しゃるてぃあの冒険《完結》 (ラゼ)
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邂逅

「……待っても無駄のようでありんすね」

 

 彼女が訳の解らない状況に陥って既に半日。栄えある至高の41人が治める最高のギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の一階層から三階層の守護者をつとめるシャルティア・ブラッドフォールンはそうひとりごちた。

 視界が闇に閉ざされ、気付いた時にはこの森の中で一人立っていた彼女。空を飛んで俯瞰してみるも見渡す限り森が続いている。不測の事態に陥ったことは明らかだがギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の拠点、ナザリック地下大墳墓以外を碌に知らない彼女からすればどうすればいいのか見当もつかないのだ。取り敢えずは迎えが来るかもしれないと半日の間待ち惚けてみたものの、一向にその気配はしない。日が落ちたところで真祖の吸血鬼である彼女はどうということもないがやはり心細くはなる。

 

 それは闇が恐怖の対象であったり、いつ襲い掛かってくるかもしれない魔獣がいるからという理由ではなく、もしかして自分は捨てられたのではないかという想像が彼女を蝕んでいるからだ。

 

 至高の41人のために在り、ナザリックを守護するために在る。それがシャルティア・ブラッドフォールンの存在価値だ。ギルドにはもはやかつての隆盛は見る影もなく、主も一人を除いては殆ど姿を消したとはいえ彼女の生きる意味は変わらない。

 

 故に最後に残った主までが姿を隠し、ナザリックの存在そのものがなくなってしまったのかと彼女が思ってしまうのも無理はない。だが持ち前の能天気さとおバカさでその絶望的な推測はなんとか考えないようにしている。

 しかしこうも時間を持て余すとまたもやそんな考えが脳裏を過ってしまうのは仕方のないことだろう。だからこそ彼女は立ち上がり、迎えが来ないならばこちらから帰還してやろうと思い立った。

 

「まずは森を抜けるか……抜けるでありんす」

 

 彼女の本来の口調は至って普通だ。しかしそうあれかしと設定された可笑しな廓言葉は、今は唯一の拠り所。ナザリックと彼女を繋ぐ大切な絆だ。故に無理にでも使用する。そうしないと孤独と絶望に押し潰されそうだから。

何かを振り切るように彼女は暗い空を駆ける。

 

 それはさながら黒く輝く流星のようで――だからこそ彼女も気付かない。恐ろしい想像が現実だと思いたくない彼女は気付かない。

 

 その速度に負けて、何重にも重ねた胸のパッドが彗星の尾のように零れ落ちていっていることに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼ。此処を拠点とする冒険者は多く、駆け出しの新人から最高位のアダマンタイトの冒険者まで広く滞在している。それは王都最高との呼び声も高い『蒼の薔薇』の女性チームも例外ではない。今日も彼女達はこの国の第三王女からの秘密の任務を終えて、お洒落なカフェで自分達の体を労っていた。

 

「今日の紅茶は今一ね」

「そんなもん腹に入っちまえば一緒だろ?」

「腹筋に入るの間違いかも」

「胸筋の可能性もある」

 

 優雅にお茶を飲んでいるのは『蒼の薔薇』のリーダー、ラキュース。店員が替わったのか紅茶の味が変わっていることに顔を顰める彼女はこの国の貴族でもある。貴族から冒険者になるというのはお転婆どころの騒ぎではないが、それが許されるのも偏に彼女の類稀なる実力故だろう。条件が整えば死者の蘇生すら可能にする彼女は世界単位で見ても並び立てる者は少ない。

 

 そんな彼女に身も蓋もないことを言っている男――と見紛う筋肉質な女性、ガガーラン。豪放磊落という言葉が最も似合う彼女はその見た目にもかかわらず童貞食いが趣味の困ったさんである。

 

 その筋肉を揶揄してからかうのはまだ幼さの少し残った二人の少女ティナとティア。その見た目からは想像もつかない壮絶な人生を歩んできている彼女達だが、紆余曲折あって今はこの『蒼の薔薇』に所属している。ちなみに彼女達もガガーランと同様に変態チックな性的嗜好持ちだ。ティアは同性愛者、ティナはショタコンである。

 

 更に言えばリーダーのラキュースは重度の妄想癖があるため、ぶっちゃけてしまうと『蒼の薔薇』は変人の集まりでもある。そして今は少し外している最後のメンバー、イビルアイこそが唯一の良心なのかと問われれば――否定せざるを得ない。むしろ一般人からみれば彼女こそが一番の変人だろう。それは彼女の容貌に理由がある。とはいっても醜女であったり痛々しい傷跡があるといったようなことではない。その理由は彼女の服装、体を覆い隠すような外套と奇妙な仮面にある。

 

 いまだ仲間以外には素顔を晒したこともない彼女の容姿は密やかに住民に噂されている。幽居な佇まいと相まって神秘的な美少女であると言われたり、目を背けるほどの醜さなのだと囁かれることもある。

 

 そんな彼女の正体が実は伝説の吸血鬼『国堕とし』であるというのはトップシークレット、仲間以外にはほんの一握りしか知らない最重要機密である。実際彼女の実力は伝説に違わぬ強さであり、彼女以外の『蒼の薔薇』の面子が束になってかかったとしても勝利できないほどだ。

 

 そしてそんな彼女が仲間から離れて何処にいるのかといえば、装備の新調である。とはいっても大仰なものではなく消耗品に近い低級の装備群をそろそろ替えたいというだけなので大した時間もかからない。既に揃えおわり、足早に仲間のもとへ向かっているところだ。だが大通りを曲がり、カフェに近付いたところで心なしかざわついた気配を感じ辺りを見渡す。

 

 そしてその理由はすぐに解った。信じられないほどの美少女が優雅に大通りを歩いているのだ。ゴシックな黒の衣装を身にまとい、可愛い日傘をちょこんとさしている。青白い肌は絹よりも滑らかさを感じさせるきめ細かさを持ち、紅い瞳は魔性といっても差し支えないだろう。ちらりと見える牙はチャームポイントのようで可愛らしく――

 

「ってちょっと待てえ! おい、ちょ、そこのお前だ」

「……? 妾でありんすか?」

「そうに決まってるだろう! この……ちょっとこっちにこい」

 

 イビルアイは衆目を嫌って人気のない裏路地へシャルティアを引っ張っていく。残念そうな顔をするものが多かったが、イビルアイほどの有名人が絡むとなればそれ以上首を突っ込む者は居ない。姿を隠した二人の少女を追うものは皆無であった。

 

「……何故吸血鬼が街中に入り込んでいる? というかどうやって入った」

「お主がそれを言うでありんすか?」

「――っ」

 

 イビルアイは正体を隠すために仮面と外套を被っている。それは表面的なものだけではなくアンデッドの感知も掻い潜るマジックアイテム的な意味合いでもあるのだ。一見して彼女が吸血鬼と見抜くことなどありえない。しかしシャルティアは看破出来た。その理由は――ただの直感である。同族故の奇妙な感応が働いた結果かもしれない。深く考えないあーぱーなシャルティアは自分の直感には素直に従うことの出来るスーパー吸血鬼なのだ。

 

「……何が目的だ?」

「ただの情報収集でありんすよ。ぬしは知りんせんか? ナザリック地下大墳墓……もしくは沼地にある墳墓の情報があれば教えなんし」

「……そんなことを調べたいがためにわざわざ侵入したのか」

「……そんな、こと?」

 

 イビルアイはこの世界でも屈指の実力者である。彼女に比肩するものなどほんの一握りしか存在しない。だからこそ彼女は常に自信に溢れ、本質的には大抵の人物よりも自分の方が上の立場であることを疑わない。

 しかし、だ。その強者たる彼女をもってしても自分に起こった事が理解できなかった。わかったことといえば、気付けば首を掴まれて命の危機に陥っていたことだけだ。

 

「今なんて言った……言ったでありんすか?」

「ッ!……ごほっ……離……」

「答えなんし」

 

 衝動的に捩じ切りそうになった首を離し、崩れ落ちたイビルアイの頭を掴んで無理やりに立たせるシャルティア。彼女は平静に見えてもいまだその身の内には不安が渦巻いている。突けば破裂するような風船のように彼女の情緒は不安定なのだ。そういう意味では無かったとはいえナザリックを軽んじたような発言に激昂してしまう程度には揺らめいて、余裕もない。

 

「はあ……は……? お前、泣いているのか…?」

「――っ」

 

 昂って、抑え込んで、悲しくて、寂しい。襲ってくる寂寥感に両腕で身を抱いて耐えるシャルティア。大丈夫、自分は捨てられたのではない、突発的な事変に巻き込まれているだけだと無理やりに言いきかせる。

 前日の夜から幾度か経験したフラッシュバックのような絶望が過ぎ去るまでひたすらに耐える。その様は恐怖に怯える子供のようで、そしてその容姿と相まって今しがた殺されかけたばかりのイビルアイですらどうしていいかわからずに立ちすくんでしまうほどに憐憫を誘っている。

 

「……悪かった、別に調べようとする行為を蔑んだ訳ではないんだ。ただ知らないようだから言っておく。吸血鬼が街に入り込んでいるとなれば大騒ぎになるし、情報収集どころじゃなくなる。それは本意じゃないんだろう? 人に危害を加えないと約束するなら正体を隠すマジックアイテムも貸そう。調べものも手伝う……だから、もう泣くな」

 

 自分より圧倒的に強いことが理解出来たならば、今がどういう事態かも把握している筈のイビルアイ。どう控えめに言い繕おうが国家存亡の危機だ。国の全力を挙げてすら尚滅ぼせない可能性がある化物が現れたのだ。

 それでも、イビルアイは何も出来なかった。孤独に泣きすさぶ少女が、在りし日の自分と重なってしまったから。なにもかもを失ったような表情の少女が、吸血鬼に変わってしまったあの日の自分を思い起こさせたから。

 

「ナザリックという場所は聞いたことがないが、これでもコネはあるほうだ。暴れないでいてくれるのなら全力を尽くすことを約束しよう」

「……」

「私の仲間達は種族なんて気にしないし、この国の権力者でもある。無責任にきっと見つかるとは言えんが無ければ無いと解る。探している以上存在しているんだろう? 幸いと言っていいかは解らんが、私達のような者に寿命などあってないようなものだ。見つからないのなら、見つかるまで探せばいい」

「……す」

「うん?」

「そのダサい仮面は嫌でありんす……」

「そこかよ!」

 

 見つからないのなら、見つかるまで探せばいい。その言葉に希望を見出したシャルティア。今自分がすべきことは何としても帰還することだと決意を新たにし、気を取り直して仮面を外したイビルアイの可憐な素顔を見て――唇を歪ませる。

 

「さっきは悪かったでありんすね……首は大丈夫でありんすか?」

「ん、ああ……問題ない、ちょ……な、何をする」

「痣が残っていないか確認しんす。ほらもう少しはだけなんし、よく見えんせん」

「近い! 近い! ちょ、こらそこは……」

 

 こうしてイビルアイの苦労の絶えない日々が始まることとなった。リーダーは厨二病で、仲間はチェリーイーターとレズビアンとショタコンの変態カルテット。

 

 そこにシャルティアが加わればどうなるかは――まだ誰にも解らない。




投稿は不定期


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アレを探して三千里

百合表現があるのでお嫌いな人は見ない方がよろしいかと


「待たせたな」

 

 シャルティアを伴ったイビルアイは仲間が待つカフェに戻る。危うく貞操の危機であったが、なんとか抱擁という名の拘束から抜け出した彼女は仲間を紹介しようとシャルティアを横に立たせて仲間の紹介を始めた。

 

「おかえりなさい……その子は?」

「おかえり……最高のお土産」

 

 絶世の美少女であるシャルティアを見てティアは喜びの声を上げる。黄金の姫と名高いこの国の第三王女すら超えた美貌は、同性愛者の彼女からすればまさに黄金よりも貴重に見えるのだろう。ライオンの前に黒毛和牛を置いた如し、猛然と立ち上がり親交を深めようとする。

 しかしシャルティアからすれば人間など下等な玩具でしかない。ナザリック以外の者に向ける親愛など欠片も持ち合わせていない、故にそうなったのはある意味必然だ。

 

「わらわに物怖じせずに向かってくるとは、そこだけは褒めてあげんしょう。けれど無礼の詫びは体で払ってもらいんすよ、人間」

 

 人間如きが自分を抱きしめようとしてくるとは何たる不遜。そういってティアの体をその人外の力でもってふわりと投げ飛ばす。そしてその事実に驚愕するイビルアイを除いた『蒼の薔薇』のメンバー。

 

 ティアは変態だが、その実力は間違いなくアダマンタイト級なのだ。彼女を子供のように軽々とあしらう者などそれこそイビルアイ以外には見たこともない。結果、その膂力と仲間が害されかけた事実により戦闘態勢に移行しかける彼女達。

 

「ふふ……ほら、犬のように指を舐めなんし。そう、上手でありんすよ。ご褒美をあげんしょう、下僕」

「ぺろぺろ」

 

 仰向けになったティアのお腹の上に腰をおろし、衝撃に驚く彼女の開いた口の中へと指を突っ込むシャルティア。嗜虐に歪むその口元は性奴隷としてなら悪くないとティアを睥睨し、その白魚のように美しい指先はぬるりとした舌を舐るように蹂躙しその口内を犯しつくす。

 

 つまり、だ。どうみても相性抜群です本当にありがとうございました。なんて言葉がティアの脳内を埋め尽くしたのはもはや運命という名の予定調和に違いない。絶世の美少女が自分に跨り、蕩けたような妖艶な笑みで自分を嬲る。これがご褒美以外のなんだというのか。ティアは無心に指先をしゃぶりつくす。

 

「……」

「……」

「店員、ショートケーキを一つ」

「かしこまりました」

 

 イビルアイは我関せずと店員に注文を取ってもらった。店員も店員で気にしていないあたりが『蒼の薔薇』の普段のイメージを物語っている。

 

「首輪が欲しいところでありんすが……今は手持ちがありんせんから我慢しんしょう。そいでそのうち可愛い尻尾もつけるでありんすから期待して待ちなんし」

「わん」

 

 そこには完全にお嬢様と犬の構図が出来上がっていた。一瞬魅了系統の魔法を疑ったラキュースであるが、魔法の発動は一切感知できなかったためその可能性は切って捨てた。まああれ程の美女なら仕方ないかと倒れた椅子を戻して座りなおす。

 これでティアのセクハラの矛先が変わるというならば中々のメリットだ。そんな風に思ってしまうあたりが悲しいところではある。

 

「……で? なんなんだありゃ?」

「さて、なんと言うべきか。言ってみれば……そうだな、世界最強クラスの迷子といったところか」

「ああ?」

 

 ガガーランに問われたところでイビルアイ自身もシャルティアの事は碌に知らないのだ。むしろ全員で情報を共有したいからこそ先にここへ連れてきたともいえる。取り敢えずは先にあった経緯を話し簡単な事情だけを知ってもらう。そしてシャルティアに視線を投げかけて氏素性を紹介してもらおうとしたが、まずは変態のじゃれあいを止めなければとため息をついた。

 

「そろそろいいか? まずは自己紹介から頼む。こちらはさっき話した通りだ」

「少し待ちなんし……くふ、悪くない座り心地でありんすね」

「ん……」

 

 もはやドン引きレベルの痴態を晒す二人であったが、周囲は華麗にスルーした。これも一種の優しさなのかもしれない。

 

「わらわは世界最高のギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が拠点、ナザリック地下大墳墓の階層守護者シャルティア・ブラッドフォールン。残酷で非道で冷血な真祖の吸血鬼。至高の御方によって創られたこの身と出会えたことを誇りに思うがいいでありんす」

 

 言っていることは尊大ながらも恰好がついている、しかし視線を下げればこぶりなお尻の感触を堪能しているティアの姿がある。色々と台無しである。

 そして見栄を切ってはみたが情報を収集しなければならないことを思い出し、さっそく問いかけてみるシャルティア。特に先ほど紹介されたラキュースはかなりの情報通らしいと聞いて期待する。あまり期待しすぎれば反動もくるだろうが、今の彼女はイビルアイと出会う前とは違う。今度絶望する時がくるならば、それは地上の全てを探し終えた時だろう。それまではひたすら突っ走ると決めたのだ。おバカな思考も時には役立つもので、今の状況においてはこれ以上ないほどに希望を与えてくれているといえよう。

 

「うーん、聞いたことないわね……貴族関係の情報収集は私がやるわ。裏関係はティナと……いえ、ティナが。だからおとなしくしていてね?」

 

 イビルアイにこっそり耳うちされたシャルティアの推定戦力。それが事実ならば出来る限り穏便に過ごしてもらわなければいけない。言葉の端々から感じる人類への蔑視は無視出来ないが、戦えば結果は見えているとなれば刺激しないように立ち回らなければならない。彼女を放置して、どこぞの馬鹿がちょっかいを出した結果王国が滅びましたなんてことになれば目も当てられないのだから。 

 

 ちなみにティアを含めなかったのは生贄には丁度いいと考えたからであり、彼女がねちょられている間は時間稼ぎが出来るだろうという酷すぎる作戦である。まあどちらも悦んでいるのだから問題ないだろうと判断したのはその通りではあるのだが。

 

「待つのは性にあいんせん。わらわも――――っ」

 

 その言葉に青くなって慄き何とか行動させないようにしなければと思うラキュースであったが、青褪めるシャルティアを見てどうしたのかと訝しがる。なんだか胸の辺りをまさぐっているようだが、何か落とし物でもしたのだろうかと推測した。

 

「い……いつから……く、冗談ではないでありんすよ」

 

 相も変わらずぺったんこの胸を見下ろして戦慄するシャルティア。おそらく前夜に森や村の上空を彷徨っていた時に落としてしまったのだろうと考え、忍者と紹介されたティアをキッと見下ろして抱きしめる。探知系のスキルを一切修めていない故に、己だけでは到底回収出来るとは思えない。しかし何という幸運か、新たな性の玩具はその方面に役立ちそうではないか。全てを取り戻せたならば性奴隷からお気に入りの下僕くらいには格上げしてやろう、そんな思考をしながらシャルティアは翼に力を込める。

 

「行くでありんすよ!」

「うん……もうイキそう」

 

 真祖の吸血鬼の象徴ともいえる立派な羽を広げ、ティアを連れて《フライ/飛行》よりも圧倒的な速度で大空へと飛び立った。それもむべなるかな、彼女にとってパッドとは体の一部ともいえるほど大事なものだ。というよりまさに体の一部として偽装しているのだから。

 ティアを抱き、羽を広げ、見えなくなるまで遠くへ飛んでいくのにおおよそ数秒。あまりの速さにほぼ全ての客と通行人が気付かなかったのは不幸中の幸いだろう。ラキュースは胃が痛くなるのを感じながら、追いかけても無駄であることを察してナザリック地下大墳墓の調査を優先することに決めた。

 何を探しにいったのかは知らないが、後はティアに全てを託し――もとい押し付けて、冷め切った紅茶を飲みほすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「体の具合は如何ですか? 賢王様」

「うむ……もう全快に近いでござる。なんとも忝い、この恩は必ず返すと誓うでござるよ」

「そ、そんなこと……私達が今まで安全に暮らせていたのも賢王様の縄張りのおかげなんです。こんなことで恩を感じることなんか、全然ないですよ」

「……縄張り、でござるか」

「あ……」

 

 王国に数ある村の一つ、トブの大森林にほど近い平穏なこの村の名前はカルネ村。その中にある一つの家の前で伝説の魔獣が鎮座していた。この白銀の獣はトブの大森林という未開の地でも一際強大な存在であり、森の賢王という異名を付けられ畏怖の対象であった。その魔獣が何故こんなところにいて、なおかつ人間と親しげに話しているのか。それは昨日の晩に端を発する。

 

 森の賢王は自分の縄張りを侵すものに容赦はしない。つまり森林の南側は賢王のテリトリーであり、だからこそカルネ村は森林の近くに村を構えているというのに外敵の脅威にさらされにくいのだ。そのおかげでなんの変哲もない村娘でも森の浅い場所程度ならば薬草を摘みに行けるほどに。

 

 その日もカルネ村に住む娘エンリは少しでも家計の役に立つために採集を勤しんでいた。特産という程でもないが、この森の薬草でつくるポーションは高名な薬師も扱うほどに質が良い。多少の危険は目を瞑る程度の金額にはなるし、ポーションにまで精製せずとも多少の手間をかければそれなりに効能があるこの薬草は神官など居る筈もないこの村では充分役に立ってくれるのだ。

 

 こんな日常も慣れたもので、危ないことが起きる前にエンリはさっさと採集を終えて帰路につこうとしていた。しかしそんな彼女の前に現れる大きな白い影。それはエンリが腰を抜かし下着を濡らしてしまうほどの威容を携えて現れたのだが――しかし、怯えながらもよくよく見てみると体中は傷だらけで巨体を引きずるように移動していた。

 

 痛々しいその姿で森の出口に向かっているその様は、何かから逃げるようにというのがもっとも適切な表現であるようにエンリは感じた。事実自分には目もくれず通り過ぎようとしているのだから。自分がおとなしくしていれば何事もなく過ぎ去りそうだと安堵したのも束の間、魔獣は巨体をビクリと震わせた後にその場に蹲ってしまった。

 

エンリはおそらく体を休めて回復に努めているのだろうと推測し、判断に迷う。自分に気付いていないのか、それとも気付いてはいるが取るに足らないと思われているのだろうかと逡巡し、動けば刺激してしまうのではと不安に思って体をそのまま固まらせる。

 

 そのままで一刻ほど過ぎただろうか。恐怖感も薄れて、というよりは麻痺したのかエンリは魔獣を隅々まで観察するほどの余裕を見せていた。心なしか最初に見た時よりも傷跡がほんの少しだけマシになっているように見える。ただの村娘の自分には想像も出来ないが、これが強大な魔獣の回復力なのだろうかと感心し――そして再度恐怖する。見るからに強そうなこの魔獣がここまで傷つくというのはどんな事態なのかと、今更に思い至ったのだ。

 

 急いで村長に報告したほうが良さそうだと判断し、固まっていた体を叱咤して走り出そうとして――立ち止まる。目の前の魔獣から聞こえる苦し気な唸り声。それはエンリにとって恐怖と、そして憐憫を湧き上がらせてしまった。一撫でされただけで自分を殺せそうな魔獣に対して何を思っているのだと頭を振り、しかし続いている呻き声は彼女の生来の優しさをちくちくと責め立てる。

 

 愚にもつかない馬鹿なことをしているのは自覚しているが、それでもエンリは行動してしまった。採集した薬草は手順を踏んで精製しなければ効能など無いに等しいが、それでも無理やり絞ってエキスを傷口に擦り込んでも多少の効果はある。なにより魔獣の回復力を考えれば十分な相乗効果も見込めるだろうと、そう思ってエンリは巨体に近付いて治療を始めた。

 

 ビクンと体を震わせる魔獣。矮小な存在が傍にいることには気付いていたが、何か出来るわけもないと思って放置していたのだがまさか自分から近付いてくるなどとは思いもしなかったのだ。いったい何を企んでいるのかとくりくりとした目を向け、今度こそ驚愕した。だがそれも当然だろう。まさか治療行為を始めるとは想像の埒外であったのだから。鋭敏な嗅覚は間違いなく薬草だと嗅ぎ取っているため毒という線もない。僅かな効能を実感しながらも、この人間の雌はいったい何が目的なのだろうと考えたが結局は何も思いつかない魔獣。

 

森の賢王などとは呼ばれているが別段この魔獣は頭がいいというわけではない。もちろん人語を解する以上人間と同等以上の知能はあるが、賢い王とまで言われているのは名前負けも甚だしいのである。

 

 その後エンリが手持ちの薬草を使い切ったところで魔獣との会話が始まる。普段なら縄張りに侵入してきた人間など追い返すか殺すかしてしまう魔獣だが今は状況が違う。縄張りは既に放棄しているし何よりも治療の恩がある。この魔獣は義理堅く一本気な性格をしているために恩を仇で返すような真似は決してしない。

 

 多少の会話の後一人と一匹は共に村へと向かうこととなった。それはもうすこし効能のある傷薬があるとエンリが申し出たという理由もあれば、普段よりも危険が増しているだろうこの森を抜けるために恩返しの一環として護衛すると魔獣が決めたという理由もある。

 

 そう、魔獣がこんなことになっているのは森に謎の外敵が多数出現したからなのだ。普通の存在ではない、かなりの強さをもつ蝙蝠や狼の群れが縄張りに侵入してきたのが発端であった。当然排除しようと動いた魔獣であったがあまりの強さに手痛い反撃を食らってしまったのだ。

 

もちろん一体一体が自分より強いなどということは無かったが、かなりの数であり自分に目もくれず散らばろうとする群れに対して広範囲に軽い攻撃を繰り出したのが間違いであったのだろう。敵性のものと判断されたのか一斉に襲い掛かられることとなった。油断と慢心、それに自我が存在しないかのような統率のとれた猛攻にそれでも魔獣は伝説の名に違わぬ奮闘を見せた。かなりの傷は負ってしまったが襲い掛かってきた群れはなんとか掃討することが出来たのだ。

 

 しかし魔獣は200年を生きる伝説の賢王。少ないとはいえその知識にはモンスターなどの生態への理解もある。その知識が魔獣に理解させたのは、今しがた屠った群れはおそらく純粋な生命体ではなく召喚され何者かに指示されただけの存在だという事実だ。

 魔獣が感知した存在は群れの一部程度であり他がどこまで行ったのかは解らない。しかしもはやこの森が安全ではないのはその身に刻まれた傷が物語っている。なにより召喚者が召喚したモンスターより劣ることなどないのだから、恐ろしい存在がこの森を闊歩していることは疑いもないだろう。そこまで考えが至った頃には魔獣は森を後にすることを決意していた。安寧の地ではあったが命には代えられない、それに常々思っていた自分の番を探すことを考えれば森でじっと待っているよりは自ら探すほうがよほど有益だ。

 

 と、そんなことがあったとエンリに話す魔獣。それを聞いた彼女は青褪め、村の安否を一刻も早く確認したい衝動に駆られた。そしていつそんな恐ろしい存在が現れるのかと暗い茂みに視線をやり体をぶるりと震わせる。

 

 歩を速めて村へと向かい、無事に到着した一人と一匹。当然てんやわんやの大騒ぎとなったのだが、人語を解し深い知性を感じさせ、襲う素振りも見せない魔獣に人々は何とか落ち着き――事情を聞いたその後は更なる混乱が村を襲った。

 

急いで王都へ連絡しなければと言う者もいたがそれは少数派だ。彼らは理解しているのだ、国に期待するだけ無駄なのだと。王国の上層部が腐敗していることなど彼らには知る由もないが、それでもこんな辺境の村にわざわざ貴重な戦力を派遣してくれることなどあり得ないと思う程度には理解していた。

 

そもそも伝説の魔獣が恐れる存在を人がどうにか出来るのかという疑問がある。最終的には村を離れるべきだという意見と残るべきだという意見がちょうど半分ほどに割れたのだが、どちらにしても訪れるのは破滅ではないかと多くの村人が薄々感じながらも言い出せずにいた。

 

 村を無断で捨てれば王国の犯罪者としての道が待っている。残れば恐ろしい存在に殺される未来が待っている。諦観の雰囲気が場に流れ、結局どうすべきかの決断が下されることは無かった。進めば地獄、待つのも地獄、どう足掻こうが苦難が待っているのならば決断を伸ばして現実から目を逸らすのも一つの選択肢なのかもしれない。

 

 そんな人間の苦難はよそに傷薬をエンリとその妹のネムに塗ってもらい回復を待つ魔獣。劇的に効いているというわけではないが回復速度は間違いなく上がっている。この分なら明日には殆ど傷も気にならない程度になっているだろうと推測し、恩を返すためにも滞在する間は村を守護するのも吝かではないと考えていた。

 

 エンリを守るのが第一ではあるが、村民はエンリの仲間なのだ。いずれは出会いたいと思っている番、ひいてはまだ見ぬ同族の仲間達。魔獣は仲間や家族の大切さは尊いものだと考えていた。それらをなくして悲しむのならば恩を返せたとは言い難く、なにより無邪気に笑いながら薬を塗るネムに少し絆されたというのもある。

 

 かくして魔獣は暫くエンリの家の軒先を借りることになった。畏怖と畏敬の念をうけながらも暢気に眠る姿は子供達から愛されているようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 明くる朝、魔獣は不穏な気配を感じ取っていた。エンリが不味いことを聞いたと、縄張りに関しての話題を逸らそうと考えているのをよそに殺気混じりの集団の気配を察してエンリに警戒を促す。

 

 エンリもその真剣な声に圧されて即座に村の仲間達へ広場に集まるよう言って回る。村に近付いてきているのならばもはや逃げる時間は無いだろうし、賢王が守ってくれると言っているのだから一塊になっているほうが守られやすいと考えてのことだ。

 

 それを聞いて村人達がスムーズに集まれたのは前日に聞いた事情あってのことだろう。森から何かが攻めてくる可能性があればこそ、最低限の心構えは出来ていた。結果として村に侵入される前に全員が集まれたのは不幸中の幸いであろうか。

 

 そして蹂躙は始まる。

 

 帝国の騎士に扮した法国の兵士達。彼らの任務は王国の村々を襲って回り、王都にいる周辺諸国最強の戦士長ガゼフ・ストロノーフを誘き出すことにある。末端の兵士達には大したことは知らされていないが、それで蹂躙される王国の民にはたまったものではないだろう。

 

 法国の理念は人類の守護である。戦士長一人を殺すために数百数千を殺す。数百数千を殺しても数万数十万が救われるのならば問題なし。それを守護と言っていいのかは解らないが、法国を動かす者達にとっては間違いではないのだ。

 

 腐敗した王国は既に手遅れで、法国が管理しなければ人類はますます衰退してしまう。円滑に国を吸収するためには戦士長は大きな障害となる。それが狙われる理由であり、この世界においての強さは数よりも質が重要だと解る判断だ。

 

 繰り返すが、末端の兵士――つまり今カルネ村を襲わんとする彼らはそんな崇高か邪悪かを議論するような上の判断など知りはしない。あるのは命令に従う忠誠と、自らの信仰する神の代弁者ともいえる上層部の意思を実行する理念だけである。

 とはいえそんな敬虔な信者だけで軍隊が構成されるわけもない。中には下卑た下心を持った人間もいるし、逃げ回る人々を狩ることに爽快感を覚える下種もいる。

 

 だが、そんなことは何も関係が無かった。有象も無象も区別なく、魔獣は全てを蹂躙する。無抵抗に逃げ回る哀れな村人を狩るだけの仕事は、無抵抗に逃げ回ることしかできない現実となって彼らに返る。

 

 視認すら難しい尾の一撃は容易く鎧を貫通し、見た目とは裏腹に鋼鉄の如き硬さの毛皮は剣を軽々と弾き返す。賢王の名に違わず魔法を使用できる魔獣は《チャームスピーシーズ/全種族魅了》をもって大半を行動不能にし、指揮官も兵士も関係なく狩っていく。さしたる時間も掛けずに殲滅しつくした魔獣は残党が居ないことを確認した後、村人達へ危機の終わりを告げる。

そして残る死体を見て驚く村人達。鎧に刻印されている帝国の紋章を確認していったい何が起こっているのか不安になりながらもひとまず命の危険は去ったと安堵した。

 

だが死体を埋葬し装備は村の一財産になると、村を捨てる選択肢に僅かなりとも幅が出来たと喜んでいたのも束の間。新たに兵士の一団が村に現れる。それは先の兵士達がまさに目的としていた王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフその人であった。明らかに強い雰囲気を醸し出している魔獣を警戒しながらも戦士長は何があったのかを問う。

 

 村長が代表して前に出て事のあらましを話し始める。その間も兵士達の警戒が止むことはなく、そして森の異変を聞いていく内にその顔は驚愕に彩られ、村を守ったくだりになると厳しい視線もある程度は緩んだ。

 

 そして王国戦士長は魔獣へ頭を下げる。村を守ってくれて感謝すると。その事実だけでこの戦士長の器が解ろうというものだ。いかに伝説の賢王といえども所詮は魔獣の一体。感謝があろうとも獣に頭を下げる上流階級のものがどれだけいようか。それは驚く兵士と村人の顔を見ても容易に推測できるだろう。

 

 魔獣としてもこれだけ真摯に対応されれば対等に向き合わないほど狭量ではない。むしろ自らの武人気質と似たような匂いを嗅ぎ取ったことで親しみが湧いてくるのも当然のことだったのかもしれない。あるいは本能レベルでその実力が対等に近いことも察してのことだろうか。

 

 とにかく、今もって危機は去っていないと聞いて顔を険しくする戦士長。目の前の魔獣が恐れて逃げ出すような存在ならば今いる戦力ではとても足りないだろう。王国のアダマンタイトチーム『蒼の薔薇』そして『朱の雫』を共同で当たらせることも視野にいれて、王国戦士長は村人に確かな対応を約束する。どちらにしても放っておけない案件ではあるのだ。

 自分に対する貴族の対応を考えれば私財を投げ打って雇うことも考えなければな、とため息を一つ溢しながらも村人の感謝を受け取る戦士長。

 

 しかし事態はそんな予断を許さない。部下の報告でマジックキャスターの集団がこの村を取り囲んでいることを知ったガゼフ。狙いを推測するならば、現状からして恐らく自分の命。もしくは伝説の魔獣を屠るために法国が動いたというのもなくはない。先日トブの大森林で打ち漏らした魔獣を追ってきたと考えれば可能性としては低くはないだろう。

 法国には六色聖典という特殊部隊があり、その中の一つは異常なほどの戦力を抱えていると戦士長の立場上、噂程度には聞いたことがある。高位の召喚士が数をたよりに魔獣を追い立てたのならば伝説の魔獣とはいえ不覚をとることもあるかもしれない。

 

 そんな可能性を視野に入れながら戦士長は作戦を立て、魔獣へ協力を願った。あの人数のマジックキャスター、そして万全ではない自分の装備を考えると部下だけでも逃がすべきかと思ったが、この魔獣が協力してくれるならば話は別だ。自分を狙っていたのならば、それ以上の戦力を持っている魔獣は想定外であり、魔獣を狙っていたならば自分の存在もまた想定外だろう。かの国の理念を考えれば魔獣を見逃せといっても聞こうとはしないだろうと判断し、もし狙いがそれだったならば自分たちが引きつけている間に包囲を突破してくれと魔獣へ話を通す。

 

 当然ながら村を守り、そしてエンリを守るためならば魔獣にも否やはない。自分の存在が敵を招いているならばそのまま村をでて番を探しにいくと約束した。向かうならば評議国が望ましいと、ガゼフは諭す。どのみち人間の使役獣にでもならない限りは相容れるものではないし、騒ぎになってしまうのだからと。

 

 そして兵士達は魔獣に怯える馬を宥めながら包囲を突破しようと試みる。マジックキャスターを相手取るに包囲された陣形は愚の骨頂。ひとまずは敵の包囲網を崩し、陣形に穴を空けることが肝要だ。

 しかし彼らには予想外だった。マジックキャスター全員が超一流の証、第三位階を使用出来るなどとは。一つの到達点であるとも言えるその位階を使えるものがパッと見でも3、40人。いったい何の冗談だろうかと悪態をつき、先に足となる馬をやられて機動力を奪われ籠の鳥と化してしまった。

 

 だが、予想外の出来事だったのはマジックキャスター達も同様だ。恐るるは戦士長ただ一人、そう考えていた彼らにとって魔獣の助勢は最悪の事態であった。《チャームスピーシーズ/全種族魅了》で抵抗出来なかったものは木偶と化し、《ブラインドネス/盲目化》により視界を奪われたものは同士討ちを避けるため動けない。最初の奇襲は成功したものの、戦士長と魔獣により召喚した天使を次々と倒されていく内に焦りが渦巻いていく。逆に兵士たちの士気はあがっていくとなれば作戦の失敗が脳裏に過るのも当然のことだろう。

 

けれど。

 

 焦燥の内にいる彼らに希望の声が掛けられる。それは希望が見えた兵士には絶望の福音でもあった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パン、パン、パン、と手を打ち鳴らす音が場に響く。その音の元はマジックキャスター達の指揮官、ニグン・グリッド・ルーイン。彼こそが本国にて戦士長抹殺を命じられた人物であり、このエリートの集団を統率するに足る能力も有している隊長だ。彼は部下が醜態を晒している最中だというのに余裕の笑みを崩さない。

 

「流石と言えよう、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。いかに予想外の魔獣が居たとて、部下のみで事足りると思っていた私の予想を覆したことには敬意を表しよう」

「ならば引くがいい。既に半壊状態の貴公らと削りあいをしたいとは思わんのでな。そちらが退くというならば我々もこれ以上は戦闘は望まない」

「それがしも同様でござる。あの村に手を出さぬと約束するなら、でござるが」

 

 優勢といえど勝敗はいまだ揺蕩っている。部下が命を散らし、最後に勝った時は己と魔獣のみなど認められない。故にガゼフはそう進言した。たとえ明らかに聞き入れようとはしていない雰囲気であったとしてもだ。それに今の言葉で標的が自分であったことも確認できた。これ以上無関係の者を巻き込むのも気が引けるガゼフ。

 賢王も同様だ。この戦いだけとはいえ仲間は仲間。見殺しにしようとは思わない。

 

「悪いがそれは聞けんな。人類の繁栄のための犠牲となれ、ガゼフ・ストロノーフ。そして汚らわしき魔獣よ。見るがいい! これこそが最高位天使! 人間にはけして扱えぬ第七位階の魔法を行使し、魔神をも超える実力を有した存在だ!」

 

懐から取り出した水晶を掲げ、勝利を確信した表情で天使を召喚するニグン。そしてそれは正しく事実であった。難度にすれば200を超える最高位天使『威光の主天使』はたとえ周辺国家最強と言われるガゼフ、そして伝説の魔獣『森の賢王』であろうとも抗うことすら愚かしい。威圧感を持って宙に浮きガゼフ達を見下ろしている様は余裕の表れのようであり、人の身では到底敵わぬことを強制的に理解させられる。

 

「せめて一瞬で殺してやろう。貴様という人物は気高く有能であったが、仕える人物を誤ったな。運が悪かったと諦めろ」

「――――くっ!」

「不味いでござるな……」

 

 ゆっくりと動き出す天使に何も出来ず立ちすくむ一人と一匹。生半な攻撃は通用しそうもない、仲間を見捨てて逃げ出すわけにもいかない。これ以上ないほどの窮地に、それでも何か活路はないかと死ぬ気で考えるガゼフ。

 

 しかし、現実は無常でありたとえ彼が万全の装備であったとしても結果は変わらない。難度が倍する相手との実力を埋めるような、そんな都合のいいものはこの世界にはありはしないのだ。

 

「さあ! 最後だ……んぉっ。ちっなんだこの汚らわしい白い塊は。いよいよと言う時に水を差すとは」

 

 平原の真ん中で相対していた両軍。ニグンは後方よりに位置をとっていたが、最後の瞬間であり作戦の成功を確信したためにガゼフ達へ向けて歩を進めていた。しかし緑の平原にそぐわぬ白い布のようなものに足を滑らせて転びかける。勝利に浸る自分に水を差すとは不愉快千万、苛立ちながらぐりぐりとそれを足蹴にして土に塗れさせる。そして気をとりなおして死の宣告を再度告げる。いや、告げようとしたその瞬間――

 

「威光の主天使よ! あの者達へその御名において安らかな死を与えるのぎゃあぁぁーーー!」

「なんだ!?」

「ござっ!?」

 

――戦場へ、紅い死神が舞い降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティアは自分の常識が粉々に崩壊していくのを実感していた。シャルティアに抱きしめられて空の旅と興じていた……もとい柔らかさを堪能していた彼女であるが、シャルティアから探し物を手伝えばご褒美を与えると言われ自分の技能の全てを駆使してパッドをかき集めていた。

 

 見知らぬパッドを探す忍術とはいったいなんなのだろうかという部分に触れてはいけない。とにかく彼女は全力を尽くしてそのパッドの大部分を探し当てたのだ。げに恐ろしきは人間の底知れぬ欲望である。

 

 そして最後の一つがこの近辺にあると推測したティアによって平原の上空へと到着したのだが、そこで起きていたことこそがティアに常識を疑わせる要因となったのだ。

 一つの街に一人居れば御の字の第三位階魔法を使用するマジックキャスターが数十人いることがまず驚きで、その集団に勝利しかけているものが存在することが更に驚きで、その一人と一匹を棒立ちにさせる天使が召喚されたことはもはや言葉に出ない驚きだ。

 自分では眼下に見える魔獣ですら勝機は薄いだろう。もちろんチームで戦えば話は別だが、とティアは冷静に下の状況を観察する。

 

 ティアは知り合いのガゼフが絶望的な状況にあるのは理解しているが、それで一も二もなく飛び出すほど直情的ではない。リーダーのラキュースが居たならばともかく、この状況で首を突っ込むほど彼女は情に厚い性格ではないのだ。それは元暗殺者であることと無関係ではない、がやはりラキュースが居ても止めていただろうと彼女は思う。

 

 見ただけで戦力を量れるわけではないが、おそらくあの天使相手では『蒼の薔薇』全員で臨んでも敵わないように思えるのだ。ガゼフと魔獣が力を合わせれば『蒼の薔薇』にすら匹敵しかねないことを思えば、それを歯牙にもかけなさそうな天使の実力は言わずもがなだろう。

 

「シャルティア、逃げよう。あれには誰も敵わないと思う」

「名を呼ぶことを許可した覚えはありんせん……とはいえ役立ったのも事実。特別に許しんしょう、そこだけは」

 

返ってきた言葉に首を傾げるティア。そこだけは許す、というのは不可解だ。そこ以外のどこに許せない要素があったというのか。

 

「あんな下級天使に敵うものがいないとは失笑ものでありんす。このわらわがあの程度のゴミに及ばないと考えているならば、たとえ優秀な下僕と言えども仕置きは免れないと知るがいい」

「――――っ」

 

 最後は口調まで変わり、殺気をむき出しにするシャルティアに彼女は見とれていた。自信過剰な自惚れとは思わない。いつのまに変わったのか紅く、邪悪で、神々しい鎧に奇妙な形の槍を携えているその姿は確かに眼下の天使など相手にもならないような奇妙な確信を予感させた。

 

「どのみちあの辺りに最後のアレがありんしょう? ならば……あぁぁぁーーーー!!」

「……南無」

 

 天使を操る男が何かに滑ったと思えば、それは間違いなくシャルティアのパッド。何を思ったのか男はそれを踏みつけて汚している。当然シャルティアは激昂し、ティアは男の未来を想像して両手を合わせた。

 

 かくして紅い死神は戦場に姿を現し、供の忍者はそれに付き添う形で並び立つ。起こるは喜劇か悲劇かは解らない。しかし確かなことは、彼女が戦場に現れた瞬間に勝敗は決したということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何が……起こった?」

「それがしにもよく解らんでござるが、勝機でござる!」

 

 そういって賢王は股ぐらを押さえてうずくまるニグンに更なる攻撃を仕掛けようと突進する。たとえ天使が強敵であろうとも操る者を無力化すれば問題ないと考えての事であったが――今の状況では間が悪すぎた。

 

 ニグンの横に立つシャルティアは、もう使い物にならないパッドを握り締めて悲しみにくれていた。それ一枚で約5ミリ。たかが5ミリ、されど5ミリ。偽物と笑わば笑え。それでもこれは確かに自分の一部であったのだと涙を流す。

 イビルアイとの約束あればこそニグンを殺さないでいたシャルティアだが、今にも噴火しそうなその怒りは鎮まりそうもない。そしてちょうど手ごろなところに破壊しがいのある巨大な天使が浮いている。後は御察しだろう。

 

「焼け死ね……《ヴァーミリオンノヴァ/朱の新星》」

「熱いでござるーーー!」

 

 天使に向かって放たれた攻撃だが、突進していた賢王の尻尾の先にほんの少しだけ掠ってしまった。転がりながら熱い熱いと騒ぐ賢王だが、シャルティアは我関せずと翼をしんなりさせて落ち込む。だがそんな彼女に希望の声が掛けられた。

 

「裁縫は得意」

「本当でありんすか!?」

 

 パッと花が咲いたように笑うシャルティアを見てグッと親指を立てるティア。忍者でアサシンな彼女は小器用さには定評がある。単純な作りのパッドなどお茶の子さいさいである。むしろ素材がよくわからない弾力を備えているためそっちの方が難しそうだと考えるが、翼をピンと立てて喜んでいるシャルティアを見ればそんな苦労など苦労の内には入らないとティアは頬を染める。

 

 最初はその美貌に酔って悪ノリしつつ楽しんでいたのだが、今は内面――嗜虐の表情と子供のような一面のギャップや、強いものに惹かれる本能がティアをそれ以上に引きつけていた。さながら小悪魔のような魅力に、ティアは吸血鬼の間違いか、と内心で笑いながらシャルティアの手を握る。

 

「ティアって呼んで」

「……む。まあ許しんしょう、アレの事はよろしく頼むでありんすよ。あとわたしの名を呼ぶときは至高の御方への敬意を忘れないようにしてくんなまし」

「りょうかい、シャルティア」

 

ティアはそれ誰? と突っ込むことはしなかった。表情を見ればどれだけそれが大切なことなのか理解出来たからだ。彼女がどういう経緯でここにいるのかは知れないが、至高の御方とやらのおかげでここに居るのならば言われなくとも感謝したい気分になるものである。

 

「では戻りんしょう」

「おっけー」

 

 心なしか王都を出た時よりもしっかりと互いに抱き合いながら彼女達は飛び立つ。後に残されたのは金的をクラッシュさせられたニグンと最高位天使をあっさりと撃破され放心状態のマジックキャスター達。それにぐったりしている賢王と、やっと女性の片方が『蒼の薔薇』のティアだと気付いたガゼフ。

 

 突っ込みどころは多々あるが、とりあえず帰ってから事情を聴こうと思い立ち周りを眺める。兵士達はまだまだ戦える、比べて相手の指揮官は意識不明で性別も不明になってしまった。マジックキャスター達は士気もなにもなくどうしたらいいのかと立ちすくんでいる。

 

「投降するならば命は保証しよう……まだ戦うか?」

 

 その言葉に対する答えは、杖を地面に落とす乾いた音が示していた。兵士達は勝鬨を上げ、カルネ村の平穏は無事守られた。残るはトブの大森林に居ると思われる存在だけだ。

 ティアに話を聞くついでに頼もうと考え、長い一日だったと剣を鞘にしまう。取り調べで忙しくはなりそうだが、これを材料に法国の暗部や貴族との暗い関わりを暴くことが出来れば王の権力を取り戻す一助になる。ガゼフはいまだぐったりしている賢王に礼を言いながら軽い笑みを浮かべるのであった。

 



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人間でいいな

シャルティアがすぐ人殺すねん。動かしにくすぎやねん。





「帰ったでありんすえ。何か目新しい情報は入りんしたか?」

「ただいまー」

 

 法国の特殊部隊をそれと知らず壊滅させたシャルティア。日を跨ぐこともなく、驚くべき速度で帰還した彼女は『蒼の薔薇』が拠点としている宿に帰還して、部屋でくつろぐラキュースに問いかけた。

 

「昨日の今日で解る……わ……け」

「? どうしたでありんすか、人間」

「い、いえ、その、胸のボリュームが……ううん。なんでもないです、はい」

「そんならいいでありんすが。で?」

「情報を渡すのはいいんだけど、仮にも情報提供者にその見下した態度はどうかと思うわ」

「ああん?」

 

 己とは比べるべくもない脆弱な人間が戯言を宣っている。ラキュースの態度はシャルティアの視点からすればそんなところだろうか。彼女は人間を、というよりはナザリック以外の者を自分より上に置くことはない。故にラキュースの言は傲岸不遜な増上慢のように聞こえたのだろう。

 

 だがシャルティアは守護者統括のように人間を下等生物と嫌悪しているわけではない。ナザリック随一の頭脳明晰な悪魔のように人間の苦痛や悲鳴だけを喜びとしているわけでもない。それは人間を性欲の対象として見ることが出来る時点で間違いようのない事実であろう。玩具と見るにしても、人によっては玩具とはとても大切にするものでもあるのだから。

 

 彼女はカルマ値と呼ばれるものに準じて確かに邪悪であったが、存在が現実として確立された今、かつてのデータ上の存在というわけではない。それが何を意味するかというと、つまるところゲームに反映されないテキスト上の設定さえ彼女は引き継いでいるということだ。彼女の創造主ペロロンチーノが欲望まみれに自分の理想を体現した存在、それが今のシャルティア・ブラッドフォールンなのである。

 

 男も女もイケるくち、サディズム全開ロリババア。特に屍体が大好きで、ロリでビッチな処女パイア。簡潔にいうならばこんなところだろうか。これだけで製作者の嗜好が透けてみえるのは流石至高の41人である。そしてそれこそが重要なところなのだ。

 

 彼女は自覚していないが、初めて自己を認識したのはこの世界に来た時―――—生まれ落ちた時と言っていい。それ以前の記憶はあれどそれが本当に真実なのかは解らない。彼女はそんなことを考えもしないだろうし、結局のところそれを考えるのに意味はない。そんな小難しい話は哲学者にでも任せるべきで、本当に自分が存在していたのか、存在しているかなど答えが出るわけもない。

 

 しかし一点重要なことは、今の彼女の在り方はゲーム由来の設定とテキスト由来の設定、そして彼女の親とも言えるペロロンチーノの影響を受けて存在が為っているということだ。それがどういうことかというならば、つまり彼女もまた脈々と受け継がれる変態紳士の系譜であるということなのだ。

 

 両刀という設定は若干だが女の子好きに寄り、可愛い少女ならば尚更である。日本生まれの一般人程度の善性が彼女に与えた影響は、人間に対してほんの少しの歩み寄りを可能にしてくれた。それが親であるペロロンチーノの意図したことではないとはいえ、この状況の彼女にとってそれは何よりの贈り物かもしれない。

 

 とはいえ、やはりそう簡単に相いれるものでもない。ティアのように可愛く従順で有能な下僕でもなく、イビルアイのように金髪ロリ吸血鬼というドストライクな存在でもないラキュースに生意気な口をきかれれば不快になるのは彼女にとって当然のことだ。むしろドスの利いた声で殺気を出す程度ならば優しい方かもしれない。もちろん情報収集の役に立つという部分があればこそで、それがなければ既にラキュースの首が飛んでいる可能性もあった。

 

「う……」

「そう脅かしてくれるな。ラキュースもお前のために奔走していたんだ、そういう態度に出られると文句の一つも言いたくなるだろう?」

「人間風情がわらわのために全力を尽くすのは当然でありんしょう? けれどまあ、少しは認めてやるのも考えなくはありんせん。そう……情報次第でありんす」

 

ギラリと双眸を輝かせ、ラキュースを見つめるシャルティア。殺気は消えたが、ラキュースの生物的な本能とも言えるものが彼我の絶対的な実力差を感じ取って萎縮してしまうのは避けられない。

 

「おお、怖ええ怖ええ。シャルティアっつったか? ラキュースはこれでもリーダーなんでな、悪りいがあんまり虐めんでくれや」

「ふむ、虐めたつもりはありんせん……が。くふ」

「ひゃっ!?」

 

 小鹿のように怯えるラキュースがシャルティアの琴線に触れた。イビルアイが好みにばっちりな彼女だが、一つ足りないものがあるとすればそれは胸である。自分の事は棚上げ、むしろ自分が持っていないからこそ求めるのかもしれない。ラキュースが持つ自分にはない小山の頂を。

 

 綺麗な瞳にサラサラの流れるようなブロンド。ピンク色の唇から漏れる嬌声はどんなものかと想像、もとい妄想したところでティアとイビルアイからの視線を感じてシャルティアは首を傾げる。

 

「じー……」

「ふむ」

「な、なんでありんすか?」

「ガガーランには普通の対応。なんで?」

 

 自分は許可されなければ名前を呼ぶことすら出来なかったようなのに、と頬を膨らますティア。イビルアイの方は純粋に疑問なのだろう。圧倒的に格下な生物だと言って憚らない人間にあんな口をきかれたにもかかわらず、ラキュースとは違ってごく普通の対応だったのは何故なんだろうと。

 

「わらわも鬼ではありんせん。亜人系のモンスターが人の街で暮らすのは苦労しんしょう? その心意気に免じて、でありんすよ。ところで見た感じオークかオーガの変異種だと思いんすが、合っていんしたか?」

「て……てめえ……」

「?」

「俺は人間だ!」

「くひゃ、よしておくんなまし。お前のような人間がいるか……おっと、いないでありんすよ」

 

 吹き出す『蒼の薔薇』のメンバー。筋肉の塊でガタイのいいガガーランが男に間違えられることはよくあるが、まさか人間と思われていなかったとは、と腹を抱える。ガガーランはガガーランで眉間のあたりをピクピクとさせて怒りに耐えている。激昂すれば連鎖的にシャルティアも爆発してしまう可能性があるからだ。まさに周囲に気を使える優秀な漢女である。

 

「ガガーラン」

「なんだよ」

「とりあえずそういうことにしておくぞ。そう思われていた方が好都合のようだ」

「っく……! いっそ殺せ!」

「まあそう怒るな……くくっ」

「こそこそ話してどうしたでありんすか?」

「いや、なんでもない。よくガガーランが人間じゃないと気付いたな、と思ってな。流石はシャルティア、同属として憧れる、いや惚れ直したぞ」

「くふ、やはり滲み出る知性というものは隠しようがないでありんすね」

 

 シャルティアの扱いがなんとなく解ってきたイビルアイ。とりあえず褒めておけば問題ないのだろうと判断し、そして思っている以上にアホで、さらに予想以上に変態であると認識した。しかし問題は解決していない。シャルティアの人間蔑視、というより自分以外への蔑視は今のうちになんとかしなければまず間違いなく近いうちに王都が滅ぶ。そう考えて一種の問答を始める。あわよくばこれで丸め込まれてくれ、という願いを掛けながら。

 

「シャルティア、少し質問があるんだがいいか?」

「うん?」

「何故お前はそこまで人間を見下すんだ? 確かに隔絶した強さがあるというのは解る。しかし強さだけが全てではないだろう? 私は自分より強い人間など殆ど居ないと解っているが、それでも人間は嫌いじゃない。別に好きになれと言っている訳ではないが、他者への態度というものは鏡なんだ。見下せば負の感情で返ってくるし思いやりがあれば正の感情で返ってくる。無論すべてではないがな」

 

唇を湿らせ、畳みかけるように話を続けるイビルアイ。

 

「お前がこれからも一人で自由に生きて、仲間など要らぬというならそれもいいのかもしれない。だがお前は探しているんだろう? 何より大切なものを。世界は広く、知性ある生物もまた膨大だ。どれだけ長く探索しようとも、誰の協力も情報も無しに探し当てることは砂漠で一粒の宝石を探すようなものだ。もし情報を持っているものが居たとして、癇にさわったからといって殺してしまえば二度と情報など得られんだろうよ」

 

長い、三行にまとめてくれと考えるシャルティア。しかしナザリックを探す上で大切なことならば聞き流すわけにもいかない。オーバーヒートしそうな頭をさらに酷使して真面目に耳を傾ける。

 

「情けは人の為ならずともいう。無法者やならず者に敬意をはらえなんてことは言わない。だがその強さをもって他者の役に立とうとするならば、その分以上に助けた者達が役立ってくれるかもしれない……解るな? お前が心配なんだ」

「……」

「すぐには変われないだろう。だが仲間のために変わる気があるならば、私はお前のために協力したい。まずは『蒼の薔薇』のパーティとして行動して、慣れていかないか? たとえお前が激昂したとしても、私に遭った時ぐらいになんとか我慢してくれるならこいつらもなんとか耐えられるだろう。他の人間はもっと脆いんだ、試金石というには悪くない提案だと思う」

「むう……」

 

 考え込むシャルティア。言っていることに一定の理解はしているが、シャルティアの邪悪さは生来のものだ。彼女に思いやりを持てというのは鳥に飛ぶなと言っているようなものだろう。たとえナザリックを探すためとはいえ中々に承服しがたいものがあるのは当然とも言える。

 

「知性なき者と知性ある者に境界があるならば、それは理性をもって我慢が出来るかだと私は思う。世界最高のギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に所属する可憐な真祖の吸血鬼、シャルティア・ブラッドフォールンはどっちだろうな?」

「むむむ……」

 

 イビルアイはシャルティアのこれまでの言動から仲間とギルド、そして自らが仕えるものに重きを置いているのは見抜いていた。だからこそ論点を少しずらして、人間に歩み寄り思いやりを持つことこそが仲間と再会するために必要なことだと思わせる言動を繰り返した。

 

 とはいえ何も間違ったことを言っている訳でもない。実際にどこにあるかも解らない場所を身一つで飛び回って探すなど、不老とはいえど無謀の極みだ。他者の協力は必要不可欠だろう。

 孤独に耐えて当てどなく彷徨う辛さはイビルアイも痛いほど知っているのだから、シャルティアにそれを味わってほしくないというのもまた真実だ。

 

「出来ないか?」

「……」

「……辛いか?」

「……」

「『蒼の薔薇』に入ればラキュースの胸を好きにしてもいいぞ」

「……仕方ないでありんすな。至高の御方に会うために、どうやらわらわも譲歩が必要でありんす」

「ちょ、おま、裏切ったわねイビルアイ!」

 

 先程シャルティアがラキュースの胸に目をやっていたのを目敏く見逃していなかったイビルアイ。悩む彼女の最後の一押しになればと提案してみたが、ばっちり効果を発揮したようだ。これも人類のためだと、ぎゃあぎゃあ喚くラキュースを無視して一仕事やり終えた自分に何かご褒美でも頼むかと部屋から出て行った。

 

「俺も下行ってくるわ」

「同じく」

「に、逃げるな、ああ、ちょ、ダメ……!」

「ティア、押さえるでありんす」

「了解。リーダー、これは必要な犠牲。仕方ない」

 

 前々から狙っていたラキュースの胸が棚ボタで転がり込んできた。ティアはシャルティアに感謝しながら48の暗殺技の一つ、亀甲縛りの術を繰り出した。どこに暗殺要素があるのかは考えてはいけない。

 

「ダメだってばぁーーー!」

 

 宿屋の一室に悲鳴と嬌声が木霊した。この日ラキュースが純潔を散らしたかどうかは定かではない。しかし処女でなければ装備出来ない白銀の鎧『無垢なる白雪』をこの日以降も装着出来ていたのは確かである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャルティアが『蒼の薔薇』に加入してから数日後。ティアも予想していたことではあるがガゼフから聞きたいことと頼みたいことがあると言われ席を設けることになった。内容としてはシャルティアは何者なのかということと、何故あそこにいたのかということ、そしてトブの大森林の調査依頼だ。

 

 一つ目は『蒼の薔薇』の新しいメンバーであり、その強さは知っての通りなので短気な彼女をあまり刺激しないようにとラキュースは伝えた。二つ目は探し物の途中でただの偶然と押し通し、そして三つめはというと『蒼の薔薇』は依頼がなくとも行くつもりであった。

 

 ガゼフが早急に報告したトブの大森林の異変。それは情報を収集していたラキュースの耳にも入り、当然シャルティアとの何らかの関係を疑った。伝説の魔獣を逃走に追い込む強さを持つ者などそうは居ない、つまりシャルティアが急に見知らぬ場所に放り出されたのと同様にその人物もそうなっているのではないかと思い至ったのだ。

 

 とはいえ元から調査する予定のものに依頼料がおまけでついてくるとなれば快諾する以外の選択肢はないだろう。シャルティアのことについて詳細に尋ねる戦士長を宥め、事はかなり重大でありシャルティアは王国の味方というわけでも、ともすれば逆鱗に触れて国が滅ぶこともありえるのだと追及の手を躱す。

 

 ガゼフを信用していないわけではないが、腐りきった王国の上層部がシャルティアに接触すれば良いことにはならないだろう。ラキュースは愛国心あれど現実はしっかり見据えているのだ。

 

 しかし既に報告は上げてしまったと告げる戦士長にラキュースは苦笑する。それで結果はどうだった? と。その質問に苦虫を噛み潰したような表情で憮然とする戦士長。元々が貴族の陰謀で死地に追いやられたこの遠征だ。王派閥に属する戦士長が断り切れなかったことを鑑みるとその力関係は明白であり、つまりは彼の発言も軽んじられることが多いということである。

 

 報告をあげた際には難敵に食い下がったガゼフを褒め称えるでもなく、そもそも本当に難敵だったのかと疑われる始末だ。『蒼の薔薇』が関わったのならば窮地を脱したのも頷けると、冒険者を称賛し自国の戦士長を貶めるのが今のこの国の現状をよく現している。

 

 そんなこんなで彼女達は今、詳細を聞くためにカルネ村を訪れていた。伝説の魔獣がいまだ滞在しているかは不明だが住民に何か起きていないかの確認の意味も含めてである。

 

「遠目で見た限り大丈夫みたいね」

「ああ……そろそろ仮面を付けておいた方がいいんじゃないか、シャルティア。吸血鬼の特徴など知らん村人の方が多いが用心するに越したことはない」

「えー……ダサすぎるでありんす」

「それは私がダサいと言っているのか?」

「はて、そう聞こえんしたか? わらわにはとてもとても……くふ」

「ぐぬ……」

 

 茶化しあいながらも仕方ないとばかりに仮面を付けるシャルティア。それはイビルアイのものとお揃いで、しかし外套などは付けていない彼女は非常に珍妙な恰好である。ゴシックで黒を基調としたドレス。それを着ているのはへんてこな仮面を付けている少女。

 

 そして同じ仮面をつけた少女が二人居る『蒼の薔薇』もまたへんてこな集団に見える。知らぬものが見ればいったいどういう集団なのかと勘繰ること間違いなしだろう。そしてそんな集団が村に近付いた瞬間、芝居がかった声が響きわたった。

 

「この村に何用でござるか? それがしはこの村を守護するもの。不埒な輩を侵入させるわけにはいかんのでござるが」

「あら、あなたが噂に聞く森の賢王さんかしら? 私達はトブの大森林の異変と聞いて調査に来たのよ。ガゼフ・ストロノーフに頼まれた、と言えば解ってくれるかしら」

「おお、あの武人の同心でござったか。ならば歓迎するでござるよ」

 

 ガゼフの名を聞いた賢王は一転して緊張を緩め、村の中へと『蒼の薔薇』を受け入れた。魔獣に付き添って村長の家まで連れていかれた彼女達に、道行く人々から視線が突き刺さる。戦士長は約束を守ってくださった、という声やあんな人数で大丈夫なのか、という声まで様々である。不躾に眺められている状況にイラつくシャルティアであったが、右手をイビルアイがしっかりと握り、左手はティナが体を絡ませているため動きには出さない。

 

「おお! あなた方が戦士長の約束してくださった……! このような辺境に来て下さるとは感謝の念に堪えませぬ」

「いえ、こちらもこちらで理由があるものですから。早速ですがお話を聞かせてもらえますか?」

「はい。とは言っても詳細は賢王様に聞いていただいた方が良いかと。私も村の娘からのまた聞きでございますので……」

 

 その言葉に家を出て再度賢王に話を聞くラキュース。賢王は一つ頷くと森であったことを語り始めた。何者かが召喚した尋常ではない強さの蝙蝠と狼が探索を掛けるように、ある一点を中心に放射状に広がり森に放たれたこと。おそらく召喚者は相当な強者であること。それを抜きにしても最近森が騒がしく、不穏な雰囲気が漂い変調の兆しが見え隠れしていたこと。

 

「なるほど……ねえシャルティア、何か心当たりはある? 仲間にそんなことが出来る者が居たとか」

「ふむ、蝙蝠と狼……。魔獣、なにか特徴はありんしたか?」

「黒い体に紅く輝く眼が特徴的でござったな。あれが何か知っているのでござるか?」

「ならばおそらく『古種吸血蝙蝠』と『吸血鬼の狼』でありんしょう。わらわの他にそれを召喚出来るものはナザリックにはおりんせん。外れのようでありんすな」

 

 はあ、とため息をつきながら残念がるシャルティア。そんな簡単に見つかるとは思っていないが、それでも期待していなかったといえば嘘になる。無駄足でありんした、と踵を返して帰ろうとするシャルティアだが『蒼の薔薇』全員の視線を感じて足を止めた。

 

「揃いも揃ってわらわに見とれてどうしたでありんすか? 流石のわらわもこの人数を一晩で相手するのは骨が――」

「いやいや、そうじゃねえよ。お前もそのなんたらってのを召喚出来るのか?」

「おぶしゃりざんすな。真祖の吸血鬼であるわらわがその程度も出来んと思いんしたか?」

「なるほど……ねえシャルティア、何か心当たりはある? 数日前に森の中でそれを召喚したとか」

「? なんで知ってるでありんす?」

 

 その答えに彼女達は徒労感を露わに空を仰ぐ。やっぱりあーぱー吸血鬼じゃないかと心の中で愚痴を溢し、ラキュースはどう報告したものか頭を痛めた。ちなみに賢王は尻尾を腹の下に隠して怯えていた。

 

「まったく、もう森に入る必要もなさそう……いえ、異変はその前から始まっていたんだったわね。少し見回って帰りましょうか」

「ああ。まったくもって確かに無駄足だよ、シャルティア」

「え?」

 

 なんだかよく解らないが、迷惑をかけたことはなんとなく気付いたシャルティア。一瞬謝ろうかと考えるもやはり人間如きに謝罪するのもどうなんだろうと逡巡し、悩んだ末にラキュースの胸をモニュリと揉んだ。

 

「やめいっ!」

 

 かくして一行は森へと足を踏み入れる。彼女達を待ち受けるのは東の巨人か、西の蛇か、はたまた湖に住む蜥蜴人か。もしくは――――




ガガーランの「くっ殺」がみれるのはこの小説だけ!


