邂逅の古狸達 (robotomy)
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発端

先程の砂嵐のせいだろう、辺りは未だ薄ぼんやりとした茶色いベールに包まれていた。

微風さえも無い静寂なそれは見る者を幻想的な感覚へと誘う。

だがそれも突如として破られた。

物々しい警笛と駆動音を響かせて一台の大型ホヴァトラックが通り過ぎたためだ。

砂嵐が収まっても小一時間は視界不良となるが、お構いなしとばかりホヴァトラックは猛然と突き進む。

四半時ほど走らせたところで前方の砂塵がふいに消え失せる。

その瞬間眼前に巨大な岩山が立ちはだかった。

だが砂漠に突き出た岩山ではない。

正確には高さ十数メートルはある砂岩で築かれた城門だった。

運転手はかなり土地勘があるのだろう、砂塵が晴れる前にトラックは減速を済ませ、前方に車体を傾けながら城門の手前で難なく停止する。

「爺さん、着いたぜ。さっさと降りな」

いかにもトラック野郎の出で立ちの運転手が助手席に座る老人に声をかけた。

老人は何も答えず、革袋から数枚のギルダン金貨を取り出しトラック野郎に手渡した。

宇宙港で老人に声をかけられ、行きがけの駄賃と吹っかけた額の数倍の金貨を目にし、

「二、三日この街に居るから帰る時も声をかけて下さいよ」

とトラック野郎の顔つきと声音が上客へのそれに豹変した。

そんな対応を尻目に老人は無言でトラックを降りた。

城門には古代アストラーダ文字で町の名が刻まれていたが、風化が進み、文字であることすら分からなかった。

しかし、老人は目的をもってこの地を来た。この町の名を知っていた。

「ここがグルフェー・・」

老人は絞りだすようにその名を口にした。

 

自由交易都市グルフェー。

惑星メルキア、パレゲア大陸のソムジー大砂漠中心に位置するこのオアシスは千数年にわたり汎宗教結社マーティアルの庇護の下、ギルガメス宙域有数の交易地としてあらゆる組織からの干渉を受けず栄えてきた。

だがそれも過去の話になりつつある。

「ある男」が引き起こした「アレギウムの赫い霍乱」によりマーティアル権威は失墜、それまで信仰の力で抑えられていた懐疑と欲望を噴出する結果となった。

数多の信者(特に軍関係)の脱退・離反は言うに及ばず、庇護を受けていた個人・組織・地域への経済・武力的干渉はあからさまに増していった。

そしてグルフェーも例外ではなかった。「霍乱」からわずか2週間足らずで周辺の地域・施設にギルガメス機甲師団の兵士・車両を目撃する機会が増えていた。

 

そのような一種の緊張感が漂う中、ソムジー大砂漠の西端にある貨物収集所を兼ねた宇宙港に老人は降り立った。

何かに導かれるように。

 

老人の名はロッチナといった。

ソムジー大砂漠南端の宇宙港への入管時、聖地アレギウムの歴史編纂係と申請したが、この地に降り立つこと自体、彼にとって極めて危険な行為という他なかった。

何故ならば彼自身、自軍の最重要機密を奪取し、敵軍に寝返った最重要戦犯として未だ手配されている身だからだ。

例えアレギウムからの使者と言い張っても、指紋は言うに及ばず、声紋、骨格、網膜、遺伝情報の一つでも入管のデータが本人と照合すれば拘束は免れない。

しかし、実際には入管チェックも無事に通過出来た。むしろアレギウムの名だけで、入管の職員から厚遇を受ける程だ。

だが当の本人はその事に逆に苛立ちを覚えた。

『こうも簡単にメルキアに帰れるとは・・』

そう思うのも仕方がない。三十数年経ったとはいえ、かつてギルガメス星域軍の情報省、メルキア軍情報局と渡り歩いた人間にとって、最重要戦犯が大手を振って故郷に戻れることに軍部の不甲斐なさと感じたからだ。

もっともギルガメスの情報能力や宇宙港の監視システムがお粗末な訳ではない。

ギルガメスを出奔する際、「神」による情報操作が完璧だったのだ。

今は一番の懸念が杞憂であった事を喜ぶべき、と老人は自分に言い聞かせた。

 

宇宙港内の商業施設に踏み入れると老人は不意に違和感を覚えた。

それは戦場でみられる一種の緊張感と言っていい。

軍に籍を置いていた時分任務で幾度となく戦地に赴いたが、前線の兵士が醸し出す独特の「臭い」がこの宇宙港で感じられた。

事実其処かしこにギルガメス正規軍の軍服を着た兵士が小銃を携えて施設の角々までにらみを利かせている。軍港ならいざ知らず、民間の宇宙港にこれだけの兵士が常駐するのは尋常ではない。

『面倒は避けたものだが・・』

さっきと打って変わり彼には入管チェック時の憤りは失せていた。入管時には何とでも言い通せる自信があったが、場所が戦場なら話は別だ。自分のような年老いた人間では生き残る自信はない。

出来るだけ穏便に目的地に行き着く方法を模索する必要があった。もしこれがグルフェーと関わりがあれば、目的地までの道程もいずれ封鎖されると考えていい。

老人の足は集荷場隣のトラック駐車場に向かっていた。

 

何故老人は危険を冒してまでメルキア、しかもグルフェーを訪れる必要があったのか。

事の起こりは「霍乱」後の間もないアレギウムからの勅令から始まった。

「〈触れ得ざる者〉に関わったものを全て遠ざけよ」

「霍乱」の直後より、アレギウムでは「触れ得ざる者」の懐柔を計る現法王派と、「霍乱」の形跡全ての抹消を求める一派が対立、それぞれの思惑の中、先の勅令が発せられた。

だが現法王は就任直後から心神喪失状態にあり、未だ勅令を発する状況ではなかった。

一部では禁忌を恐れる前法王によるものと囁かれたが、結局噂の域を出なかった。

いずれにしろ勅令が出された以上、「触れ得ざる者」が使用した装甲騎兵等の武器のみならず、破壊された施設、設備、武器一切をアレギウムはおろか惑星ジアゴノから極力遠方に搬送し処分することが決まった。

