現場で御坂に言われたようなことと同じお説教を2人して受けることになったのだった。

 

 こうしてお説教が全て済んだ後、勇斗は坂本と固法と共に地下街まで赴き、各々避難誘導にあたっているという訳である。最も、侵入者への捕獲作戦についての情報の漏洩を避けるために、メインの誘導係には精神感応(テレパス)能力者が動員されている。サブの誘導係の仕事は、急ぎで逃げられない人間の手助けや、出入り口付近での混乱防止。そして精神感応(テレパス)に気づかなかった人間への避難指示、などである。……まあ、『気づかなかった人間』は『精神感応(テレパス)能力が効かなかった人間』と解釈してもいいわけであるが。

 

「……まあ、ある意味予想の範囲内ではあるよな」

 

 呆れたような口ぶりでひとり呟く勇斗の視線の先、そこには制服の右袖に緑の腕章をつけた女子生徒と、見覚えのある修道服を着た少女と見慣れない制服を着た見慣れない少女、そしてその2人を侍らせている(?)こちらはよーっくと見覚えのあるツンツン頭の少年がいた。

 

「だから精神感応(テレパス)よ! あなた本当に聞こえてないの? 私をおちょくって遊んでるんじゃないの!?」

 

 ツンツン頭(かみじょう)の前で顔を真っ赤にしつつ上条に詰め寄っているのは、勇斗とは隣の支部に所属している大能力者(レベル4)精神感応能力者(テレパシスト)四葉(よつば)(かえで)だった。勇斗も何度か研修で顔を合わせており、彼女自身も177支部の高校2年生コンビととても仲がいい。(坂本曰く、『腐れ縁』らしいが)

 

 彼女は今回動員された精神感応能力者(テレパシスト)の1人でありメインの避難誘導にあたっていたのだが、どうにも相手と運が悪かったらしい。彼女の能力の仕組みは空気振動率を操作し、見えない『糸』を作り出すタイプ――早い話が不可視の『糸電話』を作り出すというものだ。おそらくその『糸』が、上条の右手に触れてしまったのだろう。

 

(……どうりで妙に避難してない人間が多かったわけだ)

 

 彼女はレベル4とかなり高位の精神感応能力者(テレパシスト)である。わざわざ対象に接近しなくても、遠くから一度にたくさんの人間にテレパスを飛ばすことも可能だったはずだ。それなのに妙に避難していない人間が多かったのだ。『テロリストが学園都市に侵入したせいで第一級警戒宣言(コードレッド)が発動している』うえに『そのテロリストは今この地下街に潜入している』、なんて情報を聞けば誰でも逃げ出すはずだというのに一体どうしたのだろうと勇斗は思っていたのだが、その謎も何となく解決した気がした。

 

 ……とりあえず。

 

「何ひと様に迷惑かけてんだこの野郎!」

 

「げふっ!? ……おい勇斗。突然何しやがる……」

 

 上条に飛び蹴りをかまして、恨めしそうに口を開く上条をジェスチャーでさえぎって、勇斗は言った。

 

「インデックスはおろか知らない女子高生までナンパしちゃってキャッキャウフフとフラグ満喫中の所悪いんだけど、ガチの緊急事態だからおとなしく話聞け」

 

 その言葉に更に何か言いつのろうとする上条を視線で黙らせ、今度は四葉の方を向いて勇斗は言った。

 

「すいません四葉先輩。こいつの能力ちょっぴり特殊でして、精神感応(テレパス)受け付けないんですよ。悪気はないんで許してやってください」

 

「……なかなか派手に登場してくれたね千乃(せの)くん。まあいいわ。じゃあ口頭で説明するからよく聞いて」

 

そして四葉は声のトーンを落として、

 

「……実は今、この地下街にテロリストが紛れ込んでいるんです。第一級警戒宣言(コードレッド)も発令されていますし、もう間もなく……あと15分程したら各ブロックの隔壁を降ろして地下街を封鎖します。おそらく銃撃戦になるから、早く逃げてくださいね」

 

「は?」「え?」

 

 予想斜め上の言葉だったのだろうか、上条と、見慣れぬメガネの少女が間の抜けた声を上げた。インデックスはきょとんとした表情で首を傾げ、こーどれっど? と口の中で小さく呟いている。

 

「ま、危ないから早く逃げろってことさ」

 

 まだ理解が追い付いていないだろう3人に対し、勇斗はざっくりと説明する。

 

「……じゃあ私はそろそろ行きますから、早く移動してくださいね」

 

 そう言って、四葉はそこから立ち去って行った。

 

「てことで、俺もまだ見回りがあるからもう行くぞ」

 

「お、おう。わかった。じゃあさっさと出るかインデックス、風斬」

 

「……やっぱちょっと待てお前。お前のそのナンパ癖はどうにかなんないのか? 両手に花とは感心しねーぞおい」

 

「大丈夫なんだよゆうと! ひょうかは私のともだちなんだよ! すーっごく珍しいことだけど、とうまが最初に手を出したわけじゃないんだよ!」

 

「……へえ、珍しいな」

 

「……ワタクシの立ち位置について小一時間問い詰めたい気がするのですが」

 

「小一時間も必要ねーよ一瞬で済むわ」

 

 上条の反論を一言でバッサリと斬り捨て、それから勇斗は『かざきり』『ひょうか』と呼ばれた少女に向き直った。長いストレートの髪から一房だけ髪を束ねて垂らしている。吹寄に負けず劣らずの胸の膨らみを持っていて、突然それが視界に入ってきた勇斗は少し狼狽えた。勇斗に視線を向けられて、その少女はびくりと体を震わせてインデックスの後ろに隠れるように動く。身長差が結構あり、全く隠れられていないのだが。

 

「大丈夫なんだよひょうか」

 

そんな少女を安心させるようにインデックスは背後に隠れた少女に声をかけた。

 

「この人は『ゆうと』っていってとっても紳士的で優しい人なんだよ! とうまと違ってラッキースケベもしないから安心かも!」

 

「「おいお前そんな言葉どこで覚えた」」

 

 上条と勇斗の心がひとつになったツッコミを、しかしインデックスは無視した。

 

 決心がついたのか、インデックスの後ろから出てきた少女がおずおずと口を開いた。

 

「えっと……、風斬、氷華です。よろしく、お願いします」

 

千乃(せの)勇斗です。よろしく」

 

 そう言ってあいさつを済ませると、恥ずかしそうにしながらも風斬は小さく微笑んだ。

 

「? どうしたのひょうか」

 

「うん……。あんまり知り合いが多くなかったから……、こうやって知り合いが増えるの、実は嬉しいんだ」

 

「ひょうかはちょっと引っ込み思案すぎるかも。でも大丈夫なんだよ。私も、とうまだってゆうとだって、ひょうかのともだちなんだから」

 

「ともだち……、うん、ありがとう」

 

 その一言に、風斬は更に柔らかい笑みを浮かべた。場に和やかな空気が流れて、しかしそこで勇斗はハッと気づく。

 

「っと、忘れてた。封鎖まであと12分ちょっとだから、早く逃げろよ。話はまた後でだ」

 

「おーう。じゃ、気を付けてな」

 

 そう言って、上条たちは出口の方に向かって歩いていった。その様子を見送って、勇斗は1つため息をつく。

 

「……さて、仕事再開か」

 

侵入してきたテロリストが魔術師であるという事はわざわざ告げなかった。今回は警備員(アンチスキル)の言葉を信じれば銃撃戦になる。もしそうなったら、異能の力に対してしか対処できない上条や対魔術の専門家のインデックスには出番がない。というか出番を与えるのは危険すぎる。もし必要になればその都度呼んでくればいいことであるし、最初から危険な最前線に連れて行く必要は無い。……それに彼らの事だ。わざわざ言わなくても勝手に首を突っ込んでくる可能性もある。十二分に。

 

 苦笑いを口元に浮かべながら、勇斗は地下街のさらに奥へと向かっていく。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 まだ避難していない学生に避難指示を出しながら地下街を回る勇斗。この周辺にいる人間はあらかた避難させ終え、他のポイントの応援に移動しようとしたとき、突如として ガゴン!! という大きな衝撃が地下街を襲った。

 

「なっ……!!」

 

 突然の衝撃に足を取られる勇斗。しかし再び、同様の衝撃が地下街を走る。地震のような自然的な揺れとは違う。爆発か何かの衝撃か、もしくは何か……そう、巨人が(・・・)地面を殴りつけた(・・・・・・・・)ような。

 

「……ッ!」

 

 勇斗の脳裏に、駅前広場でゴスロリ女が使役していたアスファルトの巨人(ゴーレム)の姿が浮かぶ。この地下街で、通路が狭く逃げ場のないこの地下世界で、あのゴーレムが破壊を撒き散らし始めたのか。太陽の光が届かないこの地下を、明るく照らしていた照明が数度ちらついて、バチン!と一斉に全ての照明が落ちた。非常用電源が作動し、遅れて非常灯のうす赤い光が暗闇を照らし出す。そして遠くの方から、何か重いものが下りているような低い物音が響いてきた。

 

(――――まさか、もう隔壁を降ろしたってのか!? 早すぎるだろ……!!)

 

 地下街を封鎖するまで本来ならあと5分以上はある。まだ避難中だった人間だっているはずだ。隔壁を降ろしてしまえば地上との出入りは完全に封鎖される。つまりこの時点で地下街にいる人間は、テロリストと共に地下街に閉じ込められたことになるのだ。

 

(学生がパニック起こしたらどうするつもりだよ……!)

 

 とりあえず事態の収拾にあたろうと勇斗が踵を返しかけたところで、唐突に声を掛けられた。

 

「あの、そこに超誰かいるんですか?」

 

「!?」

 

 突然の声に、驚いた勇斗はあたりをきょろきょろと見回す。すると通路に軒を連ねているレストランの中、暗闇の中から誰かが歩いてくる気配がした。すわ敵かと勇斗は身構えるが、どうにもその声色や薄暗い明かりに照らされるそのシルエットは、先程遭遇したゴスロリ女の物とは全く違っていた。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですか。……これは超都合がいいですね」

 

 そう言って、非常灯で照らされた通路に出てきたのは1人の少女だった。薄暗くてよく見えないが、髪の色は恐らく明るい栗色。髪型は……ボブカット、だったか。シンプルな薄青色の半袖シャツを着た、見かけ初春や白井と同い年くらいの美少女。

 

「実は体調を超崩しちゃった友人がいるんですよ。逃げようにも隔壁が閉じちゃってますし、ホントだったら私の能力であの程度の壁超チョチョイのチョイなんですが、今そんなことやったら超目を付けられますし。というわけで、助けてくれませんか?」

 

「……まあ、それはもちろんだけど。その友達はどこに?」

 

 まくし立てるような口調にちょっぴり圧倒されながらも、勇斗はそう言ってその少女に案内を頼んだ。こっちです、と先導する少女に連れられていったのはレストランの奥の休憩室だった。

 

「ここでお昼ご飯を食べていた時に友人が体調を超崩しまして。それでここの休憩室を借りてたんですが、いつの間にかみんな超逃げていたんですよ」

 

「親切なんだか不親切なんだか、はっきりしないなオイ」

 

「結論から言えばとんだ超迷惑ですかね」

 

 そんなことを言いつつ扉を開けて中に入ると、従業員の仮眠用の物と思しきベッドに1人の少女が横たわっていた。肩のところで切りそろえられた黒髪の、整った顔立ちの少女が布団にくるまれている。

 

「あ……きぬはた。どうだったの?」

 

「とりあえず風紀委員(ジャッジメント)の人超確保してきたんで何とかなるんじゃないですか? ……ね?」

 

 最後の『ね?』は勇斗に向けられたものだった。意地の悪そうな、しかし体調の芳しくない友人への心配を絶妙にミックスさせたそんな表情で、『きぬはた』と呼ばれた少女は勇斗をじっと見ている。

 

「暗に『何とかしろ』って言ってんだろそれ。まあ、なんとかなるとは思うけど」

 

 そう言うと、勇斗はポケットからスマートフォンタイプの携帯端末を取り出した。画面を操作して、後輩少女の電話番号を呼び出し、コールを掛ける。

 

『……もしもし。どうしたんですの?』

 

 数回のコール音の後、電話口から聞こえてきたのは白井黒子の声だ。……何やらその後ろの方から、聞き覚えのある声――具体的に言えばツンツン頭と銀髪シスターとビリビリ少女の声が聞こえてくる気がするが……。

 

「いや、地下街の隔壁が予想外に早く下りたせいで中に閉じ込められてる人間がいるんだよ」

 

 とりあえずそれらを無視して勇斗は用件を伝えていく。

 

「で、その中でちょっと体調が悪い人がいて、どうも自力避難が難しいんだ」

 

 そこまで言ったところで、地下街が再び大きく揺れた。心なしか、さっきまでの衝撃とは近い感じがする。

 

「……どうやら侵入者さんも近づいてきてるみたいだし、早いうちに避難させたい。ってことでテレポーターを召喚したいわけなんだが」

 

『わかりましたわ。今どこにいらっしゃいますの?』

 

「えっと……、ちょっと待ってくれ。すぐに位置コード送るよ」

 

『わかりました。それでは、確認したらすぐに参りますわ』

 

「よろしく頼む」

 

 そう言って勇斗は通話を切り、現在地をGPSで検索してそれを伝える位置コードを白井に転送してから、心配そうにこちらを見つめていた少女たちに向き直る。

 

「てことで、すぐにテレポーターが来てくれるはずだ。もうちょっと待ってもらっていいか?」

 

「なるほど……。これが他力本願ってやつなんですね」

 

「……適材適所と言ってもらおうか」

 

 突然の暴言に思わず苦笑いが浮かぶ。

 

「俺だってやろうと思えば隔壁くらいぶち抜けると思うけど、こんな状況(コードレッド)下でそんなことやろうと思わないよ。……まあ、状況はどうあれそんなことしたら始末書もんなんだけど。あれ書くのはめんどいんだよ……」

 

「へえ。ちなみにどんな能力なんですか? 私、超気になります」

 

「ま、AIM拡散力場干渉系と言っておこう」

 

「へ? そうなんですか? 隔壁ぶち抜けるとか言うからもっと超派手な感じの能力者だと思ったんですが。てことは滝壺さんと同系統なんですか。あれ、じゃあ滝壺さんも実は隔壁超ぶち抜いたりとかできるんですか?」

 

 そう言って、目の前の少女は『たきつぼ』と呼んだ少女を見やる。自分の名前を呼ばれたのに反応したようで、黒髪の少女はむくりと体を起こした。

 

「ううん、私にはそんなことできないよ。……あなた、もしかして、『御使降し(エンゼルフォール)』?」

 

「ぶっ!?」

 

「うわ、ちょ、いきなりなんなんですか? 超汚いですよ全く。てゆうかなんなんですか? 超図星とかですか? 実は2人は知り合いでしたとかそういうオチなんですか?」

 

「ううん。この人が誰なのかはわからないけど。でも私が知ってる限りの同系統能力で、隔壁をぶち抜けるような能力は、それしか知らない」

 

「へえ……。それにしても『天使(エンゼル)』ですか。この街に似合わないオカルトチックな名前してますね。何でなんですか?」

 

「……何だか外見が、天使っぽくなるからだったと思う」

 

 そう言うと、黒髪少女は『違う?』といった感じで頭を傾げた。

 

「……まあそんな感じだよ。大当たり」

 

 再び苦笑を浮かべて、そして勇斗は背に翼を出現させた。

 

 『御使降し(エンゼルフォール)』。夏休みに上条が遭遇したという『天使』を天界から現世に引きずり落とすという大魔術と『ほぼ』同名の能力。ちなみにほとんど関係はない。背中に翼を出現させた様子が天使を降ろしてきたようだと勇斗の能力の研究をしていた科学者が付けた名前だ。

 

「おー。超天使してますねこれ。超メルヘンです」

 

「まあな」

 

 一言そう言うと、勇斗は背中の翼を消した。

 

「……で、君の能力は? 俺も『私超気になります』状態なんだけど」

 

「えっと、AIM拡散力場を手掛かりに能力者を追跡できる、っていうやつ」

 

「……なるほど。能力追跡(AIMストーカー)か」

 

「うん。大当たり」

 

「おー。こっちも超正解しましたね」

 

「AIM干渉系統は、空間移動能力者(テレポーター)並に希少だから。研究とかの手伝いをしてると、よく同系統能力についての論文とかを読むんだけど、何回も同じ名前を見たりするから、覚えるよ」

 

「ま、そうだね。結構合同で研究したりとかもするからなあ」

 

「うん」

 

 そう言って、勇斗と黒髪の少女はうんうんと頷き合う。

 

 と、そこで。

 

「勇斗先輩、ここにおりますの?」

 

 レストランの外からツインテール少女の声が聞こえてきた。

 

「お、到着したみたいだな。こっちだこっち」

 

「やっと到着ですか。超遅いですね」

 

「まだ、5分とかかっていないけど」

 

 3人が思い思いの言葉を口走るなか、声を頼りにして白井が部屋に入ってきた。

 

「お疲れ様ですわ勇斗先輩。ご無事で何よりですわ。で、救助待ちなのはこちらのお2人ですか?」

 

「そ。ベッドに座ってる黒い髪の子の方が体調が悪いみたいだから、外に出たらあの医者のいる病院に運んであげてくれ。その横の子に付き添ってもらう感じで」

 

「わかりましたわ。……それではここから脱出しますが、準備はよろしいですか?」

 

「うん。だいじょうぶ」

 

「はい。超よろしくお願いします」

 

 その言葉を聞いて頷いた白井が、2人のもとに近づいていく。

 

「私の能力は自分と触れている物体を飛ばしますので、手の届く範囲にお願いいたしますわ」

 

「わかりました……てあれ、てことは、えっと、勇斗さんは脱出しないんですか?」

 

「? 何で名前……って、そうか、今白井が俺の名前呼んだからか」

 

 ここで再び地下街が揺れた。静かになっていた地下街に、何か怒号のような音が響きだす。やはりテロリストが徐々に近づいてきているのだ。それをわかったうえで聞いているのだろう、栗色の髪の少女の声には少し硬さのようなものが聞き取れた。

 

「白井の空間移動(テレポート)の定員は本人抜いて2人だからな。それは仕方ないよ」

 

「私大能力者(レベル4)ですし、能力の都合で接近戦には超強いですから私が残りますよ?」

 

「いや、女の子1人残して逃げられるほど落ちぶれたつもりはないからね。俺だって隔壁ぶち抜くことくらいできるんだし、何とかなるさ。安心して、っとー、絹旗さん、も滝壺さんと一緒に脱出しなよ」

 

「……そう言うなら、お言葉に超甘えさせていただきますね」

 

「うむうむ」

 

「……それではお先に失礼させていただきます。勇斗先輩もお気をつけて」

 

「おう。よろしくな白井」

 

 その勇斗の言葉に頷いて、白井は2人と共に地下街から姿を消した。静寂が唐突に訪れ、しかし衝撃と怒号がその静寂をあっさりと破る。

 

「さーて……、それじゃあ行きますかっ」

 

 上条の事を巻き込まれ体質と評したが大概にして自分もそうなのではなかろうか。まあここまで来たら放ってはおけないだろう。さっきの感じだと、侵入者はあっさり人を殺しかねない。そんなことをぼんやりと考えつつ、つとめて明るい声をだし、勇斗は更に奥の方、衝撃と怒号、おまけに銃声まで聞こえてくる方へ、足を進めていった。

 



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ep.4 9月1日-4

遅くなりました!
バイトその他が立て込んでおりまして、以降も亀更新になるかと思います。
生暖かく見守っていただければ幸いでございます!


薄暗闇に包まれた地下通路。通路と通路が直交する部分の、少し広めにとられたスペースに、その女は立っていた。

「また会ったわね少年。とりあえずは、歓迎しましょうか」

 

 通路の天井まで達する程の大きさのゴーレムを背に従えて、持っているオイルパステルを弄びながら暗い笑みを浮かべている。その姿にうすら寒いものを感じつつ、勇斗は女に対峙した。

 

「……警備員(アンチスキル)はどうした。さっきまでは随分派手にドンパチやってたみたいじゃないか。よく逃げ切れたもんだな」

 

 女の第一声を無視して勇斗は言葉をぶつける。その勇斗の様子が本当に本当におかしいものであるかのように、女はゆっくりと口角を上げて、そしてこう言った。

 

「くふ。アンチスキルっていうのはあれかしら、あのぶくぶくした装備で武装して、私を見るや否やに銃で撃ってきた野蛮な連中かしら? ……うふふ、意外と衝撃吸収率の高い装備を支給されているのね。普通だったら五体がバラバラになってもおかしくないくらいなのにね。うふふ」

 

 その言葉に、ピタリ、と勇斗は一瞬動きを止めた。何が起こったのか、目の前の女が何をしたのか、容易に想像がついたからだ。舌打ちをして、勇斗は目の前の女を睨み付ける。駅前の広場で目の前の女を逃してしまったのは失敗だったのだ。あそこでどうにかしてでも止めておくべきだった。

 

「……何だシケたツラしやがって。安心しろよ、まだ誰も死んじゃいない。……こっから先どうなるかは知らねえけどな!」

 

 思考が表情に現れていたのだろう。そう叫んで、女は手に持ったオイルパステルを振るった。その動きに操られるようにゴーレムが動き、振り上げられた腕が地を思い切り殴りつける。轟音と共に強烈な振動が地下街に走り、その衝撃が勇斗の足にも襲い掛かった。思い切り叩かれたようなその振動で、勇斗の体がこらえ切れずに大きくよろめく。

 

「テメェも無様に転がって、這いつくばれよ!」

 

殺意が唐突に膨れ上がる。傾く視界のその片隅で、振動の影響など何一つ受けていないかのように平然と立っている女が再びオイルパステルを振るい、ゴーレムの腕が振り上げられるのが見えた。

 

「っ、くそがっ!!」

 

 言葉と共に勇斗の背中から翼が飛び出し、同時に彼の目の前の地面が炸裂した。目の前の女が何かをしたという訳では無い。勇斗が自らの能力で収束させたAIM拡散力場を地面に打ち出し、その反動を利用して後ろに飛んだのだ。一瞬前まで勇斗がいた場所に巨大な腕が叩き付けられ、再び地下街に衝撃が響き渡る。舌打ちをする女を視界に捉えつつ、宙返りして翼を操り、体制を整えて勇斗は壁に『着地』する。

 

「お返しだこの野郎!」

 

 再び能力でAIM拡散力場を操り、手繰り寄せ、収束して、女とゴーレム目がけて打ち放つ。不可視の力の渦が、巻き上がる砂ぼこりを巻き込んで女とゴーレムに殺到する。ゴーレムを破壊できればベスト。それが叶わなくとも、術者であるゴスロリ女の意識さえ奪ってしまえばその支配下にあるゴーレムだって使い物にならなくなるだろう。7月の末に戦ったあの炎の魔術師とその男が使ったあの魔術のように。

 

 しかし――――。

 

 ギィン!! という甲高い音をあげてAIM拡散力場が女とゴーレムに衝突する。明らかにおかしい。普通ならこんな甲高い金属質な音など響くはずがないのだ。その異常さを端的に示すかのように、最低限人体にある程度のダメージを与えるような調整を施したはずのAIM拡散力場の衝突が引き起こしたのは、ゴーレムをわずかにのけ反らせそして女の顔をしかめさせる程度の、たったそれだけの現象だった。

 

「なん……だ……?」

 

 想像をはるかに下回る結果に目を剥く勇斗。と、そこで目の前の女が引き裂くような笑みを浮かべつつ、嘲るような調子で言った。

 

「ああ、わりーわりー。お前の『それ』な、どうも天使の力(テレズマ)に似てるからよ。ま、厳密には違うんだろうが、一応対抗術式を組ませてもらった。……効果は抜群みたいじゃねーか? なあ?」

 

 笑いながら女は再びオイルパステルを振るう。その動きに合わせてゴーレムが腕を前に突きだし、突如その腕が膨張したかと思うと次の瞬間には爆発していた。幾百もの鋭利な切片が勇斗目がけて飛来する。

 

「っ、なめんなっ!!」

 

 叫んで、勇斗は手繰ったAIM拡散力場を今度は面状に固定して撃ち放った。擬似的な『壁』となったAIM拡散力場と石片が衝突し、轟音と共に粉々になった石片が辺りに撒き散らされる。

 

「おいおい、それしか能が無えのか能力者よ! ただの大砲ごっこじゃ埒が明かねえぞ!」

 

「……うるせー魔術師。少し黙ってろ」

 

 巻き上げられた埃や石片がバラバラと地面に落ち、晴れていく視界の向こう側、冷やかな笑いを浮かべたゴスロリ女を睨みつけながら、勇斗は言った。

 

「……『魔術師』ねえ。そんな他人行儀な呼ばれ方も嫌いじゃねえけど、冥土の土産に名乗っておいてやるよ能力者。私はイギリス清教、必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔術師、シェリー=クロムウェルよ」

 

 と、その女の、シェリー=クロムウェルの言葉に勇斗は驚愕した。

 

「……イギリス清教の必要悪の教会(ネセサリウス)? インデックスの同僚か?」

 

 イギリス清教、必要悪の教会(ネセサリウス)。それはインデックスや土御門、そしてステイル=マグヌスや神裂火織などの魔術師が所属する集団だ。彼らの言によれば、彼らは魔術組織でありながら学園都市と協力関係にある。その組織の一員が、協力関係にある学園都市を襲撃したというのか。

 

「ああ、確かに。禁書目録は私たち(ネセサリウス)の一員ね。あなた、そんなことまで知っているのね。今回の私の襲撃対象の1人でもあるんだけれど」

 

「……は?」

 

 まったくもって意味が分からなかった。シェリー=クロムウェルのその言葉は、勇斗の理解のはるか斜め上を行っている。

 

「お前……何のためにそんな……」

 

「ふん。言ってもわからないでしょうし、言うつもりもないわね。まあ1つだけ教えてあげるとすれば……」

 

 シェリー=クロムウェルはオイルパステルを手の中で弄びつつ、いっそ優雅とすら思えるような笑みを浮かべる。

 

「……科学と魔術の、戦争を起こすための火種がほしいのよ、ね、エリスッ!」

 

 その叫びと共に、再びオイルパステルを振りぬく。連動して動いたゴーレムの腕が、驚愕と困惑で初動の遅れた勇斗に迫る。

 

「そのためなら禁書目録だろうが幻想殺し(イマジンブレイカー)が虚数学区のカギだろうが、……別にお前だろうが、誰をぶっ殺そうが変わらねえんだよ!!」

 

 ドガッ!! という轟音が響き渡り、巨重の腕が勇斗を思い切り打ち据えた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……とりあえず1人目か。さて、あと何人殺してやろうか」

 

 再び静けさを取り戻した地下街で、シェリー=クロムウェルは静かに呟いた。ちょろちょろと目障りだったあの天使のような翼を持った能力者は葬った。アンチスキルとかいうあのぶくぶくした武装の集団ならいざ知らず、生身でゴーレム(エリス)の一撃をくらえば後に残るのはバラバラの肉片だけだ。しかもこのゴーレム(エリス)はその肉片すら自らの体に取り込む。もはやさっきまで目前に立っていた能力者は、肉片すら残さず消え去っているだろう。

 

「……とりあえず、次に狙うなら幻想殺し(イマジンブレイカー)虚数学区のカギ(カザキリヒョウカ)か。確かあっちにいたはずだな。行くぞエリス」

 

 次の標的を頭に思い浮かべ、シェリー=クロムウェルはゴーレム(エリス)に指示を出す。

 

 ――――しかし、目前で佇むゴーレム(エリス)はその言葉にも全くの反応を返さない。腕を伸ばしきったという不自然な格好で動きを止めている。

 

「……? どうしたエリス? なぜ動かない!?」

 

 シェリー=クロムウェルは叫ぶが、それでもゴーレム(エリス)は動かない。それどころか、ピシピシという細い音と共に腕にひびが入り、ボロボロと崩れていく。

 

「なんだ……? エリス! どうした!?」

 

「……よう、やっと見つけたぞ魔術師」

 

 先ほどまで相対していた能力者とはまた違う人間の声がした。その声は、ゴーレム(エリス)の腕の向こう側から聞こえてくる。

 

「よくもここまで好き勝手暴れてくれたな」

 

 ゴーレム(エリス)の体の崩壊が加速し、その向こう側、声の主の姿が明らかになってきた。その少年は右手のひらを開き、ゴーレム(エリス)の拳から天使の姿の能力者を庇うように立っている。

 

 ――――受け止めたというのか、ゴーレム(エリス)の巨大な拳の一撃を。素手で、その右手1本で。

 

「ここで止めさせてもらうぞ」

 

「……幻想殺し(イマジンブレイカー)!!」

 

 シェリー=クロムウェルの前に現れたのは、彼女の標的の1人、上条当麻だった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……大丈夫か勇斗」

 

「ああ。……まさしく間一髪だったけどな」

 

 背を向けて立つ上条の言葉に、深く息を吐いて勇斗は答えた。

 

「……これが、幻想殺し(イマジンブレイカー)。……ふうん、自分の目で見るまで信じられなかったけど、その力は伊達じゃないのね」

 

2人の前で、呆然自失としていたシェリー=クロムウェルが再び動き出した。凶悪な笑みを取り戻すと、未だ手に持っているオイルパステルを振るい、空中に怪しげな紋様を描き出していく。

 

「――――泥より出でし神の木偶人形は、泥に還り、再び泥より生まれ来る!」

 

 そんな声が地下通路に響き渡り、ひびが入り半ば崩れかけていたゴーレムが急速にその体を取り戻していく。

 

「ちょうどいい。『人工天使』も幻想殺し(イマジンブレイカー)も、ここでまとめてぶっ殺してやる」

 

 言って、シェリー=クロムウェルは思い切りオイルパステルを振り回した。その動きに連動してゴーレムが大きく地を踏みつける。再び強烈な震動が地下街に走り、勇斗と上条の体勢をかき乱した。そして第2撃。足に叩き付けられた強烈な衝撃が、2人の体を地面に転がした。

 

「良い様だ。そのまま這いつくばってろ負け犬ども」

 

 やはり揺れの影響を全く受けておらず、2人を見下すように立つシェリー=クロムウェルは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。一体どんな技術――――いや、異能の力か。この空間から切り離されてでもいるように、彼女だけは揺れのダメージから完全に逃れていた。

 

「――――我が名はイギリス清教、必要悪の教会(ネセサリウス)、シェリー=クロムウェル。お前らには、私の目的のための捨て駒になってもらう!」

 

優雅に、嘲笑を浮かべて。

 

シェリー=クロムウェルはオイルパステルをくるりと回す。

 

その動きに引かれ、ゴーレムが地を踏みしめて、その拳を振り上げる。その巨大な一撃に対抗する力を持っている上条は、しかし勇斗と共に地面に転がったままだ。

 

「2人まとめて、トマトみてぇに潰されな」

 

 のた打ち回る2人に、巨大な腕が振り下ろされる。

 

 



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ep.5 9月1日-5

巨大なゴーレムの腕が落下するように勇斗と上条のもとに降り注ぐ。

 

 ――――降り注ごうと、して。

 

「やめてっ! その人達から離れてッ!」

 

 不意の叫び声が地下街に響き渡る。勇斗も上条も、その2人を殺そうとしていたシェリーでさえ、動きを止めて声のした方を見つめた。ここまで走ってきたのだろう、そこにいたのは荒く肩で息をし、メガネがずり下がり、泣きそうな表情を浮かべている少女。――――風斬氷華だった。

 

「ッ!今だ当麻!」

 

「! おう!」

 

 術者(シェリー)の動揺でゴーレムの動きが止まった隙に、勇斗と上条は跳ね起きて、後退して距離を取る。しかしそれを見てもシェリーは2人を追おうとはしない。むしろこれまで以上にニタリと笑みを深め、そして言う。

 

「……まさか幻想殺し(イマジンブレイカー)だけでは飽き足らず虚数学区のカギまで自分から頭突っ込んでくるとはな。そうか。これが所謂『たなぼた』か。お前にとっても、そして私にとっても」

 

 クツクツ、と笑いながら、シェリーは勇斗を見据えた。

 

「幸運は続くもんだな『人工天使』。お前にとっては援軍で、俺からすれば襲撃対象が大集合って訳だ。まあ、この場合は――――『飛んで火に入る夏の虫』の方がいいかねえ!」

 

 そんなシェリーと、対峙する勇斗から目を離さないように眺めながら、上条は風斬に問いかける。

 

「……何で白井を待ってなかったんだ?」

 

「……あなた達だけに任せて逃げるのが、どうしても許せなくって。もしかして、何か手伝えることがあるかもしれないって。そう思って……」

 

 弱気な表情を浮かべてはいるが、目はしっかりした光を浮かべている。どうやらこの少女は、本気で上条と、そして勇斗の身を案じていてくれたらしい。

 

「……色々言いたいことはあるけど、助かったよ風斬。ありがとう」

 

「……どういたしまして」

 

 そう言って風斬は弱く微笑む。だが緊張感からか、その微笑みもすぐにこわばった表情に変わった。――――と、そこで、

 

「来るぞっ!」

 

 勇斗の叫びが地下街に木霊する。同時に何度目かの、尋常ではない衝撃。地下街を蹂躙したソレが、上条と風斬の脚に襲い掛かった。

 

「きゃあっ!?」「ぐっ!?」

 

 悲鳴や、呻き声をあげて倒れ込む2人。しかしその目の前で、白い翼が視界を切り裂いた。空を掻き乱す翼をはためかせ、勇斗の体が宙に浮いている。

 

「そう何度も同じ手を食うと思ってんのかよ!」

 

 一瞬の間をおいて甲高い金属音が響き渡った。ビリビリという衝撃が上条と風斬の頬を叩く。上条は勇斗が能力でシェリーを攻撃したのだろうと判断した。学園都市に満ちるAIM拡散力場を操り、大砲のように射出する攻撃だ。

 

「ハッ……! そっくりそのまま返してやるよ! お前のその攻撃は私には通用しねえぞ!」

 

「……その減らず口を閉じさせてやる!」

 

 直後、二度三度と連続した金属音。防げてはいるとはいえ、突然の出来事にシェリーはとっさに身を守るように顔の前で腕を交差させる。させてしまう。その一瞬の隙をついて、勇斗は立ちふさがるゴーレムに接敵した。右手を伸ばし、動きを止めているゴーレムに触れる。そして、

 

「多少防御してようが、零距離なら問題ねーよと相場は決まってるんでね!」

 

 ドンッ!!という轟音と共に、ゴーレムが宙を舞った。

 

「……は?」

 

 そんなゴーレムの後ろで、シェリーは呆然としたような表情を浮かべた。

 

勇斗が手を触れていた部分は粉々に砕け散り、真っ二つに割れたままゴーレムは後方に飛んで行く。その鋭利な破片はシェリーにも襲い掛かり、全ての破片が地面に散らばったころには彼女の服はズタズタに裂け、薄い切り傷がいくつも浮かんでいる有様だった。

 

「……まさかここまでやってくれるなんてね」

 

 静寂が戻ったころ、やけにおとなしい調子で、シェリーはそう呟いた。

 

「まさか防御術式の上からエリスを破壊されるなんて思わなかったわ」

 

 そう言いながら、右手に持った白いオイルパステルを、再び振るおうとする。――――が、

 

「させると思うか?」

 

 掲げられたオイルパステルが、粉々に砕けながらシェリーの手から弾き飛ばされた。

 

「次に何かをしようっていうのならその瞬間に攻撃する。容赦は無いと思ってくれて差し支えない」

 

 底冷えのするような声で勇斗は言った。これでチェックメイト。後は捕縛して、じっくりと事情聴取でもすればいい。土御門とインデックスと上条を交えて。本来なら風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)が魔術師に対して関与するのは『協定』違反なのだろうが、今回に限っては正当防衛だろう。その辺のこまごまとした調整は土御門(エージェント兼多重スパイ)に任せればいい。そう考えて、勇斗が近づいていく。

 

「……あらあら、これでもうお手上げね。どうしようかしら」

 

 そんな勇斗を見つめつつ、やはり目の前の女はやけにおとなしく、平坦な声でしゃべっている。

 

「もう打つ手無しね。おとなしく捕まろうかしら」

 

 その怪しい様子に警戒はしつつも、シェリーの手にオイルパステルはもう無い。余計なことを始める前にさっさとケリをつけようと足早に近づいていって、

 

「――――なんて言うかと思ったかよ、クソガキ」

 

 グチャリと、引き裂いたような笑み。

 

「――――ッ!」

 

 それを認識した勇斗が警戒に体を強張らせるが、

 

ゴン! という、意識を揺さぶる一撃が勇斗に襲い掛かった。正常に働いていた思考に、突如痛みというノイズが走った。何かドロッとした液体が頭から顔に垂れてくる。

 

「な、ぐっ!?」

 

 頭から出血している。その事実を認識した時には、勇斗の体は既に傾いていた。

 

「魔術師からたった1本武器を奪ったくらいで、どうにかなると思ってんのか? 甘すぎるんだよ能力者。 保険くらい掛けとくに決まってんだろ」

 

 そう言って、目の前の金髪の女はつま先でトントンと地面を叩いた。それだけの動作で地面に複雑怪奇な紋様が現れる。

 

 しかしそれを目で捉えるや否や、勇斗の体全体に衝撃が襲い掛かった。その衝撃の正体はゴーレム(エリス)の残骸の石片。全身を痛みが襲い、今度は勇斗の体が後方に吹っ飛ばされる。

 

「っ、勇斗!」

 

 吹っ飛ばされ、自分たちの所まで転がってきた勇斗のもとに上条が駆け寄る。と、そこでシェリーは、

 

「お前が一番厄介だ、幻想殺し(イマジンブレイカー)。死んどけ」

 

 ぞんざいに呟き、踊るようにつま先で地面を叩いた。

 

 ひゅっ、と、静かに、それでいて猛スピードで、いくつもの鋭利な切片が上条目がけて飛んでくる。

 

(な……!? くそ、よけきれねえ!)

 

 右手を使えば石片の勢いを消すことは可能かもしれない。しかし、それで防げるのはたかが1つの石片のみ。矢のようなスピードで、多数飛来する石片を防ぎきれるはずがない。ならばせめて、自分の後ろにいる少女にだけは攻撃が届かないようにと上条が悲壮な決意を固めたところで、

 

 トン、と。突然後ろから押された。

 

「な、え?」

 

 とっさの事で全く反応できなかった上条は、無抵抗に地面に転んでしまう。そんな上条の頭の上を石片が通り過ぎていく。恐ろしいまでの風切り音。その直後。ほとんど間を開けることなく。肉を潰す恐ろしい音と、声にならない小さな悲鳴、そして、何かが地面に倒れるような音が連続した。

 

 思考に空白が生まれたのは一瞬だった。今の一連の出来事が何を意味しているのか瞬時に判断した上条は跳ね起きて後ろを振り返り――――

 

 目前の光景に言葉を失った。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 とっさに能力で『壁』を作り致命傷は免れた勇斗も、その光景を目撃していた。それは常軌を逸した光景だった。

 

 倒れた風斬の周りには肌色の何かが飛び散っていた。メガネのフレームも千切れて吹き飛んでいる。頭蓋骨の形が変わってしまっているかのような、そんな頭部の破壊が見える。頭部だけではない。右腕は肘から先が消失している。腹部には石片が貫通したのか、大きな風穴が開いていた。

 

 誰が見てもわかる、紛れもない致命傷。

 

「か、ざ―――きり?」

 

呆然と、ポツリと、上条は倒れる少女の名前を呼んだ。あまりの驚愕に、シェリーも言葉を失っている。それは少女の傷のひどさにではない。確かに風斬の傷はひどいが、しかしそれが気にならなくなるぐらいの、『異常』。

 

破壊された頭部の中身、切断された肘の断面、腹部に開いた穴の内側。そこにあったのはただの空洞(・・・・・)だった。――――とどのつまり、風斬の体の内側には何も無かった(・・・・・・)

 

傷口からは一滴の血も流れてくることはない。そこからちらりとのぞく皮膚の裏側はまるでプラスチック。超精密な3Dモデルがこの世界に具現化したかのような、そんな印象。

 

空洞となった頭部の中心では、奇妙な肌色の三角柱が蠢いている。側面にあるのは、――――超小型ではあるが、キーボードのようにも見える。カチャカチャと音を立て、ひとりでにキー(のようなもの)が動いていた。

 

「う……」

 

 そこで、風斬がうめき声をあげて意識を取り戻す。それに呼応するように、キーの動きが速さを増していく。

 

 ぼんやりとした表情のまま、風斬は上体を起こした。そして片方しか残されていない目で近くにいた上条の顔を捉えて、

 

「……めがね。は、どこ……?」

 

 と呟く。そしてメガネをかけていた辺りを指で触れようとして腕を上げた。――――右腕を。

 

 そこで、気付いたらしい。気付いてしまったらしい。自分の体に起こっている異変を。その異常を。

 

「な、に……これ?」

 

風斬の声が、表情が、どんどんと焦りと不安の色に支配されていく。

 

「い、や……! …な、に……これ!? いや、ぁ!!」

 

髪を振り乱して思い切り叫ぶ。上条が、勇斗が、そしてシェリーまでも、息が詰まったような表情でその様子を見つめていた。

 

そしてそのまま風斬は立ち上がり、無茶苦茶に走り出す。ぼろぼろな細い体を引きずりながら、絶叫をあげながら、地下通路の奥のほうへ、先の見えない闇の中へと。

 

「……神が作りし木偶人形。生まれ変わってまた私に使い潰されな。――――エリス」

 

 その姿が闇の中に溶けていってしばらく、真っ先に動揺から回復したシェリーが動き出した。

 

その詠唱に呼応して、周囲いたるところに散らばっていた石片が再び一か所に集まっていく。そしてどこからともなく取り出したオイルパステルで、集まった石塊をコツン、と叩く。その動作で、バラバラだった石片に再びゴーレム(エリス)が宿る。

 

「……追うぞエリス。無様な獲物の、狩りの時間よ」

 

そう言って、シェリー=クロムウェルはゴーレムを引き連れ、風斬を追って闇の中に消えて行った。

 

しかし、勇斗と上条は、まだ動くことができずにいた。

 

目撃した光景が、あまりにも鮮烈に、脳裏に焼きついてしまっていた。

 

 



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ep.6 9月1日-6

 錆びついた歯車のようだった思考がようやく動き出す。勇斗と上条は闇の中に消えて行った風斬やシェリーの後を追って地下通路の奥へ走り出していた。

 

「……さっきの風斬のアレ、何だったんだ?」

 

 走りながら、勇斗はポツリとつぶやいていた。数多くの能力者が暮らしている学園都市の中でも希少な部類に属するAIM拡散力場干渉系の大能力者(レベル4)として、そして『置き去り(チャイルドエラー)』として、様々な実験に参加し学園都市の『深部』を目にしてきたこともある勇斗でも、先程のような光景は目にしたことが無い。

 

「風斬の能力、とも思ったけど。あいつ自身、あの光景を初めて見たって感じだったし。それこそあの瞬間まさにその時に、初めてアレを見せられてパニックを起こしたみたいな」

 

 驚愕が一線を越えて、勇斗の声は逆に落ち着いた、平坦なものになっていた。

 

「能力か……。……! そう言えば、昼学校出る前に、小萌先生と姫神が風斬についていろいろ言ってた気がする」

 

 その勇斗の呟きに反応した上条が、思い出したように携帯電話を取り出した。

 

「小萌先生か……。確かにあの人は研究者でもあるし、何か知ってることがあるかもしれないな。姫神は……そうか。あの『三沢塾』の時の女の子か。確かアイツは転校前は風斬と同じ霧ヶ丘の生徒だったから、そっちも何か知ってるかもな」

 

「ああ。とりあえず小萌先生に電話してみる」

 

 2人は立ち止まり、そして上条は携帯電話を操作する。近くに通信用のアンテナがあるのか、電波状況に関しては問題ない。

 

コール音は2回。すぐに実年齢にはそぐわない幼い少女の声がスピーカーから聞こえてくる。

 

『あっ、上条ちゃんですか!? ようやく繋がったのですよー。今までどこにいたんですかー? もしかしてどっかの地下にいたりするんです?』

 

「あ、はい。今地下街で勇斗と一緒にいます。……ってか先生、俺の事捜してたんですか?」

 

『そうなのですよー。というか勇斗ちゃんも一緒にいるんですか? 風紀委員(ジャッジメント)の仕事で公欠だった勇斗ちゃんと上条ちゃんが何で一緒にいるような事態になっているのか詳しく聞きたいところではあるんですが、『専門家』がいるなら話は早いのです。上条ちゃん。勇斗ちゃんにもせんせーの声が聞こえるようにしてもらってもいいですかー?』

 

 突然の流れるような指示に、つい風斬の事も言い出せず、言われた通りにする上条。

 

『大事な話なのでよく聞いてほしいのです。カザキリヒョウカさんの事なのです』

 

 電話口から聞こえてきた名前に、勇斗と上条は思わず顔を見合わせる。

 

「……小萌先生。上条が先生に電話したのも、実は彼女の件なんです」

 

『そうだったんですかー? ならもしかするとこれからする話はその件を解決する何らかの糸口になるかもしれませんねー』

 

 そう言うと、わずかに咳払いをしてから小萌先生は話し出した。

 

 そこで小萌先生の口から語られたのは、衝撃的な仮説だった。

 

 曰く、『風斬氷華は、AIM拡散力場の集合体である』と。

 

 曰く、『風斬氷華は、人間ではなく物理現象の一種である』と。

 

 言葉を失う2人。しかしそんな2人に向けて、小萌先生はこうも言った。

 

『確かに風斬氷華は人間ではなく、幻想のような儚い存在だ。しかし、もしそうだったとして、彼女を見捨ててしまってもいいのか? そんな軽い存在だったのか?』と。

 

 その一言一言が、上条の、そして勇斗の胸に突き刺さる。今日という1日を彼女と共に過ごしていた上条も、ほとんどそのついでのように少ししか話をしていない勇斗も、迷いなく『それは違う』と断言できた。

 

 彼女は『友達』を守ろうと、危険で薄暗い地下通路を進み、戦場にまでやってきた。そんな、危険を顧みずに他人を思いやるその心は、下手な人間よりもよっぽど人間らしい。そんな彼女を、見殺しにすることなどあってたまるか。

 

『それでよいのですよー。まっすぐに育ってくれる子羊ちゃんはいつでも導いてあげるのです』

 

 そんな決断を下した2人に、優しい笑い声が掛けられた。

 

『うふふ。くれぐれも「大事なお友達」を大切にしてくださいねー』

 

 そう言い残して、通話が切れる。

 

 しばらく静寂が続き、そしてどちらともなく顔を上げ、互いに頷き合う。

 

 そして2人は再び走り出した。

 

 風斬とシェリーが消えて行った、深い闇の奥へと。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

風斬氷華は地下街の床に力なく倒れ込んでしまっていた。ついにさっき上条を庇って負った傷――――頭部の破壊、右腕肘下の切断、腹部の貫通創、はすべて消えている。明らかに致命傷だったのに、跡形もなく消えてしまっていた。

 

ついさっきまで彼女を襲っていたひしゃげた左腕と左脇腹から広がる痛みも、いつの間にか消えてしまっている。

 

そうだ。確かに痛みとそれをもたらした金髪女とゴーレムに対する恐怖は存在する。しかしそれ以上に、致命傷すら治癒して――――いや、『復元』してしまう自分自身の存在が、例えようもないほどに彼女の心を切り裂いていた。目の前で、ぐずぐず、ぐじゅり、と音を立てて、波打ちながら再生していく自らの体。それだけではない。壊れたメガネや、破れた制服に至るまで、再生してしまう。

 

『自分は人間だ』と思っていたのに。自分の体はそんな幻想を完膚なきまでに打ち壊してくれた。自分の体の中は空っぽだ。自分の正体は普通じゃない、何か得体のしれない異常な存在だ。そう。いくら壊れても再生する、あのゴーレムと言う『化け物』と同質の『化け物』。

 

「あなたみたいな化け物を受け入れてくれる場所なんて、テメェの居場所なんて、どこにもないんだよ」

 

 薄ら笑いを浮かべて、風斬を見下ろすように女と『化け物』が立っている。その女の言葉が、風斬に追い打ちをかける。

 

ボロボロになってしまった心が、勝手に思考を始める。止めようと思ってもそれは止まらない。思い浮かべるのは、自分にとっての最初の『ともだち』。インデックス。もっと一緒に遊びたかった。もっと一緒に話したかった。もっと一緒に居たかった。もっと一緒に笑っていたかった。

 

ぼんやりと金髪女とゴーレムを映す目が、振り上げられていく巨大な石腕を捉える。しかしそれも、すぐに涙でぼやけてしまった。

 

――――死にたくはない。

 

――――それでも、『ともだち』にこんな醜い姿を見せずに済むのなら、ここで死ぬのもありなのかもしれない。

 

そんなことを考える風斬の体は動かない。動こうと、しない。両目をきつく閉じて、その瞬間を待つ。一筋の涙が、頬を伝って零れていった。

 

「――――死ね。化け物」

 

 死刑宣告の言葉と共に、ヒュッという空気を切る音が降りかかってくる。これから襲い来るだろう言葉にできないほどの激痛を予想する。

 

 ――――しかし、いつまで待っても激痛は訪れなかった。音すら消えたようで、いや、何か足音のようなか細い音が聞こえてきたような気もする。

 

 恐怖よりも疑問が先行し、風斬は恐る恐る目を開けて、何が起こったのかを確認した。

 

涙で滲む視界の向こう、ゴーレムの動きが不自然に停止していた。まさに、自分の体を押し潰してしまうようなところで、だ。

 

そして、目の前の石像に何が起こったのか、じっくりと確かめる間もなく、轟音と共にゴーレムの巨体が吹き飛ばされた。

 

ついさっき、体感ではもうずっと昔の事だったかのように感じてしまうが、似たような光景を見た気がする。粉々になった巨体が雪崩のようにシェリーのもとに殺到する、そんな光景。

 

遠くの方で、風斬を極限まで追い詰めた女の怒号が響いた。

 

前を見る。風斬を庇うように、2人の少年が立っている。この少年たちには、見覚えがあるような気がする。しかし、そんなことないと、頭は全力で叫んでいた。この人たちの前で、自分は『化け物』としての『化けの皮』を剥がされてしまったのだから。この人たちはもう、自分が『化け物』だと知っているから。まともな人間なら、そんな自分を追いかけてきたりなどしないはずなのだから。

 

「……間に合ったぞ」

 

しかし聞こえてきたその声は、聞き覚えのあるものだった。肩を震わせ鼻をすすって、涙を拭う。晴れた視界のその先に、やはりというか、見覚えのある少年たちがいた。

 

緑の腕章をつけた少年が、瓦礫に埋もれる金髪の女を厳しく睨み付けていた。ゴーレムを吹き飛ばしたのは、風斬自身の体を引きずりかねない程の強制力でAIM拡散力場に干渉しそれ放ったのは、この少年のはずだ。

 

その隣に立つ少年は、逆に風斬の方をじっと見つめていた。へたり込んでしまっていた風斬に『左手』を伸ばしている。

 

「もう大丈夫だ。後は俺たちがどうにかしてやる」

 

 頼もしく伸ばされたその手が、風斬の手を優しくつかんだ。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 3人の前方。シェリー=クロムウェルは俯いたまま肩を震わせて笑っていた。そのまま白いオイルパステルで壁に何かを書き殴る。それに応じるように彼女の周囲に散らばる瓦礫が浮かび上がる。更にそれだけでなく、周囲の壁面すら取り込んでゴーレムの体が再生していく。先程よりも巨大となった石像が、急速に体を取り戻していった。

 

「くっ、はは。あはははは!とんだ笑い話なおい。喜べよ『化け物』! お前のあんな醜い姿を見ても守ってくれるような悪趣味な人間もいるみたいだからな!」

 

 そう言って、壊れたように笑うシェリー。

 

「どうして、……」

 

 ここに来てくれたのか。弱々しい声で、風斬は問う。こんな化け物のような自分を、一体どうしてかばってくれるというのだろう。

 

「……どう、して……?」

 

 痛々しい声で、心から不思議そうに、繰り返し風斬は問いかけた。

 

「ばかばかしい。そんなの決まってんだろ」

 

 上条はその問いに悩むことなく答える。

 

「お前が俺を、俺らの事を本当はどう思ってるかはわからない。けど俺は、俺らは、お前の事を友達だと思ってる。それに、インデックスだってそうだ。お前を守る理由は、それさえあれば十分だよ」

 

 上条の言葉に勇斗も頷いて肯定の意を示す。一瞬たりとも悩むことなく。

 

「お前が人間だろうがそうで無かろうが、そんなことは何の問題にもなりはしない。そんなことはどうだっていいんだ」

 

 風斬と、彼女を嘲笑ったシェリーに言い聞かせるように、上条の言葉は紡がれていく。

 

「立ち上がろう、風斬。もしきついんなら、いつでも俺が引っ張ってやる。だから前見て胸張って、立ち向かおう」

 

 その言葉を聞いて、風斬は顔を上げる。弱々しく痛々しかった彼女の表情に、少しずつ力が戻ってくる。永劫続く暗闇に、一筋の光が差し込んできたような、そんな感覚。

 

「エリス―――」

 

石像の陰で、シェリーの顔から表情が消えていた。上条の言葉に何も感じなかったのか、それとも何かを悟られないようにあえてそんな『表情』を浮かべているのか。

 

「―――1人残らずぶち殺すぞ」

 

 そこまでを読み取ることはできない。しかし無表情のまま、シェリーはオイルパステルを振り下ろしていた。術者のその動きに連動し、ゴーレムがその巨大な腕を床目がけて振り下ろす。地面に足をつけて立っている人間を全て一度に無力化する、あの攻撃だ。

 

 しかしその腕が地面に届く前に、破砕音と共にその動きが停止する。勇斗が打ち出したAIM拡散力場が打ち下ろされるゴーレムの腕を抑えつけ、拮抗している。間をおかず、白い光が地下街に瞬く。勇斗の背中から白い翼が飛び出した。――――と、そこで勇斗は気付く。さっき頭に負った怪我の影響が残っているのか、()()()()()()()()()()()が生じており、その影響か微かだが()()()()()のようなものが走っている。しかし勇斗はそれを無視して翼を振るう。閃光が走り、ゴドン!という音と共にゴーレムの右手が落ちた。

 

 それを機と見た上条が矢のようにゴーレムに迫る。全ての幻想を喰らい尽くす右手を強く握りしめ、走る勢いそのままに右手をゴーレムに叩き付けた。その一瞬でゴーレムの動きが止まり、その全身に細かなひびが広がっていく。

 

 再び勇斗は翼を振るう。翼は強かにゴーレムの巨体を打ち据え、いくつもの石片に粉々に崩れながらゴーレムの体が傾いでいく。横目にしつつ、上条はシェリーの下へ駆けてゆく。

 

 と、そこでシェリーは手首を引き戻すようにオイルパステルを振るった。――――同時。崩れていたエリスのカケラが突然宙に浮かび上がり、散弾を撒き散らすように周囲に――――勇斗には正面から、上条には背後から、襲い掛かった。

 

「「――――ッ!!」」

 

 勇斗は翼をはためかせて飛び上がり、上条は地面を蹴りつけて横に跳んで、襲い掛かる石片の群れから必死に逃れる。ガシャガシャ!と石片が地面に散らばる中、シェリーは次の動きを始めていた。横っ飛びで石片を回避し地面に転がった上条に向かって、突きを喰らわせるような動きでオイルパステルを振り抜く。

 

 いや、振り抜こうと、した。

 

 シェリーが手に持っていたオイルパステルが、粉々に砕け散りながら吹っ飛ぶ。とっさの事に、目を見開いて驚愕したシェリーの動きが硬直する。その様子を見た上条が跳ね起き、再びシェリーに迫っていく。

 

 勇斗と、そして上条を見て忌々しげに舌打ちをして、シェリーはつま先で地面を叩いた。オイルパステルに頼らず術式を組み上げる。

 

「同じ手を食うか!!」

 

 勇斗のその叫び声と共に、シェリーの周囲が円形に押し潰された。甲高い金属音が鳴り響き、シェリーが展開していた防御術式が働いたことがわかる。しかしその周囲の地面には蜘蛛の巣状にひびが入り、タイルが間をおかずに粉々に砕け散っていく。

 

つまり。シェリーが作り上げた魔法陣(じゅつしき)はもう効力を発揮しない――――!!

 

「行けっ当麻!」

 

「おうっ!!」

 

 さらに加速し、シェリーに飛び込んでいく上条。焦燥に駆られたシェリーは袖から予備のオイルパステルを取り出そうとするが、手元がおぼつかず落ちたオイルパステルが床に散らばった。

 

「はは。何だ、こりゃ。これじゃ、どうにもならないじゃない」

 

シェリーは思わず引きつった笑みを浮かべる。

 

「もう終わりだ。テメェは黙って眠ってろ!」

 

加速の勢いを拳に乗せて、上条はそのまま一切の手加減無く、シェリーを(なぐ)り飛ばした。

 

地下街を、そして風斬を、絶望に叩き落とした女の細い体が、地面を何度も転がった。

 



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ep.7 9月1日-7

駄文回。収拾が……


 

「さて……、事情聴取といきますかね……」

 

 そう呟いた勇斗、そしてその横にいる上条、2人の後ろにいる風斬。落ち着きを取り戻した地下街で彼らが視線を向ける先に、地面に転がったシェリー=クロムウェルがいた。

 

「……くそ、ちくしょう」

 

シェリーはそう忌々しげに呟き、立ち上がろうとする。しかし上条の一撃が効いているのか、腰が立たず手近な壁に背を預け座り込んでしまう。

 

「……あなたはイギリス清教、必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔術師だという事ですが」

 

 そんな様子のシェリーを油断なく睨みつけながら、勇斗は彼女にそう問いかける。

 

「ああ、そうだ」

 

 よどみなく答えるシェリー。唐突に聞こえてきた『魔術師』という言葉にきょとんとした表情を浮かべる風斬。後で説明すると風斬に断ってから、勇斗は話を続けた。

 

「あなたは戦争を起こすための火種が欲しいと、恐らく、科学と魔術の戦争を起こすための火種が欲しいと言っていました。でも、俺が知っているその他の必要悪の教会(ネセサリウス)の魔術師――――ステイル=マグヌス、神裂火織、土御門元春、その辺の人間達がそんなことを考えているとは到底思えないんです。あなたのその考えは、組織的な物なんですか? それとも、あなた個人の考えですか?」

 

 その勇斗の問いかけに、シェリーは口元に暗い笑みを浮かべた。そしてその問いかけに答えることなく、シェリーはこう言った。

 

「……お前らの中で、エリス=ウォリアーって名前を聞いたことがあるやつはいるか?」

 

「……?」

 

 唐突に放たれたその名前は彼女がさっきまで使役していたゴーレムのそれと同じもので、しかし恐らくその由来となった人物の名前であろう『エリス=ウォリアー』という名前そのものに、聞き覚えのある人間は3人の中にはいなかった。

 

 予想していなかった言葉に疑問符を大量に浮かべたような3人の顔を見て、舌打ちしつつシェリーは再び口を開く。

 

「なら……、能力者が魔術を使うと肉体が拒絶反応を起こして破壊される。……こんなことを聞いた事は無えか?」

 

再びの予想外の言葉。しかしその内容自体は理解できた。勇斗自身はあくまで又聞きでしかないが、上条は恐らくその瞬間を見ただろう。夏休みに起きた、大魔術『御使堕し(エンゼルフォール)』が引き起こした大事件。世界が終わっていたかもしれなかったその一件に際し、自らの身を呈して魔術を行使し、危うく命を落としかけた土御門の、その姿を。そのことを思い出したのか、険しい表情を浮かべる上条。

 

「……おかしいとは思わなかった? 『魔術』と『科学』が『協定』で明確に線引きされて、互いへの深い接触や介入が禁じられているはずのこんな状況で、一体なぜそんな事が分かっているのかって」

 

 口元を皮肉気に歪め、それでもシェリーは言葉を止めることはない。彼女の言葉がその場にいる全員の胸に突き刺さっていく。

 

「……試したのさ。今からざっと20年ぐらい前、イギリス清教と学園都市の間で『会談』がもたれてな。 教会・宗教世界の技術の結晶である『魔術』と、急速に発展台頭していた科学世界の技術の結晶である『能力』。その生まれも成り立ちも全く違う2つの『異能』を兼ね備えた新たな『人間』を生み出そうとして、2つの組織が互いの技術や知識を持ち寄って研究を進めていったんだ。その結果が……それだ」

 

 重たそうな様子で腰を上げ、シェリーは立ち上がる。

 

「……でも今じゃ、そんな話全く聞こえてこねえぞ」

 

 上条の、つい言葉に出してしまったといったようなその呟きに、自嘲気な笑みと共にシェリーは答える。

 

「フン……。当然よ。そんな研究をしていた部署は結局、イギリス清教と学園都市それぞれ自身の手で潰されたんだからな」

 

「な……」

 

「結局最後の最後でどちらも怖気づいたのよ。互いの技術・知識が相手に流出してしまうことに。特にイギリス清教側からすれば、科学サイドに魔術の情報を流したことを口実に他の十字教宗派、ローマ正教やらロシア成教、スペイン星教派に攻め込まれる可能性もあったからな」

 

 嫌な思い出を振り払うかのように、金色の髪が薄暗い地下街に揺れた。

 

「……エリスは、そして私は、その実験の被験者に選ばれた。どちらもまだ幼かったから、イギリス清教の人間だった私も、学園都市から連れてこられていた能力者だったエリスも、すぐに友達になれたわ。エリスの能力は念動力の派生形、名前は忘れてしまったけど、土砂を操っていたわね。幼いながらに、かなり高位の能力者で…………だから私は、嬉々として『土』を操る魔術を教えた」

 

 勇斗、上条、風斬の3人は押し黙ったまま、シェリーの口から語られる言葉にじっと耳を傾けていた。

 

「――――結果。私が魔術を教えたせいで、エリスの体はボロボロになった。それで、さっきの結論が導き出されたわけだ。『能力者は魔術を使うことはできない』っていうな。そんな時よ。その『危険な』研究を潰そうと、騎士達が襲撃してきたのは。…………私とエリスは、魔術師にも科学者にも見捨てられた。自分たちの身を守ることしか考えていなかった汚い大人たちは、私たちを置いて真っ先に逃げていったのよ。そんな状況で、襲撃者の手から私を逃がしてくれるために、エリスは騎士達の棍棒(メイス)で打たれて殺されたの」

 

 沈黙が場の空気を支配した。誰かが唾を飲み込むような微かな音さえも聞こえた気がした。

 

「……結局、魔術師と能力者、科学者はね、住んでる世界が違うのよ。別世界の人間なのよ。そんな人間たちが無理して分かり合おうとなんてするから、歪んでしまう。関わりあう必要なんてない。他者への善意すら裏目に出てしまう。世界ってのは、そんなもの。住み分けをして、明確な線引きをしなければ、魔術と科学の交錯はまた悲劇を生みだしてしまう」

 

「……だからって、戦争を起こすってのか? 風斬やインデックスみたいな罪の無い女の子を傷つけるってのか? 『悲劇』を生み出したくないんなら戦争を起こしてどうすんだよ!」

 

「ッ……、黙れクソガキ! 正論吐いてどうにかなるほどこの世界は優しくねえんだ!私達の、エリスの時でさえ、人が1人殺されてんだ! なのに最近じゃイギリス清教は学園都市と手を結んで、しかもあの禁書目録を預けるだなんて! 自分で自分たちの首を二重に締めるような状況になってるのに! これ以上互いに足を突っ込んだら何が起きてしまうかなんて考えたくもない!」

 

 上条の口から放たれたどうしようもないほどの『正論』。シェリー自身もそれは良くわかっていたのだろう。しかしそれでも、彼女は声を荒げた。

 

「『科学』と『魔術』を決定的に決別させるためには、戦争の『火種』を起こすしかないんだ! 別に戦争そのものが欲しいわけじゃねえんだよ!」

 

「だからってお前が風斬に、この街のみんなにしたことが許されるとでも思ってんのかッ!!」

 

 声を荒げたシェリー。しかしそれ以上の大声で、迫力で、力強さで、上条は叫んだ。その声に、シェリーだけでなく勇斗や風斬も体をびくりと震わせる。

 

「子どもでもわかる話だろうが!! 友達を殺されて、お前が傷ついたのは確かなんだろう! そんな気持ちは俺には理解してやれねえよ! それでも、だからって、お前が誰かを傷つけて良い理由にはならねえだろうが!!」

 

 大声で叫ぶ上条。しかしその横で上条のその姿を見ていた勇斗は、かすかな違和感を覚えていた。

 

対峙した敵に、『説教』をする。こんな姿は勇斗だって知っている。インデックスの『首輪』の件の時も、『妹達(シスターズ)』の件であの(・・)一方通行(アクセラレータ)と戦った時も、夏休み最終日にアステカからやってきた魔術師と戦った時も、上条は敵に『説教』をしていたのを勇斗は知っている。

 

 しかし微かに、違和感が拭えない。

 

 叫ぶ上条の姿を見ていると、どこか泣き出しそうな、どこか怯えている(・・・・・)ような、そんな気がするのだ。弱い気持ちの裏返しに強い言葉を並べ立て、それを自分自身に言い聞かせているような。

 

「そんなことはわかってんだよ! 私のしてることがまた新しい悲劇を生みかねないってことくらい! 私達を! エリスを見捨てた学園都市の連中も! イギリス清教の連中も! みんなみんな殺してやりたいとも思ってるわよ! でもそれでも! 互いの争いを回避したいとも思ってんのよ! 自分で自分の矛盾にくらいとっくに気づいてるわよ!」

 

「そこまでわかってんならどうしてわかんねえんだ!! 結局お前は自分の大切な人間を失いたくなかっただけだろ!! 守りたかっただけだろ!! テメェの考えの根っこはそれじゃねえのかよ!!」

 

 そんな上条の叫びに、シェリーはびくりと体を震わせる。何かを言い返そうと口をパクパクと開け閉めするが、そこから言葉は漏れてこない。

 

「お前は見てたんだろ、あの『目』を通して! よくそれを思い出せよ! 今日一日で見たものを思い出せよ! それでよく考えろ!」

 

 悲痛ささえそこに滲ませながら、上条の言葉は止まらない。怯えるような声色が、勇斗の、風斬の、そしてシェリーに突き刺さっていく。

 

「俺とインデックスが! 風斬とインデックスが! 決別しなきゃ生きていけないようなそんな関係に見えたのかよ! それっぽっちの関係に見えたのかよ!」

 

 その叫びで、勇斗は気付く。一体上条当麻が、何に怯えていたのかに。

 

 それはきっと―――-。

 

「頼むから、……頼むから俺から、俺の大切な人を、奪わないでくれよ!!」

 

 決定的な一言が、全員の胸に突き刺さる。

 

 上条が怯えていたのはきっと、インデックスの事なのだ。上条が命を賭して、そして記憶を代償に守り抜いた、そしてこれからも守り抜きたいと、そう思っているあの白い少女。『火種』を起こすという目的で殺されてしまうかもしれない。そうならなくても、引き離されてしまうかもしれない。上条が怯え、恐れていたのはそこだろう。

 

 シェリーの表情が、苦痛に歪む。何かに耐えるようにきつく唇を噛みしめる。手全体が白くなってしまうほど強く、きつく拳を握りしめる。ずっと昔、彼女自身が大人たちに、世界の理不尽に、それらに対して放ったものと同じはずの、そんな上条の言葉を聞いて。

 

「―――我が身の全ては(Intimus)亡き友のために(115)!!」

 

 しかし全てを振り払うようにシェリーは絶叫する。ラテン語と数字から成る文字列――――魔法名を。

 

 意識が逸れていた勇斗の一瞬の隙をついて、袖から飛び出したオイルパステルを閃かせる。空中に紋様が描かれ、そしてそれがすぐに虚空に溶けていく。

 

 突然の行動に遅れて身構える勇斗達。

 

 しかし、数秒たっても何も変化はない。周囲に散らばる石片に注意を向けても、ピクリとも動くことは無い。

 

「……なん、」

 

 なんだ、と声に出そうとして。そこで唐突に変化が訪れた。

 

 ズズズズズ、という重苦しい響きと震動が地下街の空気を揺らした。ただしそれは近い場所ではない。どこか遠い場所から響いてくるような、そんな感覚。

 

「ッ、何をした!」

 

「……この場にいない標的に、エリスを差し向けただけだ」

 

 叩き付けられた上条の言葉に、硬い表情のままシェリーは応える。

 

「お前の、お前たちの信念を通したいなら、この状況で禁書目録を守って見せろ! お前たちの強さを、私に見せつけてみろ!」

 

 そう言って、彼女はオイルパステルで軽くコツンと、地下街の壁を叩いた。たったそれだけの動作で、壁や天井、床が淡く光りだし、そして地下街を揺らす振動がより強いものになる。

 

「……ただし時間制限つきだ。もう間もなく、この一帯の地下街は崩落する。止めたきゃ私を倒して、エリスも止めて見せるんだな!!」

 

 叫び声と共に、淡く地下街を包んでいた魔術的な光が収束し、いくつもの魔法陣にと変化した。その淡い光に照らされて、シェリーは凄惨な笑みを浮かべている。

 

「くそっ……!」

 

 一歩前に踏み出し、何とかしてシェリーを止めようとする勇斗。――――しかしそこで、上条が手を伸ばし、そんな勇斗の動きを制止した。

 

「なんだよ?」

 

「……インデックスの所に向かってくれ勇斗」

 

 平坦な声で、上条は言った。

 

「ここからゴーレムがいるところまで最速で行けるのは勇斗だ。そしてこの魔法陣は、俺は触れただけで消し飛ばせる。だからここは任せて先に行ってくれ」

 

「っ、これだけの量で、右手1本で間に合う訳ねえだろ!」

 

「いいから頼む。俺が走っていったんじゃ間に合わないかもしれない。お前が頼みなんだ」

 

「でも……」

 

「……大丈夫です。私が行きます」

 

 言い合いをする2人。そんな状況に割って入ったのは、先程から黙り込んでいた風斬だ。

 

「化け物の相手は、……同じ『化け物』の、私がします」

 

「ッ、お前、まだそんな事……!」

 

 風斬の言葉に、状況を忘れて上条が叫ぶ。その横で、勇斗も何か言いたげな表情で、風斬をじっと見つめていた。

 

「いいんです。この言葉で、そんなふうにあなた達が怒ってくれる、それだけで」

 

 言葉を言い終わるか言い終わらないかのところで、風斬の姿が少しずつ薄れていった。

 

「全部思い出したんです。……私は、この街に満ちるAIM拡散力場の集合体。AIM拡散力場さえあれば、私はそこに存在できる」

 

 言葉を失った上条と勇斗に、風斬は続ける。

 

「大丈夫です。私は消えるわけじゃない。あの子を守るために、『化け物』の力を使うだけです」

 

 どんどんと風斬の姿は薄れていく。しかしその瞳には、強い力と光が宿っていた。

 

「あの子を私の力で守れるのなら……化け物でいるのも悪くない。……そう思います」

 

 その言葉を残し、風斬の姿は完全に掻き消えた。ゴーレムに挑み、インデックスを守るため、『戦場』に向かって行ったのだ。

 

「……くそっ! 勇斗!早く風斬を追いかけてくれ!アイツ……死ぬ気なのかもしれない!」

 

「……わかった。任せたぞ」

 

 そして勇斗は、目の前の戦場に背を向けて、走り出した。そんな勇斗を見ても、シェリーは何もしない。ただただ、目の前で起こった出来事を、複雑な表情で見つめていた。

 



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ep.8 9月1日-8

 勇斗は走る。断続的に走る振動が、インデックスの身に危機が迫っていることを如実に示していた。

 

 ――――と、そんな勇斗の目の前に、道を閉ざす隔壁とその周囲で応急処置程度の治療をしている十数人の警備員(アンチスキル)達の姿が飛び込んできた。まともに動けているのはその中の数人。そのうちの1人に、勇斗は見覚えがあった。

 

「黄泉川先生!無事だったんですね!」

 

 声を上げて思わず駆け寄る勇斗。その声に反応して、名前を呼ばれた女性――黄泉川愛穂が勇斗の方に視線を向けた。

 

「おお、勇斗じゃん!小萌センセーから地下街に突撃していったらしいって聞いて心配してたけど、大丈夫だったじゃんか!?」

 

「ええ、なんとか。この通りぴんぴんしてますよ」

 

 自らが巻いた包帯にはまだ赤いものが滲んでいるというのに、黄泉川の口から真っ先に飛び出したのは勇斗を、学生を心配する言葉だった。

 

 相変わらずな、素晴らしいまでの教師としてのその意識に勇斗は尊敬と感謝の念を覚える。しかし勇斗にはそこで感傷にひたる、そして労いにかける時間は無かった。

 

「――――それで黄泉川先生。ここの隔壁を開けてもらいたいんですけど」

 

 単刀直入に勇斗はそう言った。黄泉川は地下街の奥での色々な事情(・・・・・)を知っているだろう勇斗に色々と聞きたいことがあったようだが、切羽詰まった勇斗の様子を見るとため息をひとつ吐いて、出かけた言葉をぐっと飲み込んで、しかし決まり悪そうにこう言った。

 

「……残念だが私たちの管轄からは外れているから、ここを開ける権限は私たちには無いじゃんよ」

 

「……そうですか。なら緊急事態ですし、ちょっと強引にでも通してもらいますね」

 

 風紀委員(ジャッジメント)という組織に入っており、この手の組織にありがちな縦割り構造をよく知っている勇斗からすればある種予想していた返答であり、わずかなタイムラグの後で勇斗はそう言葉を締めくくった。

 

 その言葉の意味を、黄泉川が理解する前に。勇斗は行動を起こしていた。

 

 その場にいる全員が、地下街で感じるはずのない突風を感じた。黄泉川は知っている。目の前の風紀委員(ジャッジメント)の少年が大気制御系統の能力者では無いことを。この少年が学園都市の内部でもかなり希少な部類に属するAIM拡散力場干渉系統の能力者であることを。目の前の少年は風そのものを発生させているわけではない。彼が操るのは不可視の「力場」。ただその能力による「力場」の急激な収束によって、異常動作を起こした力が何らかの物理法則を介して周囲の大気へすらも影響を与えている。黄泉川は、少年の前の空間が球形に歪んだのを見たような気がした。

 

 一拍の間をおいて、収束した力が、隔壁に叩き付けられた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……まったく。理不尽な力じゃんよ」

 

 同僚たちへの処置を再開させながら、黄泉川は呆れたような声を漏らした。その言葉に、その場にいる全員が同様の反応を返した。

 

「……まさかあの分厚い隔壁を力技でぶち抜くなんて。2重の意味で驚きじゃん」

 

 そう言って視線を向ける先には、真ん中からひしゃげて穴が開いた巨大な隔壁の残骸が転がっていた。それこそあのテロリストではないが、巨人が本気で殴りつけたかのような、そんな壊れ方をしている。自らが勤務する高校では最高位の能力者、大能力(レベル4)御使降し(エンゼルフォール)。まさかその能力が、地下街の防衛を支える隔壁すらぶち抜いてしまえる程強力な代物だったとは思っていなかった。そしてまた、彼は風紀委員(ジャッジメント)として活動しているのだが、その礼儀正しく真面目な仕事ぶりは警備員(アンチスキル)の中でも評価が高い。器物損壊という下手しなくても始末書沙汰になるような行為を積極的にするようなそんな物好きではないはずなのだが。

 

 つい先刻の少年には全くのためらいは無かった。隔壁を吹き飛ばし、あっけにとられた警備員(アンチスキル)の面々に「すいません!」とだけ残し、穴をくぐってダッシュでどこかへ向かって行った。

 

 その時の様子を、黄泉川は思い出して。

 

「……ま、何か事情があるみたいだったし、ここの隔壁の損壊はテロリストのせいでしたってことにしてやるじゃんよ」

 

 呆れたような苦笑いで、そんな言葉をもらす。再びその場の全員が、同じような苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

そんなことを言われているとはつゆ知らず。勇斗は考え得る最短経路で地上に戻ってきた。

 

第一級警戒宣言(コードレッド)発令下に加え地下街で実際に襲撃があったからか、せっかくの午前上がりでの長い放課後の真っ最中であるにもかかわらず、街に人の往来はほとんどない。皆どこかしらに避難しているのだろう。

 

そんな街の様子をざっと確認して、そして未だ衰えず続く猛暑に顔をしかめつつ、勇斗は背に翼を出現させ上空へと飛び上がった。地下街内部での「観測」により、ゴーレムが存在している大まかな方向はわかっている。その方向に目を向ける。しかし林立するビル群が勇斗の視界を塞いだ。

 

「……やっぱりこっからじゃ見えねーか」

 

 確かにゴーレムは巨大だ。しかしそれはあくまで人と比べて、であって、巨大な建築物が所狭しと建てられているこの景色の中でその姿を肉眼だけで確認するのは不可能だと言っていい。舌打ちをして、勇斗は携帯端末を取り出し、電話を掛ける。掛けた先は風紀委員(ジャッジメント)第177支部。数回のコール音の後、勇斗が今最も必要とする人間が電話に出てくれた。

 

『もしもし勇斗先輩ですか? ご無事ですかー!?』

 

 唐突に聞こえてきた甲高い声に耳がキーンとした。勇斗は思わず耳から端末を引きはがす。

 

「……無事だから、落ち着け初春」

 

『あ、す、すいません! 勇斗先輩だけ安否がわからなかったので、つい……』

 

「いや、……連絡しなかった俺のミスだから仕方ないよ。それより初春、調べてほしいことがある」

 

『は、はい。なんでしょうか?』

 

「地下街に逃げ込んでたテロリストが操ってる兵器が地下街の外に逃げ出した。とりあえず地下街の第3ブロックがある方面の地上を移動してるはずなんだけど、居場所の特定を頼めないか? できるだけ早く」

 

『うえっ!? わ、わかりました! 監視カメラにあたるのでちょっとだけ時間を下さい!』

 

 到底中学生の少女が出してはいけない素っ頓狂な声を上げた後、何やらパタパタという足音が聞こえ、そしてそれはすぐにカタカタカタというキーボードの音に変わった。待っている間、じれったさが勇斗を襲う。だが予想外に早く、再び電話口から声がした。

 

『見つかりました勇斗先輩! アスファルトを捏ね上げたような巨人……昼間に観測できたものと同じものです。っ、すぐそばに女性2人! 位置コードを送信したので、すぐに向かってください!』

 

「言われなくとも!」

 

 通話を切り、送られてきた位置コードに目を通す。距離はそれほどない。最高速で飛べば1分とかからないだろう。

 

 翼に力を込め、それを一気に解放する。弾丸が射出されるような猛スピードで、勇斗は目的地へと飛んで行く。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。白井の空間移動(テレポート)によって地上に脱出していたインデックスと御坂。初対面である2人はやや硬いながらも上条についての話題でなんだかんだ盛り上がっていた。

 

 しかしそこで、インデックスが胸元に抱えていた三毛猫(スフィンクス)が突然逃げだしたのだ。まあこの猛暑の中、ずっと抱えられていて暑かったのだろう。仕方ない、とは考えつつも放っておいてはぐれるわけにもいかず、御坂に断ってインデックスは逃げる三毛猫を追いかけた。

 

 路地裏を舞台にした(スフィンクスにとっての)緊迫の逃走劇がしばらく続き、ぜーぜーと荒い息を吐くインデックスが三毛猫を確保した時には、最初居た地点からはだいぶ離れたところまで来てしまっていた。

 

動物的本能に従い、それでも逃げようと暴れ出す三毛猫をがっちりと胸元に押さえつけ、荒くなった息を整える。

 

「……ほら、みことと待ち合わせしてる場所に戻るんだよ。お返事は?」

 

 わがままな子どもに言い聞かせるようにインデックスがそう言うと、三毛猫は不承不承ニャーと一度だけ鳴いた。

 

 と、そこで。

 

 ピクン、と何かを感じ取ったかのように三毛猫は顔を上げ、体を硬直させた。そしてインデックスがその様子に疑問を差し挟む間すらなく、地面が小刻みに振動を始めた。

 

「……、これは……?」

 

 インデックスは首を傾げて、そしてそこで、魔術に対して鋭敏な感覚を持つ彼女の第六感が全力で警鐘を鳴り響かせた。意識する前には体がすでに動いていた。インデックスは三毛猫をより強く抱きかかえ、とっさに後方へ跳躍する。――――半瞬遅れて、彼女の目の前で地面が爆発した。幸い飛び散った石片が直撃することは無かった。頭のすぐ上を彼女の頭より一回りは大きい塊が掠めていくが、彼女は目をつぶらない。その恐怖を塗りつぶすほどの違和感が、彼女の視線を釘づけにしていた。

 

爆心地に、ゆっくりと巨大な石像が姿を現しつつあった。最初の爆発は、地面の下から腕を突きだしたのか。そこまで思考が及んだところで、脳内のスイッチが切り替わった。大食いで天真爛漫な少女『インデックス』ではなく、イギリス清教第零聖堂区必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔道書図書館、『禁書目録』として。10万3千冊に及ぶ膨大な『原典』がもたらす魔術の知識が、突如目の前に現れた石像の正体を明らかにしていく。

 

――――しかし明らかにするだけでは足りない。知識はあってもインデックス自身は魔術も超能力も使えない。容赦なく始まったゴーレムの攻撃を何とか強制詠唱(スペルインターセプト)で捌き、体を構成する術式を逆算し妨害することで攻撃を凌ぐが、その均衡を維持するだけで精一杯だった。

 

 だがその均衡はあっさりと崩れる。ゴーレムの操作系統が変更され、彼女の強制詠唱(スペルインターセプト)が効力を発揮しなくなったのだ。唐突に対抗手段を奪われ、驚愕に身を固めてしまったインデックスに、ゴーレムの腕が迫った。

 

 恐怖に時間の流れがスローになってしまったような気がした。しかしもう為す術は無い。目を閉じるインデックス。

 

 ――――しかしインデックスの耳に、こんな言葉が飛び込んできた。

 

「私の友達に――――手を出さないで!」

 

 その声は聞き覚えのある声だった。この街でインデックスが初めて自分で作った、『ともだち』の声。ほぼ同じタイミングで、肉を潰すような鈍い音が響き渡る。

 

 ゆっくりと目を開けるインデックス。彼女の目に飛び込んできたのは、自分を守るように立つ『ともだち』と、殴りかかってきていたゴーレムが逆に吹っ飛ばされているような、そんな光景だった。

 

振り下ろされた拳に対し、カウンター気味に蹴りを叩き込んだ風斬。その威力は予想だにしないものだった。見た目から推測するに非常に重量があるゴーレムを、蹴りで数メートル単位吹っ飛ばしたのだ。当の本人はだるま落しで落ちてくる『だるま』のごとく、横方向の運動ベクトルを完全に攻撃に転用したようで。横方向への移動を完全に相殺し、ふわりとした羽のように風斬は着地した。しかしそこで起こったのは風斬の細身な見かけからは想像もできないような現象だった。骨すら震わせるような重い震動がインデックスの体を震わせる。風斬が着地した瞬間、巨大なハンマーで思い切り地面を殴りつけたように、風斬を中心として半径数メートル程の範囲に円形に地面がひび割れたのだ。

 

 次々と重なる光景に、インデックスは目の前の少女に声を掛けようとして、しかしそこで更なる驚愕の光景を目にすることになる。

 

数トンはくだらないだろう巨体を吹き飛ばした風斬。当然そんなことをして生身の肉体が耐えられるはずもなく、右足が見るも無残に吹き飛んでしまっていた。しかし目の前の少女は、痛みなど感じさせない様子で悠然と立っている。そしてそれだけに留まらない。突然ズバン!! という大きな音が聞こえたと思うと、切断面から凄まじい速度で足が飛び出したのだ。それで、傷1つない足が復元されてしまう。これが彼女の能力なのだろうか、そうインデックスは考える。何が起こったのか、起こっているのか、全く分からなかった。

 

「もう……大丈夫」

 

 そんな、目を疑うような光景を作り出した少女は、落ち着いた声で告げた。

 

「あの石像は私がどうにかするから、あなたは早くここから逃げて」

 

 そんな風斬は、もぞもぞとのたうつように動く石像に視線を注ぎ、インデックスに視線を向けようとはしない。

 

「……ひょうか、なの?」

 

「……うん。そうだよ」

 

 インデックスの口から洩れた呟きに、間をおいて風斬が応える。

 

「あ、足は、……足は大丈夫なの!? あんなにボロボロになって……」

 

 インデックスの声は尻すぼみで小さくなっていった。風斬の足をじっと見つめるが、さっきのが見間違いだったのではないかと感じられてしまうほどに、彼女の足は傷1つない。

 

「っ、人間が生身の体でゴーレムに立ち向かうなんて、無茶なんだよ!」

 

 しかしそれでも、インデックスは叫んだ。魔術を知っているものとして、目の前の少女をゴーレムと戦わせるわけにはいかない。いくら自己再生能力を持っているからといって、これ以上さっきみたいな特攻を掛けさせるわけにはいかないのだ。

 

「とうまじゃあるまいし、『天使』をモチーフに作られたゴーレムなんかに立ち向かっちゃダメ!早く逃げよう、ひょうか!」

 

「……ううん。大丈夫だよ」

 

 しかし、風斬の口から発せられたのは、拒絶の言葉。

 

「大丈夫、なの」

 

風斬は言って、インデックスの方を振り返る。憑き物が落ちたような、不自然なまでにすっきりした表情のまま、笑っていた。

 

「私はね、……人間じゃないから」

 

「……え?」

 

「私は、あの『化け物』と同じ。人に似た、人型の『化け物』」

 

 風斬はインデックスから視線を外し、ゴーレムに向き直る。周りのアスファルトやビルから『材料』を取り込み、一回り程は大きくなったゴーレムが、そこに生み出されていた。

 

「……ごめんね。騙しちゃって」

 

 風斬がそうポツリと呟いて、そしてそこで石像の拳が発射された。

 

 凄まじい速さで放たれた拳が空気を押し潰し、衝撃波すら伴いながら風斬に向かって襲い掛かる。

 

 インデックスは思わず身を縮こまらせて、目をつぶる。しかし風斬は全く動じない。状況にそぐわないゆっくりとした動きで両手を上げて、そこでゴーレムの拳が風斬の両手に叩き付けられた。

 

 ゴドン!! という、とても人体に激突したとは思えないような轟音。

 

 塞がった視界の向こうで起こったであろう惨劇をインデックスは予測する。しかしすぐに違和感に気づく。本来であれば、もし風斬が潰されてしまったのなら、その後ろにいた自分もぺしゃんこに潰されていてもおかしくないはずなのだ。しかし、痛みもなく、こんな風にまだ考えることができている。と、いうことは。

 

 インデックスは目を開ける。開かれた視界の先で、風斬は両手をいっぱいに広げ、放たれたゴーレムの拳を受け止めていた。

 

「……あ……、ひょう、か……?」

 

 呆然としたような声で、インデックスは風斬の名前を呼ぶ。しかし、返答は無かった。無視したのではなく、返したくても返せなかったのだ。

 

 一瞬たりとも気を抜くことは許されない。余計なことに力を割くわけにはいかない。そんな極限状態に、風斬は追い込まれている。

 

 インデックスは風斬の全身に視線を向ける。衝突の影響か、全身の皮膚や筋肉がたわみ、潰され、弾け、不自然なまでの凹凸が風斬の体を蝕んでいた。

 

「っ、ひょうかっ! ひょうかぁぁぁ!!」

 

 悲痛な声でインデックスは叫ぶ。その声に応えるように、再び風斬の体が『復元』された。それにより、やや風斬に均衡が傾く。抑え込んだ拳を少しずつ押し返していく。

 

 風斬は嬉しかった。こんな自分の姿を見ても、心配するように叫んでくれる人がいることが。自分の力で、その人を守れていることが。

 

 ――――しかしそこで、彼女は目にする。いつまでも吹き飛ばない攻撃対象に業を煮やしたか、ゆっくりとゴーレムの反対側の腕が振り上げられていく。

 

 まずい、とほとんど余裕のない思考の中で風斬は思った。片腕を抑え込むだけで精一杯なこの状況で、もう一方の腕を止めるのは不可能だ。後ろにいる少女ごと、吹き飛ばされ潰されてしまう。

 

 打つ手は――――1つだけ。自分の命を懸けてでも、少女を逃がすだけの隙を作り出すこと。

 

 来るなら来い、と全身に力を込め、体を強張らせる。

 

ゴーレムの腕が、風斬に狙いを定め、ピタリと静止する。

 

そして、瞬きするくらいの間で、拳が放たれた。

 

後ろの方で、自分の名前を呼ぶひときわ大きな叫び声がした。

 

と、その時。

 

風斬の全身にノイズが走るような不快な衝撃が走るのと同時に、突きだされていたゴーレムの両拳が叩き潰され、地面に叩き落とされた。

 

 



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ep.9 9月1日-9

長かった9/1もこれで終了です。


 一体何が起こったのか。一体誰がこんな現象を引き起こしたのか。あれこれ考えたり、きょろきょろと周囲を見回す必要などなかった。自分の身に起こった『ノイズ』が、何が起こったのかを如実に示していた。

 

 『風斬氷華』というAIM拡散力場で構成された存在を、押し流し消し去ってしまいかねない程の量と勢いを持った力場の奔流。自分という存在の本質を思い出し、受け入れた彼女の眼には、力場の流れが可視の物として映る。AIM拡散力場そのものである自分に匹敵するほどの統制力を以って、AIM拡散力場を操る者。

 

 ゆっくりと、風斬は顔を上げる。その視線の先に映るのは、ついさっき、自分のために『化け物』と戦ってくれた少年の片割れ。背から伸びる無機質な純白の翼をはためかせ、空を舞う。

 

「大丈夫か風斬、インデックス!」

 

 その少年、千乃勇斗は空中から叫ぶ。心のどこかで願っていたその展開に、場違いながら風斬の口元がほころんだ。

 

「っ、大丈夫なんだよ勇斗!すごくナイスなタイミングかも!」

 

 叫び返しながら、インデックスが風斬に駆け寄り、気遣わしげに肩を抱く。

 

「ひょうかは大丈夫!? 痛い所とか無い!?」

 

 『化け物』としての力を存分に振るった風斬。しかし目の前の少女は、そんなことは全く関係が無いとでも言うかのように、風斬に抱きついた。二度と触れ合えることなどないと覚悟していた風斬は、目を潤ませつつそれに応じる。

 

 風斬は幸せだった。少なくとも、つい先刻まで自分を叩き潰さんとしていたゴーレムを思考の外に押しやれるほどには。

 

 しかしそこで、インデックスが鋭い叫び声をあげる。叩き落とされ、潰された腕を復元し、ゴーレムが再び動き出していた。

 

 風斬の思考が一瞬にして切り替わる。強大な『正体不明(カウンターストップ)』の能力が、風斬の体中を満たす。そして未だに彼女の体を優しく抱きしめるインデックスを守るため、動き出そうとしたところで、

 

「――――動くな」

 

 底冷えするような怒気を孕んだ少年の声と共に、ゴーレムを中心とした円形の範囲が粉々に破壊しつくされた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 先だってゴーレムの腕を叩き落とした攻撃。その攻撃の余波が風斬に与えた影響を観測し、解析し、演算式に修正を加える。高密度に編み込まれたAIM拡散力場に影響を与えず、学園都市全体にわたって薄く展開されている疎な力場をより広範囲から収束させる。

 

 本来なら、高性能な精密機械なしではその手の能力者以外観測することすら不可能な微小なる力。しかしその力は、『ある程度の収束』を境に激増し、その後も幾何級数的に増大していく。勇斗はそれを能力によって隷属させ、その性質を以ってAIM拡散力場を攻撃に転用する。

 

 風斬に与える影響を最小限にとどめつつ、敵性対象へ最大限の攻撃を加える。ちょうど、こんな風に。

 

 これまでの攻撃と比してひときわ大きい轟音が鳴り響く。収束に収束を重ねた結果、本来なら不可視であるはずのその力場が、塩が真水に溶けていく時のような不自然な揺らめきを顕現させていた。

 

その揺らめきの奔流が、周囲の地面ごとゴーレムの体を砕き、沈めていく。

 

 ――――しかし、押し切れない。最後の最後。手応えという名のフィードバックが感じられない。空気の入った注射器を押し込もうとしても、最後まで押し込みきれないような、そんな感覚。やはり固い。シェリー=クロムウェルが言っていたように、『神の人形』の名は伊達ではないのか。

 

「……インデックスっ! こいつに何か弱点とかないのか!」

 

 更に攻撃の出力を上げ、ゴーレムの縛めをより強固なものにしつつ、勇斗は魔道書図書館たる少女に助力を求める。

 

「普通こういう『人形』には『シェム』っていう触っただけで機能を停止させられる安全装置があるはずなの!だからそれを壊せれば何とかなると思う!」

 

 風斬の背に隠れながら、負けじとインデックスも叫ぶ。

 

「でも普通そういうものはばれないように隠蔽されちゃうから、まずはそれを見つける必要があるかも!!」

 

「っ、めんどくさすぎんぞ!!」

 

 要は実質手詰まり。このままではジリ貧だ。

 

 そして勇斗達を嘲笑うかのように、潰されるがままだったゴーレムの体が少しずつ直立していく。

 

「……天使の力(テレズマ)を強引に吸収してる……? 勇斗、急いで!早くしないと手遅れになるかも!」

 

「んなこと言っても……!」

 

 そう毒づきつつ、勇斗は攻撃の出力を更に引き上げる。しかし、ゴーレムの動きは止まらない。少しずつではあるが体が復元されていく。直感で、ゴーレムが直立し完全に復元される時がタイムリミットだと理解した。

 

 何か手立てはないかと勇斗は周囲を見回す。こういった異能の敵に絶大なる優位性を持つ右手を持った少年の姿はここには無い。今もゴスロリ魔術師と戦っているはずだ。援軍は期待できない。

 

 こうなれば止むをえまい、多少の危険に身を晒してでも、更に高出力でAIM拡散力場を叩き込むしかない。

 

 この街にはあのカエル顔の医者がいる。多少の無茶なら何とかなる。そう自分に言い聞かせ、勇斗は攻撃の出力を限界ギリギリまで引き上げる。

 

――――『副作用』はすぐに訪れた。キィィィンという甲高い頭痛が勇斗の脳を蝕み始める。ここまでの長時間、ここまでの出力を維持したまま能力を行使したことなど初めてなのだ。そのツケが回ってきている。持ち時間はもう無い。

 

 しかし攻撃を止めることなどなおさら許されない。自分の限界が近いことを自覚しつつ、勇斗は演算を更に『攻撃』に割く。

 

 こうして勇斗が、迫るタイムリミットと能力の限界双方に追い詰められている。

 

 ――――――――そこで唐突に、それが訪れた。

 

 ――――――――『つながった』という感覚だけがあった。

 

 ――――――――理屈も理論もわからない。

 

 ――――――――ただ『つながった』としか言えない不思議な感覚。

 

 ――――――――ゴーレムの内部、血液のように全身を巡る力の流れ。そしてその力がとある一点に集中している。

 

 ――――――――見えないはずの力の流れ。おそらくこれは魔力の流れだ。

 

 ――――――――もしかしたら、限界に近い勇斗の脳が都合のいい幻覚を見せているだけなのかもしれない。だけど今は、この感覚に頼るしかない。

 

 そして勇斗は、視界の隅にその少女の姿を捉える。彼女の性格的に、騒ぎが起こっていたところに首を突っ込まずにはいられなかったのだろう。インデックスと風斬の後ろから、険しくしかし好戦的な笑顔を顔に浮かべて駆けてくる。何と都合がいい。攻撃の性質的にも、火力的にも、彼女に任せるのが一番だ。レベル5の第3位、御坂美琴に。

 

「――――右胸をぶち抜け!!」

 

 既にコインを取り出し、その能力名の由来ともなっている必殺技のスタンバイができている御坂に向かって叫ぶ勇斗。

 

 その言葉に、インデックスの表情に驚愕の文字が躍る。しかしその驚愕が音声として出力されるより早く、勇斗の言葉に頷いた御坂がインデックスと風斬の前に飛び出して、

 

 超電磁砲(レールガン)を、解き放った。

 

 オレンジ色の閃光が、一瞬でゴーレムを貫いた。轟音は遅れて鳴り響く。

 

 勇斗は知覚する。御坂の解き放った閃光が、ゴーレムの『心臓』を寸分違わず撃ち抜いていた。それによって、全身を巡る力の流れが雲散霧消する。

 

 そしてゴーレムは崩れ落ちていった。ひび割れながら、その形を失っていく。これまでのような復元能力を発揮することなく、ただの無機質な石ころへと還っていく。

 

 ――――これにて地上は一件落着か。蝕むような頭痛をこらえつつぼんやりとそんなことを考えて、勇斗は地面に舞い降りる。これで残るは地下世界に残る2人だけ。恐らく上条がどうにかしてくれているだろうが。ため息をついて、勇斗は地面に座り込んだ。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 そして、事態は終結した。シェリー=クロムウェルの身柄も『警備員(アンチスキル)』(恐らく、に見せかけた上層部直轄の組織)に引き渡された。怪我をした人間達は治療を受けている。幸いにして、死者は出ていなかった。

 

 風斬にはインデックスと上条がついていた。風斬は自らの力と本質に怯えていたが、2人はうまくやってくれただろう。

 

「おい、手止まってるぞ。現実逃避してないでちゃっちゃと書け」

 

「……別にそんなつもりはないんですけどねえ」

 

 先輩である坂本の、半分笑いながらのそんなセリフにため息付きで答えつつ勇斗は再び手を動かしシャーペンを走らせる。事件の顛末やその状況下での自分の行動、考えを文章化し、その通りにそれを書きこんでいく。地下街での避難誘導中に逃げ遅れた少女2人を保護し、その後奥に向かったところで侵入者と遭遇、戦闘。その後、『偶然』居合わせた『一般人』達と協力して侵入者を撃破。侵入者が設置、準備していた『罠』も『一般人』達と協力して破壊。そんなふんわりとした、そして肝心なところをぼかしたハイライト部分。始末書(=反省文)としてはテンプレの「以後気を付けます。もうしません」的なフレーズを巧妙に省いた反省部分。

 

 何度も書かされたせいで慣れてしまったのは幸か不幸か。あっさりと書き上げた勇斗はペンを放り投げ、不満を口にした。

 

「しかしなんでまた事件の解決の役に立ったのに始末書なんて書かなきゃいけないんですかねえ。警備員(アンチスキル)からも学校の教員からもお咎めなしだったっていうのに」

 

「美偉がこういう形式的なことを重視する鉄壁堅物な委員長キャラだってことぐらいいい加減把握してんだろ。自業自得だ」

 

 日に焼けた精悍な顔をニヤリと歪め、高校球児よろしく刈り上げた頭を揺らしながら笑っている坂本。

 

「むしろこれくらいで済んでよかったじゃねーか。アイツの性格上研修やり直しとか更生施設にぶち込まれたりとか、そんな事言い出してもおかしくないぞ」

 

「……流石にそこまではしないけどご希望なら応えてあげましょうか? 何といっても鉄壁堅物な委員長キャラですからね」

 

 そこで突如割り込んできた嫌に丁寧な声に坂本の笑顔が一瞬で引き攣る。

 

「あ、お疲れ様です固法先輩。始末書書き終わりました」

 

 そう言って、固まった坂本を横目に書き上げた始末書を手渡す勇斗。あまりにも軽い調子で手渡された固法は呆れ顔を浮かべつつそれを受け取って、そしてこれまた呆れたような口調でこう言った。

 

「はあ……。ここの後輩たちはいつになったら落ち着いてくれるのかしら。千乃君も、白井さんも、正義感に溢れてるのはいいことなんだけどね。後、大地は後でお説教ね」

 

 仕事が詰まっているのか、そんな言葉を残してあっさりと固法は去っていく。

 

「……勇斗、説教受けるの替わってくれないか?」

 

「それは先輩の自業自得です」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「これで満足か、アレイスター」

 

 ここは学園都市の中枢――――第7学区、窓の無いビル。

 

 内部に一切の照明が存在せず、しかし常人には理解の及ばないような複雑な演算を繰り返し、制御する大量の計器類が発する光が暗闇を薄ぼんやりと照らすようなそんな空間に、忌々しげな男の声が響き渡った。声の主は、場違いな印象を見る者に与えるだろうアロハシャツに身を包んだ金髪の男、土御門元春。彼は空間の中央――――黄色く照らされた液体が入った巨大な生命維持装置(ビーカー)の中に逆さまになって浮かんでいる男に向かってそんな言葉を投げかけた。

 

そしてビーカーの中に浮かぶのは、男にも女にも、大人にも子供にも、聖人にも囚人にも見える男、学園都市の統括理事長。アレイスター=クロウリー。

 

対峙する2人の男は、宙空に展開されたモニターを見つめていた。

 

この窓のないビルと同じ学区のどこかで繰り広げられている光景。映像は千乃勇斗と上条当麻の姿をそれぞれ映し出している。

 

「『風斬氷華』、『幻想殺し(イマジンブレイカー)』、『御使降し(エンゼルフォール)』の成長。こうして、五行機関を制御するというお前のプランはまた一つ歩を進めたわけだ」

 

学園都市全体に広がるAIM拡散力場。そしてそれが形作る虚数学区・五行機関と呼ばれるモノ。規模も、秘める力も不明のまま、ただ不気味に街に横たわっている。

 

「一つ反論するとすれば、『御使降し(エンゼルフォール)』の成長はプランと関わりはないがね」

 

「ぬかせ。アイツの『ハイブリッド』としての特質をプラン進行にフィードバックさせるつもりだろう? 成長すればAIM拡散力場と天使の力(テレズマ)の両方を自在に操るようになるアイツの力を」

 

 そう言って睨み付けてくる土御門の言葉に肯定も否定も返さず、しかしアレイスターはうっすらと口元に笑みを浮かべた。

 

「『似て非なる他者の境界を超える』ことのできる性質を用いて、科学側からだけでなく、魔術側からも五行機関へアプローチを掛ける。……なかなかいい発想じゃないか、アレイスター」

 

「……彼はあくまでも『保険』だよ。うまく話が進めば彼を使うような事態にはならない。何せ重要で希少な検体(サンプル)だ。私も彼に対しては純粋な好奇心を抱いているよ」

 

「……フン、まあいい。時間も無いし本題に入ろう。……警告しておくぞアレイスター。今回の一件、お前はイギリス清教の正規メンバーを警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)の手を借りて撃退した。これを魔術サイドの人間がどう捉えるかは言われなくてもわかるだろう? 俺はこの街を、舞夏の居場所を守ってやるためなら何でもする。だから今回は全力で火消しに走ってやる。だがアレイスター、恐らく二度目は無いぞ」

 

「……ふむ。それくらいはわかっているさ。なるべく君の負担にはならないようにしてやろうとも」

 

 尊大な物言いに頭に血が上りそうになる土御門。しかし一度深呼吸し、アレイスターに背を向けて、一言。

 

「……『幻想殺し』に『御使降し』。あいつらを利用するなら覚悟しておけよ」

 

 言ったところでまるっきり負け惜しみになってしまったことに気が付きつつ、怒りを抑え、タイミングよく部屋に転移してきた『案内人』と共に、土御門はビルを出て行く。

 

 不穏な会話の終わりと共に、新学期の初日が幕を閉じる。

 

 この先の激動を象徴するかのような、穏やかならざる幕引きだった。

 



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Chap.2 『残骸』を追いかけて Remnant_Chasers
ep.10 9月8日-1


遅くなりまして申し訳ありません……。神々に愛された地(エオルゼア)に行っておりました。


「……ったく、この街は相変わらず騒動の種ばっかり抱え込んでやがるんだなこんちくしょう」

 

 そんな独り言を毒づきながら、勇斗は1人、暗い裏路地を駆け抜ける。完全下校時刻をとっくに過ぎ、西の空に薄いオレンジ色を残す以外星空に覆われてしまっているくらいの時間、勇斗の視線の先では、茶髪に白Yシャツの少年と黒髪に黒のポロシャツを着た少年が脇目を振らず走っていた。

 

 (樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)“Remnant”(レムナント)ね……。確か意味は『残骸』、だったか。まさかインデックスがぶっ壊したあれが、今になってまたこんな話題に上がってくるとは)

 

 前を行く2人が口走った不穏な単語。『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)』。7月の下旬、自動書記(ヨハネのペン)起動時のインデックスが放った魔術攻撃、竜王の殺息(ドラゴンブレス)によって破壊された世界最高性能の超高度並列演算器(アブソリュートシミュレーター)……の、残骸。

 

 公式な発表がなされないまま、学園都市が打ち上げたスペースシャトルによって回収されたというそれ。勇斗が知ったのも、上条のお見舞いで例の病院を訪れたときに、話のついでであのカエル顔の医者に聞いたからに過ぎない(口止めあり)。妹達(シスターズ)の一件に際して、御坂は自力でその事実に到着したらしいが(犯罪行為あり)。風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)に所属している者でさえ、ほとんどはその事実を知らないだろう。

 

 犯罪行為、ないしそれに準ずる行為、もしくは特殊な情報網でも持たない限りは決してその事実を知ることなどできないというような、かなり深いレベルでの情報の隠蔽がなされている。しかし、そうされたはずの事実を前を走る少年たちは知っていた。――――と、いう事は。

 

 (あいつ等は何らかの形でこの街の『裏』に関わっている可能性がある。それも恐らく、気づかれた瞬間に逃げるなんて分かり易いことをやっちまってることから考えれば、あいつらは半端に足を突っ込んだ素人。つまり『学園都市』の側の人間というよりは、その逆。『残骸(レムナント)』を何らかの手段で強奪して、何か後ろ暗いことをやろうとしてる側)

 

 更にペースを上げつつ、勇斗は思考を続け、目の前の少年たちの正体の予測を立てていく。

 

 (この街の暗闇に蠢いている『本物』なんかじゃない。もし『本物』ならこんな雑な仕事はしない。つまりこいつらになら――――――ケンカを売っても問題無い)

 

 そこまで考えて、結論を出してから。

 

 勇斗は更に速度を上げて、少年たちを追い詰めにかかった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 新学期の開始から1週間。「秋って何? おいしいの?」的な感じの暑さがまだまだギラギラ学園都市内を()いている。まだ登校時間であるにも関わらず、早くも陽炎が見えてくるようなそんな気がしなくもないかもしれないむせ返るような暑さの中を、勇斗と上条は学校に向かって歩いていた。

 

「……ただひたすらに暑い、とカミジョーさんは苦情を呈してみます」

 

「お前がその口調使うとただひたすらに鬱陶しいだけだからやめろ」

 

 上条の妹達(シスターズ)を真似た口調を一言でバッサリ切り捨てる勇斗。

 

「……にしても、一週間で地下街を再建したり『テロリスト』事案が『あー、そんな感じの事もあったねー』的なレベルの話になってしまっていたり、やっぱりこの街って色々おかしいんじゃないかってワタクシめも思ってしまう訳ですよ」

 

 そんな勇斗からの辛辣な一言にもめげず、上条は再び口を開いた。しかし。

 

「……お前、そんな当たり前の事に今更気づいたのか? いくら記憶無くしてるとはいってもそんなん一瞬で気付くだろう? バカなのかな?」

 

「お、おう……? 暑さのせいか勇斗がやけに辛辣だ……?」

 

 勇斗から帰ってきた言葉のキャッチボールは容赦のないデッドボール。早い話が罵倒だった。

 

「……ま、あの『学芸都市』が2-3日前に潰れたからな。そのせいでそっち行った組の広域社会見学が中止になったってニュースもあるし、そっちにみんな食いついてるんだろ」

 

 口調をある程度和らげて、勇斗はつい数日前のニュースを思い出す。

 

 アメリカにある、島1個をまるまる使ったテーマパーク、『学芸都市』に関するものだ。そこは元々は島全体がとあるハリウッド映画を撮るためだけに作られたものらしく、その映画の撮影後に「わざわざ沖合50キロの洋上に苦労して直径10キロにもなる島を作ったんだから処分するのはもったいないし環境によろしくないしいっそテーマパークにしちゃおう」という話になり、全面的な改修が加えられ、結果として島そのものが世界最大のテーマパークとなったのだという。

 

 しかし、つい数日前。アメリカ政府が突然学芸都市の経営破綻と閉鎖を決定したというニュースが全世界に向かって発表された。世界最大のテーマパークが突然潰れてしまったという事で、学園都市の中だけでなく、世界中が今その話題で持ちきりなのだった。

 

「……なるほど。そういや確かにそんなニュースも見た気がする。確かどっかの空軍同士が街中でドンパチやったんだろ? 最近物騒だよな」

 

「らしいなー」

 

 そしてその閉鎖の原因となったのが学芸都市の防空部隊『ラヴィーゼ飛行隊』と“所属不明”の空軍による戦闘である、というのもこの話の盛り上がりに拍車をかけている。おまけにその“所属不明”の空軍が擁していた戦闘機が木製だった、なんていう未確認情報が上がった日にはもうなんとやら。昼間のワイドショーではたくさんの(自称)評論家たちが激論をぶつけ合っていることだろう。

 

「木製の戦闘機。普通ならそんなもんあり得ないけど……何となく、最近の諸々の魔術関連の事件のことを考えるとあり得ないとも言い切れないんだよなー。そんで、もしそこに本当に魔術師が関わってるのであれば、お前が原因の可能性が微粒子レベルで存在する……?」

 

「……いやいやいやいや。流石にそれは飛躍しすぎだぜ勇斗。流石のカミジョーさんでもそんな一大テーマパーク潰すレベルの不幸だなんて、持って……ない……、といいなあ……」

 

「……自分から話ふっといてあれだけど、うんスマン。……泣くな」

 

「……はい」

 

 とまあそんなこんなで猛暑の通学路を乗り切った2人は、涼しさを求めて教室に突撃したのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 朝のホームルームではニコニコとした笑顔を浮かべた小萌先生に2学期の行事についての説明(『いいですかーみなさん。大覇星祭(だいはせいさい)一端覧祭(いちはならんさい)、遠足に宿泊学習に修学旅行と楽しい楽しい行事たちが勢揃いの2学期なのですが、期末試験に追試に補習に涙の居残りとそれはそれはせんせーが楽しみにしてやまない行事たちもいーっぱい待ち受けているのですよー。遊んでばっかりいると2回目の高校1年生への道筋が開いてしまいますので気を付けて勉強するのですよ?(上条をガン見)』)を受け、早速頭を抱えだす級友たち(主に上条)を横目に見つつ授業を消化していく勇斗。 

 

 午後一発目の授業で土御門の姿が消えていることに気が付いたが、その事自体はよくある(?)ことだし深くは突っ込まず、結局その日は『平凡』に放課後を迎えた。ラッキースケベを起こした上条が吹寄に制裁を喰らったり、休み時間に騒ぎ出したデルタフォースがやはり吹寄に叩きのめされるのは『平凡』と見なして差し支えないだろう。

 

 その後帰り道で土御門舞夏と遭遇し、なにやら慌てる彼女から魔術事件への『招待状』を受け取った上条。項垂れながらとぼとぼと歩いていく上条に心の中で合掌し、勇斗は風紀委員第177支部へと急いだのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……スキルアウトの襲撃事件ねえ」

 

「そうなんです。ここ2-3日連続で起こってまして。被害者への方たちに事情を聴いてみたところ恐らく同一犯の仕業かと」

 

 到着して早々、パソコンの前に座ってデスクワークをこなしていた初春からそんな報告を受けた。

 

「本来であれば白井さんの巡回コース上にある地点なんですが、今回の広域社会見学の打ち切りで常盤台はその分の補習があるそうなんです。そのせいでちょっと見回りの人出が足りていないんですよ」

 

「……あれ? 初春と、あと佐天も広域社会見学は学芸都市に行ったんじゃなかったっけ?」

 

「うちの中学はあの行事そこまで重視してないんですよ。まあそれ相応のレポート課題は出てますけどねー。流石常盤台はやっぱり意識が違います」

 

 からからと笑いながらさらりとそんなことを言う初春。

 

「という訳なので、勇斗先輩に巡回をお願いしても大丈夫ですか?」

 

「ん、かまわんよ。あれだろ、ボッコボコにして痛い目に合わせて、二度とそんなことができないようにしてやればいいんだろ?」

 

「……先輩。やりすぎはダメです」

 

 さわやかな笑顔でそんなことを言ってのける勇斗を、苦笑いの初春がいさめて。そしてそんな流れの後で、勇斗は夕暮れの街に出た。夕焼けの街は下校する学生たちで溢れかえっている。その中に混じって緑の腕章を巻いた勇斗がのんびりと歩く。報告では、事件がよく起こるのは日暮れ間近の薄暗闇に包まれた逢魔が時。その時間までの暇つぶし(キルタイム)

 

 ――――そして、報告された時間。報告された場所。

 

 薄暗闇に包まれた第7学区の裏路地への入り口。学生たちの間では通称『ケンカ通り』とまで呼ばれている場所に、勇斗は立っていた。

 

 (この時間にわざわざこんな所を通るとか、被害者も被害者で何やってんだ。半分くらい自己責任じゃねえか)

 

 とかなんとかそんなことを考えながら勇斗は裏路地へと歩を進める。ぼんやりとした薄明りの中、何人かの人影が目に映った。押し殺したような笑い声すら聞こえてくる。

 

「……お前らもいつまでも暗いとこ隠れてないでさっさとお日様の下に出てこいよ。あれか、じめっとしたところが好きな苔か何か? それともカビ?」

 

 その暗がりの下、何やら蠢いている集団に向かって勇斗は敵意丸出しの罵声を浴びせる。瞬間、周囲の雰囲気が一変した。人を小馬鹿にするような笑いはもう聞こえてこない。辺りに広がるのは、勇斗に対する怒りと憎悪だ。

 

「おーおー能力者サマ。随分とまあ偉そうなお言葉じゃないですかぁ」

 

 今回の事件の主犯格であろう男の声と共に、ガラの悪い兄ちゃん(スキルアウト)達が暗闇から進み出てくる。

 

「やっぱり能力者サマくらいになると言う事も違うんですってかぁ? よくもまあこんだけの人数相手にそこまで言えんなあ。あぁ?」

 

 暗闇に慣れてきた目を、勇斗は周囲に走らせる。人数は6人。パッと見たところ、鉄パイプ、チェーン、スタンガン、折り畳み式ナイフといった思い思いの武器で武装している。

 

「今更後悔しても遅えぞ。あそこまで啖呵切られといて逃がすとでも思ってんですかぁ?」

 

「……能力者に対して劣等感を抱くのは仕方ないとは思うけどさ。俺はお前らみたいな奴らが一番嫌いなんだよ。……無能力者(レベル0)だろうが超能力者(レベル5)だろうが、他人に八つ当たりして怪我させるようなクズはぶっ潰す。逃げる訳ねえだろ」

 

「チッ!テメェ調子乗ってんなよ!?」

 

 そう言って、ガラの悪い兄ちゃん(スキルアウト)の1人が鉄パイプで勇斗に殴りかかってくる。しかしそれが勇斗に当たることはない。流れるような動作でそれをかわし、そのまま体を回転させて回し蹴りを腹に叩き込む。鈍い声をあげて、男は地面に倒れ込む。

 

「な……!テメェ!能力者じゃ……!」

 

「能力者、っても能力バカばっかりとは限らないぜ」

 

 勇斗はニッ、と笑った。

 

 ――――数分も経たないうちにスキルアウト達は全員意識を刈り取られ地面に転がっていた。言い訳を許さないよう、能力を全く使わずに純粋な体術で叩きのめした。勇斗は地面に転がる男たちの顔を見下ろす。見下ろしたところにあるその顔には驚愕と恐怖が等分に入り混じったような表情が浮かんでいた。ちょっと『お仕置き』がキツ過ぎたか、とも思ったがその点は完全にガラの悪い兄ちゃん(スキルアウト)達の自業自得である。勇斗は1人1人に手錠をかけ、最寄りの警備員(アンチスキル)に連絡をいれ、『留置所』に連行してもらった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 その帰り道の事だ。事後処理を終え、177支部に帰るために歩く勇斗の前方から、2人の少年が歩いてくるのが視界に飛び込んでくる。茶髪に白Yシャツの少年と黒髪に黒のポロシャツを着た少年。パッと見たところ、彼らには何一つ変な所は無かった。其処ら中にいる普通の学生たちと何ら変わったところは無い。

 

 片方の、黒髪の方の少年が携帯電話を耳に当て誰かと話をしているようだった。もう一方の、茶髪の少年がその横に並んで歩いていた。それも別に、おかしくも何ともない、よくある様子だ。

 

 しかし、注意深く観察してみると茶髪の少年の様子に不自然な所があるのに勇斗は気が付いた。笑いながら歩いているだけのように見えて、その目線がせわしなく動いている。それに、そこに気が付けばどこかそわそわしているような、そんな様子が感じられなくもない。

 

 こっそりと、悟られない程度に様子を観察する。そして近づくにつれて、話し声もとぎれとぎれながら聞こえてくる。声自体は小さいが、何やら興奮してしゃべっているのがわかる。

 

 そして、すれ違う瞬間。こんな言葉が聞こえてきたのだった。運が良かったのか、はたまた悪かったのか。おそらく勇斗にとっては前者で、少年たちにとっては後者だっただろう。

 

「……だから!学芸都市が潰れちまった後処理のせいで樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)の運搬日が変わっちまったらしいんだよ!」

 

 その一言が耳に飛び込んできた瞬間、勇斗の動きが一瞬だが硬直する。それからポツリと言葉を吐き出した。

 

「……樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)だって……?」

 

 そんな勇斗の様子に、茶髪の少年が目敏く気付いたようだった。隣を歩く黒髪の少年に合図をし、慌てて通話を切ったその少年と共に脱兎のごとくその場から逃げ出す。

 

「チッ……!!」

 

 そのあからさまな様子に、勇斗もその場から走り出す。

 

 そして話は、冒頭へと合流する。

 

 先行する2人組は裏路地に入っては右へ左へとくねくねと進路を変え、必死に勇斗から逃れようとしていた。

 

 しかし勇斗は、それを的確に追いかけ、更に距離をも詰めていく。そうしながら、勇斗はぼんやりと考える。

 

 (――――樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の残骸なんざ手に入れて一体何をしようってんだあいつら……?)

