永遠の煩悩者 (煩悩のふむふむ)
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第一話 異世界からの招待

 崩壊した町並み。

 跳梁跋扈する悪霊共。

 それらを背景にして、男と女が魔神と相対していた。

 

「恋人を犠牲にするのか!? 寝覚めが悪いぞ!」

 

「どうせ後悔するなら、てめえがくたばってからだ、アシュタロス!!」

 

 男はこれから先の展開は知っていた。

 これは過去の夢だからだ。世界とアイツを天秤にかけたときの夢。

 いい加減にしてほしい、と横島はうんざりしながら思った。

 もう何度も夢に見たためか、これが夢であるのも分かっている。夢のくせに、思い通りにならないのも知っている。

 どうせ夢ならば、こんな場面ではなくルシオラと一緒に暮らした時の夢にしてほしい。そうすれば、幻想の中で男の本懐を成し遂げられると言うのに。

 もしくは――――

 

『ここで魔神をも殺せる力があれば良いのだろう?』

 

 やや甲高いが男の声が聞こえた。妙に偉そうで、お坊ちゃまのような子供の声にも聞こえる。

 聞き覚えの無い声だ。

 

『さあ、世界も女も守れる力が欲しいのなら右手を伸ばせ』

 

 謎の声に言われるままに手を伸ばす。

 すると、金色の光が集まって一本の刀となった。

 

『私を握るのだ。奇跡が始まるぞ』

 

 奇跡。人知の超えた魔王すら打ち倒す奇跡の力が目の前にある。

 それはつまり、女の子とニャンニャンできる奇跡の力だ。

 迷う必要はない。この刀を握らなければ。

 

 ――――待ちなさい、ヨコシマ! それを握ってはダメよ! 握ったら……あなたは……

 

 恋人の声が止める。

 なぜ止めるのか。早く生き返らせて、せめて夢の中で結ばれよう。夢精なんて気にしないぞ。

 

 ――――ダメよ、横島君! そうしたらもう会えなくなるのよ! 

 

 強情なイケイケ女が止める。

 大丈夫っすよ。美神さんみたいなトンでも女、俺以外の誰が一緒に居られるって言うんだ。

 

 そして、刀を取った。

 一太刀で魔王を打ち倒して、世界は平和になり、恋人も蘇る。

 ハッピーエンドだ。刀はふふんと誇らしげな声を出す。

 

『ふっ、これが私の力だ。さあ、横島……いや我が主よ。これから先の話だが』

「よっしゃーー!! 勝ったぞ、さあ、エロイ事するぞ!」

 

 横島の頭は既にピンクに染まっていた。

 語りを邪魔された刀は『ちょっとは人の話を聞け』とかなんとか言っていたが、そんな無視だ。

 さあ、主人公とヒロインが結ばれる時だ!

 

 テンションの上がる横島だが、美神とルシオラの二人はどこか暗い顔で手を伸ばしてくる。

 いや、正確には美神達とルシオラだ。美神の後ろには、おキヌちゃんやシロといった面々がいた。仲間達かルシオラ。どちらの手を取るか。

 答えは簡単だ。両方取る。握った剣を離せば両手が空くのだ

 この刀を、この神剣を手放せばハーレムが作れる。

 だというのに、どうしても刀を手放せない。

 

『ふっ、無理だな。主は知った。どうしようもない運命があると。それを跳ね除けるのは、普通の力では無理であると……また恋人を殺すのは嫌だろう?』

 

『どうせ夢だし、奇跡を与えるって言うならもう少し融通きかせろよ!』

 

『仕方ないだろう、我が主よ……奇跡を成すには代償が必要なものだ。欲張りすぎは良くないぞ』

 

 なんとも融通が利かない神剣だった。

 

 どちらを選ぶべきだろう。

 大切な人達か恋人か。それとも両方を選んで力を失って、惚れた女すら守れない男になるのか。

 答えは出ない。答えたくない。どうしてこんな選択を突きつけてくる?

 お前は一体なんだ?

 圧倒的な力を持つ剣に問いかける。

 

『ふっふっふっ、私の名前は』

「センセーーーーイ!!」

 

 良い所でまた邪魔を、などと言う声が聞こえた気がしたが、全ては夢現に消えていく。

 凄まじい爆音と大きな声が耳を打って横島は目を開けた。

 身構える暇もなく、人影は降ってくる。

 

「ぐぼ!!」

 

 フライングボディプレスにより肺の空気が押し出され、

 

「センセ! センセ!」

 

 と言いながらの顔面ペロペロ攻撃が追加ヒットする。

 

「シロ! やめろ! なめんなー! だからといって噛むなーーーー!!!」

 

 ありえないような目覚め。

 だが、いつもの目覚めだった。

 夢の内容は、既に横島の頭から消え去っていた。

 

「んで、朝っぱらからいったいなんなんだ」

 

 横島はベトベトになった顔をタオルで拭きつつ、目の前に居るシロを睨み付けた。

 シロはしゅんと尻尾を垂らして落ち込んでいる。酷く反省しているようには見えるが、肉でも見せれば一瞬で元気になるので特に気にする必要は無い。

 

「先生がいなくなってしまう夢を見たんでござるよ……」

 

 シロは消え入りそうな声でそういった。

 ただの夢一つで事務所からここまで走ってきて、ドアをぶっ壊す。

 暴走突撃犬もここに極まれりだ。アホか、と言おうとしたが、

 

「先生は拙者の前から消えてしまうなんて事はないでござるよね?」

 

 いつも元気いっぱいのシロとは思えない程の、愁いを含んだ声と潤んだ瞳のギャップに横島が思わず唸る。

 

「後十年……いや、後七年か。うん、俺はロリコンじゃないぞ」

 

 いつもの呪文を唱え終えて、シロの方を見るとまだ不安そう目でこちらを見ていた。

 どうやら本気で横島がどこかに行かないか心配していたらしい。どうしてそこまでと思うのだが、とにかく安心させる為に精一杯の笑顔を浮かべる。

 

「俺はどこにも行かないっつーの。守るべきものがある……美神さんのおっぱいを」

 

 ろくでもない事を力強く宣言する。

 シロはそれでも不安そうな表情を崩さない。

 

「その守るべきものには、拙者は入っているでござるか?」

 

 期待と不安を込めた目を向けてくる。

 後のおっぱい部分は華麗にスルー出来るのが、横島の弟子を続けられる理由の一つだろう。

 

「なにいってんだ、当然だろ!」

 

「センセー!!」

 

 嬉しさ極まったシロが横島に突撃しようした時、突如として横島の頭が燃え上がった。

 

「アッチーーー!!」

 

 シロは慌てて横島の頭を叩いて火を消そうとする。

 幸い、たいした火ではなかったようですぐに消し止められた。

 むしろシロに叩かれた所の方が酷かったりする。

 

「タマモ! いったいなにをするでござる!!」

 

 後ろに振り向きながら、いまにも噛み付きそうな勢いで吼えるように叫ぶ。

 そこにはシロに切断されて壊れたドアの残骸と、息をきらし顔を赤くしたタマモがいた。

 

「妙な胸騒ぎがしたから心配になってきてみれば、いちゃいちゃしてるからよ!!」

 

 顔を真っ赤にしながらタマモが叫ぶ。息をきらしていた事を考えると事務所から走ってきたのだろう。

 まさかあのタマモが、と横島は割りと本気で驚いた。よほど嫌な霊感が走ったとしても、わざわざここまでしてくれるとは。

 

「いや……俺なんかの心配してくれてありがとな」

 

 ついさっき頭を燃やされたのにもかかわらず、横島はタマモに礼を言った。

 セクハラによる自業自得とはいえ、毎日のようにしばかれている横島にとってみれば、これぐらいはコミュニケーションの一部なのかもしれない。

 

「別に……ただ横島がいなくなったら油揚げが食べられる量が減るから……それだけよ!」

 

 顔を赤くし、そっぽを向くタマモ。その様子は大変微笑ましく、良きツンデレの素質十分である。横島が嬉しそうに頷くが、それがシロには面白くない。

 

「タマモ! 先生に向かって無礼なことを!」

 

「なに言ってんの馬鹿犬! あんただって横島に色々と奢ってもらってるみたいじゃない!」

 

「狼でござる!」

 

 いつもの光景、いつもの日常。

 今日も除霊とセクハラと折檻の一日が始まるのだ。

 横島は二人が言い争いをしているのを横目に見ながら着替えを済ませる。

 

「おーい、事務所に行くぞー」

 

「ハイでござる」

 

「わかったわ」

 

 そして、横島達は事務所に向かって歩き始め――――

 

 ―――クスクス。

 

 どこからか笑い声が聞いた。

 

「今なにか言ったか?」

 

「別に……」

 

「いってないでござるよ」

 

 ―――準備ができましたわ。

 

 あどけない声の幼女の声が聞こえる。

 だが、なぜかその声を聞いていると背筋がぞっとした。

 

(逃げないと! 逃げないとまずい!)

 

 横島の霊感が最大限の警告を発した。それは今まで生きてきた中でも最悪クラス。人生の全てが変貌するのではないかというほどの圧迫がある。

 すぐに文珠を手のひらに呼び出し逃亡体制を整える。

 

 ――――フフ、いい感覚をしてますわ。ですが、もう遅いのです。

 

「シロ! タマモ! 俺から離れろ!!」

 

 いきなり離れろと言われて、二人はなにがなんだか分からない顔をする。

 

 ――――契約が果たされた今、もう未来は決まったのですから。

 

 突如として横島の周りに複雑な魔法陣が形成される。

 魔法陣からは霊力がまったく感じられないが、何か危険なものであることには間違いなかった。

 

「先生!!」

 

「横島!!」

 

 二人は横島へと走り、手を伸ばす。

 

「馬鹿! こっちにくるな!!」

 

 そうこうしているうちに、魔法陣が光を放ち始める。

 

 ――――有限世界で会いましょう。

 

 さらに魔法陣が大きな光を放つと、そこに横島の姿はなかった。

 

 

 

 永遠の煩悩者

 

 第一話 異世界からの招待

 

 

 

「ここ……どこだよ?」

 

 横島は周りの木々を見ながらつぶやく。

 気がついた時にはうっそうとした森の中にいた。周りに人工物は見当たらず、いつのまにか夜になっていた。

 

「空間転移か……時間移動か……まったくいつもいつも」

 

 横島はため息交じりでつぶやく。

 というよりもそれ以外考えられない。霊力を感じなかったのは不思議だが、新しい種類の魔法だろうと納得する。

 何気なく上を見上げると星空が見える。都会のネオンの光がないおかげか星が近く感じた。

 以前に同じような状況で中世ヨーロッパに飛ばされた時は、マリアが星を見て一瞬で時代と場所を答えてくれたものだが、横島には到底出来るわけもない。

 

 周囲には人の気配はなかった。シロとタマモの姿もない。

 この事については良いことか、悪いことか判断できなかった。

 転移に巻き込まれなかったと考えれば幸いだが、巻き込まれていたとしたら、はぐれてしまった事になる。

 とにかく、ここでじっとしていても埒が明かない。

 とりあえず歩くことに決める。そのうち何とかなるだろう。

 

 横島は楽観的に考えた。少なくとも命の危険がないのなら慌てることもない。

 同じような状況で海の中、月、過去等、あちらこちらにいったことがある。慣れというのは強くもあり、同時に怖くもあるのだろう。

 日常的に起こる非日常な怪現象。一週間も経てば、また何時もの日常に戻るだけ。

 この時の横島は、まだそう信じていた。

 

 歩き続けて数分後、幻想的な光景をみた。

 白い翼を広げる仮面をつけた女性と、黒い翼を広げた黒髪の女性が対峙していた。

 二人とも刀を持ち殺気を放っている。次の瞬間、黒い翼の女性が白い翼の女性に飛び掛り、刀と刀をぶつけ始めた。

 その速度に横島を目を剥く。人狼であるシロどころか武神小竜姫に匹敵する速さだ。

 五十メートルはあった距離が一瞬でゼロになり、居合いの構えから刀を振る。

 訓練などではない。互いに相手を殺そうとしている。その事実にゾッとした。

 戦いは仮面を付けた女性が有利に推し進めていたが、黒き翼を持つ女性と横島の目が合ってしまう。

 

「ラスト、ラハテ・レナ。ソサレス!」

 

 日本語ではない。いったい何といったのか分からないが、敵対的であるのは確かだ。

 黒髪の女性から無機質な殺気が伝わってくる。また、女の目には感情というものがまったく込められておらず、横島をぞっとさせた。

 女は遠めで見ても顔立ちは整っていて美人だったが、能面のような表情のせいで煩悩がまったく湧いてこない。

 どこか、哀れにすら感じた。

 

(早くここから逃げんと!)

 

 神魔族並の力を持つ相手とまともに戦って勝てる自身はない。

 そもそも痛い目に合うなんてごめんだ。

 ゴキブリの逃げ足を披露すべく逃走体制に入る。

 だが、黒髪の女が何かをつぶやいた瞬間、突如として地面から表れた黒い手のようなものが地面から生えてきた。

 

「なんじゃこりゃー! 気持ちわり~~!!」

 

 黒い手にまとわりつかれ、逃走に失敗して地面を転げまわる。彼が逃げられないのは非常に珍しいことである。

 気分を悪くする黒い手のようなものを振りほどきながら、ちらりと黒髪の女性を見るとこちらに手を向け「何か」の力を発動させているように感じた。

 恐らく、この黒き手はあの女が放った術なのだろう。身動きできない横島の隙を見逃すはずはなく、女は黒の翼を翻しながら疾風のごとく突撃してくる。咄嗟に横島は文珠に『守』の文字を入れ、攻撃に備える。しかし文珠が使われることはなかった。

 

「くっ!」

 

 苦しげな声が聞こえたかと思うと、仮面を着けた女性が横島を庇っていた。

 庇った際に付けられたと思われる腕からは痛々しく血が流れている。

 

 (俺を庇って傷ついたのかよ……冗談じゃないっつーの!)

 

 『守』の文珠を『癒』に変更して白き翼の女性に使い、傷を癒す。

 

「ラスト、クミノル、コルーレ・ユーラス!」

 

 聞いたこともない言葉で驚いているが、とにかく今は逃げることを考える。

 文珠を二個取り出し、『高』『速』の文珠を発動した。

 

「見せてやるぜ! 横島忠夫の逃げ方ってやつを!」

 

 つい先ほど逃げるのに失敗したせいか、いつになく気合が入っている。

 ぶん殴りあうよりも、逃げ足のほうが横島のプライドに関わるのだ。

 

「ぬりゃぁぁーーーーー!!!」

 

 超加速でもしたのか? と言いたくなるほどのスピードで駆け出す横島。

 追ってくる気配は感じたが途中で見失ったのか気配が消えた。

 安全を確認して足を止め、横島は顔をしかめて空を仰ぎ見る。

 

「いったい、なにがどうなっているんだよ」

 

 いきなり変な場所に飛ばされ、さらに中級魔族ほどの力を持つ霊力を持たない美人に庇われ襲われる。

 今までも唐突な摩訶不思議は嫌というほど体験してきたが、ここまで意味の判らない純粋な命の危機はそうそうない。

 

 はあっと溜息を吐くと、手にズキンと痛みを感じた。

 見ると指から血が流れている。どうやら逃げる最中に木の枝にでも刺したらしい。

 やれやれと思っていると、そこで目を疑うものを見た。

 血が、キラキラと金色に輝いて霧のようになっていく。さすがに声も出ない。

 

 意を決して髪の毛を一本引っこ抜いて磨り潰してみる。

 すると、髪の毛はキラキラと金色に輝く粒子となって消えていった。明らかに異常だ。これでは妖怪や神魔族のようではないか。肉体が、肉ではないようだ。

 意識して体を動かす、何だか妙に体が動く。硬そうなクルミらしきものを握って見ると、あっさり砕いてしまった。

 

「か、改造か! いつのまにか俺はショッ○ーにでもとっつかまって、改造されてしまったのか!?

 いやまて、ひょっとしたら美神さんが俺の丁稚ぶりに満足できずカオスと手を握って改造を……いやでもいくら美神さんでも……でも美神さんだしなあ」

 

 人ではなくなったのかもしれないというのに、横島は驚きつつもまだ軽かった。

 また豚になったりカエルになるよりはマシかと考える。圧倒的な人生経験とギャグキャラ補正が、未だに彼をアホにさせる。

 

 とにかく、今の自分は普通の人間ではないらしい。

 こんなにもあっさりと人間を止めさせられるとは思いもしなかった。

 とにかく、情報が欲しい所だ。しかし、さっき会ったのは言葉が通じない女性達だけ。

 

(聞いた事のない言葉だったな……しかもあれだけの戦闘能力を持っているのに霊力をまったく感じなかったぞ……それに翼みたいなもの出てたし……まあ、お約束通り美人だったけど)

 

 一体何が起こっているのか皆目見当が付かない。やはり情報が欲しい。

 次に人にあったら『翻』『訳』の文珠を使うと決める。言葉さえ通じれば何とかなるだろう。

 この非常にポジティブ(考えなし?)なのが横島なのだろう。そして『翻』『訳』の文珠はすぐに使われることになる。

 

「どわーーー!」

 

 横島の頭の上すれすれに直径1メートルはあるかというか火球が飛んでくる。

 まとも当たれば焼かれるというよりも吹き飛ばされるだろう。

 

「ラキオスのエトランジェ……殺す」

 

「だから! 俺はGS見習いの横島ただ…のわーー!!」

 

 あれから、すぐに赤髪の少女を見つけたので、『翻』『訳』の文珠を使い、後ろから話しかけたのだ。だが、振り返った少女を見て横島は後悔した。

 彼女は美人ではあったのだが、棒の両先端が刃になったダブルセイバーを持ち、目にはまったく感情というものが込められていなかったからだ。それでも自己紹介しようとしたのだが、その返答は、

 

「マナよ、火球となりて敵を焼き尽くせ! ファイアボール!」

 

 だったのである。

 

「ちくしょーー俺がなにしたってんだよ!」

 

 迫りくる火球を霊力で作った盾であるサイキックソーサーと天性の反射神経で必死に避ける。

 霊力と、人ではなくなった強力な肉体のお陰で生き延びられているが、それでも到底勝つことは不可能だと、戦闘経験が豊富な横島は判断した。

 やはり相手は中級神魔クラスだ。文珠を上手く使って勝てるかどうかだろう。戦えばまず、殺される。

 残り五つしかない文珠の一つを取り出し、逃げる準備を整え始めた所で、声が聞こえた――――

 

『やれやれ、またにげるのか』

 

(なに?)

 

 頭の中に直接語りかけられる。男の声だ。偉ぶった少年のような声。

 聞き覚えのある声ではないのだが、どこかで聞いた様な気がした。

 

『まったく、あの程度の敵に情けない……まあ、神剣がなければどうしようもないだろうがな』

 

 声は自信と不遜に満ちている。

 いけすかない公務員を思い出したが、こちらはどうも邪気が少なく子供っぽい感じがした。

 

(あの程度って、あんな炎くらったら消し炭になっちまうぞ! つーか、お前だれだ!)

 

『マナをオーラに変えればあんな火球など恐るるに足りん、それと私はお前のパートナーだ』

 

(マナって何だよ! それに俺は謎の声をパートナーにした記憶なんてないぞ!)

 

 頭の中でまったくかみ合わない会話をしていたせいか、集中力を欠いた横島に特大のファイアボールが迫る。

 避けられないと判断した横島は咄嗟にサイキックソーサーを作り出し直撃に備える。しかし、サイキックソーサーの前方に別の障壁が出現した。

 謎の障壁とファイアボールがぶつかるが、障壁はファイアーボールを簡単に防いだ。

 サイキックソーサーとは比べものにならない頑強さだ。

 

『ふむ、無意識のうちにマナ……オーラの扱いを覚え始めているようだな、やはり主は追い込んだほうが良さそうだ』

 

 頭の中からの声は観察者のような響きがあり、酷く横島を不快にさせる。

 

(おい! 言いたい事あるならさっさとせんかい! こっちは必死なんだぞー!」

 

『確かに、いつまでも主の中にいても仕方ないな……それにマナは直接食った方が美味いだろう』

 

 横島の体から黄金色の光があふれ出す。

 いきなりの体が光りだしたことに驚いた横島だったが、すぐに落ち着いた。

 この光は自分に害を与えることはないと、直感的に判断できたからだ。やがて光は収束して一本の日本刀になった。

 何の装飾も無いシンプルな姿だった。鞘も無く、色も刀身を除いて真っ黒。その飾り気ない姿は、必要な機能さえあれば良いと主張しているようだった。

 

「剣……これがお前の正体か」

 

『そうだ、私は永遠神剣第五位、名を『天秤』という。主よ、私を手に取れ、そして赤の妖精のマナを私に食わせるのだ』

 

 言われるままに横島を空中に浮かぶ日本刀の形をした『天秤』を手に取る。

 次の瞬間、すさまじい力が『天秤』から流れ込んできた。だが同時に意識がぼんやりとなる。

 

「マナよ火の雨となりて降り注げ! フレイムシャワー!」

 

 回避不能な正に火の雨が降り注ぐ。サイキックソーサーでは全てを防ぐのは不可能だ。

 だが横島は特に慌てることもなかった。

 

「マナよオーラに変わり、俺を守れ」

 

 ついさっきファイアボールを防いだ障壁とは比べ物にならないほど強固な障壁が形成されフレイムシャワーを防ぐ。

 だが、その声は横島の声とは感じが違い、どこか高圧的だった。

 

『さあ主よ、今度はこちらの番だ。赤の妖精を切り裂き、私にマナを』

 

(そうだ、俺はマナを集めなくてはならない……マナを集めたい)

 

 『天秤』を構え、赤髪の女に突撃する。そのスピードは今までの横島の比ではない。女はダブルセイバーを構え防御の体制をとったが、構わず『天秤』を叩きつけた。パワーに差があったらしく、女は吹き飛び地面に倒れる。

 そのまま『天秤』で切りつけようとした横島だったが、女の目を見て動きを止めた。その目には感情が込められていないように見えるが、ほんのわずかに恐怖の感情が込められていたのだ。急速に横島の意識が覚醒する。

 

(俺はいま何をしようとした? なぜ彼女を殺そうとした?)

 

 普段の横島なら戦いからは逃げることを第一に考える。

 逃げられない状況ならともかく、『天秤』のおかげで身体能力が向上した今なら問題なく逃げられたはずだ。

 まして、何の躊躇もなく美人を殺そうとするなんてありえない。自分が自分で無い様だった。

 

 吐き気がする。頭が痛い。気持ち悪い。マナが欲しい。

 全身を駆け巡る全能感と異物感に横島は悶える。

 

『なにをしている主、早く私にマナを食わせろ』

 

 その声が聞いたとき横島の中である考えが生まれた。

 

(天秤! いま俺の考えを操っただろ!!)

 

『操るとは人聞きが悪いな。私は主の命と渇きを満たす為に少し干渉しただけだぞ』

 

(ふざけんな!! 今の俺なら殺さなくても十分逃げられたはずだ! それにマナを食うって何なん……だよ……)

 

 突如、強力な眠気に襲われる。

 さらに体からは力が抜け、立ち上がることさえ困難になっていく。

 

『どうやら急になれない力を使った反動がきたようだな。先ほどの赤の妖精も姿を消したようだ』

 

 周りを見渡すと先ほどの女性の姿はなくなっていた。

 とはいっても、こんな訳の判らない女達がいる所で倒れたら命に関わる。必死に睡魔と闘い、力を入れる横島だが、限界が来たのかその場に倒れこんだ。

 

(おい……こんなところで寝るのは流石にやばいぞ)

 

『案ずることはない、もうじき白き妖精たちがやってきて主を保護するはずだ』

 

 まるでこれから起こることが分かっているかのような口調だった。

 

(お前はいったい何なんだよ?)

 

 薄れ行く意識の中で疑問を投げかける。

 

『私は主を導くものだ』

 

 自信に満ち溢れた答えを聞きながら、横島の意識は闇へと落ちていった。

 

 

 



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第二話 スピリット

 永遠の煩悩者

 

 第二話 スピリット

 

 

 やや埃臭いベッドの中で、横島は目を覚ました。

 木造の造りに、八畳ほどの大きさの部屋。ベッドと机だけの質素な、そして見知らぬ部屋だ。

 

 横島は思い出す。

 魔法陣によって見知らぬ土地に飛ばされた事、謎の女との戦闘、『天秤』と名乗る日本刀を振るって意識を失った事。そしてベッドに寝かせられていた自分の状況。

 これらから判断すると、気を失った後、誰かに助けられたのだろう。縛られてもいないし見張りもいない所を見るに、敵対的ではないはずだ。

 ニヤリと横島は笑みを浮かべる。次の展開は明白。きっと可愛い女の子が看病してくれて、いや~んな展開が待っているに違いない。

 

 これだけの目にあっても、横島が考えることなど基本的にこんなものだ。命の危機でもないと真面目にはならない。

 しかし、完全に馬鹿なことでもない。妄想によって煩悩パワーをあげて霊力を回復させているのだ。エロスに走るほど彼は強くなる。

 

 コンコン!

 

 突然ドアがノックされ、返事をする間もなく扉が勢い良く開く。

 可愛い女の子が来たかと期待に胸膨らませて見ると、そこには予想通りの可愛い女の子が立っていた。

 顔立ちは非常に整っており、白い肌にパッチリした目。日本人ではありえないような美しい青髪。髪型はポニーテールで非常に快活な空気をだしている。シロと似たような雰囲気だ。

 だが非常に残念なことに彼女は幼かった。精々中学一年くらいだろうか。

 

「ラスト、ソロノーハティン、ヤァ、ウズカァ、ソゥ、ラハテ・レナ」

 

 やはり聞いた事のない言葉で喋ってくる。何を言っているのかさっぱり分からない。

 女の子も困った表情になる。どうやら向こうも言葉が通じないのが分かっているようだ。

 ここは文珠に頼るしかないだろう。この文珠を使うと残りの文珠の数が三つになってしまうが、言葉が通じなければ文字通り話にならない。

 こっそりと『翻』『訳』の文珠を発動させる。

 

「どうしよう、やっぱりエスペリアが言ってたように言葉が通じないんだ……う~色々とお喋りしたいのにーー!」

 

「大丈夫だぞ。今ならちゃんと言葉は通じるから」

 

 妙に好青年な声を横島が出す。普段の彼を知るものなら気持ち悪いの一言だろう。

 子供に興味は無い、と言っても可愛い女の子相手に良い格好をしたいのは男の性だろうか。

 

「あっ……本当だ! やった、これでたくさんお話ができるね!」

 

 女の子はぴょんぴょん跳ねて本当に嬉しそうだ。

 横島としても今どこにいるのか早く知りたかったので、会話は望むところだった。もっともここがどこなのか薄々は気づいているのだが。

 

「まず自己紹介すると、俺の名前は横島忠夫っていうんだ。好きなように呼んでくれ」

 

「ネリーはネリー・ブルースピリットっていうの。とっても『くーる』な女なんだから」

 

 横島にはネリーのどこら辺が『くーる』な女なのかさっぱり分からなかったが、突っ込むと五月蝿くなりそうなのでそのまま流す。

 

「まず聞きたいんだけど、ここはどこなんだ」

 

「えーとね、ここはラキオス王国の第二詰め所だよ。ネリー達はここに住んでるの」

 

 第二詰め所というのが今居る所なのだろう。そしてラキオス王国なんて国は聞いたことすらない。まあ、地理に詳しいわけではないので、どこぞにある小国という可能性もある。

 だが、清められた場でもないのに浮遊霊の一つもないのは異常だ。

 横島はますます自分の考えが当たっているのではないかと思い始める。

 

「君たちは「ネリーって呼んで!」……ネリーは自分たちの世界をどう呼んでいるんだ?」

 

「国じゃなくて世界?」

 

「あ~じゃあ星の名前とか」

 

「う~ん……ネリーよく分からないや! あ、でもオルファがカオリ様に聞いたらしいんだけど、ファンタズマゴリアとか言ってたらしいよ」

 

「そのカオリ様っていうのは?」

 

「ヨコシマ様がいたハイペリアから来たエトランジェ(来訪者)様!」

 

 横島は自分の考えが当たった事を確信した。この世界は自分がいた世界とは違う異世界だと。

 浮遊霊の一つもないのも、『天秤』と名乗った妙な剣も、そして自分の体に流れる霊力とは異なる力も、全ては異世界だからこそなのだろう。

 別宇宙にも行った事がある横島だから、異世界といってもそこまで慌てるわけではない。

 とはいっても、いきなり人間でない存在にさせられたのは衝撃だったが。

 

「なあ、この世界には異なる世界の人間を呼び出す召喚術みたいなものはあるのか?」

 

「ううん、そんなの聞いたことないよ」

 

 横島はこの世界に来る前、間違いなく何者かによって召喚された。この世界の誰かがやったのか、それとも別の世界の誰がかがやったのか。だとしたらその目的はなんだろうか。

 考えなければいけない事が多く、横島も悩む。だが、横島はやはり常人とはどこかずれていた。

 

(普通、異世界召喚といえば呪文とか契約とかで言葉には困るもんじゃねーだろ! どうやら『お約束』を分かってないな。現実的かもしれんが話すことができないのは致命的だぞ。まったく書くほうの身にでもなって……)

 

 いったいどこの世界の『お約束』のことを言っているのだろう。

 さらに考えていることもぎりぎりで原作なら雷が落ちているところだ。

 

「ヨコシマ様ーー! 聞いてるのーー!?」

 

 考え事が長すぎたのかネリーが大声をあげる。

 

「悪い、ちょっとぼーっとしてたみたいだ。あとこの世界の人間は翼を生やしたり、炎を出したりするのは普通なのか」

 

「人間様にはできないよ、だけどスピリットなら神剣とマナを使ってできるんだ」

 

 人間様というのにふと疑問が湧いたが、今はいい。

 

「それじゃあ、次はマナとスピリットと神剣について教えて欲しいんだけど」

 

「あー!」

「あらあら~」

 

 二種類の声が部屋に響いた。

 ドアのほうを見ると青い髪でボブカットの小さい少女と、緑色のセミロングでスタイル抜群でニコニコしたお姉さんが立っている。

 ボブカット少女は頬を膨らませてネリーに詰め寄った。

 

「ネリー酷いよ~エトランジェ様が起きたらいっしょにお話しよ~って言ったのに~」

 

「ごめん! つい我慢できなくて……あとでシアーの好きなお菓子あげるから」

 

「……えへへ~~じゃあいいよ」

 

 横島の目の前で二人の少女がなにやら話しているがまったく耳に入ってこない。横島は今、ドアの前にいるお姉さんを凝視することに力の全てを費やしていた。

 

 胸――――――特大。

 尻――――――安産型。

 フトモモ―――なでなでしたい。

 顔――――――癒し系お姉さん万歳!!

 

 

 ルパンダイブ発動!!

 

 

「生まれる前から愛してましたーー!!」

 

 次の瞬間、横島は飛んだ。空中でGジャンとGパンを一瞬で脱ぎ捨て、パンツ一丁で目の前のお姉さんに向かっていく。目の前のお姉さんは「どうしましょう~~」とニコニコと笑っていた。

 これはいける!

 横島はそう思ったが世の中はそんなに甘くはない。突如として目の前に炎の壁が生まれたのだ。

 

「アッチーーー!!」

 

 炎を突っ込み、横島は燃える男と化した。

 

「わわ、ヨコシマ様! いま冷やしてあげるからね。シアー、ここはアイスバニッシャーでいこう! 『静寂』力を!」

 

「う、うん! 『孤独』よ私に力を」

 

 二人は立てかけてあった剣を取ると、呪文の詠唱のような言葉を言い出す。

 

「マナよ氷となりて力を無に! アイスバニッシャー!!」

 

 熱がっている横島に冷気が集まっていく。

 冷気は檻のようになって横島を包み込み、火を消し、横島を凍結させる。

 

「ギャー! つめてーーーー!!」

 

「やー! ヨコシマ様ーー!!」

 

 熱され冷まされ、横島はパタリと倒れた。ネリーが涙目で横島をゆすり始める。

 緑のお姉さんの隣には、短髪で赤毛の女性がダブルセイバーを持って慌てていた。

 

「あらあら~どうしたんですヒミカ~『赤光』なんて持って~」

 

「どうしたじゃないわよハリオン! いったい彼は誰!? この騒ぎはなに!」

 

 ヒミカといわれた赤髪の女性は何が何だか分かっていないようだった。

 彼女が第二詰め所に帰ってくると、なぜか『神剣』の気配が一ヶ所に固まっていた。しかもその中に感じたことのない『神剣』の存在を感じたのだ。エトランジェが来たとは聞いてたので様子を見に来れば、同僚にして戦友のハリオンがパンツ一丁の男に飛び掛かられているではないか! 

 咄嗟に炎の障壁を張ってハリオンを守ったと思えば、燃え上がっている男にアイスバニッシャーを仕掛けて凍らせるネリーとシアー。まったく状況がつかめないヒミカにハリオンがのんびり~とした口調で説明する。

 

「え~と彼はファーレーンさんが見つけてきた新しいエトランジェ様で~先ほど私に飛び掛ってきたのは、きっとお姉さんの魅力にくらくらになっちゃったんですよ~」

 

 後半の説明はともかく、前半の新しいエトランジェ様の所でヒミカの顔が真っ青になる。

 いくらエトランジェといっても何の防御もせずに炎と氷を食らえば一たまりもない。しかもパンツ一丁でだ。

 

「ハリオン!なにをやっているの!早く回復魔法をかけなさ――――」

「あーーー死ぬかと思った」

 

「「「きゃあーー!!」」」

「あらあら~~」

 

 ここに伝家の宝刀が炸裂した。

 

 

 

「そ、それでエトランジェ様……体のほうは大丈夫なのですか?」

 

 恐る恐るといった感じでヒミカが言う。確かに燃やされ、凍結させられたはずなのに火傷も凍傷もなかった。

 『神剣』を使った気配がないにもかかわらず、傷ひとつないのだから恐れないほうがおかしいだろう。

 

「ああ、大丈夫だ。むしろ体の調子が良くなったみたいだ」

 

 横島は昨日丸一日セクハラができなくて、霊力があまり回復していなかったのだ。

 さらに出会った女性達も、仮面の女性は顔がわからず、それ以外は美人であってもマネキンのようで、そしてどこか哀れに感じてしまい煩悩が刺激されなかった。

 そこにスタイル抜群のほわほわお姉さんキャラの登場により煩悩が高まり、文珠を一個ぐらいなら作れるほど霊力が回復したのだ。

 

「そ、そうですか……」

 

 ヒミカはここで会話を切る。事情を知らぬ彼女からすれば、訳がわからないと言うしかない。怒られるどころ笑顔すら浮かべられてしまったのだ。

 インパクトがありすぎる出会いだったため、何から話せばいいのかさっぱり分からなくなってしまっていた。

 ハリオンといわれた緑のお姉さんがニコニコと笑いながら言った。

 

「この部屋は狭いので~居間のほうに行きましょうか~」

 

 確かにこの部屋で五人は狭い。誰にも異存はなかった。

 

 

 ―第二詰め所 居間―

 

 そこは十人ぐらいはゆっくりできそうなスペースがあり、木造の家具が並んでいた。

 ハリオンと呼ばれた横島よりも少し年上に見えるナイスバディな緑髪の女性が、お茶を入れてくれる。

 ヒミカはどこからともなく焼き菓子を持ってきた。

 

「まず~自己紹介からですね。私はハリオン・グリーンスピリットといいます~」

 

「私はヒミカ・レッドスピリットと言います。よろしくお願いします、エトランジェ様」

 

 ハリオンは言葉も動作ものんびりとしていて、ヒミカはきびきび動き真面目そうだ。

 正反対の二人だが仲はよさそうである。ちなみにスタイルも正反対だ。

 

(ルシオラとおなじくらいかな?)

 

 いきなり失礼なことを考える横島。

 ヒミカの容姿は赤髪のショートカットでくっきりとした顔立ちだ。スタイルもスレンダーで、どこか少年のようにも見える。なんともボーイッシュな魅力だ。それでいて、立ち振る舞いは女性らしいのがまた良かった。

 

「ほら! シアーも自己紹介!」

 

「うん……シアー・ブルースピリットなの」

 

 ネリーに促されて、シアーは少しおどおどしながらもゆっくり自己紹介する。

 彼女はかなり可愛いが、やはり小中学生程度で煩悩は刺激されなかった。

 

「二人は姉妹なんですよ~」

 

 ネリーが姉でシアーが妹のようだ。

 快活で元気なネリーと内気でおとなしそうなシアー。かなり仲は良さそうだ。

 

(シアーのほうが胸あるんだなーってちがーーーーう!!)

 

 セクハラ小僧の本能なのか、子供の胸の大きさを確かめてしまった横島は内心で絶叫する。

 まさかそんなことを考えているとはヒミカは夢にも思ってない、

 

「それで、エトランジェ様のお名前は?」

 

 ヒミカが問いかけるが、自分の世界に入ってしまった横島には聞こえない。

 

「俺はロリコンじゃない、ロリコンじゃない」

 

「ロリコン様ですか?」

 

「ちがーーーう! 俺の名前は横島忠夫! ぴちぴちの十八才だ!」

 

 自分の人格、いや今までの人生を全て否定されそうになった横島は慌てて否定する。

 

「ヨ、ヨコシマ様ですね?」

 

 さっきから不審な行動が目立ち、怪しさ全開の横島に引き気味のヒミカだったが、歴戦の戦士としてひるむわけにはいかなかった。

 

「それで他に質問はありますか?」

 

 ようやく落ち着いた横島はさっきネリーに聞こうと思っていた質問をする。

 

「マナやスピリット、あとエトランジェについて聞きたいんだけど……」

 

「はい、マナというのは――――」

 

 

 

「ふーん……だいたい分かったよ」

 

 必要なことを聞き終えた横島はどこか怒りを抑えた声で返事をする。マナについて簡単に纏めるとこういう事らしい。

 この世界はマナというもので構成され、マナをエーテルに変えてエネルギーとして幾つかの機械を動かしている。

 エーテルは使用するとマナに変わるので正に無限エネルギーといえる。しかし、マナそのものは有限なのだ。

 マナを得ることは国を豊かにすることにつながり、基本的にマナは空間に固定されたエネルギー。つまり領土を増やす以外にマナを増やす方法はないのだ。

 また、マナをスピリットに投入することでその力が増すのである。

 

「ヒミカさん、このラキオス王国では戦争をしているのか?」

 

「ヒミカで結構ですよヨコシマ様。今現在のところラキオス王国は戦争状態になってはいませんが……」

 

「いつなってもおかしくない状況……小競り合いは頻繁に起こってるって所か」

 

 ヒミカは神妙に頷く。

 有限の燃料を求めて戦争する。横島がいた世界でもあったことだ。

 戦争云々については納得できた。昨日の夜の戦闘もそれで説明がつく。

 そこまでは理解できる、問題は、次からだ。

 

「ヒミカ、もう一度スピリットについて説明してくれないか」

 

「はい、分かりました。スピリットについて説明します。スピリットは永遠神剣と共にどこからか生まれてくる女性型の生命で赤、青、緑、黒の四種類がいます。スピリットは妖精とも呼ばれ、生まれると人の道具として国の兵器となり、国の財産として所持されています」

 

「ふざけるな!!」

 

 突然横島が大声を出す。その声には隠しようもない怒りが込められていた。

 四人のスピリットはいきなりのことで目を白黒させる。

 

「ヨコシマ様、どうしたの~」

 

 シアーが首をかしげながら言った。

 

「どうしたもこうしたもあるか! 自分を兵器とか道具とかいうもんじゃねーよ!」

 

「はあ、そう言われましても」

 

 困惑したようなヒミカの言葉を聞いて、横島は怒りよりも悲しみの感情のほうが大きくなる。

 自分を兵器と言うことに疑問にすら思えていない。もうどのような扱いを受けて、そしてどのような教育を受けてきたのかこれだけで分かってしまう。

 

(どうしてこう毎度毎度こんな!)

 

 横島の脳裏に、ある女性達が、かつて愛し合った女性の姿が浮かぶ。

 力の為に寿命を一年と制限され、その行動に制限をかけられて愛し合うことすら禁じられた、強く美しく悲しい女性だった。

 

 もうあんな結末はこりごりだ。今度こそは!

 

 横島の目に、ギラリとした光が灯る。

 

「ヨコシマ様、どうして怒ってるの?」

 

 ネリーは様子の可笑しい横島を心配そうに見上げた。

 優しい良い子だ。そんなネリーの頭を優しくなでる。

 

「まったく、ネリーのどこが兵器なんだっつーの」

 

 優しく言って頭を撫でる。その言葉を理解できたのか、ネリーは目を細め気持ち良さそうに頭を撫でられていた。

 ふと見ると、いつの間にか近づいたシアーが不安そうに頭をこちらに向けていた。横島は笑顔でシアーの頭も撫でた。髪に触れた瞬間、ビクッと反応するが撫でられはじめると嬉しそうな表情になった。

 その様子を見ていたハリオンはニコニコと、ヒミカは複雑そうに見ていた。

 

「それじゃあ、次に永遠神剣って奴を教えてくれないか」

 

「判りました。永遠神剣とは我らスピリットやエトランジェに加護を与える強力な武器です。ですが、ただ力を与えてくれる武器ではありません。神剣は意思や本能を持っています。また階位があり、高位の神剣ほど強い力と意志を持っているのです。私のようなスピリットが持つのは意思は薄く、ただ本能があるだけのが殆どでしょう」

 

 言いながら、ヒミカは自分の永遠神剣第六位『赤光』を見せた。

 横島の永遠神剣第五位『天秤』とは一つしか階位が違わない。

 

『主よ、言っておくが第六位と第五位の差は大きいのだ。私が弱いなどと勘違いするなよ』 

 

 本当に唐突に、頭の中に声が聞こえた。今まで黙ってたくせに、我慢できなくなったらしい。

 どうやらかなり自尊心が強い性格なのだと、横島は少し笑ってしまった。

 

「また、神剣を扱うには強い意志が必要で、意思が弱いと神剣に体を乗っ取られてしまいます。

 他国では、というよりもラキオスとその同盟国以外の国では基本的にスピリットの心を神剣に飲ませます。そうする事によって、より神剣の力を引き出せるようになるとか。詳しいことは知りませんが、調教師という人がスピリットに何かをして心を弱らせる事によって神剣に飲ませるらしいです」

 

 本当に備品で道具扱いなのだ。心など、まったく考慮に入れていない。

 あんまりな内容に、怒りとおぞましさで体が震えた。

 体を震わせた横島に、ヒミカは昨夜横島が殺されかけた事実を思い出して、失言したと慌てる。

 

「安心してください、ヨコシマ様。確かに心を飲まれたスピリットは神剣の力そのものは上がりますが、しかし思考能力が落ちて一概に有利とは言えないのです。

 その証拠に、昨夜ラキオス近辺に威力偵察を仕掛けてきたスピリット達は私達が処理しましたから」

 

 決して自分達は弱くない。横島の安全は保障されている。

 怖くて震えているのだと勘違いしたヒミカは、まったく見当違いの発言をした。

 その発言が、さらに横島に怒りと絶望を注ぐ。昨夜、戦ったスピリットはもういないのだ。

 哀れに思った直感は間違ってはいなかった。

 

 笑えば、可愛かっただろうな。

 

 ただそう思う。

 あのレッドスピリットは、人間の被害者でしかなかった。

 横島の心に闇が深まっていく。その時だった。

 バタンというドアを開ける音が聞こえ、数人の兵士が乱暴に詰め所に押し入ってくる。

 

「スピリット共、エトランジェは起きているか! 起きているのならすぐに王宮に参上しろ」

 

 エトランジェとは来訪者を意味していて、横島がそれに該当する。

 

「ちょっとまってよ! エトランジェ様は起きたばっかりなんだよ!」

 

 ネリーが抗議の声をあげる。

 

「人に抗議するのかぁ! 妖精ごときが!」

 

 その声にはスピリットと呼ばれる存在に抗議されたという屈辱と怒りに満ちていた。兵士は横島を見ると、明らかに侮蔑の表情を浮かべる。

 

「起きているのならさっさとこい! それとさっき人間に抗議したスピリットもだ!」

 

 もうここには居たくないとばかりに去っていく兵士達。あまりに突然で唐突な召集にスピリットたちは少し混乱しているようだ。

 

 だが横島は特にあせった様子はなく、うっすらと笑みまで浮かべていた。

 これだけのやり取りでスピリット達が非人道的な扱いをされているのが分かる。

 ラキオスはまだマシらしいが、それでも許せるわけがない。

 

 あの時とは違う。敵は魔神ではなく、ただの人間だ

 こちらには使い方によっては、あらゆる敵を打ち倒す可能性を持った文珠がある。

 そしてなにより、この身に宿った新たな力。その力の大きさを横島は感じ取っていた。その力はもはや人という枠組みを超え、上級神魔並みの力がある。

 ぺスパや小竜姫だって力ずくで押さえ込めるほどの強大なものだ。求めていた力を得た以上、やることは決まっていた。

 

「なあ、ネリー。王宮に案内してくれないか?」

 

「うん……ごめんなさい」

 

 その声には力がなく、しょんぼりとしている。

 横島はそんなネリーの背中をポンと叩いて強い笑顔を浮かべた。

 

「しょげんなって。ありがとな、俺のために怒ってくれて」

 

「うん!!」

 

 あっさりと元気を取り戻すネリーを見ながら横島はある決心をする。

 王宮に向かおうとする横島達にハリオンがのんびりと、それでいて心配そうな声で横島たちに声をかけてきた。

 

「無理をしたらいけませんよ~」

 

 ハリオンは横島がこれから何をしようとしているのか、分かっているかのようだった。

 

「大丈夫っすよ」

 

 笑いながら返事をする横島だが、目は胸を凝視する。

 これからの事を考えて、煩悩パワーを充填しておきたいのだ。

 

「も~あまりそんなとこばっかり見たら~、めっめっておこっちゃいますよ~」

 

 ぷんぷんという擬音が似合いそうな感じで、ハリオンは可愛く怒る。

 

「すんません! それじゃーいってきます」

 

 ネリーに手を引かれて横島は王宮に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―王宮―

 

 王宮に着くとネリーと引き離され、王座の間に案内される。

 王座には派手な装飾をした初老で体格のよい老人と美しい黒髪の女性がいる。位置からすると国王と王女だろう。

 

「よく来た、エトランジェよ」

 

 豊かなあごひげを揺らしながら、王は偉そうに言った。

 

「別に来たくてきたわけじゃないんだがな……目的はあるけど」

 

 相手が王族でも敬語をまったく使わない。彼からすればこんなおっさんに敬語を使う必要はまったくない。

 基本的に男嫌いであるし、スピリットにあんな扱いをしているやつに敬意を示せるわけが無かった。まあそれでも、基本的に小心者で小悪党な横島だから、寝首をかくためにへりくだった態度も取ることも出来たが、今はそれをする必要が無かった。

 

「やはりエトランジェは口の利き方も分からんようだな。だが言葉を理解できるのならそれでよい。報告によればお前の神剣は体内に隠してある聞いている。ここで神剣を出してみせよ」

 

「いやじゃ! なんで俺がじいさんの頼みを聞かないといけないんじゃ!」

 

 あまりにも無礼な言葉に側近がいきりたつ。

 だが、ラキオス王はそれを聞いて歪んだ笑いを見せた。

 

「なら出させるようにするしかないな。スピリットをここに!」

 

 すると横から小さな体の少女が歩いてくる。ネリーだった。手には神剣を持ち、目は泣いたのか真っ赤だった。

 

「やれ」

 

 ラキオス王の言葉を聞き、ネリーは泣きそうな顔で神剣を構えて横島に突撃してきた。

 

「栄光の手!」

 

 咄嗟に反応して霊波刀を形成してネリーの永遠神剣『静寂』を受け止めた。

 横島よりも小さいネリーだったが、その力は強く横島は歯を食いしばって必死に対抗する。

 

「あれがエトランジェの神剣か?」

 

「いえ……『月光』からの報告とは形状が違います」

 

 玉座から好き勝手な声が聞こえてくるが、それを気にしている余裕はない。

 

「ネリーいったいどうしたって言うんだ!」

 

「ごめんなさい、ヨコシマ様……でもネリーが戦わないとシアーが!」

 

 その言葉で横島は、なぜネリーが戦っているか理解した。

 王はネリーの妹であるシアーを人質にしているのだ。

 

(このクソ王が!!)

 

 ラキオス王を睨みつけるが、王は歪んだ笑いを見せるだけだった。

 ただ、王の後ろで自分の父親を睨みつけている王女が印象に残った。

 

「どうした、青の妖精……姉であるお前がその程度ということは妹はさぞ役に立たないのだろうな……はははははは!!!」

 

 その言葉でネリーの顔色が変わる。

 ネリーは大して神剣の力を使っていなかった。しかし、このまま弱いなどということになれば自分だけでなく妹のシアーが処刑されてしまう。

 

「『静寂』力を! はぁーーーーーー!!!!」

 

 ネリーは背中に光の翼……ウィング・ハイロゥをだして空中に飛ぶと、そのまま一気に切りかかってくる。

 

「く、やっぱり早い!!」

 

 横島は反射神経なら人間の中でもトップクラスだ。銃弾だって叩き落すことも出来る。人の中ではトップクラスの戦闘力を持っていた。特に今は肉体がマナ化しているのだから、横島の力は人を遥かに超えているだろう。

 しかし、それでもネリーには勝てる気がしない。スピリットといくら霊力を使えても人間では基本能力に差がありすぎるのだ。横島が負けないのはネリーが可能な限り手加減しているのと、横島は実戦経験が豊富だからに過ぎない。

 横島は必死にネリーの剣筋を予想し、サイキックソーサーその部分に持ってきて受け流していたが、とうとうまともに食らってしまう。

 

 パキン!

 

 乾いた音がしてサイキックソーサーが砕け散る。

 さらにネリーはその隙をついて切りつけてきた。

 

「サイキック猫だまし!!」

 

「きゃっ!」

 

 霊力と霊力をすり合わせて閃光を起こして視界をふさぎ、なんとか距離を開ける。

 ここで戦いを終わらせてはくれないか、と思ったが、王は探るような目つきで戦いを見つめていた。王女は眉をひそめていたが、止めようとは思っていないらしい。

 虎の子の文珠を使えば戦うことはできるだろうが、ネリーを傷ひとつなく捕らえることができるかわからない。それに、切り札は人前では使いたくなかった。

 

(仕方ないか……)

 

 できれば頼りたくないがしょうがない。

 横島は自分の内にいる存在に声をかける。

 

(おい『天秤』、見ているんだろ)

 

『ああ、主よ見ているぞ』

 

(お前の力が借りたい……頼めるか?)

 

『問われるまでもない。私は主のパートナーなのだからな』

 

 『天秤』の声はどこか白々しい。どうも『天秤』からはエリート気質な見下しを感じる。

 だが、気に食わないという理由で力を放棄するわけにはいかなかった。

 横島から金色の光があふれ出し、それが日本刀の形を形成し始め大きく光ると、横島の手にはシンプルな日本刀が握られていた。何の飾り気も無い、地味な見た目だ。

 その途端、『天秤』から力が流れ込んでくる。それは圧倒的な力だった。

 

 元の世界では人と神魔の間には隔絶された力の差があった。

 人間最高クラスの霊力でも、神魔の下級魔族にすら及ばない。中級だと単独で勝つのはまず無理。上級までいくと、そもそも攻撃が通らない。

 今の横島は上級神魔クラスの力を放っていた。人ではなくなったのだと、横島は改めて実感する。

 

『それでどうする? あの幼き青の妖精を殺すのか?』

 

(馬鹿いうな! 俺の狙いはあっちだ!!)

 

 目で玉座のほうを示す。

 

『……やってみるが良い。永遠神剣第五位『天秤』の力、どれほど操れるかな?』

 

「うおおおおおお!!!」

 

 吼えながら目の前の玉座に向かって走る。途中でネリーが『静寂』を振るってくるがそれは予想通り。上段から切りつけてきた所を見ながら剣の横におもいきり『天秤』をぶつける。

 

 ギン!

 

『静寂』は『天秤』をぶつけられた衝撃でネリーの手から離れ、ネリーの力が急激におちる。

 

(よし! あとは……)

 

 横島は一瞬で玉座に進み、ラキオス王の目の前に立つ。

 ラキオス王はスピリットを突破してきたことに驚き、そして歪んだ笑顔を浮かべる。

 

「くくくっ……やるではないか。まさか訓練もしていないエトランジェがこれほどとは思わなかったぞ。この力があれば北方は我がラキオスの領土になるのも時間の問題といえよう」

 

 ラキオス王の顔は更にゆがみ、顔からは欲望がにじみ出ている。

 

「王様、俺の願いを聞いていただけないでしょうか?」

 

 先ほどの言葉遣いから一転して丁寧な言葉を使う横島。

 憎い男だが、それでも暴力が得意ではない横島は最後通告を突きつける。

 王は機嫌良さそうに「言ってみよ」と尊大に頷いた。

 

「スピリットを解放してもらえないでしょうか」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ラキオス王はぽかんと呆けた顔した。王女は口に手を当てて驚いている。言葉の意味を理解したラキオス王は狂った笑い声を上げる。

 

「ぐあはっはっはっはーーーー! スピリットを解放する? スピリットは人の道具だぞ。さては貴様は妖精趣味か? エトランジェという人種は実に面白く都合が良いな」

 

「スピリットを解放しないのなら……」

 

 『天秤』をラキオス王に向ける。

 暴力や荒事は得意ではないが、可愛い女の子達のためならどうという事はない。

 

「くくく、やってみたらどうだ?」

 

 剣を向けられながらも、王は悠然と玉座に座り続ける。

 ラキオス王の自信がどこからやってくるのか横島には分からなかった。そして横島は『天秤』を振り切った。

 

 ぽとりと、王の一部が床に落ちる。

 王の豊かなあごひげが落ちた。そのため、王はどこかユーモラスなちょび髭王へと変貌を遂げる。

 

「はっ?」

 

 王はなにが起こったか分かっていないようだった。

 そして自分のひげが切られたことが分かると突然震えだした。

 

「ば、ばかな!! 強制力は……神剣の強制力はどうした!!」

 

 横島には強制力が何か分からなかったが、相手にとって想定外の事態が起こったことはわかる。

 

「スピリットを解放しろ!」

 

 チャンス到来とばかりに語気を強め、思い切りにらみつける。

 王女は王を庇おうとした――そのとき『それは』起こった。

 

 『そろそろか』

 

『天秤』が何か言った瞬間、体の全身が切り刻まれたかと思うほどの激痛が流れた。

 

「があああああああ!!!」

 

 体の血液の中に刃物が入っているのではないかと思うほどの全身の痛み。激痛という言葉すら生易しく感じるほどの痛みだった。

 

「はっ…ははははは!! ようやく強制力が働いたか。……よくもワシのひげを!!」

 

 ガン! ガン! ガン!

 王は地面にはいつくばって苦しんでいる横島を何度も蹴る。

 

「貴様は処刑してやろう!!」

 

「父上、お待ちください」

 

 王女がラキオス王に進言をする。

 

「この者の力は処刑するにはあまりに惜しいと思います……父上の野望に必要な人物かと」

 

「ぐっ……しかし!」

 

「父上はいずれこの世界の支配者になられる方です。度量を見せるのも必要なことかと……」

 

 ラキオス王は黙り込んだ。

 どうせこのエトランジェは強制力で動けない。だがこのままではラキオスに忠義を誓うことはないだろう。最悪、他国に走られることも考えられる。別なエトランジェのように、身内を人質に取ることもできない。

 どうしたものかと考えていると、青の妖精が苦しんでいるエトランジェに心配そうに声をかけているのが目に映った。

 この姿を見て、王はニヤリと笑う。

 

「エトランジェよ聞け! 今後、貴様の力はラキオスの為に使うのだ。もし逆らったり、逃亡した場合はスピリットを処刑する!!」

 

「父上!!」

 

「お前は黙っていろ!!」

 

 横島は全身の痛みに意識が朦朧としながらもラキオス王の話を聞いていた。傍ではネリーが涙ながらに何かを言っているが何も聞こえない。

 意識が闇に落ちていく。

 

(目が覚めたら可愛い女の子……今度は美人のお姉さんがいたらいいなあ)

 

 こんな状態でもアホな事を考えながら、横島の意識は沈んだ。

 

 

 

 



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第三話 隊長就任

 全てが暗闇に包まれていた。

 そこはゴキブリのごとく駆け抜ける。

 走る理由は簡単だ。逃げているのだ。苦しいこと、痛いこと、辛いこと。

 いやなことから逃げる、実に俺らしいと思う。

 走り続けると暗闇の中にぼんやりと人影が見える。

 小さく、青い髪のポニーテール姿の少女、ネリーだった。

 ネリーに声をかける。ネリーはこちらに視線を向けるが、その顔には悲しみが浮かんでいる。

 

「どうして逃げちゃったの? ヨコシマ様……」

 

 そして、ネリーの体が金色のマナに変わり、消えた。

 

 

 永遠の煩悩者

 

 第三話 隊長就任

 

 

「どああ! ぐはあ!」

 

 叫び声とともに横島はベッドから転げ落ちる。

 そして、きょろきょろと辺りを見回し、昨日自分が眠っていた部屋と確認してため息をついた。

 心臓は早鐘のように鳴り、服にはいやな汗が染み付いている。夢見としては最悪だった。夢の内容と気を失う前の状態を思い出し、ネリーのことが非常に気にかかる。

 

「ネリーのやつ大丈夫だといいんだが………ちょっと見に行ってみるか」

 

 体にはまだ鈍い痛みが残っていて動くのはきつかったが、気合を入れて立ち上がろうとする。

 同時にドアが開いて、見た事がない小柄な少女が飛び込んできた。

 

「ラスト、テスハーア!? ラスト、ステスアーン!?」

 

 少女はかなり慌てていて、早口で何かをしゃべるがまったく分からない。

 どうやら文珠の効果が切れたらしい。

 

(文珠を使うしかないか………しかし本当に言葉を覚えなくちゃまずいな)

 

 横島が今もっている文珠は三つ。『翻』『訳』の文珠を使えばあとひとつになってしまう。こうも毎回のように文珠を使っていては、文珠がいくつあっても足りなくなる。ため息をつきながら横島は『翻』『訳』の文珠を発動させる。

 

「エトランジェ様! 大丈夫ですか! 痛いところはありませんか! 水飲みますか!」

 

「ちょっと落ち着いて! 俺は大丈夫だから!」

 

 横島は体を動かして元気なことをアピールする。実際はけっこう痛いのだが、女の子の前では良い格好がしたかった。

 少女は良かったと言って微笑むが、突然表情をキリリと凛々しくして背筋を伸ばす。

 

「私はヘリオン・ブラックスピリットといいます! 永遠神剣第九位の『失望』の使い手で………え~と~~とにかくがんばります!!」

 

 すごい勢いで喋る、ヘリオンと名乗る少女。

 黒髪で年はネリーと同じぐらいだろう。髪はツインテールで纏めていて、まだまだ幼さを残す少女だった。

 

「可愛いけど小さいなあ」

 

 この男が最初に女の子を見て思うことは、たいていこんなものである。

 

「そ、そんな可愛いだなんて! あぅぅ、どうしたら良いんでしょう!? その小さいですけどスピードだけなら自信があったりもすりゅので……あああ、噛んじゃったよう」

 

 真っ赤になったり真っ青になったりとせわしない。

 周りに居なかったタイプなので、何だか面白かった。

 

「あ~何かよう分からんけど緊張してるのか?」

 

「い、いえ! 緊張なんてしていないんれふよ! ……また噛んじゃった」

 

 ヘリオンはガックリと肩を落す。

 色々な意味で可愛い少女に、横島も思わず笑いがこぼれる。

 それにしても、スピリットは顔立ちが整った女性ばかり。どうもまだ知らない事実がありそうだ。

 

「ところで、ネリーは大丈夫だったのか?」

 

「はい! ネリーには傷ひとつありません。泣きながらエトランジェ様を運んできたんでですよ」

 

 その言葉に横島は胸をなでおろす。

 彼は自分が傷つくのは本当に嫌だが、自分のせいで女性が傷つくのはさらに恐れるのだ。

 

「今、ネリーはヒミカさんに剣の稽古をしてもらっているんですが……エトランジェ様のことが気がかりでぜんぜん集中出来ないみたいで」

 

「じゃあ、元気なところを見せにいかないとな。案内頼むな」

 

「はい!」

 

 勢い良く歩き始めたヘリオンに、慌てて付いて行く横島だった。

 

 ―第二詰め所 訓練所―

 

 訓練所に入ると、ヒミカと訓練をしていたネリーが横島に気づいた。

 涙を浮かべながら横島のほうに弾丸を思わせるスピードで突撃をしかけてくる。

 

「ゴファ!!」

 

 体が本調子でない横島にネリーのぶちかましが入る。

 たまらず崩れ落ちそうになるがネリーはそれを許さない。

 横島の腰に手を回し、内臓が破裂するのではないのかと思うほど締め上げてくる。

 

「ヨコシマ様! ごめんなさい! ネリーのせいで……」

 

「ネ、ネリー! 分かったから離し……グオオ!」

 

 例え神剣を使わなくても、マナの体を持つスピリットは高い身体能力を誇る。さらに、幼い身とはいえ戦士として訓練してきたネリーは単純に強い。

 横島も肉の身を失いマナ生命体になったとはいえ、病み上がりにさば折りを食らってはひとたまりも無い。

 これでお終いかと、最後のときを迎えようとする。しかし、パコンと言う音が聞こえると腰を締め付けていた圧力が消える。何事かと目を開けるとネリーは頭を抑えて唸っていて、その隣ではネリーを大きくしたような大人の女性が手を上げて怒っていた。

 

(怒っててちょっと怖いけど、やはりかなりの美人だ。よしここは……)

 

 さっと服に手をかける。横島にとって、ルパンダイブは挨拶の代わりのようなものだ。今後、これが異世界の挨拶だと言っておけば、きっと笑って許してくれるに違いない。

 いざ飛び掛らん――――とした時、女性と目が合ってしまった。

 苛立ちや警戒といった負の感情が横島に向けられる。その圧力に負けて、横島はルパンダイブの発動に失敗してしまった。機を失い、仕方なく無難な挨拶から始めることになる。

 

「ええと、俺の名前は横島ただ」

 

「報告はすでに聞いているので結構です」

 

 挨拶はあっけなく潰された。そして女性は淡々と喋り始める。

 

「私の名はセリア・ブルースピリットといいます。まず貴方にどうしても聞いておかなければならないことがあります。今日、貴方をスピリット隊の副隊長とし、第二詰め所のスピリットの指揮をさせろと言う御達しがありました。もし、貴方がこの申し出を拒否、逃亡した場合、我々を処刑するとのことです」

 

 その言葉にその場の空気が凍りつく。

 これは警戒して当然だ。横島の返答ひとつで、生きるか死ぬかが決まるのだから。

 

「貴方の決断をお聞かせください」

 

 居間にいる全員の視線が横島に集中する。

 横島はスピリット達を見渡すと誰もが心配そうな顔をしている。

 それはそうだろう。横島に取ってみれば、自分たちは会って一言二言しか話したことが無い他人でしかない。

 その他人の為に命を駆けて戦えというのか? 拒否して当たり前だ。

 ただハリオンだけは、穏やかな顔で横島を見ていたが。

 

「そんなの考えるまでもないな。なるぞ、副隊長!」

 

 当然のように、力強く言った。

 横島は副隊長になることを了承する。この状態で断る度胸など横島にはないし、なにより彼が女性を見捨てることなどできはしない。

 

「それは~私たちのようなスピリットと戦うってことですよ~」

 

 ハリオンがのんびりした声で本当にスピリットを殺せるのかと聞いてくる。

 いつものニコニコ顔だが、目は真剣そのものだった。

 

「…………やるしかないんだろ」

 

 しぼりだすかのような声で答える。しかし、やると答えた横島の心中は本当にできるのかと疑念があった。どうしても自分が見た目麗しい女性達を殺すことが想像できなかったからだ。彼女達を殺し合いの場に立たせない為にスピリットの解放などと言って王宮に乗り込み、結局は自分がスピリットを殺す立場になってしまうという馬鹿さ加減に自分を呪いたくなる。

 そこまで考えて、横島は思いなおした。

 まだ、そうなるとは確定したわけではない。あの強制力さえどうにかできれば、そして王をどうにかすれば、まだまだこの状況をひっくり返せるはずだ。

 

 そんな横島の心中を知らないスピリット達は、横島の言葉に素直に喜んでいた。

 

「それだけ聞ければ十分です。しかし、戦いは私たち任せて貴方は後方に待機してください」

 

「セリア! ヨコシマ様は私たちの隊長になるのよ。神剣の位だって私達より高いのだし、もう少し部下らしい態度をしたらどうなの!」

 

 横島をぞんざいに扱うセリアに、ヒミカが反発する。

 ただ、それは横島を信頼していたからではない。自分たちの上官だからという理由だった。

 

「ヒミカ……私はいくら神剣の位が高くても背中を預ける気にはならないわ。それに私は人間を信用できない!」

 

 そう言って、セリアは横島を睨みつけた。彼女の目には人間に対する不信感がありありと見て取れる。

 その目を見て、びくっと震える横島だが、横島自身はセリアの反応が当然と考えていた。人間から奴隷に近い扱いを受けているのに信頼など、できようはずもない。

 これが普通だろうと、横島は思った。

 

「それに、彼はユート様と同じように戦いがないハイペリアからやってきたのよ。彼の話は聞いているでしょう。初戦では散々足を引っ張ったって。実戦経験がない者に隊長なんて役がこなせると思う?」

 

「それは………」

 

 ヒミカは沈黙した。セリアの言うことがもっともだったからだ。

 生きるか死ぬかの戦いの場で、戦いをしたこともない素人の指示で戦う。正直にいえば、絶対に嫌だった。だが、この場で横島を一番信頼している人物であるネリーが反論する。

 

「そんなことないよ!ヨコシマ様はとっても強いんだから!!きっとセリアより強いんだよ。シアーもそう思うでしょ」

「う~わかんないよ~~」

 

 横島と戦い、そしてもっとも信頼しているネリーが横島を擁護する。その言葉を聞いたセリアは、ずっと訓練をしていた自分より強いはずないと怒り出す。

 あーだこーだと言い争いをする二人にハリオンがもっとも良い解決策を言って、すぐにそれは実行されることとなる。

 

 ――――――どうしてこうなるんだろう。

 

 目の前にはポニーテイルを揺らしながら、刃のない西洋剣の素振りを繰り返すセリアがいる。殺気じみた闘気を送ってきて、とても怖い。

 ちなみに横島の手にも刃を潰した日本刀が握られている。扱う神剣の形に合わせているのだ。

 

「いつもは神剣を使ってやるんですけど~ヨコシマ様はまだ神剣に慣れてませんからね~

 それでは~これよりヨコシマ様とセリアさんとの~模擬試合を始めます~」

 

 つまりはそういうこと。強いのか頼りになるのか分からないなら戦わせればいい。

 簡潔で正しい意見だった。戦士だからこそ出る意見だろう。

 だが、いくら刃がない西洋剣でも叩かれればまちがいなくかなり痛い。

 痛いのが嫌いな横島は、この勝負から逃げることを決める。

 

「いま、俺ちょっと腹がいたくて………」

 

 勝負から逃げ出そうとする横島だが、ハリオンが近づいて内緒話のように喋りだす。

 

「セリアは~強い人が好きなんですよ~。ヒミカや他の子達だって強い人の方が好きですし~。もちろん私も~」

 

 ハリオンは既に横島の扱いを覚え始めていた。さすがみんなのお姉ちゃんである。

 

「それじゃ俺がこの戦いに勝ったらウハウハ?」

 

「はい~ウハウハですよ~」

 

 その言葉を聞いた横島はいきなり手に持った日本刀の素振りを始める。

 煩悩全開でにやにや笑いながら刀を振るう姿はかなり怪しい。

 セリアはその笑みを『自分に勝つことができると考えているから笑っている』などと考え、よりいっそうの気合を入れる。

 

「二人とも準備はいいですね。それでは模擬戦……開始!」

 

 ヒミカが戦闘開始の掛け声がかかると、セリアは猛然と横島にむかって突進し、袈裟懸けに切りつけてくる。そのスピードは確かに速いがシロの動きよりは遅い。スピリットの高い身体能力は神剣を持つことによって発揮される。神剣がなければスピリットの身体能力は、人間より強いぐらいなのだ。人狼やバトルジャンキーと戦える横島からすればその剣閃は遅くすら見えた。

 

(よし!十分見えるぞ。回避して反撃だ!)

 

 迫り来る剣を横に飛んで避けるが、反撃せずに顔をゆがめる。その顔には苦痛の色が見えた。

 

(痛てえ……そういや俺って病み上がりで、体動かすのもきつかったじゃないか。しかもネリーのさば折り食らっちまったし……)

 

 自分が病み上がりだったことを忘れていたようだ。そんなこととは露知らず、セリアは横島に剣を振るい続ける。単純に切りかかってきたネリーとは違って、突きや払いなど剣術を学んであるから、横島の腕ではとても受けられない。

 しかたなく、痛みを我慢して必死に避け続ける。

 

「のわ!」「うわ!」「おきょ!」「もきょ!」「へきょ!」

 

 横島は『本当に人間?』と問い詰めたくなるような奇妙な動きと変な声をあげながらセリアの剣を避ける。

 そのあんまりな様子にヒミカは頭を抱え、ハリオンはニコニコしている。ヘリオンは目を丸くして驚き、ネリーやシアーは笑い声をあげて面白がっていた。

 しかし、セリアはその様子に本気で怒りを覚えていた。

 

(なんで………なんで当たらないの! こんな無様な動きなのに!!)

 

 目の前で「うきょ」とか「もきょ!」とか言いながら自分の剣を避ける横島と名乗るエトランジェ。剣術を習い、磨き続けてきた剣技が一回もあたらないという現実にセリアの怒りが爆発する。

 

「ちょこまかと! いいかげん攻めてきたらどうですか!!」

 

 そう怒鳴り、さらにスピードを上げて横島に強力な一撃を叩きつけようと突進する。

 

(くうぅ……まずい、このままじゃ避け続けているだけでやられちまう。………行くっきゃない!)

 

 横島も体中が悲鳴をあげていて、これ以上避けるのは不可能と判断して刀を握りしめセリアにむかって突撃する。そして二人の剣がぶつかり合った。

 だが、横島は刀の特性をよく理解していなかった。重量のある西洋剣と厚みがなく薄い日本刀が正面からぶつかればどうなるか。

 

 ボギ!!

 

「んなっ!?」

 

 当然こうなる。横島の模造刀は折れ、刀身が空中に高く舞い上がる。セリアの剣は刀を折ったため、多少威力が落ちたがそのまま横島の胸に直撃する。

 

「ぐうぅ!!」

 

 たまらず崩れ落ちる横島を見てセリアはようやく落ち着き、息を整える。

 

「はあっはあっ………どうやら私の勝ちのようですね」

 

 勝ち誇るセリアだが、

 

「セリア! あぶない!!」

 

 ヒミカから突然の警告が飛ぶ。いったいなにが危険なのか分からなかったセリアだが、次の瞬間理解する。目の前に銀色の鈍い光が閃いたからだ。横島の折られた刀身が空中に舞い、そのまま重力に負けて落ちてきたのだ。

 

 けっこうな勢いがある鉄の塊が顔に当たれば痛いぐらいではすまない。あまりにも突然のことで反応できないセリアに刀身がぶつかる―――――寸前で突如現れた光の剣が刀身を弾き飛ばした。

 

「えっ?」

 

 呆然と光の剣を見つめるセリア。いったいどこから現れたのかと見ると、エトランジェがうずくまりながら手から光の剣を出していた。

 

(この光る剣は彼の神剣? マナも神剣の気配も感じないけど)

 

 光の剣――――横島の栄光の手をセリアが呆然と見ている最中、横島は妄想に浸っていた。

 

(負けちまったけど、女の子の危ないとこ助けたんだからきっとウハウハな展開に!)

 

 彼の脳内では美化200%状態の横島と『助けてくれてありがとう』といって擦り寄ってくるセリアの姿が映し出されていた。だが、現実はそう甘くはない。

 

「エトランジェ様……その剣はいったいなんですか?」

 

 セリアはどこか感情を抑えた声で聞いてくる。

 横島は自分の想像(妄想)とは違う雰囲気にがっかりするが、気を取り直し答えた。

 

「これは俺の世界の霊力という力で作った剣で、霊波刀っていうんだ。まあ、俺は栄光の手と呼んでるんだけどな。けっこう珍しい能力なんだぜ」

 

 自分の能力を説明し、さりげなく自分を力の凄さをアピールする横島。さっきから睨まれたり怒られたりしていたので、自分の凄いところをアピールして少しでも好感度を上げようとしているらしい。

 しかし、

 

「そうですか……つまり私は手加減されていたということですか」

 

 セリアの立場からすれば、そういう事だった。

 その冷たい声色に、横島は失策を悟る。

 

「手加減とかじゃなくて、ちょっと霊力を使うの忘れていただけだって!

 それに今の俺は体中が痛くてあんまり霊力が操れない状況だから」

 

「なるほど、じゃあ私は力の大半が使えず、しかも動くのすらつらい状態の貴方に助けられたわけですね」

 

(墓穴掘ったーーーー!!)

 

 対応を間違えたと、横島は内心で絶叫する。

 本来なら、動くのも厳しい状態の人間に助けられれば、胸の一つも高鳴りそうだがセリアにとってそれは屈辱だった。セリアの放つ絶対零度の空気により訓練所にいる誰もが動けなくなっている。いや、一人だけ動ける人物がいた。

 

「え~と、それじゃ~どちらの勝利にしましょうか~」

 

 ほのぼのオーラを放ち、絶対零度の空気を中和するハリオン。

 彼女のほのぼのパワーは、場のマナにすら影響を与えそうだった。

「そうね、普通に考えれば刀を折られたヨコシマ様の負けだけど……」

 

 そういってセリアを見るヒミカ。ヒミカにはこの先セリアが何と言うのか、だいたい想像がついていた、

 

「……今の勝負は引き分けとしましょう。それで今さっき助けられたことは忘れてください」

 

 それだけ言うと、セリアはすたすたと訓練所を出て行った。

 碌なコミュニケーションを取ろうとしないセリアに、ヒミカは頭を抱える。

 

「ちよっと! セリア!! まったくもう。すいませんヨコシマ様。セリアはプライドが高くて見栄っ張りで素直じゃありませんがとても優しい子なんです」

 

 必死にセリアを擁護する。

 ヒミカにはセリアがなぜ横島に辛く当たるのか、ある程度の察しはついていた。

 横島が乱暴でスピリットに如何わしい事をする人物かもしれないから、自身にヘイトを向けさせる事によって仲間の身を守ろうというのだ。

 

「わかってるって、俺は彼女に少し似た人をよく知っているから」

 

 彼の脳裏には、照れ隠しにコンクリートを破壊する拳で殴りつけてくる上司の姿が思い浮かべられていた。彼女と比べればどうという事はない。

 穏やかに言う横島に、ヒミカは『これはかなり度量が広い人なのではないか』と期待を持つ。

 

「ヨコシマ様―かっこよかったよー」

「よ~」

「なんていうか……とにかく凄かったです」

 

 ネリー、シアー、ヘリオンが口々に褒めてくる。

 ロリコンではない横島だがやはり可愛い女の子に褒められるのは嬉しい。

 

「それで~その霊力という力はハイペリア………ヨコシマ様がいた世界では~だれもが使える力なのですか~?」

 

 ハリオンがのんびりと聞いてくる。

 

「いや、だれもが使えるってわけじゃないけど」

 

「そうなんですか~~……少し詰所でお話しませんか~? 沢山お話ししたいんですよ~」

 

「この横島忠夫、どこまでもお供させていただきます!」

 

 美人のお姉さんが話したいと言ってきて、それを断るはずもない。

 

「ネリー達も話したいー」

「したい~」

「あの……できれば私も………」

 

 自分たちもと言うスピリット隊の年少組だが、その願いは聞き届けられることはなかった。

 

「あなた達は訓練をしていなさい。まだまだ未熟なんだから」

 

 ヒミカの言葉に子供達はむくれる。

 新しい隊長から異世界の話を聞きたかった。

 

「私から一本取れたら今日の訓練を終わりにしてもいいわよ」

 

 やる気を引き出させるため、ヒミカが年少組を挑発する。

 

「シアー! ヘリオン! 同時に仕掛けるよ!!」

「わかったなの!」

「了解です!」

「ちょっ、ちょっと!三人がかりは少し……」

 

 三人に囲まれるヒミカを横目に見ながら、横島たちは訓練所を出て行った。

 

 ―第二詰め所 居間―

 

 

「それでは~お話をするまえに~」

 

 ハリオンは自分の槍型永遠神剣『大樹』を取り出す。そしてのんびり~とした魔法の詠唱を始める。

 

「マナよ~癒しの力に変わってください~ア~スプライヤ~」

 

 横島の体が緑色の光に包まれる。

 突然のことで慌てる横島だが、光が収まると体の痛みが消えていることに驚いた。

 

「ふふ~お姉さんは回復魔法が得意なんですよ~」

 

 ニコニコと笑うハリオンに横島の頬は自然と赤くなってしまう。

 

「そ、それで話ってなんすか?」

 

 まさかエッチな話ではなかろうか。

 そんな期待感が横島をドキドキさせる。

 

「大した話じゃないんですよ~、ただヨコシマ様の世界の話が聞きたいな~と思ったので~」

 

「わかりました! この俺の武勇伝を聞かせてあげます!」

 

 横島は自分の世界の話を面白おかしく、妙に横島が活躍したことにしてハリオンに話した。

 少しでも好感度を稼ごうというのだろう。ハリオンは悪霊退治の話を面白そうに聞いていた、

 

「う~ん、やっぱりユート様の話と少しちがいますね~。ユート様の話にはお化けさんなんかでてこないと聞いていたんですけど~」

 

「……そのユート様って言うのは?」

 

 男の名だと気づいて、横島は少し不機嫌に聞いた。

 

「ヨコシマ様と同じ……じゃないかもしれない世界からいらした~エトランジェ様ですよ~」

 

 自分の同じ境遇の人物がいることに少しだけ安心を覚える。

 そしてユートなる人物に会いたくなった。男であるのは残念だが、しかし情報を交換したい。

 

「そのユートとかいうやつは今どこにいるんすか」

 

「今は~ラキオス領土のラースの町に現れた謎のスピリットの討伐に向かっています~実は私達は一度もお会いしたことが無いんですよ~私達は最近になって、首都に集められてきたので~」

 

 その言葉に横島は驚いた。ユートというのが一般人かどうかは知らないが、こんな妙な世界であんな王の為にスピリットを殺しているというのが信じられなかった。

 だが、横島の疑問は次のハリオンの言葉で納得した。

 

「妹さんを……人質に取られているんです~」

 

 つまり、貴様が戦わなければ妹を殺すと脅されているわけだ。なんとか反抗したくとも、神剣の強制力もあってどうしようもないと。

 いくらなんでも酷すぎる。間違いなくラキオス王が考えたことだろう。横島の心に暗い怒りの感情が生まれた。

 

「それで~他に聞きたいことはありませんか~」

 

 その言葉に現実に引き戻される。

 ここで憤っていても仕方がないと思い、暗い感情を抑える。横島には頼まなくてはならないことがあった。

 

「すいません、実は言葉を教えてほしいんですけど……」

 

「あらあら~いまこうして私と喋っているじゃないですか~?」

 

「実はちょっとずるしているんで、本当はさっぱりなんです」

 

「ずるってなんなんですか~」

 

「それはちょっと……」

 

 横島はさっきの話で文珠のことだけは話さなかった。

 これは自分の切り札であり、その力と反則性からおいそれと教えるわけにはいかなかったのだ。スピリットだけならともかく、もしも、あのラキオス王にばれたら目も当てられない。

 

「よく~分かりませんが、分かりました~じゃあさっそく言葉の勉強を始めましょうか。お姉さんな先生が手取り足取り教えてあげますよ~」

 

「ついでに腰もーーー!!」

 

 お姉さんな先生→魅惑の女教師→生徒との禁断の授業という訳が分からない方式が横島の脳内で生まれ、それを律儀に守ろうと横島の下半身が動き始める。

 だが、やはり世界はそう甘くはなかった。ハリオンに飛びかかろうとした横島に三つの影がぶつかってきたからだ。

 

「ぐはっ!!」

「ヨコシマ様―助けてー!」

「助けて~」

「あの……できれば私も……」

 

 突然あらわれて助けを求めるネリー、シアー、ヘリオンの三人。いったいなにから助けてほしいのかと思ったがすぐ理解した。目の前にたんこぶを作った赤い鬼が出現したからだ。

 

「ふふ、まさか三人がかりで襲い掛かってくるとは思わなかったわ」

 

 ヒミカが永遠神剣『赤光』を持ち、すさまじい熱量を放出させながら近づいてきた。目がやばい。

 

「なにいってんのー別に三人で戦っちゃだめなんて言ってなかったじゃない」

「じゃない~」

「その……私はノリでつい……」

 

 三人が横島の後ろのほうに隠れながら文句をいう。

 何で俺に隠れて言うのだ、と横島は必死に三人を引き離しにかかるがうまくいかない。

 

「ヨコシマ様……三人を庇わないでください……」

 

「別に庇っているわけじゃないぞ!」

 

 このままじゃ絶対にまずい事態になる。今までの数々の経験が横島に警鐘を鳴らす。

 とにかく逃げようとする横島だが少し遅かった。

 

「そんなに小さいことばかり気にするから胸が大きくならないんだよー」

 

「なっ! なにをいっているの!! あなただって胸なんてないじゃない!」

 

「へへん! ネリーには未来があるんだから」

 

 真面目なぺチャパイを、ちっこい元気娘がからかう。

 どこかで見た光景に、思わず笑ってしまいそうになった。もうこの先の展開が目に見えるようだ。

 

 結局――――

 

「ヨコシマ様も胸があった方が嬉しいよね」

 

「そりゃーないよりはあったほうが…」

 

 ブチ!!

 

 いつもひどい目にあうのは―――――

 

「どうせ! わたしは!! 成長しないわよーーーーーー!!」

 

 そして、部屋に地獄の炎があふれた。

 

「あぎゃーーーーーー!!!!」

 

 横島なのである―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 ―第二詰め所 寝室―

 

「あーー酷い目にあったなー」

 

 ヒミカの呼び出した炎は、何故か(いつも通り)横島だけをこんがりと燃やして真っ黒にした。ハリオンが回復魔法をかけてくれて復活したが、正気に戻ったヒミカは首が折れるんじゃないかと思うくらい頭を下げて謝った。

 さすがに、今回は横島に非があるわけじゃないので多少は腹が立ったが、まあいつものことだし、ヒミカがいつかお詫びをするというのであっさり許す。ちなみに騒ぎの三人には夕食が全てリクェム(ピーマンそっくりの野菜)の刑を食らって落ち込んでいる。

 窓に目を向けると日もすっかり落ちていた。横島は身支度を整えると窓を開ける。

 

「そんじゃ、いくとするか……」

 

 横島は窓から飛び降り、王宮の方に走り出した。

 

 ―王宮―

 

 横島は王宮に入り、兵士の見回りを避けながら王の寝室に向かっていた。見つかる様子はまったくない。

 覗きや諜報で潜入は経験豊富だが、それ以上に警備がざるだ。こうなってしまったのは理由がある。

 この世界、ファンタズマゴリアの人間達は、スピリット達を戦わせるだけで自分たちは剣で殺し合いなどしたことがない。さらにスピリットに人間は殺せないので警戒をする必要などまったくないのだ。

 ほどなく王の寝室に到着した。

 

「ごかあぁー! ごかあぁぁー!!」

 

 ラキオス王。

 本名、ルーグゥ・ダイ・ラキオスは横島に気づくことなく、高いびきをあげていた。

 

(おい、『天秤』さっさと出て来い)

 

『なにを考えている?主よ』

 

(いいからさっさと出て来い)

 

 手に光が生まれ、横島の手に『天秤』が握られる。そして横島は『天秤』をポイと投げ捨てた。

 

『なにをする……主』

 

 乱暴な扱いをされて、『天秤』は不快な声を出す。

 

(昨日のやつは神剣の強制力とか言っていたからな。

 つまり神剣さえ持ってなけりゃ、あんなことにはならないってことだ)

 

 簡単なことだよ、ワトソン君。

 名探偵気取りで横島は答える。

 

『ああ、確かにその通りだぞ』

 

 どこか嘲る様な声で『天秤』は答えた。

 

 さて、後は王をどうにかすればいいのだが、ここで使うのはやはり奇跡の珠である文珠だ。

 『操』の文字を文珠に込める。これで王を操りスピリットを解放すればいい。

 みんな幸せになって、俺はハーレムを作る。ハッピーハーレムエンドだ。

 

 ギュフフフと笑いながら文珠を使おうとして、

 

『主はこの国のスピリットを殺したいのか?』

 

 『天秤』の得意そうな声が横島の頭に響いた。

 

(はあ? 俺はスピリットを解放しようとしているんだぞ)

 

 自分がスピリットという女性達を自由にさせようとしているのに、なぜそれがスピリットを殺すことになるというのだろうか。

 不吉な事を言い出した『天秤』に敵意を向ける。だが『天秤』は気にもとめず淡々と喋りだす。

 

『ラキオスの周辺は非常にキナ臭くなっている。ラースの町に正体不明のスピリットが現れて、悠人が仲間を引き連れて討伐に向かったと、緑の妖精が言っていただろう。そんな状況で妖精を解放し武装を解除したらいったいどうなるかな』

 

 横島は非常に敵が多い雇い主の下で働いていた。

 だからこそ知っている。隙を見せれば食われる。特に国なんて物が関われば、そこに慈悲はなくなる。

 

『自分達が剣を捨てたから、むこうも捨てるだろうとでも考えたのか? そんなことはない。スピリットの解放などしたら一日でこの国は消えるな。そしてスピリットは処刑されるか、捕虜となって結局は殺し合いの道具にされるだろう』

 

 なにも言えなかった。その通りだったからである。ただ女性を殺し合いの道具にするのが許せず、奴隷のような扱いを受けるのが許せなかったから、スピリットに自由を与えようとした。

 だが、それが何を生むのかまったく考えていなかった。スピリットの事を考えたつもりだったが、どちらかというと自身の感情を満足させる為に動いていたのだ。

 正義を為したいというよりも、過去に失敗した屈辱を晴らしたいという想いがそこにはあった。

 

(だけど、こいつを残しておいてこの国が良くなるとは思えないぞ)

 

『ならば機を待て。力と情報を集め、先を読み、動くべき時に動くのだ。』

 

(んな難しいことを言われても。俺なんかに先を見通す力なんて……)

 

『くだらん正義感などで大局を見失うから先が見えなくなるのだ。心を捨て、大きな意思を感じ取れば主はより強くなれるだろう』

 

 強くなりたいのだろう?

 心を見透かしたような『天秤』の声が頭に響く。

 

 その通りだ。強くなりたい。あんな惨めで辛い思いはしたくない。

 今度こそ可愛い女の子を理不尽から守り、そして脱童貞を果たさなければ!

 

 強く思う。その為には心を捨てなければいけないと『天秤』は言う。

 その方が良いのだろうか。どこか意識がぼんやりしたが、そのとき彼女の声が聞こえたような気がした。 

 

(俺は心を捨ててまで強くなる気はないぞ。こんな俺でも惚れてくれた女がいるしな。スピリットについては話してくれて助かったよ、もう少しで取り返しがつかなくなるところだった。とりあえずやれるだけやってみるさ)

 

 横島が礼を言ったことに『天秤』は驚いたが、すぐに調子を取り戻す。

 

『やはり段階をふませる必要があるか』

 

「何か言ったか?『天秤』」

 

『別に言ってないぞ……それでラキオス王をいったいどうするつもりだ』

 

 その言葉に考え込む横島。もう『操』の文珠を使うことなどは考えていなかったが、この男には色々と恨みがある。悩む横島だったが何かを思いついたのか邪笑を浮かべる。

 

(これなんかどうだ、『天秤』)

 

 『操』の文字を消し、別な文字をいれる横島。『天秤』はその文珠を見てくだらないと思ったが『良いのではないか』と呟いた。

 そして、ラキオス王に文珠を使う。

 

 バサバサ!

 

(んじゃ、帰るか『天秤』)

 

『ああ』

 

 横島は第二詰め所に帰っていった。

 

 バサバサ!

 

 王から何かが抜け落ちる音が聞こえる。

 

 ラキオス王に使われた文珠は、それは。

 

 

 

 

『禿』

 

 

 

 

 

 



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第四話 前編 赤と金に染まりて①

 

 そこは闇色の世界だった。

 上下も無く、地面も無い。ただひたすら闇だけが広がっている。

 闇しかない世界に幼女と一本の日本刀が浮いていた。

 

「それでは、『天秤』報告をお願いしますわ」

 

 白の法衣を着た幼女は幼くも威厳がある声で言った。

 日本刀は、『天秤』は幼女に平伏したように「ははっ」と返答する。

 

『今のところ私の無意識レベルの暗示もあり、誘導通りに動いています………しかし………』

 

「しかし、なんですか?」

 

『あの者は我々となにかが違います。対極に位置する……とでも言えばよいのでしょうか。本当に我等の元へ来るのでしょうか? 確実にいかせたいのなら私が……』

 

 そこから先の言葉は続けないが、何が言いたいかは幼女には分かった。

 彼は褒めてもらいたいのだ。子供が親に認められたいと、活躍の場を求めている。

 これもまた予定通りだと、幼女はうっすらと笑う。

 

「『天秤』あなたの言うとおり彼と私達は対極の存在かもしれません。彼が"白"だとしたら我々は"黒"でしょうね。ですが……だからこそ塗りつぶしやすい。それに、彼は本質的に正しい。だからこそ、神剣との親和性は高いのです」

 

 その言葉に『天秤』は納得できない表情……もっとも剣なのだから、表情というよりも納得できない空気をだす。

 『天秤』の不満は感情は幼女にも伝わってきた。幼女は小さく笑う。

 

「あなたは彼という存在の天秤を、私たちのほうに傾けてくれればいいのです。そして、彼をあの時のように泣き叫ばせてください」

 

 そう言いながら幼女はうっとりした表情を浮かべ体をくねらせる。頬はうっすらと赤く染まっていた。

 

『御意』

 

 

 

 永遠の煩悩者

 

 第四話 赤と金に染まりて

 

 

 

 第二詰め所の居間で、一人の男性と数人の女性が日本語ではない言葉で喋りあっていた。

 

「ラスト、イス、フラカナ、フラウファ、ヤァ~、アブ~、ヤシマヌ、ソゥ~、ヨコシマ」

 

 大きな胸の女性、ハリオンが横島に聖ヨト語という、この世界の共通言葉を喋る。

 その言葉を聞き、横島は頭を抱え考え込んでいた。

 

(う~ん、まずこの世界の言葉は日本語の文法とは正反対なんだよな。最後から考えていくと、ヨコシマは俺の名前。ソゥ~というのは"様"。ヤシマヌは"女性"。アブ~は"複数形"を意味してたよな。ヤァ~は助詞で、"~が"。フラウファは"とても"。フラカナは"好き"だったけ?イスは、"~です"。ラストは"疑問形"だからそれっぽく訳すと………)

 

(ヨコシマ様は女性たちが大好きですか?………こんな感じか。だったら俺がハリオンに返す言葉は……)

 

「イス、フラカナ、フラウファ、ヤァ~、ルルー、セィン~、クトラ、ラ~、ハァガ」(俺は年上のお姉ちゃんが大好きです)

 

 その言葉を聞いて、ハリオンはニコニコと笑った。

 

 

 これ以後、横島の言葉は基本的に聖ヨト語で喋っていることになります。

 

 

「ぎこちないですけど~会話ぐらいなら問題なさそうですね~。一週間でこんなに覚えるなんてすごいですぅ~」

 

 そう言っていつものようにニコニコ笑うハリオン。

 筋がいい生徒に勉強を教えることが楽しいようだ。

 

「まあーちょっとズルしたんで………文法もそれほど難しくなかったし」

 

 横島は文珠の力を借りたといっても一週間で聖ヨト語をマスターした。聖ヨト語は単語さえ解れば、発音や文法は難しくなく、会話には特に苦労はしない。もっとも、その単語を理解するのが一番難しいのだがその辺は文珠によって乗り越えていた。

 

「何かご褒美を~あげなくちゃいけませんね~」

 

 ハリオンはその豊満な胸を動かしながら考え込む。

 横島の目の前でそんな行動をとったらどうなるのか考えるまでもない。

 

「それじゃーそのナイスボディーで!!」

 

 ぴょ~んとハリオンの胸に飛び掛る横島だが、手が届く寸前で熱き拳が横島を打ち抜く。

 

「なにをやっているんですかヨコシマ様!………も、申し訳ありません!後でお詫びを………」

 

 ヒミカがセクハラを働こうとした横島に鉄拳制裁を与え、慌てて謝り始める。

 彼女は近ごろ突っ込み属性に目覚めつつあるのだが、突っ込み対象が自分の隊長である為、規律や階級を重んずるヒミカの精神状態は悪化の一途をたどっていた。

 

「ヨコシマ様! お勉強が終わったんなら遊びに行こー!」

「行こ~」

 

 現在、第二詰め所内で好感度ナンバーワンのネリーと、それに引きずられるようにして妹のシアーが横島を遊びに誘う。遊び盛りの彼女達は横島に遊びを教えられるのをとても楽しみにしていた。

 

「二人とも! いくら規定のトレーニングを終えたからって気を抜きすぎよ! ヘリオンは進んで自主トレーニングしているっていうのに」

 

 セリアが戦術書から目を離し二人を注意する。彼女は人間を信頼できないと言い、横島に監視の目を光らせている。また、横島のセクハラを抑える絶対零度オーラによって彼女は一度もセクハラを受けていない。

 

 ちなみに、自主トレーニングをしているというヘリオンは、

 

「この技がうまくできるようになったら、ヨコシマ様褒めてくれるかな。えへへへ~~~」

 

 色々な想像をしながら、にやにやしつつ刀を振るっていた。それは恋する乙女の姿である。

 正確に言えば横島に恋をしているというよりは、恋に恋しているような状況だ。

 彼女の想像力は妄想力といえるぐらいパワーアップしてきている。

 

「ああ~そうでした。ヨコシマ様~昨日ユート様が任務を終えて帰ってきたんですよ~」

 

 漫才のようなやりとりを笑いながら見ていたハリオンが、思い出したような声を上げた。

 

「ユート……確か俺と同じ世界からきた人間だったっけ?」

 

「はい~今は第一詰め所の隊長さんをやってます~。ヨコシマ様の上司にもなるので~一度くらい挨拶に行ったほうがいいと思いますよ~」

 

 その言葉を聞き、どうしたものかと考え始める横島。

 

(たしか妹を人質にされて戦わせられているって聞いたけど。しかし男に会いに行くってのが……でもスピリットについてどう考えているか知りたいしな~)

 

「第一詰め所には~美人のメイドさんがいますよ~」

 

 横島が何を悩んでいるのかを察したのだろう。

 ハリオンは横島の扱いをマスターしつつあった。

 

「ではスピリット隊の副隊長として、ユート隊長に挨拶してきます!」

 

 うきうきという擬音が似合いそうな様子で部屋から出て行く横島に、セリアとヒミカはため息をつく。

 スピリット年長組からの信頼度はまだあまり高くはないようである。

 

 

 第一詰め所までの道はまるで獣道のようだった。

 スピリットの詰め所は城塞都市であるラキオスの外れにあり、人と触れ合わないようにされているらしい。貧民と富豪の住み分けのようなものだろう。

 

「なあ『天秤』レスティーナ王女って知っているか?」

 

 横島は話題があれば『天秤』に話しかけるようにしていた。別に『天秤』が気に入ったというわけではなく、何か妙な違和感を感じるからだ。それが何なのかを確かめるためにも『天秤』とのコミュニケーションは欠かさない。

 

『ああ、現在ラキオス王の代わりに国政をしているものだろう』

 

 ラキオス王はあの文珠を使われた後、自分の自室から出てこなくなっていた。側近がなにを聞いても語らず、時おり「神は死んだ!!」と叫び皆を不安にさせているという。ただ、レスティーナ王女に大まかな指示だけは出しているようだ。

 

「王宮に行ったときに少しだけ見たんだけど、かなり美人だったし、頭も良いらしい。しかも国民からの人気も高いって話だ」

 

『………なにが言いたい?』

 

「あのくそ王を退位させて、レスティーナ王女に即位してもらうってのはどうだ。さすがにいきなりスピリットの解放とは言わんけど、ちょっとはスピリットの環境が良くなりそうな気がするんだけど」

 

『王がさしたる理由もなく退位すれば国が乱れる原因になりかねんぞ。それに人のうわさなど当てにするものではない。彼女がどういう人物なのか知らんのだろう?』

 

「そりゃーどういった人なのかは知らんし、話をさせてくれって言っても無理があるだろうけど………夜に王宮に忍び込んで話し合いに行くってのはどうだ?」

 

 横島の言葉に『天秤』は馬鹿らしいとでも言いたげな声をだす。

 

「主よ、もう少し考えて喋ったらどうだ。スピリット隊の副隊長程度の身分のものが夜中に王宮へ忍び込んで、王女の元にいったらどうなるか。おそらく大声を上げられ兵士がやってきて取り押さえ………られる前に主なら逃げられるだろうが、主の部下のスピリットたちはいったいどうなるかな?」

 

 『天秤』の言葉に横島は沈黙した。もっとも横島自身もこんな計画がうまくいくとは思っていたわけではない。

 横島は『天秤』がいったいどう答えてくるのか聞きたかっただけなのだ。何故そのようなことをする必要があるのか。理由はいたって簡単で『天秤』のことが信用できないからだ。『天秤』は今まで間違ったことは言ってはいない。それは横島も分かっているが、どうしても妙な違和感というか疑問があった。自分が当たり前のように『天秤』に聞かなければいけないこと、疑問に思わなくちゃいけないことがあるはずなのにそれが何なのか分からない。

 

 何か忘れているような気がしているのだ。

 それも、とんでもなく当たり前で、大事な事を。

 

 そんな事を考えている間に、第一詰所に着いてしまった。

 ここで考え込んでいても仕方ないと判断した横島は、さっそくメイドさんとユート隊長に挨拶するべく第一詰め所の玄関を開ける。

 

「おじゃましまーす」

 

 ノックもせずに第一詰め所に入り込んだ横島は、さっそくメイドさんを探そうと辺りを見回す。

 すると少女がじーっとこちらを見ていた。ロングヘアーの紫に近い髪と瞳にブルースピリットだろうと判断できる。幼い雰囲気で横島のストライクゾーンよりやや低めに見える。

 そして当然のように美少女だ。あれから少し知ったのだが、スピリットは全て女性で、例外なく美人らしい。

 横島としては嬉しい限りだ。

 

「あ~俺はスピリット隊の副隊長の横島忠夫っていうんだ。よろしくな」

 

 無難な挨拶をするが、少女は相変わらずぼーっと横島を見ていた。

 まさか心を神剣に奪われたスピリットかと思ったが、その瞳には何らかの意思がある。

 なんの反応もしてくれない少女にどうしたら良いのか途方にくれていると少女がようやく反応してくれた。

 

「ん……私は……アセリア・ブルースピリット」

 

 少女――アセリアはそれだけ言うとすたすたと階段を上って行った。

 

 見知らぬ男が勝手に家に入っているのにまったく気にした素振りを見せないアセリアだが、横島はまあそういうやつなんだろうと勝手に納得する。変わり者なんて元の世界では見慣れたもの……というよりも変わり者しかいなかったので、いまさら気にすることではない。彼の今の目的はメイドさんだ。

 

 横島は一度外に出て、庭のほうに回りこむ。

 そこには洗濯物を干すメイドさんがそこにいた。

 

 綺麗なブラウン色の髪に優しそうな少しタレ気味の目。年は二十歳ぐらいだろうか。そしてハリオンには劣るが、それでもスタイルは抜群。そして漢の夢であるメイド服。

 穏やかな笑みを浮かべながら洗濯物を干す美人のメイドさんという、漢の理想郷がそこにあった。

 ならば、漢としてやるべきことは一つ、理想郷を目指すのみ!!

 

(距離は約三十メートル、少し距離はあるけど煩悩が上がってる今の俺なら!)

 

 そして、横島は跳んだ。漢の夢に向かって。初対面の女性にダイブするという、もはや変態というよりも犯罪者だ。

 綺麗な放物線を描いて横島が宙に舞う。だが、今回の世界意思の働きは想像以上に早かった。

 

『主よ! 回避しろ!!』

 

 珍しくせっぱ詰まった『天秤』の声が脳内に響く。

 次の瞬間、すさまじい熱量のファイヤーボールが横島にぶち当たった。

 

「のわーー!!」

 

 メイドさんにはまったく手が届かず、横島は炎に燃やされる。

 そんな横島に当然気がつき、メイドさんが走りよってきた。

 

「だ、大丈夫ですか!? 新しく現れたエトランジェ様ですよね!? 今すぐ治療しますから!」

 

 いったい何故燃えているのか分からないが、このままでは死んでしまう。神剣を構え、魔法の詠唱を始めようとするメイドさん。だが横島はそれを望まなかった。

 

「だめだ………俺は…ここまでみたいだ……」

 

「大丈夫です! きっと助かります!!」

 

「できれば……最後に……」

 

「最後になんて言っちゃダメです!」

 

「その胸の中でーー!!!!」

 

 つい先ほどまで虫の息だったはずなのに、いきなり元気になり迫ってくる男にメイドさんは驚き、身動きできなくなる。その柔らかそうな胸に横島の魔の手が迫り、

 

「エスペリアになにをしている!!」

 

 あと一歩のところで、いきなり現れた男が横からえぐりこむようなパンチを横島に放つ。かなりの力が込められていたようで、横島は十メートルほどぶっ飛んだ。

 

「エスペリア! 大丈夫だったか? あの男になにかされなかったか?」

 

「あ、ユート様……私は大丈夫ですが………」

 

 そういってメイドさん―――エスペリアは横島のほうに目を向ける。炎に焼かれ、エトランジェの一撃を受けたらさすがに無事で済むとは思えない。だが、横島は不気味に笑っていた。

 

「なるほど、俺とメイドさんとの仲を妨害するつもりか……おもしろい。俺とメイドさんのどきどきの新婚生活を邪魔するものには容赦せんぞ!」

 

 いきなり口調が変わり、どこから突っ込めば分からない台詞を言う。殴られて頭のねじが一本取れたのかもしれない。いや、割といつも通りかもしれないが。

 ちなみにメイドさんの部分だけは日本語で喋った。その言葉にエトランジェ―――高嶺悠人は驚く。

 

「『メイドさん』って日本語か! ひょっとしたらお前は俺と同じ……」

 

 悠人が驚いている間に、横島が悠人に飛び掛る。

 

「俺とメイドさんのムフフな初夜のために滅びるがいい!」

 

「おい! ちょっと落ち着け!」

 

 二人の男の追いかけっこが始まる。その様子にエスペリアは、

 

「えっと……私の為に争わないで?」

 

 と妙なことを口走る。どうやらかなり混乱しているらしい。

 この騒ぎを収拾するのに結局一時間を要するのであった。

 

 ―第一詰め所 居間―

 

 

「では貴方が新しく現れたエトランジェ様なのですね」

 

 エスペリアの声には疲れが混ざっていた。まあ無理もないことだろう。

 焦げた男がいきなり降って来て、いきなり迫られて、謎の追いかけっこが始まれば気疲れを起こすのは当然だ。

 

「では自己紹介します。私の名前はエスペリア・グリーンスピリットと言います。以後よろしくお願いします」

 

「ぼく横島! 現在彼女募集ぢゅうっっ!!」

 

 またもや暴走を始めようとする横島の首根っこを悠人が掴んで、エスペリアから引き離す。その顔には怒りというよりも呆れと、どこか懐かしさが入り混じった表情をしていた。

 本当なら恩人であるエスペリアにスケベなことをしようと飛びつく男などぶちのめしてやる、ぐらいに思うはずなのだが、横島の持つ空気がお馬鹿な陽気を放っていて、それが旧友と少し重なるのである。

 

(きっとロリ坊主にお仕置きする暴力女の気分だな)

 

 ひょっとしたらもう会うことがないだろう旧友たちに思いをはせる。

 横島はナンパを邪魔されて機嫌が悪くなるが、すぐに気持ちを切り替えた。

 

「じゃあ次は俺だな。俺の名は高嶺悠人だ。ハイペリア……いや、日本から来た高校生で今は……スピリット隊の隊長をやってるよ」

 

 針金のような髪の毛にそれなりに整った顔立ち。体格もよく、横島よりも一回りは大きい。年齢は横島と同じだろう。

 彼の口調には怒りと悔しさがにじみ出ていた。

 仕方ないことだろう。彼はいきなりこの世界に飛ばされて、妹を人質にされて戦わせられているのだから。

 

「そんじゃ俺も自己紹介せんとな。俺はスピリット隊の副隊長になった横島忠夫。日本でGS(ゴーストスイーパー)見習いとして働いていたんだ。これでもGS業界で注目されている期待の新人なんだぜ」

 

 横島は自分は「すごいんだぜ」とアピールする。GSになれるのは極一部のみなのだ。

 きっと悠人が驚き、エスペリアに好印象な事を色々と言ってくれるに違いないと打算が働くが、ここで横島の想定の範囲外が起こってしまう。

 

「ゴーストスイーパー? 何だよそれ」

 

「えっ!?」

 

 それから横島は悠人に色々と聞いてまわった。

 霊力、神魔、美神令子、核ジャック事件など一般人でも知っているはずの単語すらも悠人は知らないと言った。しかも彼がやってきた年は二〇〇八年という横島よりも十年近く先の時代からやってきたのだという。このことから推測されることは。

 

「平行世界……ってやつなのかな」

 

 どことなくがっかりしたような声で横島が喋る。

 別に同郷の男に興味なんて無かったが、それでも自分の世界との繋がりが少し減ったような気がしたのだ。

 

「平行世界なんてものがあるとは思えないが……」

 

「アホか。今、俺たちはどこに来ていると思っているんだよ」

 

「それもそうだな」

 

 異世界があるのなら平行世界があってもなんら不思議ではない。同じ日本という国でも霊力や神といった存在がある世界やない世界があるのだろう。

 だが、それにしてもと横島は思う。

 異世界は異世界でも、この世界と元の世界は違いすぎるのではないかと。なにせ霊力が無いのだ。世界の仕組みそのものが違う気すらしてきていた。

 

「ヨコシマ様、その、できれば霊力というものを見せてほしいのですが」

 

 知的好奇心が旺盛なエスペリアが霊力に興味を示す。

 

「別にいいっすよ」

 

 右腕に霊力を集中させる。光が集まり、まばゆい輝きを放つと横島の右手に手甲と剣が一体化したハンズオブグローリーが出現する。

 

「おお!」

「綺麗ですね」

「かっこいーー!」

 

 三人の驚きの声が響いた。

 

「えへへ、こんにちは! オルファリル・レッドスピリットだよ! エトランジェ様! これなあに?」

 

 気がつくと横島たちのそばに小さな少女がいた。赤い髪に赤い目とレッドスピリットの特徴が現れている。ネリーやシアーよりも幼く見え、つり目で勝気そうな女の子だ。

 

「オルファ、どこにいっていたんですか」

 

 エスペリアがお姉ちゃんっぽく質問する。

 

「パパのために魔法の練習してたんだよ。たくさん火の玉飛ばしたんだから」

 

 そういって悠人に近づいていくオルファという少女。横島に当たった先ほどの炎は、この少女が放ちそれが偶然にも当たったのだろう。エスペリアの表情がさっと青くなった。

 

「ヨ、ヨコシマ様。先ほどの火球がオルファのものでしょうが、どうかお慈悲をください。決して、わざとではないのです」

 

「いや、燃やされただけだから別にいいけど」

 

 あっさりと横島は言った。

 軽い横島の様子に、エスペリアもその程度なら怒らないかと思いかけ、いやいやちょっと待てと首を横に振る。

 

「燃やされただけって……燃やされたんですよ!」

「ああ、そうだけど」

 

 平然と横島が言って、悠人もエスペリアも何が何だか判らないようで困惑する。

 

「別にいきなり深海にダイブさせられたり、盾にされて豚になったり、無断でヒットマンにされたり、時給二五五円だったりしたわけじゃないしな』

 

 ギャグ畑の人間にとって、炎で消し炭になるなど珍しい事ではないのだ。

 だが、エログロダークファンタジーな世界観からすると、それは洒落になっていなかった。

 一体どういう人生を送ってきたのだと、悠人もエスペリアも痛ましげに横島を見る。

 そんな視線など分かりもせず、横島はオルファに声をかけた。

 

「えーと、オルファちゃん。俺はスピリット隊の副隊長になった横島忠夫っていうんだけど……」

 

「うん! さっきネリーから聞いたよ。とぉっても面白くて強いんだって。あとオルファのことはオルファでいいよ!」

 

 元気はつらつという表現がぴったりな少女だ。

 

「さっき、悠人のことをパパとか呼んでたけど、あいつとどういう関係なんだ?」

 

 その言葉に悠人の顔が穏やかになる。オルファは悠人が妹と引き離され、さびしがっているのではないかと高嶺佳織(悠人の妹)から聞かされ、さびしくないように家族になるといってくれたのだ。だがここで悠人の悲劇が始まる。

 

「え~とね、パパとの関係は……裸と裸のお付き合いってやつだよね」

 

 満面の笑みでオルファが言って、横島は血相を変えた。

 

「なんだとーー!! どことなくロリコンの顔をしていると思ったが、そこまで堕ちているとは思わなかったぞ!」

 

「人聞きの悪いことを言うな! 風呂を一緒に入っただけだ。エスペリアもなにかいってくれ」

 

 横島の様子に驚いた悠人がエスペリアに助けを求める。しかし……

 

「ユート様……なさりたい時は私でと言ったのに……」

 

 悲しげな声をだすエスペリア。その声を聞き横島が切れた。

 

「メイドさんにまで手を出すとは……この女の敵がーーー!!!」

 

「い、いやちょっと待て! エスペリアはそのなんというか!?」

 

「オルファも遊ぶー!」

 

 またもや追いかけっこが始まり居間が破壊される。

 今度の騒ぎの収拾にも一時間を必要とするのだった。

 

「居間が壊れちゃいましたね……ああ、愛用のカップも割れてる」

 

 とても疲れた様子のエスペリアの声が居間に響き渡る。

 何故このようなことになってしまったのか考えているようだ。

 

「ヨコシマ様は我々に自己紹介しようとこちらにいらっしゃったんですよね?」

 

「そのつもりだったんですけど……」

 

 自信なさげに横島が答える。

 どこの世界に二時間もの時間を必要とし、部屋を破壊する自己紹介があるのだろう。

 

「あともう一人紹介しなければいけないスピリットがいるのですが」

 

「アセリアって子には会ったんだけど……」

 

 その言葉に悠人とエスペリアが驚く。

 

「アセリアが自己紹介したのですか?」

 

「なかなか話しかけてくれなくて困ったけど」

 

 アセリアは必要なこと以外は話すことがなく、コミュニケーションをとるのは一苦労なのだ。

 

「そうですか………ならば第一詰め所のスピリットとは面通しが済んだわけですね。……実は私はヨコシマ様に言わなければならないことがあるのです」

 

 もしや愛の告白か。

 その言葉に横島は一瞬喜ぶがすぐに顔を引き締める。エスペリアの表情が悲しみに満ちていたからだ。

 

「ヨコシマ様が王と謁見したときにスピリットの解放をお望みになったと聞きました」

 

「ああ、たしかに言ったけど………」

 

「スピリットは解放など望んでいません。スピリットは人と神剣のために戦い、そして死ぬことが定めであり、人に使役されるのはスピリットにとって喜びなのです」

 

 エスペリアの声には運命とあきらめたからこそだせる優しい響きがある。

 その言葉に横島は絶句した。すぐに反論をしようとするが。

 

「それはち「それはちがう! エスペリア!!」

 

 悠人の声が横島の言おうとした言葉をかき消す。

 

「俺は知っているぞ。スピリットは優しくて純粋で人よりも人らしい。エスペリアは俺に言葉を教えてくれたり、おいしい料理を作ってくれたりしたじゃないか。スピリットは、エスペリアは、絶対に人形でも奴隷でもないんだ。だからそんな悲しいことをいわないでくれよ」

 

「ユート様………ありがとうございます。ですがユート様にはスピリットの気持ちは分かりません。スピリットの幸せは人の道具として使われることなんです」

 

「そんなこと納得できるか!!」

 

 悠人とエスペリアの口論が続いているが、会話に入れなかった横島は悲しさと嬉しさが半々だった。

 悲しさに関しては、会話の入れなかったのとスピリット自身が解放に関して望んでいないということ。解放に関してスピリット自身が望まないのであれば、いくら横島ががんばったところで独りよがりなのもいいところだ。

 嬉しさは悠人が自分と同じ考えだったことだ。二人で協力すればスピリットの現状を良くできるかもしれないし、スピリット自身を変化させることもできるかもしれない。

 

 横島が珍しく真面目なことを考えていると、オルファが近づいてきてじっと見つめてくる。

 

「ん…どうした?」

 

「えへへへ、ネリーが言ってたとおり、ヨコシマ様がとても優しそうで嬉しいんだよ」

 

 ストライクゾーンに入っていないとはいえ、可愛い女の子に笑顔を向けられて横島もまんざらではなさそうだ。

 

「ヨコシマ様のためにも敵さんいっーーぱい殺してあげるからね」

 

 ただひたすら楽しそうに、オルファは殺人を横島に捧げると宣言する。

 

「ちょっとオルファ、いまなんて……」

 

 言ったと続けようとしたが、当然乱暴に扉が開けられ兵士達が入ってきた。

 この世界の兵士はノックをする事を知らないのかと、横島は自分を棚に上げて思った。

 

「伝令だ! 第一詰め所のエトランジェとスピリットは至急王宮に向かえ! 第二詰め所のエトランジェもいるのならちょうどいい。貴様は第二詰め所のスピリットを連れてラキオス領であるエルスサーオに向かえ。以上だ!」

 

 やはり唐突に現れた兵士は、言うことは言ったと帰ろうとするがエスペリアがもう少し詳しく事情を聞こうとする。兵士はめんどくさそうにしたが話すようだ。

 

「第一詰め所のスピリットの召集理由は不明だ。第二詰め所のスピリットは隣国のバーンライトのスピリットがエルスサーオに向かっているから防衛しろとのことだ」

 

 それだけ言うとさっさと戻っていく兵士達。

 本当に人間はスピリットを嫌いぬいているのだろう。

 スピリットと同じ空間に居ることすら険悪しているように見える。

 

「まさかもう攻めてくるなんて………」

 

 うつむいて唇を噛むエスペリアだったが、すぐに頭を働かせ行動を始める。

 

「ユート様、急いで王宮に向かいましょう。ヨコシマ様は第二詰め所に戻り行軍の用意をしてください。ヒミカやセリアに任せれば大丈夫ですから。」

 

 エスペリアの指示に全員が動き始める。

 横島もここにいては邪魔になるだけなので、すぐに第二詰め所に戻ることにする。

 

「おい横島! 気をつけろよ!」

 

 悠人の励ましに手を上げて応える横島。月並みの励ましだが横島にとっては嬉しいものだった。だが彼の心の中は一つの疑問が渦巻いていた。

 

 本当に、スピリットを殺すことになるのか?

 本当に、被害者である可愛い女の子を殺してしまうのか?

 

 暗鬱たる気持ちで、横島は歩き始めた。

 

 



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第四話 後編 赤と金に染まりて②

 ―王宮―

 

 

 贅沢品や高価そうな美術品がこれみよがしに置いてある部屋で、初老の禿げた男と美しい黒髪の女性が激しく口論していた。

 レスティーナ王女とラキオス王だ。

 

「龍退治など無理です! 少し頭を冷やしてください」

 

「頭なら冷え切っておるわ!」

 

「テミ(タコ)のように真っ赤になっているじゃないですか!」

 

「うるさい! バーンライトが攻めてきておるのだぞ! 今すぐ龍を殺し、マナをラキオスのものにしなければならないのだ。王として国家を守るためにも!」

 

 この世界には龍が存在している。龍はすさまじい力とマナを保有しているのだ。

 龍を殺せば莫大なマナを得て、スピリットやマナ施設などの軍備に当てれば相当な強化が見られるだろう。

 

「今はラキオスに現在いるすべてのスピリットで防備を固めるべきです。そもそも龍を殺せるかどうかすら分からないのですから。しかも何故『求め』のエトランジェを龍退治のほうに送るのですか。戦闘能力については『天秤』のエトランジェのほうが上だと思われます」

 

 その言葉にラキオス王はいやらしい笑みを浮かべる。

 

「簡単なことだ。あのエトランジェが死んでも代わりがいる」

 

 その代わりにという存在が何か分かったレスティーナは、顔を青くした。

 

「カオリに……いえエトランジェの妹に剣が使えると思えません」

 

「神剣は主を求めると聞く。それにエトランジェの妹も兄が殺されたとなれば復讐に燃えて剣を使えるようになるだろう」

 

 人を人と思わない冷たい言葉にレスティーナの額に冷たい汗がながれる。

 元々、父は情の薄い人間だと理解していたが、二人のエトランジェが来てから外道に拍車が掛かっている。

 

「話は以上だ。早く『求め』のエトランジェに伝えて来い。ワシは生やすのに急がしいんだ」

 

 そういって王の寝室からの退室を命じるラキオス王。

 レスティーナは拳を強く握りながら退室した。

 

 

 

 

 

 

 一方そのころ。

 

 

 横島たちはラキオス領のエルスサーオに向かって行軍していた。到着に約四日ほどの日程が必要だが、隣国のバーンライト王国のスピリットよりは早く到着できそうである。

 

「ヨコシマ様ー元気ないけど大丈夫ー?」

「だいじょうぶ~?」

「まあ……大丈夫だ」

 

 横島の声は誰がどう聞いても大丈夫に聞こえないだろう。顔色も良くないし、何より目に力がない。これからスピリットという、無理やり人間に使役された見た目麗しい女性を殺さなくてはならないことが横島の心を重くしていた。

 

(ムキムキマッチョでキザでロンゲで女にモテモテな奴なら迷わず殺せるんだが)

 

 心の中で愚痴を言う。

 

「あの、そのヨコシマ様はとても疲れているようですが」

 

 ヘリオンが心配そうな声を出す。第二詰め所のスピリットは全員でエルスサーオに向かっていた。しかし、横島に元気がないせいで士気がまったく上がらなかった。

 

「だ、大丈夫です。きっと私がヨコシマ様を守ってみせますから!」

 

 おどおどしているが、ヘリオンは横島を守るという。とはいってもヘリオンは今回が初陣らしい。しかも第二詰め所内では恐らく一番弱いだろう。それでも彼女は横島を守ると宣言した。横島の心は嬉しさとそれ以上に情けなさでいっぱいになる。

 

(こんな小さい女の子に守られるか……情けないよな)

 

 改めて回りを見る。ヒミカ、セリア、ハリオン、ネリー、シアー、ヘリオン。この六人の命は自分が握っている。そして自分には彼女たちを守れる力がある。

 

「ああ、俺もきっとみんなのことを守るぞ。なんつっても美人と将来間違いなく美人になる子たちだしな」

 

 その言葉にヘリオンは顔を赤らめて嬉しそうにする。ツインテールを暴れさせながら喜ぶ姿はけっこう不気味だ。

 必ず守ると決心する。ただその決心の中には「たとえ相手のスピリットを殺してでも」という、みんなを守る方法については抜け落ちていた。

 

 

 エルスサーオについた一同は、スピリット用の宿舎で作戦会議を始めていた。

 

「我々はこれからエルスサーオから少し離れた地点で防衛線を張ります。情報だと向かってきているスピリットの数は六体です。」

 

 作戦の説明はセリアが行っている。横島ではまだこういった芸当はできない。

 

「私たちは七人、個々の力量に関しては敵方より上だと考えられます。ただネリー、シアー、ヘリオン、の三人は初陣でもあり、まだ訓練不足と言えるでしょう。ヨコシマ様に関しては神剣の位が高いこともあってマナの総量も高く、どのような場面でも部隊の中核になれると思います」

 

 力を発揮できればですが、と最後に付け加える。

 そこまで言ってセリアは横島のほうへ向く。

 

「どのように戦ったほうがよいと思いますかヨコシマ様?」

 

 セリアは挑発するように横島に言った。

 横島が本当に指揮を行える器であるか試そうというのだろう。

 何とかセリアの信頼を勝ち取らなければならない。無様な答えは返せなかった。

 

「ネリー、シアー、ヘリオンは後方で神剣魔法の援護をしてもらおうと思う。敵のレッドスピリットが放つ赤の魔法を防ぐにはブルースピリットが使う青の魔法が必要だし、まだ前衛は早いと思う。ヘリオンの黒の魔法は青の魔法で防げないから必要で、やっぱり前衛はまだ早い」

 

 そこまで言って横島はセリアの顔色を伺う。ぶすっとした顔をしているが特に不満はなさそうだ。

 

「セリアとヒミカは前衛で……敵を倒してもらう。俺とハリオンは中衛で敵の攻撃から皆を守ったり、場合によっては攻撃したりオールマイティーに動こうと思う」

 

 そこまで言って全員の様子を見てみる。ネリーは少し憮然とした顔をしていたが納得してくれたようだ。シアーとヘリオンも特に不満はなさそうだ。ハリオンはいつものようにニコニコと笑っている。セリアは相変わらず機嫌が悪そうだが、特に悪いところはなかったのだろう。ただヒミカだけは少し驚いた顔で横島に意見する。

 

「ヨコシマ様、レッドスピリットは基本的には後衛なんですが……」

 

 レッドスピリットは強力な攻撃魔法を得意としていて、後衛で魔法を唱えるのがセオリーである。ヒミカもレッドスピリットだ。

 

「あれ? ヒミカは前衛が得意だったと思ったけど」

 

 その言葉に聞きヒミカは顔をほころばせる。

 

「いえ、そのとおりです。私たちの戦力を把握してくださってありがとうございます」

 

 ヒミカは嬉しそうだった。ただ教本を読んだのではなく、自身のレッドスピリットとしては珍しい特性を理解して使ってくれるのだと理解したからだ。

 

「それでは、戦いに向いましょう。バーンライトのスピリットも迫ってきているようです」

 

 そういって、セリアが自分の神剣である『熱病』を構え、神剣の力を発揮したときだけ現れるハイロゥ(天使の光輪)を出現させる。

 

「まだ戦闘態勢を取るには早いんじゃないか?」

 

「馬鹿なことを言っている暇があったら、貴方も神剣を出して周りの気配を探ってください。敵が近くまで来ています」

 

 横島の質問にセリアは冷たく返す。

 さすがに少しむっとくるが、とりあえず神剣をだすことに決める。

 

(あまり使いたくないんだけどな………)

 

 自身の永遠神剣『天秤』を呼び出して、握りしめて力を引き出す。

 だが、あまり多くの力を引き出したりしない。

 

「っ! おい、随分と近くに神剣の反応があるんだけど」

 

「だから言ったじゃないですか。すぐに迎撃に向かいましょう」

 

 スピリットの面々が人の目では捉えられないほどの速さで敵の迎撃に向かう。横島も慌てて後を追おうとするがハリオンに呼び止められる。

 

「ヨコシマ様~無理をしちゃいけませんよ~。お姉さんが守ってあげますから~」

 

 彼女の緑の瞳には深い慈愛が満ちていた。そして、よしよしと横島の頭を優しくなでる。

 その母性を感じるしぐさに横島の顔が赤くなる。めずらしく飛び掛りはしなかった。

 

「それじゃ~行きましょうか~」

 

 そうして横島たちは戦いの場へと向かった。

 

 戦場は遮蔽物などがない平原になるようだ。

 罠を張ったり、奇襲などはできそうになく、単純に力と力の勝負になることが見て取れる。

 

 横島は『天秤』によって霊力を除く、全ての力が増大していた。視力すらも人を超越しているようで、かなり離れたところにいるバーンライトのスピリットの顔の細部までしっかり見える。その顔には表情というものがなく、ハイロゥは黒色と灰色で光っていた。

 

 スピリットの心がどれだけ神剣に飲まれているかの度合いは、ハイロゥの色で判別できる。心の力で神剣の力を引き出せれば色は白に、神剣に心を飲み込まれるほど黒になる。バーンライトのスピリット達は少しは心が残っているという中途半端なものらしい。

 

 神剣に心を飲まれるというのは、簡単に言えば自我の喪失。ただ神剣の本能であるマナを集めること以外に何の意思も持たなくなる。機械のように人の命令を聞いて、スピリットを殺し、マナを集める。この状態のスピリットは戦闘能力が上がるため、人間達はスピリットを調教して神剣に心を飲ませようとするのが普通だ。当然スピリット自身が望むことではない

 

「フォーメーションはヨコシマ様が言われたとおりでいいわ。さあ迎え撃つわよ」

 

 セリアが全員に号令をかける。こういった役目は隊長である横島のはずだが、彼は戦いが近づいてもぼうっとしてた。

 本当に戦いが始まってしまうのかと、地に足がついていなかった。

 

「ヨコシマ様! 呆けていないで戦闘の準備を!」

 

「あ、ああ」

 

 横島はまだスピリットを殺すことを躊躇していた。というよりも自分がスピリットという女性を殺すというイメージがまったく生まれないのだ。

 メドーサや死津喪比女といった女性を殺したことならある。だが彼女らは本当に悪党だったし、女性だとか考えている余裕もなかった。

 しかしスピリットは違う。人に心を砕かれた犠牲者。国同士の戦争で善悪も無い。しかも横島よりも若いのも居て、あげく横島よりも弱い。逃げようと思えば逃げられる相手だ。

 とにもかくにも、横島の戦意が下がる要因ばかりが積み重なっていく。

 

 横島とて向こうの世界では高いレベルの戦士だったのだ。自分の状態を把握するぐらいはできる。この状況のまま戦えば殺されかねないと理解していた。死にたくは、ない。

 

(もう仕方ないだろ。殺すしかないんだ、集中しろ!! 殺さなけりゃ……みんな殺されちまうんだ!!)

 

 現状を自覚し、必死に自分の戦意を高めようとするが、うまくいかない。

 彼の力の源は煩悩である。ただ相手に付け焼刃の殺意を抱いたところで強くなれるはずもなかった。

 

 横島は悩み苦しんでいたが、敵にとってはそんなことは関係ない。

 むしろチャンスだ。敵のスピリットたちが風をまいて襲い掛かってきた。

 

「ヨコシマ様! 迎撃を!!」

 

 ヒミカの激が飛ぶ。周りでは各自がそれぞれ個別に敵と相対していた。敵のレッドスピリットの魔法はネリーとシアーの魔法で防ぎ、ヘリオンは黒の魔法でみんなを援護している。セリアたちは一対一の形で敵のスピリットと戦っていた。さしたる連携もないが、個々の能力で上回っているのなら悪い作戦ではないだろう。横島が戦況を分析していると、一人のグリーンスピリットが槍を持って突撃してくる。

 

「サイキックソーサー!!」

 

 左手で天秤を持ち、加護を受けながらサイキックソーサーで身を守る。

 一撃でサイキックソーサーは粉砕された。いくら加護を受けて身体能力が神魔並になっても、霊力そのものは向上しないのだ。

 グリーンスピリットはそのまま連続で突いてくる。

 

 その突きは音速に近い速度が出ているが、横島から見れば遅い。元から人外の反射神経を持つ上に高位の神剣を持っているからだろう。身体能力は横島が圧倒していた。

 さらに槍の軌道そのものも直線的で回避は容易い。型どおりに槍を振るっているだけのようだ。槍の速さにも慣れた横島は、回避しつつチャンスを待つ。

 攻撃があたらないスピリットは、仕切りを直そうと後退しようとするがその瞬間、虚をついて『天秤』を構え前に出る。今まで一度も攻撃を仕掛けてこなかった相手がいきなり剣を向けてきた為にスピリットの反応が鈍った。

 

 こういった「虚」をつくのは横島の十八番だ。たとえ剣術や格闘術を知らなくても敵のタイミングを外すのは戦闘においてもっとも重要なファクターのひとつである。別にギャグじゃなくてもこれぐらいはできるのだ。

 

「はあ!!」

 

 スピリットは横島を引き離そうと槍で刺突を仕掛けてくるが、スピードもなく大振りであるために隙だらけだ。横島はその一撃を難なく避け、『天秤』を構える。日本刀型である『天秤』をまだまだ扱いこなせてはいなかったが、それでも威力は文珠を超える。

 

(狙うならのどだ!!)

 

 グリーンスピリットは回復の魔法を得意としている。体を切り裂いても喋ることさえできれば傷を癒してしまう可能性があった。のどさえ潰してしまえば魔法の詠唱もできないし、なにより殺すことができる。

 

 『天秤』を両手で構え、スピリットではありえないほどのマナを乗せ、高速の突きをスピリットに放つ。

 守りが優れているのがグリーンスピリットの特徴で、強力な障壁を張るが、『天秤』は障壁を打ち破って喉元へ迫る。だが、『天秤』の刃は止まってしまった。止めた理由はいたって単純。敵スピリットの顔を見てしまったのだ。

 

(小鳩ちゃん?)

 

 横島が『天秤』を向けた相手は15,6歳ぐらいのそばかすが残る少女だった。ライトグリーンの髪を二つに纏め、胸はかなり大きい。そして横島の隣に住んでいる隣人にそっくりだった。

 

 殺し合いの最中に敵を想う。決してやってはいけないことを、横島はしてしまった。致命的な隙が横島に生まれる。

 

「死ね!!」

 

 グリーンスピリットが再び刺突を仕掛けてくる。

 迫ってくる槍を見て横島の顔色が変わる。槍の穂先を見て避けられないと分かってしまった。

 

 槍が肉を突き破る。

 ハリオンの肩からは槍が飛び出していた。

 

「ハリオン!?」

 

 ハリオンが横島を庇ったのだ。横島が声を上げるがハリオンは気にせず、自分の神剣である『大樹』を敵に向けて振るう。敵スピリットはバックステップで避けるとそのまま後退を始める。見れば他のスピリットたちも後退を始めていた。第一ラウンドが終わったというところだろう。

 

「お、おい! ハリオン! 大丈夫か!!」

 

「心配無用ですよ~」

 

 のんびりした声で応えるハリオンだが、肩からは痛々しく血が流れている。セリアたちもその様子に心配になって駆けつけてきた。彼女らには傷はなく、戦いに苦労した様子はなかった。

 

「ハリオン! 怪我は大丈夫!」

 

「はい~ぱっぱっと治しちゃいますから~」

 

 そういうとハリオンは魔法の詠唱を開始する。

 

「回復します~ア~スプライヤ~」

 

 なんとも間延びした声で回復魔法を唱えるハリオン。しかし、威力はかなりのもので一瞬にして傷がふさがった。その様子にみんなが安心するとセリアが横島のほうを向いて睨みつける。

 

「ヨコシマ様、先ほどの行為の説明を願います!」

 

 先ほどの行為。殺せたはずの敵スピリットを殺さなかったことだろう。それは結果的にハリオンを傷つけることになった。

 

「…………」

 

 横島は何も言わない。というよりも言えない。その理由はあまりにも単純で馬鹿らしいからだ。他のスピリットはセリアの剣幕に押されて会話には入ってこない。

 

「なにか言ったらどうなんですか!!」

 

 セリアが顔を真っ赤にして怒っている。

 

「ヨコシマ様は~スピリットを殺したくないんですよ~」

 

 答えたのはハリオンだった。

 

「そ、それは本当ですか、ヨコシマ様」

 

 セリアが横島に確認を取る。横島は自分の心情を言い当てられて驚いたが、相手がハリオンなら納得できるような気がした。

 

「ああ……俺はスピリットを殺したくない」

 

「何故ですか、理由を言ってください」

 

 それはあまりにも単純な理由だ。それは。

 

「スピリットはみんな可愛い女の子じゃないかーーー!!」

 

 いきなりの大声に全員が驚く。その声には魂がこもっていた。

 

「人間に逆らえないから戦っているだけなんだろ! なんでそんな女の子達と戦わなくちゃあかんのじゃーー!!!」

 

 可愛い女の子とは戦いたくない。あまりにも馬鹿らしく、だからこそ横島らしいといえる。

 セリアは横島の言葉に呆気にとられた顔をするが、すぐに無表情に戻る。

 

「スピリットはすべて女性です。いまの貴方の言葉が本当なら、貴方はだれも殺せない………戦力として数えることはできません」

 

 セリアの声は淡々としたものだった。

 

「殺せなくてもやれることは………」

 

 回復や補助も戦闘には必要なことである。

 しかし。

 

「敵を殺す覚悟がないことが問題なのです。殺し合いの場で、敵を殺したくない戦士がどれほど役に立つと思っているのですか! なにより、そんな人が隣にいることだけで迷惑です!」

 

 セリアの言葉を聞き、横島は黙り込んだ。その通りだったからだ。横島も生きるか死ぬかの戦いを何度も経験してきた。セリアの言うことは正しいと横島も判断できる。

 

「貴方はなにも守ることなどできない。むしろ守らなくてはいけない存在を殺してしまうかもしれません」」

 

 横島の心に彼女が浮かび上がる。自分が殺してしまった――――最愛の女性が。

 

「う……ぁぁ」

 

 横島の表情に絶望が入り込む。

 

 セリアは思わず顔をしかめた。

 何か入り込んではいけない部分に踏み込んでしまったのかもしれない。

 そんな辛い表情をするなら、戦場に立たないでほしいとセリアは嘆息した。

 

「貴方の力がなくても、あの程度の敵なら問題ありません。貴方はエルスサーオで待機していてください」

 

 セリアは仲間たちに声をかけ、敵の追撃に向かおうとする。

 他のスピリット達も、今の横島を戦場に立たせるわけにはいかないと、セリアの言葉に頷く。

 

「初陣なのですから気を落とさないでください、ヨコシマ様」

「お姉さんは強いから大丈夫ですよ~」

「気を落とさないでヨコシマ様。く~るなネリーにまかしてよ!」

「シアーもかんばるの」

「失敗は誰にでもありますから気を落とさないでください。私なんてしょっちゅう失敗してます」

 

 誰も彼も横島に慰めの言葉をかけていく。そこに侮蔑や蔑みの視線などは含まれていない。ただ共通していたのは、彼をどこか哀れんでいた事だった。

 ズキリと横島の胸が痛んだ。

 このくそったれな世界で、可愛くて哀れな女の子を守る。彼はそう考えていた。

 その考えは、敵も味方もスピリットである以上、無理難題である事を横島は分からされた。

 

「みんな! 追撃するわよ!!」

 

 セリアの号令に全員が敵スピリットを追撃しようと駆け出す。

 横島はその後姿を見ることしかできなかった。

 

 ふらふらとした足取りでエルスサーオにやってきた横島はそのまま地面に座り込む。

 

(俺………なにやっているんだ?)

 

 心の中で情けなさと悔しさが入り混じる。

 

(少しは成長したんじゃなかったのか?)

 

 彼の戦いが終わり、彼女が誇れるような男になってきていると思っていた。だが現実は。

 

(結局なにも変わってなかった。また俺のせいで女性を犠牲にしてしまうところだった!)

 

 悔恨と絶望が横島を包み込む。そんな横島に『天秤』が声をかけてきた。おそらく罵倒されると思っていたが、『天秤』は横島を罵倒などしなかった。

 

『主よ、お前は優しいな』

 

「はっ?」

 

 はっきり言って意外だった。

 間違いなく責められると思っていた横島は呆けた声をだす。

 

『殺し合いの極限状態で相手の身を案じるのだ。正直たいしたものだと思うぞ』

 

 しかし、だからこそ戦えないのだが。

 

『主ほど優しい男がよく愛する女を殺せたものだ』

 

 ―――――――いまこいつはなんて言った?

 

「お、おい『天秤』愛する女って!!」

 

『主が愛した女といえばルシオラ以外にないと思うが』

 

 ルシオラの名を聞いて横島の頭が真っ白になる。

 

「『天秤』! なんでお前がルシオラの名を知っている!!」

 

 右手に握っている『天秤』に怒鳴り、睨みつける横島。

 普段の彼とはまったく違う、すさまじい形相だった。

 

「私は主のパートナーだぞ。なにより私は主を導かなければならないのだから、それぐらいは知っている」

 

 答えているようで、まったく答えになっていない『天秤』の返答。そして横島が何かを言う前に『天秤』が喋り始める。その声は妙な響きをもっていた。

 

「主よ、何故お前はルシオラを殺したのだ? お前は何のために戦ったのだ?」

 

 その言葉は横島の心を深く貫く。

 

「世界がかかっていたんだ。だから俺は世界のため……に?」

 

 違う。それは違う。あのとき俺はそんなことを思っていたのか? 人類のため、世界のためになど戦っていたか? 俺はそんな人間だったか? 違う。

 

 ―――私は金のため………あんたは女のために戦う―――

 

「そうだ……俺は女の……ルシオラのために戦ったんだ」

 

『ならば何故、最後に世界を取ったのだ。女を取ればよかったではないか』

 

 横島の目が少しずつ虚ろになっていく―――

 

 最後の決断。世界と女を天秤にかけ、そして世界を取った理由。それは何故か?

 

 ――――アシュタロスは俺が倒す!!

 

「約束をしたんだ………アシュタロスは俺が殺すという約束」

 

『そうか……主はアシュタロスを殺すという約束……いや、目的のために愛するもの殺したのか』

 

 その言葉に横島は違うと言い返そうとしたが、何故か言葉が出ない。頭に霞がかかっているようで思考が混濁する。

 

『私は責めているわけではないぞ。犠牲もなく成し遂げられることなどないのだからな』

 

『天秤』の優しげな声と共に、何かが、得体の知れない何かが横島の心に侵入していく。

 

『ルシオラという存在がなくなったからこそ、本懐を成し遂げられたのだ』

 

 横島の心が何かに犯されていく。

 意識が遠ざかり、横島の目から光が消えようとしたとき。その声が聞こえた。

 

 ――――――横島……私たちは何もなくしてないわ―――――

 

 最愛の女性が最後にいった言葉が横島の心に力を与える。次の瞬間、横島の目に光がともり、急激に意識が覚醒した。

 

「『天秤』! いったい俺に何をしようとした!!」

 

 心が乗っ取られていく感覚。自分が自分じゃなくなっていく感覚。間違いなく『天秤』の仕業だと確信した横島は左手に栄光の手を出現させる。

 

『ちっ……多少の効果はあったと思うが……』

 

「いったいなにを言ってやがる!? なにが目的だ!『天秤』!!」

 

 そういって『天秤』に栄光の手を近づけていく。

 『天秤』を壊さなくてはならない。この神剣は危険だ。横島はそう思い始めていた。

 『天秤』は少し黙っていたが、いきなり喋り始める。

 

『神剣の気配を探ってみたらどうだ……主よ』

 

 いきなり会話の流れを切ろうとする『天秤』を睨むが、胸騒ぎを感じ神剣の気配を探る。すると近くに二十以上の神剣の反応があった。

 

「な、なんでこんなに神剣の反応が!?」

 

 セリアたちと敵のスピリットは合わせても12人。二倍以上の反応などありえない。

 

『簡単なことだ、敵の増援が現れたのだろう』

 

 セリアたちは六人、敵は一四人以上という倍以上の戦力差になっているということだ。横島は急いでセリアたちの所へ向かおうとするが『天秤』に止められる。

 

『行ってどうする、主はスピリットを殺せないのではなかったか? まあ私を破壊すればどうやっても仲間たちは救えないがな』

 

「うっ!」

 

 横島の足が止まり、そしてまた悩み始める。自分はいったいどうすればいいのか、そもそも何を悩んでいるのか。

 

『主は約束をしたのではなかったか。妖精たちを守ると約束をしたはずだ。主の目的は仲間のスピリットを守ることなのだろう? アシュタロスを殺すために恋人を殺した男が何故、仲間を守るために敵のスピリットを殺せないのだ?』

 

「ぐうっ………ぐうううっ!!」

 

 心が痛い。この痛みは感じたことがある。この痛みは最後の戦いのときの選択の痛み。

 

『悩むことなどない。主はどちらを取るべきかを天秤にかけているだけなのだ。仲間の命と敵の命………いや、女性を殺したくないという主の優しい気持ちのどちらを取るのか……』

 

 それはあまりにも単純なことだった。『天秤』の言うとおり、セリアたちの命と女性を殺したくないという自分の思い、どちらを取るか。ただそれだけのことである。だがそれは横島がもっとも嫌う行為、何かを得るために何かを捨てるということだ。

 

「『天秤』……俺は!!」

 

 選ばない訳にはいかない。それは逃げだ。ルシオラに相応しい男になるのなら、逃げるわけにはいかないのだ。

 

『さあ主よ、仲間の命か! 女性を殺したくないという思いか、どちらをとる!』

 

 

 

 

 

 セリアたちの戦いは明らかに劣勢だった。

 

「マナの支配者である永遠神剣の主として命ずる! 炎よ、雷をまといて敵を滅ぼせ!ライトニングファイア!!」

 

「すべてを止めて、凍らせる! アイスバニッシャー!!」

 

 敵のレッドスピリットが放とうとしていた炎が冷気を纏った魔法によって打ち消される。だが、詠唱されていた魔法はそれだけではなかった。

 

「マナよ、炎になりて敵を焼き尽くせ! フレイムシャワー!!」

 

 別なところで魔法の詠唱をしていたレッドスピリットの魔法がセリアたちに襲い掛かる。

 

「全員散開!!」

 

 セリアの号令に全員が逃げようと動くが、完全には避けられず炎の雨をあびてしまう。

 

「きゃあああ!!」

「くうううう!!」

 

 炎の雨に打たれたネリーとヒミカが悲鳴をあげる。

 

「ハリオン! 回復魔法を!!」

 

「は、はい~………ハーベスト~」

 

 癒しの風が全員を癒していく。しかし、全快とまではいかずいくつかの傷は残っていた。敵スピリットは休まず襲い掛かってくる。

 

「このままじゃ全滅するわ! 後退しましょう、セリア」

 

 ヒミカが撤退を促す。二倍以上の戦力差に新米スピリットが三人もいるのだ。勝敗は火を見るより明らかだった。

 

「分かってるわ! でも隙がないのよ!」

 

 ひっきりなしに敵は襲い掛かってくるのだ。

 不用意に背など向けたら一瞬で殺されるだろう。

 

(私のミスだ………エルスサーオを防衛するだけでよかったのに!)

 

 今回の任務はエルスサーオの防衛だった。だがセリアは追い払った敵スピリットを追撃してしまったのだ。スピリットの力を高める装置が設置されてあった都市で守りさえ固めていれば、こんなことにはならなかっただろう。

 

(このままじゃヒミカの言うとおり全滅する。でも撤退する隙がない………ならば隙を作るしかない!)

 

 セリアは決断する。それは仲間を守るために―――――

 

「ヒミカ! 私はこれから敵陣に突っ込んで暴れるから、その隙にみんなを連れて逃げて!」

 

「ちょっとセリア! それって……」

 

 自分の命を捨てるということ――――――

 

「はあああああ!!!!!」

 

 気合の声を上げてセリアが敵陣に突っ込む。敵スピリットたちは突出したセリアに集中攻撃をかけていく。セリアは必死に抵抗した。敵の剣を受け流し、槍を弾き、刀を受け止める。体にいくつもの裂傷が刻まれるが、それでも敵陣に突っ込んだ。すると唐突に敵の攻撃が止まる。何事かと思ったが次の瞬間、自分の最後を悟る。極大の火球がセリアに向かって飛んできたのだ。

 

(避けられそうにないわね………ここまでか)

 

 仲間たちは逃げ切れたのだろうか。目を閉じたセリアの脳裏に仲間達の顔が思い出される。その中にしまりのない顔をしたバンダナの男がいた。

 

(まったく………最後になんであの人の顔なんか……)

 

 セリアに極大の火球が迫っていく。だがセリアと火球の間に何かが割り込んだ。

 

「サイキックオーラバリア!!」

 

 すさまじい轟音が鳴り響く。

 

(あれ? 私……生きてるの?)

 

 あの状況で生き残れるはずがない。そう考えていたセリアは何故自分が生きているのかを確かめようと目を開ける。そこには。

 

「セリア! 大丈夫か!」

 

 しまりのない顔した隊長がいた。

 

「……あ、はい私なら大丈夫で…………な、何で貴方がここにいるんですか!?」

 

 本来いないはずの人物がいきなり現れたことに驚愕するセリア。急いで立ち上がろうとしたが体中の痛みに顔をしかめる。

 

「いま治してやるから無理すんな」

 

 そう言うと、横島は『天秤』を構え魔法の詠唱を開始する。

 

「欲望のオーラよ、俺が欲する存在にその力を分け与えてくれ! ディザイア!!」

 

 横島の周りに魔法陣が形成され、そこから生まれた光がセリアを包み込んでいく。

 

(すごい……傷が治っていく)

 

 ハリオンの回復魔法にはやや劣るが、それでも十分な回復力だった。

 

「怪我は治ったみたいだな………行くか」

 

 そう言って『天秤』を敵スピリットに向ける横島。その様子にセリアが驚く。

 

「貴方は女性を殺せないと言ったのではなかったですか?」

 

 セリアの言葉に横島は自嘲的に笑った。

 

「みんなを守るって約束しただろ。それに俺は……」

 

 そこまで言って、横島は全身にマナと霊力を回して敵スピリットに突っ込んでいった。

 

 人間ではありえないスピードで一番近くにいるスピリットを目指して走る。近くにいる小鳩似のグリーンスピリットが標的だ。グリーンスピリットが横島の接近に気づいて、身体の周りに高密度の大気の壁を作ることで身を守ろうとする。

 

「『天秤』………全力で行くぞ………栄光の太刀!!」

 

 『天秤』の刀身にオーラと霊力が集中していく。オーラと霊力によって光り輝く刀身を、小鳩似のグリーンスピリットに向かって全力で突く。なんの音もしなかった。『天秤』と大気の壁がぶつかり合う音も、肉を貫く音もしなかった。

 

「えっ?」

 

 唯一聞こえたのは何がおきたのか分からない声だけだった。それも当然だろう。なぜなら気がついたら刃が自分の胸部を貫いているのだから。マナと霊力が込められた『天秤』は圧倒的な切れ味で、自分の体を貫かれたことすら気づかせなかったようだ。

 別のグリーンスピリットが回復魔法を唱え始めた。それを見た横島は、残酷な正解を選択する。

 

「マナも霊力も………爆ぜろ!!」

 

 ボンという音とビチャッと言う音が鳴り響く。彼女の体に突き刺さっていた『天秤』を通じて、体の中でマナと霊力を爆発させたのだ。彼女の体が爆発し、横島が愛するチチもシリもフトモモもただの肉片になってばら撒かれる。これで回復魔法は無駄となった。

 

 彼女の体に一番近くいた横島は全身血まみれだった。だがそれは一瞬のこと。スピリットやエトランジェは死ぬと金色のマナになり消滅するだけなのだ。横島の体にこびりついた血や、周りの肉片は金色のマナに変わり消えていった。何も残らない、残せないのがこの世界の法則だ。

 

(目を閉じるな! 逃げるな! これが俺の選択したことなんだ!!)

 

 横島は目の前の凄惨な様子に胃液が逆流しそうだった。だがこんなところで吐いたら命を落とすことになる。

 

「死ねー!!!」

 

 すぐに別な敵のスピリットが現れる。ブルースピリットがウイングハイロゥを展開して空から神剣を振り下ろしてきた。ブルースピリットの一撃は重いが連続ではない。横島は右手にサイキックソーサーを作り出し、斜めに構えて重い一撃を受け流す。一撃に力を込めていたブルースピリットは体勢を崩す。その隙を突いて横島は腹部をおもいっきり蹴り上げる。

 

「がはっ!」

 

 血を吐きながらぶっ飛ぶブルースピリットだが追撃はしない。というよりもする暇がない。いつの間にか接近した、ブラックスピリットが居合いの構えをとっていたからだ。

 

「栄光の手!!」

 

 右手のサイキックソーサーを霊波刀型の栄光の手に変えて、振るわれた刀をぎりぎり受け止める。だがブラックスピリットは焦らない。ブルースピリットと違ってブラックスピリットは速さと手数を優先する。たとえ一撃を防がれても次々と連撃を放つのだ。しかしこのブラックスピリットが連撃を放つことはできなかった。

 

「な、なんだこれは!!」

 

 霊波刀が手の形に変わり、敵の刀を握っていたのだ。ブラックスピリットは驚き、必死に栄光の手から神剣を引き離そうとするが、横島はその隙を見逃さなかった。

 

「はっ!」

 

 掛け声とともに『天秤』を一閃する。ブラックスピリットは栄光の手から神剣を引き離そうとしていたから何の防御もしなかった。『天秤』の刃はブラックスピリットの首を捉えてあっさりと切断した。頭がコロリと地面に落ち、頭を失った首からは血が吹き出る。

 

(いやだ! もう逃げたい! 殺したくない!! だけど俺は!!)

 

 横島の心が悲鳴をあげる。それでも彼は逃げることはない。仲間たちを守るという約束と彼が過去にとった行動がスピリットを殺せる原動力となっていた。

 

「全員後退して密集隊形!」

 

 バーンライトのスピリットの隊長が号令をかける。横島の戦闘力を警戒して防御陣形を整えるようだ。

 

(『天秤』………一気に決めるぞ!!)

 

『主よ、さっきからマナと霊力を全開にして戦っているのだぞ。しかも同時に使うという無茶までしている。これはまだ早い。これ以上無理すればどうなるか分からんぞ』

 

(いいから! さっさとこの戦闘を終わらせるんだ!!)

 

『………承知した』

 

 横島は右手に2個の文珠を出現させる。『天秤』を左手に持ち、いま使えるすべてのマナをオーラに変えていく。

 

(この一撃でどれぐらい女の子たちが死んじまうのかな)

 

 遠くのほうに集まっているスピリットたちを見る。美女と美少女たちが密集隊形をとり、攻撃に備えていた。

 

(飛び掛ってナンパして、セクハラして殴られる世界もあったのかな?)

 

 文珠に文字を入れ、マナをオーラに変えて、殺す準備を整えていく。

 

(殺したくないけど………大丈夫だ。きっと殺せる。だって俺は……)

 

 ――――――恋人さえ殺せる男なんだから。

 

「いくぞ!!」

 

 敵が密集しているところに『爆』『発』の文珠を投げつける。さらに魔法の詠唱を開始する。

 

「マナよオーラに変われ。滅びの雨となり降り注げ! オーラフォトンレイン!!」

 

 バーンライトのスピリットたちは飛んできた文珠を警戒していなかった。マナをまったく感じなかったからだ。だがそれは間違いだった。密集隊形の中心まで来たとき、突然爆発して破壊を撒き散らしたのだ。

 

「がああ!!」

「ぐうううう!」

「い、痛い!!」

 

 障壁を張らずにいたため、スピリット達はもろに文珠の爆発をくらってダメージを受ける。それでも死者はでなかった。高い身体能力のおかげで死をぎりぎりで免れたのだ。急いで回復魔法を唱えようとするが、攻撃はこれだけではない。上空からオーラの弾丸ともいえる雨が降り注いできたのだ。

 

「っっっっああああ!!!!」

 

 スピリットたちの絶叫が鳴り響いた。文珠で受けたダメージは大きく、防御も逃げることもできないまま滅びの雨をその身に浴びた。スピリットたちは全身が穴だらけになり絶命していく。滅びの雨が止むと、そこに動くものはなかった。ただ黄金のマナだけが漂っていた。

 

『見事だ、主よ』

 

 いくら伝説のエトランジェといっても一人で二十を越えるスピリットを殺したのだ。その力は異常とすらいえた。

 

『だがもう少し力の配分を考えることだな。常に全開の力で戦うなど愚か者のすることだ。それだけではない。敵が後退したときに私たちも味方と合流するべきだった。全員殺しきれたから良かったが、もし敵が生き残っていたら、いまの主では危なかったぞ』

 

『天秤』は今の戦いの反省点を喋るが、横島はまったく聞いていなかった。ただ身体を震わせていた。

 

「う、うええええ!!」

 

 横島は胃の中のものをすべて吐き出し、膝をついた。

 殺しに殺しまくった、最後は、女の子たちが穴だらけになってミンチになるのすら目撃してしまった。

 

 越えてはいけない一線を越えてしまったと、横島は恐怖したが、しかしすぐに思い返す。

 俺は恋人を殺したのだ。とうに一線は超えていたのだと。だが、そうであったとしても。

 

『早く妖精に回復させてもらうことだ。しかし聞いていたようにマナとは旨いものだったのだな』

 

 横島の葛藤など、どうでもよいという風に『天秤』は言って、金色の粒子に姿を変えて横島の体の中に吸い込まれていった。

 

「ヨ、ヨコシマ様……その、大丈夫ですか……」

 

 ヒミカが震えた声で横島に声を掛けた。彼女達は横島の戦いぶりをしっかり見ていた。援護をしようと思ったのだが、その戦いの凄まじさに援護どころではなかった。誰もがその強さに呆然としていたのだ。恐る恐るといった感じに横島に近づいていくが、突然横島が叫びだした。

 

「ふざけんなよ! なんで俺が可愛い女の子を殺さなくちゃいけないんだ!! あんなに若くて、綺麗で、剣を振る以外にもたくさんやれることはあったのに!!」

 

 その叫びには力があった。ヒミカたちはその叫びを聞き入ってしまう。

 

「なんで! 俺何かが! 彼女たちの未来を奪わなくちゃいけないんだよ!!」

 

 喉から血を流さんばかりに嘆き、横島は泣き声を上げる。ヒミカ達は、スピリットの為の泣き声に聞き惚れた。これほどスピリットを想っているとは思いもしなかった。

 

「ヨコシマ様~ありがとうございます~。私たちのことをそんなに想ってくれて……」

 

 ハリオンがいつもの笑みを消し、静かに目を伏せて、横島を優しく抱きしめた。

 

「感じますか~お姉さんのぬくもりを。ヨコシマ様が守ってくれたんですよ~。だから……今はお姉さんの胸の中でゆっくり休んでください」

 

「う、うあああああああ!!!」

 

 横島がハリオンの胸の中で最大の泣き声を上げる。聞いている者まで涙を流してしまいそうな悲痛と悲しみに満ちた泣き声だった。

 柔らかな胸に包まれて、横島は夢の中へと落ちていく。そこで、彼はぼんやりと理解した。

 こんな悲劇、この世界にはいくらでも転がっている。そして、この先はもっと多くの戦いが持っているのだと。

 

 ――――次は絶対殺さない。今度こそ助けて、心を取り戻して、笑わせて見せる!

 

 このくそったれの世界に、横島は宣戦布告した。

 初戦は敗れたが、次は必ず反逆してみせると。一人でも多くのスピリットに、セクハラをかまして殴られてやると!

 この誓いを以て、長きに渡る横島の戦いが始まる事となる。

 その為にも、横島は柔らかな胸の中で一度の安らぎに入っていくのだった。

 

「あらあら~寝ちゃったみたいです~可愛い寝顔ですね~」

 

 その言葉を聞いて、ヒミカたちはようやく動き始める。泣いている横島と抱きしめるハリオンから目を離せず、動くこともできなかったのだ。

 

「私たちも~がんばらないといけませんね~」

 

「がんばるってなにを?」

 

 ハリオンの発言にヒミカが疑問の声を上げる。そしてハリオンは同性であるヒミカでさえ見惚れる笑みを浮かべる。

 

「こんなに優しい人を泣かしちゃお姉さん失格じゃないですか~強くなって少しでもこの人を泣かせないようにしないと……きっと、私達は絶対に死んじゃ駄目になっちゃったんですから~」

 

 そういって横島を見るハリオンは聖母というにふさわしい顔だった。ヒミカも横島の顔をじっと見てみた。涙でくしゃくしゃになった顔は年齢よりも幼く見え、鼻水で塗れていても神聖なものを感じさせた。

 

「そうね……強くなって彼を守りたい……ううん、彼の助けになりたい」

 

 ヒミカもハリオンに同意する。

 

「うん……ネリーもヨコシマ様のことを守るよ。強くなって絶対に!」

 

「シアーも……ヨコシマ様が泣くの見たくないの。私も頑張る!」

 

 いつも調子が良いネリーと内気なシアーも横島を守ると誓う。その声には慢心も弱さもない。その声には強い力があった。

 

 ヘリオンはこの戦いが始まる前に横島を守ると宣言した。だがそれは力強い発言ではなかった。しかし、今は違う。

 

「私もヨコシマ様を守ります! こんな良い人を泣かしちゃだめです!!」

 

 あんな泣き声はもう聞きたくありませんと、ヘリオンも横島を守ることを誓う。

 

 そしてセリアは。

 

(本当にスピリットのために涙を流しているの? 彼は人間なのよ)

 

 根強い人間への不信感がセリアにはあった。きっといつか裏切ると思い、横島を見張っていた。そうしなければ仲間たちが傷つくと思ったからだ。だが、

 

(彼なら信じられるの? 彼は人間なのに)

 

 信じられるのか、信じられないのか。セリアが悩んでいるとヒミカが声をかけてきた、

 

「セリア………人間は信じられなくても、彼のことは信じてあげられない?」

 

 その言葉を聞き、セリアは横島の顔をあらためて見る。スピリットのために流した綺麗な涙の跡が見える。セリアはそれを見るとぷいっと顔を背けた。

 

「強くはなるわよ………戦場でいちいち泣かれたら面倒だから」

 

 素直に守るといえないセリアにヒミカが苦笑する。

 ヒミカはふと空を見上げた。空遠く、雲が流れていく。

 

(きっとこれから時代は動いていく。国も、人も、そして………私たちスピリットも)

 

 どこからか龍の咆哮が聞こえてきたような気がした。

 

 

 

 

『さて、第一段階終了か。次は贄を転送してもらわなければならんな』

 

 

 

 



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第五話 新スピリット登場!

 横島は気が付くと不思議な空間にいた。

 空は形容しがたい色をしていて、地面には見たことのない花が咲き乱れている。

 ひょっとしたらと思い当たった場所があったので川を探すが見当たらない。

 

「う~ん……美神さんに殴られて何度も渡りかけた、あの川はないみたいだな」

 

 『あの川』とは三途の川の事だ。横島は三途の川の常連で、渡し守とは美神の守銭奴のひどさを共に話し合ったことさえある。死にそうで死なないギャグキャラには馴染みの友だった。

 横島はしばらくぼーっとしていたが、何かを考え付いたようで、手で自分の頬を掴んでぎゅっと引っ張った。

 痛みはない。

 つまりこれは夢だ。

 

 もしも夢の中で自分は夢を見ていると判断したら、そのとき人はどのような行動をとるだろうか。

 現実世界では普通はできない行動をとる人もいるだろう。夢だとしれば興味をなくし、夢から覚めようとする人もいるだろう。この横島という人物が夢の中でとった行動。それは、

 

「いくぜ、妄想具現化! 綺麗なお姉ちゃんカモン!!」

 

 このうえなく正常な煩悩少年の発想だった。

 

 ほどなく横島の前に素晴らしい美女が現れた。年上、美人、巨乳、露出度の高い服など横島の好みど真ん中である。横島が作り出した産物なのだから当然といえよう。

 ちなみに現れた女性は綺麗な青い髪をしている所から、ブルースピリットと判断できた。顔立ちはどことなくセリアに似ている。現実世界で飛びかかれないから夢の中でということなのだろうか。そうだとしたらなかなかに哀れである。

 

「それじゃーいただきまーーす!!」

 

 横島は本当に欲望に忠実な男だった。まず服を脱ごうとするがここで動きが止まる。ボタンを外そうした手に剣が握られていたからだ。

 

「なんで俺は剣なんか握っているんだ?」

 

 こんな無粋なものはこれから始まる桃色世界に必要ない。

 

「こんなもんさっさと捨てて、俺はこのおねえちゃんの…マナ奪わないと………えっ?」

 

 横島は自分の口に手を当てて驚いた。マナを奪うと確かに自分の口でそう言った。だがその声は自分の声であり、自分の声ではなかった。

 

「俺はいったい何を言って……なんだ!!」

 

 気が付くといつの間にか剣を振り上げていた。このまま振り下ろせば……

 

 ――――マナを奪え。

 

「ちょいまて! マナなんて別に欲しくないぞ! そんなのより姉ちゃんが欲しいっーの」

 

 横島は振り上げた剣を必死に離そうとするが、手はまったく言うことを聞かない。そして振り上げた剣を目の前の女性に向かって。

 

「や、やめろーー!!」

「ふにゃあ!」

 

 どんがらがっしゃーーんと横島は勢いよくベッドから転げ落ちた。

 

「ったく! またこんな夢かよ……」

 

 横島の夢見はここ最近妙なものばかりであった。「マナを集めろ、マナを集めろ」と言う声が何度となく繰り返される気味の悪い夢ばかり。久しぶりに見れそうだった十八歳未満お断りな夢も最後にはああなった。

 

「ふにゅう……重いよ~」

 

「ああ、ごめ……ん?」

 

(今の声……誰だ?)

 

 あたりを見渡すと、そこは覚えのない部屋だった。おそらくあの戦いの後、エルスサーオの宿舎にでも運ばれたのだろう。しかし、先ほどの声の主の姿は見当たらない。

 

「下だよ~」

 

(下?……そういえば床に落ちたとき妙に柔らかかったような)

 

 何かいやな予感が駆け巡る。いまの横島の体勢はうつぶせの状態だ。床にうつぶせている状況だと思っていたが、床が人肌ぐらいに暖かく、動いている気がする。

霊感が「下を見るな」と激しく警報を鳴らすが見ないわけにはいかないだろう。恐る恐る自分の体の下を見る。

 

 見たことの無い6~7歳ぐらいの裸の女の子を、押しつぶしていた!

 

 OKOK分かっているぞ世界意思。いったい俺がどれほどの戦場を越えてきたと思っている。まず、いま俺は裸の幼女を押し倒しているわけだ。ならば次に起こることは。

 横島は部屋のドアに視線を向ける。すると、

 

「ヨコシマ様、大丈夫ですか!悲鳴が聞こえ、たので……」

「いったい、どうしたのです、か……」

 

 ああ、分かっているさ世界意思! こうなることは想定の範囲内だからな。部屋に入ってきたのはヒミカとセリアか……まあこれも予測通りだ。ぷるぷる震えてどこぞの犬みたいだぞ、殺気さえなければな。このままではバッドエンドに直行してしまう。バッドエンドの回避する方法は、俺が裸の幼女を押し倒していてもおかしくない理由を作らなくちゃいけないわけだ。

 ふっ、やってやるさ!!

 

「え~と、この子は俺がお腹を痛めて産んだんだ! つまり、これは親子のスキンシッブガアアア!!」

 

 俺が最後に見た光景は……炎と氷の刃だった…………

 

 

 永遠の煩悩者

 

 第五話 新スピリット登場!

 

 

「それで、この子はいったい誰なんですか!」

 

 あれから当然のように復活した横島は全員の前に引きずり出され、スピリットたちに周りを囲まれた。その様子はさながら裁判に臨む被告人のようである。ちなみに謎の幼女はハリオンがどこからか持ってきたスピリットの服を着せられて、笑いながらこちらを見ている。

 

「だから、この子は俺が産んだ「バン!!」ひっ!すんません!嘘です!!」

 

 横島の嘘にセリアが机を叩き黙らせる。地べたに頭をこすりつけて謝る姿はかなり堂に入っている。

 

「いったいどこから盗んできたのです! それもこんなに幼い子を!!」

 

「盗んでなんてないんやー! 起きたらそこにおったんじゃー!」

 

 横島は必死に弁明した。このままでは人攫い、しかもロリコン……いや、ぺドフェリアに認定されてしまう。横島は周りを見渡し、助けを求めたが全員が冷たい目で横島は見つめていた。ヘリオンなどはえぐえぐと泣き出しそうになっている。ちなみにみんな神剣を持っていた。

 

「折檻はいやーーー!! いまほんとに体が痛いんです! これ以上やられたらマジで死んじまうって!」

 

 その言葉を聞いてスピリットの面々はとりあえず神剣を床に置いた。昨日の疲れも残っているのだろうし、守ると決めた翌日に殺してしまうのは、さすがにやばいと感じたようだ。まあギャグ状態の横島を殺せるのかは疑問が残るが。

 

「本当に知らないのですか、ヨコシマ様」

 

「本当っす! マジっす!」

 

 信じて~とお星様が入っている瞳で懇願する横島。セリアはそれを見て、チョップでもしたい衝動に襲われるが、嘘はついてないというのは分かった。

 

「じゃあ、この子はいったいどこの誰で、なんで貴方の部屋に裸でいたのですか」

 

 そう言いながら、この事態が分かっていないだろうニコニコしている幼女を指差す。幼女の外見はさらっとした金色のロングヘアーに、顔はぽやぽや顔のハリオンをさらにぽやぽやにした幼い顔立ちだった。

 

「それは……」

 

 その言葉に横島は唸りながら考えたが、やはりまったく実に覚えもなく分からない。

 

「その子に聞いたほうが早いんじゃないかな」

 

 シアーがおずおずと提案する。

 その提案に一同は確かにと納得した。これ以上なく妥当で、当たり前の考えだ。

 

「君の名前と、どうして俺の部屋にいたのかお兄さんに教えてくれないか」

 

 横島が気味の悪い優しい声で幼女に質問する。幼女はう~んと考え込みながらポンと手を叩き元気いっぱいにこう言った。

 

「わかんない!!」

 

 答える様子は自信に満ち、いまにも褒めてといってもらいたそうだ。結局何も分からない。

 一同が落胆して肩を落とすが、幼女が何かを思い出したような声を上げた。

 

「よく分からないけど……きっと私は生まれたての出来立てだよ!」

 

 その言葉は全員を混沌の渦へと叩き込んだ。セリアは「いつの間に種付けをしたのですかー!」と横島に切りかかり、ヒミカは横島が実は女で、本当に産んだのかと恐怖し、ネリーとシアーは子供の作り方をヘリオンに聞き、ヘリオンは顔を真っ赤にして逃げ出した。

 宿舎の居間は阿鼻叫喚の地獄絵図になったが、いつもマイペースなハリオンは幼女の言ったことが分かったようだ。

 

「なるほど~スピリットさんだったんですか~」

 

 ハリオンの言葉に全員の動きが止まる。

 

「なにを言っているの。スピリットには髪の色や瞳の色に特徴が出るのよ。金色の髪のスピリットなんて聞いたことがないわ。」

 

 スピリットの見分け方は基本的に髪の色か瞳の色で分かる。レッドスピリットなら赤色になるし、グリーンスピリットなら緑色になる。ブルースピリットもブラックスピリットも同じことだ。

 

「例外もあるじゃないですか~。私たちの周りにも彼女がいますし~」

 

「でもこの子がスピリットでいま生まれたばかりなら、教育も受けてないのに会話できるのは変だわ」

 

「きっと発育が良いんですね~」

 

 発育が良いと会話できるのか。

 

 全員の考えが見事にそろう。ハリオンの天然系お姉さんのボケっぷりに一同は冷や汗を流すが、このメンバーでハリオンがもっとも頭の回転が早いといえた。

 幼女がスピリットかどうかを判断する方法を考え出したからだ。

 

「あなたが生まれたとき、近くに剣はありましたか~」

 

 スピリット言う存在は神剣と一緒にどこからともなく生まれてくる。いったい何故、どうして生まれてくるのかは一切不明だ。

 幼女はその言葉を聞くと、トテトテという謎の音を出しながら横島と一緒に寝ていた部屋に走っていった。そして小さめの槍を持ってくる。

 

「お姉ちゃん! きっと『無垢』のことだよね。」

 

 そういって槍型の神剣『無垢』を得意そうに見せ始める。ミニチュアサイズといっても幼女と同じぐらいの大きさはあったが、それを簡単に振り回していた。

 その強力だけで十分スピリットと判断できる。なによりグリーンスピリットの特徴であるシールド・ハイロゥが出現していた。

 

「ほら~やっぱりスピリットじゃないですか~」

 

「……確かにスピリットみたいね」

 

 いつものように笑みを浮かべるハリオンだが、セリアは落ち込んだような声を出した。

 生まれたてのスピリットを痛ましい目で見つめる。

 

(よりにもよって戦争が始まってしまったときに生まれてくるなんて……)

 

 セリアはこの新しく生まれたスピリットの未来を想像して心を痛めた。スピリットに人権など存在しない。戦乱に突入して一人でも戦力を欲しているラキオス王国は、幼くて訓練不足でもスピリットを戦場に駆り出すだろう。

 せめて言葉さえ解らなければ勉強期間を設けてくれただろうが、何故か言葉をちゃんと理解して喋っている。

 暗い顔をするセリアの心中を察したのか、ヒミカが声をかけてきた。

 

「セリア……あの子のこれからを考えているのね?」

 

「ええ、死ぬまで剣を振りつづけるのがスピリットの宿命。分かってはいるけど」

 

 目の前でネリーたちと無邪気に笑いあっている幼きスピリットの姿を見てため息をつく。

 ヒミカはセリアの宿命という言葉に反応した。

 

「スピリットの宿命か、確かに私達には剣を振る以外に道はなかった。でもヨコシマ様がいれば」

 

 何かが変わるかもしれないとヒミカが言う。その声には期待と希望が込められていた。

 

「敵を殺して泣く人間に何かできるというの?」

 

「私は……そういった人間だからこそ何かできると思うわ」

 

 そこまでいうと二人はネリーたちと笑っている横島に目を向ける。スピリットと楽しそうに話している横島の姿に、二人は期待と不安の感情を抱いていた。

 セリアとヒミカがシリアスな会話をしている一方で、子供達は新しいスピリットの名前の話題で盛り上がる。

 

「やっぱりネリーみたいな『くーる』な名前を付けてあげないとね」

 

「ネリーの『くーる』ってどういう意味か分からないの……

 

「え~と、その……ふわーーん! 名前なんてぜんぜん思いつかないですー!」

 

 ネリー、シアー、ヘリオンの三人は新しいスピリットの姉貴分として良い名前を考えようとしているが、なかなか思いつかず四苦八苦していた。

 その様子を新しきスピリットは楽しそうに眺めていた。これから自分の名前が決まることをちゃんと理解しているようだ。

 どんなカッコイイ名前が付けられるのかワクワクしている。

 

「うーん……名前付けるのって意外と難しいもんだな」

 

 横島も色々と考えるが「これだ!」といった名前は考え付かない。

 いつもなら勢いで名前を考え付くのだが、さすがに一生のことなので横島も慎重になっていた。

 

『まあ、主のネーミングセンスでは当然だろうな』

 

 『天秤』の馬鹿にした声に横島がムッとする。もっとも『天秤』の言う通り横島のネーミングセンスはお世辞にも良いとはいえない。サイキック猫騙し、ハンズオブグローリーといったどこか常人では考え付かない名前をつけることがある。

 

(じゃあお前ならどういった名前を付けるんだよ)

 

『そうだな……』

 

『天秤』は自分の知識には自信を持っていた。名前などあっさり考え付くだろうと高をくくる。

 ………それから三分経過。

 

(お~い、『天秤』まだ考え付かないのか?)

 

『…………もう少し待て』

 

 『天秤』は苦しんでいた。『天秤』の知識量は確かに豊富だが、その中に名前の付け方の知識は存在しなかったのだ。

 

 見かけで判断するのなら金色に関することだが、それではあまりに安易と笑われそうな気がする。かといってあまり気取った名前を付けるのも笑われそうだ。

 どうすれば褒められる名前を付けられるのか。承認欲求の強い『天秤』は恥をかくのを酷く恐れる。

 

(くそ、まさかこんな事になるとは)

 

 どうやら『天秤』は想定の範囲外に弱い男らしい。いや、この場合は想定の範囲外に弱い剣と言うべきだろう。考え付かないものは仕方がないとギブアップしようとするが。

 

(なんだ『天秤』、いつも偉そうにしているのに名前のひとつ考え付かないのか)

 

 横島はニヤニヤしながら『天秤』を馬鹿にする。いつも『天秤』には説教されて色々と鬱憤が溜まっていたようだ。ようやく見つけた弱みをここぞとばかりに攻め立てる。

 

(名前を考えるには学が必要らしいからな。まあ仕方ないよな~)

 

『私に学が無いというのか!』

 

(お前に学が無いなんて一言も言ってないぞ)

 

 横島は『天秤』にねちねちと攻め続ける。常に冷静沈着だった『天秤』が感情をあらわに出しているのが横島には新鮮で、面白いものだった。横島にからかわれたと感じた『天秤』はさらに怒りの声を上げる。

 

『だいたい、このスピリットに名前など必要ないだろう!!どうせこのスピリットはすぐに……』

 

(すぐに……なんだよ?)

 

 そこまで言って『天秤』は自分の失言を悟る。

 横島は『天秤』を疑わしげな目で見ていた。

 

(まったく! 何で私がスピリットの名前などで……いや、このスピリットの名前ならば)

 

『主よ、エニという名前はどうだ?』

 

(エニっていったいどういう意味だよ)

 

『意味などどうでも良いではないか。とにかく私は名前を考えたぞ!』

 

 それだけ言うと『天秤』の声がしなくなった。さっさとこの話題から逃げたかったのだろう。『天秤』の思わぬ弱点の発見に笑いがこぼれる。こんど『天秤』の弱点探しをしてみるのもいいかもしれないと横島は思った。

 

 とりあえず名前候補を考えたので、ネリーたちの調子はどうなのか見てみる。すると。

 

「じゃあさ、ネリアーとか良い名前じゃないの。ネリーとシアーとセリアの名前を組み合わせたんだ。きっと三倍すごいんだよ!」

 

「ネリー、その名前がくーるなの? それに三倍すごいって何が?」

 

「この子はグリーンスピリットなんですから~エスペリアと私の名前を組み合わせてエスペリオンなんてどうですか~」

 

「えーと……ファリオンなんてどうでしょうか……」

 

 どうやら名前と名前を組み合わせているようだ。正直なところ芸が無いように思われる。さっきまで自分の名前が決まるのを楽しみにしていた幼女も、気に入った名前がないのか頬を膨らませている。

 

 横島はとりあえず『天秤』の考えた名前を幼女が気に入るか聞いてみようとしたが、その前に幼女が答えを決めたようだ。

 

「う~ん……決めたよ。私の名前!」

 

「やっぱりネリーの考えたネリアーだよね」

 

「お姉さんが考えたエスペリオンですか~」

 

「ファリオンじゃないですよね……」

 

 幼女はその声を聞き、首を横に振る。そして横島を指差す。

 

「私の名前はテンくんが考えてくれたエニにしたよ」

 

(………テンくんってだれ?)

 

 横島を除く全員が首をかしげる。横島はエニが言ったテンくんが『天秤』だと気づいたが、少々おかしいところがある。

 何故『天秤』の考えたエニという名前を知っているのか。横島はまだエニという名前のことを喋ってない。『天秤』の声は横島にしか聞こえないし、横島は『天秤』との会話のときは声を外に出さない。

 どう考えても、エニという名前のことを知ることはできないはずなのだ。

 

「え~と、エニちゃん、テンくんって言うのは『天秤』のことだと思うけど……『天秤』の声が聞こえたのか?」

 

「うん、テンくんが一生懸命考えてくれたんだよね!」

 

 どうやら『天秤』の声を聞いていたのは間違いないようだ。

 

「なあハリオン、確か神剣の声ってのは持ち主以外には聞こえないって聞いたんだけど……」

 

「……そのはずなんですけど~」

 

 どうもこの新しく生まれてきたスピリットは例外が多いようだ。セリアやヒミカが不思議そうにエニを眺めているが、当の本人はネリー達とお喋りをしている。

 

「とりあえず、この子のこれからも考えなくてはいけないので、一度ラキオスに戻りましょう」

 

「おいセリア、俺たちの任務はエルスサーオの防衛だろ。ここを離れて大丈夫なのか?」

 

「私たち、というよりも貴方があれだけ殺し、いえ、撃退したのです。しばらくは攻めて来ないでしょう。それにバーンライトの動向を監視してくれる者もいますから」

 

 セリアは殺しの部分を撃退に言い直した。横島を気遣ってのことだろう。こういう不器用なやさしさは横島の雇用主に近い部分がある。

 この気遣いに心を打たれた横島は。

 

「今なら、今ならあの無愛想で不器用なセリアに飛びかかれる!」

 

 セリアが放つ絶対零度のツンツンオーラのせいで、横島は一度もセリアに飛びかかれてはいなかった。だがいまは-273.15℃の冷気が-263.15℃ぐらいに上がっている気がする。

 大した違いはないような気がするが、それでも物体が動けるようになったのは確かだ。

 

 いける!!

 

 横島は跳躍行動を取ろうとしたが、誰かに背中をつねられた。ヒミカだった。

 

「俺がセリアに飛びかかろうとしたのが分かったのか?」

 

「声がでてましたが」

 

 どうやら「思ってた事をうっかり言っちゃったよ~」というお約束なスキルが発動したらしい。ネリー達はこの先の展開が読めたのか「逃げろー」といいながら一目散に横島から離れていく。その様子がいやに楽しそうで、横島は後でリクェム(ピーマン味の野菜)を食らわせてやると誓った。

 

「ヨコシマ様……誰が無愛想で不器用なんですか?」

 

 とても良い笑顔でセリアが近づいてくる。だが横島はその笑顔の裏に般若を幻視した。

 

「ち、ちがうぞセリア! ついうっかり本音が……ああしまったー!」

 

 どう考えても相手を怒らせようとしているようにしか聞こえない横島の弁明に、セリアの笑顔が引きつっていく。

 『熱病』を握り、背中にはウィング・ハイロゥが出現した。殺る一歩手前だ。

 

「俺が悪かったから折檻は勘弁してーーー!!」

 

 恥も外見もなく必死に謝る横島。すると意外にもセリアは『熱病』を離し、戦闘体制を解除する。さらに般若の顔から無表情になった。

 

「ヨコシマ様、それはご命令ですか? スピリットは命令には逆らえません」

 

 それだけ言うとじっと横島を見つめてくる。その瞳には様々な感情が込められていると感じたが、それが何なのかまでは分からなかった。

 

「その、命令じゃなくてお願いなんだけど」

 

 その言葉にセリアは微笑む。

 

「やはり貴方は普通の人間とは何か違うようですね」

 

 あたりの空気がやわらかくなっていくのを横島は感じた。ひょっとしたらバイオレンスの嵐を回避できたのだろうか。だが現実はそれほど甘くはなかった。

 

「ですが! それはそれ、これはこれです。だれが無愛想で不器用で可愛げがないのですかーー!!」

 

「そ、そこまでいってないぞーー!!」

 

 ギリギリとセリアは横島の背中をつねり上げる。

 横島は痛がっているが、しかしどこか楽しそうだ。あのセリアとやっと自分らしいやり取りが出来たのが嬉しいのだ。

 ヒミカは人間の隊長にスピリットが手を上げるという行為そのものは好ましいと思わない。だが、それでもセリアと横島の距離感が縮まったことは喜んだ。

 

(人間には感情を表に出さなかったセリアが、彼には随分と自分を見せるじゃないの)

 

 いい傾向だとヒミカは思う。セリアは第二詰め所の纏め役といえる存在なのだから、隊長と不仲で良いわけがない。なにより人間不信の激しいセリアが厳密に言えば違うとはいえ、人間と仲良くできるのはスピリットの希望だと感じていた。

 

「勘弁してくれ~~!」

 

「私のことを、無愛想で、不器用で、可愛げがなくて、女っぽくないなどと馬鹿にするからです!」

 

「だーかーらー、そこまで言ってないって。少なくともヒミカよりはずっとスタイルは良くて、女っぽい……はっ!?」

 

 そこまで言って横島は口を手で押さえる。顔には「つい本音を言っちゃった」という表情が如実に現れている。

 ヒミカの笑みがプルプルと震えた。

 

(落ち着け……落ち着け! 私!! 彼は私たちの上官なんだから殴ったり、切ったりなんてしちゃだめよ(朝一番に切りつけたような気もするけど)………なにより本当のことなんだから)

 

 ヒミカは必死に理論武装を固め、上官である人間に反抗しないようにする。彼女はスピリットがこれから変わっていくことを願っていたが、自分自身が変わろうとしているわけではなさそうだった。まだスピリットと言う枠に囚われているのだろう。

 だがスピリットの枠など、

 

「あ~、ヒミカにはボーイッシュな魅力とか、強くて硬そうな魅力とか………」

 

 横島にかかればあっさりと破壊される。

 

「ふ、ふふふふ。強くて硬そうな魅力って……いったいなに?」

 

 とても良い笑顔でヒミカが近づいてくる。だが横島はその笑顔の裏に鬼を幻視した。

 セリアはネリー達に混じって観戦を決め込んだようだ。完全にさっきと同じパターンである。

 

(まずい! このままじゃまた折檻コースだ。……だがそうそう何度も!)

 

 横島は必死にヒミカの怒りを静める方法を考えた。そして出た答えは、

 

 むにゅ。

 

 何故かヒミカの胸を掴むことだった。

 

「っ!!」

 

 あまりにも突然のことで悲鳴ひとつ上げられないヒミカ。

 

「大丈夫だってヒミカ。ちゃんとやわらかい部分もあるし、小さくても需要があるって聞くぞ」

 

 横島の頭の中では体の柔らかい部分を示し、女としての魅力が十分あると伝えたらしかった。さらに煩悩が増幅して霊力の回復にもなる、正に一石二鳥の作戦だと横島の脳内では判断した。

 

「そうですか、ありがとうございます……なんて言うとでも思ったのですかーー!!」

 

 吹き荒れるバイオレンスの嵐。剣閃の熱風の嵐が横島と部屋を破壊していく。突っ込み気質のヒミカはセリアよりも遥かに強烈だ

 その様子をネリーやエニ達はヒーローショーを観戦している子供のように見ていた。しかし、エトランジェとスピリットのヒーローショーに建物は耐えられなかった。

 

 エルスサーオ・スピリット宿舎は崩壊して、横島達はそれを敵スピリットが襲撃してきた所為と嘘を言って難を逃れる事となった。

 

 

 ―ラキオスに向かう途中の道―

 

「ヨコシマ様~大丈夫ですか~」

 

「うう~何とか……」

 

 横島は疲れてふらふらと歩き、それをハリオンに心配されていた。

 あれからセリアに説教され、ヒミカは泣きながら謝られるわで大変だったのだ。

 

「後でセリアとヒミカには色々と言っておきますから~」

 

「問題ないっすよ。俺も悪かったし、特に珍しいことじゃないんで」

 

 元の世界でのハチャメチャに比べれば、この程度どうということはない。

 それに、セリアもヒミカも少しずつ遠慮が無くなって来たみたいで嬉しかった。

 もっと笑顔も怒った顔も見て見たい。あの、能面の美人達のようになってはいけないのだ。

 

「ふふふ~ヨコシマ様は優しいですね~」

 

 ハリオンはそういって横島の頭を撫ではじめる。本来ならここでハリオンに飛びつくべきなのだろうが、ハリオンの手の暖かさに飛びつくのが勿体無いと感じてしまった。少しの間、撫でられていたがハリオンの手が急に止まる。そして顔つきが少しだけ真面目になった。

 

「ヨコシマ様~苦しい時やおかしいな~と思ったときは、まずお姉さんのところに来るんですよ~」

 

「えっ?」

 

「ですから~苦しい時や我慢できない時はお姉さんの所に来てくださいって言ってるんですよ~ヨコシマ様相手なら構いませんから~」

 

 苦しい時とはどのような時を言うのだろう。何か悩みを抱えている時のことを言うのだろうか。だが何かしっくり来なかった。我慢できない時と言うのは、そもそも何が我慢できないときを言うのだろうか。

 正直どういう意味なのいまいち掴めなかったが、美人に気にかけてもらっていると思えば気分は良い。

 

「返事は~」

 

「ういっす!」

 

 返事をするとハリオンは、ぽやぽやの笑みを浮かべて離れていった。

 すると今度は『天秤』の声が聞こえてきた。

 

『ふむ、主は特に悩みがないのか?』

 

(別にないぞ……それがどうしたって言うんだよ)

 

『なに、昨日あれだけ殺しておいて平静を保っているというのは少々予想外でな』

 

 その『天秤』の言葉に横島の足が止まり、体が震える。だがそれは一瞬のことだった。すぐに何事もなかったかのように歩き始める。

 

(『天秤』……俺はアイツが言ってたほど優しい男じゃないんだよ。本当にどうしようもない時は、何かを得るために何かを捨てることだってできるさ)

 

 横島は『天秤』に自分とはどういう人間なのかを語る。いや、『天秤』に聞かせるというよりは自分自身に言い聞かせているようだった。

 

『ならばこれからは普通にスピリットを殺せるわけだな』

 

(どうしようもない時は殺すさ……そしてどうしようもない時なんてもうこないぞ!)

 

『どういうことだ?』

 

(敵のスピリットを殺さず、そして俺たちも死なないようにするんだよ)

 

 今回の戦いは準備も心構えもできていなかったと横島は振り返っていた。

 ただ殺したくない殺したくないと言うだけで、その為にどうするかと全く考えてなかったのだ。

 次は違う。どうすれば殺さずに勝利できるか、対策を練っていく。

 

 横島の言葉に『天秤』は心底呆れた。この世界のことをまだ何も分かっていないのだと。

 

『主よ、いい加減諦めたらどうだ。二兎を追うものは一兎をも得ずという諺が、主の世界であっただろうが』

 

(それは一兎しか追えない奴が、二兎を追おうしたからだろ。ちゃんと二兎を追える準備をしていけば大丈夫ってことだ)

 

 呆れるほどポジティブな横島に『天秤』は深いため息をつく。

 

『そこまで言うからには何か策はあるのだろうな』

 

(まずは情報を集めるさ。正直やりたくない方法なんだが、皆の命が掛かっている状況でモラルなんか考えてられないしな。)

 

 その答えは少しだけ『天秤』を満足させた。個人の感情などを優先させて、部隊を危険に晒すなど、上に立つものとしては最悪だからだ。

 少しずつ効果は現れ始めていると『天秤』は感じていた。

 

『一応は期待させてもらうぞ』

 

(一応は余計じゃ! そうだ、あのスピリットの名前はお前の考えたエニで決まったぞ)

 

『そうか』

 

 どうでもよさそうに『天秤』は答えた。

 

「なんだよ、名付け親のくせに随分と冷たくないか」

 

『名前など相手を呼ぶための記号にすぎん。名前などに執着する必要はないだろう』

 

 その言葉を聞いた横島はニヤリと笑う。『天秤』の言うことは横島の想像通りだった。

 

「そんじゃーこれからお前のことをテンちゃんって言うからな」

 

『……ふざけているのか』

 

 『天秤』のいらだった声を聞き、ますます横島のテンションが上がっていく。いつの間にか心の中で会話するのではなく、声を出していた。

 

「なに言ってんだ、別に名前なんてどうだっていいんだろ。怒ることなんかじゃないだろうが。それにテンちゃんってとても可愛い名前だと思うぞ!」

 

『くっ!』

 

『天秤』の悔しそうな声が実に心地いい。このままからかい続けようと思ったが……

 

「テンくんをいじめちゃだめーー!!」

 

 幼く高い声が響き渡った。

 

「お兄ちゃん!テンくんをいじめたらだめだよ!」

 

『天秤』にとって救いの女神になれるのか、エニちゃんが現れた。

 

「いや、俺は別にいじめてたわけじゃ……」

 

「ほんとうに~」

 

 そういって横島をじっと見つめてくるエニ。横島は妙なプレッシャーに襲われていた。エニの目を見つめていると、不思議と自分が悪人のような気がしてくる。

 そして横島はそのプレッシャーに負けた。

 

「ちょっとだけいじめたかも」

 

「いじめちゃったら謝らないといけないんだよ~」

 

 生まれてまだ一日もたっていない幼女に諭される横島。正直なさけない。

 

「うっ……悪かったな『天秤』」

 

 横島が『天秤』に謝る。だが『天秤』はエニのことが気になるようだった。

 

『お前は私の声が聞こえるのか?』

 

「うん、くっきりと聞こえるんだよ。あと、私はお前じゃなくてエニだよ」

 

 どこか喋り方がおかしい気もするが、神剣である私の声を聞いているのは確かのようだ。少し驚くが、理由はなんとなく想像がついた。

 

(『法皇』様の計らいなのだろうな)

 

 エニを誘導するなら言葉が通じたほうが便利なのはたしかだ。

 

『主よ、エニと遊んだらどうだ』

 

「はっ? いきなりなに言ってんだよ『天秤』」

 

『主は子供が好きなのだろう。ならば遊んで、友情や愛情を育むのが筋というものではないか』

 

 あまりにも真面目に言う『天秤』に横島が唖然とする。ここにきて『天秤』の性格がまったく掴めなくなって来た。思慮深い性格と感じるときもあるし、皮肉屋にも感じるときがある。それでいて妙にむきになる子供っぽい性格のときもあるし、いきなり子供と仲良くしろ言い出す。

 性格に一貫性がないのだ。大人なのか子供なのかさえ分からない。

 横島が『天秤』について考えているとエニが声をかけてきた。

 

「ねえねえ、遊ばないの?」

 

 そう言って横島をじっと見つめる。その様子はロリな人たちだったら、間違いなくお持ち帰りするぐらい可愛いかった。横島がロリでなかったのは幸いだった。

 

「う~ん……いまはちょっとな~」

 

 いまはラキオスに向かって行軍の真っ最中だ。敵の襲撃はないだろうがさすがに遊ぶわけには行かなかった。

 

「お兄ちゃんじゃなくて、テンくんと遊びたいんだよ~」

 

「えっ?」

『なんだと?』

 

 意外な言葉に横島と『天秤』が驚く。だが横島が驚いたのは一瞬で、すぐにニヤリと笑った。

 

「よっしゃ! 出て来い『天秤』!」

 

 横島は右手に『天秤』を出現させる。そして『天秤』をエニに手渡した。

 

『……主、どういうつもりだ』

 

「こんな可愛い女の子が遊びに誘っているんだ。乗らなきゃ男じゃないぞ」

 

『天秤』は頭もないのに頭痛を感じていた。このままでは望む展開にはならないと感じて、なんとかエニを説得しようとする。

 

『お前は「エニだよ!」……エニ、私を誘っても面白いことなど何もな「テンくんは綺麗だね」そうか? ありが……いやいやいや』

 

 どうにもエニに主導権を取られっぱなしだった。すぐそばで主が腹を抱えて笑っているのもどうにも気に食わない。憎しみなどという非生産的な感情が生まれてきそうだった。

 このままでは埒があかないと、もう一度エニに聞いてみることにした。

 

『エニは主と私とどちらと遊びたいのだ』

 

「私はテンくんと一緒に遊びたいよ」

 

 あまりにも直球な返答に『天秤』は何もいえなくなった。

 

(いったいどういうことだ!主は人外の子供に好かれると聞いたぞ。『法皇』様、話が違います!)

 

 『天秤』が心の中で『法皇』なる人物に文句を言う。だが、そんなことはお構いなしに横島とエニは遊びについての話をしていた。

 

「じゃあ、俺たちからあまり離れないこと、危ないことをしないこと、これさえ守れば何したっていいから」

 

「うん。それじゃテンくん、『無垢』も待ってるから色々話そう」

 

そしてエニはぶつぶつ文句を言っている『天秤』をもって走っていった。

 

「一人になっちまったなあ」

 

 いまは横島の周りには誰もいなかった。ラキオスに行軍といっても敵はいないと分かってるし、たとえいたとしても神剣の気配のおかげで奇襲などはまずありえない。そのことを知っているから、全員は特に固まらずに一定の距離を保ったままラキオスを目指していた。

 

 ラキオスに戻ったらやらなければいけないことは多い。『天秤』には二兎を追える準備をしていけば大丈夫と言った。自分がやらなければならない準備と。

 

「まずはレスティーナ王女。次は高嶺悠人か……」

 

 そこまで言って横島はため息をつく。正直ほめられたやり方ではない。だが捨てるべきものをしっかりと把握して、捨てていかないといざというときに本当に大切なものを捨てなければいけなくなる。

 周りを見れば守らなければいけない女性だらけだった。

 そして敵スピリットたちでさえ、横島は守りたかった。

 無茶は承知の上だ。だがそれでもやるしかない。

 横島は空を見る。いや空ではない、この世界を見ているのだ。

 世界はまるで横島をあざ笑っているように感じた。

 横島は負けじと世界を睨みつける。

 

「ぜったいに……誰も死なせんからな」

 

 誓いというよりも、どこか呪詛めいた言葉が有限世界に響いた。

 

 



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第六話 日常と策謀

 一点の光さえ差し込まない暗闇。

 物語の黒幕がよく密談しているような空間。

 つまり、どう考えても会話するには向いてない場所だ。

 そんな場所に、一人の幼女と一本の日本刀が浮いていた。

 

「では『天秤』……どういうことか説明してくださいね」

 

『はっ!』

 

 どこか緊張したような『天秤』の声が響く。彼らの雰囲気は上司と部下のそれだった。

 

『先に送られてきたスピリットは、エニと名づけられました。現在はラキオスにて訓練を行うところです』

 

「名づけられた……ですか? 貴方が名づけたと思ったのですが?」

 

 幼女の声を穏やかそのものだったが、どこか棘があった。

 なにより幼女の纏っている気は物理的な圧力すら持っているようだ。

 

『い、いえ。名づけようと思って、名づけたわけでは』

 

「そのことに関しての説明を求めているのではありません。どうして貴方が贄であるスピリットと仲を深めているのかを説明をしてほしいのです」

 

 幼女の言葉に『天秤』は黙り込んだ。答えようがない、というよりも、『天秤』自身も何故エニが慕ってくるのか教えてほしいくらいだった。

 

『申し訳ありません。すべて私の力量不足です』

 

 下手な言い訳はするものではないと判断した『天秤』は、単純に謝るという決断を取る。もしも、目の前にいる存在の機嫌を損ねれば自分など一瞬で消されてしまう事を『天秤』は理解していた。

 幼女は『天秤』の言葉に少し顔を歪めたが、すぐに表情を戻す。

 

「まあ、これから彼と贄の仲を深めていけばいいのです。貴方の声を、贄が聞くことができるよう調整まで行ったのですから大丈夫でしょう。しっかり誘導してくださいね『天秤』」

 

 『天秤』はその言葉に安心する。とりあえず何らかの処分はないようだ。

 ここで『天秤』はある疑問を聞いてみることにした。

 

『お教え願いたいことがあります。あの者への贄ならば、あのような幼子ではなく、成熟したスピリットを使うべきだと愚考します。いったいどのような意図があって、あのスピリットにしたのでしょう』

 

 幼女は『天秤』の質問を聞き、視線を空中に漂わせる。幼い容姿とは思えないほどの威圧感があった幼女だったが、まるで歳相応の普通の女の子のようになった。

 

「それは……彼の趣味……というよりも性癖の矯正……といいますか……」

 

 その声は小さく、歯切れが悪かった。

 よく聞き取れなかった『天秤』はなんと言ったのか、もう一度たずねようとしたが、

 

「とにかく! 貴方の頭脳程度では及びもつかないほどの理由があるのです。第五位程度の神剣が口を出す問題ではないのですわ」

 

 幼女は『天秤』の質問をはぐらかした。だが『天秤』は別に不満を持つことはない。目の前の存在の言うことに間違いはなく、絶対に正しいと確信しているからだ。

 

『はっ、分かりました。今後も贄と主の仲を深めていくよう死力を尽くしていきます』

 

「それで良いのですわ。………それと『天秤』、あまりうかつな言動は慎んでくださいね」

 

『うかつな言動……ですか?』

 

「そうです。貴方のせいではないと思いますが……彼は私たちのような存在に気付く可能性があります」

 

『なっ!』

 

『天秤』は驚愕する。正直なところ、『天秤』は横島を馬鹿にしていた。確かに戦闘能力は高そうだが、頭のほうは知識や知恵の問題以前に、感情に流されすぎだと判断していた。

そんな横島がどうして我々の存在に気付こうとしているのだろう。そんな素振りは微塵も感じなかったのだが。

 

『あの者が我々に気付くような行動などありましたか?』

 

「ええ、私が何時ものように彼をストーキング……ではなく、監視をしていたのですが……彼に睨まれてしまいましたわ」

 

『本当ですか!?』

 

「まあ、私を睨んだというよりも、私たちが干渉している世界自体を睨んだと言ったほうがいいでしょうね。ですが、どこかで我らの存在を察知しているのでしょう」

 

 『法皇』の言葉に、『天秤』は少し緩みかけていた気持ちを引き締めた。横島は普段あまりにも馬鹿に見えるので、少々甘く見ていたのかも知れない。

 『法皇』様から植え付けられた知識でも、馬鹿をやり、ギャグをやり、相手を油断させてペースを乱すという戦術を得意としていたようだ。

 自分も横島の術中に嵌っているのかも知れないと考え、気合を入れなおす。

 

『分かりました! 今後、よりいっそう精進してあの者の誘導を行います!』

 

「そ、そうですわね。期待してますよ、『天秤』」

 

 妙に張り切った声を上げる『天秤』に、幼女を少し引き気味だ。

 そして掛け声と共に、『天秤』の姿がその場から消えた。

 

「まったく、馬鹿正直と言いますか、単純と言いますか。彼の者から得た知識によって繰り返した実験の影響でもあるのかもしれませんわね」

 

 『天秤』がいなくなり、暗闇に一人になった幼女が呆れた声を出す。『天秤』は彼女が持つ神剣のコレクションの一つだった。

 『天秤』は普通の神剣とは違い、特殊な実験をされて強化された、新しいタイプの神剣である。素直で絶対的な忠誠心は良いのだが、頭が堅い所があり、そこだけが短所のようだ。まあ、そうでなくては困るのだが。

 これから『天秤』がどうなっていくのかは見当がつかない。ただ、調整は完璧であり、何が起ころうと最後に行き着く先は分かっていた。

 

「しかし……」

 

 幼女はもう一度、横島のことを思い浮かべる。世界を睨んだときの憎しみと、絶対に負けないと希望を込めた目をしていた。

 あの希望に満ちた目が絶望に変わったとき、いったい、どのように泣き叫ぶのだろうか。

そう考えただけで、体が熱く火照ってくる。

 

 幼女は熱くなった体を慰めるように秘部に手を当てる。

 

「ああ、早く私の元へ……」

 

 暗闇の世界で淫らな音が鳴り響いた……

 

 

 永遠の煩悩者

 

 第六話 日常と策謀

 

 

 ―第二詰め所―

 

 

「こらネリー! それは俺の分の飯だろーが!」

「へへん、早い者勝ちだよヨコシマ様」

「二人とも、もう少し落ち着いて食べなさい!」

「ヨフアル……甘いの」

「シアー、お菓子は食事が終わってからにしなさい!」

「ヨ、ヨコシマ様は食べ物の中では何が好きですか! 作ります! 私が! 甘くておいしいです!」

「ヘリオン……もう少し落ち着いて」

「セリアお姉ちゃん、『無垢』やテンくんの分のご飯がないよ~」

「神剣はご飯なんか食べません!」

「セリアさ~ん」

「今度はなに! ハリオン!」

「おかわりお願いします~」

「貴女は何でそんなにマイペースなの!」

「セリア」

「ヒミカまで何!?」

「もう少し落ち着いたら?」

「……うぐぐ」

 

 横島達がラキオスに帰ってきて二日が経っていた。今のところバーンライトに動きはない。

 彼らは第二詰め所で招集がかかるのを待つ日々を送っている。血が流れる訓練はあるものの、賑やかな毎日だった。

 横島としては、こんな可愛い女の子達と同じ屋根の下で生活できるだけで最高と言えよう。

 

「まったく、ヨコシマ様が来てからのんびりと食事も取れなくなったわ!」

 

 にぎやかな食事が終わり、セリアとヒミカは台所で食事の後片付けをしていた。

 セリアが手に持った食器を洗いながら、ぶちぶちと文句を言う。

 

 スピリット達は炊事や洗濯など家事全般はすべて自分達でやることになっている。家事などの時間以外は訓練に時間を費やすのが一般的だ。

 ちなみにラキオスの家事は当番制で、食事を作れるスピリットは優先的に食事当番が多くなる。

 

「別にヨコシマ様だけが騒がしいわけじゃないでしょ。彼が来てから不思議と皆がよく喋るようになったのよ」

 

 ヒミカも食器を洗いながら、横島を弁護する。横島をなんだかんだと非難するセリアをなだめるのが、ここ最近のヒミカの日常である。ちなみに、横島のボケに突っ込みを入れるのが一番多いのもヒミカだったりする。

 ヒミカが横島を庇うのが面白くないセリアは、横島から話題を変えようとするが、

 

「そういえば子供達はどうしてるの?」

 

「ヘリオンは自主訓練みたいだけど……ほかの子達はなんでもハイペリアの遊びを教えてもらうって、訓練が始まるまでヨコシマ様と遊ぶみたいね」

 

 その言葉にセリアの顔に青筋が浮かぶ。話題を横島から変えようとしたのに、結局また話に横島が出てきてしまった。なんでいちいち話の中に入ってこようとするのだろうかと心の中で愚痴を言うが、今回は横島のせいではないだろう。

 

「まったく、ヨコシマ様、ヨコシマ様ってみんな彼のことばかり話しているわね」

 

「仕方ないじゃない。女性だらけの場所にいきなり男の人が入ってきたのよ。話題にならないほうがおかしいわよ」

 

 セリアは口を開けばなにかと横島の悪口を言っていた。彼女はまだ横島のことを信頼しているわけではない。それに横島を見ていると意味もなく胸がもやもやしてくるのだ。

 

「それはそうかもしれないけど……ってどうしたのよ、ヒミカ」

 

 気づくとヒミカが自分のほうをじっと見ていた。

 その表情は楽しそうでもあり、嬉しそうでもある。

 

「気づいてないの? 貴女だってここ最近ヨコシマ様の話題ばかりじゃない」

 

 ヒミカの言葉にセリアは一瞬言葉に詰まるが、すぐに顔を真っ赤にして怒りだす。

 

「私は別に彼を慕っているわけじゃない! あんなふざけている人なんて大嫌いよ!」

 

 セリアの言葉に嘘はないのだろう。表情と態度から横島のことが嫌いだということは確かに分かる。だが、セリアのことを良く知っているヒミカからすれば、これほど感情を剥き出しにすることが珍しいのだ。

 

(好きの反対は嫌いではなく無関心。自分自身でも気づいてないだろうけど、貴女だって彼には期待しているはずよ)

 

 あのクールなセリアの感情を容易に引き出す横島に、ヒミカは期待していた。抱く感情が憎しみや苛立ちだとしても、強い思いは神剣に心を飲まれにくくする。

 横島なら、神剣に飲まれかかっている自分の友人の心を救い出してくれるのではないかと思っていた。

 確か彼女は今日にでもラキオスに配属されるはずだ。ヒミカは期待に胸を躍らせて、自然と食器洗いに力が入る。

 その様子が面白くないセリアは、ヒミカにとって禁句を言い放つ。

 

「油断して、また、その小さい胸を触られても知らないわよ」

 

 次の瞬間、台所から皿の割れる音と怒鳴り声が響いた。

 

 セリアとヒミカが食事の後片付けをしている間、ネリーを始めとする子供たちは第二詰め所の庭で、横島に日本の遊びを教わっていた。

 

「だーるーまーさんが……ころんだ!」

 

「わわわ!」

 

「えへへ、ネリーが動いたからシアーの勝ち~」

 

 だるまさんが転んだ。

 日本に古くからある伝統ある遊びである。

 

 横島は訓練が始まるまで、子供たちに遊びを教えるようにしていた。自分たちを兵器であると考え、それに微塵の疑いを持たないスピリット達に、遊びを通して道徳教育をさせようという、横島にしては妙に頭を使った教育法である。

 横島自身も子供は結構好きだし、遊ぶことも好きなので横島も楽しんでいた。

 

「ヨコシマ様ー! やっぱりネリーは体を動かすほうがいいよー。もう一回鬼ごっこしようよ」

 

「だめだ! おまえら捕まえようとすると飛んで逃げるだろうが!」

 

「別に飛んじゃだめだなんて、ヨコシマ様が教えてくれたルールになかったじゃない」

 

 子供との遊びで熱中できるのは、横島の長所の一つである。彼は基本的に子供にやさしく、煩悩も出さないので、子供達からは好青年という横島らしからぬ評価をもらっていた。

 

「さあ、ヨコシマ様。鬼ごっこしようよ」

 

 ネリーはうきうきと横島に鬼ごっこの催促をしてくるが、横島としては勘弁して欲しかった。

 

(このままじゃ身が持たないな)

 

 ネリーたち、スピリットの身体能力の高さは半端ではない。横島たちの世界で言うなら、スピードだけなら超加速なしの小竜姫に匹敵するものがある。当然ながら神剣の加護を得てのことだが、正直なところスピリットと遊ぶのは非常に疲れるのだ。

 

 何かいい方法はないかと考えていると、足元に木片が落ちているのに気づく。横島の頭の上にピコーンと電球が光った。

 その場にあった手ごろな木片をハンズオブグローリーで削りはじめる。

 

「なにやっているの、ヨコシマ様?」

 

「ちょっと遊び道具を作っているんだ」

 

 軽快にハンズオブグローリーで器用に木片を削り取っていく。横島自身は気づいていないが、霊力を彫刻刀のように形状を変化させていた。よく分からないところで進化する男だ。

 さっきまで鬼ごっこと叫んでいたネリーも何ができるのだろうと興味津々に見つめる。

 そして、出来たものは。

 

「た~け~と~ん~ぼ~」

 

 某タヌキ型ロボットのように間延びした声を上げる横島。子供達は見たことのない物体に目を光らせる。

 

「ヨコシマ様、たけとんぼって?」

 

 内気なシアーが珍しく率先して質問してきた。

 横島は待ってましたとばかりに竹とんぼの説明を嬉々として行おうとする。どこぞの科学者は自分の作り上げたメカを相手に説明するときこそ、科学者の浪漫と言っていたが、その気分が良く分かる。

 だが、そういうときに横から口を出されるのが世の常だ。

 

「え~とね、竹とんぼは~真ん中の棒をぐるんと回すと、ひゅーんって飛んでいくんだよ!」

 

 何故か説明をしたのはエニだった。

 

「へぇー! ヨコシマ様、竹とんぼ貸して!」

 

「……あ、ああ」

 

 ネリーが竹とんぼをせがんでくるので、横島はネリーに竹とんぼを手渡す。

 ネリーとシアーとエニが竹とんぼを飛ばそうとするが、竹とんぼは一本しかない。必然的に竹とんぼの争奪戦が起こる。

 

 子供同士のおもちゃの所有権をめぐっての争い。それに一番に負けたのは、やはり内気なシアーだった。「お姉ちゃんに任せなさい!」というネリーの一言ですごすごと引き下がってしまった。

 

「ヨコシマ様……もう一つ作って欲しいの……」

 

 シアーは肩を落とし、横島のところにやってきて、瞳を潤ませながらか細い声でお願いする。その反則的なまでの可愛さに二つ返事で引き受けそうになるが、それではだめだとぐっとこらえる。

 

「自分で作ってみたらどうだ。少し難しそうだけど、神剣を使えばできそうだろ」

 

「……無理だよ。神剣は殺すためものだし……私はスピリットだから」

 

 スピリットだから無理。

 横島からすれば、「ふーん……スピリットなんだ、だから何?」という感覚なのだが、ずっとスピリットは兵器だと教えられてきたスピリットに、ただ口でスピリットは兵器じゃないといっても理解はできないだろう。実際、今まで何を言ってもピンと来ていないようである。

 だからこそ、自分たちは剣を振るだけの兵器じゃなく、何かを作り上げる事もできると実践的に教えたかった。

 

「大丈夫だって!」

 

「あっ……」

 

 横島はシアーの背中にかけてあった神剣『孤独』を取ると、それで木片を削り始めた。シアーはその様子をじっと眺める。横島は少し木片を削ると、それをシアーに放り投げた。

 

「きゃっ! ヨコシマ様?」

 

「そんなに作ってみたいって顔をするなら自分で作れって」

 

「でも……」

 

「別に怒るやつもいないし、作ってみたいんだろ?」

 

「……うん!」

 

 シアーは横島から『孤独』を受け取ると、地面に座り込み、横島が途中まで削った木片を削り始めた。頭の中で竹とんぼの形を思い浮かべ、大型の西洋剣である『孤独』で苦労しながら木片を削り始める。

 その目は爛々と輝き、表情は生き生きとし、真剣そのものといった空気を出す。これこそ子供が遊ぶときの顔だろう。

 

 ネリーもシアーも本当に楽しそうに遊んでいる。こんな子供が殺し合いをするなんて横島には信じられなかった。改めてこの世界の歪みを感じることができる。

 そして、エニは。

 

 エニも竹とんぼを回し、楽しそうに遊んでいた。だが、横島はエニを見て顔を歪める。

 

(やっぱ……なんかあるんだろうな)

 

 『天秤』の声が聞こえることから普通ではないことは分かっていた。だが今回のことで間違いなく何かあるのは確信できた。

 今回のこと、それは。

 

 何故、エニが竹とんぼの存在を知っているのかということ。

 

 竹とんぼは日本の遊び道具である。エニが知っているはずがないのだ。竹とんぼのような遊び道具がこの世界に存在するという可能性もある。

 だが、竹とんぼという言葉は間違いなく固有名詞。

 なにをどう考えても、エニが竹とんぼという名称を知っているはずがない。

 

 一体どういうことなんだろう。

 

 横島が頭を抱え唸りながら考えていると、『天秤』の声が聞こえてきた。

 

『主よ、そう悩むことではない』

 

「どういうことだよ、『天秤』」

 

『この前、エニと遊んだときに竹とんぼという物の形状と性能を教えておいたのだ。ゆえにエニは竹とんぼを知っている。それだけのことだ』

 

 『天秤』の言葉にとりあえず納得しようとするが、その時エニが竹とんぼを知っていた以上の違和感が横島を襲う。

 何かが変だ。何かが違う。だが、その何かが分からない。

 まるで背中に氷柱を突っ込まれたような不気味な感覚が横島を包み込む。『天秤』と話しているとたびたび襲われるこの感覚。

 今回の違和感は今まででも一番気持ち悪いものだった。マジックの種が目の前にあるにも関わらずそれが分からない。というよりも認識できないような気持ち悪さ。

 そもそもが異常なのだ。だが、そのそもそも自体が理解できない。

 エ二のときは。

 それなのに『天秤』のときは。

 

 異常だというのは分かるのに、何が異常なのか分からないという異常事態に横島の混乱した。思考がおかしい。気持ち悪い。

 

「きゃん!」

 

 可愛い悲鳴が突然当たりに響き渡る。その悲鳴に横島は思考の渦から切り離された。

 

「うぅ~痛いですぅ~」

 

 見るとハリオンが頭を抑えて痛がっている。どうやら空高く舞い上がった竹とんぼがハリオンの頭に落ちてきたらしい。

 

「ハリオンお姉ちゃんごめんなさい」

 

「ごめんなさい」

 

 竹とんぼを飛ばしたネリーとエニが頭を下げてハリオンに謝る。ハリオンは大丈夫ですよ~とにこやかに笑いながら二人を許し、自分の頭の上に落ちてきたものを見た。そしてハリオンは竹とんぼを見るとなかなかに危険な台詞を放つ。

 

「ん~、きっとこれを頭に付けたら空を自由に飛べるんですよね~」

 

「いや、そんな某タヌキ型ロボットのポケットから出てくるようなものじゃないんで」

 

「そうなんですか~残念ですぅ~」

 

 本当に残念そうに言うハリオンに横島は冷や汗を流す。今度の冷や汗は気持ち悪いものではなく、別な意味ではらはらどきどきしたものだった。

 ハリオンは竹とんぼをネリー達に渡すと地面に座り込んで、何かをしているシアーに興味を引かれた。

 

「シア~何やっているんですか~」

 

「作ってるの」

 

 シアーは慣れない手つきで自分の永遠神剣『孤独』を使って木片を削っていた。しかし、大型の西洋剣である『孤独』で木片を削っていくのはかなり大変そうだった。

 うんしょこらしょと懸命な手つきで木片を削り、自分の手で遊び道具を作ろうとしているシアーにハリオンの顔が綻ぶ。

 

「ハリオン、どうしたんだ。急に笑って」

 

「いえいえ~私はいつも笑ってますから~」

 

 自分で言うことじゃないだろうと横島は思ったが、事実その通りだ。ぼけぼけお姉さんのやることにいちいち突っ込みを入れてたら日が暮れてしまう。

 

「何か用があってきたんだと思うんすけど」

 

「そうでした~なんでも城から呼び出しが会ったようで~ユート様がヨコシマ様を呼びに来たはずなんですけど~」

 

「悠人が? 見てないけどなー」

 

「ユート様なら、さっき森の中に入っていったよ。ただなにか苦しそうにしてたけどー」

 

 神経を集中させると、確かに森の中から神剣の反応を感じることができる。

 

「しゃーねえな。ちょっと行ってみるか」

 

「気をつけてくださいね~」

 

 気の抜ける声を背に浴びながら、横島は悠人を探しに森の中に入っていった。

 

(何でこんな森の中にいるんだ?)

 

 神剣の反応は間違いなく悠人のものだろう。スピリットの神剣とは比べ物にならないほど巨大な反応を感じていた。草木をかき分け、悠人の神剣反応がある場所に到着する。

そこには確かに悠人がいたが……

 

「がっ、ごっ、おおお!!」

 

 悠人は地面にはいつくばり、苦しみの声を上げていた。その苦しみ方は尋常ではない。

 体は小刻み震わせて、口からは「痛い、苦しい」などの言葉ではなく、くぐもれた嗚咽だけが自分の意思とは関係なく漏れているといった感じだった。

 

 いったい何故こんなにも苦しんでいるのかは定かではないが、その苦しみようは見るに堪えなかった。これは下手すると死んでしまうのではないか。

 慌てて文珠を出現させ「癒」の文珠でも使おうした時、『天秤』の声が頭に響く。

 

『主、この苦しみ方は神剣の干渉だろう』

 

(神剣の干渉……そんなんでどうしてこんなにも苦しむんだ。痛みや苦しみが起こるのは王家の人間に逆らった時だけじゃなかったのか?)

 

『王家の人間に害しよう時に起こるのは神剣の干渉といっても強制力だ。神剣の意思で苦しめているわけではない。今、この者を苦しめているのはマナを奪おうとする神剣の意思だな』

 

「マナを奪う……」

 

 横島は噛みしめるように言う。マナを奪うという言葉は、夢の中で幾度も繰り返されている言葉だった。

 

『マナを求めるのは神剣の本能だ。この者の神剣である『求め』がマナを奪うためにこのエトランジェに苦痛を与え、操ろうとしているのだろう』

 

「もし悠人が苦痛に耐え切れなかったら……」

 

『おそらく『求め』に精神を乗っ取られて、スピリットや主のようなエトランジェからマナを奪おうとするだろうな』

 

 スピリットやエトランジェの体はマナそのもので構成されている。マナを奪われれば命に関わる。よしんば死ななかったとしても、精神に障害が出るのは避けられない。もし悠人が『求め』に屈すれば、悠人に逆らえないスピリット達は屈辱をその身に受けて心を失うのだ。

 

 横島と『天秤』との会話中にも悠人はうめき声を上げて苦しんでいた。横島はすぐにでも文珠を使い、悠人の痛みを取り除いてやりたかった。なにより、悠人が痛みに屈すればスピリット達だって危ないのだ。

 しかし。

 

「『天秤』、この干渉ってやつは一度で済むことはないよな?」

 

『当然だろう。『求め』がマナを求め、このエトランジェがそれに抵抗する限り何度でも起こるはずだ』

 

 『天秤』の言葉に横島は奥歯をかみ締めた。文珠で苦しみを取り除いたとしても、それは一時的なものに過ぎない。

 先ほど、文珠を使おうとは思ったが、よくよく考えるとそう簡単に文珠を使うわけにはいかない。文珠がたくさんあれば使ってもいいかもしれないが、今もっているのはたったの二個。なにより文珠の使うべきところはすでに決めてある。

 横島はどうしたものかと考え込む。そうして出した答えは。

 

「おい『天秤』。出て来い」

 

 横島は『天秤』を右手に出現させる。

 

『どうするつもりだ、主よ』

 

 いぶかしむ『天秤』の声。

 

「保険だ。いざってときのな」

 

 そして横島は悠人に向かって大声で喋り始める。

 

「おい悠人。そんな剣に負けんな!」

 

 横島の取った作戦は激励というシンプルなものであった。実際、文珠を抜かせばこれぐらいしかやれることは無いのだろう。

 

「横島……ぐうっ!」

 

 だが悠人は、横島の言葉に少し反応しただけで、特に効果が無いようだ。

 相も変わらず悠人は獣のような唸り声を上げ、地面に手を叩きつけ苦しんでいる。

 

 激励が効かなかったが、横島は特に慌てない。そもそも男を激励するなど自分の趣味ではないし、悠人だって男から激励されても嬉しくないはずだ。激励がだめなら、やはり挑発だろう。

 

「おいシスコン! お前がここで倒れたら、佳織ちゃんはいったいどうなる!」

 

 横島が佳織と言った瞬間、虚ろだった悠人の目にわずかな光が灯り、足に力を入れて立ち上がろうとする。だが、

 

「か、佳織……ぐううっっ!!」

 

 すぐに苦しみの声を上げ、地面に倒れ付した。

 しかし、横島が激励するよりはずっと効果がありそうである。

 

「どうしたシスコン! そんなことじゃシスコンの名が泣くぞ!」

 

「だ、だれがシスコンだ! くそ!」

 

 相変わらず苦しそうだが、目に光が宿り必死に痛みに耐え、体を起こそうとする。横島は悠人の妹である佳織にはあったことがなく、名前しか聞いてないが、少なくとも悠人が佳織を溺愛しているのは間違いないと分かった。

 

「まあ立ち上がれないなら仕方ないよな。佳織ちゃんは俺が責任を持って幸せにするから安心して寝転がってろ」

 

 シスコンの兄ならばこの言葉に反応しないわけがないと横島は考えていた。そして横島の考えどおり、悠人は立ち上がる。

 

「だれが……貴様なんかに佳織を!!」

 

 体を震わせながら、歯を食いしばり、固く握り締められた手からは血を流しながら、鬼のような形相で横島を睨みつけてきた。

 その形相は横島の体が震えるほどの鬼気を発する。痛みに耐えてるからとはいえ、その目つきは少し異常だった。ちょっと言い過ぎたかなと後悔するが、もう遅い。

 

「俺の佳織に手を……だすなーーー!!」

 

「その台詞はまじでやばいぞ!」

 

「うるさい!!」

 

 悠人にはいまだに『求め』からの干渉を受けていたが、そのような痛みなど持ち前の妹への愛の力で乗り越えたようだ。ああ、すばらしきはシスコンパワー。

 

「おい、バカ剣、こいつに天誅を与える力をよこしやがれ!」

 

『契約者よ……馬鹿をやっている暇があったら、我にマナを……』

 

「佳織を守ることの、どこが馬鹿だ!」

 

 悠人の言葉に『求め』が黙り込む。マナを奪うための激痛がシスコンパワーで乗り越えられたのがショックだったらしい。

 

『興が冷めた』

 

 それだけ言うと、『求め』は悠人への干渉をやめた。

 『求め』の干渉がなくなり、悠人は気が抜けたのか、その場に腰を下ろす。

 

 とりあえずひと段落ついた様子なので、横島はなんで挑発めいた発言をしたのか説明しようとするが。

 

「おい、悠人。さっきの佳織ちゃん云々はお前を助けるために……」

 

「変態が佳織に近づくんじゃねえ!!」

 

「だれが変態じゃー!! このシスコンが!!」

 

 いまだ興奮冷めやらぬ悠人が横島に掴み掛かり、取っ組み合う。

 今まさに、変態とシスコン、いったいどちらが強いのか世紀の戦いが始まった。

 

 そしてあっさりと、十分後。

 

「俺たち……いったいなにやってるんだろな」

 

「お前が飛び掛ってくるからだろうが……」

 

 互いに体のあちらこちらに傷をつけながら、男同士のどーしようもない不毛な戦いが終わった。悠人は横島の必死さから、とりあえず佳織に手を出してくることは無いと判断したようだ。

 

「悪い、ちょっと知り合いのロリコンと少し声が似てたもんだから」

 

「どういう理屈だよ。俺の守備範囲は同い年か年上だっての」

 

 横島の言葉に悠人がほっとした顔をする。その様子を見て、横島は間違いなく悠人は重度のシスコンだと確信した。

 

「しかし、悠人。お前だいじょうぶか? さっきの様子は半端じゃなかったぞ」

 

 悠人の神剣である永遠神剣第四位『求め』。それの干渉と戦っていた悠人の苦しみようは壮絶なものだった。

 男の心配などめったにしない自分が、心配をしてしまったくらいだ。見ているほうまで苦しくなりそうな痛みなどそうはないだろう。

 横島の言葉に悠人は苦笑いを浮かべる。

 

「実際かなりきついさ。こんなバカ剣なんて捨てたいんだけど……そういうわけにもいかないしな」

 

 これから始まる戦いにおいて、神剣の力は必要不可欠だろう。なんといっても、元の世界で戦闘能力だけならトップクラスの横島でも、神剣の加護なしではスピリットの相手をするのは不可能に近いのだ。

 ただの高校生だった悠人では神剣を使わねば戦いにもならないだろう。

 

「横島の方だってどうなんだ、お前も神剣の干渉には苦しんでいるんだろ」

 

「いや、俺のほうは特には……」

 

「なんだって!!」

 

 横島の言葉に悠人が驚く。そして、握っている『求め』を睨み付けた。

 悠人はマナを求めるのは神剣の本能だと『求め』が言っていたので、半ば仕方ないと考えていたのだが、横島の言葉で『求め』への怒りが一気に膨れ上がる。

 

 横島は横島で、『天秤』が突然、苦痛を与えてきて体を乗っ取ってくるかと考えると、そら恐ろしさを感じた。ラキオス王に『天秤』を向けたときの痛みがまた来るのではないかと思うと背筋が寒くなる。

 

(おい『天秤』、お前はマナを奪うために俺に激痛を与えて俺の体を乗っ取ろうしたりはしないのか)

 

『何を言っている。私は主のパートナーだぞ。パートナーを苦しめることなど私にできるわけがないではないか』

 

 『天秤』の声は恐ろしいほど胡散臭かった。あまりの胡散臭さにかえって本当なのかと考えてしまいそうなくらいだった。

 まあ、とりあえず激痛を与える気はないらしいので、今のところは安心といったところだろう。あの激痛は耐えられるものではないと思う。

 

 横島は神剣が強制力の発揮したときの痛みを改めて思い出し、体からねっとりとした汗が噴出してくるのを感じた。ただの高校生だったはずの悠人が本当にあの痛みに耐えられるものなのだろうか不安になる。

 

「なあ、悠人。お前は本当に大丈夫なのか。あんなのが何度も続いたら……」

 

「……大丈夫だ。佳織の為だったら俺は何だって耐えられる。どんな事だってしてみせる!!」

 

 本当に妹を愛しているのだろう。その声には揺るぎのない自信と決意を感じることができる。おそらく、悠人は自分の命と佳織の命のどちらかしか助けられない事態になったら、迷わず佳織の命を選択するだろう。

 

 だが、横島は悠人の台詞と目を見て、顔をしかめた。妹思いの良き兄、それが高嶺悠人という人物であることには間違いない。

 しかし、それが横島には不安だった。

 

(それは妹のためにすべてのものを投げ出すことができるってことなのかよ。もしそうなら)

 

 ――――――俺はお前を

 

「おい横島、なにぼーっとしてる。城から呼び出しが掛かっているらしいから、さっさと行くぞ」

 

「……ああわかっ……あ、悪いちょっと待ってくれ」

 

 横島はこれからやろうとしていることに対して、邪魔者がいることに気づいてしまった。万が一ということもあるので、少し遠くに行ってもらうことにする。

 

(『天秤』、お前がいるとちょっと邪魔なんだ。少し遠くに行ってくれ)

 

『なに? どういうことだ』

 

 『天秤』が疑問の声を上げるが、それを無視して、横島は『天秤』を肩にかけ、槍の投擲のような体制をとる。

 そして。

 

「どっせえええい!!」

 

 掛け声とともに『天秤』を空中にぶん投げた。

 

『なにいいいい!!!』

 

 驚愕の声とともに、『天秤』は空のお星様になった。

 横島は飛んだ飛んだと手をぱっぱっと払い、満足げな様子だ。悠人は口をあんぐりと開け、『天秤』が飛んでいったほうを見ている。

 

「よ、横島、いったい何やって……」

 

「スキンシップだ!!」

 

 力強く言う横島に絶句する悠人。頭に中でスキンシップの定義についてもう一度考え直す。

 

「おら、城から呼び出しが出ているんだろ。さっさと行くぞ」

 

「お、おい! もし神剣がなくなったらやばいんじゃないか!」

 

「大丈夫だって。恋人がきっと助けるだろうから」

 

「恋人ってなんだよ」

 

「いいから、さっさと行くぞ」

 

 いまだ納得できない表情をしていた悠人を尻目に、横島はさっさと城に向かって歩いていく。そんな横島を悠人は慌てて追いかけていった。

 

 ―王宮―

 

「来ましたか、エトランジェよ」

 

 玉座の間にはレスティーナ王女が悠然と立っていた。ラキオス王の姿がその場に無いせいなのかもしれないが、その姿は王女ではなく女王といってもよいぐらいの雰囲気を持っている。

 

 悠人と横島はその場でひざまづく。

 悠人のほうは当然のように王族に良い印象を持っていなかった。ただ、レスティーナ王女は佳織を保護していて、乱暴なことをされてはいないとオルファから聞かされていた為、ラキオス王よりはまだましといった程度の印象である。

 

 横島のほうはラキオス王には敵意を持っているが、レスティーナ王女には特に敵意などは持っていない。直接なにかされたわけではないし、なにより美人だからだ。

 

「このたびの龍退治、ならびにバーンライトの侵略を防いだこと。見事でありました。今後も我がラキオスの為にその力を振るうのです」

 

「はっ、これからも俺の力をラキオスの為に振るうことを誓います」

 

 そう言って悠人はレスティーナに頭を下げる。だが悠人は頭を下げたとき、顔を見られないようにしながら、怒りと憎しみに満ちた表情をしていた。

 

(お前達の為に戦ったわけじゃない! 貴様らが佳織を人質にするから戦っているんだ!!)