その中には「触れ得ざる者」と共にコールドスリープしていた女性の亡骸があった。

異端であり「霍乱」の一因となったのが処分対象の理由だが、粗略に扱えば「触れ得ざる者」から如何なる復讐を受けかねないという意見が大半を占めた。

議論の末、亡骸をコールドカプセルに入れ、惑星ジアゴノから出来るだけ離れた宙域で丁重かつ極秘裏に宇宙葬を執り行うことに決まった。

「触れ得ざる者」と共に「霍乱」に加担した元信者に許可を貰うと、直ぐに専用の霊柩艇を設え、葬儀担当の司祭数名と参列希望者を乗り込ませ、早々にアレギウムを発った。

そして数少ない参列希望者の中にあの老人の姿があった。

今の老人には覚醒した「触れ得ざる者」の動向しか興味が無かったが、「触れ得ざる者」コールドスリープの理由を知ってからは、宇宙葬への参列を決めていた。

「お前こそ『触れ得ざる者』だったかもしれんな」

霊柩船の出発直前、カプセルに眠る亡骸を見ながら老人はそう嘆いたが、そこには「触れ得ざる者」に関わり運命を左右された者としての同情の念も含まれていた。

 

「この宙域は・・」

老人には見覚えがあった。霊柩艇は何故かギルガメス星域軍の首星、惑星メルキアへ針路をとっていたのだ。

当初はギルガメス、バララント両陣営にも属さない辺境の宙域へ向かう予定だった。

しかしHM航法直前に磁気嵐と遭遇、数時間後無事に航法解除になって以降、航行コンパスをはじめ、殆どの計器・通信・制御類が反応せず、自力航行不能に陥った。

当初は恒星や超重力宙域に引き込まれて宇宙の藻屑と消えるかと案じられたが、数日何事もなく過ぎていった。

この間航海士は恒星観測による古典的方法で霊柩艇の位置を割り出すが、広大なアストラギウス銀河では似た恒星配置も多く、この場合完全に位置を読み違えていた。

老人は窓から見える僅かな情報と軍時代の記憶から、メルキアまで約2億㎞の距離にあることを割り出し、その事を航海士に告げた。

だが不慣れな計算と遭難の不安から意固地になっていた船長は聞く耳を持たなかった。

更に数日が過ぎ、船内の食糧や空気の消費による焦りと「禁忌」と同乗している不安から、

「己が命の尽きる前に式を敢行するべきでは・・」

と、搭乗者の間に何時しか強迫観念にも似た雰囲気に船内は満たされていく。

それから程なく、亡骸の入ったカプセルは船外に放出された。

船の予備電源が少ないという理由から極めて質素な儀式の後に。

そしてカプセルは導かれるようにメルキアへ流れていく。

 

だが間もなく事態は急転する。

宇宙葬が終了した僅か一時間後、ギルガメスの巡視船が霊柩艇を発見したからだ。

乗組員はここで初めて自分達の現在地を知ることになる。

だが皆救援による安堵と同時に自らの失態に恐怖を覚えた。

亡骸とはいえ、放出した物が軍の最高機密とは口が裂けても言えなかった。

霊柩艇の船長は救援で入船した兵士から手渡された無線の相手に対し、咄嗟に嘘をつく。

特使を極秘裏にメルキアへお送りする任務途中で遭難、高齢だった特使が漂流中に急逝し、彼の遺言で先程宇宙葬を行った、と。

相手の巡視船の船長はマーティアル信者だったのだろう。その取ってつけた嘘を何の疑いもなく信じ、存在もしない特使へ哀悼の印を結んだ上で、船の曳航と修繕を願い出た。

船の修繕は願ってもなかったが、これ以上の詮索を嫌った船長は要請を丁重断り、危機の応急措置及び物資の補給とアレギウムへの連絡を頼んだ。

通信を終えようとする船長二人の間に、突如割り込む声があった。

「儂はメルキアに降りたいのじゃが・・」

その声の主はあの老人だった。

「特使に遺品を知人に渡してくれと頼まれたのでな」

と老人はニヤリと笑ってそう言った。

突然の老人の申し出に霊柩艇の船員らは一瞬凍りついた。

正確に船の位置を割り出したこの老人が、忠告を無視した恨みから一切合切を巡視艇に密告することを恐れたためだ。

マーティアルは愛を解く宗教ではない。

必要ならば相手を亡き者にする事を厭わない「武」を秩序とする宗教である。

船長と航海士はすかさず老人の口を封じようと案じたが、

「船から降ろしてくれたら、あやつらには何も言わんよ。PSの件も含めて、な・・」

得体のしれないこの老人への関与は身を亡ぼすと悟ると、老人の申し出を素直に受け入れた。

間髪入れず老人はこう付け加えた。

 

「このような身なりじゃから、少し路銀を恵んで下さらんか」

結局口止め料として、かなりの額のメルキア金貨を老人に手渡すことになる。

 

実を言えば老人はメルキアに行くことは毛頭なかった。

旅は宇宙葬と共に終わるつもりだった。

しかしアレギウムの勅令に始まり、霊柩船の事故とメルキア宙域への出現、カプセル放出後の救助の早さと、この偶然の連続に違和感を覚えた。

またこれだけメルキアに近い宙域に漂流していたにも関わらず、捜索・救援が遅れたのかも不自然すぎる。

更に船の窓からカプセルが一直線にメルキアに向かったことも確認していた。

『確かめなければなるまい・・』

この偶然と不自然の連鎖が老人にメルキア行きを決意させた。

 

路銀を受け取り、身支度を整えた老人は兵士と共に巡視艇に移った。

移動途中、引率の兵士から一旦軍事ステーションに立ち寄り、そこからメルキア軌道上の民間ステーションまで軍の小型艇で移動することを告げられる。

「で、どこに行かれるので?」

特使の名代と勘違いした兵士から丁寧に目的地を聴かれ、老人は言葉に詰まった。

目的地を言わなければ直ぐに嘘が露呈する。

不意に老人はある町の名が頭に浮かんだ。

「グルフェーじゃ、何とかという大きな砂漠にある」

「ああ、ソムジー大砂漠ですね。乗り継ぎに暫く時間を要しますが、付近のステーションまでお連れしますのでご辛抱ください」

老人に浮かんだ町の名は、以前「触れ得ざる者」がスリープ直前に最後に会った人物の所在地として記憶した土地である。

しかしそれ自体二十年以上前の情報であり、その人物の生死さえも定かではなかった。

確証もないまま、その地へ赴くのは賭けに等しいが、離れていくカプセルの足跡を辿るには他に手がなかった。

軍ステーションには一時間足らずで到着したが、そこから民間ステーション到着まで三十五時間、さらにステーションからシャトルで宇宙港へ降り立つまで十六時間、宇宙港からトラックに揺られて約十三時間、霊柩艇からグルフェーに至るまで都合六十四時間要して、ようやくグルフェーに至ったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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接触