 

 樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)が世界最高の超高度並列演算器(アブソリュートシミュレーター)であった事は紛れもない事実だ。そんなものが失われてしまったとあれば、この街の人間としてはどうにかして復活させようと考えるのは至極当然と言って差し支えないだろう。実験に際する予測演算、結果の集計、天気『予知』、といった様々な用途でこのスパコンは使われる。つまり、ここから最も妥当な仮説をあげるとするならば――――。

 

 (――――まず考えられるのは、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)を復活させること。メリットなんかは腐るほどあって考えるのも面倒だけど、天気予知復活させたり、実験前に予測演算してもらって研究方法が最も効率的になるように方法を判断してもらったり、……木山先生みたいに。それから……ん? 効率的であるかの判断……そんな話、他にもどっかで聞いたような……)

 

 そして追いつく寸前、勇斗の頭にとある記憶がフラッシュバックする。8月の下旬、その直前に起こっていたとある事件の反省会をしていた時に、第3位の少女が言っていたとあるセリフ。

 

『「こんな実験はエラーだらけでうまくいかない」とかなんとか樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)に吐かせて、「こんな実験は効率的なものでは決してない」とかなんとか予言させられれば「実験」を止めれるかと思ってたんだけど、その時にはもう無かったのよねソレが』

 

 悔しそうな表情でジュースをすする御坂の顔をはっきりと思い出す。

 

 そう。勇斗の記憶が正しければ、絶対能力進化(レベル6シフト)計画のあんなクソみたいな実験内容を予測演算の結果として出したのは、――――樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)だ。

 

 (まさかあいつら……、絶対能力進化(レベル6シフト)計画の再開が目的なのか……?)

 

 レベル6。絶対能力者。神ならぬ身にて天上の意志に辿り着くもの。SYSTEM。

 

 様々な名で呼ばれるそれは、この街の研究者たちの悲願だ。それを作り上げるために、意識不明にさせられたたくさんの少年少女がいる。1万人以上の命が奪われた。そんな人の道を外れたような実験を、研究者に正当化させてしまうほどの、そんな領域なのだ。富や名声と言った欲に駆られた、あるいはただ純粋に絶対能力(レベル6)を追い求める狂気の(マッドな)研究者達が飛び付くだろうことは想像に難くない。

 

(……もしそうなら全力で潰さなきゃいけない。そうで無くても、『実験』が再開されるような可能性は全て摘み取る必要がある)

 

 そんな考えが浮かんでくるがまだ確証はない。

 

 とにもかくにも、今勇斗がすべきなのは。

 

(とりあえず、ぶん殴ってでも吐かせるか)

 

 少年たちに早急に追いついて、洗いざらい『尋問』することだ。

 

 

 



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ep.11 9月8日-2

 薄暗い裏路地を走ることしばらく。逢魔が時の薄闇に包まれながら、勇斗と少年達は10メートル程の間合いを取って対峙していた。勇斗は息ひとつ上がっていない涼しげな顔で、少年達は苦しげに息を吐き、強張ったような表情を浮かべていた。

 

「……さってと。いくつか聞きたいことがあるんで質問させてもらってもいいですかね?」

 

 勇斗はその、涼しげな無表情、を努めて意識しつつそう少年達に問いかけた。しかし、少年達は強張った表情のまま勇斗を睨み付けるだけで口を開こうとはしなかった。

 

「……ま、勝手に始めさせてもらっちゃいますけど。――――『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)』を手に入れようとする目的は何なんですかね? 事と次第によっちゃあテメェらを叩きのめしてでも妨害する必要があるんですけど」

 

「……はっ、何の話だよ、それ。樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)は今だって宇宙にあるじゃねーか」

 

 そこで勇斗の言葉に茶髪の方の少年が反応する。しかしそれは、あまりに稚拙なごまかしにすぎなかった。

 

「今更とぼけんのは無しにしようぜ。さっきのあからさまな対応を見たっていうのと、そっちの黒髪君が言ってたセリフが聞こえました、っていうだけで足りないのか? どうしても必要なら上層部に向けられた報告書を証拠に出してもいいんだぜ?」

 

 ちなみに、入手方法は御坂のハッキング(はんざいこうい)であることは言うまでもない。

 

 その勇斗の言葉に、少年達はそろって苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。

 

「そうそう。素直になるのが人間一番だ。……で、改めて聞かせてもらうけど、お前たちの目的は何だ? 『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)』を手に入れて何をしようとしている?」

 

「……そんな簡単に教えてもらえると思ってんのか?」

 

 茶髪の少年がそう言って、その横にいる黒髪の少年がそれに同意を示す。

 

「いや、別に? まあ、何事も無く聞きだすことができればそれがベストであることには変わらないけど。さっきも言った通り、俺はお前らを叩きのめしてでも聞き出すことをいとわない。……隠すには隠すなりの、何かしらの理由があるんだろうからな」

 

 その言葉と共に、音も無く静かに、勇斗の背中から白い翼が広がっていく。見かけだけで言えば、その姿は『天使』そのもの。『科学』が支配するこの学園都市には馴染まず似つかわしくないその姿。しかし、彼らはそれを見ても驚かない。その姿を、その能力の顕現を、知っていた(・・・・・)かのようなその反応に、勇斗はわずかに眉をひそめる。

 

「はっ!舐めた口きいてんじゃねえぞ!!」

 

 そこで、吹っ切れたのか、開き直ったのか。茶髪の方の少年が今までとは全く違う、野蛮で好戦的な笑みを浮かべて、――――そのまま突然に、右手を振るった。

 

 そこまでを目にした勇斗は『落ち着いた』様子で首を右に傾ける。何かが耳の横を通り抜けて行ったような、勇斗の左耳がそんな感覚や音を拾い上げていく。

 

 後方で、何か重いものが切断され、地面に叩き付けられたかのような音が連続した。

 

 勇斗はそれに目を向けることなく、呟く。

 

「……風力使い(エアロシューター)、か?」

 

「ハッ! 大当たりだよ!」

 

 その言葉と共に、夥しい、という形容がしっくりくるほどの量の真空の刃が勇斗に迫った。真空で形作られた刃が何重にも折り重なり、陽炎のように景色が揺らめいている。その1つ1つが、人間程度何の苦も無くスッパリ行ってしまうくらいの威力を持っている。

 

(また面倒くさい真似を……!)

 

 その刃を真っ直ぐに見据えて、勇斗は自らの能力を解き放つ。パパパパパパパッ!! っという連続する音と共に、収束されたAIM拡散力場と真空の刃が衝突した。

 

 その様子を目にしつつ、AIM拡散力場を射出した勢いを利用し、翼をはためかせて勇斗は後方へと飛び退る。

 

 ――――と、そこで。

 

 目の前の攻撃をやり過ごし、一瞬気を抜いた勇斗の周囲の地面が円形に陥没した。

 

 勇斗の体が『沈む』。頭上から圧し掛かる重圧に耐えながら顔を上げてみれば、ここまで目立った動きをしてこなかった黒髪の少年が、勇斗の方に向かって右腕を伸ばしている。

 

(……今度は『重力操作』か!)

 

 そこまで瞬時に把握して、勇斗は雷速の集中で演算を組み上げる。襲い掛かる重力に打ち勝てるだけのAIM拡散力場を収束させ打ち放ち、その『力』を吹き飛ばす。

 

 そんなにあっさりと自分の能力が破られるとは思っていなかったのだろう、驚愕で動きを止める少年(黒)。

 

 勇斗はその隙を見逃さず、再び収束させたAIM拡散力場の弾丸をその少年に叩き付けた。

 

「がっ……!?」

 

 吹き飛ばされた少年が路地横の壁面に衝突し、意識を失ったのかぐったりとしたその体が地面に転がった。

 

 同時。勇斗は背から伸びるその翼で虚空を薙ぎ払う。その一振りで自分めがけて殺到していた真空の刃を全て消し飛ばし、間髪入れず今度は茶髪の方の少年に『力』の弾丸をぶつける。

 

 黒髪の少年同様、壁に叩き付けられた茶髪の少年は意識を刈り取られ、湿った路地裏の地面に倒れこんだ。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……さて、後は回収して聞き込みかな」

 

 静けさを取り戻し、夜の帳が降り切った暗闇の中、勇斗のひとり言が静寂に溶けていく。足で少年達を軽く小突き、意識が無いことを確認して、風紀委員(ジャッジメント)に支給されている非金属製の手錠で2人を拘束した。

 

 そこまでやっても気絶しっぱなしの2人を、勇斗はじっくりと観察する。特に武装しているわけでもない、見る限りただの学生。一言謝罪の言葉を口にして彼らのポケットを探ってみるが、学生証などは入っておらず2人の正体につながるような物は見つけられない。舌打ちをして2人の下から離れ、そういえばまだ警備員(アンチスキル)に連絡を入れてなかったな、と携帯を取り出して、通報をしようと、した。

 

 唐突に、コツッ、と。

 

 小さな足音が耳に入る。

 

 そしてその音を、勇斗が『足音である』と認識した瞬間、勇斗の足元に転がっていた2人の少年の姿が『消失』した。

 

(なん……、ッ!!)

 

 そこで体が動いたのは、偶然と言って差し支えないだろう。

 

 勇斗の能力がAIM拡散力場を操るというものだったのが幸いした。その性質上、勇斗は五感に加えてAIM拡散力場の流れを知覚することができる。その力の流れに『揺らぎ』が生じた。能力の行使によって生み出される『力場の揺らぎ』、それが最も強かったのが、勇斗が立っていた座標だったのだ。

 

 置き去り(チャイルドエラー)として学園都市の『深部』に触れていたという経験。風紀委員(ジャッジメント)として訓練を重ね培ってきた経験。その『表』と『裏』両面で得た経験は、こういった有事の際に力を発揮する。

 

 とっさに飛び退いた勇斗が見たものは、つい先刻まで勇斗の右肩があった場所に出現していた、何やら街灯の光を反射してギラリと怪しく光る――――ワインのコルク抜きだった。

 

(――――今度は『空間移動』か!)

 

 連続して発生した現象から勇斗はそう推測する。そんな勇斗の前に、その推測を裏づけするように、突如新たな人影が出現する。

 

 街灯に後ろから照らされたシルエットは、髪を頭の後ろで2つに束ねてまとめてある、少女のそれだった。

 

「あなたには見つかりたくは無かったのだけれど」

 

 その人影が言葉を発する。それはやはり、高校生くらいの少女の物だ。

 

「見つかってしまったなら仕方ないし、大事になる前に撤退させてもらうわね。私の攻撃を回避してしまうような人と真っ向勝負なんてしたくないから。……じゃあね、千乃勇斗君。もしかしたら、またどこかで会うかもね」

 

 気づくと、地面に転がっていたコルク抜きはその人影の手に握られていた。そしてその人影はくるりと背を向けて、その場から一瞬で掻き消えた。

 

「…………」

 

 路地裏が再び静寂を取り戻す。勇斗はぐるりと辺りを見回し、それから周囲のAIM拡散力場を操作し、アクティブソナーの原理で周囲の様子を探る。周囲半径約50メートル程に人影が無い(無くなっている(・・・・・))ことを確認して、ようやく勇斗は緊張を解いた。

 

「……樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)ってだけでかなりきな臭いのに、それに高位能力者達が加担してるとなると……はぁ、ややこしいことになってるなあ」

 

 あくまで個人の感想ではあるが、先程交戦した2人の少年達は恐らく最低でも強能力者(レベル3)位の力はあった。そして最後の、『空間移動』の能力を持つ少女は自分自身の体の転移を行っていた。それだけで大能力者(レベル4)は確定。おまけに、自分から離れた所にあったコルク抜きを軽々と転移させていたところを見ると、同系統の能力を持つ白井より上位の空間移動能力を持っている。

 

「……とはいえ、大能力者(レベル4)を3人揃えた程度でどうにかできるほどこの街はやわじゃない。こりゃ後ろに何人か控えてると見るべきかな」

 

 大能力者(レベル4)程度(・・)であれば、立ち回りにさえ気を付ければ1対5くらいまでなら対応できる自信はある勇斗ではあるが、流石にそれ以上は厳しい。『超能力者(レベル5)に最も近い大能力者(レベル4)の1人』と関係各所で噂されている勇斗にも、限度というものがある。

 

 ――――と、なると。

 

「……手伝いを頼むしかない、か」

 

 確固たる証拠を掴まなければ、警備員(アンチスキル)達は恐らく動いてくれない。洗いざらい事情を説明すればすぐにでも駆けつけてきてくれそうな人を知らないと言えば嘘になるが、他人のプライベートに関わることをおいそれとぶちまけて良いかは甚だ疑問が残る。『裏』に関わってくる可能性がある以上、風紀委員(ジャッジメント)の面々を巻き込むのも気が引ける。

 

 そこまで考えて、勇斗の頭が1人の人物を思い浮かべた。

 

 というかむしろ、今回の件はもろに彼女に関わってくる可能性がある。何も言わなくてもそのうち事件の匂いを嗅ぎつけて飛び込んできそうではあるが、なるべく早いうちに引き込んでおいて双方にとって損には決してならない。

 

 ……そんなこんなで、ちょっぴり浮かんでくる罪悪感を正当化しつつ、勇斗は1人の少女に電話を掛ける。

 

 その少女は、ワンコール目ですぐに電話に出た。

 

『もしもし? 勇斗の方から私に電話をかけてくるなんて珍しいわね。何かあったの?』

 

 電話口からまくしたてるように聞こえてきたのは、御坂美琴の声だ。学芸都市での一件で課せられた補習帰りなのか、ちょっと疲れたような声色も感じられなくはない。

 

「あーっと、……近くに白井はいるか?」

 

『? いないけど。177支部に行かないといけないんですのー、って言って跳んでいっちゃったわよ。あの子になんか用事でもあったの?』

 

「いや、いないならそれがベストだ。アイツにはバラす訳にはいかない話だからな」

 

『……? あの子に言えないような話? 何よそれ』

 

「うーん……。……『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)』、って言えばピンと来ないか?」

 

 耳元で息を呑むような音が聞こえてきた。電話越しでもわかるほどに、会話の雰囲気が一変する。

 

「……ついさっきのことだ。路地裏で、その『残骸(レムナント)』を手に入れて何かをしようとしている奴らに遭遇したんだ」

 

 勇斗はゆっくりと歩き、大通りに出る。既に日は完全に暮れ、完全下校時刻を回ってしまっている。遠くの方を歩いている見回りの警備員(アンチスキル)が、そんな、街をぶらついている(ように見えなくもない)勇斗の姿を見つけ、注意をするためにと近づいてこようとする。しかし、勇斗の右腕に巻かれている腕章を確認すると苦笑いを浮かべてそのまま去っていく。

 

 そんな風景を目で捉えつつ、勇斗は言った。その声は、それまで以上の真剣味を帯びていた。

 

『……まさか、またあんな実験を始めようってやつらがいるっていうの?』

 

 低い、何かを抑え込むかのような御坂の声がする。

 

『あんなクソみたいな実験を、また?』

 

「……その辺の詳しい事情は調べてみないことには何とも言えない。という訳で、御坂の力を借りたい。……さっき戦ったのは3人。内1人は大能力者(レベル4)確定。残りの2人も最低でも強能力者(レベル3)だ。もしもそんな連中がゴロゴロしてるような集団を相手にしなきゃいけないんなら、流石に1人で首をつっこっむのは藪蛇だからな」

 

『考える間もなく良いに決まってるでしょ。私はあの子たちを守るためならいくらでも戦うわよ』

 

 言葉通りノータイムでの返事だった。

 

「そりゃ頼もしい」

 

『で、何か犯人を特定できるような手がかりとかは無いの?』

 

「無いわけじゃない。そいつらの1人が空間移動系統の能力者だったんだけど、確かこの街にその類の能力者は60人といなかったはず。おまけに、手を触れずに離れた所にある物体を、恐らく複数同時に転移させることができる程の高位能力者――――そんだけあれば絞り込むのも容易いはずだ」

 

『何よ、そんだけあれば書庫(バンク)漁れば一瞬じゃない。そんくらい私が探しておくわ』

 

「……一応犯罪だからやるなら気を付けてやれよ」

 

 御坂の発言に呆れ声で返し、その後いくつか今後の打ち合わせをしてから、勇斗達は通話を終えた。

 

 立ち止まって、空を見上げる。きれいな星空を覆い隠すように、西の空から雲が広がり始めていた。天気予報では、雲一つない快晴の予報だったのに。

 

「……まーた忙しくなりそう」

 

 そうボソッと呟いて、勇斗は帰路に就く。

 



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ep.12 9月10日-1

 時は放課後。場所は第7学区、斜光差し込む夕方の喫茶店。近場の中高生でごった返しているその店の一角に、その少年少女はいた。

 

 1人は高校生。童顔気味のそこそこ整った顔立ちで、短めの黒髪に茶色の目をしている風紀委員(ジャッジメント)の少年だ。どこぞのツンツン頭程ではないにしろ、そして彼の立場上、少なくない回数人助けをしているという事情もあり、恋する乙女そのものの目つきで彼をチラチラと盗み見ている女子中高生が、この喫茶店の中にもそこそこの数で存在している。

 

 もう1人は中学生。栗色の髪に花を模した髪飾りを着け、美少女と言って全く差し支えない顔立ちをしている少女だ。学園都市内部のみならず、世界レベルで有数のお嬢様学校で、同時に能力開発分野での名門、全校生徒が集結すればホワイトハウスすら丸腰で制圧できてしまうと噂される学校の制服を身に纏っている、全人口230万のこの街で7人しか存在しない超能力者(レベル5)の、第3位。

 

 様々な要因で自分たちに向けられる様々な感情のこもった視線を浴びつつ、しかしそれらに全く動揺することなく、2人は座っている。テーブルには湯気を立てるコーヒーのみが置かれ、その他の『余計な』ものは全く注文されていない。長居するつもりなど全く無いのだろう。そしてそんな2人が一体何をしているのかといえば。

 

「で、調べはついたか?」

 

「当然。私を一体誰だと思ってんのよ? 書庫(バンク)にアクセスするくらいわけないわよ」

 

 勇斗の問いかけに御坂が不遜な態度で応じ、キナ臭い会話が始まっていた。しかし、彼らの話声は周囲の喧騒で掻き消され、他の人間に届くことはない。

 

「……学園都市にいる空間移動能力者(テレポーター)は全部で58人。そのうち『複数の物体を同時に、そして自分の手で触れることなく飛ばせる』っていう条件全てに引っかかるのはたった1人。……霧ヶ岡女学院2年、結標淡希」

 

 御坂の口からその情報がもたらされると同時に、ポケットに入れていたスマートフォンタイプの携帯端末が振動した。見れば、御坂が調べ上げたデータが勇斗の端末に転送されている。画面をタップし、画像を表示させる。映し出された少女は髪を後ろで2つに束ねた髪型をしており、勇斗が目撃した姿と一致していた。

 

「……コイツで間違いない。あの日見たのはこの女だ」

 

 勇斗は確信を込めて呟く。

 

「流石この街トップの発電能力者(エレクトロマスター)。仕事が早い」

 

「……ホントだったらこれくらい30分もあれば調べ上げられるわよ」

 

「? ならなんで2日もかかったんだ?」

 

「『書庫(バンク)』に検索(ハッキング)かけたときにどっかのバカが『オメガシークレット』なんてこれまたバカげた代物を持ち出したからよ!」

 

 そこで忌々しげに御坂の口から飛び出した『代物』の名前を耳にして、勇斗の表情が引き攣る。

 

 『オメガシークレット』。定期的に学園都市で開催される、ネット上で用いられる暗号ソフトの開発大会で最優秀賞を勝ち取った代物で、全ての階層の全てのファイルに極めて特殊な、そしてそれぞれ別々な乱数処理が掛けられ、学園都市が世界に誇るスパコン群ですら解読に200年も要すると噂されるほどのとんでもないゲテモノだ。

 

 それに関して愚痴を言い続ける御坂。そして勇斗はその愚痴を聞きつつ、苦笑いを浮かべながらその『バカ』について思い出していた。

 

 ――――2日前。結標達との戦闘の後、勇斗が177支部に戻ると、固法、坂本、白井の3人が初春を取り囲んでいた。当の初春はその真ん中で正座。何度も頭を下げている。すわ何事かとポカンとしていると、勇斗の帰還に気づいた白井が近寄ってきて、事情を説明してくれたのだ。

 

『ハッカー撃退のために初春が書庫(バンク)全体に「オメガシークレット」を使いやがったんですの』

 

 ――――その後は地獄だった。深夜になるまで始末書顛末書書きに追われ、家路に着けた頃にはもう東の空が白み始めていた。

 

「――――ちょっと勇斗、聞いてる?」

 

 だんだんとその時の『地獄』を思い出し、遠い目をしていた勇斗の肩を御坂が揺する。

 

「――――ハッ! ……いや、もうその件は忘れよう。きっとそんな物を使いやがった犯人一味はきっとひどいめにあったよ、うん」

 

「……? まあ、確かにそんなバカの話はどうでもいいから本題に戻るけど」

 

 愚痴り終えてある程度はすっきりしたのか、精神的疲労にさいなまれた勇斗とは対照的なすっきりとした顔で、御坂は再び調査結果について話し出した。

 

「ちなみに能力名は座標移動(ムーブポイント)。黒子の空間移動(テレポート)みたいに『自分の体』っていう原点からA点に物体を飛ばすんじゃなくて、A点の物体をB点まで飛ばす……つまり、転移の始点が定まっていない空間移動(テレポート)よ。演算の複雑さは増すけど、その分使い勝手は段違い。恐らくこの街でも最高位の空間移動能力者(テレポーター)ってところね」

 

「なるほど……。下手したら超能力者(レベル5)認定されてもおかしくないわな」

 

 必死に全精神力を動員し、『地獄』の記憶を脇に追いやって、勇斗も本題に復帰する。

 

「……でも、されてない。きっとそこには何かしらの理由がある。引き続きコイツについて調べてみるわ。手がかりが見つかるかもしれないし」

 

「頼む。俺も風紀委員(ジャッジメント)の普段の仕事と並行してできることはやっておく。……同じクラスに霧ヶ丘からの転校生がいるからな。こいつについて何か知ってることが無いか聞いてみるよ」

 

「わかったわ。じゃあ何か新しいことがわかったら報告して。私もそうする」

 

「了解」

 

 時間にしておよそ10分程だったか。放課後の短い報告会はひとまずそれで終わりを迎え、再び各々の調査に戻っていく。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「あ、勇斗さんじゃないですか! 勉強教えてください勉強! 今度実力テストがあるんです!」

 

「……別にそんくらいいくらでも教えてやるからとりあえず荷物くらい置かせてくれ」

 

 御坂と別れ、真っ直ぐに177支部に向かった勇斗を出迎えたのは、柵川中学コンビの片割れ、佐天涙子だった。風紀委員(ジャッジメント)の一員では無いにもかかわらず、何故か177支部の入り口のセキュリティには登録されている。以前はただ遊びに来ているだけのようにも見えたが、最近になってよく事務処理などの手伝いをするようになった。先輩達は支部のメンバーに引き込もうと色々と裏で画策しているらしい。ちなみに勇斗としては大賛成だ。

 

 そんな風紀委員見習い?黒髪美少女佐天の相手をしていると、コンビのもう一方、初春が奥の方からトレーを持ってやってきた。何やら紅茶のいい香りが漂ってくる。

 

「お疲れ様です勇斗先輩。ちょうど紅茶淹れてたんで、持ってきました」

 

 その表情は疲れ切っており、心なし目元には隈が浮かんでいた。当事者としてデータ復旧に夜を徹してあたっているらしく、寝不足気味なようだ。その紅茶も、眠気覚ましのために淹れていたのかもしれない。

 

「お。サンキュー初春」

 

「いいえー。この前佐天さんと一緒に買いに行ったんですよ。せっかくいっぱい勉強したんで、ほんとはもっと味わって飲みたかったんですけどね……」

 

 そう言って初春は用意した3人分のカップをそれぞれの前に置き、ふらついた足取りでデスクの方に戻っていった。あんなにフラフラしていて、紅茶をパソコンにぶちまけたりしなければいいのだが。そんなことを考えた勇斗の鼻を、いっそう強く紅茶の香りがくすぐる。飲んでみると、紅茶には(というかお茶とかコーヒーとか、その辺全般には)全く詳しくない勇斗でもわかるくらいのレベルで味がいつも以上であるように感じられた。

 

「お、うまいなこれ」

 

「それはよかったです。勉強した甲斐がありましたよー」

 

 そう言って、顔だけこっちに向けて疲れを滲ませつつも微笑む初春。勇斗の横でウンウンと頷く佐天。

 

「……おい佐天。初春はともかく、お前は紅茶の勉強の前に学校の勉強ももっとしっかりやれよ……?」

 

 その一声で、佐天の笑顔が引きつった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 その後、遅れてやってきた坂本固法の先輩ペアに初春と佐天を引き渡し、勇斗は見回りに出た。夕暮れの街並みを眺めつつ、今日からは本来定められた巡回ルートからは外れた道を歩くことにする。

 

 ――――風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)の巡回ルートは効率的に、なるべく広範囲を見回りできるように設定されている。しかしそれでも、どうしても限界というものは存在する。普通の人間はそれに気づかない。だが、もし『何らかの方法』でそれを知ることができれば、その『死角』を利用することが可能になる。

 

 そしてこの街の『闇』に生きる者達は、そういった『死角』を好んで利用するという事を、勇斗は『知識』として知っている。

 

 ――――かくして、勇斗はその『死角』に潜り込み、そしてそこでとある少女に遭遇した。しかしそれは、探していた座標移動(ムーブポイント)の少女ではなく。

 

「……あれ、あなたは確か、……この前確か地下街で超お世話になった……勇斗さん?」

 

「ん……? あれ? 絹旗さん?」

 

 学園都市のセキュリティ網の『死角』に潜り込んだ勇斗の前に姿を現したのは、ふわふわなウール地のワンピースに身を包む小柄な栗毛の少女、絹旗最愛だった。

 

こんなところ(・・・・・・)で1人で何やってんだ?」

 

 こんなところ、に強調をおいて、勇斗は絹旗に問いかけた。それを敏感に感じ取ったのか、驚愕でいっぱいだった絹旗の顔に警戒が浮かぶのを、勇斗は見逃さない。

 

「……勇斗さんこそ、風紀委員(ジャッジメント)なのにこんなところ(・・・・・・)で超何をしてるんですか?」

 

 そして、込められたニュアンスを十二分に理解したうえで、絹旗は勇斗に問い返す。空気が張り詰めていくのが感じられた。

 

「……言って通じるかはわからないけど、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の件だよ」

 

 少しだけ考えてから、勇斗は正直に言う事にした。もし少しでも怪しいそぶりを見せたのなら、叩きのめして捕まえればいいだけだ、――――そう考えたからだ。

 

 そして勇斗の前で、絹旗は焦るわけでもなく、憤るわけでもなく、何かに納得するようなそぶりを見せた。

 

「……なるほど。確かにあなたは超電磁砲(レールガン)の超知り合いですから、彼女を助けるために動くというのは超納得できますね。つまり利害は超一致する、という訳ですか」

 

「……なんだって?」

 

 勇斗は目の前の少女が言った言葉を一つ一つ噛み砕き、確かめる。

 

 目の前の少女は勇斗と御坂が友人であることを知っている。

 

 目の前の少女は樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)が御坂に与えうる影響について理解している。

 

 (言葉をそのまま信じるのであれば)目の前の少女は勇斗達と利害が一致する。

 

 それらと、彼女がこの『死角』にいたことを、合わせて考えてみれば――――。

 

「……なるほど、学園都市側の『暗部』の一員って訳か」

 

 最も自然な推測を上げるとすれば、その結論に辿り着く。学園都市側から『残骸(レムナント)』を奪取しようとする集団と敵対している勇斗を、『利害が一致する』と言った。という事は、つまり目の前のふわふわワンピース少女は学園都市側の人間。そしてこの『死角』を活用し、様々な『裏』の事情、例えば絶対能力進化(レベル6シフト)計画について知っているのだ。そう考えるなと言う方が難しい。

 

「……超ご名答です。まあ、隠すつもりはありませんでしたけど」

 

 かくして、勇斗の推測は的中していたようだった。絹旗がふう、と息を吐き、張り詰めた雰囲気が若干弛緩する。

 

「全く……。『案内人』の分際で学園都市に楯突こうなんて100年早いってんですよ。そのくせ逃げ回るのは超達者で……、超面倒なことになってますよ全く」

 

 そう言って絹旗は愚痴をこぼす。暗部の情報網を駆使しても事はうまく進んでいないのか。何か今日は愚痴をよく聞くなあ、と思いつつ、勇斗は言った。

 

「おいおい。暗部にいる人間がそんなにペラペラと喋っちゃっていいのかよ。勝手にペラペラ話されて、あげく『お前は知りすぎた。消えてもらう』じゃ理不尽すぎるぞオイ」

 

 若干不機嫌そうな、そんな感じのあれやこれを言外に漂わせつつ。

 

「……あなたに話す分なら問題ないでしょう」

 

 しかし絹旗はニヤリと笑って。

 

「どうやら『案内人』一派とは超敵対しているようですし、あなたが超電磁砲(レールガン)に敵対するとは超考えにくいです。それに……」

 

 そこまで言って、笑みを消し、絹旗はちょっと押し黙った。言うべきか、言わざるべきか、迷っているような。――――わずかな逡巡の後、絹旗は再び口を開く。

 

「……………………あなたからはどうも、『同業者』の匂いがしますから」

 

 



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ep.13 9月10日-2

 千乃勇斗は基本的には人当たりのいい少年である。

 

 そりゃあもちろん、怒るようなことも無くは無い。生理的に受け付けないタイプの人間だって存在してはいる。ただ、それはあくまでも極端な例であって、『普通』(この言葉の定義は意外に難しいものではあるが)の人間に対しては(流石に上条程までとは言わないが)お人好しである。

 

 落し物をして困っているような人がいれば、監視カメラその他諸々の風紀委員(ジャッジメント)の権限を駆使してでも探す手伝いをするし、道行く人で重そうな荷物を抱えている人がいればそれを一緒に運んであげたりもする。ガラの悪い兄ちゃん達に絡まれている少年少女を見つければ、物怖じせずとりあえず間に割って入り、多少の実力行使に出るのも辞さない。テスト前、勉強で苦しんでいる奴がいれば(主に上条)、懇切丁寧にそいつの勉強に付き合ってやったりする。

 

 故に勇斗は、多少『行きすぎ』と評される時はあれど基本的には『イイやつ』であり、それ故に他人と打ち解けるのも早い。例えば新学期、クラス替えがあって見知らぬヤツラだらけのクラスに入ることになっても、2~3日もあればほとんどの人間と打ち解けているような。

 

 それはもしかしたら、幼少期に『置き去り(チャイルドエラー)』だった反動なのかもしれない。親の愛情に触れることなく、そして同じような境遇の子どもたちと共に育ってきたことが、今の勇斗のそんな性格を形作っているのかもしれない。

 

 さて。そんな勇斗くんは今どこにいるのだろう。つい先刻、学園都市の暗部に属しているだろう少女とのっぴきならない再会を果たした彼は、その後どうその局面を乗り切ったのか。

 

 あらためて勇斗は周囲を見回した。窓の外はもうほとんど夜の帳が降り、西の空を残して全てが濃い藍色に染め上げられていた。ここは第7学区にあるファミレス、『Joseph’s』。その4人掛けのボックス席の一角。ちょうど食事時、勇斗の周囲には多くの学生達が存在し、喧騒を作り上げている。

 

 そしてそれらにぼんやりと視線を向けた後で、勇斗はさまよわせていた視線を正面に戻した。向かい側に、ふわふわセーター的ワンピースに身を包む栗毛の少女が座っている。そんな少女――――絹旗最愛は真剣な目つきでメニューを眺めつつ、何やら呻いていた。

 

「うわー超お腹すきました。このオムライスにするべきか、はたまたこっちのトマトとカニクリームのパスタにするべきか、超悩みますね。勇斗さんはどうするつもりですか?」

 

「お、だだ被ったな……。じゃあ俺はトマトとカニクリームのパスタにするわ」

 

「む、なら私はオムライスにするしかなさそうですね。……ドリンクバーはどうしますか?」

 

「んー、そんくらい奢るぜ」

 

「あ、ほんとですか? なら超お言葉に甘えさせていただきます」

 

 そこにはさっきまでの張りつめたような雰囲気は無く、流れるのは何の変哲もない穏やかな空気だ。一体、何があったのか。

 

 それを語るには、少しばかり時間を遡る必要がある。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……………………あなたからはどうも、『同業者』の匂いがしますから」

 

 絹旗のそんな言葉が、夕暮れの学園都市に溶けていく。その言葉に、勇斗はわずかに動きを止めた。ほんの少しだけ、勇斗は過去に思いを馳せる。

 

 幼少期から能力に関する才能を見込まれた『置き去り(チャイルドエラー)』。勇斗の能力開発を担当した科学者が科学者なら、今の自分はここにはいなかったかもしれない。

 

 勇斗がいた研究所は所謂『暗部』とのつながりは確かにあった。一歩間違えれば堕とされていたかもしれない。しかし勇斗は運よく、あるいは何者かの加護によってか、今となっては知るすべはないがそれを逃れた。汚れ仕事ではなく、しかしそれでいて深いレベルでの『裏』へのつながり。『暗部』と言うよりは『深部』。ともかく、勇斗の育った環境はそんな感じの場所だった。

 

 別に居心地自体は悪くは無かった。担当開発官にも、友人にも恵まれた。それでも、所謂『普通』の学生とは圧倒的に違う環境。そんな場所で育った者特有の空気を、目の前の少女は感じ取ったのかもしれない。

 

 そして『それ』を感じ取ったという事は、恐らく目の前の少女も勇斗の同類なのだ。『深部』なのか、『暗部』なのかの違いはあれど。

 

 別に自分の事を話すだけなら全く構わない。それは今更どうしようもない事実なのだから。しかしそれは同時に、目の前の少女のプライベートを荒らしてしまう事にはならないだろうか。その逡巡が、勇斗の口を重くする。――――さて、どうするか。

 

 沈黙が訪れ、再び空気が重く張りつめてくるような、そんな感じ。ちょっと耐え難いそれに急かされて、とりあえず何かしらは話そうと重い口を開こうとした勇斗。

 

 だったが。

 

 くー、と。

 

 シリアス方向にまっしぐらだったその場の空気を完全にぶち壊しにするタイミングで、辺りに可愛らしい音が響き渡った。そしてそれは、明らかに目の前の少女のお腹辺りから聞こえてきた……ように感じた。

 

「……ん?」

 

 改めて、勇斗は目の前の少女を見つめる。さっきまでの緊張と警戒が等分に表れたような表情は欠片も存在していない。そこにあるのは、羞恥と怒りを9:1くらいでブレンドしたような真っ赤な表情を浮かべ、プルプルと小刻みに震えている女の子だけだ。

 

「……う」

 

「……う?」

 

「…………うにゃーぁぁぁぁぁああああああ! 聞きましたね聞こえましたね今すぐ忘れてください忘れなさいさもなくば超殺しますッ!!!!!」

 

 錯乱の極みでネコ化したのかな? と、かえって勇斗が冷静さを取り戻してしまうような、そんなレベルで、絹旗は取り乱していた。

 

「……ああ、うん。聞こえなかったキコエナカッタ」

 

「なんですかその超棒読み! うわー超恥ずかしい超恥ずかしいうわーぁぁぁぁあああ!!」

 

 顔を真っ赤にしつつ頭をぶんぶん振って呻く少女。…………今更になるが、この少女、かなり可愛い。インデックスや御坂、白井に初春に佐天に固法先輩と、自分の周囲に美少女が多いことを勇斗自身認識してはいるが、その美少女ズに全く引けを取っていない。そんな美少女が顔を真っ赤にしつつ、うにゃうにゃ言っていればそれはもうなんというかかんというかもはや言葉にする必要性すら微塵も感じられない。

 

 ここ最近の懸案事項など全てぶっ飛ぶレベルでの破壊力を秘めたそれを堪能し、それから気を取り直し、コホンと咳払いをして言う。

 

「……まあ、お腹が空いてるんなら、とりあえずファミレスでも行くか? いくらか話すことはあるし、聞きたいこともあるし」

 

 勇斗のその言葉にようやく動きを止める絹旗。ようやく落ち着いてきたのか、冷静さは取り戻してきたようで。

 

「……折角ですし、もうこんな所まで見られたら超ヤケクソです。ご一緒させてもらいます!」

 

 ……冷静さを取り戻したのか?

 

 とりあえずそんなこんなで、突然の夕食会と相成ったのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 そんな感じの、説明になっているんだかなっていないんだか第三者からしたらよくわからないような理由で打ち解けることに成功し、2人は夕飯を共にしていた。

 

 食べながら、お互いの抱えている(主に絹旗の)事情に突っ込み過ぎない範囲で、互いの身の上話を交わす。

 

「……ま、と言う訳だね」

 

 あらかた話し終えて、渇いたのどを潤すためにコーラを一口。甘ったるい刺激の強い砂糖水を飲みこむ勇斗に、絹旗は問う。

 

「うーん、さっきのお言葉を超そっくりそのまま返しますけど。そんな話を超ペラペラと喋っちゃって良かったんですか?」

 

「……そんな探せばいくらでも出てくるレベルの話を、しかも『裏』の人間に、ひた隠しにするだけ無意味だろ。つーかさっきの口ぶりからしたら俺と御坂の関係性を知ってたみたいだけど、こんくらいもうとっくに調べられてるもんだと思ってたよ」

 

 スプーンを使いつつ、ソースとパスタを絡めつつクルクルと巻いていく。本場ではスプーンを使って食べるのはお子様だけだとかなんとかいう話も聞くが、ここは日本である。つまりそんなことは全く気にしない。ライスをフォークの背に乗せて食べるか腹に乗せて食べるかくらいどうでもいい。あれだってわざわざ背に乗せる必要なんてないのにわざわざ乗せてまで食ってる人がいるくらいだ。綺麗に食べれれば問題ないだろう。ここが超高級料理屋とかならともかく。

 

 閑話休題。

 

「調べたのなんて書庫(バンク)に乗ってる情報プラスアルファくらいですよ。名前と通ってる高校。能力の特徴と交友関係くらいです。個人のプライバシーは超大切にする主義ですので」

 

 前半はまあ置いておくとして。後半が胡散臭いことこの上なかった。

 

「…………まあそれはいいとして。絹旗こそそこまで話してよかったのか? 『暗闇の五月計画』の件とかな?」

 

「んー、まあそれこそ調べればそんな名前くらい超すぐ出てきますし。……多少深い所まで潜る必要はありますけどね。まあこの街の『裏』に少しでも接点があれば、それくらい超簡単に調べられますよ」

 

 ――――暗闇の五月計画。学園都市最強の能力者、一方通行(アクセラレータ)の演算パターンを他人に植え付け、第1位の能力を量産する目的で行われた実験だった。思い返せば、勇斗がいた研究所からも何人か被験者として実験に参加していたような気がする。その後そいつらがどうなったのかは全く分からない。被験者たちはその被験者たちでまとまって新たな研究所に移籍していったため、全く接点が無くなってしまったのだ。今もどこかで健やかな生活を送っていることを願うが、どうやらそれは難しそうだ。

 

 まあそんななんやかんやの話をすることしばらく。そろそろ良い時間になってきたので、解散することと相成った。レジでの精算を待っている間、勇斗はふと、自分の携帯端末の電話帳の部分を見る。『か行』の所に1人、新たな人間が追加されていた。待合室の椅子に座って足をプラプラ揺らしている少女の携帯の電話帳には、恐らく『さ行』の所に1人、新たな人間が追加されているだろう。

 

「……では、お互いに何か手がかりがあれば超連絡をするという事で」

 

「おう。そうしてくれるとこっちとしても助かる。何せ間接的にとはいえ暗部の情報網を使えるんだからな」

 

「こちらとしてもあの(・・)第3位からの情報を得られるんですからもうけものですよ」

 

 そう互いに言って、互いにフフフと黒い笑みを交わし合う。時代劇とかでよくある、越後屋と悪代官みたいな感じのあれを思い浮かべてもらえば早いかもしれない。

 

「……それでは私はこの辺で失礼します。早めに戻らないと麦野に超怒られそうですからね」

 

「まあ深くは突っ込まないから気を付けて帰れよ。……っても、窒素装甲(オフェンスアーマー)があれば大丈夫だろうけど」

 

「拳銃すら止めれるんですから超大丈夫ですよ。……じゃあ、勇斗さん。今日は超ありがとうございました。願わくば、『敵』として会う事の無いことを超祈りますよ」

 

「とりあえず今の所この街にケンカ売るつもりはないから安心してくれ。じゃーな」

 

「はい。それでは」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 帰り道。死角を通りつつ帰路に就きながら、勇斗は考える。

 

 圧倒的に情報が足りておらず、後手後手に回らざるを得ないこの状況を打破するには、使える物は何でも使うしかない。

 

 ――――例えそれが、ちょっと(?)ばかり非合法なルートから仕入れたものであったとしても。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 『アイテム』の隠れ家に向かいつつ、絹旗最愛は考えていた。

 

 この街の暗闇の中で生き抜いていくためには、少しでも使える人脈は持っておくに限る。その点あの『御使降し(エンゼルフォール)』という能力を持つ『レベル4.5』なんて呼ばれ方すらされている少年は優秀すぎる程だ。半ば諦めかけてはいるが、それでも捨てきれない。こんなクソみたいな暗部の暮らしから抜け出すために。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「なあ美偉、白井」

 

「あら、何かしら大地」「何ですの、坂本先輩」

 

「いや、脈絡がないのは重々承知してはいるんだが」

 

「うん」「はい」

 

「勇斗って友人の1級フラグ建築士があーだこーだと言ってる割に」

 

「……」「……」

 

「アイツも大概可愛い女の子侍らせてるよな」

 

「……そうね」「……ですの」

 

 

 

 

 



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ep.14 9月14日-1

 勇斗が通っている高校は、第7学区にある何の変哲もない普通の高校である。

 

 能力開発に秀でているわけでもなし、かといって部活動に力を入れているわけでもない。通っている生徒たちの大部分は無能力者(レベル0)あるいは低能力者(レベル1)である。学校の敷地もこれといって広いわけでは無く、何某の研究所が隣接している、という事も無い。極めて『普通』。

 

 ……1つだけ例外を挙げるとすれば、ある種の『例外』が多い――多すぎる――ことだろうか。あらゆる『異能』を『殺す』右手を持った薄幸少年然り、『科学』と『魔術』両方の世界の『闇』に精通するニャーニャーアロハ然り、ヘビースモーカーな合法ロリ教師然り、統括理事のブレインを努める全てが不詳の先輩然り。

 

 ――――そして、対人口比で言えば超能力者(レベル5)に匹敵するくらい希少な存在である、通称『レベル4.5』が『2人』も在籍しているとか。

 

 そのうちの1人、能力『御使降し(エンゼルフォール)』を持つ勇斗は、Tシャツにハーフパンツという格好で廊下を歩きながら校庭の方へ歩いていた。あと5日もすれば世界最大の体育祭(うんどうかい)である『大覇星祭』が始まるという事で、ここから2時間ぶっ通しで体育の時間なのである。

 

「……いや、暑すぎじゃね?」

 

「……うっだー」

 

 昇降口から外に出たばかり、残暑が厳しすぎて早くもうんざりした表情を浮かべる勇斗の隣には上条の姿もあった。

 

「……いや、でも今日は座学の授業は無いからカミジョーさんはやる気に満ち溢れているんです事よー」

 

「ひでえ棒読みじゃねえか」

 

「……いくらなんでもこの暑さの中で動くのは、うん……」

 

 現在は1時間目がそろそろ終わるかといったところだ。今日は1時間目に能力測定、2-3時間目に体育、それ以降はお昼を挟みつつ大覇星祭の準備、という事で本来なら『退屈な授業ねえぜヒャッハぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』なはずなのだが。周囲を見渡せば勇斗や上条以外にもあまりの暑さにげんなりした様子のクラスメイト達があちらこちらに見受けられる。

 

「まあでも、時間的にそろそろアイツの測定時間だし、少しは涼しくなるんじゃないか?」

 

「……ああ、そういや確かに」

 

 勇斗がそう呟き、上条がそんな反応を返して。その直後の事だった。

 

 ボッ!! と。校庭の一角、ちょうどプールがあるあたりから突然爆発音のようなものが響き渡った。それと同時に、ものすごい量の霧がプールからあふれ出し、校庭全体に広がっていく。

 

「……相変わらず派手だねえ、アイツの能力測定は」

 

 気化熱の原理でだいぶ気温が下がったことで歓声を上げるクラスメイト達を横目に見つつ、ぼんやりとした様子で上条が呟いた。

 

「流石勇斗と同じ『レベル4.5』」

 

「……あそこまでド派手なことは、俺はなかなかできないけどな」

 

 苦笑いしつつ、勇斗はそう返す。

 

「ただ単に『できない』訳じゃなくて『なかなか』できないだけってあたり十分恐ろしい……」

 

 今は溢れ出す霧で全く様子を見ることができないが、プールサイドには彼らのクラスメイトが立っているはずだ。勇斗と同じ『レベル4.5』の俗称を頂戴している、学園都市最上位の『発火能力者(パイロキネシスト)』。その能力測定は、『25メートルプールいっぱいに張った水を、どれだけ早く蒸発させることができるか(考案、監修:月詠小萌)』という途轍もなく豪快なものだ。もちろん勇斗にも該当する話だが、能力測定の度に『金がかかりすぎる』と職員室では切実な、しかしそれでいて嬉しそうな悲鳴が上がっていると聞く。

 

 余談ではあるが、7月末に勇斗がステイル=マグヌスと対峙した際に余裕があったのはそのクラスメイトが原因だったりする。『あれこれそろそろプラズマ出来んじゃね?』というレベルに達する程の高温を作り出すことができる能力を近くで見ていれば、『3000度くらい』なんて思ってしまっても仕方ない。もちろんそれに対処する方法を持っている場合に限るが。

 

「……あんた達2人がしっかりやってくれれば、大覇星祭も結構いい所に食い込めるかもね」

 

 唐突に背後からそんな言葉を投げかけられ。振り返って見てみれば、姫神と共に吹寄が昇降口から出てきたところだった。暑さと照り付ける日光に顔をしかめつつ、2人は勇斗と上条のもとに近づいてくる。

 

「頼んだわよ。先生方も期待してるみたいだから」

 

「小萌も。職員会議でいっぱい。自慢してるみたい」

 

「ん、任せてくれ。それにアイツもこういう行事にはノリノリで参加するタイプだし、そこは心配しなくていいと思う。どっちかっていうとその他の奴らがちゃんとやってくれるかどうかだな……おっと、こいつも追い込まれればやる気は出すタイプだぞ吹寄」

 

 ジト目で上条を睨み付けていた吹寄に苦笑いを浮かべつつ釘を刺す勇斗。そんな吹寄の横では心当たりがあるのだろう、真剣な顔つきで姫神が頷いている。

 

「……ま、確かに半年くらい見てればそれくらい何となくわかるけどね。とにもかくにも、しっかり働いてもらうからそのつもりで」

 

 そう言い残して、吹寄は姫神を連れて颯爽と去っていった。いや、クラスメイトの女子の所に向かっただけなのだが。

 

「……大覇星祭も忙しくなりそうです、とカミジョーは自分の予想を口にします」

 

「お前がそう言うと普通の意味で『忙しく』なるわけじゃないような変な事態に巻き込まれそうな気がしてくるからそんなフラグめいたこと言うな」

 

 その言葉に対する上条の反論は、1時間目の終わりを告げるチャイムに掻き消された。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「という訳で今年の大覇星祭は忙しくなるらしいぜ」

 

 デルタフォースやら吹寄やら姫神やらと共に昼食(購買のパン、計400円)にパクつきながら、目の前で自作の弁当を食べている少年に勇斗は話しかける。

 

「それはもう願ったりかなったりだよ。僕としてはね」

 

 そんな勇斗に、その少年は二ヤリという擬音がしっくりくるような笑みを浮かべた。線の細い中性的といってもいいほどの顔立ち。同じく線の細いひょろっとした体形。身長は上条と同じくらい。名前は九重(ここのえ)悟志(さとし)。この学校で主席の勇斗に次ぐ、『レベル4.5』である。

 

 性格面で言えば、カテゴリーに違いはあれどデルタフォースの面々と少なくとも同程度には変人といえるかもしれない。『広く浅く』をモットーとする(とはいえ、大能力者であるからにはそれ相応の知識は当然持っているのだが)彼は、『対応している』範囲が異常に広い。デルタフォースと『萌え』について語っていたと思えば、所属している手芸部の女子と作品について語っていたり、かと思えばミリオタなクラスメイト達とミリタリーグッズについて熱く語っていたりする。そしてまたオカルトについての知識も持ち合わせており、以前上条宅に遊びに行ったときはインデックスから様々な知識を仕入れたらしく、その『外見』故に、以前第12学区(世界のオカルトを最先端心理学的に分析・研究しようという研究施設が多い)の研究所でそんな感じの、今思えば『能力開発にほんとに役に立つのか……?』的な知識を詰め込まれた勇斗を凌ぐほどの知識を持つに至ったらしい。

 

「いやあ、さっしーから小萌センセーを取り返すためにもがんばらんとなあ」

 

「……まあ、やる気になってくれるなら別に構わないんだけどね」

 

 真面目な顔で訳の分からないことをのたまう青髪ピアスに、頭痛を隠しきれないような表情で吹寄が辛うじてツッコミを入れる。

 

「で、初日最初の種目は何なんだい吹寄さん?」

 

 苦笑いを浮かべつつも、気を取り直そうと話題の転換を図る空気の読める男、九重君。

 

「確か最初は……棒倒しだったはずよ。まだ抽選してないから、対戦校がどこかとかはまだわかんないけどね」

 

「なるほど。てことは初っ端から、僕と勇斗のスペシャルコンビ大活躍の機会があるわけだね」

 

「お? 久しぶりに大暴れするか? 俺は大賛成なんだが」

 

「『レベル4.5』コンビ大暴れか。……対戦相手も不幸だなー」

 

「いい。すごく。頼もしい」

 

「いやはや全くだにゃー。……おい青髪、お前も本気出さないと余計2人に置いてかれるぞ。勇斗も悟志も小萌先生のお気に入りだからな」

 

「おまけにカミやんも小萌センセーのお気に入りやからなあ。……今からもうメラメラやる気が湧いてきたでー!」

 

(以上、上から 吹寄、悟志(ここのえ)、勇斗、上条、姫神、土御門、青髪)

 

 ……そんな感じの、周囲のクラスメイト達も巻き込んでのにぎやかな空気に囲まれていると、ここ数日の殺伐とした事件なんて頭から吹き飛んでしまうようだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 しかしそれでも実際に頭から吹き飛ばしてしまう訳にはいかないわけで。携帯に2人の少女からの連絡が入っていることを勇斗は確認した。

 

 1人は御坂美琴。内容は『連中の通信を傍受したら学園都市の内外に協力者がいるのが分かった。放置しとくと危険だからまとめてぶっ潰しておきたい』とのこと。

 

 もう1人は絹旗最愛。内容は『学園都市側は今日「樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)」を運搬する。しかし、どうやらその情報はもう既に「案内人」一派には伝わってしまっているらしく、内部でその一派を手引きしている人間がいるようだ』とのこと。

 

 それらに勇斗が独自で調べていた情報を付け足したうえで全員で共有し、残りの休み時間を目一杯使って今日の動きを話し合う。学園都市内部での話はどうにかなるとして、外部組織はどうするかちょっと悩んだが、そこは結局『プロ』に頼むことにした。ただし『表側』のである。職員室へと向かい、お目当ての人物を探すとすぐに見つかった。全身緑色のジャージを着ているので目立つのだ。

 

 勇斗は黄泉川に、今回の件の後ろ暗い部分はなるべくぼかして簡単な概況を説明した。街の外での活動であるため『上』への申請が必要という事だったが、『何が何でも認めさせてやるから安心するじゃん』という頼もしい言葉を頂戴したうえに、申請自体あっさり過ぎるくらい(黄泉川自身不気味に感じてしまうほど)簡単に通ったので、後は黄泉川率いる『警備員(アンチスキル)』の部隊に任せることにする。

 

 内部での活動に関しては、いつ結標達の襲撃があるかわからないため、基本的には対症療法を取ることにした。

 

 『残骸』の運搬中に結標達の襲撃があれば、『襲撃の実行部隊』を『襲撃』するのが御坂、『後方支援部隊』を『襲撃』するのが勇斗の役目だ。そしてどうやら絹旗が所属している暗部組織には、“それに合わせて”内部犯を粛清するよう依頼が出ているらしい。勇斗は思わず、その顔も知らない内部犯達に本気で同情した。御坂や勇斗、警備員(アンチスキル)ならいさ知らず、学園都市暗部に目を着けられたものの末路は1つしかないだろう。そいつ自身が有能なのであればまた違った末路をたどるであろうことも無くは無いだろうが、この街に敵対しようとする時点でその研究者たちは『その程度』にしか過ぎない。本当に能力があるのであれば、この街に反抗するより、この街に従っておいた方が有益なのだから。

 

 しかしすぐに、ただの自業自得か、という結論に至り、あっさりと気持ちを切り替えられる勇斗もどこか歪んでいると言われれば確かにそうなのだろう。そのあたり、勇斗もある種の『変人』であることに間違いではない。本人にも自覚はある。

 

「ちょっと千乃、そろそろお昼休み終わるわよ?」

 

「ああ、……ごめん、今戻るわ」

 

 席を外し、廊下で窓の外を眺めつつ手筈を整えていた勇斗に吹寄が声を掛ける。携帯端末をポケットにしまいながら教室に入っていく勇斗。

 

 ――――何はともあれ、実際に動けるのは放課後になってから。それまであと2コマ、大覇星祭の準備(主に作戦だて)をしなければ。今回の件でたまったストレスは大覇星祭で思う存分晴らしてやろう、とかそんなことを考えつつ人知れず悪い笑みを浮かべる勇斗だった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……で、何で絹旗がここにいるんだ?」

 

「そんなの超お手伝いに決まってるじゃないですか。わざわざ聞かないで下さいよ」

 

 時間は夜。事態は既に動き出していた。

 

 勇斗と絹旗の前方、暗がりの中から複数――恐らく20人はくだらない――の気配がする。それら全てが2人に対して明確な敵意を見せている。

 

――――勇斗としては有能な(有能過ぎる)後輩達の存在を喜ぶべきなのか否か、御坂という超能力者(レベル5)、絹旗という暗部組織の一員、そんな彼女らから情報がもたらされるとほぼ同時刻に、白井と初春という177支部が誇る名コンビが動き出してしまって(・・・・)いたのだ。空間移動(テレポート)を持つ白井から先手を取れるはずもなく、出遅れてしまった勇斗達。その結果、つい先程177支部で情報収集にあたっていた初春から、白井が重傷を負ってしまった、という連絡が入った。

 

 ――――あそこまで御坂が怒り狂っていたのは久しぶりに見たかもしれない。かくいう勇斗だって、大切に可愛がっている後輩が傷つけられて黙っちゃいられないわけなのだが。

 

 そんなこんなで、容赦してやろうという考えなんてもう欠片も無くなっていた勇斗の前に表れたのが絹旗だった。……いや、現れたというより、打ち合わせたポイントに勇斗が到着した時には既に彼女がいたのだ。

 

「――――たかだか内部犯を粛清するのに『ウチ』は超オーバーキル過ぎるくらい戦力過剰ですから。それだったら高位能力者相手に1人で突っ込もうとしてる人の手伝いに行く方が超有益だと判断した訳です」

 

 向けられる敵意を完全に無視して、フフン、と(そんなに無い)胸を張って、ドヤ顔でいう小柄な少女(生足つき)。こんなシリアスな状況にもかかわらずそんな姿に不覚にも萌えてしまった彼を責めることが一体誰にできようか。

 

 ――――閑話休題。

 

 手伝ってくれるというのなら勇斗に断る理由など欠片も無い。流石の勇斗でも高位能力者相手に1対20という超圧倒的数的不利は避けたい。

 

「……ならよろしく頼む。こちらとしては大事な大事な後輩が怪我させられてるからな。殺したり再起不能な怪我さえ負わせなけりゃ遠慮なくやって問題無い」

 

「手加減の具合が超微妙ですね。……まあその容赦の無さ、嫌いじゃありません」

 

 そう言って今日何度目かの悪い笑顔を浮かべあって、勇斗と絹旗はそろって『敵意』に向かい合った。こちらからも明確な『戦意』を向けたからか、場の空気が一層張り詰める。

 

「……そういえば勇斗さんの翼以外の能力を実際に見るのは今日が初めてですね。超期待してますよ」

 

「『窒素装甲(オフェンスアーマー)』を使った状態の怪力少女絹旗ちゃんを見るのも初めてだよ。こちらこそ見るのが楽しみだ」

 

 そう言って。2人の『大能力者(レベル4)』は、真っ向から小細工無しに、集団に突っ込んでいった。

 

 

 

 



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ep.15 9月14日-2

 暗がりの方から能力の行使に伴うAIM拡散力場の揺らぎが漣の様に打ち寄せてくるのを、勇斗は感じ取った。あと数瞬のうちに能力による一斉攻撃が来る。それに呼応して、勇斗は周囲至る所に満ち溢れるAIM拡散力場に干渉し、隷属させ、収束させ、そして前方扇形の範囲に撃ち放った。――――ほぼ同時、飛来した氷柱と真空の刃が放たれた力場に衝突し、氷が砕ける澄んだ音と共に氷柱も風の刃も雲散霧消する。

 

 時と場合は限定されるが、五感に頼るより早く相手の能力行使を察知できるのも『御使降し(エンゼルフォール)』の特徴の1つだ。『学園都市』で能力開発を受けたものなら無能力者(レベル0)だろうと超能力者(レベル5)だろうと、無意識無自覚のうちに発してしまう微弱な力、AIM拡散力場。この力は、能力行使に際して程度こそあれ『必ず』強弱の揺らぎが出る。勇斗はその揺らぎを可視の物として認識し、それによって能力の発動を認識する。後はそれに対して適切な対応を行えばいい。

 

 息つく間もなく、今度はのた打ち回る蛇のような動きで複数の炎が殺到する。勇斗だけでなく、その横にいる絹旗をも巻き込む形で。

 

 しかし勇斗は動揺を欠片も表情に滲ませることは無かった。一瞬の閃光と共に出現したその背の翼を、たった一度だけ振るう。それだけでその場所に暴風が吹き荒れ、炎の蛇が容易く吹き散らされた。

 

 『御使降し(エンゼルフォール)』の最大の特徴、それはこの科学の街に似つかわしくない、オカルトの象徴たる『翼』だ。勇斗自身にも、開発官(デベロッパー)にも、詳しいことはわかっていない。ただいつ頃からか、『AIM拡散力場の操作』という能力の副産物として勇斗に与えられた、無機質な白銀の一対二枚のその翼は、攻撃から防御から移動まで幅広い応用性を兼ね備える。

 

 そして、ここまで受けた攻撃のお返しとばかりに、勇斗は集団に向かって力場の砲弾を撃ち放つ。直撃を受けた何人かがその場から吹っ飛ばされ、地面やあるいは周囲の建物の壁に叩き付けられ、昏倒した。

 

 その勇斗に、暗がりに差し込むわずかな光でギラリと黒光りする何か――――恐らく拳銃――――が向けられた。一瞬の躊躇いの後、その銃口から轟音やマズルフラッシュと共に銃弾が吐きだされる。

 

 ――――しかし、勇斗は動かなかった。動けない(・・・・)のではなく、動かない(・・・・)何もできない(・・・・・・)のではなく、何もしない(・・・・・)。勇斗には、あるいは勇斗にも、というべきか。銃弾によって負うべきだったはずの傷はどこにも無い。そして、勇斗に向けられた射線に割り込むように絹旗が立っている。発砲者からすれば、標的の横に立っていた少女が身を挺して少年を凶弾から守ったように見えただろう。彼女もまた、それ以外に何か目に見えるような動きをしたわけではなかったからだ。しかし、守った少年の身代わりとなってその少女が斃れたのかと言われれば、そうでもない。

 

 ようやく暗がりに目が慣れたか、暗がりに潜む少年少女たちの姿がぼんやりと浮かび上がってきた。まだ詳しくは、例えば表情までは読み取ることはできないが、……それでも、勇斗は雰囲気で発砲した少年が何を思っているかを理解した。その少年は再び構えると、今度は迷いなく発砲する。勇斗ではなく、絹旗に向けて。――――しかし、結果は変わらない。最初に放った銃弾と同じように(・・・・・・)、それは標的に傷1つつけることなく乾いた音と共に地面に転がる。

 

 そんな不可解な現象を引き起こしたのは絹旗の持つ大能力(レベル4)、『窒素装甲(オフェンスアーマー)』だ。空気の主成分たる窒素を自在に操る能力で、効果範囲こそ体表面から数センチ程度と短いが、窒素を圧縮しその塊を操ることで数百キロ単位の物体を持ち上げたり、圧縮した窒素を自分の周囲に展開することで今の様に銃弾から身を守ることができる。他にも空気中の窒素の濃度を操作することにより間接的に風の流れを操る事が出来たりと、勇斗の『御使降し(エンゼルフォール)』に負けず劣らずの幅広い応用性を誇る。

 

「……最初の一発目を躊躇った割に超容赦なく急所を狙ってくるあたり、あなた方の覚悟は超本物なのでしょうが……」

 

 そう言って、やれやれ、といった感じで首を振って、窒素を操る少女は腰に巻いていたホルスターから拳銃を抜く。

 

「……私の『窒素装甲(オフェンスアーマー)』は拳銃如きでは貫けませんので。お返ししますね、これ(・・)

 

 ズドン!という轟音と共に銃弾が呆然と動きを止めていた少年に突き刺さる。血を辺りに飛び散らせながら少年は倒れた。

 

「……まあ、命を取るなというご注文を受けていますので命だけは取りませんけど。超命拾いですね」

 

 肩を押さえうめきながらのたうち回る少年にそう冷酷に告げて。それから絹旗はこの場には不釣り合いに思える得意げな笑顔で勇斗の方に向き直った。

 

「対物防御、対能力防御、どちらを取っても超バランスが良いですね私達」

 

「それな。『便利屋』かなんかでも始めればガッポリ稼げそうだ」

 

 勇斗もニヤリと笑って、そして不可視の弾丸を撃ち放つ。その弾丸は絹旗に背後から襲いかかろうとしていた電撃ごと、2-3人の人影を吹き飛ばした。

 

「油断さえしなけりゃな」

 

「超安心して背中を任せられる信頼感ゆえですよ」

 

「……否定はしないでおく」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 その少女は、焦りに恐怖や驚愕の入り混じったような表情を浮かべていた。こんなはずではなかったのだ。この件の仲間であり、小さいころからの親友でもあった結標淡希はこんなことになるとは言っていなかった。そして彼女自身もこんなことになるなんて予想はしていなかった。まさか『敵』が、こんな後方支援のチームにまで襲撃をしてくるとは思わなかったのだ。どうして居場所がばれたのか。ここからどう立て直すべきか。焦りに囚われながら必死に少女は思考を巡らせる。

 

 そうしている間にも、彼女の『仲間』はどんどんと倒されていく。能力による攻撃はあの(・・)『御使降し』が完全に無効化し、お返しとばかりに放たれる不可視の弾丸や翼による打撃で意識を刈り取られる。銃器による攻撃はその隣に立っている栗毛の少女によってこれも完全に防がれる。そしてその小柄な容姿では考えられないことに、1発のパンチだけで次々と意識を奪っていく。

 

 もう猶予は無い。残っているのは自分を含めてあと3……いや、2人。意を決して、彼女は腰に佩いていた竹刀を抜く。――竹刀とはいえ、それはコンクリート詰めされたドラム缶並に重い特別製だ。彼女の能力を使えば、それを自在に振るう事が出来る。

 

 そして、小柄な栗毛の少女が彼女以外に残っていた1人の少年を殴り飛ばしたところへ、彼女は飛び込んだ。一瞬の事で、その栗毛の少女の反応が遅れる。その隙をついて、彼女は竹刀を思い切り叩き込む。銃弾を防ぐほどの能力を打ち破ることはできなくても、その能力者ごと吹っ飛ばせばいい。かくしてその目論みは成功した。竹刀による打撃そのものは防がれたが、その一撃は軽い(であろう)少女を容易く吹き飛ばした。例え外傷が残るようなダメージは無くても、今のは確実に脳を揺さぶったはずだ。すぐに復帰するのは無理。そう判断して、彼女は壁にめり込んだ少女から『御使降し』の少年に標的を変更する。

 

 彼女にとってここでの襲撃は予想外だったが、千乃勇斗の介入は予想していたことではあった。その能力は予想を超えていたが。しかしそれでも、AIM拡散力場を収束させた弾丸やあの翼『程度』ではこの竹刀による一撃を防ぐのは不可能なはず。小手先の回りくどい技ではなく、ただ真っ直ぐな力押し。たとえもし、それで少年を傷つけることになったとしても、止まれない。止まらない。彼女にはまだ、すべきことがある。

 

 そして、矢のようなスピードで飛び込みながら、彼女は竹刀を振りかぶった。

 

 と、そこで。

 

 目の前にいる少年から『何か』が放たれた。攻撃か、と彼女が身構えるより早く、それは彼女の体を通り抜けていく。――――しかし、ダメージは無い。彼女の仲間の様に吹き飛ばされることも無く、意識を奪われることも無かった。不発だったのか、外したのか、収束させる力場の量を誤ったのか。一体何が起こったのか彼女には判別することはできなかったが、それでもこの攻撃をやり過ごした。これで、一矢報いることができる――――。

 

 そんな少女の思考は、しかし容易く裏切られた。

 

 全身を急な脱力感が襲った。それは一瞬の事で、すぐに脱力感は消えたのだがこの場ではその一瞬は致命的だった。手から竹刀がすっぽ抜けて飛んで行く。不自然に時間がゆっくりと流れていくように感じられた。幸いなことに(・・・・・・)その方向には誰もいない。頭の片隅でそんな感じの安堵を感じて、――そこで目と鼻の距離に少年が接近していることに気が付いた。

 

 しかし彼女がそのことに対して何かしらの行動を起こすより早く。

 

 顎に一撃を入れられ、脳が揺さぶられる。

 

 訳も分からないままに、彼女の意識は闇に沈んでいった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「絹旗、大丈夫か?」

 

 動くものがいなくなった路地裏で、勇斗の声だけが響く。

 

「……ええ、なんとか。まだ世界が超揺れてますけどね」

 

 その言葉に普段より弱々しい調子の返答をし、まだふらついたような様子で絹旗が勇斗の方に向かって歩いてきた。

 

「うう。最後の最後で超情けないことしてしまいました。超恥ずいです」

 

「つらいなら少し休んでな。警備員(アンチスキル)に通報しとくから」

 

「うー、おねがいしますー」

 

 そう言う絹旗に背を向けて、そして死屍累々辺りに転がる20人程を眺めつつ、勇斗は最寄りの警備員(アンチスキル)の詰所に電話を入れる。場所と人数と状況を簡単に伝え、通話を切ってから到着を待つまで1人1人に手錠をかけていく。何人かに手錠をかけたところで警備員(アンチスキル)が到着したので、その場を引き継ぎ、離れることにする。

 

「落ち着いた?」

 

 依然として地面に座ったままの絹旗に声をかける。それを聞いて顔を上げるが、まだ少し顔色が悪い。

 

「さっきよりは超マシですけど……まだ地球が回ってます」

 

「どうする?おぶってこうか?」

 

「あ、じゃあお言葉に甘えます……」

 

「おっけー」

 

 そう言って、勇斗は絹旗を背負う。銃弾を防ぎ人を殴り飛ばした人間とは思えない程軽く、柔らかい。そしておまけにいい匂いもする。

 

「……どうです、超柔らかいでしょう? 実は私スタイル超良いんです」

 

「寝言は寝て言え。柔らかいのは否定しないけどよ」

 

「チクショウ」

 

 そんなこんなで、勇斗は歩く。とりあえず、目的地は勇斗がいつも使っている(絹旗達もよくいるらしい)ファミレスだ。

 

「……そういえば勇斗さん」

 

 その道中、勇斗の背中に背負われたままの絹旗がふと口を開いた。

 

「ん?」

 

「確信は無いんですが……最後の最後、『何』をしたんですか?」

 

「……別に何も。ただ普通にAIM拡散力場をぶっ放しただけだよ」

 

 絹旗の言葉に込められたニュアンスを正確に理解しつつ、とりあえず勇斗はとぼけてみる。

 

「超嘘ですね」

 

 あっさりとバッサリ。ノータイムで否定。

 

「そこまでは私の能力に何の影響も無かったのに、『あの時』だけは私の能力が揺らいだんです。何かあると考えても超おかしくは無いでしょう」

 

「……制御をミスったか。……説明はするけど、一応これ皆に内緒にしてるから秘密な」

 

「はい」

 

「あれは……なんて言ったらいいか。ちょっと性質をいじったAIM拡散力場を相手にぶつけて、相手の能力発動をちょっと邪魔してる、って感じかなあ。自作AIMジャマーというか、キャストジャミングというか」

 

「……まあいろいろ置いておきますけど、ほんとにそんなこと可能なんですか?」

 

「いろいろ条件はあるけどね。まだ練習中だから相手の能力制御をちょこっといじってやるくらいしかできないし、その都合でどっちかっていうと力押しタイプの能力者くらいにしか効かないし」

 

「でもそれなら……今回のあれはちょうどよかったわけですね」

 

「そうそう。そういうわけだ」

 

 と、そこでとりあえずの目的地、ファミレス『Joseph's』に到着した。その話をいったん中断し、勇斗は絹旗に改めて問う。

 

「さっくり終わっちゃったせいで多分俺らが一番乗りだし、御坂には『巻き込んじゃうと悪いから私の方には手出し無用よ!』とか言われてるし、色々気になるけどとりあえずここで待ってようぜ」

 

「はい。超賛成です!」

 

 そんな絹旗の言葉が、勇斗の耳をくすぐった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――統括理事長へ報告

 

 9月14日 PM9:04 学園都市外部の敵対組織、『科学結社』の壊滅を確認。同日 PM9:05 学園都市内部において、『残骸(レムナント)』の完全破損を確認。これによって、樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の演算機能の復活可能性は0%に。

 

 以上より、絶対能力進化(レベル6シフト)実験の再開可能性は消滅。量産型能力者、通称『妹達(シスターズ)』欠員の可能性も消滅した。

 



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ep.16 9月15日

これで第2章、残骸編も終わりです。次回から大覇星祭に入ります。


 残骸(レムナント)を巡って巻き起こったとある事件の翌朝、勇斗はとある病院のとある病室にやってきていた。……早い話が冥土帰し(ヘブンキャンセラー)なんて異名を頂戴している凄腕医師がいるある意味『いつもの』病院だ。かといって、いつものごとく彼の友人である某ツンツン頭が『ふりだし』に戻ったわけでは無い。事件に首を突っ込んでおきながら、珍しく(宝くじに当たるよりも珍しいのではないかと思える程)今回は何の怪我も負っていない。上条もまた、今回は見舞う側だ。

 

 勇斗と、上条と、そしてインデックスの3人は、昨晩の騒ぎで重傷を負った、あるいは症状がぶり返してしまった、白井と御坂妹のお見舞いに来ていた。そして今、3人は病室から少し離れた談話スペースにいる。

 

「きのうはほんとにおどろいたんだよ。夜遅くにいきなりみことの妹がうちに来て、そしたらいきなり私たちの命をもう一度助けてください、なんて言うんだよ。そしたらとうま一言二言話を聞いただけですぐに飛び出して行っちゃって。……後から聞いた話じゃ、みこととゆうとの後輩の女の子をかっこよく助けた所まで(・・)は良かったんだけど、なんかやたらときざったらしいセリフを吐いておきながら、その後はほとんど役に立たなかったんだって」

 

「……うわー、マジかよお前……」

 

「もうやめてっ!カミジョーさんのライフはもうゼロなのっ!」

 

「とうま、改めて言ってあげるね。この役立たず」

 

「やめたげてよぅ!」

 

「おい当麻。病院で騒ぐなよ」

 

「チクショウ」

 

 そんなこんなでお見舞いもせずにワイワイやっているのにはそれ相応の理由がある。ノックもせずに上条が白井の病室のドアを開けた所、着替え中だったというある意味お約束のラッキースケベを発揮し、戦略的撤退(ビリビリビンタ付き)。気を取り直し、御坂妹の病室に向かったところ、培養器の中に素っ裸で御坂妹が浮かんでいるという限りなく予想外なラッキースケベが発動し、戦略的撤退(後頭部への噛みつき付き)。こういった諸々の理由(全ての元凶 = 上条)のおかげで、とりあえず白井の準備が済むまで待機という事になったのだった。

 

 と、そんな感じで騒いでいる3人の前に来客があった。勇斗にとって見覚えのある顔が2人。前を歩く柵川中コンビ。ないのが3人。常盤台中の制服を着ている。計5人。その全てが女の子だ。前を歩く2人が彼らの様子に気づいたようで、手を振って小走りで近づいてくる。――――それに気づいたインデックスの目が、スッと細まった。

 

「――――とうま? まさか今回だけであんなたくさんの女の子たちを手籠めにしたの?」

 

「ちげーよ!全員見覚え無いよ!あれだろ、勇斗の知り合いかなんかだろ!」

 

「――――ゆうともそんな人だったなんて……」

 

「俺も先頭の2人以外知らねーよ。しかもその2人もただの風紀委員(ジャッジメント)の後輩だよ!……おう初春、佐天。おはよう」

 

 とりあえずツッコミどころにツッコんでから、勇斗はその見覚えのある2人――初春と佐天に声をかけた。正確には佐天は(まだ?)風紀委員(ジャッジメント)ではないのだが。細かい所を気にしている余裕は無い。

 

「おはようございます、勇斗先輩」

 

「おはようございまーっす、勇斗さん!」

 

 初春は丁寧に、佐天は元気よく、それに応えた。病院には似つかわしくないその大声をたしなめつつ、勇斗は問う。

 

「なんだ、お前らもこの時間にお見舞いに来たのか」

 

「はい。できるだけ急いで来た方が白井さんも喜ぶかなーって思いまして」

 

「とか言って佐天さん。『学校を合法的にズル休み出来るから朝に行こう!』とかなんとか言ってませんでしたっけ?」

 

「そ、それを言うなぁぁ!」

 

 本当のことをあっさりばらされ、佐天はとりあえず初春のスカートをめくり上げる。――――何という事でしょう。上条の近くにいると空間全体がラッキースケベが発生しやすいように因果律的に歪められてしまうのでしょうか――――そんな感じの事を考えつつ、勇斗はポーカーフェイスで顔をそむけた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ややあって、とりあえず場に一通りの収拾がついたところで互いに自己紹介を済ませた勇斗達。通路に様子見に出てきた御坂から「もう少しだけ待ってて」との言葉をいただいたので、雑談タイムとなった。

 

「実はわたくし、以前勇斗さんに助けていただいたことがありまして……」

 

 会話が一段落したところで、そう話し始めたのは黒髪三つ編み少女、泡浮万彬だった。常盤台中の1年生。白井のクラスメイトで水泳部所属らしい。あまり男性と話す機会がなく緊張しているのだろう、恥ずかしそうな表情を浮かべながら、彼女は言う。

 

「たまたま1人で帰っていた時に道に迷いまして、その時に所謂不良の方達に絡まれてしまったんです」

 

「あー泡浮さんかわいいからねー」

 

「それに常盤台中学のお嬢様ですからね。仕方ないと思います」

 

 そんな佐天と初春の褒め言葉に曖昧な、困ったような笑顔を浮かべている。

 

「それで、その時に颯爽と駆けつけて、助けていただいたのが勇斗さんだったのです。遅くなってしまいましたけど、その節はどうもありがとうございました」

 

「あー……、そんなこともあったなあ」

 

「……実はやっぱりゆうともとうまと同じような人間だったのかな?」

 

 ボソッとしたインデックスの呟きをさわやかな笑顔で無視する勇斗。事件に首を突っ込むたびに新しいフラグを1本以上立てて、あるいはそれ以前のフラグを更に強固なものにしてしまう、そんなフラグメーカー的な性質など自分はあいにく持ちあわせてなどいないのだ。これだけは断言できる。――――そう考えている勇斗だったが、はてさてその実態は如何に。

 

 とりあえず、ここで黙ったままでいると何となく何かに引きずり込まれてドツボにはまってしまいそうなそんな得体のしれない漠然としたよくわからない予感に襲われたので、無難なことを言ってやり過ごすことを選択する。

 

「……次も駆けつけられる保証はないから、ちゃんと気をつけなよ?」

 

「はい。最近では婚后さんと湾内さんとご一緒させていただいてますので。多分大丈夫だと思います」

 

「ご安心なさって泡浮さん。もし不埒な輩が来たとしてもこのわたくしが成敗してさしあげますわ!」

 

 パシン!と扇子片手に大見得を切った(見栄を張ったわけでは無いと思うが)のは、さらっさらの黒髪をストレートに降ろした少女、婚后光子だ。名前やどんな人間であるかは勇斗も白井から聞いていた。常盤台中学への2学期からの転校生で御坂の同級生。物体に空気の噴射点を作り、その物体を飛ばすことのできる大能力者(レベル4)の『空力使い(エアロハンド)』。噴射点を束ねれば巨大な電波塔さえ成層圏(高度約10キロ)まで吹っ飛ばすことのできる凄まじい出力を誇る、らしい。ついた異名は『トンデモ発射場ガール』とのこと。せめてもっとマシな名前は無かったのかと思った勇斗だったが、白井曰くどうやら本人は満更でもないらしい。ちなみに気流を操ることができるという特性から、空を飛ぶ勇斗に対して『こうかはばつぐん』な能力者でもある。誰に言うつもりもないし、そしてそんなことになるとも思えないのだが、一応勇斗としては敵に回さないようにしようと考えている能力者の1人である。

 

 閑話休題。

 

 そしてその横。大げさに「おー!」とかなんとか言っている佐天や初春と違って、控えめに、そして何故かちょっと頬を染めながら、小さく拍手しているウェーブがかった栗毛の少女は湾内絹保。泡浮と同じく1年生、白井のクラスメイト、水泳部。……どうもこの少女が婚后を見るときの目つきがちょっとアレな感じがあるのだが……勇斗は深く突っ込まないことにした。女子校特有の頼りになる女子への尊敬だろう、と判断する。決して百合みたいだとか、そんなことは勇斗は一切考えていない。

 

 そんな彼女はさっきからインデックスと何やら意気投合したらしく(留学生だと適当に誤魔化しておいた)、何やら楽しげにしゃべっていた。漏れ聞こえてくる会話から推測するに、恐らくスイーツの話をしているのだろう。じゅるり、なんて音が聞こえてきたのも一度や二度ではない。願わくば親友のツンツン頭のためにも、インデックスに少しは淑女の何たるかを教え込んでほしいとは思っているが、果たして。

 

 そして上条はというと、初春と佐天の2人に質問攻めにされていた。勇斗がさっき、「ちなみに白井がよく言ってる『類人猿』ってこいつの事な」と言ったのが原因だが、傍から見て十分かわいいといえる美少女2人に囲まれて満更でもなさそうだ。

 

 そんな様子を、ぐるっと見回して。勇斗はベンチから立ち上がった。

 

「ちょっと席外すよ。もし御坂が来たら先に見舞いに行っててくれ。まだかかりそうだし、ちょっと別な奴の見舞いに行ってくる」

 

「あ、はーい。いってらっしゃーい」

 

 そんな佐天と、ちょっと話足りなさそうな表情の泡浮と、その他の美少女ズ(+上条)の見送りを受けて、勇斗はその場を離れた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「ここか……」

 

 早朝ここに着いてすぐ、カエル顔の医者に教えられた病室の前に勇斗は立っていた。廊下の向こうからはわずかに佐天の声が響いてくる。そんな行儀の悪い懲りない後輩に苦笑しつつ、勇斗はコンコン、と扉を叩いた。

 

「はーい!ってミサカはミサカは元気よく応答してみたり!」

 

 勇斗を出迎えたのは、そんな特徴的な言葉遣いの幼い少女の声だった。

 

「いったいいったいどちらさまー?ってミサカはミサカは勢いよく扉を開け放ってみる!」

 

 その言葉通り、スライド式のドアが外れてそのまますっ飛んで行くんじゃないかというくらいの勢いでドアが開く。そこにいたのは、御坂美琴を幼女化させたような、そんな少女だった。いや、幼女時代の御坂はこんな感じだったのだろう。なぜならその少女は、御坂と遺伝子レベルで同質の存在なのだから。

 

「……えっと、わたしが直接お会いするのは初めてだね、ってミサカはミサカは自分の記憶と目の前の人物を比べてみる。初めまして、千乃勇斗さん、ってミサカはミサカは挨拶してみる」

 

「初めまして、……えっと打ち止め(ラストオーダー)でいいのかな?」

 

「はーい、大正解!ってミサカはミサカは答えてみたり!」

 

 そうやって立派なアホ毛をぴょこぴょこ揺らしながら楽しげに笑う幼女を見ていると、いくらロリコンでもペドフィリアでもない勇斗でも何かこう小動物を見るようでお持ち帰りしたくなったりならなかったりしそうになるので、頭を一撫でしてから視線を部屋の奥に向ける。

 

 白髪で、抜けるように白い肌で、赤い瞳の少年が、ハトが豆鉄砲を食ったような顔で勇斗を見つめていた。

 

「勇斗……なのか?」

 

「ああ。久しぶり(・・・・)だな、一方通行(アクセラレータ)

 

 そんな少年に、勇斗は笑顔でそう言った。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「何年ぶりだ?5年とか?」

 

 途中、自動販売機で買ってきた缶コーヒーを布団に放り投げて、勇斗は問いかける。

 

「そろそろ6年ってとこだァ。……流石勇斗、相変わらずコーヒーの好みが合うねェ」

 

「そりゃどーも」

 

 そう言って二ヤリとした笑みを浮かべあう2人。と、

 

「えっと?2人って実は知り合いだったの?ってミサカはミサカは尋ねてみたり」

 

「うーん、まあ……昔馴染みって感じだよな?」

 

「……まあなァ」

 

 コーヒーをすすりつつ(ちなみに打ち止め(ラストオーダー)にはヤシの実サイダーを餌付け済み)、懐かしそうに一方通行(アクセラレータ)は言う。

 

「……俺がまだ完全に(・・・)狂いきっちまう前に、ちょうどそン時所属してた研究所が同じだったンだよ。他の人間がペコペコ媚びへつらう中で、コイツだけ対等に話しかけてきたンだ。最初はなンなンだコイツとか思ってたンだが、妙にコーヒーの好みが合ってたンだよなァ」

 

「だったな。ちなみにこいつはそん時初めて一緒に飲んだ銘柄だぜ」

 

「ハッ、忘れてるわけねェだろォ」

 

 そしてもう一度懐かしそうな目をした後で、グイっと一息で缶を空けた。

 

「……で、結局何しに来たンだ? どうせただ昔話をしに来たわけじゃねェんだろ?」

 

「いや、それもあるさ。けどまあ、それに夏休み最終日に打ち止め(ラストオーダー)を庇って大怪我をしたって言うのも聞いたからお見舞いも兼ねてるし、昨日の一件じゃあ最後にケリつけてくれたみたいだからそのお礼も兼ねてるし、それにあの(・・)妹達(シスターズ)の1人と一緒に居るって聞いたからその様子見も兼ねてるし」

 

「用件が多すぎて覚えきれないかもってミサカはミサカは口を挟んでみたり」

 

「オマエは黙っとけよ」

 

「えー、せっかくのお客さんだし一緒にお話に混ざりたい―ってミサカはミサカはぶーたれてみる」

 

「うぜェ」

 

「ひどっ!?ってミサカはミサカは」

 

「だからそのうっとォしィ口癖どォにかなんねェのかよ!」

 

 そんな感じで言い合う2人の様子を、勇斗は微笑ましそうに見つめる。妹達(シスターズ)の1人と一緒に居ると聞いて最初はどうなっていることやらと複雑な気持ちだった勇斗だったが、この分なら心配はいらないだろう。

 

「……ま、楽しそうで何よりだ。また来るよ。お大事に」

 

「あ、はーい。また会えるのを楽しみにしてるよ、ってミサカはミサカは爽やかな笑顔と共に元気に手を振ってみたり!」

 

「……オィ、毎回毎回頭をガスガス殴ってンのはワザとなンだな、アァ!? ……またなァ勇斗。次来る頃にはもっとマシな状態で出迎えられるようにしておくからよ」

 

「ああ、じゃあまたな」

 

 そう言って手を振って、勇斗はその病室を後にする。予想していたよりずっと気持ちは軽かった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「あ、勇斗さん!? 一体どこに行ってたんです!? いや、そんなことはどうでもいいんです!早く白井さんを止めてください!」

 

 戻った勇斗を出迎えたのはちょっとどころでなく余裕がなくなった初春だった。

 

「……? いったいな「おねえさまおねえさまおねえさま!!!! ぐふふふふへへへへへ!!!!」……にって、ああ、うん、大体わかった」

 

「多分それで大体あってます」

 

 頷く初春の後ろ、白井の病室の方からドッタンバッタン愉快な騒音といろんな叫び声が響いてくる。

 

「何で昨日の今日でもうそんなに活力に溢れてんのよ黒子!――――いや溢れてない!? 気力だけでベッドから這い出ようとすんなアンタ本当に死ぬわよ!!」

 

「やめるんだ白井!! 冗談抜きでお前ほんとに死ぬぞ!!」

 

「白井さん!! どうか落ち着いてください!!」

 

 切羽詰まったような御坂と上条と、そしてお嬢様にあるまじき大声で叫ぶ泡浮の声が響いてくる。どうやら本当にマズイらしい。

 

 あまりの出来事に軽く頭痛を浮かべながら、しかしそれとは裏腹に口元に笑みを浮かべて。勇斗は初春と共に白井の病室に飛び込んでいった。

 

 



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Chap.3 大覇星祭の表と裏で The_biggest_sports_festival !
ep.17 9月19日-1


 

 大覇星祭。

 

 それは180万人を超える学園都市の学生たちが学校ごとに別れて競い合う世界最大の体育祭である。

 

 開催期間中は7日間にわたって普段は閉鎖されている学園都市が外部に公開され、しかも学園都市外部ではまだまだ夢物語な『能力者』達が競い合うということで世界的に注目度は非常に高く、まだ午前中(しかも9月の普通の平日であるにもかかわらず)だというのに、校庭の端に作られた即席の観客席は既に多くの観客でほぼ満員に近い状態になっていた。恐らくそのどこかに、インデックスや御坂、柵川中コンビに常盤台トリオ、その他の友人たちといった応援部隊がいるはずだ。

 

 軽く一周見回して、勇斗は目線を選手控え所に戻した。つい先刻までは何だかんだ騒いでいたクラスメイト達が、しかし今は真剣極まりない表情で準備を進めている。上条も戦闘モードに入っていたし、クラス内では種類は違えど笑みがデフォルトの表情である土御門、青髪ピアス、九重の表情からも笑顔は欠片も見当たらなかった。普段からデルタフォースには手を焼かされている吹寄が、思わず「見直した」と呟いてしまう程に。

 

 これから始まるのは、初日最初の種目、『棒倒し』。対戦相手は何処ぞの私立のエリート校。こちら側には飛び抜けた戦力として勇斗や九重を含む数人がいるものの、平均に均して考えてみれば戦力差は圧倒的だ。ちっぽけなモチベーションなど10人分吹っ飛ばしてもまだお釣りがくるような、そんなやる気をなくしてしまいそうな状況である。――――本来であれば。

 

 しかし、彼らには全力で戦わなければならない理由ができた。勇斗や九重のように、統括理事会から能力使用にセーブを掛けるよう通達がされている能力者から、『手加減』や『容赦』、『お遊び』なんて言葉をきれいさっぱり消し去ってしまいかねない程の。

 

 デモンストレーションを兼ねた超能力者(レベル5)による選手宣誓で、『隠しても隠し切れない人格破綻者の集まり』という言葉を裏切らない騒動が巻き起こった開会式が終わり、校庭へと勇斗達のクラス総出で歩いていた時の事だ。最初に気づいたのは上条だった。対戦相手の学校の先生と思しきスーツの男が、彼らの愛すべき担任、月詠小萌と何やら話をしていたのだ。

 

 それは明らかに友好的なものではなく、険悪なものだった。――――エリート校である。在校する生徒たちが優れているのは当然の事だろうし、そんな生徒たちを自慢したくなる気持ちはわかる。当然プライドはお高いだろうから、鼻に突くような言動をしてしまうのもまあわかる。――――早い話、そのスーツの男は勇斗達を侮辱したのだ。『お前らのような低俗な高校にいるレベル4なんて私が育て上げた生徒たちには通用しないし、そもそもレベル0とかいう失敗作を大量に抱え込んでる時点でそんな猿山の大将が1人か2人いたところでどうにもならない。せいぜいタコ殴りにされて病院送りにならないように気をつけろ』と。

 

 別に侮辱されること自体は気にならなかった。勇斗や九重はそんな戯言ごときで一々腹を立てるなんて幼稚な真似をするような人間では無かったし、上条をはじめとする低レベルの生徒たちはそんなことはわざわざ言われるまでも無く知っていたし、自分の中でうまく割り切っていたからだ。

 

 しかし、それでも。

 

 彼らの愛すべき担任がその侮辱を全て1人で受け止め、涙を必死にこらえようとしている姿を見せられて、それでも『気にならない』なんて言えるような人間はこのクラスには、そしてこの学年には、1人も存在していなかった。

 

『それではまもなく、第7学区・高等学校の部・第一種目・棒倒し、を開始いたします。選手の皆さんはスタート位置に移動してください』

 

「……行くぞみんな」

 

 決して大きいとは言えない、しかしそれでもはっきりとした声で、上条は言った。

 

「先生のためにも、この戦いは負けられない」

 

 引き継いで、勇斗も口を開く。

 

 200人近い生徒たちが、一人残らず頷いた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 祭りの開始早々からそんなシリアスまっしぐらな空気がフィールドを覆っている裏で、観客席では正反対な風景が広がっていた。明らかに周囲とは雰囲気の違う美少女達が一箇所に固まっているのだ。

 

 実際中身は一癖も二癖もある人間だらけなのだが、とりあえず今のところは目立った行動も起こしたりせず、おとなしく座って競技の開始を待っている。

 

「……ねえみこと、とうまたちは勝てそうなの?」

 

「うーん……。正直な話、スポーツではかなりの名門私立が相手だから厳しいと思うわよ。一応勇斗を含めて学園都市で十指に入るくらいの『尖った』メンツもいるんだけど。……やっぱり平均的な戦力差で考えると厳しいかもね……」

 

「むー、そうなんだ。……とうまがんばれー!負けてもいいけど頑張らないと後でお仕置きなんだよー!!!」

 

「……相変わらず仲がよろしいというか、この後も一緒に回るのが前提だと……?」

 

 ぼそっと、小声でツッコミを入れる御坂。その様子を見ていた車イス白井が怒りと羨望で『黒井』状態になるのもある意味様式美であろう。

 

 そんな状態の白井をなだめる初春を横目に、佐天はニヤニヤしながら婚后と、御坂の反応について話し合っていた。年頃の女の子である。そんな感じの話は大好物だ。こうして、御坂の気付かないうちに『上条、インデックス、御坂』の三角関係ネタがじわじわと広がっていく。

 

「そういえば泡浮さんは勇斗さんの応援がしたいと言っておられましたよね。御坂さんにしても泡浮さんにしても、年上の殿方が気になるという方が多いですわよねえ」

 

「ぶっ!! わ、湾内さんっ!? と、突然何を……!?」

 

「いえー、だって泡浮さん、勇斗さんの話をしていられる時がとっても楽しそうですから」

 

 更にその横では、泡浮と湾内によるまた別口の恋バナが始まっていた。泡浮は顔を真っ赤にして、湾内はいつも以上にニコニコしている。目敏く(耳敏く?)その話題を聞きつけ、白井を抑え込みつつも興味津々といった表情を2人に向ける初春。

 

 シリアスな空気の裏で、こんなピンク色な(エロい話には非ず)空気が広がっていることを、勇斗や上条は知らない。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 そんな少女達から少し離れた所に、気候に合わせ夏服に身を包んだ栗毛の少女、絹旗最愛が座っていた。彼女は彼女にとって目下興味の対象である人物(たち)の名前を挙げつつ、だんだんと騒がしさを増してくる集団を見つめていた。別にどうということは無いはずなのだが、なんだかむしゃくしゃするようなそんな気がしないでもない。

 

 とりあえず照り付ける暑さのせいだろう、と結論付け、熱中症対策に持ってきていたスポーツドリンクを口に含んで、

 

「あら絹旗。こんな所で会うなんて奇遇ね」

 

「結局こっそり出てっても滝壺がいればすぐ見つけられるって訳よ」

 

「……前の席から信号が来てる」

 

 背中越しに聞こえてきた声のせいで、それを噴き出しそうになった。

 

「な……なん……?」

 

 げほげほ(むせ)ながらも背後に目をやる。そこにいたのは、見覚えのある3人組。

 

「……なんで麦野たちがこんなところにいるんですか」

 

 絹旗と同じ、学園都市に複数存在する暗部組織の1つ、『アイテム』のメンバーだった。

 

「いやー、だってウチの可愛い絹旗ちゃんに気になる男子が出来たってなったらそれは見に行くしかないでしょ」

 

 そう言ったのは、学園都市の第4位、『アイテム』のリーダー、麦野沈利だ。

 

「あんなにこそこそ出掛けていったら、結局自分から『着いてきてください』って言ってるのと変わらないってわけよ」

 

 続けてそう言ったのは、金髪碧眼の少女フレンダ=セイヴェルン。

 

「……だいじょうぶ。私はそんな初心(うぶ)なきぬはたを応援してる」

 

 そう締めくくったのは、ある意味最もこの大覇星祭らしい格好(ピンクジャージ)の滝壺理后だ。

 

 3人の表情は共通している。正確に言えば前2人と後1人では若干含んでいるニュアンスに違いはあるが、それでも『笑顔』を浮かべていることには変わりはない。

 

「き、気になるなんて、あの人は超ちが……!!」

 

「えー? 何か一昨日あたりにメール来てからあんた超ウキウキしてなかった?」

 

「な、なんでそれを……」

 

「いや、私だって一応電子使い(エレクトロマスター)の端くれだから。メールの発着信くらいわかるわよ。後はそれに合わせてちょこっと中身を確認すれば……」

 

「!? 超プライバシーの侵害じゃないですか!」

 

「でもそんなの無くてもここ最近の絹旗の行動見てれば結局何となくわかるって訳よ」

 

「……女の勘」

 

 フレンダはピースサイン、滝壺はサムズアップでそんな事実を告げる。

 

「……まあ何はともあれ絹旗。あんたが目を付けた『御使降し(エンゼルフォール)』だけど、聞いた話(・・・・)じゃライバルが多いみたいじゃない。しっかりやるのよ」

 

 と、麦野に先程まで彼女が視線を向けていた方を指し示されながら、いっそ清々しいほどの笑顔で念を押されて。

 

 絹旗最愛は観客たちのど真ん中で、顔を真っ赤に染めて頭を抱える羽目になった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 そんな感じで、結局当事者(しかも片方のみ)以外は皆なんだかんだお祭り騒ぎな感じのテンションになってしまっている競技場に、ようやく選手の入場がアナウンスされる。

 

 先に入場してきたのは勇斗達の対戦相手であるエリート校の生徒たちだった。テキパキと柱を立て、攻撃役であろうメンバーたちがその周りで最後の準備体操を行っていた。

 

「……なんていうか、ここから見ただけで動きが違うのが分かりますね……」

 

 はあー、という感嘆のため息を漏らしつつ初春は言った。運動に関してはずぶの素人である初春ですら、その動きに『違い』というものを感じ取っていた。

 

「それに緊張をなさっている様子もありません。……全世界にその様子が配信されるだなんて、考えるだけで緊張してしまいますのに……」

 

 湾内も同様のため息をつく。純粋培養お嬢様である彼女も一応はこういった大人数の前に出るような経験もあるにはあったのだが、世界に関わるレベルで公開されるとなるとやはり緊張が付きまとう。

 

「やっぱり場馴れしてるんでしょうねー」

 

 佐天は腕を組んでその様子を眺めている。表情は決して晴れているとは言えないものだった。

 

「むー、なんだか余計にとうまたちが勝てる気がしなくなってきたんだよ……」

 

 ぼやくインデックス。――――と、そこで。

 

「あ、上条さんと勇斗さんの学校も入場してきたようで、……え?」

 

 エリート校とはグラウンドを挟んで反対側、勇斗達のチームの入場口を見ていた婚后が驚きの声を上げた。

 

 もはやお嬢様にあるまじきレベルの声につられて、視線を向けた御坂を始めとする少女たち。そんな彼女らの目に飛び込んできたのは、

 

「……何、あれ……」

 

 一糸乱れぬ動きで統率された、本物の『猛者』達だった。

 

 声を荒げ相手を野次ることも無く。興奮して騒ぎ立てることも無く。ただひたすらに無言のまま。強烈な威圧感を相手に向けて放ちつつ、その『猛者』達は校庭に綺麗な一直線を描いていく。緊張しているとかしていないとか、そんなレベルの話ではない。恐らくあの集団は自軍と敵軍以外の何者も視界に入っていないだろう。抑えきれていない能力の余波が激突しあい、空気を震わせる不気味な効果音すら鳴り響いている。

 

「あ、あれを見てくださいですの!」

 

 と、少女たちが言葉を失っていた中、突然その沈黙から復帰した白井が一点を指しながら叫ぶ。その指差す先、集団の中央。そこに少女たちがよく見知った2人の少年がいた。すなわち、上条当麻と千乃勇斗。その2人を中心にして、その一団は形成されていた。

 

「……とうまってこんな大人数をまとめ上げるくらいすごかったんだ……」

 

 インデックスの呟きは、しかしそんな異様な雰囲気に呑み込まれ、消えていった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

『それじゃあみんな、準備はいいか』

 

 勇斗の学年に3人程いる念話能力者(テレパシスト)たちが構築したテレパスネットワークを媒介にして、勇斗は集団全体に呼びかける。

 

 声に出さず、ほぼ同時に頷く200人程の集団。そんな様子は更に対戦相手に威圧感を与えることとなる。しかしそんなことなど勇斗は露知らず。

 

『……作戦の指揮統括は吹寄に任せる。指示のタイミングは吹寄の判断で入れてくれ』

 

『任せて。キツイ一撃お見舞いしてやるわよ。……あんたら「レベル4.5」も、遠慮はいらないからね』

 

『元から情け容赦なんて掛けるつもりはない。なあ悟志』

 

『全くだね。最初から全力で行かせてもらうよ』

 

『……頼もしいわね。他のみんなも頼むわよ! あなた達が頑張らないとこの作戦は成功しないからね!』

 

『『『『『『おう!(はい!)』』』』』』

 

 吹寄の呼びかけに、意識を揺らしかねない程強い意志が込められた思念波が返答として送られてきて。

 

 ――――そこで競技開始を告げる笛が鳴り響く。

 

 世界最大の体育祭は、こうして今年も幕を開けたのだった。

 

 



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ep.18 9月19日-2

 開始の笛が鳴るや否や、『猛者』達は動き始めていた。

 

 まず初撃は九重。雷速の集中でその能力を解き放つ。グラウンドの半面、敵側の陣地一帯を範囲に指定し、その一帯の水分子の運動を加速させる。試合開始前に砂煙が舞うのを防ぐために水が撒かれていたために、九重の『武器』は地中に大量に存在している。やがて、とはいってもほんのわずかな時間で、だが。地中に含まれていた水が爆発的に気化し、高温の水蒸気が敵陣一帯に吹き荒れた。抑えきれなかった1本の柱がその勢いで吹っ飛ばされる。

 

 九重悟志の能力は発火能力(パイロキネシス)。学園都市の中ではポピュラーな能力であり、しかし彼の能力はただ火を起こすだけにはとどまらない。その本質は、物体の分子運動に干渉し温度を自在に操ること。ある意味では、物体運動に干渉する念動能力(テレキネシス)のミクロな概念への派生形。本人の強い希望で書庫(バンク)に登録されている『発火能力(パイロキネシス)』の能力名より、どちらかといえば『二つ名』の1つである『自在温度(サーマルトランス)』の方が言い得て妙なのではないかと勇斗は個人的に思っている。

 

 ――――余談となるが、この『分子運動操作』という性質を持つ能力(気流操作や水流操作のような群体の操作にも似た傾向があるが)は、干渉範囲を広げるにつれて対象となる分子の数が増えていき、演算の難易度が幾何級数的に増大するため、能力者の強度(レベル)に頭打ちが多い分野であるという事も知られている。しかし、九重悟志はそれでも抜きんでた演算能力を発揮し『レベル4.5』の一角に数えられている。彼にかかればプラズマから絶対零度寸前の極低温まで思いのままだ。

 

 次いで、二撃目を打ち込もうとしているのは勇斗だ。残っている6本の柱の内、両端の2本に狙いを定め、収束させた力場を撃ち放つ。その力場の奔流は柱を支える学生たちの体ごと柱を薙ぎ倒していった。

 

 演算能力に関しては勇斗も負けてはいない。本来AIM拡散力場というものは微弱な力だ。それを戦闘に応用するにはかなりの量の収束を必要とする。しかしその力場には、一定以上の量を収束させると爆発的に『力』が増大する、という性質があり、当然扱いを誤れば真っ先にダメージを喰らうのは自分自身である。そんなリスクを負った中で、戦闘に利用できる量の力場を“素早く”“正確に”収束させるにはかなり高度な演算が要求される。

 

 ――――結局のところ、演算能力だけを見れば彼らは超能力者(レベル5)に匹敵するだけのものを持っているといっても過言ではないのだ。

 

 と、柱が薙ぎ倒されるのとほぼ同時、敵陣のフィールド一帯の地面が炸裂し大量の土砂が巻き上げられた。既に充満していた水蒸気と合いまり、重く湿った不快な土煙が敵陣を覆い尽くし、敵の注意を『棒倒し』から『土煙の対処』へ強引に切り替える。

 

 この攻撃は、『超能力』と言われて恐らく多くの人が真っ先に思い浮かべるだろう、『念動能力(テレキネシス)』によるものだ。学園都市の中でも発火能力(パイロキネシス)を凌ぐ数の能力者が存在し、勇斗達の高校にも多くの念動能力者(テレキネシスト)が在籍している。その多数の念動能力者(テレキネシスト)が、吹寄の号令でタイミングを合わせ、一斉に能力を解き放ったのだった。

 

 そして、そんな隙を『猛者』達は見逃さなかった。

 

 大量に連なる足音が地響きすら生み出し、巨大な壁となって焦燥に駆られる敵陣へと殺到する。自陣から敵陣までの距離はわずか80メートル程。その距離を詰めるのには十分すぎた。念話使い(テレパシスト)達が構築したネットワークで吹寄の指示を受け、そして互いに連携を図りつつ、近接系能力者で構成された部隊が柱に襲い掛かった。

 

 我を取り戻したエリート達も反撃を試みる。しかしその時にはもう手遅れだった。彼らが襲い掛かる『敵』を排除するよりも、上条をはじめとする近接部隊が柱に飛びつく方が早い。相次いで3本の柱が倒れていく。

 

 その時、一矢報いようと敵陣側から3本の閃光が勇斗達の陣地に向かって放たれた。破れかぶれであるとはいえ、その威力は申し分ない。直撃すれば棒倒しの柱程度簡単に吹き飛ばすことが可能だろう。

 

 ――――しかし、その攻撃は無駄に終わることとなる。1つは勇斗、1つは九重が迎撃し、閃光を掻き消す。もう1つは敵陣を超えることすらできなかった。砂煙に吸い込まれたその閃光は、そのまま不自然に(・・・・)掻き消える。それが最後の抵抗だった。それ以上の反撃を許す前に、近接部隊が最後の1本を引き倒す。

 

 終わってみれば、決着がつくまで30秒とかかったかどうか。まさしく電光石火の決着だった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 あまりにも圧倒的で、あまりにも一方的な展開が繰り広げられた試合会場は、押し殺すような沈黙に包まれていた。だがその沈黙も長くは続かない。どこからか始まった拍手と歓声があっという間に会場全体に広がっていく。

 

「鬼気迫るといいますか……すごい迫力でしたわね」

 

 そんな中、少女たちの中で真っ先に口を開いたのは泡浮だった。その横では、はー、と湾内が感嘆のため息をついている。

 

「完全に相手チームが呑まれちゃってましたからね……」

 

「そんなところにあのような波状攻撃を叩き込まれては足を止めてしまっても仕方がありませんの」

 

「勇斗さんと上条さんの高校には相当有能な指揮官がいるんですねー」

 

 その言葉を引き継いで、初春白井佐天の3人が試合の感想を口にした。

 

「とーーーーまぁぁぁぁぁーーーー!! かっこよかったんだよぉぉぉぉぉーーー!!」

 

 観客席最前列ギリギリまで出ていって、インデックスはそんなことを大声で叫んだ。この騒がしい会場に居ながらよく気付いたものだ、上条は振り返り、力いっぱい手を振るインデックスに手を振りかえす(さわやかスマイル付き)。

 

 そんな後ろ姿を羨ましそうに見つめながら、それでも意地を張って座ったままでいる御坂。その横では、婚后がニヤニヤしながら手に持った扇子で御坂をつついている。

 

「……いやー、若いっていいですねー」

 

「ですねえ。ね、白井さん?」

 

「あ、あああああああああ類人猿がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!! お、おねえさまは渡しませんわよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

 

 そんな青春の1ページ的展開を見ながらしみじみと呟く佐天に、明らかに面白がって煽りにかかる初春。そして再び召喚された『黒井』。そんな彼女を、若干引いたような苦笑いと共に眺める泡浮。

 

「……初春さんって、顔に似合わず腹黒かったのですわね……」

 

 そして、とある少女の見た目と中身のギャップに、湾内は1人戦慄の表情を浮かべたのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 エリート校の生徒たちをコテンパンに叩きのめした後(生徒たち自体には何の恨みも無いのだが)、『猛者』たちは三々五々散っていく。この騒ぎの中心だった小萌先生は涙目になって何やら騒いでいたようだが、あるものは微笑みを向け、またあるものは頭を撫で、そして何も言わず去っていった。

 

 それは勇斗達も例外では無く。土御門は気付いた時には姿を消していたし、青髪ピアスもまだ見ぬ美少女を探しに行くんやとかなんとか言って喧騒の中に消えていった。上条は目をキラッキラに輝かせて上機嫌なインデックスに腕を引かれて屋台街に吸い込まれていったし、九重はその上条に涙目で頼みこまれ(主に財政的な理由)、腕を引かれて同じく喧騒に紛れていった。

 

 ――――で、勇斗はと言えば。

 

「さて、そんじゃー見回るとしますかねえ」

 

 体操服の右袖におなじみとなった緑の腕章をつけ、初春たちと同様に街中の見回りを始めていた。外部からの入場者が非常に多く、場所取りなどでのトラブルや迷子の捜索、道案内、果ては産業スパイへの対応まで。事態が深刻化する前に早急に対応するため、風紀委員(ジャッジメント)には競技時間以外における見回りが原則義務付けられているのだった。

 

 勇斗はぐるりと周囲を見回す。依然変わらず、視界には人、人、人。かなりの混雑具合だ。これは気合い入れて見回りしないとなあ、なんてことを考えた勇斗だったが、そんな時、彼の目が見覚えのある人物の姿を捉える。

 

「…………ステイル?」

 

 その言葉が口から零れ落ちたときには、もうその特徴的な姿は視界から消えていた。日本人離れした(人間離れした、でもあながち間違っていないとは思うが)長身を真っ黒の修道服に包み、燃えるような紅の髪にタバコと香水の匂いを纏わせる、イギリス清教第零聖堂区、必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔術師の姿は。

 

「……気のせいか?」

 

 あまりにも一瞬過ぎて、勇斗にはそれが本物だったのか、あるいは大覇星祭参加者のコスプレがたまたまそう見えてしまっただけの偽物だったのか判別ができなかった。偽物であってほしい、と勇斗は思う。もし本物だとしたら、勇斗が記憶する範囲でのステイルという人間はのんきに学園都市に観光にやってくるような人間ではない。十中八九、魔術絡みのトラブルを持ってきたに決まってる。そうなればほぼ確実に上条は巻き込まれるだろうし、そうなればこれまたほぼ確実に勇斗も何らかの形で巻き込まれるだろう。上条に対して「お前はトラブルに愛されてる」という評価を下す勇斗だが、自分自身も客観的に見れば十分「トラブルに愛されている」、あるいは「トラブルを愛している」側の人間であるという自覚は持っている。7月頃から上条の周囲で起こっている数々の事件のそのほとんどに、勇斗も何らかの形で関わっていたのだから。

 

 と、まあここでグダグダ考えていても仕方がない。本物であれば手伝うのもやぶさかではないし、偽物であればそれで結構。なるようになるだろう。

 

 そう、あっさりと結論付けて。勇斗は再び歩き始めた。

 

 ――――――――勇斗が見たのは本物のステイル=マグヌスであること。彼は移動中、一種の認識阻害魔術を掛けており、周囲に完璧に溶け込み、本来なら勇斗に(・・・・・・・)気づかれる(・・・・・)はずが無かった(・・・・・・・)こと。今頃土御門と合流したステイルが、まさに不穏な会話を始めていること。

 

 そんなことを、勇斗は知る由も無かった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 見回りの道中場所取りで揉めている学生たちのケンカを(積極的に)仲裁し、道案内を頼まれ、送り届けた先の公園から見えるスクリーンで借り物競争で御坂(with 上条)が圧勝する様子を確認し、その公園で見つけた金髪碧眼幼女を保護してその保護者に送り届け、途中その子の手を引っ張って屋台を巡っていた様子をピンクジャージな少女滝壺と共に出歩いていた絹旗に見られあらぬロリコン(あるいはペドフィリア)疑惑を掛けられ、たまたま遭遇した青髪ピアスに「ついにゆーやんもこっちの道に……!」とか感激され、スクリーンに映る御坂と婚后の二人三脚を背景に絹旗と滝壺にどぎつい視線を浴びつつもがんばって誤解を解き、テンションが上がった青髪を絹旗がタコ殴りにしようとするのを必死で止め、とりあえず青髪を回収しその場を去って――――

 

「――――という事があったんだ」

 

「ああ、うん。大変だったんだね……」

 

「……だから青髪はそこでぶっ倒れて気絶してんのか」

 

「まださっきの種目から1時間も経ってないんだけどにゃー……」

 

 間もなく第二種目、大玉転がし。めいめい集合場所に集まってきた友人たちに勇斗が見回り中の出来事を報告すると、彼らはおのおの微妙な苦笑いの表情を浮かべて勇斗を出迎えた。

 

「全くだ……。まさか初日からここまで疲れることになるとは思わなかったぜ」

 

 そう一言ぼやき、勇斗はため息をつく。そして勇斗はふと、先程浮かんだ疑問を土御門にぶつけてみようと考えた。

 

「…………なあ、土御門。1つ確認したいことがある」

 

「……なにかにゃー?」

 

 勇斗の言葉に、土御門の表情がほんのわずかに引き攣り、返答にもわずかに間が開く。常人は全く気付くことなどないようなほんのわずかな物ではあったが、勇斗と、そして九重が眉をひそめる。

 

「……さっき、ステイルらしき人影を見つけたんだが。もしかして今、何か面倒なことでも起こってるんじゃないか?」

 

「…………一応後から説明はするつもりだったんだがにゃー」

 

 勇斗の言葉に観念したような笑みを浮かべ、土御門はあっさりと首肯する。

 

「……詳しいことは大玉転がしが終わったらでも話すが」

 

 集合した同級生たちの前に出て今回の作戦を話し出す吹寄にちらりと横目を向けて、

 

「……学園都市に魔術師が潜入した。今もこの街のどこかをうろついてるらしい」

 

 余計な修飾も無い、シンプルな一言を土御門は告げる。

 

 奇しくもそれは、勇斗の想定した悪い方のシナリオ通りの物で。

 

 かくしてこの時、科学と魔術が複雑に入り混じり織りなす本当の『祭り』が、勇斗たちを巻き込んで始まったのだった。

 



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ep.19 9月19日-3

 大玉転がしも勇斗達が記録的に圧倒的な勝利を収めることになった。

 

 皆が満足げな笑みを浮かべつつバラバラに散らばっている中、一塊になって移動しているのは勇斗、上条、土御門、そしてタイミング的に同席することになった(羽目になってしまった?)九重の4人だ。

 

「……今は大覇星祭のおかげで、どうしても外部からの人の出入りの監視ってのが甘くなっちまうってのは仕方のないことではあるんだが」

 

 笑いながら歩きつつ、土御門はそう言って口火を切った。

 

「それに便乗して、この街の中に魔術師が入り込んだって訳ですたい」

 

「……目的は?」

 

「まさかとは思うけど、インデックスちゃんかい?」

 

 土御門の言葉に焦った上条が慌てて口を開こうとするその前に、勇斗と九重は落ち着いた様子で問いかける。

 

「……ま、最近そんな事件が多かったからカミやんがそこまで慌ててしまう気持ちもわからんではないし、勇斗と悟志がかえって落ち着いてしまうのもわからんではないけどにゃー」

 

 そんな3人の様子に、土御門はいつもの笑顔を崩すことなく、

 

その点に限れば(・・・・・・・)、安心してくれていいぜい。今回の敵の目的は禁書目録にちょっかいを掛けることじゃない」

 

 そして土御門は、そこで一旦言葉を切った。

 

「……敵さんの目的は、この学園都市の中でとある霊装の取引をすることだ」

 

「……は?」「……え?」「……!?」

 

 三者三様の表情で、しかしいずれも『驚き』の感情を露わにする勇斗、九重、上条。

 

「……でも、前に僕がインデックスちゃんに話を聞きに行ったとき、科学サイドと魔術サイドは原則互いに不可侵(アンタッチャブル)だっていう風に聞いた気がするんだけど。人数はわからないけど、何でその敵さんはわざわざ科学サイドの総本山でそんな真似をしようとしているんだい?」

 

 思い出したような表情を浮かべ、真っ先に土御門に問うたのは九重だった。

 

「……今の所、学園都市内部への侵入が確認されている魔術師は2人いる。ローマ正教所属のリドヴィア=ロレンツェッティっていう修道女(シスター)と、魔術業界では超有名な運び屋であるオリアナ=トムソン。そして恐らく、取り引き相手のやつが最低1人はいるはずだ。ただ、今の悟志の質問にも関わってくる理由で、こっちも大人数であるとは考えにくい。多くても2人ってとこだろう。……で、それじゃあ何でこんなオカルトに何のゆかりもない場所でそいつらは霊装の取り引きなんてものをやろうとしているのか。答えはシンプルだ。だからこそ(・・・・・)、だぜい」

 

 『聴衆』の反応を確認しつつ、土御門は解説を続ける。

 

「悟志が言った通り、原則的に科学と魔術は不可侵(アンタッチャブル)なものですたい。それ故に、『学園都市側の組織』である警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)は魔術師をむやみに捕まえらんないし、逆に『魔術側の組織』もむやみにこの街には入ってこれない。ほら、これでどちらの勢力の『組織』も手を出しにくい空隙の完成だろう?……ただし、この制限が適用されるのはあくまで『組織』なんですたい。この点が、リドヴィアとオリアナにうまく利用されてしまった点であるし、逆に事態打開のために俺達が利用する点でもある」