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ある日森の中で

なんかギャグ色が強くなってきたのでタグ追加


「ふーむ、前に来た時も思いんしたが、陰気な森でありんすねぇ……」

 

 草木が鬱蒼と生い茂る暗い森を進む一行。その内の一人であるシャルティアは進めども進めども大して変わらない景色にうんざりとした表情で愚痴をこぼす。彼女がこの世界で最初に気が付いた地、トブの大森林。当初は眷属を使って多少の探索を行ってはいたのだが、あまりにも広大だったために途中で諦めた経緯がある。

 

「まあ入る人間も殆ど居ねえしな、基本的には魔物の領域だ。仕方なかろうよ」

「ん……もしやぬしもここの出身でありんすか」

「んなわけあるかっ!」

 

 いまだに人間ではないと勘違いされているガガーランは断固として否定する。いったいこいつの頭と視力はどうなっているんだとシャルティアを睨み、その視線の意味が解らずに首を傾げている彼女に対してため息を溢す。他のメンバーは相変わらずケラケラと他人事のように笑っており、事実他人事なのだからそれも仕方ない。そんなくだらないやり取りを繰り返しながら彼女達は森の奥へ奥へと足を進めていく。

 

 森の変事とはどういったことだろうと考えながら、周囲の観察を怠らず注意深く探索していくその様はやはり数少ないアダマンタイト冒険者の面目躍如といったところだろうか、喋りながらといえどもその観察眼は見事なものである。

 

「それにしてもゴブリンが多いわねえ……おかしいっていうのはもしかしてこのことかしら」

「伝説の魔獣がその程度で変事というわけもないだろう。他になにかあるんじゃないか? シャルティア、お前はどうなんだ。多少の探索はしたんだろう」

「わらわは探知系のスキルは一切修めておりんせんの。眷属が感じたことをそのまま受け取れるわけでも無いでありんすからねえ」

 

 興味無さげに答えるシャルティア。ナザリックに関する訳でも無し、情報を得られる訳でも無しとなれば彼女にとってこの冒険は何の意義も意味もないのだから当然のことかもしれない。冒険そのものではなく、イビルアイが言った人間とのコミュニケーションに慣れる――つまり彼女達と一緒に行動するという目的が無ければさっさと帰っていたのは間違いないだろう。

 

「はあ……飽きたでありんす。わらわがちゃちゃっと見てきんすからぬしらは勝手に進みなんし。後で合流すれば文句はないでありんしょう?」

 

 そういうが速いか、シャルティアは翼を広げて森の上空へと飛び立ち適当に異変を探し始めた。上空から眺めただけでそんなものが解るかという疑問点はシャルティアに期待するだけ無駄である。

 

「あ、ちょ……行っちゃった。どうやって合流するのかしら」

「何も考えてないに金貨10枚」

「同じく」

「賭けになんねえな」

 

 10分後、それに気づいたシャルティアが上空を飛び回って彼女達を探す羽目になるのはもはやお約束のようなものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 広大な湖とそこに点在する蜥蜴人の集落、その一つである『ドラゴン・タスク族』の集落。この森に棲む蜥蜴人はいくつかの部族に分かれており、その中で最も勇壮であり最も実力に重きを置く部族がこの『ドラゴン・タスク族』である。意見を通したくば、我を通したくば強さを示せ。彼らにとってそれが正義であり、絶対の掟だ。それは蜥蜴人の中でも特殊な人種である『旅人』を彼らのリーダーとしてみなが認めていることからも知れるだろう。

 

 基本的に部族のみで完結し、排他的な気質を持つ蜥蜴人は外の世界に何も求めない。森で産まれ、森で生きて、森で朽ちる。それが当然であると彼らは思っているし、それになんの疑いも抱いてはいない。

 

 しかし極稀に外の世界に興味を示し、好奇心を抑えられなくなった若い蜥蜴人が集落を飛び出すことがある。そんな者達を驚きと畏敬と侮蔑を持って『旅人』と呼ぶのだ。外の世界で生き抜き集落では得られぬ知識と経験を積んだ彼らは尊敬され、しかし里を抜け出した事実故に時として除けもの扱いにされることもある。すなわち『旅人』だ。

 

 帰ってきてからも『旅人』という特別な者として扱われ、集落の階級とは別のところに置かれる。権力を持つことは出来ないがさりとて極端に蔑まれるわけでもない。『旅人』は勇者であり、強き者であり、集落の新しき知恵と知識である。しかし『旅人』は異端であり、抜け人であり、純然たる集落の者とは少し違っているのもまた確かなのだ。

 

 そう、そんな『旅人』でありながら部族のトップであるというのは、つまりその蜥蜴人の実力故だ。圧倒的なまでの強さが彼を『旅人』であると同時に『リーダー』であることを許している。そんな部族であるからして、その気性がどういうものかは説明するまでもないだろう。

 そしてそのトップも言わずもがな、荒い気性に巨大な体躯を持ち、傷跡だらけの全身は凄みというものをこれでもかと滲ませている。

 

 その者の名はゼンベル。蜥蜴人でも屈指の実力を持ち、筋肉が異常なほど発達している右腕と裂けた口、潰れた尻尾は蜥蜴人をして異形であると言えるだろう。彼はその強さとカリスマから族長として慕われているが、本人はただ自由に生活しているだけでもある。好きな時に寝て、好きな時に食べ、好きな時に呑む。蜥蜴人は酒を嗜む習慣はあまりないが彼は旅人として外の世界を見て回っていた折、ドワーフに酒盛りの楽しさをこれでもかと教えられていたのだ。

 

 そして自由奔放な彼は今日も起き抜けに好物の蟹を探して湖の浅瀬をうろついていた。今蜥蜴人は食料危機の真っただ中であり、他部族との戦争も視野に入れるほどの緊張感が湖を中心に覆っているがそれはそれ、これはこれなのである。蟻一匹ならぬ蟹一匹見逃すまいと足元を凝視しながら歩き、ドワーフに譲り受けた槍を杖のようにして陸地との境、水辺を行ったり来たりしていた。

 

 しかし見つからない。まあ簡単に食料が見つかれば食料危機などに瀕しているわけもない。当然の結果であるがゼンベルは未練がましく泥の中をパチャパチャとこねくり回しているようだ。その背中からはなんだか哀愁が漂っている。

 

「見つかんねえな……うん?」

「見つからないでありんす……ん?」

 

 森の湖の淵、大きなワニさんが可愛い少女と見つめあっている。簡潔に言い表すならそんな感じであろうか。双方とも探知能力に劣っているからこその出会い方である。暫しの沈黙が流れ、シャルティアの方が先に口を開いた。

 

「ガガーラン……でありんすか?」

「誰だよ」

 

 でかいごつい厳つい。三つ揃えば今日から誰でもガガーラン。おバカなシャルティアにかかればかの王国戦士長ですらガガーランになるのかもしれない。

 

「違いんすか。ぬし、魔物と吸血鬼と人間の冒険者パーティを見んせんしたか? 魔物はぬしによく似ていんす」

「ああ? どんなパーティだそりゃ。そんなもん見たら忘れようにも忘れねえぜ……つーか、俺に似てるってことは蜥蜴人だよな? どっかの部族の客人か?」

「ふむ……? よく解りんせんが、知らんなら別にいいでありんす。もう少……む、時にぬし、森に異変が起きているそうでありんすが何か知りんせんか?」

 

 知らないならさっさと別を当たろう、そう思ったシャルティアであるが『蒼の薔薇』としての目的を思い出しついでに問いかけてみる。彼女もなんだかんだで馴染む努力をしようとは思っているのだ、それがナザリックに続く道ならばと。

 

 そしてゼンベルもゼンベルで何だこの状況はと内心で首を傾げていた。この森で人に出会うだけでも珍事と言えるのだが、更には自分を見ても全く自然体を崩さないその様子に毒気を抜かれてしまっていた。普通の人間がこんな状況に陥れば即座に警戒態勢を取るだろう、にもかかわらず少女は恐れや警戒の素振りを見せない。まるで危険なことなどあり得ないと言わんばかりに。だからつい質問にすらすらと答えてしまっているのだろうと自分の心の内を分析しながら話を続ける。

 

「異変ねえ……まあ異変といや異変だが、食料が少なくなってんな。ちけぇうちに部族間の戦争が始まるだろうし不穏な空気が漂ってるっつーのは間違ってねえ。今すぐってこたぁねーだろうが巻き込まれねえ内にさっさと帰った方がいいぜ? 俺は別に気にしねえが、蜥蜴人ってやつはとかく余所もん嫌いなのよ」

「ふむ……? 自分が蜥蜴人じゃないような言い方でありんすな」

「俺は……あれだ。そういう面倒くせえところがうっとおしくて飛び出したこともあるのさ。一番の理由は強くなりてえからだったけどな」

 

 おかしい、とゼンベルは喋りながらもずっと考えていた。初対面の少女、それも自分の巨腕で握り締めれば折れそうなほどに華奢なその矮躯の人間に対し何故これほどペラペラ蜥蜴人の内情を話しているのか。旅人なんてものになっていたのだから他種族に対して他の蜥蜴人よりは寛容だという自覚はある。しかしいくらなんでもこれほどは、と考えたところで自分をじっと見つめるその双眸に違和感を覚えた。

 

 紅い、紅い、真紅に染まり輝く瞳。吸い込まれて飲み込まれそうなその眼差しはおよそ人間とは思えない。いや、と首を振りゼンベルは確信した、目の前の少女は人間ではあり得ないと。そしてやっと気付いたのだ、己の本能が警鐘を鳴らしていることに。

 

 知識と知恵は本能を覆い隠す。理性が発達するならば犠牲になるのは何なのか。それはまさにゼンベルが実感していること、つまり“直感“ともいうべきものだ。人間と比較するならば蜥蜴人はそういった感覚に優れているのは確かだろう。しかし彼らは獣ではない。言葉を使い、掟を重んじ、他者を尊重する。それによって失われたものは間違いなくある筈だ。

 

 そう、敵の強さを量り、彼我の戦力差を判断する“本能“ともいうべきものが。

 

「おまえ……人間じゃねえのか?」

「……? 見た目に反して鈍いでありんすねぇ、むしろ見た目通りと言うべきでありんしょうか」

 

 ゼンベルはやっと気付いたのだ、目の前の少女が自分よりも圧倒的に強者であると。外の世界を歩けば自ずと解ることがある。それは自分が広い世界においてどの程度の実力であり、どれほどちっぽけな存在かということである。前回の戦争においてゼンベルは蜥蜴人の至宝『フロストペイン』を持つ『シャープ・エッジ族』の族長に敗北を喫した。その悔しさから集落を飛び出し自分を鍛えたのだ。

 

 しかし外の世界に出れば自分がどれほど矮小で、井の中の蛙だったかを思い知った。勿論彼は弱くない。蜥蜴人は――というより亜人と呼ばれるものは基本性能からして人間より強い傾向にある。それでもゼンベルより強い者などいくらでもいるのは事実である。

 

 恐ろしい魔獣に襲われ無力を味わったこともあれば、たかが人間と侮って殺されかけたこともある。その経験の中で培った本能がシャルティアを恐れ、無意識に彼を従順にさせていたのだ。

 

「無礼な口調は有益な情報で相殺にしてあげんしょう……けれど肝に命じておくでありんす。牙の抜けた亜人など人にも劣る。敵の強さも感じられぬなら獣にも劣る。そのなりは張りぼてでありんすかえ?」

「ぬ、ぐ」

「くふ、わらわ優しい」

 

 タメ口を許したばかりか助言まで与えるなんて、もはや他者へのコミュニケーションは完璧ではないかと自画自賛して飛び立つシャルティア。森の雰囲気がおかしい理由も解明したことであるし、全ては結局自分が解決したと自らの優秀さに酔いしれていた。

 

「そういえば《メッセージ/伝言》の存在を忘れていたでありんす。ふむ……もし、ラキュース、ラキュース。 どこをほっつき歩いているでありんすか。もう目的は果たしたで――」

「――――」

「……ラキュース? もし、返事しなんし……むぅ」

 

 逼迫したような切羽詰まった声が脳内に響き、そしてすぐに《メッセージ/伝言》が切れた。ただごとでは無い様子に考え込むシャルティア。自身には及ぶべくもないとはいえ、この周辺諸国では集団としてなら最強クラスだと自負していた彼女達をシャルティアは特に心配していなかったのだ。実際にその辺の冒険者を見た限りでも殆どが十把一絡げの雑魚であり『蒼の薔薇』は確かに抜きんでていると確認している。もちろんシャルティアは相手の実力を量る技能など持ち合わせてはいないが、それでもなんとなくの雰囲気で解ることはあるものだ。

 

 彼女の直観が判断するところ、下位冒険者は『ちり』中位から上位は『あくた』最上位で『爪垢』ぐらいの違いは見て取れる。イビルアイぐらいまでいくと『小動物』くらいであろうか。とにかく自分を基準におけばそれぞれの差などあってないようなものではあるが、それでも『蒼の薔薇』が強者であるらしいことは認識しているのだ。その彼女達が《メッセージ/伝言》を受け取れないほどの事態になっているのならば相手方もそれなりのものなのだろうとシャルティアは考えた。

 

「……ま、いま死んでもらっても困りんす。あのまま進んでいたならあっちの方向でありんすかね」

 

 そう呟くと羽を限界まで広げ、シャルティアは全速力で飛び始めた。耳に残るラキュースの悲鳴を思い出しながら、なるべく急いでやるかと眼下に広がる大森林を見渡す。なんでもないふうを装う彼女の様子は、しかし誰かが見ればこう言っただろう。何をそんなに急いでいるんだろう、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡り、シャルティアがゼンベルと邂逅する少し前。

 

 

「随分深くまで来ちまったなあ……地図にしたら、このへんか?」

「だいたい合ってると思う。この辺りにどんな病気でも治せる薬草が採取出来るって情報があった」

「へえ? こんなとこまで来るってなると結構難易度高いんじゃねえか?」

「ミスリルからアダマンタイトってとこかしらね。さっきのガガー、トロールも凄く強かったしイビルアイが居なければかなり苦戦したわよきっと」

「おいコラ」

「冗談冗談」

 

 シャルティアと離れた後、更に森を突き進んでいた彼女達。その途中で巨大なトロールに出会い森の異変について尋ねた彼女達であるが、話し合いどころか単なる食料としか見做されなかったために戦闘に移行したのだ。結果は語るまでもないことではあるが、それなりに苦戦したのは彼女達からしても意外でありトブの大森林の奥深さを体験させられた一事であったようだ。

 

 とはいえ彼女達は知る由もないが、件のトロールはトブの大森林の『三強』と言われる存在であり人間ではまず勝ち目のない強者である。彼女達がアダマンタイトクラスであり、集団戦に長け、更にイビルアイが居たからこそ多少の苦戦程度で抑えられたのだ。

 

 それにしても、そんなことがあったとは思えないふうに雑談をしながらキャイキャイと進む彼女達はやはり若い女の子でもあるのだろう。静謐な森を行く様はまさに王都で流行りの森ガール。筋肉ムキムキだろうが、百歳超えていようが、レズだろうがショタだろうが中二病だろうがとにかく女の子はいつまでもガールなのだ。そしてそんなガールズにどこからともなくおずおずとした声が掛けられる。

 

「ね、ねえ、君達……」

「っと……ドライアード? 全然気付かなかった」

 

 雑談をしていようが双子の忍者は警戒を怠っていた訳ではない。しかし気付かぬ内にすぐそばまで接近を許していたことに少々驚愕する全員。まあ接近を許したというよりは、彼女達が自分から近付いていったからこそ気付かれなかったという理由も多分にはあるのだが。

 

「君達、人間だよね? ちょ、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど……」

「お願い?」

「うん、ずっと前に魔樹を倒した七人を連れてきてほしいんだ。こ、このままじゃ世界が滅んじゃうかも」

「……物騒な話ね。でもこれは、ビンゴかしら」

 

 まさに彼女達が探していた異変そのものといえる情報に、全員が顔を見合わせて頷く。ラキュースはピニスン・ポール・ペルリアと名乗った目の前のドライアードに続きを促し、詳細を聞いていく。なんとも語彙が少なく要領を得ない話し方ではあったのだが、その内容は彼女達をして想像以上であった。

 

 ずっとずっと大昔、ピニスンが生まれるよりもなお古い時代。空を切り裂き数多の化物が突如現れた。世界を幾度も滅ぼしかねないその化物達は、事実凄まじい力を以って世界に多大なる被害をもたらした。余人には手に負えないその化物達を倒すべく、世界最強の存在と言われる竜王達が立ち上がりこれを駆逐していった。結果竜王側にも少なくない被害はでたものの、その殆どが討伐された。

 

 しかし中には討伐されたように見せかけ封印状態で力を蓄えていた化物が存在し、その一体がこのトブの大森林に封印されているらしい。その化物の名は魔樹『ザイトルクワエ』 封印状態でありながら分体のような存在を生み出し、周囲に被害をもたらすこともあるようだ。

 

 しかし既にその封印は解けかかっており、いつ復活してもおかしくないほどに事態は切迫しているのだ。ピニスンはかつて分体を倒した『七人』と約束をしており、いつに日か封印が解けることになった時にはまた助けにくるという言葉を信じて『蒼の薔薇』に言伝を頼んだのだ。

 

「……ちょっと想像以上だわ。私達だけじゃ……どうしたのイビルアイ?」

「いや、少しな。ピニスンといったか……その七人の外見、間違いないか?」

「え? うーん……そう言われるとなんだかなあ。魔樹の名前だってさっきやっと思い出したくらいだし。でも多分あってると思うよ」

 

 イビルアイはピニスンの話に出てきた七人の外見に言及する。彼女もこう見えて永い時を生きた吸血鬼だ。端々の情報からおそらくピニスンの話が真実であるのは間違いないと考えている。そして事態の深刻さも。

 

「その七人、もしかすると十三英雄のことかもしれんな。推測される実力、人間とそれ以外の混合パーティ、それに人間側にそのあたりの情報が残っていないことから考えてもかなり昔のことのようだしな」

「ううん……貴女がそういうならそうなんでしょう、イビルアイ。それで、どうかしら?」

「……シャルティアが居ればあるいは、だな。竜王が出張るレベルとなると私達……というより国家規模でも厳しいだろう。それに今の話を聞いてシャルティアの……いや、今はいいか。とにかく一旦合流しよう」

 

 なんとなくシャルティアの正体に思うところが出来たイビルアイ。彼女も詳しく知る訳ではないが、100年程の周期で違う世界からの来訪者が現れるらしいということは知識にある。そして「ぷれいやー」なるものの人外じみた実力も。

 

「事が大きくなってきたな……あるいは何かの兆しか? 神話の再来など、誰も望んでいないというのにな」

 

 遠くを見つめて独りごちるイビルアイ。一時とはいえ、手に入れた平穏だ。気の置けない仲間も出来た。守るためなら全力を尽くそうと決心し、仲間のほうへ振り向く。

 

「イビルアイっ!」

「うわっ、なな、なんだ!」

「わ、私もやるわ! 一人だけずるいわよ!」

「なにがだよ!」

 

 何かを察したように瞑目し、覚悟を決めたように目を開き、顎を引いて遠くを見つめる。謎の言葉を呟く。これが先ほどのイビルアイを客観的にとらえた姿だ。そしてそんなものがラキュースの琴線に触れないわけもなく、興奮した彼女は自分も続かねばと適当な大きさの岩を見つけて片足を乗せた。

 

「――――来るわ」

「なにがだよ」

 

 空を仰いでピキューンと何かを受け取ったように呟くラキュース。イビルアイの突っ込みも空しく彼女は第二の人格が目覚めてしまったようだ。受け取ったのは恐らく変な電波だろう。呆れる他の面子を尻目に妄想に耽る彼女はピニスンから見てもドン引きである。

 

「ふふ、私の剣は何者にも屈しない。この剣の煌めきは誰にも陰らせない。セリャァッ!」

 

 魔剣キリネイラムを一閃。振るった一撃の鋭さはまさに英雄のそれだ。衝撃波が数十メートル向こうに着弾し、それを確認した後ラキュースはくるりと華麗に振り向いて剣を鞘に納める。

 

「さあ、行くわよみんな!」

 

 私達の戦いはこれからよ! といった感じで決めポーズを取る姿は、見る者が見ればカッコよさに惚れ惚れし、見る者が見ればその痛々しさに悶えるだろう。ちなみにイビルアイ達はどちらでもなく、呆れてものが言えないとばかりに肩を竦めていた。ちなみに今から行くのは戦闘ではなく仲間との合流と国への報告である。

 

「何をしてるんだか。さっさと……っ!?」

「なっ!?」

 

 地面が揺れ、空気が震える。先ほどまで何も無かったその空には、大地から聳え立つ巨大な魔樹『ザイトルクワエ』がその存在を誇示していた。人間などとは比べるのも烏滸がましいその巨木は、太い幹に恥じぬ巨大な六本の枝を携えて今、顕現した。

 

「うわわわわわ、き、君の攻撃で刺激したせいで復活しちゃったじゃないかーーー!? ど、どうするのさ! 世界を滅ぼす魔樹だよ!? 死んだ、私絶対死んだーーー!」

「め、めんご」

「言ってる場合か! 逃げるぞ!」

「ちょちょちょ、置いてかないでー!」

「お前もさっさと逃げ……って本体は木か! ああもう……ガガーラン、引っこ抜け」

「よしきた」

「あだだだだ、痛い痛い! もうちょっと優しくしてよ!」

「きまし」

「ティア、流石にそれはない」

 

 もはやてんやわんやなこの事態。しかし彼女達は忘れていることがある。それはザイトルクワエが目覚めた要因がなんであるか、ということだ。

 

「な、なんだかこっち見てないかしら」

「そりゃあ、お前がヘイトかったからな」

「な、なにか飛ばしてきそうな雰囲気してないかしら」

「そりゃあ、木だからな。実か種でも飛ばしてくるんじゃねえか」

「な、なんか――」

「あほかお前ら! 避けろ!」

 

 現実逃避気味のラキュースへ向かいザイトルクワエから種子のようなものが飛ばされる。かなりの距離があるとはいえ、高速で飛来する種子はピニスンの本体を担いでいる彼女達には完全に回避することが出来なかった。正しく言うならば何とか回避はしたものの、種子が爆発するという予想外の事態が起きたために爆風の煽りを受けたといった方がいいだろうか。

 

「……っ、大丈夫か、お前達」

「なんとか」

「同じく」

「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》 本気でまずいわね……いったい何故こんなことに」

「誰のせいだ誰の」

「もうだめだぁ……おしまいだぁ……」

 

 この状況にしていまだ緊張感のないやりとりは流石アダマンタイト冒険者といえばいいのだろうか、とにかく無事であった彼女達は起き上がって歩を進める。唯一の救いは今のところザイトルクワエが自分から動いていないということだろう。むしろ樹が自分から動けるのかどうかは疑問である。

 

 そんなポジティブっぷりを見せつける彼女達とは裏腹に、ピニスンは絶望していた。この期に及んでまだ自分を担いで逃げるようなことは無いだろうと。誰だって自分たちの命は惜しい。むしろあの状況にあってここまでしてくれる人間の方が珍しいだろうと考え、それでも一縷の希望に縋り彼女達に懇願しようと顔を上げた。

 

「うう、あの、助かったら何でもするから……え?」

 

 だがその行動に意味はなく、必要もない。何故なら彼女達は人情溢れる正義の使者でアダマンタイトな冒険者『蒼の薔薇』だから。元からピニスンを置いていくことなど頭にはないのだ。とはいえそんなお人よしはラキュースとガガーランの二人だけで、後は仲間のためというところが強いのだが。更に言うならば正義よりも精気が好きな変態が過半数であり、使者というより死者というほうが正しい者がいるのは触れてはいけない部分である。

 

 とにかくピニスンは彼女達の行動に感謝と感激で胸がいっぱいだった。知り合って碌に時間も経っていないというのに、自分達の命を危険にさらしてまで助けてくれようというのだから。

 

「あ、ありがとう! もし生きて帰れたら――」

「それ以上は不吉だからやめろ」

「なに言ってるの? イビルアイ」

「経験則だ」

 

 永い時を生きれば言ってはいけない言葉も身につくものだ。俗に言う死亡フラグというやつもイビルアイにかかれば発動する前に封殺することも容易いのである。

 

「もし生きて帰れたらなんでもするよ!」

「言うなって言ったよな!?」

 

 やっぱり、ダメだったようだ。

 

「でももう安全圏じゃない? ここまで離れたら……っと、シャルティアから《メッセージ/伝言》よ。『シャルティア? 今どこに――』」

「――っ! 伏せろ!!」

「え? ……ぁ」

 

 自ら動けない樹木が世界を滅ぼしかねない魔樹などと言われる訳もない。この歪んだトレント『ザイトルクワエ』は根を器用に動かし移動することも当然のように出来る。そしてこの魔樹に限らず植物の根っことは地表に出ている部分よりずっと大きいことがままあり、その例に漏れずザイトルクワエも巨大な体躯に見合った根を張り巡らせている。そしてそんな根を動かすとなれば広範囲の地震と地割れを伴うのだ。

 

 彼女達が地を全力で走っている以上、いきなりの揺れに足を止めざるを得ない。そしてその隙を魔樹は見逃さなかった。罅割れた大地から現れた根の先が彼女達を縛り、拘束するのに数秒。普段ならなんなく躱せる程度だが、地に足を取られている状態ではそれも難しい。咄嗟に魔法で空へ浮かんだイビルアイ、そして影から影への短距離転移スキル『影渡り』を使用したティアとティナだけが拘束を逃れた。

 

「ガガーラン! ラキュース! ……があられもない縛られかたを!?」

「言ってる暇があったら助けてくれないかしら!?」

「うおおっ!? 離しやがれ!」

 

 魔樹だってお約束の重要性は知っている。という冗談はさておいて、こうなればもはや拘束された者に抜け出す術はないだろう。レベルに換算すれば圧倒的なまでの差があるのだから。むしろ何故今握りつぶされていないかの方が不思議な程である。

 

「ティア! ティナ! お前達は――」

「ん、もう大丈夫みたい」

「何? どういう……」

 

 イビルアイが漏らした焦燥の色を含んだ声は、数瞬の後に安堵のため息に変わった。ヒーロー、というよりダークヒーロー、もといダークヒロイン、ならぬダークヒドインのご登場である。

 

「人が急いで来てみれば! 何特殊プレイで悦んでるでありんすか! 流石のわらわも予想外!」

「どう見たらそう見えるのよ! とにかく助けてーー!」

「まったく……枯れ木風情がわらわの玩具に手を出すとは不届きにも程がありんす。焚き木の材料にしてあげんしょう」

 

 スポイトランスを握りしめ、目にも止まらぬ速度で突きを繰り返していくシャルティア。その速度はもはや摩擦熱で火がでそうな勢いである。ラキュースを拘束している根を断ち切り、ガガーランを拘束している根を断ち切り、ついでに転がっている樹にランスの先っちょをぷすりと刺した。

 

「痛ぁーーー!! 私悪いトレントじゃないよ!? 刺さないで、刺さないでーーー!」

「……なんでありんすか、これ」

「これじゃないよ、ピニスンだよ!」

「シャルティア、そいつは敵じゃない。やめてやってくれ」

「……まあ別にどうでもいいでありんすが」

 

 騒々しいな、とピニスンを一睨みして黙らせるシャルティア。そしていまだにうねうねと動くザイトルクワエの根を《フォース・エクスプロージョン/力場爆発》で吹き飛ばし、こちらを睨んでいる本体へと視線を向ける。

 

「図体だけはでかいでありんすが……さて」

 

 この攻撃は耐えられるかと、日に数回しか使用できない『清浄投擲槍』を生み出して構え、MPを消費して必中効果まで付与する大盤振る舞いである。さしものシャルティアもあの巨体にちまちまと攻撃しては埒があかないという判断をしたようだ。一人になってから初めて「敵」といえるレベルであるのを察したのかもしれない。

 

 投擲された槍は当然の如く目標へと到達し、膨大を誇るザイトルクワエのHPの大半を削った。体力だけならばシャルティアをも上回るこの魔樹も、しかしそれ以外の部分に実力差がありすぎた。苦悶の叫び声をあげ、苦痛に身を捩らせる。その様はシャルティアの嗜虐心をそれなりに満足させるに至り、そしてこれ以上魔樹が存在する必要性が無くなったことも意味していた。

 

「ふむ、耐えるでありんすか……なら約束通り、焚き木の材料に。くふ、それともそのまま燃やしてあげんしょうか、そうしましょう」

「お、おいシャルティア、まさかとは思うが――」

「《ヴァーミリオンノヴァ/朱の新星》」

 

 爆発の如き炎の奔流は魔樹をその根の先まで悉く焼き尽くし、その一片に至るまで原型も残さず灰塵と帰した。無慈悲なその一撃は、その様子を目撃していたピニスンをお漏らし……もとい葉脈から水分を垂れ流しさせるほどの忘我に追いやった。けしてお漏らしではない。

 

 そして何より大事なことが一つある。それはここが森であるということだ。

 

「あほかーー! おまっ、ちょ、燃えてるじゃないか! 消火しろ消火!」

「わらわ水属性の魔法は覚えておりんせん」

「じゃあなんで燃やしたんだ!」

「んんー……そんなこと、気にしても、しょうかありんせん」

「洒落を言う程気安くなってくれたのは嬉しいが! 今じゃないだろう! ああもう!」

「ぬしは最初会った時より感情の起伏が激しくなったでありんすな」

「誰のせいだーー!」

 

 ごうごうと燃える森をバックに、おバカな喜劇は続くのであった。

 





トブの大森林の運命は如何に


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パチパチ山

 轟々と燃え盛る。蛇の舌のようにちろちろと、そして辺りを真っ赤に照らしうねる業火。いまだその火勢は森のほんの一部とはいえ、呆けて見過ごせば瞬く間に全てを焼き尽くすだろう。そう予感させるほどの激しさが、その紅い炎にはあったのだ。

 

「大瀑布の術ー……もう疲れた」

「同じく」

「あとちょっとよ。頑張りなさい」

 

 しかしそれを消し止めんと奮闘する双子の忍者ティアとティナ。忍者という職業は、様々な効果を持つ忍術を駆使した手段の多彩さに強みがある。そしてその一つ『大瀑布の術』とは大量の水を噴出させめくらましなどに使用する術なのだが、当然他の用途――つまり今行っている消火活動にも充分役立つ。いったいどこから水分が出ているのかは不思議でならないが、とにかく火の勢いは既に小火程度まで落ち着いてきたのだ。

 

「私の棲み処がー」

「うん? こんなところに住んでいたとは物好きにも程がありんすな。いい機会でありんしょう、もっと良いところを見つけなんし」

「ううう……加害者が言うセリフじゃないよう……」

「はて、どのみちわらわが来なければぬしは死んでいんした。加害者と言うならばあの薪に文句を言っておくんなまし」

「そりゃそうだけどさ、この先どうしよう……」

「……」

 

 シャルティアは、自分のせいで棲み処をなくしたドライアード如きにいちいち同情などしない。たとえ森が全焼していたとしてもそこに思うところはなかっただろうし、どれだけの生物が死んでいたかなど気にもしない。しかし帰るところが消滅したと嘆くドライアードを見て、少し自分と重なってしまったのもまた事実だ。

 

「終わったー」

「疲れたー」

「ご苦労様。さて、とにかく異変も解決したし帰りましょうか。まずはカルネ村に報告しに行きましょう」

「おうよ」

「シャルティア、頼めるか?」

「……うん? ああ、ちょいと待ちなんし」

 

 《ゲート/異界門》を開き、カルネ村に繋げるシャルティア。なにげに素直に言うことを聞いてあげたのはこれが初めてだったりするのはご愛敬。気がそぞろだったのも一因ではあるだろう。

 

「その樹はどうするでありんすか?」

「樹じゃないよ、ピニスンだよ」

「うーん……どうしましょう。ここにおいていくのも酷な話よね、貴女はどうしたいの? ピニスン」

「そうだねー……できれば空気が美味しくて、水が綺麗で、土の栄養が豊富で、安全で、退屈しないところに行きたいな。あと仲間がいればなお良し――」

「置いていくか」

「そうね」

「異論なし」

「同じく」

「仕方ないな」

「さっさと行くでありんすよ」

「嘘嘘嘘! 冗談だよ、こんな焼け跡に置いてかないでー!」

 

 長生きしている割にお茶目なピニスン。しかし今のタイミングではこの対応も仕方のないことである。冗談はさておいてガガーランがピニスンを担いでゲートをくぐり、他の者もそれに続く。出口は村長の家の前であり、真昼間だというのに何故か家に居る村長に話を通して、既に危機が去ったと説明をするラキュース。

 

「ありがたいことです……その、報酬は本当によろしいのですか? このような村では報酬の多寡もしれておりますが、それでも――」

「報酬は戦士長から頂いています。感謝するならば、是非そちらに」

「――はい……正直に申し上げますと、王国の対応には期待していませんでした。しかしそれは間違っていたようですな。あのような方がいらっしゃるなら、我々も日々の生活を頑張れるというものです」

「……そう、ですね。私もそう思います」

 

 複雑そうな顔をして、ラキュースは村長の嬉しそうな表情を見つめる。村長の言う『あのような方』がどれほど王国にいるというのだろうかと、腐敗した貴族達を脳裏に浮かべ溜息を溢す。

 

「さ、帰りましょう……そういえばピニスン、この村に住むのはどうかしら? あの魔獣さんが居着くならこれ以上ないほど安全だろうし、この辺りは結構土壌も良さそうだし」

「へ? ドライアードの私が人間の村に?」

「村長さん、もし良かったらこの子、この村で引き取りませんか? 開拓途中なら植物に詳しい存在は重宝すると思いますけど」

「は、はあ……? いえ、その私の一存では決めかねますが……」

「あまり無理を言うなラキュース。普通の村にいきなりドライアードを受け入れろなどと、無茶もいいところだろう」

「あら、森の賢王が住み着いている村を普通とは言わないわ」

 

 正直なところ、ラキュースもピニスンの存在を持て余しているのだ。まさか王都に持ち帰るわけにもいかないだろうが、しかし困っている存在を放置するなど英雄を目指す彼女にとってはできる筈もない。

 

「取り敢えず宿屋の裏にでも植えればいいんじゃねえか? ちょうど報酬もたんまり入ったんだしよ、そのくらいの融通はきかせられるだろ?」

「うーん……大丈夫かしら? 好事家に掘り返されたりする可能性もあるわよ」

「『蒼の薔薇』の保護対象だと広めればそこはまず大丈夫だろう。わざわざ私達に喧嘩を売る馬鹿などそうは居ない」

「……そこはかとなく不安だけど、ま、あんまり考えても仕方ないわね。さあ帰りましょう! お願いね、シャルティア」

「おや、何か忘れていんせんか? ラキュース」

「ご、ご主人様ぁ、お願いにゃん」

「くふ、仕方ないでありんすねぇ」

 

 リーダーともあろうものが情けない、とは誰も言わなかった。ティアは羨ましがっているし、ガガーランは現在進行形で亜人呼ばわりされているし、イビルアイとティナは火の粉が飛んでくるのを恐れているからだ。

 

「では、帰還しんしょう」

 

 締まらない最後だが、これにて新メンバーを加えた新生『蒼の薔薇』の初冒険は終わりである。ナザリックまではまだまだ遠いが、シャルティアの冒険はまだまだ続く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテル某所。捕縛された陽光聖典の隊員、そして隊長であるニグンは当然だが拷問に近い尋問を受ける手筈であった。ここで手筈であったというには理由があり、そしてそれこそガゼフが貴族達を糾弾出来ず、それどころか単なる妄言だと切り捨てられた要因でもあるのだ。

 

 ガゼフ・ストロノーフは何度目になるか解らないほど足を運んだこの監禁場所にある椅子に座り、意外と丁重に扱われている捕虜に視線を飛ばす。それに気付いたニグンはわざとらしい溜息を溢して尊大な態度で応対をした。

 

「まったく何度来れば気が済むのかね? 王国戦士長殿。言った筈だ、我等が証言を奪われる時、それが我等の死す時だと。うん? ほれ、尋問しないのかね? 死ぬけど、我等死ぬけど」

「くっ……! なんと腹の立つ」

「ふはははは! だから言っているではないか、この状況下では話したくとも話せないと。我等から証言を得たくば、まず自由を保障してくれたまえ」

「俺はそこまで無能ではないぞ。王国の領土に猛獣を解き放つ馬鹿がいるものか」

「フン……失敬な。どうみても猛獣は貴様の方ではないか。心配ならば我が神に誓ってもいい。けして逃げることも暴れることもしないと」

「……神を敬わない者との約束は、たとえ破ろうとも神は御赦しになる……そういうことだろう?」

 

 ニグン達には、陽光聖典の者達にはある魔法がかけられており、それはある特定状況下で質問に答えてしまうと死んでしまう呪いのようなものである。敬虔な信者である彼らはそのことに対して不満などない、だが無駄死にするほど達観しているわけでもない。つまり彼らが尋問される前にしたことは、自分の命を盾にした脅しである。

 

 無論人権などあってないようなこの世界、質問に答えさせれば死ぬというのならそうすることもあるだろう。最低でも50はくだらぬ証言が得られるのならば、むしろするべきとすら言える。

 

 しかし、だ。それは一人ずつ拷問をし、死ぬことが救いとなるほどに苦痛を与え、真実と共に命を奪う悪魔の所業が必須である。魔法を軽視する王国に於いて魔法抵抗力の高いエリート達から情報を抜き出すのは難易度が高く、その下種にも劣るえげつのない行為こそが真実への道しるべなのだ。

 

 そして王国戦士長にそんな行為が出来るかというと、否定せざるを得ないだろう。ガゼフは甘いだけの男ではなく、戦場の過酷さや現実など痛いほど知っているし、騎士の理想などという儚い幻想を抱き続けているわけでもない。やらなければならぬとなれば非情にもなれる。だがしかし、それでもなお人間として越えてはならぬ一線があることを理解しているのだ。

 

 そこまで堕ちればもはや戦士ではなく、悪人でもなく、人ですらない。ガゼフはそう思うからこそ彼らの処分を保留しているのだ。それに法国秘蔵の部隊と思われる彼等にそんなことをして、逆鱗に触れればそれこそ王国の滅びは近づくだろうという思いもある。

 いまだ謎に包まれた法国、一説には人類最高位階のマジックキャスターとも言われる帝国の重鎮『フールーダ・パラダイン』を凌ぐものすら居るというのだから、軽々に判断を下すわけにはいかないだろう。

 

 さらには完全に黙秘しているわけでもなく、そして彼らの言を信じるならば人類の守護の一角を失うことにもなるのだ。もちろん人類を守っているからといって王国に手を出すことを許容できるわけではないが、自分達こそが人間という種族を守っているのだという自負と自信は、まったくもって嘘には思えないほど強い力のある言葉であったと、ガゼフはそう思ってしまったのだ。

 

「…ガゼフ・ストロノーフよ。今一度問うが、王国から離れる気はないか? 貴様なら充分に重要なポストへつくことも可能だろう。人を想うなら、人を助くならば王国の味方というのは最悪の選択肢と思わないのか? 人間同士での争いなど愚かなことだ」

「貴様がそれを言うか。ならばお前らのしたことはいったい何だというのだ」

「――正義だ。それ以上でも以下でもない」

「…平行線だな。価値観の違いが決して相いれないものとは言いたくないが、それでも貴様と解りあおうという気持ちは起こらん」

「なんとでも言うがいい。我が心にも、そして過去の行いにも、一点たりとも恥ずべきことはない」

 

 相互理解とは、背負うべきものが増えれば増えるほど難しい。何をか況や、陽光聖典の隊長と王国の戦士長の価値観など相いれるものではないだろう。どちらが間違っているというわけでもないのだから、まさに交わることなき線だ。

 

「しかしあまり悠長にもしていられん……王都に行けば貴様らの暗殺を目論む輩がどれだけいるのかも不明だ」

「私の知ったことではないな。腐り果てている王国を恨め」

「……どうしたものか」

 

 貴族達がガゼフを嵌めるために法国に踊らされていたのは疑いようのない事実だろう。故に王都でニグン達を拘束しておくと、下手をすれば口封じに殺されるおそれがあるためこのエ・ランテルで監禁しているのだ。それすら極秘で、この街にガゼフが居る事を知っている者も極僅かである。

 

 しかし手詰まり感は否めない。どうにもこうにもいかないこの状況、何か突破口はないかとガゼフは唸りを上げるが何も閃かない。

 

「…また来る」

「くく、何か成果が出ることを期待しておこう」

「ほざけ」

 

 “それ”は突破口か、それとも八方ふさがりか。

 

 ――エ・ランテルが死に包まれるまで、後少し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王国領、エ・ランテル。帝国との境界に程近い、王国の中でもそれなりに栄えている街だ。冒険者ギルドの質も相応の者が揃っているし、高名な薬師やその優秀な跡継ぎである薬師の孫が住んでいることでも有名である。特に孫の方は特異な『タレント』を持ち、魔法まで扱える将来有望な少年なのだ。

 

 そんなこの都市に真祖の吸血鬼シャルティア・ブラッドフォールンが到来したのには訳がある。有益な情報を待つ間に何かできることはないかと考えた時、いざ行動を起こそうと思った場合の迅速な対応のため――つまり平たく言うと《ゲート/異界門》の範囲を広げるための散策だ。

 

 《ゲート/異界門》は実際に行くか見るかしなければそこに繋げることはできないため、ある程度以上の規模を持つ都市を訪れるのはけして無駄にならないだろうという判断である。

 

 ピニスンの仮宿が決まり、ある程度落ち着いたところでイビルアイに切り出されたナザリックを匂わせるような情報。それはシャルティアの心を急き立て、同時に警戒心をも促させた。

 

「仲間……か」

 

 渇望して、それ故に今新しく必要なもの。シャルティアはイビルアイとの問答を思い返す――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『ぷれいやー』……でありんすか?」

「ああ、聞き覚えはないか?」

「ふむん……知りんせんな――ん……そういえばペロロンチーノ様が御自らのことをそう言っていた、ような? それに、そうでありんす。あの時の侵略者共も……」

「ならば『えぬぴーしー』はどうだ?」

「っそれなら知っていんす。至高の方々が我等シモベを呼ぶときに使われていんした! 何か知っているでありんすかイビルアイ!?」

「ああ、これでも長生きしているからな。すまないが、お前が探すナザリック地下大墳墓に繋がる情報かどうかは解らん。だがこの世界においての強者はおよそ3つに分けられる故に、限りなく正解に近いとは思う」

 

 一つは『竜王』そしてそれに連なるもの。一つは『ぷれいやー』そしてそれに連なるもの。最後の一つは『えぬぴーしー』そしてそれが堕ちたもの。イビルアイはそう告げた。彼女とてそう詳しく知識にあるわけではないが、最高クラスの吸血鬼――少なくともこの世界ではそう言っても過言ではない存在である彼女をして歯牙にもかけられぬ存在がいるとすれば、その3つだと。

 

「永く生きれば記憶も摩耗するものでな、すぐに気付いてやれなくてすまなかった」

「そんなことより早く言いなんし!」

「そう急くな。そもそもの始まりから言うとだな――」

「――――」

「……ああもう、解ったからそう殺気を出すな。ならば結論から言うぞ……おそらくここはお前のいた世界ではない」

 

 唐突に訳の解らぬことを言われた。シャルティアにとってイビルアイの言葉はそういうものだった。とはいえもともと彼女の世界は狭く、ナザリックにおいて完結していたのだから仕方のない部分もあるだろう。

 

「まあ私にもいまいちよく解っていないんだがな。とにかくこの世界とは違うどこかから、およそ100年周期ほどで来訪者が現れるらしい。その全てが強者というわけではないが、やはり竜王と肩を並べる存在が多数出現することもあるらしい……推測と憶測ばかりですまんがな」

「御託はいいでありんすから、早く」

「理解とは全容を知ることから始まるのだがな……そうまで言うなら、お前が知りたい事に限定しよう。つまりお前が探すものはこの世界のどこかにあるか、もしくはまだ来ていないかのどちらかだということだ。お前が言っていた程の勢力なら、過去に存在していたとすれば名前が残っていない筈もない」

 

 これから来ることは永遠にないという、その残酷な可能性は話さない。それはイビルアイの優しさか、甘さか、それとも非道か――そして打算か。『えぬぴーしー』が堕ちれば魔神となる。かつてのイビルアイにはよく解らなかった言葉だが、シャルティアを見れば自ずと理解できたのだろう。すなわち、シャルティアが自暴自棄になり全てを憎悪すれば魔神と呼ばれる存在になる、と。

 

 とはいえ『ぷれいやー』が存在して『えぬぴーしー』が存在しないということはあるが、その逆はないとイビルアイは推測していた。実体験と伝聞、そして物語からの曖昧な憶測ではあるが。

 

「重要なのは……いや、その前に約束してくれ。今から教えることを知っても、けして無謀なことはしないと。これは何も含むことのない、お前を思っての言葉だ。何に誓ってもいい」

「わらわの実力を知るぬしが言いんすか? わらわは至高の御方に創造されし守護者最強の存在。慮りは侮辱と捉えんす」

「……私には解らないんだ。お前にとって冒険者の強さの違いなど誤差にしか過ぎんように、次元を逸したものの実力差など、解らないんだ。言えるとすれば、少なくとも竜王は『ぷれいやー』と『えぬぴーしー』に比肩した……いや、今現存が確認されているのが竜王のみということだ」

「……」

「お前は、シャルティアは、負けたことはないのか?」

「……っ」

「ならば解ってほしい。短い付き合いだが、それでも失いたくないものはある。杞憂ならば問題ないが、後悔とは先に出来るものではないんだ。想定外の事象などいくらでも起こりうる……今まさに、そういう状況だろう?」

 

 言葉を尽くす。イビルアイは饒舌なほうではないが、それでも今は彼女なりに正念場故に全霊を尽くした。それは先ほどの意図した情報の秘匿とは対極の、間違いなくシャルティアを想ってこその言葉である。

 

「…………煙には巻かれんせん、さっさと言いなんし。それとも無理やりが好みでありんすか?」

「――ならば、先ほどの言葉は私の心臓に誓おう。私は仲間を裏切らない。茨の道を共に歩むことはできても、仲間を死地に送ることはできない。お前が私をどう思ってくれているかは解らんが、な。知りたくばこの心臓を抉りだしてくれ」

 

 ぎゅう、と唇を噛み締めるシャルティア。まっすぐに見つめてくる視線は、ただただ自分を想うだけの純一無雑を思わせる。彼女がいう短い付き合いとは、まさに正鵠を得ているゆえにシャルティアには理解できない。何故自分をこれほど心配できるのかが。

 

「何故でありんすか?」

「何がだ」

「わらわとぬしは所詮他人同士。今生にて多少の縁あれど、他生で幾許かの業因があったとしても、命を懸けるに値はしんせん」

「……さあ、な。ただ見ていられないだけだ。私も……いや、私は全てを失って、何も取り戻せなかった。新しく得たものはあったがな。お前は嫌かもしれないが……重なるんだ」

「……」

 

 何があったかなどは言わない。しかしその短いセリフには万感の想いが込められていると、シャルティアはそう感じた。なんとなく目を逸らし、逡巡し、そして視線を戻す。だがそこにあるのは変わらない瞳だけだ。

 

「…そういえば、今日は煙に巻かれた日でありんした」

「――はは、そうだな。自業自得だが」

「そんな日があっても……いいでありんすかねぇ」

「ああ、いいと思うぞ」

 

 剣呑な雰囲気は霧散した。残ったのは穏やかな空気と、二人の美少女の微笑のみ。

 

「話してくんなまし。無茶はしないと……不本意ではありんすが、約束しんしょう」

「ああ」

 

 そしてイビルアイは語りだす。全てを知りはしないだろうが、核心を握るのは法国の暗部だろうと。鍵を握るのは、法国の上層部だろうと。

 

「あそこは成り立ちそのものが『ぷれいやー』と言ってもいい。だからこそ情報は多く残っているだろうし、だからこそ逸脱した存在に対する備えもあるだろう。それと最大の問題は法国が人間至上主義の国家だということだ。私達のような存在がのこのこと出ていけば、どうなるかは目に見えている」

「ふむ」

「どう突つくにしても、やはり味方を作るべきだと私は思う。結局のところ数は力なんだ。力でお前に敵う者が居なくとも、知力でそこをカバーできる者が居るかもしれない。手札が増えれば選択肢も増える。法国は、自国の中ですら足の引っ張り合いをしている他の国とは違い信仰を軸にした一枚岩だ。相手取るには骨が折れるだろう」

「ほう」

「とりあえず、まずは手と足を伸ばそう。情報網もそうだが、物理的に《ゲート/異界門》でいける場所を増やすのもありだな。とにかく法国に直行するのだけはやめてくれよ?」

「むう」

「……理解できてるよな?」

「たぶん」

 

 そこはかとない不安がイビルアイを襲ったが、とにかく法国に行かないことだけは約束できたと安堵した。しなければならないことは随分と増えてしまったが、国も仲間も同属も守らなければならぬとなれば、この苦労も当然のことだと気を引き締める。

 

「つまりわらわはどうすればいいでありんすか?」

「おい」

 

ダメだこいつ……と戦慄しながらもイビルアイは指示を出す。まずは王国の主だった都市へと足を運び、《ゲート/異界門》で行き来できるようにしてほしいと。

 

「了解でありんす」

「ああ、こっちも色々と準備はしておこう。国の情勢なども鑑みれば時間のかかる作戦になるだろうが、独断専行だけはやめてくれよ?」

「合点承知でありんす」

「不安だ……」

「ふふん、わらわに不安などありんせん」

「それが不安だと言うに」

「大丈夫大丈夫……ああ、それと一つだけどうしても言いたかったことがありんす」

「なんだ?」

 

 真剣な眼差しのシャルティアに気圧されて、イビルアイはゴクリと唾液を嚥下して続く言葉を待った。

 

「わらわ達って、心臓動いてないでありんすよ?」

「……すまん」

 

 ぶっちゃけると、必要な器官ではない。人間でいうと伸びた爪ぐらいに必要のないものに誓いを乗せたイビルアイであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、冒険者ギルドは視界におさめたでありんす。今日はこんなところで――うん?」

 

 イビルアイとの会話の記憶を浮かび上がらせ、そしてまた沈ませる。ちなみにそれだけで記憶が5%ほど失われたのはシャルティアだからである。

 

「おやおや、街中で殺し合いとは酔狂でありんすな。少し鑑賞していきんしょう」

 

 シャルティアの視界に入ったのは、女性と男性が戦っている殺し合いの現場。それはこの世界においては最強クラスの決闘であり、しかしシャルティアにとっては野良猫の喧嘩を見るような野次馬根性を刺激される程度のものだった。

 

「んん……? いや、そんな訳はないでありんすな。こんな暗がりで男が女を襲っているとくれば――」

 

 強姦魔か、はたまた快楽殺人者か。とにかく碌なものではないだろうと、シャルティアは判断した。

 

「……行いは鏡、でありんしたか……」

 

 あの女性がナザリックの情報や法国の情報を持っている可能性は、それこそ星を掴むような話ぐらいのものだろう。だがイビルアイの言っていたことがそこに繋がるのなら、たとえ刹那以下の可能性であってもやるべきではないかとシャルティアは自問自答した。

 

「まあ、助ければ口も緩むでありんしょう。男は半殺しにして無理やり聞き出せばオッケーでありんすな」

 

 シャルティアの設定から考えれば奇跡のような考え方。それがもたらすものはいったいなんだろうか。暗がりに奔る剣戟が止まる時、偶然の女神が仕組んだ戦いは終わるだろう。

 

 決闘者達の名は――――王国戦士長ガゼフ。そして元漆黒聖典、現ズーラーノーン所属のクレマンティーヌ。

 

 果たして強姦魔の誹りは免れるのかガゼフ。そして法国暗部の過去はバレるのだろうかクレマンティーヌ。

 





待て次回


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こいこい7でありんす

「一体何が起こっている……!?」

 

 王国が誇る最強の戦士長ガゼフ・ストロノーフはこの異常な事態に直面し、混乱していた。無論彼は歴戦の戦士であり、そして知能のほうも低くはない。こと戦闘に於いての判断力ともなると素晴らしいものがある故に、このような事態になっても対応は出来ている。

 

 情報は極秘にしているものの物事に絶対はない。たとえ王都から離れていようとも陽光聖典を狙った暗殺者がこの街に来る可能性も想定の範囲内ではあった。しかしそれでも今目の前に広がる無差別殺人のような光景を想定していた訳ではない。

 直接自分に害を及ぼすような策はないだろうと判断していたため、警戒するのは諜報について。特にガゼフはその方面に特化した者の隠形を見破れるほどの自信はない、故に貴重なマジックアイテムの使用や、監禁場所へ行く際回りくどい手順を踏んでその可能性を出来る限り潰していた。

 実力行使があるとすれば、それは街の住人を人質にした暴力――つまり、いきなりの戦闘や武力行使など考慮には値しないのだ。それは己が実力に対する自信。そう、過信ではなくではなく自信なのだ。実際に今のフル装備のガゼフを倒せるものなど、世界を見渡しても極々わずかなものであろう。

 

 だからこそ血に塗れた暗い路地が存在し、あまつさえそこで襲われることなどありえないと、そう思っていたのだ。

 

「てめえに死が近付いてんだよぉ!」

「ぐぅっ!」

 

 しかしそこについては彼もうかつと言わざるを得ないだろう。彼はつい先日目にしたのだから。自分より強大な恐ろしい天使を。そしてそれすら上回る化物を。

 

「おらぁっ! ……っち。クソ」

「悪いがそう易々とくれてやるほど私の命も安くないものでな。一応聞くが、投降すれば少なくともこの場での命は保証しよう。どうする?」

「くっ……ひゃひゃ! この英雄級のクレマンティーヌ様に向かって命は保証するってぇ? 何様ー?」

「そうか。手加減する余裕はなさそうだから聞いてみたのだが……状況はどうあれ名乗られたのなら私も作法に則ろう。王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフだ」

「――っ!」

 

 そう名乗りを上げた途端、ガゼフの目の前の女性――クレマンティーヌがピタリと動きを止めた。そしてその眼にはありありと驚きが浮かんでいる。

 だがそれも仕方ない事だろう。かの有名な王国戦士長が王都から離れこんな街で深夜に出歩いているなどと誰が想像しようか。

 

「ふーん……マジで言ってる?」

「私の冗談はあまり受けがよくなくてな。進んで笑いをとろうとは思わん」

「……」

 

 戦士に必要な技能は多岐に渡るが、その中でも上位に挙げるとするならば『闘争心』『勇猛さ』『自信』などがあるだろうか。そして優秀な戦士であるクレマンティーヌは当然のごとくそれらを持ち合わせてはいるものの、その一方で異常ともいえる一つの嗜癖を持っていた。

 

 『嗜虐性』『残虐性』『サディズム』 人によってはご褒美でもあるような性的嗜好ではあるが、しかし彼女のそれは常人とは一線を隔すほどに歪んでいた。特に彼女は腕に自信のある高位の冒険者などを狩ってはその欲求を満たし、自身の強さを実感できる趣味として楽しむことすらあった。

 

 必死に抗い命を掴もうとする弱者はなんたる滑稽さだろうか。あるいは無様と言い換えてもいい。彼女はそれが楽しくて仕方ない。いつから歪んだのか、それとも生まれついての異端者か。彼女はそんなことに興味はないし、考える意義すら見いだせない。

 彼女にとって大事なことは自分の楽しさ、自分の命、そしてある男への復讐だ。それ以外に意味はなく、興味もない。だからこそ狂人でありながら冷静な思考も併せ持つ彼女は、今の状況をどうしようかと思案しているのだ。

 

 自身が英雄級であるのは驕りではないと自負しているし、事実客観的に見た場合間違いなくその通りである。しかし彼女の前に立つ男もまたその領域に足を踏み入れている者であり、勝負の行方は揺蕩っている……それは偏に装備の差だと言ってもいい。漆黒聖典に所属していた当時の装備ならば間違いなく圧倒できると確信しているクレマンティーヌだが、現状は魔法効果があるものも一部装備しているとはいえ、かつてのそれとは比べ物にならない。

 

 王国の秘宝クラスを装備しているガゼフと戦うには少々心もとないだろう。むしろその状態で拮抗していることこそが、彼女の実力を何よりも物語っていると言えようか。

 

 彼女は対等な勝負が好きなのではない。勝つのが好きで、弱者を甚振るのがもっと好きな変態なのだ。ここで王国戦士長と死闘を交えた場合のメリットはなにもない。人目につく可能性があがり、自身の追っ手に捕縛される確率もあがり、そして彼女にとって認めたくないことだが命を散らす可能性もでてくる。

 

 法国の暗部、六色聖典が一つ『漆黒聖典』 それに所属していた彼女はあろうことか聖典を、国を裏切り、果ては秘宝とも言える法国のマジックアイテムまで持ち出した。当然のごとく追っ手がかかり、その執拗な手を躱すために、世界を股にかけて暗躍する秘密結社『ズーラーノーン』に所属しているというわけだ。この街に着いても追っ手である風花聖典の追跡は止むことが無く、それ故に趣味と実益を兼ねて追跡者を嬲り殺しにしていたクレマンティーヌ。その真っただ中でガゼフと出くわしたのはやはり日頃の行いの悪さのせいだろうか。

 

 彼女はここで戦い続ける愚は犯したくない。最悪漁夫の利と言わんばかりに自分とガゼフを一挙両得される恐れだってあるだろう。そんなことになれば業腹なんてものではない、とクレマンティーヌは戦いながら考えていた。

 

「っく! はっ……なんかいきなり張り切っちゃってるしー、きめぇんだよハゲ」

「私はハゲていない」

「ハゲはみんなそう言うんだよねー。カジッちゃんもそうだし」

「ハゲてなどいない!」

 

 最近薄毛が気になる戦士長。つまらない挑発だと解ってはいても受け流すことなどできはしない。法国が神を崇め奉るように、ガゼフも髪を信仰の対象に入れるかどうか迷っているほどなのだから。

 

 と、つまらない冗談はさておいてここで絶賛戦闘継続中の彼等の心中を推し量ってみよう。

 

 クレマンティーヌからしてみればさっさとこの地を去りたい――追っ手の目を眩ますために同じ『ズーラーノーン』の幹部に協力し、街を死都に変えるおぞましい儀式の片棒を担いでいたのだ。そもそも長く滞在する予定もない。ガゼフが存在することでその計画の先行きも怪しい今、尚更この街に留まる意味は薄い。この戦闘も出来る限り速やかに終えて街を出たいと思うのも当然のことだろう。

 

 一方ガゼフにしてみれば、実のところこちらも戦闘は中断したいと考えていた。今がどういう状況かを考えた時、すなわちそれは己の足止めが目的なのではないだろうかと推測していたからだ。突然の意味不明な状況ではあったものの、今この時たまたま無差別快楽殺人者が居たなどと考えるよりは、法国の関与を疑うべきだと彼は判断したのだ。

 

 数少ない己と同格の存在が、今この街に居る。そしてどういう経緯であろうが今戦闘をしている。

 

 これら二つのことから導き出される答えは、法国による陽光聖典奪還の試みであるという結論であった。王国の貴族がこれほどの強者にそんな伝手がある訳もないのだから、そちらの方面は切り捨ててもいいだろう。つまり目の前の女性が自分を足止めしている今この時、陽光聖典が助け出されている真っ最中だとガゼフは考えたのだ。

 

 大事な犯罪の証人が失われれば増々貴族共の腐敗が広がり、それは王派閥にまで広がっていくだろう。そんなことを見逃せるガゼフではない。とはいえ今は戦闘中。ガゼフが見る限りクレマンティーヌは消極的な戦法――回避と防御に重きをおいた戦い方をしているが、さりとて後ろを見せれば即座に隙を突かれることは想像に難くない。それに追ってこられれば挟撃の形になることも視野に入れなければならない。

 

 手詰まりだ。

 

 折しも戦っている両名が戦いをやめたがっているとは皮肉であるが、しかし互いの胸中など窺い知れるものではない故に、彼らの戦闘は続く。

 

――真祖の吸血鬼が居なければ、の話だが。

 

「ちょいと待ったぁ! ……待ちなんし!」

「あぁん?」

「む…?」

「か弱い乙女を襲う不埒で不逞な無頼漢! この残酷非道の冷血鉄血吸血鬼! シャルティア・ブラッドフォールンが成敗するでありんすよ!」

 

 満を持して登場したのは、残念悲惨の貧血熱血吸血鬼である。まあ貧血というよりは血が流れていないだけなのだが。ちなみに熱血の部分がラキュースに感化されたせいなのかどうかは彼女だけの秘密である。しかしかっこいい名乗りとともに見栄を切る彼女は、確かにその影響を感じさせるものであった。残念なことに。

 

「いきなり出てきて誰だよテメーは」

「む、貴殿はもしや…」

「問答無用でありんす!」

「なっ、待っ、グワァアアアーーー!?」

 

 開始2秒、それがガゼフが持ちこたえた時間だった。これは称賛すべきほどの偉業だと言っても過言ではないだろう。本気ではないとはいえ、手加減しているとはいえ、殺さぬよう細心の注意を払っているとはいえ、シャルティア・ブラッドフォールンと相対して数秒持ちこたえたということは、誉を受けるほどのことなのだ。

 

「…え?」

「くふ、弱っちいでありんすえ。女を手籠めにしたいなら相応の強さは必要というものでありんす。このわらわのように」

 

 茫然自失。今のクレマンティーヌを表現する言葉はそれ以外にないだろう。自身に近い実力を有する、世界有数の強者であるガゼフ・ストロノーフ王国戦士長がただ一撃の下に伏せられた。油断でもない、慢心でもない、謎の乱入者に警戒していたのは見て取れていた。攻撃された瞬間こそ警戒が一瞬緩んでいたようではあるが、どちらにせよクレマンティーヌをしてその攻撃がほとんど視認すら出来なかったことは間違いようの無い事実だ。

 

 気絶したガゼフの状態を認識出来た時点で言葉を失い、そして目の前の化物が自分に近付いてきたことで彼女は恐怖した。クレマンティーヌが強者であるからこそシャルティアの強さに気付いた、気付けたのだ。それはかつて所属していた漆黒聖典のトップが同じく化物だからこそであり、少なくともそれと同格、もしかしなくとも凌駕しているのではないだろうかと彼女は判断した。

 

 故に、正しくここは死地である。ガゼフと同じように牙を向けられて無事でいられるとは到底思えず、されど逃げる事すら叶わないと知っている。

 

 そう、クレマンティーヌは、恐怖で身を震わせていた。

 

「おや、どうしんした? もう怖い者などおりんせん。安心するがいいでありんすよ」

「ひっ……!」

 

 恩を売る――ひいては情報を得るために努めて優しい声で語りかけるシャルティア。怖いのはテメエだよ馬鹿野郎と言いたいクレマンティーヌではあるが、言えるわけもない。なんだか下心のあるようないやらしい手つきで抱きしめてくるシャルティアの、その体温は人に非ず。それに気付いた瞬間クレマンティーヌは更なる恐怖に包まれた。

 

 たとえ魔法を使用できるアンデッドであろうと彼女にとって敵ではないが、目の前の化物は別である。ただの吸血鬼などという生易しいものではないことが本能で理解できたのだ。

 

「ほらよしよし……くふ、猫耳と尻尾が似合いそうでありんすねぇ」

「ひぃぃ…」

 

 もはや狂犬のようであった面影は無く、一匹の震える子猫がそこにいるだけであった。むしろ彼我の戦力差を考えると人間と子猫以上の開きがあるだろう。

 そんなクレマンティーヌの様子に気が付くこともなく、さっそくシャルティアは目的である情報収集を始める。人間如きを救ったのは、恩を売るためでしかないのだから。

 

「さて、落ち着いたところで質問がありんす。ぬしはナザリック地下大墳墓という場所を知っていんすか?」

「……し、知らない」

 

 目的は不明だがとりあえず即座に殺されることはなさそうだと、クレマンティーヌは喉の奥でほんの少しだけ安堵の息をつく。しかし嘘でもついて機嫌を損ねようものなら即座に屍を晒すことになるだろう。そもそも基本的にアンデッドは人間の敵なのだから。吸血鬼なら尚更、自分をたっぷり血の詰まった水筒にしか感じないことは予想できるものだ。

 

「…まあそう簡単にいくわけありんせんか」

「…知ってることならなんでも話すから、こ、殺さ…」

「うん? それはいい心がけでありんすが……ふむ、なるほど。これがイビルアイの言っていた『行いは鏡』というやつでありんすか。くふ、わらわの美貌と優しさがあってこそとはいえ、確かに拷問よりも効率がいいかもでありんすな」

 

 イビルアイがこの光景を見ればちぎれそうになるまで首を振るだろう。違う、そうじゃない、と。

 

「では次。法国について明るい人物を知っているか……もしくはぬしがそうであったりしんせんか? 深い部分まで知っていればなおよしでありんす」

 

 ナザリックに関して否定の言葉が出てきたのを聞いてシャルティアが落胆したかと言えば、実はそんなことはない。砂漠で最初に拾った砂粒が、探し求めていた一粒の砂金だったなどということがあり得る筈もないのだから。法国についても同様だ。王国領の街で法国について明るい者、それも貴族であるラキュースがもつ情報以上のことを知っている者など、まず居ないだろう。

 

 しかし彼女は存外に運が良いようだ。何故なら――

 

「知ってる! 超知ってる! 知りすぎてヤバいくらい!」

「ほんとでありんすか!?」

「むしろ私以上に知ってる人間なんてほとんど知らないくらい知ってる!」

「なんと! ぬし以上に知らない人間が知ってる、知ら……んむ?」

 

 クレマンティーヌのテンパリ具合と、シャルティアのアホの娘具合が合わさって奇妙な空間が形成されている。とにかくなんとか役に立つことを主張して、殺されないようにしなくてはと彼女も必死だ。そもそも法国の情報をどれだけ垂れ流そうが彼女にとってはどうでもいいことであるし、懐も痛まない。むしろ鬱陶しい虫を継続して送り込んでくる鬱憤を晴らせるというものだろう。

 

「とにかく、知ってるというなら好都合でありんす。付いてきなんし」

「へ? うぇっ!?」

 

 付いてこいと言いながら、手を引っ張って黒い空間にクレマンティーヌを引きずり込むシャルティア。抵抗らしい抵抗も出来ずされるがままの彼女だったが、そもそもの筋力が違い過ぎて抵抗していたとしても気付かれなかっただろう。

 

 こうしてクレマンティーヌは期せずして風花聖典の追っ手――『草』などと呼ばれている者達から完全に逃れることに成功し、王都に連れ込まれることと相成った。彼女が次に相対するは、草ではなく薔薇である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イビルアイ! イビルアイ! 帰ったでありんすよ!」

「なんだ騒々しい……誰だそいつは?」

「暴漢に襲われていたところを助けてやったでありんす……さらに法国のあれこれを知っていんすの。疑っていたわけではありんせんが、ぬしの言っていた通りになりんした。感謝致しんしょう」

「…………ふむ。おい、そこのお前。悪いことは言わん、さっさと帰れ。いくらアホ……おっと、純真無垢そうに見えても詐欺の相手はもっと選べ。死ぬぞ」

「はぁ!?」

「…詐欺?」

 

 意気揚々と宿屋に帰ってきたシャルティア。他の面子は既に就寝しているようだが、当然アンデッドであるイビルアイに睡眠など不要だ。裏手に生えるピニスンに水をやり終えたところで騒がしいシャルティアと鉢合わせたのだが、話を聞いてみればまさに詐欺に騙されるアホの娘そのもの。そんな都合のいいことが探し始めた当日に起これば苦労はしない。イビルアイは考える間もなくただの詐欺行為だと断じた。

 

 だがそれに焦ったのはクレマンティーヌだ。嘘をつく気など毛頭なかったのにもかかわらず、シャルティアの殺気の籠った視線を浴びせられ――ただの被害妄想だが――必死に否定する。

 

「詐欺じゃないから! ほんとに! いい? 説明するけど! まず法国の成り立ちはかつて(~中略~)そして法国の暗部を司り六つからなる六色の聖典の内の一つ、最強の戦力を誇る『漆黒聖典』の内の一人、元第9席次こそこの私、クレマンティーヌ! 英雄級の強さを持つ(~中略~)それで、聖典はそれぞれ役割が異なってるけど、基本的には人類の守護者であろうとしてる。例えば小国が亜人の攻勢による危機に晒されていれば陽光聖典が出向くし、不吉な予言がなされれば風花聖典が調査に出向き、緊急の事態と判断されれば漆黒聖典が対応する。色ごとに巫女姫と呼ばれる存在が居て(~中略~)それで、例えば儀式魔法の力を借りて超高位階の魔法を使用することもあるの。存在を秘されている『ぷれいやー』の血を色濃く受け継ぐ者達は神人とか呼ばれてて、異常な力を持ってる。実際のところは解らないけど、真なる竜王とも対等に戦えるらしくて……えーっとあと、あれ。世界を支配できるとも言われる超高性能なマジックアイテムがいくつか保存されてるとかどうとか! ……これでどう!?」

「お、おう」

「…? ふむ。…? んん?」

 

 疾風怒濤の情報暴露である。もはや幼児のオムツもかくやと言わんばかりの垂れ流しっぷりであり、法国の上層部がこの光景を目にしていれば脳の血管が2、3本ブチ切れること請け合いだろう。ちなみにもし竜王がいれば法国との全面戦争開始の合図である。神人の存在が暴露されるというのは、そういうことなのだ。

 

「……本当だったようだな、すまん。というかそんな事まで言ってお前は大丈夫なのか?」

「全然大丈夫じゃねえよ! バレたらあのクソガキが殺しにくるわ!」

「う、うむ、すまん」

 

 彼女が漆黒聖典を抜けた程度で、彼等は動かない。何故なら漆黒聖典の隊長は、それ以外のメンバーが束になってかかったところで一蹴できる強者だからだ。

 彼女が風花聖典の秘宝を盗んで逃げたところで、彼等は動かない。何故なら聖典の横の繋がりは薄く、それぞれに面子というものもあるからだ。

 しかし彼女が神人の存在を吹聴しようとしたならば、法国はその全てをもって彼女の存在を抹消するだろう。正直テンパリ過ぎて言わないでおこうと思ったことまで言ってしまったクレマンティーヌは、涙目である。もはや口調も元に戻っているようだ。

 

「はぁ……どうしよ」

「あー、その、なんだ。『元』と言っていたが、今はどうなんだ? それにそんな実力者が暴漢に襲われていたというのは少し信じ難いんだが」

「暴漢っていうか、その、なんだろ。なんか王国戦士長だったらしいけど」

「…なに? それはガゼフ・ストロノーフの事を言っているのか?」

「そそ。あと『元』ってだけに今は法国に追われててさー、あっちが殺しにかかってくるんだから当然こっちも殺すじゃない? その現場を見られて誤解から戦闘になっちゃってねー」

「ふうむ……いやまて、ということはつまりあの男シャルティアに…」

「どうだろ。死んではなさそうだったけど」

 

 シャルティアのことをそっちのけで話し込む二人。ポケーと話を聞いているシャルティアは、先ほどのクレマンティーヌの長い説明を咀嚼するのに時間が掛かっているようだ。ハテナマークが頭上に乱舞しているのが見て取れる。

 

「で、追われてる理由はなんだ? やはり裏にかかわりが深い者の離脱をゆるさないからか? 踏み込んで悪いが、簡単に信用すると言うのも無理な話でな。何故王国に来た?」

「抜けた理由は言いたくない。王国にきたのは単なる目晦ましだし、理由はないかなー。追われてるのはどっちかって言うとー……行きがけの駄賃に秘蔵のアイテムかっぱらってきちゃったからかな」

 

 テヘペロ、と頭を掻くクレマンティーヌ。法国の至宝とも言える逸品を盗んでおいて見上げた根性である。イビルアイもなんとなく彼女の性格を察してきたようで少し呆れているようだ。とはいえその内の狂気と歪みには気付かない。それはクレマンティーヌが上手く隠しているというのもあり、嘘をつくのではなく言葉をわざと少なくして勘違いさせるように持っていっているからだ。

 ここまでのシャルティアとイビルアイの行動と言動から二人は間違いなく善よりの存在だと確信しているため、不興を買うような言動をわざわざすることもない、と。

 

 大変な間違いである。

 

「ところでー……『イビルアイ』って『蒼の薔薇』のだよね?」

「ん? ああそうだ。そういえば自己紹介もまだだったな、私はイビルアイ。そっちがシャルティアだ」

「クレマンティーヌ。ふーん……やっぱりそうか」

 

 戦う者として、強者の情報は嗜みとして調べるものである。というよりか強ければ自然と名が通り、国すら越えて聞こえてくるとなればそれは『本物』だ。

 さきほどクレマンティーヌが戦ったガゼフ然り、諸国に名が通るほどの者となれば漆黒聖典の下位程度の実力は有しているといえよう。

 

 シャルティアが発した『イビルアイ』の一言でクレマンティーヌが彼女の正体を察したのは当然でもあり、音に聞こえたアダマンタイト冒険者チーム『蒼の薔薇』のマジックキャスターだということはすぐに気付いた。クレマンティーヌはマジックキャスターに大した興味はないが『蒼の薔薇』所属の戦士『ガガーラン』のことは多少の情報は知識にある。自分に勝てはしないまでも、善戦できる存在の把握は重要なのだ。

 

「…さっきからその視線はなんだ?」

「ううん。もしかして貴女も吸血鬼なのかなーって」

「――っ! ……シャルティア。仮面と外套はどうしたんだ」

「鬱陶しいから脱いだでありんす」

「あほー! 私の正体までバレたじゃないか!」

「別に気にするようなことでもありんせん。その女もわらわに恩を感じているのだから問題ないでありんしょう? そう言ったのはぬしでありんすえ」

「いや、言ったが……言ったけど。くっ…」

 

 そんな単純に捉えることじゃないだろうと突っ込みたいイビルアイだが、自分の言い分を受け入れて、そしてそれが成功して喜ぶシャルティアに水を差す気にはなれない。恩を感じていても人は裏切るのだと言ってしまえば、先日の話の説得力など皆無だろう。

 

「あー、別に気にしないけど。マジで危険なアンデッドなら冒険者とかやってないでしょ? まあ法国出身者が言っても信じられないだろうけどさー」

「まあ……そうだな。聖典というからには敬虔な信者の集まりではないのか? いつだったか亜人の集落を襲っていた法国の者達と一戦交えたことがあるが、あいつらの人間以外への侮蔑と嫌悪は根っからのもの――そう教え込まれてきたものだろう」

「あははー。私が敬虔な信者に見える?」

「うむ、まったく見えんな」

「ああ!?」

「そこは怒るのかよ!」

「経験なら、わらわ豊富でありんすよ!」

「シャルティア、少し黙っていてくれ」

 

 ぐだぐだになりそうなところをなんとか留めるイビルアイ。シャルティアの正体が吸血鬼だとバレたのは、法国の人間――それも元暗部出身だというのなら当然とも言えるだろう。そしてそんな吸血鬼と親しく喋っている者が顔も姿も隠していれば、疑われるのも仕方ない。

 

「整理しよう。お前は法国の裏組織出身で、今はそれに追われている身なんだな? 抜けた理由を言いたくないというのならそれはいいが、何か目的はあるのか? あとこれは単なる好奇心だから断ってくれてもいいが、法国の秘蔵のマジックアイテムとはどんなものなんだ?」

「質問ばっか。そうねー……目的はあるっちゃあるけどー。ま、どっちにしても今は達成できるとは思えないからね。とりあえずうざい追っ手も撒けたし適当にうろつくかな。アイテムは欲しいならあげるけど」

「なに? そんなぞんざいな……法国秘蔵の品なら値段がつけられんほどのものだろう」

「使い道が限定されすぎて使いようがないのよ。持ってきたのも嫌がらせみたいなもんだし」

 

 彼女が法国から盗み出してきたものは『叡者の額冠』と言われるものである。使用者に多大なデメリットはあるものの、その者の限界を超えた位階魔法を儀式によって扱える、秘宝と呼ばれるに相応しい逸品だ。とはいえ適性がなければ使えない、適性は百万人に一人レベル、使えば廃人一直線の呪いのようなマジックアイテムだ。彼女にとって価値があるとは言えないだろう。

 

「ほう、これが……ふむ、確かに異様な力を感じるな」

「へえ? わかるんだ」

「ふん、その漆黒聖典とやらがどれだけの集団かは知らんが、私も伊達にアダマンタイト冒険者を名乗っているわけではないぞ? お前が戦った王国戦士長程度なら、状況にもよるが完封できる自信もある」

「…へえ」

 

 漆黒聖典の面々は、諸国が王国戦士長『程度』を最強と目していることに失笑を禁じ得ないと見下していたが、しかしクレマンティーヌは思う。戦力の量り間違いはこちらも同様だったのではないだろうかと。少なくとも今目の前にいる内の一人は漆黒聖典の隊長、それどころか番外席次の域にまで達しているかもしれないほどだ。そして今言われた言葉が真実ならば、イビルアイと名乗った彼女も聖典上位に食い込む強者なのだ。

 

 イビルアイの方はともかく、シャルティアと名乗る少女が――そんな存在が今まで全くの無名だったということには意図的な何かを感じずにはいられない。そもそもそんな存在が居るとすれば、それは――

 

 そこまで考えて彼女は気付いた。そう、それは『百年の揺り返し』に関係するものではないだろうか。

 

 法国では上位に位置している漆黒聖典に所属していた彼女に、多少なりともその知識があるのは必然だ。そしてこの世界において隔絶した強さを持つ者は『竜王』か『ぷれいやー』の関係者くらいのものなのだから、シャルティアをそうだと思うこともまた自然な流れだろう。

 

「もしかして……『ぷれいやー』?」

「ほう、やはりそういったことにも詳しいのか。だが生憎と、シャルティアは『えぬぴーしー』だ」

「げ……ま、魔神?」

「さてな。お前達が何を指して、どの状態をなんと呼んでいるか知らんが、シャルティアは『百年に一度の来訪者』に間違いはない。その辺についても聞きたいのだが…」

「うーん……私もそこまで詳しく知ってるわけじゃないんだけど」

 

 おおまかに『ぷれいやー』関連のことを話すクレマンティーヌ。結局はイビルアイが知っている以上の事が話されることはなかったが、しかし元々欲していた情報――法国の戦力や構造はしっかりと収集できたようだ。そして先ほど耳にした神人の情報は、やはりイビルアイにとっても絶対に漏らせないものとなった。

 竜王と法国の戦争が始まれば、その周辺の国家も余波だけで滅びかねない。最悪人類が滅ぶレベルなのだから、もはや記憶から抹消したいぐらいのものだろう。

 

「ふむ……やはりシャルティア一人の戦力でどうこうできるものではなさそうか……?」

「さあねー。どっちが強いかなんて戦ってみなきゃわかんないし?」

「わらわが勝つに決まっていんしょう。この身は至高の御方に創造された最強の守護者でありんす故に」

「それはそうかもしれんが、やはり数が問題だ。お前と同格か、少し下回るとしてもそれが複数人いて間違いなく勝てるとは言い切れんだろう? それはいくらなんでも慢心が過ぎるし、そのつけは死に直結しているんだ。私はお前がナザリックに帰還できるまで協力すると約束したんだ、だからお前も自分の命を大事にしてくれ」

「む…」

 