 

 悠人はそう叫びたい衝動に駆られるが、叫んだところで何の意味も無いのは分かっていた。ただ自分と佳織の立場が悪くなるだけだろう。

 

「このたびの功績の褒美として、今後、スピリットを好きなように扱うことを許します。無論、ラキオスに害する行為を抜かしてですが」

 

 正式にスピリット隊の隊長として相応の権限を貰ったということだろう。

 

「さらに、『求め』のエトランジェは少しの間、妹に会うことを許しましょう」

 

 悠人はその言葉に小躍りしそうになった。この世界に来て、人質として見せ付けられた時しか佳織に会っていないのだ。唯一、佳織と会えるオルファから佳織が元気でいるとは聞いていたが、やはり自分の目で確かめたかった。

 一瞬レスティーナに感謝の念を抱きそうになるが、兄が妹に会うのにどうして許可がいるのだろうかと考え、感謝の念を打ち消す。

 

 先ほどから悠人だけが褒美を貰い、横島には特に褒美はない。ただ横島からすればかえって好都合だった。下手に褒美を受け取ってしまえば、質問しづらくなるからだ。

 

「レスティーナ王女、質問をしてよろしいですか?」

 

「いいでしょう」

 

 質問の許しが出ると、横島はこっそりと文珠を手に握り、発動させる。

 すいませんと心の中で謝りながら。

 

 一方、そのころ。

 

「テンくん、大丈夫?」

 

『ああ、なんとかな』

 

 空のお星様になったかに見えた『天秤』だが、ちゃんと万有引力の法則のおかげで地上に戻ってくることができた。

 落下の際、地面に埋まってしまったのだが、どこからともなくエニがやって来て『天秤』を救出してくれたのだ。

 

「お兄ちゃんも酷いことするね。こんどエニがお兄ちゃんのこと叱っておくから安心してね、テンくん」

 

『ああ、思いっきり叱って……いや叱らなくて良い』

 

「泣き寝入りはだめだよ」

 

『……別に苛められたわけではない。少し遊んでいただけだ』

 

 『天秤』の今の任務はエニと横島の仲を取り持つこと。エニが横島に不信感を持つことが無いよう、細心の注意を払わなければいけないのだ。

 

 『天秤』の説明でエニはまあいいかと横島を責めるのをやめた。エニは誰かを責めたりしない、お気楽な性格のようだ。

 

(しかし、主は一体何をするつもりなのだろうな)

 

 『天秤』は横島が何かをしようとしてることに気づいていた。横島が何を考えているのかは横島の内部いる時しか分からない。だが意識さえ集中すれば、たとえ離れていても横島が何を考えているのかちゃんと読めるのだ。

 

(私を引き離したということは、王族に何かをするつもりなのだろうな)

 

 横島には神剣を引き離せば王族に対する強制力は起こらないと教えておいた。それは正しいわけでも間違いでもない。なぜなら『天秤』には強制力自体がないのだから。

 『天秤』は離れていようがなんだろうが、好きなときに横島に特上の激痛を与えることができるのだ。そういう力を特別に付与されてある。まあ、この辺りは秘密にしておく。これはある種の切り札なのだ。

 

 とりあえず、『天秤』は横島がいったい何をやっているのか確かめようと、意識を集中させようとするが。

 

「テンくん!!」

 

『っ!!』

 

 身近なところにエニがいると意識を集中させるのは難しいようだ。

 

「テンくん、難しい顔しないで。もっとリラックスしようよ」

 

『……私には顔なんてないのだが……』

 

「えへへ、そうだったね。さすがだよ、テンくん」

 

(なんなのだ。このスピリットは……)

 

 笑いながら楽しそうに語りかけてくるエニに『天秤』はどう対応したら良いのかさっぱり分からなかった。

 何故こうも付きまとってくるのか。付きまとわれるというのはエニが自分に好意があるということだろう。

 だが、『天秤』にはエニに好かれる理由がまったく分からない。確かにエニという名前を付けたが、それだけでこのように好かれるものなのだろうか。このままでは任務に支障が出てしまう。

 

 『天秤』は自分を握りながら、楽しそうに何をして遊ぼうか考えているエニを見る。

案ずるが生むが易し。

 エニがなんで私に付きまとうのか聞いてみるのが手っ取り早いだろう。

 

『エニよ、お前はなんで私に付きまとうのだ?』

 

「わわ! テンくん大胆だね!!」

 

『……いいから答えてくれないか……』

 

「だって、みんなお兄ちゃんやお姉ちゃんみたいに年上なんだもん。若いものは若いもの同士で楽しんだほうがいいんだよ」

 

 エニはそう言って幸せそうに微笑む。エニの守備範囲は年上ではなく、同年代ということだろう。

 エニの台詞に『天秤』はいったいどこから突っ込みを入れるべきか思案していた。

 とりあえず、若いもの同士の部分だけは訂正しなければならないだろう。

 

『エニ、私は生まれたのは遥か昔のことだ。先日に生まれたお前などよりずっと年上なのだぞ。すなわち、若い者同士で楽しむなどはできないのだ』

 

 『天秤』の言葉にエニが頬を膨らませた。

 いったい何故、私のことを若いなどと勘違いしたのかは分からないが、これでつき合わせられることはもうないだろう。

 『天秤』はそう考えたが、エニはなかなかしつこかった。

 

「う~ん……じゃあ、じんせー経験はどうなのテンくん。女の子と付き合ったことはあるの?」

 

『じ、人生経験か』

 

 エニの言葉に『天秤』は今までの自分の人生を思い起こす。

 

 気がついた時、『法皇』様のコレクションになっていた。『法皇』様から知識と世の理を教わり、任務の為、横島と一緒に行動している。

 言ってしまえばこれだけだ。

 これは人生経験と呼べるものなのだろうか。

 

 黙り込んだ『天秤』にエニは自分の都合の良いように考える。

 

「だいじょうぶだよ、テンくん。私が付き合ってあげるから」

 

『う、うむ。すまないな……ではない!!』

 

 あやうくエニのペースに流されそうになってしまったが、そう簡単に主導権を握られるわけにはいかない。

 ちゃんと理路整然と対応すればエニも分かってくれるだろう。

 

『エニ、確かに私は女性と付き合った経験など無い。しかし、十分な知性と教養を持ち合わせていると自負している。この時点で十分に大人だと思わないか』

 

「思わないよ。女の子と付き合った事が無いのは致命的だよ」

 

 ずいぶんときついエニの言葉に『天秤』は二の句が継げなくなる。

 

(『法皇』様! いったいどんな知識をエニに与えたんですか!!)

 

 心の中で絶叫する。色恋沙汰など生まれてこのかたしたことがない。そもそも自分は剣なのだ。恋などできるわけがないし、生殖活動を行えるわけではないのだから恋愛感情などなんの意味もなさない。

 このままエニに言い負かされるわけにはいかないと思い、怒気を含ませた声をエニに叩きつける。

 

『私は別に誰とも付き合う必要性も感じない。それだけだ!』

 

 珍しく怒気を含ませた『天秤』の声にエニは体がびくっと震える。花のような笑顔がたちまち消えていき、目元には涙がにじんできた。

 

「……ねえ、ひょっとしたらテンくんはエニのことが嫌いなの?」

 

 今にも消え入りそうなエニの声を聞き『天秤』は、あっさりと現状を打破する方法を考え付く。

 

 エニに嫌われればいい。

 

 もう二度と近づくな、とでも言えばもうよってくる事も無いだろう。それでもだめなら、さらに酷い言葉を浴びせればいいのだ。それでエニの心に傷でも負わせることができればさらに良い。

 傷心のエニを見れば、間違いなく横島はエニを慰めるはず。そうすれば二人の絆は強くなり、最後に――――

 

「テンくん……エニのこと嫌いじゃないよね?」

 

 今にも泣きそうな顔で、『天秤』の刀身をぎゅっと抱きしめるエニ。ここで嫌いとでも言えば間違いなくエニの心を傷つける事ができるだろう。

 『天秤』はエ二の心をもっとも抉る言葉を考え、エニに言おうとしたとき、いきなり頭の中に女性の声が流れ込んできた。

 

 ―――――下っぱの魔族は惚れっぽいのよ。

 

 なに?

 

 ―――――図体と知能のわりに、経験が少なくてアンバランスなのね。

 

 これは?

 

 ―――――子供と同じだわ。

 

 っ!!

 

 突如、流れてきた見たことのないイメージに『天秤』は慌てる。いや、見たことはないがなんなのかは知っている。しかし、どうして今のイメージが頭に流れたのか分からない。『天秤』は突如起こった不可思議な出来事にすっかり気が動転してしまった。

 

「テンくん……エニのこと嫌い?」

 

『別に嫌いというわけではないが……っ!』

 

 先ほどの不可思議なイメージのことを考えていた『天秤』はつい本音を言ってしまう。あっと気づいたときにはもう遅かった。

 

 エニは泣きそうな顔から一転して、いつもの花が咲くような笑顔に戻った。いや、戻ったというよりも、それ以上の笑顔になる。今のエニの笑顔は泣く子を笑わせ、飛ぶ鳥を成層圏まで飛ばしそうだ。私も好きだよ~とエニは『天秤』をぎゅっと抱きしめた。

 

『ええい、引っ付くな。どういう耳をしているのだ。私は嫌いではないと言っただけで、一言も好きだとは……』

 

「えへへ~」

 

 馬の耳に念仏……いや、エニの耳に説教。

 いまさら『天秤』がエニに向かって嫌いだと言っても、きっと「恥ずかしがっているんだね、テンくん」としか返ってこないだろう。

『天秤』の策略は失敗したことになるが、何故かそれほど落胆しなかった。

 

(落ち着け。今ここでエニに嫌われたら、後々の誘導に困る可能性がある。つまり、私はエニに嫌われたら不味いと言うことだ)

 

『天秤』は頭の中でエニに嫌われたら今後の行動に支障がでると判断し、今回の作戦を却下する。だが、それはどこか言い訳じみたものに感じることができた。

 

(しかし、さっきのは……どうして)

 

『天秤』の身に何かが起こり始めていた。

 

 

 場面は横島へと戻る。

 

「もう、質問はありませんか。エトランジェ・ヨコシマ」

 

「はっ」

 

 横島が質問した内容は次の三つだ。

 

 一つ目はレスティーナ自身がスピリットをどう思っているのか。

 二つ目はファンタズマゴリアの世界にあるすべての国の状態。

 三つ目はラキオス王について。

 

 レスティーナはそのすべての答えに当たり障りのない答えを返した。

 スピリットは国の財源で奴隷である。

 ラキオスは古く高貴な血筋で、この世界を支配するのが正しい。

 ラキオス王はただの風邪で、すぐに体調は回復する。

 

 言っていることはラキオス王とほぼ同じである。周りにいるラキオスの家臣もレスティーナが言っていることに頷いてる。

 

 そんな中、横島は頭を下げ、顔を見られぬように笑っていた。横島が使った文珠、それは『覗』の文珠。もちろん、レスティーナの裸体を見ようと使ったものではない。彼女の心を覗くためのものだった。

 

(美人に悪人なし……ってことかな)

 

 考えていた以上の最良の結果に心の中で喝采を上げる。少なくとも一つの憂いはなくなった。レスティーナの内心は、実に横島にとって都合がよく、慈愛に満ちたものだったのだ。まあ、一部のスピリットに対して下している特殊な命令に思うところはあったのだが。

 

「他に何か聞きたいことがないのであれば、話はこれまでとする。エトランジェは部屋で妹を待っていよ」

 

 レスティーナはその場にいた兵士に佳織を城のとある一室に呼ぶよう指示し、誰の共もつけず玉座の間を出た。そして人目を忍んで城の中でも人が立ち寄らない古い部屋に向かって歩き出す。

 周りを誰かいないか気にしながら歩く姿は王女には似つかわしくないだろう。だが、それは人に知られたくないことがあるという証明である。

 

 しばし歩き続け、古めかしい扉にたどり着く。扉を開けると、そこにはエスペリアとハリオンの二人がそこにいた。

 

「レスティーナ様ご機嫌麗しゅう存じます」

 

「元気そうで~なによりですレスティーナ様~」

 

「いえ、二人ともこのたびの任務ご苦労様でした」

 

 そう言ってレスティーナはにっこりと微笑む。その笑みは単純な臣下への笑みではなく、友人を労うための笑みだった。

 この世界の人間は皆スピリットを奴隷扱いしている。極一部はスピリットを友人とする人物もいるが、そのような人物は変人扱いされるのがオチだが、その極一部の変人にレスティーナ王女は入っているのだ。

 しかし、レスティーナが笑みを浮かべたのは一瞬のこと、すぐに厳格な王女の顔に戻る。

 

「では、まずエスペリアからエトランジェ・ユートの様子について報告をしてください」

 

「はっ」

 

 エスペリアはその場から一歩進み、事務的な口調で説明し始める。

 

「ユート様の現状は今のところ変わりはありません。いまだに『求め』との干渉に歯を食いしばって耐えております」

 

 エスペリアの報告を聞き、レスティーナは床に目を伏せる。

 

「そうですか。もし彼がもし暴走しそうになったら……分かってますね」

 

「はい。元よりこの体は汚れています。いまさらどう汚れても構いません」

 

 エスペリアの目には優しさと諦めが混じった空虚な光が宿っていた。レスティーナはそのことに気づくが、何を言えるわけではないと唇をかみ締める。

 

「では、ハリオン。貴女も報告を」

 

「はい~」

 

 エスペリアとは違ってハリオンは事務的な口調にならず、いつも通りの口調で喋り始める

 

「ヨコシマ様には~今のところ表立った干渉は受けてないみたいです~」

 

「表立った干渉は……ということは」

 

「はい~ヨコシマ様自身も気づいて無いみたいですけど~寝ているときにうなされている事がありますぅ~」

 

 ハリオンの説明にレスティーナはそうですかと肩を落とす。その顔には安堵と不安が浮かんでいた。永遠神剣第五位『天秤』という神剣はレスティーナたち王族にとって、まったく未知の神剣だった。ラキオス王は、伝説にあるようにエトランジェは王族に逆らえないと決め付けているようだが、それは伝説にある四本の神剣を使うエトランジェのことで、横島の神剣についてはまったく情報がなかった。

 『天秤』とはどういう神剣なのか、ハリオンに横島の事と一緒に見張ってもらってたのだ。

 

「レスティーナ様は~二人に興味があるんですか~やっぱり格好良いですものね~」

 

「ハリオン! あまり無礼なことをレスティーナ様に言うのではありません」

 

「いいのですよ、エスペリア。興味が無いと言えば嘘になります」

 

 レスティーナは王女として責任ある立場にいる。現ラキオス王に何かあればレスティーナが女王としてこのラキオスを統治することになるだろう。そのことの覚悟はもうできているし、愛するラキオスを守るという事に誇りだって持っている。

し かし、普通の年頃の娘のように遊び、恋をしてみたいという当たり前の思いだってちゃんと持っているのだ。

 悠人や横島と友人のように話してみたいと思うことだってある。しかし、王女としてそう気安く話すことができないのだ。

 レスティーナはそこまで考えると、せめてどういう人物なのか知るぐらい良いかと考えた。

 

「エスペリア、ハリオン、ユートとヨコシマについて話してもらえませんか?」

 

「報告は先ほどの通りですが……」

 

「彼らがどういう人か、貴女達が彼らをどう思っているのか聞きたいのです。話してくれませんか」

 

 レスティーナ王女の言葉は命令口調ではなく、友人としてのお願いであった。レスティーナの言葉にエスペリアは嬉しさと悲しさが混じりあった表情を、ハリオンは単純に嬉しそうな顔をする。

 

「はい、分かりました。ユート様は不器用でやさしい……」

「ヨコシマ様は~とってもエッチで明るい……」

 

 女三人寄れば姦しい。三人は二人の男を肴に大いに盛り上がることになった。

 

 

 そのころ、城の一室では、兄妹が感動の再会をしていた。

 

「お兄ちゃん!!」

 

「佳織!!」

 

 二人はお互いの姿を確認した瞬間、矢のように走りよって、抱きしめあった。

 その様子は涙腺が弱いものなら涙を流してもいいくらいだ。

 

 横島は二人の邪魔をしないように後ろに下がり、佳織をじっと見つめる。悠人の溺愛ぶりから、どのくらい可愛いのか気になっていたのだ。

 佳織の外見は赤茶色のロングヘアーで見た感じ中学生ぐらいだろうか。顔は幼く見え、頭には妙な顔のウサギ帽子をかぶっている。

 容姿は文句無く可愛いが、少なくとも横島の守備範囲に入っていなかった。

 

 ただ、横島には二人の様子にある種の危機感が起こる。

 

(なんつーか……ずいぶん危険に見えるのは俺の気のせいか?)

 

 二人の抱擁は兄妹というよりも恋人の抱擁に見えてしまう。佳織はその小さい体のすべてを兄の胸に預け、悠人はやさしく、それでいて強く妹を抱きしめていた。

 しばらく抱擁を続けて、ようやく二人は互いに自分の体を相手から離す。

 

「本当に無事でよかった……佳織」

 

「うん……ごめんねお兄ちゃん。私のせいで……」

 

 佳織が何を言いたいのか、横島にも分かった。悠人がこの世界でスピリットと戦い、殺し合いをするのはすべて妹である佳織を守るためなのだ。

 自分のせいで兄を戦わせていることの罪悪感があるのだろう。その目には罪悪感からの涙が浮かんでいる。

 だが、悠人は佳織の言葉に首を横に振り、違う、と小さく喋る。その顔には何故か自虐の色が浮かんでいた。

 

 横島に兄弟はいないが、こういう姿を見せられると自分にも兄弟が欲しくなってくる。

 もちろん、男の兄弟ではなく、できればやさしくてムチムチお姉さんなのは当然だ。あの色欲親父ならひょっとしたらどこかに兄弟がいるかもしれないなと考える。

 

(洒落になんねーな……)

 

 実際にありそうな妄想を止める。現実にありえそうな妄想など妄想ではない。

 いつのまにか悠人と佳織の話はひと段落ついたようだ。

 自己紹介するならいまだろう。二人の話が切れたところで、タイミングよく前に出て、自己紹介を始める。

 

「俺は横島忠夫って言うんだ。俺も日本から来たんだけど……」

 

「はい、オルファから聞いています。私たちとは違う日本から来たって。私は高峰佳織といいます。この子はアシュタロスって言うんですよ」

 

 そう言って、佳織はウサギ帽子の名前まで紹介する。

 横島の表情が引きつった笑みに変わった。

 人形に名前を付けるというのは可愛いだろうが、その名前が天敵であり義父になるかもしれなかった魔神のものと同じとは思わなかった。

 というか、女の子がつけるには似つかわしくない名前だろう。

 様子が可笑しい横島に「可愛くないですか?」と佳織は首を傾げる。

 同時に、悠人も首を傾げた。

 

「あれ? その帽子の名前ナポリタンじゃなかったか」

 

「もう、何を言ってるのお兄ちゃん。この子はずっとアシュタロスだよ」

 

 兄妹も互いに顔を見合わせて困惑した。

 なんとも言えない空気が流れたが、まあ大したことじゃないだろうと兄妹と頷きあう。

 横島だけは不気味なウサギ帽子を睨んでいたが。

 

「それと、佳織。こいつどこかロリ坊主と似ているから気をつけたほうがいいぞ」

 

「もう、お兄ちゃん。光陰先輩はロリコンなんかじゃないよ……多分。でも光陰先輩とどこか声が似ているような……今頃、どうしてるだろうね。小鳥も元気かなー」

 

 兄妹の何気ない会話も二人は本当に楽しそうだった。こんな世界に来なければいくらでもこんなたわいもない会話などいくらでもできたのだろうが。だからこそほんの僅かな時間を大事にするのだろう。

 

 笑いあう二人にちょっとしたいたずら心が芽生えてくる。

 

「しっかし、ほんとに仲が良いよな。兄妹っていうよりは恋人に見えちまったよ。案外、血がつながってなかったりしてな」

 

 横島はただ二人の仲の良さを茶化そうしただけだったのだが。

 二人は顔を赤くして困ったように視線を床に落とした。

 

(おい!! まさか……)

 

 二人の様子に横島は一つの結論にたどり着く。それはあってはならないこと。

 

「なあ、まさかとは思うんだけどひょっとしてお前ら……」

 

「いや……その……血は確かに繋がってはいないけど、佳織は俺の妹だ」

 

「……お兄ちゃん」

 

 そう言う悠人に、佳織は複雑な視線を向ける。嬉しいような悲しいような、なんとも言えない視線を。

 

 その様子を見た横島は色々と切れた。

 

「お前はどこのギャルゲーの主人公だーー!!!」

 

「そういうぎりぎりな発言はよせ!!」

 

「自覚してんのか! こんちくしょーー!!」

 

「あはは……ギャルゲーじゃなくてエロゲーだけどね」

 

 横島は悠人のことを真の敵と認定した。義妹にメイドさん、さらに美人ぞろいのスピリット隊の隊長。正にギャルゲーの主人公の要素がおもいっきり詰め込まれている。

 もてない男の代表として、ギャルゲー主人公の倒し、もてない男たちにこの世の美女を分け与える。これこそ俺がこの世界に呼ばれた理由だと横島は確信した。

 

「死ぬのだ、悠人よ! 正義のために!!」

 

「何が正義だ! 暴走するのも大概にしろ!」

 

「うるさい! きっとお前のようなギャルゲー主人公には三年前に意識不明になった恋人がいて、昏睡から覚めたときには水泳部だったその彼女の親友と付き合っていて、にっちもさっちもいかなくなって逃げ出して、それから看護婦さんやバイト先の女の子に手を出して逆襲されて町から逃亡することになって、そして雪の降る町で行き倒れているところを年齢不詳の美人が了承とか言って拾ってくれて、やっぱり女の子に手を出しまくって、ついには十二人の妹がやってきて……ああああああああ!!!!!」

 

「横島!! 落ち着けぇぇぇーー!!!」

 

「そ、そんな……私のほかにも十二人の妹が……お兄ちゃんに対する十三個目の呼び方なんてもうないよ……」

 

「佳織も信じるな! それに突っ込み所はそこなのか!!」

 

 兄と妹の感涙のシーンが混沌とした闇へと堕ちた。闇の力はとどまることを知らず、世界を暗黒へと変えていく。このまま世界は闇へと包まれてしまうのか。暴走を続ける横島とどこか壊れてしまった佳織の前に悠人は膝を屈しそうになったそのとき、救世主は現れた。

 

「なにを暴れているのです!!」

 

 突如、飛び込んできたレスティーナの鉄拳が横島の鳩尾にめりこんだ。あべし! という妙な悲鳴を上げ、横島の体が崩れ落ちる。

 

 その様子を見ていた悠人と佳織はまるで魚のように口をパクパクとさせ、いま見た光景を脳に記憶させようするが、脳は記憶の受け取りを拒否しているようだ。そりゃそうだろう。今まで冷徹な氷の美少女という印象の王女が、いきなり激しい突込みを繰り出したのだから。

 

「わ、私は何を……」

 

 レスティーナが呆然とした声を上げ、横島を殴りつけた手を見る。暴れている横島を見たら、体が勝手に動いたとしか言いようがない。ここでレスティーナは先ほどのハリオンの言葉を思い出した。

 

 ヨコシマ様は~良いとか、悪いとかじゃなくて~人の本性を引き出すような気がしますぅ~

 

(これが、私の本性なの?)

 

 知られざる自分の本性に恐れを抱くレスティーナ。悠人も佳織も一国の王女が見せた動きに声も出せない。いやな沈黙が辺りに満ちるが、その中で動きを見せたのはやはりこの男だった。

 

「突っ込みを入れられてしまったからにはもう! エトランジェと王女の禁断の恋を!!」

 

「きゃっ!」

 

 突如、復活した横島がレスティーナに飛び掛かる。相も変わらずゴキブリのような生命力だ。突っ込みを入れたからなんだというのか。

 

「いい加減にしろ!」

 

 悠人は蘇った横島の頭に渾身の拳骨を与える。横島はひでぶ! という変な悲鳴を上げ、鉄の床にめり込んだ。

 

「レスティーナ様、大丈夫ですか」

 

「え、ええ。ありがとうございます。エトランジェ・ユート」

 

 悠人は横島に襲われ、しりもちをついてしまったレスティーナに手を差し出す。レスティーナも素直に悠人の手を取るがここでちょっとした事件が起きる。

 悠人の手の力が強かったのか、レスティーナが軽すぎたのか、考えていたよりも強く手を引かれたレスティーナが悠人に引っ張られる。

 

「あれ」

 

「きゃっ」

 

「ぐげ!」

 

 レスティーナは悠人の胸に飛び込む形になり、半ば抱き合う形になった、横島を踏みつけながら。意図せず抱き合う形になってしまい、お互い慌てて離れようとするが、その前に相手の顔を見てしまう。

 

 顔が近い。

 

 離れようとしていた動きが止まる。互いに顔を赤くしながら、相手の目を見つめあう。

中世的な背景と服装から、まるでその様子は騎士と姫のワンシーンのようだ。一方は本当に姫ではあるが。

 佳織も突如始まったラブシーンにものすごく複雑な視線を送る。

 いつまでもこのドラマのワンシーンが続くかのような気がしたが、

 

「人の体の上でラブコメするんじゃねえーー!!」

 

 足元から聞こえてきた嫉妬の声に、ようやく二人は我に帰り、体を離した。

 

「め、面会はここまでです。行きますよ、佳織」

 

 いまだ顔が赤いレスティーナが、上ずった声を出し、面会の終了を告げる。その表情を見て、横島は「今度は王女様かよ」と悠人を睨む。悠人のほうもいまだに顔を赤くしていた

 レスティーナは佳織を連れて部屋から出て行こうとするが、佳織があと少しだけお願いしますと願い出る。レスティーナは仕方ないですねと面会時間を延長させた。佳織は横島の前にやってきて、悠人やレスティーナに聞こえないぐらいの小さい声で喋り始める。

 

「横島さん、お願いがあるんです。お兄ちゃんを守ってください。横島さんもこんな事態になって大変だと言うのは分かってます。でも……お兄ちゃんは本当に戦いなんてできる人じゃないんです。私ができることならなんだってしますから……」

 

 本当に兄の心配をしているのが、切に分かる声と表情。自分のせいで兄に人殺しをさせてしまっている罪悪感、苦しんでいる兄を助けることのできない無力感。その二つを同時に味わい続けている佳織はひょっとしたら誰よりも辛いのかもしれない。

 横島はこの少女を少しでも安心させてやりたかった。

 

「ああ、任せとけ。これでも俺は強いからな」

 

 胸を叩き、似合わない不適な表情で佳織を元気付ける。横島の言葉に佳織は本当に嬉しそうな顔をして頭を下げる。

 

「ありがとうございます。お兄ちゃんも横島さんのことをとても気に入っていると思います。お兄ちゃんがあんな大声を出したり、突っ込みを入れたりするのはとても珍しいんですから」

 

 そう言って佳織は横島から離れ、レスティーナ王女の側に行く。レスティーナ王女は佳織を伴って部屋から出ようとしたが、最後に佳織は悠人のほうを向き、

 

「お兄ちゃん、絶対に……絶対に死なないでね!」

 

 心からの叫びを言う。そして、レスティーナと佳織は部屋から出て行った。

佳織が出て行った扉を、名残惜しそうに見ていた悠人だったが、いきなり自分の顔を手でバチンと叩く。改めて妹を守ると気合を入れているのだ。

 

「おい、横島。これから訓練が始まるみたいだからさっさと行くぞ。お前の力を見せてもらうからな」

 

 妹からパワーを貰ったのか、いやに精力的な顔つきになった悠人。声にも力が入っている。

 

「悠人、やる気になっているところ悪いんだが、訓練所に行くのはちょっと待ってくれないか。お前に話したいことがあるんだけど……」

 

「……ここでは話せないことなのか?」

 

「まあ……ちょっとな」

 

 今までとは違う、シリアスな顔つきな横島に、悠人も真面目に対応する。纏っている空気すら変わった横島に戸惑いすら感じていた。

 

「そんなに時間がかからないなら良いけど……一体どこで話すんだ?」

 

「お前が今日、苦しんでいた場所がいいな」

 

「……少し遠いけど……分かった。じゃあ後でな」

 

 悠人はそう言って出て行った。

 誰もいなくなった部屋で横島は一人暗い顔をしていた。

 

「悠人……お前がいい奴なのは分かったさ。だけど……」

 

 そこまで言って横島は深くため息をつく。

 もし、いま自分が悠人にしようとしていることを自分がやられたとしたら、仕掛けてきた相手を半殺しにしてもおかしくない。

 

 しかし、やらねばならないことなのは間違いなかった。

 もう二度と同じ轍をふむのはごめんだからだ。

 

 佳織の為だったら、なんだってやれる。

 そう言ったときの悠人の目はどこか狂気を帯びていた。仕方ないとは思う。その為に、悠人は人(スピリット)を殺したのだから。

 

 悠人はいい奴で仲間だ。しかし、だからといって自分の目的を妨げる可能性があるのは否定できない。

 前から飛んでくる矢よりも、後ろから突き出される槍のほうが怖いということ。

 そのことはあの戦いで一番学んだことだ。

 スピリットのためにも、何より自分の目的のためにも悪魔になることを誓う。

 

 そして、悠人についてはまだ分からないが、レスティーナ王女に関しては最良の結果だった。聡明と言われるレスティーナ王女から、知りたい部分だけの情報を抜き出すことに成功し、彼女の真意も分かった。レスティーナ王女のプライベートな情報を抜き出す恐れはあったが、知りたい部分だけを質問することにより、なんとかプライベートな部分を読まないで済んだ。最悪、下着の色やトイレの回数まで分かってしまう可能性があったのだ。裸を覗くのはいいが、心は駄目という妙な倫理観が横島にはあったりした。

 

 とりあえず悠人が来る前に準備をしようと、一足先に目的地に向かおうとして、城から出ようとしたとき、ヒミカとハリオン、それにエニが向こうから歩いてきた。

 

「お兄ちゃん。元気だった!」

 

「おお、元気だったぞ。なあ『天秤』、エニとのデートは楽しかったか」

 

 にやにやしながら『天秤』にデートがどうだったのかを聞く横島。きっとムキになって『デートなどしていない!』とでも言うのだろうと思っていたが、『天秤』は予想に反した言葉を発する。

 

『ああ……それなりにな』

 

 『天秤』の声には元気が無い。それにデートと普通に認めたことに横島は驚く。何かあったのか聞こうと思ったが、その前に『天秤』は金色の粒子になり、横島の体に吸い込まれていった。

 次にヒミカが横島の前に出てくる。だが、何故か横島の手がぎりぎり届かない位置で止まった。警戒されているようだ。

 

「ヨコシマ様、レスティーナ様との謁見はどうでしたか」

 

「いや、特になんの問題も起こさなかったぞ!」

 

「……起こしたのですね」

 

 ヒミカは疲れたようにため息をつく。

 しかし、さすがのヒミカも、暴れてレスティーナ王女から一撃をもらったとは想像できないだろう。

 

「これから城の訓練場で訓練が始まるのですが……実は一度、第二詰め所のほうに戻って欲しいのです」

 

「別に第二詰め所に戻る必要はないだろ。それにちょっと悠人に用事が」

 

「第二詰め所には~新しい美人なスピリットが待ってますよ~」

 

 風が舞った。

 そして横島の姿は忽然と消える。

 えっと声を上げたときにはもう既に横島は城から出て、疾風と変わりおねえちゃーーんと叫びながら第二詰め所へと走っていった。

 遠くから聞こえてくる声を聞き、ヒミカは不安そうな表情を浮かべる。

 

「ハリオン……ヨコシマ様なら……大丈夫よね?」

 

「あの子と二人きりで会わせよう~と言ったのはヒミカですよ~もっと自信を持ってください~」

 

 ハリオンの言葉にヒミカはそうねと頷く。

 正直言って、彼女と横島を会わせるのは不安があった。横島はスピリットに乱暴などしないと思うが、女好きの部分がある為、何らかの間違いがある可能性は否定できない。

 しかし、ヒミカは横島という存在が、彼女に何らかの良い影響を与えると信じていた。

 メリットとデメリット。その二つがヒミカの中で渦巻く。

 

 その様子を見たハリオンは、期待と不安が入り混じるヒミカを安心させるため、満面の笑みで言った。

 

「大丈夫です~スピリットは子供を生めませんから~」

 

「い、いやあああああ!! ナナルゥーーー!!!」

 

 ヒミカの叫びが城の中に響き渡った。

 

 高速の動きで第二詰め所にやってきた横島はさっそく窓から中を覗き込む。いきなり第二詰め所内に飛び込んで、どうせこんなこっだろうとおもったよーとなる可能性もあるからだ。スピリットは美人だというのは分かっているが、万が一もある。

 こっそりと窓から居間を覗き込むと

 

(きたーーーー!!!!)

 

 そこには、切れ長の目で整った顔立ち、綺麗な赤いロングヘアー、ハリオンには敵わなくても十分に巨乳といえる胸、可愛いではなく、美人と評するにふさわしいスピリットがそこにいた。

 

「美人スピリット、ゲットだぜ!!」

 

 横島の行動は素早い。一瞬のうちにドアを開け、跳躍行動を取る

 空中であやとりと射撃が得意な少年が寝る速度と同じ速さで服を脱ぎ、一瞬でパンツ一丁となった。

 

「おっじょうさ~~~ん!!」

 

 見事な放物線を描くルパンダイブ。それはある種の幻想的な美しさを持ち、一つの芸術と言っても良い。

 そんな倒錯的な美しさを誇るルパンダイブは女性を……見事に押し倒した!

 

「えっ!」

 

 驚いた声を上げたのは何故か横島だった。

 このルパンダイブが成功した例は皆無に等しい。たいてい世界意思が邪魔してきてオチがつくのがもはや通説だった。

 押し倒された女性はゆっくりと自分の上に乗っているパンツ一丁の男を見る。そして特に驚いた様子もなく喋り始めた。

 

「ヨコシマ様ですね。私はナナルゥ・レッドスピリットといいます。以後お見知りおきを」

 

「あ、ああ。よろしく」

 

 社交辞令的な挨拶をする。言っていることはまったく普通だが、パンツ一丁の男に押し倒された状況で言う言葉では断じてないだろう。

 男に押し倒された状態で普通にしているというのも気になるが、横島がもっとも気になったのはナナルゥの目と声だった。

 

 無機質。

 

 その表現がもっとも正しいだろう。

 この間、戦ったスピリット達と同じような目をしている。まるで人形のようなスピリットだった。

 

(このスピリットは神剣に心を飲まれて……自我を失いかけているのか!)

 

 神剣の力を使いすぎると、スピリットの自我は神剣に心を飲まれて人形のようになる。そうなれば、ハイロゥは黒くなり、人間の命令を盲目的に聞き、マナを求めるだけの存在になる。

見た感じ、ナナルゥはその一歩手前といったところだろうか。

 横島がナナルゥのことを分析しているとき、ナナルゥも横島のことをじっと見ていた。

 一体何故、自分達の隊長がパンツ一丁になって乗りかかっているのかを考えているようだ。少し考え、ナナルゥは答えを出す。

 

「私を抱きたいのですか?」

 

 横島はナナルゥのあまりにも直球な言葉に、どう答えたらいいのか分からない。普通に考えればパンツ一丁で女性に飛び掛るなんてことをすれば、抱こうとしているのが自然だろう。

 しかし、横島は抑えても抑えきれない煩悩が爆発し、とにかくいい女に突撃するという本能が働いただけなのだ。

 

「ご命令ならば」

 

 そう言ってナナルゥはゆっくりと目を閉じ、体の力を抜く。

 自分の体の下で目を閉じるナナルゥに横島の心臓は爆発寸前だ。

 

 つまりこれは、オールオッケーって事か!

 

 心の中で歓声を上げるが、なにか気が乗らない。男の本能がはやく抱けと訴え、理性もオッケーを貰ったなら行くべきだと横島会議ではもう答えが出ている。だが、何故か横島は躊躇してしまった。行くべきか行かざるべきか苦しんでいると――――声が聞こえた。

 

 父さん! ぼくは今日、大人になるよ!!

 

(な、息子!)

 

 突然、己が息子の声が響いてくる。股間を見れば息子は激しく自己主張していた。

 パンツは息子の自己主張により、いまにも破れかかっている。

 

(息子よ、落ち着け!)

 

 なに言ってるんだよ、父さん。彼女の体をよく見てよ。ハリオンさんよりは胸の大きさは負けるけど、それでもこのメリハリある体。顔も文句なく整っているし、なによりオッケーを貰ったんだよ。父さん、早く……早く!!

 

 息子の言葉にあらためてナナルゥの体を見る……というよりも押し倒しているので自分の体全体でナナルゥの体を確かめる。

 ナナルゥは暖かく、やわらかかった。ただこうしているだけで色々と出てきそうになる。

 

 そうだ。何を迷う必要がある。抱いてよいと言っているのだから抱けばいいんだ。

 

 抱くと決断した横島は、最初はキスからだと、ナナルゥに顔を近づける。ナナルゥは呼吸一つ乱さず、マネキンのようだった。

 

 まるでダッチワイフだな。

 

 あまりにも失礼な事を横島は心の中で考える。もし、今まさに抱こうとしている女性にダッチワイフみたいだなんて言えば、女性は烈火の如く怒り狂うだろう。だが、ナナルゥならばダッチワイフみたいだといっても「そうですか」の一言で済ませる気がした。

 

 自分の体なんてどうなっても良いと、自分に価値などないと考えているような表情。

 いや、違う。

 そんなことすらも考えていない。

 命令だから従う。

 そこにあるのはただ虚無。

 

 横島の体に震えが走った。

 このままじゃだめだ。これは自分が真に望んだ行為とは違う。これは絶対に良くない!

 

 横島の中で何かが警報を上げる。

 何とかこみ上げてくる煩悩を押さえ込もうとするが、熱く脈打つ息子がそれを許さない。息子が自由である限り煩悩を押さえ込むのは不可能と判断した横島は、息子を倒すことを決意した。

 

 押し倒していたナナルゥの体から離れる。そして、血の涙を流しながら横島は右手に霊力を集中させ始めた。

 

「すまない……本当にすまない! 息子よ!!」

 

 息子は横島が何をしようとしているのか分かったのだろう。

 その身を少し小さくして、震えだした。

 

 父さん? うそでしょ、やめて……やめてーー!!

 

 息子からの懇願の悲鳴が上がるが、それを無視する。心の中では息子にただひたすら謝りながら……

 

「天に滅せよ!! ヨコシマバーニングファイアーパーンチーー!!」

 

 横島は霊気を集めた右手を息子に……♂に振り下ろした!

 

 うああああああ!!!

 

 息子は断末魔の悲鳴を上げる。だがそれは横島も同じだった。

 息子と横島は一心同体。息子を殴ったことによって女には分からない痛みが横島にもフィードバックされ、意識が朦朧としていく。

 自分の息子を殴った罰なのだ。この痛み、甘んじて受けねばならない。

 

(息子……お前一人だけ逝かせるわけにはいかない。逝くときは一緒だ……)

 

 と、父さん……

 

 苦痛の中、横島の目の前が白くぼやけていく。

 薄れ行く意識のなか『天秤』の

 

『主よ……お前は一体……』

 

 という戦々恐々とした声を聞きながら、横島は痛みに身を任せ、意識を手放した。

 

 眠い。

 頭に感じる暖かさと、鼻腔をくすぐる良いにおい。それは究極の枕か、はたまた至高の枕か。このまま死ぬまでこの枕で眠り続けよう。

 人間失格な決意をして、まどろみから、さらに深い眠りに入ろうとするが……

 

「大丈夫ですか、ヨコシマ様」

 

 自分の耳元から声が聞こえてくる。横島が目を開くと、目の前にはキスするのではないかと思うほど、至近距離にナナルゥの顔があった。先ほどの枕と思っていたのはナナルゥの膝枕だったようだ。

 

「はわわー!」

 

 嫌だったわけではないが、突然のことなので似合わない悲鳴を上げて驚き、急いで立ち上がりナナルゥから離れる。ふと気がつくとパンツ一丁だったはずが、いつの間にか服を着ていた。しかも、驚くべきことにパンツが変わっていたのだ。

 

「ナ、ナナルゥ! この服は! パンツは!」

 

 顔面を蒼白にして横島は面白いくらいうろたえていた。しかし、起きたら寝る前とパンツが変わっていたら普通は驚くだろう。

 

「はい。ヨコシマ様が寝てしまわれた後、あの格好ではお寒いと思い、勝手ながら服を着させてもらいました。パンツについては色々と使用が困難になっていましたので、新しいのをご用意させました」

 

 狼狽する横島とは対照的にナナルゥはあくまで淡々と説明をする。

 ナナルゥの説明を受け、自分が人形のように着せ替えさせられる様子を想像し、目尻に涙が浮かんできた。……パンツについては何がどう使用できなくなったのか考えないようにする。

 

 なんとか心が落ち着いてきたので、横島はようやく普通にナナルゥと向き合った。しかし、いまさらどう言った話をすればいいのやら。パンツ一丁で押し倒し、わけの分からないことを喋りながら自分の股間を殴りつけた意味不明な男。

 ナナルゥが自分に抱いた感想はそんなところだろうか。もしくは、権力をかさにむりやり女性を抱こうとした卑劣漢だろうか。それだけならいざ知らず、生まれたままの姿まで見られ、着替えまでさせてもらったのだ。

 

 横島は今まで様々な女性と出会いを体験しているが、その中でもワースト1に入るだろう最悪な出会いだ。

 さすがの横島もどう会話を始めたらいいのか見当もつかない。

 どう話したらよいのか迷っていると、ナナルゥの方から話しかけてきてくれた。

 

「ヨコシマ様、男性にとって性器は弱点と聞いております。みだりにいじるものではないでしょう」

 

 ナナルゥはあくまで淡々としたものだった。

 眉一つ動かさず普通の女性ならば、言えないようなこともあっさりと言いのける。

 横島はそこに痺れるわけでも憧れるわけでもなく、ただどう答えたらいいのか分からず、どう動けばいいのかすら分からず、完全に硬直した。

 

 硬直する横島を見ながら、ナナルゥはまるでロボットのように喋り続ける。

 

「ヨコシマ様、何故わたしを抱かなかったのですか」

 

 その声にはやはりなんの感情もこもっていない。抱かれなくて良かったという安心感も、抱かれたかったのにという残念さもなかった。ただあの状況で抱かないのが不思議に思っただけなのだ。

 

 ナナルゥの質問に横島はどう返答したらいいのか困窮した。横島はナナルゥの体を見て本当に抱きたかった。それはもう血の涙が出るくらい。しかし、何かが足りない、横島はそう感じたのだ。

 一体何が足りなかったのか、大して利口でもない頭で必死に考える。

そうして考え出した答えは……

 

「あ、愛が足りなかったんだ!」

 

「愛……ですか?」

 

「そう! なんつーか……やっぱり愛は必要なんだ!!」

 

 横島は自分が似合ってないことを言っているのを自覚していた。どう考えても愛なんて叫ぶ人種じゃないと自分のことながら思ったが、以前に同じようなやり取りをしたようなデジャブがあった。

 ナナルゥはポツリと愛と呟き、目を閉じ、そして見開く。

 

「分かりました。これより愛を探す任務を開始します」

 

「はっ?」

 

 どういう話の流れでそんな展開になったのだろうか。確かに愛が必要だといったが、探せなどとは言ってないはずだ。

 

「俺は別に愛を探せなんて……」

 

「ヨコシマ様は愛が必要と仰いました。しかし、私は愛というものを現在所持しておりません。ならば探して所持する必要があります」

 

 必要なものがあり、それを持っていないなら見つけ出さなければならない。

ナナルゥの行動はとても合理的で、ある意味純粋なのだ。

 

「ただ、私はこれから城で訓練がありますので、愛を探すのは後日になりますが、期日はいつまででしょうか」

 

「いや、期日なんてないけど……」

 

「分かりました。それでは」

 

 ナナルゥはそれだけ言うと、さっと身を翻し、城に向かって歩いていった。

 

「凄い子だな……」

 

 横島は嘆息をつく。

 今まであってきた女の子の中でもかなり……凄い部類に入る。どう言ったら良いのか分からないが、とにかく凄かった。まあどう凄かろうが美人である以上、問題なしだ。後は愛さえ見つけてくれれば、そのとき心おきなく十八禁に入ればいい。

 

 第二詰め所のスピリットはすべて城の訓練場に行ったようなので、横島もすぐに訓練場に向かおうとするが。

 

『ふむ、主よ』

 

「なんだよ『天秤』」

 

『主は確か、悠人に用事があると言っていたような気がするのだが?』

 

 横島はしばし沈黙し、

 

「ああ! 忘れてたー!!」

 

 そのころ悠人は、

 

「横島の奴……遅いな」

 

 横島が指定した場所で一人、横島を待っていましたとさ。

 

 



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第七話 日常=戦い

 うっそうとした森の中、高校生ぐらいの男前と呼べる男が眉間にしわを寄せて、不機嫌そうに立っていた。

 高嶺悠人。それがこの男の名前である。

 少々唐突であるが、ここで少し彼の半生を語ってみたい。彼、高嶺悠人の半生を一言で表すなら、これ以上の言葉はないだろう。

 

 悲運。

 

 悠人は二度、両親を失っている。一度目は実の両親を。二度目は義理の両親を。

 幼い時から悪運だけは強いと言われていた。だが、悠人は気づいていた。自分に振りかかってきた災厄は、すべて自分の周りにいる人たちに降りかかっていることに。

 

 疫病神。

 

 悠人は自分が疫病神で、ただそこに居るだけで周りに不幸を呼び込んでいるのではないかと思うようになっていた。

 そしてある日、事件が起こる。

 両親を失った悠人を、引き取り育ててくれた義理の両親である高嶺夫妻と、その娘である高嶺佳織が乗った飛行機が落ちたのである。

 田舎の家に帰る為だったのだが、悠人は一足先に向かったため無事であった。

 

 高嶺夫妻は死亡。佳織も生死の境をさまようことになった。

 

 悠人は祈った。

 ただひたすらに、一心に。

 どうか佳織が助かるようにと。

 佳織が助かるなら自分がどうなっても、何が犠牲になっても構わないと。

 悠人は祈り続けた。そして、祈りは神でもなく、悪魔でもない存在、異世界の『求め』という神剣に届くことになる。

 

 『我は汝の願いを、汝の求めを叶える力を持つもの』

 

 幼い悠人にはそれが何なのか分からなかった。ただ一つ分かったのはその存在は佳織を助けることができるということ。

 

 悠人はその存在に願った。

 どうか佳織を助けてくれと。

 

『願いを叶えるならば相応の等価がいる。汝の肉体と心、人生の全てが代償だ』

 

 それでもいいと悠人は言う。

 僕はどうなってもいいから、佳織を助けてと。

 

 『ここに契約は成った。汝は時が来るまで、このことを忘れるだろう』

 

 そして佳織は助かった。

 両親を二度も失った悠人は佳織と二人だけで生活を始める。

 遺産はあったが、悠人はそれには手を触れず、自分の力だけで生きていくことを選択した。

 

 血の繋がらない兄妹の幸せな時間。

 

 だが、代償を払うときが来てしまった。

 悠人はこの世界に呼び出され、『求め』との契約の為に戦うことになる。

 佳織を巻き込みながら……

 

 悠人は自分を責めた。

 佳織を巻き込み、苦しませ、平穏な一生を奪い取ってしまったことを。

 悠人は佳織の為に剣を振るう。

 彼が佳織を裏切ることは決してない。

 

 永遠の煩悩者

 

 第七話 日常=戦い

 

「まったく、横島のやつは何やっているんだ!」

 

 横島との待ち合わせをしてから、かなり長い間、待っているというのに横島がやってくる気配はまるで感じられない。

 苛立ち、眉間にしわを寄せていた悠人だっだが、ふと地面に目をやると、ころころとビー玉のようなものが足元に転がってくるのが見えた。それはただのビー玉のように見えたが、そこに刻まれた文字を見て、悠人は思わずビー玉とおぼしき物を手に取る。ビー玉には漢字で『幻』と刻まれていた。

 

「なんでビー玉に漢字が……」

 

 ビー玉を手に取り、久方ぶりに見た日本の字をしげしげと見つめていたが、突然ビー玉が目も眩むような光を放つ。

 

「っ!!」

 

 いきなりことに驚き、目を閉じる。そして次に目を開けたときは持っていたはずのビー玉が影も形もなくなっていた。

 

「な、なんだ、今のは?」

 

 疑問の声を上げる悠人だったが、それに答えられる者はここにはいない。

 そのとき、後ろの茂みはがさがさと揺れる。

 横島が来たのかと思い、振り返ると、そこには、

 

「お兄ちゃん……助けて……」

 

 体にいくつかの傷を負った、悠人の義理の妹である佳織がそこにいた。

 

「佳織!」

 

 突如、現れた佳織に悠人は驚きの声を上げ、すぐに駆け寄った。

 

「どうしたんだ、この怪我は! 待ってろ、すぐにエスペリアの所へ行って傷を治してもらうからな」

 

 悠人は佳織を背負って、エスペリアがいるだろう訓練場に向かおうとしたが、佳織が拒否する。

 

「お兄ちゃん、それどころじゃないの! 気をつけて!!」

 

「気をつけろって何を……っ!!」

 

 悠人は目を見開く。気がつけば周りには四名のレッドスピリットに周りを囲んでいた。その目には感情が無く、こちらに敵意を向けている。敵だ。

 何故ラキオス領の、それも首都に突然現れたのか、どうしてここまで接近を許してしまったのか、疑問に思えることは多々あるが、そんなことを考えている暇は無い。周りを囲んだスピリットたちが、こちらに神剣魔法の詠唱を開始したからだ。

 

(まずい! 俺一人なら突破できても、ここには佳織が!)

 

 『求め』の力を全開にすれば自分一人だけなら囲みを突破できる。だが、佳織を抱きかかえながらの突破はおそらく不可能。佳織を抱えながら高速で動くのは難しく、二人仲良く黒焦げにされてしまうだろう。

 ならば敵が神剣魔法を唱える前に殺すのは可能だろうか?

 それも無理だ。倒せたとしてもせいぜい一人か二人。二人は神剣魔法を完成させて、肉を灰に変え、骨が残るかどうかの炎を放ってくるだろう。狙いが自分なら耐えられるかもしれないが、佳織ならばその時点で終わりだ。

 

 悠人は必死にこの状況を打開する方法を考えたが何も思い浮かばない。そうこうしているうちに、レッドスピリットたちの魔法が完成してしまった。

 

「くそ! 佳織は俺の側に来い。必ず守ってやるからな!!」

 

「うん。お兄ちゃん、お願い!」

 

 倒すのも、逃げるのも不可能ならば守る以外に道は無い。

 

「バカ剣、佳織を、守れる力を寄こしやがれ!」

 

『求め』が輝き、悠人の足元に魔方陣が出現する。

 

「マナよ、我が求めに応じよ。 オーラとなりて、守りの力となれ! レジスト!!」

 

 抵抗を意味するオーラが魔方陣から溢れ、溢れ出した抵抗のオーラが悠人と佳織を中心に強固な障壁と変わる。

 同時にレッドスピリットの魔法が完成した。

 

「ファイアーボール!」

「ファイアボルト!」

「フレイムシャワー!」

「インシネレート!」

 

 四つの魔方陣からすさまじい熱量の炎が生み出され、悠人と佳織を灰にしようと襲い掛かる。炎は悠人が作り出した対魔法用障壁とぶつかり、炎は障壁を破壊しようと、対魔法用障壁は炎を消滅させようと争う。

 結局、炎と障壁の争いは互いの消滅で幕を閉じた。

 

 永遠神剣第四位『求め』というこの世界でも最高の力の全てを、自分と佳織を守るために費やすことによってどうにか敵の魔法を防ぐ事ができた。

 だが、そう何時までも守り続けることはできない。

 

(くそ、応援はまだなのか? ひょっとしたら皆のところにも敵が現れて応援どころじゃないのか!? )

 

 進むことも引くこともできないこの状況では、応援でも来ない限り、切り抜けるのは不可能だった。だが、悠人には今のラキオスの現状がどうなっているのかまるで分からない。

 まったく先が見えない戦いは体力以上に精神を消耗する。

 悠人は心の中で応援を呼び続けた。

 そして、一人のスピリットが森の中から現れる。

 

「ユート様、ご無事ですか……」

 

 現れたのはエスペリアだったが、その体には無数の傷が刻まれており、痛みのために顔を歪ませている。そして、最悪なことにエスペリアは自身の槍型永遠神剣である『献身』を持っていなかった。この時点でエスペリアは戦力から除外される。

 救援ではなく、守らなければいけない人数が一人増えただけだった。

 

「くっ……エスペリア、早くこっちに来い! そのままじゃ危険だ!」

 

 悠人はエスペリアを呼び寄せ、新たに作ろうとしている障壁の中に入れて守ろうとするが……

 

「お兄ちゃん、だめだよ! お兄ちゃんの作れる障壁だと二人が限界。もしエスペリアさんを助けたら私たちも死んじゃうよ!」

 

 佳織の言に悠人は唇を噛み締める。佳織のいうことは正しい。限界まで力を振り絞って、ようやく二人分の障壁を維持しているのだ。ここでエスペリアを助けるために障壁を広げれば、障壁の強度は弱まり敵の魔法を防げなくなってしまう。

 

 まるでカルネアデスの板のような状況だった。

 

(見捨てるしかないのか……くそ! 仕方ないじゃないか! 佳織の命が掛かっているんだから!!)

 

 佳織のため、悠人はその思いだけで戦いを乗り切ってきた。スピリットを殺してきた。

 だが、殺してきたのは何の面識もない敵スピリットだけ。

 一緒に生活して、まるで姉のように思っているエスペリアを見捨て、殺さなければいけない状況に悠人の心が悲鳴を上げる。

 エスペリアは悠人が何に苦しんでいるのか分かったのだろう。

 

「私のことは気にしないでください。私たちは人の盾となることが宿命であり、それが何よりの幸せなのです。……ユート様が護らなくてはいけないのはカオリ様なのですから」

 

 そう言ってエスペリアは儚げに微笑んだ。その顔には自分を見捨てようとしている悠人への恨みも憎しみも存在していない。ただ悠人と佳織の身を案ずる顔だった。

 エスペリアの表情を見て、悠人の心が激しく揺れ動く。

 本当にこの選択は正しいのか?

 佳織のためという免罪符があれば何をしてもいいのか?

 

 だが、何をどう言ったところで助かるのは二人だけ。

 いきなり新たな力に目覚め、三人とも助かるなんて都合のいいことは起こらない。

 

(どうしようもないのか。佳織とエスペリアの二人を助ける方法はないのか!)

 

 悠人は必死に考えた。佳織とエスペリアの二人を助ける方法を。

 

(そうだ……二人は助かるんだ)

 

 悠人はたった一つだけの方法を見つけた、そして決断する。

 

「エスペリア、こっちに来い!」

 

「ユート様……でも……」

 

「いいから早く!」

 

 悠人の語気の強さに圧されてか、エスペリアが悠人の下にやってくる。

 レッドスピリット達の魔法はもう完成寸前だった。

 

「守りの力を……レジスト!!」

 

 悠人は対魔法用障壁を展開させる。障壁は佳織とエスペリアを包み込んだ……悠人には障壁が張られずに……

 

「お兄ちゃん!!」

 

「ユート様!!」

 

 二人が悠人の方を向いて悲鳴を上げる。

 だが、悠人はその様子を満足げに眺めていた。二人を守れた、その安心感が悠人の心を満足させていたのだ。

 そして、レッドスピリット達が完成させた紅蓮の魔法が三人を包み込み……悠人の意識は遠くなっていった。

 

「俺……なんで生きているんだ?」

 

 悠人は気がつくと林の中で立っていた。

 気がつくという表現は適切ではないかもしれない。別に寝ていたわけではない、ちゃんと目を開け、両の足で立っていたのだから。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。自分が何故生きているのか、どうして傷一つ負っていないのかもどうでもいい。

 今重要なのは一つだけ。

 

「佳織、どこにいった! エスペリアも!」

 

 守れたはずの二人は一体どこにいってしまったのか。消えてしまった佳織とエスペリアを悠人は半狂乱になって探し続ける。

 

 そのとき、悠人はふいに人の気配を感じた。佳織かと思い、ふり向くと、そこには能面のような表情をしている横島がいた。俯いていて先ほど会った時とは、あまりにも雰囲気が違うが、悠人はそのことに気づかず横島につかみ掛かるように話しかける。

 

「横島!! 佳織を見なかったか! あとエスペリアも!」

 

「……落ち着け、悠人。さっきの佳織ちゃんやエスペリアさんは俺が見せた幻だ」

 

 横島は抑揚の無い声で今さっきの出来事を説明した。全ては俺が見た幻だったと。

 悠人は混乱して熱くなった頭を冷ます為、深呼吸をしながら横島の言ったことを頭の中で反芻する。

 

(幻……横島が作った幻だったのか)

 

 ようやく悠人の頭に冷静さが戻ってくる。最初に来た感情は安堵。そして疑問とそれ以上の怒りが湧き上がってきた。

 何を犠牲にしてでも守りたい佳織と、この世界に来て言葉一つ解からない俺を親身になって世話をしてくれた、姉のように慕うエスペリア。

 その佳織とエスペリアのどちらが死ぬような幻を見せられたということ。

 何故、横島がそんな幻を見せたのかは分からない。だが、今やらなければいけない事はわかっている。それは……

 

「ふざけるなぁぁぁーー!!」

 

 怒りに任せて横島をぶん殴ること。

 

 悠人は鬼すら殺せるのではないかという憤怒の目をしながら、右手を振り上げて横島の顔面に鉄拳を叩き込もうと一直線に突っ込んだ。

 なんのフェイントも無く、ただ突っ込んでくるだけの動きなど避けるのは容易い。しかし、横島はそこから動かなかった。

 

(こりゃ仕方ねえよな……)

 

 このまま動かなければ悠人の拳は間違いなく横島の顔面に突き刺さるだろう。その事実に横島の腰が引けるが、目を閉じ、歯を食いしばり、来るだろう衝撃に備える。

 

 鈍く重い音が響き渡った。悠人の拳が、無抵抗の横島の顔面に突き刺さる。横島は鼻骨と前歯が折れて顔面が血だらけになり、ダメージが足に来たのか膝がガクガクと曲がり、体を地に伏せようとするが、悠人はそれを許さない。

 倒れ掛かる横島の襟元を掴み、すぐ側にあった大木に横島の体を押し付けて無理やり立たせる。

 

「何を考えて俺にあんな幻を見せた! 俺が苦しむ姿が見たかったとでも言うのか!!」

 

 顔を真っ赤にしながら、横島の襟元掴み激しく揺らす。横島の鼻血と歯が折れたために口から血がだらだらと流れ、手を赤く染めるが、悠人はそんなことは気にもしなかった。

 

「答えろ! 横島!!」

 

 体を揺すられ、飛びかけた意識が戻ってくる。

 悠人の反応は横島の予想通りであり、当然の反応だった。横島だって、もし美神とおキヌのどちらかを見捨てなければならない幻を見せられたら、その幻を見せてきた相手を半殺しにするだろう。だからこそ悠人の一撃を避けずにあえて食らった。

 

 だが、何故こんなことをしたのかを説明して、それで悠人がさらに殴りかかってきたときは本気で抵抗することにしている。こちらに非があるのは分かっているし本当に悪いことをしたとは思っている。しかし、これ以上痛い目に遭うのはごめんだった。

 横島は密かに戦闘体勢に入りつつ、悠人に話し始めた。

 

「……見たかった……いや、確認したかった」

 

「確認……だと!?」

 

「ああ、お前が佳織ちゃんを免罪符にして……本当に何もかも捨てられるのかを。そしてお前が本当に信頼できるかどうかを」

 

 横島の言葉に悠人の息が詰まる。横島の言ったことは悠人が心の中でいつも考えていたことだった。

 

 この世界に来て、スピリットを殺した時に感じた圧倒的な罪悪感。その罪悪感を、佳織の為だからと心に言い聞かせ必死に戦ってきた。佳織の為という免罪符がなければ、一般的な高校生である悠人がスピリット殺しに耐えられなかったからである。

 

「……佳織の為に戦うことを悪いとでも言うつもりか!」

 

「違うって。俺が言いたかったことは善いとか悪いとかじゃない」

 

 横島はここで慎重に言葉を選び始める。

 

「なあ悠人、俺がラキオスで戦う理由を知ってるか?」

 

「逃げたらスピリットを殺されるからって聞いているけど……」

 

「そう、俺だってお前となんら変わらない。セリア達のため……つまりはハーレムのために戦ってる」

 

「……そっか、お前も守らなきゃいけない人達の為に……って! ハーレムってなんだよ、おい!!」

 

「そのために戦って殺したスピリットの数は、両手の指ぐらいじゃ足りないくらいだ」

 

(流した!? 流したのか!!)

 

 いつのまにか横島の襟元を握っていた悠人の手は離れていた。

 横島の方も鼻血が止まり、しっかりと両足で立ち、悠人の方を見て喋っている。さすがに折れた歯までは生えていないようだが……

 

「んで、これからが問題なんだけど、俺はお前の命令でこれから戦争することになる。俺の……まあ部下になったスピリット達も最終的にはお前の命令で戦うことになるわけだ」

 

 横島はあくまで副隊長。第二詰め所のスピリット達の指揮を執るのは横島だが、その横島に指示を出すのが悠人なのだから結局は隊長である悠人の指示でスピリット達は戦うことになる。

 

「お前がもし、敵に特攻しろとでも言えば俺たちは敵に特攻しなけりゃいけない。何故かは知らんがスピリットは人間の命令は逆らえんからな。最悪、お前が死ねとでも言えばスピリット達は死「そんなことは絶対に言わない!!」

 

 悠人は顔を真っ赤にして大声で叫ぶ。声には嘘や偽りの響きは一切感じられなかった。だが横島は、そんな悠人はギロリと睨む。

 

「お前がここで苦しんでいたときこう言ったよな。佳織のためなら何だってできるって。もしスピリットを犠牲にして佳織ちゃんが助かるようなことがあったら……お前はどうする?」

 

 悠人は横島の言っていることを聞き、ようやく横島が何を危惧してあんな幻を見せたのか理解した。横島の求めるものが、悠人が求めるものの為に犠牲になるのではないかと思ったのだ。

 

「だけど、お前は佳織ちゃんとエスペリアさんの二人を守る方法を取った……その選択とそのためにとったお前の行動が、正しいのか間違っているのかは解らないけど、自分の目的の為に仲間を使い捨ての駒みたいに扱うことは無いって分かったよ。だから……」

 

 そして、横島は土下座をした。

 

「すまん。本当に悪かった!」

 

 横島の土下座からは本当に悪かったという思いが伝わってくる見事な土下座だった。

 

 悠人の横島に対する怒りは、まだ残っていた。しかし、大切な人を守りたいという横島の気持ちに共感してしまった。

 これ以上、横島に対して怒り、憎むことはできそうにない。

 ただ、このまま許すというのは少し癪にくるものがある。

 

 悠人は一つ頼みを出すことにした。

 

「横島……悪いと思ってんなら一つ頼みがある」

 

 その言葉に横島は苦虫を噛みつぶしたような顔をするが、仕方がないと首を縦に振る。

 

「俺は決してスピリットを犠牲にしたりはしない。だから、横島も約束してくれ。どんなことがあっても佳織の味方でいると、何があっても佳織を助けると……」

 

 悠人の言葉に横島がポカンと口を開ける。そして心底呆れたような顔で笑い出す。

 

「はは……まったく、なんつーシスコンだよ」

 

「ふん、ハーレムの為に戦っている女好きに言われたくないぞ」

 

 互いに軽口をたたきあう。その様子はまるで十年来の親友のようにも見えた。互いに訳も分からず異世界に召喚されて、殺し合いを強要されることになった者同士。共通点が多ければそれだけ話もしやすい。

 

「そうだ、少し横島に言っておきたい事があったんだ」

 

「なんだよ。別に心配しなくても佳織ちゃんに手を出すつもりはないぞ」

 

「ちがう! そうじゃなくて、俺たちに必要だと思うことだ」

 

 悠人はこほんと咳払いをする。

 

「自分を信じること。それが心の剣なり、楯となる」

 

 その言葉は悠人が殺したとある存在が言った言葉。

 龍という存在が残した言葉だった。

 

「自分を信じる……ねー」

 

 横島はそう呟くと顔を顰め、いやそうな顔をする。

 

「なんだよ、いい言葉だと思わないか?」

 

「あんまり立派な言葉は俺には似合わん」

 

 横島の言葉に悠人はおもわず吹き出しそうになった。

 

「そうだ、さっきの幻はどうやったんだ。マナも何も感じなかったぞ」

 

「ああ、あれは文珠っていう俺の霊能力だ。後で教えてやるから、今は城の訓練場に向かうぞ。予想外に時間を食っちまったからな」

 

 そう言って、城に向かおうとした横島だったが、その時、『天秤』が話しかけてきた。

 

『あまりあのユートという男を信頼せぬ方が良いと思うぞ」

 

(……いきなり何を言いやがる『天秤』)

 

『あの男は隊長には向かん。先ほどの幻を見た際に取った行動も、上に立つ者の行為とは到底思えん。自分を犠牲にして二人を助ける……自己犠牲などリーダーには不要なものだ』

 

 自分の命を顧みず二人を救おうとした悠人にあんまりな言葉をかける『天秤』に、横島がいきり立つ。

 

(言いすぎだ。そりゃ自己犠牲なんて馬鹿馬鹿しい事だし、悠人の決断は最後は……)

 

 横島は悠人の弁護をしようとしたが、その語気は弱まっていく。

 

『そうだ、最終的にはあの決断は三人が死ぬことになる。あの状況であの者が死ねば結局は残った二人も死ぬことになるのだからな』

 

 二人は助かる筈の状況で三人とも死ぬ。それが悠人の下した決断の行く末だった。

 悠人は、自分の思いを優先して、先をまったく見ていなかったのだ。

 

(だけど、あいつの心意気は……)

 

『想いだけではどうしようもないことがあるというのは主が一番よく知っているだろうが。それに、あの者が本当に約束を守るという保障があると思っているのか』

 

(……黙れ、『天秤』。これ以上あいつのことを言うな)

 

『ちっ……警告はしたぞ。せいぜい気をつけることだな』

 

 『天秤』の言葉は横島に心にしこりを残すことになる。

 

 一方、悠人の方も『求め』から話しかけられていた。

 

「気を許すなって……どういうことだ」

 

『そのままの意味だ、契約者よ。あの者は代償なき奇跡が存在しないことをちゃんと理解している。多くを求めれば、より多くの代償が必要になることも知っている……にも関わらず、あの者は求めすぎている!』

 

『求め』の声が悠人の心に染み渡りさざ波を作るが、悠人はそれを強引に無視する。

 

「お前が何を言いたいのか……俺には解らん」

 

『解らない振りをしているだけではないか? ああいった者は一番性質が悪いということだ。……まあいい、忠告はしたぞ。自分が真に何を望んでいるのか……ゆめゆめ忘れぬことだ』

 

 そして『求め』の声がふっと消える。

 

 悠人は妙に心がざわめき、なんとなく横島の方を見てみる。すると横島のほうも悠人の方を見ており、二人の目が合った。

 

「なんだよ、横島」

 

「お前のほうこそなんだ、悠人」

 

 二人はそのまま見つめあい、どちらともなく目線を外す。

 

 共に大切な者を守りあうと約束した男たちは、微妙な距離を空けながら城へと歩いていった。

 

 横島たちは、町中を歩きながら城を目指していた

 街中を歩くと、浮かれた人々がよく目に付く。バーンライトとの戦争が始まり、ラキオスの町は活気に満ちていた。戦争が始まるという高揚感もあるし、バーンライトの領土を奪えばラキオスのマナ保有量が増える。そうなれば国は潤い、市民たちの生活はいっそう楽になるのだ。

 そこには、戦争が始まることへの悲壮感など存在しない。

 どうせ戦うのは奴隷戦闘種族『スピリット』なのだから。

 

「まったく、この世界の人間たちは……」

 

 悠人はまるで汚いものを見るかのような目で町とそこに住む人間達を見ていた。当然といえるが、悠人はこのファンタズマゴリアの世界を嫌っている。スピリットという種族が人間に逆らえないから奴隷のように扱い、戦争の道具にする。

 日本で暮らしてきて、人並みに良識がある悠人には、その考えはたまらなく汚いものに見えた。

 

 町人達からの悠人達を見る目も居心地の悪いものだった。化け物を見るような、触れてはいけない物を見るような畏怖の視線。龍という圧倒的な存在を打ち倒したことによる恐怖の視線。

 あからさまな侮蔑の視線ではないにしろ、好意的とも感じられない視線に悠人はどうにも耐えられず、横島に話しかけて気を紛らわそうとするが……

 

「なあ横島、この世界の人間たちは……って、あれ?」

 

 気がつくと、つい先ほどまで自分の後ろを歩いていた横島の姿が無い。なにか嫌な予感が駆け巡る。横島を探し、辺りをキョロキョロ見渡すと……

 

「おじょーさん! 俺に味噌汁を作ってくれーーー!!!」

 

「きゃあーーー!!」

 

 横島がナンパしていた。

 ズルっとこけそうになるが、なんとか持ち直し、つかつかと歩いて近づき横島をぶん殴る。

 

「あふぃん!」

 

 気持ち悪い悲鳴で横島が倒れる。そのことに突っ込みたい衝動に駆られるが、突っ込むべきことは他にもあった。

 

「横島、さっきのシリアスはどこに行った! 異世界に味噌汁があるわけないだろ! なんで折れたはずの歯が生えているんだ!!」

 

 突っ込みたいことは他にもいくつかあるが、最重要な部分だけ抜き出して突っ込む。

 突っ込みを受けた横島は妙にニヒルな笑みを浮かべる。

 

「愚かなり高嶺悠人! この横島忠夫、シリアスは三分が限界。味噌汁を作ってくれというのはプロポーズの言葉であり、実際に食べたいわけではない。そして、抜けた歯が生えてきたのは、抜けたのが乳歯だったからだ!」

 

 この馬鹿弟子がーー!!とでも言ってくるのではないかと思うほどのノリであった。

 

(よし、一発殴ろう)

 

 あまりにも突っ込みどころ満載の横島に、悠人は突っ込みを諦めて力に頼ることを決める。一つ突っ込めば三つぼける横島に突っ込みは無意味と判断したようだ。

 そして、その決断は正解である。

 

 手を振り上げ、究極のパンチを放とうと構えるが、背中を誰かに引っ張られる。振り返ると、先ほど横島がナンパしていた女の子が顔を赤くして悠人の服を掴んでいた。

 

「あ、ありがとうございます、勇者様!」

 

 女の子を悠人にお礼を言うと小走りに走って去っていった。

 突然、礼など言われて面食らう悠人だったが、すぐ側で凄まじい殺気が膨れ上がる。言うまでもなく、横島だった。

 

「悠人、まさか俺を出しにして女の子をナンパするとは……この腐れ外道が!!」

 

「お前が勝手に出しになってるだけだろうが!」

 

「だまれ!! そして聞け!! 我は横島忠夫、モテル男を切り裂く剣なり!!!」

 

「逆切れするんじゃねえ! この煩悩魔人!!」

 

「ふっ、そう褒めるなよ」

 

「褒めてねえ!!」

 

 永久に終わりそうにない無限のボケに悠人の理性は崩壊寸前だ。

 だが、悠人はいつのまにか自分達の周りの様子が変わったことに気づく。

 畏怖と恐怖が交じり合っていた視線が和らいでいた。話しかけようかと考えている人もいる。

 

(これは……まさか横島のやつはこれを狙って……)

 

 漫才のようなやり取りをすることによって周りの雰囲気を柔らかくなっていた。

 悠人はこのために馬鹿な真似をしていたのかと横島に聞こうとしたが、いつのまにか横島の姿がなくなっていた。

 周りを見渡すと遥かかなたにまめつぶのような横島が少しだけ見える。

 

「悠人、お前は先に城の訓練場に行っててくれ。俺はまだ見ぬお姉ちゃんを探しに旅たつ!」

 

「はあ!? おい、横島! お前どこまでが本気なんだーー!!」

 

 横島は「あ~ばよ~とっつあん~」と街中に消えていった。

 

『それで主よ、何をするつもりだ。まさか本当にナンパをするわけではないだろう?』

 

 『天秤』の言葉に横島はにやりと笑う。そう横島はナンパの為に町に繰り出したわけではない。これから一つの策を実行するのだ。

 

「なあに、今後の為に少し種を蒔こうと思ってな」

 

 どこか得意げな横島の顔を見て、『天秤』は呆れた声を出す。

 

『やれやれ、欲求不満ならばスピリットを使えばいいものを……』

 

「は? 何を言ってやがる、『天秤』」

 

『だから、子種をばら撒きにいくのだろう。まったく『ラキオスの種馬』の名を冠するのも時間の問題だ「誰が子種をばら撒きに行くといったぁぁぁーーーー!!!」

 

 まるでラキオスの町全てに響き渡るぐらいの大声を上げる横島。はっとなり口を押さえるが、時既に遅し。周りにいる町人達は横島の方を見てひそひそと話をしていた……何を話しているのかは想像に難くない。

 

「お、俺のイメージが……『天秤』! よくも俺のイメージを!!」

 

 怒りのあまり肩を震わせる横島だが、『天秤』はそんなことはまったく気にせず、横島に話しかける。

 

『それで、子種でないなら一体何を蒔きに行こうというのだ』

 

 悪びれることもなく言う『天秤』に殺意が湧きかけるが、いまさら何を言ったところで意味がない。なにより下手に『天秤』と話したところで、より深みに嵌っていくのが目に見えるようだった。

 

(……俺が蒔こうとしているは、スピリットと俺の為に必要なものだ)

 

 横島の言葉に『天秤』は首などないのに首をかしげる。

 

『だから、何を蒔くのだと聞いているのだ』

 

『天秤』の質問に横島は答えない。

 

(そう焦るなよ。きっと一ヶ月以内に分かるようになるさ)

 

 そう心の中で『天秤』言うと、横島は街中に消えていった。

 

 ―訓練場―

 

 城の中にある訓練場では、いくつもの剣と剣がぶつかり合う音が響いていた。

 

「はあっ!」

 

「……ん!」

 

 二人の女性が光の翼をはためかせ、空中で激しく切りあっている。一方は紫の長いストレートのスピリット。もう一人は青い髪を一つに纏め、ポニーテイルのスピリット。

アセリアとセリアだった。

 

 戦いは終始アセリアの優勢でセリアが必死に食らいついている感じだった。

そして、戦いは結局、アセリアの永遠神剣『存在』がセリアの永遠神剣『熱病』を弾き飛ばすことで決着が付く。

 

「ふう……やっぱりアセリアには敵わないわね……」

 

 セリアは特に何でもないと言った口調だったが、どこか悔しさが入り混じった声だった。セリアは吹き飛ばされた『熱病』を拾うと、アセリアに一礼し、その場から去ろうとするが、アセリアは去ろうとするセリアの肩を叩く。

 

「……ん……セリアも強かった」

 

「アセリア……?」

 

 セリアは目を見開いてアセリアを凝視した。

 彼女達は幼少期を一緒に過ごし、親しいと言ってよい。

 だが、アセリアは口数が少ないというか、冷静というか、むしろ何も考えてないんじゃないのかと思うほどのぼーっとした人物で、セリアはアセリアとコミュニケーションを取るのにとにかく苦労したのである。

 あのアセリアが自発的に話しかけてきた。

 その事実はセリアからすれば信じられないものであった。

 硬直したセリアにアセリアは何か言うわけではなく、その場から離れていった。

 

「怪我はありませんか、セリア」

 

 戦うときもメイド服のエスペリアがタオルを持って、近づいてきた。神剣を使っての訓練は血を見ることも少なくないので、常にグリーンスピリットが待機している状態で行われる。

 

「エスペリア……アセリアが少し変わったと思わない?」

 

「そうですね、ユート様が来てから少し表情が豊かになったような気がします」

 

「そう……」

 

 セリアの顔が少しだけ歪む。悠人が来てまだ一ヶ月。それだけの時間でアセリアが少しずつ心を開いてきているというのが、セリアは妙に悔しかった。

 

「でも貴女達だって、ヨコシマ様が来てから少し変わったように感じますよ」

 

「……他の子達はともかく私は変わってないわ! あんな男なんて!!」

 

 セリアは声を荒げ、一瞬エスペリアを睨み、すたすたと歩いていった。

 

「そんなに険悪を表したところを、初めて見ましたよ、セリア」

 

 嬉しさと悲しさが同居した声で、エスペリアは悲しそうに笑う。

 少しずつ何かが変わってきている。だが汚れた自分が変わることはないだろう。

 

 エスペリアは悲しく笑っていた。

 

 訓練場の別な場所では、赤い髪のショートカットの胸の小さい女性と、同じく赤い髪のロングヘアーの胸の大きい女性が話し合っていた。ヒミカとナナルゥである。

 横島とナナルゥを二人きりで会わせた張本人であるヒミカは、ナナルゥが横島とどういった話をしたのか、何か横島に感じるものがなかったか、なにより怪しい事をされなかったか、気になったのだ。

 

「えーと、その……ナナルゥ、ヨコシマ様と会ってなにか感じなかった? というよりもなにもされなかったわよね?」

 

「いえ、裸で押し倒されました」

 

 いきなりの爆弾発言にヒミカ達の顔が硬直する。

 そして押し寄せてきたのは後悔と失望。

 

 やはり人間を信じるべきではなかった。

 信じた自分が馬鹿だった。

 頭の中で自分と横島を呪う怨嗟の声を叫び続ける。

 

「ただ、押し倒されましたが犯されてはいません。私を押し倒した後、自分の性器を突然叩いて気絶されましたから」

 

「……はい?」

 

 ナナルゥの言葉にヒミカが呆けた声を出す。

 女性を押し倒しておいて、抱かずに自分の性器を殴りつけて気絶。

 

 意味不明。

 理解不能。

 

 ヒミカは考えるのをやめた。

 しょせん人の心を完全に理解することなどできない。もし、人の心を完全に理解したという人物がいたら、それは高慢というものだろう。

 今はナナルゥが無事だったことを素直に喜ぼう。

 ヒミカが勝手に自己完結しているとナナルゥが声をかけてきた。

 

「ヒミカに聞きたいことがあります。愛とはなんですか? そしてどこにあるものでしょうか?」

 

「はい?」

 

 本日二度目のヒミカの呆けた声。

 

「ヨコシマ様から愛を探すようにとの任務を受け賜りました。しかし、私は愛とはどういった形状をしているのかすら分かりません。ヒミカが愛を知っているのなら教えてほしいのですが……」

 

(あの人はナナルゥのことをちゃんと考えて……)

 

 横島がナナルゥの感情の不足を知り、なんとかするために愛を探せなどという任務を出したのだろうかとヒミカは考え、横島に深く感謝した。

 自分が二人きりでナナルゥと会わせた意味を理解してくれたのだと。

 実際はナナルゥが勝手に勘違いしたのだが、ヒミカがそれを知る由はなく、横島に対する好感度はかなり上昇することになった。

 

「ヒミカは愛というものがなんなのか知りませんか?」

 

「そうね……確か詰め所の本棚に愛に関する書物があったような……」

 

「書物には先人の知恵が納められているでしょう。……ヒミカ、協力に感謝します」

 

 ナナルゥはそう言うと、少し離れ、座禅を組み精神を集中させる訓練に入り始めた。

 ヒミカはそんなナナルゥを見ながら思った。

 ヨコシマ様に任せればきっとうまくいくと。

 

「う~ん、うまくいかない~」

 

 自信なさげな声は訓練場に響く。

 ツインテールをぴょこぴょこ動かし、刀を振る小柄な人物、ヘリオンである。

 

「どうしたらファーレーンさんみたいになれるのかなー」

 

 そう言ってしゅんと肩を落とす。心なしかツインテールも下がっているようだ。

 人一倍努力家で妄想癖の激しいヘリオンは第二詰め所内でもっとも弱い。だからこそ彼女は努力する。そして得意の独り言を炸裂させているのだ。

 そんなヘリオンになに者かの影が近づく。

 

「おっ、ヘリオンか、どうした元気なさそうだけど」

 

「はえ!? ユート様! どうしてここに!?」

 

「いや……訓練しに来たんだけど……邪魔だったか?」

 

「お邪魔なんてとんでもないです! お茶も出さないですいません!」

 

「別にお茶を飲みに来たわけじゃないから」

 

 どこかずれた二人のやり取り。ずれているのはヘリオンだが悠人も律儀に相手をするので、会話がなかなか進まない。

 

「でもどうしたんだ、何か悩んでいたみたいだけど」

 

「私はとっても弱くって、ヨコシマ様やユート様の役に立てるよう努力してるんですけど……私なんかが努力してもだめですよね……」

 

 ヘリオンのツインテールがペタンと垂れ下がり、顔はしょんぼりとなる。

 まるで小動物のようなヘリオンに悠人の保護欲がむくむくと大きくなって弾けた。

 

「大丈夫だ、仲間の為に剣を振るってるやつが強くならないはずがない!」

 

「ユート様……でも」

 

「大丈夫だ、俺を信じろ!!」

 

 何の根拠もない悠人の言葉だったが、ヘリオンはその言葉に活力を取り戻し、ツインテールが上昇していく。顔も真っ赤になった。

 

「……ヘリオン、顔が真っ赤だぞ。風邪でもあるんじゃないか?」

 

 悠人はヘリオンの額に手を当てる。

 

「はう! だめですユート様!! 私にはヨコシマ様が……」

 

「俺がどうかしたのか」

 

 いつのまにやって来たのか、横島が悠人達に顔を出す。

 ヘリオンは飛び上がって驚いた。

 

「ヨコシマ様!! あの、えーと、違うんです! これは浮気とかじゃなくて……ひ~ん!」

 

 ヘリオンは顔を赤くさせたり青くさせたりとさながら百面相のように表情をコロコロ変えると、「ちがうんです~!」と言いながら吹っ飛んでいった。

 その様子を二人の男は頭を捻りながら見送る。

 

「なあ悠人、ヘリオンはどうしたんだ?」

 

「さあ、結構変わり者みたいだからな、ヘリオンって」

 

 ヘリオン……哀れ。

 

「そうだ、おい横島さっそく戦うぞ!」

 

「悠人……お前まさかバトルジャンキーじゃないだろうな」

 

「そうじゃないって。俺は早く強くならなくちゃいけないし、それにやっぱ女の子と戦うよりは……な」

 

「確かにな、可愛い女の子よりはむっさい男のほうが切りやすいしな」

 

「そういうことだ。変態なら切り捨てたほうが世界にも良いからな」

 

 二人は互いに挑発しながら、戦意を高めていく。

 悠人は『求め』を両手で握り、中段に構える。

 横島は『天秤』を右手に持ち、左手には何も持っていないが、状況にあわせてサイキックソーサーか栄光の手を使う用意をしておく。

 

 二人が対峙すると周りにいたスピリットは訓練をやめ、見物に集まってきた。

 

「う~ん、どっちが強いんでしょうかね~」

 

 のんびりとしたハリオンの声を皮切りに、スピリット達が意見をぶつけ始める。

 

「やっぱりヨコシマ様だよ! バーンライトのスピリットを殺したとき、ものすごく強かったんだから」

 

「だから~」

 

 まずネリーとシアーが横島を推す。もっとも、横島と悠人の戦力を考えたわけではなく、ただ横島のほうが好きだからだろう。

 

「なに言ってるのネリー。強いのはパパだよ! 龍さんだって殺してるんだもん」

 

 反論したのはオルファだった。これもネリー達と同様にただ悠人のほうが好きだからであろう。

 

「う~ん、私はヨコシマお兄ちゃんだと思うよ。テンくんもいるし」

 

 こちらはエニ。エニの場合は『天秤』の存在も大きいようだ。

 

「私は……どっちも強いと思います!」

 

 これはヘリオン。どちらが強いのかを話し合っているのに、まったく答えになっていない。

 子供達がぎゃあぎゃあと叫ぶ中、大人たちは冷静に二人の力を分析していた。

 

「セリア、どちらが勝つと思う?」

 

 ヒミカがセリアに尋ねる。セリアはじっと二人を見ていたが、馬鹿らしいとでも言いたげな顔で答えた。

 

「ヨコシマ様の勝ちよ。どう見てもユート様は戦闘の素人だもの」

 

「そうね」

 

「やっぱり~そうでしょうかね~」

 

「妥当な判断だと思います」

 

 セリアの言葉にヒミカたちが賛成する。彼女達も一流の戦士なのだ。大体の強さを把握することぐらいできる。

 横島と悠人の様子は対照的だった。

 

 横島はしまりのない顔をしていて、傍目には弱そうに見えるが、不思議と隙が無かった。

 対する悠人は気合が乗っていて、堂々した感じがするが、入れ込みすぎといったほうがよさそうだ。

 これは単純に実戦経験の差が現れているのだ。

 横島は今までいくつもの戦場を乗り越えてきた。生きるか死ぬかの戦いなど呆れるほど経験してきたし、自分より格上の相手とも何度も戦ってきた。

 対する悠人は平和な日本で暮らしてきて、戦いの経験などまったく無い。剣を握ったのはこの世界に来てからであり、戦いに関しては素人同然だった。

 戦士としての格は明らかに横島の方が上。ちょっとした動きの端々にも横島と悠人の差は見え隠れしている。

 

「……一撃さえ当てられれば、ユート様にも勝ち目は……」

 

 そうポツリと呟いたのはエスペリアだった。

 頭の中では悠人がどうやったら横島を倒すことができるのかシミュレートしているようだ。

エスペリア自身は気づいてないようだが、悠人がどうやったら勝てるのかを考えているという事は、悠人を応援している事に他ならない。

 

「………………」

 

 アセリアは何も言わない。ただじっと二人の様子を眺めてた。

 スピリットたちが注目する中、二人のエトランジェの戦いが始まる。

 最初に動いたのは悠人だった。

 

「それじゃあ行くぞ、横島!」

 

 大型の西洋剣の形をした『求め』を持ち、一直線に横島に向かっていく。そのスピードは軽く百キロは出ているだろう。

 横島は一瞬そのスピードに驚くが、すぐに表情を戻す。悠人はそのままフェイントも何も使わず、横島の前に来ると『求め』を振り上げ、そして振り下ろした。

 

 聞こえてきたのは『求め』が空気を切り裂く重低音だけ。横島は振り下ろした一撃をサイドステップでなんなく避ける。

 

 悠人は渾身の一撃をかわされ、体制がぐらつくが直ぐに立て直し、『求め』を横なぎに払う。横島はそれをしゃがむ事であっさりと回避した。

 

「っ! この!!」

 

 その後も悠人はぶんぶんと『求め』を振り回すが、横島には掠りもせず空しく空中を無様に切りつける。

 

(本当に素人だな)

 

 横島はそう断を下す。

 剣術のけの字も知らない悠人の剣。小竜姫やシロとは比べ物にならない、剣技とすらいえないお粗末な剣技。だが、それは当然のこと。悠人は剣を持ったのはほんの二週間程度前のことだ。人外レベルの反射神経を持ち、幾戦の戦いをしてきた横島に剣を当てるのは難しいだろう。

 

「どうした、避けてばかりだな。掛かってこないのか!」

 

 剣が当たらず、ただ避けているだけの横島に悠人が苛立った声を出す。

 

「そんじゃ……サイキックソーサー!」

 

 左手にサイキックソーサーを作り出しぶん投げる。サイキックソーサーは勢い良く空中を飛び、悠人に迫る。

 

 そして……

 

「はあ!!」

 

 悠人の気合の声と共にサイキックソーサーが消し飛んだ。

 その事実に言葉を失う横島。防がれる事とは思っていた。悠人の持つ力は単純に考えれば誰よりも大きい。ラキオスで……いや、この世界でもっとも位が高い高位神剣である『求め』の主なのだから。

 だが、それにしても……

 

(オーラのコントロールもせずに、気合一つでぶっ飛ばすなよ……まったく!)

 

 この世界に来て霊力のパワー不足が深刻になってきたようだ。相手が相手というのもあるが、それを差し引いても厳しいものがある。

 文珠でも防御されたら効果はないだろう。

 

 霊力を使わなくても『天秤』という神剣を得て、強力な力を使えるようになっているのだから、問題ないような気もするのだが、やはり霊力のほうが使いやすいし、なにより横島はまだ 『天秤』のことを信用していないのだ。

 使いすぎれば、信用すれば、いつか痛いしっぺ返しを受ける。その予感があった、

 

「今度はこっちから行くぞ!」

 

 横島の攻撃が終わり、今度はこっちの番だと悠人は神剣魔法の詠唱を開始する。

 

「マナよ、我が求めに応じよ。オーラとなりて、刃の力となれ! インスパイアッ!!」

 

 悠人の足元に魔方陣が出現し、鼓舞の名を持つオーラが悠人に流れ込んでいく。オーラが悠人に流れ込み終わると、『求め』からさらに強大な力の波動があふれ出す。

 

「うわっ……」

 

『さすがは第四位の神剣といったところか……』

 

 溢れ出すオーラの波動に横島と『天秤』が感嘆の声を上げる。その力は横島の世界で言えば上級神魔……ルシオラクラスにもダメージを与えられるほどだった。

 

(これで剣術を身につけたら凄い事になるな)

 

 今はまだ力が大きいだけの素人にすぎない。だが、訓練を積めばたとえ才能がなくてもある程度のレベルには到達できる。いずれは相当な戦士になるのは間違いないだろう。

 だが、今はまだ力が大きいだけ。

 横島は大して焦りはしなかった。

 

「凄い力ってのは分かったけど、俺に当てられなきゃ意味ないぞ」

 

 そのことは悠人にも分かっていた。どれだけパワーがあっても当てられなければ意味がないのだ。どうやって攻撃を当てるかが問題になってくる。

 攻撃を当てるのに必要なのは剣術や先読みといった技術、そして戦闘経験。

 だが悠人にはそれがない。ならば方法は一つ。

 

(技術も経験もほとんど意味を成さないぐらいのスピードで攻撃する!!)

 

 そう決めた悠人は周りをきょろきょろと見渡す。そして天井に目を留めるとにやりと笑った。少し助走を付けて、天井に向かって十メートルほどジャンプする。そして体をくるっと反転させ、天井に足をつけて、横島のほうに体制の向きを変えた。

 

(若島津君の三角飛びか!!)

 

 とあるサッカー漫画のキーパーの必殺技。

 簡単に言えば壁を蹴って突進力を上げるのである。

 

「うおおおお!!!」

 

 獣のような雄たけびと共に天井を蹴り、さながら隕石のように横島に降って来た。

 確かにスピードは凄いが、しかし目線で動きがバレバレで、横島はひょいと避ける。

 轟音がラキオス城の訓練場で響きわたり、粉塵が舞う。鉄の床が落下してきた悠人を中心に窪地のようになっていた。本当に隕石が落下してきたといっても疑う者はいないだろう。

 横島の足がぐらぐらと揺れる。いや、横島の足が揺れているのではなく、地面そのものが揺れているのだ。ラキオス城そのものが冗談抜きで傾いたのかもしれない。

 

「くそ! 外したか」

 

 悔しそうな悠人の声が呆然としているスピリットと横島に聞こえてくる。

 横島は顔を真っ青にして震え上がった。

 

(じょ、冗談じゃねえ!!)

 

 万が一、まともに一撃を貰ったら終わり。防御してもやられるかもしれない。

 横島はさっさとこの戦いに決着を付けることを決めた。

 

「おい悠人、この戦いは次の一撃で終わらせるからな」

 

 横島から飛び出す勝利宣言。悠人はどういった攻撃が来るのかと、防御の体制を取って攻撃に身構える。

 

『主よ、一撃であの者の守りを打ち破るのは並大抵ことではないぞ。一体どうするつもりだ?』

 

『天秤』の疑問の声に横島は得意げな顔をする。

 

(まあ見てろ。だてに美神さんに師事していたわけじゃないんだぜ)

 

 そう言うと、横島は悠人に向かって走り出す。

 特に早いわけではない。さしたる力も感じない。それなのに、横島は自信満々な顔で悠人の元へ走っていく。

 その様子に悠人は緊張した顔で、とにかく守りを固める。

 横島は勝ちを確信した。勝負を決する魔法の一言を言い放つ。

 

「あっ! 佳織ちゃん!!」

 

「えっ!?」

 

 悠人はなんでこんなところに佳織がいるのだろうと横島が見た方向に首を動かす。

 だが、そこには佳織などいなかった。

 横島の意図に気づいた悠人だったが、時既に遅し。

 

「があ!!」

 

 次の瞬間、悠人は顎に何かがぶつかったかと感じると、空中に飛ばされていた。

 横島は悠人が横を向いた瞬間、すばやく懐に潜り込み、顎に全力でアッパーを打ったのだ。

空中に浮くほどの脳を縦に揺らされ、地面に倒れこんだときには、足がいうことをまったく利かなかった。動けない悠人に横島が『天秤』を突きつける。

 

「俺の勝ちだな」

 

「……くっ」

 

 そして横島はニヒルな笑いを浮かべスピリット達の方へ向き直る。

 横島の脳内では「きゃあーー素敵ーーもうむちゃくちゃにしてーー!!」と駆け寄ってくるセリアたちが映し出されていた。

 

 さあ、カモン! 子猫ちゃん達!! 

 

 横島は手を広げ、子猫ちゃんを受け止めようとするが、やってきたのは冷たい視線だった。

 

「ヨコシマ様ーかっこわるいー」

「わるーい」

 

 ネリーとシアーが不満そうな声を上げる。他のスピリットもいい顔をしていなかった。

 脳内の展開とは違う展開に横島が焦る。

 

「真剣勝負の最中によそ見をするほうが悪いだろうがー!!」

 

 横島の言葉にスピリット達は複雑そうにする。確かにその通りなのだが、どうにも納得しづらいものがあった。

 だが、意外なところから横島を擁護する声が上がる。

 

「いや、横島の言うとおりだ。真剣勝負の最中によそ見をした俺のほうが悪い」

 

「ユート様……」

 

 本来なら悠人がもっとも納得いかずに怒るところだが、悠人は今の戦いの結果を真摯に受け止める。

 その様子にスピリット達の好意的な視線が悠人に集中していく。

 

「なんでじゃあー! 勝ったのは俺なのにーー!! 褒めてくれたっていいだろーー!?」

 

 血の涙を流して慟哭する横島にヒミカ達の顔が緩む。自分たちの行動一つ一つに一喜一憂する横島が面白いのだ。自分たちのことを意識し、気にかけてくれるのは嬉しいものである。

「まったく何をやっているの」と呆れ顔のセリアでさえ、口元には微かに笑っていた。

 

 横島本人が気づかぬまま、辺りには不思議と穏やかな空気が流れていた。

 そんな中、アセリアが倒れている悠人に近づき、頭をぽんぽんと叩く。

 

「アセリア?」

 

「……ん、ユート、がんばった」

 

 アセリアは悠人の健闘を褒めると、横島に近づき神剣を構え、静かな闘志を横島に向ける。

 

「まさか俺と戦いたいのか?」

 

「……ん」

 

 こくんと頷くアセリアに、横島はどうしたものかと頭を抱える。

 正直戦いたくない。戦いや争いごとはできるだけ避けて通りたい道であった。なにより、アセリアはかなりの美少女。中学三年か高校一年ぐらいの外見で剣を向けるのは正直いって抵抗があった。

 しかし……

 

(今更かな)

 

 周りにはエスペリアやハリオンがいる。もし剣を突き立ててしまっても死ぬことはないだろう。訓練で刃を振れずして、実践で振れるわけが無い。なにより、いまさらだった。

 

「よっしゃ! ドンと来い!!」

 

「……ん、ドンと行く」

 

 二人は神剣を構え、対峙した。

 

「う~ん……今度はどっちが勝つでしょうかね~」

 

 ハリオンの言葉に全員が難しい顔をする。

 

 『ラキオスの蒼い牙』

 

 アセリアに付けられた二つ名である。

 その実力はラキオスのスピリットの中でも最強であり、この世界でも五指に入る実力者だ。

悠人もアセリアと訓練したことがあるが、手も足も出ずに負けてしまった事がある。

 単純なマナ総量なら、神剣の位が高い悠人や横島のほうが高いだろう。だが、剣技やマナの扱いはアセリアの方に分があるのだ。

 

「こんどこそ、ヨコシマ様の力が見れそうね」

 

 ヒミカの言葉に第二詰め所のメンバーが頷く。

 一度、横島の力は見ているが、火事場の馬鹿力ということもありえる。

 先ほどの戦いは回避能力とギャグだけだった。今度こそ自分たちの隊長の力を見ておきたかった。

 

 第二詰め所のメンバーの視線が横島に集中する中、横島はアセリアと対峙して驚愕の事実に気づいてしまった。

 

(この子は……ズボンもスカートも履いてない!!)

 

 そう、アセリアの上はラキオスの戦闘服。下はパンツだけのとんでもファッションだったのである。上に着ている戦闘服の丈が長いためとりあえずは隠れているが、少し動けば間違いなく丸見えだ。

 

(なんでこんなデンジャラスな格好を……まさか! 悠人が隊長特権で!! ……いや、それはないな。あいつにそんな度胸があるように見えん……ヘタレ臭が漂ってるし)

 

 そんな事を考えているうちに、アセリアがウィングハイロゥを背中に出現させ、空中から襲い掛かってきた。

 

(くっ! かなり早いな……つか見えちゃってるよ! 完全に!!)

 

 空中から勢いをつけて永遠神剣『存在』を振るってくるアセリア。その剣は速く、重い。予備動作を可能な限り削り、空中という制空権を維持しながら自重を乗せた剣を振るってくる。その動きは悠人とは比べ物にならない。

 さらに、いやおうなく見えてしまう下着に横島の動きがどうしても鈍ってしまう。

 

(くっ、気にするな。俺はロリコンじゃない! パンツが見えたからなんだって言うんだ)

 

 心の中で自分を激励して、横島は『天秤』を振り上げてアセリアに抵抗する。

 戦いはアセリアが優勢だった。素の身体能力は横島の方が高く、神剣によるパワーアップも横島の方が上なのだが、それでも横島の劣勢であった。

 右手に『天秤』を持ち、左手にサイキックソーサーを展開させて戦っているのだが、その動きはちぐはぐとしか言いようがない。

『 天秤』でアセリアと打ち合っても剣術の差で勝てない。

 サイキックソーサーで攻撃を受け止めたり逸らすことができるのはせいぜい二撃程度ですぐに破壊される。ハンズオブグローリーでは打ち合えそうにない。

 障壁を展開させてもアセリアは巧みに動き回り、障壁が展開しきれてない弱い部分を狙っていく。

 なにより、横島の動きにはキレがなかった。

 理由は簡単。『天秤』の所為である。

 

 横島は戦士であっても、剣士ではない。

 剣を持てば、いやおうなく剣士としての動きが必要になり、それが横島の天衣無縫な戦闘方法を邪魔しているのだ。

 だからといって、『天秤』を捨てることはできない。

 『天秤』を握っていなければ、神剣による力の供給はなくなってしまう。

 そうなれば、アセリアと横島の身体能力の差は大人と子供以上に開いてしまう。どれほど、邪魔であっても『天秤』を握らないわけにはいかない。

 

(おい、『天秤』! あの時の力が全然出せないぞ。どうなってる!)

 

『バーンライトのスピリットを殺った時は、私と主の同調率が高かったからあれだけの力が引き出せたのだ。今の主と私の同調率は正直高くない為、力を引き出すのは無理だ』

 

(シンクロ率が低いってことか)

 

『……そんなところだ』

 

 戦いは続く。

 アセリアの嵐のような剣舞に、横島の体には浅い傷がいくつも刻まれていた。致命傷はないものの、避けるので精一杯で反撃どころではない。

 一発ギャグでも放って流れを引き寄せたいところだが、横島のお笑い本能がアセリアにはギャグが効かないと警告を発していた。

 横島の劣勢は明らかだった。

 

「う~ん、アセリアお姉ちゃんの勝ちかなー」

 

 ネリーが残念そうな声を上げる。

 シアーやヘリオンも横島の勝ちはないと思っているようだ。

 

「……まだ分からないわ」

 

 セリアが厳しい顔で戦闘を眺めながら呟く。

 

 セリアの言うとおり、戦いは変わり始めていた。

 少しずつであるが、横島がアセリアの剣を回避し始めた。

 そう、回避。障壁を張らず、サイキックソーサーで受け止めるわけではなく、『天秤』で切りあうわけではない。ただ避ける。

 

 横島は全神経の九割を回避することにのみ集中させていた。下手に神剣を使ったり、障壁を展開させても、それは経験の差でアセリアには敵わない。

 ならば自分のもっとも得意とする回避に力を入れたのである。

 

 だが、全ての力を回避に入れているわけではない。

 

「突き、突きーー!!」

 

「!! ……ん!」

 

 隙を見て、ハンズオブグローリーを曲げたり、伸ばしたりして攻撃する。

 『天秤』はうまく使えないので出番なし。

 

「本当になんて回避能力……剣も障壁も使わずにアセリアの剣を全て避けるなんて……それに、アセリアの攻撃の間を縫って攻撃してる」

 

 他のスピリット達も戦いの変化に気づき、驚いている。

 戦況は互角になっていた。

 

(よし、勝ってもいないけど負けてもいない。パンツにも慣れたしこれで……っ!)

 

 横島は気づいてしまった、アセリアが仕掛けてきた最大の攻撃に。

 

(な、なんてこった……)

 

 それは歴戦の戦士である横島すら戦慄する攻撃だった。

 

(透けて……透けてきている!!)

 

 衣服は水分を吸収するとすけるのだ。

 戦い続けたことにより、汗が出てくるのは必然。

 そう、アセリアの服は汗を吸い、透け始めたのだ。特に白いパンツは危険なのである。

 見えてはいけない筋が見えそうだ。

 

(ぐうっ……俺はロリコンじゃない!! 見なければいいんだ。見なければ!)

 

 必死に目を下腹部から逸らし、なんとか見ないように心がける横島だったが、アセリアはそんな横島の行動をあざ笑うかの行動に出る。

 空中に飛んで切りかかって来たのだ。

 

「あ、足を上げるな! 飛ぶなぁぁ! 透けるなあぁぁぁーーー!!!」

 

 一体何が透けてきているのか分かったスピリット大人組みは横島に白い目を向ける。まあ大人組みと言っても、ハリオンは「男の子ですぅ~」とにこにこ笑い、ナナルゥは「女性の股間部がヨコシマ様の弱点ですか」と妙な観察をしているのだが。

 互角になっていた戦局は一変した。

 アセリアを極力視界に入れないようにした横島が押され始めたのだ。

 

「くそー! これがセリアやヒミカなら思う存分見られるのにーー!!」

 

 横島はぎりぎり子供に認定されているアセリアのほにゃらら部分を見ても、ロリコンじゃないから煩悩などでないと思っているが、もしもアセリアのほにゃらら部分を見て、煩悩が湧き上がりでもしたら、何かが終わってしまう。

 そう、横島忠夫としての、決して譲れぬ一線が。

 その恐怖のせいで、横島はアセリアを見ることができない。

 ちなみに横島の発言のせいで、セリアとヒミカは鳥肌との戦いに集中する羽目になっていた。

 

 そして戦いはフィナーレを迎える。

 動きが鈍った横島にアセリアがマナを集中させた『存在』で切りつける。

 アセリアをあまり見ることができなかった横島は反応が遅れた。咄嗟にマナの障壁を張ったが強度が足りず、『存在』が横島の腹に食い込んだ。

 

「今度からはスカートを……」

 

 それが横島の最後の言葉だった。

 

「まったく! 本当になんて人なの!!」

 

 モクモクと湯煙が湧くなか、一糸纏わぬセリアが顔を真っ赤にして怒っている。

 

「でも最後までヨコシマ様はアセリアの……その……下着を見ようとはしなかったわ。ひょっとしたらヨコシマ様は紳士なの…かも……」

 

 いつものように横島に文句を言うセリアに、ヒミカが横島の弁護をする。もっともヒミカの弁護の声は弱弱しいものであったが。

 なお、ヒミカも裸である。

 

「ヨコシマ様は~とってもエッチで純情なんですよ~」

 

 ハリオンは豊満な胸がぷかぷか浮かべている。浮かんでいる理由は浮力である。

 

「あれも『愛』の一種なのでしょうか」

 

 ナナルゥがどこかずれたことを言う。ナナルゥは手に本を持ち、興味深そうに本を読んでいた。題名は『色々な愛の形』

 

「ちょっとナナルゥ、こんなところで本を読まないで」

 

 セリアが文句を言う。

 だが、ナナルゥは眉ひとつ動かさない

 

「ラキオスの規定にはこの場所で本を読んではいけないとはありませんでした」

 

「一般常識だからです! それぐらい当然で……きゃあ!……一体なに!」

 

 セリアの頭に何かがぶつかり、ぶつかった物が湯船に沈んでいく。セリアはそれを拾い上げた。それは、T字型の木で出来たものだった。

 

「ああ~竹とんぼですね~ヨコシマ様がネリーたちに作ってあげたおもちゃです~」

 

「ネリー! シアー! ヘリオン! エニ! 風呂場におもちゃを持ち込まないで!!」

 

「はあーい」

 

「あーい」

 

「ふえーん、私は遊んでたわけじゃないのにー」

 

「テンくんなにしているかなぁ」

 

 そう、ここは第二詰め所の風呂場。

 

 ラキオスのスピリットには訓練後に入浴が義務付けられているのだ。

 浴槽は広く、八人ぐらいでも特に狭くは感じない立派なものだった。スピリットは奴隷に扱われようだが所々に妙に良い扱いな部分もあるということだろう。

 

 そこはまさにスピリットの園といえる場所であった。

 だが、そこに大いなる悪しきものが迫っていた。

 

「ぬっふっふ、スピリット達は訓練後に風呂に入る……俺のリサーチ通りだ」

 

 頭にバンダナを付け、邪悪な笑いを浮かべる男。そう我らのヒーロー横島だ。

 彼がこんな素敵イベントを見逃すはずがないのである。

 

 スピリットには有事の際に素早く対応できるよう、神剣の携帯が義務付けられているが、さすがに風呂場まで神剣を持ってくるようなことはない。

 せいぜい脱衣所に神剣を立てかけているくらいだ。

 神剣さえなければ、横島の中にある『天秤』を察知されることもない。

 

 彼はさっそく風呂場の屋根に上り、そこにある天窓から覗き行為を開始する。

 まず最初に目に飛び込んできたのはロリ娘達だった。

 

(ふっ、五年早いわ! 二次成長が始まっているかいないかも分からぬ体で、俺を誘惑できるわけないだろうが!!)

 

 横島はロリっ子に勝利すると、すぐに視界を湯につかっているセリア達に切り替える。

 

(くっ! 湯船に入っているから肝心なところが見えんが……それもまた良し! 

 一体いつ立ち上がるか、このどきどき感が堪らない!!)

 

 横島のテンションがかつてないほど高まっていく。霊力もうなぎ上りだ。これこそ煩悩者、横島の本領発揮といったところだろう。

 

(まったく馬鹿らしい)

 

 そんな横島を『天秤』は一人、冷めた目で見ていた。後々痛い目に合うのは間違いないはずなのに一時の快楽に浸るなど愚かなことだと思っていた。

 

(まあ、私には関係ないか)

 

 横島が痛い目にあっても『天秤』には関係ない。 たとえ覗きがばれても殺されるような折檻はないはずだ。『天秤』は外部の情報を見ないようにして、一時的に睡眠を取ろうとしたが、

 

 ――――『天秤』……何をやっているのですか?

 

 突如、『天秤』に何者かが語りかけてきた。その声に『天秤』は身を固くする。その声は自分が絶対の忠誠を誓った相手だった。

 

(『法皇』様……何故……)

 

 ――――少し貴方の手助けをしようと思いまして。

 

(手助けですか? 一体なんの手助けを……)

 

 ――――彼とエニの仲を進展させるための手助けですわ。

 

 『天秤』はその申し出に歓喜した。正直、どうすれば横島とエニの仲を進めればいいのか手詰まりになっていたのだ。

 

(して、どういう方法を……)

 

 ――――知っての通り、彼はスケベです。彼がまず、相手に好意を抱くのはその肉体から。つまり、彼とエニの仲を進めたいならば……

 

(主がエニの肉体に興味を持つようにすれば良い……ということですか)

 

 ――――その通りですわ。

 

 なるほどと『天秤』は感嘆した。主の特性を生かした良き策であると。

 

 ――――それでは私はこれで、期待していますわよ『天秤』

 

 そう言って声は聞こえなくなった。

 『天秤』はさっそく行動を開始する。

 

『主よ、セリア達の方ばかり見ていないで、エニ達を覗こうとはしないのか』

 

(馬鹿言うな『天秤』。誰がガキの裸なんてみたいものか)

 

 にべもなく『天秤』の意見を却下する横島。だが『天秤』はそう簡単には諦めない。

 植え付けられた知識から何とか横島が興味を引きそうな言葉を引き出す。

 

『大きいよりも小さいほうが萌えるとは思わんのか』

 

(俺が萌えるのはナイスボディなお姉さんだけだ。くびれもないガキに興味はないぞ)

 

 やはり、横島の心は動かせない。『天秤』は負けじと言葉を続ける。

 

『可愛らしいものを愛でる可笑しいことではないだろう!』

 

(それは保護欲とかだろう。俺が求めているのは性欲なんだ)

 

 迷いの感じられない横島に『天秤』は焦り始まる。

 うまく行くかと思った策略だったが、横島の妙に高い倫理観に阻まれてまったく効果がなかった。

 女好きの変態の癖になんでこうも倫理観があるのかと『天秤』は心の中で悪態をつくが、そんなことを言っている場合ではなかった。

 

『だ、だが未成熟な青い果実は良いとは思わんか!! つるつるだぞ!!』

 

 『天秤』は必死になって幼女の良さをアピールする。任務のため、敬愛する上司の為、彼は頑張った。しかし。

 そんな『天秤』に横島は生暖かい視線を向ける。

 

(『天秤』……いや、『ロリ剣』人には色々な性癖があるのは知っている。だけどそれを他人に押し付けちゃいけない。大丈夫だ、そういう奴がいるってことはちゃんと理解してやるから……)

 

 優しさと慈愛、そして哀れみが溢れた横島の言葉が『天秤』の心を深くえぐる。

 絶句した『天秤』を気にもせず、横島はセリア達の覗きを始め、ぬふふと笑い出した。

 そんな横島に、『天秤』の心が激しく燃え盛る。

 

 それは、激怒、赫怒、激昂、憤怒、憤慨。

 微妙なニュアンスの違いはあるがその根本は怒り。

 一体何故、横島に対して怒りを感じているのか『天秤』自身にも分からない。

 だが、とにかく許せなかった。

 

『食らえ、ヨコシマ!!』

 

「なに? い、いだだだだだ!!!」

 

 横島の体に百万ボルトの電撃が流れているのではないかと思うほどの痛みが走り、悲鳴を上げる。

 その声は当然セリア達にも届くことになった。

 

「ヒミカ!!」

 

「ええ、分かってる!!」

 

 ヒミカは側に立てかけていた神剣『赤光』を取ると神剣魔法の詠唱を始める。

 その間、セリアはバスタオルを取り全員に渡す。

 

「永遠神剣の主として命じる。マナよ炎に変わりて、敵を討て! ファイアーボール!!」

 

 ヒミカが放ったファイアーボールは天窓付近を豪快にぶち破り、大穴を空ける。

 そして空から真っ黒な物体が浴槽に落ちてきた。

 セリアはその物体につかつかと近づいていく。それが何のか既に分かっているのだ。

 

「ヨコシマ様はあんなところで何をしていらしたのですか?」

 

 セリアは横島ににこやかに笑いかけるが、目はまったく笑っていなかった。

 

「ふっ、芸術鑑賞だ!」

 

「……これから何が起こるか……貴方は理解してますか?」

 

「当然だろ」

 

 リターンがあればリスクがある。そのことを横島は理解していた。

 だから彼は今更じたばたしない。悟りの境地に横島は既に達しているのだから。

 

「いい覚悟です。最後に何か言い残すことはありませんか」

 

「ちょっとセリア、彼は私たちの上官よ! それに何か理由があったのかも……」

 

 ヒミカが横島を擁護する。上官だからというのも確かな理由だったが、ヒミカは横島を信じたかったのである。

 横島にとってはヒミカの擁護が返って辛いだけだった。

 だから、本当に言いたいことを言ってしまったのだ。

 

「小 中! 大! 極大!!」

 

 ヒミカ達を指差しながら謎の言葉を言っていく横島。

 一体なんの大きさを言っているのだろうか。

 ただ、言えること、横島は一人の味方を失ったのだ。

 

「ヨコシマ様……それが貴方の答えなのですね……『赤光』!!」

 

 ヒミカの永遠神剣『赤光』に炎が宿る。彼女は般若と鬼を足して、隠し味に龍を加えたような顔をしていた。

 

(ここまでか……)

 

『ふん、自業自得というやつだ!!』

 

(なに! ……あ、そうだ!!)

 

 横島は思い出した。自分のほかにも罰を受ける者がいたことを。

 

「ちょっと待ってくれ!」

 

「いまさら命乞いですか……見苦しいですよ、ヨコシマ様」

 

「違う! もう一人罪人がいたんだ。出て来い『天秤』」

 

『なに?』

 

 横島の手に『天秤』が現れる。そして、横島は『天秤』をエニ達の方に投げ捨てた。

 

「なあエニ、さっき『天秤』……いや『ロリ剣』が何を言ってたか皆に説明してくれないか」

 

『っ!! 待て、エニ! さっきのは!!』

 

 『天秤』がエニに制止の言葉をかけるが一歩遅かった。

 

「えーとね……エニ達のことを小さくて萌えるとか、可愛らしいものを愛でるとか、未成熟な青い果実は良いとか言ってたよ」

 

 そうエニが言うと、大人たちの冷たい侮蔑の視線が『天秤』に突き刺さった。

 その痛いもの見る視線に自尊心が高い『天秤』が悲鳴を上げる。

 

『わ、私のイメージが……ヨコシマーー!! 貴様、よくも私のイメージを!!』

 

「ははは!! 何を言うパートナー。苦楽を共にしてこそパートナーだろうが!共に地獄に堕ちようじゃないか、『ロリ剣』!!」

 

 そして、死の宴(いつものお約束)が始まった。

 

 横島に行われる圧倒的な暴力の数々。

 セリアとヒミカが中心になり、殴る蹴る燃やす冷やすなどの暴行を加えていく。

 その暴行にはナナルゥも混じっていた。

 彼女は横島を攻撃する前、こう洩らしていたのだ。

 

「SMというのは一つの愛の形らしいです」

 

 ナナルゥの愛探しはいきなり暗礁に乗り上げていた。

 

 だが、ある意味一番恐ろしかったのはハリオンだろう。

 ハリオンは横島がぼろぼろになり、三途の川を渡ろうとした時に回復魔法を唱えるのだ。

彼女はにこにこと笑い、「痛いの痛いの飛んでいけ~」と言いながら、永遠の暴行を繰り返す原動力になっていた。

 

 それはさながら無間地獄。

 にも関わらず、横島がギャグ属性のおかげで酷くコミカルな絵になっている。

 擬音にするならポカポカメラメラヒュルルーシャラララーンだ。

 

 その様子を見た『天秤』は震え上がった。

 『天秤』を取り囲む幼きスピリット達は横島にお仕置きしているセリアたちを興味深そうに眺めている。

 いつ、こちらにも暴行が来るかと恐怖した『天秤』は、言葉が通じるエニに助けを求めた。

 

『エニ、私にあのような事はしないよな! お前は私に好意を持っているのだから!』

 

 いつになく必死な『天秤』だったが、エニは『天秤』の方を見ると、悲しげな顔をした。

 

「ううん、大切な……大切な人だからこそエニはテンくんに罪を償ってほしいよ」

 

 なに悲劇のヒロインぶっているんだと『天秤』は思ったが、エニの助けが期待できないことが分かると、何も言えなくなった。

 ネリーやエニ達は笑いながら『天秤』に近づいていく。別に裸を見られたことはどうでも良かったのだが、横島を殴っているセリアたちが楽しそうだったので自分たちもやってみたくなったのだ。

 

 そして残虐は始まる。

 

『くるな! やめろ、熱い! だからといって冷やすな! 熱膨張が起こる!

神剣とて壊れ……落書きするな! 頼む、止めてくれ! 熱い! 冷たい! 熱膨張はいやだ! 『法皇』様! お助けを!!!』

 

『天秤』は上司に助けを求めた、しかし……

 

 ――――見苦しいですわよ、『天秤』。任務に失敗したのですから、それぐらいの罰は当然ですわ

 

 敬愛する上司からの返答は『天秤』を絶望に追い込む。

 それからしばらく、風呂場から横島と『天秤』の叫びは止むことはなかった。

 ちなみに、我に返ったヒミカは「また隊長に不敬を働いてしまった」と落ち込んだらしい。横島が発するギャグオーラに、彼女もまた飲まれようとしているのだろう。

 

 惨劇が終わり、再生が終了した横島は自室に戻り、ベッドへ寝転がっていた。

 

「いやー、痛かったな『ロリ剣』、でもいいもの見れたから良しだな!」

 

 朗らかに言う横島に『天秤』が切れる。

 

『何を言っている主! お前の所為で私まで酷い目に遭ってしまったではないか!! 

それに私は『ロリ剣』ではない!!』

 

 烈火の如く怒り狂う『天秤』に横島がくっくっと笑う。

 

「『ロリ剣』、心を捨てて大局を見ろ。私情に駆られても良いことはないぞ」

 

 以前に『天秤』に言われたようなことを言い返す横島。その言葉に『天秤』は悔しそうに唸ると『私はロリ剣ではない』と言って沈黙した。

 その様子は妙に可愛く、馬鹿弟子を思い起こさせる『天秤』に横島は必死に笑いをかみ殺す。

 

 笑い終えると、横島はため息をついた。

 さすがに色々あったせいで横島も疲れていのだ。

 目を閉じて、羊を数えることもなく眠ろうとするが。

 

 自分を信じること。それが心の剣なり、楯となる

 

 悠人が言った台詞が頭の中に響いてくる。横島は妙にその言葉が気になっていた。

 

「自分を信じろ……か。自分ほど信用ならないのがこの世にあるかよ」

 

 自嘲的な笑みを浮かべる。

 横島忠夫は守れなかった。一つしか手に入れられなかった。犠牲を払わなければ手に入れられなかった。

 

 横島忠夫は横島忠夫を信用してはいない。好きか嫌いかで言えば、大嫌いだった。

 最愛の女を自らの手で殺して、平然とふんぞり返るなど出来るわけがない。

 だから彼は自分を信用しない。

 しかし、いつまでも信用できない自分でいるつもりはなかった。

 スピリットを殺さずに戦いを終えられれば、自分を信じられるようになるかもしれない。

 彼女も、許してくれるかもしれないと思う。

 

 頭の中で先ほど大騒ぎした女性たちを思い浮かべる。

 そして、これから出会い、戦うことになるだろう妖精達に思いを馳せる。

 

「絶対殺さんからな!」」

 

 それは反逆の声。

 このどこか狂っている世界への。

 そして殺す以外に選択せざるをえなくなってしまった過去の自分への。

 ありったけの思いを込めた言葉が空中に浮かび、闇に溶けていく。

 

 闇は笑っていながら、その言葉を飲み込んでいった。

 

 

 



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第八話 不協和音

「またかよ……勘弁してくれ……ほんと」

 

 花咲き乱れる幻想的な草原が広がり、そこにその場には不向きの一人の青年がぽつんと立っていた。横島だ。

 しかし、その様子は普段の彼ではなかった。周りをきょろきょろと見渡し、顔からは血の気が引いて真っ青だ。さらに横島は自分の頬を引っ張りながら、ぶつぶつと何かを言っている。

 

「早くこの夢から覚めないと……早く!」

 

 横島は頭をぽかぽかと殴りつける。その様子は危ない人のようだ。

 そんな横島の後ろに突如人影が現れる。

 

「何やってるんですか~ヨコシマ様~」

 

「!?」

 

 振り向いた先にいたのは、巨乳天然お姉さんのハリオンだった。

 いつものように人を脱力……ではなく、安心させる笑顔で横島に近づいてくる。

 本来なら飛び掛るかナンパするかのどちらかを選択するのが横島だろうが、ここで横島が取った行動はハリオンから後ずさることだった。

 

「何で逃げるんですか~ヨコシマ様~」

 

「こっちに来るな! こっちに来たら……」

 

 女性に向かってこっちに来るなという横島。このことがどれだけ異常なことか彼を知る者なら良く分かるだろう。

 そのまま後ずさっていた横島だったが、ふいにその足が止まる。足を止めた理由は簡単。後ろが断崖絶壁になっていたからだ。一面草原だったはずなのに。

 さらに、いつの間にか右手には『天秤』が握られていた。

 

「だからどうして」

 

 苦りきった顔で『天秤』見つめる横島。

 『天秤』を握った右手は横島の自由に動かない。右手は勝手に動きはじめ、大きく振りかぶる。

 

「ハリオン! 俺から離れろ!!」

 

「どうしてですか~? 早く私を再生の剣へ~返してくださいよ~」

 

「な、なにを!?」

 

 ハリオンが意味不明なことを言い、横島を混乱させる。分かったことは唯一つ、ハリオンは 『天秤』で切られることを望んでいるということだけ。

 そして、ニコニコと笑っているハリオンの首めがけて『天秤』を振り下ろして―――――

 

 切り落とした。

 

 自分の右手を。

 

 左手で作ったハンズオブグローリーで。

 

 永遠の煩悩者

 

 第八話 不協和音

 

「くはっ!」

 

 ぽにょん。

 

 肺に溜まった空気を吐き出し、ベッドから飛び起きる。体からは嫌な汗が噴出し、心臓は早鐘のように鳴り響く。汗を吸った衣服がべっとりとしていて気持ち悪い。

 横島の目覚めは最悪だった。

 

(またかよ……)

 

 バーンライトのスピリットを撃退してから三週間、横島はこんな夢ばかり見ていた。自分がスピリットを傷つける夢を。

 夢は人の潜在的欲望を表すという。横島はそのことを思い出し、げんなりとした。

 

(俺って……超弩級のSだったのか)

 

 思わぬ自分の性癖の発見に心が重くなる。別にMが良いというわけではないが、なんとなくショックあった。

 

(ちがう、そうではないだろう! 何故、そんな結論になるのだ!?)

 

 密かな突っ込みを受けた横島だが、ここで妙なことに気づく。

 視界が真っ暗だった。しっかりと目を開けているにも関わらず一寸先も見えない。さらに顔全体に何かやわらかいものが当たっていた。

 

「ひゃんじゃほにぇわ(なんじゃこれは)」

 

 何かが口に当たっているため、思うように発音できない。その何かから顔を離せば済むことなのだが、何故か体が動くのを拒否していた。

 

「やん、動かしちゃだめですぅ~」

 

 聞き覚えがある声が聞こえてくる。横島はその言葉を聞いて一気に覚醒した。自分の顔に当たっている物体。それは神秘にして魅惑、男にとっての理想郷、その名は。

 

「……胸! おっぱい! マシュマロ~」

 

「あらあら~朝から元気ですね~」

 

「元気とかそういう問題じゃないでしょうが!」

 

 どうしたことか、横島の部屋にはハリオンとセリアが入ってきていた。ハリオンはいつも通りにこにこ笑い、セリアもいつも通りというか怒っている。

 パフパフ、朝の生理現象、目の前にいる二人の美女という三つの力が一つになった横島に恐れるものは何も無い。伝説の怪盗の力が今目覚める。

 

「ふーじ○ちゃ~ん~」

 

「や~ん、ヨコシマ様~」

 

「……滅!!」

 

 お約束どおりハリオンに飛びつこうとした横島に、これまたお約束どおり迎撃するセリア。

 横島の首に過不足ない力で手刀を打ち込む姿は既に手慣れたものだった。その一撃は悲鳴一つ上げることさえなく横島を昏倒させる。

 

「酷いじゃないですか~セリアさん~ヨコシマ様を叩くなんて~」

 

「何言っているの! 貴女は襲われる寸前だったのよ!」

 

「でも~セリアさんが助けてくれたじゃないですか~」

 

「私がいなかったらどうするつもりだったの!」

 

「その時は襲われないですから~」

 

「はあっ!?」

 

 ハリオンと話しているとセリアの頭はどうにかなりそうだった。ハリオンの言っていることがまったく理解できない。

 

(私がいなければ襲われないって……私がいたから襲われたって事!? 馬鹿馬鹿しい!)

 

「でも~ムスコさんも元気そうで何よりですぅ~」

 

「はっ?」

 

 ムスコとは一体何だ。

 ハリオンが見つめる先を目で追う。

 

 そこに、それはあった。

 圧倒的な質量と存在感。空に向かって突き出ているその姿は、さながら舞い上がろうとする竜のごとし。まるで我を褒めよ、讃えよと言っているような威圧感。

 生命力と躍動感満ちるその存在。

 

 そそり立つ姿はまさに、力強き生命を示すキノコの山!!

 

「きゃあああ!!!!」

 

 それは理屈ではなく、本能だった。

 腰だめから神剣『熱病』を引き抜き、キノコに切りかかる。

 

 めきょお!!

 

「!!…………(白目を剥いている)」

 

 父さん……ぼく……もうだめみたいだ……

 

 キノコの山……完全沈黙!!

 

 ただ幸いだったのは、焦っていた為か剣の刃ではなく、平らの部分で叩いたことだった。

切られたわけではないので、再起不能ではないだろう。

 

「なんてことをするんですかぁ~セリアさん~男の人にとって~ムスコさんは大切な場所なんですよ~」

 

「知らないわよ、そんなこと!!」

 

 珍しく怒った感じで、セリアを叱りつけるハリオン。まあ、怒っているといっても全然怒っているようには見えないのだが。

 一方、セリアは顔を真っ赤にして怒り狂っていた。朝っぱらから生命の力強さを見せられてしまえば、この反応は当然だろう。

 

「ああ、もう!! さっさと、行きますよ。もたもたしている場合じゃないんですから……まったく、何で私がこんなことを……」

 

 セリアは怒りと羞恥のため顔を真っ赤にしながら、泡を吹いている横島の首根っこを押さえてずるずるどこかへ引きずっていく。その姿をハリオンは首を捻りながら見送っていた。

 

(大丈夫なんでしょうか……ヨコシマ様。色々と……)

 

 自分を見たときの横島の表情、一瞬の戸惑い。そしてここ一ヶ月の彼の様子。どうにもハリオンには不安が拭いきれないものがあった。

 

「あとで~私の作ったお菓子でも持っていってあげましょうかね~」

 

 第一詰め所の一室。

 

 横島は目覚めてすぐに着替えさせられると、そこまでずるずると引きずられ、イスに座らされた。部屋には悠人とエスペリア、それに横島を運んだセリアがいる。

 いつの間にか復活した横島はエスペリアの姿を確認すると早速、肉体的な挨拶を開始しようとしたが、部屋の雰囲気が余りに重く、ここでふざければ悠人とセリアのマッスルドッキングを食らいかねない事を理解した。息子の調子が悪いこともあり、肉体的な挨拶はお預けのようだ。

 今この場にいるのはスピリット隊のなかでも重要な人物ばかり。

 

 悠人はこの場でもっとも権限が強く位も高い隊長。

 エスペリアは悠人の副官という立場。

 横島は悠人の次に権限が高い副隊長。

 セリアは横島の副官に近い立場といえる。近いというのは、横島には厳密に言えば副官は存在しない。ただ、第二詰め所の中のまとめ役だからという理由で会議に出席していた。横島のお目付け役も兼ねているとも言える。

 

 この四人が戦いを、戦争をする上での作戦を決める陣容だろう。だとすれば、おのずとここに連れてこられた理由も分かるというもの。

 

「バーンライトに動きがありました」

 

 エスペリアの言葉に悠人と横島の顔がピクリと動く。

 朝一番にこんな重苦しい雰囲気の場に呼びだされた時点で、うすうすはそのことに気づいていたが、心のどこかでその可能性を否定したかった。

 戦争が始まるという可能性を。

 

「ですが、バーンライトとの作戦を決める前にユート様とヨコシマ様に現在の国々の状況を説明しておこうと思います」

 

 立ち位置から考えるとエスペリアが話し合いの進行役になるようだ。

 その顔にはいつもの人を安心させるような笑みではなく、険しいとまではいかなくとも、非常に真面目な顔をしている。普段とは違う雰囲気のエスペリアに悠人の顔は自然と引き締まる。

 一方、横島はきりりとしたエスペリアとメイド服のギャップに鼻息を荒くしていた。もし、セリアがテーブルの下で横島の足を踏んづけていなければメイドさん危機一髪!!な事態が引き起こされていたのは間違いない。

 

「では、ラキオスと関係が深い北方五国について説明します。大陸のなかでラキオスはもっとも北部に位置する小国家です。」

 

 エスペリアはテーブルに置かれた地図の中で、大陸の上部に位置するところを指差す。そこには聖ヨト語でラキオスと書かれていた。

 

「次にラキオスの西方に位置するサルドバルド国。この国はラキオスとは"龍の魂同盟"という軍事同盟を結んでいます。次に西南方に位置するイースペリア国。イースペリアもラキオスとは"龍の魂同盟"を結んでいます」

 

「でも軍事同盟っていってもイースペリアが戦争の援助とかしてくれないんすよね」

 

 発言したのは横島だった。悠人たちは横島の発言に驚く。

 なんでそんなことを知っているのかと。

 

「はい、サルドバルド・イースペリアとも軍事関係の援助は期待できません。"龍の魂同盟"は事実上の相互不可侵条約のようなものです。よくご存知ですね、ヨコシマ様」

 

 エスペリアは感心の目を横島に向ける。悠人とセリアも驚いたような目で横島を見つめていた。横島は褒められて少し顔を赤くし、ぽりぽりと頬をかく。

 

「いや~なんでもイースペリアって女王様が治めてるって聞いたんで少し調べたんですよ」

 

 横島の言葉にエスペリアの顎がかくんと落ちる。悠人とセリアは横島の言葉にそういうことかと納得していた。横島という人間像はちゃくちゃくと皆の中で出来上がりつつあるようだ。

 

「で、では次はラキオスの東南方に位置するダーツィ大公国。この国はラキオスとは敵対していますが、山脈によりラキオスとは遮られており、今のところ戦争などは起こりえません」

 

 悠人はエスペリアが言った言葉の一部分に引っかかりを感じた。

 

 今のところ戦争など起こりえない。

 

 つまり後々戦争が起こるということなのだろうか。

 悠人はそこの所が気になったが、エスペリアは悠人を気にせず話し続ける。

 

「そして、目下ラキオスの敵国であるバーンライト国。ラキオスの東方に位置して、ラキオスとは長年の宿敵とも言える国です……ここまでで何か質問はありませんか?」

 

 一本の手が挙がる。横島だ。

 

「エスペリアさん、質問があるんですけど」

 

「はい……あの、ヨコシマ様。私にさん付けをする必要はないのですが……」

 

 エスペリアの言葉に横島の目がかっと見開いた。

 

「何を言うんです、エスペリアさん! 年上の美人メイドさんを呼び捨てには出来ませんよ!」

 

 勢い込んで言ってくる横島にエスペリアの顔が困惑と恐怖に彩られるが、なんとか後ろに下がるのを我慢する。

 

「は、はあ……ですがユート様も私を呼び捨てになさっていますから」

 

「悠人! 年上の美人メイドさんを呼び捨てにするとは何事か! まさか、二人っきりの時にはご主人様とか呼ばせているんじゃないだろうな!!」

 

「そんなわけあるか!」と怒鳴ろうとした悠人だったが、頭の中でご主人様と言っているエスペリアが浮かんでくる。

 

 おはようございます、ご主人様。お着替えをお手伝いします、ご主人様。あ~んしてください。ご主人様。お勉強の時間です……優しく教えて差し上げますね。お昼寝の時間です、膝枕をお望みですか? ご主人様。お背中お流しします。ご主人様。御休みの時間です……夜伽もお望みでしょうか。

 

 ご主人様。

 男なら一度は言われてみたい魅惑の言葉に悠人のロマン回路が作動する。むっつり仮面が崩れ落ち、目じりが下がり、にへら~とした顔になるが、視線を感じてはっとした。

 横島とセリアはじと~とした目で悠人を見ている。エスペリアはそんな悠人の様子になにやら考え込んでいるようだった。

 

「ご、ご主人様だなんて呼ばせるわけないだろうが!」

 

「考えたな! 絶対に考えたな、このむっつりスケベ!!」

 

「ユート様が望むのならご主人様とお呼びしても……」

 

 横島と悠人が激しく言い合い、エスペリアは真剣な顔で不穏当な事を口走る。国の行く末を左右する会議が一転して、ご主人様に関する話にすり替わってしまった。

 もはや正常な会議は期待できないかと思われたが、そこに救世主が現れる。

 

「三人とも……話を進めませんか?」

 

 セリアがにっこりと笑いながら、三人に静かな声で話しかけた。セリアの目に宿る青白い光に、三人はこくこくと頷く。立場的には一番弱いはずのセリアだったが、三人をしっかりと威圧している。その様子は、さながら影の支配者と言ったところか。

 

「……で、では、ヨコシマ様。質問があるのならお願いします」

 

「はい、それじゃあ質問なんですけど、なんでエスペリアさんはこんなときでもメイド服で……いぎ!」

 

「話を す す め ま せ ん か!」

 

 グリグリと妙な音が聞こえてくる。

 セリアは相変わらず笑っていたが、頬はぴくぴくと引きつっていた。横島は机に突っ伏して悶絶している。

 悠人とエスペリアの視点ではテーブルが死角となって良く見えないが、セリアが横島に攻撃を仕掛けているのは間違いなかった。

 

「え~、特に質問はないみたいなので話を続けます」

 

 エスペリアは横島の質問をなかったことにした。懸命な決断と言える。

 

「では諜報部から送られてきたバーンライトに関する説明します」

 

 聖ヨト語で書かれた数枚の資料を取り出す。

 

「バーンライト王国の動きが慌しくなっています。スピリットの半分をリーザリオというラキオスの国境付近の町の近くに配置して動きも活発化しています。ラキオスに侵攻しようとしている可能性が非常に高いでしょう」

 

 エスペリアの言葉は、ほぼ間違いないと断定する口調だった。

 

「バーンライトが所有しているスピリットの数はおよそ40前後……我々が現在戦力の3倍ほどです。しかし龍を倒したことにより、マナの保有量はラキオスのほうが多く、マナをエーテルに変換して、私達も強化されているため個々の実力では我々のほうが上でしょう。

 それに我々には伝説のエトランジェが二人もいます。さらに敵は戦力を二つに分けている……十分に勝てる戦いです」

 

 量では負けているが質では勝っている。悠人が殺した龍のマナで、セリア達が強化されているのも大きいのだが、それにしてもセリア達は強くなっていた。

 特にネリーやヘリオンなど、まだ若いスピリット達の成長は著しいものがあった。少なくとも他の国のスピリットと比べても遜色ない力を既に持っているだろう。その一因に横島や悠人が関わっているのだが、当人たちはまったくそのことに気づいていなかったりする。

 

 エスペリアは不確定な発言をする人物ではない。

 冷静にラキオスとバーンライトの戦力を比較してその上で勝てると言っているのだ。その事実は少なからず横島達を安堵させた。不安の全てがなくなったわけではないが、それでも自分たちのほうが優位に立っていると分かれば、安心できるというものだ。

 

「ここまでで、何か疑問に思ったことがあるのなら、何でも聞いてください」

 

 エスペリアが質問を促す。そして一本の手が挙がる。またもや横島だ。

 すると、悠人とセリアが横島を半目で睨んだ。エスペリアも額に汗を流し、困った表情を作っている。先ほどの行動や普段の行いなど、場を混乱というかカオスに導こうとする横島を警戒するのは当然といえるかも知れない。

 

「今度は真面目な質問をお願いします……でないと貴方はムスコを永久に失うことになりますよ……」

 

「は、はひ……」

 

 父さん……怖いよ……

 

 セリアの目は真剣と書いてマジと読むと言うに相応しいものだった。まだ息子には一度も親孝行をしてもらっていないのだ。こんなところで失うわけにはいかない。

 横島は一度、自分の質問内容が真面目か、不真面目か自問自答して、大丈夫だと判断した。

 

「それじゃあ質問ですけど、そもそも戦争はどうやったら勝ちになるんすか?」

 

 とりあえず真面目な質問にエスペリアは胸をなでおろす。

 

「そうですね……基本的にはその国が所有する全てのスピリットを排除すれば戦争は終わります」

 

 その言葉に悠人と横島の顔が引きつった。顔も血の気が引き、青くなる。

 それはつまり、40人以上の美しき女性達を皆殺しにしなければいけないということだ。

 その中には、十にも満たない子供も含まれるかもしれない。

 

「ちょっとまてエスペリア。基本的には全スピリットの排除ってことは、例外もあるってことだろ」

 

「はい、スピリットを全排除しなくてもバーンライトの首都を守るスピリット達だけを全滅させれば戦いは終わるでしょう……ですが」

 

 エスペリアはそこで言葉を区切ると、地図を指差し厳しい表情を作る。横島達も地図を覗き込んだ。

 

「現在、ラキオスとバーンライト首都を繋ぐ道は二つあります。一つは敵国の拠点があるリーザリオ・リモドアを経由していく道。もう一つはラキオスの拠点であるラセリオを経由していく道」

 

 地図ではリーザリオ経由でバーンライト首都に向かうよりも、ラセリオ経由でバーンライト首都に向かうほうが早くバーンライト首都に到達できるようだった。

 

「ただ、ラセリオ経由の道はバーンライトの工作兵によって寸断されています。つまり……」

 

「つまり一本道だから、バーンライト首都に向かう道筋にいるスピリット達を全滅させていかなくちゃいかないわけか」

 

「その通りです」

 

 悠人が悔しそうに納得した表情を見せる。だが、横島は納得していなかった。

 

「ちょっと待った! 別にそんなに殺さなくてもある程度こっちが勝てば向こうだって投降してくるんじゃないか?」

 

 横島の質問にエスペリアは首を横に振る。

 

「それは無理だと思われます。スピリットは投降しません。人が命じれば死ぬまでその命令を守ろうとします。人間が投降を命じれば別ですが、人間が投降を命じることはまずありません」

 

 戦うのは自分達ではなくスピリット。たとえ大勢が決まり、勝敗が決しようと人間達はスピリットを戦わせる。人間がスピリットに投降を命じるのは、首都が落ちて王が倒れてからなのだ。

 悠人はこの世界の人間達の性根に心底、嫌気がさしていた。そして、こんな人間達に使われている自分に腹を立て、スピリットに心から同情する。

 

 横島もこの世界の人間に腹は立っていたが、それ以上にスピリットという存在を不思議に思えた。

 スピリットには自我がある。人間によって心を神剣に飲まれたスピリットは自我が消失するが、本来、スピリット達は人間とまったく変わらない喜怒哀楽を持っているのだ。それにも関わらず、人間には逆らえない。人間を遥かに凌駕する力を持っているのに。

 

「スピリットが人間に何故か逆らえないのは知ってるんですけど……エスペリアさんは人間に逆らおうと思ったことすらないんすか?」

 

「……ありません。スピリットは人間の道具です。それ以上でも以下でもありません。

 ユート様もヨコシマ様も我々、スピリットのことは道具として、駒として扱ってください。それが正しいスピリットの運用方法です。その結果壊れてしまってもどうという事はありません。

 道具が一つ壊れるだけなのですから……」

 

 自分が道具として扱われ死んでしまったとしても、それが当然のことのように言うエスペリアだったが、悠人も横島も気づいていた。エスペリアが感情を押し殺し、声が震えるのを必死で押さえているのを。その様子はあまりに痛々しかった。

 

「いい加減にしてくれ、エスペリア! なんでそんなにも無理をするんだ。本当は怖いんだろ! 駒として扱われたくなんて無いんだろ! だったらそう言ってくれ。俺が出来うる限り守るから!!」

 

 真摯な声と目を受けて、エスペリアの心臓が跳ね上がる。だが、跳ね上がった原因は声だけではない。悠人がかつてエスペリアの慕った人と重なったのだ。

 

 吐き出せば楽になれるかもしれない。

 

 心情を吐露したくなったエスペリアだが、そこを別な男の姿がよぎった。全てを奪った男の姿が。

 熱くなっていた心が、一気に冷える。動こうとした心が完全に止まった。

 

「スピリットは道具……それが事実であり、真理です」

 

「まったく! なんでいつもいつもそうなんだ!」

 

 悠人とエスペリアは互いに意見を、思いをぶつけ合う。話は互いに譲ることなく平行線を辿っていた。

 会議は完全に中断して、悠人とエスペリアの話し合いの場になっている。そんな中、セリアは悠人を不審げな顔で見つめていた。

 

 その顔には本当に悠人が本当にエスペリアのことを想って言っているのか、信じられるのかと疑っているのがありありと見て取れた。セリアの人間不信はかなり根深いものがあるようだ。

 横島もセリアに聞いてみることにした。

 

「セリアは人間のことを憎んで、反抗しようとは思わないのか?」

 

 横島の言葉にセリアは憎憎しげに空中を見つめ、感情を抑えた声で喋りだす。

 

「……憎んでも、恨んでも、私たちスピリットは人間には逆らえないんです……

 ユート様! エスペリア! 作戦会議中なんだから静かにしなさい!!」

 

 セリアが口論している二人を宥めかかる。

 横島はセリアの搾り出すかのような声を聞き、頭を抱えていた。どうしてスピリットが人間に逆らえない理由は分からないが、前々から考えていた問題が横島の中で表面化してしまった。

 

(文珠の説明は……無理かな)

 

 正に切り札とも言える文珠。その利便性の高さはもはや反則と言っていいかもしれない。さらに凄いのは、一文字なら誰もが使えるということだ。横島としては文珠のことをセリア達に教えて、戦争においての有効な使い方や、持たせるなどしてより生存率を上げたいところなのだ。

 しかし、もしセリア達に文珠の説明をして持たせて、それが他の人間にばれたらどうなるだろうか。いくら文珠のことを口止めしても、誰かが文珠の存在に気づいて聞かれでもしたらスピリットは答えるしかなくなる。そうなったらどうなるか。

 おそらく、文珠作りを強制されて搾取されることは目に見えてる。断ればスピリットはどうなってもいいのかと脅しを掛けてくるに決まっているのだ。

 そして、文珠はとある王を筆頭に一部の男たちに使われていくだろう。

 一部の男達はカミの為に命をかけることも出来るのだ。

 

「――――次に、我々の戦力の確認を……」

 

 横島が悩んでいる間に、悠人とエスペリアの討論も終わり、作戦会議が再開していた。

 

「現在ラキオスにいるスピリットで、戦力と数えられるのは11名です。本当はもう何名かいるのですが、今は別任務に着いていたり、訓練中なので此処にはいません。それにユート様とヨコシマ様の二人のエトランジェを足して、13名が戦争に参加することになります」

 

 悠人は頭の中で今ラキオスにいる戦えるスピリットの数を数えてみる。

 アセリア・エスペリア・オルファ・セリア・ネリー・シアー・ヒミカ・ナナルゥ・ハリオン・ヘリオンの計十人。それにエトランジェである、横島と自分を足すと十二人だ。あと一人足りない。その一人には確かに心当たりはあるが、正直なところ戦えるとは思っていなかった。

 

「なあ、戦えるスピリットは十人の間違いじゃないのか。まさかエニまで戦わせるわけじゃないよな」

 

 悠人の言葉に少し目を閉じるエスペリア。そしてゆっくり頷いた。

 

「はい、エニ・グリーンスピリットを戦争の一兵として運用しようと思います。どうやらエニはかなり力があるらしく、既に低級の回復魔法、および防御補助魔法を習得しています。また、エニの神剣である『無垢』はどうやら第六位であるようで、スピリットが所有できる神剣のなかでは最高位です。足手まといにはならないでしょう」

 

 エスペリアは冷静にエニの力を把握していた。その上で戦力になると判断したのだ。だが悠人はそもそも戦力になるとかならないとかを問題にしていたわけではない。生まれてまだ一ヶ月の子供を戦場に駆り出すことを問題にしているのだ。

 

「横島はそれでいいと思うか。エニはまだ子供……赤ん坊と言ってもいいくらいだぞ」

 

 ここで悠人は横島に意見の同意を求める。スピリットを大切に考えている横島ならエニを戦いに出すという暴挙を許すとは思えない。だが横島は悠人の考え通りには動かなかった。

 

「俺は……戦場に出すべきだと思う……」

 

 反対するだろうと思っていた横島が賛成するというのは、悠人にとってかなり予想外だった。スピリットを第一に考えているはずの横島がエニを連れて行こうと言うとは信じられない。悠人は怒りを覚えながら、何故エニを戦場に連れて行くのかと聞こうとしたが、その前に横島が喋りだした。

 

「エスペリアさんが戦力になるって言うからには十分戦える力は待っているんだと思う。それに回復魔法が使えるグリーンスピリットは味方の生存率を高める為には必要不可欠だ。それに万が一俺たちが負けたら結局エニだって……」

 

 誰に話しかけるわけでもなく言葉を連ねていく横島。だが、その声には覇気が無く、悔しげな声をしていた。当然だが、横島がエニを戦場に連れて行きたくなど無い。そして、それはエニに限ったことではないのだ。セリアもナナルゥもシアーも全員、戦場などに出したくない。無論、自分も含めてだ。

 しかし、敵は問答無用で襲い掛かってくる。あの欲にまみれた王は降伏など考えもしないだろうし、たとえ降伏しても無事で済むか分からない。

 

 戦うしかないのだ

 

「だけど、最終的に判断するのは悠人……お前だ。エニを連れていくのか、連れて行かないのか。俺は悠人の判断に従うぞ」

 

 最後には隊長である悠人が決めることなので、横島は悠人の判断に任せることにした。もし、悠人が連れて行かないといっても反対することはない。連れて行ったほうが良いとは言ったが、心情的には連れて行きたくないのだから。だから悠人に判断を任す、そう横島は決めた。しかし、それは横島が悠人に判断を委ねる表向きの理由に過ぎない。

 

 横島が悠人に判断を任した裏向きの理由、それは心の防衛の為である。もし、エニを連れていくと決めて連れて行き、エニが死亡するなんてことがあったら。連れて行かず、回復魔法の使い手がいなくて誰かが死んだら。そのときは間違いなく、横島は自分を責めるだろう。自分の判断ミスで死んでしまったと。

 だから横島は悠人に判断を任せたのだ。もし誰かに万が一があったとしても、それは自分の責任じゃないという為に。

 

 責任逃れと、卑怯だというなかれ。横島はこの裏向きの理由を自分自身で理解していない。自身の精神状態についてまったく理解していないのだ。

 

「……くそっ。エニは……連れて行くことにする!」

 

 しばしの黙考の後、悠人はそう結論を出した。一人でも多くの戦力を連れて行ったほうが、最終的に全体の危険度が下がると判断したらしい。かなり口惜しく思っているようであるが、悠人はそう決断した。

 

「大丈夫だって。俺らがきっちり守ってやれば済むことなんだから。悠人のロリコンパワーを見せてやれ!」

 

「……ああ、そうだな。俺たちで守ればいいこと……ロリコンパワーって何だ!」

 

「んじゃ、シスコンパワー」

 

「ああ、それなら……よくねえ!!」

 

「自覚症状が無いのはまずいと思うぞ」

 

「変態に言われたくない!」

 

 エニの扱いについては決まったが、しょーもないことで言い争いを始める二人。だが、その争いをセリアはたった一言で止めてしまった。

 

「ムスコがどうなってもいいのですか、ヨコシマ様?」

 

 横島は「ひいっ」と言って何も言わなくなった。目に怯えの色が見え、恐怖に囚われているのは誰の目にも明らかだ。

 

(なるほど、本当にムスコは弱点みたいね。後で皆にも教えてあげようかしら)

 

(なんで、セリアは俺の息子を狙うんじゃー!!)

 

 負けないよ、セリアさん。いつかこの槍で突き刺してやるからね!

 

 セリアと息子の間にライバル関係が結ばれました。

 

 セリアは特殊能力、ライバルを習得した。

 ムスコへの攻撃力が1.25倍になった。

 

 ムスコは特殊能力、ライバルを習得した。

 セリアへの攻撃力が1.25倍になった。

 

「では、次に戦力をどう動かすかですが……作戦は極めてシンプルです。今ある戦力の全てを一点に集中させてリモドア経由の道をとってバーンライト首都になだれ込む。敵は戦力を二分しているので、戦いはだいたい14対20の戦いが二回ほどあるでしょう。先ほども言いましたが、勝てる戦いです」

 

 エスペリアは三人と場の雰囲気を無視して、強引に話を進める。このままではいつまでたっても話が進まないと危惧したのだ。

 

 エスペリアが示した作戦は、まったくもってシンプルな作戦だったが、だからこそ分かりやすく、効果的な作戦である。

 悠人たちはその作戦で良さそうにしていたが、横島だけは納得というよりも困った顔をしていた。

 

(この作戦じゃ、ほんとに敵のスピリットが全滅しちまう。美人の女の子達が全員死ぬ……殺す。冗談じゃねえ!)

 

 先の戦いで横島は20人近いスピリットを、美しき女性達を殺しつくした。そのときはセリア達が死ぬか、敵が死ぬかのどちらかしか道が無かったのだ。だが、今は違う。ちゃんとした準備が整えられる。全員を助けるなどと傲慢なことは言わない。

 それでも、これ以上殺したくなどないし、世の中から綺麗な女性達が一人でも減るようなことがあったら世界の損失である。

 世界のため、自分のため、女の子たちのため、この作戦を認めるわけにはいかない。

 

「なあ、この作戦やっぱりだめじゃないか?」

 

(主……お前は実に馬鹿だな……)

 

 横島からの作戦の否定に悠人とエスペリアが驚いたような表情を見せる。セリアは挑発的な目で横島を睨んだ。

 

「今の作戦にどこか不備がありましたか?」

 

 穏やかな声のセリアだったが、目だけは横島に鋭い視線を送っている。悠人とエスペリアは今の作戦のどこに不備があったのか横島の言葉を待っている。

 

(不備ってもなあ……なんか言わないとあの作戦に決まっちまいそうだったし)

 

 横島はさっきの作戦に不備が無いかと必死に考える。その間にもセリアが横島を見つめる表情はますます険しくなっていき、悠人とエスペリアも不信そうな顔をしていく。

 焦った横島は、とにかく何か言わなければと思い、頭の中で浮かんだことをとにかく口に出してみることにした。

 

「なんつーか……敵がわざわざ戦力を二つに分けたのっておかしいような気がしなくも無い……ような気もするような」

 

 最後のほうは果てしなく自信なさげに言う横島。セリアは「それが何なの?」というような顔をしていたが、エスペリアは難しいような顔で何かを考え込んでいた。

 

「……確かに戦力を二つに分ける意味はないですね、戦力の集中は戦術の常道ということを知らないわけがない。バーンライトもラキオスに龍殺しのエトランジェ、二十近くのスピリットを一人で全滅させたエトランジェがいるのを知らないはずない……にも関わらず、戦力を分けるというのは……」

 

 エスペリアが一人でぶつぶつと呟く。横島としてはそれほど難しく考えたわけではなかったのだが、思っていたよりは重要なことだったようだ。

 エスペリアの独り言が続く中、悠人は何かを思いついたように声を上げる。

 

「なあ、首都を落とせば勝ちなんだよな。ひょっとしたら敵は……」

 

「私たちをリーザリオ経由の道を選ばせておき時間を稼いでいる間に、敵はラセリオ経由の道を進んで空になったラキオス首都を落とす……こういう作戦ですか」

 

 悠人の話をセリアが横から掻っ攫う。悠人はじと目でセリアを睨んだが、セリアはまったく気にしない。

 エスペリアはセリアの言ったことを頭の中で整理していた。

 

「そう考えれば確かに整合性は取れますね。ラセリオ経由の道は寸断されて通行できませんが、元々道はバーンライトが寸断したんです。案外すぐに復旧できるかも知れません……いえ、おそらくこの作戦の為に道を寸断した可能性が高いです。

……凄いですねヨコシマ様。敵の作戦をあっさりと読みきるなんて」

 

「えっ……そう! 俺にかかればこんな作戦なんてちょろいもんだ。孔明の罠なんかに引っかかりはしないっすよ!!」

 

 エスペリアの賞賛に横島は鼻高々だ。……実際はちょっと疑問に思ったことを言っただけなのだか。

 その様子に、悠人は「いや、俺が考えたんだけど……」といじけたり、セリアは「ほんとにそんなこと考えてたのか」と横島をぶすっと睨んだりと、和やかに会議は進んでいた。

 

「とりあえず、バーンライトがその作戦を取ってくるという前提で話を進めていきましょう。敵がその作戦を取ってきたら、どのように対処するべきか、何か考えはありませんか」

 

 エスペリアの言葉に全員がう~んと考え込む。

 

「こっちも戦力を分けたらどうだ。リーザリオにいるスピリットを抑えつつ、ラセリオ経由でバーンライト城を落とすとか」

 

「リーザリオに駐留しているスピリットを疾風迅雷の速さで撃破したら、返す刀でラキオスに向かってくるスピリットを撃破するのが良いと思うわ」

 

 悠人とセリアが意見を出す。二つとも基本的な作戦であり、妥当な作戦といえる。どちらの作戦にも短所があった。

 悠人の意見である戦力を分けるというのは、当然のことだが戦力が落ちる。今ある戦力を二つに分ければ敵スピリットの戦いのときに20対7の戦力差で戦うことになってしまう。質で勝っているといっても、厳しい戦いになるのは間違いない。

 

 セリアの意見である戦力を集中させて、疾風迅雷の速さでリーザリオのスピリットを撃破して返す刀でラキオスに向かってくるスピリットを撃破するというのは、確かに戦力的には問題ない。しかし、もし速攻でリーザリオが落とせなかったら空になったラキオスはラセリオから進軍してくるスピリットにあっさり落とされるだろう。

 

 エスペリアの中では二つの提案のどちらが良いのかは結論が出ているが、他に何か意見がないかと場を見渡すと、横島がまるで小学一年生のように手を上にびんびん挙げていた。その顔には満面の笑みが浮かんでいて、よほど良計を考えたと分かるくらいだ。

 

「え~それじゃあ、ヨコシマ様。どうぞ」

 

「ふっ、聞いて驚け、見て笑え。俺が考えた案……それは! 乾坤一擲、猫に小判。3、4がなくて四捨五入。豚に真珠で東西南北中央不敗! 

これこそ正に深遠にして「早く言いなさい!」……へ~い……」

 

 いやに意味不明な前口上だったが、とにかくすごい自信なのは間違いなかった。

 へのツッパリはいらんですよ……といったところか。

 

 そして、いよいよ横島の策が言われる。

 

「戦争をしない! これが一番安全な策だ!!」

 

 辺りに沈黙が満ちる。悠人もエスペリアもセリアも、何がなんだか分からず頭上にはてなマークが飛び交っていた。ぶっちゃけて言えば、

 

 ――――何言ってんだ、こいつ。

 

 という心境だ。

 悠人達の心は完全にシンクロしていた。

 まったく作戦を理解していないと気づいた横島は慌てて説明を始める。

 

「だから、敵の作戦は俺たちが戦いに向かうことを前提にしてるんだろ。戦いに出向かずに城に篭ってればバーンライトはなにも出来ないってわけだ」

 

 バーンライトの作戦はサッカーでいえばカウンターのようなものだ。敵を懐におびき寄せている間に相手ゴールを狙う防御重視の一発逆転作戦。この作戦を仕掛ける前提は相手が攻撃を仕掛けてこなければいけないのだ。敵が攻撃してこなければ、カウンターはそもそも成立しない。

 

 横島の策を理解した悠人とセリアは悪くない考えだと密かに感心していた。

 悠人達は、どう戦うか、どのように戦争するかばかり考えていたが、横島はより広い視野で物事を見ていたことになる。

 

 いや、その言い方は正しくはないだろう。

 横島はただ殺し合いをしたくないが為に考えた策であり、広い視野で物事を見ていたわけではない。しかし、敵と戦うための策を決める会議で、敵と戦わない策を考える横島は非凡な視野を持つ人物といえるだろう。

 

「俺は横島の策に賛成だ。しなくてもいい戦いなら極力回避するべきだと思う」

 

「私も賛成です。敵が防備を固めているところに攻撃する必要はありません。ここ最近、ネリー達の実力も急上昇しているので、いずれ戦うことになるとは思いますが、今は戦力を蓄えるべきです」

 

 悠人とセリアが横島の策に賛成の意を表す。横島は自分の策が認められたことが嬉しそうだ。しかし、その中でエスペリアだけが暗い顔をして反対した。

 

「その作戦は不可能です」

 

 横島達はエスペリアの反対に不審げな顔をする。

 別に悪い考えではなく、むしろ良計に属する作戦だと思うのだが、何故反対するのか。横島達はエスペリアの次の言葉を待つ。

 

「ラキオス王は早期のバーンライト攻略を望んでいます。その作戦ではバーンライトをいつ占領できるか分かりません。私たちがここで時間を潰せばラキオス王は間違いなく出陣を要求してくるでしょう。ですから、ヨコシマ様の策は不可能です」

 

 ラキオス王が早期のバーンライト攻略を望んでいるから却下。予想斜め上の理由に3人が頭を抱える。エスペリアも深いため息をついていた。

 悠人は顔を歪め「あのくそ王が」と怒り、セリアは「これだから人間は」と呆れている。

横島などは「『禿』の文珠じゃなく、『臭』の文珠で臭くしてやればよかったか。いや、『脱』『毛』でありとあらゆる毛を消せばよかった」と洒落にならないこと言っていた。

 

「はあ……他に何か意見はありませんか。ないならばユート様かセリアの案のどちらかに決まりですが……」

 

 溜め息を一つ吐くと、エスペリアは会議を再開させた。そして沈黙が続く。どうやらもう、良策等はだれも思いつかないようだ。

 

「ないならば、ユート様かセリアの案に決定されます。それでは、ユート様の案に賛成の人は手を挙げてください」

 

 エスペリアの言葉に二つの手が挙げる。横島と悠人だ。悠人は発案者としては当然だろうし、横島はセリアの案ではバーンライトのスピリットが全滅してしまうからだ。

 

「ユート様とヨコシマ様が賛成ですか……ならばこれで決まりですね。ユート様の案で決定します」

 

「ちょっと待って、エスペリア。貴女の考えはどうなのよ!」

 

 エスペリアがセリアの策に賛成すれば2対2で同じ投票数になる。そうなれば別に悠人の案に決めることは無い。そして、エスペリアは内心ではセリアの案に賛成だったのだ。だがエスペリアは結論を出した。

 

「ユート様とヨコシマ様の意見が合致している時点で結論は出ています。私やセリアの意見は意味をなしません」

 

 スピリットの考えよりもエトランジェの考えのほうに重点を置く。考えが正しいとか間違っているとか関係なく。それがエスペリアの考えだった。そのことが分かったセリアは憎憎しげにエスペリアを見やり、ため息を一つ吐いて諦めた。こうなったら頑固なエスペリアは意見を変えることは無いと知っているからだ。

 

 横島も悠人も今のエスペリアの発言は首を捻るものだったが、とりあえず自分たちの意見が採用されたので良しとした。

 

「では。ユート様の作戦において重要なのが戦力の振り分けです。13名の戦力をどのように振り分けるか、これが作戦の成否においての焦点です。リーザリオに向かう者たちには、それほど戦力を振り分ける必要はないと思われます。作戦上、敵はリーザリオの防衛に専念するはず。こちらもリーザリオを占領する必要が無い以上、こちらに戦力を割く必要性は薄いと思われます。

戦力を割かなくてはいけないのは、バーンライト首都に向かう部隊です。こちらは間違いなく、ラキオスに向かう敵と鉢合わせになり、大規模な戦闘を繰り広げることになるでしょう」

 

 エスペリアはそこでいったん言葉を切る。まだまだ言うべきことはあるが、あまり多くを言っても横島や悠人が混乱してしまうと思ったからだ。実際、横島も悠人も入ってくる情報量の多さに混乱ぎりぎりだった。しかし、なんとか混乱せず、エスペリアの言っていたことを全て理解することに成功する。ここら辺の見極めは流石エスペリアと言ったところだろう。

 

「では、続けます。この作戦の一番危険なところはリーザリオにいる敵スピリットたちが、ラキオスに進軍してきたらという部分です。敵はリーザリオの防衛を目的としているでしょうが、もし私たちが本気でリーザリオを落とすつもりがないと分かれば、敵は私たちの作戦を看破してしまうかも知れません。ラキオス本城が空になっている事に気づけばリーザリオにいる敵は防衛など止めて、疾風怒涛のように襲い掛かってくるでしょう。そうなれば事実上、ラキオスの敗北です」

 

 ふむふむと横島と悠人がエスペリアの言っていることを頭の中に叩き込む。

 

「この作戦のキーポイントはどれだけ少ない戦力で、バーンライトに『敵は本気でリーザリオを落とそうとしている』と思わせることです。これが出来ればラキオスの勝利は見えてくるでしょう。そして、リーザリオに向かう戦力はユート様、ヨコシマ様のどちらかは入ったほうがいいと思われます。伝説のエトランジェが入っていれば、敵も我々が本気だと勘ぐるはずです。……ここまでで、何か疑問に思ったこと等があるのでしたらいってください」

 

 悠人はなんとかエスペリアの言ったことを理解した。もともと悠人が考えた案だったのだが、これほど深く考えていたわけではない。だが、エスペリアは悠人の案を細かいところまで補完してくれたのだ。参謀と名乗っても誰も文句は言わないだろう。

 

 結局、特に疑問などは出なかったので、戦力の割り振りについての話し合いに入った。悠人、エスペリア、セリアが一番効果的な戦力の割り振りについて意見を言い合う。そんな中、横島は話し合いに参加せず、地図の一部分を凝視していた。

 

「エスペリアさん……ここって一体なんですか?」

 

 地図上でリーザリオの近くに町でも城でもない妙なマークがあったのだ。横島はその地点が不思議と気になっていた。

 

「はい、ここは坑道ですね。鉱石などの資源を掘り起こすところです。ただ現在は使われてないようですが……」

 

 横島の頭に天啓が降りてきた。この考えがうまくいけばリーザリオにいるスピリットを一人も殺すことなく抑えることが出来るかもしれない。本当に最小限の戦力で。

 

「もう少し詳しく教えてほしいんですけど」

 

「詳しく……ですか。ええと、かなり広い坑道で……入り口は一箇所しかなくて……すいません。正直これ以上は……」

 

「いえ、十分っす。……これならいけるか……」

 

 考えた案を頭の中で手持ちの文珠の数と相談しながらシミュレートする。そして出てきた答えは成功の二文字だった。横島は決断する。

 

「リーザリオには俺一人で行く」

 

 騒がしかった場が一気に静かになった。熱くなっていた空気が冷やりとしたものに変化する。セリアはまた馬鹿な冗談かと横島を見たが、その顔は真剣そのもので、冗談を言っているのではないと分かった。

 

「……ヨコシマ様、もう一度言ってくれますか」

 

「だから、俺が一人で行く」

 

 今度こそ、場は水を打ったように静かになった。まるで誰かの息遣いが聞こえてきそうなくらい静かで、空気が重くなる。

 

「あの、ヨコシマ様。確かにヨコシマ様の力はラキオスの中でもトップクラスなのは間違いありません。しかし、いくらなんでも一人というのは少々厳しいかと……」

 

 エスペリアが控えめに反対する。エスペリアはリーザリオに行くのはエトランジェのほうが良いとは言ったが、一人で行けなどとは一言も行ってない。

 全員の視線が横島に集中する中、横島はここにいる全員を納得させようとする。

 

「大丈夫だって。ちゃんと考えがあるし、それに俺には皆には言ってない秘密の力があるからな」

 

 悠人は横島の言った秘密の力が何なのか分かった。

 万能という言葉に最も近い奇跡の力。文珠である。横島は悠人には文珠の存在を教えていたのだ。そして悠人は誰にも文珠のことを言わないと約束した。

 悠人は、確かに文珠があれば一人でもなんとか出来るかもしれないと考えたが、セリアやエスペリアは文珠など知らない。彼女らからすれば、自分たち仲間にすら教えられていない『力』を横島が隠していたということだ。

 

「それで、私たちに秘密にしていた『力』とは何なのか、教えてくれませんか?」

 

 セリアがにこやかに、非常に丁寧な言葉遣いで横島に聞いてくる。だが、それは噴火直前の火山のようなものであった。

 

「いや、秘密の力は秘密だから言うわけにはい「ふざけないでください!!」

 

 怒りの声を上げ、横島を睨みつけるセリア。当然だろう。これから団結して戦争するというのに、仲間にすら力を隠していたのだから。

 特にセリア本人も気づいていないが、彼女は横島を信じかけていた。いくら人間不信でも一ヶ月も同じ屋根の下で生活すれば情も湧くというもの。

 

 信じかけていたからこそ、辛かったのだ。

 

 しかし、横島だって辛かった。喋っていいのならすぐにでも話したい。だが、文珠という強力で便利すぎる力はあまりにも危険。万が一にも情報の流出は防ぎたいところだ。

 

「お願いですから教えてください。ヨコシマ様の『力』が何か分からないことには、私どもとしても如何したらよいのか……」

 

「うっ……」

 

 エスペリアが頭を下げてくる。想像以上に文珠のことを言わなかったのは不味かったらしい。セリアは凄い形相には睨まれ、エスペリアは悲しそうな顔で懇願してくる。悠人はどうしたらいいのか分からずおろおろしている。

 

 喋ってしまおうか。

 

 ふと、そんな誘惑に横島は駆られた。後々、何らかの問題が起こる可能性や、他国に文珠の情報が漏れる可能性もあるかもしれない。だが、セリア達からこのような目で見られるのは嫌だった。

 

(喋れば楽になれる。喋れば……!)

 

 そこまで考えて横島は頭を横に振る。

 ただ、セリア達から嫌われたくないからといって、後々に続く災厄の種を埋めるわけにはいかない。

 

(そんな目先のことばかりに囚われていたら、いつか本当に大切なものを失くしちまう……あの時の様に!!)

 

 私情に囚われれば、大局を見失う。以前『天秤』が横島に言ったことだ。まったく望んだことではないが、大局を見て行動しなければいけない立場になったのだ。こんなことで大局を見失うわけにはいかない。

 

「すんません。やっぱり言うわけには……」

 

 怒り、憎しみ、不満、悲しみ。いくつもの負の感情が場を包み込む。セリアやエスペリアは何故横島が力を秘密にするのか分からず、ただ不満の感情を横島にぶつけていた。文珠を知る悠人だけは横島の気持ちを察する。確かに不用意に喋れることでは無いのは当然だが、文珠の説明抜きでエスペリアたちが納得するのは難しいだろう。横島の気持ちとエスペリアの気持ちの両方が分かる悠人にとって、この状況は板挟みのようなものだった。

 いくら横島が一人で行くといっても、悠人が許さなければ横島は一人でリーザリオに向かうことはできない。悠人は横島の考えを承諾するか悩み、そして決断した。横島を応援しようと。

 

「横島……一人で大丈夫なんだな?」

 

「ユート様、お待ちください! 本当にヨコシマ様に隠された『力』があるのかも分からないのですよ!」

 

「……俺は横島の力が何のか知っているし、見たこともある。その力を使えば一人でも何とかできると思う」

 

「へえ、なるほど。そうですか、エトランジェ同士では話し合っていたわけですね……ふふ」

 

 セリアが冷たく笑う。

 もうこれ以上重くならないと思われた空気が、さらに重くなった。まるで空気が鉛のように重い。海に耐圧服なしで潜っているようなものだ。空気が質量を持ったら、こんな感じなのかもしれない。

 この空気を作った横島は何とか空気の正常化をするために、一発ギャグでも言いたいところだが、さすがにここで一発ギャグを放つほど横島は空気の読めない男ではなかった。

 

 重苦しい沈黙が続く。

 1秒が10秒以上に感じられるような沈黙の中、動いたのはエスペリアだった。

 

「……ヨコシマ様が一人でリーザリオに向かうと言うことは、ヨコシマ様を除いた全ての戦力をバーンライ首都に送れるでしょう。それは喜ぶべきことです。

ヨコシマ様、ユート様。決断権はお二人にあります。私たちは出た結論に喜んで従いましょう。……それで、いいのですね?」

 

 そして出た結論は――――――

 

「ぐおーー!!! セリアに嫌われたーーー!! 

 

 会議が終わり、自室に戻った横島は頭を抱えてベッドで転がっていた。それはもうとんでもない転がりようだった。例えるなら機関銃を乱射されて転がってかわす、どこぞのカンフーヒーローのようだ。

 そして、ごろごろと転げまわり終わると、生気のない目で天井を見つめながら呟く。

 

「成長……してるんだよな?」

 

 横島は自分の今までの姿を思い起こしていた。

 

 うぎゃーと叫びながら美神に隠れる自分。

 恐竜の霊とカップルぶっ殺し隊をする自分。

 人型ゴキブリと共生する自分。

 格好良くキックするはずが、キンタ○直撃する自分。

 女風呂の覗きを失敗してしまった自分。

 

 恋人を殺した自分。

 

 思い起こすその姿は、あまりにも情けない。

 穴があったら入れたい……ではなく入りたくなるほどだ。

 別にそのことが嫌だったわけではない。むしろそっちのほうが自分にあっていると思う。

 しかし、このままではいけなかった。

 このままでは……

 

(女にもてない! ……だけじゃなくて、俺の目的が達成できない!)

 

 横島の目的。それはこの世界でセリア達と共に生き残り、奴隷同然のスピリットを解放して、あわよくばハーレムを形成すること。スピリット達は純粋で男に免疫がなさそうなので、本当に不可能じゃないと横島は考えていた。

 栄光のジョニー・B・グッドを歌うのも不可能ではないかもしれない。

 その為にも強くならなくてはいけなかった。心身共に。

 以前の情けない自分とはおさらばして、最高にクールな男に生まれ変わるのだ。

 

 バタン!

 

「ん?」

 

 突如、乱暴に扉が開けられた音が響く。首を扉の方に動かし、見てみるとそこには誰もいない。ただ閉まっていたはずのドアだけが開いていた。

 横島の第六感が警報を鳴らす。前方、後方、左右、どこにも異常は見られない。

だとすると……

 

「ヨコシマ様ーー!!」

 

「ぐはっ!!」

 

 ジャンプして上空にいたネリーのフライングボディプレスが横島に炸裂。シリアスモードだった為、効果は抜群だ。

 ネリーはそのまま横島の上でマウントポジションを取り、絶対的に有利な体勢になる。

 

「ヨコシマ様、一人でバーンライトのスピリットと戦うって本当なの!!」

 

 どこから聞いてきたのか、ネリーは横島が一人でバーンライトのスピリットと戦うことを知ったらしい。腹の上にのっ掛かられて苦しいが何とか喋る。

 

「あ、ああ、本当だけど……別に戦うってより抑えるっていったほうがいいような……つかどいてくれ~」

 

「だめだよ! 危ないよ、ヨコシマ様! 行くならネリーも一緒に行く!」

 

 ネリーは横島の顔を掴み、がくがくと揺らすネリー。横島は何とかネリーを落ち着かせようとしたが、気がつけばそこにいたのはネリーだけではなかった。

 

「シアーもがんばるから……連れてってほしいの」

 

「わ、私は小さくて、ヨコシマ様と比べると弱いですけど……でも少しはお役に立てると思います!」

 

 いつの間にやらシアーとヘリオンが部屋に入ってきていた。

 シアーとヘリオンのお願いに横島の心がぐらぐら揺れる。可愛く、健気で、自分の身を案じてくれている二人を、一も二も無く連れて行きたくなった。なにより、横島自身も実際はかなり心細いのだ。しかし、連れて行くわけには行かない。横島の考えた策は、別に人数を必要としていない。もし、ネリー達がこちらに来てしまえば悠人達の戦力が下がってしまう。なにより、ここで誰かを連れて行けば、また誰かの影に隠れて応援する以前の自分に逆戻りだと考えてしまった。

 

「俺は一人でも大丈夫だから。これが戦略・戦術的に正しいはずだし。いくら俺が好きだからってわがままは駄目だぞ」

 

 最後のほうは冗談めかして言ったのだが、シアーもヘリオンもそこら辺はまったく聞いていなかった。二人にとって重要なこと、それは、

 

「ヨコシマ様~」

 

「そんな……」

 

 横島から拒絶されたということだけだ。

 

「……ヨコシマ様はネリーが隣にいなくて平気なの?」

 

 目を真っ赤にして、ネリーは横島の上に乗りながら悲しそうに見つめてくる。

 ちくちくと心が痛むが、仕方ないことだと自分に言い聞かせた。

 

(あれ……でも今のネリーの言葉、どこかで聞いたことがあるような……いや、言ったことがある?)

 

 横島には今のネリーの言ったことにデジャブを感じ、不思議なほどネリーの気持ちが伝わってきた。

 

『ネリーが隣にいなくて平気なの!』

『ヨコシマ様にはネリーが必要ないの!』

 

 役に立ちたい。

 ネリーの思いが痛いほど良く分かる。

 

 ネリーの頭を撫でたい。抱きしめたい。一緒に戦おうと言いたい。

 心がそう求める。だが、横島は自分を無視した。

 

「……ごめん」

 

「ヨコシマ様のバカ! もう知らない!!」

 

 横島に拒絶されたネリーは憤慨し、鉄砲玉のように部屋から飛び出していった。目に大粒の涙を浮かべながら。

 

「ネリー、待って!」

 

「どこ行くんですかー」

 

 その後をシアーとヘリオンが追っていき、部屋から出て行った。その姿を横島はただ見ることしか出来ない。追いかけたいという衝動もあったが、追いついたとしてもなにも言うことがないのだ。どうしようもない。

 

(もてる男は辛いぜ……ははは…は………はあ~)

 

 セリアからは睨まれ、子供たちを泣かしてしまった。まったくクールじゃない。正しいと思っている行動を取っているはずなのに、ものすごく悪い行動をしている気がする。

 

「女の子を泣かすなんてだめなんだよ。お兄ちゃん」

 

「!?」

 

 いきなり真後ろから聞こえてきた声に横島は飛び上がらんばかりに驚く。いったい誰だと振り向くとそこには不思議そうに首をかしげているエニが立っていた。

 

「ねえ、お兄ちゃんはなんでエニ達を連れて行ってくれないの?」

 

 エニの言葉には不満や悲しみは含まれていなかった。単純な疑問そのものだ。

 

「エニには少し難しいだろうけど、戦略・戦術的にこれがベストなんだよ。それに皆が来るときっと甘えちまって、強くなれないからなー」

 

「う~ん……じゃあ、エニたちはお兄ちゃんが強くなるのに邪魔なんだ」

 

「……あれ?」

 

 そういうことになるのだろうか。そういうことになってしまうのか。

 横島忠夫という男にとって、可愛い女の子が傍に居るのが、強くなるのに邪魔になる。

 何かが決定的に違う気がする。あまりにも馬鹿げた矛盾がある気がする。だが、それが何なのか分からない。

 

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 

「あっ……いや、何でもない」

 

「もう、お兄ちゃんしっかりしてよ。お兄ちゃんの命はお兄ちゃんの物だけじゃないんだよ」

 

 どくん!

 

 横島の心臓が大きく跳ね上がる。

 

 そう、この命は自分だけのものではない。この命は自分と彼女の命だ。

 なんでそのことを知っているのだろう。

 

「テンくんだっているんだからね」

 

 ずるっとこけそうになった。少し考えすぎている自分に呆れる。そして、からかうネタが出来たことを喜んだ。

 

「いや~愛されてるな『天秤』」

 

『……お得意の嫉妬でもしたらどうなのだ。主よ』

 

「いやいや、こんな微笑ましい子供カップルに嫉妬なんてしないっての」

 

『だれが子供だ!』

 

「二人とも喧嘩は良くないよ」

 

 どーでもよさそうな横島と『天秤』の会話が始まる。こういったところの『天秤』のメンタリティは確かに子供と変わりないといえるかもしれない。横島に遊ばれているのがいい証拠だ。

 

「じゃあ私はもう行くよ。セリアお姉ちゃんが訓練してくれるんだって」

 

「セリアは怖いからな~気をつけろよー」

 

「うん、気をつけるよ。またねテンくん」

 

 そしてエニはとてとてと謎の擬音を残して部屋から出て行った。

 

「可愛い子やな~『ロリ剣』 あんな子に好意を向けられたらお前がロリ道に入ったのも仕方ないか」

 

『だれが『ロリ剣』だ!! その呼び方をやめよ!!』

 

「悪い悪い。エニのほうが年上だものな。確かにロリじゃないか」

 

『私がエニより子供だと! 笑わせるな! それに私は剣だ。誰かと懇意になるなどありえん』

 

「何を言う。愛があれば人間と魔族も、有機物と無機物も、実体と霊体も、果てはお面同士だって仲良くなれるんだぞ。お前とエニだって恋人同士になれるはずだ」

 

『それほど性に開放的なくせに、なぜ幼子を愛でないのだ!!』

 

「俺はロリコンじゃねえって言ってるだろうが」

 

『年齢の差のほうが、種族の違いよりも重要というのか!!』

 

 一人と一本が奇妙な恋愛観を語り始める。途中で怒鳴り声も響いているが、傍目から見れば楽しく話しているようにしか見えないだろう。本人たちは否定するかもしれないが、友人同士の意味のない馬鹿話のような会話だった。

 

 コンコン

 

 ドアのノックが響く。どうやらまたお客がきたようだ。

 

「入っていいっすよー」

 

「失礼します、ヨコシマ様」

 

 ヒミカが非常に真面目な顔をして入ってくる。さらに後ろにはナナルゥの姿も見えた。

 固い雰囲気を纏っていることから、艶っぽい話でないことは確かなようだ。

 

「ヨコシマ様、お一人でリーザリオに向かうと聞いたのですが……」

 

 予想通りの質問に心が重くなる。また文句や小言を言われるのかと。心配してくれているのは分かる。気にかけてくれるのは嬉しいものだが、お説教は食らいたくないものだ。

 

「確かに一人で行くけど……」

 

「勝算はあるのですね?」

 

「……ああ、ちゃんとある」

 

「ならば私から言うことはありません。御武運を祈るだけです」

 

 ヒミカはその場で一礼するとくるりとその場で向きを変え、部屋から出て行く。怒られたり、悲しまれたりしなかったのは良かったが、ほんの少し寂しかった。ただ、ヒミカは部屋から出て行くときに、横島に聞こえないくらいの声で呟く。

 

「ヨコシマ様は死んではいけない人……私もやれるだけのことはやらないと……」

 

 ヒミカが出て行き、部屋には横島とナナルゥの二人だけになった。ナナルゥは感情の薄い瞳で横島を見つめ続ける。一体何をしにきたのかさっぱり分からない。

 

「え~と……」

 

「……私は命令ならば従うだけです」

 

 ただ一言、それだけ言うとナナルゥは部屋から出て行った。ナナルゥは必要のあること以外は口に出さない。話しかければ応対してくれるが、必要最小限しか話さないのだ。ならば、今言ったことには何らかの意味があるはずなのだが、特に意味があったようには感じない。今の言葉はナナルゥにとって始めての意味のない言葉だった。

 

 コンコン。

 

 またもやノックがなった。第二詰め所の面子で横島の部屋に来ていないのはセリアを除けば後一人だけだ

 

「ヨコシマ様~入っていいでしょうか~」

 

「いいっすよー」

 

「それでは~失礼します~」

 

 ハリオンが手にお盆を持ちながら部屋に入ってくる。お盆には甘い匂いのする饅頭のような物が乗せられていた。ちょっとだけ形がいびつな饅頭は、手作りということを示している。ハリオンはお菓子作りが大の趣味なのだ。趣味を持つスピリットというのは珍しいことだったりする。

 

「おおーうまそうだ。いっただっきまーす」

 

 無遠慮に横島は饅頭に手を伸ばしたが、ハリオンはお盆をひょいと上げて伸びてきた手をかわした。そしてにこにこと笑う。

 

「お姉さんの~質問に答えたらお菓子をプレゼントします~」

 

 どうやらお菓子でつる作戦のようだ。

 質問の内容がなんとなく分かった横島はしぶい表情を作る。

 

「……んで、なんすか、質問っていうのは」

 

「もう~そんなに怖い顔しないでくださいよ~私はただヨコシマ様が無理をしていないか聞きに来ただけなんですから~」

 

 どうやらハリオンは横島が一人で戦いに行くのを咎めにきたわけではないらしい。

 

「それで~ヨコシマ様はつらいなあ~とか思ってないんでしょうか~」

 

 深い慈愛を湛えた緑色の瞳が横島に向けられる。

 ここで辛いといえば慰めてくれるかもしれない。本当は怖いといえば楽になれる。だが、横島は弱音を吐かなかった。自分自身の心の弱さを見せてはいけないのだ。クールな男は。

 

「大丈夫っす。これでもこの世界に来てから鍛えてるんですから!」

 

「……そういうことを聞いたんじゃないんですけど~」

 

 どうにも空気が良くない。横島と一緒にいると馬鹿らしくも暖かい気持ちになるのだが、どうしてもあまり良い空気にならない。妙な空気が充満していた。

 

「う~ん……良くないですねえ~お姉さんパワーも効かないなんて~だとすると~

……ファーレーンさんが好きだったお菓子はなんでしたっけ~」

 

「はっ?」

 

「いえいえ~こちらの話です~それじゃ~お菓子はここに置いていくので~」

 

 そう言ってハリオンはドアを開けて部屋から出ようとしたのだが、最後に残念そうな表情を浮かべ、

 

「ヨコシマ様が~自分のことをどう思っているのか分かりませんけど~お姉さんは~いつものヨコシマ様のほうが好きなんですけどね~」

 

 そう言い残して部屋から出て行った。

 

 ぽつんと一人残された横島はハリオンが置いていった饅頭を一口食べてみる。饅頭は甘かった。だが、美味しくなかった。間違いなく美味しいといえる味をしているのに美味しくない。

いまの横島には味を感じる余裕すらもないのだ。

 

「成長……してるんだよな?」

 

 先ほど言った言葉を繰り返す。

 自分の為、スピリットの為、ハーレムの為、恐怖に耐えて自分らしくも無い行動を取ることを選択したのだ。情けなく、馬鹿で臆病な自分と決別し、スピリット達を開放してモテモテ街道をばく進するヒーローになるのだと。その為に冷静になり、先を見通す大局的な視点を手に入れる。

 

 最後にはハッピー&ハーレムエンドに到達する為に。

 

「見える! 見えるぞ!! 目の前に広がるばら色の未来が! がっはっはっは!!」

 

 一体何がおかしいのか。一人、部屋で高笑いをする横島。

 そんな横島を『天秤』は冷めた目で観察していた。

 

(ふん……偽善……いや、自己欺瞞か。虚の使い手が自ら虚に囚われるとは……愚かとしか言いようが無いな。

 しかも、私が殺しに慣れさせようと、毎晩スピリット殺害映像を流し続けているのに抵抗する始末。人の好意を無にするとは困った主だ。

 しかし、どうも情緒不安定なところもあるようだな。あまり強力な暗示は避けたほうがよいかもしれん)

 

 部屋では横島の笑いが響き続けていた。がっはっはと俺様笑いをする横島は凄まじく不似合いで、滑稽そのもの。しかも、俺様笑いが似合っていない事を自覚しているにも関わらず、横島は笑いを止めようとはしなかった。

 

 その日、空は荒れに荒れた。まるで横島の心の中を示すかのように……

 

 そして出征の日が来る。

 

「見送りは……なしか~」

 

 あれから、二日。あの後、第二詰め所のメンバーとはどうにもギクシャクした日々を送っていた。特に年少組のネリー達は口も聞いてくれず、少々さびしさを感じている。かなり怒らせてしまったようだが、それでも見送りぐらいは来てほしかった。今頃、セリア達は悠人と一緒にブリーフィングでもしているのだろう。

 横島は一人、リーザリオを目指して出陣する。

 

 GSの時の荷物持ちのように背中に必要な大きな荷物を背負い、ラキオスに背を向けてリーザリオに向かおうした時、後ろから誰かが駆けてくるのに気づいた。

 

 女の子たちが見送りに来てくれたのか!

 

 期待に胸を膨らませて振り返る。そこにいたのは……

 

「おい、横島。もう行くのか」

 

 悠人だった。

 その瞬間、横島は一瞬で悠人の懐に潜り込む。えっと悠人が驚いたときはもう遅かった。

 横島は拳を作り、そして……

 

「悠人かよ!!」

 

 悠人の胸に突っ込みという名の裏拳を叩き込んだ。

 

「ごふ!!」

 

 突っ込みという名の暴力の前に、悠人はその儚い命を散らした。

 

「勝利など容易い!」

 

 戦いは終わった。二人の戦いは未来永劫語り続けられるだろう。

 しかし、いつかまた第二、第三の悠人が現れるかもしれない。だが、そのときはきっと彼が現れる。超絶美系戦士。その名も横し「ざけんなあああ!!!」

 

 悠人、復活。

 

「生きてたのか、悠人」

 

「人を勝手に殺すな! しかも、何わけ解んない事を言ってやがる!!

それに、話すときはちゃんと「」の記号を使って話せよ! 変なナレーションに聞こえるぞ!!」

 

「その発言はぎりぎりだ! メタな発言は嫌われるぞ!!」

 

「お前が言うな!!」

 

 漫才としか思えない二人のやり取り。これから戦争に行くのだというのに、悲壮感が微塵も感じられない。

 

(まったく! こいつと話していると大声ばかり出すことになるな)

 

 悠人はあまりにぎやかな人物ではない。学校でもあまり目立たず、友達も少なかった。特に暗いというわけではなかったが、生活費を稼ぐためのバイトが忙しく、学校ではもっぱら体力の回復に努めており、友人を作る暇などなかったのだ。

 何より、悠人自身が友人を作ろうとせず、佳織にばかり時間を割いていたのも友人が少ない理由だろう。仲の良い友など5人もいない。心を開くことが出来ない悠人にとって、人付き合いというものが苦手であった。

 

 だが、横島と話している時だけは別だった。横島と話していると勝手に地が出てしまうのだ。どんなに取り繕った人物でも、横島の前では素を引き出されてしまうのではないだろうか。レスティーナ王女の一件でもそのことが良く分かる。おかげで悠人はレスティーナ王女のことを少しは信頼できるようになっていた。

 

「ったく。せっかく見送りに来てやったのに……」

 

「へーへー、それはどうもご苦労なことで……男に見送られても嬉しくないんだっつーのに。何で女の子たちが来てくれないんじゃー!!」

 

「……見送りたくないって言ってたぞ」

 

「うう……女なんか、女なんかーーー!!」

 

 ぶつぶつ文句を言っている横島に悠人は肩をすくめた。

 多少というか多分に変態な所がある横島だが、根は優しく善人だというのは十分知っている。これからも力を合わせて協力していかなければいけない人物だ。

 その横島が一人で戦いに向かう。

 いくら文珠があるといってもやはり不安はある。そして、最終的に横島を一人で行かせる決断したのは悠人だった。悠人には横島を戦場に向かわせる責任がある。だからこそ、悠人は横島のところへ来た。上司として、友人として、見送るために。

 

「がんばれよ、横島。……文珠もあるし、大丈夫……なんだよな?」

 

「まあなんとかなるだろ。色々と考えもあるしな」

 

 横島は楽観的だった。ネガティブというか自分に自信がない部分が横島にはあるのだが、成長しているから、いや成長するのだからと、むりやり決め付けて心のゆとりを保っているのだ。本来の横島なら「もうおうちに帰るー!」とでも言って逃げ出しているかもしれない。

 

 悠人は自信ありげな横島を見て、少し不安になった、普通、自信があるように見えたなら安心するところなのだろうが、何か変だった。なんとも言えないような違和感を感じる。

 

「おい横島。やばそうだったら逃げるんだぞ。命あっての物種なんだからな」

 

 悠人の言葉は一人の友を純粋に心配するものだった。だが、横島はその言葉を聞いて顔を歪める。

 

「……悠人、俺が逃げたらどうなるか……分かって言ってんのか?」

 

 横島は悠人をぎろりと睨みつけた。

 

「俺が逃げたらラキオスは負ける。別にそれはかまわないけど、そうなったら間違いなく王族は殺される。エスペリアさん達もどうなるか分からない。佳織ちゃんにも命の危険があるかも知れないんだぞ。お前が俺に言うことは、死んでもスピリットをラキオスに入れるなってことだろうが。優先順位をしっかり決めておけっての」

 

 横島の言っていることは正しい。悠人の一番の目的は佳織の安全である。次いで横島に頼まれたセリア達スピリットの命だ。横島の命と佳織の命を天秤に掛けることがあったなら、悠人は躊躇なく横島を見捨てなければならない。実際、そういう事態が起こったら悠人は横島を見捨てて佳織を助けるだろう。しかし、そう簡単に命の優先順位を決めることが出来るのだろうか。

 

「そんなに簡単に優先順位なんて決められるかよ……横島だってどうなんだ。自分で言うように優先順位をしっかり決めてるのかよ! そして本当にいざって時に決めた優先順位通り動けるのか!」

 

「……俺はできるさ。一度……いや、二度経験しているからな。だからこんなことだって言える。もし、お前を殺すことでセリア達や佳織ちゃんが助かるようなことがあれば……殺すぞ。例え佳織ちゃんに恨まれたとしても」

 

「なっ……!」

 

「……お前に死んでほしいとか言ってるわけじゃないからな。ただ、お前の命よりセリア達の命のほうが大切だってことだ。……不必要なものを切り捨てていかないと、本当に大切なものが守れなくなっちまうからな」

 

 悠人はただ驚いていた。横島という男が、ここまでクールでドライだとは思ってもいなかったのだ。確かに横島の言うことはもっともかもしれない。本当に自分たちにとって大切なものを守りあう。そのことは悠人にも異論は無い。横島が言ったように、もし自分と佳織のどちらかしか助けられない事態になったら、横島には佳織を助けてもらわねば困る。逆もまたしかりだった。

 

 ただ、悠人は横島に対してますます違和感を強く感じ始めていた。別に嘘を言っているようには感じない。しかし、何か変な気持ち悪さが横島から感じていた。まるで横島なのに、横島じゃないようだ。

 本当に横島を一人で行かせて良いのか、悠人も少し不安になっていた。

 

 そんな中、『天秤』は嘲笑と感嘆を横島に送っていた。

 

(やれやれ、自分の心すら誤魔化している男がよく言う。下らん理由付けだ。

だが、先を見通す力や洞察力は意外と優れている……素材としては最高と言ってもいい。しかも下地は十分に出来ている。本当に導きがいのある主だ)

 

 『天秤』は横島の様子にご満悦のようだ。

 

「……そんじゃあ行ってくる」

 

 横島はリーザリオに向かって歩き出す。

 

 リーザリオに向かっていく横島の姿を睨むように悠人は見ていた。

 

(確かに横島の言うとおりかもしれない。こんな世界では自分にとって大切なものだけを考えていけばいいのかも知れない。必要ないものは切り捨てたほうが良いのかも知れない。でも……それでも!)

 

 小さくなっていく横島の姿に向かって、あらん限りの声を上げる。

 

「横島、死ぬんじゃないぞ!! 大切な人を守るのに、代償なんて必要ないはずなんだからな!!」

 

 それは激励の言葉だった。その激励は横島が一番言ってほしい言葉であり、一番言ってほしくない言葉そのもの。愛するものを守り続けて、失ってもいないから言える台詞。

 横島はそんな悠人がたまらなく憎くて、たまらなく羨ましかった。

 何か悠人に言おうかと横島は思ったが、何も言わないことにする。

 

 今はただ前を見つめ、歩を進めるのみ。

 

 自ら望んだ孤独な戦いが始まる。

 

 

 



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第九話 変質者誕生

「ふう、ようやくリーザリオに着いたな」

 

 横島は数日かけてリーザリオ、正確に言えばリーザリオ周辺にたどり着いた。

 

『ものすごくあっさり着いた気がするのだが……気のせいか?』

 

「あまり不穏当なことを言うな『天秤』 それとも何か、男が一人で黙々と歩く描写なんてものが見たいのかお前は」

 

『天秤』が黙り込む。触れてはいけないものがあることに気づいたらしい。

 

『して、どのような手段を取って戦うのだ、主よ。まさかとは思うが、本当に一人でスピリット達とまともに戦えると思っているわけではあるまい』

 

 慌てて話題の転換を試みる『天秤』

 横島もすぐにその話に乗った。

 

「当然だろ。そもそも俺は抑えるとは言ったけど戦うとは一言もいってないぞ。戦わなくてもスピリット達を抑えることはできるさ」

 

 『天秤』は少なからず驚いた。戦わず戦いに勝利する。それは戦略や戦術においてもっとも難しい。ちなみに、この場合の勝利とは敵を倒すのではなく、目的を達成することを意味する。

 

『それで、戦わずに目的を達成する方法とはなんだ? どうやって敵スピリットをリーザリオに釘付けにするつもりだ』

 

 興味津々と聞いてくる『天秤』に横島は満足そうにしていたが、ふとした疑問が発生する。

 

「なあ『天秤』お前は俺の記憶や考えを読み取れるんだろ。別に言わなくても分かってるんじゃないか?」

 

 ルシオラやアシュタロスといった人物を知っていたと言うことは、自分の頭から情報を読んだに違いないと横島は考えていた。だが、『天秤』は予想とは少し違う答えを返してきた。

 

『私は確かに主の考えを読むことは出来るが、主の記憶まで読むことはできんぞ。それに、常に主の考えを読んでいるわけではない』

 

 『天秤』の答えに横島は頭に疑問符を浮かべる。常に自分の考えを読んでいるわけではないのは分かった。問題はそこではなく、記憶を読み取ることは出来ないという所だ。それならば何故、ルシオラやアシュタロスの名前を知っているのだろうか。

 

「おい『天秤』おかしいぞ。じゃあ何でアシュタロスの名前とかを知ってるんだよ。俺はあの時アシュタロスの事を考えていたわけじゃないぞ」

 

『いや……それは聞いたからであって』

 

「聞いた? 誰にだよ……つーかそもそもお前はどうして俺の……」

 

『聞いたのだ! 私に疑いを持つことは許されん』

 

 『天秤』に対して疑いの眼差しを向けようとしていた横島の目がトロンとした目に変わる。目の焦点は合わず、傍目には催眠状態に入ったように見える。酔っ払いでも可だ。

 

「聞いたから知っているのか……」

 

『そうだ、単純なことだろう?』

 

 横島はそうかそうかと頷いた。先ほど『天秤』に感じた疑問、疑念は完全に消失したようだ。その様子に『天秤』は胸をなでおろす。少しでも暗示を弱めて隙を見せれば突っ込んでくる横島の意外な洞察力の高さには感心する反面、迷惑そのものであった。

 

(ふう、妙なところで鋭い奴だ)

 

 本当に、妙なところで鋭いのよね

 

『まったくだな……って、今のは誰だ!?』

 

「どうした『天秤』 一人で急に叫んで。痴呆か?」

 

『たわけが! 私はまだ痴呆になる年では……というか神剣が痴呆などになるか!!』

 

 ぎゃーぎゃー言い争いながら一人と一本は、それなりに楽しく賑やかに戦いの場に向かうのであった。

 

 永遠の煩悩者

 

 第九話 変質者誕生

 

 『天秤』と馬鹿話をしながらリーザリオの城門付近に来た横島は驚愕していた。リーザリオはまさに要塞のようになっていたのだ。敵を防ぐための城塞や防衛用の塔、さらにはスピリットの力を高める祭壇まで建設されていた。いかにこちらのほうが強くても、こんな砦に篭られて防戦されたら、リーザリオを落とすのに相当な時間が掛かったことだろう。

 敵の策は横島達の予想通りで間違いないようだ。

 

『それでどうするつもりだ。どうやってバーンライトのスピリットをこの場に留める

つもりだ』

 

 『天秤』は再び同じ質問を繰り返した。頭の中を読めば聞く必要などないのだろうが、話して聞けることなら喋って聞くのが『天秤』のスタンスのようだ。

 『天秤』の質問に横島は答えようと思ったが、その前に『天秤』ならこの状況をどうするのかと気になった。

 

「おい『天秤』お前ならどうやって戦う?」

 

 質問を質問で返す形になったが『天秤』もどうやって戦うか考えてみる。

 

 守りを固めているスピリットにまともにぶつかれば、いかに横島でも勝てる可能性は低い。もし勝てたとしても、恐らく肉体精神共に大ダメージを受けることになる。横島とてその事は分かっているはずだ。つまり正攻法ではなく、奇策奇計を用いる事になる。だが、下手な小細工を弄すればかえって疑われかねない。

 

『正直、かなり難しいな。下手に手を出せば返り討ちを食らうだけだ。かといって手を出さなければ何故攻撃してこないのか疑われるだろう。いや、何より私たちが一人だと知れば、勝機と見て全員で襲い掛かってくるやもしれん。私なら敵主力が一人歩きなどしていれば速攻で襲い掛かるな』

 

 『天秤』は苦渋に満ちた声で喋る。どうすればいいのか、いくら考えても良き方法は出てこなかった。

 そんな『天秤』を横島は満足そうに見てニヤニヤしている。

 

「そーかそーか。『天秤』なら襲い掛かってくるか」

 

 何が嬉しいのか、にやにやと頷く横島。

 その様子を『天秤』は気持ち悪そうに眺める。

 

「そんじゃ、出て来い『天秤』」

 

 横島の体から金色のマナが溢れてくる。それは自然と刀の形を形成し横島の手に『天秤』が握られる。

 

『おい、主。私の質問の答えは何だ』

 

「俺がもっとも得意で自信がある戦法……ゴキブリのように逃げる! これっきゃないだろ!!」

 

『なるほど、『離』を使うわけか……確かにわざわざ敵の土俵で戦う必要はないな』

 

 『天秤』も納得したところで、神剣の力を解放する。間違いなくバーンライトのスピリット達は横島に気づいたはずだ。スピリットが殺到してくる前に辺りの地形を確認する。

 

(坑道の方向は……あっちか)

 

 敵スピリット達を坑道まで運べば勝負は決まる。自分を含め、誰一人傷つくことなく戦いを終わらせる事ができる。しかも殺し合いをしないで済む。

 いくつもの神剣の気配が近づいてきた。改めて気を引き締める。

 

(成長する……成長だぞ、こんちきしょー! だから怖くなんて無いんだー!!)

 

 周りに誰もいないので精一杯自分で自分を激励する。

 それはさながら逃げちゃだめだ!逃げちゃだめだを連呼する三番目の子供のようだった。

 

「いました! 敵……ラキオスのエトランジェです!!」

 

 リーザリオの城壁の上でスピリットが横島を発見したようだ。その言葉と共にスピリット達がわらわらと集まってくる。その数は事前の情報通り約20人。殆どが光の無い目をしていて、感情がまるで感じられない。完全に神剣に心を飲まれ自我を失っていた。

 

(ちっ……まったく、いくら強くなるからって女の子の心を壊すなんて……ん、あれは……)

 

 横島はリーザリオに近づいたといえ、まだかなりの距離があるのだが『天秤』による身体強化により、敵の顔や何を話しているのか完璧に把握していたが、その中で特に目を引く者が二人いた。

 一人は青い髪でショートカットのブルースピリット。パッチリとした目が印象的で中学生ぐらいの年齢だろう。どこか中性的というか少年のようにも見える。なにより、その目に宿る強い光は心が残っていることを証明していた。

 もう一人は甲冑に身を包んだ30半ばほどの男。髪の毛が目の辺りを覆っていて、特徴の無い顔つきである。スピリット達に指示を出していることからスピリットの隊長なのだろう。

 

「隊長、敵はエトランジェとはいえ一人です。攻撃命令をください。やっつけてきます」

 

 人間であり隊長である男に発言したのは、自我が残っていると思われるブルースピリット。そのスピリット以外はどこを見ているのか分からない生気の無い目で男の周りに居るだけだ。

 スピリット達の隊長はその言葉を聞くと嫌そうな顔をしながら顔を横に振った。

 

「我々の任務はラキオスからリーザリオを防衛し続けることだ。こちらから打って出るのではなく、相手が攻撃してきたら防戦すればいい」

 

 男はスピリットの意見を却下した。今の話だけでもバーンライトの策は丸分かりだ。

 発言したスピリットは不満げな表情をしていたがすごすごと引き下がる。

 

(攻撃してこないな……一人だけなのに)

 

 横島がわざわざ一人で来たのは相手に攻撃させる為でもあった。横島の策は敵をリーザリオから引っ張り出さないといけない。一人という戦力なら敵も防衛などせずに攻撃してくるのではないかと考えたが、予想以上に敵の司令官は慎重だった

 

(まあ、なんとかなるか)

 

 少し予想と違ったが、これぐらいなら問題ない。要は敵を怒らせて引っ張りだせばいいのだ。相手を怒らせたり油断させたりするのは横島の十八番なのだから。

 

 横島はリーザリオに近づいていく。敵のスピリット達は城壁の上や塔に散開して横島が交戦範囲に入るのを待ち構える。横島は敵に攻撃されないぎりぎりの位置で立ち止まった。それなりの距離はあるが、相手の指揮官も横島の顔が見えるぐらいの距離だ。

 

「お~い、どうした。たった一人相手に戦わないつもりか~」

 

 横島は相手を馬鹿にした表情を作り挑発する。だがバーンライトの隊長は一向に出てこようとはしなかった。

 

「バカーアホーマヌケートンマーデブーチビーデベソーヒンニューハゲーエロースケベージジイーヘンタイーオヤジーヒゲーキモンーヒャクメー」

 

 思いつく限りの悪口を言う横島。正直かなり低レベルだが、まず相手を怒らせる基本といったところか。ただ、最後の二つの悪口は本人に失礼……というよりも異世界の人間には意味がまったく分からないだろう。

 

「隊長! いいんですか、あんな悪口を言われて! ボク……じゃなかった、私はあんな侮辱を我慢できません。特に最後の二つの悪口はとっても腹が立ちます!!」

 

 自我が無いスピリット達は何の反応も示していなかったが、唯一自我があるショートカットのブルースピリットが横島の悪口に反応する。しかも何故か鬼門とヒャクメという悪口? に強く反応している。言霊でもこめられているのか、はたまた世界意思の呪いなのか。

 

「落ち着け、ルルー・ブルースピリット。確かに腹が立つのは分かる。特に最後の二つは意味も分からないのに不思議なほど腹が立つが、あんなくだらん挑発に乗るな」

 

 少々苛立った顔をしながらも、隊長は打って出ようとはしなかった。

 

「隊長はあまりにも慎重すぎです! 敵の主力ともいえるエトランジェが一人で来ているんです。このチャンスを逃したらいつエトランジェを倒せるか分からないじゃないですか!」

 

 ルルー・ブルースピリットは自分の隊長を睨みつけ、そして横島を睨みつける。その目には深い憎しみと怒りが感じられた。

 スピリットに反発された男はめんどうくさそうにスピリットから目を逸らす。スピリットのことを鬱陶しいハエとしか見ていないようだった。

 

(なかなか怒らないな、だったら……)

 

 体中に満ちる霊力とマナを目に集中させる。すると、横島の目が怪しく光り始めた。

 

「これがエトランジェの力ってやつだ! ヨコシマァァーーーアァァイィィーー!!」

 

 キュイーン。

 キュイーン。

 

 妙な効果音と共にその妙技が発動する。

 

 48の煩悩技の一つ。

 ヨコシマ・アイ

 

 その獣じみた第六感と類まれな妄想力により完璧な透視を行うのである。

 その威力はどこぞのメイド男に匹敵するほどだ。

 

 副産物として透視した相手に鳥肌を立たせることも出来る。

 

 「くっくっくっ、目標は……」

 

 邪な顔を浮かべ、肉食獣のように獲物を選定する横島。

 そして選んだ目標は、少年のような体型の自我のあるブルースピリット……の隣にいるグラマーなブラックスピリット。

 

「B87・W56・H86……ほくろの数……27個……弱点は耳の裏……ぐふふ」

 

 確実に相手の情報を読み取っていく。そして、得た情報を脳に叩き込み、妄想に浸る。

ヨコシマ・アイをまともに食らったブラックスピリット。効果は抜群だ。

 ブラックスピリットは僅かに額から汗を流し後ずさる。

 感情がほとんどなくなったはずなのに、その目には僅かながら戸惑いと恐怖が浮かんでいた。これも感情を引き出すことが出来る横島の力なのか。

 

「こらーー!! ルーお姉ちゃんを見るなーーー!!! この変態!!」

 

 ルルー・ブルースピリットがブラックスピリットの前に立ちふさがり、必死に体を見せないようにする。

 だが、ルルーが立ち塞がったことにより、ヨコシマ・アイを食らうのはルルー・ブルースピリットになってしまった。

 

「こっちを見るなーー! この変態エトランジェーーー!!!」

 

 手で胸を隠し、自分の体を隠そうとするルルー。女の子として正しい反応だ。

 横島はそんなルルーを一瞥すると、哀れみと哀愁が漂う目を向ける。

 

「まあ……なんだ。そういうことは70センチ超えてから言おうな」

 

「なっ……むきーーー!!!」

 

 横島の一挙手一投足にいちいち反応するルルー・ブルースピリット。

 その様子を横島は楽しそうに、嬉しそうに眺める。感情を無くした美人よりも、喜怒哀楽がある少女のほうが魅力的に感じたのだ。

 

「隊長、ボクはもう我慢できません! 敵はエトランジェといえ変態です。あんなのに負けるほどやわな訓練を受けてません!! 戦わせてください」

 

 ルルーは自分の青い髪とは正反対になった真っ赤な顔で隊長に懇願する。

 男はブルースピリットの頼みを無視しようと顔をそむけたが、ブルースピリットは諦めず隊長が目を離した所へ移動し、無理やり目を合わせようとする。

 そのしつこさ辟易した隊長は真っ直ぐにスピリットの目を見た。

 そして。

 

「だめだ!! 不用意に戦うんじゃない。もし、お前らに何かあったら俺は……俺は!!」

 

 その言葉にルルー・ブルースピリットは息を呑み、横島も驚いた。

 奴隷戦闘種族であるスピリットの命を、この男は心配しているのかと。

 少しだけこの世界の人間を見直した横島だったが、それは男の次の言葉を聞くまでだった。

 

「もしもお前らが壊れたら、俺の首が飛ぶんだぞ!! 分かっているのか!!」

 

 スピリット隊の隊長というのは名誉なことでもなんでもない。出世コースから外れたものがなるような役職だ。スピリット隊が全滅なんて事にでもなれば、指揮していた隊長は最悪の場合、死刑もありうるのだ。この隊長はただ自分の命が大事なだけでスピリットのことなど考えてはいなかった。

 

 そのことが分かったブルースピリットは人間の隊長に一瞬でも何かに期待した自分を恥じて肩を震わせると、隊長から離れていく。もう何を言っても無駄だと分かったのだろう。

 

 一方、横島は焦っていた。

 

(こりゃーまずいかも……)

 

 想像を遥かに超えて徹底的に守りの体制に入っている。単純な挑発等ではおびき出すのは不可能のようだ。

 

 結局その日、横島はリーザリオから敵を引っ張りだすことは出来なかった。

 

「まいったなあ……」

 

 結局どうやっても敵スピリットを引っ張り出すことが出来ず、横島は頭を抱えていた。

 辺りはすっかり日が落ちて、闇がその場を支配している。

 

「こんなはずじゃなかったんだけど」

 

 横島の考えでは、すぐに敵のスピリットを引き出せるはずだった。挑発すれば全スピリットで追ってくると思っていたのだ。

 しかし、実際はうまくいかなかった。敵を引っ張り出してからが勝負なのに、引っ張りだす事すらできないのでは話にならない。

 

「頭の中じゃあ成功したんだけど……」

 

『成功しない机上の空論などあるわけないだろうが』

 

「……うるさいぞ『天秤』」

 

 皮肉交じりの『天秤』の評に苛立つ横島。

 

 もし、このまま引っ張り出せなかったらどうなるか。

 このまま敵がずっとリーザリオに引き篭っているなら問題ない。そのうち悠人達がバーンライト首都を落としてくれるだろう。

 だが、バーンライトとて馬鹿ではないはずだ。このまま挑発などを繰り返していればいつかは疑いを持つ。そうでなくともラキオスに間者でも放っている可能性は高い。このまま手をこまねいていれば、いつかはラキオスが空になっている事に気づかれ、リーザリオにいるスピリット達はラキオスに向かう事になるのは避けられないだろう。そうなれば横島一人で20ものスピリットを相手にしなければならなくなる。

 

 なんとか敵スピリットを坑道まで引っ張り出さなければいけなかった。

 横島は右手に文珠を出現させる。その数は五つ。一ヶ月間で作り出した貴重な文珠であり、今ある全てでもある。スピリットを三日四日押さえるのに必要なのは三つ。二つあまりがある。その一つに『挑』や『囮』の文珠でも使えば、敵を引っ張り出すことができる可能性は高い。しかし、ここで横島は元祖ツンデレ雇用主が言ったことを思い出していた。

 

 あまりぽんぽんと文珠を使うな。

 文珠を使わなくても出来ることを文珠に頼るな。

 文珠はここぞというときに使え。

 

 この言葉は美神が口をすっぱくして何度も言った言葉だった。

 今が本当に文珠を使うときなのだろうか。

 

「美神さんがいてくれたらなあ」

 

 どのような困難に直面しても高笑いしながら前進し、どんなハードルが現れようとハードルを乗り越えるのではなくぶっ壊していく最凶にして天上天下唯我独尊な雇用主。

 守銭奴で意地汚く、意地っ張りで時折やさしい上司。

 スタイル抜群で時代錯誤なボディコン。

 エネルギーが満ちまくっている女王様。

 

 横島は無性に美神に会いたくなった。もし、今ここに美神がいてくれれば。

 

「う~セクハラしてーよー」

 

 どんなにシリアスにしていても、結局エロに向かうのが横島が変態たる所以。どうやら横島は妄想モードに入ったようだ。横島の手が妖しく、淫らに動き始める。

 その手の先にいるのは『天秤』だった。

 

『おい、主……ちょっ……待て! や、止めろ! 触るな、気持ち悪い!!』

 

 横島の愛撫を受け『天秤』が悲鳴を上げるが妄想モードの横島にはまるで届かない。『何か』を揉む動きや『何か』をこねくりまわす横島の動きはよりいっそう激しくなっていく。

 

『だから止めろと……!! うう、セクハラだ……エニ、助けてくれ……って、いい加減に止めぬかこの変態主がーーーー!!!」

 

「うぎゃあああああ!!!!!」

 

 ついに切れた『天秤』が横島に激烈な痛みを与える。いくら妄想モードに入っていたからと言っても、剣にセクハラするとは変態ここに極まる。しかも『天秤』は男だ。

 

「何しやがる『天秤』!!」

 

『それはこっちの台詞だ、変態主!!』

 

「なんの事だ、一体!?」

 

 妄想モードに入っていた横島には今何をしていたかの記憶は存在しない。

 そのことが分かった『天秤』はただ泣き寝入りするしかなかった。

 

(……一体こんな変態のどこが良いのですか『法皇』様)

 

 敬愛する上司が何故こんな変態に興味を持っているのか、『天秤』の思考ではまるで理解できない。男の趣味が悪いのではないかと疑ってしまう。

 

 一方、横島は妄想によって霊力を充実させ、より精力的な顔になっていた。お手軽な男である。

 

「なあ『天秤』 このままこうしていても仕方ないから、リーザリオに進入してみようかと思うんだが」

 

『進入……だと』

 

 横島の提案に『天秤』は少しの間思案するが、正直良い考えとは思えなかった。

 進入するということは当然見つからないようにするのだろうが、それなら神剣である『天秤』を持っていくことは出来ない。神剣を持っていれば直ぐに神剣反応でばれてしまうからだ。

 必然的に神剣を持たずに進入することになるが、超人的な身体能力、優れた五感を持つスピリット達に気づかれずに潜り込むのはかなり厳しい。もしも気づかれれば、神剣の無い横島はスピリット達に殺されるだろう。文珠を使えば逃げられるかもしれないが、それでは本末転倒である。

 そもそも進入してもスピリットを引っ張り出せる方法が見つかるかどうかも分からない。

 

『危険だな。ハイリスク、ローリターンだ。止めたほうがよいぞ』

 

「……確かにそうかも知れんけど虎穴はいらずんば虎児を得ずとか言う諺もあるし、それに美神さんなら絶対攻撃あるのみって言うだろうし……それに何かやっていないと不安って言うか……」

 

 例え危険でも行動あるのみだと言う横島。

 本来ならこんなことはありえない。あの、怖がりで危険なことには手を出さない主義(女の子に関しては別)の横島が、危険なことに自ら突撃していくなど。

 今の横島の心理を『天秤』は横島以上に理解していた。

 

 表層的な心理はこうだ。

 成長しなければいけない。強くならなければいけない。

 情けない以前の自分から変わらなければいけない。

 

 こういった思いは横島もちゃんと自分自身理解している。

 ここら辺は『天秤』の誘導しようと思った方向になっていた。

 

 そして、深層心理は……

 

(……分からんな。何が合理的なのか、正しいのかちゃんと分かってるはずなのだか……一体どうしてこんな……もう少し心をぐちゃぐちゃにしたほうが良いか?

いや、やりすぎて疑われてはまずい。ただでさえ暗示による洗脳まがいな事をやって精神的にかなり疲労している。やはり主自身の想いを利用しながら確実に誘導を……)

 

「おい、『天秤』そんなに心配しなくてもいいぞ。こんなこともあろうかと、リーザリオに潜入するための秘密兵器を持ってきてるからな」

 

 『天秤』が沈黙したのを心配しているからだと勘違いした横島の声に、『天秤』が我に返る。とにかく、どうするかは横島の秘密兵器とやらを見定めてからにしようと考えた。

 

 横島はリュックから何かを取り出し始める。

それは茶色で折り畳み可能。日本でもよくあるもの。引越しの際によくお世話になる物。

 誰でも一般知識として知っているものだったが、『天秤』はそれが何なのか疑問の声を上げる。

 

『……主よ、それは何だ?』

 

「見て分かんないのか、ダンボールだ」

 

 横島が取り出したのはダンボールだった。

ダンボールも知らないのかと横島は『天秤』を笑う。当然だが『天秤』はダンボールなど知っている。『天秤』が言いたかったのはそんなことではない。

 

『いや、ダンボールなのは分かるのだが、それをどう使うのかと聞いているのだが……』

 

「だから、リーザリオに潜入するのに使うんだろうが」

 

 言葉のキャッチボールは成立しているように見えるが、互いの意思はまったく相手に伝わっていなかった。

 

『だから! 私が聞きたいのは、そのダンボールでどうやってリーザリオに進入するのかと聞いているんだ!』

 

「ふっ、無知だな『天秤』 このダンボールというものはスニーキングミッションにおいて必要不可欠なのだ! 蛇の名を冠する偉大なスパイもダンボールを愛用していたんだぞ。ダンボール無しで敵地に潜入するなど、インターネットに繋げないパソコンのようなものだ!!」

 

『そ、そういうものなのか?』

 

「そういうものだ」

 

 余りにも自信満々な横島に『天秤』はあっさり飲まれた。

 どうやってダンボールを使うのかは全く分からないのだが、まるで一般常識のように語る横島にプライドの高い『天秤』は質問することが恥ずかしいことのように思えた。

 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という諺があるが『天秤』は一時の恥も耐え切れない性分だといえるのだろう。

 

「それじゃあ、行ってくる」

 

『お、おい。主!』

 

 善は急げと横島は『天秤』を放り出し、リーザリオに走っていく。

 『天秤』はその様子を眺めることしか出来なかった。

 

 横島は抜き足、差し足、忍び足でリーザリオに向かっていく。

城壁はリーザリオの町の周りをぐるりと囲み4,5メートルの高さはあったが、鉤爪のような形の栄光の手を使い城壁をあっさりと登った。ここら辺の技術は無駄に高い。

 上り終えると、さっそくあちらこちらから誰かが駆け足で向かってくる足音が響いてくる。スピリットが物音に気づいたのだろう。

 

(さあ、主。どうやってこの状況を切り抜ける)

 

 遠くから『天秤』は多少の緊張と期待を持ちながら横島を見ていた。

 一体ダンボールをどのように使うのか。意外と知識欲や好奇心が旺盛な『天秤』は横島がどのようにこの状況を切り抜けるのか少し楽しみにしていた。

 

 スピリットの接近に気づいた横島は折り畳んであったダンボールを広げ る。人を入れられるぐらいに大きくなったダンボールを横島はかぶり動かなくなった。

 

『はっ?』

 

 一体何をやっている?

 もしかして隠れているつもりなのか?

 

『天秤』の思考が加速する。

 

 不振な物音が聞こえた所に行く→人間がすっぽり入りそうなダンボールが出現している→桃太郎の桃よろしくダンボール真っ二つ→DEADEND!!

 

『ああぁぁるるぅぅじぃぃぃーーー!!!』

 

 己が主の最後を想像した『天秤』が絶叫を上げる。

 まさかあんなにも自信満々でこんな馬鹿なことをするとは思ってもいなかった。

 だが、もう『天秤』には祈ること以外やれることはない。

 そして、スピリット達が横島に近づいていく。

 目の前に突如出現した巨大なダンボールにスピリット達は頭の上に?マークを浮かべていたが、一人のスピリットが近づいていく。

 そして……

 

「ダンボールか……」

 

 それだけ呟くとスピリット達はダンボールから離れていった。

 それに驚愕したのは『天秤』だった

 

 何故?

 どうして?

 ぶっちゃけありえな~い。

 

 感情が無くなったスピリットといえど、考える力がなくなったわけではない。

 それにも関わらずダンボールで隠れる事で難を逃れるという不思議な現象に『天秤』は頭を悩ませていた。

 

 おかしい。あんな怪しいダンボールを放置するとは……

 いやまて、だからこそなのか!!

 私自身ダンボールに隠れるなどありえないと思ったではないか。

 そうか! つまりこれはダンボールに人が隠れるなどありえないという思い込みを利用した高度な心理戦ということか!!

 

 ……頼む、そういうことであってくれ。

 

 『天秤』が社会勉強している一方、難を逃れた横島はスピリット達の宿舎があるだろう町の郊外を目指した。奴隷扱いされているスピリットが町の中心部にいるとは考えづらいからだ。

 

 問題点はスピリット達の宿舎に行った所で、何か敵を誘い出せる方法が見つかるかどうかだったが、横島は自分の霊感を信じていた。

きっと何か良いことが起こると。

 

 しばらく郊外に向かって歩いていると、横島の超人的な嗅覚が何かを捕らえた。

 何ともいえぬ良い匂い。

 その匂いがする方に足を向ける。

 しばらく走ると一軒の大きな家が見えてきた。

 その家の窓から出ている湯気。

 聞こえてくる女性の声。

 そこは風呂場だった。

 横島の良いことが起こるという予感は見事に当たったのである。

 

「性欲を持てあます」

 

 どこぞのスパイのような台詞を吐く横島。気分はまさにソリッ○・スネ○ク。しかし、横島の顔は余りにもハードボイルドが似合わない煩悩少年だった。それはともかく、横島は都合よく開いていた窓から風呂場を覗きこもうとする。

 

(情報収集! 情報収集なんや~)

 

 実に自分に都合の良い論理武装を固める横島。この男ならそんなもの必要ないような気がするが、そこら辺は気分の問題だ。

 そして、横島は風呂場を覗き込んだ。

 

「へへ、お姉ちゃん。ボクも結構むねが大きくなったと思わない?」

 

 風呂に入っていたのはあの自我が残っているブルースピリットと幾人かのスピリットだった。ブルースピリットに関しては横島にも印象が残っている。先ほどの挑発で唯一反応してくれたスピリットだ。確か名前はルルーとか言ったはずだ。

 ちなみに、皆、何故か体にタオルを巻いていた。

 

「あっ……そうだ。ボク、近ごろ料理できるようになったんだ。今度、美味しいご飯食べさせてあげるから!」

 

 満面の笑みでブルースピリットは年上のスピリット達に喋りかけるが、周りのスピリット達は何の反応もしない。ただ黙々と体を洗い続けていた。自分の言葉に反応してくれない事に、ブルースピリットは悲しそうな顔をするが直ぐに笑みを浮かべなおす。

 

「それから、それから――――」

 

 ルルーは諦めることもなく、何度も何度も喋り続けた。美味しいお菓子があるとか綺麗な服が欲しいとか、取り留めの無い話を延々と話し続ける。どう見ても周りのスピリット達はその話を聞いているとは思えないが、ルルーはめげずに話し続けた。

 

 しばらくして、体を洗い終えたスピリット達が浴場から出て行く。

 結局誰一人ルルーの話を聞いてる様子は無かった。

 

 そして浴場に残っているのはルルー・ブルースピリットと横島が妄想したブラックスピリットだけになる。そのブラックスピリットも浴場から出ようとしていた。

 

「ルーお姉ちゃん……エトランジェを倒して皆のカタキを取ろうね」

 

 悲しげな声で言うルルー。どうせまた無視されると思っているのだろう。

 しかし、ルー・ブラックスピリットは本当に少しだけ目をルルーのほうに動かした。

 

「………………」

 

 何かを言ったわけではない。ただ、本当に一瞬だけ目が合った。

 

「うん!! がんばろうね!」

 

 ただそれだけの事でルルーは満面の笑みを浮かべ、ルーの腕を取るとスキップでもしそうな足取りで浴場から出て行った。

 

(……はっ! し、しまった)

 

 その様子をつぶさに観察していた横島は己のやってしまった失敗に気づいた。

 

(俺としたことが……あんなロリに目を奪われてしまうとは!!)

 

 目を奪われたといっても胸とかを見ていたわけではなく、ただルルー・ブルースピリットの話に聞き入っていただけなのだが。

 とりあえず「俺はロリコンじゃない、ロリ人じゃない」とお約束の呪文を唱え終えると、これからについて考えてみる。

 

(う~む……一体これからどうしたもんか……ん?)