グルフェーの城門を前にし、老人は辺りを見渡した。

先の宇宙港と打って変わり、街は出入りする業者や住民の活気が感じられた。

門番や自警団など武装した人間は見当たらず、ほぼ無防備と思われる城門をくぐると、総合案内所という看板を掲げた粗末な建物が目に映った。

砂埃を揚げ往来するトラックを避け、案内所に入ると、これまた粗末な長机に日に焼けた初老の男性が座っていた。

男性は肌の異なる色白の老人を見るや、慎重な物腰で来訪の目的を求めた。

だが老人は名と町に来た目的、立法院の高層の名を告げると、態度を急に軟化させ、マーティアルの立法院までの道を丁寧に教えてくれた。

しかもマーティアルの関係者と知ると、町の観光案内はおろか立法府に関わる裏事情までも饒舌に語った。

城門の雰囲気といい、男性の対応といい、グルフェーではよそ者に比較的寛容に思われた。しかしそれは宗教的な教えだけでなく何か抑圧された意思とも感じ取れた。

その証拠に宇宙港での経緯を話すと、一瞬だが男性の顔が強張り、老人を疑惑の目で見つめたのだ。

グルフェーが宇宙港の軍隊と関わりのあることは確認できた。そして門番や見張りの類が見当たらないのは抵抗の意思を見せないためのカモフラージュであることを老人は悟った。

 

総合案内の男に謝礼(実際には口止めのつもり)に金貨を一枚渡すと、男は嫌味もなく先程の態度を謝罪しながら案内所入り口まで見送ってくれた。

老人が教わった通りに道を進むと、町の大通りを出た。そこは都会の整備された道とは程遠く何百年もかけて踏み固められた砂と土の道を町の民が溢れていた。

道の両脇には近代的な建築物は少なく簡素な造りの露天商で埋められていた。

街の建造物といえば、白色の石材で積み上げられた二、三階建て極めて簡素なものか、柱状の岩をくり抜いて作られたこの土地独特の住居で占められていた。

交易都市という名を持っているが、それは砂漠の隅々へ物資の中継地として栄えている意味合いが強いようだ。

それでも莫大な物資の行き交う事で膨大な富がこの街に集中している事には変わりはない。

マーティア的な解釈をすれば戦いのない所に文化は発展しないため、ここでの文化レベルは千年前と差はないと思われた。

ほどなく通りを進むと噴水に人だかりが出来ているのを見つけた。

老人は横に店を構える露天商の果実を適当に買いこみ、店主の老婆にギルダン金貨を一枚渡した。

釣りがないと困惑する老婆に

「釣りはいらん。その代り、少し聴きたいんじゃが」

と老人はそう切り出した。

まず人だかりの原因を訪ねると、

「あれは『五つの薔薇』様が来られているんだよ」

と老婆は前歯の抜けた顔で笑って答えた。

次に「五つの薔薇」について尋ねると、

「あんた、どこから来なすった?」

一瞬警戒の目になるが、金貨の効果が残っていたのだろう、老人の質問に素直に答えてくれた。

グルフェーでは古来「五つの薔薇」と呼ばれる5人の顔役=執政官によって街の秩序が保たれてきたという。

顔役達はいつも昼過ぎにあの薔薇が植え込まれた五角形の腰掛にやって来ては、親身に住民の声を聴き、子供や家畜に祝福を与えている、との老婆は誇らしげに言った。

ふと五人の顔役の中に褐色の肌を持つ五十がらみの男性に気づく。

他の四人が色白でかなりの高齢のため、その男性の容姿はかえって目立っていた。

「あの若い顔役は?」

店の老婆に三度尋ねると、若い男に対する好色な目をしながら言う。

「あのお方はロサ・バートラーさね。相変わらずいい男だねぇ。」

老婆の話では、若きロサは遠方の農作物の取引で成功を収めた貿易商「バニラ商会」の社長で、先の五つの薔薇の欠員に伴い、若いながら顔役の一人に抜擢されたとの事だった。

なお「ロサ」とは顔役への敬称である。

 

老婆の話を聞き、老人の記憶に三十二年前「触れ得ざる者」と共に行動していた連中の事が蘇った。

連中の中に確かに褐色の若い男がいた。

アフロヘアが短髪になり、皺が顔に刻まれようとも、褐色のロサはあの時の男と記憶が合致した。

『やはり生きていたか・・』

その男を含み「触れ得ざる」に関わる人間は、惑星クエント消失時に行方が途絶えていた。

一度はア・コバと呼ばれる街で確認されたが、連絡してきた将校は消息不明により、その後連中の足取りが途絶えた。

この直後、相次ぐ失態を理由に降格、閑職への左遷となり、「触れ得ざる」に関わる情報は殆ど入手できない時期が続いた。

最後に彼らの存在が確認できたのは、「触れ得ざる者」がコールドスリープ直後の事だった。

それ故「触れ得ざる者」のコールドスリープの知らせは余りにも衝撃的だった。

生まれながらの異能者が争いを避けるために選択したという事が到底理解出来なかった。

若き日の老人が軍を去ったのはそれから間もなくである。

 

老人は歩みを早め褐色のロサに接触を試みるが、ロサの手の菓子を目当てに群がる子供や住民の壁に行く手を阻まれた。

周りを押しのけてまで会う面倒を避けたい理由から老人は高揚する気持ちを抑え、いったんその場を離れた。

この集会が終われば、容易く近づけるだろうし、その間に今日の宿を確保する必要があった。

老人は通りを離れ、立法院を目指した。

立法院は市場を離れた街を一望できる東の高台にあった。

立法院に到着すると、すぐさま修行僧らしき若い男が老人を出迎えた。どうやら案内所の男が気を使って先に連絡していたらしい。

修行僧の案内で立法院の高僧へ挨拶に回る途中、長い銀髪の僧と廊下ですれ違った。

銀髪の僧は軽く会釈し早足にその場を立ち去ったが、老人はその僧の鋭い眼光と颯爽とした態度に何かしらの野心を感じ取っていた。

しかし、面倒を避けたいという無意識の思いと、若きロサへの強い関心から銀髪の僧の事は直ぐに忘れていた。

 

一時間程かけて高僧への挨拶廻りが終わると、修行僧に寝室を案内された。

部屋は質素ながら清潔な印象で街の方角に大きな窓が据え付けられていた。

老人が窓を開け、下界を見下ろすと先程ロサ達がいた大通りも見渡せた。

ただ五角形の腰掛の周りには既にロサ達の姿はなく、ごった返す人の往来だけが見て取れた。

「ちと、ものを尋ねたいのじゃが」

部屋を出ようとした修行僧に老人は若きロサの事を聴いてみた。

幸い修行僧も若きロサの事を耳にしていた。

市場の老婆ほどではないが、長々と語る修行僧の話に辟易しつつ、話が一段落したところで若きロサの住まいを尋ねると、僧は部屋の窓からやや北西の高台を指さした。

老人が目を凝らすと、この地の建築様式ではあるが明らかに大きく豪奢なつくりの三階建ての建物が目に入った。

直ぐにでもロサの邸宅に向かう気持ちはあったが、日は既に傾き、窓から肌寒い風が入って来た。

修行僧の話では、この時期のグルフェーでは夜間に氷点下近くまで下がるらしく、夜の外出を控えるよう忠告された。

老人も慣れない土地での夜間外出もまた面倒と考え、その日は立法院の好意に甘える事にした。

 