 『ぷれいやー』に負けた記憶が彼女の脳裏に蘇る。かつてのナザリックへの大侵攻、たとえ数の暴力に蹂躙されたという言い訳ができたとしても、彼女が負けた事実は変わらない。それに攻めてきた存在の殆どが彼女と同格の存在であるのは間違いようない事実だったのだから。

 至高の存在によってその侵攻は当然のごとく半ばで終わったが、それでも守護するべき御方らの手を煩わしたという事実はなにものにも代えがたい屈辱である。

 

 そして、その時分には居た至高の41人が、今は居ない。同僚すら居ない。たとえ死んでも復活させてくれる者は、ただ一人として存在しない。たった1回の選択ミスがナザリックへの道を完全に閉ざしてしまうとすれば、いくらシャルティアがアホでも慎重にならざるを得ない――つまりイビルアイの提言を素直に聞く必要があるだろう。

 

「…難儀なことでありんす。まぁ少しでも前進しんしたのは喜ばしい、か。クレマンティーヌ、でありんしたね。これからもわらわのために励むことをゆるしんしょう。特別に、名を呼ぶこともゆるしんす」

 

 もう少し《ゲート/異界門》の範囲を広げるための散策をしてくる、と言いのこしてシャルティアは飛び去った。残ったのは驚愕に彩られた表情のクレマンティーヌと、苦笑いをするイビルアイである。

 

「…え?」

「あー……なんというか、すまん」

 

 恩を与えればもはやそれは僕のようなもの、とシャルティアは認識したようだ。もっともっと噛み砕いて説明するべきだったかとイビルアイは後悔し、クレマンティーヌに憐憫の目を向ける。

 

「逃げるか? 私は追わんが」

「…法国と魔神に追われて、ついでに王国にも指名手配くらいそうな状態になれって?」

「はは、中々楽しそうだ」

「ううう……アダマンタイト冒険者チームと、あんなのの近くに居たら目立つどころの騒ぎじゃない…」

「…仮面と外套、貸そうか?」

「ダサいからいい」

「くっ、どいつもこいつも…」

 

 一流の戦士、一流の信仰系魔法詠唱者兼神官戦士、一流の元暗殺者二人、伝説の吸血鬼に、それを遥かに凌駕する吸血鬼の真祖。新たに加わる七人目は、英雄の領域に踏み込む人間種最強クラスの剣士。もはや蒼の薔薇だけで一国の戦力を超えている有様である。

 

 溜息をつき、どうしてこうなったんだとクレマンティーヌの叫びが宿屋に響き渡った。『うるさい!」と隣の部屋からカベドンをくらった彼女は、かつてないほどに情けない顔をするのであった。

 





レズ、ショタ、中二病、童貞食い、金髪ロリ吸血鬼、銀髪ロリクレイジーサイコレズ吸血鬼、快楽殺人者。

楽しそうなパーティでなによりです。


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日常と幕間

ちょい短め。繋ぎのお話しです。


「どらぁっ!」

「おっそー。やる気あんの? ほらほら、こっちこっち」

「ちっ、この…!」

「隙だらけよ――っとと! 危なっ…!」

「くそ、惜しかったか」

 

 王国の要とも言える、王都『リ・エスティーゼ』 当然王国領の中でも随一の面積を誇り、故に当然ながらそこに滞在する冒険者も多い。となればある程度訓練や修練を積む場所がそこかしこに点在するのもまた必然である。

 

 ここはそんな広場の内の一つであり、多目的に使われる場所ではあるが本日は冒険者用に開かれているようだ。依頼の無い冒険者チームがまばらに散って、思い思いの練習をしている――いや、していた。

 

 国単位で見ても非常に少ないアダマンタイトの冒険者。その中でも特に有名な――女性のみで構成されているということでもだが――『蒼の薔薇』のチームの人間が模擬戦をしているとなれば、練習など手に付くはずもない。好奇心ということもあるが、やはり優秀な冒険者の戦いを直に見る事は、百の経験とは言わずとも十の経験に勝る程度には重要だろう。

「よっと。はい、終わりー」

「ぬ、ぐ…」

 

 終始圧倒していた女性の方が、余裕綽々といった風にスティレットを相手の首筋に突きつけたところで模擬戦は終了した。戦闘をしていたのはガガーラン、そして新しく加入したクレマンティーヌだ。

 

もはや逃げられぬのなら、逆に庇護下に入ってしまえと言わんばかりにシャルティアにすり寄っていったクレマンティーヌ。

 

 その態度を見たシャルティアは、新しい手下は非常に従順かつ素直で容姿も充分、必要な知識もあり、ついでにそこらの有象無象よりは強いということで素晴らしい拾い物だったと高笑いをしていた。ちなみに夜の方も素直で従順だったそうな。

 

「凄い……ガガーランを子供扱いなんて、イビルアイくらいしかできる人知らないわよ? あ、あとシャルティア」

「尻尾も似合ってた。良い拾いもの」

「ティア、お前はもう少し節操というものを持て。シャルティアが来てからいっそう酷くなってるぞ」

「ウィンウィンの関係だから問題ない」

「…私を巻き込むなよ」

 

 少なくないギャラリーの中、それでも目を引く美女の集団。今戦っていた二人を除いた『蒼の薔薇』の全員だ。朝の起き抜けにいきなり紹介された新人を品定めする意味でここにきた訳であるが、結果を見れば正反対――彼女達こそが試される側だと言ってもいいほどの実力だったわけだ。無論二人の例外を除いての話だが。

 

「くふ……クレマンティーヌ。ぬし、中々どうして使えるではありんせんか」

「お嬢ほどじゃないけどー、これでも人類の守護者とか呼ばれてたぐらいだし。ね? 役に立ちそうでしょ?」

「ふむ……これなら正式に眷属にしてやってもいいでありんす」

「え? あ、あははー……そ、それはまた今度の機会に…」

「おやおや。人間を辞める程度で臆するとはまだまだでありんしたか? ……ま、気持ちは解らんでもありんせん。決心がついたらすぐに言いなんし」

「はーい、お嬢」

 

 呼び捨ては怖い、一応仲間なので様付けもなにか違う、さん付けは他人行儀すぎるということで、クレマンティーヌからシャルティアへの呼び方は『お嬢』となった。どこぞの姫君かお嬢様と呼ばれても違和感のない容貌のシャルティアにはぴったりだ。しかしそれにつけてもこの女、媚びっ媚びである。

 

「あーくそ。やっぱ英雄の領域ってのは、遠いぜ…」

「そう腐るなガガーラン、お前はお前だろう。少なくとも純粋な筋力ならばクレマンティーヌにも引けを取ってはいないぞ」

「それ以外は全部勝ってるけどねー」

「ええい、お前はもう少し人に気を使え新入り! まったく…」

 

 ガガーランは一流の戦士だ。それは間違いない、間違いないのだが……やはり超一流である『英雄』の領域には届かない。指先は届いているかもしれないが、しかしそこまでなのだ。年齢も既に若いとは言えず、伸び盛りの時期は過ぎた。渇望しても届かない、自分の限界を薄々と感じている今日この頃。それは今のクレマンティーヌとの戦いでさらに実感してしまうこととなった。しかもクレマンティーヌの心無い――わざとだが――ひと言で更に気を落ち込まされている。

 

 しかし更に更に心無い言葉の槍が彼女を襲う。

 

「人……でありんすか?」

「オ、オークにも気を使え新入り! まったく…」

「おいイビルアイ。後で宿屋の裏な」

「な、なんで私が悪くなってるんだ」

「今のはイビルアイが悪いわね」

「同意」

「最低」

「うぐ…」

「オ、オークっ、くひっ」

 

 いまだにガガーランのことを人間ではないと勘違いしているシャルティアを誤魔化すためイビルアイはわざわざ言い換えたのだが、流石に酷すぎである。ちなみにクレマンティーヌは耐えられず地に屈した。これはガガーランの判定勝ちとも言えるかもしれない。

 

「ふむ、わらわは生まれついての強者ゆえ解りんせんが……強さが欲しいでありんすか? ガガーラン」

「ああ。わりいか?」

「くふ、弱者が強さを望むのは滑稽ではありんすな。然りけれど、今は一応仲間とも言える間柄。わらわが強くなる方法を指南してやってもいいでありんすよ?」

「マジか!?」

「然り、わらわが噛めばぬしは一瞬にして吸血オーク。馬鹿力がさらに増し、その一撃は山をも砕きんす」

 

 無茶苦茶だが間違ってはいない。彼女が吸血行為をし、眷属を創る意思があればガガーランは吸血鬼になり強くなるだろう。亜人は人間よりも強く、そして吸血鬼は亜人よりも強い。無論実力など個人個人によってまるで違ってくるが、そもそものスペックが人間種は脆弱なのだ。吸血鬼になればいくつかの技能が失われるだろうが、それでも得られるもののほうが大きくなるのは事実だ。

 

 しかし――

 

「…そのまま強くなりてえんだよ。自分が自分のままで。英雄の領域に立ちてえんだ…!」

「ふうむ……我儘でありんすねえ。ならばここはひとつ、わらわが創造主ペロロンチーノ様の仰っていた『英雄のてんぷれ』というものを教えてあげんしょう。そこにきっとヒントが隠されているでありんす」

「『てんぷれ』? なんだそりゃ」

「御方が言うには、それがそうであることに必要不可欠なものである、ということでいんした。つまりそれを……英雄の『てんぷれ』とやらをなぞれば、ぬしは英雄に近付けるということでありんす」

「おお!」

 

 ペロロンチーノがここに居れば、きっとこう突っ込んだに違いない。そんなわけないでありんす、と。

 

「幸いにして『アインズ・ウール・ゴウン』は悪のカリスマギルド。悪に拘るならば、それは正義に拘ることと同義であると御方らがよく議論していんした。『英雄』の条件とやらもよく話されていたでありんす」

 

 特に、悪に拘りを見せる男『ウルベルト・アレイン・オードル』はそういったことに情熱を燃やしていた。シャルティアとて全ての至高の存在に軽々しく近付くことなどできはしなかったが、悪を愛する彼と……そして正義を為すワールド・チャンピオン『たっち・みー』の声はあらゆる意味で大きく、そしてその喧嘩のような言い合いは時と場所を選ばなかった。故に記憶の断片に彼等の会話が残っているのだ。

 

「確か……うむ……はて。むむむ……そう、あれは、あれは…………うん、忘れたでありんす」

 

 訂正。残ってはいても引っ張り出せないのが、シャルティアクオリティなのだ。

 

「そこまで言ってかよ!? ……何か少しでも思い出せねえのか?」

「うーむ……あ、一つ思い出したでありんす」

「おお!」

「確か……『死』が必要である、と仰っていたでありんすな」

「死? どういう意味だよ。死ねってか?」

「うむ『強くするなら、とりあえずいっぺん死んどけ的なとこあるよねー』と仰っていんした。『死』が必要というのはつまり……『一度死んで復活』するという意味でありんす。古今東西、英雄というのはそれによって覚醒するらしいでありんすな」

 

 それは英雄ではなく主人公である。

 

「んなこと聞いたことねえけどな……だいたい、死んでから復活できたとしても弱くなるのが通説だろうよ」

「わらわもそうは思いんすが、至高の御方の言うことに間違いなどありんせん。ガガーラン、ぬし…」

「あん?」

「いっぺん、死んでみるでありんすか?」

「嫌に決まってるだろうが! そんなあやふやな記憶で誰が死ぬってんだよ。ったく」

 

 突っ込み疲れたガガーランは、今しがたのやり取りにお腹を抱えて笑っているメンバーを一睨みして溜息をつく。とはいえ自分の実力に悩み、新人にそれを突きつけられ、挙句の果てに人間扱いされていない現状ではそれも当然だろう。むしろ普通の感性をしていれば、怒って帰るレベルである。

 

「ふう……あれも嫌、これも嫌。これでは弱いのも納得でありんす。ぬしもそうは思いんせんか? クレマンティーヌ」

「ほんとほんと。お嬢の言う事はいちいち正論だよー」

「クレマンティーヌ、お前……ほんとにそのキャラでいくのか? 無理してないか?」

「黙らっしゃい。仕方ないでしょうが」

 

 渡る世間は鬼ばかり。薔薇の中には鬼二人。彼女とて好きで媚び諂っているわけではないが、現状では仕方がないのである。

 

 普通の人間でも機嫌が悪い時、何かにあたってしまうことはよくあることだ。しかしこの世界では個人個人の強さが信じられないほどに離れていることがあるため、それ故に自制心というものが大事なのだ。イラついて、つい殴りつけてしまった時にそのレベル差が20あったとしよう――間違いなく大惨事だ。下手をしなくとも首から上が消失してしまうかもしれない。

 いわんや、クレマンティーヌとシャルティアのレベル差などそれ以上だ。どうみても精神お子様で癇癪持ちなシャルティアの機嫌を損ねてしまえば、つい殺されるかもしれない。だからこそ彼女は両手をもみもみ、シャルティアを持ち上げるのだ。ちなみに昨日はもみもみされて持ち上げられたらしい。どこをとは言わないが。

 

「さてと! それはともかく、これからよろしくねクレマンティーヌ。『蒼の薔薇』は貴女を歓迎します。実力は充分理解できたし、とても心強いわ!」

「ま、不本意ながらだけどね。一応よろしくー」

「小憎らしい言い方だな、まったく……そういえば冒険者登録をしなければならんな。この際だ、シャルティアとまとめて済ませてしまうか?」

 

 その言葉に驚きを露わにするラキュース達。確かにパーティとはいっても、それは彼女達がそう言っているだけに過ぎない。対外的にそう認めさせるならば、冒険者組合への加入は必須事項だろう。

 とはいえ彼女達が今までそれをしなかったのは王国のためだ。いきなり新人が『蒼の薔薇』に加入などということになれば、嫉妬にかられた一部の馬鹿がシャルティアへちょっかいを掛けるのは想像に難くない。そしてそんな馬鹿のせいでシャルティアの怒りがどこぞに飛び火すればたまったものではないのだ。それを忘れたのか、と言うようにガガーランがイビルアイに耳打ちをして確認する。

 

(おいおい、マジで言ってんのか? イビルアイ。どう考えても騒動の種にしかなんねえだろうよ)

(うむ……だが口だけでパーティ加入というのもな。形式とはいえこういったことは意外と重要で、証が目に見えれば愛着もわくかもしれん。なによりシャルティアの方も随分角が取れてきたように思えるし、良い機会だと思わんか?)

(そいつはそうかもしんねえけどよ……いや、お前がそう言うなら大丈夫か)

(ああ。何かあれば私がサポートするさ)

 

 密談は終わり、シャルティアとクレマンティーヌの二人に向き直るイビルアイ。美少女に美女といってもいいこの二人が、今この国でほとんど最強と言っても過言ではないという事実に苦笑いが浮かぶが、それを飲み込む。こんな簡単なことで愛着をわかせようなどと、臍で茶がわくようなものだ。

 しかし踏み出さねば何も変わらない。自分のため、彼女達のため、仲間のため、そして国のためにもできることは全てやるべきだと、イビルアイは決断した――が、続けて言葉を発する前にシャルティアから否定の言葉が出る。

 

「お断りでありんす。わらわは守護者であって冒険者ではありんせん。ぬしらはあくまで仮の仲間だということを忘れていんせんか? あまり調子にのるようなら――」

 

 シャルティアが最後まで言葉にする前に、イビルアイは仮面を外す。少し頬を染めながら上目遣い。両手を胸の前に持ってきて、瞳を潤ませる。

 

「しゃるてぃあとパーティ、くみたいな」

 

 グハッとシャルティアが血を吐いた。後ろには何やら巨体のバードマンの幻影が見えており、親子ともどもノックアウト寸前だ。だがそれも仕方ないだろう。何せ金髪ロリ吸血鬼が上目遣いでおねだりをかましてきているのだから、変態紳士の血脈である彼ら彼女らに抗うすべなどない。しかも狙ったように舌足らずで可愛くなのだ。

 

 まあ狙っているのだが。

 

「も、もう一回!」

「続きはパーティに入ってからだ」

「ええい、何をしているでありんすか! さっさと冒険者組合に向かうでありんすよ、クレマンティーヌ!」

「ちょ、そっちは逆の方向……お嬢待ってー!」

「うお、速えっ!? さっきの戦いでも本気じゃなかったのかよ…」

 

 人外の速度で駆けていく二人。特にクレマンティーヌは爆風のような速度で砂煙を上げて走っている。武技『疾風走破』を使用してはいるものの、シャルティアに追いすがる様は流石と言えるだろう。むしろ素な上に全力ではないシャルティアがそれと同等というのがおかしいのだが。

 

 そしてそれを見やりながら、イビルアイは後ろの仲間達へサムズアップをするのであった。えげつねえな…とガガーランの独り言が空に消えゆく、そんな昼日中の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風花聖典における『草』 それはさながら異世界――こちらの世界から見た場合だが――に昔存在した『根』のようなものである。あるいは同じく『草』と呼ばれていたりもしていたが、とにかく彼らの役割は情報の収集に尽きる。それはどこかへ潜入するといったスパイの花形のような役目ではなく、その地域に違和感なく溶け込み市井の情報を集め分析するといった地味な活動が多い。

 もちろん場合によっては戦闘をこなす者なども存在するが、やはり実力としては大したことがない。

 

 ――とはいえ少人数で防衛されている程度の地下牢に押し入り、目的の人物を救出することなど造作もないことではある。なにせ弱いとは言ってもそれは法国が誇る聖典の中での基準だ。一般的に見た場合、冒険者の上位勢にも引けをとらない程度には鍛えられている。

 

「禍災でありましたな、陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーイン殿」

「うむ。だがこうして救いの手が差し伸べられる機会があることこそが、神の導きなのだろう。もちろん貴様達にも感謝している」

「は……戦士長が貴族共を警戒するあまり、限られた人物のみでの監禁だったこと。あの裏切り者がこの街にきたこと。そして謎の闖入者の存在。そして何より我等の情報網に引っかかり、絶妙のタイミングで救出が可能だったこと。ニグン殿が仰るように、全て神の御導きに他ならないでしょう」

 

 風花聖典の根草はあらゆる場所に潜む。それは自国のみならず、人間の生存圏に存在する全ての国においてもだ。王国の要所とも言えるこの街に常駐していることもまた必然であり、なればこそガゼフが心血を注いで秘匿しようとした陽光聖典の存在も知ることができたのである。

 

「しかし……その闖入者。王国戦士長を意にも介さず、元とはいえ漆黒聖典『クインティアの片割れ』を怯えさせるとはいったい何者なのだ」

「潜んでいた者によると、吸血鬼……それも『真祖の吸血鬼』と名乗っていたそうです。聞いたことのない種族ではありますが、まず間違いなく吸血鬼の上位種であると考えられるかと」

「厄介な……下手をすると伝説の『国堕とし』の再来やもしれん。報告は既に上げているのだな?」

「はい。しかしニグン殿も知っての通り、漆黒聖典は巫女姫の予言により破滅の竜王の捜索を最優先としています。早急な対応は難しいでしょう」

 

 そして風花聖典の者はクレマンティーヌにより虐殺されてはいたが、その全てが死んだ訳ではない。当然のように戦闘を監視し、裏切り者を見失わないよう細心の注意を払っていたのだ。

 つまり彼等にとって陽光聖典の奪還は二の次であり、今ここで救出していることは彼等にとっても予想外のことだった。だがガゼフという障害は気絶。クレマンティーヌは完全に見失ったため手詰まり。ならば余力を陽光聖典奪還につぎ込むのは当然の行動と言えるだろう。

 

「しかしやつの首を取れなかったことが悔やまれる…」

「それについては謝罪のしようがありませんな」

「ああ、解っている。他の聖典の任務内容など知っているほうが問題なのだからな」

 

 無防備に気絶しているガゼフを放置した風花聖典。それはひとえに聖典同士の繋がりが希薄なせいだろう。とはいっても情報の漏洩を考えればそれは当然の対策ではあるし、ニグンが言うように知っているほうが大問題である。

 風花聖典にとっても陽光聖典の捕縛は青天の霹靂であり、この街に入ってきて初めて知ったことである。故に本国からの指示を待っては手遅れになる可能性があり、この救出作戦も独断に近いものとなっている。

 

――それは今この街に詰めている者が末端だったからこそ、ではあるが。実際のところ陽光聖典の動向は風花聖典によってある程度監視されていたし、状況もそれなりには把握されていた。まあどちらにしてもこの状況に至ったならば救出の指示が出ていたことに変わりはないだろうが。ただでさえ脆弱な人間の勢力、その中でも精鋭の集団であり、多数の殲滅に向いた彼等を失う愚は法国とて犯したくないのである。

 

「この失態、どう償えばいいものか…」

「心中お察しします」

 

 風花聖典の隊員も不憫な者を見るような目でニグンに視線を向ける。任務の内容など知る由もないが、あろうことか王国の戦士長にとっ捕まるような大失態を演じたことだけは間違いないのだ。ニグンが優秀な指揮官であるとはいえ、何らかの処分は免れないことだけは理解できる。

 

「なるようにしかならん、か……では陽光聖典はこれより本国に帰還する」

「はい。我らは裏切り者と件の吸血鬼の足跡を追います。どちらにしても放っておける存在ではありません」

「ああ、息災を祈る。無理をするなとは立場上言えんが、まず間違いなく漆黒聖典預かりになる案件だ。犬死にだけはないようにしろ」

「肝に命じます。では」

 

 本物の国堕としがこの会話を聞いていれば、勘弁してくれと涙目になっているだろう。まあどちらにしても賽は投げられた。恐ろしい吸血鬼の存在は法国の知るところとなり、法国の戦力の大部分は吸血鬼ツインズの知るところとなった。争いが始まるかどうかは――

 

 きっと、運次第。意外と番外席次がごろにゃんとおねだりすればいけるかもしれない。ロリコンでロリでビッチな因果は果てしなく続くが故に。





ガガーランが藁人形を手にする日も近い


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狂気を晒す王女 今日樹を探す老女

めっちゃ壊れです。閲覧注意!


 王都リ・エスティーゼ。この街を首都とするリ・エスティーゼ王国は、一部の識者から見ればもはや詰んでいると評される。それは王国の上層部――すなわち貴族の腐敗、国民の諦観、裏組織の横行と様々な要因があるわけだが、その最たるものといえばやはり帝国との戦争にあるだろう。

 

 秋の収穫の時期に、見計らったように王国に戦争を仕掛ける帝国。事実それは王国の国力低下を睨んだ政略の一手でもあり、そしてそれを金に目がくらんで手伝う者が貴族の中に存在するということが、この国のどうしようもなさを表していると言えようか。

 

 幸いと言えるのかは解らないが、国のトップである王の派閥だけは比較的まともな部類に入り、彼等がその手腕を十全に振るうならば国民が今ほど困窮することもないだろう。

 

 振るえるならば、ではあるが。

 

 残念ながら今この国で一番声がでかいのは、王ではなく貴族だ。何をするにも貴族の顔を窺い、派閥間の力関係の調整を余儀なくされる。強行に出れば貴族が離反し、国そのものが瓦解しかねないだけに何事も慎重を期さなければならない――たとえそれが理不尽で卑怯な罠かもしれないと解っていてもだ。

 

 直近の一事で言うならば、ガゼフが村を焼きまわる集団の討伐に赴いた際、装備をはぎ取られ戦士長にあるまじき貧相な装備であったこともそれが理由である。

 

 しかしその事実で王を憐れむというのはありえない。国を纏めるのはトップの役目であり、それができないならば王足り得ない故に。民を想うだけなら誰でもできる。それを実現して初めて『王』と名乗れる資格があるのだ。

 

 この国の王、ランポッサⅢ世は民を思う気持ちは本物だが、やはり能力に関しては凡夫と言わざるを得ないだろう。それこそバハルス帝国の皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスと比べてしまえば愚王とさえ言えるかもしれない。

 王の派閥は脆弱で、舵取りは容易ではない。

 

 しかし、だ。潜在的な勢力――特に戦力に関しては貴族派閥を遥かに凌駕しているとも言えるのだ。それは王国戦士長ガゼフ・ストロノーフしかり、アダマンタイト冒険者チーム『蒼の薔薇』もどちらかと言えば王寄りであることから窺える。もちろん冒険者は国を越えて活動する権力外の存在ではあるが、だからとって個人の感情までが縛られる訳もないだろう。王とはさして面識のない彼女らも、王国の第三王女『ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフ』とは交流が深い故に、心情的に王に肩入れするのは仕方のないことだ。

 

 何よりも、王女の神算鬼謀は人類という枠組みすら超えているのではないかという程の異常な能力であり、そしてそれがあるからこそ彼女達は王女と縁を深くするのだ。もちろんリーダーのラキュースなどは幼いころからの馴染み故に付き合いがあるということもあるのだが、それを差し引いても彼女の能力は王国の――王派閥の立て直しを可能にするのではないかと期待できるほどのものなのだ。ラキュースもこの国の未来を憂う貴族だからこそ、民のことを考える王を応援しているのである。

 

――当の王女本人が国のことなど一切考えていないのは、ともすれば滑稽にさえ見えるほどだが。

 

「……」

「ど、どうしたの? シャルティア?」

 

 そんな王女とシャルティアの初コンタクト。容姿端麗で物腰も柔らかいラナ―がシャルティアを紹介されて何か問題を起こすとは思えず、そして人類一とも言える頭脳の持ち主の助言はシャルティアにとっても有り難いだろうと思い、ラキュースはこの場を立てた。

 しかし顔を合わせた瞬間、シャルティアはラナーの瞳を凝視し動かなくなったのだ。

 

「…? お初にお目にかかります。リ・エスティーゼ王国第三王女、ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフと申します。お噂はかねがね聞いておりますわ。事情はラキュースから聞いていますので、微力ながらお手伝いさせていただきますね」

「――くきっ」

 

 事前に事情を細かに説明されていたため、見事な礼を持ってラナーはシャルティアへと挨拶をした。しかしその返答はというと、奇怪な――笑い声ともつかぬ、嘲笑を含んだ吐息であった。

 

「シャ、シャルティア?」

「何か不手際でもありましたかしら」

「く、ふっ、くひゃひゃっ! ああおかしい! どうしたもこうしたも、こんなおかしいことがありんしょうか!」

「…ラキュース?」

「…私にも解らないわよ」

 

 困惑するラキュース達をそっちのけで、狂ったように笑い続けるシャルティア。ラナーはいったい何が彼女の琴線に触れたのかとその明晰な頭脳で考えるが、この部屋に入ってから今までの短い間、どう思い返しても変なことは起きていない。もしや吸血鬼にだけ笑えるヴァンプジョークでもあったのかとイビルアイに視線を向けるが、どうやらそれも違うようである。

 

「ふっ、ふぅ……ああ、失礼したでありんす。あまりにもぬしらが滑稽でありんしたので、つい。許しておくんなまし」

「何がおかしいんだシャルティア。私には何も笑えるところなどなかったが」

「ああイビルアイ。ぬしも。ぬしもでありんすか。人を見る目というのは意外とあてになりんせんな。ああなんて滑稽で、なんて楽しいんでありんしょう。わらわ、人間が好きになれそうでありんすよ」

 

 ラキュースはシャルティアが何を言っているのかはよく解らなかったが、しかし状況からみてラナーの事を貶めていることだけは理解した。そして同時に疑問もわき上がる。一度顔を見ただけ、それもほんの数瞬でシャルティアはラナーのことを理解した――理解した気になっている。それは何故、と。

 

「…それはラナーの事を言っているの?」

「それ以外にどう聞こえんしたかラキュース? ぬしは言っていたでありんすな。博愛精神が豊かで、慈愛を持ち、民のために立ち上がる優しき王女と。くふ、これが? ちゃんちゃらおかしくて涙が出そうでありんす。ああ、なんてわらわ好みの澱んだ女人。クレマンティーヌも中々でありんしたが、こやつは群を抜いて狂っているでありんすな」

「……」

「な、なに言ってるのよ。ラナーは…」

 

 何を唐突に――と口に出そうとするラキュース。しかし内心で彼女はそれを荒唐無稽と切って捨てる事はしなかった。否、出来なかったのだ。偶に……極稀にラナーを恐ろしい怪物かと錯覚するような気分に陥ることがあった。特に幼少時はそれが顕著で、しかし成長と共にそのような面もなくなり気のせいだと思いこんでいた。

 

 けれどそれは間違いだったのかと、シャルティアの様子を見て疑念が再度湧き上がる。成長と共に隠すのが上手くなっていただけだとしたら? ならば今彼女はいったい何者なのだ。ラキュースはそう考え、身震いをする。

 

「シャルティアさん? よろしければ二人でお話しいたしませんか?」

「くふ、ああ恐ろしい。鬼毒酒でもきこしめせと命令されるでありんしょうか? それとももっと酸鼻を味わわせてくれるのかしら」

 

 シャルティアはあまりおつむがよろしくない、それは自他ともに認めるところであろう。けれど彼女は愚図ではない。頓馬でもなく、阿呆と紙一重でありながらも彼女は慧眼だ。

 

 イビルアイが多少の打算を含んでいるのも、クレマンティーヌが猫を被っているのも、誰もかれもが自分を中心にしているわけではないことを、彼女は知っている。あえて彼女は興じているのだ。

 

 道化を演じる訳でなし。彼女は彼女以外を道化と見做す。ナザリック以外を愛そうと思えばこそ、彼女はそうすべきだと心に綴り、誰にともなく諳んじる。

 

 そうすることで愛おしさも嘲りも、侮蔑も嫌悪も湧き出す悪意もなにもかもを綯交ぜにして彼女は生きられる。ナザリック以外のものは大事にできないけれど、オモチャとしてなら大切にできる。それはどちらが表でどちらが裏なのか、彼女にも解らない。

 

 彼女は自分を騙しているのだ。

 

 ああ、愛おしい。ああ、殺したい、嬲りたい、犯し尽くしたいと彼女は滾る。悪であれと創造された彼女は、そう思わずにはいられない。

 

 けれど創造主を絶対とする彼女は、それを探すために全力を尽くさねばならない。だから、だから彼女達は大切にしなければならない。そう――思いたい。

 

 ああ、愛おしい。ああ、殺せない、嬲れない、犯し尽くせないと彼女は嘆く。廃されたと想像できない彼女は、そう思わずにはいられない。

 

 イビルアイが愛おしい。ティアが愛くるしい、ラキュースが愛らしい、クレマンティーヌが愛愛しい。なるほど、それは事実だ。彼女の性的嗜好は誰憚ることなく常に開け広げなのだから。

 

 だからこそ壊したくて仕方がない。それが彼女のナザリック以外への愛情表現だから。

 

「そそりんす。殺したいでありんす。嬲って、犯して、引き千切りたい」

 

 紅い目をギラつかせて、彼女は嗤う。その稚気といえるような殺気は、たとえ歴戦の冒険者でも身を竦ませるほどの奔流で、実力的には一般人にも劣るラナーが正気を保てる筈もない。

 

 元が正気ならば――の話だが。

 

「…少し落ち着かれては? 隣の部屋の彼女達も貴女の本性は量れていないのでしょうね。表も酷くて裏も非道い。傍若無人で浅慮な暴君と予想していましたが、全く違うのですね。貴女は貴女で彼女達を気に入っているのでしょう? 鎖で繋いで抱きしめて、優しく壊したい。それに愉悦を感じて、その後で大切な物を失くしたと悲嘆に暮れる。歪み過ぎです」

「ぬしが言いんすか、狂人」

「私はそこまで歪んでいません。愛しい人と二人でいつまでも過ごせればそれでいいなんて、些細でささやかな少女の願いでしょう? けれど貴女は彼女達を好きなのに、貴女は彼女達を壊したい。それに気付かれたくもない。もう一度言いますが、歪み過ぎです」

 

 努めて冷静に。相手が興奮していても、自分が動じなければ沈静化していくものだ。恨みを買っていれば話は別だが、そういったことでもない。ラナーは自分を見て――自分の歪んだ部分を見て嗤うシャルティアを、冷めた目で見つめる。

 

 あっちが執着しようが、こっちはどうでもいい。自分に執着する者など掃いて捨てるほど見てきたものだ。それが貴族でも、オークでも、吸血鬼でも関係はない。その全てが剣を持っていれば、彼女に抗う術などないのだから。オーク程度に殺されるラナーが、オークの百倍強い存在を目の前にして恐怖が変わるわけもない。結果はなにも変わらない、それゆえに。

 

「…これは失礼。最近少々溜まっていんしたゆえ、自制がきかなかったようでありんす。わらわ反省」

「あら、意外と素直なのね。それにしても何故あのような状態に? 私になにかありましたか?」

「ふむ…」

 

 シャルティアも内心で首を傾げていた。我を忘れるほどラナーに執着するほどの何かがあっただろうかと。確かに美しいが、しかし好みで言うならイビルアイの方だ。ならばと考えてふと気づく。そして、ああなるほどと自答した。

 

 彼女はこれまで出会った者達の中で一番カルマ値が低い――ナザリックの者達のように。

 

 彼女はこれまで出会った者達の中で一番美しい――ナザリックの女性達のように。

 

 彼女はこれまで出会った者達の中で一番聡明な雰囲気を携えている――ナザリックの守護者統括か、もしくは守護者の悪魔のように。

 

「く、くく。たかが人間を見た程度でわらわが郷愁を? ああ、有り得てほしくはありんせんが…認めずには進めんせん。わらわも孤独には耐えられんということでありんしょうか、ペロロンチーノ様」

「……」

「醜態を晒してしまいんした……粗相の埋め合わせは幾何無く返しんす。わらわの本性はあやつらには黙っておいてくれなんし」

「ええ解りました。私のことも言わないでくださいね? あの子達に距離を置かれては取れる手段が狭まりますから」

「くふ、本当に歪んでいんすな。まあそれはわらわにとってどうでもいいこと……本題はぬしの協力でありんす。先程のやり取りだけでわらわの性をわずかなりとも見抜いたのは、中々の賢しさ。黄金、聡明叡知という呼称が大層な妄言でないというなら、わらわのためにそれを振るいなんし。見返りは言わずとも解りんしょう?」

「別に自称しているわけではありませんが。とはいえ非常に魅力的な提案ですので、受けずにはいられませんね」

 

 にっこりと笑顔を作って握手を求めるラナー。心底笑っているようで、その実空虚な空笑い……否、それも違う。確かに彼女は嬉しいのだ。シャルティアとの出会いが。

 

 彼女は自分とそれ以外を、人間と家畜ほどに差があると考えている。何故この程度が解らない? 何故この程度も解らない? 何故貴方達はそう愚鈍なの? 幼い頃は何度もそう思っていたが、成長と共にラナーは世界は『そう』なのだと実感できた。自分が異質で、彼等は普通なのだ。

 

 だから彼女は世界をくだらないと切り捨てて、だから映るもの全てが灰色だった。

 

 クライムに会うまでは。

 

 彼と出会って世界が色付き、彼と出会って世界が意味を持ち、そして彼と出会って彼女は狂った。狂気の種は元よりあれど、芽吹く筈もなかったその種子が、男と出会って萌芽した。異性によって価値観が変わることなど有り触れて余りあるが、彼女のそれは常軌を逸する。

 

 彼女にとっての愛とは、誰にも理解できない狂気を孕んだ執着心。クライム以外の一切がどうでもよく、クライム以外の全てが消えても、彼さえ残ればどうでもいい。

 

 まあ平たく言えばただのヤンデレである。それ以上でも以下でもない。

 

 ならば何が常軌を逸しているかといえば、それは彼女の智謀だ。ヤンデレは割とその辺にいる。天才も極稀に存在する。しかし超絶天才黄金ヤンデレ究極美女ティック王女様は中々居ないのだ。いや、絶対に居ない。断言してもいいだろう。

 

「ところで後学のために聞いておきたいのですが、何故私が狂っていると? 自分が狂っているという自覚さえあれば、狂気などいくらでも誤魔化せる――そう思っていましたし、貴女もそうではありませんか」

「眼。匂い。勘」

「あっはい」

 

 なんとなく以上のものはない。シャルティアは勘が良いスーパー吸血鬼なのだ。

 

「さて、では戻りんしょうか。しかし先ほどのやりとりはどう誤魔化したものでありんすか…」

「大丈夫ですよ。私の黄金の脳細胞を以ってすれば常人を誤魔化すことなど造作もありません」

「おお! 心強いでありんすな! で、どうすれば?」

「ええ。とりあえず話を合わしつつ、タイミングよく指示をだしますのでそれに従っていただけますか?」

「何ですって? わらわに命令をだそうとは、少々不遜が過ぎるでありんすえ」

「これから私の判断に基づいて行動することが多くなるでしょう? それに一々噛みつかれては本末転倒。そうなってしまうなら、私が貴女に協力する意味も義理も義務もありません」

 

 シャルティアが頼るのはラナーの頭脳。彼女の指示に従わないというのなら、どのみち彼女と縁を結ぶ意味はない。前述通り、シャルティアは自分の知識の無さとおつむの悪さは自覚しているのだ。ラナーが評判通りの頭脳の持ち主ならば、無下にするにはあまりに惜しい。

 

「むぅ……仕方ない、か。わらわに指示を出せる栄誉を賜うてやろうではありんせんか」

「あらそれはそれは。光栄の至りでございます」

「うむ! ではこれからぬしはわらわの司令塔。名を呼ぶ時はシャルティアと呼びなんし」

「では私のこともラナーと」

 

 

 誰が言ったか――馬鹿と天才は紙一重。危険なものは馬鹿と天才の組み合わせ。ラナーとシャルティアのコンビはまさに鬼に金棒……いや、吸血鬼に黄金棒である。

 

「またせたでありんすな!」

「お待たせしました」

「う、うん。それで、さっきのはどういうことなの?」

 

 半ば確信したような問い。先程のラキュースの反応。ラナーはその黄金の脳細胞によって、予知とも言えるほどの正確な未来を弾き出した。すなわち、ラキュースに元々あった疑念が膨らんでいる今、どのような言い訳も意味はない、と。

 

――つまり。

 

「ええ……それなんですが――今ですシャルティア! 吸血鬼パンチを!」

「えっ」

「速く! 間に合わなくなっても知りませんよ!」

「わ、解りんした。きゅっ、吸血鬼っ、パーンチ!」

「ちょ!? ま、ぐえっ!」

「次は吸血鬼チョップです!」

「了解でありんす!」

「お、おい、何を……ぐわっ!」

「残りは纏めてやっておしまい!」

「あらほらさっ……ぬし、調子に乗ると殺しんすよ?」

「冗談です」

 

 つまり『物理的に記憶を失ってしまえー』作戦である。まさに灰色の脳細胞を超えた黄金の脳細胞。これ以上はない最高の作戦だろう。

 ラキュースは側頭部にパンチ(弱)を受けて昏倒し、イビルアイは首筋に手刀を受けて気絶した。かなり空気気味だった他のメンツは吸血鬼カカト落しによって仲良く地面とキスをする羽目になってしまったようだ。

 

「ラナー。ぬし、本当に頭のほうは大丈夫なんでありんしょうな。いえ、頭大丈夫?」

「心配しなくても大丈夫ですよ。むしろ彼女達の頭を心配してください」

「わらわが加減を失敗するわけないでありんしょう」

「ふふ、そうですか。ならば後は王家秘伝、忘却のツボを突いて…」

 

 別に伝承はされていない。王家秘伝でもなければそんなツボもないが、雰囲気込みだろう。ぶっちゃけるとラナーははっちゃけていた。それは滅びゆく王国において、どれだけ最高の手を打とうとも避け得ぬクライムとの別れ――その可能性が激減したことに対する喜びだ。シャルティアが単騎で王国すら滅ぼせる化物だと言うのなら、彼女さえいれば取れる手段は格段に多くなる。もはや『蒼の薔薇』との交流さえただの保険程度にしか見えなくなったのだ。

 

「ふふ、うふふふふ……ああクライム。もうすぐよ…」

「…なんだか激しく選択肢を間違ったような感覚でありんす」

 

 シャルティアの敵は法国。ラナーの敵は帝国。敵は2倍だが、彼女達が力を合わせれば数字は乗算だ。王国の未来に希望の光が少しだけ差し、帝国の明日に暗い影が差す。

 

 きっと今の法国:王国:帝国の戦力比は50:30:1ぐらいである。

 

 頑張れ皇帝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご苦労様です、ニグン殿。ご無事のようでなにより」

「は。この度はとんだ失態を」

「そう遜らないでください。同じ六色聖典の隊長同士ではないですか」

「ご冗談を。形式上はともかく、どれほど実力に差があるとお思いですか。人類の守護者としては比べるべくもないでしょう。ましてや…」

 

 ニグンは漆黒聖典隊長の傍にいる老婆に目を向ける。まごうことなき法国最上位に近い人物だ。そして何よりも目を引くのが、その身に纏うチャイナドレス――そう、ニグンは笑いを堪えるのに必死だった。歳考えろよババア、と。

 

 という冗談はさておき、ここは草木生い茂る人類未開の地『トブの大森林』 何故ここに六色聖典の内の二つ、漆黒聖典と陽光聖典が一堂に会しているかというと、それは魔物討伐のためである。

 

 前者は巫女姫による予言から破滅の竜王を支配下におくため。後者は漆黒聖典が竜王を探す際に気付いた、ゴブリンの異常繁殖を抑えるためだ。無論ゴブリンの群れなど漆黒聖典からすれば烏合の衆に過ぎないが、さりとて破滅の竜王と対峙する前にくだらない小事に気を取られては危険が増す。

 

 丁度陽光聖典が帰還のため大森林の近くにいたということもあり、お鉢が回ってきたのだ。ニグンは人類守護の本分とも言える任務に張り切り、そうでなくとも名誉挽回のチャンスであるため奮起した。

 

「さて、そろそろ気を引き締めてかかりましょうか……しかしあの少女は惜しい人材でした。王国に対してあまり良い感情を持っていなかったところも素晴らしかったのですが」

「ああ、先程言っていたカルネ村の少女のことですか。確かにかの魔獣は相当なものでした……それをテイムしているともなると、法国へ引き抜きたいというのも解ります。同じ魔物を操る者としても気になるのでは? 一人師団、クインティア殿」

「クアイエッセで構いませんよニグン隊長。クインティアの名は、本国に戻れば顔を顰める者もいるでしょうから」

「おお、失礼しました。妹御様のことは残念でした…」

「妹が愚かであっただけのこと。スルシャーナ様の加護を自ら放棄したのならば、どのみち未来は見え透いているでしょう」

 

 今現在この地に居る者だけで、もはや国を落とせるほどの異常な戦力。法国の秘中の秘である神人すら出張ってきていることからも、力の入れようが解るというものだろう。神人である漆黒聖典隊長を筆頭に、一人師団と呼ばれる殲滅力に優れた『クインティアの片割れ』の兄の方――ぶっちゃけるとクレマンティーヌのお兄ちゃんである――などなど、これからちょっと王国を滅ぼしますよと言われても納得の面子だ。

 

「では我等はここで別れましょう。任務の成功を祈っております」

「ええニグン殿。クインティア、しっかり頼んだぞ」

「隊長、わざと言ってますよね」

 

 前述通り、漆黒聖典の方の戦力はあまり割くことはできない。故に一番殲滅力に優れた『ビーストテイマー』であるクアイエッセ・ハゼイア・クインティアが陽光聖典と共にゴブリン掃討を請け負ったのだ。彼は、英雄級の存在でもなければ倒すことが難しい高位の魔物を、少なくとも十体は召喚できるほどの実力を持つ。低位の魔物の同時召喚も含めればその殲滅力は筆舌に尽くしがたく、故に『一人師団』なのだ。けっして、嫌われていて師団なのに独りぼっちだからとかそういう訳ではない。

 

「全聖典の者、傾聴せよ。――我等は人界万里の防衛線! 我等こそが人類最後の大砦! 愚かな国の、愚かな民を、それでも我等は救済しよう。何故ならそれが神の御意思だからだ。救えぬ者は確かにいる、救われぬ愚者はさらにいよう。それでも我等は諦めてはならんのだ! 脆弱なる種族の、守護者であるが故に!」

「はっ!」

「この作戦が成功しなければ人類はさらなる窮地に陥るだろう。この作戦が成功しても王国の民は窮地に陥るだろう。だが躊躇してはならん。何故ならそれこそが、ただ一つの救済への道しるべだからだ! 各員――全力を尽くせ!」

「はっ!」

 

 漆黒聖典隊長の叱咤激励は、各隊員の意気を最高にまで高めた。これこそが人類最強クラスの神人。これこそが人類最高クラスの守護者。

 

「ではニグン殿、そちらもご武運を。勝手にそちらの部下の方達にまで、すみませんね」

「いえ、最高の激励となりました。必ずや任務は成功するでしょう」

 

 これより始まるは人類救済の第一歩。世界に破滅を齎す竜王を支配せんと、彼等は命を懸けて立ち向かう。それは十三英雄の残した偉業を遥かに超えて、悠久に語り継がれる英雄譚。かつて空を裂いて顕現し、未曽有の恐怖をばら撒いた破滅の竜王――魔樹『ザイトルクワエ』 『世界』の名を冠するアイテムを手に、彼等は決死に立ち向かう。

 

――魔樹はもう、死んでるけれど。





エンリ「ゆけっ! 森の賢王!」

クアイエッセ「なんの! 避けろギガントバジリスク!」


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戦士長の死、そして失くしたモノ

いい塩梅ってのは難しいものです、今回は動きがない話。最近オバロ二次が増えて嬉しいですね。目新しい設定や斬新な設定が増えてきて、とても楽しめますな。


 

「…という訳なので、まずはエ・ランテルの方へお願いしますね、シャルティアさん」

「了解でありんす。ほれ、行きんすよクレマンティーヌ。いつまで頭をさすっているでありんすか、なんならわらわが優しくコスってあげんしょうか?」

「も、もう大丈夫だから! 準備万端ですハイ!」

「おや、それは残念」

 

 各々シャルティアに攻撃をくらった箇所を擦りながら、呆けた頭で考える。何かおかしい。なんだかここ数十分の記憶がすっぽり抜け落ちているような、と。

 急にシャルティアがSMプレイをしたくなったという、至極まともな理由はあれど、やはり完全に違和感は拭えない彼女達。しかしそれに気を取られてばかりもいられないため、ラナーが語った話へと意識を移す。

 

「しかし王国戦士長が強姦魔の疑いを掛けられて拘束されているとはな……もう王派閥終わったんじゃないか?」

「ちょ、ちょっとイビルアイ! 何てこというのよ!」

「まあその誤解を解きに今から行くんだからよ、いくらなんでも大丈夫じゃねえか?」

「馬鹿達が『王国戦士長ともあろう者が、そのような誤解を受ける行動をすること自体非難されるべきではないですかな?』とか言いそう」

「ティアに同意」

「ぶふっ! 今のブルムラシュー候?」

「48の暗殺技の一つ」

 

 ティアが王国一の裏切者と名高いブルムラシュー候の物真似をし、ラキュースが吹き出す。元暗殺集団頭領の面目躍如である。ちなみにそんな暗殺技は存在しない。

 

 場が落ち着きラナーからシャルティアへ初の指示が出されたのだが、それは王国戦士長を謂れなき罪から解放せよとの指令だった。先日シャルティアにノされた後放置されていたガゼフは、なんとエ・ランテルの警邏部隊にとっ捕まってしまったのだ。まあ深夜とはいえあれだけ長い剣戟の音をさせていたのだから、目撃者が居てもおかしくはない。だがガゼフにとって不幸だったのは、目撃されたのではなく声を聴かれたということに尽きるだろう。

 

 その証言者……というより通報者だが、その者によると『か弱い乙女を襲う無頼漢――このシャルティア・ブラッドフォールンが成敗――』などという断片的な声が聞こえたそうだ。戦闘音が止み、おそるおそる覗いてみたところ少し髪の薄い、見るからに不逞の輩といった男が倒れているではないか。

 

 通報者は確信した。きっとシャルティア・ブラッドフォールンなる正義の女性がこの暴漢を成敗し、しかし被害者の女性は襲われたことを――貞操が散らされたことを公にしたくなかったため、この男を放置したのだと。ならば、ならばどうするか。

 通報者は、この街を愛している善意の民だ。エ・ランテルを強姦魔が蔓延る恥ずべき街にはしたくない。ならば国にしょっ引いてもらわなければと考えるのは当然だ。なにより髪が薄い。犯罪だ。

 

 結論として、王国戦士長は強姦魔の疑いをかけられエ・ランテルのとある場所で事情を聞かれているのだ。そしてそれとともに、シャルティア・ブラッドフォールンなる女性の捜索も同時に行われているそうだ。そんな情報が王女の耳に入ったため、シャルティアに誤解を解いてくるようお願いしたわけである。

 

「まあ被害者女性(誤解)と助けた女性(誤解)が揃って行って、更に私が二人の身分を保障すれば問題ないでしょう? なんたって私は『蒼の薔薇』のリーダーだもの。リーダーだもの」

「別に自分に言い聞かせなくてもお前は立派にリーダーだぞ、ラキュース」

 

 イビルアイは別格だから仕方が無かった。シャルティアは別格どころか別次元だから仕方なさすぎた。しかし微妙に自分より強いクレマンティーヌが入ってきたことで、リーダーとして少し自信を失いかけているラキュース。もはや『蒼の薔薇』内の強さの序列で言えば真ん中なのだ。もちろん状況や体調、その他諸々で勝敗は変わるだろうが、それでもラキュースは自身が英雄の域に達しており、メンバーの中でも突出しているという自負があった。

 

 けれど明確に自分よりも強い者がこうコロコロと入ってくれば自信を失うのも仕方ないだろう。だからラキュースは自分に言い聞かせるようにリーダーという単語を主張する。「秘めたる第二の人格、キリネイラムの意思が覚醒すればたとえシャルティア相手でも私は対等に戦える」――そんな妄想をしながら。

 

「ほう。ラキュース、ぬしにそんな力があったとは……法国との戦いの折には期待させてもらうでありんすよ」

「えっ」

「魔神と国堕としが居るパーティのリーダーが普通な訳はないと思ってたけどー……やっぱそういうことだったんだ。本格的に法国裏切ってよかったわーマジで。何が王国は腐りきってるよ、むしろ熟してるっつーの。仕事しろボケ風花聖典め」

「えっえっ…?」

「リグリットの意味深な言葉は……そういうことだったのかラキュース。私達がそんなことでお前への信頼を損なうとでも思ったか? 見損なうな。たとえ魔剣の意思に乗っ取られようが、私達がお前を見限ることなどない。どんな手段を使おうがお前を取り戻してみせる」

「え、いや、ちょ」

「リーダーなら大丈夫。信頼してる」

「ボス、かっこいい」

「やっぱお前さんが相応しいってこった、リーダー」

「ぼふぉっ、いや、ちょっと待って…」

 

 妄想をする時は周りに人が居ないか注意しよう。もしかするといつの間にか口に出しているかもしれないぞ!

 

「さ、行きんしょう。ガゼルだかトロールだか知りんせんが、つまらん男のせいで時間を取られるのは好かんでありんすよ」

 

 誤解をそのままに、ラキュースは黒い靄に引きずり込まれて涙目である。中二病は程々にしなければこのような目にあう、典型的な例であった。

 

 シャルティアの次なる冒険。今度の供は狂気と中二。きっと何かは起こるだろうが、きっと喜劇に他ならぬ。さあ、始まり始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人の記憶とは、いったいどれだけ信用のおけるものなのだろうか。それは生物学や脳科学的な観点から考えれば、とても信用などおけるものではないと返ってくるだろうか。薬、催眠、魔法、その他諸々の要因で容易く改竄されるもの。それが記憶だ。

 

 そんな外的要因などが無くても、人は容易に記憶を書き換える。典型的な例を出すならば――例えば我儘で自己愛の激しい人物が居たとしよう。我儘なその人物にとって不都合で、人に知られたくないことが起きてしまった時、それが明るみにでる前に嘘を吹聴し真実を捻じ曲げる行動に出たとする。

 

 それはどんな人間でもやってしまう可能性があるものではあるが、上記のような人間は時にその吹聴した嘘を自分の中ですら真実にしてしまうことが間々ある。

 

 このように、外的要因があろうがそれ以外の要因があろうが人の記憶などあてにできるものではないのだ。しかしそれを考慮しても、この世界――この王国において、一般市民が語る証拠すらない証言と、信頼と実績ある王国戦士長の証言など比較するまでもなく重さが違う。

 

 貴族が権力を振りかざし、下の意見など聞き入れられぬこの時代。たとえ本当に犯罪が起きたとしても揉み消されることは当然であるし、王国戦士長ともなればそのへんの下っ端貴族などは及びもつかぬ権力はある。故に彼が気絶から覚めた時、そして王国戦士長だと確認が取れた時に、強姦の事実などなかったと一声発すればなんの問題もなかっただろう。

 

 しかし、しかしだ。ガゼフ・ストロノーフ王国戦士長はあのシャルティア・ブラッドフォールンの一撃を受けて昏倒したのだ。あの伝説の国堕としすら記憶がすっ飛んでしまう一撃、いや、それよりもかなり強い攻撃を受けたのだ。

 

 それがどういう効果を引き起こしたかというと――端的に言うと、彼は記憶を失っていた。自分の名が解らず、自分の生い立ちが解らず、この街の名すら思い出すのに時間がかかったほどだ。常識ともいえる知識はそれなりに出てくるものの、己の立ち位置だけは全く解らない。とはいえ王国の至宝を纏っている上に、上流階級の人間には顔も有名なガゼフだ。偽物だという結論が出なかったことだけは幸いといえようか。

 今は取り敢えず、それなりの地位の者がつきっきりでガゼフの記憶を刺激して、何とか元に戻そうと四苦八苦しているところだ。

 

「貴方は王国戦士長、諸国最強の戦士にして王の懐刀。貴方が消えれば王派閥の立て直しは絶望的なのです、なにとぞ…」

「私は……私は……ガゼ…」

「おお! そう、そうですぞ! その調子です!」

 

 記憶とは脳と密接に関係しており、そして脳のメカニズムはたとえこの世界より文明の進んだ――そう、例えば脳を騙して疑似的に空想世界を体験させることができるような世界だとしても、完全には解明されていない。簡単な会話による刺激が記憶を掘り起こす可能性も否定はできないだろう。現に、今彼は自分の名前が少し出てきそうになっているのだから。

 

「ガゼフ……ビーフストロガノフ…?」

「惜しい! もう少し文字を少なくしてくだされ! そこまで味わい深くはありませんぞ!」

 

 確かに惜しい。色んな意味で美味しい王国戦士長。

 

「ガゼフ……ガノンドロフ…?」

「似ていますが、もう少しだけ方向性を変えて! 力のフォースを暴走させない感じで!」

 

 聖なるトライフォースをもってしても、記憶は取り戻せそうにないようだ。ちなみに彼の手に三角の痣などは当然ない。

 

「思い……だした! そう、私は……ガゼフ・メトロノーム!」

「もう一声! リズムを変えて!」

 

 頭を押さえて一定のリズムで首を振る王国戦士長。そのテンポの良さは、まさに王国戦士長。だが思い出していないぞ、王国戦士長。まあ彼の剣は聖剣ではないので仕方ない。

 

「おおそうだ! 私はガゼフ・ストロング! 強靭! 無敵! 最強ォォ!」

「間違ってはいませんが、もうちょっと! 山脈の白竜に会いに行ってはなりませんぞ!」

 

 …とまあ、四苦八苦どころか四十苦八十苦ぐらいはしているようだ。後ろで見ている都市長も冷や汗だらだらである。いったい何があったというのか、法国の特殊部隊の尋問を行っているとは聞いていたが、やはり逆襲にあって記憶を操作されたのだろうか。そんな疑問が彼の脳内をぐるぐると渦巻いている。

 

 しかしそれもこの瞬間で終わりだ。何故なら蒼い薔薇が三本、この地に到着したのだから。

 

「ご機嫌麗しゅう! カプル・ソシエハイムとやらが困っていると聞いて、わらわが来てやったでありんすよ!」

「お嬢お嬢、ガゼフ・ストロノーフね」

「どっちでもいいでありんす。とにかく、そのガゼフとやらの罪は勘違い。このシャルティア・ブラッドフォールンが保証しようではありんせんか!」

「というかシャルティア、勘違いだって解ってたの…?」

 

 そこは聞いてはいけないお約束である。とにかくいきなり現れた彼女達ではあるが、アダマンタイト冒険者のプレートを引っ提げて――ラキュースだけだが――現れたのだから、場が騒然とするのも仕方ないだろう。ラキュースが『蒼の薔薇』を名乗り、残りは新人ながらも実力は折り紙付きだと説明をする。そして本題の強姦事件のことも、単なる勘違いだということも。しかし――

 

「記憶喪失……ですか。それはまあ、なんというか…」

 

 なんというか、かんというか。いきなり知り合いが記憶喪失などと言われても、普通は反応に困るだろう。生憎とラナーへ報告が上がってきた時には、そこまでの詳細は解っていなかったのだ。ラキュースの困惑もむべなるかなと言ったところである。

 

 茫洋としているガゼフからは、確かにいつもの覇気は感じられない。もしやシャルティアがなにかしたのかと視線を向けるが、コテンと首を傾げている様子にそれもなさそうだと、ちょっとドキドキしながら視線を戻すラキュース。

 

「ふーむ……少し強く殴りすぎたでありんすかねぇ。それとももう一度叩けば治りんすか? ちょっと試してみんしょう」

「…! お嬢、私がやっていい?」

「うん? 別にいいでありんすが……加減を間違えんように気をつけなんし」

「はーい」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 君達はいったい何を……いや、それより戦士長殿の記憶喪失の原因はまさか…!?」

「黙りなんし。暗がりで男が女を襲っていたなら、どちらを助けるかなど解りきっていんしょう? そもそも発端はその男が勘違いでクレマンティーヌを襲ったことにありんす。非難される謂れは蚊ほどもありんせん」

 

 ぐっと言葉を詰まらせる都市長、そしてシャルティアが理路整然と話していることに驚愕するラキュース。もしかして夢なのかしらんと頬を抓るが、そんなこともなさそうだとしっかり現実を認識しようとした。それを見て手伝ってあげる、と頬を抓ろうとしてくるクレマンティーヌと暫しの攻防を繰り広げ、最終的に五ツネリ程された彼女の瞳にはうっすらと涙が滲んでいる。

 

 しかし彼女もなんだかんだで英雄級。二ツネリ程しっぺ返しを食らわし、クレマンティーヌの頬に赤みを残していた。これでレベル差がもっとあれば、ほっぺが抓られるどころか引き千切られる惨状が出来上がるのがこの世界の恐ろしいところである。

 

 まあそこそこの実力差があるとはいえ、ラキュースとクレマンティーヌは割といい勝負ができるくらいなあたり、仲良くできる土壌はあるのだろう。ある程度の年齢を重ねてしまうと、何かしらの共通点や親近感を感じる部分が無ければ、仲良くなるのは意外と難しいものだ。特に冒険者のような荒くれごとを生業とするものは、実力が近ければ信を得やすいものである。

 もちろん正反対――実力が近いからこそ嫉妬や憎しみのような感情を持つ者もいるだろうが。

 

 それはともかく、シャルティアの凄みにのまれた彼等はもはや口出しをすることなど敵わなかった。アダマンタイト冒険者の化物具合など、荒事を専門としていれば当然の如く知っている。たとえそれが街に存在する普通の兵士でもだ。

 そして都市長などの一般人程度の実力しか持たないものでも、シャルティアの実力は容易に推測できるだろう。なにせ情報が真実ならば、目の前の女性は王国戦士長すら上回る実力を持っているのだから。

 

「じゃあ一発目~」

 

 とても楽しそうに王国戦士長を殴ろうとするクレマンティーヌ。しかし記憶喪失とはいえ、黙って殴られる人間などそうはいない。当然の事ではあるが、ガゼフは立ち上がって応戦する。

 

「ちっ、黙って殴られればいいのに…」

「何か既視感を感じる、ような…?」

「あっはは! 私に蹂躙されたことでも思い出したー? …おらぁっ!」

 

 と、このように人間は自分の都合の良いように記憶を改竄できるのだ。君はけっして戦士長を圧倒してはいないぞ、クレマンティーヌ。

 

「何をぐずぐずしてるでありんすか、クレマンティーヌ」

 

 まったく、と溜息をつきながらガゼフを掴んで引き倒すシャルティア。その残像すら見えぬ動きと、記憶をなくしたとはいえ身体能力はそのままのガゼフを事もなげに引き倒す様を見て、その部屋に居た者達は驚愕の声を上げる。

 

「ありがと、お嬢。じゃあ……死ねゲフゥッ!」

 

 そして遂にクレマンティーヌの魔手がガゼフに到達しようとしたその瞬間、ラキュースの飛び蹴りが彼女を吹っ飛ばす。

 

「死ねじゃないでしょうがこのアホ! 私達が何しに来たかわかってるの!?」

「ああ!? 誰がアホよ、このラキュース!」

「ちょっ、私の名前を悪口みたいに扱わないでくれるかしら!?」

「キューちゃんなんてラキュースで充分だし。悔しかったら言い返してみればー?」

「ぐっ……この、この……バーカ、バーカ!」

「…………ごめん」

「謝らないでよっ!?」

 

 出身は貴族。そして冒険者になった後も仲間に恵まれ、生来の気質からも人の悪口などほとんど口にしないラキュース。悪意ある言葉に関して、語彙は極端に少ない。悪意の権化であるクレマンティーヌとの舌戦など勝敗は決している――と思いきや、あまりにもあまりだったため逆に毒気を根こそぎ奪われたようである。

 

「はあ……もういいでありんす」

 

 暴れる戦士長を意に介さず、押さえ続けるシャルティア。クレマンティーヌとラキュースのやり取りを見て呆れながら、もう自分でやるからと戦士長の首を叩き折った。

 

「あ」

「あっ」

「えっ」

 

 都市長が泡を吹いて倒れる。その他の人間も、あまりの光景に絶句して立ち尽くしてしまった。完全に曲がってはいけない方向に顔を向けているガゼフは、どうみても生きているようには思えない。

 

 というかどうみても死んでいる。

 

「…任務失敗でありんす。では、帰還しんしょう」

「はーい」

「駄目に決まってるでしょう!?」

 

 滝のような汗を流しながらラキュースは《死者復活/レイズデッド》の準備を始める。頭の中には《アダマンタイト冒険者チーム『蒼の薔薇』が王国戦士長を殺害!? 動機と事の真相を探る――》などと謎のキャスターが騒いでいる。けしてマジックキャスターではない。

 

 

 

 ――この後、目が覚めた戦士長はここ数日の記憶を全て失っており、色んな事実は闇の中に葬られることになった。しかし何よりの問題は、ガゼフの弱体化だろう。死によってレベルダウンした彼の実力は、王派閥の弱体化をより明確にしたともいえる。

 

 責任を追及するべき存在は既に消え、誰に聞いても口を堅く閉ざす。いったい何があったのだと唸るガゼフのその頭は、頭頂部の地肌が更に広くなっているようにも見える。

 

 ああ誰が言ったか、やはりこの世には髪も仏も居ないのだ。頑張れガゼフ、その苦労が報われるその日まで。





次回から話が動き出します。


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それぞれの道

ギャグはあんまりありません。というか前回と前々回は少しやりすぎだと言われちゃいました……わらわ反省。


「おひさーカジっちゃん。元気してた?」

「クレマンティーヌ!? 貴様……いや、何も言うまい。体は大丈夫か?」

「は? なに言ってんの?」

「…いや、いい。お前がそれでいいなら、きっとその方がいいんだろうよ」

「…?」

 

 ここはエ・ランテルの墓地の一角。およそ人が住むような場所ではなく、死の気配がそこかしこに満ちた陰鬱な場所である。定期的に冒険者がアンデッドの駆除をする以外はあまり人が寄り付かず、それ故に隠れて何かをおこそうとするにはうってつけだろう。

 

 つまり彼――カジット・デイル・バダンテールがここを拠点にしているのは、人にはとても言えない悍ましい計画を実行しようとしているからに他ならない。それは自身が持つマジックアイテム『死の宝珠』に負のエネルギーを溜め、永遠を生きるエルダーリッチへと生まれ変わる恐ろしい計画だ。

 進んで化物になりたければ放っておけばいいじゃないか、とも思うかもしれない。しかしそのような奇跡の御業を行うに何の代価も無しとはいかないだろう。死の宝珠に負のエネルギーを溜める……それはすなわち、人に関するあらゆる不幸が必要ということだ。

 

 短絡的に言えば、人の死などがそれに当たるだろうか。その他にも嘆き、悲しみ、恐怖、怒り、人のありとあらゆる負の感情が死の宝珠の糧となる。そしてそのような行為を陽の当たる場所で堂々と行えるわけもなく、カジットは地に臥し陰に潜み粛々と行為に及んでいるのだ。

 

 それは偏に死した母親を生き返らせるためであり、人が生きられる短い人生ではとてものこと蘇生魔法の極みになど達せないと、そうカジットが判断したからである。エルダーリッチになった暁にはその永遠の時を研究に注ぎ込み、最愛の母親を取り戻す。それ以外のことは彼にとって些事でしかない。

 

 ズーラーノーンへ所属しているのも、クレマンティーヌと利用し合う関係になっているのも、法国を出て信仰を捨てたことも、全てはどうでもいいこと。母親さえ戻れば全てを取り戻し幸せの絶頂に再び帰る事ができると、そう思うことに彼はなにも疑問を抱かない。

 

 敬虔な信者であった母親がそのような悪魔の所業を聞いてどう思うかも、法国の人間故に人以外を忌避――エルダーリッチなど以ての外だろう――するだろうことも、そもそもどのような研究をしたとしても死体すらない母親を生き返らせることができるのかという疑問さえ、彼は覚えていない。

 

 『死の宝珠』 それは負を溜め込み、負を撒き散らす呪われた秘宝。本人の実力以上の力を持ち主に与えるマジックアイテムである。しかし実力が足りなければ精神は汚染され、思考を操られる――とまではいかないが、ある程度の誘導程度なら難なく実行できる『思考するマジックアイテム』なのだ。

 カジットの母親への愛情は真摯なものであり、生き返らせたいと思うこと自体は何ものにも代えがたい純粋で真っ当な願いだった筈だ。しかし、尋常ではない数の犠牲者を出してまで彼がそれを実行に移すかといえば、それは否定せざるを得ないだろう。

 

 彼は優秀で、そして常識と優しさも普通程度には持っていた。それが歪められたのは、この宝珠の存在によるものだ。母親を蘇生する上で邪魔だった倫理観や罪悪感などは捻じ曲げられ、母親さえ戻ればその他はどうでもよくなった。全てはこの宝珠の策略だ。カジットの母親を想う気持ちを利用し、世界に負のエネルギーをばら撒きたいという自身の存在理由を全うせんがために、宝珠はカジットを歪めたのだ。

 

 宝珠の野望は、この城塞都市エ・ランテルを死で埋め尽くす筈だった。そう、筈だったのだ。宝珠を超える厄災がこの街に来なければ。

 

「王国戦士長の慰み者にされたからといって、儂は貴様に同情もしなければ憐憫も向けん。何よりお前がそれを望むまい。さっさと計画を進めるぞ、クレマンティーヌ」

「はあ!? ……はあぁ!?」

「巷で噂になっておった。王国戦士長の乱行と、それを助けたシャルティア・ブラッドフォールンなる女の噂がな。被害者の名前こそ秘匿されておったが、ズーラーノーンの情報網に隙は無い。人の口に戸は立てられぬということだろうよ」

「おっ……ばっ……どぅっ…――」

 

 それはさておき、カジットは急に消息を絶ったクレマンティーヌの行方を追っていた。クレマンティーヌの存在そのものはどうでもいいとはいえ、彼女の持つ法国の秘宝はカジットの計画を大幅に短縮できる魅力的なアイテムだ。『叡者の額冠』と、あらゆるアイテムを使うことが出来るタレントの持ち主『ンフィーレア・バレアレ』の二つ。それさえあれば、さらに数年はかかる筈だった彼の計画は明日にでも実行できる。

 

 その計画の騒ぎに乗じてクレマンティーヌは法国の追っ手を撒くことができるし、カジットは長年夢に見たエルダーリッチへと転生できる。利用し利用される関係とはいえ、どちらにとっても損はない――貧乏くじは街の住人が一身に背負う――故に、カジットにとって彼女の存在は必須であった。

 

 しかしいざ探してみれば、彼女の存在はまさに忽然と消えていた。どのような魔法を用いても痕跡は追えず、いきなり街から消えたようにしか思えない。そして情報を追っていく内にカジットは一つの事実に突き当たる。

 

 『王国戦士長が強姦に及び、しかも通りすがりの女性に気絶させられた』『被害者の名前はクレマンティーヌ』『多数の死体が消失した』『幽霊だ』『いや、吸血鬼だ』

 

 などと全く真実には思えない憶測が飛び交っていたのだが、カジットには少しだけ心当たりがあった。王国戦士長が事に及んだ日の夜、カジットは多数の死体からゾンビを作成していたのだ。それは本当に偶然、陰鬱な墓地の空気にうんざりし、気分転換にたまたま出歩いていた夜のことだ。深夜故に人気がほぼない街を散策し、綺麗な空気を肺いっぱいに取り込んでいた時のこと。

 

 墓地とは違う新鮮な空気を堪能していたというのに、急に鼻腔をくすぐってきた血の匂い。見ればそこかしこに横たわる凄惨な躯達。よくよく見てみれば法国の匂いを感じる者達で、つまりはクレマンティーヌを追ってきた聖典の者だとカジットはすぐに察することができた。

 

 もうすぐ計画を発動する時期だというのに、いったい何をしてくれているんだと憤ったカジット。計画まではあまり騒ぎにしたくないと、わざわざ死体を全てアンデッドに変え、人目を避けながら墓地へと帰ったのだ。

 

 時系列に並べると、まずはクレマンティーヌが追っ手を惨殺しガゼフがそれを発見。戦闘に発展した後シャルティアが乱入し、クレマンティーヌが連れ去られる。通報者が倒れているガゼフを発見して兵士の駐屯所へと向かい、その道すがら散乱する死体を発見。そして兵士へ説明している間にたまたま現場へカジットが通りがかり、死体をアンデッドに変えて墓地へ帰る。最終的に兵士達がこの場所へ着いた時にはガゼフのみだったという寸法だ。

 

 偶然が生み出した奇跡のタイミング。死体とガゼフはそこまで離れてはいなかったが、カジットが死者の気配を感知する魔法を使用したため発見されなかったことが幸いしたのだろう。この世界で一般人がころころ通信の魔法等使えるわけもなく、駐屯所が少し離れていたのもまた偶然。カジットにとって幸いなのか戦士長にとって幸いだったのかは不明だが、とにかく彼等の運命はすれ違った。

 

 カジットは噂を聞いて、精査し、そして自身の心当たりからもそれを真実とみなした。おそらく心に傷を負ったクレマンティーヌは、どこぞに閉じこもってしまったのだろう。そのシャルティア・ブラッドフォールンとやらが戦士長を凌ぐ強者だというのなら、そして傷心のクレマンティーヌに協力しているのならこちらが足取りを掴めないのも納得がいく。

 

 しかし、彼女は帰ってきたのだ。約束を全うするために。きっと心の傷も癒えないままに。だからこそ、カジットは彼女に根掘り葉掘り尋ねるほど無粋な真似はしなかった。素知らぬ顔をして、なんでもないような顔をして計画を進める事こそが、彼女にとって一番なのだろうと考えて。

 

 ああ、酷い勘違いである。クレマンティーヌが奇怪な言葉を発しながらも絶句するという妙技を披露しているのも解るというものだ。

 

「かはっ、カジッちゃんっ、それっ! どういうことだコラァァァ!!」

「どうしたもこうしたも、そういうことだろう」

「あんなハゲに私が犯されるわけないっしょ!? 英雄級の実力者たる、この私が!」

「…うむ。そうだな。ああ、よく考えればお前がオトナシクサレルガママニナッテイルワケモナイ。ワシハシンジルゾ」

「後半棒読みなんだよハゲ! 殺すぞ!」

「儂はハゲてなどいない、訂正しろクレマンティーヌ」

「えっ、ああ、うん…」

 

 そう、彼は確かにハゲてはいない、剃っているのだ。神など役にたたぬと気付いたから。だから髪を切り捨てたのだ。その覚悟はまさに慙愧と怨唆に塗れた常軌を逸する執念。故にその片鱗を感じ取ったクレマンティーヌは少し引いた。というかハゲと言われた瞬間、表情の一切が抜け落ちたカジットにドン引きした。

 

「さて、とにかく戻ってきたのなら問題はない。手筈通りンフィーレア・バレアレを手中に収め…」

「あー、それパス。もう計画に加担する必要もなくなったしねー」

「なに? どういうことだ」

「んー……まあ、こういうこと」

 