 

 これからどうしたものかと考え込む横島だったが、ふと気づくとスピリットが生活している屋敷のすぐ側にもう一つ家が存在していた。

そこから、怒鳴り声が響いてくる。

 何事かと思い、家に近づき窓から覗いてみると……

 

「確か今日、遊びに連れてってくれるって言ったのに!」

 

「すまない、アン。だけどお父さんは仕事で……」

 

「前もそうだったじゃない! 町に美味しいものを食べに行こうって約束したのにお仕事だって!!」

 

「それは仕事で……」

 

 スピリット隊の隊長と10歳ぐらいの女の子が怒鳴りあっていた。もっとも、怒鳴りあっているといっても女の子のほうが一方的に男を怒鳴りつけているだけなのだが。

 どうやら二人は父と娘のようで、争いの理由は至極単純。仕事が忙しくて娘とコミュニケーションがうまく取れていないという、どこの家庭でもありそうなものだった。

 

 スピリットを奴隷扱いしている男も家に帰れば娘もいる一児の父なのだ。仕事が忙しくて娘と遊びに行けないなど、異世界だろうがなんだろうが万国共通といえる。

 女の子の怒鳴り声はますます大きくなっていった。

 

「パパなんて知らない! もう家出してやるから!!」

 

「アン! 待ちなさい!!」

 

 アンと呼ばれた少女は扉を乱暴に開けると夜の街中に走って行った。その後をスピリット達の隊長であり、父親でもある男が追いかけていく。

 その一部始終を見た横島の頭にいくつかの考えが浮かんできた。正直あまり善い考えではないかもしれないが、有効なのは間違いない。

 

(まあ……仕方ないよな)

 

 今、自分がやっているのは戦争だ。

 

「う~パパなんて……パパなんて!!」

 

 父親を振り切ったアンは暗闇の中、一人で膝を抱えて座っていた。そして父親の悪口を言い続けてその目は真っ赤で今にも泣き出しそうだったが、アンは勝気な性格なのか決して泣きはしない。

 

「絶対にパパをぎゃふんと言わせてやるんだから……」

 

 少女の目に光が宿る。

 そんな少女に悪しき魔の手が伸びようとしていた。

 

「気は進まんけど……多分これが一番手っ取り早いよな……」

 

「えっ……だ、誰かいるの!」

 

 後ろから聞こえてきた声にアンは飛び上がるように立ち上がり振り返る。街灯などが無い為、一寸先も見えない闇しかなかったが、その闇の中からバンダナを付けた青年がゆっくりと現れる。

 

 そして、その青年は、こう、言った。

 

「お、お嬢ちゃん。飴あげるから、お兄ちゃんについてこないか」

 

 変質者だ!!

 

 そして次の日。

 

「隊長! 大変なんです、早く来てください!!」

 

 あの唯一自我があるルルー・ブルースピリットが隊長の家に押しかけていた。よほどの緊急事態なのかかなり慌てている。隊長はその様子をどこか虚ろな目で眺めていたが、いきなり血走った目に変化した。

 

「大変だと……何が大変なものか!! 俺の娘が……アンが昨日から帰ってきてないんだ。これ以上大変なことがあるか……ラキオスのエトランジェが来たのなら防衛に徹しろ。

俺はアンを探しに行かないといけないんだ」

 

 隊長は顔色が悪く、髭も剃っていないのでさながら病人のようだった。恐らく一睡もせず一晩中アンを探していたのだろう。

 ふらふらとした足取りで家から出て町に向かおうとする隊長だったが、ルルーはことさら大きな声で男にとって重大なことを告げた。

 

「ですから、そのアンちゃんがラキオスのエトランジェに捕まってるんです!!」

 

「な、なんだと!!」

 

 アンの父親であり、バーンライトのスピリット隊長でもある男は駆けた。

 重たい甲冑などを物ともしないで。

 ただ愛する娘の為に走り続ける。

 

 そして、リーザリオの城門付近で彼が見たものは、エトランジェに剣を突きつけられたアンだった。

 

「ア、アンーーーーー!!!!」

 

 男は絶叫を上げた。当然である。

 どこの世界に娘が誘拐され、さらに剣を突きつけられた状態で平静を保てる父親がいるというのか。

 

「エ、エ、エトランジェ!! 娘を……アンをどうするつもりだ!!」

 

 悲鳴と絶叫が入り混じった怒声を聞き、ラキオスのエトランジェ……横島忠夫はにやりと邪悪そうに笑う。そして横島はアンを抱きかかえるとどこかに走っていく。

 

「パパ! たすけてぇーー!!」

 

 娘の助けを求める声を聞き、男の目からは理性の光が完全に消えた。

 

「スピリット! 何をしている、早くアンを助けに行くぞ!!」

 

 男の任務はリーザリオを防衛し続ける事だったが、そんなことは既に頭の中から消えていた。あるのはただ娘を助けたいという想いだけだ。

 

「分かりました。一刻も早くエトランジェを倒してアンちゃんを助け出しましょう!」

 

 ルルー・ブルースピリットも切迫した表情で返事をする。バーンライトのスピリット達は隊長を中心として、すぐさま凶悪なエトランジェを追いかけ始めた。

 

 そして、凶悪なエトランジェに連れ去られた囚われのアンは……

 

「えへへ、うまくいったね、エトランジェさん」

 

「ああ、将来は女優になれるぞ、アンちゃん」

 

 何故か楽しそうにしていた。

 横島は肩に大きな荷物を背負っているため、アンをお姫様抱っこしながら笑いかけ、アンも得意そうに笑っていた。その空気は誘拐犯と誘拐された者の間でかもし出される雰囲気では断じてない。

 横島とアンは穏やかな空気を出しつつ、坑道へ続く道を疾走していた。

 

「でも助かったよアンちゃん。まさかそっちから協力してくれるなんて思っても見なかったからな~」

 

「ううん、むしろこっちがお礼しなきゃ。おかげでパパに一泡吹かせたんだもん」

 

 そう、この二人は協力関係にあったのだ。横島は気が乗らなかったが、アンを誘拐することによってスピリットたちを誘い出そうとした。その為にアンに近づいたのだが、アンはなんと自ら誘拐してくれと言ってきたのだ。理由は単純、「パパに一泡吹かせたいから」だった。両者の利害は完全に一致したのである。

 

「それで、これから先どうするの?」

 

 アンは横島を不安そうにじっと見つめる。アンの目的は既に達成されたのだからこれ以上横島に付き合う必要はない。もう10歳ともなれば先のことも色々と考えられる年齢だ。勢いで横島に協力したのだろうが、冷静に考えれば敵国の人間に捕まっている状況を不安に思っているのだろう。その目には少しだけ不安の色が見えた。

 

「もう少し俺に付き合ってくれないか。すぐに解放するからさ。それに絶対にアンちゃんのお父さんを痛い目にあわせたりしないから」

 

 安心させるためにアンに笑顔を向ける。アンはその笑顔を見て、不安が綺麗さっぱり無くなった。これも横島の子供限定の人徳なのかもしれない。

ただ、横島の言った事は嘘ではないのだが、本当の事とも言いづらく、少し心が痛かった。

 

「それで、私はどこまで付き合ったらいいの?」

 

「とりあえず坑道まで行こうと思っているんだけど……アンちゃんにちょっと聞きたい事があるんだ」

 

「なあに?」

 

「俺に協力するとバーンライト王国が困るって……分かってる?」

 

 もう10歳ともなれば自分のやっていることの意味も分かっているはずだ。ついさっきまでは、感情が暴走していたから敵である横島に協力していたのだろうが、冷静に考えればアンの行動は国を裏切る行為にも等しい。

 そのことに気づいたアンは複雑そうな顔をするが、少し悩んでさっぱりとした顔をする。

 

「バーンライト王国が負けちゃうのは残念だけど……まあいいかな~どうせスピリットっていう兵器が死んじゃうだけだし」

 

 アンのノリは軽かった。自分が住んでいる国が滅びるかもしれないというのに。

 だが、この考えはアンが特殊と言うわけではない。一般市民からすれば戦争などお祭りのようなものだ。国が保有しているスピリット同士が殺し合い、勝ったほうが支配する。

 別に自分たちに迷惑が掛かるわけでもないし、負ければ生活の為のマナがあまり供給されなくなる可能性はあるが、実際それほど生活が変わるわけでも無い。双方に主義、主張も無い。国のトップが替わり、名前が変わるだけだ。

 とは言っても実際自分の暮らしている国に愛着を持っている人はたくさんいる。

 分かりやすく例を挙げれば、オリンピックに近いものかもしれない。

 国同士の代表選手……スピリットが殺し合い、勝ったほうが支配する。正にお祭り。

 

 必死になるのは処刑の危険がある王族ぐらいだろう。領地持ちの貴族などは大体所領は安堵されてしまう。勝った方も、特に人間が活躍するわけではないから、領地や財産を報酬として与える必要も無いからだ。横島達がいた世界の戦争や常識とは百光年は離れているだろう。

 国のトップは名誉欲や支配欲を満たすために戦争しているのだけ。

 その為の道具がスピリットなのだろう。

 

 だが、この考えは別に善とか悪とか言う問題でもない。ただこの世界の常識というだけの事。アンやその父親などは別に悪人ではなく、ただ子供のころからスピリットは兵器で道具だと教わったのだろう。しかもスピリット自身が兵器であることを否定できないのだから、人間たちがスピリットに代理戦争をやらせるのは当然である。

 

(どうすりゃスピリットを解放できるんだろうな。この世界の人間って、アンちゃんみたいに悪気もなくスピリットを兵器として見てるみたいだし)

 

 悪人がスピリットを兵器・奴隷扱いしているのならば問題はないのだ。だが、善人も悪人も等しくスピリットを兵器として扱っている。それが社会常識だからだ。

 スピリットを解放するだけなら簡単だ。禿王を無理やり退位させてレスティーナを即位させれば彼女なら解放してくれるだろう。だが、解放すれば敵対国家に侵略されてしまう。

 もしも解放するのならば、ラキオスに敵対する国家……いや、この大陸の全てを征服する必要が出てくる。そうして始めてスピリットを解放できるだろう。スピリットの解放のため、どれだけスピリットの血が流れるかは定かではないが。

 さらにスピリットを解放したとしても、人間達がスピリット達の人権を認めるだろうかという問題もある。

 いや、むしろ下手に人権を認めるのも危険でもあるのだが。憎まれ疎まれているからこそ、彼女らの貞操が無事である可能性が高いのだ。

 

『おい、主。そろそろ坑道だぞ』

 

 頭の中に響く『天秤』の声に横島は思考の渦から切り離される。

 今こんなことを考えても仕方ないことだろう。今はただ目の前にある事を一つ一つこなしていくだけだ。

 

「うっしゃ! そんじゃ、やりますか」

 

 気合の声を上げ、横島はアンを連れて坑道内に入っていった。

 それからしばらくして、横島を追いかけていたバーンライトのスピリット隊は坑道に到着する。

 

「アンーーー!! どこだ! 聞こえていたらパパに返事をしてくれーーー!!」

 

 のどが張り裂けんばかりの大きな声で娘を呼ぶ父親。その目には理性の光は存在しない。

 

「スピリット! 本当にこの場所でいいのか!」

 

「ここでエトランジェの神剣反応が途切れたんです。少なくとも神剣を使っていないのならそう遠くにはいけないから、この辺りにいるはずです」

 

 ルルーの報告に隊長は舌打ちすると、血走った目をぎょろぎょろと動かして辺りを見回し始める。

 

「パパ~」

 

「隊長! いま……」

 

「分かってる! 静かにしろ!!」

 

 どこからか聞こえてきた娘の声に必死に耳を澄ます男とルルー。周りにいるスピリットは特に命令が無い為、ぼ~っと立ち尽くしている。人間に従うとはいえ、こういう場面で命令もなく、人間の為に動くことはない。

 

「パパ~こっちだよ~」

 

「分かりました! 坑道の中です!」

 

 ルルーが言うが早いか、隊長は坑道内に飛び込んでいく。その後をスピリット達が追っていった。

 

 坑道内は日の光が届かないが、壁自体がうっすらと光っていたので、完全な暗闇という訳ではなく、天井はかなり高かった。

 その中を男は走る。

 娘を求めて。

 途中いくつかの分かれ道もあったが、娘の声がする方向に向かって走り続ける。

 その周りをスピリットたちが周りを警戒しながら走っていた。

 ある程度の距離を走り続け、そして男はようやく娘の姿を見つける。

 アンはニコニコと笑っていて傷があるようには見えない。

 

「パパ~アンはここに……むう!!」

 

「良かった……良かった!」

 

 アンは走りよってきた父親に抱きしめられる……というより抱き潰された。

 

「うう~」

 

 父親に抱き潰され苦悶の声を上げるアン。暴れて父親を引き離そうとするが、自分の頬に落ちてきた雫に気づき何も言えなくなる。真っ赤に腫れ上がった目からは止めどなく涙がこぼれ、頬はたったの一日でげっそりとしていた。

 ここに至って、アンはようやくどれほど父親に心配をかけたのかを理解したのだ。

 

「パパ……ごめんなさい」

 

「大丈夫だ……悪いのはあのエトランジェなんだから」

 

 エトランジェに協力したのは自分だった。

 父親を心配させるためにわざと捕まり、そして心配させた後はちゃんと事情を説明するつもりだった。

 しかし、もし自分から捕まったなんて言ったらどれほど怒られる事か。それは幼いアンからすれば恐怖以外のなにものでもなかった。

 

「ごめんなさい……エトランジェさん」

 

 誰にも聞こえないぐらいの小さい声で呟く。

 全てをエトランジェの所為にしてしまった罪悪感を忘れるために。

 

 アンを取り戻した隊長はようやく落ち着いたようで、その目には理性の光が戻っていた。

 血色も良くなっている。

 

「おい、ルルー・ブルースピリット。付近にエトランジェはいないのか」

 

「……神剣反応はありません。神剣を手放しているのか、あるいはもうこの場所にはいないのかもしれないです」

 

「そうか、とにかくアンをこのままにしておくわけにもいけないし、早くここから出るぞ」

 

「まって、パパ。ちょっとこれ見てくれない」

 

 アンが指し示した所にはかなり大きなリュックがあった。

 

「エトランジェさんがおいて行ったリュックなんだけど、水や食べ物がいっぱい入ってるみたいなんだけど……」

 

 隊長が巨大なリュックを覗いて見ると、そこには水食料がぎっしりと詰まっていた。節約しながら食べれば一人だけなら一ヶ月以上持つかもしれない。

 

 一体何故こんなものを置いていったのかは知らないが、こんな物は必要ないと判断した隊長はリュックを無視する。そしてアンの手を引きながら、スピリット達を先導させて坑道の出口に向かって歩き出した。

 出口に向かってしばらく歩くと、先行していたスピリット達が何故か立ち止まっている。

 

「おい、お前たち何をやっている。早く先に進め」

 

 だが、何故かスピリット達は先に進もうとはしない。

 何かあったのかと隊長が疑問に思ったとき、真っ青になったルルー・ブルースピリットが呆然とした表情で口を開いた。

 

「隊長、道が……道がありません……」

 

 呆然としたスピリットの声を聞き、隊長は何を馬鹿なことを言っているのかと思ったが、見てみれば確かに通ってきたはずの道がなくなり、行き止まりになっていた。

 いきなり道がなくなるという事態に隊長の頭がパニックになりかけるが、直ぐに気を取り直す。

 

「道を間違えたんだろう。ほかの道を探すぞ」

 

 隊長は別な道を探すようにスピリットに指示を与えると別な道を探しに歩き始めた。

 

「うまくいったみたいだな」

 

 坑道に入る入り口で笑みを浮かべる横島。

 そこは確かに坑道の入り口だったはずだが、今は何故かその入り口が影も形もなくなっていた。そこに落ちている一つの文珠。刻まれている文字は『幻』

 つまり入り口は消えたわけではなく、消えたように見えているだけなのだ。

 

『ふむ、考えたものだな。閉じ込めるとは……これなら確かに戦う必要はないが、『幻』の文珠はどれぐらい持つのだ? 最低でもユートたちがバーンライト本城を落とすために必要な三日四日は持たせなければいけないが……』

 

「とりあえず『幻』の文珠の力を入り口の一部分に集中させているから数時間は持つと思うぞ。まあ、それだけじゃあ足りないだろうから……」

 

 新たに二つの文珠を出現させ、文字を入れていく。込められた文字は『持』『続』

『持』『続』の文珠を地面で効果を発している『幻』の文珠に投げつけ、『幻』の文珠の効果時間を持続させる。

 

「これで二日三日は持つはずだ。一応予備の文珠もあるから予想より早く文珠の効果が切れても問題なし」

 

 ミッションコンプリートと得意げに叫びポーズを決める。その顔には自分も含めて誰も傷つかずに終わって良かったという安堵に満ちた表情をしていた。

 

『ふむ……まあ上手く事が運んでよかったが、背中の荷物はどうしたのだ』

 

「ああ、スピリット達はしばらくあの中にいる事になるだろ。だから食料を置いてきたのさ」

 

 アフターケアも万全だと胸を張る横島。それはアフターケアじゃないぞと思う『天秤』は深いため息を吐く。

 

『なるほど、それで食料を全部置いてきたわけだ』

 

「ああ、全部置いてき……全部?」

 

 言葉が途切れ、沈黙が場を支配する。

 

『……まあ主なら三日ぐらい何も食わなくても平気だろう』

 

「い、いやじゃああああ!!」

 

 そして、時間は流れて。

 

 草木も眠る丑三つ時。

 夜がもっとも深い時間。

 食料を取りに行きたくても万が一を考えてここから動けなかった横島は、空腹を忘れるためにさっさと寝ていた……そんな時。

 

 それは起こった。

 

「GUOOOOOーーーー!!!!」

 

 それは咆哮。

 聞くだけで体を震わし、恐怖が体を支配する、絶大な圧力を持つ咆哮。

 

「な、何だよ……今の」

 

 飛び起きた横島の声は震えていた。体の底から恐怖を呼び起こす咆哮。霊感などではなく、生物として生存本能が最大級の警鐘を鳴らしている。早くこの場所から逃げろと。

 

『どうやら坑道内から響いてきたようだな。中で何か起こっているようだが……』

 

「何かって何だよ!!」

 

『私が知るわけ無いだろう。だが、洞窟内で神剣反応が活発になっている所を見ると『何か』と戦っているようだな』

 

 坑道内からは相変わらず咆哮と何かが爆発する音が響いている。

 恐らくスピリット達は先ほどの咆哮を響かせた何かと戦っているのだろう。

 中級神族に匹敵するほどの力を持っているスピリットが20人。この時点で戦っているのが何だろうと負けることは考えられない……はずなのに。

 

(嫌な予感がする……)

 

 どうすればいいのだろう。

 何をするべきなのだろう。

 迷う。

 迷う。

 

 横島の迷いを感じ取った『天秤』はまるで愚者を導く賢者のように喋り始める。

 

『主、分かっているな。何が正しい判断か』

 

 合理的な判断を下せるようになること。

 それが横島の成長目標の一つ。

 

 この場所から早く逃げたい。本能とも呼べるものがそう訴える。

 この場所から早く立ち去った方が良い。冷静な考えがそう訴える。

 

(迷う事なんて無い……坑道内に入る必要なんてない。そんな事に何の意味も……)

 

「きゃああぁぁーー!!」

 

 聞こえてくるのは女性の悲鳴。

 

「……だああああああ!! どちくしょおおおーー!!」

 

 そう叫び声を上げると横島は幻影によって塞がっていた坑道の入り口から坑道内に向かって走り始める。

 驚いたのは『天秤』だった。

 

『な、何をやっている主! それが正しい判断だと思っているのか!?』

 

「……様子を見に行くだけだ!!」

 

 横島はそう理由を付けた。

 別に合理的な判断をしなかったわけじゃない。

 別に感情で動いているわけではない。

 どういう不確定要素が発生したのかを確かめてみることが合理的だと無理やり判断した。今の横島は合理的な行動しか取らないのだ。

 逆に言えば合理的だと横島が判断すれば、どんな行動だって取れるといえる。

 

 坑道内に入ると怒号と悲鳴がはっきりと聞こえてきた。

 まずスピリット達がいるところまで向かおうとした横島だが、前方から誰かが走ってくる足音が聞こえる。

 バーンライトの隊長だ。胸には気絶しているアンを抱いている。

 

「おい! 一体何があったんだ!!」

 

「り、り、り……うああ!?」

 

 息が乱れ正常な発音が出来ず、恐怖の所為か完全にパニックになっている。ただそんな状態でもアンだけは必死に抱きしめていた。

 情報を聞き出すのは無理そうだ。

 

 横島はパニックになっている隊長の背中を思いっきり押してやり、坑道の外に出してやった。

 

『一体何をやっている!』

 

「別にあいつだけなら出してやっても構わないだろ」

 

『馬鹿な! これであいつがトリックに気づいたら……』

 

 『天秤』が納得していないようだが、横島は走ってより奥に行こうとする。

 勝手な行動を取る横島に『天秤』が抗議の声を上げるが無視して先に進む。

 

 横島はスピリット達の神剣反応を探りながら走って行き、坑道内とは思えないほど広い場所に出た。

 そこに神剣を構えるスピリット達と、『それ』はいた。

 

 丸太のような巨大な腕と鉄すら軽く引き裂いてしまいそうな爪。

 家ぐらいはありそうなその体躯。

 人間ぐらいなら一口で食べてしまうような巨大な口と牙。

 背には鋼鉄のような巨大な翼。

 

 ファンタジー世界最強の生物。

 

「龍……!!」

 

 

 



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第十話 引きちぎれる心

 この世界、ファンタズマゴリアと呼ばれる世界は中世ファンタジーである。

 

 日本人がイメージする中世ファンタジーは剣と魔法の世界であり、ユニコーンや妖精などか存在する世界の事を言うのだろう。だとすれば、この世界は間違いなく中世ファンタジーである。

 何故なら、ファンタジーの代名詞である龍が目の前で暴れているのだから。

 

 龍は西洋に出てくる竜の姿をしていた。つまり竜化した小竜姫の姿ではなく、強靭な手と大きな翼を持つるドラゴンだ

 そのドラゴンに立ち向かうのは、神剣を携え、黒きエンジェルハイロゥを纏ったスピリットと呼ばれる美しき女性たち。

 

 これがファンタジーで無いのなら、何をファンタジーと呼ぶのだろうか。

 ただ、目の前の光景は甘いファンタジー世界ではなかった。

 目の前の光景はファンタジー(幻想)ではなく、あまりにもリアル(現実)だった。

 

 

 

 

 永遠の煩悩者 第十話

 

 引きちぎれる心

 

 

 

 

「グオオオオ!!」

 

「はああああ!!」

 

 爆音。轟音。衝撃。

 炎、氷、風、雷、闇。

 

 多種多様なエネルギーがその場に渦巻いている。

 何の力も持たない者がこの場に踏み込みでもすれば、その瞬間に命を奪われるだろう。生きるか死ぬかのバトルフィールド。

 そのバトルフィールドに入らず、おろおろと殺し合いを見ている男がいた。横島だ。

 

「お、おい『天秤』 どうすりゃいいんだ……こんな時……」

 

 スピリットや龍に見つからないようにこっそり隠れながら、『天秤』に指示を仰ぐ。

 勢いでここまで来てしまったが、横島は別に何かしようと思って来たわけではなかった。

 そもそも何が起こっているのか知らなかったのだから当然といえるが、知ったからといえども何をすれば良いのか分からない。

 

『正しいと思うことをやればいい……無論、何が正しいのか分かっているな?』

 

 『天秤』の答えは至極単純だった。

 正しい事。横島は一生懸命に考える。

 今の自分の任務はバーンライトのスピリットの足止め。

 スピリットたちは龍から逃げようともせず、戦い続けている。恐らく、隊長から「龍を殺せ」という命令でも受けたのだろう。

 

 別にスピリットが龍と戦おうが、洞窟内に閉じ込めて足止めするという横島の役割に支障はでない。特に何かする必要など無く、このままこの場所から離れればいい、

 スピリットが勝とうが、負けようが足止めには変わりないのだから。バーンライトの隊長のことも気になるが、あの様子ではここに近づこうとも考えないはずだ。

 いや、もっと先まで考えることも出来る。

 スピリット達と龍の戦いは龍の方が優勢に見えるが、スピリット達も負けてはいない。

 このまま戦いあえば、恐らく龍が勝利するだろうが、龍も無傷ではいられないだろう。

 龍はその身に莫大なマナを蓄えている。殺しておけばそのマナはラキオスの物になり、今後の戦況を有利なものにするかもしれない。

 

 漁夫の利を得る。

 

 だが、漁夫の利を得るということはスピリット達を見捨てるという事だ。

 助けたいという感情はある。

 あんな爬虫類に美人で可愛い女の子たちが殺されるなんて許されることではない。

 しかし、助けるといってもどうすればいいのか。

 こっそり支援するなんて事はできそうにないし、協力して倒そうなどと申し出ても断られると考える方が自然だ。というよりも襲われる可能性のほうが高い。

 

 スピリット達を助けたいとは思う。

 しかし、そのために下手な行動をして自分の命を危険に晒すなんてことはできない。

 それに、自分の行動は今ここにはいない仲間たちの命に関わるかもしれないのだ。上司として責任ある行動を取らなければいけないだろう。

 なにより、龍が恐ろしい。

 

 結局、見つからないようにしながら静観しているのがベストであるという結論に達した。

 

『安心したぞ、主。やはりちゃんと先を見通す力を持っているではないか。愚かな感情に飲まれなければ、主が求めるものは必ず手に入るだろう』

 

 横島の考えを読んだのだろう。

 普段とは違う優しい声で『天秤』は横島を賞賛する。

 腹に一物含んだ声ではない。純粋に『天秤』は嬉しかった。己の主が正しい選択を選んだことを。自分の誘導通りに進んでいる事の嬉しさもあるのだろう。

 その声を聞き、横島は吐き気を感じた。だが、だからと言ってこの選択を取りやめるつもりはないが。

 

 スピリットと龍の戦いは一進一退の攻防が続いている。

 巨体ありながら翼を羽ばたかせ、空中を信じられないほどのスピードで疾走し、巨大な腕の先端についた鋭い爪を振りかざしスピリット達に襲い掛かる龍。

 スピリットは攻撃力、防御力、スピードの全てで龍より劣っていたが、決して負けているわけではなかった。

 グリーンスピリットは仲間に防御補助魔法をかけることによって防御能力を上げ、ブルースピリットは冷気を操る青の魔法で龍の行動を鈍らせ、ブラックスピリットは黒の魔法で龍の力を下げ、レッドスピリットが赤の魔法で攻撃するが、大して効いているようには見えない。

 

 どちらも致命傷を与えることができず、戦いは互角のように見える。

 あくまで「見える」だ。実際はどちらが優勢なのかは一目瞭然。

 竜のほうが遥かに優勢である。

 攻撃を食らってもほとんど効かない龍と攻撃を食らわないスピリット達。

 だが、いつまでも避け続けることはできない。

 生き物である以上、スタミナは無限ではないのだから。一撃で自分の命を奪う攻撃を避け続けているスピリット達はスタミナと精神を消耗して、いつかは攻撃を食らい、一人一人死んでいくだろう。

 そして、とうとう一人のスピリットが龍に捉えられる。

 

「くうっ!」

 

 あるブラックスピリットが龍の攻撃を避けたとき転倒してしまった。

 致命的な隙が生まれ、龍が襲い掛かっていく。

 このままでは間違いなく死ぬだろうが、倒れているスピリットを守るように、一人のスピリットが龍に立ちはだかった。ルルー・ブルースピリットだ。

 

「もう絶対に家族を失いたくない! ルーお姉ちゃんは……ボクが守るんだから!!」

 

 背中で輝く白き翼……ウイングハイロゥが輝きを増す。

 ルルーの強い意志を受けて神剣が輝き、目の前にブルースピリットが使用する防御方法、マナによって作られた水の壁――ウォーターシールドが生み出された。

 仲間を、家族を守ろうとする強い意志が生み出した守りの技。

 

 だが、現実は残酷だ。

 たとえルルーが限界以上の力を引き出し、障壁を張ったところで龍の圧倒的な力の前には何の意味もなさない。仲良く二人一緒にぺちゃんこになるだろう。ただ、死ぬ人数がひとり増えただけだった。

 

(あ……死んじまう)

 

 どこか冷静な頭が、あの二人のスピリットが死ぬということを教えてくれる。

 ナイスバディのお姉ちゃんにこれからが楽しみな女の子。

 

(悪い……悪く思わないでくれよ……)

 

 助けようと思えば助けられるかもしれない。

 しかし、優先順位として考えればあの二人は助けることはできなかった。

 過去の自分なら、さっさと逃げ出しているか、女の子を助けるために動いていただろう。

 だが、いま取っている行動は静観。

 自分らしくない、理屈による行動を選択した横島は、自分が成長しているのだと実感した。

 

 これでいい。

 

 奇妙な満足感が広がる。

 その満足感が自分の心ではなく、自分が握っている『天秤』のものだと分からないまま。

 そして、龍の無慈悲な一撃が振るわれる。

 龍の一撃はルルーとルーに向かって突き進み……

 

 横島……あなたは理屈で女の子を助けるか、助けないかを決めるの?

 

 ズウン!

 

 龍の一撃が地面を割った。

 

 

『この愚か者、愚か者、愚か者ーーー!!!』

 

『天秤』の怒声が横島の頭の中に響き渡る。

 余りの騒がしさに耳を塞ぎたくなるがそれはできない。

 なぜなら、横島の両腕に二人のスピリットがいるのだから。

 

 そう、龍がスピリットを殺そうとしたあの瞬間、横島は飛び出して二人のスピリットを救ってしまったのだ。

 

(なんて……ことだ!!)

 

『天秤』は目の前の出来事に愕然としていた。

 感情に飲まれるなど愚かなこと。

 そう教えられてきた『天秤』は感情など愚かなものだと知っていた。

 知っているだけだった。

 

 だが、今は違う。

 正しい判断が出来ているはず者を、先を見通す賢者さえも愚者にする、「感情」という物の恐ろしさを今、『天秤』は知識としてではなく、経験として教えられた。

 

(主は確かにスピリットを見捨てると考えていた。私もそう誘導するように精神操作を行っていた……それなのに!!)

 

 間違いなく横島はスピリットを見捨てようとしていた。『天秤』にはそれが分かっていた。

だから安心していたのだ。

 まさか、こんなことになるとは想像もしていなかった。

 

『どうするつもりだ! 何か策でもあるとでも言うのか!!』

 

 一縷の望みにかけて『天秤』が横島に問いかける。

 横島がこの状況をどうにかする秘策を考え付いての行動ではないかと期待したのだ。

『天秤』の期待に対する横島の答えは―――

 

「どないしよ……『天秤』」

 

『私が知るかーーー!!!』

 

 横島のあまりの馬鹿さに『天秤』は泣きたくなった。それは横島も同じ。

 

 なんで助けてしまったんだろう。

 

 簡単に言えば、体が勝手に動いたとしか言いようが無い。

 まるで、彼女のときのように……

 一体自分は何をやりたいというのだろうか。

 自分のことなのに自分がよく分からない。

 

 一方、横島に助けられたルルーは何が何だかさっぱり分からず混乱していた。

 

(え~と……どうなっているんだろ? 確か龍の一撃からお姉ちゃんを守ろうとして……気がついたらエトランジェの手の中にいて……ボクの胸をがっちりと掴んでて……ええ!?)

 

 ムニムニ。

 

「わ、わ、わあ!?」

 

「どわっ!!」

 

 突然のことに呆然としていたルルー・ブルースピリットだったが、胸を触られている事に気付いて、ようやく我に返ったようだ。手に持った神剣を振り回し、横島を攻撃する。

 

 いきなり暴れだしたルルーに慌てた横島は、すぐに右手で抱えていたルルーを投げ飛ばし距離を取る。ついでに左手に抱えていたルー・ブラックスピリットも投げ飛ばした。

 

「この変態! いきなり胸を鷲摑みにするなんて! 小さいとか馬鹿にしていたくせに!!」

 

「胸なんて触ってないぞ! 硬かったし……つーか目の前に龍が!」

 

「硬いって……もう許さない! 胸の仇……じゃなくて、皆の仇はボクが取らせてもらうから!」

 

 神剣を構え、横島に襲い掛かろうとしたルルーだったが、いきなりルーがルルーを後ろから羽交い絞めにして取り押さえた。

 

「ルーお姉ちゃん!? ちょっ……離してよ!!」

 

 ルーは暴れるルルーを無理やり押さえつけ、周りにいるスピリットたちに目配せすると後方へと下がっていく。

 そして、この坑道の広場の唯一の出口である場所まで下がると、神剣を横島のほうに向けて身構えた。

 

「おい、『天秤』これはどういうことだ?」

 

『あのスピリット達は龍を殺せという命令と、エトランジェを殺せという命令の二つを受けているのだろう。

その二つの命令を果たすために、逃げ道を封じ、私たちと龍を戦わせ疲弊したところを攻撃してくるつもりだ……漁夫の利を得る……本来、我々がやるはずだったことだな!!』

 

 語気を荒げ、苛々しげに説明する。

 その声には横島を責める色合いが深くにじみ出ていた。

 『天秤』の叱責の声に横島がうなだれる。

 

「……悪い、だけど今はこの状況なんとかせんと……」

 

『そんなこと言われなくとも分かっている!! とにかく……前を見ろ』

 

 龍は正気を失った狂気の目で横島を睨みつける。

 後方に下がったスピリットたちには目もくれない。

 

 バーンライトのスピリット達は後方に移動したこともあるだろうが、龍は横島が一番危険だと判断したようだ。

 事実、永遠神剣第五位を持つ横島のマナ総量はスピリットとは桁が一つ違う。龍が横島を危険視するのは当然のことだろう。

 

 龍の狂気の目が横島を捉える。不良に睨まれただけで怯える横島からすれば、龍の目で睨まれるというのは、気が遠くなるほど恐ろしいものだった。

 

(龍ってのは話ができるんじゃなかったのか! 悠人のやつ嘘つきやがってー!!)

 

 悠人が殺した龍は高い知性を持ち、話もできたと聞いているが、この龍とは話し合いなどできそうも無い。どう見ても目の前の龍は正気じゃない。狂っていた。

 

「オオオオォォォォーーー!!!」

 

 龍は一際高い咆哮を上げると、背中の翼を広げ空中へと舞い上がる。

 そして、空中から滑空するように横島めがけて突っ込んできた。

 その圧力はまるでビルが空から落ちてきているようだ。

 

「どわあああ!! でかい癖になんつー速さだあああ!!」

 

『落ち着け! 決してかわせない動きではないはずだ!』

 

 龍はその巨体に似つかわしくない素早い動きで巨樹のような腕を振り回してくる。

 腕の先端にある爪はまともに食らえば、肉をぼろ雑巾のように切り裂くだろう。

 

 横島は必死に龍の猛攻を、体をくにゃくにゃと曲げたり、華麗とは言えない動きで避けまくっていたが、龍はその腕をめいいっぱい伸ばし、横なぎに払ってきた。

 前後左右逃げ場なし。逃げるとしたら。

 

「上しかねえだろ!!」

 

 空中に全力でジャンプする。

 神剣による肉体強化によって、10メートル近くジャンプすることができた。この洞窟の天井の高さはかなり高いようだ。

 龍を見下ろす形になり、龍は見上げる形となる。

 龍と目が合う。

 

 ニヤリ。

 

 龍が嘲笑ったように感じられた。

 そして猛烈な悪寒に襲われる。

 

 龍は横島に向かって、牛ぐらいなら一口で食べてしまいそうな大きく口をあけた。

 口の奥から妙な光が溢れ、凄まじい勢いでマナが集まっていく。

 

 やばい。

 

 肌が粟立つ。全身の細胞が訴える。この場所から早く離れろと。

 だが、横島は空中にいて地に足が着いてない状態。

 文珠でも使わなければ、空中を自由に動くことなどできない。

 龍の口の中で、光がより一層輝き始める。

 

 来る!!

 

 そう思った次の瞬間、龍の口からブレスという名の圧倒的な破壊の力が放出される。

 まともに食らえば消し炭になるだろう。サイキックソーサーやマナの障壁を展開してもかなりのダメージを食らうのは間違いない。

 文珠でも完全に防ぎきれる自信はない。

 

 ブレスによって前方の空気を押し出され、風が巻き起こり、横島の髪をなびかせる。

 そのことを感じた横島は一つの技を使うことにした。

 

 死がすぐ近くまで接近して、硬直していた体から可能な限り力を抜く。

 風に吹かれる木の葉のように。

 ギャグキャラが時に風に吹かれて飛ばされるように。

 全身を可能な限り脱力させ、伝説の魔球の力を解放する。

 

「大リーグ横島三号ーーー!!!」

 

 そして、光り輝くブレスが横島に触れる……直前に吹き飛ばされた。

 直接ブレスに当たったわけではなく、ブレスが巻き起こした風に吹き飛ばれたのだ。

 横島に当たらなかったブレスはそのまま上方に向かう。

 かなりのスペースがあるとはいえ、ここは洞窟の中。

 龍が放ったブレスは上方に向かって飛び、そして天井にぶつかる。

 

 その瞬間、洞窟内が光で埋め尽くされ、世界が揺れるような衝撃と轟音が生まれた。鼓膜が破れるのかと思うほどの轟音と、洞窟が壊れるのではないかと思うほど衝撃に思わず手で耳を塞ぎ、天井を見上げる。

 天井が崩れてこないか不安になったのだが、その心配は杞憂だった。

天井は龍のブレスが当たった辺りがくりぬかれる様になくなっていたのだ。よほどエネルギーが収束されていたのだろう。

 

「うぎゃーーー!! 本当に怪物だーーーー!!!!」

 

 横島の体が恐怖に震えた。

 逃げろ逃げろと、体の全てが訴える。

 

(いや……泣きごと言ってる場合じゃねえ! 逃げたってしょうがねえだろ!)

 

 心の底から湧いてくる恐怖心を乗り越える……というより無視する。

 

『馬鹿者が! もし逃げられるなら逃げるべきだ!!』

 

「ここで逃げだしたら俺らしいじゃねえか! めちゃくちゃ恐いけど、成長するためにも逃げられねえだろ!!」

 

(なっ!? これは……精神を弄くった弊害か!?)

 

 自分らしい行動はいけない。

 横島の成長を願う気持ちと、『天秤』の洗脳が生み出した行動原理。

 それが、今裏目に出た。

 

 横島はとにかく攻撃を開始する。

 

「こんにゃろーー!!」

 

 左手に『天秤』を持ち替えて、右手に栄光の手を作り出し龍に向かって突き出す。

 

「伸びろーーー!!」

 

 龍の腹部に勢いよく栄光の手が伸びていく。龍は向かってくる栄光の手を目で追うが、避けようとはしなかった。

 カキーンと心地の良い甲高い音が響き渡る。

 栄光の手は強靭な龍の鱗によって、まったく刺さっていない。

 鱗の部分で完全に止まってしまっている。

 

「か、かてえ!!」

 

 栄光の手ではとても貫けそうになく、伸ばした栄光の手を引っ込める。

 龍は栄光の手が当たった部分をぽりぽりとかいていた。

 その様子は「蚊でも刺したようだ」とでも言っているようだ。

 

「だったら……サイキックソーサー!!」

 

 文珠と神剣である『天秤』を抜けば一番威力が高いサイキックソーサーを右手に作り出し投げつける。かなりの量の霊気を練りこまれたサイキックソーサーは轟音をたてながら龍に向かっていく。狙いは一つ。

 

「足の小指は痛いぞ、アタッーーク!!」

 

 サイキックソーサーが龍の足の小指にぶつかり爆発を起こす。

 

「グウッ!」

 

 僅かに痛そうな声を龍が上げる。

 足の小指の痛みは全生物共通か。しかしダメージはほぼ無さそうだ。

 

「グカアアアア!!!」

 

 痛みを与えられて怒った龍は怨嗟の声を上げ、翼を広げ地面すれすれで飛んでくる。

 そしてやはり攻撃方法は腕を振り回してくることだった。

 

「馬鹿の一つ覚えみたいに!」

 

 龍の一撃をなんとか避ける。

 避けられたことを安堵したが、次の瞬間、横島の顔は凍りついた。

 すぐ目の前に、硬い鱗で覆われた龍の腹部があったからだ。

 龍の攻撃はただ腕を振り回すことだけではなく、突進も含まれていたのだ

 

「どあ!!」

 

 考えるよりも先に横島の本能が反応する。

 地面を蹴り後ろに飛ぶ。

 可能な限り全身の力を抜く。

 

 そして、トラックが人間を轢いたような音が響いた。

 

 まるで風に吹かれた木の葉のように天高く横島の体が空中を舞い、地面に落下して思い切り叩きつけられる。

 

「痛ててて……ちくしょー! マジで怪獣じゃねえか!! 悠人のやつどうやって倒したんだ!!」

 

 龍のでたらめな戦闘能力に悪態をつく。

 悠人が龍を倒したと聞いていたから、なんとかなるんじゃないかと思っていたが、本当に悠人が龍を倒したなんてこの龍を見ていると信じられない。

 

 実際のところ、悠人は確かに龍を倒したのだが、それはアセリア、エスペリア、オルファを含めた四人で倒したのだ。別に悠人一人で倒したわけではないのだが、そのことを横島は知らなかった。

 

(あ~もう嫌じゃ! 何とかして逃げ……違うだろうが! 考えろ……どうすりゃ勝てるのか)

 

 心を懸命に押さえつけ、横島は小さい頭で対策を練り始めた。

 敵との圧倒的な体格差もあり、長期戦は圧倒的に不利だということは分かってる。

 このまま戦い続けていれば、体力・霊力・マナの全てを使い果たし力尽きるだろう。

 倒すとしたら短期決戦以外にない。それに龍との戦いは前哨戦に過ぎないのだ。

 この戦いの後にはスピリット達との戦いが待っている。

 こんな所でてこずっている場合ではない。

 

 短期決戦をする上で、今一番横島がほしいのは龍の隙と弱点だった。

 

(のっぴょっぴょ~んは……効きそうもないな)

 

 敵は狂える龍。

 美神流の戦いは頭を使ってはいるが、神算鬼謀の戦いではない。

 敵の心理を乱し、こちらのペースに無理やり引き込むというものだ。

 さすがに狂える龍の心理を読み、こちらのペースに引き込むというのは出来そうにない。

 

(ガチンコしかないのかよ……どんな文珠が効くんだろうな~)

 

 あれだけの巨体だ。

 『爆』の文珠だけではダメージを与えるのが精一杯で倒せそうもない。

 『滅』の文珠は効くかどうか分からない。

 『幻』の文珠は効くかどうか分からない。

 

 文珠の数は二個。

 効くかどうか解らない賭けに手を出すのは避けたいところだ。

 

 ここまでやっておいてだが……『天秤』の言っていたように、逃げだすという選択肢もある。唯一の出口はスピリットに押さえられているが、逃げられないわけでもない。

 文珠が一個あれば逃げ出すことは容易だろう。『模』の文珠でも使えばいいのだ。

 しかし、逃げ出したとしたらどうなるか。

 

バーンライトのスピリット達は龍を殺せという命令と、エトランジェを殺せという命令を受けている。

 横島が逃げ出したら、バーンライトのスピリットたちはどのように行動するか分からない。もしも、スピリットたちが龍のほうに行けば全滅する可能性もある。

 ここまでやっておきながら、スピリットを見放すことは出来ない。

 

 結論として、文珠一個で龍を殺し、文珠一個でスピリットを殺さず脱出する。

 これがベストだ。

 

(倒すとしたら……)

 

 頭の中でどう戦ったらよいかシミュレートする。

 逃げることも考えると使っていい文珠は一つだけ。

 その一つでもっともダメージを与える方法を考える。

 

(よし、決めた!!)

 

 右手に栄光の手を作り出す。

 

『……霊波刀ではダメージを与えられないことを忘れたのか? 龍にダメージを与えられるのは神剣である私を使うか、文珠以外にはないぞ。そんなことも分からないのか?』

 

 逃げずに戦うと決めた横島に『天秤』は冷淡だった。

 合理的でもなく、強いものから逃げるという横島らしい行動でもない。

 いくら洗脳の所為で情緒不安定になっていたとしても、これはあんまりだ。

 何の意味もない、最悪の行動に『天秤』はただひたすら怒っていた。

 

「んなことは解ってる……それより龍の弱点とか知らないか?」

 

『……眉間だろうか。装甲も薄く、脳という重要な機関にも近いしな』

 

 かつて小竜姫が竜に変化したときと同じだ。

 今回は矢などないから、接近して『天秤』を使うしかない。

 『天秤』を突き刺すためのプロセスも重要になってくる。

 

 龍は低い唸り声を上げながら、一歩一歩その巨大な足を振り下ろし近づいてくる。そのたびに地響きが洞窟内に響いた。

 その圧倒的存在感は、本当に龍を倒すことが出来るのかと疑問と恐怖を抱かせるのに十分だったが、そんな恐怖を横島は女の子達の為だからと、必死に打ち払う。

 

(案外、これで龍を倒したらスピリット達が感謝してくれて仲良くなれるかもしれないな)

 

 何の根拠もない空想だが、本当に魅惑な考えだった。

 しかし、そんなことはありえないだろう。

 

 横島の策略でこの場所まで来たのだから、罠にかけられたと思うほうが自然である。

 と言うより、神剣に心を飲まれたスピリットには恨むとか感謝するとかの感情自体が無いのだから。

 

「そんじゃ、行くぞ! 伸びろ、栄光の手!!」

 

 気合の声を上げ栄光の手を伸ばす。だが、今度の狙いは腹ではない。

 

「鼻通りをよくしてやるぜ!!」

 

 勢いよく伸びた栄光の手は龍の大きな鼻穴の中に突っ込まれていく。

 

 グサリ!

 

 栄光の手が突き刺さる感触が横島の手に伝わってくる。

 いかに強靭な鱗で覆われた龍といえども、鼻の中まで鱗で覆われてはいない。

 横島はさらに栄光の手を伸ばしたり曲げたりして、龍に鼻の中を引っ掻き回す。

 

 「グガアアア!!」

 

 痛かったのだろう。怒りの咆哮を上げながら、龍は横島に突撃してくる。

 龍にとって欲しかった行動とは違う動きだったので、軽く舌打ちするが、それでも想定の範囲内だった。

 

「ゴキブリのように逃げーーる!!」

 

 回れ右をした横島は逃げた。本気で逃げにまわった横島を捉えるのは容易なことではない。何の力も持たないころは悪霊からは逃げることしかできなかったのだ。逃げ足が優れていなければ、横島はとっくに死んでいるだろう。

 正に歴戦の逃げ足。

 

 龍はちょろちょろ動き回る横島を攻撃射程に入れることができず苛立った声を上げる。

 どうしても腕を振るえる距離まで接近できなかった龍は唯一の遠距離技であり、最強の攻撃を仕掛けることにした。

 

 足を止め、大きく口を開ける。

 ブレスだ。

 

 龍の最悪の攻撃が放出されようとしている中、横島は小さくガッツポーズを取った。

これこそ、横島が龍に求めていた行動だった。

 詳しく言えば、龍の最大の攻撃行動であるブレスを使うために、『龍が口を開けること』を横島は待っていたのだ。

 

 単純に『爆』の文珠をぶつけても龍には大したダメージを与えることが出来ないだろう。

 ならば方法は一つ。龍の内部から爆発させるしかない。

 文珠を龍の内部に投げ入れるチャンスはこのブレスを吐くタイミングが一番だ。

 

 もっとも、たとえ龍の内部で『爆』の文珠を爆発させたとしても、殺せるとは思っていなかった。

 だが、大ダメージを与えることができるのは間違いない。

 最後に『天秤』の一撃で決めるつもりだった。

 

「よっしゃ。もらった!!」

 

 龍が口を開いたとほぼ同時に、右手に持っていた文珠に『爆』の文字を入れる。

 そして文珠を龍の口に投げつける――――はずだった。

 投げつける瞬間、右手が急に動かなくなり、痛みが横島を襲う。

 

「な……なんだ! 右手が動かねえ……つーか痛寒いーーー!!!」

 

 異常が起こった右手を見ると、右手はカチンコチンに固まっていた。

 呆然と凍りついた腕を見る横島だが、すぐにこんなことになった原因を探す。

 

 マナが妙に集中している所を見ると、ルルー・ブルースピリットが神剣を構え、なにやら言っている。そこを他のスピリットが止めようとしていた。

 

 ルルー・ブルースピリットは青の魔法を横島に放ったのだ。

 正に最悪のタイミングで。

 

(何しやがる!)

 

 あまりの間の悪さに叫びたくなったが、それどころではない。

 急いで、右手に持っていた文珠を左手に持ち替え、龍に向かって『爆』の文珠を投げつけるが……

 

(やべ……間に合わない!!)

 

 一瞬の遅れは致命的だった。

 文珠は龍の口に向かっていくが、口の中に入る前にブレスが吐き出されようとしている。

龍の口に入る前にブレスは発射されるだろう。

 

「うぎゃあ! 閉じてくれ~~!!!」

 

 いま正に、龍のあけた口からブレスが発射されようとしているのを見て、思わずそう叫ぶ。その叫びは、何の意味も無い行動のように見えたが、予想外の力を発揮することになった。

 龍の眼前まで進み、口には入らなかった『爆』の文珠が横島の念を受け、『閉』の文珠に変化したのだ。

 そして、『閉』の文珠は力を発揮する。

 今、正にブレスが吐き出される瞬間に龍の口が閉じたのだ。

 それは文珠の遠隔操作ともいえる技だった

 

「グウ!?」

 

 自分の意思とは関係なくいきなり口が閉じてしまったことに目を見開いて驚く龍だったが、ブレスの発動が止まったわけではない。ちゃんとブレスは吐き出された。

 龍の口の中で。

 ボンという爆発音が龍の口の中から響き渡り、その後に龍の絶叫が洞窟内に響き渡る。

 

「おお、こんなこともできるんだな……よっしゃ!!」

 

 この好機を逃すわけには行かない。

 『天秤』を構え、龍に向かって突撃する。

 龍は自分のブレスによって口の中は総入れ歯にしなくてはならない状態になっていて、苦しみの声を上げていた。よほど痛いのか近づいてくる横島に見向きもしない。

 

 横島は悠々と龍に接近すると、可能な限り『天秤』にマナを流し込み、オーラフォトンを展開させ眉間に思い切り刃を突き立てた。

 

「ガアアアアア!!!」

 

 紛れもなく苦痛の悲鳴を上げる龍。

 痛みから顔を振り横島を落とそうするが、振り落とされないよう必死にしがみつく。

 

 「まだ……まだあ!!」

 

 突き刺した『天秤』をずぶずぶと龍の体内奥深くまで突き入れ、さらに霊力とマナを流し込み内部から龍を破壊しようと試みる。体の内部に送り込まれる破壊の力に、龍はよりいっそうの悲鳴を上げる。

 

「グガアアアアアアッ!!」

 

 痛みから逃げるためか、龍は翼を広げて全力で空中に飛び激しく動き回る。

 横島は振り落とされないように、摑まりながら『天秤』を通してマナと霊力を注ぎ続けた。

 

「逃がすかよ! ここで……っ!!」

 

 突然胸騒ぎを感じて後ろに振り返る。

 すると、岩壁がものすごい勢いで接近してくるのが見えた。

 痛みによって前が見えていないだろう。

 龍は壁に向かって突進しているのだ。

 

 このまま龍が突進したら、岩壁と龍のからだに押しつぶされる。

 慌てて『天秤』を龍の眉間から引き抜こうとしたが、刀身を根元まで突き入れていた為、なかなか引き抜けない。

『天秤』を引き抜くのを諦めて龍から離れようかと考えたが、『天秤』を手放せばすべての力が一気に落ちる。まだ龍を殺していないのだ。『天秤』を手放すわけにはいかない。

 どうするかの僅かな思案の間にいつのまにか岩壁は近づき、もう逃げることが不可能な状況になってしまった。

 

「も、文珠~~!!!」

 

 咄嗟の判断で文珠に文字を入れる。

 込める文字は『柔』

 刻一刻と後ろに迫る岩壁になんとか『柔』の文珠を指で弾き、硬い岩壁をトランポリンのように柔らかくする。

 そして。

 

「があっ……!!」

 

 押しつぶされた。

 

 いかに岩壁を柔らかくしたところで、2トン以上はありそうな龍の巨体で勢い良く潰されたのだ。

 バギバギと全身から破滅の音が聞こえる。

 内臓が押しつぶされる音が聞こえる。

 骨を砕ける音が聞こえる。

 命が磨り潰されていく。

 

「痛ゥゥゥ……ウァァァーーー!!!」

 

 余りの痛みに悲鳴を上げるが、悲鳴と同時に気合の叫び声を上げる。

 このチャンスで龍を殺しきれなければもうチャンスはめぐって来ない。

 龍の巨体に押しつぶされ、全身の痛みと戦いながら『天秤』を持ち、龍の内部にマナと霊力を注ぎ込む。

 

「グオオオオオオオン!!!」

 

 最後に世界が震えるほどの断末魔の咆哮を上げ、龍は滅びた。

 龍の巨体が金色のマナに変わっていく。 

 龍を構成していたマナは『天秤』が食うことにより、『天秤』が持っている力はより一層強化される。

 マナの吸収を喜ぶのが永遠神剣と呼ばれるものの本能なのだが、『天秤』は喜びの感情を示さず、ただ黙々とマナを食するだけだった。

 

『……見事だ……ああ、実に見事だな』

 

 可能な限りマナを食い終わった『天秤』がどこか投げやりな賞賛の声が横島に送る。

 横島はその声に応えず、荒い息をしながら辺りを困ったように見渡していた。

 

『単身で龍を倒したのだ! 誇りたければ誇るのだな!! 最強だ……ああ最強だ、最強だ!!』

 

『天秤』が横島のことをこれだけ褒め、賞賛したのは初めてかもしれない。

 しかし、10人が10人聞いたとしてもその声は誰かを賞賛しているとは感じないだろう。

 苛立ち、怒り、軽蔑の交じり合った賞賛の声だった。

 

『それで、最強な主は…………この状況をどうするつもりだ!!!』

 

 20の殺意が向けられる。

 20の神剣が向けられる。

 現状は最悪だった。

 

 龍との死闘を終え、勝ち残った横島に待っていたのは、19の無機質な殺意と1の意思を持った殺意。周りを20のスピリットに囲まれ、さらに10のスピリットが唯一に入り口を守っている。

 

 万全の状態でも周りを囲まれた状態でスピリット10人を相手にするのだって難しい。

 逃げようにも出口は一つ、さらにその出口にも10のスピリットが蟻一匹通さない様子で守っている。頼みの綱の文珠もなし。

 さらに全身がとにかく痛い。大粒の涙を流しながらみっともなく泣き声を上げたいほどに痛い。

 

 正に絶体絶命。

 

(はは……悠人に向かって優先順位がどうとか説教したのに……何やってんだ……俺)

 

 ふと笑いたくなる。自分のあまりの馬鹿さ加減に。

 こうなると分かっていたはずなのに。

 目の前に犬の糞があるのに、堂々と犬の糞の上を歩いたようなものだ。

 本当に馬鹿だ。

 どうやら自分は誰かに説教できるほど、利口な人間ではなかったらしい。

 

(くそ。死にたくねえ……死にたくねえよ。だって俺はまだ……)

 

 死にたくない。

 それは、命あるものの原初の想い。

 特に横島は死ぬわけには行かなかった。

 死ねない理由があった。

 それは……

 

(童貞で死ぬのはいやじゃ~~~!!!)

 

(童貞で)死にたくない。

 それは、男として当然の想い。

 息子とて死んでも死に切れるものではないだろう。

 

(こ、こうなったらもう、ここにいるスピリットでがんばるしか…!!)

 

『こんな時に馬鹿なことを考えるではない! このクソ主が!!』

 

 一種の現実逃避に走る横島に『天秤』が汚い罵声を浴びせかける。普段は冷静で偉そうではあっても真面目な言葉遣いの『天秤』だが、よほど腹が立っているのだろう。

 

「エトランジェ……ボクが……この手で、皆の仇を!!」

 

 じりじりと周りを囲んでいるスピリット達が距離を詰めてくる。

 もはやこれまでかと思われたとき、横島はあることに気付いた。

 

(……あ、あれ?)

 

 唯一感情が残っているルルー・ブルースピリットの顔が妙に輝いて見える。

 比喩でもなく、やけに顔の輪郭がはっきり見えていた。

 

 この坑道は壁がうっすらと輝いている部分があって完全な暗闇というわけではない。

 だが、相手の顔がはっきりと見えるほど明るくもなかったはず。

 はっとして上を見上げると、天井から光の帯がルルーの顔に下りてきていた。

 

(もしかすると……)

 

 少しの希望が生まれる。

 うまく行くかなんて分からないが、何もしないよりはずっといいはずだ。

 周りを囲んでいるスピリットたちはいつ襲ってくるか分からない。ぐずぐずなんてしてられなかった。

 

 現在残っているほとんどの霊力をサイキックソーサーに変えて右手に作り出す。頼むからまだ襲い掛かってこないでくれと念じながら。

 横島の思いが伝わったのか、それとも警戒しているのか、スピリットたちはまだ襲い掛かってはこなかった。

 

「いけ!」

 

 今のうちにと、サイキックソーサーを思い切り天井に向かってぶん投げる。

 サイキックソーサーは龍のブレスによって、かなり高くなった天井に向かってぐんぐん進み、天井にぶつかり破壊の力をまき散らかした。

 

(頼む……上手くいってくれ!)

 

 祈るような気持ちで天井を見上げる。

 サイキックソーサーと天井はぶつかり合い、その際に生まれた煙が漂って天井を隠していた。煙の隙間を探し、ある光景がそこにあるのか必死に見る。

 そして……

 

「月……夜空だ!」

 

 声を上げると同時に体を動かす。

 栄光の手を作り出して、地面に突き立て、さらに栄光の手を伸ばすことによって、空中に向かって突き進む。やがて、天井に人一人がようやく通れるぐらいの穴を見つけ、潜り抜けた。

 洞窟内の澱んだ空気ではない、澄んだ空気が横島の肺の中に流れ込んでくる。

 目に映るは月の輝き。

 横島は坑道の中から見事に脱出を果たした。

 そして、夜の闇をすたこらさっさっと走り始める。

 

「どうだ! 逃げ切ったぞ『天秤』」

 

『安心するのは早いぞ……追ってきている』

 

 『天秤』に言われて、神剣の反応を探ると後ろから20はあるだろう神剣反応が後ろから追いかけてきていた。

 しつこいと文句を言いたくなったが、実際はこちらを追ってこなくては困る。

 最悪の場合、スピリットたちがこちらに来ないで、ラキオスに向かう可能性もあったのだ。そうなったら、ラキオスは負けていた。

 まあ感情を失ったスピリットにとっては、与えられた命令だけがすべてだ。別に自分たちの国に忠義を尽くそうなんて考えていないのだろう。

 

『それでこれからどうするつもりだ』

 

「……悠人達が戦っているバーンライト首都に行くしかないだろ。ラキオスに戻るわけにはいかないだろうし」

 

 というよりもそれ以外選択肢が無い。

 このままラキオスに戻るわけにもいかないし、他に行く場所もない。

 隠れるという手もあるが、神剣を持っている限り神剣反応が出るため隠れることは出来ない。

 神剣を手放せば隠れられないこともないが、もし神剣を手放した状態で発見されたら、何をどうやっても死は免れない。

 

 悠人たちがバーンライト城を落せば戦いは終わる。

 そうすればここにいるスピリット達は全員生き残ることができる。

 もし、悠人達がバーンライト城を落としていなかったら最悪だ。

 悠人たちがバーンライト城にいるスピリットと戦っている最中なら、横島を追っているスピリットたちがバーンライトを守っているスピリットと合流してしまうことになるのだ。

 そうしたら、結局バーンライトのスピリットは全滅してしまう。

 もしくはこちらが全滅するか。

 この部分に関しては悠人達を信じるしかない。

 

『こんなスピードでは追いつかれるぞ。もう少しスピードを上げろ!!』

 

「分かってっ……~~~!!」

 

 喋っている最中に突然横島は、手で口を押さえながら苦しそうに咳き込む。

 咳が収まり、口を押さえつけていた手を見ると、血がペットリとついていた。

 吐血したのだ。

 

『いかん! 内臓に傷を負ったな』

 

 砕けた肋骨が内臓を傷つけている。もし、動脈や肺を傷つけでもしたら大吐血は間違いない。

 早く治療しなければいけないが、文珠もないし、神剣魔法も使える状態ではない。

 なにより体を動かすなど言語道断だが、走らなければ追いつかれ殺される。

 

『主よ! もっと我が力を使うのだ! はっきり言うぞ、主は我が力を殆ど使いこなしていない。それは、主自身が我が力を引き出そうと思っていないからだ。頼む、早く我を受け入れよ!』

 

 このままでは殺されると『天秤』は必死になって言った。

 だが、横島は胡乱な視線を『天秤』に向ける。

 

「……お前さ、何か信用なんないんだよ」

 

 ポロリと横島が言って、『天秤』が絶句する。

 怒りや憎しみが湧いたが、しかし『天秤』は何もいえなかった。横島のその直感は、実に正しかったからだ。

 横島の精神への干渉が中途半端なのは、彼が意識的に『天秤』の力を引き出さなかったお陰だ。もしも、不用意に神剣の力に溺れていたら、彼の精神はもう終わっていたかもしれない。

 また、『天秤』は自分が正しいと思うことばかりに言って、横島の言い分を殆ど聞かなかった。

 これは洗脳や干渉以前の問題だろう。信じられなくて当然だった。

 

 その時、がさがさと後ろの茂みが揺れた。

 はっとして振り返ると、茂みから一人のブラックスピリットが現れる。

 

 とうとう追いつかれてしまった。

 だが、幸いにも敵スピリットは先行してきたブラックスピリットただ一人。

 他のスピリットはまだ後ろにいるようだった。

 まだ、救いはあると『天秤』は希望を捨てず、頭を働かせる。

 

『こうなった以上、この窮地を脱する方法は一つだけだ。まず、このスピリットを可能な限り早く殺す。そして私を手放して、身を隠すのだ。それ以外に方法は無い』

 

 『天秤』という神剣を持っている限り、よほど離れないと敵に捕捉され続ける。

手放せば、敵は横島の位置を把握できなくなり、隠れることができるのだ。

 もし、『天秤』を離しているときに、敵に見つかったらアウトだが、もうこれ以外方法は無い。

 横島もそれぐらい分かっている。だが、横島の表情は浮かなかった。

 

『主……まさか今更殺せないなど言うのではないだろうな?』

 

 『天秤』の声はどこか懐疑的だった。それも当然だろう。そもそもこんな目に合っているのはふたなり発言を別にすれば、横島が龍の前に飛び出したことが原因なのだから。

 

『恋人を殺し、数多くのスピリットを殺しておきながら、今更スピリットを一人殺せないなどと言うわけないよなあ……主?』

 

「うっ……と、当然だろうが!!」

 

 恋人を殺し、多くの女の子たちを殺しておきながら、いい子ちゃんぶるつもりなど無い。それに相手の命より自分の命のほうが大切なのは当然のことだ。

 

 『天秤』を構え、ブラックスピリットに向き直る。

 そして、これから殺す相手の顔を凝視して、泣きたくなった。

 

(……くそったれ! 何でこんなに可愛いんだよ! 美人なんだよ!!)

 

 ブラックスピリットは美しかった。

 美の神が細心の注意をしながら、作り上げたのではないかと思うほど顔の造型は完璧。

ロングの黒髪は月の光を浴びながら美しく輝き、艶やかな色っぽさを醸し出す。

 スタイルも余計な肉など付いていないで、それでいて女性を表す部分はしっかりと出ている。

 肌は純白で、黒を基調とした戦闘服のおかげでよりはっきり肌の白さが良く分かる。

 月の光に照らされるその姿は正に妖精。

ブラックスピリットの別名である、月の妖精と呼ぶに相応しい。

 唯一その美を損なっている部分があるとすれば、その端正な顔立ちのパーツである目が、何の光も持たず、まるでマネキンのように無機質なところだろう。

 だが、それも人間の調整を受けて不当に奪われたものだと考えると、その悲劇性がより一層横島の心をかき乱す。

 

 何故、スピリットはこんなにも可愛い子ぞろいなんだろうか。

 何故、こんなに可愛い子と殺し合いをしなければいけないのか。

 

 ……なんとか戦わずに済む方法はないだろうか?

 

 「ふっ、龍を一人で倒す俺を止めようというのか。やめておけ、その若い命を無駄に散らすだけえええええっ!!!」

 

 なんとかはったりでこの場を切り抜けようとしたが、スピリットは何の躊躇もなく切りかかってきた。

 

 『馬鹿者! 感情の無いスピリットに、はったりもギャグも効果などない!!』

 

 「……こんちきしょ~! ……俺は……死ぬのはいやじゃーー!!」

 

 半泣きになりながらも『天秤』にマナを流し込み、全力で切りかかる。

 敵は感情のない生きた人形のような存在。

 はったりもギャグも命乞いも、したとしても眉一つ動かさず襲い掛かってくるだろう。

 本当に無駄な行動なんて取っている場合ではないのだ。

 

 ブラックスピリットは横島の斬撃を日本刀型の永遠神剣を構えて待ち受ける。

 横島からすればありがたい行動だった。下手に動き回られて時間を潰されることのほうが遥かに厄介なのだから。

 

 横島は歯を食いしばり、体の痛みに耐えながら前に出る。

 両手に『天秤』を構え、敵の神剣ごと両断するつもりで突撃した。

『天秤』の刃がブラックスピリットの命を奪おうと唸りを上げる。

 

「死ね」

 

 ブラックスピリットは横島の攻撃を防御せず、回避しようともしなかった。

 してきたのは攻撃。

 神剣を突き出し、自分の身を省みずカウンターを仕掛けてきた。

 このままでは両者相打ちだ。

 

「どわああ!」

 

 攻撃を中止して、必死に体を捻り、ブラックスピリットのカウンターをぎりぎり避ける。

 

「痛ててて……くうっ、ずいぶんと危険な戦い方しやがって……」

 

 とても自分では真似できそうにない攻撃方法に、改めて敵が本気でこちらを殺そうとしているのを理解する。

 剣術でも勝てそうに無く、本来勝っているはずの身体能力もダメージを負っているために負けている。

 さらに間違っても持久戦に持ち込まれるわけには行かない。

 

 状況は芳しくないが、それでもこちらにも有利な点があると横島は見ていた。

 スピリットには霊力が感知できない。視認方法は肉眼のみ。

 それが、こちらの利点。

 

(だったら……!)

 

 右手に『天秤』を構え、サイキックソーサーを左手に作り出す。

 霊力の殆どを失っているため、威力のあるサイキックソーサーなど作れないが、別に攻撃用ではないから構わない。

 このスピリットは、このサイキックソーサーに何の威力も無いことに気付けないはずだ。

 

「くらえ!」

 

 サイキックソーサーをブラックスピリットに向かって投げつける。

 ブラックスピリットは、すかすかのサイキックソーサーを、かなり大げさな動きで回避しようとする。先ほどの天井に穴を開けたときの威力を想像しているのだろう。

 

「はじけろ!」

 

 出来損ないのサイキックソーサーが、ブラックスピリットの眼前まで近づいた瞬間、光と音を出しながらはじける。

 その光はサイキックソーサーを避けるために凝視していたブラックスピリットの視力を奪うのに十分だった。

 

「もらった!」

 

 『天秤』を構えながら突撃する。

 視力を奪われたブラックスピリットは、たじろいでいて身動きできないようだ。

 人間では知覚すら難しい高速の戦闘で、敵の動きをコンマ一秒止める。

 数百キロのスピードでの戦いにおいて、それはこちらの勝利を意味していた。

 生まれた隙をついて『天秤』の刃をブラックスピリットの喉に向けるが……

 

 ――――ルーお姉ちゃんはボクが守るんだから!

 

「っ!!」

 

 突如、体が上手く動かなくなる。

 首を確実に捕らえていたはずの『天秤』の刃が、喉を僅かに掠めるだけにとどまった。

 

『馬鹿が!! 一体何をやっている』

 

「俺にも何が何やら分からんのじゃー!?」

 

 それはひょっとしてギャグで言っているのか、と突っ込みたくなる。

 『天秤』は横島の心を探って見るが、確かに横島は殺そうと考えているのだけは間違いなかった。

 

『まったく……主よ、もしルシオラが今の主を見たらこう言うだろうな。

「恋人の私を殺せるのに、何で敵の女を殺せないの」……とな!!』

 

「……っ!!」

 

 心が抉られる。

 『天秤』の言葉はどうしようもなく心に響くのだ。

 横島が苦しむポイントを突いている事もあるが、『天秤』がこっそりと横島の精神を操っているのも原因だ。

 

(しかし妙だな……いくら女相手とはいえ、これほど殺しを嫌がるとは……いや、殺そうという意思はあるのだが……)

 

 この時点で『天秤』は嫌な予感を感じた。

 『天秤』の考えでは、確かに横島は女性を傷つけるのを躊躇する。

しかし、本当に自分の命が危険さらされたら「死ぬのはいやじゃー!」とでも言って相手を殺すことが出来ると判断していた。

 しかし、今の横島はそれが出来ていない。殺さなければいけないと脅迫観念じみた思いはひしひしと感じている。

 だが、それはどこかハリボテのような感じだった。

 

 ブラックスピリットは神剣を構えながら動こうとはしない。

 仲間が来るのを待っているのだろう。

 とは言っても逃げようと背を向けたら襲い掛かってくるに違いない。

 

 やはり欲しいのは隙である。

 普段ならギャグや馬鹿な事をして、隙を作るのだが、この敵には効果が無い。

 ならばと、横島は決断する。

 

「永遠神剣第五位『天秤』の主として命じる! マナよオーラに変わり、目の前の敵を……」

 

「っ!!」

 

 様子を伺っていたブラックスピリットが血相を変えて飛び掛ってきた。

 唱え始めた神剣魔法を中断させようというのだろう。

 

「……よっしゃ!」

 

 突撃してきたブラックスピリットを見て、横島は偽の詠唱を止める。

 横島は神剣魔法をフェイントに使ったのだ。

 

 ギャグやはったりは効かなくても、こういったフェイントなら効果があるようだ。

 瞬時にこのようなフェイントを使えることが、横島の実戦経験豊富なところを表している。

 偽の詠唱に引っ掛かったブラックスピリットは、いきなり詠唱を止めた事に驚き、僅かに動きが鈍った。

 その隙をついて横島が前に出て『天秤』を振るうが、その刃は遅く、鈍く、隙を突く事すらできない。

 

(くそっ……一体どうなってんだよ。殺……せない?)

 

 殺そうとすると体が妙に重くなる。

 しっかり殺そうと思っているのに。

 そんな横島の様子に『天秤』は心底呆れていた。

 

(なんという愚か者だ)

 

 これ以外の感情など出てこない。

 馬鹿だとは知っていたが、馬鹿にもほどがあるだろうと嘆きたくなった。

 出来るだけ横島自身の意思で殺させろというのが命令だが、これ以上任せていれば命が危ない。

 『天秤』は本気で、横島の精神を侵すことに決めた。直接の侵食は避けるようにと言われていたが、このままでは百パーセント死ぬ。

 命令違反で処罰される恐れは高いが、ここで死ぬよりはマシだろう。

 

『茶番はもう結構だ。後は私がやる』

 

「はっ? 一体何を……ッッッ!!!」

 

 何かが心の中に入ってきた。

 横島は心の中に入ってくる何かを必死に抑えようとしたが、押さえ込もうとすると信じられないような激痛が体を襲う。

 

 痛いのはごめんだ。

 

 もう苦しみも、痛みも嫌だった横島はあっさりと抵抗を止めた。

 そして、横島の意識は消え、同時に凄まじいマナが体から吹き出し始める。

 

「ずいぶんとあっさり乗っ取れたな。それだけ、主の精神が脆弱だと言う事か。後でこの記憶も改竄しておかなければな……体へのダメージもある。さっさと死ね」

 

 ぞっとするような声が横島の口から漏れた。

 声は横島そのものだが、深遠の闇を思わせるような、あるいは機械が喋ったような、どちらにしてもその声は横島の声ではなかった。その声はまぎれもなく、『天秤』の声。

 横島の体を乗っ取った『天秤』は自分自身の力を100パーセント引き出す。疲れとダメージで弱ってはいたが、しかし並みのスピリットとは比べ物にならないオーラがその身に宿った。

 ブラックスピリットが切りかかってくる。それを障壁であっさりと受け止めて、さらにベクトル操作で衝撃を跳ね返す。

 吹き飛ばされ、倒れるブラックスピリット。起き上がろうとしたところに、『天秤』の刃が迫る――――が、

 

「男の宝を切り落とせるかーー!! おっぱいパワー全開!!」

 

 ブラックスピリットの胸を切り落とそうとしていた『天秤』の刃が、ぎりぎりと止まる。

 間違いなく、今の横島は横島であった。

 

「『天秤』! 今、俺を操ろうとしやがったな!!」

 

『馬鹿な……自力で精神を奪い返すなど!?』

 

 一度、神剣に心を奪われたら自力で心を奪い返すなど出来ない。

 少なくとも、『天秤』はそう教えられていた。

 

 これは、横島のおっぱいを愛する気持ちが生み出した奇跡そのもの。

 だが、それは確かに奇跡であったかも知れないが、死を招く奇跡に他ならなかった。

 ブラックスピリットは動きが止まった横島に、神剣で切りかかる。

 

「ひっ!」

 

『天秤』を前に出してなんとかブラックスピリットの斬撃を受け止めるが、勢いに押され吹き飛ばされ、地べたに転がる。

 地面に倒れこんだところを、ブラックスピリットが神剣を振り下ろしてきた。

 

「くぅ!」

 

 横島は何とか神剣を『天秤』で受け止めるが、全身に激痛が走って悲鳴をあげた。

 別に切りつけられているわけでもないのにとにかく痛い。

 さっきまで痛みが消えていたのに、急に痛みが戻ってきた。

 余りの痛みに気が飛びそうになるのに、痛みによって意識がはっきりする矛盾。

『天秤』から流れ込んでくる力も、かなり弱くなっている。

 

(チクショー! なんでこんな目に!!)

 

『信じられん……私の精神操作が、おっぱいパワーなどという訳の分からぬものに……』

 

 泣き叫びたいほどの激痛の中、横島は『天秤』で必死にブラックスピリットの神剣を押し返そうとするが、怪我の影響と上を取られている体勢では押し返すことができない。

 逆に押し込まれていく。

 『天秤』と敵の神剣を挟んではあるが、横島とブラックスピリットの顔がくっ付きそうなほど近くなる。

 もう押し切られる寸前だ。

 その時、横島の頭の中で何かが弾けた。

 

(これしか……ないか!)

 

 この現状を打破するには、自分の真の力を使うしかない。

 口を開ける。

 そして、相手の顔に近づき、

 

 べろん。

 

 横島は舐めた。

 べろんと相手の鼻の頭を。

 

「ひっ!」

 

 あまりにも突然のことで、ブラックスピリットの体が硬直する。感情を失っているといっても、完全に失っているわけではない。

 恐怖や羞恥心といった感情は僅かながら残っていたのだ。残されたほんの僅かな心を最大限に刺激する恐怖の煩悩技。

 怯えた隙をついて、首筋に手加減抜きの手刀を打ち込む。

 

「くあっ……」

 

 手刀はブラックスピリットの意識を完全に刈り取った。

 背中に出現していた黒き翼が消え去り、地面に崩れ落ちる。

 

「どうだ! これが48の煩悩技の一つ、舌なめアタック!」

 

『もう何をどう突っ込んでいいのか分からん……とにかく早く隠れろ』

 

 本当に48個もあるのか分からない謎の煩悩技とやらに、『天秤』は怒りも呆れも通り越し、素直に感心していた。心の大半を奪われたスピリットを怯ませたのだから大したものだ。

 何より、あの状況下でマナも霊力も使わずに、しかも殺さずに敵を倒したというのが凄い。

 女好きで変態な横島だからこそ可能である、霊力もマナも関係ない横島としての力。

 だが、事態は好転したわけではなかった。

 

「ルーお姉ちゃん!!」

 

 ルーというブラックスピリット相手に時間を掛け過ぎてしまったようだ。とうとう後続に追いつかれてしまった。

 今のところルルー・ブルースピリット一人だけだが、ぐずぐずしていたらどんどん追いつかれるだろう。もう、一刻の猶予もない。

 

 ―――――ハハ、マジでもう限界だ……俺は頑張ったよな? 早く殺して隠れよう。

 

 ぼんやりとした頭で、横島はそんなことを考える。

 空腹、眠気、痛み、渇き、ストレス、『天秤』の干渉。

 これらの苦しみに横島は歯を食いしばって耐えてきた。

 だが、もう限界だ。はっきり言って、何かを考えることすら辛い。

 

 目を向けると、ルルー・ブルースピリットは倒れているルー・ブラックスピリットに何やら声をかけている。

 生きているのか、怪我はないか心配しているのだろう。

 

 これ以上ないチャンス。

 右手に少しの霊気を集める。スピリットはマナを感じ取れても霊力は感じ取れない。

 なけなしの霊力をかき集め、極小のサイキックソーサーが横島の手に生まれる。

 そして、ゆっくりとサイキックソーサーをルルーに投擲する。

 

 ほとんど無意識の行動だった。

 戦士のとして本能、生きるための本能が横島の体を勝手に動かしたといってもいい。

サイキックソーサーが飛んでいく先にあるのはルルーの頭部。

 大した威力も無いサイキックソーサーなど、マナの障壁を使われたらあっさり防がれるだろう。

 こちらに注意が向いていない今だけがチャンスなのだ。

 頭さえ破壊すれば確実に殺せる。

 

 極小のサイキックソーサーが風を切りながらルルーに向かって飛んでいく。

 ルー・ブラックスピリットの無事を確認したルルーは、ようやく横島の方に向き直る。

 そして。

 

「あっ……」

 

 眼前にまで迫ったサイキックソーサーを見て、ルルーは理解した。

 自分は死ぬのだと。

 

「ごめん、仇討てない……」

 

 ポツリと漏らした言葉は家族の仇を討てなかった、自分の不甲斐なさの怒りと悲しみの声だった。

 

 ――――――アシュタロスは俺が倒す!!

 

 「っ!!」

 

 何故か浮かんでくる、過去の自分。

 愛すべきものの為に、全身全霊をかけて戦ったあのときの言葉。

 

 次の瞬間、ルルーの頭を貫くはずだったサイキックソーサーがぐにゃりと曲がり、まったく見当違いの方向に飛んでいった。

 

「……えっ?」

 

『……はっ?』

 

「……あれ?」

 

 ルルーと『天秤』と、そして横島の呆気にとられた声が響く。

 

(……意味が分からない……主は……一体何がしたい!!)

 

 ここまで来ると、『天秤』には横島が未知の生物ではないかとすら思った。

 本当に意味が分からない。生きたいのか死にたいのか。気が狂ったのかと本気で疑った

 横島自身も驚愕している事が、より『天秤』を惑わす。

 

 妙な沈黙が横島とルルーの間で流れる。

 始めに動いたのは横島だった。

 いや、動いたと言うよりその場で崩れ落ちた。

 

「もう疲れたよ、パ○ラッシュ。それに何だかとっても眠いんだ……」

 

『誰がパトラッ○ュだ!! 一体何を考えて……おい! 本当に寝るな!!』

 

 本当に寝息を立て始めた横島を、『天秤』は声を荒げて眠りからたたき起こす。

 起こされたことで少し不機嫌な顔を横島は作ったが、すぐに破顔した。

 

「……おかしいんだよ。何で俺が剣なんか持って、女の子と殺し合いなんかやってんだ?」

 

『ば、馬鹿なことを言っている場合で無い! 今すぐ、あのスピリットの首を切り落とせ!! 主は成長したいのだろう!!』

 

「……セクハラしたいな~」

 

『はあっ!? おい、ある主! 冗談を言っている場合では……!!』

 

 ここにきて、『天秤』は横島の異常さに気付いた。

 目が虚ろだ。目の焦点も合ってない。

 

 分かりやすく、端的に言うと、横島は壊れかけていた。

 表層心理と深層心理の摩擦によって。

 表層的な思い……いわばこの世界に適応するためのメッキともいえる部分ばかり優先させたことは、逆に横島本来の部分をより肥大させていた。

 

 怖がりで、馬鹿で、女の子が大好きな本来の横島を。

 

 本来、兵士などという職業は横島にもっとも似合わない職業だ。

 可愛く、儚く、不当に奴隷扱いされ、殺し合いをさせられている女の子たちを見捨てて殺すか、もしくは同じ境遇の女の子たちを殺すかという、あまりにも不条理な二者択一の選択肢の果てに、横島は兵士になることを決断せざるをえなかった。

 

 そして、横島は必死に兵士として成長しようとした。

 元々、自分に自信が持てず、ネガティブよりの思考の横島だ。

 だからこそ、成長とは本来の自分を消して、新しい自分に生まれ変わることだと考えてしまった。『天秤』もそう思うように誘導した。

 

 だが、本来の自分なんてそうそう消えるものではない。

 ただ、心の底に沈め、押さえ込もうとしただけ。

 そして、人間の感情など押さえ込もうなどとすれば、より一層膨れ上がるのは必然。

 

 抑圧された横島本来の部分がここに来て吹き出してしまったのだ。

 それならば「うぎゃーーー!! もうおうちに帰るーーーー!!!」とでも叫びだすのが横島だが、そんな余裕すら既に無い。

 肉体も精神も限界まで耐えた。

 もう、限界なのだ。

 

 IFの話になるが、もし横島が自分自身の想いに正直なら、怖がりで情けない部分をさらけ出す素直な横島なら、ネリーやハリオンといったスピリットを一人ぐらいは連れてきていただろう。

 連れて来てさえこんなことにはならなかったのかもしれない。

 

 せめてもう少し、自分に自信が持てていたならば……

 横島らしい行動を取っていれば……

 もしくは完全に横島らしさを捨て、純粋な兵士になっていれば……

 

 だが、それはIFの話。

 もう何もかも遅かった。

 

「エトランジェ……君は『反抗』のルルーが殺すから!!」

 

 自分の神剣の銘を言い、背中に白の翼を出現させ突撃してくる。

 抵抗しようにも、心身ともにダメージを負っている横島は動けない。

 横島は自分を殺そうする神剣をぼーっと目で追うだけだった。

 

「疲れた……」

 

 その言葉が、横島の全てを物語っている。彼は頑張りすぎた。

 『天秤』が何か叫んでいるが特に意味はない。

 

 横島忠夫の命運は尽きたのだ。

 

 

 

 ――――何故、こうなった?

 

 『天秤』は考える。

 

 目の前に神剣を構え、こちらに突撃してくるブルースピリット。

 平時なら特に問題なく打ち倒せる相手だが、現在の状況では迎撃は困難。

 それに、たとえもう一度主の精神を奪い、撃退してもすぐに敵の増援がやってくる。

 もう、助かる方法は無いと分かってしまった。

 

 ――――どこかで選択を誤ったのか?

 

 正しい事を主には伝えてきた。主も私の言うことが正しい事であると認めていた。

 主は決してバカな男ではない。感情にさえ流されなければ、切れ者とまで言わなくともそれなりの頭を持っていることは理解した。

 

 ただ幾つかの不安要素はあった。

 一つ目は私が主の精神に干渉することにより、精神的に不安定なること。

 これに関しては仕方がない。もし、私やこの世界そのものに疑念を持たれたり、元の世界に帰るなどと言われたら面倒だ。

 

 二つ目は不安は主が何の罪も無い、悲劇の女性達を殺せるかと言うことである。

 この部分に関しては私もかなり苦心した。

主の過去のトラウマを利用したり、この世界の厳しい現状を認識させたり、さらに、何度となく主の夢に干渉して、スピリットを殺す夢を見させたりもした。

 それにスピリットを殺すための理由付け―――免罪符も完璧だった。

 仲間のため、女のため、なんとも主のような男が尻尾を振って喜びそうな免罪符だ。

 

 正に完璧な理屈、論理だったはずなのに。

 それがどうしてこうなった。

 

 主は、言うこと、やること、考えることの全てがめちゃくちゃだった。

行動にも一貫性がなく、矛盾だらけの行動ばかり取っていた。

 正しいことを理解し、何が合理的なのかを理解し、先を見通す目を持っているはずなのに。

 ただ、正しいことを言い続けるたびに、主の心を操るたびに、主の精神が不安定なっていったのは感じていた。

 

 もしかして、私自身が主を追い詰めてしまったのか?

 正論を言い続け、暗示を掛け続け、心を犯したことが主の潜在的な想いを増幅させ、このような事態を招いてしまったのか?

 精神操作のデメリットを考えなかった私のミスか?

 だとすれば、こんな事態になってしまったのは、私にも責任があるのか?

 

 ――――違う!!

 

 例え、私の所為で横島の精神を圧迫させたとしても、正しい事を言い続けたことに変わりはない。

 正しいことを言い続けたのだから、間違いであるわけがないのだ。

 例え、結果が悪くなっても、間違いなわけが無い。

 

『…………ない』

 

『私は間違ってなどいない!!』

 

『私は悪くない!! 私は正しい! 正しいのだ!!』

 

 自分は正しいと、自己を肯定する。

 戦場において正しい事を言い続けてきたのだ。自分が間違っているわけないではないかと。

 

 だが、間違っていなかったのなら何故こんなことになってしまったのだろうか。

 ただ、一つ言えることは、『天秤』は人間の思考をロジック(論理)で考えすぎたと言うことだ。

 

 横島が正しいと『思う』ことと、正しいと『想う』ことはまったく違うということ。

 殺せる理由はあっても、殺そうとする殺意を、横島は持ちきれなかったこと。

 そのことを『天秤』も、横島自身すら失念していたのだ。

 

 『天秤』は何故こんな事態になってしまったのか悩み苦しんでいたが、そんなこととはお構いなしに終わり時は刻一刻と迫っていた。

 

 ルルーの神剣が迫るにつれ、横島の瞳に映る神剣の姿が大きくなる。

 自分の命を刈り取るであろう神剣を、虚ろな目で眺めながら、横島は小さく声を上げた。

 

「のっぴょっぴょ~ん……」

 

 それは、横島が本来ギャグ属性だと証明する小さな叫び。

 こんな世界に送り込んだ者への怨嗟の声。

 それだけ言って満足したようで、横島は静かに目を閉じる。

 

 そして、ザクリと、神剣が肉を貫く音を聞きながら、横島の意識は消えていった。

 

 

 

 

 



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第十一話 呪縛、打ち破る者

「―――ヨコシマ」

 

 これは、どういうことだろう。

 

「ヨコシマ、聞いてるの?」

 

 一体どうして……

 

「無視しないでよ! ヨコシマ!!」

 

 何故、ルシオラが俺の目の前にいるんだ?

 

 そこは真っ黒な空間だった。

 何一つ存在しない黒い空間。

 だが、たった一つだけ圧倒的な存在感を示す存在がある。

 命を掛けて求めたもの。誓いの為に殺したもの。愛する人。

 

「ルシオラ」

 

「うん、久しぶりね」

 

 ルシオラは軽い調子で横島に微笑みかける。

 闇の中でぼんやりと光るルシオラは綺麗だが、どうにも現実感が無い。

 地に足はつかないし、酷い痛みはまるで感じない。先ほどまでの激闘が嘘のようだ。

 

「俺、死んだのか?」

 

 横島はぼんやりと考える。目の前に死んだはずルシオラがいるということは、死んだということだろう。意識を失う前後の状況を思い出すと、あれから助かったとは考えづらい。だとすれば、ここはあの世なのだろうか。

 

「ルシオラ……ごめん」

 

 いきなり謝り、力なく項垂れる横島にルシオラは不審そうな顔をする。 

 彼女には横島が謝られることをした覚えはまったく無い。

 

「恋人を……ルシオラを殺せたのに……敵の女を殺せなかった」

 

 恋人を殺せたにも関わらず、敵の女を殺せなかった事への悔恨。そのことが横島を深く傷つけていた。自分はどれだけ残酷な男だろうと。

 それがどれほど矛盾に満ちているのか、自虐スパイラルに陥っている横島は気づかない。完全に『天秤』の術中に落ちていた。いや、『天秤』が考えていた以上に、である。

 ルシオラは突然の謝罪に唖然となり、次にこめかみを押さえる。

 

「あの連中やってくれるわ。ヨコシマもヨコシマだけど……ふうっ」

 

 眉を顰め、疲れたようにため息を漏らすルシオラ。

 彼女から見れば、今の横島の姿は道化――――というか馬鹿にしか見えない。

 あの、魅力溢れる馬鹿な横島は何処に行ってしまったのか。自分を愛してくれるのは分かる。それなのに、全然自分を見ていない。

 

(改造は着々と進行中って所かしら。まあ、今度の事態は予測できなかったみたいだけど……それにしても情けないわ)

 

 自分という存在に絶対の自信があればこうなることはなかった。自分が最高の男と自負していれば、洗脳なんかに負けることはない。少しでも成長しなければならない、その想いの隙間を狙われたのは分かる。

 しかし、それにしてもこれはないだろうと、ルシオラは思う。

 横島の強さは、臆病さや矮小さや辛い体験を持ちながら、それをも笑い話に出来る優しさと明るさにあると、ルシオラは思っている。

 

 不幸に酔っている人間は醜いものだ。自分に酔っている人間は、他人を酔わせる事はできない。

 大した力を持たずとも、何だか分からない内に皆の中心になって、相手を魅せる。それが横島という男だったはず。

 

「でも、ルシオラに会えて良かった」

 

 そんなことを言い出す横島にルシオラは複雑そうだ。

 こんな横島は見たくないし、好きでもない。

 だが、こうなってしまった一因は間違いなく自分にもある。

 このままではいけない。

 

「横島……あのね、あな「これで童貞が止められる!!」……はっ?」

 

 いきなりのとんでも発言にルシオラの目が点になる。

 先ほどまでの自虐的の空気が消え去り、なにやらピンク色の空気が漂ってきた。

 

「夢でも構わん!! さあ、その小さい胸で俺を男にしてくれ~~!!」

 

 びょ~んと飛びついてくる横島に、驚き、次に呆れ、最後に、

 

「だから! 雰囲気を読めっていってるでしょうーーー!!」

 

「ほぶあ!」

 

 笑顔を浮かべながら思い切り殴り飛ばした。

 

「まったく! 何でこういう状況でそっち方面に話がいっちゃうの!」

 

「堪忍や~エロとギャグが不足してるんや~!」

 

 今までの展開を全て台無しにするその行為。

 これが横島クオリティ。

 愛しき恋人に顔をボコボコにされてしまったが、なんだか幸せそうだ。

 ルシオラのほうも怒ってはいるが、それでも楽しそうで、なにより安心していた。

 

 確かに横島の精神は脆い。女の子の為とはいえ、罪も無い美女、美少女達を、何の感慨も無く殺せるような強靭で図太い精神を持ち合わせてはいない。

 しかし、立ち直りの速さも大したものだった。彼は単純に女の子と仲良くしっぽりとやっていればそれだけで元気がでるのだ。彼は最強の女好きなのだから。

 

「まったく……大体ヨコシマは死んでないわ」

 

「死んでない? そんじゃあここは……夢か?」

 

「そうよ、ここはヨコシマの夢の中。あなたはちゃんと生きてるから」

 

 あの状況でどうやって生き延びたのか分からないが、とりあえず生き延びているらしい。

 生きていると言う事実に横島は胸を撫で下ろすが,現実の状況を思い出してげんなりとした。

 

「起きたらまた殺し合いかよ……なあ、ここで暮らしていいか。そして俺を男にしてくれ!!」

 

 冗談っぽく横島は笑いながら言ったが、それは冗談には聞こえなかった。目がまるで笑っていないから。

 ルシオラは横島を睨みつける。

 私は怒っているのよ、そんな空気がひしひしと漂ってくる。

 夢とはいえ、せっかく会えた恋人が怒っているのは横島も嫌だった。

 一体何で怒っているのかと考え、一つの答えに行き着く。

 

「ごめん……胸が小さいなんて痛ってーーーーー!!」

 

 思いっきり腕を抓られる。

 

「違うわ! 私が胸の大きさなんかで怒ると思う!?」

 

 思う。

 一瞬そう口に出かけたが、なんとかその言葉を飲み込む。

 さすがに2度もボコボコにされたくない。

 

「やっぱり、女の子を殺せなかったから怒ってるのか?」

 

 恐る恐るといった感じで、ルシオラに言う横島。

 そんな横島にルシオラは青筋を浮かび上がらせた。

 

「横島がそう思っていることに私は怒っているのよ!」

 

「ひぃ!」

 

「……横島は私が『恋人を殺したのに、他の女を殺せないなんて人でなし!』……とでも言うと思ってたの? 横島にとってルシオラという女性はそんな女だったの?」

 

 ルシオラの声は横島を責めるものではない。ただ、本当に悲しそうだった。

 恋人に自分を理解してもらえてないのだ。これほど悲しい事もないだろう。

 

「それに、スピリットを殺すための理由に、私を使わないで欲しいわ」

 

 ―――――恋人すら殺せる男なんだから。

 

 これがスピリットを殺せる一つの理由。

 だが、ルシオラから見れば何を馬鹿なことを言っているのかと、頭を抱えたくなるような理由だ。

 あの時とは状況も何もかもが違う。

 

「横島はスピリット達を……可愛くて何の罪ない女の子たちを殺さなくちゃいけないことになった。そのための理由が欲しかった。自分はこんなに酷い男だからきっと殺せる……そんな風に自分をわざと追い詰めたのよ。自虐も大概にして」

 

 色々と言ってくるルシオラに、横島の持っていた不満やストレスが噴出する。

 

「んなこと言ったってしょうがないだろ! 何の罪も無い……むしろ被害者の女子供を殺しまくらなきゃいけないんだぞ!! それに、俺は確かに恋人を……お前を殺したんだ!!」

 

 女性たちが苦痛に顔を歪める姿を見たくない。

 神剣が肉を貫いていく感触がおぞましい。

 耳をつんざく断末魔の悲鳴が恐い。

 

 横島は別に聖人君子でもなんでもない。弱気で、女好きで、辛いことから逃げるタイプの人間だ。そんな横島が戦争しなくてはいけない。

 悠人の場合は、殺し合いに免罪符を求めた。妹の為だから殺しても仕方ないと。

 横島は免罪符を求めなかった。自分はこんなにも酷い男だから、女子供だって平気に殺せる。そうやって自分を卑下させることによって、スピリットを殺せるようにした。

 横島だって本来自分を卑下などしたくない。

 しかし、敵の女の子たちを殺さなくては殺される。逃げれば仲間の女の子が殺される。苦しんで、追い詰められて、そうして下した決断だった。その決断が生んだのは、先の戦いの敗北。自分の心を無視した結果だった。

 

 相手を殺せない、偽善にも等しい行為。

 そして心の中では偽悪者ぶって、自虐馬鹿のようになっている。

 本当に馬鹿だ。

 しかし、第三者の目で見ればどれほど馬鹿げたことでも、横島は真剣に考えて動いたのだ。

 

(分かっていたけど……ヨコシマは優しすぎるわ)

 

 どれほどのことがあっても、変わらない優しさを持つ横島に、ルシオラは胸を締め付けられるようだった。

 そんな横島が、女性に優しい自分自身を捨てようとしている。その為に悲鳴を上げている。

 こんな優しくない世界に横島を送り込んだあの女を、心底憎く感じた。

 

「私にはヨコシマの苦しみは解らないわ。

ヨコシマの苦しみはヨコシマだけの物。ヨコシマの心はヨコシマだけの物。

決して……誰のものにもならない。なっちゃいけない」

 

 そう言ってルシオラは中空を睨みつける。

 その言葉は横島に向けられたものであったが、それだけではないように聞こえた。

 横島は何も言わない。ただ、じっとルシオラの言葉に耳を傾けている。

 

「変わろうと……成長しようとすることは別に悪いことじゃないと思う。今のヨコシマの状況なら成長しなきゃいけないのだから……でもね」

 

 横島は成長しなければならない。

 美神達とバカ騒ぎをしていたころの横島では、戦争に生き残れない。仲間の女の子達を守れない。

 だが、こんな成長をルシオラは認めなかった。

 

「成長って自分を捨てるものじゃないとものじゃないわ。ヨコシマはとてもやさしいの。

 例え、恋人を殺したとしても……沢山の女の子を殺したとしても……それでも、女の子にはやさしいのよ。それを否定するのは、絶対に成長じゃないわ。」

 

 ルシオラの言っていることは難しい。

 女の子に優しい男なのだと自覚しろ、と言っているのだ。それは、女性に優しいまま、自分を騙さないで殺しあう事を意味している。

 つまり、ルシオラは残酷なほど、横島に優しいまま強くなれと言ったのだ。

 

「これから先、もっともっと辛いことがあるわ。身も凍るような絶望に襲われて、血液が沸騰するぐらい怒って……死にたいと思うことがきっとある。

世界を、自分を……何もかも壊したいと思うときがきっとくる」

 

 ルシオラの言っていることは断定だった。

 まるで未来を知っているようだ。

 

「でも、自分を否定しないで。それだけはやっちゃいけないの……絶対に!」

 

 一体何故、ルシオラがこれほど必死なのか横島には分からない。

 だが一つ、解った事があった。

 ルシオラは横島を心の底から心配し、愛しているのだと。

 

「だからね、私は……あ?」

 

 ルシオラが少しずつ消えていく。

 

「気づかれちゃったか……これが最初で最後ね」

 

「最初で最後って……」

 

「もう、夢の中で会えないって事よ。まだまだ言わなくちゃいけない事があったのに……」

 

 もう、会えない。

 その言葉は横島を焦らす。

 

「ルシオラ……俺は」

 

 言いたいことは山ほどある。

 伝えなければいけない言葉が沢山ある。

 だが、言葉に出来ない。

 だから横島は、体を使って伝えることにした。

 

「ルシオラ……俺は巨乳のほうが好きだけど……貧乳だって嫌いじゃないぞ。うん、とても良い、手のひらサイズだ」

 

「……ふふ、それが今ここで言う……ことですかー!! もっと他にあるでしょう! こう、ドラマチックに、センチメンタルに!! きゃあ! 何揉んでるの~~!!!」

 

「んなこと言われたって、今この時を逃したら何時その控えめな胸をヘブ! ヘブ! ヘブ! ヘブ! ヘブ! ヘブ! ヘブ! ヘブ! ヘブ! ヘブ! ヘブ!」

 

 少々お待ちください。

 

「私はヨコシマを赦すから……この言葉、忘れないでね」

 

「ルシオラ……だったらここまでボコボコにする必要ないだろが~~!!」

 

「それはそれよ! まったく……ともかく、私はヨコシマが好きなの! そのままのヨコシマがカッコイイの!! 成長するならヨコシマのままで成長しなさい。

もし、自分と何かを天秤にかけるようなことがあったら、心のまま、素直に決めて。馬鹿なんだから理屈なんてこねないで。いいわね!!」

 

 横島の心にルシオラの心が染み渡る。

 自分のままでいい。自分のまま成長する。

 自分を変えることが成長する事だと思っていた横島にとって、ルシオラの言っている事は信じられない事だった。横島の心に一筋の光明が見える。

 だが、本当に自分のままでいていいのかと、横島は結論を出せなかった。逆説的ではあるが、自分を信用できないという横島らしさが、自分を変えたいという欲求を膨らましているのだ。

 結局、横島は迷い続ける道を選ぶ事になる。人間はそう簡単に変わる事が出来ないという事だ。

 ここまで会話して、横島は気恥ずかしさを感じた。

 

「ルシオラ……すげ~嬉しいんだけど……なんつーか、恥ずかしくないか?」

 

「~~~!! いいからとっとと現実にもどりなさ~い!!」

 

 恥ずかしさからルシオラは極大の霊波砲を横島に向かって放つ。「ああ~~」と、何とも情けない悲鳴を上げながら横島は消えていった。

 

「まったく、本当にしょうがないんだから」

 

 まさかこんなのが最後の邂逅なるとは思わなかった。

 もう自分が横島と話すことも、会えることも無いだろう。

 ルシオラは嘘を付いた、夢の中で会えないだけではない。もう永久に会えないのだ。恐らく、子供としてさえも。

 永遠の別れに、ルシオラは笑うことが出来るのか不安だったが、それは杞憂だった。横島といればどんなときでも笑顔になれる。

 贔屓はあるだろうが、ルシオラは本気で世界最高の男は横島だと確信した。

 

『ふん! 余計なことをしてくれたな!!』

 

 偉そうな声が暗闇の中から響いてくる。

 子供が無理に大人ぶっているように聞こえ、似合っていないと、ルシオラは思った。

 そして、ふと気づくと体が普通に戻っている。まったくと、自分と横島を引き離した張本人である存在の姿を確かめる。

 目の前に現れたのは、日本刀型の永遠神剣『天秤』だ。

 

『まさか、ここで貴様が出てくるとはな……私に何度か語りかけたのもそうだな』

 

 偉そうに言う『天秤』を、ルシオラは目を細めて睨んだ。

 永遠神剣。力を与える代わりに代償を求める神剣。いや、魔剣のほうが正しい。

 ルシオラは、この世界に来て自我が戻ってからずっと『天秤』の事を観察していた。

 記憶や感情まで好き勝手に操るこの神剣を、ルシオラは恨んでいた。愛する恋人に巣くう悪魔の如き存在。だが、その悪魔に頼らねば生きていけない。

 そんな状態の横島にルシオラはその小さい胸を痛めた。

 

 だが、観察を続けていくと、その評価は憎しみから別な感情に変わっていった。

 その感情は、今『天秤』を見つめるルシオラの目に表れている。

 

『何故、私を哀れみの目で見つめる!』

 

「哀れだからよ」

 

 静かな声でルシオラはそう言った。本心からの、ただの事実だけを言った声だった。

 そのことが分かった『天秤』は、威圧を込めて言う。

 

『……消してやっていいんだぞ?』

 

「どうぞ、やれるものならやってみたら?」

 

『貴様!! ふん、私に出来ないと思っているようだな。だが……』

 

「分かっているわよ。貴方は私を消せる。ついさっき、私が少し消えたのは分かっているから。でも、今はできない。まだその時じゃないから」

 

 ぎりりと、『天秤』の歯軋りが聞こえてくるようだった。

 顔という物がなくても、確かに顔を真っ赤にして歯軋りしていると分かる。

 それだけで、ルシオラの言っていることが的を射ていると知る事が出来る。

 ルシオラは知っていたのだ。これから先、自分と横島に降りかかる凶事を。

 そして、恐らくは『天秤』にもその凶事は降りかかるだろう。本人は気づいてないだろうが。凶事があると分かって、ただ座して待つというのはルシオラの流儀ではない。

 今は成さねばならない事をやるだけだ。

 

「もう少し素直になったら?」

 

『何の事だ!』

 

「貴方って、いつも正しいとか、合理的とか言ってるじゃない。そんなことじゃなくて貴方自身の想いよ。貴方は、自分がやりたい事をしているの?」

 

 この『天秤』という神剣が、横島と自分の今後に大きく左右する。

 『天秤』の力を使う以上、『天秤』の考えは横島の深層心理に入り込む。神剣の力を、それも高位神剣を使う以上、精神へのダメージは避けられない。

 それを少しでも軽減する方法として、『天秤』の意思が横島と同じになればいい。

 そうすれば、横島への精神ダメージが緩和され、より大きな力を引き出せるようになる。

 体を失ったルシオラだが、それでも横島の為に行動するところは変わっていない。

 いや、それだけではない。ルシオラは純粋に『天秤』の事が心配だった。

 

『何を言っている。正しく、合理的な考えとは、すなわち私の意志であり想いそのものだ』

 

 哀れだ。

 ルシオラは心底そう思った。

 この『天秤』という神剣は勘違いしている。勘違いさせられている。

 

「ねえ、もっと私と話さない」

 

 分かっていた事だが、『天秤』の精神は幼すぎる。自分達が作られたときも、精神と肉体がアンバランスだったが、この『天秤』という神剣は余りにも酷すぎた。

 

『貴様と話すことに何の益がある? 私は無駄な事はしない主義だ』

 

「益ね……霊力に関する知識なんてどう? 後は……女の子の扱いとか……ね」

 

 横島と世界の行く末を左右する、一つの出会いだった。

 

 

 永遠の煩悩者 

 

 第十一話 呪縛、打ち破る者

 

 

「うぎゃー!!」

 

「きゃっ!」

 

 眩しい。

 横島の目に焼けるような日の光が入り込んできた。暗闇の世界が、朝日の眩しい世界に切り替わる。体は重く、全身が痛い。妙な浮遊感に吹き付ける風。まるでジェットコースターにでも乗っているかのようだ。

 

「大丈夫ですか? どこか痛い所や、苦しい所はありませんか」

 

 すぐ側から優しそうな女性の声が聞こえる。

 いまだ頭は覚醒していない。

 とりあえずは状況確認だ。

 

 状況を確認すると、仮面を付けた女性にお姫様抱っこをされて、どこかに運ばれていた。

 女性は白く輝くウィング・ハイロゥを展開していることから、ブルースピリットかブラックスピリットだと分かる。

 猛烈な速度で低空を飛行中だ。

 

 このスピリットは敵ではないと思うが、確証はない。どちらにせよ、横島は残念だった。

 顔をフルフェイスの仮面に覆われて、目元だけしか見ることが出来ない。

 スピリットは美人が多いので、かなり残念だ。

 

「まず自己紹介しますね。私はファーレーン・ブラックスピリット。ラキオスのスピリット隊の一員で、ヨコシマ様の部下になるものです」

 

 横島の視線を感じ取ったスピリット――――ファーレーンが自己紹介を始める。

 ラキオスのスピリット、つまり仲間だ。

 

(助かったのか……)

 

 確かにあの状況で助かるには、第三者の介入以外にありえないだろう。

 命が助かった安心感から、知らずに力が入っていた体から力が抜ける。

 

「はい、力を抜いてください。私の腕の中は絶対に安全ですから」

 

 誰もが安心できるような優しい声で、横島に語りかける。

 目の部分以外を仮面に隠されているが、紛れも無く笑みを浮かべていると横島には分かった。

 

 横島の美人センサーが振り切れんばかりに反応する。

 顔は見えないが、間違いなく美人であると横島は確信した。

 しかし、この仮面はどこかで見覚えがある。

 

「どうしました? ヨコシマ様」

 

「あ、いや。どこかで会ったことがあるような……」

 

 どこかで一度、会った覚えがあった。

 ラキオスで見た覚えはないのだが。

 

「ふふ、きっと私はヨコシマ様が最初に会ったスピリットですよ」

 

 そう言われ、横島はこの世界に来た時の、第一話を思い出す。

 初めてこの世界に訪れたとき、いきなりスピリットに襲われて殺されかけた。そのとき庇ってくれた仮面を付けたスピリットのことを。

 

「あっ!」

 

「思い出してくれましたか。あの時はありがとうございました」

 

「俺のほうこそ庇ってもらったのにお礼一つ言わないで……ありがとうございました。ファーレーンさん」

 

「こちらこそ傷を癒してもらって……私のことはファーレーンで結構ですよ」

 

 お姫様抱っこされた状態で首を曲げてお辞儀をする。

 ファーレーンも丁寧に横島にお辞儀をした。

 なかなか礼儀正しいスピリットだ。

 

「でも、第二詰め所で見たことがないんすけど……」

 

「別に全てのスピリットがラキオスにいるわけじゃありませんから。私の妹もラキオスにはいませんよ」

 

 どうやらスピリットはまだ他にもいるらしい。

 まだ見ぬ美人に横島は期待に胸を膨らませる。その時、横島は気づいた。

 ファーレーンの肩の部分が赤く染まっているのを。

 

「ヨコシマ様を庇ったときに少し……急所は外したので行動に支障はでませんので」

 

 横島の視線に気づいたファーレーンが、心配ないと笑いかける。

 その笑顔が横島には辛かった。

 

「本当にすいません。また俺を庇って傷を……」

 

「いえいえ、謝らないでください。仲間を助けるのは当然じゃないですか」

 

 その言葉に嘘、偽りは感じられなかった。仮面の下で、にっこりと優しく微笑んでいるのが分かった。

 心が緩んでいくのを感じる。

 思えば、こんな風に女性と触れ合ったのは久しぶりだった。

 

「今現在の状況を報告します。我々は現在、ユート様が戦闘を始めるであろうバーンライト首都に向かっています。後ろからはバーンライトのスピリットに追われている状況です。追いつかれる事はないでしょう。私は……強いですから」

 

 慢心も過信も感じられない強い声。

 横島も、このファーレーンというスピリットはアセリアに匹敵するほどの力を持っている事が分かった。

 

「しかし、ヨコシマ様は凄いですね。助けたとき体の方はかなりのダメージで、命の危険も感じられたのですが、気が付いたら多少良くなったみたいです」

 

 信じられませんと、ファーレーンは少し興奮しながら横島の体を見つめる。

 横島も何だか変な感じだった。確かに再生力があるとは思っているが、正直ここまで凄いものだっただろうか。幾つかの骨は間違いなく砕けていたし、臓器にも損傷があると『天秤』は言っていたはずだ。

 それが、今は体が少々痛くてだるいだけ。いくらエトランジェになり、体がマナで構成されたといっても何か変だ。

 不思議に感じられたが、ファーレーンに抱きかかえられていると気づいて納得がいった。

 

「何言ってるんですか! もちろんファーレーンさんのお陰ですよ。こんな美人に抱かれて、元気にならない男はいませんって!」

 

「お世辞を言われても何も出せませんよ」

 

「お世辞なんかじゃないですって」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 ほんのりと暖かい空気が流れる。

 普段の横島ならここで飛びついてオチが付くのだが、体の具合も悪く、そこまでは出来なかった。互いにとって実に幸いである。

 

「ですが、何であんな状態になっていたのですか? リーザリオで敵を引き付ける予定だったのでは?」

 

 どう説明しようかと横島は少し悩んだが、別に嘘を付く必要も無いので、素直にあったことを喋った。

 

「そうですか」

 

 横島の説明にファーレーンはそう言って言葉を切る。

 目が妙に真面目で、鋭くなっているのが横島には気になった。

 あまり良い感情を持っていない事は十分分かったので、この会話はここで終わらせる。それに、横島には一つ聞きたいことがあった。

 

「でも、何で俺のところに?」

 

 横島の質問に、ファーレーンの瞳が優しい灯をともす。

 

「頼まれたからですよ。私の腰にあるポーチを覗いてみてください。」

 

 そう言われ、腰につけていたポーチの中を覗き込む。

 まず目に付いたのは、木で出来た日本のおもちゃである竹とんぼ。

 シアーにプレゼントした竹とんぼなのかと、横島は思ったが、よく見ると以前に横島がプレゼントした竹とんぼよりも形が歪だ。おそらく、シアーが自分で作ったものだろう

 

「これを私に渡してシアーが私に頼んだんです。『シアーは助けに行けないから、代わりにヨコシマ様を助けて』……慕われていますね、ヨコシマ様」

 

「シアーが……」

 

 自分の考えを優先するために、シアーの助けを拒絶してしまい、嫌われたのではないかと内心不安に思っていた。

 いや、実際に少しは嫌われたのだと思う。

 しかし、それでもシアーは横島の身を案じ、ファーレーンに救援を頼んだのだ。

 横島が静かな感動をしていると、ファーレーンはさらに言葉を続ける。

 

「シアーだけじゃありませんよ」

 

「えっ?」

 

「ネリーとヘリオンからはこんなものを貰いました。『肩たたき券』と『家事手伝い券』……なんだか年寄り扱いされているみたいですね。もちろんヨコシマ様を助けてあげてと頼まれたのですよ」

 

「ネリーとヘリオンが……」

 

 いつも元気なネリーと素直なヘリオン。

 今回一人で戦うと言って、ネリーとヘリオンは本気で怒っていた。

 

「ヒミカとハリオンからは二人の手作りお菓子を貰いました。しかも私が好きなネネの実のお菓子を」

 

 とても美味しかったですと弾んだ声でファーレーンが言う。

 ヒミカとハリオンにはよく色々と助けられている。

 今回、自分が起こした行動にも色々不満があるようだったが、それでも嫌な顔をせずにサポートしてくれた。

 しかし、ハリオンはともかく、ヒミカがお菓子作りできるとは結構意外だ。

 

「あと、ヒミカとハリオンがお菓子を渡している所にナナルゥもいたんですけど、こっちをじっと見つめていました。あれはきっとヨコシマ様を心配していたんですよ」

 

 あの感情の薄いナナルゥまでもが心配していたのかと、横島は嬉しいよりも情けなさのほうが感情として出てきた。

 

「あとセリアからも」

 

「セリアが!?」

 

 こればかりは本当に意外だった。

 龍すら射殺すような目で、冷たく睨まれていたというのに。

 

「リーザリオでヨコシマ様が負けたらラキオスが危険になるので、可能ならば様子を見に行ってくれって頼まれました。もの凄く不機嫌な顔をしてましたけど」

 

 それは別に横島を助けてくれと言っているわけではないように感じられる。

 

「多分、遠まわしにヨコシマ様を助けてあげて……そう言っているのだと私は感じました。セリアは素直じゃないところがありますから……でも、クールなセリアをあそこまで怒らせるなんて凄いことですよ」

 

 間違いなくセリアは横島を嫌っている。

 だが、それでも横島の身を案じているのだ。彼女の生来の優しさが良く分かる。

 

「後、エニちゃんもですが……あの子は少し皆と違いましたね。どちらかと言うと、ヨコシマ様の神剣を気にしていたみたいです」

 

(いや~相変わらずだな『天秤』……ん?)

 

 『天秤』のことを考えたとたん、急に怒りの感情が立ち上ってきた。

 

「どうしました?」

 

「なんでもないっす……つまり、第二詰め所のメンバー全員がファーレーンさんに、俺を助けてくれって頼んでくれたのか」

 

「あと、レスティーナ王女もですね。今回、私はあの方の命令で動いていますから」

 

 熱い。

 心が熱い。

 

 本当は一緒に戦い助けて欲しかったのに、成長するから強くなるからなんて手前勝手な理由で助けを拒絶した。

 その結果、仲間達を傷つけて、自分は死にかけて。

 結局、傷つけてしまった仲間たちの好意で助けられる。

 あまりの情けなさと嬉しさに、心がいっぱいになり横島は言葉が出せない。

 黙りこんだ横島を見て、ファーレーンの目元が少し厳しくなる。

 

「私のこと……迷惑でしたか?」

 

「えっ?」

 

 どういう意味なのかさっぱり分からない。

 迷惑をかけたのはこちらなのに、何故、ファーレーンを迷惑だと思わなければいけないのだろう。

 

「ネリーやシアーは、助けを送ったらヨコシマ様が迷惑するのではないか、怒るのでないかと心配していたんですよ」

 

 その言葉は横島にはかなり衝撃だった。

 改めてネリーたちを傷つけてしまった事を理解し、後悔する。

 

「迷惑なわけ無いじゃないですか。本当に……本当に嬉しいっす!」

 

 目じりに涙が浮かんできそうなくらい、横島は感動していた。

 可愛い女の子たちが、影からこっそりと自分を助けようとしてくれていたのだ。これほど嬉しいこともない。

 本当に嬉しそうな横島の様子に、ファーレーンも笑顔になる。

 

「私も嬉しいです。ヨコシマ様がとても優しい人で」

 

 ファーレーンの声には一点の曇りも無い。

 柔和で温和で、それでいて芯が一本通ったファーレーンの声に、横島は感動すら覚えていた。

 

(いい姉ちゃんや~!! こんなにいい姉ちゃんがいたなんて!)

 

 会って少し話しただけだが、この時点で横島はファーレーンにすっかり魅せられていた。ここ最近、女の子達と親交が無かったこともあり、女性と話し触れ合える事が横島に力を与えていく。顔が見えないのは、それはそれで想像力が沸き立つし、しかも優しいお姉さんタイプであることがそれに拍車を掛けていた。

 

「私の妹が配属されたら、仲良くしてくださいね。」

 

「もちろんです!! 妹さんは可愛いですか?」

 

「はい、私の妹はとても……いえ、誰よりも可愛いですよ。少し斜に構えていますけどね」

 

「目指せ姉妹丼!」

 

「はっ?」

 

「いや、なんでもないっす」

 

 いきなりとんでもないことを言い出す横島。だんだんと調子が出てきたようだ。

 色々と思うところはあったが、この男が女性に抱かれてじっとしていられるわけが無い。

 悩んだり反省したりすることは多いが、それはそれ。

 横島はこの状況の中、自分の煩悩を満たすために行動を開始する。

 

「すいません、お願いしたいことがあるんですけど」

 

「はい、私がやれることなら」

 

「もう少し強く抱きしめて欲しいんですけど……」

 

 いきなりのお願いにファーレーンは軽く混乱した。

 強く抱いて欲しいなんて言われれば、困惑するのも当然だ。

 

「いや、その、なんつーか……人のぬくもりを感じたくって……だめっすか?」

 

 弱りきって保護欲を湧きたてそうな表情でファーレーンにお願いをする。

 実際に横島の顔色は良くない。

 いくら横島でも大怪我を負っては致し方が無い。

 今の横島は正に薄弱青年といえる。

 

 だが裏では……

 

(やっぱり怪我人はこういう時に得だよな! ファーレーンさんも結構スタイルが良いみたいだし)

 

 こんな時によくこんな邪な考えができるものだ。

 この煩悩力こそが横島が横島たる所以だろう。

 

 ファーレーンは少し迷ったようだが、元が面倒見のいい性格なので素直に受け入れた。

 横島の本性に気づいていればどうなったのかは知らないが、ファーレーンにとって横島は守るべき存在なのだ。

 

「分かりました、少し強く抱いてみます。痛かったら言ってください」

 

 ファーレーンはお姫様抱っこした横島を、胸元に引き寄せ強く抱きしめた。

 

 ムニュムニュ。

 

 押し付けられる二つのマシュマロ。

 それは正に、至高の感触。

 

(くぅ~~。生きてて良かった~!!)

 

 改めて生きている事に感謝する。

 生きると言うのは、なんと素晴らしいことなのか。

 おっぱいとは、なんと暖かく柔らかいものなのか。

 生命万歳! お姉さん万歳! おっぱい万歳!

 

「あの……そんなに喜ばなくとも……少し恥ずかしいですね」

 

 目もとは笑っているのが見えるが、顔は見えない。

 だが、横島の脳内には顔を赤くして、少し困った表情をしている素顔ファーレーンが映し出されていた。

 

(お姉さんや~それも普通の!)

 

 ラキオスのスピリット隊の面々はお姉さんキャラが少ない。

 第二詰め所の面々では、ハリオンが唯一のお姉さんキャラだ。

 しかし、ハリオンはその天然っぷりからやや特殊なお姉さんキャラ。

 悪いとは言わないが、やはり特殊だ。

 普通という言葉に横島は飢えていた。

 

(気持ちいい~なんだか気が遠くなるし。遠く、遠く……)

 

「―――様! ヨコシマ様!!」

 

「な、なんすか!!」

 

「大丈夫ですか。急に意識を失うので驚きましたよ!」

 

 本当に焦った声のファーレーンに、自分が気を失っていたことに気づく。

 

「ゆっくり休んでください。並みの人間なら死んでいてもおかしくないぐらいの怪我なのですから。起こしておいてこう言うのもなんですが……」

 

 このまま、ずっと至高の感触を楽しんでいたいのだが、やはりそういうわけにはいかないようだ。

 実際に横島の体の怪我は酷い。

 おっぱい麻酔のお陰で痛くなかった体の痛みがぶり返し始めていた。

 

「分かりました。そんじゃあ、ちょっと休みます」

 

 目をつぶり、意識を現実と引き離していく。

 すると暗闇の中、ネリーを始めとするスピリット達の顔が浮かんできた。

 

(皆は無事なのかな)

 

 会いたいと、横島は強く願った。

 会って言わなくてはいけないことがある。

 伝えなきゃいけない言葉がある。

 

(誰も死なないでくれよ。悠人……頼ん……だぞ)

 

 仲間の無事を願いつつ、横島の意識は遠ざかっていった。

 

 一方、悠人達は順調に進軍し、あっさりとバーンライト本城であるサモドア手前まで到達した。

 途中、バーンライトのスピリット部隊と接触したが、敵は交戦せず逃げ出した。

 当然だ。本来、悠人達はこんなところにいるはず無いのだから。

 

 敵スピリットは首都の外に陣を構え、守りの体制を取っている。恐らく、住民の避難でもやっているのだろう。

 悠人達は数時間後にはバーンライトに戦いに向かうのだ。

 戦いに向かう前に、スピリット達は個人個人で休息を取っていた。

 そんな中、悠人も一人テントの中で休息を取っていたのだが……

 

「ぎぃ、ぐぅ、がああ!!」

 

『マナを、我にマナを!!』

 

 悠人は戦っていた。

 別に神剣を振るって戦っているわけではない。

 永遠神剣、『求め』が悠人に干渉しているのだ。

 マナを奪えと、その為にスピリットを襲えと。

 

「このバカ剣! これから戦いだってのに!!」

 

『だからこそだ。我が最大の力を振るうにはまだまだマナが足りない。スピリットからマナを奪うのだ!!』

 

 神剣の干渉。

 神剣を持つ限り避けられないもの。

 特に悠人の神剣は第四位の高位神剣だけあって、干渉するパワーも半端ではない。

 

「い……ぎあああ!」

 

 痛い。ただ単純に痛い。

 頭に見えない釘が突き刺さり、ハンマーで叩かれているようだ。

 

『汝は我に妹を助けてくれと願った。そして我は汝の妹を救った。今度は汝の番だ。代償無しに力を与えるなどありはしない。我に体を明け渡せ』

 

 頭の中に響いてくる『求め』の声。

 言っていることは理解できない訳ではない。忘れてはいたが、確かに飛行機の事故から妹を助けてくれと悠人は『求め』に願い、そして代償を払うと約束した。

 だからと言っても、体を明け渡す事など出来るわけがない。この『求め』の精神は余りにも危険すぎる。乗っ取られたが最後、仲間達がどのような事になるが容易に想像できる。

 それに、どうしても悠人には納得できない理由があった。

 

「ぐっ! 横島の神剣は何の対価も無しに力を与えてやってるじゃねえか!!」

 

 横島は神剣から干渉されていない。

 そのことを知ったとき、悠人は僅かに横島を恨んだ。

 何故自分はこんなにも苦しい目にあっているのに、横島は苦しい目に合わないのだと。

 

『ふん! 精神を裏から蹂躙されるのがお望みか? 契約者よ』

 

「どういうことだ!」

 

「こそこそと精神を侵すのは我の趣味ではないのでな」

 

 その言葉と共に、悠人の体に更なる痛みが襲い掛かる。

 こんな剣のどこが神剣だと、悠人は心の中で悪態をついた。

 だが、何をどう思おうが戦う限り神剣は捨てられない。

 悠人はただひたすら、痛みに耐え続ける。

 この痛みに負けたら自分の心は消え、仲間の女性達に最悪の行為を取ることになるのだ。

 痛みに耐え、数分は経っただろうか。

 テントに誰か入ってきた。

 

「……ん……どうした」

 

「ユート様? っ!! アセリア! オルファ! 下がりなさい!!」

 

「パパ……どうしたの?」

 

 テントの中に入ってきたのは、第一詰め所の面々であるアセリア達。

 アセリアとオルファは悠人の苦しみに驚き、近づこうとしたがエスペリアがそれを手で遮った。

 オルファは何で止めるのかとエスペリアに訴えるが、エスペリアは絶対に近づくなとオルファに目で伝える。

 エスペリアは神剣である『献身』を握り締め、何があっても対応できる状態で悠人に近づく。

 

「ユート様! しっかりしてください!! ご自分の心を信じて!!」

 

 エスペリアは悠人に寄り添い、必死に声を送る。

 神剣の干渉に耐えるには自分の心を信じるしかないのだ。

 だが悠人の心は痛みによって少しずつ壊れていく。

 

 目の前の女を犯したい。嬲りたい。壊したい。

 

 『求め』が送ってくる思考と、悠人の思考が少しずつ重なっていく。

 悠人自身が持つ男としての欲求をむりやり引き出し、まるで本当に自分がそれを望んでいるかのような錯覚に陥る。

 

 それは違う、そんなことは望んでいないと理性を総動員させるが、違うと否定するたびに全身を強烈な痛みが襲った。

 この痛みから逃れるには、目の前の女を襲えばよいのだと理解できる。

 悠人の心の天秤が少しずつ傾いていく。

 この痛みから逃れたいと。

 そのために目の前の女を……

 

「……どうしても我慢できないのであれば、私だけに……他の子たちには手を出さないで」

 

 エスペリアが悠人に体を寄せる。

 優しい微笑を浮かべながら。

 

『この妖精も汝に嬲られるのを望んでいるようだぞ、』

 

(エスペリアが望んでる?)

 

 本当にそうなのだろうかと、目をエスペリアに向ける。

 絶望と優しさに満ちたその瞳。

 全てを運命と諦めている微笑。

 悠人の頭の中で生贄といった言葉が浮かんできた。

 エスペリア・グリーンスピリットは高嶺悠人に捧げられた生贄なのだ。

 

(ふざけるな!!)

 

 許さない。

 許されない。

 許されるわけが無い。

 目の前の女性を傷つけるなど。

 悠人は目の前に置いてあった、干し肉などを切り取る為のナイフを手に取ると、思い切り自分の右足に突き刺した。

 ザクリと言う音と共に、赤い液体が噴出する。

 

「ユート様!!」

「パパ!」

「……っ!!」

 

 悠人の突然の行動にエスペリアとオルファが悲鳴を上げる。

 アセリアも、悠人の凶行に目を剥く。

 

(痛みが……足りない!!)

 

 右足に激痛が走るが、それでも体中を蝕む痛みには程遠い。

 悠人はさらに、何度も何度も何度も右足にナイフを突き立てて『求め』が送ってくる痛みに抵抗する。

 

『……ちっ』

 

 『求め』からの舌打ちが聞こえてきた。

 同時に体中を巡っていた痛みが消え去る。

 今回は諦めたということだろう。

 

「はあっ、はあっ、はあー」

 

 深呼吸をして、息を整える。

 何度も体験している痛みだが、慣れることはない。

 一体、あと何度この苦しみに耐えなければいけないのだろうか。

 

「な、なんて事をするのですか、ユート様!!」

 

「俺がエスペリアを襲えるわけが無いだろ!」

 

 悠人の言葉にエスペリアは泣き笑いの表情を浮かべる。

 嬉しくて……そして悲しそうな笑顔。

 悠人はここ最近、エスペリアの笑顔と言うとこんな顔しか見ていなかった。

 

「……お願いですから今後、このようなことはおやめください。ユート様の身に何かあればカオリ様が悲しみます。どうか、ご自愛を……私なら何をされても大丈夫です。だって私は」

 

「スピリットだから……か……」

 

 悠人は続くエスペリアの言葉を先に言った。

 こう言った会話はうんざりするほど繰り返したのだ。

 エスペリアが次に何を言うかなんて悠人には分かりきっていた。一体、何度お互いの価値観をぶつけ合ったのか数える気にもならない。

 悠人は人間であり、スピリットではないから、気持ちが分かるなんて口が裂けてもいえない。だが、だからと言ってスピリットは人間の駒にすぎないなんて考えを認めるわけにはいかなかった。

 エスペリアはスピリットとして生きてきて、スピリットは人間に奉仕して死ぬべきだと生まれてきてずっと習ってきた。また、彼女は非常に頑固で強情で、そして誰にも侵せない心の傷が存在している。

 どちらも相手を想いあい、しかも強情だから、何があっても引く事ができない。お互いにその事も理解しているが、どうしようもないのだ。

 

 アセリアとオルファはどうしたらいいのか分からず、ただ固まっている。

 彼女たちには、悠人とエスペリアが何の会話をしているのか分からない。お互いに相手の事を大切だと言っているのに、どうしていがみ合うのかと。

 

 場に沈黙が満ちる。

 そこに……

 

「お菓子の差し入れを持ってきました~」

 

 テントの入り口が開き、なんとも間延びした声が聞こえてきた。

 ハリオンが手にお菓子を持って現れたのだ。

 周囲に甘い香りが漂い始める。

 その能天気そうなハリオンに、エスペリアが感情を爆発させた。

 

「ハリオン! 今がどういう状況なのか、貴女には分かっているでしょう! お菓子なんて食べている場合じゃありません!!」

 

「いいじゃないですか~お菓子は幸せな気持ちにさせてくれるんですよ~

 それにそんなことよりも~ユート様の怪我を治さなくていいんですか~」

 

 ハリオンに言われエスペリアは気づいた。

 悠人の足からどくどくと血が流れていることに。

 

「す、すいませんユート様! すぐに癒しますので!!」

 

 急いで槍型神剣『献身』を構え、魔法の詠唱を開始する。

 緑のマナが溢れ、癒しの風が悠人を包み込んでいく。

 その間にハリオンは、互いの息がかかるほど悠人に顔を近づけていた。

 

「ちょっ、ちょっと!」

 

「ハリオン! 何をしているの!!」

 

 悠人が驚き叫び、エスペリアが怒りの声を上げるがハリオンは完全に無視する。

 そしてハリオンは悠人と顔がくっつくのではないかと思うほど顔を近づけると、耳元でささやいた。

 

「エスペリアを大切に想ってくれて~ありがとうございますぅ~」

 

 至近距離でハリオンの笑みを受けた悠人の顔が真紅に染まる。

 

「がんばったユート様に~お姉さんからのご褒美ですよ~」

 

 そう言ってハリオンは悠人の頬に軽く口付けをした。

 

「!!」

 

「ハリオン!!」

 

 いきなりのことで悠人の赤くなっていた顔がさらに赤くなる。もはやタコだ。

 エスペリアはハリオンを睨みつけるが、ハリオンはいつも通りニコニコ笑って睨みを受け流す。

 結局、ラキオスのスピリットの中で一番強いのはハリオンなのかもしれない。

 

『それじゃあ~お菓子は早めに召し上がってください~私はこれで失礼しますぅ~』

 

 遠ざかっていくハリオンの姿を、ぽーっと悠人は見つめる。

 面白くないのは当然エスペリア。

 

「何をデレデレしているのです、ユート様!」

「べ、別にデレデレなんてしてないだろ!」

「いーえ! していました!」

「だから、してない!」

「してました!!」

「してない!!」

「オルファもキスする~!!」

「やめなさい!!」

「……ん……お菓子……美味しい」

「アセリア! 貴女はもう少し雰囲気を読みなさい!!」

 

「あらあら~とっても賑やかですね~」

 

 背後のテントから聞こえてくる声に、ハリオンがニコニコと笑う。

 自分が騒ぎの元凶だと、理解しているのかいないのか。

 やはりハリオンは相変わらずだった。

 ニコニコと笑いながら歩いていると、その先には赤いショートカットのスピリット。ヒミカがいた。

 

「何か騒がしいけど……何かあったの?」

 

「特に何もありませんよ~」

 

 ハリオンからすれば今の騒ぎは何も無かったことになるらしい。

 ヒミカは長い付き合いから、ハリオンがまた天然を炸裂させたのだと思ったが、別に聞くことではないから口出ししない。聞くべきことは他にある。

 

「それで、ユート様の状態はどうだった?」

 

「今のユート様の状態じゃあ、私たちの方に目を向けるなんて無理みたいですぅ~」

 

「そう……無理もないか」

 

 仕方ないという風に答えたヒミカだが、その声には落胆の色が込められていた。

 隊長として自分達の状態を把握して欲しい。特に子供達には声を掛けてほしかった。

 仲間の状態を知らずして何が隊長なのか。

 しかし、今の悠人は自分自身のことで精一杯なのは間違いなかった。

 

(本来、私たちを見ていてくれる人は……)

 

 ヒミカは疲れた目で、じっと北西の方角を見つめる。

 その方角にはリーザリオ……自分達の隊長であり、ラキオスの副隊長が戦っている所だ。

 まだ少年の顔立ちを残した自分達の隊長を思い出し、ヒミカは疲れたような溜息を吐く。

 スピリットである自分達の声を聞き、それに笑い、怒り、泣く。

 それがどういうことか、ヨコシマ様もユート様も分かってない。

 それがこの世界でどれほど異端なのかを。

 特にヨコシマ様は子供たちにどういう影響を与えていたのかまるで理解していない。

 一人で戦いに行くといって、ネリー達の助けを拒絶したことが何を生み出したのかを。

 今のネリー達の精神状態はあまりにも不安定で、戦いに出すにはかなり不安がある。

 しかし、戦闘には参加させなければならない。戦えないスピリットなんて処刑の対象になってしまう。

 慰めてやりたいところだが、自分が言っても聞かないだろう。

 

 ――――こんなことならヨコシマ様はいない方が良かった。

 

 そんな考えまで浮かんでくる。

 スピリットの心に種を植えておきながら、その種を腐らせようとしているとしかヒミカには思えなかった。

 横島が色々と苦しみ、考えた上で今回の決断をしたことはヒミカにも分かっている。本当に自分達の為に、茨の道を歩もうとしてくれたのだ。

 だからこそ、ヒミカは横島を罵りも恨みもしない。横島の身を心から案じている。

 しかし、この決断は失敗だと、ヒミカは確信していた。

 

(ヨコシマ様……大丈夫かしら?)

 

 今度の戦いは戦力という点ではこちらが上回っている。

 横島がたった一人で、敵のスピリットを食い止めてくれているおかげだ。

 だからこそ今回の戦いは余裕がある。

 全員が力を発揮できれば、今回の戦いは勝てるだろう。

 発揮さえ出来ればだが。

 

「ヒミカ~あんまり一人で悩んじゃ駄目ですよ~」

 

「えっ?」

 

「ヒミカは~少し真面目で一人で暴走しがちですから~もっと私たちを頼ってほしいです~」

 

「ハリオン……」

 

「友人をこんなところで~失いたくはないですからね~

 ヨコシマ様も絶対に私たちの無事を考えてくれているはずですぅ~」

 

 大丈夫だと、穏やかな顔で言ってくれる親友に、ヒミカは感謝した。

 自分は考えすぎるきらいがある。真面目で固く、自分がやらねばと言う意気込みから少々無理をしたり、逆に周りが見えなくなる事があると、ヒミカ本人も分かっていた。

 そんな弱点を、ハリオンは支えてくれる。

 のんき者で、のんびりしたハリオンは自分と正反対だが、だからこそ不足部分を補う事ができて妙に気があった。

 やれる範囲でがんばろう。今はそれしか方法がないのだから。

 

 セリア達とは少しはなれたところに、小柄な三つの人影があった。

 ネリー、シアー、ヘリオンの三人だ。

 だが、彼女らの雰囲気はいつもの賑やかなそれではなかった。

 皆、どこか重苦しい雰囲気で口を閉ざしている。

 戦いの前に緊張しているようにも見えない。

 ただ力のない目で地面を見つめている。

 

 ここ最近、ネリー達子供組は間違いなく強くなっていた。

 悠人が龍を倒し、莫大なマナを手に入れたことも影響しているだろう。

 だが、強くなったなによりの原因は横島にあった。

 

 ただ、黙々と繰り返される訓練の日々。

 別に疑問を感じたことはない。そういうものだとネリー達は思っていた。

 だが、横島が来たことにより、繰り返される訓練に命が注ぎ込まれた。

 誰かが泣かない為に剣を振る。誰かに褒めてもらいたいから、自分のために剣を振る。

 目的が生まれて、ネリー達は変わり始めていた。

 

 以前の戦いで横島がスピリット殺しで泣いたとき、ネリー達は誓っていた。

 横島を守ろうと。今度の戦いでそれを証明しようと思っていた。

 しかし、結果は自分達の助けは必要ないという、拒絶の言葉。

 横島が何故ネリー達の助けを拒んだのか、ネリーには分からない。

 合理的だとかどうとか言っていたが、ネリーにはそれが嘘だとなんとなく分かっていた。

 だから、ネリーは理由を考え、一つの答えに到達した。

 ヨコシマ様はネリー達が足手まといだと思ったから連れて行かなかったのだと。

 

「あ~~もう!! うじうじしてるのはネリーらしくない。全然くーるじゃない!!」

 

 突如立ち上がり、大声を出すネリー。

 その声にシアーとヘリオンの二人がびくりと顔を上げてネリーを見る。

 ネリーはそんな二人をびしりと指差し、高らかに宣言するように言う。

 

「今度の戦いで証明しよう! ネリー達は強いんだって! ヨコシマ様やユート様の役に立てるんだって! 敵をいっぱい殺して証明しよう!!」

 

 ネリーの力強い言葉がシアーとヘリオンの心に響き渡る。

 脱力感で埋め尽くされていた心に、明確な目的を注がれて全身に力が湧いてきた。

 

「そうすればきっとヨコシマ様は認めてくれる。褒めてくれる。頭だって撫ででくれるし、遊んでくれる。お風呂にだって一緒に入れる!」

 

 認められたい。

 それがネリーの想い。

 そして一緒に遊んでもらいたかった。

 しかし、最後のお風呂はどうだろうか?

 

「……うん、かんばるの!」

 

「はい、がんばりましょう!」

 

 元気よく返事をするシアーとヘリオン。

 彼女たちも抱いていた想いはネリーと同じ。

 いっぱい敵を殺して、褒めてもらおうと二人も誓う。

 

「ネリー、シアー、ヘリオン、これから作戦を説明するから集まって」

 

 離れたところからセリアの声が聞こえてきた。

 もうじき戦いが始まるのだ。

 

「はーい!」

 

 ネリーは元気よく返事を返し、意気揚々とセリア達の下へ向かっていった。

 

 

 

「ネリーは絶対反対!!」

 

 説明された作戦を聞いて、ネリーは開口一番にそう叫んだ。

 シアーもヘリオンも口を尖らせている。

 

 エスペリアが説明した作戦は、いたってシンプルなものだった。

 堅実に進軍して敵スピリットを殲滅するというもの。

 策でもなんでもないような気がするが、エスペリアから言わせると、自分たちの力を百%発揮すれば負けはないということらしい。下手な策は返って邪魔になるし、相手につけ込まれる可能性もあるから、必要ないとのことだ。

 そういった意味では単純なネリーに相応しい作戦に見える。

 では何故、ネリーが怒っているのかというと……

 

「何でネリー達がまた後方支援なんかしなくちゃいけないの!!」

 

 陣形とは集団戦において重要な意味を持っている。

 前衛で敵を打ち倒すもの。

 中衛で敵からの攻撃を防ぐもの。

 後衛で攻撃魔法や回復魔法を使うもの。

 

 レッドスピリットなら後衛でも、火の雨を降らせて敵を焼き払うことが出来る。

 しかし、ブルースピリットは後衛で敵を倒すことなど出来はしない。

 ブルースピリットの後衛での役割は敵の神剣魔法を打ち消すことだ。この役目はかなり重要なのだが、地味である。ちなみにブラックスピリットの魔法だけは打ち消せない。

 

「やだやだ! ネリーもいっぱい神剣ふって活躍したい!!」

 

「わがまま言うんじゃありません!」

 

「あの、私は青の魔法は使えないんですけど……」

 

 ヘリオンが手を上げて静かに抗議する。

 ネリーやシアーはブルースピリットだが、ヘリオンはブラックスピリットだ。

 ブラックスピリットであるヘリオンには、青の魔法は使えない。

 

「ヘリオン。貴女は私たちの中で唯一のブラックスピリットです。前衛で敵を倒すよりも、魔法で敵の行動を阻害して欲しいの」

 

 剣士としての実力よりも、ブラックスピリットとしての魔法を期待していると言われ、ヘリオンは複雑そうだ。

 

 後方から魔法の援護。

 敵を正面からバンバン殺していこうと思っていたネリー達からすれば、到底認められるものではなかった。

 エスペリアは三人が何を思っているのか察していたが、それを認めるわけにはいかなかった。

 

「後方支援なんてそんなに重要じゃないよ!!」

 

「後方支援は重要です! それぐらい貴女達も十分知っているでしょう」

 

「ネリー達だって強くなったよ! 後方支援ならセリアお姉ちゃん達に……」

 

「確かに貴方たちは強くなったかもしれないけど、まだセリア達には勝てないでしょう!」

 

「でも……でもっ!」

 

「もう決定事項です。」

 

「ううっ……」

 

 結局、前衛は悠人やアセリアなど攻撃力に特化したスピリットが中心になり、中衛はエスペリアやハリオンなど前衛でも後衛でもどちらでも戦えるスピリットが中心となる。

 後衛はネリー、シアー、ヘリオン、ナナルゥ、エニ、このような布陣となった。

 レッドスピリットであるオルファは後衛に入らず、何でも悠人とくっ付いて行動するらしい。とある事情で、エスペリアもそのほうが都合が良かった。

 

「うう~」

 

 どうしても納得できないネリーはうなり声を上げながら、あたりを睨む。

 自分の周りにある全てのものが、意地悪をしているのではないかと感じていた。

 

「ネリー……機会があったら前に出てもらうから」

 

 ヒミカが落ち込んだネリーをなだめる為に妥協点を挙げる。

 このままごねられても面倒だし、落ち込んでいるネリーを見ていられなかった。

 

「ヒミカ、何を勝手なことを言ってるの! そんな事認められません!!」

 

 エスペリアは頑ななまでに意見を却下する。

 何か意固地になっていると、ヒミカは分かった。エスペリアの中で色々な葛藤が起こっているのだと。

 

「エスペリア~もっと肩の力を抜いてください~

 私たちはヨコシマ様がいなくて寂しいんですから~」

 

 のんびりとハリオンが言う。

 だが、エスペリアの固い心は、むしろハリオンに対する反発心を生んでしまう。

 

「そういうわけには行きません。それにひょっとしたら、今回のヨコシマ様の行動は貴女が体の奉仕をしなかったから――」

 

「エスペリア~」

 

 いつもよりも強めの声でエスペリアの名を呼ぶハリオン。

 エスペリアははっとして口を押さえた。

 何人かの疑わしげな視線が、エスペリアとハリオン、それに悠人を射抜く。

 

「貴方たちも、何かを隠してるのね」

 

 セリアの声と視線は冷たかった。

 

「と、とにかく、誰も死なないようにがんばろう!!」

 

 ほぼ空気と化していた悠人の声で締めになった。

 この様子で分かるとおり、悠人は隊を纏め上げる隊長でありながら、その責務をまったく果たせていない。

 悠人自身色々と限界を感じながらがんばってはいるが、こんな状態で仲間内の士気を向上させるなど一介の高校生であった悠人に出来るわけがない。

 本人は自覚していないが、彼は自分が不幸を振りまくと信じていたので、なるべく人を避けて生きてきた。コミュニケーション能力に不安がある悠人に、こんな状態の隊を纏め上げろと言うのは酷なものだ

 結局、セリア達は戦闘に集中できるとは思えないほど、気持ちがばらばらなまま、戦争を開始する事になる。

 

「ユート様、スピリットの配置が終わりました」

 

 事務的なエスペリアの声が響く。

 

「そうか」

 

「後はユート様の号令で……」

 

 戦いが始まる。

 

 悠人は『求め』を握り締め、遠くにいる敵を睨みつけた。

 十二、三歳ぐらいの子供すらいる軍勢。全員が見た目麗しい女性たち。

 これから彼女たちの首を切り落とすのかと考えると、果てしなく気が重くなるが、愛する妹を思い浮かべ拳を強く握る。

 

(お前らの命百個よりも、俺の妹の命のほうがずっと重いんだ!!)

 

 自分に言い聞かせるように心の中で咆哮する。

 何があっても妹を守る。これが悠人の求め。

 何があっても完遂しなければいけない、兄としての永遠の任務。

 例えのどのような犠牲が生まれようが、妹だけは……

 そこまで考えて、悠人は思いなおす。

 

(横島との約束も絶対に……)

 

 誰一人犠牲を出さない。

 それが横島との約束だった。

 仲間のスピリットにも被害を出すわけには行かない。

 

 第二詰め所の面々とはあまり話したことがないので、それほど親しみは無い。

 しかし、横島が守ってくれと願ったのだ。だから、絶対に守ると悠人は決めていた。

 無論、仲間なのだから守るのは当然だが、いざという時には体を盾にするぐらいの決意を悠人は漲らせる。

 

「ユート様、号令を」

 

 エスペリアが『献身』を構えながら、悠人に促す。

 悠人はしっかりと頷きながら、『求め』を構え、息を吸う。

 

「突撃!!」

 

 辺り一帯に響いた攻撃の号令。

 限界ぎりぎりまで張り詰めていた空気の糸が切れる。

 そして、戦争は始まった。

 

 白刃が舞い、炎が大地を焼く。

 スピリット同士の戦いは幻想的で、同時に破壊的であった。

 この戦闘に人間が混じっても、何一つやれる事など無い。

 戦いで発生する衝撃波だけで、その身を引き裂かれる事になるだろう。あるいは、ドロドロに溶けた地面によって足を焼かれるか、もしくは局地的に発生するブリザードによって魂まで凍らされるか。それとも地獄から漏れ出した闇に飲まれるか。そもそも、人間という種では視認すら危うい。

 スピリットは数人で大国を一夜で滅ぼせる、という記述があるのだが、それは誇張とは言いがたいのかも知れない。

 

 ほぼ同数の戦いなら、スピリットの質が勝敗を分ける。

 大陸屈指のスピリットであるアセリア。

 アセリアには劣るものの、それでも高い戦闘能力をもつエスペリア。

 龍を倒し強化されているスピリット達。

 単純な地力の差はバーンライトのスピリットよりもはるかに高い。

 それに加え、確認されている中では最高位の永遠神剣『求め』の主であるエトランジェ・ユート。

 さらに、相手側としてはこの戦いは想定外のものである。

 

 戦いは数十分ほどで、戦況が決まってきた。

 じりじりと悠人達が押していき、敵は後退していく。

 一人、また一人と敵を撃ち減らしていった。

 エスペリアが言っていたように、単純にこちらのほうが強いのだ。

 

「マナの振動を凍結させる……アイスバニッシャー!」

 

 敵レッドスピリットが炎の雨を降らせようとしていたところを、ネリーの魔法がそれを打ち消す。その隙をついて、セリア達がエニの補助魔法の加護を受けつつ、突撃を始める。

 また一人、スピリットが消えていった。

 その様子をネリーは不満げに見ていた。これでは自分達がまったく活躍できない。

 裏方として、十分活躍はしているのだが、ネリー本人は納得していなかった。

 そうこうしている内に、敵のスピリットは街中に後退を始める。

 それを見たネリーは決断する。

 

「シアー、ヘリオン……前に行こう!」

 

「えっ……でも」

 

「機会があったら前に出すって言ってたじゃない! 敵が逃げてるんだから、今は追いかけなくちゃいけないの! だから命令違反じゃないの!」

 

 言っていることが少し要領を得ないネリーだったが、シアーもヘリオンも言いたいことはちゃんと分かった。

 とにかく、戦果が欲しい。誰の目にも明らかで、誰もが褒め称えてくれて、剣を並べて戦いあう事を許してくれるような、そんな戦果が欲しい。

 ヨコシマ様に認めて欲しい。

 だが、それにナナルゥが待ったをかける。

 

「それは駄目です」

 

「だって機会があったら前に出してくれるって、ヒミカお姉ちゃんが言ってくれたもん!」

 

「そうですか。では一度ユート様の指示を仰ぎましょう。そのほうが確実です」

 

 ナナルゥが正論を言い続ける。

 それが正しい事は、ネリーにも分かった。

 

 だが、もしユート様が駄目だと言ったら?

 そうしたら自分達はいつヨコシマ様に認められるときが来る?

 

 この時、ネリー達は少々焦り、疑心暗鬼になっていた。

 自分達の要望や考えが、意図的に、あるいは悪意を持って拒絶されているかのように感じられてしまったのだ。

 ネリーはシアーとヘリオンの方をちらりと見る。こくんと、二人は頷き返した。

 三人は決断する。

 

「ああっ!! 筋肉が空を飛んでる!!!」

 

「っ!?」

 

 ナナルゥは珍しくはっとした顔で空を見る。

 その隙をついてネリー達三人はウィング・ハイロゥを展開させて空を飛び、全力で敵を追い始めた。

 その様子を見て、エニは慌てる。

 

「た、大変だよ! ナナルゥお姉ちゃん!! 早く追いかけなくちゃ」

 

「エニ、筋肉が空を飛んでません」

 

「ナナルゥお姉ちゃん、筋肉は空を飛ばないんだよ」

 

 エニは残念そうにナナルゥに答える。

 

「そうですか……残念です」

 

「うん、残念だよ……そんなこと言ってる場合じゃないよ~!」

 

 なんだか分からないやり取りをした二人だったが、とにかく、勝手に突撃したネリー達の事を報告すべく、エニは悠人の下へ走り出した。

 

「はあっ、はあっ、……大体は倒したよな?」

 

 荒く息を吐きながら、隣にいるエスペリアに問いかける悠人。

 体に傷などはないものの、殺し合いの場に立っていたことで精神を消耗していた。

 まだ実戦など数回ぐらいしかやっていない。悠人はまだまだ素人。精神的疲労はそうとうなものだ。

 もっとも、その疲労の半分は『求め』によるものなのだが。

 

「はい、敵スピリット達の半分は掃討したと思います。敵は都市部に後退。ここまでくれば、我らの勝利は揺るがないでしょう」

 

 エスペリアの言葉に、悠人はようやく一息を付いた。

 質で勝り、量でも勝った。大勢は決したといってもいいだろう。

 

「ですが油断は禁物です。不用意に突出などすれば、誰かが命を落す危険もあります。……せっかく誰ひとり死んでいないのです。慎重にいきましょう」

 

 事務的な口調のエスペリアだったが、心の底から仲間の無事を祈っている事に、悠人は分かっていた。

 すぐ側にいるオルファは、余り殺せなかった~などとぼやき、アセリアはいつも通りぽーっとしている。その様子は先ほどまで鬼神の如き働きを見せていたものとは思えない。

 

「それじゃあ、まず全員をここに集めて一度体勢を……」

 

「……ん……行く」

 

 どこへ?

 そう思った時には既に遅かった。

 アセリアはウイングハイロゥを展開させると、悠人達には目もくれず、引いた敵を追い始めた。

 

「アセリアおねーちゃんばかりずるーい! オルファだってもっとたくさん殺したいよー!」

 

 何の悪意も感じない楽しげな声が悠人のすぐ側で、それなのに妙に遠くで聞こえる。

 そのまま、オルファもアセリアを追って後退している敵に突撃していく。

 どんどんと小さくなっていく後姿を、呆然と眺めていた悠人とエスペリアだが、ややあってはっと気を取り戻した。

 

「すぐに追いかけましょう! アセリアは間違いなく我らの主力。オルファもこれからどんどん強くなっていくでしょう。こんな……こんなところで失っていい娘達じゃありません!」

 

 戦力としてアセリアたちの心配をしているように聞こえるが、それは建前だ。

 エスペリアはただ純粋にアセリアたちの心配をしている。

 

「分かってる! すぐに追いかけ……」

 

 ビュン!

 

 アセリアを追いかけようと、足を踏み出そうとしたとき、頭上を何かが駆け抜けていった。

 一体なんだと、頭上を駆け抜けていったものを見て、悠人は仰天する。

 

「ユートお兄ちゃ~ん」

 

 後ろから誰かが声を掛けてきた。

 エニ・グリーンスピリットだ。

 

「エニ、これはどういうことです!」

 

「う~んとね、ネリーお姉ちゃん達が、敵を殺すーって言って飛んで行っちゃたよ」

 

 その言葉にエスペリアは眩暈を覚えた。

 せっかく誰も死なずにここまで来たのに、何故それを壊そうとするのか。

 心の中で愚痴と文句を言うが、それは一瞬。

 すぐにこの先どうしたら良いのか考える。

 

「エニ、あなたはセリア達に後方支援をするように伝えてください。私が突撃します。ユート様は私の後についてきて下さい」

 

 よろしいですねユート様と、すぐ隣にいる悠人に話しかけるが、そこに悠人の姿はない。

 

「ユート様?」

 

「ユートお兄ちゃんなら、ネリーお姉ちゃんたちを追いかけて行っちゃったよ」

 

 隊長が敵陣に向かって単独で突撃。

 仲間への指示も何もしないで。

 エスペリアはその考え無しの行動に泣きたくなった。

 

「……まったく! どうしてみんな勝手な行動ばかり!!」

 

 皆が皆、好き勝手に行動しては勝てるものも勝てなくなる。

 心の中で愚痴と文句を繰り返しながら、メイド服を翻し、悠人の後を追いかけていった。

 

「ええ~い!」

 

 バーンライトの街中に入ったネリー達は、とにかく敵の神剣反応を追いかけながら飛び回っていた。

 しばらく街中を進むと、前方に三つの反応が現れる。三つの反応はそれぞれ分散した。

 

「シアー、ヘリオン、一人で一人を倒そう!」

 

「うん!」

 

「了解です!」

 

 ネリー達も相手に合わせるように、ばらばらになった。

 

 ヘリオンの相手は13,4ぐらいのグリーンスピリット。

 ほぼ同い年だ。

 グリーンスピリットは回復魔法を使い、防御力が高い。攻撃力もブルースピリットほどではないが高く、音速を超えるぐらいの突きなら普通に出せる。

 弱点は攻撃魔法に弱い事だが、ブラックスピリットの攻撃魔法では大したダメージを与えられないし、なにより唱えている暇がない。接近戦になるだろう。

 

「いきます!」

 

 ウイングハイロゥを出現させ、空中を疾走する。

 グリーンスピリットは正四面体シールド・ハイロゥを展開させて防御体制に入る。

 

「居合いの太刀!!」

 

 鞘に入れていた神剣『失望』を抜き放ち、グリーンスピリットに高速の斬撃を連続で放つ。

 キィンキィンキィンと甲高い音と共に、神剣が大気の壁とぶつかり合う。

 厚い大気の壁に阻まれて、ヘリオンの剣は敵に届かない。

 このままではダメだと、ヘリオンは一度後方に引いて、ウイングハイロゥを展開させた。

 もう一度ヘリオンは空中を飛びながら近づく。今度は小さな体をフルに利用することにした。小さな体を折り畳みながら、地面すれすれを飛んでグリーンスピリットに近づく。グリーンスピリットは槍を構えて迎え撃った。

 槍は基本的に水平に構え、相手を突くものだ。別に相手が上方にいても下方にいても使えないわけではないが、それだったらもっと適した武器がある。地面に近い位置で飛んでいるヘリオンには当てづらかったのだろう。グリーンスピリットの一撃は、ヘリオンの薄皮一枚を 掠りはしたものの、当たる事はなく地面を貫く。

 ここでグリーンスピリットとしては最悪な事に起こる。槍が地面に埋まり、抜き出すのに僅かな時間が掛かってしまったのだ。ヘリオンはその隙を見逃さす自身の永遠神剣、『失望』を振るった。

 血が飛び散り、肉を切り裂いたという確かな手ごたえが伝わってくる。

 目を向けると、グリーンスピリットは膝付近から血を流していた。

 

(まだ、終わらせません!)

 

 超低空を飛びながら、地面に手を付く。

 そして、手を突いた部分を軸として回転し、スピードに乗った蹴りを切り裂いた足に思い切りぶつける。

 

「うあぁ!」

 

 痛みの悲鳴を上げ、崩れ落ちるグリーンスピリット。

 その隙をヘリオンは逃さない。

 地面に崩れ落ちようとするグリーンスピリットに、間髪いれずに『失望』を振るう。

 手に、足に、顔に、胸に、腰に。

 切って切って切りまくる。

 赤い血飛沫の噴水が生まれる。

 ヘリオンの黒い戦闘服に様々な『もの』が付着するが、それはすぐに金色のマナに変わっていった。

 

「……やりました!!」

 

 初めての戦果である。

 今までの訓練が実を結んだことが嬉しく、達成感が体を包み込む。

 周囲に浮遊している金色のマナが、ヘリオンの神剣である『失望』に吸い込まれ始めた。

 スピリットを構成していたマナを、『失望』は食しているのだ。

 『失望』は歓喜の声を上げながら、マナをむさぼりつくし、強くなる。

 

 弱肉強食。

 

 これほどこの言葉が似合う世界はそうはない。

 

「こっちも片付けたよ~」

 

「シアーも大丈夫なの」

 

 ネリーもシアーも自分が受け持っていた敵を倒したようで、意気揚々としている。

 誰一人怪我もせず、完全勝利であった。

 

「よ~し! ばんばん行こう!」

 

 ネリーの掛け声に二人が強く頷く。

 自分達は強い。

 そう思うのは当然のことだった。

 

「じゃあ次は……敵はっけ~ん! レッドスピリット一人みたいだし……早いもの勝ちだよ!!」

 

「ああ~待って~」

 

「抜け駆けは無しです!」

 

 三人は見つけた『獲物』に目を輝かせながら突撃する。

 気分的には草食動物を見つけた肉食動物と言ったところか。

 実際、接近戦が苦手なレッドスピリットが一人など、接近戦が得意な青と黒の妖精の敵ではない。接近戦が出来るレッドスピリットなどヒミカぐらいだ。

 だから、ネリー達の選択は正しく見える。

 しかし、もう少し冷静なら彼女たちにも分かっただろう。近距離戦が苦手なレッドスピリットが、単身でいるわけがないと。

 

「わあ!」

 

 突如、空中を疾走していたネリーに地面から生えてきた黒い手が纏わりつく。

 さらに後ろから続いていたシアーとヘリオンは急に止まったネリーを避けられず、思い切りネリーとぶつかり転倒する。

 三人は絡まりながら地面に激突した。

 

「痛たた……ネリー立ち止まらないでよ~」

 

「そんなこと言われても!」

 

「何でもいいからどいてくださ~い!」

 

 こんがらがってしまった三人は、急いで立ち上がろうとするが、そんな隙を敵が見逃すはず無かった。

 

「消えろ」

 

 何の感情も無い声。マナを求める純粋な目。真っ黒なハイロゥ。

 いつの間にかグリーンスピリットが横に立ち、音速を超えるだろう槍を突き出そうとしている。タイミングは完璧で、防御も回避も出来はしない。

 

「ヨコシマ様……」

 

 三人の中で誰かが横島の名を呼んだ。

 彼女らも戦士なのだ。だから理解できた。

 自分達は死ぬのだと。

 

 ぎゅっと目を閉じる。

 

(あれ……どうしたんだろ)

 

 来るはずの衝撃が来ない。

 そっと目を開ける。

 そこには……

 

「ぐうう!」

 

 肩から槍を生やした悠人が、ネリー達を庇うように立っていた

 

「ユート……様」

 

 ヘリオンが呆然とした声を上げる。

 悠人はその声にこたえず、ただ気合の声を上げ続けた。

 

「ああぁぁ!!」

 

 悠人が気合を入れると、足元の魔法陣が強い光を放ち、体から白い閃光が発せられ、グリーンスピリットを吹き飛ばす。パワーに差があるから出来る芸当だ。

 肩を貫かれ相当の痛みに襲われるが、悠人は神剣の加護と持ち前の気合でそれを克服し、眼前のグリーンスピリットを睨みつける。そして幾度となく繰り返したある言葉を、頭の中で繰り返した。

 

(佳織の為だ。佳織の為だ! 佳織の為だ!!)

 

 佳織の為。

 それは最高の免罪符。

 その免罪符の前には善人も悪人も無い。

 正義も悪も無い

 子供も女も関係ない。

 良心が疼いても、心が張り裂けそうでも、何故自分がこんなことをしなくてはならないのかという疑問も、その他一切が関係ない。

 

 全ては愛する妹の為。

 心を押し殺し、剣を振るい、敵を殺す。

 

「おおおおおぉぉぉぉぉ!!!!」

 

 獣じみた咆哮を上げながら、敵に向かって突撃する。

 グリーンスピリットは、全ての力をシールドハイロゥの展開に費やし、防御を固めた。

 破壊を生み出す『求め』の刃と、純粋な守りの力が激しくぶつかり合い、白と緑の閃光が辺りを埋め尽くす、攻と防の攻め合い。

 

 勝敗はあっけなくついた。

 

 パワー勝負で悠人に勝てるスピリットなどまず存在しない。

 いくら防御力に優れたグリーンスピリットでも、悠人の攻撃力の前には勝てなかった。

 グリーンスピリット作り出した緑色の大気の壁は、突き出された悠人の神剣『求め』の前に簡単に破壊される。

 そして……

 

「ぐっ!!」

 

 『求め』の刃が、グリーンスピリットの胸を刺し貫く。

 肉を貫く感触に悠人の体が震えるが、それでも『求め』の刃を突き入れた。

 

「あぐっ!!」

 

 刃の根元まで突き入れられ、グリーンスピリットが悲鳴を上げる。

 心を失ったとしても、痛覚までは無くしていない。

 痛みの余り、端正な顔のグリーンスピリットの表情が歪む。

 その苦しみの表情に、悠人は思わず顔を背けたくなったが、いくら素人でもそこまで馬鹿な真似はしない。

 敵の攻撃はまだ終わっていないのだから。

 グリーンスピリットの後方には、詠唱を開始しようとするレッドスピリットがいた。

 時間が無いと判断した悠人はグリーンスピリットを刺し貫いたまま、詠唱中のレッドスピリットに突撃する。

 

「っ! 永遠神剣の主として命じる!! マナよ爆炎となり……」

 

「遅い!!」

 

 悠人は『求め』を突き出し、グリーンスピリットを突き刺しながら、さらにレッドスピリットをも貫いた。

 

「くっ……ふぐぅ!」

 

 『求め』に胸を貫かれ、レッドスピリットの詠唱が止まる。

 いくらスピリットでも肺を貫かれて喋ることはできない。

 『求め』の刃で貫かれた二人のスピリットは、まるで串に刺さった団子のようだ。

 終わったと、悠人は一息を付いたが、その考えが甘いものだったと知らされる。

 

「ぐ……あああ!」

 

 胸を貫かれた状態でもスピリット達は抵抗しようとあがく。

 戦えと命令されている以上、どんな目にあっても彼女らは戦うのだ。

 血反吐を吐き、全身がビクビクと痙攣し、もう戦える状態でもないのに、それでも殺意を向けてくる。

 悠人は、そんなスピリットに恐怖した。

 

「うぁ……おおお!!」

 

 悲鳴とも咆哮とも言えない叫びを上げながら、悠人は二人を刺し貫いた『求め』を全力で地面に叩きつける。

 

 一回目。

 

 スピリットの悲鳴が聞こえてくる。

 その苦しみの声に、悠人は眉を歪め罪悪感に体を震わし、同時にとてつもない愉悦感に襲われて。

 

 2回目。

 

 ゴキゴキと生理的に不愉快な音が聞こえた。肉体を潰す感触は、女を抱くよりも心地よく。

 

 3回目。

 

 グチャリと何かが潰れた音がした。流れ込んでくるマナは、甘露としか言えないほど甘い。

 

 常人なら目を背けたくなるほどの凄惨な光景が広がる。しかし、凄惨な光景はすぐに消えた。潰れたはずのスピリットは、もうそこに存在しない。存在するのは金色に輝くマナの霧だけだ。

 死体が残らない、何も残らない。果たして、今悠人が殺したスピリットは存在していたのだろうか。

 スピリットと言う存在の儚さがそこにあった。

 

「くそ……殺したくなんかないってのに……」

 

『ふん、笑いながらよくそんなことを言えるものだ』

 

「笑ってなんか!! ……いない」

 

 弱弱しく悠人は否定する事になる。

 何故か?

 その理由は簡単だ。『求め』が感じている快楽が悠人にも流れ込んでくるからだ。

 血に酔う。戦争映画などで聞いたことがあるが、そんなレベルではない。 殺すたびに『求め』が歓喜して、その心が悠人にも流れてくる。殺すたびに自分の心も殺されているように悠人は感じた。そのほうがより力が湧いてくるというのも、悲しく苦しかった。

 

 二人のスピリットはマナに帰した悠人が、次なる敵を求め走り出す。後ろから幼い声が聞こえたような気がしたが、良くは分からなかった。

 一秒でも早く戦いを終わらせる。それだけを目的に悠人は敵を探す。少なくとも、そこに狂気は混じっていないと、悠人自身は判断した。

 『求め』はそんな悠人に歓喜しているようだったが、悠人は妹の為だと理由を掲げて無視する。

 その様子はどう考えても隊を指揮する指揮官ではなく、ただのバーサーカーにしか見えない。

 エスペリアが嘆くのも無理は無いだろう。

 

 悠人は止まらず、ぎょろぎょろと血走った目で辺りを見回し、見つけた。

 まだ幼い、子供のブラックスピリットを。

 

「がああああああ!!」

 

 『求め』を掲げながら、全身にマナを回し突撃を開始する。

 

「ううっ、恐い……けど!」

 

 ブラックスピリットは灰色のウイングハイロゥを展開した。

 黒でないハイロゥは、まだ若干の自我が残されていることを証明している。

 逆に言えば、それほど力は強くないことになる。元が強ければ問題ないのだろうが、この幼いブラックスピリットにそれほどの力も剣技も無かった。

 結果の見えた戦い。

 だが、ブラックスピリットにチャンスが訪れる。

 

 ここにきて肩を貫かれた痛みが襲い掛かり、足がもつれた。現状の確認と足場も見ず、闇雲に突撃結果だったのだろう。

 悠人は顔面からべしゃっと無様な転倒をしてしまった。

 敵の目の前で転倒。

 それが戦いの際にどれだけ致命的なことか、考えるまでもない。

 

「死んでください!!」

 

 転んだ悠人めがけて、ブラックスピリットは一気に突っ込んだ。

 チャンスはここしかないと、そう決めての特攻に近い攻撃。悠人はその攻撃に対応できない。

 首を断ち切らん斬撃の前にして、これまでかと、悠人は覚悟を決めた。

 だが、悠人の命運はまだまだ尽きてなかったらしい。

 

「風の壁だよー!」

 

「大地の活力よ、傷つきし者の力となれ。アースプライヤー」

 

 今正に悠人の命を奪わんとしていた神剣が、突如生まれた風の壁によって阻まれる。さらに、緑色の光が悠人の体に降り注ぎ傷を瞬時に癒す。

 突然の事に驚き、いったん後退しようとしたブラックスピリットだったが、そこまでだった。

 突如、音よりも早く飛んできた槍が、ブラックスピリットの腹を抉り取る。

 

「あうっ」

 

 腹に力が入らなくなり、ブラックスピリットはその場に倒れこんだ。

 回復魔法をかけてくれれば一瞬で回復するのだが、もうグリーンスピリットはいない。

 彼女が、バーンライト最後のスピリットなのだ。

 

「……痛いよう……でも、殺す」

 

 残された自我が恐いと、もう戦いたくないと必死に主張する。

 だが、握っている神剣からは戦ってマナを奪えと命じてくる。

 

 次々と死んでいく仲間。圧倒的な戦力差。どうしようもない絶望。

 死にたくない、死にたくない――――もう無理だ。

 ブラックスピリットの心が折れ始めた。同時にエンジェル・ハイロゥが黒く染まっていく。

 

 恐いのはいやだ。もう何も考えたくない。だから心なんていらない。

 幼きブラックスピリットは、自分の神剣に心を食われているのを感じたが、何の抵抗もしなかった。そのほうが楽だからだ。

 これで終わる。辛く、苦しいだけの人生が。

 

 あれ? 本当に、苦しいだけ? 楽しい事が何も無かった? 未練は無い?

 

(―――は弱いから、これはボクからのお守り。また、いつか合おうね)

 

 大切な思い出がふと蘇った。胸元にある人形に目を止める。

 自分と同じ姿をした人形は、慕う姉が心と身を案じて作ってくれた物。

 配属された場所が違う為、もう一年はあっていないが、大切な家族である。泣き虫な自分をよく庇ってくれた愛しいお姉ちゃん。

 弱い自分がここまで神剣に心を食われなかったのは、間違いなく姉に会いたかったからだ。

 

 会いたい。

 会いたい、会いたい。

 会いたい、会いたい、会いたい!!

 

 ウイング・ハイロゥの色が白く変わっていく。

 神剣に食われかけていた自分の心を取り戻したのだ。

 もう一度、お姉ちゃんに会うのだと、生きる事を強く決め、顔を上げる。

 眼前には、氷のように冷たい顔をしたブルースピリット―――『熱病』のセリアが神剣を振り上げていた。

 

「あ……助けて、ルルーおねえちゃ」

 

 それが最後の言葉だった。

 容赦なく振り下ろされた神剣は、ブラックスピリットの右肩から左脇腹に抜け、その体を二つに切り裂いた。痛みも苦しみも無く、マナの霧に少女は帰る。

 

「運命だと思って諦めて……貴女に再生の剣の祝福があることを」

 

 マナの霧と消えた少女に向かって、祈るようにセリアが呟く。

 これがスピリットの宿命。明日の我が身。

 『熱病』がスピリットのマナを食うのを見て、セリアはただ目線を地面に下げた。

 

 戦争は終わった。

 ラキオスの勝利で、一人の犠牲も出すことなく。

 最高の結果の中で、ラキオスのスピリット隊は一人のレッドスピリットの少女を除き、誰一人笑っていなかった。

 

「酷いもんだな……」

 

 震えるような悠人の声が、スピリット同士の戦いの余波でぼろぼろになった街中に響く。音速を超える神剣と神剣のぶつかり合いの余波は激しく、特に破壊活動をした覚えもないのに町はかなり壊れていた。

 惨憺たる町の光景に顔を歪ませていた悠人だったが、その時、何かが視界に入る。

 悠人が見つめる視線の先には、甲冑を着込んだ兵士たちが、いつの間にか姿を現していた。刻まれている紋章はラキオスのもの。

 兵士たちは悠人達に見向きもせず、バーンライト城に向かっていく。

 

「まさか、これから人間たちが戦うなんて事はないよな?」

 

「そんなわけ無いでしょう。人間たちがすることは、城に残った王族を引きずりだすぐらいです……もちろん、バーンライトの兵士は王族を守ろうとはしないでしょうね」

 

 側にいたセリアが馬鹿らしいとでも言いたげな声で答えた。

 しばらくすると、バーンライトの城からラキオス兵士たちの勝鬨の声が聞こえてくる。

 俺たちが勝ったぞ、と言わんばかりの勝利の歓声。

 実際に戦い、傷ついたスピリットには目も向けない。

 

 馬鹿馬鹿しい。

 本当に馬鹿馬鹿しい。

 気が狂いそうなほど馬鹿馬鹿しい。

 そして、こんな人間たちの尖兵としてスピリットを殺めている自分が一番馬鹿馬鹿しい。

 

(何で殺さなくちゃいけなかったんだ?)

 

 当然のように生まれてくる疑問。

 今更ながら体に震えが走る。

 一体何人のスピリットを殺してしまったのか。

 どれほどの命が消えたのか。

 一体この戦いに何の意味があったのか。

 虚しさが悠人の心の中を駆け巡る。

 殺し合いの最中に、その考えが浮かばなかったのが悠人の命を助けていた。

 

(考えても仕方ないか……)

 

 そこまで考えて、悠人は思考を打ち切った。

 考えても仕方のないことだからだ。今の自分はどれだけ血塗られた道であろうとも進むことしかできない。

 全ては佳織の為なのだから、仕方ないのだ。

 

(隊長としての役目は果たせたよな……まだ残っているけど)

 

 横島との約束通り誰も死傷者はいない。

 誰一人死なせないという横島との約束は果たせた。

 とりあえずはめでたしめでたしだが、めでたくない部分もある。

 

 セリアやエスペリアがちらちらと視線を送ってくる。

 隊長としてやるべきことをやれと言うことだろう。

 目の前にはちょこんと座っているネリー、シアー、ヘリオンの三人。三人とも、居心地悪そうにしているところから、自分達が迷惑をかけた事は理解しているようだ。

 少し離れた所にアセリアとオルファも座っている。

 結局、アセリアたちは二人で残った敵を一掃したらしい。

 流石はアセリアだと褒められる……わけがない。

 

 隊長としてネリー達やアセリアに言うべきこと。

 それは説教、もしくは処罰。

 

「ネリー、シアー、ヘリオン。なんだってあんな無茶をした」

 

 咎めるような口調でネリー達に問いかける。

 いや、実際に咎めている。

 戦いにおいて命令無視は最悪の行為といえる。

 それぐらい、いくら子供でも分からないはずがない。

 悠人の声に三人は体をびくりと震わせた。

 そして顔を見合わせると、ネリーが代表してしゃべり始める。

 

「……だって、だって敵をいっぱい倒せば、ヨコシマ様が私たちを褒めて……認めてもらえると思ったんだもん! そうすれば、今度は……一緒に!!」

 

 そこから先はしゃくり声に変わり、何を言っているのか分からなくなる。

 沢山活躍して褒められたい。

 なんとも身勝手な理由だ。

 そんな理由で命令無視など許されることではない。

 叱らなければいけないだろうが、ことはそれだけではないだろう。

 

(横島……俺たちの判断は間違っていたのかもな)

 

 かってに飛び出して窮地に陥ったのは間違いなくネリー達の責任だ。それは疑いようもない。

 だが、勝手に飛び出した原因を作ったのは……ネリー達を追い詰めたのは誰か?

 それは間違いなく横島だ。

 隊長の役目は、部下を纏め上げ、最高の状態で戦わせることだ。

 その役目を横島は果たせなかった。

 無論、今回の勝利は横島がたったの一人で、半分の敵を受け持ってくれたからなのだが、今は関係ない。

 

 だが、全て横島の責任というわけではなかった。

 隊長である悠人だって同罪である。

 悠人自身、余りにも余裕がなかったので、ネリー達の精神状態に気を配っている余裕など無かった。

 

 神剣の干渉。

 初めての戦争。

 妹を人質に取られての、無理やりの殺し合い。

 異世界に飛ばされ、言葉すら通じない事によるストレス。

 常人なら耐え切れないような苦しみの中、ネリー達の精神状態を考えている余裕などなかった。同情すべき理由は多々ある。

 だが、何をどう言おうが隊長である悠人が、部下であるネリー達の精神状態を把握していなかったのは事実だ。

 十数人程度の部隊なのだ。一人一人に声を掛けるぐらいできたはず。

 この部分は両隊長の力不足と言ってもいいだろう。

 

 とりあえずネリー達の事は解った。

 次はアセリアだ。

 突撃したのはオルファも同じだが、彼女のある一面を知る者だったら仕方ないというだろう。もちろん、厳重注意するのは当然だが。

 

「アセリアはなんで敵に突っ込んだ?」

 

「……私は……それしか知らない」

 

 怒られていると分かっているのかいないのか、アセリアは僅かに目を地に落し、小さい声で呟いた。

 スピリットは戦争の道具で、兵器そのものという印象がこの世界の一般常識だ。

 確かにアセリアを見ていると、兵器と言われても納得できるような気もする。

 必要なこと以外喋らず。戦いの時はまるで鬼神のようで。圧倒的な力を持つ存在。

 

 だが、悠人は思う。

 殺すことしかできないんじゃない。

 殺すことしか知らないのだ。

 

「あんなこと続けていたら、本当に死ぬぞ」

 

「別に……いい」

 

 本当にどうでもよさそうにアセリアは言った。

 神剣の声に従って戦うことだけがアセリアの全てなのだ。

 戦った結果、死んでマナの霧に帰ったとしても、どうでもいい。

 アセリアは悲しくなるくらい、純粋な奴隷戦闘種族スピリットを体現していた。

 

「アセリア、人間の……ユート様の意志に逆らってはいけません。貴女はスピリットでしょう」

「ふん、人間にとっては、アセリアのようなスピリットのほうが都合いいのよ」

 

 エスペリアとセリアが口を開く。

 頑ななまでに人間を守ろうとするエスペリアと、強烈な険悪の感情を人間に叩きつけるセリア。ベクトルはまるで違うが、人間とスピリットの違いを主張している事に関しては同じ事だ。

 余りにも寂しいと悠人は感じた。

 死んでも構わないというアセリア。スピリットと人間を区別して考えるエスペリア。

 こんなのは、どうしても納得できない。

 

「みんな! 聞いてくれ!!」

 

 悠人は辺り一体に響き渡る大きな声で、スピリットに向けて叫ぶ。

 

「俺はまだまだ未熟だ。皆もそれは分かってると思う。でも、何時までも未熟なままではいない。もっと強くなって、皆を守れるぐらいに強くなる!!」

 

 いきなりそんな事を言い出した悠人に、セリア達は驚いたが、悪い感情は持たなかった。情けないところは目立ったが、これから成長しようと言う意思は十分に感じる。それが出来る意思の強さと才能をセリア達は感じ取った。

 だが、ここでもエスペリアは頑なな姿勢を見せる。

 

「ユート様、何度も言うようにスピリットは人間の盾で……」

 

「好きな人を守りたいと言って何が悪い! そんなの人もスピリットも関係ないだろ!!」

 

 興奮の為か、紅潮して赤くなった悠人に真剣な目で見つめられたエスペリアは、先ほどの台詞の所為もあって顔を真っ赤にする。

 

「ユ、ユート様……私は「きっと俺は皆のことが好きになると思う。まだあまり話した事はないけど……いや、だからこそ生きて欲しい! 俺はもっと皆と話したい。それに生きていればどんな可能性だってあるんだ。何かを作ることも、誰かを愛することもできる。きっとその手で、自分自身だけの何かが掴めるはずなんだ!!」

 

 エスペリアが何かを言おうとしたのをあっさり潰し、悠人は熱く自分の想いを口にする。興奮しているため、あまり要点は纏まってはいないが、だからこそ悠人の想いが全員に伝わっていく。

 そんな中、ネリー達子供は悠人の言葉に不満そうな顔をしていた。

 

「でも……でもユート様。ヨコシマ様はネリー達を連れて行ってくれなかった! ネリーはヨコシマ様の事が好きだから守りたかったのに……役に立たないから!! 」

 

 泣きそうな声で、ネリーは訴えた。悠人は腰を落として、視線を合わせる。

 

「それにネリー、横島が役に立つか立たないかで差別するような人間じゃないって事は、ネリーの方が良く知っていると思うぞ」

 

 それほど話したわけではないが、横島はそんなことで差別する人間ではないと悠人は理解していた。それはネリーも知っていた。だけど、どうして置いていかれたか分からず、それでも必死に考えて出した答えだったのだろう。

 

「じゃあ何で……そっか、分かった。嫌いだからだ、ネリー達のことが嫌いだから!!」

 

「それも違う! 横島はネリー達のことが大好きなはずだ」

 

「何でユート様がそんな事をわかるの!?」

 

「分かるさ。頼まれたんだから。横島にネリー達を……皆を守ってくれってな」

 

 ネリーの瞳が驚きで大きくなる。それだけではない。周りにいるスピリット全員がびっくりした。まさか、そんな約束をしていたとは思ってもいなかったのだろう。

 横島は佳織を、横島はスピリット達を。互いに大切なものを守りあう約束。悠人は約束を忘れてはいなかった。

 

「ヨコシマ様が……」

 

「ああ。もしも皆に何かあったら横島に殺されちまう……マジでな」

 

 悠人の言葉は冗談ではなかった。もし、誰かが死んでしまったら、横島はどういう行動を取るのか。殴られるだけではすまない。最悪、殺されるのではないか。それほどの意思を悠人は感じていた。

 

「でも……」

 

「横島の奴には俺からも言っておくよ。もっとネリー達を見てやれって」

 

「でも……」

 

「大丈夫だって! もし文句を言うようだったら、俺がぶん殴ってやるから」

 

 ぱこんと自分の頬を殴る真似をする悠人。

 限界だったのだろう。遂に、ネリー達の張り詰めていた心の糸が切れた。

 

「う……うわ~~ん!!」

 

 三人は感情のままに泣き声を上げる。

 腰辺りに抱きついてぴーぴー泣く三人を、悠人は優しい目で見つめ、頭を撫でた。

 

(いい子達だな……横島が守ってやってくれと言うのも当然か)

 

 元々、保護欲が大きい悠人は変な意味ではなく、小さい女の子には弱い。

 シスコン=ロリコンというわけではないだろうが、やはり小さい女の子には優しいのだ。

 それに、ネリー達には悠人自身も心を救われている。彼女達を守りたい意思が悠人の心を守っていた。

 もし、彼女たちが本当の人形だったとしたら、あるいは守るに値しない人物だったら、悠人は間違いなく『求め』に心を奪われていただろう。

 セリア達は悠人に抱きついているネリー達を見つめる。

 優しい目をしている者、困惑している者、様々な者がいたが、悠人の言葉は心に響いた。

 

「ユート……私に見つかるか? 剣を振る以外の……何かが」

 

 自分の手を眺めていたアセリアが、悠人に向き直る。その瞳には、今までに無い何かが、確かに込められていた。少なくとも、悠人はそう感じた。

 

「ああ、生きていればきっと見つかるさ。だから、死んでいいなんて言わないでくれ」

 

「……分かった。ユートがそう言うなら、私は生きてみる」

 

 こくんと頷くアセリア。そんなアセリアに悠人は右手を差し出した。

 アセリアは少しだけその右手を見つめた後、神剣を左手に持ち替えて右手を出す。

 剣を握るためだけに存在していた手を、ぼろぼろの町を背景に幻想の妖精は異界の青年と手を合わせようとする。

 それは、一つの聖画といえた。誰もが息を呑んでその時を待ちわびる。

 そして、悠人とアセリアの手が重なり、聖画が完成する正にその瞬間、

 

「どわあああああ!!!」

 

 品も何も無い悲鳴が空中から響く。

 一体何事かと思う前に、その悲鳴の主が空から落ちてきて、

 

「ぐあ!」

 

 悠人を押しつぶした。

 ひゅ~という風が、辺り一体に巻き起こる。

 手を差し出したまま固まっているアセリアの姿は非常にシュールだ。

 そして、アセリアとしては本当に珍しいことに、眉を僅かにしかめ、落ちてきた人物――――横島を微かに睨んでいた。

 

「ヨコシマ様、大丈夫ですか!」

 

 空から仮面を付けたスピリットがやってくる。ファーレーンだ。

 

「一体これは何事なの!? ファーレーン!!」

 

「それが、私にも何がなにやら。

 ヨコシマ様が突然『ラブ臭がする!!』とか言って、暴れ始めて、空中で落してしまったんです。……ラブ臭ってなんでしょう? まさか毒ガス!?」

 

「悩むことはないわ。どうせヨコシマ様が馬鹿なだけだから」

 

 あっさりとセリアは納得した。

 実際、横島が馬鹿なだけなのだ。

 

「ラブ臭の発生源はどこじゃー!! 人が死に掛けているのに……グルルル!!」

 

 この人は相変わらずだ。

 セリアはがっくりと肩を落とす。

 

「いいからどけー!!」

 

 感動のシーンをいきなり潰され、体も潰された悠人が吼える。

 

「おお! 悠人か、なんだってそんな所に」

 

「人を潰して言うことはそれだけか!」

 

 先ほどまでの空気はどこに行ってしまったのか。

 横島が来たことにより、完全に空気が変わってしまった。

 せっかくの名シーンを軽く潰すあたり、さすがは横島だ。

 ひとしきり罵りあうと、悠人は顔を少し引き締める。

 

「誰も死んでないぞ」

 

「ああ、ありがとな」

 

 短いやり取りだがそれで十分。

 男と熱く語る必要などない。

 今、語るべきなのは……

 

「ネリー」

 

 横島が一番近くにいたネリーに話しかける。

 すると、ネリーはびくっと体を震わせて、悠人の背中に隠れてしまった。

 

(なんかめちゃくちゃショックだな……)

 

 周りを見るとスピリット全員が、横島に複雑そうな眼差しを向けていた。

 軽蔑の眼差しなどではない。かといって歓迎の眼差しでもない。

 何とも複雑な眼差しで、そして妙な距離が開いている。

 

 横島とスピリット達に空いた微妙な距離。

 望まずも、横島が作り上げてしまった距離。

 こんな距離、横島は望んでない

 ネリーだって望んでいない。

 誰一人望んでいない。

 

(怒らせちまったんだな)

 

 それもただ怒らせたわけではない。

 信頼してくれていたからこその、怒りと悲しみだ。

 

(まず、俺が言わなくちゃいけないことは……)

 

 自分の素直な気持ちを言うことだと、横島は判断した。

 

「みんな……俺は「待ってください!!」

 

 横島が何かを喋ろうとした瞬間、セリアが大声を出して遮る。

 一体何事かと全員が疑問に思ったが、すぐにその疑問は氷解した。

 周りに20余りの神剣反応が出現したからだ。

 

「どこからこんなに!!」

 

 突然現れたスピリット達に悠人はパニックになりかける。

 急いで『求め』を構えようとしたとき、

 

「降伏だ! 降伏ー!! 残っているスピリットは剣を捨てろ!」

 

 城のほうから白旗が振られる。

 完全にバーンライトという国がこの世界から消滅したのだ。

 

 その声と共に横島を追いかけてきていたスピリットが神剣を地面に捨て始め、戦いの意思がないことを明らかにする。

 相も変わらずその目には感情がない。

 自分達が属していた母国が滅びたというのに。

 

 戦争が終わっても、その傷跡は後々まで残る。経済や環境など、多くのものが狂うことになる。

 その中で、一番残されるものといえばといえば恨みだ。

 恨みというのは後々まで続き、1000年たっても恨み続けることだってある。

 だが、この世界では恨みが残りにくい。

 なぜなら人間は死なないからだ。

 負けても奴隷にさせられる事も無く、略奪も無く、女を取られる事も無く、運悪く家を失う程度である。ここを地球の中世程度と同じ時代背景と仮定した場合、この世界は非常に甘いといえた。いや、甘いというより、異常である。

 スピリットに代理戦争をやらせるのも当然なのかも知れない。

 被害は少なく、それでいて人が持つ征服欲や支配欲を満たせるのだから。

 

 死ぬのはスピリット。

 そして、そのスピリットは人間によって感情を奪われている。

 深い恨みなど生まれないだろう。

 なんとも、良くできたシステムである。

 そう、異常すぎるくらいに。

 

 だが、バーンライトにはたった一人、感情を失っていないスピリットがいた。

 

「……ララお姉ちゃん……セレナお姉ちゃん……ミーちゃん……誰か生き残ってないの!?」

 

 ルルー・ブルースピリット。

 唯一感情が残っていた、バーンライトのスピリットだ

 前回の戦いと、この戦いで死んだスピリットの数は合わせて40にはなる。

 ルルーにとっては、自分の仲間……いや、家族の3分の2が殺されたのだ。

 一体どれほどの絶望と悲しみが、ルルーの身に襲い掛かってきているのか想像もつかない。

 

(あのスピリットは……)

 

 ふらふらと横島がルルーに近づいていく。

 

「おい横島! 危ないぞ!!」

 

 不用意にバーンライトのスピリットに近づいていく横島に、悠人が警告する。

 ルルーにとって自分達は仇だ。

 復讐の念に囚われて、何をしてくるか分からない。

 そんな不安を抱いていた悠人だったが、エスペリアが心配ないと声を出した。

 

「大丈夫です。降伏しろという命令が出されましたから。あのスピリットは絶対にヨコシマ様に害する行為を取れません」

 

 なんとも残酷なことだ。

 目の前に仇がいるのに、殺すことが出来ない。

 これがスピリットの呪縛だった。

 

(……どうすりゃいい?)

 

 ルルーの側まで近づいた横島は、近づいたはいいのだが、何をすればいいのか分からなかった。

 泣き崩れるルルーを見ていられなかったのだが、泣きやませる方法など分からない。

 そもそも勝者が敗者に語りかけること事態、高慢なのかもしれない。

 しかも、ルルーはどれほど憎くても横島に害する行為はできないのだ。

 だからこそ横島はルルーに近づいているのだが……

 横島は気づいてないが、かなり残酷なことをしているといえる。

 

「エトランジェ……」

 

 ルルーが横島の接近に気づく。その瞬間、ルルーの心から絶望と悲しみが消えた。

 変わって生まれたのは憎悪、憤怒、などの怒りに属する感情。

 実際には違うが、少なくとも、ルルーにとっては全てを奪い、殺した張本人。

 燃えるようなどす黒い殺意が、血液を通じて全身を支配する。

 しかし、その殺意をあざ笑うかのように、体は神剣を地面に置いた。

 

(何で!? 酷いよ……ボクは……)

 

 人間の命令にスピリットは逆らえない。

 どれほどの想いがあったとしても。

 

 ―――――いいか、お前らの心なんて、意味ねえんだよ。

 

 人間に聞かされた言葉。ルルーの姉たちを、人形に変えていった悪魔の言葉。

 しかし、ルルーの心は挫けなかった。必死に悪魔の囁きをこらえ続け、心を陥落させなかった。

 だが、それも限界のようだ。

 

(もういいや)

 

 人間たちの言ったとおりだった。愛する家族を殺した仇が目の前にいるのに、命令一つで行動できなくなる。

 何のための心。何のための愛。ルルーはスピリットである自分自身に絶望する。

 消えていく心、暗くなっていく視界。

 がっくりと地に目を向ける。そこで、ある物に目に映った。

 

(あれ……は?)

 

 地面には、ぼろぼろではあるが、ブラックスピリットを模した人形があった。

 その人形には覚えがあった。

 別々に配属される前に一緒だった、二歳ほど年下のスピリットに作ってあげたものだ。

 甘えっ子で、恐がりで、およそ戦いには不向きな性格。

 余りにも危なっかしいので、お守りの意味を込めて別れる前にあげたものだ。

 

(持っててくれたんだ)

 

 もし心を失っていたら、即捨てていただろう。それがここに落ちているという事は、少なくとも先ほどまで持っていたという事だ。

 そして、今はもういない。

 

(う……ああ! 何で……どうして!!)

 

 一体何処の誰がスピリットは人間に逆らえないように作ってしまったのか、それは分からない。それは神と呼ばれる存在かもしれない。だが、ルルーはそれに抗う決意をする。

 そんな呪縛があろうと負けない。神に反逆する行為を行おうと。

 

(みんな……ボクに奇跡を生み出す力を!!)

 

「うああアアあアァァぁぁ!!」

 

 感情の全てを搾り出す声を上げながら、地面に置いた神剣を取る。

 同時に、背中から今まで見たこともない純白の翼を出現させた。

 

「ダメェ!!」

 

 何故か、ルルーの状態をいち早く察知したオルファが叫ぶ。だが、一寸遅かった。

 ルルーは全力で想いを乗せた神剣を突き出す。

 肉を貫く音、くぐもれた叫び、水が滴るような音。

 

「そんな……」

「嘘……でしょ」

「あり……えない」

 

 全員がその光景に息を呑んだ。

 横島の胸を、ルルーの持つ永遠神剣『反抗』が貫通していた。

 胸から背中を貫通し、赤い液体が音を立てて噴出す。紛れもなく致命傷だ。

 

 だが、今エスペリアたちが驚愕しているのは横島が刺されたからではない。

 このスピリットは人間の命令に背いたのだ。

 スピリットは人間の命令に絶対服従する。

 それは絶対に覆せない法則だった――――今この瞬間までは。

 

「返して……返してよう。ボクより年下の子だっていたんだよ。なんだってするから……ボクをどうしたっていいから、お願い、返して……返してぇ!」

 

 大粒の涙をぽろぽろと流し、横島の胸をどんどんと叩く。

 怒りのままに横島を刺し、怒りが収まれば残っているのは悲しみだけだ。

 エスペリア達はその光景を呆然と見つめる。急いで横島を回復させるか、もしくはルルーを殺さなくてはいけないと言うのに。

 完全に茫然自失状態と言える。

 それだけ、スピリットにとって信じられないことなのだ。

 

(なんだ……人間の命令にも逆らえるんじゃねえかよ)

 

 どれだけ憎悪を抱いても、人間には逆らえないとセリアは言った、

 しかし、それは間違いだった。

 

『ありえん……こんな……馬鹿な……何故……』

 

 『天秤』の力ない声が聞こえてくる。

 その声に横島はなんだか得意げな気分になった。

 何故だか「ざまあみろ」とでも言いたくなる。

 

 自分が刺されているわけだが。

 だが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 

 胸の中で体を震わし、泣き続ける一人のスピリット。

 背中に輝くは純白の翼。

 

 神剣に心を飲まれるほど、ハイロゥの色は黒く染まる。

 逆に神剣を支配するほど、ハイロゥの色は白く染まる。

 神剣を支配するというのは、強い自我が、想いが必要になる。

 

 家族を失った悲しみが。

 家族を失った怒りが。

 家族を失った絶望が。

 ありとあらゆる激情が一つになり、スピリットの呪縛に打ち勝ったのだ。

 正に奇跡の一刺し。

 

(でもよ……わざわざ俺を刺さなくてもいいじゃねえか……悠人の方にしてやれよ、ちくしょー)

 

 奇跡の対象にされた横島はげんなりした。

 ここにいたスピリット達を殺したのは横島ではない。

 しかし、ルルーからすれば全員同罪だろう。

 代表者として、横島は刺されたといっていい。

 

 「ひっく……うあ、みんな……ごめんなさい」

 

 ルルーは横島の胸の中で泣き続ける。

 一体この少女をどうすべきか、横島は困ってしまった。

 

 よくも刺しやがったなこの野郎、とでも言って殴りつけるのがいいのだろうか。

 それとも、仲間を殺しちゃって御免なさい、とでも言うか?

 

 胸に剣を突き刺さっている状態で、横島は何とも馬鹿なことを考えていた。

 そんな状況ではないのだろうに。少し現実逃避をしているのかもしれない。

 

(……やっぱり、こういう場合は抱きしめるのが一番かな)

 

 何故かそういう結論に至ったようだ。ルルーはまだ中学生ぐらいで、煩悩が湧いてくる歳ではないのだが、泣いている可愛い女の子をほっとけない、彼生来の優しさが出てきたのだろう。もしくは、自分が刺されていることに現実感がないのかもしれない。

 ルルーを慰めようと、横島は抱きしめようとしたが、背中に手を回そうとしたところではたと止まった。

 

(俺が抱きしめたら。めちゃくちゃ怒るだろ)

 

 考えることもなく、当然の事だ。

 この少女を抱きしめなければいけないのは、横島などではない。

 ルー・ブラックスピリットを始めとする、ルルーの家族だろう。

 横島はルルーの家族たちに目をやった。

 だが、家族たちはまったく動こうとしない。

 余りにも、ルルーが哀れだった。

 

「くあっ……」

 

 突然、横島は苦しみの声を上げ、地面に倒れ伏した。

 もう立っていられなかったのだ。

 胸を貫かれてここまで立っていたのだから、十分凄いだろう。

 

 意識が遠のいていく。

 周りでは何か大騒ぎをしているようだが、よくわからない。

 かなりやばい状況のように感じるが、死にはしないだろうと、人事のように横島は考える。

 回復魔法の使い手であるグリーンスピリットが周りにはいるのだから問題ないはずだ。

 体の中から血液が抜け、同時に目の前が暗くなっていく。

 薄れ行く意識の中、横島はこんなことを考えていた。

 

 あの泣いているスピリットは――――ルルーはどうなるのかと。

 やはりこの場で処刑されるのだろうか。

 だが、横島はそんなこと望まない。

 ルルー・ブルースピリットは希望であり、一つの可能性なのだ。将来は美人確定でもある。

 

 殺すな。

 

 なんとか声に出して言おうとしても、横島の声帯は意思に答えられず、うんともすんとも言わない。

 口から出てこようとするのは鉄くさいどろどろとした液体だけ。

 手足の先が痺れていく。

 体の感覚が消えていくのに、妙な寒さだけはくっきりと感じていた。

 

(うう……こんなんばっかし)

 

 ここ最近、酷い目にばっかりあっているような気がした。

 緊張感も無く、しくしくと嘆きながら、横島の意識はさらに深い闇の中へと引き込まれていく。

 

(目が覚めたら……可愛い女の子が看病してくれてたらいいな~出来ればお姉さんだったら最高なんだ…けど……)

 

 そんなことを思いつつ、横島の意識は闇に飲まれていった。

 

「ねえ『無垢』奇跡って凄いよ。……うん、分かってるよ、やっぱり恋は一直線だよ。エニもがんばらないと……急がないと」

 

 



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第十二話 前編 雨降って地固まる①

 暗闇の世界に一人の幼女と、一本の日本刀が浮かんでいる。

 幼女はその童顔に似合わず、老成された雰囲気を纏い、険しい目で日本刀――――『天秤』を睨んでいた。

 

『―――――――以上が今回の戦いの報告になります』

 

「随分と危険な綱渡りをしたものです。運が良かったですわね」

 

 全身を白い服に包んだ幼女は、ややとげのある口調で『天秤』と話す。その雰囲気は、仕事の結果を上司に報告する部下といったところか。上司である幼女の放つ空気は冷たく、仕事の結果が思わしくなかったことが伺える。

 『天秤』の任務は言うまでも無く、横島を自分達の仲間に引き込む事だ。 当然だが、横島が死んでしまえば全て終わりである。今度の戦いで、横島の身に何度命の危険があったのか、数える気にもならない。しかもその理由が、横島個人の勝手な振る舞いによるものときた物だ。

 横島を導き守る立場である『天秤』の、監督不届きと見られても仕方がないだろう。

 

『私は……何も間違えていません。今回の不手際は私の責任ではありません。

 あの者が私の言うとおりに行動していれば、全てうまくいったはずなのです!』

 

 幼女の放つ冷淡な空気に耐えられなくなった『天秤』が、感情のまま声を上げる。

 出てくる言葉は自己弁護に自己正当化。

 幼女の目がより厳しくなり、『天秤』を射竦める。口答えをしてしまった『天秤』は、怒らせてしまったと不安になった。

 だが、『天秤』の想像に反して、幼女はそれほど怒ってはいなかった。確かに問題が出るのは芳しくないが、現状でトラブルが出ないほうがおかしい。いや、むしろ幼女はトラブルを楽しんでいた。自身が決めたストーリーがどのように歪んでいくのか。

 本来ならば、自分の予定通り物事が進まない事は、幼女にとっては忌むべき事である。だが、幼女は確信していたのだ。最後には自分の望む結果になるだろうと。

 幼女は横島忠夫を愛し、信じているから。

 

(愛する人を信じるのは当然ですわ)

 

 愛する人。心の中でそう呟いた自分に、笑いを堪えるのに必死になった。少なくとも、世間一般の愛といわれる範疇の行動なんてまったく取っていない。むしろその逆の行動ばかりだ。それでも、愛おしい。いや、愛おしいから苦しめたいのか。恋する少女になった自分自身を、幼女は楽しんでいた。

 しばしの間、乙女世界にトリップしていた幼女だったが、ふと気を取り戻す。目の前の神剣が一体何を言われるのかとビクビクして震えていた。コホンと咳払いして『天秤』との会話に意識を戻す。

 

「さて、では一体誰に責任があると思いますか?」

 

『それはやはり主に』

 

「彼を我々の思うとおりに動かせなかった事に対する責任の所在なのですから、その答えは筋違いと言うものですわ」

 

 くそっ、と『天秤』は心の中で毒づいた。そんな言い方をされては、責任があるのは自分しかいないではないかと。

 暗に責められているのだと、あるいはこれから責められるのかと、暗鬱な気持ちになった『天秤』であったが、ここで幼女は意外な答えを返してきた。

 

「責任があるとしたら、この私です」

 

『はっ?』

 

「貴方は私の指示通り行動したのです。その結果、あのような事態になったのですから、責任は私にあるでしょう。申し訳ありませんでした。『天秤』」

 

 深々と頭を下げる己の上司に、『天秤』は非常に情けなく、苦しい気持ちになった。上位の存在が頭を下げている。遥かに下位の自分の為に。

 今更、私が悪かったです、などといえるわけが無い。そんな事を言ったら、頭を下げて謝っている事は無駄になってしまう。

 

(申し訳……ありません……っ!)

 

 『天秤』はただ、己の未熟さを悔いる。そして、次こそは満足な結果を出してやると、決意を新たにしていた。

 一方、幼女は『天秤』に見られないように顔を下げて、舌をペロリと出して笑っていた。『天秤』が何を思っているのか、幼女には全て分かっていたのだ。

 『天秤』は聡明だ。本当は今回の不明が誰にあるかなど分かっている。だからこそ、自分は悪くないなどと強く訴えたのだろう。自尊心の高さゆえ罪を認められないのだ。

 このように頭が良く生真面目で、プライドが高く自分の非を認められないタイプには、こういった手が一番効果的だ。怒ったり否定すると、反発するか、落ち込んでしまうかのどちらかだ。

 『天秤』には色々とやってもらわなければいけないのだ。こんな事でモチベーションを落としてもらっては困る。

 

「『天秤』、私もがんばりますから、他の者に負けないようがんばりましょう」

 

『はい……はい!』

 

 強い声で返事をした『天秤』に幼女は満足げに頷いた。

 責任の所在を明らかにした後は、反省会の時間だ。

 一体何故こんなミスが起きたのか。どうすれば同じミスが防げるのか。原因究明と今後の対策の話し合いは、絶対に必要不可欠なものだ。

 この場合の問題の最大の点は、やはりこの部分だろう。

 

「彼はどうして貴方の言う事に従わなかったのでしょう。彼も正しい事なんて理解していたはずなのに」

 

 それが『天秤』にとって一番の謎だった。

 今回の戦争で一番失敗した点は、敵のスピリットを助けるために龍と戦った所であると、『天秤』は考えている。この考えは別に間違ってはいないが、それ以上の問題についてはまったく踏み出せない。

ネリー達の命令無視については、命令を無視したネリー達の問題であると考えている。

 己の感情を優先させて、命令に背く。組織という共同体、ましてやそれが軍ともなれば、それがどれほど愚かな事か、考えるまでも無い。

 それは正論だ。だが、正論でしかない。

 幼女はここで『天秤』を試すことにした。

 

「貴方は、禁酒法というものを知っていますか?」

 

『いえ……私に与えられた知識には存在しませんが』

 

「禁酒法というのは簡単に説明すると、お酒を売ったり作るのを止めよう言う法律ですわ。これが実施されたらどうなると思います?」

 

『良いことではありませんか。酒は百害あって一利無し……とまでは言いませんが、人体に良い影響を与えるものではありません。ただ、寒冷地においてはその有効性は』

 

「その辺りはどうでもいいですわ。さて、人はそう簡単に正しい事はできません。ましてや酒は快楽に属するもの。貴方は人が欲を抑える事ができると思いますか?」

 

『無理でしょう。恐らくは、裏で酒が作られ売られる事になるでしょう。闇に属する者にはよいビジネスになり、国が荒れる事になると思います』

 

 『天秤』の答えに、幼女は満足した。その通りだったからだ。ちゃんと人間の事を理解して先を見ているのだと、幼女は安心したのだが、それは次の『天秤』の発言までだった。

 

『どうすれば国を荒らさずにこの法を施行できるでしょうか?』

 

 何故、そのような結論に至るのか、幼女には理解できない。

 ただ、単純にそんな法律を施行しなければ済むだけの話ではないだろうか。

 幼女はその事を『天秤』に問いただす。

 

『法を守らぬほうが悪いのでしょう。悪法ではないと思いますし……他に悪いとしたら、法を乱した者を処罰できない脆弱な国でしょうか』

 

 あんぐりと、幼女は大きく口を開けた。

 『天秤』の言う事は間違ってはいない。正しいと言っていいのかもしれない。だが、何かが決定的に違う。考え方の善悪や物事の是非ではなく、着眼点がずれている。

 そもそも、何が問題なのかを理解していない。最悪の場合、どうして自分がこのような質問を受けているのかを理解していないのではないか。

 幼女の危惧は、的中していた。『天秤』は、自分がどうしてこのような質問をされているのか考えず、ただ質問の答えだけしか考えていなかった。

 相手の意図を読めない、いや、読もうともしない。相手の事を考えていないわけではないのだが、それは自分だったらこう考えるだろうという、自分本位のものでしかなかった。

 幼女は『天秤』が人の感情面について疎くなるのは知っていた。何の経験も無く、ただ知識だけ詰め込まれてしまえば、精神的に未発達なのは当然だ。また、そうでならなくてはいけない理由もある。

 だが、流石にこれは想像を超えていた。このままでは不都合が出る可能性がある。

 

「貴方は知識があっても知恵がない。その知識も私が与えたもの以外には存在しない。私の与えていない知識や、知識を生かす知恵に関しては貴方自身が獲得してくれると思ったのですが」

 

 酒は依存性が高く、基本的に体に有害なものだとは誰もが知っている。大多数の人は欲望に討ち負けることもしっている。至る結末も分かっている。それにも関わらず、『天秤』の答えはまるっきり見当違いの方向を見ていた、

 そう、知ってはいる。だが、解ってはいないのだ。頭が良くても、馬鹿なのだ。

 頭がいいから計画や策略が立てるのが得意で、でも馬鹿だから計画そのものが成功しても最終的に失敗する。計略を用いる策士は、常人とは違う視点を持っているものだが、『天秤』は常人にすら劣っている。それでいて、頭は良く、理屈を通らせるから始末が悪い。

 なにより問題なのは、こういう性格は人に好かれないという事だ。人を導く上で、これほど致命的な欠陥はない。

 

「貴方はもう少し、人の心を知ったほうがいいですわ。

心というものが、どれほど歪で、儚くて、そして……壊しやすいか。それを、理屈ではなく、感情で知りなさい。それが、今後確実に貴方の助けになるでしょう。」

 

『しかし、感情など無用な物では……』

 

「無用とか、必要とか、そういった問題ではありません。私が言った事が理解できたとき、貴方は間違いなく強くなるでしょう」

 幼女が笑みを浮かべる。その笑みは決して子供が浮かべることはない、邪悪に満ちた笑みだった。

 

『わ、分かりました! 勉強します、何か良き教材があれば教えて欲しいのですが』

 

 大真面目にそんなことを言ってくる『天秤』に幼女は苦笑する。何と可愛い神剣なのかと。

 

「そう焦る必要はありませんわ。あと一年はあるのですから。あの贄であるスピリットとでも喋ってもう少し勉強しなさい」

 

『エニ……ですか。しかし……』

 

 『天秤』の役目の一つに、横島とエニを接近させるという内容が含まれている。現状、それは成功しているとは言いがたい。何故かは知らないが、自分のほうがエニに好かれてしまっている。

 これ以上エニと関わると、横島とエニを懇意にさせるのが難しくなると、『天秤』は危惧していた。

 

「あのエニというスピリットについては、次の段階に入る前に事を起こせばいいのです。今はまだ考えなくていいですわ」

 

『しかし……』

 

「私は貴方に成長してもらいたいのです。いつか私の傍らに立ってもらうためにも」

 

 その言葉に、『天秤』は震えた。敬愛する上司に、遥か上位の存在に、自分は気にかけられ期待されているのだ。正の感情が『天秤』に押し寄せる。

 

『ありがとうございます。決して期待を裏切る事はいたしません!』

 万感の想いを込めて、『天秤』は感謝の言葉を口にした。

 

 幼女もニッコリと笑う。その笑顔の裏にどのような感情が隠れているのか、『天秤』は考えようともしなかった。

 

「では、これで報告は終わりですか?」

 

 幼女にそう言われ、『天秤』はある出来事の報告を忘れていた事に気づいた。

 

『主の中にいる『あの女』が、主に接触して会話をしました』

 

 『天秤』のその言葉に、幼女は初めて動揺したように目を大きく見開く。

 今まで何があってもその表情に余裕を感じさせていた幼女だったが、今回は余裕の仮面が崩れ落ちた。

 

「まったく死に損ないが……いえ、死んでいるというのに……忌々しい限りですわ」

 

 不快感。憎悪。険悪。

 いくつもの負の感情が吹き出した顔。

 幼女にとって、『あの女』――――ルシオラは最大の恋敵なのだ。

 

『恐らくは、私が主にしている行為の影響かと』

 

 ならば仕方ないと幼女は思った。

 ルシオラの存在は、幼女の計画にとって最大の鍵になる。

 ルシオラなくして、横島を自分達の陣営に引っ張り込むなどできないのだ。

 

「それで、死に損ないは何と言ったのですか?」

 

「色々と話していたようですが、最後に赦すと。」

 

「赦す……ですか」

 

 その言葉を聞き、幼女の顔が恐ろしく歪む。

 子供の童顔が般若になる様を見て、『天秤』は説教されているわけでもないのに悲鳴を上げたくなった。

 

「消しなさい」

 

『記憶を、ですか?』

 

「そうです。赦すなど、あってはいけない言葉です」

 

『しかし、主はかなり心の奥底にルシオラの言葉を刻んでいます。いじくると主の精神に負担が……それに私が干渉していると気づかれる恐れも……記憶も改ざんしていますが、薄々は気づいているような気も……』

 

 先の戦いで得た教訓。

 不用意に精神を弄くると、手痛いしっぺ返しを受けることに、『天秤』は気づいていた。精神や記憶を操るのは実に楽で簡単だが、絶対にどこかで歪みが生じる。必要最低限を除き、無理に記憶や感情の操作したくないと言うのが『天秤』の本音だった。

 自分の役割は、痛みや不快感を与えないように、じっくりと確実に横島の精神を蝕んでいく事。人体の内部で成長する寄生虫のように。理想の形は、『天秤』の思考を、横島が自分の思考だと誤認させるのがベストだ。

 まあ、『天秤』としては蝕んでいくというよりも、横島を成長させるという感じなのだが。

 目の前にいる上司もそれを望んでいるはずだ。

 

「時間をかけてゆっくりと消しなさい。それぐらい出来ないようでは、貴方に存在価値はありませんわ」

 

 存在価値が無い。

 そう言われ、『天秤』の心胆は氷のように冷えた。役に立たないという言葉は、『天秤』にとって何より恐ろしい事なのだ。

 

『分かりました! 全力で主の記憶を消して見せます!』

 

 その言葉に幼女は満足そうに頷く。

 

『しかし、『法皇』様でもこの事態は予測できないのでしょうか』

 

「仕方ないでしょう。私たちは霊力というもの知りません。あの世界は、我らにとって本当の意味での異世界なのです」

 

 ―――だからこそ、我らの中で最高の切り札になるのですから。

 胸の内で幼女は呟く。あの時の、二人の最高指導者とやらに感謝しながら。

 

「まあ、それはさておき」

 

 にっこりと幼女は笑う。

 今度の笑みは邪悪ではなく、軽い悪戯をしかけたような無邪気な笑み。あるいは子猫に遊び道具を与えたような笑みだ。

 

「貴方に新しい力を与えようと思いましてね……」

 

 永遠の煩悩者 第十二話

 

 雨降って地固まる

 

 ――――――ラキオス王国。

 バーンライトとの戦いが終わり、四日が経過していた。戦争の事後処理や、利益配分なので、人間たちは忙しい権力闘争の日々を送っている。もっとも、それは悠人達にはまるで関係ないことだった。毎日毎日、訓練の日々である。それも日を追う毎に厳しくなっていく。

 理由は酷く単純で、バーンライトを潰してすぐ、ダーツィ大公国が宣戦布告してきたのだ。いきなり攻めてくる事は無かったが、ラキオスの国境沿いにスピリットを配置していることから、何時かは攻めてくるだろう。

 戦いの日々は、まだ続くのだ。

 さて、あれから横島がどうなったかと言うと……

 

 そこは、何とも殺風景な部屋であった。

 なんの装飾もほどこされていない部屋に、古めかしいベッド。それに棚と机。あとは服を入れておくためのタンス。それだけしかない、何とも質素な部屋。いや、一つ忘れていた。ベッドの裏には、この部屋の主の宝物が隠されていたりする。この部屋の主が、スケベな青少年である事を知れば、宝物がなんなのかを知る事はさほど難しくない。

 その部屋の主の名は横島と言う。横島はベッドに包まり身動き一つしていない。隣では看護の者が本を読んでいた。

 龍との激闘で傷ついた体に、さらに致命傷を負った横島は本当に危険な状態にまでいったのだが、エスペリアとハリオン、それにエニの懸命の治療によって何とか一命はとり止めた。蘇生魔法を使う寸前までいったのだから、相当なダメージだったのだろう。

 なんとか助かった横島はラキオスに運ばれ、それから自室で延々と眠り続けていた――――つい先ほどまでは。

 

(うーむ、どうしたものか)

 

 特に感動的な場面も無く、なんとなく目が覚めた横島は、ベッドの中で考え事の真最中。何を考えているかと言うと、どうやっておっぱいを触るか、である

 数日間も眠り続けたため、おっぱい分が足りず、横島は非常に飢えていた。だから、看護してくれている者のおっぱいを触りたかったのである。

 こう書くと非常に馬鹿そうに聞こえるが、事実、馬鹿なことであるが、本人にとっては重要なのだ。相手が子供である可能性があることは、まったく考えていないらしい。

 

(ここは寝返りを打つふりをして……)

 

 どんなときでも煩悩を忘れない。

 横島のエロ心は、永久に不滅なのだ。

 

(ここだ!!)

 

 おっぱいの気配を感じた場所に、目を閉じて、寝返りを装いつつ手を伸ばす。

 そこにあるだろう、魅惑のマシュマロに向けて。

 がつん。

 魅惑のマシュマロは、あまりに硬く険しかった。

 

(馬鹿な! 硬すぎだろ。まさかガキの胸か……もしくはヒミカか?)

 

 ありえない感触に横島は驚愕した。まるで鉄板を叩いたような感触。

 もし、これが本当に女性の胸だとしたら、おっぱいの印象がガラリと変わってしまう。

 一体誰なのか、恐る恐る目を開ける。

 

「横島……目が覚めたのか!」

 

 そこにいたのは、昨今の訓練で鋼の大胸筋を持ち始めた高嶺悠人。

 彼の胸は悪魔将軍も驚く硬度10……かもしれない。

 

「撃滅!!」

 

「ぐはっ!!」

 

 よこしまの こうげき!

 ゆうとに 6000の ダメージを与えた!

 ゆうとを たおした!

 ゆうとを やっつけた!

 よこしまは 1ポイントの けいけんちを かくとく!

 ゆうとは たからばこを おとしていった!

 よこしまは たからばこを あけた!

 なんと よんさいじでもわかる聖ヨト語の本を みつけた!

 よこしまは よんさいじでもわかる聖ヨト語の本を てにいれた!

 1ルシルを てにいれた!

 

「まったく悠人の奴め、こんなトラップを仕掛けているとは」

 

 起きていきなりむさい男の顔を見せられたのだ。しかも、触れたのは男の胸。精神のダメージはかなり大きい。慰謝料でもふんだくりたい所だ。

 普通こういう場合は、看病してくれるのは女性だろう。いったいこの男は何を考えているのか。嫌がらせか、ガチホモか、そのどちらかしか考えられない。絶対に近づきたくない男だ。後者なら特に。

 ぶつぶつと横島が文句を言っていると、倒れていた悠人がむくっと起き上がり、仲間になりたそうな目でこちらを――――見るわけが無い。

 顔には青筋が浮かび、目は怒りで血走っている。

 

「人が看病してやってたのに、いきなり何をしやがる!!」

 

「ふざけんな! 男の看病などいるか!!」

 

 本気で怒った悠人だったが、それをも超える横島の怒気に押される。

 だが、正義はこちらだと反論を試みる悠人だったが……

 

「看病していた奴を殴るなんて!」

「お前は看病にしてくれるのが、美人のお姉さんより、むさい男のほうが良いとでも言うのか!!」

「い、いや、そんなことは……」

「だったら謝れ! 看病したことに!!」

 

 信じられないくらい理不尽なことを言われているのではないかと思ったが、横島が本気で怒っているのを悠人は感じた。

 

「悪かった……な?」

 

「分かりゃあいいんだよ。同じ失敗は二度とするなよ」

 

(どうして俺が謝るんだ?)

 

 なんだか釈然としない悠人だったが、完全に横島の勢いとノリに押し負かされた。

 

(まあいいか。とりあえずは元気そうだし)

 

 妹が関わらなければそれなりに懐が大きい悠人は、まあいいかと自分を納得させる。

 

「……体に痛い所は無いか? みんな心配していたからな」

 

「みんなって言うと、やっぱりハリオン達か!? 看病とかしてくれちゃったりしてたのか!?」

 

「あ、ああ」

 

「くっそーー!! 女の子が看病しているときに起きれば、18禁に突入できたかもしれないのに~~!!」

 

 地団太を踏んで悔しがる横島に、悠人はひたすら呆れる。

 お前は死に掛けていたんだぞ、分かっているのか、と思いっきり突っ込みたくなった。

 横島相手にそんな突っ込みは無駄だと、まだ理解していないらしい。

 しかし、ちょっとの休憩時間を利用し、様子を見に来てぶん殴られる悠人も不幸であった。

 高嶺悠人という人物は、基本的に不幸属性である。

 

「そうだ、俺が倒れてから一体どうなったんだ?」

 

「まったく、話題をコロコロと変えるなよ……あれから幾つかあったんだけど」

 

 目頭を押さえながら、悠人は説明を始める。

 ダーツィとの戦争が始まった事。

 ルルーは処刑されず、神剣を取り上げられ牢屋に入れられた事。

 これは悠人が、これ以上血が流れるのは良くないと、そして横島が処刑など望むわけが無いと説得したお陰だったりする。もし説得しなかったら、ルルーは怒り狂ったネリー達に殺されていた事だろう。

 ファーレーンは別な任務でラキオスを離れた事。横島は泣いた。

 そして……

 

「なあ横島、ネリー、シアー、ヘリオンのことで言いたいことがあるんだが……」

 

「……話してくれ」

 

 悠人は話した。

 バーンライト戦の時に、彼女達がどのような想いで戦いに向かったか。その想いのためにどのような行動を取ったのか。

 話を聞き終えた横島は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「なあ横島。俺は「分かってる!」

 

 これ以上、悠人の口から何も聞きたくなかった横島は、大声で声をさえぎった。

 

「分かってから……」

 

 横島は分かっていた。

 成長だの、強くなるなど、色々な理由はあったが、結局は自分の事しか考えていなかったのだと。本当に馬鹿だったと、頭を抱えて凹みそうになる横島だったが、すぐに頭を上げて前を見た。後悔するなんてやはり自分の事だ。後でいくらでも出来る。今やらねばいけない事は、そんな事ではない。

 

「悠人、皆を第二詰め所の居間に集めてくれ」

 

「……分かった。あんまりふざけんなよ」

 

 横島に背を向けて、部屋から出ようとする悠人。

 

「ちょっと待った」

 

 その悠人を横島が引き止める。

 

「ん……何だよ?」

 

「あ~~なんだ? その……やっぱり、何かのために何かを犠牲にするのは難しいよな」

 

 何かを成すのに犠牲が必要なら、躊躇わず犠牲にするべきだ。

 以前、横島は悠人にそう言った。そして、自分にはそれが出来るとも言った。目的を果たすためなら、恋人すら殺せる男だ。出来ないわけがないと思っていた。

 だが、自分は存外優しい男らしい。少しだけ、横島は自分を卑下するのをやめたのである。卑屈で、臆病で、恋人すら殺したが、それでも自分には価値がある。可愛い女の子達が、自分の役に立ちたい為に無茶をするぐらいには。十分すぎるくらいの価値だ。

 しかし、横島は難しいとは言ったものの、出来ないとは言わなかった。それだけは当然だった。犠牲にした事実はあるのだから。犠牲によって世界は救われたのだから。

 何故、横島が悠人にこんな事を言ったのか、言った当人にも分からなかった。ただ、何となく言いたくなった。それだけの事だ。

 悠人は横島の変化を好ましく思った。以前よりは自然な感じがしたからだ。何か横島に声を掛けようとした悠人だったが、何を言ったらいいのか分からず、「そうか」と、一声だけ掛けて、悠人は訓練をしているスピリット達を呼びに行った。

 

 程なくして、ラキオスのスピリット全員が第二詰め所の居間に集まった。

 悠人・アセリア・エスペリア・オルファリル・セリア・ネリー・シアー・ハリオン・エニ・ヒミカ・ナナルゥ・ヘリオン・横島。

 戦争に行く前と変わらない顔ぶれだ。しかし、子供たちの表情は複雑だ。横島が目を覚ましたと聞いたとき誰よりも喜んだと言うのに。どう話をすればいいのか、何を話したらいいのか分からないのだ。

 大人たちは、体調はもうよろしいのですか、などと当たり障りの無い会話をしたが、どうにもぎこちなさは感じていた。

 見えない壁のような物が存在しているのは誰の目にも明らかだった。

 

「それで、私達に話とはなんでしょうか?」

 

 冷たく、感情が感じられない声でセリアが一歩前に出る。

 

「それは勿論、愛の告白を――――」

 

「訓練があるので帰ります」

 

「冗談です! 冗談でございます。セリア様!!」

 

 ぺこぺこと頭を下げて謝る横島。

 第二詰め所内ではお馴染みの光景だ。

 エスペリアはその光景に軽く頭痛を感じたが、不思議と自然な光景であるとも感じられた。

 

「訓練が途中なので、早めにお願いします。くだらない話をするくらいなら、早々にベッドにお戻りください」

 

 丁寧な話し方で、顔に機械的な笑顔を浮かべるセリアだが、目は笑っていなかった。しかし、言葉の端々には横島の体の気遣いが見て取れる。セリアの不器用な優しさと、同時にまだ信用していないという疑念の視線が、横島はこれからの行動を強く後押しする事になる。

 

 横島には話したい事が二つあった。まず何より言わねばならない事と、説明せねばならない事。本当なら言わねばならない事を最初にしたいところなのだが、今此処には第一詰め所のスピリットと悠人がいる。横島としては第二詰め所のメンバーだけに話したいので、まずは説明からにした。

 

「説明しなきゃいけないことと、言いたいことがあるんだけど……まずは説明のほうからだな。俺の持っている力のことなんだけど……」

 

「教えてくださるんですか! その……隠していた力のことを」

 

 エスペリアの声が詰め所内に響く。

 そもそも、今回の戦いで横島が別行動を取った一因として、その隠された力が原因と言える。

 セリアが怒った理由の一つも、戦争という全員の命をかけた局面を、横島と悠人しか知らない謎の力に託したからだ。

 

「隠していた力ってなにー」

 

「なに~」

 

 ネリーとシアーが双子らしく息のあった疑問の声を上げる。それに驚いたのは横島だった。

 

「セリア……話さなかったのか?」

 

 相当怒っていたから、皆に話したのだと横島は思っていた。最悪、悪い噂でも起っているかと思っていたのだが。

 

「秘密にしておきたかったのでしょう。だから話しませんでした」

 

 相も変わらずツンとしたセリアだったが、彼女なりの気遣いを感じた。

 飛びつきたくなる気持ちを抑え、サンキューとセリアに礼を言って(セリアは意味が分からず首をかしげていたが)、右手に霊力を集中する。掌からキラキラと霊力が溢れ出す。目的は文珠の作成だ。

 起きてから大急ぎで文珠を作ろうと集中して、あと少しで作れそうな感触が横島にはあった。文珠を作るのには約一週間の製作期間が必要だ。煩悩如何によって製作時間の変動はあるものの、いくらなんでも先ほどまで気絶していた横島に文珠の作成は不可能なはずだった。

 しかし、現実に文珠は生まれようとしている。

 

 突然、横島の文珠作成能力が上がった、などということではない。物事には、結果があれば原因がある。この場合の原因とは『天秤』の事だ。

 『天秤』に与えられた新しい力。その一つが文珠作成能力なのである。

 ここで勘違いしないでほしい事は、あくまでも文珠を作るのは横島の体である、という所だ。

 『天秤』だけでは文珠を作る事はできないし、また横島が文珠を作ろうとして、『天秤』も作ろうとしても、製作時間が短くなる事もない。横島の意識がなく、霊力が満ち溢れているときに、こっそりと文珠を作る程度の能力である

 

 『天秤』は、横島が寝ている最中に失われる事になるはずだった煩悩の塊である……良い子の皆のために露骨な表現を避けるが、とりあえず『ルシオラの元』とだけ言っておこう。それを使って文珠を作成したのである。正確に言えば、『ルシオラの元』を体外に排出しようとしたときに生まれた霊力を使って、であるが。

 年頃の性少年の業の深さは半端ではないということだろう。寝ても覚めても、横島はスケベだった。

 

 この世界において、唯一、横島が『天秤』の力を頼らずスピリットに対抗できる力である文珠。それを、霊力とはまったく無関係である異世界の神剣、『天秤』も作ることが出来る。それが何を意味するのか。それがどれほど恐ろしい事なのか。

 横島はここで文珠を作れたことを疑問に思うべきだったのかもしれない。そうすれば自分の身に起こっている異常事態に気づき、何かしらの対策が取れたかもしれない。もし疑問を抱いていれば、後の苦労や後悔をしなくてすんだかもしれない。

 いや、もし気づいても無駄だっただろう。気づいたとしても、気づかなかった自分に『させられる』だけなのだから。

 

 横島の手の光が収束を始めた。数秒後、綺麗な琥珀色の球体が掌に現れる。

 スピリット達は突如出現したその玉に注目した。

 さて、どう説明したものか。

 口だけで説明するのもいい。悠人にも説明してもらえれば、多分信じてもらえるはず。

 だが、やはり実際に見てもらったほうがいいだろう。百聞は一見にしかず。どう使って見せようかと考え、周りを見渡す。どうせなら楽しくて嬉しいほうが良いだろうと、横島は考えた。

 そして、誰もが幸せになる使い方を見つけた。横島はにっこりと不気味に笑いながらヒミカに近づいていく。

 

「な、なんですか、ヨコシマ様?」

 

 ヒミカは嫌な予感を感じていた。

 にやりと笑いながら近づいてくる横島は、ネリーがいたずらをするときの顔に良く似ていたからだ。

 そして、その嫌な予感は的中する。

 むにゅ。

 48の煩悩技の一つ。

 おっぱいタッチ!