 

 そう言った土御門を先頭に4人は競技場を出た。そこにはステイル=マグヌスの姿があった。

 

「……知っての通り、コイツだって魔術サイドの人間だ。それなのに、何故学園都市内部への『侵入』を許されているのか」

 

「それは僕が、『上条当麻とその周辺の人間たちの個人的な知り合いだから、大覇星祭に合わせて遊びに来た』っていう大義名分を持っているからだね」

 

 魔術的な物か、はたまた科学的な物か、とにかく何らかの手段で話の内容は確認していたのだろう。自然な流れでステイルは話を引き取る。

 

「ただ残念ながら、これ以上はイギリス清教の援軍は期待できない。それを許せば、他の魔術組織の侵入を許さなければならなくなる。イギリス清教という組織にだけ例外を認めるわけにはいかないからね」

 

「つーこって、少数精鋭の攻め方でどうにかするしかないんだにゃー」

 

 事態の深刻さを全く感じさせない気楽な声で、土御門はそう締めくくった。

 

「……当麻の知り合いってんなら、何で神裂を連れてこなかったんだ? 確かアイツって『聖人』で、ロンドンで十指に入る実力を持った魔術師なんだろ?」

 

 そんな土御門に勇斗は素朴な疑問をぶつける。少数精鋭であるなら余計に、個としてずば抜けた力を持つ存在は不可欠なはずなのだが。

 

「……残念だが、今回ねーちんは使えない。ちょいっとばかり、取り引きされる霊装が特殊なんですたい」

 

 その質問にも、土御門はデフォルトの笑みを途切れさせることは無い。

 

「霊装の名前は、『刺突杭剣(スタブソード)』。その効果は、あらゆる聖人を一撃で即死させること」

 

 そんな土御門のセリフは、曲がりなりにも『聖人』についての知識を持つ3人を沈黙させるのには十分だった。

 

「……魔術理論、『偶像の理論』の影響下にあり、『神の子』やそれに連なる天使たちが振るう力の一端を宿す特別な人間、それが聖人だにゃー。だが同時に、『神の子』の力を宿すが故に、『神の子』の弱点も受け継いでしまってるんですたい」

 

「……なるほど。だから『ソード』なんだね」

 

 土御門がそこまで言ったところで九重がそう声を上げた。その九重の言葉に気づかされたように勇斗も小さく首を振る。

 

「……たったそれだけの情報で言い当ててしまえるなんて、やっぱり君たちはすごいね。ほんのわずかでもいいから上条当麻にも見習ってほしいものだ」

 

 ステイルのその言い方には上条も苦言を上げるが、その声色には確かに純粋な驚きが含まれていた。

 

「いやー、インデックスちゃんの魔術講座、ケテル編からマルクト編までに加えて、番外編のダアト編まで、全11編を完全履修したからね。そこら辺の解釈は何となくわかるよ」

 

「俺もなんだかんだ言ってオカルトめいたこと勉強させられたからな。当麻よりかは予備知識があるんだよ」

 

 こともなげにいう九重と勇斗。その横では複雑な表情を浮かべた上条が必死に九重の言葉の意味を理解しようと唸っている。

 

「……数多くの奇跡を起こした『神の子』を、一度とはいえ葬った釘や槍による刺突。その刺突、すなわち『刺殺』のイメージを抽出し、作り上げられたのが刺突杭剣(スタブソード)だにゃー」

 

 土御門はそんな上条を見て、ニヤっ、と笑った。

 

「言葉で言うだけなら簡単だが、その効果は絶大だ」

 

 『平らな』声でステイルが土御門の説明に続く。

 

「普通の人間には、例えばここにいる5人には、何の効果もない。でも相手が聖人なら、距離に関係なく、切っ先を向けられただけで、“終わる”」

 

「聖人は、魔術業界じゃあ核兵器に匹敵するほどの戦略兵器だ。ある意味、それは宗教世界に武力による世界の均衡をもたらすんだにゃー。けど、一部の勢力の意向で恣意的に聖人が殺されるなんてことがあれば、均衡を狂わされた国々や組織はそう長い時間を掛けずに崩壊していくんですたい。そうなれば? 世界が戦火に包まれるだろうことは歴史を紐解けば想像に難くない。……で、我ら『必要悪の教会(ネセサリウス)』としては、そんなことを見過ごしてやる訳にはいかないんだにゃー」

 

「……なら、土御門。インデックスに協力を仰ぐのはダメなのか? 『魔術』に関してアイツ以上に詳しい奴なんて俺は思いつかねーし、神裂が無理でも補って余りある戦力になるんじゃねーのか?」

 

「悪いがカミやん、それはダメなんだ。この件に関しては、『禁書目録』を使っちゃいけない。事件現場に近づけるのも、事件の情報を伝えるのも、一切な。……ああ、カミやんも勇斗も悟志も疑問に思うのはわかる。オレ自身もできることなら協力してほしいと思っている。でも、ダメなものはダメだ」

 

 土御門は面倒臭さを前面に押し出した苦笑いのまま、言う。

 

「ざっくり言えば、カミやんとインデックスの周りで起こったここ数か月の様々な魔術的事件のせいで、『禁書目録』の名前が必要以上に売れすぎちまってるんですたい。で、何としてでも学園都市へ潜入したいと考えている組織が『何かが起きるとすればその渦中には禁書目録がいる』って言って、インデックスの周囲の魔力の流れを重点的にサーチしてるらしいんだにゃー。……故に、インデックスを事件と近づけてしまうとほぼ確実にアウト。霊装を探して駆け回りつつ、イチャモン難癖その他理不尽だらけの理由を振りかざして街中に入ってきた更に別な組織にも対処しなきゃいけなくなるんですたい」

 

 さらっと、高難度のミッションを土御門は宣告して。

 

「てなわけで、効率的に動くために役割分担でもしようと思うんだにゃー。とりあえず実働部隊はオレとステイル、そしてカミやんで行かせてもらう」

 

「!? 待てよ土御門! 何で俺がさらっと実働部隊の頭数に入ってるんだ!?」

 

「良い質問だにゃーカミやん。まず勇斗は風紀委員(ジャッジメント)だぜい。余程の事(・・・・)にならない限り、真正面から(・・・・・)手伝いは頼めないんですたい。そして悟志には別のお願いがある。しかもカミやんなら学園都市上層部もイギリス清教上層部も顔パスでオッケーくれるんだから活用しない手は無いんだにゃー」

 

「顔パス……だと……」

 

 予想外に大げさとなっていた自分の身の回りの事態に、上条はorzよろしくへたり込む。

 

「で、悟志」

 

「なんだい?」

 

「悟志にはインデックスの『子守り』を頼みたいんだが、頼めるかにゃー?」

 

 土御門がその言葉を発した瞬間、ステイルの眉がわずかに吊り上ったのを勇斗は見た、ような気がした。

 

「別に構わないけど。どうして僕なんだい?」

 

「……インデックスの魔術話を、満足するまで顔を輝かせて聞いてくれそうなのは悟志くらいしか思いつかないからな」

 

「なるほどね。……いいよ。僕としても、更に知見を広げられるだろうからね」

 

 あっさりと、笑顔で九重はその役割を承諾した。

 

「そして勇斗なんだが……、風紀委員(ジャッジメント)の権限を使って、監視カメラネットワークを通じた監視を頼めるか?」

 

「そんくらいお安い御用だ。任せてくれ」

 

 勇斗もまた、ノータイムで肯定の意を返す。

 

「頼むぜい。……ま、勇斗にしろ悟志にしろ、緊急事態だと思ったらどんどん介入してくれて構わないからにゃー。例えば、“オレらの内の誰かが怪我をさせられたりした時”とかな。そこまでいけば、『正当防衛』をアピールすれば後は『上』の方が話をつけてくれるからにゃー。ド派手に行ってくれて構わないんだぜい」

 

 そう言って、土御門は悪い笑みを浮かべた。無言で頷いた勇斗や悟志も、同じような表情をしていたのかもしれない。珍しく上条とステイルが揃って、引き気味の視線を注いでいた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「とりあえず手がかりを見つけるまではオレらプロがどうにかするからテキトーにその辺で楽しんでるといいんだにゃー」というありがたいお言葉を頂戴した勇斗は、再び風紀委員(ジャッジメント)の仕事に復帰した(上条と九重は、小萌先生の所にいるインデックスを迎えに行った)。

 

 こんだけクソみたいに広い学園都市の中からどうやってたった数人しかいない魔術師を探り出すのだろうか、なんてことを考えつつ、勇斗は口にくわえたホイッスルを吹きつつ、区画の外に人混みを誘導していた。

 

 次の種目は『バルーンハンター』。各校から選抜された30人が、頭の上に取り付けた紙風船を指定された玉で割りあうゲームだ。競技範囲が広く、一般開放エリアの一部も使用するという事で、こうして交通整理を行う必要に駆られている。

 

 と、そんな勇斗に横合いから声が掛けられた。

 

「……もしかして、勇斗君かい?」

 

 それは普段はあまり聞くことの無い壮年の男性の声で。しかし勇斗にとって、それは聞き覚えのある声だった。

 

「あ、刀夜さん。それに、詩菜さんも。お久しぶりです」

 

「久しぶりだね」「久しぶりね、勇斗君。また随分と、凛々しくなったみたい」

 

 勇斗が振り向いた先にいたのは、予想に違わず上条刀夜と上条詩菜――――上条当麻の両親――――だった。勇斗は、彼らとは上条当麻という人間と知り合って以来の仲であり、置き去り(チャイルドエラー)として身寄りが無かった勇斗に対して様々な面で面倒を見てくれたという、勇斗にとっては頭が上がらない大人たちである。

 

「勇斗君は今年も風紀委員として頑張っているんだね。働きすぎて倒れました、なんてことにならないように気を付けるんだよ」

 

「その辺はちゃんとうまくやってますし、大丈夫ですよ」

 

 刀夜のそんな言葉に笑顔で返し、勇斗はその2人の後ろに立っている女性に目を向けた。見た目は大学生ぐらいか。グレーのワイシャツに、黒の細身のパンツという出で立ちで。体のある一部分を除けば、所々に勇斗の知り合いの少女の面影が見え隠れする。そんな女性が、勇斗と刀夜と詩菜の方に目を向けながら、ニコニコと人のよさそうな笑みを浮かべていた。まさかここに親戚関係でもあったのだろうか。偶然と言うものに驚愕しつつ、勇斗は口を開く。

 

「……もしかして、御坂美琴さんのお姉さんとかですか?」

 

 勇斗は今まで、御坂に姉妹がいたという話は全く聞かなかった(妹達(シスターズ)は除く)のだが。こんなに若くて美人な姉がいたというのか、なんてことを勇斗は考えていた。

 

「ん、惜しい!」

 

 しかし勇斗のその言葉は、その女性の一言で却下となった。

 

「……そっか、君がウチの美琴が言ってた千乃勇斗君ね」

 

 そう言って、その女性は微笑みを更に柔らかい物に変化させて、

 

「こんにちは、勇斗君。私は美琴の“母”の美鈴です。よろしくね!」

 

「……」

 

「「「HAHAァ !!??」」」

 

 その驚愕の発言に、勇斗のみならず刀夜や詩菜までもが、素っ頓狂な声を上げることになったのだった。

 



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ep.20 9月19日-4

「いけーがんばるんだよみつこー!!」

 

 人混みの中に、少女の叫び声が木霊する。普段彼女が身を包んでいるのは純白の修道服(ただし安全ピン付き)なのだが、今は可憐なチアガール衣装に身を包んでいる。本人としても普段着なれない服を着ることでテンションが上がっていたのだろう。つい先程まではかなりのハイテンションで、屋台から屋台へと飛び回っていた。しかし今、そんな少女――――インデックスの視線は、ビル側面の巨大スクリーンに釘づけになっていた。右手のリンゴ飴も、左手の焼イカも、今はすっかり意識から抜け落ちてしまっているようだ。大声を出して必死に友人を応援するそんな姿は、見ていてとても微笑ましい。

 

(……でも、やっぱりどこか空回りしてるんだよね)

 

 そんな美少女が傍に居ながら、九重悟志は冷静な目で彼女の様子を観察していた。とりあえず勇斗に言われた通りに屋台街を連れ回し、たくさんの食べ物を買い与え、そして知り合いの出る競技の観戦に連れては来たものの、空元気という感はどうしても拭えない。払拭できない寂しさを、必死に押し殺しているような。空しさを、必死に埋めようとしているような。そんな感じがする。

 

(……ま、原因なんて分かり切ってるんだけど)

 

 心の中で浮かべている苦笑いを、仮面(ペルソナ)を被ることで欠片も表情には表すことも無く、曇りの無い笑みを浮かべて。九重は心の内で1人の少年の姿を思い浮かべた。その少年は今頃この街のどこかを駆け回り、どこぞの得体のしれない魔術師と戦っているのだろうか。

 

(申し訳ないけど、僕にできるのは時間稼ぎが精々だよ。ステイルが僕を睨み付けるのも無理はないね)

 

 わずかに肩をすくめ、九重はそう割り切る。この少女の寂しさを埋めてあげるには、自分では役者が足りていない。

 

(さてさて。僕のボロが出るのが先か、当麻が戻ってくるのが先か、どっちになるかな)

 

 もう一度笑みを浮かべなおして、九重はスクリーンに映し出される映像に意識を戻した。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 その電話は、唐突にやってきた。

 

 昼食時間に向けて苛烈な場所取り戦争へと身を投じた上条夫妻、そして御坂ママと別れ、交通整理も終わり、手持無沙汰になってバルーンハンターを眺めていた勇斗。御坂(に見せかけた御坂妹(……?))が善戦空しく失格になったところで、勇斗の携帯がけたたましく着信を告げたのだった。

 

「……どうしたんだ土御門。やっと俺の出番か?」

 

 やや強張った感じになってしまった勇斗の問いかけに応えたのは、いつも通りの軽口だった。

 

『ああ。一財銀行ってとこの周辺にでっかい看板を持った外国人の女がいないか探してくれ。カミやんの幻想殺しがその女の何か……、おそらく術式を破壊した。そいつがどうも怪しい』

 

 内容はあまりにもかけ離れた、不穏極まりない物ではあったが。

 

「……オーケー。ちょっと待っててくれ」

 

 そう一言告げて、勇斗はズボンのポケットから端末を取り出す。それから、風紀委員(ジャッジメント)の権限で学園都市の監視カメラネットワークにアクセスし、指定された場所周辺の監視カメラの映像を次々と参照していく。

 

「……、……、……いた。でっかい看板を抱えた、金髪作業着姿の女。 一財銀行から北に150mの大通りだ」

 

 初春謹製のプログラムの補助(アシスト)のおかげか、予想外にあっさり見つかった敵と思しき女の姿を端末のディスプレイ越しに捉えつつ、勇斗は土御門に告げる。

 

『期待通りだぜい勇斗。助かるにゃー』

 

「まああれだ、健闘を祈る」

 

 その言葉と共に、通話を終えて。

 

「……いよいよ、始まったか」

 

 そしてそんなことをポツリと呟いて、勇斗はカメラによる追跡を開始した。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 その後、監視カメラ網の死角となる場所に潜り込む女魔術師を、途切れ途切れとはいえ勇斗は追いかけ続ける。途中、死角に逃げ込まれたことで見失ってしまったのか、追跡しているはずの3人の姿が無くなった。しかし、当の彼女はたまに死角に入りこむ以外に何も目立った行動を起こしていない。ただひたすらに、街中を動き回っているだけだった。プロの運び屋とはいえ、敵地のど真ん中でこんな気楽にしていていいのだろうか。いや、プロの運び屋だからこそ、ここまで余裕を持っているのだろうか。画面を眺めつつ、勇斗は思考に沈んでいく。

 

 と、そんな時。再び勇斗の携帯が鳴った。発信者はさっきと同じ、土御門だ。

 

『……勇斗。第7学区の南中学校周辺でもう1回探索を頼む』

 

 しかし電話口から聞こえてくる声は、さっきまでの気楽な調子の物とは全く違うものになっていた。疲労がにじみ出ているような、痛々しい吐息。そして一言一言に、今までにないほどの固さを感じさせる。

 

「一応さっきから追跡中だ。カメラの死角に入った時以外はずっとカメラに収まるようにはしてる。……俺の見えなかった所で何かあったのか?」

 

『……ステイルと、とばっちりで吹寄が巻き込まれた。そんなとこだ』

 

 そっけなく、しかし苛立ちを隠そうともしない厳しい声で土御門は言った。

 

「……ステイルが言うには、魔術師ってのは一般人を無差別に巻き込むような人間じゃなかったはずなんだけどな」

 

 叫びたくなったのを堪え、落ち着いた声で勇斗はそう問いかける。

 

『普通はありえない。まあ、こんな敵地のど真ん中を動き回るなんていう状態を普通と言っていいのかはわからないがな。……恐らく、この件に関しては向こうさんも完全に予想外だろう』

 

「……で、吹寄の容態は?」

 

『詳しくは省くが、喰らった魔術の効果は生命力の空転……早い話が熱中症を引き起こさせるようなものでな。カミやんが素早く対応してくれたし、その後は冥土返し(ヘヴンキャンセラー)のいる病院に運ばれたし、もう大丈夫だろう』

 

「そりゃ安心だ。あの先生なら何の心配もいらない」

 

 会話をしている間、画面に映る女魔術師には目立った動きは無かった。看板を抱えているというハンデを全く感じさせること無く、移動を続けている。

 

「で、だ。位置は地下鉄二日駅、北A1入口前を北に向かって進んでる」

 

『サンキュー』

 

「っと、電話切らなくていいぞ。ナビを続けるから、そのまま追いかけろ」

 

『了解。カミやん連れて追いかけるにゃー』

 

 しばらくすると、再び近くの監視カメラの画面に上条と土御門の姿が映るようになった。ステイルの方も探査魔術を発動しているらしく、今は土御門はステイルの方と話をしながら走っている。

 

『っ、勇斗! オリアナがバスに乗っちまう!』

 

 切羽詰まった上条の声が耳を叩いた。上条と土御門の前方をゆく女魔術師――――オリアナ=トムソンがバス停に到着し、バスの停車ボタンを押した。運悪く、その直後に自律バスが画面の中に入ってくる。

 

「把握してる。……循環バスのCルート便だな」

 

 画面の中で、オリアナがバスに乗り込んだ。それを確認しつつ、バスの路線図を端末画面の片隅に呼び出す。そして、予想される降車停留所付近のカメラにアクセスを、しようとしたところで。

 

『は? 何だって? ……勇斗、アイツが乗ってった自律バスに他の客って乗ってたか?』

 

「……、……乗ってないぞ。でも、それを聞いてどうす、」

 

 土御門と何やら言葉を交わし、それから勇斗にそう問いかけた上条の質問への返答を最後まで言い終える前に。

 

 画面中央にあった自律バスの側面から、紅蓮の炎が噴き出した。

 

「『……はあ!?』」

 

 電話を挟んでこちら側とあちら側で、勇斗と上条の間の抜けた声がハモる。一瞬遅れて、電話越しにゴン!! という爆発音が勇斗の耳にも飛び込んできた。車体が横滑りし、その勢いのまま横転する。火の手が回り、火ダルマとなった巨大な金属の塊が更に大きな炎を噴き上げた。

 

 それを見て、電話の向こうで上条と土御門が何やら話しているようだ。しかし、断続する爆発音がかき消してしまうせいで、勇斗の耳には何を話しているのか届いてこない。

 

 と、そこで。明確な動きがあった。

 

 無秩序に燃え盛っていた火柱が突如として渦を巻く。それは別に、火災旋風が発生したからでは無く、巻き込んだ炎を吹き消すほどの勢いだ。あれだけの炎が、跡形もなく消えてなくなった。そして炎を吹き飛ばしてもなお、その『竜巻』――――監視カメラのレンズが曇ったところから見れば、恐らくは『霧』だ――――は、生き物のようにうねりながら自律バスの残骸に薄く纏わりついていく。それは高温の残骸を覆い尽くしたにも関わらず、蒸発することも無く逆に炎を喰らい尽くしていく。

 

 そんな、物理法則を明らかに無視した現象。

 

 そして、蠢く霧を逆にたどっていけば、そこには1人の女が立っている。妖しげな表情で上条と土御門を見つめながら、口元には単語帳のようなものを咥えて。

 

 上条と土御門が10メートル弱の間合いを空けて彼女と対峙する。彼らが何かを話し始めたのを見た勇斗は通話を切り、それから監視カメラを集音モードに切り替える。無音だった映像に騒音と話し声が加わった。

 

『……お前の魔術のせいで吹寄が倒れたんだ。覚えてるだろ、俺がお前の魔術をぶち壊した時に、俺と一緒にいた女だ。お前は魔術のプロなんだろ? お前の目にはアイツが魔術なんてもんを知ってるように見えたのか? ……この街で霊装の取り引きなんてことをやろうとしてる自分に! 差し向けられた追手なんかに見えたのかよ!』

 

 怒りを内包した、わずかに震える上条の叫び声。が、それに対するオリアナの返答はあくまでも軽かった。

 

『この世に無関係な人間なんていないわ。その気になれば人は誰とだって関係できるもの。近頃SNSが流行っているのなんかはその最たるものでしょう?』

 

 そこまで言って、それから少しだけ声のトーンを落として、彼女は言葉を付け足した。

 

『……今さら何を言っても無駄だろうけど、あの子を傷つけるつもりはなかったわよ。進んで一般人を傷つけるような趣味なんて、お姉さんにはないもの』

 

 それでも、すぐに不敵な表情を取り戻し、

 

『……まあ、プロの子は例外だよ?』

 

 そう言って、彼女は単語帳の1ページを口で破り取る。瞬間、ジジッ、という甲高いノイズのような音をマイクが捉え、画面の向こう側で土御門の体が力なく折れ曲がり、ガタガタと震え出した。

 

『……あら、まだ意識があるのね。それだけの傷を負いながらまだ耐えているなんて、よっぽど魔術の耐性があるのかしら』

 

 慌てて駆け寄った上条と、少しずつ傾いでいく土御門を、場違いに思えるほどの艶やかな笑みと共に眺めて。

 

『でもね、……遅すぎる男の子も、女の子には嫌われちゃうんだよ』

 

 ふふ、という妖艶な笑い声が引き金となったのか。土御門の体が、地面へと倒れ込んだ。

 

 ――――その後、上条が何かを叫び、それに対してオリアナが変わらない調子で、何やら言い合っていたようだが、勇斗はそれら全てを無視した。携帯電話と端末をポケットに仕舞い込み、現在地と『戦場』の位置関係を頭に思い浮かべて。背中に出現させた翼を羽ばたかせ、一直線に空を切り裂く。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 上条とオリアナの距離は、たったの10メートル。ほんの数歩程度踏み込むだけで、上条の拳はオリアナに届く。

 

 しかしその数歩が、遠い。

 

 上条が踏み込もうとするたびにオリアナの左手が動き、口に近づけられた単語帳から1枚のページを破り取る。赤、青、黄、緑の4色と、[Fire][Water][Wind][Soil]の4属性を組み合わせた彼女の魔術が上条に襲いかかる。

 

「……やっぱりその右手、不思議よね。何がどうなってるのかしら?」

 

 上条の右手がその魔術を打ち消し、オリアナが怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「『表裏の喧騒(サイレントコイン)』の時もそうだったけど……、右手で奇跡を起こすなんてまるで『神の子』みたい、なんてね。こんなこと言ったらリドヴィアのお嬢ちゃんに怒られちゃうかな」

 

 再び、オリアナがページを破り取った。緑色の、『Wind Symbol』。この世界で『土』と『風』を司る色と文字。その不一致が反発し、そして混じり合い、複雑に絡み合った魔術が発動する。

 

 2人の間に分厚い氷の壁が出現した。ガラスの様に透き通る氷が、上条に向かって叩き付けられる。

 

「――――ッ!!」

 

 氷の向こう側、投げかけられるオリアナの視線を受け止めつつ、上条は右手で壁を迎え撃った。手が触れた瞬間、ガラスが砕けるような澄んだ音と共に分厚い氷の壁があっさりと崩れ去る。

 

 そして、この隙に彼女の元へ飛び込もうと足に力を込めたところで、

 

 ――――上条の視界から、オリアナの姿が消えていた。

 

 一瞬とはいえ、停止する思考と体。悪寒と共に、時間が限りなく引き伸ばされ。真横から、不気味な風切り音が響く。

 

(氷を利用した、擬似的な偏光能力(トリックアート)か……!!)

 

 間延びした感覚の中で、そんなことを思い浮かべて。

 

 上条が右手をあげるより早く、不可視の力が上条に襲い掛からんと飛来していた極薄の石刃を叩き落とし、粉々に粉砕した。石刃の纏っていた烈風が、残滓となって上条の髪を巻き上げる。

 

 その一撃に上条は覚えがあった。学園都市に満ち溢れる微弱な力場を手繰り寄せ、強烈な一撃として撃ち放つことのできる、そんな能力と能力者に。

 

 上条の横に移動していたオリアナが驚愕の表情を浮かべて見上げているその視線の先を辿り、上条も空を見上げる。

 

 予想した通りだった。上条とオリアナ、2人の目に飛び込んできたのは、白銀の翼を背負い、厳しい眼差しをオリアナに向ける勇斗の姿だった。

 



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ep.21 9月19日-5

 

 地面に降り立った勇斗の背から、白銀の翼が溶けるように消えていく。

 

「……サンキュー勇斗。助かった」

 

「間一髪だったな。間に合ってよかったよ」

 

 上条は大きく安堵のため息をついて、そして勇斗はホッとしたような声色で上条の声に応えた。

 

「……魔術を打ち消す力、の次は、天使の姿をした少年、ねえ」

 

 そんな勇斗と上条の様子を楽しげな表情で眺めながら、オリアナは嘯く。

 

「学園都市って、随分とまあ珍しい子を集めてるのね。ふふ、お姉さん興奮してきちゃった」

 

 その言葉と共に、オリアナは新しいページを口で破り取った。同時、振るわれた左手に暗闇が収束しその手に剣が出現する。そしてそのまま、しなる鞭のような動きで一気に長さを増して、2人に襲い掛かった。

 

「……興奮するのは勝手だけどさ」

 

 一歩前に出た上条の右手が影の剣を打ち消したのを横目で確認して、呆れたような表情をありありと顔に張り付けて、

 

「他人をそれに巻き込むなよ。迷惑だ」

 

 勇斗は能力で力場を手繰り寄せ、練り上げた不可視の弾丸をオリアナに向けて撃ち放つ。無防備に受ければ人の意識程度簡単に刈り取れるほどの威力を秘めるその弾丸は、しかしオリアナに触れるか触れないか辺りのところで甲高い硬質な音と共に霧散する。勇斗はスッと、目を細めた。記憶に残っている。今のは、シェリー=クロムウェルが防御術式を展開していた時のものと同じ感触だ。

 

「……まさか、『原典』の自動防御術式が働くなんて。ふふ、今の君の攻撃はよっぽど激しかったんだね」

 

「意識はブッ飛ばせる程度の威力で打ったからな」

 

 そんな言葉を発しつつ、勇斗は胸の辺りがざわつくような感じを覚えた。攻撃に用い、しかし結局オリアナの『壁』に跳ね返されたAIM拡散力場。それを再び能力で捉え直したのだが、その瞬間に全身に震えが走ったのだ。こんな感覚は初めてだった。胸の奥にのしかかってくるような、快不快では言い表せない、不思議な感覚。今まで一度も感じたことは無かったのだが。魔術と触れることで、力場が何らかの変質を起こしたか。

 

 それでも、ひとまず考えることを後回しにして。勇斗は動揺を外に漏らす(アウトプットする)ことなく2発目、3発目を連続してオリアナに叩き込む。しかし、いずれも有効打とはならなかった。やはり、防御術式によって攻撃を防がれている。

 

「これは……天使の力(テレズマ)……? いや、これは……」

 

 そして彼女の側も防御と並行して力場の解析を進めていたのか。オリアナは訝しげな表情を浮かべていた。

 

「……学園都市にいる人間がそんなもん扱えると思ってんのか」

 

 そんなオリアナに向けて、呆れかえった声と共に勇斗は一際強烈な一撃を叩き込む。銅鑼を叩いたような音と共に攻撃自体は防がれたものの、その余波でオリアナの体が後退(ノックバック)した。

 

 ――――そこに、上条が飛び込んだ。固く握りしめた右手を武器に、オリアナの懐に飛び込む。

 

 いや、飛び込もうとした。

 

 防御しているその体ごと後退させられるという予想外の事態に直面しつつも、オリアナは冷静に新たな1ページを噛み取っていたのだ。黄色のインクで書かれた[Wind Symbol]は、どちらも風の属性を象徴する。増幅された風の魔術が発動し、直後、上条の真後ろから突風が吹いた。男子高校生の体を吹き飛ばすほどのその突風は、上条の足を無理矢理に加速させる。

 

 と、足をもつれさせ、たたらを踏んだ上条のもとにオリアナは自分から距離を詰め、右脇に抱えた看板を跳ね上げた。頭を揺らす、顎を狙った強烈なアッパーカット。痛々しい音と共に、上条の視界がどうしようもなくブレた。上下左右前後全ての感覚が、顎から広がる激痛で塗りつぶされる。

 

 何もわからないまま、与えられた運動ベクトルに従って力なく、なすがまま後方に飛ばされる上条。その上条のがら空きとなった腹部に向けて、オリアナは看板の角の部分を叩き込もうとする。

 

 ――――そこでそれに気づくことができたのは、オリアナのプロとしての鋭敏な感覚によるところが大きい。目元にわずかに影が差したかと思えば、間髪入れずに横合いからの風切り音が鳴り響いたのだ。そして、顔面に迫る、もう1人の少年が放った蹴り。

 

 とっさに振り上げた看板を顔と迫りくる足との間に滑り込ませ、オリアナは勇斗の蹴りを受け流した。その衝撃で彼女の手から看板が吹き飛んでいくが、運動エネルギーの全てを使い果たした勇斗は無防備に彼女の前に浮かんでいる。

 

 口角を吊り上げるようにしてわずかに笑みを浮かべ、オリアナが単語帳のページを破った。描かれていたのは、赤色の[Water Symbol]。『火』と『水』の象徴が溶け合い、1つの魔術が発動した。

 

 ――――虚空に水球が現れ、一瞬にして膨張し、指向性を持たされた水蒸気の爆風が至近距離から勇斗に向かって炸裂する。

 

「ッ――――!!」

 

 勇斗はとっさに、練り上げた力場を爆風にぶつけることでその衝撃波を相殺しようとするが、……そのわずかな時間での『収束』では、絶対量が足りなさすぎた。衝撃波が勇斗の全身を叩き、その体が錐揉みしながら後方に吹き飛ばされる。

 

 突然に回りだす景色に一瞬にして酩酊しそうになりながら、くらつく頭で体に必死に受け身の姿勢を支持する。最小のダメージしか負わないように体を捌き、体勢を立て直す勇斗。気づけば上条の隣まで後退していた。

 

 と、そんな2人を見ながら、オリアナは単語帳を口元近くで弄ぶ。

 

「ッ、まずい勇斗、耳を塞げ! アイツは一定以上のダメージを負った人間を昏倒させる術式を持ってる!」

 

「な!?」

 

 上条が発した叫び声に、勇斗はとっさに耳を塞ごうとするが、

 

「それに関しては安心していいわよ。お姉さん、一度使った術式は二度と使わない主義だから」

 

 そう言って笑って、ページを破り取るオリアナ。

 

 緑色の、[Fire Symbol]。

 

 オリアナの周囲に出現した火球が剣に変貌し、勇斗と上条のもとに殺到した。

 

「っ、チクショウ!」

 

 まだふらつく体に鞭打って上条が動く。――――しかしそれより早く、放たれた不可視の弾丸が全ての炎剣を打ち消した。

 

「……やるじゃない。お姉さんの予定では、迂闊に攻撃すれば爆発するように設定してたのに、それごと弾き飛ばすなんてね」

 

 言葉とは裏腹に、余裕の言葉でオリアナは言う。1つや2つ術式が破られた程度では、彼女の余裕は揺らがないのか。

 

「……余裕だな。色と文字の組み合わせなんざ精々20通りかそこらしかないだろ。こんなにあっさりと術式を破られて、すぐに手札がなくなっちまうぞ」

 

「うふふ。その点の心配はいらないわ」

 

 勇斗の言葉に、余裕の笑みを変えることなくオリアナは返答する。

 

「組み合わせているのは『それ』だけではないの。……さて問題、それ以外に組み合わせているものは何でしょう。答えられたらご褒美をあげるわ」

 

 艶めかしく、オリアナはページに舌を這わせていく。

 

「ヒントは、それは西洋占星術の基礎の1つである、という点かしらね」

 

 その言葉で、勇斗はすぐに何かに気づいたように顔を上げた。

 

「……なるほど、『角度』か」

 

「…………あなたって、見た目だけかと思ったら魔術の知識も持ってるのね。驚いたわ」

 

 余裕の中に、わずかながらに本物の驚愕を浮かべて。

 

「様々な座相法則(アスペクト)と、それに基づく『星座と惑星の関係はその角度によって役割を変える』っていう理論ね。まあそれに加えて、ページ数の数秘的分解なんかも取り入れちゃったりしてるから、組み合わせはもっともっと多いわよん」

 

 そう楽しげに告げて、そしてオリアナは舌で湿らせていたページを一度離す。そこに見えるのは、赤色の[Wind Symbol]。

 

「……さて、少しばかりおしゃべりが過ぎたかしら。申し訳ないけど、お姉さんにも仕事があるからお遊びはこれでおしまいね。……角度はジャスト0度、総ページ数は577枚目。名づけた魔術は、『明色の切断斧(ブレードクレーター)』」

 

 オリアナは、意味ありげにそこで一度言葉を切った。

 

「追いかけてきたいというのなら止めはしないけど。そこから動いたら死んじゃうからね? あ、ちなみに動かないと次の一手でチェックメイトだよ。その場合は殺しはしないけどね」

 

 そう告げて、勇斗と上条の返答を待つことなく、オリアナはページを破り取る。

 

 ――――オリアナを中心として出現した円から、毛細血管のような細かい紋様が縦横無尽に広がった。その色は、まさしく血のような赤。不吉な図形が、次々と地面に描かれていく。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 図形の広がりと共に、勇斗の『内側』に走るノイズがさらに強くなった。つい先刻、魔術に触れたAIM拡散力場を補足し直してから、ずっと感じ続けていた『揺らぎ』が、一際強く勇斗の中で暴れ回る。

 

 それは力の強弱の波ではない。それよりもっと、何か根本のところで。自分の内側の何かが、蠢いているかのように。

 

 しかし、その力は決して不快なものではなく、どこかそう、そこはかとない懐かしさすら感じさせるものだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……当麻、立てるか?」

 

「……なんとかな」

 

 よろよろと、上条が立ち上がる。

 

 しかし、言葉を交わす2人の周囲では、地面に描かれた紋様が不気味な音を立て始めていた。スズメバチか何かの羽ばたきにも似た、不気味な振動音が2人を取り囲む。

 

「……どうする勇斗、このままじゃ終わりだぞ」

 

「………………それなんだけどな」

 

 場にそぐわない、不自然なまでに落ち着いた様子で、勇斗は上条の問いかけに反応した。

 

「それに関してはアテ(・・)がある。俺が何とかするから、お前は走り出す準備をしててくれ」

 

「……勇斗……?」

 

 困惑の表情を向ける上条。そんな彼の前で、音も無く、勇斗の背から再び翼が広がっていく。

 

「ッ、勇斗! 翼が……!」

 

 そこに表れた翼は普段の――――ついさっきまでの様子とはかけ離れた様相を呈していた。

 

 勇斗の内面の『揺らぎ』が、翼を通して現実世界に出力されたのか。白銀の翼の至る所にノイズが走る。まともな状態には思えない。まるで、本来なら使えないOSを無理やりパソコンにぶち込んだせいで誤動作を起こし、処理落ちを起こしてしまったような。

 

 それでも勇斗は動揺を見せない。ただ無言のまま一度だけ、その背の翼を、振るった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 『明色の切断斧(ブレードクレーター)』によって隔離された2人を離れた所から見つめながら、オリアナは新たな術式、『昏睡の風(ドロップレスト)』を発動するためのページに舌を這わせた。それは体に傷をつけることなく、ただ意識を奪うためだけの魔術。オリアナには、何でもかんでも血を血で洗う死闘で解決しよう、なんてことを考える趣味は無い。無傷で終えられるなら、それが最善手であると考えている。

 

(あの子たちには悪いけど、ここでご退場を願おうかしらね。1日くらいベッドで眠り続けてもらいましょうか)

 

 彼女と、そしてリドヴィア=ロレンツェッティが進めるとある『計画』は、今日中には終わる。翌日彼らが目覚めたときには、もうすべてが終わった後だ。そう決めて、そしてそこで『明色の切断斧(ブレードクレーター)』が完全に発動する。紋様に沿って真空の刃が出現し、彼らの元に襲い掛かる。そこまで確認して、彼女は単語帳のリングからページを引き抜き、2人に向けてその魔術を撃ち放つ。

 

 ――――撃ち放とうと、した。

 

 しかし、その瞬間。

 

 膨大な、正体不明の力が吹き荒れ、『明色の切断斧(ブレードクレーター)』の紋様と、それによって生み出された真空の刃がすべて吹き払われる。

 

「な……!?」

 

 オリアナは目を見開いて驚愕する。視線を向ける先には、背に翼を出現させた少年がいた。その姿と、そしてオリアナの魔術師としての感覚が、衝撃的な現象を彼女に告げていた。

 

(今のは……魔術によって発生した物理現象に対しての迎撃じゃない……。魔術の構造そのものに対する干渉……? 術式の魔力を、それ以上の魔力で吹き飛ばした……? いや、でも、この子は魔力を扱えないはず。じゃあ、一体何が……!?)

 

 先程までの余裕の表情はすっかりと消え去り、困惑の表情を隠しきれなくなったオリアナ。

 

 そんな彼女に向かって、事前の打ち合わせ通りに上条が踏み込んだ。力強く右手を握りしめ、真っ直ぐに飛び込む。

 

 状況を呑み込めず、驚愕で初動が遅れたオリアナ。硬直する思考と体を何とか切り替え、とにかく目の前の敵を倒す事に意識を切り替える。吐き捨てたカードに記されているのは、緑色の[Wind Symbol]。死のように深い眠りに誘う、昏睡の風――――。

 

「喰ら―――ッ!!」

 

 しかし、最後まで言い終える前に。飛び込んでくる少年の右の拳が、昏睡をもたらす風の槍を真っ向から殴り飛ばした。そのたったの一撃で、風の槍は砕け散り、形を失い、ただの空気となって周囲に霧散する。幾度となく見せつけられた、強制的な魔術無効化(マジックキャンセル)。勇斗と呼ばれている翼の少年が見せたような強引な力技ではなく、ただ触れただけで、魔術を無効化される。

 

 ――――気づけば、その少年はもう目前に迫っていた。悠長に『原典』なんて出している暇はない。オリアナの体が迎撃に動く。突っ込んでくる勢いを、そのまま相手に叩き込んでやるカウンター。動きを見極めて、オリアナの足が動く。

 

 そこで。

 

 金属質な音と共にオリアナの足が弾かれる。音の正体は防御術式が何らかの攻撃を防御したもので。その攻撃の正体は恐らく……。

 

 足払いを掛けられたような恰好で体勢を崩すオリアナ。憎々しげに歪められた彼女の視線と勇斗の視線が、わずか一瞬、交錯する。

 

 ――――そして、上条の右拳が雄叫びと共にオリアナの顔面に炸裂した。彼女の体が軽々と吹っ飛び、地面を転がっていった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 あっさりと、周囲には静けさが戻ってきた。

 

「……やった、のか?」

 

「こんな所で変なフラグ立てんじゃねーよ」

 

 気の抜けた上条のセリフに、警戒を途切らせることなく勇斗が応える。

 

「……でもまあ、とりあえずこれで『刺突杭剣(スタブソード)』は回収できる。土御門の症状やら、学園都市に潜伏してるらしいコイツのお仲間とその取引相手の件はまだ解決してないけどな」

 

「……一応、一段落ってとこか」

 

「だから余計なフラグは立てるなと」

 

 小一時間、と勇斗が続けようとしたところで。不意に、突風が吹いた。そしてその風に乗って、倒れたままのオリアナが建物の屋上に運ばれてゆく。それは、あっという間の出来事で。

 

「ふふ。全く……、意外とやんちゃなのね、この街の男の子たちは」

 

 ダメージを感じさせない軽い声で、オリアナは立ち上がってからそう言った。

 

「……早速フラグ回収とか、やはり流石だなフラグマイスター上条」

 

「え!? 今の俺のせいなの!?」

 

「冗談に決まってんだろ」

 

「……ふふ、そんなに元気があるなら大丈夫そうね。私はここで一旦引かせてもらうわ」

 

 余裕の笑みを取り戻し、楽しそうに2人を見下ろしていたオリアナ。そんな彼女の言葉に、勇斗が反応した。

 

「……おい、忘れ物じゃねえのか、ソレ」

 

 勇斗の指は、地面に転がる看板――――もとい、『刺突杭剣(スタブソード)』に向けられている。

 

 しかしオリアナは、ここまでで一番意味深な笑みを浮かべると、

 

「ふふっ。それはあなたたちに預けておくわ。た・だ・し、燃えてくるのはこれからよん♪」

 

「「……は?」」

 

 予想外のその言葉に勇斗と上条の気の抜けた声がハモる。

 

「ふふふ。その疑問の答えを探ってみるのも面白いと思うわよん」

 

 そう言って彼女は再び単語帳からページを噛み取り、そして一瞬にして姿をくらました。真意の読めない不可解な行動に首を傾げ、オリアナを取り逃がしてしまったことを歯噛みしつつ、しかし2人はとにかく行動を起こすことにする。

 

 土御門の携帯からステイルに連絡を取り、指示を仰げば帰ってきたのは『刺突杭剣(スタブソード)を破壊しろ』という単純明快な答え。

 

 ――――しかし、梱包をといた2人の前に現れたのは得体のしれない霊装などでは無く。

 

「……ただの、看板だって……?」

 

 呆然とした様子の上条の声が、青空に溶けていく。

 

 その横で、勇斗は大きくため息をついた。

 

 魔術という異分子(イレギュラー)を孕んだ世界最大の体育祭は、やはり一筋縄では行ってくれないらしい。

 



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ep.22 9月19日-6

就活のせいで更新が限りなく遅くなります……。ご了承ください。


 

 灼熱といっても過言ではない日差しに照らされた白い肌に、珠のような汗が浮かんでいた。手に持ったポンポンと、チア姿のスカート、そして白銀に煌めく長髪が美しくたなびく。掛け声が止まり動きを止めて、彼女は「ほぅ」と上気した顔で一つ息をつく。

 

「うん、いいですねー。段々まとまってきましたよシスターちゃん!」

 

「ほぇ? ほんと?」

 

「そうだね。横から見ててもわかるくらい、さっきよりも動きが良くなってたよ」

 

 小萌と九重から相次いで放たれる言葉は、どれもインデックスを褒めるものだった。しかし、当の本人は何処か納得がいかないように、不満げに、

 

「そっかなあ……。振り付けは1回見れば覚えられるけど、何か思ってたのと違ってる気がする……かも」

 

「うーん、ま、そりゃあいくらなんでもカナミンみたくはいかないよ。そのイメージ抜きにして考えてみれば全然イケてると思うよ。……先行しちゃってるイメージ抜きで考える、ってこと自体が一番難しいんだけどね」

 

 笑顔のまま、肩をすくめる九重。

 

「九重ちゃんの言う通りなのです!それにそんなシスターちゃんが慣れないながらもいっしょーけんめー応援してくれてる姿を見れば上条ちゃんとか勇斗ちゃんとか九重ちゃんとか他の生徒さん達もがんばろーって気持ちになるのです!」

 

「うん。がんばろー。より。がんばれー。って感じだけど」

 

「「姫神さん(ちゃん)!?」」「あ、あいさだ」

 

 唐突に彼らに声をかけてきたのは姫神だった。実はさっきからずっと3人の近くにいたのだが、誰も気が付いていなかったのである。それに気づいた姫神はデフォルトの無表情に不満と怒りと諦めをわずかに浮かばせつつ、しかしそのことについて何も言う事無しに続きの言葉を発した。

 

「ウチのクラス。他のクラスみたいに目立つ応援もないし。前に出て踊ってくれれば盛り上がるかもしれない」

 

「……盛り上がる? それ本当!? 私が頑張ったらとうまも喜んでくれる!?」

 

「うん。きっと喜んでくれる。と思う」

 

「……よし! ならもっと頑張る!」

 

「その意気なのですよシスターちゃん! あ、でもやりすぎて熱中症にでもなったら元も子もないのです。一旦休憩を入れるのですよー」

 

「むー、わかったんだよー」

 

「こんなことだろうと思って飲み物持ってきた。はい。あげる」

 

 なんだかんだ結局楽しそうな様子の女性3人組を、少し離れた所から九重は見つめる。女3人寄れば姦しい、なんてことわざはよく言ったものだ。

 

「……で、君らは一体何をしてるんだい? 当麻がいることだし、世界の危機と戦ってたりしてもおかしくはなさそうだけど」

 

 3人に聞こえないような小声で、彼のクラスメイト男3人組(+1)について考えながら空を見上げ、九重は呟く。

 

「……たまには僕を巻き込んでくれても、罰は当たらないと思うんだけどね」

 

 ある意味事件を待ち望んでいるとも取れる不謹慎なその一言に、彼は苦笑いを浮かべつつ、そんな呟きは青空に溶けていった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ――――所変わって。

 

「それにしても……まさかここで使徒十字(クローチェディピエトロ)なんて物が出てくるとはね……。全く、厄介な話だ」

 

「……わざわざ『聖霊十式』なんて持ち出してきて、あちらさんも相当焦ってるんだろうにゃー」

 

 紫煙を(くゆ)らせる深いため息と共に、疲れの滲む小さな声でステイル=マグヌスは呟いた。そしてそれに応える土御門も疲労感に塗れた顔を皮肉気に歪めている。

 

「クローチェディピエトロ……聖ペテロの十字、か。で、その『逆十字』が霊装になるとどんな効果があるんだ? 『聖霊十式』ってのも詳しく教えてくれよ」

 

 チョコソースがたっぷりかかった大きなアイスパフェをつつきながら、勇斗はステイルと土御門に問いかける。

 

 今、勇斗に上条、土御門とステイルの4人がいるのは大通り脇にあるカフェのテラス席(喫煙可)だ。オリアナに逃げられ、おまけに刺突杭剣(スタブソード)だと思っていた物体がただの看板だったりと散々な事になったため、一度集まって話し合いをすることになったのである。そして勇斗が上条と、そして昏倒から復帰した土御門を伴ってステイルの元に着くと、開口一番ステイルは突如こう切り出したのだった。

 

 ――――刺突杭剣(スタブソード)などという霊装は存在しない。今オリアナ達が持ち歩いている霊装の正体は使徒十字(クローチェディピエトロ)である、と。

 

 イギリス、大英博物館からもたらされたというその情報は、その言葉の意味を知る魔術師2人に大きな衝撃を与えた。百戦錬磨、一騎当千の魔術師である2人をして、しばらく言葉を失ってしまう程に。そしてようやくその状態から復帰した2人が放ったのが、先程の言葉だった。

 

「……そうだにゃー。まず『聖霊十式』ってやつの話からするか。とは言え、説明することなんてほとんど無い。名前の通り、ローマ正教に代々伝わる全部で10個存在する高位霊装、ってだけだにゃー」

 

「……日本で言う『三種の神器』的な?」

 

 ちょっと考えてから口を開いた上条の言葉に、土御門だけでなくステイルも頷く。予想していた通りだったのか、勇斗は特に反応を見せなかった。

 

「それくらいわかっておけば理解としては十分だよ。……で、問題になってくるのはこの中の1つ、『使徒十字(クローチェディピエトロ)』についてだね」

 

 そのステイルの一言に、場が一気に引き締まる。

 

「その『ペテロの十字架』――――『逆十字』と呼ばれることもあるその十字架のいわば元ネタとなったのは、十二使徒の1人ペテロだ」

 

「時代を遡る事2000年……は少し遡りすぎか。ともかくずっと昔、そのペテロさんは広大な土地を持っていたんだにゃー。それが後の教皇領バチカン、今で言う『バチカン市国』、つまりローマ正教の総本山になったんだぜい」

 

「詳しい歴史の紹介は省かせてもらうよ」

 

 ステイルはそう言って、勇斗に視線を向け、そして口元を歪めながら上条に視線を移す。

 

「……千乃勇斗にとっては聞き飽きたレベルの話だろうし、君には説明したところで記憶していられないだろうし、それは時間の無駄だからね。……ともかく、元々は十二使徒の1人とはいえあくまで『個人の土地』にすぎなかった場所が、いつしか全世界に20億の信徒を抱える大宗派の総本山にまで『拡大』をしていったわけだ」

 

「……で、そこで問題なのが『どうやって教皇領を作りあげたのか』ってトコだにゃー。つまり、ペテロさんの持っていた広大な土地に、ローマ正教の信者たちはまず最初に何をやったのかという部分ですたい。……勇斗、わかるかにゃー?」

 

「……特定の場所に、宗教的に大きな『意味』と『権威』を与えたって訳か。知ってる限りで言えば……ピラミッド然り、日本の古墳然り、『墓所』の建立ってとこか?」

 

 その勇斗の返答に、ステイルは感嘆の息をつき、土御門は満足げに二ヤリと笑みを浮かべる。――――ちなみに上条は、言うまでもなくお手上げ侍状態だ。

 

「……ビンゴだよ勇斗。土地にペテロの遺体を埋めて、十字架を立てたんだ」

 

 その言葉に、人の『死』というものを感じ取った上条がギョッとした様子で動きを止めた。若干表情がこわばったようにも見える上条だったが、しかし土御門の言葉は続く。

 

「ま、実際にペテロさんが死んだ時代、その場所に大聖堂が建てられた時代、そして時の皇帝から正式に(・・・)その土地を教皇領として認められた時代、いずれもかなりの差があるんだがにゃー。今になって歴史を振り返れば、やはり全ての始まりはペテロさんの墓を作った時ってことになるんだぜい。……聖人の眠る場所ってのは、それだけでデカイ効果があるってことだにゃー」

 

「『教皇領』――――ローマ正教の総本山は、十字架を立てた場所から始まった。……それはつまり、その十字架が、その空間を作り上げていったと言っても良いという事になるだろう?」

 

 今日何度目か。皮肉気にステイルは口元を歪めて。

 

「……『使徒十字(クローチェディピエトロ)』が立てられた場所は、それだけで『ローマ正教』のための空間に作り替えられ、ローマ正教の支配の下に置かれることになる。その支配に例外は無い。科学の中枢たるこの街も、抗う事は不可能だ」

 

 その決定的な言葉に、上条だけでなく勇斗までが凍りつく。目を見開き、何かを言おうと口を空しく開閉させるが、上条も勇斗も言葉を失ったまま立ち尽くすだけだ。

 

「……まあ、『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の効果が本当に伝承通りの物であるなら、何も『悪い』ことばかりが起こるわけじゃない」

 

「恐らく……『不都合な』事にはなるだろうがにゃー」

 

「それは間違いない」

 

 そして、2人の魔術師は、『不都合』の正体について話し始めた。

 

「『使徒十字(クローチェディピエトロ)』が作り上げる空間の内部では、主観客観を問わずして『幸運』や『不幸』といった物のバランスが崩れてしまう。……全て、ローマ正教にとって都合よく話が進んでいくように」

 

「かと言ってローマ正教徒以外の人間が切り捨てられるって訳でもないぜい。むしろその十字架は、『隣人愛』なんて言葉に象徴されるように、全ての人間にとって『幸せ』な状況を作り上げるんだにゃー」

 

「……それだけ聞くと、何にも問題が無いように思えるんだけどな。『幸運や不幸のバランスが崩れる』、ってのはどういう意味なんだ?」

 

 2人の言葉に眉をひそめつつ、勇斗はそう問い掛ける。

 

「そうだにゃー……。良いことがあればそれは『ローマ正教のおかげ』ってことになるし、悪いことがあっても『ローマ正教のおかげで助かった』ってことになる。例えばローマ正教がとある地域を『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の支配下に置いたとするにゃー。そしたらローマ正教と敵対する側の勢力が、それに反発して(・・・・・・・)その地域でテロを起こしました。辛うじて死者こそ出なかったものの、非常に多くの負傷者が出てしまいました。はい、それではその地域にいた人たちはどんなことを考えるでしょうか?」

 

 途中から芝居がかった口調になった土御門は、そこで一旦言葉を切って勇斗と上条を見た。

 

「――――答えは、『ローマ正教のおかげで死者が出ずに済みました』ですたい。そのテロが、ローマ正教が(・・・・・・)支配を行わなければ(・・・・・・・・・)発生しなかった(・・・・・・・)はずなのににゃー」

 

 その言葉に、勇斗も上条もそろって信じられないものでも見たかのような表情を浮かべた。

 

「……そう、これっておかしいよにゃー? 普通の感性の人間なら、望んで支配された、なんて場合を除けば、キレるのが普通の話だぜい。なのに、何でローマ正教は感謝されてんの……?」

 

「これこそが、使徒十字(クローチェディピエトロ)がもたらす『不都合』だよ。確かに幸福は与えられているけれども、『何かが起きたから幸せ』なのではなく、『たとえ何が起きても幸せだと感じるように』なってしまう。まさしく、ローマ正教にとって快適な『聖地』の出来上がりだ」

 

「そしてそんな『十字架』を持ち歩いて、オリアナ=トムソンとリドヴィア=ロレンツェッティ――――引いてはローマ正教のヤツらは、一体何をしようとしているのか」

 

 そこまでヒントを出されれば、その程度の問いの答えなど明らかだ。苦々しく、勇斗はその答えを呟く。

 

「……学園都市そのものの、支配か」

 

「そうだぜい勇斗。そしてローマ正教の(・・・・・・)都合の良いように(・・・・・・・・)支配された学園都市を足掛かりに、科学サイドごと世界を自分たちの物にするつもりなんだろうにゃー。魔術サイド最大勢力であるローマ正教が、科学サイド最大勢力である学園都市を支配するっていうのは、つまりはそういうことですたい」

 

「……こんなバカげた『取り引き』、絶対に成功させるわけにはいかない。止めるよ」

 

 話を締めくくるそんなステイルの声に、勇斗と上条は頷く。

 

 そんな事、言われるまでも無かった。

 



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ep.23 9月19日-7

 「色々と修羅場だった」――――上条当麻、かく語りき。

 

 魔術師オリアナ=トムソンとの戦いを切り抜けた上条をして修羅場と言わしめる出来事が始まったのは、昼休みということで人でごった返しているとある喫茶店だった。

 

 その一角。6人掛けのテーブル席を3つ占領している集団がいた。1つには、上条当麻、刀夜、詩菜の上条ファミリーに加えチアリーダー姿のインデックスが腰かけ、インデックスをして絶句させるほどの量のライスバーガー(作:詩菜)を消費するのに忙しい。そして2つ目のテーブルには詩菜と双璧をなす年齢不詳ママ御坂美鈴と、そして何故か九重悟志が一緒にチーズフォンデュを楽しんでいる。

 

「わー、詩菜さんのライスバーガー美味しそう!良かったら1ついただけませんかー?」

 

「もちろんですよー。悟志君も是非食べてね。ちょっと張り切りすぎて作りすぎちゃって」

 

「ありがとうございます。ぜひいただきます!」

 

「みすずー!私もチーズフォンデュたべたいんだよー!」

 

「お、よーし私特製ソースで素晴らしい進化を遂げたチーズを楽しむがいい!上条さんたちも、どんどん食べてくださいねー」

 

「あらあら、それじゃあお言葉に甘えちゃおうかしら」

 

 抱えるほどの大きさのバスケットにみっちりと詰まったライスバーガー、そしてカセットコンロにかけられたチーズ鍋を囲みながら和気あいあいと食事を楽しんでいる両家+α。

 

 しかし、その裏で。最後の、もう1つのテーブル席。そこには、凍てつくような空気が流れていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 2人と2人に別れて、互いに向き合って座っていた。1人が厳しい表情で対面の2人を睨み付けている。睨まれている方の片方はいつものようにふわふわした雰囲気のままその視線を受け止めて(受け流して?)、もう片方は少し困ったような表情で睨んでいる側のもう片方に視線を向けていた。その視線を向けられた、睨んでいる側の睨んでいない方も、同じような少し困った引き攣った表情を浮かべていた。

 

「……………………で、説明してもらえるかしら」

 

 沈黙を破ったのは妙に平坦に響く、少女――――御坂美琴の声だった。

 

「……説明っていわれてもなあ」

 

「超困りますよね……」

 

 御坂の声に応じたのは、最近何かとコンビ的な括りにまとめられている勇斗と絹旗の2人だ。この状況を何と説明したものか、微妙な表情で必死に考えて、

 

「「……何を説明すればいいの?」」

 

「アンタらの関係よ! 何でこの女(・・・)がここにいるのかも含めて! 洗いざらいぶちまけなさい!」

 

 立ち上がって叫ぶ御坂が指差す先には、滝壺がいた。チラチラと視線を向ける御坂のその目に、敵意とそして――――微かな恐れが浮かんでいる。

 

(……ああ、なるほどね)

 

 その様子を見て勇斗は大体の事情を察した。『残骸(レムナント)』騒ぎに際して御坂と絹旗の両者から聞いた話で、妹達(シスターズ)の件で研究所の破壊工作を行っていた御坂と上層部から施設防衛の任を受けた『アイテム』が交戦した事は確認済みだ。より正確に言えば、第3位vs第4位。『アイテム』に所属する第4位の超能力者(レベル5)、麦野沈利の能力は原子崩し(メルトダウナー)。壁や天井などの遮蔽物全てを突き破って飛んでくる、触れたら即死確定のレーザービームだ。そして恐らく、その照準役として能力追跡(AIMストーカー)を持つ滝壺が同行していたのだろう。逃げても逃げても、どこに身を隠しても、正確無比に襲い来る死の光線。トラウマを植え付けるには十分すぎる。

 

「……とりあえず座れ御坂。そんでまず一旦落ち着け」

 

 ハッとした表情を浮かべて周囲を見回して、しかしすぐにムッとした表情に変えて、御坂は着席した。

 

「そうだなあ、まず何から話したもんか…………。なあ御坂」

 

「何よ」

 

「お前の言わんとしてることは大体わかった。お前、滝壺と何かあったんだろ、8月のあの件(・・・)で」

 

「……よくわかったわね」

 

「まあな。で、その滝壺といっしょにいる絹旗と、俺が一緒に居たと。あの件(・・・)で敵対していた学園都市の暗部にいるような人間と、自分の友人が何故か一緒に居ると。なんのこっちゃ、ってことだろ?」

 

「そうよ!さあ、早く説明しなさい!」

 

「はいはい。実はな――――」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「あらあら、勇斗君ったらいつの間に刀夜さんに似てきちゃったのかしら。女の子が女の子に『あんたはアイツの何なのよ!』的なセリフを吐いちゃうような修羅場を作り出しちゃうなんて、男の子はしばらく見ない間に変わってしまうものなのねえ」

 

「おい当麻、悟志君、いったい勇斗君はどうしたんだ? まさか3股か? 3股だったのか?」

 

「えー? うちの美琴ちゃんも実は勇斗君狙いだったの? マジで?」

 

「いやいや美鈴さん、御坂ちゃんの狙いはここにいる朴念仁(かみじょう)ですよ」

 

「悟志、『狙い』とか縁起でもないこと言うのはやめてくれ……。ワタクシはこれから先常に背後からの超電磁砲(レールガン)に警戒をしなければならなくなってしまいます……。……ん? どうしたインデックス、何で急に不機嫌になってんだ?」

 

「……何でもないもん」

 

「ははは、相変わらずだね当麻は。いや、今のは僕が原因か。ごめんごめん」

 

「?? まあ別にいいけど。それよりあれだろ、勇斗の本命ってあの栗毛の子じゃなかったか?」

 

「ああ、やっぱりそうなんだ。ファミレスでバイトしてる手芸部の友達が言ってたのは本当の事だったんだね」

 

「俺は血の涙を流さんばかりにハンカチを噛みしめた青髪から聞いたけどな……」

 

「え、でもとうまとうま。私が言うのはちょっとアレかもしれないけど、あの子だいぶ『若』いと思うんだよ」

 

「お、勇斗君って何も知らない無垢な少女を自分好みに染めていくようなそんな趣味があったの?」

 

「いやいや美鈴さん、勇斗に限ってそんなことは…………」

 

「……どうしたんだよ当麻。そこで黙ったらフォローにならないんじゃない?」

 

「いや、……でも悟志。思い返してみたらアイツの周りって、大半を年下の女の子が占めてなかったか?」

 

「………………擁護材料が跡形もなく時空の彼方に消えて行ったね………………」

 

「……ま、まあまあ。自分であー言っといてなんだけど、恋ってのは年齢なんて関係ないのよ。私も大学に通ってるけど、オジサマと付き合ってる女子大生って意外と多いわよー?」

 

「えっと、それはまた別の問題じゃ……」

 

「まあ要するに、犯罪さえ起こさないんなら男女関係はほっとくのが良いってことよ。当人たちに任せておけば大丈夫よ」

 

「……母さんまで頷いてるけど、本当にいいのだろうか……」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「――――という訳だ。なんだかんだ言って絹旗も滝壺も俺たちには協力してくれたんだよ」

 

「……納得はできないけど、協力してくれてたってのはよくわかったわよ」

 

 足を組んで、難しい表情を浮かべながら眉間の辺りをつまむ御坂。

 

「……ああもう、何でこう私の周りの人間関係はこんなにややこしいことになってんのよ。折角だからあの銀髪シスター(インデックス)についてアイツを問い詰めてやろうと思ってたっていうのに……!」

 

 そのまま何やらぶつぶつと言い続けながら思考に沈んでいく。

 

「……勇斗さん、『インデックス』とか『アイツ』って誰の事なんですか?」

 

「んー、簡単に言えば『恋のライバル』と『好きな年上の先輩』かなあ。ああ、その『アイツ』って俺の友達の事っつーか、2人ともあっちのテーブルにいるんだけどな」

 

 そう言って勇斗は、そちらの方に視線を向ける。

 

「ほら、あのツンツン頭が『アイツ』でチアの格好の銀髪碧眼の女の子が『インデックス』だよ。ちなみにあの茶髪はまた別の俺らの友達」

 

 それにつられて、絹旗と滝壺もそのテーブルに目をやって、

 

「……家族ぐるみの、三角関係?」

 

「意外と超ドロドロしてるんですね……」

 

 思い思いの感想を口にした。あながち間違ってない辺り、勇斗としてもコメントは差し控えたい。

 

 と、何かしらの結論が出たのだろう、難しい表情のままではあるが御坂はやおら立ち上がる。

 

「……アンタらのおかげで助けられたのも事実だから、感謝はしておくわ。ありがとう。……でももし、次に敵対した時は、全力で叩き潰すから」

 

 そして返答も待たずに、言葉少なに家族のいるテーブルに戻っていった。

 

「……何というか、超気難しいですね」

 

 その後ろ姿を目で追いながらそう評する絹旗。

 

「複雑なんだろ。敵対したかと思ったら実は助けられてたわけだからな。……さてと、俺らもそろそろ飯にしよう。腹が減っては何とやらって言うし」

 

「「(超)賛成(です)」」

 

 とりあえず修羅場は乗り切った。今は午後から再開されるだろうオリアナとの追いかけっこのために、少しでもエネルギーを補給しておかなければならない。騒ぎ出す上条と御坂の横、優しい笑顔で詩菜が手招きしている。

 

「……俺ら3人の分もあるみたいだし、行こう」

 

 こうして勇斗は2人の少女を引き連れて、詩菜たちのテーブルに向かうことにしたのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「さて、と。……準備できたぞ土御門」

 

 遠くから聞こえてくる喧騒以外、静寂に包まれる風紀委員第177支部。その一角に設置されたパソコン(初春によるカスタム済み)デスクの前に、勇斗は座っていた。

 

『可愛い彼女との食事中に悪いにゃー勇斗。申し訳ないけど頼むぜい』

 

 通信状態のイヤホンからは聞き慣れた金髪アロハな友人の声が聞こえてくる。その内容に、勇斗は顔をしかめて、

 

「……一言余計だよ」

 

 大所帯での食事中、突然かかってきた土御門からの電話の指示に乗り、勇斗はあの場所を抜け出していた。幸いなことに上条ファミリー+御坂ファミリー+αは絹旗滝壺の2人のことも快く受け入れてくれたので、安心して抜け出すことができたのだった。

 

「本当に範囲は第5と第7学区だけで良いのか?」

 

 軽快なタイピングを続けながら、土御門にそう問いかける。

 

『ああ。5分前に青ピが、第5学区に向かうモノレールに「おっぱいが零れそうなほど巨乳なのに超露出が多い金髪碧眼のお姉様」が乗りこむのを見たらしい。いくら今大覇星祭が行われているからって、そんな際どい衣装を着てる人間なんてそうそういないだろ。賭けてみる価値はある』

 

「……確かに、色々目立つだろうからなあ、あんなスタイルじゃ」

 

『アイツが敵対してる魔術師じゃなかったら穴が開くほど眺めたいところなんだがにゃー』

 

「同感だな」

 

 そう返した勇斗の目の前のディスプレーに、第7学区から第5学区に向かうモノレールの沿線の駅の監視カメラの、その中でも『金髪』の人間が映り込んでいるカメラの映像が映し出された。思ったほど数は多くない。数は全部で5つ――――いや、6つ。勇斗はその1つ1つに目を通していく。

 

『どうだ勇斗。見つかりそうか?』

 

「……………………青ピには今度何か奢るべきだな。焼肉食い放題でもいいんじゃないか」

 

 笑い出しそうになるのを抑えて、半ば投げやりに勇斗は言う。

 

『……マジか。どこだ?』

 

「ここは…………、第5学区の『西部山駅』、A1出入り口だ。とりあえずカメラで追跡してみる」

 

『わかったにゃー。頼むぜい。俺はカミやんとステイルに「待て土御門」……どうした?』

 

「カメラからオリアナが消えた」

 

『……なんだって?』

 

「監視カメラの追跡システムを振り切られた」

 

 無駄にも思える言い換えをしつつ高速タイピングを再開し、再び周囲のカメラに検索を掛けるが反応は無い。不自然に、オリアナの姿はそこから消えていた。

 

「……カメラの死角にでも入ったか、あるいは」

 

『……視覚情報を遮断する術式でも使ったかにゃー。勇斗、そこのカメラには熱源探知機能(サーモカメラ)はついてないのか?』

 

「悪いが非対応ゾーンだ」

 

『ちっ……。わかった。とりあえず追跡を続けてくれ。俺はカミやんステイルと連絡を取る』

 

「了解」

 

 その一言で通話が切れる。もどかしさと苛立ちを覚えながらも、勇斗は周囲の捜索を続ける。

 

 そして、しばらくして、土御門から再びの通話。しかし今回は、位置情報を示すデータ付きだった。

 

「……どうした?何かあったのか?」

 

『いや、万策尽きてにゃー。一応聞いておくが、そっちはどうなんだにゃー?』

 

「……想像通り、出てないな」

 

 その言葉に、溜息。

 

『やっぱりにゃー。てことはいよいよ、俺が追跡魔術を使わないといけないわけだ』

 

「……大丈夫なのか?」

 

『大丈夫、とは言い切れないのが正直なところだにゃー。反動次第じゃ碌に動けなくもなっちまうし、そんな状況でオリアナに逆探知(カウンター)でもされたらぶっ倒れちまう。だから勇斗、もしなんかありそうなら一っ飛び助けに来てほしいんだにゃー』

 

「そう言う事なら任せてくれ。この位置なら……飛ばせば2-3分ってとこか。そんくらいは自分でもたせてくれよ」

 

『そんくらいなら何とかなるぜい。そんじゃ、早速始めるとするか……』

 

 その言葉と、そして何か二三物音があって、何かが発動したのだろうノイズのような音と湿っぽい音、咽たような咳の音、荒い吐息が続いた。

 

 ――――しばらくして、途切れがちな声で上条とステイルに指示を出す土御門の声が聞こえてくる。全身を血まみれにしながら、それでも魔術を使い続ける土御門の姿が勇斗の目に浮かぶ。そんな時に、何もしていないわけにはいかない。範囲をさらに広げて検索を掛けようとした。

 

 と、そんな時に、

 

『いや、待て。……オリアナが急に向きを変えた』

 

 という土御門の一言が、勇斗の手を止めた。土御門の言葉は止まらない。

 

『カミやんが、言っていたモノレールの駅に、向かうルートから……直角に曲がってる……? オリアナの行き先は、発車駅じゃないのか―――、ッ!! なんだ、コイツ、いきなり速く……ッ!?』

 

 焦りに彩られた土御門の言葉が、勇斗の胸に漠然とした不安をもたらす。

 

『野郎、どこを目指して……っ痛! くそ、こんな時に……、いや、大丈夫だ、カミやん。……アイツの位置なら、すぐに特定してや―――オイ、嘘だろ……くそ、そういう事か! 勇斗!! たの――――』

 

 勇斗の名前と共に何かを言いかけて、――――耳障りな雑音がイヤホン越しに勇斗の耳を貫く。そして半ば強引に、通信が遮断される。

 

 ――――同時、弾かれたように、勇斗は支部を飛び出した。

 



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ep.24 9月19日-8

 体操服に身を包む大柄な体が宙を舞い、硬い通路の上でバウンドして、転がった。用意していた2台の携帯電話は手を離れ、更に大きな放物線を描いて通路の向こうに消えて行く。鍛え抜かれた土御門の肉体をして呻き声すら挙げることを許されない程の衝撃が、突如として彼に襲い掛かったのだ。

 

「ご………ッ!?」

 

 わずかに口から洩れるのは、衝撃に押し出された肺の中の空気だけか。

 

「甘いわよー坊や。ついさっき、同じ追跡術式を使って痛い目にあったのを忘れちゃった? こんなすぐにマンネリだなんて、もうちょっと男の子には頑張ってもらいたかったんだけどなあ」

 

 甘く妖艶な声と、そして何かを踏みつぶす、ぐしゃりという音。視線を向けるまでもない。オリアナ=トムソンが、追跡魔術『理派四陣』の陣を踏みつぶしたのだろう。そこまで理解が追い付いたところで、土御門は地下街の冷たい通路に爪を立て、よろけながらも立ち上がる。

 

 目を向けた先にいるオリアナの姿はさっきまでの作業服姿では無かった。露出多めの、キャミソールとロングスカート。スリットだらけでスカートとしての意味を為していないためか、パレオを腰に巻いている。なるほどこんな服装なら、青髪ピアスが目を奪われるのも仕方ない。健全な青少年たちにとっては目の毒だ。間違いない。

 

 そんなことを思う土御門に対峙して、オリアナは単語帳――――『速記原典(ショートハンド)』と便宜上呼んでいる、魔道書の原典を手の中で遊ばせて、

 

「とはいえ、お姉さんも頼まれた分のお仕事はちゃーんとこなさないといけないからねえ。とりあえず邪魔になりそうなオオカミさんの退治に来ちゃいましたー♪」

 

 告げて、カードを破り取る。

 

 吐き捨てられたカードに浮かぶ、『青』の[Wind Symbol]。『水』の影響を受けた『風』の象徴。カマイタチを纏う氷の鎖が、オリアナの周囲に虚空から出現する。

 

 虚空を舞い、殺到する鎖。複数の角度から一斉に、そしてあるいは絶妙な時間差で蛇のごとく絡み付いてくるそれらの縛めを受ければ、出血と凍傷で意識を刈り取られるまで拘束されるだろう。動きの鈍る身体に鞭を打ち、紙一重のタイミングを見極め、安全地帯に身を置いていく。

 

 ――――カマイタチによる微細な切り傷を全身に負いながらもその全てをやり過ごし、しかしなおも獲物を求めてのた打ち回るその『蛇』を、歯を食いしばり、魔術で以って叩き落とす。微かな賞賛の微笑みを浮かべるオリアナに、彼女の一撃やカマイタチによる切り傷からのものではない、体の奥から滲み出る血の珠が彩る凄惨な表情を向ける。

 

「……『背中刺す刃(Fallere825)』。教えてやるよ、こいつがオレの魔法名さ」

 

 その一言に、オリアナの表情が一瞬固まって、そしてわずかに口の端を歪めて、笑った。

 

「……それを言ってしまった、言わせてしまったからには、もう言葉は必要ないわね。お姉さんの名前は、『礎を担いし者(Basis104)』。熱い戦いがお好みなら、好きなだけ付き合うわよん……!」

 

 トッ、と。言葉の直後に、床を蹴る軽快な音が連続した。

 

 魔術を自由に扱う事が出来ず遠距離攻撃の手段を封じられている土御門が、一気にケリをつけるために飛び出したのだ。対してオリアナは再び単語帳のページを咥え、魔道書の原典を噛み千切り、吐き捨てる。

 

 オリアナの目前ギリギリまで迫っていた土御門の目の前で、ひらひらと宙を舞ったページが地面に舞い降りた。瞬間、地面が爆発し、ゴツゴツした土砂の槍が土御門目がけて跳ね上がる。

 

 それを予想していたのか、槍が完全に出現するそれよりも早く、土御門は体を捩り槍による一撃を回避する。そしてその勢いを乗せて、拳を叩き付けた。

 

 首元に叩き付けられた一撃を受けて、オリアナの体が()()()()

 

 目を見開く土御門の視界の隅。ひらりと舞う、噛み取られたもう1枚のページ。それを頭が情報として認識したところで、――――横合いから飛んでくる『何か』を、土御門の魔術師としての第六感が捉えた。

 

 万全の状態なら、せめて先制攻撃やカマイタチ、魔術による拒絶反応のダメージが無ければ、それを躱すこともできたかもしれない。しかし積み重なったダメージで鈍った身体がそんな機敏な動きに追いつけるはずもなく。間に合ったのは、申し訳程度の腕によるガードだけ。しかしそんな矮小な防御で、土御門に叩き付けられた不可視の壁は止められない。為す術もなく、土御門の体が吹き飛ばされた。

 

 追撃が襲う。オリアナの周囲に白い光点が複数浮かび上がったかと思うと、それらは彼女の周囲を速度を上げつつ旋回し、同時に体積を増していく。そしてあっという間にバスケットボール大の大きさにまで膨らむと、次々に土御門の元へ殺到した。

 

 それを確認した土御門は瞬時に体制を整え、横っ飛びで直撃だけは避けるが、壁にぶつかったり、あるいは球体同士でぶつかったりして爆発を起こし、その爆風が不安定な体制のままの土御門に襲い掛かり、彼を床に叩き付ける。

 

「んー……、魔法名を名乗った割に、魔術を使わないつもりなのかな? 今の『壁』も『球体』も、威力はあるけど耐久性に難があるのがネックだったんだけど」

 

 口に溜まった血を吐き捨て、ふらつきながら立ち上がる土御門にオリアナは不思議そうな表情を浮かべて、

 

「……ま、それがあなたの流儀であるというのなら、お姉さんとやかく言うつもりはないけど、ねっ!」

 

 予備動作を見せること無く再び一瞬で距離を詰めた土御門の拳を受け流し、同時に振り下ろされた踵も足を引いて回避するオリアナ。拳の勢いも借りて後ろに倒れ、そのままバク転の要領で土御門の顎を蹴り上げた。

 

 鈍い呻き声を上げて倒れ込み、それでもまた魔術師は立ち上がる。しかし対する魔術師は、そんな姿を不満と失望の入り混じった視線で見下ろしていた。

 

「……とはいっても、ね。そんな若さを持て余したようなただの突撃に、いつまでも付き合っていられないのよね」

 

 はあ、と残念そうに溜息をついて、オリアナは単語帳のページを口元に運ぶ。

 

「……魔法名を名乗るだけの覚悟が本当にあったのなら、この攻撃に耐えてみなさい。それができないなら、魔法名を安売りしてしまった自分の軽率さを恨みながら、勝手に埋まってしまうといいわ。お姉さんの魔法名には、それだけの覚悟が込められているから」

 

 咥えて、噛み千切ったのは、『青』の[Soil Symbol]。魔術が発動し、オリアナより前方の『地面』が、物理法則を無視して一瞬『液体』に変わり、バランスを失った天井が、壁が、周囲の土砂が、一体となって崩落を生み出す。

 

 それを見て、土御門は血まみれでズタズタに切り裂かれた体操服から一枚の折り紙を取り出し、恐るべき早さで何かを織り上げて、

 

全テヲ始メシ合図ヲ此処ニ(へいわボケしたクソッたれども)眩キ光ト鋭キ音ト(しにたくなければ)……」

 

「遅いわよ」

 

 詠唱を遮るように放たれたオリアナの言葉と同時、崩落の波が土御門に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「やりすぎ……よねえ……」

 

 崩落がおさまり、静けさが周囲を包む中、オリアナは目の前の惨状を眺め、困ったような苦笑を浮かべて、呟いた。

 

 通路は完全に崩壊したと言ってもいいだろう。土煙がもうもうと立ち込め、視界は途絶えている。破壊された水道管からか、派手な音を立てて水が地下街に流れ込み、オリアナの足を濡らしていた。

 

 それでも、ひどい破壊状況ではあるが、一般人への被害は無いと胸を張って言える。地下街突入前に周囲に『人払い』は掛けてあるし、突入直後には認識阻害に加えて魔力遮断効果を持っている結界を地下街の範囲に合わせて張っている。一般人はなおの事、手練れの魔術師すらも欺く程の結界だ。今戦っていた魔術師以外で、この崩落に巻き込まれた人間はいないはず。彼女は犠牲を可能な限り減らすための配慮は怠らないのだ。

 

 ――――が、しかし。

 

「そうだな。やりすぎだ。俺がこんなことしたらどんだけ始末書を書かされる羽目になるか、……考えるだけで恐ろしい」

 

 彼女の予想をことごとく裏切って、独り言に律儀に反応する、この場にいるはずの無い人間の声がした。

 

「ッ!?」

 

 次の瞬間、強風が吹き荒れ土煙が吹き散らされる。

 

 そこにいたのは、

 

「――――ギリギリじゃねーかよ。遅れてたらどうするつもりだったんだ?」

 

「……運を天に任せるしかなかったな。それくらい追い詰められてた」

 

 魔術師をその背に庇うようにして立つ、翼を持つ能力者――――。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「…………あらあら、男女の情事の現場に押し入るなんて、マナーもへったくれもないのね」

 

 言いながら、オリアナは自分の表情がわずかに強張るのを自覚していた。結界が破られている。不安定で、すぐに自己崩壊してしまうとはいえ、曲がりなりにも魔道書の『原典』を用いた結界が。

 

 魔術の解除。普通に考えれば、それを行ったのは魔術師である金髪の少年――――土御門のはず。しかし今、オリアナの目の前に立ちふさがる翼の少年――――勇斗も底が知れない。先の戦闘で、彼女は勇斗に切り札として用意していた魔術を破られている。まさか、今回もそう(・・)なのか? まさか、この少年は魔力を探し出すことすらできるのか? 手練れの魔術師ですら手こずる、その作業を? この街の、能力者が?

 

 その道のプロフェッショナルであるが故に、オリアナの思考はどんどんと深みにはまっていく。行動が、停止する。

 

「……これで、準備は完了だ」

 

 唐突に、土御門が呟いた。

 

 強引に現実に引き戻されたオリアナの視線が、土御門の手元の、血まみれの折り紙で作られた鳥のようなものと、何か文字のようなものが刻印された四角い紙を捉える。

 

「……何なのかしら、それ。結界を壊して、その翼の子を中に入れるための術式?」

 

 攻撃の直前、何らかの術式を詠唱していたが。それに用いた霊装なのだろうか。

 

「残念ながら、違う。使おうとはしたがな。……結界を壊したのは俺じゃないぞ」

 

 そう言って、折り上げられた鳥を土御門は何のためらいもなく破り捨てる。そして、もう一方の『霊装』を、ひらひらと見せつけるように遊ばせて、

 

「……こっちはただの通信術式さ。仲間に連絡を入れるための、な」

 

「……その仲間って言うのは、結界を破ったこの翼の子の事ではないというのなら、もしかしてお姉さんを追いかけ回してた2人組のことかしら? それなら興醒めね。あの程度なら、2人まとめて腰砕けにしてあげられるわよ」

 

 オリアナのそんな言葉を、土御門は嘲笑と共に斬り捨てる。

 

「またまた残念ながら、大外れだ」

 

「……何ですって?」

 

「オレとステイルはイギリス清教として、そしてこの千乃勇斗と上条当麻は学園都市の人間として動いている。そのメンツがたったの4人だけ? ……お前の頭は花畑か。『必要悪の教会(ネセサリウス)』のメンバーだけでも、どれだけの数がいると思っている」

 

 その言葉にオリアナは一瞬怯むが、すぐにそれに反論する。

 

「……ハッタリね。私はここに遊びに来たわけじゃない。この街を中心にした科学サイドと魔術サイドの駆け引きについては綿密な下調べはしてあるわ。特定の集団に属する魔術師だけを多数招き入れるなんてことをすれば、両サイドの関係は悪化する。イギリス清教と学園都市が、そんな策を許可するはずがないわ」

 

 と、そこで。聞き手に回っていた勇斗が、ようやく口を開く。

 

「……学園都市の支配がお前らの目的だと分かった状態で、どうしてそんな縛りを守り続ける必要があるんだよ。自分たちの身が危うくなってるんだ。そんな綺麗事が通じるとでも思ってんのか」

 

「……、」

 

 その勇斗の言葉を、土御門が引き継ぐ。

 

「お前らの目的が判明した時点で、俺達学園都市暗部の人間に学園都市統括理事会からの通達があった。『敵が実際に敵対行動を行った場合、迎撃・捕縛等に限るが、魔術側への攻撃を認める』……らしいぞ?」

 

「……そんなことを突然言われて、信じると思うの? もしもお仲間がたくさんいるなら、あなたが単独で動く必要は無い。探索魔術だって、別に怪我をしているあなたが使う必要もないし、護衛や見張りをつけることもできた。別にその翼の子と一緒に行動しても良かったわよね」

 

「……世間話が好きだと言うのなら付き合ってやっても良いが……自分から時間稼ぎに協力してくれるなんて殊勝な心がけだな、オリアナ=トムソン。もうアイツがここに到着するまでそうかからないぞ。……全く、苦労した。こんな状況であるとはいえ、流石にアイツの投入は上が良い顔をしなかったからな」

 

 オリアナが、その言葉に眉をひそめた。

 

「運んでいる物が『刺突杭剣(スタブソード)』でないのなら、遠慮なくアイツが使えるさ。むしろ待機させておく理由なんてない。最悪の弱点が存在しないのだから」

 

「……まさか、」

 

 手汗がひどい。唇が乾く。知らず、呼吸が浅くなる。

 

「こんな危機だ。神裂火織という名の聖人を呼んだって、罰は当たらないだろう?」

 

「……!!」

 

 オリアナの全身を嫌な震えが襲う。聖人。世界全体に20人といない、正真正銘の怪物。

 

「……さて、それじゃあ更に時間稼ぎに付き合ってもらおうか。勇斗(コイツ)は敵対魔術勢力に対する科学サイドの隠し玉だ。楽しませてくれるだろうよ」

 

 土御門がそう言って、――――その前にいた、勇斗の姿が掻き消えた。

 

「――――ッ!!」

 

 半瞬遅れて、オリアナは後ろに飛び退る。ほんの少し前に彼女の体があった場所を、交差するように振り下ろされた翼が通過していった。

 

 ――――速い。

 

 刹那、オリアナは使用するページを頭の中で考える。探索術式はページごと破壊した。話の真偽が明確でない今、この場でどう立ち回るのが最適解なのか。

 

 続けざまに放たれた不可視の弾丸を、『原典』の自動防御術式が撃ち落とす。体勢を立て直しつつ見てみれば、翼にはさっきと同じようなノイズが走っている。この翼の一振りで、オリアナの術式は文字通り吹き飛ばされたのだ。

 

 頭の中で現状を整理して――――舌打ちをして、オリアナは逃走を選択した。

 

 魔術で天井を攻撃し、身を翻して、背後に注意を向けつつ地下道の出入り口へと走る。

 

 計画の練り直しが必要になるかもしれない。場合によっては、聖人への対策も。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……行ったかにゃー?」

 

「……みたいだな」

 

 2人そろって、土御門と勇斗は溜息を吐く。

 

「全く……即興で(・・・)ハッタリをかますとか心臓に悪すぎるだろ。ミスったら全てがおじゃんになってたかと思うと冷や冷やもんだったよ」

 

「にゃー、でもうまくいったんじゃないかにゃー? 多少ツッコミどころはあったけど、オリアナを撤退させることができたわけだからにゃー。勇斗のあの牽制も効果は抜群だったぜい。少しでもビビらせたらこっちのもんだぜい」

 

「……暗部にいるだけじゃなく、科学サイドの隠し玉扱いか。変な奴に目をつけられないといいけどな……」

 

 遠い目をしながら勇斗は呟く。

 

「……にしても、まさか『原典』の結界を破ってくるなんてにゃー。びっくりだ」

 

「俺もびっくりだ。指定地点に行ったらガラスでできたドームみたいなもんが出来てたから、吹っ飛ばそうと思って翼振ったらあっさりぶっ壊れただけなんだからな」

 

「……カミやんも言ってたが、その翼のノイズが気になるよにゃー。いったいなんなんだろうにゃー」

 

「どことなく棒読み臭い所が気にかかるけど、それに関しても同感だよ。けどまあ、使える物は使うべきだろ」

 

「ちがいないにゃー」

 

 そんな会話で笑いあう2人だった。

 




(2/15 追記)

 つい先日、エンデュミオンを読みました。アリサちゃん可愛いですよね。prprしたくなりますよね。
 話に出そうか出すまいか迷いましたが、出したくなってきますよね。上条さんか勇斗君と絡ませたくなりますよね。
 ということで上条さんか勇斗君のお相手としてアリサちゃん出すかもしれません。多分。


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ep.25 9月19日-9

 

 事態は予想外の方向に大きく動きはじめた。

 

 きっかけは、勇斗と土御門の元に送られてきた2通のメールだった。

 

 1通目はステイルから。件名は『The report of “Croce di Pietro” from British Museum(大英博物館より、『使徒十字』に関する報告)』。本文も英語だ。

 

 それとほぼ同時に送られてきた2通目。これは上条からだ。内容は無く、本文も舌足らずなたった一文、『なんでオリアナは学園都市の中を動き回ってたんだ?』のみ。

 

「……勇斗、このメールを読んでてもらっていいか? その間にカミやんにメールの意味を聞いてみる」

 

「別にいいけど……魔術に関係することなら土御門の方がわかるんだから土御門が読んだ方がよくないか?」

 

「ある領域の知識にどっぷり浸かってると、その領域の物事の一面しか見えなくなるからな。魔術とあまり関わりが無い勇斗に見てもらった方が、俺の気付かない何かに気づいてくれるかもしれないだろ」

 

 そう言って、早速土御門は上条に電話を掛けた。なるほど、と声には出さずに頷いて、勇斗もメールの文面に目を落とす。

 

(なになに……、『使徒十字(クローチェディピエトロ)』はローマ正教が誇る10の高位霊装、『聖霊十式』の1つに数えられるものであり、明確な資料として残されているものはそう多くありません。有力な手がかりになりそうな情報として考えられるのは、管理に専用の保管庫を用意していたということくらいです。窓は隙間なく塞がれ、ドアも二重。更に内側には光を遮る分厚いカーテン。過剰と言える程に、保管庫への光の侵入を防ごうとしていたようです。恐らく、“大切に保管しておく”こと以上に、何か意味があることだったのだと思われます。 オルソラ=アクィナス ……か)

 

 要約すれば、『光を当ててはいけない』だろうか。何だ、光に当てると爆発でもするというのか。

 

(……いや、それはないか。考えられるのは、光を当てることで霊装が発動してしまう、とかか? ん、続きがあるな……、この保管庫では年に2回、6月の終わりと年末に大掃除が行われる。担当部署の監査を行う人間の報告によれば、その大掃除をするにあたって守らなければならないルールがいくつかあったらしい。1つ目、“決められた日付に行わなければならない”。2つ目、“決められた日付の昼の内に済ませなければならない”。また、これに関連すると思しき記述として、昼の内に掃除をやるのを忘れたりできなかったりした時、保管員は夜に作業をせずにさっさと帰宅してしまった、また、この保管員たちの態度もあまり良い物とは言えない。勤務時間中にホロスコープで星占いをしていた奴らまでいた、という監査人の愚痴(?)が存在。 シェリー=クロムウェル ……って、こいつは確か新学期頭のアイツじゃねーか!仕事復帰が早いな!)

 

 最後の最後に驚愕が待ち受けはしていたものの、ステイルがイギリス清教に調査を頼んでいた件についての結果は以上らしい。内容を報告しようと土御門の方を見てみるが、向こうは向こうで何やら気になる点があったらしく、盛り上がっているようだ。それなら、と、勇斗はメールの内容について1人で考えを巡らすことにする。

 

(……光を当ててはいけないと言っておきながら、掃除を昼にやるってか。なら“当ててはいけない光”ってのは太陽光ではないってのがわかる。つまり、霊装発動のキーになる光(仮)は夜に存在する光――――月光、あるいは星の光か)

 

 月光も、星の光も、魔術的には大きな意味を持つことを勇斗は知っている。月は大天使ガブリエルが司る星であり、また、古今東西様々な地域で月にまつわる“おまじない”が存在している。星だって、羅針盤やコンパスなんてものが存在しなかった時代には道標として用いられ、そこから転じて信仰の対象になっていた歴史がある。月も、星も、そして太陽も、人間に光をもたらしてくれる存在は崇められてきたのだ。

 

(……ただし、月は毎年同じ日に同じ月が出てくるわけじゃない。太陰暦を使えば同じ日に同じ月齢の月が昇るけど、ヨーロッパじゃ紀元前45年にユリウス暦が導入されてるからわざわざこの霊装だけに太陰暦を適用する可能性は低い。特定の月齢が霊装発動のキーになるんだったら、6月と12月のそれぞれ末に掃除をすると決定する理由が出てこない。それなら、月光はあり得ない。星の光がキーだ)

 

 夜空における星の見え方には地球の公転が関係し、その公転周期をもとに作られた太陽暦における1年が経てば、同じ日には同じような星空が天上に広がる。

 

(それなら、保管員たちがホロスコープで星占いをやってた点とも辻褄が合う。こんな高位霊装を仕事中に遊ぶような下っ端なんかに扱わせるわけがないし、エライ聖職者が仕事中に遊ぶわけがないしな。むしろその星占い自体が仕事の一部だったんだろう)

 

 と、勇斗がそこまで考えをまとめたところで、土御門が上条との通話を終えたらしく、勇斗に声をかけてきた。

 

「……で、どうだ勇斗。何かわかったことはあるか?」

 

「推論は立った。あってるかどうかは知らないけどな。そっちは?」

 

「ああ。今回の事件の前提の部分で、いくつかおかしな点が見えてきた。良い収穫だ。とりあえずカミやん達と合流することになったから、そこで報告会と行こうぜい」

 

「そうだな」

 

 久方ぶりにマイナスの感情の無い笑みを浮かべて、2人は移動を開始した。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……って感じじゃね? と思ったわけだ」

 

 そう言って、勇斗は自らが立てた推論の発表を締めくくった。聴衆の3人の内、2人は心得顔で頷き、残り1人は悔しげな表情を浮かべていた。

 

「俺でもわかったぞ勇斗!」

 

「ステイルは最近の任務で頭を使わずにただ全てを燃やし尽くしてきたからにゃー。頭が鈍ってんじゃねーの?」

 

「……否定しきれない部分が多々あるね。こんな重要な情報を見逃すとは思わなかった」

 

 こんなにあっさりと負けを認めるステイルを見るのはもしかしたら初めてなんじゃないかと勇斗は思った。

 

 4人は再び喫茶店のオープンテラスの一角を陣取って、作戦会議を行っていた。上条の疑問と勇斗の推論が場に出され、今からはそれをまとめていく段階だ。

 

「確かに星、あるいは星座なんかを利用する魔術や霊装は決して珍しい物ではないね。占星術なんて魔術分野が存在しているくらいだし」

 

「天使の召喚なんかも季節の星座に合わせて術式や陣を変えるもんだしにゃー」

 

 そんなことを言う魔術師2人に、上条が尋ねる。

 

「星とか星座を利用する、って言葉で言えば簡単だけどさ。具体的にはどんなことをすればそんなことができるんだ?」

 

「んー、……天球、って概念は知ってるかにゃー?」

 

「てんきゅー?」

 

「プラネタリウムをイメージしてくれると君でもわかるんじゃないかな。実際には何兆キロも離れている星の実際の位置では無く、ドーム状の天井に投影された夜空(スクリーン)を使うんだ」

 

「実際の位置は無関係なんだにゃー。夜空(スクリーン)に浮かんでいる『星座という図形』を、そのまま魔法陣として術式に組み込むんですたい。狭い地面に小さく書くんじゃなくて、空を一杯に使って描かれた図形だから大きな力を生むし、しかも図形は複雑じゃないから誰でも使いやすい上に色々と応用がきくんだにゃー。で、その究極の応用系が、御使堕し(エンゼルフォール)の時にミーシャ=クロイツェフ――――大天使神の力(ガブリエル)が使った『天体制御(アストロインハンド)』だぜい」

 

「――――!!」

 

 その一言で上条は言葉を失った。実際に見たその時の光景を思い出したのだろう。勇斗も伝聞でなら耳にした。自分の知らないところで起こっていた、自分の能力名とほぼ同名の魔術『御使堕し《エンゼルフォール》』の一件。その時の大天使の顕現と、その力の片鱗を。

 

 その話を聞いた時には、天使って随分ぶっ飛んだ力を持ってるんだな、とかなんとか思ったのを覚えている。実際に見ていなかったから全く実感は湧かなかったが。人間の身で生きていて、『天体の位置関係を自由自在に動かせます』とか言われて実感が湧く人間の方がどうにかしている気がする。そんなことを言われて実感が湧いてしまうような体験をする生き方なんてしたくない。勇斗の目の前には一般人なのにそんな体験をしてしまったかわいそうな人間が1人いるわけだが。

 

 ――――閑話休題。

 

「おそらく『使徒十字(クローチェディピエトロ)』は夜空の星の光を集め、星座の魔法陣と発動者との間にリンクを作る働きをするんだにゃー。カミやんが言っていた、オリアナが今街を歩き回っている理由というのは恐らくここにある。光を集めるために最適な場所の吟味をしているんだろうにゃー」

 

「なるほど……」

 

 上条は腕を組んでフムフム頷いている。

 

「だけどまあ、それに関してもいくつか疑問点は残るけどね」

 

 と、そこでステイルの一言。

 

「さっきも話したんだけど、『使徒十字(クローチェディピエトロ)』が作られた切っ掛けっていうのは聖ペテロの死だ。ということは、霊装の発動条件もその死にまつわる事実と何らかの関係があると見るのが自然ということになる。ただ、そのペテロが死んだとされるのは彼の聖名祝日である6月29日。今の時期と3か月も違う。それに、日本とバチカンじゃ位置の都合で見える星空も若干ながらズレる。この星空の違いという問題をクリアしない限り、この説には疑問が残るよ」

 

「……ああ、それについては勇斗が言ってたんだけどにゃー」

 

「星座の魔法陣を使うってことは、星空の条件さえクリアできれば力の補充はできるんだろ? ってことは同じような魔術的意味さえ読み取れるんなら、別に違う日だって何処でだって使える可能性があるってことにはならないのか?」

 

「………………………………無きにしも非ずだよね」

 

 何だ、今日のステイルは疲れているのだろうか。

 

「ともかくだ。オリアナ達が今の仮説通りに動いていると仮定すれば、タイムリミットは日没付近ってことになるにゃー。恐らく……午後6時から7時にかけてだろう」

 

 現在時刻は午後4時を回る所。つまり残されているのはあと2-3時間ほどだ。その間にオリアナとリドヴィアを発見し、『使徒十字(クローチェディピエトロ)』の発動を止めなければならない。

 

「なら……僕と土御門でオリアナが通ったルートを逆走して解析してみるよ。何か共通点が見つかるかもしれないし、これからどこに向かおうとしているかがわかるかもしれないからね」

 

「それがいいだろうにゃー。ま、その間は勇斗とカミやんは休んでてくれ。ここからはプロの仕事だにゃー」

 

「ちょっと待った、土御門。 お前、勇斗が来るまでオリアナにボコられてたんだろ? お前こそそんな状態で動いて大丈夫なのか?」

 

「……カミやん、俺は『プロ』って言っただろう? イギリス国民が払った税金からひねり出された給料をもらってこの仕事をやってるわけだにゃー。こんな所で休んでたら、あの(・・)女王様にカミナリを落とされちまう」

 

 そう言って、ニヤリと笑う土御門。

 

「……そう言う訳だ、しっかり休んで、オリアナとの戦いに備えておいてくれよ。千乃勇斗の戦闘能力もそうだし、君の右手にも期待しているからね」

 

 ステイルはそう言い残して、そして2人は日の傾き始めた街の中に消えて行った。

 

 と、本当にタッチの差だった。2人の姿が路地の向こうに消えて、それを見届けたまさにそのタイミングで。

 

「あ!上条ちゃんに千乃ちゃん!やっと見つけたのですよ!」

 

「……とうま、ゆうと、こんな所で何してるの?」

 

「上条君と。勇斗君。サボり?」

 

 彼らの背後から3人の女性の声。

 

 ギクリとして、2人は振り返る。

 

 そこにいたのは、チア衣装を着たインデックスと小萌先生。体操服姿の姫神と、その3人の後ろで済まなさそうに手を合わせ頭を下げる九重だった。

 

「全く! せっかくシスターちゃんが2人のためにチアの衣装を着て振り付けの練習までしたのに! その2人がいないとはどういうことですか!」

 

 2人のためってよりは当麻のためなんだろうなあ、なんて的外れのツッコミが頭に浮かんだ勇斗。

 

「みんな2人の事。捜してる。吹寄さんが倒れちゃった今。みんなを纏められるのは2人だけだって」

 

 姫神はそう言って、そしてインデックスはいつもより沈んだ様子で2人を――――主に上条を、じっと見つめていた。

 

「あ、いや、何か風紀委員(ジャッジメント)の方が人手不足だって勇斗に言われてさ、ちょっと手伝ってたんです」

 

「……千乃ちゃん、本当ですか?」

 

「……はい、本当ですよ」

 

 ちなみに風紀委員(ジャッジメント)の方の人手が足りていないのは本当だ。30分に1回は勇斗の携帯に固法坂本両先輩からのメールが届いている。

 

「すみません、みんなに連絡は入れたつもりだったんですけど。地下に潜ってたり人出が多い所を回ってたので、回線がやられてたのかもしれないです」

 

「……確かに、つい2時間くらい前に第7学区で通信障害がありましたし、上条ちゃんと千乃ちゃんがそう言うってことは本当なんでしょう」

 

 若干拗ねたように言う小萌先生の姿に、勇斗と上条の良心がチクリと痛む。

 

 そしてそこで、インデックスが口を開いてこう言った。

 

「……とうま、ゆうと。次は『くみたいそう』なんだって。ちゃんと来るの?」

 

「「……、」」

 

 更に良心をグリグリ抉られながら、2人は顔を見合わせて、

 

「……できるだけ早く手伝い終わらせて、ちゃんと行くよ、インデックス。だから、待っててくれ」

 

「わかったんだよ!」

 

 行くよ、というその言葉に、パァッと顔をほころばせて、インデックスは頷く。

 

「……小萌先生も、姫神も、そういうことなんで。……てことで悟志、よろしくな」

 

「おーけーわかった。早く戻ってきなよ2人とも。特に勇斗、僕はまだ暴れ足りてないんだからさ」

 

「わかってるよ」

 

 その一言に苦笑を返すと、女性3人も納得したのか、2人に背を向けて次の会場に向かって歩き始める。

 

 その後ろ、九重はサムズアップを2人に向けて、3人と共に去っていった。

 

「……いやー、ここまで良心を抉られる女性トリオにここで会うとは思わなかった」

 

 頭をガシガシ掻きながら勇斗がポツリと呟けば、

 

「……」

 

 言葉少なに溜息を吐く上条。

 

「なあ勇斗」

 

「ん?」

 

「さっさと終わらせて、大暴れしてやろうぜ。サボっちまった分」

 

「そんな事、言われるまでもないだろ。今回のストレスを全部叩き付けてやるさ」

 



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ep.26 9月19日-10

『第18学区のターミナル駅で落ち合おう』

 

 どうやら何かを掴んだらしい。電話越しに、前置きもなしにステイルは言う。

 

『単刀直入に言えば、オリアナ達が星座を利用して魔術・霊装を発動しようとしているという君の考えはドンピシャだった。そして僕が捨てきれずにいた星空の矛盾だけどね、あれの回避策もわかったよ』

 

 聞きながら、勇斗は上条に合図をして走り出していた。頭の中で目的地への最短ルートを組み上げ、それに従って足を進めて行く。

 

『いや……、回避策と言うのは正確ではないね。どうやら使徒十字(クローチェディピエトロ)はもともと世界中のどの場所でも使う事はできるらしい。適切な使用日時を選ぶ必要はあったみたいだけどね』

 

 冷房の効いた涼しい地下鉄の車両の一角で、勇斗はステイルからの情報を掻い摘んで上条へと伝える。この学園都市をローマ正教の支配下に堕とすために、オリアナ達がいったいどこに向かっているのか。

 

「……第23学区だって?」

 

「どうもそうらしい。他のポイントじゃあ、ビルやら街路樹やらが邪魔してうまく霊装を発動させることができないんだと」

 

 そう考えてみれば、夜空の『観測』を行うのに、ほぼ全面が滑走路になっている第23学区ほど適当な場所は無い。見渡す限りの広大なアスファルトの平原が広がっているはずだ。邪魔になる物など存在しない。

 

「より正確に言えば、『鉄身航空技術研究所付属実験空港』、って所だな。一般に公開された国際空港の敷地の外、都市圏内短距離滑走路の開発をやってる軍事機密のカタマリみたいな場所だ」

 

「……なあ勇斗、確か大覇星祭期間中って一般公開エリア以外は警備レベルが引き上げられるんだろ? 魔術を使えるオリアナはともかく、俺達はどうやってその中に入ればいいんだ?」

 

「……さあ? 俺1人だけで侵入するってんなら飛ぶなり黙らせるなり何なりでどうにかなるけど」

 

「……勇斗さん? 何かオソロシイことを口走っていたように思えたのはワタクシの聞き違いでせう?」

 

 電車が目的の駅のホームに滑り込み、停止し、ドアが開く。電車を降りた2人に、暑い日の夕暮れ時特有なジメッと重い空気が纏わりつく。

 

 探していた2人組はすぐに見つかった。このクソ暑い気候であっても黒のコートを手放さない長身赤髪の不良神父と、金髪グラサン体操服のコンビは人混みの中で人目を引いて余りある。

 

「……土御門に何かとっておきの考えがあるらしい。今回はそれを利用するんだと」

 

「とっておきの、考え?」

 

 到着した勇斗と上条を、魔術師2人が出迎える。何とも言えない表情のステイルと、ニヤリと笑った表情の土御門。

 

「……で、土御門。結局お前のとっておきって何のことなんだ? 当麻に現状の説明もしといたし、そろそろ教えてくれよ」

 

「どうするんだよ、土御門?」

 

「にゃー、あれだぜい。ほら、俺って科学と魔術のダブルスパイじゃん? だからそれぞれのサイドの親玉と交渉できるっつーか。いくら機密レベルが最高ランクの区画だって、一番のお偉いさんの許可さえもらえればどうにかなるじゃん?」

 

「お偉いさん、って、その研究所の所長か?」

 

「それが違うんだぜいカミやん。もっと上の人間だぜい。……学園都市の統括理事長って知ってるかにゃー?」

 

 携帯を取り出して、何やら操作をしながらそんなことをのたまった土御門は、

 

「だからその辺のルート作りは、最高責任者に丸投げしようかにゃー、って」

 

 いたずらに成功した悪ガキのように、それはそれは素晴らしい笑顔を2人に向けたのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「あれあれ、絹旗。あれってアンタの愛しの先輩じゃない?」

 

 纏わりつくような湿気に辟易しているのか、気だるげな様子の麦野の声が絹旗を呼び止めた。今日一日だけで「出店とか一緒に回らないの?」だの「ナイトパレードに誘わないの?」だのそんな感じのネタで何度からかわれたかわからないぐらいだったが、それでもやはりいくらかの抗議を表情に乗せて、絹旗は麦野の方を振り向く。

 

「……勇斗さんがどこにいるんですか? あと超繰り返しますけど、『愛しの』はやめてください」

 

 こんな反応を返すと、初めの頃は『あれ、絹旗。別に千乃勇斗なんて名前を出したつもりはないんだけどなあ?』なんてふうに切り返されていたが、もういい加減飽きたのか、その問いかけに応えるように素直に麦野は人混みの向こう側を指差す。

 

 絹旗、麦野、そしてフレンダと滝壺の『アイテム』の4人がいるのは第18学区のターミナル駅だった。上層部からの指示を受け、学園都市外部からやってきていた産業スパイとそこに情報を流し高額の報酬を受け取ろうとしていた研究所(アホ共)をサックリ潰してきた帰りである。18時半から始まるナイトパレードの場所取りに動く学生や観光客で駅は満員御礼状態だ。

 

 背の高い麦野だから見つけられたのだろう、その指の差す方向に絹旗だけでなくフレンダや滝壺もまた目を向ける。

 

「……ねえ絹旗。絹旗の愛しの先輩って、なかなか個性的な友達がいるのね」

 

「そんな包容力がある人なら、きぬはたを任せても大丈夫そうだね」

 

 そこにいたのは確かに絹旗の『先輩』である勇斗だった。その勇斗は今、真剣な表情で会話をしている。1人は棒倒しで勇斗と共にメンバーを纏めていたツンツン頭の少年だ。その髪型以外、特に気になる所は無い。もう1人は金髪グラサン体操着の少年。なぜその服装であってもグラサンを手放さないのか。何かこだわりでもあるのだろうか。いや、不思議と似合ってはいるけれども。そして集団の中で最も個性に溢れているのは最後の1人、こんなクソ暑い気候だというのに真っ黒いコート(修道服?)に身を包み、髪を真っ赤に染めた長身の外国人だ。異質すぎる。個性的、の一言で括ってしまっていいのか。そして明らかにこの街の学生ではないのに、勇斗達と何をそんなに真剣に話し合っているのだろう。パッと見た感じ、道を聞いているとか一緒に観光をしているとか、そんな穏やかな感じでは決してない。何かこう、差し迫った緊急事態に必死に対峙しているような、そんな真剣さが見て取れる。勇斗に至っては、以前『残骸(レムナント)』騒ぎで高位能力者集団と対峙した時以上に緊張した表情を浮かべている様に思える。

 

「……なんか、超キナ臭いですね」

 

 絹旗が以前勇斗から聞いていた競技の予定では、今の時間は『組体操』をやっているはずだ。妨害含め何でもアリの、エクストリーム組体操。その勇斗が、なぜ今こんな場所で、あんな表情を浮かべなければならない事情を抱えているのだろうか。

 

「結局、絹旗がそんなに気になるってんなら首をつっこんじゃえばいいってわけよ」

 

「声、かけなくていいの?」

 

 呟いた絹旗に、フレンダと絹旗がそう声を掛けた。しかし絹旗は、少し考えた後首を横に振って、

 

「……いえ、いいです。あの状況で突然声を掛けたら周りのお友達に超迷惑でしょうし、雰囲気的にそうするべきだとは思えません。それに、勇斗さんなら何があっても超大丈夫でしょう。能力的にも人間的にも、素晴らしい方ですし」

 

「あーはいはい。絹旗の惚気にももう飽きたし、本人がこう言ってるんなら今日はもう帰りましょう。行くわよフレンダ、滝壺」

 

「はーい。何だかんだ言って結局『愛しの先輩』ってわけねー」

 

「……きぬはた、応援してる」

 

 肩をすくめて、苦笑いを浮かべ、呆れたように麦野とフレンダ、そして滝壺が歩き出す。

 

「え、ちょっ? そんなわけじゃ……!」

 

 慌てて3人の後を追いかける絹旗。追いかけながらもう一度振り返った時には、勇斗達はもうそこにはいなかった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 乗り込んだ電車の中で、勇斗はぼんやりと記憶を手繰る。対象は学園都市統括理事長の名前と、それと同名の魔術師(・・・・・・・・・)についてだ。

 

(……アレイスター=クロウリー、ねえ)

 

 これほど不思議な人間はそういないのではないだろうか。史実によれば、魔術師兼登山家。登山家ってなんだ登山家って。

 

 それを置いておくにしても、彼を語る上で外せないのは『黄金夜明(G∴D∴)』や『銀の星(A∴A∴)』といった有名な魔術結社、そして聖守護天使エイワスの声を記したとされる『法の書』。つまり、彼はただの魔術師なんかではない。土御門に『アレイスターの生きた70年で、長い魔術の歴史は塗り替えられてしまったと言っても過言ではない』と言わしめる『伝説級の魔術師』だ。そんな人物の名前を科学サイドのトップが名乗るなんて皮肉もいいところだと勇斗は思う。

 

 だがもしかしてひょっとすると、科学と魔術の両面の暗部にいる土御門を扱き使える立場にいるということは世界の相当深い場所にいる人間だということであってそれってつまり魔術についてよく知っておかないといけないという事になってということはまさか統括理事長はその『伝説級魔術師』ご本人だったりするなんていう超展開がありうる……?

 

(……いや、それはないか)

 

 そこまで考えて、すぐに勇斗はそれを切り捨てた。もしそうなら、世界が科学サイドと魔術サイドに別れてる上に互いが不可侵(アンタッチャブル)である理由もわからない。実際本当にただの皮肉なんじゃなかろうか。

 

(……ま、今ここで考えるような話じゃねーな)

 

 ふう、と勇斗が溜息を吐いたところで、土御門が口を開いた。

 

「さーて、後10分程で第23学区のターミナル駅に着くわけだが、やることはわかってるにゃー? 恐らくタイムリミットは日没直後、午後6時から7時の間。今は5時半を回る所だから、最短で駅に着いてから20分ちょいで時間が来るぜい」

 

 その言葉に残りの3人は頷いて、そしてステイルは、

 

「一応確認するが、その体でオリアナと戦えるのかい?」

 

「休みてーのは山々だがな。試合会場にお前らを連れていくには俺が頑張るしかねーんですたい」

 

「……そうかい」

 

 そう言って、視線を電車の外に戻した。

 

 今、この魔術師2人組は一体何を考えているのだろうか。魔術サイドにいるはずの人間なのに、科学サイドを守るためにあちこち駆けまわらなければならなかったこの現状について、何を思っているのだろうか。

 

 勇斗には心当たり事がある。恐らく、それぞれが守りたいと思っている人が暮らす居場所を守るために、彼らは戦っている。

 

 それは勇斗も同じだった。これまでにこの街で知り合ってきたたくさんの人間がいる。仲良くなったクラスメイトがいる。それ以上に濃い付き合いをしている奴らだっている。そして、――――。

 

(……?)