 クレマンティーヌがそう言うか言わないかのところで、墓地からアジトへと続く階段から一人の少女が降りてくる。巷で噂の正義の美少女、シャルティア・ブラッドフォールンその人である。優雅に歩きながら物珍し気に周囲を観察しているのは、自身が身を置いていた場所も墳墓だからなのかもしれない。とはいえそうであっても、規模が違い過ぎて苦笑するしかないのは間違いないだろうが。

 

「ふむ、中々悪くない趣味をしているではありんせんか。とは言ってもわらわが住もうなどとはさらさら思いんせんけど」

「…何者だ」

「誰かを問うならまずは自分で名乗りなんし。人間如きがわらわを前にその態度、不遜が過ぎるでありんすぇ」

 

 おきまりの文句で見栄を切るシャルティア。心底思っているわけではないものの、やはりそうあれかしと定められたものだけに取り敢えずは言っておかなくてはいけないのだ。お約束というやつである。

 

「…クレマンティーヌよ。いったい――」

「さっさと名乗らないと殺されちゃうよ? 元同僚のよしみで忠告してあげてんだから、素直に聞いとけばー?」

 

 嘲笑ともつかぬクレマンティーヌの忠告に、しかしカジットは嘘を感じられなかった。いや、嘘を感じないというよりは、忠告の無視は死体が一つ出来上がる事と同義である――そう目が語っている。それも自身がやるのではなく、少女がそれを為すことを疑っていない。

 

 彼女の言葉通り、元同僚――つまり裏組織『ズーラーノーン』の幹部、十二高弟に相応しい実力をカジットが有していると知ってもなお、だ。

 

「…カジット・デイル・バダンテールだ」

「ほう、素直でよろしいでありんす。後数秒遅ければぬしの首がそこに転がっていんした」

「……」

「ま、どっちにしても変わんないかもだけどね」

「クレマンティーヌ、貴様…」

 

 カジットは考える。目の前の少女がカジットを遥かに超える実力者だとして、今ここに来た意味を。まさかクレマンティーヌを送ってきたという可愛い理由などではないだろう。恐らく戦士長を下したシャルティア・ブラッドフォールンと名乗った人物に違いないと推測し、そしてそれがクレマンティーヌを伴いアジトへやってきた経緯を考える。

 

 噂通りの正義の人物であれば、ここまで厭らしい笑みを浮かべることができようか。それにクレマンティーヌが従っているような気配も鑑みると、計画を乗っ取りにやってきたか、それとも潰しにきたか。いずれにしても碌な理由ではないだろうとカジットは考える。つまりはクレマンティーヌの明確な裏切りだ。カジットは声を荒げ非難しようとするが、所詮は利用し利用される関係だったことを思い出して、詮無い事かと口を閉じた。

 

「…儂を殺すつもりか」

「くふ、それがご希望とあらばわらわが介錯して差し上げんしょう。無様に命乞いをするならそれに相応しい結末を。けれど、ぬしにはもう一つだけ選択肢がありんす」

「なに?」

「わー、よかったねーカジっちゃん。パチパチ」

「っ、何を白々しい…」

 

 彼は生を諦めない。どのような状況になろうとも只管に足掻き、泥を啜り地を這い蹲っても『生きる』覚悟がある。それは妄執に憑りつかれた怨念のような想いではあるが、人間としての本能でもある。

 ここにきてようやくカジットにも解ったのだ。死人を操り、死人を創るネクロマンサーたる自分の眼に間違いがなければ、目の前の少女は吸血鬼に相違ない。いや、クレマンティーヌが従っているであろうことを考慮すれば、伝説に聞く吸血鬼の王ということすらあり得ると。

 

 逃げの目は残っているのか、戦闘になれば勝てるのか。吸血鬼とはいえ、死の宝珠を持つ自分ならば支配することも可能ではないのか。あらゆる考えを取捨選択しつつ、カジットは油断なく二人を見つめる。とにかく、そのもう一つの選択肢とやらを聞くべきだろうと。

 

「とにかく『網』と『手』と、それに『足』が保険としても必要でありんすの。あの小娘の掌に乗ったままでは、風向きが変わろうものなら簡単に裏切るでありんしょう。けれどわらわに知識が足らぬのも事実。まったく、本当に難儀なことでありんすぇ」

「何のことだ」

「あら失礼。考えることが多くてつい独り言ちてしまいんした。これ以上は蛇足でありんすね……くふ、先程は選択肢を提示しんしたが、実のところ結果はもう決まっていんす。安心しなんし、下級よりは上等にしてあげんしょう。それにぬしはきっと許してくれるでありんす。だって、大切な大切な、主さまがやったことだもの」

「ぐっ…! なっ――!?」

 

 化物の中の化物で、吸血鬼の最上位たる真祖。その牙は何人たりとも抗えぬ絶望の象徴。化物の中の化物で、可憐で冷徹なシャルティア・ブラッドフォールン。その強さは何人たりとも寄せ付けぬ守護者の象徴。彼女に沙汰を下されたなら、それは地獄の沙汰よりなお重い。

 

 紅い眼と、鋭い牙。体温を失い、体の重さすら消えてゆくカジットが最後に思考できたのは、そのたった二つだけだった。

 暗い暗い墓地の中、生者が住むには冥すぎる。故に生を失い、死を得たのは此処では正常。とてもとても長い道の果てに辿り着く筈だった、人間の成れの果て。

 

 結果はそれより上等で、けれど彼にとっては最低で。それでも実は最良で、行く先は元より地獄の果てだった筈だから、彼にとっては上々だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ああ、やっと手に入れたポーション、使えなかったな。

 

 死の淵に立ち、もはや体も動かせぬ彼女はそんなことを考えていた。痛みは体の不調をしらせる大事なサインだというけれど、既にそれを感じない彼女の体は、もう終わりを迎えているのだろう。下級の冒険者なりに頑張って、少しは階級も上がって、それでも無理をしないと買えなかった大事なポーション。どのみち時間と共に劣化するのだから、惜しむことなど愚かとしか言いようがない。

 それでも自分の努力の結晶だからと、ほんの一瞬躊躇した。たとえ使ったとしても運命に変わりは無いことなど、彼女には痛いほど理解できている。そもそも躊躇せず使おうと考えていたとしても、取り出せていたかさえ疑問だ。

 

 それほどに速く、それほどに正確な斬撃だった。所詮は低位の冒険者である彼女に、それがどこまでの領域に達しているかなど解る筈もない。理解できたのはこの臨時的なパーティが間違いなく壊滅するだろうということと、それでも自分の命が全くの無駄ではなかったというほんの少しだけの安堵だ。

 

 悪名高い野盗の集団にここまでの手練れがいることなど想像の埒外ではあったが、彼等の脅威は後ろに控えていた者に充分伝わっただろう。彼が逃げ切り、街に伝われば冒険者として最低限の役目は果たせたことになる。あとは更に高位の冒険者が編成され、野盗の群れなど鎧袖一触とばかりに駆逐される筈だ。

 

 基本的には自分だけが良ければそれでいいという典型的な冒険者の彼女だが、命が残り僅かともなればそんな殊勝な考えが過っていくのかもしれない。

 

「はっはは! あー良いカモだぜまったく。装備はありがたく頂戴するからよ、アンデッドに化けて出てくるなよ? 雑魚の癖にポーションなんぞ持ち歩いてさぞかし頑張ったんだろうが、これも世の常ってやつだ」

「しっかしそろそろここらを離れねえとヤバいんじゃねえか? ブレインさんがいなけりゃ相当マズかったぜ」

「確かになあ。まあ潮時だったし、今度は帝国の方でもいってみるかあ?」

「ま、お頭とブレインさん次第だろうよ。つーかどっちにしても帝国はねーだろ。クソみてーな王国あってこそ、俺達の商売が捗るってもんだぜ」

「まあな。しかしこの女、勿体なかったなあ…」

「ああ? 女ならアジトにいるじゃねえか。何を好き好んでこんなの欲しがってんだ」

「ほれ、勝気な女冒険者を屈服させるシチュエーションとか燃えるじゃねえか」

「同意を求めるな、同意を」

「ははっ、違えねえ」

 

 『死を撒く剣団』 それはリ・エスティーゼ王国で主に活動する傭兵団の名称である。とはいえそれは戦時における場合のみであり、普段は野盗の真似事をしている――というより野盗そのものである。強盗、殺人、人身売買など何でもござれの俗物集団だ。

 しかしその数は70前後と、一般的な野盗を物差しに考えればかなりの大所帯である。さらに戦時は傭兵をしているだけはあり、食い詰めた農民などが止むを得ず野盗になった場合などと比較すれば、その実力には大きな隔たりがある。

 

 まあそんなことをしていれば、性質の悪いならず者集団を討伐してほしいと冒険者ギルドに依頼が入るのもまた当然の事だったのだろう。しかし冒険者達にとって想定外だったのは、『死を撒く剣団』に用心棒がいたことだろう。そもそもいくら戦時は傭兵をしているとはいえ、所詮は冒険者で成り上がることすらできなかった者達だ。

 

 本当に実力があるならば冒険者になった方が遥かに稼げるのは常識であり、冒険者の気風が合わなかったとしてもワーカーという選択肢がある。故に、中位の冒険者達がチームを組んで討伐に向かったならば、そうそう後れをとることなどありはしないのだ。

 

 だから、彼等は単に運が悪かっただけなのだろう。まさか王国戦士長と対等に戦えるような――冒険者のランクに換算するならば、最高位のアダマンタイトを冠するような存在が『死を撒く剣団』に居たのは。

 

「ったく、腕試しにもなりゃしねえ…」

「あ、ブレインさん。お疲れさまです」

「おいおい、こんなんじゃ疲れもしねえよ。もうちっと歯ごたえのある敵でも用意してくれねえか?」

「はは、無茶言わないでください。ブレインさんが手こずるような化物が出たら、俺達生きてらんねえっすよ」

 

 表面上は和やかだ。それが冒険者の屍の傍での会話でなければ、ではあるが。愛用の刀を手に不満を漏らしているのは、『ブレイン・アングラウス』 かつて王国戦士長と互角の戦いを演じた、この世界でも有数の強者だ。間違ってもこんなところで用心棒などしている器ではない。

 それが何故こんなことをしているかと言えば、単なる武者修業のためである。かつてガゼフに僅差で負けたブレインは、その悔しさをバネに厳しい修練を課し、それと同時に己に相応しい装備も収集した。オリジナルの武技を開発し、ついにはガゼフすら超えたと確信に至った彼は、ちょっとした腕試しも兼ねてこのような行為に勤しんでいるというわけだ。

 

 強さを追い求めるといえば聞こえはいいが、控えめに言っても下種な行為だということにかわりはないだろう。彼自身は傭兵団の犯罪行為に興味を示さず、女を犯しもしなければ強盗を手伝ったこともない。しかしその畜生にも劣る行為を黙認し、あまつさえ討伐に訪れた冒険者を殺害しているのだ。弁解の余地があるとは言えないだろう。

 

「さて、じゃあ後始末をして帰る――ん?」

「どうした……っておいおい、今日は豊作じゃねえか」

 

 彼等が居たのは道から少し外れた場所だ。程々に目立ちにくく、一見しては死体の存在には気付かないだろう。そんな場所から遠目に見えた、10人には満たない集団。遠目にも装備の質は良く、普段の彼等ならば伏して通り過ぎるのを待つしかなかった筈だ。しかし彼等を調子に乗せたのは、乗らせてしまったのは、やはり英雄の領域に足を突っ込んだ『ブレイン・アングラウス』という存在だ。彼ならばたとえオリハルコンの冒険者チームすら相手取り、下すことも可能だろう。それはブレインの腕試しという目的にも合致しており、彼等は手に入るであろう良質な装備にどれだけの値がつくかを皮算用していた。

 

「――ありゃ強えな」

「でもブレインさんなら楽勝でしょ?」

「……」

 

 強者は強者を知る。強さを量る技能とは別に、強者には何かしらの『凄味』というものがある。雰囲気や表情、極端な話装備が凄ければ強く見えたりもするが、それでも遠目に見て感じた程度ですら彼等は強者だとブレインは直感した。

 

 故に、少し躊躇する。数とは力なのだ。彼等が一人であったならば嬉々として襲撃をしただろうが、ブレインをして殆どが強者であると感じる人間が10名前後。腕試しで死んでは話にならず、そもそもブレインは個人の実力に固執しているのだ。彼等の内の一人と戦い、負けて殺されるならまだ納得はできるだろう。しかし数におされて、質では勝っていたのにもかかわらず命を落とすのはいくらなんでも避けたい。

 

「じゃ、俺等が引きつけますんでブレインさんは後ろに回り込んでください」

「なっ、おい待て!」

 

 自分達では敵わない冒険者から装備を剥ぎ取り、死体を屈辱に塗れさせた。その事実が彼等の気を大きくさせていたのかもしれない。自身の実力が変わった訳でもないのに愚かな事ではあるが、それが人間という種族の悪い癖でもあるのだろう。往々にしてこういったことはよくあるものだ。

 

 しかし、今は間が悪いとしか言えない。とはいえ、そもそも彼等は既に随分離れた所から感知されていたし、行かずとも向こうから来たのは間違いないのだが――

 

「おっとそこでストップだ、兄さん方」

「へへ、悪いな。運が悪かったと思って諦めてくれや」

「……ふむ。道から外れたところで何をしているかと思えば、本当に愚かしい。いや、これが王国を象徴しているとも言えるか…」

「隊長、どうします?」

 

 死を撒く剣団の団員に止められ、歩みを止める集団。その表情からは何の焦りも窺えず、まるで日常の一コマであると言わんばかりの平静さだ。それどころか、逆に質問をし返す余裕すら見せている。

 

「一応何か知っていないとも限らない……が、さて。お前達、この辺りで何か不審なものを見なかったか? あるいは何かの破壊の跡や、それに準ずるものを」

「おいおい、状況解ってんのか? ……まあ俺等は優しいから答えてやるよ。不審な人物ってなあ――」

「俺達の事だよなあ? はっはは!」

「違えねえ! ぎゃははは――あ?」

 

 会話を引き延ばしつつ、ブレインが後ろに回るまでの足止めを敢行する。たとえ強い冒険者集団だとしてもブレインが駆逐するまでの間は数を頼りに逃がさず、そして防御に徹すればなんとかなるだろう――そんな浅い考えは、彼等の命で支払う羽目になった。

 

「あ? え?」

「時間の無駄だったな。過去の罪は、その命で贖え」

 

 足止めされた集団の内、数人が動いた。ただそれだけだ。それだけで、彼等の前方に雁首を揃えていた20人程の盗賊はその首を落とされ、あるいは急所を突かれ、頭が消し飛びと惨憺たる有様になってしまった。死を撒く剣団を相手にした冒険者は不運であったが、彼等のそれは因果応報。

 

 ここでこの集団に――『漆黒聖典』に喧嘩を売ってしまったのが運の尽き。彼等は人類を守護する者達であるが、それを為すための障害に容赦はしない。たとえそれが無辜の民であったとしても、だ。

 

「…あと一人。隊長、別格です」

「なに?」

「二人以上であたるか、もしくは隊長に出ていただいた方がよろしいかと」

「ふむ…」

 

 死を撒く剣団の団員が動き始めた中、ブレインが何をしていたかというと――実のところ、一切動いていなかった。所詮は雇われ用心棒。馬鹿の尻拭いで自分の命を危険に晒すことなどありえない。彼等の強さを量りつつ、通り過ぎるのを待とうと伏せていたわけだ。

 

 しかし法国が誇る『漆黒聖典』のメンバーは多岐にわたる能力を保持しており、感知に特化した者も当然ながら在籍している。ブレインの存在など初めから気付いており、そして実力の程も今この瞬間に看破された。

 

「ちっ、どうしたもんか…」

「貴方も彼等の関係者ですか?」

「…まあ関係ないとは言えねえな」

「こちらを害する意思は?」

「…? いや、無いが」

「そうですか。それともう一つ質問させていただきたいのですが、この辺りで何かおかしなものを見かけませんでしたか? どんな些細なことでも結構です」

「…それも無いな」

 

 彼等は人類の守護を目的とし、動いている。故に強者には一定の敬意をはらい、そしてなるべく死んでほしくはないのだ。いずれやってくる亜人の脅威を考えれば、強者はいくら居ても足りないだろう。人類が保有する戦力は貴重で、限りがあるのだ。量よりも質が左右される世界であるが故に、こういった判断がなされているわけだ。

 

「ああ、あと最後の質問です」

「…なんだ?」

 

 そしてその強者はできる限り、法国が所有したい。ある程度の餌をぶらさげてでも――抜けた第9席の穴を埋める意味でも。

 

「――もっと強くなりたいと思ったことは、ありますか?」

 




破滅の竜王が見つからない。つらたん。とりま周辺で聞き込み→第9席次、ゲットだぜ!

あ、あと別にブレインが漆黒聖典二人分というわけではありません。二人ならばよほどの想定外が起きてもまず勝てると踏んだだけです。むしろ漆黒聖典の中だと下の方になるのかな?

次の話のネタばれをするのはあれなんですが、ブリちゃん死んでないから安心してね。


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あるしぇちゃんの活躍

「さあ、行きなんし。わらわの役に立てばぬしの望みもいずれ叶うでありんしょう」

「はい、シャルティア様」

 

 此処はエ・ランテルにある墓地の一角。先ほどカジットを吸血鬼に仕立て上げ、完全に支配せしめたシャルティア。従順になった彼から情報を吸い上げ――個人的な部分についても、だ――必要な事を聞き終えた後は、今までと変わらずズーラーノーンに所属して情報を集める役目を言い渡した。

 

「ふーん…」

「なんだ、クレマンティーヌ」

「ううん、意外と変わんないもんだなって。どんな感じ?」

「ふん、シャルティア様に忠誠を誓ったこと以外は何も変わらん。優先順位が変わっただけのことよ」

「ふむふむ」

「……いや、そうでもない、か。この死の宝珠の呪縛から逃れた分、すっきりしたかもしれん」

「呪縛?」

 

 カジットの眼を曇らせていた最大の要因『死の宝珠』 シャルティアの支配下に置かれ、種族が変わった関係上彼はその支配から一時的に解放されたのだ。そして彼は今まで犯してきた数々の残虐行為を後悔し、良心の呵責に苛まれた――などということはなく、今度は吸血鬼になったのでチョイ悪のままである。

 

「うむ、どうやらこの宝珠は儂の認識を歪め、多少なりとも操っておったようだ。まあ、今はシャルティア様のおかげで問題はないがな」

「(操られる対象が酷くなっただけじゃ…?)」

「なんだ?」

「なにもー。ま、それならそれでお勤め頑張ってねー」

「貴様に言われるまでもないわ。ではシャルティア様、必ずやご期待に応えます……もう暫らくお待ちください」

「期待して待つとしんしょうか。わらわは信仰系のマジックキャスターなれど蘇生は門外漢でありんすが、ナザリックに帰還すれば専門の者も居るでありんす。ぬしが帰還の一助となった暁には、至高の御方に嘆願することも考えていんすよ」

「はっ! 何卒よろしくお願いいたします!」

 

 そしてカジットは墓地の闇に消え去り、残ったのはシャルティアとクレマンティーヌ……そして献上された死の宝珠だけである。ちなみにカジットの部下は今日休暇中なので此処には居ない。実に幸運である。

 

 たとえ悪の組織だろうがなんだろうが、休暇なしに人間は働けない。常日頃悪事に走っていようが、休みがないほうがありえないのだ。追記すると『カジットチーム』の休暇は週休二日制である。王国の一般市民からすればホワイト極まりないだろう。

 

「意外と優しいんだねー、お嬢。なんでも言うこと聞くんなら命令するだけでいいんじゃないの?」

「わらわも学んでいるのよ。支配しているとはいえ、自我はありんす。ならばやる気の有無で結果が変わることもありんしょう? それに一応眷属となったからにはあやつはナザリックの所有物も同然、多少の温情はかけてやってもよいでありんす」

「ふーん……それはそうと、この後はどうするの? 帰る?」

「ラキュースは帰しんす。その後はクレマンティーヌ、ぬしと共に帝国へ向かうでありんすよ」

「帝国? なんでまたそんなとこに……あの姫様も大概人使い荒いというかなんというか」

 

 それに何故ラキュースだけを、と視線で問うたクレマンティーヌにシャルティアは歪んだ嗤いで答える。お前の性にあった、楽しい任務だと。帝国は――自分の手によって新しく生まれ変わるのだと。

 

「くふ、帝国の落日はすぐそこ。わらわによって帝国は生まれ変わるでありんす」

「えぇ…? その、大丈夫なの? お嬢の力は疑ってないけど、帝国と法国になんの繋がりもないってわけじゃないよ? 人外に滅ぼされるなんてことになれば、たぶん主力が出張ってくると思うけど…」

 

 帝国は今現在、人類種族最大クラスの国家だ。戦力こそ法国の後塵を拝しているとはいえ、その豊かさは周辺の小国とは比べ物にならない。故に帝国が危機に陥った時、法国が黙ってみている筈もないのだ。直接的な手段に出た時、情報系の魔法を――諜報にしろそれを防ぐ魔法にしろ――その手段をあまりもっていないシャルティアでは対策が難しい。法国が帝国崩壊の事実を知って、その原因を探そうとした時、確実に真相に近付かれることは間違いない。

 

「ふふん、わらわがなんのためにあの気狂いに指揮を委ねたと思っていんすか。そういうことを、そうならずに、そうさせるためでありんしょう。それに滅ぼすとは言ってないでありんすよ」

「気狂い? あの温室育ちのお姫様のこと……だよね?」

「そこは気にしないでよいでありんす。とにかく、帝国へ向かいんしょう」

「うーん……了解。危なくなったら守ってね、お嬢?」

「…戯言はその口角を下げてからほざきなんし」

 

 守ってほしい。そんな可愛い文句を紡ぎだしたクレマンティーヌの口角は、三日月のように歪んでいた。これから起こることに期待して。これから起こすことに期待して。

 彼女が蒼の薔薇に加入してから、きっと一番の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝国の首都アーウィンタール。見る者すべてがその威容を称えるだろうその宮殿、その内部にある執務室にて皇帝と主席魔法使いは雑談をしていた。彼等はその立場こそ明確に上下はあるものの、幼い頃は魔法使いが皇帝に指導をしていたこともあり、気の置けない仲という言葉がしっくりくるほどに親交がある。

 言葉にはしないが、若い皇帝は魔法使いを祖父のように思うことすらあるのだ。それは血縁や親族を悉く粛清した『鮮血帝』などと呼ばれる男にはそぐわない感情とも言えるが、結局のところ皇帝とて人の子だ。それに情がなければ、情を理解しなければ国を動かすことなどできはしない。故に政務を終え、一時の憩いに政治など関係なく雑談をすることは皇帝にとっても息抜きなのだ。とは言っても魔法使い――生きる伝説とも言われる『フールーダ・パラダイン』にとって政治の話など興味はなく、そんな話をし始めれば魔法の研究に戻ることは間違いないだろうが。

 

「そういえば聞いたか? じい。あのガゼフ・ストロノーフが強姦で捕まったらしいぞ。《メッセージ/伝言》での報告の際は完全にガセだと判断していたんだが……まさかだな。今なら恩を売れるかもしれんが、どう思う?」

「ふむ……顔が笑っておるぞ、ジル坊。どのみち何かの間違いだと確信しているのだろう? かの清廉潔白で有名な王国戦士長がそのようなことするまいて。おおかた貴族派閥の画策か何かか…」

「ほう、じいにそんな推測ができるとは知らなかったな。他国の政治事情など気にもしていなかったろうに」

「それは失礼をしました、皇帝殿。では物知らずな爺は研究に戻るとしますかな」

「待て待て、ただの冗談だ。いや、本題は別にあってな……その王国戦士長を捕まえた――というよりかは気絶させた、の方が正しいか。その人物がこの帝都に来ているらしいという話だ」

 

 慇懃無礼に退出しようとする魔法使いを、皇帝は笑いながら引き留める。どちらも本気ではないことは解りきっているのだから、これは単なるじゃれ合いの類だ。そんなことより、と皇帝は本題のシャルティア・ブラッドフォールンという少女の話を始める。

 

「シャルティア・ブラッドフォールン……今は闘技場でその実力を遺憾なく発揮しているようだ。接近戦では武王を子供扱いし、魔法を使えばその位階すら推測できんという話だ。傍付きの女もこれまた強く、いまだ傷一つ付けられず無敗を誇っているらしい。じい、どう思う?」

「その御仁らの思惑が、という話ですかな? ならば儂に推測させるのではなく文官と議論を交わせばよい話です。実力の程と、それをどうにかできるかという話ならば――断定はできませんが無理でしょう。そもそも儂は戦闘そのものを得意としているわけではないことを…」

「ああ解った解った、一応確認してみただけだ。しかしどう出るべきか……あちらもこっちの接触を待っているのは間違いないだろう。まさか要職に就かせてくれと言い出す訳でもないだろうしな、いったい何が起こっているのやら」

「謁見の際には同席させてくだされ。位階不明のマジックキャスター……心が躍りますな」

「…じいの魔法狂いは治らんな。まあどう出るかは解らんが、あまり不用意なことはするなよ。死人こそ出てはいないが、獲物を嬲るのが好きなタイプ――控えめに言っても下種な輩だ。珍しくはないが気を付けるに越したこともない」

 

 闘技場で活躍したものが皇帝に見初められるのは有名な話だ。実力があるのなら、手っ取り早く皇帝に会うための手段としては有効な手立てだろう。しかし聞いただけでも解るその異常な実力。英雄を超えた存在、逸脱者とも呼ばれるフールーダですら勝算は不明なその二人。偶然闘技場で活躍しているなどとは露ほども思わない。何らかの意図は絶対にある筈で、しかしそれが全く読めないのは不気味でしかないだろう。

 

 しかし、そのような実力を持ちつつこういった手段で接触を図ろうとするならばやりようはある。フールーダを超えるということは、すなわち皇城を守っている戦力では彼女達を阻めないということに等しい。それでも強硬手段に出ていない以上あちらもあちらで思惑があるということだろう、と皇帝は考えているのだ。

 

「しかし呼び出すにしてもいつになるやら……この仕事の量だ。じい、少し手伝ってくれな……居ないっ!?」

 

 逸脱者フールーダ・パラダインは転移魔法すら使用できる世界最高クラスのマジックキャスターで、執務室からも逸脱できる最高のマジックキャスターである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闘技場の中心で勝利の判定が響き渡る。誰もが予想した通りの結果で、誰もが解りきっていた結果だ。きっとこの帝都で最も強く、そして最も美しい戦乙女の勝利に場内は沸き上がっていた。勝者はここ最近で一気に有名になった闘士シャルティア・ブラッドフォールン。

 

 当初はその見目麗しさに人々は目を奪われつつも、その華奢な体躯で闘技場に出場する愚かさに呆れてもいた。勿論戦闘に関してそれなりに見識のある者ならば、見た目と実力が比例しないことなどよくあることだと知っているし、マジックキャスターならばたとえ子供でも魔物と戦えるのは当たり前のことである。

 

 しかし良い身分のお嬢様がそのまま闘技場に入ってきたかのような風体に、ほとんどの観客はなんの冗談かと驚いていたのだ。杖もなく、武器もない。あるのは優雅な微笑みと尋常ならざる美貌のみだ。戦闘が始まれば、いったいどのような凄惨な光景になるのかと顔を覆う者も居たし、逆に興奮しながら期待する者も居た。

 

 だが結局のところ、シャルティア・ブラッドフォールンはその全ての期待を裏切ったと言ってもいいだろう。向かってくる闘士に対して指一本でその猛攻を防ぎ切り、欠伸をしながらデコピン一発で相手を沈めたその様は、もはやこの闘技場の語り草になっているほどだ。

 

「お疲れー、お嬢」

「冗談はやめなんし。この程度で疲れる筈もありんせん……本当に程度が低いわぇ」

「んー……まあ、帝国は戦闘者の平均値が高い代わりに、突出したのがいないからねー。冒険者の扱いが悪いのも一因だろうけど」

「大国が聞いて呆れるでありんすな。ま、わらわにとってはどうでもいいこと……それより、まだ鮮血帝とやらの誘いは来ないでありんすか。実力の程はたっぷりと見せていんしょうに」

「仮にも国のトップだし、色々用意があるんじゃないかな。ところでー、そろそろお腹空いたなって」

「ふむ、では宿に戻りんしょうか。ついでにちょいと吸いてあげんしょう、もうお腹が空くこともなくなるでありんすよ」

「そ、それは遠慮したいかな」

 

 尊敬と羨望の視線を一身に受けながら、それを気にも留めずにその場から離れる二人。団体戦でありながらクレマンティーヌは特になにもしておらず、それ故に増々シャルティアの実力が並々ならぬものであることを示しているといえるだろう。

 

「それにしても王国とは随分毛色が違いんす…」

「ん? あー、街がってことか。まあ国民が払った税金は国民に還元してるからねぇ。王国はそのまま貴族の財布に直行するだけだし。整備環境なんて雲泥の差――」

「そんなことではなく、女人の胸の大きさのことでありんすよ。明らかにこっちの方が平均値が…」

「…あっはい」

 

 頭をかくんと下げながら呆れた返事を返すクレマンティーヌ。きょろきょろと首を回しながら歩くシャルティアの目線は確かにそこいらの女性の胸に集中しており、自身の双丘を見返しながらため息をつく様は、表情だけならば物憂げな美少女である。

 

「到着ー。今日は何食べるかなー」

「わらわは結構。好きに頼みなんし」

「はーい」

 

 食事ができない訳ではないが別段必要もなく、そして大して美味しいとも感じない行為にシャルティアは意味を感じない。一応食事の席に付き合うだけクレマンティーヌに気を使ってはいるのだ。少なくともこの世界に来た当初のシャルティアではありえない行動であり、根っこの部分が少し似かよっているクレマンティーヌに少し特別扱いをしているとも言えるだろう。

 

 宿屋の扉をくぐった二人は空いている席を捜して首を振るが、食事時ということもあり満席であった。宿屋に宿泊する客以外にも食事や酒だけをとりにくる者もそれなりにはいるため、丁度タイミングが悪かったのだろう。

 

「ありゃ、満席かー……どっか空いてないかな」

「その辺の虫をどかせれば済む話でありんすよ。そもそもわらわが来た時点で席をあけないとは、気が利かないにも程がありんす」

「ま、まあまあ。あんまりやり過ぎると泊まるとこなくなっちゃうしー……あ、あそこ空いてる」

 

 大テーブルに四人座っているが、少し空きがあるためそこに座らしてもらおうとシャルティアの手を引っ張って連れていくクレマンティーヌ。狂人を自称する彼女も、狂吸血鬼のおもりをするためならば正気にならざるを得ない――というよりか、表面的に見せる狂った部分は割と『振り』なので、日常生活においては普通に分別があるのだ。

 

 人間である以上『衣食住』も、それを提供してくれる人間も必要不可欠なのだから当然の事ではある。まあ先ほどまで『うひゃひゃ』などと叫びながら人を嬲っていた人間が、食事処では『あ、いただきます』などと言っているのは非常に奇妙ではあるが。むしろ狂っているというよりは『あの病気』的なものに近いだろう。ラキュースと仲良くなれた訳も理解できるというものだ。

 

 

「ここいいー?」

「さっさと空けなんし」

 

 お願いと命令の言葉ではあるが、どっちも答えは求めていないところが似ている部分である。どのみち断られたところで無理やり座るのが彼女達クオリティなのだ。

 

「あ? ――っああ、別に構わないが……あだっ!?」

「あら、ごめんなさい。いつの間にかこんなに混んでたのね」

「失礼、少し寄りますね」

「…ん」

 

 冒険者風の四人が少しずつずれ、二人に席を空ける。リーダーらしき男の表情は、一瞬だけ仲間の団欒を邪魔してほしくなさそうな雰囲気を見せたが、シャルティアの美貌を認識した瞬間その顔はだらしなく緩んだ。が、その瞬間隣の女性に腿を抓られ叫び声を上げた。神官らしき男は呆れつつ体をずらし、寡黙な雰囲気の少女は殆ど無言で席に置いていた杖をどかした。

 

 クレマンティーヌは店員に適当に注文し、シャルティアにも手持無沙汰にならないよう酒を頼んだ。一息ついた彼女は、自分達がきた事で少しだけ口数が少なくなった四人に視線をやり、どの順番で殺せば一番楽しそうかななどと妄想し始めた。

 

「うおっ!? なんか寒気が…」

「わ、私も少し……飲み過ぎたのかな」

 

 戦士寄りの二人はそのねっとりした殺気に本能で気付いたが、酒が入っていたこともありそのまま流した。不思議そうに自分とシャルティアを見つめるマジックキャスターの少女に、彼女はおっとしまった、と妄想を鎮める。丁度料理が運ばれてきたこともあり、そのまま誤魔化すように食事を口にし始めた。

 

「…何か用でありんすか、小娘」

「…ううん。何も」

「ならば不躾な視線はやめなんし。場所が場所ならその細首、ぽっきりと折れているでありんすよ」

「…ごめんなさい」

「どうしたの、アルシェ?」

「なんでもないから、イミーナ。大丈夫」

 

 マジックキャスターの少女――アルシェと呼ばれたその少女は、確かに少し失礼な程シャルティアの顔を見つめていた。そして本人にそれを見咎められ、謝罪したアルシェの瞳には隠せない動揺が見えていたのだ。しかし仲間の変調を目敏く見逃さなかったハーフエルフの女性――イミーナに問いかけられても、アルシェは首を振るばかりであった。

 

「いや悪いなお嬢さん、アルシェもたぶん見惚れちまったんだろうよ。詫びに一杯奢らせてくれ――あだだっ!? 別にそういう意味じゃねえってイミーナ!」

「はん、どうだか!」

「…こういう場合はどうするべきでありんすか? クレマンティーヌ。わらわはなんだか八つ裂きにしてやりたい衝動が湧き上がってきているの。ふしぎ」

「それでいいんじゃないかな。汝の為したいがままを為せってスルシャーナも言ってたらしいし」

「それは勘弁してあげてください……まあ貴女方の美貌が悪さをした、と思っていただければ。あ、申し遅れましたがロバーデイクと申します」

 

 夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、吸血鬼も吸いたい気分にはならなかったようだ。ついでに仲裁しながらちゃっかり自己紹介しつつ二人に酒を注文する神官――ロバーデイク。まあ自分の美しさが悪かったと言われれば、不快になる女性の方が少ないだろう。シャルティアも機嫌を直してそれを受け入れた。まあそもそも別に怒ってはいなかったし、アルシェに見つめられた時は単に『尻尾が似合いそう』などと情欲に塗れた視線を返しただけである。

 

「その美しさに二人組……もしかして最近闘技場で話題のお二人ですか?」

「ほう、わらわの美貌に気付いただけでなくそこにも気付くとは。ぬしは中々良い眼をしているようでありんす。如何にも! わらわこそ、残酷で非道で冷血な真祖のきゅあぶぶっ! なにするでありんすかクレマンティーヌ!」

「お嬢お嬢、それは言っちゃまずいって」

「ああ、そういえばそうでありんした……失礼! わらわこそ……えー……シャルティア・ブラッドフォールンその人でありんす!」

 

 何も思いつかなかったようだが、まあ外見が外見なので問題はない。可愛いは正義で、可愛ければ大抵の事は許され、可愛ければ大方の行動は可愛らしく見えるのである。

 

 しかしたった今、重大な事件が起きた。最初に気付いたのはクレマンティーヌで、次に気付いたのはいまだちらちらとシャルティアに目をやるアルシェだ。ふんすと胸を張って自分の名を叫ぶシャルティアの、その胸が大きくずれているのだ。もはや垂れ乳どころか腹からおっぱいが生えているのかと疑うほどに、ずれている。

 

 その原因は今しがたシャルティアの口を両手で塞いだクレマンティーヌであることは明白で、それ故に彼女は今顔を青く……どころか土気色にしてあわあわと口をパクパクさせている。気付かれたら血の雨が降る――そう彼女には確信できた。どうにかしたいが、他人の胸パッドを正常な位置に戻すことなどたとえ10位階の魔法でも無理である。いや、時間停止ならいけるかもしれないがクレマンティーヌには知る由もない。

 

「あ、あ…」

「…? どうしんしたか、クレマンティーヌ」

「あ、いや、その」

 

 まずいまずいと視線を彷徨わせるクレマンティーヌだが、そんな事で解決法が見つかれば世話はない。無情にも彼女の命はここで終わるのか……そう思われた時、彼女の思いも寄らぬ場所から救いの手が差し伸べられた。腹乳に気付いていたもう一人の人物――そう、アルシェ・イーブ・リイル・フルトだ。彼女はクレマンティーヌがどうなってしまうかなど理解してはいないが、とりあえず今の状況がまずいことだけはその表情を見て悟ったのだ。

 

 なにより、同じ貧乳仲間が恥を晒すのをよしとしない決意があった。たとえ――たとえ、ちらりと見えている鋭い牙を見てシャルティアが吸血鬼だと理解していてもなお、だ。

 

「トイレに行ってくる……あっ、ゴメンナサイ」

「む?」

 

 アルシェはトイレに立つ振りをして腰を上げた。しかし酒に酔っていたせいか愛用の杖に足を引っかけてしまい、シャルティアの方へ倒れ込んだ……振りをした。唇が触れかねないほど顔を寄せ――あまりの端正な顔立ちに頬が紅く染まる――シャルティアが少し驚いている間に、全ては終わっていた。

 

 その間1秒。100レベルの真祖をして気付けぬ早業。衣類の上からだというのに、正確にパッドの位置を直した技術はもはや神技としか形容し得ないだろう。それは自分もかつてパッドを信仰していた者であり、そして諦めた自分とは違い、戦う者でありながらパッドを外さない彼女に敬意を感じたからこそ成功した奇跡だったのかもしれない。激しく動く冒険者やワーカーにとって、パッドなど無用の長物でしかないのだ。それでもなお付け続けているシャルティアに、アルシェは感銘を受けたのだ。

 

 まあシャルティアも本気を出す時はパッドを外すのだが。

 

「失礼した……大丈夫だった?」

「…ん、気を付けなんし」

 

  何かに気付いたようなシャルティアは、気もそぞろに謝罪を受け入れる。その胸中は窺い知れないが、胸外はしっかり直っているのでおおむね問題は無いと言ってもいいだろう。いや、こむねで問題は無い。

 

 そして胸を歪ませた張本人のクレマンティーヌはというと、アルシェに向かって最敬礼をしていた。先ほど頭の中で惨たらしく殺していた事実はどこへやら、今彼女の眼にはアルシェが聖女のように見えているのだ。アルシェも無言でサムズアップをしてそれに応え、二人の間に奇妙な友情が結ばれた。

 

「…クレマンティーヌ、花摘みに行くでありんす。付き合いなんし」

「え? お嬢って『出る』の? ――ごっふぅっ!」

「何かお言いかぇ?」

「おぐぅ……何でもないです! さ、行こ行こ!」

 

 トイレに付き合えというシャルティアに対して、クレマンティーヌは『吸血鬼ってウンコするの?』※要約 などと身も蓋もない事を口に出してしまったため、腹パンをくらった。これが横のアルシェであれば体が二つになっていた程の一撃である。

 

 そしてこっそり外に出たシャルティアとクレマンティーヌ。後者は先ほど起きたパッド事件が気付かれていたのかとびくびくしながら付き添っていたが、しかしシャルティアの口から出た言葉は予想外もいいところであった。

 

「あの小娘……アルシェと言いんしたか。どう思うでありんすか?」

「え? どうって……あの、別に普通の冒険者……いや、プレートかけてなかったからワーカーかな。とにかくそんな気にするほどでもないと思うけど。た、倒れた時だって不自然なところ、なな何もなかったし!」

 

 お前が一番不自然だと、突っ込みどころだらけのクレマンティーヌだが、シャルティアもシャルティアでシャルティアなので気付かない。しかしクレマンティーヌの言葉には首を振って反論をした。

 

「ぬしもまだまだでありんす。あの不自然さに気付かないとは、それでもわらわの下僕でありんすか?」

「そ、その……あの…」

「うむ、間違いありんせん。あの小娘、わらわに気があるに違いないでありんすよ。わざとらしい倒れ方といい、あの頬の染め方といい……あげくの果てにはわらわの胸を一瞬弄っていんした。これはもう決まりでありんしょう」

「へ? あ…」

「あやつを見た瞬間、尻尾が似合うと思っていんしたの。それでいてわらわに気があるとくれば、これはもう応えてやるのが情けというものでありんしょう? そうでありんすよね」

「あ……うー……うーん…」

 

 そうきたか、とクレマンティーヌは唸る。どんな勘違いだよと突っ込みたいのはやまやまだが、客観的に見れば確かに勘違いしても仕方ない。それにちらちらとシャルティアに視線をやっていたのも確かなのだから。しかし、先ほど助けてくれた恩人を売るのは甚だ忍びない――けど、仕方ないよね! とクレマンティーヌは笑顔でシャルティアの問いに首肯した。他人より己を取るのは彼女にとって当然である。

 

「ではクレマンティーヌ、上手くその方向に持っていくよう手伝いなんし。くふ、皇帝とやらが接触を図ってくるまでの退屈しのぎが見つかったでありんすな」

「はーい、頑張れお嬢」

 

 お前は合コンで張り切るパイセンか――と、何処かのバードマンが居れば叫んだに違いない。

 

 アルシェの純潔や如何に

 





明日も更新できればするかもです。


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健全な組織

百合表現とちょっと性的チックな描写があります。そんなに濃くはありませんが、人によっては不快になるおそれもあるのでお気を付けください。


「ん…」

 

 朝チュン。太陽が黄色く輝き、その光を受ける『歌う林檎亭』も黄金色に輝いていた。そしてその宿屋の一室、それなりの格調の部屋でアルシェは目を覚ました。頭が鈍く痛み、体が怠い。昨晩酒を飲み過ぎたのだろうかと朧げな記憶を掘り返し、昨日の内には帰ると約束していた妹達に悪いことをしたなと考えながら、ベッドの隣の水差しから直接水を飲む。

 コップを探すのも億劫だったため、少し下品ではあるが気にせずに嚥下して頭を覚ます。口元から首筋に零れて、そのまま薄い胸を濡らす水滴にビクリと身を捩らせた。少々淫靡な絵面だが、頭に鈍痛を抱える彼女は気付かずにそのまま水を飲みほした。

 

「昨日……どうしたんだっけ」

 

 いまだ戻らぬ記憶に顔を顰めて膝を抱えた。一糸纏わぬ状態のため色々とあられもない姿を晒しているものの、他に誰もいないのだから問題はない――と彼女が思考した瞬間、右側の太腿部分から感じる冷たさに驚愕した。すやすやと寝ている傾国の美少女、絵物語でしか存在しないあり得ぬ美貌の持ち主が、自分と同じく一糸纏わぬ姿でそこに居たのだ。

 

 アルシェは驚愕した。何故不眠不休である筈の吸血鬼が睡眠を取っているのか、と。

 

「そこでありんすの!?」

「きゃっ!」

「…ん? ああ、寝ぼけていたでありんす。失礼」

「お、おはよう…?」

 

 シャルティアから謎の突っ込みが入り、アルシェは更に驚いて身を竦ませた。身を起こし、惜しげもなく裸体を晒すシャルティアはまさに白いキャンバスを思わせる。何者にも染められぬ無垢な白雪のようでいて、その実中身はどす黒い。とはいえそんなことを知る由もないアルシェは、見てはいけないものを見てしまったように顔を逸らした。

 

「え、と……あれ? 私、なんで……ここはどこ?」

「何故というなら、それはぬしがわらわを誘ったから。ここが何処かというなら、当然わらわの部屋。覚えていんせんの?」

「そう……ありが――っ!? う、嘘…!」

「ええ、初めてというのが嘘のように悦んでいんした」

「~~~っ!?」

 

 ニタニタと笑うシャルティアは心なしか顔がつやつやとしており、まるで晴れやかな元旦を迎えたとでもいうような気分を感じさせる。ベッドの枕元にはなにやら犬の尻尾のようなもの――根元の形が少し特殊だが――が鎮座しており、昨晩のプレイがアブノーマルであったことを感じさせている。

 

「わ、私……あの、その」

「…なんて。くふ、ただの冗談でありんす。ベッドに転がしたらすぐ落ちてしまいんしたから、適当に弄らせてもらっただけでありんすよ」

「…ほっ。よかっ……よくないっ!?」

 

 どうやら純潔は奪われていなかったらしいとほっとしたアルシェだが、自由に体をまさぐられていたと聞いては心中穏やかではいられないだろう。確かに美少女で、確かにこの世のものとは思えぬ整いようだが、それでも自分はノーマルなのだ。いまだ惚れた男などおらず、居たとしても家庭環境を考えれば叶う筈もないが、それでも同性に溺れるなどということはけっしてない――筈だ、とアルシェは頭を振る。きっと酒が全て悪いのだと、頭の痛みを我慢して服を着始めた。

 

「…帰る」

「ふむ、引き留めはしんせんが……興覚めもいいところでありんすな。埋め合わせはいつになりんしょうか。まさかこのわらわに恥をかかせは――――しないでしょう?」

「っ!?」

 

 にこやかにアルシェを見送るシャルティア。しかしその言葉の最後は、有無を言わせぬ恐ろしい気配が漂っていた。否定すればいったいどうなってしまうのか、アルシェは想像すらしたくないほどの寒気に襲われた。そしてようやく思い出したのだ――目の前の少女が吸血鬼だということを。

 

「…解った。でも今は家族を養うためにお金を稼がなければいけないから、時間がとれない。もう少し待って」

「金…? ふむ、なんともせせこましいことでありんす。けれど――どうやら恥をかかせたのはわらわのほうでありんしたか。素寒貧のお敵を照らすなど、甲斐性なしと言われてもしょうがありんせんな」

「…?」

「何を目を白黒させていんすか。言った筈でありんす、わらわに恥をかかせるなと。さっさと金を稼ぎにいくでありんすよ!」

「…え?」

 

 仮にも色事の相手をさせようとした者が、お金がなくて困っている……それどころかそのせいで相手を出来ないとまで言わせてしまったのだ。廓言葉を使うからといってシャルティアはその中身まで女郎のようだというわけではないが――その言葉を口に出させてしまったのは、やはり粋ではない。あるいは少女にいい恰好を見せたがるであろうペロロンチーノの影響を受けているのか、それともギルド維持のため金策に奔走していた最後の支配者を思い出してしまったのか、どうにも彼女は我慢できなかった。

 

 瞬時に服を着て、杖を抱きしめているアルシェを引っ張って勢いよく部屋の扉を開け放つ。そしてクレマンティーヌが寝ているであろう部屋に突撃して高々と言い放った。

 

「クレマンティーヌ! 金を稼ぎにいくでありんすよ!」

「んー……もう殺しきれないよ~」

「ええい、さっさと起きなんし! 一度王国に戻りんすよ!」

 

 お前はいったいどんな夢を見ているんだと、こんな時でも突っ込みたい衝動に駆られるアルシェだったが、その暇もなくシャルティアの鉄拳がクレマンティーヌに叩き込まれた。

 

「痛ったー!? お、お嬢? どうしたの?」

「金がいるでありんす。王国に戻ってラナーに稼ぐ方法を聞きんしょう」

「お金? 路銀は充分足りてると思うけど…」

「わらわではありんせん、こやつに必要でありんすのよ。さあ、戻りんすよ!」

「…………マジで? すご…」

「?」

 

 この部分だけ聞けば、アルシェがシャルティアに金を貢がせる程夢中にさせた……と勘違いしても仕方ないだろう。クレマンティーヌからの尊敬の視線がアルシェに突き刺さる。おぼこい少女を装って実は百戦錬磨の淫乱少女だったのだろうかと、その手練手管を想像してゴクリと唾をのむ。当の本人はいまだに展開についていけず、何が起こっているのかと混乱中だ。単に時間を稼いで逃げようとするための言い訳だったのだが、いったい何故こんなことになっているのだろうかと首を捻っている。

 

 吸血鬼とは脅威の化物であるが、それでも冒険者のランクに換算すればミスリル級もあれば十分に倒せる圏内だ。つまりワーカーとはいえ実力はそのクラスに遜色ない自分達であれば、打倒は可能なのだ。

 

――が、それは魔法を使わない吸血鬼の話だ。

 

 ただでさえ恐ろしい能力をいくつも所有し、身体能力ですら人間を遥かに凌駕する吸血鬼。それが魔法も使えるとなれば、いったいどれほどの脅威になりうるか。それを打倒し得るのならば、まさに英雄と評すべき存在以外にはありえない。そして自分達は英雄ではないし、その能力もない。それこそ逸脱者たる自分の師、フールーダ・パラダインでもなければ滅することはできないだろう。

 

――そしてそれすらも、普通に魔法を使える吸血鬼の話でしかないとアルシェは知っている。

 

 闘技場で噂になっている実力が真実なら――そもそも人に打倒できる存在なのかすら疑問だ、とアルシェは思う。吸血鬼でありながら自分と同じ3位階までを使いこなすならば、正しく英雄の領域だろう。魔法を使えずとも闘技場の覇者を子供扱いできるのならば、それも同じく英雄級かそれ以上だ。

 

 けれど彼女の噂を聞く限り、接近戦では指一本以上は使わない……そして魔法を使えば見てわかるほどに高位の魔法。そんな化物をいったい誰が相手にできるというのだろう。唯一の救いがあるとすれば、とりあえず人間には友好的だということだろうか。少なくとも一晩一緒に居て殺されていないことだけは確かだ。

 

 もしくは自分と同じ貧乳だから情けをかけたのか。とにかく見境のない殺人狂というわけではないとアルシェは判断しているのだ。むしろ彼女が名乗りを上げた時、吸血鬼と名乗ろうとしていた事を察していたアルシェは、シャルティアが単なるお馬鹿で可愛い吸血鬼の可能性すらあると思っている。

 

 むしろそうでもなければ吸血鬼と気付いた時点で席を立っているという話だろう。

 

「《ゲート/異界門》」

「…っ!?」

「ほらほらー、驚くのは解るけど入った入った」

 

 《ゲート/異界門》を開いたシャルティアはそのまますぐに突入し、尻込みしているアルシェをクレマンティーヌが後ろから押し入れる。先ほどまでの騒ぎが嘘のように『歌う林檎亭』の一室は静まり返るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラナー! 入るでありんすよ!」

「はいどうぞ」

 

 乱暴に叩かれた扉の音、それに動じもせずラナーは入室を促した。シャルティアに礼節を求めても意味はないと理解しているからだ。それは彼女を礼儀知らずな不調法な者だと断じているわけではなく、彼女が礼儀を払うべき者が極端に少ないことを知っているが故に。

 

「あら、そちらの方は?」

「あ、アルシェ・イー……ううん、アルシェ。ただのアルシェ」

「ご丁寧に。私はラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフと申します。よろしくしてくださいね」

「わらわはシャルティア・ブラッドフォールンでありんす!」

「知ってます」

「私はクレ――」

「ちっ」

「!? い、今舌打ち…」

「どうかされましたか? クレマンティーヌ様。勿論貴女様のことも忘れていませんよ」

「そ、そう? はは」

 

 三者三様にラナーへと挨拶をするが、三人目のおふざけにはさしもの黄金姫もイラッときたようである。一瞬だけ舌打ちをして不快を示す。クレマンティーヌは何かの間違いかなと頭を掻いているが、シャルティアが彼女を気狂いと表現していたことを思い出してそういうことかと納得した。

 

 これでこの部屋には狂人が三人揃ったわけだ。ヤンデレ気狂い姫に、サイコパス戦乙女に、ファッションキチガイの揃い踏みである。オークも泣いて逃げ出す豪華な面子だ。さながらアルシェはこの部屋最後の良心といったところだろうか。

 

「それで、どうされましたか? 皇帝には会えたのかしら」

「まだでありんす。それよりちょっと物入りになりんしたの。手っ取り早く稼ぐ方法を教え……いえ、ぬしが出せばいいでありんすな。とりあえず白金貨100枚ほど寄越しなんし」

「ファック」

「!?」

「あ、すみませんつい……私が自由にできるお金など微々たるものです。すぐに用意できる金額とは言えませんね」

「むう、役に立ちんせんな。ならばどうすればよいか教えなんし」

「うーん、そうですね…」

 

 考える振りをしながら、ラナーは降って湧いたような好機にほくそ笑む。ギブアンドテイクな関係で持ちつ持たれつでいこうとは言いつつも、現状ラナーからシャルティアへ有益な物や情報を提供することは難しい。逆にシャルティアからラナーへ提供できるものなど、それこそ掃いて捨てるほどにあるのだ。

 

 一方のみが利益を享受し続ければ関係は早々に破綻をきたすだろう。それを考えてとりあえずはシャルティアへのお願いを留めているのだが……あちらから要望がありそれに応える形になった今、躊躇いなどある筈もない。ラナーにとって邪魔な存在を消しつつ、ついでにお金も入ってくるような任務を言い渡せばWINWINだ。誰も損をしない素晴らしい状況である(被害者は考慮しないものとする)

 

「…決めました。シャルティアさん」

「うん?」

「この街は少々……『指』が多すぎるようです。貴女が斬り落としてくれるなら、少しすっきりするでしょう」

 

 黄金の微笑み。巷で称賛されるその笑顔も、皮を一枚捲れば澱みが渦を巻いている。彼女が最初に選んだ犠牲者は、この街に巣食う犯罪組織『八本指』だ。彼女にとってその壊滅は利益とは言い難く、ならば何故それを選択したかというと……当然だが、クライムの為に他ならない。

 

 王都の治安を憂いている彼のため、鬱陶しい組織を潰してしまおうというのだ。なにより金を溜め込んでいるというのもでかいし、貴族派へのダメージもおおいに期待できる――彼女にとってそれはどうでもいいが――となれば悪くない選択肢だろう。

 

 だが、その提案はラナーにすら思いもよらない言葉で一蹴された。

 

「ふむ……? 街に指など生えている訳ないでありんしょう? ついに狂いきってしまいんしたか?」

「……」

 

 シャルティアにはしっかり言葉にしないと伝わらない。最高の頭脳にまた新たな知識が加わった瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 組織の壊滅とは、どう定義するものだろうか。アジトが壊れる――これは壊滅とは言い難いだろう。人さえ残れば場所を変えてまた動き出すに違いないのだから。その組織の商売そのものを成り立たなくする――これも壊滅かというと疑問が残る。人の悪意は一度潰れようとも、手を変え品を変え形を変えていくだろう。

 

 ならば何をもって壊滅とするか。真祖の吸血鬼、シャルティア・ブラッドフォールンにはその選択肢が大きくわけて二つある。一つは勿論、物理的に全てを消す方法だ。彼女にとっては防御の魔法も警戒の魔法も意味を為さない。嗤いながら魔法を行使すれば、人もアジトも物品も、全てが灰塵と化す。《ゲート/異界門》の魔法を駆使したならば、各所にあるアジトの全てをほぼ同時刻に消滅させることすら容易だろう。

 

 けれど、それでは意味がない。彼女が欲しているのは、彼女自身は興味のない即物的なものだから。だから二つ目の選択肢……組織の上層を全て挿げ替える方向に動いたのだ。とはいっても本当に人間を替える訳ではなく、カジットにしたように己の支配下におく形でだ。構成員全てを吸って回るのは骨が折れる、それどころか流石に外部の人間に疑われるだろう。しかし組織の方針を決め、組織を運営しているものを配下にすれば、それはもはや別の組織――すなわち前組織の壊滅と同義だ。

 

 速やかに、密やかに、そして瞬く間に組織は変貌を遂げた。麻薬、奴隷、暴力、ありとあらゆる犯罪が鳴りを潜め、組織は新たなる目標を抱えて生まれ変わったのだ。従わぬ者には制裁を。恐怖と暴力を以って再構成し、人員はかつての3分の1にも満たない。ぶっちゃけ王都の外に逃げた悪人のせいで周辺都市は治安が悪くなること請け合いであるが、まあラナーにとっては王都の治安が良くなりクライムが喜ぶことこそが重要なので問題は無い。

 

 溜め込んでいた資金は吐き出され、その多くは王女の懐に入った。何をするにもとりあえず金は必要なのだ。ラナーの取れる手段が増えることはシャルティアにとっても歓迎すべき事柄である。

 

 『八本指』と繋がっていた貴族達には青天の霹靂のようなものである。たった数日見ない間に組織の方針が540度くらい転換していたのだから、それもむべなるかな。まさか王国に巣食う裏の組織が、三日三晩ほどで健全な組織に変化するなどとは、六大神でも思うまい。

 

 その組織の名は――

 

 

「ではこれより会議を始める。死にたい」

「ああ、ボス。俺も死にたい」

「そもそも何故警備部門の私達が組織の運営をしているのかしら……ああ、もちろん私も死にたい」

「お、お、お、俺達もう、し、しんでる」

「それを言っちゃあお終いだけどね……ペシュリアン」

 

 新しい組織のトップ――かつての『八本指』警備部門『六腕』が最強の男 “闘鬼”ゼロ……改め“やる気”ゼロ。

 同じく元『六腕』最弱の男 “幻魔”サキュロント……改め“按摩”サキュロント。

 同じく元『六腕』紅一点 “踊るシミター”エドストレーム……改め“驚きシフター”エドストレーム。

 同じく元『六腕』どもりスト “空間斬”ペシュリアン……改めず、そのまま“空間斬”ペシュリアン。

 同じく元『六腕』ナルシスト “千殺”マルムヴィスト……改め“百寸”マルムヴィスト。

 

 彼等は『八本指』が変革した後、トップに立った――否、立たせられた者達だ。何故彼等が最上位に位置付けられたかというと、単に強いからである。ともすればアダマンタイトにすら届き得る彼等の実力は、吸血鬼化していない末端の構成員を抑えるのに一役買っているのだ。ちなみに残る一人の『六腕』、エルダーリッチである“不死王”デイバーノックはシャルティアの気に障ったため“不帰王”デイバーノックとなって消え去った。

 

 彼等が意見をまとめると総じて『死にたい』と口にする。それは何故、と聞かれれば彼等は口をそろえてこう言うだろう。『胸を大きくするためだけの研究組織で働きたいか?』と。新しい組織の名は『八本指』改め『八頭身』 彼等の役職名は『六腕』改め『お椀』 シャルティアが未来の自分に願いをこめて名付けた尊い名である。

 

 まあ成長しないシャルティアは八頭身になれもしなければ、お椀型の立派な胸にもなれないだろうが、その不可能を可能にするための組織として彼等は働いているのだ。死にたいのも解るというものである……アンデッドなので死んでるけれど。

 

 もはや“やる気”もクソもないゼロは置いておいて、“按摩”サキュロントは按摩による刺激で胸を大きくできないか試す役割を担う。“驚きシフター”エドストレームは魔法で胸をシフトさせられないか実験し、“空間斬”ペシュリアンは胸の無い空間を切ることで逆説的に胸を増やす理論を実践している。“百寸”マルムヴィストは……胸が百寸になればいいな、というシャルティアの単なる願望だ。

 

 もう一度言うが、死にたいのも解るというものである。

 

「そういえばバルブロ王子がまたもやちょっかいをかけてきた」

「また賄賂の催促ですか。もう後ろめたいことはしていないと言っているのに…」

「いや、方針が変わったのはそれでいいらしい。単に研究が成功したら成果(巨乳化)をわけてほしいらしくてな」

「……」

「……」

「王国大丈夫なの?」

「おいおい、俺達がそれを言うのか?」

「違いないな」

 

 ははは……と乾いた笑いが響きわたる。――王国は今日も平和なようで、なによりだ



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あるしぇちゃんの変心


恋心ではありませんよ、変心です。


 帝都アーウィンタール。この街を拠点にしているワーカー『フォーサイト』のリーダー、ヘッケラン・ターマイトは現在頭を悩ましていた。それは数日前に一緒に呑んだきり、一向に姿を見せないアルシェに関してだ。パーティ全員が可愛い妹分のようにも思っており、仲間としても絶大な信頼を寄せているアルシェ。第三位階の魔法まで扱える優秀なマジックキャスターであり、状況判断にも優れた必要不可欠な仲間だ。ワーカー暗黙の了解として私生活を詮索するような真似はしていないが、それでも極端な節約志向や装備の新調をしていない様子を見ると何かしらお金に困っているだろうことはよく解る。

 

 稼ぎの内ある程度の金額を装備に回すことは冒険者やワーカーにとって当然の事であり、充分に稼いでいながらいつまでも装備を新調しないような輩は、いずれパーティから爪弾きにされるのは当然のことである。それでも可愛い妹分で大事な仲間だからこそ『フォーサイト』の面々は、アルシェがいつまでも同じ装備であることに触れなかった。

 

 アルシェ本人がそれを一番恥じていて、罪悪感に押し潰されそうなことを知っているからこそだ。きっと何か事情があるのだろうと、彼らは何も聞かずに見守っていた。もしどうしようもなくなって金銭に関して頼ってきたならば、無利子無期限無催促で貸してもいいと思えるほどに、『フォーサイト』のメンバーはお互いを思いやっているのだ。普通のパーティ――それもワーカーなどという職業に就いているならば金に関してのトラブルなど日常茶飯事であり、そんな関係がどれほど尊いことかよく解るだろう。

 

 そんな関係だからこそヘッケランは――いや、イミーナもロバーデイクも、全員が彼女を心配しているのだ。もしや借金がどうにもならず身を売ってしまったか、それに類することを強制させられているのでは、と。まあミスリル級となんら遜色のないワーカー、それと同額を稼ぐ娼婦などまず存在しないためそこに関してはあまり心配はしていない。借金取りが居たとしても、そんな馬鹿でも解る損得を勘定しない訳はないだろう。けれど、何かしらのゴタゴタは起きているのだろうことは間違いない。少なくともこれほど長くなんの連絡もないことなど、今までなかったことなのだから。

 

「…やっぱ探しに行くべきか?」

「うーん……あの子のことだから、抜けるにしてもなんにしても報告くらいはする筈でしょう? 私達がそれを受け入れるかどうかは別にして、やっぱり何の報せもないのは異常だわ。嫌がられるかもしれないけど少し探ってみるべきだと思う」

「同意見です。何も言わずに去ってしまうほど、我々の関係は薄くない――少なくとも私達はそう思っていますからね。なにかあったと見なして動く方が、きっと後悔しませんよ」

 

 そう意見が一致した彼等は、凄腕のワーカーとしての能力を十分に発揮すべく行動を始める。冒険者と違い、依頼者と直接やりとりをするワーカーはその性質上、依頼の裏を探る能力も求められる。でなければ早々に屍を晒すことになるだろうし、そもそもワーカーに頼むような案件は冒険者組合に頼れないと公言しているようなものなのだから、危険が付き纏うのも当たり前だ。

 

 それでもその中からできる限り取捨選択をしてきたからこそ『フォーサイト』は今まで生き抜いてきたのだ。そんな彼等が本気になれば、一人の少女の足跡を探ることなど容易い。まずはアルシェと最後まで呑んでいたシャルティア・ブラッドフォールン、そしてクレマンティーヌに話を聞こうという意見がたった。

 

「時間が合わないせいか、ここで会ったのはあの一度きりだけど……今の時間なら闘技場かしら」

「そうでしょうね。お酒の席では随分仲良くなっていたみたいですし、もしかしたら協力を仰げるかもしれません」

「そうなれば心強いな……噂が話半分だとしても相当なもんだ。あの武王を子供扱いだろ? 前に俺が戦った時より弱くなってるってこともないだろうし」

「ですね。暴力が必要な事態というのはあってほしくありませんが…」

 

 善は急げとばかりに立ち上がる彼等。奥まっていた場所で話していたため、いくつかのテーブルを横目に外に向かい始めた。昼日中だというのに管を巻いている客達の横を通り過ぎていく。

 

 酒瓶を顔の横に、寝かけている爺――ちびちびと安酒とつまみを口に入れ続けている小太りの男――公衆の場所だというのに、武器の手入れをしている戦士――パンツ丸見えで寝こけているクレマンティーヌ―― 

 

「って居たっ!?」

「な、なんて恰好で寝てるのかしら…」

「こういうのもなんですが、女性としてどうなんですかこれは」

 

 そこには酔いつぶれてそのまま寝てしまったとおぼしきクレマンティーヌが、ぐうぐうと寝息をたてていたのだ。ミニスカートで長椅子に寝転んでいるため、女性にあるまじき寝姿である。色々と見えてはいけない部分が丸出しで、よくよく見れば先ほどの小太り男や戦士は、彼女の下着が良く見える位置に陣取っているのだった。つまみを口に運びちらちら。武器を磨きつつちらちら。まあ男ならしょうがないとはいえ、イミーナの極寒の視線に気が付かないのは少々そちらに意識を割き過ぎである。

 

「と、とにかく起こすか。おーい、クレマンティーヌさん? 少し聞きたいことがあるんだが…」

「んー……クソ兄貴ィ……殺す…」

「寝言……ふうん、お兄さんが居るんだ。ふふ、憎まれ口を叩くほど仲が良いってことかしら」

 

 残念ながらガチの方の『殺す』である。照れ隠しなどでは絶対に無い。それはさておいて、ゆさゆさと揺さぶられたクレマンティーヌは気怠そうに上半身を起こして自分を目覚めさせた連中を見つめる。同時に彼女に突き刺さっていた視線が、残念そうな色を含みつつ薄れていった。

 

「ん――くー……っあたま痛ぁー。ん……あれ、誰だっけ」

「『フォーサイト』のヘッケランだ。すまんな、気持ちよく寝ているところ」

「お詫びと言ってはなんですが…」

 

 そう言ってロバーデイクは、二日酔いで頭を押さえているクレマンティーヌに回復魔法をかける。一応二日酔いもバッドステータスに分類されているため、魔法で無理やり抑え込むこともできるのだ。とはいえ、こんなことでホイホイ一般人に使用していてはロバーデイクが『行方不明』になる可能性もあるだろうが。そこに教会が絡んでいるかどうかは誰も知らない、けれど公然の秘密である。

 

「あー効く効くー……で、どしたの? 揃いも揃って神妙な顔つきで」

「ああ、突然で悪いんだが、アルシェのことを知らないか? ここ数日連絡がなくてな。今までそういうことはなかったから少し心配なんだ」

「ああ、あの子ならうちのお嬢と一緒だけど」

「お嬢……ってシャルティアの嬢ちゃんか? なんでまた…」

「それならそうで連絡くらいしてもよさそうなものだけど…」

 

 自分達が考えていた悪い予想が外れ、ほっとする面々。しかしそうだとしても、連絡を入れない理由にはならないだろうと首を捻る。まさかパーティを放っておいて二人で遊び呆けているわけでもあるまいし、いったい何をしているのかと再度クレマンティーヌに問いかけた。

 

「私もよく解んない。なんかあの子がお嬢に貢がせてたみたいだけど? すごいよねー、白金貨百枚って」

「…すまん、もう一回言ってもらっていいか? 少し耳が詰まってたみたいだ」

「お嬢が気に入ったのかなんか知んないけど、あの子の借金かなんかを返すとかどうとかでお金稼ぐって張り切っててさー。よっぽどあの子との一晩が良かったってことじゃない?」

「…すまん、耳じゃなくて頭が少し変になってるみたいだ。もう一度だけいいか?」

「だから一晩(自主規制)やって(自主規制)が(自主規制)の(自主規制)じゃないの? どっちにしてもお嬢からお金引っ張るとか、パないわー」

 

 三回目のクレマンティーヌの言葉を聞いたヘッケランは、それが聞き間違いではないと仲間に確認したあと、横の机に頭をガンガンとぶつけだした。まあ気持ちは解る。

 

「えー……と……その? 無理やり、とかじゃないのよ……ね? あの子がそんな趣味だったなんて聞いたことない、けど」

「そうですよ、それに男の影だって今までまったく……あ、いえ、だからシャルティアお嬢さんなのでしょうか…?」

「さあ。でもほら、お嬢に抱き着いてた時(誇張)とか真っ赤だったし(誇張)満更でもないんじゃない? むしろどっちが被害者かってーとさ、馬鹿みたいな金額貢いだお嬢じゃないの?」

「…でもあの子が赤の他人に貢がせるのも、そもそも知り合ったばかりの同性に体を許すのも信じられない。だいたいそういう趣味だったって言われても、こんなに一緒にいて私が気付かないのよ? そんな視線一度だって感じたことないわ」

 

 信頼している仲間が女にお金を貢がせる百合悪女だったなどという話は、到底受け入れられるわけがない。そもそもして、身持ちが固そうなアルシェだ。その上そんな百合百合しい気配などイミーナは微塵も感じたことが無いのだから、否定の言葉が出るのも当たり前といえば当たり前だろう。しかしそんな彼女に、横合いから無言の――しかしはっきりとした憐憫の視線が向けられる。それは誰あろう、彼女の恋人であるヘッケランだ。

 

「…」

「何? ヘッケラン」

「いや、なんでもなグワァーーッ!?」

「ねえ、私の胸を見て何が言いたいの? ねえ?」

 

 ヘッケランの視線の先には、ハーフエルフであるが故の慎ましい貧乳があった。すなわち、これからも成長することがないであろうその平原には、アルシェも食指を動かさなかったのではないか――つまりシャルティアの美貌は言うまでもないが、その小さな体に似合わぬ巨大な双丘にも惹かれたのではないかと……イミーナのちっぱいには興味がなかったのではないかと、ヘッケランは瞳で語っていたのだ。

 

「まーた始まった……リバーサイドだっけ? あんたも大変だねー」

「ロバーデイクです。どうやったらそんな間違え方になるんでしょうか」

 

 ぎゃいのぎゃいのと言い合いをする二人に――言い合いというには一方的だが――クレマンティーヌは呆れかえる。というかお嬢のあれは盛ってるだけだよ……などとは口に出さない。どこかでそれが彼女の耳に入れば、どうなるかなど解ったものではないのだから。

 

「まあとにかく、お嬢と今一緒に居るわけだから心配はいらないでしょ。むしろ世界で一番安全な場所かもねー」

 

 彼女を不機嫌にさせなければ、の話ではあるが。まあアルシェは気に入られているようだったので、その言葉に間違いはないだろうとクレマンティーヌはグラスに余っていた酒を呷る。そして、そうこうしている内に喧嘩を終えたイミーナとヘッケランはクレマンティーヌがついている席と同じテーブルに座り、店員に酒を注文し始めた。

 

「…とにかくだ! アルシェの悩みの一つが解決したのなら祝福すべきだな! クレマンティーヌさん、アルシェの仲間としてお礼を言わせてくれ」

「さん付けキモいからやめてくんない?」

「私からも、ありがとうね。シャルティアさんにもお礼を言わなくちゃ…」

「んー、私には関係ない話だけど。そもそも私が付き添った意味が不明すぎたし? 楽しかったっちゃー楽しかったけどねー」

「それでもです。仲間の受けた恩は私達が受けた恩も同然、この借りはいつかかならず返しますよ。貴女達ほどに強い方々のお役に立てるかは解りませんが」

「…ま、そっちが思う分には勝手にすれば? ただお嬢にそれ言うとたぶん下僕にされるけど」

 

 自分の体験談をしみじみと思い返すクレマンティーヌ。イビルアイが言うには、シャルティアの『貸し』とはそういうことになっているのだそうだ。その間違った価値観が誰のせいかというとイビルアイのせいなのだが、それを言うとシャルティアに怒られそうなので彼女はお口にチャックをしている。

 

 そんな感じでため息をつくクレマンティーヌに、ヘッケランが何故俺だけ辛辣な返しなんだ……とぼやいているが、誰も気に留めなかった。ちなみにクレマンティーヌの言う『楽しかった』とは『八本指』の末路に関してである。特に自分とも何とか張り合えるであろうゼロが、最終的に巨乳を目指す組織のリーダーになった時は腹筋が崩壊したのかと思う程であったと、クレマンティーヌは記憶を反芻しつつ口角がにやけるのを押さえつけた。

 

「とにかく心配が杞憂でよかった。そういうことなら遠からず連絡もあるでしょうし、私達はいつも通りに接してあげましょう」

 

 ほどなくして運ばれてきた酒の入ったグラスをロバーデイクが受け取り、殆ど残っていないクレマンティーヌのグラスにカチンと打ち付ける。イミーナもそれにならい、気の無さげなクレマンティーヌを気にせず乾杯の音頭をとるのだった。

 

 ロバーデイクが持つグラスを見て、それ俺が頼んだやつ……というヘッケランの言葉は、やはり誰にも聞き留められることはなかったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「間違いなく、これで足りるでありんすね?」

「う、うん。充分」

 

 八本指を壊滅させ、充分な資金を手に入れたシャルティア。とはいえ彼女にとって金貨など大した意味を持つものではなく、それ故にアルシェが必要とする分だけを回収し、残りはラナーに好きにさせていた。必要になれば、都度ラナーにせびればいいとも思ってはいるが。

 

 家族を養うためとは言ったものの、結局借金があることを赤裸々に告白させられたアルシェ。まあ養うだけで異世界換算でウン億円はありえないだろうし、流石のシャルティアもそこには言及したのだ。さっさと身ぎれいになりなんし、と金を手に入れたその足で借金取りのところへ向かい、ズシリと重い袋をアルシェに手渡した。

 

「…」

「なんでありんすか?」

「ううん。後で」

 

 感謝の視線と共に何か言いたげなアルシェを見て、シャルティアは問う。しかし首を振った彼女は、もう一瞬だけシャルティアを見つめた後借金取りが居るであろう建物に足を踏み入れた。シャルティアは首を捻りつつもその後ろ姿を見送った。

 

 胡散臭い借金取りの――金貸しの塒へ入ったアルシェ。とはいえ、彼等は金を貸す時に利子を明言しているし、実際に暴力的な手段に出たことだって一度もない。犯罪すれすれのやり方をすることもあるだろうが、そもそも金を返さないからそんな手段に出る事を、借りた方は忘れてはいけないだろう。

 

 しばしば物語では悪の権化のように描かれるが、彼等は命と同じように大事な『金』を貸しているのだ。それを返さない、返せないと言われてはいそうですかと引き下がれば商売は成り立たないだろう。彼等は『金貸し』ではあるが『詐欺師』ではないのだ。それを同様とし、人を騙し金を搾り取る輩が多いのも事実ではあるが――少なくともアルシェが、アルシェの父が借りているところはそういった悪質なものではなかった。

 

 しかしアルシェからしてみれば、自分がワーカーとして稼ぐのを見越してどんどん父に金を貸す輩など、前述した者達となにも変わらない。額が大きくなれば当然支払うべき利子も大きくなる。そしてアルシェは知っているのだ。どれだけ彼等が金を貸そうと、アルシェが住む家の価値以上には出してこないことを。

 

 アルシェが生きて稼ぐ内は現状を維持し、そして死んで帰ってこなくなれば財産を全て没収する――やはり、彼女にとっては単なる害悪だ。解ってはいるのだ、父と母の浪費を諫めれば問題がなくなることぐらいは。それでも彼女は、今まで育ててくれた恩と、家族だからという理由、そして可愛い妹達のために尽くしてきた。それが間違いだということは解っていても、だ。

 

「おや、フルト家のお嬢さん。今日はどのようなご用件で?」

「お金を返しにきた……もうこれ以上は家に来ないで。もし貸したとしても私はもう関知しない」

「これはこれは……ふむ、確かに。大きなご依頼でも達成されましたかな? ご苦労様です。しかしもう来るなと言われましても……私共も呼び付けられれば参上しなければいけませんので。貴女が支払わないと言うならば、別に構いはしませんよ。回収の手段はいくらでもあります」

「…っ」

「…一応、偶に苦言を呈してはいるんですけど……ね」

 

 商売故に、借りたいと言われれば貸すだけだと男は言う。商売柄人の破滅など腐るほど見てきているし、今更そんなことで躊躇はしない。目の前の少女がもう返さないと言うならば、貸した後は最後の手段に出るだけだと脅しを入れた。彼はアルシェが家族を見捨てないだろうことを理解しているし、今の言葉も単なる虚勢だと確信している。金の卵を産み続ける鶏を手放す愚は犯さない――それでも最後の言葉だけは、なけなしの良心から出た本音だ。

 

 ただただ金を運んでくる機械のように不憫な彼女を見て、アルシェの父にそれが如何な苦労かを少しだけ溢してやることもある。しかし彼女の父から出る言葉は、ワーカーなどという下賤な行為をやめさせねば……などという的外れな返しがくるだけだ。その下賤な金で生きているお前はいったいなんなんだ? と内心で思いつつも口には出さない。結局大事なものは金で、多少哀れな小娘に情けをかけても、それがどうしようもないのならしゃぶり尽くすだけだと。けっして自分は良い人などではないのだから――と、ちょっとだけ優しい借金取りは思っていた。

 

「…」

「またのお越しをお待ちしています。お父上の説得が上手くいくことをお祈りしておきましょう」

「…っ」

 

 この悪魔め、とアルシェは内心で毒づく。一応多少の本音も含まれてはいるのだが、彼女からしてみれば単なる皮肉以外の何ものでもないだろう。扉を勢いよく閉めて、シャルティアが待つ表通りに向かう。アルシェもせっかく彼女が施してくれたチャンスをふいにするつもりは微塵もない。必ず両親の説得を成功させなければと己を叱咤した。

 

「待たせた」

「然ならんし。首尾よくいきんしたか?」

「うん……この後、少し付き合ってもらってもいい?」

「よしなに。逢瀬の誘いを断るほど、わらわは無粋ではありんせんの」

 

 くすくすと笑いながら尊大に手を差し出すシャルティア。その人間味の無いほど白い手を取って、アルシェは珍しく笑顔を見せた。仲間にもあまり見せる事のない笑顔――彼女が妹達以外にそれを見せることは、あまりない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陽の光が暖かい、外に面したカフェテラスで二人はお茶を飲む。飲食不要のシャルティアではあるが、流石に空気を読んで紅茶を共に楽しんでいた。そしてアルシェの方から、先ほど金を返す前に言おうとしていた言葉を口に出す。

 

「本当にありがとう。お金は、時間がかかるかもしれないけど必ず返す」

「よしなんし。やったお金を受け取れなどと、わらわに恥を掻かすつもりでありんすか?」

「でも他に恩を返せる方法が思いつかない。シャルティアは私よりずっと強くて、王国の王女とコネもある」

「恩を返したいなら、そう。わらわが知りたい情報――ナザリック地下大墳墓、もしくは至高の41人と呼ばれる御方を探していんすから、何か知っていれば……もしくはこれから知ることがあれば真っ先に教えなんし」

「そんなことでいいの?」

「それが何よりも重要でありんす」

 

 真剣な瞳のシャルティアを見て、必ず……と頷くアルシェ。もしかしなくても体を要求されるんだろうなと思っていた彼女からすれば、少し肩透かしを食らった気分であった。自分にそんな趣味はないし、これからも芽生えるとは思わない。けれど、彼女がそれを求めてきたのなら受け入れてもいいかもしれない――そのくらいには、シャルティアの事を憎からず思っているアルシェ。

 

 そもそも赤の他人である彼女がここまで自分に尽くしてくれたのだ。悪の組織を一夜で滅ぼすほど圧倒的に強く、ただただ強く、それでいて世界で一番美しいと言われても納得できる美麗な容姿。モテる要素のランキングを作ったならば『強さ』がトップにくるこの世界で、そこに関してすら最強格。加えて次点辺りににランクインしそうな『容姿』までトップクラスなシャルティア。そんな、自分では足元にも及ばない女性がこれほどまでに尽くしてくれれば、ちょっとグッときても仕方ないだろう。

 

 世に居るノーマルな女性の数%くらいは靡いても驚きはないし、要は自分もその内の一人だったということだ。それはさておいて、シャルティアがそこまで執着するものに興味を覚えたアルシェ。いったそれはなんだろうと問いを投げかけた。

 

「シャルティアにとってそれは何?」

「くふ……よくぞ聞きんした。ナザリック地下大墳墓と至高の御方等はわらわにとって全て。何よりも優先される神々と、神々がおわす場所。そしてわらわは、その栄えあるナザリック地下大墳墓の1階層から3階層までの守護という大任を背負う『階層守護者』! 訳あって今は離れてしまいんしたが、御方等も必ずやわらわを待ってくれているに違いありんせん!」

「ふぅん…? それは、シャルティアよりも凄い人達?」

 

 世界最強と言っても差し支えないような目の前の少女が、神と評す者達。アルシェにはもはや想像がつきにくいレベルだ。そんな場所があれば、少しくらい耳にしてもいい筈なのにな……と更に詳細を尋ねる。少しでも恩を返すためと、やはり好奇心もあるのだろう。

 

「当然でありんす! なにしろわらわを創造し、わらわと同格の守護者達を生み出された御方達。特にわらわを創りんしたペロロンチーノ様は、ギルド随一の弓の名手! 直接拝見する機会こそ無かったでありんすが、ナザリックの御方等の中でもきっと持て囃されていたに違いありんせん!」

 

 萌え馬鹿にされることはあっても持て囃されることはきっとなかっただろうが、理想とはかくも尊きものである。それはさておいて、突っ込みどころが多すぎてアルシェは何から聞こうかかなり迷った。

 

 『創造した』とは文字通りの意味なのだろうか。他の同格って、彼女クラスが何人も居るのだろうか。『ギルド』って冒険者ギルドと同じ意味合いなのだろうか。というか神々の名前がペロロンチーノってどうなの? 