 なんでもアイドルを育成する者は、等しくこの技を極めているらしい。

 

「い、いきなり何するんですか!」

 

「どわっ!」

 

 ヒミカはぜーぜーと荒い息をしながら、突き飛ばした横島をじろりと睨みつける。

 もう少し真面目にして欲しい。

 横島を立派な隊長として立て様とするヒミカにとって、横島の評価が落ちたら困るのだ。

 今回の事で、また評価が下がったらどうしようかと心配したヒミカだったが、セリアたちの視線が横島ではなくヒミカに集まっていた。正確に言えば、ヒミカの胸に。

 

「ヒ、ヒミカ……あなた、その胸……」

 

 震える声でセリアがヒミカの胸を指差す。

 一体胸が何だというのか。小さい胸に文句があるのか。

 少し不機嫌になりながら、ヒミカは自分の胸を見てみる。

 そして、ヒミカは気づいた。

 

(あれ……つま先が見えない?)

 

 下を向けば、悲しいことにつま先が見えるはずなのに、何故か見えない。

 大きな山が二つ、つま先を覆い隠している。

 つい先ほどまでは、ヒミカの胸には名も無き小さな山が二つあるだけだった。

 しかし、それが今は……

 

「え、ええ……えええええ!?」

 

 ヒミカの叫びは、その場にいる全員の心の声だった。

 だが、それも当然。名も無き小さな山にすぎなかった自分の胸が、世界遺産に指名されそうな巨乳になっているのだから。

 

「本……物!!」

 

 ぐにぐにと自分の胸を動かし、本物かどうか確かめる。

 この重さ、この感触、本物に間違いない。

 マナ100パーセントの乳。それも巨乳。

 

「まさか、ヨコシマ様の力って……」

「貧乳を巨乳に変える力なんですか!?」

「これが、エトランジェの力なの!?」

「ヒミカが巨乳になっちゃいました~!!」

「ヒミカが消えました」

 

 決して起こりえない、ありえない、あってはいけない、許されない、巨乳は許さん、そんな驚天動地の超大奇跡が起きたことで場が騒然となる。

 某レッドスピリットなんて胸でヒミカを決めていたようだ。

 驚愕が場を満たしていく中、悠人は頭を抱えていた。

 

「横島、お前って奴は……」

 

 どれだけ文珠が万能なのかを示すために、文珠を使用する。

 それはまあいい。

 かなり勿体無い気がするが、これが横島の下した決断なのだろう。

 しかし、まさかこんなことに使うとは。

 悠人は呆れを通り越し、もはや感心までしていた。馬鹿もここまで来れば立派な物だと。

 ちなみに、『天秤』は言葉すら発する事ができないくらい放心していた。今後のため、四日間も必死に頑張って文珠を作り、その結果がこれだ。流石に少々可哀想である。

 ヒミカはしばらく自分の胸をぼけーっと眺めていたが、ようやく我に返ったようで、顔を真っ赤にして横島に詰め寄った。

 

「な、なんて事をするんですか! こんなに胸が大きくなったら戦いのときに邪魔になるだけです。こんな……胸なんか……」

 

 胸が大きいと戦いの邪魔になる。

 生粋の戦士であるヒミカは、まずそこに考えがいったのだが……

 

「ヒミカさん……あの」

 

「何よ、ヘリオン」

 

「顔……笑っていますよ」

 

 戦士とはいえ、それ以前に女性であるヒミカは、巨乳になったことを喜んでいるらしい。

 それに、ヒミカはなんとなく思っていた。

 これで親友にして、巨乳のハリオンと並んだときに比較されなくなる。

 足して2で割ったらちょうどいいなんて、誰にも言われない。なにより、これで女性らしくなれたのではないか、と。

 だが、奇跡は一瞬だった。

 プシュンという空気が抜けるような音がヒミカの胸から響く。

 するとヒミカの胸は見る見る小さくなっていった。

 

「あ……」

 

「あ~やっぱり急いで作った文珠だから、長続きしないみたいだな」

 

 まるで風船が萎むように、小さくなっていく元巨乳。そしてミニマムサイズ……元に戻ってしまう。

 

「良かった。大きい胸なんて戦いの邪魔だもの……う、嬉しいわ。悲しくなんてないのよ……本当に!」

 

 そう言って胸を押さえるヒミカの姿に人々は涙した。

 このシーンだけでも映画が作れるかもしれない。

 全ファンタズマゴリアが泣いた!

 巨乳と貧乳が織り成す、奇跡のストーリー。

 君は、貧乳の涙を見る。

 

「横島……話を先に続けろ」

 

 額に青筋を立てた悠人の声。声もかなりキテル。

 真面目で、オチャラケが不得意な悠人はこういう雰囲気は苦手だった。苦手であって、嫌いではないのだが、基本的に悠人がギャグやユーモア溢れる発言をする事はない。

 逆に横島はこういうオチャラケ雰囲気が好きなのだが、流石にこれ以上はふざけられないと表情を改める。

 

「言っとくけど、俺の力は胸を巨乳にする力じゃないからな」

 

 その声に全員が横島に注目する。

 

「どういったらいいかな……簡単に言うと、イメージを実現する力って感じかな」

 

「イメージを実現?」

 

「例えば、さっき見たく胸を大きくしたり」

 

 全員の視線がヒミカの胸に注がれ、ヒミカは顔を赤くして胸を隠す。その仕草が可愛らしく、悠人は誰にも分からない程度に鼻の下を伸ばしていた。横島は盛大に伸ばしていたが……

 

「相手の心を読んだり……」

 

 何人かが渋面を作る。

 心を読まれるなんて常人では耐えられない。

 

「あとは天候を操ったりとか」

 

「天候……をですか?」

 

「晴れとか雪とかだって、できるっすよ」

 

「うわーいい力だね。好きなときにお外で遊べるんだ!!」

 

「お洗濯物も~乾かすことができますね~」

 

 ネリーとハリオンが何ともお気楽なことを言うが、エスペリアを始めとする年上組みはそれどころではない

 天候を操る。

 それがどういうことか理解すれば、顔色を変えない者はいないだろう。

 農作物の収穫期に豪雨にでもすれば、それだけで国に大ダメージを与えられる。

 晴れだけでも雨だけでも作物は育たない。しかも、ばれることが無い。

 戦闘する際でも、天候という要素は重要だ。

 これでも文珠でできる効果の一端に過ぎない。やれる事よりも、やれない事を探すほうが難しいぐらいだ。

 

「国一つ揺るがせることもできますね……」

 

 エスペリアが僅かに声を震わせて言う。

 他のスピリットも顔を青くさせていた。

 人の心も、戦いも、国さえ動かしかねない文珠の力。

 余りにもでたらめなので、セリアが疑問の声を上げる。

 

「本当の話なのですか。嘘を言っているとかじゃあ……」

 

「いくら俺でもこんな時に嘘は言わんって。それに以前、悠人のやつに文珠を使ったことがあるからな。」

 

 その言葉に全員が悠人に注目する。

 悠人は真面目な顔で頷いた。

 スピリットの信頼を悠人は勝ち取り始めていたし、なにより真面目だという評価を貰っている悠人が頷いたことで、全員が文珠のことを信じることができた。

 

「後、一個だけなら皆にも使えると思うぞ。二個同時に使うとかじゃなければ誰でも使用できるんで」

 

 言葉も無いとはこの事か。

 この文珠を持てば、力も何も無い一般人が、万能の力を得ることに等しい。

 

「他にもとにかく応用が利くんで、説明するのは難しいけど、俺の秘密にしていた力ってのはこんなもんです。ただ、1週間に1~2個ぐらいしか作れないっすけど」

 

 そこで横島の説明が終わる。

 ようやくセリアは理解した。

 一体何を危惧して横島が文珠の力を秘密にしていたのかを。

 文珠は危険すぎる。

 人が持つには大きすぎる力。

 この力を無秩序に使えば、何もかもが混乱する。

 対抗手段も何も無い。この世界の人間にとっては、神剣を除きさえすれば、最も危険な力。それも自分達が扱える力だ。

 

「もし人間たちがこの力を知ったら……」

 

 人間を悪党と言うつもりは、セリアには無い。

 人間たちはスピリットを奴隷扱いしているため、セリア自身は人間を毛嫌いしているが、それは常識であって人間の善悪に関係はしていないのだ。

 文珠を平和や発展の為に使う者だって出てくるだろう。だが、基本的に人間の欲望は負の方向に向かうのが基本だ。もし良き方向に使おうとしても、不用意に力を得れば国が混乱する可能性が高いのは間違いない。

 セリアはこのような危惧をしたが、横島としてはそこまで考えた事ではなかった。

 別に横島はこの世界の人間が、文珠をどのように使おうと興味が無い。ただ、文珠を取り上げられる事だけが嫌だった。だからこそ、横島は文珠の事を皆に説明しなかったのだ。

 もしも人間たちが文珠を奪いに来ても、横島なら100人来ようが1000人来ようが問題ない。例え、世界中の人間が襲いかかろうと、神剣使いである横島なら逃げる事は造作も無い。

 だが、人間達もそれは分かっているのだ。ならば、弱点を狙ってくるのは当然の事。

 横島にとっての弱点とは、スピリットに他ならない。セリア達を人質に取られているようなものなのだ。

 もし、人間達が文珠の引渡しを要求して、拒否したらどうなるか。

 考えるまでも無い。

 

「俺はここにいる皆以外に、文珠の事は絶対に言わない」

 

 きっぱりと、横島は宣言するように言い切った。

 その言葉に、セリア達は顔を下げて、苦しそうな表情になる。

 文珠の事を人間に伝えないでくれ。そう言われていると思ったのだ。

 

「私達はスピリットです。もし問われれば、答えなければいけません……答えて、しまうのです」

 

 日が東から昇り西に沈むように、生あるものが必ず滅ぶように、男がおっぱいを愛するように、どうしようもない法則。摂理。真理。

 世界が、そう出来ているのだ。そこにスピリット個人の意識など、介入できない。

 

「そんな事関係ない。もし、皆が人間に話して、文珠の事が知られたら……」

 

 その横島の言葉に、セリアは目つきを鋭くして睨み、幾人かのスピリットは顔を青くした。

 セリア達だって人間に話したくなど無い。だが、本当にどうしようもないのだ。

 不安、不満の二つの感情が横島に向かう――――

 

「どうもせん」

 

 ―――ことは無かった。

 横島はあっけからんとそんな事を言い放った。

 今までの文珠に関する前振りは何だったのか。非常に大切で、危険なものではないのか?

 

「ちょっと待ってください。それじゃあ、文珠の話がラキオスに……いえ、大陸中に広まってしまうかもしれないじゃないですか!」

 

「まあ、そうだな」

 

 何とも軽く言う横島に、焦りと不安を感じたのはスピリット達の方だった。

 信じられないと、スピリット達は横島を見つめる。こんな重要なことも対して、何の対策も取っていないのかと。

 

「しょ、しょうがないだろうがーー!! 話さないとセリアフラグもハーレムフラグも立ちそうにねえし! ネリー達とは妙な空気が漂うし! 俺は皆と仲良くなりたいんだよ!! ハーレム王になりたいんだよ!! 悪いかこんちくしょーー!!」

 

 なんという事か。

 ただ自分達と仲良くなりたいがために、自らが不利になる最大の秘密を暴露し、しかも何の対策も練っていないのだ。

 命を掛ける戦士としての呆れもあったし、ハーレムハーレムと叫ぶ横島に女性としての軽蔑もあった。だが、これほどまでに自分達の事を考えている横島の優しさと欲望に、各人は程度の差はあれ、ある種の感動を覚えた。

 概ね良い印象を与える横島の告白だったが、ただ一人、悪印象だけを持った者もいた。『天秤』である。

 

『主よ……お前は自分がどれほど愚かなのか分かっているのか』

 

 『天秤』から深い失望と呆れが伝わってきた。

 怒りではなく、呆れである。呆れるという感情は、ある意味、怒りよりも悪い意味を持つ事がある。怒っても無駄な、あるいは怒る価値すらない。そんな意味が込められた言葉だ。

 『天秤』の問いを、横島は無視した。言われるまでも無く、自分がやっている事が合理的ではないと知っている。自らが望んでいた成長とは正反対の行動だ。

 言い訳するつもりはない。ただ、これが自分の望んでいた行動だったのだ。

 

(文珠のことを話すのはデメリットを知りながらこの行動……これが感情の力か)

 

 相手から負の感情を送られたくなく、仲良くなってママゴトをしたい。

 そのような感情から、何のメリットも無い行動を選択する事になってしまう。

 感情を知れと言われた『天秤』だったが、こういう場面を見ていると勘弁してくれと愚痴の一つも言いたくなる。『天秤』の感情に対する険悪感は増えていくばかりであった。

 

(まあ、確かに馬鹿なことよね。でも、合理と不合理、正しいと間違い、貧乳と巨乳、本能と理性、全部が正反対って事はないわ。貴方が求めているものと、排除しようとしているものは、結構近いものしれないわよ)

 

 内側から響いてくる女性の声。ルシオラだ。その声に敵意は無く、優しさすら感じ取れる声。

 当然のように『天秤』はその声を無視する。

 ざわ……ざわ……

 という感じで全員が驚いている間に、横島はこっそりとエスペリアに近づき、耳元で囁いた。

 

「レスティーナ様になら話してもいいですから……つーか、話してください」

 

 そう囁かれ、エスペリアは体を硬直させ、横島という人物の評価を少し改めた。

 意外と洞察力がある。自分とレスティーナ王女の関係を見抜くとは。

 いや、もしかしたら文珠ですでに自分達の心を覗かれているのかも。

 だとすれば自分の汚れた部分も知られているのか。一体何を考えているのか。

 エスペリアは横島から一歩離れる。

 力を持つものに対する、恐怖と言う感情がそこにあった。

 

「横島、話ってのはそれだけじゃないよな」

 

 厳しい顔をして、悠人は横島を睨みつける。

 確かに重要な事ではあるが、本来の問題の本質ではない。その事を、横島は理解していないのかと不安になった。

 

「お前に言われるまでもねえよ。これからの話は第二詰め所のメンバーだけでやるからな」

 

 そう答えた横島に、悠人は安心したような顔をしてアセリア達を引き連れ帰っていった。

 第二詰め所のスピリットと横島だけになると、心地悪い静寂が訪れた。横島が一人でバーンライトに行くと言ったときのような空気だ。隠し事を打ち明けたにもかかわらず、未だに壁は取り払われてはいない。

 もはや、互いに嫌いあっているなどという事は無いと分かりきっている。だが、今回の問題の起点はそもそもそういう部分にはない。

 

 ネリーは思っていた。

 こんなに凄い力があるのだから、ネリーなんて必要ないのだろうと。

 秘密にしていた力を、自分達に嫌われたくないからという理由で教えてくれた事は凄く嬉しい。しかし、それはネリー達が欲しかった言葉ではなかった。

 ネリー達は、ただ横島に頼りにしてもらいたかったのだ。痛みや苦しみを分かち合える仲間だと認めて欲しかったのだ。文珠という存在は、より自分たちが認めてもらうための障害にしかならなかった。

 

 どうしたらいいのだろう?

 どうしたらヨコシマ様の役に立って、頭を撫でて貰えるのだろう?

 どうすれば文珠よりも役に立てる存在になれるのだろう?

 ――――――もう、無理なのか。

 

 考えて考えて、思考がマイナスに落ちていく。涙が浮かんでくる。

 悲しみと諦めが子供たちの心を埋め尽くそうとした瞬間、

 

 ガツン!!

 

 大きな音が耳に届いた。

 何事かと前を見ると、そこには第二詰所の隊長である横島が、床に額をこすりつけていた。あの大きな音は、額と床をぶつけて出た音らしい。

 

「本当に俺が悪かったです! すいません!!」

 

 土下座。

 額に地面を付けて、まるで潰れた蛙のようにその身を地面に擦り付ける。

 突然の謝罪に、ハリオンを除く全員が目を丸くした。

 

「ヨ、ヨコシマ様どうしたの!?」

 

「そうですねえ~。ヨコシマ様は悪い事なんてしていないんですから、謝る必要なんてないですよね~」

 

 いつも通りニコニコと笑っているハリオンだが、何かがいつもと違う。

 いつもより楽しそうで、そして嬉しそうである。

 思わず顔を赤くした横島だったが、すぐに引き締めて、ゆっくりと喋り始めた。

 

「少し……いや、めちゃくちゃ危なくなって、もうだめだって時にファーレーンさんに助けられたんです。その時に聞いたんです。皆がファーレーンさんに俺の事を頼んでたって」

 

「む~それだけですか~」

 

「いやいや、これからですって」

 

 横島の言葉にハリオンは満面の笑みを浮かべる。それはただひたすらに慈愛に満ちている。

 俺は本当に恵まれている。全てを許容してくれるような笑顔と、全てを包み込んでくれるようなおっぱいに、彼は勇気付けられる。

 横島は真顔でネリー達に向き直ると片膝を折り、視線を子供たちと合わせた。

 

「ファーレーンさんの事もそうだけど……ネリー、シアー、ヘリオン、ありがとな。一緒について行くって言われたときは、本当に嬉しかった。あの時の俺はマジでビビッてたしな。ヒミカにハリオンさんもありがとうございます。お菓子はとっても美味かったです。セリアにナナルゥも心配かけて悪かった。エニもサンキュな、『天秤』の奴も泣いて喜んでたぞ」

 

 一人一人の手を握り、頭を下げて礼を言う。手を握ったからといっても、そこで煩悩男に変身しない。懇切丁寧に、真摯に、横島を心から感謝した。

 またもや、ハリオンを除く全員が、その感謝の言葉を、声もなく受け取る。どう反応したらいいのか分からない。別に感謝されようと思ってファーレーンに頼んだわけではない。わけではないが、胸の奥がぐっと温まったような気がした。

 

 ありがとう。

 この言葉こそ、横島が最初に言わなくてはいけない言葉だっただろう。

 一緒に行くと言ったネリー達に、横島は戦術的にどうだとか、合理的だとかそんな説明で彼女たちの言葉を聞かなかった。一人で戦う決めた横島は不安で一杯で、それに気づいたネリー達は横島を心配して共に戦おうと言ったのだ。

 不安を抱えてた中でのネリー達の言葉に、横島の心は泣きたいほどの感激と喜びで一杯になった。それにも関わらず、感謝の言葉など一言も言わなかった。

 弱気で不安げな隊長など役に立つものか。強く、不敵で、格好良く、それを目指して横島は振舞った。その考えが間違っているかは分からない。ただ、それは横島にとって心を隠す演技であって、しかもネリー達はそれが演技だと見破ってしまった。痩せ我慢の『大丈夫』ほど、人を不安にさせるものはない。

 

 だいたい、横島が言う成長というのは何だったのか。

 冷静な判断能力を得る事? 広い視野を持つ事? 

 それは確かに成長だろう。だが、そもそもあの努力嫌いの横島が何故、成長したいと考えたのか。それは言うまでも無く、女の子達のためである。

 女の子達の為に強くなりたいと考えたのに、彼女らの心も何も考えず、ただ自身の成長だけを望んで行動した。目的と手段がいつのまにか入れ替わっていたのである

 

 それに、成長するといっても、人間はそう簡単に成長できるわけではない。

 三つ子の魂百まで、という諺にもあるとおり、人はそう簡単に変わることなど出来はしない。

 横島は自身の弱さを隠して、強くなくては出来ない行動を無理に取ろうとした。どこかで歪みが出るのは当然である。強くなると決めて、決めただけで横島は強くなった気がしていたのかもしれない。

 もっとも、弱さを捨てるのはさして難しい事ではなかった。『天秤』の言うとおり、洗脳の通り動けばよかった。だが、それすらも横島は拒否した。いったい何をしたかったのか。周りをただ振り回しただけだった。

 

「今回の事で少し分かったんです。俺は一人じゃ弱くて、周りに女の子がいないとだめなんだ!! 俺ががんばれんのは一も二もなく女の子の為……美人あっての俺! 苦しい選択したからって、強くなれるわきゃないんです」

 

 茨の道を望んで進む。つまり、自分らしくない行動を取ったわけだ。それが成長であり、正しいはずだと、横島は誰にも相談せずに勝手に決めた。

 いや、もし誰かにそれが成長じゃないと言われても横島は納得しなかっただろう。言葉程度で簡単に考えを改められるほど、横島の想いは弱くなかった。

 その身で痛い思いをしたからこそ、そして自分のエゴで仲間にも辛い思いをさせたからこそ、間違っていたことに気づいたのだ。

 

「俺は皆が好きだ。だから守りたい。その為に強くなりたいと思う……いや、そうじゃなきゃ強くなれない! それを絶対に忘れちゃいけない。

 あと、守るってのは戦いだけじゃなくて、悩みとかもどんどん相談してほしい。俺も、つらい時は皆に頼って……え、ええと、妹とか姉さんとか……家族みたいに我儘言ったり……ぐああ! 恥ずかしい! 俺何言ってんだ!? めちゃめちゃ臭いぞ! 顔から火が! 火が~!」

 

「恥ずかしがらないでください~ヨコシマ様~後少しですよ~」

 

 臭い台詞のオンパレードに横島は死にたくなった。余りの臭さに、風の妖精さんでも出てきてくれないかと思ったほどだ。

 もう少し砕けた感じでフランクに喋りたいところなのだが、今この時だけは誠実に言葉を重ねていく必要があると、必死に恥ずかしさに耐えつつ、言葉を重ねていく。

 

「えーと……皆、こんな頼りない隊長だけど、力を貸して欲しい。俺を精一杯がんばりますので。よろしくお願いします!」

 

 最後にそう締めくくり、もう一度深く頭を下げた。

 横島の話を聞き終えたセリア達は一つ理解した、いや、再確認した。

 この人は馬鹿で、本当に馬鹿で……まったくもって馬鹿なのだと。

 そのことが分かっただけで、セリアたちには十分だった。

 大人たちはこれが自分達の隊長なのだと、呆れやら苦笑やらで、溜息を漏らす。口元を緩めて嬉しそうに。

 子供たちは自分達が戦力として、また一人の友人として……いや、家族として接してくれるというのが分かり、ただただ喜んだ。

 そして、スピリット全員が共有して理解した事は、この隊長は本当に自分達の事を考え、悩み、苦しみ、女性が大好きなのだという事だった。

 

「……今後は何があっても、まず私たちに相談してください。それが真剣である限りどれほど馬鹿な相談でも、馬鹿にしたりはしません。私たちは……仲間なのですから」

 

 ぶっきらぼうにセリアが言った。表情は厳しいが、目だけは優しかった。先ほどとは逆の表情。言葉と顔と感情と、それぞれが全て一致する事が無いセリアであった。

 

「へへー! ありがとうございます。それで、今回のお詫びとして、可能な限り全員の願いを一つ叶えさせて貰います!」

 

 子供達が歓声を上げて、場が騒がしくなる。

 万能に近い力を持つ横島が、願いを叶えると言っているから―――ではない。

 戻ってきたのが実感できたからだ。

 あの、騒がしく楽しい日常が、いや、前以上に楽しくなる日常が戻ってきたのだ。

 

「あっ、そうだ。おい『天秤』、エニの願いはお前が叶えてやるんだぞ」

 

『何故、私がエ二の願いを叶えねばならぬ』

 

「エニはお前の安全をファーレーンさんにお願いしていたんだぞ」

 

 だからどうしたと、『天秤』は言いたかったが、その言葉は飲み込んだ。

 エニを利用して心を学習する。己の上司にも言われたし、今の自分の課題の為にも、エニとのコミュニケーションは必要だ。それにエニの事を良く知れば、エニを上手くコントロールして横島との仲を進展させやすくなるかもしれない。

 

「えーと……テンくん」

 

 いいの?

 エニは少し不安そうにしながら、そう目で訴える。

 

『まあいい。とりあえず願いを言ってみろ。しかし、見ての通り私は剣だ。そのことを頭に入れて願うことだな』

 

『天秤』にそう言われ、エニは可愛らしく小首を右左と曲げながら考え込む。

 少しして、エニは笑顔を浮かべてこう言った。

 

「結婚して欲しいよ」

『却下だ!!』

 

「何で!? 酷いよテンくん!」

 

『当然だろう! 私は神剣で、お前はスピリットだ。それにお前はまだ子供だ!!』

 

「この作品の登場人物は全員18歳以上だよ」

 

『ええい、妙な電波を受信するな! だいたいお前は生まれて一ヶ月程度だろうが!!』

 

「愛は時空を超えるんだよ」

 

『くっ! 主みたいな事を口走りおって!!』

 

「生まれる前から愛してたよ」

 

「おい、エニ。それは俺の台詞だろうが!」

 

「……オマージュ?」

 

「パクリだ!」

 

 エニの『天秤』に対する攻勢は凄まじいものだった。

 迂闊にエニとの問答で肯定的な返事でもしようものなら、次の瞬間には婚姻届にサインを押されて役所に突撃するぐらいに。

 暫しの問答の内に、エニは『天秤』を持ってどこかに行ってしまった。

 連れて行かれるとき『助けろぉ~あるじぃ~!』と、少しだけ泣きそうな声の天秤に、横島はドナドナを歌って祝福してやった。とても楽しかった。

 

「決まりました!!」

 

 一際大きい声をヘリオンが上げる。

 そして、横島の目の前にトコトコとやってきた。

 キョロキョロとあちらこちらに目をやり、決まったと言った割には、何かを迷っているのだとわかる。

 

「あの……こんな願い事していいのか分からないんですけど……」

 

「願いを言え。どんな願いも一つだけ叶えてやろう」

 

 7つ集めると出てくる龍のように言う横島。

 そんな横島に、ヘリオンは意を決したように願い事を言った。

 

「私の願い事を3つにしてください!!」

 

 活気付いていた部屋が一気に静まり返る。

 あり?

 そんなのあり?

 その願いは誰もが考え、決して実現しない禁断の願い事だ。

 全員の視線が横島に集中していく。

 まさかそんな願い事を叶えるわけが……

 

「ああ、いいぞ」

 

「ええ~~~!!」

 

 まさかそんな願いがOKだとは。

 年少のスピリット達はいっせいに横島のほうに向かって走り出す。

 

「ずるい~! ネリーも願い事増やすー!」

「シア~も! シア~も!!」

「駄目です。最初の願いは私からです!」

「分かってるって、ヘリオン」

 

 ぽんぽんと横島はヘリオンの頭を優しく叩く。その顔に怪しげな笑いを湛えながら。

 純粋なヘリオンは、その怪しい笑みにまったく気づかない。

 

「今考えるからちょっと待ってください!!」

 

 一体どんなお願い事をするか、その小さい胸いっぱいに夢と希望を膨らます。

 あれもいいか、これもいいか。夢と妄想は無限に広がる。

 キラキラと光り輝くヘリオンの瞳を見て、横島はニヤリと笑った。

 

「よし、これで全ての願いは叶えたぞ!」

 

 突然そんなことを言い出した横島に、ヘリオンはポカンとした。

 

「……はい? あの、私はまだ何の願いも言ってないんですけど……」

 

 いまだ状況がつかめていないヘリオンに、横島はにやけながら答える。

 

「何言ってんだ。全部叶えただろうが。もう一度よく考えてみろって」

 

 ヘリオンは混乱した頭で必死に考える。一体自分が何を言ってしまったのかを。

 駄目です――――――――――――――1つ目の願い。

 私の願いを最初に――――――――――2つ目の願い。

 考えるからちょっと待って――――――3つ目の願い。

 

「はううっ!」

 

 ここにきて、ヘリオンは全ての願い事? を叶えてしまっていることに気づいた。

 

「ふえ……ふえ~ん! バカー! 私の大バカー!!」

 

 目から滝のような涙を流し、崩れ落ちる。

 横島の所為にするのではなく、自分を責めるのがなんともヘリオンらしい。

 普通に考えればおかしいと考えるだろうに。

 

「へへーん! 欲張るからこうなるんだよ!!」

「だよ~」

 

 ネリーとシアーがヘリオンを冷やかす。

 

「あのヨコシマ様。ちょっと今のは……」

 

 ヒミカがいくらなんでもあんまりだと横島にやんわりというが……

 

「別に嘘はついてないぞ」

 

 確かに嘘はついてない。だが、はっきり言ってこれは詐欺同然ではないだろうか。

 一応横島は、言われた願いは叶えられる範囲で全て叶えようと思っていた。

 だが、瞳をキラキラ輝かせて願い事を増やして欲しいと言われ、不思議なぐらい悪戯心がわき上がってしまったのだ。

 これはヘリオンという少女の力なのかもしれない。

 守ってあげたいオーラと、いじめてオーラを同時に出しているような少女なのだ。

 実を言うと、ヘリオンは第二詰め所の中でもからかわれる事が多い。

 そのとき、横島は自分を見つめる緑の視線に気づく。ハリオンだ。

 別に不満がましい目で見ているわけではない。睨まれているわけも、呆れたような目で見られているわけでもない。ハリオンの瞳はいつもと変わらず、優しげで日向のような輝きを放っている。

 ハリオンは横島を見つめている。

 ハリオンは横島を見つめている。

 ハリオンは横島を見つめている。

 

「どわー!! 分かりましたよハリオンさん!!」

 

「あらあら~私は何も言ってませんよ~」

 

 ニコニコ笑うハリオンに、両手を上げて降伏する。

 確か横島がこの中で一番偉いはずなのだが、丁稚期間が長すぎたためか、権力をうまく使えないようだ。何より、このような立ち位置が横島に一番似合っていた。

 やはり願い事を増やすのだけは禁止ということになり、ヘリオンも一回だけならお願いして良いことになった。ありがとうございます、と目に涙を溜めて頭を下げるヘリオンに、将来騙されるのではないかと、皆が不安になったのは無理もあるまい。

 願い事が一回だという事で、子供たちはまた真剣に考え始める。

 そのとき、今度はナナルゥが横島の前までやってきた。

 

「ん、ナナルゥは願い事が決まったのか?」

 

「私には、何を願えばいいのか分かりません。私が何を願えばいいのか、ご命令をお願いします」

 

 クソ真面目にそんな事を言ってくるナナルゥに、横島は思わず吹きそうになった。

 ナナルゥは、このメンバーの中で一番神剣に心を奪われている。だが、先に戦ったバーンライトのスピリットよりは遥かに人間味溢れていた。

 

「あの……ヨコシマ様。このお願い事は今この時間でなくてはいけないのですか?」

 

 真剣な目をして言ってくるヒミカに、横島は苦笑しながら首を横に振った。

 ヒミカは本当にナナルゥの事を気にしているらしい。命令ではなく、ナナルゥ自身の考えで願い事を言ってほしいと考えているようだ。

 願い事を叶える期限は無期限となった。何時、どんなときでも、一つだけ横島に好きな事をいえるのだ。

 

(みんな生き生きしてるなあ~)

 

 久しく見ていなかったみんなの笑顔。

 チチシリフトモモの芸術鑑賞もいいが、女の子が和気藹々としている所を見るのもまた格別なものだ。

 文珠のことを知られるという代償を払って手に入れた笑顔。

 もし、あのまま自分らしさを捨てていたらこの笑顔は得られなかっただろう。

 文珠のことを知られるのは合理的ではない、なんて言っていたらこの笑顔は手に入らなかった。

 しかし、この判断が本当に正しいと言えるのか、それは分からない。

 そこまで考え、横島は自分が甘えている事に気づいた。

 

 ―――この考えが正しかった事にすればいいんだ。

 

 結局、全ては結果である。文珠の事を明らかにしたが、それで何か不都合な事は起こらなかった。そのような結果に持っていけばいいのだ。

 この考えは、結果論的考えであり、一つの逃げであると言えた。

 自分が本来選択したかった道を、色々な理屈を付けて選択する。悪い部分に目を瞑って。この考えの所為で、失われる物もあるかもしれないのに。

 だが、確かに未来は分からないのである。ここであーだこーだ言ってもしょうがないのだ。

 もし、文珠を知られた事で不利益が起こってしまったら、あの時、文珠の事を教えるべきではなかったと思うだろう。

 逆に、文珠を教えて不都合がなかったなら、教えておいて良かった、と言うことになる。

 まだ未来は決まっていない。求める未来のために、最善の手を打ち、今度こそ捨てるモノと捨ててはいけないモノを選り分けなければいけないのだ。

 クイクイ。

 手の袖を引かれて、思考の海から引き戻される。

 今は難しいことを感じる必要はない。

 ただ、女の子達と戯れよう。

 そう考え、横島は袖を引っ張った人物を見た。

 

「よーし、決まったよー。ネリーの願いは一日ヨコシマ様を好き放題……って! ヨコシマ様がいない!!」

 

「ヨコシマ様なら~シアーに手を引かれて二階にいきましたよ~」

 

「ずる~い! シアー抜け駆け~!!」

 

 騒ぎながらネリーは、どたどたと二階に上がっていく。その後をまってくださ~いと、ヘリオンが追いかけていった。

 騒ぎの大元である横島と子供たちがいなくなったことにより、広間は閑散となる。

 

「もう訓練どころじゃないみたいなので~私たちは家事でもはじめましょうかぁ~」

 

 ハリオンの言葉に、大人たちは頷きあった。

 

 ゴシゴシ。

 ゴシゴシ。

 二階の廊下を二人の美女が雑巾がけをしている。

 セリアとヒミカだ。

 

「文珠って凄い力よね。あれって、何でもありみたいなものでしょう?」

 

「そうね……性格も変なら、能力まで変になるのかしら」

 

 横島をフォローする形で話すヒミカに、貶す形で話すセリア。二人のポジションがこの辺りに表れている。

 談笑しながら手を手を動かしていたヒミカだが、その動きが止まった。顔付も鋭くなる。

 

「ねえ、セリア……貴女は気づいてるでしょう。ヨコシマ様の可笑しさに」

 

「……私はあの人ぐらい可笑しい人間に会った事はないわ」

 

「そういう意味じゃなくて!」

 

 思わず頷きそうになったヒミカだったが、なんとか否定する。いくら本当の事でも、部下でありスピリットである自分が隊長を侮辱するわけにはいかない。

 そんなことより、今は聞かなくてはいけないことがある。

 

「ヨコシマ様は試したのかしら?」

 

 ピタリと、セリアの動きが止まる。だがそれは一瞬で、すぐにセリアは窓拭きを再開した。

 

「何の事かしら?」

 

「何の事って……」

 

 主語は言わなかったものの、大人たち全員が気づいているはずだ。

 異世界から拉致同然にやってきたのだ。まず言う言葉、試す行動があるはずだ。諦めているのかと思ったが、文珠の出現でそれはありえないと分かってしまった。

 

「なんで聞かないのよ」

 

「だったらヒミカが聞けばいいじゃない」

 

 そう言われてヒミカは納得した。なるほど、これは確かに聞きづらい。いや、考えたくない。

 この話題は今後しない方がいいだろう。万が一、ヨコシマ様に聞かれて、そういえばそうだった、などと言われて実行する可能性もあるからだ。いつかその時が来るにしても、少しでも後に来てほしい。

 

「セリア、貴女には何かヨコシマ様に願いたいことはないの?」

 

 話題を変える。

 ヒミカの問いに、セリアは面白くなさそうに答えた。

 

「彼が言うには、ファーレーンに彼を助けてと頼んだ者の願いを叶えるといったわ。私は別にヨコシマ様を助けてなんて、ファーレーンにお願いしてないもの」

 

 だから、私には願いを叶えてもらえる資格なんて無い、セリアはきっぱりとそう言った。

 その顔には深い苛立ちと、声には不機嫌さが隠れもせずにじみ出ていた。

 セリアは横島のことを話題にすると大抵こうなる。

 ここまで横島のことを嫌うセリアを、ヒミカは不思議に思った。

 確かにセリアは厳しいことを言うことがある。

 しかし、それは仲間を思うがゆえ。

 仲良くなれば普通に笑うし、女の子っぽい所も多い。

 不器用な所も、それはそれで可愛い。

 間違いなくセリアは横島を嫌っている。

 でも、決して無視しているわけではない。

 むしろ、横島を目で追っている事さえある。好意的な目では無いにしろ、だ。

 目を離したら何をするか分からないとも言うが、目を離すことができないのかもしれない。

 

「そうね、そのほうがいいかもね」

 

「何が、そのほうがいいのよ」

 

「貴女のヨコシマ様に接する態度よ」

 

 そのヒミカの言葉に、セリアは怪訝な顔をした。

 ヒミカが、横島と自分達の中を少しでも縮めようとしていることを、セリアは知っていたからだ。

 

「無理に仲良くなる必要なんてないって事。それに……」

 

「それに?」

 

「もし貴女がヨコシマ様と仲良くなっちゃったら……私が困るもの」

 

 ヒミカの言葉にセリアは体を硬直させる。

 言葉の真意がまったくわからない。

 

「もし、貴女がヨコシマ様に好意を抱いたら……私一人でヨコシマ様に突っ込まなくちゃいけないし」

 

 セリアはこけた。

 

「何やってるのセリア」

 

「なんでもないわ。ただ貴女が正気でよかったと思ってね」

 

 そこまで言うかと、突っ込みたくなるほどセリアは横島を嫌っているようだった。

 少々過敏になりすぎているような気さえする。

 ヒミカはそんなセリアが不思議と可愛く見え、笑みを浮かべながら掃除を再開しようとしたのだが―――

 

 その時、それは聞こえて来た。

 

「ヨコシマ様~大きくて入らないよ」

 

「穴のほうが狭いんだ」

 

 ネリーとシアーの部屋から妙な声が聞こえてくる。

 神剣反応はシアーの『孤独』、ネリーの『静寂』、ヘリオンの『失望』まである。

 また、声から判断すると横島もいるようだった。

 

「シアーって結構不器用だね。ネリーのほうがきっとうまくできるよ!」

 

「だって……こんなことするの初めてなんだもん」

 

 いつの間にか、セリアとヒミカはドアに耳を当てて部屋の中の様子に聞き入っていた。

 一体何をやっているのか気になったのだ。

 

「うっ……くぅ……はあ。大きすぎて、うまく入らないの」

 

「俺も経験が無いからどうしたもんか……無理やり入れるか?」

 

「シアーの壊れちゃうよ」

 

 どうやら狭い穴の中に、太い何かを入れようとしているらしい。

 

「じゅあ、俺も手伝うから……」

 

「うん……」

 

「動くな、シアー。うまく入れられないだろ」

 

「う~~だって……痛い!」

 

「悪い! 血が出ちまったな」

 

「ヨコシマ様の大きいんだね」

 

「シアーの穴のほうが小さすぎるんだと思います」

 

 入れようとするものが大きくてうまく入れられない。

 不器用で初めてだと血が出るようだ。

 

「ああじれったい! やっぱりネリーがやる!」

 

「駄目……シアーが最初なの!」

 

「悪いな、ネリー。それにこれは二本も三本も無いんだ」

 

「う~~!!」

 

「あの舐めてみたらどうでしょう? 以前見た本にそうすると挿入しやすくなるって書いてありましたよ」

 

「うん……やってみるの……んん」

 

 ぴちゃぴちゃと粘着的な音が聞こえてくる。

 一体、シアーが何を舐めているのか、二人には分からない。

 だからその『何か』をヒミカとセリアは想像することになった。

 

「あ、あぅぅぅ!?」

 

「ヒ、ヒミカ……おち、落ち着いて!」

 

 扉一枚を挟んで行われている何らかの『行為』を想像した二人は顔を真っ赤にした。

 もし、『行為』が強引に行われていたら止めようとしたのだろうが、どうやらシアーのほうから望んだようだ。それに、この状況で乱入できるほど、セリアもヒミカも勇者ではなかった。

 

「て、撤退しましょう! 私たちだけじゃ、戦力不足よ!」」

 

「ええ、そうね!! とにかくここから一刻も早く離れないと!」

 

 何をどうしたら分からなくなった二人は、戦略的撤退を開始する。

 逃げてどうなるとも思ったが、ここに居てどうなるものでもない。

 もし、喘ぎ声でも聞こえてきたらもうパニックだ。

 扉から離れて立ち上がろうとした二人だが、ここで緊急事態に襲われる。

『腰が抜けて動けない!』

 扉に体を押し付けながら動けなくなるというあんまりな事態に、セリアは泣きたくなった。同時に横島を心の中で侮辱する。

 自分達がこうなるのも全てヨコシマ様のせいだと。流石にこれは言いがかりと思える。

 

「シアーも腰を使うからこうなるのかしら」

 

「ヒミカ! お願いだから混乱しないで! ああもう!!」

 

 頼れる相棒の緊急時の弱さに、セリアは舌打ちした。自分だってこんな事態に強くないのに。

 次に一体どんな声が聞こえてくるのか。

 二人はドアに寄りかかったまま、何も聞こえないよう耳を塞ぎ、しかし、どんな声も聞き漏らさないように精神を集中した―――その時、

 

「二人とも~こんな所で何をやってるんですか~」

 

 緊迫した状況に似合わない、のんびりとした声が聞こえてきた。

 お姉さんなスピリット、ハリオンだ。

 状況がつかめていないのか、つかもうとしないのか、ハリオンはニコニコしながらドアにへばりついている二人を見て笑っている。

 

「ヨコシマ様は~このなかですかぁ~」

 

「ちょっ、ちょっと待って!」

 

「ヨコシマ様~入りますよ~~」

 

 ハリオンがドアノブを回し、扉を開けようとする。

 そんなハリオンを見て、セリアとヒミカは顔をぶんぶんと横に振り、必死に止めようとした。

 だが、そんな必死な二人をハリオンは「元気ですね~」などと天然パワーで黙殺する。そして、ドアノブをゆっくりとまわした。

 

「きゃああ!」

 

 扉に体重をかけていたセリアとヒミカは、雪崩のように部屋に倒れこむ。

 こんなときどんな顔をすればいいのか。

 何処からか、笑えばいいと思うよ、何て幻聴が聞こえてきたような気がしたが、丁寧に無視する。

 目を開けるのが恐い。もしも、ヨコシマ様とシアーが繋がっていたらどうしよう。

 目を閉じて戦々恐々している二人だったが、その間にハリオンは普通に横島達と話を始める。

 

「あらあら~何を作ってるんですか~」

 

「ヨコシマ様に、ハイペリアのおもちゃの作り方を教えてもらってるの」

 

「へえ~そうなんですか~。良かったですね~」

 

 シアーが持っているのは小さな縫い針だった。横島はシアーと向かい合いながら糸を持っている。辺りにあるのは、布と豆。

 何を作ろうとしているのか簡単に説明すると、布の中に豆を入れて鞠のようにしようとしていた。

 つまり、お手玉だ。非常に簡単な作りの遊び道具だが、極めるとなると意外に奥が深い遊びである。

 先の横島とシアーの話は、シアーが持っている針の穴に、横島が糸を通そうとしていた会話らしい。

 

 そこには、ただひたすらのどかな光景が広がっていた。

 こんなのどかな風景のどこに、彼女たちが顔を赤くする要素があるというのだろうか。

 やっぱりそれは分からない。横島は倒れこんでいる二人を見て驚いた、

 

「セリアにヒミカ、どうしたんだ……めちゃくちゃ顔真っ赤だぞ!!」

 

 二人は可哀想なほど顔を真っ赤にして、目尻に僅かに涙まで溜めている。

 強い女性が涙目で上目使いという反則技の前に、横島の煩悩がフル回転する。

 

「風邪か? 風邪なんだな!? よっしゃ、熱があるか計ってやる!」

 

 得意のルパンダイブを発動させる。

 熱を計るのにルパンダイブ。何故? 何て考えてはいけない。横島だからだ。

 手を大きく広げ、パンツ一丁で飛んでくる変態。

 いつものことなのだが、妙な想像をした二人にとって、その姿は刺激すぎた。

 

「いっやあああああああ!!!!」

 

 セリアとヒミカのツインアッパーが横島の顎に炸裂する。完全に予定調和の一撃だ。

 

「やっぱりこうなるかーー!!」

 

 横島はこうなる事を予想していたらしい。勢い良くぶっ飛ばされる。

 ネリーもこうなる事を予想していたのか、咄嗟に窓を開ける。横島は屋根を壊さないよう、器用に開いた窓から出て行き、星になった。

 

「ま、また隊長であるヨコシマ様を……うう、どうしてこうなるの!?」

「私達は悪くないわ! どう考えても悪いのはヨコシマ様よ! あ、あれ、脱ぎ捨てた服が……」

「おみやげよろしくー!!」

「しく~♪」

「ヨコシマ様~私のお願いはどうなるんですか~!?」

「ご飯までには~帰ってきてくださいね~」

 

 女達の姦しい声が、雲ひとつ無い青空に吸い込まれていった。

 

 



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第十二話 後編 雨降って地固まる②

 ――――ラキオス城下町。

 

 露天商が大声を張り上げて、自分の商品を売り込もうとしている。

 大道芸人が注目を集めんと声を張り上げる。

 大通りを歩く人たちは皆一様に笑顔で、笑い声がたえない。

 

 戦争も勝利に終わり、ラキオスの町は活気に満ちていた。

 長年の宿敵であるバーンライトを倒したことが起因しているのだろう。

 自分達にとって、特に何が変わるわけではないが、それでも自国の勝利は嬉しいものだ。 

 戦勝に浮かれるラキオス城下町。そんな騒がしく楽しげな街中に変態が降りかかる。

 

「どわああああ!!! 落ちる~~~!!!」

 

 空中から何か叫び声が聞こえたかと思うと、

 

「ぷげら!!」

 

 カエルを潰したような声と、それをさえぎる様な大きな衝突音が街中に響く。それなりの大きさのクレーターが、町の広場に出来上がっていた。

 人々は一体何が落ちてきたのかと、クレーターの周りに集まってくる。

 

「いててて……ギャグキャラじゃなければ死んでるぞ……まったく」

 

『ギャグキャラは何故死なないのだろうな。この謎を解明できれば無敵の軍団が作れるだろうに……しかし主よ、いつの間に服を着た?』

 

「俺の玉の肌を女の子たちに晒したら、それこそハッピーブレイクデスメタルだろ!!」

 

『私の読解力が足りないのか、それとも変態なのか……』

 

「誰が変態だ。大体、お前だっていつの間に戻ってきやがった。エニはどうした?」

 

『……主よ。私にピンクのリボンが似合うと思うか?』

 

「苦労してんな……って、おい!答えになってないぞ!」

 

(結構似合ってたじゃない)

 

『うるさいぞ!! ルシ……』

 

「はあっ? 何言ってんだ」

 

『うっ……何でもない。それと、質問は忘れろ。……よし、忘れたな』

 

 クレーターの中心でもぞもぞと動き、意味不明な独り言を言う人影一つ。

 巻き上がっていた土煙が消え、それが横島だと分かった町人は、一定の距離を保ちつつ注目する。町人は横島に近づこうとはしない。しかし、離れようともしない。

 興味と恐怖の間で、町人達は横島から離れられないでいた。

 町の人間がどう思っているのかは知らないが、これだけ注目されていて何もしないのも関西人の名折れだ。色々と話さなければいけないだろうと、横島は考えた。

 

「エトランジェは空から降ってくるもんなんだぜ」

 

 いきなり大嘘を吐く横島。

 どよめく民衆が心地よい。

 

「悠人の奴なんて地面から現れて、女の子のパンツの内側を覗こうと……」

 

「意味不明なデマを飛ばすな!!」

 

 ゴチン!

 後頭部に感じる鈍い痛み。

 何しやがる、と後ろを振り返り、そこにいた悠人の姿を確認してうんざりした顔を作る。

 

「お前ってどこにでも現れるよな」

 

「空から降ってきたお前が、それを言うのか!?」

 

 なんだかんだと言い合いが始まる。

 二人の仲は、別に悪いというわけではない。

 しかし、横島が男と仲良くするのはやはり難しいようだ。

 

 悠人の登場に周りがさらに騒がしくなる。宿敵であるバーンライトを滅ぼした立役者が二人も揃ったからだ。

 基本的に人が余り得意ではない悠人は、自分達が見世物のように注目される事が我慢できなかった。場所を変えようと横島に提案し、横島もそれを受け入れる。

 二人は人気の少ない通りまでやってきた。

 

「んで、あんなところで何やってんだよ、悠人」

 

 横島や悠人の生活は、訓練をして、言葉の勉強をして、戦術を習って、生活をしている。

 別に町に行く必要はない。

 それなのに、何故街中にいるのか横島は気になった。

 

「エスペリアの買い物に付き合っていたんだ。ただ、俺がいると……その、なんだか面倒事になりそうだから、ぶらぶらしてて……」

 

「迷子になったわけだ」

 

 びくりと悠人の肩が震える。

 なんとも嘘のつけない奴だ。

 横島はニヤニヤしながら悠人に話しかける。

 

「お前はもうここに来て三ヶ月ぐらいになるんだろ。まだ、道を覚えられないのかよ」

 

「剣振ったり、言葉覚えたり、戦術を勉強するので精一杯だったんだ!」

 

 正直、悠人にはここまで言葉を覚えて暮らしている横島が不思議だった。

 空から降ってきたのも不思議だった。

 大体この男は死ぬ寸前の傷を負い、さっきまで寝込んでいたはずだ。

 なんという回復力なのかと、悠人は感心するよりも呆れていた。

 横島という男に抱く感情は、好意や嫌悪なんかではなく、呆れがもっとも多い。

 

「それじゃあ、お前はこの町の地理を把握してんのかよ」

 

「当然だろ。いざという時(覗きをしたとき)の逃走経路を把握しておかないと、敵に(保安隊)追われたときに困るからな」

 

「結構考えてんだな」

 

 感心したように悠人が言う。

 括弧の中の言葉を聞かせてやりたい所だ。

 まだ横島という男が、どういう男か知らないのだろう。

 

「まあいいか。とりあえず、第一詰め所まで道案内してくれないか?」

 

「断る!」

 

「なんでだ!?」

 

「何で俺が男の道案内なんてしなきゃあかんのじゃ! 貴様それでも男か!!」

 

 だからどうして俺が怒られるんだと、悠人は痛切に思った。

 本当に仲間の命が関わるときぐらいしか、真面目に出来ないのだろう。

 

「まったく、お前は本当に女好きなんだな!」

 

 軽蔑したような声を出し、横島を罵る悠人だったが……

 

「当然だろうが! 男なら黙ってお姉さんだ!!」

 

 そんなものは横島に効かなかった。むしろそれを誇りにしているようだ。

 悠人は心の中で溜息を付く。横島のことをある程度好意的に見ているのは、同じ異世界人で唯一話せる同性だからだ。

 周り中女性だらけなので色々と話せる同性の仲間は貴重と言える。貴重な同性がこんな変態であることに、悠人は肩を落とす。

 

「俺はこれからお姉さんをナンパしてくる。間違っても付いてくるなよ」

 

 ああ勝手に何処にでも行け。

 悠人は心の中で吐き捨てるように言って、乱暴に横島に背を向ける。

 ドンと、胸に何かがぶつかった。小さな悲鳴が聞こえて、何かが地面にばら撒かれる。

 

「痛たた……ああ! ヨフアルが……ヨフアルがーー!!」

 

 悠人がぶつかったのは、チャイナ服を身にまとい、長髪をお団子頭で纏めた黒髪の少女だった。

 ぶつかった際に、彼女がもっていたワッフルもどきのお菓子が地面に転がり、食べられなくなってしまったようだ。

 大粒の涙を流し、盛大に泣き崩れている姿は、妙に愛嬌がある。スピリットではないが、かなりの美人で、相当な貧乳の持ち主だ。

 悠人はすぐに謝ろうと、手を差し伸べようとしたのだが、突然、後頭部に衝撃がはしり、目の前に火花が散って視界が真っ暗になる。

 

 一体何が起こった?

 薄れいく意識の中、必死に後ろを振り向く。

 そこにいる、邪悪に笑う一人の男の姿を確認しながら、意識を失った。

 

「まったく、何てベタなフラグを立てようとするんだよ、こいつは!」

 

 横島の握り締められた拳が赤く染まっている。

 悠人の頭は石の様に固く、さらにツンツンの髪の毛は針金のように固かったからだ。

 そう、横島は悠人のフラグを潰し、さらにはフラグを横取りしたのだ。

 これぞ来訪者(エトランジェ)の力だと、横島は確信する。

 

「大丈夫ですかお嬢さん。痛いところがあったらさすってあげましょう。その可哀想な胸など……を?」

 

「どうしてくれるの!? せっかく出来たてを買ってきたの……に?」

 

 横島は美人との出会いだと喜び、早速ナンパとセクハラを敢行しようとしたが、チャイナ服の少女を見て固まる。

 少女も横島を見て固まった。

 二人はしばしの間、見つめあい、

 

「ああ~!」

 

 互いを指差して大声を上げた。

 しばらくの間、二人は互いを指差しながら、呆然となる。

 二十秒ほどそうしていただろうか。その間に悠人の目が覚める。

 

「痛てて、おい横島!! 一体何しやがる……って、何やってるんだ?」

 

 悠人は目の前の光景に首をかしげる。

 横島とチャイナ服の少女が、互いに指を指しあいながら固まっていたからだ。

 

「なんだ、知り合いなのか」

 

「アホか! この人はレスティーグフ!!」

 

 チャイナ服の少女が、いきなり横島にボディブローを入れる。

 内側から抉り込むような、明日のためのパンチだ。

 

「グッ! この一撃、やはり……」

 

 以前に食らったことがある一撃を食らい、横島は確信を得ながら意識を手放した。

 エトランジェである横島を一撃で気絶させる辺り、この少女は並ではない。

 さらに少女は悠人の姿を確認して、驚き広がっていた目が更に広がった。

 

「エトランジェ……ユート!?」

 

「あ、ああ。そうだけど……」

 

 驚いた顔でこちらを見るチャイナ服の少女に、悠人は何故かたじたじだ。

 

「え~と、どこかで会ったことあるか?」

 

「その……あの……ああ、ヨフアルがーー!!」

 

 地面に転がったワッフルに似たヨフアルと言うお菓子を指差し、少女は大声を上げた。なんだか演技くさい。

 

「どうしよう、これじゃあヨフアルが食べられない!! そういうわけで、ユート君! ヨフアル買って来て!!」

 

「いや、何がそういうわけなのか分からないし……それに、俺はお金持ってないし……」

 

「はい! お金!!」

 

 少女は悠人の手に、数枚の金貨がむりやりに握らす。

 

「いや……俺は君の事を知らないし」

 

「私の名前はレムリア! これでいいでしょ! 早く! お願い!」

 

 角を生やさんばかりに怒り迫ってくるレムリアと名乗る少女に、ヘタレを公式認定されている悠人が対抗できるわけが無かった。

 ブンブンと顔を縦に振ると、駆け出すように示された店に向かう。何だか情けない姿だった。

 

「つう……マジでなんつうボディブローだよ。マジで世界をねらっおほ!!」

 

 横島は腹を摩りながらむっくりと起き上がろうとした―――次の瞬間、チャイナ服の少女に首根っこを引っつかまれて引きずられた。

 レムリアの素早さと握力は並ではなかった。

 痛い痛いと横島は悲鳴を上げたが、少女は止まらず、人のいない裏路地に連れ込まれる。

 

「気づいたの!? 気づいたのでしょうか!? 気づいたのかー!?」

 

 言葉遣いもコロコロ変わる。

 不思議なぐらい、少女は焦っていた。

 

「え~と……レスティーナ様……ですよね」

 

 その言葉に、レムリア―――レスティーナはへなへなとその場に座り込んだ。

 

「嘘……もう気づかれちゃうなんて……」

 

 レスティーナ・ダイ・ラキオス。

 国王である、ルーグゥ・ダイ・ラキオスの娘であり王位継承権第一位。まぎれも無く王女である。当然だが、変装して町に出歩いて良い人物ではない。

 レスティーナは酷く動揺したようで、どうしようどうしよう、と口の中で繰り返しながら体を震わせていた。

 レスティーナにとって、お忍びで町に来て自由に振舞えるこの時間は、何より大切な時間なのだ。ばれてしまえばもう、お忍びでくる事が出来なくなってしまう。

 

「大丈夫っす。決していいませんから」

 

 少々混乱しているレスティーナに、横島は落ち着いた声で喋る。

 人間、相手が混乱している所をみると冷静になれるものなのだ。

 いや、落ち着いていると言うのは少し違う。

 道端で変装している王女様に会うというシチュエーションは、横島の頭をお花畑にしていた。

 

(よっしゃー! 王女様フラグをゲット!!)

 

 この男が考えることなんて、こんなものである。

 しかしまあ、道端で変装している王女様に出会うなんてロマンスが起きれば、大抵の男ならこうなるのも無理は無い。それも相手が美女ともなればなおさらだ。

 

「別にいいんじゃないですか。どこぞのおてんば姫なんて、城から抜け出すのに、壁をぶっ壊して脱出してましたし」

 

 これはとある有名なゲームの話。

 これも一つのお姫様像と言っていいのだろうか。

 懸命に気にしなくてよいと訴える横島に、レスティーナも落ち着きを取り戻し始めた。深呼吸して横島に向き直る。

 

「これからどうしますか」

 

 レスティーナの声には感情が込められていなかった。

 何故なら、自身の脳をフル回転させて、これから訪れるだろう質問に対する返答を考えていたからだ。

 弱みを握られてしまった。なんとか上手く言い逃れなければいけない。唇を噛みながらレスティーナは横島の言動に身構える―――――それがいけなかった。

 

「当然デートです!」

 

「そうですね、当然デートです……ね……ええぇ!?」

 

「道端で男女が出会ったんですから当然っす! さあさあ! 飯食って、膝枕して、ホテルに行って、一緒の墓に入りましょう!!」

 

「ちょっと、待って……あの、その、えっと!」

 

 思っても見なかった横島の言葉に、完全にレスティーナは虚をつかれた。頭の中で考えていた対応策が一瞬で吹き飛んでしまい、横島の言動に捕まってしまう。馬鹿相手に真面目に構えると馬鹿を見る。正にそんな感じだ。

 このまま横島ワールドに引きずり込まれるのかと思われたレスティーナだったが、世界はそう都合よく出来ていない。

 

「何をやってる、この馬鹿は!!」

 

 後ろから現れた悠人が横島の頭を思い切り殴り飛ばす。のぴょーん、という訳の分からない叫び声を上げて、横島は倒れた。

 

「大丈夫か、レムリア!」

 

「……あ、うん」

 

 かなり切羽詰った悠人の声にレムリアは思わず頷く。

 勘違いではあるが、悠人の視点からすれば横島がレムリアを人気の無いところに連れ込んで、なにやら如何わしい事をしているように見えたのだ。普段の言動もあるので、そう勘違いするのは無理ないことである。

 

「ごめん。横島は悪い奴じゃないんだけど、綺麗な女の子を見ると暴走しちまって……何か変な事はされなかったか?」

 

 変態で、女好きで、変な奴。

 とりあえず、これが悠人の下した横島評だ。まったくもって正しい評価だった。

 レムリアの方も、見ると聴くとでは大違いだなあと、ピクピク痙攣している横島のほうを見て苦笑いを浮かべる。

 

「あははは、大丈夫だよ。ちょっとノリがいいだけみたいだし、話には聞いてたから」

 

「町で横島の噂でも流れているのか?」

 

「うん。町では結構顔が知れてるみたいだよ。悪い噂……というか変な噂というか」

 

 社交的な奴だと、悠人は横島に軽く嫉妬する。元いた世界では、悠人は数えるほどしか友と呼べる人物がいなかった。

 だが、それは仕方がない事だったと悠人は判断している。

 親もいなくて、妹との二人暮らしだったのだ。

 金銭的な理由から、日々バイト三昧で友人を作ることが出来なかった。

 少なくとも、本人はそう思っている。

 

 しかし、それを言ったら横島なんてもっと酷いだろう。

 本人が望んだとはいえ、時給二百五十五円という超薄給で暮らしていたのだ。親からの仕送りもほとんどなく、悠人と同じくバイト三昧だった。

 だが、それでも横島の友人は数多い。何れも一筋縄ではいかない、あくの強い連中だが、さらには人間でも無かったりしたが、さらにさらに奇人変人の寄せあつめなような気もしないわけはないが、友人は、いや悪友はとにかく多かった。

 正直、悠人の考えは佳織の為という理由付けでしかないと考えられた。

 単純に、悠人は人付き合いが下手なのだ。もっとも、横島の人付き合いが上手いかどうかの判断はかなり難しい所だとは思うが。

 

「でも、ありがとね! ユート君、私のこと心配してくれたんだ!」

 

「別にいいって。それに横島の奴だって女の子に乱暴するような奴じゃないから……きっと……多分。あと買ってきたぞ、ワッフル」

 

「ワッフルじゃなくて、ヨフアルだよ!」

 

 ぷう~と頬を膨らませるレムリアに、悠人は顔を綻ばせる。

 この世界の人間に良い感情を持っていない悠人だったが、このレムリアには好感をもったようだ。美人に弱いのは男の性である。

 

「まったく、名前を間違っちゃだめだよ。ヨフアルに失礼なんだから。まあ、今回はあることに免じて許してあげる」

 

「あること?」

 

 不思議そうに首をかしげる悠人に、レムリアは楽しげな笑顔を浮かべる。

 

「私のことを綺麗な女の子って言ってくれたしね!」

 

 満面の笑みでそんな事を言われた悠人は、何と言っていいのか分からず、ただ顔を赤くしてうーとかあーとか意味の無い言葉を口の中で繰り返した。

 何となく流れる甘い雰囲気に戸惑う悠人。

 だが、ここで嫉妬魔神が蘇る。

 

「いてて……てめえ! 何勝手に口説いてやがる! シスコンならシスコンらしく子供でも口説いてればいいだろうが」

 

「なっ!! 別に口説いてたわけじゃ……それにシスコンとロリコンを一緒にするな! 大体、俺はシスコンなんかじゃないからな」

 

「……悠人、お前まさか自分がシスコンだと自覚してないのか?」

 

「だから、俺はシスコンなんかじゃないだろ! 俺は兄として、妹の一生を守ろうとしているだけであって、やましい考えなんて無い!!」

 

「これがギャルゲーの主人公思考というやつか!!」

 

「だれがギャルゲーの主人公だ! それに、前にも同じやり取りをしなかったか!?」

 

「ぷっ……あははははは! もう、お腹痛くさせないでよ!!」

 

 二人の漫才に、レムリアは屈託無い大きな声で笑い声を上げた。

 大きな口を開けて笑えば、普通どうしても下品になりがちだが、レムリアの笑いにはどこか品の良さが見え隠れしている。

 悠人はそんなレムリアをどこか心地よさそうに眺め、横島はさすが王女様だと感心していた。

 

「ここで漫才してると、出来たてのヨフアルが冷めちゃうよ。とてもいい場所があるから、そこに行って三人で食べよう」

 

 レムリアは右手で悠人の手を取り、左手で横島の手を取ると、嬉しそうに二人を引っ張りながら走り始める。

 

(ず、ずいぶんと強引だな)

 

(なんてすべすべで柔らかい手なんや~)

 

 本当にどちらがどちらの思考なのか分かりやすかった。

 

 

 町の細かい路地裏に入り、三人は狭い道を駆けて行く。

 区画整理されていないため、かなり入り組んでいる道ともいえない道を、迷わずレムリアは進んでいった。よほどこの町の地理に詳しいのだろう。

 三人はしばらく走り続け、目的の場所に到着した。

 

「どう、ここは私のお気に入りの場所なんだ。日の光も浴びられるし、風も気持ちいいし、それにラキオスの町を一望できるんだよ」

 

 レムリアが案内した場所は、確かに気持が良いところだった。

 高台の割には広々としていて、前面には大きな湖が広がり、周りに建物がないので風が程よく吹いている。町も全体が見渡せて、さらに人もいない。正に穴場と言えた。

 広がる町の風景が悠人の目に飛び込んでくる。異世界と言っても、人の営みはそれほど変わるわけではない。野菜を前に今晩の食事を決めている母親。何が楽しいのか走り回る子供。そこに世界の壁は存在しなかった。

 僅かに、悠人のこの世界に対する感情が軟化した。今まで人間の嫌な一面ばかり見てきたから新鮮だったのだ。

 

「ここで食べるヨフアルは最高なんだよ。さあ、食べて食べて!」

 

 レムリアに誘われるまま、横島と悠人はヨフアルを口にする。

 ヨフアルと言う名のワッフルもどきは、やっぱりワッフルの味だった。

 そして、味は極上。

 砂糖のような甘みではなく、桃の果実のような甘みは、それほど甘いものが好きではない悠人と横島も素直に美味しいと感じた。

 

「ふうー美味かったぞレムリアちゃん」

 

「ああ、驚いたな」

 

「何と言っても私のお勧めだからね!」

 

 横島と悠人の賞賛にレムリアは鼻高々に答える。

 自分の好きなものが、他の人にも気に入ってもらえるという事は嬉しい事だ。

 それから三人は取り留めの事を話し始める。

 好きな食べ物、趣味、スリーサイズ、ハイペリアの話、生活様式、綺麗なお姉さん紹介してくれないか、ここ最近の噂話について、エトセトラエトセトラ。一部の質問が妙なのはご愛嬌だ。

 やはり話の中心になったのは横島だった。大仰な身振り手振りを交えながら、面白おかしく話を展開させていく。レムリアは楽しそうに横島の話に聞き入って、悠人は話が法螺交じりになってくるとツッコミを入れる。普通に友人同士の楽しい会話そのものであった。

 

 ひとしきり会話を楽しんだ後、レムリアはふと顔を暗くする。

 

「ねえユート君、ヨコシマ君……やっぱり、この国は嫌い? それとも好き?」

 

 今までの快活な声では無く、どこか深みのある声だった。

 紫の瞳が、不安そうに揺れている。

 

 悠人は一瞬迷う。言うべき言葉は決まっている。だが言いづらい。

 話していて分かったが、レムリアがこのラキオスという国を愛しているのは間違いない。

 当たり障りの無い事を言っておいたほうが、話はあわせやすいだろう。

 だが、悠人はあえて本心を口にした。

 

「好きか嫌いかの二者択一なら、間違いなく嫌いだな。」

 

 きっぱりと悠人は言った。

 このラキオスという国に、悠人は何の愛着も無いし、何の魅力も感じていない。

 いい思い出といえば、アセリア達との苦しくも楽しい生活だ。

 だが、それはアセリア達との思い出であり、ラキオスという国ではない。

 何より、妹を人質に取っている国を、好きになれるわけがない。

 

 その答えにレムリアは「そっか、仕方ないよね」と当然のように相槌を打つが、どこか悲しそうだった。

 レムリアの悲しそうな顔に横島は内心で舌打ちする。

 

(まったく、こういうときには嘘でも好きだといってやりゃ良いのに)

 

 だが、それは出来ないだろうと横島は分かっていた。

 悠人は基本的に不器用だ。戦い方も、生き方も。

 困難に正面からぶつかり、馬鹿正直に乗り越えようとする。近道を探したりしない。

 誰かを利用したりするのも苦手で、頼ろうとすることも少ない。

 美徳とも言えるような生き方に見えるが、損をする生き方なのは間違いないだろう。

 基本的に楽をして生きたいという横島とは対極である。

 

「でも……」

 

 悠人はゆっくりと顔を上げ、レムリアの瞳をじっと眺める。

 

「今日、レムリアに会って、話をして……少しだけこの国が好きになったと思う」

 

 顔を少し赤くして、手で頬をぽりぽりとかきながら、恥ずかしそうに喋る悠人。

 別に口説いているわけではない。本心を言っているのだ。

 

「ユート君ありがとう、とても嬉しいよ」

 

 悠人の答えにレムリアも顔を少し赤くしていた。

 少しだけ二人の距離が縮まる。

 なんというか目と目で通じている感じだ。

 忘れられてそうだが、横島もちゃんとこの場に存在している。

 

「お、俺もレムリアちゃんに会って、この国が好きになったぞ!」

 

 自分の存在をアピールするため、悠人と同じ事を言うが……

 

「うん、ありがとね」

 

 あっさりだ。

 

「ぐお~! 悠人の時とは全然反応が違うじゃねえか~」

 

「お前の場合は下心丸見えなんだよ」

 

「ふん! むっつりスケベのお前よりはましだっつーの」

 

「俺は別にむっつりなんかじゃ……」

 

「むっつりは皆そう言うもんだ」

 

「だから違う!!」

 

「あははは! 本当に二人っておもしろいね!!」

 

 レムリアには二人のやり取りが漫才のように見えた。

 横島が関わると、基本的に全てがギャグになる。

 

「今日は二人に出会えて本当に良かった。運命に感謝したことなんて始めてかも」

 

 にこやかに笑っていたレムリアだが、運命の件で顔に陰りが出た。

 どこか達観したような、年齢不相応な表情。無邪気な少女の顔に、老女が紛れ込んだかのような表情だ。

 悠人にはその意味が分からず、横島には分かった。だが、意味が分かろうが分かるまいが関係ない。王族の悩みなど、まったく無縁なのだから。

 

「本当にろくでもない運命ばっかりだったからなあ」

 

 しみじみとしたレムリアの声。

 その声は、悠人の心に小波を作る。

 

「レムリアは運命が好きなのか?」

 

「女の子だからね。運命の出会いなんて素敵だと思うよ。でも、中々魅力的な運命なんて転がってなくて……仕方ないけどね」

 

 運命とはすなわち、決められている事だ。それも、人知の及ばぬ、空にいるだれかさんが決めた事。矮小な人の身では、どうしようもない。仕方ない事だと、レムリアは諦めていた。

 力の無い笑顔を浮べるレムリアに、悠人は厳しい視線を向ける。

 

「運命の出会いが欲しいならもっと出歩いたらいいだろ。気に食わない運命があったら、そんなもの壊せば良いんだし……絶対にどうしようもない事なんて、あるわけない!」

 

 こんな異世界に連れて来られ、神剣の干渉により体も心も砕かれかけて、最愛の妹とも引き離され、戦いを強制される。悲劇のヒーローのような役回りをさせられ、未だに解放の出口の糸口すら見えない。

 だが、悠人は絶望もしなければ腐りもしなかった。己を鍛え、仲間を守り、我武者羅でも出鱈目でも前に進もうとしている。

 抗うものが持つ強さを、悠人は持っていた。

 

「凄い事言うんだね。ユート君」

 

 驚き、感心したようにレムリアは悠人の顔を眺める。運命を『そんなもの』呼ばわりする悠人の言葉は、レムリアに衝撃と力を与えたようだ。

 そんなレムリアとは対照的に、横島は卑屈っぽい顔で悠人を睨んだ。

 

「本当にどうしようもないことだってあるのにな……」

 

 誰にも聞こえない小さな声で、横島は悠人の言ったことに対して否定的な意見を言った。

 運命と戦う。運命に抗う。

 悠人の言っていることは正しいのだろう。その考えは間違いなく強いのだから。

 だが、運命や宿命を宇宙意思というものに感じたことがある横島にとって、その考えはやや幼稚に見えた。どうしようもない事は、現実に存在する。自分と彼女は、それに翻弄されて最終的に結ばれる事はなかった。

 そして、今の自分の状態そのものも、決して逆らうことが出来ない余りにも大きな存在によるものではないかと、横島は本能的に感じ取っていたのだ。

 悠人を見る横島の眼が、自然と険しくなる。

 横島が悠人に抱いている感情は、当人が考えている以上に複雑なものであった。

 羨ましいとも、憎らしいとも、蔑みとも、憧れとも、言葉では形容しづらい感情が幾つにも重なり合い、混じり合う。

 近い言葉は嫉妬だろうか。

 一番大切なものを、命を賭して守り続けている悠人への。

 もしも、悠人が佳織と世界を天秤に掛ける事があったらどうなるだろう。どちらかしか選べなくて、自分の命じゃ代わりにもならない状況に陥ったら、こいつはどうするのか。

 

 見 て み た い。

 

 ほの暗い考えが頭をよぎる。暗い情念が横島の心の内にはあった。

 そんな似合わないことを考えているうちに、レムリアはそろそろ帰らないといけないらしく、悠人とお別れと再会を約束しての握手をしていた。

 

「ユート君でほんっとに純情なんだね。せっかくのお別れの挨拶なんだから、ほっぺにキスぐらいならしても良かったのに」

 

 そう言われ、悠人は思わずレムリアの頬を見た。

 白くて、柔らかそうで……いやらしい言い方をすればおいしそうに見える頬に、悠人は色々と妙な想像をしてしまう。だが、手は出さない。彼は純でヘタレだ。

 だが、ここにいるのはそんなヘタレだけではない。

 

「それじゃあ、俺がほっぺにキスをー!」

 

 先ほどまでの暗さをあっさりと捨てて、煩悩に走る。横島のシリアス成分など、彼の太陽にも匹敵する煩悩の前では、飛んで火にいる夏の変態も同然なのだ。

 

「止めろ!!」

 

 ガツンと、悠人は飛びつこうとした横島を殴りつける。

 

「いってえな!! 何で止めやがる、レムリアちゃんが良いって言っただろうが!!」

 

 うっ、と悠人は言葉に詰まり、何故か助けを求めるような目でレムリアを見た。

 レムリアはそんな悠人を見て、くすりと笑うと、横島のほうに向き直る。

 

「ヨコシマ君は……なんかやだ!」

 

 楽しそうに言うレムリア。横島はがっくりと肩を落とし、ルルルーと涙を流す。

 彼女は横島に嫌悪感を抱いているわけではなく、横島のリアクションを心から楽しんでいた。

 

「それもこれも悠人! お前の所為だ!!」

 

「どういう理屈だ! 大体、こういう事でしょっちゅうセリア達に突っ込み入れられているんだろ!」

 

「男に突っ込み入れられるのは嫌なんだよ! お前も男なら分かるだろ!?」

 

「お前の言っていることは、さっぱり分からん!!」

 

「分かれ!」

 

「分からん!!」

 

「お、お願いだからこれ以上、私を笑わせないでー!!」

 

 どうしても定期的に始まってしまう漫才に、レムリアの腹はよじれる寸前だった

 このまま腹がよじれれば、ウエストが細くなり相対的に胸が大きくなるだろう。しかし、それでもBカップにもならないと思われるバストは、正に貧乳。激貧乳。チョー貧乳!! ああ、果たして栄光の70センチに届く日は来るのであろうか―――

 

「何を言うかぁ!!」

 

 モノローグのふりをして、言いたい放題していた横島にレムリアの鉄拳が突き刺さった。

 こめかみにねじりこまれた一撃は、横島を吹き飛ばし壁に激突させる。頭から噴水のように血が吹き出て、見た目はかなり重症だ。

 

「お、おい、大丈夫か!?」

 

 顔なしアンパンマンもびっくりな状態の横島に、悠人は慌てて駆け寄り手を伸ばした。

 そんな悠人に、横島の堪忍袋の緒がとうとう切れる。

 

「だから、なんで、お前が手を差し伸べるんだよ! このアホ! 死ね!!」

 

「だから、どうして、俺が怒られるんだ!? いい加減にしろよ、この変態が!!」

 

 果たしてどちらの言い分が正しいのだろうか。普通に考えれば悠人の行動が間違いなく正しいだろうが、対象が普通でない横島という時点で一般的な考えなど何の意味もなさなくなる。

 互いに殴ったり蹴ったりする横島と悠人。レムリアはこれが男の友情なのかと、満足そうに殴り合いを見ていた。どこかずれた感想のような気もしないでもない。

 

「さてと、もう私は帰るね。これでも忙しいんだから」

 

 またねと、レムリアは手を振って小走りで駆けて行った。どうやら本当に時間が無いらしく、結構なスピードだ。

 悠人も手を振ってレムリアを見送る。

 

「それじゃあ横島。俺たちも戻る……って、居ないし」

 

 すぐ横にいた筈の横島の姿が無い。

 一分たりともじっとしていられない横島に、悠人は子供みたいだと呆れながら詰め所に戻ろうと一歩を踏み出して、その足がピタリと止まる。

 

「俺……迷子だ」

 

 吹きつける風が冷たかった。

 途中、見かけた兵士や町人に道を尋ねようとは思ったが、恥ずかしさと情けなさから聞くことが出来ず。必死に街中を駆けずり回ったが、迷子という運命を打ち破る事はできなかった。

 第一詰め所のメンバー全員で、迷子の悠人を探すのは、これより三時間後の話である。

 

 

 

 横島達と別れたレムリアは、鼻歌と歌いながら機嫌良さそうに城に向かっていた。

 思いもしなかった出会いがレムリアの心を弾ませて、顔を綻ばせ、体中から力が湧いてくるようだ。

 これから向き合う書類の山や、老獪な重臣老人達の顔を思い出すが、そんなもの軽く吹き飛ばしてやろう。

 早く戻らなければと、大通りではなく、裏道を抜けて行く事にした。メインストリートに比べれば、確かに治安は悪化するものの、別に大したことはない。

 それは、確かにそうだったのだが、何事も例外は存在する。

 

「んんっ!!」

 

 いきなり口を塞がれる。さらに、肩や腰に手を巻きつけられ、凄い力で引っ張られた。

 こういった場合、人は驚きで体を硬直させるか、無軌道に暴れるかのどちらかだ。レムリアは暴れるタイプだったようだ。

 

「んっんん!?」

 

 唯一動く足を後方に蹴りだす。何処に当てようと思ったわけではなかったが、その一撃は見事に急所に命中する。

 

「おおっ、おおぅぅ……」

 

 手の力が抜けた瞬間を狙って、レムリアは一気に抜け出した。そして、自分を捕らえた相手を見て、一瞬、言葉を失った。

 

「……一体どういうつもりですか、ヨコシマ……それとも、ヨコシマではないのですか?」

 

 もしや、『天秤』に体を奪われたのではないか。そうレムリアは推測したのだが……

 

「話があるんです。レムリ……レスティーナ様……痛てて、息子、お玉嬢、大丈夫か……そうか、良かった」

 

 股間を押さえながら、涙目でそんな事をいう。間違いなく横島に違いないと分かったレスティーナは、ほっとして、はっとした。

 レムリアではなく、レスティーナと呼んだ横島に、王女の自分を求められた事を理解する。

 周りを見渡す。周囲に人影はない。だからこそ、横島もここで待ちうけたのだろう。後を付けてきたのか、それとも先回りをしたのか。もし後者なら、町の地理と、自分の思考を読まれたということになる。

 油断はできない。ここでこのエトランジェの情報を得る!

 そう、心の中で呟きながら、髪留めを解いた。ばらりと髪が解け、お団子頭がロングのストレートに変わる。ティアラこそ頭上に頂いていないものの、その姿は王座の間にあったレスティーナその人だった。

 

「話を伺いましょう。エトランジェ・ヨコシマ」

 

 先ほどまでの声とはまったく違う。冷静で冷徹に聞こえる声。漂う気品と品格。他者を圧倒する威厳。そして、感情を封じ込めた冷厳な瞳。

 横島は思わず頭を垂れそうになった。単純に霊力量などで圧倒された事はあるが、王者の風格で傅きたくなったのは初めてだ。

 常人なら、これほどのプレッシャーの中で話すのはかなりの胆力が必要となりそうだが、横島は常人とは一番無縁の位置にいる男だ。

 

(マジで美人だ。しかも王女様! これはたまらん!!)

 

 などと、いつも通りの煩悩を燃やす。だが、流石にここでふざけるほど横島は空気が読めない男ではなかった。

 

「俺たちがダーツィと戦って勝ったら、これで戦いは終わるんスか? あの王はどうすると思いますか?」

 

 これが横島の一番聞きたい事であった。

 今までの、そしてこれからの戦いは、自衛のためである。相手が攻めてくるのなら、戦わないわけには行かない。今現在、ラキオスはダーツィと交戦状態にあり、何れは戦う事になるだろう。

 その戦いが終わればどうなるか。これは非常に重要なことであった。

 

 横島の質問に、レムリアは表情こそ変えなかったが、どう答えるかは悩んだ。

 父である現ラキオス王は、元々かなり自己顕示欲が強く、野望に満ち溢れていた。自らの血統に対する誇りも強く、能力も有能とはいえない。

 しかし、決して無能でもなかった。自国の戦力を冷静に踏まえて、無理な戦いを挑もうとはせず、慎ましく守勢を貫いてきた。

 だがユートとヨコシマが現れてからタガが外れてきたように感じられる。伝説の英雄である『求め』のエトランジェが現れたこと。そのエトランジェは守り龍すら打ち破り、更にはもう一人、新たなエトランジェが現れた。

 これは天がラキオスに天下を取れという天啓だ。そう思っているふしがある。

 

「ダーツィ公国を打倒せば、ラキオスの領土とマナ総量は数倍は広がります。さらに、同盟国であるサルドバルト、イースペリア両国との関係を強化、できれば従属させれば、大国であるマロリガン、サーギオスもおいそれと手を出してくることはないでしょう」

 

 まともな判断を下せればこうなるはずだ。こうなるべきなのだ。

 レスティーナは口出した言葉が、自分の願望が入っている事を理解していた。今の父が果たして正常な判断を下せるか、それにマロリガンもサーギオスもどう動くのか。

 激動の時代が来る。何となくだが、理解していた。

 

「そうですか……ならいいんですけど、スピリットとラブコメ放題の毎日が待っているんで!」

 

 戦いさえなくなれば、スピリットといちゃついて日々を過ごしていこうと、美人の嫁と退廃的な生活を求めている横島は考えていた。

 にやける横島を尻目に、今度はこちらの番だと、レスティーナは怪しく笑う。

 

「私もヨコシマに聞きたいことがあるのです。今回の戦いについて」

 

「ん、なんですか」

 

「ヨコシマは今回の戦いで人を狙いましたね?」

 

「はい、そうですけど……」

 

 悪びれることもなく、普通に言う横島に、レスティーナは眉をひそめた。異世界から来た為の、意識の浅さを理解したからだ。

 

「人質を取る……見事なやり方です。人間は戦争をしていると言う意識が少ないですから。指揮官はさぞ肝を潰したでしょう」

 

 責められているのかと、横島は一瞬勘ぐったが、どうやらそうではないらしい。ただ、事実を言っているだけだ。

 先ほどの夢見るロマンチストな乙女は、現実を直視するリアリストな王女に変容していた。いや、これが王女レスティーナの一面になのだ。

 

「作戦についてはあなた方に任せてありますから、よほどの事がないかぎり私から何かいう事はありません。ですが、物事には何事にもルールがあります。ルールを破ってはいけないのです」

 

 ルールという言葉に、横島はいまいちピンと来なかった。

 元の世界の上司なんて、ルールなんてものは破るために存在する、とまで豪語しても良い人物。反則上等が戦いの基本ではないだろうか。

 

「戦争は、人間が直接的に傷つくものではない。これが、この世界のルールです。それを、貴方は破った」

 

 暗く、低い声で、威圧するような声だった。ぞくりと、横島の背筋に怖気が走る。

 

「もし、ラキオスのスピリットが、あるいはエトランジェが人を襲うことが出来ると知れたら、周辺諸国……いえ、この大陸全ての国家はどう思い、どう動くでしょうか」

 

 ここまできて、横島にもレスティーナが言いたいことが分かった。

 

「最悪の場合、この大陸の全ての国家が敵になるでしょう。それどころか、ラキオスの住民にまで敵になりかねません。もう一度いいます。スピリットは人間を傷つけられません。人間は傷つきません。その前提が崩れた時、何が起こるか……少なくとも、良い結果にはならないでしょう」

 

 横島の顔が真っ青になった。人間を戦争に引き込んだことが、それほど危険か分かったからだ。

 

「す、すいません! そこまで考えていなかった――――」

 

「私は別にやめなさいと言っているわけではありません。もしやるのなら、確実に口は塞ぎなさい。」

 

 ぞくりと、横島の背筋に冷たいものが走る。

 レムリアの時にはキラキラと輝いていたライトパープルの瞳が、今はただこちらの考えや呼吸を読もうと、冷徹な光を放ち続けている。

 

「バーンライトの隊長と、その娘の口は、私の方で口を塞いでおきました」

 

 横島の顔が青から白に変わる。最悪の想像に、表情一切が抜け落ちた。

 

「ふふっ、手荒な事はしていません。ただ、後ろ指を指されない仕事と、低次元な脅しを与えただけです。しばらく監視はしますが、報告によると問題はなさそうです」

 

 良い仕事を与えて、軽く脅しをかけたという事だろう。

 冷笑を浮べたレスティーナに、横島はなんだか泣きたくなった。つい先ほどまで、口一杯にヨフアルを頬張っていた少女が殺されたような気がしたのだ。

 

「どうしようもない場合は、永遠に口を閉じてもらいましたが」

 

 底冷えするようなレスティーナの声。冗談を言っているのではない。レスティーナの顔は真剣だった。もし、バーンライトの隊長が、横島に娘を連れ去られた事を喋ろうとしたら、永遠に幽閉されたか、もしくは殺したのだろう。

 レスティーナ王女は公正で真面目で慈悲溢れる人物である。世間ではそう評価されている。

 それは間違いではないのだろう。だが、国を守る立場に居るということは、どうしても残酷にならざるをえないときがある。

 

「これまでの経緯を見るに、ヨコシマは人間を戦争やスピリットに近づけさせてやりたいと考えているようですね」

 

「そんなことは……」

 

「そうですか……少し話しを変えましょう。最近のとてもくだらない噂が流行っているのを知っていますか? 出発点を探ってみたのですが、軽薄そうで、バンダナをした10代後半の男だと聞いているのですが」

 

 息が止まるかと思った。

 知っていますか? 何て言っているが、もうレスティーナは答えを知っているのだろう。

 権謀術数渦巻く宮廷内で、聡明と言われ、他の国からもそのカリスマと政治力を危険視されているレスティーナだ。

 話すのは不得意ではないが、何を言っても墓穴しか掘れないと横島は理解した。

 

「どうやら随分スピリットに優しい人のようで……どうしました? 顔色が悪いですよ。

 それで、実は言うとこの噂は現ラキオス王に深く関わりがあるもので、そして今回のバーンライトの戦いで捕虜になったスピリットとも関係があります。その噂を撒いた者は、この戦争の結果がどうなるか知っていたようです。本当に大した男です。

 一国の王女として、そのような相手にどう接すればいいのか……悩むところです」

 

 横島はもはや言葉を出す事が出来なかった。まともに話した事など無いのに、性格や考えを見抜かれ、過去に何をやったかこれから何をするかまでも見通されているような気すらする。

 だが、それはレスティーナの方も同じであったりする。

 

「もうここで話はやめましょう。私も忙しいので」

 

「そ、そうっすね! 仕事は大事っす。大事なのです!?」

 

 レスティーナは横島への追求をやめた。

 相手を苛めすぎると、思わぬ反撃に出られる事もある。窮鼠猫を噛む、という諺があるのを、レスティーナは佳織から教えてもらっていた。追い詰めすぎて良い事などない。

 まして、相手はネズミではなく、最強のエトランジェだ。この時点でレスティーナはまだ文珠の事をしらない。だが、何かしらの力がある事は推測していた。

 恐怖させるのではなく、畏怖を与える。それが、上に立つ者に必要な事だ。

 頭の中で、どうやって横島より優位に立つか、その為のロジックを組み立てていたレスティーナは自分自身を険悪する。

 

 ああ、いやだ。つらいよう。なんで、楽しくて面白い―――友達相手にこんな事考えなきゃいけないの?

 

 思わずレムリアの部分が浮き上がってきてしまった。レムリアには、どうやって友人より優位に立つか、などという思考はできない。

 必死にレスティーナは、己の一部分であるレムリアを殺しに掛かる。

 その姿は痛々しく、横島はひどく後悔した。

 

「すいませんでした。せっかく楽しんでいたのに、こんな事になっちゃって」

 

 町娘レムリアから、レスティーナ王女に戻してしまった事を、横島は後悔していた。ここ最近、謝ってばかりいた所為か、つい土下座をしてしまう。

 

(優しいですね、ヨコシマは……少し頼りないぐらいに)

 

 人格者であるという事は、神剣使いにとってプラスにならない。レスティーナは少々不安になった。どうも、ヨコシマは精神的に脆いと。

 もし、『天秤』がヨコシマを乗っ取ろうとしたら、この弱い精神では抵抗できないのではないか。監視を強める必要があると、レスティーナは感じた。

 

「もう、十分です。顔をあげなさ……い、よこし……」

 

 妙に長い土下座だと思ったら、ヨコシマが土下座をしながら、何かをちらちらと見ていることにレスティーナは気づいた。一体どこを見ているのだと、視線を辿り、全身が熱くなった。

 

「水色……」

 

 横島がそう漏らしたと同時に、レスティーナの右足は頭上にまで上がる。

 そして、

 

「何を見ているのですか!!」

 

 踵落し。

 足の力は、腕力の三倍はあると言われている。それも、踵は人間の部位の中で肘に匹敵するほど固い部分だ。脳天に直撃を受けた横島は「ノオオオオ!!」と悲鳴を上げながらのた打ち回る。

 まったくと、レスティーナは溜息をついた。女好きとは聞いていたが、こんな場面で下着を覗き込もうとするとは。

 怒りの感情を持つレスティーナだったが、ここであることに気づいた。

 

(思考が……潰された!)

 

 背中に悪寒にも似た戦慄が走った。自分の思考が一瞬にして消し飛ばされ、感情のまま行動してしまった。

 恐ろしい事だ。こういった話し合いの場で感情を出して、さらには暴力まで振るってしまった。まるで後先考えない行動。レスティーナではなく、レムリアにされてしまった。

 相手が上手なのではない。自分が馬鹿になったのだ。

 

「し、仕方ないんや~~! 白い太ももに、チャイナ服のスリット。さらに水色! これで目が引き付けられないはずがない!! 覗き込まなかったら男じゃない!!」

 

 目の前で喚きたてる横島にレスティーナは色々な意味で泣きたくなった。

 素で、馬鹿だ。こんな馬鹿でエロな奴に負けたのだ。

 もしこれがこちらの油断を誘うため、狙って演技をしているのならまだ分かる。だが、どう見てもそうは見えない。くっと、唇を噛んだ。

 

 レスティーナ・ダイ・ラキオスは絶対に負けてはならない。

 青春。自由。親子の情。本来、誰でも持てるはずのものを捨てた。

 負いたくも無い責任。誰かを不幸にする決断。背負いたくも無い物を背負わされた。

 そうして得た物は、私心を殺し、小を殺して大を生かすこと。

 それが、自分の目指す未来の世界を作るのに必要なのだ。

 

 この男一人御しえないで、自分の目指す理想を成せるだろうか?

 

 鋭い目でレスティーナは横島を睨みつけた。まるで好敵手を見つめるかのように。

 この男は、強い……いや、弱い……でも強いような……ああもう! 兎に角!!

 この男を扱いきってみせる。その為の努力は惜しまない。

 分からない事は多い。だが、横島をどうやって操るかは、簡単に答えが出た。

 

「王族に不敬をはたらいて、無事に済むと思いますか? 目を閉じて歯を食いしばりなさい」

 

「うう……後悔は無い、後悔は無いんやーー!!」

 

 怯えながらも目を閉じる横島。

 変態で、女好きで、不真面目なのに、どこか真面目で律義者。

 弱いのか、強いのか、優しいのか、鬼畜なのか、格好悪いのか、格好良いのか。そのどれでもあり、どれでもない。

 この男を形容できる言葉はあるのだろうか。既存の言葉では表す事が出来ないような気がする。

 

(ヨコシマ様ですから~、か……確かにそのとおりね)

 

 胸に栄養を与えている友の言葉を思い出す。

 

(後悔はしない……うん! 悪くない!!)

 

 レスティーナは両手で横島の頭を抱え込んで、無乳に引き寄せた。

 そして……額に誰にも許した事のない唇を、そっとくっ付けた。

 

「……え? レ、レスティーナさ」

 

「今の私はレムリアだよ!」

 

 悪戯っぽく笑ってウインクする。王女レスティーナとのギャップと、信じられない可愛さに、横島は昇天一歩手前までいった。

 額が妙な熱を持っている。暖かい余韻に横島は酔いしれた。

 

「じゃあね! ヨコシマ君も私に……レムリアに会いたかったら町を歩いてね」

 

 じゃあねーと手をぶんぶん振りながら、お城に向かって走っていく。

 おでことはいえ、美人のお姫様がキスしてくれたのだ。

 その事実を理解したとき、横島は……咆哮した。

 

「WOOOOOONNNN!!!!」

 

 今世紀最大の雄叫びがラキオスに木霊して、地を揺るがし、天を裂く。

 肉獣咆哮。新たな技を開眼した瞬間だった。

 

 

 

 ―――――ラキオス王の自室

 

 

 

 トントントントン。

 

 グワシ、グワシ、グワシ。

 

 トントントントン

 

 グワシ、グワシ、グワシ。

 

 定期的に何かを叩く音が聞こえる。

 

「何故じゃ!! 何故生えてこんのじゃ!!」

 

 ブラシが床に叩きつけられる。ツルツルの頭皮に鞭打つ作業。

 禿王ことラキオス王は、毛の育成に余念が無かった。

 ある者と極秘にコンタクトを取り、ある条件と交換に古今東西の様々な育毛剤を送ってもらった。

 新たな育毛剤が届くたびに、今度こそは胸を熱くする日々。

 しかし、その全ては何の効果も示さなかった。頭皮は相も変わらず輝きを放ち続けている。

 いや、それは正確ではない。効果は示したのだ。確かに毛は生えた。

 だが、それは……

 

「髭や……体毛ばかり深くなっても仕方ないと言うのに……」

 

 二の腕に、肩に、腹に、背中に、耳に、果ては足の裏から、ラキオス王からは毛が生えに生えまくっていた。

 育毛剤はその名の示す通り、無慈悲に、残酷に、悲しいほど効果を発してくれたのだ。

 

「くぅ……これでは……ワシの野望が!!」

 

 鏡に映る自分を見ながら、忌々しそうに側にあった豪華そうなイスを蹴り飛ばす。

 名誉欲が強く、自尊心が高いラキオス王は、聖ヨトという古の血筋に高い誇りを持ち、常に自分の権力を誇示したい欲求に駆られていた。自分が没しても、子々孫々まで自分の偉大さ示したい。

 そのための方法として、ラキオス王は自分の銅像を作ろうと考えていた。それもただの銅像ではない。非常にビッグで、この大陸の何処にいても見えるぐらいのものだ。

 だがこのままでは、大陸全てに見えるほどの禿頭を晒す事に他ならない。

 嘘をついて美化200%の銅像を建てるという手もあるのだが、頭が悪いのか、はたまた公正なのか、そんな事は考えてもいない。

 もはや政務は完全にレスティーナ任せになっており、王に忠誠を誓っていた者たちがレスティーナのほうに傾倒しかかっているのを、ラキオス王はまるで気づいていなかった。

 

「お父様!!」

 

 バタンとドアを大きく開ける音が部屋に響く。

 そこには、娘であるレスティーナの姿があった。

 

「王の部屋を、ノックもせずに入り込むか!」

 

 怒りを隠しもせず、入ってきた娘を叱り付けるラキオス王。そこには、実の娘に対する愛情の欠片も感じる事もできない。また、自らの代わりに政務を取り仕切っている感謝も無かった。

 

「先ほどから何度もノックをしましたが、何の返答も無く、怒鳴り声と大きな物音が聞こえたため、何事かあったのかと寝室にお邪魔させていただきました。ご無礼をお許しください」

 

 レスティーナは怒鳴られた事の不快感など欠片も出さず、とつとつと説明する。

 

「ノックの音が小さいのだ! もっとしっかり叩け!!」

 

「はい。申し訳ありません」

 

 あまりにも理不尽なラキオス王の言い分だったが、レスティーナは特に気にした様子は無い。ここ最近不機嫌な事もあり、こうなると予想はしていていたのだろう。

 

「それで、一体なんのようだ」

 

「捕虜になったスピリットの件なのですが、本来ありえないぐらい数が多いのでどうしたものかと」

 

「役に立たないようなスピリットは処分しろ。無駄飯喰らいはいらん」

 

 相も変わらず、ラキオス王はスピリットを道具としか扱っていなかった。

 だが、冷厳だが別に悪い処理というわけではない。

 スピリットを処刑して、構成していたマナを別のスピリットに与えたほうが効率は良い場合だってある。

 それにスピリットだって飯も食べれば、身から垢も出る。人件費は馬鹿に出来ない。

 一人減れば兵器の維持費が消えるのだ。

 企業で言えばリストラに近い感覚と言える。

 そんなものなのだ、スピリットという存在は。

 

 レスティーナはそんな父親を何の感慨も無く見つめていた。

 杓子定規なその答えは十分予想されたもの。

 完全に凝り固まってしまった価値観を変える方法はないと、レスティーナは悟っていた。

 

「分かりました。そのように指示をしておきます」

 

 恭しく礼をして、後ろに一歩下がる。

 そして部屋を出ようとしたとき、その動きが止まった。

 

「お父様。今町で流れているこんな噂をご存知ですか?」

 

 レスティーナは、自分の父親にまるで世間話のように喋りかける。

 ラキオス王はそんな世間話など興味ないと、返事をせずにツルツルの頭皮を叩き続けていた。

 レスティーナはそれでも構わず話を続ける――――怪しげな微笑を浮かべながら。

 

「なんでもスピリットに害する行為を取ると……

 

 

 

 頭が禿げるらしいですよ」

 

 

 

 ――――――第二詰め所

 

 

 

「ぅいっひひひおほほむっふむっふふほうひぃふふう?」

 

「うわーん! ヨコシマ様が恐いようー!」

 

「よう~!」

 

「みんな! 絶対にヨコシマ様に近づいちゃだめよ!!」

 

 第二詰め所に帰って来た横島は変だった。

 いや、変なのはいつものことだが、今の横島は通常の3倍変だった。

 目はとろんとして、どこを見ているのか分からない。

 口からは何を言っているのか判別できない謎の言語を口走っている。

 つまり変態。単純に危ない人でも可だ。

 横島のことが好きなネリーやシアーでも、この状態の横島に接近することは出来ない。

 何故なら、凄く不気味で、気持ち悪いからだ。

 

「だ、大丈夫ですヨコシマ様。私がしっかり介護しますから!!」

 

 唯一横島に近づいているのはヘリオンぐらいだ。

 しかし、言ってることは何気に酷い。

 

「男の子が一度は通る道ですね~」

 

 一人平然としているのはハリオン。天然のお姉さんは無敵なのか。

 理由は分からないが、何だかいつもよりも上機嫌に見える。

 

「う~ん、お兄ちゃんの変態さがテンくんに移らないか心配だよ」

 

 こちらはエニ。

 言っていることは、なんだかお母さんチックだ。

 隣ではナナルゥが何かの本を読んでいて、せわしなく本の上に目を走らせていた。よほど集中しているようだ。ちなみに、読んでいる本の題名は『愛の子作り、初級編(18禁)』だったりする。愛という題名がつけば、とりあえず何でもいいらしい。

 一部を除き、全員が横島の変態加減に頭を抱えていた時、ヒミカが動いた。

 

「ヨコシマ様、少し二人でお話しませんか」

 

 全員がヒミカの言葉に耳を疑った。この状態の横島と二人きりになるなら、すっぽんぽんでスラム街を歩くほうがまだ安心というものだ。

 一体何を考えているのかと、セリアはヒミカに問いただそうとしたが……

 

「おぉもちぃぃかえぇりいーーーー!! ういやっはあああーーー!! ごほごほ!!」

 

 流石に喉が限界だったのか、咳き込みながら横島はヒミカを抱きかかえると、自室に持ち帰った。一瞬の早業。唖然としてその光景を見送った面々だったが、いち早く復活したセリアが後を追いかけようとしたところ、ハリオンがその肩を押さえる。

 

「まあまあ、ヒミカにも色々考えがあるみたいですし~大丈夫ですよ~」

 

 ニコニコと微笑むハリオンに、セリアは、分かったわよ、と強く言って落ち着かない様子で席に座った。

 

 

 

 一方、横島はお持ち帰りしたヒミカをベッドに座らせて、クルクルと回転していた。

 

「何だ! 何でも俺に話してみなさい。ふっ、安心しろ。俺がリードする!!」

 

 二人きりで大事な話。

 想像力と煩悩力に長けている横島にとって、こんな事を言われては色々想像してしまうのは無理もないことである。

 鼻息を荒くする横島。だが、ヒミカはそんな横島を前にしても、表情一つ変えなかった。

 

「真面目な話です」

 

 ヒミカはベッドから立ち上がり、背筋をビシッと伸ばして、真紅の瞳を横島に向ける。

 こういうキリッとした表情は、ヒミカが一番似合うと横島は考えていた。凛々しいというのだろう。

 関西人のボケ心と、邪悪なセクハラ心がムクムクと大きくなるが、こういう場面でふざけたら本当に嫌われるだろうし、何より自分と仲間たちの命に関わる可能性もあるのだ。

 そう考え、ボケ心を抑えつつ、真剣な表情で頷き返す。

 真剣な顔の横島に、ヒミカはほっとしながら喋り始めた。

 

「先日のバーンライトのスピリットの処遇ですが、とりあえず全員ラキオスのスピリット隊に組み込まれることに決まりました」

 

 なるほど、確かに重要なことだ。

 しかし、ここまで真剣に話すことではないと横島は考える。

 当然のことなのだから。

 

「ヨコシマ様はこの処遇について当然と考えているようですが、これ以外の考えもあったはずです」

 

 どういうことかと頭を捻る。

 スピリットは人間に絶対服従するのだから、裏切るなどということはまずありえない。

 一応例外としてルルーがいるが、あれは例外中の例外である。

 戦力は多ければ多いほどいいのだから、ラキオスのスピリット隊として組み込むのは当然だろう。

 

「この世界の様々な機具はマナを変換したエーテルで動かしています。私たちの神剣だってエーテルを食料として強くなるのです。そして、スピリットの体はマナで構成されています。つまり……」

 

 そこまで言われてようやく気づいた。

 最悪の可能性に。

 

「最悪の場合、捕虜になったスピリットは全員処刑されて私たちの糧……神剣の食料になっていたかもしれません」

 

 全身に震えが走る。

 スピリットに人権など無いことは知っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。あの馬鹿げた噂を流さなかったら、最悪の事態もありえたのかもしれない。

 

「……ユート様とヨコシマ様にも権限はあります。私たちを処刑するという権限が。戦力にならない者は処刑して構いません」

 

 馬鹿らしいとしか言いようがない。

 誰が可愛い女の子を処刑するものか。

 それ以前に、何の罪も無い者を処刑するということ自体、狂っているだろう。

 

「アホか。んなことするわけないっすよ」

 

 心底呆れて、横島が言う。もはや険悪どころではない。

 この世界の狂った考えは、横島の理解の範疇を超えていた。

 

「ありがとうございます。私たちは優しい隊長にあえて、本当に幸せです」

 

 深夜に、二人きりの密室で、美女が野獣に微笑みかける。

 この方程式から導き出される答えは……

 

「お礼なら体でおねがいしま~す!!」

 

 本日数度目のルパンダイブ。彼は懲りない男なのだ。

 

 ギィィ!

 

 ベッドから軋んだ音を上げる。

 音を上げさせた原因はとても簡単だった。

 一組の男女が、もつれ合いながらベッドに倒れこんだから。男が女をベッドへ押し倒したのだ。女のほうは押し倒されても、まるで抵抗しなかった。

 驚愕したのは女のほうではなく、押し倒した男――横島のほうだ。

 以前にも似たような事はあった。ナナルゥの時である。しかし、あれはナナルゥの心の欠落が原因だった。

 ヒミカは、上に乗りかかっている横島を見つめながら、努めて冷静に言った。

 

「……本当に私の体をお望みなら命令してください。私たちの命も体も心も、全てを思いのままにする権利を、ヨコシマ様はお持ちなのですよ」

 

 ヒミカの言葉に横島の心がぐらりと揺れる。

 それはそうだろう。目の前にいる美人を、好き放題して良いと言われているわけなのだから。健全な青少年でありすぎる横島からすれば、それは抗いがたい魅力を持っていた。横島はゴクリと生唾を飲み込む。

 

「じゃ……じゃあ、その……」

 

 ヒミカは自分の体に覆いかぶさり、何かを言おうとしている横島をじっと見つめた。

 馬鹿なことをしているかもしれない。これではまるで誘っているかのようだ。だが、これは必要な行為だと思った。

 

 信じる事は難しい。

 以前、ヒミカは横島を信じると誓った。今だって誓い続け、その心はますます強くなっている。

 だが、文珠という力を持っていた横島に、ヒミカは恐れを抱いた。

 

 その気になれば、自分達の身も心も好きなように操る事ができる。

 ヒミカは恐いのだ。知らぬ間に自分の心を覗かれ、さらに心を好きなように弄くる事ができる横島が側にいることが。

 だが、恐怖も抱いたが、それ以上に愛おしさも持った。

 兄のように、弟のように――――家族のように。

 横島の告白は、ヒミカ達の胸に沢山のものを与え続けている。

 

 どうしたらいいのか分からないヒミカは、横島を試す事にしたのだ。

 もし、ここで抱かせろと言ってきたら、家族云々の話は信じない。

 文珠を使って自分達に何かをしてくると想定しなければいけないだろう。最悪の場合、スピリット達を洗脳しラキオスに反逆する事もできるのだ。

 決して、心を許すつもりは無かった。

 

 ただヒミカは、もしここで犯されても文句を言うつもりは無かった。むしろ、喜んで抱かれるつもりだ。

 万が一にも、ヨコシマ様の欲望が他のスピリットに向かないよう、自分が防風林とならなければ、と考えていたからだ。

 実はこの役割を命じられている者達は既にいて、その中の一人にはさらに過酷な命令が下されていたりもするのだが、その事にヒミカは気づいていなかった。

 

(大丈夫……ヨコシマ様ならきっと!)

 

 色々と考えはあった。だけど、根っこの所でヒミカは信じていた。

 何と言っても若い男だし、もの凄くスケベで、変態だ。だけどそれ以上の優しさがあると、ヒミカは信じていた。いや、確信していた。

 

「そんじゃあ……だ、抱かせ……ぐお~~言えんーーー!!」

 

 結局、横島はその言葉を出せなかった。悔しさからか、血涙を流して横島は叫ぶ。

 ただ一言、抱かせろと命令すれば美人を好き放題できるのに、出来なかった。それは、理性と本能の争いではなかった。愛がある方を、横島は選んだのだ。

 

(ヨコシマ様は本当に女性が大好きで……スケベで……優しいんだわ)

 

 改めてヒミカはそう認識する。

 目の前で「抱きてー! 抱きてーのにーー!!」と叫びながら血涙を流しつつ柱に頭突きをかます自分達の隊長。

 

 見ていて頭が痛くなりそうな光景だが、自然と顔が笑ってしまう。色々と問題点が在るが、この人に会えて良かったと、ヒミカは素直に思った。

 この先、多く戦いが待ち受けているだろう。多くの決断を、ヨコシマ様達は迫られる事だろう。

 それがどんなに辛い事があろうと、それを手助けする。

 

(国のため、仲間のため、そして……ヨコシマ様のために、私は剣を振る。それが、私の生まれた理由)

 

 己の存在理由にまで昇格してしまった横島に、ヒミカは笑って、出会えた奇跡に感謝した。

 

「ありがとうございます。私はヨコシマ様にひゃう!」

 

 突然、体に甘い電流のようなものが流れた。その電流に逆らえず、口から甘い声が漏れる。

 一体何事だと、電流が発生した地点である胸を見ると、そこには横島の手がしっかりと添えられていた。

 

「ちくしょー! 俺のレベルではおっぱいを揉むぐらいが精一杯……しかもこんなスライムレベル程度のものしか!! でも柔らかい! 馴染む! ヒミカの胸は俺の手に馴染むぞぉーー!!」

 

 抱くことはしなかったものの、とりあえず胸なら良しという結論に至ったようだ。

 一体何故そんな結論に至るのか。一度、頭の中を覗いてみたい。確かに横島は優しいし、愛の戦士でもあるが、やっぱり変態でもあるのだろう。

 とにかく、横島は『URYYYYYYYY!!』な感じでヒミカの胸を揉みまくる。

 

「やめ……っ! 落ち着いてくだ……ぁン!!」

 

 まったく予想していない事態と、体に流れる快感で、ヒミカはパニックに陥った。なんとか、暴力ではなく言葉で横島を止めようとするが、そんなものは野獣に念仏。そうこうしている内に、ヒミカの胸の一番敏感な部分に横島の指が強く触れる。

 

「ひゃあん!」

 

 ヒミカは、自分の口から聞いたこともない変な声が漏れた瞬間、色々と切れた。

 まず自分に乗りかかっている男の顔に、掌底を一撃。

 

「ぐお!」

 

 怯んだ隙をついて、思い切り腹を蹴り上げる。

 鳩尾に一撃を入れられ、完全に横島の動きが止まる。その間にヒミカは横島と体勢を入れ替えた。今度はヒミカが横島の上になる。

 

「あ、貴方という人は一体どうして! しかもまた胸を!!」

 

 心の中で一大決心した瞬間にこれだ。

 もし、始めにセクハラされたり、犯されたりしたら、悲しんで受け入れただろう。だが、プラスの感情からマイナスの感情に転落するのは、大きな怒りを発生させる。

 10が0になるのと、0が0のままなのは違うのだ。

 

「この! この! この! この!」

 

「うぎゃ! ぐぎゃ! おぎゃ! むぎゃ!」

 

 横島の上に馬乗りになり、正にオラオラ状態。

 こぶしの弾幕の前に、横島の顔が赤く染まっていく。ベッドの白いシーツが、赤く染め上げられていく。

 殴る音が止んだとき、動く人影は一つしかなく、ヒミカの手からは赤い液体がぴちゃんぴちゃんと滴り落ちていた。

 

 ヒミカの頭に冷静さが戻る。

 既に横島は『かつて横島と呼ばれていた者』に成り果てていた。つまり、ひき肉ハンバーグである。

 ヒミカの顔からサーっと血の気が引いていく。

 

「どうしよう……埋めなきゃ……」

 

 そんな問題じゃない気もするが、気が動転しているヒミカは気づかない。

 ヒミカはまぎれも無く常識人であったが、だからこそ変態である横島の、ある種の波動を一番浴びて、影響を受けている一人であった。皆に悪い影響が出なければいいなんて考えていたが、自分が一番悪い影響を受けているとは思いもしないだろう。

 埋めるなら何処が良いかと、混乱した頭で冷静に考えていたヒミカだったが、その時、視線を感じた。

 

 見られていると感じたヒミカは、慌てて周りを見渡す。

 すると、半分開いたドアの隙間から、顔を半分だけ出してナナルゥがじっとこちらを覗いていた。

 

「……レッドスピリットは見た。エトランジェ殺人事件」

 

「ちょっ、ちょっと待って! これは……そう! 何かのトリックで」

 

「……申し訳ありません。しっかり見ていましたので……自首しましょう、ヒミカ」

 

「待て、ナナルゥ! こういう時は、黙って欲しかったら私に従いなさい、とでも言うんだ」

 

「弱みに付け込んで……流石です、ヨコシマ様」

 

「はっはっはっ。横作と呼んでくれたまえ!!」

 

 目の前で邪悪な笑みを浮かべる自分達の隊長と、大切に思っているレッドスピリットの同僚。ヒミカの顔が絶望に染まる。

 

 ああ、もう駄目なんだ。

 弱みを握られ、これからずるずると色んな事を要求されて……あんなことやこんなことやそんなことまで―――

 

「って! 生きてるじゃないですかヨコシマ様!!」

 

「ああしまった! せっかくの死んだふりが!!」

 

「無念です」

 

「いい加減にしなさい、貴方たちは~~!!」

 

 赤い魔法陣から生まれた炎が横島を焦がし、ついでにやっぱり心配で様子を見に来たセリアを焦がす。

 吹雪が部屋を凍結させ、騒ぎを聞きつけやってきたエニを凍らす。

 『無垢』を振り回し、発生した雷撃が何気なく青の姉妹に直撃する。

 猛吹雪が発生し、ナナルゥに直撃する。

 紅蓮の業火が生まれる。

 ヘリオンは燃える。

 ハリオンが茶をすする。

 

 第二詰め所からは、久方ぶりに笑いと悲鳴が途絶えることがなかった。

 これが、横島がいる彼女たちの日常。

 

 こんな日常を喜ぶ者もいれば、嘆く者もいる。

 しかし、全員が自分の個性を、心を、持て余すことなく存分に発揮していることは間違いないのだろう。

 

 皆のハイロゥの色は、これまでに無いほど純白に輝いているのだから……

 

 

「何を良い話で終わらそうとしているのですか!! この阿鼻叫喚の惨状をどうにかしてください!!」

 

「無理や~~!! ああーこんなんばっかし~~~!!」

 

 



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第十三話 植えつけられる文化

「すぴ~すぴ~」

 

 私の隣で一人の少女がメルヘンな寝息を立てている。

 金色の髪は朝日を浴びてキラキラと星のように輝き、フランス人形のように整った顔は後にどれほどの美人になるのか、想像させるのに難くない。

 口から流れる一筋の涎にすら、不思議と愛嬌があった。

 エニ・グリーンスピリット。

 グリーンでありながら、金色の髪を持つ珍しきスピリットで、永遠神剣第6位『無垢』の主である。

 

「テン……君、うにゅ~」

 

 寝言で私の名を呼んでいる。

 一体どのような夢を見ているのか、私には分からない。だが、碌でもない夢には違いないだろう。しかし、うにゅ~だのすぴ~だの、ワケの分からん変な寝息を立てるものだ……頼むから私に涎を垂らさないでくれ。

 

 私は何故こんなことになってしまったのかと思考する。

 とはいっても、別に考えることでもない。

 あの変態主が、エニの願い事を叶えてやれなどと言い出したことが原因だ。

 結婚してくれだの、一夜を共にしてくれなど、およそ10歳前の子供……いや、生まれて一ヶ月程度の子供が願うはずが無いお願いを連発された。

 『法皇』様がどのような知識をエニに植え付けたのか、激しく気になるところだ。

 

 紆余曲折はあったものの、最終的なお願いは、一緒に寝て欲しいになった。

 私としても、感情の勉強をしなければいけないので、仕方なく付き合ってやる事にする。勘違いしないでほしい。別に嬉しいとかそんなものではないぞ。

 ルシオラは「実は嬉しいくせに」とか「ここは情熱的に口説いたら」とか「私もヨコシマと……ウフフ」とか、意味もないことをよく語りかけてきた。

 はっきり言って鬱陶しい。というか苦痛だ。俗に言う近所のおばちゃんレベルである。これを24時間、好きな時に仕掛けてくるのだから、どんな拷問だと泣きたくなる。惚気話を延々とループして聞かされると、窓から飛び降りたくなるほどだ。これからはルシオラおばちゃんと呼んでやろう。

 エニなどは、まだ起きてる、まだ起きてると、私と喋りたくて眠い眼を擦りながらがんばっていた。まったく馬鹿だ。朝早くから訓練はあるのだから、早く寝なければ次の日が辛いだろうに。その事を伝えたら妙に機嫌がよくなった。本当に意味が分からない。女という生き物は馬鹿ばっかりだ。

 結局、12時前にこてんと寝てしまうし……まったく。

 

 しかし、このままでは風邪を引くぞ。

 エニの寝相は想像以上に悪かった。その寝相は、小さな体をベッドの中で大暴れさせて、ベッドを壊そうとしているのかと思えたほどだ。私にも若干の被害が出た。涎で錆びることなどはないだろうが。

 暴れたせいか、エニ自身も胸元のボタンは外れ、まったく膨らみのない胸元は全開の状態。服はめくれ上がり、真っ白のお腹も惜しげもなく晒している。俗に言う、色気とやらのかけらも無いだろう。

 まあ、ある特定の性癖の持ち主なら涎を垂らしながら見るのだろうな。

 断っておくが、私はそんな特定の性癖など持っていないぞ。

 ……一体、私は誰に断っているのだ?

 まあいい。ちょうどいい機会か。新たに授かった力、試してみるとしよう

 

 少し前に『法皇』様から授けられた3つの力の内の一つを使うことにする。

 意味のない力のように感じたが、こういう場面では有効だろう。

 私は気合をいれてその力を発動させる。

 すると、空中に幾何学的な魔方陣が出現した。

 

 ふっ……普通の神剣なら主なくては力を発揮できない。

 しかし、私には出来る。

 これこそ私が特別である証。選ばれし者なのだ。この私は。

 詳しいことは教えてもらえなかったが、恐らく主の世界の霊力という力を流用しているのかもしれん。なにやら妙な処理を色々と施されているようだしな。

 これも『法皇』様に特別目を掛けられている証拠と言えよう。

 

 魔方陣が強く光を放つ。

 そして『それ』は魔方陣の中からヌルリと現れた。

 『それ』は黒くて、太くて、ヌメヌメで、テカテカで、ニュルンニュルンしている。太くご立派な巨体(巨根ではない)は、タコのようにつぼの中に納まるなど出来そうに無い。

 そう、それはごく一部のファンタジー世界でお馴染みの存在。触手である。

 別な意味で、龍すら超える最強の種族だ。

 

 どうやらうまく出来たようだな……オーラフォトンで作った触手か……何とも醜悪な姿だ。なんというか、随分と肉感があって気持ち悪い。ワセリンが似合いそうな感じだ。

 この力は私が一人で移動や物を動かすための力らしい。

 当然だが、剣は一人では歩けないからな。だから、一人で動きたいときは触手に乗って動けと言われたのだが……

 こんなのに乗って移動など冗談ではないぞ。私の知的なイメージが壊れてしまう。次は格好の良い、知的な触手を作らねば……カッコイイ触手……むむ! 難しいぞ!!

 ……まあいいか、早速はじめよう。

 

 私は触手を思念波によって操り、エニのすぐ側に持ってくる。

 そして、エニに覆いかぶせるように触手を動かした。

 よく起きないものだな。まあ好都合だが。……おばちゃんが何か騒いでいる。破廉恥だと? ふん、隙を見せる方が悪いのだ。

 さて、いよいよだ。行くぞ、エニ!!

 

 ニュルルルルン!!!

 

 くっ、ずいぶんと難しいな。

 なかなか思うように操作が出来ない。一本の太い触手の先端部分から生えている、イソギンチャクのような無数の小さい触手を使い、外れてしまったボタンをかけようとするのだが、行けと思うと物凄く動いたり、全然動かなかったりする。

 変だな、この触手は私の思うとおりに動くはずなのだが。

 これでは、外れたボタンをかけ直すことができない。

 それに、触手は何故か先っぽから白っぽい液体を出してヌルヌルしているため、ボタンと接触させるとくっ付いてしまうのだ。

 一体どうしてこんなにもヌルヌルさせる必要がある? この潤滑油のような液体に何の意味が? 何故か、おばちゃんがずっこけている……心の中で随分と器用な……

 そうこうしている内に、エニの顔や胸に白っぽい液体が付いてしまった。まるで、ヨーグルトがくっ付いてしまったかのようだ。

 ……うむ。これ以上ないぐらい良い具体例だな。うん? いいえ、ケフィアです……だと。ルシオラおばちゃんよ、お前は一体何を言っている?

 

 しかし、うまくいかないものだ。先にエニのお腹のほうをどうにかしよう。

 めくれあがった服ぐらいなら簡単に直せるはずだ。

 私はエニのお腹付近に触手を近づけて……

 

「ひゃん!」

 

『っ!!』

 

 お、驚いた……まだ寝ているようだが……

 一体何故こんな声を出したのだ?

 少し触手がエ二のへそ辺りに触れただけなのだが。

 それになんというか……妙に甘い声だったような。

 ……もう一度触れたら、また声を上げるのだろうか。

 もう一度聞いてみたいような……私は何を考えている。

 そんなことに何の意味もないではないか。馬鹿馬鹿しい。下らん。

 どうやら私は少々混乱しているようだ。ここはまず冷静にならなければ――――

 

 ガチャ。

 

 いきなりドアノブが回る音が聞こえた。

 そして誰かが入ってくる。

 

 くっ、見られてしまったか。

 思ったより触手の操作が難しく、時間が掛かってしまったようだ。

 入ってきたのは主か。

 こちらのほうを見て、魚のようにパクパクと大きく口を開けて驚いている。いきなり触手がエニの上に乗りかかっているのだから、驚くのも無理は無い。

 さて、どうしたものか。

 

 その気になれば、この記憶を主から消すことも可能だ。

 しかし、できるかぎりやりたくない。

 だとすれば、やはり知らぬ存ぜぬが良いだろうな。

 触手とは無関係を押し通そう。主も知的で紳士であるこの私が、触手を呼び出したなど考え付かないはずだ。

 一分の隙も無い完璧な考え。私はそう確信したのだが……

 

「このペド剣がぁーー!!!」

 

 そんなことを言いながら、主は霊波刀を掲げて触手ではなく、私に切りかかってきた。

 ……何故だ?

 

(当然でしょ!!)

 

 疑問の声を上げる私に、怒ったような声が聞こえてきた。

 ルシオラおばちゃんめ、本当に口うるさい女だごめちょ!!!

 

 

 永遠の煩悩者 

 

 第十三話 植えつけられる文化

 

 

「一体! エニに! 何をしてやがった!!」

 

『私は何もやってないぞ!』

 

「嘘つけ! お前以外のだれがあんな触手を呼び出すっていうんだ!!」

 

 それほど広くない一室で、バンダナがトレードマークの青年、横島が日本刀に向かってなにやら怒鳴っている。常人が見れば黄色い救急車が必要な人かと勘ぐるところだが、幸いな事に彼はまともだ。

 騒ぎで起きたエニは、意外にも、と言うべきか、別に『天秤』に関して文句も何も言わなかった。むしろ嬉しそうにしていたくらいだ。ひょっとしたら途中で起きていたのかもしれない。赤い顔で白い粘液をふき取るその姿は、見るべきものが見れば涙を流すだろう。

 触手は部屋の隅で忙しなくうねうねしている。どうやら自意識があるようで、先っぽをエニに向けているところを見るに、まだ触手プレイを諦めたわけではなさそうだ。

 横島の厳しい尋問の中、『天秤』はいかにしてこの状況を乗り切るか、必死に考えていた。知的な紳士としては、やはり触手を使えるなんて特技は格好悪いから秘密にしておきたいから――――――ではなく、そんな力が使えると知られたら警戒されるかもしれないからだ。少なくとも建前はそんなところである。

 

『ば、馬鹿な! 何を根拠に……大体、触手なんてものを普通作り出せるわけなかろう!!』

 

「アホか! 触手ぐらい別にあって普通だろうが!!」

 

 思ってもいなかった触手の評価に、『天秤』は首も無いのに首をかしげる。

 

『普通……なのか?』

 

「こんなに優しくないファンタジー世界だ。触手だってあるさ。いや、無きゃおかしい!!」

 

 ふんと鼻を鳴らし、横島は当然のようにそう答えた。

 そういうものなのかと、『天秤』は頭もないのに頭を捻る。世間なれしていないせいか、この辺りの感覚がいまいち掴めない。もっとも、横島を基準で世間を論じるなど、どれほど世界を馬鹿にしているか分からないが。

 

「しかし、ようやく本性を表したな。このペド剣!!」

 

『違う!! 大体、ペドとはなんだ! 意味はわからんが絶対に私を侮辱しているだろう!!』

 

「カマトトぶってんじゃねえ! 色々知ってる癖に!」

 

『本当に知らんのだ!』

 

 では、説明しましょう!!

 

「えっ?」

 

『なっ!!』

 

 ロリコンというのはロリータ・コンプレックスの略称なのですわ。

 意味はものすごく簡単に言いますと、小さい女の子が大好きということなのです。

 ちょっとがんばれば、ちっちゃい女の子とも十分に仲良くやれますわ。

 日本の男はロリコンが多いというのが、ここ最近の通説なのです。

 恥ずかしがる必要はありませんわ。

 

 それで、ペドフェリアというのは、小さい女の子を性的な意味で求めるということなのです。

 一種の異常性愛とも呼ばれています。

 異常……甘美な響きですわ。

 個人的には多少痛みが伴うぐらいちょうどいいと思いますが……まあ人それぞれでしょう。

 それでは今日はこの辺で失礼しますわ~わ~わ~。

 

(何をやっているのですか『法皇』様~!?)

 

 いきなり聞こえてきた己が上司の声に『天秤』は悲鳴を上げたくなった。しかもエコーまでかけると言うご丁寧ぶり。

 主は勘が鋭いから不用意な行動は慎めと言っていたくせに、こんなことをしていいのだろうか。というか、今の声は何処から響いてきたのだろうか。

 

「おい『天秤』」

 

『なんだ! 知らんぞ、私は何も知らん!』

 

 今の声は何だったのか、何て質問が来たらどう答えたらいいのか。

 『天秤』は初めて己の上司を恨んだ。

 だが、『天秤』が問題だと思った事は、横島にはどうでもいいことだったらしい。

 

「何言ってやがる。ナレーションの人に話しかけられることなんて、別に珍しいことなんかじゃないだろ」

 

『はっ?』

 

「俺もナレーションの人と話したことがあったしな」

 

「お兄ちゃん凄いよ。エニもお話したいよ」

 

「あ~~もっと大人になってからな。結構ムカツク奴だから」

 

 和気藹々とナレーションについて話す二人。

 意味がさっぱり分からない『天秤』は混乱するしかない。

 

『ナレーションとはなんだ!! 説明を要求する!!』

 

「テンくんうるさいよ」

 

「ああ、もう少し静かにしろよ」

 

 声を荒げる『天秤』に二人が注意する。

 しかし、『天秤』としては、何故自分が怒られなければいけないのか、到底納得できるものではなかった。

 

(何故、私が責められねばいかんのだ?)

 

 納得がいかないことが多々あるが、『天秤』は一つの事を理解した。

 自分はまだまだ勉強不足であるということ。知識も経験も絶対的に不足している。

 もっと貪欲に、様々な事を覚えていなくてはいけない。

 そんな風に考え、『天秤』は自身を戒める。基本的に彼は真面目なのだ。

 

「ねえ、テンくん……その……あの……」

 

 何故かエニが顔を赤くしてもじもじしている。

 

『なんだ?』

 

「え~とね……ニュルニュルでエニに何しようとしたのかな~」

 

 エニは顔を赤くして尋ねた。

 その瞳には期待と不安と、その他諸々の感情が溢れていたが、キラキラと宝石のようにその瞳を輝かせている。

 エニ自身も、胸がドキンドキンと高鳴っているのを感じていた。エニの質問に、『天秤』は素直に答える。

 

『服がめくれあがっていたから、直そうとしたのだ……悪かったな、汚してしまって』

 

 『天秤』の答えに、エニはきょとんとした顔をした。

 

「それだけなの?」

 

『他に何がある?』

 

「う~んとね、他って言ったら……」

 

 『天秤』の質問に少し考えて……

 ボン! という擬音が出てきそうなほど、エニは顔を真っ赤にした。

 目じりには涙が浮かび、体はプルプルと震えだす。

 

「うあ~ん! エニ汚れちゃってるよ~」

 

『すまん。確かに服や顔をべたべたに汚してしまったな』

 

「そうじゃなくって……うう~! エニって全然『無垢』じゃないよ~」

 

『えーい、泣くな! 悪かったと言っているだろうが!』

 

 二人の思考は10万光年離れていた。

 『天秤』が謝れば謝るほど、エニは自分が汚れていると泣きたくなる。エニの言っている『汚れている』と『天秤』の言っている『汚れている』は、まったく意味合いが違うのだ。

 思考のすれ違い。勘違い。これこそラブコメの王道だろう。それに、『天秤』は自分が触手を操ったと認めてしまっていた。元々バレバレだったので、そこらへんは横島もエニもスルーだ。触手は部屋の隅でいまだにウネウネしている。

 

「ギャルゲー主人公の特権である、鈍感スキルを使うのか! 貴様はーーー!!」

 

 くさいラブコメに耐え切れなくなった我らの主人公が、全世界の男を代表して行動してくれた。栄光の手を作り出し、『天秤』に向かって切りかかる。触手神剣と幼女のラブコメなど、男にとって認められるものではない。

 だが、しかし。

 

「テンくんに何するの~~!!」

 

 恋路の邪魔をするものはなんとやら。エニは『無垢』に雷を纏わりつかせて横島に押し付けた。

 

「あべべべべべべ!!」

 

 よくある漫画のように、電撃を喰らった横島は全身骨格を浮かび上がらせ絶叫した。プスプスと食欲を誘う匂いを出しながら、その場に崩れ落ちる。

 

「大丈夫だった、テンくん」

 

『う、うむ』

 

 意外なほど苛烈で容赦の無いエニの行動に、『天秤』は密かに冷や汗を流していた。少々やりすぎかもしれない。

 

「……お礼は」

 

『何?』

 

「ありがとうとか、キスしてくれるとか、もう抱かずにはいられないとか……」

 

 何を言っているのだ、このスピリットは。

 『天秤』は間違いなく頭痛を感じていた。神剣だから頭が無い……なんて事ではない。思考にノイズが走るというか……蛆が湧くとでもいうか……

 お礼でも何でもいいからして、さっさとこの場を流してしまおうと、『天秤』は考えた。

 

『助かった……ありがとう』

 

「いいんだよ、お礼なんて」

 

『……はっ?』

 

「エニとテンくんの中だもん。水臭い事なんて言いっこ無しだよ!」

 

 ズキンと頭の痛みが酷くなる。

 

『おい! お前は確かお礼を言えと言っただろうが!!』

 

「それはそれ。これはこれって奴だね」

 

『ちょっと待て! それとこれは同じ事だろう!!』

 

「どれ?」

 

『だからそれ……くぅぅ、私も何を言っているのか分からなくなってきたぞ』

 

「テンくん好きだよ~」

 

『人の話を聞け!!』

 

「テンくんは人じゃないよ」

 

『いい加減にしろ! 本気で怒るぞ!!』

 

「怒ったテンくんも大好きだよ!」

 

『じゃあ泣くぞ! 泣けばいいんだな!?』

 

「泣いたテンくんは食べちゃいたいよ」

 

『………………』

 

「放置プレイも趣があって悪くないよ」

 

『ほ、法皇様! 無理です! エニを使って感情の勉強など不可能ですー!!』

 

「混乱してるテンくん……ハアハア」

 

 混乱して「もうダメだー!」と叫びまくる『天秤』

 その『天秤』を見て、恍惚とした表情で悶えるエニ。

 とりあえず、二人ともまともなファンは諦めた方が良さそうだ。

 

「こんちくしょ~~!!もう怒った、お尻ぺんぺんの百叩きの刑じゃあ~!!」

 

 朝っぱらからラブコメを見せられ、さらには子供にもやられて、横島の堪忍袋の尾が切れる。

 さっと左手でエニを脇に抱きかかえ、右手を振り上げ、振り下ろす。

 

 パシーン!!

 

 エニのお尻から高い音が上がる。

 

「痛いよ~!」

 

「うっさいわ! もう一発!」

 

「一発なんてやだよー! テンくん助けて~!!」

 

 エニの助けを求める声に、『天秤』は脊髄反射したかのように素早く動いた。触手を操り横島に突撃を仕掛ける。二回目のお尻たたきを実行しようとしていた横島は、触手のぶちかましを食らって部屋の壁まで吹き飛ぶ。エニは横島の魔手から解放された。

 その一連の動きに、触手を操った張本人である『天秤』は驚く。同時に後悔した。これで自分はまたエニの評価を上げてしまったに違いない。

 『天秤』はそんな風に思っていたのだが……

 

「テンくんのへんたい~~~!!」

 

『なぬ!?』

 

 エニから思いもよらぬ評価を受けて、『天秤』は妙な声を上げた。

 一体どうして変態などという評価になってしまったのか。

 

「男の触手プレイなんて、世界の誰も望んでいねえだろうが!! この変態神剣!!」

 

 横島がオーラフォトン触手を引き剥がしながら、鬼の形相で『天秤』を一喝する。その怒りは、先ほどの比ではない。その怒りの理由は、もちろん気色の悪い触手に巻きつかれたということもある。しかし、なにより触手という、ドリルとはまた違った意味での漢の夢を汚した事に、横島は怒っているのだ。

 

 横島も怒っているが、それ以上に激怒しているのは間違いなく触手だった。

 『天秤』が生み出した触手は、生まれながらにして触手としての意思を、役割を、魂を持っていた。知識も十分備わっており、当社比1.8倍ぐらいの高い触手素養を持ち合わせていた。所謂、エリート触手である。

 

 生まれてきた触手は、始めは歓喜した。目の前にはあられもない格好で寝ている幼女。自分の操をこの幼女に捧げられるのだと。そう、この触手は神聖なるペド触手だったのだ。だが、ここで触手にとって予想外な事が起こる。なんと、生み出してくれた創造主には触手属性が無かったのだ。

 目の前で好みの幼女が隙だらけで寝ているというのに、自分がやっている事は外れたボタンを掛け直すこと。

 触手は絶望した。この世界には18禁は無く、ロリもペドも存在しないのかと。

 結局なんだかんだで、その場はうやむやになってしまったが、まだチャンスはあると機会を窺っていた。しかし、まさか男に絡みつく事になるとは。

 これでは自伝すら書けないではないか。後輩触手への武勇伝すら吹聴できない。男に飛びついた触手などと、触手界で噂でもされようものなら、首を吊って自殺するしかないではないか。

 触手は己自身を激しく震わし、床や壁を叩きまくった。この責任をどう取ってくれるのかと。

 

『何を怒っている? エニ、触手プレイとは何だ?』

 

 一人と一匹が何故怒っているのか、単純な知識不足を解消しようとした『天秤』の質問だった。しかし、それを女の子であるエニに質問するとは。無知とは恐ろしいものである。

 質問されたエニはどのように言語化して説明していいか分からず、そのくせ触手プレイの視覚映像だけは頭に引っ切り無しに流れ続けた。顔は太陽のように真紅に染まり、羞恥心は二百パーセントオーバー。もはや説明できる状態ではない。

 

「あ……ひゃ……う……うわ~ん! お兄ちゃん、テンくんが羞恥プレイを要求してくるよ~~!!」

 

「くそ! ここまで腐った神剣だったとは!!」

 

『どういう意味だ。羞恥プレイとは一体!?』

 

「うわ~ん! うわ~ん! うわ~ん! テンくんのバカバカバカーー!!!」

 

『がああ! 分からん! まったくもって分からん!!』

 

 横島とエニが一体何を言っているのか、まるで理解できない『天秤』は遂に思考を放棄して叫び始める。

 利害関係で人と人との結びつきを考える『天秤』には、天然かつ無駄に純粋で妙な知識を持つエニの手綱を取る事はできず、また、高い変態性を発揮して、それでいて妙な倫理観を併せ持つ横島を理解する事も困難だった。

 仕方なく、『天秤』は助っ人を呼ぶ事にする。

 

(おいルシオラ! 触手プレイや羞恥プレイとは何だ! 何故エニは泣く? 説明を要求する)

 

(う~ん。羞恥プレイは、相手に恥ずかしい事をさせる事かな? 触手プレイは……相手に触手を絡ませる事……でいいと思うけど)

 

(それで、何故エニは泣く?)

 

(あはは。ごめんなさい、貴方と話していると、自分が凄く汚れているみたく感じちゃうわ)

 

 それだけ言うと、ルシオラからの声は聞こえなくなる。

 羞恥プレイや触手プレイの意味だけは分かったが、その本質を『天秤』は理解する事はなかった。

横島とエニは部屋で暴れ、『天秤』は悩み続け、触手は白濁液をまき散らかす。

 

「貴方は静かにするということを知らないのですか!!」

 

 結局、騒ぎはセリアがアイスバニッシャーで部屋を氷付けにするまで続けられるのであった。

 

 騒がしい一日の始まりである。

 

 ―――――午前

 

 剣戟の音が飛び交う。気合の声と怒声が重なり合う。

 ここはラキオス訓練場。

 戦う為の存在であるスピリットは、その生活の大部分は訓練に当てられる。基本的に朝から晩まで訓練の毎日。もちろん、戦争とは剣を振るだけではないので、様々な書類整理や戦術の知識を身につけるのも訓練の一部である。

 ただ、炊事や洗濯等の日常生活はスピリットだけで行わなければいけない。その為、午前いっぱいか、午後いっぱいのどちらかは完全に戦闘訓練に振り分けられ、そのほかの時間を哨戒や家事などに当てられるのが普通だ。

 

 横島も、意外と真面目に訓練をしていた。

 成長したいという欲求は横島から消えることはないし、本当に命の危険もあるのだ。渋々ではあるが、精一杯横島はがんばっていた。無論、理由としてはそれだけではないのだが。

 そんな横島は現在、神剣を構えて悠人と相対していた。

 悠人は肩で息を繰り返し、全身に赤い線を作り、押せば倒れるほど弱っていた。対する横島は疲労も傷も見られない。

 

(女の子にもてるための獲物になってもらうぜ!)

 

 そんな打算が横島には働いていた。

 強い男が好かれるなら、この訓練時は自分をアピールする絶好の機会。

 これだけ美女に囲まれているのだ。横島ならずとも、少しでも自分を良く見せたいと思うのは当然だろう。

 自分をより良く見せる方法で簡単なのは、比較対象を作ることである。相手を下位に持って来ることで、自然と自分が上位の位置にいけるからだ。無論、比較対象は男である必要がある。つまり、悠人しかいないのだ。

 不純な理由だが、なんとも横島らしいと言える。女の子を守る為、女の子に良い格好を見せる為、エロの為。己を鍛えるのに、これ以上の理由など必要ないのだ。

 だが、真面目に訓練している割には、それほど成長しているとは言えなかった。

 横島は現在、ラキオスに伝わる剣術を習っている。しかし、どうにも覚えの程は良くなかった。

 理由として、正統派の剣術は横島らしい戦い方に合っていないのである。それに剣術の才能は横島には無かったらしい。剣の腕はさっぱり上がらなかった。

 また、強くならない理由の一つに、横島が奇才で強すぎるというのもある。

 基本もクソも無い動きでありながら、正規の剣術を打倒してしまう横島。それは、霊力と高位神剣の恩恵があるからでもあるが、それだけではなかった。

 せめて正規の剣術で横島を打ち倒せる者がいれば変わってくるのかもしれないが、彼を倒せる者などラキオスには存在しない。いや、ラキオスのみならず、霊力というものが存在する完全に別世界から来た横島を倒せる者など、このファンタズマゴリアに存在しているのだろか。

 

「はあっ!」

 

 追い詰められた悠人が、全力で『求め』を振り下ろす。しかし、横島はそれを鼻歌交じりでひょいと避けた。反撃が来ると、悠人は前面にオーラの壁を作り出して防御を固める。

 少しずつ動きがしっかりしてきていると横島は感じたが、それでもまだまだ児戯に等しい動きだった。

 左手の掌に霊力を集めて握り拳を作る。そして、守りを固めている悠人の前で拳を開いた。掌から閃光が放たれる。それも、悠人に向かってピンポイントに。マナを使うよりも、こういった霊力の小技を使えるように横島は成長していた。

 

「くそ、見えない!!」

 

 視界が塞がれ、苛立った悠人の声が響く。

 閃光が消え、視界が戻ったとき、そこに横島の姿はない。一体何処へ行った、と思う間もなかった。

 ひざに妙な衝撃が来て、力が抜けて倒れこんでしまう。

 横島がニヤニヤと楽しそうに笑っていた。

 悪ふざけの定番、ひざかっくんをやられたのだ。

 

「ふざけんな!!」

 

 真面目に訓練をしている悠人は、おちょくられ馬鹿にされ、すっかり頭に血が上ってしまった。渾身の力を込めて『求め』を振り上げ、振り下ろす。エスペリア達が呆れるほどの大振りで、横島からすれば目を瞑っていても避けられる一撃。

 横島はあっさりとその一撃をかわすと、今度は防御行動を取れなかった悠人の腹に容赦なく『天秤』をつきたてた。

 最初の方は、刃物で、男とは言え人間を突き刺すのを躊躇した横島だが、繰り返し戦っているうちにすっかり慣れてしまった。『天秤』の手伝いも影響しているようだ。

 

「がっ!!」

 

「わははは! よわい、よわいぃィィィーー!!」

 

 地面にうずくまる悠人。それを見て横島は高らかに笑う。

 

「これで9戦全敗ですか……」

 

 残念そうにエスペリアが呟いた。すぐに回復魔法を詠唱して、悠人を回復させる。

 

「大丈夫ですか、ユート様?」

 

 怪我は治したが、疲労までは回復させられない。毎日のようにやられていては、精神的な疲労も溜まっているだろうと、エスペリアは心配だった。

 たとえ死んだとしても、死んだ直後ぐらいならエスペリアの蘇生魔法で生き返らせるのも別に難しいことでもない。だが、精神的な疲労や長期的な疲れは魔法でも回復は出来ないのだ。

 

「くぅ……」

 

 ゆっくりと悠人は体を起こす。疲労困憊といった様子だが、その目にはいまだ闘志が込められたままだ。

 

「もう一度だ!」

 

 愚痴も文句も何一つ言わずに、悠人が『求め』を構える。横島もめんどうくさそうに『天秤』を構えた。

 本日10戦目となる横島と悠人の戦い。

 もう体力的にも時間的にも余裕が無いので、これが最後になるだろう。

 悠人は必死に頭を働かせていた。

 

(どうすりゃ横島の奴に剣を当てられる……)

 

 アセリアすら認める超反射神経。戦闘経験も向こうのほうが遥かに上。精神的な余裕も負けて。さらには霊力という横島だけの力すらある。

 

 横島はラキオスで一番強い。神剣無しでも、文珠無しでも、スピリットと十秒は戦える人外の化け物レベルだ。

 そんな化け物が高位の神剣を持っているのだから、たまったものではない。

 とは言っても単純に力だけで見ると、横島の力は悠人と大して変わりなかった。

 むしろ、力だけで見れば神剣の位が高い悠人のほうが上だろう。

 しかし、どんな力も当てられなければ意味は無い。そして、当てるためのスキルを悠人は持っていない。

 

『契約者よ、何をやっている。いい加減、あの男から一本を取ったらどうだ』

 

 苛立った『求め』の声が頭に響く。

 己の契約者がいいように負けている姿に納得がいかないようだ。

 

『忘れるな。全ては対価と代償だ。リスクを恐れては誰にも勝てん』

 

(助言でもしてくれてんのか?)

 

『我は真理を語っているだけだ』

 

 それだけ言って『求め』は沈黙する、同時に全てを破壊できるような力が流れ込んできた。湧き上がってくる破壊欲のようなものを必死に押さえ込みながら、悠人は思考する。

 

 代償。横島を倒すために必要な代償。

 悔しいが、横島との実力差は明白である。

 何でも、七福神が乗る宝船を乗っ取ったり、月でかぐや姫と会って悪魔と戦ってついでに生身で大気圏突入したり、果ては魔王を倒したりもしたらしい。

 どこから何処までが本当なのか悠人にはさっぱり分からなかったが、少なくとも潜り抜けた修羅場は半端ではないようだ。つい数ヶ月前まで普通の高校生だった悠人とは経験が違いすぎる。

 その経験量を覆すほどの代償。

 悠人の頭に一つの考えが浮かぶ。策ともいえぬ策に、悠人の顔が歪んだ。

 思いついた作戦は、かなり痛い作戦。何故、訓練でそれほど痛く苦しい目に合わねばいけないのだ。却下だと、思いついた作戦を放棄しようとした悠人だったが、ふと横島の顔を見た。

 締りの無い、ゆるい顔。なにより、こちらをバカにしている顔だ。

 それほど自尊心が高いわけでは無い悠人だが、不思議なぐらいに腹が立った。横島という男は、人をイライラさせる天才ともいえる。ある意味、人を熱くさせる男なのだ。

 悠人は決断する。この男を叩きのめす為なら、どれだけ苦しくても構わないと。

 

「行くぞ、横島!」

 

 大上段に『求め』を構え、一直線に突っ込む。隙だらけの猛進に、横島や他のスピリット達は呆れた。今までと何にも変わっていないと。めんどくさそうに横島は『天秤』を突き出す。

 軌道の差から、横島の『天秤』の方が先に悠人を貫くだろう。この後の展開を横島は予測する。考えられる展開としては、避けるか、弾くか、相打ち覚悟で神剣を振り下ろすかのどれかだろう。

 避けてきたら、これだけの勢いのある突進をしているのだから、間違いなく体制を崩すだろう。そこを狙えばいい。『求め』で弾こうとしてきたら、さっと『天秤』を引く事で避け、やはり体制を崩すだろうからそこを狙う。相打ち覚悟で来たら、恥も外見も無く逃げ回ればいい。逃げ続けていれば、勝手に疲弊していくだろう。

 結局の所、パワーやスピード云々ではなく、戦士としての格が違うのだ。戦いの主導権は常に横島が握っていた。しかし、ここで捨て身というものの恐ろしさを、横島は味わわされる事になる。

 

 ズブリ!

 

「ぐっ!」

 

「んな!」

 

 悠人の取った行動に横島は驚きの声を上げる。

 見守っていたアセリア達も目を剥いて驚いた。

 それはそうだろう。悠人は攻撃も防御もせずに、横島の突き出した『天秤』に自ら突っ込んだのだから。

 大上段に『求め』を構えたまま、振り下ろしもせずに『天秤』に突撃するという行為は、横島の思考能力を著しく低下させた。すぐに『天秤』を引き抜くか、若しくはマナと霊力を悠人にぶつけてやればよかったのだが、捨て身の突撃は咄嗟の判断力を奪っていた。

 

「捕まえ……たぞ!!」

 

 苦しそうではあるが、凶悪な笑みを浮かべて悠人は『天秤』を左手で掴む。そして、右手に持った『求め』にオーラを通す。

 ここにきて、横島も他のスピリットも悠人の意図に気づいた。

 

「こ、この……離しやがれ!」

 

 横島は必死に『天秤』を引き抜こうとしているが、悠人は左手で『天秤』を掴み引きぬかせない。

『天秤』を掴んでいたらやられると判断した横島は、『天秤』を離して後ろに跳ぶ。次の瞬間、横島の顔、数センチ距離で白刃が横切った。

 

「や、やべえ!」

 

 悠人の一撃こそ避けたが、横島は『天秤』が手から離れ、神剣が与えてくれる超絶的な力が消えていくのを感じた。

 戦力差は逆転した。傍目には横島有利に見えるだろう。

 何と言っても悠人の腹には日本刀型永遠神剣『天秤』が突き刺さっているのだから。

 だが、この戦いは手負いの狼と、無傷なウサギの戦いのようなものだ。

 神剣から与えられる力は絶対的なものがある。最強の剣士であったとしても、人間では神剣使いに勝てないほどなのだ。神剣を手放した横島の戦闘能力は、ラキオス最弱。

 霊力があろうとも、この差を埋めるのは厳しい。

 文珠を使えばどうにかできるかもしれないが、こんな訓練に文珠を使えるほどストックはない。

 この一週間で作れたのはたったの一個。こんな訓練で使うことなど出来るはずもない。それに使っても勝てるとは限らない。

 どうすれば悠人に勝てるのかと考えていた横島だったが、少し考えてあることに気づく。

 

「ふっ、甘いな悠人。ヨフアルにトコロテンと生クリームをぶち込むよりも甘い!!」

 

「何だと!! それは甘すぎないか!?」

 

「そっちに驚くのか! ふっ、まあいい。カモン! 『天秤』!!」

 

 はっとして、悠人は腹部に突き刺さっている『天秤』を見る。

 『天秤』は普通の神剣とは少し違う事を思い出した。

 通常の神剣は剣の形のままで固定されている。唯一変化するときは、砕かれてマナの霧になる時だ。

 だが『天秤』は違う。『天秤』は普段は横島の中に存在して、必要になったら現われるようにしている。つまり、『天秤』は自力で横島の元にいけるのだ。

 笑う横島に、青ざめる悠人。完全に明暗が分かれたかのように見えたが、次の瞬間、その表情は逆転する事になる。

 

『断る』

 

 なんと、『天秤』が拒絶の返事を出したからだ。

 

「なんだそりゃあ! お前は、俺に力を貸すんだろうが!!」

 

『ふん、私の力を必要最小限しか引き出さない癖によくそんな事が言えるな』

 

 不機嫌を隠しもせずに『天秤』が文句を言う。

 『天秤』は不満だった。横島が自分の力を少ししか引き出さないことを。

 本気で力を引き出してくれれば、力の弱った『求め』よりも力があるというのに。

 

「無駄な力なんて必要ないんだよ。それに、お前を使っていると嫌な感じがするしな」

 

 横島の危惧は確かに当たっている。『天秤』の目的は、横島の精神を弄くって洗脳していく事である。洗脳は、横島と『天秤』の結びつきが強くなればなるほどやりやすくなる。つまり、横島が『天秤』の力を引き出せば引き出すほど、横島は自我を失っていくのだ。

 悠人の場合はそれを理解していて、それでも神剣が無ければ戦えないので、自分を失う恐怖と激痛に耐えながら戦っている。

 だが、横島の場合は少し違う。横島には豊富な戦闘経験と霊力が備わっている。確かに神剣の守護がないと戦うのは厳しいが、戦闘そのものは不可能ではない。悠人よりも恵まれている横島としては、わざわざ訓練で神剣の力をそこまで引き出す必要が無いのだ。

 互いの思惑がぶつかり、横島と『天秤』の間に険悪な雰囲気が漂う。

 

「何だか分からないが、失敗したみたいだな。この勝負、貰ったぞ!」

 

 空気は読まず、勝機を読んだ悠人は、その隙に『求め』を中段に構えて、じりじりと間合いは詰めてくる。腹に深く刺さっている『天秤』の所為で、相当な痛みに襲われているはずの悠人だったが、それを感じさせない笑みを浮かべていた。

 

(こりゃ、勝てんな。無理に戦う必要なんてない……降参すっか)

 

 横島は降参する事を決めた。わざわざ戦う必要などない。

 負ける事への悔しさは少しあるが、痛い目に合うことのほうが遥かに嫌だ。

 既に十分勝ったのだ。一回ぐらいの負けても別にいいだろう。

 

「降参す―――」

 

 降参の意を伝えようとした横島だったが、そのとき一つの声が上がった。

 

「ヨコシマ様~もしも神剣無しでユート様に勝てたら、お姉さんがチューしてあげますよ~」

 

 そんなハリオンの提案に、横島がどう返答したのか、言うまでもない。

 

「ぐははは! ハリオンさんのキス! 死ぬがいい悠人!!」

 

 美女のキスのためなら神にさえ弓を引きかねん男。横島。

 いや、実際に引いたことがある。横島は煩悩を満たすためなら、日本一、いや、世界一の漢となるのだ。

 

 ゴゴゴゴゴ!!

 

 そんな感じの霊力が、横島を中心に吹き荒れる。

 霊力を感じ取れないセリア達も、何かが変化したことは何となく感じ取った。

 

「……ヨコシマ様から感じる圧力が増した!? ハリオン、どういうこと!!」

 

「知らないんですか~霊力って力は~煩悩でパワーアップするんですよ~」

 

「それって……」

 

「エッチになればなるほど強くなるんです~」

 

「霊力って……」

 

 驚愕の事実にセリアは頭を抱える。

 常識外れの人物で、常識外れの力だとは思っていたが、これほどとは思っていなかった。

 霊力と言う力に心底呆れる。横島のせいで霊力という存在が物凄く変という認識で異世界に広まっていた。

 

「これが愛の力ですか」

 

「ナナルゥ、それは違うわ!」

 

 ある意味純粋なナナルゥは、横島の影響をもっとも受けている一人だ。

 ヒミカとしては、変わり始めているナナルゥは歓迎だが、どうも良からぬ方向に変わり始めている気がする。

 この前のナナルゥは確かに変だった。あれはきっとヨコシマ様の所為だ。間違っても素であるはずがない。あってたまるか。

 

(ユート様と交換してもらえないかしら?)

 

 ヒミカは半ば本気でそう思っていたりする。

 横島は悪人ではないが、変人だ。今、この場面を見ただけで普通じゃないと分かる。

 この変人隊長が子供たちやナナルゥにどんな悪影響を与えるのか、年長者として心配でしょうがない。なにより、自分自身も色々と心配だった。

 不快感や呆れの感情を持っていないのは子供ぐらいだ。

 同性であり、近い世界の住人である悠人も、横島の女好きには正直引き気味だ。

 

「横島……お前って…」

 

「何呆れた目をしてやがる! 男は女のために動くときこそ、力を発揮するものだろうが!」

 

 言っている事は格好良く聞こえるが、実際は女の色香に惑わされただけだ。

 だが、女の色香に惑わされた横島こそ、最強の横島といえる。

 

「まあいいさ。いくら横島でも神剣無しで勝てるわけ……ないだろ!」

 

 鉄の床を踏み砕き、コンマ数秒で時速200キロ近くにまで到達して、神剣を横薙ぎに振るう。人間では避けられるはずも無い一撃であったが、煩悩全開状態の横島は反応した。

 腰を屈めてしゃがみ込み、頭上数センチを悠人の剣が通り過ぎる。

 その隙を突いて、サイキックソーサーを作り出し、悠人に至近距離からぶつけようとした。

 だが、悠人は既に神剣を上段に構え振り下ろす体制に入っていた。やはり、神剣の加護を受けている悠人に、速さで勝つのはできないようだ。咄嗟にサイキックソーサーで振り下ろされる一撃を止めようとしたが、『求め』に込められたオーラの量が大きいと分かり、防御をやめて後ろに飛ぶ。

 横島の鼻先を掠めて、『求め』が鉄の地面に振り下ろされる。鈍い大きな音と共に、鉄の地面が跡形も無く粉砕され粉塵が巻き起こる。流石の横島もこれをくらったらひとたまりも無い。

 

「殺す気か!!」

 

「死んでもエスペリアが生き返らせてくれるさ」

 

 慌てた横島に、悠人は得意そうに喋る。自分が優位に立っているのが分かったからだろう。今まで散々いいようにやられてきた鬱憤を晴らそうとしていた。

 

 一方、横島はどうやって悠人に勝ってキスを貰うかを必死になって考えていた。

 先の攻撃を防御ではなく避けたのは、間違いなく正解と言えた。

 鉄の地面を砕くではなく陥没させるほどの一撃では、サイキックソーサーでも受けきれない。

 最高まで硬く小さく展開すればサイキックソーサーでも受け止められるかもしれないが、受け止めたときの衝撃で腕が折れるだろう。悠人の攻撃は、避ける以外の選択肢が無い。

 

(しかし……どうすりゃいいんだよ)

 

 一番攻撃力があるサイキックソーサーを投げつけても、気合一つで吹き飛ばされる。

 栄光の手では打ち合うこともできない。

 何より身体能力にかなりの差がついてしまった。

 神魔と一般人とまでは言わないが、子供とプロレスラーぐらいの差はある。いくら煩悩パワーで強くなってもその差は埋めようが無い。

 

 力の差を理解している悠人は、そのまま突撃して連続で剣を振るう。圧倒的なパワーとスピードによる斬撃の嵐。それでも、全ての力を回避のみに費やせば避けられないほどではなかった。相変わらず、悠人の剣筋は粗く、見やすい。ただ速いだけである。剣を振って避けられたら次は当てようとして、大振りをしていた。虫を相手にするのに、殺虫剤ではなく大砲を撃っているようなものだ。

 だが、それゆえ一撃入れば終わり。神剣に守護されていない横島は、音速を超えた為に発生するソニックブームだけでダメージを負っていた。当たった覚えはないが、ラキオスの副隊長服である黒い羽織はぼろぼろになり、体のあちこちに鈍い痛みを感じる。もしも触れたら、その時は切られるではなくバラバラになってぶっ飛ばされる事だろう。

 その事を理解して、エスペリアは蘇生呪文をすぐ使えるよう精神を集中させていた。

 

(くそ、いくら悠人が素人でも、いつまでもこんな事やってられねえっつーの)

 

 もし相手がアセリアなら、瞬殺されていただろう。

 ネリーやヘリオンにだって勝てない。

 相手がパワーだけの悠人だからこそ、横島はしのいでいられた。

 だが、いつまでもしのげるわけではない。

 

 勝つ方法は一つだけだと、横島は理解していた。

 相手の隙を付き攻撃する。

 防御はさせない。

 急所に、力を一点に集中させた一撃を与える。

 これ以外に無い。

 

 幸い、横島に攻撃を当てられない所為か、悠人の動きはどんどん雑になっていく。あと少し耐えれば、確実にチャンスは生まれる―――はずだった。

 

「……ユート、体が開いてる。……ん、小さく剣を動かせ」

「パパなら蹴ったり殴っても、ヨコシマ様を倒せるよ」

「障壁を展開させ、壁際に追い詰めるのもいいかもしれません。落ち着けば勝てます」

 

 その様子を見ていたアセリア・オルファ・エスペリアが、悠人にアドバイスする。

 冷静さを失いかけていた悠人だったが、そのアドバイスで冷静さを取り戻したようだ。

 

「サンキュ」

 

「……ん」

 

 悠人の礼に、アセリア達が頷く。

 まだまだ小さいが、確実に絆と呼ばれるものが芽生えていると感じ取れるしぐさだ。

 悠人はふうっと小さく呼吸すると、剣を型どおりに構え直した。

 このままでは絶対負ける。

 横島は自然とそのことが分かった。

 

「俺にも何か助言は!!」

 

 セリア達に向かってそう叫ぶ。何か良い助言が欲しかったし、何より助言が貰えた悠人が羨ましかった。

 横島の叫びに、ネリー達が答える。

 

「がんばれー」「がんばってください」「フレーフレー」

 

 子供達のなんともやる気の無い声援が耳に届いた。

 助言はまるで役に立たない。どうやら、一回ぐらい悠人に勝たせたいと、セリア達は思っているようだ。別に横島に負けてほしいというわけではなく、ただ一生懸命にがんばっている方を応援したいという、人としての心理だろう。

 また、キスという不純な動機で頑張っている方を応援するのは、心理的に抵抗があるのかもしれない。そこに嫉妬等の感情は含まれてはいない。少なくとも、今のところは。

 

(く、くそ。もうこうなったら、文珠を使うしかないか……)

 

 間違いなく切り札と呼べる文珠を使うかどうか、横島は思案する。

 やはり勿体無いような気がする。しかし、ハリオンさんのキスが掛かっているのだ。

 文珠を使うか、使わないか。迷った横島だが、ここでふと雇用主の事を思い出した。

 己の上司の厚顔で不遜で尊大で、全てに屈しない最強の後姿。

 神や悪魔を敵に回してもこの人だけは敵にしたくない。三界に悪名を轟かす守銭奴。

 あの人ならどう戦うか。あの人なら、どれほど力の差があろうが、悠人に負けるはずがない。

 単純に強さという点だけで考えれば、横島の脳裏に思い描かれるのはゲーム猿や小竜姫などの人外だ。これは当然だ。基本的に人間とは存在がまるで違うのだから。

 だが、最終的に勝利するのは誰かと考えると、それは決まっていた。誰であろうと、あの人のハイヒールで踏まれて泣きを見るのだ。

 一体、彼女の何が一番恐ろしいのか。高い霊能力? 強力な装備? 頭の良さ? 金に対する執着力?

 それもあるだろう。だが、彼女の恐ろしさの根幹は何か?

 それは――――性格の悪さだ!!

 最高の笑顔で敵を踏みつけている美神の姿を思い浮かべ、横島の顔には苦笑と、脳裏には閃きが生まれた。

 

「おい、悠人。切り札を使わせてもらうぞ」

 

 これ見よがしに文珠を掌に出現させ、その存在をアピールする。

 横島は決めていた。文珠を使って戦うが、文珠を使用しない。

 こう考えると、矛盾しているように聞こえるが、別に矛盾はしていない。

 あの龍との戦いの際、文珠に新しい力……いや、新しい使い方があるのが分かった。それを上手く使えば十分可能なはずだと。

 その新しい使い方を生かすためには、相手が文珠の効力と、漢字を知っていなければならない。その点は、日本人の悠人なら問題なかった。

 相手が文珠の力を知っていれば、相手は文珠に対する対抗手段を考えてくる。そう考えれば、文珠の力を知られてしまう事は良くない事だ。だが、相手が文珠を知っているからこそ、使える戦法もあるのだ。

 策を思いついた横島は底意地の悪い笑みを浮かべる。それは、彼の雇用主の笑顔にどこか似ていた。

 

「むっ……うおおお!!」

 

 時間を与えてはまずいと、悠人は一直線に横島の元へ走る。

 だが、僅かに遅かった。

 横島は悠人に向かって文珠を指で弾いた。

 突撃の進路上にある文珠に、悠人は迷うことなく突っ込んだ。たとえ何が起ころうと、己の防御力を信じて、横島を叩き潰すと決意していたからだ。

 だが、文珠に刻まれた文字は、そんな悠人の決意を色々な意味で馬鹿にしたものだった。

 

『禿』

 

 文珠に込められた文字が、例え炎であっても、剣であっても、果ては死であっても、悠人は臆さない勇気を持って前に出たが、これには驚いた。

 自分が禿になった姿を想像し、思わず体が震える。まだ20にもならないというのに、長い友達と別れるのはあんまりだ。

 

 エトランジェ・ハゲ。

 ソゥ・ハゲ。

 ハゲ様。

 

 髪の存在しない未来には、不毛な絶望が待ち受けている。

 

「くっ!!」

 

 突撃を止めて、文珠を避けようとした悠人を誰が責められようか。

 全力の突進を無理やり止めようとして、バランスが崩れる。このままでは間違いなく転ぶだろう。そうなったら負けるかもしれない。

 髪と勝利。そのどちらを捨てねばならなかった。

 

『お兄ちゃん! 髪のために私を見捨てるの?』

 

 頭に響いてくる脳内佳織の声。

 あくまでもこれは訓練だ。

 ―――――だが、訓練でも佳織を見捨てられるのか? 脳内佳織に泣かれていいのか?

 駄目だ! 例え脳内といえども、佳織の為ならば、髪など惜しくない!!

 

 悠人は、正にシスコンの鏡だった。

 

「う……おおおおおお!!」

 

 悠人は覚悟を決める。横島から一本を取るために、髪を捨てる事を決断したのだ。文珠を無視して、横島に突撃する。

 これには横島も驚いた。悠人の意志力を甘く見ていたと言うしかない。まさか前に出てくるとは思わなかった。先の突撃もそうだが、単なる訓練だというのに、ここまでするとは。

 この場面を生の佳織が見ていたらどう思うのだろうか。感激するのか、はたまた嘆くのか。どちらにしても、色々な意味で涙を流すのは間違いないだろう。

 

 悠人の決意が分かった横島は、文珠の文字を消す。いくらなんでも、こんな所で文珠を失うわけには行かない。文珠はあくまでも相手の行動を制限するための脅しにすぎないのだ。ハゲになった悠人を見たいとは思ったが、それをすればどれほどの非難を浴びせられるかも恐い。結局、文珠は悠人に当たる直前で、禿の文字が消えて発動はしなかった。

 

 逆に不意を突かれ、動きが鈍った横島に悠人が突撃する。

 勝負に出て、悠人の決意に負けた横島にはもはやどうしようもなかった。

 振り下ろされる神剣は必死に避けたが、体ごとの突撃は防げない。悠人は横島に体当たりして、押し倒して床に組み伏せる。

 この時点で勝負あったと、『天秤』は判断した。

 横島の力ではどうやっても悠人を引き剥がせないし、この状態では攻撃を回避することもできない。

 どのように計算しても、横島の保有している戦力では悠人に勝つことは出来ない。それはまったく持って正しい考えだったが、戦いはパワーやスピードだけではない。戦いはもっと非情で、狡猾である事を求められる。

 その事実を、横島はこの場の誰より理解していた。

 

「うぎゃあああ!! ホモだ!! 嫌じゃあああ!! アッー!!」

 

 悠人に押し倒された横島は、気持ちの悪い声で悲鳴を上げる。驚いたのは悠人のほうだ。

 

「おい! 何を言って―――」

 

「隙ありだ!」

 

 悠人の隙を付いて、思い切り頭突きをかます。

 霊力を込めた、コンクリートすら貫ける頭突きだったのだが、逆に痛かったのは横島の頭の方だった。しかし、頭突きは何の防御もしなかった悠人の鼻に大きな衝撃を与え、怯ませる事に成功する。

 次の瞬間、横島は隙をついて脱出に成功していた。

 

「~~!! もう少し真面目にやったらどうなんだ!」

 

「アホか! 真面目にやって勝てるかよ!」

 

 嘘、大げさ、紛らわしい。これが横島の最大の武器であった。広義的な意味で言えば、フェイントと呼ばれるものに近い。基本的に真面目な悠人には、相性最悪と言えた。

 悠人は勝負所を見抜く嗅覚と戦いの才はあるが、やはり経験不足のせいか詰めがどうしても甘い。

 

(こ、こいつは!!)

 

 先ほどアセリア達の助言によって冷めたはずの頭が熱くなる。剣は乱れ、頭は冷静さを欠いた。それに腹には激痛が走り続ける。

 こういった状況下では、人は適切な判断を下せなくなる。さらに朝からの訓練で悠人の疲労は限界に達していた。

 頃合良しと、横島は必殺の一言を口にする。

 

「ああ、佳織ちゃんが―――」

 

「っ!! そうそう何度も引っ掛かるかよ!」

 

 悠人との戦いで何度か横島が使った手なのだが、今の悠人には通じなかった。

 頭に血が昇っているとはいえ、シスコンとて学習するのだ。

 だがしかし、

 

「――――変態ロリコンストーカー男に!!」

 

「なにぃ!」

 

 ああ、悲しきはシスコンが定めか。

 罠だと頭では理解しているのに、どうしても引っかかってしまう。

 兄としての肉体が、シスコンとしての魂が、妹のピンチに反応してしまうのだ。

 

 悠人は横島の指差した方向を見てしまう。

 当然、佳織はそこにいない。

 気が付いたときには、横島は悠人の懐にもぐりこんでいた。

 

「くらえ、48の煩悩技!! 禁技その2!!!」

 

 右手に全霊力を乗せて、大きく振りかぶる。

 狙いは一つ。男の象徴。

 

「煩悩砕き!!」

 

 キィ~~ン!!

 

「――――――――!!」

 

 息子を打ち砕かれた悠人の、もはや人語ですらない叫びが訓練所内に響き渡る。

 女性であるスピリットには決して分からぬこの痛み。

 何故男に生まれてしまったのか後悔するほどの痛みに、悠人は倒れた。

 

「死してシスコン、拾うものなし!!」

 

 最後に勝利の台詞とポーズをビシッと決める。

 あんまりと言えばあんまりな勝ち方に、流石の子供たちさえ拍手は出来なかった。大人たちも可哀想だと、泡を吹いている悠人に同情的な視線を送っている。

 だが、神剣なしで悠人に勝ったのは事実だ。これは正に奇跡と言える。

 まあそんな事は横島に関係ない。今、横島の頭の中を占めていたのは一つだけ。

 

「そ、それじゃあハリオンさん! 早速キスを! ベーゼを! 熱くトロケルぐらいのやつをぶちゅーと!!」

 

「はいは~い。ちょっと待ってくださいね~」

 

 ピョンピョンと飛び跳ねて催促する横島に、ハリオンはニコニコしながら歩いていく。

 本当にキスするのかと、辺りがシーンと静まっていく。

 

「それじゃあ~目を閉じてください~」

 

 言われるままに目を閉じる横島。さあ、早くキスしてくれないかと、ドキドキしながら待つ横島だったが……

 

 がしっ!

 

「へっ?」

 

 信じられないほどの力で足首を掴まれた。

 これがハリオン流のキスのやり方なのかと思ったが、いくら天然お姉さんでもそれはあるまい。一体何事なのかと、目を開いて足首を見る。

 

「ゥッオヲッアアアア!! よごじまぁァァ!!」

 

「ひいい、キメエ!! いぎゃあ! 足がもげる~~!!」

 

 そこには、口に泡を残しながら、凄絶な表情で横島を睨みつけ、足首を掴んでいる悠人の姿があった。ハリオンは少しはなれたところでニコニコを笑っていた。

 最高の一撃を、最善のタイミングで、最悪の場所に叩きつけたにも関わらず、悠人を倒すまでには至らなかった。永遠神剣が主に与える絶対的な力。それを打ち破るのは並大抵の事では不可能という事だろう。

 いや、それだけではない。『求め』の干渉にすら耐え、禿すらも止める事が出来なかった、高嶺悠人という男の意思と意地。その二つを、横島は超えられなかったのだ。

 悠人はエトランジェの力をフルに使い、横島を振り回した後、全力で鉄の地面に打ちつけた。

 

「がはっ!!」

 

 並の人間なら、これだけで即死の衝撃だ。だが、横島は並みの人間ではない。その事は、悠人も知っていた。何度も煮え湯を飲まされてきた相手だ。手加減などしない。その人知を超えた計り知れない腕力で、横島を振り回し、鉄の地面に何度も何度も打ちつけた。

 横島も頑丈な男であったが、流石に限度というものがある。途中までは叫び声を上げて抵抗しようとしていたが、最終的にはボロ雑巾の方がまだマシと言えるほどの状態になり、遂には完全に沈黙した。

 

「俺の……勝ちだ!!」

 

 どこかで聞いたような勝利台詞を吐きながら、悠人はガッツポーズを取る。

 顔はいまだに真っ青だが、それでも横島に初勝利したことの喜びに満ちていた。

 

「おめでとうございます! ユート様!!」

 

 拍手を送るエスペリア。あからさまな贔屓であったが、誰も何も言わなかった。

 全員が悠人が精一杯、必死に頑張っていたのを知っていたからだ。ボロボロになった横島を放置して(唯一ヘリオンだけがオロオロしていたが)全員が悠人を褒めて、柔らかい空気で包まれていた訓練所だったが―――――――

 

「あらあら~それじゃあお姉さんのキスは~ユート様のものですね~」

 

 ピシリと、その発言をしたお姉さんなスピリットを除き、全員が硬直した。ハリオンはニコニコしながら悠人に向かって近づいていく。

 顔を近づけてくるハリオンに、悠人は身動きできない。ハリオンとのキスに、喜ぶわけでもなく、かといって逃げるわけでもなく、ただ、どうしたらいいのいかおろおろしている。気持ち良いぐらいのヘタレっぷりである。

 横島は動かない。

 

「ちょっと待ちなさい、ハリオン!!」

 

「どうしたんですか、エスペリア~」

 

 訓練時でもメイド服。正にメイドの鏡なエスペリアが顔を真っ赤にしてハリオンに詰め寄った。

 一体何が始まるのかと、周りから好奇の目がエスペリア達に向けられる。

 

「こんなところでキ、キスなんて認められません! 今は訓練中です。真面目にしなさい!!」

 

 流石は優等生のエスペリアだ。言っている事は間違いなく正しい。だが、それなら何故、横島とハリオンがキスしようとしたとき止めなかったのか。その事に気づいた何名かは意味深な視線をエスペリアに向ける。

 

「う~ん、確かにそうですねえ~。じゃあ、訓練が終わったらキスしましょうか~」

 

 これまた正論である。

 エスペリアの言い方だと、訓練時以外ならキスしても良い事になってしまう。

 

「以前はほっぺたでしたから~今度は唇ですねぇ~」

 

 どこかうっとりしたようなハリオンに、エスペリアは表情を強張らせた。何かを言おうと口をパクパクさせるが、言葉が出ない。エスペリアは何かを訴える目で悠人を見つめた。

 

「あ~ハリオン。やっぱり……そのキスは……」

 

 非常に弱弱しく、遠まわしではあるが、悠人はハリオンとのキスを拒絶した。

 

「そうですよねぇ~私なんかのキスなんて~いりませんよね~」

 

 しくしくと悲しそうに、ハリオンが泣きそうな声でしょんぼりと肩を落とした。

 

「い、いや、別にキスしたくないとかじゃなくてな! だ、だから……その」

 

 白けた目が悠人に突き刺さる。悠人は硬派というよりも、ただのヘタレだったようだ。

 もし横島なら『どっちも俺の物じゃー!』とでも言って二人に迫っただろう。だが、ヘタレな悠人にはそんな事は言えるはずも無く、当然拒否も出来ない。

 悠人と横島はまったく似ていないが、どちらもある意味で女の敵と言えよう。どちらの方が性質が悪いと感じるかは、人それぞれだ。

 

「ユート様! はっきりしてください!!」

 

「お姉さんと~キスしたくなりませんか~」

 

 どっち!!

 

 なんだか争奪戦が起こっているような状況に、悠人は靴下の匂いでも嗅いで意識を失いたかった。自爆装置でもあればこの場で自爆したい。

 一体どうしたらいいのかと、ヘタレていた悠人だったが、そこで救いの嫉妬が現われた。

 

「我は完全嫉妬物質、YOKOSIMA……いい男を妬む!!」

 

 ミジンコのようにグチャグチャになったにも関わらず、横島はあっさりと復活を果たす。悠人はこれ幸いと、横島に向かって突撃した。背中に突き刺さる痛い視線を意識しながら。

 

 一時間後、結局、グダグダな戦いは横島が勝利したらしいが、殆どのスピリットは呆れてその場にいなくて、ハリオンは既に哨戒任務に行ってキスはされなかったと、明記しておこう。

 

 ―――――午後。

 

 横島は19人の美女に囲まれてウハウハしていた。

 これだけ書いても何が何だか分からないと思うので、詳細に説明する事にする。

 今まで、ラキオスは第一詰め所のスピリットと第二詰め所のスピリットが全てであった。しかし、横島の策略もあり、バーンライトのスピリット20名が生き残りながらラキオスの傘下に下る事になった。内の一名はいまだに牢の中ではあるが。

 

 バーンライトのスピリット達は、とりあえず郊外にある広場で、3,4人が生活可能なバラック小屋を建築し、それを数個作って生活していた。

 感情を無くし会話すら困難な状態だが、日常生活においては特に問題ないようだ。食材などがあれば、特に何を指示しなくても普通に暮らしている。

 

 現状において、このバーンライトのスピリット達の扱いは定まっていない。

 第一詰め所や第二詰め所の部隊に組み込もうにも、少し人数が多すぎるし、また心が消えている所為で指揮を取るにも勝手が違う。一応、第三詰め所という事にはなっているのだが、部隊としての形式は取れていない。

 何故なら、隊長が存在しないからだ。基本的に隊長は人間がなるものだ。だが、スピリット隊の隊長など、だれもやりたくない。また、横島もこのスピリット達をぞんざいな人間に任せようとは思わなかった。

 結局どうするかは、まだ決まっていない。

 

 横島としては、苦労して手に入れた美女軍団。これに何もしない横島だろうか? 

 否! 断じて否!!

 死ぬ思いまでして、ようやく助けたスピリット達だ。少しぐらいご褒美があってもいいじゃないか!

 そう考えた横島を、だれが責められようか。

 

「ふっ、待っていたかい。俺の子猫ちゃんたち!」

 

「……………………」

 

 横島の馬鹿な発言の返答は、喜びでも呆れでも険悪でもなく、感情の沈黙だった。そんなスピリット達に、横島は早速行動を開始する。

 

「48の煩悩技! 多重分身スカートめくり!!」

 

 幻想的な卑猥な手が乱れ飛ぶ。

 白、白、白、白、白。

 支給された下着は全て同じものだったようで、めくりだされた下着は全て純白だった。

 スピリット達は、自分達の下着が見られたのに表情一つ変えなかった。横島の表情も変わらない。ドキドキ感もワクワク感も無い。こんなにもスカート捲りがつまらないとは思いもよらなかった。

 スカート捲りの醍醐味は見えるパンツではなく、恥らう女の子の表情であり、スカートを抑える仕草なのだと言う事が良く分かる。

 それから色々と喋りかけたものの、少し頷く程度で喜怒哀楽全ての感情を出す事はなく、まるでマネキンにでも話しかけているような錯覚に横島は襲われる。紛れもなく美女であるというのに、まったく魅力を感じないのも不気味であった。

 横島の頭の中に、ボーイッシュなスピリットの姿が浮かぶ。あのスピリットは、こんな中で孤独な戦いを続けていたのだろう。

 しかし、どうしたものか。

 改めて神剣に心を食われているのだと理解する。

 

(やっぱり使うしかないかな……)

 

 ごそごそと懐から取り出したものは一つの球体。奇跡の結晶である、文珠だ。

 込める文字はなんにしようかと考え、やはりこれ以外ありえないと思った。

 

『恋』

 

「わはは! 心を取り戻すためなんだから仕方ないよな!」

 

『主よ、本当にそれでいいのか?』

 

 またか。

 何かするたびに干渉し、ほぼ全ての事に文句を言ってくる『天秤』に、横島は少々辟易気味だった。もっとも、『天秤』の方もいちいち文句を言わなければいけない横島の行動に、少々、いや、かなり辟易しているのだが。

 

「なんだよ! 別にいいだろ。心を取り戻すためなんだし……少しぐらい役得あっても」

 

『ちがう、そんなことではない。文珠は貴重だ。ここで使用せずに別な所で使用するべきだ』

 

 『天秤』の言葉に横島は声を詰まらせた。

 実は横島もそのことは考えていたのだ。

 心を失ったスピリットは19人。つまり、必要になる文珠の数は19個。かなり多い。しかも、その効果は一時的なものになる可能性が強い。

 

(悩んでいるか……私の言うことが正しいと分かっているのだろうが……)

 

 文珠は貴重品だ。

 この力をうまく使えば戦局を一変させることも可能だろうし、戦術だけでなく戦略的にも影響を与えられるかもしれない。

 しかも、一週間に1,2個しか作れないのだ。

 これでもかなり量産できるようになったのだが、それでもそんなに簡単に使っていいものではない。

 いつ戦争が始まってもおかしくない。文珠の数はあればあっただけいいのだ。

 

「……やっぱり使うか。1個だけな」

 

 結局、一個だけ使うと横島は決める。

 そんな横島に、『天秤』は呆れながら、一つの決断を下した。

 

(やれやれ、結局この力を使うしかないか……)

 

 こういう時の為に与えられた力。

 『天秤』はこの力は必要ないと思っている。

 いくら文珠でも、神剣に心を食われたスピリットの心を戻せるとは思えない。

 だが、ルルーという例外もある。それに、こんなことで文珠を消費させたくもない。

 

 『天秤』はとある波動を出す。波動は、かつて魔神が文珠を封じたのに近いもの。言うなれば、改良型文珠封じジャミング。新たに与えられた力の一つだ。

 

 横島はルー・ブラックスピリットに文珠を飲むように指示する。

 指示を受けたスピリットは、怪しげな球体である文珠を戸惑う事も無く飲み込んだ。

 死ねと言われたら躊躇無く死ぬのかと、余りにも自我の乏しい行動に横島は顔を顰める。

 どうせだったら口移しで飲ませるべきだったと気づいたのは、飲ませて3秒後の事だった。

 

(さあ、俺に惚れるがいい!! そして、人肌の温かさを教えてやるわ!!)

 

 早くエッチな顔にならないかなあ、なんて事を思いながらルーの顔を眺めていた横島だったが、何だか可笑しい事になってきた。

 ルーの顔色が良くない。胸の辺りを苦しそうに押さえている。さらに大きく咳き込み始め、遂には文珠を吐き出してしまった。

 

「なっ!」

 

 吐き出された文珠を手に取り、呆然とそれを眺める。

 

『ふん、文珠如きで神剣に心を食われたスピリットを元に戻せるわけがないだろうが』

 

 いけしゃあしゃあと『天秤』は横島をなじる。『天秤』がジャミングをしているから、効果を発していないというのに。

 その心に罪悪感など存在していない。むしろ、満足感がそこにあった。

 自分の行動は正しく、間違った主を修正しているという実感が、堪らない快楽を『天秤』にもたらす。相手の間違いを正す事が『天秤』にとって趣味なのかもしれない。だからこそ、思い通りに動かない横島が好きになれないのだろう。

 

「おかしいぞ」

 

『何が』

 

「何で、文珠が消えないんだ?」

 

 文珠が効かないのならまだ分かる。

 だが、これはおかしい。

 効くにしろ、効かないにしろ、使ったのなら文珠は消えなければいけない。

 

『ふん。何を言おうが文珠が効かないのは事実だ。金輪際、文珠の無駄遣いは止めるのだな』

 

 文珠が効果を示さなかったのだ。衝撃は大きいだろうと、『天秤』は考えていた。

 だが、『天秤』の予想に反して、横島はそれほど落ち込まなかった。むしろ笑みすら浮かべている。

 

「そうかー文珠が効かなかったんだ。しょうがないよなあー」

 

 にやにやしながら、横島はスピリットを眺める。

 

「見せてやるぜ。俺のやり方を!」

 

 そう言いながら横島はスピリット達に近づいていく。

 文珠が効かないんだからしょうがないしょうがないと、心の中で理由を呟きながら、手をスピリット達に伸ばす。

 その目は欲望に満ち、口からは煩悩が溢れ出したかのような涎が流れていた。

 

「ねえセリア。ヨコシマ様は何処にいったのかしら?」

 

「さあ……あちらこちら動き回る落ち着きのない人だから」

 

 ヒミカは深いため息をついた。セリアも気の毒そうにその様子を見る。

 

「今度はどうしたの? また何か問題でも?」

 

「ちょっと書類関係でね」

 

 セリアの眉が吊り上がる。あの男を自分の仕事をしないで遊びに行っているのか。

 セリアが何を考えているのか察したヒミカが、慌てた声で訂正を加えた。

 

「いえ、書類関係はもう終わっているのよ。チェックしてみたけど、完璧だったから、最後に判子を捺して貰おうと思って」

 

 その言葉に、セリアは少なからず驚いた。悠人は未だに文字が読めず、こういった書類は任せられない。そのため、横島にかなりの量が任せられていたはず。

 

「頭は悪くないし、要領も良いし、決められた事は意外と真面目に守っているのよ……はあっ」

 

 横島を褒め称えるヒミカだったが、その顔色は冴えない。疲れのこもった溜息さえしている。ここ最近の横島のセクハラに、ヒミカはひたすら頭を悩ませていた。

 

(あともう少し真面目になってくれれば……)

 

 そう思わずにいられない。楽しくて、優しくて、強くて、仕事が出来て、細かいところにも目が届くし、顔だって真面目にしているときは結構ハンサムだし、女好きとはいえ子供達相手には紳士だ。男女のそれが良く分からないナナルゥには無茶な事を言わない。

 

(あと少し真面目なら、私は……)

 

 そこまで考えて、はっとした。あと少し真面目だったとしたら、なんだというのだ。

 

「ヒミカ? どうしたの、顔が赤いわよ」

 

「……ヨコシマ様が真面目になるなんて事、あるかしら」

 

「え? えーと、多分無いとおもうけど……」

 

「……安心したような……残念なような」

 

 赤くなったり、青くなったり、安心したり、がっかりしたり、百面相なヒミカ。何事かと思ったセリアだったが、何も聞かないことにした。どうせあの男の事なのだろうから。

 

「それにしても、少々身勝手……いえ、自由過ぎるわ。大体、隊長がどこにいるか分からないってどういうことよ」

 

 セリアが毎度の如く不満そうに言った。

 訓練が終わって、横島から下された命令はこんなものだった。

 哨戒任務以外のスピリットは各自自由行動。

 何ともな放任主義だ。

 だが、これは悪い方向には今のところ働いてはいない。

 真面目かつ努力家で、横島と悠人が大好きなヘリオンは、自主的にトレーニングしているし、ネリーやシアーもそれに付き合っている。ヨコシマ様に格好の良いところを見せようとやる気十分なのだ。それに付き合う形で、年長のスピリットも一人は訓練している。

 第二詰め所の士気の高さが伺える。

 

「ヨコシマ様が行くような所といえば……」

 

 その動き回る原因のほとんどが女性限定である、ということに二人は気づいた。

 だとすれば、いるところは一つ。女性が多くいるところだ。

 町か、あるいは……

 

 ――――ぁん。

 

「……セリア、今何か?」

 

「ええ、聞こえたわ」

 

 二人は聞こえてきた声に体を強張らせた。

 今まで聞いたことがない妙な声。

 ヒミカは咄嗟に永遠神剣『赤光』を取り出し、周囲の様子を探る。

 

「ヒミカ、ヨコシマ様の神剣反応は?」

 

「……バーンライトのスピリット達が暮らしている所にあるわ。スピリット達と一緒みたい」

 

 物凄く嫌な予感が、二人の胸中を駆け巡る。

 ついこの前にあった騒ぎを、二人は思い出していた。

 

『小さい針の穴に、野太い糸を挿入事件』

 

 完全にヒミカとセリアの勘違いだったのだが、あれはかなりの失態だった。

 あの件に関しては完全に早とちりで、さらに妙なことを想像してしまった自分達はかなりマヌケだっただろう。その後にしてしまった行動も、ヒミカにとっては大失態としか言いようがない。

 その時とよく似た感覚に、ヒミカたちは襲われていた。

 

 ――――ぁぁぁ~ん。

 

 奥からは、いまだ妙な声が響いてくる。

 まるで喘ぎ声のように聞こえる女性の声に、二人は頭を抱えた。

 大の女好きな横島が、逆らうことができない美人のスピリットたちのところに居る。

 そこからはスピリットの妙な声が響いてくる。

 少ししか横島を知らないものならば、何か如何わしいことをやっているのではないかと勘ぐるだろう。

 だが、二人は一つ屋根の下で暮らして、少しずつ横島を知り始めていた。

 二人は横島を最低限度くらいは信頼している。下劣で、変態的な行動を横島は確かにする。風呂覗き、おっぱい揉み、エトセトラ……

 だが、最悪に下劣な行動は取らない。取れるほど度胸が無い。本当に最低限のモラルは持っている。

 これが二人の横島評だ。それに、スピリットに同情的でもあるし、乱暴な人物ではない。

 では何故、横島の元に行くのを躊躇うのか。答えは簡単。

 

 絶対にまたずっこける!!

 

 ほぼそれは確信であった。

 絶対にまた馬鹿らしいことをやっているに決まっているのだ。

 さてさてどうしたものかと二人は考え込む。

「ヨコシマ様が変なことをやっているようなので、近づきたくありません」

 こんな馬鹿な理由で報告を止めるわけにもいかない。ヒミカは頭を抱えた。

 

(どうして、同じハイペリア人でこうも性格が違うの?)

 

 能力的な高さを利用して、横島は悠人よりも高評価を得ようと躍起になっていたのだが、能力をプラス評価されるよりも、性格のマイナス面が大きく足を引っ張っていた。

 もっとも、横島のほうは低評価というよりも評価不能のほうが正しいのだが。

 段々とヒミカのほうも横島に対して遠慮がなくなりつつある。

 

 セリアのほうも、横島の扱いにはかなり難儀していた。

 嫌いでくだらない相手なら、軽くあしらって無視をするのがセリアのやり方だが、横島の場合は強烈な個性がそれを許さなかった。近づけば、無理やり引き付けられてしまう。

 

「セリア、お願い。少し様子を見てきてくれないかしら」

 

「はあ!? 何で私はそんなことを!」

 

「ヨコシマ様が変なことをしていたら、貴女が止めてくれるんでしょう!」

 

「それはヒミカの役目でしょ! ヒミカだってヨコシマ様を殴ってるじゃない!!」

 

「……私だって殴りたくて殴ってるんじゃない! 私は、私はね!! もっと規律や上下関係を重視したいの!? でも、出来ないの!! だってヨコシマ様なんだもの!!」

 

 自分達の隊長をどちらが多く殴ったかを互いに言い合う。この時点で、この第二詰め所の隊が相当変わっていることが分かる。あの横島を隊長にしてしまったのだ。こうなってしまうのも、当然と言えるかもしれない。

 二人はどちらが多く殴っているか、どちらが横島の元へ行くか、激しく議論を交わす。精神の安定のため、横島に近づくのを可能な限り避けようとしているのだ。嫌な料理を相手に押し付け合いしているようなもので、まるで子供のようなメンタリティである。

 その時、小さな子犬のような声が後ろから聞こえてきた。

 

「え~と……お二人とも何をしているんですか?」

 

 いきなり後ろから声を掛けられ、二人は飛び上がるように後ろを見る。

 そこにはツインテールで子犬のようなヘリオンが、困った顔でこちらを見ていた。

 きゅぴ~んと、二人の目が怪しく光を放つ。

 

「良い所に来てくれたわ、ヘリオン!」

 

「ええ、ほんとに!」

 

「ふえ?」

 

 手を叩いて喜ぶ二人にヘリオンは呆けたような声を上げる。

 ヘリオンからすれば何故ここまで喜ばれるのかさっぱり分からない。

 

「ヨコシマ様が第三詰め所にいるみたいなんだけど、少し様子を見てきて欲しいのよ。出来ればここに呼んできてほしいの。私達はここで待っているから」

 

「えーと……別に構いませんけど」

 

「そう! じゃあお願いね!」

 

 がしっと二人に両手を掴まれて激励される。

 ヘリオンには何がなんだかさっぱり分からなかったが、とにかく期待されているのは分かった。

 

「了解しました! がんばってきます!!」

 

 勢い良くヘリオンは返事をして、元気よく走っていく。

 その姿は、まるで肉食獣の元に向かう草食動物の姿のようにセリアには見えた。

 少し可哀想に感じるが、これも精神の平穏のためと、自分を納得させる。

 そして、少しの時間が流れて、

 

「きゃああああああ!!」

 

 突然聞こえてきたヘリオンの絶叫。

 その悲鳴を聞いて、二人はすぐに横島の下へ駆け出す。

 

 大丈夫だと思っていたが、本当に如何わしい何かをしていたのか!?

 はたしてヘリオンは大丈夫なのか!?

 

「ヘリオン! 大丈夫!!」

「ヨコシマ様! 一体何を!!」

 

 第三詰め所の中に飛び込むセリアとヒミカ。

 そして、彼女たちはとんでもない光景を目撃する!!

 

「さあ、鳴け! 鳴くのじゃあ~!!」

 

「にゃ……にゃああ~~ん!?」

 

「きゃあああ、可愛いです!!」

 

 ゴン!! そんな如何にも痛そうな音を、二人は己の額と床で紡ぎ出す事に成功する。

 二人は自分達が想定していた通り、見事に転んだ。それも、天井に両足を向けての、古典的漫画の転び方だ。第二詰め所の戦闘服がスカートでないのが惜しい所である。

 

 馬鹿なことをしていると想定はしていた。だがしかし、今目の前で繰り広げられている行為は、馬鹿なことなのかどうかも判別不能だった。

 

「なんですか、これ?」

 

 赤くなった額を摩りながら、ヒミカはぽつりと漏らす。目の前で繰り広げられるモノには、そう言うしかなかった。

 第三詰め所のスピリット達は、頭に妙なものが付けられていたのだ。

 動物の耳のような妙なアクセサリーが。しかも、スピリット達は動物の鳴き声のようなものを上げている。その横でヘリオンは瞳を輝かせていた。意味不明だ。

 ヒミカの質問に、横島は仰々しく、偉そうに答えた。

 

「これは日本の……こちら風にいえばハイペリアの文化なのだ!」

 

「ハイペリアの文化……ですか?」

 

 横島の言葉に三人は目をぱちくりさせた。

 文化と言われれば、何となく高尚な気がしてくるから不思議なものである。

 三人が沈黙したのを見計らって、横島は演説するように喋り始めた。

 

「そう! 人はこれをネコ耳と言う!!」

 

 ネコ耳。

 それは日本で生まれた? 萌アイテムの一つ。

 これでにゃんにゃんされたりしたら、もうとにかくにゃんにゃんである。

 意味が分からない人もいるだろうが、心で感じて欲しい。

 

「はあ……それで、ネコ耳とやらをスピリットに付けて、何を?」

 

 率直かつ当然の疑問。

 ヒミカ達にすれば『だからなんなの?』としか感想が出てこない。

 

「う~ん、そうだなあ……このスピリット達を見てどう思う?」

 

 横島が指差したのは、目に何の光もない人形のようなネコ耳スピリット達。

 

「哀れですね」

 

 心の底から、セリアは思った。

 笑えたし、泣けたりもしたはずなのだ。

 だが、人間の調教によって全て奪われた。今なんてネコ耳なんてものを着けられている。

 

 スピリットの調教方法は幾つかあるらしい。

 スピリットは美しい女性で、さらに人権など無いから、口に出すのもおぞましい方法もある。ただ、人間たちはスピリットを毛嫌いしているため、性的対象で見ることはほとんどない。

 他にも調教方法は幾つかあるが、基本的に調教は心を、存在を、あり方を否定することにある。

 笑えばそれを否定され、怒れば意味が無いと言われ、泣けば無価値と評される。

 もし、そのような仕打ちを受ければ、スピリットは間違いなく人間を恨む。

 逆らえなくても、心を持つ一個の存在なのだから。

 恨みという感情も一つの思いであり心なのだから、別に恨みで心が消えるわけではない。

 だから、人間はこう言うのだ。

 

 その恨みも意味は無い、と。

 

 こうしてスピリットは喜びも、怒りも、悲しいという感情すらも奪われ、失意のどん底に叩き落される。さらには失意すらも奪われて自らの意思を完全に無くし、自らの神剣に心を奪われるのだ。

 こうなれば、まったく喋らなくなるから煩わしくないし、パワーも上がる。

 これが、人間たちの理想とするスピリットの姿。

 

 セリアたちはこのような調教を受けたことは無い。

 ただ、話として聞いただけである。過去にラキオスもこのような調教をしていたらしい。

 その時、何らかの事件が合ったらしくて、エスペリア以外のスピリットがラキオスから消えた事実がある。

 だから、ラキオスはこのような調教はしていない。

 その代わり、別な調教方法を幼少のスピリット達に、特にオルファリル・レッドスピリットになされている。

 

「俺はこんなことは許せない。女の子は笑っていたほうが可愛いからな。だから、俺は必ずスピリットの心を取り戻してみせる!!」

 

 人間たちに砕かれた心の救済。スピリットの心を取り戻そうと言うのだ。

 こんなことを考えたものは誰もいない。

 ヘリオンなどは「ヨコシマ様、格好良いです!」と顔を赤くしていた。

 横島も「ふっ、俺ってカッコイイ!!」などと言ってナルシスト気味にポーズを取っている。

 セリアもヒミカも、正直嬉しかった。こんな人物が自分達の隊長なのだと。下心が見え見えだとしても、とても嬉しかった。感動すらした。

 しかし……

 

「ヨコシマ様の気持ちは良く分かりました。スピリットとして、嬉しく思います……ですが!

 このネコ耳とやらが一体何の役に立つと言うのですか!!」

 

 セリアが吼えた。当然だ。

 横島はにやりと笑う。

 

「さあ、皆もう一度だ!」

 

「にゃ……にゃ~ん……」

「にゃん」

「にゃにゃ~ん」

「にゃ……ん」

「にゃ~~~」

「……にゃ」

「うにょら~」

「ゃん」

「んにゃん」

「にゃーにゃー」

 

「だから! それに何の意味が!」

 

「ちょっと待って、セリア」

 

 横島に掴みかかろうとしたセリアだったが、それをヒミカに制される。

 そして、良くスピリット達を見てと促されて、注意深く見ていると、あることに気づいた。

 

「困惑……してるの?」

 

 セリアはネコ耳を付けたスピリット達が、目の奥に僅かな揺らめきがあることに気づいた。

 困惑や羞恥の感情が見え隠れしているのだ。一部のスピリットは楽しそうでもある。横島は得意そうに喋り始める。

 

「気づいたんだけど、心を食われていても程度があるらしくてな。

俺が厳選した萌え言語100選を言わせてみると、何人かのスピリットは妙に言いづらそうにしてたんだ」

 

「なんですか……それ」

 

 この人の思考はまるで分からない。萌えとは果たしてなんであろうか。

 理解できないし、したくも無いような気がする。

 

「萌とは何か……様々な考え方はあるけど……全ての根本は心だ。俺は、萌を通じて心を取り戻してみせる!!」

 

「はい! 私もがんばります!!(ネコ耳可愛いです!!)」

 

 うおおーーと、二人で盛り上がり、横島とヘリオンは咆哮した。

 馬鹿だ、馬鹿がいる。ヒミカとセリアは頭を抱える。

 しかし、馬鹿な考えであっても、悪い考えではないかもしれない。

 ほとんど失ってしまった心の中で、横島は女性としての羞恥心が僅かに残っていることに気づいたのだ。それを刺激するのは、横島自身が好かれるか好かれないかは別として、悪い方法ではない。

 それに、スピリット達が困惑しているのは、何も恥ずかしいだけではない。

 一体自分達は何をやっているのだろうと、自分自身に対して疑問を投げかけているのも原因だった。簡単に言えば、自分で自分を見ているのである。

 だが、健全な精神の持ち主であるセリア達には、何とも納得し辛いものがあった。

 

「し、しかし、わざわざこんなネコ耳など付けなくたって別の方法も……」

 

「何を言う! このネコ耳があるからスピリット達は恥ずかしがっているのだ!」

 

「うっ……そういうことなら、仕方ないのかもしれません」

 

 歯切れが悪そうにセリアが言う。

 物凄く馬鹿らしく見えるが、ちゃんと筋は通っている。

 もっと良い方法があるのではないかと思うが、これでも横島がスピリットの為に考えて実行してくれたのだ。

 納得しきれない所もあるし、文句を言いたい部分もあるが、それでも感謝できた。

 良くも悪くも、これほどまでにスピリットの事を考え、自分の欲望を満たしつつ、実際に行動してくれる人物なんて見た事ない。

 

「それに、俺がネコ耳を着けさせた理由はこれだけじゃないんだ」

 

 まだ何か考えがあったのかと、セリア達は横島に注目する。

 呆れつつも、何かに期待している自分がいる事を、セリアもヒミカも少しだけ気づいていた。

 

「俺は……俺は! 可愛い女の子が、萌えでエッチな格好しているのが大好きだあーーー!!」

 

「大声で力説することではありません!!」

 

 結局それですか~と、セリアは横島を張り倒す。

 スピリットが人間を殴り倒す光景。

 そのありえない光景を、バーンライトのスピリットが見る。

 その光景に何を思うのか、何も思わないのか、それは分からない。

 少なくとも、この世界で、この場所は、異次元空間だった。

 

「ぐはははは!! 萌えの文化は無限に広がる! 俺は異世界にもこの文化を広めるのだ!! スピリットよ、エロエロになれ!!」

 

「いいから黙りなさい!」

 

「ゴフッ!!」

 

 大きいのか、小さいのか、さっぱり分からない野望を抱きながら、横島はセリアの鉄拳を受けて再び床に沈んだ。

 その時だった。一人のブラックスピリットが手を広げて、横島を庇うようにセリアに立ちふさがった。

 

「な、何よ! 私は貴方達の為を思って!」

 

「……頼んでない」

 

 助けようとした対象に、にべもなく言われて、セリアは絶句する。

 同時に、横島がブラックスピリットの背中に隠れて、ニヤニヤしていた。

 

「いやあ、ルーさんは優しいなあ!」

 

「……にゃん」

 

 本当に小さくだが、ブラックスピリットが笑った。

 その笑みに、横島の胸が熱くなる。ようやく浮かべてくれた自発的な笑顔が、とにかく可愛い。そして嬉しい。思わず笑顔になってしまう。すると、ルーも、また笑顔を浮かべた。彼女もまた、自分の笑顔が、横島を笑顔にさせたのだと分かったのだ。

 面白くないのはセリアだ。何故か自分が悪者のようになってしまっている。

 セリアとブラックスピリットがにらみ合う。

 その光景にヒミカは嘆息した。

 

 スピリットは、飢えている。

 愛する事も無く、愛される事も無く、娯楽も何も無い。

 疎まれ、憎まれ、ひたすら殺しあう毎日。ごく稀に愛されることもあるらしいが、それは女の尊厳を徹底的に破壊されることを意味するだけ。

 スピリットは、心に飢えている。

 

 そこに現れた、エッチで、悪戯好きで、優しくて、欲望に満ち溢れているのに無邪気な男。

 そしてなにより、本気でスピリットの為に涙を流して戦う戦士。

 彼のような存在を、どれだけのスピリットが長い歴史の中で待ちわびた事だろう。

 だが、彼はたった一人だ。

 

 ヒミカは、ふと窓から外を見た。

 すると、木から滴り落ちる限りある樹液をめぐって戦う昆虫の姿がある。

 これから先の、未来の光景を見た気がした。

 

 ―――――夜

 

 バンダナを額に巻いた青年が、仄暗く鉄くさいレンガの階段を下っていく。あたりに充満するカビの匂いは、生理的に人が顔をしかめるもので、恐らく人類に属しているであろう横島も例外なく顔を顰めていた。

 時たま見かける甲冑に身を包んだ男たちは、嫌そうな顔を横島に向けるが、どうでもいいことなので横島はまったく相手にしていない。

 横島の足取りは亀のように重い。

 その様子は、まるで歯医者に向かう子供のように見える。行きたくはないが、行かなくてはいけない。いや、その言い方だと少し語弊がある。少なくとも、横島はその場所にいる女性に合いたかった。それが辛い事になろうとも。

 彼女は何処にいるのだろう。

 悪い扱いは受けてはいないと聞いている。王女が命じたのだから大丈夫だとは思う。

ただ、こんなところに繋がれている彼女が可哀想だった。

 彼女に対して何が出来るのかはまったく分からない。

 それでも、何かしないわけにはいかないのだ。

 しばらく歩き、横島は彼女の元に到達した。

 

「何しに来たの、エトランジェ」

 

 牢屋の中に、彼女はいた。

 青色のショートカット。パッチリとした目元。食事を食べていないのか、頬はげっそりとしていて、より少年らしく見える。体育座りで、どこか覇気が感じられない。

 ルルー・ブルースピリット。横島を殺しかけた少女だ。

 

「え~と……元気か?」

 

「そう見える? だとしたら君の目はおかしいよ」

 

 どう贔屓目で見ても友好的な態度ではないルルーに、横島の顔が引きつった。

 これは難航しそうだと、横島はげんなりするが、それでも口は聞いてくれそうだ。

 話が出来るのであれば、可能性はないわけでもない。

 

「聞いてはいると思うけど、俺の口から言うぞ。ラキオスに所属する気は」

 

「ない」

 

 取り付く島もないとはこの事か。即答だった。

 余りにも頑ななルルーの様子に、横島はがっくりと肩を落とす。そんな横島の姿に、ルルーは少しだけ表情を軟化させて、息を吐いた。

 

「ボクだって戦士で、子供なんかじゃない。エトランジェが……ヨコシマ達が悪いわけじゃないって事ぐらい知ってる。……恨んでないわけじゃないけどね」

 

 戦争だったのだ。

 殺さなければ殺される状況で、横島とルルー達は殺しあう事になった。

 互いに権力者の駒にすぎないのだから、恨むべきなのは殺した当人ではなく、その権力者ではないか。

 時間が経過し、頭も冷えたルルーはそんな風に思い始めている。時間は感情を沈め、心を癒す最高の治療薬だ。

 しかし、それでもルルーは横島を許すことは出来なかった。

 

「でも、ラキオスが皆を殺したことに変わりないんだから! 絶対にボクはラキオス軍なんかに入らない!」

 

 今はもう亡きスピリットを模した人形、それを胸元で握り締めながら、しっかりとそう言った。

 ルルーが言うことは主観的であり、同時に客観的であった。

 恨みがあろうとなかろうと、家族を殺した相手の仲間にはならない。

 こう言われては、殺した事実がある限り仲間に引き込むのは無理だ。

 

 それでも、ルルーをラキオスに引き入れる手段が無いわけではない。

 その方法とは人質を盾にして脅すこと。

 仲間にならないならバーンライトのスピリットがどうなっても知らないぞ、そう脅せば間違いなく引き込めるはずだ。

 だが、その方法はいくらなんでも非人道的。

 出来るからやるというのは違うだろう。文珠で操るなど論外だ。

 横島は常識がある男ではなかったが、本当にやってはいけないことぐらいは理解していた。何より彼は臆病なのだ。些細な悪事は出来ても、真に女の子を傷つけることは出来ない。

 

「このままじゃ、処刑されるぞ」

 

 脅しを込める意味で、横島は低い声で威圧的に言った。だが、ルルーは鼻で笑って、

 

「だから?」

 

 自暴的にそう返した。

 自分の命も、夢も、何もかも捨てたから出せる声。

 神剣を持っていないのが幸いだった。もし、ここで神剣を手にしていたら心を食われていたかもしれない。

 横島は、ルルーの境遇については同情していた。辛かったのは分かる。悲しかったのも、苦しかったのも分かる。同情だってしていた。

 だがこんな言葉や姿を見にきたわけじゃない。

 

「まったく、これだからガキは困るんだよな。自分だけ苦しいって顔して」

 

「ガキって何よ! ボクは今まで本当に苦労してきたんだから!!」

 

 ルルーはすくっと立ち上がり、怒りを宿した瞳で横島を睨みつけた。その表情はついさっきまで疲れきった表情ではない。横島はピンときた。

 

「何言ってんだ。苦労しようがしまいが、ガキはガキだろ。それもしょんべん臭いガキだ」

 

「しょ、しょんべ……っ!!」

 

 ルルーは15歳という、思春期真っ盛りにある。当人にとっては、自分はもう子供ではない、という自意識が芽生えてくるころで、色々と難しくなってくるお年頃である。

 

「レディに向かって失礼じゃない!!」

 

「レディ? おいおい、そんな奴どこにいるよ。ここに居るのは貧相なガキだけだろ」

 

「ボク! ボクだよ!! レディは目の前にいるよ!! 目でも腐ってるんじゃないの!!」

 

「レディーねー」

 

 バカにしたような声を上げながら、横島はルルーを眺める。怒りの所為で赤みが差した顔は、非常に生気が溢れている。

 

「うん、確かに可愛いな」

 

 一転して正反対な事を言い出した横島に、戸惑ったのはルルーの方だ。

 

「な,何を!? 心にも無い事なんて、言わないで――――」

 

「目はクリクリしてて可愛いし、顔も小顔で、髪はサラサラだ。元気そうでも、がさつってわけでも無いみたいだし、プロポーションだって普通だろ。総評すれば、かなり可愛いと思うぞ」

 

 いきなりのべた褒めに、ルルーはただ顔を赤くして戸惑った。

 可愛いなんて言われた事など一度も無い。それも、異性に言われるなんて想像もしなかった。

 

「こんな可愛い子が女の子のわけないよな」

 

「や、やだ。やめてよ! そんなに褒められるとボク……はれ?」

 

「こんな可愛い子が、男の子だなんて!」

 

「な、ななっ! ボクは女の子だ!!」

 

 耳まで赤くして激昂するルルー。割と男っぽい自覚していたから、効果は抜群だ。

 お約束な展開に、横島は緩む頬を隠せなかった。

 

「嘘つきは泥棒の始まりだぞ……くくっ」

 

 にんまりと、邪悪そうに笑う横島の顔を見て、ルルーはからかわれている事に気づいた。

 

「こ、このおおお!! 馬鹿にして、殴る! いや、むしろ蹴る!! やっぱり噛む!!」

 

 鉄格子の隙間から必死に手を出して横島を殴りつけようとする。

 だが、横島は「HAHAHAHA!!」と笑いながら牢から離れた。

 変態におちょくられている事がルルーの頭を熱くする。その時、ルルーはある事実に気づいた。

 こんな変態の元に、お姉ちゃん達がいるのだと。

 

「お姉ちゃん達に何か変な事してないよね!? したら承知しないぞ!!」

 

「安心しろ。今はにゃ~んしているだけだ」

 

「その台詞で、何を、どう安心しろっていうの!?」

 

「じゃあ、どう安心できないんだ」

 

「あああ、腹が立つ! 一体何なの、君は!!」

 

「答えはきっと心の中に」

 

「無いよ! そんなもの!!」

 

「心を否定するな!」

 

「それ違う!」

 

 笑う、怒る、照れる、悲しむ。喜怒哀楽がはっきりしているルルー。

 そんなルルーに横島は親しみを感じていた。先ほどまで感情の無いスピリットと一緒にいた為か、ルルーの一挙一動がとても魅力的に見える。

 それは、煩悩でもなく、保護欲でもない。ルルー・ブルースピリット個人の魅力である、生きのよさ……もとい、元気のよさが元だった。言いたい事はしっかりと言う表現力と、気に入らない事に臆さず文句を言う反抗心。これがルルーの強さだ。

 なんとしても、ルルーが欲しい。第三詰め所にも、ラキオスにも……俺にも、この強さは必要だ。横島の目が、獲物を狙う肉食獣の如くギラリと光った。

 

「もし、俺がルー達の心を取り戻せたら仲間になるか」

 

「ふざけないで。どうせそんなの無理だから、答える必要なんて」

 

「仲間になるか、ならないのか。どっちだ」

 

 ルルーは少しだけビックリする。横島の声が真剣だったからだ。顔も真剣で、まるで別人のように見える。それは、単行本5冊の中から、一コマ程度の頻度でしか見られない、横島の本気の表情だった。

 軽薄そうな男が、急に妙な迫力を持った為に、ルルーはつい頷いて答えてしまう。

 

「う、うん。なるよ」

 

「絶対仲間にしてやるから、その台詞忘れんなよ。またな」

 

 それだけ言って、横島は元来た道を引き返していく。

 小さくなっていく背中に、ルルーは言い知れぬ寂しさを感じた。

 完全に横島の姿が視界から消えた時、思わず小さな叫びを上げそうになって、それを必死に飲み込んだ。

 横島がいなくなり、完全な静寂がルルーの元に訪れる。

 闇がより黒き闇に。

 静寂がより深き静寂に。

 周りの状況は横島と話す前と何ら変わっていない。それにも関わらず、何かが違う。

 

「くそぅ……人間の癖に……人間なのに……」

 

 湧き上がってくる寂しさが、ルルーには悔しかった。横島と話して、楽しかった事を認めざるを得ないからだ。

 基本的にルルーは明るく、人懐っこい。誰かの側にいることを強く望むタイプだ。

 お喋りも大好きだし、体を動かしたり、小物関係を身につけるのも好きな、少し勝気な女の子といえる。

 暗く、冷たい牢獄に一人ぼっちなんて、本来耐えられる少女じゃないのだ。

 

「あんなに喋ったのは久しぶりだったな」

 

 家族のスピリットは心を失い、まったく喋らなくなってしまった。

 何か効果があるかもとルルーは家族に語りかけたが、聞いているのかいないのかも分からず、何の反応もしないため、とにかく寂しかったのだ。

 だから、愚痴をこぼすのも怒るのもとても楽しかった。馬鹿な会話も、思い起こすと悪くはない。それだけではなく、自分の事をとても気にかけてくれたのではないだろうか。誰かに気にかけられるなんて、どれほど久しぶりだろう。それに、自分はヨコシマを殺しかけたのだ。その事を恨みもせず、こうして来てくれるなんて凄いことだ。

 無理だと言ったが、もし姉達が感情を取り戻してくれたら、何て素晴らしいことだろうか。

 悪い人間ではない。とても楽しい人間だ。仲間になれば、きっといい喧嘩友達になれる。

 それに、ラキオスのスピリットは感情を失っていなかった。

 もし、ラキオス軍に入ればもっとお喋りが出来る。何の会話もない冷たい食事じゃなく、賑やかな暖かい食事が食べられる。

 まだ、家族に心があったころの、楽しい食事が戻ってくるのだ―――家族を殺した連中と。

 

「あ~~もう! どうしたらいいの!!」

 

 頭を掻き毟り、うきゃ~と奇声を上げて悩み苦しむ。

 どうしたらいいのか。何が正しいのか。正解は何か。

 

「ねえねえ」

 

 結局どちらの答えを選んでも、悔いは残るだろう。

 失うもの、失われてしまったものがある限り。

 

「ねえねえねえねえ!」

 

「うるさいなあ! 考え中だから静かにして!!」

 

 でも、もしも、あのヨコシマというエトランジェが家族の心を取り戻してくれたら……そのときは……

 

「ねえ……ねえ」

 

「だからって声を小さくしてもしょうがないでしょ!!」

 

「うわ~ん! じゃあエニはどうしたらいいの~~」

 

 ここでルルーはようやく気づいた。

 鉄格子の向こう側にいる存在に。

 

「え……ええと、君はスピリットなの?」

 

「そうだよ、エニはスピリットだよ! お喋りしようよ」

 

 鉄格子の向こうには、にっこりと笑う金色の髪を持つスピリット、エニがそこにいた。

 その目は焦燥感に取り付かれていた。

 

 



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第十四話 日常編その1 メインヒロインって、料理が超絶に下手か上手いかの二つに分かれると思わないか?

 日常編と銘打っているのは、見なくても本編には深く影響しない話となっています。

 では、どうぞ。




 永遠の煩悩者 日常編その1

 

 メインヒロインって、料理が超絶に下手か上手いかの二つに分かれると思わないか?

 

 

 

 ある日の午後。

 午前の訓練が終わった悠人は、第一詰め所内で聖ヨト語の勉強をしていた。

 何とか話は出来るようになったが、まだまだ文字の読み書きが出来てはいないからだ。

 隊長である以上、どうしても目を通さなくてはいけない書類関係は存在する。なにより、読み書きは何をするにしても必須だ。文字が読めれば戦術の勉強もずっと楽になる。

 それに、妹である佳織は既に発音も完璧で、文字も読めると、オルファから聞いている。横島も同じく聖ヨト語をマスターしていた。悠人だけが未だに習得できていない。

 兄として、隊長として、そのちんけなプライドを守るためにも、文字を覚えるのは何より急務と言えた。せっせと悠人は勉学に勤しむ。

 

 その時だった。ここ最近の『あれ』がやってきた。

 またかと、自然と頭を抱える。

 一体どうすればいいのか、まるで見当が付かない。

 悠人は悩ます元凶である『あれ』――――彼女はすぐ後ろにいる。

 彼女からはどうやっても逃げられないのだ。

 いや、別に逃げる必要はない。別に敵ではないのだから。

 現状を打開する方法。それは、少し口を開くだけで良いはずなのだ。

 

「なあアセリア、何か用事でもあるのか?」

 

「……なんでもない」

 

 近くとも遠くとも言えない距離で、アセリア・ブルースピリットが抑揚の無い声で返事をする。

 用など無い、そう言いつつも目はじーっと悠人を見つめていた。

 

「用事が無いのに、何で見つめるんだよ」

 

「用事が無いと見つめちゃいけないのか?」

 

「そんなことは無い……と思うけど」

 

「だったら……うん……これが良い」

 

 一人納得したアセリアに、悠人はただ首を傾げるしかない。

 悠人はここ最近、ストーカーに近い行為をアセリアに受けていた。

 ストーカーと言っても、軽く追い回される程度のものなのだが、それでも追い掛け回されていることに変わりは無い。

 視線を感じたかと思うと、こちらを見ている。気が付くと後ろにいる。

 そんなことがここ数日、延々と繰り返されていた。

 無表情で何を考えているかは分からないが、少なくとも何かは目的があるはずだ。

 しかし、アセリアは何でも無いと言う。嘘を付いているようには聞こえないが、正直分からない。

 悠人はやれやれと肩をすくめた。

 その時、ギィと木の扉が開く音が聞こえた。

 

「悠人、いるか~」

 

 部屋に入ってきたのは横島だった。

 すると、アセリアは部屋からさっと出て行く。付き纏うのをやめたのかと悠人は思ったが、それは甘い考えだったらしい。

 アセリアは部屋から出るには出たが、部屋の外から顔を半分出して、じっと悠人を見つめていた。

 顔は無表情だが、コバルトブルーの瞳は何らかの意思を乗せて輝く。やってきた横島には、その状況がまるで飲み込めなかった。

 

「お前ら何してんだ」

 

「俺が聞きたいよ」

 

 扉の影から顔を半分隠して、じっと悠人を見つめるアセリア。そんなアセリアに困惑する悠人。何だかラブラブな感じがしないわけでもない。当人たちからすればそんな気はないのだろうが、横島からすればいちゃついている様に見えた。

 

「ラブラブか! ラブラブなのかコンチクショー!」

 

 横島は悠人に嫉妬団よろしく襲い掛かる。

 悠人は鬱陶しそうに横島にワンパン入れて吹っ飛ばした。

 どうやら横島は突っ込みを避けられないらしい。神剣を使わずとも、音速を超える槍すら避けられるにも関わらず。悲しきは突っ込みを避けられないボケの性質か。どうせ一瞬で治るので、悠人が横島の体を心配する事は、もうない。

 

「んで、なんのようだ。お前がわざわざ俺に会いにくるわけないだろ」

 

 知り合って二ヶ月も経っていないが、悠人は横島の性格をある程度把握していた。

 横島は男嫌いだ。何かしらの理由がない限り会いに来ることはない。

 

「当然だな。ほらよ」

 

 横島は悠人に何枚かの書類を投げた。

 その書類を見て、悠人は顔色を曇らせる。

 蛇がのたくり回ったような文字が羅列してある。分からないわけではないが、翻訳するのにどれほどかかるだろうか。

 

「んじゃ、後は任せたぞ」

 

 軽くそんな事を言うと、横島はきびすを返して部屋から出て行こうとする。

 当然、悠人は横島を引き止めた。

 

「ちょっと待て。何だこれは」

 

「見ての通り書類だ。マナの計算や、新しく入った技術者。他にも諸々あるぞ。一通り目を通して判子を押してくれ」

 

 それだけ言って出て行こうとする横島を、悠人は当然引き止める。

 

「待て待て待て! 何で俺がこんな事をやらなくちゃいけないんだ。これはお前の仕事だろ!!」

 

 こういった仕事は文字が分からなくては出来ない。絵本や五歳児でも分かる聖ヨト語を見て学習している悠人では、どれほど時間が掛かることになるやら。

 横島の方は読みも書きも出来るので、悠人の代わりにこういった仕事をやっていたのだ。これは仕事の放棄である。悠人にはそう見えた。

 悠人の怒りの問いに、横島は逆に憤然たる表情で悠人に向き直り、強い口調で言葉を返した。

 

「ふん、そんなことで佳織ちゃんを守れるとでも思っているのか!」

 

「何だと!」

 

「隊長ともあろう奴が、文字も読めず、書類作成もままならないようじゃ、佳織ちゃんを守るなど夢のまた夢!」

 

「ぐっ……しかし!!」

 

「俺はいいんだよ。この世界の文字は完全に把握したからな。……なあ悠人、俺はお前の為を思って言っているんだぞ。ただ単純に文字を見て覚えるよりも、実戦形式のほうが覚えやすいと思わないか? 変な所があったら、後で俺が修正してやるから」

 

 佳織の為。

 これは悠人の行動原理の大部分を占める。悠人は佳織の為ならば、不条理や不義理にも耐えて行動する事ができるのだ。

 悠人は言葉に詰まった。騙されているとは思わないわけではない。しかし、横島の言っている事は間違いなかった。

 しばしの思案の後、悠人は苦々しく思いながらも、結論を出す。

 

「……ちっ。分かったよ」

 

 ぶつくさ言いながら悠人は書類をかき集める。扱いやすい奴だと、横島は内心でほくそ笑んだ。

 この手を使っていけば、自分が受け持つ仕事を悠人に任せるのは簡単だろう。その間に自分は町に行って、あれやこれや出来るのだ。

 横島の顔が自然とにやける。にやけ顔が悠人の目に留まった。

 納得がいかない。

 自分が仕事をしている間に遊び呆けている奴がいる。

 どうにかして横島に仕事をさせたいが、口では絶対に敵わないと分かっている。

 何か方法はないかと考え、横島の特性に気づき、答えを出した。

 

「……だが、横島には一つ頼みがある。この詰め所の厨房を掃除してくれないか。エスペリアが城に呼び出されて、まだ片付いていないんだ」

 

「アホか。俺は色々と忙しいから。そんな事してる暇は―――」

 

「お前が台所の掃除をしたことをエスペリアが知れば、きっと感謝して―――」

 

「よっしゃ! 任せとけ!!」

 

 ブラックスピリットもかくやと言うスピードで、横島は厨房に消えていく。

 扱いやすい奴だと、悠人は呆れる。そして、自分が忙しい時はこの手を使ってやろうと決めていた。

 横島と悠人の性格は正反対と言っていい。

 女性にナンパなどできない、ヘタレで不器用な悠人。

 愛の伝道師であり、軟派で器用な横島。

 それにも関わらず、二人はどこかで似ていた。

 そんな二人を、アセリアはじっーと眺めていた。どこか羨ましそうにしながら。

 

 さて、厨房で洗い物を始めた横島だったが、本当にあっさり終了することになる。

 汚れた皿の上には水が張ってあり、特に苦労することなく汚れを落とす事ができた。

 しっかりと整理整頓された厨房は、初めてきた横島でも何処に何があるのかすぐ分かったぐらいだ。掃除や洗たくをするための前準備がしっかり整っている所辺りが、エスペリアの勤勉さを如実に示している。

 家事のプロフェッショナルのメイドの実力。それを妙なところで分かってしまった。

 

「よし、終わり! ふふふ、これでエスペリアさんは俺のものだ!」

 

『まあ、こんなにピカピカに厨房が綺麗になって。一体何処のどなたが!?』

『ふっ! それは俺ですよ、エスペリアさん』

『まあ、ヨコシマ様が。ありがとうございます! でも私はお礼に差し上げるものが……』

『いえいえ、気にしないでください。当然の事をしたまでですから』

『ああ! 何て謙虚で素敵なお方!! もうメチャクチャにしてー!!』

 

「わははは! なーんてな!!」

 

「……ん、そうなのか」

 

「そうなのだ……って!?」

 

 妄想を飛ばして一人演劇をしていると、いきなり後ろから声を掛けられて、飛び上がり驚きながら振り向く。

 そこには、ぼや~としながらこちらを上目遣いで見る、アセリアの姿があった。いつもの事ながら、考えている事がまるで掴めない。

 

「え~と、アセリアちゃん。何か用かな?」

 

 上目遣いで見つめられ、何とも奇妙なプレッシャーに横島は襲われていた。

 

「…………」

 

 アセリアは何も言わない。

 無言で横島をじっと見つめ続ける。

 

(だ、だめだ! この空気には耐えられん!!)

 

 ボケキャラとして、お笑いキャラとして、この空気は横島にとって毒そのもの。

 すぐさま自分が生きられる笑いとギャグの空間に世界を改変しようと横島は思ったが、想像以上に空気を変えるのは難しかった。

 

(ここは一つボケで……いや、駄目だ! アセリアちゃんが突っ込んでくれないとボケが死んでしまう。ならば突っ込みを……ボケなしで出来るかい!! ……だったらセクハラを……駄目だ! アセリアちゃんは雰囲気が幼すぎる)

 

 己の内で一人ノリツッコミを敢行するが、現実には効果が無い。

 一体どう動けばいいのか。

 このまま何も言わずに逃げるという手もあるのだが、それはあまりに情けない。

 横島は必死に何か話題になりそうなものは無いかと、辺りを見回す。

 そして、あるものに目をつけた。

 アセリアの髪である。

 青色の艶のあるロングのストレート。

 そんな柔らかい髪の中で、ひねくれものが存在している。

 そのひねくれものは、とある業界用語でこう呼ばれていた。

 

 アホ毛、と。

 

 非常に柔らかい髪質であるにも関わらず、重力に逆らい、『ニュートンよ! 俺は貴様を超える!!』とでも言いたげなアホ毛は、この上なく横島の興味を引いた。

 きゅぴーんと、横島の目が怪しい光を放つ。

 

 ツンツン。

 

 何の前触れも無く、アホ毛を引っ張る。

 一体どのようなリアクションを取ってくれるのかと、横島はワクワクしながらアセリアを見つめたのだが……

 

「…………」

 

 返答は無常な三点リード。

 

(くそ! この三点リード娘め!!)