 

 はて、自分は今一体何を思い浮かべようとしたのだろう。手づかみしたウナギがするりと手を抜けていくように、頭から抜けていってしまったようだ。

 

「……ま、ともかく。これでやっと追いかけっこも終わりなんだろ? さっさとケリつけて、さっさと競技と見回りに復帰しないと。色んな人から怒られる」

 

「小萌先生に、姫神に、……インデックスにもああ言われたしなあ。ステイルにも祭りは楽しんでほしいし」

 

 勇斗に続いた上条のその一言にステイルは顔をしかめて、土御門は口元に笑みを浮かべて。

 

 電車はどんどんと、第23学区に近づいていく。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……勇斗先輩、来ませんね」

 

 携帯を見てメールも届いていないことを確認し、初春は支部のソファーに腰掛けながら溜息を吐く。

 

「どうせ見回りに行くんなら、みんなでパレードを見ながら見回りしましょうってメールしたのになあ」

 

「勇斗先輩の事ですし、お姉様ご執心のあの殿方と一緒に何かしらのドタバタに巻き込まれていてもおかしくはありませんわね」

 

 同じく溜息混じりに、白井がこんなことを言えば、

 

「もしかしたら勇斗さん、今デートの真っ最中だったりしてねー」

 

 何やらにやにやしながら、佐天がそんなことを言う。

 

 その一言に目敏く反応を返したのは、泡浮だった。

 

「ッ!? 佐天さん! 勇斗さんにはお付き合いされている方がいらっしゃるのですか!?」

 

 いつもの穏やかな様子からは考えられない切羽詰まった表情と声で佐天に詰め寄る。

 

「ちょ!? 待って待って泡浮さん! 落ち着いて! あたし今適当に言っただけだから! ……初春もそんな世界が終わったような目をしない!」

 

「え、え!? 今私、そんな顔してました!?」

 

「ええ、してましたよー。私、バッチリ見ちゃってました」

 

「わ、湾内さん……」

 

 佐天が何の気無しに放った一言で、177支部にいた中1女子たちの大騒ぎが始まっていく。

 

 そこには魔術だの、霊装だの、駆け引きだのといった不穏な空気など存在しない、平和な時間が流れていた。

 

「……あ、でも、勇斗先輩らしき人が女の子と2人でご飯食べてたってむーちゃんとアケミとまこちんが言ってたような」

 

「「ええええええ!?」」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 土御門が先頭に立ち、4人は一面アスファルトの大地を駆け抜ける。

 

 『統括理事長へのお願い』が効いているのだろう、遮蔽物などないこの場所で、ここまで誰にも見つかることなく来ることができている。

 

 第23学区の風景にはいつになっても圧倒される、と勇斗は思う。視界の遥か向こう、地平線までいっぱいに黒と灰色が広がっている。学園都市内でも最大規模の面積を持ち、そのほとんどをこうしたアスファルト――――滑走路が占めているのだ。そして広大なその敷地を、金網(フェンス)がいくつもの区画に区切っている。その中にポツンと立つ管制塔や実験施設。「ポツン」なんて擬態語を使ったが、実の所はかなり大きく、1つの学校に匹敵するサイズのものもある。縮尺がオカシイ。

 

 そんな場所を走ることしばらく、目の前の景色を一直線に横切るフェンスが見えてきたところで、

 

「……さて、そのフェンスの先が目的地の『鉄身航技研付属実験空港』だぜい。一気に飛び越えるぞ」

 

 そう言って、土御門は一気にフェンスに近づき、飛びつく。高さは2メートル程か。後に続いていたステイルもフェンスに手を掛ける。

 

 勇斗と上条もそれに続こうとした。

 

 ――――そこで。

 

 ぞくり、と、勇斗の体を不快な感触が突き抜けた。意識にノイズが走る。覚えている。この感触は、オリアナと、魔術と相対した時のそれだ。

 

 上条も何かに気づいたのだろう、ハッとした様子で立ち止まり、焦った表情で何かを叫ぼうとした。

 

「つ、」

 

 ちみかど! と、上条は言い切ることができなかった。

 

 勇斗の顔に熱風が吹きつける。熱源は、熱したスチールウールのように高温でオレンジ色に変色したフェンス。そんな高温の物体に、生身の肉体で触れていたら一体どうなるか――――。

 

 肉の焼ける嫌な音と共に、土御門とステイルの体がビクリと跳ねる。脊髄反射で手足がフェンスから離れ、地面を転がる2人。

 

「土御門! ステイル!」

 

 叫び、2人の元に駆け寄る勇斗。見れば、2人の手足からはうっすらと煙が上がり、水膨れのような物ができ始めていた。

 

「……クソ! 油断した! まさかこの僕が火傷を負うなんてね……!」

 

 苦悶に表情を歪めながら、血を吐くようにステイルが叫ぶ。

 

「行け、カミやん、勇斗……。ここで時間を食っても仕方がない。ステイルなら火傷の治療ができる! 俺たちの事はいいから先に行け!」

 

 土御門もまた、苦痛に耐えながら叫ぶ。

 

「早く! ――――ッ!! 来るぞカミやん!勇斗!」

 

 絞り出すような土御門の警告と共に、勇斗の中のノイズが大きくなった。それに誘われるように土御門の視線の先を見れば、フェンスの遥か向こう側、およそ500メートル先の建物の壁に見覚えのある金髪の女性が寄りかかっている。そしてその女性は単語帳を口元に構え、静かに、ページを1枚噛み取った。

 

 何らかの術式が発動し、オリアナの全身を青白い光が包む。そしてその神秘的な衣を纏い、オリアナはくるりと回った。天女が舞い、踊るように。

 

 弾かれたように勇斗と上条は動き出す。勇斗の背からノイズだらけの白銀の翼が出現し、それと同時に、不可視の弾丸を叩きつけられたフェンスがひしゃげ、引き千切られた。その隙間を抜けて上条は矢のように走り、オリアナに向かっていく。

 

 直後。

 

 轟音と共にアスファルトが捲り上がり、烈風を纏った巨大な力がオリアナから放たれた。

 

「ッ、当麻!!」

 

「任せろ!!」

 

 迫ってくる不可視の大槌(ハンマー)に上条が右腕を振るった。バギン!! という音で、ハンマーは風と共に吹き散らされる。

 

 しかし続けて、捲れ上がったアスファルト片が上条の元に殺到する。幻想殺し(イマジンブレイカー)は、異能は消せても質量は消せない。

 

「……勇斗!!」

 

「任された!!」

 

 今度は逆。上条に迫るアスファルト片に向け、勇斗は力場の弾丸を叩き付ける。アスファルトの壁が薙ぎ払われ、吹き飛ばされ、破片となって地面に落下した。

 

 その様子を、笑みを浮かべながら、単語帳を手で弄びながら、オリアナが眺めていた。

 

 勇斗と上条の2人は破片を飛び越え、オリアナに向かって走る。

 

 学園都市の運命を決める戦いの火蓋が、切って落とされる。

 

 これが、最後の激突だ。

 




3/14 追記:気が付いたら投稿を始めてから1年が経っていました。時が経つのは早いですね……。最近では1週間すらあっという間に過ぎてしまいます。早く就活が終わらないかなあ……。


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ep.27 9月19日-11 + ep.Ex 数年前

 

「……あらあら、予想はしていたけど、やっぱりあの聖人は来なかったのね」

 

 前方から近づいてくる2人の少年を見つめて、オリアナは一つため息を吐いた。

 

「追加の警備員と魔術師(ギャラリー)もいないみたいだし。ふふ、人の目があるとそれはそれで熱くなるんだけど」

 

 しかしすぐに表情を切り替える。口元をわずかに歪めた、不敵な笑み。

 

「まあいいわ。今回のお相手は科学サイドの隠し玉に、不思議な右手を持ってる坊や。相手にとって、不足は無いわね……!」

 

 愉快そうに呟いて、オリアナは単語帳のカードを噛み破る。それに応じて、ガラスの割れるような澄んだ音が鳴り響き、直後、周囲から音が消えた。遠くの空港や上空の飛行機から届いていた騒音が、少しも感じられなくなる。

 

「っ、なんだ!?」

 

「……結界、ってやつか?」

 

 そう呟いて、勇斗は走りながら周囲のAIM拡散力場に干渉する。全方位に力場を放ち、ソナーの要領で周辺の様子を把握する。

 

「……直径1キロ程度の半球形に区切られてるみたいだな。魔術は知らないけど、物理的方法で外部と連絡を取るのは不可能っぽい。やっこさんも本気らしいねえ」

 

「……ちょうどいいぜ」

 

 上条のその一言に勇斗は頷いて同意を返し、

 

 ――――次の踏み込みで、勇斗は既にオリアナの背後を取っていた。

 

 視界から消えた勇斗を探し、オリアナの体が一瞬硬直するのが見える。そして背中越しに、その隙をついて上条がオリアナの懐に飛び込もうとするのも見えた。

 

 勇斗がした『瞬間移動』も、『御使降し(エンゼルフォール)』の応用だ。収束させた力場の射出点を足の裏に設定し、踏み込みと同時に集めた力を解き放つ。移動できる距離が短く、途中に壁などがあれば叩き付けられたヒキガエルのようにぐしゃっと逝ってしまいかねないが、待ち構えた相手の意表をついて距離を詰めるのには有効な技術だ。

 

 勇斗と上条はオリアナの前後を取っている。つまり、挟み撃ちの状況。そしてこの状況ではオリアナは前から来る上条に気を取られているはずだ。無防備に勇斗の攻撃を受けることになる。

 

「おおおおお!!」

 

 それを知ってか知らずか、注意を引きつけるように大声を上げ、上条が右手を振るう。それに合わせて、勇斗も翼を交差する軌道で振り下ろそうとする。

 

 そこでオリアナが、単語帳の――原典の1ページを、噛み取った。

 

 彼女を中心にして衝撃波が放たれる。透明に揺らぐ力の波が猛烈な速さで拡散した。

 

 一転して、勇斗と上条の動きが虚を突かれたように一瞬の硬直を見せる。しかし2人も伊達に実戦の経験は積んでいない。すぐに思考を切り替え、勇斗は収束させた力場を、上条は右手をそれぞれ駆使し、自らに襲い掛かる衝撃波をそれぞれ無効化した。

 

「まさか学園都市の能力者に瞬動術(クイックムーブ)の使い手がいるだなんて、お姉さんびっくりかな」

 

 攻撃から身を守れたという安堵が生む一瞬のその心の緩みを、オリアナは見逃さなかった。勇斗に背を向けていた状態から瞬時に体を捻り、強烈な回し蹴りが勇斗に叩き込まれる。咄嗟に翼で身を包みガードするが、勢いまでは止められない。為す術無く、勇斗は吹き飛ばされる。

 

「で、坊やもそこでビビってたら女の子に萎えられちゃうわよー」

 

 勇斗に叩き付けられた回し蹴りの威力に怯み、たたらを踏んで動きを止めた上条に対してそんな言葉を投げかけて、オリアナは肘を突き出し、そのまま上条に突っ込んだ。胸板目がけ、恐ろしい威力の肘打ちを叩き込む。両手でガードをしている上条をして、ガードごと真後ろに吹っ飛ばされた。

 

 そのオリアナの背中に、衝撃と金属音。それは原典の自動防御が働いた証。しかし今回はそれだけだ。『明色の切断斧(ブレードクレーター)』を吹き飛ばされた先刻のように、理不尽な展開は起こらない。

 

「あら、今のはだいぶ手加減してくれたのね。別にお姉さんは全力で来てくれても全部受け止めてあげるのに」

 

 そんな軽口を、攻撃の出所――――勇斗に向けるオリアナ。

 

「……言ってろ」

 

 その軽口を鼻で笑って斬り捨てて、しかし勇斗は内心、冷たい物を感じずにはいられなかった。

 

(クソ……AIM拡散力場が薄い上に外部からの供給もできないのか……!となると、『弾丸』じゃどうしようもないか……)

 

 勇斗にとって、今回の戦闘にはいつもと比べて不利な点があった。1つは周囲を満たすAIM拡散力場の『濃度』だ。力場が学園都市内部に満ちているというのは常識であり、当然この第23学区にも力場は存在している。しかしその他の学区と比べて、『薄い』のが否めない。当然と言えば当然だ。AIM拡散力場とは本来能力者が無意識のうちに発してしまう微弱な力の事である。能力者=学生が少ない場所では濃度が薄くなっても仕方がない。

 

 そしてそれだけなら勇斗にもまだやりようはあった。近場が薄いのなら広範囲から収束させればいいのだ。しかし、今回はそれができない。それが2つ目。オリアナが原典で力任せに無駄に強力な結界を張ったせいで、結界外との力場のやり取りができないという事である。

 

 操れる力場の量の絶対的な不足、そして原典の1ページから生じるのではなく原典そのものが作用する自動防御(オートガード)、それらのどちらかあるいは両方が影響し、力場を収束させた弾丸に魔術破壊(グラム・デモリッション)効果は期待できそうになく、防御を貫いてオリアナに有効打を与えるのは難しいように思える。

 

「それにしても……、あなたの翼、すごいことになってるわよ? こんな激しいことして大丈夫なの?」

 

「ご心配……どうもっ」

 

 思考を切り替え、口元にカードを這わせるオリアナに対し勇斗は翼を振るう。遠距離攻撃が火力的には期待できない今、勇斗に残されているのは翼と体術を用いた近接格闘(CQC)だ。

 

 それを見たオリアナは噛み破るページを変え、発動した爆圧を利用しその一撃を回避する。

 

 勇斗、上条と再び間合いを取るオリアナ。仕切り直しのような形になる。

 

「……ねえ、あなた達はどうしてそこまでお姉さんたちの事を止めようとするの? イギリス清教のお仲間さん達から何を教えてもらったかはわからないけど、『使徒十字(クローチェディピエトロ)』ってのはそんな悪い物じゃないのよ? 全てを組み替えて、幸せな世界を作り出す。そんな理想の世界を作り上げるのがこの霊装なんだから」

 

 単語帳のリングを右手の指に引っ掛けて揺らしながら、オリアナは勇斗と上条に向き直る。

 

「もしかしたら、魔術と科学の間の壁を取り払い、溝を埋め、世界中のみんなが平和に暮らせるようになるかもしれないわ。なのに、どうして邪魔をするの?」

 

「……良いことなんだろうな、それ。俺にはそんな世界全体に関わる視点でものごとなんて見てねーから、実感湧かねえけど、……いや、もしかしたら、望まない離別が減ったりするのかもしれない。断言してやる。それはいいことだ」

 

 上条が言った望まない離別とは誰の事なのだろう。新学期初日の、シェリー=クロムウェルという魔術師の事か。それとも、似たような境遇に身を置いている上条自身の事なのか。

 

「けどよ、……そんなことは今はどうだっていい。俺はテメェらの都合だけで、この大覇星祭が潰されるのが気に食わないんだ。必死に準備してきて、必死に練習してきて、クソみたいに混雑した中で場所取りに駆けずりまわって、それでも祭りを楽しもうとしてる奴らがいっぱいいるのに、それを勝手全部潰そうとしてんじゃねえよ」

 

 上条の握った拳に、力が込められていくのがわかる。強く強く、握り込む。

 

「……俺が今キレてんのは、お前が考えてるようなことよりも、もっともっと狭い、どうでもいいようなことなんだろうけど、それでもテメェに、誰かが本当に大切にしてるものを奪う権利なんかあるはずがねえだろうが」

 

「……ふうん。で、翼の君は?」

 

 上条の言葉にスッ、と目を細め、しかし何も言わず、オリアナは今度は勇斗に問いかける。

 

「……この街には腐った部分もある。狂った科学者たちが裏でコソコソ何やってんのかなんて想像もつかないし、したくもない。でも、この街には一応恩って物があるんだよ。右も左もわからないような子供だった俺をここまで育て、居場所と、存在意義と、クサイ言い方だけどいい仲間たちを与えてくれた、この学園都市ってところに。だから俺はそれを守りたくて風紀委員(ジャッジメント)にだって入ったし、だから俺は今こうして、アンタのやる事を邪魔しようとしてる」

 

 勇斗は探る。ずっと昔、もう今ではおぼろげにしか思い出せない、そんな遥か彼方の思い出を。

 

 本当に自分は幸運だったと思う。置き去り(チャイルドエラー)だった自分が、危険な実験のモルモットにされることもなく、暗部に落とされることもなく、快適な住環境を得ることができたことは。普通なら使い潰されたとしてもおかしくは無いのだ。暴走能力の法則解析用誘爆実験の被験者たちのように。普通なら暗部に売られてもおかしくは無いのだ。暗闇の5月計画の果てに、社会の裏の小組織『アイテム』に所属することになったとある少女のように。

 

 ……いや、一度だけ、危ない目にはあったのかもしれない。勇斗の能力が、ただAIM拡散力場を見るだけのものから、力場の観測・操作・背中に延びる翼を兼ね備えた現在の『御使降し(エンゼルフォール)』に成長したきっかけとなった実験。統括理事長肝入りの実験という話で、担当開発官が開発官だったために自身に全く恐怖心は無かったのだが、確かに勇斗は一度心臓を止められた……らしい。今でも自覚は無いが、客観的に見れば一度殺されたようなものだ。唯一にして最大の危険はそれだろう。それにしても、もう何年も会っていないがあの人は元気にしているのだろうか。研究者を辞めると言われた時には本当に驚いたけど。

 

「……小さな意見をありがとう」

 

 そんな勇斗の思考を、オリアナの声が遮った。口元は笑みの形に歪んでいる。しかし、目からは笑みが消えている。

 

「でもね、そんな感情論じゃあお姉さんは揺らがない。それで足を止めてしまうくらいなら、そもそもこんな敵中に乗り込んでいくような危険な策なんて取るはずないわ。私はここでは止まらない。いえ、止まれない」

 

「……ま、言葉で止められるような敵だなんてハナから思ってはなかったよ」

 

 横に立つ上条に倣い、勇斗は戦闘を続ける意思を構えを取ることで前面に押し出して、

 

「それなら全力でアンタとぶつかって、その上で止めてやる。感情論がどうとか言ってたけど、人の気持ちをテメェの定規で勝手に測ってんじゃねえよ……!!」

 

 赤く染まった大空の下。その一言をきっかけに3人は再び動き出す。現在時刻は午後6時。残された時間は、もう少ない。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「よく来たね、千乃勇斗君。歓迎しよう」

 

 白衣を着た高校生くらいの青年がそう言って、その横に立っている中年くらいの女性の後ろに、おどおどと隠れてしまった幼い男の子に向けて、人当たりのよさそうな笑顔を見せた。その青年の横には、まだ中学生くらいにも見える白衣の少女が同じようにニコニコと微笑んで立っている。

 

「きっと加群さんの顔が厳ついから怖がっちゃってるんですよきっと」

 

「バカを言うな唯一。そんなことはないだろう。……ですよね、親船さん?」

 

「ええ、大丈夫よ。あなたの笑顔はとっても素敵ね」

 

「……らしいじゃないか唯一。適当なことを言うなよ」

 

 親船と呼ばれた女性の言葉に安心したのか、加群と呼ばれた青年はホッとした表情を浮かべ、唯一と呼んだ少女にジロリとした視線を向ける。

 

「ああもう、加群さんの顔が厳ついかそうで無いかなんてどうでもいいじゃないですか。それより、勇斗君ほっといて私達だけで話してたら余計に怖がっちゃいますよ?」

 

「……話を振ったのはお前じゃないか」

 

 はあ、と1つ溜息を吐いて、それから青年は再び勇斗に向き直った。

 

「今日から私と、このお姉ちゃんが君と一緒に暮らすことになる。最初は色々と怖いこともあったり、嫌なこともあったりするかもしれないが、安心してくれ。君は責任を持って、私達が育てるよ」

 

 膝をついて、同じ目線の高さまで屈んで、真っ直ぐに目を見つめて、青年は勇斗に真摯に言葉を掛ける。

 

「……お兄ちゃんと、お姉ちゃん? 一緒に居てくれるの?」

 

「わー、この子加群さんの事『おじちゃん』じゃなくてちゃんと『お兄ちゃん』って言いましたね!びっくりです!」

 

「うるさいぞ唯一。……そうだ。それに、君と同い年くらいの友達もいっぱいできる。だから安心していいんだよ」

 

 そう言って、青年は手を伸ばす。おずおずと勇斗も手を差し出し、青年はその手をしっかりと握った。

 

「……この子は統括理事長の権限で勝手な実験への参加、利用が厳重に禁止されています。その点はよく把握していますね?」

 

 その様子を眺めながら、中年の女性が少女にやや強い調子で言う。有無を言わさず、返事だけを期待する、そんな威圧感が放たれていた。

 

「わかってますよーそんな睨まないでください親船さん。私達も『木原』の端くれではありますけど、流石に統括理事長直々の命令に背くつもりはありませんって。この子は今の段階でゴールドのタグですし、じっくり育てますよー」

 

「ゴールドのタグ、が何のことなのかはよくわかりませんが、よろしくお願いしますね。統括理事長が置き去り(チャイルドエラー)の子にわざわざ口を出すなんてそうそうあることではありません。きっと何か、大切にしたい子どもなんでしょうから」

 

「まあ確かに、ここまで連れてくるのに統括理事の1人がその役目を任されるってことは相当なんでしょう。そこんとこ、しっかり肝に銘じておきますよー」

 

 そう返答して、少女は未だ勇斗と戯れている青年に目を戻す。

 

「……それにしても、相変わらず加群さんは小さい子に人気がありますよね。教師なんかも向いてるんじゃないですか?」

 

「良いと思いますよ。もしなりたいのなら、私に言ってくれれば口添えをしますので」

 

 もう既に笑顔を取り戻した勇斗と、笑顔で相手をする青年の横で、女2人は微笑ましげな表情を浮かべていた。

 



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ep.28 9月19日-12 + ep.Ex 数年前

あれです、更新が早かったり文があれだったりするのは最近サイレントお祈りを喰らったのと我が愛読書の1つのニャル子さんが完結してしまったからです。
ハッピーエンドで悶えて悶えて仕方が無かったんですが、喪失感も大きいですね……。
辛さで言えば サイレントお祈り<ニャル子さん完結 ですしおすし。
見返せば見返す程ニヤニヤが止まらなくなる感じのハッピーエンドだからいいんですけどね!

という訳で、オリアナ戦も佳境です。そろそろもうすぐああなります。次話かな……。




 前へと飛び込む上条の前に、不気味に夕日に照らされる黒曜石のようなもので出来た大量のナイフが召喚された。上条の右手だけでは対処は不可能と言っていい。1つ消し飛ばすうちに、その何倍もの刃が彼の体を貫くだろう。

 

 しかし上条は足を止めない。オリアナが左手を振ると同時に上条に殺到したソレは、しかし不可視の力で防がれる。言わずもがな、勇斗の仕業だ。

 

 そのまま上条は全く減速することなくオリアナの元に飛び込んだ。同じタイミングで、勇斗の姿もその場から掻き消える。

 

「……もう、その手はさっき見たじゃない。お姉さんマンネリは嫌いなの」

 

 呆れた様子でオリアナはページを2枚破り取る。1枚は術者周囲に強烈な振動を発生させ、もう1枚は敵を拘束する呪いのイバラを召喚する。翼の少年――――勇斗が視界から消えたという事は、つまり背後にいるということだ。しかし前後を挟まれていたとしても、そして彼らが対抗手段を持っていたとしても、立っている地面が牙をむくのだからとっさの対応なんてできやしない。そしたら後はイバラでグルグル巻きにして、全てが終わるまで寝ていてもらおう。

 

 そう思って、魔術を発動させて、

 

 否、させようとして、

 

 耳に届いたわずかな音が、オリアナの体を動かした。とっさに体を捻ったそのすぐ横を、振り下ろされた翼が通過していく。地面に叩き付けられた翼がアスファルトを抉り、破片を周囲に撒き散らした。 

 

「――――ッ!」

 

 間髪入れず、再びの風切り音。今度は、身を屈めたオリアナのすぐ頭上を横薙ぎに翼が駆け抜けた。

 

 ――――そして、そこで上条が飛び込む。翼による2連撃、しかもギリギリで躱せる(・・・・・・・・)軌道で放たれた、時間差攻撃。勇斗の狙い通り(・・・・・・・)全力で回避し、体勢を崩したオリアナ。慌てて立ち上がるが、遅い。上条の拳が彼女の顔面に突き刺さる。

 

 ――――が、オリアナは拳の勢いに合わせて自ら後ろへ跳躍した。同時に、その勢いのまま足を振り上げる。即ち、バク転。恐ろしい風の唸りを纏ったオリアナの長い脚が、とっさに頭を引っ込めた上条の顎スレスレを通過していく。

 

 チッ、という小さな舌打ちと共に体操選手さながらの身のこなしで体勢を立て直し、既に破り取って、しかし不発のままだった魔術を再発動させる。オリアナを中心にして数メートル程の地面が、激震と共に崩壊した。その衝撃が、タッチの差で翼を振り下ろそうとしていた勇斗と、体勢を立て直したばかりの上条の足を打ち据える。

 

 それは新学期初日、地下街で彼らと対峙した魔術師シェリー=クロムウェルが使役していたゴーレムによる一撃に匹敵するほどの衝撃だったと言って差し支えない。魔道書の原典というものはあれだけ小さくても、天使を模して作られた巨大なゴーレムにすら並ぶ程の力を発揮するものなのか。

 

 しかし、振動だけならどうにでもなる。例え地面が使えないのなら、翼を駆使して空を駆ければいい。これは上条にはできない。翼を持つ勇斗の仕事だ。

 

 翼を操り、勇斗は宙を舞う。そして翼で空気を叩いたことで発生する推進力と、背中の方から力場を射出することで得られる推進力の2つを合わせ、今度は勇斗がオリアナの元に飛び込む。

 

 ――――気づけたのは幸運だった。回避できたのはもっと幸運だった。あやうく先端が鋭利に尖った氷柱に顔面から飛び込むところだった。たまたま差し込んだ夕日がオレンジ色に煌めかせなければ、絶対に気づかなかっただろう。

 

「ッ!?」

 

 顔を逸らす。その逸らした顔の、目のすぐ横。頬に一直線の傷を残した、冷たく鋭利で透明な槍。

 

 ブワッ!っと、背中から冷や汗が噴き出す。ここまでヒヤッとしたのは、ここまで命の危機を感じたのは、――――約3週間ぶりか。最近上条のせい(?)で上条がらみ、あるいは上条に端を発する事件に首を突っ込む事が多くなった気がする。ひょっとするとこれから先、更に短いスパンで命の危機を感じるような目に合うエキセントリックな日常が待ち受けている可能性が微粒子レベルで存在する…………?

 

 そんな現実逃避を、この一瞬で勇斗は考えて。――――視界いっぱいに、オリアナの足が映る。追撃だ。とっさに腕を交差させてガードをするも、強烈な衝撃が腕を襲う。ビリビリと腕が痺れ、勇斗の体が後方に飛ばされた。

 

 転がった勢いで勇斗は起き上がるが、追撃はまだ終わらない。再び前を向いた時には、オリアナが勇斗の懐まで飛び込んでいた。

 

「なんッ、!?」

 

 口元には、破り取られた単語帳の1ページ。回避も防御も間に合わない程の速さで至近距離にまで迫ったオリアナは、ほっそりと滑らかなその手を滑らせ、勇斗の体を腹から胸まで、優しく撫で上げる。まるで、恋人にするそれのように、そっと優しく。

 

 しかしそれがもたらす結果はお世辞にも優しい物とは言えなかった。一瞬の間の後に、撫で上げられた部分から空気が吹き荒れる。そう、常盤台に通うとあるトンデモ発射場ガールの能力を、その身に喰らったような。

 

 勇斗の体を宙に浮かす程の衝撃が鳩尾に集中し、口の中いっぱいに苦い味が広がる。

 

「まだまだぁ♪」

 

 空中に打ち上げ、身動きを封じた所に強烈な一撃を打ち込むコンボだったのか。ふざけてるとしか思えない嫌に明るい声と共に、嫌に握り込まれたオリアナの拳が勇斗に迫る。

 

「なめ……んなぁッ!!」

 

 やられっぱなしという訳にはいかない。翼を羽ばたかせて上空へと逃げる。しかしオリアナもそれを読んでいたのか、口元に単語帳を運び、カードを破り取る。出現したのは――――黒い、影を固めてできたような槍。数は4。ふわりとオリアナの周りを漂ったかと思うと、目にも止まらぬ速さで勇斗に向けて打ち出される。

 

「――――」

 

 自らの翼に、魔術の槍の貫通力に勝る程の防御力があるとは思えない。力場を打ち出すにしても絶対量が足りないし、例え足りていたとしても貫通力の高い『点』の攻撃を力場の『面』による攻撃で迎え撃てただろうか。

 

「……、」

 

 そんな、嫌でも串刺しの恐怖がちらつく状況で。しかし半ば反射的に勇斗は翼を振るった。

 

 そして。

 

「な、」

 

 槍は、勇斗に届くことなく消滅する。1本残らず。

 

目を見開き、呆然とオリアナはその様子を目に捉える。

 

 今のは、もしや。

 

 オリアナの脳裏に、明色の切断斧(ブレードクレーター)を消し飛ばされた時のあの感覚が蘇ってくる。彼女の背後で、足にダメージを負って倒れている不思議な右手を持った少年が引き起こす、静かな(・・・)魔術無効化(マジックキャンセル)ではない。澱み汚れた水を川の流れが押し流すがごとく、発動した術式の魔力をそれ以上の何かでその場から押し流して魔術を妨害する、この強引な力技極まりない魔術破壊(グラム・デモリッション)

 

 使えないはずではなかったのか。つい先程、背中まで向けて絶好のチャンスを演出したというのに、使わなかったのに。あそこで手加減をする理由はこの少年には無かったはずだ。あの場面で使わないという事は、すなわち使えないと同義であるはずなのに。

 

「……ッ!」

 

 オリアナは追撃の手を止めなかった。気づけば、彼女の周りを『槍』と同じような材質でできた黒いカケラが漂っている。そしてそれらが、1つ1つ異なる軌道を描いて一斉に勇斗に向かって放たれた。

 

 ――――しかし、再びの翼の一薙ぎ。叩き落としたわけでは無く、それでも全てのカケラが『破壊』された。

 

「……やり方が間違ってたみたいだ。『弾丸』じゃなく、翼の羽ばたきじゃないとダメなんだな」

 

 宙に浮かんだ少年が発した言葉の意味を理解しようとそっちに気を取られたその刹那、ダメージから復帰した上条がオリアナ目がけて飛び込んだ。愚直に突っ込んだだけだというのに、拳は届いた。オリアナは完全に、勇斗の魔術破壊に動揺している。

 

 加速と、全体重を乗せた拳。それはもう、全力のタックルとほぼ同義。いくら魔術師として近接戦闘に優れているとはいえ、オリアナの体は女性のそれだ。男子高校生の全力のタックルを受けて平然としていられるはずがない。

 

 つまり。オリアナは容易に吹き飛び、地面に叩き付けられ、力なく転がった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 背中を強打したのか、呼吸が覚束ない。頭こそ地面にぶつけなかったものの、強烈な加速度のせいで頭がくらくらする。目もチカチカする。擦りむいた腕や足がひりひり痛む。

 

 視界が明滅する中必死に焦点を合わせてみると、油断なくこちらを見下ろしながらゆっくりと近づいてくる2人の少年がいる。

 

 ――――正直、舐めていた。少しばかり特別な力を持っているだけの、ただの子どもだと思っていた。魔術の事など何も知らない、無知な子羊だと思っていた。魔術師さえ排除した今、本気でやれば余裕だと思っていた。そんなことを、心のどこかで感じていたのだろう。脅威を感じていた、その心の裏で。魔術を打ち消される――――いや、魔術を防がれること自体、珍しいことではないのに。自分の魔術を破られる事だって、経験していたはずなのに。

 

 ――――いや、それだけではない。確かにどこか舐めていたところもあるが、実際この少年達の思いは本物だ。学園都市を守るという硬い意志がある。

 

 ――――いや、だからって。オリアナだって、ここで倒れては困る理由がある。折角リスクを冒してまで、この街に侵入したのに。ここで倒れるわけにはいかない。

 

 ぼんやりと揺らぐ思考を最大限まとめ上げる。逆接が続いたが、この際仕方がない。

 

(……私は、自らの手で勝ち取る。絶対に負けられない理由……止まれない理由があるんだから)

 

 絶対の基準点が存在する世界。善行が誰か他人の不幸を生み出すこともなく、価値観の違いが悲劇を生みだすこともない。そんな理想的で、最高の世界。それを、勝ち取るために。

 

「―――礎を担いし者(Basis104)

 

 静かに魔法名を告げて、オリアナは立ち上がった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「―――礎を担いし者(Basis104)

 

 風に乗って、勇斗の前方に転がっていた女性からそんな言葉が聞こえてくる。ラテン語と、3桁の数字を組み合わせた文字列。それは魔法名。即ち、魔術師としての覚悟の証。勇斗と上条を本気で排除するべき相手だと認めた証明だ。

 

 勇斗と上条の歩みが止まり、構えを取る。その2人の前で、オリアナはゆっくりと立ち上がった。勇斗の魔術破壊(グラム・デモリッション)で2人の方に来ていた流れを強引に引き寄せたように、場の空気をオリアナが支配する。

 

 と、何の予備動作も無く。

 

 一閃。

 

 鮮血。

 

 見えなかった。

 

 反応できなかった。

 

「――――これ、あなた達のお仲間に感謝しなくちゃね。彼のハッタリのおかげでこれ、準備してたんだから」

 

 ひらひらと、見せつけるように。カードに書かれているのは、黄色の[Water Symbol]。風を纏う、氷の刃。その刃が、勇斗の右肩から左の腰までを袈裟懸けに切り裂いていた。

 

「聖人が得意とする高速移動に対応出来る高速の斬撃――――って所かしら。悪いわね、翼の坊や。厄介なのはあなたの方だと思ったから、これあなたに使っちゃったわ。恨むなら、あの金髪の魔術師の坊やを恨んでね」

 

 そこまで聞いて、操り人形の糸が切れたように勇斗が倒れ込む。じわじわと、鮮血が広がっていく。背中から伸びていたノイズまみれの翼が、溶けるように消えた。

 

「ゆ、勇斗!! おい!勇斗!!」

 

「あなたの相手は私よ、坊や」

 

 勇斗の元へ駆け寄る上条を、オリアナは冷たい、そして強い調子で呼び止めた。

 

使徒十字(クローチェディピエトロ)を止めたいのでしょう? なら、こちらに集中したらどう?」

 

「テ、メェ……! 幸せな世界を作るとか言いながら何人傷つけるつもりだ!!」

 

「お姉さんだって傷つけたくて傷つけているわけじゃない。お姉さんにもお姉さんなりの信念があるの。……魔法名を名乗った今、言葉なんかじゃ止まらないわよ。さあ、これで坊やが学園都市の最後の防壁。坊やを潰せば全てがうまくいく。……来なさい。お姉さんを止めたいのなら、力づくでどうにかするのね」

 

 オリアナは、無慈悲に告げる。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「やあ、勇斗君。よく来たね」

 

「こんにちは、加群さん。今日はよろしくお願いします」

 

 勇斗はそう言ってぺこりと頭を下げる。

 

 たくさんの精密機械が部屋中の至る所にある一室。その一角、どこかの病院の診察室で見るようなテーブルと2つの椅子。その1つ、普通なら医者が座っているその場所に、白衣を着た1人の青年が座っている。面差しは柔らかく、人当たりのいい微笑みを浮かべ、部屋に入ってくる勇斗を見つめていた。

 

「今日の実験について、ちゃんと説明は受けてきたかな?」

 

 もう一方の椅子にストンと座った勇斗に、実験の予定が表示された端末を渡して彼は言う。

 

「はい。僕が眠ってる間に加群さんと唯一さんが何かをやって、うまくいくと能力が成長するかもしれないんですよね!」

 

 この第12学区にある研究所に勇斗が来てから5年ほどが経った。その間勇斗は能力開発と能力測定程度しか実験らしい実験は行っていなかったものの、能力は当初の無能力(レベル0)から順調に成長していた。今はAIM系の能力の異能力者(レベル2)だ。そんな勇斗が、初めて大掛かりな実験に参加することになったのだ。学園都市統括理事長、直々の勅命で。

 

「……ああ、まあ大体あってるよ。成功すれば大能力者(レベル4)までの成長が見込める」

 

 確かに大体あっている。唯一はしっかりと説明してくれたようだ。ぼかすべきところはしっかりぼかして。そのぼかした部分が、とても重要なのだけれど。

 

「ホントですか!! やった!! これでやっと風紀委員(ジャッジメント)になれます!」

 

「ん……? 風紀委員(ジャッジメント)にはレベルの制限はなかったはずだけど?」

 

「学校の先生と約束してたんです。『勇斗君はとても優秀だから、風紀委員(ジャッジメント)で頑張る前にまずはレベル上げに専念しよう。もし強能力者(レベル3)まで上がったら、そしたらその時に風紀委員(ジャッジメント)になろう』って」

 

 そう、勇斗は嬉しそうに加群に言った。とても嬉しそうで、だからこそ加群は勇斗に問いかけた。

 

「……どうして勇斗君は、そんなに風紀委員(ジャッジメント)になりたいんだい?」

 

 その問いかけに、勇斗はほとんど悩むことなく答える。

 

「だって、1人だった僕を拾って、ここまで育ててくれたじゃないですか。学校も楽しいし、能力の練習をしている時とかもすっごく面白いんです。だから、僕はこの街に恩返しがしたいんです」

 

「……なるほど。ならなおさらこの実験を成功させなきゃいけないね」

 

「加群さんと唯一さんなら絶対大丈夫ですよ! 2人のおかげで勉強も能力もバッチリだし!」

 

「……はは、そうだな。私に任せてくれ。絶対に成功させるよ」

 

「はい!」

 

 加群にとって、素直に向けられた信頼を受け止めることに抵抗があった。なにせ、これから自分をしたってくれるこの子を、『殺さ』なければならないのだから。拒否することはできない。これは統括理事長直々の指示で行われる実験だからだ。

 

 だがそう考える一方で、どこかわくわくした気持ちを捨てきれない。彼の科学者としての勘が、この千乃勇斗という置き去り(チャイルドエラー)には何かあると囁いているのだ。指示を受けたときに言われた『この実験で一気に大能力者(レベル4)まで成長するかもしれない』という統括理事長の言葉も、冗談には思えない。

 

 ならその矛盾する2つの心情を1つに落ち着けるにはどうする?

 

 簡単だ。いつものように(・・・・・・・)、止めた心臓を再び動くようにしてやればいい。

 

 それだけでいい。

 

 そう考えると、だんだんと抵抗感も感じなくなっていく。

 

 さあ、それでは。ここからは、――――『木原』の時間だ。

 




あ、『走れメロンパン』と検索するとみなさん幸せになれるかも


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ep.29 9月19日-13

 霞がかったように全てがぼやける世界の向こう、戦い続ける2人の足音が聞こえる。

 

 アスファルトが砕け散る轟音が聞こえる。何かが風を切る甲高い音が聞こえる。

 

 淡々と話す女性の声がした。余裕を失った少年の声がした。

 

 しかしそれらは、切り裂かれた傷口から血が流れ出していくにつれて形を失い、うねりのような音となって、そして小さく聞こえなくなっていく。

 

(……体が、動かねえ)

 

 体という膜の中いっぱいに鉛を流し込んで固めたかのように、体が重く冷たい。投げ出された腕の先、拳を握るのでさえ重労働だ。

 

(……でも、アイ、ツは1人で戦っ、てんだ。右手の、不思議な能力、だけ、で……。俺だって、こんな、とこ、ろで、……寝てる場合じゃ、ないだろ)

 

 段々と勇斗の思考も形を失い始め、意思に逆らって、更に意識は薄れてゆく。出血量が多すぎる。もはやこれ以上の出血は、命に関わる。

 

(ク、ソがッ、……!! どうにか、なんねえの、かよ……?)

 

 薄れゆく意識に、ノイズが入りだす。視界が明滅し、テレビの砂嵐のような光景がちらつき始める。

 

 意識が揺らぐ。失血で三半規管でもやられてしまったのだろうか、地面が揺れている。地球が揺れている。

 

 それらは止まらない。鮮血がアスファルトに真紅を広げれば広げる程、ますます強く、ひどいものになっていく。

 

 ――――――――――――あたかも勇斗の中の何かが、勇斗の体という監獄の中から、無理やりに抜け出そうとしているかのように。

 

(……、……!)

 

 そんなとき、勇斗は気づく。

 

 自分の体の奥深くで、自分の能力(チカラ)が揺らいでいる。自分だけの現実(パーソナルリアリティ)の世界で、自分だけが観測するミクロな世界で、自分が抑圧し、封じ込めてきた『何か』が、外界を求めて、蠢いている。

 

 自分だけの現実(パーソナルリアリティ)という防壁(フィルター)越しにも、大きな力を感じる。これは危険だ。扱いを誤れば自分の身を滅ぼしかねない核兵器と同じ。――――しかし、どこか懐かしい。

 

 これは、なんだ。一体何が、この体の奥に眠っているのだ。

 

 そこまで考えが及んだ時、ほとんど途切れかけた勇斗の視覚と聴覚が、人間の倒れる音と、愉悦に震える女性の笑い声を捉えた。

 

 それが一体何を意味するのか。それが一体何をもたらすのか。その問いに対する答えをまとめ上げる前に、勇斗は意識を手放した。

 

 視界が黒く染まり、うねるような雑音は消え、揺らぎとノイズだけが勇斗を満たす。

 

 ――――――――――そして、

 

 ――――――――――それは始まった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「…………これでもう、邪魔者はいない。いいえ、いたとしてももう、間に合わない(・・・・・・)

 

 誰ともなしに呟くオリアナが指で弄ぶ金属の輪っかに、速記原典(たんごちょう)はもう1枚も残されてはいなかった。ここでこの作戦を確実に成功させるために、最後の障害である上条に残された全てのカードを叩き込んだのだ。

 

 さて、これからどうしよう。この場に留まって、全てが変わる瞬間を待とうか。それとも、フェンスのところでこちらへの殺意をみなぎらせている魔術師2人を潰しておこうか。

 

 ――――正直、どちらでも構わないかなあ。だって、私がどう動こうと、もう結果に何の関係もないのだし。

 

 視界の向こう、もうほとんど藍色に染まった夜空を明るく照らすこの街の中心部がある。その光の御許、何百万もの人々は間もなくローマ正教の支配下に堕ちる。それはつまり、科学サイドの崩壊。そして、ローマ正教への権力の一極集中。世界のほとんどが、『ローマ正教』という単一の価値観のもとで新しい生活を始める。これでまた、価値観の狭間で苦しむ人々を救う事が出来る。そう考えると、星空を塗りつぶしてしまう程の莫大な光量でも、何か感慨深いものに見えてしまうから不思議だ。

 

「……その理想の世界を脅かす要因は、排除しておくべきかしらね」

 

 フェンスの所からこちらを窺うイギリス清教の魔術師たちにとっては、この理想の世界は理想の世界たりえないだろう。ならば、妨害を受ける前に排除するだけだ。

 

 そう考えて、オリアナはフェンスの方に一歩を踏み出そうとして、

 

 ――――――――渦を巻き始めた、不穏な力をその背に感じ取った。

 

「…………?」

 

 彼女が後ろを振り返ると、そこにはノイズがかった翼を背に出現させた勇斗が立ち上がっていた。――――いや、その足は地に着いてはいない。翼を羽ばたかせることもせず、物理的に説明のつかない様子で、勇斗は宙に浮いている。

 

 オリアナが切り裂いた体の前面の傷口からは依然として血が溢れ続け、滴った血が大きな血だまりを形作り、体操服から靴まで全てが鮮血に染められている。首吊りの死体のごとく顔は俯いていて見ることができず、手の先から足の先までだらりと脱力した格好だ。

 

「……まだやるの?」

 

 そう問いかけるオリアナの声に、しかし勇斗は一切の反応を返さない。代わりに答えてでもいるかの如く、翼のノイズが更に酷くなっていく。形を失い、四散してしまいかねない程に。

 

「……ッ」

 

 漠然と、嫌な予感がした。この少年を放置してはいけない。ここで無視すれば、オリアナの努力は一瞬で水泡に帰す。その証拠に、渦を巻いていた力が、この少年の発する力が、右肩上がりに上昇していく。

 

「……やっぱり殺しちゃうべきだったかしら」

 

 そう言って、拳を握り、オリアナは勇斗に向かっていく。

 

 あれだけの傷を与え、あれだけ失血させているのだ。魔術など必要ない。ただ2-3発、拳を叩き込んでやればカタは着く。

 

 こんな最後の最後で、安易な逆転劇など許すわけにはいかないのだ。

 

「……さようなら、坊や」

 

 そう言って、渾身の拳を満身創痍の少年の心臓の真上に叩き込んで、

 

 ――――硬質な音と共に、その拳が動きを止めた。体まで、心臓まであと数センチのところで、その一撃が受け止められたのだ。

 

「――――」

 

 そしてオリアナが再び動き出す、その前に。

 

 ――――勇斗の背中が、弾け飛ぶ。

 

「ガッ、!?」

 

 その余波だけで、オリアナの体が簡単に吹き飛ばされた。地面に叩き付けられ、アスファルトに腕や膝を削られながらゴロゴロと転がる羽目になる。

 

 痛みを堪えて立ち上がり、オリアナは勇斗に向き直って――――そして彼女は驚愕で動きを止めた。

 

「な……」

 

 目の前の少年から、つい先刻まであったはずの斜めに走る大きな切り傷が消えていた。体操服は切り裂かれ、体の全面は鮮血で染められているのだが、その下にあったはずの血を吐き出し続ける傷が無い。

 

 それだけではない。いや、そんなことは(・・・・・・)どうだっていい(・・・・・・・)。それ以上に、オリアナが目を奪われたことがある。

 

「…………何、なの?」

 

 オリアナは、目前の光景を受け入れられないといった様子で、呆然と呟く。

 

「一体、それは、何なの?」

 

 勇斗の姿が変わっている。いや、勇斗の体そのものには傷が治っていること以外に目立った変化はない。しかし、勇斗の姿は変化を遂げている。

 

 ――――白銀の翼が、色付いていた。無機なる白銀から、更なる無機を宿す水晶の青(クリスタルブルー)。透き通る水晶の連なりのような鋭い翼が、その背に出現している。そして頭上。何も無かったはずの場所に、金色の円環が出現している。円の中心を交点にするように十字が交差した、全ての足の長さが等しいケルト十字のような円環だ。その姿は、これまでよりももっと、天使のそれに近づいていた。

 

 そこまでオリアナは理解して、更に気づく。勇斗の発する力の質が、つい先刻までのものとは変質している。天使の力(テレズマ)に似た力、から、天使の力(テレズマ)そのもの、へと。

 

 そして、オリアナが感知した天使の力(テレズマ)は、現代魔術でよく扱われる四大天使『神の火(ウリエル)』・『神の薬(ラファエル)』・『神の力(ガブリエル)』・『神の如き者(ミカエル)』のどれに対応するものでもなかった。

 

「…………まさか、…………これは」

 

 ――――その天使はかつて、神の右側に座する天使であるとされた。後に反乱を起こし、天使の3分の1を率いて神に逆らったとされた。その咎より天界から堕ち、遥か地の底で地獄を作り出したとされた。

 

 『明けの明星』の名を冠し、堕天使とされながら人間に光を与えた者として崇拝されることもある、大天使。

 

「…………これは…………、『光を掲げる者(ルシフェル)』…………?」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……説明してもらおうか、土御門」

 

「……なんのことかにゃー?」

 

(とぼ)けるなよ。千乃勇斗のアレについてだ」

 

 フェンスに身を預けて座りながら、ステイルは土御門を問い詰める。

 

「……千乃勇斗は大能力者で間違いないんだな?」

 

「ああ。勇斗は正真正銘、この街で開発を受けた能力者だぜい」

 

 怖い表情で睨み付けるステイルに対し、土御門は表情を崩さない。カラカラと乾いた笑いを浮かべながら、問い掛けに答え始める。

 

「……なら何故、彼は能力者でありながら天使の力(テレズマ)を宿している。能力者に魔術は使えないはずじゃなかったのか」

 

「普通はそうだにゃー。この街の『開発』を受けた人間は、発現した能力の強弱の如何を問わず、魔術を満足に扱えない体になる。だが……アイツは違う」

 

 そこまで言って、土御門は皮肉気に口を歪めた。

 

「……なあステイル。お前、勇斗と初めて戦った時の事を覚えているか? お前があの(・・)禁書目録に襲い掛かろうとした寸でのところで、勇斗に乱入された時のアレだ」

 

「……忘れるわけがないだろう。炎をあんな簡単に防がれたのも、僕自身があんな簡単にあしらわれたのも、……まあ、いい経験をさせてもらったね」

 

「その割には表情が引き攣ってるようだがにゃー。まあいい、その時だステイル。お前、何か気付かなかったか? 具体的に言えば、アイツが操ってる力について」

 

「ああ、あったよ。あの(・・)力、……AIM拡散力場といったか、一瞬天使の力(テレズマ)なんじゃないかと思う程力場が酷似していたね。けどまあ、それは偶然だろう。実際のところは似て非なる別物だ」

 

「それだにゃー。……悪いがこっからは推測だ。確証はない。構わないか?」

 

「ああ、別に気にしない」

 

「助かるぜい。勇斗の能力はそのAIM拡散力場を操る、というものだ。おそらくアイツは、その力場を媒介に天使の力(テレズマ)を操作している。ちょうど一般の魔術師が、自分の魔力を媒介にして天使の力(テレズマ)を操っているように」

 

「……一応聞いておくよ。そんなことは可能なのかい?」

 

「普通は無理だ。だが勇斗は恐らくその方式で天使の力(テレズマ)を操っている。アイツにはそれをやってのけるだけの特殊能力があるらしいからな」

 

「……なら、それが実際に可能であるとしよう。じゃあそもそもの天使の力(テレズマ)は一体どこから調達する? 彼は能力者だ、天使の力(テレズマ)の呼び出し方なんて知らないはずだ」

 

「……世の中には、知らなくても勝手に集めたりできちゃうシステムってのがあるんだぜい」

 

「偶像の理論、か」

 

 納得のいく結論に思い当たり、ステイルは首を左右に振って、溜息を吐いた。

 

「(ま、アイツの場合は『翼』が『天使』を呼んだってよりも『天使』が『翼』を作り上げたって方が正確なんだがにゃー)」

 

「ん、何か言ったかい?」

 

「いや、なーんも。……科学だの魔術だのって括られてはいるが、突き詰めれば案外元は同じ物なのかもしれないな」

 

「……」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 上条は立ち上がることができずにいた。もちろんオリアナから受けた最後の攻撃のダメージのせいでもあるが、それ以上に、場を支配する圧倒的な雰囲気に。

 

(あれが……)

 

 8月の終わり、『御使堕し(エンゼルフォール)』の時と似た感覚を上条は覚える。胃袋は石を詰め込んだかのように重く冷えきり、呼吸が浅く早く、早鐘を打つ心臓。

 

 その威圧感、存在感。

 

 あの時の『神の力(ガブリエル)』と比べればまだまだ弱いが、それでもあの大天使と同質のモノを上条は感じる。

 

(あれが、勇斗の本当の力……なのか!?)

 

 なぜ勇斗がこんな魔術的な力を持っているのか。なぜ学園都市の能力者が、こんな魔術的な力を振るっているのか。

 

 気になることはいくらでもある。聞きたいことはいくらでもある。

 

 しかし、上条は答えを知らないし、その場のだれもがその問いに対する答えを持ってはいない。

 

 ただただ、天使がそこに君臨するという事象だけが確固たる事実だった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 勇斗が、動く。

 

 脱力していた右手が操り人形の糸に引かれるように動きだし、徐々に持ち上げられていく。

 

 口元も動いている。聞き取れない。ノイズに塗れた不思議な言の葉を、勇斗は紡いでいる。

 

 そして、その右手が、天上を指差して、

 

 ――――世界が(・・・)切り取られた(・・・・・・)

 

「な――――――」

 

 オリアナの全身を、再び驚愕が貫いた。夜空に星が瞬き始めた、わずかに西の空に太陽の残光が煌めく群青の星空の下にいたはずなのに。遠く向こうに、その星空を照らす莫大な光量を放つビル街があったはずなのに。オリアナの周囲にあるのは、ただひたすらに、漆黒。そして空に、その漆黒に不釣り合いなほどに満天の星。

 

 綺麗な星空だ。ともすれば、こんな状況でも見惚れかねない程に。しかし彼女はすぐに気付く。この星空は、地球上のどの地点のものでもない。目の前に君臨する大天使によって作り上げられた、偽りの夜空だ。

 

 星々が、一際強く瞬いた。

 

 その美しさにもう心を奪われることはない。オリアナの心に浮かぶのは、焦燥と、――――恐怖。

 

 しかし、もう手遅れだった。再び夜空の星が瞬き、

 

 ――――夜空が崩れ、星々がオリアナに降り注ぐ。

 

 動くこともできず、オリアナの体と意識が、光の濁流に飲み込まれた。

 





どこかで聞いたことがあるようなテンプレネタでいっぱいの世界を旅することになった少年の物語――――『異世界トリップ(仮)』

……書いてみたいなあ

3/24 4:08追記


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ep.30 9月20日-1

 

「……はっ! ………………知ってる天井だ………………?」

 

 暗闇に包まれた視界の向こう。薄ぼんやりと、どこかで見たような天井が見えた。目を瞬かせて、まだ重い瞼を必死に持ち上げ、勇斗は上半身を起こす。

 

「……病室、か?」

 

 ぐるりと首を回して周囲の様子を窺う。左側に、今はカーテンが閉められた窓。右側に、ベッドサイドテーブル。そして、お見舞いに来た人用のだろうか、イスとテーブルが並んでいた。

 

 ――――何という事は無い。勇斗にとってはもう見慣れた、彼の親友にとって原点(ふりだし)たる、(くだん)のカエル医者付属病院の病室だった。そして勇斗はその部屋に唯一存在するベッドに寝ていたらしい。

 

 部屋の中は真っ暗だった。勇斗は体を捻って枕元のボタンを押し、――――押そうとしたところで、布団に何かが乗っかっていることに気づく。恐る恐る手を伸ばしてみれば、手に返って来るのは何かサラサラした手触りの温かい丸い物体――――つまり、人間の頭だった。触ってみた感じと漏れ聞こえてくる吐息から、どうやらその人物は布団に突っ伏して寝ているようで顔はよく見えない。だがそのサラサラ具合と漂ってくる甘やかな香りのおかげで、辛うじてそれが女の子のものであるという事がわかる。

 

「…………」

 

 サイドテーブルを照らす小さな明かりを点けたことで、その人物の正体が見えてきた。その人物――少女は、美しい栗色の髪を持っていた。Tシャツに袖なしのパーカー、そしてショートパンツ。

 

「………………きぬ、はた?」

 

 顔はわからない。しかし勇斗の記憶の中でその姿に該当するのは彼女だけだった。――――なぜここにいるのだろう。自分がここで寝ている……つまり入院(?)しているという事を考えると、ひょっとして、お見舞いにでも来てくれていたのだろうか。

 

 と、そこで枕元の壁に表示されていた時間が勇斗の目に飛び込んできた。――――現在9月20日、午前2時13分。いつの間にか、日を跨いでいる。

 

「…………ッ!? オ、オリアナは!? 『使徒十字(クローチェディピエトロ)』は!?」

 

 勇斗の頭から絹旗の事が一瞬で吹き飛び、ぼんやりしていた頭が急速に回転を始める。――――そうだ、自分はあの第23学区の飛行場でオリアナと戦っていたはずなのだ。それなのになぜ、この第7学区のこの病室で惰眠を貪っていたのだろうか…………?

 

「……ふむ。そこまで回復しているのなら、もう朝には退院してもいいかもしれないね?」

 

 そこに唐突に現れたのは、勇斗にとっても顔馴染みの1人。彼や上条、そして妹達(シスターズ)の『主治医』を務める『冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)』の異名を持つ、

 

「全く、……もしかして君までこの病院が好きになったのかい?」

 

「いや、そんなことはないんじゃないんですかね…………ねえ?」

 

 要するに、カエル顔の医者だった。

 

 空間移動能力者(テレポーター)も真っ青な無音移動で出現していた彼に苦笑いを返しつつ、勇斗は問い掛ける。

 

「……で、先生。俺はどうしてここに……?」

 

「多分それに関する伝言をいくつか預かっているから、心して聞くといいんだね?」

 

 そんな勇斗の問い掛けに肩をすくめて、

 

「まず1つ目。君の友人達――――上条君と、金髪の彼と、長身の英国人からの伝言だが、……『万事解決!!』だそうだよ? なんでも『結局18:30に始まったナイトパレードの光が星空を塗りつぶしたおかげだった』だってね?」

 

「……………………え?」

 

「『ぶっちゃけ俺らが動いていた意味はあんまり無かった。巻き込んでしまってすまなかった。今は反省している』……だ、そうだよ?」

 

「は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「こらこら、夜の病院でそう騒ぐものではないね?」

 

 自分を叱るカエル医者の声がどんどんと遠ざかっていくような錯覚に勇斗は囚われた。――――あの戦いが、無意味? はは……冗談きつい……。

 

 しかしそこで勇斗は気付く。否、気付いてしまう。体育祭という括りで考えた時に全くその由来が分からなかった、『大覇星祭』という名前。――――()を制()する()規模な()

 

「あ、え……? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!??」

 

「だから静かにするんだね? ただでさえ病院というのは声が響くんだよ?」

 

 呆れたようなカエル(ryの声ももう耳には入ってこない。――――そうだったのか。『使徒十字(クローチェディピエトロ)』を止めるカギは、もう最初から目の前にあったのか。いや待て、そんなことに気づく奴の方がどうにかしている。あれか、この祭りの名付け親は魔術師なのか。イギリス清教か、あるいは――――。

 

「……まあいい。2つ目は君の症状についてだがね? 恐らく失血と、能力の暴走で意識を失っていたんだろうね? 何故か(・・・)、傷自体は塞がっているみたいだけれどね?」

 

「失血と……暴走……?」

 

 記憶を辿る。視界を斜めに走る一筋の斬線。同時に体を襲った激痛。肩から腰までを一息に切り裂かれ、鮮血を撒き散らして倒れた事は覚えている。しかしその先、当然と言えば当然の事だが、意識を失ってからの記憶は無い。その間に、能力が暴走したのだろうか。カエル顔の医者が強調したように何故か傷が塞がっているのは、ひょっとするとその暴走と関係があるという事だろうか。

 

「暴走について覚えてないなら、後でその3人にでも聞いてみるといいんだね? ……検査をしてみたけど、現状では血液量、脳の稼働状況共に問題は無い。つまりもう君は健康体ってことなんだけど。さて、そして3つ目だが…………」

 

 言いながら、カエル顔の医者は部屋の出口に向かっていき、そして扉に手をかけて、

 

そこの彼女(・・・・・)にもちゃんとお礼を言ってあげるんだよ? 君が倒れたって聞いて、急いで駆け付けてきてくれたみたいだからね?」

 

 そう言い残して、部屋を出て行った。

 

「…………」

 

 勇斗はガリガリと頭を掻いて、ベッドの縁、ベッド脇の椅子に腰かけ、上半身をベッドに乗り上げる形で眠る少女に視線を向けた。だいぶ大声を出してしまったが、それでも起きる気配は無い。ムニャムニャ言いながら、穏やかな寝息を立てて眠り続けている。

 

「……わざわざ、お見舞いに来てくれてたのか」

 

「そうだにゃー感謝するといいぜい」

 

 無意識に絹旗の方に手を伸ばしていた勇斗だったが、これまた空間移動能力者(テレポーター)も真っ青な唐突な声に、ビクッ!とその動きを止める羽目になる。声の方を見るまでもない。その侵入者は、勇斗の顔馴染みだ。もっと言うと、付き合いの深い友人だ。とは言え、この現状なら出会いたくない人間のトップ3には間違いなくランクインする。

 

「いやー、まさか勇斗が少女に手を出すような変態さん(ロリコン)だったなんてにゃー。全く、驚きですたい」

 

「……何しに来やがったんだ土御門テメェ」

 

 確かに土御門と話をしなければならないとは思っていた。自分が意識を失っているうちに一体何があったのか、知る必要があるとは思っていた。――――でも、よりによって、なぜこのタイミングでこいつはわざわざやってきたのか。

 

 表情に出ていたのだろう。それを見た土御門はニヤリと笑みを浮かべて、

 

「もちろん、現状報告に決まってるよにゃー?」

 

「……AIMブチ込まれたくなかったらそのニヤニヤ顔をやめるんだな」

 

「せっかく怪我が治ったところだし、痛い目には遭いたくないからやめとくかにゃー……」

 

 やや引き攣ったような笑顔に変えて、土御門はそう言った。

 

「で、こんな夜中に来るってことはそれなりに重要な話なんだろ? 早く教えてくれよ。できれば静かにな」

 

「そうだにゃー。勇斗の可愛い可愛い彼女を起こしたら悪い……ゲフンゲフン。……ああ、これから先に関わってくる、ものすごく重要な話だ」

 

 唐突に土御門が本気の顔になった。―――― 一体、何を見たんでしょうねえ?

 

「本題に入る前に脇道から話しておこう。冥土帰し(ヘヴンキャンセラー)からある程度聞いているとは思うが、学園都市の防衛は成功した。――――というより、アイツらがどう足掻こうが勝手に失敗していたみたいだけどな。オリアナも、リドヴィアも、『使徒十字(クローチェディピエトロ)』も、無事(・・)イギリス清教の方で確保。そっちの騒ぎはこれで終わりだろう」

 

「なるほど。……にしても、あの追いかけっこが無意味だったと来たか。キツイよな」

 

「それに関してはイギリス清教としても土御門元春という人間としても謝罪する。済まなかった。…………だが1つ、この件に関して『無意味』という言葉で終わらせることができないことがある」

 

「…………それが、俺の能力の『暴走』だと?」

 

「そうだ。『暴走』というより、『覚醒』の方が妥当かもしれないがな」

 

 そう言って、土御門は1つ溜息を吐く。

 

「つまり、だ――――――――」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 同時刻、同学区。窓のないビル。

 

 昼も夜も問わずモニターや計器類の光で満たされたこの建物内部に存在する生命維持槽(ビーカー)の中で、男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見える『人間』、アレイスター=クロウリーは口元に笑みを浮かべる。

 

「――――ハイブリッド。『似て非なる他者の境界を超える者』。力場の似たAIM拡散力場を媒介に、内包する天使の力(テレズマ)を操作する。あるいは、魔術という非科学的法則に基づきAIM拡散力場に干渉を行う。科学と魔術の境を超える者。…………やはり、素晴らしい」

 

心の底から愉快そうに、彼は言う。眺めるモニターには、如何にしてそれを撮影したのか、金の円環を冠し水晶の翼を背負う勇斗の姿が映し出されていた。

 

「まだ危機的状況に陥ることが完全発動のトリガーとなる段階だったようだが……、天使化発動後のAIM拡散力場による天使の力(テレズマ)の制御も、天使の力(テレズマ)による身体強化も、十全にできているようだな。これなら、また1つ上の段階に進んだだろう」

 

 ――――――――これでまた1つ、希少で重要な検体(サンプル)についての研究を進めることができた。ローマ正教の人間には感謝するべきかもしれない。実に、皮肉な話だけれど。

 

「……やはり君の研究は、プランに縛られる私の人生のいい気晴らしになる。願わくばこのまま、健やかなる成長を……」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 土御門は言う事だけ言ってすぐに帰っていった。最後の最後、嫌らしい笑みを浮かべて「ごゆっくり」とか何とか言っていたけれど。

 

「『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)、ねえ……」

 

 土御門の話はとても信じがたいものだった。自分が魔術由来の力を扱えるなんて全く実感が湧いてこない。

 

 しかし――――、

 

「でも実際、能力に変化が起きてるんだよなあ…………」

 

 つい先刻、土御門の前で能力の確認をしてみた時の事だ。翼には変化は無かった。しかし、その頭上に新しく白い円環が出現していたのだ。今まで通りに能力を使ったつもりだったのに。

 

「……今まで以上に全身に天使の力(テレズマ)が行き渡ってるみたいだな」

 

 その姿を見た土御門はそう評した。“翼を持った人型”という条件から、今までも極々わずかながら偶像の理論で天使の力(テレズマ)を集めていたらしいのだが、量的に明らかにそれを上回っていたらしい。どうやらそれにより、能力使用時に目に見える形で身体能力が強化されるようになったようだ。『天使化、あるいは聖人化』と、土御門は呟く。

 

 ただしそれは、良いことばかりをもたらした訳では無い。

 

「科学の街にいる能力者が、どんな原理かは知らないが魔術側の力を使い、おまけにそれは堕天使の力だった。まあお前が光を掲げる者(ルシフェル)の力を振るったってのを知っているのはオレ達とオリアナくらいのもんだが、ローマ正教からすれば『学園都市の能力者達に自分たちが敗北した』ってことだからな。お前は不可抗力とはいえ、力を振るって、ローマ正教の魔術師を追い払った。その報復として、この街にやってくる魔術師たちと、下手をすると殺し合いになるかもしれない」

 

 こればかりは、土御門も全く笑ってはいなかった。真剣そのもの、クラスメイトとしてではなく、魔術師として、土御門は勇斗に告げる。

 

「お前のこの街を守りたいという気持ちはわかってる。お前はきっと、俺達が困っている時には助けてくれるんだろうという事もわかってる。ただ、これまで以上に、覚悟はしておいてくれ」

 

 そう言い残して、土御門は去っていったのだった。

 

「……………………ふぅ」

 

 再び静寂に包まれた病室で、勇斗は1人溜息を吐く。土御門の一言が胸に重くのしかかっていた。

 

「殺し合い…………ねえ」

 

 それはあくまで可能性の1つ。起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。しかし実際そんな事になった時、自分はうまく立ち回ることができるのだろうか。

 

「むにゃ……、ゆうと、さん……超、心配かけやがりましたねぇ……」

 

 そんな思考を絹旗の寝言が遮った。勇斗の身を案じるそんな一言。それが、勇斗の心を軽くしてくれる。温かいものが、勇斗を満たしていく。――――そうだ。この少女だって、クソみたいな殺し合いに巻き込まれながらも、この街のために戦っているのだ。なら自分だって、少しはいい所を見せなければ格好が付かないだろう。中のゴタゴタに対処するのか、外の邪魔を排除するのかという違いはあるけれど。

 

「……悪いな絹旗。心配かけて。それと、サンキュー」

 

 聞こえないことはわかっているけれど、それでも勇斗はそう言って、絹旗のサラサラな髪を手で梳き、頭を優しく撫でる。

 

 ――――ハナから考えるまでも無かった。戦う覚悟が無かったらそもそも今回だってオリアナと戦っていないのだ。まあ勇斗としてはあくまで戦うだけで、少なくとも殺そうとは思っていないけど。

 

 勇斗を再び眠気が襲う。電気を消して、勇斗は体をベッドに委ねるのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「…………えっと、とうま、これってどういう状況なのかな?」

 

「…………邪魔しちゃいけませんよインデックスさん」

 

 早朝の清々しい朝日が病室を照らしている。

 

 そこで、

 

 幸せそうに少年の右手を握りしめて眠る少女と、その少女の頭を左手で包むように眠る少年を、上条とインデックスは目撃することになったのだった。

 






大変申し訳ない話なのですが、次回の更新は未定です。少なくとも数か月スパンでは空いてしまうかと思います。お待ちの方、申し訳ありません。なるべく早く更新ができるように、残りの期間は全力で勉強に回します。今しばらく、お待ちくださいませ……。


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Chap.4 祭りは終わらない Endless_accidents (ver. Science)
ep.31 9月20日-2



更新が遅れると言ったな、あれは嘘だ。

……むしゃくしゃして更新した。今は反省している。後悔はしていない。




 眠りに落ちていた意識が浮上する。

 

 まず勇斗が感じたのは、周囲に漂うシャンプーか何かの甘やかな香りだ。まだ半分眠ったまま、寝起きの微睡みと相まって、得も言わぬ幸福感が勇斗を包む。

 

 次に感じたのは触覚。右手を包む温かく柔らかでスベスベな感触。そして左手に感じるサラサラとした手触り。頭が上手く働かない。それでも、そうするのがさも当然の事であるかのように、勇斗は右手の“モノ”をしっかりと握り締め、そして左手で優しく“ソレ”を撫でてやる。

 

「ん……ふあ……」

 

 右手と左手、そのどちらに反応したのか、その“物体”はそんな音を発し、そして勇斗の右手を優しく握り返した。

 

 そんな仕草がトリガーとなって、勇斗の意識が覚醒する。具体的に言えば、重い瞼が開かれるくらいに。

 

 横向きに寝ている勇斗のちょうど背後、窓から朝日が差し込み、病室を明るく照らしていた。明るい日光が視界を照らし、急速に目が冴えてくる。

 

 そして勇斗は、両手の先を見た。

 

 そこにいたのは案の定、絹旗だ。栗色の髪が日差しに照らされて、美しく艶やかに光っている。幸せそうに唇を笑みの形に結んで、深夜に勇斗が一度目を覚ました時とほぼ変わらない様子で眠っていた。結局途中で帰ることなくずっとここにいてくれたらしい。任務か何かがあったからか余程疲れていたらしく、ずっと寝ていたみたいだけれど。

 

 こうして寝ている姿を見ている分には、年相応のただの少女にしか見えない。サラサラの髪の毛も、柔らかそうな肌も、長いまつ毛も、健康的に艶めくぽてっとした唇も。日々この街の日陰の更にそのまた奥深くで、汚れ仕事をしているなんて全く予想がつかない程だ。

 

 ――――と、そんな感じの事を考えながら、勇斗が絹旗から目を離せずにいたちょうどそこに、

 

「ちょ、インデックス! おも……!!」

 

「むっ、れでぃーに対して重いだなんて失礼かも……って、わぁ!?」

 

 病室の扉の外から、聞き慣れた2つの叫び声がした。そしてドタンバタン!!という愉快な音と共に、病室の扉が勢いよく開け放たれる。

 

「ふぇ……!? な、なんです!? 超敵襲ですか!?」

 

 その轟音がきっかけになったのだろう、すやすやと眠っていた絹旗が一瞬で跳ね起き、まだトロンとした目をしながらも頭を振って周囲を見回す。流石にこういった反応は素早い。伊達に暗部組織に所属していないと言ったところか。だがしかし、それはつまり安眠すら許されないような生活を強いられているという事であって、そう考えてしまうと不憫で不憫でたまらないのだけれど。ちょっと寝ぼけた様子で辺りをキョロキョロと見渡す姿は正直言ってかなり可愛い、なんて考えるのはもしかして失礼にあたるのだろうか。ごしごしと目を擦って必死に瞼を開こうとする様子は、正直言ってタマラナイ。ちなみにもっと言うと、どんなふうに寝ればそんな寝癖が付くのか全く分からないレベルで頭からアホ毛がぴょこんと飛び出していて、首を振るたびにぴょこぴょこと可愛らしく跳ねている。うつ伏せで寝ていたせいか、口の端から涎が垂れそうになっているのもまたいとをかし。片手で目を擦っているのに、もう片方の手は勇斗の手を握ったまま離そうとしないのは言ふべきにもあらず。なんということでしょう、朝から眼福モノの映像を見れるだなんて。

 

――――――――閑話休題(まあそれはおいておくとして)

 

「…………はぁ」

 

 勇斗は深呼吸をして、改めて周囲の現状を確認した。

 

 自分は病室のベッドに寝ていて、お見舞いに来てくれていたらしい美少女に手を握られ、しかもずっと頭を撫でていたらしい。

 

 病室の扉の所ではツンツン頭の男子高校生が普段から『同棲』している銀髪碧眼の美少女シスターにくんずほぐれつ押し倒されている。

 

「……………………えぇぇぇぇ、朝っぱらからラブコメまっしぐらじゃないですかー。やだー」

 

 いつだったか、上条の周りは因果律が歪むレベルでピンク色なイベントが発生するんじゃないか? 的なツッコミをした気がするが、まさか自分自身まで当事者レベルにまで引き込まれて、巻き込まれることになるとは。

 

「…………朝から君たちは、随分元気なんだね?」

 

 朝の回診に来たのだろうか。病室の外から眺めるカエル顔の医者のそんな言葉が、病室に溶けていく。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「ねえ、ゆうと」

 

「…………なんだよ、インデックス」

 

「勇斗が誰を愛したとしても、わたしは否定しないし、応援してあげるんだよ。わたしは、シスターだから」

 

「…………うん。ありがとう」

 

「…………でも、でもでも、でもね? まだちょっと、2人で一緒に寝るっていうのは、早いんじゃないかなって、おもうんだよ? だってさいあいって、わたしより年下なんだよ?」

 

「……なあインデックス。一体何を考えてるのかはわからないってことにしておくけど、真っ赤な顔して何爆弾をブッ込んでくれてんだ……?」

 

 朝の回診も終わり後は退院するだけとなった勇斗の部屋には、現在4人が集まっていた。即ち、勇斗、絹旗、上条、インデックス。

 

 その中で、インデックスが特大の爆弾に火をつけてくれた。さっきまでは寝ぼけていたり、予想外の出来事が次々と起こったりしたせいで勇斗自身あまり深く考えていなかったのだが、こうして真正面からド直球に指摘されると非常に恥ずかしい。実際、呆れたような表情(を浮かべているつもり)でツッコミを入れる勇斗の耳は赤く熱を帯びていたし、絹旗に至っては顔全体を真っ赤にして俯いてしまっている。

 

 ちなみに上条は神妙な表情でインデックスのセリフにウンウンと頷いていた。――――いや、勇斗は見逃さない。上条の口角がわずかに上がっているのを。間違いない、コイツは内心ニヤけてやがる。

 

「だからだから、ゆうととさいあいにはもっと……なんていうか、清いお付き合いをしてほしいかも」

 

「……前提からして間違ってんぞ、オイ」

 

 清いお付き合いも何も、そもそも勇斗と絹旗は付き合ってはいない。――――とは言え、傍から見れば付き合っていると思われても仕方がない気もしないではない。2人でご飯に行ったこともあるし、わざわざ一晩中病室に付き添ってくれたり。正直な話『それだけ』ではあるのだが、『恋』というものが大好物な学生が大多数を占めるこの学園都市では『それだけ』の事でも噂になるのは避けられないのだ。インデックスもなんだかんだそういうのが大好きなお年頃だし。

 

 しかし、付き合っていないというのは歴然とした事実であり、その誤解はしっかりと解いておく必要があるだろう。横で口元をぴくぴくさせながら努めて神妙な表情を演じている上条にそんな嘘を拡散されたら、勇斗の高校生活に多大な支障をきたしかねない。――――土御門に目撃されている時点でもう手遅れ過ぎるような気もするが。そして勇斗のあずかり知らぬところで、少しずつその噂とそれに並行する『実は勇斗って“年下好き”なんじゃないか』説が広まり始めているのだが。

 

「……なあインデックス。別に恋人じゃなくたって自分と付き合いのある人間が怪我したって言ったら心配でお見舞いくらい行くだろ? お前だって、当麻が怪我したなんて聞かされたら心配だろ? お見舞い行くだろ? 手なんか握って一晩看病するだろ? っていうかしてただろ? 絹旗もそれと同じことをしただけなんだから、別に構わないじゃないか。……なあ、当麻?」

 

 反撃の気持ちも込めて、勇斗は上条にも話を振る。「う……」と2人が言葉に詰まる様子を見て、勇斗もとりあえずは満足する。

 

「まあ何が言いたいってさ、要するに俺と絹旗は別に付き合ってるとかそんなんじゃないんだ。わかったか、インデックス。それに当麻も」

 

「そ、そうですよ! 私と勇斗さんはまだ(・・)そんなお付き合いは超してません!」

 

 ここまでしばらく恥ずかしい目に合っていたからか、絹旗は久々に口を開いて反撃でもしようとしたのだろうが……、それが完全に裏目に出る結果となった。

 

「「「……………………まだ?」」」

 

「ッ!!!!」

 

 同じく否定の側に回っていた勇斗でさえも思わず聞き返してしまった。そんなカウンターを受け、過去最大級に顔を真っ赤に染めて、

 

「ちょ、超言葉の綾なんですぅぅぅぅぅ! 忘れてくださいぃぃぃぃぃ!!」

 

 羞恥に耐えきれなくなったのか、絹旗はダッシュで病室を飛び出し、ドップラー効果を感じ取れるスピードで病院を去っていく。あまりのスピードに、追いかける気すら起きない程だった。

 

「「「……………………」」」

 

 残された3人の間に、気まずい空気が流れる。

 

「……とりあえず、ごめんなんだよ」

 

「……ほんと、何というか、悪かった」

 

「いや……お前ら2人は悪くないと思うから別に気にすんなよ。これは事故だ……」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 『こちらこそ超すみませんでした。とにかく、体に気を付けて、お大事にしてください』という絹旗からのメールに目を通し、新品の体操服(オリアナの件の報酬なのだろうか、タダだった)を着て、緑の腕章を腕に巻いて、勇斗は大覇星祭2日目の街に繰り出していた。昨日の一件で他の風紀委員(ジャッジメント)達に仕事を押し付けまくってしまった関係で、そして今日は特に目立った競技もないという事もあり、勇斗の予定は見回りでぎっちりだ。――――まあ、別に見回りは嫌いじゃないからいいんだけれども。

 

 昨日の鬱憤を晴らすためか、しがみつくように、あるいは引きずるように、街中に消えて行った上条インデックスペアの事を思い返すと、どこか見回りの途中で絹旗にお礼と心配をかけたお詫びという事でご飯でも奢ってやるか、なんて気持ちになってくる。流石に今日誘う勇気は無いが、ほとぼりの冷めた頃、祭りの後半あたりにでもそうすることにしよう。

 

 ――――と、そんなことをぼんやりと考えながら街をぶらぶら歩いていた時だ。勇斗の視界に見覚えのある少女たちの姿が飛び込んできた。

 

 常盤台の体操服を着た、ウェーブがかった栗毛の少女と、黒髪三つ編みの少女。そして、まあ所謂普通の体操服を着た、黒髪ロングの少女。――――特にぼかす必要も無かったか。つまり湾内、泡浮、佐天の中学1年生3人組だ。何やら困ったような表情で、顔を突き合わせて話し合っている。

 

「どうしたんだ、そんな困った顔して」

 

 とりあえず、勇斗は声を掛けることにした。知っている顔だし、何よりも困っている人間を助けるのが今の勇斗の仕事だ。

 

「あ、勇斗先輩!」

 

 突然声を掛けられ、驚いた様子で振り向き、佐天がそんな声をあげた。常盤台’s お嬢様の2人も声こそ上げなかったものの、同じく驚きの表情を浮かべ、ぺこりと一礼。

 

「先輩、この辺で婚后さんを見かけませんでした?」

 

「いや、……見てないけど、どうしたんだ? 競技時間なのにいなくなったとか?」

 

「そういう訳では無いのですが……」

 

 佐天の質問に対する勇斗の返答、に言葉を返したのは湾内だった。

 

「先程婚后さんとお会いした時に御坂様のネコを預かってほしいと頼まれまして」

 

「御坂の……ネコ?」

 

 御坂がネコを飼っているという話を勇斗は聞いたことが無かった。そもそも御坂はレベル5の発電能力者(エレクトロマスター)だ。体から発している微弱な電磁波のせいで動物に嫌われて辛いと悩んでいるような人間が、ペットなど飼うことができるのだろうか……?

 

「……それで、婚后さんは今御坂様の妹の行方を捜しているらしいのですが、どうやらそのネコさんは妹さんが行方不明になったと思われる路地裏にいたらしいのです。ですので、動物と会話のできる能力者の方を連れてくるという手筈になっていたのですが、待ち合わせの場所に婚后さんがいらっしゃらないのです」

 

「……え?」

 

 全く予想していなかった言葉が聞こえてきた気がした。少なくとも、常盤台で普通に過ごしている――――いや、この学園都市で普通に暮らしている人間からは、決して出てこないだろう一言が。

 

「…………婚后が何を探してるって?」

 

「御坂様の妹さんらしいです。私は妹さんがいらしたなんて、初耳でしたけど」

 

 ほとんど呟くだけだった勇斗の問いかけに応えたのは、今度は泡浮だった。頬に指を当て、可愛らしく悩んでいる。しかしその姿を見ても、勇斗の気持ちが落ち着くことはなかった。

 

 ――――なぜこいつらが、妹達(シスターズ)の話をしているんだ。

 

 御坂、ネコ、妹、とくれば、それは恐らく御坂10032号、上条からは御坂妹と呼ばれている個体のはずだ。それが、行方不明――――?

 

 勇斗が学園都市外部からの敵と戦っている間に、どうやら内側でも良からぬ事件が始まっていたらしい。相変わらず、内外でなんやかんやが多い街だ。

 

 舌打ちをして、勇斗は思考を切り替える。まずは婚后の行方を探すのが先だ。妹達(シスターズ)なんて最高クラスにこの街の暗部と関わっているトピックに一般人が首を突っ込めば、どうなるかなど考えるまでも無い。実際、既に婚后は姿を消してしまっている。

 

 ――――これは、急ぐ必要がある。

 

「……何か、心当たりはないのか?」

 

「あ、それならさっき見覚えのない男の子に先導されて公園の方に向かってましたよ」

 

 勇斗のそんな問いかけに佐天が答え、そしてある方向を指差す。

 

 その方向にあるのは、公園。巨大な池や森林があり、第7学区でも憩いの場所として人気の場所だ。

 

「知らない人間にホイホイ着いていっちゃダメだろ……。……様子を見てくるよ」

 

「あ、じゃあ私も行きます。婚后さんが心配だし」「「私たちも参ります」」

 

「…………じゃあ、行こうか。ただし俺が、下がって、って言った時は素直に下がってね。それだけは約束」

 

「「「はい」」」

 

 揃って素直に返事をする3人を引き連れて、勇斗は公園へと向かう事にする。

 

 ――――事件の終わったその翌日にまたしても面倒事に巻き込まれるとは。

 

 上条の『トラブルに愛され病』がうつったんじゃないかと本気で我が身を案じる勇斗だった。

 



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ep.32 9月20日-3

 最先端科学に満ち溢れ、都市外部と比較して未来未来した大都会の景色が広がるこの学園都市にあって、緑豊かな自然に満ち溢れた大公園。その遊歩道を駆け抜ける勇斗の視界の向こう、立ち並んでいたパラボラアンテナが轟音と共に吹っ飛んで行く。見た瞬間に理解した。あれは、婚后の能力(エアロハンド)。空気の噴射点を一転に束ね、その噴射力で以って吹っ飛ばしたのだろう。

 

 後ろの方から佐天、湾内、泡浮3名の感嘆の声が聞こえてくる。電波塔を成層圏にまで打ち上げる程の出力があるという事は聞いていたが、実際に見せつけられると見た目のインパクトが半端ない。

 

 ――――しかし、驚いてばかりもいられない。そんな強力な能力を使わざるを得ない(・・・・・・・・)状況に追い込まれているという事を意味するのだ。より、勇斗の内心の焦りは増していく。

 

 走りながら端末に目を落とす。パラボラアンテナ群が立地しているのは公園の中央部、外周が1キロ以上にも及ぶ大きな池のほとりだ。――――この公園、一々スケールがデカいのだ。現在地からそこまで、あと800メートル程もある。このペースなら3分ちょっともあれば到着するだろうが、しかし逆に言えば、3分“も”かかってしまう。3分あればカップ麺も完成するし、某宇宙から来た赤っぽい巨人だって怪獣の一体を灰燼に帰す。

 

 この街は能力者や最先端科学で溢れている街だ。白井のような空間移動能力者(テレポーター)が本気を出せば、3分もあれば人1人くらい簡単に誘拐できる。常盤台のもう1人(・・・・)超能力者(レベル5)に代表されるような精神に干渉する能力を使ったり、それらの能力の研究から作り上げられた“アヤシイおくすり”なんかを使えば洗脳してしまうこともできる。とりあえず高位の能力者を連れて来れば人を殺してしまうことなんて鼻歌を歌いながらでもできる。下手すれば異能力者(レベル2)程度の発電能力者で十分だ。音のしない殺傷能力の高い武器なんて腐るほどあるだろうし。発火能力者(パイロキネシスト)だったり第4位の原子崩し(メルトダウナー)だったりそんな感じの能力者なら文字通り消す(・・)ことだってきっと楽勝だろう。DNA情報を完全に消し去る薬品なんか使われた日にはもうただの灰と見分けがつかなくなってしまう。

 

 ――――恐らく常盤台のお嬢様に対して、そんな人間としての尊厳を踏みにじってビリビリに破り捨てるようなそんなマネをしたりしなかったりチラつかせるような最悪の事態になったりはしないだろうと勇斗は考えているが、それでも万全を期すに越したことはない。今回のこの事件は、そうするに値する、ヤバいものだ。

 

「……多分、婚后がいるのは池のほとりだな。先に行くけど、大丈夫?」

 

「はい! 大丈夫です!」

 

「勇斗さん、婚后さんの事、よろしくお願いいたします……!」

 

 走り続け、疲れているはずなのだが。お嬢様にあるまじき(偏見)スタミナを見せつけ、息が上がることも無く、湾内と泡浮が勇斗の問いかけに応えた。――――佐天はその後ろで、顔を真っ赤にして必死に走りながら、目で勇斗に訴えかけてくる。

 

「任せろ」

 

 その三者三様の返事に、そう短く告げて。

 

 勇斗は能力を発動した。

 

 その背中に白銀の翼が現れ、頭上には同色の円環が浮かび上がる。

 

 ――――土御門の言う通り、昨日までと比べて全身に力がより漲った気がする。これが能力の覚醒によって進行した(らしい)、偶像の理論に基づく聖人化、天使化なのか。

 

 一瞬そんな事を思い浮かべて、しかし勇斗はすぐに意識的演算を再開させる。収束させたAIM拡散力場の射出点を足の裏に設定し、天使の力(テレズマ)による身体強化でより力強いものとなった踏み込みと同時に、集めた力を解き放つ。

 

 足元のウッドチップの地面を踏み砕き、その破片を撒き散らして、――――勇斗の姿は、その場から一瞬で掻き消えていた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「あれが、勇斗さんの能力ですか……」

 

「実際に近くで見るとより綺麗でしたわね……。しかもAIM拡散力場を操るだけで、こんなにも多くの使い方ができるだなんて……」

 

 走りながら、またしても素直に感嘆の声をあげる湾内と泡浮。縁あって勇斗と知り合う事になり、色々と本人と話す機会ができたのだが、高位能力者が多い――――というか強能力者(レベル3)以上しか存在していないバケモノ学校である常盤台中学の中であっても勇斗の話は広く知られていて、そこで色々な話を耳にしていたのだった。

 

 人助け好きで天使の羽を持つ“イケメン”風紀委員がいる――――。その噂は、最近では落ち着きを見せているものの、今でも根強い人気を誇っている。夢見がちというか世間知らずというか、『男』というものを知らずに育ってきたお嬢様が数多く存在することもあってか、同じくお嬢様であるはずの湾内や泡浮をしてちょっと引いてしまうレベルで美化されてしまっていたり、『もし見かけたり出会ったりすれば幸せが訪れる』とかいうパワースポット的扱いをされてしまっていることも否定はできないが。

 

「いやー、さすが、レベル、4.5って、言われてるだけは、……ありますよねっ」

 

 その後ろ、息も絶え絶えになって、それでも足を止めない佐天が会話を引き継ぐ。

 

「もう、私から、したら、……超能力者(レベル5)と、同じくらい、凄いと思う、んですけど、ね」

 

「「レベル4.5……」」

 

 息ぴったり。流石仲良しコンビというべきか、全く同じタイミングで呟いて、

 

「この街における強度(レベル)の判定基準は、確か……」

 

 湾内がそう口を開き、

 

「能力の強さそのものと、能力研究の応用が生み出す利益、でしたかしら」

 

 泡浮がそう纏める。

 

「利益の、方は、確か、……超能力者(レベル5)、の、序列を決め、る、要因の1つ、ですけどね」

 

 微笑ましい気持ちになって、しかし佐天は2人の言葉を訂正する。

 

 だとすると、なおさらわからない。空を飛び、不可視の弾丸を操り、翼で斬ったり殴ったり、かと思えば瞬間移動能力者(テレポーター)も真っ青の瞬間移動をしてみたり。――――能力の強さと応用性でいったら御坂さんっていう人(・・・・・・・・・)に負けてない気もするのだけれど。AIM拡散力場だってまだまだ研究が進んでいないから、あれだけ自由自在に操っている勇斗さんを研究すれば利益は出るだろうし。

 

 ――――まあ、私がそんなんを考えたところでどうにもならないんだけどね。

 

 まとまらない思考を打ち切って、佐天は前を行く2人を追いかけることに意識を移したのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 体の奥、風邪で高熱が出た時のようなあの不快な熱さが、全身に広がっていく。次いで、針で刺すような強烈な寒気が、全身の血管を通って体中に広がっていった。

 

 それを知覚して、そして平衡感覚が急激に失われた。自分の重心がどこにあるのか、視界はまだ正常に働いていて体が傾きつつあることはわかっているのに、それを立て直すどころか踏ん張ることすらできない。

 

 さらに遅れて、意識が薄れ始める。40度近い高熱が出た時に似た、意識の混濁だ。

 

 それでも、足元で縮こまるように震えている友人の妹が飼っている黒い子猫を潰さないように、そして突如襲い掛かってきた正体不明の脅威から身を挺して守るように、倒れる体を必死に右手で支えて、婚后は無事(・・)地面に倒れることに成功(・・)した。

 

 お腹のところで、子猫が倒れた婚后を案じるように、悲しげな鳴き声を上げている。――――大丈夫だよ、と伝えようと優しく撫でようとしても、もう意志に反して腕は上がらない。つい30秒前までは何ともなかったのに。一体何が起こったのだろう。

 

 混濁する意識の中、必死に考えを巡らす婚后に体に、影が差した。

 

「ふう、危ない危ない。まさかそのネコを狙ったら本当に飛び出してくるなんてね。」

 

 見た目はちょっと太っているだけの、ただの少年だ。しかし、その目は、他人を見下し、嘲笑するような色で満たされている。

 

「まったくさあ、君も災難だよね。本当なら妹達(シスターズ)について関わる必要なんて全く無かったのに、御坂美琴の事情に巻き込まれて学園都市の『闇』に関わることになるなんてさ」

 

 ――――シスター、ズ? Sister“s“? 複数? 妹は、1人ではなかったのか? そして、それがなぜ『闇』につながる? そもそも、『闇』とは一体何のことだ……?

 

 

「あれもひどい女だよね。言葉巧みに自分の事情を周囲の人間に撒き散らしてさ、他人を利用し尽くして、自分はのうのうと『表』で生きてるんだよ。やっぱり超能力者(レベル5)なんていうのはみんな『人格破綻者』っていう言葉がお似合いだよね」

 

 ――――ダメだ、思考が形を成そうとしない。いやそもそも、自分が正常な状態だったとしてもこの目の前の少年が言っていることがわかるとは思えない。

 

 しかしそれでも、こんな状態に置かれていたとしても、今の一言の中には聞き捨てならない部分があった。聞き流すわけにはいかない。そこだけは、認めるわけにはいかない。全ての精神力を掻き集めて、普段の何十倍何百倍何千倍も重い腕を、悦に入り演説を続ける少年に伸ばす。足首に手が届いた。今の自分にできる全力で、婚后はそれを掴む。面倒くさそうに視線を下に向ける、少年と目があった。

 

「訂正……なさい」

 

 その目を真っ直ぐに見据えて、婚后は声を絞り出す。

 

「御坂さんは……あなたの言うように他人を利用して、そしてのうのうと生きているような方ではありません……!!」

 

 ――――夏休みの終わりのこと。新学期を控え、常盤台中学への転入手続きを終えて寮へ向かう途中、間違えて外部の寮に行ってしまい、戻る際に道に迷ってしまったのだ。だが、そこで途方に暮れていた婚后を救ってくれたのが、御坂だった。

 

 彼女の方にも何某かの思惑があったようではあるのだが、それを果たした後も途中で見捨てることなく、地理的にも世間的にも全く何もわかっていなかった自分を学舎(まなびや)の園まで送り届けてくれたのだ。

 

 それだけではない。今となっては恥ずかしいとある事情(・・・・・)で友達がいなかった婚后のその思い違い(・・・・)を正し、湾内と泡浮と共に常盤台での『最初の友達』になってくれた。白井、初春、佐天、そして先輩の勇斗、上条、留学生(?)のインデックス、そしてその他多くの友達を作ることができたのも、全て御坂のおかげなのだ。

 

 ――――その御坂を、自分にとっての恩人である御坂を、何も知らないくせに侮辱するなんて、絶対に許せない。

 

 と、その時。

 

 鈍い音と、ブレる視界。遅れて、顔面に痛み。口の中を切ったのか、ドロリとした鉄臭い液体が、婚后の口の中に流れ出す。転がった身体が固い地面に削られて、擦りむいた腕からも同じ液体が滲み出る。

 

 そこまでしてようやく、婚后は自分が顔を蹴り飛ばされたことに気付いた。必死に力を振り絞り、動かない体に鞭打って少年の足を掴んでいたのに、もう力が入らない。傷口は痛みの信号を発しているのに、その痛みすらぼんやりと輪郭を失う。

 

「ウッゼェーんだよ!! 誰に向かってそんな口きいてやがんだ役立たずがよ!!」

 

 自分を罵倒する少年の声も、何か膜1枚通しているかのようにくぐもって聞こえる。しかしその声には、さっきまでよりも苛立ちが強く表れているように思えた。

 

「あーヤダヤダ。ゴミみたいなやつほど人をイラつかせるのだけは上手くってさあ。ほんと邪魔なんだよね」

 

 そう言ってその少年は婚后のすぐ傍に立ち、もう一蹴り叩き込もうとしているのか、足を少し後ろに引く。しかしその事に気が付いても、婚后は動けない。今更になって、漠然とした恐怖が彼女の心を覆い尽くした。

 

 ――――そんな時だ。婚后の耳に、頼もしい聞き覚えのある声が届いたのは。

 

「人の後輩に手ぇ出してんじゃねえぞ短足デブ野郎!!」

 

 こんな状態の婚后ですらひどいと感じる罵声だったが。

 

 次いで、顔を上げたその少年の腹に白銀の閃光が叩き込まれた。「ぐっ!」だか「がっ!」だかよくわからない鈍い声と共に、翼によって薙ぎ払われた少年の体が吹き飛ばされる。

 

「…………遅くなって悪い、婚后。後は俺が何とかする」

 

 力強い声がした。その言葉に返事はできないけど、せめて笑顔を、その言葉に返すことにする。――――婚后がこれまで見たことが無いほどの怒りを表す、勇斗のその、優しい言葉に。

 



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ep.33 9月20日-4

書いてないともうやってらんないよね☆




 

 勇斗の前で宙を舞い、吹っ飛んで行く小太りの少年。だが、地面や木々に叩き付けられることはなかった。周囲に何十体と控えていた犬型のロボットがその少年の体に飛びつき、高度に制御され統率された動きで運動エネルギーを吸収し、逃がし、クッションとなって主である少年の身を守る。

 

 少年自体も服の内側に衝撃吸収素材でできたインナーでも身に着けていたのだろう、まさか特性『あついしぼう』ではあるまいし、とにかく大きなダメージを負った様子も無く、少年は2本足でしっかりと地面に足をつけた。

 

 その後ろ、こちらもやはり大したダメージを受けた様子も無く、静かに、しかしその圧倒的多数による威圧感を持って、機械で出来た犬が体制を整え直し、陣形を作り上げていく。確か、鶴翼陣形とか言っただろうか。婚后をその背に庇うように立つ勇斗の周りを、ジリジリと取り囲むように動く。

 

「……チッ!人の邪魔ばっかしやがって、どいつもこいつも人をイラつかせてくれるよなあ!!」

 

 その中心で、澱んだ目に苛立ちを浮かべた少年が口角泡を飛ばし、叫んだ。その姿には、中学生の女の子の顔面を蹴り飛ばしたことに対する罪悪感なんてものは欠片も浮かんでいない。あるのは、ただひたすらに怒りと、侮蔑。根拠なく他人を見下し、自分を過大評価し、格下だと見下していた人間達から手痛いしっぺ返しを受けたことに対して憤っているだけだ。

 

 ――――ここまである意味綺麗(・・)な小物臭を放つ悪党を見るのは久しぶりだな。なんてことを、勇斗はある意味(・・・・)冷静に考えた。落ち着いていたわけではない。勇斗だって、多分目の前の少年に負けず劣らず(はらわた)が煮えくり返るような怒りを覚えている。

 

 暗部にいると思しき人間がこんな簡単に『表』の人間を襲ったのも、自分の身の回りにいる人間が傷つけられたのも、思春期に入っただろう女の子の顔を傷つけるなんて卑劣な真似にも、とりあえず目の前で勇斗を睨み付けるこの少年の存在そのものにも、とりあえずその全てに腹が立つ。

 

 ――――この手のバカは、その根拠のない自信を粉々に打ち砕いて、絶望のドン底に叩き落とすに限る。

 

 なんて、口外したらどっちが悪人なんだかわからなくなってしまいそうなことを考えている勇斗の前で、再び目の前の少年が口を開いた。

 

「……なるほどその翼、『御使降し(エンゼルフォール)』、千乃勇斗か。まさか御坂美琴よりも早いタイミングで介入してくるとは思わなかったよ。……でも、君の能力はもう調査してある。AIM拡散力場の操作の副産物である詳細不明の翼を作り上げ、それでもって飛行や攻撃、防御に応用する……だけだろう? 腕は2本。脚も2本。翼も2つ。合計6つ。なら、それを上回る物量で押し切ってしまえばいい」

 

 そして、合図をするように右手を挙げる。それにつられてか、少年の背後の茂みから更に10体以上の犬型ロボットが現れる。

 

「何も考えずに首を突っ込んだことを後悔するといいよ。格下は格下らしく、地面に這いつくばるのがお似合いだ」

 

 怒りよりも愉悦が優位に立ったか、これまた綺麗(・・)な、人を見下す笑みで顔を邪悪に歪め、少年はそう言い放つ。

 

 ――――しかし勇斗は、その言葉に驚きを隠せなかった。驚きすぎて、怒りが引っ込んでしまいそうになるほどに。

 

(コイツ、俺の能力に関してなんか誤解してないか……?)

 

 一般人に他人の能力をおいそれと調べる権限など無いし、目の前の少年が風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)に所属している人間には決して見えない。そういった点からも、この少年が暗部の人間であることが推測される。

 

 ということはつまり、非常に強力な情報収集能力を持っているはず。なのに、勇斗の能力の中で最も使用頻度の高いAIM拡散力場の弾丸について、言及が全くされなかった。いやそもそも、もしそれを知っているのであれば、こんなにいつまでも無防備に勇斗の前に立っているというのはおかしい。

 

 目に見えない、AIM拡散力場の収束によって生み出される『不可視の弾丸(インビジブル・ブリッド)』は、勇斗の能力の中で対人戦対物戦を問わずの切り札だと言っていい。それに対する防御を取ること無く、一方的に見下したような態度で、物量を盾にふんぞり返る少年。

 

 ――――もしかすると、罠だったりするのだろうか。テンプレートな小物を演じているだけの、実はかなりの策略家だったりするのだろうか。必殺のカウンター攻撃を懐に隠し持っていたりとかするのだろうか。

 

 そんなことを考えて、しかし勇斗はその考えを否定する。力場の反響(アクティブソナー)に、怪しい影は引っかからない。流石にAIMジャマーやキャパシティダウンで能力妨害(キャスト・ジャミング)を受ければ正直為す術は無いが、その可能性はなさそうだ。婚后の能力使用を封じられていない辺り、あの犬ロボットが妨害できるわけでもないようだし。

 

 何故そんな勘違いをしてしまっているのかはわからない。が、――――むしろ、勘違いはこっちにとって好都合だ。何も知らない人間を、何も知らないままに気絶させてもつまらない。アイツが勘違いをしているなら、それが原因で見下されているのなら、それに全力で(・・・)乗った上で叩き潰す。

 

 普段人が良いと言われている勇斗をしてこんな風に考えてしまう程、勇斗の怒りは凄まじい。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「…………御坂さんよりも先に、彼女の友人と『御使降し(エンゼルフォール)』の彼が『メンバー』の人間に接触したようでス」

 

 とある場所の、とある建物の、とある部屋で、片言の日本語を話すスーツ姿の外国人がモニターに目を向けていた。

 

「どうやら交戦状態に入ったようですネ。凄まじい勢いで犬型ロボットを破壊し始めましタ」

 

 視線の先、モニターには第7学区に存在する自然公園が映し出されている。より正確に言うのなら、その中の広い池のほとり、そこで起こっている戦闘の様子が。

 

「……ま、驚くことじゃないんじゃないのぉ? この人もあのツンツン頭さんと同じで、どうしようもないくらいにお人好しだからぁ」

 

 それを彼と同じように、いや、懐かしいものを見るような目で見つめながら、肩をすくめて、その少女は呆れたような声でそう言った。

 

「……そういえばあなたはあの2人と面識があったんでしたネ」

 

「そうねぇ……。ま、もう2人とも忘れている(・・・・・)でしょうけどねぇ」

 

「その辺りと関わる、某統括理事のブレインを務める少女と繰り広げた『武勇伝』は耳にしたことがありまス」

 

「ちょっ、なっ!? それはどうでもいいことじゃないかしらぁ!? ていうか何でアンタが知ってるのよぅ!! 今すぐそんな記憶消しちゃおうかしらぁ!?」

 

 彼が発した一言で、空気が激変した。呆れたような表情を浮かべていた少女――――食蜂操祈が、動揺と共に顔を真っ赤にしてスーツの男――――カイツ=ノックレーベンに詰め寄る。

 

「まあまあ落ち着いてくださイ」

 

 それをさらりと躱して、カイツは更に一言。

 

「良いじゃないですカ。どうせ2人とも、その件に関しては覚えていないんでしょウ?」

 

「う……まあ、確かに、そこら辺に関する記憶力は特に念入りに消してあるからわからないはずだけどぉ……一体どこから漏れたのかしらぁ……?」

 

「ブレインの少女がばらしたのでハ?」

 

「そいつの記憶力もバッチリ消去したはずなのよぅ!」

 

「なら、そうなっても思い出せるように何らかのバックアップか記録を行っていたという可能性ハ?」

 

「…………あの女ならやりかねないわねぇ」

 

 そう言って、溜息をひとつ。

 

「……仕方がないのよぅ。他人の精神力を操る事に長けている人間っていうのは、意外と自分の精神力を乱されるとボロが出ちゃうものなのよぅ!」

 

「……一体何に対して言い訳をしているのデ? というか、彼らの方のモニタリングはしなくていいのですカ?」

 

「心配するだけ時間の無駄よぅ! あの人が負けるわけがないわぁ! それより良いから、ちゃんと私の話を聞きなさいよぅ!」

 

「…………話題を間違えたかもしれないですネ」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 婚后と黒猫を抱きかかえながら、飛び掛かってきた『犬』を、翼を振るう事で叩き落とす。背後から時間差で飛び掛かってきた別の『犬』に対しては、体を捻って攻撃を躱し、カウンター気味に回し蹴りを叩き込む。天使の力(テレズマ)によって身体強化を受けているその回し蹴りは、金属製のボディを容赦なく穿ち、そのまま破壊した。

 

 その勢いを保ったままもう1体を踏み砕き、更にもう1体を蹴り飛ばして別の個体に叩き付ける。前転して足元を薙ぐような攻撃を回避し、お返しとばかりに翼を一閃。容易に金属を切り裂いたその翼を、更に振るう。両の翼がそれぞれ複数の個体を串刺しにし、刺したまま2回3回と地面に叩き付けた。

 

 3体の『犬』が3方向から同時に勇斗のもとに迫る。しかし勇斗は動じない。地面を蹴って飛び上がり、3体の攻撃を回避する。3体が互いに衝突し、わずかに動きを止めたそこへ、上空から翼を振り下ろす。それはまとめて装甲を引きちぎり、しかも地面にも甚大な影響を与える。

 

 地面が砕け、土の槍のように鋭く尖ったいくつもの土塊(ストーンエッジ)が周囲の『犬』に襲い掛かり、打ち上げた。空中に居て身動きが取れなくなっているそれらに回し蹴りを叩き込み、翼を薙いで、池の中に叩き落とす。

 

 勇斗は動きを止めない。両手が塞がっているという圧倒的に不利な状況の中、不可視の弾丸(インビジブル・ブリッド)を使うことなく、少しずつ――――否、凄まじい速さで少年の自信の要である犬型ロボットを破壊していく。

 

 遠慮など欠片も無い。ちょっとやりすぎて始末書を書く羽目になったとしても構うものか。自分がしたことがいったいどれほど愚かな事だったのか、それをあのゲス野郎の心に刻ませるまでは、勇斗は止まらない。

 

 ただ1つ犬とは掛け離れた様相を呈す、ある意味象の鼻にも似たパーツをしならせ、『犬』が勇斗に襲い掛かった。しかしそれを翼で受け流し、別の個体に直撃させる。と思えば、今度は振り下ろされた『鼻』に真っ向から挑むように足を振り上げ、根元からそのパーツを蹴り砕く。

 

 と、勇斗の頭上に影が差した。見上げれば、6体の『犬』が勇斗の頭上に。重力に従う形でそれらが落下を始め、勇斗のもとに殺到する。しかし、やはり動揺を欠片も見せることなく、勇斗はそれを迎撃する。振るった翼同士をシンバルか何かのように打ち合わせ、指向性を持った衝撃波を生み出したのだ。弾き飛ばされた6体の『犬』はそのまま受け身を取ることも無く、地面に叩き付けられあるいは池の中に沈んでいく。

 

「…………で、まだ続ける?」

 

 真正面から突っ込んできた『犬』を翼を振るって2枚におろし、勇斗は凍てつくような平坦な声を投げかけた。

 

「…………な、なぜこんな力を持っているんだ。書庫(バンク)に書いてあることと全然違うじゃないか!」

 

 怯えきった声が、それに反応した。

 

「翼の出力だってそんなに強くは無かったはずだ! それに、何故身体強化能力まで使いこなしている! お前はただAIM拡散力場を操っているだけだろう!?」

 

「…………さあ? 書庫(バンク)が間違ってたんじゃねーの」

 

 確かに以前までは翼の出力はそれほどでもなかった。せいぜい数人分の体重を支えるので精いっぱいで、とてもじゃないが金属をすっぱり切断する程の力は無かった。それに、風紀委員(ジャッジメント)の仕事柄体術は鍛えていたものの、それは金属製の物体を蹴り壊すことができるようになるというのものでは決してない。

 

 不可視の弾丸(インビジブル・ブリッド)に関する記述が無かった理由はわからないが、それ以外の点――――目の前の少年が叫んだ点については理由に心当たりがないわけではない。無意識のうちに使いこなしては来たが、冷静になって考えてみれば、翼そのものを(風を起こす目的以外で)戦闘に利用したのも、(どちらかというと魔術なのだが)身体強化能力を使えるようになったのも、全てそのきっかけは『魔術師』だ。

 

 これは書庫(バンク)の弱点と言えるかもしれない。身体検査(システムスキャン)期間外に成長した分はデータに反映されず、また科学の範疇外(・・・・・・)の異能にも対応していない。まあ、当然と言えば当然の事なのだが。

 

「……んじゃ、訂正ついでにもう1つ。実は俺ってこんなこともできるんだよね」

 

 そう軽く呟いて、勇斗はゆるりと右手を挙げて、その先を少年の方へ向ける。

 

 ゲス野郎を中心とする半径十数メートルのドーナツ型の領域を範囲に指定し、その範囲に収束させたAIM拡散力場に下向きのベクトルを与える。すると、どうなるか。

 

 ――――簡単な話だ。怯えた表情の少年の周囲の地面がドーナツ型に陥没し、彼の周囲に控えている『犬』があっという間に押し潰され、破壊される。『弾丸』ではないが、原理は同じ。収束点を自分の所ではなく、直接相手の所に設定しただけだ。

 

「なん……だと……」

 

「さて……これでゴミ掃除も済んだことだし、“OHANASHI”しようかゲス野郎」

 

 暗部の人間も真っ青のいっそ清々しいまでの笑顔と共に勇斗はそう言い放ち、ゆっくりとその少年に近づいていく。

 

「……ま、待ってくれ!僕は雇われただけで、何故こんなことをやらされたのか理由も知らないんだ!」

 

「……今更そんな言い訳、虫が良すぎるよね☆」

 

「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」

 

 泣きそうな表情で不快な叫び声をあげる少年は、勇斗が一歩近づくごとにびくりと体を震わせていた。

 

 ――――しかしそこに、予想だにしなかった乱入者が現れた。

 

 その『人影』は、音も無くその怯える少年の背後に出現し、

 

「戻るよ馬場君。ここは一回退こう」

 

 そう一言呟くと、今度はその少年を連れて、一瞬でその場から消え去ってしまった。

 

「な……空間移動能力者(テレポーター)……?」

 

 勇斗は足を止め、周囲を見渡すが不審な人影は無い。見えてくるのは、向こうからこちらに走ってくる佐天、湾内、泡浮だけ。――――逃げられた。

 

 走ってくる3人に手を振りつつ、勇斗は心の中で舌打ちをする。柄にもなく熱くなってしまったせいで、捕獲に失敗してしまった。

 

 ――――だが、まあ、多分あの様子じゃあ鼻っ柱を叩き折ることには成功していただろう。そう考えれば、今後に関して見れば良かったと言えるかもしれない。

 

 とりあえずいつまでもゲス野郎の事ばかり考えているわけにもいかない。今は婚后を病院に連れて行くのが先決だろう。この、体が熱を持っている感じ、何かしらのナノデバイスを撃ち込まれた可能性もある。

 

 そう考えなおして、勇斗は次の行動へと移った。

 



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ep.34 9月20日-5

長い文章を書くのは疲れます。
お久しぶりです。まだまだ余裕が無い状態ではありますが、とりあえず一応区切りがつきましたので、とりあえず1話だけでも投稿します。


 第7学区、リアルゲコ太先生(いつも)の……どころか、ついさっきまで入院していた病院の待合室。1時間かそこらで戻ってくることになってしまったことが原因という訳では無いが険しい表情を浮かべる勇斗の前に、怒りに震える少女が立っていた。顔は赤を通り越して最早蒼白。周囲の帯電する空気と相まり、鋭い空気が周囲を包んでいる。

 

「……で、見つかったのか?」

 

 病院の中で帯電するという普通に考えれば御法度な行為に目くじらを立てることも無く、勇斗は少女――――御坂美琴に問い掛けた。見つめる先、御坂の指先には蚊を模した小型の機械が摘ままれている。

 

「……そうね。今も通信が続いてるわ。これを辿れば、婚后さんを襲った犯人の居場所がわかると思う」

 

 この小型機械は、担架に横たわる婚后の長い黒髪に紛れてくっ付いていたものだ。そしてこの機械の位置情報を常に“どこか”へ送り続けているらしい。理由はわからない。後からまた、妹達(シスターズ)について知っている(と思しき)婚后に『接触』でもするつもりだったのだろうか。

 

 ――――このキナ臭い話をしている2人の周りに、佐天、湾内、泡浮の姿は無い。3人は今、婚后に付き添っている。これ以上、暗部が絡んできそうな事件に彼女たちを巻き込ませるわけにはいかないし、恐らく彼女ら自身もそれを望まない。湾内、泡浮の2人は婚后に付いていたいだろうし、佐天も現状では御坂より婚后を取る(・・・・・・・・・)だろう。

 

「……にしても、まさかあいつらが御坂に関する記憶を消されてるとはな」

 

 勇斗が静かに、そんなことを呟く。

 

「人が必死になって働いてる裏で、何が動いてやがったんだ」

 

「正直、さっぱりね。……っていうか、やっぱり昨日、アンタらはちょこまかといつものように(・・・・・・・)何かに巻き込まれたあげく、その解決に走り回ってたのね……」

 

 呆れたような口調で、呟き返す御坂。呟きながら、彼女は朝からここまでの数時間の記憶を呼び起こす。

 

 ――――大覇星祭2日目の朝。

 

 唐突に訪れた上条家同席での食事に、勇斗と『暗部』の少女への尋問(?)。何故か妹達(シスターズ)の内の1人が出ることになっていたバルーンハンター、等々の様々なイベント(・・・・)を乗り越えた(まだ初日であったにも関わらず)御坂に、朝っぱらから(また)衝撃が走る出来事が起こったのだった。

 

 それは、正確に言うのなら、御坂本人の身に起こったわけではない。しかし、彼女にとって大切な大切な人の身に降りかかったその出来事は、彼女の心を掻き乱すのには十分すぎる事だった。

 

 別に、強盗に巻き込まれたとか、テロに巻き込まれたとか、暴漢に襲われたとか、そういった身体的物理的にどうこうという話ではない。しかし下手するとそれ以上に、不気味で恐ろしい。

 

 ――――白井黒子、初春飾利、佐天涙子。ある時は御坂を支え、またある時は共に戦ってくれた『親友』たち。そんな彼女たちから、『御坂美琴』に関する記憶が抜け落ちていたのだ。

 

 ――――いや、『記憶』というのは正しくない。同じ常盤台中学に所属する白井黒子は、御坂美琴の存在を『知識』としては知っていた。正確には、『共有していた思い出』が失われてしまっている。それ以外――――例えば、勇斗に関する記憶については、何の異常も起こっていないのに。

 

 それと時を同じくして発覚した、個体名(パーソナルネーム)『ミサカ10032号』の失踪。そして、婚后光子の負傷。婚后に関しては、勇斗の介入により致命的な大怪我を避けることはできた。それに、あの『冥土帰し』の手にかかれば、顔の傷なんて綺麗さっぱり消えて無くなるだろうし、精神的なケアもしてくれるはずだ。

 

 ――――だが、見え隠れする『妹達(シスターズ)』を付け狙い暗躍する学園都市の『闇』。そして、

 

「……少なくとも食蜂と、この電波の先にいるクソ野郎が関わってるってのはわかってるわ」

 

「第5位、心理掌握(メンタルアウト)……だったっけ」

 

 関係者の記憶が弄られていること、そして事件の匂いを感じ取り動き出そうとした矢先の御坂に、『お目付け役』としてつけられた食蜂派閥のメンバーたちの存在。これらを踏まえると、常盤台に君臨するもう1人の超能力者(レベル5)、食蜂操祈の関与が濃厚となる。

 

「そ。まあ、話を聞こうと思ったんだけど、派閥メンバー放っておいてどっか行っちゃったらしいのよね、なおさら怪しいことに。だからまずは、居場所のわかってるクソ野郎から潰してくるわよ」

 

「……ま、それが正解だろうな。現状後手に回らざるを得ない状況だし、手の届く範囲から攻めていくのが良いんじゃないか」

 

「どうする? 勇斗も行くの?」

 

「いや、俺はここに残って手がかりを探すよ。佐天たちが動物と会話できる能力者を連れてくるらしいから、俺はそこを当たってみるさ。あいつらにとってお前が『他人』になっちまった以上、パイプ役は必要だろうからな」

 

「……そうね。じゃあ、よろしく頼むわよ」

 

「そっちこそ。上手くやれよ」

 

「当たり前。私を誰だと思ってるの」

 

 少し寂しげに、しかし憤怒を湛えて歩き始める御坂の後ろ姿を見送って、勇斗は婚后の病室に戻った。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「あれ、当麻。昨日はひどい目にあったって聞いたけど、もう動いて大丈夫なのかい?」

 

「……この包帯やバンソーコーだらけの有様を見て大丈夫と思える根拠が知りたい」

 

 2日目午前の部の競技が行われる会場に到着した上条を出迎えたのは九重だった。(上条にしては珍しく)時間まで余裕を持って集合場所に到着したため、まだまだまばらにしか生徒達は集まっていない。そんな静かな朝の空気の中で、九重は上条の返答に苦笑を返して、

 

「いや、ごめんごめん。でも特に足を引きずってるとか、顔色が悪いとか、そんなことはなさそうだからさ」

 

「よくそこまでじっくり見てるよな、悟志って。でもまあ確かに、見た目ほど体調も悪くないですよー、……ぐえっ!?」

 

「なるほど、お目付け役だね」

 

 納得顔で頷いている九重の視線の先にいるのは、手をひらひら振って無事ですアピールをしていた上条の、すぐ隣の少女。上条の体操服の裾を思い切り引っ張り、鋭い犬歯をきらりと覗かせたのだ。

 

「……まあな」

 

 その行動に上条は肩をすくめ、何かを諦めたかのような声で呟く。

 

「む、せっかくわたしという敬虔なシスターさんがとうま達の無事と勝利を願ってあげているというのに、何か不満でもあるのかな?」

 

 お目付け役とは言うまでも無く、インデックスだ。怒ったような表情を浮かべつつ、それでも不完全燃焼だった感の否めない昨日1日の鬱憤を上条と過ごすことで晴らせる喜びが、どことなく彼女の周りに滲み出ている。昨日とは大違いだ。

 

「いやいや、ソンナコトアリマセンヨー」

 

「……なんだかそこはかとなくバカにされてる気がするかも」

 

「待てインデックス! お前は俺がケガ人だという事を忘れてないか!? だから早くその鋭く白い歯を仕舞うんだ!!」

 

「あれ? とうまさっき体調良いって言ってなかったっけ?」

 

「『悪くない』って言っただけです! 土御門もまだダウンしてるみたいだし、勇斗も忙しくて来れるかわからないって言ってるんだから、これ以上俺たちの戦力を削るような真似をするんじゃありません! 今日何の競技あるかわかってないけど!」

 

 と、上条のそんな心からの叫びに、九重が反応した。

 

「あれ、勇斗も入院してたんじゃなかったっけ? なのに『忙しい』なの?」

 

「ああ……、実は勇斗も今朝には退院できたんだけど、建前上(・・・)今日1日は競技への参加が禁止されたらしくて、それなら、って風紀委員(ジャッジメント)の仕事の方に行っちまってるんだよ」

 

「なるほどね。……『レベル4.5』が1人と、身体能力(アジリティ)にステータス全振りしたような人間が1人欠席か。うーん、確かに結構辛いハンデだねえ」

 

 そう言って、九重は手に持っていたパンフレットを開き、プログラムに目を通す。そしてそのページを上条にも見えるように差し出して、

 

「午後の借り物競争はともかく、午前中の騎馬戦の予選なんかは本気出さないとまずいかなあ」

 

「……復帰初戦から騎馬戦なんていうハードなバトルが待ち受けているんです!?」

 

「うん。もちろんルールの範囲内での能力の使用は可」

 

「不幸な未来しか、見えない…………」

 

「き、きっと大丈夫……なんだよ……?」

 

「ねえインデックスさん何で文末が疑問形なの何で目を背けてんのねえ!」

 

 上条の悲痛な叫び声が、学園都市に響き渡った。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 婚后の病室で彼女の症状について医者から説明を受け、顔の傷・ナノデバイスともに治療の目途が立ったとの言葉に安堵の息を吐いた勇斗、佐天、湾内、泡浮の4人は病院の外に出て、とある少女と会っていた。

 

「ふむふむ、あなたが噂の(・・)千乃勇斗さんですね。まさかこんな所でお話しできるとは思ってもいませんでした」

 

 そう述べた少女はネコ耳を模したフードを被り、ネコを模した缶バッジをそのフードに付けている。どことなく、顔つきや身に纏う雰囲気もネコっぽい。

 

「……いろいろツッコみたいところはあるけど、事態が事態だし置いとくよ。で、君が動物と会話できる能力者ってことであってるのかな?」

 

 今までの風紀委員(ジャッジメント)としての活動から何かとお嬢様方の話題に挙がっている、という話は既に湾内や泡浮から耳にしていたのでもう勇斗は驚かない。どこぞのツンツン頭とは違ってそこら辺の自分の行動が夢見がちなお嬢様方にどんな影響を与えているのかは十分把握しているのだ。

 

 そんな勇斗の問いかけに、少女は佐天に抱かれた黒猫に目を向けて、

 

「似て非なる、って感じです。アタシの能力は生物(そのコ)のクオリアを断片的に受信する、というものですから」

 

「クオリア……、ってあれか、『主観的な感覚』だっけ。俺にとっての『赤色』はアイツにとっての『赤色』と同じなのか。みたいな」

 

「ええ、大体あってますね。そういう性質上、対象の生物と意思疎通ができるって訳ではないですけど、対象が理解できないことでも汲み取ることができるというメリットもあるんですよ」

 

「なるほどなあ」

 

 納得したように息を吐く勇斗。その後ろでは湾内と泡浮もしたり顔で頷いている。ただ1人、佐天だけはわかってるんだかわかってないんだか微妙な感じに「はー……」とか「へー……」とか言っていた。

 

「じゃ、早速やってみますね。時間は……昨日のお昼頃でしたか?」

 

 少女はそう言って勇斗に問いかける。勇斗が先頭に立って彼女と会話していたのだからまあ当然と言えば当然なのだが、しかし勇斗にはその辺り答えようがない。昨日のお昼頃と言えば、彼はオリアナとの追いかけっこ(ガチ)から謎のお食事会にと別のイベントで忙しかったのだから。

 

 無言で両脇に立っている湾内と泡浮に目配せをして、発言を促す。

 

「……あ、はい。そう聞いています」

 

 先にその意図を読み取った湾内が、ちょっと慌てた様子でそう答えた。

 

「わかりました。では――――」

 

 その答えに満足そうに頷いて、少女は地面に降ろされたネコの前に跪き、手をネコの頭の上に乗せ、目を閉じた。

 

 そのまま、数十秒程経って、

 

「――――場所は……工事現場か資材置き場でしょうか」

 

 やおら、口を開く。

 

「倒れている女性、……その傍らに長身の男性が1人、……あ、その横にもう1人女性っぽい人影が。……会話を始めましたね。『どういう形であれあちらの先手を取れる』……『今は構っている余裕は』……『“Auribus oculi fideliores sunt.”はどうなってる?』……ってトコでしょうか」

 

「……ラテン語か? 『百聞は一見に如かず』?」

 

 勇斗のその一言に、湾内泡浮は揃って首を縦に振る。と、その後ろの方で佐天が難しい表情を浮かべているが――――。

 

「……これ以上は難しそうです。どうやらこのコも気が動転していたみたいで」

 

 勇斗がその理由を問う前に、少女が立ち上がる。

 

「すみません、どうも中途半端になってしまって……」

 

「いや、助かったよ。キーワードになりそうな単語も見つけられたし」

 

「そう言っていただけるとこちらとしても助かります。……ふう、あの(・・)勇斗さんの役に立てたとか言ったらあの子たちに嫉妬されちゃうなあ多分。自慢しちゃお」

 

 後半の方は小声だったため本当にそんなことを言っていたのかは定かではないが、まあそんな感じのツッコミどころ満載な言葉と悪どい笑みを残して、ネコ耳少女は去っていったのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……で、さっき何を言いたそうにしてたんだ?」

 

 御坂への伝達を引き受け湾内泡浮の2人と別れた勇斗と佐天は、その御坂と合流するために街を移動していた。

 

「『“Auribus oculi fideliores sunt.”』の名前を聞いて大分難しい顔してたみたいだし、何か知ってたりするのか?」

 

「……実は、私が良く見ていた都市伝説まとめサイトが、まさしくその『“Auribus oculi fideliores sunt.”』なんです。だからもしかすると、そこに何かのヒントがあるのかなあって思って」

 

「……なるほど。誘拐犯が直々に喋ってるんだ、何かあると見るのが自然だろうな。早速端末で探してみるか……。あ、佐天は御坂に『もうすぐ待ち合わせの駅ビル前広場に着く』って電話入れてくれ」

 

「っえ!? 私、御坂さんの連絡先知らないですよ?」

 

「ああ……。いや、まあ、騙されたと思ってマ行探してみ」

 

「ええー? …………え、登録済み!? なんで?」

 

「だろ? ま、詳しいことは後で。とりまさっさと電話してくれ」

 

 そんなやり取りをしつつ、勇斗の手は止まることなく携帯端末の上を動いていく。一般人である佐天ですら見つけることができるようなサイトだし簡単に見つかるだろう、なんてことを考えながら、勇斗は文字を打ち込み、ページを捲る。

 

 その横では、ガッチガチな口調で佐天が御坂と電話を始めていた。つい昨日まではあんなにフランクだったのに、ここまで佐天が『礼儀正しい』話し方をしているのを見るとどうも落ち着かない。違和感しかない。

 

 違和感を感じながら表示された画面に勇斗は目を落とす。繰り返すが、一般人である佐天が知っているくらいのサイトだ。もしかしたら佐天のように都市伝説好きの人間に大人気なサイトなのかもしれない。とすれば、候補の上の方、せめて1ページ目には入っているはず――――なんていう勇斗の予測はあっさりと裏切られた。

 

 (――――『“Latin Proverbs”』……ラテン語のことわざまとめサイトしか出てこねえ)

 

 検索結果を10ページ分ほど見てみたが、お目当てのサイトっぽいものは出てこない。というか、不自然な程(・・・・・)検索結果が似たようなサイトで埋め尽くされている。

 

 (…………ダミーサイトか? だとしたら誰が? 何のために?)