翌朝遅めの朝食をとると、老人は空の膳を取りに来た昨日の修行僧に昼過ぎまで外出することを告げた。

立法院の坂を下りながら、朝霧がまだ消えぬ街を眺めると、見慣れた緑豊かなアレギウムとは異なる風景に一層異国の地に来たという思いが増していた。

 

昨日の五角形の腰掛まで来るとロサ達やそこに集う民衆は見られなかった。

時間的にあのロサも自宅にいるかもしれないと考え、道を急いだが、立法府からの風景を頼った移動はかえって道に迷ってしまった。

仕方なく昨日の市場の老婆を尋ね、ロサの自宅までの道のりを尋ねた。

マーティアルの関係者と思っている老婆は何の疑いもなく解り易く道順を教えた。

大通りを抜け、教えて貰った区画から右に曲がると、そこには例の大邸宅までの坂が直ぐに見えた。

坂を上ること約二十分、坂を上りきったところで目指すロサの邸宅があった。

立法院から見えたその豪邸は、大きさを除けば地元の石灰岩を用いた伝統的建築物ではあったが、そこかしこに他の大陸の中世様式の彫刻や装飾品で彩られ、優雅さを放っていた。

同じく石灰岩でできた門の前に立ち、臆することなく老人は呼び鈴を押した。

インターフォン越しに小間使いと思われる女性の声で何者か尋ねられた。

「ここの主人のバートラーさんに用があるのじゃが」

老人はあえて名乗らず、ロサの面会を求めた。

小間使いは主人の留守を理由に門前払いを決めかけていたが、老人の次の言葉に考えを改めた。

「クエントで出会った軍人が訪ねてきた、とでも伝えて下さらんか」

 

 



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再会

若きロサの邸宅にはもう一人の主がいた。

ロサの会社の後ろ盾として、また親代わりとしてロサの家族と共にこの邸宅に住んでいるその翁、ブルーズ・ゴウトが真のこの家の主と言って良い。

小間使いはその翁から自分達を尋ねる者がいれば、漏らさず連絡するよう言付かっていた。普段であれば、翁は面会予定の客人以外尋ねる者には合わず、遠方の商談相手も発達したネットワークで直接会わずに商談を済ませていた。

しかし数か月前よりその翁の態度を変え、地元の人間以外で自宅に尋ねる者にも気を配るようになっていた。

小間使いは門の老人にしばし待つよう告げると、内線で翁の部屋に連絡を取った。

自室のパソコンで取引商品の納品データを見ていた翁は小間使いの連絡を受けると、キーボードを操作し、ディスプレイをデータ画面から玄関の監視カメラの画面に切り替えた。

以前より用心して門や玄関付近に監視カメラを設置していたが、数か月前よりその画像を自室のパソコンで確認できるよう改良していた。

 

「こいつは・・・その男を儂の執務室まで通せ」

監視カメラの画像を見るなり、翁は小間使いに老人を邸宅に入れるよう指示する。

程なく門の扉が自動で開き、インターフォン越しに入門許可が出ると、老人は周りを見渡しながら玄関に向かった。

門より五分程度歩き、大邸宅の玄関に着くと、玄関前にはインターフォンの声の主と思われる、体格の良い中年の小間使いが立っていた。

小間使いは老人に深々と会釈した後、黙って老人を家に迎え入れた。

老人は門から家の廊下、階段と移動している間も、首を動かさず其処かしこに視線のみを這わせ、何かを探している様子だった。

小間使いの案内で老人は二階奥の部屋に通されたが、目的のロサの姿はいなかった。

老人が辺りを細かく見回していると、後ろから野太い男の声がした。

「三十年ぶりかの?」

老人が振り返ると、そこには七十をとうに超えたであろう恰幅の良い高齢の男が葉巻を咥えながら立っていた。

「何と・・」

ロサと同様、幾星霜を経て姿形は変わっていたが、何度となく「触れ得ざる者」を手助けしていた初老の男の事を老人は思い出した。

「あんたも生きておったのか・・」

昔の親友との再会ではなかったにしろ、「触れ得ざる者」に関わり生き永らえた人間が少ない事実を考えあれば、この二人の老人の再会は劇的かもしれない。

「お互い様じゃよ。てっきりクエントの爆発で死んだと思うておった」

「あんたらと一緒じゃ。儂も転送されたんじゃ」

三十三年前の不可侵宙域にあった惑星クエントは謎の大爆発を起こし、惑星住民及びその周辺にいたギルガメス・バララント両陣営の船団は全て消滅したと思われていた。

しかし実際にはクエントに居た人間全員がN六〇ガス星雲惑星ヌルゲラントに空間転送されていた。

クエント消滅の張本人も含めて。

 

かつて「触れ得ざる者」を追跡し、幾度となく敵として相まみえた二人にとって、三十数年を経て今でも二人の老人の間には何の感動を覚えていなかった。

そのためか、翁の口調も決して穏やかなものではなかった。

「で、何しにここに来たんじゃ? 言っておくがここにはキリ、」

咄嗟に老人が手をかざし、翁の言葉を遮った。

「今はその名を口にせんでくれ。訳は後で話す」

老人の態度にいささか苛立ちを感じながら、翁は応接用のソファに座るよう老人に促した。

ひとしきり部屋を見渡すと、遠慮なくソファに腰かけると老人は大きくため息をついた。

「紙とペンを貸してくれるか?」

翁は訳も分からないまま、言われる通りにペンとメモ帳を渡した。

老人は手早く文字を書くと向かいのソファに座った翁にメモを見せた。

『この部屋は盗聴の疑いがある』

「な!」

翁は言葉を失った。

何故この部屋が盗聴されていることが分かったのか?どこに仕掛けられているのか?

誰の仕業か?何の目的で?いや本当のこの男の言うことを正しいのか?

では正しいとして何故それを儂に告げる?