 

 かの天才軍師も、動かぬ敵はどうしようもないと、嘆いたことがあったそうだ。

 もはやこれまでか。

 そう思われたその時、ようやくアセリアはその口を開いた。

 

「ヨコシマは……」

 

「なんだ! 何でも聞いてくれ!」

 

 ようやく話しかけてくれたアセリアに、横島は嬉々として先を促す。

 この沈黙から抜け出す好機を逃すわけにはいかない。

 

「ヨコシマは……いつもユートと何を話してる?」

 

 貝のように閉じられていた口から出てきた言葉は、やはりというか悠人の話題だった。

 横島はその言葉に顔をしかめながら、口を開く。

 

「悠人の奴と仲良くなりたいのか?」

 

 質問を質問で返す形となったが、横島の言葉にアセリアは目線を上にやったり下にやったりと、なにやら考え込んだ。

 

「よく……分からない……」

 

 肯定しなかったが、否定もしなかった。

 少なくとも考えたということは、それだけ悠人の存在がアセリアにとって大きくなりつつあると言うことだろう。

 

「ちくしょー! 悠人のやつ、エスペリアさんがいるくせにーー!!」

 

 自分の守備範囲内にいないとはいえ、悠人が飛び切りの美少女に想われていることは、嫉妬魔人である横島にとって耐え難いことだった。

 

「こんちきしょー! こんちきしょー! こんちきしょー!」

 

 悠人と書かれた藁人形に五寸釘をごっすんごっすんと打ち付け、カーン、カーンと小気味の良い音が響き渡った。

 二階から悠人の「くそ! 馬鹿剣……こんな痛みに俺は負けない!!」などと聞こえてくる。悠人の苦しみの声に、横島は「ケッケッケッ」と邪悪に笑った。

 

「ん……ヨコシマは何やってる?」

 

「ああ、これは……ハイペリアの儀式みたいなものだ。好きな奴にでもやるといいぞ。ばれないようにな」

 

「そうか」

 

 アセリアは相変わらず素っ気無かったが、目だけは藁人形に釘付けだ。アセリアはハイペリア(悠人の世界)に高い関心を持っている。これ以後、時々夜中にカーンカーンという音が聞こえてくるようになるのだが、それはまた別な話。

 

「それじゃあ、俺はこれで」

 

 色々と話し終えた横島はそそくさと、この場から離れようとした。このまま話し続けていても、あまり面白い事にならないと感じたからだ。

 だが、アセリアはひょいと横島の服を掴むと、汚れのない青の瞳を向けてくる。

 

 ――――アセリアからは逃げられない!!

 

 どこかの大魔王のようなアセリアに、どうしたものかと、横島は考え込む。

 嫉妬団の一員として、ここでアセリアと悠人を仲良くさせたくはない。だがしかし、それは目先のことしか考えていない。そう、物事は大局的に、長期的に考えなくてはいけないのだ。

 

 今現在、アセリアは守備範囲外だ。悠人に興味を示している。

 最近ヒミカなどは「もう少しユート様を見習ってください」などと言いはじめている。他のスピリットも、悠人に妙に肩入れをしているような気がしていた。このまま悠人を放置すれば、異世界での濡れ濡れハーレム生活計画に支障を与えかねない。

 だとすれば、悠人をいち早く誰かとくっ付けたほうがいいのかもしれない。

 横島の脳内に存在する、ヨコシマン型エロピューターが結論を出した。

 いくら自分の守備範囲内にいないとは言っても、横島が男と女のキューピッド役になるなど本来ありえない。これは、横島が如何に悠人を警戒しているのかを示していた。この男こそ、ハーレムを目指す上で最大の障壁だと、この時点で気づいていたのである。

 

「男は女の子の手料理に弱い!!」

 

 びしりと、横島はアセリアに指を突きつけながらきっぱりと言った。

 アセリアは少しだけビクリと反応して、何かを考える。

 

「私は……ユートを倒したくない」

 

「いや、その弱いじゃなくてな」

 

 苦笑を浮かべる横島。頭が弱いとかではなく、単純にそういう方面に思考そのものが行かないのだろう。もしくは何も考えていないのかもしれない。

 

「男は、美人の料理は大好きだって事だ。アセリアちゃんが悠人の奴に何か作れば、きっと泣いて喜ぶぞ」

 

「そう……か」

 

 小さくそう返事をすると、アセリアはまた何かを考え込んだ。

 

「手は……握ってくれるか?」

 

「はっ?」

 

「…………ヨコシマのせいで」

 

 アセリアは少しだけ目を細めて、横島を見つめた。

 そんなアセリアに、横島はただただ困惑するのみ。一体何を言いたいのかまるで分からない。ぽつりぽつりと喋って、前後の文に繋がりがまるでないのでは理解しようがなかった。ただ、何か恨まれているような感じがした、

 

「なあ。俺、何か悪い事したか?」

 

「何でもない。料理……したことないけど……うん、やってみたい」

 

 やってみたいと、アセリアは静かに、だがはっきりと主張した。

 実は言うと、ここまで明確に自分の意見を言う事は、アセリアにとって始めての事だったりする。やる気のアセリアに横島はうむと頷く。

 幸い、先ほど厨房を掃除したおかげで、食材が一通りそろっている事は把握している。

 

(料理なんてほとんどしたことはないけど、野菜炒めぐらいなら、俺にでもできるよな?)

 

 偉そうなことを言っておきながら、横島は自炊などほとんどしたことがない。

 せいぜい米を炊いて、肉や野菜を炒めて塩コショウをぶっかけるだけ。

 男の一人暮らしなんてそれが当然。

 はたして料理を作れるのか少々の不安はあるが、横島は決断した。

 

「じゃあ、まず野菜を切ってくれ」

 

 台所にあった食材を色々出して、アセリアに指示を出す。

 神剣なんてものを扱っているのだ。包丁も扱えるだろうという判断だ。

 切って、炒めて、軽く塩胡椒を振りかける。

 それだけで十分だと、横島は考えていた。その程度しか出来ないともいえる。下手に手を加えると、とんでもない物が生まれてしまうからだ。横島は自分の実力のほどを、よく理解していた。この実力を弁える事は、料理を作る際に極めて重要な能力だったりする。

 

 アセリアは頷くと、意外と俊敏な動きで包丁取り出した。

 そして、危なげない手つきで包丁で野菜を切り始める。

 キャベツに似たようなものや、レタスそっくりの野菜たちを、手際よくトントンと切り出した。

 

 意外と大丈夫だ。そう判断した横島は自分の仕事を開始した。

 まず、皿の上にロールパンを乗せる。そして、皿の端にバターをそえる。 これで一品。簡単だが、普通に美味い。

 次に、エーテルコンロで湯を沸かす。スイッチを捻ってそれで終わりだ。ここら辺の技術は、見た目の中世とは思えないほど高い。いや、燃料の面で言えば、無限に使えるこのシステムは最高と言えた。

 マナをエーテルという燃料に変換してそれによって機材を動かし、使われたエーテルはまたマナに変換する。

 無限のサイクル。決して消えない燃料。

 欠点はマナの総量が増えない事だが、正に無限の燃料だ。

 ここで、横島の頭に疑念が芽生える。

 

 都合が良すぎないか?

 この奪い合いの世界で、こんなにも都合が良い便利なサイクルが存在するのが変ではないか?

 そもそもこんな技術は何処からやってきた? 

 

 横島はこのサイクルが気にくわなかった。便利この上ないが、何だか気に食わない。この世界に相応しくない。何かが変なのだ。便利だからなんでも良いとか、こんな中世時代にこんな道具があるなんて変だとか、そういう類の話ではない。もっと根本的な所。

 

 何気なく髪の毛を一本引き抜き、霊力を使ってすり潰す。すると、髪の毛は金色のマナの粒子になって消えていった。別に珍しくもなんとも無い。エトランジェ(来訪者)の体はマナで構成されている。髪の毛のように小さい部分のエーテル結合を切断すれば、マナの霧に帰るのは当然の事だ。マナで作られた体は頑強で、神剣や霊力を使わなくてもプロレスラー並みの怪力を引き出すことも出来る。あくまでも人間の範疇だが。

 

 おかしくない。でもおかしい。何がおかしい? おかしくない事がおかし――――――ー

 

『混入』

 

 やはり、おかしい。別におかしくない。世界が、自分が、おかしい。おかしい。おか……しくない。おかしい。おかしい。おかしくないおかしいおかしくないオカシくないおかしオカシクナイおかシいカカシカクナいないかしい―――――

 

 凄まじい吐き気に襲われる。

 気持ちが悪い。眩暈がする。得体の知れない汗が滲み出す。

 早くこの異物を――を吐き出さなければ。

 こみ上げてくる吐き気に逆らわず、全てを吐き出そうと胸と喉に力を入れる。

 だが吐き出せない。

 

 そんな横島を、『天秤』は不快そうに、だが感心したように観察していた。

 

(これほど厳重に思考プロテクトを重ねていると言うのに、自分の存在に疑問を持つとは……いや、だからこそか)

 

(そう、だからこそ。強い力は絶対に何かしらの制限を受ける。副作用を引き起こす。それは、貴方も永遠幼女婆さんも……アシュタロス様も一緒ね)

 

 本来生じるはずの疑問は封じ込められている。

 そうした事によって、何故自分は疑問を持たないのであろうと疑問を持っているのだ。

 ならば、何故自分は疑問を持たないのであろうという疑問を封じればいいような気もするが、それをやったら堂々巡りになってしまう。

 何かかしらの行為は、意図していなかった副作用を引き起こす事を、『天秤』も理解し始めていた。メリットもデメリットも、ただそれのみでは存在できない事を。

 

「ん……終わった」

 

 包丁の軽快な音が止まる。思考をアセリアに戻す。すると、すっと気分が楽になっていった。

 

「ん……どうした? 汗……凄い」

 

「いや、何でもないぞ! さて、切り終わったのか!?」

 

 身振り手振り大きな動作を取りながら、横島はアセリアの切っていた野菜を見てみる。

 考えない事。疑問に思わないこと。それが気分を良くする最良の行動である事を本能的に分かっていた。

 そこで、妙なことに気がつく。

 まな板が無い。

 

「アセリアちゃん。使ったまな板はどこにやったんだ。木の板みたいなやつなんだけど……」

 

「……ん……一番切るのに苦労した」

 

 そう言ってアセリアは、目の前の皿を指差す。

 そこには、緑色の粉と茶色の粉の山がこんもりとあった。

 元は野菜とまな板と呼ばれていたそれは、吹けば吹き飛ぶ粉と化していた。

 

(切った! 切りましたよこの娘は!!)

 

 神剣でもない包丁でまな板を切る。種類の違う野菜も、お構い無しに全て一様に切り刻む。しかも、スーパーみじん切り。

 『ラキオスの青い牙』の二つ名に相応しい腕前だ。場違いとは思いつつも、流石だと横島は感嘆した。

 しかし、これは横島がどのように切ればいいのかをまるで指示しなかったのも問題だった。切り方などは十通り以上あるのだから、教えなければ切りすぎるのも当然だ。そんな事も分からない横島に、料理を教えるなど不可能だったのである。みじん切りは無いにしても、だ。

 

 現在の被害。

 まな板が一個。

 

(なんだよ現在の被害って! こんな書き方したらまだまだ被害が増えそうだろうが!!)

 

 地の文に突っ込みを入れていた横島だが、ここであることに気づく。

 重要なことを忘れていたのだ。

 

「なあアセリアちゃん。エスペリアさんって調理器具とか大事にするのか?」

 

「いつも、ピカピカにしてる」

 

 さすがはメイドさんだけの事はある。

 道具を大切にして、常に手入れを欠かさないようだ。

 

 もし、その道具を壊されたらどうなる?

 

 被害がまな板だけなら、笑って許してくれるかもしれない。

 だが、これ以上被害が増えたら、果たして許してくれるだろうか。

 ああいう優しいタイプは怒ると非常に恐いのだ。

 しかも、セリアのように怒るのではない。黒くなるのだ。

 

 背筋が寒くなった。

 この時点で横島の霊感は逃げろ逃げろと訴えかけてくる。

 すぐさま料理などやめて、この場から離れろと。

 しかし……

 

「ヨコシマ……次はどうしたらいい?」

 

「うっ……」

 

 何の汚れもない純粋な瞳が向けられる。

 その瞳には、いつものアセリアではありえないほどの感情が込められていた。

 横島には、ここで断る勇気などありはしない。

 だが、勇気は無くても横島は悠人とは違い狡猾だった。

 

「なあ、アセリアちゃん。今回料理を作ったのはアセリアちゃんだけで作ったって事にしてくれないか」

 

「何でだ?」

 

「そうすれば俺に責任が来ない……じゃなくて、悠人のやつも喜ぶと思うんだ」

 

 ここら辺の小賢しさは正に横島。

 この料理が引き起こすであろう惨劇に、自分は関係してないことにしたのだ。

 

(どうせ食うのは悠人の奴なんだし、メインで作るのはアセリアちゃんだから、俺は別に関係ないよな!)

 

 料理を提案したのは横島なのだから、首謀者と行ってもいいはずだろうが、そのあたりは横島頭脳が完全にスルーした。

 アセリアはそんな横島の邪悪には気づかず、良く分からないけどヨコシマがそう言うならと、あっさり約束した。アセリアは純粋である。

 

「そんで、刻みすぎた野菜は……どうするか」

 

 炒める予定だったが、あんな粉になってしまった以上、炒める事は難しい。

 ここでミスターな味っこや、究極や至高な料理人なら色々と考え付くのかもしれないが、当然の如く横島の頭脳では不可能であった。

 

「野菜炒めに、肉は入れないのか?」

 

 アセリアのその言葉を聞いて、横島ははっとした。

 野菜はこの際諦めて、肉を焼こうと。肉を焼くだけなら難しくない。焼いたら、調味料を振り掛ければ十分だ。肉とスープとパン。この三点で十分だろう。

 すぐさま肉を捜す。だが、携帯用の干し肉があった程度で、厨房に横島達が求める肉の姿は無かった。

 

「参ったな。何処にも肉が無いぞ」

 

 材料が無くてはどうしようもない。

 いくら神剣が使えようが、霊能力があろうが、こればかりはどうしようもない。無から有は生み出せないのだ。

 

「肉が必要か?」

 

「ああ、できれば欲しいんだけど」

 

「待ってろ」

 

 すたすたすたと、アセリアは厨房を出て行く。

 程なくして、アセリアは戻ってきた。

 

「エヒグゥ……捕ってきた」

 

 アセリアは手にウサギのような動物を持ってきた。エヒグゥと言う動物らしい。

 白い毛に覆われ、目は赤く、耳は長い。額に小さい角がある。細部はウサギと違うが、それでも似ている。

 ウサギもどきは、手の中から逃れようと必死に暴れていた。生きている。

 

「ん……いく」

 

 そう呟くと、アセリアは永遠神剣『存在』をエヒグゥに近づけて……

 

「ちょっと待った!」

 

「なんだ」

 

「それをどうするつもりだー!」

 

「肉だから……食べる」

 

 なんという単純……いや、純粋さなのだろう。

 あまりの純粋さに、横島の目から塩分過多な水が溢れそうになった。

 

「いや、やっぱり生きてるのはちょっと……」

 

「鮮度が良い方がおいしいってエスペリアは言ってた……と思う……もぐもぐ」

 

 アセリアは別にふざけているわけではない。

 本当にがんばって美味しい料理を作ろうとしているのだ。

 だが、こういうものはがんばればがんばるほど、状況がより悪くなると昔から相場が決まっている。

 

(つ、疲れる……)

 

 肉体的な疲労ではなく、精神的な疲労がかなり溜まってきた。

 何やってんねん、と突っ込みを入れたくはなるのだが、一生懸命さと幼い顔立ちのせいか突っ込みづらい。すれていなさすぎるというのも考え物だ。

 

「じゃあ……もぐもぐ……次は……もぐもぐ、どうすればいい。ごっくん」

 

「う~んそうだなあ……ところで、さっきから何を食べていらっしゃるのでしょうか?」

 

「パン」

 

「何やってんねん!!」

 

 裏手でビシッと突っ込みをアセリアに入れる。突然胸を叩かれたアセリアは、少しだけ眼を大きくして横島を見つめた。

 

「腹が減っては料理は出来ないって、オルファが言ってた。ハイペリアの、大切な言葉だって」

 

 胸を張って、自信ありげな顔をして見上げてくるアセリアに、横島は泣きたくなった。

 天然と純粋と不思議ちゃんを掛け合わせたアセリアに、手も足も出せない。ひょっとしたら、横島はアセリアの事が苦手なのかもしれなかった。

 

「ヨコシマ……どうして頭を抱えてる?」

 

「いやーどうしたもんかなーと」

 

「大丈夫……うん。私に任せろ」

 

 ―――――やばい、活き活きしてる。

 

 目を爛々と輝かせ、アセリアは台所に立つ。何処からやってきたのかわからない謎の自信を漲らせたアセリアの背中に、横島は終末を感じた。

 もはや止められない。自分というブレーキでは、猛進する少女を防げない。

 はぢめてのおりょうり補正。

 横島は運命に屈した。

 

「甘味料入れすぎ~~!!! バケツ一杯入れて……だからって香辛料入れてもしょうがないだろ~~~!!! 沸騰してる!! 鍋が沸騰して……凍らしてどうするーー!! ああ、液体がバブルスライムに……包丁は食べ物じゃ無い……ゴキブリだと!! 何故ゴキブリがって!? 捕まえてどうす……すりつぶすな~~!! 今度はネズミだと!!逃げてー!逃げてネズミーー!! 生きたままなんて嫌~~~~!! 殺してもダメー!!」

 

「ヨコシマ……うるさい」

 

 とまあ、そんなこんなで。

 

 

 

 横島の目の前に鍋がある。危険、危険、危険危険危険、危険危険危険危険危険!

 数々の戦いで培われた危機察知能力が、ヨコシマンメーターを振り切れるほど反応する。

 様々な食材を、調味料を、めちゃくちゃに入れられて、どういう味になっているのか想像もできない。それだけではない。包丁を始めとした調理器具がいくつかその姿を消していた。彼らは一体何処に行ったというのだろうか。いなくなったのはそれだけではない。厨房に隠れ住んでいた者達も消えてしまった。彼らは何処に……

 

(世界にも、心にも、料理にも、秩序は必要なんだな)

 

『主もようやく分かったようだな。そうだ、世界には法と秩序という真理が必要なのだ』

 

 何だかよく分からない所で、横島の属性がロウ側に近くなっていた。

 

「疲れた……あっそうだ。アセリアちゃん、火を止めておいてくれ。片付けは……しなくていいだろ」

 

「ん、わかった」

 

 何気なく言った一言。

 それは、またしても破壊を呼んだ。

 

「マナの振動も凍結させる……アイスバニッシャー!!」

 

 アセリアは永遠神剣『存在』を構えると、魔法の詠唱を開始して、凄まじい冷気を魔法陣から生み出した

 横島がその暴挙に気が付いたときには、もう遅かった。

 エーテルで起こしていた火は、生み出された冷気で見事に消された―――凍結したコンロと共に。

 もはや、横島は渇いた笑いを見せることも出来なかった。

 

 本当に全てが色々と終わり、改めて横島は辺りを見回す。

 そこは、エスペリアが愛していただろう厨房は、見るも無残な地獄に変わってしまった。

 正体不明の液体があちらこちらにこびり付き、不思議な異臭を放っている。

 整然としていた調理道具は、まるで一人暮らしの男部屋のように雑然となっていた。

 

 『天秤』はかつて言った。

 物事には必ず対価が必要だと。

 だとすれば、これほど荒れ果てた厨房の対価として、それは素晴らしい食事が生まれるのは自明の理のはず―――だった。

 

―――――――これは何だ?

 

 この世界に生まれてしまった物体を目の前にして、横島は自問自答する。

 パンを作った。サラダ? を作った。スープを作った。

 

 非常に簡単ながら、確かに3品作ったはずなのだ。

 なのに、何故目の前にはスープしかないのだ?

 そして、何故スープにモザイクがかかっているのだ?

 そもそも、これ食えるのか?

 食ったら死ぬんじゃないか?

 

 目の前に鎮座する謎スープを前にして、横島はただ恐れおののくしかなかった。

 この謎スープから発せられるプレッシャーは、かの魔神と同等かそれ以上だ。

 これほどの犠牲を払っておきながらこんなものしか……いや、これほどの犠牲を出したからこそ、こんなものが生まれてしまったのだろう。

 横島は、アセリアが鍋のスープを小さい手鍋に移し変えているところを眺めながら、そんな事を考えていた。

 

「ん……ヨコシマ」

 

 大事そうに鍋を抱えたまま、アセリアは横島に向き直る。

 

「……サンキュ」

 

 小さく会釈をして、僅かに微笑を浮べて、確かな声で礼を言った。

 そんなアセリアを横島は凝視した。見惚れたと言ってもいい。

 失敗したかもしれないと、横島は心の中で舌打ちした。やはり、劣情は抱けないが、この笑顔はとても魅力的だった。これから、この笑顔が悠人に向けられるのかと思うと何だか悔しかった。

 アセリアを守備範囲内に認定しようかと、悩んだ横島だったが、その悩みは次の一言までだった。

 

「ヨコシマ……この料理を食べてほしい。……うん、お礼だ」

 

 ―――――来た! 死亡フラグ!!

 

「うぐっ! は、腹が!!」

 

 突然苦しみ始める横島。

 もちろん仮病なのだが、半分はマジだった。

 アセリアと料理をしたことで、横島は神経をすり減らし、胃や腸にダメージを負っていたのだ。

 

「……ん……大丈夫か?」

 

「すまん。腹の具合が……これではとても食えそうに無い」

 

「そうか……無理は良くない」

 

 何だか残念そうな顔のアセリアに心が痛むが、命には代えられない。

 ここで食べればアセリアと色々仲良くなれそうな気もしたが、例え仲良くなっても艶っぽい関係には発展しそうにない。

 何だか面白い娘のようだから、色々と教えて悠人の奴を苦しめてやるのが楽しそうだ。

 

「それじゃあ、悠人の奴に持っててやれよ。きっと喜ぶだろ」

 

 ――――泣きたいほどな。

 

 これから、あの料理は悠人の胃の中へ運ばれるのだろう。あのヘタレの事だ。断るなんて出来そうも無い。悠人は帰らぬ人になるのだ。

 アセリアはこくんと頷くと、鍋を大事そうに抱えて、小走りで階段を上っていった。

 

(すまん、悠人……成仏しろよ)

 

 心の中で詫び、顔は邪悪に笑いながら、横島は町にいつもの如く色々とやりに行った。

 これから起こるだろう惨劇を知りながら。

 しかし、その惨劇が自身の考えを遥かに越える事を、彼はまだ知らなかったのである。

 

 

 

「ふう、ようやくひと段落ついたな」

 

 そう言って、悠人は耳栓を抜いた。考えていた以上に時間が掛かってしまった。外を見ると、日が傾き始めている。書類整理&作成は色々と大変だった。

 書類を見始めてすぐ、『求め』が干渉してきて胸に穴があくのではないかと思うほどの鈍痛に襲われた。何故か『求め』は『我は何もしていないぞ、契約者!!』何て嘘もついたりされた。嘘つき神剣と、悠人は『求め』の評価をさらに下げてたりもした。

 痛みが治まり、さあ仕事だと気合を入れれば、下から妙な騒ぎが聞こえてくる。

 どうやら、アセリアと横島が何かしているらしい。にぎやかで楽しそうに聞こえてくる二人の声。

 悠人は何となく気分が良くなくて、耳栓をして作業に集中しようとしたのである。もっとも、耳栓をしても集中できず、横島とアセリアが何をしているのかがどうしても気になっていたのは変わりないのだが。

 さて、これからどうするかと、悠人は大きく伸びをする。その時、後ろ首に何か温かいものが触れ、肩に手を置かれた。

 

「うわあ!!」

 

「!!」

 

 いきなり肩に手をかけられた悠人は、悲鳴を上げながら振り向く。そこには少し目を見開いたアセリアが鍋を持っていた。

 

「ユート、いきなり大きな声出すと、びっくりする」

 

「あ、ああ、悪い」

 

「ん……ユート……食べる」

 

 いきなり現れたアセリアは鍋を差し出す。

 言葉に出来ない匂いが、悠人の鼻を襲った。

 

「これは……アセリアが作ったのか?」

 

「……ん……ユートに。初めてだけどがんばった」

 

 こくりと頷くアセリアに、悠人の心がぐらりと揺れた。

 美少女が作ってくれた手料理である以上、男である悠人が喜ばないはずがないのだ。

 なにより、無表情で何を考えているのかさっぱり分からないアセリアが、剣を振る以外にやる事がないと言っていたアセリアが、料理を作ってくれたと言う事実が、悠人の心を熱くさせる。

 妙な匂いも、初めての料理、という肩書きが悠人の気持ちを優しくさせていた。

 

「いや……本当に嬉しいぞ」

 

「……ん」

 

 相変わらず素っ気の無い様子のアセリアだが、それが余計に悠人の心臓をどきりとさせる。

 そんな自分に気づいた悠人は、自分の気持ちを誤魔化すように、大きなリアクションを取りながら鍋のふたを開けた。

 

「おお……ぉ~~~っ!!」

 

 先ほどとは別の意味で心臓が高鳴った。

 

 その心臓の高まりは、恐怖。あるいは死の気配を敏感に察知したからに他ならない。

 料理を差し出すアセリアに、心臓のドキドキが止まらない。俗に言うプラシーボ効果というやつだ。いや、何か違うような気もするが。

 

「ユートに……私の初めて(作った料理)を……食べて欲しい」

 

 悠人はここに、自分の敗北を確信した。

 断れない。断れるわけが無い。

 

(これを断れる奴は犬畜生にも劣る外道な奴だ。うん、決して俺がヘタレだからじゃないぞ)

 

 心の中で理由を述べて、仕方ないと決定付ける。正にヘタレだった。

 

「じゃあ、食うぞ!」

 

「ん……まだ、ダメ」

 

 どうしてだと、怪訝な顔で悠人はアセリアに向ける。

 アセリアも悠人の事をじっと見つめた。

 一体何を求められているのかと、悠人は少し思案して、ここ最近の第一詰め所に流行り始めた習慣を思い出す。

 

「いただきます……」

 

「ん」

 

 僅かにアセリアが頷く。

 日本の風習をアセリアが学習した事が妙に感慨深い。

 暖かい気持ちのまま、悠人はスープを口に運ぶ。

 

「かはっ、ぁ…ぁぐ……っ!俺はまだ死ぬわけにはいかないのに…佳織……かお…り……」

 

 戦闘時の死亡台詞をそのまま言って、悠人は床に倒れた。

 痙攣を数回繰り返し、完全に動かなくなる。

 

 高嶺悠人、死亡確認!!

 

 と、言いたいところではあるが、エトランジェやスピリットは、死ぬと黄金のマナの霧に変わるので死んではいないだろう。仮死状態が正しい。

 

「ユート……こんなところに寝たら風邪引く」

 

 突然寝た悠人を、アセリアはゆさゆさと動かす。

 だが、悠人はピクリとも動かない。本来の予定としては、ここで美味しいと褒めてもらって、手をギュッとして貰うはずだったのだが、寝てしまっては仕方がない。

 寝てしまった悠人にアセリアは毛布をかける。顔から足まですっぽり覆いかぶせるその様子は死体隠蔽処理同然だった。

 

「次」

 

 アセリアは鍋を持ち、次なる標的に向かって動き始めた。

 アセリアの標的は、悠人だけではなかったのだ。

 ラキオスを滅亡に導く、最大の敵が現れた事を知る者は、誰もいなかった。

 

 

 

「さてと……今日はリクェム炒めにでもしようかしら。小さく刻んで、濃い目に味付けして食べやすくすれば残さないわよね」

 

 第二詰め所の厨房で青いポニーテイルが揺れる。『熱病』のセリア。彼女は今晩の食事当番だ。

 セリアの目の前には細かく刻まれた野菜が沢山ある。

 リクェム(ピーマン)やラナハナ(ニンジン)を始めとして、子供たちが苦手としている野菜ばかりで、栄養満点である。

 セリアは成長期の子供達のために、なんとかして野菜を食べさせたかった。とはいえ、体にいいからと野菜を無理やり食べさせるのは可哀想だ。

 セリアは少しでも子供たちが美味しく野菜を食べられるよう、努力しながら食事を作っていた。こんな努力をセリアがしていると、子供たちは考えもしていないだろう。ヒミカ達だって気づいているか怪しい。

 素直ではないセリアの優しさと女性らしさが、誰にも気づかれないところに現れていた。

 

 セリアが野菜を前に頭を捻っていると、後ろからスタスタと誰かの足音が聞こえてきた。

 足の運び、気配、空気、こういった部分は昔とちっとも変わっていないと、セリアは思った。

 

「どうしたのアセリア。こんな時間に」

 

 誰が来たのか確認もせず、セリアはアセリアの名を呼び振り返った。後ろにいたアセリアは、僅かに顎を引いて、セリアの挨拶に答える。気配だけでアセリアを特定できるのは、幼少のころより一緒なセリアぐらいだろう。

 セリアはアセリアの持っている鍋に目を留めた。

 

「あら、おすそ分け? 助かるわ。エスペリアにお礼を言わなくちゃね」

 

 セリアがそう言うと、アセリアはふるふると、首を横に振る。

 

「そうか、オルファね。まったく、ネリーもシアーもオルファぐらい料理が出来れば……」

 

 ふるふる、アセリアは強く首を横に振る。心なしか、顔が不機嫌になっていた。

 

「まさか……ユート様?」

 

「違う」

 

 アセリアの不機嫌そうに聞こえる声にセリアは驚く。

 滅多に……いや、セリアは初めてアセリアのこんな声を聞いたのだ。

 それらを踏まえて考えれば、答えを出すのは簡単。

 ひょっとしたらどこかで買ってきた事も考えられるが、それならば不機嫌になる必要はない。

 答えは一つしかなかった。

 

「アセリア……貴女が?」

 

「ん……セリアに食べて欲しい……」

 

 始めに来た感情は驚愕。

 次に来た感情は歓喜。

 あのアセリアが、手料理を持ってきてくれた。

 それだけでセリアの顔が驚きと喜色に染まる。

 必死に緩む顔を戻そうとしているが、嬉しさの余り上手くいかないようだ。

 

「アセリアが私に……そう……そうなんだ!」

 

 とにかく嬉しい。

 セリアは自分自身でも驚くほど、心が弾んでいるのが分かった。

 幼少期を一緒に過ごし、アセリアが悪い人物ではない事は分かっていたが、ぜんぜん喋ってくれないのでセリアは大変な苦労した。育ててくれた人間はスピリットに関心などまったく無く、一緒にいるのは何を考えているのか分からないアセリアだけ。コミュニケーション能力を発達させる場など無かった。

 責任転嫁はしたくはないが、自分がこんな素直じゃない性格になったのは、幼少期をアセリアと一緒に過ごしたせいだと理解していた。別に後悔しているわけではないし、今更、性格を変えようとも思わないが。

 でも、だからこそ、アセリアが料理を持ってきてくれたことが嬉しい。

 

「セリア……食べる」

 

「ええ、ありがとう」

 

 セリアは本当に嬉しそうに礼を言って、手持ち鍋を受け取った。そして鍋の蓋を取る。

 暖かだった空気は、その瞬間、確かに凍りついた。

 

「あの、アセリア? これは一体何?」

 

「スープ」

 

 確かにスープなのだろう。本人が言うのだから間違いない。

 そのスープの姿形は、言語で説明するは難しいが、簡単に言えばこれが一番合っている。

 モザイク。素でモザイクが掛かっている。これ以外にない。

 

「これ、他に食べた人はいる?」

 

 自分の声が震えていると、セリアはしっかりと感じていた。

 

「ん……ユートが食べた」

 

 こんなものを食べたのかと驚いたが、少なくとも前例があるというのは安心できる。

 

「それで、ユート様は?」

 

「寝た」

 

 それは寝たんじゃないわ! 気絶したのよ!!

 

 心の中で絶叫するが、声には出さない。

 そーなの。情けないわねえ――――などと適当な事を言っておく。

 

 ―――――どうする!?

 

 歴戦の戦士であるセリアの思考が高速で回転を始める。

 戦士として、生き物として、第六感が訴えていた。

 これを食えば死もありうると。

 死にたくない。セリアの生存本能が訴える。

 

「私ちょっとお腹が減ってなくて……」

 

「食べて……くれないのか?」

 

 いつも通り抑揚の無い声で、しかし聞くものが聞けば残念な響きが混じっていることに気づくだろう。アホ毛も、心なしか少し垂れ下がっている。顔も僅かにしょんぼりしていた。

 

(は、反則じゃない! こんな顔!!)

 

 セリアは自分の死を悟る。

 こんな顔をされたら断ることなどできない。

 スプーンでスープをすくう。

 この世のものとは思えない匂いが、セリアの鼻腔をくすぐる。

 

(ああ、お願い。そんなに期待に満ちた目で見ないで)

 

 じっと見つめてくるアセリアの姿に泣きたくなる。

 もしも顔を顰めでもしたら、アセリアが悲しむのでないかと不安だった。

 笑って食べよう。笑って――死のう。

 悲壮なまでの覚悟で、セリアはスープを口に近づけていく。

 

「二人でがんばって作った。きっと美味しい」

 

 ピタリと、スープを口に運ぶ手が止まった。

 

「二人? この料理はあなたが一人で作ったものじゃないの?」

 

「違う。ヨコシマと二人で……どうしよう」

 

「何? どういうこと!? しっかり話して、アセリア!!」

 

 横島の名が出た途端、セリアの様子は一変した。

 

 またか。またなのか。またあの人が!!

 自分の精神状態をかき乱し、周りに騒ぎと混沌を生み出すのに優れた変態。

 あの男がまたもや立ちはだかると言うのか!!

 

 セリアの質問に、アセリアは答えなかった。横島との約束で、決して一緒に作ったと漏らさないと誓ったからだ。

 貝のように口を閉ざしたアセリアに、セリアは質問を切り替える。

 

「じゃあ、この料理を教えたのは誰?」

 

「ん、ヨコシマだ」

 

 アセリアは確かに、横島との約束は守った。なぜなら、一緒に作ったとは言っていないからだ。

 

「この料理を、ヨコシマ様は食べなかったのかしら?」

 

「お腹が痛いって……」

 

 アセリアの答えにセリアは笑った。

 ふと、窓から空を見てみると、夕日をバックに、いい感じの笑顔を浮かべている横島が浮んでいた。

 心が熱くなった。まるで地獄の業火が全身を包み込んでいるようにさえ感じた。だが、その炎は身を焼き尽くすものではなく、全身に力を、活力を与えてくれる……言うなれば不死鳥フェニックスのように感じられる。

 

(大丈夫。私は死なない。あの変態に復讐をするまでは!!)

 

 そう誓うと、セリアは一気にスプーンですくったスープを口に入れた。

 想像を絶する衝撃が体の中を駆け巡る。

 恐ろしいほど攻性情報が込められたスープは、セリアの味覚を容易に破壊しつくし、肉体を蹂躙する。

 

「ヨコシ、マ……様」

 

 セリアは倒れた。一人の男の名を呼びながら。

 アセリアは倒れたセリアに驚いたのか、パチパチと瞬きをしたが、それだけだった。

 何処からか毛布を持ってきてセリアの全身に掛けてやる。彼女にはベッドに運ぶという選択肢はないらしい。

 セリアの事後処理が終わった後、アセリアは暗鬱した顔で鍋を覗き込む。

 

「……余った」

 

 それなりの大きさがある鍋にいっぱいの量が入っているというのに、二人とも一口しか食べなかった為、スープは全然減っていなかった。

 この残った料理をどうするかぼんやりと考え、一つの結論に至る。

 

 もっと多くの人に食べてもらいたい。

 その考えは料理を作ったものなら絶対に芽生える感情。自信があるのなら、なおさらだ。

 そのとき、玄関付近からにぎやかな声が響いてきた。

 

「たっだいまー! ご飯ーご飯ー!!」

 

「待ちなさい! 今セリアが作ってくれているはずだから!」

 

「え~! セリアのご飯って野菜が多いのに~!」

 

「セリアさんは~皆さんの栄養バランスを考えてくれてるんですよ~」

 

「確かにセリアの献立は優れていると思われます」

 

「やっぱり、お料理できたほうが女の子っぽいかなあ」

 

 第二詰め所がにわかに騒がしくなる。

 どうやら皆が帰ってきたらしい。しかもお腹を空かしているようだ

 アセリアは鍋を持ち立ち上がると、ネリー達のいる玄関に走りだす。

 その姿は、決して逃れられぬ死を運ぶ死神の姿を幻視させた。

 

 そして……

 

「い、いただきますです!」

 

 どさり!

 

 誰かが倒れる音がした。

 何人かが悲鳴を上げる。

 

「いただきまーす!」

 

 どさり!

 何人かが悲鳴を上げる。

 

「うっうう……いただくの」

 

 どさり!

 

 いただきますという言葉が響くたび、人影は減っていく。まるで死の呪文だ。

 

 いただきます。

 どさり!

 

 いただきます。

 どさり!

 

「アセリア! あの厨房の状況はどういうことです!!」

 

「パパが口から七色の泡を吐いて大変だよ~!!」

 

 慌てた様子でやってきたのはエスペリアとオルファ。

 悠人と厨房の様子を見て、何があったのか聞きにきたようだ。

 そこには、極楽浄土に導く、料理と言う名の凶器が待ち受けているとも知らずに。

 

 以下省略。

 

 そこは地獄だった。

 部屋の中には無数の屍が折り重なるように倒れていた。毛布は全員に掛けられて、まるで死体安置所だ。

 避けられぬ食災の前に、ラキオスのスピリット隊はなすすべなく敗北したのである。

 そんな地獄絵図の状況で、アセリアだけが死神の如く倒れた仲間たちを見下ろしている。

 

「みんな寝た」

 

 全員がスープを食べた。全員が今まで見たこともない、儚げな笑みを浮かべながら食べてくれた。不思議な高揚感と満足感が、アセリアの胸中に渦巻く。

 

 他に食べてない人物がいないだろうか。

 アセリアは考え、そしてある人物を思い浮かべる。

 

「私が……食べてない」

 

 その考えが最初に生まれてくれたら、この悲劇は起きなかったのかもしれない。

 全ては、もう、遅いのだが。

 

「いただきます」

 

 悠人から教えてもらった、食事を取るときの挨拶を言う。

 そして、ゆっくり混沌を口に運んだ。

 

 どさり……

 

 そして、動くものはいなくなった。

 

 

「ちくしょ~あの女どもめ~。何が『勇者様(悠人)なら付き合ってもいいけど、あんたは嫌』だと!! 男は顔じゃねえだろうが~~!!!」

 

『安心しろ。主は、顔は悪いが性格も悪い』

 

「なんだと!!」

 

「ふん! あんな女達よりも、エニの事もっと大切にしたらどうだ」

 

「ガキには興味ないし、何より恋人がいるだろ」

 

『何!? 私は知らんぞ! 何処のどいつだ、エニの恋人とやらは!!』

 

「……なあ、それ本気で言ってるのか?」

 

(本気で言ってるのよねえ……)

 

 いつもの如くナンパに行き、そして撃沈してきた横島が第二詰め所に戻ってきた。

 何の為に行ったんだ、そんな風に突っ込みを入れたくなるが、本人はそれなりの感触を得ているらしい。

 確かにナンパもしているが、なにやらそれだけではないようだ。

 その証拠に、ルシルというこの国の通貨が数枚、横島の懐に存在していた。ちなみに、スピリット隊には給料など支払われない。スピリットの買い物は、店側がスピリットの買ったものの額を国に請求するようにしてある。この手続きが面倒なため、スピリットは店側から嫌われる原因の一つだった。

 だから、本来横島が貨幣を持つ事はないのである。にも関わらず何故横島の懐に貨幣があるのか。それもまた別な話で。

 

「ふん! まあいいさ。俺には固い信頼と愛情で結ばれた仲間たちがいるからな」

 

 そして、横島は仲間たちが待つ扉を開ける。そう、固い絆で結ばれたはずの仲間がいる扉を……

 

「あ~~腹減った。ただい……ま?」

 

 第二詰め所に入った横島はすぐに異常に気がついた。

 居間が薄暗い。もう辺り一体が暗いというのに、明かり一つしかつけていない。おかしいところはそれだけではなく、全員が笑顔という点もある。あのセリアやナナルゥでさえ、口元を三日月型にして、笑っている。さらに、恐ろしく冷たいゾクリと来るマナが、部屋の中に溢れている。

 何か変だと感じている横島に、珍しくナナルゥが自発的に喋りはじめた。

 

「ヨコシマ様はアセリアに料理を教えたと聞きました」

 

 びしりと、石のように横島の体が硬直する。汗が一筋たれた。

 

「大変に美味しかったです……へっへっへ」

 

 不気味に笑うナナルゥ。

 

 やばい! やばい!

 

 今まで培ってきた感が、これ以上ないほどの警報を上げる。まるで警報のバーゲンセールだ。

 

「そういえば、お腹が空いていらしたんですよね、ヨコシマ様」

 

 セリアは今まで見せたことがない笑みを浮かべながら、横島に優しく言った。

 

(あれは食虫植物だ)

 

 咄嗟にそう判断する。

 そして、今現在の自分が置かれている状況を完全に理解した。

 

「……今日は野宿する!!」

 

 回れ右をした横島は玄関に向かって全力ダッシュ。

 このままここに居ては殺られる。戦士としての感が、横島を突き動かす。

 だが、敵も熟練の戦士だった。

 

「何処に行こうというのです。ヨコシマ様、私たちは固い信頼と愛情に結ばれた仲間ではありませんか」

 

 気配を絶って、いつの間にか背後にいたヒミカが行く手をさえぎる。

 何故かその手には神剣である『赤光』が握られている。ジュ~と、いかにも熱い音をさせながら赤く発光していた。

 

 キャラが変わっているぞ、ヒミカ。

 そんな風に突っ込みを入れたくなったが、そんな暇など無い。一刻も早く脱出しなければ。

 

 次に横島の目に入ったのは窓だった。

 決断は一瞬。窓に向かって跳躍する。

 窓を破ろうとしたその瞬間、

 

「風の壁さん」

 

 厚い大気の壁が横島の眼前に立ちふさがり、脱出路を封じられる。

 

「えへへ、逃げたりしたら駄目なんだよ~お兄ちゃん」

 

 いつの間にか、エニが横に立っていた。

 相変わらずのぽやぽや笑みだ。

 だが、目だけは笑っていない。

 緑色の瞳の中に、全てを吹き飛ばさんとする烈風を宿していた。

 誰か味方はいないのかと、横島は必死に辺りを見渡す。

 横島の目に、唯一剣呑な目をしていない一人の少女が目にとまった。

 

「頼む、ヘリオン。助けてくれえ!!」

 

「大丈夫ですよ。これを食べると、何だか不思議な世界にいけるんです。さあ、不思議世界にレッツゴーです!! えへ、へへへへ、えええへへへ、へぇあ」

 

 ダメだ! おかしくなってる!!

 

 どうやら部下たちはすべて敵になってしまったようだ。

 多勢に無勢。飛びかかってきた二人の姉妹によって、横島は完全に拘束されてしまった。

 

「さあ、しっかりと味わってください!

 死神の鎌が振り下ろされんばかりの、この味を!!」

 

 ずずいと、セリアは混沌スープを横島の口元に運ぶ。

 

「いやじゃーー!! 俺は絶対に口を開けんぞーー!!」

 

 死んでも口を開けない。この口が命を守る最後の砦なのだ。横島は最後の抵抗を試みる。

 そんな横島の口を開けさせるため、ネリー達は笑わせたり、驚かせたり、擽ったりと様々な方法を試したが、頑として口は開かなかった。

 困ったセリアたちは、いっそ鼻から流し込むか、などと危険な考えに向かい始めていたが、いくらなんでもそれは可哀想。

 口という要塞の前に、攻めあぐむセリア達だったが、そこで今まで傍観していたハリオンが動いた。

 

「ヨコシマ様~あ~んしてくださ~い」

 

「あ~ん」

 

「チェックメイトです~」

 

 お姉さん的必殺技、『あ~んしてくださ~い』の前に、横島の口はあっさりと開いた。

 あれほど抵抗していたにも関わらず、余りにもあっけない最後。頑強な要塞は、崩れるときは呆気ないほどあっさり崩れるものなのだ。

 だが、美人の天然ぼけぼけお姉さんに、あ~んしてください、と言われて口を開けないなんて男として間違っている。横島は覚悟を決めた。

 だが、ここでハリオンは予想外の動きを見せる。

 

「料理を残しちゃ~いけませんよねえ~」

 

 いつものんびりとしたハリオンだが、その時の動きはこれまで見た事が無いほど俊敏だった。スプーンをさっと引くと、後ろにあった鍋を取り出す。

 誰かが驚きの声を上げるが、ハリオンは別に気にせず、大口を開けた横島に、

 

「そ~れ~」

 

 鍋の中にあったスープを一気に注ぎ込んだ!!

 

 三つの悲鳴が、空に吸い込まれていった。

 

 一方そのころ、倒れたアセリアは介抱され、第一詰め所のベッドで目をつぶり横になっていた。一応、目を覚ましてはいるのだが、起きようとしないのだ。

 そんなアセリアを心配して、悠人、エスペリア、オルファの面々はアセリアの周囲に集まっていた。こんな風に弱ったアセリアを見るのは初めてだからだ。

 一体どれほどの時をそうしていたのだろう。ようやく、アセリアは口を開いた。

 

「もう、料理しない……」

 

 力の無い声で、アセリアはそう宣言する。

 感情表現がほとんどないアセリアだが、今回は色々と堪えたらしい。

 剣を振って殺し合いをする以外にやれることを見つけたと思ったのに、作り出したものは正に最終兵器料理。

 アセリアは感情表現こそ乏しいが、それでも仲間を大切に思っている。

 仲間に多大な迷惑をかけてしまったことが、アセリアの心に傷をつけていた。

 

(なんだか佳織に似てるな)

 

 悠人はそんなアセリアに懐かしさを感じていた。

 妹の佳織も始めて料理をして失敗したときも、こんな顔をしていたからだ。

 そして、作り出した料理をまずいまずいと言いながら、二人で笑いながら食べたのだ。

 悠人の顔に笑顔が浮かぶ。

 

「料理は楽しかったんだろ?」

 

 悠人の問いに、アセリアは少し時間を置いて、こくんと首を縦に振る。同時に僅かに悲しそうな顔になった。楽しかったからこそ、この結果が辛いのだ。

 

「だったら、もう一度やってみろって」

 

「……駄目。おいしくない」

 

「始めは誰だって美味しく作れないもんだ。エスペリアもオルファも佳織も始めから美味しく作れたわけじゃないって」

 

 悠人の答えはアセリアに衝撃を与えた。

 エスペリアもオルファも、生まれたときから料理が出来るのだと、アセリアは思っていた。

 よく子供に、お婆ちゃんも昔は子供だったんだよと言うと『お婆ちゃんは生まれたときからお婆ちゃんだったんだ』と言うような感覚だ。

 

「……そうなのか?」

 

「うん。オルファもエスペリアお姉ちゃんに教えられたんだけど、始めは失敗ばかりだったんだよ」

 

「そうですね。私も初めて料理したときはうまくいかなくて、すごい料理を作ってしまったことがありました。その時は……姉さんたちとその料理を苦笑しながら食べたんです」

 

 昔を懐かしみながら、笑顔を浮かべるエスペリア。

 その顔には多少の陰りはあるが、それでも確かな笑顔だった。

 

「それに、俺はアセリアの料理を食ってみたいしな」

 

 悠人の言葉にアセリアは弾かれたように顔を上げ、悠人をじっと見つめる。

 しばらく悠人を見つめていたアセリアだが、その表情がふっと、柔らかくなった。

 

「うん。任せろ」

 

 力強く頷くアセリアに、悠人もエスペリアもオルファも、全員が笑った。

 何かが変わり始めている。何かが動き始めている。

 それが何なのか、当事者たちにも分からない。

 ただそれは、とても暖かく、心地の良いものであることは確かだった。

 

「始める」

 

 そう言って、アセリアはベッドから起き上がる。

 

「始めるって、今から料理をですか?」

 

「ん……エスペリア、オルファ……教えてほしい、頼む」

 

「アセリアお姉ちゃん……うん! オルファに任せて!!」

 

「まずは片づけからですよ、アセリア」

 

 アセリア達は笑いあいながら台所に向かう。その様子はまぎれも無く姉妹だった。

 スピリットには血の繋がりはない。だが、もしその事を指摘するものが現れても、悠人は胸を張って言うだろう。

 彼女らは家族であり姉妹だと。自分もその一員である、と。

 佳織が解放されたら、その時は皆で一緒に暮らしたい。

 悠人はそんな事を考えていた。

 

 その時、何処からか横島の苦悶の叫びが聞こえてきたような気がして、アセリアを除く全員が、にやりと黒く笑った。

 

 ―――――これも一つの成長なのだろう。

 

 こうして、一人のスピリットが女の子として、料理道を歩み始めることになった。

 だが、その道は長く、険しい。道を究めるというのは、多くの犠牲を出すことになるのだ。

 

「さあ、アセリアが料理を作りましたよ。ユート様もヨコシマ様も、ご賞味ください!」

 

「いやじゃーー!! 文珠ーー!!」

 

「『美』『味』の文珠なんて使うんじゃねえー!!」

 

 犠牲もなく成し遂げられることなどない。

 横島と悠人の犠牲の下、アセリアの料理の腕はすくすくと成長していくはずである。

 今はただ、アセリアがジャイアンシチューの領域を突破する事と、横島と悠人の胃が壊れないことを切に願おう。

 

 余談だが、アセリアが捕ってきたエヒグゥは、オルファがペットにしたらしい。

 

 

 



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第十四話 日常編その2 さらば、愛する息子よ!

15禁注意です。


「パパって凄いんだよ!」

 

「そんなの何よ! ヨコシマ様なんてもっと凄いんだよ!!」

 

「ええと……どっちもカッコイイと思うの」

 

 日も傾き始めたころ、赤い髪をツインテールで纏めた少女と、青い髪をポニーテールで纏めた少女が激しく言い争っていた。

 その間で青い髪のおかっぱ頭の少女が右往左往。

 オルファとネリーとシアーだ。

 ネリーとオルファは喧嘩友達と言うやつで、よく喧嘩をしている。

 別に仲が悪いわけではない。仲が良くて、性格がかみ合いすぎるのが原因だ。

 そして仲裁役として、シアーが間に入るのがいつものこと。

 

 子供というものは元気なものである。

 つい先ほどまで、朝昼の厳しい訓練を終えてふらふらになっていたのだが、時間的に30分もしない間に回復してしまったようだ。大人たちは哨戒任務や町への買出しなどで動いている時間である。子供たちは詰め所に帰ってお留守番なわけだ。

 詰め所に帰る途中、オルファとネリーの他愛ない会話が始まって、いつの間にか口喧嘩になってしまった。

 今回の口喧嘩の原因は、悠人と横島のどちらが良いのか、それが議題である。

 別にオルファは横島のことが嫌いなわけでもなく、ネリーも悠人のことが嫌いなわけではない。むしろ大好きである。ただ、お互いに同じ事を言っちゃだめ、という子供らしい意地があった。

 ネリーとオルファの口喧嘩はますますヒートアップしていく。

 どちらが面白いだのかっこいいだの、二人は思いつくまま言い続け、話は身体的特徴にまで及び始めた。

 

「パパについてる物体Ⅹなんてとっても大きいんだから!」

 

「何それ? シアーは知ってる?」

 

「ううん、知らない」

 

 ネリーとシアーが顔を見合わせるのを見て、オルファがにや~と笑う。

 

「ひょっとしたらネリーとシアーって、ヨコシマ様と一緒にお風呂入ったことないでしょ!」

 

 びしりとオルファに指を突きつけられ、ネリーとシアーはその場で固まった。

 その通りだったからだ。

 ネリーやシアーは何度か横島と一緒にお風呂に入ろうとしたことがあるのだが、そのたびにセリアやヒミカが止めるのである。一緒に風呂に入ろうと、横島に直接お願いをした事もあるのだが、疲れるからと言われてダメだった。セリアやヒミカが入っているときは風呂を覗こうとしているというのに。

 そのことを横島に言ったら、大人になったら一緒に入ろう、と言われた。ちなみに、大人の基準は最低でもこれぐらい胸が大きくなったらと、その場にいたヒミカの胸をニギニギして一騒動あったりもしたのだが、ここでは割愛する。

 実はヒミカの胸とシアーの胸は、たいして差がなかったりもするのだが……

 とにかく、ネリーとシアーは横島と一緒にお風呂に入ってはいないのである。

 

「は、入ったことあるもん! ネリーだって!!」

 

 ネリーは嘘を付いた。女ながらの意地というものか。

 

「じゃあ、オルファ達とパパやヨコシマ様の体の違う部分が分かる?」

 

 そう言われて、ネリーとシアーは顔を見合わせる。

 ごしょごしょと話し合い、二人は自信満々で答えた。

 

「胸の大きさでしょ!」

 

「ぶー! はずれー!!」

 

「えー! なんでよ~」

 

 この会話が、この話の幕開け。

 惨劇の始まり。

 

 横島に最大の危機が訪れようとしていた。

 

 

 永遠の煩悩者日常編その2。

 

 さらば、愛する息子よ!

 

 

「ふう、はあ、悠人の奴ずいぶんと頑張りやがって……」

 

 いつもの訓練が終わり、息も絶え絶えな横島がよろよろと第二詰め所に戻ってきた。

 もう何時始まってもおかしくないダーツィとの戦い。その戦いに備えて、訓練はかなり過酷なものになっていた。

 アセリア達は確実にレベルアップをしているし、横島も幾つかの神剣魔法の習得に成功している。

 その中でも、成長著しいのは悠人だった。愚直に剣術を学んでいる悠人は、確実に強くなっている。実を言うと、横島だけは訓練時間の予定を1時間ほどオーバーしていた。

 あの悠人が、横島との戦いで粘りに粘りまくったのだ。結局、横島に一太刀も浴びせられなかったが、相も変わらずやる気と粘り強さだけは横島の比ではない。

 剣筋はまだまだ粗いと言えるが、才能と持ち前の頑固さというか諦めの悪さ、さらには強力な神剣を使いこなし始め、悠人は着実に前進している。それでも、横島や他のスピリット達にはまだまだ及ばないのだが、差が詰まってきているのは間違いなかった。

 

「このままだと悠人のやつに追いつかれちまうな。くっ、女の子にもてるための獲物のはずなのに」

 

『悠人はレベル1でこの世界に来たのだろうが、主はレベル50でこの世界に来たようなものだからな。差が詰められるのは仕方ないことだろう。レベルアップに必要な経験値の桁が違うのだからな。』

 

「うっせーぞ。つーか、何だその例えは」

 

 『天秤』とそんな無駄話をしながら、第二詰め所前にたどり着く。

 

「ヨコシマ様お帰りなさい!」

「お帰りなさい~」

 

 出迎えてくれたのは青の姉妹。横島は手を上げてそれに答える。

 疲労していた事もあり、横島の目は自然と疲労回復の為に美女達を探した。

 だが、そこには美女の気配も匂いも無い。

 

「町に買い物に行ったり、哨戒任務に行ったりとかでいないんだ」

 

「くっ、そうなのか」

 

 疲れた体を女の子達と戯れる……つまりセクハラによって回復させようと考えていたのだが、そうはいかないらしい。

 煩悩魔人である横島にとってこの女の園は楽園と言えたが、相手が子供では煩悩は生まれない。

 

「……そうだ! ヨコシマ様、今お風呂が沸いたんだ。ヨコシマ様ずいぶんと汗臭いから先に入ったほうがいいよ」

 

「おお、気が利くな!」

 

 ちょうど訓練を終えたところだったので、体を流したい横島は風呂に入ることを決めた。

 嬉々として風呂に向かう横島。だから気づかなかったのだろう。

 ネリーとシアーが怪しげな笑みを浮かべていたことに。

 

 もうもうと立つ湯気の中に、全裸のバンダナ少年の姿があった。

 

「ふう、い~い湯だなっと」

 

 肩までゆったりとお湯に浸かり、横島は至福の表情を浮かべていた。

 5,6人が入ってもまだは入れそうな大きい風呂。木で出来た風呂桶は金属製よりも匂いがいい。

 手足を伸ばし、気持ちよさそうにのびをする。

 

(この風呂でセリア達が体を洗ってるんだよな~。ぐふ、ぐふふ~~!)

 

『気色の悪い笑い方を……涎を落すな!!』

 

 霊力がグングン回復しているのを感じる。

 この詰め所にいる男は、『天秤』を除くと横島ただ一人。事実は違うが、ハーレムの主となった感覚に横島は浸っていた。

 

「これで、女の子でもいてくれたらなあ」

 

 ハリオン達と風呂に入っている自分の姿を夢想する。それだけで、息子も自分もムクムクと元気になっていく。風呂と妄想の組み合わせは、体を回復させるのに最高の力を発揮していた。お手軽といえば、お手軽な男である。

 そんな横島に『天秤』はやれやれと呆れていたが、ふと妙な音に気づき、本人的にはニヒルな声で出した。

 

『ふっ、主よ。その願いは叶いそうだぞ』

 

 脱衣所のほうから何か聞こえてくる。

 じっと耳を澄ますと、その音は衣ずれの音に違いなかった。

 ――――まさか

 嬉し恥ずかしの風呂場でばったり遭遇イベント。

 

「来たー!! 来たぞーー!! そう、そう、そうだろ! 一つ屋根の下なんだ。これで何も起こらなかった嘘ってもんだぜ!! お風呂ばったりはちあわせイベント。これを無くして何が一つ屋根の下って言うんだ。うっひょろえ~~!!」

 

 お約束イベントが発動した事により、横島は狂った。

 普段なら覗きに行っても、炎やら稲妻やら氷やらで撃退されるだけだが、今回はそうは行かない。なぜなら、始めに入っていたのはこちらなのだ。正義は我にあり、なのである。

 

 ガラリと、扉が開く。

 横島は期待に胸を高鳴らせて、誰が入ってきたのか、血走った目で見つめる。

 まあこれは、言うまでも無く――――――お約束イベントであった。

 

 ほとんど平らな胸。

 胸、腰、尻に高低差がほとんどない寸胴な体系。

 毛すら生えていない、つるつるの筋。

 

「なあ『天秤』。これは詐欺とちゃうか?」

 

『むうっ……もう少し慌てるとか、喜ぶとかはないのか?』

 

「んなことを言われてもなあ……前ぐらい隠せよ、お前ら」

 

「なんで?」

 

 裸で無邪気によってくるネリーとシアーは、不思議そうに答えた。

 

 ガキだ。

 男だとか女だとかまるで理解していない。

 羞恥心など「なにそれ? 食えるの?」そんなレベルなのだ。

 一応、とある事情からこいつらは18歳以上なのは間違いない。間違いないったら間違いない。確かに一年の周期が240日だから、多少若くてもいいのかも知れないが、それでも肉体も精神も若すぎる。

 横島としては『俺はロリじゃないんだー!!』と、お約束をやりたいところなのだが、全裸を見て食指の一つも動かないのでは、流石につまらない。タイミング的にも外してしまった。

 

『好都合ではないか。羞恥心などなければ、相手の裸など簡単に見られるだろう。それに、快楽を味わうだけなら不可能ではないと思うが』

 

「お前は本当に馬鹿だな。お前はあれか? 洋物ポルノみたいな丸出しが好みなのか」

 

『……よく分からんが、衣服は性興奮の妨げや、性行為を行うのに邪魔なだけだろう』

 

「最悪だな。お前みたいなのが俺の神剣だなんて……父ちゃん情けなくて涙がでらぁ」

 

『だれが父ちゃんだ!!』

 

 萌えやロマンといったものを何一つ理解していない『天秤』に、横島は深い悲しみを感じた。だが、同時に微笑ましさを感じる事もできる。

 男とか女とかを意識しなかった純粋な子供時代。

 女湯に入っても何一つ感じなかったころの清い心を、『天秤』から感じ取れた。

 もっとも、言っている事は何気に外道っぽいのだが。

 

「おら、体洗ったらさっさとお湯に入るぞ」

 

「は~い」

 

 もはや横島のカテゴリーでは、ネリーとシアーは女ではなく、子供とカテゴリーされた。子供相手に欲情も何も起こりはしない。

 実際、どう考えても劣情を引き出せる体をしていなかった。せめて恥じらいでもしてくれたら、心の琴線に触れたかもしれないが、それすらもないのではどうしようもない。

 二人は余りにも子供すぎた。確かに可愛いが、言動も雰囲気も、微笑ましいという以外にない。

 がっかりと気を落し、溜息を出そうとした横島だったが、そうはいかなかった。

 

「えいえい!!」

 

 いきなりネリーが横島の顔に勢い良くお湯を飛ばしてきたのだ。

 顔に熱いお湯を掛けられた横島は思わずたじろぐ。その間にシアーは横島の後ろに回りこみ、手ですくったお湯をゆっくりと横島に掛ける。

 

(こ、こいつら!)

 

 こうなるから横島はネリー達と一緒にお風呂に入るのは嫌だったのだ。一緒に入れば間違いなく騒がしくなり、ゆっくりと疲れを取るなどできなくなってしまう。

 それでも、本気で止めろと一喝すれば止める事はできそうだが、横島という男は遊び好きで子供好きだった。

 

「ふっ、甘いぞ!」

 

「わぷっ!!」

 

 横島の組まれた掌から、お湯が勢いよく飛び出る。水鉄砲だ。

 

「やったな~!」

 

 ネリーも負けじと掌でお湯をすくって横島に浴びせようとするが、

 

「そのやり方はくーるじゃないぞ!」

 

 そう言って横島はネリーの手を掴む。そして、お湯の中で両手を特殊な形に組ませる。ネリーはその様子を、目をパチクリさせながら黙って見ていた。

 

「よし、手をギュッとやってみろ」

 

 ネリーは横島に言われた通りに組まれた手をギュッとした。すると、大きなお湯の塊が勢い良く発射される。発射されるお湯の量と、手に程よく残る余韻に、ネリーは歓声を上げて何度も何度も繰り返した。

 次に横島はシアーの方に向き直る。

 人差し指を立ててお湯の中に入れる。そして、指をグルグルと回転させた。

 すると、お湯が渦を巻き始めた。

 

「グールグル!」

 

 現われた渦を、シアーは目を輝かせてじっと見つめた。実に子供っぽい。

 横島自身も、子供なネリーとシアーに呆れながらも、口元は緩んでいる。風呂場で遊ぶなんて何年振りだろうか。悪くない。疲れる事は疲れるが、たまにはいいだろう。

 目を渦巻きにしてふらふらになっているシアーを、横島は優しい顔で見つめていたが、またしても多量のお湯が顔面を襲う。

 

「フフ~ン! 水鉄砲は完全に極めたよ! ヨコシマ様、覚悟~~!!」

 

 悪戯っぽく笑いながら、水鉄砲で襲い掛かってくるネリー。

 

「ふん、極めただと……笑止! 極めるとはこういうことを言うのだ!!」

 

 向かってくるお湯の塊を、右手でのみで噴出させたお湯で迎撃する。同時に左手でお湯を発射してネリーを攻撃した。

 

「に、二刀流! 片手だけで水鉄砲~!?」

 

「ふっ、これが俺の実力よ! 大人しく我が軍門に下ってニャンニャンされるが良い!」

 

 じりじりと迫ってくる横島に、ネリーは少しずつ押されて行く。途中、ネリーは水鉄砲で抵抗を試みるが、二倍の火力の差は如何ともしがたい。このままニャンニャンされてしまうのか。そう思われたとき、援軍が現われる。

 

「え~い!」

 

 後ろからのんびりとした声が聞こえたかと思うと、横島の後頭部にお湯が炸裂する。シアーだ。

 

「シアー! よ~し、挟み撃ちでヨコシマ様をやっつけるよ!!」

 

「お~」

 

「くっ! だが、その程度で!!」

 

 その光景は、兄と歳の離れた妹が風呂場でふざけ合っているようにしか見えない。

 誰が見てもそう感じられる事だろう。色事関係は皆無であった。

 バシャバシャとお湯を掛け合って遊ぶ姿は、家族や幸福といった、温かい言葉を連想させる。

 しかし、この物語がそんな良い話で終わるわけがない。

 主役が横島という時点で、そして15禁表記の時点で、それは明らかだった。

 

(あれ……ネリーの奴がいない……)

 

 いつの間にかネリーの姿が無くなっていた。

 脱衣所へのドアは開かなかったので、まだ風呂にいるはずなのだが。

 一体どこにいったのかと考えていたとき、その衝撃はやってきた。

 

「はうっ!」

 

 全身に電流が流れたような感覚が伝わってきた。

 その電流が発信された場所……湯船の中の息子を恐る恐る見てみる。

 そこには、湯の中でネリーが息子を捕まえている姿があった。

 

「なっ……ななななあっ!!」

 

 尻尾をつかまれた戦闘民族のように、横島は完全に硬直した。一体何がどうしてこうなっているのか、頭がショートしてしまったようで何も考えられない。

 戦士として、男として、致命的な隙が生まれる。

 その隙を突いて、自称『く~る』な女の子は、始めてみる物体に目を輝かせた。

 

(へ~、これがオルファの言ってた物体Xなんだ。……なんか変な形してるけど、うん、色々やってみよう!)

 

 何も知らない子供の純粋な手が、欲望の化身に襲いかかった。

 引っ張ったり、伸ばしたり、曲げたり、絞ったり。

 非常に拙い動きながら、俗に言う手コキだ。

 

 冗談ではないと、急いでネリーを引きずりだそうとした横島だったが、何故か体が上手く動かない。

 快感の為、動かないわけではない。単純に動かない。

 その裏には一つの神剣が暗躍していた。

 

(ふっ、面白くなったものだ)

 

(こら! 止めなさい『天秤』!)

 

(くっくっくっ、貴様は大人しく恋人が子供に手を出す様を見ているのだな)

 

 そんな会話が己の内側でなされている事を、横島は知らない。

 

(あれ……なんだか少し……)

 

 ネリーは自分が握っているモノの感触が少しだけ変わったような気がした。

 息子、血流増加中。

 

(なにやってんじゃーー!! 息子ーー!!!)

 

 意思に逆らい、成長を始めようと息子に檄を飛ばす。

 

(俺はお前をそんな風に育てた覚えはねーぞ!!)

 

 と、とうさん。そんな事は言われたって、この長い禁欲生活でもう僕はいっぱいいっぱいで……この前だって隙を見つけられなくて、夜にパンツを洗う羽目になっちゃったし……

 

 息子からの返事に、横島は歯噛みした。この環境はある意味地獄であった。周りの全員が美女美少女。それも、本気で手を出そうとすればヤレル環境にいるのだ。ある意味ハーレムなのだが、エロの無いハーレムと言う天国に似た地獄。

 煩悩青年横島も、人知れずそれなりの苦労をしているのである。

 

(負けんじゃねえ! 俺にだってプライドがあるんだ)

 

 異世界にて記念すべきエロ。それが、こんな形で行われている事に、横島は天を恨んだ。

 同時に、こんな事で反応しようとする息子に抗議する。

 

 そんなこと言われても……気持ちいいものは、

 

(ざけんな!! お前は俺の息子だろう……だったら子供なんかにやられるな!!)

 

 !! 分かったよ……僕は負けない!

 

 息子と横島の意思は一つとなった。

 ネリーは、自分がどういう意味の行動をしているのか、まるで理解していないのだろう。例としてあげるには微妙だが、息子にバターか何かを塗って犬に舐めさせているも同然なのだ。こういったシチュエーションが燃える、という変態もいそうだが、真面目で清く正しく、ノーマルな変態である横島には屈辱でしかない。

 

 誇りある変態として、こんな、無知で、ガキで、テクニックも何もなく、遊びでやっているやつに、神聖で純なる息子がおっきしてはいけないのである!!

 

(手コキを遊びでやる奴に、負けるわけいかないんだよー!)

 

 女みたいな名前のNTの少年の台詞をパクって、士気を高める。

 

(あれ。何でだろ、何か起きるような気がしたのに)

 

 いつまでたってもぐったりしている息子に、何らかの反応を期待していたネリーは少々不満なようだ。

 

 精神が肉体を超えたのだ。

 息子はネリーの手コキを耐え切った。

 

 勝った。

 

 横島は勝利を確信した。

 だが、横島は忘れていた。

 敵はネリーだけじゃないと言うことを。

 

「えへへ」

 

 ぺタッ

 

 横島の背中にシアーが寄り添い、胸を押し付けた。

 

(うわ~~!! 背中に二つのふにゃってとした感触が~~!!)

 

 楽しそうに笑いながら、胸を押し付けてくるシアー。

 シアーはとても楽しそうだが、横島としてはたまったものではない。

 ぺったんこなネリーと違い、シアーはそれなりに胸がある。男にとって、やはりおっぱいの存在は大きい。女性を感じられる部分として、象徴として……

 ガキから女の子に、少しだけシアーの認識が変わる。

 

 よこしまの ほうそくが みだれる!

 

 父さん! なにやってるの!! このままじゃ……

(分かってる!!)

 

 冗談じゃないと、横島は血が出るくらい唇を強く噛んで、感覚を鈍くする。それに僅かに動く首を振ったりして、少しでも快楽に抵抗した。

 だが、それでもこれほどの責められては……

 

『ふむ。こういう状況の事をどう表せばいいのか。

 くやしい、でも、感じちゃう。ビクビク(棒読み)

 こんな感じだろうか……』

 

(人の頭ん中でなにクリムゾンな事を言ってやがる!)

 

『エニに負けぬよう、私も色々と勉強しているのでな。まあ意味はよく分からないが……せっかくだから俺はこのロリを選ぶぜ! それともこんな感じか?』

 

(それは色々違うだろ!!)

 

 頭の中に響いてくる『天秤』の声に、横島は気が変になりそうだった。

 前門のネリーに、後門のシアー。そして獅子身中の虫である『天秤』

 横島の戦いは孤独だった。

 

(お願いヨコシマ! そんな子供の貧乳なんかで……あっ、でも私とそんなに変わらないかも……くぅ! 怒っていいの!? それとも喜ぶべきなのかしら!?)

 

 唯一の仲間であるルシオラは、勝手に妄想して混乱していた。まるで役に立たない。

 さらに、ネリーの方にも動きがあった。

 

(あっ、何か変なものが二つ付いてる)

 

 息子の生涯のパートナーにして、ルシオラ生産工場である二つのお玉。それがネリーに発見されてしまった。

 右手で横島の息子を苛めつつ、左手に二つのお玉を手に乗せた。

 

(ぶよぶよしてる~)

 

 右手で息子を扱きつつ、左手でタマタマを弄ぶ。拙い動きであっても、それは横島に衝撃を与えた。

 

 父さん! 僕の相棒が……あいぼーが……AIBOOOO!!

 

(ええい、落ち着け! ルシオラの元は強い! こんなガキにいい様にやられるなんて事は……ない!)

 

 その意思の力は、悠人に負けず劣らずの強固なもの。

 アダルトなお姉さんを追いかけて18年。

 ここで子供の反応するようなことがあっては、今までの自分に顔向けできない。

 タイガーやピートといった男の全裸を思い浮かべ、必死に自分を萎えさせる。彼らも、まさか自分達の出番が、これが最初で最後だとは思うまい。

 

「う……ん? ふぅ、はぁ!」

 

 ぞくりとするような、どこか色気の混じった吐息が横島の耳元をくすぐった。心臓が意図せず跳ねる。

 一体何事だと、僅かに動く首を後ろに動かす。そこには、シアーが横島の背にもたれかかるようにしていて、体を戸惑うように少しずつ揺すって胸を擦りつけていた。

 背中に少し意識を集中すると、先ほどとは感触が違う。二つの、なんだか小さくてコリッとしたものが増えている。

 

(こ、こいつ一丁前に感じて――――!!)

 

 ガキから女の子へ。そして女性に―――――

 

(んなわけあるか! こんなちっちゃい奴に……なんで体が動かねえんだよ!)

 

『上の口はそんなことを言っても、下の口は素直だぞ……これでOKか?』

 

(どんだけ間違ってんだ! 良く分からんなら使うな!!)

 

(小さい方が感度が良いって事よね!? ビバ貧乳ライフ!!)

 

(ルシオラおばちゃんよ、自分を慰めるのは楽しいか?)

 

 父さん! 血管が膨張しようと……負けないで!

 

(分かってる! プライドなんて殆どねえけど……これだけは譲れねえ!!)

 

『横島ハードだな』

 

(てめえはもう喋んな!!)

 

(エロスはほどほどにね! でも、お母さんになるなら未来の巨乳、シアーで決まりよ!!)

 

(必死だな、ルシオラおばちゃん。まあ、スピリットには生殖機能が備わってないから無駄だがな)

 

 混乱に次ぐ混乱。さらに、ここで新たな介入者が出てくる。

 

 ああ、あの役目が私であったなら、3秒で逝かせることができますのに……

 

(何か変な声が聞こえた~!)

 

『今のはテムオ……違う! あの方がこんなことを言うはずが!?』

 

(あの幼女婆さんの中に、ヨコシマの息子が入らないと思うけど……広がるのかな)

 

(『法皇』様で何を妄想している!! この痴れ者め!!)

 

 へえっ、このボウヤが……苛めがいがありそうじゃないか! 犬よりもいいかもねぇ!!

 

 中々鍛えられた体をしている……流石、奴がライバルと言うだけあるな。

 

 誘惑に弱そうですね。これならトトカルチョに勝てそうです。

 

 グルッ! クュガアアアアッ!!

 

(ひいいっ! 変な声がいっぱい聞こえるーー!!)

 

(『法皇』様達は何をしているのだ……まったく、記憶を操る方の身にもなってください)

 

 パニックであった。

 そこに常識人など存在しない。混沌と混乱。それが全て。

 いや、唯一まともなのは、横島であっただろう。もし横島がこの空気に流されたら、事態はある意味収束する。エロの一点に。

 それが分かっていたから、横島は耐えた。耐えて耐えて耐え続けた。

 時間にして数分だったのだろうが、横島には数時間にも感じられた地獄は、ようやく終わりを迎える。

 

「ぷはっ!」

 

 息が切れて、ようやくネリーがお湯の中から出てきた。それに伴ってシアーも横島から体を離す。結局、息子が膨張する事は無かった。多少、硬くなったが、それは恐怖によるものだったと、後に息子は自伝にて語っている。

 ともあれ、横島と息子は勝利したのである。

 出てきた二人に、横島は右手を振り上げる。

 男の尊厳を破壊して、心を無視して、息子を苛めたこの二人にお咎めなしなんてありえない。教育的指導が必要だ。

 

「デコピン!!」

 

「アウッ!!」

 

「シッペ!!」

 

「キャッ!!」

 

 お湯から出てきたネリーと、後ろにいたシアーに日本伝統のお仕置きを加える。

 デコピンとシッペを食らった部分が、真っ赤になっている所を見ると、かなり本気だったらしい。

 

「何するの! ヨコシマ様!!」

 

 なんで叩かれたか分からないネリー達はぷんぷんと抗議するが、

 

「ふざけんじゃねえ!! このガキが~~~!!!!」

 

 珍しく本気で横島はネリー達を怒る。

 今まで自分が行ってきたセクハラが、如何に女の子たちに嫌われる要因になっていたのか、自分の身を通して理解した。望まない快楽は、痛みなどよりもはるかに性質が悪い。少しは自重しようかなと、やられる側になった横島は考えた。

 

 怒られたネリーとシアーは、始めポカンと呆けた顔をしたが、横島が本気で怒っていると分かると途端に慌て始めた。

 

「ど、どうしたの?」

 

「の、の~~?」

 

「どうしたもこうしたもあるか~! このクソ餓鬼ど……も」

 

 語気を荒くして怒っていた横島だが、その怒りは二人を見て急速に萎み始めた。

 二人は訳が分からないといった顔で困惑して、ただ自分達が本気で怒られている事が分かり、プルプルと震えていたのだ。まだ男女のそれが良く理解できないのだろう。

 震える二人に、横島は怒りすぎたと後悔した。横島の怒りは正当なものだ。世の中、女が男にセクハラされる事ばかり強調されるが、逆だってあるのだ。

 しかし、相手は何も分からない子供。何に対して怒られているのか分からない状況で説教しても仕方がない。

 躾や、勉強を教えるのに重要な点は、一体何処が問題なのかを明確にする事だ。問題点を把握させないと、怒っても諭しても意味は無く、返ってマイナスになることもある。

 

「ネリー、シアー、ここは男にとって大切な部分なんだ。ここ弄くられると……弄くられるとな……くそっ! どう言えばいいんだよ!?」

 

 子供に一番聞かれたくない質問とは、『赤ちゃんってどこからくるの?』というものだ。これに関しては、コウノトリや、結婚して仲良くすると、などという曖昧な返答もできる。

 しかし、今回はそうはいかない。質問は、

「なんで、息子を弄くっちゃいけないの?」なのだから。

 痛いとか、気持ち悪いとかも何だか違う。

 気持ちいいけど辛い。こんな事を言っても理解されるはずも無い。

 横島は頭を抱えた。

 

「なあ『天秤』、良い言い方ってないか」

 

『しらん』

 

 投げやりな『天秤』の返答。心底くだらないと思っている様だ。

 

「お前は本当に使えないな」

 

 先ほどから微塵も役に立たない『天秤』に、横島は少々呆れてそう言った。

 使い物にならない。その言葉は、『天秤』には見過ごす事ができないものだった。

 

『雄しべと雌しべが!!』

 

「分かった分かった! すまん、聞いた俺が悪かった」

 

 横島は素直に詫びた。こんな子供触手ロリ神剣に、この手の話題で良き案が出せるわけが無い。というか、『天秤』だって子供なのだから。

 

「とにかく! もう風呂に入ってくんな。後数年もすれば意味が分かるはずだから」

 

 上手い言い方が見つからなかった横島は逃げに走った。

 大人になれば分かる。この言い方は正しく正解であり、非常にシンプルだ。

 尤も、言われた方は煙に巻かれたも同然で、不満がある答えでもある。

 

「……やだ」

「……だ~」

 

 ネリーもシアーも納得できなかった。

 

「わがまま言うんじゃ――――」

「いやだ! ヨコシマ様と一緒にお風呂に入りたい!」

 

 怒りと悲しみが篭った言葉が、逃げに入った横島に叩きつけられる。

 

「オルファはユート様と一緒にお風呂に入って、裸で楽しく遊んでるって言ってた。アセリアお姉ちゃんもユート様とお風呂に入ってるって言ってたし、エスペリアお姉ちゃんもお風呂で遊んだって!! なのに! なんでネリー達はダメなの!? ヨコシマ様は……ネリーの事が……きら……ぃ」

 

 曇りの無い透明感ある青き目から、ポロポロと零れる雫。

 それは嫉妬と、自分が愛されていないのでは、という不安からでた言葉だった。ただ楽しみたいだけで一緒に入ろうと言ったのではない。愛されているという実感がほしかったのだ。

 

 とりあえず悠人は殺す。それだけは確定させておいて、深くネリーとシアーについて考えた。面倒くさい事なら、横島は斜に構えて受け流す。だが、仲間であり美少女であるネリーとシアー、特にネリーの事なら真正面から受け止めようという気になっていた。

本気の訴えには、本気で返すしかない。

 先ほど、一緒に風呂に入らないと言ったのは、自分の為だ。碌な事にならない目に見えているし、煩悩が湧かなければ霊力も回復しない。メリットが無いのだ。

 セリアやヒミカは絶対に反対して、嫌われる事になるだろう。風紀が乱れると怒られ、獣かと白い目で見られる事は間違いない。また、今日のような面倒事になるのも覚悟しなければいけない。

 まったくもって、デメリットばかりだ。

 

 ―――――そんなの関係ねえじゃん。

 

 だからどうしたと、横島は何かに向かって言った。メリットやデメリットがどうとかいう話じゃない。ただ、ネリー達と一緒に風呂に入って遊びたいかどうかの問題じゃないか。そんなの悩むことではない。

 一体、何時からこんなに理屈っぽくなったのか。感情の赴くままでいいではないか。セリアやヒミカに白い目で見られる? そんないつもの事ではないか! 

 煩悩が湧かない子供とはいえ、可愛い女の子たちが慕ってくれているのだ。考える必要など無い。

 ―――――それに、光源氏という例もある!

 何故か『天秤』が舌打ちをした。横島は少し勝ち誇った顔をして、ネリー達に向き直る。

 

「よし、一緒に風呂に入って遊ぶか! めっちゃ楽しそうだしな!!」

 

「やった~~~!!」

 

 泣いたカラスがもう笑った。

 あの涙は一体何処に行ったのやら、ネリーとシアーは満面の笑みでハイタッチしている。

 嘘泣きだったのではないかと勘ぐったが、目尻に涙の跡がくっきりと残っているところを見ると、そうでもないらしい。

 本当に子供だな、と横島は少々を呆れながら、笑みを深くする。その笑みには、この笑顔が見られただけでも十分メリットがあった、などと考えてしまう、自分のフェミニストっぷりに対する笑いも加わっていた。

 

「シアーも、お風呂で遊べそうな遊び道具を教えてやるから」

 

「わ~い!」

 

 無邪気に手を叩いて喜ぶシアー。

 それを見て微笑む横島だったが、突然その顔がガラリと変わった。

 

「ただし!!」

 

 声を荒げ、鋭い目つきでネリー達を睨む。

 いきなりの豹変に、ひっ、と小さく悲鳴を上げたネリー達は、息を呑みながら続く言葉を待った。

 

「ちゃんとタオルを体に巻いておく事!」

 

「へ?」

 

「これは一応良い子の小説だから、全年齢対応版にしておかないといけないんだ。まあ、今回の話はR15用になったけど」

 

 タオルや水着があるかないかによって、年齢制限は大きく変わる。少なくとも全裸はいけない。

 

「あと、お前らを一人前の女にしてやる」

 

 聞き方によっては危険な台詞に聞こえるが、この横島が言うと変な意味には聞こえない。安心感抜群の『変態紳士』横島であった。

 

「このままじゃ、お前らの将来が不安で、やばい事になりそうだしな」

 

 横島は不安であった。このままでは、悪いロリコンにでも騙されて連れ去られるのではないかと。それにもう少し慎み深くなってもらいたい所もあった。

 俺がしっかりと女として教育してやろう。

 そう思う。花も恥らう乙女になるよう、兄として、父親として、魅力的な女性に育ててやる。これも一つのロマンだ。

 

「え~ネリーは大人の女だよ!『く~る』だもん!!」

 

 誇らしげに腰に手を当てて踏ん反り返るネリーに、一体どの辺が誇れるのか一度聞いてみたい。隣でネリーの真似をしているシアーは視界に入れないようにした。ロリ巨乳は扱いが難しくて困る。

 まあ、何はともあれ一段落着いたと、横島は安心したのだが――――

 

「あっ、そうだ! ヨコシマ様、知ってた?」

 

 ネリーはパッと横島の手を掴む。

 

「ヨコシマ様のここと、ネリー達のここって違うんだよ」

 

 そして、横島の手を自分の秘部に持っていこうと―――

 

「どわああああああ!!」

 

 横島は悲鳴を上げながらネリーの手を強引に振りほどき、脱兎の如く風呂から逃げ出した。

 後ろから「何で逃げるのー」という声が聞こえてくるが、完全に無視する。

 神速で走り、出口のドアを開け、同時に体を滑り込ませて脱衣所に逃げ込む。

 

「はあ……まったく、酷い目にあった」

 

『実はおいしい、とでも考えているのではないか?』

 

「アホか! そんなわけな……おお!?」

 

「えっ?」

 

 それはまったくの偶然だった。脱衣所には先客がいた。

 目の前でセリアが服を脱いでいる真っ最中。

しかも既にブラジャーも脱ぎ捨て、パンツに手をかけているところだった。形の良いおっぱいに、横島の目は、自身の意思とは関係なくおっぱいを凝視する。

 

 あまりにも突然の事で、横島はポカンと大きく口を開けた。

 セリアも突然現れた全裸の横島に呆けた顔をする。

 互いに、脳が情報を処理しきれないようだ。でも、目はおっぱいに釘付けだ。

 

 時が凍った世界。

 だが、そんな世界で唯一動いた存在があった。

 息子だ。

 

 息子がどう動いたかというと、

 

 ↓

 

 →

 

 ↑

 

 である。

 何のことだか分からない人は恐らく15歳以下だと思うので、ここで戻って欲しい。

 

 ここで息子に「この節操無しが!」と怒るのは簡単であるが、息子を責めてはいけない。

 彼は限界までがんばったのだし、これは一つ屋根の下暮らしているのならば起こりうる幸運な……いや、不幸な事故なのだ。

 

 そして、時は動き出す。

 

「いやああああああ!!!」

 

 絹をつんざくような絶叫が、第二詰め所全体に響き渡った。

 

 

「何!? 今の悲鳴は!」

 

 居間でゆっくりとお茶を飲んで、訓練の疲れを癒していたヒミカだったが、突然聞こえてきた悲鳴に体を硬直させる。

 

 また、あの人が何かやったのではないか……いや、間違いない!

 ヒミカの脳裏に、スケベそうな横島の顔が浮かぶ。胃が少しだけ、きりきりと痛んだような気がした。

 

「こ、この~~!!」

 

「ぎゃあ、うぎゃああ!」

 

 もう聞きなれてしまったヨコシマ様の悲鳴と、セリアの怒鳴り声が聞こえてきた。

 また、ヨコシマ様が馬鹿なことをして、セリアを怒らせて逃げ惑っているのだろう。

 そうヒミカは推測した。その推測までは正しかった。

 だが、

 

「この変態隊長~~!!」

 

「誤解だーー! 頼む、パンツぐらいはかしてくれ~~!!」

 

 扉をぶっ壊し、目の前に現れた横島とセリアの状態は、ヒミカの推測を一つも二つも超えていた。

 あのセリアが、パンツ一丁で裸の横島に襲いかかっている。

 これを推測するのはどこかの名探偵でも難しいだろう。

 

「あ……えと……止めなさい、二人とも! とにかく落ち着いて、服を着て!!」

 

 怒声とも悲鳴とも取れそうなヒミカの声だったが、二人は止まらない。

 裸の青年と、パンツしか履いていない少女は大活劇を繰り広げる。

 イスが飛ぶ。窓が割れる。カーテンが裂ける。息子は踊る。

 この世のものとは思えない光景に、歴戦の戦士であるヒミカも頭を抱えるしかない。

 

「ああ、どうしたらいいの!?」

 

「ヒミカ~」

 

 その場でヨガをしていたハリオンがヒミカを呼ぶ。

 

「何! この騒ぎを鎮めるいい方法でも考えた!?」

 

「ヨコシマ様の息子って~とっても大きいですね~」

 

 何の解決にもならないのに、どこか真剣なハリオンの声。

 その声がきっかけで、つい目に入らないようにしていた部分を見つめてしまった。

 ぶるんぶるんと躍動する息子を。

 

「いやあー! いやあー! いやああーーー!!!」

 

 ぶるんぶるんとヒミカは混乱した。

 この時点でもうこの騒ぎを収拾できる人物はいない。ナナルゥは興味深そうに横島の股間を見つめているだけで、特に止めようとは動かない。エニは演劇でも見ているかのように目を輝かせて見守っている。

 比較的常識人であるヘリオンは、横島の覚醒息子と自分の股間を見比べて気絶してしまった。恋する少女の想像力は無限大である。つまりは、そういうことだ。

 もはやこのカオスが収まるには、カオスである横島とセリアが自発的に止まるしかない。

 だが、暴走は止まるどころか大きくなるばかりだ。

 

「いい加減! 観念! しなさい!」

 

 必死の形相で、横島の息子に踊りかかるセリア。もはや普段のセリアなど何処にもいなかった。いるのは横島と出会った所為で、自分のキャラを破壊された哀れなブルースピリットだけ。

 永遠神剣『熱病』を振りかざし、音速の斬撃を打ち込む。

 『天秤』を使っていない横島では、到底防ぐ事ができない攻撃の嵐。だが、横島はその攻撃に対応する。栄光の手とサイキックソーサーを駆使して紙一重で攻撃を避け続ける。

 横島が攻撃を避け続けられる理由。それは簡単だった。

 おっぱい丸出しで攻撃。右におっぱい左におっぱい上下におっぱい。

 そのおっぱい運動は横島に無限のおっぱい力を与えてくれる。おっぱい力は、横島の霊力と息子を数倍の大きさにまで引き上げ、ぎゅおおおお~んと暴走させていた。

 ちなみに、暴走であって暴発ではない。ここ重要。ここ重要。

 

「貴方の弱点はここよ!!」

 

 セリアは剣だけでなく、体術も駆使し始めた。神剣をフェイントに使い、横島の体制が崩れた隙を狙って放たれたパンチが、色々な意味でむき出しの息子に唸りを上げて襲い掛かる。

 直接、手が息子に触れることになるのだがそんなことお構い無しだ。

 横島は栄光の手と、サイキックソーサーを駆使して防御していたが、その一撃は表面積が増大している息子では避けられなかった。

 セリアの拳は、見事に横島の息子に突き刺さり、鉄を殴ったかのような鈍い音が響き渡る。

 

「痛った!!」

 

 叫び声を上げたのはセリアのほうだ。

 一体何が起こったのかと、セリアは息子を凝視する。

 そこには燦然と輝く息子の姿があった。

 

 へへ、ぼくを甘く見たみたいだね。これでもサイキックソーサーぐらいできるんだよ!

 

「流石だ、息子! 父としてナニが……じゃなくて、鼻が高いぞ!!」

 

 間違ってないけどね!

 

 右手に光る剣を。

 左手に輝く盾を。

 真ん中には発光する棒を。

 

 男として、生物として、行き着くところまで逝ってしまった姿だった。

 

 プツン。

 

 セリアの中で、何かが切れる。

 

「ふふ……息子! いえ、生涯のライバルよ! 貴方との決着、ここで付けてあげるわ!!」

 

 もう、自分が何を言っているのか分っていないのかもしれない。

 横島と長く一緒に居たことによって、セリアは完全におかしくなっていた。セリアは神剣を構えて、完全な攻撃態勢を取る。

 

「凍りつきなさい!!」

 

 青色の魔法陣が前方に出現する。

 同時に部屋の温度が急激に下がり始めた。

 

「おい! そりゃちょっと洒落になんねーぞ!!」

 

 ただ側にいるだけで刺すような冷気が、その場に渦巻いている。

 こんなものを直接当てられたら、完璧に凍り付いてしまうだろう。

 

「『天秤』早く出て来い! 本気で抵抗せんとまずい!!」

 

『断る。面倒だ。いっそ切られてこい』

 

「てんびーーーん!!!」

 

 相棒の裏切りに横島が叫ぶ。

 だが、こんな馬鹿騒ぎに参加したくない彼の気持ちは良く分かる。

 

 父さん! 避けて!!

 

 息子からの警告が飛ぶ。その警告に従い、横島は必死に飛んでくる冷気を避けようとしたが、

 

「うぎゃあ!!」

 

 避けることは出来なかった。

 冷気の塊は、見事横島の股間に命中する。

 

 寒い……寒いよ、父さん。

 

「息子!」

 

 横島の下半身は、息子を含めて完全に凍りついた。

 もはや身動きできない。

 

「終わり時よ! 息子!!」

 

 動けなくなった息子に、セリアの神剣、『熱病』が振り下ろされる。

 その軌道は完全に息子を捕らえていた。洒落にならない太刀筋に横島の顔が凍る。

 

「悪かった! マジで不可抗力だったんだ!! 頼む、許し―――」

 

 必死の弁明も虚しく、無慈悲なる『熱病』の刃は容赦なく振り下ろされる。

 何かが、ぶちんと、終わった。

 

 

 全員が上を見上げ、『それ』を見ていた。

 

 『それ』は空中でくるくるくると回転している。

 『それ』は縦長で、肌色で、今は凍り付いている。

 『それ』は横島から決して離れてはいけないものだった。

 

 そう、空中にあったのは氷付けになった息子……つい先ほどまで、横島の一部分であり、同時に本体とも言えた存在だ。

 『熱病』の刃は見事に、残酷に、完璧に、息子の命を絶ったのである。

 

「あ……あああ!!」

 

 横島が絶望の吐息を漏らす。

 氷結させられていたせいか、痛みもなかったし、血も出ていない。

 だが、そんなことは何の慰めにもならなかった。

 つい先ほどまで、そこにあるのが当然だったものが無い。

 横島息子の消失。

 横島はただ、一体自分に何が起こったのかを考えるので精一杯だった。

 その間にゆっくりと、息子は地面に落下を始める。

 

「息子!!」

 

 必死に足を動かし、落ちてくる息子を受け止めようとする。

 しかし、凍りついた足は無常にも動いてくれない。

 だが、それでも横島は足を無理やり動かし、息子を助けようと手を伸ばす。

しかし、その手は息子を掴むことが出来ず、床と息子はぶつかり合い、

 パリンと、まるでガラス細工を床に落したかのように、息子はあっけなく砕けた。

 

「息子……息子ぉぉぉぉ―――!!!!」

 

 横島の頭の中に、息子との思い出の日々が走馬灯のように駆け巡る。

 ナンパに100回連続で失敗したときも。バレンタインでチョコが手に入らなかったときも。

 どんなときでも側にいてくれた唯一無二の息子。

 

 永遠に側にいてくれるものだと、そう信じていた。

 しかし、永遠なんてなかったのだ。

 目の前で砕け散った息子を前に、横島はそれを思い知らされた。

 

「何で……どうして!!」

 

 生れ落ちて18年。

 余りにも早くて、余りにも唐突すぎる別れだった。

 

「死ぬな……死なないでくれ!!」

 

 氷漬けでばらばらになってしまった息子を、横島は必死に激励する。

 生きて、生きてくれと。

 

 ごめん……僕はもうだめみたいだ。

 

 死期を悟ったかのような息子の声に、横島は頭を振る。

 

「そんな……そんな悲しいこと言うなよ! ……だってお前はまだ一度も!!」

 

 まだ一度も本懐を遂げていない。

 一度たりとも本当の使い方をしていないのだ。

 こんなの悲しすぎる。

 

 ううん、いいんだよ。父さんは僕のことを休まずに使ってくれた。大切に毎日、毎日休まずに……夢の中でも……だから、もういいんだ。

 

「そんな……嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!!」

 

 もう、全てを受け入れようとしている息子を前に、横島はみっともなくただ喚き、泣きつづける。死を前にした息子に何一つできない無力感と、絶望感に、横島はただ泣くことしかできない。

 息子はそんな横島を見て、自分が本当に愛されていたことを、必要とされていたことに気づいた。

 親よりも先に死ぬ子供は地獄に落ちると言う。

 賽の河原で石積みをする自分の姿を、息子は思い浮かべた。

 

 ごめんなさい……もうお迎えみたいだ

 

 その言葉と共に、ばらばらになり氷漬けだった息子が、金色のマナに変わっていく。

 最後の時が来たのだ。

 

「逝くな! 逝かないでくれ!!」

 

 悲痛な横島の叫び。

 聞くだけで涙を誘われるような、それほど愛と悲しみに満ちた声。

 男なら、自分の息子との別れを悲しまないわけが無い。それもこんな形で別れるなど。

 

 大丈夫……僕たち、何もなくしてないから。

 

 息子は最後まで穏やかに笑いながら、金色のマナの粒子となって、この世から消えた。

 横島は最後まで消えていく息子を手に掴もうとしたが、叶わぬことであった。

 

「うああああああ!! 息子ーー!!!」

 

 絶望、悲しみ、悔恨、その他もろもろの感情が、心の海より湧き上がる。

 ああしてやれば良かった。こうしてやれば良かった。

 もう少し自分に勇気があれば、夜這いでも何でもしてやったというのに。

 失われたものは戻らない。横島はただ、悔恨と絶望に震え、泣きじゃくった。

 

「ヨ、ヨコシマ様……あの、その」

 

 顔面蒼白なセリアが横島に話しかける。

 とんでもないことをしてしまった。

 そんな思いがセリアの中に渦巻いていた。いくらなんでもこれはやりすぎたと、理解したのだ。

 

「すいません! ここまでするつもりじゃなかったんです。ただ……ただ私は……ヨコシマ様!?」

 

 目の前の光景に、セリアは目を剥いて驚いた。

 横島が金色のマナに変わっていく。

 それが指し示す意味は一つ。

 横島は……今正に、消えようとしているのだ。

 

「……もう、終わりだ」

 

 息子という自分の半身を失った。

 もう横島は、この世界に色を見出すことが出来なくなっていた。

 何もかもが灰色にしか見えない。

 生きる活力を、意味を、魂を、全て失った横島は、息子の後を追う事を選んだ。

 

『ちょっと待て! 主、しっかりと心を保つのだ!!』

 

 まさかこんなところで消えられては堪らないと、『天秤』は必死に横島を激励する。

 だが、横島はまったく反応しない。半身を失った悲しみは、もう癒える事はないのだ。

 

(おいルシオラ! 貴様からも何か言え!! このままではお前の恋人が死んでしまうぞ。貴様の声を横島に届くようにしてやる。早くこの場をなんとかしろ!)

 

(……うふふ、私もう転生できないのね。今思うと、息子は私にとってなにより重要な存在だったと言うわけか。失ってから気づくなんて……私ってダメな女ね)

 

(貴様も混乱するなーー!!)

 

 どこぞの鬼や、覗きの神様ぐらい役に立たないルシオラだった。

 

「……『天秤』、エニをしっかりと幸せにするんだぞ。皆も元気でな」

 

 いつに無く優しい声の横島に、全員が悟った。

 これが今生の別れになる事を。

 

「生まれ変わっても、また息子と共に……」

 

 スピリット達の悲痛な叫びの中で、横島は静かに最期を迎えた。蛍のような淡い金色のマナとなって。

 後には、『天秤』という神剣だけがその場に残されていた。

 

 

 

 こうして、この物語は終わりを迎える。

 これから先のラキオス王国についてだが、特に特筆すべきものはない。

 大陸に流れた戦乱という名の激流に、ラキオス王国は飲まれていった……それだけである。

 

 

 

           永遠の煩悩者   完

 

 

 

 

 

 

 んなこたぁない。

 

 

 

 ――――なさい。

 

 女性の悲しげな声が聞こえる。

 

 ――――ごめ……なさい。

 

 何度も何度も謝っている。

 どうしてそんなに謝るのか。それに、これは一体誰の声か?

 その事が気になった横島は、ゆっくりと目を開けた。

 

「ヨコシマ様!?」

 

 目に飛び込んできたのは青いポニーテール。セリアだった。

 目を開けた横島に安心したのか、胸を撫で下ろしている。

 周りを見渡すと、そこは自室だった。窓から見える景色は、もう真っ暗で、時刻が深夜だということを教えてくれる。どうやらずっと看病していてくれたらしい。

 

「良かった……本当に良かった」

 

 目を赤くして、掌を握ったり開いたりして喜びを表現するセリアだったが、横島はそこには目をやらず、不思議そうに自分の体を眺めていた。

 

「俺は死んだんじゃあ……」

 

「はい、エニが蘇生魔法、リヴァイブでマナの霧になったヨコシマ様を再構成してくれたのです」

 

 蘇生魔法は難易度が高い神剣魔法だ。ハリオンにはまだ使えず、使用できるのはエスペリアだけだったはずだ。

 

「エニは凄まじい潜在能力を秘めているようです。……それだけではないようですが……」

 

 いくら潜在能力があろうとも、練習したことすらない技を使えるのは変だ。それに、魔法を詠唱している時のエニは普段とは様子が違くて、何かに操られているように見えた。神剣に操られていた場合なら、ハイロゥが黒く染まるはずだが、それもない。普通とは違うが、何がどうとは言えなかった。

 

 まあ、エニの事は今はいい。重要なのはヨコシマ様だと、セリアは横島に向き直る。

 

「あの……その、ヨコシマ様……え~と」

 

 珍しく歯切れの悪いセリアに、生気の無い目を横島は向けた。 

 

「この度の事は本当に何と言ってよいのか……申し訳ありません。全て私がいけなかったのです。申し訳ありません!!」

 

 ただひたすら謝罪の言葉を繰り返し、頭を下げる。その謝罪が本気のものである事はすぐに分かった。こんなにも、青い顔で申し訳なさそうなセリアの表情は見たことが無い――――――だからどうした、とも思うが。

 何の感情も湧いてこない。

 怒りも、悲しみも、恨みも、何もない。あるのは空虚な喪失感だけ。

 

「俺は……何のために生きているんだろう」

 

 どこぞのヒロインの言葉を抜き出して、横島はぽつりと言った。

 だが、そこにお笑いの影は見えない。本当に、横島は自分の存在意義を見失っていた。煩悩者たる自分が、その煩悩印を失ってしまった。起たない変態は、ただの変態だ。

 

「あ……その、大丈夫です」

 

 そう言うセリアに、横島は眉を顰めた。

 一体何が大丈夫だというのか。もう、取り返しがつかないというのに。

 

「あ、ええと……その、お確かめください」

 

 目で下半身を見てと促す。横島は、息子が消え去った下半身など見たくなかったが、しぶしぶと目を向けた。

 

 やあ。

 

 そこには、いつもと変わらぬ、息子の返事がそこにあった。

 

「あ? ああ!? あああ!! 生きてる……息子が生きてる!!」

 

 股間に感じるその存在。色、艶、形、躍動感。命の輝き。

 息子だ。

 息子が生きている!!

 

「お……おおおおぉぉぉぉ!!」

 

 目から涙を流し、歓喜の咆哮を上げながら息子を強く握り締める。

 

 痛いよ、父さん。

 

 恥ずかしそうに、だが、嬉しそうに言う息子。

 間違いなく、今まで生きてきた息子だった。涙して息子との再会を喜ぶ横島。

 そんな二人の様子を、どういう顔をして見ればいいのか分からないセリアは、色々と困った表情で二人を見て、そしてもう一度深く頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした!! 今度の騒ぎは、ヨコシマ様に何の不手際も無かったというのに!!」

 

 大抵の騒ぎは横島が馬鹿をやることにより発生する。

 しかし今回の騒ぎに関しては、横島は純粋に被害者だ。いつもは野獣の如く飛び掛り、変態的な行動を取ろうとして殴られる。ここに同情すべき余地はない。

 だが今回は違った。本当に事故だったのだ。

 

「ふざけんなー!! ごめんなさいで済んだら、警察も弁護士もいらんのじゃー!!

 

 流石の横島も頭にきていた。

 確かにセリアの半裸を見るという特典はあった。

 しかし、流石に息子とでは比較にならない。

命を懸けて女体に挑むのが横島という男だが、命を掛ける事が出来ても息子を掛ける事は出来なかった。

 

「責任とって貰うぞ、おんどりゃー!!」

 

「……はい」

 

 さすがに笑って許してもらえるとは考えていなかった。実際、やりすぎであった。

 処刑されて当然と言えるほどの不敬を働いてしまったのである。いや、不敬などと言うレベルは疾うに越えている。大抵の悪ふざけなら横島は笑って流せる度量――――というか芸人根性を持ち合わせていたが、今回ばかりはその限界を超えてしまった。

 強烈なまでに輝いた目の横島に、処刑という、最大の処罰もあると覚悟する。神妙にしながら、横島の下す裁定を待つ。

 縮こまって、畏まっているセリアに、横島はふんと鼻を鳴らすと、右手を近づけていく。

 叩かれる。そう思ったセリアは思わず目を瞑って歯を食いしばる。だが、訪れた衝撃は、セリアの予想していたものと違っていた。

 

 ぐにん!

 

「きゃあ!」

 

 想像していた衝撃とは違う種類の衝撃に、セリアは痛みで上げる悲鳴とはまた別種の悲鳴を口から洩らす。

 臀部中心に、痛みと甘く痺れるような感覚が全身に広がる。

 一体何事かと見てみれば、横島の手がセリアのお尻を深く握っていた。

 

「いきなり何を!」

 

 突然のセクハラにセリアは右手を振り上げる。そして、横島に向かって振り下ろそうとしたのだが、

 

「ふん! なんだそりゃ。 俺の裁定を受けるんじゃなかったのか。さっきの言葉は嘘か」

 

 ピタリと、セリアの手が止まる。

 言った。確かに言った。

 大人しくヨコシマ様の裁定を受けると。

 そうだった。こういう人だった!

 これからの事を想像し、血の気が引いていくのをセリアは感じた。

 

「こ、こういう事をするのなら、ご命令を下されば!!」

 

 スピリットは命令には逆らえない。命令されれば嫌々でも体を動かすことが出来る。セリアにとってはその方が楽だった。心と体を切りはなす事ができるから。

 そんな考えを見抜いたのか、横島は白けた目でセリアを見つめる。

 

「こういうお詫びってものは、命令とかそんなんじゃないと思うけどな~俺はそう思うよ」

 

 悪魔を思わせる笑いで、横島は正論を吐く。言っている事は正しいとセリアも感じたが、嫌らしさと醜悪さを感じて、背筋を寒くした。

 

「誠意が感じられんよなー」

 

 くっ、と唇を噛む。もう逃げられない。

 それに確かに悪かったのは自分なのだ。これは罰。贖罪なのだ。

 

「わ、私の体を好きにして……どうか怒りを沈めてください……ううぅ」

 

「へっへっへ、そこまで言われちゃあ仕方ないな~」

 

 横島の手の動きは素早かった。

 右手で臀部を満遍なく触り、左手を背中に這わせる。

 

「あ~やっぱり柔らかいな……いや、少し硬……もう少し力を抜けよ」

 

「そんなこと言われても……いゃ」

 

 セリアの表情を硬化させて、手や肩は本当に僅かに震えている。お尻や背中だけじゃなく、太股やお腹に手を這わせると、ガチガチに緊張していて硬くなっていた。

 セリアは必死に横島に触れられる事への悪寒に耐えていたのだ。

 

(そんなに嫌がらなくなっていいじゃないかよ!)

 

 嫌がる女性を無理やり、と言うのは横島の趣味ではない。ラブラブで濃厚なのが横島の趣味である。こうまで嫌がられると少しだけ心が萎えてくる。

 しかし、横島と言う男は並みのスケベではないし、そんな理性だけで動ける男でもない。自分だけではない。息子だって怒っているのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。

 

 胸に手を当てて、優しく揉みほぐす。ハリオンやナナルゥのように大きくはないが、それでも十分な感触があった。その心地よい感触に、もっと触りたいと、胸元のボタンに手を伸ばす。そこで、横島は何となくセリアの顔を見てしまった。

 青白い。まるで病人のような顔だ。唯一赤みがあるのは目ぐらいだ。

 

 思わず、胸元に伸ばした手を引っ込めてしまう。

 横島は確かに並みのスケベでは無いが、母親に叩き込まれた倫理観と、彼自身の優しさもある。

 どうしたものかと思いながら、手だけはセリアの体の上を走らせる。だが、それは胸や股間ではなく、肩や頬などスキンシップ程度のものだ。

 それでも、手が体ををなぞるたびに端正な顔が歪む。歯も食いしばっているようで、口も真一文字で結ばれていた。

 

(ふざけんな! そんなに俺が嫌いなのか!!)

 

 どうしてそこまで嫌がるのかと、罪悪感と同時に怒りが湧いてくる。

 その嫌そうにしている顔を、いやらしく乱れさせてやろうと、乱暴に服の中に手を突っ込んだ。

 

「ひやぁ! あ……いや、やぁ……うぁ……」

 

 セリアの表情が変わる。嫌そうな表情が消えた。そこにあるのは怒りでも恥辱でもない。

 ―――――恐怖。

 

 これから先、どのような凌辱が待つのか。

 自分の体がどのように弄ばれるのか、それを想像し、心から恐怖していた。

 そこで、横島は何となく気づいた。セリア・ブルースピリットは、それほど強い心を持ってはいない。ただ、いつもの強気な態度はその弱さを隠す仮面なのではないかと。

 逆らえず、恐怖しかしていない美女の体をこねくり回す。

 ―――――違う。これは望んでいた行為ではない。

 

 横島の怒りが、ここで爆発した。

 

「な、なんだよ! そんなに辛そうな顔しなくてもいいじゃん!! 息子殺しかけたくせに…………俺だって結構頑張って仕事してんのに! そんな俺の嫌いか、この無愛想ポニテツンデレ!!」

 

 横島は涙目で感情をぶちまけた。本当ならもっとエッチな雰囲気にでもなって、嫌も嫌よも好きのうち、そんな感じになる予定だったのだ。

 しかし、本気で嫌がられて、延々と苦しそうな表情を見せられ、横島は切れてしまった。

 切れられたセリアは暫し唖然として、次にここまで身を差し出しているのに怒られるという理不尽さに激怒する。

 

「なんですかそれ! どうして私が文句を言われなきゃいけないんです!?」

 

「うるさい! ツンデレならいい加減、デレを見せろ!!」

 

「そんなの知るかー!」

 

 馬鹿らしい言い合いが始まる。横島が「そんな無愛想じゃ嫁の貰い手も無い」と罵れば。セリアは「ヨコシマ様で無ければ獣でも構わない」などと返す。

 それに腹を立てた横島はグイッとセリアのポニーテールを引っ張った。グッと首を後ろに曲げられ、間抜けで笑える姿のセリアを横島が笑う。

 笑う横島に、セリアはお返しとばかりにバンダナで力いっぱい額を締め上げた。

 

 夫婦喧嘩は犬も食わない。そんな諺を思い出すような、なんともくだらない喧嘩であった。セリアは子供の時ですらこんな馬鹿なことはしたことが無い。童心に戻ったような二人に、それを内から眺める二人には色々と厳しかった。

 

「ああもういい!! キスしろ! それで今回の事は終わりにする」

 

 急に条件が軽くなった。だが、ここで安心してはいけない。

 

「だたし!!」

 

 ほら来たぞ、とセリアはどんな難題が出るのか身構える。

 

「新婚みたく愛の篭った台詞で俺を誘惑してキスを強請る事! もちろん、キスするときに辛い顔はしないように!!」

 

 そんな要望に、セリアは何を言っているのかよく分からず、困惑しながら横島を見つめた。何をどうしたらいいのか、良くわからないのだ。

 

「ええと……それはどうすれば」

 

「ちっ、全く無知だな。まあいいさ、良し! ここは思いっきりベタでいくぞ。結局は、ベタこそが最強だからな!!」

 

 セリアに何を言うべきか耳打ちする。何を言うか聞き終えたセリアは、そんな事は言えないと顔を赤くして抗議したが、それじゃあ体中を触らせてもらうぞ、と言われては従うしかなかった。

 

「……あなた、ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ……た……言えないわよー! こんなの~~!!」

 

 いやいやと首を横に振りながら座りこむセリア。顔を赤くして、恥ずかしさのあまり足腰が立たないようだ。

 そんなセリアを呆然と見ていた横島だったが、ややあってはっと気を取り戻した。

 

「やべえ! 可愛い!! 可愛すぎる!!」

 

 ギャップ萌。

 それは、普段見せない表情を見れたときに感じるもの。クールで強気なセリアが、恥ずかしさで顔を赤くして座り込んでしまうというのは、正にその典型だ。

 

「うるさいわよ……この変態……ばかぁ」

 

 蚊の鳴く様な声とはこういうものを言うのだろう。言ってしまった恥ずかしい台詞と、縁遠いはずだった可愛いという褒め言葉。このままでは恥ずかしさで死んでしまうと、セリアは本気で思っていた。

 横島にとっては、この言葉が止めとなった。

 セリアの肩と腰に腕を廻し、グイッと引き寄せる。あと少し力を込めれば、痛いと言わせてしまう様な、そんな力強さが込められていた。それは、強い意志の表れ。

 

「目を閉じろ」

 

 生気を漲らせた強い表情と有無を言わせぬような力の有る言葉に、セリアは素直に従った。逆らえないほどの力で抱き寄せられたのか、それとも逆らう気が起きないのか、どちらかは分からない。ただ、その顔には嫌悪感が消えていた。

 体から力を抜く。横島の腕がセリアの体を支えた。男性の鍛えた二の腕の感触に、セリアは感じたことの無い安心感を得た。体の奥が熱くなる。唇を、僅かに突き出した。

 

「んっ……」

 

 唇を置くだけの優しいキス。

 

 横島にとっては数回目のキス。

 そして彼女――――ナナルゥ・レッドスピリットにとっては始めてのキスだった……ただし、鼻の頭であったが。

 

「あれ?」

 

「……どうしました。ヨコシマ様?」

 

 相も変わらず無表情なナナルゥ。互いの息が唇にかかるほど顔が近いと言うのに、眉一つ動かさない。また、これだけ至近距離でナナルゥの顔を見ても、肌に一つの染みも無い。

 燃えるような赤い髪と雪のように白い肌。鼻も高く、唇も薄い。一分の隙もないナナルゥの美貌に、横島はただ見惚れて―――驚いた。

 驚いた拍子に手から力を抜いてしまい、ゴツンという音と、女性の悲鳴が聞こえたような気がしたが、それは目の前に現れたナナルゥに比べればどうでもいいことだった。

 

「ナナルゥ!?」

 

「はい」

 

「何が!?」

 

「申し訳ありません。言いたい事が分かりません」

 

 パニックになる横島とは反対に、いつも通りナナルゥは冷静だ。

 そんなナナルゥの顔を見て、横島も少しずつ落ち着いていく。

 何が起こったのかというと、横島とセリアがキスする寸前に、どこからか現われたナナルゥが間に顔を入れて横島の唇を鼻で阻止したのである。

 どうしていつも良い所で横槍が入るのかあと少しでキスが出来て、あわよくばその流れでいんぐりもんぐりと考えていたのに。

 残念がる横島だったが、ここで発想を切り替える。

 

 ナナルゥは間違いなく美女。

 こんな美人とキスして怒るなんておかしいだろう。

 むしろ、これは喜ぶべきことではないか。別にセリアよりもナナルゥの方が好きと言うわけではない。

 だが、ある種の期待が横島の中に生まれていた。

 

「ナナルゥ……なんで」

 

「ヨコシマ様とセリアをキスさせないためです」

 

(エンディングが見えたーー!!)

 

 横島は神と化した。

 遂に俺の時代が来たのだと。

 これからの展開に期待に胸を躍らせる。

 これから訪れるだろう、ラブリー濃厚どろりエッチィシーンに。

 15禁表記のギリギリに挑戦しようと。横島は決意していた。

 

 これはなに?

 

 セリアは茫然と目の前の光景を見ていた。

 目を閉じて待っていても、唇には何も当たってこなくて、一体どうしたんだろうと思っていたら、体を支えていてくれた手がなくなり、後頭部を思い切り床に打ちつけた。

 一体何事だと起き上がって前を見ると、目の前ではいきなり現れたナナルゥが、ヨコシマ様とキスをして、なんだか楽しそうに喋っている。

 別にキスできなかったことは残念ではない。むしろ嬉しい。助かった。本当に嬉しい。きっと嬉しいはず!

 口の中で助かった、嬉しいと何度も噛み砕く。嘘ではない。『喜び』と『残念』の気持ちなど両立するわけないのだから、と。

 

「どうしたのです、セリア」

 

 本当にいつも通り、ナナルゥがセリアに向かって問いかける。

 意味の分からない怒りが、セリアの胸中を駆け抜けた。

 

「ちょっとナナルゥ! 貴女は一体何を考えてるの!!」

 

「セリアはヨコシマ様とキスしたくないのでしょう?」

 

「当然よ! 誰がこんな人と!!」

 

「こ、こんな人って」

 

 こんな人呼ばわりに、横島は体育座りをしてしくしくと涙を流す。

 もう少し扱いを良くして欲しい。横島18歳の異世界であった。

 セリアの質問に、ナナルゥはコホンと咳払いをして、二人に向き直る。

 

「キスというのは、お詫びなどでするようなものではありません。互いに相手を想いあい、その結果として生まれるものです。愛のないキスなどしてはいけません。ましてや、強要されてするキスなど、可哀想なだけです」

 

 まるで用意されたスピーチの読むように、淀みなくナナルゥは言った。思いもしなかった長台詞に、横島もセリアも呆気に取られる。

 あのナナルゥがこんなことを言い出すなんて、第二詰め所のメンバーなら誰でも驚くだろう。

 しかも、言っている事は何気に正しい。

 何か変だと二人は感じていた。随分とロマンチストな事を言っているのに、言葉に熱がこもっていない。

 その時、ナナルゥからごとんと何かが落ちる音が聞こえた。落ちたのは一冊の本。

 

『愛・そして生きるために死ねますか?』

 

 そんな題名の本を手にとって見ると、そこにはナナルゥが言った台詞がそのまま書いてあった。

 ナナルゥはただ本の中の言葉を抜き出したに過ぎなかったのだ。

 白い目でナナルゥを見つめる二人。そんな二人に、ナナルゥはバツの悪そうな顔をした。

 

「私は、まだ『愛』とはなにか、答えを出せていません」

 

 項垂れるように訥々と喋るナナルゥに、なんだか苛めているような気分になってしまうのはどういうことか。

 

「ですが……」

 

 何か戸惑いが込められた声で、ナナルゥは二人を見つめる。

 

「ヨコシマ様とセリアがキスしようとしている所を見て……そうですね、イライラしたのだと思います。恐らくは嫉妬かと……だから、邪魔をしました」

 

 本当に淡々と言うナナルゥだが、自分が凄い事を言っていることに気づいているのだろうか。愛の告白とまではいかないが、それに近い事を堂々と言っているのだ。それに、本の中身の言葉を抜き出したときよりも、感情というものが感じられた。

 そんなナナルゥを見て、横島も覚悟を決める。

 幸い、15禁まではOKなのだ。この機会にやれるだけの事をやってしまおうと、横島は決意した。

 具体的な性描写が無ければ、ある程度の事はオッケーのはずだ。

 ぐへへと笑いながら、横島はナナルゥに手を伸ばし、

 

「セリアがキスされなくて良かったです」

 

 ピタリと伸ばした手が止まった。

 

「おい! ちょっと待てナナルゥ。それって、俺がキスするのは嫌じゃなくて、セリアがキスするのが嫌だったって事か!?」

 

「はい」

 

 この瞬間、横島は自分自身に対して妙な希薄感を感じた。言うなれば、先ほどまではスポットライトに照らされて主役を演じていたはずなのに、今は森の動物役のような、そんな感じだ。

 ナナルゥはゆっくりとセリアの方に向き直る。ナナルゥのルビーのような赤い双眸にから、まるで熱いビームが発射され、射抜かれたかのようにセリアは感じた。

 

「セリアは私とキスするのは嫌ですか?」

 

 何この超展開? 神様は私に何をさせたいの?

 

 思わず天を仰ぐ。

 何故こんな事になってしまったのか。これから自分はどうすればいいのか。これから自分はどうなるのか。

 まったく先が分からない――――にもかかわらず、何で嫌な予感が止まらないのだろう。

 そのときだった。

 

 ごとり。

 またもやナナルゥから本が落ちる。

 それに目をやったセリアは、一瞬世界が止まったかと思った。

 その本には、セリアに似ているブルースピリットとナナルゥに似ているレッドスピリットが絡み合っていた。性的な意味で。

 よく本とかを見て、その登場人物に自分を重ねる人がいる。ひょっとしたらナナルゥは、その本の登場人物に自分とセリアを重ねているのかも知れない。

 

「さあ、セリ……いえ、セフィー、一緒に愛を始めましょう」

 

「駄目! 私にはアセリアが……って、何言ってるの私はーー!! それにセフィーって誰よー!!」

 

 もう、自分が何を言っているのか分かっていないのかもしれない。

 それでも、セリアの否定の言葉を口にした。だが、それにも関わらず、ナナルゥは不気味な笑みを浮かべる。

 

「へっへっへっ、あんな女のことなんか忘れさせてあげましょう……こんな感じでよろしいでしょうか、ヨコシマ様」

 

「あ……ああ。良いんじゃないか?」

 

 何が良いのか正直横島にも分からなかったが、とりあえず良しとした。

 これがギャグや冗談ならともかく、ナナルゥは本当に真面目に『愛』を理解しようとしているから無下には扱えない。

 それに、ナナルゥの不可思議さと、変態チックな笑い方に横島自身もかなり引いてしまっていて、どうしたらいいのか分からないと言うのも本音でもある。

 これは素なのだろうかと、本気で疑いたくもなる。

 

「ありがとうございます。では、いただきます」

 

「いやーー!!」

 

「愛とは、追いかけるものです」

 

 居間のほうに逃げ出すセリアと、それを追うナナルゥ。

 次に聞こえてくるは破壊音と悲鳴。

 

 愛。

 少々くさい物言いだが、愛は素晴らしいものだろう。

 それを探しているナナルゥは悪いわけではなく、むしろ素晴らしいと言える。

 しかし、愛にも色々あるのだ。その形は千差万別。

 

「ちょっとナナルゥ!! いい加減に……やあっ……そこ……んぁ! これも全てヨコシマ様の……っぁ! 耳元に息を吹きかけないで、やぁ!!」

 

「じたばたしないでください……いえ、もっとじたばたしてください。愛とは抵抗されるものです」

 

 バタバタと暴れるセリアを、ナナルゥは羽交い絞めにして押さえつける。単純な力ならセリアの方が上なのだが、ナナルゥは巧みな指使いでセリアの弱点を弱く、強く、緩急をつけて攻めて抵抗を許さない。

 そんな二人の百合っぷりを、ハリオン様はにこやかに見ていた。無敵である。

 

「こら! 何暴れてるの!!」

 

「ヒミカフィー……申し訳ありません。貴方との関係は遊びだったのです」

 

「えっ!? そ、そんな……あの激しい夜を忘れるなんて、私には……って! 何を言わせんのこら!! それに、ヒミカフィーって語呂が悪くない!?」

 

「愛って~素晴らしいですね~」

 

「えっ? 何? 愛ってこういうもの!? というかハリオン! 見てないでなんとかして!!」

 

「いやですねぇ~ハリフィーって呼んでください~」

 

「ハリオン! 貴女はどこまで無敵なのよーー!!」

 

 居間からヒミカの悲鳴が聞こえてきた。

 壊れない常識人は可哀想だなと、横島はぼんやりとした頭で思う。

 というか、無理やりはいけないとか言っておきながら、指技を使って籠絡させていくのはいいのだろうか。そもそも愛とは何だ。宇宙とは、そして命とは!!

 なんだか思考がやばい方向に行きつつある横島だが、ただ一つ、ナナルゥに切実な気持ちで願うことがあった。

 

 ボーイズラブにだけは目覚めないでくれ、と。

 

 さてさて、今回の話で一番の被害者であると同時に、ピエロは誰であろうか。考えるまでも無い。

 息子と横島だ。

 

「なあ、息子。俺って……俺って!!」

 

 何も言わないで、父さん。僕が付いてるから!! だから今夜は二人で。

 

「ああ、そうだな……なあ息子、もし生まれ変わっても俺の息子でいてくれるか?」

 

 生まれ変わっても、ずっと一緒だよ、父さん……

 

 横島と息子はナナルゥが落としたレズ本を手に取り、ベッドに向かった。

 慰めあう親子の夜がこれから始まるのだから……

 

 こうして、この物語は終わる。

 これは、一人の男が息子との友情を確かめ合う、愛と勇気の物語。

 

「嘘つくんじゃねえ! どこが愛と勇気じゃボケ~~!! ちくしょ~~! でも……でも!!」

 

 ぐっと拳を握り締め、涙に濡れた瞳で空を睨む。

 

「ど~せこんなこったろーと思ったよ~~!!!!」

 

 何にしても、今日も今日とて第二詰め所はにぎやかだったとさ。

 

 めでたし、めでたし。

 

 



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第十四話 日常編その3 ボーイミーツガール

 早朝とすら言えぬほど、その日はまだ朝早かった。太陽は地平線から頭を出すか出さない程度。陽光とすら言えない微かな光が、ようやく周りの闇を和らげ始めている。スピリット達の朝は早いが、それでもまだまだ起きる時間帯ではない。そんな時間に一つの物体が空を悠々と漂っていた。

 タコである。もちろん、海の中にいる蛸ではない。正月などに空を飛ぶ方の凧。日本の遊具。凧は地上から数十メートル高さまで舞い上がり、ゆらゆらと気持ちよさそうに揺れている。その下には凧を操る美しい青い髪のおかっぱ頭の少女がいた。少女の名はシアー・ブルースピリット。二つ名は、『孤独』のシアーという。その顔はニコニコと、柔らかい笑みを浮かべている。指には上空で舞う凧と繋がっている細い糸が巻きつけられていた。

 

 おもちゃの作り方を沢山教えて欲しい。シアーはそう横島に願い、沢山のおもちゃの作り方を教えてもらった。作って欲しいではなく、作り方を教えてほしい。それが彼女の姉との違いであろう。そして作ったのがこの凧だ。材料関係は横島やネリー達に協力してもらったが、作る工程はすべてシアーが行い、途中上手く作れず失敗した凧もあったが、ついに完成し処女航海を行っている。

 この凧を作るための苦労は彼女の手にある傷がそれを証明していた。手先は器用ではなく、物を作る事に不慣れであるため、特に難しい技術を使用しているわけでもないのに指先を刃物で切ったりしている。それだけに、シアーはこの凧が非常に愛おしく、また自分がただの兵器ではないことを証明する証として大切なものだった。また、剣を握る以外の事も出来ると語った横島と悠人の想いに応えているのだという誇りもあった。

 

 シアーは時間も忘れて凧の操作に夢中になっていたが、その時、一際強い風が巻き起こった。糸から伝わってきていた凧の重さが消える。

 

「あっ」

 

 あまり頑丈な糸ではなかったのか、糸はプチンと切れてしまった。

 地上への強制力である糸をなくした凧は、ふらふらと空を渡っていく。

 

「まっ、まって~~」

 

 せっかくがんばって作ったのに、一時間も遊ばずに消えられてはたまったものではない。それに、この凧は自分の姉やヘリオン達に見せると約束してあるのだ。

 神剣を携帯していなかったのは痛かった。神剣さえあれば空中に飛び上がってすぐに取りにいけたのに。

 神剣を持っていないので、流石に新幹線並みのスピードは出せないが、それでもスピリットの健脚で凧を追いかける。

 

 凧は上空の複雑で強い風により右にいったり左にいったり。シアーもそれに合わせて右に行ったり左に行ったり。上ばかり見ているので何度も転んで体をあちらこちらにぶつけて全身に痣を作る。

 ようやく高度を下げ始めたと思ったら、既に森を抜けて、町の中に落ちていった。

 

「ど、どうしよう……」

 

 町の中に入った凧を見て、シアーは困ったように呟いた。

 シアーにとって、町は恐怖そのもの。

 自分達が決して逆らえない人間が沢山いる場所。

 以前、町に行ったことはあるが、侮蔑と険悪の目に晒されて、行きたくない場所となっている。ネリーは明るくへこたれない性格だから特に問題無く歩けるが、自分には……

 

 行きたくない。怖い。恐ろしい。でも――――

 

 作ろうとすれば同じのがまた作れる。恐い思いをしてまで町に行かなくてもいいような気がする。だが、シアーは決断した。

 たとえ同じ物が作れたとしても、それはあの名前を付けた凧ではない。自分の手で作った物をそう易々と諦めてたまるものか。あれは、自分の子供同然なのだ。お腹は痛めていないが手は痛めた。そのうち母乳だって出して見せる。

 そう決心したシアーは、こそこそしながら町に入っていった。

 

 小さく丸くなりながら、物陰から物陰へと移動する。小動物を思わせる仕草だ。

 幸い朝早いせいか、人影はない。

 シアーは急いで凧を探す。人が出てきたらもう探すどころではなくなってしまう。

 右を見て、左を見て、目と足を使い必死に探し続ける。十分ほど探しただろうか。

 

「あったの。良かっ……あ!?」

 

 数百メートル先の街道で地面に落ちていた凧を見つけたシアーだったが、その顔は絶望に染まった。

 凧の隣に人間の少年がいたからだ。隣には白いルガテ(犬)が落ちつかないように少年の周りをぐるぐるしている。

 少年は不思議そうに凧を見つめていたが、何か気に入ったのか凧を抱えてどこかに歩き出す。

 

「待って!」

 

 シアーは少年の前に躍り出た。いきなり現われた少女に、少年は目を丸くして驚く。シアーも反射的に取ってしまった自分の行動に驚き、目の前にいる人間の少年に萎縮してしまった。

 人間と話す。それも、自分から。そんな事出来るはずも無かった。

 

「お前誰だよ……って、人に名前を尋ねるときにはまず自分からだよな。俺の名前はリュートって言うんだ。よろしくな!

 こいつはハトゥだ。ハトゥ(白)だからハトゥ。単純だろ! 野良だけど利口なんだぜ」

 

 いきなりの自己紹介にシアーは面食らう。

 人間に挨拶されたのなんて初めてだった。それもこれほど好意的に。犬はワンと吠えて、じっとシアーを見つめていた。

 

「あ……あの、え~と……シアーなの」

 

「シアーって言うのか。こんな朝早くに出歩いているなんて変わった奴だな。まあ俺もなんだけど」

 

 そう言って少年は屈託無く笑う。

 リュートと名乗った少年は、歳は12,3ぐらいで、シアーと同い年程度。顔立ちは綺麗で、髪は柔らかなブラウン色。声も変声期前なので、女装したらさぞ可愛くなりそうである。放っている空気はわんぱく少年といった感じだが、礼儀はしっかりしているようで言葉使いは結構丁寧。半ズボンに輝くひざと、一部のお姉さん方にはさぞ堪らないだろう。つまり、後のイケメンである。

 挨拶をしてもらった事により、シアーの緊張が少し解ける。

 

「あ、あのね……その」

 

「そうだ! シアーはこれ何か知ってるか? 空から降ってきたんだけど」

 

 リュートが差し出したのは、シアーが作り、探そうとしていたタコだった。

 

「え、え~と、それはタコって言って、糸を使って空で泳がせて遊ぶの。シアーががんばって作って……」

 

「空を飛ぶ!? しかもシアーが作ったのか!? すげーじゃん!!」

 

「え……でも、その……あのあの! 教えてもらって作ったものだから……」

 

「それでもすげーって!」

 

 悪意どころか物凄く好意的な目で、さらには尊敬の目でリュートはシアーを見つめた。

 ここまで純粋に賞賛された事など無い。それも、初めてあった人間の男の子に。困惑もあったし、疑念もあったが、それを遥かに超える喜びでシアーの胸は満ち満ちていた。我が子を褒められて、嬉しくない親はいない。

 ちなみに、ハトゥは凧やシアーの周りでしきりに鼻をひくつかせていた。何故か目が潤んでいるようだ。

 

「なあ、飛ばして見せてくれよ。頼む!」

 

 ニッと笑いながら、だが真剣な雰囲気で頭を下げるリュート。のんびり者のシアーでも人間がスピリットに頭を下げる事がどれほど異端なのか分からないわけではない。嬉しさと混乱がシアーの心の中を埋め尽くす。驚きの連続に返答は出来なかった。

 しかし、シアーの手は戸惑いつつも切れた糸をつなぎ合わせ、風に合わせて凧を空中へと舞わせた。

 空に浮かぶ凧を見て、リュートは歓声を上げる。

 

「すげー!! なあなあ、これ大きいの作ったら、人も飛べるんじゃないか!?」

 

「う、うん、そうかも……でも、シアーは凧がどこまで上にいくのかも気になるの」

 

「そうだよなあ! もしかしたら星や月まで届くかもしれないぞ!!」

 

 希望と熱意を持った目で、リュートは凧をじっと眺める。そしてなんだかそわそわと落ち着かない様子で、シアーと凧を何度も見返す。リュートが何を求めているのか、シアーは直ぐに察しがついた。

 

「……飛ばしてみる?」

 

「いいのか!?」

 

「う、うん」

 

「あり……サンキュ!!」

 

 リュートは強くシアーの手を握ってお礼を言った。いきなり手を握られたシアーは小さく悲鳴を上げて顔を赤くする。リュートは悪いと、顔を僅かに赤らめて謝った。初々しい少年少女の一幕。リュートは改めて凧を受け取ると、それを空に舞わせる。

 

「おお! 飛んでる飛んでる!!」

 

 凧を飛ばして、楽しそうに駆け回るリュート。その姿を見て、シアーは泣きそうになった。

 嬉しい。そんな言葉で表すことなんてできない。

 自分の手で作り出したものが、誰かを喜ばす事ができる。

 心が震えた。

 

 数分ほどリュートは凧を飛ばしていたが、段々と風は減っていき、ゆっくりと凧が地面に降りてきた。

 大切そうに凧を手に持って抱えるリュートを見て、シアーは満ち足りた表情になる。改めて悠人と横島、それにリュートと凧の材料と、失敗作のシアー一号と二号と、自分にお礼を言った。何もかもに感謝したい、そんな気持ちだったのだ。

 ハトゥが胸を反らしながら、オーンと遠吠えをした。シアーとリュートと凧を見比べながら、何かを誇っているようであった。

 

「ああ楽しかった!! 本当にサンキューな!!」

 

「うん。シアーもありがとなの」

 

「何でシアーが礼を言うんだよ」

 

「えへへ」

 

「ははっ!」

 

 二人は優しく笑いあう。それは何処にでもありそうな、しかしこの世界では決してありえない光景。

 それは正に魔法と言っていいぐらいの奇跡だった。幾千のスピリットが望んだ御伽噺。

 だが、御伽噺の魔法は必ず切れる。それも、幸せからどん底へと突き落とすタイミングで。

 

「でも、シアーって何処に住んでんだ。学校でも見たことないけど」

 

「え、えっとそれは……」

 

「それに青い髪って珍しいな……青い髪……青い?」

 

 人間にはありえないような美しい青い髪。

 リュートの頭の中で、何かが思い浮かび、そして固まる。

 こんな青い髪を持つ種族は唯一つ。

 

「奴隷戦闘種族……スピリット」

 

 変わっていく。

 少年の強く澄んだ目が、まるで腫れ物を見るかのような目に。

 何のことはない。リュートはスピリットを差別しない人間ではなく、ただシアーをスピリットと認識していなかっただけだった。

 まるで当然の事のようにリュートの足が一歩、シアーから離れる。顔には嫌悪感が滲み出ていた。

 

「ふん、お前スピリットだったのかよ」

 

 ――――どうしてだろう。さっきまで名前で呼んでくれたのに。

 

「じゃあ、あのおもちゃを作ったのも嘘だろ」

 

 ――――どうしてそう言うことを言うのだろう。さっきまで信じててくれたのに。

 

「スピリットがおもちゃなんて作れるわけないもんな」

 

 以前に同じ事を言った覚えがシアーにはあった。スピリットだからおもちゃなんて作れないと。

 だがそれは間違いだった。だって、作れたのだから。

 

 スピリットも人間も変わりないと悠人は言った。

 自分の手は、神剣を握る以外のことも出来ると横島は教えた。

 その言葉通り、シアーは剣を振る以外の事もできた。それだけは否定させない。

 だって、出来たのだから。この凧はその証明だ。だが、いくら言っても信じてくれそうに無い。

 

 悪い事をしたのなら謝ろう。

 しかし、『スピリットだから』、そんな理由で嫌われるのではどうしたらいいのか―――――どうしようもない。だって、シアー・ブルースピリットはスピリットなのだから。それは議論の余地もないほど単純で、残酷な事実。

 先ほどまで遊び、楽しく笑いかけてくれていた―――――友達だと言ってくれた人間が、今はスピリットという理由で汚らしいものを見るように見られる。その事実に、シアーは絶望して涙腺を決壊させた。

 

「なんで、優しくしたの?」

 

 悲しみと、僅かばかりの恨みを込めたシアーの声が、風に乗ってリュートの耳に届く。

 しかし、その恨みはリュートに向けられたものでは無く、自分がスピリットである事への恨み。スピリットでなければ、こんな目には合わなかったのにという想いで、シアーの胸はいっぱいだった。涙が頬をつたい、顎にまで来てぽたりぽたりと落ちていく。この場にいられなくなったシアーはリュートに背を向けて走り出す。その背をリュートはただ見送るしかなかった。

 

「ワンワン!! ウ~!!」

 

 ハトゥが毛を逆立てて、リュートに抗議するように吠えたてる。

 たまらなく耳障りな吠え声。拳を振り上げて「うるさい!」と怒鳴ると、ハトゥはそのままどこかに行ってしまった。

 まるで、失望したと言わんばかりの態度である。

 

「くそ、何だよ」

 

 何故か胸が痛くなって、地面に目を落とす。すると、地面に光り輝くものが目に入った。

 

「……スピリットって、泣くのか。そう言えば、生まれて初めてスピリットと話したんだよな。つーか、この凧はどうすれば……」

 

 残された凧に、涙で濡れた石畳。

 シアーの笑った顔、泣いた顔。

 人間とスピリット。

 ハトゥの吠え声。

 色々なものが頭の中で渦を巻いて、彼はしばらく呆然と立ち尽くした。

 

 

 

 永遠の煩悩者 

 

 第14話 日常編その3 ボーイミーツガール

 

 

 

 全身に妙な虚脱感が纏わりついているのを実感しながら、リュートは自宅に帰った。その手に凧を抱えながら。

 

「……ただいま」

 

「お帰りなさい、もうすぐ御飯よ。えーと……サンバも良いけど、あまり遅くならないでね」

 

「サンポだよ」

 

 香ばしく食欲を誘う匂いと、優しそうな女性の声がリュートを出迎えた。機嫌良さそうに鼻歌をしながらフライパンを引っくり返しているのは、目もとの小皺が気になり始める30代前半の女性。リュートの母だ。白いエプロンが似合う清楚で清潔な感じがして、中々の美人だ。いや、美人というより可愛いと評した方がいいだろう。丸顔で、垂れ下がった目元は年齢以上に彼女を幼く見せていた。それでもお肌の年齢は隠せないが。

 次にリュートは木製の椅子に腰かけている父親にただいまと挨拶する。父は息子の挨拶に小さく、重低音の声でお帰りと返した。そんな父を前にリュートは少し緊張しながら話を切り出す。まるで犯罪を犯した子供のように。

 

「父さん。女の子を泣かしちゃったんだけど」

 

「……男は女を守らなくちゃいかん。しっかりと謝ってから話し合え」

 

 父親の空気を震わせる野太い声に、リュートは特に怒られたわけでもないのに体を竦ませる。

 少年の父親は、全身筋肉で出来ているのではないかと筋骨隆々とした大男だった。顔の作りもしっかりと骨太で、眉も太くきりっとしている。だが、粗暴な感じはまったくしない。目には深い知性の光が見られる。

 恐くて、でも優しく尊敬できる父。これがリュートにとっての父親だった。ある程度の年齢になればこういう父親は鬱陶しくなるものだが、まだリュートは反抗期手前のようだ。ちなみに仕事はその風貌から想像できる兵士や剣士などではなく、服のデザインから、スピリットが着るエーテル製の丈夫な服のマナの加工から作成、さらには新しい生地を見つける為の情報収集など、非凡かつ多才である。その道では有名で、ピンクのレースの付いたフリフリのドレスを真剣な顔で作っているときは、その異様さに誰も近づけない。メイド服には妙な愛情を持っているようだ。また、これまでに無い服を作る事に情熱を注いでいる。

 

「ちゃんと謝るのよ」

 

 話を聞いていた母親がたしなめるようにリュートに言った。とりあえず喧嘩したら男性が折れて謝る。親達の答えは同じものだった。泣かせた理由も聞いていないのに。父と母。どちらが優位に立っているのか、これだけでも想像がついたりする。二人の答えはリュートにも理解できた。しかし、その相手がスピリットだったら、答えは果たして変わるのだろうか?

 リュートはどうするかしばらく迷ったが、このままでは埒が明かないと親たちに質問する。

 

「父さん、スピリットって何が悪いんだ?」

 

 スピリットは良くないもの。悪いもの。触れてはいけないもの。ずっとそう教えられてきた。それに疑問を持った事も無かった。しかし、何で悪いのかというのは教えられた事がない。シアーというスピリットと話したことで、その部分をリュートは考えることになった。

 唐突なリュートの質問に父親と母親は顔を見合わせる。12歳といえば多感な時期。わんぱくで真面目でしっかりとした文武両道の自慢の息子が、スピリットなんかに興味を示したのが不安だった。

 

「リュート……スピリットというのは……」

 

 父親は説明しようとした。何故スピリットが差別の対象になる理由を。

 しかし、途中で言葉を詰まらせる。

 分からないのだ。どう答えたらいいのか。

 そもそも、スピリットが何故蔑まれるのかなど、考えた者はいない。

 それはスピリット達も同様で、何故自分達が人間に反抗できないのか、何故蔑まれるのか、自身のことであるにも関わらず考えない。

 

 スピリットだから。

 

 これこそが理由であり、それ以外にありえない。

 だが、息子はこの答えを良しとしないだろう。

 息子が聞きたいのは、スピリットだから差別される理由なのだから。

 

「スピリットは、死と不吉の象徴だと言われているからだ」

 

 どこかで聞いた覚えがある言葉を、父親は思い出して言うが……

 

「何で?」

 

 そう返してきたリュートに、父親はこのときばかりは息子の聡明さを恨んだ。

 他者の言葉を簡単に鵜呑みにしない。

 何故そうなのか。どうしてそのような結論に至ったか。しっかり筋道を立てて考える。

 こんな風にリュートを育てたのは他ならぬこの父親なのだが、それが裏目に出ていた。

 

「リュー! いい加減になさい!! 悪いものは悪いのです!!」

 

 答えられない苛立ちから、母親はヒステリック気味にリュートをしかりつけた。

 自分の息子を思っての行動だった。

 もし、万が一にも、妖精趣味なんかになってしまえば、人生は暗く重いものなってしまう。例え冗談でも、スピリットに肯定的な言動などしてはならなかった。人という生き物は負の噂ほど好み、それを拭い去るのは難しいのだから。

 

「……ごめんなさい」

 

 リュートはぺこりと頭を下げて謝罪した。

 自分の質問が大好きな父と母を苦しめていると気づいたからだ。

 父親も母親も謝ったリュートを見て心を落ち着ける。

 

「良い子ね。ご飯できるから席について待ってなさい」

 

 穏やかな食事が始まる。

 少しトラブルはあったものの、いつも通りの何気ない朝の一コマ。

 だが、リュートは心の内側で答えられなかった父親と母親に少しだけ失望し、それ以上にスピリットと呼ばれる存在に興味を示していたのである。

 

「ずる休みしちゃったな、さてこれからどうやって手がかりを探すか」

 

 太陽が真上にあることを確認して、凧を手に持ったリュートは憂鬱そうに、しかしどこか興奮の色を帯びた声で呟いた。この世界にも学校はある。大抵の子供は最低でも10代中頃までは学校に通っていた。リュートも、その一人だ。

 スピリットとは何なのか、いまだに分からない。

 教室にあった本を何冊見ても、なぜかスピリットが差別されている理由は書かれていなかった。

 誰に聞いても分からない。文字を教えてくれた先生も歴史に詳しい先生も、知っている人はいない。

 問い詰めると、強い口調でそんな事を考えるんじゃない、と怒られてしまった。

 

 この人達は自分も理解していないことを教えているのか。

 

 それが分かったとき、リュートは初めて大人という生き物を見下した。

 スピリットと人間の関係という題材は、思春期特有の自分と他者の違いを明らかにしたいという欲求と、当たり前とされているのに反発したいという欲求の原動力になっているようだ。

 先生とケンカして居づらくなったリュートは体調が良くないと言って学校を早びきすることにした。その本心はスピリットの謎を探っていこうという気持ちからだ。

 さて、スピリットが何故虐げられているのか、その謎を探っていこうと、特に当ても無いのに町中をはりきって歩いていたリュートだったが、そうして曲がり角に差し掛かったところで、柔らかい何かが思いっきり顔に直撃した。ぶつかったのはまるで捏ね始めたパン生地のように柔らかく良い匂いのするものであったが、結構な勢いでぶつかったようで思わず尻餅をついてしまう。

 

「いたた……すいませ……ん!?」

 

 ぶつかった相手に謝るリュートだったが、その相手の姿を見て言葉を失う。

 まず目に付いたのは、日の光を浴びて炎のように煌めく赤い髪。腰まで届いているストレートの艶のある赤髪は、別に確かめたわけでもないのに枝毛など無いことを確信させるほど美しかった。目も鼻も耳も肌も、欠点を見出すことなど出来ようもないほど整っている。

 美人だ。ありきたりな形容詞など必要ないほど綺麗な女性―――――そんなことどうでも良い。

 このような赤い髪の持ち主は、人間にはいない。また、腰にある双剣は城の兵士が使う鉄の武具とは比べ物にならないほどの輝きを放っている。

 このことから分かる事は、彼女はスピリットなのだ―――――そんなこともどうでも良い。

 リュートはこの美人の口元に目を奪われた。いや、奪わされた。

 その美人はとても大きなフランスパンを咥えていたのだ。

 目も覚めるような美人が、大きなフランスパンを咥えて、じっとこちらを見ている。

 美人フランスパンに動く様子は無く、こちらが何らかのアクションを取らなければいけないような気がするが、はたしてどう行動すればいいのか分からない。

 様子を見ること10秒。ようやく、フランスパン系美女は喋ってくれた。

 

「はひゃにゃが、わひゃひほあひでひゅか?」

 

 何を言っているか分からない。

 本来なら笑えるような場面だが、ギャグをやっている方があまりに真剣な顔をしていて、さらには美人だからシュールという言葉が良く似合った。

 

 ―――――今日の晩御飯なんだろう? 

 

 現実から逃げるように思考を此方へと飛ばす。

 遠い目をしたリュートに、フランスパン入り美女(卑猥ではない)はパンを離した。

 

 ああ、これで言葉が通じ――――

 

「貴方が、私の愛ですか?」

 

 通じない! 理解不能!!

 

「……変です。愛が始まりません」

 

 変なのはお前の方だろ!! 愛って何だよ!? 愛って!?

 

「そうでした。見せなければいけなかったです」

 

 リュートの心の突っ込みを無視して、美女は一人で納得したような顔になり、ズボンに手をかける。そして、そのまま手を下に動かした。

 

「うわあ! 何をやっているんですか~!」

 

 リュートは咄嗟に美女の手を掴んで止める。

 

「はい、貴方にパンツを見せようと思いまして」

 

「何故に!?」

 

「愛ゆえに」

 

 言葉は通じない。いや、通じてはいるのだが、意味が分からない。

 このままでは目の前に美女のパンツが現れてしまう。リュートは優しく良識ある少年だった。こんなところで女性がパンツ丸出しになれば、明日からこのスピリットは町を歩けなくなる。ちらほらと周囲に人影はあるのだから。

 しかし、そんなリュートの思いとは裏腹にゆっくりとズボンは下がっていく。

 リュートが顔を青ざめる。その時だ、

 

「本当に何やってるの!!」

 

 そんな声が聞こえたかと思うと、ガツンという鈍い音が聞こえた。

 フランスパン系の美女は頭を押さえて痛そうにしている。その後ろには拳を振り上げている赤髪ショートカットの美女がいた。

 助かったとほっと息をついたリュートだったが、すぐに表情を強張らせる。

 

 今のこの現状を他者にはどう見えるか。

 美女のズボンを脱がそうとする変態少年。実際は逆なのだが、普通そう考える事はできないだろう。

 

「ち、違う!! これは……だから!」

 

「分かっています。本当にウチのナナルゥが迷惑を掛けて……申し訳ありません」

 

 赤いショートカットの美女がすまなさそうな顔で頭を下げる。そして、ナナルゥの方に振り向いて、キッと鋭い目を向けた。ナナルゥもほんの僅かに恨めしそうな目で赤いショートカットの美女、ヒミカを見据えた。

 

「ヒミカ、いきなり何をするのですか」

「それはこっちの台詞よ! 一体何をしようとしていたの!!」

「ですから、ズボンを脱ごうとしていたのですが」

「どうしてよ!? ヨコシマ様菌にやられちゃったの!? それが愛なの!?」

「しかしこの本では、女性がパンを咥えたまま対象に体当たりをして動きを封じ、さらに下着を見せ付ける事によって愛が始まったと記してありますが……」

「一体何処から突っ込めばいいのよ!!」

「突っ込む? 突っ込むのは1ページ後の、ベッドシーンからなのでまだ早いと思いますが」

「たった1ページでどうやってそこまで進んだの!?」

「それは拉致監禁――――」

「もういい! 何も聞きたくない!」

「最近夫の帰りが遅い。ざわめく心。疼く体。目の前に現れた幼さを残した少年に爆発する欲望。そして拉致監禁」

「って! 女性の方が拉致したの!? しかも既婚!! なんてアブノーマルな!!」

「女性の持て余していた情欲とテクニックの前に、純朴な少年はすっかり骨抜きにされ、二人は共に暮らすことを決意します。しかし、その為には夫が邪魔。二人は協力して夫を殺害しますが、そこにばっちゃんの名をかけて、という名探偵が現れて」

「色々まてい! とりあえず、貴女に夫はいないでしょうが!!」

「ならヨコシマ様で」

「それじゃあ彼が死んじゃうでしょう!!」

「ああいえばこういう」

「誰のせいよ~!!」

 

 そんな会話を、リュートは離れてこっそりと観察していた。

 

(あれがスピリットなのか)

 

 イメージが音を立てて崩れていく。

 別にこれがスピリットだ、という確たるイメージは持っていなかったが、とにかく色々と違うとだけは思った。なんかもうスピリットなんてどうでもいいじゃん、となんだか投げやりな気持ちになるリュートだったが、ぶるぶると頭を振った。

 

(きっと、あの二人はスピリットの中でも凄い変わり者なんだ!)

 

 リュートの頭の中で、ナナルゥとヒミカの二人は例外と位置付けた。

 もしヒミカがこの事を聞いたら、きっと『どうして私が』と涙するだろう。

 

「うん。見なかった事にしよう」

 

 自己防衛本能がしっかりと内臓されている少年は、正しい選択肢を選べたようだ。ナナルゥ達からこっそりと離れた。

 とりあえず、今さっきのは無かった事として再度スピリットとは何なのか、探求の旅に出ようと歩を進める。リュートは何だか楽しかった。禁忌とされているスピリットに近づくことが。定められた規約に反発する火遊びに似た快感。少年の足は独りでに歩き出しそうなほどウキウキしていた。

 しばらく歩くと、また一人のスピリット見つける事ができた。

 

「すいませ~ん! お財布落としましたよー!」

 

「おお! どうも済まないねえ!」

 

 黒髪でツインテールの少女が、落とした財布を拾って持ち主に届ける。落とし主の壮年の男は人好きそうな笑顔を浮かべて財布を受け取るが、少女の腰にある刀に気づき、スピリットだと分かると途端にしぶい顔になった。

 

「抜き取ってないだろうな」

 

「そ、そそそそんな事しないですよ~!」

 

 男がスピリットの少女に詰め寄る。黒髪のスピリットは可哀そうなほど顔を青くしながら、ぶるぶると首を横に振った。

 こういうことがあると、話には聞いていた。スピリット相手に商品を売らなかったり、間接的な嫌がらせをすることはよくあることだと。まあ、良くあると言ってもスピリットと人間がコミュニケーションを取る事など滅多になく、商人や兵士が必要最小限に付き合うだけらしいのだが。

 

「そのスピリットは、ただ貴方の財布を拾っただけですよ。僕が見てました」

 

 リュートはそっけなく言った。

 別にスピリットに優しくしようなどと考えたわけではなかった。ただ、正義を為そうと思っただけのこと。そう自分に言い聞かせる。

 男はばつの悪そうな顔をして、すまないと『リュート』に頭を下げてその場から足早に去って行った。

 実際に疑ったスピリットに謝らない男を、リュートはどこか滑稽に感じて口元を歪め、しかし、もし自分が同じ立場だったら頭を下げることができただろうか、と考えると少し恥ずかしくなった。

 

「あ、ありがとうございますぅ! 助かりました!!」

 

 黒のツインテールをふりふりと揺らし、花のような笑みでブラックスピリットの少女、ヘリオンがこれでもかと頭を下げる。

 おどおどしているが賑やかそうな子だ。それがリュートの第一印象だった。

 

「こんなに親切にしていただいたのは初めてです!」

 

 本当に感激しているようで目がキラキラと輝いている。リュートは気恥ずかしさと、居たたまれなさを感じた。

 悪いのは人間の方なのに、こんなにも感謝されるのは変だと思ったのだ。

 

「違う! 俺はただ、正しい方が謝っているのが可笑しいと思っただけだ!!」

「ひゃ、ひゃい! すいません!!」

 

 リュートの照れ混じりの大声に、ヘリオンはまた涙目で謝る。別に怖がらせたいわけじゃないのにと、唇をへの形にした。

 

「まったく……お前みたいな怖がりが、本当に戦ってるのか? 」

 

 スピリットとは戦闘奴隷。職業は戦士だ。本当にこんなおどおどした女の子が剣を振って敵と戦っているのか。どうにも納得がいかなかった。

 

「戦いは怖いですよぉ! とっても! でも、私はスピリットだから」

 

 まただ、とリュートは思った。

 スピリットだから。

 まるで呪文のように何度も何度も繰り返しに出てくるその言葉。

 人間どころかスピリットすら同じ事を言う。まるで呪文だ。

 どこか得体の知れない薄気味悪さを感じて、背筋が寒くなった。

 

「私は、今日の事を絶対忘れません! ありがとうございました!!」

 

 何度も何度も頭を下げ、彼女は去った。リュートは思わず手を振りそうになって、慌てて自戒した。

 

「手前からも礼を」

 

「うひぃ!」

 

 いきなり後ろから声を掛けられて、思わず変な声を出すリュート。後ろに振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。銀色のツンツン頭で褐色の肌。まるでパーティードレスのようなピンクのワンピースに、何故かその上に鉄の肩当てや胸当てをするというファンキーな、もしくはクレイジーとも言えるファッションである。

 しかも良く見ると、ワンピースの下には黒のレオタードのような物を着ているではないか。

 親の仕事柄、多種多様な服や鎧を見てきた。だが、これは正に何が何だか分からない。一体何の目的があるのだろうか。

 

 リュートは自分が、どこか緊張していると理解した。思わず伸ばしてしまった背筋と、揃えてしまった足がその証拠だ。格好は変だが、目の前の女性が纏っている空気がどうにも尋常では無い。迂闊に手を出せば切られそうな、そんな空気を纏っている。

 女性はじっとリュートを見つめる。女性の方も、どこか緊張しているようにも見えた。

 

「今日は良い天気です」

 

 かけられた言葉は、平凡すぎるほど平凡だった。リュートの緊張が僅かに解けて、そうですね、と返事をしようと思って空を見上げたが、そこで言葉が詰まる。

 朝こそ晴れていたが、今はどんよりと曇っていた。

 それに気がついた女性は少し困った顔になる。

 

「このぱた~んは想定していませんでした……どうしたらよいでしょう」

 

「どうしたらって言われても」

 

 そもそもどうしたいんだよ!

 

 緊張が解けるどころか、脱力してしまった。

 不思議な格好良さがある女性だと思ったが、どこか間抜けに見えてしまう。

 

「では、井戸は近くにありませんか?」

 

「なんで井戸なんか」

 

「はい。井戸端会議なるものをしたいと思いまして」

 

「……あの、井戸端会議って別に井戸のそばでやるってわけじゃあ」

 

「なんと! そうだったのですか……困りました」

 

 女性は首をひねる。普通に困っているようで、う~んと唸っていた。どこか幼く見えて、リュートは込み上げてくる笑いをかみ殺すのに必死だった。

 

「すみませぬが、話のねたがなくなったようです。手前はこれで失礼させていただきます」

 

 女性は軽く会釈すると、無駄のない動作で人ごみの中に入っていく。容姿と服装からかなり目立ちそうなものだが、どういうわけか風景のように溶け込んで目立たない。そうして女性は消えていった。

 一体何だったのか。よく分からないけど、ただの一般人ではない。

 謎の女性、現る。秘密や陰謀の匂いに、少年の空想は羽ばたいた。

 なんだか今日は面白いことばかり起こる、と心が弾む。

 

 さあ、まだまだスピリット探求の旅に出発だ!

 

 意気揚々と足を前に出し、転んだ。手に持っていた凧を庇って、思い切り地面に体をぶつける。

 

 頭の中を洪水が流れた。風が吹いた。地が揺れた。人智を超える天変地異が吹き荒れた、

 抱いた疑問や疑念。そう言ったものが洗い流されていく。先ほどあったスピリット達の顔も、今はぼんやりとしていてよく思い出せない。

 あれ。どうして思い出せないのだろう。そんなに強く頭を打ってしまったのか。

 そんな疑問も生まれたが、次の瞬間にはそれも消えた。

 そして、スピリットに対しての答えが生まれる。

 なんで俺がこんなにも考えなくちゃいけないんだ。相手はしょせんスピリットだ。スピリットだから、どうせ嘘だ。そうに決まっている。

 そんな結論を出すと、急にリュートの頭はすっきりした。何故かは分からない。

 ただ、不思議と気分が良くなった。まるで、それが当然であるかのように。一体先ほどまでの思考と苦悩は何だったのかと、嘲笑うかのような感覚だった。誰に、どうして嘲笑われるのかは定かでは無いが……

 手に持っている凧と呼ばれた道具に力を込める。

 

 汚れたスピリットが持っていたものだ。こんなものを持っていたら、こちらまで汚れてしまう。しかも、自分で作ったなんて嘘を付いたスピリットだ。こんなもの壊さなければいけない。

 

 凧に力を込める。ミシミシと凧が鈍い音を立てる。もう少しで壊れる、そこまできてリュートは凧に文字が彫られている事に気づく。

 そこには小さく、こう記されていた。

 ウルトラシアー第三号と。

 

「あいつが……これを作ったんだ」

 

 嘘なんかじゃなかった。

 確かにこれはスピリットであるシアーが作ったのだ。

 ネーミングセンス悪くないか、などとも思ったが、それは口に出さない。

 

「どうすれば……」

 

 またしてもリュートは頭を抱えた。

 向こうに非があると思ったのに、非があったのはこちらだった。誰が何と言おうと、自分が悪い。

 例え親が、先生が、神であっても、誰がなんと言おうと俺が悪かった。そう強く思う。頭がまたずきずきと痛んだが、胸の内はすっきりしていた。

 

「謝らなきゃ……」

 

 こちらが間違っていた。だから謝らなきゃいけない。

 純粋で、少年らしい正義感を持っているリュートは素直にそう思った。

 だが、その思いはすぐに価値観の壁にぶち当たる。

 

 人間である自分が、スピリット相手に謝る?

 ありえない。下等な奴隷相手に頭を下げるなど。

 

 尊敬する親からも、教師からもスピリットに謝るなど教わっていない。そもそも常識として、奴隷に頭を下げるなんてありえなかった。だが、両親からは悪い事をしたら謝りなさいという教えを受けている。女の子には優しくと言われている。リュート自身もシアーに謝りたいと思っていた。しかし、相手は奴隷戦闘種族スピリット。

 一体どうしたらいいのか。

 生まれてきて12年。素直に正しいと思う事を実践してきたリュートにとって、何が正しいのかが分からないという事態は始めてと言えた。どちらかが正しいとしたら、どちらかが正しくないという事になってしまう。

 う~ん、と腕を組んで考え込むリュートだったが、

 

「美人の姉ちゃん~~!!」

 

「いい加減にしろ~~!!」

 

「んぎゃあーー!!」

 

 突然響く叫び声に現実へと引き戻される。

 一体今の悲鳴はなんなのかと、声のした方を見てみる。すると、一人の男が女性にちょっかいをかけて、殴り飛ばされていた。地面に沈む男を見て、女性はふんと鼻を鳴らし去っていく。

 ただのナンパかと、興味を失いかけたリュートだったが、よくよく見るとそれはただのナンパではなかった。

 ナンパ男は、馬鹿にされても、殴られても、無視されても、めげずに女性に声をかけ続けている。それは踏みつけられても踏みつけられても、挫けず伸びようとする雑草に似た輝きを持っていた。もしくは変態だった。

 

「つーか……またあの人は」

 

 リュートの顔が険悪に歪む。すたすたと大股でナンパ男の前まで進み、グッと胸を大きく張って目の前の男に声をかけた。

 

「何やってんですか、ヨコシマさん」

 

「くっそ~! 今日は調子が悪いな……なに、いつものことだと! いつもは100人に一人は話ぐらい……別に哀れじゃないわい!!」

 

「聞いてください!」

 

 大声に、ようやく青年―――横島は気づいたようで、じっとリュートを見つめて、

 

「なんだ、どこかで会ったか坊主」

 

 こ、この人は!!

 

「リュートです! 家には何度も来てるじゃないですか!!」

 

「ああ、そうだった。ところで、おやっさんの調子はどうだ。スク水の作成は!」

 

「似たような繊維か無いってぼやいてました。エーテル加工の布なら近い物が作れるって言ってたけど……」

 

「じゃあ、いいだろ」

 

「何言ってんですか。エーテル製の服は鉄製の鎧よりも頑丈なんですよ。どれだけ希少価値が……大体、原材料がマナである以上、とても高価。さらに設計図があるわけでも無いし、個人で作るには無理があります」

 

「う~ん……じゃあ古着の集まり具合はどうだ。女性用のアクセサリーとか小物とか」

 

「いくら家にそういう方向の人脈があるって言っても、何十着もの古着なんてそうそう集まる物じゃありませんよ。着れなくなっても、雑巾にだってできるし、焚き火の原料にだってできるんですから。アクセサリーだって貴金属の類は磨けばまた輝くし、大切な思い出の籠ったものを早々手放す訳ありません。

 そんな事も分からないんですか」

 

 リュートの言葉にはいちいち棘は混じっていた。表情も少年らしい燦燦とした清潔さが抜けて、しかめっ面になっている。

 基本的にリュートという少年は真面目で礼儀正しい。そして心が広く、好奇心が強いため何事にも寛容な少年だったから、何かを極端に嫌うということは少なかった。だが、エトランジェ・ヨコシマだけは別。なにせ初めてリュートの家を訪ねたとき、いきなり母親に飛びついて口説いたのだ。そして父親に殴られて、涙目でごめんなさいと地に頭をこすり付けた。

 軟弱でにへらにへらと笑い、女好きで恥知らずな言動。誇りも羞恥心も全くない。

 こんな男がいるのかと、リュートは軽いショックすら受けたのだ。

 それから少し話したが、とにかく生理的に受け付けず、リュートは横島の事が嫌いだった。

 リュートの容赦のない口撃は続く。

 

「『変態』のヨコシマ」

 

 ぼそりと、リュートは軽蔑の声で言った。小さい声だったが、ギリギリで聞こえる程度には大きかった。

 

「そうです! 私が『変態』のヨコシマ……変態ってなんじゃあーー!!」

 

 いきなり変態呼ばわりに変態……もとい、横島が絶叫する。

 

「街での噂です」

 

 二人いるエトランジェの内、一人は変態らしい。

 女を見ればいきなり飛びついてくる奴だ。

 赤いバンダナをしている。

 奇声を上げる。

 女風呂を覗く。

 顔がやらしい。

 空から降ってくる。

 視線で女を妊娠させる。

 エトセトラエトセトラ……

 悠人と違い、普通に街に出て住人たちとコミュニケーションをとっている横島にはそんな噂が流れていた。

 大体合っているというのも何だか凄い。

 

「な、なんつー二つ名だ……ちょっと若いリピドーが押さえられないだけだってのに!」

 

 がっくりと肩を落とす横島の姿に、『天秤』は呆れた声を出した。

 

『やれやれ、『変態』のヨコシマ……とはな、余りにも似合いすぎて……いや、待てよ』

 

 『天秤』はその二つ名が示す意味を考えた。

 スピリットやエトランジェの二つ名は大抵、神剣の名前で決まる。

 悠人なら『求め』という神剣を使うので、『求め』の悠人

 アセリアなら『存在』という神剣を使うので、『存在』のアセリア。

 例外として、ラキオスの青い牙や漆黒の翼のような二つ名もあるが、基本的には神剣の名が基準となる。

 横島の場合には、『天秤』の横島。そう呼ばれるはずなのだ。

 しかし、実際は『変態』の横島と言われてしまっている。

 つまり、その理屈で行くと……

 

「そうだ、一回でいいので、貴方の神剣見せてくれませんか。『変態』ってどんな剣なんです」

 

 そういうことになるのだ。

 『天秤』の名前は、町の中では『変態』と噂されていたのだ。

 その事実に、『天秤』はガガーンと衝撃を受ける。

 

『へ、変態? 私の銘が変態!?』

 

「いやあ~ぴったりだな~」

 

『何がだ! 名誉毀損で訴えるぞ!!』

 

「なに言っているんだよ。ロリでペドで触手なお前にはピッタリだと思うぞ」

 

『だから! それは勘違いだと何度言ったら――――』

 

 『天秤』の声は横島とエニ以外に聞こえない。

 リュートには横島が一人で喋っているようにしか聞こえないのだ。

 本当に変態だと、リュートは辟易した。

 

「はっきり言って、それだけで済んでるってほうが不思議です。もう少しヨコシマンを見習ったらどうですか」

 

 ヨコシマンとは、一ヶ月ほど前に流行り始めた紙芝居に出てくるヒーローの事だ。

 ヨコシマンとパートナーのミカ・レイ、それに助手のおキーヌの三人で繰り広げられる痛快活劇。お共に白いイヌと金色のキツネなる動物を従えて怪物相手に立ち回り、強気を助け悪を挫く。笑いあり涙ありの物語で、子供は勿論、大人も楽しめる。物珍しさも手伝って話題性はかなりものだ。さらに、見ている子供達にはお菓子が配られるなど、その人気は確実に広がっている。

 リュートもヨコシマンは好きだが、それ以上に好きなのは配られるお菓子だった。その中でも大人気なのは、出所不明の極少数のお菓子。そのお菓子はどの店にも売られておらず、誰かが個人的に作っているのだろうが、やはりそれも謎に包まれている。

 そもそも、その紙芝居の店自身に謎が多い。

 何処からともなく現れて、物語を語って、何処かに去っていく。目的は不明だ。

 周囲に人が集まるため、商店街では『店の隣にこないかな~』なんて思われている。

 ヨコシマンの物語にも鉄の車や動く絵など、聞いたことも考えたこともないビックリドッキリメカが現れるなど、斬新な発想が随所に盛り込まれていて不思議なリアリティがある。

 ヨコシマンにはモデルとなった人物がいると噂があるが、それが誰なのかは一切の謎に包まれている。

 つまり、殆どが謎なのだ。

 

 まあ、それはさておき。

 

 容赦の無いリュートの蔑みオンパレードに、横島は流石に腹が立ったようで、威嚇するようにギロリと睨み、大人の威厳を見せようと胸を張り凄んだ。実に大人気なかった。

 

「もう少し目上の者を敬えんのか!」

「子供でも敬う相手は選びたいですから」

「かっ~~! なんつー憎たらしいガキじゃ!!」

 

 顔を赤くして激昂する横島。それを呆れた目で眺めるリュート。その様子を通りすがりの通行人は、「また馬鹿やってるよ。あのエトランジェ」という顔で見つめていた。それは嘲笑というよりも、失笑や苦笑の類である。

 横島は完全に町中に溶け込んでいた。ある意味、ラキオス城下の風物詩といっても過言ではないだろう。当然だが、良い意味ではない。

 やれやれと呆れていたリュートだったが、ここであることに気づいた。この男ほど、スピリットに近づいている人はいない。

 ある意味、一番スピリットに近い人物だ。

 スピリットを調べるなら、この男に聞くのが手っ取り早いのではないかと。

 

「ヨコシマさんはシア……じゃなくて、スピリットと一緒に暮らしているんですよね?」

 

「……そうだけど、なんだよ?」

 

「スピリットって……その……どういう感じですか」

 

「美人で可愛い!」

 

 この男の脳みそにはそれしか詰まっていないのだろうか?

 リュートの呆れは頂点まで達したが、納得はできた。

 あのシアーというスピリットは、今まで見てきた同年代の女の子達の中で一番可愛いだろう。

 正に人間離れした美しさと言える。思わず見とれてしまうほどだ。

 シアーの事を思い出したリュートの胸は、ドキンと強く脈打った。

 

「それだけじゃないぞ! スタイルだって良いし、料理に洗濯と家事全般が基本オールオッケー!! 嫁に来い来いスピリット!! その中でも一番はハリオンで、反則的な胸を―――」

 

 横島の独白は続いている。

 道の往来でスピリットは可愛いだの、スリーサイズだの、大声で撒き散らす。

 こんなことをやっているから、『変態』のヨコシマなんて二つ名が広まるのだろう。

 付き合っていられないと、リュートはそそくさと離れた。これが同じ男なのだと思うと、こちらの方が恥ずかしくなってくる。

 こんな男と話していても得るものはない。

 横島をその場を後にして歩きだすリュート。

 

「つまりだな俺が言いたいことは、スピリットだろうが、人間だろうが、可愛い女の子は最高だと――――」

 

 スピリットだろうが人間だろうが。何故かその言葉が、リュートの耳にこびり付くように残った。

 

(シアーに会いたいな)

 

 シアーの顔を、声を、手のぬくもりを、見たく聞きたく触りたくなった。

 歩く速度が上がり、手は拳を作り、胸は熱くなる。何かが芽生える。

 それが何なのか、リュートはおぼろげに理解して、いてもたってもいられず走りだした。

 

 

 

 その頃、シアーは一人で町をさまよっていた。ビクビクと震えながら、まるで人ごみの中に投げ出された小動物のように。

 

「へっへー! シアー、タコってどんなの! 早く遊ぼうよ!!」

 

 凧と、そしてできるはずだった友達を無くして帰ったシアーを出迎えたのは、姉のそんな一言だった。

 姉にはいつも助けて貰ってばかりだった。

 だから、姉に喜んで貰いたかった。なにより、見たかった。自分の手で作ったものが、大切な人を喜ばして笑顔にするところを。

 一から作り直す事はできただろう。しかし、それには時間がかかる。

 その一心で恐怖を打ち払い、凧を取り戻しに町までやってきた。あの凧を返してもらおうと。

 しかし、そこはやはり悪意の巣窟であった。

 大通りで人が沢山歩いているというのに、シアーの周辺だけがぽっかりと空いている。

そして、あちらこちらから、シアーの心を傷つける嘲笑と侮蔑の声が、ひそひそと聞こえてくるのだ。

 無数の悪意がシアーの全身に襲い掛かる。

 見えない刃物で全身を切り刻まれているような感覚に、シアーは全身を震え上がらせた。

 

(恐い……恐いの!)

 

 こうなることをシアーは知っていた。それでも小さな勇気を奮いあがらせて町までやってきた。

 しかし、そんな小さな勇気が多くの悪意の前に押しつぶされかけている。

 

(ネリー……ヨコシマ様……ユート様……誰か助けて!!)

 

 心の中で助けを求めるがそれに応えられるものはいない。

 ついに限界が訪れる。

 シアーは目を閉じ、耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んでしまった。

 

 この場から消えてしまいたい。

 

 スピリットであり、何より心優しいシアーは周りの人間たちが消えてくれなどと思うことが出来ない。草食動物の子供が肉食動物の群れに紛れ込んだように、シアーは泣いて、鳴き続けた。助けて、助けてと。

 

 この人間たちは何をやっているんだろう。

 

 その場面を見て、リュートはただそう思った。特に何かしたわけではない一人の少女を大の大人たちが囲み、ひそひそと陰口を叩き合っている。無論、スピリットは国の所有物であるから、直接何かをするわけではない。だが、そうした直接的な暴力がないからこそ、見えない悪意が多く渦巻いていた。それは醜悪で、腐臭を放つ汚物のようで、その全てが泣いている一人の少女に送り込まれている。

 

 醜かった。リュート自身が持っている正義感と親から教え込まれた倫理観がむくむくと大きくなる。

 助けなければ。

 そう考えて足を進めようとしたが、数歩だけ歩いて足が止まった。

 リュートは聡明だった。

 もし、この場でシアーに近づき助け出したりしたら、どのような目で見られるのかを理解していた。スピリットと仲良くなんかなれば、どれほど白い目で見られるのか想像に難くない。親、友達、同級生、その全てに絶交される可能性すらある。

 

(そうだ。後から慰めてやればいいんだ)

 

 それは一つの妥協。己の名誉と正義、それにシアーを守るという二つの目的を達する上で必要なこと。

 この時、リュートの脳裏に二人の男がよぎった。父と横島だ。

 あの変態男なら、きっと己の名誉など気にせずにシアーを助けに向かうだろう。父も、男なら女を守ると言って、愚直に進むであろう。まったく性格は違うが、やることは同じだ。

 父に近づきたい。そして、あの変態に負けたくない。

 少年は一歩を踏み出す。

 

 ――――――俺は、男だ!!

 

 キッと眉を吊り上げ、頬を引き締め、唇を硬く結ぶ。自分が信じる、強き男の顔を作る。

 人だかりの間を強引に進む。進めないときは、プライドを捨てて股座の間を潜り抜けた。遂に泣いているシアーの前に立ったとき、周りから痛いほどの視線が送り込まれてくる。何人かは早く引き返せと言っている。親切心からだろう。しかし、そんな言葉でこの少年の心を動かすことなど出来るはずもない。

 俺はお前らとは違うんだと、自信と確信に満ちた表情だった。

 

「おい、シアー。大丈夫か!」

 

「ふぇ……」

 

 濡れた青い宝石のような瞳で、シアーはリュートを見上げた。見た目の愛くるしさも相当なものなのに、涙目の上目遣いという反則コンボまでそこに加わる。

 

(やっ、やっぱり可愛い~~!!)

 

 心の中で絶叫する。こんな場面で不謹慎とは思ったが、可愛いものは可愛かった。気恥ずかしさからそんな言葉はもちろん出さない。しかし、顔は赤くなり珍妙に歪む。本人は真面目で格好良い表情を作ろうしているのだが、どうにもにやけてしまっているからだ。

 

「リュート君!!」

 

 すがれる存在を見つけたシアーの行動は、とても単純だった。

 全ての力を使って全力で抱きつく。

 体の割には育っている胸を存分に押し付けた。

 12歳。

 男の子が、男に目覚め始める微妙な時期。

 

「シアー! 落ち着いくああ柔らかくて良い匂いで~~!!」

 

 女の子特有の匂いと、膨らみ始めた果実を押し当てられ、リュートは情けないほど混乱した。

 格好良く、頼れる男のイメージを作ろうとしたリュート少年の目論見は脆くも崩れ去った。

 情けないと心の中で歯噛みする。

 しかし、シアーにとってはその方が好感を持てた。赤く不恰好に緩んだ、お世辞にもハンサムといえない崩れた顔は、シアーがだれより信頼している隊長にそっくりだったからだ。

 

 周りからの声が大きくなる。

 スピリットが人間に抱きつく。強引にでも引き離したほうがいいのでは?

 ざわざわと騒がしくなるが、その声はぴたりと止まり、人波がさっと割れる。そして、一人の女性が悠然と現れた。

 セリアだ。鋭い目でシアーとリュートを見つめている。

 

 ――――厳しそうだけど、優しそうな人だ。とっても綺麗だし。

 

 そんな感想を持ったリュート少年は、自分が恥ずかしくなった。

 リュートは少年らしい少年で、女性を見て綺麗とか美しいとかを思うことを背徳的であると信じていた。今日はもう何回、女性相手にだらしない顔をしてしまったか。悔しくて情けなかった。

 

「こんにちは。リュート・タナーです」

 

 そんな心中をしっかり隠し、大きめの声でしっかりと挨拶をする。

 挨拶されたセリアは目を見開いて驚いた。カミソリのような鋭い目や口元は柔らかくなり、瞳は揺れる。どうにも困惑しているようだ。

 

「リュート君は、シアーを守ってくれたの」

 

 その言葉にセリアは目を見開く。

 

「何故ですか? リュート様、あなたは人なのに」

 

 その問いに対するリュートの答えは決まっていた。

 

「正しいと思う事をしただけです」

 

 毅然と言う。それは確かに事実だった。真実とも言えないのだが。

 セリアは一瞬、体を震わせて嬉しそうな、しかし泣きそうな顔に変化したが、すぐに無表情に戻る。

 

「ありがとうございます。しかし――――」

 

 その時だった。

 

「は、早い! なんだこいつは!?」

「きゃー! スカートが一瞬で捲られて!?」

「奴だ! 奴が来たぞー!」

 

 人間たちを吹き飛ばし、土煙を巻き上げながら現れたのは、

 

「ぬおおお! セリアー!」

 

 顔をまっ赤にして、頭から湯気をたてた横島だった。セリアの名を叫びながら、目からは涙をだばだばと流している。セリアは、正直引いた。

 

「え、え~~と……ヨ、ヨコシマ様、一体どうしたんで―――」

 

「ショタか!? ショタなのか!? 止めろ、セリア! こんな子供がセリアを満足させられるわけが無い。セリアを満足させられるのはこの俺しかぶべら!!」

 

「ああ、まったく! 道の往来でトチ狂わないでください! この変態隊長!!」

 

 いつものようにセリアが横島を殴り飛ばす。だが、セリアは殴り飛ばした後、顔を青くした。人間達が周りにいるのを忘れていたのだ。

 スピリットが人間を殴った。それを人間に見られた。

 人間と言っても横島はエトランジェであるが、それでもスピリットが人間に近い存在に害したのである。

 

(処刑される!?)

 

 最悪の結末がセリアの脳内に流れる。

 全身から血の気が引き始めたセリアの耳に、周りの人間たちのひそひそ話が聞こえてきた。

 

「おい! あのスピリット、エトランジェを殴ったぞ」

「確かにな……でも」

「まあ、ヨコシマさんだからねえ」

「変態だし」

「もっとやっちまえ!」

 

 周りの人間たちから流れてきた言葉は、横島だったら殴られても良いという、とんでもない評価だった。

 

「ヨコシマ様……貴方は普段、どのような行為を街でしているのですか?」

 

 スピリットに殴られても横島だからで済まされるという、余りにも凄すぎる評価に、セリアはほとほとあきれ果てた。『変態』のエトランジェは町では人気が高いと聞いていたのだが、この様子を見るととてもそうは見えない。

 あくまで横島が一方的に女の子達にモーションを掛けて、その影響で間違った噂が流れたのだろう。実際には嫌われているのだ。

 そう、セリアは思った。

 実際、横島は嫌われてはいる。道行く女全てに声を掛けてナンパ、さらに奇声を上げる男が好かれるわけが無い。

 しかし、嫌われてはいるのだが、それだけではないプラスアルファがある。セリアはそれに気づけなかった。自分がそのプラスアルファを最も感じているのに。

 

 何はともあれ、セリアは横島の変態部分に命を救われた結果となった。

 何だかな~と、頭を抱えるセリアだが、すぐに気持ちを切り替える。目の前にいる少年とシアーに。

 

「リュート様……でよろしいですね? シアーの件は本当にありがとうございました。ですが、これ以上関わらないで欲しいのです」

 

「えっ? どうして……」

 

「理由など言わなくても分かるでしょう。今なら、まだ間に合います。私とシアーを罵って、急いでここから退散してください」

 

 そう言われて、リュートは己に向けられる視線が厳しくなっていることに気づいた。

 先ほどまで怪訝と気遣いの視線であったが、今は戸惑いと侮蔑、理解できないものを見る恐れの視線へと変わっている。

 

 ―――そんなもの! だからどうした!!

 

「僕なら大丈夫です。それにシアーは……」

 

 途中で言葉を切って、赤い顔でシアーを眺める。

 突然見つめられたシアーは、キョトンとした顔でリュートを見返す。

 すると、リュートはさらに顔を赤くしてそっぽを向いた。

 その一連の動作を見て、セリアはすぐ答えに到達する。

 

「一時の気の迷いでしたらおやめください。シアーも迷惑ですので」

 

 冷たく、冷めた声でセリアはリュートの想いを否定した。

 

「気の迷いなんかじゃ!」

 

「そうですか……では貴方は言えますか?

 『自分はシアー・ブルースピリットの友達だ』

 そのように言えますか? この人間たちの前で」

 

 人、人、人、人、人。

 周囲は人の山で囲まれていた。今まで見たこと無いほどの黒山の人だかり。

 

 言ってやるさ!

 

 自分は正義と誇りを持っているのだ。こんな、訳も分からずスピリットを虐げている連中よりも、自分はずっと上等な人間なのだから。

 リュートの、その思いに嘘偽りはなかった。

 大きく息を吸い込んで、胸に力を入れて、そこで動きが止まった。

 

 足は震え、喉は詰まり、意識がぼんやりする。

 一言も、発することができなかった。

 

 ―――――なんでだよ!! どうして、声が出せない!?

 

 リュートは心で叫ぶ。

 大勢の人の前で直に主張するという事が、一体どれほどの胆力を必要とするのか、ある程度の年月を生きたものなら分かるだろう。しかも、それが異端とされていることなら、不可能と言ってもいい。

 

 リュートは、子供にしては人並み以上に胆力を持っていたが、並み以上程度では無理なのだ。

 凍りついたリュートの姿に、セリアはほっと息を吐いた。

 

「貴方の感情うんぬんの問題ではありません。町の人間はこう思うでしょう。

 『リュートはスピリットを性欲の対象に見る変態だ』と」

 

 そのセリアの言葉に、リュートは顔を真っ青にした。支払う代償がどういうものか、その輪郭がはっきりして恐怖がさらに膨れる。シアーのほうが何だかよくわかっていないようだが、自分と仲良くすると大変な事になることぐらいは理解できた。

 

「人間がスピリットと付き合うという事は、周りから見ればそのように捉えられてしまうのです。今、こうやって話しているだけでも下衆な勘ぐりはあるでしょう。貴方自身の名誉が傷つけられます」

 

 セリアはこのリュートという少年が、そのような事を考えているとは思っていない。少し話しただけだが、純粋な心を持つ優しい少年だとすぐに分かった。この少年がこのままでは一生を台無しにするかもしれない。セリアは人間嫌いだが、だからと言って自分達の為に前途ある少年の未来を奪う気にはなれない。セリアは本当に優しいからだ。実はちょこっと下心もあるのだが、そこまでは分からなかった。

 

「貴方の為です……本当にありがとうございました」

 

 それだけ言うと、セリアはシアーの手を引っ張って無理やりリュートから引き離す。

 シアーは抵抗したが「リュート様の為を思うなら我慢して」と言われて、悲しそうに首を縦に振ってとぼとぼと歩き出した。

 その後ろ姿を、リュートは茫然と見送る。

 目的は達しただろう。勇気を持ってシアーを救い、自身の正義も守れた。なら、ここまでいいのだろうか。

 どこか引っかかりを覚えて、悶々とする少年の前に、横島が現れる。

 彼は明るく、しかし軽薄な響きを持つ声でこう言った。

 

「情けねーな。男なら、惚れた女ぐらい守って見せろ」

 

 カッとリュートの目が見開いた。

 

「あんた何かに言われなくても分かってる!!」

 

 吠えるように叫ぶ。横島に敵意のこもった視線を送って、しかし、本人も気づいていないだろうが、彼はほんの少し横島に頭をさげた。

 そして、すぐに去ろうとしているシアーを呼びとめる。

 

「シアー!!」

 

 思い切り叫ぶ。

 セリアに手を握られながら、シアーは不安そうに、だが期待籠った目をリュートに向けた。

 

「シアーは……シアーは!」

 

 大きく息をすって、

 

「シアーは、俺の友達だ!!」

 

 その声の大きいこと大きいこと。

 鳥も、人も、町も、風さえ動くことを止めた。さらに何処かで反響したようで、山彦となって響いていく。

 友達だ、友達だ、友達だ───

 響く自分の声が、リュートは少し恥ずかしかったが、それ以上に誇らしかった。

 

「リュート君!!」 

 

 シアーは呆然としているセリアの手を払って、思い切りリュートに飛びついた。笑顔も笑顔。この世全ての歓びを現したかのような笑い顔だった。

 

「お、おい! そんなにくっつくな……うああ、や、柔らかい~!」

「えへへ」

 

 少年少女の抱擁。

 その姿を、横島は眩しそうに、そして何処か――――本気で忌々しそうに見つめていた。

 

(格好良い!! 格好良すぎるわ、ヨコシマ!! 大人の男って感じよ)

 

 ルシオラがそんな横島の姿に拍手喝采だ。それが恋人の欲目かどうかは、各人で印象が異なると思われる。少なくとも、一人の女性は好意など持ちようがなかった。

 セリアである。

 この時、彼女は本気で横島を軽蔑し、憎んだ。

 

 ふざけるな! 貴方は、一人の人間の人生を破滅させたことを理解しているのか!

 

 これから先、あのリュートという少年は恐ろしいほど苦労するだろう。

 妖精趣味はこの世界で最も嫌われる禁忌。最悪の性癖。

 だから、妖精趣味の男たちは秘密裏にスピリットを捕らえ、慰み者にしていると言う話すら聞いたことがある。スピリットが国家の財産という事もあるが、妖精趣味であることがばれたら、それは社会的に終わることを意味する。だから秘密裏なのだ。

 もはや、リュート少年の事は隠しようも、誤魔化しようも無い。

 

「貴方は自分勝手なだけです。あの少年の輝く未来を奪った事を、何とも思っていない!」

 

 確かにこの男はスピリットに優しいのだろう。そういう世界からやってきたのだから。しかし、その為に他を犠牲にすることを厭わない。スピリットはどれだけ人間に虐げられようが、別に復讐など望んでいるわけではないのだ。

 

「惚れた女一人守れない男に、輝く未来なんてあるかよ」

 

 鬼すらも射殺すようなセリアの視線を受け止めて、横島は至極当然のように言った。気負いも意地も無い、平坦な声で。セリアは少し勘違いをしている。横島はしっかりとリュートの事も考えていた。少し違った方向で。

 彼はスピリットと人間の世間体などという問題ではなく、男と女の問題として捉えていたのだ。好きな女を守れなかった時の苦しみを、嫌というほど横島は知っている。あの苦しみをリュートには味あわせたくなかった。しかしそんな考えなどセリアには分からない。異世界、異種族、価値観の壁はやはり大きいのか。

 睨みを解かないセリアに、横島は困ったような顔をして、ぽつりと呟いた。

 

「……まあ、あれだ。必要な犠牲ってやつだ」

 

 セリアの背筋に嫌なものが流れた。怒りや軽蔑ではない。

 何か、純粋な狂気が目の前にある。常識を語るような横島の台詞に、気持ちが悪くなった。

 まるで、犠牲がなければ何も成せないようではないか。

 

(私の意図していた方向とは少し違うが、干渉の影響は出ているようだな)

 

 そんな横島の様子を、一本と一人はのんびりと観察していた。

 

(う~ん、これは……)

 

(ふっ、どうした。恋人が変わっていく姿が恐ろしいか)

 

 口元に手をやって、なにやら真剣に考え始めたルシオラに、『天秤』は得意そうに声を掛ける。ルシオラが苦悩して苦しむ姿を見たいのだ。達成感が胸を満たしていく。

 だが、『天秤』の思惑とは裏腹に、ルシオラは別な事に気を取られていた。

 

(ミスリード……そうだとしたら、あのロリ婆さんは本当にヨコシマを愛して、信じているということ?)

 

 信じられない、いや、信じたくない。ルシオラは頭を振って自分の推測を否定した。

 

(何を言っている!? 私を無視するな。横島の事が心配ではないのか?)

(ヨコシマは心配いらないわ。だって元々、男の人には厳しい人だから。それよりも……)

(何故、私を見る?)

(……貴方は気づいてないの? これだけ不思議な点が沢山あるのに。貴方は頭が良いのだから、少し考えればすぐに分かるはずよ。合理合理言っておいて、これだけ不合理……いえ、これが目的だとすれば……そういう風に出来ている? それとも後から調整可能ってこと?)

 

 ルシオラだけは、どこか別の、何かを見ているようだった。

 

「これは何の騒ぎだよ。シアーは見つかったのか?」

 

 白い羽織に針金頭。訓練で筋肉が盛り上がり、少しがたいが良くなった悠人がここで姿を現す。

 周りが急に静かになった。

 高嶺悠人は町に顔を出さないので、畏怖や恐れ等の、分からないものに対する恐怖と興味の対象にされていた。

 でも、そんなものこの男には関係ない。

 

「ドロップ、キィィッックゥゥ!!」

「ぐは! いきなり何をする、横島!!」

「うるさい。なんかお前が、バスト78センチ、ウエスト56センチ、ヒップ72センチぐらいの褐色肌の美人と歩いてたって感じがするんだよ!!」

「なっ!? ちょっと待て、お前はその美人が俺と歩いてたのを見たのか!?」

「霊能なめんな! 見なくとも分かるわ!」

「どれだけすごいんだよ霊能!? 大体、おまえなんかシアー探すのサボって、ナンパばっかりしてたんだろう!!」

「……そんなことないぞ?」

「バレバレだ!」

 

 二人のエトランジェは何だか馬鹿をやっていた。いや、馬鹿をやっているのは横島だけなのだが、それに付き合うほうも馬鹿になるのだ。

 伝説の勇者がエロエトランジェに主導権を奪われている姿に、人間たちはどこか期待を裏切られたような気がしたが、あの変態が相手ではしょうがないとも思っていた。

 

「よ、ようやく見つかった……」

「ヒミカ、何故そんなにも疲れているのですか?」

「誰の所為よ!!」

 

 今度はくたびれた様子のヒミカと、いつも通りのナナルゥが姿を現す。

 

「うう~、私って絡まれやすいのかなあ。最初にシアーを見つけて、なでなでしてもらう計画が~」

 

 ヘリオンも独り言をいいながら現れる。

 どうやら、彼女らもシアーを見つけようと城下をうろついていたらしい。

 

 続々とスピリットが集まり、さらにエトランジェがやってきて、人間たちの視線がリュートから横島たちに移っていく。

 横島は相変わらず煩悩に満ちた男で、集まった人間たちに良い女性を見つけたらすぐにナンパを始める。

 人間の女性は迷惑そうにしていて、ヒミカは言い寄る横島を必死に止めていた。

 

「やめてくださいヨコシマ様! うう、本当に、本当に申し訳ありません。ウチのヨコシマ様がご迷惑をかけて!」

「……そうね、迷惑だったわ。でも、貴女達よりはましみたいだけどね」

「え?」

「私の父はお薬売っているんだけども、胃薬を買う赤髪短髪のスピリットがいるって言ってたから。貴女のことでしょ」

「なんてこと……まさか私の胃の具合が知られているなんて」

「大丈夫だ! 俺の48の煩悩技、ゴッドハンドマッサージ(おっぱいもみもみ)で、極楽にイカセてやるぜ」

「うう、殴っちゃだめ! 叩いちゃだめ! お願いします! ユート様、助けてください」

「……分かった。どこまでできるか分からないけど、俺が横島を止める。来い! 横島!」

「分かった。サイキックソーサー!!」

「かはっ、ぁ…ぁぐ……っ!俺はまだ死ぬわけにはいかないのに…佳織……かお…り……」

「ああ! ユート様がやられちゃいました!!」

「さあ、これで邪魔者は倒しました! さあヒミカ二人で一緒にふたりエッチになろう!!」

「くう。右手が、私の右手がヨコシマ様を殴れと光って轟いちゃう!」

「性交するときは呼んでください。愛観察したいので」

「ああ、ナナルゥ。貴女は……もうだめなの?」

「あはは……これはしばらく胃薬作るように父に言っとかないと」

 

 いつのまにやら、人がスピリットに送る視線は柔らかくなっていた。というか、同情的に変わった。

 彼のギャグキャラとしての、その底抜けの陽性さが、空気を和らげる。

 これは横島の最大の魅力かもしれない。陰を陽に、闇を光に。シリアスからギャグに。

 無論、全ての人間たちがそうなったわけではなく、スピリットを極度に毛嫌いしている人間たちはその場から離れただけではあるが。

 

 賑やかになっていくその様子をリュートはぶすっとしながら眺めていた。

 面白くない。つい先ほどまで周り中の視線を集めていたのは自分のはずなのだ。だというのに、あの変態エトランジェが現れたら、みんなそっちに目を向けてしまう。

 

 だが、たった一人だけ、横島や悠人の騒ぎではなくリュートを見続けている少女がいた。シアーだ。

 

「あの……リュート君、お願いがあるの……」

 

「ん、なんだ。俺に出来ることなら何でも言ってくれ」

 

「う、うん。あのね……その」

 

 顔を赤くして、もじもじと手を合わせるシアー。

 男女のそれに免疫がなく、二次成長に入り、いささか有頂天になりやすい少年が、ちょっとした勘違いをした事を誰が笑えよう。

 

「あのね、その……ずっとお友達でいてほしいの」

「お、俺も! ……へ?」

 

 勘違いフライング。

 このフライングは永遠と彼の脳髄にまで残り、思い出すたびに柱に頭を打ちつけたくなる事は間違いない。

 恥ずかしさで震えるリュートの肩を、いつのまにやら隣に来た横島が乱暴に叩いた。

 

「いやあ~良かったなあ! 『ずっと』『友達』でいてくれよ!!」

 

 ニタリニタリと笑いながら、背筋が寒くなる撫で声でリュートに笑みを向けた。

 憎しみで人が殺せたら!!

 純な少年が初めてマジな殺意を抱いた瞬間である。

 

 そんな男たちのやり取りをシアーは不思議そうに眺めて、

 

「友達……ダメ?」

 

(これは反則だろ!!)

 

 それは正に絶対可憐乙女兵器。抗えない、というよりも、抗っちゃいけないと思わせる武器。

 少年は悲しき男の性に屈した。情けないと己をなじりながらも、どこか幸せそうなのは、それが世界の真実だからなのかもしれない。

 厚い雲も流されて晴れ渡り、夕焼けで赤く染まった町の中、少年と少女が手を握り合う影が生まれる。握る掌は小さかったが、それはきっともっともっと大きくなって、数を増していく事だろう。

 

 それから数日後。

 朝早くに二つの凧が飛んでいた。

 隣り合って飛ぶ凧の姿は微笑ましく、輝きと希望に満ち溢れている。

 今はまだ、たった二つ。

 しかし、その姿は未来と言う言葉を彷彿させた。

 

 



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第十五話 筋肉来たりて

『リクディウス山脈にて、マナ結晶の存在が確認された。スピリット隊はマナ結晶の探索に向かうべし』

 

 そのような命令書が第二詰め所の方に届いたのは早朝の事だ。届けられたといっても、いつの間にかテーブルに置いてあっただけ、というふざけたものであったが。

 その場には、朝食を作るために朝早くに起きてきたハリオンと手伝いのエニがいて、じっとその命令書を眺め続けていた。

 

「ねえ、マナ結晶って?」

 

 小首を傾けながら、なんとも愛らしくエニがハリオンに質問する。

 

「そうですね~簡単に言うと、マナが結晶化したものですね~」

 

 そのまんまだ。何の説明にもなっていない説明だったが、それだけでエニは分かったらしい。「なるほど~」と頷いていた。同じグリーンスピリット同士、何か通ずるところがあるのかもしれない。

 

「それで、マナ結晶ってな~に~」

 

 訂正。分かってなかったらしい。

 

「分かりやすく言うと~マナが結晶化したものですね~」

 

「なるほど~」

 

 このまま同じやり取りの無限回廊に落ちていくのか。

 そう思われたが、空気を察したエニが質問を切り替える。

 

「マナ結晶って、何に使うの?」

 

「砕いて、エーテルに変換するのが一般的です~。でも、砕かなければマインド値がアップですよ~」

 

「メタな話は危険だよ~」

 

「お姉さんですから~」

 

「なるほど~」

 

 何がなるほどなのか。メタ話は良いのか。

 横島がいればさぞ突っ込みを入れてくれただろうが、おっとりお姉さんと無垢な少女には突っ込みは無理だった。横島やヒミカ、『天秤』と言った存在がいてこそ彼女らボケ組は輝く事が出来るのだろう。

 

「う~ん……つまり神剣のご飯かな?」

 

「そうですね~そんな感じだと思います~」

 

 神剣のご飯、という答えに、エニはその思考を昨日に飛ばした。

 

 暗く、仄暗い牢獄。そこに、その陰湿な背景に似合わない豪奢な金髪があった。エニ・グリーンスピリットだ。窓もなく、松明の乏しい光以外に光源が無い牢獄は下手なお化け屋敷などよりもずっとおどろおどろしいが、エニはまったく物怖じした様子はない。慣れた足つきで歩を進め、一つの牢獄前で止まると、その牢獄の主に親しげに手を振った。

 牢獄の主――――ルルー・ブルースピリットは複雑な表情でエニを迎える。

 

「また来たんだ。あんまり牢屋なんかに来ない方がいいよ」

 

「うん! 今日は相談したい事があるんだよ!」

 

「いや、話を聞こうよ。まったく……でも、ありがとね!」

 

 牢屋にいる自分に、さも当たり前のように話しかけてくる少女、エニの姿に、ルルーは呆れとそれ以上に喜びを表した笑顔で応対した。

 最低でも二日に一回は来てくれるエニの存在は、ルルーにとって非常に救いだった。

 一人でいると、寂しくて、悲しくて、泣きたくなる。ボクは一人では生きられない人種なのだと、嫌になるぐらい理解してしまった。

 エニとの会話内容は様々だ。

 その日の食事や夢。日々の訓練内容やハイペリア(日本)の遊びなど、その内容は多種多様で纏まりは無い。中には軍事機密に関わるような部分もあり、ルルーはそういう事は話しちゃだめだと口をすっぱくして注意するなどもしていた。それはまるで妹を叱る姉のようにも見えた。

 

 しかし、エニはどうして来てくれるのか。

 一度、どうしてやってくるのかと聞いた事があったが、その答えが

「テン君に近いから」

 などという訳の分からないものだった。詳しく聞くと、自分はテン君なる男の子と似ているらしい。

 

 そんなにボクが男の子に見えるのか!?

 

 そんな風に怒鳴りつけたくもなったが、もしそう言って無邪気に頷かれたりでもされたら、その時は心に深い傷を負う事になるので結局何も言えなかったりする。

 

「ねえねえ! 男の子を喜ばせる方法って、何かないかな?」

 

「だから、どうして、それを、ボクに、聞くのかな」

 

「えっ? だってそれは中に」

 

「ああ分かった。何も言わないで! 言わないでったら!!」

 

 耳を塞いでイヤイヤと頭を振るルルーの姿を、キョトンとした顔で見つめるエニ。これを狙ってやっているのだとしたら、正に天性の女優だろう。

 ややあって、ルルーはようやく気を落ち着かせた。エニと会話するとどうにもペースが乱される。時々、この幼い少女が自分よりも遥かに年上のような、そんな錯覚さえ起こることがある。そんな事はあり得ないと分かっているのだが、どこか遠くを見ているような目をすることがエニにはあり、漠然とした不安を感じていた。

 

「そうだね、色仕掛けとかは……無理か。エニは小さいもんね」

 

 可愛いのは認めるが、色気は皆無だ。子供が大人の真似をしようとしても、それは滑稽なだけであり、優しい笑いを振りまくだけとなる。それはそれで周囲にとっては良いのかもしれないが、エニ自身にとっては不本意だろう。

 

「大丈夫だよ。エニの好きな人、テン君は小さい方が好きだから」

 

「そう……なんだ」

 

 ルルーとしては複雑な心境だった。エニが好きなテン君という男の子がいて、その男の子は小さな女の子が好きらしい。自分と似ている、という事は5歳ぐらい年が離れている事になる。

 5歳という年齢差は、10代の若者からすればかなりのものだ。場合によっては小学生と高校生ぐらいの違いは出るのだから。

 何か変な人じゃないだろうか。ルルーは不安になった。それとなく、テン君なる男がどういう人物なのか聞いてみる。 

 

「テン君? ええとね、エニよりも年下で、優しくて、純粋で、ギュッと抱きしめると真っ赤になって慌ててくれる可愛い子だよ」

 

 その答えに、ルルーは自分の想像が恥ずかしくなった。

 恐らく7、8歳ぐらいだろうテン君という少年と自分がどんな風に似ているかは知らないが、きっとママゴトのようなお付き合いなのだ。

 初々しくていいなあ、とちょっとだけ羨ましくなった。恋なんて感情、普通のスピリットは体験できない。ラキオスのスピリットは恵まれている。素直にそう感じた。

 なんとかしてこの小さい恋を成就させなければ!

 

「そうだなあ、手料理なんてどうかな?  独身男性は手料理に弱いって聞くよ」

 

「無理だよ。口が無いから、ご飯は食べられないって言ってたもん」

 

「ええ!! 食べられないの!? じゃあ、耳掃除とか……」

 

「耳がないから無理だよ」

 

 口が無くて耳が無い。食事も必要ない。どんな生物なのか。いや、それはもはや生物と言えるのか。

 なによりショックなのは、そんな生物が自分に似ている所だ。

 

「ボクに似てる……口が無くて耳も無いのに……ボクに似てる」

 

 一体エニの想い人はどんな化け物なのか。そして、自分はエニにどんなスピリットだと思われているのか。

 しくしくしく、とルルーは膝を抱えて自分の世界に入り込んでいった。

 

「う~ん……あんまり使えないな~」

 

 エニは目の前でブツブツと何かを言い続けるルルーの姿に、心底残念そうな声で残酷とも言える台詞を吐き出した。彼女の頭の中にあるのは、如何にして『天秤』との仲を深めるか、その一点だけである。それに『使える』と思ったのがこのルルーというスピリットなのだが、どうにも『使えない』のだ。

 もうここに来る必要は無いかもしれない。

 エニはポケーとした表情で、酷く冷徹な事を考えられる少女だった。それが出来るのは、彼女自身に悪気が無いからであろう。悪気が無いから、良心の呵責なども起こらない。

 結局、エニとルルーの話はそこで終了となった。ルルーが我に返ったとき、既にエニはその場にはいなかったから。

 

 これが前日にあったことだ。

 神剣でも食べられるものはある。その事実はエニの胸を弾ませた。自分たちだけ美味しいものを食べて、『天秤』は食べられない。その事実にエニはやり場のない悲しさを感じていた。その『天秤』が食べられるものがある。二人で一緒に食事することができたら、何て素晴らしい事だろう。

 

「よ~し、善は急げだよ!」

 

 チーズ、燻製肉、水。そういったものを集めて、なめし皮の袋につめる。

 

「それじゃあ、がんばって行ってくるよ!」

 

「は~い。がんばって行ってらっしゃ~い」

 ハリオンの声援を背に受けながら、エニは意気揚々と旅立った。

 突っ込みの不在が、やはり痛かった。

 

 

「エニがいなくなった!?」

 

「はい~」

 

 第二詰所の居間に横島の驚愕の声が響き渡る。周りには顔を険しくした年長組と、寝惚け眼の年少組がいた。その中でも目立つのは、顔に紅葉マークを貼り付けた横島と、服装が乱れて疲れきった表情のヒミカだ。詳しくは語らないが、ヒミカはさっき寝ている横島を起こしに行ったのだ。それだけで説明が事足りるのが横島の凄さだろう。

 テーブルには、焼きたての黒パンとクーヨネルキの乳に、サラダと果実、そして少量のクッキー。朝の爽やかな空気とパンの香ばしい匂いが交じり合って、今日一日を生きる活力を与えてくれる場が整っていた。しかし、それを享受できるのはまだ先になりそうだ。

 

「いなくなったって、一体何時から?」

 

「え~と~二人でご飯を作ったんですけど、行ってきま~すって言って行っちゃって、私は行ってらっしゃ~いって言って~」

 

「つまり、一時間も前に出て行ったってわけね。それを貴方は黙って見送ったと」

 

「違います~ちゃんと行ってらっしゃ~いって見送りました~」

 

 セリアの質問に、ハリオンは頬を膨らませて反論した。答えになっていないようで、やっぱり答えになっていない。

 

 なんだそりゃ、と皆呆れたが、ハリオンだから仕方がないか、なんて思ってもしまっていた。基本的にボケボケのお姉さんなのだ。横島としては胸が大きいから許すしかない。じゃあ、もしヒミカだったら許さなかったのか、と考えると、それもまた違う。ヒミカの場合なら、感度が良いから許すしかない、に変わる。

 結局、美人ならなんだって良いのかもしれない。

 

「リクディウス山脈に、マナ結晶を取りに行ったんだと思いますよ~。多分、『天秤』さんの為じゃないかと~」

 

 テーブルの上にある命令書を見て、横島は納得した。

 エニはここ最近、何かに急かされるように行動している。その行動の殆どが、『天秤』のためである事も横島は知っていた。

 一体何故マナ結晶を取りに行ったのか、考えるまでもない。恋する乙女の行動力は無敵に素敵に大胆なのだ。

 

「『天秤』、お前は幸せ者だよな」

 

『何の話だ。私とエニとマナ結晶がどう繋がる?』

 

 素でそう返してくる『天秤』に横島は苦笑する。もしも、エニが大人のお姉さんなら嫉妬魔神が誕生しただろうが、微笑ましい子供カップル相手に嫉妬する事はあんまり無い。とりあえず、目の前で腐ったラブコメをされなければ問題なしである。

 

(エニも大変ね。貴方みたいに鈍感な剣を好きになっちゃうなんて)

 

 ルシオラの方も、『天秤』の朴念仁ぶりには呆れていた。

 ボンクラな男をリードするお姉さん。それがエニだった。ハイぺリア風に言うならば、エニは肉食動物で、『天秤』は草食動物なのだろう。『天秤』は正に狩られる側だ。それも、狙われていることに気付いてすらいない無知で無垢な獲物。

 

「リクディウス山脈ですか……人の足で、五日もあればたどり着くぐらいの距離ですね」

 

「スピリットが全力で動けば半日も掛からないな……後で動けなくなるだろうけど」

 

 軽くランニングするだけで、車並みのスピードが出せてしまうのだ。もし普通に走れば新幹線ぐらいのスピードは出せるだろう。ただ、スピリットの身体能力は確かに高いのだが、持久力についてはそれほどでもなかったりする。速さに優れたスピリットなら音速状態での戦闘も可能だが、あくまでも瞬間的に出せるだけ程度でしかない。他にも、傷の治りは早い割には、体力の回復は遅かったりする。基本的にマナで構成された肉体は強いのだが長期戦に向かないのだ。

 そういう事情もあり、長期の移動で沢山の物資を持ち歩くときは、エクゥという馬に似た生き物で運ぶことが一般的だ。

 

「それではヨコシマ様、エニの事を迎えに行ってください」

 

 当然と言った口調で、セリアは横島に向ってそんなことを言う。何で俺が、と不満そうな顔をする横島だったが、今度は横からヒミカが口出ししてきた。

 

「勝手に一人で行動するなど、第二詰め所の隊員にあるまじき行為です。厳重に注意しなければいけないでしょう……当然、隊長が!」

 

 上の立場の者が下の立場の者に注意するのは当然だ。スピリットに階級は無い。古参であるヒミカやハリオンと、一番新参であるエニの立場は、まったく同じであったりする。この場合、厳密に上下関係を考えると、横島以外に適任はいない。

 

「いや、これから訓練もあるし、あの山はラキオス領内だろ。別に危険はないんだから、ここで取ってくるのを待ってた方が……」

 

「貴方が訓練しても無駄でしょう。ここに来たときから殆ど成長していないようですし。それに、絶対に危険がないとは言いきれません」

 

 セリアの断固とした言葉に、横島は完全に威圧されてしまった。

 不満点は大いにあったが、美人の女性に強気な姿勢でこられると、どうにも逆らえない。丁稚根性が魂レベルで刷り込まれているのだ。しかも、それはそれで満更でもないというのだから救えない。

 

「わ、わかった。飯を食べたらすぐに迎えに行く」

 

「なんてことを言うのですか!」

 

「ひぃ! どうしたのでござりましょうか、ヒミカ様!!」

 

「誰がヒミカ様ですか! エニは今たった一人で見知らぬ土地にいるのですよ。まだ生まれて数ヶ月、こんなに心細い事はないはずです。今頃寂しくて泣いてるかもしれません。早くヨコシマ様が行ってあげないと、大変な事になるかもしれません……いえ、なっちゃいますよ!?」

 

 あれ? ヒミカって、こんなに愉快なスピリットだったっけ?

 勢い込んで迫ってくるヒミカに、横島はそんな感想を持った。

 ヒミカがこうなってしまった一番の理由が自分にあるとは露とも考えていないようだ。

 

「え~いやだよ~ヨコシマ様と一緒にご飯食べたい!」

「食べたい~」

「わ、私も……一緒に食べたいです!」

 

 ネリー、シアー、ヘリオンが小さな体を揺らし、一緒にご飯を食べようと主張する。優しさ、慈悲、好意。そんな温かいものが横島に降りかかる。その小さな体を思い切り抱きしめたくなる衝動に襲われる横島だったが、ここでハリオンがニッコリと笑った。

 

「ヨコシマ様がいないなら~その分のご飯とお菓子を、ネリーさん達にあげますよ~」

「ヨコシマ様行ってらっしゃーい!」

「らっしゃ~い!」

 

 あっさりとネリ―とシアーが裏切る。色気よりも食い気という事か。あまりの変わり身の早さに、流石の横島も泣きそうだった。

 

「私はご飯よりもヨコシマ様の方が……いや、私も一緒に付いていけばフラグが立つかも……でもお腹が空いてて、二人きりだから『ヘリオン! 君が食べたい!』なんて言われちゃったり……きゃあー! 初めてを野外でですかー!? そんなの無理です~!」

 

 妄想を飛ばして、一人であっちの世界に言ってしまったヘリオンは全員華麗にスルー。剣の腕と比例するように妄想力を伸ばしているようだ。そんなヘリオンに、どこか親近感を覚える横島だったが、だからと言ってそれが好意に繋がるわけではない。人の妄想見て、我が妄想治せ。そういう諺もどこかの世界にはあるかもしれない可能性はなきにしもあらず。

 誰か他に俺の味方をしてくれるスピリットはいないのかと辺りを見回し、ある意味もっとも純粋なスピリットを見つけた。

 

「ナナルゥ! これまで得た愛の成果を、ここで見せてくれ!!」

 

「了解しました。ヨコシマ様。必要なものを持ってくるので、しばらくお持ちください」

 

 頼もしく返事をするナナルゥに、横島は期待に満ちた視線を注いだ。

 ナナルゥなら、ナナルゥならきっとなんとかしてくれる!

 熱い希望を持っていた横島だが、その希望はあるものを持って現れたナナルゥの姿に打ち砕かれた。

 

「あの……ナナルゥさん。それはなんでございましょ」

「愛の鞭です。これで男性を打つと、非常に良い声を鳴くそうです」

 

 至極当然のように語るナナルゥ。何時も通り淡々と、しかしどこか満足そうに見えた。

 

「ちょっと! そんなものどこから仕入れてきたのよ!!」

「はい、ハリオンが持ってきてくれました」

「ハリオン! 一体どこから仕入れてきたの!?」

「お姉さんですから~」

「何でもかんでもそれで通すんじゃなーい!」

 

 ヒミカとハリオンが口論を始める。ハリオンに勝てるはずもないのだが。

 

「では、ヨコシマ様。ぶったたいてもよろしいでしょうか?」

 

 いつも通りの無表情で、しかしどこか高揚したように、ナナルゥは言った。

 横島の目から、透明な雫がぶわっと溢れた。

 

「…………うあぁ~~ん!! 愛のバッキャロ~!!」

 

「あっ」

 

 うわ~んと泣きながら走り去っていく横島の背を見て、誰かが、あるいは数人が寂しそうな声をだした。小さく擦れた声で、誰が言ったか分からない。ヘリオンを除く全員が顔を見合わせる。一体誰がその声を出したのか、周囲の顔色を窺う。それはエレベーターの中でオナラをした感覚と微妙に似ていた。結局、誰がその声を出したかは分からなかった。

 

「さて、今日は久しぶりに落ち着いた朝食が取れそうね! 今のうちに胃を治さないと!」

 

 空気を変えるように、満面の笑みで言い切ったヒミカは、実にイイ笑顔で胃をさすっている。真面目なヒミカの気苦労は多く、しかも横島だけならいざ知らず、他のスピリットも変になっていくから彼女の胃は悲鳴を上げていた。

 せめて朝食だけは穏やかに食べたい。そんなささやかな彼女の望みが、兵士としての従順さを失わせたのだろう。とはいえ、彼女の真面目さは筋金入りなので、ご飯を食べて気が落ちついたら、上司にとんでもない無礼を働いた事を悔いて、横島に頭を下げに行くのは間違いない。そして、やっぱりその場でセクハラされて横島をぶん殴り胃痛と自己険悪に浸るのだ。

 

「少し、距離を開けたいときもあるしね」

 

 興奮した様子のヒミカとは違い、セリアは非常に落ち着いた声で呟く。

 毎日毎日ヨコシマ様ヨコシマ様ヨコシマ様。良くも悪くも、彼の事で頭が一杯なのだ。この数ヶ月で、10年分の喜怒哀楽を体験したような気さえする。少し、心中を整理したいという思いがセリアにはあった。

 

 ネリー達は横島が座る席だった所を見て、少し寂しそうな表情になったが、芳しい香りと自らのお腹の音ですぐに寂しさを忘れて手を洗いに行った。

 ハリオンは何を思ったか外で焚き火をしていた。モクモクと空へ昇っていく妙な色の付いた煙。それを見ながらハリオンは笑う。その笑みはいつにも増して優しそうで、しかし何かを企んでいるようにも見えた。ヘリオンはまだニヤニヤしていた。

 こうして第二詰め所のスピリット達は、横島のいない朝食を取り一日を過ごす事となった。

 この場でその一日がどういうものであったかを簡単に述べるとすれば、それは気苦労も少なく、とても穏やかなものであり、退屈なものであったようだ。

 

 

 永遠の煩悩者

 

 第一五話 筋肉来たりて

 

 

 緩やかな斜面の森の中を、エニは重い足取りで上っていた。リクディウス山脈に入り、まだ二合目程度だが、その顔には疲労の色が濃く出てる。汗も相当かいたようで、戦闘服は汗を吸い、疲労も相まってかなり重く感じられた。

 

「喉が渇いたよう……」

 

 空のなめし皮の袋を覗き込みながら、力無く肩を落とす。そして、目の前に広がる緑成す巨大な山の姿を確認すると、さらにがっくり肩を落とした。

 楽観的で、物事を深く考えないエニではあるが、今は少し後悔していた。これはどうにも無理がある。

 リクディウス山脈にあると言っても、探す場所はかなり広い。一人で探すとなったら、どれほど時間が掛かることになるやら。さらに食料や水も既に無い。どこかで休息できるような拠点だって無いし、地図も無いから道も分からない。

 なにより、一番の問題は―――

 

「マナ結晶ってどんな形してるのかなあ」

 

 間違いなく致命的だった。大きさも形状も分からず、どうやって探せというのか。一度町に戻ったほうがいいと、エニの冷静な頭が囁く。見つけるのは不可能だと理解していた。だが、このまま帰ったら皆に迷惑を掛けただけになる。もし、『天秤』に呆れられ、嫌われでもしたら。そう考えるだけで、エニの体はぶるぶると震えた。やはりまだ戻るわけにはいかないと、エニはさらに歩を進める。

 

「こっち、こっち、こっち、こっち」

 

 突如、エニの耳に妙な声が聞こえてきた。

 それは、男の声に聞こえるが妙に甲高く、なんとも不思議な声だった。

 声はゆっくりとこちらに近づいてくる。

 

「こっち、こっち、こっち、こっち」

 

 声はさらに大きくなり、目の前の茂みがガサガサと動いた。エニは何か出てくると、身構える。そして、声の主と、それを手に乗せたものが現れた。

 男だ。大柄な男が手に妙な人形を乗せている。あの妙な声は、どうやら人形が出していたらしい。

 

「はっけん! はっけん!」

 

 人形はエニを指差して声を上げる。正確には、エニの足元に向かってだ。

 

「見つけたか。ご苦労だったな、エターナルケンキクンとやら」

 

 現れた男は人形に向かって礼を言って、人形を地面に置いて歩いてくる。

 エニはその場から飛びのき、距離を取って、永遠神剣『無垢』を構えた。

 その男は前のはだけた黒っぽいジャケットのような物を着ていて、正に戦士と呼ばれるに相応しい体格と雰囲気を纏っていた。

 歳は20代後半ぐらいので短髪、その眼光はギラギラと輝き猛獣を想像させる。一体どれほどの修羅場を潜れば、このような凶悪な顔つきになるというのか。

 エニは基本的に物怖じしないタイプだ。だが、この男は恐かった。何かが、決定的に違いすぎる。

 男もエニに気づいたようで、その鋭い目をエニに向ける。

 

「贄のスピリットか……真逆に見えて本質は似ているな。『無垢』とはよく言ったものだ」

 

 男のほうはエニを知っていたようで、特に興味はなさそうだった。そのままエニがいた辺りまで来ると、地面に目を落として何かを探し始める。そして、何やら小さなガラス片のようなものを拾い上げて、それを胸元に収めた。

 

 エニは関わらないほうがいいと判断して、そろそろと男から離れていく。その時、男は何かに気づいたように声を出した。

 

「どうやら『天秤』のエトランジェが近づいているようだな」

 

「えっ、テンくんが!」

 

 まだ見つかっていないのに。そう焦った声でエニはうろたえる。しかし、エニの声には嬉しさも含まれていた。愛しい人が近づいてきてくれる。それも、自分に向って。

 恋する少女はそれだけで胸を大きく高鳴らせる。顔を赤くして体をくねらせる仕草は、愛らしさと共に女の匂いもまき散らかす。そんなエニの姿を見て、男は何か思い立ったようだ。

 

「用件は済んだが……少しぐらい遊んでもよいか」

 

 男は漆黒の大剣を振りかざし、そしてエニはこの世界から消失した。

 

 

「やってらんねー」

 

 横島は険しい森の中を、うんざりした顔で走り続けていた。朝っぱらから走らされて気分爽快、などというキャラでは断じてないし、理由も理由だからモチベーションなど上がるわけがない。

 彼からすれば、これは恋人同士の問題であり非常に馬鹿らしいことである。本来ならば、邪魔をするか呪うかが正しい見守り方のはず。なんで俺が飯も食わずに朝から走り回らなけりゃいけないのか、と非常に怒っていた。馬鹿らしい。思わずそう口に出る。

 

『確かに、馬鹿らしいな。もう少し情報を集め、ある程度の人数を連れて行った方が効率がいいだろうに』

 

 『天秤』の偉ぶった声が聞こえてくる。一体お前は何を言っているのだと、怒り以上に呆れが先に来た。同時に、少しだけエニに同情した。こんな鈍い奴が相手じゃ、それは必死になるだろう。この神剣の朴念仁ぶりがすべての元凶なのだ。

 

「アホ。お前本当に何が問題か分かってんのか?」

 

『隊の一員が単独行動。自分が歯車の一つであることを理解していない事だろう』

 

 確かにその通りだ。間違ってはいない。間違ってはいないのだが、相も変わらず本質を見ていない。だが、それを言ってもこの神剣は理解できないのだろう。間違ってはいないのだから。そこが難しい所だ。鈍感な男がモテルってやっぱり可笑しいと、横島は結構切実に思った。

 さっさとエニを見つけて、軽く叱って帰ろう。そう考えながら神剣の気配を探りながら辺りを見回る。そうしたところ、霊感に何か引っかかる部分があった。不思議と気になる方向へと足を進める。そして現れたものに、横島は目を丸くした。

 

「これって……」 

 

 地面に無造作に置かれた人形。その人形は、元の世界で随分とお世話になった商売道具。悪霊や妖怪を見つけるのに使用する見鬼君と呼ばれる探知機だった。それも、良く分からないものがごちゃごちゃと付けられていて、相当なカスタマイズが施されていると分かる。

 一体どうしてこんなものがここにあるのか。ひょっとしたら、自分以外にもこの世界に来ているのではないか。色々な思考がごっちゃになりながらも、ふらふらと見鬼君に近づこうとして、

 

「ふむ、やはりこれを感じ取れるのか? これは元々お前の世界の技術であるしな」

 

 野太い男の声が後ろから掛けられる。その声は、死神の鎌を首筋に当てられた方がまだマシ、と呼べるぐらいに生命の危機を感じさせた。

 瞬間的にその場から飛びのき、声を掛けられたほうに『天秤』を構える。刹那の反応であったが、その刹那の時間すら遅く感じた。その刹那の間に声の主は自分を殺すことができると、本能的に理解できた。霊感以上に、神剣使いとしての本能がそう訴えたのだ。

 

「中々良い反応だ。俺の名はタキオス……自己紹介など意味がなかったな。どうせ忘れる事だ」

 

 十メートル程度離れた所に、タキオスと名乗った男がいた。筋骨隆々とした男で全体を黒い意匠で統一している。

 男は手に黒の大剣を持っていた。形状は刃渡りだけで二メートルはあろうかという、装飾もない無骨なクレイモア。どこぞのベルセルクが持っていそうな感じだ。

 大剣からあふれ出る黒いオーラフォトン。間違いなく永遠神剣だ。それも、かなり上位の神剣。

 

「エニは俺が預かっている。返して欲しければ俺と戦え」

 

「はあっ!?」

 

「行くぞ。テムオリン様が貴様に何を求めているのか、試させてもらう」

 

 タキオスと名乗った男はせっかちなのか、もしくは横島の意思などどうでもいいのか、返答を待たず戦闘態勢を取った。言葉による意思の疎通は望んでいないらしい。拳で語り合おう、という人種か。知り合いにそういった悪友が一人いたが、それ以上に危険に見えた。

 タキオスの構えには一分の隙すら無く、剣士であるならば感嘆の念を禁じえないだろう。重心を何処に置くとか、体の正中線がずれていないとか、そういう事は横島には良く分からない。ただ分かったのは、相手が圧倒的高みにいる事だけだ。達人を踏み越えた者。どれだけの犠牲を払ってここまできたのだろう。さらに恐ろしいのは黒い永遠神剣からあふれ出るオーラフォトンの量である。刀身から凄まじい量の黒いオーラフォトンが立ち上る。その量は横島と悠人が出せるオーラとは比べ物にならないほど多い。桁が違う。圧倒的すぎる。

 

(逃げるしかない!!)

 

 頭が、肉体が、魂が、横島を構成する全てが判断した。あれには勝てない。絶対に勝てない。

 神、悪魔、龍、そんなものではない。異端、異常、異物……そのどれでもあり、どれでもない。

 強いて言うなら『外側』。ありとあらゆる存在の外にある存在。化け物なんて言葉は生ぬるすぎる。

 勝つ方法は皆無。戦えば死ぬだけだ。馬鹿馬鹿しいほどの力の差が存在する。逃げる以外に選択肢はない。一瞬、この男に囚われているらしいエニの顔が頭をよぎる。このまま逃げていいのか迷う。だが、横島は判断した。今は逃げるしかないと。

 

「ゴキブリのように逃げる~~!!」

 

 霊力もマナも全てを逃げる力に変えて、横島はその場から逃げ出す。そのスピードは正に疾風。

 

「逃げたか……聞いていた通りの男だな」

 

 やや失望を感じさせる声でタキオスが呟く。

 だが、この判断は正しいとは分かっていた。

 相手の力を見抜く洞察力と、強きものからすぐに逃げ出す臆病さ。

 長生きできるだろうとタキオスは思った。

 しかし、それだけではないはずだ。

 あの男が何を持っているのか、確かめなければいけない。

 タキオスは緩慢ともいえる動作で横島が逃げた方向に足を向け―――その場から消えた。

 

 

 息をするのも忘れたように、横島は山を下っていた。

 舗装も何もされていない山道のため、走ればそれだけで足を挫きかけて、木の枝が体を突き刺す。

 だが、永遠神剣『天秤』を右手に握り、ほぼ限界までその力を引き出して守護を受けている横島はそんなことは気にせずに走り続ける。横島の通った後はまるでダンプカーでも通ったかのように荒れていた。戦車が戦闘機のスピードで森を駆ければこうなるのかもしれない。

 

『主よ、何故戦わない』

 

 咎めるような『天秤』の口調に、横島は苦しく、非常に申し訳ない気持ちになった。戦ってエニを取り戻せと、責められていると感じたからだ。

 

「すまん。だけど、なんだか知らんがエニは大丈夫だと思うぞ」

 

 理由は分からないが、エニが傷つけられる事はないと、何故か確信していた。それは、『天秤』の深層心理を読み取っていたかもしれない。

 

『エニの事などどうでも良い。私は闘えと言っているのだ』

 

「何言ってやがる!! エニがどうなってもいいのか……ああ! そりゃ逃げてる俺が言うことじゃねえけど。それに、あんなの倒せるわけないだろーが。一体なんなんだ、あの筋肉男は! 目つきが悪いにもほどあるだろ!!」

 

 横島はタキオスとの力の差を嫌というほど理解していた。

 あんなのを相手にするくらいならば、国を一夜で滅ぼせる龍を数匹倒したほうが遥かにましだ。あれは魔神や猿神ぐらいのランクにいる変態だ。最悪の場合、それすらも凌いでいる。

 実際の所、タキオスと名乗ったムキムキ男と、ムキムキアシュタロスのどちらが強いのか、正直分からない。ただ一つ言えるのは、どちらにしても、どうしようもない存在というだけだ。

 今の自分はルシオラクラスを倒せるぐらいの力しかない。神話級の化け物の前では、糞同然の存在でしかないのだ。

 

『主よ、決してそんな事はないぞ。この世界に存在するという事は、この世界に存在して良いということだ。つまり、この世界に存在できる程度の存在になっているということ。で、あるならば、この世界に存在する力で倒す事は理論上不可能ではない。この世界のマナはさして多くないから、力の大部分は出せないはずだ。世界に存在する以上、彼等は必ず最強になり、決して無敵にはなれないのだからな』

 

「日本語か聖ヨト語で話せ」

 

 意味不明な説明を頭の中で行われ、酷い頭痛を感じる。この『天秤』という神剣は相手に分からせる努力をまったくしない。ただ難しく格好良い言葉を抜き出して喋って、こちらを煙に巻こうとしているのではないかとすら思った。そうしてこちらが分らなければ、こちらの理解力の方を責めるのだ。教師としての適正はゼロだろう。

 

「とにかくあれだ。あいつはきっと俺をこの世界に送り込んだ黒幕……いや、黒幕の四天王筆頭だ! この世界でスピリットが迫害されるのも、俺が色々と酷い目に合うのも、何もかもそいつらの策略なんだ!!」

 

 そうにちがいないと、うんうん頷く横島に、『天秤』は言葉もなかった。血もないのに、血の気が引くのを『天秤』は確かに感じた。

 

(流石はヨコシマね! あっさりと世界の秘密を発見して見破っちゃったわ。そんな貴方にスーパールシオラちゃん人形を進呈しちゃう!)