 

 などなど疑問は様々である。

 

「シャルティアって、その……吸血鬼だよね? そのペロロンチーノ様も吸血鬼なの?」

「正しくは吸血鬼の真祖、吸血鬼の最上位種でありんすぇ。ペロロンチーノ様は高貴なるバードマンでありんした」

「えーと……? じゃあ生み出したって、どういう風に?」

「まさにそれが至高の御方が御方である所以でありんしょう。わらわ達のような僕にとっては理解できない、偉大な御業で我らを御創りになられたのでありんす」

「…すごい」

「そうでありんしょう、そうでありんしょう! ぬしは他の塵芥とは違うと思っていんした! 至高の御方は、すごいのでありんす! きっと『あっち』のほうも凄かったに違いありんせん……ああ、想像するだけで…」

 

 なるほど、確かに『神』だ。彼女のような存在を零から創りだせるのだとすれば、それ以外に形容できる方法をアルシェは知らない。そして『ギルド』『至高の41人』と言うからには、そんな存在が多数居たのだろう。まさに神々の住む場所だ。

 

「もっと聞いてもいい?」

「くふ、御方等の事を知ればそうなるのも当然でありんすな。わらわが語れる部分さえ、その偉大さに比べれば些末でしかありんせんが……存分に聞かせてやろうではありんせんか! まずはわらわが創られた当時の――」

 

 ウキウキと話し始めるシャルティア。それは新しいことを覚えて自慢してくる妹達のように可愛らしく、自然とアルシェも笑顔になって神々の話に夢中になるのであった。

 

 





どんな僕も、ナザリックを語る時はきっと楽しそうなんだろうなぁ……と思ってます。


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色々

なんか上手いこと書けなくて、面白いかどうか解りません。すまぬ。


 帝都の皇城、謁見の間。騎士が侍り、皇帝が玉座に座って謁見者を睥睨する。主席魔法使いは興味津々といったふうに、皇帝の前にもかかわらず礼を一切尽くさない客人を見つめていた。当然皇帝の側近がその無礼を咎めようとするも、皇帝自らの手によってそれを制される。

 

「よく来た、シャルティア・ブラッドフォールン。それとクレマンティーヌよ。なにぶん忙しいものでな、こちらから闘技場に出向くつもりではあったのだが結局このように招待する形になってしまった」

「確かに無礼もいいところでありんすが……わらわの寛大な心でもって許してあげんしょう」

 

 その言葉が謁見の間に響いた瞬間騎士たちは殺気立ち、傍付きの者達は我が耳を疑った。帝国の皇帝という、世界単位で見ても最高クラスの権力者に対して何たる不遜な態度であろうかと。闘技場で活躍している『その程度』でここまで傲慢になれる者などそうはいない。それこそ常軌を逸した狂人か、物の道理も解らぬ愚者でしかあり得ないような対応だ。その態度に皇帝がどう出るか――視線が集まる。

 

「それはそれは。何ともありがたいことだ……ところで参考までに聞きたいのだが、シャルティア殿はどこから来られたのかな? つい先日王都で――」

「回りくどい事は嫌いでありんすの。一言しか言いんせん、よく聞きなんし。『風向きは彼女が決めます。私は手綱を持たぬ御者のようなもの。私の望みは貴方も知っていることでしょう』…でありんすぇ。正直よく解りんせんが、どうするでありんすか?」

「…ふむ。それは『金言』ということだろうか」

「然り、でありんす」

 

 皇帝は言葉の意味を考える。いや、考えずとも意味自体は理解しているが――言わせた意味のほうだ。『金言』……そのままの意味ではなく黄金姫の言葉ということ、そして目の前の少女がその手の者だということは理解できた。少女があまりにも強く、少女の意思で全てが決まり、完全に制御出来ずとも黄金が指示を出せる関係性だということも理解した。それに黄金姫の望みは言うまでもなく理解している。

 

 だからこそ、皇帝には理解し難かった。たとえどのような化物であろうと帝国が総力を挙げれば対処できない筈もなく、それこそ主席魔法使いと四騎士が組めばどんな難敵でも問題はないだろう。しかし黄金姫の言葉は、こう語っているのだ。

 

『その少女の強さは見ての通り。お前はもう詰みかけている。回避したくば私の望みを叶えろ』と。

 

 不可解なのは少女の強さについての言及だ。闘技場での活躍は確かに素晴らしいものはあれど、国を脅せる程の脅威だと言うには少々語る言葉が少ないのではないだろうか。にもかかわらず、彼女については『言うまでもない』といった意図を感じる。その齟齬の部分はいったいなんだろうと考え――横の主席魔法使いを見て皇帝はふと気が付いた。

 

 フールーダが持つタレント。国の主席魔法使いともなればある程度情報は出回っているし、そのタレントについても知られてはいるだろう。魔力の多寡で位階を判別するタレントは珍しいが、居ない訳ではない。しかし、その詳細を黄金姫が勘違いしている可能性がある。冒険者や戦う者でもない姫にとって、そのタレントの詳細を詳しく知っているかという疑問だ。

 

 つまり。シャルティア・ブラッドフォールンが謁見する際にはフールーダ・パラダインが同席するのは間違いないと判断し、彼の位階の判別結果こそが『言うまでもない』という結果をもたらすだろう、と姫が考えた可能性。

 

 実際にはこの類のタレントは魔力系のマジックキャスターのみを判別するものであり、信仰系のそれには一切反応しない。フールーダの反応を見ればシャルティア・ブラッドフォールンが後者であることは間違いないだろう。

 

 皇帝は考える。だとすればこの少女の強さは――

 

「…ふむ、あい解った。了承したと伝えてくれ」

「ほう、今ので解ったでありんすか……ぬしもあの女と同じ類でありんすかぇ?」

「まさか、よしてくれ。あれと同列にされてはかなわん」

 

 未知数。故に保留と、そして意味の無い了承の言葉だけを皇帝は返した。別にここで了承しようが彼にとって大した意味はないのだ。たとえそれを反故にしたところで咎める者は相手のみ。そもそも条約を取り交わしてすらいない口約束に信などある筈もなく、相手もそれは承知の上だということにも疑問の余地はない。

 

 帝国の皇帝が一も二もなく頷くだろうと、黄金姫が予測した――もしくはそう思わせるためだけの策略の線もある――のなら、つまりはそういうことなのだろう。その位階は8か9か、それとも上限か。取り敢えずはそういうことにしておいて、後々その実力を確かめていけば真実も知れる。実際に黄金姫の言う通りなのだとしても、彼女に愛国心など無いことは皇帝もよく知っているのだ。やりようはいくらでもあると彼は考えた。

 

「さて、ではシャルティア・ブラッドフォールン殿。君の望みを聞こう」

 

 そして言葉の裏に含まれた『目の前の少女の願い事を聞け』という部分も、彼はしっかりと読み取っていた。『手綱を持たぬ御者』とは言い得て妙だが、言ってみれば単なる利用しあう関係でしかないということを仄めかしているだけだ。シャルティア・ブラッドフォールンにはまた別の思惑があり、帝国での行動は彼女達の思惑が一致しているだけという可能性が高い。そして黄金姫は言っているのだ。帝国はシャルティア・ブラッドフォールンに恩を売れる可能性があると。

 

 帝国が彼女に与えられるものを知りもしないのに、随分なやり方だと皇帝は思う。彼女がこちらに靡かないと確信があるのか、それとも他に思惑があるのか。深く読み過ぎれば澱みに嵌まるが、どちらにしても彼女が素晴らしい実力を持った人物だということだけは間違いない。恩を売れるというなら損はない、取り敢えず願いを聞いてみるだけならタダだ――などと商人のように考えるケチ臭い皇帝であった。

 

「『ナザリック地下大墳墓』『ギルド、アインズ・ウール・ゴウン』『ぷれいやー』『えぬぴーしー』この辺りの情報を知りたいでありんす」

「ふむ……どれも聞いたことがない。一応調べさせておこう……話はそれだけでいいのかな?」

「ええ、それ以外に興味はありんせん」

 

 穏便に謁見は終わった――無礼討ちを今か今かと待っている騎士達を除けばだが。そしてフールーダがシャルティアの退出前に少し話を振る。彼は魔法狂とも言える研究馬鹿なのだが、実のところ信仰系のマジックキャスターにはそこまでの興味を抱いていない。そもそも魔法に人生を捧げているのなら、まずは法国に行った方が手っ取り早いのだ。にもかかわらずこの国に腰を据えているのは、法国のマジックキャスターは信仰系……神官が多いからである。

 

 しかしそうは言っても高位の魔法を使用できると言うならば気にならない筈もない。ここで発言をするのは彼にとって当然であった。

 

「シャルティア・ブラッドフォールンと言ったか。お前は何位階までを使用出来るのだ? 闘技場ではかなり高位の魔法を使用していたと――っ!?」

 

 けれど彼は少し不用意だった。皇帝が謁見の途中、上からの物言いを止めたのにも気付かなかった。無礼な物言いを一切咎めなかった事にも疑問は抱かなかった。それはそういった事に疎い、いわば浮世離れしていると言ってもいい魔法馬鹿のなせるわざだったのだろうが、今日に限ってはまずかった。酌量の余地があるとすれば、シャルティアの容姿と自分の強さへの過信だろうか。幼いとすら言えるシャルティアの容姿は、数百年を生きる大魔法使いが謙るにはいささか子供すぎたのだ。

 

 魔法を使う者は皆、己より下であることが当然だったが故に彼はこの過ちを犯してしまったのだろう。シャルティア・ブラッドフォールンに無礼な口を利くという、命知らずな真似を。

 

「――少し教育が必要なようでありんす。……私はテメェ如きに気安く呼ばれる存在じゃねえだろ? ああ!? ぶち殺されたいか? 人間!!」

 

 豹変。まさにそう言い表すに相応しい程の変わりようであった。その濃密な殺気は辺りを極寒の地にでも変えたかのように、その場に存在する者達を震わせた。廓言葉ですら鳴りを潜め、彼女は激昂していた。ちなみにクレマンティーヌは既に謁見の間の扉まで疾風走破している。

 

「《サモン・モンスター・10th/第10位階怪物召喚》」 

「あ、あぁ…?」

 

 シャルティアが呼び出した三つ首の魔獣、ケルベロス。そしてそれを召喚する時の詠唱は、殺気に静まり返っていた謁見の間によく響き渡った。間違えようもない『第10位階』という言葉。召喚された獣はその位階に相応しく、人間の鈍い生存本能すら超えて彼等に死を想起させた。

 

「声も出ねえ……ごほんっ、声も出ないようでありんすねぇ。わらわは――――っ!?」

 

 しかし先ほどフールーダがシャルティアの殺気に絶句して言葉を止めたように、今度はシャルティアが息を止めた……いや、驚きで止めざるを得なかったのだ。何故なら、今しがた殺そう――とまでは思っていなかったが、恐怖に陥れようとしていた老魔法使いが視界から消えていたのだから。そう、ケルベロスを見て痴呆にでもなったかのようにだらしなく口を開けていた老人が、消えたのだ。

 

「神よ!」

「うぎゃぁっ!?」

 

 正しく言うならば、消えたように見えるほど素早くシャルティアの足元にひれ伏していた、が正解だ。その素早さは正に神速。主人を守るべき役目を持つ筈のケルベロスでさえ見失ってしまったほどだ。いや、召喚主であるシャルティアすら一瞬見失ってしまい驚きの声を上げたのだから、この三つ首の魔獣を責めるというのも酷な話だろう。

 

「先程の無礼、真に申し訳ありませんでした! この世の神とも言えるべき御方になんということを! しかし恥知らずにも申しあげます、なにとぞこの未熟なる魔法使いに教えを授けてくだされ!」

「な、な、な…」

 

 シャルティアをして予想外なフールーダの反応。激昂したことも、言ってみれば単なる『振り』に近かったのだ。周りの人間から感じられる怒りと侮りに、少しだけ稚気を込めて意趣返しをしたに過ぎない。しかし返ってきた反応は、ナザリックの僕が至高の41人に向けているような尊敬と忠誠に近い反応だった。

 

「…ふむ。わらわの下僕になりたいと?」

「その知識を御教授いただけるならいかようにしていただいても構いません!」

「くふ、そう。しかしそうであるなら、真の忠誠を量らなければなりんせんなぁ……足を舐めろ、下僕」

 

 帝国の重鎮――シャルティアにそこまで知る由はないが、どう見ても地位の高い人物であるフールーダが、この衆人環視の中で這い蹲って自分の足を舐める。自尊心を粉々に砕くようなその行為を強要する、それ自体に彼女はぞくぞくと身を震わせた。いくらなんでもそこまではできまいと、羞恥と怒りに身を震わせる老人を想像し愉悦に耽る――当然のことながら、彼女の予想は再度覆されるのだが。

 

「……」

「……」

 

 ペロ、ペロ、ペロ、と靴を舐める音が、凍り付いた空間に静かに、しかしよく通った。皇帝の顔は無表情で、シャルティアの顔は逆になんとも言えない表情だ。自分から言ったのだからやめろとは言い辛い、けれど爺に足を舐められて喜ぶ趣味は流石のシャルティアにもなかったようだ。これが若かりし頃のフールーダなら喜んでいたかもしれないが――とにかく場は静まり返っていた。そしてその静寂を破るように犬の鳴き声がシャルティアに掛けられる。

 

「くぅん…」

「あ、ああ。もういいでありんすから、消えなんし」

「わん、わん」

「え? 時間が経たないと消えられないでありんすか? …うむむ、ならば時間まで適当に街を散歩でもしてきなんし」

「わん!」

 

 ケルベロスは所在なさげに佇んでいたのだが、主の意を汲むために意を決して命令を問うたのだ。しかし無情にもシャルティアの答えは、もう必要ではないというものであった。ケルベロスは尻尾をダランと下げてその命令を受けようとするが、そもそも召喚されたものは時間が経たないと消える事はない。どうすればいいかと再度聞けば、散歩をしてこいと返ってくる。

 

 ケルベロスは喜んだ。まあ犬の好きなものと言えば散歩、御飯、ブラッシングにフリスビーというのは常識だ。彼は喜び勇んで謁見の間から出ようとするのだった。

 

「いや待てぇい! そんな怪物が街に出れば大問題だ! やめてくれないか!?」

「グルルル…」

「唸っても駄目! シャルティア殿もなにか言ってくれ!」

 

 シャルティアの無茶苦茶な提案に物申す皇帝。というか恐ろしい怪物に唸られているにもかかわらず、メッ! と言った感じでケルベロスを諫めようとしているあたり、彼の傑物具合は相当なものである。

 

「むぅ……ではそこらで伏せときなんし」

「くぅん…」

 

 召喚主に言われては抗える筈もない。しょんぼりと頭を項垂れさせて、ケルベロスは謁見の間の片隅に腰を降ろした。その際に横切られた騎士は少しちびってしまったようであるが、それを知って笑う者はきっと居ないだろう。

 

「さて、ぬしの名は…」

「フールーダ・パラダインと申します、神よ! いえ、我が師よ!」

「ああ、そうでありんした。フールーダ、ぬしはわらわに何を捧げられるのかしら。能無しなど連れて歩く気は一切ありんせんの」

「それは勿論す――」

「全て、などとつまらぬ答えは期待していんせん。凡百の人間の全てを捧げられたところで、わらわに意味などありんしょうか。せめて見目が麗しいのなら、役立たずといえども玩具にはなりんすが……ぬしはそれすら覚束ない有様。もう一度聞くでありんすが――ぬしは何を捧げてくれんすの?」

 

 フールーダは答えに窮する。自分が持ち得る最大のものと言えば勿論魔法の知識と技術だが、それを教えてもらいたい相手に差し出す意味など有る筈もない。彼女が欲しがっているものといえば先ほど皇帝に言っていた情報なのだろうが、帝国の情報網を使ってそれを調べるのなら己が出る幕などないだろう。

 

 いや、正確に言えば帝国の情報網はフールーダの魔法に頼っている部分が大きい。つまり自分を超えるマジックキャスターであるシャルティアが頼んでいる情報は、魔法に依らない手段を欲しているからだろうと彼は推測した。

 

「…貴女様には及ぶべくもない矮小な身でありますが、これでも『逸脱者』などと呼ばれている者でございます。ともすれば不遜にも聞こえましょうが、私が師事しているという事実こそが貴女様にとって好ましい効果を及ぼすかと」

「ほう。ふむ……どう思いんすか、クレマンティーヌ……あれ、居ない」

 

 シャルティアが周囲を見渡してクレマンティーヌを探すと、入り口の扉の横にある太い柱から顔だけ覗かせている彼女の姿が目に入った。視線がばっちり絡み合うと、彼女はおそるおそるシャルティアのもとへ戻ってきた。

 

「何していんすの?」

「いやー、ははは。ほら、巻き込まれたら怖いなって」

「まったく。それよりクレマンティーヌ、ぬしはこのフールーダ・パラダインとやらに勝てるでありんすか?」

「え? ……うーん、戦ってみなくちゃ解らないけど……ちょっと厳しいかな。今の間合いでよーいどんならいけるかも。たぶんイーちゃんと似たような実力だと思うけどねー……漆黒聖典でも要注意人物だったし」

「ほう、イビルアイと。ならば存外役に立つ可能性もありんすか…」

 

 皇帝は端々に聞こえてくる重要な情報に少し頭が痛くなった。帝国最高戦力ともいえるフールーダが離れていきそうなだけでも大概だが、王国の冒険者――しかも王女と懇意にしていることで有名な『蒼の薔薇』のメンバーがフールーダと同格だと言うのだ。そしてクレマンティーヌの方も絶対に勝てないとは言わなかった上に、法国の裏組織――噂に聞く『聖典』の者だと公言した。

 

 ここまでどうすればいいのか解らない状況に陥ったのは、彼としても初めてに違いない。主席魔法使いを失いたくはないものの、ここでシャルティアとの師弟関係を邪魔しようものなら間違いなく恨みを買うだろう。そうなるくらいならば、彼の後押しをしてやって恩を感じてもらう方がまだ有意義に違いないと、皇帝は言葉を発した。

 

「周辺諸国で最高のマジックキャスターと名高いフールーダを弟子にしたとなれば、色々と捗ることも多いと思うぞシャルティア殿。私としてもフールーダを弟子にしてもらったとなれば……つまり貴殿が『帝国の主席魔法使い』の師となったならば、尽力せざるを得んだろうな」

「ふむ……なるほど。ならばこれもまた巡りあわせでありんしょう。ぬしをわらわの下僕として『蒼の薔薇』の一員にしてやるでありんす」

「え?」

「おお、感謝いたします神よ! それと皇帝陛下、恩に着ますぞ!」

「え? いや、ちょっとま――」

「うむ、では行きんしょうか。フールーダ、クレマンティーヌ」

「い、いや待ってくれ、蒼の薔薇とはどういう――って消えた!」

 

 ささっと転移の魔法で消えた3人。シャルティアに待ったをかけようとしていた皇帝の腕は、彷徨うように空中を掻いていたが、暫くした後ダランと垂れ下がった。まさかシャルティアが『蒼の薔薇』に所属していたなどとは夢にも思っていなかったのだ。フールーダがシャルティアに師事しつつも帝国主席魔法使いのままでいてくれるのならまだ問題はなかったし、事実先ほどの言でそのように認識させた筈だった。

 

 しかし王国の冒険者となったことが認識され始めれば、それは皇帝の求心力低下……ならびに王国のバカ貴族を調子づかせることに他ならない。王国には性質の悪い真性の馬鹿が割といるのだ。冒険者の規律など無視して蒼の薔薇を強制徴用して戦争に駆りだす事も考えられる――と、そこまで考えたところで皇帝は気付いた。

 

 そうなれば馬鹿な貴族が減るだけか、と。

 

「皇帝陛下、いったい何がどうなっているのですか! 主席魔法使い殿の処遇は――」

「勿論フールーダは今もって主席魔法使いだとも。10位階を使用できるマジックキャスターに師事し、帝国に恩恵を齎してくれることに疑いはないだろう?」

「な、本気でそんなことを…」

「黙れ。なんにしろ、彼女を見る限りやりようはいくらでもある。言葉が理解できて会話が可能ならどうとでもなるものだ」

 

 謁見の間に居る護衛の騎士が十と余人。加えて文官が数人と、そこまで多くはないことに皇帝は少しだけ安堵の息を漏らした。醜態を晒したとは思わないが、先程のやり取りをそう吹聴されるわけにもいかないだろう。

 

「先程起きた全てを他言無用とする。口の緩い者には相応の報いがあると知れ……それと、ふむ。どうしたものか」

「なっ!? 皇帝陛下、危険です! おやめ下さい!」

 

 隅の方でスフィンクス座りをしているケルベロスに近付いていく皇帝。ハッ、ハッ、ハッ、と涎を垂らしているその口は人間などそのまま一呑みにできそうなほど大きく、そして鋭い牙を持っていた。皇帝はその前まで躊躇なく歩み、立ち止まった後は腕組みをして視線を交わす。

 

「…散歩、行くか?」

「ウォンッ!」

 

 その日、神の獣と言っても過言ではない魔獣に乗って街中を練り回る皇帝の姿が多数目撃された。それを見た者は、皇帝がなんだか現実逃避しているように見えた――などと荒唐無稽なことを噂していたとかどうとか。

 

 求心力は逆に上がったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皇帝との謁見から数時間後。帝都でやることもなくなったため、シャルティア一行は王国へ帰還する準備をしていた。とはいえ転移の魔法があればどこへ行くにも準備などは必要ない。クレマンティーヌの荷物やフールーダの私物等を纏めた後は、アルシェと一言だけ交わそうと彼女の家にやってきたのだ。

 

 シャルティアにとって彼女の存在がなんと言うべきかを考えれば――いわゆる現地妻的な位置づけである。《メッセージ/伝言》でアルシェを呼び出し、一度王国へ帰還する旨を伝えようとしたのだが、彼女は予想外な人物に出会い驚きの声を上げた。

 

「先生?」

「む? おお誰かと思えばアルシェではないか。急に学院を辞めたかと思えば……なるほど、お前も師に教えを請うていたのだな。確かにどこの誰に習うよりも素晴らしい選択だろう」

「え? ……あの、シャルティア?」

 

 どういうことなの、といった表情でシャルティアを見つめるアルシェ。その疑問に彼女は無い胸を張って、尊大な態度で疑問に答えた。

 

「このフールーダがわらわの教えを対価に忠誠を誓ったというだけでありんすよ。そもそも使用する魔法の系統が違うというのに、酔狂なことでありんすが」

「師よ、それは違います。信仰系の魔法と魔力系の魔法は過程こそ違いますが、根幹は同じくしているのではないでしょうか。でなければ同じく魔力を使用している事実と相反してしまいます。信仰系の魔法は神への信仰を糧に発動する……とは言いますが、実際にその神が存在しなくとも魔法は発動可能でしょう。私自身、信仰系の魔法も修めておりますればこそ神への信仰など必要とは思っておりません。それに鑑みれば――」

「解った解った、解りんした。まったく、一事が万事この調子でありんすな。まあ確かにわらわが信仰対象にしている神は至高の御方によって打倒されていんしたが、問題なく魔法は使用できんすからその仮説は間違っていないのでありんしょう」

「おおやはりそうでしたか。しかし師が忠誠を誓う至高の存在とは、もはや想像がつきませぬ。ああ、是非私も拝謁の栄誉を賜りたいものですな! このフールーダ、師がナザリック地下大墳墓に帰還するための労は惜しみませんぞ」

「当然でありんす」

 

 そんなやり取りを見てアルシェはおおかたの事情を把握する。フールーダをかつて師と仰いでいた時分から、彼の魔法キチな部分は充分伝わってきていたのだ。シャルティアが夜に語ってくれたナザリック地下大墳墓の話や至高の存在が事実であり、彼女の実力もその話に違わぬものならフールーダが師事するのはむしろ当然のことだろう。

 

「そんなことより、アルシェ。わらわは取り敢えず王国へ戻るでありんす。何か情報でも掴みんしたら《メッセージ/伝言》で伝えてくんなまし」

「シャルティア、《メッセージ/伝言》はそんな遠くまで届かない」

「む、そうでありんすの?」

「師よ。《メッセージ/伝言》の通信可能距離と正確さは当人の強さと魔力の多寡に影響されるものでございます。師から《メッセージ/伝言》を使用するぶんにはおそらく王都から帝都までの距離も問題はないでしょう」

「ほう。なるほどなるほど……意外と役に立ちそうではありんせんか、フールーダ。ここの魔法はわらわが認識している効果と少々違う場合が少なからずありんす。故にそのあたりの認識の齟齬をぬしが埋めてくれんしたら、わらわも助かるでありんすよ」

「お任せください、必ず師の役に立ちましょうぞ」

 

 うんうんと頷いてシャルティアは満足な笑みを浮かべる。使用出来る位階の上限はさておいて、魔法の講釈に関してフールーダの右に出る者はまず居ないだろう。少々面倒くさい部分はあれど、悪くない人材を手に入れたようだと満足げな様子だ。

 

「そういうことでありんすから、いずれまた。今度はつまらぬ借りなどつくらんように気をつけなんし」

「うん。あと金貨500枚だから、頑張る」

「…今なんて言いんした?」

「頑張る」

「その前!」

「うん」

「ざれごとは好かんでありんす。あまり戯けるようならお仕置きしんしょうか?」

「…ごめんなさい」

 

 項垂れながらアルシェは事の次第を説明した。あの後、借金取りが親にまたぞろ甘言を弄して金を貸し付けたのだ、と。貴族に相応しい生活を――などと言えばなんの苦労もなく金を借りてくれるのだから、彼等にとってこれほど御しやすい客も居ないだろう。なまじ娘が借金を完済したなどという前例を作ってしまったが為に、散財することへの躊躇もなくなってしまったという事実が皮肉を利かせている。まあ元々躊躇などあったかと聞かれれば疑問でしかないだろうが。

 

「…はぁ。ぬしは何故そんな屑の為に苦労を背負っていんすの? わらわには理解できんせん」

「…解ってる。解ってるけど、産んでくれた……育ててくれた親だから。でもこの借金を返したら、もう妹達を連れて家を出るって決めてるから…」

「そう言って、そう思ってずるずるとここまで来たのではありんせんの? この次は、この次はと先延ばしにして、ぬしのそれは愛情ではなく未練でありんすな。踏ん切りをつけたいなら今ここで終わらせなんし。ぬしを見ていると、とてもじゃありんせんが言葉通りに行動できるようには見えんせん」

「…それは」

 

 自分にとって害でしかないから。デメリットしかないから。もう充分恩は返したから。そんな言葉をつらつらと並べても、家族の絆は絶ちがたい。たとえ今の親が不幸の種だとしても、かつて幸せに暮らしていた日々が消え去るわけではないのだから。『親を見捨てる』などと言葉にすればたったの一言ではあるが、それを実行しようとするには心の負担というものが大きすぎる。少なくともアルシェにとっては。

 

「なんて、わらわのキャラではありんせんな。既に情けはくれてやったでありんす。後はぬしが勝手に選びなんし」

「うん…」

「…親鳥が無意味に籠を装飾する愚昧なら、その小鳥も相応しく愚か。壊れた鳥籠を自ら欲する有様は、さしずめ狂った小鳥でありんしょうか。獣でも親離れなど幼い内に済ますというに、人間というのはやはり滑稽でありんす……ではアルシェ、おさらばえ」

 

 そんな捨て台詞のような言葉を吐いて、シャルティアは転移の門を創りだす。その瞳からはアルシェへの興味が失せてしまった事実がありありと見て取れる。ぷいとそっぽを向いて黒い靄をくぐろうとして――しかし後ろからかけられた、弱弱しさの消えた声に再度振り向いた。

 

「シャルティア」

「…なんでありんすか?」

「また、ね」

「…それもぬしが決めること。恙無く仕舞えば巡り遭わせもありんしょう」

 

 手をひらひら振ってアルシェに背中を向けるシャルティア。けれど先ほどの退屈そうな瞳は消え失せて、口元は少しだけ緩やかだ。クレマンティーヌとフールーダも靄に消え、一人残ったアルシェは目を瞑る。

 

「…」

 

 彼女はいったいどんな気持ちだったのだろう。親を探して彷徨い、家を求めて流れ歩く彼女はいったいどんな気持ちで先ほどの言葉を紡いだのだろうか。そんなことを考えながら、アルシェは家の扉を――鳥籠の扉を開けたのだった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼ。最近ぐっと治安が良くなったこの街で、一人の少女が宿屋の裏で樹に向かってぐちぐちと呟いていた。とはいえこれは彼女が狂人の類であったり危ない人であったりというわけではない。その樹の正体が意思を持つ樹木――ドライアードであるからだ。

 

「まだ帰ってこない…」

「だからって私の葉っぱを一枚一枚千切るのはやめてよ!」

「明日には帰ってくる、帰ってこない、帰ってくる、こない」

「やーめーてー! はげちゃうよ~!」

「まだ何千枚もあるから大丈夫」

「何万本もあるからって自分の髪の毛が一本一本抜かれていったら君はどう思うのさ!」

 

 はっとした顔で確かにそれは嫌だなと、葉を千切り続ける悪魔の所業を中断したティア。申し訳なさの滲んだ顔でピニスンに謝罪したが、それをするなら初めからこんなことはやめろとピニスンはぷりぷり怒っていた。だがここのところティアはシャルティアにまったく会えていないので色々溜まっているのだ。

 

「まだ帰らないのかな…」

「というか何処に行ってるの? あの人」

「帝国……って言っても解らないか。此処より遠いところ」

「ふーん…? もしかして私の新しい住処を探しに行ってくれてるのかな? わぁ、きっとそうだ! 楽しみ!」

「……」

「どうしたの? 変な顔して」

「気のせい」

「もちろん私は樹の精だよ!」

 

 ポンコツドライアードに憐憫の眼を向けるティア。どうやったらここまでポジティブな思考ができるんだろうと考えつつ、そういえばここには水やりに来たのだったと思い出して如雨露の水をちょろちょろとピニスンにかけていく。実態は樹であるピニスンだが、人間に近い姿を取っている方も物理的な接触は当然可能だ。異形ではあるが幼子に見えなくもない彼女にティアは頭から水をかける。

 

「美味しい?」

「いや、別に人間みたいに味を感じる訳じゃないから。ていうかかけるならあっちの本体にかけてくれないかな」

「でも体は悦んでる」

「いや喜んでるけどさ! いかがわしい言い方はやめてよ!」

「減らず口を叩いても、こっちの方はびしょ濡れ」

「いま君が水をかけたからだよ!」

 

 重症である。ここまで色惚けた責任の一端はシャルティアにもあるだろうが、やはり元々の性的嗜好が変態というのも大きい。如雨露の先端を股で挟み込み、ピニスン相手に疑似放尿プレイをしている様はアダマンタイト冒険者の名が泣くレベルである。いや、実際たまたま宿屋の裏手にきた従業員が青褪めて踵を返したくらいだ。

 

「一日千秋とはこのこと」

「だからって私で慰めないでね」

「…そこの突起、ちょうど良さそう」

「何に!?」

「ナニに」

「やめろぉ!!」

 

 もはやなんでもよくなってきているティア。あわれピニスンの体が変態の手に落ちると思われたその時、ティアがピクリと何かに気付いて立ち止まる。何かを探っているような素振りを見せ、次の瞬間には猛烈な勢いで駆けだした。

 

「あ、危なかった…! 人間って、みんなこんなに変態なのかなぁ…」

 

 その姿を見送るピニスンはほっと息をつき、おそらくシャルティアが帰ってきたであろう宿屋へと視線を向ける。いいところ見つかったかなぁ、と楽しい妄想をしている彼女に、理想の楽園が訪れる未来はあるのだろうか。それは誰にも解らないが――少なくともシャルティアにとっては間違いなくどうでもいいことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帰ったでありんすよ、皆の衆」

「…やっと帰ってきたか。いったい何をしていたんだ? 私達にも言えないことなのか?」

「別にそういうことではありんせん。単に大勢で行く意味がなかった……むしろ、蒼の薔薇の名が逆に悪い方に作用する可能性の方が高いとラナーが言いんした。血生臭い事にはなっていんせんから、心配せずともよいでありんす」

「おかえり。待ってた」

「くふ……そう物欲しそうな目で見つめんせんの。空いた分、今晩は可愛がってあげんしょう」

「おかえりシャルティア、クレマンティーヌ。そして私はリーダーとしてものすごく言いたいことがあるのだけど」

「ただいまキューちゃん。どしたのそんな怖い顔してー」

「エ・ランテルに一人置いていったからでしょう!? せめて王都まで送ってくれたってよかったじゃない! 意気消沈した戦士長との二人旅がどれだけ気まずかったか…!」

 

 何の説明もなしに帝国へ出立したシャルティアとクレマンティーヌ。ラキュースは必死に二人を探した挙句、結局エ・ランテルには居ないようだと諦めて王都へ戻ったのだ。ラナーに聞いてみれば帝国へ行ったとのことであり、リーダーである自分に何の断りもなく――というかせめて出発の報と王都への転移くらいはしてくれたっていいじゃないかと憤慨したのである。

 

「つーかよ、その爺は誰だ?」

「うむ、蒼の薔薇の新しい面子を連れてきてやったでありんす。喜びなんし」

「…あのね、シャルティア。別に男子禁制なんて言う気はないけど、私達は一応アダマンタイト冒険者なのよ? そんなホイホイとパーティを増やすわけにも……実力だってそれに見合ってないと――」

「実力ならラキュース、ぬしよりも強いでありんしょう。そうでしょう? フールーダ」

「…確実とは言えませんが。勝ちの目も負けの目もあり得るでしょう、師よ」

 

 その名をシャルティアが紡いだ瞬間、ラキュース以外のメンバーが驚きの表情で老人を見た。かの高名な帝国主席魔法使いが何故こんなところに、と。ラキュースだけは先の憤慨やら興奮やら呆れやらで気が付いておらず、仕方なしに面接チックなものを始めようとし、羽根ペンをチロリと舐めて羊皮紙メモをゴソゴソと取りだした。

 

「もう……じゃあ取り敢えず話だけは聞くわ。名前は?」

「フールーダ・パラダインと申します」

「フー……ルーダ……と。今までどのような事を?」

 

 イビルアイが仮面を深く被りなおし、ガガーランと双子がラキュースをギョッとした目で見ている。鈍いってレベルじゃねーよ……というよりはもはや正気を疑う領域である。

 

「帝国にて魔法の研究や学院の設立などをしてきましたな」

「ふむふむ……なるほど、マジックキャスターということね。位階はどの程度まで使用できるのかしら」

「六位階までを使用しております」

「六位階……と、あら凄いわね。得意な魔法はどんなものかしら」

 

 イビルアイが外套を体に巻き付けるように身を捩らせ、ガガーランと双子が壊れたテレビでも見ているかのようにラキュースに視線をやった。

 

「《フライ/飛行》で上空から《ファイヤーボール/火球》を降らしたり……後はアンデッドの使役や召喚も研究しておりますぞ」

「ふーむ……うん、解りました。申し訳ありませんが貴方はこの『蒼の薔薇』でやっていくには少々役不足かと…」

「うぉい!? そろそろ突っ込んでいいのか!? どこが役不足……いや、ん? 役不足なら合ってんのか…?」

「どうしたのよガガーラン。第六位階くらいなら……第六位階ぃ!? っていうかフールーダって…!」

「遅いわ!」

「キューちゃんやっぱ頭が…」

「リーダーの座からそろそろ転落? リーダー……ううん、ラキュース。アンパン買ってこイギャッ!?」

「ボスの座はそろそろ交代。ボス……ううん、ラキュース。メロンパン買ってこムギュッ!?」

 

 調子に乗った双子にラキュースが鉄拳制裁を下す。シャルティアにすら可哀想な目つきで見られていることに、彼女は耐えられなかった。よくよく見てみればなんとなく凄みを感じるその老人に、ラキュースは慌てて謝罪した。そしてシャルティアに事の次第を問いただす。

 

「ど、どういうことなのシャルティア? なんで帝国の重鎮がこんなところに…」

「弟子になりたいと懇願してきんしたから、慈悲深いわらわとしては断る術を持ち合わせていなかったのでありんす」

「いやいやいや……あの、フールーダさん? 本気で『蒼の薔薇』に?」

「師の指示ならば如何ようにも。特にこだわりはありませんな」

「えええ……どうすればいいの…? こ、こういう場合はリーダーが決めるべきよね。リーダー!」

「お前だよ!」

 

 マジで大丈夫か、という声がガガーランから上がったが、混乱するラキュースはリーダーを求めて視線を彷徨わせる。リーダー、リーダー、リーダー……

 

「リーダー……って私じゃない!」

「おい、本気で大丈夫か? キリネイラムに乗っ取られかけてたりしてねえか?」

「だ、大丈夫よ! えー、うー……イ、イビルアイはどう思う?」

「結局そこかよ!」

「わ、私は、ケフンケフン。私は、んん、ゴホン。反対だ」

「お前までおかしくなるのかイビルアイ……どうしたってんだ、いったい」

 

 イビルアイの視線が仮面越しにも解るほどフールーダを捉えていた。気まずさの漂う雰囲気を見せ、まるで正体がバレるのを警戒しているかのような素振りだ。いや、とガガーランは思い返す。両者の生きている年数と実力の程を考えると、実際に知り合いでもおかしくはない。

 

「何故でありんすか、イビルアイ。こやつは吸血鬼がどうのと気にするような性質でもありんせんし、色々役立ちそうでありんしょう?」

「う……いや、そのだな」

「師よ、この者も吸血鬼なのですか?」

「うむ。わらわ程ではありんせんが数百年を生きる吸血鬼で、それなりの強さも持っているでありんす」

「いきなり暴露はやめてくれシャルティア……最近アレだが、結構な秘密だというのに」

「ふむ、しかし何故仮面を? 師もそうですが、吸血鬼の正体などそうそうバレはしますまい。さして意味などないように思えますが」

「そ、そこには触れてくれるな」

 

 挙動不審なイビルアイを全員が見つめ、その事実に気付いた彼女はわたわたとシャルティアの後ろに隠れて体を隠した。臍を曲げた――とは少し違う、何故だか居心地の悪さを感じているような様子だ。

 

「ま、まあどうしてもと言うなら私は別にいい。あとはお前らで決めてくれ」

「…? うーん……じゃあ多数決で決めましょうか。フールーダさん加入に反対の人はいるかしら?」

 

 その問いに誰の手も上がることなく、フールーダの加入は決定した。少し頭を下げた彼は、いまだシャルティアの影に隠れているイビルアイを見て首を傾げたが、気のせいかと思い直して各々に挨拶を始めた。

 

「しっかしこりゃあなんつーか、ちいと戦力過多じゃねえか? 人数も随分多くなっちまったしよ」

「ふふふ……間違いなく名実ともに最強ね。我が『蒼の薔薇』は!」

「お前のなのか…?」

「そうだフールーダさん、冒険者プレートなんて持ってませんよね? 早速作りに行きましょう! 最強の銅……うふふ。見える、見えるわ。『おいおい爺、年寄りの冷や水にしちゃあ過ぎるぜ? 冒険者は遊びでやってんじゃねえんだよ』からの『な、なんで銅の冒険者があんなに強いんだ…!?』そして『フールーダ・パラダインってまさかあの!? お、俺達はなんてやつに喧嘩を吹っ掛けちまったんだ…!』きっとこんな感じね! さあさあ、行きましょう!」

「最強の銅はどう考えてもシャルティアじゃねえか…?」

 

 片手を上げて意気揚々と冒険者組合に向かうラキュースを見て、ガガーランは色々突っ込みたい衝動に駆られたが我慢した。兎にも角にも、全員揃って冒険者組合に行くのは初めてのことだ。何もなければいいが……と思う彼女だったが、まあ無理だろうなと諦めのため息をついた。

 

 何事か話しながらラキュースとフールーダが先頭を歩き、少し愚図っているイビルアイをシャルティアが無理やり引っ張って連れ歩く。頭を押さえて呻いている双子をクレマンティーヌが笑って見ている。王国も帝国も――ついでにシャルティアのことを考えれば法国だって荒れそうだ。渦中の薔薇が散らないか、ガガーランは少し不安に思ったが……なるようになるか、とシャルティアの能天気そうな顔を見て呆れ笑いをするのだった。

 

 

 





フールーダハーレムルートではありませんよ。


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始まり

最終章入ります

独自解釈がだいぶ入ってきたので、原作設定重視の方は少々お気を付けを。


 

 その日、世界が動いた。青天の霹靂とも、急転直下とも言える急激な動き。それは法国から周辺諸国への宣戦布告――否、それすらも通り越した降伏勧告から始まった。

 人類の守護者を標榜する彼等は、その時から人類の支配者を暗に宣言していたのだ。支配はしない、暴虐も尽くさない、しかし我等の傘下に入れと彼等は言い放つ。人類の戦力を一個に纏めるのだと法国は躍起になっていた。

 

 人類同士の戦いは常に静観してきた彼等。どの国も全貌すら把握できていなかった彼等はついにその重い腰を上げた。それは人類の愚かな同士討ちに耐えかねて――という訳ではなく、誰もが予想すらできていなかった一連の出来事から始まってしまった。

 

 彼等は人類の存亡を掛けた、乾坤一擲の勝負に出ざるを得なかったのだ。最強の手駒を『手に入れてしまった』が故に。

 

 

 シャルティア・ブラッドフォールン。ツァインドルクス=ヴァイシオン。

 

 彼等という矛を手に、番外席次という鉾を手に、法国は突き進む。滅びか繁栄か、オルタナティヴの道へと彼等は走り出したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオン。その名は人間の国でこそ全く知られる事のないものだが、こと人間の勢力圏外――特に評議国ともなれば誰もが知る最強の存在だ。アーグランド評議国永久評議員であり、この世に十といないドラゴンロードの頂点でもある。

 かつてこの世の覇権を握った存在と対立し、しかし現存するのが彼だけであることを考えればその強さの一端が解るだろうか。たとえドラゴンロードの殆どが滅ぼし尽くされ、覇権を握った存在の最後は単なる自滅であったとしても、彼の強さを疑う理由にはならない。かつての覇者に立ちはだかったならば『生き残る』ということすらどれだけ難しかったか、その時代を知る者にしか解らないからだ。

 

 そう、彼は今を生きている。それがただ一つの答えなのだ。百年毎に現れる存在を警戒し、しかし法国も放置すべきではないとその動向を類稀なる感知能力で探り続ける。

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオン――彼をよく知る者はツアーと呼ぶが、彼は法国の中でも特に憂慮すべき存在、漆黒聖典の動きを遥か異国の地から感じ取っていた。いや、正しくは感じ取ってもいたが……詳細を把握しすぐに行動を起こせるように、白金の騎士の出で立ちで王国の地を踏みしめていた。

 

 もちろんドラゴンたるその巨体を鎧の中に入れている訳もなく、いわば遠隔操作できる人形のようなものだ。人形とは言ってもその性能は現地の人間など軽く凌駕する性能を秘めており、そのまま王国を滅ぼそうとすれば苦も無く成功させる程の実力を備えているのだ。

 

 そしてそれが数日前の事。

 

 彼は今この地に騎士としてではなく、プラチナム・ドラゴンロードとしてその身を空に浮かべていた。ここ数日で得た情報――すなわち漆黒聖典が目指しているものが、人間と異形種にある戦力差を変化させる危険を秘めていることを感じたからだ。

 

 『破壊の竜王』 

 

 ツアーもその存在を知っている訳ではないが、仮にも法国というドラゴンロードをよく知る存在がそのような不吉な名を付けているのだから、その脅威は推して知るべしだろう。そしてその存在を法国が支配できるとなれば、黙って見ている訳にはいかないのだ。彼は国を守るためにも――あらゆる意味で、だ――普段身を置いている場所から離れる事はまずないと言っていいが、この時だけは例外となった。

 

 それほどに法国、そしてプレイヤーを警戒していることの証左でもある。法国と評議国は――否、法国とドラゴンロード達は一つの盟約を取り交わしている。それが破られた時、法国と評議国の全面戦争は免れないものだ。その盟約に鑑みて、今漆黒聖典が行っていることは少々グレーなゾーンであり、けれど決定的ではない。強いて言うならば竜王すらコントロールできるというアイテムの存在は抵触気味ではあるが、戦争に発展するには少々弱い。

 

 これが例えば血を完全に覚醒させた神人の存在などであれば両国の関係を破綻させるに足るものだろう。しかし今この場にいるのは『半端者』程度の存在であり、少々手を焼くことはあれど力の差は見て取れる。

 

 つまりツアーが今決めていることは、破壊の竜王という存在を滅すること。そして漆黒聖典が持つ洗脳アイテムを破壊、もしくは奪うことである。後者については出来る限り破壊が望ましいのだが、彼の知識はユグドラシルについても中々造詣が深い。『ワールドアイテム』であろうかのドレスが破壊不可能だと知っているのだ。

 

 ツアーは破壊の竜王の存在を知った時点で、その感知能力でもって周囲を詳細に探っていた。しかし感知範囲にはそのような存在らしきものは見当たらず、故に漆黒聖典を泳がせて所在を知ろうとしていたのだ。聖典の者が発見した時点で彼等諸共『始原の魔法』と呼ばれる、今は真なる竜王以外使うことのできない古代魔法で全てを消滅させようとしていた。

 

――結果的に、それは最悪と言ってもいいほどの悪手だった。皮肉を利かせて言うならば、自らが盟約を破って先に手を出した罰と言ってもいいのかもしれない。

 

 ツァインドルクス=ヴァイシオンはその日、数少ない『真なる竜王』の中で最も屈辱に塗れることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トブの大森林へ……でありんすか?」

「はい。あのハ……こほん、王国戦士長が『己を取り戻すため』と言って出奔したそうです。情勢が変わった今、少々彼の存在も必要になりました。特にやることもないのでしたらお願いできますか?」

「ふむ、まあ借りもありんすからそれはいいでありんすが……わらわがやるとなると無理やり引きずって帰らすぐらいしかしんせんけど?」

「それで大丈夫ですよ。むしろ無理やり帰還させられる人物があまり居ないことが問題ですので」

 

 なるほど、と頷いてシャルティアは即座に転移魔法を唱える。このレスポンスの速さが素晴らしい、と王女は既に消えかけているシャルティアの背中を見て笑顔を作る。

 何をするにも逐一王派閥と貴族派閥の折衝と議論をしなければならない政治状況とは雲泥の差だ、と。後ろで『師よぉー!』と言って転移魔法で追いかける老人は無視した。

 

「イビルアイ…」

「な、なんだラキュース」

「解ってるわよね」

「べ、別にシャルティアとあいつだけで充分だろう?」

「実力はね。でも常識は?」

「うぐ…」

 

 この場でシャルティアに追いつけるのは、転移魔法を使用出来るイビルアイのみだ。シャルティアの使う高位のそれとは違い、彼女は単独転移までしかできない。故にお目付け役としてお前も行け、とラキュースは言っているのだ。

 

「しかしだな、その、なんだ」

「もう……そんなにフールーダさんと顔を合わせたくないの? もしかして初恋の君とか?」

「そんなわけあるか! 少し顔見知りなだけだ!」

「じゃあなんで?」

「う、それはだな…」

「おいおい、さっさと行かねえと見失うぞ。飛ぶとしたらカルネ村かトブの森のどっちかだろ?」

「くっ……ああ解ったよ。すぐに帰る」

「いってら」

「おみやげヨロ」

「がんばイーちゃん」

「やかましい!」

 

 まったく、と口の中でもごもごと愚痴を垂れ流しつつイビルアイはカルネ村へと転移する。そもそも転移系の魔法は高位低位に関わらず、見知った場所でないと移動はできない。フールーダはどうやって転移したのだろうと首を捻るが、まあ自分と同じく数百年も生きていれば大抵の場所は移動できるかと思い直して、視界に新しく飛び込んできた村の入り口を見やる。

 

「ふむ……ああいたいた。シャルティア!」

「おや。わらわ一人で充分だというのにご苦労なことでありんすな」

「もっともだが、お前が言うな。それよりフールーダはきていないのか?」

「うん? 見ていないでありんす」

「…となるとトブの大森林の方か、面倒な。というかお前は何故こっちにきたんだ? 武者修業に森へ行ったとの情報だろうに」

「あれでそこそこ強いのでありんしょう? ならば修業相手に、この村にいる森のナントカというアレに会いに行くのが道理ではありんせんか。あやつらがどこぞで共闘していた覚えがありんすよ」

「…っ!? そ、そうか」

 

 思いのほか理知的なシャルティアにイビルアイは言葉が出ない。もしや偽物かと疑うが、この世界にシャルティアが使う転移魔法を使用出来る者などまずいないため、その考えは却下した。王女の知恵が少し感染でもしたのかな、と益体もないことを考えつつ彼女はシャルティアと共に森の賢王が居るであろうエンリ宅へと歩を進めた。

 

 ほどなくして着いた1軒の家の戸を叩き、中からどうぞという声が聞こえたため彼女達は扉を開いて家の中に入る。

 

「失礼する。私は蒼の薔薇のイビルアイという者だが、ここにガゼフ・ストロノーフという男が来なかったか?」

「あ……こんにちは。この前は村の危機を救っていただいて、本当にありがとうございました!」

「ん? ああ、それについては報酬も貰っているから気にしないでくれ。それより先ほどの件なんだが…」

「あ、はい。戦士長様でしたら、賢王様とネムと一緒に森へ行きました。あのお二方と一緒なら薬草を取りに行くのも安全ですし……なんだか申し訳ないですけど」

「ふふん、ドンピシャリでありんすな。イビルアイ、わらわを褒めたければ存分に褒めなんし」

「わーすごーいさすがしゃるてぃあー」

「そうでありんしょうとも!」

 

 あからさまに棒読みなイビルアイを気に掛けず、シャルティアは高笑いをしながら上機嫌で頬に手の甲を添える。いわゆるオホホ笑いというやつだ。

 

「しかしなんとも贅沢な護衛だな。雇おうとなればアダマンタイト冒険者並に金が掛かるぞ、その面子は」

「あはは…」

「まあ、それなら丁度いい。フールーダを回収しつつ戦士長も回収出来るしな。シャルティア、くれぐれも手荒な真似はしてくれるなよ?」

「それはあやつの対応次第でありんすな」

「…はぁ」

 

 エンリに薬草が分布している範囲を大まかに聞いて、今度はトブの大森林へと転移する二人。鬱蒼と生い茂る草木を掻き分け、二人と一匹の痕跡を探す。

 

「そういえば……二人で行動するのは初めてでありんすな」

「ん? ああ、そういえばそうか。だ、だからと言って変な事はするなよ?」

「失敬な。ぬしはわらわを変態か何かと勘違いしていんせんか?」

「(そのものズバリじゃないか…?)ああ、いやまぁ気にするな。そういうつもりで言った訳じゃないんだ」

「まったく……これでもぬしには感謝しているでありんすよ? 身の振り方というものは全てぬしに学んだと言っても過言ではありんせん。ぬしが居なければ、今頃は重要な情報ごと人間社会は滅んでいたでありんしょう」

「はは、お前はいつでも自信家だな。実力を考えれば自惚れとは言わんだろうが、法国に気を付けることだけは忘れるなよ? 前にも言ったが、お前は大事な仲間だ」

「…」

「お前が私達をどう思っていようが気にはせんよ。ナザリック地下大墳墓を見つけたならそこがお前の帰る場所なんだからな。ただ――まぁ、偶に思い出してくれればそれでいいさ」

「…くっ、くくっ。ティアとティナが居れば鼻を摘まむ臭いセリフでありんすな」

「おまっ、人が真剣に言っているというのに――」

 

二人は森を進む。朗らかな雰囲気で、穏やかな雰囲気で吸血鬼の少女達は森を進む。イビルアイも最近はシャルティアに気を使うことなく接するようになった。その行動にこそ気を揉むことはあれど、自分を害することはないと確信する程度には仲良くなったと考えているのだ。

 そしてそれは過信や自惚れなどではなく、確かな事実でもあった。シャルティアが先ほど言葉にしたように、彼女はイビルアイに感謝しているのだ。

 

 強さに自負はあった。守護者最強の存在であれと創られたからこそ、そこに疑いの余地は一片すらない。しかしいざナザリック地下大墳墓を離れてしまえばどうだ。右も左も解らぬまま、衝動のままに熟考することもなく行動しようとしていた。それは今の現状から考えると明らかな悪手であり、そしてそれを止めてくれたイビルアイだからこそ彼女は感謝し、信を置いているのだ。ついでに色欲塗れの視線も向けているのだ。

 

「ふふ…」

「…? どうしたでありんすか? 気色の悪い顔をして」

「せめて変な顔と言ってくれ。いやその、なんだ。心の底から対等以上に付き合える者というのは久しぶりでな。その、友達というのは、こんなものなのかなって…」

「ああああぁーーー!!」

「うわぁっ!?」

 

 もじもじと俯いてそんなことを言うイビルアイに、シャルティアが少し壊れた。頭を横の大木にぶつけ、へし折った幹を掴んで空の向こうへと投擲した。いったいどうしたんだと、イビルアイが心配そうにのぞき込む。

 

「ど、どうしたんだ。その、私と友達なんて、嫌だったか…?」

「ぐふぅっ! わ、わらわはどうすればいいでありんすか、ペロロンチーノ様……がふっ!」

「血を吐いたー!?」

 

 血の通っていない吸血鬼が血を吐いた。神秘である。

 

「そんなに嫌だったか。その、すまん……友というのに思い入れでもあったか?」

「早まりんせんの。別にそういうわけではありんせん。ただわらわは友というものにからきし縁がありんせん。仲良くあれと、仲悪くあれと定められたことはあれども、友というものを設定されてはいんせん」

「…な、なら私が最初の友達だな! シャルティア!」

「そ、そうでありんす……か?」

「そそ、そうだ!」

「そうでありんすか…」

「うむ、そうだ」

 

 イビルアイ――本名『キーノ・ファスリス・インベルン』 古い時代に仲間はいたし、今も大事な仲間に囲まれてはいる。しかし友となると、数百年単位でいない年季の入ったぼっちである。仲間と友達は似て非なるものだ。彼女はなんだかんだで自分より弱い者を対等に扱うことはない。大事な仲間は信頼していても、同時に守るべきものでもあるのだ。確かに『青の薔薇』は自分を倒して仲間にしたが、個で己に敵うものは存在しないのもまた事実である。

 

 しかしシャルティア・ブラッドフォールンは自分と対等どころかぶっちぎっており、それでいて種族まで同じ類のものだ。しかも友達初心者であり、友達中級者(自称)の自分が上から見ることができる(願望)唯一の存在だ。このチャンスをふいにしてしまうと、下手をすれば一生ぼっちだ――

 

 などと残念なことを考えているイビルアイであった。

 

「しかし友とはどういうものでありんすの? 仲間のようなものでありんしょう」

「ふふ、それは違うな。友達がいたことのある私が色々と教えてやろう」

「ふむ…」

「まず友達とは、リボンの交換をすることから始まる!」

「…リボン?」

 

 ペロロンチーノの影響を受けたシャルティアの影響をさらに受けたイビルアイは変な電波を受信していた。まあ彼女たちは魔法少女であるからして、リボンの交換が友誼を結んだ証となるのは間違っていないが――それは残念ながらお別れフラグでもある。

 

「ぬし、リボンなど持っていんしたの?」

「…」

 

 持ってねーよ、などとは口が裂けても言えるはずはなく、早口で言い訳をまくしたてるイビルアイ。238年ぶりの友達獲得のため、彼女も必死なのだ。

 

「い、いまのは比喩表現だ! つまりその、なんだ。大事な物を交換しあうというのが重要なんだ」

「ふむ……なるほど。ならばわらわはぬしの処じ――」

「違ーう! もっとこう……物理的に大事なものだ!」

「むう…」

 

 あわや貞操の危機に陥りかけたイビルアイは、冷や汗を流しながら懐をごそごそとまさぐってとあるアイテムを取り出す。かなり貴重なものではあるが、自分から言い出したことなのだから、とそれを差し出す。

 

「これは対象人物と場所を入れ替える装備アイテムでな。動くなよ、今つけてやる…」

「ちょ、ちょっと待ちなんし……あ…」

 

 パキン、と音がしてアイテムが壊れる。カツンと足元の小石に残骸が当たり、静寂な森の中を木々のざわめきが支配している。シャルティアはカースドナイトの職業をとっており、そのペナルティ故に一部の低位の装備を付けることができない。イビルアイが渡したアイテムは、その一部に見事抵触したようだ。

 

「…」

「…」

「わ、わらわ、低級の装備は付けられんせん…」

「…」

「…な、泣き止みなんし。わらわはこれをあげる……うぅ、貸すでありんすから、ほら。わらわと、わらわの持ち物すべては至高の御方とナザリック地下大墳墓に帰属しんすから、これで許してくんなまし」

 

 ぎゅっと手を握り締めて涙を耐えるイビルアイに、シャルティアはおろおろとしながら自身の一番大事なアイテムを手渡す。正直アイテムの交換、と言われた時点でシャルティアはそれを断る心づもりであった。その身の一片までもナザリック地下大墳墓のためにある彼女は、自身の持ち物を与えるなどありえないことなのだから。しかし、げに恐ろしきは金髪美少女の涙である。

 

 吸い込まれるようにしてナザリック産のアイテムがイビルアイの手に渡ってしまったのだった。

 

「うん……他に、渡せるもの…」

「気持だけで結構でありんすよ。別にそれをしなければ友達の資格がない、なんてことはありんせんでしょう?」

「だ、だが…」

 

 自分だけが渡さずに、貴重なアイテムを受け取ったのでは気まずいことこの上ない。何かないかと考えを巡らすものの、しかし先ほどのアイテムが壊れるのならば、手持ちのアイテムはほぼアウトだろうと肩を沈ませる。

 

 なにか――と悩みぬいたところで、ふと思いつくものが一つだけあった。もう名乗ることもなくなった、それでも捨てられぬ自身の大切なもの。

 

「シャルティア……ならば一つだけ。私の名前を受け取ってくれないか」

「名前…?」

「『キーノ・ファスリス・インベルン』 それが私の本当の名で、今は名乗れずとも大事なものだ。受け取ってくれるか?」

「…しかと受け取りんした。これからはそう呼べばいいでありんすか?」

「いや、普段は今まで通りにしてくれ。今みたいな二人の時なら、その、呼んでも構わない」

「ぐふぅっ!」

 

 またもや血を吐くシャルティアに、イビルアイは首を傾げる。というか口から出てる以上もしかして血を吸っているのか? などと若干疑念がよぎっていた。

 

「しかし見当たらんな。そこまで深く入っているとは思えんのだが…」

「ふむ……はっ。もしや人が居ない森であることをいいことに、そのネムとやらを襲っているのではありんせんか?」

「いくらなんでもそれはないだろう…」

 

 ハゲ、強姦魔に続きペド野郎の誹りを受けそうになっている戦士長。レベルダウンもそうだが、だいたいシャルティアのせいなあたり戦士長にとって彼女の存在は疫病神としか言いようがない。

 

 そんな風に雑談をしつつ、更に奥へ行こうかと相談した時、森の奥から剣戟が聞こえてきた。

 

「森の奥で剣の音…? 一人はガゼフだとしても、どういうことだ?」

「行ってみれば解りんしょう」

 

 二人はその音に向かって歩き出した。しかしその音は、絶望の始まりを奏でている――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一連の出来事は、全てがほぼ同時に起こったと言ってもいい。ただ始まりだけが一つ先んじて、それ以外が瞬時に過ぎ去った。

 

「…弱くなったな。それとも俺が強くなったのか?」

「両方だろう。お前が強くなったのは間違いない――そして俺は弱くなった」

「ああ? 降伏するってことか?」

「それはありえんよ。事実を述べたまでだ……ハアッ!」

 

 大森林の中で、一つの再会があった。かつて至高の闘いを繰り広げ、紙一重の差で勝った男と負けた男。年月を経て再び相まみえた彼らは、焼き直しのように剣を交し合う。ただしかつて勝利を手にした方が劣勢という形にはなってしまったが。

 

「いつから法国などに与した? お前にかの国の流儀が合うとは思えんが」

「――オラァッ! はっ、ついさっきの事なんで流儀もクソもねえよ。ただ入って早々にお前と戦えるってなあ……神様とやらの存在も満更眉唾ってわけじゃねえのかもな!」

「っく……! その神とやらを呪いたくなってきたな」

 

 ネムが賢王に震えてしがみつき、その闘いを見守る。周りには漆黒聖典、そして陽光聖典の者が整列して剣戟を観察していた。状況がこうなっているのも偏にブレインの強い要望故であり、それが受け入れられないのであればガゼフに与すると断言したために、許可せざるを得なかったのだ。

 

 森の賢王、ガゼフ・ストロノーフ、ブレイン・アングラウスの三人を相手にするのは彼らにとっても少々面倒なことだろう。隊長の戦力を抜きにすれば漆黒聖典といえどもそれなりの被害を覚悟しなければならない程だ。ならば要望を聞き入れた方がデメリットも少ない。

 

 森にて突然の邂逅――陽光聖典がガゼフ抹殺の使命を果たせるまたとないチャンスに沸き、それをブレインが遮ったのだ。己が強さを求めた理由そのものを他人に搔っ攫われること、それは彼にとって許せることではなかった。法国がガゼフを狙う理由など知りもしないが、どのみち事がここに至ったのならば自分の手で打倒したい、と。

 

「隊長」

「まだ動くな。あの魔獣は闘いの後でいい……ブレインも邪魔されたくはないだろう」

 

 法国の特殊部隊『六色聖典』は極秘の存在だ。各国上層部ならば多少なりとも知識にあるとはいえ、その内実を理解しているものまではほとんどいないと言っていいだろう。ならば先ほどガゼフに『無事に帰す』と約束した少女のことも、当然ながら見逃すことはあり得ない。共闘されるのも面倒だったために、適当な事を述べたまでだ。

 

「…しかし噂ほどではなかったようですね。終始ブレインに圧倒されています」

「ああ……いや、先ほどの言葉通り何かあったのだろう。あの程度の男に執着していたとも思えんしな」

 

 一度死んだことによるレベルダウン。それを取り戻そうとこの地にやってきたというのに、結果的に最悪の選択肢になってしまった戦士長。剣が交錯するたびに劣勢をひしひしと感じ、詰め将棋のように逃げ場が無くなっていく。

 

「――まさかお前のために作った武技すら使えねえとは、な。あばよ、ガゼフ・ストロノーフ」

 

 ただ只管に。自分に勝利した男を打ち負かすためにただ只管に修練に明け暮れた。そしてその果てに開発した究極の武技『領域』 周囲の音、空気、気配。全てを認識し知覚できる、そんな世界に達する技。

 

 そしてそれを最大限に生かすため、正確さと速さを極限にまで突き詰めた至高の一閃『神閃』 その二つをもってして放つ最高の一撃を『虎落笛』と名付け、ガゼフ・ストロノーフを間違いなく打倒しうると確信を抱いたブレインだったが――結局それを使わずとも勝利できそうな現状に落胆を覚えていた。

 

 しかしそれでもかつて目指した頂に手が届いたというのは、一つの到達である。達成感こそ少し削がれたが、遂にその首に剣が届く感触にブレインは興奮と落胆、その他様々な感情を溢れさせながら剣を振りぬく――

 

 

 

 

 ――瞬間、全てが動いた。

 

 

 

 

「っ! 隊長! 破滅の竜王と思しき存在を感知――っ隊長!?」

 

 漆黒聖典の眼とも言える、他人の実力を感知する術に長けた隊員から焦燥の声が上がる。多少なりともガゼフとブレインの闘いに見入ってしまったため、感知が遅れたのだ。すぐさま陣形をとるべきだと隊長に声を掛けた瞬間、自分よりも更なる焦燥を顕わにした彼に驚愕する。

 

 突然上空を見上げた隊長に、隊員達は何事かと訝しがる。今は何を置いても破滅の竜王を最優先にすべきだと、その場の誰もが命令を待たずに陣形を整えようとし――

 

「全員撤退――――くっ、間に合わんか!!」

 