瞬時に翁の頭にあらゆる考えと疑念が駆け巡った。

黙り込む翁を見ながら、老人は話を続ける。

「そういうことじゃから、「奴」の名とその周辺の事は伏せながら話そう」

改めて翁が名を伏せて話し出そうとした刹那、

「ゴウト爺~~~~~~~」

突然部屋のドアが開き、甲高い声で一人の少女が部屋に飛び込んできた。

少女は来客ということもお構いなしに翁の後ろから抱きつき、半ば禿げた後頭部に頬を摺り寄せいていた。

「これ、チクロ!」

本来であれば孫同様のこの少女の抱擁は嬉しい限りだが、目の前の因縁浅からぬ人物の前では素直に喜べなかった。

「この前話した店に行く約束でしょ!早く行かないとバラザックのアクセサリーが無くなっちゃうよ!」

「チクロ!お客人の前だぞ!ご挨拶しなさい」

少女は翁に言われ、老人に対し恭しく挨拶したが、一瞬で翁への抱擁が再開した。

「ゴウト爺、早く行こうよ!」

「今話し中じゃ。もう少し待っていなさい」

「え~待てないよ!」

「本当にもう少し待っておくれ。直ぐに要は済むから」

「やだよ!この前もそう言って約束すっぽかしたじゃない!」

笑顔だった少女は顔を歪み、今にも泣きださんばかりになっていた。

「困ったの・・・・グレファ、グレファローズ!」

翁はインターフォンを通さず、大声で部屋の外へ直接声を掛けた。

間を置かず、老人を案内した中年の女給が現れると、翁とその女給は少女を連れて部屋から出て行った。

部屋の外では少女の甲高い声と女給のなだめ声が遠く聞こえていたが、10分程すると静かになった。

「やれやれ、参ったもんじゃ・・」

僅かの時間でも子供相手に神経を使い、憔悴しきった翁が部屋に戻ってきた。

「大変そうじゃな・・」

「バニラの一番下の子じゃ。まだネンネで参っとるよ」

「その割は嬉しそう見えたが」

「あいつらと30年以上付き合っとるからな。血は繋がってないが、本当の孫みたいなものじゃ」

微笑ましい光景を目の当たりにして、老人は僅かに心が揺らいだ。

自分が追い求めている事柄がこの一家を面倒に巻き込むのではないかと感じたからだ。

『既に過ぎたことだ。真実を知るのも大事だが、それは儂の自己満足だ』

自責の念が老人の腰を上げさせ、帰り支度をさせる。

「さて、あの嬢ちゃんが癇癪を起さぬうちに儂も帰ろうかの」

自嘲の笑みを浮かべて老人は席を立とうとした。

「気を回さんでいい。店にはここの女給頭について行って貰っとる」

翁は立ち上がる老人を慌てて制し、こう付け加えた。

「もっとも金づるがいなくなってチクロの方は不満だらけじゃが」

翁は女中頭が店の中で首を横に振る姿を想像しながらクスリと微笑んだ。

老人は翁の態度に内心ほっとすると、どっかとソファに座り込み、おもむろに口を開いた。

「なら単刀直入に言おう。32年前のあの日、お前さんはキリコら・・」

「お、おい!その名前は口にしたらいけないんじゃなかったのか?」

慌てる翁に老人は先ほど言いかけていた事を思い出した。

「おお、そうじゃった。お前さんが席を離れた時、部屋の中を少し調べさせて貰ったよ。盗聴はされておったが、その机の一番右の電話にだけ盗聴器が仕掛けられておった」

と机にある外線用の電話機を指差した。

「ただ受話器を上げた状態じゃないと機能しない型じゃ。受話器を上げなければ大丈夫だろうて」

翁は老人の語ることを全て信じている訳では無かった。しかしこの場で嘘をついてお互い何の得もないと考えると、老人の言葉を「今は」信じることにした。

「しかし誰が一体・・」

「それはお前さんらの問題じゃ。儂は知らん」

他人事とばかり答える老人の愛想のなさに、翁は礼の言葉を喉にしまい込みそうになったが、老人との話を円滑に進める以上、こちらも態度を軟化させることにした。

「兎に角、礼は言っておく。」

翁の態度にいちいち気に留めることのなく、老人は話題を切り出した。

 



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推算

「改めて聴く。32年前、お前さんらがキリコとフィアナのコールドカプセルを見送ったのか?」

「ああ、そうじゃ。二人の希望でな。そのために儂らがギルガメスの小型船を奪って、とある宙域でカプセルを放出した」

「ならば、二人がコールドスリープする理由を知っておったのか?」

老人に言葉に翁は一瞬戸惑ったが、老人に逆に問いただした。

「・・何故、そのことを聴く?」

「儂は『霍乱』の後にその事をようやく知った。正直驚いたよ」

「驚いた?可笑しな事を言うのう。キリコはこれ以上戦争に関わりたくないから・・」

「二人は戦争に利用されることに嫌気がさしてカプセルに入ったと儂も聞いていた」

「・・・儂にはそう話した・・」

「だが真相は違っていた。お前さんはフィアナが逃亡の最中、日に日に弱っていくのを見ていたはずじゃ?」

老人の質問に約2年間の逃亡の日々が翁の脳裏に蘇る。

「確かに次第に衰弱しておったのは覚えておる。しかし、それはジジリウムの放射線が不十分だからと思っておった」

「そうか・・他の者はどうじゃ?」

「いや、同行していたのは3人も気づいていなかったと思うが」

「3人とは?」

「お前さんが会いに来たバニラと、バニラと結婚してさっきの娘の母親となったココナ、それからクエント人じゃ・・」

「そのクエント人はクメンで傭兵をしていたル・シャッコか?」

「ああ、そうじゃ。シャッコじゃ」

「・・他の二人は別として、クエント人は気づいておったじゃろうか」

「あの後、奴とはあの後すぐに別れて以降、連絡はしておらんから・・確認のしようがない・・」

「そうか・・」

「しかし、何故お前さんが二人のコールドスリープの事を知りたがるんじゃ?」

翁の問いに対し、老人は含み笑いをしながらこう答えた。

「それを答える前にもう一つ確認したい事がある。そのためにわざわざここに来たのじゃからな」

「確認?」

答えをはぐらかされた翁に対し、老人は言葉を続けた。

「二人、いやフィアナに関するちょっとした確認じゃ。複雑な計算が必要なのじゃが、儂の老いた頭だと細かなことが分からんのでな」

老人の物言いに不満を感じながらも、翁は好奇心に負けた。

「・・手伝うことはあるか?」

老人は再度机のパソコンを指さし、

「この端末はネット通信可能か?」

翁はすかさずパソコンを起動させ、ネット回線を開いた。

「一応メルキア全土のサーバとのアクセスは可能じゃ。お望みとあれば銀河の反対まで惑星間通信もできるぞ」

戦争により軍の検閲は厳しいものだったが、通信手段としてのネット回線は普通に用いられた。しかも翁の用いている回線は複数の裏回線を経由可能な特別製で暗号化・セキュリティーとも最高水準のレベルにあった。