 

 予想外に根深い問題に、勇斗が本腰を入れて取り掛かろうとした、その矢先の事だった。

 

「う、初春!? 御坂さん! 初春がどうかしたんですか!?」

 

 佐天の突然の大声が勇斗の意識を揺さぶった。ハッと顔を上げた勇斗の視界に入ってきた佐天は、とても狼狽した様子で慌てている。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

「いや、御坂さんと話をしていたんですけど、突然初春の名前を叫んだと思ったら急に通話が切れちゃって……!! おかしいですよ勇斗さん! 初春、全然電話にでません!」

 

 加速度的に、現在進行形で、キナ臭さが限界突破だ。どうやら婚后の件でボコられそうになったのに懲りず、また『裏側』の人間が動き出したらしい。

 

「……佐天、お前どっか人通りの多い場所に紛れてろ。周囲への警戒を怠るなよ」

 

 そう口を開いた時にはもう、勇斗の背には白銀の翼が、そして頭上には同色の円環が現れていた。

 

「御坂は今どこにいるって言ってた?」

 

「待ち合わせ場所の駅ビル前広場の、2階部分のデッキだそうです!」

 

「……了解」

 

 それだけ答えて、勇斗は地を蹴り、翼を羽ばたかせる。

 

 終わりの見えない事件に、決して軽くは無い頭痛を感じながら。

 



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ep.35 9月20日-6

お久しぶりです。またぼちぼち更新をしていきたいと思います。よろしくお願いします。


 

 

 御坂の前方、10メートルも無い。その位置に、意識を無くしベンチに座らせられた初春飾利と、その彼女の首元に鋭利なナイフを突きつけるフードで顔を隠す長髪の少女。

 

 そしてこちらは50メートルは離れているだろうか。そこに、同様に意識を失った御坂美鈴(ははおや)と、これまた同じくナイフをちらつかせているフードを被る人影。こちらも顔は見えないが、髪型やシルエットから判断するにこれも女性の形をしているようだ。

 

「さてさて、流石の第3位でもこの距離の2人を同時に助け出すなんて無理っしょ? さっさと『妹達(シスターズ)』について口を割った方がいいと思うんだけどなあ。クローンの居場所とこの2人の命なんて比べるまでも無いじゃんねー?」

 

 ――――病院前で勇斗と別れ、婚后の髪についていた蚊型ロボットの電波を辿り、その先で『暗部』のものと思しき巨大カマキリロボットを叩きのめし(物理)、その操縦者を追い掛けていた御坂を呼び止めたのが、このフードを被ったアヤシさ満点の少女だったのだ。

 

 この少女は、初春と美鈴を人質に『妹達(シスターズ)』についての情報を御坂に要求した。目的は依然として不明なまま、「暗部の情報網を駆使しても全く見つからない」と一言。「暗部の情報網を駆使して」まで、一体何故執拗に『妹達(シスターズ)』を追い求めるのか。

 

 ――――いや、一応の見当はつかないわけではない。ただのクローンには無くて、『妹達(シスターズ)』というクローンにだけある唯一性(ユニークさ)。御坂美琴という複製元(オリジナル)には無くて、複製体(コピー)にのみ存在する独自性(オリジナリティ)。――――同一脳波を持つ、電気系統の能力者だからこその産物、『ミサカネットワーク』。何のためなのか、はわからないが、何を、の部分は恐らくそれで合っているはずだ。

 

「さあさあ早く。学園都市に残ったクローン、どこに匿ってるか教えてよっ」

 

「…………アンタに教えることなんて、1つも無いわ」

 

「あれあれ、ハッタリだと思っちゃったのかな? それとも、自分1人でこの状況をどうにかできるとでも思っちゃったの? もしくは、どっちか見捨てちゃったり?」

 

 ――――ところで、こんなことを知っているだろうか。電荷を持った粒子が移動するとその周囲には円形の磁場が発生し、磁力が生じる。大分ざっくりした言い方にはなるが、このように粒子や物体の移動はその周囲に何かしらの影響を及ぼす。微弱な力であっても例外ではない。人体や、地球のような天体すら貫通するニュートリノでさえ、水中を通過する際には痕跡を残す。もちろん微弱なものであるから、それ相応の感知能力が必要になるけれども。

 

 視点を変えよう。御坂の持つ能力『超電磁砲(レールガン)』は、電気系統能力の最高峰だ。そして電気系統能力者は、本来なら不可視のものであるはずの電子線や磁力線を可視の物として捉えることができる。つまり、見方によっては優秀な感知能力を持っていると言っても過言ではない。

 

 他にも、超能力者(レベル5)の第1位一方通行(アクセラレータ)は、本来なら不可視のものである放射線や紫外線を探知して反射することができる。これだって、優秀な探知能力を持っていると言える。

 

 微弱な力を分析できるだけの所持能力の性質と、演算力。それらを兼ね備えた高位の能力者の中には、優れた直感(サイドエフェクト)を持つ者が存在する。ほんのわずかな力の余波を、直感という形で感じ取っているからだと言われている。

 

 まあそんな戯言は置いておくことにして、ともかくその時御坂は、『それ』を感じ取った。感覚的には、第4位と死闘を繰り広げた時にその横にいた、そして昨日のレストランで勇斗と共にいた、ピンクジャージのあの少女が能力を使った時のそれに似ている。――――移動するAIM拡散力場が周囲の電磁波を押し退けた時に撒き散らす、微弱な微弱な感覚。周囲に人がいなかったことが功を奏した。知覚を妨害するノイズが少なかったからこそ感じ取れた、その感覚。

 

「私は……、初春さんを助けるわ」

 

 その言葉と共に御坂は磁力の網を伸ばし、ベンチごと初春を自分の元に引き寄せ、そしてそれと入れ替わるように前に出る。迸る閃光の電圧が爆発的に上昇した。

 

「――――だから勇斗。ママの事は頼むわよ」

 

 呟いて、御坂は立ち尽くす人影に電撃を叩き込む。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「うおーマジかー!?」

 

 手で(ひさし)を作った格好で、半分以上本気の驚いた様子で、少女――――『警策(こうざく)看取(みとり)』は声をあげた。完全に予想外な行動だったのだ。母親と親友という絶対的な2択を吹っかければ、『あの』御坂美琴なら絶対に妹達(シスターズ)の情報について口を割ると思っていた。

 

 最大の援軍になるだろう千乃勇斗は病院に留まっていたのは確認している。空間移動能力者(テレポーター)の後輩とは連絡を取っていないという事も確認済みだ。つまり、援軍をアテにしているというのとは違うはず。ということは、御坂美琴は本当に母親を見捨てた? ――――いや、暗部の本気というものを舐めているだけか。超能力者(レベル5)を敵に回すような真似をするはずがない、とか何とか思っているのだろう。

 

「……残念だけど、そうならそうでケジメってモノをつけてもらわないとね」

 

 『警策』はそう呟いて、ナイフを振りかぶる。

 

「悪いんだけどねおかーさん。この街ってこういうところもあるからさ、ダメならダメでそれなりの報いってのを受けてもらわないといけないわけよ」

 

 絶対能力進化(レベル6シフト)計画をうまく切り抜けたことで調子に乗っちゃっているのかもしれない。そういう『悪い子』にはオシオキが必要だ。

 

「恨むんならあなたを見殺しにした美琴ちゃんを恨んでちょーだいね!」

 

 真っ直ぐにナイフを振り下ろす。ターゲットは止まっているし、自分も暗部の人間としてナイフの扱いについて訓練をした。急所を貫き、治療のための時間も与えずに即死させることなど容易い。娘が“痛みを感じない人形”の相手をしている間に、サックリ殺して逃げてしまおう。

 

 ――――しかし、彼女の振り下ろしたナイフは宙空で動きを止めた。これは……指か? つい一瞬前まではいなかったはずの人間の人差し指と中指が、ナイフを挟んでいる。全く動かない。万力か何かで挟んでいるかのように、びくともしない。

 

「ったく……、どいつもこいつも好き勝手暴れてやがるせいでいっつも俺はこんな役回りなんだよねえ。別にいいんだけどさ」

 

 その人影がそんなことを呟いて、次いでナイフがいとも容易く折り砕かれる。

 

「ま、つーこって。裏でコソコソやってようが必ず見つけ出してブッ飛ばすからそのつもりでね、向こうにいる(・・・・・・)誰かさん(・・・・)

 

 その言葉と共に、目の前の人影――――少年が、踏み込む。地面のアスファルトを割り砕く程の踏み込み。背から伸びる翼が閃光のように煌めき、そして『警策』の体に突き刺さる右の拳の途轍もない衝撃。彼女の体が弾け飛び、視界が一瞬でブラックアウトした。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 御坂の視線の先で、瞬間移動(テレポート)でもしたかのように突然美鈴の前に現れ、振り下ろされたナイフを指で挟んで止めるという曲芸じみた方法で彼女の身を守った勇斗。そんな彼が、ナイフを折り砕くや否や、強烈な踏み込みと共に右の拳をその人影に叩き込んだのだ。

 

 自分が立っているところにまで振動が伝わってきた気がする。それほどまでに凄まじい一撃だった。人影は一瞬で四散し、欠片も残っていない。――――というか勇斗があまりに自然に一撃を叩き込んだために気付かなかったが、あれは殺人では……? ――――いや、よく見れば血飛沫などは舞っておらず、赤ではない色の液体が飛び散っているだけだ。御坂はホッと胸を撫で下ろす。どうやらあれは何かしらの手段によって、恐らく能力によって、作り上げられた人形のようなものだったのだろう。

 

 それにしても今の勇斗の右ストレートは、一体どう能力を使ったのだろう。AIM拡散力場をどう扱えばあそこまで爆発的な一撃になるのか。

 

 ――――まあいい。勇斗は自分の予想通り現れ、母親の身を守ってくれた。とりあえず今はそれで十分だ。抱きかかえたままの初春に目線を落とす。意識はないが呼吸も脈拍もしっかりしている。怪我もない。

 

「……初春さんは大丈夫みたい」

 

 母親(みすず)をお姫様抱っこしてその背の翼で滑るように飛んできた勇斗に向けてそう声を掛けると、勇斗は安堵の表情で頷いて、そして美鈴の体を御坂に預けた。よろしく、と一声。そのまま、高圧電流を浴びて倒れたままのもう1人のフードの不審者に近づいていく。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですよー……って、まあ聞こえてないだろうけどな」

 

 完全に「のびて」しまっている様子に苦笑交じりの声でそんな言葉を呟く勇斗。横たわる身体の横にしゃがみ込み、手首に手錠を掛けようとした。

 

 そのタイミングで。

 

 御坂は見た。フードマンの手を覆う黒い手袋が一瞬不吉に蠢いた、その瞬間を。そして手袋の生地を裂き、鋭く光る金属めいた物質が顔を覗かせて――――、

 

「ッ!! 勇斗、そいつから離れて!!」

 

 御坂がそう叫ぶのと、勇斗が動くのは同時だった。

 

 間一髪、勇斗の回避は間に合った。あと半瞬でも体を傾けるのが遅ければ、突如としてフードマンの指先から出現した、鈍い銀色に光り蛇のようにのたうつ槍に体を貫かれていただろう。

 

 ――――しかし、それだけでは終わらなかった。不意打ちを回避した勇斗に反撃する間を与えることなく、もっと言えば体勢を整える間すら与えることなく、時間差で、フードマンの指先から追撃が放たれたのだ。真っ直ぐ、正確に、勇斗の体の中心に向けて、狙い澄ました第二撃が迫る。

 

 御坂が焦燥からの声すら上げる間もなく、鋭利な槍が勇斗の胸に吸い込まれ――――ることはなかった。これまたタッチの差で、勇斗の姿は射線上から消えていたのだ。しかし今度は、勇斗が(かわ)した訳では無かった。一瞬の後、勇斗はそのフードマンの真上(・・)にいた。ツインテールの、後輩と共に。

 

「――――流石白井。俺のやりたいこと、よくわかってるじゃん」

 

「当然ですわ。何か月一緒に働いてると思ってるんですの?」

 

「それもそうか。ちなみに答えはそろそろ11か月だ!」

 

 そのやり取りが終わるころにはもう決着はついていた。雷速の集中で収束されたAIM拡散力場が叩き付けられ、こちらのフードマンも人の形を失い、血ではない液体を撒き散らして四散する。

 

「……これでやっと数えきれないほど積み上がった恩の1つが返せましたわ」

 

「ん、サンキュー」

 

 2メートル程の高さから再び空間移動(テレポート)し、勇斗と共に危なげない着地を決めたのは、白井だった。

 

「さて……、ここではなんですし、177支部に戻って話を聞かせてもらいますわね」

 

 得意げに、白井はそう締めくくった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 地下。下水道。徹底的な排水浄化設備が各研究施設に普及し、薄暗く湿った、しかしそれでいて下水特有の不快な臭いが欠片も感じられないその場所に、『生身』の警策看取はいた。手に持った情報端末を何やら操作しながら、先の見えない暗闇に向かって歩みを進めている。

 

「いやー、ほんとほんと、あのパンチを食らった時は生きた心地がしなかったなあ」

 

 画面に表示されているのは、不正に接続され表示された書庫(バンク)の勇斗のページ。[ LEVEL4 ]の[ 御使降し(エンゼルフォール) ]。AIM拡散力場の操作と、それを用いた攻撃を始めとする高い汎用性、そして詳細不明の翼による飛行能力。成程確かに『レベル4.5』と呼ばれているだけはある。

 

「デモデモ、さっきのあの馬鹿力についての記述は無いなあ。馬場ちゃんが知らなかった不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)に関する記述はあるし。んー、いくらあんな馬場ちゃんでも流石にこの記述は見逃さないと思うんだけどなあ。……もしかして、誰か(・・)が弄ってる?」

 

 学園都市の暗部の中でもかなり深い位置に潜り込んでいるはずの自分や、『メンバー』の一員である馬場をすら欺く程の情報操作、か。ただの勘違いと切り捨てるには不確定さが過ぎるが、――――正直自分の手には余る。

 

「……ま、『あの爺さん』に伝えておけば大丈夫か。何とかしてくれるっしょー。それより当面の問題は美琴ちゃんよね。直接対面しての交渉もムズいし、かと言ってカメラ越しでも色々細工されちゃうし」

 

 とは言え、収穫があっただけ良しとしよう。裏で動き回っている人間にも見当がついたし。

 

「……ま、今度はその辺り洗い直してみますかっ」

 

 足音を響かせて、彼女は闇に紛れていった。

 



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ep.36 9月20日-7

色々とツッコミどころが多いとは思いますが、ご容赦いただけると幸いです……!


 

 ジャリっと、踏みしめたガラスの破片がコンクリートの床と擦れる甲高い音がした。ガラスだけでなく、何の部品だったのか全く分からない程になった金属片(スクラップ)なども周囲に散乱している。建物のガワこそ残っているものの、まさしく廃墟一歩手前といった様相を呈していた。

 

「……で、なのに何で真新しい足跡なんかが残ってるんですかねえ。しかも複数ときたもんだ」

 

 口元を笑みの形に歪めながら、勇斗は慎重に歩みを進めて行く。水中探信儀(ソナー)電波探信儀(レーダー)と同様の、AIM拡散力場を用いた索敵能力をフルに使い、隅々まで知覚の手を伸ばす。

 

 勇斗が今いるのは、学園都市の一角に佇む廃工場だ。少し前に盛んに研究が行われていた、そして今では下火となってしまった、液体金属を扱っていたという。

 

 何故彼がそんなところにいるのかというと、つい先刻初春と美鈴を人質にとり、御坂を襲撃していたあのフードマンの中身が、液体金属だったということがわかったからだ。

 

 ――――『人形』の成形は恐らく能力によるもの。そして同時に2体の『人形』を作り上げていた点から見て、演算力はかなり高い。『液体金属、ないしそれに類する物質』を遠隔操作することができる、『強能力者(レベル3)大能力者(レベル4)の高位能力者』。そしてその『人形』から推測するに、操作主は女子中高生。――――あの手の能力は精密操作を行おうとすればするほど、より正確に自分の姿形を再現することが要求される。手を伸ばした間合いや、目線の高さ、歩幅。そういったものを正確に再現しないと脳が混乱し、細かい動作に支障を来すし、最悪の場合自分の体の動かし方にすら悪い影響をもたらすのだ。それはちょうど、多脚や大型の『人間とは全く異なる運動機能』を有する駆動鎧(パワードスーツ)を操作するときに生ずる、『装着解除時における人間としての運動機能への影響』に似ている。

 

 閑話休題(それはともかく)、白井に佐天、目を覚ました初春は、それらの情報をもとに書庫(バンク)の情報を絞り込み、容疑者(フードマン)の洗い出しを進めている。ちなみに御坂は能力で復元した『“Auribus oculi fideliores sunt.”』の情報を頼りに、そのサイトの画像に写り込んでいた建物へ向かって行った。そして勇斗は『調査』の一環として、その液体金属の調達元と目されるこの廃工場に来ていたのだった。――――現在も液体金属の研究がつづけられている2企業からは、液体金属を紛失したり盗難されたりといった報告は挙がっていないのだ。よって勇斗達は、犯人たちは廃棄された機材を流用しているのではないか、という結論に至ったわけなのだが、

 

「……うん、当たりっぽいなあ。相変わらずうちの支部の情報処理能力って頭おかしいレベルだと思うわ」

 

 声を抑え、そんな独り言を呟く勇斗の目線の先。そこには機械の乗った台車を押す2人の男がいた。そのうちの1人がカードキーのようなものをかざすと、軽快な電子音と重たいものを引きずる鈍い音がハモって、壁の突き当たりにあった扉が開き、2人の男はそのまま奥へと消えて行く。

 

 ――――廃工場に電気が通っている。間違いない。ガワこそ廃墟だが、中に何かある。

 

「鬼が出るか蛇が出るか、ってね」

 

 そう呟いて、扉が閉まる前に、勇斗は内部に忍び込む。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……お守りねえ。当麻もよくもまあそんなオカルト満載のアイテムをこの科学満載の街で引き当てる羽目になったよね」

 

「とうまの運の無さは筋金入りなんだよ。こんなのまだまだ序の口かも」

 

「だよねえ」

 

「うん、泣いていい?」

 

 呆れ顔を浮かべる九重にインデックス、半泣きの表情の上条がいるのは、『借り物競争』が行われている会場だ。頭にハチマキを巻いた上条がコース内に、たこ焼きを頬張る九重と、わたあめをパクつくインデックスはコース外に立っている。

 

「……で、悟志もインデックスもお守りは持ってないんだな?」

 

 がっくりと肩を落とし、しかし藁にもすがる様な最後の一縷の望みを込めて上条は再び彼らにそう問い掛けるが――――、

 

「うん、ごめんごめん。学校に置いてるカバンには付いてたはずだけど、流石に今は持ってないよ。この人混みじゃあ戻るのにも絶望的なまでの時間がかかるだろうし、諦めてもらった方がいいかなあ」

 

「十字教の敬虔なシスターである私がお守りを必要とするわけがないんだよ。そんなものに頼らなくても私が祈ればそれできっとどうにかなるんだよ」

 

 そんな返答で、上条の期待は粉々に吹き飛ばされた。

 

 項垂れる上条の横を、指定された品をもう見つけたのか、数人の学生たちがホクホク笑顔で駆け抜けていく。

 

「……うん、まあ、とにかく頑張って。リタイアさえしなければ点が入るから諦めちゃダメだよ」

 

「ああ……わかってるよ……」

 

「頑張ってとうま!私が応援してるんだから!」

 

 昨日同様、チアリーダーの格好に着替えているインデックスがポンポンをシャンシャカふりふりしながら上条に激励の言葉を投げかける。しかし上条は胡乱な目をそのインデックスに向けて、

 

「……今すぐここでシスター服に着替えさせて『コイツは俺の大切なお守りなんです!』って言い張れねーかな」

 

「うん当麻、その発言は色々と問題を生んでるってことに気付いた方がいいかもね」

 

 そう冷静に突っ込む九重の横で、顔を真っ赤にしたインデックスがきらりと光る歯を覗かせて、

 

 ――――しばらく上条は、地面をのた打ち回る羽目になったのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 扉をくぐった先は、その外とはまさしく別世界だった。壁にひびが入っていることも無く、床にスクラップが転がっていることも無く、最新鋭の研究施設と比べても遜色ない設備が設置されている。そしてそれらは音を立てて動いており、現在進行形で何かしらの作業を行っていた。

 

 そんな空間を勇斗は進む。索敵能力を使ってはいるものの、『ここまで来たんだし見つかればぶっ飛ばせばいいじゃない』という精神の元、足音を潜めたり曲がり角で隠れたり、なんてそんな面倒なことはしていない。そのあたりは能力に任せて、あくまで(傍から見れば)堂々と歩いていく。

 

 と、しばらく歩いたところで、勇斗はふと何かを感じ取った。索敵能力(ソナー・レーダー)に反応があったわけではない。物音や足音が聞こえてきたわけでもない。視界の中で何かが動いたわけでもない。五感で感じ取れるような何かがあったわけではなかった。しかし確かに、勇斗は何かを感じ取ったのだ。――――第六感(サイドエフェクト)。目では見えないモノを観測することに長けている能力者に多いというそれが、ここで働いたのか。

 

 ――――勇斗が一瞬、思考に沈みかけたその瞬間、首元に何か硬い物が押し当てられた。ゴツゴツしたものが首に食い込んでいる。

 

 一瞬の出来事に、驚愕が勇斗を貫く。とっさに振り向きそうになるが、それを抑え止め、目線だけを下げ、首元を見る。木製と思われる刀身に石で出来た刃が並んだ形をした奇妙な剣が押し当てられている。そしていつの間にか、左肩に人の手が乗せられており、強く抑え込まれていた。

 

「振り返るな」

 

 背後から聞こえてきたのは女性の声だった。

 

「ここで何をしていた。今すぐ答えろ。さもなくば喉笛を切り裂く」

 

 声と共に肩を抑え込む手の力と、首への食い込みが少し強まった。

 

 ――――だがここで逆に、勇斗の頭は冷静さを取り戻す。伊達に修羅場をくぐってきたわけではない。それに、色々と気づいたことがあったのだ。例えば、首に押し付けられてる武器の名前とか。例えば、この声の主の正体とか。

 

「……『マクアフティル』、か。へえ、面白い武器じゃん」

 

「ッ!?」

 

 落ち着いた声でそう話しかけると、後ろの人間が硬直したのが分かった。マクアフティル。12世紀から16世紀頃まで南米アステカで使用されていた、木製の刀身に黒曜石で出来た刃をノコギリのように取り付けた剣だ。正直、日本ではマイナーな武器。それ故、言い当てられたことに驚いたのだろう。ほんの少しだけ、肩と首元の力が弱まった。

 

「……なぜ、その名前を知っている」

 

「別に、実在してた剣なんだから知ってたっていいじゃん? まあちょっとばかり友達付き合いが特殊なんだよ。アンタみたいな(・・・・・・・)魔術師とも友達やってるからな」

 

 最後の一言がトドメとなって、背後の人間が完全に動きを停めた。力も抜けていたので、左肩に乗った手をどけ、首元の剣(マクアフティル)を押し退ける。振り返り、襲撃者に勇斗は向き合った。ジャージ姿で、髪を後ろで2つに分けている。そんな少女が驚愕の表情を浮かべ、呆然と立ち尽くしていた。

 

「貴様……なぜ私が魔術師だと知っている……!」

 

 まあ、そこに驚くのは当然だろう。学園都市で、ジャージを着ている、見た目は高校生くらいの少女。それだけならこの街にはどこにでもいる。勇斗ですら気づかないうちに背後を取られていたが、もし今の一連の流れを人前で見せたところで「あ、空間移動能力者(テレポーター)なんだね」の一言で終わってしまう。普通の人間が、普通の能力者が、見ただけならば。

 

「AIM拡散力場を発してない人間が空間移動(テレポート)を使ったんだぜ。『原石』ですらAIMを無自覚に出してんのに、それが無いってことは、アンタの異能は学園都市のそれとは別物だ。そうすると、俺が知ってんのは『魔術』っていう異能だけだからな。消去法的にそうなっただけだよ」

 

「…………」

 

 せっかく説明してあげたというのに、反応が無いのはちょっと困るなあ、なんて事を勇斗は考えた。――――いやまあ、表情を見れば大体考えている内容はわかるんだけど。今の話を信じるべきか、信じないべきか。恐らくそれについて悩んでいるのだろう。難しい表情で少女は口をわずかにパクパクしていた。

 

 ――――と、そこで。勇斗の索敵能力が今度こそ接近してくる何かを捉えた。人間には不可能な、それこそ何かの能力を使わなければ出せないような速さで、天井を通るダクトの『中』を通るという無茶苦茶なやり方で、何かがここに迫ってくる。

 

 勇斗は溜息を吐き、面倒くさそうに一歩飛び退り、――――直前に立っていた位置を、銀色の閃光が切り裂いていった。

 

 突然の闖入者(2人目)が顔を覗かせる。ドロリと、粘質な物体が人の形をとり、天井から床に降り立った。

 

「……よう、さっき振りじゃないかスライム野郎」

 

「スライムじゃねーし失礼だなあ、ってあれー何でアンタがここにいんのさっき死ぬかと思ったんだからねこんちくしょー!」

 

 勇斗を見つけるや否や、のけ反り引きつつも一気に捲し立てるスライム、もといフードマンの中身。液体金属で構成されているとは思えない程人間じみたコミカルな動きを見せている。

 

「こっちにも仕事ってもんがあるんだからさあ、邪魔しないでほしいんだけどねっ」

 

「邪魔されたくないなら邪魔されないように永遠に暗い所に引きこもって出てくんなよ」

 

 薄い笑みと共にそう勇斗が返事する。同時に、『人形』の左腕が弾け飛んだ。不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)だ。

 

呟いて、一歩一歩『人形』に近づいていく勇斗。うげぇ、とか何とか声をあげ、『人形』は後ずさっていく。

 

「――――ちょっと待て」

 

 そこに割って入ってきたのは、ジャージ姿の少女だった。

 

「お前らの事情は分からないが少し待ってもらっていいか。……警策、こっちもお前に話がある」

 

 ドスの効いた声で、勇斗ではない人間の名前を呼ぶ。――――なるほど、この『人形』の操作主は「こうざく」という名前なのか、みたいな事を考えながら、勇斗は請われたとおりに動きを止める。

 

「……私は『博士』から『メンバー』は学園都市統括理事会の特命を受けて動く組織だと聞いている。だがどうやら、今回の仕事は統括理事会とは無関係らしいな。仲介役のお前の指示がどうも怪しいと『博士』は考えていたようで、統括理事長本人に裏取りをして、貴様の背信行為を突きとめていたよ」

 

 先程までの驚愕を欠片も感じさせることなく、むしろ冷たく鋭利な怒りを言葉に乗せて、少女は言葉を続けていく。

 

「私にとって、誰に指図されるかなどはどうでもいい。だが、生憎と私は『背信』や『裏切り』といった言葉には敏感でな。それ相応の制裁を下さねばなるまい、と考えているところだ」

 

 『メンバー』……絹旗が所属する、『アイテム』と似たような存在なのだろうか。どうやら『博士』と呼ばれている人物がまとめ役であるらしい。そしてどうやら、今回のこのゴタゴタはその『メンバー』なる暗部組織が中心となって起こしていたらしい。詳しい事は全く読み取れないが、後でじっくりOHANASHIをする必要がありそうだ。

 

 と、閑話休題。『制裁をする』という言葉が聞こえてきた気がした。

 

「そいつに制裁するってんなら俺も混ぜてくれないかな。アンタもどうやらしてやられた口らしいけど、俺もこいつらには苦労させられてる身でね」

 

「イヤイヤイヤ、ちょっと待ってって。何でいつの間にかホームがアウェイになってるんだって。さっきも言ったけどこっちにだってこっちなりに目的があるんだからさ、その辺は少しくらい汲んでくれても……なんて言い分が通るとはハナから思ってないケドね。ここでしくじるのもアレだし、ここらでさっさとお暇させていただくよっ。それじゃさよならっ」

 

 その一言を言い終えるか否かのタイミングで液体金属の体は人の形を失っており、血だまりのように広がった鈍く光る色の液体金属を残し、「こうざく」と呼ばれた少女はあっさりとその場から消えたのだった。

 



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ep.37 9月20日-8

 

 

「いやー、まさか佐天さんがたまたま通りがかった上にお守りも持ってたなんて、カミジョーさんにしては運が良すぎてこの後の事が心配になるなあ」

 

「あー、確かに上条さん不幸ですからねえ。そこら辺の色んなエピソードは勇斗さんからよく聞いてますよー」

 

「……アイツ、嘘言ってねえだろうな?」

 

 そんなことを呟きながら人混みを縫って歩いているのは上条と佐天だ。借り物競争で(順位のついた人間の中では)最下位ながら無事にゴールし、雀の涙ほどのポイントではあるが獲得、チームに貢献することができた上条。指定された「お守り」が見つからず、涙目になって街中を駆けまわっていた所を佐天に救われたという訳で、お礼の屋台巡りをすることになったのである。――――インデックスには大分恨めしげに睨まれていたが。

 

「うーん、なんか『これだっ!』て来るものが無いですねえ……。もっと向こうの方の屋台を見てもいいですか?」

 

「おー、いいぞいいぞ。カミジョーさん何でも貢いじゃうぞー。なんてったってまさしく降って湧いた幸運の女神だからなあ」

 

「……上条さん、『降って湧いた』、って流石にもっと言い方無かったんですか?」

 

「あー、ごめん。割増しで貢ぐから許してくれ。……うーん、公園脇の通路突っ切るのが一番早いか」

 

 通路に足を踏み入れると、人通りは急激に少なく――というかゼロになった。屋台も無ければ現在時刻の競技会場からも離れているような裏道に近い通路だから当然と言えば当然かもしれないが、周りの道の人の数とのギャップに上条は「人払い」の魔術を思い出す。もちろん、昨日のゴタゴタがあっての今日でそんな魔術絡みの事件が起こるとは考えられないし、考えたくは無いけれど。

 

 と、上条がそんなことを考えながら歩いていると、斜め後ろを付いてきていた佐天が上条を呼び止める。

 

「…………あれ、上条さん。あそこにいるのって勇斗さんじゃないですか?」

 

「んー?」

 

 立ち止まり、佐天が指差す方を見ると、通路の脇、柵を越えた所にある工場と思しき敷地、確かにそこにいるのは勇斗だった。しかし1人ではない。その横にはジャージ姿の女性が立っている。

 

「……勇斗の横にいるジャージの女の子、滝壺さんじゃないよな?」

 

 勇斗絡みの知り合いでジャージの少女と言えば、最近何かと勇斗と噂になっている絹旗、の友人の滝壺という少女が思い浮かぶ。しかし、今勇斗の横にいる少女が滝壺であるかと言えば――――

 

「はい。あたしの記憶が正しければ、滝壺さんはピンクのジャージのはずです。髪型も違いますし、つまり滝壺さんじゃありません」

 

「だよなあ。じゃあアイツ何してんだ? 滝壺さんだったら“今朝の事”について相談してるんだろうな、とかわかるけど。……ナンパか?」

 

「その“今朝の事”が何なのかはすごく気になる所ですけど、勇斗さんがナンパしてるっていう現状の方が気になりますね。近づいてみましょう」

 

 あっさりと流れるようなスムーズさで勇斗がナンパしていると決めつけ、2人は柵を乗り越え、勇斗と少女の元へ近づく。

 

 ――――近づいて上条は気付いた。勇斗の顔は、ふざけている時のそれではない。昨日、オリアナ=トムソンと対峙した時と同じくらい、緊張感で表情が硬い。

 

 嫌な予感がする。

 

「――――態度から、――――る」

 

 少女が何か喋っている。その声も固い。甘い言葉を吐いてるとか、そんな気配は欠片も無い。

 

「ヤツラの真の狙いは――――御坂美琴だ」

 

 不穏極まりない雰囲気の中、突如聞こえてきたのは、上条の良く知る少女の名前だった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 抜けるような青色だったはずの空が、どこからともなく出現した分厚い漆黒の雲に塗り潰されていた。その黒雲の合間を更に暗い色の閃光が走り抜けている。明らかに、自然現象のそれを超えた、不可思議な現象だ。

 

 その空の下を、勇斗は上条と共に駆け抜けていた。――――廃工場で『こうざく』と呼ばれた水銀少女が逃げ去った後、勇斗と、それに上条佐天の前で、ジャージ少女はこう告げたのだ。「ヤツの狙いは御坂美琴である」と。そこからの動きは早かった。勇斗は佐天をすぐに177支部に向かわせ、自身は上条と共に現場へと駆けつけることにしたのである。

 

 ――――と、視界の前方に見えるビルに巨大な落雷があった。次いで、着弾点から放射状に放電が起こる。轟く爆音が衝撃となって勇斗の体を揺さぶる。

 

「でかい雷だな」

 

「だな。でも、つまりあそこに御坂がいるってことだろ?」

 

「まあ、そうなるな」

 

 勇斗の呟きに上条が反応し、さらに勇斗が同意を返す。そんなやり取りをしながらも2人の足は止まらない。雷を恐れることも無く、勇斗は上条と落雷したそのポイントへまっしぐらに向かっていく。

 

 ――――勇斗には1つ気がかりなことがあった。黒雲が青空を塗りつぶし、黒い閃光が雲間を駆け抜け始めたその瞬間から、胸がざわつきだしたのだ。比喩ではない。雷が怖いわけでもない。走りすぎて息が切れたわけでももちろんない。胸の奥、正確に言うと体の内側にノイズが走る感覚。そして、天上と目の前のビルの屋上で起こる不可思議な現象に呼応するようにノイズは波打つ。

 

 こんな状態になったのは、今この瞬間を除けば『魔術』に触れた時だけだ。ついさっきジャージ少女と対峙した時もわずかだがノイズは走った。しかし別れてからはすぐにそのノイズは収まっていたから、それを引きずっているわけでもないはずなのだが。

 

 ……まあ、よくわからないものをいつまでも気にしていても仕方がない。このノイズが起こっている状態の時には、魔術を『押し流し』たりするような不思議な強化(バフ)が掛かったりするし、使える選択肢が増えるに越したことはない。……なんてことを考えていると、

 

 ――――ゾくり、と。

 

 唐突に、今度こそ嫌な震えが物理的に勇斗の全身を貫いた。思わず勇斗は立ち止まり、空を見上げる。今気づいた。気づかなかった。濃密過ぎて、歪みすぎて、変質しすぎて。稲光と共に空を駆け廻る漆黒の閃光は、膨大な量のAIM拡散力場だ。そして今、“何か”が通る道を形作るように、AIM拡散力場が蠢いている。勇斗が感じ取ったのは、そんな“攻撃”の予兆。勇斗の捕捉可能量のキャパを遥かに超える量のAIM拡散力場の移動、それに伴う余波が勇斗に逆流したのだ。怪訝そうな顔で上条も立ち止まり、勇斗に何やら声を掛けるが――――。

 

 時間の流れが停滞したような感覚。スローモーションのような世界で、勇斗の視界が閃光で塗り潰された。――――そして一瞬遅れての、爆音の津波。それは、『柱』と形容しても差し支えない程の強烈な雷霆。その光が、轟音が、統括理事長の居城と噂されている『窓の無いビル』を呑み込んだ。あまりの『柱』の太さに、ビル外壁が強烈な雷撃に完全に覆い尽くされ見えなくなる。

 

 数秒程で閃光と爆音は収まり、ビルは再びその姿を現した。

 

「…………無傷、だって?」

 

 常軌を逸した、自然現象では到底観測されない程の規模の雷。その莫大な閃光と轟音は人間の根源的な恐怖を呼び覚ます。勇斗や、御坂の電撃を受け慣れているはずの上条でさえ、体の震えが抑えられない。しかしそれほどの一撃を受けてなお、『窓の無いビル』はその威容を崩さない。外壁が焦げることも、火災が発生した様子も、全く観察できない。

 

「…………どうなってんだよ」

 

 上条のその一言が、今の2人の気持ちを極めて正確に言い表していた。

 

 だが、いつまでも呆然と足を止めているわけにもいかない。耳鳴りと目のチカチカがある程度治まるまでその場で待ってから、2人は再び走り出すことにした。立ち止まっている間にも放電は続き、焦りが募る。

 

 ――――と、その時、

 

 2人の視界の先、ビル街の一角に作られた広場のような空間に、小規模な落雷。そして2人がその事に気づき、身構える前に、目もくらむような閃光と共に何かが降り立つ。

 

 “ソレ”は、全身から青白い閃光を放ち、少女のような姿をとっていた。だが、頭から伸びる捻じ曲がった悪魔の角のような物と、羽衣にも見える体の周囲を浮遊する帯状の物体が、人間の姿とは掛け離れた様相を呈している。

 

 “ソレ”がそこに降り立った途端、勇斗の中のノイズが激しさを増した。ともすれば、昨日オリアナ=トムソンと対峙したあの時よりも強い。息苦しさすら覚える程に。

 

「なあ……勇斗」

 

「……なんだ当麻」

 

 そんな中、沈黙と停滞を破ったのは上条の声だった。

 

「あれ、もしかして、みさ」

 

 しかしその上条の声も、突然の別の声に中断させられる。いや、正確に言えばそれは『声』ではなかった。その『声』は耳ではなく、頭の中に直接響いてきたからだ。

 

『はあい♡』

 

 そんな、語尾にハートマークだか音符マークだかが付いていそうな程甘ったるい声が頭の中に響く。

 

『あ、先に言っておくけど上条さん、アナタの右手で自分と勇斗さんの頭に触っちゃうと今から言う事全部消えちゃうから触らないでねえ☆』

 

 その声の主は、勇斗と上条の名前、そして幻想殺し(イマジンブレイカー)について知っていた。

 

『あとぉ、念話能力(テレパス)とは違って一度に全部脳に直接メッセージを書きこんでるから仕様上反論は受け付けられないからねぇ♪』

 

 突然の事にあたふたする上条を横目に見つつ、勇斗は静かにそのメッセージを確認していた。――――『脳に直接書き込む』という言い方からすれば、声の主は精神系の能力者だろう。そして、この件に関わっていた精神系能力者と言えば……。

 

 確信は無い。推測でしかない。だがもしかすると、(くだん)の第5位は、こちらの事を知っているのかもしれない。上条の右手について知っている程に。

 

『状況を説明するとぉ、今あなた達の前にいるのは御坂さんよぉ。私の能力とミサカネットワークが悪用された結果ああなっちゃってるわけねぇ』

 

 声の主の説明が続く。要は上条の右手で、警策一派のせいで雷神か何かみたいなモードに覚醒してしまった御坂を、どうにかして元に戻せばいいらしい。『私の方も私の方でやる事があるから、そっちも頑張ってねぇ』の一言を最後に、メッセージは途切れた。

 

「……だそうだ」

 

「ぐおお……昨日に引き続いて今日もかよ……。しかもカミジョーさんには昨日のオリアナより今の御坂の方が危険そうに見えるんですけど?」

 

 変貌した御坂を見ながら、上条はぼやく。

 

「安心しろよ。俺にもそう見える」

 

 肩をすくめ、そう返事をし、勇斗は能力を発動させた。

 

 背から白銀の翼が伸び、頭上には同色の円環が出現する。しかしその翼はノイズに塗れて輪郭が曖昧になっており、頭上の円環も、夜の病院や公園での戦いで見せた円形ではなく、円と十字が交差した等脚のケルト十字のような形に変わっていた。同時に、勇斗の体に力が漲る。公園での戦闘で感じたものよりさらに強力な身体強化が掛かっていることを理解した。

 

 詳しい原因はわからないが、目の前の御坂のせいで体内の天使の力(テレズマ)が活性化している。それはつまり、今の御坂は単純な科学の範疇に収まらない力を有し、放っているという事だ。

 

「…………2日連続でこんなんか。土御門辺りを経由して、上の人間に危険手当でも請求できないもんかねえ」

 

「俺ならともかく、勇斗が全力で脅しにかかったらあっさり認めてくれそうだよな」

 

 そんなボヤキと共に、2人は戦闘の構えを取る。

 

 



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ep.38 9月20日-9

 

 雷神(みさか)は2人の前に降臨してなお、2人に気付いた様子は無い。うつろな表情で何かを呟くようにわずかに唇を動かしながら、傷1つつけることができなかった『窓の無いビル』を見つめている。

 

 感情を全く感じさせない表情のまま、指1つ動かすことなく、御坂の周囲の帯電する空気の電圧が再び上昇を始めた。バチバチと弾けるような帯電音と、目に見える程の閃光がチカチカと周囲で瞬いている。

 

 ――――そこに、上条が飛び込む。背後を取り、死角から、右手を御坂に突きだした格好で。

 

 しかしやはりこれも御坂は不動のまま、大量の電撃が放たれ、上条に襲い掛かった。幸いにも伸ばしていた右腕が避雷針の働きをし、雷撃は全て上条の右手に吸い込まれる。それでも、打ち消すことはできたものの体が浮き上がる程の凄まじい衝撃。だが上条は体勢を立て直し、御坂の背後から彼女目がけて更に腕を伸ばした。

 

 ――――ボッ、という音と共に、上条の体が横に吹き飛ぶ。そしてその直前まで上条がいた場所に大量の金属片が降り注いだ。1つ1つがそれなりの重量を持ち、当たれば打撲では済まされそうにない。

 

「……強引すぎる気もするけど、サンキュー勇斗!」

 

 勇斗が行った、不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)を使っての緊急回避にヤケクソ気味に礼を叫んで、上条は立ち上がる。

 

「どういたしまして」

 

 片や落ち着いた声で勇斗はこう返し、2発目の不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)で今まさに上条に放たれようとしていた金属片の塊を吹き飛ばした。

 

 これでいける。ようやくこちらを振り向き、こちらを直接認識した御坂の磁力の網がバラバラに吹き飛んだ金属片を掬い上げ再び寄り合わせているが、それよりも体勢を立て直した上条が御坂に触れる方が早い。

 

 そう思ったその時、勇斗は見た。御坂の足元で蠢く、黒い影を。

 

「当麻! 足元!」

 

 その声で上条も足元を蠢く影に気付いたらしい。たたらを踏んで、右手を足元に叩き付ける。その一動作だけで影――――御坂が舗装された地面の遥か下から引きずり出してきた砂鉄――――は形を失い、動きを止める。

 

 しかし安心したのもつかの間、その一瞬の隙に金属片は寄り集められ、再び(かみじょう)に向けて放たれようとしていた。

 

 ――――そこで、閃光一閃。

 

 勇斗の翼の一振りで金属片の塊は真っ二つに切り裂かれた。そしてそれらの金属片は、それらを結びつけていた磁力から解放されたかのように1つ1つのカケラに分かれ、地面に崩れる。御坂は磁力操作を解除していないはず。にも関わらず、うんともすんとも動かない。

 

 金属片の磁力への反応をどう妨害しているのか、詳しい理屈はその現象を引き起こしている勇斗自身にもわからない。ただ、翼がこのようにノイズまみれになっている状況で“翼を用いた行動”を起こすと、術式破壊(グラム・デモリッション)的な効果を発揮するという事は昨日のオリアナの一件で何となく掴めている。

 

 恐らく、勇斗や今の御坂の力の源泉が『能力』という範疇では収めきれない異能にある、ということが影響しているのだろう。本来学園都市の開発する『能力』という異能は、物理法則を壊したり改変したり超越したりすることはない。もちろんパッと見物理法則を無視している様な能力もあるにはあるが、裏側の理屈を考えると結局それは何かしらの物理法則が働いた結果なのだ。例えば摩擦力を無くすような能力であれば、裏では接触面の電子の分布に干渉してクーロン力をいじり、摩擦力を近似的にゼロに近づける、なんていうプロセスが隠れている。

 

そう考えるとこの場面で、『能力』という観点ではAIM拡散力場を操作できるだけであるはずの勇斗が、金属が磁力に反応する純然たる物理現象であるはずのものを無効化(キャンセル)できたという事は、そこに『能力』以外の異能が働いているからだと見るべきだろう。

 

 ――――と、唐突に、これ以上余計なことを考えるような余裕は吹っ飛んだ。

 

 何故なら、勇斗の前方で御坂が、それ一発が全開のレールガンに匹敵するのではないかというもはや何かのビームにすら見えてくる程の極太の雷撃を放ったからだ。この規模の雷撃をまともに喰らえば、消し炭すら残るかどうかわからない。

 

「――――ッ!」

 

 再び、翼の一閃。斜めに交差するような軌道で振り上げられた翼はその雷撃を切り裂き、雲散霧消させた。

 

 勇斗の心臓が跳ね上がる。成功すると(・・・・・)わかっていた(・・・・・・)とはいえ、失敗すれば命を落としかねない状況での、強引極まりない力技での術式破壊(グラム・デモリッション)は心臓に悪い。

 

 勇斗の視界から雷撃の閃光が消えて――――、今度は勇斗の視界に影が落ちた。前方で、御坂がこちら――――勇斗と上条に向けて手を伸ばしており、その御坂の頭上、いつの間にそこまで寄り集めていたのか、人の何十倍程もの大きさの瓦礫の塊が浮かんでいた。

 

「ちょ……それは反則だろ!?」

 

 焦りにまみれる上条の声がした。勇斗もその言葉に全面的に同意せざるを得ない。上条の右手や勇斗の翼を使った無効化(キャンセル)を迂闊に使えば、磁力による支えを失った大量の瓦礫が2人の頭上から降り注いでくるだろう。かといって、AIM拡散力場を用いた不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)だけでこんな巨大な物体を吹っ飛ばしきれるかどうかは微妙なところだ。『天使化』の進行に伴い、天使の力(テレズマ)による身体能力の増幅(ブースト)や翼による術式破壊(グラム・デモリッション)は期待できるようになったものの、不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)自体には目立った強化は見られていない。いつか、こんな巨大な瓦礫すら吹っ飛ばせる位に強くなるのだろうか。

 

 ――――現実逃避はこれくらいにしておくべきだろう。どう動くべきか。疑似瞬動術(クイック・ムーブ)で上条を抱えて逃げ去るべきか。

 

 そんな時だった。呆然としつつ、それでも動き出そうとした勇斗の耳に、こんな声が聞こえてきたのは。

 

「ハイパーエキセントリックウルトラグレートギガエクストリームもっかいハイパー……」

 

 緊張感の欠片もないお気楽なその声は、小学生が『ぼくのかんがえたさいきょうのひっさつわざ』につけるような修飾語をいくつも並べたて、

 

「すごいパーンチ!!」

 

 センスの欠片もないその一言と共に放たれたその一撃は、セリフの軽さに見合わない爆音と共に瓦礫の塊を薙ぎ払う。磁力による縛めをものともせず、塊は爆発四散。ワザマエ。

 

 跳躍しつつとんでもない一撃を放った声の主は、靴の底でガリガリ地面を削りながら軽やかな身のこなしで地面に降り立ち、爽やかな笑顔と共に振り向き、勇斗と上条に向き直った。上条にも似たツンツン頭に白の鉢巻きをして、昔の日本の国旗のような模様の入ったTシャツを着ている。そしてその上に、袖を通さずにパーカーを羽織っていた。

 

「大丈夫か?」

 

 髪型だけでなく、人のピンチに居合せて颯爽と人助けに入るあたりもどことなく上条に似ているなあ、なんてことを勇斗は思う。

 

「なんかスゲーのがいるな。ツノ生やすなんて根性あるな!」

 

 ある種好戦的な笑みを浮かべて、少年はそんなセリフを口にする。

 

 ――――これが、『根性バカ』もとい『最大の原石』『第7位(ナンバーセブン)』と呼ばれる削板軍覇という少年との、勇斗と上条のファーストコンタクトだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 『敵』が増えたことを認識したのか、砂鉄や瓦礫を防壁のように周囲に纏わせた御坂。そのまま、人1人くらい簡単に押し潰せそうなほど巨大な瓦礫や、人1人くらい簡単に消し炭にできそうなほど強力な雷撃、人1人くらい簡単に「ミンチよりひでえや」状態にできそうなほど危険な砂鉄の奔流を放ってくる。

 

 そんな強力な防壁と強力な遠距離攻撃を持つ御坂に対し攻めあぐねている勇斗、上条、削板の3人だったが、しかし御坂の攻撃もまた、3人には届いていなかった。

 

 磁力操作によって飛んでくる巨大な瓦礫による物理攻撃は削板の『すごいパンチ』で撃ち落とし破壊し、能力そのものがメインとなる雷撃や砂鉄を用いた攻撃は上条の右手が無効化(キャンセル)する。そして撃ち漏らして降ってくる細々とした破片や、右腕1本では消しきれない散弾のような範囲攻撃を、細かい威力の調整や機動力に優れた勇斗が不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)や翼で掃き捨てていく(スイープ)

 

「……しっかし、オカルトみてーな天使の翼か。角生やしたアイツもアイツだけど、オマエもオマエでおもしれーな」

 

 断続的に降り注ぐ瓦礫をパンチ一閃吹っ飛ばし、一息つきながら削板は言う。

 

「AIMの流れを見れる俺からすれば、なんで削板のAIMがまともに観測できないのか、ってところも十分面白いけどな。どうなってんだお前の能力」

 

 降ってくる細かな破片を吹き飛ばし、上条の右手の届く範囲を超えた位置から飛来する雷撃を翼を振るって掻き消し、勇斗はその言葉に返事をした。

 

「さあなあ。この街の研究者でもよくわかってないらしいし、そもそもそんなことを気にしたことが無いからな」

 

 肩をすくめてそう返し、削板は自分に向かって飛来するビーム状の雷撃を“はたき落とす”。

 

「……電撃を“はたき落とす”ってマジでなんなんだ? どうやればそんなことできるんだよ」

 

 上条がジト目で削板にそう声を掛け、時間差で飛来した砂鉄の津波に右拳を叩き付ける。形を失い、崩れ去る砂鉄。

 

「もちろん『根性』だ。『根性』に不可能は無いんだぜ。俺としては触っただけであっさり能力を無効化できるカミジョーの右手も気になるけどな」

 

 ビルの1フロア分がそのまままるまる飛ばされてくるが、削板が正拳突きを繰り出すだけで爆発四散。飛び散る瓦礫は勇斗がスイープ。――――膠着状態が続く。千日手、イタチごっこだ。

 

「……その右手でアイツに触れて元に戻るか試してみたいんだけど、どうにかならないか? このままだと近づくのも難しいけど」

 

 上条が勇斗と削板に問い掛ける。

 

「……なるほど。そういうことか。確かに試す価値はあるな」

 

 少し考え込んだ後、削板は意を得たりとばかりにニヤリと笑って頷く。そのまま勇斗とアイコンタクト。何をしようとしているのか察した勇斗も、口元を歪めて頷き返す。

 

 それを確認し、削板は「よし、任せろ!」という頼もしい声と共に御坂に向き直り、深呼吸をしつつ、力を溜めるような体勢を取る。深く、長く、息を吐き、そして、

 

「超ッ……すごいパァァンチ!!」

 

 込められた気合いが普通の『すごいパンチ』の比ではないような雄叫びと共に放たれたその一撃は、もはやパンチなどではなく、これもまた極太の光線となっていた。射線上を漂う全ての瓦礫や砂鉄を破壊し、吹き飛ばし、御坂が周囲に防壁として纏っていたそれらをも弾き飛ばした。これで御坂までの道を遮るものは何もない。もう一度削板は勇斗に目線を向け、勇斗はそれに頷きを返し――――

 

 むんず、と、削板が上条の首根っこを掴む。

 

 そこまでされてようやく自分が何をされるかに考えが至ったのか、「いやいやいやいやちょちょっ」なんて悲鳴を上げて、上条は手足をばたつかせるが、

 

「今のうちだ。行ってこい!」

 

 削板は容赦なく上条を投げ飛ばす。障害物の無い空間を、上条が砲弾のような猛スピードで御坂目がけて飛んで行く。「嘘だろぉぉぉぉぉぉぉ!?」なんて叫びがドップラー効果すら起こしているようだ。しかしそれでも上条は的確に右手を伸ばし、御坂の肩に触れる。その様子を見届けて、勇斗は瞬動術(クイック・ムーブ)で対角線上に移動し、飛んでくる上条を無事キャッチする。そしてそのまま、元居た場所――――削板の所へ勇斗は『跳んだ』。

 

「……心臓に悪すぎるだろ。先に言ってくれよ……」

 

「言ったら同意しないだろ? で、どうだったんだ?」

 

「……ダメだった。外から何かの力が入り続けてるみたいで消しきれない。感触としてはステイルの『魔女狩りの王(イノケンティウス)』に近いな」

 

「ん? そのいのなんとかが何なのかは知らないけど、上条の右手じゃダメだったのか? ならどうするんだ? 互いの根性が尽き果てるまで殴り合えばいいのか?」

 

「いや……俺達の他にもアイツをどうにかしてくれてる人間がいるらしいから、そいつがどうにかしてくれるまで時間を稼ぐのが正解だと思う。一応アイツは知り合いだからな。タコ殴りにするのは勘弁してやってくれ」

 

 そんな、御坂を思いやる上条の声が聞こえていたのかいないのか、ともあれそのタイミングで、御坂が動き出した。自分の守りを破られ、一瞬とはいえ自分の能力を無効化されたことが何らかの引き金を引いたのか。角のようになっていた髪の毛が更に伸び、絡み合い、一本のより長い角を形作っていく。そしてその根本、額の上の所に目玉のようなものが出現した。

 

 それと同時に周囲の雰囲気が一変する。――――いや、普通の人間にはわからない変化だっただろう。恐らく3人の中で気が付いたのは勇斗だけだったはずだ。凄まじい量のAIM拡散力場が渦を巻き、御坂の両腕に収束していく。

 

「なん……だと……?」

 

 収束されたAIM拡散力場が、物質として(・・・・・)現出する。力場――――エネルギーとしてではなく、実体を伴った物質として。これまでにそんなものを見たのは、新学期初日の件での『風斬氷華』と、――――勇斗自身の背から伸びる『翼』だけだ。

 

 そもそもがAIM拡散力場の集合体である『風斬』と、似て非なる他者の境界を超える者(ハイブリット)として能力者でありながら『天使の力(テレズマ)』を振るう勇斗。そんな特例中の特例と同じ現象を、今の御坂は起こしている。

 

 物質化したAIM拡散力場に、周囲の瓦礫から取り出した金属を電熱溶解させたものを加え、作り上げた羽衣のようにも見える翼を広げ、宙に浮かびだす御坂。

 

 そんな御坂の様子を見つつ冷や汗を滲ませている勇斗の横で、上条と削板は半ば緊張感のない様子で話を続けている。そんな2人の前でそのまま緩やかに、いっそ優雅にすら見える動きで、翼を纏う右腕を振り上げる。ゾクり、と勇斗の体を寒気が貫く。

 

「――――伏せ、」

 

 伏せろ、と言い切る前にその一撃は放たれていた。能力――天使の力(テレズマ)によって視覚が強化されている勇斗をして、捉えきれない速さの一撃。AIM拡散力場の流れを読んで先んじて動いているからこそ回避が間に合ったのだ。

 

 ――――当然、それができない人間に回避が間に合うはずがない。普段の不幸が嘘のように、幸いにもタイミングよく屈んでいた上条の頭上を掠め、その一撃は削板に叩き込まれた。一瞬で吹き飛ばされ、数十メートル離れた所の瓦礫に叩き付けられる。

 

 砂煙が上がる中、すぐにひとっ跳び、削板は2人の元に戻ってくる。しかし、

 

「なっさけねー、油断した」

 

 ドロリとした赤い血液が、削板の頭から滴り落ちる。それ以外目立った傷という傷が無いのがすごい所ではあるが、それでもここまで全く傷を負うことなく御坂の攻撃を処理してきた削板の防御を御坂は貫いたのだ。

 

「こりゃ、根性いれねーとやべーぞ」

 

 ここまでどこか楽しげな声と表情だった削板から余裕が消えた。

 

 そのことが何よりも、事態が逼迫していることを伝えてくるように、勇斗は感じたのだった。

 



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ep.39 9月20日-10

 

 

 学園都市のとある場所で、とある老人が歓喜の声をあげていた。

 

「もう『Phase 5.2』に入ったのかッ……! 予想を超える成長速度! さすが上条君(『幻想殺し』)削板君(『最大原石』)、そして千乃君(『御使降し』)が一堂に会しただけのことはあるッッ!!」

 

 建物に窓は無く、外も見えないはずなのに、如何なる手段によってか――その左目にはカメラのレンズのような紋様が浮かんでいる――老人は外の様子を見通している。

 

 彼の視界の先にいるのは、単純な『科学』という単語では定義できない能力を持つ能力者たちと、そして『超能力の先(レベル6)』あるいは『科学』の『先』への一歩を踏み出した能力者。神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの――SYSTEM――既存の『科学』の及ばない領域への足掛かり。『科学』の『先』という意味で言えば、ある意味もはやそれは『オカルト』に等しいかもしれない。

 

 彼――木原幻生をして、そして彼ら『木原』をして、『科学という範疇から逸脱している』という評価を下さざるを得ない者たちが1つの場所に集結し、その力をぶつけ合っている。『科学』の総本山たる学園都市で、数えきれないほどの実験を繰り返してきた彼/木原だからこそ理解できる『科学』の『外側』。理論だけでは演算できない、しかし誤差と切り捨てるには規則的すぎる、見え隠れする『法則のようなもの』。それらと同じ、あるいはよく似た何かを持つ者たち。

 

 この街では『オカルト』と呼ばれ忌避されることが多いそれらを、彼/彼らは否定しない。サンプルは少ないにしろ自分たちの目で確かめた『事実』であるし、自分たちの理解が及ばない事象はむしろ垂涎の的。『オカルト』と断じ、排斥し、それ以上の研究を捨ててしまうなど愚の骨頂であり、『オカルト=既存科学の枠を超えたモノ』すら分析し、研究し尽くしてこそ。それが『木原』という研究者一族の矜持だ。

 

 『SYSTEM』と『オカルト』。一度で二度おいしいこの状況を前に、木原幻生は子供のそれのような無邪気な笑みを浮かべ、『目先の目的』を忘れ、食い入るように4人の戦いを見つめていた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 背中の毛が総毛立つような、ザワザワとした嫌な感覚が止まらない。それと同時に、自分の体の奥底で昨日のそれと同じようなノイズが走り、より一層の焦燥が勇斗を包む。心臓の脈打つ音が耳のすぐそばに聞こえるような気がする。上手く息を吸い込めないのか、呼吸が浅く、荒くなっていく。

 

 勇斗にとって、AIM拡散力場は『可視の』――――五感としての視覚で捉えているか否かは置いておくとして――――力である。だからこそ、能力使用に際して必ず現れる力場の揺らぎなどの前兆現象を頼りにして攻撃を回避する、なんていう離れ業ができる。

 

 しかし、いくらその気になれば音速の2倍で動くことのできるような能力者であっても、前兆を何も捉えることができなければ、光速で迫る雷撃を回避することなど不可能だ。そして、目に見えるような前兆が観測できるようになっている時点では、得てしてもう取り返しのつかない段階まで物事が進んでしまっていることの方が多い。

 

 ノイズが、嫌な感覚が、勇斗の中で急激に膨れ上がる。力場の流れが急速に変化し、海の荒波のように激しく荒れ狂う。それを解析し、とっさの判断でその場を飛び退ることを勇斗は選択した。

 

 ――――次いで、先駆放電(ステップトリーダー)先行放電(ストリーマ)が発生する。本来ならそれらは肉眼で見ることは(時間的に一瞬過ぎて)厳しいはずなのだが、削板はそれを認識し、回避行動に移る。

 

 ――――移ろうとしたその瞬間だった。

 

 一条の雷撃が削板を捉える。――――彼は第7位として、不可思議なまでに強靭な体を持っている。銃弾を撃ち込まれても、刃物で切り付けられても、そして雷神モードと化した御坂の一撃をその身に受けても、「痛い」の一言で済ますことができる程だ。だからその雷撃も、「ちょっと痺れたぜ!」くらいの一言で受け流せるはずだった。

 

 いや、事実その雷撃は削板をちょっと痺れさせたくらいで、彼に対してさしたるダメージを与えることはなかったのだ。――――その雷撃自体は。

 

 横で様子を眺めていた勇斗の視界が閃光で染め上げられる。爆音と衝撃波が壁となって勇斗の体に叩き付けられた。

 

 微動だにしない食虫植物が獲物となる虫をついに捕らえた時のような、飢えた猛獣が縄張りに迷い込んできた草食動物に襲い掛かる時のような、そんな獰猛さ。先の一撃でほんのわずかに回避が鈍ったその隙を突いて、数多の雷霆が降り注ぎ、一斉に削板に喰らいつく。

 

 消し炭になってしまわなかったのが不思議な程だった。生身の体を維持できているのが不思議な程だった。永遠に続くかにも思えた雷撃が止み、削板が弾き飛ばされ、上条が名前を呼びかけながら削板に駆け寄っていく。打ちのめされ、地面に転がされ、閃光と爆音によって視覚と聴覚がまともに働いていない状態の勇斗も、AIM拡散力場の流れを通して、ソナーの要領でその様子を把握する。

 

 そして、

 

「――――伏せろ当麻!!」

 

 耳鳴りに負けないくらいの大音量で、叫んだ。

 

 一瞬の間。そして風を切る音と、肉を叩いた鈍く湿った音。そして硬い物が砕ける音と、その破片が散らばるパラパラという乾いた音。

 

 爆音で三半規管がやられているのか、ふらつく体を引きずり、何とか体を起こした勇斗。苦労しながら目を見開けば、地面に身を投げ出した格好で倒れ込んでいる上条と、広場外縁に建っていたビルの残骸に叩き付けられ、めり込んだ様子でぐったり力なく倒れ込んでいる削板の姿が見えた。上条は勇斗の言葉通りとっさに伏せただけで今の一撃の直撃は受けていないらしく、すぐに立ち上がる。しかし削板は動かない。雷撃を受けたのに、そして(恐らく再び)御坂の『翼』による一撃を受けたのに、目立った外傷はほとんど見られない。しかし、微動だにしない。

 

 命に関わるダメージを受けたのかもしれない。そうでないにしろ、少なくとも、驚異的な耐久力を見せた削板の意識が刈り取られるほどのダメージを受けたという事だ。

 

 『敵』を1人排除したことを誇っているかのように、羽衣のような翼を艶やかに舞わせて、御坂は勇斗と上条の前に立ち塞がり続ける。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……?」

 

「どうしたんですかシスターちゃん」

 

 急に出現した黒雲とそれに伴う雷を避けるために地下街に避難しており、横を歩いているシスター少女(ただし今はチアリーダーの服を着用)に向かって、月詠小萌は声を掛けた。ついさっきまで一緒に行動していたツンツン頭の少年が集合場所に戻ってこなかったので、通りがかりの小萌が“昨日に引き続いて”面倒を見ているのだ。彼女の教え子でもあるあのツンツン野郎は、こんなかわいい少女をほったらかしにして一体どこをほっつき歩いているのだろう。少しお説教が必要だろうか。特別授業とか。――――本人に伝えたら顔を青くして震えるんじゃないかと思う程の真っ黒なことを考えつつ、そんな事は微塵も感じさせないような声色で。

 

「……いや、何でもないかも」

 

 さっきまでのぷんすか顔とは明らかに違う表情で、言葉少な気にチアガールなインデックスはそう返答する。急にどうしたのだろう。地下街にまで響いてくる程の大音量で鳴り響く雷が怖くなったのだろうか。

 

「大丈夫ですよシスターちゃん。この街は科学の街であるが故に、それだけ雷への対策もしっかりしています。地下街に居ますし、何の心配もいらないのですよー」

 

「……うん。そうだね」

 

 しかし、少女の反応は鈍い。心ここに非ず。そんな表現がしっくり来るような。

 

「……ああ、もしかしてシスターちゃん、上条ちゃんの事が心配なんですか?」

 

 そして小萌はその考えに思い至った。確かにこんな危険な天気の中、帰ってこない友人がいたら、小萌だってそりゃ不安になる。単なる友人以上(・・・・・・・)の人間がそうなれば、それはもう言うまでもないだろう。

 

 案の定、インデックスはその問いかけに素直に頷く。

 

「上条ちゃんなら大丈夫ですよ。どうせ勇斗ちゃんと一緒に居るでしょうし、上条ちゃんも上条ちゃんでおバカですけどアホの子ではないのです。きっとちゃんと避難してますよー」

 

「……うん。だよね!」

 

 (でも、この荒れ狂ってる天使の力(テレズマ)みたいな力は……。とうま達はまた、何かに首を突っ込んでるのかな)

 

「んー?シスターちゃん、今何か言ったのです?」

 

「……ううん。何でもないかも」

 

 そう言って、シスター少女は薄く笑んだ。どこか寂しげに、祈るように。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 圧倒的な力で以って、勇斗と上条の前に立ち塞がる御坂。そして削板(ナンバーセブン)というプラチナキング並みの『経験値の塊』を倒したことでレベルアップでもしたというのだろうか。早くも再び、御坂はその姿を変え始める。いや、『御坂の姿が変わり始める』の方が適切なのだろうか。

 

 ――――そんな日本語の違いはここでは些細なものだ。そんなもの、これ(・・)を目の前にしてしまうと正直どうでも良くなってくる。

 

 長く伸びていた角の根元にあった目のような黒点が、ゆっくりと御坂の頭の方に下がっていく。そしてその『目』が御坂の額に触れた途端、溶けるように形を失い、御坂の頭部全体に広がり、纏わりつき、同化する。それに呼応するように、角も上下から中央に向かって収束し、スライムか何かのように蠢きながらも形を変え、トゲの生えた円環のような形に成形されていく。頭の上に浮かぶその禍々しい円環は、まさしく天使のそれを思い起こさせる。

 

 そして同時に、優雅に、艶やかに、舞い踊る羽衣にも似た翼にも変化が起こった。蝋燭が溶けて短くなっていくような、そんな様子を思い起こさせる。先端の方から波打ち、溶けるように揺らめきながら、御坂の腕の周りに集まっていく。そしてまたしても、AIM拡散力場を物質化・現出させ、更にそれを腕に取り込み、集めた『羽衣』と練り合わせ、練り上げたそれを腕に、体に、纏う。

 

 遠目から見れば、全体としては人の形をとっている。しかし、腕や足は燃え盛る炎のように揺らめいており、見方によっては炎が龍か何かの顔を形作っているようにも見える。

 

 そして顔の周りに貼り付いた、黒い『影のような何か』は、少しずつ少しずつ、じわじわと御坂の体を『侵食』していく。その『影』の『奥』には銀河や星――深い宇宙の果てにも見える『異世界のようなもの』が映し出されている。

 

 一体どこから発せられているのかはわからないが、重たい何かを引きずるような硬い音が響いている。――――まるで、重い鉄の扉を無理やり引きずり、こじ開けようとしているように。

 

 御坂は右腕を上げ、龍の顎にも思える形の右手を勇斗と上条に向かって突き出す。――――いや、更にその後方、『窓の無いビル』に向けて。同時に、御坂の足元から『影のような何か』が出現し、円形に広がっていく。そしてそこから、『力』が噴き出し、巨大な球形に収束していく。

 

 ――――これは、雷撃でも磁力でもない。もはや、AIM拡散力場でもない。

 

 言葉無くその様子を眺めながら、勇斗は確信する。――――あれは、どこか別の世界から引きずり出された、この世界には本来存在しないものだ。今の御坂は、単なる『科学』という言葉では説明できない、そんな領域にいる。その身に天使の力(テレズマ)を宿す自分と同じ、下手をするともっと『深い場所』に足を突っ込み、同化しようとしている。

 

 『同じような』存在である勇斗だからこそわかる。あの『球』が解き放たれれば、自分たちは、いやこの街全体が、ただでは済まない。

 

 ――――何としても、止めなければならない。御坂を救うため、この街を守るため。

 

 勇斗は目を閉じ、そして、静かに目を見開く。

 

 ――――『水晶の青』と『金色』。白銀の翼と同色の円環をそう色付かせて、勇斗は御坂に対峙した。

 



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ep.40 9月20日-11

 

 意識を覆うぼんやりとした暗闇が唐突に砕け散る。窓ガラスに銃弾が撃ち込まれた時のような、そんな様相の“ひび”が視界いっぱいを覆い、ボロボロと暗い世界が崩れていく。それを、そこまで認識して、御坂は驚愕に目を見開いた

 

 ひび割れた世界の向こう側、いくつものビルが瓦礫の山状態と化している広場が見えている。――――そして、禍々しく浮遊する、黒い球体も。

 

「な……何これ……? ……ッ!止まらない!? どーなってんの!?」

 

 すぐに御坂は理解した。この球体が、自分の呼び出したものであることに。しかしそれでいて、この球体が自分の能力とは無関係な物であることに。そしてこれを止めなければ、ただでは済まない事態になることに。だから彼女は、その球体を“あるべきところ”に返そうとしたのだ。自分で呼び出したのだから、自分で送り返すこともまたできるだろうと。――――しかし、そうは問屋が卸さなかった。彼女の意思に反して、球体は禍々しい黒い雷を周囲に纏いながら、不気味に蠢き続ける。

 

 ――――さらに、

 

「ッ、何……これ……?」

 

 突然御坂の両腕に、誰かに強く掴まれたような感覚があった。視線を落とすとそこには、人の手と腕から血管だけを残して他の全てを取り去ったような、そんな不気味な様相を呈する物体がある。球体の方から伸びる人の手のような形のそれは、彼女の腕に蛇のごとく巻き付き、球体の方に彼女を引きずり込もうとしていたのだ。獲物を締め上げる大蛇のように、少しずつ少しずつ腕を“浸食”しながら。

 

「な、何なのよ! 離しなさいよッ!!」

 

 腕をめちゃくちゃに振り回しても、その『手』は彼女の腕を離すことはない。それどころか、少しずつ少しずつ、締め上げる力が強くなっているようにすら思える。

 

 ――――このままではマズイ。どうにかしないと、それこそ『ただでは済まない』なんていう言葉で言い表せない程の事態に発展する。どれだけ楽観的に見積もっても、この学園都市は優に吹き飛ぶ。この街は地図から消え、後にはきっと瓦礫の山すら残らない。どうする。どうすればいい。これだけの『力』だ、自分の身を犠牲にして抑え込んだとしても、それがどこまで意味を持つというのだ。何か、何か打つ手は。

 

 ――――その時だ。不気味な『手』が、そしてその根本にある球体が、身じろぎするように動いたのは。まるで生き物であるかのように――――もしも人間の体を持っていれば、間違いなく驚愕の表情を浮かべていたのだろう。同時に御坂も気づく。きっと、今こうなっている(・・・・・・・・)からこそ気づくことができた。普段目にして感じ取っている電磁波とは違う、全く異質な『力』。目の前の球体から感じられる力と、どこかよく似た『力』。

 

 その出所を探し、視線をさまよわせ――――彼女は見つけた。普段の白銀の翼ではなく水晶の青の翼を背に携え、金の円環を冠する少年を。『力』は、そこから――――勇斗から、あふれ出している。そしてその後方には、よく見慣れたツンツン頭の少年も立っていた。

 

 ――――ただそれだけで、空気が変わる。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ――――空気が変わった。勇斗の『天使化』と時をほぼ同じくして、御坂の方にも何かしらの変化が起こったらしい。目の前の球体から発せられる禍々しさは、圧倒的な『力』は、変わらない。しかし、悪意や殺意のようなどす黒い刺々しさは消えている。

 

「なあ、勇斗……。それ……」

 

 勇斗の背に、上条から言葉が投げかけられる。期待と、困惑と、心配が混ざり合ったような声だった。

 

「……翼と輪っかの事なら答えられないぞ。自分でもこううまくいった事に驚いてるんだから」

 

 肩越しに振り返り、勇斗は答えた。金の円環とクリスタルブルーの翼は、これまで一度しか――――というか、昨日のオリアナ=トムソンとの一件で初めて発現したものだ。病院で確認した時も、公園で暗部の人間with機械の犬と戦った時も、水銀人形と戦った時も、こうはならなかった。9月19日以前までの姿に、無機質な白の円環が頭上に加わっていただけだ。しかし雷神モードとも呼ぶべき御坂に対面して、白の円環は等脚のケルト十字のような形に変化し、そして翼と共に色付いた。これが一体何を意味するのか。

 

「昨日みたいに斬られて命がヤバいことになってるわけでもないのに『こうなった』ってことは、今の御坂がオリアナ以上に魔術的にヤバい領域に足を突っ込んでるか、……もしかすると俺が天使の力(テレズマ)にやっと慣れてきたか、あるいはその両方ってことだろうな」

 

 やれやれ、とでも言いたげに勇斗は肩をすくめる。

 

「……アイツも雰囲気が変わったよな」

 

 そんな勇斗から視線を外し、御坂の方に向き直って、上条は意を決したように呟く。

 

「意識は取り戻したけど、あの球体を抑えられてない。今の御坂を見てると、そんな気がしてくる」

 

 そして、上条はその右手に目を落とした。手を握り込み、開いて、そしてまた握り込む。

 

「なんだ、当麻も気づいてたのか」

 

 上条の様子にやや目を丸くしながら、勇斗は小さく笑った。

 

「……で? その意味ありげなモーション、何か策でも思いついたのか?」

 

「勇斗、俺ができることなんて決まってるだろ」

 

 そう呟いて、上条は口元を歪ませる。

 

「勇斗に道を開けてもらって、ただ真っ直ぐ突っ込んで、この右手を叩き付けるだけだよ」

 

「……楽しそうな事やろうとしてるじゃねーか。俺も混ぜてくれよ」

 

 唐突に、2人の会話に乱入するものがいた。単純な引き算で正体はすぐにわかる。2人は振り向き、その少年に目を向けた。

 

「よう削板。もう動けるのか?」

 

「問題ねぇ。根性があれば血は止まるし骨はくっ付くし疲れも吹っ飛ぶ」

 

 根性にそんな効果があるとは初耳だった。百歩譲って疲れを感じなくなるのはまだあり得そうではあるが、前2つはどう考えてもおかしい。――――いや、でもこの男なら、噂に名高いこのナンバーセブンなら、それくらい可能なのだろう。一瞬の間にそんなことを考えて、勇斗は突っ込むことを放棄する。

 

「それにしても千乃、お前余計にオカルトっぽいことになってるな。今度手合わせ願いたいぜ」

 

 この状況でその発言が出てくるのは流石にちょっとどうなんだろうか、なんて考えが頭を掠める。しかし次の瞬間には、削板の表情は真面目なそれへと変わっていた。

 

「……にしても、アレはとんでもねえモンだな」

 

 球体を見つめ、深く考え込むように削板は呟く。

 

「俺を2回もブッ飛ばしたやつは濃縮されたエネルギーの塊みたいのだったが、あれは……どっか別の世界(・・・・)から来た、理解の及ばんシロモノだぞ」

 

 その一言に、勇斗は嘆息する。徹底的に科学に染め上げられたこの街で、天使の力(テレズマ)やそれに類する力に塗れた『異世界』の存在に気付く者がいようとは。『天使』を連想させる特異な能力を持ち、能力者でありながら天使の力(テレズマ)を操れるという特異な体質(?)を持ち、本職の人間(まじゅつし)に教えてもらって、自分はようやく気づき始めたばかりだというのに。――――どうやらこのナンバーセブンも、何かしらの深い領域(・・・・)に足を突っ込んでいるらしい。

 

 ――――閑話休題。

 

「……だからこそ、あれを『壊す』だけじゃダメだ。完全に『消し去る』必要がある」

 

 固い声で勇斗はそう返答する。あの球体は、『科学の及ばない世界』から呼び出された、途方もない――――炸裂すればこの学園都市を一瞬で更地に変えてしまいかねない程――――力の塊だ。恐らく今の勇斗ならあの球体を破壊することだけ(・・)なら可能かもしれない。根性バカ削板だって、もしかするとその根性でどうにかできてしまうかもしれない。しかし、水をパンパンに詰めた水風船を破裂させると周囲に水が飛び散るように、下手な破壊(・・・・・)は周囲を巻き込む。中身が水なら濡れてそれで終わりだが、あの球体で同じことをやったら、やらかしたら、どうなるか。結局、学園都市を更地に変えてしまう程のエネルギーが、飛び散った水のように学園都市中に撒き散らされることになる。それゆえリスクを回避するための最も確実な方法は、上条が自分で言っていた通り、上条の右手(幻想殺し)であの球体に触れることとなる。問答無用、それが『異能』であれば全てを打ち消す稀有な右手で。

 

「……上条、お前の右手がどういうモンなのかは知らんが、あんな『理解の及ばないモノ』にも通用するモンなのか?」

 

 勇斗の言葉を受けて、削板が上条に問う。

 

「……確証はないけど、多分うまくいく。これまでだってこういう相手(・・・・・・)には、なんだかんだちゃんと通用してきたからな。まあ、足りないところがあれば、……そん時は『根性』でどうにかするさ」

 

 上条はニッと笑う。

 

「ハハッ、やっぱおもしれーよお前ら!」

 

 その笑みに応えるように、削板も楽しげに声を上げた。

 

「……で、俺はどうすればいい?」

 

「さっきも言ったけど、一番リスクが少ないやり方は当麻の右手だ。だから俺ら2人は、あの球体までの道を作る事が仕事だな。具体的には、入っただけでヤバそうな匂いがプンプンする、球体の下の毒の沼地みたいな『あれ』を吹っ飛ばす」

 

 勇斗は球体の下、円形に広がる『黒い領域』を指差しながら、削板の問に答えた。そこからも『異世界』に通じているのだろうか。得体の知れない、黒に染まった雷のようなもの(・・・・・・)が間断なく吹き上がり、球体の周囲の空間を不気味に染め上げている。敵の侵入を拒むように。

 

「ああ、……流石の俺でもあれに飛び込むには相当な根性が要りそうだ」

 

「だろ? 当麻の右手で消しながら進むにしたって、もたもたしてたらあの『雷』にやられそうだしな」

 

 そう呟いてから、勇斗は右手を頭上――――天上へと掲げる。

 

「だから一気に吹っ飛ばして、迎撃される前にカタをつけるのがベストだろうよ」

 

 言い終わると同時、キン――――、という、硬く高く澄んだ音が周囲に響き渡る。

 

「下手やらかした時の暴発が怖いし、あんま大暴れはできないけどな!」

 

 掲げた右手のその手のひらを、勇斗は握り込む。

 

 ――――ただそれだけで、世界が切り取られる(・・・・・・)。周囲に存在していたビル群、そしてその向こうに見えていた公園の木々や競技場、それら全てが視界から消えている。広がっているのは、ただただ漆黒の世界。そして空に瞬く満天の星空。

 

 その光景を見て、削板は弾かれたように動き出す。――――勇斗の狙いが分かったのだろう。「バリア貼っといてやるから、ド派手にやってくれ」という、豪快極まりないそれを。

 

 フッ、と1つ鋭い息を吐き、振り上げた両手を、削板は振り下ろす。ズッ……! と、切り取られた空間全体が鈍く震えた。そして轟音と共に『何か』が放たれ、『黒い領域』に叩き付けられる。放たれたそれは『黒い領域』を穿ち、吹き飛ばす。モーゼが海を割り道を作り上げたように、御坂の元へ細くしかし確かな道が開かれた。

 

「今だ当麻! 行け!」

 

 勇斗が叫び、それに応えるように上条が駆け出す。瓦礫を踏み越え、小石を蹴り飛ばし、矢のような速さで御坂へと迫る。それを前にしても、彼女は動かない。黒い球体を呼び出したその時のまま、動きを見せない。

 

 ――――しかし、それでも『黒い領域』は抵抗を見せた。吹き上がる黒い雷がにわかに勢いと数を増し、削板の放った『何か』を押し戻そうと襲い掛かったのだ。

 

「ぐっ……!?」

 

 削板が苦悶の声を上げる。目をやれば、何かに斬り裂かれたかのように手や腕の至る所から出血していた。ぶつかり合う力場を逆流した何かが、削板に影響を与えたらしい。

 

「……!」

 

 それを確認して、再び勇斗は動く。右手を球体に向けて突き出し、一言二言、言の葉を紡ぐ。――――ただそれだけで、漆黒の空が崩れ、満天の星が雪崩となって降り注いだ。

 

 星々が作り上げる美しい光のシャワーは、しかし圧倒的な威力を持って『黒い領域』に叩き付けられる。吹き上がっていた黒い雷はあっさりと押し戻され、千々に切り裂かれ、押し流され、消えていく。

 

「……流石、やるじゃねーか、千乃。俺も、負けてられねーな! 根性だ!!」

 

 その勇斗の『攻撃』に対抗するように削板が吼えた。そしてそれに呼応して、スーパーサイヤ人もかくやといった可視のオーラが体から勢いよく吹き上がる。同時、削板が放つ『何か』の量が、勢いが、力が、増していく。

 

 勇斗の作り上げた星々のシャワーが、削板の放つ『何か』が、折り重なり束ねられ、一体となって『黒い領域』を侵食する。

 

 ――――そして。ガラスが砕けるような澄んだ音を立てて、『黒い領域(いせかい)』が砕け散り、消滅する。吹き上がる黒い雷も、もう全て徹底的に消え去った。後は、残った球体をどうにかするだけ。

 

 もう邪魔するものは無い。右手を前に、走る勢いそのままに、上条は球体に飛び掛かる。

 

 ――――「ダメ」。そんな御坂の叫び声が、響いた気がした。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「随分と楽しそうに見ているな。まるで玩具を手にした子供のようじゃないか、アレイスター」

 

「……あなたかエイワス。ここに『来る』とは珍しい」

 

 窓の無いビル。その一室。2つの声が響いていた。1つはアレイスター=クロウリー。生命維持装置の内部、得体の知れない液体の中に逆さに浮かぶ、男にも女にも、聖人にも囚人にも、見方によってはどのようにも見える、『人間』だ。そしてもう1つは、そのアレイスターに「エイワス」と呼ばれた声。しかし部屋を見渡しても、どこにもその姿は見えない。この部屋にいるのは、あるのは、巨大な生命維持装置とその前にあるいくつもの機器計器、大型のスクリーン、それを見つめるアレイスターだけだ。

 

「なに、ミサカネットワークが『面白いこと』になっているようだからね。そしてその対処に当たっているのが君のお気に入りの『幻想殺し(イマジンブレイカー)』に『御使降し(エンゼルフォール)』、そして『第7位(ナンバーセブン)』と来たものだ。どれだけ君が浮かれているのか、その様子を見に来たのだよ」

 

 声は楽しげに、からかうように、聞こえてくる。

 

「……ああ、今は実に楽しい」

 

 意外にも、アレイスターはその声に同意を返した。

 

「やはり、流石は木原幻生といったところかな。一時は脳幹に『消してもらう』事も考えていたが……その失点を補って余りあることをしてくれた」

 

 いつもの、喜怒哀楽の全てを内包するような声ではなく、明確に、楽しそうに。

 

「――――多少のイレギュラーは有れど、事態は全てプランにとって前向きに進行している。後は座して待ち、この共演をただ楽しむとしよう」

 

「……君は座してはいないだろう? 浮かんでいるだけだ」

 

 しかし、そんな実体のない存在からの無粋な指摘など聞こえないかのように、アレイスターは楽しげに、スクリーンを見つめていたのだった。

 



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ep.41 9月20日-12

大覇星祭(御坂暴走)編、終了です。
強引に締めましたので、後日加筆するかもです。しないかもですが。

(本音:早く先に進みたいのです!なのです!)


 

 

 ――――そこから先は目の疑うような光景の連続だった。

 

 上条が不気味に浮遊を続ける黒い球体に右手を叩き付けた。予想していた通り、それだけでは球体は消失しない。つまり、質的にか、量的にか、あるいはその両方かで、球体は幻想殺し(イマジンブレイカー)の処理能力の上限を超えているということになる。

 

 ――――時間にすればそれほど長い時間ではなかった、幻想殺し(イマジンブレイカー)と球体のせめぎ合い。均衡が崩れ、状況が大きく動く。

 

 上条の右手が球体表面から弾かれる。――――いや、それだけではない。上条の右手が、上条の体から(・・・・・・)弾き飛ばされる。上条の右腕の二の腕から先が、切断面から鮮血を撒き散らしながらクルクルと吹き飛んで行く。周囲に被害を撒き散らすことなく事態を収拾し得る唯一の手段が、失われる。

 

 ――――しかし、そのことについて嘆く時間も、恐れる時間も、与えられることはなかった。事態は止まらない。

 

 ズッ!! という全てを震わせるような重く鈍い振動。体の中に直接氷の塊を突っ込んだかのような、そんな生々しい寒気が勇斗を貫く。全身から一気に冷や汗が噴き出した。そんな、普通ではない感覚が勇斗を襲っていた。得体の知れないモノに対する、理屈では語れない恐怖にも似た感覚が。

 

 ――――そしてそれは、訪れた。突然に、現出する。

 

 体の芯から揺す振られるような、根源的な恐怖を呼び覚ますような、形の無い大気を圧し砕くような、鮮烈な咆哮が轟く。しかもそれは1つではない。いくつもの轟音が折り重なり、爆音の壁となって周囲に撒き散らされる。

 

「……ドラ、ゴン……?」

 

 そう。それは、――――上条の右腕から鮮血と共に出現したのは、幾体もの『ドラゴン』だった。1体1体見た目が違う、全て異なる、竜だ。何よりも鋭く思える牙を光らせ、極上の餌に対するそれのように獰猛に黒の球体に喰らい付く。幾体もの――――恐らく8体ほどか――――竜は、我先にと競うように球体を噛み千切り、あっという間にそれを喰い尽くしていく。

 

 圧倒的な光景だった。学園都市の全てを灰に帰することなど容易いと思われた膨大な力が、それ以上の何かによって強引に、容易く、消されていった。もう球体から発せられていた禍々しさなど欠片も残ってはいない。ただひたすらに、世界の理を乱す『異能』を打ち滅ぼし、駆逐する『力』のみがこの場を支配している。

 

 ――――その時だ。自身も膨大な天使の力(テレズマ)を持ちながら、しかしこの状況ではただ傍観者に徹するしかなかった勇斗に、1体の竜が目を向けた。もちろんその竜は生物としての実態を持っているわけではない。それでも、勇斗は明確にその竜の『視線』を感じた。

 

 ――――ただそれだけで、勇斗の体が地面に縫い止められたように動かなくなる。『足を動かす能力』を消されてしまったかのように、足が――――いや全身が、微動だにしなくなる。次の瞬間、その竜は口を大きく開け、勇斗の元へ飛び掛かった。何故かはわからない。力の質的にか、量的にか、竜が反応してしまうような何かが、勇斗の力にはあるというのだろうか。

 

 竜を生み出している上条はそのことに気付いていない。いや、気付いていたとしても対処できたかどうか。ともかく、鋭く並んだ牙を光らせ、勇斗を呑み込まんとその竜が迫る。――――竜には生物的な実体は無い。しかし、これに喰い付かれ何事も無いとはどうしても思えない。何が起こるかはわからないが、ただで済む保証など欠片も無い。――――しかしそれでも、勇斗の足は、体は、びくともしない。思考が停止し、一瞬が永遠にすら感じる程、時間が薄く引き伸ばされる。

 

「――――何やってんだ!!」

 

 怒号にも似た叫び声。体を襲う強烈なG。――――それらを自覚して、勇斗の思考の歯車がようやくその動きを再開した。手を握り込み、開く。体に対する謎の縛めもその効力を失っている。

 

「――――おい! 生きてるか!」

 

「……ああ、何とか。助かったよ、削板」

 

 ぐったりと疲れ切ったような声で、自分を抱えて脱出してくれた削板の問い掛けに勇斗は返答する。目線を上げれば、漆黒に染まっていた空は元の青さ――――日が傾きつつはあったが――――を取り戻していた。眩しい日光が勇斗の目に照り付ける。

 

「翼と頭の上の輪っかの色、白に戻ってんぞ。大丈夫なのか?」

 

 再びの、削板の問い掛け。翼と円環の白色への『脱色』――――それは恐らく、天使の力(テレズマ)を用いた『天使化』が解除(キャンセル)されたことを示している。

 

「……あの竜な、喰い付かれてねえのに、近づかれただけで、ごっそり、持って行かれた」

 

 喋るだけで息が上がる。恐怖感からではなく、実際に勇斗の体全体を隈なく脱力感と疲労感が襲っていた。原因は何となくだが掴めている。つい今まで体中に満ちていた力――――恐らく天使の力(テレズマ)だ――――が、ごっそりと抜け落ちているのを勇斗は自覚していた。体内の水分が減少すれば脱水症状を引き起こすように、体内の血液が減少すればショック症状を引き起こすように、体内の天使の力(テレズマ)が突発的かつ急激に減少したことで、体に何らかの不調を来したのだろう。

 

「……狙われた心当たりはあるのか?」

 

「ない、わけじゃ、ない。……確証は、無いけどな」

 

 何とか返事をするが、その傍から次第に意識を覆い始める(もや)が量を増していく。少しずつ少しずつ、勇斗の意識は混濁し、溶けていく。

 

「手間、掛けさせるけど……第7学区――病院――、」

 

 その言葉を言い終わる前に、勇斗の意識は完全に闇に引きずり落とされた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 意識を取り戻した勇斗が最初に知覚したのは、何か瑞々しい果物の皮をむくような、しゃりしゃりとしたそんな音だった。次に、自分が柔らかく、ふかふかなベッドか何かに寝かされているということも理解した。――――ああ、またあの病院か。当麻の事を馬鹿にしてる場合じゃないんじゃないだろうか、何てことをぼんやりと考えたあたりで、意識が急速に覚醒を始める。瞼の向こうが明るい。どうやら病室には明かりがついているらしい。

 

 勇斗は目を開ける。枕に頭を預けたまま周囲を見る。案の定、予想通り、そこは件の病院の、しかもオリアナ戦後に勇斗が入院させられていた部屋と全く同じ部屋だった。

 

「あ、勇斗さん。起きたんですね」

 

 そんな勇斗の様子に、ベッド脇の椅子に座りながらリンゴの皮をむいていた少女――――絹旗最愛は気付いたらしい。作業の手を止めて、勇斗に声を掛けた。

 

「……絹旗か。悪いな、また来てもらって」

 

 勇斗はそう言って、体を起こす。

 

「今何時だ?」

 

「9月20日の19時過ぎです。外は今、ナイトパレードで超騒がしくなってますよ」

 

 言いながらリンゴに爪楊枝を刺し、それを勇斗に差し出す。勇斗はありがたくそれを受け取り、リンゴに齧り付く。

 

「……今日はそこまで長々と寝てたわけじゃないのか」

 

「ええ、そうみたいです。第7位があなたを運んできたのが16時前頃だったらしいので、3時間くらいですかね」

 

 リンゴ2切れ目。同じく勇斗は噛り付く。

 

「……削板には手間掛けさせたな」

 

「ああ、その辺りの件も含めてあの超カエル顔の先生から伝言を預かってます。……極度の疲労が原因の意識喪失、大きな異常は無し。が、昨日の件も含め、脳への影響を鑑みて明日一杯は能力の使用を自重すること。『根性入れ直して、万全の状態になったら手合わせ願うぜ!』と言って帰っていった第7位に感謝すること。……だ、そうですよ」

 

「なるほど……。じゃあ明日は事務作業に徹するかなあ。削板の方は……まあまたどっかで会うだろうし、しばらくおいとくか」

 

 リンゴ3切れ目。今回は絹旗が差し出したリンゴ(の刺さった楊枝)を手で受け取らず、そのまま噛り付く。傍から見れば餌付けされているようにも見えなくはない。

 

「ああ、そういえば、『とりあえず今日もここで寝ていくといいんだね?』っても言ってましたよ、超カエル顔の先生」

 

「……まさか病院に連泊することになるとはなあ」

 

「私としても一度退院した人間をこんなに早くまた見舞う事になるなんて超予想外でしたよ」

 

 リンゴ4切れ目。餌付け再び。

 

「見舞いで思い出したけど、当麻とか御坂がどうなったかは知ってるか?」

 

 勇斗の見たその2人に関する最後の記憶は、上条の右腕から出現した竜が黒い球体を食い荒らしたところで途切れている。事態は無事収束したのだろうか。

 

「その2人なら、ここの隣とさらにその隣で検査入院してます」

 

 澱みなく、絹旗は勇斗の問いに答えを返した。

 

「今は家族の方が付いていますけど、2人とも超ピンピンしているみたいでした。勇斗さんと同じで、今日は念のため病院に泊まっていくみたいですけど」

 

 リンゴ最後の一切れ。三度の餌付け。2人ともピンピンしているということは、つまり無事に解決したということだろう。その裏で起こっていた出来事――――あの水銀人形やその操作主、雷神モード御坂との激突直前に勇斗と上条の頭に念話(テレパス)的なメッセージを送ってきた人間の件、なんかがどうなったかはわからないけど。後で初春や白井辺りに聞くしかないだろう。

 

「どうやら家族だけでなく、友達や後輩なんかも超お見舞いに来ているようでしたね。……何故かここには来ないみたいなんですけど」

 

 そう付け加えて、不思議そうに絹旗は呟いた。

 

「……? それってどういう……、」

 

 ことだ? と言いかけて、そこで勇斗はふと、嫌な予感に襲われた。上条や御坂のお見舞いに来る『友達や後輩』と言えば、土御門や九重、青ピ、吹寄、姫神、の高校生軍団あたり、177支部メンバーの白井、初春、佐天、そして泡浮と湾内、の中学生軍団(婚后はまだ怪我で入院中のため除外)あたり、なんかがまず思い浮かぶ。そして彼ら彼女らは、いずれも勇斗の友人、後輩でもある。隣の部屋、隣の隣の部屋、に勇斗がいれば、(自分から言うのもアレな話ではあるが)普通ならお見舞いに来てくれてもいいはずなのだ。普通なら(・・・・)。――――ならこの状況で、普通ではないファクターとは何だろうか。答えは単純。この絹旗最愛という女の子だ。上で挙げた人間達とは直接の接触や交流はなく、しかし最近広まっている噂で何かと勇斗とセット扱いされている『異性』。今この病室には、勇斗と絹旗しかいない。

 

「……なあ絹旗。1つ質問していいか?」

 

「何です?」

 

「今日は、いつ頃ここに来たんだ?」

 

「確か……、勇斗さんが運ばれてからそんなに経たないうちだったと思います。詩菜さんから突然電話が来て、勇斗さんが倒れたっていうから超急いでここに来たんですよ。ちなみに詩菜さん達以外では私が超一番早く来ました」

 

 自分が倒れたと聞いて絹旗が急いで駆けつけてくれたのはかなり嬉しい。超嬉しい。嬉しくないわけがない。いつの間にか絹旗と上条ママの詩菜さんが連絡先を交換しているというのはかなり驚いたけれども。――――しかしそれらは置いておくとして、つまり絹旗は、その時からずっとここにいるのだ。上条と御坂の家族以外の見舞客の中では、誰よりも長く。

 

 他の見舞客からしたら、それはどう見えるだろう。誰よりも先に、少年の見舞いに駆けつけた少女。ちょうどその2人には、そんな感じ(・・・・・)の噂が立っている。

 

そして勇斗は、見舞いに来るであろう人間達の性格について考えてみる。――――どいつもこいつも、『面白そうなこと』があれば首を突っ込んできそうな奴らばかりだ。

 

 例えば、

 

「……そこで覗いてやがるのは、どこのどいつだ!」

 

 勇斗は枕を掴み、ドアに――――ほんのわずかに隙間が開いている引き戸に、勢いよく投げつける。枕が戸にぶつかった音に半瞬遅れて、「ひゃっ!?」だか何だかの、甲高い叫び声。それからすぐに戸が開く。そこに立っていたのは、

 

「にゃー、勇斗。ちょっと今のは乱暴すぎやしないかにゃー? 小萌センセービビっちゃってるぜい」

 

 ニヤニヤと、実に清々しい笑みを浮かべている土御門と、驚いた表情で立ち尽くす月詠小萌だった。小萌先生の足元には、見舞いの差し入れだったのだろう、お菓子の箱のようなものが落ちてしまっていた。

 

 あまりにも意外な組み合わせ(土御門がいるとは思っていたが)に、言葉を失う勇斗。突然の勇斗の凶行と、突然の金髪グラサン男とその男に「センセー」と呼ばれたどう見ても見た目小学生なロリな少女の登場に、同じく呆然とした表情を浮かべる絹旗。

 

「いやー、にしても、昨日もそうだったけど2人とも仲良いにゃー。昨日はお泊り看病でー、今日は『あーん』ですかい。いやー羨ましいにゃー砂吐きそうだにゃー」

 

「……いくら2人の時間のお邪魔をしたからと言って、あんな乱暴なことを、しなくても……」

 

 ――――収拾がつかないという点では、それで間違いなく最悪に近い事態に陥ることになった。勇斗の前では土御門がニヤけ、小萌が泣きそうになり、横では絹旗が顔を真っ赤にして動きを止める。隣の部屋、更にその隣の部屋からは今の騒ぎを聞きつけ、聞き慣れた声がぞろぞろとやってくるのがわかる。

 

 嫌な予感は的中した。最後の最後で引き金を引いたのは、勇斗自身だったけれど。

 

 ――――いっそ何も気づかないふりをして、寝たふりをしていた方が良かったのか。下手をすると今日1日の騒ぎに匹敵するほど面倒になことになりそうなこの場をどう収めるべきか、勇斗は頭を抱えることになったのだった。

 

 

 

 



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ep.42 9月25日

 

 

 

「とーまぁぁぁぁ!!! がんばってぇぇぇぇぇ!!!」

 

 空は雲一つない綺麗な秋晴れ。残暑も無く、かといって寒いわけでもない絶好の運動会日和。学校の校舎脇、グラウンドを囲むように作られた仮設の観客席から不思議とよく通る黄色い声援が届き、競技開始を待つ周囲のクラスメイト達の視線――――殺意にも似た何かを含むそれが、名前を呼ばれた少年に殺到した。困ったような表情を浮かべながらも、チアガール姿でポンポンを振るインデックスに手を振り返す上条。更に視線の『圧』が上がり、男子の集団からは歯軋り、女子の集団からは溜息のようなものまで聞こえ出す。

 

「……おー、インデックス元気だなあ。やっぱり当麻がいると応援し甲斐があるんだろうなあ」

 

 自分の横で準備体操をする少年に向けられるそれらに気付きつつも軽く無視して、余念なくストレッチをしながら、勇斗はニヤニヤ顔で上条に声を掛けた。

 

「インデックスちゃん、小萌先生に応援のダンス習ってたからねえ。ずっと見せたかったんだと思うよ」

 

 上条を挟んで反対側、九重も人の悪そうな笑いを浮かべ、会話に混ざってくる。

 

「いやー、お暑いお暑い。せっかく涼しくなったのにこのザマか。砂吐きそうだな全く」

 

「…………そのインデックスの隣にいるのは誰なんですかね勇斗さん!」

 

 やや顔を赤くして、ヤケクソ気味に上条は叫んだ。――――いつもより反応がおおげさだなあ、なんてことを勇斗は思う。何かこうインデックスの事を『意識』してしまうような出来事があったのだろうか。……あったのかもしれない。1日目、勇斗が席を外していた時とかに。

 

「絹旗じゃねーの? それがどうしたんだよ」

 

 しかし勇斗はケロッとした表情であっさりそう言ってのける。そう、チア姿のインデックスの隣には絹旗が座っていた。彼女はインデックスほど大騒ぎをしてはいないものの、それでも楽しそうな笑顔をこっちに向けている。――――ちなみに、よく目を凝らしてみると彼女の脇には弁当(メイドバイ土御門舞夏(メイド))が山積みになっている。言わずもがな、インデックスのための食糧だ。

 

「なっ、何でそんなに冷静なんでせう!?」

 

「いやだって、この間病院で散々弄られたじゃん? あれでもう慣れちゃったZE!」

 

「……もう、そんな境地に……」

 

 上条はorzよろしく項垂れる。『この手の話』は弄られた側が恥ずかしがるからこそ面白いのであって、あまりに堂々としているカップル(?)を弄ってもそれほど面白いことにはならないのは知っての通りだ。――――そんな人には惚気話を聞く、というのも楽しいことだけれど。

 

『――――間もなく競技を開始します。選手はスタート位置についてください』

 

 スピーカーからそんな音声が流れた。勇斗はストレッチを切り上げ、立ち上がる。

 

「ま、そんな事は置いといて。いいとこ見せれるように頑張れよー」

 

「……上条さん的には、それ以上に無事に帰ることを目標にしたいです」

 

「これでまた怪我で再入院とかやらかしたら、そろそろインデックスちゃんも泣いちゃいそうだしね」

 

 指定のスタート位置についた。そこで、上条のセリフと表情に、流石の九重も、そして勇斗も、つられて苦笑いを浮かべる。まあ、上条がこんなネガティブな言葉を吐くのも無理はない。なぜなら、

 

『それでは只今より、第7学区・高校の部・棒倒し・学区決勝・開始いたします』

 

 始まる競技が競技だ。仕方ない。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「やった……無傷だッ……!」

 

 上条当麻は安堵の涙を流さんばかりに大喜びしていた。学区決勝――――全国大会出場をかけた県予選における決勝戦のような位置づけの試合だった(とはいえ、『全国大会』は存在しないが)こともあり、激戦→ボロボロという流れを予想していたのだ。しかしその予想は裏切られた。いい意味で。

 

 立役者はやはりというか、2人の『レベル4.5』だった。大覇星祭開始前の「2人で暴れてやるか」という宣言通りの活躍。学区決勝に勝ち進むだけあって対戦相手の高校にはそこそこな数の強能力者(レベル3)と数人の大能力者(レベル4)がいたが、2つの『個の力』はそれを容易く吹き飛ばした。

 

 ――――そう。まさしく『吹き飛ばした』のだ。物理的に。開始の笛からコンマ何秒の世界で炸裂した、AIM拡散力場と水蒸気による大爆発。あれに対応出来る人間はこの学園都市全体を探してみても両手の指で数えられる程いるのかどうか。

 

 この街中に満ち溢れている力を自在に操ることのできる能力者と、水分さえあればそこから水蒸気による爆弾を作ることのできる能力者。レベル4.5。誰よりも超能力者(レベル5)に近い者たち。

 

 ――――改めて考えてみると、そんな高位能力者と友達をやれているのはなかなかに幸運なことなのではないだろうか。そう言えば超能力者(レベル5)の中にも数人、奇妙な縁で親しくなった奴らだっている。こんな贅沢な無能力者(レベル0)、この街にはそうそういるまい。

 

 競技場の外、インデックスとの合流地点へと向かう上条の視界に、薄い木の板と角材と釘で作ったお手製の屋台が見えてくる。この街の中では数少ない、街の外部のそれと同じような光景。ただし店番をしているのは、霧ヶ丘女学院とかいう常盤台に匹敵するくらいのお嬢様学校の女子高生。ビニールか何かで出来た屋根の下、これまた手作りの長テーブルが置かれ、その上にはお嬢様お手製のものと思しきイラスト付きのポップがあり、そこには『来場者数ナンバーズ』と書かれている。大覇星祭の総来場者数を予想するという簡単なゲームだ。実際の記録に近い数を予想した者から順位が決まっていく。上位の人間には豪華賞品。去年は最先端家具がばら撒かれたと聞く。

 

 ――――もしかしたら、今なら何か当たるのではないだろうか。

 

 上条は思う。棒倒しを無傷で切り抜けることができたのだ。家具やら特賞――――イタリア旅行か――――は絶対当たらないにしろ、万年ハズレの自分も、もしかしたらささやかな景品くらいは当てることができるのではないか。

 

 魔術師と戦ったり、暴走した御坂と戦ったり、その後も小萌先生とインデックスと姫神秋沙の着替えを目撃してインデックスに噛み付かれたり、吹寄制理のお見舞いに行ったらちょうど着替え中で枕を投げつけられたり、うんたらかんたら。後半なんかは見たくて見ているわけでもないのにボコボコにされたりでもうボロボロなのだ。ちょっとくらいこの苦労、報われたっていいだろう。

 

 そう考えて、インデックスと合流する前に上条はちょっと寄り道をすることにしたのだった。

 

「いらっしゃいませ! お兄さんもちょっとやってきます?」

 

「ええと……じゃあ3枚分お願いします」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「いやぁ……相変わらず勇斗さんやる事超派手です」

 

「まあ決勝戦だし。あれくらいやっても罰は当たんないでしょ」

 

 人混みの中、連れ立って歩くのは勇斗と絹旗だ。大覇星祭初日、2日目と連続で入院した勇斗。そんな勇斗を2日連続で見舞ってくれた絹旗。そのお礼にと、勇斗は絹旗に食事を奢ることにしたのである。

 

「あれだけグラウンド抉ったら呼び出し喰らいそうですけど」

 

 絹旗の言葉通り、競技終了後のグラウンドの状況はひどかった。穴だらけで、整備のせいで以降の競技の開始時刻が繰り下げになったり、会場が変更になったりするほどだ。当然ながら、原因は勇斗と九重。グラウンド地表マイナス数センチの土の中で、収束させたAIM拡散力場と土壌中の水から得た水蒸気を一気に解放したのだ。作戦は単純。「地面ごと棒を吹っ飛ばせ作戦(立案・吹寄)」は、しかし絶大な効果を発揮し、勇斗達の高校に優勝をもたらしたのだった。

 

「こんだけ能力者に争わせてるんだし、開催側はあれくらいのリスクは負って然るべきじゃん? 観客は『これでこそ大覇星祭だ!』とか言って盛り上がってるしね」

 

 悪い笑みを浮かべて、勇斗はそう返す。

 

「……てことで、その件に関しては呼び出し喰らおうが無視だな」

 

「勇斗さんってそんなに悪い人でしたっけ?」

 

「後輩に美味しいご飯奢ってあげるくらいには優しい先輩です」

 

「超期待してます」

 

「任せたまえ」

 

 そんな感じの他愛のないことを話しながら、2人は歩く。――――相も変わらず人が多い事この上ない。もう大覇星祭も終わりが近いということで、最後の賑わいを見せているのかもしれない。

 

 ――――そう言えば、風紀委員(ジャッジメント)での訓練の賜物か、勇斗は人混みの中でも歩くのが早い。前方を歩く人の早さ、向き、人の流れ、……などを瞬間的に判断し、最短最速のルートを見つけ出す。人混みを縫って逃走する犯人を捕縛するのには必要な技術なのだ。対する絹旗はと言えば、そんなスキルは持っていない。これまでこの街の暗部に居て、そんな状況に迫られることなど無かったのだ。人のいない所に隠れているターゲットを、人に見つからないよう追い詰めて捕獲したり始末したりするのがこれまでの仕事。こんな超ヤバい人混みの中での追撃戦など未経験。

 

 ――――早い話が、

 

「勇斗さーん、歩くの超早いですー」

 

「ん……? あー、ごめんごめん!」

 

 いつの間にか遠くなっていた声の方に振り向き、勇斗は人混みの向こうの方――――人の流れ数本分ほど離れた所にいる絹旗に向かって叫んだ。立ち止まり、追いつくのを待つ。

 

「人超多すぎて人酔いしそうです」

 

 ようやく追いついた絹旗はもう疲労困憊、ぐったりした表情を浮かべていた。

 

「しかも勇斗さん、どんどん先に歩いていっちゃうし」

 

「いやあ悪い悪い。職業病みたいなもんでさ」

 

「ちゃんと気を遣ってください超優しい先輩」

 

「わかったわかった」

 

 そう言って、勇斗は絹旗の手を取った。――――病室でも思ったが、女の子の手とはなんと柔らかいのだろう。

 

「まあベタっちゃベタだけど、こうすればはぐれないよな」

 

「…………」

 

「……どうしたん? もしかして怒ってる?」

 

 絹旗の耳が赤い。顔が真っ赤になる程怒っているのか、はたまた恥ずかしがっているのか。

 

「……び、びっくりしただけです! 怒ってなんかいません!」

 

 怒っているような口調で、しかしどこか嬉しそうに、絹旗は叫ぶ。

 

「そうかそうか。なら大丈夫かな」

 

「……ええ、超大丈夫ですとも」

 

 ――――と、そこで絹旗が急に表情を変えた。顔の赤さも引き、手を離さないまでも、表情は真顔に、握る手も硬く強張る。

 

「ん、どうした?」

 

 違和感を覚えた勇斗が再び絹旗に問い掛けた。

 

「いえ……何か不穏な視線を感じたような……」

 

「……暗部絡みか?」

 

 勇斗も表情を変え、声を潜め、絹旗の耳元で囁く。

 

「可能性はゼロではないですが、……それとは質が違う気もしなくはないですね」

 

 同じように声を潜め、絹旗も勇斗に囁き返した。それを聞いた勇斗は肩をすくめて、

 

「……ま、流石にどんな連中だろうと、この人混みの中で手え出してきたりはしないだろ。もしなんかあったら、俺が守ってやるさ」

 

「……」

 

「……どうした?」

 

 再び動きを止めた絹旗。心なしか、また顔がちょっと赤くなっているような――――。

 

「……今のセリフ、超良いですね。ちょっと今、キュンと来ました」

 

「……それは何より。言った甲斐があったね」

 

 可愛い女の子の照れた顔が見れたんだし、役得です。――――なんて、勇斗は心の中で付け足した。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「いやー、やっぱ仲良いよねあの2人。あんなにあっさり手をつなぐとは思わなかったなあ。……あ! 見てよ初春! 急に顔近づけたよ!」

 

「ぐぬぬ……!なんとも羨ましい限りです!」

 

 絹旗が感じた不穏な視線の正体は佐天と初春だ。興味津々な様子で勇斗と絹旗を物陰から見つめている。その2人が顔を近づけたのはこの2人のせいなのだが、彼女ら自身はそれに気づく様子は全く無い。

 

「移動するみたいだけど、どこに行くのかな」

 

「今の時間どこも混んでますからね……。どうするんでしょう」

 

 視線の先、しっかりと手を繋いだまま、2人は人混みを縫って動き始めた。佐天と初春も距離を保ったまま後を追う。――――2人は今変装をして後を追っている。特に初春のカチューシャは人混みの中でも良く目立つため、今は外した状態だ。あの(・・)初春が、あの(・・)カチューシャを外してまで尾行していることからも、彼女の本気具合がわかるだろう。

 

「……にしても、いいのかい初春くん」

 

 しばらく尾行を続けていると、不意に、真面目な表情で佐天は呟いた。

 

「何がですか?」

 

 セリフの上ではとぼけるように、しかし佐天の言葉に何かしら思い当たる節があったのだろうか、やや心なし目を逸らすようにして、初春はその佐天の呟きに反応した。

 

「見ての通り、あの2人はアツアツだよ。何でかっていうと、もう大して人混みも無くなってるっていうのに、手を離そうとしないからね」

 

 時間的にか場所的にか、しばらく歩いたことで人混みのピークはもう過ぎている。もう手を離したって迷子になることも無いだろう。しかしそれを知ってか知らずか、2人は互いに手を離すような素振りを見せることはない。

 

「つまり勇斗さん争奪レースではあの子がぶっちぎりトップ。初春含めて他の子たちは周回遅れって言っても過言じゃあないと思うよ」

 

「…………」

 

 痛い所を突かれでもしたかのように、初春の顔がわずかに渋さを帯びる。視線が不安げに、勇斗達と佐天の間で揺れていた。

 

「前に言ってたよね、初春。『勇斗さんカッコいいし頭いいし優しいしケンカ強いし、本当に「理想の王子様」みたいな人ですね』って。それが単なる『憧れ』だっていうならそれでいいと思うよ。でも本気で勇斗さんを『落としたい』なら、早く何とかしないと。自覚してるかどうかは知らないけど、あの子は多分勇斗さんを『落とし』にいってるよ。こういう時の佐天さんの勘はよく当たるよー」

 

 ――――『憧れ』と『恋愛感情』。その二者の混同は若い少年少女によく見られる。もちろん『憧れ』に基づく『恋愛感情』や、『好き』という気持ちから生まれる『憧れ』があるというのも一面としては事実だ。自分の好きな相手を尊敬したり、賞賛できる関係というものはとても素晴らしいことだろう。しかしまた別の側面として、例えば年上の塾の先生を『好き』になる女子中高生のように、『年上の男性に対する憧れ』と『先生個人に対する好意』の区別がつかなくなってしまう、……なんてこともあるのもまた事実なのだ。

 

「…………ま、その辺の自分の気持ちをちゃーんと見極めとかないと、後で辛いのは初春だからね! もし本気ならこの佐天さんが全面的にバックアップしてあげるから!」

 

「佐天さん……」

 

「なんだい初春、何しおらしくなってるのさー。いつもみたくスカート捲ってあげるから元気だしなさい元気を」

 

「ちょ、佐天さん!? だから往来のど真ん中で私のスカートに手を掛けるのはやめてくださいって!」

 

 そんなこんなの話をしつつ、2人は2人の尾行を続行するのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「というわけで、打ち上げを開始します!」

 

「「「「いえぇぇぇぇぇぇぇぇえええい!!!!!!」」」」

 

 月詠小萌の可愛らしい宣言と、もはや衝撃波か何かと間違う程の大歓声。大覇星祭の閉会式が終わり、勇斗達1年7組の面々はとある鍋料理の店にいた。目的は小萌が宣言したとおり、大覇星祭の打ち上げである。

 

 今回の大覇星祭は勇斗達1年生が例年稀に見る大活躍を見せ、学校別順位では歴代史上最高の順位で期間を終えることができたのだった。校長以下教員の面々も揃ってニコニコとした笑顔を浮かべ、特に目覚ましい活躍を見せたこの1年7組に『打ち上げ費用は全額用意しよう』と校長が直々に言いに来てくれるほどの喜びようだった。

 

 そんなこともあってか、これ幸いとテーブルの上に具材が所狭しと並べられている。特上の具を、人数の倍人前。酒は飲まず食い盛りな高校生の身からすれば、とてつもない贅沢だ。

 

「……あー、特別ゲストとして今日はシスターちゃんにも来てもらっているのですよー。とっても大食いなのでー自分の分を食べられる前にまずしっかり自分の分を確保するんですよー?」

 

 しかし小萌の横では目をキラッキラさせて食材を見回すインデックスが舌なめずりをしていた。祭りの期間中、インデックスの大食い力の片鱗を度々目にしていたクラスメイト達の雰囲気が一斉に引き締まる。――――これだけの量が用意されているとはいえ、あの少女は油断ならない。念話能力(テレパス)を使っているわけでもないのに、インデックスと小萌を除く全員の意思が1つになった。