 何を、と問う間はなかった。その場の全ての存在が、白金の輝きへ向かう紅い流星をその目にしたからだ。

 

 全ては一瞬だったのだ。シャルティアが現れた瞬間からその禍々しさを感じたツアー。まさに破滅の竜王と確信を抱き、漆黒聖典に近づいた瞬間、始原の魔法で全てを無に帰さんと力を解放する。

 

 それに隊長が気付き、しかし全ては遅かったのだと――竜王には筒抜けだったのだと顔を歪ませ、せめて相打ちにと手に持つ槍の真価を発揮させようとした。が。

 

 漆黒聖典隊長という強者が気付いたのなら、当然シャルティアも気付く。間違いなくこの世界であった中で最強の存在であると確信した瞬間……それが明らかに攻撃態勢に入っていると判断した瞬間、自身の最強装備を瞬時に身に纏い空へと躍り出た。

 

「あああああぁぁぁ!!」

「…っ!」

 

 ツアーの攻撃は、全てに先んずる筈だった。何が起ころうとも間に合う筈だった。

 

 けれど唯一の誤算は、シャルティアに気を取られていたせいで気付くのが遅れた、かつての仲間の存在――キーノ・ファスリス・インベルン。そして自分が仲間に委ねたアイテムを持つ存在――ガゼフ・ストロノーフ。この二人に直前で気付いてしまったが故に、彼は一瞬だけ判断を鈍らせた。

 

 そして、それが最悪の結果を齎した。

 

「カイレ様!?」

 

 法国の秘法、あらゆる耐性を無視して対象を支配するマジックアイテム『傾城傾国』。それを身に纏う老婆、法国の幹部カイレは今の状況に我を失っていた。ワールドアイテムを使用できる適性があったがためにこの地へ赴いた彼女であったが、実のところ戦闘者ではない。法国のため命を掛ける覚悟はあろうとも、いざ命の危機に瀕した時冷静な判断ができるとは言い難いのだ。強大な竜が頭上に浮かび、今にも攻撃を放とうとしていればどんな人間でも恐怖を感じてしまうだろう。

 

 だからこそ、彼女は一度使ってしまえば長いリキャストタイムを必要とする『傾城傾国』を使用してしまった。対象も定まらず、とにかく恐怖に駆られて彼女は上空へ支配の光を放ってしまった。

 

「シャルティア!? ツアー!?」

 

 イビルアイの叫びが響く。誰もが今の状況を理解していない。誰もが何が起こったか理解できていない。空中で静止した一人の少女と一体の竜。

 

 

 

 

 ――その日、世界が動いた。





傾城傾国は対象一人限定っぽいんですが、その変については次話

色々突っ込みどころあるけど、ごめんして。


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幕間

んー、やっぱシャルティアが苦境に陥る話だったからちょっち酷評されてしまいました。とはいえ終わりに向けて必要なファクターでもあったのでご勘弁を。
無駄に鬱? 展開を長引かせるのは自分も嫌いなので、一応今話でどういう展開になるかは理解してただけるかと。


 スレイン法国、某所。漆黒聖典と陽光聖典が帰還し、トブの大森林で起きた事を余さず報告した時点で法国を運営する頭脳、各部門のトップが集結し事の次第を共有するべく会議が開かれた。

 

「破滅の竜王を捕獲せんと向かった先で、評議国の雄ツァインドルクス=ヴァイシオンを手にした――か。確かにそれは国を揺るがす事態だ」

「そうなるとその魔神……シャルティア・ブラッドフォールンでしたか。それを手中に収めたというのは不幸中の幸いでしたな」

「はい。もはや評議国との戦争は避けられません。故に周辺諸国を、人間種を纏めることは危急の案件になりました」

「戦争――か。人と異形は相容れぬ。故にいつか来る筈の未来ではあったが、いくらなんでも早すぎる。できることなら、今期の神の再臨を期待したかったが…」

「どうやら今回はあの吸血鬼が百年の揺らぎであったようですな。とはいえ番外席次に勝る実力の持ち主。怪我の功名ではあったのでしょう」

 

 法国のトップはいずれも帝国皇帝に劣らぬ傑物揃いだ。無能が蔓延る王国とは何から何まで対照的であり、故に多くを語る必要もなく全員が現状を理解した。すなわち『ツァインドルクス=ヴァイシオン』を洗脳した事実と、それが可能である事そのものが評議国との決裂を意味する、ということだ。

 

 真なる竜王はツアーだけではなく、完全に確認されてはいないものの大凡五体前後と推測されている。その中で抜きんでた実力を持っているのがプラチナム・ドラゴンロードというのは紛れもない事実だ。しかし評議国の永久評議員であり、ドラゴンロード達のまとめ役でもあるツアーを洗脳したとなれば、間違いなく残りの竜王は牙を剥くだろう。

 

 それに対抗できるとすれば法国秘蔵の神人たる、漆黒聖典の番外席次が筆頭に挙げられる。そして手中に収めたツァインドルクス=ヴァイシオン、この両名で評議国とドラゴンロード達を相手どれるかとなると――少々厳しいだろう。たとえ希望的な観測が当たりツアーと番外席次が数体の竜王と渡り合えたとして、評議国はドラゴンロード達だけが主戦力というわけではないのだ。雑兵であっても人間を凌駕する異形や亜人が揃っている。

 

 そして質でも負けているというのに、数も法国のみではまるで足りていない。蹴散らされるのは目に見えているのだが……そこにその二名を超えた実力をもつ魔神が加わるとなると話は別だ。余裕とまではいかなくとも、少なからず希望の目は出てくる。

 

「漆黒聖典、陽光聖典の両隊長が『ガゼフ・ストロノーフ』『青の薔薇のイビルアイ』『フールーダ・パラダイン』を見逃したのは、なるほど、勝手な判断ではありましたが慧眼でもあったということですか」

「うむ、既に事は人間種とそれ以外の生存競争だ。少しでも戦力は残さねばならぬ」

「加えてこれから各国を纏めねばなりません。ガゼフ・ストロノーフからは王国に、フールーダ・パラダインからは帝国に、青の薔薇のイビルアイからは冒険者に事実が少しでも伝わればありがたい。無論、真剣に事を構えるとすれば帝国のみでしょうが」

「支配した者達は今どうしているのだ?」

「カイレが情報を引き出しております」

「しかし『傾城傾国』の対象は一人のみの筈ではなかったのですか? 二名同時支配による効果減衰などは起きていないのでしょうか」

「それについては検証不足と言わざるを得んな。そもそも秘宝であり、存在を秘すべきとして碌に使用しておらなんだのが間違いであったのかもしれぬ。条件に関しては追々研究すべきではあるが――下手に弄って洗脳が解ければ、それこそ人間は滅ぶだろうて」

 

 各国を一つに纏め上げる。言うは易し行うは難しの典型ではあるが、やらねば滅びは見えている。タイムリミットは評議国が異変に気付くまで。元々ツアーは隠遁生活のような形であったが故に、今しばらくは大丈夫だろうとの結論にはなったものの、やはり竜王の感知能力は人間とは一線を画す。

 

 何かの拍子でツアーに異変が起こったことを察知されれば、そこが戦争の始まりとなるだろう。

 

「竜王国はどう致しますか? 再三に渡る陽光聖典派遣の依頼を断っている状態ですが」

「うむ……あまりに放置していてはいつのまにかビーストマンの国になっていたということもあり得る。しかし今は耐えてもらうしかなかろう」

「かしこまりました。情勢の把握だけは逐一確認致しましょう」

「うむ。しかしここ最近は特使も文も来ておらぬ。とりあえずは問題ないだろう」

「それすら送れなくなった――などということになっていなければ、ですが」

「あまり不吉な事を言うでない……とにかく各自、為すべきことを迅速に為せ。特に王国に関してはもはや躊躇などいらぬ。溜まった膿の浄化を待つには時間がない」

「は。残すのは王族派ということで?」

「うむ」

 

 従わぬ者には、暴力をもって脅しを掛ける。しかし、だ。脅しの意味すら理解できぬ愚者はもはやどうしようもないのだ。そんな愚昧が国の中枢に存在することが既に異常であり、しかし正常に矯正していくにはもう時間がない。野菜の腐った部分だけを取り除くような気軽さで、人間の命の取捨選択をしていく彼ら。

 

 どこまでも人類の事を考えて、どこまでも人間の事を考えぬ。それが正義だと信じて彼らは動き出す。全ては平和のためと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜王国。人類生存圏の端に位置する国家であり、それ故に常に獣人の攻勢に晒されている弱小国でもある。法国の戦力支援なしには立ちいかず、しかし見返りに渡す多額の献金もそれはそれで国家を衰退させる要因の一つなだけにこの国の女王は常に頭を痛めていた。

いた――と言うのは、現在はその状況が改善されつつあるからだ。

 

「此処をお離れになる、と? そう仰いましたかモモンガ様」

「ああ……おっと勘違いはしないでくれ。拠点は此処のままだとも。というよりかナザリック地下大墳墓がこの国にある時点で移す気はない」

「では何故…?」

「前々から言っていた部下の一人、シャルティア・ブラッドフォールンの状況が変わった。依然として《メッセージ/伝言》に反応は無いが…」

「…解りました。あなた方のおかげで急場は十二分に凌げました。どうぞその方を優先なさってください」

「いや、こちらこそ十分に世話になっているとも。これからもよろしく頼む」

「ふふ、どちらが世話を掛けているかは明白でしょうに。相変わらず謙虚な御方ですのね」

 

 

 竜王国の女王『ドラウディロン・オーリウクルス』はそうモモンガに告げた。この幼い少女――もはや幼女と言っても差し支えない人物が一国の女王というだけで傍から見れば異常と言う他ないが、その幼女が和やかに話している相手が貴重なマジックアイテムを身に纏った骨であることを考えれば、この場面の絵面がシュールであることに間違いはない。

 

 そんな穏やかな雰囲気を搔き乱すようにガギリ、ガギリと歯ぎしりの音が響く。その出所はと言えばモモンガの傍に控えている凄まじい美女――アルベドからである。

 

「あ、あのアルベド様? どうかされましたか?」

「…………」

「アルベド。ドラウは我が友でもあるのだぞ? 無礼な振る舞いは慎め」

「…失礼致しました」

 

 ナザリック地下大墳墓が竜王国の国境付近、丁度ビーストマン達との小競り合いがよく展開される場所に現れて早数週間。色々と話し合いや諍いはあったものの、好戦的なビーストマン達と最初に接触したモモンガは、逆に好意的に接してきたドラウディロンと友誼を結び竜王国と同盟を組んでいた。

 それは女王が純粋な人間ではなく竜の血が混じった人間――セバスのような竜人ではないとはいえ、近いものではあったからというのもある。加えて前述した通り最低の交流から始まって、次の出会いが悪くない交流であったためギャップ差で少しちょろくなっていたというのもある。

 

 だが最大の理由は女王の容姿のせいなのかもしれない。背伸びをする子供のようにこちらと懸命に接してきた女王、どうか我が国の力となってほしいと願われたモモンガは、異世界で右も左も解らぬ状況で承諾はできかねると考えたが――横に侍るセバスの後ろに、かつての友を幻視した。

 

――困っている人を助けるのは当たり前――

 

 というかつてのギルドメンバー『たっち・みー』の姿――ではなく、更にその後ろに聳え立つバードマンの姿を幻視したためだ。

 

――困っているロリを助けるのは当たり前――

 

 なんでやねんっ、と幻影を振り払うように目の前の机をバシンと叩いたモモンガ。その様子にビクリと体を震わせて涙目になった女王に、彼はちょっと罪悪感を覚えてしまった。

 

 まぁとにかく紆余曲折を経て彼と彼女は意外と仲良くなり、友誼を結んだというわけだ。特にその威厳もへったくれもない容姿でどう国を纏めているのかモモンガは気になり、支配者としての威厳の秘訣を学ぶためにこっそり女王の部屋へ出向くこともあった。というよりか友人になったのはそれが一番の理由である。

 

 まあそんなことをしていれば勘違いしてくる者も出る訳で、現在憎々しげにドラウディロンを見つめているアルベドもその内の一人である。

 

「まあどの道そろそろ他国への接触も考えていたし、何よりこの事がなくともシャルティアの捜索は急務だったしな。できれば最優先にしたかったのだが…」

「そうモモンガ様が仰っていた事を知るだけでシャルティアも報われます。まずは何よりもナザリック地下大墳墓の基盤を築くべきだと言われたモモンガ様に間違いなどあろう筈がございません。一守護者と御身の大事など比べてはいけませんわ」

「う……む、だがアルベドよ。私は友が残したお前達を、子のように思っている。あまり己らを卑下するような発言はやめよ」

「はい、その通りですわ! さあモモンガ様! あのヤツメウナギをこらしめにゆきましょう!」

「あ、はい」

 

 転移した直後からシャルティアの不在には気づいていた。しかし状況が状況であったためその捜索に本腰を入れ始めたのは昨日今日の話だ。慎重に慎重を期するモモンガの性格もそうだが、異世界転移時からてんやわんやの動勢だったためにナザリック主と僕の結びつき――その確認が多少遅れたというのもある。

 

 今現在その信頼関係が強固であることに疑いはないが、それでもその僅かな隙間に現地人――ドラウディロンが入る事が出来たのは、彼女にとって人生最大の幸運だったのかもしれない。

 

「法国には気を付けてください。かの国がナザリック地下大墳墓の存在を認めるとは到底思えませんから」

「ああ、肝に命じよう」

 

 モモンガが自らシャルティアを探しに行くと発言した際、当然ながらナザリックは荒れた。というか守護者統括であるアルベドが絶対に認めない姿勢を見せたのだが――その御供に彼女を付けようかな、という言葉がモモンガから出た瞬間に態度は一変。守護者最高の頭脳を持つ悪魔を舌戦でねじ伏せ、私めも是非と言った宝物殿の領域守護者を物理的に叩き伏せた。

 

 が。今朝になって状況は変わったのだ。今までのシャルティアは、この世界に居る事だけは確実だったが何処に居るかは不明、という形であった。しかし今日になって確認されたシャルティアの状態は、ナザリック離反の可能性を孕むものに変わってしまった。当然シャルティアとの戦闘の可能性が浮上してきたわけであり、アルベドとモモンガの二人旅などありえない状況になった。

 

 アルベドの不機嫌はそのせいでもあるのだ。あと一日我慢できなかったのか貧乳ウナギが、と心の中で悪態をつく統括守護者であった。

 

 そしてシャルティアの状態を知ったモモンガは、それでも自分が探しに行くという行動だけは止める気を見せなかった。むしろこれだけは自分がやらねばならぬと強行の姿勢を頑なにし、結局シャルティアが凶行に走った際に止めることができる戦力を厳選してパーティを組むこととなった。

 

 それはナザリックの戦力を分散させる愚行だと理解していてもなお、モモンガはシャルティアの捜索を最優先とした。守護者最強であり、一対一では自分すら倒しかねないシャルティアだけに、多少楽観視してしまった結果がこの有様だ。有体にいってモモンガは自分自身に一番怒りを感じており、それを超える責任を感じていたのだ。

 

 シャルティアが支配された可能性が残っている以上、その周囲にそれをなした存在がいる可能性がある。故に供をつけることに異は唱えなかったモモンガであったが、もしシャルティアと対峙する状況になったならば自分一人で片をつける覚悟もしていた。

 

 かつてのギルドメンバーが遺した彼ら彼女らが戦う姿など見たくもない、それ故に。

 

 そして挨拶を終えたモモンガとアルベドはそろそろ退室しようと立ち上がるが――その前に女王の側近が部屋に駆け込んできて急を告げる。

 

「いったい何事? モモンガ様もいらっしゃるのに失礼だ……でしょう?」

「私は構わんよ。それより何事だドラウ?」

「すみません……で? 何があったの?」

「そ、それが……法国から使者が参りまして、その…」

「…?」

 

 とても言いにくそうに言葉を切る側近。ちらりとモモンガを見た後、意を決してその報告を口にする。

 

「『早晩、人類と評議国の存亡をかけた戦争が始まると予想される。貴国の窮状は理解しているが、支援を要請する可能性も念頭に置かれたし。貴殿ならば評議国との絶望的な戦力差を熟知してるであろうが故、こちらの切り札も提示する。評議国永久評議員、プラチナム・ドラゴンロードこと『ツァインドルクス=ヴァイシオン』と、それに比肩する神人が一人。そしてその両名を凌駕する『シャルティア・ブラッドフォールン』なる魔神を配下に収めた。勝利の目は十分に存在する故、人類のために死力を尽くしてくれることを望む』……との、ことです」

「な…!?」

 

 『真にして偽なる竜王』とも呼ばれるドラウディロンは、評議国についても周辺諸国よりはよく知っている。人類すべてが一丸となっても覆しがたい戦力差であることも理解している。故に報告の最初の一文を聞いた時点で血の気が引き、次いでプラチナム・ドラゴンロードを手中に収めたことに驚愕し、そして魔神のくだりに入った瞬間、その身を抱いて膝をついた。

 いや、つかざるを得なかったと言う方が正しいだろう。何故なら――

 

 

 

――彼女の横には、悍ましい憤怒を眼窩の奥に燻らせている魔王がいたのだから




法国さんチーム「おちょくり作戦です()」


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ウサの耳

ギャグを挟みづらい。


 コツ、コツ、コツ、と硬質な音が玉座の間に響く。それは明らかに苛立ちを含む音色であり、玉座から数段下に侍る者達に緊張感を与えていた。

 

「…報告は以上か?」

「は……然様で御座います。更に詳細なものとなりますともう数日はかかるかと」

「セバスよ。お前はナザリック地下大墳墓が誇る階層守護者が洗脳されているというのに、更に数日間シャルティアをその汚辱に耐えさせよと、そう言ったのか?」

「…っ、失礼致しました。モモンガ様のお気持ちを察せぬこの身の蒙昧をどうか――」

「――よい、よいのだ。無理を言ったのは私だ……お前達に怒りをぶつける意味など無いというのに、な。アンデッドであるにも拘わらず怒りを制御も出来ぬとは情けない」

「そのようなことはございません! その怒りは、モモンガ様がシャルティア様に向ける慈愛あればこそ。私に怒りをぶつける事で御身の気を紛らわす事が出来るなら、それ以上の幸福はございません。全てはモモンガ様の御為に」

「…私には過ぎた僕だ、お前達は」

 

 守護者統括、階層守護者、戦闘メイド、ランドスチュワート、そして特例として宝物殿領域守護者と、ナザリック地下大墳墓の主たる者達がこの玉座の間に集っていた。各地に飛ばした斥候の報告をその場でセバスが代表してモモンガに伝え、ほとんど八つ当たりに近い辛辣な言葉を返される。頭を振ってすぐさまそれを詫びるモモンガに、しかし僕達はこの身で気が紛れるなら、と傅く。

 

 多少冷静になったモモンガが放った言葉に僕達は感動し、そして歓喜した。彼等の存在価値は至高の存在のためだけにあり、故に自身の価値を認められるような言葉を掛けられたならば、その賞賛はどんな麻薬よりも多幸感を齎してくれるものとなるからだ。

 

「…さて。ドラウから聞いた情報と、先の報告を踏まえてお前達はどう動くべきだと思う――デミウルゴス」

「は。法国が王国への襲撃を企てているというならば、それは恐らく『見せしめ』であるかと。時間を掛けずに国家を纏めあげるというならば、恐怖以外の選択肢はありえません」

「アルベド」

「標的はまず間違いなく貴族派でしょう。人類のためというお題目が真実であれば『見せしめ』と『粛清』と『示威』を効率よく行える手段ですわ」

「パンドラズ・アクター」

「なればこそ、そこに戦力を集中させる可能性が高く。かの国は己の立ち位置が背水の陣であることを理解しているのです。全てを万全にするには手遅れと考えているならば、ある程度は割り切っているのでしょう。『準備が整うまでは評議国に攻め込まれない』と。もはや王国を既に領地と考えてその準備――制圧と統治を同時に行う事もあるでしょう、我が主よ。詰まるところ、最高戦力の揃い踏みということで御座います」

「…ふむ、なるほどな」

 

 どう動くべきか、と問われたにも拘わらず三者の返答は法国の動き方についてのみであった。彼等も理解しているのだ。モモンガの問いは単なるポーズであり、他の守護者が円滑に理解するための振りに過ぎない、と。実際は本当に聞いているだけだが。

 

「戦力比はどう見る」

「ナザリックを完全に無防備にする訳にはいきません。しかしシャルティアの戦力を考えるならば守護者複数名が必要な事もまた事実。故に此処に招集された階層守護者以外はそのまま、そして特例として1~3階層についてはプレ『イ』アデスを配置致します。ウカノミタマをかの部屋から動かす許可をいただけますか?」

「許す。ただし配置は三階層限定だ。それ以外の低階層については召喚モンスターを配置する。プレイアデスならばそこから支援も可能であろう」

 

 戦闘メイド集団『プレアデス』 長姉『ユリ・アルファ』を筆頭に『六人』の姉妹からなる戦闘メイドだ。ナザリックに所属する以上、彼女たちは全て人間以外の種族で構成されているが――しかし彼女達が本来の人数『七人』姉妹に戻った時『プレアデス』は異形のみの構成から人間を含む集団へと変わる。その名は『プレイアデス』 戦闘メイドの末妹、ナザリック唯一と言ってもいい『人間』である彼女は普段ある物を守護するため、殆ど動くことはない。

 

 ある意味で宝物殿に収められた物よりも尊い宝を守るため、引きこもっているのだ。彼女が使役する『ウカノミタマ』は物理特化型の高レベルモンスターであり、『プレイアデス』からの支援を受けたならば一階層の護衛は十分に務まるといえよう。

 姉妹総出で『ウカノミタマ』の――つまりオカッパ狐っ娘の支援をする姿は、ペロロンチーノ垂涎の一幕であろうことは想像に難くない。

 

「――シャルティアについては私が相手をする。何人たりとも手出しは許さん」

「っ!? いけません! たとえ至高の御方であろうとも、シャルティアと戦えば万が一が御座います! 恐れながら申し上げますと、彼女とモモンガ様の相性は最悪です。何卒ご自愛くださ――」

「デミウルゴス」

「…っ!」

「シャルティアは、『私が』、相手をする……よいな」

 

 感情を読み取る、というのはどういうことを指すのだろうか。表情を見る――これが一番手っ取り早い方法だろう。喜怒哀楽は一番そこに出やすく、どれだけ演技が上手かろうがその本心の欠片すら覗わせないというのは難しい。しかし、モモンガの頭部は骸骨であるが故に、その内心を容易には推し量れない。

 

 瞳を覗く――目は口ほどにものを言う、と格言にもあるように瞳を見ればその内心を見透かすこともできるだろう。訓練を積んだ人間ならば、対象がどのような精神状態かすら見抜くこともできると言われている。しかしそれも前述したように、モモンガには当てはまらない。

 

 ならば此処に集まる全ての僕が、主の怒りに恐怖しているのは何故なのか。答えは単純明快、とどのつまり『声質』によるものだろう。モモンガの短い宣言には、万感の思いと底すら見えぬ怒りが渦を巻いていたのだ。

 

 絶対者、君臨者、暴君、覇者、どのような言葉を用いても陳腐に聞こえてしまう程の雰囲気を彼は纏っていた。僕として至高の存在を危険に晒すことは絶対に許されない。しかし、しかしだ。僕として主の厳命を無視することは『許されない』を通り越して『有り得て』はいけないことだ。

 

「お前達ならやりかねん故に厳命しておく。私の命令を無視してシャルティアを相手取り、その後命令違反の咎で自害することは許さん。死は何よりも裏切りであると知れ」

 

 主の厳命と主の安全。ナザリックの僕達がどちらを上に置くかは、実のところ個々によって違いがある。主が覚悟を持って挑むと、自分以外がそれを為すことを許さないというならばそれを酌んで命令を遵守するもの――此処に集まっている者で挙げるならば『パンドラズ・アクター』『コキュートス』『アルベド』『ルプスレギナ・ベータ』『シズ・デルタ』などだろうか。

 

 反して『セバス・チャン』『デミウルゴス』『アウラ・ベラ・フィオーラ』『マーレ・ベロ・フィオーレ』『ユリ・アルファ』『ナーベラル・ガンマ』『ソリュシャン・イプシロン』『エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ』などは命に背いてでも主の安全を優先するだろう。

 

 もちろんその時その場所の状況にもよるものではある。主の厳命ならばと身を引きつつも、目の前で窮地を見てしまったならば体が勝手に動いてしまったというものや、その逆もまた然り。しかしアルベドを筆頭に、人それぞれ理由とやり方は違えど主を大切に思う気持ちだけは確かなものだ。

 

 『優しい嘘』などという言葉があるが、嘘をつくもつかざるもそれには優しさが籠っている。彼等もそれと同じで、忠誠の捧げ方が各々違っているだけのことなのだ。

 

「パンドラズ・アクターよ」

「はっ!」

「宝物殿のワールドアイテムを解放する。王都に出向く者には余さず行き渡らせよ」

「仰せのままに」

「アルベド」

「はい、モモンガ様」

「デミウルゴス」

「此処に」

「コキュートス」

「ハッ!」

 

 玉座に座るモモンガがゆらりと立ち上がる。平伏す僕を見渡し、厳かに、そして力の籠った声で王都へ出向く者に声をかけていく。

 

「アウラ」

「はいっ!」

「マーレ」

「は、はい…」

「セバス」

「はっ」

 

 敵はいずれも世界有数の強者であり、シャルティアが洗脳された事実からワールドアイテムの存在すら可能性として推測出来る。故に少数精鋭での出向と決められた。ナザリックは手薄になれど、それでも層は十分に厚い。特に3階層から上へ常駐している者も、今回特別に配置している者も一筋縄ではいかない猛者ばかりだ。

 

 それに、モモンガはそれ程長くナザリックを離れる気など一切ない。何故ならば――

 

「The goal of all life is death(あらゆる生あるものの目指すところは死である) …だが私は奴らに死を与えるつもりなどない」

 

 死は救いだ。逃れ得ぬものであり、しかし安らかに終えるため準備を尽くす終着点。けれど死の支配者は言い放つ。

 

「ナザリックに敵する者は死こそ相応しい。彼らは等しく勇者であり、我々はそれを称え、死を与える事に全力を尽くさねばならぬ。しかし、だ」

 

 一拍置いてモモンガは片手を握り締め、掲げた。

 

「ナザリックを汚す者には、死すら生温い…! 救いなど与えぬ。慈悲など有り得ん。その体の一片までも後悔で埋め尽くし、煉獄を永久に漂うがいい!」

 

 墳墓の主が憎悪を立ち昇らせ、それに呼応するように僕が一斉に立ち上がる。決戦の時は近い――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…急転直下とはこのことか」

「まさに。数日と経たず帰還することになろうとは思いもしませんでしたぞ」

「それはそれでどうなんだ……いや、それよりまずはどう行動すべきかだな。指針となるものが一切無いのは判断に困る。敵対は有り得んが、しかし評議国を相手どるのもできればしたくない」

「蝙蝠の如く立ち回ると?」

「ふん……どうしたものか。法国は種族間の生存戦争と言っているが、評議国がどう認識しているかが問題だ。彼らが法国のみを敵視するなら、我々は静観したいところだな。そうなれば法国がこちらに手を出す余裕もないだろう?」

「しかし評議国がそうでないならばその後は知れていますな。法国が勝っても遺恨が残る。何より先ほどの使者の、傲慢とも言える一言……あれは恐らく真実でしょう」

「ああ、その通りだ。その通りだとも。とるべき道は既に決められているのだろう。しかし帝国皇帝として軽々に判断を下すことなどできん」

 

 脅し以外のなにものでもない法国から来た使者の言葉。それは間違っても帝国の皇帝であるジルクニフに向かって放つ言葉ではなかったが、しかし真に迫る力強さがあった。嘘偽りない、真実のみが持つ鋭さが。

 

『我々は長きに渡り人類の生存圏を守ってきた。人類同士の戦争などという『遊び』を続けてこれたのは誰の御蔭か。我々が滅べばどのみち人類が亜人に飲み込まれるのは時間の問題である。竜王国の現状も、トブの大森林の間引きも、人類の生存圏の中でも尚蔓延る亜人の脅威も、全てを我々が背負ってきた。皇帝という地位にあってなおそれを無視し続けたつけは、清算するべき義務でもある。現実を見据えているのが、亜人の脅威に晒される人界境の弱小国だけというのは皮肉でしかないな。王国も帝国も――そうだ、お前達は責任を取るべきだろう』

 

 にべもなく言い放ったその文句を聞いて、周囲の者は色めきだった。法国はこれまで傍観者であったのだ。ドワーフの国との取引には目を光らせたりもしていたが、基本的には不干渉を常としていた。それが一転この傲岸不遜な物言いだ。当然その無礼のつけは払わせて然るべきだと、四騎士達も立ち上がった。

 

 しかしジルクニフは、当然のことながら彼らを止めた。そもそもフールーダが戻ってきている時点でシャルティア・ブラッドフォールンの身柄が奪われたことは真実に間違いないのだ。それに近い実力者も複数名を擁しているとなれば敵対は有り得ない。

 

 結果的には『答えは王国の末路を見た後で聞こう』と言い残して、足早に去っていった使者をただ見送る事しかできなかったのだ。

 

「王国……王都か。兎にも角にもお手並み拝見とすればいいのか? もうこれ以上何が出てきても驚かんな」

 

 割とすぐ後にその言葉を撤回する羽目になるとは、皇帝も思わなかっただろう。いずれにしても各国の視線は、王都に集中していくだろう。惨劇が起こるのは間違いないが、その対象となると――神のみぞ知る、と言ったところだろうか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 法国から王国への宣戦布告――否、正しくは降伏勧告がなされてから幾ばくか経った。王都は、王都の政に携わる者は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。これまで傍観を貫いてきたかの国が今更何故、と。指揮系統は乱れ、誰も彼もが身の振り方に頭を悩ませている惨状が出来上がっていた。

 

 それもその筈、普通は宣戦布告から戦闘開始など日を置くのが当然である。むしろいくら謎に包まれた法国とはいえ、兵糧から兵士の動員に至る戦闘の準備すら察知できない訳はないのだから、この状況は青天の霹靂としか言いようがないものだったのだろう。戦闘の用意を慌ただしく始めるものや、そもそも戦闘が始まることにすら懐疑的な者もかなり居る有様だ。

 

「…酷い有様だな」

「ドラウディロン様が仰っていた事から推測するに、王国の最大戦力でも精々ユグドラシル換算でレベル30前後とのこと。彼我の戦力差をどれだけ認識しているかは知りませんが、そもそも勝負にすらならないのではないかと思われます」

「奴等が王国を制圧した後、疲弊したところを急襲する戦略はとれなさそうか」

「MPの消費を考えればあながち無駄とも言いきれません。とはいえ相手方の構成次第ではございます。シャルティアを例に考えるなら、彼女が王国を占領するとして魔法を使用する必要があるかと言えば――否定せざるを得ません」

「滅亡ではなく支配を目指しているなら、広域破壊の必要もないか…」

 

 モモンガ、それに守護者が王城の慌ただしさを感じ取りその滑稽さに嘆息する。まがりなりにも『国』という形をとっているというのに、これでは烏合の衆としか言いようがないではないか、と。嘲笑というよりも呆れが先にくる程の為体ぶりだ。

 

 彼らが王城の狂騒を見ている場所――それは大胆不敵にも王城内部の一室であった。何故、というならばそれは法国の戦力が集まる場であるからと答えるしかない。王国が法国の動きに気付かなかった理由を考えれば、それは自明の理だろう。すなわち少数精鋭でもって侵略し、端から頂点以外を狙う気がないと公言しているようなものなのだから。

 

「さて、時間のなさ故に随分と慎重さを排したと思ったのだが……ここまで気付かれないというのもどうなんだ。情報系の魔法への対策も、探知、感知に至るまで随分とお粗末ではないか」

 

 マジックアイテムを駆使したとはいえ、あまり必要ですらなかったのではないかという警備のお粗末さ。いくら騒動の只中とはいえもう少し警戒しろよ、とモモンガは更にもう一つため息をついた。仮にもここは王族の住まう区域なのだ。厳重であって然るべきだろうと、警戒し過ぎた自分が逆に恥ずかしいなとモモンガは肩を竦める。

 

「この後に及んで派閥同士で争う愚か者共ですもの、それも当然で御座いますわ」

「腐リハテテイルトハ聞イテハイタガココマデトハナ」

「竜王国とはえらい違いだよねー。あっちは冒険者に至るまで団結してたのに」

「ぼ、冒険者…」

 

 冒険者という単語を聞いてブルリとマーレが体を震わせる。それもこれも竜王国筆頭のアダマンタイト冒険者であるロリコンのせいだ。しつこく言い寄られる、とまではいかないが事あるごとに随分とモーションをかけてきたロリコンアダマンタイト。姉であるアウラがわざとある一定のところまで自由にさせていたのは、ロリコンに『行けんじゃね!?』と思わせるところまで思わせて最後に『残念、男の娘でした~』という悪戯をやりたかったからだ。

 

 しかしアウラにも想像の埒外であったのだ。『アリだぁぁ!!』などと言ってロリコンが更なる境地へ覚醒することなど。結果的にマーレにトラウマが刻まれることになったのは、やはりアダマンタイト冒険者の面目躍如である。

 

「やはり王都ごと滅ぼしてしまわれた方がよろしいのではないでしょうか、モモンガ様。下等生物に相応しい末路でございますわ」

「…絶望に相応しいのは、あくまで首謀者のみだ。この戦いで王都がどうなろうと知ったことではないが、人間を下等生物と侮るのはやめよ。ドラウは我が友であるし、それでなくとも今はプレイアデスが動いているのだ」

 

 ドラウの名が出たところで少し顔を顰めたアルベドであったが、主の判断に異を唱えるわけもなく、恭しく頭を垂れた。王城の一室に潜んでいる――というよりかは占領して寛いでいるような状態の彼等だが、警戒は怠っていない。もちろん王城の人間ではなく法国の動きを気にしているだけだが。

 

 隠密に長けた僕を十数匹ほど城に解き放ち、異変を察知できるように努めているのだ。ついでに何か目新しい情報が入ればと、連絡を密にしているのだが……ちょうど今、モモンガにそれが届いたようだ。

 

「――そうか。ご苦労、そのまま待機せよ」

 

 僕の一匹から『第三王女の部屋でシャルティアの名が出た』との報告が出た。そこまで有用な情報が聞けるとは思わないが、籠りっぱなしの状況に飽きていたことも手伝ってモモンガは自身がそこに赴くことを決めた。察知能力の高い存在が居ると聞き、スクロールとアイテムを使用して存在を限りなく隠してモモンガは部屋を出る。

 

 当然守護者達がそれを黙って見ている筈もなく、睨みあいと牽制が行きかいつつ半数がモモンガについていくこととなった。とはいえ余りにも隠密に向いていないコキュートス、そしてパンドラズ・アクターは最初から除け者にされていたが。正直TPOを一番弁えることができるのはパンドラズ・アクターなのだが、普段の言動とリアクションがアレなので説得力がなかった。

 

 結局アウラ、アルベド、マーレの三人がついていくこととなったのは、やはり女は強しということなのだろう。

 

 多少警戒しつつも、スタスタと身を隠す素振りもなく歩いていく四人。全員がそういったスキルを持っているわけではないが、高位アイテムを使用しての隠密を見破る人物も、そしてアイテムも王国に存在しないという証明だろう。程なくして目的の部屋の前に到着したモモンガ達は、四人の女性と一人の不審人物……そして一人の屈強な男性の合計六人による諍いに耳を傾ける。

 

「正気ですか? 戦力比など貴方達が一番把握していると言ってもいいでしょうに。伏して待ち頭を垂れるか、逃げ出すかが正しい選択です。クレマンティーヌ様の行動が一番正しいと思うのだけれど」

「…そうね。馬鹿なことをしている自覚はあるわ。……でも! 少しの間でも、仮ではあっても、私は仲間を見捨てない」

「別に正面切って戦うってわけじゃねえんだ。シャルティアを操ってる奴自体は強くなさそうだったんだろ? ならそいつだけをぶっ飛ばすことに全力を注げばいい話っつーこった」

「本気で言っていますか? 向こうからすればそれだけはさせないと警戒しているのは当然です。そもそも操者がここに来るかどうかも保証がありません」

 

 イビルアイが帰還した際に語られた事実。全員が驚愕し、そして耳を疑った。とはいえ王国戦士長から王に齎された情報と同じものではあったし、そもそもイビルアイが嘘をつく理由もない。どうするべきかと皆が判断に迷っているうちに、法国からの宣戦布告が宣言された。

 

 しかしラナーは持ち前の頭脳から、そこまでひどい状況にならないだろうと踏んでいた。大勢で攻めてくるという情報が無い以上は、狙いが上層部のすげ替えであることはほぼ間違いない。そしてイビルアイ、戦士長が見逃された事実からして有能な人物は内に入れる方針であることも推測できる。恐らく貴族派の粛清だけで事が終わるだろうと予測しているのだ。

 

 だが『蒼の薔薇』はその侵略に対して服従することをよしとしなかったのだ。とは言っても徹底的な抗戦を選択したわけでもない。正面からぶつかれば勝ちの目など一ミリすらないことは彼女達も理解している故に、目指すのはシャルティアとツアーの解放だ。どのみち蜘蛛の糸よりも細い希望に縋っているようなものだが、しかし『蒼の薔薇』は仲間を見捨てない。

 特にイビルアイにとっては古い仲間と新しい仲間の両方を洗脳されているのだ。退くことなど出来はしない。

 

「…私はシャルティアがナザリック地下大墳墓を見つけるまで手伝うと約束したんだ。はっきり言って善良とは程遠いアイツが、これまで王都で問題を起こしていないのは私との約束があるからだ……と、思う。驕りでも自惚れでもなく、シャルティアは私を……私達をある程度は信頼してくれていたと思う。ならば信頼で返すのは当然だろう? 何よりアイツは……アイツは、私を『友達』と言ってくれたんだ――見捨てるなどという選択肢は有り得ん」

「助け出したらどんなご褒美が待ってるんだろう……ゴクリ」

「ティア、雰囲気をぶち壊さないでくれ」

 

 王女の前に対立するように立つ彼女達。いや、実際に意見は食い違っているのだから対立といってもいいだろう。ラナーはその明晰な頭脳をフル回転させてどう立ち回るべきかを検討する。現状はほぼ詰みだ。自分が蒼の薔薇に味方しても精々コンマ数%の成功率がいいところだろう。そもそも不確定要素が多すぎる上に成功したとしても評議国がどうでるかが不明なのだ。

 

 イビルアイがツアーと仲間だったと言っても、なあなあで済ませるには限度というものがある。竜王が人間に操られる屈辱はそれを下回るのか? 仮に下回ったとして国の面子を優先しない保証は? 危険が過ぎるということでどのみち戦争になる恐れもある。

 

 諸々の事情込みで暫し思考に耽り、彼女が出した答えは――

 

「…解りました。私も協力致しましょう。導を示せと言ったシャルティアさんに、私はまだなにも提示できていない。強さだけでは限度があると申し上げた責任は取るべきですね。頭脳だけでどこまでやれるかは解りませんが」

「ラナー!」

「よっしゃ、お前さんが味方についてくれりゃ百人力だぜ!」

「…すまんな」

「…恋の奴隷ライバル?」

「どうでもいいけど私の存在が薄い。抗議したい」

 

 答えは『取り敢えず』協力する、だ。なんだかんだ言っても『蒼の薔薇』と自分が抗戦したとして、ある程度のところまでは懐柔策を優先する筈だとラナーは判断したのだ。特に自分に関してはよほどの事がない限り殺害という手段は取らないと彼女は確信している。

 

 なにしろ国民の受けがいい上に、王族の血筋だ。法国が侵略した後の事を考えたならば――皮肉なことに法国の政策は間違いなく国民の生活を向上させるだろう。法国側もそう判断しているだろうし、ならば国民に愛されているラナーを殺害するのは外聞が悪い。そして貴族派を粛清するのだから王族派の反感を買う必要性も薄い。

 

 ならば万が一の成功を考えて、蒼の薔薇に協力するのは悪くない選択だろう。シャルティアがあまり自分の事を信用していないのは、ラナーにとって容易く見て取れていた。だがもしその作戦が成功して我に返ったシャルティアが、危険を省みず法国に相対した王女の話を耳にすればどうだ。

 

 なによりも得難いシャルティアの『信頼』を得られる可能性があるのだ。デメリットは薄く、メリットは限りなく大きい。故にラナーのこの答えは必然であった。

 

「あ、お父様には内緒にしてくださいね。王族派が抗戦すると捉えられては目標が逆転しかねない……まあ、まずないとは思いますけど」

「ええ、解ってる」

 

 ラナーの協力を得られた『蒼の薔薇』はひとまず胸を撫でおろし、しかしすぐにきたる襲来を考えて気を引き締める。

 

「それにしても……クレマンティーヌ様が居てくださったなら成功率はそれなりに上がる筈なのですが…」

「仕方ないだろう。そもそもシャルティアに無理やり連れまわされていたようなものだ。何より法国からの追っ手を撒くためにここまできていたのだから、むしろ逃げて当然だろう」

「ちょっと、人聞きが悪いわよイビルアイ。あの子は逃げてない……と、思う」

「何? だが私の話を聞いてすぐに姿を消したじゃないか」

「うーん……その、なんていうか…。逃げるような雰囲気じゃなかったというか、えーと…」

「なんか百面相してた」

「うん、そうそう。まじかよ……みたいな顔になって、逃げようかな……って顔になって、その後に待てよ……みたいな顔になって、最後に凄くいやらしい笑顔になってた。で、ちょっと帝国に行ってくるって凄い勢いで出ていったのよ」

「帝国…? フールーダか? いや、しかしそうだとしても…」

 

 

 ぶつぶつと考え込むイビルアイだが、なんにしても帝国へ行ったならばすぐに帰ってくる訳がない。クレマンティーヌの異常な速度を加味し、帰りがフールーダによる転移だとしてももう暫くは帰ってこないだろう。作戦に組み込むことはできないと考えた。

 

「いよっし! とにかくシャルティアの奪還作戦を考えなくちゃね! 誰か良い案はないかしら?」

 

 空元気を出してラキュースが皆に問う。まあどのみちラナーの考えに頼ることになるだろうとは思っているが、明るい雰囲気を出すための気遣いだ。それに天才だからこそ考え付かない妙案が出る可能性もなくはないだろう。

 

「ああ、あるぞ。お前達が協力するのならば、だが」

「へっ? 誰――――うぎゃあぁ!? 骨ぇ!?」

 

 逆に、凡才であっても考え付く案が出ることも。

 

「――全面戦争だ」

 




イビルアイ「友達と言ってくれた(言わせた)んだ…!」



本当に今更Twitterとやらを初めてみた。1時間ほど弄った。飽きた。

なるほど、これリア充専用アプリね。おけおけ

誰か僕を見つけてくれぇ…(ベルトルト感)


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ショタコン忍者と男の娘

タイトルでお察しください。


 

突如出現した、明らかに高位の装備を身に纏うエルダーリッチらしきアンデッド。そしてそれに付き従うような雰囲気を見せる三人の人物も、見るからに強者の雰囲気を漂わせている。忍者である双子がここまで気付かずに接近されたことからもその実力は窺い知れるだろう。とにかく『蒼の薔薇』の面々はラナーを守るように彼女を背の後ろに下がらせた――が。この突拍子もない事態において最初に発言をしたのもまた黄金の王女であった。

「お初にお目にかかりますわ。私はこの国の第三王女『ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフ』と申します。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の御方々とお見受け致しますが、いかがでしょうか」

「突然の事に驚いているだろうが……えっ?」

「シャルティア様には良くして頂いておりました。このような状況になってしまったのは私達にとっても残念なことでしたが…」

「えっ、ああ……うん。はい。いや、そうか」

 

 アインズ・ウール・ゴウン、もしくはそれに連なるものを探すため、ラナーは情報を余さず把握していた。シャルティアの主観が主なため、明らかに偏った部分もあるのだがそのあたりは彼女の頭脳で補正してかみ砕いていた。

 

 彼女の天才性は多岐に渡るが、特に頭の回転の速さといえばアルベドやデミウルゴスにすら勝りかねない程のものがある。故に今の状況――この国最高峰と言ってもいい隠密と看破のスペシャリストである双子の忍者に気付かれない接近術と、リーダーらしき骨に双子のダークエルフを見て正しく正体を導き出したのだ。

 

「ここにこうして来てくださったということは、シャルティア様を救う手助けを……いえ、失礼致しました。私達『が』多少なりとも一助になれると見做していただけたということでよろしいでしょうか」

「(何この人、怖い)ああそうだ……それとシャルティアが世話になったようだな。そして、なるほど。守護者最強の存在に対し導き手を称しただけのことはあるようだ。その賢しさ、確かに黄金に勝るものではあるな」

 

 ちょっとしたお茶目も含んだ突然の出現。多少の悶着はあれど、シャルティアと仲良くしているような人物であれば説得も容易いと踏んだモモンガ。しかし蓋を開けてみれば動揺もなく正体を看破されるわ、こちらの事を考えて遜った態度で接するわと、その判断の速さに目を剥いた。目はないが。

 

 モモンガも王都について短い期間で調べられる程度の情報は把握しているし、この町で何が有名かを問うなら黄金の王女や王国戦士長が筆頭に挙げられるだろう。頭脳までゴールデンとは知らなかったが、このまま話し続けていれば間違いなくボロが出ると確信させられるやりとりであったのは、モモンガにとって事実である。故に天才は天才同士で喋ってもらおうと、全員をこの部屋に招集することを提案した。

 

「話が早いというのは歓迎すべきことだ。しかし急くと追いつけぬ者もいるだろう。そして私は情報の共有を軽視すべからざるものと考えている」

「お褒めにあずかり光栄です。急いで支度致しますわ」

「(説明してないのに理解するのやめて)なに、その必要はないとも。淑女の部屋に無断で立ち入り、その上連れ出すほどの無礼は控えておこう」

 

 仲間が他に居て、情報の共有をしたいから呼んでくるね!(意訳) と伝えようとしたモモンガだが、言葉半分の時点でそれを察して自分が赴くと言う王女に更にびびる。あ、これデミウルゴス的な人だわと既に断じ、至高の御方フィルターがかからない彼女とはできる限り話さないようにしなければと心に決めた瞬間であった。

 

「それと話についていけてない者もいるだろう。そちらにも――ああ、こちらにもだ。アルベド、私は残りの守護者を迎えに行く。頼みたいことは解るな?」

「はい、モモンガ様」

 

 とにかく一息つきたい、と部屋からでようとするモモンガ。マーレとアウラは、シャルティアと仲間だ友達だと言っている彼女達を見て困惑し、そのまますぐに姿を現してラナーと話し始めたモモンガについていけず、頭にはてなマークが浮かんでいる状態だ。それをしっかり認識していたモモンガは、アルベドに説明を頼むと言い残して守護者を迎えに行く。

 

 その間ラナーは『蒼の薔薇』に、アルベドは姉弟に今の現状を説明した。王女は、ここにきて完全なるどんでん返しが成った事を。統括守護者は、明らかにこちらより敵を知っている『蒼の薔薇』と王女から情報を得、そしてシャルティアが世話になっていたらしい事で至高の御方は彼女達に慈悲を掛けるのだということを。

 

 なるほど、と頷いた部屋の住人達。説明が終わり言葉が途切れた事で双方見つめあう。

 

「あー……その、ううんっ」

「……」

 

 沈黙に耐え切れず、何を話せばいいのかとイビルアイが口を開くが、自己紹介は全員が集まってからの方がいいだろうし……と悩み歯切れ悪く言葉を詰まらせる。無言でこちらを推し量るように見てくるダークエルフの少年少女に気圧され、しかし言い出したからには何か話さないと、とシャルティアが楽しそうに話していた守護者の事を思い出して口に出す。

 

「アウラ……とマーレだったか。シャルティアが話してくれたダークエルフの階層守護者の話……その二人か?」

「そうだけど……ていうか人と話す時は顔くらい見せたら?」

「む。そ、そうだな。すまん」

 

 どう接するべきかと悩んでいるのはアウラの方もだが、まず顔も体も隠しているのはどうなんだと突っ込みを入れる。自分に対しても無礼だが、何より至高の御方に相対するというのにそれは不敬が過ぎるというものだ、と。

 

「ふぅん……吸血鬼だったんだ」

「ああそうだ。まあ驚くわけもない、か」

「そりゃね。あんたがシャルティアの友達……ねぇ」

「わ、悪いか?」

「別に」

 

 ナザリックの配下で誰よりもシャルティアを心配していたのは、実のところアウラであった。もちろんモモンガも心配はしていたが、結局NPCとしてのシャルティアにしか接触したことはないのだから、友人が創造した存在とはいえども少々実感が伴わないというのはある意味仕方のないことであり、責めることはできないだろう。

 

 逆にアウラは実際に彼女との思い出がある――その記憶が本当にあったことなのかどうかはさておいて――ため、仲が悪いと設定された、しかし仲の良い二人であるからこそ心配が募っていた。

 

 守護者として優先すべきことはナザリックと主。それは当然の事ではあるが、やはり心配することだけはやめられる筈もない。そうこうしている内にシャルティアが洗脳されたという事実が明るみになり、それを助けにきてみればナザリック以外の存在がシャルティアを心配し、危険を顧みず助け出そうとしていたのだ。

 

 アウラは複雑な心持ちだった。それは同僚がナザリック以外を拠り所としていた事に対する冷ややかな気持ちでもあり、しかしだからこそ目の前の冒険者がどうしても気になってしまう。

 

「…シャルティアは私のことなんて言ってたの?」

 

 何より、そう。言ってしまえば、自分の友達が知らない誰かと仲良くしているのを見て微妙な気分になる、そんな気持ちだろう。嫉妬とは少し違う、なんとも言えない感情だ。

 

 まあぶっちゃけると『ふっ……これが若さか』的なアレである。

 

「あ、ああ。確か……『至高の御方が創造されたに相応しく美麗で』」

「えっ」

「『けれどその強さは見た目に反して守護者最強である自分に比肩し』」

「う、うん…」

「『口に出したことはありんせんが、守護者の中でも一目置いていんす』……と言っていたな」

「へ、へぇ~、ふーん。そ、そう。……ふふ」

 

 だからこそ、シャルティアが自分の事をどう言っていたのか気になるのも当然と言えば当然だ。まったく気のなさそうに(主観)イビルアイに問いかけ、しかしどうせ碌な事は言っていないだろうなと推測していたのだが――まさかの高評価である。なんだなんだ、可愛いところあるじゃんか……と口の端がにやけそうになるのを我慢するアウラ。

 

「アウラ」

「な、なに? アルベド」

「もう少し守護者に相応しい言動をしなさい。あとにやけすぎよ」

「うぐ…」

 

 我慢はしたが、やはり人伝に聞く自分の評価が高いと嬉しくなるものだ。しかもそれがシャルティアの、となれば嬉しさ倍増と言ってもいいだろう。統括守護者にたしなめられ、少し姿勢を正してシャンとするアウラ。気を取り直してもう一度イビルアイに話しかけようとするのだが……目が点になっている彼女に首を傾げる。

 

「どしたの?」

「え、あ、いや。その……アウ、ラ…?」

「だから何よ?」

「…マーレではないのか?」

「マーレはあっち。私は姉のアウラよ」

「すまん、逆に覚えていたよう……ん? 『姉』? いや、え?」

「私が姉で、マーレは弟。…まぁ解らなくもないけどさ、次から間違えないでよね」

「そ、そうか。すまん」

 

 勘違い――そう、勘違いだ。女の方がアウラ、男のほうがマーレと聞いていたのだからこの勘違いも仕方のないことだろう。つまり、非常に残念ながらイビルアイの口にした評価は全てマーレのものである。ちなみにアウラへの評価は最初に彼女が想像した通りであった……まあ勘違いしたままのほうが良いこともあるだろう。統括守護者はちゃんと察しており、にやけるアウラを憐れそうに見ていたが。

 

「そちらはアルベド……殿で本当に間違いないか?」

 

 アウラとマーレを間違えていたように、アルベドの方も勘違いしていないか心配になったイビルアイ。アルベドも三姉妹と聞いていた上に似たような名前であるし、何より聞いていた容姿と随分かけ離れていたため疑問に感じたのだ。

 

「ええ、そうよ。それと一つだけ言わせてもらうけれど、シャルティアと交友があったからといってこちらに――モモンガ様に気安く接するような真似は許されないわ。そちらの王女はよく解っているようね」

 

 アルベドは、イビルアイの疑念をその優れた頭脳で正確に察していた。故にアウラのように自分の評価を聞くことはしなかった……まあ、そもそも気にもしていなかったともいうが。

 

「(アルベドとやらは大口ゴリラではないのか…?) 了解した。ナザリック主への畏敬はシャルティアにもよく言い含められていた。重々承知している」

「(アルベドといえば大口ゴリラではないのか…? とか思ってる顔ね、あれは。戻ってきたらぶん殴ろうかしら) 解っているならいいわ。…………ところで後ろの人間達は先程からいったい何をしているのかしら」

「うん? ……っ!? 何をしているんだお前達!」

 

 アルベドに問われ後ろを振り向くイビルアイ。果たして視界に入ってきた光景はラキュース、ガガーラン、ティアに羽交い絞めにされているティナの姿であった。しかしそれでもなお前進しようとしている様は、並々ならぬ執念を感じさせる。鬼気迫る、という言葉がふさわしい形相だ。

 

「ぬぅぅ……理想郷がすぐそこに…! 離して」

「ちょっとティナ! 状況を考えなさい! …くぅ、なんて力なの!?」

「どうなってんだおい! くっ、もっと力いれろティア!」

「気持ちが解るだけに抑えづらい」

「言ってる場合かよ!?」

「何をやっているんだお前達…」

 

 吸血鬼だというのに冷や汗がでそうなイビルアイ。呆れと羞恥と怒りと焦燥が入り混じったなんとも言えない表情で仲間に再度問いかける。

 

「ぬぅぅ……マーレきゅん…!」

「ひぃっ!?」

 

 その言葉でイビルアイはおおよそを理解した。ティナは重度のショタコンであり、マーレという美しくありながらも少年である奇跡の存在に我を失ってしまったのだ。竜王国のロリコン冒険者に通じる気持ち悪さにマーレは悲鳴をあげる。ささっとアウラの影に隠れ、半身で様子を窺っているようだ。

 

「あんた達、冒険者の階級は?」

「アダマンタイトだが……なんだ、藪から棒に」

「…」

 

 竜王国にはアダマンタイト冒険者は一組だけであり、その内の一人がどうしようもない変態だった。そして今見ている限りこのパーティに変態が最低でも一人。アダマンタイト冒険者=変態という図式がアウラとマーレの脳内に刻まれた瞬間であった。

 

「…ふっ!」

「なっ、消えっ…!?」

「遁術だ!」

 

 忍者のスキル、自身の装備を犠牲に囮を作り逃走する『遁術』と、スキルに依らない暗殺者特有の特殊な動きでもってティナは拘束から抜け出した。急に手ごたえがなくなった感触にラキュースとガガーランはたたらを踏み、ティアは何が起こったか理解はしていたものの、姉妹であるティナの気持ちが痛いほどに解ったため――『姉妹だから』ではなく『同じ変態だから』ではあるが――つい手を放してしまったのだ。

 

 そして当然向かう先は王子の理想形、マーレ。妄想の中の産物を更に凌駕して現れた尊い存在、ただそこに向かってティナはひた走る。ちなみに遁術は己の装備全てをロストするスキル――つまり今の彼女は半裸である。

 

 そしてその様子を呆れて見ていたアルベドとアウラであったが、忍術を使用したティナを見て少し警戒する。竜王国最高の冒険者であっても、ユグドラシル換算でいえば30に満たない低レベルであったのだ。にも拘わらず目の前の女は忍術を使用した――つまり最低でもレベル60以上の存在である。

 

 と言える筈なのだが、そもそも監視していたシモベからもそんな報告はきていない。アウラから見てもそのような高レベルとは言えず、だからこそ、その不思議さに警戒したというのが正解だ。

 

 まあ危害を加えるとは到底思えないが、とりあえず弟を変態から守るかとアウラはティナの前に立ちはだかった。

 

「義姉さん、どいてほしい」

「義姉さん!?」

 

 が、予想外の呼び方に突っ込まずにはいられないアウラ。その僅かな隙をついてティナは遂に辿り着いた。理想の王子様の、眼前に。

 

「あ、ぼ、僕…」

「大丈夫、全部任せてくれればいい。筆下ろしはガガーランの専売特許じゃない」

 

 怯える子犬のようなマーレに舌なめずりをしながら抱きしめようとするティナ。狙うはその可愛らしいスカートに隠された『マーレ自身』 小さくて可愛らしいモノが出てくるか、実はこういう子に限って意外と巨大なモノを持っていたり……などと妄想を膨らませている。

 

 そして遂にその毒牙が突き立てられようとした時――プツン、と何かが切れる音が響いた。

 

「へぶっ!?」

「…」

「ちょ、マ、マーレ…?」

「…」

 

 自分に飛び掛かってきたティナを――俗に言うルパンダイブである――抱きしめ、天使の笑みで受け入れるマーレ。予想外の行動にティナも体勢を崩して変な声を出し、様子のおかしい弟にアウラもおそるおそる呼びかける。

 

「…!? う、ぐぅ…!」

「ちょっと、マーレ!」

「…」

 

 まさか愛を受け入れたなどということは有り得ないだろう、と様子を見るアウラだったが――ティナが苦し気な呻き声を上げ始めたことで何が起こっているかをやっと把握した。飛び込んできた虫を、握りつぶそうとしているのだ。

 

 流石にまずい、とアウラはそれを止めようとする。もちろんティナを心配しているわけではなく、主が共闘すると言った相手を殺してしまうのは問題だと判断したためだ。マーレは前衛職程ではないが、ドルイドの割にはかなりの剛腕の持ち主だ。そもそも相当なレベル差があるのだから、本気を出せば一秒も立たず挽肉が出来上がるだろう。

 

 故に、一応手加減を忘れるほど我を失っている訳ではないのだろうとマーレの顔を覗き込むアウラだったが……その瞳は姉の彼女ですらドン引きするレベルで瞳孔が開いていた。

 

「マーレ目こわっ!」

 

 絶対手加減していない、と確信できる混乱具合だ。ならば何故ティナは死んでいないのかというと、当然忍術を使用しているからである。『不動金剛の術』という物理攻撃に対して圧倒的な防御力を誇るスキルであり、その上でティナはその術にほぼ全MPを使用していたのだ。忍術に位階という概念はなく注ぎ込むMPの量で効果が上がっていくため『素のマーレの筋力』に対して『物理防御特化忍術+全MP』という犠牲を払ってようやく死を免れているというわけだ。

 

 しかしどの道このままでは忍術が切れた瞬間死んでしまうだろうと、なんとか引きはがせないかと両者を覗き込むアウラ。『蒼の薔薇』の面々もハラハラしながら見守っており、アウラがどうにかしようとしているのを見ているのだが――

 

 二人の顔を覗き込んだ彼女は、ため息をついてその場を離れてしまった。

 

「お、おい。止めてくれないのか? 正直私達ではどうしようもないんだが…」

 

 他力本願とはいえども、どうしようもないものはどうしようもない。ガガーランがその剛腕でマーレを引きはがそうとしたところで、ピクリとも動かないのは想像できることだ。アウラとアルベドが何もしてくれないと言うのならば、彼女達にできることは何もないと言っていい。

 

 が、アウラの顔を見る限りそういうことでもないようだ。

 

「…あれ」

 

 くい、と抱きしめあう二人に首を向け、顔を伏せるアウラ。『蒼の薔薇』の面々はいったいどうしたのだと、アウラと同じように両者の顔を覗き込み……そしてアウラと同じようにため息をついて離れた。

 

 既に、逝っている。

 

 否。

 

 既に、イッテいる。いやイキ続けている。紛うことなき真正の変態がそこにいたのだ。

 

「モモンガ様はまだだろうか、アウラ」

「そろそろ戻ってくると思うけど……えーっと」

「イビルアイだ。あれはあのままでいいと思うか?」

「…いいんじゃない? イビルアイ」

「そうか」

「うん」 

 

 なんとなく友情が芽生えた二人であった。

 

 それはさておき、沈黙を保っている統括守護者が何をしているのかというと――

 

「美しい…! あれこそ真の愛と言うべきものだわ! ああ! 私も死ぬまでモモンガ様に抱きしめられ続けたい…!!」

 

 身もだえしながら妄想に耽っていた。そもそも彼女は防御特化の構成なので、どんな存在に抱きしめられようがダメージは負わない……というのは野暮なのだろう。

 ティナという変態を晒したことに恐縮していたイビルアイであったが、あちらにも変態がいるということでほっとした様子である。そしてそんな騒動のさなかに、遂にモモンガが守護者を伴って戻ってきた。

 

「待たせたな……うおぉぉっ!? ナニコレ!?」

 

 自分が少し外した隙に、部下が半裸の女性を抱きしめていた。モモンガでなくとも驚くだろう。

 

 結局、コキュートスとセバスがせーので力を合わせて引きはがすところから話し合いは始まるのであった。

 

 





pixivでここにも掲載しているまどか☆マギカ二次の投稿始めました。加筆修正しつつ、最終話からエピローグの間の話をそれなりの話数投稿します。オバロの短編等も投稿予定なので、気が向いたら見てやってくだされ。あ、腐向けではないですよ。

完結した話に追加するのはちょっとあれだろ、と言われたのでまどマギに関してはpixivのみの予定です。


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鮮血舞う王城

キャラが喋るままに任せていたらプロット崩壊。はあ……刹那で忘れちゃった、まあいいかあんなプロット。


 

 王都。法国の動きが事実らしいとようやく気付いた貴族達は、遅まきながら戦力を整えようと奮戦していた――が、時すでに遅し。法国は持てる力の大部分を動員し、けれどそれを使うことすらせずに王城を制圧していた。

 

「制圧完了。上層部はほぼ捕らえました。王国戦士長の投降も確認、ほぼ作戦完了で間違いないかと思われます」

「気を抜くな。いつ不測の事態がおこるとも限らんのだ。王国の無能共はともかく、既に評議国が何かに感づいているとも限らん」

「は。しかし漆黒聖典に加えあの二体もいるのであれば、万が一もありえぬかと」

「確かにな。だが往々にして予想外の事態とはこういう時にこそ起こるものだ」

 

 これから起こる戦に備える事を考えれば、犠牲は少なければ少ないほど良い。つまり効率よく国を吸収するというならば、頭を叩けばいいということだ。風花聖典と水明聖典の情報網を駆使し、火滅聖典による潜入暗殺とゲリラ戦の巧みさを加えればその程度はなんなくクリアできる。

 数より質が重要であるが故のやりかたであり、なりふり構わなくなった法国の戦力を踏まえればこの結果は自明の理でもあった。人類の守護者たるが故に、人類の愚かさを許容してきた。けれど今の状況を思えばそのようなことは見逃せる筈もない。

 

 評議国との本格的な戦争というものは、そういうことなのだ。火滅聖典によるエルフ王国への侵攻も、竜王国への陽光聖典派遣も、亜人の討伐すら放り投げて尚足りぬ。

 

「なにより洗脳がいつ解けるかも知れぬのだ。できれば全ての竜王と相打ちで消えてほしいものだがな」

「であれば、やはりカイレ様の同行は必要であったのではないでしょうか」

「終えた議論だ。外に出せば何らかの事態が起きる可能性は常に付きまとう。法国の奥深く、絶死絶命と共に居ればそこより安全な場所はあるまいて。カイレを外に出すならば、逆に絶死絶命の同行は必須だが――それこそ本末転倒だろう。竜王が覚醒した神人を感知できる術を心得ておらぬとは言えん。連鎖的にツァインドルクス=ヴァイシオンの現状を知られるのは最悪と言ってもいいだろう」

 

 ワールドアイテムの機能を知り尽くしているわけではないからこそ、法国は慎重に行動を重ねている。元々洗脳の対象は一人限定であると伝えられていたというのに、使用してみればこの現状だ。洗脳の効果が弱まることも視野に入れているのだ。

 

「ところで『蒼の薔薇』はどうなっている? 冒険者とはいえ王族と親交があり、そもそもあの吸血鬼の仲間だ。戦士長と同じく要警戒だった筈だが」

「それが足跡を追えず……あるいは王都を離れた可能性もあります。強者であるとはいえ冒険者。国の諍いに手を出すべからずという不文律は犯さないということでしょう」

「ふむ…」

 

 その不文律は『国が理不尽を強いていない』ことを前提にしているのだ。仲間を洗脳などされたなら、大義名分がどちらにあるかなど言うまでもないだろう。しかし同時に法国と――というより『国』と事を構えることの愚かさも、冒険者ならば理解しているだろう。アダマンタイト冒険者とはいえ、一国家全てを相手にすることなど到底不可能であるのだから。

 

 故に逃走ということなのだろうかと、男は思った。仲間を洗脳した国に恭順など示したくはない。しかし対立はしたくないとなれば、国を離れる選択肢もないとはいえない。

 

「…何にしても、既に詰んだ盤面か。この後の段取りは問題ないな?」

「は。不要な貴族は既に火滅聖典により粛清されております。王族は恭順を示しておりますので」

「抵抗も無し、か? 彼奴らは力の差を本当の意味で理解していたと? …少々、きな臭いな」

「は…? しかし、確かに奴等は――」

「力の差というものは戦わねば理解できぬ。王国が愚かであるのはその政策と上層部の在り方そのものだけであり、自らの弱さを理解しておらぬ部分について無知を馬鹿にする道理はない」

 

 故に不可解が過ぎる、と男は考えた。わざわざ竜王と吸血鬼を従えてきたのは、力の差を見せ付けるためなのだ。それは王国のみならず、そこらに存在する各国の間諜に向けてのメッセージでもある。周辺諸国最強と名高い戦士長が片手間……いや、それどころか指一本程度であしらわれる様は、どんな愚者でも力の差を思い知るだろう。

 

 人は比較対象なしに何かを測ることはできない。法国にとっては戦士長だろうが何だろうが、そこらの雑兵と変わらないと認識されて初めて、本当の意味で恭順を促すことができるのだ。

 

 それを男は理解している。優秀であるからこそ、とんとん拍子に事が進むことをしっかりと疑っているのだ。

 

「…とにかく、警戒を怠るな」

 

 だが現状は問題が起きていないこともまた事実。なにがしかの異変を察知すれば、聖典はすぐに気付ける筈なのだから。一抹の不安を胸に、男は占拠した城に足を進めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モモンガにとって怒りとは制御できる感情の一つに過ぎない。人間だった頃の残照が燃え上がるような怒りを滾らせたとしても、次の瞬間には沈静化しているものだ。もちろん強い感情であれば小さな波が打ち寄せるように持続はするが、それとて長時間維持されるものではない。

 

 故にシャルティアを洗脳された事を知った時のモモンガとは違い、今のモモンガは只管にクレバーな思考をしていた。あらゆる感情を排し、対シャルティアにおける自分の引き出しを脳内で並べ立てる。戦闘……ユグドラシルにおいては基本的にNPCをどれだけ強化しても純粋なプレイヤーはそうそう負けるものではない。

 

 相性が悪い、戦闘特化ではないビルドならばガチ編成のNPCに後れを取ることもあるだろうが、似たような職業構成で負けるプレイヤーなどまず居ない。何故ならそれはNPCが自我を持たないからだ。どれだけ素の力が強かろうとも、パターン化した行動を取る存在であれば対処もしやすい。

 

 例外があるとすれば異常なまでに緻密に組まれたアルゴリズムを持つ者――つまりユグドラシルの運営が用意したルーチンではなく、製作者が自ら行動パターンをプログラムした場合のNPCだ。それはプログラマーの腕がそのままNPCの強さに直結するという事である……となれば、とどのつまり結局はゲームを楽しむだけのプレイヤーの、趣味の範疇に収まる程度のものでしかなくなるわけだ。

 

 隆盛を誇ったとはいえ、多岐に存在するゲームの一つであるユグドラシル。その中でもNPCを最強レベルに引き上げるギルドはごく一部だろう。もちろん100レベルにする、という意味ではなく装備も含めての話だ。最高クラスの装備など自分の分を揃えるだけでも難易度が高い。それをNPCにもつけさせるというなら、相応のギルドでなければ不可能であるし、そこまでいけば立派な廃人と呼ばれる人々だ。

 

 何が言いたいかというと、そこまでのトップ勢の中に一流のプログラマーが存在する確率などゼロに等しいということだ。一流というだけならプレイヤーの中には居るだろう。しかしその中で廃人と呼ばれるまでのめりこみ、NPCに力を入れる大手ギルドに所属するとなれば篩にかけると一粒二粒程度だろう。

 

 そしてギルド『アインズ・ウール・ゴウン』にはその一粒が存在した。シャルティアの戦力はガチ勢に匹敵するし、初見という縛りを入れるならば行動パターンからのハメ殺しなどもまずあり得ない。1500人からなる軍団が『アインズ・ウール・ゴウン』に攻め入った時も、それなりの人数をキルせしめたといえばその凄さが解るだろうか。

 

 反してモモンガはといえば、PVPの勝率は高くもなく低くもない。しかし彼の職業構成を含めて考えると、その率は一種異様とも言える数字だというのも事実だ。戦闘で勝利するためではなく、見た目と一致した職業で揃えるロマン編成でガチ勢を倒す。それを考えればモモンガの戦績は素晴らしいものがあるし、事実その一事をもって彼はユグドラシル内でも一目置かれていたのだ。

 もちろんそこだけではなく『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長であり、ワールドアイテムを利用した理不尽な一撃を持つことこそが一番の要因ではあったが。

 

 勝率の秘訣はモモンガの知識と前準備――下調べを怠らない慎重さが所以だ。つまりシャルティアの編成はおおまかに知っているし、装備も大体は把握している。純然たる相性は悪いが、下準備が存分にできるということでの相性は悪くない。突発的なPVPでの勝率となれば、モモンガは極端に悪くなるのだから。

 

 残る懸念は世界の違いと自我の有無。ここはユグドラシルではなく、NPCが意識を持ったリアルな世界だ。そして洗脳されたシャルティアは戦闘において強くなるのか、弱くなるのか。考えても詮なきことではあるが、近づく戦闘にモモンガは思考を回す。

 

 シャルティアを洗脳された事実は耐えがたい怒りだ。いや、耐える必要もなく怒りをぶちまけるべきであり、その対象はもう目前だ。

 

 しかし、冷静なモモンガはどこまでそれを拡げるべきかも同時に考える。法国の全てか? 否。ドラウディロンとの交友のおかげか、彼の人間の残照はまだまだ強い。『国』と『国民』は違うのだ。むしろモモンガの前身――鈴木悟の常識で考えれば、国民とは国にとって搾取の対象でしかない。もっというならば『国』すらも大企業の傀儡でしかなく『人』とは単なる駒でしかない。

 

 指し手が悪手を打った。責められるべきはチェックを受けた当人で、わざわざ駒を砕く必要がどこにあろうか。

 

 許されないのは洗脳した人物と、それを利用している人物だ。末端――つまり兵士、騎士、戦うべきもの達はどうでもいい。法国の舵を取っている者、直接シャルティアに命令をしている者、それだけは何があろうとも許されない。

 

 命をもって贖うべきだ、とモモンガは考える。怒りが頂点に達していた時は『永遠に煉獄を』どうたらこうたらなどと言っていたモモンガだったが、冷静に考えてアレはないと骨の表面を真っ赤(緑)に染めていた。というか拷問だろうがなんだろうが、それには必要なコストがかかる。それにかける人員も、その時間も勿体ない。

 

 なによりそんなことをして友人であるドラウディロンにドン引かれるのは流石に少し気まずい。普通に舐めた真似をした礼をして、普通に上層部を処刑して、普通に各国への友好を顕わにしようとモモンガは考えていた。身分は竜王国が保証すると確約されていたし、法国を降したのならばちょっかいをかけてくる阿呆もいないだろう、と。

 

 つまり今は目の前のことに集中すべきだ。既に王座を奪ったと考える彼らを、その王座にて待ちかまえる。堂々と、不遜に、魔王のように。

 

 悪のギルドの象徴だった『アインズ・ウール・ゴウン』をこの世界で再現するつもりはモモンガにもないが、この時だけは、この瞬間だけはそれに則ろうと。

 

 この王国転覆の首謀――その責任者が王座に座ることによって、それをもって終戦の合図となる。だからこそ、その王座にて待ちかまえるのだ。

 

 王座の間には法国の部隊、火滅聖典が列をなして頭を垂れる。デミウルゴスの支配の呪言により強制的に跪く彼らは、しかし苦悶の表情は見せていない。

 

 どう出るか。どう来るか。慎重さを重んじるモモンガは、それに反して王座に凭れ掛かり敵を待つ。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に相応しく、悪の頂点に相応しく。その傍には悪の僕が今か今かと敵を待つ。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に相応しく、悪の配下に相応しく。

 

 ――そして、運命の扉は開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王座の間の扉。地獄へ通ずる門か、はたまた黄泉への入り口か。

 

 ――つまり、同じだ。神官長の一つ下の役職に位置しこの王都の統治を任された男も、それを守護する漆黒聖典も、この扉を潜れば道は一つ。例外は虚ろな目をした吸血鬼のみ。

 

 キィと小さな音が鳴り、役者はここに集う。

 

 男は静かな王城をその足で進んできた。違和感しかないその様子に、しかし漆黒聖典の者は異常なしと首を振る。迎えがない事が不審であれども、王座に座るが上の命。傍らに魔神、後ろに漆黒、王城上空には竜王。何が起ころうともこの布陣ならば盤石と、それでも僅かな予感が警鐘を鳴らす。

 

 扉を開けたそこには、果たして――

 

「…っ」

「何をしている? ここへ座するのだろう。進まねば手には入らんぞ」

 

 開ききった扉からは王座がよく見える。そこに続く豪奢な絨毯の横を、火滅聖典が平伏し侍る。男が王座に着くのを称えようと列をなしている――訳もなく。男はこれをやったのが……やらせたのが王座に座るアンデッドだと確信する。

 

「シャルティアよ」

「…」

「迎えが遅れたようだ。支配者としての無能を赦せ」

「…」

 

 ぴくりとシャルティアの腕が震える。それは敵の可能性がある存在への反射か、遂に願いやまなかった邂逅への反応か。

 

 男は歩を進める。奇襲ができた筈なのに、不遜に構えるアンデッドが罠を張っていることはないだろうと。一歩。また一歩。漆黒聖典はそれに続き、吸血鬼もまた同じ。

 

 男の思考は目まぐるしく回転し、何をすべきか考える。『何が起きているか』はもういいと。『どうすべきか』を考えろ、と。魔神を迎え入れる存在――つまり『ぷれいやー』だ。

 

 何故ここにいる? 言わずもがな魔神を迎えにきたのだろう。

 

 強さはどうだ? 魔神より弱い『ぷれいやー』は少数だ。

 

 戦わねばならぬのか? 配下を洗脳した存在を許すだろうか。

 

 男は優秀であるからこそ、今が事の分水嶺か、それともとうにそれを過ぎているのかを判断しかねる。ただシャルティア・ブラッドフォールンが目の前の彼らと同格だとすれば、事態は既に詰みかけている。そこだけは取り違えてはいけないだろう。

 

「…」

「…」

 

 かつん、と。進めていた歩みを止めて両者は向き合う。

 

「私は法国のし――」

「神ィッ!」

「ちょ、おまっ」

 

 名乗り、謝罪を尽くす。もし許されたならば『ぷれいやー』――つまり『六大神』の再来を喜び、喜んで従属するべきだ。

 

 もし許されなければ『ぷれいやー』――つまり『八欲王』の再来を嘆き、全霊をもって滅ぼすべきだ。

 

 信仰とは狂気と妄信なくして語れない。何かを求めるから、何かを欲するから、救いを与えてほしいから神を敬い信仰するのだ。しかし時が経ち、組織として体をなしていく中で手段と目的が変化することは往々にしてよくあるのもまた事実。

 

 敬いが先に来て、信望が先を行く。何も与えられずとも全てを捧げ、果ては他人にもそれを強要するようになれば……そこまでいけば信仰は狂信となり、信徒は狗となる。

 

 男は聡明で、神に捧ぐのは『信仰』だ。神が人に仇なす存在となれば神とは認めない。人に救いあればこそ捧ぐのだ。しかし先ほど叫んだ者――クアイエッセ・ハゼイア・クインティアは違う。彼のそれはまさに狂信であり、神のためならば全てが許されると考える。

 

「神よ!」

「…っ!? …そ、そうだ。私が神だ」

 

 魔王の死の宣告をばっちり決めようとしていたモモンガは一転、冷たいものを背筋に感じた。叫んだ男からは、信ずるもののためならばその命を平然と投げ捨てることができる、そんなおぞましい目の輝きを見て取れたのだ。それはもしかするとナザリックの部下たちにも似たところがあるものかもしれない。

 

 名乗られ、名乗りかえし、そして死を宣告しようとしていたモモンガはタイミングを外されて少し肩を竦め……横に侍る部下の瞳に『主が神と呼ばれるのは当然』という光が宿っていることに慄いた。マジかよ、と。

 

 部下の期待を裏切らない上司。それがモモンガである。神と言われたからには、そしてそれを当たり前だとしている部下が居るのならば、肯定せざるを得なかった。

 

 

「ああ! やはり! 大罪を犯せし者たちによって放逐されたなど偽りの伝承でしかなかったのですね!」

「…死の支配者たる私を誰が放逐できると言うのだ」

(ひ、人間違いならぬ神間違い? 早く戦闘に入らないとまずい気がする)

 

 つい見栄を張ってしまう癖はデミウルゴスやアルベド、パンドラズ・アクターに『さすモモ(流石モモンガ様)さすモモ(流石モモンガ様)さすモモ(流石モモンガ様)』と日常的に言われていた弊害だ。最初に訂正していれば大した問題ではなかった事を大した問題にするのも流石モモンガ様である。

 

 もう有耶無耶にしてさっさと戦闘に入るかと立ち上がろうとし、しかし『死の支配者』と言葉にした瞬間目の前の男達は全員跪いた。

 

(なんだこれ。なんだこれ)

 

 どんだけだよ、と思いつつモモンガはどうするかを考える。シャルティアを洗脳した事実を許すなどということは有り得ない――が、いきなり信仰を捧げられるのも想定外すぎる。しかしまあ、情など感じない以上戦闘に移行する術など有り触れているだろう。その危険を前に何もしない者など存在しないのだから。

 

「そして貴様らは死の支配者たる私の、大切な守護者を汚したということだ。よもや命をまっとうできるとはおも――」

 

 ぶしゅうっ! と鮮血が降り注いだ。クアイエッセが自らの首を掻き切った音である。

 

「…ごぼっ、我が神よ……この命でもって、あ、贖いだぐ…」

(いやいやいやいや!? なにこの狂信者!?)