「そこまでいらん。ただメルキア近辺、半径数光年の星の配置とそれらの引力分布図が分かればいい。出来れば最新のものが良いが」

「それなら心配無用じゃ。手持ちの輸送船の航行用にギルガメス星域の『海図』は常に揃えておるわ」

『海図』と称する天体データは宇宙船を利用する者にとっては欠かせないものであり、軍・民間に問わずネットでのダウンロードは可能だった。

「それから・・宇宙空間でのデブリの慣性移動に関する計算式があればいいのじゃが」

「輸送船じゃと慣性航行用プログラムがあるが、質量が大きすぎるな・・」

考え込む翁に老人はすかさず訊ねた。

「スイーランザの大学にはアクセス可能か?」

その質問に翁ははっとして答えた。

「・・なるほど。宇宙航空力学の研究機関なら専門で研究している奴もおるな。軍関係で無ければ、外部からの論文閲覧は可能なはずじゃ。早速繋いでみよう」

翁は念のため発信元が分からないよう複数のサーバを経由してメルキアの首都スイーランザの全大学にアクセスできる複合サイトに繋いだ。

宇宙工学関連の研究資料は国家機密扱いのものも存在するが、それ以外の論文は制限を受けず閲覧は容易に行えた。

「どれどれ、『無重力下での睡眠障害についての考察』、『外宇宙における暗黒物質のスペクトル解析』と・・これじゃないな・・・お、『宇宙空間における輸送用カプセルの運動力学的検証』なんかどうじゃ?」

論文項目をいくつかスクロールさせると老人の注文通りの研究論文に行き当たった。

「これは・・コールドカプセル運用に使われた基礎研究のようだ」

現在コールドカプセル輸送は民間が取り扱う程普及した技術であるため、基礎研究のみならず応用研究も広く公開しているようだった。

「しかもご丁寧にシミュレーション用ソフトまで添付しとる。こいつをダウンロードして、『海図』のデータを入力すれば、良いんじゃないか?」

「ああ、『偶然』とはいえ、正に儂が求めていたものじゃ」

余りにも偶然が重なった経緯から、老人はいささか疑心暗鬼気味になっていた。

「・・意味深なもの言いじゃな・・文句がなければシミュレーターを落とすぞ」

直接の経由ではないため、シミュレーターを落とすのに20数分要した。

ダウンロードが終了すると老人はソフトを起動させ、必要項目にカプセルの重量・射出座標・初速・射出角度、宙域の恒星・惑星及び衛星の配列・重力分布を可能な限り細かく入力し、決定キーを押す。

シミュレーターは老人のおおよそ予想通りの結果をはじき出した。

「やはりか・・約836時間後に通過するか・・」

「何じゃ?数字ばかりではさっぱり分からん・・」

画面の表記を数値設定にしていたため、翁は幾分困惑した。

「いちいちうるさい奴じゃ。こうすれば分かるはずじゃ」

老人は画面端のボタンをクリックし3DCGの表記に切り替えた。

数十秒の演算処理の後、星々を移動する点とその軌跡が映し出された。

「おお・・」

軽い感嘆の声を上げる翁に老人は画面を不備さしながら説明する。

「これが計算対象の物が射出された地点、これがその軌跡じゃ。そしてこいつはメルキアの脇を通過する結果を出した。恐らく第3宇宙速度で移動しているから、メルキアの重力に引かれずに約35日後に・・・・何とこの座票だとグルフェーの上空も通過するぞ!」

計算の上の誤差はあるにせよ、結果は老人の予想を良い意味で裏切った。

「この上空を・・それはいったい何じゃ?」

更なる疑念も持った翁に老人は淡々と答えた。

「フィアナが入ったカプセルじゃ・・」

 



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休息

老人の返答に翁は驚きと怒りで問いただした。

「いったどういう事だ!フィアナのカプセルがメルキアに来るとは!」

「・・・・この件は・・」

老人の沈黙に翁はさらに責め立てる。

「もったいぶらずに話せ!」

老人はようやく思う口を開いた。

「・・詳しいことは訳あって話せん。ただ言えることは、フィアナの亡骸の入ったカプセルがある宙域から『故意に』こちらに放出させられたということじゃ」

「亡骸とは・・フィアナは死んだのか?それはキリコも知っていることか?」

「ああ、キリコは彼女を丁重に弔ってくれと頼んで、今は行方知れずだ」

老人の言葉には一部嘘があった。

赫い霍乱後、キリコはマーティアルのみならずギルガメス・バララント両軍からその動向を監視されていたからだ。

「それに『故意に』とは誰がそんなことを」

翁が更に問いただそうとした途端、

「しっ」

老人は唇に指を立て、翁の言葉を遮った。

「今回の件には、何らかの見えない力が関わっているようじゃ」

老人は何か畏怖の念のこもった返答をする。

「何らかの力って、まるで神がかっているようなことを・・」

翁の疑問に老人は目を細めて言った。

「キリコに関わった者なら推察できるじゃろうが・・」

「あっ・・・・『ワイズマンが・・・』」

翁はかつてキリコに聞かされていた「神」の名を思い出した。

「・・分かった。その件はこれ以上詮索せん・・」

二人の間に沈黙が生まれた・・。

 

しかし、その沈黙は5分と続かなかった。

「お話中申し訳ありませんが、お昼もだいぶ過ぎたので、お食事をお持ちしました」

突然部屋の扉がノックされると若い女給が大きな銀製の盆を両手に持って現れた。

盆にはサンドイッチと果実の盛り合わせ、取り皿が載せられ、二人が座っているテーブルに手早く並べられた。続いてもう一人の女給が高級な陶器のスープ鍋と椀を持って来た。

翁が壁掛けの時計を見ると針は午後2時を大きく回っているのが見えた。

「もうそんな時間か・・。ここらで休憩をするか」

「・・・よかろう」

両者とも会話に時間を忘れてはいたが、昼食を前にして二人は急に空腹を覚えた。

翁に勧められるまま、老人はサンドイッチを頬張った。

柔らかな白パンとライ麦パンのサンドイッチは合成ではない肉やハム、卵、野菜など多くの具材が挟まれ、この上ない美味だった。

またカットされた果物は彩も鮮やかで、口に入れれば採れたてと思う程新鮮だった。

翁がそれぞれの味を堪能しているのに対し、老人は殆ど感想を述べずに黙ったまま胃に詰め込む作業を繰り返し、十数分で食事を終えた。

 