 

 肝心の鍋は――――よく煮えたようだ。だし汁の美味しそうな匂いが場の全員の鼻をくすぐる。鍋奉行たちがそれを器によそい、それぞれに配る。

 

「みなさーん、手元に料理と飲み物はありますねー? ……それでは、声を揃えてー」

 

「「「「「「いただきまーす!!!!!!」」」」」」

 

 待ちきれないように、やや喰い気味のタイミングで、二度目の歓声が爆発した。それと同時に、我先にと皆が皆料理に喰らい付く。7日間も続いた体育祭をフルに戦い抜いた直後だ。普段は食の細い女子生徒ですら、普段では考えられないほどのスピードで箸を進めて行く。

 

 ――――それは大覇星祭中のなんやかんやで色々とボロボロになっている上条は言うまでもないし、大覇星祭中のなんやかんやで立場職務上色々と駆けずり回る羽目になった勇斗も同様だ。学園都市内外から猛者が集う大食い大会で飛び入り参加したあげく入賞を果たした“痩せの大食い”の九重、『裏方』で色々と駆けずり回った土御門、女の子を求めて学園都市中を放浪していた青髪ピアスに至っては勇斗や上条よりも食べる量が多い。

 

 ――――しかし、インデックスは更にその上を行く。

 

「な、何だこの子! 人間掃除機かよ!」

 

「ちょ、バカやめろ! 鍋は飲み物じゃねえよ!」

 

「締めのうどんがあるんだからだし汁は飲まないでー!」

 

 もうそういう職業のプロなんじゃないかと疑うぐらいの大食い早食いに、テーブルのあちこちで悲鳴が上がる。

 

「まだまだ足りないんだよぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 

 その打ち上げが阿鼻叫喚の地獄(比喩表現)と化すまで、そんなに時間は要さなかった。

 

 



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Chap.5 科学と魔術の大天使 Hybrid_ArchAngel
ep.43 9月27日


「ここは相変わらず何でもでっかいなあ」

 

 勇斗はそう言いながらぐるりと周囲を見回した。視界に映るのは、広すぎる程に広い空間。そのあちこちにはスーツケースを引きずる様々な人種国籍の集団がたむろし、壁――――全面ガラス張りとなっている――――の向こうには、秋晴れの青空とアスファルトの砂漠が広がっている。そしてその『砂漠』の上には白線が引かれ、その線に従って何機もの飛行機が動いていた。

 

 ――――そう、ここは第23学区に存在する国際空港の、そのロビーだ。ピカピカに磨き上げられた床が日光を照り返し、ロビー全体を明るく照らしている。あちこちに見えるスーツケースの集団は大覇星祭からの帰宅客だろうか。一時期はとんでもない混雑をしていたようだが、終了から2日が経ち、ようやくその数も落ち着きを見せているらしい。

 

 勇斗は再び視線を『砂漠』――――滑走路へと向ける。この第23学区は大覇星祭の初日、学園都市に潜入したローマ正教系の魔術師オリアナ=トムソンを勇斗と上条が最後に迎え撃った場所でもある。広大なアスファルトの砂漠には、しかし先日の戦闘の痕跡は一切残ってはいないようだった。

 

「この窓もなあ、人間何人分くらいあるんだろうな」

 

 勇斗達は今、丸テーブルを囲むように座っている。勇斗の左方、コーヒーショップで買ったアイスコーヒーにちびちび口をつけている上条が勇斗の言葉に反応し、そんなことを言い出した。

 

「なんだ当麻、気になるなら測れるぞ?」

 

 上条の方に目を向けて、勇斗は親指で肩越しに自分の背中を指差す。

 

「悪目立ちするのでやめてください勇斗さん」

 

「わかってるよ冗談だ冗談」

 

 即答に即答で返し、勇斗は視線を右方にずらす。いつもの針山めいた修道服ではなく、ブラウスとスカートという出で立ちのインデックスがサンドイッチにかぶりついていた。――――ちなみに服は上条セレクションだ。簡素ながらもインデックスに良く似合っている。さすが、普段から傍でインデックスをよく見ているだけはある。

 

「ああ……向こうの方から甘くて美味しそうな匂いが漂ってくるんだよ……」

 

 上条同様コーヒーショップで買ったちょっとお高めのサンドイッチを口に運びつつ、漂ってくる甘いスイーツの匂いに舌なめずりする修道女(シスター)さん。少々自分の欲望に忠実すぎるんじゃないかと勇斗は思うのだが、果たして。

 

 ――――そうは言うものの、確かに鼻をくすぐる甘い香りには思わず涎を誘われる。日本国内外問わず全世界と学園都市の内部を繋ぐ玄関・窓口である国際空港には、学園都市ならではの技術を用いた製品や世界各地のブランド品を売りにした店が軒を連ねる専門店街が作られており、3人が今居る所からはスイーツの専門店街が近いのである。常に一定以上の、繁忙期には身動きが取れなくなると言われるほどの混雑が見られる人気エリアだという。

 

 時間を潰すにはなかなか辛い場所を選んでしまったらしい。かと言って今から移動するのも面倒であるし、そこまで待ち時間が残っているわけでもない。今は耐えるときだろう。もしあれなら、帰りに買っていけばいい。勇斗は溜息を吐いて目の前の飲み物に手を伸ばす。フローズンコーヒーにチョコチップ、チョコソース、ホイップを加えた人気の飲み物。――――驚く人も多いが、勇斗は実は甘党だ。

 

 閑話休題。

 

 ――――さて、なぜこの3人は空港にいるのだろうか。当然、何の目的も無く『空港』という場所を訪れるはずもない。当然、飛行機を利用するために空港を訪れたのだ。事実、上条の横にはスーツケースが置かれている。

 

 では、一体どこに行くのだろうか。上条のコーヒーの横、『イタリアの歩き方』とでかでかと書かれたガイドブックが置いてあり、その中の1ページには付箋が挟まれている。それを見ればわかる、イタリアへ行くのだ。

 

 では、万年清貧生活を送る上条が、一体何故海外へなど行けるのだろうか。――――そこには、万年不幸生活を送る上条からするととても考えられないような、とある理由が隠されている。

 

 2日前、上条は『来場者ナンバーズ』――大覇星祭の来場者数を予想する簡単なゲームで、実際の数と近い数を予想した人間には賞品が出る――に挑戦した。申し込みカードを3枚分購入し、それらに適当に予想した3つの数をそれぞれ書いた。すると、そのうちの1つが何とドンピシャ、特賞のイタリア旅行を勝ち取ったのだ。不運さには定評のあるあの上条が、である。

 

 ――――そこからがまた大変だった。上条が引き当てたイタリア旅行のプランは集団でのツアー旅行であり、現地集合後団体さんであちこち決められた日程に従って動き回るタイプのものだった。そして集合予定日は9月27日。つまり今日なのだ。

 

 大覇星祭後の設備の撤収などのために設けられる臨時の休日に合わせてプランを組んでいるとはいえ、少々急すぎる日程であり、その準備は非常に慌ただしいものとなった。スーツケースや予備の財布、確実に金属探知機に引っかかるであろう針塗れ修道服の代わりの服なんかを購入したり、着替えその他の荷物の荷造りをしたり。勇斗も買い物を手伝ったり、いろいろと助言をしたり(代わりの服を用意するよう言ったのも勇斗だ)した。

 

 ――――自分が旅行に行くわけではなかったけれど。

 

 上条が当てたのは『ペア旅行』で、この場合のペアとは当然上条とインデックス。――――海外旅行をさせるのには非常に不安が残るコンビであるのは言うまでもない。勇斗はむしろ自分からおせっかいを焼くことになったのだった。

 

 そんな一昨日から昨日にかけてのドタバタを思い返して、そして時計を見れば、そろそろ搭乗の時間が近づいていた。勇斗はそれを2人に伝え、3人は立ち上がり、出入国管理ゲートの方へと移動を開始する。

 

「そろそろだな当麻。忘れ物は無いな?」

 

「大丈夫なはず……。さっき家出るときに勇斗と確認して、それから弄ってないぞ」

 

 車輪をガラガラ鳴らしながら引きずるスーツケースにちらりと目をやって、上条はそう答えた。

 

「なら大丈夫だ。インデックス、通訳は頼むぞ」

 

「任せておいてほしいんだよ」

 

 ――――今の服装は普段の修道服よりも体型がわかりやすい。 インデックスはえっへん!と(薄い)胸を張る。

 

「いつもはとうまにお世話になってる分、今回は私がお世話をするんだから。フォローはいくらでもしてあげるから、とうまはしっかり楽しんでね」

 

「よ、……よろしくお願いしますインデックス様!」

 

「よろしい!その調子でもっと褒め称えるんだよ!」

 

「はい!インデックス様!」

 

「ふはははは!」

 

「テンション高すぎんだよ目立つからやめろよ」

 

 ――――そんなこんなのやり取りの後で、無事上条とインデックスはゲートをくぐり抜け、その向こうに消えて行った。

 

(……さて、何事も無ければいいんですがね)

 

 空港の外、飛び立っていく飛行機を見上げながら、勇斗は心の中でそう呟くのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 空港で2人を見送った勇斗はその足で第22学区へと向かった。

 

 第22学区は勇斗達が暮らす第7学区に隣接した、学園都市で最も小さい学区であり、代わりに地下深く――――地下数百メートル程の深さまで開発が行われていて、地下施設が最も発展している学区である。……というかむしろ地上部分に普通の建造物は存在しておらず、ビルの鉄骨のように柱を組み合わせて作られた30階程度の高さがある『巨大なジャングルジム』に風力発電のプロペラが並べられている。換気や水の移動、調光などに消費される莫大な電力を何とかして賄おうと苦心した結果らしい。

 

 円筒形の巨大な『穴』に作られた地下階層は全部で10の階層に分かれていて、 地下へ至る道路は直径2キロの外周を這うように螺旋を描いており、上りと下りの車線を合わせると理髪店のポールのような形状――――二重螺旋を描くようになっていた。

 

 勇斗はその第3層、地下90メートルの深さまでエレベーターで降り、入り口ゲートをくぐる。目的は「スパリゾート安泰泉」というレジャー施設だ。スパ、という名前が示すように温泉があり、それだけでなくゲームセンターやらショッピングモールやらボーリング場やら、学生向けのアミューズメント施設がこれでもかと詰め込まれているのだ。

 

 『ジャングルジム』のてっぺんに取り付けられたカメラで撮影された空の様子がリアルタイムで映し出される偽りの空(スクリーン)の下、水栽培技術の応用で作り上げられた人工森林と水力発電に用いられる水の流れを利用した人工の川が豊かな自然環境を作り上げていた。地面から『空』まで伸びる、『空』を支えるための柱も兼ねたビル群が見えなければ、天然のそれらと比べても全く遜色ない。

 

 そのビル群の1つに、目的地の「スパリゾート安泰泉」はあった。人工の自然の中をしばらく歩いて、勇斗は施設の出入口をくぐる。大覇星祭明けの休日ということもあってか、施設内はそこそこの混雑を見せていた。1週間も続いた祭りの疲れを癒すためか、温泉に向かう人の流れが目立つ。――――かくいう勇斗もその口なのだが。

 

「ごめんなさーい! 只今満員のため整理券を配布していまーす! 入浴希望の方はこちらへー!」

 

 アルバイトと思しき大学生くらいのお姉さんが人混みの中、温泉の入り口で声を張り上げていた。――――混雑の中でこんなに声がはっきり聞こえるということは、何かしらの能力を使っているのかもしれない。ともかく、勇斗は整理券を受け取った。見れば、そこに書いてある時間は夕方、――あと2時間以上はある。

 

 何をして時間を潰そうか、寮に帰るのも手ではあるが、一度帰ったらまた出てくるのが億劫と言えば億劫だ。それにせっかく近くにゲーセンやら何やらがあるのだ。遊んで行くのが良いだろうか。

 

 立ち止まり、考え込む勇斗。そんな勇斗に背後から声が掛けられる。

 

「あれ、勇斗じゃない。こんな所で会うなんて奇遇ね」

 

 そう言って近づいてきたのは、御坂美琴だった。

 

「おー、御坂。確かに奇遇だな。常盤台のお嬢様がこんな所に来るなんて思わなかったよ」

 

「純粋培養お嬢様なら多分そうでしょうね。でも私の家は一応一般家庭だし、こういう場所に抵抗は無いわよ。それに、湯上りゲコ太ストラップがもらえるスタンプラリーが始まったから、むしろ来るしかないじゃない」

 

 そう言って肩をすくめる御坂は制服を着用していない。胸元に3つのハートマークがあしらわれた黒いTシャツの上に薄手のパーカーを羽織り、ショートパンツを穿いている。

 

「……お前、制服は?」

 

 呆れつつも、勇斗はそう問い掛けた。常盤台中学の校則――――外出時の制服着用義務について知っていたからだ。しかし御坂は、

 

「目立つし、脱いできたのよ」

 

 さもそうするのが当然であるかのようにあっけらかんとそう言ってのけた。

 

「……そういえば、アンタに聞きたいことがあるのよね」

 

「……なんだ?」

 

「実はね、……アイツと大覇星祭で賭けをやってたのよ。学校対抗順位で負けた方が、勝った方の言うことを何でも聞くっていうやつ」

 

「……ああ。そういやそんなこと言ってたな」

 

 ――――言わずもがな、御坂がこの文脈で用いた『アイツ』は当然上条を指す。ちなみに学校順位では勇斗達の高校は常盤台中学に惨敗している。いくら勇斗や九重のような『個の力』を持った人間がいても、それよりやや弱いくらいの人間――――これまた言わずもがな、強能力者(レベル3)大能力者(レベル4)が何十何百と揃っている『数の暴力』には集団としては(・・・・・・)さすがに勝てない。『五本指』と呼ばれているだけはあるのだ。すなわち、上条の罰ゲームはその執行が決定されたのである。

 

「黒子のお見舞いとかで会えればその時に言ってやろうかとも思ったんだけどね。できるだけ早く言ってやろうと思って。アイツがどこにいるか知らない?」

 

「うーん……」

 

 その件、知っていると言えば知っている。ただしそれが御坂の希望に沿うかは知らないけれど。

 

「アイツなら今頃、……多分ロシアの空の上にいるんじゃねえかなあ」

 

「…………は?」

 

「北イタリアはヴェネツィアへ、5泊7日のツアー旅行ってな。ついさっき出発していったぜ」

 

「……………………誰と? 1人で?」

 

「インデックスと、2人で」

 

「………………………………」

 

 沈黙が恐ろしい。なんだか御坂周辺の空気が帯電してきたような気がする。――――身の危険を感じる。

 

「……………………ほうほう。ほーう」

 

 しかし予想に反して、御坂が『爆発』することはなかった。不気味な笑みを浮かべて、静かに静かに言葉を紡ぐ。

 

「人との約束を忘れて自分は女の子とラブラブ海外旅行ですかそうですか。よっぽど新技の実験台になりたいみたいねえ。散弾超電磁砲(レールショットガン)、いよいよ臨床実験段階に入るときかしらね。ほーう」

 

 何やら不穏な言葉が聞こえてきた気がする。日本に帰ってきた後の上条の運命や如何に。

 

「邪魔したわね勇斗。ちょっと練習しなきゃいけないことができたから私は帰るわね」

 

 いっそ清々しい笑みを浮かべて、御坂は勇斗に背を向けて去っていったのだった。

 



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ep.44 9月28日-1

 

「はーい勇斗。寝起きドッキリだぜい」

 

「…………何で目覚めて最初に見る光景が金髪グラサンアロハ野郎なんだよ」

 

 不機嫌な声と共に、勇斗は掛け布団を蹴り飛ばし、体を起こした。

 

 ここは寮の、勇斗の自室。ベッド脇の目覚まし時計に目をやる。――――午前4時半。その横に、見慣れた男の姿が見える。土御門元春だ。一体どんな手段を使ったのか、勇斗は部屋に忍び込んだ土御門に叩き起こされたのである。

 

「こんな朝っぱらから何の用だ」

 

 不機嫌さを欠片も隠すことなく、睨みながら――――眠気のせいで瞼が重い――――勇斗は言う。非常に眠い。昨日御坂と別れた後、ゲーセンで遊んでからゆっくり温泉につかり、精神的にも肉体的にもリフレッシュできた。あとはぐっすりよく眠って万全に仕上げるつもりだったというのに。こんなわけわからん時間に不法侵入されたあげく睡眠を邪魔される羽目になるとは。一体どうなってやがるチクショウ。

 

 そんな気持ちを視線と声色に乗せて、

 

「単刀直入に言う。魔術絡みさ」

 

 ――――その土御門の一言で、勇斗の意識が一瞬で覚醒させられる。

 

「……またローマ正教か?」

 

「お・お・あ・た・り、だぜい」

 

 誰も得しないウインク1つ。それからすぐに、土御門は疲れたような表情を浮かべた。

 

「詳しい説明をしたい。舞夏が朝飯を準備してくれてるから、着替えてから俺の部屋に来てほしい」

 

「……わかった。すぐに行く」

 

「頼むぜい」

 

 そう言うと、土御門は何食わぬ顔で玄関の方から出て行った。――――合鍵か、はたまたピッキングか。いくら土御門が暗部の人間だとはいえ、自分の部屋のプライバシーの無さにそこはかとない不安を覚える勇斗だった。

 

 とはいえすぐに顔を洗って着替えを済ませ、上条の部屋を挟んで2部屋向こうの土御門の部屋に向かう。ドアを開け部屋に入ると、米の炊けるいい匂いと味噌汁の食欲を誘う香りが一体となって勇斗のもとに届いた。

 

「来たな。座って待っててくれ。ちょうど舞夏特製味噌汁が温まったところだぜい」

 

「お言葉に甘えさせてもらいますかね」

 

 数分のうちに、居間で待っていた勇斗の前に美味しそうな朝食が並んだ。典型的な、しかしとてもレベルの高い和朝食。ご飯、味噌汁、焼き鮭、納豆、卵焼き、漬物、おひたし。旅館か何かのそれと見紛うほどだ。朝からこれだけしっかりした朝食を食べていれば、それは土御門も健康的な(安全かどうかはまた別の話)生活を送れることだろう。 

 

 手を合わせて、声を揃えて、いただきます。味噌汁を口に含む。……自分で作る味噌汁と一体何が違うのか。自分の味噌汁がおいしくないとは言わないが、こんな味を出せるとも思えない。後で舞夏にコツでも教わろうか。

 

「時間がもったいない。行儀が悪いのは承知の上で、食べながら解説しても構わんかにゃー?」

 

「別に構わんよ」

 

「助かるぜい」

 

 そう言って、土御門も勇斗同様味噌汁へと手を伸ばし、一口飲んで満足そうに顔を綻ばす。

 

「カミやんと禁書目録が向かったのは、イタリアのヴェネツィアってのは知ってるだろ?」

 

「まあな。準備を手伝ってる時に聞いたよ。……『アドリア海の女王』、『水の都』、『アドリア海の真珠』、なんて呼ばれてるんだったか。有名な観光地だよな」

 

 箸で卵焼きを半分に割り、口に運ぶ。――――だし巻だ。普段は甘い味付けの卵焼きばかり食べている勇斗にとってはとても新鮮な味付けだった。

 

「そうだ。そしてそのうちの1つ、『アドリア海の女王』ってのが、今回アイツらが巻き込まれた大規模術式の名前でもあってにゃー」

 

 土御門は納豆をかき混ぜる。味付けはシンプルにタレとからし、そして細かく切った漬物。それらを加えてさらに混ぜ続ける。

 

「……『アドリア海の女王』、ね。どんな魔術なんだ? 名前的にヴェネツィアに関係してるってのは何となくわかるけど」

 

「そこを説明しようとすると少し昔話が必要になるんだぜい。……昔々、ヴェネツィアって街は、交易で稼いだ莫大な富とそれを背景にした強力な軍事力を持っていたんだにゃー」

 

 泡で豆が見えなくなるくらいまでよくかき混ぜて、どんぶり山盛りの炊きたてご飯の上に移す。待ち侘びたような表情で土御門はご飯を掻き込んだ。

 

「おまけに当時のソイツらは当時の教皇直々の破門状を何度も何度も受け取ることになるくらいローマ正教に対して反抗的でな。ローマ正教からすれば、本拠地(バチカン)からそう遠くない場所に、強力な軍事力を持って自分たちに歯向かってくる強国がいたってわけだ」

 

「……もしかして『アドリア海の女王』ってのは、そのヴェネツィアが対ローマ正教用に作り上げた魔術だったりするのか?」

 

 おひたしを食べ終えた勇斗は焼き鮭に取り掛かる。塩加減のちょうどいい、ご飯によく合う味だ。

 

「いや、逆逆」

 

 土御門はそこで一度言葉を切って、味噌汁を一口。

 

「当時のヴェネツィアに対して危機感を抱いたローマ正教が、有事の際にヴェネツィアを叩き潰せるように組み上げたのが『アドリア海の女王』っつー大規模術式だぜい」

 

「……国家1つを叩き潰す、ねえ。具体的にはどんな魔術なんだ?」

 

「簡単に言えば、『全て』を壊すんだよ。文字通り『全て』をにゃー」

 

「? どういうことだ?」

 

 妙なまでに強調された『全て』の一言。小骨を取る手を止めて、勇斗は眉をひそめる。

 

「ソドムとゴモラに振るわれた天罰の話は知ってるだろ?」

 

「まあ、それは知ってる。大天使『神の力(ガブリエル)』が背徳と悪徳の街ソドムとゴモラに火の矢の雨を降らせた、っていうヤツだよな」

 

「正解。『アドリア海の女王』はヴェネツィアをそのソドムとゴモラに対応させ、『神の力』がしたのと同じように火の矢を打ち込む。街の中心から外周まで、その全てを()()物理的に破壊し尽くすわけだにゃー」

 

「……『まず』?」

 

「良い所に気付いたな」

 

 二ヤリ、と悪い笑みを1つ。

 

「物理的にヴェネツィアを消し去った後、その術式は次にヴェネツィアを離れていた人や物品に襲い掛かるんだぜい。旅行に出ていた人、国外の美術館に寄贈された芸術品、……それらに関係するありとあらゆる全てのモノが消されていく。実際発動されたことはないからわからないが、ヴェネツィア派という学問やヴェネツィア起源の文化、下手したら『歴史そのもの』すら消えてなくなるかもしんねーにゃー」

 

「は、え?」

 

 あやうく箸を取り落としそうになる。正直、全く想像がつかなかった。火の矢の雨で物理的に破壊するというのはまだわかる。ミサイルを雨あられと打ち込むようなものだろう。()()()()()()()は雷神モードの御坂との戦いでもやったし。しかしその先、学問や文化、歴史そのものを消し去るとは一体どういうことだ? ――――スケールが違いすぎる。理解できる範囲を逸脱しすぎている。

 

「……そんな事が出来るのか?」

 

「そんな事が出来てしまうというのがこの『アドリア海の女王』の怖い所なんだぜい」

 

 そう言って土御門は卵焼きに箸を伸ばし、まるまる1つを一口で食べる。

 

「ま、そんな物騒な魔術であるが故に、『アドリア海の女王』はヴェネツィアに対してしか発動できないんだけど」

 

「ん? そうなのか?」

 

「まあな。理由は簡単、術式を誰かに奪われた時に矛先が自分達に向けられる事を恐れたんだよ、ローマ正教はな」

 

「え、じゃあローマ正教が『アドリア海の女王』を持ち出したってことは、今更ヴェネツィアを攻撃するつもりってことか? もう何百年も昔の話だろ、ケンカしてたのって。むしろ今じゃ本拠地の近くにある世界的な観光地ってことで、ローマ正教も得してると思うんだけど。まさか中のお偉いさんって、そんな昔の因縁を引きずるような頭の固い連中ばっかりなのか?」

 

 食事を再開した勇斗は焼き鮭と共にご飯を平らげる。

 

「頭の固い連中ばっかりだし、昔の因縁を引きずるような連中ばっかりでもある、っていうのは否定できないが、現在のヴェネツィアは至極健全な観光地だし、今のローマ正教との関係は良好だ。互いに互いを疎んじるような理由は無い。そこは断言できるぜい。……ああ、ご飯なら好きなだけ食ってくれ。早朝に叩き起こしたお詫びの1つだ」

 

「助かる。朝しっかりと食わないと何か調子が出ない人間でさ」

 

 そう言って勇斗は席を立ち、ご飯をよそって、再び席に着く。2杯目は納豆をお供に。タレとからしを加えてかき混ぜる。――――漬物も取っておくべきだったか。

 

 入れ替わり、土御門も2杯目を求めて席を立つ。すぐに戻ってきて、鮭の身をほぐしながら再び口を開く。

 

「さて、話の続きだ。……なぜローマ正教は、今更になってヴェネツィアしか攻撃できないような術式を持ち出してきたのか」

 

 ほぐした身の半分を鮭フレークのようにご飯にかけ、土御門は勢いよく掻き込んだ。

 

「……実は『アドリア海の女王』について、とある筋からとある情報を貰ったんだにゃー。何かっつーと、『アドリア海の女王』の発動に『刻限のロザリオ』なる別の術式が必要らしい、っていう話。そしてその術式もまた発動の準備に入っているらしい、っていう話」

 

「何だそれ」

 

「……情報によれば、その『刻限のロザリオ』は適性のある人間の精神を意図的にぶっ壊して、ちょっとぶっ壊れた魔力を作り出さないと機能しない術式らしい」

 

 勇斗の問いに、意味ありげな間を置いて土御門は回答した。

 

「……でもよく考えるとこれっておかしな話なんだにゃー。さっきも言ったけど、有事の際にヴェネツィアを一撃で叩き潰せるようにローマ正教が組み上げたのが『アドリア海の女王』だぜい。それなら即時発動できなきゃダメじゃね? 適性のある人間を探してー、連れてきてー、『刻限のロザリオ』の準備してー、発動してー、『アドリア海の女王』が起動できるようになってー、はいどーん! ……なんてモタモタしてたらその間に侵攻されて終わりだよにゃー?」

 

「まあ……確かに、言われてみればそうだな」

 

 2つ目の卵焼きに箸を伸ばしながら、勇斗はイタリアの地図を思い出す。ローマとヴェネツィアは直線距離で言えば400キロくらいは離れていた気がする。近いとみるか遠いとみるかは微妙な所ではあるが、気付いたら包囲されていました、などという緊急事態を考えれば確かに即効性は重要だろう。発動できれば勝ち確定なのに発動できずに負けました、ではあまりにお粗末に過ぎる。

 

「『アドリア海の女王』はそれ単体で発動可能。『刻限のロザリオ』という面倒な術式が必要であるなんて記述は1つも無い、ってのがとある筋――禁書目録からの回答だ。あの10万3000冊の原典を『保有』する魔道書図書館が、そう言い切ったんだぜい」

 

 勇斗の箸が再び動きを止めた。眉をひそめる。

 

「……じゃあ、今イタリアで準備されてる『刻限のロザリオ』は一体何なんだ?」

 

「その問いに対する回答が、なぜローマ正教が今更『アドリア海の女王』を持ち出してきたのか、っていう問いにも関わってくると俺は睨んでる」

 

 ここに来て、土御門の目がスッと細くなった。吊り上っていた口元が引き締まる。

 

「そもそもの話として、今のローマ正教が今のヴェネツィアを攻撃する理由は無い。それなのに、ローマ正教は『アドリア海の女王』を持ち出してきた。『刻限のロザリオ』という存在しないはずのイレギュラーと共にだ」

 

 土御門は一度言葉を切って、

 

「……勇斗。今のローマ正教にとって最大の敵はどこの誰だと思う?」

 

「…………学園都市、あるいはそこと繋がるイギリス清教か」

 

 勇斗は思い出していた。大覇星祭初日に起こった、『使徒十字(クローチェディピエトロ)』にまつわる騒動を。あの十字架は、『聖霊十式』と呼ばれるローマ正教の高位霊装の1つ。そんな両手の指で数える程しかない希少で強力無比な霊装を持ち出し、しかし学園都市側に少しも通用しなかった。しかも十字架は黒幕と共に上空8000メートルから落下したらしく、形を留めているのかはっきりしていない。ローマ正教が学園都市を、そしてそれを支援していたイギリス清教を、敵対視し始めたのは間違いないだろう。その前には『法の書』の騒ぎもあったし。

 

 ――――そこまで考えて、勇斗は気付く。

 

「そう、今のローマ正教にとっての最大の敵は学園都市とイギリス清教だ。……そしてついこの間、その最大の敵に、『聖霊十式』の1つを破られた」

 

 土御門の言葉は続く。

 

「ヤツらが受けた衝撃は並のものじゃあなかっただろうさ。自分たちが切れる最高クラスのカードが全く効かなかった。じゃあその他のカードはどうなるんだ、って感じでな。そんな連中が、ここに来て動きを見せた。国家1つを叩き潰すことのできる大規模な術式を用意して。本来無いはずのイレギュラーな術式も添えて。――――『アドリア海の女王』はヴェネツィアに対する効果しかない。どれだけ圧倒的な威力があっても、その縛めを解けない限りこの術式の使い道はない」

 

「『刻限のロザリオ』は、『アドリア海の女王』の制限を取り払うための術式か……!」

 

 忌々しげに、勇斗は呟く。

 

「そうだ。その可能性が非常に高い」

 

 固い声で、土御門はその声に応じた。

 

「『アドリア海の女王』は物理的な破壊をもたらすだけじゃない。関連する全てを破壊し、消し去る。そんなものが学園都市に放たれれば一体どうなる?」

 

 今日において、世界に存在するありとあらゆる科学技術は学園都市の影響を大なり小なり受けている。学園都市に向かって『アドリア海の女王』が放たれれば、科学サイドという枠組みが消え去るのみならず、全世界に電気もガスもその他のインフラも使えない生活が訪れることになる。

 

「…………ん? じゃあ俺は何をすればいいんだ?」

 

 今勇斗は日本にいる。そしてその全てを破壊する術式は遠く離れたイタリアで準備が進んでいる。超音速旅客機を使えば1時間ちょっとで行けるとはいえ、今から飛んで行ったところで間に合うのだろうか。

 

「……『アドリア海の女王』みたいな超大規模な魔術ってのはな、何かの拍子に暴発しないような『カギ』だったり、狙いを定めるための『アンテナ』みたいなものがあったりする場合が多いんだぜい。暴発して一番被害を受けるのは術者自身だからな」

 

 さっきまでとは一転、軽薄な笑いを浮かべる土御門。

 

「そしてまた別の筋からの情報によれば、学園都市に外部から何者かが侵入したらしい。一瞬監視カメラに映った画像を見る限り、修道服を着ていたみたいだにゃー」

 

 その目はしかし、笑っていない。鋭利な光を目に宿したまま、彼は告げる。

 

「もちろんカミやん達が向こうをどうにかしてくれれば話は早い。だが『アドリア海の女王』なんて物騒なものを使用する計画に乗っかるような連中が、こんな敵地のど真ん中に乗り込んで、素直に帰ってくれると思うか? 魔術という力を持ち、まわりに無知な『敵』が山のようにいる状況で、何事も無く解決すると思うか? ……こんな早朝にお前を叩き起こすことになったのはそれが理由さ勇斗。本当なら魔術師は魔術師がどうにかするべきだ。だが今回は、どうもそんな事は言ってられない。頼む勇斗、そいつらを叩きのめすために力を貸してくれ」

 

 その言葉を受けて、勇斗は一瞬、考えて、

 

「……そんなん、頼まれるまでもないよ」

 

 味噌汁を一気に飲み干して、これで綺麗に完食だ。勇斗は箸を置く。

 

「任せてくれ土御門。腹が落ち着いたら早速ケンカ売りに行こうぜ」

 

「……ありがとよ勇斗。助かるぜい」

 

「いいっていいって。どうせ俺らがオリアナを撃退したことくらい向こうにはもうバレてるだろうし。ここまで来たら最後までやらせてもらうさ。……せめて学園都市とイギリス清教の『上』にくらいは話通しといてくれよ」

 

「ああ、そこは任せてくれ。どうにかする」

 

 土御門も完食。食器を片づけ、食後のお茶を準備する。

 

「……『アンテナ役』がいる場所に心当たりは?」

 

「敵の狙いは学園都市を含む『科学』の全て。なら『的』の中心になるのは、科学の象徴――――学園都市の中心。この街の中枢のはずだ。それは一体どこか」

 

「……『窓の無いビル』か」

 

 少し考えて、勇斗は答えを導き出す。

 

「そう。そう考えれば、『敵』はその『窓の無いビル』の近くにいる可能性が高い」

 

「……もしハズレを引いたら?」

 

「その時はその時だ。『上』に頭を下げるか、魔術で探すか、……どうにかするさ」

 

 土御門は肩をすくめる。

 

 2人揃って、お茶を飲み干した。準備万端だ。

 

「――――じゃあ、行くか勇斗」

 

「りょーかい。ぎったんぎったんにしてやるぜ」

 

 いっそ獰猛な笑みを浮かべて、2人は早朝の街に繰り出していく。

 



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ep.45 9月28日-2

 

 東の空が明るくなり始めた薄明の頃。暁の、東雲の、曙の、朝焼けが広がる秋の早朝。学園都市第7学区、とあるビルの屋上に、『彼ら』は佇んでいた。

 

 人数は全体で10人。中世のそれのような銀の鎧を身に着け、長剣を佩く騎士が4人。外套つきの漆黒の修道服を着た修道士、修道女が5人。そしてその後ろ、その集団の中で際立って老けて(老け込んでいるわけではないが)おり、一際豪奢で重そうな法衣を身に纏う、一目で『上』の立場――司教(ビショップ)だ――にいるとわかる男が1人。

 

 彼らの周囲――――ビルの屋上だけでなく地上にも、人の気配は欠片も感じられない。時間は午前6時。早朝だということを割り引いて考えても少しずつ動き始める人間はいるはずなのに、不自然なまでの静寂が彼らの周囲を包んでいた。

 

「ふむ。科学の街とはいえ、夜明けの美しさは変わらないものだな」

 

『人払い』の魔術によって作り上げられた偽りの静寂の中、法衣の男が口を開く。

 

「自然の美しさは不変。愚かなるは神を捨て、科学のみに走る人間、か」

 

「……ビショップ・エジディオ」

 

 街並みに目を落として呟く司教に、修道士の1人が恐る恐る声を掛けた。

 

「イタリアより連絡です。ビショップ・ビアージオが……」

 

「ああ、わかっている」

 

 部下の報告を遮り、エジディオと呼ばれた司教は1つ溜息を吐いた。

 

「『アドリア海の女王』と『女王艦隊』、『刻限のロザリオ』は破られた。イギリス清教の禁書目録、オルソラ=アクィナス、天草式、そして学園都市の上条当麻の手によって」

 

 とても聖職者のそれとは思えない程に忌々しげに、大きく舌打ちをする。

 

「……特に上条当麻、あのビアージオを打ち破るとは。主を知らず、主の恵みを拒絶すらする異教の罪人風情ながらよくやってくれる」

 

 放たれたのは嫌悪と苛立ちの感情。底冷えする平らな声で、それらが紡がれていく。

 

「ビショップ・エジディオ。この後は……」

 

「手筈通りだ。イギリス清教だから、科学サイドだから、……私はそんな無為な理由での破壊や殺戮は好まんが、主に背いた敵性を相手とするというのなら話は別」

 

 司教のその言葉を引き金に、騎士姿の4人が腰に佩いた剣を抜く。エジディオに話しかけた修道士以外の4人が、ゲームの中の『魔法使い』のような杖を取る。

 

「認められんな。主の恵みを拒絶する力を主の信徒に振るうその悪性は。承服できんな。同じ主の信徒でありながら、主に仇なす敵性と共に我らに背くその背信は」

 

 ここで、エジディオも杖を取った。司教の権能の象徴、羊飼いの杖にも似た、先端の丸まった司教杖(バクルス)だ。

 

「ならば思い知らせよう。主に、その信徒たるローマ正教に、背くことが何をもたらすのか。あれだけの大人員と戦い、『女王艦隊』の大艦隊群を沈め、ビアージオという司教を撃破した、我らローマ正教の『敵』に」

 

「……今のセリフ、学園都市を攻撃するって認識していいんだよな?」

 

 そのタイミングで、エジディオの演説を破る不躾な言葉が割り込む。ここにいるはずの誰のものでもない第三者の声だ。それはつまり、人払いの影響下にあるこの場所へ強制的な介入があった事を意味する。

 

 全員が声のした方に振り向く。部下が皆驚愕の表情を浮かべる中、司教は1人、冷たい無表情のまま。

 

「これで正当防衛だと言い張れるぜい。いやいや、自分からそのセリフを言ってくれてこちらとしては大助かりだにゃー」

 

 気が抜ける程軽い、2つ目の『第三者』の声。

 

 10人がいるビルの屋上に、どこからともなく2人の少年が出現していた。1人は右袖に緑の腕章をつけた、黒のポロシャツにカーゴパンツという姿の黒髪の少年。もう1人は、金髪グラサンアロハシャツという中々にぶっ飛んだ格好の少年だった。

 

「お前らは……」

 

風紀委員(ジャッジメント)です」

 

 黒髪の少年が答える。爽やかに笑っているが、しかしその表情とは裏腹に背筋が薄ら寒くなるような威圧感を撒き散らしている。

 

風紀委員(ジャッジメント)……学生主体の治安維持機関だったか。確か我々には手出しできないという話ではなかったかね?」

 

「あんたらがどこの誰かは知らないけど、学園都市への攻撃意思を持つテロリストに対する逮捕権は持ってるんでね。どこの誰かは知らないけど」

 

「……人払いの術式を潜り抜けておいて、白々しいことを言う」

 

 フン、とエジディオは苛立たしげに鼻を鳴らす。()()()()()()()で、人払いを超えてこちらに接触してくるような人間が()()()風紀委員(ジャッジメント)であろうはずがない。

 

「遠くローマからわざわざ来てくれたことは褒めてやってもいいが、ここで暴れられても困るんだぜい」

 

 金髪の方の少年が口を開いた。――――エジディオの予想通り、こちらの正体はバレているらしい。そしてやはり、学園都市はイギリス清教との深く強いパイプを持っている。そうでもなければ、イタリアで起こっている事件に反応してこちらに接触することなどできはしない。本来であれば何も気づかれる事無く、この街を灰にできたというのに。

 

 しかしエジディオはその苛立ちを表に出すことなく、冷静な声でこう言った。

 

「……このまま何もせずに帰ると言ったら?」

 

 彼が放ったそんなセリフに、味方であるはずの騎士たちが驚きの表情を浮かべて彼を振り返った。何もせずに帰るなどあり得ない――――そんな感情がありありと見て取れる。

 

「バカか。『アドリア海の女王』なんて物騒なモンを用意してやがったヤツらをそのまま帰すわけねーだろ。処刑(ロンドン)塔にでも入ってろ」

 

 そこに、黒髪の少年からの辛辣な返答があった。早くも下手な芝居を止めたらしいその少年は、彼らの切り札()()()術式の名を口にした。その言葉を聞いた騎士たちは今度は怒りを顔に浮かべ、その少年を睨み付け、剣を構えた。その横では修道士と修道女が杖を握る手に力を込める。

 

「司教を馬鹿呼ばわりとは何とも異教の罪人らしいことだ……。……まあそれより、暴れようが暴れまいが待ち受けるのは処刑(ロンドン)塔での尋問か。実に手厳しい」

 

そんな部下たちの様子を見てから、エジディオは口角を吊り上げる。

 

「……ならば抵抗させてもらうしかないようだな。主に反抗する報いを知れ」

 

 引き裂くような昏い笑みと共に彼はそう告げる。弾かれたように、彼の部下たちが一斉に動き出した。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 2対10という圧倒的数的不利。しかも片方は魔術師ながら自由に魔術を使えない身だ。つまり実質的には1対10に近い。前衛として勇斗に飛び掛かろうとする騎士だけで4人。その背後では5人の修道士が、さらにその後ろではエジディオと呼ばれた司教(ビショップ)が、杖を取っている。

 

 だが、

 

「……おいおい。いくらなんでも人を舐めてかかり過ぎだろ。得体の知れない敵相手によくもまあそんな突っ込めるよ」

 

 勇斗は笑みを浮かべる。エジディオが浮かべた昏い笑みと同種のそれを。

 

 閃光が瞬き、その背に青みがかった白銀の翼が、頭上に同色の円環が、それぞれ出現した。何らかの魔術の発動に伴い周囲に広がりだした魔力に反応したのか、ノイズで翼の輪郭は歪み、頭上の円環は円と十字を組み合わせた等脚のケルト十字のような図形を描いている。まさしくその姿は天の御使いたる天使そのもの。故にそれを目にした騎士や修道士、そしてエジディオさえもが驚愕の表情を浮かべ、たじろいでしまっても無理はないだろう。本来であればこんな科学に支配された街で見ることなどほとんどあり得ないのだから。

 

 しかし勇斗はそんな隙を見逃さなかった。地面を割り砕く程の踏み込みで騎士の1人の懐に飛び込み、右の拳を叩き付ける。ゴガッ!という、硬い物で硬い物を思い切り殴りつけたような轟音。砕け散る鎧の破片を撒き散らしながら騎士の体が吹っ飛んでいく。

 

 生身の人間に武装を破壊され吹き飛ばされる、なんて光景を目にさせられた他の騎士の動きが再び遅れた。その隙を突いて両の翼を振り下ろし、叩き付け、両側方から迫ろうとしていた2人の騎士をまとめて昏倒させる。そして吹き飛ばされた騎士の手から離れ落下を始めていた剣を空中でキャッチ、そのまま振り抜き、再起動して斬りかかってきた最後の騎士の剣を打ち据え、破壊する。武器を失い、今度こそ茫然自失と立ち尽くす騎士。

 

「慢心してはダメ、ってね」

 

 意識を刈り取られた騎士の体が崩れ落ちた。

 

 そこで、ようやく『魔法使い』達の魔術が発動する。勇斗の足元のコンクリートが物理法則を無視して泡立ち、空気中の水分から作り上げられた氷の刃が宙を舞い、術者の杖から巨大な火球が放たれ、渦を巻く風がカマイタチを生み出す。近代西洋魔術の基礎の基礎、土、水、火、風の要素を持った攻撃だ。4人の術者から4人の魔術。恐らく、その道のスペシャリストを連れてきたかなんかなのだろうか。

 

 ――――しかし、勇斗は()()()()の攻撃など意にも介さない。術式破壊(グラムデモリッション)効果を見せるノイズに塗れた白銀の翼を地面に叩き付け、コンクリートごと術式を破砕する。そしてそのまま振り上げるようにして翼を振るい、巻き起こした烈風で術式ごと刃、火球、カマイタチを吹き散らした。

 

 ――――吹き散らされた術式群の向こう側。5人目の修道士が手に持った杖の先でトン、と地面を叩くのが見えた。その行為が何を意味していたのかは分からない。しかし、変化はすぐに起こる。勇斗の頭上、数十センチほどの場所で、AIM拡散力場の流れが変化した。それはつまり、その場所にイレギュラーな何かが出現し、その場所を流れる力場がそれによって押し退けられたということ。

 

「ッ!」

 

 瞬間の判断で勇斗は振り上げていた翼を振り下ろす。ボフッ、と空気の抜けるような音が響いた。翼が何かを切り裂いたのだ。5人目の術士が操ったのは不可視の物質。1人1人がその道のスペシャリストであるという推測に従うなら、この5人目が操るのは五大元素(エレメンタル)の最後の1つ、エーテルだろうか。

 

 とにもかくにも、そんな不可視の攻撃を防がれたことが余程予想外の事だったのだろう。杖を振るった5人目の修道士は口角泡を飛ばしながら、外国語――――恐らくイタリア語で喚き散らしていた。防がれるはずの無い攻撃が防がれた時の焦燥と絶望、同じような攻撃手段(インビジブル・ブリット)を持つ勇斗にとっては理解できなくはない心情だ。今回の場合、理解してあげたいとは欠片も思わないが。

 

 そんな様子の彼が再び杖を――――先端に翼を広げた天使がデザインされたそれを、振るおうとして、

 

 ――――重力にも似た、しかしそれより激しく暴力的な『下向き』の力が、5人の修道士に襲い掛かった。抵抗する余裕など与えられない。勇斗が放った収束したAIM拡散力場によるその攻撃は、5人の意識を奪いコンクリートの屋根を穿つのには十分な威力を秘めている。

 

「……まあ、ざっとこんなもんじゃないかな」

 

 クレーターの底で伸びている5人を、そして周囲に転がる4人の騎士を見下ろし、誇らしげに、しかしどこか安心したように、勇斗は呟く。9人は完全に沈黙し、残るはエジディオという名の司教(ビショップ)のみ。そんな彼に視線を向けて、勇斗はこう続けた。

 

「……先に言っておく。この天使みたいな見た目に関しては色々言いたいこともあるだろうけど、この形状を取るにあたっては俺自身の意思は介在されてないからな。だからこれについてイチャモンを付けられてもどうしようもないしどうするつもりもない。文句を言いたいならお前の所の神様に言ってくれ。そいつがこんな面倒なことになった全ての元凶だろうからな」

 

 勇斗は警戒を解くことなく、むしろその度合いを高めながら、対峙する。

 

「……さて、ここでアンタを仕留めればそれで終わり。あとはそこの土御門が全員処刑塔(ブタばこ)にぶち込んでくれるだろう。覚悟はいいかテロリスト」

 

「…………は、はは、……はははは、あはははははは!!」

 

 そこで突如として、エジディオは狂ったような笑い声を上げた。おかしくておかしくてたまらないような、楽しくて楽しくてたまらないような、そんな笑みを。

 

「――――黙れ、神と神の子を愚弄する異教の大罪人が。全力で殺す。慈悲などない」

 

 それに反して放たれた言葉は物騒極まりないものだった。目をギラつかせ、深い皺を刻むほどに顔を歪めていた。ドロドロと絡み付くような悪意が、敵意が、殺意が、噴出する。同時に、周囲を漂う魔力がその量と濃さを増し始める。勇斗はそれを直接感じ取ることはできない。しかし、自分の中のノイズが大きくなっているのは感じ取ることができていたし、詳細を知覚できない『何か』が周囲に溢れはじめたことも理解できていた。

 

(……ここからが本番か)

 

 取り巻きの9人は倒したものの、この『感触』は9人を合わせたモノよりもずっと大きそうだ。勇斗の直感がそう告げている。どうやら、司教(ビショップ)という立場は伊達ではないらしい。

 

 勇斗は構えを取り、――――すぐに第2ラウンドがその幕を開けた。

 



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ep.46 9月28日-3

 

 ――――得体の知れない敵にむやみに飛び込むのは得策か否か。

 

 これは答えが分かれる問い掛けだ。飛び込むことにも、様子を見ることにも、それぞれメリットとデメリットの両面があるからだ。

 

 例えば、すぐさま飛び込むことで敵に行動を起こさせる前に攻撃を叩き込めるというメリットがある。先手必勝という言葉が表すように、先制攻撃が決まれば戦況は一気に有利に傾く。一方で、特に力量差がある場合などで、手も足も出ないままに返り討ちにされる可能性がある。そのいい例がつい先刻の騎士たちと修道士たちだろう。自分たちの力を過信し、勇斗の地力を過少に見積もったことで、壊滅する羽目になった。

 

 様子を見る、という選択をすればそうなる可能性は減るが、逆に相手に準備のための時間を与えることになり、より強力で手痛い一撃をもらう羽目になるリスクを負うことになってしまう。

 

 結局のところ、最適解は自分と敵の力量差、戦闘状況や周辺状況などの環境要因に左右される。

 

 ――――さて、現状の戦闘に話を戻そう。勇斗は学園都市の一能力者でありながらその身に天使の力(テレズマ)を宿す、いわば擬似的な『聖人』だ。瞬動術(クイック・ムーブ)や鎧を砕く拳の一撃など、その身体能力は常人の域を優に上回り、()()の人間相手ならオーバーキル過ぎる程。それに移動や攻撃、防御など幅広い用途に用いることのできる翼、学園都市内部での戦闘に限られるもののAIM拡散力場という力すら扱うこともできる。

 

 故に、勇斗はこういった状況では、()()は迷いなく飛び込む。人の知覚を超える速さで接敵するもよし、不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)を叩き込んでやるもよし。

 

 ――――しかしこの場で勇斗はそうはしなかった。正確には、そうすることができなかった。勇斗にそうすることを躊躇させるような『何か』を、エジディオが持っていたのだ。

 

 それはもしかすると、単なる勇斗の考えすぎなのかもしれない。繰り返すが、勇斗は擬似的でかつ不完全であるとはいえ『聖人』と同質の力を有しているのだから。しかし少なくとも、勇斗の前に立ち塞がるローマ正教の司教は、確かにその瞬間、勇斗の動きを封じ込めていたのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 エジディオは緩やかにその手の杖を振り上げる。呼応して、真水の中に濃い塩水だか砂糖水を流し込んだ時のような、そんな鈍い『揺らめき』が凄まじいスピードで放たれた。真っ直ぐに自分に襲い掛かってくるそれを、勇斗は体を捩って回避する。

 

 と、一瞬遅れて、体を押し潰すような強力な乱気流が勇斗の体に襲い掛かった。虚を突いた故の一時的なものとはいえ、そしてあくまで『擬似的な聖人』であるとはいえ、勇斗の脚力を捻じ伏せる程の強烈な下向きの風が勇斗の動きを封じこめる。

 

 そしてエジディオが再び動く。今度は杖先で地面――――強化鉄筋コンクリート造りのビルの天井を優しくコンと突いて、――――轟音と共に地面が割れた。生じたひび割れが勇斗の足元にも到達する。亀裂が広がり地面が消えた所に、聖人の脚力に打ち勝つほどの下向きの風。どうなるかなど想像に難くない。勇斗の体が凄まじい速さで下向きに吹き飛ばされ、下のフロアの床に叩き付けられる。

 

「がっ、は……!?」

 

 肺の中の空気が一気に叩き出され、一気に酸欠状態に陥る勇斗。

 

「言っただろう。容赦はしないと」

 

 亀裂の入った天井の、その隙間からエジディオの声が飛んだ。逆光で表情を確認することはできない。シルエットと化したエジディオが三度杖を振るう。――――いや、そうしようとしたところで。勇斗は床に寝転んだ形のまま、亀裂の向こうのエジディオ目がけて不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)を撃ち放った。

 

「――――甘いわ」

 

 しかしシルエットは動じない。改めて杖を振り上げると、収束したはずのAIM拡散力場が真っ二つに切り裂かれ、そして霧散していく。

 

「姿だけでなく扱う力まで天使の紛い物か。どこまでも主と十字教を愚弄する大罪人が」

 

 驚愕に言葉を失う勇斗に向け、断罪の言葉を司教は紡ぐ。

 

「――――偽りの翼を持つ者よ。全てを捨て去り、土に還るがいい」

 

 杖を振り上げる。勇斗の背中で床が割れ、杖の先から2条の『揺らめき』が勇斗を挟み込むように放たれる。体を支える床を失った勇斗に、先刻の物より一層強烈な乱気流が襲い掛かった。

 

「……さて、全てのフロアの床は全て砕いてある。20階を超える高さのビルの最上階から地面に叩き付けられて、人は原形を留めていられるのだろうかね」

 

 勇斗の耳に届いたのはその言葉が最後だった。恐ろしいほどの初速を得て、勇斗の体は砲弾のように落ちていく。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……さて、次は貴様の番だ」

 

 ゆらりと、首を振ってエジディオは視線を土御門に縫い止める。

 

「大方貴様はイギリス清教の人間なのだろうが……十字教に属する人間が大罪人と手を組むとは。イギリス清教も堕ちたものだ」

 

「……お前が人の事を言える立場なのかにゃー? 『預言者の奇跡』を、人を傷つける目的で振るうお前が」

 

 土御門は動じることはない。ただその目に冷たい光を宿したまま、シニカルな笑みを浮かべるだけ。

 

「……………………なんだ、もうバレていたのか。喰えないやつだ」

 

 右に、左に。エジディオはゆっくりと首を揺らす。

 

「そうだ。わが杖は、かの著名な預言者であるモーセのそれを再現したものでな」

 

 『モーセ』という人物の話を耳にしたことのある人は決して少なくはないだろう。敵に追われ追い詰められたモーセが海を割り、窮地からの脱出を成功させたというエピソードは有名なものであり、現代日本の学園都市の中でさえ人込みが分かれ道ができてしまう状態のことを『モーセ状態』と呼んだりする。

 

「モーセが起こした、記録史上最も有名な『奇跡』。そこから『割る』という現象のみを厳選して抽出し、作り上げたのがこの司教杖だ」

 

 杖を手の中で遊ばせて、エジディオは続ける。

 

「ひとたび振るえば大気だろうが、強化コンクリートだろうが、不可視の力場だろうが、みな等しく『割れる』のだ。『預言者の奇跡』の中のただその一点のみを追い求めた、単純ゆえに強力な私の自慢の霊装さ」

 

「……いいのかにゃー? そんなにペラペラと手の内を明かして」

 

「今更何を言い出す。言い当てたのは貴様だろう」

 

 つまらなさそうに、溜息を1つ。

 

「……言ったはずだ、『単純ゆえに強力』だと。手の内が知られようと、『奇跡』の効力には何の揺らぎもない」

 

 大気を引き裂いて乱気流を発生させる。足元の地面を割り砕くことで足場を失わせる。力の出どころは魔術だが、ひとたび現象として出力されればそれは単なる『物理現象』となる。

 

 魔術は魔術によって妨害されうる。それ以外にも上条当麻(ツンツン頭)幻想殺し(イマジンブレイカー)や、特定状況下での勇斗の術式破壊(グラムデモリッション)、インデックスの強制詠唱(スペルインターセプト)等々、魔術が『魔術のまま』であるなら、未然に打ち消すことも可能だ。

 

 しかし、えてしてそういった対抗手段は『現象』を打ち消すことはできない。現象を無かったことにはできない。時間移動(タイムリープ)のように、時間に干渉でもしなければそんなことは不可能なのだ。

 

 単純さゆえの強固さ。妨害をほとんど受けることなく効果を発揮できる安定感。それを指してのエジディオの自画自賛だ。

 

「……まあ、『預言者の奇跡』が気に食わないというのであれば、灰すら残さず焼いてやってもいいだろう」

 

 笑みを浮かべたエジディオがその手の杖を掲げると、その先端に光点が――――小さな火球が出現した。

 

「知っての通り、杖は『火』の象徴武器(シンボリックウエポン)。『奇跡』以外の全てを削ぎ落としたとしても、杖が杖である限りそれは変わらない」

 

 話している間にもどんどんと火球はその大きさを増していく。それこそ、人1人くらい簡単に呑み込んでしまいそうなほどに。

 

「……………………やっぱり、お前はローマ正教の典型みたいな人間だな」

 

 そんな状況で、土御門は呆れたような声を発した。いや、声だけではない。表情も心底呆れかえったことをありありと表している。

 

「……なんだと?」

 

 その言葉に怪訝な表情を浮かべるエジディオ。

 

「いや、優位になったと思った途端にべらべらと語り出したりとかな。俺は訳あって魔術が使えない身だ。何も言わずにさっさとそのご自慢の杖で俺を殺しておけば良かったものを。戦場で敵を見下して時間を浪費するなんて愚の骨頂だ。……なあ、勇斗」

 

「全くだ。結局部下の連中と同類だよ。ビビッて損した」

 

「なっ……!?」

 

 背後からの第三者の声。振り向くとそこにいたのは、先ほど奈落の底に叩き落としたはずの翼を持った少年だ。目立った傷は見受けられない。

 

「生き、て……!?」

 

「あんまり舐めてもらっちゃ困るんだよなー。紛い物にだって本物の力が宿ることくらい魔術業界じゃ常識だろうに」

 

 そう言って、勇斗は構えをとった。

 

「ご自慢の魔術でもっとしっかり分析しとくべきだったんだよ、()()()()()()()()()が集まってんのかをさ。やっぱり激情に駆られる人間は扱いやすいってことかな」

 

 そしてエジディオが二の句を継ぐ、それよりも早く、勇斗は動く。

 

 瞬動術(クイックムーブ)、そして翼を一閃。切り裂かれた杖がエジディオの手から滑り落ちる。

 

「じゃ、ロンドン塔への片道切符ってことで1つ」

 

 滑り落ちる杖が地面に落ちるよりも早く、勇斗が不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)を叩き込んだ。学園都市に満ちる微弱な力、それらが強大な奔流となってエジディオを呑み込んでいった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 第7学区、窓のないビルの内部。

 

『素晴らしいな。また成長しているようじゃないか』

 

 いつぞやと同じ、姿なき声が空間に響く。

 

『ちょっと目を離した隙にここまで天使の力(テレズマ)を使いこなせるようになっているとは思わなかった。男子三日会わざれば刮目して見よ、とはよく言ったものだな』

 

「その言葉には全く同感だが……あなたがそんなことを言い出すとは思わなかった」

 

 楽しげにその声に応じたのはこの空間の主、アレイスターだ。

 

「内包する天使の力(テレズマ)への自己干渉可能化という大きな課題は残っているが……」

 

『この調子ならすぐにでも克服する、だろう?』

 

「そうだな。彼なら大丈夫だろう」

 

 人影は1人、声は2人。低い笑い声が響き渡る。

 

「…………身体強化が掛かっているとはいえ、20階の高さからコンクリートに叩き付けられればダメージを受けて然るべき。それなのに彼は無傷だった。ということは」

 

『「聖人化」が進行している証拠ということになるな。だんだんと魔術側に引きずられてしまっているようにも思えるが。良いのかい? 君はそれで』

 

「……構わない。そのための『ハイブリッド』だ。あのまま成長してくれれば、虚数学区展開下でもうまくやれるはずだよ」

 

 そう言って、モニターへと目を向ける。

 

「どれだけ天使の力(テレズマ)をその身に宿していても、彼が能力者であることには変わらない。彼は天使の力(テレズマ)の操作に魔力の精製を必要としないからな。彼の用いる『術』は、『魔術』ではなく『能力』と呼ぶべきだろう。……さて、次の魔術師たちはいつ来てくれるのだろうね。待ち遠しくてたまらない」

 

『……いつになく楽しそうだな、今の君は』

 

 少し呆れたような姿なき声が、会話をそう締めくくった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

『はーいヴェント。そろそろ出発なのぉ?』

 

『……何の用よ』

 

『いやいやぁ。できれば一緒についていきたいなぁ、って思ってぇ』

 

『それこそ何の用よ。あんたが一体学園都市に何の用があるの?』

 

『まあ、そうねぇ。上条当麻君じゃない方かなぁ。ちょっと気になることがあってぇ』

 

『ああ……、確か大能力者(レベル4)ってヤツ? まあエジディオをブッ飛ばしたってヤツだから何かあるとは思ってたけど、アンタが直々に出ていくほどなの?』

 

『多分ねぇ。予想通りならきっと面白いことになると思うわぁ』

 

『…………未だにアンタの言う「面白い」には付き合いきれないところもあるんだけどね』

 

『まぁまぁ。そうツレナイこと言わないでさぁ』

 

『……勝手にしろ。私は私がしたいようにするし』

 

『ありがとぉ。何だかんだ言ってヴェントは面倒見がいいから好きよぉ』

 

『…………』

 

 



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ep.47 9月30日-1

姫神ちゃんって、初雪ちゃんに似てますよね。何となくですけど。
ちなみに私の嫁は吹雪ちゃんです(無関係)


「…………『神の右席』が動きたりけるか」

 

 ロンドンのランベス宮。深夜の静けさに包まれた宮殿の、その内部に設えられたバスルーム。20メートル四方の広い空間に小型の(とはいえ人1人はゆったりと浸かれる大きさの)バスタブがぎっしりと詰め込まれているというある種異様な光景が広がっているその空間の中、『電気風呂』と書かれたバスタブに、イギリス清教最大主教(アークビショップ)、ローラ=スチュアートは浸かっていた。美しい金色の髪を頭の後ろで束ね、憂いを帯びたようにも見える表情を浮かべ、艶めかしいほどに白く瑞々しい肢体と姿態を湯船に遊ばせている。

 

「おまけに……あの『5人目』まで動くとは、思いがけぬこともありにつきけるのね」

 

 誰に気兼ねすることもなく落ち着くことができる場所で、彼女の独り言は紡がれる。唯一の邪魔になりそうな赤毛の不良神父ももう帰らせたから、誰かに聞かれる心配もない。――――いや、『邪魔』というのであればもうその不良神父にされたのか。人が折角足湯を楽しんでいたというのに、突然レディの浴室に殴り込みをかけてくるなんて英国紳士としてなっていないにも程がある。そのせいで着衣入浴の上、M字開脚を見せる羽目になってしまった。着衣入浴のせいで修道服はぴったりと肌に張り付いてしまったし、あの開脚っぷりからすれば多分下着も見られただろうし。

 

(…………まあ、別にそんなことはどうでもいいのだけれど)

 

 別にそこまでの羞恥心は感じていない。部下とそんな感じのドタバタなやり取りをするのはいつものことだとは言わないまでも、ままよくあることではある。そんなことより、ここで考えるべきはローマ正教の方だ。――――これで『そこまでの羞恥心は感じていない』なんて割り切れちゃうのは女としてどうなんだろうと思わなくもないけれど、これくらいできないと最大主教(アークビショップ)としてやっていけなしなのよー。

 

「…………『5人目』。十字教における第5の天使を司りけるもの」

 

 ――――ローマ正教には『神の右席』と呼ばれる組織が存在する。最初は教皇を『組織の外部』から補佐する影の相談役として作られ、十字教世界における本来のピラミッドの内部には存在していなかった。しかし、歴代の教皇たちが彼らを頼りすぎた結果、いつしか『教皇すらをも教え導くもの』として指導者の立場を掌握することになる。

 

 この世界に生きる『普通の人間』として、最も『神』に近いとされる教皇。その教皇よりもさらに神に近い者たち。故に彼らは、自らを天の御使い、その中でもさらに重要な四大天使に見立てるようになった。すなわち、『神の火(ウリエル)』・『神の薬(ラファエル)』・『神の力(ガブリエル)』・『神の如き者(ミカエル)』。それ故メンバーは4人。それぞれがそれぞれの天使に対応し、その天使に応じた強力な魔術を行使する。

 

 そしていつの間にか、彼らの目的は変質した。『原罪』を消去することで『天使そのもの』へと自らを変貌させ、神の『右側』――――十字教において『右側』は『対等』を意味する――――つまり神と対等な存在になり、さらに別の、神よりも上位の存在に至ることを目指すようになったのだ。

 

 ――――そう聞いていた。

 

 しかし彼女はまた、こんな話も耳にしたことがあった。いわく、当代の『神の右席』には5人目がいる、と。それは決して見過ごせない『例外』。真偽はともかくとして、その『5人目』とされる人間は、四大天使に匹敵するほどの力を持った存在に対応していることになる。そしてその人間が『神の右席』と呼ばれる組織に属す以上、(くだん)の存在は即ち天使だ。

 

 さて、この十字教世界において、四大天使に匹敵する力を持った天使とは一体何か。聖書や数ある神話を読み解くことで、導き出されるその天使とは。

 

「…………『光を掲げる者(ルシフェル)』、ね」

 

 彼女はすぐに、その答えを導き出す。かつて、神の右側に座していたとされた、そして後に反乱を起こし天使の3分の1を率いて神に叛逆しとされた、その咎で天界から堕ち遥か地の底で地獄を作り出したとされた、『明けの明星』の名を冠し堕天使とされながら人間に光を与えた者として崇拝されることもある、大天使の名を。

 

「……だとすれば、その狙いは御使降し(エンゼルフォール)たりけるかしらね」

 

 彼女は思い出す。9月19日、学園都市での使徒十字(クローチェディピエトロ)騒ぎの後の、赤毛の不良神父からの報告を。

 

 ――――――――上条当麻の友人、千乃勇斗は、能力者でありながら『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)を行使する。

 

 流石の彼女もそれを聞いた時には驚きが隠せなかった。かつて、幼い少年の命と少女の思い出を犠牲にして、そして金髪アロハの二重スパイがその身をもって現在進行形で、確認した/している事実を覆したのだから。

 

 しかし、彼女は伊達に最大主教(アークビショップ)をやっているわけではない。今やっているのと同じようにバスルームの中でぼんやりと考えて、そして結論()()()()()に至っていた。

 

「……恐らく、千乃勇斗は『天上の欠片』なりけるのね」

 

 『天上の欠片』。その名の通り、『天上の力』の一部をその身に宿してこの世に生を受けた者。広義では『聖人』もそれに含まれるが、『聖人』は『天使の力(テレズマ)』を偶像の理論によって()()()()という点で厳密には異なる。必ずしも『天上の力』が『天使の力(テレズマ)』と一致するというわけではなく、『力』の種類によっては特異(ユニーク)な特性を持つこともある。

 

 件の勇斗が宿すのは、『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)だ。その『光を掲げる者(ルシフェル)』とは、神に叛逆し、『神の如き者(ミカエル)』に敗れて堕天する以前は、天使長の位置に立つ最強の天使だったと言われている。そして『神の如き者(ミカエル)』に敗れた後は、その罪の重さによって地の底に沈み、果てで地獄を創り上げ、そのまま地獄の王となったという。天上も、地獄も、どちらも人の世からは隔絶された世界。『光を掲げる者(ルシフェル)』という大天使は、その似通った、しかし本質的には全く正反対の、2つの世界を身をもって体感した稀有な存在なのだ。

 

 そこまで気づければ、後は話が見えてくる。ステイルはこうも言っていた。千乃勇斗が()()()()()()扱う力――AIM拡散力場は、天使の力(テレズマ)によく似ていたと。しかし本質的には、全く異なるものだったと。

 

 ――――『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)によって得られた特性。それこそが、能力と魔術の両立を可能にしているのではないだろうか。その特性によって、魔力ではなくAIM拡散力場を用いた天使の力(テレズマ)の操作が可能になっているのではないだろうか。

 

 ローラ=スチュアートが至った結論とはこういうものだった。まさしく科学と魔術の合いの子。科学と魔術の大天使(Hybrid Archangel)

 

「……まあ、全て推測にすぎなしなのだけれど」

 

 そう締めくくって、彼女は淡く笑んだ。その表情の裏で、様々な謀略を考えながら。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ちょうどその頃、ロンドンと9時間の時差がある学園都市の、とある高校。今は2時間目と3時間目の間の10分休み。教室の外、勇斗は廊下の窓からぼけーっと外を眺め、時間を潰しているところだった。少し離れた水飲み場の方ではクラスの三バカ(デルタフォース)も何やらバカ話で盛り上がっている。

 

「……やっと暑さも落ち着いてきたなあ」

 

 ポツリと勇斗は独り言をこぼした。ちょっと目線を下げてみれば、自分が着用する黒の学ランが目に入る。教室の中に目をやれば、勇斗同様に冬服に身を包むクラスメイト達。もう冬服を着ても辛くないくらいには季節は移り変わっているのだ。――――ちなみに、学園都市内での衣替えは外部と比べて1日早い。180万人以上いる学生が一斉に衣替えに向け動くことへの混雑対策とも言われるが、詳しい由来と効果は不明。同時に、毎年この日は午前授業が実施されることになっているが、そちらについても既にもう新しい冬服の採寸を済ませていたり新調の必要がない学生たちにとってはただの半ドンである。

 

「そんなこと言ってるうちにいつの間にか寒くなってくるのよね」

 

「最近。秋は短くなってる」

 

「……おー、吹寄。それに姫神も」

 

 ぼんやりとそんな感じの事を考えていた勇斗に声を掛けてきたのは吹寄制理と姫神秋沙だった。余談ではあるが、今学期の頭に行われた席替えで、勇斗の隣席は吹寄から姫神に代わっている。

 

「まあそんなことは置いておくとして、千乃にちょっと聞きたいことがあるのよね」

 

「何だ何だいきなりそう改まって」

 

 ふと神妙な顔つきになった2人に、勇斗は警戒しながらそう返す。

 

「この前。病室にいた女の子について。聞こうと思って」

 

「…………ん?」

 

 姫神の一声で一気に勇斗の顔が引き攣る。正直あの病室での騒ぎはもう思い出したくない。胃が痛くなるようなプレッシャーの中で絹旗の様子にも気を配りつつそれとなく事態の収拾を図るという無理難題。拷問か何かか。

 

「絹旗さん、って言ったかしらね。あの子」

 

「…………絹旗が、何か?」

 

 とぼけた様な口を聞く勇斗、その目をじっと見つめ、心の底から案じるように、吹寄は口を開いた。

 

「…………千乃。アンタの事だから多分大丈夫だし、弁えてるとは思うけど、一応、本当に一応、言っておくわね」

 

「…………何を」

 

「あの子…………年下よね」

 

「まあ……そうなるな」

 

「あのね、千乃。あたしから見ると、正直、あの子って…………手を出したらちょっとマズい年なんじゃないかって思うのよ」

 

「…………それで?」

 

「あたしの物の見方が、即イコール世間の見方ってわけにはならないとは思うんだけど、そこら辺はキッチリ意識しておいてね。いや、まああたしは別に当人たちがそれでいいんなら特段に口出ししようとは思わないんだけどね」

 

「……早い話。ロリコンだ何だって言われるかもしれないから。気を付けてね。って話」

 

「ぶっこんできたな姫神さんよぉ……!」

 

 再び引き攣ったような笑い。

 

「まあ、言いたかったのは要するにそういうこと。可愛い後輩に手を出したいんなら、それなりのリスクを負うってことも意識しておきなさいよ。……じゃあ、ちょっとあの三バカが呼んでるから行ってくるわ」

 

 そう言い残して、若干肩を怒らせて、吹寄はデルタフォースの方へと歩いていった。残された勇斗と姫神はそんな彼女の後姿を眺めながら会話を続ける。

 

「……まあ。後数年もすれば。別に3つ下に手を出しても問題ないとは思うんだけど」

 

「確かに今の年齢を考えるとちょっとあれだよなあ……」

 

「……む。その反応。実はもう手を出していたり?」

 

「アホか。んなわけねーだろ」

 

「じゃあ。手を出したくて仕方がない?」

 

「……お前は俺をどんな人間だと思ってるんだ?」

 

「だって。手を出そうと思ってなかったら『今の年齢』の話なんてしなくてもいいと思うし」

 

「……ぐ」

 

「やっぱり。その辺りを意識しているが故のその反応?」

 

「……………………ノーコメントで」

 

「沈黙は。肯定とみなす」

 

「…………ノーコメントだ!」

 

「明確な否定が返ってこない時点で。君の焦りは透けて見えるよ。ふふふふふ」

 

「…………いつになく楽しそうなドヤ顔で何よりだ姫神さんよぉ!」

 

 そんな会話を楽しむ(?)勇斗と姫神。――――そんな時だ、2人の耳にこんな言葉が飛び込んできたのは。

 

「一生のお願いだから揉ませて吹寄!!」

 

「「!!??」」

 

 声の主は、2人のバカを引き連れたツンツン頭。――――冷静に考えれば、土御門や青髪ならともかく、あの少年がそんなド直球なセクハラをするはずはないのだ。勇斗にはそれがわかる。上条当麻はそこまでの変態ではない。だから多分、何かしらの出来事があって、たまたま言葉足らずになってしまったのだろう。

 

 ただし。

 

 普段から上条のラッキースケベに巻き込まれている吹寄と、その様子をよく目撃している姫神に、それがわかってもらえるかどうか。

 

 ――――――――――。

 

「おーい勇斗。そろそろ小萌先生の授業始まるよー」

 

「…………ああ、うん。ありがとう悟志。今行くわ」

 

 目の前の光景から目を背け、勇斗は呼びに来てくれた九重と共に教室へと戻る。――――水飲み場の前。そこでは、ルール無用の不良バトル空間(虐殺空間でもほぼ同義)が広がっていた。しかし勇斗だけでなく九重も、そちらには目を向けない。獰猛な猛獣に好き好んで突っ込むほど、2人はバカではないのだ。

 



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ep.48 9月30日-2

プロット(そんな大層なものではないけど)はある。
(書く時間があるとは言ってない)


 

 午後1時。風紀委員(ジャッジメント)第177支部。

 

 第7学区にある、とあるビルの一室。守護神(ゴールキーパー)という異名すら持つスーパーハッカー初春によってカスタムの施されたいくつものゴツイPCが並ぶその部屋に、当該支部に所属する学生たちが集まっていた。千乃勇斗、白井黒子、初春飾利、固法美偉、坂本大地の5人である。

 

 ――――千乃勇斗。学園都市のとある高校に通う大能力者(レベル4)。現在高1。近頃『年下好き(マイルドな表現)』疑惑がまことしやかに囁かれているものの、その演算力と能力の応用性故に『レベル4.5』の俗称を頂戴し、最近では『聖人化』すら会得し始めるという科学魔術問わずのハイブリッドなハイスペックさを誇る少年である。

 

 ――――白井黒子。学園都市の内部では知らぬ者などいない超エリートお嬢様学校、常盤台中学校の1年生。非常に希少な『空間移動(テレポート)』の能力を持つ、勇斗と同じ大能力者(レベル4)。一線を越えている感じな御坂美琴(おねえさま)への愛を除けば、そのハイスペックさは勇斗のそれに匹敵するか、もしくはそれ以上である。

 

 ――――初春飾利。柵川中学1年生で、低能力(レベル1)クラスの能力『定温保存(サーマルハンド)』を持つ。能力強度(レベル)は決して高いわけではなく、学業成績も飛び抜けたものを持っているわけでもない。しかし演算力に関しては極めて優秀なものを持っており、それを活かした情報処理能力は電子使い(エレクトロマスター)の最上位である御坂美琴にも匹敵するほどだ。

 

 ――――固法美偉。第7学区の高校に通う高校2年生。ムサシノ牛乳をこよなく愛する。所持能力は強能力(レベル3)の『透視能力(クレアボイアンス)』。精神的にも肉体的にも大人な女性であり、色々と曲者揃いな第177支部を取りまとめ、前線に出ることの多い勇斗や白井を後方から支えている。

 

 ――――坂本大地。勇斗と同じ高校の先輩。固法と同じ高校2年。ガッチリとした体格に坊主頭と見た目はバリバリの体育会系ではあるが、その実校内では上位の成績を維持する努力家。強能力(レベル3)の『念動能力(テレキネシス)』を持つ。前線に出ることは少なく、主に学校や他の支部、警備員(アンチスキル)との折衝に回っている。彼もまた支部を後方から支える頼れる先輩なのだ。

 

 そんな感じで、色々な面で学園都市内トップクラスの支部になってしまった第177支部の頼れるメンバーたち。しかし彼らは一様に疲れきったような表情を浮かべ、部屋の一角を占有する大テーブルを見つめていた。

 

「…………固法先輩。()()は一体何ですか?」

 

 心の底から苦々しげに、勇斗はそう尋ねる。

 

「……今晩23時59分提出期限だった書類ね」

 

 溜息を1つ吐いて、疲労感の滲む声で固法は返答した。その視線の先にあるのは、大テーブルの上にいくつも積み上げられた紙束の山だ。その紙束の正体は、固法が口にした通り本日締切の書類。そしてそれらは全て未処理。何かしらの事務的な処理を要する書類が山――――もはや山脈と呼んでいい代物かもしれないが――――のように積み上げられているのだ。

 

「…………坂本先輩。一体何がどうなれば今晩期限の書類がこんなに積まれることになるんです?」

 

 もともと前期と後期の境目である9月下旬にかけて、事務処理全般は増えるものだ。しかしそれだって普通はこうも酷くはならない。ここまでの量の書類が山積みになるなんて、あまりにも常軌を逸している。常識的に考えてありえないにも程がある。そんな恨み節を視線に込めて、勇斗はジト目を坂本に向ける。

 

「『今月は色々と事件が盛り沢山だったんだから仕方ないじゃん』という回答を貰ってきたぞ」

 

 いっそ何かを吹っ切ったようなステキなさわやかスマイルで、坂本はその問いに応えた。

 

「黄泉川せんせぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?」

 

「お前の気持ちは十分伝わってくるがまあそう怒るな勇斗。かくいう先生たちだって似たり寄ったりな書類の山に埋もれてたんだ。それに都市全体でどこもこんな様子らしくてな。提出期限も1週間延長になるらしい」

 

 そんなセリフを受けて、勇斗は過去の記憶を掘り返す。細々とした些事を除けば、勇斗の周囲で大きな事件が起こり始めたのは7月だったか。下旬に入った頃、インデックスの来訪、幻想御手(レベルアッパー)騒ぎ、それに続く幻想猛獣(AIMバースト)の出現、そして自動書記(ヨハネのペン)発動時のインデックスが放った竜王の殺息(ドラゴン・ブレス)による人工衛星『おりひめ1号』の破壊。8月には三沢塾騒ぎに、絶対能力者進化(レベル6シフト)計画及びそれに付随する事件群。9月は新学期初っ端からテロリストが街中に入ってきたし、その後には樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)を巡る戦いが起こった。大覇星祭の時期には魔術側科学側それぞれの大事件も発生した。祭りが終わってからも、一度魔術師が学園都市内部に侵入している。

 

 ――――書類が山積みになるのもむべなるかな。どうしてこうも学園都市全体を巻き込みかねないような大事件が、よりにもよって自分たちの周りでばかり起こるのだろう。大きな溜息ひとつ、勇斗はげんなりした表情でそんなことを考える。

 

「…………まあ、でも、今日は留守番1人以外みんなで見回りに出なきゃいけないですし、本格的に取り掛かれるのは明日以降ですかね」

 

 今日は学園都市全体で午前授業が行われるため、街中にはいつもより多くの学生たちが溢れることになる。故に風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)の両組織にはいつも以上に厳戒な見回りをするように通達が出されているのだ。そしてこの第177支部にも「事務仕事係(おるすばん)1人を除いてその他全員で見回りをするように」との指示が風紀委員(ジャッジメント)本部から出されている。恐らくその事務仕事係(おるすばん)は初春になるのだが、各地に出ている同僚からの種々雑多な依頼を捌きつつ大量の書類の処理を同時並行でこなすのはいくら彼女でもきついだろう。

 

 そんなことを念頭に置いての勇斗の言葉だったのだが、

 

「そうは言っても、積んでおくよりは少しでも消化した方がいいでしょう? 千乃君と白井さんがいるから、放っておいたらどんどん始末書で書類の山が増えそうだし。というわけで、今日からみんな残業ね」

 

「「ええー……」」

 

 そのあんまりといえばあんまりなセリフに勇斗と白井は唇を尖らせるが、第177支部の誇る鉄壁委員長系先輩固法美偉はあっさりとそう宣言した。

 

「とりあえず初春さんはオペレーティングしながら並行してできる範囲で処理をお願い。無理せずできる範囲でいいからね」

 

「は、はい」

 

「他は完全下校時刻もしくは指示があるまで見回りをお願いね。夕食は大地が手配してくれたおかげでタダでお弁当が食べられるから、買い食いはしないように。はい、それじゃあ仕事を始めましょうか」

 

 そう言い残して、何だかんだやっぱり疲れたように少し肩を落として、固法は部屋を出ていったのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 午後1時半。第7学区・広場。

 

 不思議な光景だった。広場の中央、そこに1組の男女が白昼堂々正座をさせられている。そしてその2人の前に苛立たしげに腕を組んで立っているやはり男女のペア。立っている方の2人のその腕には、風紀委員(ジャッジメント)であることを表す緑の腕章が取り付けられていた。要するに風紀委員(ジャッジメント)の見回り中に大騒ぎをしていた2人組がお説教を受けているのである。

 

 いやまあ、そんなに多いことでないとはいえ、風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)に白昼堂々お説教をされるケースというのもないわけではない(流石に正座はそうそうないが)。つまりこの「お説教」は、あー見つかっちゃったのねドンマイドンマイ、くらいの視線はもらうにしろ、本来そこまで視線を集めるようなイベントではないのだ。

 

 しかし今回は違った。多くの通行人たちが4人の様子を固唾を飲んで窺っている。怯えたような目を向けるものもあれば、横にいる友人と興奮気に話をしているものまで、その反応は十人十色。しかし全員が並々ならぬ関心を向けていることには変わらない。

 

 ―――― 一体なぜか。それは、説教を受けている側の人間の女子の方、彼女がかの有名な常盤台中学の制服を身に着けているということに起因している。校則が厳しいお嬢様学校の生徒が風紀委員(ジャッジメント)のお世話になるなんて一体何事だ! というわけだ。

 

 ――――そしてもう1つ。周知の通り、常盤台中学は強能力者(レベル3)に満たない学生の入学は、たとえ一国の王族であったとしても認めていない。そこの所は完全な実力主義を敷いている。つまり、常盤台の制服を着用している段階ですなわち強能力者(レベル3)以上であるということになるのだ。――――そんな、強力無比な能力者とイコールであるはずの常盤台中学の生徒を、()()()()()制圧して見せた風紀委員(ジャッジメント)ペアの強さ。それが最も周囲の関心を惹いている。抵抗のためか放たれた電撃をものともせず、目にも留まらぬ速さであっという間に無力化した男子と、一睨みで抵抗する気力を圧し折った女子。彼らを敵に回すことがいったいどれほど恐ろしいことなのか、周囲の通行人たちはその光景を見るだけで嫌でも一瞬で理解させられたのだった。

 

「…………と、いうわけで。何か言い訳は?」

 

 何か効果音でも聞こえてきそうな威圧感と共に、風紀委員(ジャッジメント)の男子の方――――千乃勇斗が、正座させられている2人組――――上条当麻と御坂美琴に問いかけた。まあどちらかといえば、その言葉の矛先は御坂の方を向いている。見回り中に第177支部に入った通報も『痴話喧嘩で彼女が能力を使って彼氏を追い回している』だったし。ヒートアップしていたからか止めに入った勇斗にまで「邪魔すんなぁぁぁぁぁ!!」と叫ぶ有様だったし。おかげで勇斗も少し本気を出すことになってしまった。流れ弾で飛んできた電撃を収束させたAIM拡散力場でいなし、荒れ狂う砂鉄を翼一閃で吹き飛ばし、瞬動術(クイックムーブ)で背後をとって、そのまま拘束。なんて一幕があったのだった。

 

「こ、コイツが待ち合わせ時間に遅刻してくるのが悪いのよ!」

 

 というのは(くだん)の御坂の言。まあ確かに遅刻は良くないことだ。恐らく、上条の事だしそのことについて丁寧な謝罪はしていないんだろう。――――だが、御坂は失念していた。勇斗()()に対してそんな言い訳をするならともかく、この場でそんな言い訳をしようというのは良策とは決して言えないのだということを。

 

 ――――なぜなら、

 

「ねえ……御坂さん?」

 

 一点の曇りもないような素晴らしく爽やかな笑み(ただし目だけは除く)を浮かべた、固法美偉がそこにいるからだ。

 

「そんな理由でここ一帯の通信網信号網電子機器を御釈迦寸前まで追いやっていいのかしら……?」

 

「い、……いや、それ……は……」

 

 一瞬で御坂の気勢が殺がれた。9月1日の一件で学園都市に出現した石人形(ゴーレム)みたいな、得体のしれない怪物相手にも勇敢に立ち向かうあの御坂がだ。隣でとばっちり気味に正座させられていた上条も恐怖に震えている。

 

「この街で、電気を操る超能力者(レベル5)のあなたが、無差別に大暴れなんてしたら、……どうなるのかくらいはわかってるのよね?」

 

「重々承知しております!」

 

 修羅か何かだろうか。横で立っている勇斗ですらちょっと寒気がする。なまじ表情が笑っているから余計に。クソ忙しい中余計な仕事を増やされて相当苛立っているのだろう。――――勇斗も勇斗で結構苛立ってはいたが、そんなもの一気に吹っ飛んでしまった。そんなレベルだ。

 

「わかってくれればいいのよ。わかってくれれば、ね」

 

 意味深にわずかに間をあけて、固法はそう言って微笑んだ。

 

「(勇斗さん……? もうわたくしまで心が砕け散ってしまいそうなのですが……?)」

 

「(多分次同じことがあったらあの視線がお前にも向くからな。流石に俺もかばいきれねえわ。嫌ならもう遅刻すんなよ。あと一応御坂に謝っとけ)」

 

「(任務了解)」

 

 青い顔で震えながら、上条はそう呟いた。

 



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ep.49 9月30日-3

オリキャラのモデル(外見)はあの子です。ちょうどイタリア娘ですしね!


 午後3時。地下街入口。

 

「あなたが要求を呑まないのなら、あなたごと上位個体を撃ち抜くことになりますがよろしいですか、とミサカは確認をとります」

 

「そんなサブマシンガンとゴム弾程度じゃこの人を撃ち抜くなんて無理なんじゃない? ってミサカはミサカは頭越しに10032号を挑発してみたりー」

 

「ならば確かめてみましょう。今こそ革命の時です、とミサカはここに宣言します」

 

「少しでも撃つそぶりを見せてみろその瞬間がお前の最後だ御坂妹」

 

 存外にドスのきいた声で、勇斗は目の前に立つ御坂妹――――鈍く光るサブマシンガンを勇斗に突き付けている――――に宣言する。

 

「ちなみに打ち止め(ラストオーダー)の言う通り、そんなおもちゃじゃ俺には勝てねえぞ」

 

「……、…………、……ミサカネットワーク内でも同様の結論に達しました。無駄なことはやめて武器を下ろします、とミサカは諦めの意思を表示します」

 

 その様子を見た御坂妹が、突きつけていたサブマシンガンを下ろした。銃弾――――暴徒鎮圧用のゴム弾をマガジンから取り出し、サブマシンガン本体と共に、肩掛けにしていた学生鞄にしまい込む。

 

 そこまで確認して、勇斗は肩~背に抱き付くようにして隠れていた打ち止め(ラストオーダー)を地面に降ろした。

 

 ――――野暮用で支部に戻ることになった固法と別れ、白井と合流することになった勇斗。そんな勇斗に、「物騒な姉妹喧嘩をしている姉妹がいる」という通報が入ったのはつい先刻の事。とりあえず通報のあった場所まで向かっていたその途中、ダダダダダ、ガバッ!と地下街から飛び出してきた人影が背後からジャンプ一番抱き付いてきたのだ。「ぴゃー、助けてー!ってミサカはミサカは安全地帯に抱き付いてみたり―!」という声と共に。

 

 いきなり抱き付かれるし抱き付いてきた人間の髪の毛が首筋に当たってざわざわするしで大分びっくりした勇斗だったが、肩ごしに後ろを振り返ればそこにいたのは、その特徴的な語尾で予想した通りの見た目10歳くらいの少女。体は幼いながら顔つきはさっきシメた某超能力者(レベル5)とそっくり。――――早い話が、ミサカシスターズ検体番号(シリアルナンバー)20001号、打ち止め(ラストオーダー)だったのだ。

 

「おー久しぶりだな打ち止め(ラストオーダー)。っていきなり『助けて』ってどうしたんだ藪から棒に。……追われてるのか?」

 

「うん! そう! ってミサカはミサカは元気よく答えてみたり!」

 

 ――――学園都市の最暗部、ある意味ではこの街の負の側面の結晶ともいえる存在、『妹達(シスターズ)』。そしてその司令塔たる上位個体、打ち止め(ラストオーダー)。彼女1人さえ手に入れてしまえば、1万人ほどの発電系能力者(エレクトロマスター)が形作る生体ネットワーク、『ミサカネットワーク』を操ることができる。それを悪用した結果、それが悪用された結果、発生したのが9月20日の一件。木原幻生、学園都市暗部に蠢く木原一族の1人、SYSTEM分野研究の長老たる彼が、ミサカネットワークを乗っ取り、AIM拡散力場の流れを操作し、捻じ曲げ、収束させ、御坂美琴の体に叩き込むことで能力の暴走/覚醒を促した。結果、御坂は単なる『科学』の範疇を越え、『異世界(まじゅつ)』に足を突っ込みかけたわけだ。

 

 扱い方によっては凶悪な武器となるミサカネットワーク。その司令塔直々の救援依頼にシリアスな空気を感じ勇斗は一瞬身を固くするが、すぐに元気よく微笑んでいる打ち止め(ラストオーダー)の表情が目に入り、拍子抜けしてしまう。

 

「? ……どういう状、」

 

 状況だ? と問いかけようとした勇斗。しかし言い終える前に、そこで次なる登場人物がその場に乱入する。

 

「その背中に乗っているちっこいのをすぐにこちらに引き渡しなさい、とミサカはこのサブマシンガンを突き付けながら要求します」

 

 それはミサカ10032号、通称御坂妹と呼ばれる少女だった。打ち止め(ラストオーダー)同様地下街から飛び出してきた彼女のその手には、鈍い光を放つサブマシンガン。引き金に指を掛けたまま、その銃口を勇斗に真っ直ぐ向けている。――――そんな光景を見た通行人がギョッと驚いた表情を見せ、速足でその場を逃げていった。

 

 ――――そして話は冒頭に繋がる訳だ。

 

 テキパキと銃を学生鞄にしまう御坂妹。それを眺めながら勇斗は気づいてしまった。通報で言われていた姉妹喧嘩、恐らく原因はこいつらなのだと。

 

 ――――無駄に疲れたような気がする。かと言ってこのいたいけな少女たちにキレるのもなんというか違う気がする。

 

 そんな感じのぐったりした感じを込めて、勇斗は口を開いた。

 

「……つーか、何で姉妹喧嘩ごときでそんなゴツイサブマシンガン持ち出してんだよ」

 

「上位個体直々の演習依頼とあれば本気を出すしかないでしょう、とミサカは理由を説明します」

 

 銃をしまい、学生鞄を肩掛けにして、御坂妹は勇斗を――――そして勇斗越しに打ち止め(ラストオーダー)を見つめ、そんなことを言った。

 

「演習依頼…………? 軍事演習でもやってたのかよ…………」

 

「ミサカにゴーグルを取られてー、取り返そうとムキになってただけかも、ってミサカはミサカは10032号の精神的な未熟さを指摘してみたり」

 

 フフン、と胸(平ら)を張ってふんぞり返る打ち止め(ラストオーダー)。確かにその頭には、いつもは御坂妹が持っているゴツイゴーグルが乗っていた。それを見た御坂妹、()()()()()()ムッとした表情を浮かべるという器用なことをやってのけ、

 

「言ってくれますね上位個体、とミサカは静かに怒りをあらわにします。それに精神的な未熟さについてはあなたに指摘される筋合いはありません、とミサカは上位個体の論理的欠陥を指摘します」

 

「べー、だ。ミサカはまだ見た目が幼いからいいんだもーん、ってミサカはミサカは自分の強みを存分に利用してみたりー」

 

「…………やはり今こそ革命を」

 

 目にも留まらぬ早業で再び鞄からサブマシンガンを取り出す御坂妹。しかしその銃口が勇斗と打ち止め(ラストオーダー)に向けられるより早く、勇斗は銃ごと腕を捻り上げ、御坂妹の動きを封じていた。

 

「悪いわアホか。いい加減にしろ」

 

 そして脳天にチョップ。

 

「な…………、『実験』で鍛えられたこのミサカよりも早い……? とミサカは驚愕を露わにします」

 

「すごいすごーい!何でそんなにはやいのー!? ってミサカもミサカもびっくりしてみたりー!」

 

「そしてこの強引な感じ……、嫌いじゃありません。 とミサカは頬を紅く染めてみます。……ぽっ」

 

「ぽっ、じゃねーよ無表情のままじゃねーか。そろそろ反省しろよテメェ」

 

 勇斗のボヤキはむなしく街に溶けていく。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 午後4時。第3学区・喫茶店。

 

『おいテネブラ。お前今どこで何してんのよ』

 

 スマートフォンのスピーカーから不機嫌そうな女性の声が流れてきた。

 

「えーっとぉ、……第3学区ってところにあるカフェでぇ、優雅にティータイム、ってところかしらねぇ。意外とおいしいわよぉ。ヴェントの分も買っていくぅ?」

 

 その声に対し、ふわふわした声の持ち主が応える。

 

 第3学区。外部からの客を多く招くために色々とオシャレなカスタムで装飾された学区。その一角にあるシャレオツな喫茶店。静かでゆったりした時間が流れる空間の中、それをぶち壊しにするような声で――――別にそこまで大声を出しているわけではないのだが――――電話をしている女性が1人。ウェーブがかった腰まで届く長い茶髪を頭の後ろで束ねている。目も同じ茶色。白いノースリーブのシャツと赤いネクタイを押し上げる豊満な胸部、すらりとした腰のくびれ。黒いスカートからは同色のガーターベルトが覗いている。みな口を揃えて『可愛い』と評価するだろう整った顔立ちに、嫉妬すら集めてしまうような女性らしい体つきだ。

 

「特にこの『ほうじ茶ティーラテ』ってのがいいわねぇ。店員さんに勧められた通り『オールミルク』にしたんだけどぉ、正解だったわぁ」

 

 店内に彼女以外の客がいないわけではない。それどころかむしろ午前授業だったということもあり、普段の平日と比べると、客――――ちょっと背伸びしたがりな女子中高生たちの姿が目立つ――――は多いくらいだ。しかしその大勢の客の誰もが、そして店員ですら、何の反応も示さない。()()()()()()、彼女は周囲の世界から隔絶されていた。

 

『……………………それ、ちょっとウマそうなのが腹立つ』

 

「あらぁ、ヴェントも素直じゃないわねぇ」

 

 電話口、たっぷりと沈黙した後にとびっきり不機嫌そうな声でそう返事をした『ヴェント』に対し、『ヴェント』から『テネブラ』と呼ばれたその女性は、優雅にクスクス笑いながらそう返答した。

 

「…………そういえばヴェント、今さらっと流しちゃったけどぉ、やっぱり『テネブラ』って呼ばれるのは慣れないわねぇ。前までみたいにぃ、『ルーチェ』って呼んでほしいなぁ」

 

『いや……どう考えても無理があるだろそれ。中年過ぎたオバサンを「女の子」って呼ぶくらい無茶だと思うわよ』

 

 溜息と共にそんな辛辣なセリフが返ってきた。しかし『テネブラ』はそれに対して怒るわけでもなく、優雅な笑みを崩すこともなく、

 

「あー、やっぱりぃ? 確かに私もぉ、今は『ルーチェ』より『テネブラ』の方がしっくりくるって思ってるんだけどぉ」

 

『今だろうがそうじゃなかろうが間違いなくお前は「テネブラ」の方があってるよ。そんなにおっとりした見た目なのに、心の中に一体何を隠してんだか』

 

 電話の向こうで、やれやれ、と肩をすくめている姿が目に浮かんでくるような、そんなわかりやすい声色だった。

 

「あー、そうやってすぐ人を腹黒女みたいに言うんだからぁ。そういう風に口が悪いのがヴェントの悪いところだよぉ」

 

『いや……「腹黒女みたい」っていうか、要するに「腹黒女」ってことだからな』

 

「…………腹に一物抱えた女ってぇ、何かこう、ミステリアスっぽくて魅力的よねぇ」

 

『…………お前がそう思ってるんならそうなんだろうよ』

 

「そういうことにしておいてぇ~」

 

 ふふ、とやはり上品に1つ笑って彼女はその話題を打ち切った。そして、改めて、

 

「そういえばぁ、()()()()()ぅ?」

 

『…………術式の調整に時間がかかってる』

 

 そんな彼女の一言で、一瞬にして電話の向こうの雰囲気が変わった。和やかな空気は霧散し、張り詰めた空気が漂い始める。

 

『しばらくこの霊装を使ってなかったからな。()()()は強力な分、繊細な調整が必要なんだよ』

 

「うーん、……それはぁ、あとどれくらいかかるのぉ?」

 

『あと1時間半から2時間ってとこ。終わり次第派手に突っ込んでやるわよ』

 

「もちろんいいわよぉ。その方が『天罰』の効果も上がるだろうしぃ」

 

 そして彼女(テネブラ)は、口元をキュッと吊り上げる。

 

「ヴェントが好き放題暴れてくれるとぉ、私も私の目的が果たしやすいからぁ、もうどーんとド派手にやっちゃってねぇ」

 

『……言われなくてもそのつもり』

 

 再び溜息と共にそんな言葉が聞こえてきて、そして通話が途切れる。それと同時に、オーディオのボリュームを上げたかのように、周囲の喧騒――――ごくごく小さな話し声や食器を持ち上げたり動かしたりした時のちょっとしたカチャっという音くらいだが――――が戻ってきた。

 

 その変化を耳で感じながら、彼女は目の前に置いたふた付きの紙カップのふちに優しく指を這わせる。

 

(ふふふ……やっとあなたに会えるのねぇ、千乃勇斗くん。楽しみだわぁ)

 

 実に楽しげに、少なくとも表面上は一転の曇りもなく、しかし心の中を窺わせることのない、そんな素敵な微笑みを浮かべて、

 

(こんなに長い2時間っていうのも、そうそう無いでしょうねぇ)

 

 テネブラ、という名で呼ばれる『5人目』は、今はまだ優雅な時間を過ごしているのだった。

 



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ep.50 9月30日-4

主要人物は殺さない主義です


 午後6時15分。第7学区・地下街。

 

「大覇星祭の時も思いましたけど……勇斗さんって超個性的なお友達がいらっしゃるんですね」

 

「残念ながら否定できねえな」

 

 完全下校時刻が近づき、家路につく学生たちが目立ち始めた地下街。そんな人の流れに乗って、勇斗と絹旗は2人連れだって歩いていた。勇斗は見回りから177支部に戻る途中。絹旗は買い物からの帰宅途中だ。

 

 ――――別に、2人が待ち合わせをして「途中まで一緒に帰りましょう」みたいな甘酸っぱいマネをしようとしたわけではない。地下街の見回りをしていた勇斗が、同じく地下街にいた絹旗とたまたま会っただけだ。正確に言えばwith上条and打ち止め(ラストオーダー)状態の絹旗に、だ。ベンチに座ってだべっている3人組を見たときはあまりに珍しい組み合わせ過ぎて目を疑った。もっと正確に言えば、上条は打ち止め(ラストオーダー)に背中から抱き付かれ、おんぶをするような格好になっていたけども。――――何なんだこのツンツン頭は。気が付くと常に周りに誰かしら女の子を引き連れている気がする。見境なしか。誰でもターゲットか。……なんてことを勇斗が考えてしまってもやむなしというべきか。――――ぶっちゃけ聞く人が聞けば今のツッコミはまさしく「お前が言うな」的な代物なのだが。

 

 閑話休題。

 

 絹旗が勇斗に向かって「お前の友達やべーな(意訳)」的なセリフを放ったのには理由がある。――――とはいえ、別に今のセリフは「上条さんってロリコンなんですね」という意図で放ったわけではない。()()()()()()連中が乱入してきたせいだ。

 

 勇斗が不思議3人組に遭遇したすぐ後のことだ。どこからともなくこんな声が聞こえてきたのだ、「「あらあらー、この子たちったらー」」という得体の知れない不気味な、男の猫撫で声(ハモリ)が。

 

 その声に女性陣の絹旗と打ち止め(ラストオーダー)は生理的に受け付けられない不気味さを覚え、男性陣の勇斗と上条は見つかってはいけない連中に見つかってしまった自らの不運さを呪った。

 

 その声を発したのは2人のうちのどちらだったか、知らず「ウソだろ……?」なんて呟きが漏れる。

 

 ――――言わずもがな、そこに現れたのは土御門と青髪ピアスの2人組。警戒し、嫌悪と拒絶を感じさせる硬い表情を浮かべた絹旗と打ち止め(ラストオーダー)にお構いなしに、テンション高めに話しかけてきたのだ。

 

「いやまあ勇斗はガチだからいいとして―。カミやんって昔管理人の年上のお姉さんがいいとか言ってなかったかにゃー? 小萌先生とかならまあ実年齢があれだし色々理解はできるけどこんなガチ幼女相手にそれとかいったいどうなってんだにゃー!!」

 

「ゆーやんはこの際もうええわ! ガチやし! 問題はテメェやカミやん! 目についた女の子所構わず粉かけてッ! ついにロリペド路線の開拓を始めたんかッ!!」

 

「「おいテメェら今なんつったァァ!?」」

 

 『ガチ』扱いされた勇斗も、あらぬ疑いを掛けられた上条も、抗議の声を上げる。そして精神系能力者に頼ることなく、勇斗と上条の心は1つになった。――――この有害で教育に悪いことこの上ない人間たちを、少女たちの前から一刻も早く排除しなければならない。

 

 ――――そして、拳を振るう大乱闘が幕を開けたのだった。

 

 以上、回想終わり。結果は言うまでもない。

 

「なんだかあの青い髪の人、大覇星祭の時よりヤバさが超増してた気がするんですが」

 

「……いやあ? 多分変わってねーよ。高止まりしてるっていう悪い意味で」

 

 肩をすくめて、勇斗は青髪をそう評した。

 

「……まあでも、個性的っていう意味では第1位が一番かもしれないですね」

 

「否定しないわ、それも」

 

 遠くを見るような表情でそんな風に言った絹旗。――――そう、大乱闘の後、学園都市の第1位、一方通行(アクセラレータ)もその場に乱入してきたのだ。with銀髪シスター(インデックス)というこれまた謎な組み合わせ状態で。

 

 ――――――――。

 

「 ―――― あー、とうまだー! やっと見つけたんだよー! ……ゆうととさいあいもいるなら、最初からわたしの事も呼んでほしかったんだよ!」

 

 何とか土御門と青髪ピアス(変態2人組)を撃退し疲労感にまみれた勇斗と上条、そしてそれを労う2人の少女、その4人の耳に飛び込んできたのはそんな言葉だった。その声の出どころに4人が目をやれば、案の定近づいてくるのは銀髪のシスターさん(インデックス)。嬉しそうに手を振りながら、こちらの方に近づいてくる。

 

 ――――しかし、その事以上に4人の目を奪ったものがあった。インデックスの背後、杖を突きながら歩いてくる人影。その髪の毛はインデックスの修道服に負けない白さ。着ている服も白(と黒のボーダー)。肌も白く、目は赤く、――――アルビノのような身体的特徴を持っていた。

 

 勇斗には見覚えがあった。言うなれば旧知の仲だ。上条にも見覚えがあった。死闘を交わした相手だ、忘れたくても忘れられない。絹旗には直接的な面識はなかった。しかし直接的な面識以上に、彼女は『暗闇の5月計画』という語句(ワード)で『彼』との深い繋がりを持っている。そして打ち止め(ラストオーダー)は絹旗以上に複雑怪奇な繋がりを彼との間に築いていた。

 

「……中々面白ェメンツが揃ってンじゃねェか」

 

「あー、この人はね、行き倒れそうになったわたしに山のようなハンバーガーをご馳走してくれた『あくせられーた』っていう人なんだよ!」

 

 ――――一方通行(アクセラレータ)、彼の登場に4人は4者4様の反応を見せる。勇斗は面白そうに笑い、上条は固く強張った表情を浮かべ、絹旗は興味深そうな視線を向け、打ち止め(ラストオーダー)はキラキラした熱い視線を向けていた。

 

 対する一方通行(アクセラレータ)は、打ち止め(ラストオーダー)に(一瞬ホッとしたような視線を向けた後で)ちょっと苛立ったような視線を向け、絹旗に「誰だコイツ」的な視線を向け、上条には複雑にいろんな感情が入り混じった複雑な感じの表情をプレゼントして、勇斗に向けてにやりと笑って見せた。

 

「まさかこんな繋がりがあるなンてなァ。……世間ってのは狭ェもンだ」

 

「……ま、実際そういうもんじゃね?」

 

 肩をすくめ、勇斗はそう返答する。親しげに話すその姿に、インデックスと上条は驚いたような表情を浮かべた。

 

「勇斗……? 知り合い……なのか……?」「あれ? ゆうとはあくせられーたの知り合いなの?」

 

「……まあ、そうなるな。実は結構古い付き合いだったりもするんだぜ」

 

「ついこの間に、年単位ぶりに再会したばっかりじゃねェか」

 

「ウソはついてないからいいんだよ」

 

 再び肩をすくめる勇斗。

 

「……で? 『面白ェメンツ』ってセリフ、そっくりそのまま返したいくらいお前ら2人も十分変なメンツなんだけど、そちらさん方はどんな用件で?」

 

打ち止め(まいご)捜索中に行き倒れかけてる場違い感ハンパねェシスター拾ったのが運の尽き、ってやつだァ」

 

「昼ご飯も用意せずに出かけたとうまをとっちめようと思って街に出たら空腹すぎて行き倒れてそこであくせられーたに拾ってもらったんだよ」

 

「コイツの食欲な、掃除機よりやべェぞ」

 

「……それについてはこいつから聞いてるから重々承知してる」

 

 苦笑いを浮かべつつ、『こいつ=上条』を指さしながら勇斗はそう答えた。そのジェスチャーに、上条と一方通行(アクセラレータ)はそろって複雑そうな表情を浮かべる。

 

「……まさかテメェに、こんな所で会うことになるとはなァ」

 

「……全くだよ。思ってもみなかった」

 

 そう言ったっきり、2人は口を閉じてしまう。

 

「……あれ? 2人ともどうしたの?」

 

 この集団の中でただ1人何の事情も知らないインデックスだけが、無邪気な声で上条と一方通行(アクセラレータ)交互にそう声を掛けていた。

 

「……いや、前に()()()()()()ケンカしたんだよ。ちょっとだけな」

 

 仕方なく勇斗が場の空気を読んでそんなフォローの一言を発する。まあ、片や人生初の挫折(はいぼく)を喰らい、片や洒落にならないレベルで死にかけたあのガチバトルを『ちょっとケンカしただけ』なんて言い方で表現するのはちょっとどうかと思ったけれど。とはいえ、当事者や事情に通ずる人間ならともかく、一応聖職者(シスター)であるインデックスにあの一連の事件を事細かありのまま語ってやるわけにもいかないのだ。

 

「まあちょうどいい機会だし、ここで仲直りの握手でもしといたらいいんじゃねえの?」

 

「色々と怖いから」「めんどくせェから」「「パスで」」

 

「……ついついハモっちゃうくらいには気が合うってことか。将来は明るいな」

 

 そう評された2人は、しかしやはり複雑な表情を浮かべていた。

 

 以上、回想その2、終わり。

 

 その後その計6人は、それぞれ上条・インデックスペア、一方通行(アクセラレータ)打ち止め(ラストオーダー)ペア、勇斗・絹旗ペアに分かれ、そして今現在に至る。

 

 2人は角を曲がる。もうしばらく歩けば地下街の出口。そっちの方からは所謂雨の匂い――――濡れたアスファルトの匂いがふわりと漂ってくる。いよいよ雨が降り出したらしい。空気も少しずつ湿り始め、重みを増し始めていた。

 

「うーん、降り始める前には帰りたかったんですけどねえ」

 

 髪の毛に指を絡めつつ絹旗はぼやく。湿気は乙女の超大敵ですよねー、というセリフがそれに続いた。

 

「勇斗さんの能力でどうにかできません?」

 

「……雨雲をふっ飛ばせばいいの?」

 

「……一応聞きますけど、できるんですか?」

 

「やろうと思えばできなくもない気がするんだよなあ。……やってみる?」

 

「……やめときましょう。どこかで超困る人とかもいるかもしれませんし」

 

「それ以前に、雲を吹っ飛ばすためには『上』に行かないといけないからどっちにしろ濡れるんだよなあ……。濡れないために濡れるしかないとか、本末転倒もいいところじゃね?」

 

「あ、でもでも、……『水も滴るいい男』という言葉もありますよね」

 

「雨を浴びてこいと?」

 

「浴びたらもっとかっこよくなるかもしれません」

 

「それは悩ましい……………………けど、この強さだとちょっとなあ……」

 

「確かにこれは……傘なしではちょっと辛いですね」

 

 なんやかんや喋っているうちにエスカレーターを登り終え、地上部分の入り口まで戻ってきていた勇斗と絹旗。外を見てみると、夕闇に覆われ始めた街中に『え? これ傘なしで行くとか正気?』くらいの強さの雨が降り注いでいた。周囲では諦めの表情を浮かべて雨の下駆け出していく人間や、同じく諦めたように傘を買いに戻る人間、全身濡れ鼠状態で駆け込んでくる人間など、屋根の下はそこそこの混雑を見せている。

 

「勇斗さん、傘持ってます?」

 

「……生憎持ってない。絹旗は?」

 

「実は折り畳み傘なら持ってます」

 

「……入れてもらっていい? ただでさえ変態2人組との乱闘と1位乱入騒ぎで帰りが遅くなってんのに、これ以上遅れたら先輩にぶん殴られそうだ」

 

「……超狭いですが、それでいいなら」

 

「……あれー絹旗ちゃん、耳が赤いぞー」

 

「っ!? う……、うるさいですよ! ……もう! そういうこと言うと入れてあげませんからね!」

 

「あー、悪い悪い。ってことで謝ったから勝手に入れてもらうわ」

 

「な、ちょ、……もう! 超強引ですね!」

 

「うるさいうるさい。絹旗は固法先輩の恐ろしさを知らないからそんな悠長に構えてられるんだよ」

 

「……仕方ないですね! なら今度お礼にご飯おごってください!」

 

「お安い御用。積んでる書類の処理が終わったらいくらでも連れて行ってやるさ」

 

「……いくらでも、ですか?」

 

「ん……まあ、そうだね。どうせこの先もこんな機会は多いだろうし、仲良くやろうぜ」

 

「……、は、はい!」

 

 ――――さて、勇斗と絹旗はこんな会話をしているわけだが……、思い出してほしい。ここは一応たくさんの人間が雨宿りをしている人込みのど真ん中。そんな場所で、こんな会話をしている男女ペアを見かけたら、果たして周囲の人間は何を思うだろうか。――――当の2人も、周囲から得体の知れない『威圧感』のようなものを感じ取り、会話を切り上げてそこを離れることにした。生憎と2人には人前でいちゃつく様な趣味はないのだ。――――無自覚とはかくも性質が悪い。

 

「――――ありがとうございます勇斗さん、傘持ってもらっちゃって」

 

「気にしない気にしない。ていうかこの場面で絹旗に持ってもらうのも変な絵面になるし」

 

 こうして2人は雨の中、相合傘状態で歩き始めたのだ。当然ながら勇斗は傘を絹旗の方に傾けてやり、車道側に位置を取るという完璧体制。

 

「肩が超濡れちゃってますけど大丈夫なんですか?」

 

「支部に行けば着替え置いてるからまあ何とかなる。全身ずぶ濡れにさえならなければそんなに体も冷えないし」

 

「……おかげさまで足元以外はほとんど濡れずに済んでます」

 

「そいつは何より」

 

 ちゃぷちゃぷと音を立てながら2人は歩を進めていく。ゆっくりと、ゆったりと。

 

 ――――と、その時だ。穏やかな時間をぶち壊すような、甲高いアラーム音が鳴り響いたのは。一瞬で勇斗の表情が変化した。緊迫感を孕んだ、真剣この上ないそれへと。

 

「……勇斗さん、これは?」

 

「……第177支部からの緊急呼び出しアラームだよ。まさかこれで呼び出されるくらい先輩怒ってんのか……?」

 

 若干の怯えを見せつつ、勇斗はポケットから携帯端末(防水機能付き)を取り出す。音声通話が着信しているようだ。勇斗は『お口にチャック→しー』のジェスチャーを絹旗に見せて、その通話に応答した。

 

「……もしもし、千乃ですけど」

 

『勇斗先輩! 今どこにいるんですの!?』

 

「うるさくて耳がいてえ! ……って白井か。地下街西出口を出たとこにいるけど、どうかしたのか?」

 

『単刀直入に言いますわ。学園都市の内部に、テロリストが侵入しましたの』

 

「…………なんだって?」

 

 思いがけない物騒極まりない白井の報告に驚く勇斗。その横で、それが聞こえたのだろう、絹旗も自分の端末を取り出し、どこかのだれかと通話を始めようとしていた。

 

『今データを先輩の端末に……初春? 初春!? どうしましたの!?』

 

「!? どうした! 何があった!」

 

 電話の向こうからの不穏な叫びが勇斗の耳を叩く。

 

『な……、固法先輩? 坂本先輩まで? そんな……一体何が……?』

 

「おい! 白井! どうしたんだ!」

 

『これ……、こいつ、は……、ガ、ハッ! ……ゆ、せんぱ……』

 

「白井? おい白井!!」

 

 ガシャン!! という落下音、そしてドタッという重い『もの』が倒れるような音が連続する。そしてそれっきり、何の応答も、何の反応も帰ってこなくなった。

 

「……その反応を見る限りだと、勇斗さんの方もやられたみたいですね」

 

 呆然とする勇斗に、同じく通話を終えた絹旗がそう声を掛ける。

 

「……『も』?」

 

「ええ」

 

 絹旗はそこで1つ頷いて、

 

「こちらも麦野達がやられたそうです」

 

「第4位が……?」

 

「はい。――――現在、学園都市全土で警備員(アンチスキル)風紀委員(ジャッジメント)などの治安維持に関わっている人間を中心に、数多くの人間が次々と意識を失っているらしいです。生命反応に異常はなく、ただ単に意識を失って倒れるだけ。原因は不明。電話先の相手も最後には倒れちゃったみたいでそれ以上の詳細情報は得られませんでした」

 

 そう言って絹旗は肩をすくめる。

 

「……」

 

 勇斗はそれに対して口を開こうとして、そしてそこで端末が振動していることに気が付いた。目を落とせば、受信完了画面。どうやら白井が送信してくれていた、テロリストに関するデータの受信が終わったらしい。

 

「ならまず……敵さんのツラから拝んでみるか」

 

「……ええ。そうしましょうか」

 

 2人は顔を見合わせて、そして揃って画面に目を落とす。データが展開され、画像が画面いっぱいに表示された。

 

「これは……」

 

 そこに映っていたのは、全身真黄色の衣装を身に纏う人物。そのド派手な色を除けば、シルエットは19世紀のフランスの女性市民のそれ。女装癖のある人間でもなければ、女性だ。同時に添付されていた動画にも目を通せば、その女性がハンマーのような鈍器を振り回すことで不可視の何かを生み出し、ゲートを強行突破する様子が映る。隔壁や無人兵器、武装した警備員(アンチスキル)など意にも介すことはない。圧倒的な力の差でもって、その場を蹂躙していた。

 

 この手合い、勇斗には見覚えがある。アンティークな――――現代的ではないという意味で――――衣装に身を包み、学園都市で研究される『超能力』にも似た『異能』を操る者たち。確証はないが、恐らくこのテロリストの正体は、

 

「――――魔術師か!」

 

 その瞬間だった。その言葉が引き金となったように、唐突に、勇斗の体を衝撃が襲った。

 

「ガ、ぐっ……!?」

 

 全身を強烈な脱力感が襲っていた。尋常ではない。持っていた傘が手から零れ落ちる。体がふらつき、とてもじゃないが立っていられない。たまらず膝をつく。徹夜明けのそれのように、頭の中に靄がかかったように考えがまとまらなくなる。呼吸をするのすら億劫になるほどに体が重い。次いで急速に狭まり始めた視界の端では同じように苦しんでいる絹旗の姿も見えるが、気遣いたくても気遣う余裕などない。

 

 周囲には不審な人影も何も無かったはずだ。破壊されたゲートからも大分距離は空いている。『敵』は一体どうやってここに狙いを定めてきたというのか。理解が及ばない。訳が分からない。そんな感想を思い浮かべる力すら、余裕すら、着実に殺がれていく。

 

(く  … …そ、が…   ……)

 

 そして、勇斗の意識は闇に呑まれ――――、るその寸前。いや、もしかすると一度は完全に意識を失っていたかもしれない。ともかく、全てが暗闇に呑まれてしまいそうになったその刹那。

 

 ドンッ!! っという音が響いた。頭の中の靄が、つい先刻とは真逆に、急速に晴れていく。手に、足に、体全体に力が戻る。呼吸ができる。声が出る。

 

「……ぷはっ!! な……何だったんですか今のは……。……その翼、勇斗さんがどうにかしてくれたんですか?」

 

 これまた勇斗同様に回復した様子を見せた絹旗。彼女は勇斗の背と頭上に青みがかった白銀の翼と同色のケルト十字型の円環が出現しているのを見つけ、そう尋ねる。

 

「…………そうっぽい」

 

「ぽいって何ですかぽいって」

 

「…………」

 

 今の瞬間、勇斗には演算に割ける余裕(リソース)などなかったのだ。いくら能力の行使に慣れているとはいっても、全く演算をすることなしに能力を発動させることなどできはしない。なのに、その翼と円環は出現した。

 

 ――――あたかも、何らかの『力』によって体から押し出されたかのように。そして出現と同時、2人を(いまし)める『何か』を破壊して。

 

 そのことが一体何を意味するのか、解答にたどり着いた勇斗が絹旗の言葉に返答しようとした、そのタイミングで、

 

「うーん、やっぱり。あなたならヴェントの『天罰』に負けない、っていう私の予想はぁ、正しかったみたいねぇ」

 

「「!?」」

 

 突然、第三者の、女性の声が聞こえてきたのだ。背後、2人の後方からその声は響いてくる。気配は感じられなかった。勇斗の探知能力(AIMレーダー)にも引っかからなかった。映画のコマの途中に無理矢理書き足されたかのような唐突さで、その声の主はその場に現れていた。