 

 マジでこと切れ5秒前。鮮血を降り注がれている周りの人間も一切動じずに平伏し続けていることが、モモンガドン引きの一因でもある。そして目の前の男は倒れたクアイエッセを一瞥だけして、言葉を紡いだ。

 

「…う、む」

 

「神の従属神を汚した烏滸の沙汰、死を以てしても雪ぐことは出来ません。しかしどうか、どうかその万死に値する罪、我が命とクアイエッセの首で赦してはいただけませんか。元はと言えば破滅の竜王を支配せんと行動し、その際に起きた事故のようなものでございます。結果、人類が滅ぶか評議国が滅ぶかの二択を迫られました。人類生存のため従属神様をいいようにした事実は釈明しようもありませんが、なにとぞご慈悲を…!」

 

(烏滸の沙汰ってなんだろう…)

 

 営業でドジを踏んで必死に頭を下げている自分――そんな姿を幻視して、モモンガは拳の振りどころを迷ってしまった。言ってしまえば、戦争のためにシャルティアを支配下に収め調子に乗っている輩を嬲り殺しにしようと考えていたわけで、いきなりガチな謝罪を受けて命までいらぬと言われれば出鼻を挫かれたようなものだ。

 

「…我が配下の洗脳を解け。話はそれからだ」

 

 とにもかくにも、シャルティアの救出が最優先であることに変わりはない。こちらに被害なく奪還できるならば、法国の扱いはさておいて先ずは洗脳を解かせるべきだろう。そう考えて、モモンガは代表らしき男にそう言い渡した。

 

「神の御命令とあらばすぐにでも。しかし一つ問題が御座います」

「…言ってみろ」

「貴方様方が遺した世界の至宝、それがあったからこそ従属神様は我々の如き矮小な身でも味方になっていただく事ができました」

「…」

「が、至宝の性能を全て把握できていない事もまた事実。傾城傾国の対象は個のみの筈でしたが、にも拘わらず竜王と従属神様の両者がその対象になっております」

「それがどうしたと言うのだ」

 

 幾度かの強制的な精神安定化と共に、モモンガは男の話に耳を傾けた。世界の至宝とはおそらくワールドアイテムで間違いないだろう。神というのはつまるところプレイヤーを指し、従属神というのはNPCを。法国が崇めている存在がかつて存在したプレイヤーであり、自分と種族を同じくしていた可能性が高いことも推測できた。

 

「竜王は……真なる竜王は神の、『ぷれいやー』の降臨を恐れております。それは偏に、かつて隆盛を誇った竜王の悉くが神に滅ぼされたからに他なりません。我々が従属神様を支配してしまった経緯もそこにあり、かの御方を我々諸共滅ぼそうとしたプラチナム・ドラゴンロードを迎撃するにあたり、何故か同時に支配の影響がかかってしまったのです」

「…ほう」

「故に、従属神様を解放すれば竜王もそれに倣う形で自由を得るでしょう。その際、我らに抗う力は有りません。そもそも解放された瞬間、我らへの報復を選ぶか従属神様への攻撃を再開するかも不明です」

 

 守護してほしい、と。男はそう言外に滲ませる。そして心の内で冷徹に、冷静に法国の行く先を案じる。神の再臨――そのような都合の良い事など、彼は一切信じていない。『ぷれいやー』であることに間違いはなくとも、同一人物などという事があるものかと。自身の観察眼に間違いが無ければ、目の前のアンデッドは配下を奪われて怒り、いきなり狂信を見せ付けられ動揺し、遜られて狼狽える、神の名を騙っているだけの存在だ。

 

 力はあるだろう。ならば別に過去の神でなくとも今の神になってもらえば済む話だ。そして神にならなくとも、評議国にぶつけられるのならそれはそれでいい。竜王が『ぷれいやー』を警戒しているのは事実だが、いきなり敵対から入るということもない……だがそれでは困るのだ。

 

 彼等には評議国と敵対してもらわねばならない。彼らが勝って神として迎え入れるにしても、負けて評議国を疲弊させるにしても、法国は上手くそれを利用しなければ生き残れない。男にとって『神』とは、人類の『ため』になる存在だ。それ以上でも以下でもない。

 

 言葉に嘘はない。真実を語ってはいないが、何かを騙っているわけでもない。策を弄し、言葉を弄する。その程度ができずして人類の守護者たりえない。

 

 そんな懇願に対し、死の支配者は――

 

「《ドミネイト・パースン/人間種支配》 …先ほどの言葉に嘘があったならば、自害せよ」

「…」

「…ふむ。どうしたものか」

 

 モモンガも馬鹿ではない。男の言から、自分達と評議国を敵対させる方向に持っていっているのは明白だ。しかし狂信と忠誠の雰囲気もまた事実。自分の判断のみでは難しいが、明らかにナザリックの方向性を決める判断を部下に仰ぐのもまた憚られる。ならば残された手段は、この世界にきて手に入れた『魔法』しかないだろう。先程の言葉に嘘が含まれていたならば、もはや敵対に躊躇もない。

 

 配下を洗脳し、更には自分を謀ろうとまでしたのなら容赦する必要もない。そう考えたモモンガが使った魔法は《ドミネイト・パースン/人間種支配》。完全に人間を掌握する魔法であり、故に虚偽の心配などする必要もない。知りたいのは先程の言葉が真実か――それだけなのだから。

 

 果たして、支配された男がとった行動は沈黙。つまり先ほどの言葉は嘘偽りなきものだと判断できる。ならば次に考えることは法国と評議国のどちらを取るか、だ。

 

 現実問題として話し合いは不可能なのか。評議国は異形種を受け入れるのか。戦力比はどの程度なのか。とはいえシャルティアの解放と評議国の敵対が同義であるなら、考える余地は一片すらない。前者程に大切なものなどそうはないのだから。

 

「いや……考えるまでもない、か」

 

 引き延ばして、考えて、その間シャルティアをどうするというのだ。仲間が残した彼女を、これ以上自我無き人形にしたままおいておける訳がない。まずはなによりも彼女の事だ。後はどうとでもなるし、どうにでもすればいい。そうモモンガは考えた。

 

「今すぐ解放できるのか?」

「いえ、操者は法国の神都にて待機しております。お望みとあらばすぐにでも召喚致しましょう」

「よい。その時間すら私を不愉快にさせることを理解しろ。転移魔法を使う故、場所を詳しく話せ」

「はっ!」

 

 男は賭けに勝った。内心で安堵と緊張が入り混じり、それでも今期の『百年の揺らぎ』は利を運ぶものであったと内心で笑みを浮かべる。強者に勝つことはできずとも、操縦することはできるのだ。最後に笑うのはやはり頭を使う者なのだ、と。

 

 死の支配者が鏡のようなものを取り出し――それと同時に漆黒聖典の隊員から声が上がる。モモンガが警戒を緩め、常時展開しているもの以外の情報系防御壁を解いた時点で《メッセージ/伝言》が入ってきていたようだ。

 

「…神官長」

「神の御前だ。私語は慎め――」

「神都が陥落しました」

「――は?」

 

 動乱は続く。それは誰も予想がつかない方向に。結末はまさに神のみぞ知るということだろう。

 




クアイエッセ「」
蒼の薔薇「」


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神の都 1

えらい詰まった…
原作に無い魔法って好きじゃないんだけど、許しておくれ…できる限り捏造部分には気を使ったつもり(気を使ったとは言ってない)


 ユグドラシルプレイヤーにとって一番恐れるものはなんだろうか。人によって答えが異なる問いではあるが、それでも大多数の者は同じ回答をすることだろう。すなわち『装備をロスト』することである、と。

 

 最上級の装備ともなると、一つ作るだけでも大変な労力を要する。たとえ廃人プレイヤーであったとしても、フル装備の全てを失うことにでもなれば失禁しかねないショックを受けることは間違いない。人によってはPKによるロストを恐れて、普段はワンランク下の装備を着けている者もいるほどだ。

 

 神器級の装備とはそれほどのものであり、レベル差が十もあれば覆しようのないユグドラシルにおいても、仮にレベルが下の方であるプレイヤーが神器級、上の方が聖遺物級の装備だとするならばその差は埋まりかねないほどである。

 

 もちろんプレイヤー自身のスキル、職業構成などで戦力など千差万別ではあるが、やはり装備の差というのはことのほか大きいのだ。そして装備を失うというのは、自分の時間と努力の結晶を失う事と同義だ。

 

 奪われたのならば取り返せばいい。しかしもし『破壊』などされようものならその恨みは筆舌に尽くしがたいものがある。もちろん神器級の装備というからには耐久性も相当なものではあるが、プレイヤーの中には敵の装備を破壊することに喜びを見出す不逞な輩という者が一定数存在するのだ。

 

 例えばユグドラシル一のDQNギルド、そのメンバーである社畜スライムなどがそれにあたる。自身のスキルや高位のアイテムを駆使して廃人プレイヤーの装備を破壊しつくす様はまさにDQN。おまけに自身は装備をせずに――スライム故に特殊なものを除いてはできない――戦線に突っ込み、デスペナルティを気にせず嫌がらせを敢行するのはもはや鬼畜の所業としか言いようがない。

 

 何が言いたいかといえば、どんな世界においても装備は重要である、ということだ。

 

 精神的な苦痛でもあり、物理的にも装備を失えば戦力は激減である。神器級の装備でそれなのだから、ワールドアイテムなど奪われようものなら殺意すら芽生えることもあるだろう。つまり『装備を狙う』という戦術は、あらゆる場面においてかなりの効果を発揮するということだ。攻勢においても、防衛においても。

 

 ――そして、反攻においても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 超位魔法とは、ユグドラシルにおいて魔法の頂そのものである。MPは使用せず、リキャストタイムは長く、一日の使用回数制限もある制約の多さも特徴の一つ。当然そんなデメリットを補って余りある効果が超位魔法にはあるし、その種類も多岐に渡る。

 

 とはいえ、覚えるだけで相当な時間を要する魔法総数を誇っていたユグドラシルの中では、割合的には少ない方だ。そもそも魔法を全部覚えているものなど極々一握りだけであるが。

 

 例えば広範囲に絶大なダメージを与える単純なもの、もしくは対象は個人に限定されるものの発動さえできればまず勝利が確定するようなもの、変則的ならば経験値を消費してランダムで選ばれた選択肢の中から願い事をする特殊なものも存在する。

 

 魔法という括りにおいてあらゆる場面に使用できる種類ぐらいは、当然ながら存在するのだ。広い戦場で、守るべきギルドで、限定的ながらもPVPで、諜報で、遊びで、その他諸々で。その中には敵の攻勢があって初めて効果を発揮するカウンターとしての超位魔法も存在する。

 

 しかし使いどころが限られ、効果時間こそ超位の中では最長を誇るものの、マイナーの誹りは免れない超位魔法。それがモモンガが今回使用した魔法である。

 

 軍師である『ぷにっと萌え』などはその有用性に一定の理解を示していたが、いかんせんユグドラシルには意外と脳筋が多い。ギルド『燃え上がる三眼』などは別にして、諜報戦を重要視はしていても得意とするギルドは案外少ないものだ。

 

 しかしながら今回ばかりはいかに情報を得るか、いかに情報を遮断するかも重要なファクターであった。故にモモンガは情報系の攻勢防壁において一番いやらしい選択肢を取ったのだ。

 

「来るな、来るな、来るなぁー!」

「た、たしゅけ…!」

「こ、こっち見るなー!」

「給料半年分の装備がぁーー! あ゛あ゛あ゛あぁ…」

 

 諜報系の魔法を使用された際、それに対するカウンターの手段にはいくつか種類がある。一番ポピュラーなものとしては、その魔法の使用者そのものに対する攻撃だ。それは防壁が発動した時点で使用者の意志にかかわらず自動的に攻撃をする魔法であるのだが、問題点としてはやはり攻撃力の低さにあるだろう。

 

 そもそもカウンターに対する魔法も存在する以上、対策をしていないなどという間抜けなプレイヤーでもない限りカウンターの反撃に晒されることはまずないと言っていい。ユグドラシルにおいて『諜報』とは地道に足で拾うものである。

 

 言ってしまえば、魔法で遠くからお手軽に情報を得ようなどというものぐさなプレイヤーなど程度が知れるというものだ。

 

 『故に』モモンガはこの超位魔法――迎撃系の自動召喚魔法を選択したのだ。

 

 素の実力では恐らく弱者が殆どであるこの世界。しかしワールドアイテムの存在が示唆されているとなると油断はならない。ドラウディロンからの情報。法国が実際に起こしている行動。推定される戦力。ナザリックの知恵者デミウルゴス、パンドラズ・アクター、アルベドがこれに鑑みて、吟味し、想定した答えは法国の『非常識』が逆に想定を裏切る可能性だ。

 

 『プレイヤーが存在しない』しかし『プレイヤーが遺した知識はある』 絶対的ではないが、少なくとも法国はその可能性が高いことに疑いはない。けれどユグドラシルを生きたものが居ない以上、その部分においての『常識』と『非常識』の境界が曖昧な可能性がある。

 

 つまりあらゆる面で『ちぐはぐ』さが出てしまうのではないかという可能性だ。そして『タレント』といういまだ解明できていない異能の問題もある。知識の薄さに付け込める部分、知識の薄さで逆に空ぶってしまう部分、知識の薄さが武器となる可能性、知識の薄さが露呈してしまう危険性。

 

 あらゆる可能性を加味した結果、その超位魔法は選択された。

 

「変なもん見せてんじゃねえよてめえ!」

「言ってる場合か! 神殿を守る方が優先だろう!」

「だけど武器がねえんだよお…」

「とにかく布でもなんでも巻き付けて! 恥とは裸体を晒すことではなく、神殿を守り切れぬことだろう!」

 

 召喚系のカウンターはそれなりにポピュラーである。ギルド拠点防諜においての防衛手段としては最適解と言ってもいい。しかし弱小ギルドであまり使われないのは、基本的にコストの問題があるからだ。実際の金貨にしても、リアルマネーにしても拠点防衛費用としては中々に割高なものがあるし、基本的には使い切りなので一回使用される度に張りなおさねばならないのも敬遠されている理由の一つだ。

 

 ただし一番低位のものは拠点ポイントも金貨もほぼ消費しない。いわば拠点として最低限の防衛機構が、鬼畜運営のほんの少しの優しさで備え付けられているのだ。

 

  

 《サモン・アビサル・レッサーアーミー/深遠の下位軍勢の召喚》という魔法がある。位階も低く召喚される悪魔も低級で弱いものだ。召喚系のカウンターにしても随分お粗末なものではあるが、実のところこの魔法は初期のユグドラシルにおいてはそれなりに猛威を振るった。

 

 その理由が召喚される悪魔『ライトフィンガード・デーモン』である。プレイヤーの格差に関しても糞調整を誇る運営ではあるが、この悪魔に関しては相当なクレームが相次いだ。確かに弱いモンスターではあるが、しかしこの手癖の悪い悪魔は一定の確率で装備、アイテムを盗むことができるのだ。

 

 それがたとえ『ワールドアイテム』であったとしても。

 

 不運が重なって装備を盗まれた場合、それが廃人プレイヤーであればあるほどその絶望は大きい。まあ結局は修正パッチが当てられ、悪魔のレベルに応じたアイテムしか盗めないという、名実ともに雑魚モンスターに成り下がったのだが。

 

 しかしモモンガが使用した超位魔法は、ぶっちゃけるとこの魔法の強化版に近い。ただでさえ糞と言われている運営が、クレームが相次いだからといって簡単に修正などする筈もない……まあこれに限っては確かにしっかりと修正はされたのだが、『こういう系統の嫌がらせはあるべきだ』という謎理論によって雛形そのものは残り、この超位魔法へ受け継がれたという訳だ。

 

 『素早さ』と『強奪』のスキルに特化された『ライトフィンガード・デーモン』の最上位種。レベルに応じて装備を奪う特性は変わっていないが、自分のレベル以上の存在に対してはそのレベル差ごとに確率が低くなっていくだけに過ぎない。つまりどんなプレイヤーでもアイテムを奪われる危険性があり、実際に相対すれば脅威と言わざるを得ないだろう。

 

 使いどころは難しいが、えげつない魔法。それがこの超位魔法だ。

 

 なにせ使用者を叩かないと、時間が切れるまでは悪魔を召喚し続けるのだ。そして前述した通りこの魔法の効果は中々長い。結果として神都は阿鼻叫喚の地獄絵図――裸体祭り的な意味で――となったわけだ。一部の人にとってはむしろ酒池肉林かもしれないが。

 

「巫女姫はどうなっている!」

「…あの悪魔に叡者の額冠を奪われ、既に心を狂わせたようだ」

「くっ……なんということだ」

「これ以上の失態は……いや、もはやそういうレベルではない。これ以上悪魔の侵攻を許せば、神殿の秘奥にまで辿り着かれる。それだけはなんとしても避けねばならん!」

「ああ、王国へ派遣している戦力を一刻も早く戻さねば」

 

 混乱の渦に巻き込まれる神都ではあったが、しかし首脳部は流石の優秀さであり、たとえ悪魔が跋扈する状況でも的確に指示を出している。

 

 ちなみに全員全裸である。

 

「いあいあはすたー…」

「巫女姫様! いけません! お戻りに…!」

「もう放っておくぞ! 既に法国の役には立たなくなってしまった存在だ!」

「はあ!? あんたそれでも巫女姫様の護衛!?」

「今は優先すべき事柄があるだろうが!」

「ふんぐるいむぐるうなふ」

「身を犠牲にして法国へ全てを捧げたお方を! たとえ漆黒聖典の介錯を待つ間だけでも忠誠を捧げるのが私達の誇りじゃない!」

「法国のために全てを捧げたお方だからこそ! 今の状況で私達が『役立たずの巫女姫』を保護することなど望んではいないだろうよ!」

「――っ!」

 

 何度でも言うが、全員全裸である。

 

「いやぁぁーーっ!」

「な、なんで街中に悪魔なんか…!?」

「へ、変態ーー!」

「ばっ、自分で脱いだわけじゃねえよ!」

「こっちみんなー!」

 

 悪魔が街に蔓延る。蔓延る、蔓延る、蔓延る。老若男女分け隔てなく全てを奪う。街は戦火に包まれ――てはいないが羞恥の叫びと怨磋の叫びがそこら中に飛び交っている。悪魔が街に現れた瞬間こそかなりの混乱を見せた神都だが、とりあえず命の危機は無いと知れた今では違う意味で混乱が広がっている。

 

「神殿の方達はまだ来ないのか!?」

「知るか! だいたい神殿の方から悪魔が出てきてるんだぞ!」

「何だその言い方! この粗チ〇!」

「て、てめえ…」

 

 そう、今のところは命の危険がない。だからこそこんな状況でも法国が誇る最大戦力『絶死絶命』はでてこないのだ。むしろ当然ともいうべきだろうか。敵は装備やアイテムを奪う悪魔。万が一彼女が守る『ぷれいやー』の遺産、引いては傍にいるカイレの装備が剥ぎ取られれば一大事を通り越して滅亡まっしぐらなのだから。

 

 しかし――そう。どの道法国は死に体でもある。因果は連なり、結果は収束する。彼らが守護の名のもとに下してきた非情な決断は、巡り巡って彼らに帰るのかもしれない。彼等の増上慢はナザリックの怒りを買った。たとえそれが回避できようとも、しかし事態はとうに動き出しているのだ。

 

 水面に揺らぎを与えたならば、波紋が広がるのは道理。ナザリックへの敵対がそれ以外の脅威を産むのもまた必然。

 

 『魔』が悪いとは――こういうことだろう。

 

「カジッちゃーん。準備できた?」

「うむ。エ・ランテルでの準備をそのまま流用できたのはでかい。儂自身の力量も上がっているしな」

「へー、使える位階上がったの?」

「残念ながらそこに関してはな……だが単純な筋力と魔力量は大幅に上がったぞ」

「ふーん。にしても……くひゃっ、なにあれ。面白すぎでしょ」

「好都合というものだ。評議国の反撃が思いのほか早かったということか?」

「評議国があんな攻撃するとは思えないけどねー。ま、なんにしてもやることは変わんなーい。どんだけ王都に戦力向けてるかは解んないけど、今ほど神都が無防備になることは金輪際無いでしょ」

「うむ」

 

 神都の端にて会話をするのは、王都から姿を消したクレマンティーヌ。そして帝都で情報収集をしていた、シャルティアの忠実な僕カジット。彼らは神都が無防備になるのを予測して、大胆にもエ・ランテルで起こそうとしていた悲劇をここで始めようとしていたのだ。

 

 イビルアイから事情を聞いたクレマンティーヌはとても頭を悩ませた。このまま事が進めば、おそらく自分は――そう、『助かる』から。法国の現状に鑑みれば自分ほどの戦力は喉から手が出るほど欲しいだろう。ならば許される公算は高い。

 

 しかし、だ。許されて、次はどうなるか。

 

 まず間違いなく『使い潰される』だ。謝罪して戻ったところで確執としこりは無くならない。評議国との戦場で、危険な任務を事あるごとに言い渡されるだろう。

 

 頭を下げて、またも兄の下に置かれ、使い潰され、最後に死ぬのか。とはいえ逃走しても逃げ場などない。恭順か死か。クレマンティーヌが選択したのは『嫌がらせ』であった。

 

 彼女はラナーやモモンガとは違って、法国に関して確たる情報を持っていた。シャルティアを洗脳したのは法国の至宝。使い手は恐らくかの老婆。この状況ならば間違いなく神都の奥に引きこもることも、絶死絶命が王都にはまず出てこないであろうことも。

 

 しかし王都にかなりの戦力を傾けることも予期していたし、神都が無防備になる公算も高いと踏んでいた。アンデッドの大軍を出現させればかなりの混乱が期待でき、絶死絶命が鎮圧に現れたならばそれこそ思うつぼである。

 

 『漆黒聖典』であった自分なら、神殿の細部を熟知している自分なら、一部を除いて法国最速の自分なら、絶死絶命が居ないなら。最短距離を走ってシャルティアを洗脳している輩を殺せる。無論、成功確率は精々数%、下手をすればコンマ以下だということも彼女は知っていた。

 

 それでもなおこの選択を選んだのは、シャルティアに対する情。

 

 ――などではもちろんなく、自分を追いかけまわした法国に対する嫌がらせ。成功すれば見れるであろう兄の絶望の表情。あとは単なる意地である。まあ少しくらいは情もあったかもしれない。

 

「ごめんねー、ンフィーくーん。ま、聞こえてないだろうけど」

「…」

 

 当然神都を死都に変えるために一番必要なもの、叡者の額冠の使い手は拉致してきた。世界広しとは言えども、転移のために逸脱者『フールーダ・パラダイン』をこき使うのは彼女くらいのものだろう。シャルティアを救う可能性があるとなれば、彼にとっても帝国に被害が及ばない範囲であれば手を貸すのに躊躇は無かった。故に転移程度の助力は当然とも言えたのだ。

 

「ふふ……楽しい楽しい虐殺の始まりってやつかなー」

「相変わらず趣味の悪い奴だ」

「お互い様じゃん」

 

 装備も何もない神都の兵士達。これから起こることを知れば、命の危機は無いなどと口が裂けても言えないだろう。

 

 悪魔の軍勢と不死者の軍勢が神の都を汚す時、全てが始まり全てが終わる――




阿鼻叫喚の神都。荒ぶる死者の軍勢。

クレマンティーヌ「くひゃひゃひゃひゃ!」

転移してきたモモンガさん「…」

後は解るな?



あと新しくまどマギのSS書いてるので、良かったら見てやってください。性癖全開だけどね! これを書いてたから遅くなったなんてことはない。

ない。



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神の都 2

ちょい短めです。プロット崩れてから、やっと落ちも展開もまとまったので終わりまで短い間隔で投稿できるかと思います。



 数とは力だ。弱者が無数に襲い掛かってこようとも強者であれば容易く退けられる、そんな質が物を言うこの世界でも確かな力なのだ。多数の弱者が強者を襲うならば、それは力たり得ない。しかし大勢の弱者が少数の弱者を襲う時、強者にはどうしようもない状況というものが出来上がる。

 

 たった一人の強者が大勢の弱者を守護することができるか、という問題だ。敵が愚直に攻めてきて、かつそれを迎え撃つ強者が多数の殲滅を得意とするマジックキャスターならばどうにかなることもあるだろう。しかし今の神都の状況に鑑みれば、たとえ凄腕のマジックキャスターが居たとしても如何ともし難いことは明白である。

 

 悪魔の軍勢と死者の群れがひしめき合い、生者は装飾を――あるいは生命すらも奪われていく。広域を破壊する魔法ならば確かに解決できないことはないだろう。しかし法国の核たる神都が、事が終わった後に国民も建物もなくなったというのではなんの意味もない。

 

 故に『絶死絶命』は、法国の最大戦力はあらん限りの速度で街を駆けまわっていた。悪魔は人に危害を加える様子がないため、アンデッドを優先して討伐していく。尋常ではない速度での殲滅は人の目に映っているのかも定かではないほどだ。

 

 が、それでも神都を救うにはあまりにも足りていない。街の中心である神殿から放射状に被害が広がっていく事を思えば、たった一人での対応など間に合う筈もない。とはいえ、いくら王都に戦力を集め戦争の準備段階にあった神都でも戦力が彼女一人などということは有り得ない。

 

 神官の数では周辺諸国最高を誇るこの国ならば、アンデッドの群れ程度は充分に対応できる筈のものであった。しかしながら人の強みとはその智慧にある。智慧をもって知恵となし、叡智を紡ぎ武器となす。

 

 つまり人は武器を持って初めて人外の存在と渡り合うことができるのだ。悪魔の軍勢に全てを攫われた後、死者の軍勢に対抗できる者など法国と言えどもほんの一握りしか存在していない。

 

 故に街の中心から放射状に広がる死者を、彼らは三方向に追った。

 

 一つは陽光聖典。失態を演じた隊長の処遇を待っていたために、彼らはいまだこの神都に身を置いていたのだ。たとえ装備を失ったとしても、彼らは全てが第三位階を扱うことのできる精鋭の集団である。有象無象の死者の群れなど圧倒できぬ筈もない。

 

 一つは神殿に存在する常駐戦力。巫女姫を守護する者から始まり、要所を守るために配置されている、こちらも精鋭の集団だ。陽光聖典とは違い戦士が多いものの、そもそも低位のアンデッドなどとはレベルが違う。素手で頭蓋をかち割り、あるいは肋骨を砕き、広がる死者をなぎ倒していく。

 

 そして最後の一つは言わずもがな、国家最大戦力『絶死絶命』だ。一人でありながら、自分以外の聖典全ての戦力を凌ぐ化け物。一人でありながら、他二つの勢力が倒した死者を足した数以上に駆逐する存在。

 

 死者の軍勢が発生してから然程時間が経っていない今ならば、この三勢力で解決することもできるだろう。相当数の犠牲は免れないが、街が消え去るとまではいかない筈だ。

 

 しかし首謀者にとってそれは大した問題でもない。何故なら全ては――単なる囮でしかないのだから。

 

「おっひさー……カイレ様ぁ?」

「…貴様! クレマンティーヌ!」

「はいはーい、クレマンティーヌですよー」

「裏切り者がノコノコと…! 貴様、自分が追われていることを理解しておるのか?」

「ぷ……くっ、ひゃ。そうなの、私こんなところに居たら番外席次に殺されちゃう~……あっれー? でも……居ないねー?」

「くっ、この…!」

 

 なんともおかしそうに、クレマンティーヌは片手を眉の上に持っていき周囲をわざとらしく見渡す。神殿の奥の奥……まさに秘奥であるが故に悪魔すらいまだ立ち入ってないこの聖域を、彼女は最短距離で一気に踏破してきた。聖典の上位、漆黒聖典であるからこその大立ち回り。追っている獲物がわざわざ身の内に入ってくることなどありえないと、上層部が彼女をそう軽視していたことがこの無謀な試みが成功した要因でもあったのだろう。

 

「さーてと……お嬢はカイレ様を殺せば戻るのかなー」

「…わざとらしく『様』なぞつけおって、敬虔な信者たる兄と何故これほどまでに差が――くあ゛ぁっ!」

「いまなんつった? 糞ババア」

「ぐ、うぅ…」

 

 使用者を殺せば洗脳が解けるのか、それとも使用者が解除しなければ戻らないのか。こういったものはまず間違いなく前者であるが、神の至宝と言われるアイテムに関しては流石にクレマンティーヌであっても判断に迷うところがあった。この使用できる者が限りなく少ない至宝がもし後者であったならば、解除されない可能性を考えて軽々しく殺すべきではない。

 

 そんな慎重さをもって考えを巡らしていた彼女であったが、しかし憤るカイレの言葉には触れてはいけない逆鱗が含まれていた。兄という単語を聞いた瞬間――否、『兄と比較された』瞬間、スティレットを老婆の足に突き刺しぐりぐりと開いた穴を拡げていく。

 

「一応保険として殺さないようにしておこうと思ってんのにさぁ、神経逆撫でするってどういう了見だよ、ああ?」

「ぐっ、あ゛ぁぁ! や、やめっ」

「おいおい、この程度で無様を晒すってどういうことだよてめぇ。私達には拷問されようが情報を吐かないよう課してるってのに」

「ぎ、ひぃ! お前達現場の人間と儂は違うだろぅ゛、げ、がはぁっ!」

「喋んな、加齢臭がくせぇ」

 

 両足を刺された老婆は立つこともままならず地に伏した。そしてクレマンティーヌは追い打ちをかけるように体に蹴りを入れる。ワールドアイテムは絶対不壊であり、埒外の防御力を発揮するがしかしダメージが通らないなどということもない。

 

 血反吐を撒き散らす老婆を狂気の瞳で暫く眺めた後、ようやく彼女は今の状況が一刻を争うものであると思い出した。

 

「おっとと……じゃ、意識あるとめんどいし気絶しとけよ」

「ぎ、ぎざっ…!」

 

 右手、左手、右足、左足。全てに風穴を開けられた老婆は、最後に頭を強打されて気を失った。一見死にかねないようなやり方ではあるが、拷問好きなクレマンティーヌはどの程度まで人間が生きていられるかを誰よりも熟知しているのだ。

 

 再使用できないとも限らない神の至宝を慎重に剥ぎ取り、裸の老婆を大きな頭陀袋に入れて持ち上げる。

 

「んー……やっぱ着れないか。『神』の血はこいつよりよっぽど濃いと思うんだけどなー」

 

 一応自分にも装備できないかを試しつつ、予想通り特別な才能がなければ装備できないことを再確認させられたクレマンティーヌ。来た道を同じように、そして最大限の警戒をしながら疾風のように駆け抜ける。召喚された悪魔は、武技を使用した際の彼女とほぼ同じ速さで動くのだ。ここにきてトンビに油揚げを掻っ攫われるような事態はご免被りたいのだろう。

 

「あいつら、大丈夫かなー…」

 

 そんな尋常ならざる速度で駆ける彼女は、ふと思い出したように呟いた。漆黒聖典、ズーラーノーン、蒼の薔薇。いずれも正義の頂点、悪の象徴、無頼の最高峰ではあったが、一番居心地が良かったのは――きっとその呟きが答えなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪魔と死者と生者が犇めくこの神都。どこをどうみても勢力が拮抗しているなどとは言い難いが、しかし生者にとって救いはいくつかあった。まず悪魔とアンデッドの群れは協力関係に無い……それどころか敵対しているような形であるということだ。

 

 レベル差故にアンデッドが悪魔を傷つけることは叶わず、けれど悪魔は攻撃手段を持たない盗みに特化した存在だ。装備を持たないアンデッドを、それでも何か盗まなければならないという義務感からか肋骨や脛骨などを無理やり剝がしているのが涙を誘う。

 

 死者が悪魔と人間を区別しているわけではないが、逃げる者と向かってくる者のどちらが優先対象になるかなど解りきった答えだ。

 

 しかし。もしこの状態で悪魔の方が唐突に消えたのならば、標的は残った生者でしかありえない。つまり――ようやく超位魔法の効果時間が切れたということである。

 

「何ということだ…! 謎の悪魔の軍勢に、死者の群れだと!? いったい何が起きたというのだ!」

「(…黙っとこ。というか死者の群れは俺のせいじゃないよな。いや、超位魔法の効果が変わったということもある、のか?)」

「くっ……占星千里、首謀者を探せ。これは自然発生するようなものではあるまい。私は神と従属神様方をカイレのもとへ案内する。一人はクインティアを無事な巫女姫のもとへ。この状況ならば一番力を発揮してくれるだろう」

 

 法国の頭脳の一人たる神官長は転移して目に入った光景に歯ぎしりをしながらも、ほんの少しの逡巡だけで判断を下した。最優先は間違いなくシャルティア・ブラッドフォールンの解放。それだけは絶対に間違ってはいけない最重要案件だ。

 

 人の気配を読むのにもっとも長けたこの男から見て、今のモモンガの心情は『驚き』であった。彼はこの惨状がモモンガ達と無関係だとは一切思っていなかったのだが、死者の群れを見て意外そうにしている骨の様子からは、己が力の爪痕を見ているような気配はまったく感じられない。

 

 となればまずは従属神を一刻も早く解放し、少しでも心証を良くすることが肝要だろうと考えたのだ。

 

「ほう、よいのか?」

「それ以上に重要なことなどございません」

「殊勝なことだ。まあ己の分を弁えるということは大事だからな(自分に一番言いたいけど)」

「はっ! 神の御言葉を賜れた栄誉を誇りに思います。心にしかと刻み付けました」

「う、うむ、そうか…」

 

 つい口に出た言葉まで心に刻まれてはおちおち喋ることもできないじゃないかと、モモンガは心の中で悪態をついた。そして全力で畏まりながら神殿に案内しようとしている神官長から視線をずらし、成り行きでくっついてきた『蒼の薔薇』の面々に話しかける。

 

「お前達はどうする? ついてくるというならば構わんが」

「ありがとうございます……でも、苦しんでいる人々が居るなら私達は助けに行きます。シャルティアもきっとそれを望んでいるから…!」

「ねーよ」

「ないな」

「リーダー頭打った?」

「ボス交代」

 

 モモンガの問に、シャルティアの事はお任せしますとアンデッドの討伐に向かうことを告げたラキュース。ラキュースノート56ページ12行目に書かれた、かっこ良い決め台詞の章仲間託し編第3項をばしっと決めてみたはいいものの、仲間達の辛辣な返しによってあえなく撃沈した。

 

「うむ……まあ、ないな」

「ありえませんな」

「想像デキン」

 

 さらにはモモンガやセバス、果てはコキュートスにまで満場一致で否定される始末。ラキュースが悪いのか、シャルティアが悪いのか難しいところである。まあモモンガについては設定から推測してそう言っているだけなので、まだ救いはあるだろうか。

 

「とにかく行きましょう!」

「やれやれ…」

「ま、感動の再会を邪魔するのもわりいしな。オラ! どけどけ雑魚共ぉっ」

 

 見事な連携を取りつつアンデッドを一掃していく蒼の薔薇を見て、モモンガは懐かしいものを見たような目で見送る。そして横に視線を向けると、生気の無い目で同じように彼女達の後姿を見つめているシャルティアが目に入った。まるで何かを心配しているかのようなその佇まいに、モモンガは動くはずのない自分の表情が歪むのを感じた。もちろん――良い意味で。

 

「アウラ」

「は、はいっ」

「手を貸してやれ。目を覚まして早々友人が死んでいたなどとなれば、シャルティアも悲しむだろうからな」

「はいっ!」

 

 神都がどうなろうと知ったことではないが、蒼の薔薇に関してはモモンガもそれなりに気を払っているのだ。NPCの成長の可能性――実力的にもそうだが、精神的な部分の変容について彼女達は大きな可能性を秘めていると感じたからだ。

 

 ナザリックでも最上位に近い強さ。ナザリックでも最低に近いカルマ値。そしてナザリックへの忠誠が他のNPC同様だったとすれば、シャルティアの状況はまさに奇跡とも呼ぶべきものではないだろうかとモモンガは思い至ったのだ。

 

 アルベドならばきっと暴虐の限りを尽くしながらナザリックを探すだろう。デミウルゴスならば裏から国家を操り、情報を集めつつ人類を衰退に導くだろう。パンドラズ・アクターならば……想像したくない。

 

 セバスやユリならばきっと人々を助けながらナザリックを探す旅に。コキュートスやヴィクティムなどは色々と苦労することだろう。アウラならば意外と上手くやりそうで、マーレなら勘違いに次ぐ勘違いで普通の村人の女の子が血塗れになりながら苦労することもあるかもしれない。ナーベラルもがんばる、たぶん。

 

 一部変な電波が入ったが、とどのつまりモモンガはシャルティアに『可能性』というものを感じているのだ。二人ほど吸血鬼やオークなどの人外が居るとはいえ、『蒼の薔薇』はれっきとした人間の冒険者パーティーだ。そこに所属して、あまつさえ友ができるなどという事態はナザリックに所属する誰に聞いても一笑に付されるか、四方山話にさえならないだろう。

 

 だからこそ、そこに価値がある。宝石よりも美しく黄金よりも尊いなにかが。僕達がナザリックへ捧げる忠誠は依存に近い。もちろんそれが悪い事だとは一概に決められないが、視野が狭み成長の可能性を妨げることはあるかもしれない。

 

 進歩を止めた存在はいずれ何者かによって超えられる。たとえカンストしていようとも、なにがしかのブレイクスルーが起きてレベルが200まで、あるいはそれ以上に高くなる可能性も0ではないのだ。その時、ナザリックが前時代の遺物などと呼ばれては仲間に合わす顔もない。

 

 まあ顔は無いし、墳墓だから遺物といえば遺物なのだが。

 

「では案内せよ」

「かしこまりました」

 

 そんな思考を巡らしながら、モモンガは先を歩く男の後ろについていく。ようやく、ようやくナザリックのNPCが揃うことに達成感を覚えながら。まずは一つ。そしてこの調子ならば二つ目――狂おしい程に渇望したギルドメンバーもあっさり帰ってくるのではないかと、そんな想いを抱きながら。




作中にどなたかの作品が混じっているような気がしても、それは気のせいです。


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シャルティアの覚醒

※この作品は『ギャグ』のタグがついています


 

 モモンガは神殿を案内されている道すがら、洗脳を解くにあたっての身の振り方を考えていた。シャルティアの解放は竜王の解放と同義である――そのことについてだ。敵対を前提にするならば、そもそも現時点で殺しておけばいいという結論になるわけだが、さりとて評議国との敵対を安易に決することは難しい。

 

 先に拘束をして、洗脳を解いた後に武器をちらつかせながらの相談など悪い結果にしかならないだろう。しかし洗脳を解いた瞬間に襲い掛かってくる可能性もあるのだ。少なくとも先を歩く神官長はそのことを疑っていない。

 

 とはいえ竜王の戦闘力が聞いた限りでしかないならば、これだけの人数が揃っていて負けることなどありえないのもまた事実だろう。これでさらに慎重を期すべきだと考えるのならば、それはただの臆病者だ。配下を信用していないとも言えるかもしれない。

 

「お待たせいたしました、こちらが神殿の最奥に御座います」

「ああ」

「カイレ、私だ。入るぞ――なっ!」

「…?」

 

 神官長が扉を開き部屋の中を視認した瞬間、絶句する。そこに居るはずの老婆の姿はなく、あるのは飛び散った血の跡のみ。ここまで悪魔が侵入した形跡はなく、アンデッドは言わずもがなだ。絶死絶命が一緒に連れ出したという話は聞いておらず、そもそもこの血の跡こそが異常事態だということを如実に物語っている。

 

「馬鹿な…! この場所に辿りつける者など、いや、まさか最初からここが狙いだったとすれば…」

「…どうなっているのだ」

「っ! も、申し訳ございません! 操者が何者かに攫われたようでございます。この一連の流れを考えると、恐らく悪魔の軍勢も死者の群れも囮であるかと。特に悪魔の方は相当高位な魔物との報告が上がっております……あるいは別に『ぷれいやー』が存在する可能性も…!」

「なん……だと…」

 

 普通にその当人が居なかっただけならば、モモンガはまたもやぶち切れていただろう。しかし自分が呼び出した悪魔の軍勢のせいで街が混乱し、結果としてワールドアイテムを持った者が攫われたというのだから始末が悪い。悪魔が高位だから『ぷれいやー』の存在が示唆されている……モモンガがやったことなのだから当然の事である。

 

 つまり死者の軍勢は超位魔法の変質などではなく、自分達とは別の何者かが囮で放ったものだということだ。少し責任を感じるモモンガであったが、そもそもカウンター魔法なのだから覗こうとした方が悪いと内心で開き直る。

 それに死者の軍勢程度でここまで大わらわになっている上に、この秘密の部屋の存在と行き方まで知られていてはどのみち攫われていただろうと考えた。悪魔の軍勢関係ない、と。

 

「くぅ…! 悪魔の軍勢さえいなければ装備も万端で、死者の群れ程度に『絶死絶命』が出張ることもなかったのだ! この場所を離れることもなかったのだ!」

 

 床に崩れ落ち地面を両手で叩く神官長を見て、モモンガはなんだか冷や汗を掻いている気分になった。横に居るシャルティアの目が冷たくなったように感じ(被害妄想)、後ろに侍る配下達の視線が生暖かくなったことを確信した(被害妄想)

 

「う、ううんっ……ち、血は固まっていないな。そう離れてはいないだろう。パンドラズ・アクター、チグリス・ユーフラテスさんの姿を取れ」

「はっ!」

「セバス、王都に残したエイトエッジ・アサシンを呼び寄せろ。道は私が開く」

「かしこまりました」

 

 とにかく賊がワールドアイテムとその使い手を持ち出したことは間違いない。転移して逃げた可能性も十分に考えられるが、やれることはやるべきだろうとモモンガは矢継ぎ早に指示を下す。

 

「アルベドとマーレを除き、二人組で分かれて捜索にかかれ。連絡手段がある者と無い者でだ。コキュートス、お前は私と共にこい」

「ハッ! 光栄ノ至リ!」

「アルベドよ、お前はシャルティアと部屋に残れ。こうなった以上敵対する可能性もあるだろう。そうなった場合は守勢を貫き時間を稼げ。目を離して居場所が分からなくなることだけは避けたいのだ。相手を殺さず、自分も死なぬことにかけてはお前を一番信頼しているぞ」

「くふぅっ…! か、必ずやご期待に応えます!」

「マーレは外に居る竜王を見張れ。アウラと会話はできるな? 状況を知らせておくのだ」

「は、はいっ」

 

 パンドラズ・アクターを探索、探知の得意なギルドメンバーに変身させ先行させる。ワールドアイテムを奪われたというなら、シャルティアと竜王に新たな命令が下される可能性も考慮してアルベドとマーレにそれぞれ対応を任せる。自分が単独で行動することは誰も認めないだろうし、する気もない。故にコキュートスを護衛につけ自らも捜索に加わる。

 

 それぞれが任された任務を遂行せんと動き出し、主の役に立つために全力でそれに臨む。

 

「…」

「…」

「…では、行きましょうかセバス」

「…はっ、デミウルゴス様」

「…モモンガ様と共に行動することを許されている点に鑑みても、我々に差などあって無いようなものだと思うんだがね。様はいらないとも」

「ええ、解りました。デミウルゴス」

「…」

「…」

 

 『残りは二人組』で――そもそも指示を出された者以外は二人である。微妙な雰囲気のまま、それでも任務には全力であたる二人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリックを守護する存在で、アウラ個人の強さにおける格付けを行うならば下の方に位置づけられる。もちろん主力のレベル100、という括りにおいてだが。しかし持てる力の全てを使って、と考えたならばそのヒエラルキーは頂点に君臨しかねない。彼女の力は自身の腕力や武術などに依存するものではなく、自身のスキルによる配下の召喚、強化を主としているからだ。

 

 数の暴力どころではなく、質をも持ち合わせた軍勢はたとえカンストしたプレイヤーであっても単騎ではまず抗えない。セオリーとしては召喚者自身を狙えばすむ話なのだが、この世界ではユグドラシルと違い召喚系のスキル――召喚された魔物の自由度がかなり上がっている。結果としてアウラという戦力も強化されたに等しいのだ。

 

「お前さん、手を貸してくれるって言ってくれたのはありがてえんだがよ…」

「何よ」

「いや、振り上げた俺の武器はどこに振り下ろせばいいんだ?」

「あそこにちょうどいい棒があるけど」

「作業用の槌と一緒にすんな!」

 

 数に対抗するにはどうすればいいか。アウラはその答えを身をもって示した。すなわち、数である。彼女が召喚した高レベルの魔物達は、アンデッドの悉くを瞬く間に殲滅し『蒼の薔薇』の仕事を完璧に奪ったのだ。

 

「話に聞いていた以上に凄まじいな…」

「一体で国一つ滅びそうね。シャルティアが召喚する眷属なんかはそこまでの強さじゃなかったのに」

「そりゃ私はこっちがメインだもの。それより――ん、どうしたの? マーレ」

 

 アウラとマーレが持つどんぐりのネックレスを使用した通信。それによってアウラは現状を把握し、雑魚しか存在しない戦場のせいで緩まっていた気を引き締める。シャルティアが元に戻るまで後ほんの少しだと思っていたからこその余裕であったのだが、こうなると彼女も浮ついてはいられない。

 

「――そう。私もそっちに向かうから……うん」

「なにかあったのか?」

「シャルティアを操ってた奴がそのアイテムごと攫われたって。とにかく私は神殿の方へ戻るから」

「なんだと! …なら私達も一緒に向かおう。どのみちこれ以上やることはあるまい」

「…好きにすれば」

 

 アウラ以外の全員が頷きあって神殿に踵を返す。確かにアンデッドの方は既に壊滅状態だ。残りは元々抗っていた陽光聖典と神殿の警備だけで片がつくだろう。遅れてしまってはたまらないと、アウラが全員を魔物に乗せてやり――いわゆるツンデレである――その場にはアンデッドの残骸と蹂躙の後、そして救われた住人だけが残された。

 

「ダークエルフなんぞがなんで俺たちを助けたんだ…?」

「それにオークも居たぞ…」

「…神都に何が起こってるんだ」

 

 ちなみに、全員全裸である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワールドアイテムとは、『世界』の名を冠する通り尋常ならざる性能をもつ。同じように『世界』の名を持つものでしか抗えないものでもあり、通常のアイテムとは一線を画しているのだ。しかしそれでも分類や系統は他のアイテムと同様に分けられる。

 つまり今回シャルティアに掛けられた『傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)』の効果は、分類としては魅了系のアイテムの枠に入っているわけだ。どう見ても支配系だろうと突っ込みが入りそうな効果なのだが、名前が『傾城傾国』なので運営が無駄に拘った結果である。

 

 魅了と洗脳ではどちらかというと後者の方が使い勝手がいいのだが、一つ大きな相違点がある。それは洗脳された者がその間の記憶を完全に保持しているという点だ。故に殺してはならない者から情報を抜き出す際は魅了の方が使い勝手がいいと認識されている。

 

 そして効果の解除について。これも通常のアイテムとはことなり、この『傾城傾国』は時間制限がない。というよりかはこの世界では時間制限がなくなった、という方が正しいだろう。ユグドラシルでそんな既知外じみた性能にしていては、いくら糞運営に慣れたプレイヤーと言えども発狂するレベルだ。

 

 ワールドアイテムには漏れなく中二病染みたフレーバーテキストが用意されているのだが、そちらの方に少し寄ったのだろう。『星に願いを』や『ウロボロス』の願いの範囲が異常なまでに広がった点と同様である。

 

 この世界において『傾城傾国』の効果を消去するにはどうすればいいか。一つは使用者が解放すること。二つ目は使用者が死ぬこと。三つめは使用者がアイテムの所有権を失う事だ。最後の部分はもちろん強奪といった無理やりなものも含まれる。

 

 そして『所有権』と『強奪』の定義。アイテムを脱いだだけで効果が切れてはおちおち風呂も入れないため、この『傾城傾国』はアイテムを手放しても一定時間効果は保証される。『強奪』された場合はその瞬間に。そして何をもって強奪とするかは、実のところ人間の意志が関係しているのだ。

 

 今回で言えば、クレマンティーヌがカイレからアイテムを剥ぎ取った際『強奪』とは見做されなかった。何故かというならば、このアイテムは使用者が限定されるため、彼女にとって老婆はいまだ使い手でいてもらう必要があったからだ。

 

 しかし。

 

 今この瞬間――『傾城傾国』はカイレの死亡と共に力を失った。正しく言うならクレマンティーヌが殺害したから、である。保険としてカイレには生きていてもらう必要があると判断した彼女だが、今の状況がそれを許さなかったのだ。

 

 スキルでもない。魔法でもない。直感に優れた彼女の本能が警鐘を鳴らしていたから。何かに追われている気がするという、ともすれば強迫観念のようなそれを彼女は迷うことなく真実だと断じた。戦士としての直感というよりは、ここ最近で培われた生存本能のようなものだ。

 

 故に少しでも速く走るために荷物を置いていったのだ。もし追手が『絶死絶命』であれば、おそらくカイレの死体を優先する筈だろうと考えて。

 

 しかし彼女の与り知らぬことであったが、追手はチグリス・ユーフラテスに姿を変えたパンドラズ・アクター。人間の死体など放置して、この神殿を一番速く動いている存在を捕捉して追跡を続ける。おそらくこの速度ならば神殿を出るか出ないかのところで追いつくだろうと。

 

 ――そしてそこに役者は集っているようだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『絶死絶命』はアンデッドの掃討を中断して神殿に向かっていた。自分でも相当苦戦するだろう魔物がアンデッドを駆逐していく状況を見ての判断だ。いったい何が起きているのかを把握したい、そしてできる限りカイレから離れてはいけないと厳命されていた故に。神都が滅んでは元も子もないため少し戦場に姿を現したものの、収まりかけているというならばこの判断は間違いではないだろう。

 

 けれど間違いではないということが正解である、というのはまた違う話だ。

 

「…『世界盟約』は破られていたようだね。残念だけど法国には滅んでもらう」

「踏んだり蹴ったりっていうのはこういうことかしら…」

「ふ、二人とも動いたらこ、殺しますー…」

 

 神殿に戻った彼女の目の前には、悲しそうな目で『絶死絶命』を――『覚醒した神人』を見つめるプラチナム・ドラゴンロードが中空に佇んでいた。そしてあわあわと慌てる可憐なダークエルフがその下に。態度とは裏腹に、言っていることは非常に物騒である。

 そして睨みあう神人と竜王の前に、これもまた強大さを感じさせる魔物とその上に乗った可憐な女性達(一人除く)が姿を見せる。

 

「ツアー!」

「…キーノ? 悪いけど今は――」

 

 久しぶりなようで、けれどつい最近どこかであったような気がする旧友との邂逅。そもそも今がどういう状況下であるかもツアーは把握していない。しかし確かなことは法国と評議国……というより竜王と法国が交わした絶対にして最大の盟約が破られているということだ。彼にとってそれはなによりも優先すべき事柄である。

 

 そして一触即発の場に更なる闖入者が現れる。占星千里が探し当て、漆黒聖典に追われていたカジットである。かつてのカジットならば逃げるという選択肢すら取れることなく死んでいただろうが、吸血鬼になったおかげで得た身体能力によってほんの少しだけ活路が開かれていたのだ。

 

 とはいっても死までの数秒が数十秒に延びた、程度の事ではあるが。灯台下暗しとばかりに神殿の近くに潜んでいた彼は、炙り出されて神殿の真ん前に追い立てられたというわけだ。

 

「ぬうぅ、クレマンティーヌはまだか…! そもそもこやつらは王都に向かった筈ではなかったのか。当てずっぽうな推測を立ておって、あの小娘…!」

「もう逃げられんぞ――っ!? なっ…!」

「竜王が既に…!? 神都では解放しない筈ではなかったのか!?」

「番外席次と鉢合わせたとなると、もはや戦争は免れませんね」

 

 見下ろす竜王と、見上げる『絶死絶命』。その二人を視界に入れて警戒するマーレとアウラ、そして漆黒聖典の面々。状況が不明なために動けない蒼の薔薇とカジット。空気が張りつめ段々と限界に近付いている中、またもや新たな登場人物が場に加わった。

 

「ぐ……っ、追いつかれる…! 外に身を隠せる場所……あるわけないか」

「その手に持つアイテム…! コレクター魂が燃え上がりますよお嬢さん!」

 

 神殿の扉まで後数メートル。出て数秒もすれば捕まるだろうという諦観が彼女にはあった。くねくねと変なポーズを取りながら自分を追う化け物(変態)に、いったい自分がどうなってしまうのかと彼女は身を震わせた――が。終着点は『それ』ではなく、扉の向こうで待ち受けていた更なる化け物であった。

 

「くっ……ぶぁっ!?」

「ああ失礼、少しよそ見をしていたようだ。だがこうして抱き留めたのだから、許してくれるだろう?」

「エッ、エルダーリッチ…!? ぐ、あっ……放しやがれ、このっ…」

「情報を吐かせたいところだが……どういう状況だこれは? 竜王が解放されているというならば、ふむ…」

「おおっ! お手を煩わせてしまい誠に申し訳ございませんモモンガ様!」

「なに、ここまで追い込んだならば充分な手柄だとも。それより姿を戻しておけ」

 

 パンドラズ・アクターからの通信により先回りしていたモモンガは、今まさに竜王と何者かが戦闘に入りそうな光景に警戒する。むしろ自分が現れたことこそがゴングの合図、その呼び水にでもなったかのように竜王が魔法を放つ。ユグドラシルの魔法全てを知識に修めるモモンガですら見たことのない攻撃――そしてそれを迎え撃つは、この世界で自分達以外が使用するのを初めて見る、高位の魔法であった。

 

「わわわ…! え、えいっ」

「ちょっ、マーレっ!?」

 

 そして魔法をいつでも放てるようにしていたマーレもそれに加わる。早押しクイズの出題をいまかいまかと待っていたような心境であった彼は、他の者が押しそうだったからつい条件反射でやってしまったのである。三方向からこの世界最高の力がぶつかり合い、開幕の合図であるかのように爆発する――その刹那。

 

 遂に運命の《ゲート/異界門》は開かれた。

 

「ああ、ようやくお会いできんした! 最愛の至高のおんぎゃぁぁ!」

「シャ、シャルティアァァーー!?」

 

 丁度攻撃がぶつかりあう交叉点にて、転移してきたシャルティアが攻撃の全てをその身に受けたのであった。ちなみに一番ダメージが高かった攻撃は言わずもがな、青い顔で姉の後ろに高速移動したダークエルフの少年の魔法である。

 

 

 





シャルティアには爆発オチがよく似合う…


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しゃるてぃあの冒険

なんか最終回っぽいタイトルですが最終回ではありません。

でも年内には完結するよ!


 シャルティアが爆発する数分前、神殿の最奥では感動の再会劇が繰り広げられていた。

 

「…ん?」

「…! シャルティア」

「っ! アルベドっ!? ぬし何故ここに……いや、私は…? っ! モモンガ様っ!」

「落ち着きなさい、今説明するわ。いえ、まずどこまで覚えているのか聞きたいわね」

「どこまで…? ……イビルアイと森に向かって……そう、竜を殺そうと…」

「記憶が朧気ということね。支配されていたと思っていたのだけど、魅了されていたということかしら」

「はあ~? 吸血鬼の真祖たるわらわがそんなバッドステータスにかかるわけがありんせん。ついに脳みそまでゴリラになったでありんすか?」

「…」

「な、なんでありんすの、その顔は」

 

 シャルティアの想像では、このままウナギだゴリラだなどと言い合いになるだろうと予測していた。しかし返ってきたのは哀れな者を見るかのような瞳とため息。肩透かしを食らったシャルティアはとにかく今何が起こっているのかを問う。

 

「ここはナザリック……ではありんせんな。何がどうなっていんすの?」

「簡潔に言うわ。貴女がワールドアイテムによって操られ、モモンガ様の深い慈悲によって今洗脳が解かれた。これ以上は必要ないわね?」

「なっ…!」

 

 アルベドは冷たい瞳でシャルティアを見やる。目の前の少女がナザリックの同僚であり、必要な存在であることは彼女も理解している。しかしたかが一配下のために慎重さをかなぐり捨てて行動しているモモンガを見て、アルベドは彼女に怒りを抱いていたことも事実。

 

 なにより、愛している存在が他の女のために心を乱しているのを見続けていたのだから、その心中が穏やかでいられた筈もないだろう。きっとモモンガがシャルティアを許す――それどころか彼女に謝罪することすらあると見越しての、精一杯の嫌がらせだ。守護者たる者が、守護すべき存在に助けられたという汚名を自覚させるために。

 

 ――が。それは言葉の裏をちゃんと読み、一語一語をしっかり考えて行動する者にしか通じない。いわんや、あんな少ない言葉でシャルティアに自覚を促すというのは不可能に近いだろう。

 

「つ、つまり――わらわという姫を助けるために! モモンガ様が救いの御手を! ああ、ペロロンチーノ様……わらわが『えろげ』の『ひろいん』ということでありんしたのね!」

「こ、こ、こ……誰がヒロインですってヤツメウナギぃー!? モモンガ様の正妃はこの私に決まってんだろうが!」

「あー、おばさんの嫉妬は見苦しいでありんす。さ、モモンガ様のところへ案内しなんし、わ・き・や・く」

「ぐ、ぐ……ぐぉらーーっ!!」

 

 両手をがっちり掴み合って押し合い圧し合い、重圧で部屋の壁が物理的に軋むほどいがみ合う二人。止め役が居ないためにこのまま法国が滅びかねない勢いであったが、状況が状況であるため珍しくアルベドの方から折れた。

 

「ぜぇ……とにかく、今はそんなことをしている場合じゃないわ。神殿の外に出るわよ。《ゲート/異界門》は使えるわね?」

「神殿と言われても、そもそもここが何処かも知らんでありんすよ」

「記憶に無い筈は無いわ。そもそも魅了とは基本的に普段通りの行動をさせつつ、特定の行動に対する違和感を覚えさせないというものでしょう? 通った道も覚えていないなんてことは有り得ない。白い神殿、扉の前に天使の像。覚えてない?」

「…なんとなく、うーん……《ゲート/異界門》。お、いけんした」

 

 なんとなく記憶の片隅にある神殿の情景に、なんとなく魔法を使って、なんとなく《ゲート/異界門》を出現させたシャルティア。彼女には理屈より感覚でやらせた方がいいということの証明だろう。横で見ていたアルベドの方も呆れ気味である。

 

「モモンガ様! いま会いに行くでありんす!」

「あっ、ちょっと待ちなさい!」

 

 喜び勇んで黒い靄に突撃するシャルティアを引き留めるアルベドであったが、制止の声も空しくそのまま少女は消えゆく。なんだか記憶にあるよりも馬鹿に拍車がかかっていないだろうかと嘆息し、《ゲート/異界門》が消えない内に自分も潜らなければと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐ、おおぉ……いったい何が起きんした…?」

「あれは……森に居た吸血鬼…? そうだ、なんとなく思い出してきた」

「なんでさっきので生きてるのかしら!」

「ど、どうしようお姉ちゃん…!」

「謝れば大丈夫だって。だいたいいきなりあんなとこに出てきたあいつが悪いのよ」

 

 シャルティアの姿を見て段々記憶を取り戻しつつあるツアー。番外席次が彼女の存命に驚愕し、マーレがアウラにしがみつきながら必死に姿を隠そうとしている。

 そしてシャルティアの方もまた、ツアーを見て一気に記憶を取り戻す。

 

「…あの竜はっ! …殺す…っ!」

「っ! やはり世界を汚す存在か!」

 

 記憶のぶり返しは条件反射のように両者を戦闘に移行させ、先程の焼き直しのように高位の魔法と未知の魔法がぶつかり合う。そして同じようにアルベドが《ゲート/異界門》を潜り抜けて攻撃に晒される――つまり天丼というやつである。

 

「待ちなさいシャル――ぬぅあああぁぁぁ!! どらぁああ!!」

「おおっ……流石アルベド」

「僕の攻撃を完全に耐えた…!」

 

 しかし彼女はなんといってもナザリック地下大墳墓の栄えある統括守護者。そして条件さえ揃えば超位魔法すらダメージを受けることなく耐えうる最硬の存在。彼女の真骨頂はその防御力にあるのだ。突然の魔法に身をさらされながらも、鎧の効果に自分のスキルを重ね合わせて全てを無傷で耐えきった。アインズは思わず感嘆の声を出し、ツアーは驚愕に動きをとめた。

 

「はぁ…っ! どういうつもりかしらシャルティア?」

「どうもこうも、邪魔でありんす! さっさとどきなんし!」

「んだとゴラァ…!」

「シャァァ…!」

 

 完全に場は混沌。誰かが動けば誰かが動きそうで、つまり誰も動かない。ツアーも機を外されて動けない――そもそもシャルティアのように魅了の効果から抜け出たばかりの上に説明してくれる人物もいなかったのだ。呆けた頭で、それでも覚醒した神人を目の前にして役目を果たすことで頭がいっぱいだっただけとも言える。

 

 しかしようやく状況を把握……というより推測し、そして周囲の存在にも目が行くようになったため冷静に思考を回す。最も永く生きているドラゴンロード、『ツァインドルクス=ヴァイシオン』は元来思慮深く温厚なのだ。

 

 空中で停止するツアー。睨みあうシャルティアとアルベド。固まっているモモンガ。その横で黙って控えるパンドラズ・アクターに、これまた立ち竦んだままのカジットと漆黒聖典の者達。番外席次は新たな強者の出現に警戒――男だったら結婚相手候補なのに、などと二人を見て呟いている――し、蒼の薔薇もまた動けずにいた。

 

 アウラは震えて抱き着くマーレを撫でて落ち着かせ、デミウルゴスとセバスはいまだ神殿の通路である。

 

 それなりの数が居る中でまず誰が動くのかと考えれば、一人だけ動かざるを得ない女性が居る事を思い出さなければいけないだろう。逃走の末に捕まり、いまなお至高の存在に抱きしめ続けられる栄誉を賜っている女性。正直モモンガもその腕に捕らえていることを忘れかけており、怒涛の展開で無意識に腕に力が入っている現状、クレマンティーヌは潰れる手前のヒキガエル状態である。どうにか動かなければ圧死が待っているのは間違いないだろう。

 

「…かひゅっ! …た……けて」

「…ん? うおっ!(なんか付いた!)」

 

 女性として色々出してはいけないものが出ているクレマンティーヌ。彼女の絞り出すような声に、モモンガはようやく賊を捕らえていることを思い出した。しかし自分の体に謎の液体が付きそうになっているのを見て、思わず放り出してしまったのだ。自分でやっておきながらあまりにも酷い支配者である。

 

「がふっ、ごほっ…! はぁっ……ぐ、ぅ」

「ちっ…」

「お任せを、モモンガ様」

 

 這う這うの体で逃げ出すクレマンティーヌだが、弱り切ったその体で成功する筈もない。舌打ちをしながら再び捕まえようとするモモンガ――そしてそれを制して動きだすパンドラズ・アクター。これでは精々が数メートルから十数メートル逃げられれば御の字だろう。けれどその距離は、シャルティアに気付いてもらうには充分な距離でもあった。

 

「…クレマンティーヌ? なにしていんすの、そんな無様な格好で。わらわのしもべたる者には品格というものも求められるでありんすよ。……で。テメエがこれをしたってことでいいいんんだよなぁぁ! ドッペルゲンガアアア!」

「っ、これはシャルティアお嬢様。御帰還のほど、お喜び申し上げましょう! ところで何かお気に障ることでも?」

「ああ? 誰だよテメエは! このシャルティア・ブラッドフォールンのものに手を出して生きて――」

「シャルティアよ」

 

 ナザリックの中でパンドラズ・アクターを知る者は少ない。宝物殿に領域守護者が居ることぐらいは知られているが、NPCが立ち入る場所ではなく、立ち入ってよい場所でもない。故にシャルティアもクレマンティーヌを襤褸切れのようにした下手人であろうドッペルゲンガーを見て、怒りを露にした。自分の知らぬところで自分の玩具が壊されていたとあっては、腹立たしいことこの上ないと。

 

 しかし――そんな彼女に、そんな彼女が、誰よりも望んだ、何よりも欲した神の言葉が掛けられる。

 

「…あ……ああ!! モモンガ様! モモンガ様! 至高の御方…! わらわは……私は…! モモンガ様…!」

「よい、何も言うな。それより随分と迎えが遅れてしまったようだ……すまんな、シャルティア。我がナザリックが誇る最強の階層守護者よ。許してくれるか?」

「許すも、許さぬも…! そのお言葉一つで……ひぐっ。あ、頭をお上げください…! わらわは……私は、もう、ひっく……捨てられんしたかと…」

 

 アルベドにモモンガが迎えにきていると知らされても。嬉々としてナザリックの事を話している時でも。国を回って探し求めている時も。

 

 ずっとずっと、頭のほんの片隅では恐れ続けていた恐怖。至高の41人がナザリックを去った時のように、モモンガが自分を捨てたのではないかと。己は既に廃棄物なのではと。その絶望は片時も離れず彼女を蝕んでいた。

 

 ちゃんとした廓言葉を知りもせず。けれど使っていればいずれ迎えに来てくれるのではと、意味があるかも分からない希望に縋り。彼女はずっと耐えていた。

 

 彼女が何よりも望んだ言葉は『迎えにきた』の一言だった。

 

 本当の本当にナザリックを探しに行くならば、本気の本気でナザリックを見つけたいのならば、もっと効率的なやりようはきっとあった。それでも彼女が自分を誤魔化していたのは、ナザリックを探し当て――『何故帰ってきた?』と聞かれるのが何よりも怖かったからだ。

 

 モモンガに必要とされた。それだけで安堵が彼女を満たし、希望が彼女に溢れる。嗚咽を漏らし、不敬と知りながらも膝から崩れ落ちる。

 

「…シャルティアよ」

「ば、ばい」

「お前が居て。お前が揃って。お前が存在してようやく『アインズ・ウール・ゴウン』だ。この世界にきて……そうだ、竜王国というところに飛ばされたのだがな。お前が居ない間は対外的に『アインズ・ウール・ゴウン』を名乗っていない。その意味は……解るな?」

「…はい゛っ…! モモンガ様……モモンガ様。シャルティア・ブラッドフォールンっ、た、ただいま帰還、し、しんした」

「ああ、よくぞ戻った。そしてこれからも頼むぞシャルティア・ブラッドフォールン」

 