 

(恐ろしい勘だな。忘れる……いや、無かった事になるから良かったが)

 

 動物的直感で真実にあっさりと近づいた横島。この男はあまり難しい事を考えず、欲望の赴くまま行動した方が正しい解を見つけ出せるのだろう。理屈や理論で考えることが正しいと思っている『天秤』にとって、どうにも納得いくものではなかったが。

 

(でも、確かに簡単に分かりすぎね。さて、どういう事かしら?)

 

 ルシオラだけは、やはり別の何かを見ているようだった。

 

 それから少し走り続け、横島は恐る恐る後ろを振り返る。あのタキオスという男の姿は無い。

 逃げ切った。荒く息をしながら、そう確信した瞬間だった。

 足が動かない。一体何が起こったのかと、手で足を触ろうとすると、今度は手が動かない、と思ったら、全身が動かなかった。

 

「なんじゃこりゃあーー!!」

 

『空間を操作されているな』

 

 緊急事態だというのに何の危機感も感じていない『天秤』の声が癇に障る。

 体そのものが動かない金縛りとは違う。何かに体を押さえつけられているような感じだった。まるで、目の前にある空気、いや、空間そのものが硬直してしまったかのように。

 首も動かないので眼球だけをぎょろぎょろと動かし、手足に何か巻きついていないかを確かめる。何も付いてはいない。走っている格好そのままに動きが止まっている。

 

「何がどうなって……」

 

『だから、空間を固定されているのだ。文珠一つでは解除できそうも無いし、力ずくで脱出は不可能だな』

 

「だから! 何でそんなに落ち着いて……っ!!」

 

 何故かまったく慌てた様子が無い『天秤』に、横島は顔を赤くして激昂したが、突然、真っ青になる。

 いつの間に現れたのやら、横島の目の前にはタキオスと名乗った男は、息一つ切らした様子も無く目の前に立っていて、黒い神剣を横島の方に向けていた。神剣が纏っているオーラの量は桁が違いすぎて、何もしなくても周囲の空間を捻じ曲げている。

 絶対の死を約束する筋肉質の男の姿がそこにあった。

 

「うぎゃああ!! 頼む! 見逃してくれ~~。俺には家に可愛い女房が四人と、腹を空かしたガキが四人と、十九人の愛人が俺の帰りを待っているんじゃ~~!!!」

 

 必死の命乞いが始まる。目から涙を滝のように流し、鼻からは鼻水をジェット噴射の勢いで発射して、耳からは耳汁を放出する。逃げる事もそうだが、命乞いも横島の十八番の一つだ。その情けない姿は、見る者の同情と軽蔑を誘い、相手を油断させるのだ。

 だが、タキオスは眉一つ動かさなかった。

 

「もう一度言おう。俺と戦え。死にたく無ければな」

 

「あああ!! こんな事なら夜這いしてでもやっときゃよかったーー!! すまん息子よ~~」

 

 そこでようやくタキオスは表情を動かした。と言っても、迷惑そうに眉を僅かにひそめただけだが。

 

「分かった、よく聞け。お前は俺に最大の一撃を放てばいい。そうすれば手は出さん」

 

 会話が成り立たない為か、いささか辟易した様子であったが、タキオスはただ横島との戦いを望んだ。そんなタキオスの様子に、横島も幾分落ち着いたようだ。

 

「本当か? 手を出さないとか言って足出してくるのは禁止だぞ! 嘘付いたらお前のかーちゃんでーべそって言いふらすぞ!」

 

「御託はいい……来い!」

 

 横島の戯言に付き合うつもりはないのか、タキオスは表情を殆ど変えない。そしてようやく体が自由に動くようになる。

 嫌な奴。横島はこの男との相性が最悪であると確信した。単純なバトルジャンキー筋肉馬鹿ではない。まったく面倒で、けしからん筋肉だ。筋肉ならおとなしく「筋肉いえぃいえーい」とでも言っていればいいのに。

 

 主導権が取れずイライラしながらも、横島は思考する。

 とにかく、全力で攻撃して来い、などと言う変態ムキムキマッチョなどに構うなど、時間の無駄どころか、人生の無駄である。さっさと言う通りにして逃げよう。

 『天秤』に霊力を通す。さらに限界まで深く『天秤』と繋がり、力を引き出して、マナをオーラに変えて流し込む。二つの力を注ぎ込まれた『天秤』が強く輝く。この状態の『天秤』は単純に文珠を二つ連結させるよりも高い威力を持っている。

 今の『天秤』には、アシュタロスに少しはダメージを与えた、あの強文珠に匹敵、もしくはそれ以上の威力はあるだろう。それでも筋肉男に効果はなさそうだが、とにかく今は言うとおりに行動しなければならない。

 

「おい、魔法は使っていいのか?」

 

「構わん。やれる事は全てやってみろ」

 

「そんじゃあ……脆弱のオーラよ。奴の筋肉を贅肉に! 美女にモテナイ、貧弱なボウヤに変えろ! ウィークネス!!」

 

『主よ、その詠唱……何とかならんのか』

 

 直径2メートル程度の幾何学的な魔法陣が空中に浮かび、中心から今にも消えそうな弱々しい群青色のオーラが溢れ出す。オーラはタキオスに纏わりつき、その力を減少させる。横島の神剣魔法の特徴として、相手の力を封じたり弱めたりする物が多い。この辺りは悠人と対照的だ。他には女性限定の回復魔法と、純粋にオーラを固めて発射するぐらいだ。

 

 焼け石に水。そんな諺が頭をよぎる。力を減退させたとはいえ、絶望的な力の差はそのままだ。だが別にそれで構わない。別にダメージを与えることが目的ではないのだ。

 次にやる事は……

 

「アイテムなんぞ使ってんじゃねえ!! ……なんて言わないよな?」

 

「言っただろう。使えるものなら何でも使うがいい。万能に近い異世界の力は、俺も興味があるからな」

 

 いかにも大物だと見せ付けるような余裕ぶりで、タキオスが言う。

 厭味なほどの無敵筋肉オーラを全身に浴びて、横島は辟易しながらも、あることに気づいた。

 

「あんたは文珠の事を知ってんだな。そんで、この世界の住人らしく霊力を感知することはできないと」

 

 何か含みを持たせた横島の言葉に、少しだけタキオスが顔を顰める。

 だが、すぐに表情を戻した。何を気付こうがどうせ忘れる事なのだと、タキオスは心の中で呟く。

 

 文珠に文字を入れる。

 使う数は今あるすべてである二個。入れる文字は『強』『化』

 正直、惜しい。こんな所で文珠を使うことになって、しかも、この筋肉相手では『強』『化』の文珠は殆ど意味がないのだから。

 何か他に手があるのではないか?

 そう横島は考えた。文珠は使い方によってありとあらゆる存在を倒すことができると、良いおっぱいの戦友が言っていた。

 GSとしての力。美神ファミリーの一員としての知恵。横島としてのギャグ。

 いくつものパーツが組み合わさり、頭が回転を始め――――

 

『主よ、妙な事を考えるな。下手な策など見破られて不興を買うだけだ。機嫌を損ねればその瞬間に終わりだぞ」

 

 ―――ようとしていたのに、水が掛けられる。浮かび上がりそうだったアイディアは、その輪郭を形成する間も無く四散した。

 横島にも『天秤』の言うことは分かるのだが、どうにもこの神剣とはそりが、というよりノリが合わない。力を与えてくれて、自分の短所を補ってくれているのは分かるのだが、代わりに何かが潰されているような気がしていた。

 

(心眼だったらな~)

 

 どうしても思い出してしまう。こうやって会話しながら戦闘方法を模索するのは同じだ。どちらが武器として優れているか、と考えればやはり『天秤』なのだろうが、どちらが自分に合っているか、と考えればそれはやはり心眼だろう。

 もし、この場に心眼がいてくれたら。そう、ぼんやりと思ったその時、

 

「っがあああ!!」

 

 脳みそに針を打ち込まれたかのような激痛が走る。横島の口から野獣の如き唸り声が洩れた。

 

『二度と、私を布切れと比べるなと、そう言わなかったか!!』

 

 耳を押さえたくなる程の怒声が頭に流れる。

 そこには圧倒的な嫉妬が含まれていた。

 

(男の嫉妬を見苦しいわよ)

 

(黙れ! 私が嫉妬などという意味不明の感情に囚われるわけがないだろう!!)

 

「ぐうぅ! このロリ剣め……ん? 一体お前は誰と話してんだ?」

 

『何でもない! とにかくだ! お前の浅はかな考えでこの難局を乗り切ることなどできん。それだけの力量差があるのだ!!」

 

「分かってる! 第二位並みの力がある『無我』が相手じゃ、どうしようもねえよ!! アホ、バカ、お前のかーちゃん、ロリ婆!!」

 

『いい加減自分の立場を弁えろ! この低俗、俗物!!』

 

「……早く準備をして欲しいのだがな」

 

「はい! 少々お持ちください!!」

 

『卑屈な奴め』

 

(なんだかんだで、貴方達って仲良く見えるわね)

 

(そんなわけあるか!)

 

 結構な危機に見舞われているはずなのだが、どうしても緊張感に欠けていた。まあ、横島らしいと言えばそこまでだが。

 多少は思案したものの、やはり今は言われたとおりにするしかない。逆らえば、瞬きをする間すらなく首と胴がお別れになってしまう。このバトルジャンキーが嘘をつかない人間だと信じるしかない。経験上、横島はこう言ったタイプの男は嘘をつかないと知っていたから、たぶん大丈夫だと考えていた。

 

 『強』『化』の文珠を『天秤』に叩き込む。

 オーラフォトンと霊力は、単純なプラスではないようだ。多少の相乗効果も相まって、『天秤』はかなりのパワーを持つに至る。

 強烈な光を放ち続ける『天秤』を見て、横島は自分が人間ではなくなっている事に改めて認識した。慢心でも何でもなく、それは確かな事実。この『天秤』の一振りは上級魔族すらも一撃で滅する事が出来る。神話クラスの神魔でもなければ、今の横島を相手にする事はできないであろう。

 

(……まあ、こいつには効きそうにないけど)

 

 一体、この筋肉はなんなのだろうか。

 タキオスを見ていて、横島の中にある感情が広がっていく。

 

(この筋肉を殺せば……どれだけのマナが食えるんだろうな)

 

 食欲に近い感情が横島の中で膨らんでいく。その感情は意思と言うよりも本能に近かった。

 

 マナを喰らいたい。一つになりたい。そして原初の剣へ!

 

 強烈なまでのマナに対する欲求は、横島の意識を押しつぶし、飲み込み、同化していく。横島は生来、欲望の男だ。本能に忠実に生きる事を信条としている。神剣から送られてくる純粋すぎる欲求は、横島に酷く馴染みすぎていた。横島の自我が弱まり、瞳から光が失われていく。それに比例するように、オーラに返還されるマナは大きくなる。膨大なマナを保有しているタキオスを見てゴクリと喉を鳴らしたとき、横島は『天秤』に飲まれかけていることに気づいた。手の甲を抓って、頭を振り意識を覚醒させる。

 

(何が悲しゅうて、男見て喉を鳴らさなきゃあかんのや!?)

 

(くっ! こういう訳の分からん思考で、どうして私の干渉を跳ね除ける!? この男の精神の強さがまったく分からん!)

 

 こうなるから横島は『天秤』を使いたくないのだ。特に今は全力で『天秤』の力を引き出しているせいで、意識が時々途切れそうになる。いや、自我が消えるというより、塗り替えられていくと言った方が正しいか。痛みは無いが、その嫌悪感は半端ではない。

 

(おい『天秤』! どうせだったら力だけをよこせ!!)

 

『それはできんな。まあ、悠人のように地獄の激痛を味わうよりはましだろう。それに気づいているか? 主の意識が弱いほうが、威力のある一撃を繰り出す事ができるのだぞ』

 

 『天秤』はそう言い切る。横島は苦みきった顔で黙った。

 確かにそうだ。悠人の『求め』は度々マナを求めて干渉を繰り返している。稀に悠人が『求め』に干渉されているところを見るが、相変わらずその苦しみはかなりのものだ。

 それに比べれば随分とマシだろう。嘘は言っていない。それは分かる。だが納得できるかどうかは別問題だ。

 

『そういうわけで、今回は私に任せておけ。決して悪いようにはしない』

 

「だから、心の中に入ってくんなって言ってるだろ!」

 

(『天秤』、あの男も、ヨコシマの力が見たいみたいだから、今回は諦めなさい!)

 

『……ちぃ、良い所を見せたいのだが』

 

「何か言ったか?」

 

『なんでもない。精々あがけ!』

 

 不貞腐れて自棄になったような声が脳内に響き、そして沈黙する。本当に癇癪持ちの子供のようだ。

 初めのころよりも随分と人間味出てきたようだが、それが果たして良かった事なのかは判断が難しい。どうにも危なっかしい一面が見え隠れする。

 

「神剣との会話は終わったか。いつ打ち込んできてもよいぞ」

 

 タキオスが僅かに嬉しそうにしながら、横島に向かって手招きする。

 

(筋肉バトルジャンキーめ!!)

 

 何の前触れも無く降りかかった災難への怒りを叩きつけるかのように、タキオスに飛びかかり、『天秤』を思い切り振り下ろす。タキオスはそれに合わせて黒い神剣を前に出して『天秤』を受け止めた。

 爆弾が落ちたような轟音がその場で起こる。実際、爆弾が落ちてきたといっても疑うものはいないに違いない。限界まで強化された『天秤』と、相手の神剣のぶつかり合いは、正に爆発としか言いようが無かった。

 二人がぶつかった所を中心にして、周辺の大木は軒並み倒され、地面に生えていた草花は一瞬にして灰となった。衝撃波はまるで龍のキバのようになり、地面に荒々しくその爪あとを残す。

 二人の激突した場所は、まるで月面のクレーターも同然となり、周辺の大地を文字通り揺るがした。

 

 だが、周囲の景色とは対照的に肝心のタキオスはまったくの無傷であった。爆心地の中心で、タキオスは悠然と立っている。

 渾身の一撃を軽く防がれた横島は、後ろに跳んでタキオスの間合いから離れた。

 

「ちっ」

 

 タキオスが顔を歪めて舌打ちをする。

 それは今の一撃が強力だったからではない。

 

「おい! これで良いんだろ!! さっさとエニを返せ。俺も帰るからな」

 

 最大の一撃を当てたにも関わらず、小揺るぎもしなかったタキオスに、横島は溜息を吐いたぐらいで、特に驚きはしなかった。強いとか弱いとかじゃなくて、存在が違いすぎるのだ。蟻が像に噛み付いて効果が無いようなもの。正直、気にしてもしょうがない。

 エニを返してもらったら、一秒でも早くこの場から離れる。それだけが横島の頭を占めていた。

 

「本当にこれで全力なのか」

 

 一方、タキオスは肩を落とす。今の一撃で十分に理解した。

 この男には剣術の才能が無い。これから先、十年鍛錬を積んでも、百年、千年、一つの世界が終焉を迎えるまで鍛錬を積んだとしても、精々、千の世界で世界最高程度の使い手になるぐらいが限界だ。

 神剣魔法にしても、特に特別なものは感じない。特徴として相手の力を下げる事を得意としていると感じる程度。

 だが、タキオスが落胆した最大の理由は別のところにあった。

 足りないのだ。

 恐さが、凄みが、狂気が、意思が、渇望が。

 これでは、単純に威力が高いだけの一撃に過ぎない。

 

(悪くはないのだが)

 

 戦いのセンスが低いわけではない。いや、低いどころか恐ろしいまでのセンスを感じる。相手の虚を付き、敵の力を下げることは戦いにおいて重要だ。逃げる事に関しては、先の動きを見るだけで見事なものだと分かる。剣術や魔法などの戦闘能力は、この時点では低くはない。咄嗟の判断能力も中々のものだ。しかも、まだまだ若く、成長途中である事は明白である。天才と言って、差し支えはないだろう。

 しかし、足りない。戦士としての資質ではなく、神剣使いとしての資質が足りない。自分の分析に疑いを持たないタキオスは拍子抜けしたように肩を落としたが、顔は笑っていた。

 

(賭けは俺の勝ちだな。この男が勝ち上がるわけが無い)

 

 タキオスは仲間内での賭けの勝利を確信した。少なくとも、自分が見出した悪魔に勝てはしないと。

 

 この時点で、タキオスの興味は完全に横島から消えた。もはやタキオスがここに居る理由も無く、ただこの場でエニを返し、己の上司の下に戻るはずだった。

 しかし、ここでイレギュラーの存在が行動を起こす。

 

 タキオスの周囲に、ぽっかりと黒い穴が開く。その穴の中から、タキオスを串刺しせんと、無数の黒い針が飛び出した。突然の事に驚く横島だったが、当のタキオスは表情を変えず、目にも止まらない早さの斬撃で針ごと黒い穴を叩き潰す。

 一体何が起こっている分からず混乱した横島の前に、一つの影が舞い降りる。

 

「お逃げください! ヨコシマ様!!」

 

 横島の前方に躍り出たのはファーレン・ブラックスピリットだった。いつも通りフルフェイスの仮面を付けていて表情は読み取れないが、かなり慌てているようだ。

 何の前触れも無く表れたファーレーンに横島はまた驚いた。ここまで接近されて気付かないというのは、神剣を持つ限り本来あり得ない。可能な限り神剣反応を感知されないように力を抑えたのだろうが、やはりこのスピリットは並大抵の技量ではないようだ。

 

「この男は私が命を賭して食い止めます! ですから、ヨコシマ様は急いで逃げてください! 早く、逃げて!!」

 

 必死さが伝わってくる、悲鳴のような声だった。

 ファーレーンから見た立場だと、横島がタキオスと殺し合いをしているように見えたのだ。勝負を掛けた決死の一撃も効果が無く、後は殺されるのを待つばかり。

 一縷の望みを賭けた奇襲も難なく防がれてしまった。

 こうなれば命を賭して横島の盾になるしかない。

 そう決意してタキオスに立ちはだかったのだ。

 勘違いしていると、横島はファーレーンに言おうとしたが、それよりも先に動いたものがあった。

 

 カラン。地面に何かが落ちる。仮面だ。

 ファーレーンの顔を覆っていた仮面が真っ二つに割れて地面に落ちていた。タキオスは、いつのまにか大剣を振るった体勢になっていた。

 横島もファーレーンも、タキオスがいつのまに仮面を切ったのか、認識すら出来なかった。もうどれだけ実力差があるのか。二人は声を失うしかない。

 

「ふむ、中々美しいスピリットだな。実力も悪くない」

 

 値踏みされるような視線に、ファーレーンはすくみ上がった。痙攣を始めたかのように体が震える。

 修羅場を幾つも潜り抜けてきたファーレーンだったが、その全てを軽く越えるほど恐怖が全身を覆う。今までファーレーンが切り伏せてきたもの達を合わせても、このタキオスと言う男には届かない。ただ立っているだけで、研磨された空気が肌を突き刺すかのようだ。

 この時点でファーレーンは戦闘態勢を完全に解除した。例え体を張っても、何の意味もないからだ。

 

「貴方の目的は何ですか」

 

 それでも、ファーレーンの瞳から光がなくなる事はなかった。

 その動きの速さから逃げることは出来ないだろう。だが、話は通じる。なんとか交渉して、横島だけは逃がそうと考えた。

 

「目的は既に達成したが……ふむ、そうだな。ファーレーンと言ったな、貴様がほしい」

 

「一体どういう事ですか」

 

「強きものが弱きものを食うのは世の理だ。神剣使い同士、それも男と女だったら、やる事は一つしかあるまい」

 

 タキオスの視線がファーレーンの体に注がれる。

 食うという言葉の意味を、神剣使いである横島達は正確に把握した。

 ファーレーンの瞳が揺らいだ。死の恐怖と、女としての怯えが心に走る。

 だが、すぐにファーレーンは落ち着きを取り戻す。

 

「どうやら時間は稼げそうですね」

 

「ちょっと! ファーレーンさん!!」

 

「この方の機嫌を損ねてはいけません。ヨコシマ様も、それは分かっているはずです」

 

 横島を守る。それだけがファーレーンの頭を占めていた。

 それはそれほど難しくない。女としての体と、この身のマナが目的ならば、確実にある程度の時間は稼げるはず。それが一番いい。この相手に抵抗は無意味なのだから。

 悲壮な覚悟を決めるファーレーンだが、横島は安心させるような笑みを浮かべて、殊更明るい声を出した。

 

「大丈夫っす! あいつは俺を攻撃してきません」

 

「……え? そう……なんですか?」

 

 目を大きく見開いて、驚いたように訪ねてくるファーレーン。そのどこかとぼけた感じが横島には堪らなかった。

 

「そうなんですよ、ファーレーンさん! そうだよな。男の約束だ。まさか破るなんて男として、戦士としてあっちゃいけないことだよなあ!!」

 

 煽るように、プライドをくすぐる様に、タキオスに向かって言い放つ。

 戦いに身を置く者には一定のプライドや、またはポリシーを持つものが多い。そういった自尊心を刺激してやれば、自分はおろかファーレーンに襲い掛かる事はないだろうと考えた。

 タキオスはじっと横島の目を覗きこんだ。そして、ふっと笑うと、その姿は幻のように消える。

 横島は驚く――――間もなかった。腹に衝撃が走ったかと思うと、足は地を離れて、体が空中を投げ出される。

 そのまま大木に背中でぶつかり、横島は胃液を吐き出しながら、『飯を食わずに来て正解だった』と頭の片隅で思った

 

「がはっ……ぐっうう、てめえ、約束と違うだろうが! 俺が全力で攻撃したら、俺には手を出さないんだろう!!」

 

「力有るものと、力無きものの約束事に、意味が在ると思っているのか」

 

 悪びれる事もなく、タキオスは平然と言い放った。

 最悪だと、横島は心の中であらん限りの悪口雑言をタキオスに送る。

 脳みそが筋肉で出来たようなバトルジャンキーではない。筋肉どころか、鋼鉄で出来ている。

 強者にしか価値を見出せない最悪の男。情や倫理で動く事はないのだろう。

 強ければ正しく、弱ければ悪。素でそう考えている。

 

「安心しろ。貴様を殺しはしない。それは約束する。もとよりただの戯れだからな」

 

「一体、貴方は何を言って……」

 

「つまりだ、弱きものよ。お前が助けに入った所為でこの男はいたずらに傷つき、そしてお前は意味も無く犯され壊れる、という訳だ」

 

 無慈悲に、タキオスはファーレーンの心を抉る。

 ファーレーンは「そんな……」と絶望したように肩を落として、両膝をついた。

 タキオスは詰まらなそうに鼻を鳴らした。

 

「もう心が折れたか。やれ、少しは抵抗してもらうぞ」

 

 タキオスの前方に光輝く魔法陣が展開された。

 魔法陣からずるりと何かが這い出していくる。ヌメヌメとしたワーム。醜悪な怪物だ。

 ファーレーンは生理的な嫌悪感を感じて、思わず目を背けた。

 

「そう嫌うな。これがお前の相手なのだから」

 

「あ……いて?」

 

「そうだ。これが、これからお前を抱く者だ」

 

 ファーレーンはまだ事態が飲み込めないようで、ポカンとした。頭の中で言われたことを反芻して、ようやく理解に至った時、彼女はついに涙を流して頭を振った。

 

「いや、無理です! こんな……こんなの」

 

「安心しろ。これほど最高の絶頂を迎えるのに適した生物はいないのだぞ。それに、死ぬわけではない。心が壊れて、男を見ただけで腰を振るようになるがな」

 

 ピントが外れたタキオスの発言。

 この男は狂っているのだ。少なくとも、正常な視点から見れば。

 触手は「我が世の春が来たー!!」という勢いでうにゅうにゅとファーレーンに迫る。

 

「この小説は健全ですよー切り!!」

 

 横島が『天秤』を一閃して、覆いかぶさろうとしていた触手を切り捨てた。

 タキオスはつまらなそうに横島を見る。

 

「まだいたのか。もうお前に用は無いのだが」

 

「ふざけんな! ファーレーンさんは俺の大切な女だぞ! 手なんか出させるかい!!」

 

 横島が叫ぶ。霊能力者が見れば、彼を中心に霊気の奔流が流れていることに気づけるだろう。エロが霊力の源である彼にとって、少年誌世界よりも18禁な世界の方がパワーアップが見込めるのだ。

 

「ヨ、ヨコシマ様……駄目です。逃げて」

 

 本当は助けてと叫びたかった。

 快楽を軸として心が神剣に飲まれたスピリットの末路を、ファーレーンは知っている。神剣の意識と女の性欲だけが残されたスピリットは、ただ浅ましい欲求に従うだけ。その痴態を、密かな憧れを持っている横島に見せ付けでもしたら。考えるだけで気が狂いそうだ。

 だが、自分はスピリット。エトランジェとスピリットのどちらが重要なんて分かり切っている。

 

「ファーレーンさんを置いてけるわけないっすよ! 安心してください。俺がきっとファーレーンさんを守りますから!」

 

 横島はファーレーンに笑いかける。ファーレーンは泣きそうだった。セリア達が横島を守ると誓った理由が良くわかる。

 優しい笑いから、圧倒的な意志の強さを感じる。その意志の源は自分なのだ。虐げられてきたスピリット達が、彼を守ろうとするのは当然だ。こんな時であるが、ファーレーンはセリア達に嫉妬した。この人と毎日楽しく暮らせたら、どれほど素晴らしいかと。

 

(絶対に姉妹丼を食うんだ! 両側パフパフでフィーバーダンスを!!)

 

 意志の強さは源はこんなものなのだが。

 

「無駄な事はやめるのだな」

 

 詰まらなそうなタキオスの声が聞こえた。横島は決断は早かった。

 咄嗟にファーレーンを抱きしめる。彼女の匂いと、胸の柔らかさを存分に味わいつつ、こんな状況ですら煩悩をフル回転させて、横島は叫んだ。

 

「スゥゥーーパアァァァーー! サァァァイキックゥゥゥゥ! オォォーーラッッバリアーーー!!!!」

 

 スーパー系なノリで霊力とオーラを練りこんだ障壁を展開する。例えこの場に爆弾が落下してきてもびくともしない強靭なやつを。が、横島とファーレーンは宙に舞った。電車にでも轢かれたような圧倒的な衝撃が襲いかかって来たのだ。

 横島の腕に中にいるファーレーンは気絶したが、横島は必死に意識を繋ぎ止める。そして、ファーレーンを抱えて地面に着地して、彼女を地面に優しく置いて、『天秤』の力を引き出していく。

 

「意識があるか。心も折れていないようだな」

 

 ふらつきながらも、横島は右手に『天秤』を、左手に栄光の手を構える。状況は絶望など遥かに通り越した状況であったが、目はまだ輝きを失っていない。倒れているファーレーンを庇うようにタキオスの前に立ちふさがる。

 

「気概は認める。しかし、やめておけ。貴様では俺に傷一つどころか、一歩たりとも動かす事はできん」

 

「関係あるかーー!!ファーレーンさんは俺が狙ってんじゃあー!! それに、憧れの姉妹丼をぉぉぉぉー!!」

 

 左手の栄光の手を伸ばす。凄まじいスピードで迫る栄光の手だったが、タキオスの周囲には黒いオーラフォトンの壁が形成されて、軽々と受け止められてしまう。

 だが横島はそうなる事を完全に予想していた。止められた栄光の手を下に向けて曲げ、地面に突き刺す。そして、地面内部で栄光の手を爆発させた。

 タキオスの足元が吹き飛ぶ。動かす事などできないと言ったタキオスも、足場がなくなったのでは動かざるを得ない。タキオスは後ろに軽く跳んだ。

 

「簡単に一歩以上動いちまったな」

 

 ニヤリと横島は不敵に笑う。余裕たっぷりに口元を歪めて、犬歯が見えるような獰猛な笑みだ。

 

(た、頼むから怒らないでくれよ……バトルマニアならマニアっぽく……な!)

 

 顔とは裏腹に、心の中では情けの無い懇願をしていたりもするのだが、それを表に出さないのは一流の証だ。また、このような土壇場で栄光の手の扱いをレベルアップさせる所などが、訓練ではなく実践で成長するタイプだという事を示していた。

 ハッタリの重要性は雇用主と共に戦場を駆けてきたことでよく知っている。

 今やらなければいけない事は、ファーレーンに二度と注意が向かないよう、タキオスの興味を自分に向けることだ。横島は必死に逃げ出したい気持ちを抑えて不敵に振舞った。

 もっとも、タキオスにとって横島のハッタリなど気にすることではなかった。重要なのはただ一つ。今の一撃が感心を引く一撃だった事だけだ。

 

「貴様を強くするのは自己保身ではなく女か。女に対する強き想いが、貴様の根源であり、歪みの元となるか」

 

 今の一撃には意志があったのを、タキオスは感じていた。

 先ほどのように、追い詰められて苦し紛れの一撃では無い。

 柔軟性のある生きた攻撃。先ほどの防御も中々のものだった。

 消えたはずの興味が、また再燃してくる。

 

「面白い。機会を与えてやる。まずは回復してやろう」

 

 タキオスが黒い神剣を地面に突き刺す。辺りが黒い光で満たされる。すると、横島の体に力が戻ってきた。

 なんでもありなのかと、横島はひたすら筋肉に対する理不尽さに歯軋りする。

 

「次の一撃で俺を満足させてみろ。出来なければ、この女を犯し、壊す。お前の目の前でな」

 

 タキオスはそう静かに言って、腰を落として神剣を構える。

 これがラストチャンス。その事を横島は理解する。もしここで失敗すれば、ファーレーンは奪われる。間違いなく、最悪と呼べる形で。

 

 必死に考える。満足させる一撃とは何か。ただ強いだけの攻撃なら、先の一撃以上は不可能。

 それに強い攻撃を求められているわけでもない。満足できる一撃だ。横島はこの条件を、こう解釈した。

 想定外の一撃を欲していると。

 

 剣技では当然不可能。魔法もだめ。ならば霊力……これも厳しい。本命は文珠だが、敵が文珠を知っているなら、どのような事態が起こっても、文珠の効力だと納得されて終わりだろう。そもそも、文珠はもう無い。心理戦に持ち込むといっても、この男をギャグに引きずり込むのは至難の技だ。

 

(こいつはぜってえ見かけどおりの歳じゃねえ! おっさんがジジイだ!!)

 

 落ち着き払っているタキオスに、横島はそう決定付ける。

 冷静なバトルジャンキーが、これほど厄介なものだとは。

 一体どうすればいいのか。横島は死に物狂いで考えた。

 

 ――――自分を信じて。

 

 何時、何処で、どうして聞いたのかは分からない。

 だが、確かに何度も聞いたことがある声が響く。

 誇れるもの。信じられるもの。

 

(そんなの……一つしかねえじゃねえか!!)

 

 以前の横島なら、俺ほど信じられないものは無いと言っただろう。だが、今は違う。

 幾度も戦場を駆け抜けて、何度と無く死にかけて、それでも生きてきたのはこの力があったからだ。

 相手が神でも誇る事ができるものは、確かにあった。

 

「これが、俺の力だ!! 48の煩悩技……基本にして極意! 煩悩全開!!」

 

 横島の頭の中で、何人もの美女が現れては消えていく。まるアニメのオープニングのように。

 横島が誰にでも誇れるものといったら、これしかない。原初の欲望にして三大欲求の一つ。人の業。漢魂。

 すなわち、煩悩!!

 

「むぅおおお!!!」

 

 横島の魂は煩悩という最高の栄養を与えられてフル稼働を始める。

 凄まじい量の霊気が『天秤』に流れ込んでいく。

 流れ込んでくる霊力の多さに『天秤』は感嘆したが、次の瞬間に落胆することになる。

 確かに霊力は強くなったが、実際の威力は弱くなっている。理由は、横島が強い自我を持ったために『天秤』の支配が弱まったからだ。

 

(おろか者め。私がいなくては何もできない事を理解していない……未熟を知れ)

 

 ここでファーレーンが犯されて心が壊れたほうが良いかもしれない。『天秤』はそう考えた。目の前で絶望と無力感を味わえば、もう少し従順になるだろう。後に出る不具合の始末は、世界と自分ですればいい。

 

(さあ。それはどうかしらね?)

 

(なに?)

 

(女性のために戦うヨコシマは強いわ。誰よりも、何よりも、永遠よりも)

 

 自信、いや、確信を持って言い切ったルシオラに、『天秤』は僅かに不安に駆られる。まさか、万が一があるのではと。

 だが、即座にその考えを否定する。神剣の力を完全に引き出せていない状態の横島が、何かできるわけない。なんとかされてしまっては、自分が共にいる理由がないではないか。

 

「この一撃で、てめえは血を流す! これでもかってくらいにな!!」

 

「面白い。やってみろ」

 

 悠然と構えるタキオスに、横島は『天秤』を掲げながら突撃する。その動きは今までと別段変わり無い。タキオスは落胆しながら、その剣を悠々と受け止める―――――その瞬間だ!

 横島の顔面から赤い光線が発射される。効果音は、漫画に出てきそうな「ドピューン!」というものではなく、「ぶしゅうう!」と汚らしいものだ。鼻血だった。

 殺気も、命の危機も無い、ただの生理現象である鼻血にタキオスは虚を衝かれたようで、回避することはできずに全身が赤く染め上げられた。

 

「これが48の煩悩技……禁技、その1!! 鼻血大噴射!!」

 

 鼻血を出しすぎて貧血にでもなったのか、横島は青白い顔だったが、してやったりの顔で秘儀の口上を述べる。

 この技は煩悩全開をして霊力を上げてしまった事によって起こる、マイナスの副産物である。噴水のように湧き出る鼻血は、体力をごっそり奪い取ってしまう。だから、本来の使い方は、鼻血が出ないぎりぎりの所で煩悩全開をやめるのが正しい使い方だ。

 だが、横島はマイナスに属する鼻血をプラスに持ってきたのだ。発想の転換であり、ギャグキャラである横島としての力をフルに使った結果の技といえる。そして、横島の宣言通り、タキオスは確かに滴り落ちるほどの血を全身から流していた。横島のだが。

 

「まさか鼻血による一撃とは」

 

 普通なら鼻血を掛けられて満足する戦士などいないだろう。しかし、タキオスは違った。

 口の端を吊り上げ、ニヤリと笑みを浮かべる鼻血塗れのタキオスに、横島は色々な意味で一歩引く。

 普通は「そんなのありか!」と怒るか呆れるかのどちらかだろう。変わった性格の持ち主なら面白がるかもしれない。

 しかし、この男は違う。ただ、感心していた。

 

「これは大したことだぞ。俺は何億という猛者と戦い続けてきた。そのいずれもが、様々な戦術を駆使して俺に戦いを挑んできた。だが、性的興奮によって血圧を上昇させ、鼻血を噴出させてくる戦士は一人たりともいなかった」

 

 獰猛な笑みを浮かべるタキオスに、横島は一体この筋肉は何を言っているのだろうと、半ば現実逃避をしていた。

 鼻血を浴びせられた事などまるで問題にしていない。ただ、鼻血を戦術に組み込んだ事だけを評価している。真正だった。

 

「なるほど、こういったタイプだったか。候補者の中では最弱だが……中々楽しめそうだな」

 

 目の前には、鼻血を浴びながら満足そうに頷いている筋肉バトルジャンキー。

横島は嘆いた。どうしてこの世界にはこんな変態がいるのだと。真面目に生きている俺が、どうしてこんな目に合わなければいけないのだと。

 横島に変態と言われるようでは、このタキオスという男、おしまいである。

 

 なにはともあれ、これで満足してくれただろう。そう願ってタキオスを見ていた横島だが、ここであることに気づく。

 タキオスに掛かった鼻血がマナの霧に変化していく。だがそれはただのマナではない。多量の霊力を含んだ、本来なら絶対に存在しないマナである。

 

 横島は己の感が何かを囁くのを聞いた。ふと、意識を集中する。

 

 何の前触れも無く、タキオスは爆発した。爆煙が周囲を覆う。

 その爆発の規模はサイキックソーサーの比ではなく、文珠規模で、近くにいた横島を軽く吹き飛ばすほどだ。

 横島の顔が青ざめた。こんなことをするつもりはなかったのだ。ただ、なんとなく、こうなった。

 風が吹き、煙がはれる。

 

「この俺が……完全に虚を……」

 

 爆心の中心で、タキオスが呆然と立っていた。肌が僅かに変色している。確かに無敵ではないようだ。

 最善のタイミングに、最高のスピードで、最大のエネルギーを、急所に当てることが出来たなら倒すことは不可能ではないのかもしれない。

 タキオスはしばらく瞳を抜かれたようになっていたが、突然笑みを浮かべた。それは狂気の笑みだ。殺戮欲を形にしたような、純粋で、怒りも憎しみも無い透明な狂気。

 

「自身から離れたマナの遠隔操作……いや、霊力の操作か。更に言うのなら、霊力によるマナの操作だな。だから俺が感知できなかったか。しかも、この場でその術を編み出したようだな。天才というしかあるまい」

 

 タキオスの瞳が、子供が悪戯をするときのようにギラギラと輝いている。

 

 まずい!?

 

 横島はぞくっと怖気を感じて、理由は分からないが必死に体を捻った。

 

「がっ!」

 

 首筋に強烈な衝撃を感じて、思い切り地面に叩きつけられた。意識が朦朧として、視界がぼやける。

 

「意識があるか。数回打ち合わせただけで、もう俺の能力に対応し始める……大した勘と反射神経だな。くっ、もっと楽しみたいところだが……それは俺の役目ではないからな。貴様の戦いぶり、しかと見せてもらうぞ。それと、炊事洗濯技能は鍛えておけ。あの方はそういうのが得意ではないからな。それに貧乳には希少価値があることを忘れるな。受けも攻めも覚えておけ」

 

 だったら襲いかかってくんじゃねえ! つーか、何言ってんじゃこの筋肉は!! ロリコンだったのか!?

 

 文句を言おうと口を開こうとするが、首筋に再度の衝撃が来て、横島は完全に意識を失った。

 

 

『空間を越えて距離を零にしての一撃……流石ですタキオス様』

 

 気絶した横島を尻目に、『天秤』は恭しくタキオスに賞賛する。臣下の礼を感じさせるそれは、タキオスと『天秤』の関係を如実に表していた。

 タキオスはそんな賞賛をまるで聞かず、倒れた横島を興味深そうに眺めている。

 

『しかし、タキオス様、一体何ゆえにこの世界に』

 

「この世界に必要なものがあった。ゆえに取りにきた。それだけだ」

 

 そう言って、タキオスはふところから小さな光り輝く欠片を取りだした。本当に小さな硝子片にしか見えないそれは、この世界においてまぎれも無く異物だった。

 『天秤』は感じた。その異物からとてつもない力の奔流を。

 

『恐ろしいほどの力を感じますが』

 

「そうか……やはり俺には感じられん。なるほど、テムオリン様の言うとおり、正にこれは切り札になりうるか」

 

 なにやら納得したタキオスの様子に、『天秤』は不満だった。

 自分が知らないところで、何かが動いている。自分は完全に蚊帳の外のようだ。

 一体、『法皇』様は何をお考えになっているのか。信頼されていないのだろうか。

 そこまで考えて、『天秤』はこんな事を考えた自分を恥じた。

 知らされていないのは、それ相応の理由があるはずだ。駒に過ぎない自分が考える事ではない。

 

「しかし、この男にも困ったものです。最初はタキオス様からいかにして逃げるのか、合理的に判断していたと言うのに、ファーレーン・ブラックスピリットが現れ、命の危機になったら守るために戦おうとする……愚かしい事です」

 

 『天秤』は始め、横島の行動には満足していた。あの場から全力で逃げ出した事。それは紛れもなく正解であった。

 どう足掻いても埋められない戦力差、友好的ではない謎の存在、囚われた仲間。

 状況から考えれば、逃げる事以外に方法はなかった。無様だが、正しい判断だ。

 

 それから捕らえられ、逃げられなくなってからも、悪くなかった。

 命乞いをしながら、相手の性格を考えて、この状況を打開する方法を模索する。

 結局、相手の意にそう形でしか動かなかったが、それが一番の正解だろう。不用意な行動などしたら、一瞬で首と胴が切り離されるのだから。それに、役者としても横島とタキオスでは差が大きい。腹芸など意味も無いのだ。

 これらの行動は『天秤』を大いに満足させるものであった。

 しかし、ファーレーン・ブラックスピリットが現われてからの行動は最悪だった。情と欲に溺れ、理知的な行動をとれなくなってしまった。

 最良の選択はファーレーンを見捨てることだった。

 これに関しては、意見を述べる事もないほど当然の事だ。

 

「ふむ。『天秤』よ、貴様は主に完璧を求めているわけか」

 

『はい。より強く、高みを目指したいと考えています』

 

「一つ言っておこう。完璧と強さはイコールでは結べない。特に神剣使いにとってはな。弱さと強さがイコールで結ばれることもある」

 

 『天秤』にはタキオスが何を言っているのか分からなかった。

 

「もし、この男とお前が真にかみ合えば……面白そうだがな」

 

 結局、『天秤』にはタキオスの言っている事が何なのか、さっぱり分からなかった。

 

「では、贄のスピリットを返すぞ」

 

 タキオスは黒い巨大な神剣を空中に向かって振る。すると、空間に裂け目が生まれ、そこから気絶しているエニが落ちてきた。

 空間の裂け目は結構な高さにあって、エニは頭から落ちている。下手をすると首の骨を折るかもしれない。

 『天秤』は咄嗟にミニ触手を作り出し、それをエニの落下地点に飛ばした。

 ぐにょんと、触手をクッションにして、エニは無事、地面にその身を横たえる。

 

「大したものだ。オーラフォトン触手の構築速度、それに決断の早さはかなりのものだな」

 

 感心したようにタキオスが言う。

 触手。オーラフォトンで作られたそれは、女性を辱め、強制的にエクスタシーを迎えさせ、マナを奪うときに使う物だ。タキオスも触手を使えるが、それ以外に使う事は無い。だからこそ別目的に、しかも一瞬で作り出した『天秤』を賞賛した。

 もっとも『天秤』として咄嗟に動いたためであり、触手をそういう目的に使う事を考えもしなかったからなのだが。

 

「俺はこれで去る。戦巫女が睨んでいるようだからな」

 

 タキオスはゆっくりと背を向けて歩き出す。『天秤』はその背をじっと見ていた。あれが、いつか自分が到達する次元の存在なのだと感慨にふけりながら。

 

「ん……ううん」

 

 タキオスが視界から消えると、エニが身じろぎした。ごろごろと転がり、手足をばたばたさせる。相変わらず寝相がよろしくないようで、エニの事を心配して近づいてきたミニ触手を、彼女はガブリと噛み付いてしまう。もう、寝相がどうのという問題ではないのかもしれない。

 『天秤』が言葉を失っていると、ここでエニの目が開く。ふああぁぁ。ゆっくり起き上がり、大きなあくびを一つしてきょろきょろと辺りを見渡し、『天秤』の姿を認めるとぱあっと顔を輝かせた。

 

「おはようテン君!」

 

『……ああ、おはようだ』

 

「えへへ!」

 

 幸せそうに笑うエニ。

 『天秤』は何を言ったらいいのか分からなくなった。

 

(やれやれ、こちらの気も知らずに)

 

 胸の内でそう愚痴る。こちらの気とはどういう気だったのか。果たして『天秤』はどういう気になっていたのか、自分で説明することができたのだろうか。

 エニは『天秤』に会えたのが嬉しかったのかニコニコしていたが、周りの風景を見て、自分が何をしにここへ来たのか思い出した。すぐ傍で横島とファーレーンが倒れていたのだが、それはどうでもいいことだったので目に入らなかった。

 

「そうだ! 待っててテン君。すぐにマナ結晶見つけるから!」

 

 ばっと立ち上がるエニだったが、足元がふらついて倒れそうになる。

 この状況でまだマナ結晶を探そうとするエニに、『天秤』はイラッときた。

 

『無駄な事をするな。大体、エニはマナ結晶の形を知っているのか?』

 

「……知らないけど」

 

『それでどうやって見つけるつもりだったのだ? それに、どうして結晶を一人で取りに来た?』

 

「それは……だって」

 

『どれほどの迷惑を掛けたか分かっているのか。そして更に迷惑を掛ける気か』

 

「だって……だって!」

 

 エニの声が上ずる。目も赤くなって潤んでいた。

 『天秤』は何だか自分がエニを苛めているような気がして、とても悪いことをしているような気がしてきた。

 いや、自分が言っていることが正しいのだから、罪悪感を感じるなど可笑しいではないか。

 

(あ~あ、泣かせちゃった)

 

(泣かせてなどいない!)

 

 怒ったように叫ぶ『天秤』に、ルシオラは少し驚いたが、すぐにニヤニヤと笑い始める。

 その笑みをやめろと、怒鳴ろうと思ったが、何だか泥沼にはまっていきそうな気がしたので、肺も無いのに深呼吸して気を落ちつける。ここは冷静にエニに対処し、大人の威厳を見せつけてやろう。

 

『どうして、こんなに急に結晶を取りに来たのだ?』

 

 優しくエニに問いかける。

 エニはぶっちょう面のまま、口を少し尖らせて答えた。

 

「マナ結晶って、神剣が喜ぶものって聞いたから……」

 

『……なるほど、『無垢』に頼まれて取りにきたか。マナを求めるのは神剣の本能。これに逆らうのは世界の成り立ちを否定するような愚かなことだ。しかし、目先の欲に囚われるのも愚かとしか言いようがない。『無垢』にはその辺りを良く言い聞かせて、エニは自制という言葉を覚えておくのだな』

 

「ううん、『無垢』は関係ないよ。エニがテンくんにマナ結晶をプレゼントしようと思ってきたんだよ」

 

『なに?」

 

 『天秤』には、エニの言った事がまるで理解できなかった。無論、言った意味が分からないわけではない。何故そんなことをする必要があるのか分からないのだ。

 どうして自分は周りの言っている事がこうも理解できないのか。ここ最近、『天秤』はそんな事ばかり思っていたりもする。そんな時『天秤』は相手の思考がずれているのだと考え、賢者たる自分が相手に合わせなければと思っていた。何とも高慢で相手を見下しているのだが、相手を理解しようと必死になっているのだけは間違いない。

 

『私にか? なるほど、エニが強くなるよりも、私が強くなる方が、軍が強くなると考えたわけだな。それが正しいか正しくないかは置いておいて、それはエニが判断することではないぞ。脳には脳、手には手、足には足の役割がある。己の役割を認識し、分をわきまえた行動を考えるべきと思うが、どうだろうか?』

 

「テン君が何言ってるか分からないよ」

 

 ビシッと『天秤』は固まった。ルシオラはまだニヤニヤしていた。

 

「マナ結晶をテン君にプレゼントしたら……エニの事を好きになって……くれる、かなって」

 

 語尾が少しづつ小さくなっていく。

 期待と恐怖等、たくさんの色を持つエニの表情に、『天秤』は言葉にできない何かが込み上げてくるのを感じた。

 

『私が、エニのことを好きになるのが、エニの益になるのか?』

 

「うん。テン君がエニの事を好きになってくれたら……それは二番目に嬉しい事だよ」

 

 エニの告白に、『天秤』は困惑した。以前ならくだらないと、一言で切り捨てただろう。しかし、今の『天秤』は違う。

 横島達と暮らしてきて、感情に囚われるのは愚かなことであるが、しかしそれだけではないと、納得できるかどうかは別として、理解だけはしていた。

 

『私には……やはり解らぬ』

 

 考えた末、出た結論はやはりこれであった。

 エニに対して個人的好意を持ったとして、それがなんだと言うのだろうか。

 生殖行為などできないし、所帯を持って養うなどできるはずもない。やはり、何の意味もないではないか。

 

(貴方って、自分本位で色々考えるのに、自分の身になっては考えないわね)

 

 ルシオラの声が響く。また自分の態度を馬鹿にする言葉だが、何故かその響きは優しさに溢れていた。

 

(……私を馬鹿にするのか。ルシオラよ)

 

(違うわ。貴方の事がまた少し好きになったのよ)

 

 ルシオラは優しく笑う。また良く分からないものが『天秤』に湧き上がってくる。

 その湧き上がってくる正体不明なモノに栓をして塞ぐため、『天秤』は必死に声を重くして、拒絶するように言い放つ。

 

(私は、貴様が嫌いだ)

 

(そう……残念ね)

 

 嫌いと言われても、ルシオラは笑みを消さなかった。むしろ、笑みがより深くなったぐらいだ。

 まっすぐ見つめられて、『天秤』はどうしたら良いのかどきまぎして――――

 

「テン君……誰か他の女の子の事を考えてる」

 

 エニが乾いた声でぽつりと呟く。『天秤』とルシオラはぞくりとした。

 『天秤』はただ自分の考えていることが読まれたことによる恐れ。

 ルシオラは――――

 

(この子、怖いわ……)

 

 恐怖していた。本気の殺意をエニから感じたのだ。

 憎しみや怒りによって黒く染まった殺意ではない。真っ白で単純な殺意。

 端的に言えば「邪魔だから殺す」と言ったところか。

 単純明快。心の底から、悪。

 馬鹿らしい。ルシオラは即座に自身の考えを否定した。これはただ、子供特有の思慮無い精神から生まれたものだと。

 

『そんな事は無い。私はエニの事で一番悩んでいるのだからな』

 

 語気を強め、少し荒っぽくエニに向かって言い放つ。

 エニはしばらく疑わしそうな目で『天秤』を見つめたが、にへらと笑った。

 

『何が可笑しい』

 

「えへへ、エニは嬉しいんだよ」

 

 またもや意味が分からない。

 だから考える。今までの言動の中にエニを喜ばせる何かが含まれているのかを。

 しかし、どうしても分からない。喜ぶような事を言った覚えはない。

 

「だって、テンくんがエニの言った事で悩んでる……エニの言った事を考えてくれる。エニを見てくれているんだもん!!」

 

 そう言ってニッコリと笑うエニを見て、『天秤』は思わず視界を閉じた。エニの笑い顔を直視できなかったのだ。

 不思議な感覚と言えた。言葉で表すなら、熱いというのが一番近い。

 何故神剣である我が身が熱いという感覚を覚えているのか、『天秤』にはこれまた理解できない。ただ、不快ではない。どこか気持ち良く感じられる。だがここでも不可解な事があった。

 嫌ではないのに、心地良いのに、苦しい。何が苦しいのかと言われても、それが何なのか分からない。

 自分の内にあるにもかかわらず正体が不明な『それ』に、『天秤』は恐怖する。

 だが、その何かを消すための方法は、どういうわけだか『天秤』の知識内に存在した。

 

『ギップリャ!!』

 

 いきなり妙な叫びを上げた『天秤』に、エニは目をパチクリさせる。ルシオラは心の中で情けない男だと溜息をついた。正直に言って、『天秤』はへたれだった。いや、子供だった。

 

「ふえ? どうしたのテンくん」

 

『お前が臭すぎるのだ! 臭いときはギップリャと叫ぶのが礼儀らしい!!』

 

「ええ!? 酷いよテンくん……女の子に臭いだなんて……ぅぅ」

 

『ま、まて! 勘違いするな。別にお前の体が臭いのではなく、言葉が臭いというか……』

 

「うん、分かってるよ」

 

『っ!! き、貴様は!!』

 

「貴様じゃ無くて、エニだよ」

 

 悲しいぐらい『天秤』はエニに翻弄されていた。どちらが会話の主導権を握っているかなど、一目瞭然。二人の会話を聞いていたルシオラは、むず痒くてたまらなかった。私も横島ともっといちゃいちゃしたかったなあ、とほんの少しだけ嫉妬する。

 『天秤』はエニの能天気さにがっくりときていた。

 まったく子供だ。能天気で、煩くて、考えなしで、まったく……本当に――――

 

『しょうがない奴だ』

 

 その言葉は、本当に自然と出てきたものだった。特に何らかの意図があったわけではない。

 エニが笑って目の前にいて、そうしたらいつの間にか声が出ていた。その声に多くの温かみが含まれていただけの事。

 

「あっ、うっ」

 

 今まで主導権を握っていたエニが狼狽した。『天秤』自身も気づかぬ無意識の一撃が、エニの心を揺らす。

 エニは何も言わずに『天秤』を抱きしめる。いつもと違う雰囲気に、『天秤』はまたどきまぎして、ルシオラはワクワクしてその様子を見つめていた。

 その時、

 

「何をいちゃついてんだお前ら!!」

 

 ラブコメを破壊してくれる希望の星。エトランジェ・ヨコシマがようやく気がついてくれたようだ。ラブプラスに傾いていく空気が、彼を眠りから覚ましたのだろう。

 起きた横島に、エニは少しだけ残念そうにしたが、すぐに笑顔になった。

 

「お兄ちゃん邪魔すぎだよ」

 

「おい」

 

「もう少し寝てくれてれば良かったのに。それでお兄ちゃんは大丈夫?」

 

 あっけからんに言ってくるエニに、横島は完全に毒気を抜かれた。

 本来なら、軽く拳骨の一発や二発叩き込むところだが、どうにもそんな気が起きない。小悪魔。横島はエニの邪気の無い笑顔を見て、不思議とそう感じた。

 

「思っていてもそういう事は口に出すなって……とりあえず体は無事だ」

 

「うん。助けてくれてありがとう」

 

 しっかりと礼を言ってくれるのはいい事だが、やはり関心は『天秤』にあるようだ。

 お兄さんは悲しいぞ~と心の中でおどけて言う。命の危機から抜け出したことにより、妙なテンションになっているらしい。

 

「そ、そうだ! ファーレーンさん!? ファーレーンさんは!!」

 

 辺りを見回してファーレーンの姿を探す。ファーレーンはぐったりと倒れていたが、横島の声になんとか反応した。

 

「私はここです。体はなんとか大丈夫……です。起き上がれませんけど」

 

「駄目じゃないっすか! エニ、早く回復魔法だ]

 

「は~い」

 

 今迄ファーレーンを放置していたことの謝罪も何もなく、エニは笑いながら大地の祈りを捧げて、傷ついた体を癒す。ルシオラだけが不快気にエニを眺めていた。

 傷が癒えて、ファーレーンは立ち上がるとエニに礼を言って、そして横島の方を向いて頭を下げた。

 

「すいませんヨコシマ様。私のほうが足手まといになってしまって」

 

「気にすることないっすよ! 美人を助けるのは男として当然です!! それに俺の方だって助けられたんですから」

 

「本当にお優しいのですね。私はまだ、ヨコシマ様の直属の部下じゃないのに……」

 

「そんなじゃないっす! スピリットとか部下じゃなくて、ファーレーンさんが助けに来てくれたから嬉しくて、ファーレーンさんだから俺は頑張れたんですよ! 今度こそ俺が助ける番だって」

 

 少々臭い言い方だと横島も思ったが、それが事実だった。初めて会った時、バーンライトのスピリットに追われた時、そのどちらもファーレーンに庇われて、彼女を傷つけた。

 だから、という訳ではないが、よりファーレーンを守ると、横島は決心していたのだ。そこには煩悩と男の決意があった。

 

 まっすぐな横島の称賛に、本気で言ってくれているのだとファーレーンも気づく。今までも何度か容姿や性格を褒められたが、それは社交辞令のようなものだと思っていた。だから和やかに切り返しできたのだが、本気で言われて軽く受け流すことができるほど、ファーレーンは慣れていなかった。

 顔を赤くして俯き、小さく「ありがとうございます」と言うのが彼女の精いっぱいで、自分をここに導いてくれたハリオンにとても感謝した。

 そして、

 

「……早く、妹と一緒にヨコシマ様の部隊に入りたい」

 

 独り言のように、そう小さく漏らす。

 

(か、可愛いーー!! なんだこれ! 何だこれはーー!?)

 

 横島の脳内はファーレーン一色に染まった。もうこれはファーレーン祭りと言っても過言ではないだろう。

 

「あ……し、しかし驚きました! まさかダーツィのスピリットがこんなところにいるとは!」

 

 独り言を聞かれたと分かったファーレーンが、空気を変える為に話題を振る。真っ赤な顔で必死な姿に、横島はニヤニヤが止まらなかった。

 

「うん、お兄ちゃんが来なかったらエニ達死んじゃってたよ」

 

 マナ結晶を取りに来たエニ。それを迎えに来た横島。そこにダーツィのスピリットの集団がいたのだ。その場で戦闘になり、途中でファーレーンも参戦し、なんとか追い返した。

 そう、二人は語った。

 ファーレーン達の話から『天秤』は納得した。

 『世界』は、そういう設定にしたのかと。

 

『主も大変だったが、良くやったな』

 

「何言ってるんだよ? 俺らが会ったのは筋肉ムキムキ男だろ」

 

 横島の言葉に、『天秤』は言葉を失い、エニとファーレーンはきょとんとした。

 何を言っているのか分からない、そんな顔だ。

 

「お兄ちゃん……ボケたの?」

 

「はっ?」

 

「大丈夫! ちゃんと介護するから……ヘリオンお姉ちゃんが!」

 

「人任せは良くないぞって、俺はボケてない!」

 

「ボケた人は皆そう言うんだよ」

 

 何ら邪気の無い笑顔で言ってくるエニ。横島はイイ笑顔を作り、二つの拳をエニの頭に当てて、

 

「ぐりぐり攻撃~~!!」

 

「い~だ~い~! テンくんたすけて~!」

 

 助けて~と叫びながら『天秤』に向かって手を伸ばす。

 何となく『天秤』もエニに向かって腕を伸ばそうとしたが、彼には腕が無かった。

 その事実に『天秤』は悲鳴を上げて叫びたくなった。

 とてつもなく残酷な事実を、どうしようもない現実を突きつけられたような気がしていた。

 エニは、何故かそんな『天秤』を見て、とても楽しそうに笑った。

 

 エニをお仕置きした横島は、少し真面目な顔をしてファーレーンを見つめる。

 

「ファーレーンさん。俺らは、ダーツィのスピリットと戦ったんですね?」

 

「……あ、はい! ええと、恐らくは、です。ダーツィとの繋がりを示す部分はなかったですけど、現状を考えれば」

 

「ん、そうですか」

 

 横島は珍しく真面目な顔で何か考え込む。メタルスライムのように滅多に見られない表情だ。ファーレーンはそんな横島をじっと見つめた。その表情は少し赤い。ファーレーンは未だに横島の煩悩パワーを見ても触れてもいなかった。

 何だか、一種の詐欺にあっているようだ。

 

「まあ、いいか。知ろうとすると、頭痛やら吐き気やらで酷いし……その事はさておいて、何で顔を隠してたんですかファーレーンさん!? もったいない!」

 

 改めて横島はファーレーンを見つめた。

 髪はショートカットで、黒みがかった青色をしている。顔は丸顔で、目は少し垂れ目だ。

 優しいお姉さん風に見えるが、色気もあり可愛さもある。そして、ただ可愛いというだけではない。先の戦いの中での毅然とした態度、凛々しいたち振る舞いは、戦士というより騎士に近かった。

 

 戦っている時は格好良く、それ以外はおしとやかで可愛い、お姉さん風味。

 なにこれ、やばくね?

 トロンとした目で、横島はファーレーンを見つめた。

 

 一方、ファーレーンは熱っぽい目で見られ、軽く困惑していた。仮面にゴミでも付いているのかと思い、顔に手をやる。

 そして、気づく。今自分が、仮面をしていないことに。信じられないことに、ファーレーンは今の今まで仮面が外れていることを忘れていたのだ。本当に一瞬で顔が朱色に染まった。その顔をさらに見ようと、横島は顔をファーレーンに近づける。

 

「……きゃ、きゃああああ! 雲散霧消の太刀!!」

 

「うぎゃあああ!! 何故だ~~~!!」

 

「お兄ちゃんーー!!」

 

 お約束というか普段のバカが始まる。横島に顔を覗き込まれて、顔どころか全身を真っ赤にして混乱したファーレーンが永遠神剣『月光』を鞘から抜き放つ。鞘を利用して剣速を上げて、エーテル結合を分断させる音速の居合を横島に打ち込んだ。それを見てエニが悲鳴を上げるが、見てるだけ。しかも楽しそうに。

 完璧に見えたファーレーンだったが、たった一つ欠点があった。彼女は極度の赤面症で恥ずかしがり屋なのである。仮面無しでは人前に立てないのだ。これは対人関係において明らかな欠点だろうが、何故かチャームポイントに見えなくもない。美形はお得だ、という事はどこぞのバンパイアハーフで実証済みである。

 

 『天秤』はそんな馬鹿馬鹿しい乳繰り合いから思考をずらす。今さっきまで自分を締め付けるような思いも忘れることにした。

何故なら、世界設定を無視した事態が発生してしまったから。何故、どうしてと『天秤』は思考する。

 ただ一つ分かったことは、また頭痛の種が増えてしまった事。それだけであった。

 

 

「それで、マナ結晶の方はどうしたんですか」

 

「………………あっ」

 

 

 

「それで、上手くいったんだ」

 

「うん。エニとテンくんの仲はもう、東西南北中央不敗って感じだよ!!」

 

 牢獄の中でエニとルルーが談笑していた。エニはあの後叱られて、頭に大きなたんこぶを作っていたが、まったく気にせず笑っている。ルルーはそんなエニに呆れつつも穏やかに笑っていた。

 

 もうルルーに会いに行く必要はないかもしれない。エニはそう考えていたが、ちゃんとルルーの言った事が役に立って『天秤』と仲良くなれたので、もっと良い情報が聞き出せるかもしれないと期待したのだ。役に立つか立たないか、それがエニにとっての判断基準だった。

 

「ねえ! 他には他には!」

 

 目をキラキラと輝かせて、鉄格子の中に入ってきそうな勢いのエニに、ルルーは苦笑いを浮かべる。

 

「そんなに焦んなくても大丈夫だよ。まだまだ時間はたっぷりあるんだから」

 

 ルルーはそう言ったが、エニは不満そうに唇を尖らせた。

 

「……だって、エニはいつどうなるか分からないもん」

 

 戦う事を宿命とされているスピリット。殺し合いが日常である以上、いつ死んでもおかしくない。

 ルルーの中で、エニが自分を慕ってくれていた後輩スピリットと重なった。胸元にある人形を見ると、どうしても目頭が熱くなる。

 

「そんな事ないって! それとも何か気になることでもあるの?」

 

「うん。電波がね、『お兄ちゃんをツルペタ属性にできないなら、さっさと終わらせちゃいましょう!』って言ってるんだよ。自分勝手だよね」

 

「デ、デンパ?」

 

「うん。電波。とっても最悪で、性悪で、男の子に嫌われるタイプの――――」

 

 その先の言葉はルルーには良く聞き取れなかった。自嘲めいた表情で確かに何かを呟いたのだが。

 一体デンパとは何なのか。聞いたことのない単語にルルーは頭を捻る。一つ分かったのは、エニがそのデンパを非常に恐れて嫌ってるということ。

 

「大丈夫! 私が……ルルーお姉ちゃんがエニを守ってあげるから!!」

 

 今度こそ守ってみせる。そう決意する。姉は妹を守るものだ。青の瞳がキラキラと輝いた。

 エニは一瞬見惚れた。ルルーの顔は、勇敢な少年のように凛々しく、同時に純朴な少女のように温かい。

 心の中がギュッと熱くなり満たされる。それに呼応するかのように黒い欲求が鎌首をもたげた。

 

(あ~あ……どうしてなんだろう。どうしてエニは)

 

 エニは内心で愚痴る。

 どうして自分は『こう』なのか。どうして『そのように』生まれたのか。

 その疑問に答えてくれるものはいない。ただ分かっているのは、これは紛れもなく自分自身であり、虚構でも操られているわけではないという事。電波に操られているわけではなく、自分の意思だ。残念な事に。

 

「どうしたの。大丈夫!」

 

 様子が可笑しいエニを心配して、牢屋から身を乗り出さんばかりのルルーの姿を見て、ああなるほどと納得する。

 このスピリットは、『天秤』と自分の物語を彩るエッセンスなのだ。

 

「ううん。何でも無いよ。あり、がと」

 

 どこか歯切れが悪そうに、でも嬉しそうに、はにかみながらエニはお礼を言った。

 

「でも、牢屋の中じゃ無理だね、えへへ」

 

「ううっ」

 

 痛いところを突かれたと、ルルーは困ったような顔で鼻をかいた。その様子を見て、エニは悪戯っぽく笑う。

 

「早く出てきた方がいいよ! このままだと、ルルーお姉ちゃんのお姉ちゃん達が……」

 

「なに!? やっぱりあのエトランジェがお姉ちゃん達に何か変な事を!!」

 

「うん、このままじゃにゃ~んになっちゃうよ!」

 

「だから、にゃ~んって何なの!?」

 

 百面相の様に表情を変えるルルー。そんなルルーを見て笑うエニ。

 牢屋という、陰気で恨みと悔恨が渦巻く空間にエニの笑い声が響き渡る。屈託なく笑うエニだが、何か不自然とルルーは思った。

 僅かな光に照らされるエニの姿は、何故か儚く見えたのだ。

 どこか様子が変だと、ルルーは気づく。

 

「ねえ、何か悩みでもあるの? お姉ちゃんに何でも話していいんだよ」

 

「ないよ。エニは、テン君と仲良くなりたいだけだもん。エニには……私には……それだけ。テン君のためなら何だって出来るし、やって見せるんだから」

 

 そう言ってエニは透明な笑顔を浮かべる。それは余りに純粋すぎて、そこに不純物が混じることはない。

 彼女の前では全て、「テン君」と「それ以外」で別けられる。仲間も敵も、『天秤』では無い存在というだけ。

 

 ルルーの胸が締め付けられる。どうしてこんな笑顔ができるのか。

 一刻も早くエニと、そのテン君という少年をくっ付けなければ。そんな焦燥に駆られた。

 

「そうだ! じゃあ、こういうプレゼントはどうかな」

 

 ルルーの口から語られた案は、エニの興味を刺激し、すぐにその計画をされることとなる。

 それが、自分の生きた証になるだろうと、エニは確信していた。

 

 



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第十六話 ダーツィ攻略戦 前編

 

『どういう事か、説明をお願いします。『法皇』様』

 

「そうですわね」

 

 『天秤』と幼女は黒い空間で、いつもの怪しげな密談を始める。ただ、いつもの、と言うと少し語弊があるかもしれない。いつもは幼女主導で始まる会話が、今回は『天秤』がメインで話が進んでいるからだ。

 

『疑問点がいくつかあります。タキオス様は、私を候補者の中で最弱と呼びました。候補者とはどういう意味でしょう?

 私で決定だったはずです。だからこそ、私は『あの』力を授かり、ルシオラと彼女らは……

 それに不可思議な点があります。横島がタキオス様の事を覚えています。これはありえないことです。記憶を操作しようにも、正直インパクトがありすぎたようで、考えないようにするのが精一杯で、削除は不可能でしょう。計画に何らかの支障を来たす恐れもあります。

 一体何故タキオス様はあのような場所にいたのか、またどうして記憶があるのか。駒の身ではありますが、差支えが無ければ教えていただけないでしょうか』

 

 危機感を煽るように語調を強め、怒涛の勢いで話す『天秤』だったが、幼女は表情を微笑から動かさない。事態を理解していないのかと、『天秤』は不安になった。それとも、タキオスと横島の接触は予定されたものなのかもしれない。だから慌てていないのか。

 そう考えた『天秤』だったが、すぐにその考えを打ち消す。あれは間違いなく、本当に偶然だった。あの世界の予定された偶然ではなく、真の意味での偶然だ。頑強な要塞が針の一刺しから崩れる事もある。その危険を『天秤』は伝えたかった。

 

「申し訳ありません。訳あって、全てを話す事はできませんの。ただ、このことだけは忘れないでください。私は、何があっても貴方の味方です」

 

 微笑をといて、すまなさそうに頭を下げる己の上司に、『天秤』は肝を冷やした。上位の存在に頭を下げさせるなどあってはいけないことだ。

 

『も、申し訳ありません! 少々興奮してしまったようで……』

 

「部下の懸案を聞くのも上司の務めですわ。言いたいことは何でも言ってください。可能な限り、貴方の意見を聞き入れますわ」

 

『あ、ありがとうございます!!』

 

 感激したように礼を言う『天秤』に、それをにこやかに受ける幼女。緊張していた空気が和らいだ。

 実際のところ、不満も不安も何一つ具体的に解決していない。なのに、少し褒められただけで彼は満足してしまっていた。はっきり言ってしまえば、『天秤』の扱いは非常に楽である。鞭は感謝して受けて、ほんの少しの飴だけでコロッと機嫌を良くしてしまうのだから。

 だがそれは、ここ最近の『天秤』の扱いの所為もある。

 ろくに力を引き出してくれない契約者。なんだかんだと小言を四六時中言ってくるルシオラ。中々思い通りに行かない計画。『天秤』は基本的に自信家だ。与えられた知識と、裏の事情を知っていることから、どうしても周りを見下して高圧的になってしまう。はっきり言って嫌な奴なのだが、横島もルシオラも意外と大目に見ている節がある。

 それは、『天秤』がまだ幼い子供だと理解しているからだ。子供の背伸びを微笑ましく見ている兄や姉のような心境なのだろう。それが『天秤』には許せない。だからこそ大人ぶろうとして、より子供として見られる。悪循環だった。

 

「フフ」

 

 唐突に幼女が笑みを浮かべる。

 

『何か可笑しい所でもありましたか』

 

「いえ、貴方の百面相ぶりが面白くて」

 

『私に顔はありませんが……』

 

 その憮然とした声に、幼女は抑えきれないように笑みを零した。

 ふと、『天秤』は既視感を覚えた。以前、確かに同じような事があったような気がした。記憶を辿り、すぐに思い出す。エニと似たような会話をした事があった。

 まさか二人は似ているのかと考え、慌てて打ち消す。力も知性も、腸炎ビブリオとモモンガぐらいに違う。こんな事を考えたら、それだけで不敬罪だ。

 

「では、今回はこれで終了です。引き続き彼の事をお願いしますわ……テン君」

 

 声を失った『天秤』の姿に、幼女は楽しげな笑い声を暗黒の空間に響かせた。

 

 

 永遠の煩悩者 

 

 第十六話 ダーツィ攻略戦 前編

 

 

 その地は、破壊と生命で満ちていた。

 不自然にめくり上がった大地に、溶けた岩の跡。焦げ付いた地面に、凍りついた大樹。そのすぐ傍にはいろとりどりの花が咲き誇り、蝶やバッタ等の虫が飛び回っている。

 およそ自然現象ではありえないその異型な土地の中を、白、青、赤、緑、黒のカラフルな服を着た武装した集団がいて、白い羽織を着たツンツン頭の青年が難しそうな顔をして唸っていた。悠人だ。

 

「この辺りがいいと思うんだけど……どうだ?」

 

 悠人がメイド服の美女に問いかける。メイド―――エスペリアは後方に存在する町との距離と、周囲の地形を見渡し、ゆっくりと頷いた。

 

「はい。問題ありません。高台で周囲が見渡しやすく、なによりここは緑マナが満ちています。グリーンスピリット中心とした堅実な戦いを行うのなら、周辺でこれ以上適した地はありません。それにどうやら、こういった場面で使う地形と想定されていたようです」

 

 エスペリアから及第点が貰えたことで、悠人はほっと息を吐いた。日々の勉強が無駄になっていない。それが、仲間を守ることにつながっていく。それがとても嬉しかった。しかし、すぐに顔を引き締める。が、すぐに顰めた。

 

「横島! お前も早く神剣出して準備しろ!! 

「はいほいへ~い」

「はい、は一回……って一回か」

「ふっ、悠人敗れたり!!」

「ふざけてないで真面目にしなさい!」

「ういっす!!」

「やれやれ、これじゃあセリアが隊長見たいなものね」

 

 漫才のようなやり取りに、怒り、苦笑、笑み、を幾人が浮かべた。しかし、止めようとする者はいなかった。

 何故か。それは、全員がそのやり取りを完全に不快とは思っておらず、また悠人と横島の心中を察していたからだ。

 これから罪の無い美少女達を殺す事への心労を少しでも和らげようという思惑があった。言っても無駄だと、諦めているとも言う。

 

 バーンライト攻略戦から一ヶ月後。横島とエニがダーツィの(と思われる)スピリットと交戦した(とされている)二週間後。

 遂にダーツィ大公国がスピリットを出撃させ、旧バーンライト首都に進軍を始めた。宣戦布告から一ヶ月、ようやくその重い腰を上げたのである。

 それに伴い、ラキオスも第一詰所、第二詰所、そして第三詰所の一部のスピリットを迎撃に向かわせる事になった。第三詰め所のスピリットは後方の拠点を守ることが主な役割で、前線には出ないがこれも重要な役割である。

 幸いにも敵の動きは遅く、待ち受けることが容易だった。マナもエーテルに変換が終了して、一ヶ月の時間はラキオスを大きく有利にしていた。

 

「それじゃあ迎撃用の陣形だけど、何か意見は……」

 

 悠人が皆に意見を求める。一人で何もかも決めることもできるが、自分はまだまだ戦いに関して素人だということを理解していた。隊長として広く意見を求め、決断し、結果がどうなろうと責任は取る。それが今の自分にできる精一杯だと悠人は分かっていたのだ。

 手が挙がった。セリアだ。

 

「今度の戦いでは、ヨコシマ様を前面に配置しないよう提案します」

 

 平坦な、しかし確かな意思を感じさせる声でセリアが発言する。横島は頭に疑問符を浮かべた。

 

「何でだ」

 

「簡単です。貴方が信用できないからです」

 

 横島の顔が引き攣った。一つ屋根の下で暮らしてきて、もう三ヶ月にもなる。意見の違いから衝突することもあるが、それでも信頼を勝ち取り始めていると思っていた。しかし、面と向かってこうもきっぱり言われては、それは幻想だったという事か。

 

「もう~なんでそんな勘違いされそうな言い方するんですか~つまりセリアさんが言いたいのは~ヨコシマ様がスピリットさん達を殺して泣く姿を見たくないって~ことなんですよ~」

 

「ちょっと! そんな事一言も言ってないわよ!!」

 

 顔を赤くして否定したセリアだったが、ハリオンが言った事が当たっていると全員が分かった。というよりも、それは第二詰所のメンバー全員が多かれ少なかれ目標としていることなのだ。

 そんなセリア達の想いに、横島は微妙な表情をした。

 

「……なんつーか、それって隊長としてかなり情けないような……」

 

『ような……では無く、情けないだ』

 

 憮然とした声が横島の頭の中で響く。『天秤』としても、己の主が軽く見られていることが不満であった。そして、言い返すことができない事にさらに大きな不満があった。

 横島は腕を組んで、うーむ、と唸る。

 仲間を戦わせて、自分は影から応援する。これは望むところである。だが、副隊長である自分がそんな事でいいのか。一応、これでも戦闘の訓練は毎日つんできているし、刃で肉を切り裂く作業も日課のようなものだ……主に悠人相手にだが。

 

「後ろでどっしりと構えるのも隊長の仕事です。ヨコシマ様がこの中で一番強いのは分かっているので、そう卑屈にならないでください」

 

「報告では、相手の戦力は極少数です。ヨコシマ様が出なくも問題は無いと思われます」

 

「ヨコシマ様は~秘密兵器なんですよ~。一番強い人を~秘密にするのは当然じゃないですか~」

 

 悩む横島に、ヒミカ、ナナルゥ、ハリオンが畳み掛けるように訴える。理由はそれぞれ違うが、横島が戦う必要ないと訴えた。その中でも特に横島の琴線に触れたのはハリオンの発言だ。

 秘密兵器。何とも心地良い響きである。

 

「秘密兵器……悪くない、悪くないぞー!」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべる横島に、セリア達は安堵した。とりあえず、自分達の考えどおりになったと。

 第二詰め所年長のスピリット組は、事前にある打ち合わせをしていた。

 それは、横島の運用方法についてだ。

 全員が横島の心の脆さについて大体のところで悟っていた。彼は女性が殺せない。いや、厳密に言えば殺せる事は殺せる。だが、それは本当にぎりぎりまで追い込んで、ようやくといったところだ。

 ただでさえ精神力を消耗する高位永遠神剣を使うのに、そう何度も精神を瀬戸際まで追い詰めていたら壊れてしまう。しかし、単騎で龍すら打ち滅ぼすことが可能な、最強の戦力である横島を遊ばせておくのは余りにも惜しい。

 

 ハリオン達は真面目に横島をどう使うか考えた。結果的に、いざという時の切り札という形になったのである。逆に言えば、それ以外に使い方が無かったのだ。

 このような形になったのは、横島に対する評価が原因だった。

 いざという時でなければ使い物にならない。逆の言い方をすれば、本当に自分達が危険なときは絶対に助けてくれる。

 信頼しているのだか、信頼していないのだか、セリア達自身もよくわかっていない横島の評価。短所と長所がどちらも大きい人なのだと、割り切って共に戦うのが吉。そうセリア達は考えていた。隊員が隊長の運用を考えるなど、まったくもってどちらが隊長なのか分からない。逆に言えば、横島のカリスマ――――もとい、弱さが隊員の士気と自発性を高めているとも言えるが、これは結果論であって褒められたものではなく、褒めてはいけない。

 また、横島を使いたくない理由の一つに、同じエトランジェである悠人の存在も影響している。

 現時点で、悠人は弱い。攻撃、防御、神剣魔法と力だけは凄まじいのだが、それを生かす術に乏しい。毎日の訓練で技術は確かに上がっているが、実践で訓練の成果を出せなければ意味が無い。エスペリア達は数多くの実践に悠人を引っ張りたかった。

 だが、もし横島が前面に出て戦えば、悠人が戦う機会が減ってしまう。あの、かわす隙間の無いオーラの雨を降らされたら、それだけで勝負が決まってしまいかねない。間違いなくラキオス最強は横島なのだ。それも群を抜いている。

 これからの戦争を考えるのなら、横島ではなく悠人を鍛え上げたいのだ。

 

 このような計算に乗せられているとは微塵も気づかない横島は、未だに笑っている。

 何だか情けない横島だが、実は言うと決してリーダーとしての資質が低いわけではない。

 リーダーに必要な要素は、数限りなくある。信頼、カリスマ、判断能力、財力、権力。なんにしても必要なのは、リーダーと部下の関係が一方通行になってはいけない事だ。

 横島の魅力には、この人を放っておけない、というものがある。良い意味でも悪い意味でもだ。

 セリアやヒミカは、自分がいなければ常識はずれな横島が何をするか心配なので見ておかなければいけない、なんていう妙な使命感すら持っている。子供達にとっては大切で頼れる兄貴分だ。認めてもらいたい相手でもある。ナナルゥ辺りは表情が無いので微妙だが、恐ろしく影響を受けまくっている事は疑問を挟む余地が無い。

 個人個人の思惑は微妙に違うが、横島の所為で、あるいは横島の為に、と彼女らの士気は非常に高い。

 もちろん横島にとってスピリット達は美人の集団で、いつかはハーレムにしてやると煩悩を燃やしていた。

 絶対的な信頼や好意、あるいは能力を持っていなくても横島は十分リーダーとしてやっていけると言えた。少なくとも、横島なりのリーダーにはなっているだろう。あくまで副隊長であるというのもセリアたちが安心できる要素でもある。

 なにはともあれ、バーンライトとの決戦時よりは精神的に安定した状態で戦えるのは間違いない。

 

「どうやら来たようです」

 

 近づいてくる神剣の反応。

 全員が神剣の力を引き出して、スピリット達の頭上にハイロゥが輝き、エトランジェの足元には魔方陣が形成される。

 彼らは万全の態勢で敵が来るのを待った。

 

 

 やってきた敵スピリットと対峙して、横島が始めにこう思った。 

 ふざけている。

 それは隣にいる悠人も同じで、敵を哀れに思ったくらいだ。少数とは聞いてはいたが、まさかこれほどとは。

 ダーツィのスピリット達は皆若く、最年長でも十五歳程度でしかない。しかもその人数は僅か七人。どれも大した力を持っているとは到底思えなかった。

 さらにその陣容は、レッドスピリットとブラックスピリットだけという歪なもの。人間の指揮官も居ないから融通も利かない。

 一体敵は何を考えてこんなスピリットを送り込んできたのか。悠人と横島は頭を捻った。

 

「なるほど」

 

 エスペリアは敵のスピリット達を見て、あらかたの事は察したようだ。

 

「エスペリア、これは罠か? 何か相手に策があるとか」

 

「罠ではありません。ただ……」

 

 悠人の問いに、エスペリアは自分の考えを言うか迷った。

 言ってしまえば、間違いなく優しい我らの隊長達は戦意が鈍ることであろう。

 隊長達が迷えば、その迷いは自分達、特に子供達には大きく降りかかる事となる。それだけは避けたい所だが、隊長に問われて答えないわけにはいかない。

 どうしたものかと、エスペリアが思案していると、

 

「敵の事情など、どうでもいいことです」

 

 横から、セリアが毅然とした声で発言した。

 次いで、ヒミカが発言する。

 

「ユート様がやらなければいけない事は、私達を指揮して、勝利を得て、少しでも実践の経験を積むこと。ヨコシマ様がやらなければいけない事は、敵を倒したネリー達を褒めてあげることです……理由は言わなくても存じているはずです」

 

 睨み付けるとまでは行かなくても、厳しい視線をヒミカは横島に送る。

 以前と同じ失敗は許さない。そうヒミカの目は告げていた。

 横島は少し離れた所にいるネリー達に目をやってみる。彼女たちは元気百倍殺る気千倍といったぐらいに燃えていた。もしここで彼女らの戦意を萎えさせるような事をしたら、隊長失格どころか、もはや敵ではないかと疑われても仕方ないだろう。

 ようやく、横島の心が定まった。ここは彼女らの心を汲んでやらねばならない。

 

「ネリー、シアー、ヘリオン! しっかり見ててやるから、頑張って……殺して来い! 皆も怪我無い様にな。悠人はどうでもいいけど」

 

「おおー!!」

 

「おい」

 

 横島の軽口に悠人が突っ込み、ネリ―達は歓声を上げる。まったくと肩を落とした悠人だったが、自身の緊張が抜けたことに気づいて苦笑いを浮かべた。

 自分に出来ない事が横島にはできる。ならば、俺は横島に出来ない事をやれるようになろうと心に決める。

 

「アタックはネリー、シアー、ヘリオンだ!! アセリア、セリアは確実にレッドスピリットの魔法を阻止、エスペリアとハリオン及びエニは回復と防御を臨機応変に! 他は危なくなったらすぐにサポートを!! ブラックスピリットは素早いから、囲まれないように注意だ」

 

 悠人の指令に全員が頷く。基本に則った教本通りの指示だが、戦力差があるならこれ以上正しい指揮は無かった。

 それに、下手に奇をてらった指示を実行できるほど、スピリット達は柔軟に出来てはいない。普段の訓練を生かせるようにした方がいいのだ。ノリと悪知恵でその場を切り抜ける事ができる、どこぞのGS達とは違うのだから。

 

「それじゃあ見ててね! 行こう、シアー」

 

「うん。えーい!」

 

「私も行きます!!」

 

 アタッカーの三人は勢い良く敵に向かっていく。

 

「援護いくよー」

 

 飛び出した三人に、エニが防御魔法を掛け始める。緑色のマナがネリー達を包みこんでいった。

 その光景にエスペリアが目を見張る。

 

「あれは……ガイアブレスですね。驚きました。あの歳、あの経験量でこれほどのことを……天賦の才としかいいようがありません。オルファが言った事は、あながち……」

 

 高位の防御補助魔法をあっさりと使うエニに、エスペリアは期待に胸を膨らませていた。生まれてまだ二ヶ月程度。それだけの時間で神剣の力を十二分に引き出す事に成功している。しかも、神剣に心奪われずに。

 確かに体は小さく、経験も絶対的に足りないが、才能だけは誰にも負けていない。このまま成長していけば、アセリアや自分よりも強くなる。それどころか、スピリット最強と呼ばれている漆黒の翼にも手が届くかもしれない。

 幼き天才に、エスペリアは思わず拳を強く握っていた。

 

 ネリー達の活躍も十分だった。

 前回の反省を踏まえてか、無為に突っ込んだりはしない。最低でも一対一で戦える位置取りで、味方の援護も受けやすい位置で戦いを開始する。

 一番の危惧は良いところ見せようとして無茶な行動を取らないかだったが、それは杞憂だった。

 ハリオンがネリー達に言った事はちゃんと効いていたらしい。

 彼女は戦闘が始まる前にこう言ったのだ。

 

「敵を倒しても~無茶をして傷ついたら怪我の心配で、ユート様もヨコシマ様も褒めてくれませんよ~」

 

 それは、確かに事実だろう。

 だからこそ、ネリー達は無理せずに仲間との連携を大事にしながら戦いを続けた。

 首が飛んで、一人。

 胸に穴が開いて、二人。

 両手足が切断されて、三人。

 頭から左右均等に分かれて、四人。

 確実に敵の戦力を削いでいく。数も地力も違う。それはさながら詰め将棋のようで、適切な手を打っていけば決して負ける事のない戦いであった。

 

「うおー! ガンバレー! 負けんなー! 力の限り、生きてーやれー!!」

 

 後ろでは横島が旗を振って応援している。これはこれで本領発揮だ。何だかとっても自然である。後方から情けなく応援しているだけに見えるが、ちゃんと『天秤』を握っているところから、いざという時の為に飛び出す準備だけはしているのだろう。

 ベストな戦いではないが、ベターな戦い方。そんな感じだった。

 

 ヘリオンの居合いが敵ブラックスピリットの全身を赤く染め上げる。薄く体中を切り刻まれて、痛みで顔を歪ませながらも、必死で間合いを取ろうとするブラックスピリット。

 ネリーは全力で追いすがり、『静寂』を振り下ろす。

 それをぎりぎりで受け流すブラックスピリット。しかし、自身の体勢も崩れてしまう。

 最後にシアーがとどめを刺す形で空から翼をはためかせ、相手の脳天に神剣『孤独』を突きいれた。五人。

 

 ネリー達は強くなっていた。少なくとも、セリア達でも油断はできないぐらいに。

 シアーが五人目のスピリットを倒した時、辺りから敵の神剣反応が無くなった。まだ二人残っていたはずだが、周囲に姿は見えない。

 悠人は警戒を緩めないように指示を出しながら全員に集合の命令を出した。

 ぞろぞろと皆が集まる。

 

「見てた見てた! ネリー達のだぁいかつや~く!!」 

 

「シアーもがんばったの」

 

「私だってがんばりました!」

 

「ああ、俺の命令で、俺の為に、精一杯がんばってくれたんだ。よくやったぞ!」

 

 横島はそう言って三人の頭を撫でる。ネリー達はそれを気持ちよさそうに目を細めて受けた。

 よくやった。格好良かった。強かった。何度も何度も褒めながら頭を撫でる。

 

「なで~なで~」

 

「あの……ハリオンさん。どうして俺の頭を撫でるんすか?」

 

 子供たちを撫でていたら、何故かハリオンがニコニコしながら横島の頭を撫でていた。

 

「がんばった人を褒めるのは当然じゃないですかぁ~本当にありがとございます~」

 

 横島の頭を撫でていたハリオンの手が頬に当てられた。そして、いつも以上に優しく、横島に笑みを向ける。

 青ざめていた横島の顔に赤みが差した。

 可愛い女の子達が断末魔の悲鳴を上げながら消えていく。それを見て笑い喜び、ネリー達を褒めてやる。

 これは非常に心を疲れさせる作業であった。異世界の常識がある横島にとって、この世界のスピリット達は同情の対象にしかならない。

 もっといい方法がネリー達にも、敵のスピリットにも、あったのではないか。どうしても後悔の念が消えることはない。

 ハリオンはそんな横島の思いを分かっていたのだろう。

 

 横島はハリオンに感謝した。ものすご~く感謝した。

 だから、彼の思考はこう動く。

 こんなに優しく接されたら、こちらも何かお返ししなければいけない!

 主に体で!!

 

 どうしてそう思考が邪に向かうのか。それは言うまでも無く、横島だからだろう。

 横島の手がそろ~りとハリオンに背に回されて、さらにゆっくりと下に向けて……

 

「エッチな事をしたら~ここでナデナデ終了ですよ~」

 

「そ、そんな殺生なー! くそっ、俺は一体どうすれば……」

 

「大人しくお姉さんのナデナデに身を任せてください~」

 

 心底楽しそうに横島の頭を撫でるハリオンと、ハリオンの体に手を伸ばしては引っ込める横島。

 そんな二人に赤い影が近づいた。

 

「こんな時に何をやっているのですか! ヨコシマ様! ハリオンも!」

 

 戦闘が終わったとはいえ、緩みに緩みまくっている二人に生真面目なヒミカが注意する。いくら神剣反応のお陰で奇襲がほぼ無いとはいえ、あまり気を抜くのは良いとは言えない。熟練のスピリットなら反応を極限まで消してギリギリまで忍び寄ってくる、なんて事だって不可能では無いのだ。

 ヒミカの注意に、ハリオンは横島を放して、納得行かないように唇を尖らせた。

 

「別にいいじゃないですか~私がやらなかったら~ヒミカが同じことしてくれたんでしょ~」

 

「そこまでするつもりはないわよ!」

 

「じゃあ、どこまでならするつもりだったんですか~」

 

 しまった、とヒミカは顔を顰めた。

 ヒミカはただ、横島の事を褒めて感謝するつもりなだけだった。ネリー達を褒めてくれた事、そしてなにより、ネリー達、いや自分たちの業を背負うと言外に語ってくれた事に対して。

 この後、横島がどういう行動を取るか、ヒミカには容易に想像がついた。

「そんなに俺の事を愛してくれてたなんて! 横島感激ーーー!!」とでも言って飛び掛ってくるのだろう。

 身を固くしてヒミカは横島の来襲に備えるのだが……

 

「ありがとな、ヒミカ。俺のこと気にしててくれて!」

 

「え? あ、はい……」

 

 好青年のように明るく素直な笑みで礼を言う横島に、ヒミカは驚き、頬が少しだけ赤く染まる。真面目にちゃんとしていれば、それなりに整った顔立ちなのだ。

 『もう少し真面目ならほにゃららら』というのはヒミカの談である。このほにゃらららの部分に尊敬が入るのか愛情が入るのかは彼女自身も良く分かってはいない。

 ヒミカはそっぽを向いた。横島に赤くなった頬を見られたくなかったのだ。

 当然横島はそんな可愛い仕草をされて、黙っていられる男では無いわけで。

 

「あんな事や、こんな事! さらにはそんなことまでしてくれるなんて! 横島感激ーー!!」

 

「キャア! 時間差で来るなんて、貴方はどうしてオチをつけずにいられない……ひん! どこ触ってるの!? このお!」

 

「こらー! もっと頭撫でろ~!」

 

「な~で~ろ~」

 

「頭を押し付けるなー! いや~そこはだめ~!!」

 

「わ、私は頬とか肩とか撫でて……うう~言えないです~」

 

「まったく、緊張感の欠片もないんだから」

 

「興味深いです」

 

「…………」

 

(まあ、暗くなるよりはいいんだろうな)

 

 慌てる横島。胃の辺りを押さえるヒミカ。じっと観察するナナルゥ。嫌がる横島が面白いのか、股間に頭突きするネリーとシアー。どこかを見ながら顔を赤くするヘリオン。エニだけはどうしてかすまし顔をしていたが。悠人はその光景を一歩離れた所から見守る。

 その時だった。

 少し離れた所にある林から爆発音が上がったのは。そこから神剣反応も一つ存在している

 

「ユート様、不意を突かれぬように陣形を変え……いえ、点呼を!」

 

「わ、分かった!!」

 

 エスペリアに言われて急いで全員の点呼を取る。すると、

 

「オルファがいません!」

 

「ヨ、ヨコシマ様もいないよ!!」

 

 驚愕する全員の耳に、またしても爆発音が聞こえてきた。

 悠人の目に、遠くで炎上する林と、豆粒のぐらいにまで小さくなった横島の背が写った。

 

 そこは彼女の遊技場。

 何の悪意も無い、そして善意も無い、ただ楽しむ為だけの遊技場。

 響く笑い声。きゃはははははははと、楽しそうな声だけが、延々と響き続ける。

 その笑い声に時折混じるのは、怒りも絶望も存在しない、くぐもれたうめき声。

 

 この遊技場の登場人物はたった三人。

 幼く甲高い笑い声を響かせている主役―――『理念』のオルファリル。

 ただ呻くことしか出来なくなった遊具――――名も知らぬスピリット。

 それを、ただ眺めることになった観客――――横島。

 

 既に敵のスピリットは神剣を取り上げられていて、戦闘能力は皆無。

 もはや玩具となったスピリットを、オルファは喜々としながら、突き、刺し、切る。それも急所は外して。遊び道具をゆっくりと、大切に、丁寧に壊していく。それはまるで愛撫の様な優しさすら含んでいた。

 これは戦いなんてものではない。ただの虐殺、いや、それよりも遥かにたちが悪い、残虐非道な『悪魔』の遊び。

 

「えへへ、今度はこれで行こう。死んじゃうかな~」

 

 永遠神剣『理念』を敵スピリットの胸に沈めて行く。じっくりと、肉を切り開く感触を楽しむように。

 意図的に肺や心臓に触れなかったその一撃は、スピリットの命を絶つものではなかった。スピリットはただ痛みに体を震わせて、苦痛の悲鳴を上げる。

 

「きゃはは!! ヨコシマ様ー凄いよ! まだ生きてる!! オルファだったら死んじゃうな~。それ、ぐ~りぐ~り、ご~りご~り! 」

 

 オルファは楽しそうに、ただ楽しそうに無邪気に笑う。永遠神剣『理念』を相手に突き刺して、中でかき回す。骨を削り取るのが楽しいらしい。

 

 考えられるだろうか。

 十歳ほどの子供が、敵とはいえ無抵抗の女性の臓腑を抉り、無邪気に笑うのだ。

 幼い無邪気な子供には特有の残酷さがある。だがこれはそんなレベルではない。これにはもっとおぞましい悪意があった。オルファからその悪意は出ていない。しかし、出所不明な腐臭とも言える悪意は、確かに存在した。

 

「ぐっちゃ~ぐっちゃ~の~ぬちゃぬちゃ……こら~寝ちゃだめでしょー!」

 

 激痛のあまり気絶したスピリット。その顔を蹴り飛ばして意識を無理やり戻させる。目を覚ましたスピリット相手に、オルファは「おはよ♪」と手を振りながら体に突き刺さったままの神剣を動かす。また痛みの絶叫が森に響き渡る。

 現実感が伴わない光景に、また悪い夢でも見ているのかと、横島は思いっきり頬を引っ張った。

 

「あは! ヨコシマ様の顔おもしろ~い!!」

 

 頬を引っ張った横島の顔が面白かったようで、オルファは楽しそうに笑った。その笑みはスピリットをいたぶっている時と何ら変わりがない。オルファからすれば、スピリットを殺す事と顔芸は面白い遊びだからだ。その差は無い。

 目を覆いたくなるような光景が続く。横島は思考を停止させてその様子を見つめる。おもちゃになったスピリットの口が僅かに動いた。

 

『どうして』

 

 その言葉は、一体何に掛かっているのだろうか。

 今こうして己の身に降りかかっている暴虐に対してか。それとも、スピリットに生まれてしまったことに対してか。はたまた、如何して助けてくれないのかと、横島に対して言った言葉だったのか。

 その真意は、誰にも分かる事は無かった。

 

「おーい! オルファに横島、なにやってるんだー」

 

 森の奥から悠人の声が聞こえてきた。オルファの顔色が変わる。

 

「パパが来たら遊べないよ~」

 

 残念そうにそう言うと、オルファは『理念』の力を引き出していく。

 

「仕方ないな~バイバイ、敵さん。楽しかった! また後で遊ぼうね!」

 

 遊び終えた玩具に律儀にお礼を言う。その様子を見る限り、しっかりと躾けられた良い子にしか見えない。その玩具が、スピリットでなければだが。

 オルファは少しの助走をつけて、容赦なく全力の蹴りをスピリットの頭に叩き込む。頭はざくろのように砕け散った。凄惨すぎるその光景に、横島は呼吸すら出来なかったが、オルファは「これで2人!」と自分が今まで殺した人数に満足しているだけだった。

 

「あ~楽しかった! えへへ、『理念』も美味しいそうだね!」

 

 砕け散ったスピリットと神剣が金色のマナの霧に変わっていく。それを『理念』が喰らっていった。

 横島は確かに聞いた。『理念』が歓喜の声を上げているのを。狂気と食欲の入り混じった殺人を目の前で見せ付けられ、横島は意識を失いたいほどの恐怖に襲われる。

 だが、恐怖する心とは別に、どこかで納得して、満足感があった。これは正しいことなのだと、羨ましいとすら思った。

 ジグソーパズルのピースが一つ埋まった。そういった類の満足感が押し寄せる。

 恐怖と満足、相反する自分の心に、横島は顔を奇妙に歪ませた。

 

「どうしたの? 大丈夫!?」

 

 様子が可笑しい横島を心配してオルファが駆け寄る。心配以外の感情は見えない。だが、このスピリットはこんな表情でも誰かを殺す事が出来るのだ。それを理解して、横島はオルファが怖くなった。

 

「だ、だだいじょうぶだぞ!」

 

「でも、顔色良くないよ」

 

「大丈夫だ!」

 

 心配そうに手を伸ばしてきたオルファの手を振り払い、恐怖の篭った大声を叩きつける。

 理解できないもの。分からないもの。恐ろしいもの。

 今の横島にとって、オルファリル・レッドスピリットはそういう存在だった。

 オルファはそんな横島に困惑したようだったが、何かを思い出したようで懐から包みを取り出す。そしてそれを横島に差し出した。

 

「これは、ハリオンとヒミカの」

 

 差し出されたのは、ハリオン&ヒミカの特製クッキーだった。

 

「何で……」

 

「ヨコシマ様が元気なさそうだから」

 

 子供たちがどれだけこのお菓子が好きか、良く知っている。もし人数と菓子の量が合わなければ、それこそ取っ組み合いの喧嘩にすらなる。

 その大切な菓子を、オルファは躊躇いもせずに差し出したのだ。横島を元気にさせたいという理由で。

 

「悪い……」

 

「ううん! 気にしないで!! とっても美味しいから、すぐに元気出るよ!!」

 

 全てを照らす太陽のような笑み。本当に優しくて明るい良い子だ。ネリーに似ているが、ネリーよりも気配りができる。優しさという言葉より、慈悲という言葉がしっくりと来た。

 こんな良い子を怖がり、伸ばした手を払いのけてしまった事を後悔した。何故という疑問もより大きくなったが。

 

「それじゃあヨコシマ様、みんなの所にもどろ」

 

「……う……先に戻ってていいぞ」

 

「え? でも……」

 

「いいから」

 

 横島に促され、オルファは少し納得いかないような顔になったが、あまり深く考えない性格なので、正直に従った。

 

「パパが喜んでくれたらいいな。オルファが殺すと、パパ悲しそうな顔しちゃうから」

 

 「なんでだろうね」と、不思議そうに言って、オルファは皆のところに戻っていく。

 森に静けさが戻る。オルファが魔法を放った後だからか、未だに砂が燃えていたり溶けていたりするが、それでもここで虐殺があったように見えない。死体は無いし、なにより現実感に乏しかった。

 

「はあっ、ふうー」

 

 横島の口から大きな音が漏れる。それは大きく息を吐く音と吸う音だった。どうやら目の前の光景に息をするのも忘れていたらしい。大きく深呼吸する。そして、その場にペタンと座り込んだ。腰が抜けてしまっていたのだ。

 

 今のは何だったのだろう。今だ混乱抜けきらぬ頭で考える。

 ネリーも、シアーも、ヘリオンも、殺すことに何の躊躇いも感じていないのは分かった。これは可笑しくない。幼くとも戦士として教育をされてきた、言うなればスペシャリストなのだ。罪悪感に押しつぶされたりする事はないのだろう。そうならないように育てられているのだ。

 だが、オルファの戦いぶりはまるで違う。殺しを明らかに楽しんでいた。何の抵抗も出来ない相手の四肢を捥いで、裂いて、悲鳴を堪える姿を見ながら喜悦に浸る。ネリー達の戦いとは、まるで質が違う。

 横島は恐怖と疑問で頭を悩ませた。がさりと、後ろの草むらが鳴った。ひゅい、と横島の喉から変な声が出る。

 

「おい、横島! 勝手に何やってんだ。オルファはもう戻った。俺達も早く戻るぞ。さっさと反省会と今後の話し合いだ。まったく、一人で駆け出しやがって。オルファに気づいて慌てて追いかけたんだろうが、それでもちゃんと声をかけて……どうした?」

 

 後ろから無遠慮な男の声が掛けられた。

 悠人だ。座り込んで叫んだ横島に不審そうな顔を向けている。

 

「あ、いや、オルファちゃんが……その、なんて言うか……」

 

 今の出来事を言うか言わないか、横島は迷った。

 言っても信じてもらえるかどうか分からないし、なにより横島自身も先の出来事が夢のように感じられたからである。

 そんな横島に、悠人は何かを察したようで、眉を顰めてぎりりと奥歯を噛み締めた。

 

「……オルファが『遊んで』いたのか?」

 

 悠人の言葉のニュアンスの違いに横島は気づいた。

 苦々しく歪む悠人の表情に横島は確信する。悠人も見たのだと。敵を玩具にして遊ぶオルファの姿を。

 

「あれは、どういうことだよ!」

 

 つかみ掛かるように悠人に食いかかる。

 一体、何が、どうして、ああなったのか。

 

「……教育らしい」

 

「はっ?」

 

 渋い顔をしながら答えた悠人の回答は、横島にはさっぱり理解できなかった。いや、うすうす気がついているのだが、口に出して言いたい事ではなかった。

 

「だから教育だ! オルファは、敵を殺す事が遊びだと思っているんだ。そんな風にさせられたんだよ!!」

 

 怒りを隠さず、悠人は怒鳴るように言った。

 そう、オルファリル・レッドスピリットは戦いを遊びとして教育させられたのだ。幼く未成熟な子供に、悪魔を植え付ける。それは洗脳とも言えるだろう。悪意の発生源はオルファに殺しを教えたその調教者だったのだ。

 もし、オルファに殺しを遊びと教えた人間が目の前にいたら、悠人はそいつを殴らない自信はなかった。

 やはりと、横島は顔を顰めて舌打ちをする。そうだろうと予想は付いていた。純粋で人の事を疑わないからこそ、ああまでなれるのだろうと。

 

「このままで良いと思ってんのか?」

 

 さっきのオルファの様子からするに、どうやら残虐な殺し方を咎めていないようだ。何故そのままにしておくのかと、悠人に詰め寄る。

 横島の質問に、悠人はまた怒りをあらわにした。

 

「俺は、お前よりもずっとオルファの優しさを知ってる! だから分かるんだよ。もし、オルファが命とか倫理とか覚えたら、絶対に戦えなくなる。戦えなくなったら、終わりなんだよ!!」

 

 怒りと悲しみと、何より自分の無力を嘆くその声に、横島は何も言えなくなった。一緒に暮らしていて、パパとまで呼んで慕ってくる子供の、あんな姿を見るしかない悠人の苦悩は横島よりも遥かに大きいのだろう。

 それに、悠人は恐怖していた。

 いつか、オルファは命というものを理解する。命を理解したとき、あの優しいオルファは自分が何をしてきたのかを考えるだろう。そうなったら、オルファはどうなってしまうのか。あんなに優しくて明るい良い子が、自分がしてきた残虐な行為に何を思うのだろう。

 何がどうなろうと、持っているのは暗い未来だ。だが、その暗い未来が訪れないということは、オルファが命の尊さを理解できないという事。そこにジレンマがあった。

 

「……何か協力できなそう事があったら俺に言えよ。将来有望な女の子の為だからな」

 

 横島が力強く言った。いつものふざけた声ではない。

 真面目な横島が悠人にはありがたかった。俺は一人では無い。状況は絶望的だが、頼れる仲間が側にいる。同じ志を持ち、自分に無い力を持った仲間が。

 

 スピリット、永遠神剣、マナ。

 まだまだ分からないことは多い。

 だが、一つの確信は得た。以前より知ってはいたが、今回のことでより深く理解できた。

 

「この世界はマジで狂ってるな」

 

 横島の呟きに悠人が頷く。

 この狂った世界は一体いつ生まれたものなのか。どうして生まれたのか。

 それに答える声は無い。

 ただ、何処からか幼い笑い声が聞こえてくるような気がした。

 

 

「ダーツィがヒエムナからスピリットを引き上げたそうです、事実上の放棄ですね」

 

 戦闘が終わり、次の戦いに備えての打ち合わせを始めようとした所に、そんな報告が入ってきた。

 ヒエムナとは、ダーツィの拠点の一つで、ダーツィ首都であるキロノキロに最も近い重要な拠点である。ラキオスとしては是が非でも抑えたい拠点の一つだ。それを、ダーツィは外交の一つもせずに放棄したのだ。

 悠人も横島も首を捻った。

 

「どうしてだ?」

 

「恐らくは、戦力を首都に集中させて、ただ純粋に守りを固めているのです。

 前にも言いましたが、ダーツィ大公国はサーギオス帝国の傀儡に過ぎません。

 今回攻めてきたのも帝国の圧力を受けてのことだと思われます。ラキオスを攻めろと命じられて、仕方なく攻めた。そんなところでしょう。

 防衛能力の高い都市に、全スピリットを集結させて、あらゆるエーテル機器でスピリットの力を高める……徹底した防戦ですね」

 

 そう考えなければ今回の戦いを説明する事はできない。

 先の戦いは名目戦だったのだ。サーギオス帝国の要望に逆らえず、体面のために切り捨てられたスピリット達。死ぬ事を前提に、撤退すら許されず、死地に送り込まれたうら若き乙女達。

 あんまりな事実に悠人と横島の心が痛む。もはや同情心しか湧いてこない。

 エスペリアが詳細な説明をしなかったのは正解と言えた。もし、この事実をその場で知ってしまっていたら、殺して来いと命令を下せたか怪しいものだ。

 

「それで、ラキオスとダーツィの戦力についてなんですが……正直に申し上げれば、この戦いに負ける事は考えられません。それだけの戦力差がラキオスとダーツィにはあります。彼らはそれを判っているからヒエムナを放棄したのでしょう」

 

 戦力差が付いた原因はいくつも挙げられる。

 第一に、バーンライトを降して領地を拡大したことによる、マナ保有量の増大だ。

 急激にマナが増えたので、それをエーテルに変換するための装置があちらこちらに建造されることになり、技術者たちは寝る間も惜しんで作業をしている。横島が龍を撃破したことも要因の一つだろう。

 しかも、得たマナのほとんどがスピリット隊に使われることになったので、スピリット達の力は大きく跳ね上がることになったのだ。それは同時に、民にマナが供給されなくなる事を意味しているのだが、幸い戦勝気分に浮かれていて、大きな問題には至っていない。また、レスティーナは可能な限りマナを使わずに、生活安定の為の策を講じているようだ。

 

 第二に、やはりエトランジェの存在が大きい。

 スピリットを超える力を持つエトランジェが二人。悠人も横島も龍殺しの力を持つ。それに悠人はここ最近、『求め』の強大な力を少しずつだが使いこなし始めている。さらに横島は文珠なんてとんでもない力を持っていた。こちらだけにあるアドバンテージもやはり大きい。

 

 第三に、バーンライトのスピリット十九名を組み込んだ事。

 それほど戦闘能力が高いとは言えないが、これだけいれば守りには十分。いざという時の遊撃に使うことができるので、精鋭である自分達が背後を気にせず戦うことが出来るようになったし、前線を交代して休息を取る事も容易になった。

 

 第四に、勢いの差である。

 エトランジェを二人も獲得し、龍すら打ち倒し、長年の宿敵を征服したラキオスは非常に勢いがある。逆にダーツィはイースペリア相手に長きに渡り侵略し続けているが、いまだ成果は出ず厭戦気分が蔓延していた。

 

 敵地で戦うといっても、負ける要素は極めて低い。

 そこまで聞いて安堵の表情を浮かべた横島と悠人だが、セリアは厳しい表情を崩さない。

 

「でもエスペリア、サーギオスがダーツィに援助をしてくる可能性があるわ」

 

 セリアが一番危惧しているのはその点だ。単純な力の差ならば、ラキオスとダーツィはもはや勝負にはなるまい。

 だが、ダーツィ大公国を従属させているサーギオス帝国が援助してくれば、戦いは壮絶なものとなるだろう。

 そのセリアの質問にエスペリアは難しい顔をする。

 横島も悠人も、セリアの言う事が正しくて返答に窮しているのだろうと考えた。

 しかし、ここでエスペリアは予想を裏切る答えを返してきた。

 

「情報が錯綜しているので何ともいえないのですが……ええと、サーギオス帝国は滅びている可能性もあります」

 

 セリアはポカンと口を開けて、年齢よりも幼く見えるマヌケ面を全員に晒した。

 

 サーギオス帝国。

 マナの限界量にいち早く気づき、領土を広げてマナの獲得を目的としている軍事国家。

 大陸一の広い領土とマナの豊富な肥沃な土地を持ち、スピリットも多く保持している。さらにはマナの大部分をスピリット達に当てているため、スピリットの力は半端ではない。間違いなくファンタズマゴリア内で一番強き国だ。エーテル技術においても抜きんでていて、「秩序の壁」と呼ばれる特別な要塞も備えている。

 また、サーギオスに所属する漆黒の翼と呼ばれるスピリットは他のスピリットは比べ物にならない力を有し、スピリット最強とすら言われていた。過去からの因縁も多くあり、ラキオスにとっては正しく大敵と呼べる国である。

 それが、滅んだかも知れないと言うのだ。驚くのも当然だろう。

 

「ちょっと待って! どういうことなの、それは!!」

 

「あくまでも風の噂ですが、何でも『何か』との戦いでサーギオスの居城が崩壊したらしいのです。さらには皇帝セヅナス・サーギオスもその際に死んだと……信憑性に関しては定かではありませんが……

 ただ今回ダーツィが実践布告から一ヶ月もしてから無謀な侵攻をしたのも、サーギオスとの足並みが揃わなかったからではないか、という話もあります。辻褄は合う……気はするのですが……」

 

 驚くセリアに説明するエスペリアだが、彼女自身も今のところ半信半疑である。様々なエーテル技術とスピリットを多く保有するサーギオス帝国が負けるなどありえない。

 たとえ、龍に襲われたとしても、一般市民や町はなすすべなく潰されようがスピリット達に守られている城まで崩壊するなどありえるだろうか。

 ありえないとは言い切れない。相手が強力な龍なら、対抗するために星でも落せるぐらいのスピリットを数人以上送り込まねばならない。そうなれば城でも壊れるだろう。

 

 次に考えられるのは内乱の可能性だ。

 サーギオス王が崩御して、王位継承権を持つもの同士がそれぞれスピリットを保持して争えば、確かに国が分裂して崩壊してもおかしくはない。遥か昔から良くあることだ。

 エスペリアとしては内乱の可能性が一番高いと思っていた。それなら、先ほどダーツィがサーギオスの要請で戦いを挑んできた理由が分かる。内乱が終わるまでラキオスに介入されたくないからだ。

 

 だが、どれも推測の域を出ない。

 あくまでも、こう考えたら城が崩壊してもありえなくもない、というだけの話だ。可能性としてはどれも高くない。

 単純に自然災害や、エーテル実験の暴走という可能性もある。本当にただの噂かもしれない。

 

「あの国は閉鎖的で情報が入ってこないのです。秩序の壁と言う城塞もあり、難民が流れてくることもありませんし、放っている間者からは何の連絡もありません。噂の元も定かでは無く、この報がどれほど信頼できるか分かりません。しかし、何らかの事態が起こって、かなり混乱しているのだけは確かなようです。少なくとも、この戦争に介入してくる可能性は低いかと……何があったにせよ、命令が下された以上、ダーツィは落さねばなりません」

 

 ラキオスとしては朗報だろう。だが、何か不気味だった。

 エスペリアは黙っていたが、実は凄まじい情報はそれだけではなかった。他の大国でも信じられない事件がどうやら起こっているらしいのだ。南西部にある大国、マロリガン共和国についても、同盟国であるサルドバルドについても、キナ臭い情報が幾つも寄せられている。

 この大陸に何かが起こっている。それはこの大陸全てを飲み込み、ありとあらゆる存在に害をなすのではないか。そんな危惧がエスペリアにはあった。

 

「まあ、良い情報なんだから素直に喜べばいいだろ」

 

 緊迫した空気が走る中、楽観的に横島が意見を述べる。

 三人は少し呆れたような目で横島を見つめたが、確かにその通りだと頷いた。

 ここで深刻な顔で唸っていても、何も変わらないのだから。今考えなくてはいけない事は目先の戦いだ。後の事はお偉いさんが考える事だろう。

 

「では次にどうやってダーツィ首都を攻略するかです。敵の詳細な動向はファーレーンや諜報部が探ってくれています。今ある情報によれば、エーテル技術者や機材を大量に首都に運び込んで、首都の緑マナが増加しているとの事です。

 この事から、敵は間違いなく守りの陣形を敷いてくるでしょう。防御能力に優れたグリーンスピリットを前面に出してきます。ブルースピリットも攻撃ではなく、補助で運用してくるでしょう。野戦で戦うならともかく、これを打ち崩す事は容易ではありません」

 

 戦力を一点に集中させて篭城。それも、他の領地を切り捨て、援軍も期待できない状態で。もはや敗戦は避けられない、滅亡を引き伸ばしているだけだ。

 しかし、こうなれると攻めるほうだって簡単ではない。いたずらに攻めては大きな被害を出すことになってしまう。それだけは避けなければいけない。領土が広がればそれだけスピリットの数は必要であるし、まだ帝国という最大の敵がいるのだから。

 

「では、我々がいかにダーツィ本城を落すかですが」

 

「待って」

 

 本題に入ろうとしたところでセリアが待ったをかける。彼女は目つき鋭くして、横島をじっと見つめた。

 

「ヨコシマ様。言いたい事があるのなら、早めに仰ってください。決して馬鹿にする事はありません」

 

 凛とした声でセリアは言って、横島を見つめる。青色の瞳が横島の姿を映す。

 吸い込まれるような青の瞳に、横島は吸い寄せられた。

 

「唇を突き出して、顔を近づけるなぁ!」

 

「ぐはっ!?」

 

 横島の顔面に肘鉄が突き刺さった。痛みで床をゴロゴロ転がる横島を、セリアはそれこそ汚物を見るような眼で見下ろす。

 「人間に対してなんて事をするのですか!!」と言いたくなったエスペリアだが、もう何だか関わるのも億劫(おっくう)なので、華麗にスルーを決める。

 

「……それでは話を進め―――」

 

「ちょっと待ったぁぁーー!!」

 

 ピョコンと何事も無かったのように立ち上がり、手を空へと突き出した横島。エスペリアはコメカミをトントンと叩きながら、なんとか平静に対応することに成功した。

 

「……どうぞ、ヨコシマ様」

 

「どうやったら、被害を少なく出来ると思う?」

 

「……それは此方側のことですか? それとも相手側の事を言っているのですか?」

 

「両方だ」

 

 やはり。

 可能な限り犠牲を出したくない横島の気持ちを、セリアは分かっていた。

 エトランジェとスピリットの間には、戦いの意識において明らかな差異がある。前回の戦いでは、その差異のせいでしなくてもいい苦労を背負い込んだ。今回はお互い腹を割って、互いに納得できる落とし所を、妥協点をしっかり見出さなければならないのだ。

 

「俺もそのほうがいいな」

 

 悠人も横島の意見に同意する。

 戦闘狂でも何でもない悠人が同意するのは当然の事だ。偽善とかそんなものではなく、単純に殺さなくて済むのなら殺したくないという一般市民の考え。それに、戦えば戦うほど自分の心を消えていく事も理解している。

 戦わないで、殺さないで済むのが一番いいのだ。

 

 そんな二人の様子に、エスペリアとセリアは顔を見合わせて溜息を吐くのをなんとかこらえていた。

 正直やめて欲しい。

 それがエスペリアとセリアの共通の思いだった。スピリットに優しいのは嬉しい事だし、双方の被害が少ないのは結構な事だ。だが、それは当然難易度が跳ね上がる。

 そもそも、何故殺し合いに行くというのに、相手を殺さない算段をしなければいけないのか。頭痛が痛いとでも言いたくなってくる。

 しかし、どこか嬉しさもあることはエスペリアもセリアも認めていた。哀れな同胞を殺さなくて済むのならそれにこした事はない。このように思えるぐらいには、二人は柔らかくなっていた。

 

「そうですね。もし、殺さなくても戦いが終えられるなら、それに越した事はないでしょう……勿論、前提として我らの安全と勝利が確保できればの話です。また、ちゃんと全員が戦闘行動を取らなければネリー達は納得しないでしょう。これからの事を考えれば経験も積まねばなりません」

 

 ここまでが妥協できるラインだ。今エスペリアが提示した条件をクリアできるなら、全員が目的に向かって一致団結して作戦に当たれる。横島とて、バーンライトの戦いのときネリー達がどのような思いで戦ったか知っている。

 敵よりも味方。あまりにも当たり前すぎることなのだが、横島も悠人もその敵という存在が何の罪もない、むしろ被害者である女性達なのだから割り切るのが難しい。無論、横島達とていざとなったら割り切る。つまり、いざとならなければいい訳だ。

 

「よっしゃ! それでいこう。決定だ」

 

「それではヨコシマ様、そのような考えがあるからには当然何か策があると思いますが」

 

 これで何も考えは無いと言ったら、セリアは横島の息子の相棒であるお金玉嬢を握り潰すだろう。

 

「ああ、この方法が間違いなく被害が一番少ない方法だな」

 

「それで、今回は私たちにその方法とやらを教えてくださるので?」

 

 懐疑的な視線をセリアは横島に向ける。

 もし、これで秘密にするようなら、この会議は前回と同じようなものになる。

 厳しい口調で言ってくるセリアに、横島は内心ビクビクしながら、それでも表情に出さないようにして自信ありげに己の案を語った。

 

「人を狙う。それも、一番上を」

 

 それから語られた作戦に、エスペリアは反対、セリアは無言、悠人は賛成とくっきり意見が別れる事となったが、隊長格二人の賛成により横島の策が実行されることになる。作戦を煮詰めていくと、またしても横島は個人で行動する事が余儀なくされ、スピリット達、特に子供たちに反感を持たれることとなったが、危険性に関してはネリー達の方が大きいと説得されどうにか落ち着くことになった。

 自分の意見ではどうしようもないと悟ったエスペリアは、レスティーナ王女に作戦の中止を呼びかけた。

 人を狙う。その内容にレスティーナは表情を険しくしたが、どういった作戦か詳細に説明していくと、目を瞑りなにやら考え込んだ。そして、結局レスティーナは今回の作戦を支持して、決してこの作戦が漏れないようにかん口令を敷くよう命じたのである。レスティーナは横島の考えに賛同したのだ。

 

 前代未聞となる作戦。

 それはこの世界の常識に立ち向かうものであり、これまで紡いできた歴史も意思も、全てを無視して否定したものであった。

 それが正しいものとされるのか、暴挙とみなされるのか。それはまだ分からない。

 

 

『……まったく、何だというのだ』

 

 元バーンライト首都、サモドアのスピリット宿舎で『天秤』は不満げに声を荒げる。現在、『天秤』は横島と引き離され、壁に立てかけられていた。

 何故こうなったかというと、突然エニが横島に用があると言ってやってきて、テン君は来ちゃダメと言ったからだ。

 

『エニめ、横島と二人で何を……私がいると迷惑なことでもしているのか』

 

 ぶつぶつと独り言を繰り返す。いつもなら、ここでルシオラが色々とちょっかいを出してくる所だが、彼女はただ今お昼寝タイム。精神だけの存在だというのに、妙に人間的に規則正しい生活を送っている。

 厄介な小言が無くて清々すると、『天秤』は息を巻くが、その声にはどこか苛立ちのようなものが含まれていた。

 

『……あ。そ、そうだった! 私は離れていても横島の様子が見れたではないか!!』

 

 うっかりしていたと、少し恥ずかしくなる。

 

『私は別にエニと横島の事が気にかかるから覗くわけではないからな! ただ任務のため必要なことなのだ』

 

 『天秤』は独り言を繰り返す。

 ルシオラが起きていれば「はいはいツンデレツンデレ」と突っ込みを入れてくれた事だろう。

 

 ―――――もし、その突っ込みがあったなら、運命は変わったのだろうか?

 

 『天秤』は遠見の力を発動させる。

 そうして飛び込んできた映像は、横島がエニに箱のようなものを渡している所だった。

 エニはその箱を開けて中身を確認すると、花が咲いたような笑顔を横島に向ける。

 一体何を渡したのか気になった『天秤』だったが、何故か怖気づいてそれを見る勇気が出なかった。

 

「ねえ、この事はテンくんには……」

 

「ああ、分かってる。あいつにだけは言わねえよ」

 

 ペコリと頭を下げて、エニは笑顔で礼を言った。横島もどこか悪戯っぽく笑う。朗らかな空気が流れていた。

 そんな二人の様子に、『天秤』は得体の知れない何かに襲われていた。それは吐きたくなるような、泣きたくなるような、胸を突き刺すような、そんな激情とも言える衝動である。だが、『天秤』は神剣であるから、吐く口は存在せず、泣くための瞳も存在せず、痛くなる胸も存在しなかった。

 だから『天秤』は探した。その激情から自己を守るための理由を。その衝動から逃げるための方法を。

 

(あのエニが、私に秘密にすると言う事は、それだけ横島の事が大切なのだろう。つまり、エニと横島は既に懇意の仲なのだ。これで我らの計画が上手くいく)

 

 生きていれば、秘密にしたくなるような事も出来てくる。好きな人だから知られたくない事だってある。

 そんな当たり前の事を、『天秤』は知らなかった。彼は幼すぎたのだ。また、一体何の会話なのかと確認する勇気も無かった。そしてなにより、意地っ張りすぎた。

 

『は、ははっ……ははははあはははははあははああああははあ!!!!』

 

 『天秤』は大声で狂ったような笑い声を上げた。いや、それは笑い声といえるような物ではない。湧き上がってくる何かを、無理やり喜びの感情に変え、ただ喚いているだけだった。それは誰にも聞こえない。

 

「綿はもうちょっと待ってくれ。質が良いやつを揃えてやっから」

 

「うん。一番良いやつでお願いだよ!」

 

「分かってるって! まったく、あんな奴の何処が……」

 

 『天秤』は視覚を、聴覚を閉じる。全ての感覚を消した。見たくなかった。聞きたくなかった。エニも、横島も、何も。彼の意識は闇に落ちて、押し寄せる黒き感情の中を彷徨い続けた。

 

 裏切り者め!! 裏切り者め!! 裏切り者め!! 裏切りも者め!! 裏切り者め!!

 

 ただそれだけを念じて、呪いの言葉を横島とエニに掛け続ける。

 もし、何に対して裏切られたのかと問われても、答える事はできないのに。

 

 ルシオラがここにいたら、後の展開が何か変わったのかも知れない。

 だが、ルシオラは都合の悪い事に眠っており、この事態に気づけない。

 もし、この現場を見て全てを把握している神がいたら、きっとこう呟くだろう。

 なんて運が悪いのでしょう。かわいそうに、と。

 そう言って、神は嘲笑うのだ。

 

 エニが『天秤』に内緒で横島に頼みごとをした。『天秤』はその一部だけを目撃した。

 ただそれだけの事だった。本当に些細な事だった。それで、運命は決まった。

 

 ダーツィ本国に向かって行軍している最中、エニは失踪した。

 本当に何の前触れもなく、突然に。まるで、元々そこに居なかったかのように。

 

 悠人と横島は急いで探そうと、作戦の中止を訴えた。しかし、スピリット一人が消えただけで作戦行動を中止できるわけもなく。また、エニはダーツィに囚われた可能性があると言われれば、作戦の中止など出来るはずもない。動き始めた歯車を止める術は無かった。

 

 

 その広間には大きな円卓があって、老人たちが卓を囲んでいた。

 その中でも、豪華なイスに腰掛ける老人が一人。

 目に輝きは無く、肌は死人のような土気色で、体は痩せ細っている。

 病人に見えるこの老人こそ、ダーツィ大公国最高権力者、ダーツィ大公その人であった。現状の報告を聞きながら、女子の手でも捻れそうな細首で、コクコクと力無く頷いている。

 

「そうか、友好国であるサーギオスは、我らに何の支援もしてくれんか……先の戦いは何のために……」

 

 ダーツィ大公は小さくしわがれた声でぽつりと漏らす。その声には怒りなどの感情は含まれておらず、ただ事実だけを受け止める響きがあった。同時に諦めにも似た響きでもある。

 その声に反応する者はいなかった。諸公である老人らは一様に顔を下に向けている。

 サーギオスはこの戦いに干渉しない。この報告は、正に国の行く末を決める重要なものだったはず。しかし、特に強い関心は持っていないらしい。国家の大事を決める会議は、砂のように乾ききっていた。誰も強い野心を持つ者、愛国心を持ち危機感を持つ者はいないようで、老人たちは皆疲れきった表情をしている。誰もが理解していた。この国の先行きは暗い。いや、暗いというより、無い。それを、皆分かっていた。

 

「戦況は……」

 

「戦況は完全に膠着しています。ラキオスは我らの守りに手を焼き、攻めあぐねいています。ただ無理押しに攻めてきているわけでは無いので、ラキオスにもまったく被害は出ていません」

 

「奴らも無理はできんか。しかし、もし力攻めで来た場合は?」

 

 その問いかけに重苦しい甲冑を身に着けた武官は目を伏せて、重々しく首を横に振った。もし多少の被害を覚悟して波状攻撃を掛けられたら、それを防ぐことは出来ない。

 その事実を老人たちも分かっていたのか、特に反応もせずに「そうか」と小さく呟くのみだった。

 

「いっそのこと、ラキオスに降伏したほうが良いのではないですか。このまま守り続けても落城は必死です。少しでも戦力が残っている現状で降伏して、少しでも我らに有利な条件で開城したほうが……」

 

 そう意見を述べた壮年の男が、この会議で一番、強い目をした重臣だった。

 ざわざわと、場が少しだけ騒がしくなる。壮年の男は立身出世を諦めてはいなかった。

 降伏という判断がどのような目で見られるのかは分からない。国を売った売国奴として見られるのか。もしくは被害を最小限に止めた賢者と見られるのか。

 だが、これはチャンスだった。完全に停滞しているこの国では早々の出世は望めない。ならば、早々に見切りをつけたほうが良いはずだ。ラキオスはこれから勢力を広げるために戦火を拡大していくと、男は予想していた。

 噂に聞くラキオスの王は、野心多く俗物だと聞いている。懐はそれほど広くないようだが、目先に美味い餌でもやれば取り立ててくれるかもしれない。この国と心中などごめんだと、男は必死だった。

 男の申し出に、大公が口を開く。

 

「だめじゃ」

 

「何故ですか?」

 

 大公は一体何と答えるのだろうか。

 この期に及んでラキオスと戦って勝てるとは思っていないだろう。今更サーギオスが救援してくれると期待しているのだろうか。まさかただ自分の命が惜しくて言っているのか。

 不用意な発言をしてくれれば糾弾しやすくなると、男は期待した。

 

「サーギオスには悪魔がいる。もしラキオスに属すれば地理的にサーギオスに面している我らが一番の標的になるだろう」

 

 大公の声は震えていた。それは紛れも無く、恐怖という感情によって。

 

「その辺りは私にお任せください。我が弁舌によってラキオスを動かし、必ずや最善の結果を叩き出してご覧にいれましょう」

 

「くどい。現状維持。これ以外に方法はあるまい……粘り続けていれば、あるいは」

 

「しかし!!」

 

 壮年の男は声を荒げたが、決定は覆らなかった。周りの老人達も、ただ溜息をついて目を下に向けるだけ。

 誰もが滅びは遠からず訪れる事を予感していながら、それでもただイスに座している。

 戦力が無い。マナが無い。そしてなにより、人がいない。この国に先は無かった。

 

 意味の無い評定も終わり、ダーツィ大公は城の最上階にある自室に戻ると、糸の切れたマリオネットのようにイスに座り込んだ。余りにも消極的であると、自身も分かってはいるのだが、何か新しい行動を起こす気概がもうないのだ。ふと目の前の鏡に写る自分の姿を眺めると、そこにいたのは骨と皮で作られた一人の老人がいるだけ。

 老齢である自分はもう長くはない。せめて大公のままで死んでいきたい。国を潰したと、名を残したくない。

 それだけがこの老人の願いであった。守りを固めれば、その可能性は幾ばくか生まれるのだから。口惜しさは、ある。長年の悲願であったイースペリアの地を獲得することも出来そうになく、サーギオス帝国に従属するしかない。だが、それは致し方ないと王は思う。如何にラキオスのエトランジェが強くても、あれには勝てないだろう。四神剣の持ち主であろうと、あの悪魔達に勝てるはずがないのだから。

 

「私には……運が無かったのだ」

 

 言い訳だと思いつつ、それが正当な理由だと心の中で繰り返す。

 

「確かに、運はないみたいだなあー」

 

 若い男の声がすぐ後ろで聞こえた。一体誰だと、振り返る暇も声を出す暇もなく、口元に布のようなものを押し付けられて声を塞がれる。そして首筋に冷たいものが当てられた。

 それがナイフだと分かって、彼は硬直した。

 

 一体何が? どうして? なぜ?

 

 大公には現在の状況がまるで分らなかった。どういった理由で刃物を当てられたのか、その意味を見いだせない。

 

「暗殺される可能性とか、マジで考えねーんだな」

 

 若い男の声に、大公はようやく現状を掴めた。

 暗殺者が寝所に侵入して、ナイフを突き付けているのだ。

 事態を理解した大公は、頭が真っ白になっていくのを感じた。

 

「今から口をあけるけど、大声出したら……どうなるかわかってんな」

 

 必死にブンブンと大きく首を縦に振る。

 布が口から外される。

 次の瞬間、大声を出して助けを呼べば、と考えたのだが、咽と舌は自分の物ではなくなったように動かなかった。

 それでも目は動いて、忍び込んで来た暗殺者を見れた。そこにあったのは、なんて事のない普通の顔。赤いバンダナが特徴で、緩い感じの平凡凡庸に見える青年だった。

 これなら助かるかもしれない。威圧感の欠片もない暗殺者に、大公は安堵する。これなら何とか隙を見て助けを呼べるかもしれない。

 暗殺者―――――横島はその空気を敏感に感じ取り、にやりと笑みを浮かべた。

 

「何か変なこと考えてるな。くっくっくっ! さて、どんなふうに殺そうかな?」

 

 は~どぼいるど風に横島は笑う。正直笑いが出るほど滑稽なのだが、鉄のナイフは鈍重に光って、大公の気を削いだ。

 

「死ぬってのは痛いぞ~血がどぱ~って出るしな……試してみっか」

 

 横島は唇を三日月形にして薄く笑い、ナイフを軽く前に突き出した。眼球に向けて近づく刃物。

 刃物を突きつけられる。それがどれほど恐ろしいことなのか、体験したものにしか分からない。

 大公はあっさりと降参した。

 

「た、たす……たすけ」

 

「んじゃ、さっさと降伏すると宣言しろ」

 

 とんでもない事をあっさりと口にした横島に、大公はさらに目を丸くした。

 

「ほっ?」

 

「だから降伏だ。無条件で降伏。白旗を振ってくれ」

 

「なあ! まっ、待ってくれ! いくら私でも、一声で戦争をやめられるはずが……」

 

「最高権力者がスピリットに戦闘を中止しろって言えば、それで戦いは終わりだ。どんな派閥があっても、例えお前に敵対する奴が居ても、国中の人間が反対してもどうしようもない。スピリットは戦いを止める。この世界はそういうもんなんだろ」

 

 皮肉っぽく、貶すように横島は言い切った。そこにはこの世界に対する険悪がありありと浮かんでいる。

 ダーツィ大公には何をそれほど嫌っているのか理解できなかったが、自分を殺すことが出来る相手の機嫌が悪くなっていることにぞっとした。

 

「さっさと降伏すれば、命だけは助けてやるぞ。俺はこれでもエトランジェで、結構権限があるからな」

 

 横島は嫌らしそうに顔を歪めて、ナイフを首筋に強く押し当てる。皮一枚が切れるのを、大公は確かに感じた。目の前の男が少し力を入れるだけで、赤い鮮血が吹き出すのだ。

 国のトップとしての誇りや、名誉欲が無いといえば嘘になる。しかし、そんなものは生命の危機の前では一瞬で吹き飛んだ。

 

「分かった。言うとおりにしよう」

 

 大公は両手を上げて、降参した。ここに至ってはどうしようもないと。

 まさかエトランジェが単独で忍び込んでくるなんて、元来考えられることではない。これはありえないことだ。考えられない事だ。

 だから、私は無能なのではない。ただ、運が悪かっただけなのだ。

 先ほど心の中で訴えていた事に、更に要因が加わった事により、大公の精神は崩れた。

 ここで横島はさらに念を押すことにした。

 

「怪しい素振りはするなよ。もし、妙な動きをしたら……」

 

 横島はナイフを懐にしまう。そして右手から栄光の手を出した。

 突如出現した栄光の手に、大公の目が点になる。

 

「この世界の命は、死ぬとハイペリア(悠人の世界)に魂が運ばれる。そこまでは知っているだろうけど、ハイペリア人に殺された場合は、バルガーロアー(地獄)に落されるんだぜ」

 

 ムカデの足のように変質させた栄光の手が、大公の顔をなぞった。病気のような土気色の肌はさらに黄色く変質して、背はがくがくと震え、目は一切の色を失う。

 彼の心は折れた。

 

 程なくして重臣一同は赤絨毯が敷き詰められた大広間に集まった。大公は10壇ほど高い所で、集まった者たちを見下ろす。げっそりと10歳ほど老けこんだように見える大公の姿に、何人かはこれから話す内容に察しがついた。

 横島はクモのように天井にへばりつき、気配を殺して大公の様子を窺った。大丈夫だとは思うが、もし妙な動きを見せたらすぐに対処しなければならないからだ。まあ、この大公の様子なら杞憂に終わりそうだが。

 

 大公は鉛のように重たい口を動かして、掠れた声でしゃべり始めた。

 栄光あるダーツィ云々と、過去の歴史をしゃべり始め、それから今現在の置かれた国の状況を話し、これは仕方ない事であり、どうしようもなかった事なのだと言い訳じみた事をくどくどと言って、そして、

 

「我がダーツィは、ラキオス王国に」

 

 ――――本当にそれでいいのですか?

 

 大公は言葉を発する事が出来なくなった。

 突然、降伏に納得できなくなったのだ。一体何故、降伏したくなくなったのかは分からない。

 透明なはずの水から、突如生まれたシーモンキーのように、『それ』は生まれていた。

 どうして降伏したくなくなったのか。大公は己の心に、『それ』に問いかける。

 

 ――――理由は、彼が嘘をついている可能性があるからですわ。

 

 そうだ。

 あのエトランジェは、命だけは助けるといったが、そんな保障はどこにある?

 

 ――――保障なんてないじゃありませんか。

 

 そうだ。命の保障なんてありはしない。

 自室に乗り込んできて、脅迫して国を落そうなどという常識外れの言った事だ。それに、エトランジェにそこまでの権限が与えられているのも可笑しい。

 

 その『意思』が、どこからやって来たのかは分からない。

 だが、それは確かにあって、耳元で甘く囁く。

 どうしようもなく優しくて、慈悲に溢れた死の言葉を。

 

 ――――貴方はもう終わりですわ。どうせ砕け散るのならば、華々しく散りましょう。そうして自身の証を立てるのです。名を残すのです。

 

 そうだ、どうせ自分はもう終わりだ。どう足掻いても滅亡は止められない。

 ならば、最後は華々しく、大公として、一人でも多くの殉死を、道連れを――――

 

 ぎらりと、ダーツィ大公の目に光が灯る。

 メラメラと燃え盛るどす黒い光は、もはや正常な人間の目では無い。時間にして一秒も無かっただろう。その間に、ダーツィ大公の精神は完全に変容してしまった。ただ保身を求める者から、己の身を燃やしてでも相手を滅ぼそうとする悪鬼へと。

 その事に、すぐ側にいる横島は気づけなかった。気づけるはずも無い。彼は気づけないようにされているのだから。

 

 そして、ダーツィ大公は宣言する。

 

「ダーツィ大公国はこれより……ラキオス王国に総攻撃を掛ける!! 全てのスピリットは現時点で防戦を止め、ラキオス軍に向かって突撃せよ! 良いか、全てのスピリットだ! 降伏は許さん!! 最後の一兵まで剣を振るい、敵を滅ぼせ!!」

 

 沈黙が広がった。誰もが目を丸くして、息をするのも忘れたようで、息遣い一つ聞こえてこない。全員が、ただ呆然と大公を見ていた。目の前にいる老人が、本当に自分たちの君主なのか自信が持てないでいたのだ。それほどの変貌だ。

 動いたのは二人。スピリット隊の隊長である人間と、その隣にいる一人のスピリットだけだった。総攻撃という命令を、前線で戦っているスピリットに伝えに行ったのだ。気味が悪いほど、迅速に、冷静に。

 確かに横島の言った事は正しかった。スピリットは一番上の立場の者に従う。この命令を覆すには、ダーツィ大公の命令以外にはありえないだろう。

 刻一刻と悪い方向に向かう中、ようやく横島も今がどういった事態になりつつあるか理解した。

 

(マジか!? 狂ったのかよ!!)

 

 騙されて、嵌められたとは考えなかった。もし、大公がその目に理性の光を灯していたのならそう考えただろうが、とてもそうは見えない。目の前にいるのは狂ったように大声を出し、大げさな身振り手振りで喚いている狂人だ。弱気で疲れきった老人は、もうどこにもいなかった。

 計画は失敗のように見えるが横島は慌てない。こういった万が一に備えるのがプロというものだ。こんなこともあろうかと、とっておきの文珠を用意していた。入れる字は『操』だ。二週間で二つの文珠を作ったが、一つは侵入の際に『天秤』の存在を隠すために既に使用していて、これが最後の一つである。

 もしも脅しが効かなかったらこれで大公を操る手筈だったのだ。こんな事なら最初から使っていれば良かったと後悔する。何故さっさと文珠を使わなかったのか。その方が楽に出来たはずなのに。いくら文珠を貴重品でも、この場面で惜しむなど妙ではないか?

 今までの自分の行動に若干の疑問が生まれたが、すぐにそれを打ち消す。今すぐに大公を操り、先の発言を撤回させればまだ間に合う。

 すぐに文珠に『操』を込めて投げようとした横島だが、その動きがピタリと止まった。

 

「ぐうっ……ゲガガ!! かっ……ふ……オオ!!」

 

 大公は胸を押さえて蹲り、口から野獣のような唸り声を上げていた。さらに口からは涎を流し、全身を細かく痙攣させて、床に倒れ伏す。陸に上げられた魚のように口をパクパクと大きく開けて、体をエビのように反らす。声帯は仕事を放棄したようで、声はもはや声ではなくなる。

 ここまで僅か数秒の事。ようやく周りにいる重臣たちが大公に駆け寄ろうとした時には、既に最後の時を迎えていた。

 空気を求めたのか胸をひと際大きくそらして、喉から大きい呼吸音がして、そこで胸の動きが止まる。いや、弓なりに体を仰け反らせたまま、胸だけではなく全身を止めた。

 そして、彼の肉体で何十年と脈打っていた一つの臓器は、その動きを止めた。

 

 

 



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第十七話 ダーツィ攻略戦 後編

 永遠の煩悩者 第十七話 

 

 ダーツィ攻略戦 後編

 

 

 

 床に倒れ、ピクリとも動かなくなったダーツィ大公。その場にいる重臣達は信じられないと、呆然と立ち尽くす。

 徹底抗戦を唱え、目の前で事切れる。唐突過ぎる事態に重臣達の誰もが混乱していた。

 だが、誰よりも混乱したのは彼以外にありえない。横島だ。

 

 んなアホな。ありえないだろ。いや、無いからさ。嘘だと言ってよ、ダーツィ!

 

 目の前の光景を否定する。これはありえない事態だった。手の中で『操』の文珠が虚しく光を放ち続けている。どんな事態も想定しているつもりだった。トラブルの全てに対応できると、横島は自信を持っていた。だが、流石にこの事態は想像できなかった。できるはずも無かった。

 

『逃げろ!』

 

 『天秤』の鋭い声が頭に響く。同時に無機質な殺意が全身に突き刺さる。

 はっと下を向くと、そこには先ほど出て行ったはずのスピリットを率いている男と、グリーンスピリットがこちらを見ていた。手に持っている槍型神剣を肩に担いで投擲の体制を取る。

 混乱した意識とは別に、体は反射的に動く。天井に張り付くという無理な体勢から、すぐ横にあった窓に向かって飛んで、ガラスを破って外に出る。十数メートル落下して中庭にある庭園に転げ落ち、そこに身を隠す。

 鋭い痛みが太ももに走った。見ると肉が抉られ、血が噴き出し始めている。槍を避けきれなかったのだろう。血泡がマナの霧へと変わっていく。血が、マナが――――命が抜けていくのが分かった。血の噴出は酷く、手で傷口を押さえつけていないと、あっという間に辺りが金色の霧に包まれそうだ。

 さらに追っ手はすぐに来た。甲冑を着込んだ男の兵士達が中庭の探索を開始する。そこには動揺も困惑も見られない。横島はその様子を信じられないと目を剥いて驚いた。実戦経験が無いわりには冷静すぎる。こういった事態が起こったときの訓練をよく積んでいるのか。

 

 とにかく人間達に見つからないように逃げなければと考えた横島だが、わざわざ人間の男兵士相手に逃げるのも何だか癪だと思った。危険なのはスピリットなのだから、兵士らを人質にでもすれば――――

 

『それは却下だ。主よ、忘れたのか? 王女との約束を』

 

 横島は言葉に詰まった。

 大公以外の人間には手を出さない。そういう指令を王女レスティーナから受けていた。

 理由は簡単だ。人は傷つかない。それはこの世界の常識であり、道理であり、正義だからである。

 人間が傷つかないからこそ、戦後スムーズな統治だってできるのだ。もし、戦争で人が過失では無く故意に傷つけられたとしれたら、民心はラキオスから離れスピリットにも悪い影響が出るだろう。

 王位を継ぐことを考え、スピリットの解放を目標としているレスティーナにすれば、ここで名声を落とすことは避けねばならない

 逆に言えば、ばれなければ構わない、と言われているに等しいのだが、ここで人間を傷つけて情報を隠すのは無理だろう。

 

 結局、なんとか逃げ出すしかなかった。

 横島は人間達にみつからないよう、足を押さえた不格好なまま必死の思いで中庭から逃げ出し、なんとか城の中に駆け込んだ。ばたばたと何十人もの人間達が横島を探し回っている。明確な目的も無いまま、あてどもなく人を避けるように逃げ惑う。

 どこをどう逃げたかは分からなかったが、ふと気づくと妙に暗い一角に逃げ込んでいた。

 どんより濁った空気とカビの臭気が横島の鼻を刺激する。窓も無く、日の光も入ってこなくて、苔むした岩壁が手に触れた。松明の光だけが僅かに周囲を照らしている。ここはどうやら牢屋のようだ。

 

「ここなら早々見つからないだろ」

 

 牢屋にぶちこもうとしている人間が、まさか牢屋に隠れるとは思いもよらないはず。出入り口が一つしかないのは不安だが、いざとなれば壁を破って逃げればいい。幸い囚人はいないようだし、看守もいないようだ。意外と治安は良いのかもしれない。

 

『さて、ではこれからどうすればいいか考えるか。主はどうするつもりかな』

 

 落ち着き払った『天秤』の声。この危機的状況で余裕を持っていることに、横島は頼もしさと同時に苛立ちも覚えた。

 

「どうするって言ってもな……あ~いてーよ、こんちくしょう! 何だって俺がこんな目に~!」

 

 どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい!!

 

 何もかもが思い通りに行かない事に腹が立つ。流れ出る血は恐ろしいというよりも鬱陶しい。『何か』に対して怒りが胸にこみ上げる。何かが意図的に自分の邪魔をしているのではないか。そうでなければこんな事があるわけが無い。

 

『やれやれ、都合がいいことばかり起こるわけないではないか。人生は理不尽と不条理の連続だ。まあ、頭が茹っている主には、理解できないかもしれないがな』

 

 何故か得意そうになって喋る『天秤』に横島の怒りが向く。

 どうしてそんなに嬉しそうなのか。己の主が苦しんでいると言うのに、明らかに喜んでいる。

 

『ふん、何を怒っている。八つ当たりなどしている場合ではないぞ』

 

 見下したかのような声が頭に響く。横島の頭に更に血が上ったが、それは直ぐに引いて行った。周囲から横島を捜す男たちの声が溢れたから。さらに、スピリットと思われる女性の声もある。幸い牢の中までは入ってこなかったが、いつ踏み込んでくるか分かったものではない。

 

『こういう時は現状を把握する事が大切だ。私が頭足らぬ主に代わり、状況を説明するとしよう』

 

 憎らしいぐらいに冷静な『天秤』の声が横島を落ち着かせた。横島は先頭に立って物事を進めていくタイプではない。女性が絡めば暴走という形で率先して動くが、基本的に誰か頼りになるものにくっ付いていくのが横島だ。腹立たしいが『天秤』は頼りになる。『天秤』の言う事に間違いは無いからだ。

 

『我らの目的は、大公を操り戦争を終結させる事であった。だが、大公はスピリットに徹底抗戦を命じ、心臓麻痺で死亡。スピリットはより上の者の指示を優先する。後継が決まっていない以上、この遺命は永遠と生きることとなる。敵が入り込んで混乱している現状で継承など出来るわけもなく、つまり命令撤回など出来ない。

 また、悠人達の状況も考えなければならんな。本来守勢に徹する筈のスピリットが狂ったように突撃を開始するだろう。はたして犠牲にしない戦いを続けられるかな? もし、犠牲にしない戦いを続けた場合、それで傷つくのは誰か……言うまでもないな』

 

 『天秤』の言葉に、横島は反論できない。まったくもってその通りだった。認めるしかない。自分の策は失敗し、仲間を危険に晒し、助かる可能性の高かった敵の幼少スピリットすら殺さなければいけなくなった事を。

 

『状況は飲み込めたか。ならばもう一度問うぞ。どうするつもりだ?』

 

 どうするか。答えは出ていた。というより、選択肢など一つもない。

 作戦は失敗した。後退して悠人達と合流して、敵を殲滅する。それ以外にない。

 だが、横島は何も言う事が出来なかった。諦めきれないというのも理由の一つだが、それ以上に決断したくなかったのだ。

 その決断が、多くの女性達の命を奪う事が分かっていたから。

 

『正しき答えを導き出せても、決断できぬか。ならば私の言う通り動け。何も考えず、心を空白にしろ。それが主にとっても、主が守りたい者達にとっても、一番賢い選択なのだ。私に、従え』

 

 心の中に何かが入り込んでくる。自分が自分で無くなっていく不快な感覚。それに抵抗しようとしたが、それを撥ね退ける力が湧かなかった。

 抵抗したとして、どうなるというのか。たとえ心の在り方がどう変わろうと、結果は変わらない。どうしようもない。意味がない。

 諦めと絶望が横島の心に潜り込む。絶望の中に『天秤』も多く混じった。心が弱った隙に、色々と作り変えてやろうという腹だろう。高位神剣を持つものに弱気は許されない。

 

 ―――――――もう無理だ。

 

 横島の心は確実に折れていって、ずぶずぶと闇の中に沈んでいった。

 

 そのころ、悠人達も危機を迎えていた。引っ切り無しに襲い来る敵のスピリット。狂気じみた突撃を繰り返すダーツィのスピリット達に、悠人達は後退を余儀なくされていた。

 最初の内は予想通りの展開であった。軽く小突くような攻撃を仕掛けては、敵の防衛を破れず後退する。敵も無理に追撃してこない。双方共に被害無しだった。だが、あるときを境に敵の動きが変わった。今までの守勢が嘘のような攻勢を仕掛けてきた。悠人達は必死に防戦しつつ後退して、なんとか耐えしのいでいた。

 唯一の救いは、敵スピリット達は城を離れた所為で各種施設の恩恵を受けられなくなったことだ。逆にこちらはマナの濃い地に陣取り、戦闘はかなり楽になっている。城から野戦に引きずりだした形となり、単純に戦うのなら負けはない。戦い、殺し合うならば。

 

「……もう、限界です」

 

 十回にも及ぶ敵の攻撃を退け、次の攻撃までの僅かな間を作り出したとき、額に玉のような汗を浮かべたエスペリアは宣告した。周りにアセリア達がいるが、誰一人その意見に何か言おうとはしなかった。疲労が激しく口を開く余裕がないのもあるが、それ以上にそれが正しい事を理解していたから。

 口を開いたのは悠人だけだった。

 

「もう少しぐらいなら……」

 

 しかし、その反論の語気は弱弱しい。

 

「今がぎりぎりなのです。これ以上防戦を続ければ、最悪の事態に備えられなくなります。現状で取れる策は二つ。全力で相手を攻撃するか、もしくは」

 

「逃げるか……ね。でも、この様子だと追ってくるかもしれない。逃げながら戦うの厳しすぎるわ」

 

 ヒミカの言葉に、エスペリアは頷く。

 

「結論から言います。ここで殲滅するべきです。それも速やかに。ヨコシマ様の事だって気にかかります」

 

 その一言で第二詰所のスピリット達の気持ちは決まった。セリア達の誓いは横島を守るというもの。

 こんな戦いで彼を失うなど冗談ではない。早くダーツィのスピリットを打ち倒し、ヨコシマ様の安否を確かめ守らねば!

 悠人だけはまだ納得していないようで渋い顔をする。エスペリアは言葉を進めた。

 

「ヨコシマ様は、私たちスピリットの事を第一に考えています。もし、我らの身に何かあればきっと嘆き悲しむでしょう。それはまだ良いとしても、ユート様、貴方は深く恨まれます。内部不和の原因になりかねません」

 

 そうだろうな。

 悠人は否定しなかった。もしここでセリア達が死ねば、横島との約束が破られる。それは、この血生臭い世界で佳織を守る最強の盾が剥がされると同義だ。

 悠人は悔しげに唇を噛む。

 

(霊力があっても、抗えないのか……)

 

 失望に近い念が胸をよぎる。

 霊力や文珠という能力は特別なものだ。大きな力は選択肢を広げる。背中に背負える量が多くなる。

 もし力が弱ければ諦められるだろう。決して手が届かないと知れば絶望もしよう。だが、手を伸ばせばとどくかもしれない。希望はまだあるかもしれない。その誘惑に耐えるのは難しい。

 捨てるべきものを捨てて行こう。そう決断している横島と悠人の二人だが、その捨てるべきものの基準が、力を持つとあやふやとなる。それに彼らはあくまで、限界まで荷物を持って進もうとしている。どうしても持ちきれない場合は、優先順位に従って切り捨てていくのだ。

 切り捨てようと決断したその時に、矢が尽き、刃が折れていたら目も当てられない。

 

 悠人は悩んだ。上に立つ者の責任と重圧を感じた。

 アセリア達の顔。佳織の顔。レスティーナの顔。名も知らぬスピリット達の顔。この世界の顔。

 色々なモノが頭に浮かんできて、最後に横島の顔が思い浮かぶと思わず苦笑してしまった。

 

「みんな……もう少しだけ頑張ってくれ! 後五分、いや三分で戦いが終わるかもしれないだろ」

 

 悠人は抗う事に決めた。ベターではなく、ベストの終わりを目指すために。

 エスペリアは悲しそうに目を伏せて、セリアは冷たい目で悠人を見据えた。

 

「そんな希望的観測で我ら全員の命を掛けるのですか。ひょっとしたら、ヨコシマ様は既に諦めて逃げているかもしれないんですよ」

 

「それは大丈夫だ。横島の普段を思い浮かべてくれ。あいつが簡単に諦めると思うか。あの女好きが!」

 

 確かにと納得して、セリアは少したじろいだが、口の端を耐えるように絞めた。

 

「確かに、あの人なら足掻いてるかもしれません。ですが! 私たちが持たないと言っているのです!」

 

 悲鳴のようなセリアの声が響く。本当は誰も諦めたくは無いのだ。この世界の運命に異を唱え、立ち向かいたい。

 悠人と横島の軟弱で優しい気持ちに応えたい。それは全員が望んでいること。

 だが、力が足りない。

 結局そういうことなのだ。

 意地と我――――――エゴを押し通せるだけの力。

 力も、知も、運も、その全てを踏み砕くことができる、無慈悲なまでに圧倒的な力。

 それがあれば済む話。それを与えてくれるのが永遠神剣。

 そして悠人が扱うは、この世界最高位である永遠神剣第四位『求め』なのだ。

 

(力をよこせ! バカ剣!!)

 

『何を考えている、契約者よ』

 

 いぶかしむ『求め』の声が頭に響く。

 

『そこまでする義理がどこにある。あの男の策が失敗して、汝がその泥を拭うのか。他者の尻拭いをする余裕があるのか。貴様の求めはなんだ。

 もう一度言うぞ。あのヨコシマという男に深入りするな。あの男の思考、言動、行動の全て、契約者に良き結果をもたらす事はない。必ず後悔することになる』

 

(はっ、今更お前が俺を気遣うのか!? 後悔させられるのなら後悔させてみろ! ありったけの力を寄こせ! それとも何だ。今がお前の限界か!! その程度でよく今まで偉そうな事を言えたもんだな、バカ剣!!)

 

 なんとも分かりやすい挑発だ。見え見えの挑発に『求め』は呆れたが、ふつふつと喜悦が浮かんでくる。

 その喜悦に深い意味は無い。ただ、面白いと思ったのだ。

 

『くっくくくく! 吼えたな、契約者よ! いいだろう。全力を出してやる。地獄を、味わえ!』

 

 『求め』が強い光を放つ。邪悪でも、神々しくも無い、ただの光だった。

 

「う……おおおおおおおお!!!!!」

 

 圧倒的といえる力が『求め』から流れ込んできた。その力は体を流れ、膨張して、まるで巨人にでもなったかのような錯覚を起こさせるほどだ。

 海を割れる。山を砕ける。空間だって絶てる。時間にすら抗って見せよう。出来ない事、成せない事など何一つ存在しないと思わせるような超絶的な力。

 その力と一緒に貪欲な意思が『求め』から全身に潜り込んでくる。

 殺す! 潰す! マナを! 犯す! 渇く! 飢える! マナを! マナを! マナを!

 暴力的で原始的な欲求が体中を廻る。悠人はそれに耐えて、マナをオーラへと変えるべく詠唱を開始する。

 

「聖なる衣よ、我らを包め! 俺たちに、意志を貫く力を! ホーリー!!」

 

 魔法陣が展開して、光が膨らんで弾けた。ただの強い光は悠人の意思により神聖的な輝きを帯びて、アセリア達に祝福をもたらす。

 傷ついていた体が瞬く間に癒され、圧倒的なオーラが神剣に宿り、攻撃力を増大させる。張れる障壁の強度が上がり、銃弾すら止まって見えるほどの動体視力を授かり、青、緑、赤、黒の四種類のマナの加護を得る。

 オーラフォトン、原初の光、精霊光、暗き道を照らす光。幾つもの呼び名があるオーラだが、あえて呼ぶなら希望を繋ぐ光と言ったところか。

 ありとあらゆる加護の全てを、全員に、それも一瞬で与える。戦いが始まる時と同じ、いや、それ以上の力が全員に宿った。

 

「……ん、温かくて……強くて……うん」

「あは! やっぱりパパはカッコいい!」

「すごい……潜在的な力は、ヨコシマ様以上なのね」

 

 皆が口々に悠人を褒めたたえる。この力があれば戦える。この人が傍にいれば抗える。全員が希望の光に笑顔となった。

 ただ一人違う表情をしていたのはエスペリアだ。皆が生気溢れる表情になる中で、ただ一人泣きそうな顔をしている。

 彼女は知っていた。

 道理を潰し、無理を押し通すほどの常軌を逸した力を、無償で与えてくれる訳がないのだ。

 今こうして皆を勇気づけようと不敵な面構えをしている裏で、どれほどの苦痛に苛まれている事か。例え今が良くでも、後々どれほどの災禍に見舞われるのか。

 

 ―――――ヨコシマ様が居なければ、ユート様がこんなに苦しまなくて済んだのに!!

 

 こんな事、考えてはいけない事だ。エスペリアはそう思ったが、どうしても思わずにはいられなかった。

 

「エスペリア」

 

 声を掛けられてはっと前を向くと、そこには悠人がどこか困ったような顔をして立っていた。

 

「横を頼む」

 

 彼はそれだけ言って背を向ける。見ればアセリアは悠人の左に、オルファは悠人の後ろで当然の様に構えを取っている。

 エスペリアははっとした。こんな事を考えている場合ではない。うじうじと悩んでる暇があったら、その間にこの世界に抗おうとしている人の助けとならねば。

 

「さあ、掛ってきなさい! 私は、ラキオスも、仲間も、ユート様も、そして貴方達も、全部守って見せます!!」

 

 宣言するように叫ぶ。永遠神剣第七位『献身』が輝きを増した。

 ネリーやシアー、ヘリオンは絶対に負けてなるものかと反骨心あふれた不敵な表情を浮かべている。

 セリアやヒミカは、こうなれば毒を食らわば皿までと覚悟を決めた目で敵を睨む。

 ハリオンはいつものようにニコニコと笑い、ナナルゥは無表情だが頬はバラ色になっている。

 悠人は頼もしげに彼女らを見て、瞳に膨大な意志を乗せ、助けるべき敵を見つめた。

 

「みんな、行くぞ! 横島と、俺と、自分を信じろ!!」

 

 膨大なオーラを纏い、迫り来る敵に一歩を踏み出す。エスペリア達もそれに続く。

 感情が乏しい敵スピリット達に動揺が走った。

 純粋な戦闘能力だけを見れば、悠人は誰よりも弱い。高位神剣の恩恵があるだけの、一人の素人剣士でしかない。

 しかし、彼の背中を見て弱いなどと思うものは一人たりといなかった。

 

(頑張れよ、横島。こんな世界なんかに負けるな!)

 

 悠人は心の中で叱咤激励しながら、障壁を張って敵の神剣を受け止めた。

 

 

 感じた力の波動に、横島は落としていた首を上げた。どろりと濁っていた瞳をある方向に向ける。

 

「この、力は?」

 

 神剣を使っていない横島には、神剣反応を感知する事は本来出来ない。何らかの力場が発生しているぐらいならなんとなく感じ取れるが、距離が離れれば不可能である。それでも横島は確かに感じた。それは、霊感と呼ばれるもので感じ取ったのかもしれないし、肉体がマナで構成されているエトランジェとしての能力だったのかもしれない。

 だが、その力を感じ取れたなによりの原因は、それが膨大なエネルギーを放っていることに他ならない。

 

『このマナの高まりは悠人の奴以外いないだろう。しかし、第四位とはいえこれほど力を出せるとは……

 心を捨てたのかも知れんな。もし、心を捨ててなかったとしたら、これだけの力を引き出せば後々地獄を見る事になるだろう』

 

 少し戸惑ったような『天秤』の声。それは力の量で驚いた為だけでなく、予定外の事態が起こったためだ。今まで全てが予定通りに来ていた中で起こったイレギュラー。僅かな不安が過ぎっていた。

 横島は訓練時の悠人の姿を思い出す。圧倒的不利。絶望的な状況。敗北して芋虫のように転がされる。毎日毎日飽きる事もなく繰り返される、屈辱であろう訓練日々。だが、悠人が弱音を吐いた所など見たことが無い。文句や罵倒の言葉を吐いても、それは横島にではなく、自分自身を叱咤してるだけだ。そんな悠人の姿に、他のスピリット達は多くの声援を送り始めている、

 横島はそんな悠人が大嫌いであった。

 

 ――――――――――あいつには、負けられない!

 

 濁っていた横島の目に光が灯る。

 生きるためなら排泄物だって食ってやる、と豪語する横島に存在する、ほんの僅かな男としての気概。悠人の意思は、その気概に火をつけた。

 

 ――――――――――スピリットハーレムを作るのは俺だ!!

 

 男の気概は、すぐに煩悩を燃やす原油へと変わってエロ魂を燃え上がらせ、『天秤』の干渉を押し返す。

 

「……これだけの力だったら、まだしばらく安全に防衛戦ができそうだな」

 

 待ちなおし始めた横島の心に、『天秤』は慌てた。

 

『冷静に考えろ。いいか、確かにまだしばらく悠人達は大丈夫だろう。しかし、我らが動けないのだから仕方あるまい。

 神剣である私を使わぬお前は弱い。主は確かに人間としては破格の力を持っているだろう。だが、スピリットには勝てん。精々、弱小のスピリット一人と互角がいい所だ。文珠を使えば勝てるかもしれんが、城に何人のスピリットがいると思っている。

 主はよくやった! やれるだけのことをした! もう満足しただろう。私を手に取り、私の力を使って逃げるのだ!!』

 

 『天秤』は必死に横島に呼びかける。ここで逃げてくれなければ予定が狂ってしまう。

 これ以上、自分の思い通りにならないのは絶対に嫌だった。なにより、ここで不用意な行動を取られては本気で命の危険もあるのだ。いくら悠人達が盛り返しても、こちらが危機的状況にあるのは変わらないのだから。

 

『大体、その怪我ではどうにもなるまい。手での圧迫による止血を止めれば、途端に血が噴出するぞ。血の噴出はマナの噴出。つまり命の噴出だ。すぐに動けなくなるだろうし、敵に発見される可能性も高くなる。早く文珠を使って傷を治せ!』

 

 悔しいぐらいに『天秤』のいう事は正しかった。いくら悠人達の状況が好転しようと、作戦の要である横島が動けないのではしょうがない。今だに太ももからは血が出ている。文珠を使えばすぐ治るが、文珠は正に切り札だ。もし使えば、今回の作戦を立て直すのは不可能になるだろう。

 『天秤』の言うことはやはり正しい。しかし、逆を言えばそれさえどうにかすれば、どうにかなるという事の証明とも言えた。

 

「血を止めるには……くそ! マジかよ、一つしか思い浮かばねえ」

 

 目の前で揺らめく松明を見て思いついてしまった方法に、横島は悪態をつく。こんな方法なんて冗談じゃない。

 痛いのはごめんだ。苦しいのは嫌だ。茨の道など歩きたくもない。

 しかし、しかしだ。その茨の先に輝かしき女体があるならば、麗しの女体があるのなら、何を躊躇う必要があるというのか。

 

 横島の目からは理性の光が消え、狂気すら孕んだ強い光が宿った。石壁に括り付けられていた松明を外して、それを傷口に力強く押し付ける。

 ジュッと肉が焼かれた。人が生理的に嫌がる臭いが周囲に漂う。熱いではなく、痛い。気が遠くなる痛みだ。手の力を緩めればこの痛みは消える。それは耐え難い誘惑。だが、横島は耐えた。悲鳴一つ上げずに、奥歯がすり減るほど歯を食いしばり、拷問とも言える似非治療に耐え切った。焼いた箇所は見るも無残な状態だったが、マナの流出は止まり、少なくとも『天秤』の言っていた無理な理由は消えたと言える。

 

 『天秤』には信じられなかった。あの痛がりで臆病な横島が傷口を焼くという暴挙に出た事も、またそれに耐え切り、声一つ上げなかった事も。

 これほどまで強靭な精神力の持ち主だとは。

 『天秤』の中で、横島に対するある感情が広がっていく。

 感心? 違う。

 嘲り? 違う。 

 

 その感情とは、憎しみ。

 

(それほど私の言う事を聞きたくないのか!!)

 

 『天秤』は別に横島に害を与えるつもりはない。心に負担をかけたり、洗脳まがいの事は確かにしているが、それは善意でやっている事だ。押し付け紛いの善意だとしても、横島の為を思って行動しているのだ。

 少しでも成長して欲しい。そして、神剣世界の為に我が陣営でその力を振るって欲しい。

 崇高な理想を真っ向から否定されているような気分だった。その理想を横島に目指させるのが『天秤』の役目でもあるのだが、それが上手くいかないのも腹立たしかった。

 

(貴方の目標は不可能よ。ヨコシマは馬鹿だから格好良いの。女好きだから強いの。変態だから凄いの。貴方は神剣そのものなのに神剣を分かっていないわ。神剣使いに必要なのは強烈な感情の力。鋼鉄の意志。……そして生まれる歪み。その感情には善悪も貴賎も関係ないのよ)

 

 今迄黙っていたルシオラが優しく言った。こうなることを彼女は予想していたのだろう。驚いた様子はない。ただ、自分が愛した男の姿を誇ったようだった。

 『天秤』はルシオラの言葉など聞いていなかった。ただ、怒りと屈辱で、頭が真っ白になっていた。

 

「ふっふふふふ。くく、ぐふぐふー、むふぉふぉ! もひょひょ!

 こんなに痛い思いをしたんだ。見てろよダーツィのスピリット達。

 絶対に殺さないで戦いを終わらせて、あ~んなことや、こ~んなこと! さらにはそ~んなことまでしてやるからな!!

 少年誌という楔を外れ、18禁世界(しかも陵辱あり)に降り立った俺に不可能など無い!!

 この世界を見守る数多の野郎共も、いい加減にエロラブコメディをヤレと内心思ってるに違いないし!!」

 

 横島は好色そうに顔を歪ませて、邪悪に笑った。これほど苦しい目に合っているのだから、助けたスピリットに色々とセクハラしても許されるだろうと。まったくもって自分勝手甚だしい。最低とも言えるヒロイズムの暴走。

 しかし、強烈なまでの切り替えの早さだった。痛みを忘れ、今が絶望的な状態であるにも関わらず、ただ前を見る。それは『天秤』の干渉すらはじき返す。アホでバカで女好きで、邪悪で優しく、弱くて強い、ルシオラが愛した横島の姿そのものであった。

 

 そんな横島に『天秤』はぞっとした。

 煩悩。

 『天秤』は煩悩など、ただ霊力を生み出す泉、程度にしか考えていなかった。霊力を、栄光の手を、そして奇跡の技たる文珠を生み出すだけの感情。文珠の為に霊力があり、霊力の為に煩悩がある。その程度にしか考えていなかった。

 

 だが、何度も自分の干渉を打ち破ってきたのは文珠でも霊力でも無い。煩悩だ。

 煩悩が生み出す人外じみた精神力。エロパワー。それがここ一番で全てをひっくり返してきた。

 

 奇跡の結晶である文珠が、野蛮で低俗な煩悩の前では塵芥に過ぎないのではないか。

 今の『天秤』には、横島が異形の怪物のように見えていた。

 

「さあ『天秤』。他に何か動けない理由はあるか!? あるんなら言ってみるが良い! その全てを乗り越えて見せて進ぜようではないか! 残り一個の文珠を使ってこの国を降伏させる方法も考えたでありんすからでござっしゃい!」

 

(何キャラよ、それ)

 

 テンションが上がって意味不明な言葉遣いになっている横島に、ルシオラは楽しそうに突っ込みを入れる。絶望から復活した反動か、どうやら一種の操(そう)状態になったらしい。

 『天秤』は何も言えなかった。今この場で口を開けば、罵倒を吐くこと以外出来ないと知っていたから。その罵倒の中に、言ってはいけない世界の秘密を言うだろうから。

 黙りこんだ『天秤』に、横島は「よっしゃあ」とガッツポーズを取った。

 

(私は、敵では無い!!)

 

 捻くれた神剣は心の中で叫んだ。どうしてこうも反発されてしまうのか、理解できなかった。

 

 そうして横島は行動を開始した。

 ギイィ。たてつけの悪い扉が出した音にビクリとしながら、横島は牢獄から抜け出す。

 誰にも見つからずにダーツィ大公の死体の所まで行く。

 それがミッション内容だ。

 覗きで鍛えられた隠形の技は、そこらの兵士で見破られるものでは無い。問題はスピリットだ。文珠のおかげで神剣反応で場所を察知される事が無いとしても、神剣の力を引き出した状態での五感は並々ならぬものがある。「WRYYYY!!」な吸血鬼のように心臓の音で探ってくるかもしれない。侵入するときは警戒していなかったから楽だったが、今はそうはいかないだろう。

 

「さて、まずは……」

 

 横島は鼻をクンクンとひくつかせながら行動を開始する。兵士たちに見つからないよう城の中を動き、まるで導かれるようにある木造の扉の前に立つ。

 

『主よ。ここは一体……』

 

「待て。静かにしろ」

 

 横島はそっと扉を開いて、中をのぞき見る。

 そこには、着替え中の女性が二人いた。一人はナイスバディなお姉さん。もう一人は純朴そうなハイティーンの少女。

 どうやら城の女中らしく、給仕服を着ていて、キャップやアクセサリーを外していく。

 

「先輩、何だかお城が騒がしいみたいですけど、どうしたんでしょう」

 

「貴女聞いてないの? 何でもラキオスのエトランジェがこの城に入り込んでるって話よ」

 

「ええ! それっておとぎ話の」

 

「残念でした。何でも変態の方らしいわよ」

 

「……そうなんですか。あ~あ、会ってみたかったなあ」

 

 敵国の戦士が城内侵入しているというのに、二人の女性は何とものんびりしたものだった。一般の人間にとって戦争など対岸の火事なのである。敵国の兵士に侵入されているのに、乱暴されることなど考えもしない。ここは、平和の世界なのだ。

 話しながらもぽいぽいと服を脱ぎ捨てて、下着姿になっていく。

 

「あら、でも変態の方は面白いって話よ」

 

「……カッコイイ方が私はいいです」

 

「面食いねえ。理想が高いと婚期逃すわよ」

 

「先輩みたいに?」

 

「そうそう……って、貴方何気に口悪いわね」

 

「私、嘘を付くような人になりたくなくて」

 

「物は言い様ね。でも、流石に変態はないか。バンダナらしいし」

 

「変態なのにバンダナですものねー」

 

 おほほほほほ。

 そこはかとなく淑やかな笑いが木霊する。

 そこへ……

 

「ギャオ~ム!! バンダナ男参上じゃー!! チチシリフトモモーー!!」

 

「きゃああああああ!!」

 

「変態バンダナです~~!!」

 

 突如現れた変態に女中達は悲鳴を上げて下着のまま逃げ出した。

 ボインな胸や可愛いお尻を、横島はじっと見つめながら見送る。

 女性が出ていくと、彼は地団太を踏んで怒りの声を上げた。

 

「ちくしょう! 悠人の奴め、まさか俺の悪名を世に広めているとは!! つーかバンダナ馬鹿にすんな!!」

 

『自業自得という発想はこないのか』

 

 『天秤』の言葉を無視して無意味な怒りに震える横島だが、霊力だけはしっかり上がっていた。

 たとえ火の中だろうが、水の中だろうが、果ては宇宙であっても姉ちゃんがいれば霊力の回復はできる。

 神剣が使えない以上、横島に残された武器は霊能力しか無い。霊力はしっかりと補充しなければいけないから、たとえ敵地のど真ん中でも涙を飲んで変態的行為をとらなければならない。

 この理屈は『天秤』にも分かった。色々言いたいことはあるが、理屈は通っているのでまだいい。

 だが、次なる横島の行動には納得できなかった。

 

 ヌギ!

 

『……何故脱いだ』

 

 いきなり服を脱いだ横島に、『天秤』は喉から搾り出したような声を出す。

 

「あん? 決まってるだろ。見つかってもすぐにばれない為だ」

 

 どういう事だと、『天秤』は言おうとしたが、次に横島が始めた行為によって何一つ言えなくなった。

 ブリーフ一丁姿になった横島は、先ほどの女性達が着ていた給仕服を物色して、あまつさえそれを身に纏い始めたのだ。流石に下着だけは替えなかったが、ふわふわのスカートに、可愛いリボンが胸元にある給仕の服を。しかもサイズが小さかったようで、なんというか、かなり見苦しい事になってしまっている。

 

(これはこれで可愛いわね)

(個人的には割烹着の方がいい気がしますわ)

 

 ルシオラと敬愛する上司の声が聞こえたような気がしたが華麗にスルーする『天秤』。

 

『もしや、変装……なのか』

 

「それ以外の何にも見えないだろ?」

 

『いや、変態に見える……むぅ、それは元からか……』

 

 現状では、横島の顔は割れていない。さきほど横島を見つけたスピリットなら分かるだろうが、それ以外にはどういった容姿なのか口頭で伝えるしかない。

 本来なら戦うときは神剣反応が出てしまうので、敵性かどうかなんてすぐに分かってしまう。しかし、今は神剣を封印している状態だから反応は出ない。

 現状で伝えられる事などは、年齢や背格好、それにラキオスの戦闘服を着ていた程度だろう。

 あの混乱の中で正確に容姿を把握するのは不可能に近いだろうし、変装などされれば横島を知っていたとしても遠目には分からない。

 

 確かに合理的で筋が通っている。良い考えとは言わないが、悪くない考えだ。だが、何か違うのではないかと『天秤』は思っていた。この不細工不格好不気味な生物の誕生が、良い考えなどあっていいのだろうか。

 

「ふっ! それだけじゃないぞ!! 先の給仕さん達は、変質者に襲われたと証言するだろう。これでこの城には手強く格好良いラキオスのエトランジェと、妖しげな魅力を持つ謎の変質者がいることになる。スピリット達が攻撃命令を受けているのはエトランジェのみ! もし俺を偽物と見破っても、変質者扱いになって攻撃は出来まい!!」

 

『……まあ、単身で本城に乗り込んで来てセクハラを仕掛けてこようとは考えないだろうな』

 

 情報を混乱させる。少数で内部から攻撃していくのならば定石だろうが、やはりなんだか納得いかなかった。

 悪い考えではない。だが、手放しで良策と言えない何か、決定的な見過ごしがあるような気がしたのだ。

 

 『天秤』の不安をよそに、横島は自信ありげに変装したまま部屋を出る。

 髪の毛をすっぽり覆うキャップをまぶかにかぶり、流石に顔は伏せていた。

 

 次に横島が求めたのは情報だ。死亡した大公の元までたどり着くのが目的だが、まさか死体をそのまま放置という事はないだろう。どこかに運ばれたはずだ。走り回る人間たちにこっそり近づいて耳を澄ます。

 スピリット、エトランジェ、変態、ラキオス、チチシリフトモモ――――等々、多くの情報が錯綜しているようだったが、ついに目当ての情報が耳に入った。

 大公の亡骸は自室に運ばれたらしい、と。

 それなら場所が分かる。小さくガッツポーズしながら歩を進めようとしたが、そこで横島を姿を目に入れた城の兵士が叫んだ。

 

「待て貴様! さてはラキオスのエトランジェだな!!」

 

 心臓を掴まれたような衝撃が横島に走ったが、それでも努めて冷静に横島はふるまおうとした。

 

「ち、違うわ! 私は可愛いメイドなのね~!」

 

 顔を伏せながら必死の裏声。彼にはこれが限界だった。

 兵士は全身に鳥肌を立たせながら、声を張り上げる。

 

「すね毛のメイドがどこにいる!!」

 

 ふわふわのスカートからの覗く、すね毛。それも見えたり見えなかったりのチラリズムという極悪さ。こんなものを見てしまったこの兵士は、もはやご愁傷様と言う以外にないだろう。

 言い訳には定評がある横島だが、流石にこれで言い逃れは出来なくて喉を詰まらせたが、まだ考えはあった。

 

「ち、違うぞ! 俺は通りすがりの変質者であって、フェロモンをまき散らかすエトランジェじゃあ……」

 

 いきなり変装がばれてしまったが、こんな事もあろうかと、変質者のマネをしていたのだ。ただ変質者であるならばスピリットを呼ばれる事もないだろう。

 そう考えていたのだが……

 

「だから、ラキオスのエトランジェだろうが!!」

「ちがうって言ってんだろーが! 俺は変質者であって、エトランジェじゃあ!!」

「やっぱりエトランジェじゃないか!!」

 

 どうにも話が噛み合わない。

 一体なぜ、変態なのにラキオスのエトランジェなのか、冷静に問いただしてみる。

 

「いや、ラキオスのエトランジェは変質者だと聞いていたからな」

「……どこから聞いたんだ」

「普通に巷で噂だぞ」

「ちまたってどこやねんー! ニコちゃん大王か~!」

『主よ、それを言うなら『ちたま』だ』

(ヨコシマ、それを言うなら『ちたま』よ)

(ネタが古いですわ)

 

 『天秤』の感じた違和感。それは、エトランジェと変質者を分けて考えていた事だ。

 エトランジェ・ヨコシマ=変態という訳だ。

 まさかラキオス内のみならず、隣国にまで噂が広がっているとは『天秤』も予想外だったが。

 とまあ、そんなアホなやり取りをしている間に、横島は兵士が呼んだ数人のスピリット達に囲まれ、壁際まで追い詰められてしまった。

 

『完全に万事休すだな。さっさと私を使い、脱出するぞ』

 

 それ以外に方法が無い。文珠を使えば逃げられるかもしれないが、それでは本末転倒である。

 しかし、横島はまだ諦めなかった。

 

「嫌じゃああ!! こんな恰好のまま殺されるなんてー!! 

 

「なに?」

 

「足だって舐めるし、宴会で腹踊りだってするんで、どうか御助けを~! 童貞で死ぬのはいやじゃああ~!」

 

 それは正に魂の叫び。横島は床に額を擦りつけ、懇願と哀願を繰り返し涙と鼻水を巻き散らかす。

 

「ふざけるな! 貴様は敵だろう。スピリット! 今すぐにこいつを串刺しにし―――――」

 

「分かりました! 降参、降参するっす! 今後ダーツィの為に身を粉にして働くので、どうかご慈悲を~~~!!!」

 

 米つきバッタのごとく頭を下げる横島。

 そんな横島に、兵士は眉を顰めながら唸った。

 この兵士は人を切った事も、人が目の前で切られるのも見た事が無く、この場のスピリットに命じて惨殺死体が転がる事を密かに恐れていた。それに相手が武装しているならいざしらず、こんな低姿勢の情けない男をどうして警戒しなければいけないのか。

 

 黙り込んだ兵士を、横島は土下座したまま盗み見てニヤリと笑う。

 

「この通りっす! 武器も何も隠してないっすよ~!」

 

「な、何をしてる! 服を脱ぐな!!」

 

「いや、信頼してもらうためには全裸になるのが一番かな~と」

 

「…………ふうっ」

 

 兵士は完全に呆れたようで、疲れた溜息をもらす。

 顔からは緊張も敵意も抜けていた。

 

「でも、流石にパンツだけ勘弁してくれたらな~って」

 

「ああ分かった分かった! 好きにしろ!」

 

 ぽんぽんの給仕服を脱いでいく横島。人間の兵士は顔を顰めたが、スピリット達は眉ひとつ動かさない。

 その様子に横島は僅かに表情を歪ませる。が、それは一瞬ですぐに情けない顔へと元に戻す。

 

「流石にパンツ一丁は恥ずかしいんで、このカーテンで体を隠していいっすか?」

 

「だから、好きにしろと言っている」

 

 この兵士が一言スピリットに命令すれば横島は死ぬ。

 圧倒的なアドバンテージを持っているのは兵士のはずだったが、しかし、この場をコントロールしていたのは横島だった。見た目の凡庸さと、自尊心の低さ。今迄自分を幾度となく助けて来た武器を存分に利用していた。理性を持って、この武器を利用できる所が彼の成長を示していると言えるだろう。

 

 横島はカーテンを剥ぎ取ると、それを体を覆おうとして――――突然目の前で広げてスピリット達に投げつけた。

 カーテンの所為でスピリット達から横島が見えなくなる。次の瞬間、突然の爆発音。カーテンは地に着いたが、爆音と煙で視界が塞がれる。

 視界が戻ったときには、既に横島の姿は無く、壁に外へと続く大穴が開いていた。

 風の吹く間の出来事だ。あまりの事に兵士はしばし呆けた顔をしていたが、謀られた事を知るとわなわなと震えだした。

 あんな情けない男に謀られたのが堪えたのだろう。冷静な判断力を消失しているようだ。

 数多の妖怪、神族、魔族を出し抜いてきた横島の極意とも言える技。

 

「追うぞ、スピリット共。あの変態を見つけ出して殺せ!!」

 

 怒り心頭な男の命令に、スピリット達は大きく開いた穴を通って外へと飛び出していく。

 兵士もスピリットに掴って外に出て行った。

 騒ぎを見て、聞いた兵士達もこぞって外へと走っていく。

 

 誰もいなくなった廊下。そこにある灰色の天井が、ごそりと動いた。

 

「流石にあの状況で外に出ていないとは考えられないだろ」

『天井に張り付き、さらに爆発の際に待った粉じんを体に塗りつけて保護色にするとはな、しかし汚いな』

「ふっ、戦いに綺麗も汚いもクソもないのだ」

『そういう意味では無い。格好の問題だ。パンツ一丁で埃まみれとは……親が見たら泣くだろうな』

 

 『天秤』は嫌味を言ったのだが、横島はどこ吹く風だ。彼の瞳は、何があってもスピリットを助けてエロティカルナイトを迎えてやると輝きに満ち溢れていた。

 横島は走り出す。まだ城には兵士がいたが、格段に数は減っていた。足取りは軽く、このまま大公の部屋までいけるのでないか、そんな楽観論が頭を掠めた時だ。

 

「う……わああぅ!」

 

 あどけもない、舌足らずな声が後ろから聞こえてきた。

 振り向くと、4,5歳程度の幼稚園に通っているような小さな子供が小型の槍を構えて突撃してくる。

 横島はそれを余裕を持って避けた。

 ふみゃあ、という悲鳴と一緒に子供は勢い余って転倒して、膝をすりむいたようで泣きそうになっている。

 瞳は緑。髪の色も緑だ。間違いなくグリーンスピリットだろう。

 

「ハイロゥが出てないな。スピードも遅いし」

 

『どうやら神剣の力を引き出せてはいないようだな』

 

 神剣の力を引き出せていない。この時点で戦力としてはまったくカウントしなくて済む。

 力が引き出せなければ、こんな幼児など成人男性並みの力しかないだろう。

 なんでこんな子供スピリットが襲いかかってくるのだろうと考え、すぐに答えに行き着いた。

 あの大公は死ぬ間際に、全てのスピリットに攻撃命令を出していた。それは、それこそ神剣すら扱いきれない未熟なスピリットも含まれていたのだろう。

 面倒な事をしてくれる。そう思ったが、すぐに思い直す。

 こんな童女なんて問題ではない。見た目の幼さから、彼はそう判断を下す。

 先の兵士が横島の外見に油断したように、今の横島も油断してしまった。

 廊下の端からまたもや子供が出てくる。赤、青、黒の髪をした子供達。全員スピリットだろう。

 こんな戦うついでにおっぱいも触れない子供なんて相手にしていられない。

 横島は子供らは撒こうと走って逃げようとして、

 

「あいあんめぇーでん!」

 

 そんな声が聞こえたと同時に、足の裏に画鋲でも刺さったかのような痛みが突き刺さる。思わず足を止め、床を見るとそこには小さな黒い針の様なものが生まれていた。

 ぎょっとする横島。その耳に、またもや舌足らずな声が響いてくる。

 

「ふぁ、ふぁや~ぼーるぅ!」

 

「え~ちぇるちんく!」

 

 弱弱しそうな赤と青の塊が飛んでくる。

 未熟な神剣魔法といえど、まともに食らえば火傷と凍傷は免れないだろう。

 無論、まともに食らうつもりなどなく、サイキックソーサーで守りの態勢に入る。

 

 やはり、横島には油断があった。

 彼の頭には、先ほど転んで膝を擦りむいて泣いていたグリーンスピリットの子供が抜けていた。

 

「やああ~~!!」

 

 重たい槍を床に置いて、声を張り上げながらグリーンスピリットの少女は横島に向かって体当たりを仕掛けた。

 ただでさえ強靭なマナの肉体に、霊力を纏わせているのだから、童女の体当たりなど何するものではない。

 だが、いくら肉体が強力であっても逆らえない神秘があるわけで。

 

 カックン。

 

「おわっ!」

 

 体当たりは膝裏にぶつかり、誰もが人生で一度は体験するであろうひざカックンを生みだした。

 ひざカックンの神秘の前に、横島の態勢が崩れる。

 サイキックソーサーをすり抜け、炎と冷気は横島の二つの乳首に見事直撃を果たす。

 

「あっじいいいい!! 冷てええええ!! でもなんか良いかも」

 

「え?」

 

 ついに新たな変態の境地に至ったか。

 不穏すぎる横島の台詞に、ざざっと距離を空ける子供達。

 

「横島ダッーシュ!!」

 

 その隙をついて横島が走る。実はかなり痛かったのだが、痛みに慣れている横島は致命傷では無いと判断していち早く行動したのだ。完全に子供達を出し抜いたかのように見えたが、その見通しは甘かった。

 

「げえっ、童女!」

 

 駈け出した横島の目に映ったのは、童女スピリットの集団であった。人間の姿はないが、行く手に立ちふさがるのは十人近くの童女達。これはやばいと回れ右をした横島だが、なんと後ろにも同じぐらいの童女スピリットが立ちふさがっている。

 しまった。思わず唇を噛んでしまう。

 さきほど子供スピリットが横島に向かって神剣魔法を使ってしまったせいで、それを感知したスピリットが集まってきてしまったのだ。

 大人スピリットは外に出ているからしばらく戻ってこれないだろうが、恐らく兵士の指示もなくただ城を徘徊していた子供達は集まってしまったのだろう。

 

『剣豪と呼べる人種ですら素人に槍を持たれて囲まれると、どうしようもないらしい。さて、主にこの包囲網が破れるかな?』

 

 厭味ったらしい『天秤』の声。無理だと、暗に言っていた。

 

(ん? 何言ってんだ。こんなの切り抜けるの簡単だぞ)

 

 周りを囲む童女達を見つめて、横島は自信ありげに答えた。

 

『貴様はまだ神剣の力を分かっていないようだな。今の主の戦闘能力では、どうやっても逃げることはできんぞ』

 

(ふっ! それはどうかな。まあ見てろっ……てぇ!」

 

 スピリットの一人が大剣を掲げて襲いかかってきた。横島の目でぎりぎり見えるというほどの加速。

 『天秤』の言うとおり神剣の力は凄まじい。

 まともに戦えば人間は機関銃を手にしても戦えないだろう。

 

 そう、まともに戦えば!!

 

 やはりまだ幼い所為か、剣術のけの字も理解していない幼稚な剣の軌道。いくら早くても、予測する事は容易かった。

 大ぶりの一撃をサイキックソーサーで軌道を変える。

 そして、その一撃を近くまで忍び寄ってきたブラックスピリットの神剣にぶち当てた。

 ブラックスピリットの手から神剣が吹き飛ぶ。

 吹き飛んだ神剣は、窓を割って外へ飛んでいき、キラーンとお星様に変わった。

 

「う……うあ~~~ん! リーチェの神剣とんでった~!! ああ~ああううう~~!!」

 

 神剣が無くなったスピリットは大声で泣き始める。不可抗力とはいえ、神剣を吹き飛ばしてしまったスピリットはおろおろするばかりだ。

 横島の目が妖しく輝いた。

 

「なーかしたーなーかしたー。せ~んせいにーいってやろ~」

 

 神剣を吹き飛ばしたスピリットを指差し、妙に甲高く、いかにも罪悪感を与えるように間延びした横島の責める悪口が響き渡る。それに泣き声が重なる。

 

「わたし悪くないもん! 悪くないもん!」

「な~かした~な~かした~」

「わるく……ないもん……」

「な~かした~な~かした~」

「わ、わるく……うわぁ~ん!!」

 

 横島に執拗に責められて、とうとう少女は泣き出してしまう。すると、隣にいた子も泣き出した。涙は感染するのだ。

 あっさりと数人のスピリットを戦闘不能に追い込む横島だが、流石にずっと俺のターン! とはいかない。

 

「こら~みんなをなかすな~!」

 

 気の強そうな、子供の中では年長組に入るブルースピリットが切りかかってくる。

 かなりの速さの神剣を何とかサイキックソーサーで受け止めるが、斬撃は防げても衝撃までは殺せず、ピシッという音と共に小指が粉砕された。

 こんにゃろう! なかせちゃる!! 

 横島の顔が意地悪く歪む。そして、

 

「ヨコシマ菌、あ~げた!」

 

 そう言って襲い掛かってきたスピリットの子供の胸をトンと叩いて後ろに下がらせる。そして栄光の手をダンゴ虫の足のように醜悪な形にしてかさかさ動かす。かなり不気味だ。

 ブルースピリットは何か良からぬものをうつされたと分かると、怖くなってブルブルと震えだした。

 

「いらない、ヨコシマキンいらないよ! かえす!!」

 

「だめだ! バリア~張った!」

 

 横島は腕を十字にクロスさせてポーズをとる。別にオーラの障壁を展開したわけではなく、サイキックソーサーでもない。バリアーなのだ。

 バリアが張られては仕方ない。ヨコシマ菌をうつされたスピリットはすごすごと退散した。そしてはっとしたときには、周りのスピリットが一定の距離をとっていた。

 

「こいつに触ったらヨコシマ菌がうつるぞ~逃げろー」

 

 横島の声が響くと、離れた少女たちはビクッと反応して、ヨコシマ菌保持のスピリットからさらに離れた。

 感染スピリットが近づく。みんな離れる。近づく。離れる。近づく。離れる。

 誰も近づいてこなくて、少女は一人立ち尽くす。元気がいっぱいの勝気な子だったが、まだまだ子供。孤独に耐えられるわけも無く、溢れるものを抑えることなど出来はしない。

 

「ひっ……くぅ……ひどいよぉ……みんなぁ」

 

 大声で泣きわめく事はなかったが、涙を流してしゃくり声を上げている。

 逃げてしまった少女達の胸に罪悪感が芽生える。まさにその瞬間だ。

 

「な~かした~な~かした~」

 

「!?」

 

 手を差し伸べなかった少女達を指差し、またしても横島は甲高く声を張り上げる。

 一分後、人間の兵士とスピリットらが来たときには、少女達は涙の大合唱をしており、兵士達が声を張り上げて命令してもそれは届くことは無かった。

 

 

『くだらん! 殺し合いを何だと思っているのだ!! 我らは戦争をしているのだぞ!!』

 

 少女たちを泣かし終え、目的地に向かう最中、期待を裏切られた『天秤』は酷く失望したようで、怒りの言葉を巻き散らかしていた。横島もその言葉に深く頷く。

 

「本当だよなあ。よくもまあ、あんな子供に戦争させようとするもんだ」

 

 言葉の調子は軽いが、それがより横島の怒りを物語っていた。何があっても目的を果たさなければ。強く心に決める。もしこの策が失敗したら、あの子供たちも殺さないといけないのだから。それは正直、考えられない事だ。

 

「やっぱ相手に感情があると楽やな~」

 

 しみじみとそう言った。

 相手を怒らせ正常な判断を奪い、そうしてこちらのペースに巻き込み、何だかんだで打ち倒す。それこそが美神流の真髄。相手に感情があって、さらに優れた指揮官がいないのであれば、精神的に未発達なスピリットなど格好の餌食に過ぎない。ただ、こういった戦いは『天秤』を持つとこちらの精神が不安定になるためできない。力か、もしくは心か。中々判断が難しい所だ。

 

 横島はさらに歩を進める。そしてついに、大公の部屋前まで到着したが、そこで横島は舌打ちした。

 部屋の前には十人近くの人間とスピリットがいたのだ。それも先ほどのような子供ではなく、十分経験を積んでいそうな大人のスピリットだ。

 横島はばれないように隠れて気配を殺す。

 

「なあ『天秤』。どうして、ここにスピリットが居ると思う。なんつーか、まるで思考が読まれて先回りされているような気がすんだけど……』

 

『……妄想だ。そんなわけ無かろう』

 

「……う~む」

 

 大公の変心からずっと、何か見えざる手が働いているような気が横島にはしていた。

 どうにも神様が依怙贔屓しているような気がしてならない。

 

『くだらない戯言は抜きにしろ。さあ、今度はどうする。同じ手が二度も通用するとは思えんぞ』

 

 そうだなと、気を取り直し改めてスピリット達を隠れ見る。

 部屋の前にいるスピリット達は10人ほどで、皆10代後半から20代前半ぐらい年齢。瞳は暗く、表情は無い。どうやら神剣に心を飲まれたスピリットのようだ。人間達も完全武装している。

 横島は舌打ちした。最後の最後で、最悪の守りだ。一体どういう思惑でここは守っているのか。それほど大公の遺骸を守りたいのだろうか。

 力攻めは不可能。それこそキラーマジンガの群れにステテコパンツ一枚で突撃するようなもの。

 やはり搦め手しかないのだが、横島の額には焦燥の色が浮かんでいた。

 悠人が発起してからそれなりの時間が経っている。どれほど強力な力を持っていようと長時間の戦闘は肉体的、精神的に参ってしまう。いや、強力だからこそ長い時間戦えないのだ。

 一刻も早くこの守りを突破しなければならない。だが、搦め手では時間がかかる。

 

 覚悟を決めるか。

 

 横島は栄光の手を作り出す。そして、

 

「飛べ、栄光のロケットパンチ!!」

 

 栄光の手が空を飛んだ。手はそのまま人間の隊長に向っていき、その服を掴み取る。

 不気味な手に掴まれた兵士は悲鳴を上げるが、そんなのは無視して遠隔で栄光の手を操作して、窓ガラスへ放り投げる。

 かなりの高さがあるから、地面に叩きつけられれば下手をすれば死んでしまいかねない。

 だが、そこは横島もちゃんと考えていたようで、ぼちゃんと池の中に落ちた。

 

『あ、主! 人間を傷つけては!?』

 

「うっさいわい! 死ななきゃいーだろ!?」

 

 開き直った横島に『天秤』は絶句した。

 

「ス、スピリット! 早く来い! 俺を守れ!!」

 

 鎧の重量もあり、泳げない兵士が水の中でスピリットを呼ぶ。

 スピリットは命令に従って、部屋の前から移動を始める。

 

「よっしゃ! 今のうちに大公の部屋へ……」

 

 スピリットが人間に構っているうちに、さっさと大公の亡骸までたどり着こう。

 横島の考え通りに言った―――――かと思いきや

 

「あぷ……救助のスピリットは……うぷ、一人で良い! 他はそこで待機だ!」

 

 はたしてどういう心境の変化が数秒で起こったのだろうか。

 溺れながらも兵士は突如理性を持ち直し、適切な命令を下した。

 ブルースピリットが一人だけ外に行っただけで、また部屋前に居座られる。

 さらに人間の兵士もやってきて防備を固めてしまう。

 

 ――――なんだこれ。本当にありえないだろ。

 

 違和感がある。出来の悪い演劇を見せ付けられているような気持ち悪さがある。

 無理やりにでも、ある方向へストーリーを持っていこうしているような、そんな気配がある。

 何となく、分かった。これは小ざかしい手を使っても、きっと上手くいかない。

 これなったら多少の犠牲は仕方ない。

 

「うりゃ!」

 

 遠くから栄光の手を伸ばし、曲げて、見つからないようにしながら兵士の手足を切り裂く。

 悲鳴を上げて逃げ出す兵士達。当然、護衛に一人のスピリットを付けてだ。

 そうやって人間達を傷つけて、横島はスピリットを部屋の前から少しずつ消していく。

 

『主! いくらなんでもこれはやりすぎだ!!』

 

「仕方ないだろ! ここでやらなきゃ負けるぞ! 負けたら、あんな子供まで殺すことになるんだぞ!?」

 

『だが、王女になんと言い訳するつもりだ!』

 

「レスティーナ様には後で土下座するさ! 何か問題が起こったら、俺が何とかする!!」

 

 覚悟を決めた横島に『天秤』は歯噛みする。何があっても我らの策謀を超える事などできないくせに、何故意味もなく抗うのか。

 運命は決まっている。どのようにあがこうとも、世界は我らの都合で動くというのに。

 

(策謀を超えられないね……どうかしら。私の予想が正しいのなら、そろそろあの極悪お婆さんが……)

 

 ルシオラは意味ありげに『天秤』の方を見て、聞こえない程度に誰かに呪い言葉を吐き出す。

 やはり、『天秤』には意味がまるで分からなかった。

 だが、ルシオラの予想とは何なのかは、すぐに分かった。上司から連絡が入ったのだ。

 

(『天秤』、聞こえますか)

 

(ほ、法皇様! 一体どうされました!?)

 

(伝えねばならない事がありまして。今回は流石に干渉しすぎたようで、どうもカオスの連中が良からぬ動きをしているようです。彼にもこれ以上の不信感は与えたくありません。貴方も干渉せず、流れに任せてください。では)

 

 流れるようにそれだけ言って声は聞こえなくなる。

 唐突で理由は曖昧。しかも強引すぎて『天秤』は何一つ質問することはできなかった。ぐるぐるぐると、思考が空回りの回転を起こす。

 何故、どうして。運命は我らの味方では無かったのか?

 

(ほら、言った通りになったじゃない。これで勝負の行方は分からなくなったわ)

 

 贔屓をしていた神様が公平になった。これで戦いは役者次第。

 

(貴様! どうしてカオスの動向を知った!! まさか私が知らない力でも隠し持っているのか!?)

 

(そんなわけ無いじゃない。予想よ。今迄の情報をかき集めて、そうして出た結論)

 

(私に分かるように説明しろ!)

 

(言えないわ)

 

(何故だ!)

 

(言ったとしても、今の貴方は答えを受け入れないから。万が一受け入れても、それが無かった事にされるからよ)

 

(……もう良い。貴様は会話する気がないようだ)

 

 『天秤』とルシオラが会話している時も横島は動き続け、ついにスピリットを扉の前から引き離した。横島は大公の部屋に入る。

 そこにいた大公の亡骸を守る数人の兵士が横島に剣を向けるが、その表情は怯えきっていた。

 無理も無い。今の横島の顔は形容しがたく、ただ異様としか言いようが無いのだから。青年と少年の中間のような顔からは生気に満ち溢れたオーラを放っていて、目は猛禽類のようにギラギラしている。しかもパンツ一丁で半裸を惜しげもなく晒し、手からは光り輝く剣が生えている。

 童話の中から出てきた怪物。

 

「のぴょーん! のぴょーん! のぴょーん! のぴゅーん! のぴょーん!」

 

 それが奇声を上げて迫ってくる!!

 

「うわああああああああああああああ!!」

 

 兵士達は我先にと逃げ出した。

 

「……逃げ出したな」

 

『当然だろう!』

 

「そうか? 何か急に変わったような」

 

 世界や人間達に関する干渉が抜けたことを、横島は鋭敏に感じ取っていた。

 

 横たわるダーツィ大公の亡骸。目は閉じており、胸の所で手を組んでいる。体はまだ熱を持っていたが、やはり少し冷たくなっていた。

 横島はふっと息を吐いて、精神を集中させる。手のひらに文珠が出現した。刻まれている文字は『蘇』

 最高権力者の遺命という形で出された命令を撤回させる方法は一つ。最高権力者自身にその遺命を撤回させるしかない。簡単に言えば、生き返らせればいいのだ。

 正に文珠らしい反則といえる策だ。

 

「生き返れ!」

 

 『蘇』の文珠が光を放つ。光はダーツィ王の体に吸い込まれていく。

 これが最後の手。もしこれが失敗に終わったら、敵スピリットを全て皆殺しにするしかない。しかも、圧倒的に疲弊した状態で。

 上手くいってくれと、横島は手を合わせて必死に祈った。やるだけの事はやった。尽くせる限りの手は尽くした。上手くいくはず。これだけやれば……

 

 ―――――――それでも手が届かない事もある。忘れたのか? 彼女は……

 

 心の底から声が響く。

 『天秤』の声ではない。他の誰でもない、自分の声だ。足掻きに足掻き、結局手が届かない。そんな結末が生んだ、弱い自分。

 ソイツの声を聞いて、横島は恐怖したかのように目を閉じる。そして、光が収まると、恐る恐る目を開けた。

 

 ダーツィ大公は―――――生き返ってはいなかった。

 

「ちく……しょう! くそくそくそ! くそったれ!!」

 

 賭けは失敗に終わった。横島は、負けたのだ。

 

『ふっ、ふふ。さあ我が主よ、ここで後悔している暇はないぞ。早く次の行動に移らねばならない。第一にやらなくてはいけない事は味方との合流だ。こんな敵地のど真ん中に何時までも居て良いものではない。それから先の行動も私が指示を出す。主はただ、私の指示に従えばいい。それが最良最上なのだ。さあ、行くぞ!』

 

 生き生きと弾んだ声で、『天秤』は打ちひしがれる横島に指示を出す。

 いい気味だと、これは良い薬になったと、『天秤』は非常に満たされた気持ちになっていた。

 その愉悦は、自分の進言を無視した横島の苦しみが愉快だった事も有るが、何より自分が付いてなければこの男は何も出来ないのだと、確信できたからだ。ざまあみろと、横島とルシオラにも『天秤』は言って勝ち誇った。

 

 生き生きする『天秤』とは正反対に、横島は青白い顔で諦め切れないと悔しそうにダーツィ大公を睨み付ける。そして気づいた。

 ダーツィ大公の顔は文珠を使う前よりも赤みが差しているように見えた。体を触ると、まるで生きているかのように熱くなっている。そう、文珠は確かに効力を示したのだ。ダーツィ大公の体は文珠を使う前よりも蘇っている。酸素が行き届かなくなり壊死を始めた細胞は見事復活を果たし、固まりかけた血も溶けて、体はより温かくなり、まるで死亡した直後のようになっている。

 ただ、生き返るほどは回復しなかっただけ。一個の文珠だけでは生き返らせるのに力不足だっただけ。とはいっても、今ここで文珠を新たに作るのは不可能だ。次に作れるのは最低でも後三日は必要。

 

 何か方法は無いのか? あと一手。何かがあれば。

 

 そして思いついた。思いついてしまった。最後の策。

 禁断。禁忌。禁制。禁止。ありとあらゆる災厄を封じたパンドラの箱とも言うべき一手。

 その策は本来、希望であり、勇気であり、愛であった。男なら誰しも一度は考える夢の一つだった。

 しかし、今のそれは悪夢。だが、それだけが希望。

 

「ひでえ! ひでえよ!? この世界に来て、俺はまだ唇と唇の……はまだやって!」

 

 横島が流した涙が、大公の頬を落ちた。横島は大公に馬乗りのような体勢になっていたのだ。

 くそ。何で俺が。神は死んだ。のっぴょぴょ~ん。ぱんぴれぽにょーん。夢だ、これは夢なんだ!

 泣きながら現実逃避をはかる横島だが、それでも時計の針は止まらない。こうしている間にも死闘が繰り広げられているのだ。ネリー達の顔を思い浮かべ、悠人への対抗心を燃やし、ついに決断する。

 横島はパンドラの箱を開けた。ぽとりと、部屋に飾ってあった花の頭が落ちた。

 

 その直後、乱暴に扉が開き、人間達とスピリットが乱入してくる。

 彼らは目撃した。

 それは神秘であり、尊いもので、愛そのものであった。

 誰もがその光景を声を忘れて見守る。

 そして、奇跡は成った。

 二人の前で、兵士達は剣を収め、頭を垂れた。

 彼らの顔には既に戦意は無い。

 某聖人の復活を目撃した弟子の如く、啓蒙されてさっぱりとした顔ですらあった。

 

 数分後。

 白旗が振られ、戦いはここに終結した。

 

 

 

 悠人達はダーツィの城へ走っていた。彼らの戦闘服ぼろぼろで、彼ら自身も傷を負っていないものなどいない。

 ただ相手の攻撃を逸らし、受け止める。それを延々と続けて来たのだ。一体どれほど神経をすり減らした事だろう。

 だが、彼らは勝ったのだ。けが人は多く出たが、死者はついに敵にも味方にも出なかった。

 それがどれほどの奇跡なのかは、言うまでもないだろう。

 全力を持って悠人達を攻め立てつづけたダーツィのスピリットは、白旗が振られると同時に一斉に倒れ伏した。精魂尽き果てたようで誰一人立ち上がる事などできはしないかった。白旗が振られる直前のあり様は、まるで生まれたての小鹿のようにだったと悠人は語っている。

 

 その奇跡を実現した者たちは、未だに勝利の声を上げてはいなかった。

 もう一人の主役が居ないからだ。この戦いの最後は全員で笑顔で。

 打ち合わせをしたわけではなかったが、誰もがそう願っていた。

 

 はたと悠人達の足が止まる。

 彼らの目に、夕焼けをバックにして向かってくる横島が目に映った。悠人達は笑顔で彼を迎える。

 全員が見た。横島の体には火傷、凍傷などの傷が無数に刻まれているのを。さらに顔色は悪く、しわくちゃでげっそりとしていた。想像絶する苦闘があったのだと誰もが理解した。

 これほどの目にあっても神剣を使わずに戦ったのだろう。スピリットを殺さずにハーレムにしたい、と言う横島の馬鹿馬鹿しいまでの強い意志を思い知った。

 そして、それをやり遂げたのだ。全員の力を合わせた勝利。薄氷を踏むような戦いだった。ここにいる誰一人欠けたとしても、この勝利はありえなかっただろう。

 単純に勝利に対して喜ぶ者もいれば、色々と思う所がある者もいる。幾つかの問題が浮き彫りにもなった。しかし、生きている。敵も味方も、多くの命が消えずに済んだ。

 生きていれば、その問題も乗り越えられるだろう。生きているのだから。複雑な胸中を抱えたものも、今は素直にそう思うことにした。

 

 そう―――――――この問題はどう乗り切るか。

 

 全員が頬を引き攣らせて、近づいてくる我らが副隊長を見つめた。

 横島はパンツ一枚だった。しかも、ブリーフ。横島の股間はこんもりとしている。

 パンツ一丁のこんもり男が夕日を背にして、あはははと笑いながら走ってくる。それも大きく手を広げて、何故か滝のように涙を流しながら。

 

 ―――――――――ひょっとして抱きついてくるつもりだろうか。

 

 全員が恐怖した。

 その姿の異様さに、子供達すら笑顔を引きつらせて、額から冷たい汗を流す。間違って殺しても無罪になりそうな、それほどの変態。むしろ殺した方が世界のためではないか、とすら思ってしまう。一応、完全にパンツ一枚というわけではない。額には彼のトレードマークともいうべきバンダナが巻いてある。所謂半裸バンダナだ。だからどうしたと言われればそれまでだが。

 抱擁を拒否するという選択肢は無い。できない。戦いを終え、全員の気分は最高潮。ここで抱擁を断って逃げるなど、空気が読めない奴の烙印が押されてしまうだろう。しかし、『あれ』と抱き合うのは絶対にお断りしたい。切り抜ける方法は一つ。自分ではない誰かにその役を押し付けること。

 悠人達の間で緊張が走る。誰かが、その役を、生贄にならなければいけない。最後の戦いの始まりだ。

 

(ナナルゥ、お願い)(いえ、遠慮します)

(がんばれ、シアー!)(え~やだよ~)

(パパ、ごー!)(いや、普通になしだろ)

 

 誰一人として生贄役になろうとする者は居ない。当然だが。

 このままでは埒が明かない。一致団結して、誰か一人を人身御供にしなければ。

 全員がそう心を一つにする。いや、一人だけそう考えなかったスピリットがいた。

 この時点で、そのスピリット、ヘリオンの運命が決まった。

 ヘリオンを除く全員で瞬時のアイコンタクト。ここまで僅か一秒未満。

 心を一つに束ねれば、大きな力を引き出すことが出来る典型といえよう。例え、それが悪巧みだろうとも……

 

(仕方ないですね~じゃあ、お姉さんがやりましょうかぁ~)

(いえ、ここは私が)

(ネリーがやるよ!)(シアーも~)

(えっ? ええっ!?)

 

 いきなり全員が立候補を始めて、ヘリオンは驚いた。

 誰も彼も横島の抱擁を受けようと躍起になる。その空気にヘリオンは流された。

 

(じゃ、じゃあ私も)

(どうぞどうぞ)(どうぞ~どうぞ~)

(どうぞどうぞなの)(どうぞです)

(ふ、ふぇぇぇ!?)

 

 集団からはぶられるのは、強過ぎるものか、弱いものである。ヘリオンは弱いものだった。

 セリア達は横島に向かって走りこむ。互いの無事と勝利を喜び合うために。ヘリオンを前に突き出して。

 ふえ~ん、と泣き笑いの表情で横島に向かっていくヘリオン。変態とはいえ、想い人にギュッとされるのならいいだろうと覚悟を決めたのだ。

 

 そのときだった。悲劇は、起こった。

 度重なる激闘の中で、ブリーフという名の守護者は限界に到達していたのだ。

 

 すまない……どうやら俺はここまでのようだ。皆……俺もそっちに逝くよ。

 

 プチンという音と共に、彼はその身を大地に返す。

 そして誕生する、全裸の変態バンダナ付き。

 

「口直しに……ムチュー!!」

 

 ヘリオンに飛び掛る横島は既に正常な目をしていない。どうやら心に深い傷を負っているらしく、女なら何でもいいようだ。腰のブツがぶら~んぶら~んしているのも気づいていなかった。

 

 声無き絶叫。煌く白刃。紅く染め上げられる大地。生まれる金色の霧。グッバイ人生。こんにちわ来世。

 

 こうしてダーツィ大公国攻略戦は幕を閉じる。敵味方とも正面からぶつかり合って、双方死者ゼロという奇跡とも異様とも言える戦いだった。

 戦争終了後に重傷者が一名出て、一分後にはピンピンしていたのはお約束とでも言っておこう。

 

 ラキオス、ダーツィを征服。

 マナが枯渇していたと言え、ダーツィの治めていた地はかなり広い。北方の小さな領土を治めていただけのラキオスの領土は、数ヶ月前の何倍にも膨れ上がっていた。

 この戦いの結果はすぐさま大陸全土に伝えられる事になる。

 その中でも一番大陸に駆け回った情報と言えば、エトランジェである悠人、横島の両名である。彼らの力の大きさは、ラキオスのみならず敵対している国にも大きく噂される事となる。その中でも横島の名前は抜きん出て噂になった。

 曰く、ただの一人で城を陥落させたらしい。

 曰く、パンツ一枚で敵を屈服させたらしい。

 曰く、全裸でダーツィ大公を服従させたらしい。

 等々の噂が流れ、最終的に、

 曰く、病に倒れたダーツィ大公を愛の御技によって復活させたらしい、に落ち着いた。落ち着いたといったなら落ち着いたのだ。

 その噂は広がりを見せ、ラキオスのエトランジェが人間の兵士を傷つけたという話は埋もれていった。信じられない事であったが、どういう訳かその話は人々の間には広まらなかったのだ。

 ラキオスの王女は胸を撫で下ろし、とある神剣はそれを口惜しく思ったが。もっとも、それは結果論という形で物を見た場合であって、王女は、横島の優先順位の中で自分は高くないのだと印象付けられる形となった。それがどういう意味を持ってくるかは、今しばらくの時間が必要だ。

 とまあ各々の事情はあるのだが、今回の問題は横島には都合が良い形で終わりとなり、ラキオス王国エトランジェの名声のような悪名のようなものは、広く大陸に知れ渡っていくのであった。

 

 

『認めん、認められん! 神剣を……この私を使わずに最良の結果を出すなどと!! こんなご都合主義が認められるものか! 横島よ、思い知ってもらうぞ。私の力を、正しさを!!

 エニよ……早く会いたいものだな』

 

(ご都合主義ね。本当に、誰にとっての都合なのかしら。あの女が本当に横島を信じて、愛しているなら、これが最悪の形なんて事も……)

 

 

 その日、『天秤』は神様に願った。一刻も早くエニを横島の元につれてきて欲しいと。

 それは、エニの身に容赦なく牙を突き立てる事になるのを知っての事だが、しかし、その牙がどれほど醜悪で汚辱に塗れているのかは知らなかった。

 

 



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第十八話 軋む歯車

 複雑な紋様が刻み込まれた青の立方体。赤の立方体。緑の立方体。黒の立方体。白の立方体。

 それらが幾重にも積み重なり、その遺跡は存在している。

 立方体がぼんやりと輝く幻想の光景は、ロマンチストが見れば感動するだろうし、その完全な立方体を学者が見れば驚嘆して、聖職者が見れば祈りを捧げずにはいられない。神秘の塊で作られた聖域。

 一体誰が、どうして、どのように作ったのか。

 分かるのは、この荘厳な遺跡は未知なる技術で構築されたということ。

 

 その一角に、ちょこんと幼女とコタツが存在していた。

 無論、なんの可笑しさも無い。高度な技術と幻想が存在するのならば、人類英知の結晶であるコタツと、世界の宝である幼女があっても不思議ではないだろう。

 一体電源はどこから持ってきているのか、などという疑問は無粋極まりなく、テレビと蜜柑まで完備されているとくれば、これはもう「粋だねえ」とでも言うのが正しい。

 

 テレビに映し出されているのは、赤いバンダナを巻いた一人の青年。

 幼女はコタツに入りながら足をパタパタさせて、うっとりと夢見るような表情で男に見入っていた。

 

「失礼します。時間をよろしいでしょうか」

 

 心安らぐ光景に押し入る野太い声。幼女の隣に、忽然とその男は現れた。

 猛々しい顔に黒の意匠と筋肉のコラボレーション。先日、横島を苦しめた筋肉男のタキオスだ。存在するだけで辺りが血生臭くなりそうな戦士である。まだあどけなく、白い意匠の纏った幼女とは面白いぐらいに正反対だ。

 

「どうしました? 定時報告にしては少々早いようですが」

 

 幼女はコタツからもぞもぞしながら外に出て、ふわんと宙に浮いた。少しコタツが名残惜しそうだ。

 タキオスは恭しく一礼して、上から見下ろすのを恐れるように幼女に頭を垂れて膝を折る。それでも、大男のタキオスでは幼女の身長を下回ることが出来ず、上からの目線になってしまっていたが。

 

「いえ、今日は少しばかり諫言を、と」

 

「まあ」

 

 幼女は少し驚いたようだったが、面白がるような表情に変化する。

 

「ふふ、構いませんわ。なんなりと言ってください。どこか私に失態がありましたか?」

 

「はっ、今までは当初のシナリオ通りに事を運べました。異世界の訪問者が来る前に計画した通りの状態に。しかし、これ以上は計画通りにいきそうにありません。ラキオスはともかく、サーギオスとイレギュラーとなった者らを意のままに動かすのは困難です。特に、サーギオスに関してはどう動くか判断が出来ません」

 

 幼女は特に否定せず、こくりと頷いた。そんな事、百も承知しているという表情だ。

 

「もはや当初のシナリオは完全に破綻していると見ていいでしょう。ここまで歪んでしまった状況で、予定していたシナリオを望むのは不可能といえます。『天秤』の計画はまた別な案を練り、時期を見たほうが良いと提案します」

 

「そうかもしれませんわね……ふわっ」

 

 暇そうに幼女はあくびを一つした。話に興味を失ったらしく返事が投げやりだ。テレビとコタツを名残惜しそうにチラチラ見つめる。

 タキオスはここで言葉を止めて、僅かに逡巡してから、次の言葉を吐き出した。

 

「それにしても『天秤』の主は大したものです。我らの妨害をあそこまで撥ね退けるとは。私達4人は屈すると予想していたのですが物の見事に外されました。かなりの力と歪みを持っていたのだと感心し、それを見抜いたテムオリン様の目利きは大したものだと皆が褒めております」

 

「そうでしょうそうでしょう! あの危機的状況で女色にふけり、笑いと冷静さを失わず、目的を実行する。

 格好良さ! 実力! 歪み! 本当に退屈しませんわ! もう彼以外に私のパートナーありえません!!

 実は今度から花嫁修業でも始めようかと思っているのです。得意料理は肉じゃがですわ」

 

 横島の話になると、幼女は急に生き生きとして喋りだす。

 予定通り、とタキオスは鋼鉄で出来ているような頬を少し緩めた。

 

「きっと良き夫婦となれるでしょう」

 

 タキオスの言葉に、幼女は「いやですわ」と恥ずかしそうに首を横に振る。

 想像以上の乙女ぶりにタキオスは少し呆れたような顔で幼女を見つめたが、直に顔を引き締めた。

 

「ただ、いくつかの問題も生じてきます。我らは当初の予定よりこの世界に干渉しすぎています。本来、この世界は餅を突いてこねる為の装置であり、最後に餅を食べるために我らが赴く、という流れだったはず。このままではこの間の狂言が真になり、あの混沌の戦巫女がやってくるでしょう。現時点で動かれてしまっては、計画の全ては水泡に帰すかもしれません」

 

「フフ、なるほど、それが言いたいことですか」

 

 ニコニコと笑いながら頷く幼女。恋する乙女は、いつのまにか策士に変わっているようだった。

 どうやら自分の想い人を褒めさせるように、話の流れを誘導していたらしい。

 まったく性質の悪い人だ。

 タキオスは自分が手のひらで踊らされているのを感じた。戦いで相手の心理を読むのは不得意ではないが、命のやり取りが絡まない読みあいは、どうも並み以下に落ちると彼は自覚している。

 

「その点に関しては特に気にする必要ありませんわ。いえ、むしろ来てほしいくらいです。そろそろ黒幕の実力を見てみたいですから」

 

 幼女は笑った。まるで子供が新しい玩具で早く遊びたいと思わせるような、無邪気な笑みだ。

 

「まさか、巫女にアレをぶつけるつもりですか。最悪、世界が吹き飛ぶ恐れが……」

 

「あ~それは流石に困りますわ。ならばあの猫かぶり巫女には平安京エイリアンの術で嫌がらせでもしましょう。もちろん、落とし穴の底には犬の糞付きですわ」

 

 キラキラと眼を輝かせて悪戯を提案する幼女。

 タキオスは眼と閉じて、無言で佇んだ。真面目に話を聞かない上司への彼なりの抗議だろう。

 無言の抗議に、はあっと幼女は面白くなさそうに溜息をつく。

 流石にこれ以上、ふざける訳にはいかないようだ。

 

「まあ、恐らく来ないでしょう。カオスも混乱しているでしょうから。ユウトという坊やにご執心だったのが幸いでしたわ」

 

「しかし、既に状況が」

 

「そう心配しなくても大丈夫ですわ。計画は無理やりにでも続行です。彼と『天秤』なら、どんな困難でも乗り切れますわ。そもそも、私はそれが見たいのです。逃げ道を封じ、徹底的に追い詰めて、彼とこの世界が戦う所が」

 

「しかし、このままではわれ等が敷いた道を外れるやも」

 

「それはありえませんわ。彼らは有限を求めて闘うしか道がありません。まあ、自殺願望者なら運命から抜け出せるでしょうが……」

 

 幼女は絶対の自信に満ちた笑みを浮かべた。

 運命から逃げるために破滅を選ぶ者が、生きるために業を重ねて足掻いている者に敵うわけがない。結局、何がどうなろうと我ら『ロウ・エターナル』に屈する運命なのだと。

 

「いえ……ロウではなく、この私に……」

 

「テムオリン様」

 

 幼女の名を、タキオスは語気を強めて呼んだ。僅かに畏怖の感情が込められていた。

 テムオリンと呼ばれた白い幼女は、その様相を般若に変えて、しかし次の瞬間には神に仕える神官のごとき厳粛な表情に変わった。

 

「ええ、分かっています。私はロウ・エターナルの一角。偉大なる眠り姫の忠実な僕。異心などあろうはずがありません」

 

 幼女はそう丁寧に言うと、何も無い虚空に向かって礼をする。幼女の顔には、確かな恐怖があった。

 

「さて、話を戻しましょう。結論から言えば、その事に関してはそれほど気に病むことはありません。それよりも結晶の集まり具合はどうなのですか」

 

「……はっ。難航しています。高重力、プラズマ、強酸、厳しい環境ではあの人形が正常に動作しないようで、その都度改造させている現状ですので。そうでなくても、世界の法則によっては動かなくなります。また、胃界の聖母がいくつかの塊を食したらしく、吐き出せようと目下難航中です。駄々をこねているのでしばらく時間が掛かるかと」

 

「吸収はされていないのですね」

 

「はい、やはり異世界の力と神剣の力は水と油です。混ぜるにはやはり『天秤』の時のように……あるいはアレではないと」

 

「分かりましたわ。引き続き、よろしくお願いします。体には気を付けてくださいね」

 

 激励と労いの言葉をかける幼女。タキオスは特に感動した様子も無く、ただ頭を下げて、その場からふっと煙のようにに消えた。

 幼女はテレビに視線を戻す。バンダナの青年が、瞳に輝きの無い美女集団の周りを盛りのついたサルのようにチョコチョコと動き回り、次に怒ったような子供達に追い掛け回されていた。くすりと幼女は楽しげに笑う。

 

「ふふ、そろそろですわね。下品な言い方をすれば、夜のオカズが増えるわけになりますわ。期待してますわよ。『天秤』、エニ、そして忠夫さん」

 

 忠夫さんの部分は語尾を上げて。はにかみながらの笑顔は、まるで初々しい無垢な花嫁のようで。このあどけない笑顔の裏に、一体どれほどの邪悪が込められているか。それは彼女を深く知るものしか分からないだろう。

 そんな己の上司の姿に、消えたはずのタキオスは物陰で溜息をついていた。

 邪悪で歪みきっているとはいえ、愛は愛だ。従者として、この愛を実らせなければいけない。

 

「アブノーマルでやりたいと言われたら、男一人と女一人、触手も混ぜて3Pだな……男用の良い具合の触手も開発しておかなければ……メダリオの奴にでも協力してもらうか」

 

 黙々と献身的に尽くすその姿は、奔放なお姫様に振り回される執事そのものであった。

 

 

 永遠の煩悩者 第十八話

 

 軋む歯車

 

 

 元ダーツィ大公国首都、キロノキロ。

 

 ラキオスがダーツィを征服して一週間が経っていた。

 征服されたダーツィは特に混乱することなく、むしろどこか高揚しているようだった。元々、ダーツィは国としての活気を失っていた。今回の戦争を景気に活気付こうしているほどで、大きな店など『ラキオス様、ダーツィ征服キャンペーン』と銘打ちセールを実行している。ダーツィは別に悪政を施していたわけではないのにだ。

 これが本当に敗戦国なのかと、横島も悠人も驚くしかない。

 戦争に敗れた国の末路は悲惨なものだ。敗者は、人も、物も、プライドすら奪われる。しかし、この世界の敗戦は何と平和なことだろう。奪われるとしても、マナとお偉い方達の領地が取り上げられる程度。責任を取るのはトップだけという、ある意味クリーンで健全だ。

 この平和な征服は賞賛すべきだろう。勿論、影でスピリットが傷つき、倒れてはいるのだから、血が流れていないわけでは無いのだが。

 それでも、決して悪いことでは無い。しかし、悠人と横島の二人は揃って不快そうに眉を顰めていた。

 不快の原因は、自分達が傷つく当事者である、というのもあるだろう。

 異世界と自分達の世界の価値観の差、というのもある。しかし、それ以上に何かが訴えるのだ。

 この世界は酷く薄気味悪い、と。

 

 さて、今回の立役者である悠人達は、未だ元ダーツィ首都であるキロノキロに滞在していた。

 何故ラキオスに戻らないのか、どういう理由で滞在しているのか、悠人達にも知らされてはいない。特に何をするわけでもないのに、ずっと待機命令が下されている。偉い人が何を考えているのか不明だが、命令が来たのならその通りにするのが軍人だ。

 まあもっとも、その方が横島たちには都合が良かったとも言える。行方不明のエニを捜すのにちょうどいいからだ。エニが居なくなってもう二週間近く。未だにその足取りは掴めていない。ダーツィに捕まってもいなかった。

 既に死亡しているのではないか。何人かはそれも考えた、死体が残らない以上、死んでもその証拠は出てこない。

 だが、横島はそれはありえないと確信していた。エニは生きている。証拠は無いが間違いない。それは楽観論でも、ただの妄想でも無い。生きているのだと、どうしようもなく分かったのだ。霊感だろうと、横島は考えていた。

 とはいえ手がかりがあるわけでもなく、仕方が無く人海戦術で捜索しようと人間達にも協力してもらっているが、どうにも真剣に探してもらっているとは思えなかった。誰もが、あからさまに嫌々探しているのが分かった。当然だ。どうして人間が行方不明のスピリットを探さねばならないというのか。

 結局、幾人のスピリットをキロノキロに残して、他はエニの探索をするというのがここ一週間ばかりの行動である。

 

「そんなわけで、今日は私たちレッドスピリットが居残り組です」

 

「ナナルゥ、お願いだからいきなり喋りださないで」

 

「あはは、でもなんだかナナルゥお姉ちゃんとても楽しそうだね」

 

 ヒミカ、ナナルゥ、オルファのレッドスピリットの面々がスピリット訓練所で談笑する。

 今日エニの探索に出ないスピリットはこの三人だ。

 居残り組みは新しく仲間になったスピリットの、それもまだ幼い子供スピリットに神剣魔法の基礎を伝授するということになっていた。

 

「楽しそう……ですか? それがどのような感情か良く分かりませんが、少し考える事があって」

 

 ナナルゥが小さく首を傾げる。

 

「へえ、どんなことかしら。困った事があったら何でも相談してちょうだい」

 

 ヒミカは興味深そうに、だが真剣に言った。

 仲間を案ずるのは当然の事であるし、あのナナルゥが何を考え込んでいるのか興味もあったのだ。

 ナナルゥは何も言わず、ただ黙って鼻の頭をかく。

 

「どうしたの、鼻に何か違和感でもあるの」

 

 しきりに指で鼻をなぞるナナルゥに、ヒミカは首を傾げて質問する。

 ナナルゥは珍しく戸惑ったように何か思案して、言葉を探しているようだった。

 

「いえ、鼻には別に違和感は無いのですが……ヨコシマ様が……」

 

「またあの人が何か!?」

 

 ヒミカはうんざりしたような顔をして、しかし声と目には妙な熱っぽさを持ってナナルゥに再度問いかける。横島関連の問題は自分が解決しなければ、という使命感が彼女にはある。奔放な上司をサポートする生真面目な部下、と言うよりは漫才のボケに対応する突っ込みと言った方が分かりやすいかもしれない。

 

「はい。『俺の唇はナナルゥの鼻に捧げたんだー!!』と叫ばれて……」

 

「へ?」

 

 オルファが何だか分からないといった呆けた声を出す。

 ヒミカは少し考えて、横島の息子消失事件の際の事だと気付いた。

 

「キスは親愛の情を示すと言われています。それで……」

 

 やはり歯切れが悪いナナルゥ。

 見たことの無いナナルゥの反応に、ヒミカもオルファも興味が隠せない。

 

「へぇ~それで鼻に手が伸びるわけね」

 

 ヒミカはニヤニヤした。これこそ自分が求めていた展開だとほくそ笑む。

 スピリットとエトランジェ(横島)が懇意になることを、ヒミカは別に否定しない。むしろ歓迎していた。

 初めは人間とスピリットが、さらに隊長と隊員という上下関係があるというのに、そういった関係になるのは色々な意味で好ましく無いと考えていた。

 だが、横島の人間性を知るにつれて難しく考えることが馬鹿らしく思えてきたのだ。

 確かに誰かと恋仲にでもなったら、きっとくだらないトラブルが続出するだろうが、別に今でもそれは変わらない。

 それにヨコシマ様なら恋人を大事にしないわけが無い。相手は幸せにはなるだろう。幸せと共に、どれだけの苦労を背負い込むのかは知らないが。

 ヒミカは、十分に横島を理解していた。

 

「少し……困っています」

 

 キタキタキター!!