 

「ここまでは合格よぉ。じゃあ、早速次に行かせてもらうわねぇ」

 

 その声の主はそんなことをのたまう。何が始まるというのだ。そもそもこの声は一体だれのものなのだ。――――しかし何故か、2人は振り向くことができない。振り向きたいと思っているのに、首が、足が、体全体が、振り向くことを拒んでいる。

 

「――――お話の邪魔になるしぃ、いい『エサ』になるだろうしぃ、……ちょっと死んでみてぇ」

 

 語尾にハートマークが着いているような甘い声と、それとは正反対すぎるセリフの内容。しかしそのギャップを2人が正しく理解する前に、

 

 ――――勇斗の頬に何かが当たった。それは降りしきる雨と同じような液体で、しかし雨より温かいものだった。次いで、雨に濡れたアスファルトの匂いに交じって鉄臭い嫌な臭いが勇斗に届く。

 

「うーん、この子、何かを展開していたみたいだけれどぉ、……薄すぎるわねぇ。それじゃあ足りないわぁ」

 

 ついさっき背後の方から聞こえた声が、いつの間にかすぐ左斜め後ろから聞こえてくる。今度はすぐに振り向くことができた。

 

 ――――勇斗のすぐ左横。絹旗の胸のあたりから、()()()()()()()()()()()

 

「な……」

 

 腕を根元の方に辿っていくと、絹旗のすぐ背後に寄り添うように、1人の女性が立っていた。ウェーブがかった腰まで届く長い茶髪を頭の後ろで束ね、白いノースリーブのシャツに赤いネクタイが覗いている。その女性の右腕が、絹旗の体を貫いている。

 

「に、を……」

 

 そのまま、勇斗は腕の先の方へ視線を移す。そして見つけた。見つけてしまった。腕の先、右の手の平に女性は何かを握っている。――――握りこぶしほどの大きさの、未だ脈打つカタマリを。

 

 この先すぐ後、勇斗はこの女性が何をするのかを理解した。理解させられた。

 

「やめ……!」

 

「い・や・よぉ」

 

 愉悦の表情を浮かべ、その女性はその手のひらを握りこむ。グシャリ、と、肉を潰す嫌な音と共にカタマリはより小さな破片となって周囲に飛び散った。絹旗の小柄な体が一度だけビクリ、と大きく跳ねる。

 

 そして無造作に、女性は絹旗から右腕を引き抜いた。支えを失った絹旗の体があっさりと力なくアスファルトに転がる。その胸からはとめどなく赤い鮮血が溢れ出し、そして絹旗は微動だにしない。

 

「まぁ、お膳立てはこんな所かしらねぇ」

 

 隠し切れない高揚を孕んだそんな声が、雨の学園都市に溶けていく。

 

 



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ep.51 9月30日-5

「きぬ……は、た……?」

 

 勇斗のうめくような呟きが雨の街に溶けてゆく。しかし呼びかけられた絹旗に反応は見られない。ただひたすらに、胸に空けられた大穴から鮮血が溢れ出すだけ。それ以外に、彼女が見せる動きは、何一つなかった。

 

「きぬはたっ!」

 

 完全に動きを止めていた勇斗の頭が、その機能を取り戻す。改めて勇斗は絹旗の様子を観察する。――――致命傷どころの話ではない。手刀で胸を貫かれ、心臓を握り潰された。普通ならまず間違いなく絶命する。そしてこのままなら、絹旗もまたその運命を辿ることは想像に難くない。

 

 ――――だが、まだ希望はある。この街にはあの『カエル顔の医者(せんせい)』がいる。『冥土帰し(ヘブンキャンセラー)』とまで呼ばれるあの人なら、この状況でもきっとなんとかしてくれる。そのためには可及的速やかにこの場から離脱し、絹旗を先生に託さなければならない。

 

 ――――そんなことを考えていた勇斗の全身を、横っ腹から強烈な衝撃が見舞った。目に見えない壁が物凄いスピードでぶつかってきたかのような、そんな感覚だ。

 

「が、っ……!?」

 

 あまりの衝撃に肺から空気が押し出され、ちょっとした酸欠状態が勇斗の意識を蝕む。吹き飛ばされ、転がり、雨に濡れたアスファルトに全身あちこちを削られるが、その痛みすら膜一枚通した向こう側のようなくぐもった痛みに感じられた。

 

「やあよぉ、話はまだこれからなんだからぁ」

 

 緊張感の欠片もない、直前に人の心臓を潰したとは思えないような気の抜けた声が勇斗の耳に届いた。声の出どころは倒れている絹旗のすぐ横。ふんわりと、こんな状況でなければ見惚れていたかもしれない、朗らかな笑みを浮かべている。行動と表情の不一致がここまで人に不安をもたらすものなのか、否応なしに理解させられる。

 

「私の名前はねぇ、『テネブラ』っていうのぉ。本当はぁ、『ルーチェ』がよかったんだけどぉ。まあとにかくぅ、これからよろしくねぇ、千乃勇斗くん」

 

「知った、ことか……ッ!!」

 

 怒声でそう返答し、勇斗は絹旗のもとへ駆け寄る。

 

「もー、聞き分けの悪い子はぁ、お仕置きよぉ」

 

 そんな風に、笑いながら呟いて、――――今度は真正面だ。再びの衝撃。『面』状の何かが、勇斗の体の前側に隈なく叩き付けられた。顔を殴られたわけでもなく、鳩尾を突かれたわけでもなく、前面から()()()衝撃が襲い掛かり、そして再び吹き飛ばされたのだ。視界が明滅し、平衡感覚が狂い、碌に受け身も取れないまま、またしても勇斗は全身至る所をアスファルトに削られることになる。

 

「これでぇ、少しは話を聞いてくれる気になったかしらぁ?」

 

「なるわけ……ねぇだろうがッ!!」

 

 よろけながらも再び立ち上がり、喉を枯らすほどの怒りにまみれた叫び声とともに、勇斗は『不可視の弾丸(インビジブル・ブリット)』を打ち放つ。ありったけの範囲からありったけの量のAIM拡散力場を収束させた弾丸は、遠慮など欠片も含んではいない。普通の人間がまともに喰らえば、そのまま弾け飛んでもおかしくはない程の威力だ。それらを作り上げ、2つ3つ4つと連続で叩き込む。

 

「ふふふ」

 

 しかしテネブラはその妖艶な笑みを崩すことはない。朝目覚めてカーテンを開けるような、そんな動きと気軽さで、右手を払う動作を見せた。――――ただそれだけで、勇斗が収束させ練り上げたAIM拡散力場がいなされ、掻き散らされる。それも、全弾残らず。

 

「な、……」

 

「ざーんねーんでーしたぁ。それじゃあ届かないわよぉ」

 

 そのまま、テネブラは緩やかに右手を掲げ、振り下ろした。――――直後、上からの莫大な力を受けて、勇斗の体が沈む。同時にいくつもの破砕音が折り重なり、周囲の地面がクレーターのように陥没した。

 

「ぐ……ぁ……ッ!」

 

 勇斗のその呻き声は、果たしてアスファルトが砕ける甲高い音の中で通ったのかどうか。そして勇斗はいつまでその攻撃に耐えられるかどうか。肩が、腰が、膝が、ミシミシと音を立て悲鳴を上げている。身動きが取れない。天使の力(テレズマ)による身体強化を捻じ伏せる程の出力で、しかも間断なく、莫大な重力は勇斗に牙をむき続ける。

 

「ねーぇ?」

 

 右手を下ろしたその姿勢のまま、テネブラは口を開く。

 

「心臓を潰されて生きている人間なんてぇ、いると思うのぉ? だからはやく諦めてぇ、私の話を聞いてくれなぁい?」

 

 彼女のそんなセリフは、アスファルトの砕ける音と骨の軋む音が不快なデュエットを奏でる中でも邪魔されることなく勇斗の耳に滑り込んできた。彼の中にある大切な何かを突き刺し抉り取る鋭利な棘に満ち溢れたそのセリフは、一言一言が的確に精神を大きく揺さぶる。襲い掛かる莫大な重力とは明確に違う何かが、視界を明滅させる。止められない。ぐらつく。耐えきれない。勇斗の頭の中で、何かが弾ける。

 

「……ふざ、っけんじゃねえぞぉぉォォおおおああぁぁぁアアアアアア!!!!!」

 

 血を吐き散らすような絶叫。一瞬で脳内を満たしたドス黒い激情が意識と理性を吹き飛ばし、身体の中心から末端に至るまでの全てを赤黒く塗り潰す。何か大事な、越えてはいけない一線を踏み越えてしまったかのような。――――そして、身体を満たすその全てを吐き出すように、雨の街に、勇斗は獣のような咆哮を轟かせる。

 

 ――――青みがかった白銀に色づいていた勇斗の背の翼が弾け飛び、その根元から夜闇よりも黒い黒に染め上げられた翼が、爆発的に展開された。元の大きさの何倍程にまで膨れ上がったのか、その長さは10メートルを優に超え、更にその大きさを増していく。それは彼の頭上に浮かぶ白色の円環も例外ではなかった。叫びに呼応するようにその大きさを急速に増加させながら、漆黒へとその色を変じさせる。そして、血管のようにも見える赤色の筋が網目模様を描いて翼に刻まれた。激しい憎悪――――鋭い殺意を孕んだ視線を向ける勇斗の目、白目だったはずの部分は血の色で真っ赤に染まっていた。

 

 ――――その姿は、まさしく『悪魔』そのもの。体から吹き上がる不可視の『力』、『悪魔』の名に違わぬ禍々しさを感じさせるそれは、雨を弾き、周囲に得体の知れない『圧』を生じさせた。

 

 ――――そんな『悪魔』が、咆える。学園都市の、世界の、全てが震えたかのような錯覚。単なる空気の振動ではなく、もっと根源的な何かを震わすような雄叫びが世界を駆け抜ける。

 

 そして『悪魔』は。何の予備動作を見せることもなく、その場から掻き消える。逃げたわけではない。ただひたすらに、自分の敵を消し潰すために動いたのだ。瞬きをするより早く――――否、音をすら超えた速さで、『悪魔』はテネブラの懐深くに飛び込んでいた。その目が捉えているのは、ノースリーブのシャツを押し上げる豊かな双丘――――その奥に蠢く彼女の心臓だ。何よりも確実に障害を排除するために。確実に目の前の敵の息の根を止めるために。ドス黒い力を纏い、業物と呼ばれる刃物よりも鋭利に見える程に変形したツメを携えた『悪魔』の右手が、音を置き去りにして、テネブラの胸に叩き付けられた。

 

「――――あーあぁ、突っつき方、()()失敗しちゃったなぁ」

 

 ガッキィィン!! という硬質な音が雨の街に木霊した。そして、テネブラのしょぼくれた様な呟きが雨に溶けていく。

 

 ――――彼女の目前、胸までわずか数ミリの所で、悪魔(ゆうと)の突き出した右手が不自然に停止していた。その手は不気味な鳴動を続けるが、ある一線を越えてその先に進むことはない。越えられない一線が、歴然たる隔たりが、そこには存在している。

 

「――――あの子の事、()()()()大切だったのねぇ。うーん……、()()()()()()に気づけないから『お前は「テネブラ」がぴったりだ』とか言われちゃうのかなぁ……」

 

 目前に、心臓から肌と肋骨を隔て追加ほんの数ミリしか離れていない位置に、人の体など容易に引き裂く鋭い(ツメ)があることなど意にも介することなく、彼女は独り言を紡ぎ続ける。

 

「まあ、でも……、()()()()

 

 テネブラは今度は真っ直ぐに勇斗を見つめて、

 

()()()()()()()のよぉ。いやまぁ、そうなったのは私のミスのせいなんだけどぉ」

 

 自分で言って自分でダメージを受けたのか、はぁ、と再び彼女は大きく溜息を吐く。

 

「怒りで自我を失った()()じゃぁ、私の劣化でしかないわよねぇ。()()()だったら、『研究』のし甲斐もあったのにぃ」

 

 膠着する状況に業を煮やしたか、三度勇斗は咆え、その咆哮は街を震わせる。――――が、テネブラはゆったりとした視線を向けるだけで、全く動じる気配を見せない。人間の根源的な恐怖を呼び覚ますはずの悪魔の叫びは、目の前の女性の表情を変えるにすら至らない。

 

「……やっぱり逆だったかぁ。まあ、女の子を守る、ってのが王道だしねぇ。……守られることなんてないからすっかり忘れてたわぁ」

 

 ちょっと寂しげな、同時に皮肉気な、そんな笑みを浮かべてそう言い捨てて、テネブラは吹っ切れたような表情を見せた。

 

「……ま、こうなったら仕方がないわぁ。もったいないけどぉ、せめて『力』を貰ってぇ、後は死体を持って帰ってぇ、色々と弄くり回してみるかなぁ。もう自分の体で弄くれるところはないから、こういうのはありがたいのよねぇ」

 

 言って、彼女の表情が一変する。獰猛な、獲物を狙う肉食獣のそれにも似た剣呑な光が彼女の瞳に宿り――――テネブラが動きを見せる。右手を振り下ろし、地面を指さす。するとそこに、得体の知れない字や記号で溢れる魔法陣が出現した。回転し、半径を増していく魔法陣。その円周上から黒、紫、赤、――――毒々しく禍々しい色の光が吹き上がり、そこから同色の光を纏った幾多もの『鎖』が湧き出してくる。それらの鎖は、意識を持った生き物であるかのような動きを見せ、飛び掛かり、勇斗の抵抗を嘲笑うかのように彼に巻き付き、その動きを縛める。

 

「……知ってるかしらねぇ? 『光を掲げる者(ルシフェル)』ってぇ、『神の如き者(ミカエル)』にぃ、『鎖』で地獄の底に縛りつけられたのよねぇ。今のあなたにはぁ、ぴったりだわぁ」

 

 神話レベルで有効な方法。それはもう、天敵という言葉では言い表せないほどの弱点。並大抵のことではその力関係は覆らない。現に、見るからに身体能力が強化されているはずの勇斗をして、その鎖から脱出することが叶わない。やがてゴルゴダの丘で磔刑に殉じた『神の子』のように、勇斗の体は不可視の十字架に磔にされたような格好となった。――――十字教において、十字架は『処刑』の象徴。罪人の全てを根こそぎ奪い取る罰だ。

 

 そして、テネブラは1つ指を鳴らす。ただそれだけで、彼女の周囲にいくつもの黒い槍が出現した。――――槍もまた、十字教における『処刑』の象徴。磔刑に殉じた『神の子』の死を確認するために用いられ、『神の子』の血に直接触れたモノ。それ故に『槍』は、『十字架』や『釘』、『イバラ』のモチーフによって形作られる『処刑』のプロセス、その締めくくりという重要な役割(ロール)を担うこととなった。つまり、『槍』が『罪人』を刺し貫くことで、『処刑』は完遂される。

 

「……私が『神上』になれたらすぐに迎えに行ってあげるからぁ、それまで地獄の底でぇ、かわいい彼女ちゃんと一緒に待っててねぇ。心配はいらないわぁ。あなたがこれからそうなるみたいにぃ、絞りつくされて出涸らしみたいになっちゃった(同類)もいっぱいいっぱい溜まってるからぁ」

 

 それが最後の宣告だった。言葉を終えて、テネブラがいっそ清々しい程の極上の笑みを浮かべて、――――数多の黒い槍は放たれた。

 

 勇斗の手を、腕を、首を、胸を、腹を、太ももを、膝を、脛を、足首を、――――全身隈なく容赦なく、そして幾度となく『神様殺しの槍(ロンギヌス)』は刺し貫き、勇斗を勇斗()()()()()へと変えていく。

 

 そしてトドメとばかりに、一際太く鋭く禍々しい1本の槍が勇斗の心臓を貫き、破壊する。それが契機となったように、その槍を伝って急速に力が流れ出した。勇斗からテネブラへと。その速さは加速度的に増していき、勇斗の背に広がる黒い翼も瞬く間に輪郭を失い、雨の街に溶け去っていく。

 

「うふふ。ごちそうさまぁ」

 

 甘い、蠱惑的な声。『槍』もまた、雨の街に溶けていった。操り人形の糸が切れてしまったように勇斗が地面に倒れこむ。

 

 ――――奇しくもその姿は、横で斃れる絹旗のそれとよく似ていた。

 



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ep.52 9月30日-6

学んだこと:深夜のノリを切らしちゃダメ



 ――――目を開けると、そこにはまず『闇』があった。

 

 全てを塗り潰すような漆黒とはまた違っていた。月明かりに照らされたような薄ぼんやりとした明るさを秘めた、穏やかな闇だった。そんな闇の中に、起伏の見えないどこまでも平坦な世界が広がっている。そしてそんな場所のどこかに、勇斗は立ち尽くしていた。

 

 ――――ここはいったいどこだ。自分はさっきまで、雨の降りしきる学園都市にいたはずではなかったか。天に伸びる針山のような高層ビル群で溢れかえる街のど真ん中にいたはずではなかったか。そこで絹旗共々、都市内部に侵入した魔術師の襲撃を受け、そして――――。そこまで記憶を辿って行って、勇斗の胸にチリチリとした痛みが走る。全身を脱力感が襲っていることを自覚した。体も、心も、怠くて重い。

 

 力の差は圧倒的だった。絹旗が襲われた時、動くことすらできなかった。絹旗が倒れた時、駆け寄って触れてやることすらできなかった。『暴走』した挙句、一矢報いることすらできず、あっさり返り討ちに遭い、そのまま串刺しにされてしまった。

 

 ――――そういえば、と。半ば逃避気味に勇斗の思考が脇道に逸れる。傷はどこに行ったのだろう。体の至る所を槍で貫かれ、心臓を潰されたはずなのに。痛みはない。血の跡もない。服にも破れや穴はない。この状態でこんな表現をするのは正直どうかとは思うが、見た目だけは健康体そのものだ。

 

 だとすれば、だ。――――これは、幻覚か何かなのだろうか? 脳内を巡る血液がほぼほぼ全て失われ、思考能力を失い、後は死に行くだけとなった脳が見せる最期の走馬灯的なものなのか。

 

 それともそんな『科学的』な理論では説明できないような、『オカルト』な世界に自分は迷い込んでしまったのだろうか。いわゆる『死後の世界』とかいう。――――科学では説明のできない法則が支配する世界があるということをその身をもって知っている勇斗はその可能性を笑い飛ばすことなどできはしない。むしろ最期の最期、『処刑』が執行されるその直前、勇斗の耳に滑り込んできたテネブラのセリフ。彼女はこんなことを言っていたのだ。「絞りつくされて出涸らしになった同類がいっぱい溜まっている地獄の底で、彼女と一緒に待っていろ(意訳)」と。彼女の言い分が正しいのであれば、自分が今いるこの暗闇の世界は『地獄の底』ということになる。

 

 と、そこまで考えが至ってようやく、周囲に人の気配()()()()()()が漂っていたことに勇斗は気づく。姿は見ることができないが、確かに誰かがいるように思える。――――これがテネブラの言う『同類』なのだろうか。なぜ見えないのだ。暗くて見ることができないだけか、はたまた何か違う理由があるのか。――――それはわからない。怠く重たい頭でそんな明確な答えの見えない問いを考えるのはとても辛いことだったし、何より考え始める前に、そんなことがどうでもよく感じられてしまうような出来事が起こったからだ。

 

「勇斗さん」

 

 勇斗の背後、やおらに『気配』が強さを増し、そちらの方から彼を呼びかける声が聞こえてきたのだ。――――彼にとってよく聞き慣れた、そして聞きたくて聞きたくてたまらなかった少女の声が。

 

 体の怠さも心の怠さも、一瞬で吹っ飛んでしまったようだった。期待と不安が絶妙にミックスされた感情が急速に浮かんでくるのを自覚しつつ、勇斗はゆっくりと声のした方向を振り向く。

 

「こんな場所で言う羽目になってしまって超アレなんですけど、またお話しできて超嬉しいです」

 

 穏やかな笑みを浮かべて、絹旗がそこに立っていた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「――――勇斗さん。私たちが最初に会った時の事、覚えてますか?」

 

 いたずらっぽく笑う絹旗にそう問いかけられて、勇斗は過去――――ひと月くらい前のことを思い出していた。――――忘れられるはずもないだろう。その日はちょうど新学期の初めで、学園都市で魔術師がテロを起こした日で、事件塗れだったこの1ヶ月の幕が上がった日だったのだから。

 

「もちろん覚えてるよ。滝壺共々地下街に置き去りにされてたんだよな」

 

 勇斗の脳裏に浮かんでくるのは、薄暗く非常灯で照らされた地下街通路と、そこに軒を連ねるレストランのうちの1つ。その奥から歩いてくる絹旗の姿だった。

 

「絹旗も災難だったよな。体調崩した滝壺の看病してたら、店員たちに置き去り喰らってたとかね」

 

「まったくですよねー。まあテロリストが暴れてたっていう超非常時ってのを考慮に入れるとしても、客ほっぽって逃げてちゃあ、せっかく気を利かせても超台無しです」

 

 ――――あの日あの時、絹旗は突如として体調を崩した滝壺と共にレストランの仮眠室にいたのだ。店側からの好意ではあったのだが、良かったのはそこまで。忘れられていたのか慌てていたのか、放置され置き去りにされてしまっていたのだ。――――店側の福利厚生の一環として設置されていた、防音効果ばっちりの高性能さが仇になった形である。

 

 と、そんなことを、肩をすくめて皮肉気な表情を浮かべて、絹旗はのたまった。――――こらこら、可愛い顔してんだからそんな変な表情するのはやめなさい。

 

「……そういうことをさらっと言っちゃうのは超ずるいですよねー」

 

「まあ本音ですし」

 

「……もう!」

 

 ちょっと拗ねたようなご様子の絹旗。暗部にいる影響だろうか、普段は実年齢よりも大人びて見えるが、こういうふとした瞬間に見せる年相応の可愛らしさというか、恥じらいというか、見てて飽きないしぶっちゃけいつまでも見ていられる。

 

「…………ま、まあともかく! 次に会ったのは確か……樹形図の設計者(ツリーダイヤグラム)の一件の時でしたか」

 

「んー、だねえ。監視カメラ網の『死角』に潜ってみたらそこに絹旗がいたんだもん。めちゃくちゃ驚いたわ」

 

「それはこっちのセリフです。まさか風紀委員(ジャッジメント)が自分から『死角』に首を突っ込んでくるとは思いませんでしたよ」

 

 2人の間に凍えるようなに冷たく固い緊張感が走ったのはあの一時だけだ。直接内臓を鷲掴みにされるようなあの感覚は、忘れたくても忘れられない。

 

 ついでに、

 

「いやー、まさかあの場で絹旗のお腹が鳴るとはなあ。タイミング的に完璧だったよね」

 

「それは忘れろって言ってンだろォがァ!!」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「そういえば勇斗さん」

 

「ん?」

 

「大覇星祭の時は色々と忙しそうでしたし、病院送りにもされてましたし、……一体何をしてたんですか?」

 

「あー、うんまあ、別に言ってもいいか。信じてもらえるかどうかはあれだけど」

 

「きっと信じられるんで教えてください。勇斗さんの言うことなら無条件に信じられますよ」

 

「初日はこの街に入り込んだ魔術師を追いかけてました」

 

「……勇斗さん。ここは曲がりなりにも科学の街なんですからオカルトはちょっと……」

 

「さっそく前言撤回してんじゃねえか。無条件で信じてくれるんじゃなかったのかよ」

 

「だって……ねぇ?」

 

「……まあ、信じてくれないならそれでもいいや。とりあえず初日はそんな感じでテロリストと鬼ごっこしてたんだよ。結果はご存知の通り、病院送りに遭いました」

 

「あー、お見舞いに行った時のあれですね」

 

「そうそう。まさか絹旗と1つ屋根の下で一夜を明かすことになるとは思わなかったけどな」

 

「……その言い方は、ちょっと」

 

「ははは、顔が赤いぞ」

 

「……勇斗さんだって人の事言えないじゃないですか」

 

「ッ、!?」

 

「……ふふふ、冗談ですよーだ」

 

「……………………で、2日目なんだけど」

 

「あ!今超ごまかしましたね!」

 

「うるせえよ。ともかく、2日目は内部のゴタゴタに対応してたよ。暗部の人間が色々好き勝手やってたせいで俺の周りが騒がしくてなあ」

 

「あー、色々動いてましたねえ」

 

「だろ? おまけにラスボスの御坂はえらく強いし。初日の魔術師戦でも大分あれな目にはあったけど、今考えると御坂戦の方がヤバかった気がする」

 

「うへえ。やっぱり超能力者(レベル5)は伊達じゃないんですね」

 

「だよなあ」

 

「ですねえ」

 

「……で、その後は色々応援とか来てもらって、と。そんで最終日……あれだな、一緒に飯行ったよな」

 

「行きましたねえ。いやあ、勇斗さん男子高校生なのによくあんな超オシャレな洋食屋さん知ってましたよね。よく行ってるんですか?」

 

「……なんでそんなジト目向けられなきゃなんねえんだよ」

 

「いえー? 別にー?」

 

「……野郎5人で行ったことがあったんだよ。上条に九重、あと金髪青髪の変態コンビな。変態コンビ、異常なまでにその辺の知識が豊富でさ」

 

「……あの2人ですよね? 今日地下街で会ったあの」

 

「そうそう。『将来何かの役に立つかも知れへんやんか!』とか言ってたぜ青髪の奴」

 

「むー……、それを聞いちゃうと超複雑ですね……。あんな人のおかげで楽しめたっていう」

 

「こらこら。あいつもそこまで悪い奴じゃないんだからそう言ってやるなよ。間違いなく変態だからもう関わっちゃダメだけどな」

 

「勇斗さんも大概酷いですよね」

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「…………そして今、ここに至るわけですね」

 

 笑顔を消し、まじめな表情を顔一面に張り付けて、向かい合った状態のまま改めて周囲をぐるりと見まわしてから、強張った声で絹旗はそう切り出した。それに釣られて勇斗も周囲に目をやって、表情から笑みが消えた。同時に、全身を苛む脱力感がぶり返す。一気に現実に引き戻された。温かく幸せな時間から、暗く冷たいこの世界へと。

 

「……つい先刻までは、襲撃を受けるまでは、平和でそして幸せでした。けれど、それは一瞬で奪われて、こうして超訳の分からない世界に叩き落とされた」

 

 気丈に振舞っている声だ。よく聞けばその声には震えが滲んでいて、いまにもそれは溢れ出しそうに思える。でもそれを必死に必死に抑えつけて、絹旗はじっと、真っ直ぐに勇斗を見つめていた。

 

「――――決して長くなんてない、短い人生でしたけど、辛くて、クソみたいなことの方が、ずっとずっと多かった。物心ついたころにはもうこの街の、クソみたいな研究所にいましたから。その後、『暗闇の5月計画』に参加してからはもう、ずっとずっと暗部での汚れ仕事ばかりでした」

 

 一度目を伏せて、ゆっくりと目を瞬かせる。再び顔を上げて、それまでよりも伏し目がちになりながら、絹旗は言の葉を紡いでいく。

 

「――――でも、でもね。勇斗さん。あなたに出会えて、あなたと仲良くなって、それからはそれまでよりも、ずっとずっと、超楽しくなったんです。次はいつ一緒に会って話ができるかなあ、とか、いつ一緒にご飯に行けるかなあ、とか。麦野達にからかわれるのだって、もちろん超恥ずかしかったですけど、……それでも楽しかったし、嬉しかった」

 

 少しずつ少しずつ、強がりが崩れ去っていく。少し突っついただけで粉々に砕け散ってしまうような、そんな危うさがじわじわと絹旗の声を侵食していった。

 

「だから勇斗さん。私は、……私はね、あなたに会えて、あなたに会えたことが、本当に本当に、幸せでした。本当に、ありがとうございました」

 

 そして絹旗は、そう言って寂しげな笑みを浮かべた。笑みの形にかたどられたその目の端、ついにそこから、透明な雫が一筋流れていく。

 

 ――――ガツン、と。重たいもので思い切り殴りつけられたような衝撃。月並みで、ありきたりで、いっそ古典的で、そう指摘されたら何も言い返せないけれど。その瞬間、勇斗の心の奥底でわだかまっていた感情、それが明確な形を得て、濁流となって荒れ狂う。

 

 今度こそ、勇斗の頭から周囲の事が吹き飛んだ。やっと気づけた。やっと形にできた。やっとその感情に名前を与えることができた。たった1つ、それだけの事だったのに、それだけの事で、世界の在り様すら変わって見えた。明確な解が与えられたことで、芋づる式に様々なことが見えてくる。――――空虚な空洞となってしまった自分の体に、心に、どんな力が、どんな気持ちが、眠っていたのか。一体自分はテネブラに、何を奪われてしまったのか。

 

「でも…………もう、時間みたいです」

 

 絹旗が再び口を開く。声は涙交じりに震えていた。一線を越えてしまったか、次から次からへと雫が溢れ出していく。

 

「……ねえ、勇斗さん。1つ、わがままを言ってもいいですか? ……この『先』へ、私と一緒に、来てくれませんか?」

 

 鼻をすすり、目を真っ赤に泣き腫らし、絹旗は真っ直ぐに、勇斗に願う。

 

「本当はあの街で、あの世界で、一緒に歩いていきたかった。でも、もう……。……ならせめて、このままお互い消えてしまうのなら、ほんのちょっとでもいいから、夢を見させて……」

 

 ――――時間が来た、という絹旗の言葉が意味するところは、勇斗も気が付いていた。今でこそ2人とも人の形をとって会話ができてはいるが、今も雨の街に転がっているはずの自分の体が完全な死を迎えてしまえばもう、そうすることはできない。周囲を漂う得体の知れない気配だけの存在になって、この暗闇の世界に同化してしまうのみ。そうすれば、迎えるのは永劫の孤独。何故だかそれを、理解できてしまっていたのだ。

 

 

「…………悪いけど、それは嫌だ」

 

 そして勇斗は、ようやくその口を開く。そのことを理解したうえで、絹旗の最期の願いを粉々に打ち砕く形で。

 

「……ッ!」

 

 一瞬ポカンとした表情を浮かべ、それから絹旗の顔がくしゃくしゃに歪んだ。ついに嗚咽が漏れる。その1つ1つが、勇斗の心に突き刺さる。――――罪悪感に押しつぶされそうだ。待ってくれ絹旗。()()()()()()()()()()んだ。

 

「絹旗。聞いてくれ。俺はこの『先』には行かない。行けない。まだまだあの街で、あの世界で、やりたいことが残ってるから」

 

「そう、なんですか……」

 

 絶望を叩き付けられて、一縷の望みを叩き折られて、絹旗の目から光が消えていく。

 

「そんな顔すんなよ。俺のやりたいことってのは……」

 

 勇斗はそこで一度言葉を切った。一度、二度、深呼吸。そして絹旗の肩を掴み、そのまま強く抱き寄せる。

 

「……絹旗と、これから先の未来を、ずっと歩いていくことなんだ」

 

「…………え?」

 

 涙声のまま、驚きで呆然としたような声色。

 

「それは……」

 

「もちろんこんな暗い世界なんかじゃない。あの街がある、あの現実の世界で」

 

 一度覚悟を決めてしまえば、後はもうすらすらと言葉が溢れ出してくる。止まらないし、ここで止めるつもりもない。

 

「でも……私も、勇斗さんも、もう……」

 

「大丈夫だ。俺が何とかする」

 

 絹旗の言葉を遮って、勇斗はそう断言する。今まで感じたことのない程の自信が、力が、その言葉には満ち溢れている。

 

「……だからさ、もうちょっとだけ待っててくれ。1人で『先』に行くのはなしだぞ。……もし万一死んじまうような事になったら、そん時は、2人一緒にだ。絶対に1人になんてしない」

 

 一段と絹旗の嗚咽が大きくなった。涙がしみこみ、胸のあたりが熱くなる。絹旗からの返事はないが、その代わりだとでも言うかのように、絹旗の手が勇斗の背に回され、ぎゅっと、その手に力がこもった。

 

「…………俺はお前が、絹旗が好きだ」

 

「…………はい。私もです、勇斗さん」

 

 少しだけ互いを抱き寄せる力が弱くなって、少しだけ体を離して、勇斗と、顔を上げた絹旗の視線が交錯する。そのままどちらともなく顔を寄せ合い、口づけを交わした。

 

 ――――どれくらい経っただろうか。ほんの一瞬にも、いっそ永遠にも思える時間。

 

「……すげーな。今ならきっと、何だってできる」

 

「そりゃそうですよ。なんたって私がついてますから」

 

「だな。……よし、行ってくるよ」

 

「……はい。お待ちしています、勇斗さん」

 

 穏やかに笑みを交わしあって、勇斗は目を閉じた。

 

 そして数瞬の後に、勇斗は目を開く。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 周囲を覆う暗闇の世界も、腕の中にすっぽりと納まっていた絹旗も、消えていた。勇斗の目に映るのは、雨の降り続く夕闇の街。()()()()()()()()()絹旗。2人のものが混じり合った夥しい量の血溜まり。そして2人を見下ろすように立つテネブラの姿。

 

 ――――戻ってくることができた。この街に。この世界に。

 

 だが、まだ足りない。まだ何も変わっていない。このまま何もしなければ、せっかくの奇跡も無駄となって終わってしまう。まだ何も、始まっていないのだ。

 

 投げ出された右腕に力を籠めてみる。――――動く。まだ動ける。

 

 そう認識して、勇斗の口が笑みに動く。いっそ獰猛な程に。好戦的に。

 

 ――――目にモノを見せてやるぜ、このクソ魔術師が。

 








というわけで、書きたかったのはこんな感じの事でした。
うまく書けてないところが多々ありますので、気づいたところや思いついたことがあれば適宜修正したいと思います。

王道っていいですよね。だから私はゼシカよりミーティア派です(無関係)


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ep.53 9月30日-7

「……あらあらぁ? 何だかおかしなことが始まってるみたいねぇ」

 

 虚空に目線を彷徨わせ、テネブラは1人そう呟いた。

 

 彼女の周囲――――そして恐らくはもっともっと広い範囲で、『空気』が変質したのだ。不純物が紛れ込んだか、それか、なくてはならない重要なモノが欠落したか。ともかく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()組み替えられていく。

 

 今はまだ微弱。テネブラという魔術師――――仮にとはいえ『神の右席』にその名を連ねる魔術師をして、知覚認識できるかどうか。だがその違和感はこうしている間にも少しずつ少しずつ強さを増してきているような気がする。

 

「うーん……」

 

 少し注意深く、意識を向けてみる。――――ヴェントの展開している『天罰術式』の他に、得体の知れない『何か』がこの街に広がっているようだった。そしてその『何か』は、世界に横たわる魔術的法則――――『界/位相』――――に不気味な『圧力』を与えているらしい。この状態で魔術を使おうとすれば、通常なら無い異常な高負荷を魔術師にもたらす可能性がある。

 

「これはぁ……あんまり魔術を使わない方がよさそうねぇ……」

 

 そうひとりごちたテネブラは、その変質がもたらすだろう結果をそう分析した。例えば、サーバーに対して高負荷接続が行われることでそのサーバーへの通信が全体的に不安定になるような。例えば、慢性的な負荷が、金属疲労や疲労骨折を引き起こすような。異常な高負荷は、きっと異常なまでの副作用をもたらすだろう。

 

 そしてテネブラは、この現象を引き起こした存在について思いを馳せる。ヴェントではありえない。自分が利用している魔術的法則を自分で吹き飛ばそうとするなど、自分で自分の首を絞めることに等しい。それと同様の理由で、学園都市外部に待機しているローマ正教の別動隊の仕業でもない。――――というかそもそも、『魔術の世界』に身を浸す人間が、自らが存在する世界を吹き飛ばすことなど出来はしないのだ。『魔術を極めすぎて神の領域にまで至った存在』――――すなわち『魔神』とよばれる存在まで昇華すればともかくとして。

 

 ということは、だ。この現象を引き起こしているのは、『魔術』とは異なる枠組みに生きているもの――――『科学』の側の存在、つまり学園都市側ということになる。――――学園都市側が、世界に横たわる『界/位相』というものを理解した上で、それを利用して魔術師側に攻撃を仕掛け始めている。要するに、そういうことなのだ。

 

 テネブラは思わず苦笑してしまう。魔術師である自分が言うのもあれな話だが、よくもまあこの街の人間たちは『界/位相』などという()()()()極まりないものを研究する気になったものだ。この街では『非科学(オカルト)』というだけで嘲笑され、見下されると耳にしていたのだが。どうやら少しばかり認識を改めなければならないらしい。

 

「まあ、でも、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――――ローマ正教の魔術師としては非常に珍しいことに、テネブラは『科学』というものを毛嫌いしていない。むしろ、『科学』を毛嫌いする魔術師――――特にローマ正教の『お偉いさん』に多い――――のことを内心バカにすらしている。単純に『科学』があった方が生活していく上で便利であるし、古臭い伝統に必要以上に固執するという側面がある魔術の世界にずっと身を浸していると、物の見方が(魔術的という意味で)前例踏襲にとどまってしまうようになるのだ。『魔術』という枠の中には存在しない新たなインスピレーションを与えてくれるものとして、テネブラは『科学』を否定しない。

 

 ――――本来なら4人しかいないはずの、『神の右席』の5人目。そんな彼女は、そういった意味でも、『例外』的な魔術師だった。

 

 と、そんな例外的な魔術師が、魔術師にあるまじきことを考えている、そんな時。そんな瞬間。

 

 ――――ゾクリ、と。テネブラの背筋を寒気が貫く。背中の産毛が1本残らず総毛立ち、ピリピリとした細かな痛みが走るような感覚がした。『悪魔』と化した勇斗と対峙した時にも動じなかった彼女の表情が初めて強張る。

 

 街を覆う微弱な『何か』を捉えるために感度を上げていた彼女の『センサー』に、不気味に胎動する莫大な『何か』が反応したのだ。その『何か』は、現在進行形でこの街を覆いつつある得体の知れない『何か』を何十、何百、何千――――ともかく、ずっとずっと濃縮したような『感触』だった。そしてその『何か』は、怒りに震える勇斗が彼女に向かって幾発も叩き込んできた『不可視の弾丸』と同じものに思われた。その『何か』が、荒れ狂う大波となってある一点を目指して雪崩れこんでくる。

 

 テネブラは振り返る。その『何か』――――得体の知れない濃密で膨大な『力』は、倒れ伏す2つの『死体』の片一方――――勇斗を中心に収束されていく。

 

 ――――そして、彼女は更なる驚愕に包まれることになる。全身を串刺しにし、心臓を貫き破壊し、地獄の底に叩き落と(ころ)したはずの少年が、再び動き始めているのだから。右腕を動かし、左腕を動かし、立ち上がろうとしているようだ。俯いているせいで顔は良く見えないが、その口元は獰猛に釣り上げられ、好戦的な笑みを形作っているように見える。

 

「なぜ……生きているのぉ?」

 

 それは嘲りや煽りなどではない、彼女の心の底からの問い掛けだった。ただ殺しただけではなく、『処刑』の術式を使って徹底的に奪い(ころし)尽くしたはずなのに。魔術に使える『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)など、一欠片たりとも残っていないはずなのに。

 

「知った、こっちゃ、……ねえよ」

 

 それでも少年は、粘つくような血を吐きながら、しかししっかりとした声で、彼女の言葉に応えた。それはつまり、少年には自我が残っているということ。得体の知れない科学技術や魔術で、物言わぬ死体人形として蘇ったわけではないということ。

 

「次は……こっちの番、……だぞ。クソ……魔術師、が!」

 

 拒絶以外の明確な答えがないままに、勇斗を中心に収束した莫大な『力』が、硬直するままのテネブラに降り注ぎ、包み込む。

 

 ――――そしてそれは、発動した。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 勇斗に天使たる力を与えていた『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)は、テネブラの手で奪い尽くされていた。もう一欠片たりとも勇斗の体に天使の力(テレズマ)は残っていない。すなわち、今の勇斗には何の魔術も使えないし、聖人に匹敵するような身体能力も残っていない。そんな状況下で、勇斗にできることは一体何か。

 

 ――――1つだけ残っている。天使の力(テレズマ)と対をなす、勇斗が操るもう1つの力が。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ――――AIM拡散力場の掌握開始……、……、完了。絶対隷属開始(スタート)

 

 ――――天使の力(テレズマ)のデータ参照……、……、参照終了。

 

 ――――同データのAIM拡散力場への適用開始……、……、適用完了。

 

 ――――対象:『天使の力(テレズマ)』。術的接続開始……、……、接続完了。

 

 ―――― 干渉開始。

 

 さあ、……ここからがショータイムだぜ。クソ野郎。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ――――その瞬間、テネブラが感じたのは、一言でいえば『不快』な感触だった。外側から自分の内側を覗き込まれているような。外側から何かが自分の内側に侵食してくるような。不気味な震えを見せる何かが皮膚を通して内臓を震わせるような。不可視の何かが自分という存在を隈なく舐め回しているような。

 

 ――――世界に満ちる何かが、世界そのものが、束になって自分に襲い掛かってきたような。

 

 ドンッ!! という音にならない音と共に、テネブラの全身を脱力感が襲った。自分の内側を満たしていた力が、――――勇斗から奪い去った『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)が、一斉にテネブラの体から流れ出していく。

 

「ッ!!」

 

 それは止まらない。テネブラが幾重に防壁を張ろうとも、それら全てを容易に無視して天使の力(テレズマ)は流出を続ける。彼女は気づかされる。彼女の体の外側にまとわりつく『何か』に導かれるように体から天使の力(テレズマ)は溢れ出し、奔流となって勇斗の体に流れ込んでいることを。まるでつい先刻、『神様殺しの槍(ロンギヌス)』を通じて、勇斗の体から天使の力(テレズマ)を奪い去った時のように。

 

 その奔流が作り出す光景は、あたかも夜空にかかる天の川のようにも見えた。星々が作り上げる美しい光の帯のようなものがテネブラと勇斗を繋いでいる。そしてその一部は勇斗の体を経由して、横で倒れ伏す絹旗にも流れ込み、彼女の体の上で銀河のように渦を巻く。

 

 ――――そこでまたしても、テネブラは驚愕することになる。その『銀河』は瞬く間に回転速度を上げ、ブラックホールに吸い込まれでもするかのように絹旗の胸に空いた風穴へと吸い込まれていったのだ。そして絹旗の体全体が淡く光ったと思うと、一際大きな閃光が瞬く。それが収まったときには、もう絹旗の胸の風穴は塞がっていた。わずかばかりの傷跡だけを残して。

 

「回復魔術……? あの状態から回復するというの……?」

 

「本気になれば、さ」

 

 狼狽の声を上げるテネブラの声を遮るように、勇斗の声が飛んだ。

 

「取り戻せないものなんてないんだよ」

 

 その言葉が終わるや否や、勇斗の上に渦巻いていた(テレズマ)が、テネブラと勇斗を繋いでいた『天の川』が、一斉に勇斗の体に雪崩れ込み、あるべき場所へと還っていく。――――誰のものとも知れない歓喜の声が聞こえたような気がした。世界そのものが祝福しているかのように、暖かな光が周囲を満たす。

 

「――――さーて、と」

 

 そんな、テネブラでさえ見惚れてしまうような神々しさを切り裂いて、光の中から弾むような少年の声がする。

 

「これでやっと仕切り直しだぜ」

 

 バサァッ!!と、何かが空気を叩く音がした。巻き起こされた風が渦を巻き、夜雨を吹き飛ばす。

 

「リベンジマッチと行かせてもらうぞ、テネブラァ!!」

 

 光が晴れ上がる。その少年はもう倒れ伏してはいなかった。学生服の至る所に風穴があけられ、制服の隙間から見える白のワイシャツは鮮血で赤く染め上げられているものの、その奥には絹旗同様もう傷はない。全身に戦意を漲らせ、軽く前傾姿勢を取った戦闘態勢だ。頭上には夜闇を照らす金の円環を冠し、その背には夜闇を切り裂く水晶の青(クリスタルブルー)の翼が出現している。そして勇斗はそれらを携え、嬉しそうに、獰猛に笑っていた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……あなたが直々に動くとは、珍しいこともあるのだな」

 

 『窓のないビル』の内部。『虚数学区』の展開と『ヒューズ=カザキリ』の出現が近づくことで目まぐるしく変化を続ける学園都市内のデータ群を観測し、手足となる部下たち――――猟犬部隊(ハウンドドッグ)に命令を飛ばし、アレイスター=クロウリーは生命維持装置(ビーカー)の中に逆さまに浮かびながら、虚空に向かって言葉を投げかけた。

 

『彼が死んでしまえば君が悲しむから――――という回答では不満かな、アレイスター?』

 

 姿なき声は、からかうような声音でそんな返答をする。そしてその声の主は、男性にも女性にも聞こえるような中性的な声でこう続けた。

 

『おっと、図星だからと言ってそう不機嫌そうな顔はしないでくれたまえアレイスター。今のは半分冗談だよ。主に私の個人的興味も多分に含まれていてね』

 

「……色々と言いたいことはあるが、生憎私はやることでいっぱいだ。とりあえずここは、素直に礼を言っておこう」

 

『……』

 

 存外素直な言動を見せるアレイスターには姿なき声の主の方が驚いたらしい。()()()()()()、驚愕をしばしの絶句で表してみせた。

 

『ほう……。君は常にそれくらい、素直になることを心がけてみてはどうかな? 案外世界が変わって見えるかもしれないぞ?』

 

「何もなくても世界のほぼ全てが見えるこの身だ。今更何も変わらない」

 

『ふむ……。そんなことはないと思うがね。絹旗最愛との接触による千乃勇斗の心の在り様の変化については、君も興味を持てると思うけれども』

 

 しかしその声にアレイスターが応ずることはなかった。再び思索の海に潜りつつ、『ヒューズ=カザキリ』現出の準備を着々と進めてゆく。

 

 姿なき声の主は、実体を持っていればきっと肩をすくめていただろう。軽く息を吐くような音を鳴らして、

 

『……まあいい。メインディッシュは2体の「科学の天使」の現出だ。実に、興味深い』

 

 声の主は、既にアレイスターへの興味を失ったようだ。楽しげに笑う声が、虚空に響いていた。

 



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ep.54 9月30日-8

文系の人間ですが頑張りました。ツッコミはなしの方向でお願いします。


 その刹那、彼女は目の前に立つ少年を観察していた。頭上に浮かぶ金の円環と背から延びる水晶の青(クリスタルブルー)の翼。その見た目にふさわしい、先だって暴走した時の禍々しい天使の力(テレズマ)とは違う、清浄な――――清浄すぎる程に清浄な『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)を全身から放っている。その『底』は全く窺い知れず、並の聖人の比ではない量――――少なくとも()()()()()()()に匹敵する量くらいはその身に宿しているらしい。

 

 知れず、口元が吊り上がる。どういう事情で少年が蘇りどういう力がどう働いたのかもよくわからなかったが、先程までの暴走状態とは違う()()()()()()()()()()の覚醒だった。この検体(サンプル)を手に入れることができれば、彼女の『研究』はさらに前進するだろう。()()()()()()()()()()を使い潰し、自分の体を実験動物(モルモット)にしてまでも行き詰まりを見せていた『天上の存在』への道。――――最初にソレを目指したきっかけは一体何だったか。何か目的があって追い求めようと思っていたはずだったのだが。まあ恐らく、忘れるということはそんな重要でもないような事だったのだろう。いじめっ子を見返してやるとかなんとか、本当にその程度くらいの子どもじみた反抗心。……そんな体たらくでは、『手段が目的にすげ変わったマッドサイエンティストみたいなヤツ』なんて呼ばれても仕方ない。

 

 閑話休題(まあ、そんなはなしはおいといて)

 

 こんな貴重で希少なサンプルを目の前にして、『魔術を使わない方がよさそう』なんて言ってる場合じゃない。手を抜いて取り逃がしてはもったいないし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ここは少し、『本気』を出した方が良さそうだ。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 勇斗は地面に転がったままだった絹旗を優しく抱え上げた。まだ意識は戻っていないもののその体には温かさが戻り、しっかりとした鼓動も聞こえてくる。そのことを確認し、1つ安堵の息を吐いて、勇斗は『魔術』を行使した。絹旗の体が淡く光に包まれ、そして勇斗の腕の中からその姿が消え失せる。――――ここから先、この場に留まらせておくわけにはいかないのだ。守るために戦おうとしているのに、その余波で死なせてしまっては元も子もない。

 

 改めて、勇斗はテネブラに向き直る。――――勇斗は気づいていたのだ。テネブラの目の色が変わったことに。昏い熱狂を宿す澱んだ目に変わったことに。

 

 不可視の力がぶつかり合い、その余波がうねりとなって周囲に溢れた。片や、『堕天使(ルシフェル)』の『天使』としての力を振るう能力者。片や、『堕天使(ルシフェル)』の『悪魔』としての力を振るう魔術師。どちらもその身には天使の力(テレズマ)を宿し、『聖人』に匹敵する、あるいは凌駕するほどの力がその身に満ちている。

 

 薄く笑んで、テネブラは無造作にその手を振るう。ただそれだけで彼女の手には漆黒の槍が出現していた。夜闇よりも暗い黒を押し固めたようなその槍は、つい先刻勇斗の心臓を貫いた『神様殺しの槍(ロンギヌス)』。その長さは彼女の身長を越え、およそ2メートル程度か。

 

 対する勇斗も一度考え込むように目を細め、彼女同様に右手を振るった。その手の先、光の粒子が収束し、その背の翼と同質――――水晶の青(クリスタルブルー)の『剣』が出現する。刃に当たる部分はやや細身で、長さはこちらも2メートル程。勇斗は1つ息を吐き出し、その剣を構えた。

 

 ――――そして、2人は真っ向から激突した。

 

 双方が互いに音を超える速さで迫り、互いの得物をぶつけ合う。激突に伴う轟音は既に音という領域にはなく、衝撃波となって周囲に撒き散らされた。雨粒は霧となって吹き飛ばされ、地面のアスファルトが砕け散り、周囲のビルの外壁が削り取られる。

 

 一瞬の鍔迫り合いの後、得物と得物の間で魔力が弾け、その勢いで2人の間の距離が開く。しかし、そんなことで仕切り直しになどなるはずもない。

 

 続けざま、優雅に槍を構えるテネブラの背後の何もなかったはずの空間に、彼女が手に携えているものと全く同じ槍が複数本出現していた。宙を舞うそれらの切っ先は全て勇斗の心臓に狙いを定めており、それらは間髪入れずに撃ち放たれる。

 

 対する勇斗が見せた動きはとてもシンプルなものだった。その手の剣を、背に伸びる翼を、薙ぐ。夜闇に三筋の閃光が走り、撃ち放たれた全ての槍が斬り飛ばされた。

 

 そしてそのまま、勇斗は手に握る剣を()()()()()。捨てられた剣は形を維持する力を失い、光の粒子となって虚空に消えていく。そんな予想外の挙動にテネブラの動きがわずかながら硬直し、その隙を突いて勇斗はテネブラの視界から消え失せた。

 

 ――――懐だ。重心を落とした低い姿勢で彼女の懐に潜りこみ、勇斗は右の拳を叩き付ける。大型トラック同士が猛スピードで正面衝突した時のような、ともかく人の体同士がぶつかったときには決して出ないであろう轟音が響いた。彼女の体が吹っ飛び、ノーバウンドのまま道路脇のビル外壁に叩き付けられ、鉄骨すらを圧し折って建物内部に叩き込まれる。

 

 勇斗は攻撃の手を緩めない。不自然なノイズにまみれた言の葉を紡ぎ、その言葉に呼応して勇斗の周囲にいくつもの光点が出現する。その光点は夜空の星々のように瞬き、数瞬の後、猛烈な破壊力をその身に宿し、流星群(だんがん)となって解き放たれた。

 

 前方扇形の範囲にめいめい拡散し、一定の距離を進んだところで屈折、テネブラが外壁をぶち破ったあたり目掛けてその流星群は殺到する。強化コンクリートの外壁や鉄骨など意にも介さず、熱した飴細工を引き裂くような容易さでそれらを穿ち、破壊していく。

 

 流星が炸裂し、粉塵が舞い上がった。

 

 その様子を勇斗は冷静に観察し、――――そして全力で、その場から飛び退る。

 

 寸前まで勇斗が立っていた場所、そこを『闇』が覆い尽くしていた。メキゴキャバキゴキ!! ――――無理矢理擬音で表せばこんな感じになるだろうか。背筋が凍るような破砕音が響き、『闇』が消えたその場所には()()()()()()()()()()。唯一、クレーター状の穴が残るのみ。そしてその『闇』が、豪雨のように勇斗の周囲に降り注ぐ。

 

 全力での回避を繰り返しながら、勇斗は気づいた。その『闇』の正体が莫大な重力であることに。そのありようはまさしくブラックホールを彷彿とさせるものだ。それは即ち、一発でも巻き込まれれば文字通り終わりだということ。無限に、永遠に、どこまでも潰され続ける羽目になる。

 

 そこまで考えて、勇斗は翼を振るって烈風を巻き起こす。(はげ)しい風――――しかしそれはただの風ではなく、濃密な『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)を孕んだ魔術的な暴風だ。川の激流が澱んだ汚水を押し流すが如く、『暴風』は『闇』を吹き飛ばす。烈風が吹き荒れた後、未だ舞い上がったままだった粉塵もろとも、『闇』の術式は欠片も残さず消し去られていた。

 

「――――やるじゃないのぉ。流石ねぇ」

 

 唐突。テネブラの甘ったるい声が勇斗の耳朶を打つ。背後からだ。そっと、優しい手つきで勇斗の両肩を包むように、彼女の手が勇斗に触れる。

 

「でもねぇ。あんなに大雑把に天使の力(テレズマ)を撒き散らしちゃったら、『センサー』が働かなくなっちゃうわよぉ」

 

 グッ、と。背後から勇斗の肩を抱くテネブラの手に力がこもる。物理的にただ力が強まっただけではない。自分の『深い』場所を強引に覗き込まれるような、そこまでの道を強引にこじ開けられているような、不快な感覚が伝わってくる。

 

「術的接続に加えて、()()接触。今のあなたならぁ、『触れる』ってことが魔術的にどれだけの意味を持つかっていうこともぉ、わかるんじゃないかしらぁ?」

 

 ふふふ、と彼女は妖艶に笑う。そんなテネブラに対して当の勇斗は、

 

「もちろん知ってる。けどな、――――気持ち悪ぃ触り方してんじゃねえよ、変態」

 

 ――――閃光が走る。ズバッチィィィ!! という放電音が鳴り響いた。

 

「が、はっ、……!?」

 

 絞り出すような呻き声と共に、テネブラの体が勢いよく弾き飛ばされる。アスファルトに叩き付けられ、転がり、ようやく動きを止める彼女の体。よく見ればその全身は、痙攣するように小刻みに震えていた。

 

「……い、今のは」

 

 地に転がったまま必死に顔を上げ、テネブラは声を絞り出す。

 

「へえ……。ゼロ距離で()()威力の雷撃を喰らってまだ意識があんのか。すげえな魔術師って」

 

 テネブラに向き直り、見下ろし、勇斗は薄く笑んだ。

 

「どう……して、ぇ、『光を掲げる者(ルシフェル)』で、ある、あなたがぁ……? 雷神でも、なんでもない、のにぃ……」

 

 ――――彼女の前にいる少年は本質的には能力者だ。今でこそ『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)を用いて天使化し、魔術を扱っているものの、本来なら自分で魔力を精製し魔術を扱うことは(実質)不可能。彼が魔術を使うには『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)が不可欠なのだ。そして通常、天使の力(テレズマ)を用いた魔術はその魔術に用いる天使の力(テレズマ)の属性に大きく影響される。例えば『神の力(ガブリエル)』なら『水』だし、『神の如き者(ミカエル)』なら『火』だ。そして『光を掲げる者(ルシフェル)』なら、『光』と『闇』、そして『神への反逆』という大罪を犯し、その罪の重さで地の底に沈み、そこに地獄を作り上げたというエピソードから『重力』を扱うこともできる。

 

 しかし、天使の力(テレズマ)を用いて『雷』の魔術を扱おうとするなら、天候操作という意味での『(ウリエル)』を集めるのが常道のはず。目の前の少年は該当しない。

 

 だからこその、テネブラの疑問だった。

 

 そんな彼女に、勇斗は告げる。

 

「『光を掲げる者(ルシフェル)』ってのはその名前の通り、光を操る天使だろ。で、『光』ってのは別に目に見える光――――可視光線ばかりじゃない」

 

 『魔術』とは少し離れる説明になるけどな、と一言付け足して、

 

「目に見えない赤外線や紫外線なんかも『光』だし、波長が長くなれば電波、短くなればX線やガンマ線なんて呼ばれ方をする。……全部ひっくるめて総称するときは『電磁波』って呼ばれることが多いかな」

 

 そこで一息ついて、

 

「で、この『電磁波』ってのは『空間の電場と磁場の変化によって形成される波』っていうふうに定義されてるんだよ。そして空間の電場と磁場を変化させる要因ってのが、いわゆる『電流』――――要するに電子の流れだ」

 

 意地の悪そうな、楽しそうな、そんな笑みが勇斗の口元に浮かぶ。

 

「大分ざっくりしてるけど、『光』と『電気』にはある程度の関連があるってことさえわかってくれればそれでいいや。そこまで言えば俺の言わんとしてることは伝わるだろうし」

 

「なるほど……。そういう()()、も、あり、なのねぇ……」

 

 『魔術』とは解釈の学問だ。決してこれは誇張などではない。寓意画や紋章などに隠された意味を読み取る暗号解読のスペシャリスト、なんてものが各宗教各派閥各組織に存在し、その育成に決して少なくないリソースが割かれているというのもその証拠だろう。魔術師として『深い』位置にいる彼女だからこそ、そのことを強く理解させられた。

 

 ――――目の前の少年は、『科学』的に『魔術』を行使している。

 

「『魔術』ってもんに凝り固まってるお前らには逆立ちしても出て来ないやり方だろうよ。……ま、いい勉強になったってことで」

 

 そう告げて、勇斗は体の前で両手を組んだ。重ねられた両手に天使の力(テレズマ)が収束し、一瞬間を置いて、組んだ手を解いて腕を広げる。その手が辿った軌跡をなぞるように、青白い閃光を迸らせる『槍』が出現した。

 

 宙に浮いたままのその槍を掴みとり、勇斗は投擲の姿勢を取る。

 

「その、槍は……」

 

「『槍』か『槌』か、どっちにするか迷ったんだけどな。まあでも、その2つならどっちかっていうと『槍』の方が好きなんだよ。どっちにしろ元ネタは十字教とは関係ないんだけどさ」

 

「……やっぱりあなた、面白いわねぇ。流石にそこまでは思いつかなかったわぁ」

 

「そいつはどーも。……ったく、いきなり殺しに来るようなことさえしなけりゃ話くらいは聞いてやったってのに。バカな奴」

 

 そう最後に言い捨てて、勇斗はその『槍』を投げつけた。滑るように宙に軌跡を描いた『槍』は、狙い違わずテネブラに着弾、炸裂。弾けるような炸裂音が連続し、一体となった轟音の嵐が吹き荒れる。

 

 放った本人(ゆうと)すら思わず顔を覆ってしまうほどの閃光と暴風が収まったとき、テネブラの意識は完全に断ち切られていた。

 



















※申し訳程度の元ネタ(というか私の中でのイメージ)解説


流星群→ワートリの『アステロイド(?)』

ブラックホールを吹き飛ばす暴風→お兄様の術式破壊(グラム・デモリッション)

『槍』と『槌』→『グングニル』と『ミョルニル』
 ゲームや漫画だと『グングニル』が雷属性ってのも結構ありますよね。ネギまでも風(雷?)のアーウェルンクスさんが使ってましたし
ちなみに槍を作ってから撃つまでの流れはブリーチのウルキオラさんです


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ep.55 9月30日-9

 

 ――――浮上する。暗く冷たく、濃密な死の気配の漂う世界から、明るく温かく、命溢れる世界へと。

 

 全身、皮膚という膜の下いっぱいに重く凍える鉛を流し込んで固めたようだった身体。そこに熱い『芯』が取り戻され、少しずつ少しずつ冷え固まった鉛を融かしていく。それはまず身体の中心――――心臓の辺りから生まれ、そこから波打つように末端へと広がっていった。

 

 全身を苛んでいた過剰なまでの重力から解放され、ふわふわとした浮遊感に包まれながら、彼女は思う。暗く冷たかった世界で感じた、唯一の温かさを。強く、強く、抱きしめてくれた思い人の、何よりも力強く、何よりも喜びをもたらしてくれた言葉を。全ての絶望を塗り潰してくれた、甘やかな口づけを。

 

 そんな思考がもたらす淡い熱が、彼女の浮遊感をさらに加速させていく。

 

 心の、世界の、在り様が変わって見えた。楽しいことなど決して多くはない、――――むしろ、辛いことの方が多かったけれど、今はただ、早くあの街に戻りたい。

 

 どこまでも、どこまでも、いっそ永遠に続くのではないかと思われた、熱に浮かされた様な浮遊感。しかしその時は、唐突に終わりを迎える。

 

「――――ッ、ゲホガホゲホッ!!」

 

 急に気道が大きく開き、開いた口から大量に空気が流れ込んできた。ずっと喉がその動きを怠けていたせいか、思い切り(むせ)る。ひんやりとして湿った空気だ。しかしそれは、暗く冷たい死の世界のそれとは似て非なるもの。雨の匂い、街の匂い、わずかに残る鉄臭い血の匂い。――――それらが渾然一体となって、圧倒的な現実感と共に彼女の脳を刺激する。

 

 ぼんやりとしたままだった彼女の意識が改めて覚醒した。まぶたを引き上げる力が取り戻され、彼女はその目をゆっくりと見開く。その目に、雨に濡れ夜闇に佇むビル街が映った。――――そして、彼女を優しい目で見下ろす思い人の姿も。

 

「――――よう。おはよう、絹旗」

 

 勇斗の優しい声が彼女の耳に届いた。その心地よい響きが彼女の心を満たしていく。どうしようもなく甘い疼きと、言い知れないほどに絶大な安堵と喜びの気持ち。そんな感情の波が、がないまぜとなって絹旗を呑み込んだ。

 

「――――はい。おはようございます、勇斗さん」

 

 頬が朱に染まる。目の奥が熱い。お姫様抱っこされた格好のまま、絹旗は潤んだ瞳で勇斗を見上げる。その視界に正面から勇斗の姿を捉え、幸せそうに、嬉しそうに、彼女は目を細めた。

 

「……これは、夢なんかじゃないですよね?」

 

 その目の端から、透明な雫が零れ落ちる。

 

「逆に聞くけど、これが夢に見えんのか?」

 

 いっそ気障ったらしくも見える笑みに口元を歪め、勇斗は抱き上げていた絹旗を地面に降ろした。そして空いた右手で、その指で、絹旗の顔を伝った涙を優しく掬い取ってくれる。再び圧倒的な感情の波が絹旗の全身を満たし、それに突き動かされるまま、絹旗は勇斗の胸に飛び込んだ。

 

「…………これがもし夢なら、超リアリティ溢れる夢ですね」

 

 両腕を勇斗の背中に回し、強く抱き付いたまま離れない。くぐもった声のままで彼女はそう応えた。そんな様子の絹旗を穏やかな眼差しで見つめ、勇斗は優しく梳くように彼女の頭を撫でてくれた。

 

 ――――どれくらいそのままでいたのだろう。数秒か、数分か。ともかくしばらくしてから、絹旗は再びくぐもった声で、

 

「…………勇斗さん」

 

「……何?」

 

「………………、………………、」

 

「……どうした?」

 

「…………、…………大好きですっ!!」

 

 意を決したように、叫ぶように、そんな言葉を叩き付け、背中に回していた手を首に回し直して、そのまま口づける。

 

「んむっ!!??」

 

 驚いたような声が聞こえたけれど、それは無視した。少しそのまま間を置いてから顔を離す。余裕たっぷりそうにしていた勇斗の顔が、驚愕と恥ずかしさで紅潮していた。

 

「…………確信しました。超現実みたいですね」

 

「…………どんな確かめ方してんだよ。心臓に悪すぎるわ」

 

「……で?」

 

「……『で?』って?」

 

「むぅ……。……だからぁ、返事をください。()()世界で聞きましたけど、()()世界で、改めて、聞きたいです」

 

「……」

 

 勇斗が1つ、息を吐く。そこに込められたのは、どんな感情だったのだろう。

 

「…………………………俺も好きだ。絹旗のことが、何よりも」

 

 顔を真っ赤に染めながら、それでも真摯に真っ直ぐに、勇斗はそう告げる。絹旗はそれを聞いて、大輪の向日葵のようなそんな明るい笑みを浮かべて、もう一度勇斗の胸に飛び込んだのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「…………そういえば勇斗さん」

 

「ん?」

 

 砂を吐きそうなやりとりがあってから数分ほど間が空いて、ちょっと落ち着いた頃合だった。絹旗がふと口を開く。

 

「さっきのあの女の姿が見えないんですけど、どうなったんですか?」

 

「あー……、それなあ」

 

 そんな絹旗の言葉に、勇斗は決まりが悪そうな顔を見せた。普段の勇斗はあまり見せないような表情だ。絹旗ももしかすると初めて見たかもしれない。それくらいレアな光景だ。

 

「…………()()()()()んだよね」

 

「ええ……?」

 

 そんな表情の勇斗から放たれたのは、これまた勇斗にしては珍しいセリフだった。

 

「そんな顔すんじゃねえよ。仕方ねえだろ。一応はボッコボコに叩きのめしたんだぞ。……でも、万が一のための逃走用の術式を何かしら組んでたみたいでさ。間に合えばいくらでも妨害のしようはあったんだけど、そっちばっかり見てるわけにもいかなくて」

 

 何だかこう、言い訳をされているような気がする。

 

「…………」

 

「……おい、そんなジト目を向けんじゃねえよ」

 

「……だって、()()()()()()()をされたのに、それを引き起こした張本人よりも優先度の高いようなことなんてあるんですか?」

 

「無い」

 

 あまりにあっさりと、少し喰い気味にすら思える速さで勇斗は絹旗の問い掛けに否定の意を返す。

 

「だったら……」

 

「……と、言いたいところだったんだけど」

 

 思わずツッコミを入れようとした絹旗の声を遮るように、勇斗は言葉を重ねていく。

 

「……まあ正直なことを言わせてもらうと、油断しちゃってたっていうのはあるかな。絹旗も息を吹き返してたし、テネブラも……あ、ちなみにこれ、あの女の名前ね、しばらくは目を覚まさないように完全に意識を吹っ飛ばしてたからさ。でも一番の原因といえば……」

 

 言葉の前半部はいささか軽いノリで放たれていた。「てへぺろ☆」よろしくな雰囲気を感じ取るのも無理はないくらいに。――――しかし後半、一度言葉を切った勇斗の顔には遊びなど欠片もない、真剣極まりない表情が浮かんでいたのだ。

 

「……この街全体、学区単位どころか文字通りこの学園都市の全体で進行してた、AIM拡散力場の()()な動きのせいかな」

 

「……AIM拡散力場の、異常な動き。……ですか」

 

 それに釣られて、絹旗の表情もまた引き締まる。AIM拡散力場の観測能力に長け、自在に操る能力者(せんもんか)直々に放たれた『異常』というフレーズ。日常会話の中で乱発されるそれとは含む意味の重さが大きく変わってくる。もちろん、あまり好ましくない方に。

 

「そうそう。こんだけの広範囲で、()()()()()()()()()()、力場が動くなんて普通は無い。こんなのは明確に自信をもって『異常』と言い切れるよ」

 

「……それは」

 

 一体何を引き起こすんですか? と問い掛けようとして、絹旗は気づく。地震における初期微動のような、ほんのわずかな振動に。地面が揺れているわけではない。空気が揺れているわけでもない。ただただ微弱な、何を媒質にしているかもわからない不気味な振動が、周囲を震わせている。普通ならきっと気づかなかっただろう。もし気づいていたとしても、『何でもないもの』として意識の外に締め出していただろう。

 

「……そろそろかな」

 

 その正体に目星がついているのだろうか。勇斗は立ち並ぶビル街のある一角を――――その向こうにある『何か』を見つめて、

 

 ――――唐突に、絹旗をその胸に抱きすくめた。

 

「え、なっ!?」

 

「舌噛むから口閉じて」

 

 いきなりのことに一瞬で彼女の顔が真っ赤に染まりそうになるが、染まり切るよりも早く、

 

 ――――閃光。半瞬遅れて、轟音と衝撃。

 

 さながらスタングレネードが炸裂したかのように、莫大な光と音が一体となって荒れ狂った。目隠しをされるように正面から抱きすくめられ、回された手で耳をふさがれ、――――それでもかなりの衝撃が走る。

 

「飛ぶよ」

 

 頭の上から勇斗のそんな声が聞こえてきたときにはもう、彼女の体は浮遊感に包まれていた。重力が消え、内臓から何から全てが浮き上がるようなあの感覚。――――荒れ狂う爆音の壁の向こう側で、何か大きなものが破壊される音と、ガラスが砕けるような甲高い音が連続する。

 

「な、なにがっ!?」

 

「今の衝撃でビルの外壁と窓ガラスが崩れたんだよ。直撃喰らったら、ただ死ぬだけじゃ済まないし。俺1人ならともかく、絹旗にケガさせるわけにもいかないし」

 

 さらっと恐ろしい言葉が聞こえてきたような気もするが、それに対する意味のある反応を彼女が見せる前に、

 

「――――っと」

 

 勇斗の短い呟き、そして彼女の足が再び地面を捉える。自分の体を支えてくれる頼もしい地面の存在に、絹旗は思わず安堵の溜息を吐く。――――いやもちろん、自分の体を抱きしめて支えていてくれた勇斗が頼もしくないと言いたいわけではない。普段は地に足をつけて暮らしている人間にとって、『空』という場所はアウェー過ぎるというだけだ。

 

 閑話休題。

 

 勇斗が抱擁を解く。未だに閃光と爆音の余韻が残る中、絹旗は周囲を見渡した。――――どうやらここは、街中のどこかにある立体駐車場の屋上らしい。数台の車が止められていることに気づく。――――だがしかし、それ以上に彼女の視線を縫い止めたものがあった。正確に言えば、駐車されている車など比較対象にすらならなかった。暗かったはずの街に、莫大な光量を発する『ソレ』は顕現していたのだ。

 

「――――てん、し?」

 

「……なるほど。そう来るわけか」

 

 何故かわからないけれど、全貌など見えてこないけれど、ふとその『天使』というフレーズが湧いてくる。呆然と呟く絹旗と、何やら納得したように吐き捨てる勇斗。そんな2人の目線の先に顕現していたのは、巨大な水晶で形作られたクジャクの羽のような、鋭い物体だった。ここから『光源』までの距離は――――およそ1キロほどか。であればそこから推測するに、あの刃のような羽は、最大のもので全長100メートルほどに達しているようだ。そしてそんな巨大な羽が無数の連なりを作り上げ、そよ風にそよぐようにゆっくりと優雅に動いていた。場違いなほどに優雅に羽ばたくその姿は、まさしく天上の存在にふさわしいと言えよう。

 

 ――――そこでふと、刹那の思索に沈んでいた勇斗が、唐突に顔を上げた。その表情には焦りとかすかな恐れが浮かんでいるようにも見えた。

 

「――――()()()

 

 何が? と聞く猶予は与えられなかった。勇斗の言葉が終わるとすぐに、それは放たれたからだ。

 

 翼と翼の間で、雷のそれにも似た放電光と放電音が舞い、そして、――――閃光が世界を塗り潰した。

 

 息が止まりそうになるほどの圧倒的な光量の正体は、莫大な力が込められた雷光だ。神話の世界で神々が振るう天罰すらを思い起こさせるその一撃は、のたうつ蛇のような動きを見せながら遥か遠く――――学園都市の外目掛けて飛んでいく。

 

 その雷光の着弾を、2人はたまたま高層ビル群の隙間から見ることができた。視線の先、遥か彼方の地平線で、着弾点から何かが幾重にも吹き上がっている。数十キロもの距離が開いているにも関わらず、それは容易に観測できてしまっていた。

 

 遅れて、衝撃波と化した爆音が2人に叩き付けられる。とっさに勇斗が支えなければ、絹旗の軽い体は吹き飛ばされてしまっていたかもしれない。それほどの衝撃だった。

 

「い……今のは……?」

 

 絹旗の体を支えたまま、しかし勇斗は絹旗の言葉に応えることはなかった。その代わりに、

 

「とりあえず、行ってくる」

 

「行ってくる、って、どこへですか? ……まさかあの、『天使』のところですか?」

 

「……ま、そこも含めちょっと色々とね」

 

 苦笑を浮かべつつ、勇斗はそこで言葉を切って、絹旗の背後に目線を移す。

 

「……というわけで、よろしくお願いします先生」

 

「任されてあげよう。君の頼みだしね?」

 

「!?」

 

 唐突に、彼女の背後から聞き慣れない男性の言葉が聞こえてくる。振り返ってみれば、あたかも暗闇から滲み出てきたかのように、半身を暗がりに融け込ませたまま、白衣姿の男性がそこに出現していた。いつの間に下層から上がってきていたのか。足音や気配は全く感じられなかった。

 

 ――――この男性には見覚えがある。大覇星祭の期間中だけで2回も入院する羽目になった勇斗のお見舞いに行った際に、彼の担当を受け持っていた医者ではなかったか。カエルに似た顔の凄腕の医師。その凄腕故に、ついた異名は『冥土帰し(ヘブンキャンセラー)』……だったか。

 

「……さっき連絡した通り今は蘇生してピンピンしていますけど、つい先刻まで心臓を潰されて死にかけていた――――死んでいた身です。念のため精密検査をお願いします」

 

 カエル顔の医者に向かって、勇斗は絹旗の事を指し示しながら、絹旗自身にも聞こえるように、そう言った。

 

「大丈夫。もう病院車は確保済みだしね?」

 

 応えて、医者は口元を吊り上げる。

 

「君も一度精密検査を受けておいた方がいいんじゃないのかい? 君も全身を串刺しにされた挙句に心臓を潰されたんだろう?」

 

「……そうしたいのはやまやまなんですけど、そうは言ってられなくなったんで」

 

「ふむ……そうみたいだね?」

 

 ちらりと、医者は『天使』を見つめ、訳知り顔で頷いた。

 

「なら、全部終わらせてから来るといい。今の君なら、それくらい余裕なんだろう?」

 

「……まあ、はい」

 

 ちょっとした逡巡を見せたものの、勇斗は医者の言葉にしっかりとした頷きを返す。

 

「君が戻ってくるまで、君の彼女の健康と()()は保証しよう」

 

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 そして勇斗は、絹旗に向き直った。

 

「……というわけで、絹旗は留守番ね。俺はちょっと仕事してくるよ」

 

「え、なら私も……」

 

「いいから少し休んどけ。倒れてた時間は俺よりも長かったんだし、体にダメージが溜まっててもおかしくないだろ」

 

 勇斗は笑う。

 

「ちょろっと目障りな奴らをボコって、あの『天使』を()()()、すぐ戻ってこれると思うよ。多分絹旗の検査の方が時間かかるんじゃないかな」

 

 ニヤリと、口角を吊り上げるような、悪い笑みだ。

 

「……『助ける』?」

 

「その辺の話も、戻ってきてからだな」

 

 そして勇斗は、絹旗と医者に背を向けた。その背中から水晶の青(クリスタルブルー)の翼が音もなく広がっていく。――――と、そこで、カエル顔の医者が勇斗を呼び止めた。

 

「そういえばさっき、君たちの友達のシスターの子がここを飛び出していったんだけどね? 今この街は色々と危ない。まずはその子の面倒を見てあげてくれないかな?」

 

「……インデックスが? わかりました。まずはそっちからどうにかします」

 

 そう答え、何かを探るようにしばらく目線を動かして、

 

「――――あそこか」

 

 そう一言。そして、

 

「じゃ、行ってくる」

 

 一度優しく絹旗の頭を撫でて、――――彼女が顔を上げた時にはもう、勇斗の姿は掻き消えていた。

 



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ep.56 9月30日-10

 降りしきる雨が彼女の修道服に次々と浸みこんでいく。修道服の中、下着までもうずぶ濡れだ。冷えた衣服が体に張り付き、修道服の長い裾が足にまとわりつく。

 

 しかし彼女は足を止めない。まとわりついてくる修道服を蹴り飛ばし、彼女は走る。視線の先に見えているのは、突如として学園都市に顕現した『天使』の姿だ。

 

「……ひょうかっ!」

 

 走りながら、息を荒げながら、彼女――――インデックスはその名を、この街で初めて出来た『ともだち』の名前を、叫ぶ。

 

 10万3000冊の魔道書の原典を記憶する彼女をして、詳しい理屈がさっぱり見えてこない。あの威容はまさしく彼女が知る『天使』そのもの。しかし、あの『天使』から感じられる雰囲気は間違いなく彼女の『ともだち』である風斬氷華のものだ。――――それはつまり、信じられないことだけれど、()()風斬氷華があの『天使』に変貌してしまったということだ。何やら『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)も『暴れて』いたようだったが、今はもうそれどころではない。

 

 彼女にしては珍しく、ギリッ、と強く歯を食いしばる。先刻の『雷撃』はとてつもない威力を秘めていた。学園都市の中心部近くにいる彼女の目にすら、巻き上げられた大量の土砂が見えたほどだ。――――あの少女が、それほどまでに暴力的な力を振るったという事実。風斬氷華という少女は、自ら望んでそんなことなどしない。するはずがない。

 

 ――――息が上がる。喉が、肺が、焼けるように熱い。それでも彼女は走る。止めなければならない。きっとあの少女は苦しんでいるから。

 

 そして、インデックスはあの『天使』が待つ方へと曲がり角を右に折れていく。――――そのタイミングだった。得体の知れない、正体不明の、不気味な黒づくめの集団が彼女の目に飛び込んできたのは。

 

「!?」

 

 予想外の光景にインデックスの足が止まる。ちょうど水たまりを踏んだ形だ。バシャッ! という水音が跳ねる。

 

 ――――弾かれた様に、黒づくめの集団は一斉に彼女の方を振り向いた。そして無言のまま、揃った動きで彼女に銃を突きつける。

 

(この人たちは……、さっきから『白い人』を襲ってた……!)

 

 異様な、極めて統率のとれたその集団に、インデックスは覚えがあった。先刻、上条当麻とはぐれてしまった後に、彼女は同じような光景を目撃していたのだ。地下街の出入り口の近くで白髪の少年(アクセラレータ)が襲撃されている光景を。

 

 知れず、彼女の足は後退を選択(あとずさり)していた。無理もない。魔術を、10万3000冊を、知っているだけで扱えない。武器になるようなものもない。そんな丸腰の状態で、不気味な黒づくめの集団に揃って銃を突きつけられたら、誰だってそうなる。

 

 ――――ヤバい。彼女の頭に浮かんできたのはその3文字だけだった。目の前の集団は既にもう引き金に指を掛けている。投降を呼びかけることもない。ただただ無言で、ぽっかりと真っ黒な空洞(じゅうこう)をこちらに向けたまま、少しずつ近づいてくる。

 

 どうすればいい。このまま何もしなければ、確実に自分は殺される。かといって何かしようと動きを見せれば、これまた確実にあの銃が火を噴くだろう。八方ふさがりとはまさしくこのことか。

 

 ――――――――しかし、そんな状況はすぐにぶち破られることになる。

 

「揃いも揃って改造サブマシンガン(そんなもん)を無防備な女の子に向けるなんてどういう了見してんだよ」

 

 唐突だった。絶体絶命の危機に瀕する彼女の耳に、上から聞き覚えのある少年の声が届く。

 

「とりあえず、容赦の余地なしってことで」

 

 そんな言葉が聞こえてから、わずかに1つ間が開いて。ゴッ……!! という形容しがたい、ひたすらに重く鈍い音が彼女の耳に届く。それは、彼女の上方から不可視の力が凄まじい威力を伴って打ち下ろされた音だった。そしてその莫大な力が地面の強化アスファルトを割り砕き、穿ち、黒づくめの集団を底に叩き付けた時の音だった。意識を断ち切られたか、集団は完全にその動きを止めた。

 

 ――――圧倒的な力の奔流だった。そしてそれを間近で観察したからこそ、彼女は気づいた。

 

(――――これは、……『光を掲げる者(ルシフェル)』!?)

 

 声の主(であろう少年)が操る力――――たしかAIM拡散力場とかいう名前だったか、が天使の力(テレズマ)に酷似した(だが明確に異なる)力場を持っているということは彼女ももう既に知っている。だがしかし、今の一撃で振るわれた力には明確に天使の力(テレズマ)が混入していた。属性は『光を掲げる者(ルシフェル)』。彼女が先刻観測した天使の力(テレズマ)と同じモノ。

 

 驚愕の連続にへたり込みそうになるインデックスの前に、その少年は降り立った。その背からは水晶の青(クリスタルブルー)の翼が飛び出し、頭上には等脚のケルト十字を模したような形状の円環が浮かんでいる。これまでの少年と同じような姿で、しかしこれまでとは明確に異なっている。白かったはずの翼と円環は荘厳に色づき、その身には濃密な天使の力(テレズマ)が満ち溢れていた。

 

 ――――そんな『天使』は1つだけ息を吐き出し、翼と円環を虚空に溶かして、インデックスに向き直る。活性化していた天使の力(テレズマ)が一瞬にして落ち着きを取り戻し、海が凪ぐかのように平静が訪れる。

 

「いやー、間に合ってよかったよかった」

 

「……あ、ありがとうなんだよ」

 

 おそるおそる、インデックスは目の前の少年――――勇斗にそう声を掛けた。

 

「ねえ、ゆうと……。その格好は……」

 

「あー、気になるのはわかるけど、その話は後な。今どうにかするべきなのは風斬の方、だろ?」

 

「ッ!! そ、そう! そうなんだよ!!」

 

 勇斗の言葉で、彼女は現在の最優先目標を思い出す。――――そうだ。勇斗のことならいつでも、隣室に乗り込むだけで話を聞くことができる。しかし『天使』は、風斬氷華は、すぐにでも会いに行かなければ手遅れになってしまうかもしれない。なればこそ、ここで立ち止まっている時間などないのだ。

 

 ――――しかし、決意を新たにするインデックスの意識が、新たな闖入者の接近を捉えた。時折水溜まりを踏み抜くパシャッという水音が、路地の向こう側から徐々に近づいてくる。

 

 またあの黒づくめたちか、と身を固めるインデックスだったが、勇斗の顔を見上げれば楽しそうに笑っているではないか。

 

「ゆうと、この足音は……」

 

「大丈夫。さっきの黒づくめたちがAIMを消せる超高性能アイテムなんかでも使ってなければ、多分当麻だよ」

 

 果たして、路地裏から飛び出してきた人影は、勇斗の言葉通り彼女の同居人である上条当麻の姿をしていた。勇斗とインデックスの2人の姿を見て、一瞬上条は目を丸くする。会うはずのない場所で知り合いにばったり会ってしまった時のような、そんな驚き方だった。

 

「お……」

 

 ――――しかし、そのことについて何か口を開きかけた彼の後方。また別の怒鳴り声が響いてきたのだ。それは女性のもので、これまたインデックスにとって聞き覚えのある声だった。

 

「だーっ!! バカじゃないの! よりによってこんな場所で足止めてんじゃないわよ!! いくらこの私でも銃弾を防ぐのは大変だって言ってんでしょうが!!」

 

 そして、上条同様路地から少女が飛び出してくる。彼女が予想した通り、それは御坂美琴だった。上条に怒声を浴びせ、それから勇斗とインデックスを見つけて目を丸くし、2人の横で倒れ伏す黒づくめたちに気づいて顔を強張らせる。

 

 ――――と、その御坂と入れ替わるように勇斗が路地に飛び込んだ。そして、空気を揺らす重たい衝撃と破砕音。すぐに勇斗は戻ってきた。

 

「……ま、こんな広い場所で話してる場合じゃないな。場所を移そう」

 

 一転、険しい表情で勇斗はそう告げた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「あれ、先生。『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の命令系統に介入なんかしちゃって、何をなさっているんですか?」

 

 学園都市の、どこか。とある建物の、とある部屋で、白衣の女性がそんな声を上げた。――――その部屋にはスピーカーはない。念話能力(テレパス)を持つ能力者も、同等の機能を持つ得体の知れない最先端科学のカタマリもない。彼女以外にその場所にいるのは、豊かな体躯を持つ一頭の犬、ゴールデンレトリーバーだけだ。

 

『……アレイスターの手伝いといったところかな』

 

 しかし白衣の女性の声に対し、明確な応答があった。渋みのある、言ってみれば『ダンディ』な声だ。信じられないことに、その声はゴールデンレトリーバーから発せられているように思われた。

 

『この騒ぎに乗じて「ベクトル制御装置」への「AIM拡散力場の数値代入」を済ませてしまいたいらしい』

 

「……あー、なるほどなるほど」

 

 ――――ついでに言ってしまえば、この部屋にはディスプレイもない。2人は時折虚空に目をやり、ただそれだけで膨大な情報を得て、そしてやりとりを交わしていた。

 

「つまり今ここで『御使降し(エンゼルフォール)』に乱入されちゃうと、『装置』への『数値代入』が終わらなくなっちゃうってことですね」

 

『そういうことだ。「自分だけの現実(パーソナルリアリティ)」が「超能力」の土台となっている以上、制御領域の拡大(クリアランス)の獲得には演算面での成長だけではなく、精神面での発達成長(ブレイクスルー)も重要になってくる』

 

 そこまで言うと彼は器用に脚を操って葉巻を取り出し、火をつけ、咥え、深く吸って甘ったるい紫煙を吐き出す。

 

『……誰かを守りたい、助けたいという意思は固く強いものだ。まして「最終信号(ラストオーダー)」は彼にとっても大切なもののはず。ならば、おのずと結果は見えてくる。……私としては、ここで数多君とお別れになってしまうということが残念なところだね。彼は中々に興味深い人間だったよ』

 

 その声色に、微妙な感情が滲む。それは彼が属する一族――――『木原一族』の中では半ば廃れ切ってしまったはずのものだ。

 

「あー、そうですねえ。……今までありがとうございました数多のおじさま。きっとあなたの研究実績は我々の中で永遠に生き続けていくことでしょう」

 

 しかし、対する白衣の女性はそんな感情を欠片も見せず――――というわけにもいかず、やはり隠し切れないだけの何かを滲ませながらも、ざっくり極まりないセリフを声にする。そんな白衣の女性に、ゴールデンレトリーバーはほんのわずかに咎めるような視線を向けて、

 

『……まあ、そんなこと言っている我々が、まさしく()()なるように仕向けているんだけどね』

 

「仕方がないですよ先生。アレイスターに体よく利用されていることはマイナスポイントと見るべきですが、第1位の行く先を見ることの方が有意義です。そう考えてこそ『木原』では?」

 

「ふん……。……違いない」

 

 彼が表情というものを作り上げられたのなら、きっと笑っていただろう。煙を燻らせ、もう一度深く煙を吐いて、

 

『……では、彼らには申し訳ないが捨て駒になってもらおうか。下手をすれば万全の状態の第1位と真っ向から殴り合っても勝てる程の力を持つ「御使降し(エンゼルフォール)」相手に渡り合える可能性など万に一つもないとはいえ、多少の時間稼ぎくらいはしてもらわなければね』

 

「……そういえば、あんなに()()()()に勇斗君が成長したなんてなあ。まさしく『男子三日会わざれば刮目して見よ』ってやつですね」

 

『……いくらなんでも彼は例外、――――いや、反則だろう』

 

 ゴールデンレトリーバーは再びダンディな声を響かせる。きっと苦笑いでも浮かべているような声色だった。

 

『超能力を以て魔術(イレギュラー)を操る。私もこの街――――この世界は長いけど、そんな話はほとんど聞いたことがない』

 

 ――――聞いたことがない、とは言わなかった。彼には心当たりがあるからだ。『科学』的な素材を『魔術(イレギュラー)』によって組み上げることで『現出』するとある存在に。

 

 閑話休題。

 

『能力者が魔術を扱えば体に大きな負荷がかかり最悪死に至る――――これは20年ほど前に「エリス=ウォリアー」という少年がその命を以て証明してくれたことなんだが』

 

 ゲームの世界のような話になるが、と1つ前置きをして、

 

『普通の魔術師とやらはまず体内で魔力を精製し、それを基に魔術を使ったり、天使の力――――テレズマとかいうまた別種の力を操ったりする。――――で、さっき言った過負荷が生じるのは、能力者が「魔力」を精製する段階でね』

 

「……何のかんの言いつつ、先生って『魔術(イレギュラー)』に詳しいですね」

 

『詳しくなければ「ヤツら」に対する安全弁など勤まらないさ。……ともかく、「御使降し(エンゼルフォール)」はその「魔力」の代わりにAIM拡散力場を使うことで天使の力(テレズマ)を操っているようだね。「魔力」の精製がない分、リスクなしで魔術(イレギュラー)の世界に足を突っ込めているわけだ』

 

「ふへぇ。初っ端から統括理事長に目をつけられてる人たちってやっぱりすごいんですねえ……」

 

『突き詰めていくと科学も魔術も似たような領域に足を突っ込むからね。まさしくロマンだよなあ』

 

「ですねぇ」

 

 そんなところで、2人――――正確に言えば1人と1匹は会話を打ち切って、そしてもっと正確に言うならそのうちの『1匹』の方が、再び『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』への介入を開始したのだった。

 



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ep.57 9月30日-11

 ――――『トーマス』。そして、『ビアンカ』。

 

猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の同僚たちからそんな符牒(コード)で呼ばれている2人に与えられた――――というか、彼らの目の前に転がり込んできた命令(オーダー)は、とても簡単なもののはずだった。

 

 秘匿任務――――という言い方をすれば何だか聞こえはカッコいいが、要するに学園都市の暗部に関わる汚れ仕事だ――――を遂行している最中にバッタリ出会ってしまった学生(もくげきしゃ)の『抹消』。銃器その他の『人を殺すため』の道具の扱いに慣れた彼らにとって、学生1人殺すことなど容易い。

 

 ――――しかし、彼らにとって大きな誤算が2つ。1つは、その標的(ターゲット)が異様なまでに『場慣れ』していたこと。彼らが知る由もないことではあるが、その学生――――上条当麻は、夏休み以降何度も何度も命の危機という意味で修羅場に遭遇し、そして切り抜けてきている。1人では決して状況を打破できないまでも、『逃走』という選択肢を現実的に選択できるくらいには上条はこんな状況に慣れてしまっていたのだ。

 

 そしてもう1つ。それは、上条に逃走を許した挙句、とんでもない連中との合流を許してしまったことだ。

 

「――――ふざけんな。この場面であんな連中が出てくるなんて聞いてねえぞ……」

 

 トーマスは目の前の光景を見てそう悪態をついた。

 

「……全くだわ」

 

 その悪態に、ビアンカは疲れ切ったような声で同意を返す。

 

 路地裏、陰から覗く2人の視線の先、見えているのは1組の男女だった。トーマスとビアンカはその2人を知っていた。学園都市の暗部に浸りきっている彼らの仕事柄、その2人がどれくらいの強度(レベル)のどういった能力を持っているのかも重々理解できてしまった。

 

「『御使降し(エンゼルフォール)』に『超電磁砲(レールガン)』だと……? どっちもこの街で十指に入る能力者じゃねえか……」

 

 呻くような声で、トーマスはその名を口にする。『レベル4.5』の俗称を頂戴し、大能力者(レベル4)に分類される能力者の中で最も超能力者(レベル5)に近い存在と噂されていた少年。そして、その超能力者(レベル5)の第3位に位置付けられている少女。手持ちの『嗅覚センサー』が示す上条当麻(ターゲット)への道筋は彼らによって完全に塞がれている。迂闊にも突っ込んでしまった彼らの同僚たちはあっさりと薙ぎ倒されていた。

 

「……木原さんからの指令よ、トーマス」

 

「……何だってんだ?」

 

 意せずしてえげつないまでの大物を釣り上げてしまった彼らに、『木原さん』――――木原数多からの通信が届く。

 

「『目撃者の対処には別動隊が動く。お前らはあの2人をここでどうやってでも釘付けにしろ』……だそうよ」

 

「別動隊……? そんな組織だって動かせるほど人員に余裕なんてあったか……?」

 

「……そんな余裕があるんなら、今すぐここに回してほしいわよね。これだけの人数がいても、正直何とかなるとは思えないわ」

 

 黄服の女(テロリスト)の学園都市への潜入と時を同じくして発生した集団昏睡。一方通行(アクセラレータ)による襲撃。現状今ここにいるメンバーに追加して動かせる『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の人員に余裕などなかったはずだ。

 

「……まあでも、あの人が『やれ』と言った以上はやるしかないんだろうな」

 

「…………そうね」

 

 尊敬や敬愛ではなく、恐怖に基づく忠誠心で心の内の疑問を覆い隠し、それをいいように利用されていることに気が付かないまま、彼らは覚悟を決めるのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「――――沈黙確認、と」

 

 夜闇に沈む路地裏で勇斗は1人そう呟く。周囲には動かなくなった――――死んだわけではなく、意識を失っているだけだ――――黒づくめたちが転がっている。頭上に浮かぶ金の円環と背から延びるクリスタルブルーの翼が周囲をぼんやりと照らし、異様な、しかしある意味では幻想的な景色を作り上げていた。

 

 ――――ただただ『圧倒』という言葉に尽きる。超能力者(レベル5)の第3位。そして平時ですら『レベル4.5』との俗称を頂戴し、更に『科学』の世界を大きく踏み越える形で『覚醒』を果たした大能力者(レベル4)大能力者(レベル4)の時点で軍隊において戦術的価値を得られ、超能力者(レベル5)に至っては1人で軍隊を相手取れる程だとされている。いくら『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』が学園都市暗部に潜む特殊部隊であるとはいえ、そんな2人を相手にしては蹂躙されるしかなかったのだ。

 

「……」

 

 勇斗は顔を上げ、虚空を見つめる。AIM拡散力場の流れも落ち着きを見せ始めている。上条やインデックスがうまくやってくれたのだろう。勇斗は1つ息を吐き、それから目線を倒れ伏す黒づくめたちに向け直して、わずかに思索に沈む。

 

 ――――超音速で飛来する銃弾を叩き落とす翼の一撃と、それを成した反応速度。踏み込み1つで数十メートルの距離を詰めてしまう驚異的な身体能力。意識外の一撃だったはずの銃弾すら迎撃してみせた電撃の術式。天使の力(テレズマ)が混入することで結果として威力が増した『不可視の弾丸』。

 

 ――――まだ演算能力に『遊び』はある。()()()()ならまだまだ制御を誤りなどしない。……しかし、もし万一演算を誤り、力の制御を手放してしまった時のことを考えると、薄ら寒さを覚えるのもまた事実。インデックスや神崎火織が『聖人』について説明してくれた時のことを思い出しつつ、勇斗はそれを、その身を以て体感していた。

 

「――――何の用だよ」

 

 ――――そんな時だった。縦横無尽に駆け回りすぎていつの間にやらはぐれてしまっていた御坂と一旦合流するか、それとも『天使(カザキリ)』の方へ向かうか、決めあぐねていた勇斗の意識が、近づいてくるそいつの存在を感じ取ったのは。姿を隠すつもりもないのか、堂々と真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくる。

 

「どうもこんばんは。『御使降し(エンゼルフォール)』、千乃勇斗さん」

 

 飄々とした声と共に翼に照らされた領域に踏み込んできたのは、黒づくめとは明らかに違う出で立ち――ずんぐりとしたシルエットをしている――の人間だった。この声が本物の肉声なのであれば、性別は男だろう。頭の上から足の先まで全てがのっぺりした材質に覆われ、歩みを進めるたびに微かなモーター音が響いてくる。顔は見えない。頭部に当たる部分はドーム状に膨らんでおり、無数のカメラがドームの内部で蠢いていた。

 

「ちょっとお話がありましてね。こんな状況ですが、わざわざ訪ねさせていただきました」

 

 勇斗はスッと目を細め、突然の闖入者をじっと観察する。――――目に見える範囲では目立った武器は持っていない。おかしな動きも見せていない。

 

 しかしこの状況で、――――『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』を全て撃破し、『天使』騒ぎが落ち着きを見せたまさにこのちょうど都合のいいタイミングで、普通の警備員(アンチスキル)が使っているものよりも数段アップグレードされた駆動鎧(パワードスーツ)に身を包む人間が現れたこと自体、『不穏な動き』と表現して差し支えないだろう。勇斗たちの動きと『猟犬部隊(ハウンドドッグ)』の動き、両方を正確に把握した上でなければこんなマネはできないのだから。

 

「……『暗部』の人間が俺に話だ? 何だってんだ一体」

 

 そう。それは即ち、目の前に立つこの男は、この街の『暗部』に属している人間であるということの証左に他ならない。それも恐らく、黒づくめ()()の下っ端などとは格の違う、ある程度『上』の人間だ。

 

「――――いやはや、話がしやすくてこちらとしても大変助かります。()()超能力者(レベル5)の面々はどうも話がしにくくていけませんから。……まあ、あなたのご友人の御坂嬢も話がしやすい方ではあるんですが」

 

 ――――故に、最大限の警戒を以て問いかけた勇斗だったが、駆動鎧(パワードスーツ)に身を包むその男は空気を読むなどということなど全くせず、初っ端からいきなり『爆弾』を投下する。

 

「……………………それ、まるで俺が超能力者(レベル5)になったみたいな言い草だな」

 

「ええ。今回の用件の1つはそれをお伝えすることでした。おめでとうございます」

 

「…………」

 

「順位は少々特殊でしてね。あなたの能力の特異性に鑑みて、『第0位』ということにさせていただきました。第1位から第7位までの通常の序列には馴染まないようでしたのでね」

 

「……まあ、そうだろうな」

 

 肩をすくめ、勇斗は言葉少なにそう応じた。

 

「……で、()()は? まさか()()()()()を言うためだけに、()()()がわざわざ出向いたわけじゃないだろう」

 

「ご明察です」

 

 飄々としながらも、その声からは満足そうな感情が伺えた。まるで先生が出来のいい優秀な生徒を見ているときのような。マイナスの感情を向けているわけではないにしろ、相手を自分より『下』に見ているような、そんな感じだ。

 

「私がわざわざ出向くに至った理由は、もっと他にあります。まあ、決して今の話と無関係というわけでもないんですが。……いえ、むしろ大いに関係していると言うべきですね」

 

「……何なんだ回りくどい。いいからさっさと言いやがれよ」

 

「ああ、失礼いたしました。いえ、私としましてもこんなお話をするなんて思わなかったものでして。私としましてもいささか混乱しているのです」

 

 男がそう言い終えるのと同時だった。勇斗の携帯端末が振動を始める。

 

「――――指令を文書化したものを直接本人に送付せよ、との統括理事会からの通達がありましてね」

 

「…………」

 

 怪訝そうな、胡乱な目を男に向けて、勇斗は端末を取り出し、届いた文書に目を通す。

 

 ――――そこに、書かれていたのは、

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ――――『天使(カザキリ)』が出現していた『爆心地』。崩壊したビル群、瓦礫の山の一角に、得体の知れない力で根元から()()()()()()風力発電のプロペラが突き刺さり、クレーターが作り上げられていた。

 

 そしてそのクレーターを挟みむようにして、彼らは対峙する。

 

 1人は上条当麻。平静を取り戻した『天使(カザキリ)』をその背に庇うように、眼前の敵を睨みつけている。対面するもう1人は、ぐったりしたヴェントを片手で抱えた白人の男だ。名は、『後方のアックア』。ヴェント、そしてテネブラと同じ、『神の右席』が一。その体躯は鍛え抜かれに鍛え抜かれ、鋼鉄の肉体が衣服を押し上げている様が一目でわかる。上条を見下ろす視線も『天使(カザキリ)』を見つめる視線も穏やかで、それが逆に何物にも揺るがない超然とした威圧感を撒き散らしていた。

 

 

「――――そう身構えるな。今日の私の用件は、ヴェントとテネブラを回収するということだけである」

 

 ゆるり、と、アックアはその視線をどことも知れない虚空へと向けた。そしてそれから、上条、そしてその背後に浮かぶ『天使(カザキリ)』へと、順番に視線を移していく。

 

「……だが忘れるな。貴様の後ろに佇む『堕天使』と、『御使降し(エンゼルフォール)』の存在。それらは、我々十字教徒に対する許しがたい侮辱であるということを」

 

 睨みつける上条の視線を真っ向から受け止め、アックアは真っ直ぐに視線を向け返す。それだけで上条は、腹を空かせた獰猛な野獣と同じ檻に閉じ込められたかのような、そんな錯覚に陥った。

 

「そして貴様もだ。『紛い物』どもに与し、『我々』に対して神の奇跡を屠る右手を振るう。――――それだけで、『敵』と認めるには十分だ」

 

「ふざけたことを……!!」

 

 上条はそう叫び拳を握り締めるが、対するアックアはそんなことお構いなしに、上条から視線を外し、そのまま背を向け歩き出す。そして一旦立ち止まり、肩越しに何かを上条に向け投げ渡した。

 

 それは、ヴェントが身に着けていた――――舌に取り付けていた、鎖と十字架のアクセサリー。

 

「……それが今回、ヴェントが使っていた霊装だ。貴様の右手で破壊されたことで、もう既に霊装としての機能は失われた。ヴェントはもう『天罰』を使えない。倒れていた人間たちも直に回復するだろう。とりあえずのところ、今回の我々の攻撃を防いだ記念として取っておくがいい」

 

 穏やかな声でそう告げて、再びアックアは歩き出す。

 

「待てよ!! 話はまだ終わってねえだろ!!」

 

『全くその通り。()()()()()()()()、偉そうに勝手なことばかり言いやがって』

 

 ――――と、そこに。唐突にその場にいない第三者の声が割り込んだ。声の主の姿は見えないが、上条はこの声に覚えがある。勇斗の声だ。

 

『アックアさんとやら。流石に一言くらい、文句は言わせてもらうぞ』

 

 声の出所は、……上だ。そう判断した上条が視線を上に向け、――――瞬きの一瞬で、鈍く光る白っぽい何かが途轍もないスピードで上条の視界を横切っていく。そして頭がそのことを認識するより早く、破砕音と土砂が巻き上がる轟音、空気を大きく揺さぶるような衝撃が連続した。

 

「なん……ッ!?」

 

 思わず腕で顔を覆った。凄まじい土煙が舞い上がっていた。音と衝撃の出どころは前方だ。立ち去ろうとしていたアックアの行く手を遮るように何かが炸裂したらしい。しかしわかるのはそのことだけ。何も見えない。濃い土煙が視界を覆い隠していた。

 

「……貴様は」

 

「『御使降し(エンゼルフォール)』、千乃勇斗。……アンタ曰く、アンタらの『敵』だよ」

 

 土煙の中から聞こえてきたのはそんな声だった。そして不意の突風が土煙を吹き散らす。

 

 ――――瓦礫の山を穿ち、クレーターを作り上げた風力発電のプロペラ。根元にあたる部分はひどく鋭利な刃物で切断されたかのように滑らかで鈍い光を放ち、穴の中心にその身の半分ほどを(うず)めている。そしてその、天を衝く形で突き出た柱の先端に、金色の環と水晶の青の翼を携えた勇斗が降り立っていた。

 



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ep.58 9月30日-12

 

「――――この忙しい時に何の用だね?」

 

 次々に明滅する、得体の知れない数値を弾き出し続けるモニターのうちの1つ。突如として視界に割り込んできた金髪の女性に向け、アレイスターは面倒くさそうにそう声を掛ける。薄明るい教会の一室を背景に、十字教の一角であるイギリス清教、その(事実上の)トップに君臨する『最大主教(アークビショップ)』が、アレイスターを見据えていたのだった。

 

「今は暢気(のんき)に君とおしゃべりに講じている暇はないのだが」

 

 一度だけ気だるげに目を向けて彼女にそう告げ、しかしアレイスターは『動き』を止めることはない。思考を飛ばし、目線を動かし、時折指を動かしつつ、生命維持装置(ビーカー)内外の機器に向けて次々と何らかの指示を送り続けている。

 

『そんなこと承知の上にありけるのよアレイスター。このタイミングで通信を入れたる理由、知らないとは言いなしにけるわよね?』

 

 しかし『最大主教(アークビショップ)』はアレイスターのそんな様子など意にも介さず、いつにもまして固く無機質な声でアレイスターに呼びかけた。そして、その名を口にする。

 

『――――御使降し(エンゼルフォール)

 

「……学園都市の『超能力者(レベル5)』の1人が一体どうしたというのだね?」

 

『あら、彼が8人目の「超能力者(レベル5)」になりぬるのね』

 

 少しだけ意外そうな声色で、少しだけ目を丸くして、『最大主教(アークビショップ)』はほんのわずかに驚きの感情をあらわにする。しかし、

 

『――――でも、とぼけるのは無しにけるわよ。もし彼が「聖人」、あるいは「それに類する存在」の力を自在に行使できるように()()()()()()()時は、その身柄を「必要悪の教会(ネセサリウス)」で預からせてもらう。――――これが、我々の間で交わしける約束のはずよ。必要なりけるならその時の録画でも見せた方がよかろうかしら?』

 

 少しだけ口角を吊り上げて、彼女はいたずらっ子を連想させるようなちょっと意地悪気な笑みを浮かべた。

 

「――――今の彼が、その状態だと?」

 

 答えに窮しでもしたか、回答までにほんのわずかな間が空く。

 

『その背の翼に、金の円環。驚異的な身体能力。まるで『天使』や『聖人』の如しね。そして純粋な科学の能力者にあるまじき、「複数の異能」の行使。――――「科学」による異能は確か、1人につき1つ、けるわよね?』

 

「……」

 

 そして、アレイスターは押し黙った。感情を窺わせないフラットな表情なまま、だがしかし何かしらの操作を止めることはなく。

 

『……まあ、安心しけれ、アレイスター』

 

 そんな様子のアレイスターの姿を、『最大主教(アークビショップ)』は興味深げにじっと見つめて。それから、ふう、と1つ息を吐き、退屈そうに目を細めた。

 

『大事な「客人(ゲスト)」なりける彼を、害するようなマネは決してありえぬわよ』

 

「……」

 

 そして、通信が切断される。種々雑多な計器類が発する規則的な数々の電子音が再びその空間を支配した。

 

「…………」

 

 そんな『静寂』が取り戻されて、アレイスターもまた、一人微かに口元を吊り上げる。

 

(……少し想定よりは早いが、概ね予定の水準には達している。皮肉な話だが、向こうからわざわざ申し出てくれるというのであれば利用しない手はない)

 

 舞い込んできた望外の幸運を最大限に利用すべく、アレイスターは新たな指示を機器に命じるのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 まさしく、能面のような表情。言い放った言葉とは裏腹に、プロペラの上からアックアを見下ろす勇斗の表情は感情を窺わせないフラットなもの。――――しかし上条は知っている。あの表情を浮かべているときの勇斗は、そうとうキレている。『千乃勇斗』という少年は、()()()()()がなければ激昂することはない。やや好戦的になったり、言葉が荒くなったりはするものの、基本的には『冷たく鋭く』キレるタイプなのだ。

 

「――――悪いな当麻。俺、明日からしばらく()()()()に留学行くことになったわ」

 

 そんな様子の勇斗が、アックアを通り越して上条に視線を向け、唐突にそんなセリフを言い放つ。

 

「…………は?」

 

「多分今年中には帰ってくるけど、予定は未定ってやつな。しばらく不在にするから、課題とかは手伝ってやれねーぞ」

 

「え、ちょ?」

 

 予想もしなかったセリフに上条の頭は意味をなかなか理解しようとしてくれなかった。しかしどうやら彼の前に立つアックアは、その言葉に秘められた意味を理解できたらしい。

 

「――――『必要悪の教会(ネセサリウス)』、であるか」

 

「ご明察」

 

 端的に、ごく短く、勇斗はアックアの問い掛けに対して、そうとだけ答えた。

 

「…………あ?」

 

 『ネセサリウス』。上条はそれが一体何を指す言葉なのか、理解している。十字教の一派、イギリス清教の中の一組織。第零聖堂区。必要悪の教会。あのステイルや神崎、そしてインデックスが所属する、魔術師たちの集団だ。

 

「ご存知の通り、今の俺が扱ってる力は単に『科学』の範疇には収まってなんていない。いや、単にそれだけならまだお目溢しもしてもらえたらしいんだけど」

 

 平坦すぎる程に平坦で、かえって底冷えするような怒気を孕んだ声で、勇斗はそんな言葉をアックアに投げかける。

 

「……流石に()()まで来ると、もう見逃すことはできないんだと」

 

 背の翼を、頭上の円環を、そしてその身に宿るある種の『力』を総じてか、一転自嘲気な様子を勇斗はわずかに滲ませたように見えた。

 

 ――――『天使』、あるいは、『聖人』。上条の脳裏にそんな言葉が浮かび上がる。『天使』と『聖人』の間に明確な壁があるとはいえ、どちらも『魔術』側の世界では大きな意味を持つ言葉だ。『見逃すことはできない』とは、とどのつまりそういうことか。大覇星祭、結果的に別物だったとはいえ、『刺突杭剣(スタブソード)』という名の霊装の話が浮かんでくる。

 

「本当にふざけた話だよなあ。そもそも俺の能力を()()()()()()開花させてくれやがったのは魔術師であって俺自身じゃねえってのに。それで割を食うのは俺なんだよ。俺にだって俺の生活があるのに。せっかく可愛い彼女ができたってのに。『テロリストに屈しないアピールのために「超能力者(レベル5)」認定はしたけど、逆に今あなたに街中に留まられるとデメリットがでかすぎる』とか、そんなん知ったこっちゃねえ。――――挙句、ローマ正教(テロリスト)からは十字教を侮辱する敵呼ばわりだ。『正当防衛』って言葉を知らねえのかってハナシ」

 

 勇斗は首を鳴らす。右に、左に。溜息を1つ。

 

「……いやまあ、確かに『科学』と『魔術』の微妙極まりないバランスで成立してるこの世界で、『聖人』なんて存在を『科学サイド』に置いとけないっていう事情は重々わかってるつもりだよ。あとこれ、誰の言葉だったかな、『責任は過程ではなく行動に宿る』ってのは。――――俺がお前ら魔術師と戦ったのは、確かに紛れもない事実だ」

 

 一度、そこで言葉を切って、

 

「でも、理屈では理解できても、そんなすぐに納得はできねえよ。――――だからこれは単なるやつあたりだ、アックアさんとやら。ロンドン送りになる理由も『敵』呼ばわりされる理由もわかったけど、……ああそうだ、ロンドンにだってどこにだって行ってやるけど、このクソみたいに理不尽な話に、全て黙ってる筋合いもない」

 

 ――――スッ、と。空気が急激にその重みを増したかのような錯覚に、上条は捉われた。粘性も増したかの如く、嫌な空気が纏わりついてくる。背筋に冷たくべたつく汗が流れ、寒気が身体を走る。

 

「……アンタ、『聖人』だろ。なら、多少やつあたりしてもくたばりゃしねえよな」

 

「……フン。そう思うのなら試してみるがいい」

 

 普段の勇斗しか知らない人間では想像もできないような冷たく鋭い雰囲気を纏い、勇斗はアックアを挑発する。そしてアックアもまた、飄々とその挑発を受け止める。

 

 ――――上条は悟った。2人の激突まで、もう幾許も猶予はない。『魔術の世界』における核兵器とも称される『聖人』。世界そのものを震わせる衝突が、目前にまで差し迫っていた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ――――ピリリリリリリ!!