一通り食事を終えると、それを見計らったように若い女給がコーヒーポット、カップを持って現れ、二人にカップにコーヒーを並々と注ぎ立ち去った。

老人らはカップの黒い液体の香りと味に感嘆の声を上げた。

老人の顔がほころぶのを見て、翁は口を開いた。

「どうじゃ、そのコーヒーはいけるじゃろう?お前さんも居ったクメンの豆じゃ」

「クメンの農産物を取り扱っていると聞いたが、これもその一つか?」

「ああ、砂しかないこの辺りでは熱帯の農作物は高値で売れる。コーヒー豆も同様じゃ」

「・・久しぶりに飲むな・・・アレギウムでは嗜好品はあまり手に入らないのでな」

「・・お前さん、アレギウムに居ったのか?」

「もう30年ほどになる」

「軍ではお偉方だったのに何故?」

「ギルガメスは別にして、バララントの階級はキリコを追うために予め用意されたものじゃ。それに・・」

「それに?」

「二人の顛末を人づてに聞いたら 軍にいるのが馬鹿らしくなってな・・。つてを頼ってそこに移り住んだ次第じゃ。」

「そうか・・」

 

コーヒーを飲み終え、一呼吸置いたところで翁が切り出した。

「そういえば、フィアナは何時?」

翁の問いに老人はゆっくりと答えた。

「あの『赫い霍乱』の最中、場所はアレギウム根本聖堂のメディカルルームと聞いておる」

「アレギウムで・・。『霍乱』の事は噂で聞いてはおったが、まさかフィアナまでアレギウムにいたとは・・」

「ある者が画策して半蘇生状態のフィアナをアレギウムに搬送、それを追って来たキリコが起こしたのがあの『霍乱』じゃ・・」

「そうだったのか・・」

「だが戦闘に巻き込まれて死んだ訳ではない。寿命が尽きたという事じゃ」

「寿命・・」

「『霍乱』の後で知ったことだが、フィアナの寿命は2年ほどだったらしい」

「2年!それであんなに弱っておったのか・・」

「そう、フィアナの寿命は尽きかけておった。だから二人はカプセルに入ったのじゃ。永遠に生きるために、な・・」

「スリープの原因はフィアナにあったことが分かった・・。しかし何故そんなに知りたがる?」

翁の問いに老人はどっかとソファに背もたれ、深く息を吐いた後に語り出した。

「儂はアレギウムで奴、キリコの行動を編纂する仕事に就いておる。30年近くかけて奴の誕生からコールドスリープするまでの行動や奴に関わった人物・組織の編纂はほぼ完了しておる。しかし、奴が何故カプセルに入ったかは謎じゃった・・。この銀河に君臨する力を持っていたにも関わらず・・」

ふい老人の脳裏に32年前の苦い思い出が蘇っていた。

目の前で神が殺されたあの日の事を。

「・・・」

急に黙り込む老人に翁は

「今回の件で謎は解けたか?」

その言葉に老人は我に返り、天井を仰ぎながら言った。

「ああ、ここでの聞き込みは些細なことじゃが、32年前の奴の最後の行動の編纂には必要なことじゃからな。これで儂の仕事も一区切りついたが・・・」

「が?」

老人は顎を引いて、さも翁に宣言するかのように言った。

「ここに来て奴は、キリコは覚醒した。何故32年経って今目覚めたのか、そしてどのような行動を取っていくのか、奴を追い続けなければならん・・」

「理由はどうあれ、余りにも長い道程じゃな・・」

「奴と関わった事が運のツキじゃわい。お前さんはその事は気にするな。」

老人はにやりと笑った。

「それに今回の件はフィアナのカプセルを見送った者として、カプセルの行方に興味もあったからな」

老人の言葉にすぐに答えず、翁は新たな葉巻に火をつけ、軽く煙を吐いた。

これまでの老人の行動を頭の中で整理したところで一つ大きな疑問が浮かんだ。

「しかし、分からんことがある。お前さんはそもそもフィアナを追っていたのじゃろ?

PSの寿命は知っていなかったのか?」

その質問に老人は少し不機嫌な態度で答えた。

「儂は上から命令されて動いていただけじゃ。PSに関する簡単な情報しか教えて貰っとらん」

「それにしても2年は短くないのか?」

「何かあった時の時限爆弾として遺伝子操作で短命にしている例もある。ジジリウムの放射線で生命維持をしていた点からみても長く生きることは出来なかっただろうな」

「そうか、何もかも知った上での行動かと思っておった」

「軍の最高機密を世に出さないことが最優先事項じゃからな」

「だからか、証拠隠滅は徹底的だったのは・・」

かつての情け容赦ない掃討作戦を思い出し、翁の目が険しくなった。

「PSの形跡を一切残すな、とのお偉方の命令じゃよ」

「・・お前さんには良心の呵責はなかったのか?」

「軍人に感情はいらん。上の手足となって命令を遂行するのみじゃ」

老人が今でも軍人風に胸を張るのを見て、翁は恨めし気に目を細めながら、

「おかげで儂らは2度死にかけたぞ」

老人は顎に手をかけて当時を思い出しながら言った。

「ああ、ウドにクメンか。今となっては懐かしい話じゃよ」

「アホ抜かせ!PS一人のために都市一つ殲滅させておいてよく言うわい!」

一瞬二人とも黙り込んだが、

「ふふ・・・」

「ははは・・・」

彼らの口からは笑い声が溢れていた。

数千、数万の人間が犠牲になった掃討作戦を笑うのは人が聞けば余りに不謹慎ではあるが、30余年の年月は老人たちにとって懐古的な笑い話に変えていた。

 



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別離(最終話)

ひとしきり笑うと老人が唐突に真面目な顔に変わった。

「儂がここに来た最後の理由じゃ」

老人は懐からメモの切れ端を取り出しテーブルに置いた。

「何じゃ、それは?」

メモにはある惑星の正規軍部隊名と男の名前が書いてあった。

「それは『霍乱』の時にキリコと一緒にいた元信者の居場所と名前じゃ」

「これをどうしろと?」

「その人物に今日のここで知り得た事を伝えて貰いたいのじゃ」

翁の目が思わず見開く。

「つまり、キリコにカプセルの件を伝えろと」

「さっき話した通り、奴の所在は不明じゃ。ただ、途中までその男が奴に同行していたと聞く。もしかしたら、この男が奴の行き先を知っていれば・・」

「何故、お前さんがそれをしない?」

「アレギウムに居ると何かと制限がある。ましてや『霍乱』の後では監視の目も厳しい」

「・・・分かった。どうにか連絡の手立てを考えよう」

「無理にとは言わん。連絡する、しないはお前さんの自由じゃ」

翁はそそくさとメモを上着のポケットに仕舞った。

 