 ナナルゥの乙女チックな反応に、ヒミカの期待が高まる。

 しかし、続く言葉はヒミカの期待を一刀両断するものであった。

 

「私にはセリアがいるのですが」

 

 ガクッとヒミカは肩を落として頭を抱えた。

 持ち上げて落とす。しっかりヨコシマ様の影響を受けているのだ、と理解してしまう。

 もうさっさと会話を切り上げたほうが良いのではないか。

 そんな予感をひしひしと感じていたヒミカだったが、私がしっかりナナルゥを矯正しよう、と持ち前の騎士道精神っぽいなにかを発動させて気持ちを盛り上げる。

 

「セリアもいいけど、もっとヨコシマ様を意識して上げた方が良いと思うんだけど」

 

「どうしてそんなにもヨコシマ様を押すのですか?」

 

「ど、どうしてって言われても……」

 

 健全な男女交際をしてほしい。それだけが願いなのだ。でもヨコシマ様が相手じゃ無理かもしれない。

 憂鬱そうなヒミカの表情に、ナナルゥはピンと来た。ある恋愛小説にこれと似たような場面を思い出したのだ。

 

「ヒミカもセリアが好きなのですか」

 

「どーしてそーなるの!?」

 

「はい。私とヨコシマ様を恋人にして、その間にヒミカはセリアを狙っているのかと思いました」

 

 筋は確かに通っているようだが、しかし根本的に間違っているので答えには絶対にたどり着かない。

 

「そうじゃなくて、私は貴女の事を気にして!」

「私を……ですか」

 

 いつも通りの抑揚の無い声。しかし、ナナルゥの瞳はどこか熱を持っている。

 

「ちょ、ちょっと待って! ち、違うの。勘違いしないで! 別に私は貴女の事を気にしてるわけじゃなくて……気にしてるんだけど気にしてないの!!」

「……そうですか」

 

 やはり抑揚の無い声。しかし、目はがっかりしたように生気が抜けているようにヒミカには見えた。

 気に掛けられていないと知って気落ちしたようだ。

 

(どーすればいいのよ~~!!)

 

 色々と間違った方向に進もうとしているナナルゥ。

 自分はそれを矯正して、健全な方向に進ませたいだけなのだ。 

 

(でも、ナナルゥってやっぱり色っぽいわね。スタイルも良いし……はっ!? 私は一体何を考えているのよ~!?」

 

 何故か心臓が早鐘のように強く打つ。

 ナナルゥは大切な仲間。神剣魔法を多用しすぎて心を飲まれる寸前にまでなってしまって、なんとか心を取り戻そうとしていただけ。

 そう自分に言い聞かせていると、ナナルゥはヒミカに向き直って真剣な顔つきになっていた。

 

「ヒミカは、私の事をどう思っていますか?」

 

「ど、どうって言われても……」

 

 全身が火照っているのを感じながら、ヒミカはゼイッと荒く息を吐きながら応える。

 

「私は……ヒミカにとても感謝しています」

 

「ど、どうしてよ」

 

「少し考えると、ヒミカは私の事を良く見てくれて、支えてくれていたように思えます」

 

 それは確かに事実だ。

 ヒミカはナナルゥの事を良く気にかけていて、影からそっとナナルゥをサポートしてきた。

 ナナルゥはそれに気付いたのだ。

 

「ありがとうございます、ヒミカ。貴女がいてくれて私は……そう、私はきっと嬉しい。嬉しいのだと思います」

 

 小さく、本当に僅かであるが、ナナルゥは微笑む。

 至近距離でその笑みの直撃を受けたヒミカは、思わず生唾を飲み込んだ。

 

(落ち着いて、落ち着くのよヒミカ! このまま百合ルートに入ったら、正統派ヒロインは夢のまた夢よ!)

 

 既に正統派から外れている事に、彼女は気づいていなかった。

 

「ラブラブだー! チューするのかな?」

「しちゃうよ! きっと!!」

「ひゅーひゅー! 熱いねお二人さん~!」

「炎の妖精、オルファリルが『理念』に命じる! もっと熱くなれよ~! ひ~とふろあー!!」

「二人はお母さんとお母さんになるんだ!」

「結婚式には呼んでねー!」

「子供はどこから生まれてーどこにいくのー?」

 

 いつのまにか現れたスピリットの子供たちが二人を冷やかす。

 オルファなどは場の赤マナを増大させる神剣魔法を放って、マナ的な意味で場を熱くさせていた。

 子供らはまだ人間に調整を受けていないので、自我がしっかりしているようだ。

 

「ありがとうございます。みなさん、私は幸せになります」

 

 真顔で子供たちに手を振るナナルゥ。恋愛小説のヒロイン気分なのだろう。

 セリアの事はどうしたのか、という突っ込みが出てきそうだが、恋愛小説の主人公というのは得てして恋多き若人なのであまり気にしないで欲しい。

 ヒミカは展開に付いていけずに、胸を押さえてうずくまってしまった。

 

「う~胃が痛いよー。胸が苦しいよー」

「分かりました! 今すぐ胸をモミモミするんで元気になってくださーい!!」

「いきなり湧かないでください! 変態隊長なんだから、本当にもう!」

「命令確認しました。ヒミカの胸をモミモミします」

「何を言ってるのよ! あっこら、やめ……んっ」

「小さいと感じやすいって本当なんだー」

「気持ちようさそうだね。よーし、今度オルファもパパにモミモミしてもらおう!」

「無印版が基準なのに、胸だけコンシュマー基準なんてかわいそー」

「今言った奴、ちょっと表でろ」

 

 なんだかんだと楽しく日常を謳歌するスピリット達であった。

 

 

 ダーツィから南西の地はマロリガン共和国が治める地であり、その間にはダスカトロン大砂漠と呼ばれる巨大な砂漠が広がっている。マナが希薄な土地はどういったわけか荒れていき、最後には砂漠と化してしまう。

 ダスカトロン砂漠は草一本、水の一滴、虫一匹の存在すら怪しい死の大地となってしまっていた。そしてダスカトロン砂漠は年々北上して、ダーツィの地を削っている。

 そのせいで、キロノキロの周辺も少しずつ土が弱って木が細くなり、生き物の影が消え、荒涼となりつつある。

 

 そんな荒涼とした大地に一人の男が立っていた。白い陣羽織にツンツン頭。高嶺悠人である。

 彼は神剣の力を引き出してエニの探索していたはずなのだが、どうもその様子は普通じゃない。顔色は真っ青で、きつく歯を食いしばり、脂汗は滝のようにながれていて、喉からは低いうなり声が洩れている。そして、彼の腰にある永遠神剣『求め』は鈍く光を放ち続けていた。

 

 今正に、永遠神剣『求め』の干渉が悠人の身に襲いかかっているのである。

 『求め』が求めているものはマナの充足だ。マナを得るのに効率的なのは、スピリットからマナを奪う事。それは、神剣としての根源的な本能であり、悠人との立場としては、その欲は破壊欲にも似た性欲に変換される。

 

「くそ……馬鹿剣め!!」

 

 一体どれだけ頭の中でアセリア達を犯したか、もう数える気にもならない。ここ最近の日常生活では、無邪気にスキンシップを試みてくるオルファや、裸で平然と風呂に乱入してくるアセリアにはなるべく触れないよう見ないようしているのが現状だ。

 

「お……あうう、おお、グゥゥゥ!!」

 

 声にならない苦痛に苛まれて、遂に彼は倒れこむ。

 

 負けて、たまる……か。

 

 口でそう言おうとしたが、舌が動かずただ頭で反芻するのが精一杯という有様だった。

 分不相応の力を得た代償。ダーツィとの戦いの際に、スピリットを殺さずに戦いを終えようと、自分たちの意思と意地を無理やり押し通す為に得た力の代償。こうなる事は分かっていた。ただ自分が苦しいのを我慢すればそれで済むのだと、どんな苦しみでも耐えてみせると、そう覚悟はしていた。

 しかし、苦しかった。痛かった。想像絶する痛みに、悠人はここ数日ろくに寝ていない。気を緩めて寝たら、次に気がついた時にはアセリア達の心身を陵辱し尽しているのではないか、という恐れがあったからだ。気力体力共に限界に達しようとしていた。もしエスペリアが毎日のように奉仕してくれていなければ、とうの昔に狂っていただろう。だが、それも限界に近づいている。

 奉仕といっても、最後の一線は越えないようにしていたのだが、昨晩は限界ぎりぎりであった。気づけば半裸のエスペリアを押し倒していたのだ。

 エスペリアは恐怖からか震えていたが、抵抗は一切しなかったようで体を弛緩させて、その身に代えても悠人を守ろうと決意の籠った目をしていた。

 悠人は正気に戻った一瞬で柱に頭を叩きつけて、なんとかその場を乗り越える事ができたのだ。

 

 エスペリア達に酷い事などできない。だから、我慢。

 でも、痛い、我慢、痛い、我慢、いたい、がまん、いたい、いたい。

 

 たった一つ。こう思えば楽になれる。

 耐え切れないと。それだけでこの地獄から解放される。それは圧倒的な誘惑だった。

 その誘惑を肯定するかのように、心のどこからか「俺はやるだけやった」とか「大勢助けたのだから、一人ぐらい……」などの優しい悪魔の囁きが聞こえてくるのだ。

 

 我慢。ガマン。がまん。我マン。ガマん。我慢がまんがまんあんあがまなあまがんがまああああ!! 

 

 あと少し我慢すれば。それが悠人の支えだった。

 経験上、今が一番苦しい時のはずだった。ここさえ乗り切れば後は大丈夫のはず。まだしばらくは強い干渉があるだろうが、それは乗り越えられる。

 しかし、その最後の最後で体と心が限界に達しようとしていた。

 悠人は確かに人並み外れた精神力の持ち主であったが、それでも人の精神には限界がある。悠人は、自身の肉体が人と呼ばれる種から外れたため、その理を忘れてしまったのかもしれない。ぶっちゃけ調子に乗っていたのだ。

 

 ――――もう、無理だ。

 

 ついに眼を開けていられなくなって、意識が朦朧となりはじめる。

 体の感覚が消えて、視界が黒く染まって、心は黒く塗りつぶされていく。

 全てが黒く塗りつぶされた時、自分は消える。

 全て、闇に、溶ける。

 その時だった。黒く塗りつぶされた世界に、光る球体が舞い降りてきて、太陽の如き眩さを発した。

 光は闇を薙ぎ払い、圧し、潰して、点のようにしてしまった。

 光は強く圧倒的だった。なのに、どこか蛍のような儚さも秘めているように見えた。

 

「おーい。大丈夫か。『かゆ……うま……』とか言い出さないよな?」

 

 夢から覚めるように、はっと目を見開くと、そこにはやれやれと見下ろす横島の顔があった。手には丸い珠が光っていて、役目を終えたようで消えてなくなる。

 一体自分の身に何が起こったのか、悠人は察した。

 

(文珠を使ってくれたのか。あれはかなりの貴重品で、滅多な事では使用しないはず。それを……)

 

 悠人はよろよろと起き上がり、驚いた眼で横島を見つめた。

 

「勘違いすんなよ! ここでお前を助けとかないと、俺達に迷惑が掛かるから文珠を使ったんだからな! 感謝してるとか、苦しそうで見てられないとか、全然そんなんじゃないんだからな!!」

 

 悠人の視線を感じた横島は、顔を赤くして、ぷいっとそっぽを向いて、そんなツンデレな台詞を吐き出した。

 そんな横島に、悠人はイイ笑顔を向けて、

 

「横島」

 

「なんだ」

 

「気持ち悪いから、マジで止めろ」

 

「正直すまんかった」

 

 悠人相手に素直に頭を下げる横島。非常に珍しい光景ではあるが、本当に悪い事をした自覚がある時は存外素直なようだ。やれやれと首を横に振って眉を顰める悠人であったが、口元には純粋な笑みが浮かんでいた。どうやらノリで怒っただけらしい。

 彼は羽目を外して暴走するタイプではないのだが、それだけ横島相手に打ち解けてきて、助けてもらったのが嬉しかったという事だろう。横島も口には出さないが、悠人にはそれなりに感謝しているようだった。

 

「でもまあ、サンキュな。実は本気でやばかった」

 

「もしハリオンさん達に手を出そうとしたら、足の一本や息子の二本はぶった切るからな」

 

 それが脅しではないことが悠人には分かった。そこに何の躊躇も感じなかったから。それを薄情とは感じない。それぐらいの気概がなければこの世界でスピリットを守ることはできない。もしも逆の立場だったら、悠人は横島を躊躇しつつも殺すだろう。殺したら、『佳織の為だから』というお約束の言葉を言って。涙の一つぐらいは流すだろうか。

 二人の間に少し寒々とした空気が流れたが、横島はそんな事は別に気にしないようで、

 

「しかし、リアルで『……くそ!……また暴れだしやがった……が……あ……離れろ……死にたくなかったら早く俺から離れろ!!』を見ることが出来るとは思わなかったな。その神剣は永遠神剣第四位『邪気剣』にでもした方がいいんじゃないか」

 

 とても楽しそうに笑う。悠人の苦しみを明らかに楽しんでいるようだ。

 別に同情して欲しいわけでもないし、暗くなる必要も無い。しかし、楽しまれると流石にむっとなる。

 

「ったく! 人事だと思って好き放題言ってくれるな」

 

「人事だからな」

 

「……お前って奴は」

 

 がっくりと悠人は肩を落とす。何だかげんなりした様子だった。

 これでも悠人はかなり感動していたのだ。男同士で熱く抱擁交わす、などという暑苦しさはごめんだが、もう少し違う会話があっても良いのではないだろうか。

 まあ、横島だからな。

 結局、その答えが一番落ち着くのだと悠人も理解していた。

 

『気楽なものだな』

 

 今まで散々苦しめてきた『求め』の声が悠人の頭に響く。その声はどこか苦渋の色があった。

 悠人はにやりと笑みを浮かべて、この神剣の負け惜しみを聞くことにした。

 

『契約者よ、これで終わった訳では無いぞ。貴様が何を求めているのか分からない限り、何度でもチャンスはあるのだからな』

 

 この神剣が何を言わんとしているのか、悠人はすぐに理解した。

 他の何よりも、義妹を、佳織を優先しろと言っているのだ。

 先の戦いの時に力を貸してくれて、つい先ほどまで地獄の苦しみを送り込んできて、今更そう警告してくる『求め』に、悠人は初めてこの神剣の性格に触れたような気がした。

 

(俺は自分が何を求めているか、しっかり理解しているし、考えてもいるさ)

 

『ほう。どう考えている、言ってみろ』

 

 隣の男の性格を悠人は一歩下がって分析した。

 横島の女好きは半端ではない。異常だ。だから、例えばだが、この国が業火に焼かれて滅びるような事があり、佳織とスピリットと多くの民が死地に追いやられたとする。

 過去の約束通り、スピリットは何があっても俺が守る。残る佳織と民衆だ。

 多くの無辜の民よりも、正義や大義よりも、一人の女を選ぶ。

 横島はそういう男だ。そして横島は紛れもなく最強であり、最高の異能を持っている。そんな男に佳織を守ってもらう。

 

(どうだ。文句でもあるか)

 

 悠人はこの考えに疑問を持っていない。絶対と言ってよいほどの自信と信頼ががあった。

 それだけの信頼を持たれるだけの行動を横島は選択して、実績を残しているのである。

 悠人としては、本当なら自分で佳織を守りたいのだが、しかし自分の力量を弁えているからの選択だ。

 

『選択の重みを知らず、分不相応の荷を背負った事が無いから言えることだな』

 

(なに?)

 

 悠人の考えを聞いた『求め』がそう返す。

 いつものように威圧的でも、また皮肉のようでも無い。静かな、諭すような声だった。

 

『あの男は、汝に憎悪を抱いても不思議はないという事だ。俺が無理だったのに、どうしてお前だけ……とな』

 

(言ってる意味が分からないな。大体、お前に横島の何が分かるんだよ)

 

 不機嫌そうに悠人が言うと、『求め』はどこか小馬鹿にしたように鼻を鳴らして沈黙した。

 失望に近い感情を悠人は『求め』から感じた。

 鼻なんて無いくせに。

 悠人は思わず舌打ちをする。

 

「そんじゃあな。男と二人きりなんてありえん。それと、文珠を使うのはこれが最後だからな」

 

 舌打ちの音が聞こえたのかは分からないが、用件は済んだと横島はあっさり踵を返した。煩悩者にとって男同士で友情を深めるなど、一利も無ければ一害も無い。つまり、どうでもいいのだ。

 なんとも分かりやすい横島の態度に、悠人はいっそ清々しさすら感じた。

 

「まあ、俺も別にお前と話したいとは思わんが……あっ、ちょっと待て。なんでも、今日戦力の補充としてファーレーンとその妹がこっちに来るらしいぞ。まず俺たちに挨拶したいって話だ……っておい!! 何処に行く!?」

 

 最後まで話を聞かず、横島は飛び上がって走り出した。待ち合わせ場所も聞かずどうするつもりだと、悠人は慌てて追いかけたが、『姉妹丼GETだぜ!!』な勢いで走る横島に追いつけるはずもなく、あっさりと見失う。

 いくら町を探しても見つからず、仕方なく待ち合わせであるスピリットの宿舎に行くと、横島が先に到着していた。

 48の煩悩技の一つ『フラグ場所発見』を使ったらしい。無駄なスペックに溜息を付く悠人。そして、ファーレーン達が到着するのはまだ1時間も後だと説明すると、早く言えと逆上した横島は悠人を一撃して、横島は悲しみの涙を、悠人は痛みと理不尽に涙を流すのだった。

 

 どうせ後一時間でファーレーンたちが来るということで、横島達はそのまま部屋で待機していた。

 横島は落ち着かない様子でそわそわと、悠人は口元に手をやって何かを考え込んでいる。

 

「なあ横島、なんでこんな時に、こんな所で戦力の補充するんだろうな。戦いはもう終わっただろ。それに、どうしてラキオスに戻らない。もうここに居る意味なんてないと思うんだけど……まさかエニの探索の為ってわけじゃないだろうしな」

 

 悠人の疑問は当然と言える。

 戦いは終わった。北方五国と呼ばれていた国のうち、ラキオスに敵対していた二国は滅びた。残っているのは、同盟国のイースペリアとサルドバルトのみ。南西の方にはマロリガン共和国という国があるが、そことは別に友好関係があるわけではないが不仲というわけでもなく、サーギオス帝国という共通の脅威が存在している以上、まさか敵対する事はないだろう。

 サーギオス帝国に関しては確かに攻めてくる可能性はある。それなら、すぐに対応できるように国境沿いにスピリット隊を配属させなければいけない。どうしてこの地に戦力を集中させるのか。どういう思惑が働いているのか分からず、悠人は思案に暮れていた。

 

「ぐふーぐふふー……遂にファーレーンさんが俺の元に。しかも美人の妹まで。姉妹丼がタマランデスタイ!!」

 

 横島は口元を歪めてニヤニヤと笑うだけであり、悠人の質問をまるで聞いていない。無視するなと、横島の頭を小突こうとして拳を振り下ろした悠人だったが、その拳は空しく空を切る。横島は悠人を見もせずに、その拳を気持ち悪いほど華麗に避けた。

 悠人は驚愕する。視認もせず、ただニタラニタラと笑っている気持ち悪い変態に拳が届かない。

 確かに恐るべき反射速度を持っているのは知っているが、いくら何でも納得できん、と悠人は横島に殴りかかる。

 避ける。避ける。避ける。

 ぐねぐねと奇怪な軟体動物を思わせる動きで掠らせもしない。

 悠人は額に血管を浮かび上がらせ、結構本気で拳を振った。

 そして、ついに捉えた。壁を。

 うめき声と壁が砕ける音が部屋に響く。

 妄想時の横島の回避能力は、実は通常のそれを遥かに超えていることに、悠人は気づいていなかった。

 

(きょ、今日の所はこれぐらいにしといてやる……)

 

 心の中で三流の悪役の台詞を吐いた悠人は、悔しさと恥ずかしさでいっぱいだった。先の戦いで活躍したせいか、自分も少しは強くなったのだ、と多少の自信を持っていたのだが、相も変わらず横島相手には手も足も出ない。訓練なら他の誰よりもやっていると自他とも認めるところだが、体力以外に横島との差が埋まってきているとはまるで感じられなかった。

 

(秘密特訓の時間をもう少し増やすか? いや、誰かに手伝ってもらうか。横島に詳しい第二詰め所のスピリットに頼み込んで……)

 

 いつか絶対に横島に勝つ。

 それが、悠人の目標となっていた。

 妹を助けるため。それが悠人が最初に永遠神剣『求め』を持った理由だ。それにいつしか、仲間を守るためという理由が加わる。そして今度は横島に勝ちたいという目的も加わった。

 悠人の求めは着実に広がりを見せている。それが吉と出るか凶と出るかはまだ分からない。

 

 悠人がそんな決心をしていると、横島が突然「あっ」と声を出した。そしてそのまま黙り込んでしまう。その顔は真剣そのもので、何か大変な事に気づいてしまったかのように見えた。

 どうした、と悠人は横島に近づいて、鈍い音と空気が吐き出される音が部屋に響いた。

 

「がっ……は。ぐぅ、よこし、まぁ!」

 

 横島の拳が悠人の腹に食い込んでいた。かなり強く殴ったようで、拳は腹にめり込んで隠れるほどだ。崩れ落ちる悠人。

 思い切り腹を殴られて声が出せない為、悠人を鬼の形相で横島を睨んだ。

 いきなり何しやがる!

 そう目で訴える。

 

「簡単な事だよ、ワトソン君。君が隣にいるとね、邪魔なんですよ。フラグ的な意味で」

 

 スピリットハーレム計画。横島がこの世界で最も優先している計画。その計画において、ファーレーンの存在は無くてはならないものであった。その計画の最大の障害が悠人だ。横島はそれを確信している。なんとかして悠人の評価を下げる必要があった。

 人づきあいにおいて第一印象というものは極めて重要だ。最初の悪印象を拭い去るのは中々に難しい。

 だから「悠人はスピリットに挨拶するような奴じゃないですよ」とでも吹き込んでおけば、ファーレーンからの評価は著しく下がる事になるだろう。

 邪、ここに極まれり。

 

「く、そぉ。こんな……変態……に」

 

 悔しそうに顔を歪ませながら床に這いずる悠人を、

 

「うりゃ!!」

「かはっ、ぁ…ぁぐ……っ!俺はまだ死ぬわけにはいかないのに…佳織……かお…り……」

 

 笑顔で踏み潰した。さらにぐりぐりと踏みつける。しょせん、お前は引き立て役なのだよ、とでも言うように。

 

「気絶した敵兵はロッカーに放り込むのはスパイの基本だよな」

『主はいつスパイになったのだ。それに敵兵?』

 

 タンスに悠人を放り込む。

 

(ルシオラよ、この恋人の行動に、何か思う所はあるか?)

(勝つために手段を選ばず……震えるぞハート!! 燃え尽きるほどヒート!! って感じかしらね)

(……そうか)

(まあ、横島の夜の営みだって毎日見てるわけだし。そんなお前にレインボー!! ってなものよ)

(…………さよか)

 

 色々と『天秤』は突っ込みたかったが、自分の精神衛生上よろしくないのは間違いないのでスルーした。横島と一緒にいて、それで常識人でいたいのならスルー技能は必須である。ルシオラはスルーできなくて染まってしまったのだろう。

 

(そんなことより、私は貴方がご機嫌な理由の方を知りたいわ)

 

 『天秤』は少し沈黙してから、言葉を返した。

 

(どういう意味だ。どうして私の機嫌が良いと思う?)

 

(だって、ダーツィの戦いの後、拗ねてちっとも話そうとしなかったのに、急に生き生きしてるんだから)

 

 『天秤』は忌々しそうに舌打ちをした。

 そんなに態度に出ているとは、まるで子供のようでは無いか。

 不機嫌そうに黙りこむ『天秤』。そういう所が子供らしいとは、流石にルシオラは言わなかった。

 しかし『天秤』はすぐに気を取り直したようで、ふふんと得意げに鼻を鳴らした。

 

(ふ……いずれ分かる……いずれな。くっくっくっ)

(今教えて)

(いずれ分かると言ってるではないか!)

(ケチね)

(そういう問題では無い!!)

 

 そんな風にルシオラは『天秤』で楽しく遊んでいると、控えめなノックの音が響き渡る。

 そして、控えめだが凛と響く声で「失礼します」とドアの向こうから聞こえてきて、扉が開いた。

 

「ファーレーン・ブラックスピリット、ニムントール・グリーンスピリット、参りました。そしてル――キャ!?」

 

「よく来てくれました、ファーレーンさん!!」

 

 扉が開き、ファーレーンの仮面が見えた瞬間に、矢のように飛んでいき彼女を抱きしめる。

 正にセクハラ以外の何物でもないが、幸い横島に好印象を抱いている彼女は熱烈な歓迎を受けているだけだと判断した。この辺りは横島が言ったとおり第一印象のおかげだろう。それでもやはり恥ずかしいらしい。彼女は小さく身じろぎをする。

 

「お、お久しぶりです、ヨコシマ様。あの、恥ずかしいので……」

 

「何言ってるんです! 俺とファーレーンさんの仲じゃないですか!! ファーレーンさんに抱きしめられた事は忘れてないっすよ!!」

 

「そんな……その……あううぅ」

 

 相変わらず仮面をしていて、やはり表情は読めないが恥ずかしがっているのは間違いない。そして、本気で嫌がっているわけでは無いと横島は感じた。横島は心の奥底では優しくて臆病であるから、相手が本気で嫌がっていたらセクハラはできない。それが拳を振り上げられない優しい人種なら特にである。ファーレーンからは好感を持たれていると、横島は実感していた。

 それにしても妹はどこにいるのか。横島はファーレーンを抱きしめたままキョロキョロと辺りを見回したが、それらしい姿は何処にも見当たらない。

 そこで、横島は気づいた。確かにファーレーンに抱きついているが、それは上半身だけであって、下半身は密着していない事に。何かが、横島とファーレーンの間にあった。

 一体何が抱擁の邪魔しているのかと、少々残念に思いながらもファーレーンから離れ、視線を下に向ける。

 そこには、横島とファーレーンにサンドイッチにされて一体何事だと目を丸くしてこちらを見る、緑髪のセミロングを二つに纏めているちんまいスピリットがいた。

 

 何となく、本当に何となく横島は目の前のスピリットの頭を撫でる。

 目の前のちんまいスピリットの顔が真っ赤になり、何かを言いながら横島の手を払いのけようとしたが、既に横島の手は移動していた。

 ちんまいスピリットのほっぺたをつまむ。そしてぐにぐにと動かした。ムニムニとした感触に、まるで大福のようだ、と横島はぼんやり思った。

 ちんまいスピリットは驚いてなすがままにされていたが、はっとして怒りに満ちた目を向けながら手を払おうとする。だが、またしても横島の手は既に移動していた。横島の両手は、スピリットの胸と背中に添えられていた。そして、下に手を下ろしていく。

 胸、お腹、お尻、フトモモ。手は滑るように落ちていく。特筆すべき点は、凹凸がまるで無いところか。ちんまいスピリットはもはや声一つ上げられないようで、ただ口をパクパクしていた。怒りと恥辱で何もいえないようだ。

 そこでようやく横島の触診が終わる。そして、ポリポリと頬を掻きながら戸惑いの表情で言った。

 

「えーと……何?」

 

「……そ、それは、こっちの台詞! この変態!」

 

「こら! だめでしょニム。そんな言葉遣いしたら」

 

「だってお姉ちゃん……」

 

 乱暴な言葉遣いをファーレーンに窘められ、ニムと呼ばれた少女は不満そうに頬を膨らませる。

 

「ファ、ファーレーンさん、世界一可愛い妹って……」

 

 自分の想像が外れる事を祈りながら、横島は縋るような気持ちでファーレーンに聞く。

 それが無駄な努力であると、どこかで分かってはいたが。

 

「はい、ニムントール・グリーンスピリット。私の妹のニムは、世界で一番可愛いスピリットです」

 

 優しい目でニムントールを見つめながら、ファーレーンはしっかりそう言い切った。冗談でもからかっているわけではなく、心底そう思っているようで、愛おしそうにニムントールの頭を撫でるその姿は幸せそうで非常に満足げだ。間違いなく姉馬鹿だろう。

 改めて横島はニムントールを見つめる。

 確かに可愛い。文句無く可愛い。グリーンスピリットらしく緑色の髪を短く二つに纏め、少しつりあがった目元、ちっちゃな丸顔に、弾力がありそうなほっぺた。動物に例えると猫に近い。雰囲気的にも。

 少し生意気そうに見えるが、間違いなく美少女だ。それは横島も認める。世間一般も認めることだろう。

 しかし、

 

「ガキじゃねえかーー!! アホー!!」

 

 騙された。裏切られた。期待していた分、横島の落胆は大きい。夢にまで見た姉妹丼が、音を立てて崩れ去った。

ニムとしても、横島の印象は正に最悪の一言に尽きた。姉にとても素敵な人だと紹介されて、別にどうでもいいとは考えていたが多少の期待をニムは横島に持っていた。だが、会っていきなり体中を蹂躙され、あげく逆切れされるという始末。

 ニムでなくても、これで険悪以外の感情を持てという方が不可能だ。

 

「お姉ちゃん! こいつはダメ! 変態!!」

 

「黙れちみっ子! そのなりで姉妹丼の中に入ろうなどとふてえ野郎だ! 身の程をわきまえるがいい!! やはりここは姉丼しかあるまい。さあ、ファーレーンさんは仮面を取って素顔で俺と一緒にぐお!」

 

「お姉ちゃんに触るな、バンダナ男!」

 

「べ、弁慶の泣き所を!! 許せん! そんなガキ、修正してやるー!」

 

「こっち来るなー! 変態バンダナーー!」

 

 お尻ペンペンしてやる、と横島がニムに飛び掛る。ニムは己の小さい体を利用して、スライディングの要領で下から回避した。離れてバカバカと連呼するニム。大人気もなく横島は怒り、デコピンを食らわせてやると腕をまくってニムに突撃した。

 どったんばったんと狭い部屋の中で追いかけっこが始まる。

 

「ええと……喧嘩ですか? どうして……止めないと。ああ、でも元気に走り回ってるニムの姿なんて珍しいし」

 

 ファーレーンが知るニムントールの姿は、冷静というよりも、やや捻くれていて冷めた性格だった。もっと簡単に言えば、「怠惰」の一言が相応しい。口癖が「めんどくさい」という時点でそれが知れよう。

 めんどくさがり屋で、マイペースなニムントールが声を荒げて元気に走り回っている姿は珍しく、希少価値が高い。妹思いの姉として、この姿を目に焼き付けなくては姉の沽券にかかわる。

 ファーレーンは非常に常識人なのだが、ニムントールの事となると思考がずれていた。戦闘中ならともかく、日常においてはニムを中心に生活が回っているのである。

 それでも、隊長に向かっての暴言など許されるはずもないのだが、人見知りが激しいニムがここまで感情をあらわにして、また、横島とニムがドタバタする光景がなんとも自然に見えたのだ。事実、この光景が日常になっていくわけだが。

 

「う~どうしましょう。いくらなんでも、挨拶をこれで終わりにするわけには……ん?」

 

 困っていたファーレーンだが、ふと人の気配を感じた。もしや敵か。謎の暗殺者でも潜んでいるのか。

 気配を探る。どうやら謎の気配は、この部屋のタンスから出ているようだった。ファーレーンは警戒しながら、そっとタンスを開けてみる。

 

「きゃっ!?」

 

 気絶している悠人が転がり込んでくる。

 殺気も神剣反応もなかったのでファーレーンは完全に意表を突かれた。転がってきた悠人に押し倒されてしまう。

 悠人は焦点の合わない目でファーレーンを至近距離からじっと見つめた。

 意識は戻ったものの、未だに覚醒はしていないようだ。

 

「……ファーレーン・ブラックスピリットか? 俺は悠人、ユートだ。これからよろしく……」

 

「え……あ、はい。よろしく」

 

 押し倒したままで挨拶する。ファーレーンも、隊長がタンスの中から転げ落ちてきて押し倒して挨拶するという、一年に一回程度の体験に眼を丸くして、茫然としていた。

 まだ覚醒しない悠人は、手に力を入れて起き上がろうとするが、手に掴んだ感触は非常に柔らかい。

 

「ひゃ……」

 

 小さく声がもれる。

 悠人はまだ覚醒していないようで、うまく握ることができない何かを掴もうと躍起になった。

 

「や、あ、うぁ、あぅ」

 

 握ろうとしても巧みに姿を変えて握らせてくれない。

 イライラしながらも、悠人は少しずつ頭が眠りから覚めてくる。

 そして、

 

『まさか自分から押し倒すとは思いもよらなかったぞ、契約者』

 

 『求め』の驚嘆した──芝居がかった声が脳内に響く。

 そこでようやく悠人の頭が覚醒した。

 一体自分が何をしているのか、ここでようやく気付く。

 初めてあった部下を押し倒し、その手は豊満な胸を鷲掴みしている。

 

「うわっ!?」

 

 混乱したせいか、更に強く胸を揉みあげてしまう。

 

「つっ! い、痛いです」

 

「ご、ごめん! 優しくするから」

 

 俺って奴は何て無遠慮なんだ!

 悠人は自分で自分を罵倒する。

 女性に対してセクハラするなど、絶対にあってはならないこと。これでは隣にいる男と同類だ。

 急いで胸から手を退ける。

 ここで重要だったのは、悠人はファーレーンを押し倒している、という事だった。

 支えが無くなって、悠人の体重はよりファーレーンに伝わる。さらに、手を使わずに足だけで起き上がろうとした為、腰に力が入りファーレーンの腰辺りと強く密着した。

 

「ひっ!」

 

 股間を強く押し付けられて、本気で怯えたような声がファーレーンの口から洩れる。

 悠人は大慌てで早く離れければと立ち上がろうとしたが、色々とあったせいか立ちくらみを起こしてしまった。

 ふらりとファーレーンに倒れこみ、彼女を思い切り押し倒す。

 

「いやあああ!!」

 

 遂にファーレーンは絶叫した。ただでさえ赤面症で恥ずかしがり屋の彼女が男にのしかかられたのだ。これは仕方ないだろう。

 

「ファーレーンさんに何やってんだ!!」

「お姉ちゃんに何するの!!」

 

 騒ぎに気付いた横島とニムが鬼のような形相で悠人を睨む。悠人の顔から血の気が引いた。

 

「い、いやちょっと待て! これは何かの手違いで……そもそも横島が俺をぶん殴ってタンスに押し込めたから」

 

「問答!」

「無用!」

 

 横島がサイキック猫だましを放ち、眩い閃光が辺りを満たす。悠人の視界が元に戻った時には、既に横島が目の前にいて、飛び膝蹴りを仕掛けてきていた。

 それは駄目だろう! 

 思わず悠人は叫びそうになった。

 血の制裁に対してではない。こんなところで乱闘になれば、押し倒しているファーレーンにまで被害が及びかねないからだ。

 だが、そんな事を考えない横島でもニムントールでもなかった。

 閃光にまぎれて背後に忍び寄っていたニムントールが思い切り悠人の尻を蹴り上げた。

 

「オォウ!」

 

 とても痛そうな声を上げて飛び上がる悠人。そこを横島の飛び膝蹴りが炸裂した。部屋の端まで吹き飛ぶ悠人。地面に倒れる暇も無く、横島とニムントールの連撃が始まる。

 拳と蹴りの嵐の為、地面につく事すら出来ない、互いのフォローも行う恐ろしいまでの連携だった。ファーレーンを思う愛の力が、二人に最高の連携を授けたのだろう。

 5HIT!6HIT!7HIT!8HIT!9HIT!10HIT!!

 激流に身を任せるように横島とニムの連撃の中、彼は思う。

 

 なんで俺殴られてんの?

 

 確かにファーレーンを押し倒して胸を触ってしまった。それは悪いことだから、ちゃんと謝らなくてはいけない。

 だがそれは不可抗力であるし、その不可抗力の原因は横島だ。

 その横島は怒り狂って俺を殴りつけてる……と。

 

「なんだそれはー! 全部横島が悪いんだろうが!」

「ギャグ切れするじゃねえー!」

「それを言うなら逆切れだろう!」

「よくも、お姉ちゃんに変なことを!」

「そうだ! よくも俺のファーレーンさんにエッチなことを!!」

「おまえも敵!」

「ぐわ! 裏切ったな偽妹!!」

「偽じゃない!!」

「おい! 俺を無視すんな!!」

 

 どったんばったん。ぎゃーぎゃーぴーぴー。ぎゅおーんぎゅおおーん。

 

 ファーレーンは呆然と騒ぎを見つめるだけだった。

 一体これは何なのか。

 隊長達に挨拶に来た。ただそれだけだった。なのに、どうしてこんな騒ぎが起こってしまったのだろうか。

 終わりの見えない乱痴気騒ぎに呆然としているファーレーンの肩を誰かが叩いた。ビクッとしながら振り返った先にいたのはヒミカだった。

 

「ようこそ、第二詰め所スピリット隊へ! 歓迎するわ! 本当に……ね。ふふ、うふふふ! おほほほほ!!」

 

 そう言って高笑いを上げるヒミカの姿は、生贄が増えた事を喜ぶ悪魔のように見えた。

 あの真面目で面倒見の良かったヒミカに、一体に何が起こったのか。ようやくファーレーンは自分がとんでもないところに来てしまったのだと理解した。

 これから自分はどうなってしまうのか、果たして今の自分を保つことができるのだろうか。

 不安を持つファーレーンだったが、

 

 でもまあ、ニムが楽しそうならそれでいいか。

 

 そんな結論で落ち着いてしまうファーレーンは、やはり姉馬鹿であった。

 そして、セクハラ仲間が増え、これで自分に降りかかるセクハラは減るだろうと喜ぶヒミカだったのだが、それが甘い見通しだったと気づくのはしばらく先の話であった。

 

 

 

「誤報ではないのですか?」

 

 ラキオス王座の間にレスティーナの声が響いた。その声は普段の超然とした響きは無く、瞳は不安そうに揺れていた。

 揺れる瞳の見つめる先には、若い男が膝を折っていて、目を血走らせていた。

 

「いえ、間違いありません。イースペリアがサルドバルトへ侵攻。宣戦布告も無く、完全な奇襲です!」

 

 王の姿が無い王座の間がどよめいた。龍の魂同盟の内の一国。イースペリアが前触れもなく唐突に裏切った。

 重臣達は皆信じられないようで、その報告を持ち帰った間者に間違いないのかと確認したが、答えは変わらない。間違いなく、イースペリアから出てきたスピリットがサルドバルト国境沿いを守っていたスピリットを襲撃、撃破して、そのまま首都に向かっているらしい。

 

(信じられない……アズマリアが!?)

 

 レスティーナは未だに信じることが出来なかった。

 イースペリアの女王、アズマリアとは個人的にも繋がりがあり、その人となりも知っている。

 平和と平穏を愛する人物で、スピリットにも理解がある強い人だった。間違っても同盟を破り奇襲など仕掛ける人物では無い。

 一応、思い当たる節が無いわけでもなかった。

 『龍の魂同盟』の象徴である『サードガラハム』を討伐したことだ。

 これには内心穏やかなるものがあっただろう。

 しかし、まさかそれが原因で同盟を破るとは思えない。そもそも、それならラキオスに攻めてくるはずだ。サルドバルトがイースペリアに何かをしたのだろうか。

 

(落ち着かなければ!)

 

 そうは思うのだが、思っただけで落ち着けるはずも無く、己の感情をコントロールするのは若いレスティーナにはまだ不可能だった。思わず、この報告を持ち帰った諜報部員を睨んでしまう。

 どうしてこんな大事を人払いもせずに叫んだのか。

 本来なら、まず人払いをして重臣腹心の一部にだけ事実を伝え、善後策を考えてから皆に伝えるのが本来の手法のはずだ。

 まさか謁見の場に入るなり、思い切り大事をぶちまけるとは。

 興奮していたとはいえ、最悪の仕事である。この有様ではここに来る前に誰かにうっかり漏らした可能性もあった。

 情報のコントロールはもう無理だろう。

 

 重臣達が混乱した顔つきでこちらを見てくる。ここで取り乱した所を見せるわけにはいかない。

 王が姿を見せなくなり、レスティーナが政務を取り仕切るようになって、もはや王は必要無く、王位は遠からずレスティーナに移るだろうと噂されている。ここで断固とした態度と、理路整然とした対策を言わなければ失望されることだろう。

 重臣達を見回して、震える声を抑えながら努めて落ち着いた様子でレスティーナは言った。

 

「まずはイースペリアに詰問の使者を。一体いかなる理由で同盟を破ったかを問いただすのです」

「それはお待ちを。今は我らが一番にやらねばならなければいけないことは、首都ラキオスの防衛ではないでしょうか」

「……まさかイースペリアが攻めてくると?」

「その可能性は十分あるでしょう。今現在、ここラキオスには主だったスピリットはいません。ラキオスとイースペリアを繋ぐ道は整備されており、七日……いえ、一週間もあれば機動力のあるイースペリアのスピリットはラキオスを攻めることができるはずです」

 

 ありえません!

 思わずそう叫びそうなったが、なんとか抑えた。その叫びは自分の心情以外の何物でもなかったからだ。

 確かにその通りだ。レスティーナはこの重臣の意見が正しいことを認めていた。同時に、自分がまだアズマリアにまだ期待していることを気づく。

 何かの間違いではないだろうか。間違いであってほしい。

 自身の感情論に基づいた、希望的で愚かな楽観論が頭から離れない。

 

 思わずコメカミを押さえて考え込んでしまうレスティーナ。

 その姿を見て、不安そうに黙りこむ臣達。

 不安と閉塞感に満ちた静寂が場を包んだ、その時だ。

 

「一体何をやっておる!!」

 

 重低音の響く声が木霊した。

 レスティーナも含む全員が背筋をビクリと伸ばし、声がした方向を見つめる。そこにはラキオス王がこの場に居る全員を見下すように悠然と立っていた。ずんぐりむっくりな体を揺らして、頭には白の布地に金の刺繍が施されたベレー帽のようなものを被っている。

 

「詰問の使者? 防備を固める? 愚か者め。戦機を読めんのか」

 

 ラキオス王の鋭い目が重臣ら向けられる。誰もが青い顔をした。王を蔑ろにしたと恐れているのだ。レスティーナだけは僅かに目を見開いて驚くだけだった。

 王はそんなレスティーナに目を止めて、ふふんと得意そうに笑みを浮かべる。

 

「わしの読みが正しければ、そろそろサルドバルトから救援の要請が来るはずじゃが……」

 

 その声をほぼ同時に、文官が一人急いだように玉座の間に入ってきた。

 

「報告いたします。サルドバルトより使者が参っています。至急、お目通りしたいと!」

 

 まるで図ったようなタイミングだ。

 レスティーナも周りの大臣らも、驚きのあまり声が出ない。

 そんな中、王だけが満足そうに頷いていた。

 

「用件は分かっている。しばらく待たせておけ」

 

 王はそう文官に言った後、得意げな顔になって周りを見回す。

 

「ふむ、わしの言った通りの展開になったな。では、ラキオスはどう動くべきと考える?」

 

 王は髭を弄りながら、周りを悠然と見回し言った。

 レスティーナは小さく唇を噛んだ。完全に話の主導権を奪われてしまった。

 

「まずキロノキロに駐留しているスピリット達をラキオスに引き揚げ、それをサルドバルドに救援を送りましょう」

 

 レスティーナの意見は至極まっとうなものだった。

 というよりも、それ以外の選択肢が無い。救援を送らないという選択肢はありえないし、救援を送るための道筋はそれ以外に無いからだ。

 だが、王はレスティーナの答えを鼻で笑った。

 

「馬鹿者。それでは間に合わないだろう」

 

 現在、悠人達がいるのはキロノキロだ。キロノキロからサルドバルトに向かうには、元バーンライト領土を経由して、ラキオスに戻り、それからサルドバルトに向かうしかない。キロノキロからラキオスに戻るのだって一週間以上かかる。サルドバルトに向かうなら、どう急いでも二週間以上掛かる。これではいくらサルドバルトが防戦に徹しようともその間に落とされるだろう。

 

 とうにも上手くいかないな、とレスティーナは内心苛立った。

 せめて悠人達をキロノキロから引き揚げていればこんな事にはならなかったのに。

 失踪したエニ・グリーンスピリットを探したいので、キロノキロ周辺にしばらく滞在させてほしい。

 そう悠人と横島から送られてきた嘆願書に了承したのは間違いだったかもしれない。

 どうも判断が裏目に裏目に出ている。

 

「しかし、それ以外に方法がありません」

「もう一つの道があるであろう」

 

 ラキオス王はレスティーナを小馬鹿にしたように薄く笑った。

 もう一つの道に気づいたレスティーナが顔色を変える。

 その道を通る事が何を意味するか、父親の狙いがどこに存在するか、分かってしまった。

 

「まさか。イースペリア経由でサルドバルトに……」

 

「その通りだ」

 

「イースペリアを滅ぼすつもりですか!? 一体何が原因で同盟を破ったのかも分からないのですよ」

 

「何を馬鹿なことを。イースペリアを経由してサルドバルトに向かうのが最短ルートであろう。それにエトランジェ共をイースペリアに向かわせれば奴らも踵を返すかもしれん。また、エトランジェにはイースペリアのエーテル施設を封鎖してもらうことにする。決して滅ぼすわけでは無い。人間の部隊は使わんから、占拠は無理だろう」

 

「しかし、お父様! イースペリアがどれほどの戦力を有しているかも分かりません。帝国やマロリガンと繋がった可能性もあるのです。さらにイースペリアが裏切ったとなれば、サルドバルトだけではなくラキオスにもスピリットを送り込んでくるでしょう。いち早く、ユート達をラキオスに引き戻す事を優先にしなければ! とにかく情報を、もう少しでも情報を集めてから行動しなければ取り返しのつかない事になるのでは!?」

 

「案ずるな。ちょうど我が信用に足る秘密諜報部から連絡が入っておる。イースペリアは主だったスピリットは全てサルドバルドに向かわせているらしい。首都の防衛に残っているスピリットはごく僅かだそうだ。当然、ラキオスに向かってくるスピリットなどいない」

 

 淀みなく答えるラキオス王。

 父の言っている事の方が正しい。

 それは分かっていたが、それでもレスティーナは反対した。

 途方もない不安と不吉が去来する。確証は無いが、破滅に突き進んでいるような気がしていた。

 

 重臣一同が歓声を上げた。レスティーナの意見に賛同するものはいなかったのだ。

 先手先手を読み、事前に次の一手を打つ王の知略に、臣達は誰もが熱に浮かされたようになる。王に畏敬の目を向けていないのは、実の娘であるレスティーナだけ。それを王も分かっているようだったが、それを不快に思っていないようで暗い笑み浮かべるだけだった。

 そして王は一歩前に進み出でて、両手を大きく広げ、まるで劇の主役であるかのように高らかに宣言する。

 

「我らが信頼を裏切ったイースペリアに鉄槌を加え、親愛なるサルドバルドに救いの手を差し伸べる。これが北方五国で唯一、正統なる血の後継者であるラキオスが果たす使命である!!」

 

 拍手と歓声が玉座を包んだ。

 王は髭を弄りながら満足そうに賞賛を浴びる。

 名誉欲と支配欲が満たされるのを感じて、王は全身を震わせていた。

 

 熱気と狂乱が渦巻く王座の間。しかしレスティーナだけが冷め切った瞳で騒ぐ重臣達を見ていた。

 可笑しい。変だ。無理がある。どうして、それが誰にも分からないの?

 サルドバルドがイースペリアに侵攻するのならまだ分かる。彼の国は貧しく、海産と鉱物の輸出で何とか保っているような国だ。豊かさを求めて帝国と繋がり、同盟を破ってくることは十分ありうるだろう。

 だが、イースペリアが戦う理由は何だ? 

 彼の国は非常に裕福でマナも多く、わざわざ侵略戦争など仕掛ける必要などない。

 大体、どうしてこのタイミングなのだ。どうしてラキオスを攻めない。何の利がある。

 戦略も戦術も、その意図がまるで掴めない。

 

 父も、イースペリアの女王は腰抜けで愚鈍であると常日頃から罵って見下していた。そんな国相手に、聞いたことも見たことも無い秘密諜報部なる輩に監視させていたと。これもまた可笑しい。そもそも、父にこれほどの手を事前に込められるほどの才覚があったとは思えない。ただでさえ、近頃は世情から疎くなっていたというのに。

 

 なにより可笑しいのは、その可笑しさを誰も理解しない事だ。これだけ不信な点があるというのに考えてもいない。

 優秀な家臣達の頭の中身が、まるでピエロに変えられてしまったようだった。

 これではまるで出来の悪い演劇、それも急遽台本を書き直したかのような気さえする。今回の事件には、どこかしらにほつれが感じられた

 何故? 何故? 何故?

 レスティーナの頭の中でいくつもの推測が浮かんでは消える。しかし、いくら考えても今は意味が無い事など、彼女は気づいた。菫色の瞳で己の父親を見つめた後、玉座に視線を移す。

 専制国家において、王の発言は絶対だ。そしていざ断が下されれば、あっという間に事が進んでいく。臣は一致団結して、手となり足となり速やかに実行される。王女レスティーナがどう足掻こうと流れは止められない。王女では駄目なのだ。

 レスティーナの胸の内に黒い光が灯った。ぎらりと王に投げ込まれた眼光は、父を見るそれではなかった。

 

 キロノキロにいる悠人達にイースペリア侵攻が伝えられたのは、ラキオスに報告は来た次の日だった。

 距離と日数を考えればありえない事であったが、それについて疑問に思うものは、やはりいなかった。

 

 

「まったく! 信じられないよ。人を呼びつけておいて、その事を忘れるなんて! まる一日放置ってなにさ!!」

 

「いや、しょうがないだろ。なんつっても美人の姉ちゃんとボク娘じゃあ比較にならん」

 

「最悪だ! 全然悪いと思ってない!!」 

 

 キロノキロ宿舎の一室で、短髪で青い髪のスピリットとバンダナを巻いた青年が何やら口論していた。

 ルルーと横島だ。

 実はルルーは、ファーレーンとニムントールに同行していたのだ。

 今更であるが、どうしてファーレーンとニムントール、そしてルルーが横島達と合流したか説明しよう。

 元々、横島はファーレーンとニムントールを早くから第二詰め所の一員にするよう、強くレスティーナに訴えていた。

 ただファーレーンは剣の腕もさることながら、密偵としても一流であったため、純粋な戦闘要員だけに固定するというのが出来なかったのだ。また、ファーレーンはニムントールと離れることを嫌ったため、ニムントールだけ一足早く合流することが出来なかった。

 それが、ダーツィ大公国を併合すると、いきなり王命という形でファーレーンとニムントール、さらにルルーも横島達に合流させた。

 その意図が分からず悠人は首を傾げていたのだが、今は納得していた。

 つまり、ラキオスはイースペリアの同盟破棄を読んでいて、しかもラキオスに攻めてくることが無いと確信していた。そしてイースペリアに向かわせる為にキロノキロに滞在させていたのだ。

 そう考えるのが自然だろう。

 

「うー!!」

 

 唸り続けるルルーに、これでは流石に話にならんと横島も反省して、悪かった、と素直に頭を下げる。

 すると、ルルーは小さく息を吐いて横島をまっすぐ見つめた。

 

「まったく。それで、ボクに何の用があって呼んだの?」

 

 怒っていたかと思えば、もうケロリとしていた。さっぱりとした気性は横島には好ましく見えた。

 

「どうしても協力して欲しいことがあってな。それは……」

 

「ちょっと待って! ボクはまだ、ラキオスに入るって言ってない。約束はどうなったの!」

 

 ルー達に感情が戻ったらラキオス軍に入る。これは譲れぬ一線だった。

 横島はそうだったなと頷いて、指をパチンと鳴らす。すると、扉が開いて一人のスピリットが姿を現した。

 

 大和撫子のような美しい黒髪は腰まで伸びていて、きめ細かい肌は雪のように白い。ルー・ブラックスピリットだ。

 

 二人の目が合った。そして、

 

「ルルー……久しぶり……ニャン」

 

 挨拶をしてくれた。その目にはうっすらとだが感情があった。

 姉達の感情を取り戻すと横島はルルーに約束したが、彼はそれを守ったのだ。

 

「う……ん。うんうん! ルーお姉ちゃん! 久しぶり……にゃん?」

 

 泣きそうになるほど感動と横島への感謝の気持ちで一杯だったルルーだったが、いきなり意味不明な語尾が入り、目をパチクリさせる。頭のほうに目を向けると、動物の耳のような妙なアクセサリーが着いていた。

 今まで見たことが無い不可思議な物体に、ルルーは眼を丸くする。

 横島は回れ右をした。

 

「それじゃあ、俺はこれで。ゆっくり姉妹の団欒を楽しんでくれ」

 

「ちょっと待てーい!!」

 

 すたすたと去ろうとした横島を、ルルーが裾をもって留めた。

 

「こらー! きみは一体お姉ちゃんに何をしたー!!」

 

「な、何のことだ! 俺は何も知らん!」

 

「嘘だ! 目が泳いでるぞ!」

 

 逃げようとする横島の頭を両手でぐいっと引き寄せ、鼻と鼻がくっつくほど至近距離で横島を睨むルルー。

 近距離のにらめっこに、横島は色々とうろたえながらも力の限り叫んだ。

 

「しょ、しょうがねーだろ! 俺だってまさかここまで嵌るとは思わなかったんだー!!」

 

 それは横島の偽りない本音だった。確かに初めは横島が無理やり着けたものだったが、今のルーは積極的に猫耳を着けていた。どうしてこうなったか。それには勿論理由がある。

 

「ねえ、この妙なアクセサリー、随分良い毛を使ってるみたいだけど。それに何か書いてあったよ」

 

 頭に付いている猫耳と呼ばれるアクセサリーは素人目から見ても良く出来ていた。

 毛並みは良く艶もあり、香料でも使っているのか良い香りがする。ヘアバンドの部分も良く作りこまれていた。

 奇抜なデザインではあるが、原価だけを考えてもそれなりに値は張る代物だ。加工の費用も安くないだろう。

 

「ああ、これはルーさんの為に作った世界で一つだけの猫耳さ! 子供っぽいけど名前入りだ」

 

「へ? ええ! 嘘……ラキオスってスピリットのオシャレの為にここまでしてくれるの!?」

 

「いや、これは俺のポケットマネーで知り合いの職人に依頼して作ったもんだ。奮発したんだぞ」

 

 ハイペリアの文化に興味があるおやっさんがいてなー、と横島は何でもないように呟く。

 ルルーは驚きのあまり言葉もない。

 

「あっ、それとアクセサリーや語尾は、別に遊びでやったわけじゃなくて、まあ心を取り戻すきっかけになればいいなあと……決してエロスな意味があったわけじゃなくてな……いやまあ無いわけじゃ無かったがそれは恥辱プレイであっても露出は避けたいという男心があったのは言うまでも無く」

 

 あたふたと横島が早口で良く分からない言い訳を並べるが、ルルーはもうそれどころじゃなかった。

 自分専用に作られたオーダーメイドのアクセサリー。反則だと、ルルーは思った。

 手放せるわけないじゃないか!! 

 スピリットは戦闘奴隷だ。当然、化粧やおめかしなどできるはずもなく、画一的なエーテル戦闘服が支給されるだけで、専用で何かを与えられることなど無い。

 スピリットは『物』で、戦闘機械でしかなく、そもそも女として見る事が禁忌なのだ

 

 未だごちゃごちゃと喋りつづける横島に、そっと寄り添って首を預けるルー。そして、小さく「にゃあ」と鳴く。 

 まるで子が親に甘えるような仕草のようにルルーには見えた。

 横島は鼻の下を伸ばしながら、ルーを褒め称える。

 「美人で可愛いとか最高じゃあ~!!」

 そんな、恥ずかしい台詞を臆面もなく堂々と言い切った。

 ルーはほんの少し顔を赤らめるとまた「にゃあ」と小さく鳴いた。

 そうすると横島はまたしても歓喜の声を上げて涙を流す。すると、やはりルーは嬉しそうににゃんにゃん言うのだ。

 

 そんな二人を見て、ルルーは過去を思い出す。

 それはまだスピリットと人間がどういう関係か明確に理解していない頃の幼児時代。

 言葉や礼法を教えてくれる世話役の人間がいた。いつも教えるだけ教えて、時間がくれば帰っていく。

 無駄な話なんてしたことが無いし、質問は許可されていない。知識を埋め込まれるだけの時間。

 ルルーはもっと話したかった。笑いたかった。怒ってほしかった。

 だから、手作りの料理を持っていったり、とっておきの笑い話を喋ったり、さらに勉強中に寝たふりをするなど、色々なコミュニケーションを試みた。 

 結果は、無反応。

 まるで自分がいないかのように扱われて、ルルーは泣いた。

 これは別に珍しい事じゃない。むしろ、スピリットなら誰しも一度は経験したこと。

 『行動』に対して『反応』が返ってくる。

 これがどれだけ嬉しいか、ルルーは知っていた。

 良かったね、お姉ちゃん。

 姉の様子を微笑ましく見ていたルルーだったが、ある事に気づいてはっとした。

 

「まさか、他のお姉ちゃんたちも、にゃ~んな格好させてたりしないよね!!」

 

 そんな風に怒る。

 本心は、ひょっとしたらルーお姉ちゃんを特別扱いして、他の姉たちをないがしろにしているのではという恐れがあった。もしそうだとしたら、他の姉達が哀れすぎる。

 ルルーの問いに、横島は曖昧な笑顔を浮かべた。

 

「……安心しろ。にゃ~んな恰好は、させてないぞ。それじゃあ俺はこれで」

 

「だったら何で逃げようとするんだ~!」

 

 にゃ~んな格好はさせていない。

 まさか、他の姉は放置されているのか?

 そんな不安を抱いたルルーだったが、結論から言えば不安は杞憂だった。杞憂すぎた。杞憂だった方が幸せだった。

 

 ドアが開く。そして、何人ものスピリットが部屋に入ってくる。

 第三詰め所の、バーンライト所属だったスピリット達だった。

 

「……わん」

「がおがお」

「元気そうで何より……だっちゃ」

「心配してたナリか?」

「ひさしぶり……でゲソ」

 

 現れた姉達は、皆一様に不思議な言葉を語尾につけていた。

 そして、頭に付いている謎のオプション。

 ポニーテールがヤシのように伸びていたり、お団子頭になっているのはまだいい。

 しかし、先ほどの猫耳に似たアクセサリーや、動物の角や、10もの数で髪が結われていたりと奇天烈な状態の姉達が複数いた。

 

 ――――――え、なにこれ? こわい。

 

 頭痛のあまり眩暈を起こし、くらくらしているルルーの前に、がっちりしている体格のスピリットがやってきた。

 彼女はルルーに剣術や体術などを教え込んだスピリットで、剛毅というか豪快な気持ちの良い性格の姉だった。

 美人ではあるが、可愛いとか可憐等の言葉には無縁なガッツなアネサンだ。

 もしこの姉が「にゃ~ん」なんて言ったらどうしよう。

 ルルーはそこはかとなく失礼な心配をしながら、姉の言葉を待った。

 

「会いたかった……タイ!」

 

 アネサンの手には、金属で出来たダンベルが握り締められていた。

 ルルーはにっこりと横島に笑いかける。横島も笑って、ゆっくりと後ずさりする。

 遂に横島は壁際まで追いつめられた。

 

「何か言い残す事は?」

 

「ついカッとなってやった、今は反省している」

 

「それで済むと思うなぁぁーー!!」

 

 ルルーは目に色々な意味で溢れた涙を湛えながら、感情の赴くまま拳を振るったのだった。

 

 

 日本の国民的菓子パンのヒーロー並みに膨れ上がった顔の横島は、とりあえず今日は顔合わせだけ、という事でルルーの姉達を下がらせた。部屋にはパンパンに膨れ上がった横島と、ルルーだけが残る。

 再起不可能とレッテルを貼られそうなぐらいに横島の顔はヤバイ状態であったが、どうせ直に治ってしまうので同情を引くことは無い。

 ルルーは目を閉じて、何かを言いたそうに口をもごもごさせていたが、意を決したように横島に近づいて向き直る。

 

「ねえ……」

 

「なんじゃい! もう十分殴られたぞ!?」

 

 いくらギャグキャラといっても、流石にこれ以上やられては堪らぬと、油断無く身構える。いくた数コマ後にはどんな傷を負っても治っているギャグキャラと言っても、痛いものは痛いのだ。

 だが、ルルーの顔にはもう怒りの色を見られなかった。

 涙の後もくっきり残っているが、これ以上流れる様子は見られない。

 ただ恥ずかしそうに顔を赤くして、腕をもじもじさせていた。

 

「ありがとう。本当にありがとうございます。お姉ちゃんを助けてくれて」

 

 深々と頭を下げて丁寧なお礼を言う。くしゃくしゃになった顔が笑顔になる。

 間違いなく美少女の笑みに横島は少しビクリと体を震わせたが、すぐに怪訝な顔つきへと変わった。

 膨れ上がった顔は、既に元に戻っていた。

 

「なんだ、やけに素直だな。気持ち悪いぞ」

 

「気持ち悪いは余計! お礼ぐらい素直に受け取ってよ」

 

「だったらこんなにボコボコにしないで、最初っからそうすればいいだろうがー!」

 

「それをできないようにしているのは、何処の誰か分かってる?」

 

 ルルーは心の底から横島に感謝していた。もう、家族の笑顔が戻ることは無いのかも知れない。なんとか心を取り戻そうとはしていたがどうにもならなかった。

 

 だからもし、横島が家族の心を取り戻してくれたら何でもしてあげよう。それだけの決心をしていた――――――が!

 まさか語尾に「にゃあ」だの「ワン」だの、果ては「タイ」とまで付けて帰ってくるとは予想だにしていなかった。

 

 もう喜べばいいのか、怒ればいいのか、泣けばいいのか、笑えばいいのか。どうしたらいいのか分からなくなったルルーは、仕方なくその全てを選んだのである。

 良くも悪くも感情を引き出す。ハリオンがそう横島を評価した事があったが、正にその通りなのだ。

 たくさん泣いて、笑って、怒って。

 今までスピリットが封じ込められてきたことを、彼は解放しているのかもしれない。好意的な見方ではあるだろうが。

 

「それで、頼みたいことって? 何でも良いよ。何だってしてあげるから」

 

 きっぱりと言い放つルルーに、横島は少し不機嫌そうに眉をひそめた。

 

「あまり何でもとか言わない方が良いと思うぞ。どんな変なこと要求されるか分かったもんじゃないだろ」

 

「いや、だからどんな要求でもいいんだよ。お姉ちゃんの心を取り戻してくれたんだ……まあ、ちょっと変になってる気もするけど、笑ってくれてるんだから大丈夫。何でも言って。ボクは絶対に逆らわないよ」

 

 きっぱりと言い切るルルー。

 裸で町内一周しろ、とでもふざけて言ってやろうか。

 意地の悪い思い付きをする横島だったが、ルルーの目を見て一気に冷めた。

 やると言ったらやる。そんな、強く純粋すぎる青の双眸が煌いていた。

 

 ――――――まったく、この程度で。

 

 横島はやれやれとかぶりを振る。

 スピリットは自分の身を軽々しく粗雑に扱いすぎている。ヒミカのときも思ったが、ちょっとした感謝だけですぐに身を差し出すぐらいの事をしてしまう。嬉しいと言えば嬉しいのだが、自己犠牲の精神が明白でこっちが引いてしまうほどだ。

 スピリットの解放とハーレムが横島の目的なのだ。

 こんな状況でスピリットが解放されたら、悪い人間にコロリと騙されかねない。ハーレムにしても愛ではなく恩義で加わってきそうだ。そこのところが、横島にはなにより重要だ。この状態ではラブラブハーレムなんて作れない。

 不遇の扱いを受け続けてきたスピリットは、少しの優しさだけで満足してしまう。

 無論、個人差はあるのだろうが、全体的な印象としてスピリットは純粋過ぎて、接していてこっちが辛くなる時がある。

 

 以前、サンタに『何でもゆーこときくハダカのねーちゃんがほしい』と願った事があったが、いざそれに近い存在を得てみると扱いが非常に難しい。しかも、相手は不幸の道をこれでもかと味わってきた者たちだ。そんな彼女らを好き放題するほど、横島は外道にはなりきれなかった。

 難しい問題だ。このままでは、スピリットはたちの悪い詐欺に騙されること間違い無しである。どうにかしないと。

 横島は横島なりに、真剣にスピリットの将来を考えているのだった。

 

「本当にいいのか? 正直、まだまだだと思うし……気づいてるとは思うけど何人かはまださっぱりだ」

 

 日々の訓練や、町での活動、副隊長の仕事、セリアたちとのコミュニケーション。それらを除いた時間を第三詰め所の交流に当てているのだが、横島はまだスピリットの感情を取り戻しているとは思っていない。

 確かにルーを初めとする何人かのスピリットは心を取り戻し始めている。ハイロゥの色も黒から白に変わり始めているのもその証拠だ。

 だが、ハイロゥの色が真っ黒のスピリットだけはまったく変化が無い。何を言ってもやっても、暖簾に腕押し。

 横島のやり方は、僅かに残った心を刺激して、少しずつ心を甦らせる方法だ。だから、心の一片すらも神剣に奪われたスピリットには効果が無かったのだ。

 神剣に飲まれてハイロゥが完全に黒く染まったスピリットを元に戻す資料を集めてくれるよう、レスティーナにお願いしてあるのだが、そんな資料も欠片も出てこない。そんな事を研究する学者はいないのだと言う。

 白を黒に染めるのは簡単だが、黒から白に戻すのは難しいという事だろう。

 

「ううん。ヨコシマ……様は一生懸命やってくれるのが分かった……いえ、分かりましたから」

 

 ラキオスに入ると決まったので、ルルーは言葉遣いを改めようとした。

 

「あ~別に言いづらいなら様付けしなくてもいいぞ。敬語も別にいい」

 

 あっけからんと横島が言った。

 

 どういう意図がある?

 

 色々な理由を考えて、ルルーは恐怖するような期待するような目で横島を見つめる。

 

「ボクっ子に敬語は似合わんしな」

 

「そんな理由か~!」

 

 まったくとルルーは頬を膨らませる。

 深読みした自分が馬鹿みたいじゃないか。

 でも、心は弾んでいた。

 ただ部下と上司の関係じゃない。そう暗に言われたのが分かったからだ。

 この人と気軽に話し合える関係になる。それが、とても嬉しい。

 さて、それじゃあどう呼ぼうか。

 年上を呼び捨ては抵抗がある。でも、様付けは嫌だ。無難に考えれば隊長と呼ぶのがベストだろう。

 だがルルーには一つだけ、呼んでみたい言葉があった。

 それはスピリットでは決して得られないもの。

 

「に……ん」

 

「うんことかはかんべんな」

 

 感動が、一気に吹き飛ぶ。

 

「んなっ!? 誰が言うかー!」

 

 顔を真っ赤にして怒るルルーと、はっはっはっと愉快そうに笑う横島。

 出会いこそは最悪だったが、二人の相性は悪くなさそうだった。

 

「とりあえず、呼び名はまた後で考えてくれや。そんじゃ、俺の頼みを聞いてもらうぞ。あまり余裕も無くてな」

 

 言葉は軽い調子で、しかし顔つきは真剣なものとなる。ルルーも神妙に頷く。

 そして横島は自分たちの現状を説明した。

 イースペリアがサルドバルドに侵攻した為、自分たちはイースペリアに向かうことを。

 

「それでどうするの。ボクも一緒に行けってこと?」

 

「……エニが居なくなってな」

 

 絶句するルルー。エニの寂しそうな笑みが脳裏に蘇える。不安で心臓が強く脈打った。

 

「どうして居なくなったのか、どこに行ったのか、皆目見当がつかん。そこでだ、お前にはエニを探索してほしい」

 

「そんなの当然だよ! それじゃあ言ってぐっるっ!?」

 

 鉄砲玉のように飛び出そうとしたルルーを、横島は襟元を押さえて制した。

 げほげほせき込みながら、ルルーは横島を睨む。

 横島は微笑した。この生きの良さは彼の弟子に通ずるものがあったからだ。

 

「まったく、神剣も持たずにどうするつもりだっつーの。ほれ」

 

 横島が大きな紙包みを差し出す。開いて現れたものに、ルルーはあっと驚いた。

 青白く輝く大剣。永遠神剣第七位『反抗』がそこにあった。

 久しぶりに自身の永遠神剣『反抗』を手にしたルルーは、愛おしそうに刀身を指でなぞる。

 後でしっかり手入れしてあげるからね。

 彼女は優しくそう言って神剣を背中に担いだ。『反抗』はただ静かに光を放つ。そこには愛情と信頼が確かに存在していた。

 神剣使いは自我が弱まると自身の神剣に心を飲まれ失う。そうでなくとも、力を使いすぎれば心に限界が来て神剣に飲み込まれる。

 殆どの者は心を失うのを非常に恐れるが、不思議と神剣を嫌う者も恐れる者もいなかった。

 神剣とその担い手には、確かな繋がりがあるのである。

 

 その一連のやり取りを見て、嗚呼、と『天秤』は無意識に羨ましそうな溜息をついた。

 横島はその声に気づかない。

 

「探し方は任せっからな。無理せんで気を付けて行って来い」

 

 飛び出すルルーの背にありきたりな声をかける。

 出て行くものにはいってらっしゃい。帰ってきたらお帰りなさい。

 久しぶりに掛けられた言葉に、ルルーの目尻はまた熱くなった。

 

「うん……行って来ます!!」

 

 ただそれだけで感動して飛び出していくルルーに、横島は悪い奴に騙されないかと少し不安な気持ちで送り出す。

 まるで無鉄砲な妹を送り出す兄のようであった。

 

 

 そうしてラキオス軍、第一詰め所と第二詰め所、それに第三詰め所の一部のスピリット達は進撃を開始した。

 同盟を裏切った卑劣なイースペリアに天誅を下して、サルドバルトを助ける。

 そんな大義名分が存在していたが皆の士気は盛り上がらなかった。

 どうせ戦うのはスピリットで、傷つくのもスピリットだ。そう考える悠人の悲観主義がスピリットに伝わったのかもしれない。何とかスピリットと戦わず、自分も戦場に出ずに戦いを終わらせたい。そう考える横島の戦意の低さがスピリット達に伝わったのかもしれない。また、エニが見つからないのが不安なのかもしれない。

 とにかく、皆の空気はどこか弛緩していた。

 

 行軍はスムーズなものだった。イースペリアまでの街道も整備されていたのもそうだが、今回は目的が都の占拠ではなくエーテル施設を封鎖するだけなので、人間部隊が居ないのが大きな理由だった。足並みを揃える必要が無いため、時速数百キロを軽く出せるスピリット達はものすごい速さでイースペリアの奥までたどり着くことが可能だった。

 敵の待ち伏せも無く、僅か二日でイースペリア首都目前までたどり着くことに成功した。

 明日には首都に侵入して作戦が決行されるだろう。

 

 その夜。

 

 パチリ。

 数秒前までイビキをかいて寝ていた横島の目が前触れもなく開く。

 寝ぼけ眼では無くて、しっかりとその目は開かれていたが、どこか霧がかかっているような感じだった。

 そのまま横島はムクリと起き上がると、野営のテントから外に出る。

 

「あれ、どうしたんですか、ヨコシマ様」

 

 火の番をしていたヘリオンが起きて来た横島に声を掛けた。

 ブラックスピリットは月の妖精とも言われ、夜の加護を得ている。具体的には夜目が利いて場のマナ効果を受けやすくなる。

 夜の警戒には打って付けなのだ。

 

「ん? あ~ちょっとな……あれ、ヒミカは?」

 

 いくら夜の加護を受けていると言っても、まさかヘリオン一人に警戒と火の番を任せるという事は無い。

 ヒミカも一緒に辺りを警戒しているはずだった。

 

「え!? え~と、その、あの、その、おトイレです!!」

「んな力一杯力説せんでも……」

「あう、すいません」

「別に怒ったわけじゃあないんだけど」

 

 クルクルと表情を変えるヘリオン。仕草も子犬を連想させる。

 相変わらず面白くて、可愛い娘だな。

 横島は邪念も持たずに、素直にそう思った。

 

「俺は散歩に行ってくるよ」

 

「散歩ですか? あ、あああの! 私もお供してよろしいでしょうか!!」

 

 ヘリオンは顔を真っ赤にしてどもりながら提案する。

 想い人と月夜の下で散歩する。

 乙女からすれば、これ以上ないロマンチックなシチュエーションだ。

 

「あー悪い。一人で散歩するわ」

「くすん。分かりました……出番少ないなあ、私」

「なあに、鈴女よりはマシだから安心しろって!」

「ひ~ん! 誰だが分からないですけど、比較しちゃいけない妖精と比較されているような気がします~!!」

 

 ヘリオンの切ない悲鳴を背にして、横島は含み笑いをしながら歩き出す。

 野営地を抜け出して、あてもなく夜の森を一人で歩く。

 虫の声と風で木々が触れ合って起こる小波のような音。頬を撫でる風が気持ちいい。

 星と月の光を浴びながら、彼は思う。

 

「なんで俺は一人で散歩してんだYO!?」

 

 夜の森でラップ調で独り言を叫ぶ姿は中々に変態チックである。事実、彼は変態である。

 

「はあ……何やってんだ俺」

 

 横島は今の自分の姿を理解して、急速に頭が冷えた。

 これがダークな雰囲気を持つ美形なら様にもなろうが、ギャグ畑の関西系青年が気取って夜の森をさすらうなど、黒歴史の一ページになること間違いなしだ。

 

 はて、と頭を捻る。男一人で夜に散歩する趣味など無い。

 どうして、散歩などしたのだろう。どうして、さっきのヘリオンの頼みを断ったのだろう。

 夢遊病という事はない。自分が起きていると分かるし、一応、どうして散歩したくなったのかは説明できる

 

 夜に何故か目が覚めて、なんとなく一人で散歩したくなった。

 

 今までの自分の行動を言葉で言えば、そんな一行で済む。

 だが、その『なんとなく』がどういう理由で生まれたのかが分からない。

 なんとなく、とは無意識と言ってもいい。無意識は意識の外と言って良い。

 つまり、自分の意識の外に存在するものが、自分の肉体を操っているとも言える。

 

 ――――――馬鹿らしい。さっさと帰って大宇宙とおっぱいの神秘について考えた方がずっと建設的だ。

 

 どこか引っかかるものを感じながら、あっさりと思考を放棄して陣地に戻ろうとした横島だったが、いきなり目を大きく見開いて夜の森の一点を見つめた。

 

 神剣反応!

 

 たった一つだが、ものすごい勢いでこちらに向かってきている。

 仲間の内の誰かかと思ったが、どうもそうではないらしい。

 悠人と自分を除く誰よりも反応が大きいし、殺気や敵意等の不吉な物を感じる。

 敵の、恐らくイースペリアの奇襲だろう。早く陣地に戻って迎撃準備をしなければ。

 走り出そうとした横島だが、その足が突然止まった。近づいてくる反応にどこか懐かしい物を感じたのだ。

 この神剣反応は確かにどこかで感じたことがある。だが、覚えはない。

 知っているものが変わってしまった。それがしっくりと来た。

 

「……マナを」

 

 そんな呟きと共に、彼女は姿を現した。

 小さな四肢。それに不釣り合いな大きさの槍。

 豪奢な金髪が月の光を反射してキラリと輝く。頭上には黒いハイロウゥが輪の形を作っている。

 

「……エニ?」

 

 



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第十九話 彼女が望んだ結末

 永遠の煩悩者 

 

 第十九話 彼女が望んだ結末

 

 

 

「――――エニ?」

 

 目の前に現われた少女が誰なのか、始め横島には分からなかった。

 鮮やかな金髪に小さく幼い四肢。手のひらで握っているのは無骨な槍。

 着ているものは薄汚れているが、ラキオスのグリーンスピリットが身につける緑を基調としたエーテル製の戦闘服で、襟にはラキオスの国旗である龍の紋様が刺繍されている。

 外見だけ見れば、つい先日まで一緒に生活をしていた少女で、ルルーにお願いして探していた少女に相違ない。

 

 目の前にいる少女はエニだ。

 

 だが、外見が瓜二つでも横島にはこの少女がエニとは思えなかった。

 顔が、表情が死んでいた。昆虫のような無機質な眼。

 星をちりばめたような瞳の輝きも、四季のように様々な表情も、そこには無い。綺麗なだけの顔。

 

 精巧に作られた人形はどれだけ美しくても、いや、美しいからこそ一種の不気味さがある。

 今のエニは正にそれであった。

 

「ほんとに……エニか? あー元気にしてたかぁぁ!」

 

 横島の問いにエニは答えず、槍型永遠神剣『無垢』を構えると彼を突いた。

 悲鳴をあげて飛び退く。穂先は残酷に心臓を狙っていた。

 

「何だ、どうした!? 反抗期か!? 下着を一緒に洗うのは嫌なお年頃ってやつなのか!?」

 

 おどけた様な声を出して、横島は槍を間一髪避ける。そして、一定の距離を取ると、手足や体がぐにゃりと曲げて、まるで蛸ように柔らかくした。

 相変わらずふざけた様な、真面目とは無縁のような戦闘スタイル。

 そう、戦闘の態勢を彼はとった。顔は笑っていても目はエニの動きを追うために鋭くなる。手にはいつのまにか出現した『天秤』が握られていて、力を引き出した証拠に足元には幾何学的な魔法陣が生まれていた。

 

「マナ……マナ、マナ、マナ、マナ、マナ、マナマナマナ」

 

 ブツブツと抑揚の無い、しかし狂信的な響きのする声でマナを求めるエニ。

 まるで壊れたテープレコーダーのようだ。

 

「マナマナ……恐怖の拉致監禁シナリオかー!?」

 

『主、おどけるのはいい加減にしろ。理解しているのだろう。現実を見るのだな』

 

 『天秤』の冷然とした声が響く。

 動揺の見られない声に横島は恨めしそうに『天秤』を睨み、潰すように強く握り締めた。

 

(それで抗議しているつもりなのか、横島よ。なんと小さく、なんと哀れな!)

 

 弱者が目を閉じて、精一杯の無意味な抵抗する様子は『天秤』を自尊心を満たしていく。

 

 ついにこの時が来た。

 横島がエニを、贄を食うときが!!

 

 負の喜びが『天秤』に去来する。

 それはサディズムにも似ていて、暗く抑圧されたものが噴出した瞬間だった。

 

「くそ! 一体どこの誰がエニを!!」

 

 心砕かれ洗脳された。

 一言で言えばそういうことだ。

 自我を弱らせ神剣に心を奪わせる。そうして機械のようになったスピリットを意のままに動かすのが洗脳と言っていい。

 どうやってスピリットの心を弱らせるのか、横島は知らないし、知りたくも無い。ただ、十日間程度で洗脳が完了するとは思えないし、そもそもエニはラキオスのスピリットだ。スピリットが上位の人間に逆らえないとすれば、エニはラキオスの人間以外の言うことを聞く義務は無い。だとすれば、洗脳などそもそも不可能だ。

 謎が生まれたが、今考えるのはそんな事を考えている場合ではない、と横島は首を振った。

 

『さて、どうしたものかな』

 

 そんな事を言い出す『天秤』を、横島は馬鹿かと思う。

 

「どうしたもこうしたもあるか。さっさと連れて帰って元に戻すぞ」

 

 きっぱりと言い切る横島。

 本当に分かりやすい人間だと、『天秤』は横島に憐れみさえ持っていた。

 しかし、それは湧き上がってくる愉悦にあっさりと飲み込まれていく。

 

 足掻け足掻け! 伸ばせるだけその手を伸ばしてみよ!

 その手が、足が、目が、鼻が、耳が、体が、血潮が、心が、何の意味も無いのだと知れ!!

 

 『天秤』にエニを助ける気など無い。

 あるのは横島を苦しめ、絶望させながらエニを殺させて、そのマナを食うことのみである。

 元々、そういう任務だったが、今はもう任務なんて関係ない。エニを殺すことを『天秤』が望んでいるのだ。

 理不尽な、意味の分からない、自分勝手な、『天秤』自身がもっとも嫌う感情に、彼は支配されていた。

 

 

 味方のいない、横島の孤独な戦いが始まる。

 この戦いの勝利条件は二つある。一つはエニの心を取り戻す。これがベスト。

 もう一つは無理やりにでもエニを取り押さえて連れ帰る。こっちがベター。

 敗北条件は言うまでも無く、横島orエニの死亡。

 

 横島は勝利条件の前者の方を選んだ。何故なら、心を取り戻す方が楽だからだ。神剣を持つものを取り押さえるのは至難の技で、もし取り押さえたとしても戦闘不能状態になったら舌を噛み切って自害する可能性もある。

 一声掛けて戻る可能性もあるのだから、心を取り戻す方が楽のはずだ。

 もっとも、心を完全に取りこまれていたらどうしようもないので、その時は無理やり連れ帰るしかないのだが。

 どうすればエニの心を取り戻せるのか。横島は頭を捻る。

 

 文珠が無いのが痛かった。文珠さえあれば、エニの動きを止めるのは容易だった事だろう。

 後三日、いや二日あれば一個は作れたはずなのに。もしくは悠人に使っていなければ。

 

 どうしてこんなにも間が悪いのか。

 しかも一人で散歩している所に現れるとは、運が悪いにもほどがあるというもの。

 せめて仲間が数人いればもう少し楽だったのに。まるで狙われたようだった。それとも本当に狙われたのか? だとしたら一体誰が仕組んだのか? そもそも仕組めるのか?

 あまりにも不可解な事の連続で疑問ばかりが膨らんでくるが、やはり今は蓋をする。

 

「そんじゃ、まずはエニの攻撃を凌いで援軍を待つぞ。んで、合間に合間に声を掛け続ける」

 

 横島は冷静だった。そして臆病だった。

 一人よりも二人、二人よりも三人。すぐ傍に頼れる仲間達がいるのだから、助けを待たない手は無い。

 どうやって心を取り戻すかはまだ考え付かないが、何をするにしても仲間がいた方が楽である。

 

「あああ!」

 

 エニは獣じみた唸り声を上げながら『無垢』で横島を突いてくる。

 その鋭さはラキオス一のグリーンスピリット、エスペリアにも匹敵していた。さらに緑マナを『無垢』に纏わせることによって、単純な打撃力だけでなく魔術要素も付与されている。

 ひらと落ちてきた木の葉が『無垢』に触れただけで灰燼と化す。

 心を神剣に食われて、より多くの力を引き出せるようになっている。

 しかし、元々の超人的な反射神経に神剣の力が付与された横島には、音速を超えた程度のスピードなど大したものではなかった。

 

「ふっ、ほっ、なんの、ほりゃほりゃ!」

 

 幾分の余裕を持って避ける。神剣の力を全開まで解放すれば、雨すら見切る事が可能な横島だ。ただ速いだけで技術の伴わない突きなどどうということはない。

 戦えば普通に勝てる。それが分かって横島には余裕が生まれた。

 

「蝶のように逃げ、蜂のように逃げ、ゴキブリのように逃げる!!」

 

『つまり逃げ回るだけだろうが』

 

「三十六計逃げるにしかずってやつだ」

 

 そんな軽口を叩く余裕もある。

 

「お~い、もどってこ~い」

 

 エニは槍を突いていくる。

 

「美味しいネネの実のパイが待ってるぞー!」

 

 表情一つ、眉一つ動かすことは無く。

 

「こらー! いい加減にしないと、時給255円の刑にするぞ!!」

 

 黒く染まったハイロゥは何色も受け付けず。

 

「シカト、カッコ悪い!!」

 

 マナを集めるだけの存在と化していた。

 

『ふっ、効果無いな』

 

「『ふっ、効果無いな』じゃねーよ! つーか、お前も何か言え! 愛しのテン君が声を掛ければ一発で戻ってくるぞ! ちきしょーめ!」

 

『ふん、断る。何が愛しいだ、空々しい』

 

「にぶちんも大概にしろゴルアアアア!! お前はどこのギャルゲー主人公じゃあ!?」

 

 まったく話が噛み合わない。

 だが、それも当然。二人の目指しているものは『正反対』なのだから。

 その上、エニに対する意識も立場も二人は互いに勘違いしているのだから。

 

「うっ! しまった」

 

 逃げ続けていた横島の目の前に崖が立ちふさがる。一回一回の攻撃を避けるのに夢中で地理を読んでいなかった。

 袋小路に追い詰められた横島に、エニが襲いかかる。

 危険を感じた横島は無理に避けるのをやめて、むしろ前に出た。

 

 カエルが地面すれすれを飛ぶようにエニに向かって飛んで、『無垢』の穂先を掻い潜る。穂先を外されたエニは、柄の方で飛びついてくる横島を薙ごうとした。迎撃のタイミングは完璧で、空中で動作できない横島に避ける術は無い――――と思われた。

 

「っ!」

 

 薙いだ柄は、重々しく空を切った。

 横島は咄嗟につま先に栄光の手(この場合、栄光の足と言うべきか)を作り出して地面に突き刺し、ピタッと空中に静止していたのだ。

 狙いを外されて、エニに完全な隙が生まれる。それを見逃す横島では無い。

 つま先に作り出した栄光の足に力を入れて再度エニに飛びついた。腹辺りに抱きつき、押し倒す。

 

 意図せずエニを無力化できる体勢になった。右手で右手を、左手で左手を、体で体を、無理やりに押さえつける。

 傍目には青年が少女を押し倒しているようにしか見えない危険な体制だ。

 

「やっ……うあああ!!」

 

 鎖に繋がれた獣のようにエニは暴れた。

 

「こ、こら! 落ち着け!? いやー! こんなところ見られたら勘違いされる……を?」

 

 横島は見た。見てはいけないものを、見てしまった。

 めくれあがった服から覗くエニの白い素肌。そこに刻まれた生々しいまでの痕跡を。

 

 エニは暴れる。何かに恐怖するように。何かを険悪するように。

 

 それが何を意味するのか。エニは何をされてきたのか。

 

 

 ――――全て、理解した。

 

 

「マジかよ……グホッ!」

 

 呆然として力が抜けた横島。その隙をついてエニの膝が彼の腹を打って拘束から逃れる。

 横島はしばらく思考を停止していたが、我に帰ると頭が怒りで埋め尽くされた。

 

「ふざ……ふざけんな! スピリットとかそういう問題じゃねえ! ガキだぞ! 本当に子供だぞ、おい!!

 ふざけんなふざけんなふざけんなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」

 

 咆哮が大地を揺らして、怒りと呪いを世界へ吐き出す。

 一体どうやってエニの心を弱らせたのか、分かってしまった。

 

「くぅ! 何でもっと真面目に探さなかったんだよ! 俺は!!」

 

 悔恨の念が体を巡る。なんでもっと真面目に探さなかったのか。戦勝で浮かれていたときに、エニは一人で戦っていたのだ。無論、探していなかったわけではない。だが、本気で探していたわけではなかった。そのうち見つかるだろうと、何の理由もない楽観論が横島の頭にあった。これが、その結果。

 やるべき事をやらなかった自分と、なによりエニを連れ去り暴行を加えた人物にたいする怒りで頭が真っ白になる。怒りで吐きそうになるなど、人生で始めての経験だった。

 

 何があっても助けなければ!!

 

 その思いは一層強固なものになる。

 

『どうした? 何故激昂している?』

 

「何でもねえ! 何でもねえよこんちくしょう!!」

 

 『天秤』は横島と精神的に繋がっていて、その感情の強さも十分に理解できる。

 今の横島の怒りの幅はマグマのように熱く、酸化した血のようにドス黒い。圧倒的な怒りがそこにあった。

 

『冷静になれ。ならなければ死ぬぞ!』

 

「なれるかー!? 本当にお前って奴は~!!」

 

 言い争いが始まる。

 横島はとにかく怒りをどこかにぶつけないと頭がパンクしそうだった。

 その対象に選ばれたのが『天秤』だった。偉そうで知識はあるが子供だからと大目に見てきたが、物には限度というものがある。

 

 どうして怒らない。

 どうして泣かない。

 これではエニが余りにも可哀想だ。

 

 『天秤』はどうして自分に怒りを向けてくるのか分からなかった。

 怒るのなら洗脳した奴にするべきだろう。どうして自分に憎しみをぶつけてくるのだろうか。

 自分とエニは何の関係も無いというのに。

 

 頭を悩ませていた『天秤』だったが、そこである事に気づいた。

 エニに凄まじい量のマナが集い、辺りの大気が振動している。

 それが意味する所は。

 

『まずい!! 主、急いでエニに接近しろ』

 

「アホかー! 近づいてどうする!? 離れていれば攻撃されないだろ! さっきは特別じゃ!!」

 

 離れていれば大丈夫。

 それは機動力がそれほどでも無く、遠距離攻撃を持たないグリーンスピリットを相手にするには正しい認識。

 正しいからこそ、油断が生じる。

 

『遠距離攻撃が一つだけあるのだ! グリーンスピリットが使える、唯一にして最大の攻勢神剣魔法が!!』

 

 切羽詰まった『天秤』の声。そしてエニに集まっていく膨大なマナ。

 雇用主に時給を上げられたときのような、最大級の危険信号が頭に鳴り響く。

 夜目が利かないはずの鳥類が、我が先にと争って飛び立つのが目に入った。

 

 咄嗟に『天秤』の力を限界まで引き出す。そして、精神力と霊力が許す限りの障壁を周りに展開した。 

 精神に負担がかかるなんて言っている場合では無い。

 最悪、死ぬ。

 

「ちくしょ~! もっと早く言えこのKYロリ神剣--!!」

 

『聞かなかったのは誰だ変態がー! それと私はロリではないーー!!』

 

「空気読めないのは認めるんだなー!?」

 

 背筋に戦慄が走る中、それでもどこか能天気な悲鳴を上げてコメディのようにさせてしまうのは、彼の天性のコメディアン気質によるものだろうか。しかし、その叫びはどこか空虚で空元気のようだった。

 そして、

 

「全て、吹き飛べ。エレメンタルブラスト」

 

 緑の光が空間の一点に集中して、弾けて、天下のエトランジェをして天災と呼べるような衝撃波が全てを飲み込み吹き飛ばした。

 

 

 月が奇麗だな。こういうのを風流と言うのか。

 目の前に広がる星空。その中でぽっかりと浮かび、青白い光を放ち続ける月の姿に、横島は何となく風流を感じていた。

 一切の音も無く、体の感覚も無く、ただ妙な浮遊感だけが全身を支配している。まるでこの世じゃないみたいだ。

 

(あっ、そういや、ここは異世界だったな)

 

 くっ、と思わず笑おうとして、全身から湧き上がってくる痛みに顔を歪める。

 

『何を寝ぼけている、さっさと起きろ! 大体、風流などに思いを馳せる人間ではないだろう!!』

 

 頭の中に無遠慮で偉そうな怒声が響く。

 これがアダルティクなお姉さんなら飛び起きれるのに。

 

『馬鹿な事を言っている場合ではない! 下を見ろ!!』

 

「下って……下ぁ!? のわあああ! 落ちてる、落ちてるぞ~!!」

 

『今更気づくな!』

 

 横島は空中の只中にあって、ものすごい勢いで落下中だった。

 衝撃波は横島を遥か空の上にまで吹き飛ばしたのだ。

 当然、パニックになる横島。『うぎゃー!』と口からは情けない悲鳴が洩れる――――が、

 

 木に落ちて衝撃を減らすか。

 

 パニックに陥りながらも、高いところから落ちるのはいつもの事だと、どこか達観していた。何年もギャグキャラをやり続けていれば、高い所から落ちるなんてライフワークの一つである。

 だが、そんな横島も地上に目をやって声を失った。

 

 森が、森で無くなっている。

 

 茶色の剥き出しの大地が眼下に広がっていた。

 

「可笑しいだろ! おい!? 森さんが消えて林さん……いや、木さんになってるぞ」

 

 爆撃機の編隊が通った後のような光景に、流石の横島も血が凍るような恐怖を覚える。

 この惨状の只中にあって体が痛いだけで済んでいる自分が、改めて人外であると理解できた。

 

『凄いものだな。この場が緑マナに満ちているのも原因だろうが」

 

 空間に漂うマナが多いほどスピリットは強くなる。その中でも自分と同種のマナが濃ければ濃いほどより強さが増す。 

 この空間に漂っている緑マナはグリーンスピリットであるエニの力を大きく引き上げているようだ。

 

『呆けている場合では無いぞ。着地を考えろ』

 

「ちくちょー!! 言うだけなら楽だよな……こうなったら必殺の五点着地をみせたる!!」

 

「必殺の受身とは凄いようで駄目なような……むっ! まずいな、エニは着地を狙っているぞ」

 

 エニの神剣反応はほぼ真下にあった。

 『無垢』の穂先がアリジゴクの牙のようにこちらをロックオンしている。

 

『いくら神剣持ちでも、この高さから落ちたら痛いぞ。そこを狙われたら――――』

 

 『天秤』の声にも余裕が無い。

 着地とエニへと対処。考えて、実行するには時間が足りなかった。

 どうする、と『天秤』が考えている間に、横島は早々と行動を開始する。

 

「永遠神剣第五位『天秤』の主が命ずる!

 卑猥なるモノよ! にょろっとにゅるっと、それでいてぬるっと!

 煩悩の化身たるご立派な御姿を今ここに!!」

 

 落下しながら早口で神剣魔法の詠唱を開始する横島。

 別に詠唱の言葉そのものに意味は無い。必要なのはイメージとオーラを組み上げるまでの時間。それを詠唱という形で作り上げる。

 僅か数秒で詠唱は完了した。

 

「降臨せよモラルブレイカ―!! 触手のショッ君、召喚!!」

 

 大地に白く輝く巨大な魔法陣が生まれる。魔法陣の中からは闇色のオーラが煙のように湧き上がって、それが集まり、形作っていく。 

 そうして生まれたものは、黒光りするご立派な芋虫姿の生物。その名も触手のショッ君である。

 

「ピギィー!!」

 

 その巨体には似合わない小鳥のような高い声で、触手のショッ君は鳴いた。

 そして芋虫のような巨体を鞭のみたいにしならせ、パチパチと目を瞬いているエニに叩きつける。

 

 エニ君、ぶっとばされたー!!

 

 と実況したくなるような勢いでエニが吹き飛ぶ。

 その数秒後に、横島は固いのに柔らかいという不可思議な感触のショッ君の体にポテンと落下した。

 

 困難だと思われたエニの迎撃と、地上への軟着陸を悠々とこなす横島。

 脅威の対応力に『天秤』は感嘆したが、どうしても素直に褒められないのもお約束だった。

 

『……もっとスマートというかエレガントに振舞えんのか?』

 

「シュガーレットな感じなら任せろ!!」

 

『はあっ』

 

 意味不明な答えに、返事をするのも面倒だと『天秤』は溜息をつく。

 しかし、溜息をついたのは横島も同じだった。もっとキレのある突っ込みをして嫌な空気を払拭して欲しかった。

 がっかりした横島だったが、すぐにギャグをやる相方はぬるぬると亀のような頭をもたげてやってきた。

 

「ピピィ!(だ、大丈夫なの?ご主人様ぁ)」

 

 亀の頭の先にある割れ目から甲高い声を上げるショッ君。実はメイド気質だったりした。

 その醜悪な姿はモザイクが必須であったが、モザイク処理をかけられたらそれはそれで危険である。

 何とも難儀な存在だった。

 

「おお、大丈夫だぞ、ショッ君!」

 

「ピギィ!(よかった。ご主人様!)」

 

 子犬のように無邪気に鳴いて、先っぽから粘液のようなものを吐き出しながら巨体を横島にすり寄せようとするショッ君。

 

「だが、死ねい!」

 

「ピィー!?(痛ぁいよ!?)」

 

 横島の容赦無い一撃が、ショッ君を穿つ。

 

『ピ、ピキィ……(ど、どうしてなの? ご主人様……)』

 

「いや、気持ち悪いし」

 

『ピギィ!(あんまりだよ!)」

 

「生まれの不幸を呪うがいい!!」

 

『ピピィー!!(お前が言うなー!!)」

 

 栄光の手を3メートルほどに伸ばして、ショッ君を真っ向か叩き切る。

 『ヒギィ!』とショッ君は鳴きながら、彼は黄泉の国へイッタ。

 あんまりすぎる横島の行動の前に、流石の『天秤』も苦言をこぼす。

 

『罪悪感……という言葉を知っているか?』

 

「仕方ないだろうが。あんなの連れてたら女性ファンが減って、俺が築き上げてきた清潔なイメージが崩れるだろ!!」

 

『清潔なイメージ……ここは笑うところか?』

 

「笑うな! な、エニもそう思うよなあ?」

 

 戻ってきたエニに笑顔で同意を求める。

 エニの返答は、同意でもなくドン引きでもなく、無言での突きであった。

 

「なんだよも~! 突くぐらいなら笑うか蔑むかしてれよ~!?」

 

 それは横島の悲痛な叫びだった。

 いつものペースに巻き込めない苛立ちと、なにより子供が無表情で襲いかかってくるのが恐ろしい。

 エニの無表情は色々な意味で辛かった。嘲笑でも冷笑でもいいから表情が欲しかった。

 

 元の世界では悪党だろうとなんだろうと個性的な連中ばっかりで、色々と面白い弱点が存在していたのに、この世界ではそういった弱点が中々見つからない。

 いや、エニだって本来は個性的だし、他のスピリット達だって同じなはず。

 スピリットの個性を潰してしまう、このくそったれな世界が悪いのだ、と横島は憎悪する。

 つくづくギャグキャラには優しく無い世界だった。

 

 

 またしても追いかけっこが始まるが、少しばかり状況が変わっていた。横島には余裕がない。 

 いくら落下ダメージを減らしたとはいえ高威力の魔法を食らったのは確かで、全身がバラバラに引き裂かれたかのような痛みに襲われている。腕や足を見ると、所々が紫色に染まっていた。内出血しているようだ。

 大怪我だが、神剣の加護もあり致命傷と言うわけではない。わけではないが、もはや楽観的に救援を待つなどと言っている場合では無かった。

 

 エニの方も息が上がっていて、自分で放った魔法によるダメージを受けているようだった。自分の身を考慮せずに攻撃してくるのは神剣に支配されたスピリット特有のものだ。

 逃げようと距離を離せば、またあの神剣魔法を撃ってくる。そうしたら今度こそ終わり。横島だけでなく、エニ自身も巻き込んであの世行きもありうる。

 仕方なく、付かず離れず距離を保ちつつ、エニの放つ紫電の突きを避け続ける。

 

「うがーー!! なんで来ないんだよ。悠人の馬鹿が!」

 

 悠人達の神剣反応は確かに存在している。だが、相当距離が離れていた。それでも神剣使いなら一足で来れる程度の距離のはず。向こうでも何かあったのだろう。

 こっちから悠人達の方向に逃げるようにしたいところだが、もうそんな余裕も無い。必死に避けるので精いっぱいだ。

 

『来ないものを当てにしてもしょうがないだろう。大切なのは、現状をどうやって切り抜けるかだ』

 

 『天秤』の言う事はいつも正しい。そうだ、問題はどうやって――――――

 

「どうやってエニを助けるか」

『どうやってエニを滅するか」

 

 二人の声が重なる。そして、どちらも呆れたように溜息をついて、それも重なった。そのやり取りはまるで定められた演劇のようだ。

 

「なあ、いい加減にしろよ」

『ふう、いい加減にしてもらいたいものだ』

 

 またしても声が重なる。言っていることも考えていることも同じ。

 お互いが相手の馬鹿さに辟易して呆れている。

 

「お前は頭が良いんだろ。だったらさっさと助ける方法ぐらい思いつけよ!」

 

『多くの力を引き出すという事は、それだけ強く神剣と結びついてるわけだ。今のエニの状態は、精神の根っこまで神剣に囚われ飲み込まれている。あの状況を解除するのは不可能だ』

 

「だったらどうするんじゃあ~!」

 

『……ふう。だから何度も言っているだろう。元に戻す方法など無い。殺してやることが慈悲と思え』

 

 言っても言っても理解できない横島。

 その愚かしさと無能さに、『天秤』は改めて思う。この男には私がついて導いてやらなければと。私が必要なのだと。

 

「アホか~! 将来の美女だぞ!! 『永遠の煩悩者』の第二期……いや、第三期があったら18歳ぐらいになってて攻略対象になってたりするんだぞ! 客寄せパンダにだってなってくれるんだぞ!! そこんとこ分かってのか!?」

 

『中々にギリギリな発言だな、主よ。まあ、続編など存在しないから、気にしなくてもいいだろう。早く殺すのだな』

 

「殺せるわけあるか! こんのお馬鹿神剣がー!!」

 

 助けられそうもないからエニは殺す。そんな殺伐とした答えを横島が出せるわけもなかった。敵のスピリットだって殺すのを躊躇する横島だ。つい先日まで共に暮らしていた少女を殺すなど、正に理解の範疇を超えていた。

 

『ふふふ。殺せないか。そうだろうなあ。主にとってエニは何より大切だろうし、エニにとってそうだろうしなあ。ハハハッ!』

 

 ――――――なに言ってんだコイツ?

 

 ここに来て、ようやく横島は気づいた。

 『天秤』がただ合理的な判断でエニを助けられないといっている訳では無いことに。

 とんでもなく馬鹿げた勘違いをしている。恋は盲目と言うが、これは度が過ぎていた。

 悲恋という言葉の意味を横島は理解して経験しているが、このままだとエニと『天秤』の間に生まれるのは悲恋どころか喜劇の領域に達してしまう。

 

「ああ……ほんとにまったく……これってひょっとしたら俺は『脇役』なんじゃないか」

 

 犬も食わない夫婦喧嘩、しかも夫が一方的に勘違いしているだけ。

 その夫婦喧嘩に無理やり参加させられている自分。そして起こる悲劇っぽい何か。それを見て笑う、誰か。

 この戦いの本質は、そこにあるような気がしていた。

 とてつもない悪が最後に笑うのだ。

 

「こんな馬鹿臭い事で、殺してたまるかー! 絶対に助けちゃる!!」

 

 こんなくだらない戦いで誰かが泣くなど可笑しすぎる。笑うなどもってのほかだ。

 この戦いは早々に終わらせて、そしてエニは笑い、『天秤』を反省させ、自分はニヤニヤする。

 それが正しい終わり方だろう。その為には、

 

 横島は足を止め、エニに向き直る。その表情は彼に時たま見られる本気の表情。

 エニは横島の雰囲気が変わった事に気づかず、勢い良く『無垢』を突き出した。

 突きに対する横島の対応はオーラフォトンの障壁を展開させる事あった。ただ、若干弱くである。

 障壁と『無垢』はぶつかり合って火花を散らす。

 盾と矛の争いの軍配は、矛にあがった。障壁を貫通して横島を目指す。

 が、その勢いは見る影もない。横島の目がギラリと光る。

 

「サイキック・グローブ!」

 

 サイキックソーサーを変化させて手袋のように拳に作り出す。そして、勢いを弱めた『無垢』の穂先を掴んだ。

 穂先はマグマを思わせるような熱を持っていて、さらに緑マナの影響で放電していた。サイキック・グローブを溶かし、さらに手のひらの皮膚もべろべろに溶けていくのを感じたが、歯をくいしばって耐える。

 

「ぶっ飛べえ!」

 

 『無垢』をぶん投げる。エニは『無垢』を手放す事はできないので、当然彼女も『無垢』と一緒に遠くまで投げ飛ばされた。

 飛んでいく際、べりべり、と『無垢』にくっ付いていた自分の皮膚が剥がされる音を聞いて、横島は激痛と共に涙する。だが、叫び声は上げない。

 

 1キロは投げ飛ばしただろう。これが神剣を持つ者の人外の力。両手が使えればもっと遠くに投げ飛ばせたのだろうが、片手はどうしても『天秤』を握る為に塞がってしまう。この点をどうにかできれば、と横島は密かに考えていた。

 エニを遠くに投げ飛ばし時間は稼げた。しかし、敵も神剣持ちであるから、すぐに戻ってくる。

 稼げた僅かな時間に横島が取った行動は、仲間との合流でも逃走でも無かった。

 

「煩悩全開! 出ろ、文珠!!」

 

 エニを救う最後の策は、今まで多くの不可能を可能にしてきた文珠に掛けた。美神とロリ娘を除く美女美少女を頭に思い描き、魂を限界まで稼働させる。無理をすれば文珠制作を早める事はできるのだ。

 当然、リスクはある。文珠の制作に失敗するかもしれないし、より多くの霊力を使うから体の調子も悪くなる。

 

 また、文珠でスピリットの心を取り戻せた事は一度もないというのも大問題だ。

 どういうわけかスピリットの心に関しては、文珠が発動しない。

 分の悪すぎる賭けであったが、横島は自分の決断を信じた。

 

(ふん、文珠か。無駄なことを)

 

 『天秤』は横島に嘲りの言葉を送り、そしてジャミングを開始する。

 ジャミングは横島の霊力の質に、それも文珠ピンポイントに合わせられていた。

 あまりにも汎用性が高すぎる文珠は、彼の一派が企む計画を全て破壊する危険性がある。そのためにジャミングがある。ジャミングがある限り、文珠によってシナリオを書き変える事は不可能なのだ。

 

「ぬおー! 来い来い来い! スーパー横島デリシャスデンジャラス文珠ぅぅーー!!」

 

(ふん、無駄なことを。今、文珠など作らせる訳が……むっ!)

 

 霊波のジャミングを開始する『天秤』だったが、ここでありえない自体が起こった。

 作りかけの文珠に霊力が拡散することなく集中していく。ジャミングが効いていない。普通に文珠を生成している。

 

(これは……まさか、ジャミングに対抗するために霊力の質を変えているのか――――馬鹿な!?)

 

 横島はどうして文珠が使えないのか知らない。

 どうやって霊力の質を変えるかも分からない。

 ジグソーパズルで例えれば、正解図を知らずピースも足りないような絶望的な状況だ。

 それなのに、適当に考えた想像が正しく正解図で、さらに足りないピースは自ら作ってしまったようなものである。

 

(化け物め!!)

 

 『天秤』が毒づく。

 もはや天才などという言葉で片付けられる事ではない。

 脅威の勘と成長力。才能の固まり。異常なほどの運の良さ。それすらも超える『何か』。

 

 ――――超人。

 

 永遠者に選定される者とはどういう存在なのか、『天秤』は知った。

 文珠が生まれる。今までと霊波の質が違う文珠はジャミングでも無効化できず、ちゃんと効果を示すだろう。

 ぴったりのタイミングで投げ飛ばされたエニも戻ってくる。

 

「よっしゃ! これでどうじゃあ!!」

 

『ま、待て! 横島!!』

 

 『天秤』の叫びも、全力のジャミングも空しく、スーパー横島デリシャスデンジャラス文珠をエニに投げつける。

 刻まれている文字は『心』。文珠は眩い光を放つ。

 そして、

 

「テン……くん」

 

 エニの意識が戻った。目にはしっかりと意思の光が宿っていて、ハイロゥの色は黒から白に戻り、夜の闇を照らす光となっている。

 横島は見事、ベストの勝利条件を満たしたのだ。彼は勝利したのである。

 

「ふぃ~どんなもんじゃぁい! GS横島を舐めんなよ……やべえ、今の俺は格好良すぎるだろ!!」

 

 運命と悪意に打ち勝った。横島は声高らかに宣言し、拳を天に突き出す。そして拳の痛みに改めて悲鳴を上げていた。

 エニの顔に表情が戻ったのを見て、横島は素直に安堵したが、『天秤』は複雑な胸中で唸っていた。

 

 喜び。怒り。愛おしさ。憎らしさ。希望。絶望。

 二律背反の矛盾する感情同士が同時に湧き上がり、衝突する。

 本当なら任務の失敗を悔いるだけのはずだった。それがどういうわけか嬉しさもあった。

 

「えへへ、テンくんだ」

 

 エニが微笑む。その笑みは横島ではなく明らかに『天秤』に向けられていた。

 その笑顔を向けられるたびに、『天秤』の心はかき乱される。

 久しぶりに見たエニの表情がとてつもなく輝いていた。

 

 くだらないお喋りがしたい。あちらこちらに引っ張り回されたい。刀身を磨いてほしい。

 際限無く湧いてくる感情はとても温かい。このまま、エニと一緒に戻ってもいいのではないだろうか。

 そんな幻想に浸る『天秤』だったが、ある事を思い出して感情が逆転する。

 その笑顔を横島に向けていた。しかも、自分に隠しごとをしている。

 

 ―――――呪われろ!

 

 『天秤』の呪詛は、聞き届けられた。

 

「あっ……ぐう!」

 

 突如、エニの口から苦悶の声がもれる。全身を震わせて、見えない何かと戦っているようだった。

 

「な、エニ! どういうこった!?」

 

 エニの頭上で白く輝いていたハイロゥ(天使の輪)が黒く変色していく。

 それはエニの精神が神剣に蝕まれていく事を示していた。

 

 ――――くすくす。

 

 周囲の闇が囁く。邪悪の声だ。

 

 ――――奇跡を一度起こすなら、二度の絶望を与えましょう。二度奇跡を起こすなら三度の絶望を与えましょう。

 

 悪意がエニに流れ込む。エニが『天秤』の名を呼ぶ。『テン君助けて』と。

 

 ――――こう言うのを何て言うんでしたっけ? ああ、そうそう『七転び八起き』ですわ。

 

 エニの目から意思の光が完全に消える。

 エニという存在は『無垢』に飲まれて、闇へと落ちていく。

 白が黒に。光は闇に。

 奇跡は悪意に塗りつぶされた。

 

 横島は目の前の現実が信じられず「うそ~ん」と呟く。

 一体何がどうして何でどうなってこうなったか。

 奇跡を起こすには代償が必要で、悪意を為すには何も必要無いのか。それじゃあ、あまりにも悪が強すぎる。

 

 ――――頑張りなさい『天秤』。私は貴方の味方ですわ。

 

 『天秤』とルシオラは闇から囁いてくる声を聞いていた。

 敬愛する上司の声はとても優しい。だが『天秤』は悪い事をしてしまった子供のように恐怖していた。

 

 

(まさか……これって!)

 

 そんな中、今までずっと見守ってきたルシオラは気づいた。

 『天秤』とエニの関係。神剣の特性と契約者の関係。横島とルシオラの過去。

 散りばめられた情報を集めて出た結論。それは外道という言葉すら生易しい悪魔の計画。

 

(そう、そういうことなの。横島と『天秤』を根底で繋げる為にエニを……邪悪にも程がある! 私とヨコシマまで馬鹿にする気なの!?)

 

 低くて、重いルシオラの言葉。子供が聞けば泣き出し、大人が聞けば訳もなく謝る。そうなるほどの憎悪に込められていた。『天秤』すら思わず身震いをしそうになる。

 

(な、何を訳のわからぬ事を言っている。エニの役割は、神剣世界の真実と無力さを教え、我らの陣営に加えるために必要な贄だぞ)

 

(違うわ! エニはヨコシマの為の贄じゃない。エニは……貴方の!)

 

 悲鳴のようなルシオラの叫びに、『天秤』は息を呑んだ。

 自分は取り返しのつかない事をしているのでは、という不安と不吉が胸に過ぎる。

 

(貴方はエニを助ける事ができるはずよ。助けなさい! そうじゃないと一生後悔することになるわよ)

 

(馬鹿な! そのような事が出来るわけがない。その時はまだ訪れていないのだ)

 

(そう。やっぱりね……貴方にはエニを助けられる。そうじゃないと、ヨコシマと『一緒』になれないから)

 

(さっきから何を言っている!? 私は神剣世界の為に働くのだ。戯言をのたまうな!!)

 

(お願い! 私を信用して! エニを助けてあげて。そうしないと貴方はきっと後悔する。取り返しがつかなくなるのよ!)

 

(黙れ! 私が感情に任せて裏切ると思うか!? ふん、恋などという堕落した感情に惑わされて己の創造主を殺した者の言う事などだれが信用できるものか)

 

(貴方だって気づいてるはず。貴方はエニの事を……)

 

(やめろ……やめろ!)

 

(聞いて! 私が何を言っても貴方自身が気づかないと『消されちゃうの』!!)

 

(うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!)

 

 『天秤』はもう会話をしようとはしなかった。

 彼は知識はあった。知恵だってあるだろう。しかし、精神は幼すぎた。

 喋り方が偉そうだから勘違いしてしまうが、彼は数ヶ月しか生きていないのだ。ほんの赤ん坊なのである。

 しかも性格は実直で真面目。そんな彼が親から与えられた任務に逆らえるわけがない。

 そして、そんな彼が自分を好いてくれた女の子を嫌えるはずもない。

 

(酷いわ。こんな子供に……なんてものを背負わせようというの)

 

 ルシオラの呟きは、悲しみとそれ以上の怒りを持っていた。

 

 

 

 精神世界ではそんなやり取りがされていたのだが、現実では横島がまた孤独な戦いを始めていた。

 

「マナを……」

 

 神剣に心を奪われた者が発するお決まりの台詞を言って、エニはまた襲い掛かってくる。

 

「しゃ、シャレにならんぞ! うわ、うひゃ、のわー!」

 

 『無垢』の穂先が頬を掠めすぎた。メイクのように横島の頬に赤い線が走って、血がゆっくりとマナの霧に帰っていく。

 肉体も精神も疲弊していた。霊力もさっきの文珠作りで相当落ちている。掌からは少なくない量の血も流れていた。

 逃げ続けるのは限界に近く、救援も来る様子が無い。

 

「うう~、しゃあねえ! 腕の一本は覚悟してくれよ」

 

 横島も覚悟を決めた。腕ごと神剣を切り離したうえで気絶させる。

 荒々しい戦法であるが、もうこれ以外に道が無かった。エニを傷つけたくは無かったが、決断する時は決断しないと痛みは終わらず連鎖するだけだ。

 

 横島は『天秤』を構えて、エニと対峙する。目は血走り、頬は引きつり、女の子を救うために傷つける覚悟をする。

 

「ちょっと! なにやってるの二人とも!?」

 

 聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。

 空からウイング・ハイロゥを展開させたルルー・ブルースピリットが舞い降りてくる。

 念願の救援であった。しかし、

 

「おおー! 援軍来たーーってあれ? 他には、ハリオンさんは? つーか、どうしてここに?」

 

「ここにいるのはボクだけだよ。それより、どう言う事! 何でエニと戦ってるの!?」

 

「何でって言われても、いきなり神剣に囚われたエニに襲われて……」

 

「神剣に囚われて、敵になったからってエニを殺すの!?」

 

「殺すつもりなんてないっつーの! ただ動きを止めようと……」

 

「嘘言わないで! 君は今、エニを傷つけようって目をしてた!!」

 

「そりゃ……んなこと言っても、神剣だけ吹き飛ばすなんてまず無理だし。怒るのは分かるけど、まず落ち着けって」

 

「もういい! ボクがエニを助けるから。神剣を吹き飛ばす事ぐらい、ボクだって!」

 

 背中に展開したウイング・ハイロゥを羽ばたかせ、エニに突撃するルルー。

 

「あ、アホー! 無茶すんなー!」

 

 横島は叫ぶ。まさか突撃するとは思わなかった。会話も妙に喧嘩腰だったし、一体どうしたというのか。

 ルルーがこんな暴挙に出たのは理由がある。彼女は家族を横島に殺された経験がある。それがルルーの心を刺激して、エニと横島を接触させないよう突撃するという行動に出たのだ。

 

 エニも、突撃してきたルルーに目標を切り替える。

 ルルーVSエニ。

 果たして、どちらが強いのか。

 

 さっきまでエニは横島に軽くあしらわれてきたが、それはただ相手が悪かっただけと言える。

 何度も言っているが、横島は強いのだ。

 神剣の位は悠人を除いて最高位で、スピードもセンスも経験も全てが群を抜いている。霊力と言う独自の力もある。間違いなくラキオス最強にして、おそらく大陸最強の化け物だ。

 そんな化け物だからこそ、エニをここまであしらう事が出来たのだ。エニは技術はともかく、それ以外は間違いなくアセリア・エスペリア並みの力を持っている。パワーだけならそれ以上かもしれない。

 ルルーはそれほど優れたスピリットではない。弱くは無い程度。その程度が、明らかに迷いの剣を振るってエニに立ち向かう。

 エニとルルーの戦いの結果は、火を見るより明らかだった。

 

 空中から切りかかったルルーの『反抗』はあっさりとエニの障壁に止められる。空中に逃げようとするルルーだったが、逃げようと飛翔した先にシールド・ハイロゥが展開していて逃げ道が無い。

 

「このぉ!」

 

 それでも無理やり突破をはかるルルーだったが、それは完全に判断ミスだった。

 

「分かつ壁を……ウィンドウィスパー!」

 

 それは本来仲間に掛ける防御魔法であったが、エニは天性の才能か、それを檻を作る為に使う。

 ルルーは圧倒的な硬さを誇る障壁に頭からぶつかっていき、

 

 ゴツン!

 

「きゅう~」

 

 なんと、気絶した。ルルーが突撃してからここまで、ほんの数秒の出来事だった。

 エニは気絶したルルーに『無垢』を構えて走り出す。

 それはさながら、窓ガラスにぶつかって気絶した小鳥を無垢な子供が針で突き刺すような作業だった。

 このままではルルーが死ぬ。横島の思考は、ただひたすら簡略化されていった。

 

 ルルーを助けよう。

 でも、エニが邪魔だ。

 

 それだけを思った。そのためにどう行動するかは考えなかった。行動は体が知っていた。

 駆け出す。『天秤』にオーラを通す。振りかざし、振り下ろす。

 『無垢』がルルーを貫く寸前で間に合った。

 

 すうっ。

 

 手に伝わってきた感触は、小骨の混じったスポンジを熱したナイフで切るような感じだった。

 思考を飛ばしていたのに、いや、だからこそ横島は存分に感じてしまう。

 神剣でスピリットを切り裂く感触を。

 『天秤』も己自身がエニを裂いていく感触を味わっていた。

 

 

 

 横島の目の前に倒れた少女がいる。

 名は、エニ。肩から足まで引き裂かれて、見るも無残な状態だった。

 彼女は赤と黄金の二色に彩られている。横島が握りしめている『天秤』も、同じ色をしていた。

 

「ちくしょう」

 

 がっくりと膝をつく横島。

 

『エ……ニ』

 

 目的を果たした『天秤』の声は、勝利の余韻もなく掠れていた。ルシオラは言葉も無かった。

 沈黙が降りる。沈黙を破ったのは他ならぬエニだった。

 

「あっ……テン君」

 

 エニの意識が戻った。

 今度は白く染まったハイロゥが黒くなることは無い。

 

 横島は信じられないと目を剥いた。

 洗脳によって仲間同士で殺し合いをして、死に際にだけ洗脳が解ける。

 ドラマや漫画等の創作に良くある、ある種のご都合展開。お涙頂戴の――――演出。

 

 そう、これは演出だ。合理性なんて考えず、ただ感動や悲愴を産む為に演出家が考えた脚本。そんな演劇は客席から見れば悲劇だろうが、当事者からすれば悪夢か喜劇でしかない。

 どうして死の間際にだけ正気に戻るのか。愛の奇跡とでも言うのだろうか。それにしては意地が悪すぎる。奇跡が起こるのなら、散々努力した末に起こるのが自然だろう。

 

 どうして、死に掛けただけで奇跡が起こる?

 

「あ、安心しろ! すぐに回復させてやるからな!!」

 

「元気にしたら怒るよ、お兄ちゃん。また、戦うのはやだよ」

 

 淡々とエニが言う。

 さっぱりと、憑き物が落ちたようなエニの顔からは生き物が放つ色が抜け落ちていた。

 嗅ぎなれた死の匂いがエニから漂ってくる。

 回復させようと思えば出来ない訳では無い。しかし、回復させてもう一度エニが襲い掛かってきたら終わりである。

 そして、もし回復させたら間違いなくエニは襲い掛かってくるだろう。何故か、横島にはそれが分かった。エニにも分かった。『天秤』は知っていた。

 

「はい、テン君。プレゼントだよ」

 

 唐突にエニが胸元をあさり、取り出して差し出したのは、小さい人形だった。それは綿と皮で作られた、『天秤』を模した人形に見える。見えるというのは、その人形が不恰好だったからだ。不可思議に凸凹な刀身に、握りからは少し綿が飛び出している。それに鍔も無い。

 作りかけ、というよりも壊されたように見える。

 

「ほんとはもっと格好良いテン君の人形だったんだけど……ごめんね」

 

 残念そうにエニが謝る。こんな沈痛そうなエニの表情を、横島は始めてみた。

 自分が今死に掛けている事よりも、エニにとっては人形のほうが重要なのだ。

 

 一体何が起こっている?

 

 一方、『天秤』は混乱の極致に達していた。

 いきなりプレゼントと言われて人形を差し出されて、意味が分からなかった。

 

「ねえ、貰ってくれる? 格好悪いから……ダメなのかな?」

 

 エニの声は震えていた。

 痛みによってではない。ただ、思い人がプレゼントを受け取ってくれないのでは、という小さく綺麗な不安からだった。

 『天秤』の混乱は加速する。

 

『……ありえない。ありえない! これはどういう事だ!? エニ、お前は横島の為に何かしていたのだろう!! 何故! どうして私に何かをしようとする!?』

 

「どうしてエニがお兄ちゃんなんかにプレゼントしなくちゃいけないの? そんな事言わないでよ」

 

 二人の想いは完全にすれ違っていた。すれ違ったまま、終わりの時を迎えようとしている。

 横島は溜息をついて、自分が出来る事をやろうと決意した。

 この少女と少年の気持ちを通じ合わせてやろうと。

 

「こいつはな、どうも俺とエニがイチャイチャしてるんだって勘違いして、ずいぶんと嫉妬したんだぞ」

 

『し、嫉妬などしていない!?』

 

「してただろーが……エニがボクを見てくれないよ~え~んえ~んって泣いただろうが」

 

 あまりの言い草に『天秤』が絶句する。

 エニは納得してニヤニヤと笑った。

 

「そっか。嫉妬してたんだー。えへへ、ラブコメみたいだね」

 

「まったくだ。俺はとんだ敵役だぞ……くそぅ」

 

 二人は楽しそうだが、『天秤』は呆然とするばかり。

 

「ねえテン君、エニはテン君にプレゼントを渡そうって考えてお兄ちゃんに相談しただけなんだよ。驚かせたかったから、秘密にして頼んだだけなんだ」

 

 ただそれだけのことだった。

 それだけのことで、『天秤』はエニを呪った。それだけ『天秤』にとってエニは特別な存在だったのだ。

 

『勘違い……そんな、だって……それじゃあ』

 

 後悔。後悔。後悔。

 後悔。後悔。後悔。

 後悔。後悔。後悔。

 

 『天秤』はただ後悔の海に飲み込まれていく。

 そんな『天秤』の様子を見て、エニはより笑みを深くする。

 

「ねえ、テン君。人形……貰ってくれる?」

 

『あ、ああ! 貰う……遅すぎたが、貰わせてくれ!』

 

 『天秤』の必死な声が、エニには心地良い。

 エニは『天秤』に人形を紐でくくり付けた。

 

「ふう……これで、思い残すことはもうないかな」

 

「そんな事言うなって! 何でも俺や『天秤』にお願いしてくれ!」

 

「そう……じゃあ、お兄ちゃん、最後のお願いを聞いてよ。テン君には内緒で。

 女の子には好きな人だから聞かれたくない話があるから、テン君はかまんしてね」

 

『わ、分かった』

 

 『天秤』は少し寂しそうに了解する。

 横島は、最後という言葉に反応した。

 

「さ、最後なんて言わんでも大丈夫だって!」

 

「……無理だよ、エニはもうすぐ死んじゃうから」

 

 怒ったようにエニが言った。冷静すぎる言葉。

 

 今話している少女は一体何なのだろう。エニが現れてから何度となく思ったが、この時ほど強く思ったことはない。

 間違いなく、エニは屈辱と恥辱の闇にいた。そして、今は血の海に沈んで痛みの中にある。

 にも関わらず、エニの目は綺麗な小川のように澄んでいる。この少女は、やはり異常だ。

 

「分かった! 聞くぞ、聞くからもう少し頑張れ!! もうすぐきっと悠人達が来てくれるって」

 

「うん。あのね、エニの最後のお願いは――――――」

 

 エニが耳打ちする。

 横島の顔が凍った。聞き間違いかと思った。ありえない。そんな事を言ってはいけない。

 

 何で。

 

 横島は青い顔で呟く。

 

「うん、疑問に思うよね。答えは……好きだから。いや、好きなのに……かな。でも、これがエニの願いなんだ。どうして、そうなのかは知らない。きっとそう生まれちゃったから。設定なのかな、世界の。可笑しいよね。あはは。あははは。

 拒否は出来ないよね。だって、お兄ちゃんは、男の子よりも、女の子の方が大切だもん」

 

 エニが笑う。横島は、今正に息絶えんとする少女に圧倒されて声も無い。

 笑みには思うがままやりきったという満足があった。

 今正に死のうとしているのに、凄まじい悪意に晒されて生まれて半年も経たず逝くというのに、エニは満足している。

 この最悪の結末に満足しているように、横島には見えた。

 

 勘違いしていたのではないか。

 横島はエニを見て思う。エニは悪夢のような体験をしながら、まったく変わった様子が無い。

 可笑しい。キャンバスに黒のインクを垂らせば、キャンバスは黒く染まる。黒のインクを垂らしてキャンバスに変化が起きないとすれば、そのキャンバスは始めから黒く染まっていたからに他ならない。

 

「テン君にこのお願いは話さないで……テン君の為にもね。意味は……分かるでしょ」

 

 少女の幼い声は、絶対の圧力を持っていた。

 背筋に戦慄が走る。今にも死にそうな少女の内に存在する狂気に恐怖する。

 

 ――――劇が終わって、最後に笑うのは誰だ。劇の最中、笑っていたのは……誰だ?

 

(やめよ)

 

 思考を中断する。

 今ここにいるのは、一人の少年を想う、一人の少女。それで良いと思った。それだけは確かな事なのだ。

 無断に踏み込んではいけない。自分は退場して、後はヒーローとヒロインに任せよう。

 

 エニの胸に『天秤』を置く。残り少ない時間を二人で過ごさせる為に。

 

『え、エニ……私はどうすれば……何をしたら良いのだ?』

 

 『天秤』の声は震えている。

 エニはそんな『天秤』の姿を満面な笑みで眺めて、

 

「ゴフッ!」

 

 せき込んだ。咳と共にピシャリと勢い良く血を吐きだされる。

 ずっと我慢していたのだろう。少女の口からはゴボゴボと生々しい吐血の音が聞こえてくる。

 吐き出された血は『天秤』の刀身にこびり付いた。多量であるために中々マナの霧に帰っていかない。

 

「ゴホッ! あ、汚くしてごめんねテン君!」

 

 エニの声は必死だった。目には苦しさだけではない涙が浮かんでいる。

 少しでも想い人の前で綺麗でありたかったのだろう。死の寸前でありながら、少女は恋する乙女であった。

 

『……汚くなど無い!』

 

 『天秤』も必死だった。

 目の前の少女に自分が何をやってあげられるのか。

 手がないから抱きしめる事も出来ず、唇かないからキスする事も出来ず、目がないから涙を流す事もできない。

 悔しかった。手が、足が、唇が、目が、欲しかった。

 

 そんな『天秤』の姿が、エニは好きで好きで堪らないのだ。

 

「えへへ、やっぱりテン君はやさしいねぇ。テン君がテン君で……よかった」

 

『こ、こんな私で良いのか!? 私はお前に何も……私の勘違いでこんな……』

 

「う……ん。そんなテン君が……あ……エニは……」

 

 エニの全身が黄金色に輝き始める。

 命消える苦痛の中、最後の力を振りしぼり、消えゆく手で『天秤』を強く抱きしめた。

 

「あ……は。テン君、ずっと……だいす……き」

 

 死の瞬間にまで幸せそうに笑いながら、エニは黄金のマナの霧に帰っていった。

 まるで、その一言を言うためだけに生まれてきたような、きっと本人はそのつもりだったのかもしれない。

 

 エニは、死んだ。

 

 敗北条件、達成。

 喪失感。敗北感。虚脱感。

 意識を失うのでは、と思われるほどの脱力感に全身を侵される横島だったが、まだ目に光があった。

 ここで倒れて目を瞑るわけにはいかない。自分にはまだやることがある。やらねばいけない事がある。

 

「食え」

 

『うっあ?』

 

 呆けたような『天秤』の声。ぐらぐらと揺れる積み木のように、彼の精神は崩れかかっていた。

 何を信じていいのか、何を頼っていいのか、どうしたらいいのか分からない迷子のようだった。

 横島は唇をかみ締める。そして、こみ上げてくるものを押さえつけ鬼のような顔となった。

 エニの最後の望みのため。一人の女の子の約束を守るため。女の子の為。

 心中でその言葉を繰り返す。

 

 女の子の約束を守るのは、横島にとっては誓いそのもの。

 女の子の求めは果たさなければならない。それがどれだけ恐ろしくても。

 

「神剣はマナを食うもんだ。だから、エニのマナを食え」

 

『……い、やだ』

 

 当然の返答。

 誰が己を好いてくれた少女を食らおうと考えるものか。

 横島はそんな『天秤』に好意を持ちながら、エニの『目的』が達成される事を理解した。

 

「犠牲があったんだ。だったら強くならなきゃいけないだろ。前にお前が言ったことだろ。エニも、それを望んでるぞ」

 

 感情を殺して横島が言った。エニの望み、その真意を隠蔽するために。

 

『無理だ……私には無理だ。やだ……もういやだ』

 

「うっさい! 四の五の言わずに食え!!」

 

 『天秤』の弱りきった精神は、横島の意思に潰された。

 エニの肉体をを構成していたマナが、『天秤』に吸い込まれ、食われていく。

 

『うあ! ぎィ! ヒイあ! 止めろ……やめ!』

 

 食いたくない! エニを、このヒトを、食べたくない!

 

 懇願のような悲鳴が頭に響く。

 横島は顔を顰めたが、手は緩めない。

 男と女の願いだったら、女の方を取る。ただ、それだけの事だった。

 横島には、煩悩者にはそれが出来る。残酷だとか間違いだとかは関係なく。

 

『お願いだ! もう、やめ……ああ、うまいィィぃ! 違う、助け……よこしま、許し、オア、ヒィ!』

 

 もう食べられないと泣く少年の口を無理やり開かせて、突っ込み、咀嚼させ、食わせる。そんな暴力的で、鬼のような行為を、横島は黙々と続けた。

 遂に、エニの血も肉も皮も骨も、全てを『天秤』は食らい尽くした。黄金のマナは、もう存在しない。

 

(ヨコシマ……貴方は)

 

 全てを見たルシオラの呟きは、闇へと消え去った。

 

 

「あ~つかれた」

 

 どさりと仰向けに倒れる。

 涙は流れてこない。

 感情をつかさどる回路が焼き切れてしまったのかもしれない。ただとにかく眠かった。

 睡魔に抗えず、目を閉じて寝ようとしたところで気づく。

 

 誰かが、横に立っている。

 重たい瞼をこじ開けると、青い髪の美少女の姿が目に映る。

 

 ルルーだった。

 ルルーはじっと横島を見下ろす。手には『反抗』を持ち、背中にはウイングハイロゥの白き翼が出現している。

 その表情は見えない。

 

「ねえ、知ってた。エニはね、ボクの妹だったんだ。うん、そりゃあ血は繋がってないさ。でもね、エニはボクの妹で、なんか危なっかしい所があって、とても純粋な子だったんだ。それに、生まれてまだ数ヶ月しか経ってないんでしょ? 

 たった数ヶ月で言葉を覚えて、剣を使えて、髪もすごく綺麗な金色でさ、きっと将来は凄いスピリットになったと思うんだ」

 

 抑揚無く、しかし饒舌にルルーが語り始める。

 それは自慢。

 姉が妹を誇る。麗しくも微笑ましい姉妹愛がそこにあった。

 

 ようやく、ルルーの表情が分かった。

 ルルーは笑顔だった。家族の愛に満ちた、安らぎと誇りに満ちた顔。

 

「君が、それを奪った」

 

 声が、表情が、一転した。

 ルルーから笑顔が消える。

 深海を凝縮したような瞳を横島に向け、

 

「――――妹の仇め」

 

 恨みが形を持ったような声が響く。『反抗』が月の光を得て妖しく光る。横島は咄嗟に体を捻った。

 ドスッという音が耳元で響く。大剣が地面に突き刺さった音。もし体を捻らなかったら、音はドスッではなくザクッで、プシュウ~という真っ赤な血の噴水音も鳴ったに違いない。

 

「のわっ!」

 

 急いで起き上がって距離を取る。

 まさかの第二ラウンドだ。

 横島は『天秤』を構え、戦う態勢になる。

 

 どのような理由があろうと、エニを殺したのは横島だ。それを否定するつもりは無い。

 そして、そのような理由があろうとも横島は死ぬ気はなかった。

 

(説得は無理そうだな。まずはルルーを取り押さえる……いや、気絶させたほうがいいな。ゆっくりとカウンセリングすればまた仲良く出来るだろう。エニの墓も作ってやらないといけないし……そういえば土葬も火葬もできないんだよなあ)

 

 横島は異常なほど冷静だった。自身が生き延びるために、そしてルルーと和解するために、最適な答えを考え出す。自分自身、その冷静さに違和感を持つ。

 成長したのかもしれない。

 ふと、そんな事を思う。少し嬉しい。

 

「アアアア!!」

 

 子供の泣き声の様な叫び声をあげて襲いかかってくるルルー。ウイング・ハイロゥを展開して空中に舞い上がり、体重を掛けて全力で神剣を振り下ろしてくる。

 威力だけはあるだろうが横島の目は完全に剣の軌道を捉えていた。

 

 オーラフォトンによる障壁を展開して防御を固める。

 避けないのは、連続攻撃を得意とするブルースピリットの勢いを殺す為だ。

 障壁と『反抗』ぶつかり合って、勢いを止め――――られない。

 

 

「はっ?」

 

 パリン、とガラスが割れるようにあっさりオーラフォトンの障壁が破られる。斬撃は威力そのままに横島へと向かう。

 咄嗟に『天秤』を前に出してルルーの剣を受け止めようとするが、

 

「なっ?」

 

 受け止めた衝撃で『天秤』が空高く舞い上がり、どっかに飛んでいった。

 

「へっ?」

 

 信じられず呆けた声を出す横島。

 ルルーは突進の勢いそのままにショルダータックルをぶちかます。

 

「ぐべえ!」

 

 神剣の加護を失った所に体当たりを受けた横島は、ロケットのごとく地面と平行に吹き飛んだ。

 そしてエニの魔法でも吹き飛ばなかった巨木に背中を思い切り強打する。

 

「ごべえ!」

 

 口中に血の味が広がる。体を動かそうとすると激痛が走った。

 度重なるダメージでも動けたのは、神剣の加護があったからだ。加護を失った横島に戦える道理は無い。

 歯を食いしばって立ち上がる。それが精一杯で、もう身動きできないダメージを負っていた。

 

 動けない横島の眼前にルルーが空から降り立つ。そして、体の動かない横島に容赦無く『反抗』を振り上げた。

 咄嗟に目を閉じ、歯を食いしばる。次に来るだろう、体を切り裂く衝撃を耐えようとした。

 

 衝撃は来た。

 それは、冷たい刃が体を引き裂く衝撃――――――では無かった。

 13,4の、まだ少女の体を受け止めた衝撃だった。

 

「ごめん……ごめんさない! 違う、違うんだ!! うん、分かってる。

 君がエニを刺さなかったら、ボクは死んでた。分かってるんだ……分かってる。けど、どうして君がまた妹を殺すのさ! どうしてよりによって君なんだよぅ……もう君を恨みたくないのに!!

 ううん、違う。ボクがいなかったらエニを助けられたかもしれない。だとしたらボクがエニを殺したんだ。

 君はボクの命の恩人で、ボクがエニを殺して……うあああ、ごめん、ごめんなさい!」

 

 横島の胸に顔を埋めてルルーは泣く。

 ごめん。ありがとう。どうして。

 嗚咽に混ざりながら、そんな言葉が幾度となく聞こえてくる。感情の洪水だ。

 胸の中にすっぽりと収まった小さな体。そこから沢山の感情が溢れて、それが横島の中にも潜り込んでくる。

 横島の目にも涙が溢れた。

 感情を司る回路が壊れた――――そんな訳がない。ただ、この現実から目を逸らしていただけだった。妄想して強くなったふりをしただけ。

 ルルーの泣き声は横島を現実に引き戻した。辛く、悲しく、理不尽な現実に。

 

「はは……なんか俺たちっていつもこんなんばっかだな……ちくしょー!」

 

 横島はルルーを思い切り抱きしめた。

 ルルーを慰めてやろうと考えたわけではない。

 温かさを求めたのだ。ぬくもりが欲しかったのだ。一人で立ち続けるほど、横島は強くあろうとしなかった。

 

 怒りと悲しみの無情の世界の中で、ただ相手のぬくもりだけが全てとなった。

 二人は泣きながら、強く、強く抱き合う。

 ふと気付くと、側には泥にまみれた『天秤』がぼろきれのように転がっていた。

 誰が一番悲しいのか、考えるまでも無い。今回の主人公は自分ではなく『天秤』だった。

 

 こいつが悲劇のヒーローだ。

 横島は『天秤』を掴んで、自分とルルーの間に押し込んだ。『反抗』も押し込んだ。

 少しでも互いの傷をなめ合えるように。そのまま二人と二本は思う存分泣いて、ゆっくりと目を閉じた。

 

 どれほど時間がたったのだろう。

 横島は泣き寝したルルーをお姫様抱っこしながら、毅然と立って空を睨んでいた。

 その眼は怒りに燃えていて、憎悪の焔が胸を焦がす。

 その焔が焼き払う対象を、まだ彼の瞳は捉えてはいなかった。

 

 

 ――――エニ、お疲れさまでした。

 

 

 闇から響いた最後の声は、笑ってはいなかった。



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第二十話 ジュブナイル

『―――――以上でエニ……いえ、贄の報告は終わりです』

 

「御苦労さまでした。これで計画の第二段階は終了したことになります。順調ですわ。これも全て貴方のお陰です」

 

「はっ」

 

 お約束の黒い空間で幼女は満足そうに『天秤』に笑みを向ける。それは労をねぎらう上司の笑みだった。

 いつもの『天秤』だったら、恐縮しながらも大いに喜ぶだろう。しかし、彼は暗い雰囲気のまま機械的に礼を言うだけだった。

 どこか刺々しい『天秤』の態度。

 

 例えで言うなら、無理やり宿題をやらせて、良く頑張ったわねと褒めてくる大人相手に納得できない子供、と言ったところか。

 幼女も『天秤』の態度が可笑しい事に気付く。

 

「どうしました『天秤』。なんか言いたい事でも?」

 

『……その、エニにも……何か一声はありませんか?』

 

 『天秤』の発言に、幼女はいぶかしむような表情になった。

 

「はて、一声とはなんでしょう。貴方も贄には随分と苦労したのでしょう。良く愚痴っていたではないですか。『纏わりつかれて迷惑だ』と」

 

 不思議そうな幼女の声に、『天秤』は自分が少し恥ずかしくなる。

 

 ――――――ああ、そう言われるに決まっているか。

 

 一体自分は何を言いたいのか。自嘲するように薄く笑い声が出そうになる。

 

「だからこそ、私は貴方を苦しめた贄に最高の恥辱と苦しみを与えて、心を消去したのです。もう一度、聞かせましょうか? 贄を……エニをどのように壊していったか」

 

 楽しそうに幼女が笑う。上品な笑みの中に、サディスティックの色が混ざっていた。

 『天秤』の胸に抱いていけない感情が灯りそうになって、慌てて彼はその想いを打ち消した。

 

『いえ、遠慮します。では、任務に戻ります』

 

 ぼそりとそう言って会話を断ち切り、『天秤』は闇の空間から消え去った。

 しばらくきょとんとしていた幼女だったが、唐突にその表情が計算しつくされた策士の顔に変わる。

 同時に闇の空間は消え去って、辺りは五色の遺跡に切り替わる。

 

「ふふふ、計画通り過ぎてつまりませんわね。間違いなく、『天秤』は暴走して彼を死地に追い込むでしょう。

 今度の命の危機はどう乗り越えてくれるのか、今から楽しみですわ」

 

 つまらないと言いつつも、幼女は満面の笑みだった。

 それもそのはず、今のところ一つを除いて計画の全てが完璧だったから。

 その一つというのも、計画の大きな流れには全く関係はしない。

 

「彼のグラマー好きは私自ら矯正すれば良いこと。貧乳と幼女が世の正義……いい時代になったものです」

 

 幼女はコンパクトな鏡を取り出すと、帽子の角度を修正して髪を整える。

 身だしなみに気を使う一人の女の子がそこにいた。

 

「『邪恋』もご苦労さまでした。貴方をコレクションして正解でしたわ」

 

 幼女が視線を頭上に向ける。

 視線の先には、西洋剣、槍、双剣、刀、エトセトラエトセトラ。多くの武具が宙を漂っていた。

 その全てが、横島や悠人の永遠神剣と同等かそれ以上の力を秘めている。

 その内の一本の、『邪恋』と呼ばれた槍型の永遠神剣が幼女の声に応えるように光を放った。その外見は、エニの持っていた『無垢』に酷く似ている。

 

「恋は戦い……ならば、私が負ける道理はありません。初恋は実らない、などというジンクスは粉々に打ち砕いてみせましょう」

 

 闇の中、幼い少女の甲高い笑い声が響き渡る。

 無邪気な、背筋が凍るほど愉快で楽しそうな笑いだった。

 

 永遠の煩悩者

 

 第二十話 ジュブナイル

 

 日が昇り始めた朝早く、荒れ果てた荒野に佇む一団があった。

 彼らは胸に手を当て目を瞑り、粛々とした空気が辺りに満ちている。

 

「暖かく、清らかな、母なる光。

 すべては再生の剣より生まれ、マナへと帰る。

 たとえどんなくらい道を歩むとしても、

 精霊光は必ず私たちの足元を照らしてくれる。

 清らかな水、暖かな大地、命の炎、闇夜を照らす月。

 すべては再生の剣より生まれ、マナへと帰る。

 どうか私たちを導きますよう。

 マナの光が私たちを導きますよう」

 

 大地に詩が響いた。

 それはスピリットの、スピリットによる、スピリットの為のレクイエム。

 いつ、だれが、どうして、この詩を作詞したのかは定かでは無いが、この詩はスピリットの詩だった。

 

「これだけで終わりか?」

 

 悠人の声に、エスペリアは「はい」とだけ答えた。

 

「葬式……とかは?」

 

 横島の声に、セリアは「ありません」とだけ答えた。

 あまりの淡白さに、二人の異邦人は怒りも寂しさも通り越した。

 

 亡くなったエニの為に何かしてやろう。

 横島と悠人の提案は、歌を一回歌って終わりという、なんともあっさりしたものだった。

 確かに墓を作ろうにも遺骨も衣服も残らないので、ただ墓標作る程度しか方法は無い。しかし、それにしても簡易すぎる葬儀だった。

 

「……詩を歌ってくれるのだって普通は無いんだよ」

 

 隣で瞳の輝きががっくりと減ったルルーがぽつりと呟いた。

 

 この世界の『当然』や『普通』に付き合ってられるか、と横島は聞かなかった振りをする。

 悠人も、厳しい顔で瞳を伏せる。

 

「なあ、このまま進軍していいのか。一度、町に戻って情報を集めるとか……」

 

 悠人の問いに、エスペリアは僅かに迷ったような顔をしたが、すぐに首を横に振った。

 

 本当は一度、町に戻りたかった。一体何が起こっているのか情報も集めなおしたいし、心のほうも疲弊している。

 しかし、裏切り者のスピリットを殺して疲れたなど、悠人も横島も言える立場ではない。

 イースペリアとの戦いは、これからが本番なのだから。そして、イースペリアの本隊がサルドバルトに進軍している今が好機なのだ。ここで機を逃せばより多くの命が犠牲になる。巧遅より拙速を重視するのが正しいのは横島も悠人も理解していた。

 どれだけ疲れていようと、前進以外の道などありはしないのだ。

 

 合流を果たしたルルーには、とりあえずラキオスに一度戻るように指示した。

 元々いるはずの無いスピリットであるし、この状態で戦力になるとは思えなかったからだ。

 ルルーはぼんやりと頷くと、とぼとぼとラキオスまで歩き出す。

 

「私たちも行きましょう」

 

 ルルーを見送りながらエスペリアが淡々と言って、皆歩き出す。

 

 行軍が始まる。今までと比べるとゆったりとした歩みだった。

 急げば今日の夕方にはイースペリア首都にたどり着けるが、横島も悠人達もそれに反対した。

 巧遅より拙速を重視するのは良いが、それにも限度がある。

 昨夜の傷は癒えたが、疲れはまだ残っている。戦える程度に疲労を回復させるため、のんびりした歩みとなった。

 

「なんなんだろうなあ」

 

 てくてくと歩きながら、横島はぼうとして呟く。

 どうにも現実感が沸かない。まるで夢の中にいるようだ。

 一緒に釜の飯を食ってた仲間が死んだというのに、何事も無かったかのように一日が始まっていた。

 周りにいる誰もがいつも通り振舞っている。エニが死んだのを伝えて、泣いた仲間は一人もいなかった。

 ショックは受けていたようだが、取り乱すものは誰もいない。仲間が死ぬのは初めての事ではないらしいが、エニと他のスピリットはこんな淡白な関係だったのだろうか。

 

「夢だったんじゃないか……そんな気がしてこないか『天秤』」

 

 腰に差した『天秤』からの返答は無い。

 馬鹿なことを言った、と横島も少し後悔した。

 夢の訳がない。それは『天秤』に括り付けられたボロボロの天秤人形が証明している。

 普段は横島の中に存在する『天秤』だったが、そうするとマナで出来ていない人形は『天秤』についていけないので、今は横島の腰に差している状態だった。

 

 『天秤』はエニとの一件以来、一言も喋らない。

 契約者である横島を除いて、唯一、『天秤』と喋れる存在だったエニ。

 それを失って、『天秤』がどれだけ苦しんでいるのか想像もつかない。

 

(俺がしっかりしなきゃな!)

 

 横島は気合を入れる。

 と、ふと横に気配を感じて振り向くと、黒いツンツン頭が隣を並走していた。

 悠人だ。横島と色違いの白い戦闘服は随分とくたびれていて、ウニのような髪の毛は何本がへし折られたように消失している。

 

「ぶはは! 何つーか、毛の無いウニだな」

 

「笑うな! 一歩間違えば首から上が無くなっていたんだぞ」

 

 悠人は憮然として怒る。だが『ウニ』を否定はしなかった。自分の髪型が酷いことを彼も自覚しているのだろう。

 こうなった原因は簡単だ。横島がエニと戦っていたとき、悠人達は龍と戦っていたからである。

 

 昨日の夜。

 龍は、悠人がとあるスピリットと秘密の鍛錬をしていたら何の前触れも無く飛来してきて、そのまま戦闘になった。

 襲ってきた龍は高い知性もなく、かと言って狂ってもいなかったらしい。しかし野生の獣ともまた違う。

 印象としては機械のようだった。普通の龍とは違う生物らしさを持っていなかった。しかし、やはり龍らしく戦闘能力は格別だった。

 山の様な巨体。風の様な速度。金剛石よりも硬い鱗。圧倒的なブレスの破壊力。

 一個の生物でありながら、人間社会を叩き潰せる力を持った戦術級種族。それが龍。

 

 とまあ、その力は知れ渡っているが、そもそも龍とは何なのか、はっきり分かっていない。人や世界を守護しているとか、神の使いとか、トカゲが進化したものだとか、多くの諸説があるが、それはただの伝説なだけである。

 確認されている個体は手のひらで数える程度で、それも人里から離れた洞窟で引きこもっているだけ。

 そんな龍が何故襲い掛かってきたのか。理由は分からない。とにかく、戦いが始まった。

 

 悠人も横島も以前に龍を倒した事はあったが、それは洞窟内でという制約があった。

 鳥や戦闘機には出来ない、それこそ物理法則を無視したような機動で空から圧倒的な威力のブレスを放つ龍。それは悪夢を形にしたようなものである。

 

 空というフィールドを活用する龍を相手に、悠人は徹底的に地形を利用した。

 森や地形の高低差を利用してブレスの射線を外し、神剣の反応を強めたり弱めたりすることで攻撃される対象をこちら側で操作し、決して無理に攻めようとしない。

 これは悠人とエスペリアが野外で龍と戦うために考えた戦法の一つだった。長期戦を狙ったものである。

 

 長期戦を選んだ理由は、ラキオス最強の戦士である横島を待つためだ。早く散歩から戻ってこいと願いながら、悠人らは戦っていたのだ。

 同じころ、横島も悠人達を待って戦っていたとは夢にも思わないだろう。結局、横島は現れなかったので皆で力を合わせ、なんとか龍を倒したときには疲れで立ち上がる事すらできなかった。

 その場では最善の行動に違いなかったが、結果だけを見れば、互いに救援を待っていて力を使い果たすという無様すぎる連携だったと言う以外に無い。

 

 ここで疑問が生まれる。エニと龍は連携しているとしか思えない動きだった。

 エニと龍が連携して動いていたなら、エニに指示を出し、そして龍を制御できる存在がいるはずだ。そんな事が果たして出来るのか。

 偶然で済ませるには不可解すぎる。しかし、狙ってやるなんて不可能だ。何故なら、これは横島が何となく散歩をしたから発生した事態だからである。

 また謎は増えた訳だ。

 

「なあ、横島」

 

「何だよ」

 

 悠人は言葉を選んでいるようで、少し考え込んでいるようだったが、

 

「悪かった、助けに行けなくて……その、エニの事は」

 

 口許を引き締めて、横島に頭を下げる。

 彼にも事情があったのだが、それでも謝らずにはいられなかった。

 仲間の一大事に駆けつける事が出来なかった。それが無念でならなかった。

 

 謝罪に対して横島は無言だった。

 口を開けば罵詈雑言が飛び出てしまうから――――ではない。そもそも、悠人相手に悪口を我慢する横島ではない。

 口を閉ざすのは、そもそも言う事がないからである。

 

 もし悠人達が援軍に来たとしてもどうしようもなかった。

 ただ、悲劇のヒーロー(天秤)と悲劇のヒロイン(エニ)の悲劇的シーンの周りをうろちょろするエキストラが増えるだけだろう。

 それを、エニは望まない。助けは来なくて良かった。

 

 そんな風に「気にするな」と悠人を擁護する事も出来たのだが、わざわざ男相手に気を使うのも面倒くさい。

 結果、横島は沈黙したのだ。

 

「あまり無理するなよ。俺は……『求め』が龍のマナを食ったからか調子が良い。次の戦いは俺に任せとけ」

 

 ドンと胸を叩いて悠人が力強い顔を作る。 

 演技には見えない。悠人の表情には活力があった。疲れはあるが意思に満ちている眼。

 横島はいぶかしむような表情をすると、悠人は苦笑いを浮かべながら離れていった。

 

「何か変なもんでも食ったのか、あいつ」

 

 横島が『天秤』に話しかける。やはり返事は来ない。

 それを特に気にせずに視線を前に戻すと、また横に気配を感じる。

 また悠人かと目だけを横に向けると、そこには何も無い。

 

「下~」

 

 間延びした声が聞こえる。

 視線を下げると、そこにはお菓子が大好きな女の子がいた。

 

「おっ、どうしたシアー」

 

「えへへ~」

 

 ニコニコしながらシアーは横島の手を握る。すると、さらにシアーはニコニコと笑みを深くする。

 シアーの手のひらは横島や悠人よりも硬く、戦士の手のひらであったが、温かく生気に満ちていた。

 

「ドーン!」

 

「のわ!」

 

 今度は後ろから衝撃が来た。

 誰かの体当たりだが、確認するまでもなく、こんな悪戯をするのは限られている。

 

「こぅら! 悪いネリーはいねがー!」

 

「いねぞー!」

 

「いるだろうがー!」

 

「ばれたか~!」

 

 分かりきった寸劇のようなやり取りを済ませると、ネリーもシアーと同じように笑いながら横島の手を取った。

 横島の両手は青の姉妹に占領される。

 

「う~ずるいですー!」

 

 いつの間にか近づいてきたヘリオンは、横島の両手を占領する青の姉妹に向かってジトッと未練じみた視線を送る。

 

「早いもの勝ちだもーん!」

 

「だも~ん!」

 

「しくしく。私はブラックスピリットでちっちゃいのに速さでも負けるなんて~」

 

「……はあ」

 

 近くで騒ぎを見守っていたニムはアホらしいと溜息をこぼす。

 何だかよく分からないうちに子供4人に囲まれて、和気藹々とお喋りが始まる。

 二ムを除く三人は横島の周りをうろちょろしながら楽しそうにして、ニムはちょっと離れた所からぐちぐちと文句を言いながらも適度に話の輪に加わってくる。

 

 しばらく楽しくお喋りをしていたが、ふいに話題が途切れて少し場がしんとなる。

 横島は意を決して、触れていなかった部分を切り出すことにした。

 

「なあ、エニの事なんだけど……」

 

 横島がそう切り出すと、四人ははっとした顔になって互いに目配せした。

 

「うんとね、ネリーは、あまりエニの事知らないんだ」

 

「へっ?」

 

「たくさん遊んだ事はあるけど、あんまり遊ばなかったから……あれ、言ってること可笑しいね?」

 

「そ……っか」

 

 なんとなくだが、横島にはネリーの言いたいことが分かった。

 エニは生まれてから死ぬまでのほんの数ヶ月だったが、その全ての時間を『天秤』の為に使っていたのだろう。

 本気は『天秤』だけで、ネリー達との付き合いは遊びだったのだ。

 

「ネリー達は大丈夫だから……元気だから。だからね、ヨコシマ様はあまり頑張らなくていいよ!」

 

 ネリーの双眸が強く輝やいて横島を見つめる。

 瞳の奥に強い意志が見えていた。先ほどの悠人の目に似ている。いや、それ以上の輝きだ。

 

「うん、シアー達に任せてほしいの」

 

「私は小さくて弱いですけど、でもがんばります……ほら、ニムも!」

 

 とんと背をヘリオンに背を押されて、ニムントールがおずおずと出て来た。

 

「……面倒だけど、ニムもがんばる。だから……」

 

 その先の言葉は出てこなかった。ニムントールはぷいっとそっぽを向く。

 『あまりむりするな』

 口は開かなかったが、言いたいことは十分に伝わってきた。

 

「よっしゃ! ネリー隊員と以下3名! 奮闘を期待する!!」

 

「おー!」

「うん!」

「はい!」

「……ん」

 

 子供たちは力強く返事をすると、頷き合いながら離れていった。

 

 太陽が真上に来た。

 食事の回数・時間は異世界でも変わりない。

 お楽しみなお昼の食事タイム。元の世界で、チョコをおかずにご飯を食べようとしていた横島からすれば、この世界の飯はどれもこれも極上のフルコースと言っても過言ではない。

 

 もっとも、行軍中でなければの話だが。

 

「……はあっ、今日もこれか」

 

 緑色のビスケットのような物を口に入れると、苦味と青臭さが舌いっぱいに広がって、横島は顔を顰める。

 強行軍で美食を求めるのは不可能というのは分かっているが、もう少しどうにか出来ない物なのか。

 

「ヨコシマ様」

 

 そんな風に思っていると、今度は後ろから呼びかけられて振り返る。

 そこにいたのは、いつも通り無表情のナナルゥだった。

 手には白濁色で満たされたマグカップを持っていて、湯気がもくもくと立ち上っている。

 

「どうぞ」

 

 マグカップを横島に差し出す。

 飲めと言われているのは分かるが、いきなりどうしたのだろう。

 ナナルゥの行動はいつも独特で唐突だ。本人的には理屈と規則性に乗っ取って行動しているようだが、肝心の理屈と規則性が他者には理解不能なので、予想というものが極めて難しい。

 

「ヒミカに作ってもらった乳とパンのスープです。

 温かいので、体温が上がります。栄養を摂取することで元気になります。美味しいです」

 

 疑問が顔に表れていたのだろう。ナナルゥはテキパキと説明した。

 

「ん? 乳とパンのスープって」

 

 あれ、と横島は頭を捻った。

 行軍の食事は基本的に腐りにくい乾燥物が中心だ。湯を使わなくても食える固形型で、味よりも栄養が第一である。

 当然、乳を出すクーヨネルキなど連れている訳も無く、腐りやすい乳を保存する方法も無い。

 ヒミカは一体どこから乳を持ってきたのだろう。

 ちょっと考えて、ピンと来た。

 

「ヒミカの乳?」

 

「乳です」

 

「おぱーい?」

 

「はい。乳房から搾り取った出来立てです」

 

「ゴチになります!!」

 

 カップに並々と注がれたヒミカのおっぱいを、横島が口に含む、 

 

「そんなわけないでしょーが!!」

 

 直前で顔を真っ赤にしたヒミカが怒鳴り込んできた。

 怒りと恥ずかしさからか、赤くなっているヒミカに、横島は自然とニヤニヤしてしまう。

 

「いや、そんなわけあるぞ! こんな所におっぱいがあるわけがない。ならば、どこから捻り出てきたか……これはもう、ヒミカしかいないだろ!」

 

「何で、どうして私になるんですか!?

 それと、恥ずかしいからおっ……、なんて連呼しないでください!

 これはクーヨネルキの乳の成分を抽出して粉末状にしたもので、保存性を高めたものです。試験的な物で、今回は一部を分けて貰ったのです。貴重な水を使ったんですから味わって飲んでください!

 大体、おっ、おっ……なんて出るわけがないでしょうがー!」

 

「へっ? 何が出るわけ無いって?」

 

「で、ですから……おっぱ……です!!」

 

「んん~聞こえんな~」

「ええ、聞こえません」

 

 横島はニヤニヤしながら、ナナルゥは平静に、ヒミカを追い詰める。

 

「ああもう、知りません!」

 

 肩を怒らせて、ヒミカが離れる。

 相変わらずヒミカは可愛かった。

 真面目でからかいやすいヒミカを相手にすると、横島もつい調子に乗ってしまう。

 セクハラの回数が一番多いのもヒミカであると考えると、横島が一番親しみを感じているのはヒミカなのかもしれない。

 ヒミカ本人は甚だ不本意であろうが。

 

 それにしても、ナナルゥも変わったもんだ、と横島は内心驚く。

 まさか自分と一緒にヒミカをからかうとは思ってても見なかった。

 

「残念です。後でおっぱいを飲ませて貰おうと思っていたのですが……」

 

「からかっていたんじゃなくて、本気だったんかい!」

 

 天然物のボケに横島は戦慄する。

 自分も暴走気味なボケはするが、自分のはエロが絡まなければ養殖物である。天然は破壊力が違う。

 ナナルゥの為にも突っ込みを練習しなければ、と漫才の相方のような思考をする横島。

 横島を手玉に取れるのはハリオンか、ナナルゥぐらいだろう。

 

「それはそうと、おっぱいが温かい間に飲んだほうが美味しいと考えます」

 

「そだな」

 

 促されて乳とパンのスープを口に運ぶ。

 

「うまい」

 

 さっと口から言葉が出る。

 味そのものは通常の乳よりも劣るだろう。しかし、暖かい。

 温かいではなく、暖かいのだ。固いパンも、汁を吸って美味しくなっている。

 

「やっぱり第二詰め所の隊長になって良かったなあ」

 

 しみじみと思う。きっと自分以上にスピリット達を満喫している隊長はいないだろうと、彼は本気で思った。

 頬を綻ばす横島を、ナナルゥはじっと見つめる。

 そして、何かを思い出したように手をポンと打った。

 

「ヨコシマ様、よろしければ、少し私にもスープを頂けませんか?」

 

「おっ、いいぞ。ふっふっふっ、間接キスだな」

 

 カップを渡しながら、そんな事を言う横島。

 ナナルゥもヒミカみたいにからかって可愛い顔を見てやる、と横島は邪笑する。

 

「……間接キス」

 

 横島に言われて、ナナルゥは目を少し丸くして手を止めた。

 

 これはからかい成功か!

 

 しかし、ナナルゥをからかうというのは、己の雇用主に赤い羽根募金をさせるより難しかった。

 

「では、始めます」

 

 ナナルゥはそう言ってカップを地面に置くと、自分の鼻と口を手で塞いだ。

 唖然とする横島。そのまま一分が経過したところで、ようやく横島が気を取り戻す。

 

「ちょっ、何で息を止めとるんじゃあー!!」

 

「あう」

 

 ナナルゥの脳天に横島のチョップが突き刺さる。

 少し不機嫌な感じで、ナナルゥは息止めを解除した。

 

「痛いです、どうしたのですか?」

 

「それはこっちの台詞だ! どうしてスープ飲むのに息を止める必要がある!?」

 

「書物には、女性が間接キスをする場合は大抵頬を紅潮させていました。しかし、私は自由に血流を増加する術を未だに体得していません。よって、私は息を止める事の苦しさで頬を赤くしようと思ったのですが」

 

 何がいけなかったのでしょう。

 ナナルゥは首を傾げる。横島はもうどこから間違っていると説明すればいいのか分からなかった。

 

「もう分かったから、とっととスープ飲まんかい!!」

 

「いえ、別に飲むためにスープが必要なわけではありません」

 

 は?

 じゃあ、いったい何のために。

 

 頭を捻る横島の前で、ナナルゥは驚くべき行動を取った。

 なんと、スープを顔と髪に垂らしたのである。

 燃えるような赤い髪が、白い肌が、白濁液に汚されていく。

 

「白濁ナナルゥです」

 

 スパーン!

 

 横島の手に輝くサイキックハリセンがナナルゥの頭を強く打った。音は凄いが、しかし痛くはないという本家そのものの出来である。

 この男、ナナルゥの為に新しい霊能技を編み出したらしい。

 

「痛く……はなかったです。いきなりどうしたのですか?」

 

「それはこっちの台詞じゃあ~! いきなりなにしてんねん!?」

 

「はい。ヨコシマ様を元気ビンビンにしようと。書物では白いドロドロの女性が大人気で」

 

「元気になるか~!? いや、確かに一部分はビンビンになるけどさ! つーか間接キスじゃないだろーが!!」

 

「では、関節頭でしょうか?」

 

「関節頭ってなんじゃい!? 何か頭が曲がりそうで怖いわぁー!」

 

「可笑しいです、笑顔になりません。ぶっかけ具合が足りませんでしたか?」

 

「ぶっかけ言うな! 頼むから外見がクールビューティーであることを自覚してくれ!!」

 

 燃えるような赤い髪に白濁液が垂らされるのは確かに興奮するのだが、エロス以上に天然ボケを多量に含んでいて思わずツッコミが先にきてしまう。

 横島の突っ込みを受け、ナナルゥは手を顎に当てて「ふむ」と何かを納得したような顔になる。

 

「なるほど、では外見が大人ではなく子供なら問題なし、というわけですね。分かりました」

 

「分かってねえ!」

 

「では早速」

 

「頼む! 話を聞いて!」

 

「レッド・スネーク……もとい、ブルースピリット、カモン……です」

 

「一文字しか共通点がねえ! ネタが古すぎる!」

 

 横島の声は、もはや突っ込みという悲鳴に近い。

 何だか面白そうだ、と騒ぎを聞きつけたネリー達がナナルゥの前に集まる。

 

「ドピュドピュ」

 

 ナナルゥは口でそんな妖しい擬音を唱えながら、ネリー達に白濁液をぶっ掛けた。

 

「美人がそんな言葉を口にしちゃいや~!!」

 

 遂に横島の目からは涙が零れ落ちる。

 物凄い美人の数々の奇行が横島の煩悩を縮こまらせていた。

 ナナルゥを恥ずかしがらせてからかう事が出来る日は来るのだろうか。

 

「白濁ネリーだよ!」

 

「白濁シアーなの……おいしいの」

 

「白濁へリオンです……どうしてこれで元気になるのかな?」

 

「白濁ニム……ううっ、ベトベトする」

 

 乳白色の液体がネリー達に降りかかった。

 顔に粘ついている白濁液を舐めて「ん、美味しい」と呟く子供たちは横島でもドキリと来るものがある、

 

 訳がない。

 

「突っ込みが、突っ込みが足りねえー! ヒミカー! 早く来てくれー!!」

 

 ボケ軍に圧倒されて、ツッコミ軍は壊滅寸前。

 横島は援軍を要請する。

 だが援軍も伏兵に襲われていた。

 

「ヒミカ~私もおっぱいが欲しいです~」

 

 たゆんたゆんとおっぱいを揺らしてくるハリオン。

 ヒミカも、色々と限界でした。

 

「私の方が欲しいわー!! アネたんなら私も結構おっぱいあるのに~!」

 

「ヒミカが~ヒミカがご乱心ですぅ~!」

 

 突っ込み役は大変だね、というお話。

 

 馬鹿騒ぎだった。

 いつも騒ぎを鎮めるセリアも、関わって弄られるのを恐れてか遠巻きに眺めているだけ。

 物見として周辺を警戒していたファーレーンが一番気疲れしないという現状がここにあった。

 しかし、スピリット達はふざけているとしか思えない姿にも関わらず、気を抜いている者はいない。全身に緊張感を纏わり付かせている。

 

 全員が横島をちらちらと見つめていた。

 彼女らの瞳は、誰もが等しく同じ輝きに満ちている。

 

 その輝きにどういう意味があるのか、何故誰も泣かないのか、横島は何となく気付いていた。

 

 その夜は小雨が降っていた。

 寝つきは良い横島だが、どうも今日は寝苦しく、テントで何度も寝返りを打つ。

 ラキオスの気候は常春で雨が冷たいと感じる事は無かったが、イースペリアは寒暖の差が激しいようで昼は暑く、夜は寒いようだ。

 

「駄目だ、眠れん」

 

 いつもなら息子と右手がランデブー&ハッスルすることによって適度な疲れを得ることが出来るのだが、流石にエニの事件があった昨日今日でそれをする気分にはならない。

 ちょっと外の空気でも吸おうかと、テントの幔幕を上げる。

 

「あっ」

 

「あっ」

 

 そこには、セリアの顔があった。

 髪がしっとりと濡れていて、ポニーテイルは力無く垂れ下がっている。

 どうやらしばらくテント前で気配を殺していたらしい。

 

「まさか、夜這い――――」

 

「貴方の見張りです。また、散歩と称して一人で出歩かれたらたまりませんから」

 

 横島の妄言を、冷たく、辛らつな声でセリアが潰す。

 その言葉に嘘は無さそうだった。だが、横島はそれだけではないと気付いていた。

 冷たい言葉の裏に潜む、気遣いと情。素直ではない優しさ。

 セリアは、不器用なのだ。

 

「まあ、こんな所で立ち話もなんだし、どうぞどうぞ」

 

 テント内においでおいで、と横島は手招きする。

 その表情は煩悩全開のエロい笑みで満ちていた。

 セリアは溜息を一つして、しかし躊躇せずにテントの中に入る。

 

「ぬおお~こんな狭いテントに女と二人きり……遂に伝家の宝刀をヌクときか!?」

 

 狭いテントに二人きり。あるのは、一つの毛布。

 いつ間違いが起きても可笑しくないシチュエーションに、横島の鼻息も荒い。

 女性なら身の危険を感じるだろうが、セリアは不思議そうに横島を見ていた。

 

「……どうして、貴方はいつも通りなの? 本当に無理していないの?」

 

「へっ? 何がっすか?」

 

「皆、不思議がっています。貴方の様子が、私たちの考えよりも……その」

 

「……元気そうか?」

 

 問われて、セリアは少し困った顔になったが、小さくうなずいた。

 仲間を、殺す。

 それがどれほどの苦悩だったのか、セリアには想像もつかないし、つきたくもない。

 戦士として命を奪う覚悟は持つべきだと思っているが、まさか仲間を殺して苦しむなと言えるわけがなく、辛かったでしょうね、などと慰める事もできなかった。

 心にダメージを負ったのは疑いようも無く、最悪な精神状態で神剣を振るわせる事などできはしない。

 今回の戦いは横島を抜きで行うこともセリア達は視野に入れていた。

 しかし、考えていたよりも横島が元気そうなのだ。

 

「貴方はそんなに強くないと思っていました」

 

 セリアは思い出す。

 以前、横島がスピリットを殺したときに大泣きした事を。

 敵を殺したときでさえ泣いたのだ。まさか仲間を殺して平気なわけが無い。

 

「ん~強い理由は、セリア達と同じ理由だな」

 

「えっ?」

 

「一番泣きたいやつが泣いてないからなあ……そいつのこと頼まれてるし」

 

 夜気に呑まれていくような小さな声で呟いて、苦笑めいたものを浮かべながら『天秤』を見つめる横島の姿に、そういう事だったのかとセリアは納得した。

 横島とセリア達は同じ思い、同じ考えでいたのだ。

 

 セリア達は横島がとても辛く悲しい思いをしているだろうから、自分達が支えねば、と悲しい気持ちを抑えて前を向いている。

 横島は『天秤』が一番寂しく辛い思いをしていて、エニのマナを無理やり食わせたという負い目もあるから、自分がしっかりしなければと考えている。

 悲しくないわけじゃない。ただ、自分よりも悲しい思いをしている人がいるから、強く心を持っていられた。災害で恐怖を感じても、身近にパニックを引き起こした者が出ると冷静になれるという感覚に似ている。

 

 そんな横島の思いを知って、沈黙を続けていた『天秤』は腹の中で吼えた。

 

 ――――ふざけるな! エニが何のために死んだのか、分かっているのか!?

 

 エニの生まれたわけ、死んだわけ。

 それは、横島の心の傷を広げるため。

 自分の無力を思い知らせて、神剣への依存度を高めるため。

 

 『天秤』は、そう上司に説明を受けた。

 それが横島を自分達の属する組織に引き入れる為の道しるべにとなるのだと。

 その為だけにエニは生まれたのだ。横島を苦しめる事がエニの存在理由であり、殺した理由。 

 

 横島がエニの死を嘆かず、絶望せず、より強く生きていこう決心させたのなら、エニは何のために死んだのか。

 エニの死は、命は、まったくの無駄だったというのか!!

 そして、気持ちを強く持っていられる理由が自分の為――――エニを見捨て、嵌めて、殺した『天秤』自身。

 

 エニの死は無為で無駄で無意味無価値で、ただの犬死。

 無駄になった理由は自分で『天秤』で神剣で、エニを殺したのは自分でエニの生すら意味を失くしたのはやはり自分で。

 

『アア嗚呼ァ亜阿アぁ阿アアア!!』

 

 『天秤』は咆哮した。

 『天秤』は絶叫した。

 『天秤』は―――――我を失った。

 

 『天秤』の怒りと悔しさと悲しみがごちゃ混ぜになり、無秩序な塊となって横島の心になだれ込む。

 咄嗟に心を守ろうとした横島だったが、『天秤』の力は圧倒的だった。それはさながら暴徒と化した大量の市民が群れを成して突撃するような、そういった怒涛の狂乱ぶりである。

 

「あっう……おあ―――――」

 

 あっさりと横島の心は飲まれる。何が何だか分からないまま、彼の意識は途絶えた。横島の肉体の支配権は『天秤』に移る。

 それは一瞬の事で、セリアは横島が消え去ったことに気づかない。

 

「エニは幸せだったと思います。私がエニなら、笑ってマナの霧に帰れたでしょう」

 

「黙れえええ!! スピリット如きが!!」

 

 横島の肉体を奪って、自由に動けるようになった『天秤』は吼え、駆け、セリアを押し倒す。

 咄嗟の事でセリアは反抗することすらできない。

 

「い、いきなり何を!!」

 

「黙れ! 喋るな!! 所詮スピリットなど、リュトリアムコピーのコピー! 粗悪な模造品! 大量生産の木偶!! ただの人形に過ぎない分際で……どうして!!」

 

 横島の口から吐き出された言葉の羅列は、セリアには意味不明であった。

 何を言っているのか、何が言いたいのか。

 どうして自分は押し倒されているのか、これからどうなるのか。

 『天秤』自身すら良く分からないのだから、事情を知らないセリアに分かるわけも無い。

 だが、

 

「何が、そんなに悲しいの?」

 

 横島(天秤)を見て、セリアは自然と口が動いてしまう。

 鬼のような形相の横島(天秤)だったが、セリアには泣いている子供に見えた。

 

 『耳が痛い』という格言がある。意味は、自覚している弱みを付かれる事だ。

 人を怒らせる行為とはいくらでもあるが、これはその中でも最たるものの一つ。

 『天秤』は絶句し、反論する事すらできず、心の傷に塩を塗りこまれる。

 

 口で負け、心が折れた。

 精神が敗北したものが行き着く先は多々あるが、『天秤』は非常に分かりやすい方向に向かうこととなる。

 つまり、

 

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れだまれだまれだまれだまれだまれだまれーー!!」

 

 かんしゃくと、

 

「その口を塞いでくれる!」

 

 暴力である。

 手に霊力を集中させて、ナイフのように小さい霊波刀を作る。

 それを、セリアの胸元に突きつけると、一気に下に振り下ろした。

 

 ビリビリビリ!

 鋼鉄の鎧よりも丈夫というだけあって、エーテル服は霊波刀に抵抗したが、それでも無残に引き裂かれた。

 下着も一緒に引き裂かれて、上半身があらわになる。

 

「いやあ!」

 

 曝け出された胸を隠そうとセリアは身じろぎするが、横島(天秤)に圧し掛かられて身動きが取れない。

 

「どいて……どいてって言ってるでしょ!」

 

 覆いかぶさっている横島を押しのけようとするセリアだが、純粋な力では横島に敵うわけも無い。

 その目には、怒りや恥ずかしさからか涙が浮かんでいる。

 暗い喜びが『天秤』に訪れた。薄汚れた行為をしているという認識が、彼に安楽のようなものをもたらす。

 

「ふん、想像通りの肌だな」

 

「な、何を!!」

 

「お前の事は何度となく頭の中で犯したからな(横島が)。辱めた回数は、第二詰め所の中では2番目だぞ」

 

 厚顔に、嫌らしく、横島(天秤)は言った。

 セリアはもう何も言わずに、目を逸らして辱めに耐えた。

 鼻を鳴らして、横島(天秤)はさらなる屈辱をセリアに与えんと、彼女の胸に無遠慮に手を伸ばして、二つの膨らみを握るように掴んだ。気が荒れているから、優しくしようなんて全く考えない。

 爪がセリアの胸に食い込む。堪らず、セリアは悲鳴を上げた。

 

「痛……痛い!」

 

「何? 痛い……痛いだと!? この程度のことでか!!」

 

 せりアの白磁のように白い胸には爪の痕がくっきりと残っていて、血も僅かに滲んでいる。

 事実、相当痛いだろう。しかし、『天秤』にはそれが嘘に思えた。甘えているとしか思えなかった。

 

 エニがどういう目に合わされたか。その一部を『天秤』は知っている。

 エニよりも何年も長く戦士として生きてきたセリアが、たったこれだけの傷で痛がることが酷く浅ましく見えた。

 ただこれだけの事で泣き叫ぶのなら、エニの苦しみはどれほどのものだったのか。

 

「ふざけおって……エニはもっと苦しかったのだぞ! どうしてエニが……エニばかり……くっ!」

 

 怒りと不満で胸が爆発しそうになる。

 感情が高まりすぎて、口からは泡を、目からは涙すら滲んできていた。

 

「貴方は……そう……そうなの」

 

 セリアは、哀れみの目で横島(天秤)を見た。

 

 組み伏せられ、暴虐を受けている弱者が強者である自分を哀れんでいる。

 それが分かった横島(天秤)は激昂して、遂に本気で拳を振るった。拳で容赦無く腹を殴り、顔を殴る。

 頭を強く殴られて、セリアは意識を失った。

 

「はあっ、はあっ……くそ、気を失ったか!」

 

 興ざめだ。

 ありとあらゆる屈辱を与えて苦しめてやろうと思っていたのに。

 この際、気を失っていても関係ないか。

 

 苦しめたい。貶めたい。

 スピリットに価値など存在しないと示したい。

 エニなんてただのマナの塊で過ぎないと証明したい。

 

 そうでなければ――――そうでなければ自分は。

 

 横島(天秤)の眼は、追い詰められた獣のように余裕が無かった。理由の分からない恐怖すらあった。

 それでも彼は今は捕食者の立場なのだ。手がセリアの裸身に伸びていって――――

 

「失礼します~」

 

 その時、後ろから間延びした声が聞こえた。

 

「二人とも~焼き菓子はいりませんか……あら~」

 

 テントに入ってきたのはハリオンだった。

 半裸のセリアに手を伸ばす横島(天秤)の姿を見て、目をぱちくりさせている。

 

「くっくっくっ、見てしまったか」

 

 横島(天秤)が妙に偉そうに言って邪笑を浮かべる。

 邪魔をされたが、これはこれで悪くない。

 この、いつも惚けたスピリットを苦しませてみたい。怒らせてみたい。憎ませてみたい。

 自分にも分からない不思議な感情が満ちてくる。

 

「今夜はお楽しみですか~」

 

 ガツン。

 想像外の反応に、横島(天秤)はテントを支える柱に頭をぶつけた。

 何故、そういう結論に至るのだろうか。

 やはり惚けたスピリットだ。

 

「くっくっくっ、そんな訳がないだろう。今から、このスピリットに乱暴するのだ」

 

「乱暴って……っ!」

 

 ハリオンの顔色が変わる。

 その顔が見たかった『天秤』は満足して――――

 

「濡らさないで、合体しちゃうんですか~! ダメです~とっても痛いって話ですよ~!!」

 

 ガツン。ガツン。

 

 柱に二度、頭をぶつける横島(天秤)。

 これはそういう問題なのだろうか。

 確かにそれはそれで問題なような気がするが、しかし何か問題点がずれているような気がする。

 

 混乱状態に陥る横島(天秤)だが、何とか精神を立て直す。

 

「そういう問題ではない。私はセリアの了解を得ずに性行為に及ぼうとしているのだ! これがどれだけ悪いことか、分からんか!!」

 

「そ、そんなぁ~」

 

 ようやくハリオンは理解したようだ。

 いつもの暢気な笑みが、寂しく苦しそうな泣き顔になる。

 だが、すぐにキッと目つきを鋭くしてハリオンは横島(天秤)を睨んだ。

 

 ああ、良かった。これで、自分を憎んでくれる。罵ってくれる。

 

 『天秤』はその事実に不思議な安堵を得たのだが――――――

 

「エッチな事をするなら、私にって言ったじゃないですか~!!」

 

 ガツン! ガツン! ガツン! ピシッ!!

 

 頭を三度打ち付け、柱にひびが入る。

 

 やはりハリオンは色々な意味で並のスピリットではないようだ。

 だが、このままズルズルとギャグ空間に流されてしまうほど、『天秤』の心の闇は浅くはなかった。

 咳払いを二度三度して、空気をシリアスに引き戻す。

 

「ふん、馬鹿なことを言う。それはこの事態に至らないようにするための行為だろう。性欲を解消すれば、神剣に取り込まれにくくなるからな。だが、飲み込まれてしまえば意味がないぞ。

 こうなった場合の対処方法を、貴様はレスティーナから聞いているはずだ。

 もし、横島が神剣に飲まれラキオスに害を与える存在となったら、貴様が後ろから横島を刺し殺す。そういう取り決めなのだろう。どうした、掛かってこないのか」

 

 ハリオンは息を呑んだ。

 それは、正に機密といって良いことだから。

 レスティーナは横島を信頼している。だが、『天秤』まで信頼しているわけではないし、余りにも強すぎる横島を無条件に野放しするのは立場上できなかった。

 家臣達への示しもある。誰かに、横島の生贄になってもらい、最悪の場合は殺害すら頼む。

 ハリオンは、生贄に選ばれたのだ。

 

 下向いて、肩を震わせるハリオン。

 スピリットは命令には逆らえない。

 

 『天秤』は本体である神剣自身を構えて、ハリオンの攻撃に備える。

 ハリオンは下を向いてぷるぷると震えていたが、遂に意を決したようでかっと目を大きく見開いて横島(天秤)に向き直り、

 

「ふええええ~ん! 出来るわけがないです~!!」

 

 さらに泣いた!

 

「おい! 嫌とはどういう意味だ!!」

 

「だってだって~『天秤』さんを殺しちゃうなんて嫌ですよ~!!」

 

「貴様はスピリットだろう。スピリットは命令に従う……ただの人ぎょ――――」

 

「嫌なものはいやですぅ~!!!!」

 

 ギャグキャラのように滝の涙を流しながら、ハリオンは横島(天秤)の胸に飛び込んで、また泣き始める。

 『天秤』は胸の中で泣くハリオンをどうしたらいいのか、途方に暮れてしまった。

 

 泣かしてしまった。

 泣かせるつもりは無かった。ただ、ただ自分の事を恐怖して憎んでくれれば良かったのに、どうして泣くのだ。あと鼻水をつけるな。

 

 ハリオンの温かさを胸に感じた『天秤』は、実はとても混乱していた。

 泣く子と地頭には勝てぬ、という格言の通り、どういう言葉を駆使してもハリオンは泣き止まないのだ。

 困り果てた『天秤』は、一つの行動に出た。それは、子供をあやす様によしよしと頭を撫でる事だ。

 ハリオンの頭を撫でる。すると、少しずつハリオンの泣き声は消えていった。

 

 私は何をやっているのだろう。

 一体、自分は何を求めているのだろう。

 

 泣いているハリオンを慰めながら、燃え盛っていた心が急速に冷えていくのを感じていた。

 自分の行動が、矛盾に満ちていると今更理解が始まる。

 

 どうして自分はセリアに乱暴をしようとしたか。

 それは、スピリットという存在を貶したかったからだ。

 じゃあ、どうしてスピリットを貶したかったか。

 それは、エニの価値を貶めたかったからだ。

 じゃあ、どうしてエニの価値を貶したかったか。

 それは――――――

 

「もうよい、私は眠る」

 

 考えを放棄する。浮かびそうになった答えは、認めてはいけないものだったから。

 

「ええ~もう行っちゃうんですか~。もう少しお喋りしましょうよ~。お菓子もありますよ~」

 

 まん丸の目からはまだ涙が流れていたが、それでも笑顔を作るハリオン。

 やはりよく分からない感情が胸の内に起こって、目を逸らしてしまう。

 

「断る。お前と話していると疲れるのだ」

 

「またまた~ヒミカみたいなこと言って~」

 

 ニコニコとハリオンは冗談だと思ってか笑う。どうやらすっかり落ち着いたらしい。

 流石に、もう何も答えなかった。

 

「……寝るぞ」

 

「ちょっと待ってください~最後に聞きたいことがあったんですけど~」

 

「……なんだ?」

 

「セリアさんが夜のお供第2位なら~第1位はだれなんでしょ~」

 

 ガクッと横島(天秤)が肩を落とした。

 ここで聞くべきことがそんなことなのか。

 というか、最初から聞いていたのか。

 

「後で横島自身に聞け!」

 

 やけくそ気味に『天秤』は吐き捨てる。

 能天気すぎるハリオンに怒りはあったが、しかしどす黒い怒りはどこかへ飛んでいってしまった。

 冷静になると、自分がやってしまった事の愚かさに頭なんて無いのに頭が痛くなる。これは、計画に支障をきたしかねない問題に発展する可能性がある。

 そして、心もまた痛くなった。

 横島(天秤)は半裸で倒れたままのセリアに目を向けると、

 

「……まなかった」

 

 蚊の鳴くような声で言って、彼は自分自身(天秤)を外の泥池の中に投げ出した。これも一つの自傷行為だろうか。

 『天秤』の支配から逃れた横島の肉体がその場で倒れこむ。

 ハリオンは横島よりもセリアよりも一番に泥まみれになった『天秤』を拾うと、タオルでごしごしと汚れを落とし始めた。

 

「本当に……どうしてこうなっちゃうんでしょう~」

 

 図らずもセリアを裏切ってしまった横島。

 泥まみれになって汚く薄汚れ、何が苦しいのか理解も出来ない幼き神剣『天秤』

 不器用な優しさを無残な形で破られ、あられもない姿で気絶したまま涙するセリア。

 

 世界が不条理に満ちている事ぐらい、のんびりのん気なハリオンだって知っている。だが、それでもあんまりだった。

 誰もが努力して良い方向に向かおうとしている。それなのに、悪いことが起きてしまう。もう少しぐらい報われてもいいはずだ。

 

「あんまり皆さんを苛めたら、お姉さんが怒りますからね~」

 

 月明かりさえ無い闇に向かって、相変わらず怒ってないような声で怒るハリオン。

 返事は、当然返ってこなかった。

 

 悲しい事。辛い事。

 ぞれに負けないように足掻く者達。

 それすら押しつぶそうとする悪意。

 

 そんな各人の思いなど関係無く世界は回る。朝日は昇る。

 

 横島にはちゃんと記憶が残っていた。

 自分が――――自分の体を乗っ取った『天秤』がセリアに何をしたのかを。

 優しさを最悪の形で裏切るという、許されざる行為。

 

 だが横島は『天秤』を罵る事も蔑む事もなく、またセリアに事情を説明しなかった。

 厳しい表情で何かを考え込み、ときおり溜息をつき、そして最後に呆れたように空を仰ぎ見る。

 彼の表情には怒りや悲しみなどはない。ただ困っているようだった。

 

 一番傷ついたであろうセリアも、表面上は何事も無かったように振舞っている。横島から受けた暴虐の事も誰にも言っていない。なるべく横島に会わないよう触れないようにするだけで、怒ったり悲しんだりする様子は見られなかった。

 横島と同じく、セリアも困った表情で溜息をつくだけだった。

 

 『天秤』も似たようなものだ。彼は何も言わなくなり、ただ無言となっている。

 

 ハリオンはいつも通りニコニコしていたが、どこかいつものニコニコとは違かった。

 そんな彼らの様子にネリー達はどこか違和感を感じていたが、とにかく頑張ろうとやる気だけは一杯だった。

 

 何だか微妙な雰囲気のまま、イースペリア攻略戦が始まろうとしていた。

 城塞都市であるイースペリアから少し離れた所で、最後の打ち合わせが始まる。

 

「再度、私たちの目的を確認します」

 

 エスペリアが作戦の説明を開始する。

 メイド兼参謀兼戦士という相変わらずの万能ぶりだ。

 

「私達の目的はエーテル変換施設の封鎖です。施設の破壊では無く、長時間使用不可にします。

 施設の場所は分かっているので、そこに向かうまでの妨害をどうするかが重要になります。

 地の利は敵にあります。今までイースペリアの妨害が無いのは、主力がサルドバルトに行っているだけでなく、自分たちに有利な懐で戦おうという考えに違いありません。

 決して油断しないよう」

 

 現代で言えば原子力発電所の様なもので、この世界の技術の、戦力の、あらゆる全ての根幹だ。

 マナをエーテルに変換できるからこそ、エーテル機器を動かすことが出来る。スピリットを強化することが出来る。

 ここさえ押さえることができれば、敵は戦力を強化することができず、勝負が決まると言ってよい。

 

「では、ユート様。号令を」

 

「ああ」

 

 隊長らしく、決めは悠人だ。

 

「みんな」

 

 一拍おいて、悠人は横島をちらと見たが、すぐに全員に向き直り、

 

「絶対……死ぬな!!」

 

「おお! 当然だ」

 

「お、おおー!」

 

 横島が一番に答えて、周りは少し遅れて追随する。

 イースペリア攻防戦が始まった、

 

 のだが。

 

「……どうにも様子が可笑しいな」

 

 城壁を飛び越えて、しばらく進んだところで悠人が呟く。

 予想と違い、迎撃がまったく来ない。無人の、道なき道を行く悠人達。

 サルドバルトに全てのスピリットを連れて行ったと考えれば理屈は通るが、それは理屈を通すための暴論だ。

 まさか全スピリットを持っていくわけが無い。予備兵力はあるに決まっているはず――――なのだが、やはりこない。

 

 可笑しさはそれだけではない。この国の気配自体が可笑しいのだ。

 

 悠人も戦いに身をおくようになって、殺気や闘気などの、女性方面を抜かしてだが空気を読む技術が発達してきている。人間達が直接殺しあうことは無くても、空気が高揚するぐらいにはなるものだ。

 イースペリア首都、町、国。それ自体がどうも甘ったるく、牧歌的な空気が国全体を包んでいた。

 これが本当に同盟を裏切ってサルドバルトに電撃戦を仕掛けた空気なのだろうか。

 

「ネリー! 空中に飛んで周囲の様子を見てくれ。レッドスピリットの狙撃には注意だぞ!」

 

「うん!」

 

 悠人の指示でネリーが飛び上がる。

 すると、すぐにネリーは血相を変えて悠人の所まで戻ってきた。

 

「人がいるの!」

 

「人間の兵士か? それとも人の避難がまだ済んでいないのか?」

 

「そうじゃなくて、町で普通に人間達が生活しているんだよ!」

 

「んなっ!?」

 

 アホな。思わず関西弁になってしまうほど横島は驚いた。悠人も絶句する。周りのスピリットも声を無くす。

 スピリットが人間に手出しできないとはいえ、戦いに巻き込まれる可能性は大いにある。

 バーンライトとの戦いに時には、街中で戦闘になり多くの建物が破壊されたが、事前に避難が完了していて人的被害は一切出なかった。

 

 まさか、自分達が来ているのに気づいていないのか。

 それはありえない。神剣反応がある限り、気づかないわけがないのだ。

 だとすると、他に考えられる事は――――――

 

「人間を盾にしてるのか?」

 

「そんな事はありえません!」

 

 悠人の呟きにエスペリアが強く否定した。

 人間の盾となり矛となり戦い続けるのがスピリット。エスペリアは特にそれを意識している。人が傷つき倒れるなどあり得ない。

 

 だが、この世界の人間では無い悠人と横島にとって、それは不思議ではないようなものだと思われた。

 スピリットは人間を殺せない。では、もし人間の軍団が国を攻めたらどうなるのだろう。

 スピリットが人間に手出しできないのなら、彼女達は手も足も出ない。戦力にはまったくならないのである。

 

 これは当然の疑問だった。

 しかし、その疑問を抱かないのがこの世界の人間とスピリットの常識だ。

 不思議な世界だった。

 

「とにかく、私達が考えることはエーテル変換装置を封鎖することです。それ以外は考える必要ありません。幸い、施設は機密保持の為に町から離れています。そこが戦場になろうとも、広域神剣魔法を使わない限り人に被害は及ばないでしょう。

 恐らく、イースペリアも町で戦闘するようには考えていないのです」

 

 エスペリアの声に、悠人と横島を除くスピリット達は頷いた。彼女達も優秀な『兵士』だった。正しく『末端』の役割を果たすべく、下手に考える頭を凍らせる事ができるのである。

 もし悠人や横島が制止しても、彼女らはエーテル変換施設を封鎖するだろう。

 あくまでも悠人と横島は現場指揮官で、細かい戦術を担当するだけに過ぎないのだから。

 

 その事実を突きつけられ、悠人と横島は揃って溜息をついた。

 強制的にレールの上を走らされている。

 これは、悠人、横島の両名がこの世界に降り立ってずっと感じている事だった。

 断崖絶壁の崖の上にボロボロのレールが敷き詰められていて、自分達は危険極まりない列車の中で神に祈る哀れな子羊。途中下車をすれば奈落に真っ逆さまであるし、いつレールが壊れるやもしれず、無事終点までついたとしてもそこは地獄でした、などと言う笑えぬジョークの可能性もある。

 

 横島の脳裏に傍若無人で神も悪魔も人間も、世界の全てを敵に回すことが出来る上司の姿が思い浮かぶ。

 もし、あの人がいたならば運命だろうが何だろうが笑って破壊するだろう。

 まだ自分はあの人には遠く及んでいないと、横島は感じていた。

 

 それから悠人達は町から遠く離れて、塀と柵を何度も越えて、変換装置のある巨大な円柱の塔にたどり着いた。

 そう、たどり着いてしまった。ただの一度も襲撃を受けずに。エーテル変換装置があるという国最大の重要施設にして、国の要に。厳重な警戒施設があるのに、人っ子一人いないという意味不明な状況。イースペリアのスピリットと兵士達はどこへ言ったのだろうか。

 もう違和感があるなどと言うレベルでは無い。銀行の金庫を開けっ放しにして、警備員も監視カメラも無いのと同じである。

 

「なあ、エスペリア。これは――――」

 

「相手の意図はつかめませんが好都合です。早く施設を封鎖しましょう。施設に入るのは第一詰め所のスピリットとヨコシマ様だけで、それ以外は周辺で警戒を……それでよろしいですね、ユート様、ヨコシマ様」

 

 疑問を挙げようとする悠人の言葉を潰すエスペリア。ただ与えられた命だけをこなそうとしている。頭が良いエスペリアは、悠人よりも現状に不審を抱いているはずなのに。

 

 第二詰め所と第三詰め所のスピリットは施設周辺を警戒するというのは、最大の機密であるエーテル変換機器を可能な限り衆目に晒したくない、という事だろう。

 不満そうなネリー達を宥めつつ、第一詰め所の面々と横島が建物内に入る。

 そこにあったものは。

 

「……これは」

 

 目の前の装置の姿に横島と悠人は度肝を抜かれた。

 最重要機密のエーテル変換装置とは、巨大なクリスタルに突き刺さった全長10メートルはある巨大な神剣だった。巨大な円柱型の建物にあるというのも頷ける。

 神剣にはごてごてとした機械が取り付けられ、建物自体と繋がっていた。この塔それ自体が巨大なコンピュータなのだろう。

 その様相は神秘的というよりも禍々しく、醜悪と言った方が似合っていた。

 

「ほーこれがエーテル変換装置か。なんつーか……ぶっちゃけありえないな」

 

「俺達の世界風に言えばオーパーツみたいな感じか。まあ、俺と横島の世界は名前が同じなだけで異世界らしいけど」

 

 この世界の文明レベル。それが一体どれほどのものなのか。ここに至って中世レベルでは断じて無いだろう。

 見た目はそうでも、中身は別物だ。そもそも現代人である悠人と横島が、今までの生活で特に不満を感じたことが無いのである。

 恐ろしく高度な文明と、低レベルな文明が入り混じっている。

 悠人が今まで見てきたファンタジー世界の映画や小説ではこういう場合の説明に、科学の代わりに魔法が発達したために現実では考えられない不釣合いな文明が生まれたのだ、みたいに書いてあった。

 この世界は限りなく中世ファンタジー見える、だが、何か可笑しい。神剣があって、妖精が存在していて、魔法があっても、違う。大体、神剣魔法なんて民の生活になんら影響を及ぼさない。

 

 回復魔法は人間に効果は無い。赤の魔法は威力がありすぎて生活の役には立たない。青の魔法は氷だけを生むなんて出来ないし、黒の魔法など戦闘以外に役に立つわけが無い。

 

 ファンタジーの世界なのに、精巧な機械がこの世界を支えている。歪な幻想世界。

 このエーテル変換装置がこの世界の要なら、この装置こそが歪みの中心のように悠人には思えた。

 

「それで、これからどうすんだ。どうやって封鎖する?」

 

「はい。適切な作業後にマナ吸引装置部分を破壊します。私に、その為の手順書も渡されています」

 

「分かった。エスペリア、頼む。アセリアはエスペリアのすぐ側で護衛を。俺らは周囲を警戒するから」

 

「ん、分かった」

 

「では、これよりエーテル変換装置の停止措置に入ります」

 

 エスペリアが巨大な神剣に向かい、機器の操作を始める。戦闘、家事、その他の知識とエスペリアの万能っぷりは半端ではない。

 手順書を見ながらの作業とはいえ、手際がとても良い。どうやらある程度の知識は元からあったようである。

 一体この知識はどこで身につけたのか。やはり他のスピリットとは毛色が違う。

 俺はエスペリアの事を全然知らないんだなあ、と悠人は少し寂しく思った。

 

「……ねえ、パパ。この神剣ってすっごく大きいねえ」

 

 オルファは巨大な神剣を前に目をキラキラと輝かせている。

 不審渦巻く中で、子供の純粋さは一服の清涼剤に近い。悠人も自然と顔がほころんだ。

 

「そうだな」

 

「こんなおっきな神剣があるんだから、きっと持ってた人は巨人さんだったんだね!」

 

「はは、そうかもな」

 

「オルファも大きくなるよ! 夢の中でオルファはとっても大きくてバインバインだか……」

 

 勢い良く喋っていたオルファの口が急に閉じる。

 首を捻って何だか落ち着かない様子だ。

 

「どうした、オルファ」

 

「うん……なんだろ。なにか来てる?」

 

 良く分からない、と首を捻るオルファ。

 オルファには妙な勘が働く時がある、とエスペリアから聞かされた事がある悠人は、咄嗟に『求め』からさらに力を引き出す。

 

 それが、悠人の命を救った。

 力を多く引き出した瞬間に、天井が大きな音を立てて崩れ去った。

 神剣の力は感じなかったので、恐らく爆薬の類が仕掛けられていたのだろう。

 天井の破片と共に、それに隠れるように青い影が飛び出してきた。

 ブルースピリットだ。

 

 ブルースピリットは黒の翼をはためかせながら、一直線に悠人を狙ってきた。

 奇襲であったが、悠人はすばやく近くにいたオルファを背にして、周囲に障壁を展開する。

 全身の体重を掛けたブルースピリットの一撃は凄まじいものであったが、パワーだけなら悠人を超える者はいない。

 あっさりとブルースピリットの一撃を耐え切ると、障壁を拡大させて吹き飛ばす。

 

「くっ、まだ来るか!?」

 

 穴の開いた天井を通って、また一人のスピリットが降ってきて、地面に着地した。

 今度のスピリットは黒のレオタードで全身を覆っていて、下半身部分は黒のスカートのような物を着ている。

 髪の色は茶色に見えたが、良く見ると根元の方は銀色である。どうやら染めているようだ。

 背中には黒のウイングハイロゥ。持っている神剣は日本刀型であるからブラックスピリットだろう。

 今まで見た事が無い不思議な格好。だが、そんな奇抜なファッションなど、すぐに意識から吹き飛んだ。

 

 やばい!

 

 ブラックスピリットを一目見て、悠人は戦慄する。

 これは、尋常ではない。マナの内包量なら自分や横島のほうが遥かに上だろう。しかし、纏っている空気が違う。

 紛れもない強者。何気ない動きの一つ一つが、まるで名の在る技のように洗練されている。

 

 これは、自分ではどうしようもない。エスペリアでも無理だろう。アセリアならあるいは対抗できるかもしれないが、だからこそエスペリアの護衛をしてもらわなければいけない。

 となれば。

 

「横島、たの……む?」

 

 目の前で予想していなかった光景が広がって、言葉を失う。

 なんと、ブルースピリットとブラックスピリットは、互いに向き合って剣を構えていた。

 

「敵じゃないのか?」

 

 悠人の呟きにブラックスピリットは何も答えず、夜叉のように険しい表情でブルースピリットと向き合う。

 

 果たして敵か味方か。

 判断が付かない悠人と横島は動くことが出来ない。

 その間に、ブルースピリットが動いた。

 

 ブルースピリットの背に展開している黒のウイングハイロゥが光を侵食するように輝くと、すさまじい勢いでブラックスピリットに飛翔する。

 空中で小刻みに動いてフェイント掛けつつ、それでいて一撃必殺をどこからでも狙えるように空中で体重移動を行うブルースピリット。アセリアとまではいかなくても、相当の実力者と分かった。

 素早いブルースピリットとは対照的に、ブラックスピリットの動きは酷く緩慢に、手を鞘に収めた神剣に向かわせる。

 

 二人が間合いが重なり、勝負は、一合も打ち合わず終わった。

 

 全身から血飛沫を噴出させて、ブルースピリットは床にしずむ。

 

「なっ!」

 

 悠人の目には、ブラックスピリットと相対したブルースピリットが一瞬で崩れ落ちたようにしか見えなかった。

 捉えられたのは、ブラックスピリットのゆったりとした動きだけ。緩急のつけかたが抜群なのだろう。

 しかし、それにしても。

 

「横島……見えたか?」

 

 神速の抜刀術。

 刀の軌跡どころか、いつ抜刀したのかすら分からなかった。気づくと、納刀されていた。それも、切った回数は三つ四つ所では無い。瞬き一回の間に、どれほど切りつけたのやら。

 いくらブラックスピリットが速さに優れているといっても、これは異常であった。

 速い、疾いすぎる。純粋な速さと、技術で培った疾さ。ラキオス最速のアセリアの剣戟すら、今の抜刀術の前にはウサギとカメの差がある

 遠めに見て軌跡すら追えないようでは、目の前で抜かれた日には切られたことにすら気付かず天国行きだ。

 

「ふっ、そりゃあ見ないわけないだろう。ばっちり見たぞ!」

 

 その神速の抜刀すら横島は見切ったという。

 改めて悠人は横島の異常なほどの動体視力に舌を、

 

「プルプルと揺れる乳と尻……バスト78、ウエスト56、ヒップ72……くぅー! レオタードっていいな!!」 

 

 舌を巻きまくった!!

 

「お前は馬鹿か!」

 

 もし、あのスピリットが敵なら、太刀筋を見ておくという事がどれだけ大切か考えるまでもない。

 悠人の考えは間違いなく正しいだろう。しかし、それは相手が普通だった場合だ。

 

「フッ! 甘いな、チチやシリを見ていたほうが俺は強いのさ!!」

 

「意味分からん……と言いたいけど、そうなんだろうなあ」

 

 納得したくないが、しかし納得せざるを得ない。

 悠人にとって超人横島は最強のイメージを持つ目標だ。

 しかし、目標であり乗り越えようとしている壁は、あまりに高く――――色々な意味で遠い。

 横島への高すぎる壁を感じるのは、相手の才能の高さや、自分が決して持てない力への畏怖もあるが、なにより凶悪なのが乗り越えようとする気概すら奪ってくることである。

 

「とにかく、敵じゃないみたいだな……今まで居なかった美人だぞ!」

 

「結論を出すな! それと、間違ってもルパンダイブなんてするなよ」

 

 横島は血の海に沈むブルースピリットから目を逸らしつつ、ブラックスピリットを凝視する。

 敵ではないようだが、それでも味方とは限らない。

 悠人は剣こそ相手に向けないものの、決して警戒を解かずに相手を見て、

 

「……あれ、何処かであったことあるか?」

 

 相手の顔を認識した悠人は、思わず口に出す。

 確かに、どこかで見た顔だった。

 凛々しく整った目鼻。褐色の肌。美しさまで感じるピンと立つ背筋。

 スピリットは誰もが美人だが、このスピリットは通常の美形とは一味違う。実用品でありながら芸術性も併せ持つ日本刀のような鋭く気高い美があった。確かに、横島の言うとおりラキオスには居ないタイプだろう。

 

「こんな時にナンパすんじゃねえ! そこは俺に任せんかい!!」

 

「違う! 真面目に言っているんだ」

 

 横島の戯言は放っておいて、悠人は記憶を漁る。ブラックスピリットの方も、悠人を見て少し瞳を大きくさせていた。

 その様子で悠人は確信する。間違いなく、このスピリットとは何処かであっている。

 戦場では無い。もし面と向かい合って剣を合わせるような事があったら、これだけの実力者を忘れるわけがない。

 一体どこで――――――

 

「危ない!」

 

 エスペリアの護衛に付いていたアセリアが警戒の声を上げて、悠人の思考は打ち切られる。

 見ると、ブルースピリットは起き上がってブラックスピリットの後ろから切りかかっていた。

 全身は血だらけで酷い傷に見えるが、しかし命を奪うような致命的な一撃は入っていなかったようだ。

 これだけ切り刻まれて、致命傷が一つも無い事に悠人は違和感を覚えたが、今はそれどころではない。

 不意を突かれて、ブラックスピリットは動けないようだ。

 

 ブルースピリットの神剣がブラックスピリットの背中に食い込む――――事はなかった。

 

「させっか!」

 

 ブルースピリットの刃が、ブラックスピリットの手前で弾かれる。

 精霊光とも呼ばれるオーラフォトンの障壁がブラックスピリットの眼前に発生して、神剣を軽々とはじき返したのだ。

 横島が、遠距離で障壁を作り上げたのだ。これも悠人には出来ない技量である。

 悠人は色々な意味で感嘆した。

 

 横島はスピリットを守ってくれる。敵かも知れないのに、その行動には迷いが無い。

 ならば、俺の役割は一つ。

 

「おおおおおお!!」

 

 『求め』を肩に担ぐようにして悠人がブルースピリットに突撃する。

 咄嗟に神剣で打ち合おうとするブルースピリットだったが、体勢を崩して受けきれるほど悠人の打ち込みは甘くは無い。

 『求め』の刃は神剣を砕き、そのまま肩に入り込み、胸の肋骨を砕きながら、骨盤を砕いて外に出る。即死だ。

 飛び散る血肉が赤から金へと姿を変えて、『求め』に吸い込まれていく。

 

『ふん、あまり上等なマナでは無いようだな』

 

 不満そうな『求め』の声が頭に響く。

 だまれ、と悠人は『求め』を叱責しながら脳天に突き抜けるような快楽に耐えた。 

 マナを得るのは神剣にとって快楽で、つまりスピリット殺しは快楽を伴う。これは干渉というわけではない。ただ、神剣の快楽が所有者にも伝わっているだけでどうしようもないことである。

 神剣なんて魔剣と同じだ、と悠人は心の中で毒づく。

 

「大丈夫か!」

 

 気持ちの良さに耐えて、ブラックスピリットに向き直る悠人。

 そして驚く。

 

「ああ……手前はどうして」

 

 ブラックスピリットは消えていくブルースピリットを見て、泣いていた。涙を流してはいないが、泣いているのが悠人には分かった。

 一個の生命の消滅を、ただひたすら悲しんでいる。

 たとえようも無い罪悪感が悠人の心に生まれた。少しずつ慣れてきていたが、尊い命を奪ってしまった、という実感が強く胸にめぐって来た。

 

「……ねえ、どうして泣いているの?」

 

 命を知らないオルファが、ブラックスピリットの目の前で問いかけて、言葉を失った。

 オルファは懐かしいものを見るような目でブラックスピリットを見つめる。

 ブラックスピリットも、オルファを不思議そうに見つめていた。

 ほんの数秒前まで殺し合いをしていたとは思えないほど、神秘的な空間が出来あがる。

 

 悠人も横島もアセリアも、二人のスピリットが見詰め合う姿から目が離せなかった。

 

(リュトリアムガーディアンか……)

 

 『天秤』だけが、その光景に納得していて、内心で呟いていた。

 

「……御免」

 

 硬直からいち早く動いたのはブラックスピリットだった。

 礼儀正しく頭を下げると、ウイングハイロゥを展開してさっと天井の穴から飛び去っていった。

 呪縛から解けた様に、悠人達も動き始める。

 

「オルファ、今のスピリットと知り合いなのか」

 

「ううん、違うけど……なんだろうね。えへへ」

 

 恥ずかしそうにオルファが答える。本人も今の間が何だったのか分からないようだが、ただ嬉しそうだった。

 今のスピリット達は何だったのか。結局、分からなかった。

 自分たちが事態の中心にいるはずなのに、真実から誰よりも遠くにいると感じる。

 不可解な戦いは、不可解のまま終わった。

 

「作業が終了しました。これでエーテルコンバーターは使用不可能になります」

 

 作業を終えたエスペリアと護衛のアセリアが合流する。

 

「なあ、アセリア。今のスピリット達に見覚えないか?」

 

「分からない」

 

「そうか」

 

「ただ、黒のスピリットは私よりも、強い」

 

 下手なプライドが無いアセリアは、素直に自分よりも強いと言った。

 アセリアがそう言うなら、それは真実なのだろう。

 

「アセリアにそこまで言わせるなんて……漆黒の翼かもしれません」

 

 エスペリアが溜息混じりで言う。

 漆黒の翼。

 サーギオス帝国、遊撃部隊の隊長。大陸最強と言われているスピリットだ。

 

「それじゃあ、帝国が俺たちを助けたのか? 確か敵対しているんだろ」

 

「分かりません」

 

 悠人の質問に、エスペリアは青い顔で顔を横に振る。

 

「ちょっと気になったんすけど、あのレオタードの……『漆黒の姉ちゃん』でしたっけ? ハイロゥが黒かったのにちゃんと意識があったみたいっす。どういう事すかね」

 

 スピリットの心を取り戻したい横島としては、その辺りが気になるようだ。

 エスペリアは、やはり分からないと首を横に振るだけだった。

 

「本当に分からない事だらけだな……ん? エスペリア、大丈夫か。顔色が……」

 

 エスペリアの顔色は亡霊のように青白い。

 装置を止めてから、ずっと青ざめたままだ。

 一体、どうしたのだろう。

 

「大丈夫です。急いでここから離れましょう。ここで戦闘は避けた方が良いでしょうし、それに……」

 

「それに?」

 

「……いえ、何でもありません。何でもない……はずなんです」

 

 エスぺリアは胸の前で両手を組み、祈るように目を閉じた。

 聖職者が祈りを捧げているように見えるが、罪人が罪を悔いているようにも見えた。

 

 全員で建物の外に出る。

 すると、外には臨戦態勢を崩さないヒミカ達がいた。

 

「無事ですか! ユート様、ヨコシマ様」

 

「ああ、そっちも何かあったか」

 

「はい、ユート様達が建物に入ると、周囲に神剣反応が発生しました」

 

「戦闘があったのか!?」

 

「いえ、ただ現れただけで戦いは仕掛けてきませんでした。こちらを監視していただけのようです」

 

「……本当に何を考えてるんだろな」

 

 考えても分からない、と悠人は思考を閉じる。

 

「とにかく、任務は終わった。後はラキオスに戻ろう」

 

 警戒を怠らずに、と付け加えるのも忘れない。

 

「……活躍したかったのに」

 

 ネリーは不満そうに文句を垂れる。不満と鬱屈が溢れたような顔をしていた。

 

「何言ってんじゃ! 戦わないに越したことは無いだろ」

 

 横島が『君は実に馬鹿だなあ』と某ロボット風に言うが、ネリーは不満そうな顔を崩さなかった。

 良く見ると、シアーもヘリオンもどこか鬱屈した顔をしている。

 横島は彼女らが殺し合いを望んでいたのかと考え、とても嫌そうな顔をした。

 

 黙々と来た道を戻る。

 

『あっ!』

 

 道も半ばを過ぎたころ、『天秤』が悲鳴にも似た声を上げた。

 

「おわ! なんだ、いきなり大声をだして」

 

 いきなり頭の中で『天秤』の大声が響いて、心臓が口から飛び出しそうになる。

 

『に、人形が……』

 

 震える『天秤』の声。

 見ると、エニの『天秤』人形が、『天秤』から無くなっていた。

 元々、ただの『天秤』にくくり付けられた天秤人形は細い糸で繋がっていただけだ。

 ソニックブームが出るような速度で移動する神剣持ちに、くっ付いていけるわけが無い。

 落とすのは必然だった。 

 落とした場所は、間違いなくエーテル変換施設の所だろう。

 

「まったく、もっと早く言えっての。さっさと取りに戻るぞ」

 

『馬鹿な! あんな綿と糸で出来た人形に価値など必要ない!』

 

「分かった。いらねーんだな。だったらそれまでだ」

 

 横島は踵を返す。

 あまりにあっさりした横島に、『天秤』が怒りの声を上げた。

 

『それでいいのか!? あの人形は、エニが命を掛けて持ってきたのだぞ!! それを……それを!!」

 

「おい、言ってることが可笑しいぞ。お前が必要ないっていったんだろーが」

 

『ぐっ……わ、私の意志なんてどうでも良いではないか!? それよりも主はどうなのだ」

 

「何で俺に振るんだよ。あの人形は、エニがお前の為に作ったもんだ。拾うも捨てるもお前次第だろ」

 

 冷たく、突き放すように言う横島に『天秤』は絶句する。

 横島が、ここまでエニに対して冷たい態度を取ること自体が信じがたい事であった。

 怒りと、悔しさと、なによりエニへの愛情が『天秤』の中に湧き上がってくる。また感情が爆発しそうだった。

 しかし、彼には責務があった。期待があった。それが、鎖のようになって彼の精神を雁字搦めに縛り続ける。

 

「お前が何を考えているか、何を背負ってんのか、俺には分からん。何となくは想像付くけど、こういうのは他人に決めてもらうもんじゃないしな。

 俺から言えるのは一つだ、拾うか、それとも拾わないのか……どっちだ」

 

 沈黙が降りる。

 いつのまにか、ネリー達の姿は傍から消えている。

 どうやら置いて行かれたらしい。どうするにしても、ここにいつまでも留まるわけにはいかなかった。

 

 『天秤』は必死に言おうとした。

 

 『拾わない』と。

 エニの残した人形なんて、必要無いと。

 しかし、どうしても言葉が出なかった。

 

『拾いに行きたい……拾いに行きたいが……しかし!!』

 

 『天秤』がついに言った。

 どうしてそこまで躊躇するのか横島には分からなかったが、拾いたいと言ったならやることは決まっている。

 

「それじゃ、行くぞ」

 

 来た道を引き返す。

 勝手に単独行動を取れば怒られるだろうが、どうせ大して時間もかからない。

 

『駄目だ! 待て! 行くな! 行けば……ぬぞ』

 

 どうしたわけか『天秤』が喚き始める。本当に訳が分からない。

 だが、横島は気付いていた。それが本心ではないと。

 何故なら、本当に行かせたくないなら干渉して頭痛でも引き起こせばいいのだ。

 『天秤』は最後まで喚いていたが、それだけだった。

 数分後、横島はエーテル変換装置の前にたどり着く。

 

「おっ、あったあった」

 

 やはりエーテル変換装置の前に人形は落ちていた。懐に人形をしまう。

 そこで、気付いた。

 

 巨大な神剣に周囲のマナが集まっていく。

 しかし、エーテルに変換しているようすは無い。ただただマナが集まってくるだけだ。破裂寸前の風船を横島は頭に思い描く。

 周りの機器は異常な駆動音を発している。どれほどの熱を持っているのか、湯気が辺りに立ち込め始めていた。

 素人目でも異常事態が起こっていると分かる。

 

「な、なんだ! なんつーか……すっげえヤバイ気配が」

 

 幾多の死線を乗り越えてきた勘が告げる。

 特大級の危険が迫っている。ふと、エスペリアの蒼白な顔色が思い出された。

 

『はっははははははははは!!』

 

「うおっ! 何いきなり笑ってるんじゃあー!」

 

『はは! すまないな。まさかこんな結末になるとは思いもしなくてな。

 はははははははははははははははは! ああ~すまない。本当に……悪かった』

 

 狂気が宿ったような笑いと、冷静な謝罪のギャップが不気味だった。

 自身の破滅を知ったものがこういう類の笑いをするというのを、横島は知っている。

 

「お、おぃ『天秤』。ちゃんと説明しろ!!」

 

『この場でマナ消失が起ころうとしているのだ』

 

「マナ消失ってなんじゃい!」

 

『簡単に言えば爆発だ。厳密には違うのだが、結果的にはそうなるだろうな。威力は……そうだな。第七位程度の神剣規模のマナ消失なら、主の世界で言えば……核程度だろう』

 

「ハングライダー……」

 

『それは「かっくう」だ」

 

「この印籠が目に入らぬか!」

 

『それは「角さん」だ』

 

「ひざ」

 

『かっくん……遊ぶな』

 

「海賊王に、俺はなる!!」

 

『それは……って、何の関係も無いではないか。せめてサ○デーネタを使ったほうがいいぞ』

 

「じゃ、じゃあ~」

 

 必死に目を逸らそうとする横島だったが、現実は残酷だった。

 

『万が一、マナ消失爆発を耐え切れたとしても、次に訪れるマナ嵐に巻き込まれて我らはマナの塵となるだろう。

 謝って済むことではないが……本当に悪かった。全て私の責任だ。私は駄目な神剣であった。

 共にマナの塵となり、この時間樹の肥やしとなって、いずれ訪れる原初に取り込まれるのを待とう』

 

 『天秤』は死の宣告を送る。完全に生きるのを諦めていた。

 流石の横島も核の直撃を受けて「あ~死ぬかと思った」で済ませられる自信は無い。

 しかも、それを乗り越えたとしても『マナ嵐』なるもので死ぬという。核爆発並みの衝撃より、そちらのほうが危険らしい。

 

「い、いやじゃあ~!! 死ぬのは嫌や~!」

 

 目からは涙を流し、鼻水を垂れ流し、耳からは耳汁を発射する。

 顔中を液体まみれにしながら逃げ出そうとする横島だったが、

 

『やめておけ。今更逃げ出した所で範囲外まで行けず、爆発に飲み込まれるだけだ。まだ、障壁で守りを固めたほうが生きる可能性はずっと高くなるだろう』

 

「そうゆーことは先に言えっつーーの!!」

 

 足を止めて強力な障壁を張ろうとする横島だが、

 

『それでも、マナ嵐に巻き込まれて死ぬだろうが』

 

「どうすりゃいいっちゅうんじゃあ~!!」

 

『だから言っているだろう。どうしようもない。無理なものは無理であると、主も知っているだろう』

 

 確かに知っている。出来ないものは出来ない。

 それに『天秤』は頭が良い。無駄な事はしない性質だ。本当にどうしようもないのだろう。

 せめて文珠があればまだ何とかなったかもしれないが、エニとの戦いで無理やり文珠を作成した影響で、まだまだ作れる気がしない。

 

「嫌じゃあ~! 童貞で死ぬのはイヤアァァーー!!」

 

『その台詞は死にそうになるたびに言ってるな』

 

 パニックな横島と自暴自棄な『天秤』のコンビ。

 命運尽きたか。

 そう思われたが、そこは強運の持ち主である横島だ。救いの女神が降臨する。

 

「これは何事ですか?」

 

 落ち着いた女の声が響いた。 

 ぼんやりと横島は声のした方を向くと、セリアがポニーテールを揺らして不審そうにこちらを見ていた。

 

「うあぁ~ん! セリア~! 一発やらしてくれぇ~!!」

 

 ぴょ~ん、と横島は唇を突き出しながらセリアに飛びつく。

 命の危機に、生存の本能が刺激されたらしい。いつも通りだが。

 

 セリアはこしをふかくおとし、まっすぐにあいてをついた。

 

「ごぶあ!!」

 

 セリアのせいけんづきを食らって、横島が吹き飛ぶ。

 

「いきなりなにするだー!!」

 

「いきなり飛びついてくる方が悪いと思います」

 

 まったく道理だった。

 

「勝手に一人で行動しないでください。それで、これは一体何事ですか。また、貴方が何かしたのですか」

 

 セリアが巨大な神剣、エーテルコンバーターを指差す。

 機械はプスプスと煙を出していて、水晶にはひびが入っており、駆動音はますます大きくなっている。

 破滅の時は刻一刻と迫っていた。

 

「……なんってこったい」

 

 目の前のセリアを見て、横島はパニックから絶望へと叩き落とされた。

 セリアを巻き込む形になってしまった。後悔が押し寄せる。

 昨日の事といい、どうしてこんな事になってしまったのだろう。

 

「その……セリア。昨日のあれは、俺がやった事じゃないんだ。あれはこいつ(天秤)が俺の体を操ってやったことで……あっでも、こいつにはこいつの事情があったっていうか……」

 

 しどろもどろになりながら横島は必死に言葉を紡いだ。

 誰を責めるわけではなく、しかし自分の所為では無いと切に訴える。まるで心残りを少しでも減らそうとする、死刑執行前の囚人のようだ。

 

「ふっ」

 

 セリアは怒りと呆れを混ぜ合わせたような表情で横島を見た。そして、息を大きく吸うと、

 

「貴方は馬鹿ですか。いつも貴方がやっていることでしょう!