 

 薄く引き伸ばされた意識が無粋なコール音を拾い上げる。大音量でけたたましく鳴り響くそれ――――ご丁寧にバイブレーションまで作動している――――は、ズボンのポケットを音源としていた。

 

「……」

 

 大音量と振動が勇斗の意識を一気に『現実』へと引き戻す。『冷静さ』を取り戻した頭が、そんな事態の異常さを認識していた。

 

 ――――普段勇斗は携帯端末をバイブレーションのみのマナーモードに設定している。私用の端末も風紀委員(ジャッジメント)で支給されている端末も両方ともだ。支給品の方は確かに緊急時の連絡などで強制的に音が鳴るような設定になっている。しかし今、着信を受け、けたたましく鳴っているのは私用の端末の方。――――それはつまり、この通信の発信者は、外部から強制的に勇斗の端末の設定を変更した上で、何某かのコンタクトを取ろうとしているということだ。

 

「……」

 

「……どうした。電話が鳴っているようだが」

 

「……そうだな」

 

 どうすべきか逡巡していた勇斗だったが、当のアックアから指摘されたのであればそう悩む理由もない。釈然としない憮然としたような表情で勇斗は端末を手に取った。――――表示されている発信者は、当然の如く『通知不可能』の5文字のみ。――――この状況で電話を掛けてくる常識知らずは一体どこのどいつだというのだ。溜息を1つ。

 

「……はい、もしもし」

 

『せっかく()()()()で電話を掛けたというのにここまで取るのが遅いとなると、もしかして取り込み中だったのかもしれないね?』

 

「……先生?」

 

 いったい誰から掛かってきたものなのか。すわ『暗部』の何者かか。――――そんな覚悟をしていた勇斗の耳に飛び込んできたのは、よく聞き慣れたカエル顔の医者(ヘブンキャンセラー)の声だった。

 

『まあいいけどね。君に頼まれた「患者」の検査が終わったからその報告だよ』

 

 医者は、勇斗の疑問など意にも介さず、淡々と言葉を並べていく。

 

『いくつか検査をしてみたけど、異常は全く無し』

 

 それはまるで、現在の状況を全て見透かしているかの如く。

 

『一度死んでいたとは思えないね? 脳細胞その他、損傷はゼロ。君をぜひアシスタントとして雇いたいくらいだね?』

 

 そして勇斗にとって最愛の存在となった少女の無事を、これ以上ない程に確証するものだった。

 

「…………」

 

 通話が終了し、勇斗は端末をポケットに仕舞いなおす。アックアという強敵を前にして、しかし憑き物の落ちた様なスッキリとした表情を浮かべていた。

 

「……貴様の恋人の件か」

 

「……よくわかったな。流石聖人サマは耳がいい」

 

 対するアックアは、――――ほんのわずかだが、表情に苦みにも似た何某かの感情が過ったような。

 

「……貴様の恋人に関しては、純粋に申し訳ないと思っているのでな」

 

 そして続けて放たれたその言葉もまた、勇斗を驚愕させるのに十分な威力を秘めていた。

 

「……」

 

 アックアの後方、上条もまたポカンとした様子で口を開けている。『こいつは何を言っているんだ?』なんてセリフがよく似合う表情だ。

 

「……へえ、意外だな。こんなに素直に謝ってくれるなんて思わなかったぜ」

 

「……必要であれば躊躇などせん。しかし、ただその場に居合わせてしまっただけの少女を身内が死なせて、それを誇るのは私の矜持に反しているのでな」

 

「……なるほど」

 

 武士――――いや、騎士道というべきか。このアックアという人物は、単なる侵略者(テロリスト)という訳では無いらしい。

 

「…………興が削がれたな」

 

 そう言って、アックアは小さく笑う。現在の状況には似つかわしくない、不釣り合いな笑顔だった。

 

「今日の所はこれで引き返す。――――感情論を抜きにしても、無策で2体の『堕天使』と戦うのは無謀に過ぎる」

 

 肩に背負うようにヴェントの体を抱え直し、アックアは告げる。

 

「――――学園都市の『上』にも伝えておけ。……『次は無い』と」

 

 そんな声に連続して、ダン!!という凄まじい音が木霊する。本当にあっさりと、彼は姿を消したのだった。

 



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ep.59 9月30日-13

「――――ロンドン、ですか。何だか超急な話ですね」

 

「全くだよ。こっちの事情なんかガン無視だぜ。頭おかしいだろって」

 

 面会時間をとうに過ぎた夜の10時を回っても、病院の中はまだ騒がしさを維持していた。人の話し声やパタパタと走る足音など種々雑多な音が混じり合い、喧騒の形を成している。――――夕暮れ頃に突如として発生した集団昏睡事件と、それと同時刻に行われた病院車への集団避難。それらの事後処理に追われているのだ。

 

「勇斗さんの学校にはどう話を通したんですかね? こんな急な留学とか、普通なら超ありえなくないですか?」

 

「どうせ統括理事会権限かなんかでゴリ押したんじゃねえのかなあ……」

 

 そんな喧騒から文字通り壁1枚隔てたとある病室の中。疲労感に塗れた、しかしどこか幸せそうな表情を浮かべ病院着を着てベッドに横たわる絹旗と、ベッドサイドの椅子に腰掛け、片手で絹旗の手を優しく握りつつもう片方の手で絹旗のサラサラな髪を梳いている勇斗の姿があった。

 

「……まあ、のっぴきならない事情があるってのは重々承知してるんだけどさあ」

 

「……一個人の身ではどうにもならないことってありますからね。たとえ超強力な力を持っていても、ひょっとすると超強力な力を持ってしまったせいで」

 

「絹旗がそう言うと重たいよな……」

 

「ふふん。ここまで超の付くような修羅場の数々を潜り抜けてきたこの私を見くびってもらっては困りますよ勇斗さん」

 

 ドヤ顔を見せる絹旗に、それを見て顔が綻ぶ勇斗。

 

「見くびっちゃいねーよ。……ただ最近、年相応というか、普通の女の子っぽいというか、そんな絹旗の姿も見てきたからさ」

 

「それは、まあ、…………勇斗さんのおかげ、ですかね」

 

 そう言って、絹旗はいたずらっぽく微笑んだ。――――言ってて自分で恥ずかしくなったのか、頬やら耳やらが赤くなっている。

 

「……ッ、…………超かわいいなあもう!」

 

 ど真ん中剛速球。ドストライクな表情だった。湧き上がる感情のままにわしゃわしゃと頭を撫で、優しくぎゅっとその手を握る。

 

「このままイギリスに連れていきたいくらいだぜ」

 

「私としても超付いていきたいところです」

 

 しかし、それは難しい――というか、ほぼ無理な話であることを2人は理解していた。無能力者(レベル0)ですら()()()手段で街の外に出るためには煩雑な手続きが必要となるのだ。大能力者(レベル4)超能力者(レベル5)といった高位能力者など言うまでもない。………………無論不可能という訳ではなく、やろうと思えば全くやれないというわけでもないのだが。

 

 そして2人自身にもそれぞれ、『そう』することができない理由が存在している。勇斗のロンドン行きは表向きこそ『学園都市の協力機関への派遣留学』という体ではあるが、実際のところは『必要悪の教会(ネセサリウス)』への『転入』のようなものだ。学園都市の『外』。魔術師たち(オカルト)の集団。そこは、勇斗や絹旗にとっての常識が通用しない世界。絹旗をロンドンに連れて行った場合と学園都市に残した場合、どちらも様々なリスクは考えられるが、どちらかと言えばこの街の暗部(リスク)の方が()()し慣れているだけまだマシと言えるだろう。

 

 それに、絹旗は学園都市内の不穏分子の削除や抹消を担う暗部組織『アイテム』の正規メンバーだ。腹立たしい話だが、そんな便利な存在を『上』の人間たちがそう簡単に手放すとは思えない。下手に駆け落ちをかまして追っ手でも差し向けられたら目も当てられない。

 

 少なくとも今、熱に浮かされ、短絡的な判断を下してしまうことはお互いのためにならない――――。様々な修羅場をくぐってきたことがある2人だからこそ、その点を冷静に観察することができていた。――――「できてしまっていた」の方が、ニュアンスとしては正しいのかもしれないが。

 

「…………なのでその分、もうしばらくこのままでいてください」

 

 ちょっと唇を尖らせて、今度は絹旗の方から勇斗の手を握り返して、彼女は勇斗の目をじっと見つめた。

 

「…………言われるまでもなく、喜んで」

 

 断る理由など、世界中のどこを探しても見つかりそうもなかった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……むう?」

 

 ロンドン中心部の一角を占める日本人街。午後の1時を回ってもまだまだ昼食時の賑わいが途切れない日本料理店で、天草式十字凄教教皇代理・建宮斎字は唐突にそんな声を上げた。手にしていた箸を置き、のめりこむようにして携帯電話の画面を覗き込んでいる。

 

「これは……」

 

「建宮さん? そんな難しい顔して一体どうしたんですか?」

 

 思わず漏れ出てしまった建宮の呟きに、対面に座ってこの店オススメのメニューであるすき焼き御膳を楽しんでいた五和が反応した。

 

「……明日『必要悪の教会(ネセサリウス)』に新入りが来るらしいんだが」

 

 咳ばらいを1つ、それから建宮は、五和だけでなく同席している天草式のメンバー全員に聞こえるような声で五和の問い掛けに答えた。突然の話題に五和だけでなく、その他の面々も目を丸くし、箸を置いて彼に目を向ける。

 

 そんなメンバーたちの姿を確認してから、建宮は自身が見ていた携帯電話の画面が全員に見えるように、テーブルの上に置きなおした。

 

「その世話を天草式十字凄教(俺たち)に任せたい、っていう連絡が来たのよな」

 

 そのセリフに、メンバーたちの顔が揃って怪訝そうな表情に変わる。

 

「……教皇代理、その新入りってどんなやつで、どうして俺たちが選ばれたんすか?」

 

「まあまあ、せっかちになりなさんな」

 

 見た目だけならただの小柄な少年にしか見えない香焼に尋ねられ、建宮はニヤリと笑った。

 

「まず俺たちが選ばれた理由からだが……詳細は知らんのよ。同じ日本人だから、ってのが今んとこ考えられる一番の理由なのよな。で、問題の『どんなやつなのか』ってとこなんだが……」

 

 そこで一度、焦らすように言葉を切って、

 

「ウソか真か、学園都市の学生なのよな。……自分で言っててウソにしか聞こえないからもはや笑えてくるのよ」

 

「学園都市の学生……? それってつまり、能力者ってこと?」

 

 斜向かいの席から訝し気な視線を向けてくるのは、ふわふわ金髪のスレンダー美女、対馬だ。そんな彼女の言葉に、建宮は少し逡巡を見せて、

 

「……一応、そういうことになってるのよ」

 

 彼自身到底納得したとは言い難い複雑な表情を浮かべ、彼は問い掛けに頷いた。再び携帯の画面に目を落としてみる。その『新入り』のプロフィールが簡略化された状態で記載されており、『千乃勇斗』という名前の横に『超能力者(レベル5)』の文字、そして周囲の至る所に『トップシークレット』『機密厳守』、等々の文字が並んでいた。

 

「れ、レベル5!? それって確か学園都市の中でも数人しかいなかったんじゃないですか!? というかそれ以前に、能力者に魔術は使えないはずじゃっ!?」

 

 同じく画面を覗き込んでいた五和が素っ頓狂な声を上げる。――――偶然か、必然か、喧騒に紛れて周囲の人間の注意を引くことはなかった。

 

「……そ。五和の言う通り、超能力者(レベル5)は学園都市に10人もいない超レアキャラなのよ。そしてこれまた五和の言う通り、能力者は魔術を扱えない。……この言い方は正確じゃないな。正確には『自由に』魔術を扱うことができない。より正確には、魔術の行使に著しい反動が伴ってワンパンで死ぬ可能性すらありえる超ハイリスクな状況に陥る、ってとこよな」

 

 そう言って、一度肩をすくめて、

 

「…………そもそもそいつの『異能』は、『能力』ではなく『魔術』だったのかもしれない。あるいは、能力者でありながら魔術を使っても危険がねえような何かしらの技術を見つけたのかもしれない。――――無知な俺らが足りない頭絞ってもどうにもならんのよ。そんなんは明日当人に聞いてやりゃあいい」

 

「……」

 

「それより多分、俺たち天草式的に重要なのは、その『新入り』が上条当麻の親友らしいってことよな」

 

「ッ!!」

 

 ――――『上条当麻』。天草式の面々にとって決して小さくない意味を持つ少年の名が唐突に飛び出し、彼らの動きが――顕著なのはやはり五和だ――止まる。

 

「そう。まさかのまさか、ここでアイツと繋がってくるのよな」

 

 順繰りに、建宮は仲間たちの顔を見回していった。いっそ楽しげに、口元を微かに歪ませて。

 

「――――科学サイドの一員でありながら、魔術サイドの俺たちと肩を並べて戦ってくれた男。そして今度はその親友だという奴が、科学サイドの中枢たる学園都市から、魔術サイドの深部である『必要悪の教会(ネセサリウス)』へとやってくる。……さて、一体このことは何を意味している?」

 

「教皇代理……」

 

「……ここ最近、『世界』に揺さ振りをかけるような事件や策略の中心にはいつだって上条当麻がいるだろ。それこそ、()()()()()()()な」

 

 一転、建宮は表情を引き締める。

 

「俺たちの今いる組織の『上』が、学園都市が、そしてそれらを取り巻くローマ正教みたいな組織が、一体どんな思惑で動いているのか。俺らが今、どんな世界に立っているのか。……もしかしたらその『新入り』は、そんなことを見極めるための試金石になってくれるかもしれねえのよ」

 

 十字教世界における三大派閥の内の一角につくことになった天草式十字凄教。『イギリス清教』という看板を背負い、そのネームバリューを利用できるようになった一方、いわゆる『尻尾切り』にあうリスクも見過ごせなくなっている。

 

 ――――それでも、『救われぬ者に救いの手を』、敬愛する女教皇(プリエステス)の矜持を受け継ぎ、少しでも多くの救われぬ者を救うために。

 

 誰からともなく、彼らは瞳に強い意志を宿し、頷き合うのだった。

 

「――――はい! じゃあシリアスな話はこれで終わりよな。次の議題はその『新入り』をどう使いこなせば五和の恋が発展するのか、ここにいるみんなでレッツシンキング」

 

 その一言で全て色々と、ぶち壊しになったけれども。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 カラカラ、という微かな車輪の音が、静寂が取り戻された深夜の病院に溶けていく。1つ溜息を吐き、名残惜しそうに部屋の中を見やって、それから勇斗は絹旗の病室を出た。

 

 長く真っ直ぐな廊下が非常灯によってぼんやりと照らされていた。そしてその朧な明かりに照らされて、壁に寄り掛かった人影が浮かび上がっている。

 

「もう、いいのか」

 

 人影が、勇斗に向かって声を発した。普段からよく聞き慣れた声だ。しかしその声色は、普段の軽さからは考えられないほどに重く固い。そのことがより一層事態の重大さを表しているように勇斗には感じられた。

 

「ん、まあ。腕枕をせがまれたせいでまだ右腕が痺れてるけどさ」

 

 肩をすくめ、普段なら何があろうともそいつの前では言わないだろう爆弾発言を、勇斗は口にする。普段なら嬉々としてネタにして弄ってくるだろうに、しかし今は、そいつは辛そうに微かに表情を歪めるだけだった。

 

「そういう土御門は大丈夫なのか。全身包帯だらけのボロボロじゃねーか」

 

 そいつ――――土御門元春は、ぐったりした様子で壁に寄り掛かっている。あの大騒動の裏でまた暗躍していたのだろう。全身至る所に包帯が巻かれ、痛々しい血の滲んだような跡も各所に見受けられた。

 

「何とかな。全部話が終わったら、その後『肉体再生(オートリバース)』でも使うさ」

 

「……そうか」

 

 ――――まだ、呼吸は浅く荒い。土御門は回復魔術を使()()()()。『肉体再生(オートリバース)』も無能力(レベル0)判定。つまり彼は、応急措置以外に碌な治療をまだ受けてないということだ。そんな状態で今ここにいるのは、ひとえに『責任』を感じているゆえか。

 

「――――最低限の荷造りはさせておいた。足りてなさそうだったものに関しても『上』に言って準備させておいた。それでももし、足りないものがあれば、済まないが向こうで揃えてくれ」

 

「――――土御門」

 

「……何だ」

 

()()()()すんなよ。今回のこれは、お前のせいじゃないだろ」

 

「…………だが、結局巻き込んじまったのは事実だ」

 

 表情自体は無表情(ポーカーフェイス)のまま、しかし端々から、土御門が考えていることなど容易に読み取れる。

 

「何だよお前、これまでの魔術絡みの事件は全部お前が手引きしたものだって言いたいのか? もし本当にそうだってんならビックリだぜ」

 

 だからこそ勇斗は、軽口を叩くことにした。――――そんなことを、土御門が気に病む必要などないのだから。

 

「……むしろいいチャンスだと思いはじめたんだぜ」

 

 土御門の気遣いを不要なものと断ずるように、勇斗は笑いながら言う。

 

「世界が『科学』と『魔術』に分かれていようが、そんなことはどうだっていい。俺は『俺自身の力』で、俺が守りたいと思った人たちをもっと守れるようになりたい。だからこそ、俺は行ってやるんだ。『俺自身の力』について、もっともっとよく知るために」

 

 穏やかに、しかし強い意志を、一言一言に込めて。

 

「と、まあ、そんな感じでもう腹はくくったよ。……それでもどうしても申し訳ないと思うんだったら、俺が早く帰ってこられるように、その方向で暗躍しててくれ」

 

「……全力でやってやるさ」

 

 力強く、土御門は断言してくれた。勇斗にとっては、そのことが何よりも心強い。

 

「おう。頼むよ」

 

 そんなふうに、爽やかに笑って、

 

 ――――少年は病院から、この街から、姿を消したのだった。

 



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Chap.6 魔術の国へようこそ United_Kingdom
ep.60 10月1日-0


 スピーカーから柔らかい電子音が聞こえてくる。次いで、機体が間もなく着陸態勢に入る旨の外国語のアナウンスが流れ始めた。

 

 それらを拾い上げた勇斗の意識が浮上する。閉じていた瞼を持ち上げ、高級ソファーのように座り心地抜群な椅子に深く体を預けたまま、勇斗は周囲を見渡した。

 

 そこは、たった1つの座席を残し、その他全てを撤去してあるという意味のよくわからない配慮がなされた、学園都市が世界に誇る超音速旅客機のファーストクラスのフロアだった。広々とした機内のど真ん中、ポツンと1つだけ座席が取り付けられているその様は、傍から見ればひどく寂しいものに映るだろう。――――ビジネスクラスやエコノミークラスといった他のフロアには乗客はいる(しかし深夜便かつ体に大きな負担を強いることが理由でパラパラと空席が目立つ)から、本当にぼっちを極めているわけではないが。

 

 ふう、と深い溜息を吐きながら目を閉じて、それから再び目を開く。上げた目線の先、取り付けられている2つのデジタル時計が、それぞれ日本とイギリスの現在の時刻を表示していた。日本の時間では10月1日の午前3時を回った頃、イギリスでは9月30日午後の6時を回った頃だ。第23学区を出たのが午前1時半前だから、ここまでの所要時間はおおよそ2時間弱になるだろうか。

 

(……相変わらず、怪物じみた飛行機だな)

 

 あくびを噛み殺しながら、勇斗は今自分が搭乗している『飛行機』に考えを巡らせた。『超音速』の名を冠するだけあって、最高時速は7000キロオーバー。単純に音速を秒速0.34キロメートルと定義すれば、約マッハ6。音速挙動を可能にする『聖人』の6倍の速さで飛び続け、日本からヨーロッパまで高校の授業2コマ分もかからない。――――逆に、最先端科学の髄を尽くした航空機のスケールを語るモノサシになれてしまっている『聖人』の異常さが際立つだけのような気もする。

 

 ――――それはともかく、もちろんそんな圧倒的な速度下では発生するGも凄まじいものになるわけで、「最初に少し無重力を感じた後は、10分も経たない内に考える余裕が消えるよ」(by某カエル先生)とか、「バスケットボールを内臓に思いっきり押し付けられた挙句、その上からぐりぐりと踏み潰されてるみたいだった」(by某ツンツン頭)とか、「出してもらった機内食が全部後ろの方に吹っ飛んだんだよ」(by某シスターさん)とか、聞こえてくるのはそんな本気とも冗談ともつかないヤバい話ばかりだった。

 

 そんなとんでもない、拷問か何かじゃないかという状況下で勇斗がここまでくつろげているのは、『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)による天使化/聖人化(身体強化)が効いている故だろう。

 

 ――――そして、そんな思考がなお一層、自分の現状が決して夢なのではなく事実なのだと実感させてくる。

 

「…………ふう」

 

 知れず、溜息が漏れた。とりあえず今日からしばらくの間は、イギリス暮らしが待っている。それも、全容の見通せない魔術組織――――イギリス清教第零聖堂区・『必要悪の教会(ネセサリウス)』に籍を置く形で。

 

 ――――そういえば、と。思考が脇道に逸れ、過去の記憶を掘り起こす。『必要悪の教会』が、『必要悪』などという呼ばれ方をされるに至った所以。それを、勇斗は土御門に聞いたことがあったのだ

 

 あの時土御門はこう言っていた。『本当に宗教…………信仰のこと()()を考えるんなら、真の奇跡を自分の手で再現しようなんていう魔術の理念は、不遜で傲慢極まりないものなんだにゃー。だから国家宗教であるイギリス清教は、信仰を乱すそんな不遜で傲慢な悪い魔術師をシメる必要があるわけ。でも、対抗するためには、対抗する側にも力が必要だろ? てことで、魔術を習得することになった(貧乏くじを引かされた)組織の一部門ってのが、オレたち『必要悪の教会(ネセサリウス)』ってわけなんだにゃー』

 

 ――――とどのつまり、勇斗がその会話から得たのは『必要悪の教会(ネセサリウス)』という組織の目的だった。『悪い魔術師をやっつけること』。字面だけなら昔話に出てくるようなステキなお仕事だし、同じく字面だけなら風紀委員(ジャッジメント)と似た匂いも感じないわけではない。……まあ、問題なのはその『やっつけかた』なのだが。

 

 『貧乏くじ』か。それとも、『正義の味方(ヒーロー)』か。勇斗自身、単に引き取られて終わりという訳にもいかないだろう。何かしらの役割を求められるはずだ。曲がりなりにも国家宗教の構成員、実働部隊――――国家公務員みたいなものか。実際イギリス国民の血税から安定した給料が賄われているらしいし。願わくば、自分に与えられる役割が『敵対組織の皆殺し』なんていう物騒極まりないものにならないことを。

 

 ――――ふと、窓の外を見た。高度が落ち始め、物凄いスピードで流れていくヨーロッパの街の姿が、少しずつしかし確実に大きくなっていく。本格的に着陸の準備が始まっていた。

 

「……さて、どうなることやら」

 

 勇斗のそんな呟きが、広々とした寂しげな空間に溶けていく。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 ――――ロンドン・ヒースロー空港。ロンドン近郊に位置するイギリスの空の玄関口。この空港のラウンジに、2人の魔術師が居た。名は、五和と対馬。日本国内に存在する十字教の一派であり、今現在はとある事情からロンドンへと拠点を移すこととなった『天草式十字凄教』の一員である。そんな2人が、本来ならば利用が乗客のみに限定されるはずの空港ラウンジの一角を陣取り、あまつさえソファーでくつろいでいるのには、当然それ相応の理由があった。

 

 2人の役割は、学園都市からやってくるのだという『必要悪の教会(ネセサリウス)』の新入りの出迎えだ。正式な加入は明日10月1日付けということになっているのだが、顔合わせも兼ね、天草式が出迎えも行うことになったのである。そしてその際の、「新入りは男子高校生みたいだから俺たちみたいなムサイ男衆がお迎えに行くよりキレイどころカワイイどころが行ってあげた方が喜ぶのよな!」という教皇代理・建宮の鶴の一声で、2人が駆り出されることになったわけだ。ちなみにその駆り出した側は、今頃天草式が拠点の1つとしているイギリス清教借り上げのアパートに戻って寝ている……訳では無く、部屋の飾りつけや料理に勤しんでいるはずだ。「せっかくだから歓迎会でもしてやるのよな」とのこと。天草式は魔術師としての仕事がない時にはそれぞれ市井に紛れて兼業しているような集団だから、料理店勤務組も複数いる。きっと美味しい料理を作っているだろう。かくいう五和もその1人なのだが。

 

 閑話休題。

 

 つくづく面倒見のいい集団だなあ、と天草式(じぶんたち)をそう評して、五和はホットのミルクティーが入った蓋付き紙コップを手に取った。豊かな紅茶葉の香りと濃い目のミルクがウリだというそれにちょっと口をつけ、テーブルの上に置かれたクリアファイル――――に挟まった少年の写真と添付書類――――に目を向ける。

 

 件の『新入り』のデータはイギリス清教を通じて学園都市から提供されたものだ。名前は『千乃勇斗』。上条当麻と同じ高校、同じクラスで風紀委員に所属している。黒い髪、茶色い目。モデルとか俳優とかそこまで飛び抜けてはいないけれど、やや童顔気味の整った顔立ちをしている。

 

 そこまでざっと流し読みして、――――紙面を滑る五和の視線が縫い止められた。やはり何度見返しても、この部分が引っ掛かる。

 

 ――――そこに書かれているのは、この少年の『能力』についての情報だ。そのうち、強度判定の欄にはこの少年が学園都市内で最上位クラスの能力者であることを示す『超能力者(レベル5)』の4文字が記入されている。そしてそのこと自体、十分注目に値することであるのは間違いない。――――だが今回、それ以上に五和たち天草式の目を引いたのが、その1つ横にある『能力名』の欄だった。

 

 『御使降し(エンゼルフォール)』。そこには、そう記載されている。

 

「……すごい名前よね」

 

 五和の視線の先を追って、対馬もそれに気づく。

 

「『御使い(エンゼル)を降ろす』だなんて。とても科学的な名前だとは思えないわよ」

 

「……でも、あえてそう名付けられたということは」

 

「名は体を表す。……何かしら『天使(エンゼル)』と繋がりがあるんでしょう。――――少なくとも、学園都市からわざわざ『必要悪の教会(ネセサリウス)』送りになる程度には。……ついさっきまで続いてた学園都市への『テロ攻撃』に際して、『天使』が出現したっていう未確認情報もあったわね」

 

 そう言って、対馬は手に持っていたコーヒーに口をつける。一口飲み下し――――何かに気づいたかのように、残りの全てを一気に口の中へ流し込む。

 

「……? どうしたんですか?」

 

「んー、まあね。下手の考え休むに似たりっていうか、教皇代理も言ってたけど、何かを判断するには情報が足りないわ。とりあえず断言できる確固たる事実は、学園都市の最上位級能力者(トップランカー)がイギリスに来て、その面倒を私たち天草式がみるってことだけよね」

 

「ええ、まあ……」

 

 若干戸惑ったような様子で頷く五和に対し、対馬はニヤリと笑って、五和を――――五和越しに彼女の背後を指差す。

 

「じゃあ、それ以外の詳しいことは()()に聞いてみましょう。もちろん、すんなり教えてくれるかはわかんないけどね」

 

 そんな対馬の言葉に、弾かれた様に五和は背後を振り返る。対馬の指差す先、写真に写っている少年まさにその人がキャリーケースを引きずり、こちらに近づいてくるところだった。――――とはいえ、彼女たちに気づいた様子はない。携帯電話片手にキョロキョロと周囲を見渡している。恐らく、出迎えがあるとは教えられていたのだろうが、肝心の『誰に出迎えてもらうか』は詳しくは教えられていないのかもしれない。――――ならば、声を掛けてあげるのが五和たちの役目だ。

 

「行くわよー」

 

「は、はい」

 

 対馬が立ち上がり、少年の方に歩き出す。五和も慌ててミルクティーを飲み干し、対馬に続いた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 そんなこんなでイギリスに到着である。日本と比べて気温が低く、周囲の喧騒を形作るのは英語がほとんど。肌で感じる『空気』が、学園都市のそれとは全くの別物だ。英語での受け答えは問題ない(……というか、ヨーロッパ系の言語は一通り習得してはいる)とはいえ、何分初の海外進出ということもあってか非常にアウェーな感じがする。

 

 ――――とはいえ土御門曰く、『天草式』という十字教の一派がイギリスでの勇斗の面倒を見てくれることになっているらしい。土御門も彼らの詳細を知っているわけではなさそうだったが、上条とは拳を交えて仲を深め、この間上条がイタリアに行った時にも互いに協力していたようだ。その時点でもう既に色んな意味でド安心できる。

 

 では、その肝心の天草式の人間は一体どこにいるのだろうか? 土御門からのメールにはその肝心な部分の記載がなかった。とりあえず荷物だけは回収してきたが――――。

 

 ちょうどその時だった。目線を上げた勇斗の視界に、こちらへと向かってくる2人の女性が映る。1人は、綺麗な金髪をゆるふわに仕上げたスラリと背が高いスレンダー美女。もう1人は、毛先が外側にはねたショートヘア(とはいえ絹旗よりはやや長めか)の、出るとこが出た同年代くらいに見える美少女だ。2人の目は真っ直ぐに勇斗を見据えている。

 

(……あの2人っぽい)

 

 目をそらさず真っ直ぐ近づいてくる様子を見るに、2人は勇斗を勇斗だと認識している。何処かの誰かが――――恐らく学園都市の『上』が、情報を渡しておいたのだろう。個人情報(プライバシー)という言葉はないのだろうか。

 

 ……だけどまあ、そのことが彼女ら2人が出迎えに来てくれた天草式の一員であるということを証明してくれている。………………のか? 一瞬安心しかけて、そういえばどこで自分のことを嗅ぎ付けたのか、テネブラという女魔術師が襲い掛かってきたことを思い出す。意外と本気で調べようと思えば、顔と名前と所属くらいはあっさりと割れてしまうのだ。

 

(……うーむ)

 

 あの2人は本当に天草式の―――『必要悪の教会(ネセサリウス)』の人間なのか。……それを判別するには、『必要悪の教会(ネセサリウス)』の一員にのみ与えられるという『銀と赤のロザリオ』を確認すればよかったはず。学園都市を出てくる際に土御門がそう言っていた。

 

(…………まあ、それに、偽物だったらブッ飛ばせばいいだけだしなあ)

 

 即座にそんなバイオレンスな結論に達し、吹っ切れた様に勇斗もまた2人の女性に近づいていく。

 

 ――――そして、

 

「千乃勇斗さんですか?」

 

 スレンダーな金髪美女さんが朗らかにそう問うた。――――近くで見ると、なお一層『大人のお姉さん』という印象を受ける。勇斗の周りにはいないタイプ――――現役高校生なのだから当然なのだが――――だ。

 

「はい」

 

 対する勇斗も爽やかに笑顔で応じる。これからお世話になる身だ。第一印象を良くしておくに越したことはない。

 

 2人の女性たちはその笑顔に表情を緩め、それからそれぞれ鞄に手を入れ、中から何かを――――土御門が持っていたのと同じ『銀と赤のロザリオ』を取り出す。勇斗が何も言う前にそうしてくれるあたり、向こうもよくわかってくれているようだ。

 

「私は天草式十字凄教の対馬です」

 

「五和と申します」

 

「お世話になります。千乃です」

 

 そんな感じで3人が頭を下げ合って、

 

 それが勇斗と天草式の、ファーストコンタクトだった。

 



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ep.61 10月1日-0.5

妄想するのは簡単ですが、明確な形にすることのなんと難しいことか……


 ロンドン市街地中心部の北側に位置する街、フィンチリー。ロンドン・ヒースロー空港からは電車を乗り継いで1時間程のところにあり、治安が良く緑豊かな自然と穏やかな住宅地が広がっているこの街は、日本人にも人気が高い。そのため、街中には日本料理店や日本人向けのスーパーがいくつか立地し、ロンドン市内でも最大規模の日本人街を形成している。

 

 そんな平和な街の一角に、その建物はあった。イギリスという国の裏側に巣食う、国家宗教が誇る秘匿された実働部隊。任務の遂行のためには敵の殲滅すら辞さない、対魔術師に特化した魔術師の集団。その彼らの、拠点が。

 

「…………普通のアパートだ」

 

 思わずそんな声を漏らしてしまった勇斗の前に建っていたのは、イギリスのどこにでもあるような、普通のレンガ造りの3階建てのアパートだった。外観に異常という異常はなく、ぱっと見た感じでは変な魔術が使われている様子も見られない。――――アヤシげな魔術師たちの集団が拠点として利用するには少々普通すぎやしないだろうか? そんなことを思ってしまった勇斗を一体誰が責められようか。

 

 …………まあ、とはいえ、SNSをはじめとする情報網が発達している現代社会において、悪目立ちする『アヤシげな』拠点など百害あって一利なしなのだろう。おまけに天草式は「周囲に溶け込むことを是とする集団」(五和談)らしいし。

 

「大昔の時代とか、大規模な儀式に使う聖堂とかならともかく、普段使いする拠点なんてこんなもんよ?」

 

 対馬もそう言って、ダメ押しを決めてくれた。そりゃそうだ、と肩をすくめ、勇斗は門をくぐっていく2人に続く。階段を上り、2階に到達。廊下を進む。

 

「まあ、この建物が見た目と違うところと言えば、天草式が全員集まっても大丈夫なように何部屋かぶち抜きで広い部屋にしてるってところかしら。イギリス清教借り上げのアパートだからその辺は融通効くのよね」

 

「フロアも打ち抜いて階段も取り付けてあるので、上下方向にも広いんですよー」

 

「おお……ロマンを感じる……!」

 

「でしょー? ……さ、どうぞ」

 

 対馬がドアノブに手を掛け、戸を開ける。

 

「そのまま廊下を真っ直ぐ進んでね。奥の部屋で皆が首を長くしてあなたを待ってるわよ」

 

 そして、完璧なウインク。可愛い彼女がいる勇斗をして、クラりと来てしまいそうな怪しい魅力の籠ったウインクだった。――――やはりそこは男子高校生というべきか。『置き去り(チャイルドエラー)』であり、『暗部』(に近い位置)を垣間見たということもあって、普段は年齢よりもずっと大人びた落ち着きを見せる勇斗だが、()()()()イレギュラーなところではちょくちょく年相応なところが顔をのぞかせる。……ちなみに、絹旗を筆頭に、『暗部』に身を浸す人間には往々にして似たような傾向が見られる。

 

 ――――閑話休題。そんな対馬の横で五和も立ち止まり、勇斗に向かって穏やかに微笑みかけた。

 

「私たち天草式十字凄教は、上条さんの親友であるあなたを、歓迎します」

 

 ――――他国の国家宗教に喰い込むほどの精鋭たちから成る魔術組織からここまでの高評価を得ているとは、上条は一体どんな事件に関わり、そこでどんなやりとりを交わしたというのだろうか。いやまあざっくりとした話なら聞いているが、詳細なところが非常に気になる勇斗である。

 

「…………」

 

 まあ、それも今は置いておこう。2人の反応を見るに、天草式の面々は非常に好意的に勇斗を迎えてくれるようだった。ならば、その好意に迅速に応えるのが今の勇斗の務めだろう。

 

「…………ありがと!」

 

 2人からの真っ直ぐな好意にいささかの気恥ずかしさを覚えながらも笑みを返して、勇斗はサッとドアから中へと歩を進めた。玄関は――――まだ普通のワンルームのアパートと大差ない。唯一普通のそれと違っているのは、いくつも並べられた大量の靴だろうか。ざっと見ても10ではきかない数の靴がきれいに並んでいる。――――場所は海外とはいえ、玄関で靴を脱ぐ辺りそこのところは日本のやり方を踏襲しているようだ。天草式は日本人なのだから当然と言えば当然なのだが。

 

 並んだ靴を踏まないように慎重に靴を脱ぎ、フローリングの廊下を進む。脇には流し、洗濯機を置くスペース、洗面所、風呂にトイレと思しき部屋。この辺りも日本のワンルームとほとんど変わらない。外国っぽさが欠片も感じられなかった。生活様式が変わると慣れるまで大変だろうからとてもありがたく思う一方、それはそれで何だか残念な気がしなくもない。複雑な心境の勇斗君である。

 

 そんなこんなで廊下の突き当たり、ドアの前に到達する。中央にひし形のすりガラスが入った木製ドアの向こうからは、胃袋を刺激するそれはそれはおいしそうな匂いが漏れ出てきていた。

 

「はいはい、止まってないで入った入ったー。私お腹すいちゃった。早く入ってご馳走食べましょう」

 

「あ、料理に関しては心配しないでくださいね。今日の料理は全て私たちの手作りです」

 

「心配…………? ……ああ、急展開過ぎて忘れてたけど、そうかここイギリスか……」

 

「そそ。いやあ、流石にウナギのぶつ切りをそのまま固めた料理を見た時は目を疑ったわね」

 

「パイ生地から魚の頭がいくつも飛び出てるあれも衝撃でした……」

 

「…………その辺、ネタじゃなくてガチだったのか」

 

 苦笑を浮かべて、それから気を取り直して、勇斗はドアを開けた。フローリング張りのかなり大きそうな部屋だ。真ん中の方には大きなテーブルが準備され、その上には様々な料理が乗っている。勇斗の近くに並んでいるのは和食か。煮魚に漬物、肉じゃがが目に入ってくる。その向こうは……チャーハンらしきものが見える辺り中華ゾーンだろう。その向こうにもたくさんの料理が並べられている。かなり長いテーブルだ。RPGやファンタジーで大きな城での晩餐会の描写がなされるときに、決まって出てくるあの長テーブルを想像すれば話が早い。

 

 そしてテーブルの周りを囲む、老若男女様々な人々。皆人当たりの良さそうな穏やかな笑顔をこちらに向け、手に持った何かをこちらに――――

 

 ――――パン!パパン! という弾けるような音が幾重にも重なり、音の壁となって勇斗の耳に殺到する。

 

「うおぉっ!!??」

 

 彼らの手元から爆音と共に飛び出した大量の紙吹雪のようなものが部屋中を舞い飛んでいた。突如視界を覆いつくした紙吹雪と大音量に体をビクリと震わせた勇斗の嗅覚に、次いで火薬の匂いが届く。

 

 ――――部屋の中で待機していた人間たちが一斉にクラッカーを鳴らしたのだ、というところまで思考が追いついた勇斗。そこへ、

 

「うぇーるかーむとぅー……あまくさしきぃぃぃぃぃいいいいい!!!!!!」

 

「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」

 

 首から小型扇風機を提げた背の高いツンツン頭の声に続いて、残りの全員が快哉を叫ぶ。室内だというのに不自然な風が吹き、舞っていた紙吹雪が全て吹き払われた。

 

「…………」

 

「見ての通り、天草式(わたしたち)ってこんな感じよ。楽しんでね」

 

 面食らって動きを止める勇斗の肩を優しく叩き、対馬もそう言って楽しげに笑ったのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「さて、それじゃあ主賓が到着したということで―……自己紹介タイムなのよな!」

 

「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」

 

「……あ、申し遅れたのよな! 司会を務めさせていただきますのはー、天草式教皇代理・建宮斎字なのよな!」

 

「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」

 

「よし、それじゃあ少年! よろしく頼むのよ!」

 

「……無駄にハードル高いなもう!」

 

 いくつかの部屋をまとめてぶち抜いて作られた、学校の教室4つ分(詳しく言うと2×2)ほどの広さの大広間。最初の盛り上がりが全く冷めやらぬまま、勇斗は背の高いツンツン頭の男性――建宮斎字に背を押され、端に設置されたひな壇に上ることになる。

 

「あーあー、……えーっと、この度学園都市からやってきました、千乃勇斗です。色々とツッコミどころはあるかとは思いますが、どうか生暖かく見守っていただければと思います」

 

 と、手短な言葉と共に一礼。空気が破裂したんじゃないかというほどの大きな拍手が迎えてくれた。それがおさまりを見せるまで待って、そして、

 

「………………じゃあ、後は質問タイムということで! 皆さんもうお腹ペコペコだと思うんで、手短に3つまで質問受け付けます!」

 

「ちょ、それ俺のセリ……」「「「はい!」」」

 

 勇斗の言葉に建宮がツッコミを入れるものの、手を上げる他の面々の声であっさりと呑み込まれてしまうのだった。

 

「……はい、じゃあそこのあなた!」

 

「浦上です。よろしくね。今何歳ですか?」

 

「よろしくです! もう間もなく誕生日を迎える現在15歳の高1です! ……はい次!」

 

「香焼です。よろしくっす。……いきなりぶっこむすけど、彼女はいるんすか?」

 

「います! かわいいかわいい彼女がね!」

 

 その隠そうともしない惚気に大人たちは大盛り上がり、若い衆からは歓声交じりの舌打ちや溜息が飛んでくる。

 

「はい、じゃあ次!」

 

「牛深だ。よろしくな。聞いていいのかはわからんが、何でイギリスに来たんだ?」

 

「あー、むしろ一発目に来る質問だと思ってましたよそれ。話せば長くなるんで、詳細はまた後で! とりあえず今はこれで察してください!」

 

 そう言って、勇斗はおもむろにその背に翼を出現させる。その色は白ではなく、水晶の青(クリスタルブルー)。頭上の円環も白ではなく金色だ。

 

「「「「「「……ッ!」」」」」」」

 

 突然の行動にさっきまでの喧騒はどこへやら、水を打ったかのように一瞬で静寂が訪れ、張り詰めた空気が場に漂う。

 

「……とまあ、こういう事情があるわけで」

 

 ちょっとやりすぎたかな、と若干の後悔めいた感情を微かに滲ませた苦笑いを浮かべて、勇斗は背の翼を解く。淡い光の結晶がひらひらと舞い散った。

 

「……今の、『光を掲げる者(ルシフェル)』か?」

 

「ご明察です」

 

「……なるほど。これなら確かに、『必要悪の教会(ネセサリウス)』に島流しになるのもわかるのよ」

 

 真っ先に沈黙状態から復帰した建宮が、合点がいった、という表情で数度頷く。

 

「でも学園都市の能力者――――超能力者(レベル5)の人間が、何でそんな力を持ってるのよ」

 

「えーっと、まあ……色々と事情がありまして」

 

 あはは、という乾いた笑いと共に勇斗は遠い目を浮かべ、

 

「当麻の手伝い的なことをやってたらいつの間にか当事者の1人になっちゃってたんです。んで、ドンパチ騒ぎに巻き込まれて、うっかり死にかけたらこうなってて。土御門曰く、もともとあって、でも顕在化していなかったものが、ふとした拍子に引きずり出されたんじゃないか、って話みたいですけど」

 

「聖人の亜種か……?」

 

「さあ……? でもまあ、天使の力(テレズマ)を身に宿してる辺り似たようなもんなんで、その理解でもあながち間違ってないと思いますよ。詳しいことは何とも言えませんけど」

 

「ふむ……」

 

 勇斗の言葉を聞いた建宮は、唸ってしばし考え込んで、

 

「……なら、気にするだけ無駄ってことなのよな」

 

 口元を歪め、笑みの表情を浮かべる。

 

「力の出自も、お前の出身地も、別にどうだって構わんのよ。俺たち天草式はお前を歓迎するし、お前が何者だろうとその気持ちに変わりはない。……なあお前ら」

 

 建宮がそう声を掛け、部屋中の天草式の面々が力強く頷く。

 

「――――『救われぬものに救いの手を』。俺たち天草式は別にお前を救われぬ身だなんて言って憐れむつもりはないが、いきなり異国に飛ばされた同郷の若者を拒絶するような心の狭さは持ち合わせてなんかいないのよ」

 

「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」

 

「……本当にありがとうございます。みなさんよろしくお願いします!」

 

「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」

 

「よーしじゃあ後はもう宴会しながら打ち解けりゃあいいのよ。堅苦しい敬語も無しでいい」

 

「……オッケー。サンキュー」

 

「いいってことよ。……さあ、夜はこれからだぜー! 宴会を始めるのよー!」

 

「「「「「「イェー!!!!!!」」」」」」

 

 その言葉を皮切りに、一斉に料理テーブルに人が殺到する。勇斗も牛深に肩を組まれ、対馬にニヤニヤ顔で先刻の惚気話を追及されつつ、ごった返す人波にもみくちゃにされながら、料理を確保するためにテーブルへ向かうのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 微かな物音を捉え、勇斗の意識が覚醒する。重い瞼を無理矢理にこじ開けた。

 

「あ……おはようございます。よく眠れました?」

 

「…………!?」

 

 目を覚ました勇斗の視界に飛び込んできたのは、エプロン姿の五和の姿だった。

 

「ん、え?」

 

 突然の新婚夫婦的シチュエーション的光景に一瞬で眠気が吹っ飛んだ勇斗が飛び起きてみれば、そこは10畳ほどの和室だった。開かれた襖の方から五和が室内を覗き込んでおり、周りを見渡してみればいくつも布団が敷かれていて、そのうち何個かからはいびきも聞こえてくる。――――速い話が、合宿やら臨海学校やらの大部屋の朝をイメージすればいい。

 

「疲れてたんでしょうね。昨日宴会の途中で寝ちゃったんで、この部屋に運び込んだんです。……覚えてます?」

 

「……いや全く」

 

 首を横に振る勇斗。言葉通り、いつの間に寝てしまったのか全く記憶がなかった。入れ代わり立ち代わりやってくる天草式の面々と何だかんだ楽しく盛り上がっていたことは何とか覚えているのだが。

 

「朝ごはんができてるので、よかったらどうぞ」

 

 そんな様子の勇斗に微笑みかけて、五和は言う。……確かに襖の向こうから味噌汁と焼き魚のいい香りが漂ってくる。それを認識して、勇斗の胃袋は急速に空腹を訴えだす。

 

「あ、あと、勇斗さんにお客さんです」

 

「……客? 誰?」

 

「よく知ってる方ですよ」

 

 そう言って、五和はあっさりと襖を閉めて行ってしまった。

 

「客ねえ……」

 

 枕元に置いてあった携帯端末で時間を確認すれば、まだ朝6時を回ったところだ。こんな朝早くから一体誰が来ているというのだ。

 

「……」

 

 よし起きるか、と意を決して立ち上がり、まだ寝ている面々を踏まないように気をつけながら進んで、静かに襖を開けて、

 

「…………その格好で和食食ってんのマジ違和感」

 

「いいだろう別に。……やっぱり朝のミソスープはいいね。日本人ではないけど、この感覚は何となく理解できるよ」

 

 そこにいたのは、いつもの真っ黒修道服を身に纏った不良神父、ステイル=マグヌスだった。ご飯、味噌汁、焼き魚、おひたし――――高級旅館の朝食にも劣らない完璧な和朝食を意外にも器用に箸を操り食べ進めている。

 

「……こんな朝早くに来るとか、それでも英国紳士か」

 

「……しょうがないだろう。一応昨日のうちに天草式には連絡を入れておいたんだけど、君はもう寝てしまったっていうからさ。こうして直接迎えに来てあげたんじゃないか」

 

「……迎え? 何だ、どっか行くのか?」

 

 訝し気な声を上げる勇斗に対し、ステイルは笑みを崩さない。

 

「うん、まあ、そうだね。多少の礼儀を無視してでもこうして出向くくらいには重要なところさ」

 

「…………なんだそれ。嫌な予感しかしねえぞオイ」

 

 引き攣った顔を浮かべて、勇斗はキッチンの方にいる五和に目を向ける。目が合った五和は、苦笑気味の表情を向けてくれていた。

 

「……で、どこだよ」

 

 ステイルの方に向き直り、勇斗は尋ねる。

 

「バッキンガム宮殿」

 

 端的に、ステイルは答えた。

 

「この国の女王様に会いに行くよ」

 



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ep.62 10月1日-1

 

「君は『英国三派閥』って言葉を聞いたことはあるかい?」

 

 食後のコーヒーを啜って、「少し予習をしておこうか」と、ステイルはそう口火を切った。

 

「このイギリスという国家は実に複雑でね。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという『四文化』とはまた別に、3つの大きな派閥があるんだ。……ああ、それなりのボリュームになりそうだし、食べながら聞いてくれて構わないよ」

 

「お、サンキュー」

 

 そう言って、勇斗は止めかけていた手を動かし、納豆を再び混ぜ始める。流石に納豆は(見た目も匂いも)お気に召さないのか少し顔をしかめ、しかしステイルは話を再開する。

 

「その3つっていうのは、議会政治を掌握し実質的な国の舵取りを握る、英国女王(クイーンレグナント)以下英国王室に属する人間及びその側近から成る『王室派』。その『王室派』と、ひいては国そのものを外部の脅威から守る、騎士団長(ナイトリーダー)率いる精強な騎士たちから成る『騎士派』。そして、国内外に潜む()()()()()魔術結社の捜索粛清を担当する、僕たち『必要悪の教会(ネセサリウス)』が属する『清教派』。『王室派』と『騎士派』と『清教派』、この3つさ」

 

「ふむふむ」

 

 納豆ご飯を掻き込み、冷たい緑茶で一息。相槌を打つ勇斗の横では、空になった湯呑にお茶のお代わりを注ぎながら、五和もまたステイルの言葉に耳を傾けている。

 

「で、昨日の夜にその『三派閥』のトップたちが集まって話し合いが行われたんだ。議題はもちろん、ローマ正教――――『神の右席』と名乗る者たちによる、学園都市への襲撃についてさ」

 

「…………」

 

 ステイルの言葉に、焼き鮭に取り掛かろうとしていた勇斗の箸の動きがふと止まる。――――一晩経って思い返してみれば、昨日という1日はとんでもなく密度の濃い1日だったということがよくわかる。よもや比喩ではなくリアルに死にかけ(というかぶっちゃけ多分一度ガチで死んでる)、と思いきや彼女ができ、途轍もない力に覚醒し、挙句国外に左遷される、などという重大極まるイベントがあそこまで連続するとは思わなかった。いくら何でも重いイベントを1日に詰め込みすぎじゃあなかろうか。

 

「……あー、聞こえてるかい?」

 

 咳払いと、そんな言葉が勇斗を脇道に逸れた思考から引き戻す。

 

「あー……悪い悪い。それこそ色々あってさ……」

 

「……まあ、君と上条当麻が苦労したっていうのは把握しているよ。何せ、僕も最前線で情報の収集に当たっていたからね」

 

 そう言って2人は互いに苦笑を浮かべ合った。

 

「……じゃあ話を戻そう。昨日の夜の、その話し合いでのことだ。僕たち『必要悪の教会(ネセサリウス)』、ひいてはイギリス清教の実質的なトップ、『最大主教(アークビショップ)』がね、ぺらぺらとしゃべったのさ」

 

 苦笑を、スレた笑みへと器用に変化させて、ステイルは目的語を省いたもったいぶった言い方をする。

 

「…………何を?」

 

「当然、君がイギリスに来るっていうことだよ。『学園都市からゲスト――――いえ、レンタル移籍したりけるものがやってくるのよ! おまけに聖人級の力を持ちたりて、とっても優秀な人材けるのよ!』、ってね」

 

「ええ……」

 

「いや、なんていうかさ、色々と考え無しなこと言いまくってる気がするよ。……まああの女狐の事だから、全部計算づくっていう可能性も捨てきれないんだけどね」

 

 直属の上司――――それも英国という一国家を統べる三派閥のトップの1人を指して『女狐』呼ばわりとは。どうやら相当の『前科持ち』らしい。

 

「……ま、そんなわけでさ。『王室派』トップの女王陛下に、『騎士派』のトップの騎士団長。その2人も君に興味が湧いたらしくてね。女王様曰く、『どうせならみんなで面会してみようぜ!』ってさ。……だからさっきの話、正確に言うと、これから会いに行くのは三派閥の長達全員ってことになるね」

 

 素晴らしく清々しいまでに悪い笑みを浮かべ、不良神父はそんなことをのたまいやがった。

 

「…………………………え、ちょっと何それ暇なの? 3人ともそんなに偉いくせに公務とか入ってねえの? 朝から好奇心丸出しで人を呼び出すとかニートクラスの暇人なの?」

 

 たっぷりと沈黙した後で、色々と動揺しているからか、不敬罪で即刻しょっぴかれても文句が言えないような罵声を勇斗は繰り返す。

 

「何を言ってるんだい? この『謁見』が公務なのさ」

 

 ステイルの悪い笑みがさらに深みを増した。友好的な関係を築けているはずの勇斗をして、一発くらいぶん殴ってやりたくなるような笑い顔だった。

 

「……ってわけで、状況が状況だし、なるべく正装っぽい格好をしてくれると助かるよ。『王室派』が国の中心であるとはいっても、見方によっては国のトップスリーと会うわけだし」

 

 その笑みを浮かべたまま、そう言ってステイルは食後のコーヒーを飲み干すのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……初バッキンガム宮殿をまさかこんな形で拝むことになるとはなあ」

 

 時刻は朝の8時前。まだギリギリ早朝と言ってもいいこの時間に、勇斗は綺麗に整備された庭園を歩いていた。真っ直ぐに伸びた道の先に、件のバッキンガム宮殿が建っている。――――ちなみに服装は上下学ラン。男子高校生が『正装』をするならとりあえず学ランを着ておけば問題ないだろうとの判断である。

 

「私もまさか、この場所であなたをエスコートすることになるとは思ってもいませんでしたよ」

 

 そんな勇斗の呟きに反応したのは、見知った女性の穏やかな声。勇斗の隣を歩きながら、ガイドを務めてくれているのだ。

 

 その女性は日本人の女性にしては珍しい長身であり、隣を歩く勇斗よりも背が高い。それだけでも目を引くのだが、特に目立つのはその出で立ちだ。ヘソが出るように片側を絞ったTシャツに、なかなかきわどい感じで片脚側だけ根元からぶった切ったジーンズ。ジーンズ同様片腕側だけ切り落とされたジャケット。そして極め付けとばかりに、腰に提げられた巨大な日本刀。――――『正装』という概念の欠片もないような気がする。それにこの絵面、日本で言えば皇居敷地内で刃物(日本刀)を持った人間(痴女ルック)が歩き回っているというものになるのだが、本当に大丈夫なのだろうか…………?

 

「てっきり謁見の時もステイルが付いてくれるもんだと思ってたんだけどな。『王室派』絡みは神裂担当なんだって?」

 

 しかしそんなツッコミをぐっと堪えて、勇斗はロックでファンキーな出で立ちの『聖人』、神裂火織にそう問い掛ける。

 

「ええ、まあ。こうした集まりの際には度々『最大主教(アークビショップ)』の名代として出席していますよ」

 

 ふう、と神裂は溜息を吐く。

 

「何も言わずに会議をすっぽかしたりしますからねえ……」

 

「……苦労してんだな」

 

「わかっていただけて何よりです……」

 

 ステイルと神裂、2人のおかげで、勇斗の脳内では『最大主教(アークビショップ)』の人物像が非常に悪い形で形成されつつある。どうやら非常に癖がある(婉曲的表現)人物らしい。

 

 ……と、そんなことを色々と考えているうちに、バッキンガム宮殿に到着である。改めて間近で見れば、そして周囲一帯に広がる広大な公園と併せて見れば、そのスケールの大きさにはただ圧倒されるばかりだ。

 

「まだ朝早い時間ですので、裏口から入ります。こちらへ」

 

 そう神裂に誘導されるがまま、勇斗は裏口のドアから、いよいよ宮殿内部へ足を踏み入れる。

 

「…………はー、すげー」

 

 外も外なら中も中。学園都市のワンルームタイプの学生寮の部屋1つが丸々収まってしまう程に幅が広い廊下に、その上一面に敷かれた汚れ一つない絨毯。その上を行く紅茶のセットや食事終わりと思しき食器を運ぶメイドさんたち。そんな光景がずっと向こうまで広がっている。

 

 そんな中勇斗と神裂は、粛々と仕事をこなし粛々と一礼して通り過ぎていくメイドさんたちに会釈を返しつつ、デカい廊下を進んでいく。

 

「……そういや神裂」

 

「どうしました?」

 

 その途上、おのぼりさんのようにキョロキョロと周囲を見回しながら歩いていた勇斗が、何かに思い至ったかのように神裂へ声を掛けた。

 

「ここって英国女王をはじめとするイギリス王室の居所なんだよな?」

 

「ええ、その通りです。正確に言えば、住み込みの使用人たちもいくらか存在していますが」

 

「……その割に、ガチガチの魔術要塞みたいになってるわけじゃないのな」

 

 呟かれたその言葉に、神裂はわずかに目を丸くする。

 

「……よく気づきましたね。――――半信半疑ではありましたが、どうやら『聖人化』というのは本当のようですね」

 

 神裂のそんなセリフに、勇斗は複雑そうな表情を浮かべて、

 

「……まあね。つっても、純粋に喜んでばかりもいられないってのが難しい所なんだけどさ」

 

「……『超能力』、ですね」

 

「そ。書類上は『超能力者(レベル5)』の一角だぜ。おおっぴらに言いふらさなきゃバレねえとは思うけど、バレたら夜道で刺されそうだろ。……『必要悪の教会(ネセサリウス)』内に『科学サイド』を恨んでる人間とかいねえよな?」

 

「……恨み、ですか。…………知る限りでは、特には。でも確かに、あまり大声で言いふらせる話でもなさそうですね……」

 

「少数の例外こそあれ、基本的には不可侵(アンタッチャブル)だし。余計な敵を作りに行くもんじゃないだろ」

 

 そう言って、勇斗は肩をすくめた。

 

「……俺の話、そんな大っぴらになってんの?」

 

「いえ。知っているのは昨日の会議にいた方々と、私、ステイル。それに……天草式ですか」

 

 ――――天草式、の言葉を口にするとき、神裂の表情が微かに歪んだように見えた。しかし、それについて勇斗が何か口を挟む前に、

 

「少なくとも『必要悪の教会(ネセサリウス)』の中で漏れることは無さそうです。天草式と同じ日本人ですから、彼らの仲間のうちの1人ということにしておけばよいでしょう。十字教とは全く関係のない魔術師すら受け入れる『必要悪の教会(ネセサリウス)』ですからね。何の問題もありません」

 

 神裂はきっぱりとそう言って、その会話はそこで打ち切りとなったのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「では、こちらへ」

 

 勇斗が通されたのは、こじんまりとした応接間のような場所だった。決してごてごてと飾り立てられているわけではない。しかし、窓1枚1枚、柱の1本1本その他諸々、汚れや傷1つ無く、細かいところまで細かな手入れが行き届いているのがよくわかる。

 

 ――――そんな部屋の、中心部。磨き上げられた木で作られた円卓が置かれていた。

 

「現在、『王室派』の皆様、及び『騎士団長(ナイトリーダー)』は朝食後の身繕いの途中だそうです。『最大主教(アークビショップ)』も準備を終えて、ウェストミンスター寺院からこちらへ向かってきています」

 

 椅子を引き、勇斗に着席を勧めて、神裂はそう口を開いた。

 

「皆さまあと10分ほどで到着されるかと。もう少し待っていてください」

 

「……『王室派』、特に女王様ってのはどういう人なんだ?」

 

 神裂に一礼して、着席した勇斗が一言。

 

「テレビのニュースとかで姿だけなら見たことはあるんだけど、素もあんな感じなん?」

 

「…………」

 

「……神裂。今お前、とんでもない顔してるぞ」

 

「ああ……失礼しました」

 

 一度顔を手で覆い、俯き、顔を上げると、いつものすまし顔に戻っていた。

 

「女王は……そうですね、何と言いましょうか……」

 

 とても言いづらそうな、何と説明するべきか悩みに悩みぬいているかのような、そんな苦悩が滲んだ表情だ。

 

「え、何? 女王までヤベーのこの国? 大丈夫なの?」

 

「えーっと、うーん……」

 

『そんなに私の事が気になるのか少年よ!!』

 

「「!?」」

 

 ――――その時だった。何故かエコーがふんだんに効いた、そんな女性の声が聞こえてきたのは。

 

『ならば「百聞は一見に如かず」! ジャパニーズ・コトワザがそう言い伝えている通り、直にその目で確かめてみるがいい!』

 

 声質だけ聞けば、そこそこ年は行っている――――おおよそ60歳くらいだろうか。しかし声に満ち溢れた活力というか、若々しさというか、そういった目では見えない部分で、とてもエネルギッシュさを感じさせる声だった。

 

 立ち上がって横を見る。これ以上ないくらいに頭を抱えた神裂の姿があった。

 

 バン!!! という轟音と共に、ドア自体が吹っ飛ぶんじゃないかという勢いで開かれる。

 

 ――――そこに、立っていたのは、

 

「ヒャッハー!! 『必要悪の教会(ネセサリウス)』の新入り、一番乗りぃぃぃぃ!!!」

 

 上下白のジャージに身を包み、エレキギターを構えた、英国女王まさにその人だった。

 



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ep.63 10月1日-2

あけましておめでとうございます。
お待ちいただいた皆様、更新が滞りまして申し訳ありませんでした。
今年はもう少し頑張ります……!
生暖かい目でお待ちください…………!


 女王は連行されました☆ミ

 

「……何だったんだ今の」

 

 頭を抱えたままの神裂の横、呆然とした様子で勇斗は言葉をひねり出す。

 

 ――――それは一瞬の出来事だった。普通にどこにでも売られているような白のジャージの上下に身を包み、ギターを提げた格好で突如として現れた英国の女王様。そんな予想の斜め上どころか遥か上空を突き進む超音速旅客機のような出来事――――比喩表現すら訳が分からなくなるくらいに動揺している――――に固まってしまった勇斗と神裂。完全に固まってしまった場の空気が、しかし動き出す前に、

 

「――――失礼」

 

 いつの間に現れていたのか、勇斗ですら知覚から落としかけたそんなタイミングで、上下ダークブラウンのスーツを華麗に着こなした壮年の男性が女王様の背後に出現していた。そして、そんな唐突な闖入者に対して勇斗と神裂が何某かのアクションを起こすよりも早く、

 

「オイコラテメェいい加減にしろって言ってんだろうが!」

 

 ――――まさかの罵倒である。早口の英語でそう毒づいた彼は女王の首根っこを鷲づかみ、女王を扉の外に引きずり出し、お姫様抱っこの要領で抱え上げ、一瞬でその場から姿を消してしまったのだ。

 

「……なあ。あれ、いいのか? いつものことみたいだけど」

 

「……いいんです。いつものことなので」

 

 半ば呆れたような顔で問いかける勇斗に、頑なに目を合わせようとせずに神裂が応える。それに、朝食時が終わって廊下を行き交うメイドさんたちも特にざわついている様子はない。――――ああ、また女王が何かやったんですね、みたいな苦笑いを口元に浮かべて、足早に次の仕事場へ向かって歩き去っていくあたり、ガチのガチで日常風景なのだろう。

 

「…………本当にいいのだろうか」

 

「……よくはないですよね。よくは」

 

 いっそ吐き捨てでもするように、深い溜息と共に、しかし微かに楽しげな雰囲気をどこか滲ませて、神裂はそう締めくくったのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 メイドさんが持ってきてくれた紅茶を楽しむ勇斗と神裂。そんな中、何かに気づいたように神裂が立ち上がるのと、トントントン、という小さなノックの音が聞こえてくるのは、ほぼ同時だった。

 

「お待たせして申し訳ない。少し準備に手間取った」

 

 先刻女王様自らの手によって乱暴極まりない扱われ方をされた扉の向こう、放たれた声は穏やかな男性のものだった。そして勇斗の記憶が正しければ、女王様を罵倒したあのナイスミドルのそれと同じもの。

 

「女王エリザード様、第1王女リメエア様、第2王女キャーリサ様、第3王女ヴィリアン様。……それから、『清教派』最大主教(アークビショップ)。『謁見』の準備が終わったのでな。迎えに来させてもらった」

 

 そう言って、扉が開かれる。部屋に入ってきたのは、やはり先程のスーツ姿の男性だった。

 

 決して若い人物ではない。恐らく年齢は、少なくとも30半ばは超えている。見た目だけはやや若作りしている感が見え隠れはしているものの、身に纏う落ち着いた雰囲気はまさしく英国紳士。素直に「こういう年の取り方をしてみたい」と思える、カッコいい大人の男だった。

 

「わざわざありがとうございます、騎士団長(ナイトリーダー)。連絡をいただければこちらから出向いたのですが……」

 

「構わん。学園都市からの『客人(ゲスト)』相手に、出迎えもなしとはあまりにも失礼が過ぎるだろうとの女王のご判断だ」

 

 申し訳なさそうな様子で頭を下げた神裂にそう言葉をかけて、『騎士団長(ナイトリーダー)』と呼ばれたその男性は、勇斗の方に視線を向けた。

 

「君が……学園都市からの客人か」

 

「はい。千乃勇斗と申します。よろしくお願いします」

 

 立ち上がり、勇斗は丁寧に頭を下げる。――――こういうのは第一印象が肝心なのである。少しでもいい印象を持たせておくに越したことはない。

 

「こちらこそ、よろしく頼む。遠い異国から来ることになって大変だろうが、ぜひとも頑張ってくれ」

 

 そして『騎士団長(ナイトリーダー)』――――すなわち『騎士派』を統べる長であるその彼もまた、その辺りは重々理解しているらしかった。公職に就いているものとしての常識でもあるのだろう。穏やかな微笑みを浮かべつつ、労いの言葉を勇斗に掛けて、

 

「――――では、移動しようか」

 

 仕事の早い男だった。余計な会話に必要以上に時間を掛けることなく、彼は勇斗と、そして神裂を部屋の外へと誘う。

 

「はい」

 

 1つ息を吐いて。勇斗は彼に続いて、部屋を出た。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「……さて、この奥に女王エリザード様をはじめ、3人の王女、『清教派』のトップが待っているわけだが、……心の準備はできたか?」

 

 宮殿の中、とある扉の前で騎士団長(ナイトリーダー)は足を止め、勇斗の方を振り返る。ここに来るまでいくつかの部屋の前を通り過ぎてきたが、大きさそして荘厳さでそれらのどれにも勝る、豪奢な両開きの扉だった。――――騎士団長(ナイトリーダー)に教えられるまでもない。この扉が視界に入ってきた時点で、ここが『別世界』の入口だろうということはわかっていた。

 

「……ええ、まあ」

 

 さしもの勇斗も、顔も体も強張って――――特にそんな様子はなかった。むしろ、心なしか遠い目を浮かべているようにも見える。

 

 無理もないと言えば無理もない。何せ女王との初対面があまりにもアレすぎる。アレを見た後に緊張しろという方が無茶だ。3人のお姫様(プリンセス)もいるとはいえ、正直あの上下白のジャージであのテンションの女王と、その後の騎士団長(ナイトリーダー)のツッコミ(物理)を見てしまった後では緊張感など欠片も浮かんでこない。

 

 そんな様子の勇斗を見て、騎士団長(ナイトリーダー)と神裂は2人揃って、なんだかとても申し訳なさそうな表情を浮かべるのだった。

 

「……すまない。本当はもっと、こう……ちゃんとしているんだが……」

 

「普段からずっとアレっていう訳ではないので……」

 

 ――――2人がかりでそんな顔をされると、こちらまで申し訳ない気持ちになってくる。

 

「いやいや、どっちかっていうとそんな感じの人の方が色々と楽なんで……」

 

「……そう言ってもらえると助かる」

 

「甘えちゃいけないのはわかってるんですけどね……」

 

 閑話休題。それでは気を取り直して、突撃である。

 

騎士団長(ナイトリーダー)がドアをノックし、ドアノブを回し、扉を開けた。

 

 勇斗は騎士団長(ナイトリーダー)と神裂に挟まれる形で扉をくぐり、中に足を踏み入れる。

 

 部屋の中の様子は、勇斗の予想していたそれとは違っていた。よくRPGのお城で出てくるような、階段状の段とその上に鎮座するデカい玉座の組み合わせをイメージしていたのだが、そんなものは存在していなかった。パーティー会場として使えそうな平らで広い大部屋だ。そしてその中央、円卓が置いてあり、5人の人物――――いずれも女性だ――――が掛けていた椅子から立ち上がるところだった。五者五様立ち上がり、揃ってこちらに視線を向ける。

 

「……」

 

 その視線の圧に若干圧倒されつつ、勇斗もまた、失礼を承知で視線を投げ返した。前を行く騎士団長(ナイトリーダー)の背中越しに、ざっと眺めてみる。

 

 勇斗から見て一番左を陣取るのは、所々に真っ赤なレザーが入った赤いドレスに身を包む、20半ばを過ぎたくらいの、華やかとかド派手といった言葉がしっくりくる感じの女性だった。テレビで見たことのある顔だ。確か彼女は、第2王女のキャーリサ。値踏みするような、「どんな面白いものを見せてくれるのかしらね、ふふん?」とかいう言葉がしっくりきそうな表情を浮かべている。

 

 その隣、目を引くのは長く美しい金髪と、他4人とは異なる修道服。綺麗な碧眼をのぞかせ、ずっと欲しくてたまらなかったおもちゃを誕生日に買ってもらった時の子供のような、そんな楽しそうな表情でこちらを見つめている。その表情も相まって、年齢不詳。5人の中で唯一勇斗が一度も目にしたことがない人物だ。服装と併せて考えれば、この女性が()()最大主教(アークビショップ)なのだろう。

 

 1人飛ばして、右から2番目。青を基調としたドレスに身を包み、左目に片眼鏡(モノクル)を掛けた、白人には珍しい黒髪の女性だ。艶のある、……いわゆるカラスの濡れ羽色、というのが似つかわしいだろうか。落ち着いた雰囲気を見るに、年齢は恐らく30を超えたところか。こちらもテレビで見た覚えがある。第1王女のリメエアだ。感情を窺わせない静かな視線をこちらに向けている。

 

 一番右にいるのは、緑のドレスに身を包む金髪色白の、まさしく『おひめさまおひめさま』した女性だった。女王の次くらいにメディアへの露出が多い印象がある。第3王女のヴィリアン。見た目だけなら神裂よりも勇斗と年齢が近そうだ。何故なのかはわからないがとても緊張しているようで、勇斗と目が合うとなんと向こうから会釈をしてくる。慌てて勇斗も会釈を返す。テレビで見た時はもっとこう、何というか、堂々と、とまではいかないものの、もう少ししっかりした感じの人だった気がする……。

 

 そして最後、5人の中央に立つ人物。英国女王エリザード。先程見かけた上下白のジャージなど影も形もない(当然の話だが)白と黒のツートンカラーの長いドレスに身を包み、頭にはティアラを、そして何のためのものか、右手に1本の剣を握っている。浮かべる表情は、自信と活力に裏打ちされた快活な笑み。見た目の年齢は50を超え、間もなく60の世界に足を踏み入れようとしているように見える。しかし表面的な老いを吹き飛ばすだけの何かを持ち、周囲に振りまいているような人間だった。さっきのアレと印象が違いすぎてびっくりどころではない。

 

 ――――そして、勇斗の視線は女王の右手、この場にあって異彩な雰囲気を振りまいている剣へと移る。柄の先に細長い長方形の金属板を取り付けたような、切っ先のない独特のシルエットを見せる剣。記憶を探って、思い出す。持つ者の王権を象徴する物品(レガリア)の一種。日本の『三種の神器』に当たる、英国王室に伝わる『連合王国の戴冠宝器(クラウンジュエル)』の1つに、あんな形の剣があったような気がする。なるほど確かに、ステイルもこの『謁見』を公務であると言っていた。あれが記憶通りレガリアであるならば、逆に持っていない方が『客人(ゲスト)』への失礼にあたる、……のだろうか?

 

「――――エリザード様、そして皆様。学園都市から訪英した『ゲスト』の少年が到着いたしました」

 

 おぼろげに記憶の海をたゆたっていた知識をサルベージし、色々と考えているうちに、勇斗はもう円卓の前に到着していた。一礼した騎士団長(ナイトリーダー)の姿と声で、現実へと引き戻される。

 

 前を歩いていた騎士団長(ナイトリーダー)が勇斗の左に、後ろを歩いていた神裂が勇斗の右に。円卓を挟んでわずか数メートル。勇斗は女王と、この『英国』の中枢たる人間たちと相対する。

 

「先程は失礼したな少年。ようこそイギリスへ。我々は君を歓迎しよう」

 

 よく通る、活力に満ちた声。そのたった一声で女王の印象が塗り替えられる。自然と背筋がすっと伸びるような、身が引き締まるような、堂々とした威厳を感じさせる声だ。

 

「……そう畏まらなくていいぞ。ここには体面にこだわるような奴はいない」

 

 そんな勇斗の様子を見てか、エリザードは笑いながらそう言った。

 

「立ったまま話し続けるのも変だな。全員座れ。続きはその後だ」

 

 続けてのそのエリザードの言葉で全員が円卓に着く。それを待っていたのか、部屋の陰から数人のメイドさんが現れ、全員の前にティーカップを置き、紅茶を注いでいく。――――正直な話、一体どこに隠れていたのか、勇斗は全く気づけなかった。流石、国家の本丸である。メイドであっても最高練度の人員を配置しているということか……。

 

「……で? 結局この子はどういう子で、何でここに来ることになったの?」

 

 仕切り直しての一言目、そう問うたのは第2王女のキャーリサだった。興味深げに笑みを広げ、勇斗に真っ直ぐに目を向ける。

 

「名前は千乃勇斗。一応学園都市の能力者、超能力者(レベル5)の1人です。…………何の因果か、『光を掲げる者(ルシフェル)』の天使の力(テレズマ)も扱えます。…………というか、これ以上は俺の能力に関する細かい話になるんで省きますけど、この国にいる間は多分、天使の力(テレズマ)を扱う方がメインになると思います」

 

「……で、少年がわざわざイギリスなんぞに来ることになったのは、この最大主教(アホ)の悪だくみのせいだな」

 

 勇斗の回答に補足する形で、エリザードが言葉を続ける。

 

「し、仕方なしにけるのよ! ローマ正教の魔術師のせいでこの子が聖人と同質の力に目覚めてしもうたのだから! 『必要悪の教会(ネセサリウス)』としては聖人の力を解析されぬる可能性を潰しておく必要がありにけりし、学園都市のトップともそのような契約になりにつきけるし!」

 

「……!?」

 

 女王の言葉に反応して、修道服の女性――――もう最大主教(アークビショップ)確定ということでいいだろう――――が焦った様子で弁明する。……が、内容以上に勇斗の認識を捉えたのは、その頓珍漢な日本語だった。古文、という訳でもなく、一体何がどうしてこうなったのか見当のつかない状況である。

 

 そんな感じの疑問を込めて、相当アレな視線を投げかけてしまっていたのだろう、最大主教(アークビショップ)はグルリと勇斗の方を向いて、

 

「ええい! 私のこの珍妙な日本語はあの土御門のせいにつきけるのよ! 自覚はしとろう!」

 

「あ、はい……。何というか、あのバカがご迷惑をおかけしました……」

 

 あの土御門(バカ)、国を代表する三派閥の長という超お偉いさんに対しても容赦なしである。相も変わらずキレッキレのイタズラをかましてくれていた。

 

「……少年、お前の上司(仮)はこんなことを言っているわけだが、本人としてはどうなんだ?」

 

「まあ……、仕方ない、ですよねえ……。互いの領分を守るって意味ではこうしておいた方が色々と楽そうですし……」

 

 そう。今回のこの件に関しては、『うーん……、確かにまあ、しゃーないよね』としか言いようがない。色々と釈然としないこともないではないが、こうしておいた方が色々と楽であるということは間違いないのだ。

 

 勇斗のそんな言葉、――――10代後半の若い人間にしては物わかりのよすぎる言葉に、エリザードは苦笑いを浮かべる。

 

「……だ、そうだぞ、キャーリサ」

 

「なるほどなるほど、そーゆーわけね」

 

 納得したのかしていないのか、そこのところを笑みで隠して、キャーリサは頷いた。

 

「そういえば、さっき母様の『剣』を見ていたみたいだけど。あの『剣』について知っているの?」

 

 キャーリサと入れ替わるようにそう問うたのは、第1王女のリメエアだった。

 

「……はい。『連合王国の戴冠宝器(クラウンジュエル)』の1つにそんな形の剣があったような記憶はあります。……とはいっても、その程度ですけど」

 

 ちょっとドキッとした勇斗である。『客人(ゲスト)』として部屋に入ってきた人間がどんな人間か観察するのはわかるが、まさか視線のわずかな動きを捉えられるまでのレベルでガッツリと観察されていたとは思わなかった。何だったら「ふーん、変わった客ね」くらいの一瞥で済まされてしまうものだと思っていたのだが……。

 

「だそうよ、母様。せっかくだからカーテナについて説明してあげた方がいいのではないの? この子がこの国で天使の力(テレズマ)を扱う術者として動くのなら、全くの無関係という訳でもないでしょうし」

 

「……? その剣、天使の力(テレズマ)と関係があるんですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

 疑問の声を上げた勇斗に、女王が頷く。

 

「……ふむ、まずは顔合わせで細かい話は後回しでいいかとも思ったが、ちょうどいいだろう」

 

 そう呟くと、女王はおもむろに円卓の下に手を突っ込む。

 

「少し歴史の話をするが、構わないな?」

 

 ガサゴソとまさぐりながら、女王は勇斗にそう問うた。

 

「大丈夫です。よろしくお願いします」

 

 いったい何を探しているのか。とりあえずは同意を返しておいた勇斗の目の前に、現れたのは――――、

 

 ドン!! という重厚な音。使い込まれているようで、なお美しさと滑らかさを失わない木枠。

 

「それではジャパニーズ・カミシバイのスタートだ!」

 

 心の底から楽しそうに快活に笑う女王が取り出したのは、それはそれは立派な紙芝居セットだった。

 




変なところですが区切り……




▷前話投稿後、感想をいただきました皆様へ

ご感想ありがとうございます!
次話更新時にまとめて返信するようにしておりましたので、ずみません、こんなにも遅くなってしまいました……!
内容、全て読ませていただいております!
今回はこういった形で返信とさせていただきますが、次回以降は気をつけます!
また機会がありましたら、よろしくお願いします!


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ep.64 10月1日-3

紙芝居キャスト

王 様:霞ちゃん妖精(礼号作戦ver.)
その他:コスプレした妖精さん
天使長:ペルソナ「ミカエル」


「昔々あるところに、――――具体的に言えば1500年代のイングランドに、ヘンリー8世という王様がいたのさ」

 

 女王の朗々としたよく通る声で紙芝居が始まった。真っ白い画用紙の真ん中、可愛らしい絵柄で2頭身にデフォルメされ、王冠をかぶり髭を生やしたキャラクターが剣を――――リメエアが『カーテナ』と呼んだ独特なシルエットの剣を掲げているイラストが描かれている。

 

「このヘンリー8世、色々あって当時のローマ教皇と対立するようになってな。当時のローマ正教からイギリス清教を分離独立させ、『国王がイギリス清教の唯一最高のトップであり、ローマ教皇やローマ正教からの干渉を認めない』というルールを作り上げることになったのさ」

 

 エリザードは笑って、手元の紙を1枚抜き取る。2枚目、修道服を身に纏うキャラクターが怒った表情を浮かべているのに背を向けて、『8』という数字の描かれたマント着用のちょび髭王様キャラが剣を掲げ、これまたデフォルメキャラ化した騎士や修道士たちを率いている。

 

「……この剣、カーテナは、その当時には既に王権象徴物品(レガリア)の1つとして位置づけられていてな。そこで、ヘンリー8世はこう考えることにしたんだ。『カーテナで象徴される王権を持つ人物は、ローマ教皇の話を聞かなくてもいい』、イコール、『イギリスの国王はローマ教皇よりも神に近い存在である』、と。……さて問題だ少年。より具体的には、ヘンリー8世は『イギリスの国王』を『誰』と見做したんだと思う?」

 

「教皇よりも神に近いもの……要するに、『人間』よりも神様に近い存在、……ってことなら、天使ですか?」

 

「……それでファイナルアンサーか? それならまだ50点だぞ?」

 

 ニヤニヤと笑うエリザード。50点――――ということは、半分当たっているということだ。つまりは、

 

「天使っていう方向性はあってるんですね」

 

 勇斗の確認に、エリザードは頷く。

 

「……んー、なら、…………天使長、とかですか?」

 

「ご明察。そういうことだ」

 

 賞賛の笑みを口元に浮かべ、エリザードは紙を抜き取る。3枚目、先ほどまでと同様にデフォルメされたちょび髭王様キャラが剣を掲げるその背後に、背から翼を生やし右手に剣を携えた、やたらとリアルな筋骨隆々半裸マッチョが描かれていた。背景には燃え盛る炎。物凄く暑苦しい感じの絵である。

 

「ヘンリー8世が国王の立ち位置として定めたのは『天使長』……すなわち大天使『神の如き者(ミカエル)』。あらゆる天使の中で一番偉く、最強とされる存在だな。なにせ教皇、地上における十字教世界のトップの人間と対立したわけだ。他国からの、具体的に言えばローマ正教圏からの干渉を決して認めないという強い意志を示すために、わざわざ天使長なんて言う大層なものを持ち出してきたってわけだな」

 

 エリザードは、テーブルの上に置いていたカーテナに一度ちらりと視線を向けて、

 

「そしてヘンリー8世は、国王の下で国を守る騎士たちを『天使軍』に対応させ、国王と騎士たちに天使長の力――――莫大な量の『神の如き者(ミカエル)』の天使の力(テレズマ)を与える術式(システム)を完成させた。それ以来、このカーテナは単なる王権象徴物品(レガリア)から、強力無比な霊装へと姿を変えたのさ」

 

 紙を抜き取る。4枚目。王様と騎士数人が、デフォルメされたキャラクター顔のまま、筋骨隆々ガタイのいいボディー(等身大)を駆使し、肉体美を見せつけていた。――――顔がデフォルメされたかわいい感じのままな分、違和感というかシュールな感じが半端ない。

 

「……なんというか、魔術ってすごいんですね」

 

 そんな絵をぼんやりと眺めて、勇斗は言う。

 

「そんな風に『何々を何々と見做す』とかって定義するだけでそんな途轍もないシステムを作れるとか、……ちょっと想像が追いつかないっす」

 

「まあ、こいつの場合はそこまで単純なモノでもないんだ」

 

 そこでエリザードは、さらに紙を抜き取る。5枚目。用紙の中央に縦1本線が引かれ、左側には王様、騎士、修道服姿の3体のキャラクターが、右側にはイギリス周辺の地図――――イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの地域の区分けが分かるように書き込まれた地図が、それぞれ描かれていた。

 

「個人で精製した魔力を用いて行使される魔術程度なら、少年の言う通り、文化や神話といった何某か『ベースとなる法則』に基づいて個人レベルで術式を組み上げれば、それで十全に発動する。しかしこのカーテナによって制御される術式(システム)は、莫大な量の天使長の力を利用するものだ。そうするためには、それ相応に『デカい』ベースとなる法則を用意してやる必要がある」

 

 エリザードは騎士団長(ナイトリーダー)に、そしてローラに視線をやって、

 

「カーテナを成立させている法則は、イギリス独自の十字教様式である『イギリス清教』という名の『特殊な十字教ルール』だ。当時のヘンリー8世はこの特殊ルールを、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの『四文化』と、王室派、騎士派、清教派の『三派閥』によって成立させようとした。……カーテナと、そのベースとなる法則そのもの(イギリス清教)に、国家単位のスケールで魔術的意味を付加しようとしたのさ」

 

「……、『四文化』と、『三派閥』」

 

 エリザードの言葉を復唱し、勇斗は少し思考に沈む。四文化と三派閥。国家単位のスケール。4と、3。十字教ルール。

 

「…………あー。もしかして、『大地』とか『天界』とかっていうアレの事ですか?」

 

「流石、物知りだな」

 

 満足げに頷くエリザード。

 

「十字教において、『4』という数字は『全体』や『地上の世界』、『大地』なんてものを表す。そしてまた、『3』という数字は『三位一体』の思想や『天界』なんてものを表す。つまり、『大地全体』を表す『4』つの文化……イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四国家により構成される領域内において、王室派、騎士派、清教派からなる『3』つの派閥が、『三位一体』となって『天界の力』を司るための術式(システム)がカーテナである、……ということにしたわけさ。……まあ、『三位一体』とはいえ、王室派は天使長、騎士派は天使軍、清教派はその対応関係を成立させるためのイギリス清教そのもの、ってことになるから、清教派自身はカーテナによる恩恵を受けることはないんだがな」

 

「なるほど……」

 

 そして、女王は軽く首を鳴らして、

 

「さて、次がラストだな」

 

 紙を抜き取る。ラスト1枚、描かれていたのは、

 

「……2本?」

 

 全く同じ形の2本のカーテナだ。画像をコピペしただけにも思える。

 

「そう。実はこのカーテナ、」

 

 とんとん、と女王はテーブルの上のカーテナを指先で軽く叩く。

 

「歴史的には『カーテナ=セカンド』でな。要するに2本目。『オリジナル』のものじゃあない」

 

「? じゃあ1本目は……」

 

「ヘンリー8世の時代からおよそ100年後、清教徒革命の折に失われてしまったと伝えられている。1本目、言わば『カーテナ=オリジナル』が失われてしまったことで、この『カーテナ=セカンド』が作られたわけだ。後の英国君主たちが血眼になって探しても見つからなかったし、もう『オリジナル』はこの世界には存在していないんだろう、というのが現在の見解だ」

 

 もちろん見つかれば考古学的価値だけで途轍もないことになるがな、と一言付け足して、

 

「……そんな訳で、歴史のお勉強は店じまい。ご清聴ありがとうございました」

 

 女王がぺこりと一礼。慌てて勇斗も一礼を返す。王女たちや騎士団長(ナイトリーダー)、ローラに神裂も一礼を返していた。

 

「……ちなみに、さっきも言った通りカーテナが王と騎士に与えるのは『神の如き者(ミカエル)』の天使の力(テレズマ)だ」

 

 紙芝居を片づけながら、エリザードは少し悪い笑みを浮かべて言う。

 

「少年の力は『光を掲げる者(ルシフェル)』だから、言ってしまえば『神の如き者(ミカエル)』は天敵ってことになる。少年が()()()()()()()()()カーテナを使えば対処できる、っていう保証があるっていうのも、君をこの国に受け入れた理由の1つでもある。そこのところをよく理解して、願わくば互いに有益になるよう生活してもらえると、この国の元首としても助かるよ」

 

「……肝に銘じておきます」

 

 対する勇斗は引き攣った笑い。何かをやらかしたり、こいつはヤバいと思われるようなことをしてしまえば、カーテナでバッサリいかれてしまうということだ。内心冷や汗ものだ。これは気をつけなくては……。

 

「有益になるように、とは言いますが……、これからどうやってお過ごしになるのですか?」

 

 震える勇斗に対し、優しい声色で声を掛けたのはヴィリアンだ。

 

「……えーっと、」

 

 勇斗はちらりと神裂に、そしてローラに、それぞれ目をやって、

 

「まあ、天草式――『必要悪の教会(ネセサリウス)』にお世話になるわけですし、できる範囲で手伝いでもできればなあとは思ってましたけど……」

 

 少し心配そうな表情の神裂と、パアッと顔を明るくするローラの顔を視界の端っこにとらえながら、勇斗はヴィリアンと、そして脅しをぶっこんできたエリザードに向かって、そう伝えた。

 

「ほう、関心関心」

 

「『必要悪の教会(ネセサリウス)』のお手伝い。となれば、イギリス国民の血税を財源に給料が支払われることになるんだけど、最低限それに見合うだけの働きは期待してもいいのかしら?」

 

 満足げに頷くエリザードと神裂同様心配そうな表情のヴィリアン。その2人から言葉を引き継いでそう問うたのは第一王女のリメエアだ。

 

「まあ……、多分?」

 

「ほとぼりが冷めたりし頃合いになりては無事五体満足に学園都市に送り返すことが『移籍』の条件たりけるから、その条件が守られし程度には働きてもらう予定よ」

 

 リメエアからの問い掛けにローラへ目配りをすれば、漫画的表現として音符が撒き散らされていそうなウキウキな感じで彼女はそう答えてくれた。

 

「……らしいので、望むところです」

 

 というわけなので、勇斗も笑ってグッとファイティングポーズ。『敵対組織の皆殺し』とか、『悪い魔術師を焼いてこい』とか、『ちょっとアイツ暗殺してきて』とか、そんな物騒なお願いをされない限りは勇斗としても『お手伝い』は望むところだ。自分の力の出自を辿り、新たに目覚めたこの天使の力(テレズマ)の扱い方を学ぶためには、その力が属する『世界』に飛び込むしかないのだから。

 

 ――――学園都市で、絹旗の病室の前で、土御門と話したこと。『魔術』と『科学』に分かたれたこの世界で、そのどちらにもまたがる力を持ったこと。持ってしまったこと。『魔術』も『科学』も関係ない『自分自身の力』へと昇華させるために、できることなら進んでやる心意気である。

 

 ――――と、そんな感じに意気込む勇斗に向けて、思いがけない人物から思いがけない言葉が放たれた。

 

「……ではそのための鍛錬の一環として、手合わせはどうかね?」

 

「…………え?」

 

 振り返る。騎士団長(ナイトリーダー)だ。これまた楽しそうに口元を歪めて、楽しそうに勇斗をじっと見つめている。

 

「個人的にも、聖人級の力を体験できるのはいい機会になるのでな」

 

「ちょ……、本気で言っているんですか?」

 

 焦った様子で騎士団長(ナイトリーダー)を問いただすのは神裂だ。

 

「確かにこの少年は聖人級の力を持ってはいますが、だからと言って『騎士派』のトップとして日頃から戦い慣れているあなたと戦うのは――――」

 

「マジっすか! いいんですか?」

 

「――――うぇっ!?」

 

 それは勇斗を心配しての言葉だったのだろう。しかし当の勇斗がノリノリで返事をしてしまうものだから、神裂は変な声を上げる羽目になってしまう。

 

「でも騎士団長(ナイトリーダー)相手にお役に立てるかはわかんないですけど……。あ、じゃあこれから定期的に手合わせするんで、その代わりにたまにでいいので稽古をつけてもらうっていうのは……」

 

「ちょ、ええ!?」

 

「ふむ……」

 

 さらに焦る神裂を尻目に、満足げに考え込む騎士団長(ナイトリーダー)

 

「……よかろう。その取引、呑ませてもらう」

 

「ありがとうございます! じゃあそんな感じでお願いします!」

 

「ちょっと待ちなさい本気で言っているんですか!?」

 

「そーだぞ。騎士団長(ナイトリーダー)は、強い」

 

 両肩を掴んで首をガックンガックン揺さ振ってくる神裂と、『強い』の所を妙に強調してくる第二王女キャーリサ。

 

「遊びだったり、軽い気持ちでやったりすれば、痛い目に合うのは少年だぞ」

 

「……これから先何があるかわからないんで」

 

 一度深呼吸。そしてやる気――――戦意の込められた目で、勇斗は目の前の神裂を、そしてキャーリサを見た。

 

「少しでも早く天使の力(テレズマ)の扱いを身に着けたいんで、こういう機会は無駄にしたくはないんです」

 

「――――ほー。なるほどね」

 

 キャーリサと、おまけにその後ろの方でリメエアが、口元に笑みを浮かべて頷く。

 

「あの……騎士団長(ナイトリーダー)は本当に強くて、今まで負けたっていう話すらほとんど聞かないレベルで……」

 

「『騎士派』の訓練は容赦がないという噂です。学園都市からの『客人(ゲスト)』だからといって、手心を加えてもらえるかはわかりませんよ!」

 

「まあ、こういう特訓はボコられて強くなるのが相場ですし……」

 

 ヴィリアンと神裂に遠い目を向けて、

 

「まあ多少のケガならすぐに治せるんで、なるようになると思います」

 

「……当人がいいと言っているんだ。お前たち少しは落ち着け」

 

 横合いからヴィリアンと、特に神裂に対して、待ったをかけたのはエリザードだ。

 

「やっちまいな。ただし城は壊さんでくれよ。そんなことになればこいつでバッサリいかなきゃならんからな」

 

「ぜ……善処します」

 

 快活な笑顔でそうくぎを刺すエリザードに対し、勇斗は再び引き攣った笑みを浮かべるのだった。

 

 



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ep.65 10月1日-4

 先頭を行く騎士団長(ナイトリーダー)が両開きの鉄の扉を押し開ける。重厚そうな扉がしかしあっさりと開き、中の光景が見渡せた。

 

「ここが我々『騎士派』のトレーニングのための施設さ」

 

 ――――騎士団長(ナイトリーダー)に手合わせを申し込まれた勇斗が案内されたのは、バッキンガム宮殿の地下に作られた武道場のようなスペースだった。武道場、とはいうものの、普通の学校や公共施設にあるようなそれとは広さも天井の高さもスケールが遥かに違う。

 

「……広っ!」

 

 ざっくりと見まわした勇斗が驚嘆の声を上げる。広さは大きめの田舎の学校の校庭くらいは軽くあるんじゃないかというくらいのレベルで、高さに関してはおおよそビル5階分を超えるほどか。床は表面がゴム製のマットになっており、この辺りは学校っぽい。それにしたって、ロンドンの街中の地中に、宮殿の地下に、これほど大規模な空間が作られていたとは……。

 

 そして、その空間の中、たくさんの騎士たちが思い思いにトレーニングに励んでいた。筋トレに汗を流す者たち、外周部をオリンピック陸上短距離の決勝戦でのそれくらいのスピードでひたすら走り回っている者たち、無心に剣の素振りを続ける者たち、中央部の四角く区切られたスペースで実戦形式で甲高い剣戟の音を響かせながら打ち合っている者たち。総勢およそ50人。

 

「外勤中や休みの騎士以外はここや他の拠点でこういった訓練を行っている。何せ『騎士派』は体が資本だからな。それに、魔術を使うための魔力を精製する過程で生命力――――平たく言ってしまえば体力を使う訳だから、強い魔術を扱うためにもやはり体を鍛えておくに越したことはないのさ」

 

「にしたって大分ハードそうですね……」

 

 全員が全員粛々と、見ているだけでわかるレベルで凄まじい運動強度の動きをこなしている。ついぞ先刻に神裂が教えてくれた「『騎士派』の騎士たちは生身の力が強すぎて魔術的な仕組みを自ら壊してしまうため、鎧に霊装としての強化機能を付けられない」というのも納得できる話である。聖人に類する力を持っている勇斗が言うのも非常にアレな話ではあるが、つくづく騎士たちはフィジカルエリート(バケモンじみた集団)なのだ。

 

 ――――ところで、その当の神裂は、そして女王に王女たちは、一体どこに行ったのか。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「おいお前ら、何で本人よりもお前たちの方がそんな死にそうな顔をしてるんだ」

 

 そわそわと落ち着かない様子を見せる神裂と、おまけにヴィリアンに向けて、呆れ顔を浮かべてエリザードは声を掛ける。

 

「少年は『聖人』の同類なんだろう? 何を心配する必要がある」

 

「もう既に『神の右席』が一を破りているの。実績としても十分足りけるのではなくて?」

 

 ローラも女王に加勢する。優雅に紅茶を啜りながら、キラキラした目でモニターを眺めている。

 

「さしもの騎士団長(アイツ)でも聖人相手にするのは骨が折れるだろーし、案外いい勝負してくれると思うの」

 

「そんなに心配ばっかりして、ハゲても知らないわよ」

 

 更に同じく女王側についたキャーリサとリメエアを含め、彼女たちがいるのは先刻までいた大部屋の隣、応接室の1つだ。壁にはモニターが掛かっており、そこには地下の訓練室の様子が映し出されている。

 

「……だって、騎士団長(ナイトリーダー)には何度も助けていただきましたから。だからその分、強いっていうことはわかるんです」

 

「……さっきも言いましたけど、千乃勇斗は聖人と同質の力を持っているとはいえ、基本的には一般人ですから。『神の右席』を倒したというのも、どこまで鵜呑みにしていいか。……自分の目で見ていない分、どうにも実感がわかないんです」

 

「……なら、なおさら黙って見ていろ。騎士団長(ナイトリーダー)だって、客人(ゲスト)を殺さないくらいの分別くらいは持っているさ」

 

 エリザードはあっさりと笑う。

 

 そんな感じに女たちが見ている前で、モニターの中、勇斗は騎士団長(ナイトリーダー)と共に、部屋の中心部へと足を進めていた。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「集合」

 

 大声で叫んだわけではない。しかしそう呟かれた騎士団長(ナイトリーダー)の声はやけにはっきりと部屋全体に広がっていき、

 

「「「「Yes, sir(イエッサー)!!!!」」」」

 

 野太く響く男たちの声が豪快なユニゾンを奏で、思い思いにトレーニングに励んでいた騎士たちがダッシュで勇斗と騎士団長(ナイトリーダー)の元に集まってきた。なんと訓練の行き届いた統率された集団だろうか。集団としての練度の高さが滲み出ている。

 

「紹介しよう。日本から来た、千乃勇斗という」

 

 そんな集団を前にして、騎士団長(ナイトリーダー)は勇斗の名前を集団に告げる。

 

「千乃勇斗と申します。よろしくお願いします」

 

 深く一礼。顔を上げると、とんでもない量の視線が向けられている。その大量の視線に共通して込められているのは、「何モンだコイツ」という疑問だった。そりゃそうだ。勇斗は小さく肩をすくめる。いきなり訓練場に、しかも外国人の少年が、集団のリーダーに連れられてやってきたのだ。誰だってそんなこと頭に浮かぶ。あまりの視線の圧に、勇斗としては苦笑い気味の愛想笑いを返すのがやっとだ。

 

 しかし騎士団長(ナイトリーダー)は部下たちのそんな疑問などお構いなしに、すぐさまこう続ける。

 

「今から私はこの少年と手合わせを行う」

 

 その一言は、騎士たちに決して少なくない衝撃を与えるものだった。

 

「……だが、私はともかく、少年は準備運動も終わっていない。誰か、手合わせ前に彼のウォーミングアップに付き合ってくれる者はいるか」

 

 そんなセリフが次いで放たれ、より一層の疑問を孕んだ視線が、勇斗だけでなく騎士団長(ナイトリーダー)にも向けられることになる。

 

「……団長」

 

 ――――そんな中で、挙手と共に、落ち着いた声が上がった。

 

「どうしたチェスター。やる気か?」

 

 騎士団長(ナイトリーダー)の笑みを含んだ問い掛けに、チェスターと呼ばれた騎士は首を横に振る。

 

「その前に、いくつか確認したいことが。……あ、いや、やる気じゃないわけでもないんですが」

 

 ――――勇斗より何歳か年上、恐らく20代の前半といったところではないだろうか。髪色は暗めの栗毛で、声同様落ち着いた表情を浮かべている。背は勇斗より少し高く、その体躯は鍛えに鍛え抜かれた筋骨隆々っぷり。ゴリゴリというレベルではないものの、かなりのムキムキだ。

 

「せめてもう少しその子について情報を貰えませんか? いったい何処の誰で、何で団長と手合わせをするのか、とか」

 

「……もちろんだ。言葉足らずで済まなかったな」

 

 部下の至極もっともな言葉に騎士団長(ナイトリーダー)も苦笑い。ちらりと勇斗に目をやった。勇斗は1つ、頷きを返す。

 

「一体何処の誰か? 答えは、日本から来た、必要悪の教会(ネセサリウス)の新人だ」

 

「……必要悪の教会(ネセサリウス)? 『清教派』の?」

 

「ああ、そうだ」

 

 その言葉に、質問をしたチェスターは一層訝し気な表情を浮かべた。しかしそのチェスターが更なる質問を投げかける前に、その場に乱入する声があったのだった。

 

「はあ? 『清教派』の軟弱魔術師風情が、何でまた団長と手合わせなんてする必要があるんですか?」

 

 若い声だ。声の主を見れば、そこにいたのは少年――――勇斗と同い年か、下手をすれば1つか2つくらいは年下なのではないだろうかという容姿をした若い騎士だ。勇斗よりやや小柄で、大柄ムキムキの他の騎士たちと比べるとなおのこと小柄に見える。金髪碧眼で、モデルやアイドルとしてでも十分通用するんじゃないかという顔立ちだ。そんな少年が、ちらちらと見下したような視線を勇斗に送りつつ、その端正な表情を苛立ちにも似た表情で歪めて、そんなセリフをぶっこんできたのだった。

 

(うーん、すげー言い方。派閥の力関係ってここまでわかりやすい感じなのか……?)

 

 あまりの物言いに、ディスられた勇斗としてはこれまた苦笑いを浮かべるしかない。――――ステイルが言っていた、英国三派閥の間の明確な力関係。『王室派』は『騎士派』に強い。『騎士派』は『清教派』に強い。『清教派』は『王室派』に強い。……確かに『騎士派』の人間からしたら、格下である『清教派』の、それも新人が、いきなり自分たちの派閥の長と手合わせをするということになれば、心情的に反発したくなるのもやむなしであろう。現に、彼の周りの騎士たちもそんな感じのことを考えているのだろう。決して口には出さないものの、表情に滲み出ている。恐らく、目の前にいるこの少年騎士は、そういった反発とか諸々の心情を口に出さずにはいられない御年頃なのだろう。

 

 ――――御年頃とか言い出したら当然勇斗もその『御年頃』であるわけなのだが。10代半ばの少年少女といえばそういう感じの人間が多いのが普通なのである。こういうことがあっても落ち着いて分析したりなんだり出来てしまう勇斗の精神年齢の方がおかしいのだということは、言うまでもないことだろう。

 

「……そんなに気になるのなら、まずお前からやってみるか、アルヴァ」

 

 苛立ちと嘲りの表情のアルヴァと呼ばれた少年騎士、苦笑いの勇斗、そして「また始まった……」的な表情のチェスター。そんな彼らとは対照的に、騎士団長(ナイトリーダー)は楽しそうに笑う。――――言い換えれば、悪い笑顔だ。

 

「気になるのなら自分で戦って、自分で実感すると良い。……千乃も、それで構わんか?」

 

「……まあ、確かに……、朝起きてから準備運動すらしてないんで、そちらのアルヴァさん? さえよければ、お願いしたいですね」

 

 同意を返す勇斗。そして、

 

「……望むところだよ」

 

 低く苛立ちの籠った声で、アルヴァも話に乗っかる。

 

「では、話の続きは手合わせの後だ。自ずと私が手合わせを望んだ理由もわかるだろう。それでいいな、チェスター」

 

「……はい。わかりました」

 

 騎士団長(ナイトリーダー)自ら手合わせを望んだ、という事実に決して少なくない驚愕を覚えながら、彼もまた肯定を返すのだった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「では、準備はいいか」

 

 部屋の中央で向かい合う2人の少年に向けて、騎士団長(ナイトリーダー)は声を掛けた。

 

「致死性の攻撃は禁ずる。一応フィールドは区切ってあるが、リングアウト負けは無し。あくまで目安だと考えてくれ。自分で棄権を申し出るか、戦闘不能となったものの負けとする」

 

 その言葉に、勇斗と、そしてアルヴァという少年騎士は頷いた。

 

 ――――2人の手には共に細身の両刃片手直剣(ロングソード)が握られていた。アルヴァのそれは元から彼に支給されている備品であり、勇斗のそれはこの手合わせに当たって借り受けたものだ。一応は訓練用の模擬刀であって真剣ではないが、それなりの重さはあり、このまま鈍器として十分に通用しそうなレベルである。

 

 そして足元の床、部屋の中央の空間が一辺数十メートル程に四角く区切られ、周囲より10センチほどせりあがっていた。2人がいるのはそのせりあがった床の上だ。

 

 ――――あれよあれよという間に、勇斗は騎士団長(ナイトリーダー)だけでなくこの少年とも戦うことになっていた。いやもちろん、ウォーミングアップをしたかったのは間違いではないし、この少年騎士との手合わせを受けたのも自分でしたことだ。ただそれでも、うまいこと乗せられたような感は拭えない。全部知ってて、話の流れがこうなるように誘導された気がする。流石は『騎士派』の長だ。王室派の側近として魑魅魍魎蠢く政治やら外交やらの世界に飛び込んでいただけのことはある。…………考えすぎかもしれないが。

 

 とまあ、そんなことを考えながら、勇斗はアルヴァに目を向けていた。

 

「――――何だよ? 『清教派』の分際で調子に乗ってんじゃねえぞ」

 

 返ってきたのは元気いっぱいの罵倒である。元気が良くて何よりだ。勇斗は何も言わず、肩をすくめることで返事とした。――――『清教派』傘下の天草式にはお世話になっているし、こういう意味もなく他者を見下してくるような人間は勇斗にとって嫌いなタイプだ。流石にちょっとイライラしてくる。ちょっと当てつけっぽい返事になってしまうのはご愛嬌というべきだろう。

 

「チッ……! ブッ飛ばしてやるからな!」

 

「さっきから口が悪いなあ……。英国紳士の名が泣くんじゃねえの?」

 

 だから、あえて涼しい顔で煽ってみることにした勇斗である。怒りに駆られる人間は御しやすいとも言うし。

 

「……口を慎めよ、宗教を騙る詐欺師集団風情が」

 

「その鼻っ柱、叩き折られないといいな」

 

 再び肩をすくめ、さらに追加で一煽り。元々の肌の色が白目ということもあってか、怒りでアルヴァの顔が真っ赤に染まっていくのが勇斗には面白いようにわかる。多分、周りで見ている騎士たちからしてもそうだっただろう。

 

「では、構え」

 

 騎士団長(ナイトリーダー)は涼しい顔で、悪い笑みを浮かべたままだ。部下の無礼を咎めるわけでも、『客人』の挑発に苦言を呈することもない。ただ一言、告げるのみ。

 

「――――始め」

 

 弾かれた様に、勇斗とアルヴァが動き出す。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

 先手を打って飛び込んだのはアルヴァだった。突きの形に剣を構え、かと思えば突如として彼の体が加速する。

 

 床を蹴るといった予備動作は一切なかった。立ったままの状態から一瞬でトップスピードに達するという不自然な加速は、やはり魔術によってなされたものだろう。

 

 まあ、この際その部分はさほど重要ではない。ここで重要なのは、その突きが真っ直ぐに勇斗の首元目掛けて突き込まれていること。そして、予備動作を感じさせない不自然な初動に虚を突かれつつも、勇斗がアルヴァの動きを全て観察できてしまっていることだ。

 

 ――――手の内の知れない、得体の知らない『敵』を相手にしてさえも、先手を打って仕掛けてきたこの『技』。恐らくアルヴァにとって最も自信のある技なのだろう。やられる前に、やる。神速の先手必勝の一手だ。護身術や捕縛術向けの体術、剣道柔道という形くらいでしか武術をかじっていない勇斗ですら、この技に込められた高い技術を読み取れる。常人の意識から外れる程の加速と速度を為しつつ、自らの体と武器をバランスを崩さずに正確に操作する。魔術に思考リソースを割いた状態で自らの体を通常時以上に正確にコントロールする必要があるわけである。厳しい反復訓練の賜物と言えるだろう。

 

 しかし、

 

(こっちだって1回文字通り死んで、やっとモノにした力だ。これくらいじゃないと割に合わねえよな)

 

 首元に超高速の突き技とか致死性の攻撃なんじゃね? とかなんとか諸々の疑問はぐっと飲みこむ。勇斗は体を左に滑らせ、同時に右手に持っていた剣を横薙ぎに振るった。アルヴァが突き出した剣に、寸分も違わず真横から水平に飛び込んだ勇斗の一閃。首元を狙っていた突きを強制的に中断させるのみならず、アルヴァの手から剣を弾き飛ばす。

 

 ――――『聖人』。その力を、正確にはそれに類する力を、その身に宿し振るうことで、勇斗にはわかったこと、実感できたことがある。

 

 第一に、一瞬一秒というほんのわずかな時間の中で選べる選択肢の広さ。生身の状態で音速超過挙動を可能とする聖人は、その速度を以て一瞬一秒という単位を強引に引き延ばすことができる。常人には瞬きをするだけで過ぎ去ってしまう文字通り一瞬の間であっても、聖人は何手もの動きを重ねることができるのだ。

 

 第二に、天使の力(テレズマ)による身体強化が及ぶ範囲に、肉体(フィジカル)系だけではなく神経(ニューロン)系も含まれていること。いわゆる『高速思考』、あるいは『思考加速』。常人にはほんの一瞬に過ぎない時間を圧倒的な速度で引き延ばし、その中で思考を重ね、考えた通りに自分の体を操作する。

 

 コンマ何秒の世界でカウンターを決めつつ、勇斗の思考の片隅にはそんな考えが浮かんでいた。怪力や音速超過挙動といった『わかりやすい』身体強化以上に、この思考の高速化は『聖人』としての力を扱う上でのキモとなる部分だろう。

 

 ――――閑話休題。

 

 通常の打ち合いではまず起こりえない方向から天使の力(テレズマ)による身体強化が乗せられた痛打を浴びたのだ。アルヴァが剣を取り落としてしまったことを責めることはできない。だが、その代償はこの場では大きすぎた。

 

 アルヴァが次のアクションを見せるより早く、勇斗が踏み込んだ。一瞬で間合いを詰め、アルヴァの懐に滑り込む。そして、

 

(騎士様相手に使うような技でもないような気がするんだけどな)

 

 ダァァァン!! という、マットを思い切り手のひらで叩いた時のような小気味のいい音が訓練場全体に響き渡る。剣を投げ捨てアルヴァに組み付いた勇斗が、流れるような体捌きで払い腰を決め、彼を投げ飛ばした音だった。

 



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ep.66 10月1日-5

「一本、――――とでも言うべきかな」

 

 時間にして、決着までわずか数秒もあったかどうか。鮮やかなカウンターからの一瞬の幕切れで静まり返った訓練室に、騎士団長(ナイトリーダー)の声が響く。

 

「……すみません、剣、ぶん投げちゃいまして」

 

 対する勇斗は掴んでいたアルヴァの腕を離し、言葉通り数メートル程離れたところまで投げ飛ばしてしまった剣にちらりと目をやって、申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 ――――剣と言えば騎士、騎士と言えば剣、……くらいのレベルで切っても切れない関係にある『騎士』と『剣』。騎士に勝つために剣を投げ捨てるというのは、ある意味ではとんでもない侮辱に当たってしまうような気がしないでもない。一瞬の判断で柔道技を選択した(してしまった)のだが、これはやってもよかった勝ち方なのだろうか……?

 

「気にするな。ただまあ、我々『騎士派』にとっては飯の種になる大切なものでな、次からは丁寧に扱ってもらえると助かる」

 

 楽しそうな表情の騎士団長(ナイトリーダー)を見るに、幸いにも勇斗の不安は杞憂に終わったようである。騎士団長(ナイトリーダー)はそう言って笑って、転がっていた剣を拾い、勇斗に手渡す。そして、床に転がったままのアルヴァに目を向けた。

 

「――――というわけだ、アルヴァ。千乃と、お前自身の力の差は理解できたか?」

 

「――――はい」

 

 アルヴァから帰ってきたのは、存外に力強く短い言葉だ。加減はしていたとはいえ、発動途中の術式をカウンターで強引にキャンセルされ、その勢いのまま床に叩き付けられたわけである。もう少しダメージを受けていても良さそうなものだが、そこは流石に『騎士派』と言うべきか。普段から厳しいトレーニングで体を鍛えているだけはあるようだ。言葉として口には出さないまでも、自分が投げ飛ばしたこのクソ生意気な少年騎士に、心の内では賞賛の言葉を送る勇斗である。

 

「何が起こったかは理解できたか?」

 

「――――恐らく、ですが」

 

 横たわったままのアルヴァが少し身を捩る。上半身を起こそうとして――――諦めた様にわずかに首を振って、再び完全に横になった。流石に起き上がることができるまでは回復していないらしい。

 

「突撃術式をカウンターで破られて、……剣を弾かれたことに気づいた時には、もう投げ飛ばされて天井を見上げていました」

 

「――――よく見たな。合格だアルヴァ。それでこそお前を千乃と手合わせさせた甲斐がある」

 

 素直にアルヴァ君を褒めてあげる騎士団長(ナイトリーダー)である。

 

「あの高速で移動している状況下で、自分が何をされて天井を見上げる羽目になったのか。――――音速に近い速度の中で起こった事象を認識し理解できるか、あるいはできないかというところに、普段の訓練の成果が如実に現れる。お前が普段からよくやっていることが分かって、私としても安心だ」

 

「――――ありがとうございます」

 

 騎士団長(ナイトリーダー)が投げかけた労いの言葉に、憑き物の落ちた様なスッキリとした、そしてホッとした表情を浮かべ、アルヴァは言葉を絞り出す。

 

「後は早く落ち着きを覚えろ。もしくは意識を切り替える術を身に着けろ。怒りのままに飛び込んでいては今のように足をすくわれることになる。相手が誰であろうと、どんな状況であろうと、最低限の警戒は怠るなよ」

 

「肝に銘じます」

 

 一度勇斗に視線をやって、それから目を閉じて、首を左右に振った。唇が小さく動き、何某かの言葉を紡ぐ。「マジ何モンだよ……」とかなんとか、そんな感じのセリフだったんではなかろうか、と勇斗は思う。

 

 そして、それ以上に気になったのは騎士団長(ナイトリーダー)のお言葉だ。言葉だけ、字面だけ見れば、アドバイスとしてあるあるなものであると言えなくもない。だが、……なんだかとっても真に迫るというか、説得力を感じるというか、単なるアドバイス以上の感情が込められているお言葉だったように勇斗には感じられた。もしかすると、騎士団長(ナイトリーダー)自身、何かやらかしてしまった過去があるのかもしれない。過去から得た教訓、ということなのだろうか。――――とはいえ、唐突にそんなことを聞いてみるにはまだまだ打ち解けられていない勇斗君であった。

 

「よし。では、脇に下がっていろ。……さて、誰か他に手合わせをしてみたい者はいるか?」

 

 そして、そんなことをつらつらと考えているうちにしれっと告げられた騎士団長(ナイトリーダー)との手合わせの前哨戦第2戦の存在。一瞬「えぇ……」となりかけるが、「いや、でもやっぱり場数は多く踏んでおくに越したことはないか……?」という考えも頭に浮かび、なんだかんだやる気になってきている勇斗君である。

 

「――――では、次は私が」

 

 そんな騎士団長(ナイトリーダー)の呼びかけに応えたのは、チェスターと呼ばれていた青年騎士だった。勇斗よりは何歳か年上で、やはり落ち着いた穏やかな表情を浮かべている。

 

「……やっぱりやる気だったんだな、チェスター」

 

「ええ、まあ。騎士団長(ナイトリーダー)自ら必要悪の教会(ネセサリウス)のメンバーとの手合わせを望むだなんて、『極東の聖人』の件以外では聞いたこともありませんでしたし」

 

 そう言うと、チェスターはその穏やかな瞳を、真っ直ぐに勇斗に向けた。

 

 ――――吸い込まれそうな、茫洋とした瞳。ただ穏やかな表情を浮かべているわけではなかった。ともすれば、焦点が合っていないのではないかとも思える程にぼんやりとした瞳だ。

 

 只者ではなさそうだ――――。これが、勇斗がチェスターに対して抱いた率直な感想だった。

 

 

 

 

 

▽▽▽▽

 

 

 

 

 

「では、構え」

 

 騎士団長(ナイトリーダー)の声で、部屋の中央で向かい合う2人が構えを取る。穏やかな表情そのままに、チェスターの身に纏う雰囲気が、変わった。目に見える変化ではない。しかし、目に見えない何か――――『闘気』とでも言うべきなのだろうか――――不可視の強烈な『圧』が、チェスターの体から吹き上がったのを勇斗は感じ取ったのだった。

 

「――――始め」

 

 開始を告げる騎士団長(ナイトリーダー)の声。その声を勇斗が認識した時には、チェスターはもう行動を開始していた。床を蹴り、勇斗に向かって飛び込みつつ剣を袈裟懸けに振り下ろす。

 

「……ッ!」

 

 ――――速い。つい先刻、アルヴァが高速の突きを見せたわけだが、飛び込んでくるスピードではそれをも凌ぐ。……とはいえ、勇斗に為す術がないわけでは決してない。この飛び込みが先刻のアルヴァのそれよりも速い、という事実をしっかりと認識した上で迎撃に移る。勇斗から見て左上から右下方向に振り下ろされる剣に対して、真っ向から立ち向かう。右下から左上に向かって剣を振り上げ、チェスターの剣に叩き付けた。

 

 剣が壊れないのが正直不思議なくらいの鈍い轟音が部屋中に響き渡る。とんでもなく重たい衝撃が勇斗の右手に襲い掛かり、強烈な痺れが右腕を見舞った。

 

 ――――音速にも近いスピードのその勢いを乗せ、『騎士派』の騎士がその両手でもって重力に従って振り下ろした剛剣の一撃を、片手で、しかも重力に逆らって振り上げた剣でもって捌き、『痺れ』で済んでいるだけ十分とんでもないことなのだが、今の勇斗には知る由もないことである。

 

 チェスターもまた同じ衝撃に見舞われているはずなのだが、それを感じさせない滑らかな動きで追撃に入る。弾かれた剣をその勢いのまま滑らせ、片手でコンパクトに振り抜き、勇斗の横っ腹を狙った一撃を放った。

 

 ――――痺れたままの手で迎撃するか、それとも回避に移るか。

 

「……!」

 

 一瞬の判断で勇斗は回避を選択する。後方に跳んだ勇斗の腹の前を、うなりを上げてチェスターの剣が通過していく。

 

「――――ッ!?」

 

 そして、勇斗はまたしても声にならない驚愕を口から発することになった。

 

 チェスターによって振り抜かれたはずの剣、それが、あたかも見えない壁で反射されたかのような軌跡を描き、再び勇斗に向かって襲い掛かってきたのだ。想定外すぎる軌道を見せるその剣撃に、勇斗の動きが一瞬の停滞を見せる。

 

 振り抜いたそれなりに重量のある剣を、瞬間的に引き戻し、ノータイムで逆方向に斬撃を放つ。とてもじゃないが常人に可能な動きであるとは思えない。そんな無理極まりない動作、腕の関節や筋肉をいくら犠牲にしたところでどうにもならない。――――やはりこれは、魔術が成したものか。斬撃の一連の流れを術式として設定しているのか、それとも身体強化術式によるものなのか。そこの判断はつかないが、近接戦闘に上手く魔術を織り込むことで、こんな予想外の一撃すら繰り出せるようになる――――。

 

 高速化された思考の中でそんな余計なことを考えつつ、しかし勇斗は次の行動を再開した。後方に跳躍しっぱなしでまだ着地していない勇斗は、踏ん張りの効かない剣での迎撃ではなく、再びの回避を選択する。天使の力(テレズマ)の通った足で虚空を叩き、蹴って更に後方へ跳躍。とっさのことで多少バランスを崩すも、無事に回避と、そして距離を取ることに成功する。――――『虚空瞬動』、魔力などの力を込めた足で地を蹴り瞬間的な移動を為す瞬動術(クイックムーブ)の発展形の技術だ。

 

 しかし、これで気を抜くわけにもいかない。斬撃を初見で回避され、その茫洋とした瞳にわずかばかりの驚愕を浮かべていたチェスターだったが、コンマ何秒でその驚愕は影を潜める。床を蹴り、勇斗の下へ飛び込んでくる。やはり速い。

 

 そして、剣と剣の2度目の衝突。轟音と火花が周囲に飛び散った。二度、三度、四度、振り下ろされた剣が勇斗の剣を叩く。それだけではない。加えて、予想外な軌道を描いて次々と斬撃が迫る。

 

 ――――さりとて、勇斗も負けてはいない。半ば無意識下で展開していた、全身を巡る天使の力(テレズマ)による身体強化。天使の力(テレズマ)を更に活性化させ、その出力を意識的に引き上げていた。腕を襲っていた痺れが解消され、身体能力や五感、知覚能力や神経系が更に強化される。

 

 叩き込まれた剣撃は、時に弾いて受け流し、時に真っ向から受け止める。斬撃の軌道を予想できなくても仕方がない。更に強化された視覚と知覚で軌道を見極め、チェスターの剣撃の速度を上回るスピードで剣を繰れば防御はできる。

 

 今度は明確に、チェスターの表情が驚愕で歪んだ。客観的に見れば――――外からのパッと見では、圧倒的に攻めているのはチェスターの方だ。流れるように重く速い変幻自在な連撃を数々放ち、対する勇斗は防戦一方。有効な反撃を繰り出せていないように見える。しかしその実態は、チェスターが数々攻撃を放ちながら、それでも勇斗に有効打を与えられていないというものだ。チェスターからすれば、それまで多少なりとも効果のあった戦法が、急に通用しなくなったように感じられていることだろう。予想外の展開に際して驚愕を覚えるのは当然の反応だ。

 

 そして、勇斗は攻勢に転じる。襲い来るチェスターの剣撃に対し、受け流して回避したり受け止めたりするのではなく、タイミングを合わせて剣を振り抜き真っ向から強振を叩き込む。目には目を、歯には歯を。――――強大な力には更に強大な力をぶつけて一気に塗り潰す。

 

 結果は単純。轟音――――大音量の金属音と共に、先刻のアルヴァ同様チェスターの手から剣が弾き飛ばされ宙を舞う。

 

 今度は勇斗が飛び込む番だった。瞬動術(クイックムーブ)。茫洋としていたその目を大きく見開いて驚愕を見せるチェスターに向かって、――――いや、その脇をすり抜けるような格好で飛び込み、チェスターの背後に回り込む。そして、剣を持っていない方の手――――左手の手の平を、チェスターの背中に押し付けた。

 

「邪道だったらすんませんね」

 

 そして一言。そして間髪を入れず、チェスターがその勇斗の言葉に何某かのアクションを起こすよりも早く、

 

 ――――眩いばかりの閃光と、弾けるような放電音。ドサリ、と人が床に転がる音がした。

 

 思い出してみよう。今回の手合わせの敗北条件は、自らの棄権の申し出、そして戦闘不能。

 

 下手に相手を棄権に追い込むくらいなら、相手を戦闘不能に追い込んだ方が正直手っ取り早い。戦闘不能に追い込む方法で手っ取り早いのは、意識を刈り取って気絶状態に追い込むこと。そして、人を気絶させるにはいろいろな方法がある。

 

 勇斗がとったのは非常にシンプルな方法である。即ち、電撃。

 

 どこぞの第3位同様、ゼロ距離で強烈な電撃を見舞い、勇斗はチェスターを戦闘不能に追い込んだのだった。

 



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