 それはシャルティアの旅の終わり。それは『アインズ・ウール・ゴウン』の始まり。涙を必死に堪え、片膝をついて帰還を告げるシャルティアは――神官職が示す通り、神に仕える美姫であった。誰も邪魔をしない、誰も邪魔をできない主従の契り。神々しささえ感じられるその一場面。

 

 ――そして視線を下げれば泡を吹いているクレマンティーヌ。台無しである。

 

「あ、忘れていんした。クレマンティーヌ! 死んでいんせんか?」

「…そいつとは知り合いか? シャルティア」

「はい、新しいシモベでありんす」

「そ、そうか……うむ、そうか(マジか)」

「そういえばそやつは誰でありんしょうか? シモベにしては見たことがありんせんが…」

「ん? ああ、こいつはパンドラズ・アクター。私が制作したNPCであり、宝物殿の領域守護者だ」

「紹っ! 介っ! に与りましたパンドラズ・アクターと申します! 以後お見知りおきを、シャルティアお嬢様!」

「うわぁ……ださいわー…」

「うわぁ…」

 

 片手を胸に当て、大仰にもう片方の手を振りながら自己紹介をするパンドラズ・アクター。本人がこれを格好いいと思ってやっているところが悲しいところであり、その理由が当時のモモンガもこれを格好いいと思っていたから、というのが更に悲しいところである。子は親に似る――NPCは製作者に似る――つまり、そういうことなのだろう。

 

「あー、とにかくポーションを使うか…」

「有難うござりんす。至高の御方手ずから癒していただけるなど、こやつも望外の幸運でありんしょう」

「…ほう」

 

 シャルティアの様子を見てやはり、とモモンガは興味深そうに声を上げた。シモベか、それとも仲間か――どちらにせよ『人間の女』を『至高の存在』が手当することに彼女は異を唱えない。もちろんナザリックにおいてそういう態度をとる者は沢山いるだろう。

 

 しかしカルマ値が極悪に位置しているシモベなら必ず止める筈だ。至高の御方がわざわざ人間如きに手間をかけるまでもない、と。

 

「すまんなシャルティア、こいつを殺しかけたのは私だ。敵か味方かも知れなかったのでな」

「っ! もしやこやつがモモンガ様に何か粗相を…?」

「いや、そういうことではないんだが……というか私もどういう状況なのかいまいち不明瞭でな。その、クレマンティーヌだったか。そいつに聞いた方が早いだろう。ああ、それと『蒼の薔薇』にも世話になった……良い人間関係を築いているようで何よりだ」

 

 どばどばとポーションを贅沢に降り注がせるモモンガ。否、もはやぶちまけているというレベルだ。それは彼に残った人間の残照が、クレマンティーヌの恥を――『人としてやってしまいたくないこと』トップ10に入る恥を隠してあげるために行った慈悲でもある。主に下半身へ集中的にかけている、といえば誰にでも意味は解ってしまうだろうが。

 

「さて、と……ああ、随分待たせてしまったな。動かずにいてくれたことを感謝しよう、ツァインドルクス=ヴァイシオン」

「…この状況で動けというのも難しい話だからね。それにしても――ああ、なんだか懐かしいな…」

「…?」

「ああ、ごめんねこっちの話。それで、君は『プレイヤー』ってことでいいのかな」

「そうだ。そしてお前がそれを知ってどうするつもりなのかが、目下気になっているところだ」

「そうだね……うーん、どうしたものか。君が法国に与するなら、『世界盟約』も意味を成さないし…」

「勘違いしてもらっては困るが、別に法国に味方をしているわけではないぞ? お前が洗脳されていたのと同様に、私のシモベも洗脳されていたからわざわざここに足を運んだだけだ」

「そうなのかい? なら君は僕の恩人ということになるのかな」

「…っそう、だな。考え方によってはそういう見方もあるか」

 

 クレマンティーヌがすぐに起きる気配もなかったため、ようやくモモンガは渦中の人物――その中心にならざるを得なくなっているツアーに声を掛けた。シャルティアに攻撃を仕掛けたことについて業腹ではあるものの、明らかに混乱していた様子を見ては多少考える余地もあるだろうと。

 

 そしていざ話してみれば、思いのほか友好的……といっていいのかは不明だが、敵対的でないことにモモンガは少し驚いた。『プレイヤー』に対して攻撃的ではないのか、『NPC』に対して好戦的ではないのか、と。神官長から聞いていた話とは随分異なる様子に疑問を覚えるモモンガであったが、そもそも敵対している国同士が相手の事を良く言う筈もないか、と至極真っ当な考えに行きついた。

 嘘がないのは確認したが、本人が真実だと思っていることと実際の真実がどうであるかはまた違うということなのだろう。

 

「随分と色々こじれてしまっているようだ。どうだ、ここはひとつ場を変えて話でもしないか。竜王国などどうだ? この世界で誰の味方をしているか、という話なら私はそこの味方というのが一番近い。あの国は法国に良い感情をもっているわけでもないし、評議国に関しても同じだろう。種族がどうのというならば、ドラウディロンは竜王の血が混じっている。思いつく限り一番中立な立ち位置だと思うんだがな」

「ブライトネス・ドラゴンロードの系譜か……うん、僕に異論はないね」

 

 竜王にとって『プレイヤー』は『世界を汚す者』、『世界を守る者』、『世界を傍観する者』のいずれかだ。ツアーにすればかつて仲間だったこともあるのだから、一概に決めつけて敵対しない事は当然である。とはいえ八欲王のようにあからさまに強欲、もしくは邪悪であるならば話は別だろうが。ちなみにシャルティアは見るからに邪悪、の枠である。

 

「死の神よ、少しお待ちいただけませんか」

「お前は……漆黒聖典とやらの隊長だったか。なんだ」

「我らもその席に着くことを御許し頂きたいのです。貴方様の叡智を疑ってはおりませんが、竜王は永い時を生き、その老獪さははかり知れません。かつて神々が放逐された経緯も竜王が裏で手を引いていたやも…」

「随分な言いぐさだね。僕がスルシャーナを陥れただって? 大切な友人を? 自分達の愚かさを他人のせいにするのはやめてくれよ。人の全てを愚かだと言うつもりは毛頭ない、でもかつての君達を見ているとそうとしか言えないね。僕の目には、今の君達があの時よりもなお酷く見える」

「神を堕とした愚か者達と我らを同じと言うのか!」

「よく聞いてくれないかな? もっと酷いって言ってるんだけど」

「えぇー……どんだけ仲悪いんだよ…」

 

 いがみ合う漆黒聖典の隊長とツアー。元々相容れようもない関係の両者だが、ここは前者の胆力を褒めるべきだろうか。彼にしてみれば――法国にしてみればモモンガ達が評議国に味方するパターンが最悪のシナリオになる。話し合いの席で法国を一方的に悪者呼ばわりなどされてはたまったものではないというものだ。しかし一方的に話を進める隊長に、蚊帳の外になっていた番外席次が近づき苦言を呈する。

 

「ねえ、私を無視しないでくれない? だいたい最高神官長の許可も得てないのに勝手に…」

「今は黙っていてください。貴女が出張ると話がややこしくなります」

「なっ! …ふーん……またボコボコにされたいのかな」

「交渉事など何一つ学んでいないでしょう? 今は私が適任です」

「むぅ…」

「(さっきのって交渉なのか…? 交渉ってなんだったっけ)」

 

 若干ついていけていない感があるモモンガであったが、とにかく戦闘の空気が雲散霧消したことにほっと安堵の息をつく。やるべき時にやることについては覚悟している――けれどやらなくてもいいのならばそれに越したことはないというのも事実。『一つだけ』絶対にやらなければならないことはあるが、今は棚上げだ。

 

 何処とどうなるかはともかく、戦争となれば被害無しなどということはありえないだろう。いまだNPCが復活するかすら確信には至っていないこの状況で泥沼化は避けたいというのが本音だ。友であるドラウディロンが戦争を望んでいないというのも実は大きい。

 

 大きい戦争になれば我が国は木っ端のように散ってしまうのじゃ、と涙目になっていたのを見た手前あまりそういう方向にはしたくないのだ。ちなみにこんな感じで偶に見せる素の彼女には当然気付いているが、モモンガは大人なので見て見ぬ振りをしている。

 

「各々話し合うこともあるだろうし、会談については三日後、竜王国の首都にて行わせてもらう。ドラウには事後承諾になるが……まぁ大丈夫だろう。異論がある者はいるか? …いないようだな。ならば我々は先に失礼するとしようか」

 

 その言葉を合図にシモベ達はモモンガのもとに集まる。ちょうどセバスとデミウルゴスも合流し、『蒼の薔薇』とアウラ、そしてむずがるマーレもシャルティアの方に駆け寄った。

 

「シャルティア! 良かった……本当に心配したぞ…!」

「ぬしらもいんしたの。ふふん、わらわがどうにかなってしまうなどと本気で思っていたでありんすか?」

「いや、なってたろオイ…」

「まあとにかく良かったじゃない! ナザリックに帰れるんでしょう、シャルティア! おめでとう……本当に良かった…!(貞操的な意味で)」

「ラキュース……ぬし、そこまで……ぅ、ううんっ! ま、まあわらわを助けんしたのは至高の御方でありんすが、世話になったと言うからにはぬしらも毛一本程は役立ったのでありんしょう。一応礼は言っておくでありんす」

「シャルティアが感謝してる」

「偽物?」

「…ティア、ティナ、よほどお仕置きされたいようでありんすな」

「わーい」

「私の分はティアに譲る」

 

 和気藹々と再会の喜びに興じる彼女達。その様子を見た統括守護者が、至高の存在を前にあまりにも無礼だろうと鬼の形相で近付くが――当の存在がそれを手で制す。そして一頻り話し終えたことを確認したのち、《ゲート/異界門》を開き王都に繋げる。『蒼の薔薇』を送るためでもあるし、一応の協力者に報告ぐらいはすべきと考えてだ。

 

 潜った先にはいまだ火滅聖典が跪いており、そういえばデミウルゴスに解除させるの忘れてたなーとモモンガは哀れそうに視線を送る。何故かと言うならば、何人かの足元には水たまりができているからである。まあ何時間も動けないと何人かはそうなるよね、と送っていた視線を気まずそうにそらした。後ろ部分が不自然に盛り上がっている者は完全に無視である。

 

「デミウルゴス」

「はっ……『自由にしたまえ』」

 

 解放され泣いて喜ぶ火滅聖典に事態が既に終わっていることを簡単に告げ、モモンガは特に何事もなく帰した。殺す意味もない――むしろさっさと異臭の元に去ってもらいたかったというのが彼の本心である。なんで鼻がないのに臭いは感じるんだよ、という突っ込みを自分自身の体にいれながら。

 

 囚われている王族や貴族は無視し、ラナーの部屋へ向かうモモンガ。部屋へ入ると優雅にお茶を飲んでいる王女が彼等を迎え入れた。身内や配下が囚われてるのにどんな神経してんだこいつ、と内心でドン引きしながら起きた事を淡々と告げる。

 

「なるほど……皆さんが御無事で安心致しました。とはいえあまり喜んでもいられませんね。法国と評議国の戦争はまだ十分にあり得そうですし」

「それは私にとってどうでもいいことだがな」

「ごもっともです。ふふ、今はシャルティアさんのご無事とあなた方の再会を祝福させてください」

「む……有難く受け取っておこう」

 

 ラナーの本性を知っているシャルティアからすれば抱腹絶倒ものの猫被りであるが、至高の御方がその程度のことに気付いていない筈はないと無言を貫く。シャルティアの狂気とも言える忠誠と信望を見切っていたラナーの予想通りである。

 

「ところでクレマンティーヌ様の死体はどうされるのですか?」

「ちょ、ラナー、あの子死んでないからね?」

「あら、失礼いたしました。ピクリとも動いていなかったものですから…」

 

 シャルティアに抱かれたまま連れてこられているクレマンティーヌは、いまだ目を覚まさない。体は回復しているのだからいくらなんでもそろそろ起きていい筈だ、と全員の視線がそちらに向かう。そもそも気絶していてもまったく動かないのは少々不自然だ――とイビルアイが指摘しようとしたところで、クレマンティーヌがパチリと目を開いて飛び起きる。

 

「あ、あれー、ここはどこ? 私はいったいー…」

「やっと起きんしたか。ぬし、何故神都にいんしたの? 王都からいなくなったと聞いたでありんすが」

 

 汗をだらだらと掻きながら視線を泳がせるクレマンティーヌ。既に覚醒しており、化け物達と会話をしたくなかったという態度が見え見えである。もう敵ではなさそうだと判断できても、自分を殺しかけた存在に恐怖しないということではないのだ。自分を見つめてくる骸骨に意識が遠のきそうになり、でかい虫やら洒落た悪魔やら変なハニワを見て震えながらシャルティアに抱き着く。

 

「状況から見て、単身神都でシャルティアさんを洗脳していたアイテムを奪取しようとしていたのでは? 悪魔の方はともかく、アンデッドの群れの方はクレマンティーヌ様だと思います。私は法国が戦力の大部分を差し向けてくるだろうと思っていましたが、彼女は最大戦力が動かないのを知っていたのでしょう。それでも成功確率は相当低かったでしょうし、彼女は一度法国を裏切っていますから失敗すればどうなるかは目に見えていた筈ですが…」

「(なんでさっきの情報だけでそこまで推測できるんだ…)」

 

 まあ悪魔の方はどうせこの人達だろうな、と推測しつつも言葉にはしないラナー。わざわざ『謎の悪魔の軍勢』と言ったからには、自分達がやったことだとは認めていないことになる。そしてモモンガの方はというと、詳細には話していない上に意図的に隠している情報もあるというのに、先程一緒に神都に居たのではないかと疑うほど状況を把握している王女に恐れを抱いた。色々見透かされてないよな? と。

 

「クレマンティーヌ、ぬし…」

「へっ? いや私はクソ兄貴に――」

「なんという無茶をするんだお前は……というか、まさか前に見せてもらったあのアイテムを使ったのか?」

「うん、まあそうだけど……いやそうじゃなくて」

「ちょっと、一般人にまで被害がいってたのよ!? なんてことを…!」

「リーダー、あのまま戦争に突入してたらもっと被害が出てた。ベストじゃないけどベター」

「う……でも」

「おいクレマンティーヌ。裏組織に、漆黒聖典に所属してたんならそういう物騒な考えになるのは仕方ねえのかもしんねえけどよ、俺達はそういう事をしねえ。『次』からは絶対にそういうことすんな……一番怒ってんのはなんの相談もなかったとこだけどな」

「んー…」

 

 命を懸けてシャルティアのために動いた。間違いではないのだが、正しくもないその説明に素っ頓狂な声をあげて否定しようとしたクレマンティーヌだったが、心なしか化け物達から感じる威圧感が減ったように感じて口を閉じた。ちなみにガガーランの言葉は右から左に流れていったので適当に返事をしただけである。内容すら理解していない。

 

「あー、はは……まあお嬢が戻ったんなら良かった良かった。えー、とそれでこの人達が、その、お嬢?」

「いかにも! 至高の存在にしてナザリック地下大墳墓の支配者、モモンガ様でありんす。あとその他大勢とわらわでギルド『アインズ・ウール・ゴウン』であ・り・ん・す!」

 

 シャルティアの言葉が耳に入った瞬間――アルベドのこめかみにビキリと筋が入り、デミウルゴスが眼鏡をくいっと上げて光らせる。コキュートスの方からシューッと奇妙な音がして、セバスの眉がピクリと動いた。マーレはいまだにおどおどと姉の後ろに隠れているが、その姉はというと腰につけた鞭に手を伸ばしかけている。パンドラズ・アクターは平常運転だ。

 

「ひいいっ」

「ん? どうしんした、クレマンティーヌ」

 

 威圧感が物理的に力を持ちかねない程シャルティアに叩き込まれ、しかし彼女は柳に風のよう……というよりは蛙の面に小便といった方が正しい。だがその腕の中にいるクレマンティーヌには効果覿面である。もう一度気絶したいと思いながらも、恐怖が過ぎて逆に気絶できないジレンマ。蒼の薔薇も多かれ少なかれ気圧されている――ついでにモモンガも。意に介していないのはラナーだけというあたり、支配者に相応しいのは実のところ彼女なのかもしれない。

 

「さて、ではそろそろお暇しようか。王女よ、現状をどう伝えるかは知らんが敵対するようならどうなるかは理解させておくことだな」

「はい、必ず」

「『蒼の薔薇』……お前達はいずれナザリックに招待しよう。シャルティアが世話になった礼もしたい」

「いえ、そんな…」

「――モモンガ殿、いやモモンガ様。私も三日後の会談に付き添う事はできないだろうか……ませんか。ツアーの方とは古い知り合いなん、です。私が居ればどうにかなるとは言わ、言いませんが、多少円滑に進むかもしれない。なにより知らぬところで友が決裂しあうのは……嫌なんだ」

「…ふむ」

 

 懇願してきたイビルアイに、モモンガはどうしたものかと考える。彼女が言う通り、いわば国同士の話し合いに知り合いが現れたからといってたいして結果が変わるとは思えない。しかし連れていく必要性もまた薄い――が。自分を強い瞳でしっかりと見つめてくるイビルアイに、モモンガは少し羨ましさを覚えた。

 

 自分が友に対してこんな態度であったのならば、こんなに強くあれたのならば。あの時、仲間同士が喧嘩して決定的に亀裂が入ることもなかったのではないか、と。小さな罅が広がっていくように仲間が消えゆくこともなかったのではないだろうかと。

 

「まあいいだろう……その、なんだ。冒険者枠の意見も必要かもしれんしな」

「ありがとう……ございます」

「さっきから気になっていんしたが、随分と歯切れが悪いでありんすなイビルアイ。どうしんした?」

「…敬語なぞ百年以上使っていないんだ。察しろ」

 

 バツが悪そうに目を逸らすイビルアイ。シャルティアに常識がどうの良識がどうのと語っておきながら、至高の存在限定とはいえ彼女でさえ使える敬語が使えないのは気まずいのだろう。というよりかは馬鹿にされそうで悔しいのかもしれない。そして、その通りである。

 

 そっぽを向くイビルアイの頬をつついて厭らしく笑いながら弄ろうとするシャルティア。しかしモモンガの『冒険者枠』という『言い訳』を聞いてラナーが即座に反応し、二人のじゃれ合いを止めた。

 

「…あら。でしたらモモンガ様、冒険者枠だけでなく王国や帝国の枠も必要かと存じますわ。『どちらかというなら』戦争など無い方がいいと考えている……そうお見受けしておりますが、お間違いありませんか?」

「う、む……まあそうだな。どちらかというなら、だが」

「シャルティアさんの仰っていた通り偉大で、そして優しい御方です。わたくし、これでも知識と知見に関してはそれなりのものと自負しております。知識そのものでは貴方様には及ばずとも、国の関係や詳細、その機微に関してはお力になれると思います」

「そ、そうか……あー……帝国に関してはどういうつもりだ?」

「帝国の皇帝は利に聡く無駄な事は好みません。戦争は一つの手段であり、損の方が大きければ、もしくは他に得することがあるならば別の方法を考える御仁ですわ。それに頭も回ります。わたくし共と貴方様を同列に語るのは些か不遜ではありますが、敵対している派閥を言葉で友好的に――そこまではいかずとも不干渉を約束させるなら、『そう』させたい派閥が多い方がなにかと有利ではありませんか? 組織の影響力という点ではお力になれませんが……人も、竜も、吸血鬼も、ゴブリンも、たとえオークであっても言葉を扱うならば『数』の利というものはございます」

「あ、はい」

 

 もうどうでもいいや、とモモンガは匙を投げた。この王女怖い、と。まるでデミウルゴスやアルベド(真面目モード)と喋っているようで――けれど彼等は曖昧に答えた部分は勝手にいい感じに解釈してくれる。間違っても言葉尻を捕らえて付け込んでくるようなことはありえないのだ。

 

 このままでは化けの皮が剝がされそうで、モモンガは一時撤退を決めた。骨なので皮はないが。

 

「調整をそちらでやるというならば好きにしろ。迎えは出す」

「ありがとうございます」

 

 満面の笑みで王女は深々と礼をする。そう、彼女にとっては言葉こそが武器だから。叡智溢れる支配者も、永く生き知識を蓄えた竜王も、法国の頭脳も、帝国の皇帝も、『席に着く』なら同列だ。言葉に地位はない。たとえ奴隷と王であっても対等なのだから。

 

 ――ああ三日後が楽しみだ、と『賢い』王女は『賢しらな』支配者に微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 法国某所。

 

「おのれクレマンティーヌぅぅ!! 自分だけ助かるか普通!? シャルティア様ぁぁぁ!!」

「うるさい吸血鬼だ……それよりこのおかっぱ頭は巫女姫と呼んでいいのか?」

「巫女……巫女……うーむ、巫女王子?」

「いや、おかしいだろう」

「まさか男でこのアイテムを使えるとはな。しかし格好はどうにかならんのか…」

「まさに。目の毒だ」

「えっ」

「えっ」

 

 神都を脱出するため、カジットの冒険が始まる。

 

 




あ、二人ともこの後助け出されました。

次が最大の山場なんですが、戦闘シーンがとにかく苦手なんであまり期待しないでね…


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成長は反逆なりて忠誠を真の如く

切りが良かったんで戦いは次にします……次回予告詐欺で済まない。まあでも、城之内君だって死すとか言われて死んでないから大丈夫だよね。


「では! これで『世界盟約』の条件変更、不可侵条約の締結、及び新たな『プレイヤー』の降臨とその扱いに対する約定がみなさんの認識のもとに一致したと考えます。モモンガ様のご希望通り、この同盟が開始されるのは明日以降。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に連なる方を発見した場合は包み隠さず伝達すること。法国は『絶死絶命』様の血以外の『神人』は子孫を残さぬこと。評議国は竜王の力の及ぶ限り戦争を回避すること。帝国と我が国に関しては現状の版図、国境を延ばさぬことと竜王国への援助を惜しまぬこと。これをもって同盟とし、破られた場合には『アインズ・ウール・ゴウン』の名のもとに対象を粛清する……以上でよろしいでしょうか? モモンガ様」

「うむ(どうしてこうなった)」

「僕も異論は……ない……よ?(どうしてこうなったのかな)」

「法国も了承する(何が起きたんだ…? なにか恐ろしいものの片鱗を味わった気分だ)」

「帝国も同じくだ(本気で化物だな、この怪物王女め)」

 

 勢力としては一番弱い王国の、さらに第三王女でしかない『ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフ』は、しかし誰の不興を買うこともなく、いつのまにか会議の主導権を握りその方向を華麗に誘導せしめていた。

 

 最初の標的になったのは法国だ。できる限り神人の血を残し、濃くし、評議国に対抗できる戦力を育てなければいけない筈の法国は何故か『絶死絶命』の直系のみを残していくことしかできなくなった。モモンガの威光を存分に使い彼らを手玉に取った王女は、その譲歩があればこそ当然のようにツアーからも譲歩を引き出した。

 

 『法国が自分達を脅かす戦力を持つことを認めない』――そんな竜王の傲慢な意見は、しかし通されてしまった。『ならば』お前達の仕事は踏ん反り返って食っちゃ寝することではなく、隠遁生活で安穏と過ごすことでもなく、人間を嫌う評議国の国民を宥めすかし、戦争をできる限り回避することだろう? と。

 

 帝国が何年もかけて準備を進めてきた王国侵略の企図をちゃっかりご破算にして、ついでに王国を『アインズ・ウール・ゴウン』の属国としても認めさせた。国を取った法国を、更に無力化したあなた方こそが支配者に相応しい――と。

 

 無論つまらぬ俗世の折衝は全て自分が受け持ち、是非利益のみを享受して頂きたい、と。法国の侵略は結果的に風通しがよくなったと微笑む彼女は、同席している人間、竜、骨を震撼させた。

 

 そもそも秘匿されていた『プレイヤー』だの『世界盟約』だの『百年の揺らぎ』だのはいったいいつの間に喋らされていたのだろうかと、法国の神官長は慄いていた。

 

「手を取り合う証として竜王国――ナザリック地下大墳墓に出向させる人物につきましては、後ほど各国で選出してください……ああ、帝国は『フールーダ・パラダイン』様で決まっておられるのでしたね」

「ああ。帝国が誇る主席魔法使いの出向こそがモモンガ殿への敬意の表れと理解して頂きたい」

 

 どうせ勝手に行くだろうし、という言葉は飲み込んだジルクニフ。ならば精々利用させてもらおうかというところが、彼を皇帝たらしめている強かさの証明である。

 

「竜王国への援助については物資が主でよろしいのですね?」

「せ、戦力についてはモモンガ様にお貸し頂いているもので十分だ。それより疲弊した国土をできるかぎり回復させたい…」

 

 王女と女王。どう考えても後者の方が地位は上なのだが、あきらかに気圧されている様は幼女の姿と相まって哀愁を誘う。なんというか、生物としての格が違うといった雰囲気だ。そこに関しても竜王の血を引く女王の方が有利な筈なのだが、現実は厳しいようである。

 

「ああ、今日はなんと良き日でしょう。それもこれも、争いを望まないモモンガ様の優しさあってこそ。慈悲溢れる支配は、あらゆる種族において繁栄の始まりになると確信いたしました」

「そ、そうか」

「さようでございます」

 

 あくまで圧倒的格下であることの礼儀は忘れない。けれどやっている事は悪魔でもなしえない奇跡のような綱渡り。適宜入りくる新たな情報を加味し、都度修正し、誘導し、不利益は飲む振りをしつつ躱し、けれど良き関係は交わし、つけ入る隙は迂遠について、敵を作らず寄り過ぎず。

 

 そしてその全てを彼女は平然とやってのけたのだ。それはモモンガの背後に控えるデミウルゴスでさえ舌を巻くほどの偉業であり、なにより主の意志を全て汲んでいる以上まったく口を挟む余地すらなかった――それこそがその驚愕の証明だろう。会話の主導権を握っていることこそが少々不敬である、というのは、しかし主から感じられる笑いともとれる雰囲気から全てを察することができた。

 

 全ては主の掌の上――解っている上でモモンガはそれに乗っており、幼子の稚戯を見守るように笑っているのだろう、とデミウルゴスは解釈したのだ。勿論モモンガの笑いは『全然会話についていけねーや』という空笑いである。

 

「――ではモモンガ様。締めていただいてもよろしいでしょうか」

「あ、ああ。ではこれをもって話し合いを終了するとしようか。あー……そうだな、かなり大きな枠組みでしか取り決めを行わなかったのは、基本的には不干渉を旨とするためだ。いきなり仲良くしろと言っても無理な話だろう。お前達が約定を遵守しようとしても、それに反するものは同じ勢力であったとしても必ず出る。しかし解決に向けて奔走し、努力しようというならば力を貸すというのも吝かではない。それをしかと理解しておくのだな」

 

 しかしなんだかんだと言って締めるところは締めることができるモモンガ。小卒だとは言えども、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長を務めあげた実績は伊達では無いのだ。それはナザリック地下大墳墓がこの世界にきた当初の振る舞いを見ても間違いない事実である。

 

 現実となったNPC、現実になったナザリック。変わった世界に消えた守護者。敵対する亜人に恭順する人間。全てに関して最適解を出したという訳ではないが、凡人には決してできぬ支配者としての責務を果たした、果たすことができたのだから。

 

 そして今この瞬間も支配者として果たすべき役割がある。ずっと棚上げしてきた、けれど絶対に忘れてはならない役割が。

 

「――さて、ああそうだ。『話し合い』は以上だな」

「…?」

「帰還したい者はそのまま好きにしてくれて構わない……ああドラウ。急な席を設けてくれたこと、感謝するぞ」

「は、はい…」

「残ってほしいのは……いや、ツァインドルクス=ヴァイシオン、残るべきはお前だけだな」

「…穏やかじゃないね。そのために同盟の開始は明日からと定めたのかな?」

「ああそうだ。他の誰でもない、お前だけが残しているものがあるだろう?」

「…?」

 

 どの方向性に会議が進もうと。どの国が不利益を被ろうと。最後にすべきことは変わらないと、モモンガは心の奥底に秘めていた怒りをだんだんと表に浮かべる。そうだ、あれほどの怒りが完全に鎮まる訳がない。予想外の恭順と、予定外の騒動で深い部分に沈んではいても消え失せるわけがない。

 

「まったく解せぬという顔じゃないか、竜王。腹立たしいな。『お前』はいったい何をしでかした? ああ、『お前』は何をしていない?」

「僕が何をしただって?」

 

 空気が質量を持ったように沈んでいく。暗い深海のような重圧を周囲の面々が感じ取り、しかし動けない。声すらも出せない、緊張感が場を満たしていた。

 

「自分の行動には責任を持つべきだ。自分の行動には因果がついてまわるものだ。たとえばそうだ……今回王国は長年の愚かさをその身でもって思い知ったな」

「…」

「帝国は、おお、今代の皇帝の優秀さで今までのつけを少しずつ清算しているようじゃないか。そして竜王国の現状はどうだ? なるほど、滅びの憂き目に遭いそうな折、私達がここに出現したのは偶然か? 彼等の尽力あってこそ幸運が重なったとは思わないか?」

「…何が言いたいんだい」

「法国はその過ちを、咎を、命と恭順でもって贖ったな。お前はどうだ、評議国永久評議員『ツァインドルクス=ヴァイシオン』 我が配下を襲撃し、洗脳された理由そのものを作ったお前はどうだと――どうだと、聞いているんだ……く、糞がぁあああああ!!」

「――っ!」

「このまま事もなく終わるだと!? 冗談も大概にしろ! しくじったとは思っていても、謬りとも過ちとも考えていない貴様の態度がどれだけ不愉快であったか解るか!? 慙愧に堪えぬと謝罪してきたシャルティアの姿を見て俺がどう――……っち。ああ、失礼した。『明日からの』同盟相手に取る態度ではなかったな」

 

 怒りの感情が膨れ上がっていき、破裂した瞬間に沈静された。それでも不快な感情は一定の波を刻んでモモンガを襲い来る。ああ、まったく不愉快だ。洗脳され、無様を晒した守護者をどうか罰してくださいと頼み込んできたシャルティアを見てどんな気持ちになったのかなど、目の前の竜は気にしていない。それがなによりも腹立たしい、と。

 

「ああ、それは悪か――」

「形ばかりの謝罪などいらん。何よりお前は『悪い』と思っていないだろう?」

「…」

「そこについてはどうでもいい。『何』を『どう』思うかは其々だ。永く生きてきたお前の認識は芯があるだろう。現状『悪い』と思えないならこの先もそう思う事はないだろうよ」

「そうだね。僕には僕の役割があって、それを全うするために行動した。それについて後悔はないよ……つまり、君はどうしたいんだい?」

 

 そう、ツアーにとって今回の事は竜王として当然の行い。洗脳されたことに対する悔しさとしくじりの気持ちはあれども、申し訳ないという気持ちは露ほどもない。勿論争いを回避するためならば頭を下げることができないという訳ではないが、心底で謝罪の気持ちが無い謝罪など、モモンガは望んでいない。故に選択肢は一つ。

 

「『落とし前』をつけろよ。私にとってお前の行動は許しがたい大罪だ。お前にとって自分の行動は当然の行いだ。ならば後は――互いの主張が平行線ならば、するべき事は一つだろう」

「…戦えと? それを君が望まないから、この場に僕達が集まったんじゃないのかな」

「そうだ。だからこれは『評議国の永久評議員』と『ナザリックの支配者』の戦いではない。組織同士の泥沼にはならん。『ツァインドルクス=ヴァイシオン』と『モモンガ』の戦いだ。何も矛盾していないだろう? 戦いの結果がどうあれ、明日には同盟が成立する。私が死ねば配下は必ず蘇生させるし、お前が死ねば同盟が成立しない以上、私は蘇生せざるを得ない。無論、死ぬのは貴様だがな。それで終わりだ。そこが終わりだ。遺恨は全て断ち切られる。争いを望まないために必要な争いだ……お前なら解るんじゃないのか? 暴力的な平和主義者であるお前なら」

「僕を殺す気でいて、遺恨は全て断ち切られるなんてひどいな。それに、その方法だと君が死んだ時に『NPC』達の遺恨が残るじゃないか。君がどう命令しようと、彼等がどう表面上を取り繕おうと、それは『遺恨』じゃないのかい?」

「ほう、私がお前に負けると?」

「へえ、君が僕に勝てるのかい?」

 

 軋む。空気が軋み、割れそうな程に圧がかかる。死の神の背後に控える悪魔からは悍ましい憎悪が竜王に向けられ、そしてその神と竜王の間には敵意と殺意が満たされている。普通の人間がここに居れば、間違いなく早々に意識を閉ざしていただろう。それは生物として当然の理で、極度の恐怖や緊張でショック死してしまわないための本能でもある。

 

 しかし今ここに居るのは人類という枠組みの中で、枠を逸脱したもの――もしくはそれに近い優秀な人物のみだ。人間でありながら偽にして真なる竜王。人類の守護者を標榜し、覚悟をもって実行してきた神官長。恐らくは歴代で最も優秀な皇帝。頭脳のみが人間を超越してしまった王女。

 

 彼等はその重圧の中、体を震わせながらも意識は閉ざさなかった。国を背負う者としての自負がそれを許さなかったのだ……まあ一名ほど、国などどうでもよく一人の男にしか興味のない人間も居たが。

 

「…了解したよ。僕は僕個人として君と戦おう。そして戦いが終わった後はなんの遺恨も残さないことを誓う」

「…了承してくれたことには感謝しておこう」

 

 どの道この過程を経なければ、評議国とナザリックの関係は破綻する。両者がそれを確認し、確信した。重圧が少し薄れ、どこで戦うかを決める段になってラナーから提案がなされる。

 

「でしたらカッツェ平野などいかがでしょうか。帝国と王国が長年戦争をしてきた場所ですし、そこなら戦争の痕も今更です」

「ふむ……ならばそうするか。お前はどうだ竜王」

「僕もそれでいいよ」

 

 ついでにアンデッド達が巻き込まれて死滅したらいいな、とラナーは微笑みながら内心で考えていた。あらゆる者にとって百害あって一利なしのあの場所。アンデッド達を一掃できたのならば領地として使え国が多少なりとも富み、竜王国に対する物資の援助も楽になる、と。

 

「では半日後、カッツェ平野にて貴様に戦いを申し込む」

「今からじゃないのかい?」

「この展開はお前にしても寝耳に水の出来事だったろう。準備時間を与えるのはせめてもの慈悲というやつだ。精々足掻けよ『ツァインドルクス=ヴァイシオン』」

「…それは助かるよ。君も墓の準備をしておくといい――ああ、とうの昔にできていたんだったね。大きな墳墓が」

 

 竜王の巨体がある以上、話し合いは外で行われていた。皮肉の応酬の後、ツアーは翼をはためかせて大空に飛び去った。それを見送った一同は、各自帰還の準備をし始める。

 

 帝国、王国にとって勝負の行方はどうでもいいことだ。気にならないと言えば噓になるが、遺恨を残さず同盟が締結されるというならむしろそちらの方がありがたいくらいだろう。法国にとっては両者が決裂して争うほうが好ましいとも言えるが、どちらにしてもここに残る意味はない。

 

 残ったのはモモンガ、デミウルゴス、ドラウディロン――そして少し離れたところで話し合いを眺めていたイビルアイだけだ。

 

「さて……一応言っておくがデミウルゴス、手出しは許さん。そして遺恨を残すことも、だ。後者については難しいかもしれんが、そうだな……長年いがみ合ってきた法国と評議国が矛を収めようとしている。よもや人間程度にできることがナザリックの配下にできぬとは思わせないでくれよ?」

「…っ、善処致します」

 

 ああなんと難しい事を仰るのだ、とデミウルゴスは胸に拳を当てる。主を危険に晒すのも、主を侮辱した蜥蜴を憎むなというのも配下としては抑えられずにはいられない。しかしその程度できずして何がナザリックの配下か、と言われてしまえばどうしようもない。遺恨を残せば、それは主を恥さらしにするのと同じことなのだから。

 

「デミウルゴス、一応皆の者に通達はしておいてくれ。それと蘇生の準備もだな。私はこれより戦いの準備に入る。何人たりともこの戦いを邪魔することは許さんと必ず周知せよ」

「はっ!」

 

 『誰の』蘇生の準備かを明言しない主に、唇を血が出るほど噛みしめるデミウルゴス。しかし命令を遂行せんと迅速にナザリックに戻った。会議の行方を気にしているシモベ達に新たな火種を投入することに心の中で嘆息しながら。

 

「モモンガ様……ご武運を。始原の魔法には気を付けてください。偽物の私とは違い、彼は十全にその魔法を使えます。特殊な効果を持つものも少なくありません」

「ああ、すまんな」

 

 そう言い残してドラウディロンは城に帰った。最後に残った二人は、気まずそうに顔を合わせる。モモンガにしてみれば必要な過程だが、イビルアイにとってはあまり歓迎すべき事態ではないのだろう。シャルティアのことは信用しているが、彼女の主にはまだ会って間もない。本当にツアーを蘇生させてくれるのか、そもそも蘇生できるのかという疑問が付きまとう。

 

 かつて死の神は絶対に蘇生できぬ死の魔法を扱ったと聞く。それを使わない保証は? あれだけ殺意が飛び交っていたのだから、彼等が約束を破らないという確信はできなかった。

 

「…」

「…」

「…シャルティアに会っていってもいいですか?」

「…? あ、ああ、勿論問題ないとも。ナザリックの者には『蒼の薔薇』の存在は通達してある。好きにしてくれて構わない」

「ありがとう……ございます」

 

 顔を俯かせて足早に去るイビルアイを、モモンガは複雑そうに眺めていた。こうなるのは解っていたのだから、やはり連れてこなければよかったのだろうかと。しかし、彼女の存在は自分に対する歯止め役でもあったのだ。激高がもし沈静化されなかった時、いきなり戦いになどならないように、と。まずあり得ないし、自分にそこまで自制心が無いとは思っていない。しかしシャルティアの恩人であり、ツァインドルクス=ヴァイシオンの友人でもある存在こそが『やり過ぎ』を留まらせてくれるかもしれないとモモンガは思っていたのだ。

 

 シャルティアと何を話すのか、何を語るのか。少し気にはなったが、自分にも目の前に迫る戦いの準備がある。レベル的には自分が僅かばかり優位なようではあるが――『竜』という種族はユグドラシルにおいても特別な存在だ。プレイヤーが選択することはできず、高レベルの竜は集団戦でしか倒せないものも多い。加えて敵は未知の魔法を使うというのだから、油断などできよう筈もない。

 

 ナザリックに転移し、預けていた指輪を受け取り自室へ戻る。あらゆる局面を想定した備えと、切り札の準備。彼の最大の武器はワールドアイテムでもなく、魔法の種類でもない。しっかりとした準備と想定を練り、知識の量そのものが『PVP』の勝率を押し上げているのだ。

 

 全ての準備を終えたモモンガは、ぶくぶく茶釜の声が入った腕時計の時報を確認し、自室を後にした。

 

 

 

 

 

 ――そして時はやってくる。

 

 日本人らしく時間よりかなり早めにカッツェ平野に到着したモモンガ。果たしてそこに居たのは、低位のスケルトンを始めとするアンデッド達――ではなく。

 

「…何故ここにいる」

「あにはからんや、それを御方が聞きんすとは」

「私は何故ここに居ると聞いているのだシャルティア!」

 

 片膝を突き、完全武装で頭を垂れるシャルティアの姿であった。




この作品終わったらどうするかな……とか最近考えるんですが、結構ネタは浮かんでるんですよね。

モモンガ様の内なる声が実は周囲にダダ漏れている『鈴木サトラレ』とか、過去ギルメンが全員女性だった場合のオーバーロードを書いた『ペロリンチーナさん』とか。

誰か書かない?


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恋、愛。

最終話です。アイテムに関する捏造や独自設定あり。


 深い霧に包まれたカッツェ平野。十数メートルも歩けば元居た場所が判らなくなるほどの、そんな場所で主従は対峙していた。主は困惑と怒りを。従者は決意と歓喜を。生者はなく、死者のみが集うこの地にて言葉を交わす。

 

「シャルティア。デミウルゴスから聞いていないのか? 私は誰も邪魔をするなと伝えた筈だが」

「聞いております。けれど参りました」

「何故」

「忠義故」

「下命に抗すか」

「大義故」

「それが裏切りであってもか」

「それが存在理由である故に」

 

 モモンガは歯を噛みしめて、沈静化の波を越えて心をざわつかせた。

 

 ああ、何故お前がここにくる。

 

 ああ、何故よりにもよってお前が。

 

 戦う理由が戦うなどと、笑い話にもなりゃしない。ナザリックを離れていたのに忠義を履き違えるのか。ナザリックを離れていたから忠義を履き違えるのか。違うだろう。違うだろう? 本当に主の意志を汲むなら、これは違うだろう。

 

 成長したと思っていたお前が、きっと一番解ってくれると思っていたのに。成長した筈のお前だからこそ理解してほしかったのに。それとも離れた時間は、その分ナザリックとずれただけだとでも言うのか。籠の鳥は放すべきではないと。窓を開けてはいけないとでも。

 

 ああ、私にそう思わせるなシャルティア・ブラッドフォールン。私はお前のために――

 

「モモンガ様、お可哀そう」

「なっ……に、を――」

「何故も何も。私は貴方様の盾。守護し、矛となり、腕となるもの。デミウルゴスのように拳を握り締めながら待つのも。アルベドのように解った風に待つのも。守護者としては違います」

「それが配下たるものの至上だ。みな私の意志を尊重し、汲んでいる」

「モモンガ様」

「――なんだ」

 

 ふっと微笑んで、シャルティアは立ち上がる。血のように紅い出で立ちで、彼女は優し気に、神官の名に違わぬ雰囲気で言葉を紡ぐ。

 

「私は、貴方の配下です」

「ああそうだ」

「貴方は、私の全てです」

「…そうか」

「故に私は貴方の心のままに」

「ならば此処から消えよ。振り返り、何事もなかったように。そのままナザリックへ帰還せよ。どうか私を失望させてくれるな」

「嫌です」

「――っ」

 

 こんな配下はナザリックに居ない。こんなNPCはナザリックに存在しない。そうあれと創られた者以外に、自分の言葉をここまで無下にするものなど有り得ない。成長ではなく、変化。悪くないと考えていたそれは、結局自分の願望でしかなかったのか。過ぎれば造反を招くのか。ああ――ナザリック以外との交流など、馬鹿げた話だったのだろうか。そんな暗い感情がモモンガを支配する。

 

 けれど、吸血姫の口上はまだ続く。

 

「モモンガ様」

「…」

「本当に、戦いたいのですか?」

「なっ…!」

「私のために? ナザリックのために? 配下への示しのために?」

「ああ――そうだ! その通りだ! それが解っているなら何故止める!」

「守護者故に」

「それは聞き飽きた! ならばお前は――」

「守護者故に、モモンガ様の御心を護りたいと」

「…っ!?」

 

 動揺を露にする主と、冷静に語り続ける従者。酷く対照的だ。それでも美姫は、狼狽したかのような死の支配者を揺らし続ける。それが最善だとでもいうように。それが使命と言わんばかりに。

 

「お可哀そうです、モモンガ様。誰とも何とも戦いたくもない癖に。お可哀そうです、モモンガ様。誰にも心を開いていない。お可哀そ――」

「黙れ! 何を――何が言いたいというのだ!」

「私はナザリック地下大墳墓、階層守護者『シャルティア・ブラッドフォールン』 至高の御方を守護する者。主が心を痛めているというのに看過はできません。命じてください、モモンガ様。 巫山戯た竜を懲らしめよと……ああ、どうか。どうか嫌な事は嫌だと仰ってください。我慢をしないでください」

「なっ――!」

 

 少し離れていた両者の距離を、少女が詰める。たとえ不敬であっても。たとえ許されなくとも。守護者が主の心を護れぬことなどあってはいけないと。至高の御方に無理をさせて何が守護者かと。

 

「…私はギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドマスターであり、至高の41人を統括する存在だ。お前達がそうあれかしと創られたように、私は全てに対し責任というものがある。それに……ああ、つまらぬ勘違いだとも。死の支配者たるこの私が無理をしているなどと」

 

 強大な力を持つ支配者が。全てを知る全能の死の王が。恐れを知らぬ――恐れそのものであるオーバーロードが。戦う事を嫌がるなどと、争う事を忌避するなどと、誰が聞いても一笑に付すだろう。故に有り得ない、とモモンガは乾いた笑いを零す。そんな支配者を。そんな主を痛ましく見つめ、少女は語りだす。

 

「…短くて、長い旅をしました」

「…?」

「初めて言葉を交わした者は、仮面を被っていました」

 

 話し始めるシャルティアを見ながら、今までと同じようにモモンガは本心を押し殺す。

 

 誰にも弱さを見せぬように。誰かに『それ』を侮られぬように。配下に無能を晒さぬように。見限られぬように、見破られぬように、モモンガは細心の注意をはらってきた。心休まる時はあまりなく、けれど心休まる必要もない体になった。それでも無理やりに友と言えるものを作ったのは、消えていく人間の心を繋ぎ止めたかったからだろうか。変化する自分の心が怖かったからだろうか。そのせいで人間らしい心が残っているのは、正しかったのか。

 

「猫かぶりが滑稽で、けれど何よりも自分の欲を優先する狂人がいました」

「…」

「自由はすぐ傍にあるというのに、鎖で雁字搦めになっている小娘がいました。自分が苦労すれば大丈夫、と」

「…」

「狂人を名乗る小心がいました。単なる玩具で意気地なし、そんなひょうきん者が。でも、助けに来てくれた」

「…」

「誰しも仮面を被っていました。滑稽でした。矮小な人間種は、脆弱な存在は、自らを偽らねば生きることもままならぬのかと嘲っていました」

「…そうか」

 

 目を閉じながら旅を語る少女を、少しの相槌を打ちながら見守る支配者。

 

「違うのですね、モモンガ様。仮面は偽りで、けれど慮りでもありました」

「…」

「名前を預けられました。きっとそれは外れた仮面でした。小鳥は鎖を千切って飛び立ちました。その時『ああ、いいな』、なんて思ってしまいました」

「…」

「仮面を渡してくれるのはなんて心地いいのか、と。鳥が飛んだ……それだけで少し嬉しくなるな、と」

「…ああ」

「モモンガ様。モモンガ様。最愛の慈悲深き至高の御方。どうか仮面を御取りください。ナザリックを籠にしないでください。我等にとってナザリックこそが大空でございます。どうか――お護りさせてください」

「…」

 

 何者にも曲げられぬ強さを持った瞳で見詰められたモモンガは、仮面に罅が入ったことを感じた。

 

 ああ、最初から見破られていたのだろう。詰まらぬ自尊も、『怒らなければいけなかった』ことも、乾いた見栄も。

 

 失態を演じても盲目的な愛が隠してくれる。見当違いの指示を出しても盲目的な忠心が隠してくれる。けれど彼女は、消えていた彼女は、自分と一番離れてしまった彼女は――違った。彼女だけが知っていた。あるいは『だからこそ』

 

「…お前のそれは仮面ではないのか」

「その通りでございます。モモンガ様」

「それでも私に仮面を取れと?」

「――モモンガ様」

「な、なんだ」

 

 真剣だった瞳が。優しかった瞳が。ガラリと変わって主人を詰る。少しの吃音を漏らす支配者は、たじろぎながらどもる。

 

「野暮です」

「…野暮か」

「はい」

「私が、野暮か…」

「とても、とても野暮でございます。女性の想いを汲むのは男の義務故に」

「そうか……ふっ、はは…! そうか、俺は気を使えない支配者か!」

「支配者が気を使う必要などございません。気を使わせるのです。けれどモモンガ様、男は女に気を使うものです」

 

 女に向かって男が言ったのだ。『お前も仮面を被っているのに私には仮面を取れ』と、そういうのか、と。モモンガはそう問いかけたのだ。ああ、それはなんて野暮だろうか。

 

 自嘲しながら、けれど至極楽しそうに笑う支配者を見て彼女は仮面を付け替えた。もう大丈夫、とばかりに。そうあれかしと創られたから。けれどそうありたいと心から思えたから。

 

「知っていんすかモモンガ様。女の仮面は美しさの分だけ数がありんすの」

「…ほう。なるほど、それならば確かに先程の私は――ああ、酷く野暮だな」

 

 廓言葉は拠り所。涙を隠す、彼女にとっては偽りの仮面。けれど、今はきっと――大切なものに繋がる絆の一つ。ツアーが死ぬのは見たくない、お前が死ぬのも見たくない、と俯く少女に彼女は微笑んだ。故に今からはこの仮面。

 

「男に仮面はいりんせん。けれど、女は飾りにも使いんす……モモンガ様」

「…あちらも着いたようだな」

「モモンガ様」

「…はぁ。よりによってシャルティアに見透かされるのか……ちょっとショックだ。引き籠りたい。引き籠ってみんなが来るのを待っていたい……なんて、失望したかシャルティア?」

 

 偉大なる死の支配者から一転――うらぶれたような、やさぐれたような、肩の煤けた青年の姿が見えた。それをとても、とても嬉しそうに受け入れる真祖の吸血姫。

 

「――いいえぇ、モモンガ様。とてもとても魅力的でありんす」

「ふん、この際ぶっちゃけよう。あの王女。なにあれ。話してると頭痛くなるんだが」

「わらわは愉快でたまりんせんが」

「それとあの『お椀』とかいうのはなんだ? 胸を大きくする裏組織っておかしいだろ!」

「わらわとは正反対の、胸に恵まれぬ女性――その味方。そんな存在にわらわはなりたいでありんす」

「…」

「…」

「それとあの忍者娘。マーレに執着しすぎだ! 目の前で抱き着くわ、ぐちゃぐちゃになりかけるわ…!」

「くわしく」

「ああもう! ペロロンチーノ!」

「ペロロンチーノ様がどうかしたでありんすか?」

 

 モモンガがこの世界にきて内心で突っ込んだ数、数百と少し。けれどそれを表に出したのは両手で数えられるほど。鬱憤は沈静化で抑えられるかといえば、確かにそうだろう。しかし全く何も残らないなどということがあるだろうか。少なくとも、モモンガは今色々とぶっちゃけたことに非常に開放感を感じていた。

 

 嘘をつかない。見栄を張らない。それだけのことがなんて気を楽にするのだろうか、と。彼女の言葉通り、彼の心は守られたのだろう。重荷を外されたのだろう。

 

「――まったく……いや、お前はそうあるべきなんだろうな」

「…?」

「気にするな。それより今は大事なことがあるだろう?」

「――はい」

「シャルティア。シャルティア・ブラッドフォールン」

「あい」

「よきにはからえー」

「…」

「冗談だ」

「そこは締めてほしかったでありんす、モモンガ様」

「はは、悪いな。ああ、それと――そうだ。モモンガではなく、鈴木悟だ」

「…スズキ、サトル?」

「そうだ。それが『俺』の名前だ」

「…くふ。はい、行ってきんすサトル様。シャルティア・ブラッドフォールン、必ずや勝利を御身に」

 

 深い霧を突き抜けて、白銀が舞い降りる。竜の王者の風格を漂わせ、世界の超越者の名に相応しく。ずっとずっと遠くから二つの強敵を知ってはいたけれど、そんな無粋はありえないと威風堂々舞い降りる。

 

 深い霧を突き抜けて、紅が舞い上がる。真祖の姫の体貌を見せ付けて、守護者最強の名に相応しく。きっときっと自分に近い強敵ではあるけれど、それでも敗北はありえないと威風凛々舞い上がる。

 

「待たせたみたいだね」

「詫びは体で払ってもらいんすから、気にせずともよいでありんす」

「…ごめん、僕に異種族交尾の趣味はないんだ」

「わらわも流石に竜は無理」

「そっか。じゃあ問題ないね」

「ふん、揶揄いがいのない竜でありんすな」

「永く生きてるとね、少々の事では動じないんだ。それに、なんとなく君と戦うような気はしてたから」

 

 中空で停止しながら言葉を交わす竜王と吸血鬼。どちらも翼をはためかせてすらいない。人間には魔法を使わなければ届かない高み。けれど彼等は自然体でそこに在る。生物の頂点としてそこに居る。死者の頂点としてそこに在る。

 

「じゃあ――」

「さあ――」

 

 視線が交差する。もはや言葉は要らぬと。後は体で示せと。全ては戦いで決せと。

 

「始めようか」

「終わりにしんしょうか」

 

 白銀と紅が、空に舞う――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後に語り継がれる伝説。熾烈を極めた竜と吸血鬼の決闘の御話。一晩続いた、二人だけの戦争のお話。

 

 白銀が煌めいて、紅が輝いた物語。

 

 死者が蔓延る平原で、暴風が吹き荒れた。暴虐の嵐が全てを破壊した。竜王の吐息は強大で、竜王が放つ魔法は圧倒的。吸血鬼の真祖が振るう槍は凄まじく、吸血鬼の真祖が放つ魔法は破滅的。

 

 一晩で死者の平原は消え去ってしまった。

 

 全てを呑み込む爆発があった。全てを焼き尽くす炎があった。それは人々が語り継いできた神々の戦いそのもので、けれど残ったのは破壊の痕のみ。霧は晴れ、陽は差した。それでも人が住むにはあまりにも荒れすぎて、それ以上に畏れおおかった。

 

 何度も何度も二つが交差して、幾度も幾度もぶつかり合った。終始優勢だったのは紅で、それでも白銀は食い下がる。竜の王たる誇りを胸に。世界の守護者たる責任を背に。禍々しい投擲槍で翼を撃ち抜かれても、自慢の牙を悍ましい盾で防がれても竜王は食い下がった。

 

 竜の魔法は紅の吸血鬼を苦しめた。見たこともない、聞いたこともない、効果すら解らない古より続く始原の魔法が彼女を苦境に立たせた。攻撃も優っている。防御も優っている。速さは互角。それでも倒しきれぬ竜王を、吸血鬼は素直に称賛した。ああ、だからこそ勝利に価値がある、と。

 

 けれど終わりは当然のようにやってくる。夜が明けて、日の出とともに戦いは終焉を迎えた。終末戦争のように、辺りには破壊しか残っていなかった。荒れ地の空の上、二つの影が交差して――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――っ!!」

「――ああぁぁぁ!!」

 

 魔力はとうの昔に尽きていた。自身の肉体とスキルのみを頼りに、彼女は命ともいえる大切な槍を振るう。もう眷属すら召喚はできない。それは体力の限界と同義であり、自身が刻一刻と死へ向かっていることを彼女は実感していた。侮っていたつもりは毛頭ない。けれど予想を超えて食い下がられた、と。

 

 けれど大切な主がずっと見守ってくれている。ならば敗北など有り得ぬと。ああ、この身に感知スキルなどないというのに、確かに感じている。主の心配と、主の期待を。

 

 そして――そして、その隣にある小さな同族の気配を。

 

 いつのまに来たのだろうか。どうやってきたのだろうか。何故きたのだろうか。そんな疑問が死闘の最中でも頭を過り、けれど答えなど解りきっているかと自嘲する。

 

 そう、だからこそ己はここにいるのだから。主の心を御守りし、彼女の不安を晴らすために。それに、ああまったく。主の厳命だからと此処にこないシモベより、よほど見込みがあるじゃあないか。口角が吊り上がる。頗る昂る、滾る。

 

 負けるわけがない。名を二つ、確かに預けられたのだから。『鈴木悟』という男のために、『キーノ・ファスリス・インベルン』という女のために。

 

 負けるわけがない、世界を護りたいだけの竜王などに。世界より大切なものがない、そんな輩に――『負けるわけがない』。

 

「――君がもう少し、経験豊富ならきっと負けてたよ」

「…ぐううぅぅぅっ!!」

 

 至高の存在達をして脅威と言わせしめたシャルティアの分身、エインヘリヤルは竜王の上空に……そして本体は竜王のすぐ下に。急降下するツアーの咢が彼女に迫り、けれど体勢は整わない。分身は竜に追いつかない。既に両者ともに理解していたのだ。決着は数秒もかからないと。

 

 勝負を分けたのは、きっと経験値。数値上のそれではなくて、永き年数を生き抜いてきた経験値。設定上のそれではなくて、過去の争いを耐え抜いた経験値。歴戦の猛者であり、なのに戦い慣れているとは言い難い吸血姫の歪な戦い方に、彼は勝機を見出したのだ。

 

 シャルティアの顔が歪む。こんな筈ではなかったのに、と。

 

 シャルティアの顔が歪む。こんな『勝ち方』はまったく優雅でないな、と。

 

「え――?」

「くふ。経験ならわらわは豊富なのよ。けれど――言ったでありんしょう? 流石のわらわも竜は趣味ではありんせん、と」

 

 名を預けられた。友誼を結んだ。そして大切なものを交換した。いずれは返し、いずれは返してもらうと約束したものを使わせ『られる』なんて、本当に美しくないと彼女は思った。他者と位置を交換するアイテム――それがスキルによって生み出された存在まで対象になるかなんて、博打もいいところ。そんな事を考えながら竜王の『背後』で彼女は笑った。

 

「――あああぁぁぁっ!!」

「くっ…! あ――」

 

 ボロボロの翼を穿ち、白銀の体を紅の弾丸が撃ち抜いた。一晩続いた空の戦いは終結し、勝者と敗者が地に墜ちる。並んで横たわる姿は同じでも、どちらが勝ちかは明白だった。

 

「はぁ、は――っ……わらわの勝ちでありんすな」

「…そう、みたいだね」

「ぬしの負けでありんすな」

「…そう、なるのかな」

「これでわらわの配下となったわけでありんすが」

「…うん。……うん? いやいやいやなんでそうなるのさ!」

「くっ、ふふ。ようやく慌てる姿が見れんした」

「むっ…」

 

 死に体ではあるが――死んではいない。シャルティアは最初から死んでいるが。

 

「ふう、殺さないように手加減するというのも難儀でありんした」

「よく言うよ」

「くふ……嘘か真か、どちらがいいでありんすか?」

「…聞かないでおくよ」

「強敵でありんしたのは事実。称賛は素直に受け取りなんし」

 

 なかなかやるじゃねーか。ふん、お前もな。要約すればこんな感じである。兎にも角にも戦いは終わり、朝陽が二人を照らした。主と友人が近づいてくるのを感じ、シャルティアは身を起こす。

 

「…」

「どうしたんだい?」

「…ぬしと戦ったのがわらわでよかったものか、と。御方は成長と仰ったけれど、悪い変化でないものか、と。わらわが気付いていないだけで、ただ御方を軽んじてしまっただけではと。ナザリックを離れた分、何かを失ったのではないかと。疑問は尽きんせん。ぬしに言ってもしょうがありんせんが」

「ああ、そういえば君だけ別の場所に現れたと言っていたね」

「旅をすることに意味はあったのか、ずっと気になっていんしたの。御方が必要と言ってくれたことに疑いはありんせん。けれど……何故わらわだけが、と」

「偶然じゃないのかい?」

「…」

 

 要らないから弾きだされた。至高の存在にそれを否定されても、ほんの少しだけ不安が残るのは仕方のないことだろう。それだけ孤独は彼女を傷つけたのだ。

 

「旅……旅、か。そういえば君の主人と同じ『プレイヤー』が言ってたっけ」

「…?」

「『可愛い子には旅をさせよ』だったかな? キーノ達と冒険をしたんだよね。それに意味は無かったかい?」

「…」

「僕も本当の意味で冒険をしたわけじゃないけれど……永い時の中でも、その思い出はずっと輝いてる。僕の、ツアーと呼ばれた僕の冒険には最高に意味があったよ。君はどうだい?」

「…くふ。説教臭いのは爺の十八番でありんすか。そう、そうでありんす……わらわの、シャルティアの冒険は――」

 

 最高に、意味があった。彼女は満面の笑みでそう言い放った。 

 




年(度)内完結の約束を守れてよかったよかった。

ほんっとに難しいですね、二次小説って。はっきりいってうまく書けたとは言い難いですが、これが今の精一杯でした。最後らへんでエタる人がいるのも納得です。

一年間くらいかな? お付き合いありがとうございました。まどか☆マギカの方を仕上げたら、また新しいものを書くと思いますので、よろしくお願い致します。

あ、エピローグ残ってますけど。


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エピローグ シャルティア・ブラッドフォールンの冒険

エピローグです。五分前に最終話を投稿していますので、間違わないようにお気を付けください。

…最終話にかけた時間が半月。エピローグにかけた時間が一日。書き物ってのは本当によく解らない。


「あらシャルティアさん。どうされたのですか?」

「…王都に用がありんしたからついでに寄っただけでありんす」

「言ってくださればおもてなしさせて頂きましたのに」

「く、くひゃっ。わらわは無粋な女ではありんせんの。『それ』の調教で忙しいのでありんしょう? すぐにお暇しんす」

 

 王城……というよりか王女城といったほうがもはや正しいようなこの場所。シャルティアは自分が管理している組織の視察に向かうついで、黄金の姫に会いに来たのだ。しかしいざ久しぶりにあってみれば、なんとも面白い状態になっているではないか。

 

「調教だなんて……これは二人の信頼の証です。ねえクライム」

「はいラナー様!」

「鎖付きの首輪が信頼?」

「ええ」

「くく、本当に見ていて飽きんせんな、ぬしは」

「他人の色恋など気にしても仕方ないですよ。スレイプニルに蹴られても知りませんよ? それよりシャルティアさんの方はどうなんですか」

「ふふん、万事問題ありんせん。ゴリラなどもはや敵にもなっていんせん。くふ、くふふ……心で繋がっているのでありんすよ」

 

 二人きりの時には『サトル様』と呼ぶ許しを得たシャルティア。既に彼女とアルベドには覆すのが難しい程に差がついていた。毎夜藁人形に五寸釘を打ち込む音が響くナザリック。アインズ・ウール・ゴウン七不思議にでも登録されそうな怪奇現象だが、その真相は誰もが知っていたため、謎にはなりえない。

 

「では今後もナザリックのために励みなんし。わらわはもう行きんす」

「ええ、またいらしてください。歓迎いたしますよ……えいっ」

「わうんっ! …はっ、はっ、はっ」

 

 クライムの今の姿がどういうもので、ナニがどうなっているかは省略しよう。とにかくラナーは今の環境に非常に満足しており、クライムもクライムで一応幸せなのかもしれない。少なくとも世紀の美女の犬になりたい男など掃いて捨てるほどいるだろうし、望んでもそんな立場になれるわけがないことを思えば、役得な部分だってあるだろう。

 

「さてさて…」

 

 随分と整備がなされた王都の街並みをシャルティアは練り歩く。昼夜構わずアンデッドが作業しているのだから、効率という面では人間を遥かに上回っていることは間違いない。優雅に日傘を差しながら、目的の建物を目指す。

 

「ふふ、ふふ……ああ、なんて素晴らしいのでありんしょう。世界が輝いているかのよう!」

 

 シャルティアがここまで浮ついているのには訳がある。それは『お椀』からの報告――豊胸薬の試作品ができたとの報告を受けたためだ。まだ人間種にしか効果はないらしいが、研究が進めばいずれ吸血鬼にだって効くだろう。そんな都合の良い妄想をしながら、彼女はハミングしながら通りを歩く。

 

「シャルティア」

「ふん、ふん、ふん~」

「…シャルティア」

「…ん? おや……アルシェ?」

「ん」

 

 そんな彼女の目の前に、まったく予想もしていなかった人物が現れる。帝国で別れ、それからまったく沙汰もなかったアルシェだ。鳥籠を抜け出せたのかも知らないシャルティアだったが、目の前の少女の様子を見て薄く微笑む。ああこれは自分が好きな眼だ、と。

 

「どうしんしたの? こんなところで」

「約束」

「約束?」

「ナザリック地下大墳墓の情報……もうとっくに知ってるだろうけど」

「ぷっ、くっ…! あっはははは! これだけ名が出回っていて、『情報』! 律儀にも程がありんしょう!?」

「でも、約束したから」

 

 腹を抱えて笑い転げるシャルティア。嘲っているようにも見えるが、その表情には柔らかいものが垣間見える。

 

「わらわに会いたかったという方が、まだしも理由としてはありんしょうに! く、ふふっ!」

「それもある」

「…ふむ。何故?」

「ただ会いたかったから……ダメ?」

「くふ、愛い奴ではありんせんか」

 

 本気とも冗談ともつかないアルシェの言に、シャルティアはますます口元を緩める。小鳥はもう既になく、立派な鷹が空を羽ばたいていた。それが嬉しくて。そしてそんな彼女の前に更なる闖入者が現れた。

 

「シャルティア!」

「…おや、ティアでありんすか。そういえば随分と久しぶりに見んしたな」

「もう少しこっちに来るべきそうすべき。ベッドが寂しい」

「…下僕が主人に命令するなんて、お仕置きが必要でありんすか?」

「ばっちこい」

 

 通りで二人の美少女が話していれば当然目立つ。そして噂が人の間を駆け巡るよりも早く、それを目敏く見つけた忍者が一人。シャルティアがナザリックに戻ってからというもの、一人で慰める日々が続いていたのだ。主人の気配を感じれば、それはもう狂犬のように駆けつけてくるのは必然でしかない――そしてその仲間も。

 

「っち、どこ行ったんだあのバカ忍者……ゲェーッ! お嬢!」

「げぇ、とは随分でありんすな」

「じょ、冗談冗談、ははは……で、どったのこんなとこで?」

「ちょいと野暮用でありんす。それよりぬしがいるということは…」

「あ、うん。この馬鹿が急に消えたから手分けして探してたんだけど……あ、きたきた」

 

 遠目から駆けてくるイビルアイの姿に手を振って合図するクレマンティーヌ。彼女も彼女でかなり『蒼の薔薇』に馴染んでいるようだ。以前あった壁のようなものはもう見られない。法国との因縁が完全になくなったことが影響しているのは事実だが、それだけではないこともまた真実だろう。

 

「シャルティア! …と、そっちは誰だ?」

「イーちゃんイーちゃん。あれはお嬢の……で、……の、……なのよ」

「なに?」

 

 ラキュースとガガーランは別の方向を探しているためいまだ姿は見えず、此処に集っているのは現在五人。シャルティア、アルシェ、イビルアイ、クレマンティーヌ、ティア。面識の無いアルシェを見て疑問の声をあげるイビルアイであったが、それを制止したのは意外にもクレマンティーヌ。兄が死んで――復活はしたが――彼女はかなり穏やかになったのだ。

 

 そして制止の理由といえば、アルシェに対する勘違い。彼女はいまだにアルシェの事を絶倫絶技の淫猥少女だと信じてやまないのだ。シャルティアを一晩でぞっこんにさせた百戦錬磨の女だと。

 

 だが――ここでそんな事を口に出すのは愚策だろう。狂気が治まったのはいいが、迂闊で調子に乗った発言はまだ治っていないようである。

 

「…な、なに?」

「じー…」

「こいつがそんな…?」

 

 クレマンティーヌはイビルアイの耳元で呟いただけだったが、元暗殺集団のトップであるティアが小声とはいえそれを拾えない筈もない。粘着質な眼でアルシェを見つめ、イビルアイも思うところがあるかのように視線を向ける。

 

「いま、暇?」

「…忙しくはない」

「ちょっとツラ貸せや……へぶっ!」

「何を言ってるんだお前は! すまん、こいつは少し変態なところがあってな」

 

 アルシェの肩に腕を乗せ、そのまま宿へ連れ込もうとするティア。流れるようにイビルアイがカカト落しを決め、彼女を地に沈めた。泥だらけの顔で、ちょっとテクを教えてもらうつもりなだけだと言い訳を繰り返すティア。いや、それがダメなんだろという突っ込みがクレマンティーヌから入った。

 

「そういえばアルシェ。ぬし、今はどうしていんすの? 妹がいたと記憶していんしたが」

「信頼できるところに預けてある。お金に余裕もできたから」

 

 ワーカー稼業では妹達の世話をすることなどできない。悩んだ結果、元使用人兼友人のところに預ける事となったのだ。金銭的にあまり余裕がない彼に、その援助と母親の病気を治せる高位の神官への繋ぎを約束して。人間的には心配していないが、魔眼持ちでわりとイケメンで病弱な母親を治すために奮闘し、そして魔法も使える将来有望な男なだけに違う意味では心配しているようだが。

 

「なるほど。なら少しナザリックに寄っていきなんし。ぬし、それなりに希少なタレント持ちでありんしょう? 至高の御方が色々と調べているようでありんすから、役に立ちなんし。充分すぎる褒美も貰えんしょう」

「…いいの?」

「拒否権などありんせん」

「…ふふ。ありがとう」

 

 なんだか通じ合っているような二人を見て、ハンカチを噛むティア。少し眉を顰めているイビルアイ。それをおかしそうに眺めながら、クレマンティーヌはシャルティアに提案した。

 

「お嬢も今日は暇なの?」

「モモンガ様は配下にもきっちり休暇を取らせる優しき御方。自らも三日に一回休暇を取ることで規範を示していんすの。上に立つ者がそうすれば下も倣うでありんす」

「(だらけてるだけじゃね…?)そっかー……じゃあさ、久しぶりに一緒に冒険しない? ちょっとめんどくさい依頼が入ってるんだけどさ」

「む…?」

「ついでにアルちゃんも一緒でいいからさ。勿論報酬は均等ってことで!」

「ふーむ…」

「『蒼の薔薇』と一緒ということ?」

「そそ。アルちゃんもミスリルくらいっしょ? 問題ないない。割っても破格の報酬だし。なんせ皇帝からの依頼だしー」

「おい、勝手に決めるなクレマンティーヌ。だいたい部外者をいきなりパーティに入れるのは危険だろう」

「お嬢がいれば危険もなにもないって」

「む、まあそれはそうだが…」

 

 ティアのために提案をした――などということはなく、こんどの依頼はかなり遠方まで出向かなければいけないからだ。ぶっちゃけると足がわりである。クレマンティーヌは馬車が嫌いなのだ。

 

「…まぁ、退屈しのぎにはいいでありんしょう」

「さっすがお嬢!」

「まあラキュースも断りはしないだろう。アルシェといったか、お前はいいのか?」

「問題ない。装備を揃えたいからお金もほしい」

「ならいい。向かう先はドワーフの国だ。日数がかかる予定……だったが、シャルティアが居るなら日帰りも可能か」

 

 美女美少女が話し込んでいる王都の通り。話が纏まりかけたところで、ようやく残りのメンバーが集う。

 

「やっと見つけた……ってシャルティア?」

「おお、久しぶりじゃねえか! お前さんもちっとは顔出せよな」

「久しぶり……マーレは?」

「わらわはナザリック地下大墳墓の階層守護者。そう易々と会えるとは思いなんし」

「お嬢の休暇はー?」

「三日に一回」

「会えるじゃねえか!」

 

 三人がアルシェのことを説明され、そしてラキュースが勝手に決めるなと憤慨するのは様式美。決定権はわらわにある、という言葉もである。

 

 わいわいと騒がしく、姦しく談笑する彼女達。一度宿屋に戻るということで、大所帯で歩き始める。

 

「そういえばピニスンはどうしていんすの?」

「宿屋のマスコットになってる。この前掘り返されそうになって泣いてたけど」

 

 わいわいと楽しそうに、嬉しそうに談笑する彼女達。ずっと一緒にいられるわけじゃないけれど、仲間が揃えば心強いのは当然だ。

 

「そういやお嬢ー。この前カジッちゃんが来てたけど」

「…?」

「あ、忘れてるならいいや」

 

 ナザリック地下大墳墓の階層守護者であっても、彼女は確かに薔薇でもあった。少なくとも、今傍から見れば間違いなく彼女達は仲間だろう。

 

「何故皇帝の依頼が王都の冒険者に? それに、ドワーフの国…?」

「法国の目がなくなったんでな、ここんとこ貿易が盛んになってんだ。それに帝国にはあんま強えのがいねえだろ? 結構きつい任務らしいから俺らにお鉢が回ってきたわけだ。ま、一応名目は最初の調査だけどな。人数が必要になれば騎士団が出張ってくるだろうよ」

 

 いつも胸に期待と不安を抱えていた冒険とは違う。余暇のままごとのような冒険。けれど、彼女はそれが愛おしい。

 

「じゃあ――久しぶりに『蒼の薔薇』全員集合ということで!」

「リーダーお役御免」

「なんでよ!」

「ボス、締まらない」

「ん? ラキュースは中々の締まりでありん」

「こらこらこら! …はぁ。まったく変わらないなお前は」

「あははー、お嬢らしいじゃん?」

「そういや俺はもう人間ってことでいいんだよな」

「…どう見ても人間だと思う」

「いや、色々深い訳があってな…」

「では、出発しんしょうか!」

「私のセリフ…」

 

 だから――シャルティアの冒険は、偶に続くようである




最後まで読んでくれてありがとうございます!


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