老人の最後の用事が済み安心したのか、カップに残っていた冷えたコーヒーの残りを飲み干した。

「そんな冷えたものなぞ、飲んでもおいしくなかろう。直ぐ代わりを持ってこさせるわ」

と言った直後、

「ゴウト爺~~~!」

明らかに怒気をはらんだ声とともに突然部屋のドアが開いた。

「何で来てくれなかったの~~!ず~~~と待っていたのに!」

客人の事も忘れて、部屋に怒鳴り込んできたのはチクロだった。

その後ろからお目付け役だった女給頭が現れ、帰宅の挨拶を告げる。

「ただ今帰りました」

「ご苦労さんじゃったな。チクロ、買い物のほうはどうじゃった?」

二人を見ながら翁は買い物の成果を聞いた。

「もう最低よ!グレファは何にも買ってくれなかった!」

正確にはチクロは藍色の宝石をあしらったペンダントを一つ買っていた。

「旦那様からのお言いつけ通りの予算内で、と言ったのですが、チクロ様は何かと高価なものばかり欲しがりまして・・」

「高くないもん!あれぐらい皆持ってるよ!」

女給頭の言葉に娘はすぐに反応する。

「これだってそんなに高くないし!」

「300ギルダンは大金です」

首から下げたそのペンダントは明らかに10代前半の娘には高価過ぎる買い物といえた。

「やれやれ、チクロの言うことを聞いていたら店ごと買ってしまいそうじゃな」

「茶化さないでよ!私そんなにわがまま言ってないもん!ケチ爺!」

「チクロ様!」「チクロ、いい加減にしろ!」

「もういい!」

女給頭と翁の二人にたしなめられ、娘は癇癪を起して部屋を出て行った。

 

「まったく・・変なところはココナにそっくりじゃ・・」

翁は深くため息を吐いた。

家人の「微笑ましい」会話を再度見た老人はここが潮時と感じた。

「さて、用は済んだ。帰るとするか・・」

腰を上げる老人に翁は少し残念そうな顔で言った。

「そうか。・・長く引き留める理由はないが、もうじきバニラが帰ってくる。『霍乱』の経緯をもう少し話してもらうと助かるのじゃが・・」

「『霍乱』の事はアレギウムから硬く口止めされておる。フィアナの件も禁忌に近いことじゃが、事実確認のため、お前さんにあえて話したのじゃ。これ以上は聴かんといてくれ」

「・・分かった。ならば引き留めはせんよ」

翁が玄関まで案内する形で二人は部屋を出た。

中庭の見える廊下を半ば過ぎたところで老人が突然足を止めた。

「おお、そうじゃ。お前さんに言っておいた方が良い事があったわ」

翁は振り返ると老人は小声で話し始めた。

「グルフェーに一番近い『港』にギルガメス軍の一個師団が駐留しておったが、なにやらきな臭い雰囲気だった」

「ほう・・」

「これからどこかに侵攻する空気、独特の緊張感があった。その他はこれといって・・ああ、兵装全てが黒づくめだったのを覚えとる」

「それは『黒い稲妻旅団』じゃ。正式には第17パレギア方面軍戦略機甲兵団という」

「なんじゃ知っておったか。だが聞いた事のない名じゃなあ・・」

「編成されて10年かそこらの部隊じゃ。元はローラシル大陸北部におったが、急にこの近辺にやって来て強引に駐留するようになった・・」

「なるほど・・大方ポッと出の官僚が作った私設部隊というところか。マーティアルの権力が薄らいだこの時期に私腹を肥やさんとして動いたとなると・・・ここが危ないな・・」

「儂もそう感じた。実際少しずつだがここの統治に干渉し始めておる」

「ならば近いうちに軍事的干渉もあり得るか・・」

「『五つの薔薇』も警戒しとるから、直ぐには無いと思いたいが・・」

「『港』でこのまま駐留するには、ここは遠すぎる。あの動きは他の勢力をけん制しつつ、目ぼしい場所に移動する準備している段階だ。拠点が整備されない限りここには手は出さんはずじゃ」

老人の推察は正しかった。

「黒い稲妻旅団」が宇宙港とグルフェーの交通路を規制し、武力行使したのは、この時より2週間後の事である。

老人は忠告を続けた。

「それから、昨日から世話になっとる立法府でもちょっと気になる奴を見かけた」

「立法府で?」

「確か名前はギャッシルマンとか言ったかの?」

「・・奴か。最近街の若者の信頼を集めとる僧官じゃ」

「奴には何かギラギラした刃物のような・・野心めいたものを感じたが・・・」

「最近この地域の枢機卿の選挙に落ちたらしい。それを境に街の若者と積極的に接触し始めたそうだ。最近は夜な夜な集会を開いておるわ」

その情報の出所はバニラの次男ソルティからだが、翁はその事は敢えて言わなかった。

「そうか、もしギャッシルマンが街の若者を何かと焚き付けて事を起こせば、例の旅団のグルフェー侵攻は近くなるかもしれん・・」

「・・肝に銘じておこう」

「これで昼飯の礼はチャラでいいかな?」

老人はにやりと笑いながら言った。

 

どこからか、日の入りを告げる鐘の音が聞こえてきた。

間もなく日が暮れ、肌寒い空気に変わるだろう。

「おっと、帰るといって長話になったわい。今度こそ帰るとするか」

「達者で・・もうここに来ることはないか・・」

「数百光年離れた不可侵宙域じゃからな。もう会うことはあるまい」

老人は星が瞬き始めた空を見ながら言った。

「・・そういえばアレギウムにはどう帰るつもりじゃ?」

「『港』からはジアゴノへの定期便もあるし、不定期だが巡礼者のための船も出ておるから心配ない」

「砂漠はどうやって渡る?『港』までの乗り合いバスか?」

「通常の路線は何時閉鎖されるか分からんから、裏道を行くつもりじゃ。そのための『足』は一応確保してある」

あのホヴァトラックの運転手の顔が老人の脳裏に浮かんだ。

「明日に?」

「『足』の都合にもよるが、明日には出立する」

「そうか・・本当にこれでお別れじゃな」

「ああ、それじゃな」

老人は門をくぐると薄暗くなりつつある坂道をゆっくり下っていった。

翁は老人の背中が見えなくなるまで見送ると、踵を返して急ぎ自室に向かった。

 

「触れ得ざる者」を良く知る年寄り二人の邂逅は以上である。

しかし「触れ得ざる者」が覚醒した今、彼らの運命の歯車はもう一度動き出すことになる。

その事は砂漠の風だけが知っていた。

 

 

                                     〈終〉

 




構想2年、執筆9か月かけて何とか自分の空想が形になりました。
ゴウトとロッチナ、この二人がまともに会話することはなかったなあ、
とボトムズの作品を思っていたのが、この作品の執筆動機です。
戦闘描写は一切なく、ボトムズファンとしては物足りないとは思いますが、
二人の老人のやり取りを超がつくほどのベテラン声優さんの声で
脳内変換して読んで下さるようお願いいたします。
最後に、この小説を読み終えたら、「いつもあなたが」を聴いてみて
下さい。
涙が出るくらい良く合いますので・・(私もこの曲を聴きながら
創作していました)。



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