 風呂は覗こうとするわ、胸やお尻を触ろうとしてくるわ、いきなり抱きついて頬ずりしてくる人が今更何を言っているんです。自他共に認める変態で、煩悩魔人で、私がどれほど苦労してきたか分かっていますか。大体、『天秤』の所為にするなんて恥ずかしくないんですか。今更謝られたって許せるわけありません。

 許して欲しかったら……」

 

 ゴゴゴゴゴゴゴと凄まじい擬音を貼り付けたようなセリアの笑みに、横島は圧倒される。

 

「ゆ、許して欲しかったら?」

 

 ごくりと、唾を飲み込みながら恐る恐る横島がたずねる。

 

「私と一緒に、生き残りましょう」

 

 セリアは微笑んだ。

 

 母のように強く。

 姉のように優しく

 妹のように愛らしく。

 恋人のように――――ではなかったが。

 

 ドクン。

 

 心臓が強く脈打って、全身がかあっと熱くなった。

 

「こ、これはもう愛の告白としか!!」

 

「なます切りにされたいですか?」

 

 興奮する横島の首に神剣をひたと当てるセリア。

 しくしくと涙する横島。

 いつもの二人だった。しかし、二人にとってそれが幸せなのだった。

 

「それで、どうやったら生き残れると思います?」

 

「こいつ(天秤)が言うには、何でも障壁を張ったほうが生き残れる可能性が大きいらしいけど……」

 

「じゃあそれでいきましょう」

 

「ただ、マナ嵐が来てどうたらこうたらで駄目とか」 

 

「……そのマナ嵐とやらは来たときに考えましょう。今は、そのマナ消失爆発とやらをなんとかしないと」

 

 セリアはそう言うと、横島の背中に回りこんで彼に抱きついた。

 もっとも、抱きついたと言っても両手はセリアの永遠神剣『熱病』が握り締められているのだが。

 

「おおおっ! 背中におっぱいが……これは伝説の萌技『当ててのよ』!!」

 

「はいはい、落ち着いて。少しでも爆発の影響を抑えるためです。障壁も集中させなくてはいけませんから……やっ、ん! こ、こら! 背中を揺らさないで!!」

 

「これで48の煩悩技! 『当ててんのよ(ぷるんぷるん)』だ!!」

 

「ぷるぷるさせるな!!」

 

 こんな時なのに横島は変態だった。だからこそ、横島だった。

 横島がどのように反応するかセリアには分かっていたのだろう。セリアはとても落ち着いて、彼に反撃している。

 だが、横島には見えなかったがセリアの頬は『熱病』にかかったかのように真っ赤だったりしたのだが。

 

 おっぱい>>>死の恐怖。

 

 逃れられぬ死が眼前に迫っている。それでも、おっぱいは正義!

 圧倒的な暴力がこの身に刻まれる。やっぱり、おっぱいは正義!

 塵一つ残らずにこの肉体は果てる。とにかく、おっぱいは正義!

 

「ふぉぉぉぉぉ!!」

 

 背中に押し付けられた二つの膨らみが横島をどこまでも強くする。

 それに伴い、横島が作り上げるオーラと霊力を混合させた障壁は、強く、硬く、大きくなっていく。

 

「硬くするのはいいけど、大きくしないで! ぎりぎり入るぐらいにしないと」

 

「おお、任せとけ! 大きさだけが強さじゃないのは日本人の常識じゃあ! セリアも、もっと強くだきしめてくれ!! 生き残るためだからな!!」

 

「……まったくもう、本当にいやらしいんだから」

 

 呆れ3割、羞恥3割、怒り3割、愛情1割な笑みをセリアが浮かべる。

 それが横島には堪らない。馬鹿みたいな力が横島に宿り練り上げられていく。

 女性のために戦う横島は、ただ強い。ひたすら、強い。

 

 しかし、それでも。

 

『……主よ、何故無意味な事をするのだ』

 

 生き残れない。

 『天秤』は無常に判断していた。

 

 しかし、彼の聡明な頭脳は一つだけ助かる可能性が上がる方法を導き出していた。

 それは、障壁を広げずに一人分だけ展開すること。

 ここで横島の意識を乗っ取り、セリアに横島分の障壁のみを作るように指示すれば、あるいは千に一つは助かるかもしれない。

 マナ嵐は自分の能力を使えば生き残れるかもしれない。

 そこまで考えた『天秤』だったが、すぐにその考えを放棄した。理由は一つ。

 

 ――――面倒くさい。どうとでもなれ。

 

 エニが死んで全てが色あせたような気がした。

 無為無価値無意味。

 何もかも、どうでもいい。

 

(はあっ、貴方って本当にダメダメねえ)

 

 今まで事の推移を見守っていたルシオラが、呆れたように声を掛けてきた。

 

(そのような事、当に知っている)

 

 貶されたが、『天秤』は怒りもせずにあっさり認める。

 今までの『天秤』が思春期特有の全能感に溢れた少年だったら、今の『天秤』は自分の限界を悟って全てを投げ出した青少年と言った所か。

 極端から極端に走るのも、精神が未熟な少年の性である。

 本当に人間的な神剣だと、ルシオラはこんなときだと言うのに微笑ましくなった。

 

(方法が無いとか、疲れたとか、そういう問題じゃ無いのよ! 貴方はどうしたいの! 生きたいの、それとも死にたいの!?)

 

 ルシオラの激励にも似た問いかけだったが、『天秤』には何も答えが浮かんでこなかった。

 生きたいとか、死にたいとか、だからどうしたと鼻で笑ってやりたい。

 敬愛する上司の命令を聞けなかったのは悔しいし心苦しい。しかし、それだけだった。

 

(知らぬ)

 

 『天秤』は不貞腐れたように呟く。

 まるで拗ねた子供だ。

 中学生の教師をやっているような気分だと、ルシオラは思った。

 

(エニの最後の願い……なんだったのか知ってる?)

 

(……なんだ?)

 

(忘れないで……よ。エニは、自分の事を忘れてほしくなかった。勿論、横島じゃなくて貴方に忘れてほしくないのよ)

 

 実際は違う。エニの最後の願いは、そんな綺麗なものではなかった。

 『天秤』自身にではなく、横島に言った時点でそれが普通の物ではない事が知れよう。

 だが、嘘を言ったわけではない。エニの最後の願いは『私を忘れないで』と言った様なものなのだ。 

 

(貴方が死んでも、神剣世界の大義とやらは変わらないかもしれない。でも、貴方が死ねば、エニの一生は無駄だった)

 

(……別に私でなくともいいだろう。横島とてエニの事は忘れないはずだ)

 

(無理ね。ヨコシマはいずれエニの事を忘れるわ。他のスピリットもそう。貴方の上司もそう。死者は、いつか過去になる。それが正しいのよ)

 

(ふん、死人が語ることか)

 

(まったくね)

 

 苦笑するルシオラに、『天秤』は苛立つ。

 何を言われても、無性に腹が立つ。満たされない。

 

(まったく、仕方がないわね。貴方が何を求めているか、私が教えてあげるわ)

 

(なん……だと……!!)

 

 この渇きを、この飢えを、満たせるというのか。

 自分自身ですら、何に飢えているか分からぬというのに。

 

(ふふ……それじゃあ、いくわよ! すぅーーーーーーっ!

 貴方は本当に愚かで、馬鹿で、鈍感で、アホで堪え性がなくて、実はとってもむっつり助平で、デブチビトンマ!

 それでそれで、ええと……この早漏! ドジ間抜け! その上、のーたりんであんぽんたんですかんぴんでとんちんかんで……おたんこなす!!

 それで、それで、えーと、えーと……この無職どーてーにーと!!」

 

 罵倒、罵倒、罵倒の嵐。中には妙な言葉もあったが、全てがネガティブな意味を持つ言葉だった。

 誇り高い『天秤』は、その罵倒の言葉を――――静かに受け止めた。

 

 『天秤』自身も、どうして罵倒を甘んじて受けているのか理解できなかった。

 不思議に思っている『天秤』に、ルシオラは静かに話し始める。

 

(貴方は、叱ってほしかったのよ。エニが横島に好意を持ったと勘違いして、予定を早めてエニを殺すように仕組んだ。一般的に考えて、とても悪い事を貴方は成した。それなのに、貴方を叱る人は居ない。

 上司は褒めて、横島は同情して、セリアもハリオンも貴方を許した。真面目で、善良な貴方はそれが耐えられなかったのよ)

 

 ルシオラの言葉を、『天秤』は否定できなかった。

 罪には罰を。そういう精神が、『天秤』には根付いていたのだ。

 

 求めていた『罰』を受け入れて、『天秤』は自分の心が晴れていくのを感じた。それは、自分の心を見つめなおす作業に他ならない。

 そして、誰もが知っていた事を、ようやく自覚する時が来た。

 

 ――――嗚呼、そうだ。私はエニが好きだったのだ。

 

 自分はエニを愛していて、それを失った事が悲しいのだ。自分の勘違いで、エニの死期を早めた事を悔やんでいるのだ。

 一度、それを認めてしまうと後は楽だった。苦しく悲しい事は悲しいのだが、しかしその正体にやきもきする必要ないからだ。牧師に罪を打ち明けた罪人のように、『天秤』の気持ちは晴れ晴れした。

 

 そして、エニのためにも生きていこうと、『天秤』は決心する。

 恐らくは、上司に今回の失態を責められて自分は消滅するだろう。それでも、生きる為に行動する。それだけでない。何とかして、横島とセリアだけでも生き延びらせてやると、『天秤』は誓った。

 

『あるじ……いや、横島!! 生き残るぞ!!』

 

「当たり前じゃあ!! 生き残って、ハーレムを作るんじゃあ。勿論、セリアを入れて!!」

 

 生存への強力な欲求が伝わってくる。性欲も凄まじい。

 

「そうね。生き残ったら、まずヨコシマ様を亡き者としましょうか!」

 

 凄まじい笑いを浮かべて、セリアが言う。こちらも生きる意志が半端ではない。

 

 セリアの神剣『熱情』と『天秤』が重なる。

 六位以下の神剣には自我と呼ばれるものは少なく、ただ本能によって行動しているものが多い。

 『熱情』も明確な自我は無かったが、しかし。生きようとする純粋な本能は燃え盛っていた。

 それが、『天秤』には心地よい。心が、燃えるようだった。

 力が湧く。しかし、それでも足りない。ならば、

 

(ルシオラよ、汝をまた喰らうぞ……良いな?)

 

(食べて生きるのに、良いも悪いもないでしょ)

 

 一喝されて、『天秤』は笑う。

 その通りだ。食べて生きるのに理由など必要ない。

 生きたいから生きる。だから、食う。

 どれほどの罪があっても、それは変わらない。

 

 横島の、セリアの、『熱病』の、『天秤』の、意思が重なる。

 二人と男女と二本の神剣は共鳴して、力は、障壁は何倍にも強くなる。

 文珠の『同』『期』に近い現象だった。いや、そのものと言ってもいい。

 圧倒的な、世界を分かつほどの強力な壁が横島達を覆い隠す。

 

 その時が来る。

 それは、限界まで膨らませた風船が遂に弾けたように、とつぜん起こった。

 

 マナ消失。空間の消失。空間の爆発。

 それは、世界を滅ぼす一手にすら成りうる究極の破壊。

 

 風が叫び、大地が割れ、マナが泣いた。世界が震える。

 光と衝撃が広がり、ドームのようにイースペリアを覆っていく。人の営みを送っていた町は、ただただ破壊され蹂躙される。

 悲鳴も、涙も、そこにはない。苦痛も悲劇も、認識する時間を与えられなかったから。

 

 あっさりと、その国から命が消えた。

 

 

「い、いました~!! 生きてます! 二人とも!!」

 

「ヨコシマ様の状態が相当酷いわ。早く回復を!」

 

「了解です~。それにしても、セリアさんの方は……きっと手厚い看護が受けられそうですね~」

 

 イースペリア王国は崩壊した。

 その血統は絶え、国としての体を完全に失い、ファンタズマゴリアでは類を見ないほどのおびただしい犠牲者を出しながら。

 ラキオスはいち早くイースペリアに救援を送る。食糧、清潔な水、衣料品、医者、医薬品、土木作業員、石材木材等、大量の物資人材が災害から数日で運び込まれた。おかげで難民流民が出る事は少なく、さらに迅速な疎開の手配もなされ、治安もさほど悪化せずに済んだ。まるで準備でもしてあったかのようなラキオス王の迅速な手腕に、国内外から賛美が寄せられて、王は自尊心を大いに満足させた。

 

 ラキオスはこの大災害の原因をイースペリア自身の手による自爆だったと発表する。悠人の推察通り、民達はイースペリアが同盟を破った事など知らなかったようで、全ての怒りをイースペリア王家にぶつける事となった。もっとも、関係者は皆死んでしまっていたので、一体なぜ同盟を裏切ったのか、という理由は明らかになることはなかった。

 

 民を巻き込んで自爆による自決という手段など取るわけが無い、そう勘ぐる者もいた。しかし、表立って吹聴できる者は皆無であった。もしそれが事実であったのなら、犯人はほぼ確定してしまう。

 壊滅的なダメージを負ったイースペリアの人々は、ラキオスの救助が無ければ生きてはいけないほど追い詰められていた。血筋も絶えた無力なイースペリアに選択権など無く、ラキオスに併合されるのは自然の成り行きだったのだろう。

 

 真実を知っている悠人達は民衆の嘆きの声と自責から逃げるようにラキオスに戻った。当然であるが、自分達が原因でマナ消失が起きた事は言ってはいけないと通達があった。誰もが心に暗い影を落としていたが、特に知らなかったとはいえ引き金を引いたエスペリアの苦悩はどれほどのものか想像もつかない。

 

 エニの死。イースペリアの惨劇。横島の大怪我。

 肉体的、特に精神的に疲労が重なる悠人達だったが、未だ休息は許されない。

 国は滅んだというのに、未だサルドバルトに居座っているイースペリアのスピリット達を討伐せよと命令が下る。

 大地は、雲の如く荒々しく動き続けていた。



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第二十一話 休息、急転

 黒一色の世界。

 そこに、白の幼女と一本の日本刀が浮かんでいた。『天秤』と彼の上司である。

 いつもの怪しげな密談。いや、いつものと言うと少し語弊がある。一人と一本の間にはただならぬ緊張が張り詰めていた。

 

「さて、これは一体どういう事なのでしょう。答えてもらいますわよ。『天秤』」

 

 白い幼女は丁寧な口調で『天秤』に話しかける。

 だが、その丁寧さとは裏腹に、声にはまったく温かさが無かった。

 当然だ。幼女は審判を下す者にして断罪者。裁きを掛ける者に対して憐憫を抱くなどありえない。

 

『はっ、なんなんりと』

 

 怒れる己が上司の姿を前にして、『天秤』は落ち着いていた。この幼女の指先一つで消え去るというのに、平静そのもの。彼は覚悟を決めていた。

 声一つ震わせず、特に気負った様子もない『天秤』に、幼女は不快そうに眉を顰める。目つきを鋭くして『天秤』を睨みつける幼女。それでも『天秤』はうろたえない。

 

「貴方は知っていました。イースペリアでマナ消失が起こると。それがどれだけの規模になるのかも。はてさて、だと言うのに一体どうして爆発の中心部にいたのでしょう? 任務を放棄して自殺でもする気でしたか?」

 

『弁解のしようもありません。そのとき私は自暴自棄になっていました。任務を放棄し、死すら構わないと思っていたのです』

 

 死んだか?

 

 『天秤』は今この瞬間に意識が消え去るかどうかを危ぶむんでいた。

 紛れも無く背信行為を取った自分を生かすわけが無い。刹那の間に砕かれ、マナの霧に帰るかもしれなかった。

 幼女は『天秤』の返答に彼を睨んだが、それでも『天秤』がうろたえないのを見ると呆れたように溜息して、

 

「ふ~まったく。どうして自暴自棄になったのか一から話しなさい。

 虚偽の報告は許しません。まあ、私を騙せるとは思っていないでしょうが」

 

 冷たく突き放すように言った。どうやら、言い訳を聴く気になったらしい。

 

 救われた。

 『天秤』は泣きたいほど感謝した。もしこの身を砕かれ意識を永遠に消失しようと、自分の意思と考えを誰かに伝えておきたかった。

 

 『天秤』はゆっくりと語る。

 自分の想い。エニの想い。横島の行動。セリアやハリオンの気持ち。

 そして訪れた自分の暴走とその結果。

 

 告白が終わり、幼女は目を瞑って何かを考え込んでいた。

 幼女の表情は平静そのもので、怒っているようでも同情しているようにも見えない。

 だが、その胸中は若い『天秤』に見抜けるものではなかった。

 

「聞きたいのですが、貴方は贄の事を嫌っていたのではないですか? 付き纏ってきて煩わしいと、いつも嘆いていたでありませんか」

 

 その問いに、『天秤』はエニの事を改めて思い出す。

 ベタベタと付き纏い、遠慮なく愛を語ってきた彼女の姿を。

 

『確かに、いつもいつも声を掛けてきて、鬱陶しいと、迷惑だと感じていました。その言葉に嘘はありませんでした。ですが……』

 

 今思えばその鬱陶しさも迷惑も楽しんでいたのだ。

 自分がエニに対して抱いていた感情を言葉にするの難しい。その瞬間は確かに嫌っていたはずなのに、どうして今はこんなにも愛おしく、そして懐かしく思うのか。

 嫌いであっても好きでいられる。何とも形容しづらい不思議な感覚。失って、初めて大切なものに気付く。悲劇の演出ではありきたりだが、そうなる理由が経験で教えられた。

 

『恥を承知で言います。私は消えたくありません! 

 無論、私が犯したミスは砕かれて当然の最悪なものです。

 しかし、ここで砕かれては私はただ道化です。エニは命を懸けて私を愛してくれました。横島も、私の為に行動してくれました。今度は、私の番なのです!!

 神剣世界のため、横島のため、エニの一生を意味のあったものとするために、私は命を賭して横島を我らの陣営に引き込んで見せます。

 どうか……赦しを」

 

 ありったけの熱意を持って、『天秤』は訴えた。

 感情など下らぬと、見下していた『天秤』が情を訴えて赦しを請う。

 そんな『天秤』の在り様を、幼女は冷たい目で眺める。

 

「変わりましたわね。以前の貴方なら、誇りある死を望み、浅ましく命乞いなどしなかったでしょう」

 

 侮蔑の言葉を投げ込まれ、『天秤』は悔しく思った。

 自分は、愚かになったのだろうか。恋や愛という感情に振り回され、阿呆と化したか。

 

 否!!

 

 それは断じて否である。それを『天秤』は確信していた。

 確かにミスはした。感情に振り回され多くの人に迷惑を掛けた。

 しかし、相手の好意も受け取れず自身の気持ちすらも騙していた当時の自分よりも、感情を認めて「エニを愛していた」と高らかに宣言できる自分の方が格好良いではないか。

 

『浅ましいと言われようと、私は今の自分こそが気に入っています! エニは、貴女が教えてくれなかった物を教えてくれましたから』

 

(ああ、死んだな)

 

 言い切って、『天秤』は覚悟を決めた。

 なんという乱暴で立場を知らぬ物言いか。これでは逆切れという奴ではないか。

 

(エニよ、すまぬ。横島も悪かった。次の神剣は、私よりも賢明な者がいくだろう)

 

 『天秤』は、自分の生命を諦める。

 

「よくぞ言ったものです。では、貴方に裁定を下しましょう」

 

 幼女はふわりと浮き上がりながら、『天秤』に向かって小さな手を伸ばした。

 柔らかく小さな掌だが、そこに込められている力は小さい世界なら消し飛ばすほどだ。

 最期に時が迫り、さすがに恐怖を感じて視界を閉じる。

 

 手が刀身に触れる。

 痛みは、無かった。意識を失うことも無かった。

 幼女の柔らかい掌は、膨大な力を解放する事無く、ただ『天秤』を優しくなぞる。

 

「『天秤』……貴方を赦します」

 

 優しく『天秤』に触れながら、幼女は天使のような声を彼に送った。 

 『天秤』は酷く困惑した。許される意味が分からない。

 

『な……何故?』

 

「今度の事は、貴方の苦しみと葛藤に気付かなかった私にも責任がありますわ。よくよく考えれば、契約者以外に話すことが出来るものがいて、しかも自分を好いてくれるものを殺すというのは、どれほどの苦しみなのでしょう。

 それに貴方の意識はまだ生まれて半年程度。知識がいくらあろうと、貴方はまだ幼い……それに気付かなかった私の落ち度です。本当に申し訳ありませんでした」

 

 深々と、幼女は頭を下げた。

 『天秤』は唖然とする。どうしても納得出来なかった。

 

『それは違います! 悪いのは私ではないですか!! 私のミスであり、私の責任のはずです!!』

 

 『天秤』の叫びに、幼女はうっすらと笑いながら首を横に振る。

 

「貴方のミスであっても、この私の責任なのです。だからこそ、私は貴方の上司のようなもの……いえ、親の様なものなのですから」

 

 幼女の言葉は矢のようになって『天秤』の心を貫いた。

 嬉しさと、それに勝る悔しさが胸に溢れてくる。

 期待と信頼を裏切ってしまった。だと言うのに、まだ信じてくれている。

 『天秤』は己の情けなさに硫酸風呂にでも突撃したくなった。

 

「ですが、赦すのはこれで最後です。確かに己の心に抗うのは辛いでしょう。ですが、そこで止まってしまっては神剣世界の癌であるカオスの連中と何ら変わりません。強く心を持ち、『天秤』という、己の銘が意味を良く考えなさい。贄の……いえ、エニの死がどのような意味を持つのかは貴方が決めることだと知りなさい。

 『天秤』。貴方には、それができると、私は……私とエニは信じていますわ」

 

 幼女は力強く笑みを浮かべる。その笑みは、『天秤』のこれからの躍進を信じているからこそであった。

 

 ――――――この方の期待に応えたい。裏切りたくない。褒められたい。

 

 『天秤』の心に強い火が灯る。

 大切な者を失ってしまった。だからこそ、その死を無駄にしてはいけない。エニの分まで生きるんだ。

 

 安易で陳腐な、だからこそきっと正しい選択を『天秤』は選んだ―――――選ばされた。

 

 神剣世界の為に、とその理想と猛々しい鮮烈さを併せ持つ若い『天秤』には、悪意というものがどれほど優しく接近してくるものなのか、いまだ理解していなかった。

 気をつけよう 甘い言葉と 暗い道。

 幼稚園児でも復唱できる簡単な言葉を、彼は知らない。仮に知っていたとして、理解することができない。

 優しさや甘さは、実は善性とはまったく関係ないという事を知らないから。

 その性格と知識を全て把握されている『天秤』に、果たして選択肢などあったのだろうか。

 幼女は笑う。何に対しての笑みなのか、『天秤』は欠片も気付いていない。

 

「それと『天秤』、貴方に一つ贈り物をしましょう。きっと気にいって貰えると思いますわ」

 

 幼女の贈り物が何なのか知った『天秤』は、幼女に崇拝の念すら抱くことになる。

 どこまでも敷かれたレールのまま、世界は進んでいた。今は、まだ。

 

 

 話が終わり『天秤』の姿が消えると、同時に闇の空間も消え去って、辺りは五色の遺跡に切り替わる。

 幼女はふよふよと宙に浮かんでいたが、後ろからカツンカツンと足音が響く。

 

「酷いことするねえ。まるで純真な少年を誑かす魔女みたいだ」

 

 色っぽく、酷くなまめかしい女の声が遺跡に響いた。幼女は後ろに振り返ると、闇の中から一人の女がゆったりと歩いてくる。

 その女の年は20代後半程度。髪の色は薄い緑で髪型はさっぱりとしたショートカット。両目を黒い布で塞いでいて、緑のローブを羽織り、ボンテージで太ももと胸と股間部のみを隠すという、かなり刺激的な格好をしていた。しかも、手には鞭を持っている。

 町でこんな人物が歩いていたら通報されるのは間違いないが、SMクラブにいたらこれほどしっくりくる人物はいないだろう。

 

「あらあら、こんな小さい女の子を魔女呼ばわりなんて、それこそ酷いですわ」

 

 よよよよ、と服の袖で目元を拭う幼女。

 すると女は「そいつは悪かったね」と謝ったが、すぐに何が楽しいのかげらげらと遠慮無く笑い声を上げる。

 幼女は笑い転げる女を見て、可愛く唇を突き出して拗ねたようだった。

 その仕草は恐ろしいほどに完成されている。自分の容貌を完全に把握しているからこそ出来る芸当だ。

 

「それではミトセマール、そちらの経過は報告しなさい」

 

 幼女は微笑を打ち消して素面に戻ると、部下に接するように言った。

 どうやらこの妖絶という言葉を形にしたような女はミトセマールというらしい。

 ミトセマールはまだくつくつと笑っていたが、すぐに真面目な表情を作って報告を始める。

 

「ああ、和平に傾いていた連中は『不幸』にも病気に掛かっちゃったらしくてねえ。それに例の防衛装置のお陰で、交戦派は随分と強気になったみたいだよ。情報戦で完全に上をいっているのも大きいね。もう、干渉する必要は皆無さ」

 

「そうですか、あまり直接的には手を出さぬようにお願いしますわ。『魔が差す』程度が望ましいと心得てください」

 

「分かってるさ。そちらも候補者同士の争いには不干渉って話は忘れないでほしいね。賭けが台無しになっちまう」

 

「勿論ですわ。小細工などしなくても、彼が勝つに決まっています」

 

「そうかねえ? そっちの本命は下手をしたら本番前に死んじまうような予定だったじゃないか。それで、マナ消失爆発では生き延びたのかい?」

 

「問題無しですわ。99%死ぬという状況を作り上げているのに、どうしてか生き残る……流石ですわ」

 

 心底から感嘆したように幼女が横島を称賛する。

 そんな幼女の姿を見て、ミトマセールは何処にでもある光景を思い出した。

 それは、子供が虫の手足を引きちぎって「まだ生きてる、まだ生きてる」と無邪気に笑う光景だ。

 子供は結局は虫を殺してしまうのだが、そうすると死んでしまった虫に「どうして死んでしまうんだ!!」と一種の怒りを覚える事となる。

 ミトセマールの考えでは、もしも横島が死の運命を乗り越えられなければ、この幼女の皮を被った魔女は涙一つ見せる事無く興味を失うだろう。それを、幼女自身も自覚している――――

 

(はずだと思うんだけどねぇ)

 

 ミトセマールは幼女をじっと見つめる。目の前の幼女が近ごろ変わり始めているのには気付いていた。

 外見など変わらないはずの自分たちだが、この幼女は近頃、本当に美しくなってきている。性格も、残虐の中に艶が入ってきているような気がしていた。

 永遠である自分たちが変わるはずは無いのに。

 不思議だ、とミトセマールは首を傾げた。

 

「どうして、そこまであの男を信じられるんだろうねぇ」

 

「それは勿論、愛の力ですわ」

 

 うっとりと陶酔するように幼女が顔を輝かせながら言うと、ミトマセールはまたげらげらと品無く笑う。

 馬鹿にした笑いだった。ミトマセールは、幼女が言う『愛』などという言葉を露ほども信用していない。また、幼女が愛などを信じているとも思っていない。

 

「いい加減、その下卑た口を閉じなさい。私の思いは純粋ですわ。不浄な者には分からないでしょうが」

 

 幼女の顔から感情が消える。そして、周囲の空間が捻じ曲がる。

 ミトセマールは首筋にはいつのまにか短刀が押し付けられていた。いや、首筋だけじゃない。足には槍が、腰には刀が、胸には短刀が、チクリと刺さっている。

 

「悪かった、悪かったって!!」

 

 ミトセマールが必死に訴えて、ようやく武具達は空間に溶け込むように消えていった。

 この話題には今後触れまい。ミトセマールは学習する。

 少なくとも、この女は本気で恋している――――と思い込んでいるらしい、と。

 

「何にしろ上手くいって良かったじゃないか。『天秤』の扱いに失敗して、異能を失ったら元も子もないからねぇ」

 

 ミトセマールが場の雰囲気を変えるために話題を変える。

 異能とは霊力の事だ。

 幼女達にとって、霊力という力は非常に未知数で不確かなもの。完全なる異世界の力。霊力がどうして生まれるのか、自分達の世界にどのような影響を与えるのか、まだはっきりと分かっていない。分かっていることは、霊力の有用性についてだけだ。

 なんとか、霊力を得るためにも横島を味方につけたい。その為には我らが陣営の神剣を与えて精神を支配しなければならない。

 だが横島の霊力の源は煩悩なのである。不用意に神剣に精神を乗っ取らせたら、煩悩が消えて霊力が使えなくなってしまう恐れがあった。

 ならば女好きの神剣を送り込み、その神剣に横島の精神を破壊させ、乗っ取る。それが一番手っ取り早いのではないか、と仲間内で意見がされていた。しかし、幼女は横島の精神を砕くのを断固として拒否した。

 幼女は見ていたのだ。魔神との最終決戦の折、横島が最大の力を発揮したのは肉欲を望んだ時ではない。

 ただ――――ただ女の為に戦った時だった。

 それは、ただ性欲のみを求める者には決して至る事ができない境地。かといって、欲望を捨てた聖人のお人よしでもやはり駄目。

 横島という肉体の力を最大限に引き出すのは、横島以外にいなかった。人格を破壊するなど、霊能を得るためにはやってはいけない。

 

 つまり横島という人格と、その能力。それを手に入れる方法の第一。その為に最低でも成さなければならない条件。

 それは横島と最高の相性を持つ神剣を作り出すことだ。無論、我らに絶対の忠誠を誓うものでなければいけない。

 最高の相性とはどういうものか。幼女達は考えた末、二つの感情が必要という結論が出た。

 二つの感情とは、同感と共感である。その二つがあって、初めて横島専用の神剣が生まれる。

 

 それも、ただ趣味や考えが合うというだけでは駄目だ。そんな表層ではなく、深層で繋がりが無くてはいけない。

 その繋がりを生むために、幼女は『天秤』にエニを殺させたのだ。

 

 それは、愛する者との約束を果たすために、愛する者を殺すこと。

 世界の為に、愛する者を殺すこと。

 愛する者を助ける方法があるのに、助けないこと。

 これらを全ての条件を満たさなくてはならなかった。

 

 愛する者とは、言うまでもなくエニの事である。

 つまり、エニの誕生から今の今まで、幼女の目的は横島の洗脳ではなく『天秤』の改造だったのだ。

 勿論、『天秤』はそんな事を知らない。彼は命令の通り横島の思考を操作していただけだ。それはそれで意味があることだったのだが、どちらかというとミスリードの意味合いが強かった。

 まさか、改造している自分が改造されているとは考えないようにするために。

 

「彼の洗脳はこれからが本番なのです。仲が良い友の言葉は、当然通りやすい。相手を思っての言葉は拒否し辛い。

 洗脳に必要なのは善意と友情。相手を思いやる心。溢れんばかりの愛。愛こそが神剣世界を救う鍵。

 彼は最高のパートナーである『天秤』と共に、必ずや我が陣営に加わり、私を公私の両面で支えてくる事でしょう! それはもう、おはようからおやすみに至るまで!! うふ、うふふふ」

 

 幼女は星が含まれているようなキラキラした瞳をしてニパニパと笑った。

 彼女の足元には本が散乱している。

 題名は、年下の彼氏と歩む。明るい家族計画。寝取り物語。SMの薦め。正しい拉致監禁、等々。

 溢れんばかりのエロスが、幼女から発せられていた。それは未来への希望が発散されているのだ。

 

「愛していますわ! 愛しているのです! ああ、見えますわ、血と愛液に溺れる彼と私の姿が!!」

 

 顔を真っ赤にして体を悩ましくくねらせる幼女の姿を、ミトセマールはニヤニヤして見守っていたが、少し思うところがあるのか表情を曇らせる。

 

「……ほんと、あの男も災難だねえ」

 

 ミトセマールの声に初めて憐憫の色が混じった。心の底から同情している風であったが、口許にはサディスティックな笑みを浮かべて、蛇のように舌をちょろちょろと出している。

 

 ここは、悪意の巣窟であった。

 

 

「そういえば、タキオスはどうしたのですか。最近、姿が見えませんが」

 

「ああ、聞いてなかったのかい。タキオスは死んだよ」

 

「あら、カオスの連中ですか。それとも、どこかの世界の法則にでも引っかかりましたか」

 

「それがねえ、何でもメダリオに殺されたって話だよ」

 

「……私闘は禁じていたはずですが」

 

「何でも、タキオスがメダリオの尻を狙って返り討ちにされたらしい。メダリオは大金星さ」

 

「はて、タキオスに衆道の気はなかったと思いますが……しかし、やっぱり愛ですわ!」

 

「そうだねえ。愛は絶対に勝つんだよ!」

 

「では私たちも愛のある行動をしなければいけませんね」

 

「そう言うと思って、ここにボラギノール(カラシ入り)を用意してあります」

 

「素晴らしいですわ。早速メダリオを呼び寄せましょう! きっと傷心中ですから喜んでくれますわ!」

 

 ――――ここは、悪意の巣窟であった。

 

 

 

 永遠の煩悩者

 

 第二十一話 休息、急転

 

 

 

 気持ちいい。

 

 朦朧とした意識の中で、ただそう感じていた。

 熱い何かが体の上を擦ってくれる。そして汚いものを洗い流してくれる。それは強くなったり、弱くなったり、緩急をつけて体の隅々までやってきた。この辺りを拭いて欲しいと願うと、こちらの意思を汲み取ったかのようにそこを拭いてくれるのだ。

 何ともいえない快感に浸っていると、今度はえもいえぬ良い匂いが漂ってくる。まるで蜜に誘われた蝶のように、頭をふらふらと良き匂い元へと移動させる。

 すると、ふにょんと柔らかいものが顔に当たった。

 

「きゃ!」

 

 女性の悲鳴。その声に、横島はようやく覚醒した。妙に重たいまぶたをゆっくりと開ける。

 場所はラキオスの自分の部屋だ。ベッドで寝かせられていて、素っ裸である。パンツすら穿いていない。毛布が下半身にのみ掛けられている。

 そんな自分の胸板に温かいタオルを当てているセリア。

 導き出される答えは、

 

「今度は……朝這いか?」

 

 呟くと、セリアの顔が羞恥と怒りで赤く染まる。そして握りこぶしを作って、頭上に振り上げた。

 あ、叩かれるんだな。

 特に疑問に思うことなく理解した横島は、次の瞬間の衝撃に備えて目をぎゅっと閉じる。

 

 衝撃は来た。

 しかし、それは強烈なものではなく、冷たく気持ちの良いものだった。

 恐る恐る目を開けてみると、セリアの冷たい手が額に優しく当てられている。

 

「熱はまだ少しあるみたいですね。体の調子はどうですか? どこか痛いところや、苦しいところはありますか?」

 

 痛いところ? なんのこっちゃ。

 意味が分からず首を捻ろうとして、目の前がスパークするほどの痛みが首に走る。

 悲鳴を上げようとのどに力が入ると、今度は喉と腹が痛い。声にならない嗚咽のような音が口から洩れた。

 

「力を抜いて……そう、ゆっくり呼吸……はい」

 

 母親を思わせるような慈悲深い声。

 横島は無意識にその声に従った。

 喉に力をいれないよう、空気を大量に肺に流し込まないよう、慎重に息を吐いて言葉を作る。

 

「な、なんじゃこの痛みは……小錦か!? パワーアップした小錦がどっすんなのか!」

 

 全身を切り裂かんばかりの痛みに、ようやく横島の意識は完全に覚醒した。

 腕が痛い。足が痛い。胸が痛い。腹が痛い。どこもかしこもとにかく痛い。

 痛む箇所を確かめると、傷は殆ど無いのだが、それでも肉が破れた跡が残っていた。腕も足も細くなっていたし、髪も伸びているようで頭も重い。

 

「マナ消失……いえ、正確にはマナ消失によって発生したマナ嵐によるダメージです。全身のエーテル結合がズタズタになっていて、回復魔法を掛けても正しい効果が望めませんでした。筋肉痛と同じようなもので、安静にしていれば回復するらしいです……いくつかの傷は残るかもしれません」

 

 傷跡が残る。これがどれほどの事か、永遠神剣を携えないものには理解できないだろう。腕が切断されようが、上半身と下半身が別れようが、全身が炭になろうが、その瞬間なら神剣魔法でちょちょいと回復できるし、時間がたっても辛抱強く掛け続ければいつかは全快するのだから。

 今回、横島が受けたダメージの大きさと特殊性が良く分かる。

 

「そっか。でも、あの状況で生きて帰れるなら御の字だな~

 あっ、セリアは大丈夫か! まさか、その白い肌に傷が!?」

 

 セリアを心配すると、途端に彼女の顔色が変わった。

 母親のように優しい顔だったのに、唇を噛み締めてキッと睨みつけられる。

 いきなりの豹変に横島はビックリした。

 

「何故……」

 

「へっ?」

 

「何故あのような行動を取ったのか……答えてください」

 

「あのようなって?」

 

「ふざけないでください。障壁が破れた時の事です。真面目に、答えて」

 

 答えてと言われた横島だったが、分からないものは分からない。あのような行動、とは一体なんだろう。そもそも、障壁が破れた事すら記憶に無い。

 怒ったように眉を吊り上げているくせに、何故か目は悲しそうなセリア。理由は分からないが罪悪感が横島の胸によぎる。

 何か笑わせる言葉を引き出したかったが、何も浮かばなかった。

 

「すまん。マジで分からんのだけど……」

 

 ふざける事は無く、素直に横島は答えた。本当に分からないのだ。

 別に記憶喪失ではないと思うが、爆発の瞬間はとにかく必死で、いったい何をしたのかなんてわからない。覚えているのはセリアの柔らかさと温かさだけだ。

 いや、石鹸やミルクのような、とにかく良い匂いも覚えている。

 そういえばうなじにホクロがあったような――――

 

「もういいです! 貴方という人は本当に! 人の気も知らないで!!」

 

 顔を真っ赤にして怒ったセリアは、乱暴に扉を開けて出て行った。

 どうして怒られたか分からず、頭上にクエッションマークを浮かべるしかない。

 

「う~ん、何か怒るような事言ったか? なあ『天秤』」

 

『さてな、女心というものは難しい。いや、感情は興味深いな』

 

 何だか面白そうな『天秤』の声。

 声から聞こえてくる調子が、何だかいつもと違う。偉そうな感じがなりを潜め、好意というか興味というか、楽しそうな声だった。随分と機嫌が良いらしい。

 

「はぐらかすな。知ってんだろ」

 

『……簡単に言えば、どうしてセリアは元気なのに、主はこうしているか、ということだ』

 

「はあ?」

 

『まあ、疑問に思うことは無い。思われても少し困るしな。セリアは別に怒っているわけでは無い。ただ、納得していないのだ』

 

 『天秤』がそう答えて、横島としては納得がいった訳では無かったが、怒ってないならそれでいいか、と一先ず納得することにした。

 

「そうだ、人形はどうなった!」

 

 『天秤』は自分の中にいる。それは人形は『天秤』と離れている事を示している。

 あれだけ苦労しておいて人形が吹き飛んでいたら目も当てられない。

 

『ふっ、大丈夫だ。問題無い』

 

「それだけ聞くと、何だかむちゃくちゃ不安になるな」

 

『何を訳を分からぬことを言っている。出るぞ』

 

 横島の体から金色のマナが溢れたかと思うと、すぐにそれは日本刀の形に固まる。

 出現した『天秤』には、つばの所にしっかりとつばの無い天秤人形がくっ付いていた。

 それが意味するところは、この天秤人形はマナで出来ていて、『天秤』と一体化しているという事だ。

 綿という材質が、マナに変わる。ありえないことが起こっていた。

 

「おま……どういうこった?」

 

『ふっ、愛の奇跡とでも言っておこうか』

 

「愛の奇跡って……お前……」

 

 絶句する横島に、意味不明な自信を誇る『天秤』。中々に珍しい光景だ。

 変わったとは思ったが、何だか妙な変化をしたようである。

 悪いとは言わないが、しかし人様に胸を張れるような人格者になったわけではないだろう。

 

「変わったつーよりも変になったな」

 

『なに、自分が未熟者だったと理解しただけだ。自分の未熟を知ることができるのも、私の凄さだろうな』

 

「やっぱ変わってねーかも」

 

「まあ……亡くしてようやく気付く程度の凄さだかな……」

 

 胸に痛みが走る。『天秤』の心が横島にも流れ込んできた。

 『天秤』は悲しんでいる。苦しんでいる。しかし、それを表に出してはいない。

 

 ああ、そうか。

 横島は納得がいった。人は、この場合は神剣であるがここでは人と言おう。人は、悲しみの中で前に進もうとすると明るくなるのだ。笑い、喋り、足を前に出す。泣きながらでも笑う事が出来る。自分らしく生きるために。

 横島は、そのことを良く知っていた。

 

 コンコン。

 ノックの音が響く。

 横島が返事をする前に、ドアが開く。

 

「ヨコシマ様~入っちゃいますよ~入っちゃいましたよ~」

 

 入ってきたのはハリオンだった。

 その手には着替えや毛布等の品がどっさりと持たれている。

 ハリオンは横島の顔を見ると、嬉しそうににっこりと笑った。

 

「お久しぶりです~」

 

「久しぶり……っすか?」

 

「あらあら~セリアは話しませんでしたか。ヨコシマ様は二週間も寝たきりだったんですよ~だから、久しぶりなんですよ~」

 

 二週間も眠りっぱなしだったと聞いて、横島は目を丸くして驚いた。元の世界でもギャグ補正すら上回る「プッツン」で病院に入院した事があったが、どんな場合でも一週間で退院していたのだ。

 

「迷惑かけてすんません」

 

「迷惑なんかじゃありませんよ~それにヨコシマ様を看病していたのはセリアさんですから~」

 

「そうなんすか?」

 

「はい~二週間の間、一日中つきっきりで~数時間おきにタオルを替えて、水を飲ませて、体を拭いて、下の世話まで~」

 

「し、下の!?」

 

「嫌な顔一つしないで~一生懸命でした~」

 

『確かにな、手厚く丁寧に全身を清潔に保ってくれたぞ。汚物で汚れたシーツはすぐに代えてくれたしな。それに水は一度沸騰させたものを冷ました白湯で、質の良い果糖も混ぜていて体に優しいものであった』

 

 横島は顔を真っ赤にして、あぅあぅと意味不明な声を上げた。

 羞恥心。彼には無縁とも思われた言葉だが、全く無いわけではなかったらしい。

 二週間も寝たきりだったはずなのに体はさっぱりしていて臭いもしない。そして尻の穴には不快感が全くない。本当に隅々まで、完膚なきまで世話してくれたのだろう。

 全身を隅々まで探検されてしまったわけだ。

 

「鬱だ。死のう」

 

「冗談でもそういう事は言っちゃだめです」

 

 珍しく怒ったようにハリオンが言った。

 

「私たちがどれだけ心配したと思ってるんですか~! ぷんぷんです」

 

 頬をぷくっと膨らませて、横島を睨みつけるハリオン。

 可愛い怒り顔に横島の顔がでへっとにやける。

 

「もぉ、笑いごとじゃありません~!」

 

 ハリオンの瞳に光るものが滲んできて、横島も真面目な顔になった。

 

「本当に……ほんとーに心配したんですよー!

 ネリーさんもシアーさんもヘリオンさんも泣きながらヨコシマ様とセリアさんを探して、それにナナルゥさんがあんなに大声を出したのは私も初めて聞きました。ヒミカなんてマナ嵐の中を探しに行こうとして二ムさんが必死で止めて……たくさんたくさん大変だったんです。

 私だって回復魔法が中々効かなくてとってもと~っても心配したんですから~」

 

 ハリオンはその光景を思い出したようで、顔を青ざめさせていた。目には涙まで浮かんでいる。

 その表情を見て、横島はようやく彼女らにどれだけ心配を掛けていたのか理解した。

 

「お願いですから~あまり無理をしないでくださ~い!」

 

「分かりました! これからは無理しないで、たっぷりねっとりとハリオンさんに甘えます!!」

 

「はい~どーんと甘えちゃってください~」

 

 ニコニコとハリオンが微笑む。エメラルド色の目からは、無限の慈愛が溢れている。可愛いとか、美人とか、巨乳とか、そんなものを超越していた。

 

「そんじゃあ、膝枕! 膝枕でお願いします!!」

 

 おっぱいに突撃しようかと考えたが、不思議と欲望が湧いてこない。

 ハリオンとピクニックにでも出かけてお弁当をつまみながらほのぼのする。

 そんな光景が横島の脳内に映っていた。

 

「分かりました~今は忙しいから無理ですけど、後で必ずしましょうね~」

 

「いやだー! 今がいい~今がいいんじゃあー!!」

 

 ジタバタと横島が暴れる。

 駄々っ子のようで情けない限りだが、ハリオンはやはり楽しそうな笑みを崩さない。

 

「う~ん……じゃあ、膝枕しながら耳かきもしちゃいます~それでどうですか~」

 

「ばっちりっす!!」

 

 横島はビシッと親指を立ててガッツポーズを取った。

 だがここで、ハリオンの様子が変わる。

 横島の立てた親指を食い入るように見たと思ったら、ぱくぱくと口を開けたり閉めたりする。

 

「あ~え~その~う~んと……お、可笑しいですね~ヨコシマ様なら何時でも良いって思ってたんですけど。

 も、勿論嫌じゃないですよ~ただその~うう~胸がドキドキして痛いですぅ~どうしたらいいんでしょう~」

 

 オロオロオロ。

 平時では絶対に無いハリオンのうろたえよう。

 横島は首を傾げた。

 

「どうしたんすか」

 

「……ひょっとして~分かっていなかったりします?」

 

 何が分かっていないと言うのだろうか。

 横島はハリオンの言っていることが分からず、首をただ捻るだけだ。

 そんな横島の様子を見て、珍しくハリオンが疲れた様に溜息をついた。

 

「う~こんなにビックリしちゃうなんて、お姉さん失格です~すんすん」

 

 顔を赤くしてふるふると首を横に振るハリオン。

 何だかとんでも無く珍しいハリオンを見れたような気が横島にはしていたが、今の話の中で何がハリオンを混乱させたのか分からなかった。

 親指を立てる、という行為が実は問題だったりしたのだが、それには気づかなかったらしい。

 

「……ふぅ。何だか疲れちゃいました」

 

 ハリオンは息を整え、新しい毛布をベッドの脇に置くと、床に置いてあった毛布を手に取った。

 どうして毛布が床に落ちているのか、横島は疑問に思う。

 

「その毛布って?」

 

「セリアさんのですよ~」

 

「何でセリアの毛布が落ちてるんすか?」

 

「だから言ったじゃないですか~セリアさんは一日中ずっと看病してたんですよ~食事だってここで食べてましたし」

 

 本気の看護されていたのだと知る。二週間、ずっと同じ部屋で、セリアの手で生かされてきたのだ。

 よく分からないむず痒い気持ちになった。羞恥心もあるが、それ以上の暖かい何かが心に流れ込んでくる。

 嬉しい。とても嬉しい。嬉しすぎて、どうしたらいいのか分からない。

 

「あらあら~可愛いです~」

 

 赤面した横島を、ハリオンがよしよしと頭をなでる。どうやら調子を取り戻したようだ。

 悠人辺りが見たら気持ち悪いと断ずるであろう横島の赤面であったが、お姉さんのハリオンには可愛いものに見えたらしい。

 流石の横島も一人の男であるから、これは恥ずかしいらしく頭を捻ってハリオンのナデナデを避ける。ハリオンは避けられたのが不満だったのか、プクッと頬を膨らませた。

 

『何だ? 女性に触られるのは好きではないのか?』

 

 『天秤』が不思議そうな声を上げた。

 

(そんなの、時と場合によるだろうか)

 

『自尊心か。横島にもそういうのは存在するのだな』

 

(てめえ、俺を何だと思ってるんだ!!」

 

『横島と思ってるが』

 

 何を言ってるんだ、とばかりの『天秤』の返答に横島は言葉を失ったが、

 

(ふん、だったら俺らしい行動を取ってやろうじゃないか!!)

 

 ニヤリと邪な笑みを浮かべる。

 

「その毛布は、ずっとセリアが使ってたんだよな」

 

「はい~」

 

「よし! その毛布を俺にください!!」

 

「性少年の主張ってやつですね~」

 

「うっす!」

 

 二人はニコニコと笑いながら通じ合った。横島の変態性すら包容できるハリオンも凄いが、自信満々に性少年の主張を通せる横島もまた凄い。

 横島がハリオンからセリアの匂い付き毛布を受け取ろうと手を伸ばした―――――その時!!

 

「なぁにぃをやぁってるのー!!」

 

 乱暴に扉が開く音がしたかと思うと、地獄の釜を沸騰させたような恐ろしい声が響いた。セリアだ。その手にはお盆を持っていて、その上には皿があった。皿の中身は、胃に優しそうな温かいスープである。セリアが横島の為に特別に作ったものであった。

 

 顔を赤くして目を吊り上げたその表情は、怒りと羞恥で満ちている。

 良く怒られているネリーが見れば鬼の様な表情と言うだろう。しかし、横島は意外と女子の気持ちには敏感なのである。

 

「心配かけてすんません。それと、看病ありがとうございます」

 

 こんな時だと言うのに、素直に礼を言う。これは横島の偽りない素直な感情だった。

 率直な謝礼にセリアの怒りの矛先が行き場を失い四散する。セリアはとても優しいから、詫びられ、感謝されたら怒りを持続出来ないのだ。ただ恥ずかしがり屋で強情でもあるから、振り上げた拳をどう下げたらいいのか分からず、仕方なく毛布を奪い取って睨みつけるしかない。

 予想通り、と横島はほくそえむ。

 横島の攻勢は続く。

 

「そういえば、セリアが俺の看病をやるって言い張ったって聞いて……うう、そんなに俺のことを」

 

 うるうると横島の目が潤む。仰々しく見せる演技も入っているが、純粋に横島は感動していた。

 セリアは怒りだけではない理由で顔面を気の毒なほど赤くしながら、それでも口元はきつく締める。

 

「貴方の看護をするのが私しかいなかったからです! 他の皆は訓練と遠征の準備で忙しいけど、私はまだ本調子じゃないからやることが無くて、仕方が無く看病したんです。変な勘ぐりはやめてください!!」

 

「それはもちろん嘘でぇ~皆で看病しようって意見がでたのに~セリアさんが絶対に私がやるって言い張ったんです~」

 

「ハリオン!!」

 

 部屋がゆれるほどの大音量な怒鳴り声。

 だが、ハリオンは羞恥に震える怒りなどどこ吹く風と、いつもの笑みを浮かべている。いや、いつも以上の笑顔だ。

 明らかに今の状況を楽しんでいる。皆のお姉さんは無敵だった。

 

 ベッドの上の横島がセリアの手を握る。

 セリアは頬を赤くし、怒りで眉を吊り上げたが、手を振り解こうとはしなかった。 

 

「ハリオンさん、ちょっと席をはずしてほしいんですけど」

 

「分かりました~後は若い二人に任せましょうか~」

 

「ちょっと!?」

 

 見合いの仲人のような台詞と共にハリオンが部屋を出て行く。セリアは慌てて追い掛けようとしたのだが、横島に手を握られていて追い掛ける事ができない。

 

「いい加減離して!」

 

 強引に手を振りほどこうと力を入れて引き剥がそうとする。

 すると、横島の口から苦痛の声が洩れて、顔は痛みで歪んだ。

 

「あっ」

 

 引き剥がしにかかる力が緩まる。その隙をついて、横島は残った片手をセリアの背にまわして抱き寄せた。

 

「ひ、卑怯よ! 怪我を利用するなんて!!」

 

「卑怯で結構、コケコッコー! まあ、その気になればすぐに手を離されちゃうんだろうけど……」

 

 優しいセリアにはそれが出来ない。普段ならともかく、けが人に手を上げるのは無理だ。

 横島はしっかりとセリアの性格を掴んでいて、それを巧みに利用していた。

 

 指と指を絡め合わせ、擦り合わせる。

 ただ握手しているだけなのに、横島の手に掛かると厭らしい事この上ない。

 

「うー! うっ……ううー!」

 

 羞恥と怒りでセリアの白い肌がどこまでも赤くなる。もう顔だけでなく、全身が赤くなっていた。

 この白い肌を赤く染め上げているのが自分だと考えると、横島の中に嗜虐心と愛情がどんどん涌いてくる。

 

「俺は、セリアに会うためにこの世界に来たのかもな」

 

 まさしく『歯が浮く』ようなキザったらしい台詞である。

 平時に言ったら「はあっ?」の一言で流されるだろう台詞だろう。しかし、時と場さえ考えれば、さらに相手がこういう口説き文句に慣れていなければ、絶対の効果を示すのだ。

 

「ば……馬鹿な事を言って!」

 

 ぷい、とセリアはそっぽを向く。

 そこには怒りがあったが、しかしそれだけでない感情があるのは横島にも十分に分かった。

 いくら怪我が酷かろうが、この煩悩男がこんな美人で可愛い相手が隣に居て手を出さないなど考えられない。 

 

「も、もう辛抱堪らん!!」

 

「きゃあ!」

 

 横島はセリアの強引に引っ張ってベッドに倒した上で、毛布を広げて自分とセリアの上に広げた。

 強引にベッドの中に連れ込まれたセリアは、怒りや驚きではなく緊張によって体をカチンコチンにさせた。

 何と言っても、横島は裸である。裸の煩悩男とベッドインしているのだから、初心なネンネであっても次に何が起きるか分からぬはずがない。

 

(あ……そういえば、昨日、お風呂に入ってなかった……やだ)

 

 セリアは風呂に入っていない事を思い出すと、緊張も好意も険悪も忘れて、自分の体から異臭がしていないか心配した。正に乙女である。

 

 そんな乙女に横島の好色な魔の手が迫る――――

 

「え、えーと……キスして良いか?」

 

 という事は無かった。それは誠実な、むしろこの状況では滑稽で悲しい童貞の行動だった。

 おっぱいを触るぐらいなら普段の勢いでセクハラできるが、いざそれ以上に及ぼうとすると、煩悩一直線では動けなくなる。

 横島はどれだけエロ少年でも、根っこで善良で、経験の薄い童貞坊やで、少年誌主人公? というメタな属性を持っていた。純情な変態ボーイ。それが横島だった。

 

 セリアはその一言を聞いて、

 

「ぷっ!」

 

 思いっきり噴出した。

 

「な、何ですかそれは。

 卑怯な手を使って強引に抱き寄せておきながら、いざって時に『え、えーと……キスして良いか?』って……くっくくく。

 知りませんでした。まさか私たちの隊長がこんなに可愛らしい人とは……ふふ……あはははは、お腹がよじれそう!」

 

 机を叩かんばかりにセリアは笑った。儚げでも優しそうでも無い、心の底から楽しんでるような笑み。そこいたのは戦士でも戦闘奴隷ではなく、年相応の少女だった。

 今度は横島が赤くなる番だった。

 自分がとてつもなく恥ずかしい。先ほど赤くなった理由とはまた違う。

 男として負けた、というか、征服しようとしたら逆に征服されたというか。とにかく恥ずかしかった。

 ただ、笑い転げるセリアを不快に思うことは無かった。むしろ、今まで見た事が無い彼女の一面に触れて、より一層の愛情すら感じたくらいである。

 

『やれやれ、私が変わってやろうか』

 

 『天秤』からも、からかったような声が響いてくる。

 

『ヨコシマってこういう部分もあるのよね。それがまた可愛いのよ!』

 

 恋人もやんややんやと囃し立てていた。

 空気が甘さと緊張が入り乱れたものから、ほのぼのした柔らかいものに切り替わっていく。

 横島も緊張と煩悩がほどよく溶けて、セリアの匂いと温かみを実感できる余裕が生まれた。

 

 ――――――何か普通に抱けそうだ。

 

 自然とセりアに手を伸ばし――――

 

「横島ー入るぞー」

 

 緊張感の無い男の声が響いて、同時に扉が開く。

 セリアの行動は素早かった。さっとベッドから抜け出て、悠人の横をくぐり「失礼します」と言ってあっという間に部屋から出ていってしまう。

 出ていく際、横島に向けて恥ずかしそうに手を振ったのだが、彼は気づかなかったようだ。

 突然のラブモードの消失に、横島は元凶の悠人を激しく睨む。

 

「お、おのれー! 悠人、死ね。頼むから死んでくれ。いや、ほんとにマジで」

 

「おっ、元気そうだな」

 

 横島の恨み言などそよ風とばかりに、悠人は華麗にスルーした。

 ますます怒る横島。しかし、悠人はやはり涼しい顔だった。

 

「お前の言ってることにイチイチ反応してたらやってられんだろ」

 

『確かにな』

(確かにね)

 

 相棒と恋人は相槌を打った。

 それが横島に聞こえたわけでは無いが、横島は憮然とした表情で押し黙る。

 本人も、確かに、と納得してしまったのだ。

 

「男に見舞いされて喜ぶ趣味はねーぞ!!」

 

「ああ、分かってるさ。真面目な話だ。スピリットの生き死に関係する……戦争の話だ。」

 

 悠人が真剣な顔つきでそう言うと、横島の顔つきも真面目になった。

 横島と悠人と真面目な話をするのは、基本的に女の子たちの生死に関係することだけである。

 

「今回のお前の勝手な行動には色々と言いたい事があるけど、今はとりあえずおいておくぞ。後でたっぷり説教されるだろうしな。

 これから俺達はサルドバルトに残留しているイースペリアのスピリット達を倒すために出発する」

 

「はあっ!? もう命じた人間も……そもそも国がなくなっただろ。それでも投降しないのか?」

 

「ああ、どういうわけかな……くそ!」

 

 悠人は悔しげに悪態をつく。まったく無意味に、また血が流れる事に憤りが抑えきれないようだ。

 イースペリアの惨劇は悠人の心を深く傷つけていた。悠人だけではない。

 人の営みが一瞬で崩れた光景は、多かれ少なかれスピリット達の心にダメージを負わせていた。

 いくら知らなかったとはいえ自分達が大破壊に加担したのだから尚更だ。そういった意味では、惨劇を見ずに済んだセリアと横島は幸運だったのかもしれない。

 

「それでだ。横島から俺に何か言いたい事は無いか。皆にでも良い」

 

「どういう意味だよ?」

 

 意味が分からず横島は首を傾げる。

 悠人は呆れた顔をした。

 

「お前なあ、まさかその怪我で戦いについて行ける訳ないだろう。お前が出来ることは、セリア達に激励することだ。窓から元気な顔を出すだけでもいい。それに、何か俺に言いたいこともあると思ってな」

 

 横島はげんなりした顔をする。

 

「何でわざわざお前に言わなきゃいけないんだよ」

 

「……何も言いたいことがないならそれでいいけどな。俺がお前の立場なら言うと思っただけだ」

 

「だから何を」

 

 言おうとして、はっとした。

 確かに悠人に言いたいことがある。悠人に対して、一つの懸念があった。

 しかし、その懸念を打ち消す為に言わなくてはいけない言葉は、簡単に口に出せることではない。

 

「おい、悠人。隊長として当然の行動を取れよ」

 

 横島は言葉を選んだ。遠まわしに、歯に衣着せて、注意を払う。

 だが、悠人は横島が言いたかった事の本質を知っていた。

 

「隊長として、躊躇せず殺せって言っているのか。セリア達の為に、情けをかけて剣を曇らせるな……『お前』が、そう言うのか」

 

 横島が曖昧にぼかした部分を、悠人は冷徹に突っ込む。苦虫を噛みしめた表情をする横島。

 

「……そこまで言ってねー」

 

「じゃあ、どこまで言ってるんだよ。言ってみろ」

 

 突っ込まれて横島は言葉を失う。

 確かに、歯に衣を着せず言うのならそういうことだろう。

 横島は恐怖したのだ。悠人が敵のスピリットに情けを掛けて、セリア達が死んでしまうのではないかと。特にハリオンなんて、今思えば死亡フラグを立てていたとしか思えない。

 

 しかし、いくら敵とはいえ美少女達の死を望むのは横島には無理だった。

 だが、もしも悠人が仏心を出してセリア達に危険が生じるようでは困る。

 優しさ、弱さ、倫理、欲望、打算、多くのものが横島には渦巻いて、彼は沈黙した。

 

 何も言えなくなった横島相手に、悠人は鼻を鳴らす。

 

「勝手だな。自分は可能な限り殺さないように努力しているのに、俺には殺せか。殺したくない気持ちは一緒だってのに」

 

 怒りが感じられる、吐き捨てるような言い方だった。非難するような目つきで横島を睨む。横島の顔から僅かに血の気が引いた。

 幼い頃から大人に頼らず生きてきた悠人には、独特の雰囲気がある。やくざが放つような外面的な怖さは無いが、思わず背筋の伸ばしてしまうような、そんな一種の凄みがあるのだ。いや、外面的な部分もここ最近出てきた。頬の肉が少し削げ落ちて、肌は日に焼けて黒く硬くなり、そのくせ目だけが活力の塊みたいにギラギラと光る。

 悠人は今正に、日の出の勢いのごとく成長していた。それでも、まだまだ弱いのだが。

 

「……俺はお前ほど器用じゃない。霊力も無い。小細工や悪知恵も働かない。

 俺が、俺達だけじゃあこの世界に抗う事が出来ないんだ。

 だから、俺達には、スピリットには、お前が――――」

 

 何も言えない横島に、悠人は独り言のように言葉を重ねた。

 それは自分の力不足を怒り嘆く言葉だった。

 横島に対する怒りではない。自分に対するものだ。

 悠人は横島に何が言いたかったのか。どうして、こんなにも答えにくい質問をしたのか。

 横島は何となく分かったような気がしたが、言葉には出来なかった。

 

 二人の間に沈黙が広がる。

 先に口を開いたのは悠人だった。

 

「それじゃあ、歯を食いしばってくるか。お前はさっさと怪我治せよ」

 

「……うっさいわ。男に言われても気持ち悪いだけだっつーの」

 

 苦みきった表情でぼそりと呟く横島に、悠人は苦笑しながら部屋から出て行った。

 

(麗しき男の友情ね……どきどき)

 

 ルシオらが二人の様子を見て興奮したように喋る。

 彼女は当然だが横島を愛していたが、悠人の事も気に入っていた。

 

(麗しいか? 私は普通に似合わなくて気持ち悪いと思うが……何故、どきどきしている?」

 

(貴方にはまだまだ早いわね。知る必要が無いことよ)

 

 知る必要が無い事と言われてカチンと来た『天秤』だったが、ある種の空気が彼をこれ以上追及させないように働きかけた。

 知る必要は無い……否、知らないほうがいい。

 彼も段々と空気を読む力が発達してきたようである。 

 

(でも、仲良くなって欲しいけど……仲良くなっちゃいけないかもね)

 

 ルシオラは寂しそうに笑う。

 その目に何が映っているのか、『天秤』には分からなかった。

 

 

 横島はセリアの残したスープに舌鼓を打っていると、外がにわかに騒がしくなった。

 窓に目をやってみると、ネリー達が出発の点呼を取っている。どうやらサルドバルトに出発するらしい。メンバーは第一詰め所と第二詰め所の面々だけで、第三詰め所の姿は無かった。

 

 どうしてネリー達は部屋に来てくれないのかと、横島は不満でぶっちょう面をしていたが、ネリー達を見て妙な違和感で眉を顰める。

 アセリアら第一詰め所のスピリットはいつも通りだが、第二詰め所のスピリット達は随分と緊張した顔をしている。

 いや、緊張というよりも気合いが入りすぎているように見えた。

 ここは隊長として一仕事しなければいけないだろう。

 

「怪我しないように頑張れよー」

 

 横島は窓を開けると、どこか緊張感の無い声で激励する。

 

「……あ」

 

 横島の顔を見て、ネリー達は嬉しそうな顔をしたが、次の瞬間には悔しそうに唇をかみ締め、そして直ぐに決意を秘めた笑顔へと変わった。

 

「いっぱい殺してくるねー!!」

 

 ネリーは花丸をあげたくなるような笑みで手をぶんぶんと振る。だが、言っている事は酷く物騒で、横島は曖昧な笑顔を浮かべるしかない。

 シアーもヘリオンも同じように笑顔で、手を振っている。これは、まあ子供だから良い。

 問題なのは、ヒミカやファーレーンすらも目の奥に燃えるような殺気を忍ばせていることだ。ナナルゥも心なしか気合が入っているように見えた。

 まともに見えるのはセリアとハリオンぐらいに見える。

 

 戦意が高いと言うより、殺気の塊のような第二詰め所の面々。

 横島はそこまでイースペリアのスピリットを憎んでいるのだろうかと、何だか嫌な気持ちになった。

 どこか不安に思いつつも、出発するセリア達に手を振って見送る。

 サルドバルトに向かう悠人達を、何故か一匹のルガテ(犬)が寝そべりながら見ていた。

 

 

 こうして広い第二詰め所で一人ぼっちになった横島だったが、ここであることに気づく。

 

「俺の世話はだれがするんだ?」

 

 体は痛い。はっきり言って、動く事が出来ない。

 女の子達が居なくなって、そよ風の音すら聞こえるぐらい静かな第二詰め所の一室で、横島は自分が一人で生活できない事を自覚した。

 トイレぐらいは這ってでも自力で行くが、それ以外は正直動ける気がしない。どうしたものかと考えつつ、セリアが置いていったスープに手を伸ばし、鉛っぽい金属で出来たスプーンを使って啜る。

 味は、酷く薄い。病院食のように水っぽかった。胃に優しい代わりに、舌に優しくない。

 

『なんだ、先ほどまで旨い旨いと言って食っていたではないか』

 

「そりゃあ、さっきまではセりアの残り香があったしな」

 

『成分は変わらずとも、心の持ちようで味が変わるか……面白いな』

 

「何が面白いんだー! つーか、お前は今の緊急事態が分からんのか。このままじゃ一人寂しく孤独死だぞ!」

 

『それは問題ないだろう。横島が今日、起きるとは誰も分からなかっただろうし、世話役のセリア達が出かけるのだから、誰か来るに決まっている』

 

「美人が来るか? 美人だろーな!?」

 

『そこまでは分からぬが、この世界は美女美少女が売りだから、問題ないと思うが』

 

「そーか、そうだな! これだけ痛い事が多い世界で、美女美少女は出てこなかったら金返せレベルだもんな」

 

 うんうん、と横島は頷く。『天秤』も上手く横島を宥められたと満足していた。

 

 しばらくしてコンコン、と控えめなノックが聞こえてきた。

 そのノック音だけで横島はドアの向こう側に居る美女を幻視する事ができる。

 きっと奥ゆかしく清楚な美人だろう。それでいてダイナマイトボディを持っているに違いない。昼は淑女で、夜は淫らに変わるのだ。

 妄想しながら「どうぞ」と横島は唾を飲み込みつつ言った。扉が開く。

 

「その……お世話に来ました。えーと、体は……大丈夫?」

 

 入ってきたのは、小柄で、凹凸の少なく、美人というよりも可愛い――――少年のような外見をしたルルーだった。

 

『ふむ、お約束というやつか。まあ、美少女には違いないから私は嘘を言ったわけではないぞ』

 

 特に予想外ではないのか、『天秤』は納得していたが、横島としては裏切られた気分でいっぱいだ。

 

「ち、ちくしょー! なんだそりゃ! どうしてこんなちんちくりんが~!!」

 

 オーマイガ!!

 この世の終わりみたいに横島が嘆く。

 この瞬間、横島が夢想していた天国の打ち砕かれた。

 

 王道である『あ~んして』から始まり、ふら付いて思わず押し倒したり、お姉さん、ボクの股間が何だが苦しいの――――といった高度なプレイに至る構想の全てが灰燼に帰したのだ。

 

「チェンジだー! チェンジを要求するーー!!」

 

「な、何だよー! せっかくお世話にしてきたのにー!」

 

「背丈とおっぱいを伸ばして来いや!」 

 

「そういうのを、セクハラって言うんだよ」

 

「男がセクハラして何が悪い!」

 

「普通に悪いよ! 何で堂々としてるの!?」

 

 睨みあう二人。平常時は相変わらずの緊張感の無さである。

 

 だが、お馬鹿な会話をしながらも、ルルーはほっとしていた。

 実を言うと、ルルーは横島と会うのが少し怖かったのだ。エニの件で、ルルーはまた横島に神剣で切りかかった。

 これでもう三度目である。一度目は戦争中であったけど、二度目は白旗が振られた後にばっさりと切ってしまった。

 そして今回は、仲間であるのに横島に襲い掛かった。途中で剣を引いたけど、切りかかったのは事実だ。

 

 顔も見たくない、と言われても不思議ではなく、処刑されてもおかしくないとルルーは覚悟していたのである。そうと考えていながらも、彼女は横島の看護を自発的に挙手していたのであるが。

 もっとも、そんな覚悟は杞憂だった。結果は見てのとおりである。

 今までが異常だったのであって、本来は横島とシリアスな空気に陥る方が遥かに難しいのだ。

 

「とにかく、ボクが……君の世話をするからね。お姉ちゃん達は看護なんてまだ無理だし」

 

「うう~どうして世界はこんなに残酷なんじゃ~」

 

「あははーもっと泣けー苦しめー」

 

「最低だ、こいつ!」

 

「大丈夫、君ほどじゃないよ」

 

 と、そんなこんなしながら病人生活がスタートして、数日が経過した。

 

 セクハラも何も出来ないルルーの看護を横島はがっかりしながら受けていたが、看護自体は中々どうして見事なものだった。

 食事は普通に美味しくて、細かいところにも気が利いた。背中が痒いと言えば文句を言いつつも摩ってくれたし、体を拭くタオルも絶妙の温度を保っている等、文句のつけどころが無い。

 元々、ルルーはバーンライトに居た頃、スピリット達の家事全般を担当していたからこれぐらいは容易いのだろう。

 

 しかし、これだけ見事であっても横島はがっかりしていた。どうしても、ルルーに対してセクハラを仕掛ける気にはなれず、ヘリオン達を相手にするような愛情を向ける気にもならない。

 

 しかし、横島は気づいているだろうか。愚痴も文句も、セリアやハリオンには出せない本心をあけっぴろげにルルーには晒し出していることを。

 異性という垣根を越えた感情を、横島はルルーに持っていた。それはルルーも同じであった。

 ある意味、二人は特別だったのだろう。横島もルルーもそれに気付かなかったが。

 

 

 また、一日が過ぎる。

 

 

 その日、まだ体が動かせない横島はやることも無く、ベッドでゴロゴロしながら外を見ていた。

 コンコンとノック音が響く。横島は返事をしない。どうせこの部屋に来るの特定の一人だと思っていたからだ。

 

「お邪魔して良いですか?」

 

「勝手にすればいいだろ……お前相手に気取ってもしょうがないしな」

 

 またルルーが来たのかと、横島はストレートに気持ちを伝える。

 

「随分と気のない返事ですね。いえ、これはこれで信頼を感じます。そのような応対を受けるのは新鮮です」

 

 ハッとした。

 ルルーの声では無い。静かだが響く、通りの良い声だった。

 寝返りをうって向き直ると、そこにいた人物に横島は驚愕する。

 

「レスティーナ様!?」

 

「壮健ですか、エトランジェ・ヨコシマ」

 

 なんと現れたのは一国の姫であるレスティーナ王女だった。しかも護衛もおらず、単身で見舞いに来たようである。

 その気品ある立ち振る舞いは高貴な匂いを感じさせずにはいられない。いかに美人揃いのスピリットであろうとも、この優雅にして壮麗な雰囲気を醸し出す事は出来ないだろう。

 

「一国の王女様が俺の為に……俺の為に仕事を放り出して見舞いを……っ!!」

 

 横島は泣いた。男泣きである。

 相変わらずな横島であるが、これは仕方ないだろう。一国の姫が見舞いに来て、感動しない男などそうそう居るものではない。

 滝のように涙を流す横島に、レスティーナは流石に引いたようだ

 

「……思ったより元気そうで何よりです」

 

「そりゃあもう!! レスティーナ様が来てくれるなら百人力ですよ!!」

 

「そうですか。それだけ元気なら、もう見舞いに来る必要はありませんね。では、これで」

 

「いやー! 嘘っす!! ホントはマジで体が痛くて今にも死にそうで!!」

 

「まったく」

 

 横島の変わり身の早さにレスティーナは呆れたように溜息をつく。

 だが、特に悪感情は持たなかったようで小さく笑みを浮かべた。

 

「今日は見舞いと……話したい事があってお忍びで来ました。

 本当はユートにも直に伝えておきたいのですが、彼には嫌われているでしょうから」

 

 悠人の悪感情はしょうがない事だろう。

 国王に妹を人質に取られている悠人だ。その娘であるレスティーナを嫌うのは自然な流れだろう。それに、イースペリアの件でユートの王族へ持つ不信感は相当増大しているはずだ。

 暗い雰囲気になりかけたが、並みのシリアスでは横島の陽気に敵うわけも無い。

 

「くう! 悠人の奴より俺のほうが好きって理由じゃないんですか!?」

 

「ふふ、残念でしたね」

 

 口元に手を当てて、上品に笑うレスティーナ。

 今までいないタイプの女性に、横島の興奮はますます高まっていたのだが、急にレスティーナは笑いを止めた。

 そして、玉座の間にいるときのような威圧をもって横島を見据える。

 

「では、真面目な話をしましょう」

 

 レスティーナの声のトーンが落ちる。これから本題に入るということだろう。

 まさか、一国の王女がお見舞いの為だけに横島に会いに来るわけがない。

 それは分かっていたが、横島は少し残念な顔をしていた。

 

「イースペリアの一件で、一体どれだけの謎があったか……貴方にも分かるでしょう」

 

 イースペリアの謎の裏切りから始まった一連の騒動は、とにかく不可思議に満ちていた。

 一体誰が、この陰謀のタクトを振ったのか。それを導き出す証拠は無い。しかし、状況証拠なら腐るほどあった。

 レスティーナは断言する。

 

「イースペリアの一件は、父の策謀でしょう。一体どのようにしてイースペリアを操ったか、そもそも操っていたのか……情報は余りに少ない。しかし、父が一連の悲劇を演出したのは疑いありません。あのマナ消失も、父の差し金でしょう。恐らく、イースペリアには父の策略の痕跡があったのです。それを消し去りたかったのでしょう」

 

 死人に口無し。証拠は全て吹き飛ばされた。

 謀という点において、レスティーナは父を負けた事を認めないわけにはいかなかった。

 レスティーナは別に謀そのものを忌避しているわけではない。

 国が国を謀るのは、一種の外交であるとも言える。弱者は強者に食われるのは世の習いだ。そして、いくら邪悪でも国のトップは強者でなければならない。善の弱者より、悪であっても強者でなければ苦しむのは下々の者だ。

 レスティーナは公正明大を自身の武器としているし、元々の性分から陰謀を企てるのは苦手であるが、しかしこの戦乱の時代に清廉だけで生きていけないことは重々承知している。

 しかし、それでも、物には限度があるのだ。

 

「父は、越えてはならない一線を越えました。父の血に濡れた野望は成功し、父の自制心を焼き尽くしたのです。これから先、まともな政務を取るのは不可能でしょう。いつ無謀な遠征を言いだすか……最悪の場合は敵対していないマロリガン共和国や聖地とされるソーン・リームにまで出兵するかもしれません」

 

 一度大きな成功をすると、人は成功に狂う。

 英雄や名君と呼ばれる程の人物でさえそうなるのだ。

 

 あの王は、小者だ。肥大化した自尊心を飲み込む器は無い。

 レスティーナの言う事は正しいだろうと、『天秤』は頷いていた。

 

「私は女王になります」

 

 静かすぎる声には、断固とした決意が込められている。

 ごくりと横島は唾を飲み込んだ。血と骨肉の匂いが辺りに立ち込めたような錯覚に陥る。

 あの権力欲の塊である禿王が素直に退位する訳が無い。

 つまり、これから王宮で起きるのは――――

 

「では、私はこれで……体を大切にしてください」

 

 毅然と言って、レスティーナは去っていった。

 横島はしばし呆然としていたが、我に返ると不満が一気にのどからせりあがってきた。

 

「ちくしょー! せっかくお姫様がお見舞いに来てくれてるってシチュエーションで! どうしてこんな血なまぐさい話しなきゃなあかんのだー!」

 

『いやいや、これはそういう問題か? 国を揺るがす、とんでもない秘事を明かされたのだぞ』

 

「知るか~!! うおおおおん!」

 

 マジ泣きする横島に、『天秤』は疲れた様に溜息を返す。

 こういう所は本当に馬鹿だと『天秤』は思ったが、しかしだからこそ自分が横島の知恵袋になって役立たねばと、強く自分の必要性を理解した。

 

『主、分かっていると思うが、間違っても今の話を他の誰に言うなよ。協力は頼まれなかったが……む? では何故、秘事を我らに明かしたのだ?』

 

 『天秤』は頭を捻る。

 ここで横島に実の父を政治的に、あるいは直接的な意味で殺すという陰謀を明かす事が、一体レスティーナにとって何の得があるのか分からない。

 うむむ、と悩む『天秤』だったが、思考は部屋に乱入してきた女性によって妨げられた。

 

「パンパカパーン!! レムリア参上!!」

 

 勢い良くドアが開いた。

 そして現れたのは、チャイナ服を着て、黒髪をお団子に結び、キラキラと目を輝かせた活力の塊のような少女。

 レムリアだった。言うまでも無くレスティーナの変装した姿なのだが、外見というよりも雰囲気が違いすぎる。

 これが本当にレスティーナの変装なのか。ひょっとしたらレスティーナのそっくりさんではないか。

 本気で疑った横島だが、ある一点を見てレスティーナに間違いないと分かった。

 

「ど、こ、を、見ているのかな~ヨコシマく~ん!」

 

「いひゃい! いひゃいっす!!」

 

 胸をガン見していた横島のほっぺたを、レムリアが引っ張る。

 痛みに涙する横島だったが、目を潤ませているのはレムリアも同じだった

 

「私の胸は人並みだもん……ちょっとだけちっちゃいかもしれないけど、まだまだ未来があるんだから」

 

「……そうっすね、未来が……ありますよ。うん」

 

「ああ~! そこで優しい顔するなー! 絶対に70の大台に突入するんだから!!」

 

 レムリアがぷんすかと頬を膨らませる。

 しかし、70を大台と呼ぶレムリアに、横島は涙を禁じえなかった。

 

「でも、どうしてレス……レムリアちゃんがここに?」

 

「水臭いこと言わないでよ。ヨコシマ君が怪我したって聞いたからね、友人としてお見舞いするのは当然だよ」

 

「友人っすか。そこはもっと大切な人って感じで……」

 

「うん、大切な友達だよ! ずっとずっとね!!」

 

 伝家の宝刀である『私達、これからも友達だよね』を繰り出したレムリア。

 しかし、悪い意味でも打たれ強い横島はこの程度ではへこたれない。

 

(いや、これは友人から始めましょうって意味だ。やっぱりレスティーナ様は俺に気がある!!)

 

 横島は自分を慰める達人だった。

 

「それじゃあ、看護をお願いしていいすか」

 

「うんうん! このレムリアに任せない!!」

 

 ニコニコとしながらドンと胸を叩くレムリア。

 誰かの世話をするなんて初めて経験で、とても張り切っている。本来は下男下女に世話をされている立場なのだから新鮮味があるのだろう。

 

(この王女も大概だな)

 

 一国の姫が、変装して出歩くのも大概だと『天秤』は感じた。だが、ただおてんば姫で無いとも思った。

 いくらなんでも変装した前と後で雰囲気が違いすぎる。それこそ二重人格では無いかと疑うほどだ。

 色々と抱え込んでいるものがあるのだろうと、『天秤』は興味を新たにレスティーナを眺め、少し同情する。

 冷静に『天秤』が考える一方、横島は一国の姫に看護されるという事実に鼻息を荒くしていた。

 

「美人の王女様が変装して俺の看護を……美人の王女様が変装して俺の看護を……ぐふーぐふふー!!」

 

 またしてもトリップする横島だが、今度はすぐに復帰した。

 霊感に恐ろしい反応があったのだ。何か命の危機が迫っていると、横島はあたりを窺う。

 危険は、すぐ側に有った。レムリアの手の中に風呂敷がある。危険は、そこにあったのだ。

 

「ふふ~ん、気づいたみたいだね。ジャジャーン!! レムリアスペシャル・ゴー!!」

 

 風呂敷が開けられると、出てきたのは重箱だった。レスティーナは満面の笑みを浮かべて重箱が開ける。

 重箱の中には、煌びやかな具が一杯だった。

 まず目を引くのは主食のサンドイッチだ。一体どういう手品を使ったのか、パンが青い。異世界に来て、元の世界に無い食べ物を口にしてきた横島だが、青いパンは初めてである。艶やかな青は、実に食欲を減退させる。中身は普通に野菜と肉であるのが何だか小憎らしい。

 次に目に付いたのは鳥の唐揚げだが、なんとこれは見る角度で色が変わる。謎の技術が使われているのだろうが、ちっとも嬉しくない。

 唯一、まともに見えたのは見事に茜色に揚げてあるコロッケだった。しかし割って中を見ると、そこには紫色の何だか良く分からないものが詰まっていた。

 

「どう、凄いでしょ! 私だってこんなに綺麗な食事見たことないよ!」

 

 レスティーナは自信満々な笑みで薄い胸を張る。横島は脂汗を流しつつ頷いた。

 確かに凄い。名のある料理人でもこうはいかないだろう。ミスターな味っ子もびっくりだ。

 これを作れるのは、料理人というよりも科学者ではないだろうか。もしくは前衛的な芸術家か。

 

 食べて食べて!

 

 レスティーナの眼は光輝いていた。それこそ、夜空に星が輝くように燦々としている。

 これが、先ほどまで冷徹な表情で血の陰謀を企てていた王女なのだろうか。

 いや、それは間違いないのだ。今この部屋で、血の惨劇は起こそうとしているのだから。

 

「なはは……試食して見てどんな味だったんでしょう」

 

「試食? してないよ減るのもったいないもん」

 

 ――――何故試食をしない!! 俺の命が減るだろうが!!

 

 横島は内心で絶叫する。

 善意とは、時として悪意よりも遥かに性質が悪い。

 

「それじゃあヨコシマ君、はい、あ~んして」

 

 レムリアは器用に箸で紫色の『かつて食材だった物』を掴んで横島の口元にやった。

 

 あ~んして。

 夢見ていたシチュエーションだからか、横島の目には涙が溢れそうだった。いくらなんでも命を引き換えにするほどのものでは無い。

 

『横島よ、何とか断れないか。このままでは死にかねない!』

 

(そうよ! ヨコシマ、なんとか断って!)

 

 『天秤』もルシオラも必死に訴える。

 基本的に味の情報は『天秤』やルシオラは得ることが出来ない。しかし、以前のアセリア料理の際に二人は確かな味を――――死を誘う味を感じたのだ。

 異次元の料理は道理も法則も超越する。どこぞのパン審査員など、パンを食べて世界を破滅させかねなかった。

 

「え、えーと……そうだ! この素敵な料理は俺だけじゃ勿体ないし、皆で食いましょう!?」

 

 横島はそう言うと、『天秤』を出して力を引き出す。

 すると、直ぐにドタドタと足音が近づいてきた。

 

「どうしたの! 何かあった!?」

 

 神剣反応に気付いたルルーが息を切らして部屋に入ってきた。

 

『やれやれ、私がナースコール扱いとは』

 

 『天秤』が愚痴るが、特に不満は無さそうだ。敵(弁当)に対して援軍と呼ぶというのは至極真っ当な策だからである。

 ルルーは横島の様子と、目の前にある眩いばかりの弁当を見て全てを察した。

 

「ボクは、飛べる!!」

 

 ルルーの背にウイングハイロゥが輝く。空中に浮かび、全力で逃げ出そうと飛び立った。

 

「逃がさん! お前だけは!!」

 

 横島がベッドの上から手を伸ばす。手は、栄光の手となって伸び、ルルーの体をしっかりと掴んだ。

 そして栄光の手を縮める事によってルルーを引き寄せる。

 引き寄せられたルルーは、横島の胸の中にすっぽりと収まった。

 

「わあ! 放せ、放せーー! 犯されるー!! くぱぁってされるーー!!」

 

「アホかー! 誰かお前なんかに歴史と伝統のくぱぁをするか。くぱぁを汚すな! くぱぁを汚すな!!」

 

「何でかボク怒られてる!?」

 

「当たり前だ! おっぱい三年、太もも八年、くぱぁ一生と日本の諺にあるのを知らんのか!?」

 

「うぅーまさかくぱぁがそんな神聖なものだったなんて……」

 

 辺りがカオスになっていく。

 だがそれが、横島とルルーの狙いだった。

 このまま場を混沌とさせてお弁当を有耶無耶にしてしまう。それが二人の生存本能が下した計画だったのだ。

 

「むぅー何だか私のお弁当を食べるの嫌がってない?」

 

 しかし、たった一言で計画は頓挫する。

 はじめてのお弁当を食べてくれない為か、レムリアはちょっと涙目になっている。

 流石に横島の良心もとがめはじめた。

 

「よし、ルルーよ、食べるがいい。別に全部食べてしまっても構わないぞ?」

 

「嫌だよ! 大体、そんな言い方されると死亡フラグが立っちゃうじゃないか!!」

 

「違う、立ててるんだ!」

 

「最悪だー!」

 

「うるさいわぁ! 俺とレムリアちゃんの為に死ねぃ!!」

 

「やだやだ! こんなものが舌の上でしゃっきりぽんって踊ったら、ボク逝っちゃうよぉ!」

 

「ええい! 貴様如きが「イッチャウヨ~!」なんてエロい声を出すなんてフランス書院を馬鹿にしてんのか!」

 

「だから、何なの! その変な怒りのポイントはー!?」

 

 二人はまた喧嘩を始める。喧嘩と言っても、横島の膝の上にちょこんと乗っているルルーとの言い合いだ。

 イチャイチャと仲良く喧嘩する様を見せつけられては、レムリアも堪ったものではない。

 

「もういい、もういいもん! そんなに私のお弁当を食べたくないなら、全部食べちゃうから!!」

 

 レムリアは涙を滲ませながら、謎の紫コロッケをがばっと口に入れた。

 

「あ」

「あ」

 

 横島とルルーは恐る恐るレスティーナの様子を観察する。

 意外にも、何のリアクションも無かった。

 顔色を変えるとか、吐き出すとか、水を訴える事も無い。

 食べたままの恰好で、彫像のように動かなくなった。

 

 ルルーは横島の膝の上からぴょんと降りると、レムリアの首を手を当てて、脈を取る。

 

 

「し、死んでる……」

 

 

 とまあ、こんな死と隣り合わせの和やかな日々を過ごしながら二週間、十日ほど経過した(この世界の一週間は五日)。

 体の経過も順調で、途中レムリアのお見舞い品が体調を悪化させたりもしたが、概ね良好だった。また、レムリアの料理はルルーの献身的指導によってそれなりに食べられるようになっていった。それを機に二人は仲良くなったようだ。本来なら、ルルーは人であるレムリアと仲良くできるはずも無かったのだが、性格とこのドタバタもあって凄まじいスピードで仲良くなっていった。

 勿論、ルルーはレムリアの正体を見破る事はなかった。

 

 朗報が訪れた。

 悠人達のサルドバルト救出戦は成功した。

 イースペリアの残党スピリットは全滅して、悠人達には何の被害もない快勝。

 横島もレスティーナもほっと胸をなでおろした。

 

 そうして三週間、一五日が経った。

 この頃には怪我の具合も大分良くなって、普通に動けるようになっていた。文珠も半月掛かったが一個作成することが出来たし、後数日もあれば傷は完全完治するだろう。

 

 その日、横島はもう第二詰め所内を普通に動き回っていた。鼻歌を歌いながらルルーの煎れた茶に舌鼓を打っている。レムリアも居て、隣で買ってきたヨフアル(ワッフルのようなもの)を口をいっぱいにして食べていた。

 ルルーはじーっと横島を見つめていた。

 

「随分とご機嫌だね」

 

「そりゃな! 多分、今日中にヒミカ達も帰ってくるだろうし」

 

 横島は満面の笑みで言うと、ルルーは「あっそう」とそっけなく答える。

 第二詰め所内に染み付いていた女性の匂いが、一日経つ毎に減っていくのを、横島は悲しく思っていた。ヒミカ達が帰ってきたら早速ハーレムを復活させねばと、野望を燃やしていたりする。

 

「それじゃ、ボクは帰るね。いてもしょうがないもん。レムリアさんも、またね」

 

 つまんなさそうにルルーが呟くと、横島の返答も待たずに部屋から出て行った。

 何だか分からない不機嫌オーラに横島は一体どうしたのかと首を捻る。

 

『ふむ、ひょっとしたらルルーは横島の事が好きなのではないか』

「ひょっとしたら、ヨコシマ君の事が大好きなのかな」

 

 期せずして、『天秤』とレムリアが同じタイミングで同じ事を言った。二人とも恋バナに興味津々のようで楽しそうだ。

 横島は特に慌てるわけではなく、納得いかない様に首を傾げるだけだった。

 

「……そうか?」

 

『うむ! ルルーとは色々あったが、横島とは随分と相性が良い気がするぞ』

 

「うん、そうだよ! 何かルルーちゃんにだけ、ヨコシマ君は特別扱いしてる気がするもん」

 

 二人は物凄く楽しそうだ。他人の恋路を観察するという行為は世界も文化も超えて、最高の話の種になるらしい。

 

「俺とあいつはそんなんじゃないと思うんだがな。あいつは何つーか……うーん」

 

 このように恋の話で盛り上がれるほど、その日の午前はただ平和だった。当たり前の様に平穏で、それがずっと続く。いや、今日にはセリア達が帰ってくるのだから、さらに楽しく賑やかな一日となる。

 横島はそれを疑わなかった。

 しかし、凶報は前触れ無く訪れる。それに一番早く気付いたのは『天秤』だった。

 

『横島、神剣反応が近づいているぞ。この神剣反応は『月光』……ファーレーンだな』

 

「おお、もう帰ってきたのか! 随分と早いな、それだけ俺に会いたかったんだな!!」

 

『いや……ファーレーンだけだな。それにこのスピードは異常だ。何か問題でも起こったのだろう』

 

 不吉なことを言い出す『天秤』に、横島は思わず舌打ちをしたが、しかし自分の胸中にも不安は広がっているのがよく分かった。体中から嫌な汗が噴き出してきて、肌とエーテル服が密着する。

 

「どうしたの?」

 

「いや、ファーレーンさんがこっちに向かってきてるんですけど、様子がどうも」

 

 レムリアもヨフアルを食べる手を休めて怪訝な顔をした。

 

 嫌な予感が膨れ上がる。

 何かトラブルが起こったのは間違いない。最悪の想像が頭をよぎって、心臓が恐怖で高鳴る。

 急いでファーレーンの元に行こうとした横島だったが、足が動かなかった。それは、彼の霊感が働いて少しでも最悪の報告を聞かないようにしようという抵抗だった。

 だが、いくら足を止めても、耳を塞いでも、現実は押し寄せてくる。

 扉が開いて、ファーレーンは部屋に倒れこむように転がり込んできた。

 レスティーナは息を呑む。いつもの仮面をしておらず、エーテル服はぼろぼろで、まるで敗残兵のような有様だった。

 

「ファーレーンさん! どうしたんすか!?」

 

 横島は嫌な想像を払うように笑顔を浮かべる。しかし、唇は真っ青でカタカタと震えていた。

 ファーレーンは息が切れていて、まだ喋れる状態ではなく、必死に息を整えている。

 沈黙が満ちる部屋に響く、ぜいぜい、という音は横島の心をやすりで削り取っていくようだった。

 

「あれ、ファーレーンさんだけなんすか。他の皆は……ひょっとしたら俺の顔を見たくて走って来たとか?」

 

 あえて何でもないような声を出す横島。

 現実を見ないようにする、必死の努力だった。

 

「わ、私達の隊は……」

 

 ファーレーンの唇が弱弱しく動く。

 

(そんなわけない。そんなわけない。そんなわけない。そんなわけない……だろ!?)

 

 横島は念仏でも唱えるように心の中で繰り返す。それは祈りであり、願いだった。

 ――――――祈りに、現実を変える効果は無い。

 

 

「壊滅……しました」

 



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第二十二話 『闘争』の申し子

 永遠の煩悩者

 

 第二十二話 『闘争』の申し子

 

 

 

 壊滅とはどういう意味か?

 それほど頭の具合がよろしくない横島には、理解できない。

 いや、違う。理解は、している。ただ理解から導き出される結果を拒んでいるだけだった。

 

「どういうことっすか!? 壊滅って……セリア達は……」

 

 絶叫に近い大声で横島がファーレーンに問う。

 事態は一刻を争う。そういう状況にあるのは間違いない。なんとかしてファーレーンを落ち着かせて情報を聞き出さなければ。

 そう考えた横島だったが、当の彼自身がパニックなっていた。ネリー達の顔が浮かんでは消える。死という言葉がどうしようもなくのしかかってきた。

 

「うう……皆……ニム!」

 

 ファーレーンも横島と同じく混乱の極致にいた。いつもの冷静さはまったく見られず、涙を流し、体を震わせて仲間の名を呼んでいる。

 横島は混乱しながらも、以前に同じような事があったのを思い出していた。

 アシュタロスとの戦いのときに雇用主である美神令子が死んだと聞かされて、パニックなって西条に凶悪なメリケンサックで殴られた時のことを。

 今の自分のうろたえ様は、あの時とまったく同じだ。

 強くなる。それは横島の目標だ。この世界に来て多くの戦いを乗り越えておきながら、まったく成長しないなど、ありえない、あってはいけない。

 どうやってこの恐怖と混乱を乗り切って冷静になるか。

 横島は震えるファーレーンをじっと見つめた。

 答えは、とても簡単だった。

 

「あっ……」

 

 横島は片足を曲げてファーレーンと目線の高さを合わせると、彼女を強く抱きしめた。

 抱きしめられたファーレーンは僅かに背筋を硬くしたが、すぐに全身の力を抜いて横島に身を任せる。それはまるで迷子になった子供が親に甘えるような仕草だった。

 そんなファーレーンに、横島はポンポンと背中を優しく叩き続け、同時に目だけは鋭くレスティーナに向ける。

 

(レスティーナ様、水を)

(分かりました)

 

 アイコンタクトを成功させ、レスティーナが水を取りに行く。王女をパシらせているのだが、そんな事を気にする二人では無かった。

 横島はそのまま水が運ばれてくるまでファーレーンを抱きしめ続けた。彼は煩悩者であるから、言うまでもなく、その間にファーレーンの体をいやらしく触る――――事は無い。まるで幼子をあやすかのように優しく抱きしめた。泣きじゃくるファーレーンの姿に、煩悩ではなく保護欲と責任感が勝ったらしい。横島にとってファーレーンという存在はただの美人で仲間というだけではないのである。

 二十秒もしないうちに息を切らしたレスティーナが水の入ったグラスを持ってきた。

 

「はあっはあっ……水です」

 

「ありがとうございます。ファーレーンさん、水っすよ」

 

「あ……いえいえいえそんな場合じゃなくてニムがユート様が赤い鎧が出てきて」

 

「まずは水を飲みなさい、ファーレーン・ブラックスピリット」

 

「ですから! そんなのんびりしてる状況じゃあ!?」

 

 大分落ち着いたようだが、まだまだ混乱しているファーレーン。

 レスティーナが横島に目を向ける。ファーレーンという部下を使いこなして見せろ、と横島に目で語った。 

 横島は真面目な顔で頷いたが、直ぐにニヤニヤと変態チックな笑みを浮かべてファーレーンに詰め寄った。

 

「飲めないなら、俺が飲ましてあげましょうか……もちろん口移しで! 」

 

「え? ええっ!? 口移しですか!! そんな……そのあの、あぅぅぅ!??」

 

「そんじゃ、ぶちゅうーー!!!!」

 

「はぅぅぅぅ!?」

 

 ファーレーンが壮絶に混乱したまま目を閉じる。

 横島は「ぶちゅー」と唇を突き出してファーレーンに迫ったが、

 

「そこまで」

 

 レスティーナはぴしゃりと横島の額を打って、彼をファーレーンから引き離した。

 横島は不満そうな顔をしたが、しぶしぶと従う。ファーレーンを混乱から救い、尚且つ自分も楽しもうとしたらしい。この辺りは美神流の考え方が見え隠れする。

 とりあえずファーレーンは、確かに混乱から立ち直った。というよりも、混乱に混乱が重なり放心したようになっていた。

 反則技だったが、とりあえず落ち着いたといっても良いだろう。それに、実は横島もファーレーンと戯れて元気になっていた。

 

「エトランジェ・ヨコシマ、私はこれからファーレーンから情報を聞き出すので、貴方はその間に」

 

「第三詰め所のスピリットを纏めて、すぐに戻ってくれば良いんすよね! 二分以内に戻ってきます!」

 

 そう言うが早いか、横島は扉を蹴飛ばしながら走り出す。その後ろ姿をレスティーナは満足そうに眺めた。

 

「頼もしくなっているじゃないですか……私達も負けていられませんね。そう思いませんか、ファーレーン」

 

「………………ほぅ」

 

 ファーレーンはレスティーナの呼びかけに答えず、頬を上気させ、ぽーっと横島の出て行った扉を見つめていた。

 相変わらずファーレーンは横島の良い所だけを受けて、悪い部分をまるで受けていない。時たま見る悪い部分は、演技か何かだと思っている。

 強さ、弱さ、男気、優しさ、面倒見の良さといった、煩悩に隠れて普段は姿を現さない横島の魅力を存分に味わいまくっていた。勘違いは継続中なのだ。

 そんなファーレーンの姿に、レスティーナは意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「ファーレーン、エトランジェ・ヨコシマの胸の中は快適でしたか?」

 

「あっ、はい。暖かくて力強くて、心臓のトクトクって音を聞いていると安心できて」

 

「へえぇ、良かったねえ。嬉しいねえー。私なんて、ずっと公儀の席で爺さんおじさんばかり相手にしてると言うのに。うっふっふっ」

 

「え、えっと、そんな事を言われてもレスティーナ様……ってレスティーナ様!? あ、ああすいませんとんだ御無礼をしてしまったのでごじゃろう――――」

 

「はい、落ち着いて、そう深呼吸して……そう。大丈夫です、貴女は一人じゃありません。頼りになる仲間がいます。だから、落ち着いて私の質問に答えてください。一体何があったのかを」

 

「……はい」

 

 

 二分後、横島と伴われたルルーが部屋に戻ってきた。第三詰め所のスピリット達は詰め所前で待機させてある。

 ルルーの服装はやけに乱れていて、頬は赤く、肩をいからせていた。横島は不満そうな顔をして頬に紅葉模様を作っている。

 一体どういう状況で横島が第三詰め所に突撃したのか。それは読者の妄想に任せよう。

 

 レスティーナも横島がルルーと乳繰り合っている間にファーレーンから何があったのか聞き出していた。

 話を纏めるとこういうことらしい。

 

 まず悠人達は予定通りサルドバルトを包囲するイースペリアの残党とも言えるスピリット達と交戦、これを撃破。その際、とんでもない事があったが、それは今ここで重要では無いので割愛。

 スピリットを撃破した後は、後続のラキオス軍にサルドバルトを任せて、ラキオスに戻ろうと行動を開始。ここで悪かったのが皆がバラバラに動いてしまった事だった。あっさりと戦闘が終了して、ラキオス領に入り、誰もが気を抜いていた。

 

 家に帰るまでが戦争です、とは誰が言った言葉か。

 ラキオスから100キロほどに西に存在するリュケレイムの森に差し掛かった時、その『鎧』は現れた。

 油断していた第二詰め所の面々は、突如現れた一体の『鎧』に組織的な抵抗も出来ず敗れた。もっとも、油断せず適切な陣形で迎え撃ったとしてもどうしようもないほどの戦力差はあったらしい。第二詰め所の面々の生死は不明。ただ、ファーレーンは誰かがマナの霧に帰る所は見ていないらしい。全員生存の可能性は残されていた。

 ファーレーンは一刻も早くラキオスに救援を要請するために戦場から離脱したのだ。その際、妹であり防御に優れたグリーンスピリットであるニムントールを盾にして鎧の猛攻を逃れたらしい。いくら正しい選択とはいえ、それがどれほどファーレーンの精神を打ちのめしたかは、この混乱ぶりで分かるだろう。

 

 スピリット達の生死は不明という部分で、横島もルルーもほっと息を吐いた。最悪の事態が決まったわけでは無い。

 

(生死不明の場合、大抵は生きているもんだ。お約束だしな)

 

 横島はそう前向きに考えた。前向きに考えなきゃ、立ち上がる事すらできなかった。

 

「分かりました! それじゃあ、まず俺がこいつ……ルルーにでも運んでもらって先行して、後詰めとして第三詰め所の皆に来てもらうって形がいいかな」

 

 百キロの距離ぐらいなら、ブルースピリットに抱えてもらって全力で運んでもらえば二十分も掛らない。

 ただ、運んでくれたブルースピリットは疲れ切って戦力にならないだろうが、それは気にしなくてもいい。

 その『鎧』というやつは恐らく一定以下の水準のスピリットではダメージを与える事もできないのだろう。少なくとも、セリア達第二詰め所のスピリットが相手にならなかった時点で、第三詰め所のスピリットを連れて行っても戦力にならないのは間違いない。

 最適な戦術は、最大の戦力である横島を最速で救援に向かうこと。

 横島の戦術は大体は理に適っていた。横島が『鎧』に勝てると仮定すれば、だが。

 

 一方、レスティーナは戦術ではなく戦略で物を考えていた。

 横島をいち早く戦場に送り込む。それは悠人達を助けるのにはベストな、というよりも唯一の方法だろう。

 しかし、それは悠人達が生きていると仮定した場合の方法だ。万が一、悠人達が既に殺されていて、さらに横島まで失ったらラキオスは弱体化して最悪滅ぶ。横島と第三詰め所のスピリットさえいれば、部隊の再編は難しくない。

 とは言っても、もしここで横島を向かわせなければ悠人達の生存は絶望だろうし、横島の信頼も減るだろう。

 何がラキオスにとって何が一番大切か。ベストか、ベターか。

 

 決断。責任。後悔。

 

 少なすぎる情報を前に、レスティーナは答えの見えない選択に苦しむ。

 ベストの道は下手をすれば破滅に繋がる。ベターの選択は今が良くても禍根を残す。

 また、この選択はレスティーナとレムリアという二つの心の戦いでもあった。

 レスティーナは国の為には悠人達を見捨てるべきという意見に傾き、逆にレムリアは絶対に悠人達を見捨ててはいけないと声高らかに訴える。

 二つの心の戦いは、横島の一言で決着が付かず終結した。

 

「レスティーナ様が何を言っても、俺は行きますよ。危ないとこを助けてヒーローっす! 」

 

 悩むレスティーナに、横島が人好きな笑みを浮かべて言う。

 

 ここで、食い違いが起こる。

 

 横島はレスティーナの悩みを、なんと正確に把握していた。

 把握できた理由は簡単だ。

 横島はそういう選択をしたくないから、悠人に隊長を任せて、その決断に従っているのだから。

 理不尽な選択と、それに伴う責任を徹底的に避ける。

 それは情けない道であるが、引き換えに立身出世をあきらめる代償を払っている。

 分不相応の責任を負うというのは、もうこりごりだった。レスティーナにそういう責任と決断をさせるのも、横島にはさせたくなかった。

 

 さて、横島の言葉は彼の本心であったし、レスティーナへの優しさに満ちていた。しかし、これは横島の勝手な言い分で、レスティーナが横島の気遣いを分かるはずも無い。

 何故ならレスティーナからすれば、『指図を受けない』と明確に言われたに等しいからだ。

 また、まさか横島が自分の苦しみを理解して、選択の苦しみを減らそうと考えているなどと思いもしていない。

 

(私がどんなに悩んでいるか、まったく理解していない!!)

 

 レスティーナは内心で絶叫する。

 以前にハリオンが、人を笑顔にする笑顔だと評した横島の笑みは、今はただ軽薄で無知な厚顔の笑みにしか見えなくなった。

 大体、例のダーツィとの戦いのときでも指示を無視して独断で動いたのだ、とレスティーナは今更ながらに横島に対する不審の念を強く思い出した。

 結局、横島にとって大切なのはスピリットだけで、自分の事など何も考えていない。

 それが悲しくて、悔しくて、レスティーナは冷たく美しい笑みを横島に向ける。

 

「いいでしょう。貴方の好きになさい」

 

 感情の通わぬ声で、レスティーナが横島に言った。

 横島はそんな彼女の心に気付かず、ただレスティーナの為になったと無邪気に喜ぶ。

 横島とレスティーナは相性が良くて互いに友情を感じていたが、どこかですれ違い続けていた。

 

「私も、行きます」

 

 そう言って歩こうとしたファーレーンだったが、ぐらりと体が泳いで倒れかけ、レスティーナが慌てて体を支えた。

 神剣を限界まで長時間行使したことによる精神的疲労に、最高速度で長時間駆け抜けた肉体的疲労。

 怪我ならともかく、疲労は魔法では癒せない。マナの肉体は強いが疲労の回復は並みの人間より遅いのだ。

 

「大丈夫っす! ファーレーンさんはここでのんびり待っていてください」

 

「でも……私は皆を……ニムを、妹を助けに行かないと」

 

「ファーレーンさんの妹なら、俺にとっても義妹(いもうと)みたいなもんです。家族は絶対に守って見せますよ」

(やべえ、今の俺は格好良いぞ! これは間違いなく惚れるだろ!)

 

 嘘を言ったわけではないが、思いっきり下心満載の横島だった。

 下心と優しさが入り混じった横島の笑みだったが、ファーレーンは優しさしか感じ取れなかったようだ。

 蕩けそうな顔で「はい」と小さく頷くファーレーン。彼女の横島に対する信頼は揺ぎ無いものとなっている事だろう。

 感動しそうな光景だが、隣にいるルルーはどうした訳か面白くなさそうにしていた。レスティーナは冷たい表情で二人の見据える。

 

「ほら、ぐずぐずしてないでさっさと行こう!」

 

「ぬおおー! 引っ張るなつーの!!」

 

 ぐいっとルルーは横島を引っ張って部屋の外に連れ出す。

 こうして、悠人達の救援は動き出した。

 

 

 炎の狐に掴まって(捕まって)空を飛んだ時もこういう感じだったなあ。

 

 凄まじい風圧を感じながらも、横島はぼんやりと昔を思い出していた。手には『天秤』を持っていて加護を得ているから、もしも音速を突破してもダメージを負うことは無い。

 現在、横島はルルーにお姫様抱っこの形で運ばれている。背中に展開するウイングハイロゥを阻害しないためだ。

 意外と言うべきか、二人の間に会話は無い。

 全力で飛んでいる為、会話できる状態じゃないというのもあるが、どう会話したらいいのか分からないのだろう。

 しばらく経って、ルルーは少し飛ぶ速度を緩めて横島に声を掛けた。

 

「だいじょうぶかな?」

 

 言ってしまって、ルルーは少し後悔した。

 横島も即答出来ず、沈黙する。

 

 二人とも軽々しく大丈夫などとは言えなかった。つい先日、足掻いて足掻いて結局救うことが出来なかった一人の少女。その最期の様子がどうしても頭を掠めてしまう。

 大丈夫。大丈夫。皆きっと無事だ。

 心の中でそう繰り返すが、どうしても、ひょっとしたら……という恐怖心が湧きあがってきてしまう。

 

「大丈夫だ」

 

 横島がようやく言った。

 ルルーも小さくうなずく。

 

「そんな心配より、お前は自分の心配をしたほうがいいな」

 

「何が?」

 

「この俺がここまで煩悩を燃やせないのは女として不味いぞ。普通なら俺のゴールドフィンガーがモレスターヴァイトで天元突破なんだからな」

 

「何だか良く分からないけど、今はこの貧相な体に感謝しよ。というか、色々と可笑しいよ。ボクってヒミカさんとそんなに体のライン違わないじゃない」

 

「ふっ、愚かな! ヒミカはとっても可愛いんだぞ。とっても女の子っぽいしな」

 

「ボクだって女の子だよ……ほら、結構可愛い……みたいな?」

 

「…………ぷっ」

 

「うわ、むかつく! 腹立つー!!」

 

 くだらない上に馬鹿馬鹿しい言い合いが続くが、横島もルルーはふっと笑顔になった。

 

「ありがとな」

 

「うん、ボクも……ありがとう」

 

 互いに小さく礼を言い合う。二人とも分かっていた。

 お互いに相手に依存しあっている事を。

 恐怖と不安を、二人で共有し合っているからこそ、笑みを浮かべていられる事を。

 それからは会話も無く、ルルーはただ飛び続けた。

 

 

 大木の陰に隠れて息を潜ませる一団があった。

 悠人、アセリア、エスペリア、オルファら第一詰め所の面々だ。セリア達の姿は周囲には無い。

 

「皆は?」

 

 悠人の声には疲れと焦燥がにじみ出ている。

 

「不明です。完全にバラけて、どうなっているか。神剣反応が無いので、気絶しての戦闘不能か、死んでいるでしょう」

 

 事務的な口調で答えるエスペリア。温かさが感じられない答え方だったが、声が少し震えていた。恐怖や不安といったものを飲み込み、悠人を支えようと精一杯の勇気を振り絞った声。

 隣に居るアセリアは油断無く剣を構えているように見えるが、その顔には今まで見たことが無いほど困惑の色がにじみ出ている。オルファに至っては必死に泣くのを堪えているようにすら見えた。

 

「パパ……オルファ達、どうしたらいいの」

 

 目を潤ませて震える声で問いかけてくるオルファに、悠人は返す言葉が無かった。

 そんな事は俺が教えてほしいくらいだ、と心の中で悲鳴のように叫ぶ。パニック陥らないので精一杯だった。

 悠人は隠れながらも、怒りに満ちた目でゆったりとした足取りで近づいてくる『それ』を見た。

 それは人型だった。宝石のような光沢を持つエメラルドグリーンが、緩やかな曲線を描いて人の形を作っている。目や鼻の所に窪みがあり、顔と呼ばれるものがあった。大きさは見たところ、平均的な成人男性より一回りほど小さい。だが、その人型が放つプレッシャーは強大であった。放たれるマナの波動は悠人や横島と匹敵、あるいは超えるほど。全身に攻撃的な緑マナを展開させているようで、雷を纏っているのが分かった。

 手には何も持っていない。だが、確かに永遠神剣の気配はある。『鎧』は今まで見たことも無い未知の怪物だった。

 

「ユート……来る!」

 

 どうしたらいいのか、何て考える余裕が無かった。緑の、いや、いつのまにか黒色になった『鎧』は一瞬で距離を詰めてくる。

 黒の『鎧』は驚くべき俊敏さと、いつの間にかコウモリを連想させる羽を生やして、三次元的な動きで襲い掛かってきた。

 悠人は咄嗟に動けなかったが、アセリア、エスペリア、オルファは反射的に強敵を迎え撃つ布陣を敷いて動いた。生まれてからの大部分を戦士として教育されてきただけある。混乱していても体は反射的に動くのだ。

 アセリアは上空に、エスペリアは正面から、オルファは後ろへ。

 迫ってくる黒の鎧に、まずオルファが空中に魔法陣を展開して神剣魔法の詠唱を開始する。

 フレイムレーザー。何本もの火線を生み出して敵を焼くのではなく貫く神剣魔法だ。面の攻撃ではなく点の攻撃であるため、殺傷能力は非常に高い。さらにオルファは生み出した火線を一本に纏め上げて、威力を増大させる。こういったセンスはヒミカやナナルゥにはない。精鋭部隊である第一詰め所に所属しているのは伊達ではないのだ。

 

「つらぬいちゃえ~!! ふれいむ――――」

 

 空中に魔方陣が展開して、神剣魔法が発動する――――そのとき、『鎧』の色が変わった。

 黒から青に変化して、コウモリのような翼は形を変えて鷲のように変化する。青の鎧は足を止めて、オルファに向かって遠くから拳を突き出した。

 

 極小の魔方陣が拳から打ち出される。

 魔法陣はオルファに接触すると、凄まじい冷気を生み出してオルファを包み込んでいった。

 

 それはブルースピリットが使える神剣魔法を阻害する神剣魔法、アイスバニッシャーと同じ効果を持っていた。同じ効果といっても、詠唱が必要ないという恐ろしい特殊性は持ち合わせていたが。

 オルファの魔法は防がれて、彼女は一瞬であるが完全に凍り付いてしまった。周辺の草木もドライフラワーのように凍りつく。攻撃魔法では無くとも、並の生物ならこれだけで砕け散る殺傷力だ。

 オルファの神剣魔法は無力化されたが、攻撃手はまだ二手ある。そして『鎧』の足は止まっていた。

 

「ヤアアァァ!!」

 

 空中から全力で切りかかるアセリアに、

 

「ハアアァァ!!」

 

 正面から紫電の突きを放つエスペリア。

 ラキオスが誇る2大スピリットの同時攻撃。

 これを凌げる存在など、悠人には横島以外に考え付かなかった。

 

「オオオオッ!!」

 

 『鎧』は咆哮すると鎧の色を青から緑に変えて、アセリアの神剣『存在』を片手で受け掴み取り、残ったもう一本の手でエスペリアの神剣『献身』も掴み取る。圧倒的な握力と硬さ、そして技術があるからこそ出来る神技と言えよう。

 

「んっ!」

「なっ!」

 

 アセリアとエスエリアの顔が驚愕に染まる。

 様々な防御や回避を見てきた二人だが、神剣そのものを掴まれる、という事態は初めてだった。

 アセリアは、この前代未聞の事態に即座に対応した。

 全身の力を込めて神剣を捻って、捻る力で鎧の手から神剣を引き剥がし空に離脱する。

 だが、エスペリアはどうして良いか分からず止まってしまった。僅かの間であったが、致命的な遅れとなった。

 『鎧』はエスペリアの永遠神剣『献身』をぐいっと引く。そして、アセリアの神剣を掴んでいた左手でエスペリアに殴りかかる。

 この時点でエスペリアは対応する方法は無かった。神剣を放り出せば避けられたかもしれないが、神剣を手放したら戦う事が出来なくなるからだ。

 『鎧』の拳がエスペリアの腹部に突き刺さる。

 一撃で、防御に優れたグリーンであるエスペリアの意識は吹き飛んだ。ゴボリと血を吐き出しながら地面に倒れる。

 意識が朦朧となっても、神剣を手放さずに加護を得ているのは流石だった。

 

「え、エスペリアー!!」

 

 たまらず悠人が『求め』を振りかざして『鎧』に突撃しようとする。

 それに対しての『鎧』の行動は、見事というより悪辣と言えた。

 『鎧』はエスペリアをオルファの方に蹴り飛ばしたのだ。

 

「永遠神剣の主、『理念』のオルファリルが命じ――――むぎゅ!!」

 

 こっそりともう一度神剣魔法を唱えようとしていたオルファは、飛んできたエスペリアとぶつかって詠唱を中断させられる。エスペリアはオルファとぶつかって方向を変えたが、それでもどこかへ吹き飛ばされてしまった。

 エスペリアを助けに行くか。オルファと合流するか。それとも『鎧』に立ち向かうか。

 悠人にはいくつかの選択肢が現れて動きが鈍る。その隙にも、『鎧』の猛攻は止まる事が無い。青色になって翼を生やした『鎧』はアセリアに向かって飛翔して殴りかかる。

 

「ん……早い!」

 

 拳を足も頭も、全身が凶器である『鎧』から繰り出される嵐の様な拳打。アセリアが必死に乱舞を捌く。勝手が分からない戦いに苦しみながらも、ラキオス最強のスピリットであるアセリアは何とか戦っていたが、ここで『鎧』はまたしても色が変わり始める。

 青から赤へ。

 翼が消えて『鎧』は空中から落ち始めるが、その前にアセリアに取り縋り、

 

 ニィィ。

 

 破滅的な笑みを『鎧』は浮かべる。 

 狂気に取りつかれたアセリアは必死に暴れた。その様子を、悠人は地上から眺めていた。

 あのアセリアが恐怖に慄いている。それが悠人には信じられない。

 

 だが、一体どうしてアセリアが暴れたのか、悠人はすぐに理解する事が出来た

 『鎧』が、突如として爆発したのだ。アセリアは爆破の衝撃で襤褸切れのようになりながら遠くへ吹き飛んで地面へと落ちていく。

 

(自爆したのか?)

 

 目を覆いたくなる惨状が続く中で、悠人は希望を見出す様に考えたが、現実はそう甘くは無い。

 まるで何事も無かったかのように、青の『鎧』は空から翼をはためかせて地面に降り立った。傷一つ付いていない。

 悠人達の姿を認めると、ニヤリと顔面を歪めて向かってくる。

 

「こんな……こんな!」

 

 悠人は悪夢のような光景に悔しげにうめき声を洩らした。

 アセリアもエスペリアも、スピリットの中では間違いなく最高レベルの戦士である。その彼女らが二人がかりで、しかも魔法の援護を受けたにも関わらず、一矢すら報いることもできずに戦闘不能に追い込まれた。

 

「あっ、ダメ! パパだけでも逃げてェ!!」

 

 敗北を悟ったオルファが叫ぶ。

 

 そんな事を出来る訳が無い!!

 

 そう叫ぶ暇すら、敵は与えてくれない。

 間髪入れずにオルファの背後を取った青の『鎧』はオルファの首根っこを掴み、持ち上げ、人形でも叩きつけるように地面に叩きつけた。

 オルファの体は馬鹿みたいに跳ねて、飛んで、遥か彼方に転がっていった。水切りという、石を水辺に投げて跳ねた回数を競う遊びがあるが、それと同じ光景をスピリットで見せられるとは。

 漫画やアニメのような光景に、悠人はこれが現実の光景かと唖然とする。

 

 『鎧』は悠然と悠人に向き直ると歩を進めてきた。

 

「くそ、一体何なんだよ……くそおお!!」

 

 悠人は悔しさと怒りの余り吼えた。負け犬の遠吠えとも言えた。

 サルドバルトとの戦いは完勝に終わって、ラキオスは目と鼻の先まで来たというのに、どうしていきなりこんな事になってしまったのか。

 戦いにおいて『ありえない』なんてことは『ありえない』と軍事関係の本を見たときに書いてあったが、正直これはあんまりだとしか言いようが無い。

 敵に出会ったというよりも、天災にあったような気分だった。

 

「へっ、お前が悠人か」

 

 いつのまにか黒色になった『鎧』が喋った。その事実に悠人は驚愕を隠せない。何故名前を知っているのか、というのも驚いたが、その発音が完璧だったからだ。

 ユートでもユウトでもなく、悠人。

 それが指し示す意味は一つだけだ。

 そして、神剣の力だけとは思えない得体の知れない力。

 

「おまえは俺達と同じ……いや、横島の世界からの?」

 

 横島の名が出てくると怪物の動きが止まった。

 

「く……へへ、はは、はははははは!!」

 

「何が可笑しい!!」

 

 狂ったように『鎧』が笑う。

 恐怖はあったが、仲間を目の前で潰されて平静でいられる男ではなかった。

 怒りによって恐怖を塗りつぶす。

 恐怖が乗り越えられないなら、それしかない。

 

「うおおおおおおお!!」

 

 全力で切りかかる。

 重いが、キレの無い鈍重な一撃。

 復讐心で重きを増した剣は、今まで見せ付けた『鎧』の機動力なら楽に避けられた一撃だったろう。

 しかし、『鎧』はその場で立ち止まり腕をクロスさせてガードを固めた。

 『求め』と腕がぶつかり合う。鼓膜が破れるのではないか、と思われるほどの重厚な音が辺りに響く。

 単純な威力だけなら最高クラスの一撃なのだが、それでも鎧を破壊するには至らなかった。

 

「へっ、まだぬりぃな!」

 

 『鎧』は腕を払って悠人を吹き飛ばす。

 力だけなら最高の悠人であったが、同格の相手にはそれだけでは通じない。さらに技量の差も著しい。

 このままでは全滅してしまう。一体どうすればいいのか。 

 悠人は考えて考えて考え続けて、一つの答えを得た。

 

 ――――俺が死んでも、アセリア達を守り抜ければ横島が佳織を守ってくれる。それならそれでいいじゃないか。

 

 それは悠人にとって最高の答えだった。ここで『鎧』を倒せればアセリア達も助かるかもしれない。いや、きっと皆助かる。自分の命だけで皆が救われる。

 

 ――――お前は疫病神なんだよ。

 

 前の世界で言われた事を思い出す。その言葉は否定してきたが、どこか受け入れている部分も悠人にはあった。

 自分がいなくなれば、妹も友も救われる。

 そんな仄暗い希望を得て、悠人の精神は燃え広がる。

 

「刺し違えてでも、お前を倒す!!」

 

 悠人は命と引き換えにでも『鎧』を破壊してアセリア達を守る事を決めた。

 『求め』は「契約不履行するつもりか!!」等とぎゃんぎゃん喚いていて頭が痛くなるが、悪いと一言謝って、死出の旅路に付き合ってもらう事とする。

 

 全てのオーラを『求め』の刀身に集中させる。防御は考えない。スピリットでは到底出せない膨大なオーラが『求め』に宿る。

 『鎧』の雰囲気が変わった。今まで獣のように無茶苦茶な動きをしていたのが、始めて構えを取る。

 悠人の危険性を感じ取ったのだろう。緊張した面持ちで『鎧』は距離を測っていた。

 

 ニヤリと悠人は無理やりにでも笑みを作る。

 その『鎧』の様子に、自分の命を掛けた一撃なら『鎧』を倒せると確信する事が出来た。

 今まで練習を繰り返してきた剣の型を思い出し、アセリア達を打ちのめした『鎧』の機動と軌道を型に合わせる。

 そして、悠人は作り上げる事が出来た。

 『鎧』の拳が自分の心臓をえぐり出し、同時に『鎧』の首を切り飛ばすというイメージを。

 

「行くぞ!!」

 

 相打ちを目指して悠人は走り出す――――その時だ。

 

「何をやっとんじゃお前はー!!」

 

 どこか力の抜ける声が響いた。それは希望の声でもあった。

 そして空中から一人の男が大地に降り立ち、

 

 グキ!

 

「痛ってーー!! 足くじいたーーーー!!」

 

 着地に失敗し、足を抑えてゴロゴロと転がりまわる馬鹿が一人。

 悠人も『鎧』も目を丸くして突如として現れた闖入者を見つめる。

 馬鹿はしばらく痛みでゴロゴロと悶えていたが、

 

「もう無理だ。帰るわ」

 

 そのまますごすごと引き返そうとする一人の馬鹿――――もとい横島。

 

「帰んじゃねえ!」

 

 悠人のツッコミオーラビームが横島に直撃する。

 

「せっかく助けに来てやったのに、いきなり何しやがる!」

 

「それはこっちの台詞だ。俺のシリアスな戦いを滅茶苦茶にしやがって!」

 

「へっ、お前のファンなんか作らせて堪るかってんだ!」

 

「それが狙いか!? お前はドンだけアホなんだよ!!」

 

 二人の男が見苦しく言い争う。

 そんな様子を『鎧』は楽しげな笑みを浮かべて見つめていた。

 

「はっ、相変わらずだな」

 

 『鎧』は日本語で横島に向かって言う。

 横島は憎々しげに『鎧』を睨みつけた。

 

 ここで悠人は気づく。

 横島の『鎧』を見つめる目が、怒りや憎しみだけでなく、友情や懐かしいものを見る目である事を。

 それだけではない。『鎧』も同じような目で横島を見つめていた。唯一、違う部分は、横島は驚愕が主で、『鎧』は歓喜で満ち溢れている所だろう。

 

 どうしてそんな目をしているのか、その疑問は次の横島の言葉で氷解した。

 

「それで、一体こんな所で何やってんだ――――――雪之丞!!」

 

 横島が『鎧』に向かって怒鳴る。悠人は知り合いかと驚愕していた。

 

(何で、このバトルジャンキーがここに居て、悠人の奴と戦っとるんじゃあ!?)

 

 この『鎧』が雪之丞と断言することに迷いは無い。鎧の形は変わっていたが、これは魔装術に相違なかった。

 いや、魔装術ではないのかもしれない。魔装術からは、明らかに永遠神剣の反応がしていたからだ。

 魔装術と鎧型の永遠神剣を混ぜ合わせた、新たな力ではないか。それが横島と『天秤』の間に出た結論だった。

 

 雪之丞と思われる『鎧』は顔と鎧が一体化したようになっていたが、ニヤリと不敵に笑って、

 

「ちがうな」

 

 一言の元に否定された。

 声は間違いなく雪之丞だった。

 

「嘘つくなー! その『悪役です』って格好は、どう見ても雪之丞だろうが

 初見の人は『えっ? こいつ仲間なの!?』って言うに決まってるぞ!!」

 

「誰が悪役だ! 俺は……とう!」

 

 雪之丞? はぴょんと高くジャンプすると、高い木の先端に飛び乗った。

 猛烈に嫌な予感が横島と悠人に広がる。

 恐怖や絶望の類ではない。もっと、こう、作り上げて来た空気を壊すような『何か』だ。

 予感は、的中した。

 

「クールで知的! 悲しき使命を宿した裁きの戦士! その名も、ブルーディスティニー伊達!!」

 

 ドカーン。そんなチープで安っぽい音と共に、何故かバックで青色の爆発が起こる。

 それに合わせてブルーディスティニー伊達と名乗った奴は両腕を交差させる謎のポージングを取った。青のメタリックな翼はバサバサと煩く羽ばたいているし、しかも少しでも体を大きく見せようとしているのか爪先立ちで、足が何だかプルプルしてる。

 

 ポカーン。

 

 二人はポカーンとなった。ならざるを得なかった。場の空気とか状況とか、それらを全て台無しにされたゆえのポカーンだった。ポカーンも致し方無しだろう。何よりも、寒すぎた。見ていて恥ずかしくて、目を背けたくなるほどに。

 ポカーンと化した二人を無視して、ブルーディスティニー伊達はまたしても奇怪なポーズを取る。すると鎧の色が変わっていく。

 青から赤に。そして、

 

「ホットで情熱! 熱き魂と肉体を持つ究極の戦士! その名も、レッドマッスル伊達!!

 

 ドカーン。今度はバックで赤色の爆発が起こる。それに合わせてレッドマッスル伊達もポージングを取った。

 

 横島も悠人も声が出ない。ただひたすら恥ずかしい。これと同じ異世界人とは思われたくない。

 もう見ていられず、目を背けたくなったが、しかしあふれ出るオーラと闘気だけは本物だ。下手に目を離したら、一瞬で殴り殺されるかもしれない。

 命の為に、横島達は寒いヒーローショーを見ざるを得なかった。

 雪之丞はそんな二人を見てドヤ顔をしながら、また鎧の色が変わっていく。赤から緑へ。

 

「アースで無敵! マイナスイオンの至高の戦士! その名も、グリーンクリーン伊達!!」

 

 一体、何故、どうしてこんな事に?

 ポージングごとにドヤ顔をする雪之丞に殺意を抱きながら、彼らは観客となる。

 

「ダークで素敵! 名も正体もすべて不明の謎の戦士! その名も、ブラックノーマル伊達!!」

 

 突っ込むことすら許さない凶悪なギャグ――――というよりも理不尽に、二人はただ己の無力をかみ締めていた。

 

「一人揃って、一人戦隊! 無敵伊達レンジャー雪乃丞! またの名を『闘争』のユキノジョウ! お呼び出なくともささっと参上!!」

 

 ドガガガガーン!! 

 チープな擬音みたく聞こえる爆発音と共に、どこからか湧き出た四色の煙が周囲で爆発した。中心にいる変態は「決まった」と言ってポーズを取り続けている。完全に自分に酔っているようだ。

 

「横島」

 

「分かってる」

 

 聞かなければいけない事はたくさんある。何故ここにいるのか。何故襲ってきたのか。その力はいったい何なのか。その口上は間違っているぞとか。スーパー雪之丞どこいったとか。伊達で統一するのか雪之丞で統一するのかはっきりしろとか。

 だが、何よりも先にしなければいけない事があった。

 

「とにかくだ。色々と……なんでやねんー!!」

 

「うおお!! ヒーローを馬鹿にするなー!!」

 

 悠人と横島から放たれた二つのオーラのビームが一つとなり、ポージング中のノーマル伊達を吹き飛ばした。

 とにかく色々と台無しされた怒りと理不尽に彼らも限界だったのだ。

 

「へっ、やるじゃねえか」

 

 巻きあがった煙の中から出てきたのは、所々欠けた緑の鎧を纏ったグリーンクリーン伊達だった。見た目はぼろぼろに見えるが、良く見ると少しずつ鎧部分が治っていく。

 横島と悠人が放ったオーラの一撃は城一つを貫通する威力があった。それをまともに受けてこの程度なのだ。まあ、ギャグ空間の恩恵を得ていると言ってしまえばそれまでなのだが、何にせよ恐ろしい頑丈さだ。

 

「おう雪之丞。そのダサいポーズは何だよ。小学生の時と変わってねーのか?」

 

「ダサいか? あいつらはカッコイイって言ってくれたんだが」

 

「あいつらってのは知らんけど、それ、ぜってー内心で笑われてっぞ」

 

 横島の言葉に渋い表情になる雪之丞だったが、まあいいかとさっぱりした表情で頷く。

 

「さてと」

 

 雪之丞は足の屈伸や首を回して体を慣らして、横島達に向き直る。狂気を秘めた眼光が横島達を貫く。

 ざわりと横島達の背に怖気が走った。

 目の前にいる男が何なのか。まだ理解は出来ていない。

 恥ずかしい馬鹿である、というのは分かるが、凄まじい力を持っていることは間違いない。

 そしてなにより、雪之丞からは確かな殺意が感じられるのだ。昔語りをしよう、などという空気では無かった。

 緊張が最大にまで高まった時、ついに雪之丞が動いた。

 

「用件も済んだし、戻るとするか。じゃあな、横島」

 

「はいぃ!?」

 

 雪之丞はひらひらと手を振って、のんびりした足取りで歩き去ろうとする。

 一体用件とは何だったのか。横島からすれば、意味不明の変身ショーを見せつけられただけだ。聞きたいことは山ほどある。

 

「何だそりゃあ! 事情を説明していかんかい!!」

 

「おいおい、そんなことしてる場合じゃないぜ。早くしないとあいつら死ぬぞ」

 

 魔装術? で覆われた顔が愉快そうに歪む。心底楽しんでいると分かるような笑みだった。邪気は無いが、殺意はある。しかし、その眼差しには友情が存在している。歪の塊がそこにあった。

 横島は理解した。こいつは雪之丞では無い。別の何かであると。

 雪之丞は確かにバトルマニアで、生死を掛けた殺し合いに震え喜ぶ変態の上に、無愛想で無遠慮な犯罪者予備軍であったが、知り合いの友人を殺しかけてカラカラと笑える人格破綻者ではなかった。

 

(おい『天秤』! これは神剣に心を食われたって奴か!?)

 

『いや違うな。これは言葉にするなら、融合と言った所だろう。神剣と相性が良すぎたのだ。神剣に心を砕かれた訳ではなく、我らのように共存しているわけでもない。一つになったのだ。……これは手ごわいぞ』

 

 『天秤』が説明するには、雪之丞と鎧型永遠神剣『闘争』は相性が良すぎたらしい。 

 元々の性質が近すぎたため、お互いに溶け合い、混じり、新たに再構成された――――人格、魂。

 

 神剣と契約者には二つの道がある。

 契約者の精神力、自我の強さで神剣の力を引き出して戦う道。

 もう一つは神剣に心を飲まれ、神剣そのものとなって戦う道。

 

 雪之丞は第三の道を作ったのだ。

 神剣と交じり合う事で生まれた戦闘力は見ての通りである。

 性格もごらんの有様だ。

 

「本当に永遠神剣って碌でもないな」

 

 横島はうんざりしたように言いきる。

 出会うと不幸になる、と言わんばかりに永遠神剣は災厄を振りまいているように思えた。

 

『しかし、永遠神剣は力を与える。人の身ではどうやってもたどり着けないような力を与えるのだ』

 

「それで、行く先はあれかよ?」

 

 ポージングを取り続ける雪之丞。

 『天秤』は何だかとっても恥ずかしくなった。

 

『う、ううるさい!! 凄いのだぞ! 強いんだぞ永遠神剣は! あれはちょっと神剣が悪かったのだ! 少なくとも私は横島の為になりたいと思っているし努力しようと――――』

 

「分かった分かったっーつの! 俺はお前と組めて良かったよ!!」

 

 横島がやけくそ気味に言うと、『天秤』はとても安心したように『そうだろう』と上機嫌な返事が返ってきた。

 

(……こいつってかなりチョロイのか)

 

 褒められる事に慣れていないのか、『天秤』は自己を肯定されるとすぐに舞い上がってしまう。しかも自分は頭が良いと思っている。エニの件で多少は改善されたが、性格というものは早々変わるものではないのだろう。

 悪い奴に騙されそうな性格をしてるなあ、と横島は少し不安になった。その不安は、見事に的中していたりする。

 

「それじゃあな! 死ぬまで生きてろ!! ハハハハハ!」

 

 何が楽しいのか馬鹿笑いを響かせて、雪之丞は森の中に消えていった。

 元々変な奴ではあったが、神剣を得てさらに変な奴になってしまった雪之丞。元に戻るときは来るのだろうか。

 横島は唖然としていたが、すぐに気持ちを切り替える。今重要なのは雪之丞ではない。大切な女の子たちだ。

 

「セリア達は?」

 

「……あ、ああ。あいつと戦って吹き飛ばされた。あいつが言っているのが正しいなら気絶していると思う」

 

 神剣反応がないから何処にいるか全く分からない。移動しながら戦い続けていたため、場所の特定は難しかった。

 もし命に関わる怪我をして身動きできず、神剣も使えない状態だったら死を待つだけだ。

 

 悠人の話を聞いて今がどういう状況か横島にも飲みこめた。馬鹿をやっていられる状況ではない。一秒を争う瀬戸際なのだと。

 全力で『天秤』の力を引き出す。身体能力を上げるのも理由の一つだが、何より精神を落ち着かせる為に。今必要なのは冷静な判断能力。今にも叫んで混乱しそうな自分の心なんて不要だった。

 

(『天秤』、頼むぞ)

 

『分かった』

 

 最小限の会話の中に信頼が存在していた。

 『天秤』からは、力と共に心からの『善意』が横島に流れ込む。

 

「悠人、回復魔法は使えたよな」

 

「気休め程度には」

 

「んじゃ、これ使え」

 

 そう言って渡したのは『探』の文珠。病床の半月で何とか作った一個だ。

 

「命の危険が無いスピリットは見つけても放置。グリーンスピリットは優先的に回復だ。直に後詰もくるからな」

 

 横島とは思えない冷静で冷徹な指示。お笑い要素も一切無い。事実、完全な横島ではないのだろう。助けるのに不要な心は『天秤』に食わせているのだ。勘違いしてはいけないのは、『食われている』ではなく『食わせている』という点だろう。横島は巧みに自身の弱点を『天秤』によって補わせていた。確かな信頼があるからこそ、それが可能なのだ。

 

「お前はどうやって探す。文珠はまだあるのか」

 

「48の煩悩技、女体探知がある」

 

「分かった」

 

 悠人も突込みなど入れない。会話は最小限に。

 そうして二人はスピリットの救助に奔走した。

 結論から言えば、死者は出なかった。だが、一部のスピリットは正に半死半生という状態で、壊れた人形のように手足が無茶苦茶な方向曲がり捻じれていた。

 もし悠人と横島が回復に回らず一晩放置すれば死んでいた事だろう。ただ、総じて急いで回復させなければ死んでしまうような致命傷を受けたスピリットはいなかった。すぐに死なない程度には手加減したという雪之丞の言は正しかったようだ。

 

 横島は考える。

 一体、『雪之丞』はどれぐらい『雪之丞』なのか。それは分からないが、いつか戦いを、殺し合いをすることだけは何となく理解していた。

 それは、恐ろしい――――恐ろしいのだが、決して不快では無かった。むしろ、それを当然とどこかで考える自分がいた。女性の尻を狙うが如く、神剣を砕くのは当然の事なのだと。

 

 限界まで神剣の力を解放して回復魔法を唱え続けた横島は、最後に意識を失い昏倒した。

 またしばらくベッドの住人になるだろう。

 

 戦闘可能なスピリットを殆ど失ったサルドバルト軍は事実上、崩壊したも同然だった。さらにサルドバルトは泣きっ面に蜂で、サルドバルト王が突然の崩御。せっかくイースペリアの侵攻は食い止めたものの、その内情はガタガタだった。

 同盟国といっても、もはやラキオスとサルドバルトの力の差は明白であり、戦いが終わった数日後に同盟国から属国へとその関係を変える事となる。主権の一部は奪われ、人質を送り、保有するマナの全てをラキオスに委ねるという大きすぎる条約とともに。

 それに対してサルドバルト国民はラキオスの横暴よりも、自国の不甲斐無さに腹を立てることになった。

 彼の国が内部より倒壊してラキオスに併合されるのも時間の問題だろう。

 

 こうしてサルドバルト救出戦は後味の悪い終わり方で幕を閉じることになる。

 いくつもの課題と謎を残して。



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第二十三話 前編 太陽の軌跡①

 永遠の煩悩者 第二十三話 前編

 

 

 太陽の軌跡

 

 

 

「またベッドに逆戻りかー。君って、ベッドが好きなんだね」

 

「んなわけあるかー!? くそ、何で俺の看護に付くのは、こう子供なんだ!」

 

「普段の行いが重要だってわかるエピソードだね」

 

 自室のベッドの中で横島が悔しそうな顔で悪態をつく。

 その横でルルーが呆れたような顔をして、果物ナイフで果実を切り分けていた。

 

 限界まで回復魔法を行使して倒れた横島は、再びベッドの住人となっていた。元々怪我が完全に治ったわけでもなく、ここ数ヶ月の間で死ぬ寸前のダメージを何度も負っていたのだ。肉体的にも精神的にも疲れが溜まっていて、長期的な休養が必要だと診断されていた。

 よって、ラキオスに戻ってきて早三日。ベッドの上でのんびり静養している。

 

 無論、雪之丞との関係について質問攻めはされた。しかし、元の世界で悪友だった、としか説明しようが無い。

 そして、今は敵だ。単独なのか、それとも国にでも雇われているのかは分からないが。

 雪之丞が何を考えているのか。正直さっぱり分からない。ただ最悪の事態は免れた事に安堵する。

 もしも雪之丞がセリア達を殺していたら、ギャグで終われず血で血を洗う殺し合いが発生する事は疑いなかった。

 本当に何が起こっているのか。謎が多すぎる。とにかく今出来ることは情報を集めるしかない。

 

 どうしてこうなった。

 横島は頭を抱える。

 この世界に来て、何度この台詞を呟いたことか。ちらと横を見てもう一度呟く。

 横島の看護に付くのは、見ての通り何故かルルーだった。これもまた謎だ。どうして第二詰め所の隊長を、第三詰め所の隊員が看護するのだろう。セリア達はどうしたのか。

 セクハラされたくない、などという理由でセリア達が看護を拒否しているのであれば、横島もセクハラの自重を考えるだろう。勿論、考えるだけだが。

 

 実は見舞いに来ていないわけではないのだが、それを言うルルーでも『天秤』でもなかった。

 

「でもこれで、事実上、北方五国は全部ラキオスの物になったわけか……正直、信じられないよ」

 

 ルルーがぽつりと言った。それは大陸に住む全ての人の言葉であった。

 五十年以上続いてきた均衡が、半年程度で壊れてしまった。ラキオスの躍進を誰が予想できたであろう。

 北方の小さな王国であったラキオスは、サーギオスとマロリガンに続く第三の強国になっていた。しかも、本来ではありえないほど敵国のスピリット達が死なずに傘下に加わったため、数の上では同数かそれ以上の可能性もある。

 ただ、マナの大部分は第一、第二詰め所のスピリットに使われているので、精鋭とその他の力の差はかなり広がってしまっているが。

 

「……何にしても、これでしばらく平和になるよね。帝国はなんだか混乱してるって聞いてるし、マロリガンとは敵対してないんだから」

 

 平和が一番だよね。ルルーはそう言って笑った。ただ、その笑顔にはどこか陰りがある。

 彼女も心の何処かで分かっていた。この平和が続く事はないだろうと。

 ここ最近のきな臭さは異常だ。謎が際限無く膨れている。

 

 エニの件を皮切りに、イースペリアの侵攻と消滅、雪之丞の参上(惨状)。

 また悠人達が倒したイースペリアのスピリット達は、なんと毒杯を飲んでいたらしい。神剣の力で致死量の毒素に抵抗していたようだが、神剣を手放した直後に血を吐いてマナの霧に帰ってしまった。戦闘するまでも無く、彼女達の死は約束されていたのだ。

 最低でもスピリットを一人捕らえてイースペリアの内実を聞きだすよう悠人に厳命したレスティーナは、その報告にがっくりと肩を落とし、隣で報告を聞いていたラキオス王はニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべたという。

 狂気的にすら感じる、徹底的な情報の隠蔽。

 隠されているものは、何か。それは誰もが薄々は予想しているだろう。

 一連の騒動で誰が一番得をしたのかを考えれば、子供でも分かることなのだから。

 

 問題は外だけではない。ラキオス内部にもあると、横島は知っている。

 

 ―――――私は、女王になります。今すぐにでも。

 

 そう告げたレスティーナの瞳は、今まで見たことが無いほど強烈な光を宿していた。

 今すぐに女王になる。

 それがどういう事か横島にも十分理解できた。恐らく、実の父であるルーグゥ・ダイ・ラキオスを何らかの方法で追い落とすのだろう。社会的に潰すのか。いや、あの様子だと謀殺もありえそうだ。

 あの欲に塗れた王よりも、平和とスピリットを愛するレスティーナの方が横島にとってもスピリットにとっても歓迎すべきであろう。なにより美少女だ。

 

 だが、本当に現ラキオス王が引きずり落とされ、レスティーナが女王に即位すれば平和になるのだろうか。

 

 むしろ新たな戦いが生まれる可能性の方が高いような気がする。レスティーナのスピリット解放の想いを世界をぶつければ、それだけで戦いの火種になるだろう。

 横島としても、レスティーナの道は全面的に賛成できるものだ。なにせ彼は、スピリットの扱いの不遇さに腹を立てて、永遠神剣の圧倒的な暴力により国王を脅し、問答無用でスピリットを解放しようとした男なのだ。

 今こうして笑っているスピリットの裏に、まだ見ぬ不遇のスピリット達がいる。自分が不幸である事すら理解していない女の子がいる。

 助けたいと思う。助けて、ハーレムを築きたいと思っている。

 その気持ちは初めてネリーと話したときと変わらず、むしろ大きくなっている。

 

 しかし、その道は戦いの道だ。

 

 その為に仲間達と戦場を駆け巡るのは――――正直、勘弁願いたい。

 ネリー達の屍の上にスピリットが解放されるなど冗談ではない。何より、もう神剣を振って戦うのが怖いのだ。

 そうだとしたら、レスティーナよりも禿王の方が良いのではないか?

 領土も増えたし、征服欲も満たされただろう。サーギオスの強大さを考えればいくら禿王が馬鹿でも手を出すとは考えづらい。レスティーナは色々と言っていたが、そこは文珠で洗脳するという手だってある。

 マロリガンと関係を強化して、二国でサーギオスに圧力を掛けていけば仮初であろうと平和が訪れるだろう。

 勿論、イースペリアの惨劇を引き起こして多くの人命を奪った禿王は許し難いが、それでも殺し合いを避けれるのならそれもありではないか?

 

 何となくではあるが、横島はそう考えるときがある。

 その横島の考えを、レスティーナは予期しており、危惧していた。

 ラキオスのスピリットだけを大切に思い、神剣を手放したいと考えるなら、これが合理的であり自然なのだ。

 しかし、この危惧はレスティーナが横島を完全に理解していないから起こったものだった。

 

(ありえん! 俺が美少女よりもおっさんに味方するなんて!!)

 

 そんな煩悩にまみれた考えだけで、今まで積み上げてきた思考を全て捨てる。

 彼は掛け値なしの馬鹿なのだ。付き合いの薄いレスティーナは、横島の馬鹿を理解しきれていなかった。

 

「よし、剥けたよ。口開けて。ほら、あーん」

 

 ルルーは剥いた果実に楊枝を刺して、横島の口に持っていく。

 近づいてくる果実とルルーの姿に、横島はがっかりしたように項垂れた。

 

「なにその残念そうな顔は! ボクに何か不満でもあるの!?」

 

 頬を膨らませて鋭い目で睨みつけてくるルルー。

 睨むといっても、まるで小動物の威嚇のようで、その姿は愛らしいと言っても良いだろう。

 しかし、横島の心を揺らす類のものではなかった。

 

「はあ~」

 

 横島は残念そうに首を捻りながら、

 

「お前は……なんつーか、妹みたいな感じなんだよな」

 

 ルルーはきょとんとした。何を言われたのか良く分からず首をかしげる。

 ほどなく理解に至り、顔を赤くしてわなわなと震えだした。

 

「な、何を変なこと言って!」

 

「そんな怒るなよ。何となく妹って感じがしてな。俺は一人っ子だから、妹とか姉とか、それから姉とか欲しかったんだよな~」

 

 どれだけ姉が欲しかったんだ!?

 という類の突っ込みはルルーの口から出てこなかった。

 

「な、何を言ってるの!? それじゃあ、君がボクの……兄さんになっちゃう……よう」

 

「ん? まあ、そうなるのか」

 

 横島の言葉の調子は軽い。

 妹がいたらこんな感じなのかも、という程度で言ったに過ぎなかった。セリア達のように煩悩の対象にならず、かといってネリー達のように子供として接するほど幼くない。どう扱っていいのか分からない微妙な年齢。それに好かれているのか嫌われているのかも分かりづらい。

 イマイチ立ち位置が掴めなかったので、妹みたいなものなのかも、と判断したのだ。

 

「そんなに妹が欲しいんだー。あっはっは、男って生き物は悲しいね」

 

「ちょっと待て! 別に俺は妹が欲しいなんて言ってな――――」

 

「言ったね! ああ言ったんだ! 可愛くてプリティーで繊細な妹……そう、つまりボクが欲しいって!」

 

「待て待てい! 突っ込みどころ満載ってレベルじゃないぞ!!」

 

「うん。分かった分かった。そこまで言うのなら妹になってあげるよ」

 

 唖然とする横島を尻目に、ルルーは「しょうがないなあ」と溜息をつく。だが、その顔は隠しようがないほど緩んでいる。

 家族という物に深い思い入れがある彼女にとって、兄という言葉は非常に新鮮で嬉しいものだった。スピリットは女性しか生まれない。血の繋がりは無くても、母や姉、妹のような存在は出来るが、兄や弟は決して存在しなかった。

 人間の隊長は男だが、スピリットに対しては無感情か険悪のどちらかでしかないので、とてもそういった存在にはなりえない。兄という言葉と存在に、ルルーは震えた。

 

 お兄ちゃんか、いや、ここは兄さんって言おうか。にーにーとか……ボクには似合わないな。バカ兄とかエロ兄とか? う~ん、そこまで言わなくてもいいかも。

 

 ぶつぶつと呟くルルーを、横島は少し戸惑いながら眺めていた。

 なんとなく口から出た言葉だったのだが、何だか喜んでいるようだからまあ良いか、と横島はほんのり口元を綻ばせて、「ムチムチプリンになるのは5年後かな」などと邪な考えに浸っていた。

 

 和やかっぽい空気が流れる。

 だが、突如けたたましい足音が聞こえてきたかと思うと乱暴に扉が開けられ、そして一人の男が満面の笑みで飛び込んできた。少し遅れて息を弾ませたメイドも入ってくる。

 

「おい! やったぞ!!」

 

「ゆ、悠人か? どうした、顔にいつもの陰気が無いぞ」

 

「遂にな、佳織が帰ってくるんだ!!」

 

 こいつにこんな明るい声が出せたのか。

 

 横島は思わずそんな感想を持ってしまった。

 基本的に悠人はどこか暗い。じっとりとした嫌らしい暗さでは無く、周りと自分自身すら拒絶するような闇がある。

 彼はどんな目にあっても屈しない気丈さを持っているが、同時に自分自身を傷つける様なネガティブな一面があった。

 しかし、今の悠人にはそんな陰りは一欠けらも存在しない。気持ち悪いぐらいに笑顔である。気持ち悪いぐらいに。

 

「レスティーナ様が手を尽くしてくれまして……」

 

 悠人の隣でニコニコ顔のエスペリアが説明してくれる。なんでも悠人の妹であり、軟禁状態であった佳織が解放されるとの事らしい。

 北方五国を制圧した悠人の功績に報いるために、レスティーナがラキオス王を説得したとの事だ。王は始めは不服そうにしていたのだが、悠人がラキオス以外に行く当てもなく、どうしたって王族には逆らえないのだと丁寧に説明したところ、意外なほど簡単に許しがでたそうだ。

 文珠の効果も切れたのか髪も伸び始め、領土も数倍に増え、自身の誇りにしている聖ヨトの血筋も減った。

 この上なく上機嫌であることが幸いしたのだろう。無論、レスティーナはそのあたりの事情を計算したのだろうが。

 

「へぇ~良かったな」

 

 横島も素直に喜んだ。久しぶりの良いニュースだったし、なんだかんだ言っても雀の涙程度の友情を悠人には持っていた。

 なにより可愛い女の子が晴れて自由の身になったのだ。喜ばないわけが無い。それに、

 

(こいつのシスコンっぷりを皆に見せれば、きっと呆れかえって、俺の所に嫁入りするに違いない!!)

 

 そんな打算と欲望もあった。まあ、こういった悪巧みにも似た考えは上手くいかないのが世の常だが。

 

「よし、今日は佳織の為に豪勢な食事で行こう。俺も手伝うぞぉー!!」

 

「ユート様、お待ちください! カオリ様が帰ってくるのは今日じゃありませんよー!」

 

 悠人が暑苦しいぐらいに騒ぎ散らし、演出上の夕日に向かって駆けていく。その後をエスペリアがメイド服をはためかせて追いかけて行った。

 一連のやり取りをただ見せられたルルーは、嵐のような悠人の姿にポカーンとなっている。

 

「ユート様ってあんな感じの人だったっけ?」

 

「ああ、いつも変な感じの人だぞ」

 

「う~少し幻滅かも」

 

「ふっ、俺の方がいい男だろ」

 

「それは無いし」

 

 にべも無く切り捨てるルルーを横島はギロリと睨む。睨まれたルルーは少し不満そうな顔をした後、唐突に破顔する。

 そして「なんだかとっても兄妹しているみたいだね!」と声を弾ませて言った。

 テンションの高さに横島は少し引いたが、きっと妹というのはこういうものなんだろうと納得した。

 でも、元気な妹よりアダルトな姉にプロレス技を掛けられるほうがいいな。

 

 そんな風に心の中で言って、実は口でも言ってしまって、元気な妹からほっぺを抓られる。

 なにはともあれ、久方ぶりにのんびりとした空気がラキオスを覆っていた。

 

 数日後、ようやくベッドから起き上がれるようになった横島は、レスティーナから一つの命令を、というかお願いを受け取った。

 それは、悠人の妹である佳織を城から第一詰め所まで送って欲しいというものであった。

 城から第一詰め所まではそれなりに距離がある。さらに詰め所は町から外れていて人通りも少なく、特徴のある赤毛と帽子をかぶっている佳織が一人で出歩くのは確かに危険だ。

 レスティーナは人間の兵士に佳織を送らせようとしたのだが、どういうわけか佳織本人が横島を指定したのだと言う。迷惑でないのなら、と弱弱しいお願いだったらしいが。

 横島は断るわけも無く快諾した。

 

 体の調子を確かめるようにのんびりと歩きながら城の前まで行くと、ウサギ帽子のアシュタロスをかぶった佳織が不安そうにうろうろしていた。

 側にいる二人の門番は、一人はイライラしたように佳織を睨んでいて、もう一人は完全な無視を決め込んでいる。

 

「おーい、佳織ちゃ~ん」

 

 横島が手を振ると、佳織は安心したように笑顔となった。

 佳織は小走りで横島に近づくと、ペコリと頭を下げる。

 

「お久しぶりです。あの、私の無理なお願いを聞いてくれてありがとうございます。横島さん」

 

「気にしなくても大丈夫。美女美少女の頼みを断ったら、俺の名が泣くってもんだ!」

 

「え……その、ありがとうございます」

 

 顔を赤くしてまた頭を下げる佳織。

 初々しい反応が中々可愛いくて、横島は自然な笑顔を作る。

 その笑顔を裏では、早く背丈とバストが大きくならないかな、何て邪な気持ちで溢れていたのだが。

 

「ちっ」

 

 どこからか舌打ちの音が響いてきた。

 目をやると、そこには二人の衛兵が忌々しげに足で地面を蹴っている。

 早くどこかに行け、と暗に語っていた。

 

「まったく、あいつら佳織ちゃんを無視しくさりおって」

 

 横島が衛兵達を睨むと、佳織は慌てて首を横に振った。

 

「そ、そうじゃなくて……きっと服務意識が高いんだと思います。仕事中にお喋りなんて出来ないんです」

 

 兵士らの無愛想さを佳織はそう解釈する。

 そして、思いついたように兵士達の前まで小走りで向かって、

 

「お勤めご苦労様です」

 

 ペコリと頭を下げる佳織。

 二人の兵士は口をあんぐりと開けて佳織を見る。横島も同じような表情だ。

 

「それじゃあ道案内をお願いします。横島さん」

 

 何事とも無かったように横島の元に戻る佳織。

 横島の目からぼろぼろと大げさに涙が溢れた。

 

「ええ娘や~ほんにええ娘やで~」

 

「そんな事は無いと……わわ、涙まで流して~」

 

 そんなこんなと賑やかにしながら、二人は悠人の待つ第一詰め所に歩き出す。

 町から外れ、森を少し歩いた所で、佳織の足がピタリと止まった。そして佳織は横島に向かって、

 

「横島さん。ありがとうございます」

 

 ペコリと頭を下げて礼を言った。横島は首を傾げる。

 お願いの感謝はさっき受けたはずだが。

 

「いままでずっとお兄ちゃんを守ってくれたんですよね。私との約束を守ってくれて、本当にありがとうございます」

 

 もう横島が忘れかけていた佳織との約束に対する礼だった。佳織が横島を指定したのは、この礼を言うのも一つの理由だった。

 再度、頭を下げる佳織。勢いが良すぎたのか、アシュタロスがずり落ちそうになって慌てて手で押さえる。

 本当に優しい娘だ。

 横島はおキヌちゃんを思い出していた。

 

「美少女のお願いだ! 守らぬヨコシマンではないのだ!!」

 

 シャキーンとポーズを取る横島。佳織は少し目を丸くした後、パチパチと拍手して次いでクスクスと笑った。

 良い関係になれそうだ。

 二人は自然と思った。そうして歩きながらまだまだ会話を続けていく。

 元の世界の事や、異世界で戸惑った事。来訪者同士に通じる話を、横島は大仰な身振り手振りも交えて面白おかしく語り、佳織は素直にビックリしたり笑ったりと楽しい時間が過ぎていく。

 話を続けていると、横島は今まで佳織に抱いていたイメージがどんどん払拭されている事に気付いた。

 

「でも、思っていた以上に落ち着いてて立派だよな、佳織ちゃんって」

 

「はい?」

 

「いやさ、悠人から佳織ちゃんの話を聞いてると、なんだか物凄く弱くて儚いって感じがあったんだけど」

 

 悠人の話に出てくる高嶺佳織という女性は、優しく弱いというイメージがあった。見た目通りといえば見た目通りだ。背丈も低く、動きは淑やかで、女性的な丸みは無い。日陰で本を読んでいるのが似合いそうな、そんな雰囲気だ。

 しかし、今こうやって地に足をつけて歩いている佳織を見ると、別に弱いとか儚いとかは思えなかった。外面は儚くても、芯や根っこの部分はどっしりとしているように見えた。話し方もしっかりしているし、声は小さくともくっきりしている。

 少なくとも横島なら、佳織を紹介する時はしっかりした子と説明するだろう。

 

「私、お兄ちゃんのお荷物にはなりたくないんです……今更なんでしょうけど」

 

 声を震わせて、自嘲するように呟く佳織。その一言で横島は理解する。

 彼女はずっと檻の中にあって、頑張って成長しようとしているのだ。籠の鳥でいることを良しとしていたわけではない。実際に、佳織はこの世界の文字を学んで本を読み漁り、この大陸の歴史に深く精通している。自分がやれることはしていたのだ。

 それが分かって、横島は素直に好感の持てる女の子だと認識した。

 

「えらいなー佳織ちゃんは」

 

「えらくなんて無いです。横島さん……その、お兄ちゃんは私の事を恨んでないでしょうか」

 

「はっ?」

 

「私は人質になったから、兄は苦しい思いをしたんです。だから……」

 

 自分の為に、自分のせいで、兄は人殺しをした。その事実に佳織は僅かに体を震わせる。

 兄に会うのが少し怖かった。ひょっとしたら兄は自分を恨んでいるかもしれない。

 自分が居なかったら、兄は人殺しをせずに済んだのだ。自分は兄の負担以外の何者でもない。

 

 佳織の足が止まった。

 目の前に木造の屋敷が現れる。第一詰め所だ。

 夢にまで見た兄は目と鼻の先に居る。だが、佳織の足は凍りついたように動かなかった。

 叱責されるのではないか。どう謝ったらいいのか。不安と恐怖が胸を押しつぶそうと膨れ上がる。

 

「大丈夫だ! あいつのシスコンは筋金入りだからな。佳織ちゃんはただ思うとおりにすりゃOKだ」

 

「でも」

 

 不安そう声を出す佳織。横島は安心しろと佳織の肩に手を置いた。

 横島のエロ風評を聞いている佳織は少し警戒したが、それは横島の顔を見てすぐに消えた。

 

「それよりもあいつに抱き潰されないよう注意だ。苦しかったら噛み付いてやれ! それと、俺が佳織ちゃんをエスコートしたってあいつが聞いたら、『妙なことしなかっただろうな』って難癖つけるだろうから、俺のこと守ってくれな!」

 

 楽しそうに横島は笑っていた。

 悪戯好きな少年のような笑み。しかし、女の子を元気付けようとする精悍な笑みでもあった。

 ――――この人がお兄ちゃんの友達で本当に良かった。

 佳織は二人の出会いを心から喜んだ。

 

「はい! 行って来ます!!」

 

 力強くそう言ってノックもしないで扉を開ける。よほど気が急いているのだろう。

 扉を開けた先には、リビングで腕を組みながら落ち着きなくウロウロしている針金頭の青年の姿があった。

 

 言葉は必要無かった。体は勝手に動いた。

 

 佳織は兄の胸に飛び込んで、悠人は妹を抱きとめる。

 兄と妹の抱擁を、第一詰め所のスピリット達は優しい顔で眺めた。

 横島も無粋な横槍など入れず、表情の乏しいアセリアでさえ確かな笑みを浮かべている。オルファは満面の笑みで、エスペリアは涙ぐんでさえいた。

 勿論、誰よりも喜んだのは悠人であることは疑いようがない。

 ここまで来るのに大変な苦労があった。罪の無いスピリット達を手に掛け、激痛に耐え、理不尽と屈辱の数々を乗り越えてこれたのは、間違いなく今この瞬間の為だ。腕に力が入るのは仕方が無いことだろう。

 佳織の顔は悠人の容赦無く鍛えられた大胸筋に押しつけられて、圧迫感の苦しさと兄の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ恥ずかしさから真っ赤になっていた。

 

「いい加減にしろ、このシスコン。佳織ちゃんが苦しそうだぞ」

 

 流石に見かねた横島が突っ込みを入れる。

 横島の姿を認めた悠人は眉を顰めた。その間に佳織は兄の胸からどこか名残惜しそうに逃れる。

 

「何でお前がここに……」

 

「ああ、佳織ちゃんをここまで送ってきたんだ」

 

 答えると、悠人はじろりと横島を睨んで、

 

「佳織に何か妙なことをしなかっただろうな」

 

 敵意剥き出しの声でそう言った。

 本当に横島の宣言通りの悠人の反応に、佳織はおもわず吹き出してしまった。横島は腹を抱えて大笑いだ。

 思わぬ反応が返ってきて、悠人は渋い顔をする。

 

「だ、大丈夫だよお兄ちゃん! とても良くしてくれたから」

 

 笑いながら佳織はフォローを入れる。

 それが事実であることは、悠人にも分かっている。何だかんだで横島を信頼はしていた。

 それでも聞かずにはいられない所が、彼のシスコン足るゆえんだろう。

 また、相手がどれだけ信頼していても変態である横島だから聞いた、というのも勿論ある。むしろ当然だった。

 

「ほんっっっとにシスコンだよな」

 

「だから、俺のどこがシスコンだって言うんだ!!」

 

「いや、どこかって……お前」

 

 流石にここまでくると横島も笑いが苦笑となる。そして、どこか同情的な視線を佳織に送った。佳織はあいまいな笑顔でたははと笑う。兄のシスコンぶりに困っているように見えたが、しかしとても幸せそうだった。佳織は佳織でブラコンなのだ。

 とりあえず感動の再会は一段落付いたと見えて、今まで静観していた者たちが動き始める。

 

「カオリ! 久しぶり~!」

 

「あっ、オルファ!」

 

 二人は手を握り合ってクルクルと回る。

 オルファはレスティーナの計らいで佳織とは時たま会っており、仲の良い友人同士であった。

 

「エスペリア・グリーンスピリットと申します。カオリ様、今後ともよろしくお願いします」

 

「こちらこそ。高嶺佳織です。これからよろしくお願いします」

 

 二人は行儀良く頭を下げあう。

 

 仲良くなれるだろうな。

 悠人は姉のような女性と義妹のツーショットに顔を綻ばす。

 

「アセリア……うん、よろしく」

 

「え……え~と佳織です。よろしくお願いします」

 

 アセリアはやはりぶっきらぼうだったが、それでも自分から挨拶するというのは珍しかった。

 しかも、手を差し出して握手までしている。これも仲の良さが期待できそうだった。

 

「あ、そうだった。ハクゥテーおいでー!」

 

 オルファが呼ぶと、いそいそとオルファの足元に白い一角ウサギが擦り寄ってきた。

 ペットのエヒグゥだ。

 

「わぁ、可愛い!」

 

「うん、ハクゥテはとってもとーっても可愛いよ!」

 

「確かに可愛いのですが、私が世話をしているハーブ園を食べようとしてくるのが困りものです」

 

「あれ? パパがなんとかするって言ってたような気がしたけど」

 

「それは……その、ユート様がニチヨーダイク……というもので庭園の周りに柵を作ってくれたのですが、直ぐに壊れてしまって」

 

「うっ、あれは木が水に弱くてすぐに腐ったからだよ。作りはしっかりしてたぞ」

 

「ユート、ラールの木は老木でないと腐りやすい。うん、常識」

 

「……まさかアセリアに常識を説かれるなんてな。まあ、多めに見てくれよ。俺はエトランジェなんだし」

 

「でもお兄ちゃん。ラールの木が腐りやすいって私だって知ってるよ」

 

「うぅ……佳織、頼むからもう少し兄の顔を立ててくれ」

 

 悠人達の話が弾む。何て事のない話題だが、誰も彼も笑顔で、まるで一つの家族のようである。

 そんな第一詰め所の様子を、横島はなんとなく面白く無さそうに見つめていた。

 

「それじゃあ、俺は帰っかな……あ、そうだ。悠人、明日はセリア達を呼んで顔通しすっから、佳織ちゃん一人占めにすんなよ。今日だけにしとけ」

 

「ああ、分かった……って誰が一人占めにするか! というか一人占めって何だよ!?」

 

 これ以上からかわれるのは御免だと、悠人は顔を赤くして激昂するが、

 

「ユート様、今日ぐらいは一人占めしてよろしいと思います」

 

 と、エスペリアは上品に悪戯っぽく笑い、

 

「そうだよ、パパ! カオリに沢山お話したい事あるでしょー!」

 

 太陽の様に光り輝く笑みで明るく気を使うオルファに、

 

「ユート、素直になったほうが……良い」

 

 アセリアは恥ずかしい言葉を真面目に呟く。

 

 まさかアセリアにまで言われるとは。

 悠人は言葉に詰まった。彼女らの言うとおり、二人きりで話したい事などいくらでもある。

 一緒に暮らすとはいえ、隊長の仕事は忙しく勉強に訓練と予定はびっしり。二人の時間など、今後は早々取れるものではない。

 しかし、ここで頷いてしまえば、またシスコンと囃したてられるに決まっているのだ。

 自尊心を取るか、それとも自分に正直になるか。

 ぐぬぬ、と歯軋りの音が聞こえんばかりに考え込む悠人。

 そんな兄の姿を見かねたのか、佳織はとことこと悠人の前まで進み、

 

「私は、今日ぐらいお兄ちゃんと二人がいいなぁ」

 

 その一言で悠人の天秤はあっさり傾いた。

 

「そ、そうか。うん、佳織がそう言うんじゃあ仕方ないよなあ、ハッハッハッ……」

 

 嘘っぽい笑い声を響かせる悠人。

 ふと気づくと、横島が、エスペリアが、オルファが、生暖かい笑みを浮かべていた。

 

「ユート……なんだか格好悪い」

 

「ぐぅ」

 

 空気が読めなかったアセリアの正直な一言に、悠人はただ赤面するばかり。

 漫才のようなやりとりに、横島たちは遂に堪え切れなくなり腹を抱えて笑い始めた。

 完全に笑いの種にされて、悠人は面白くなくぶすっとしかめっ面になったが、じわりじわりと沸いてきた幸せの実感が彼の頬を緩ませる。

 

 いつまでも、この穏やかな時が続くように。

 

 馬鹿笑いする横島に拳骨を入れながら、悠人はそれだけを願う。

 なんとも穏やかな雰囲気が第一詰め所に流れていた。

 

 

「お兄ちゃん、朝だよ~」

 

 ゆさゆさゆさ。

 

「お兄ちゃんってば、起きてー」

 

 ゆさゆさゆさ。

 

 優しく体を揺さぶられ、悠人の意識がゆっくりと覚醒していく。

 薄く目を開けると、そこには義妹の姿があった。

 

「あ、起きた? 早くしないとご飯冷めちゃうよ」

 

 義妹の言葉に、ベッドの中の悠人はゆっくりと脳を活動させ始めた。

 

 そうだ、起きて学校行かないと。バイトもある。そういえば演劇の準備もしなくては。何だって俺が主役なんてやらなくちゃいけないんだよ。光陰はロリだし、今日子はハリセンだし。小鳥は小鳥だし。ああ、今日の朝飯はなんだろう。

 

 いくつもの思考が同時に展開して、しかしそれは積みあがらず崩れていく。完全に寝ぼけている状態だ。

 

「エスペリアさんが眠気覚ましのハーブティー煎れてくれるから、早く起きようよー」

 

 エスペリアの名が聞こえて、悠人ははっとした。

 

 ああ、そうだ。ここは異世界じゃないか。

 

 一瞬だったが、元の世界に戻ってきたかのような錯覚を覚えていた。

 妹が戻ってきて、日常が悠人の中に戻ってきたからだろう。

 元の世界だったら、寝坊をすると幼馴染の暴力女がハリセンでスパ―ンと一撃を加えてくるのだが、異世界ではそれも無い。

 干されたばかりでお日様の匂いがするベッド。妹の声。あるべき日常。

 

 ――――ああ、至福だ。

 

 この上ない幸せを感じて、目を閉じて毛布を被る。

 

「も~どうして目を閉じちゃうの。寝ちゃだめだよー!」

 

 ゆさゆさゆさゆさ。

 

 慌てた義妹の声も何だか懐かしい。

 ハリセンの恐怖も無いので、心安らかに二度寝に入れる。

 それはそれで少し寂しかったが、しかし安心の方が大きかった。

 

「……ま……さん…………もう……待って…………!!」

 

 眠りの世界に近づくにつれて、佳織の声が遠ざかっていく。

 寂しいが、今は眠気優先だった。その眠気を覚ますように体が優しく揺らされる、

 

 ああ、この優しい揺れが俺を眠りに誘う――――

 

「義妹に優しく起こされて当然な顔をしやがって!! 調子に乗るのもいい加減にせんかー!!」

 

「ぐはあ!」

 

 突如、顔面にすさまじい衝撃。鼻を潰され、目の前で火花が散った。痛みの余りベッドから転げ落ちる。

 ずきずきする鼻を押さえながら辺りを見回すと、この場にふさわしくない男の顔があった。

 

「な、なんで横島がここにいる!?」

 

 憤然とした横島が、そこに居た。

 

「昨日言っただろうが! セリア達と佳織ちゃんを面通しするって! いつまで寝てるつもりじゃーボケ!」

 

「なにもこんな朝早くじゃなくていいだろ!?」

 

「朝早くだぁ~!? 窓を見んかい!」

 

 促されて窓の外を見てみる。

 すると、お天道様は地上から90度の角度、つまり真上にあった。

 昼前の訓練も終わってる時間だ。大寝坊である。

 

「うっ……どうしてもっと早く起こしてくれなかったんだよ」

 

 弱弱しく悠人が文句を言う。起きられなかった者の、お決まりの責任転嫁だ。これが人間ではなく動かなかった目覚まし時計相手だったりすると、責任の全てを目覚まし時計に転嫁することも容易だったりする。

 当然だが、社会で通じる技では無いので注意しよう。

 

「え、え~とね、お兄ちゃん。私もエスペリアさんも何度か起こそうとしたんだけど、どうしても起きてくれなくて。

 疲れてるから休ませよう、ってエスペリアさんが言ったから起こさなかったんだけど、流石にお昼まで寝られちゃうと……」

 

 とても困ったように佳織が言う。

 つまり、何もかも悠人が悪いという事だ。

 どうして寝坊したのか、理由はある。昨日は夜遅くまで佳織と語り合っていたからだ。

 そして、それでも日課の秘密鍛錬を欠かさずした事によって睡眠時間はさらに削れてしまった。

 そう説明しようには、それは言い訳であるし、秘密がばれてしまう。

 結局、悠人は平謝りするしかなかった。

 

「さて、佳織ちゃん。こんな寝ぼすけ兄貴はほっといて、早速セリア達と色々話してきてくれや。頼むな」

 

「え……あ、はい」

 

 佳織と悠人は少し違和感を感じた。どうも仰々しい。

 まず、佳織とセリア達を早く会わせようとしたのが横島だった。

 それは別に変なことではない。共に暮らす家族が増えたことを伝え、話す場を設けるのは当然の事と言える。

 しかし、横島の様子が妙に切羽詰ってるというか、余裕がないのだ。

 

 少し納得いかない様子で、佳織がセリア達の待つリビングに向かう。

 横島は佳織の背中を祈るように見つめていた。

 やはり様子が可笑しい。

 

「なあ、横島。何かあったのか」

 

「……」

 

 横島は何も答えず、剣呑な視線を悠人に向ける。

 

「な、なんだ」

 

 妙に殺気だった横島の視線に悠人は戸惑う。

 

「お前さ、俺のセリア達に何か変な事しなかっただろうな」

 

「はぁ? 変なことって何だよ」

 

「そりゃお前、隊長としての立場を利用しておっぱいに顔を埋めてぐりぐりしたり、剣の型を教えてやるとか言って手足をベタベタ触ったり、スピリット隊にパンツ禁止令を出したり」

 

「お前じゃないし、誰がするか!!」

 

「俺だってパンツ禁止なんてしないぞ! パンチラやパンモロを失うなんてトンでもない!」

 

「そっちじゃねえよ!?」

 

「じゃあ、何か変わったことはないか?」

 

 横島との会話は困難を極めた。

 面倒くさいので、さっさと会話を切り上げたいところだったが、横島は本気でセリア達の様子を気にしている。

 だったらもう少し真面目にすればいいのに、と悠人はうんざりしながら思った。

 

「……そうだな、ちょっと気になってるのは随分と訓練に熱が入っていることか。血を見ることが増えてるな」

 

「まさか、悠人。訓練と称してセリア達に『コンセントレーション(妄想全開)で俺のきかんぼうがオーラフォトンビーム(極大棒)だからレジスト(賢者モード)してくれ』なんてしているんじゃなかろうな」

 

「俺の神剣魔法を汚すなよ! まったく、真面目に答えてやったのに! それと、そろそろお前の怪我も良くなっただろうし、訓練に出ろよな」

 

「分かった分かった。ま、何にもしてなきゃそれでいいんだよ。それじゃな」

 

 引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、横島はあっさりときびすを返して去っていった。

 一体何を考えていたのか。悠人は不審そうに眼を細めたが「おに~ちゃ~ん、皆でご飯だよー」の声に表情を緩ませてリビングに向かうのであった。

 

 

 時はさっさと流れて一週間後。

 

「えへへ、お買い物お買い物」

 

 午後の訓練も終わった頃、佳織は露店が並ぶ大通りで機嫌良さそうにスキップしていた。隣には悠人の姿もある。

 今日は空いた時間を利用して兄妹で町を散策することになっていた。

 佳織はキラキラと目を輝かせている。やはり女の子らしくショッピングが楽しみなのだろう。それに、ずっと城の中で軟禁生活が続いていたから、目に入るもの全てが輝いて見えているのだ。

 

「やっぱり、見かけだけは中世時代に近いなぁ。でも、生活様式は私達と大差ないし……う~ん」

 

 佳織は町の様子を見ながら、時に驚き、時に考え、外の様子に熱中した。

 悠人は活発に行動する佳織に、なんとなくハラハラしている。保護欲全開という所だろう。

 しかし、佳織はそんな悠人の様子を気にすることなく、石畳の道の感触を楽しんでいる。

 

 佳織は元の世界で少女戦士が大冒険をする活劇小説を愛読していた。無論、自分がその小説の主人公のようになれるとは考えていないが、それでも似たような立場になって気分が高揚しているのだろう。

 

「おいおい、あまりはしゃぐなよ!」

 

「はーい」

 

 悠人は兄らしく佳織に注意する。悠人も悠人でようやく訪れた日々を楽しんでいるようだ。

 今日は兄妹が家族団欒を過ごす日。親代わりに近い悠人にとっては家族サービスに近い。

 はしゃぐ佳織の姿に悠人も満足げに目を細めていた。が、横にいる存在を思い出すと思わず頭を抱えてしまう。

 

「そう、久しぶりの家族団欒だ。『家族』団欒なんだ……なのに!!どうしてまたお前がいる!」

 

「そりゃあ、主人公だからな」

 

「答えになってないぞ!」

 

「いや、十分答えになってるだろ」

 

 悠人と佳織、そして何故か居る横島の3人で市を巡っていた。

 どうして横島がいるのかは、謎だ。エスペリアが気を利かせてくれて2人の時間を作ってくれたのだが、気付いたら横島が隣に立っていて、そのまま付いてきたのだ。

 

 空気を読め、と言いたいところなのだが、しかしここでそう言ったらまたシスコンシスコンと言われてしまう。

 

(ここは我慢だ。我慢しろ、高嶺悠人)

 

 シスコンでは無い所を見せようと、悠人は仕方なく横島を追い払おうとはしなかった。

 

「あの、横島さん。今日はどうしたんですか」

 

「ああ、佳織ちゃんに頼みがあるんだ」

 

「ひょっとして、まだセリアさん達の様子が変なんですか?」

 

「ああ、どうもなあ。ネリー達はあんまり遊んでないし。ナナルゥは近頃は本を読んでないし。何より、みんな訓練とかに精を出し過ぎているような気がするんだよな。ニムはまだ普通なんだけど。

 とにかく余裕がないというか、焦ってるとゆーか……雪之丞にやられた後遺症って事もないだろうしな」

 

「う~ん」

 

 佳織は困ったように頭を捻る。この間、佳織はセリア達と色々と話した。

 確かに焦りの様なものがあったかもしれない。自己紹介が終わると、慌ただしく訓練に行ってしまった。その時、佳織は随分と忙しい人たちなんだなあ、ぐらいにしか思うことが出来なかった。

 しかし、それで様子が変と言われても困ってしまう。そもそも、平時の第二詰め所の様子を佳織は知らないのだ。

 悠人も、最近の第二詰め所のスピリットは訓練に精を出しているぐらいにしか印象がない。

 だが横島はハリオン達と一つ屋根の下で暮らしているのだ。

 悠人や佳織では捉えられない微細な変化も感じられるのかもしれない。

 

「佳織ちゃんは女の子だしな。何か良い知恵を貸してもらえんかと。勿論、お礼に美味しい物でもご馳走するぞ!」

 

「そんな、お礼なんていりません。私に出来ることがあったら何でもやってみますから」

 

「本当に良い子やなー! いまどき珍しいぞ!」

 

 横島は純粋に褒めて、佳織はちょっと恥ずかしそうにする。

 悠人はそんな二人を不快そうに見つめていた。

 ここで横島が佳織に手を出したら、思い切り殴ってやると心に決めているのだが、佳織の前では横島は普通に紳士なので文句を言えないのだ。

 

 仕方なく悠人は内心で「この女好きめ」と横島を軽蔑するしか無かったが、実は感心もしていた。

 隊を良い状態に纏め上げる努力を怠っていない。本人はそんな風に考えているわけではなく、ただ自身の欲望の為に動いているのだろうが、それが結果的に隊の状態を注視していることになっているのだから大したものである。

 本人の資質や性格による所も大きいだろうが、女性達とコミュニケーションをとる事をまったく苦に思わないのは一つの才能だろう。悠人は女性だらけの生活にストレスを感じる事もあるのだ。

 

「でも、横島さんは本当にセリアさん達が好きなんですね」

 

 佳織も、悠人と同じ感想を持ったようだ。

 

「異世界にやってきて美少女だらけの隊の隊長になったんだ。これでハーレムを作らなかったら男じゃないだろ」

 

 まったく誇れないことを、誇らしく言い切る横島。

 こんな血と偏見に満ちた世界でそんな事を言える横島が、悠人には頼もしく、同時に不快でもあった。この世界への馴染みっぷりがどうも納得できない。いくらスピリットが美人揃いだとしてもである。

 悠人は元の世界に帰りたいと、まだ願っている。これはアセリア達との生活が嫌というよりも、やはり人生の大半を過ごした世界への望郷の念が消えないからだ。

 

(そういえば、横島は一度も元の世界に帰りたいって言わないよな?)

 

 疑問に思う。

 確かに、ラキオスの為に戦わないとセリア達を処刑する、と脅されていると聞いているが、帰りたいと一言すら呟かないのは異常なのではないだろうか。

 まさか、元の世界に帰りたくない理由があるとは思えない。そんなにハーレムが作りたいのだろうか。

 

 そんな事を考えていると、下から視線を感じた。目を下へ向けると、佳織が「お兄ちゃんもハーレム作りたいの?」という視線を投げかけている。どこか視線が冷たいような、また期待を帯びているような良く分からない視線。

 一緒にしないでくれ。俺は横島とは違うから。

 悠人は両手をあげてジェスチャーすると、佳織はほっとしたような残念なような顔で小さく頷く。

 

 そんな風に話しながら、三人で街を歩く。

 すると。

 

「おぉ~い、ヨコシマ君。良いエロ本が入ったぞ!」

「流石っす、親方! ぐふふ~ぜひとも拝読を!」

「変態だー変態が来たぞー! 総員、突撃せよー!!」

「じゃれるな、このガキ共めぇ……カンチョーすんなーー!!」

「近づかないでくれない。息しないでくれない。死んでくれない」

「アリスさん、そりゃあんまりっすよ! ちょっと見合いの席に乱入しただけじゃないですか」

「それがちょっとかい!? まったく、玉の輿に乗るチャンスを潰して……まったくこの犯罪者は」

 

 歩いている町人や路上販売をしている商人が盛んに声を掛けてきた。声は、全て横島に向けられている。どうやら顔馴染みらしく、無遠慮な声が多く掛けられた。

 声の種類は様々だ。単なる世間話、客引き、やっかみ、嘲り、友情の声、等々。

 好かれているとは言い難い。どちらかと言えば嫌われている声の方が大きいが、親しみが感じられるのも確かだった。事実、横島も相手の名前を知っていて普通に返事を返している。

 

(何だかんだで人望あるよな、こいつ)

 

 親しげに町人に話しかけられる横島を見て、悠人はどこか羨望や嫉妬を感じてしまう。この一種の人徳は羨ましい。

 とは言っても、こういう人間にだけはなりたくない、と思うのも事実だ。親しまれているくせに嫌われてもいるのだ。

 

(俺はまるで空気みたいだな)

 

 悠人は自嘲するように少し笑う。横島の隣にいるというのに誰一人として話しかけてこない。

 話しかけられても談笑するような話題などないし、そもそも悠人はこの世界の人間達が好きでは無いから、話そうとも思わない。

 それが一番の原因なのだろう。俺に関わるなオーラが、悠人からは発散されている。

 住人はそのオーラを敏感に感じ取っているのだろう。学校でも付き合いは良い方ではなかったのだ。

 

 なんとなく憂鬱になりながら、ちらりと横島の方に目を向けると、美女に這い寄る変態がそこに居た。

 

「まったく! 何をやってるんだ!!」

 

 今度話しかけて来た相手が若い女性という事もあって、鼻息を荒くして対応していた横島だったから、悠人は首根っこを捕まえて退けさせた。当然、横島は野生の獣のように暴れようとしたが、素早く頚動脈を強く圧迫して瞬間的に気を失わせる。

 

「ありがとうございます。迷惑してましたの」

 

 横島に絡まれていた女性が、笑顔を浮かべてペコリと悠人に頭を下げる。

 

「……こちらこそ」

 

 悠人は中途半端な笑顔を浮かべて、小さく頭を下げ返した。

 愛想を振りまけない悠人にとって、これが精一杯なのだ。

 

 しかし、そんな悠人の態度が女性のツボを突いたらしい。

 女性は上品な笑顔を浮かべてもう一度頭を下げると、早足で遠くから見守っていた娘たちの輪に加わってお喋りをはじめた。

 どうやら悠人と話せたことを自慢しているらしい。

 

「……人気あるんだ。お兄ちゃん」

 

「いや、そんなことないだろ。町の人と話す事なんて殆どないしな。俺は人付き合いって得意じゃなんだから」

 

「ふ~ん」

 

 佳織は素っ気なく頷いた。

 そして小さく「学校の時と同じだ」と呟く。

 悠人にはその呟きの意味を推察する事はできなかった。

 

「こんのぉ! 何しやがる! もう少しで落とせたって言うのにーー!!」

 

「……一回でいいからお前の頭を覗いてみたいな」

 

 横島は即座に復活していた。

 ギャグキャラに条理は通用しない。

 

「うっさーい! 何が勇者様じゃあーー!! 町のみなさーん、こいつは陰気で根暗なシスコン野朗ですよー」

「つまり、寡黙で影があるけど、妹思いの美丈夫って意味ですねー」

「ランちゃ~ん! どうして都合良く判断するんじゃあ!?」

「あははー。だって勇者様はイケメンですもん。ヨコシマさんは……ねえ?」

「うがあああ!! これだから人間の女ってやつは! スピリットの皆の純真さを見習え!!」

「でも、ここ最近ヒミカ達とも上手くいってないんでしょ。やっぱりイケメンは正義なんです!」

「あぐううう! この見る目の無いクソ女共めぇ~!!」

「泣くな、ヨコシマ君! 我らブサメン同盟のリーダーなら涙を力に変えてイケメンを滅ぼせるはずだ!」

「人を勝手にブサメンのリーダーにすなーー!!」

「勿論、イケメンのリーダーは勇者様でお願いします!」

「えっ? 俺!?」

「悠人を倒すなら任せろー! バリバリー!」

「ああ、お兄ちゃんがバリバリにーー!!」

 

 とまあ、そんなこんなカオスしながら散策は続く。

 今は市の中でも菓子屋が沢山ある通りを歩いていた。

 甘い匂いする菓子の数々に佳織の目があちらこちらに飛び回るが、道行く女性が頬張っていた物を見て、佳織も悠人も驚愕で目を見開いた。

 

「今のはひょっとして、タイヤキか!?」

 

 日本人であるなら、誰しも一度は食べたことがあるだろう菓子。

 魚の外見をしていて、頭から無残に食べるか、尻尾から残忍に食べるか、もしくは腹を割き腸をほじくるよう真ん中から食べるか、非常な選択を迫ってくる悪魔のような存在である。

 タイヤキ。それが、異世界にあった。

 

「ひょっとしたら、餡子が食べられるかも!」

 

 佳織は甘いものが大好きな女の子らしく目を輝かせた。悠人も、懐かしい餡子の味を思い出して喉が鳴った。

 

「あっ、お兄ちゃん。あっちのほうに魚が描いてある旗があるよ。あそこじゃないかな」

 

「よし、行ってみるか!」

 

「うん!」

 

「あっ、おい。それは……って、もういねえし」

 

 駆け出す二人を呼び止める横島だったが、二人は走っていってしまった。

 やれやれ、と横島はぼりぼり頭を掻きながら二人の後を追っていった。

 

 それは小さな露天だった。

 だが長い行列が出来ている。店の隣には高いのぼり旗があった。

『ハイペリアからやってきました!! 天国のお菓子。その名もタイヤキ!! 生きてる間にご賞味あれ!!』

 と大きく書かれている。

 どうやら本当にタイヤキらしい。

 

 タイヤキを買うべく、悠人と佳織が列に並ぶと、さっと行列が引いた。

 人間達はまじまじと悠人達を見つめてくる。

 

 興味と畏怖。

 悠人達を見る眼差しには、その二つの感情が込められていた。

 どうしてさっきまでは普通だったのに、今は突然こうなったのかと考えて、理由はすぐには分かった。

 

(ああ、そうか。横島がいないからか)

 

 ギャグ属性を持つ横島がいないから、どうも辺りがシリアスとなっているらしい。

 まともに考えれば、怯えられるのも仕方が無いのかもしれない。

 腰に差してある永遠神剣『求め』を使えば、蟻を踏み潰すように人間を蹴散らせる。

 エトランジェとは、恐怖されるのが当然ぐらいの存在なのだ。

 しかし横島が側にいると、エトランジェ(笑)にされてしまうのだろう。

 

「あの、その……このままじゃ私達横入りしちゃいますよ?」

 

 佳織は遠慮がちに言っても、町人は列に戻ろうとはしなかった。

 複雑な表情で悠人達の様子を窺っている。

 

「さっさと買っちまおう。その方がこの人たちも助かるだろ」

 

 悠人はさっさと思考を切り替える。

 こういう時にウジウジと考えても状況が好転する事はないと知っていた。

 

「タイヤキを二個頼む」

 

「あいよ! 四ルシルでぃ!! 出来れば良貨でな」

 

 店の親父が威勢良く答えて手を出してくる。以前にレムリアのヨフアルを買った時もそうだったが、どういう訳か菓子屋はスピリットやエトランジェを差別する事が無いように見えた。

 お金を払おうと懐に手をやる。

 

「……あっ」

 

 財布を失くしたサラリーマンの如く懐をあさるが、その手は何も掴む事が出来なかった。

 

「……金が無い」

 

「えー」

「えー」

 

 佳織と髭面店主が可愛く落胆の声を上げる。

 妹に菓子の一つも買ってあげられないという事態に、悠人は兄として、いや男として非常に情けない気持ちになった。

 元々、悠人達に支払われている給金は無い。買い物は国で発行してもらう証書と品物を交換することで行う。

 だが、それは生活必需品と食料にのみ使われる証書であり、流石にたった二つの菓子の為に使うのは躊躇われた。

 

「すいません。客の呼び込みでも掃除でも何でもするので、タイヤキを買わせて貰えないですか」

 

「そうは言っても、出店で掃除なんて必要なんてないし、呼び込みも勇者さんじゃなあ」

 

 店主の言うことは尤もだった。

 呼び込みなんてしたら逆効果になりかねない。

 悠人が情けなさで項垂れると、店主はドンと胸を叩いて笑顔を見せた。

 

「よし、わかりました。ここは俺の奢りでいきましょう」

 

「ほ、ほんとですか!」

 

「へへ、貸しにしといて差し上げますよ。貸しについてはヨコシマの旦那にはよろしく言っておいてくだせえ」

 

 そう言って店主は粗い布に包まれたタイヤキを悠人達に差し出した。

 悠人は頭を下げて礼を言って、タイヤキを手に取る。

 すると、悠人達のうしろからぬっと手が伸びてきて、屋台の台座に銅貨が置かれた。

 

「親父、もう一個タイヤキ頼む。十ルシルだ」

 

「おお、横島の旦那じゃないですかい。いつもごひいきに……はい、お釣り四ルシル」

 

「ん……随分と儲かってんな」

 

「そりゃもう、お陰様で」

 

 二人はやはり知り合いのようだった。

 店主はもみ手をして柔和な笑みを浮かべている。一方、横島はじと目で店主を見つめていた。

 

「ハイペリアにこういう格言があるんだ。『ただより高いものは無い』ってな」

 

「流石はハイペリア。良い言葉ですな、そりゃほんとに」

 

 満面の笑みを浮かべながら、親父が感心したように言う。

 その格言がどういう意味であるのか、理解しているようだ。

 横島は「よく言う」と店主を軽く睨んでも、店主はニヤニヤとするだけだった。

 

「そんじゃあ、いくぞ悠人。レ……ムリアちゃんに教えてもらった所で食うぞ。あと、佳織ちゃんにお駄賃な」

 

「あ、ああ」

 

「え、ええと、ありがとうございます」

 

 いきなりのやり取りに呆気に取られた悠人と佳織だったが、レムリアに教えてもらった湖に向かって歩き出す。

 歩きながら、横島は悠人を責め始めた。

 

「おい、悠人。何を勝手に俺に借りを作らせようとしてんだよ。あの親父は抜け目ないんだからな。こんな事で借りなんて作ってたら面倒なことになっちまうだろ」

「どういう意味だ。そもそも、何でお前は金を持ってるんだよ」

「フッ、それは一生の謎で終わるのだ!」

「いや、意味分からんから」

「それにしても妹に菓子の一つも買ってやれないとは……シスコン兄貴の異名を返上したほうがいいな」

「誰がシスコンだ。いい加減にしろよ!」

「じゃあ、普通に兄貴失格だな」

「黙れ、この時給255円め。毎日毎食カップラーメンでも啜ってろ」

「言うなー! もう、もうカップ麺で一ヶ月過ごすのは嫌じゃ……チョコでご飯は美味しくない……部屋にジセイしたキノコはマンマミーアなんじゃー!」

「よし、とうとう(口喧嘩で)横島に勝ったぞ!」

「お、お兄ちゃん、何だか格好悪いよぉ」

 

 二人のやり取りを見て佳織は苦笑するしかない。

 まるで10年来の友人同士の掛け合いをしているようだった。

 レムリアに教えてもらったスポットに着く。目の前の湖から吹いてくる涼しい風が心地よい。

 

「いただきます」

 

 悠人と佳織が同時にカプリとタイヤキに噛み付く。

 咬み付くと、二人はきょとんと目を点にした。

 

「あれ……ワッフル?」

 

「いや、この世界だとヨフアルって言うんだけど……ワッフルだな」

 

 これはタイヤキの形をしたヨフアルだ。

 タイヤキとは似ても似つかぬ味である。

 生地もそうだが、中に餡子も入っていない。

 

「おい、横島。これはどういうことだ」

 

「そのまんまだ」

 

「このタイヤキ型ワッフルは、お前が教えたんだろ!? お前が言わなくても、それぐらいは分かるぞ!」

 

「ああ。ちょっとした約束をした代わりに、タイヤキの形だけをな。

 俺達の世界……まあ、実際は俺がいた世界とお前がいた世界は違うみたいだけど、少なくとも日本は……というか地球は天国(ハイぺリア)って扱いだからな。こんな情報だけで一財産だ」

 

 天国の世界で食べられ、縁起が良いもの。しかも美味しくて、子供の駄賃程度で買える。

 これだけのオプションが付けば、確かにこの長蛇の列も納得できる。

 つまり、ハイぺリアというブランドがついているわけだ。

 店側も張り型を作りさえすれば量産は楽なので特に苦労はしない。元々の味が良かったのも繁盛の理由だ。

 

「どうせだったら餡子でも開発してくれりゃあいいのに」

 

 悠人は不満げな顔をして、がっかりしたように肩を落とす。

 完全に肩透かしを食らって落ち込んでいるようだ。

 

「無茶言うなつーの。俺はGSで、別に発明家でも料理人でもないんだぞ」

 

 横島の言葉に、佳織は純粋に首を傾げる。

 

「……どうやっても無理なんですか? 代用品とか使ったりすれば」

 

「餡子に似たようなものならあったんだけど、微妙でな~。はっきり言って売れないってレス……専門家にも言われちまったし」

 

 横島の言葉に、悠人も「そうかもしれないな」と頷く。

 元の世界と似たような食材は数多くある。穀物類から野菜、肉や茶など『何処かで食べたことがある味』は多かった。同時に、『似ているけど微妙に違う味』も多くある。

 他にも、味が同じでも栽培方法が違かったりするなど、現代の知識を活用しようとしたら妙な落とし穴があって恥をかいたことがある。

 異世界に自分達の世界の常識を嵌めこめようとするのは危険らしい。

 

「確かに、似ているけど違う物って多いよな。リクェムなんて、ピーマンの強化型みたいなものだしな」

 

「あはは、やっぱりお兄ちゃんはリクェム苦手なんだ。オルファと同じだね」

 

 悠人はげんなりしながら言って、佳織は苦笑いを浮かべる。

 どうして別世界に来てまで苦手な食材で苦労しなくてはいけないのか。しかもエスペリアはあれやこれやとピーマンを食べさせようとするのだ。

 

「別に食生活には不満無いけどさ、欲しくなる味ってあるよな。佳織もそういうのあるだろ?」

 

「うん、料理じゃないんだけど、QBマヨネーズとかブルキャットソースとか」

 

「ああ、なるほど。俺は醤油が欲しいな」

 

「ケチャップもないよね」

 

「時給255円時代に食いまくったカップラーメンが食いたいな。今なら120……いや、130円出すぞ!」

 

「そうだな。俺もカップラーメン食べながら、コーラが飲みたいな」

 

「クッ、ブルジョワめ!! チョコでご飯を食ってた俺に謝らんかい!」

 

「うはっ。ひでぇ」

 

 食い物談義に花が咲く。

 他にも、テレビとか冷房とか、懐かしい技術の話で盛り上がった。

 

「元の世界の知識を生かして商売とかできたら面白そうなんだけど」

 

 佳織の目がキラキラと輝く。

 色々と考えているのだろう。この世界で自分が出来ることを。

 ただお世話になっているだけなのが辛いのかもしれない。

 悠人も佳織の意見に頷く。

 

「そうだな。エーテル技術とか、天動説が正しいのかもしれないとか、俺達の世界との差異は色々合って難しそうだけど、不可能ってわけじゃないかもしれない。何だかんだ言っても、基本は中世程度の技術だもんな」

 

「そうだよね! 実は色々と考えてるんだけど――――」

 

「あまりやらない方がいいと思うぞ」

 

 意気込む悠人と佳織だが、水を差す様に横島が反対した。

 

「もし商売が上手くいって儲けたりすると、嫉妬されて面倒だぞ。俺らって結局異邦人だからな」

 

 横島はGS業界の大御所でありトップの美神除霊事務所にいたから、業界の嫉妬の恐怖は知っている。

 

 平安時代にタイムスリップした時も、稼ぎすぎて酷い目にあった。

 佳織の言うとおり、現代で培った経験を駆使すればこの世界でも荒稼ぎできる可能性は高い。新しい商品を開発したり、そんなことをしなくてもハイペリア(日本)の情報だけで集客効果は抜群だ。

 しかし、下手に儲けたり活躍すれば嫉妬され目の敵にされる。異邦人の場合は特にである。社会に入り込んで儲ける異国人に悪感情を向けるのは自然な事だ。

 

「確かに嫌がらせとかはあるかもしれない。でも、今更その程度で挫ける俺達か?」

 

 悠人の表情には負けん気のようなものが張り付いていた。

 白い目で見られるのに慣れ、逆境に次ぐ逆境に負けないで戦ってきた自信があるのだろう。

 

「……俺らに直接嫌がらせとか来なくても、別な所に来るかもしれないだろ」

 

 苦みばしった表情で横島が呟くと、悠人もその言葉の意味を理解して厳しい顔となる。

 恨みが自分達に向いてくれるのなら良い。だが、嫉妬と呼ばれる負の念は陰湿で、弱いところを確実に狙ってくる。

 横島達にとっての急所は、スピリットに他ならない。ただでさえスピリットは人には逆らえない。もしも狙われたら、その時は色々と最悪な事態も考えられる。

 相手に儲けさせて、自分は小金を得る。それぐらいが恨まれないコツだ。そうして人脈と信頼を得るところから始めないと、敵を作りすぎてしまう。

 

 女性が絡まなければ、こういった横島のバランス感覚は相当なものである。二人の偉大なサラリーマンの血は確実に受け継がれているのだ。

 

「でも、横島が一番、町に影響を与えてるじゃないか」

 

「俺はちょこっと情報を渡して、後は任せてるぞ。俺達の世界の情報は、この世界の人の方が上手く使えそうだし」

 

 横島の言っている事が良く理解できず、悠人も佳織も頭を捻る。

 自分達の世界の情報なら、自分達の方が上手く扱えて当然じゃないかと、当然の疑問を持っていた。

 

「世界を敵に回して、どれだけ恨まれても高笑いできる無敵な人ならいいんだろうけどな」

 

 横島の脳裏に、鞭を振り回し、高笑いする美女の姿が浮かんでくる。

 あの人なら、現世利益最優先を掲げて守りに入るなんてしないだろう。

 どれほど敵が増えようと、力技と反則技で身内を守るに違いない。

 美神さんがここにいてくれたら、と横島は良く思う。

 

「よく分からん部分もあるけど、お前も色々と考えてるのか」

 

 感心したように悠人が呟く。佳織もコクコクと頷いていた。

 褒められた横島は胸を張ってドヤ顔をしていた。

 

「レスティーナ様にも言われてるしな」

 

 その一言は、二人に聞こえないように言っていたが。

 

 

 三人はタイヤキ型のヨフアルを食べ終えて、まだまだ町を巡る。

 こんな風に純粋に町を観光するように歩き回るなど、悠人も滅多に無いから新鮮だった。

 色々と目に付くものはあったが、特に驚いたのは子供の多さだった。

 何処に行っても子供の姿がある。それも、信じられないほどの活力と行動力に満ちた子供達だ。

 

「じゃんけん……ジャッカル!! ジャッカルはグーの5倍の威力だ!!」

「せんだ! み○お! ナハナハ!!」

「いっせーの……いち!! いっせーの……さん!!」

「サッカーするならこういう具合にしやさんせ~パス! シュート! よよいのよい!!」

 

 子供たちの活気ある掛け声があちらこちらから聞こえてくる。

 

「な、なんだか見覚えがある遊びばかりだね」

「一部とんでもなく不穏なものが見えた気がしたけどな」

 

 佳織は戸惑ったように辺りを見回して、苦笑いを浮かべる。

 悠人は溜息を一つこぼして『元凶』を睨んだ。

 

「横島、お前は何考えてんだ」

 

 悠人の目が真剣に光って横島を見据える。

 対する横島はのほほんと言った。

 

「いや、別に何でも」

 

「はっ?」

 

「こっちの方はガキ共と遊んでたら自然にな」

 

 こっちの方は、とは何だろうか。 

 いい加減に持っている情報を全部出せ、とばかりに悠人は横島を少し睨んだが、横島はどこ吹く風とばかりに付近のお姉ちゃんをフトモモを凝視している。

 

 横島の一日の行動を完全に把握している者は、実は第一詰め所にも第二詰め所にもいない。

 朝食と朝の訓練までは皆と行動するが、それ以降はどこで何をしているかは分からないのだ。

 第三詰め所でお茶を飲んだり、町で女の子をナンパしているらしいが、どうもそれだけでないのは町の様子で分かるだろう。

 

「まあ。詳しくは『永遠の煩悩者 日常編』でやると思うぞ」

 

「いきなりメタんな!!」

 

「大丈夫だ。原作だとメタネタは結構出てるしな」

 

「そっちの原作に合わせんな。こっちの世界に合わせろよ!」

 

「ああ、お兄ちゃんもメタってるよお」

 

「ふっ、駄目な奴め」

 

 何だか危険な会話をしていると、大きな車引きが広場にやってきた。

 鐘の様なものを出して、カランカランと音を響かせる。

 すると、わーっと子供達が群がっていった。

 その車引きの内容とは。

 

「お兄ちゃんお兄ちゃん! あれって、紙芝居屋さんだよ!」

 

 佳織が喝采をあげる。

 話としては聞いた事があったが、実際に見たのは初めてだった。

 ラキオスには、少し前から紙芝居が流行りだしている。

 

 語り主の親父は、声を張り上げ子供達を集め終えると、オーバーリアクションとも言える立ち振る舞いをしながら、物語を読み上げ始める。

 題材の名は『ネネ太郎』

 大きなネネの実から生まれたネネ太郎が、動物達を率いて悪しき龍を退治する、という内容だった。

 

 横島から伝わった、桃太郎の名前を変えただけか。

 

 そう思った悠人と佳織だが、いざ始まってみると、桃太郎とは違う部分も多くあった。いや、正確に言えば違いだらけだった。

 まず、ネネ太郎はケツアゴだった。何故、どうして、なんて疑問は意味が無い。ネネの実から生まれた時からムキムキマッチョのケツアゴなのだから。

 動物をお供にするのも、きび団子では無くタイヤキだったりもした。

 

 またネネ太郎は類稀なる剣の使い手で、とても強いのだが、邪龍達には勝てない。

 そこでネネ太郎は面白おかしくトンチを利かせて、知略と兵器を駆使して龍を懲らしめる。

 ネネ太郎は強面の戦士であるにもかかわらず、やっていることは軍師同然だった。

 

 悠人はポカーンと物語を見つめていたが、佳織はどうして先ほど横島が『情報をこっちの人達に任せた方が良い』と言ったのか意味を理解し始めていた。

 

 ネネ太郎がケツアゴのムキムキマッチョの剣士で強いのに、知略を駆使して、龍を殺さないというのは、こっちの世界に合わせたものなのだ。

 有名な童話集であるグリム童話等も、原作を日本人の好みに改変させて国内で読まれている。

 異国の文化は噛み砕いて、自国の文化や風習に合わせるというのは至極当然の事なのだ。

 また、動物を仲間にするのにタイヤキを使った理由は、恐らくCMに近いものではないだろうか。

 佳織は物語だけでなく、その物語の裏に潜む『思惑』にも考えを張り巡らしていた。

 

 ネネ太郎の物語も終盤に入る。

 邪龍からせしめた財宝を我が家に持ち帰って物語が終わる。

 同時に、紙芝居の親父も辺り一体に何かをばら撒き始めた。

 子供達はわーっとばら撒かれた物に群がる。

 

「あー今回のお菓子もまた外れだー!!」

「ここしばらく、あのお菓子が全然でないよな」

「サクサクのホクホクが食いたいー!」

 

 ばら撒かれたのはお菓子だった。こういう部分は日本式らしい。

 子供達はお菓子を食べながらも、目的の物では無かったようで不満そうだ。

 その様子を見て、横島はポツリと呟く。

 

「ハリオンもヒミカもやっぱりお菓子作って無いみたいだな」

 

「はっ? なんだって?」

 

「いや、こっちの話だ」

 

 お菓子に不満げな様子の子供達を、横島は険しい表情で見つめていた。

 紙芝居が終わり、三人はまた色々と話し始める。

 

「何と言うか……凄かったな。佳織は面白かったか?」

「うん、とっても。でも、久しぶりに絵本を見てたら、私たちの世界の本も見たくなっちゃったね」

「そうだな。ドラマも漫画もどうなってんだろ」

「見ていたアニメの続きが見たいな~。超能力を使う三人の小学生の話とかどうなったんだろ」

「俺も借りてたエロビデオ結局見てなかったな~」

「お前のは色々と間違ってるぞ!」

 

 わいわいがやがや。

 

「でも、本当に何なのかな、あの紙芝居屋さん。お金取って無いみたいだし、どこかスポンサーでも付いているのかな」

 

 佳織が何気なく疑問を口にする。

 すると、いきなり横島が滂沱の涙を流しつつ、壁に向かって頭を打ち付けた。

 

「ど、どうしたんですか、横島さん!?」

 

「くそぅ。スポンサーさえ……スポンサーさえ付いていれば!! グッズさえ売れていれば!!」

 

 「視聴率はとっていた」とか、「せめてGS試験編までやっていれば」とか横島の口からは悔しさを滲ませた言葉が次々と飛び出してくる。目からは血の涙を流していた。

 

「どうしよう、お兄ちゃん。横島さんがアニメとかなんとか言って変になってるよ!」

 

「……アニメなんて無かった!」

 

「へ……お、お兄ちゃん?」

 

「アニメなんて無かったんだよ、佳織!」

 

 「黒歴史が……黒歴史が来るんだ」と悠人は精神を遠くに飛ばしてしまったようにブツブツと呟く。

 何処か遠い世界へ行ってしまった二人に佳織は困っていたが、きっと表情を引き締めた。

 

「お兄ちゃん、横島さん、待ってて! お水取ってくるから!!」

 

 何だか様子が可笑しい二人の為に、佳織は商店街に向かって走り出して、

 

「どうしよう、迷っちゃった」

 

 あっさりと迷子になってしまった。

 手には甘いバターがたっぷりと塗られた固めのパンと、水が入った竹筒のような水筒を持っている。

 なんとか横島から貰った銅貨で買うには買ったが、元の場所に戻れなくなったらしい。

 

「うう~こんな道通ったかな」

 

 不安そうに、家と家に挟まれた狭い裏通りを通る。

 褐色の肌で、銀色の髪をざっくばらんに切ってある女性が倒れていた。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 何の警戒もせず、佳織は倒れている女性に近づいた。

 

「お……」

 

「お?」

 

「お腹が、空きました」

 

 グゥ~~。

 大きなお腹の音が鳴る。

 どうやらお腹が減って倒れているだけらしい。

 佳織はほっとして胸をなでおろした。

 

「あの、パン食べますか?」

 

「……手持ちがありませぬゆえ」

 

「もう、こんなときに何言ってるんですか」

 

 佳織は苦笑しながら地べたに正座すると、女性の頭を自分の膝に乗せた。所謂、膝枕状態である。

 余りの事に、女性は目を白黒させていたが、佳織は柔らかい笑みを浮かべてパンを差し出した。

 

「はい。食べてください。お水もありますよ」

 

「え……あ、はい」

 

 強引な佳織の勢いに押されて、女性は目を点にしたまま、パンを食べた。

 

「……甘いです」

 

 頬を緩めて、幸せそうにパンを頬張り、水を飲む。

 そんな女性の様子を、佳織は嬉しそうにしながら見つめていた。

 

 一分もしないうちに、パンも水も瞬く間に平らげてしまう。

 パンも水も全部を食べて飲んだ事に女性が気付くと、しまったと青ざめた。

 

「す、すみませぬ! つい全部食べてしまいました!? どうしましょう!? 弁償ですか!?」

 

 真剣に困っているのが分かって、佳織はつい笑ってしまう。

 

「いえ、大丈夫ですよ。私にお小遣いをくれた人だったら、貴女みたいな美人を見て見ぬ振りは絶対にしませんから」

 

「はあ」

 

 困惑したように女性は首を傾げていた。

 話し方や振る舞いは格好良いのに、何だか妙に子供っぽくて純朴そうだ。

 思わず、膝枕したまま女性の額を撫でてしまう。

 

「えっ」

 

 いきなり撫でられて、女性は驚嘆したように佳織を見る。

 佳織も、自分が随分と大胆な行動を取っているのだと自覚して、頬を赤く染めた。

 

「す、すいません。つい……失礼なことをしちゃって」

 

「いえ、その……嫌ではありませんでした」

 

 女性は思わずそう口にして、二人はまた少し恥ずかしそうに頬を赤くする。

 膝枕が終わってお互い立ち上がると、なんとも微妙な空気が流れた。

 恥ずかしいような、むずがゆい様な、不思議な気持ち。

 だが、佳織も女性も決して不快ではなかった。

 

「体の方は大丈夫ですか」

 

「はい、糖分を摂取出来たので、行動に支障は出ないでしょう」

 

「そうですか、良かったです。私は佳織って言うんですけど、貴女のお名前を聞かせてもらっていいですか?」

 

 佳織と名前を聞いて、女性は「まさか」と驚いたようだった。

 

「カオリ? シュ……エトランジェ・ユート殿の妹君ですか?」

 

「はい。やっぱり、お兄ちゃんって有名なんですね」

 

「……古の四神剣の勇者と重ねている人も多いのでしょう。手前の名は、ウル……う、る……うう、ウルルカと申します!」

 

「ウルルカさんですか。可愛い名前ですね」

 

「そ、その手前はそういう事を言われたことが無く……ですから……その、どう言ったらいいのか分からなくて」

 

 ウルルカは褐色の肌を赤く染めて、あたふたする。

 

 格好良いのに、可愛い。

 

 佳織は憧れのような眼差しを送る。ウルルカは恥ずかしそうに俯いてしまった。

 

 その時だった。ウルルカが地面を見て、さっと足を退けた。

 佳織がどうしたのかと地面を見ると、そこにはダンゴ虫のような生き物が歩いている

 

「もしかしてウルルカさん、虫さんを踏み潰さないよう避けたんですか?」

 

「はい、無益な殺生はいけませぬ」

 

 当然の様に言うウルルカに、佳織の心はほわんと温まる。

 ウルルカに会えた事がとても嬉しかった。

 

「ウルルカさん、私達とお散歩しませんか。兄も横島さんも、きっとウルルカさんを気にいると思います」

 

「……それは無理です。手前には成すべき事がありますゆえ」

 

 ウルルカは凛と言った。

 強い意志を感じさせる言葉だった。

 

「このご恩はいつか必ず返します。手前の命に代えましても」

 

「え、ええ? そんな、私はそんな大したことなんてしてないですよ」

 

 お腹が空いた人にパンをあげただけなのだ。

 とても命を掛けるような事ではないと、佳織は必死に首を横に振る。

 だが、ウルルカは真顔を崩さない。

 

「いえ、大した事です。手前のようなものに、こうも親切を出来るなど、早々とできるものではありません。それに、カオリ殿には大切な事を教えられました」

 

「大切な事ですか?」

 

「どうして手前が仲間を求めるか、カオリ殿のお陰で分かりました。手前は、どうも寂しがりやだったようです」

 

 自嘲するように、しかし嬉しそうに、ウルルカは言った。

 何が言いたいのか、どういう意味なのか、よく分からなかったが、ウルルカが孤独に耐えているのは良く分かった。

 

「私は、ウルルカさんの友達です。だから、そんなに寂しそうな顔はしないでください」

 

 会って数分しか経っていないというのに、佳織は友達と言い切った。

 ウルルカはしばし瞠目した後、口元を優しく緩ませる。

 

「カオリ殿、感謝を」

 

 短く、感謝の言葉を述べる。

 やはり、キビキビした動作が佳織には格好良く映った。

 

「あの、もっとウルルカさんとお喋りしたいんですけど……」

 

「すみませぬ。手前にはやる事がありますゆえ。名残惜しいですが、手前はこれで」

 

 軽く頭を下げると、ウルルカはさっと身を翻して歩き始めた。

 引きとめる事は出来ない。言葉通り、彼女にはやらねばならない事があるのだろう。

 詳しい事情など知らないが、それは分かった。だから、次に言う言葉は決まっていた。

 

「ウルルカさん! またどこかで会いましょう! それまでお元気で!!」

 

 小さい胸を膨らませて、大声で叫ぶ。

 再会の約束を誓う佳織に、ウルルカは少し驚いたようになったが、彼女は始めて満面の笑みを浮かべた。

 

「はい。カオリ殿も体を大切に……気をつけてください!」

 

 ウルルカは言葉を選ぶように佳織に言葉を送る。

 それはたどたどしい言い方であったが、心が籠もっているのは佳織にも十分に理解できた。

 

「はい、分かりました。ありがとうございます」

 

 ペコリとお辞儀をした後、佳織は寂しさを振り払うためか、勢い良く裏通りを走り抜けていく。

 その後姿を、ウルルカはじっと見つめていた。

 

 

 佳織が大通りに戻ると、正気に戻った兄が駆けずり回っていた。酷く慌てている。

 「佳織ー返事をしてくれーー!!」

 なんて叫び声が聞こえて、まるでデパートに迷子になった子供になった気分だった。

 町で大声で呼びかけられて、かなり恥ずかしい。

 実際に迷子になっていたのは事実だが、それは兄の所為なのでちょっと恨めしかった。

 手を振って兄に呼び掛けると、ものすごくほっとした顔をしている。

 隣では「相変わらずのシスコンやな~」と横島さんが呆れた顔をしていた。

 

 平穏な日々が続く。だが、彼らは気付いていなかった。

 建物の影から、大地に寝そべりながら、欠伸をしながら、爛々と目を光らせて彼らを観察する獣の眼に。

 不穏は確実に迫ってきていた。

 

 




 少し気になったんですけど、一話一話が長すぎかな?
 作者は一話が長くても気にしないタイプなんですけど、ハーメルン様に来て各種作品の平均文字数を見て見ると、どうも私の作品は長い部類に入るみたいなので気になって。23話も9万文字超えて、分けることになったし。
 よろしければご意見ください。


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第二十三話 中篇 太陽の軌跡②

 さらに一週間が経過する。

 佳織の一日も、大体のリズムが形成されてきた。

 朝はエスペリアと共に食事の準備をして、夜はエスペリアと共に食事の準備をする。

 合間合間にアセリアと話したり、オルファと遊んだりする。

 基本的に楽しいのだが、朝と昼の訓練時は暇だった。

 誰も居ないので、仕方なく本を読んで時間を潰すぐらいしかやることが無いのだ。

 

 一度、訓練の様子を見せて欲しいと言ったのだが、兄に見られたくないと断られてしまった。

 何でも、訓練でいつもボコボコにされている情けない姿を見られたくないらしい。

 それでも佳織は見たかった。兄の頑張っている姿を見たかったのだ。

 

「という訳で、来ちゃいました」

 

 誰に言うわけも無く、ラキオス訓練所の前で佳織が無い胸を張って独り言を言った。

 訓練所は無駄な装飾が一切無い、無骨な建物だった。

 見た目は石造りに見えるが、内部はエーテルで出来ているため、恐ろしく頑丈らしい。

 

「すいませーん! 見学していいですかーー」

 

 建物の周囲には誰も居なかったので、声を張り上げる。

 出てきたのはエスペリアとセリアだった。

 セリアは佳織の姿を認めると、僅かに眉を顰めた。

 

「どうしました、カオリ様。ここは貴女の様な方が来る場所ではありませんよ」

 

 セリアは丁寧な言葉遣いで佳織の身を案じているようだったが、どこか冷淡に拒絶しているようにも感じられる。

 

「あの、お兄ちゃんの訓練の様子が見たいんですけど」

 

「やめてください。見学をするなら護衛が必要ですが、手の空いている者はいません。正直迷惑です」

 

「セリア! もう少し言葉を選びなさい。カオリ様、ご無礼をお許しください」

 

 ずけずけと言いすぎるセリアを、エスペリアが嗜める。

 

「無礼だなんて思ってません。尤もですし、私のためを思って言ってくれてるんですから。ありがとうございます、セリアさん」

 

 ペコリと頭を下げて、佳織はセリアに屈託のない笑みを見せた。

 本心からセリアの言葉を感謝していると分かる笑みを向けられ、セリアは少し恥じたように頬を赤くする。

 エスペリアは珍しく意地の悪い笑みでセリアを見つめていた。

 

「それじゃあ、私はこれで。訓練頑張って下さい。怪我だけは気をつけてください」

 

 佳織は毅然と言って、踵を返す。だが、そこから先はがっくりと肩を落として、しょぼ~んとなっていた。

 セリアはそんな佳織を一瞥した後、訓練場に戻ろうと回れ右をするが、そのままクルリと一回転する。

 そして、

 

「……待ってください」

 

「え?」

 

「どうせ休憩する予定でした。カオリ様の護衛を兼ねながら休憩しても特に問題ないでしょう」

 

 愛想笑いの一つもせず、セリアは淡々と言った。

 随分と素っ気の無い言い方の所為で、佳織はしばらくその意味を理解できなかったが、意味が分かるとその表情がパアッと明るくなる。

 

「あ、ありがとうございます、セリアさん!」

 

「ですが、私の指示には絶対に従ってもらいます。スピリットである私の指示に」

 

 奴隷戦闘種族のスピリットに指示されて悔しくないか。

 セリアの言葉にはそういう意図が隠されていたのだが、

 

「はい。絶対に変なことはしませんから!」

 

 感謝と決意の入り混じった返事が木霊する。

 余りに素直な佳織に、セリアは逆に気圧されたように言葉を詰まらせた。

 

「カオリ様は、私達よりもずっと大人ですよ」

 

 一連のやり取りを見守っていたエスペリアが、コロコロと笑いながらセリアに言う。

 

「はあ……分かったわよ」

 

 少し拗ねたようなセリアだったが、その声はどこか嬉しそうだった。

 

 悠人達の訓練の場に案内される。

 狭い場所での戦いを考慮しての訓練なのか、天井は高いのだが広さは一教室ぐらいだろう。

 そこで、悠人と横島が神剣を構えながら向き合っていた。

 突如、周りの景色が歪む。周囲を、薄い緑色の壁のようなものに囲われていた。さらにその外側には、薄い水色の囲いがある。

 はっとすると、エスペリアが『献身』を、セリアは『熱病』を握り締めていた。

 佳織は、自分が守られている事を知った。

 

「あ、ありがとうございます。休憩中なのに……」

 

「お礼は結構です。今はユート様の戦いをご覧ください……見えればですが」

 

 セリアに言われて、戦いの場に目をやる。

 戦いが動き始めると、早いとか遅いとかのレベルではなかった。兄の動きはただ残像でしか捉えることが出来ない。

 兄に攻撃を加える横島の姿は、残像すら捉え切れなかった。

 閃光。衝撃。轟音。部屋の隅で歯を食いしばる兄。

 それだけが、佳織の目に映る全てだった。

 もし、エスペリアが守りを固めてくれていなければ、衝撃波だけで吹き飛ばされていたかもしれない。

 

 しばらく閃光と衝撃が続いた後、肩で息をする横島の姿が現れる。兄は、無傷のように見えた。

 一体どちらが勝っているのか、さっぱり分からない。

 

「えーと、お兄ちゃんと横島さんってどっちが強いんですか?」

 

 エスペリアに聞いてみる。

 横島が強いということは佳織も知っている。様々な武勇伝を彼自身から聞かされていた。

 山で海で月で、数々の激闘を繰り広げてきたらしい。その殆どが突拍子も無いものばかりであったが、佳織はそれを嘘だとは思わなかった。

 核ジャック事件という、オカルトと科学が融合した事件などは不思議とリアリティがあったし、何より横島が嘘をついてるとは感じられなかったからだ。まあ、若干? の誇張表現は含まれているとは思っていたが。

 それでも普段の横島の様子を見ていると、まったく強いとは思えない。優しく楽しくエッチな人。それが印象だ。

 横島が剣を振るい殺し合いをしているのは話を聞いて理解はしているが、それでも心象的には信じられなかった。

 

「……強いのはヨコシマ様です。はっきり言って彼に敵う存在がいるなんて考えられません」

 

 エスペリアが敵意も尊敬も感じられない声で言った。賛嘆の声であるのに無感情、というよりも面白く無い、といった風である。

 雪之丞にやられても、エスペリアは横島の方が強いと断言していた。

 

(エスペリアさん……怒ってる?)

 

 どんな相手にも丁寧なエスペリアだが、横島にだけはどこか辛辣に当たっていると佳織には感じられた。

 何となく、これ以上はエスペリアから横島の事を聞きづらいと思った佳織は、隣に居るセリアに目を向ける。 

 

「あの、セリアさん。横島さんって、そんなに強いんですか?」

 

「……ユート様はヨコシマ様と、もう千近く剣を合わせているけど一度も一本とれた事はないわ。引き分けすらなし。私達はヨコシマ様相手に一本取った事はあるけど、無意識に手加減されているみたいね」

 

「ふぇ~」

 

 佳織は思わず感嘆の声を上げた。

 そんなに横島は強いのか、と思ったが視点を変えると別な答えが浮かび上がってくる。

 

「それって、お兄ちゃんが弱いってことですか?」

 

 その質問に、エスペリアもセリアも複雑な顔をした。

 悠人が弱いか強いについては、見方によって随分と変わる。力だけなら横島と並んでトップだが、剣の技量なら最低だろう。アセリアやエスペリアを一撃で倒す事も可能な悠人だが、逆に接近戦が一番弱いナナルゥにすらも負ける可能性があるのも悠人だった。

 身体的能力は優れているが、経験地が圧倒的に足りない素人らしい特徴と言えるだろう。

 

「ユート様には、凄まじい潜在能力があります。いつか私達も……ヨコシマ様だって及ばない戦士に成長するでしょう」

 

 『家の子はやれば出来る子なんです』みたいな褒められ方をしている兄に、佳織は曖昧な笑みを浮かべるしかない。

 佳織の微妙な表情をエスペリアはどう解釈したのか分からないが、苦々しい表情で肩をすくめる。

 

「ユート様がどうのこうのではなく、正直に申しましてヨコシマ様が強すぎるのです。私たちが全員で掛かっても、彼には勝てないかもしれません」

 

 佳織は言葉を失くした。

 それはいくらなんでも、と思ったがセリア達がわざわざ嘘を言うとは思えない。

 

 佳織は例えようも無い恐怖に襲われた。

 そんなにも強い横島が、兄に剣を向けている。

 鋭い輝きを持つ日本刀が兄の胸に、腹に、顔に突き刺さるかもしれない。

 

「大丈夫です。傷は付いてしまうかもしれませんが、どんな傷であろうと私が癒して見せますから」

 

 佳織の表情から察したエスペリアが、安心しろと笑顔を向ける。

 

「傷は付いちゃうんですね……」

 

「はい。やはりカオリ様は第一詰め所にお戻りください。血など、見ないで済むならそれに越したことはありません」

 

 その提案は佳織にはありがたかった。

 女は血に強いと言うが、刃物が肉に突き刺さって噴き出す血飛沫なんて耐えられるなんて思えない。

 戻ります、と言おうとしたが、佳織はそこで思い出す。

 

 ただの高校生だった兄が、どうしてこんな痛くて苦しい思いをしているのか。

 それは言うまでも無く、自分の為だ。自分の為の努力を、怖いからという理由で逃げるのか。

 少しでも兄の重荷にならないよう強くなるのではなかったか。

 佳織の目に強い光が宿る。

 

「いえ、見ます。お兄ちゃんの……兄の姿を見ます」

 

 佳織の静かな声に、エスペリアははっとした。佳織の瞳にある輝きが、悠人のものとそっくりだと気が付いたのだ。

 こうなると異常なまでの頑固さを示すのを知っているエスペリアは、佳織を説得するのを諦めた。

 

「分かりました。カオリ様は私が必ずお守りします。それに……」

 

「それに?」

 

「今回は血が流れず、引き分けに持ち込めるかもしれません……色気さえ出さなければ」

 

 期待を込めた視線を悠人に向けるエスペリア。セリアは相変わらず厳しい表情で二人を見つめている。

 色気とは一体何なのか佳織には分からなかったが、佳織も祈るように手を組んで兄の真剣な顔を眺めた。

 頑張らなくていいから、無事に終わって欲しい。それだけが、佳織の望みだった。

 

(このまま色気を出さなければ引き分けには持ち込めるな)

 

 悠人は冷静に戦況を分析していた。

 傍目には隅に追い詰められて一方的に攻め立てられているように見える。それは事実。だが、負けているのは真実ではない。何せ、こういう方向に戦いを持っていったのは悠人自身だからだ。

 一方的に攻撃されているにも関わらず、悠人は殆ど傷を負っていない。小さい傷はあちこちに負っているが、行動に支障は出ない程度。横島の攻撃は悠人に届いてはいなかった。

 部屋の隅に居るのも策の一つだ。隅に居ることで無茶苦茶な動きをする横島を常に捉えることができて、しかも攻撃がくる方向を限定することが出来る。だから、障壁を張るのも随分と楽になる。

 

 今度の戦いで悠人が取った戦法は、簡単に言えば相手の力が尽きるのを待った籠城戦である。

 横島は病み上がりで体力が十分でない。そこを突いた戦法だった。

 卑怯と言えば卑怯だが、しかし横島のように人を馬鹿にしたような策ではない。格好悪いが、篭城戦は姦計の類ではなく正々堂々とした兵法である。横島の得意とする相手を馬鹿にした戦いでは無い。

 まあ、それでもあまり褒められた戦い方ではないだろう。しかし、圧倒的な格上である横島を相手にするなら仕方ないと悠人は割り切っていた。

 

 自分は横島と違って天性の才は無い。

 エスペリアに言わせれば十分な才はあるらしいが、自分は『天才』ではなく『秀才』の類であると横島と手合わせすることで実感している。

 秀才が天才に勝つには、基本的に努力量で差を埋められる分野で戦うほかは無い。その分野とは地道で反復的な鍛錬を求められる体力に他ならない。

 走りこみも素振りも、悠人は怠けた事は無かった。逆に、横島は小手先の技術は鍛錬しても、黙々と走り続けるなんて事はしなかった。体力なら負けはしない。特に今現在なら。それだけの自信を、悠人は持つに至っている。

 それに、ちょっとした対横島を想定した小技も身に付けた。

 

(力尽きて倒れろ、横島!!)

 

 守りだけを固めながらも、悠人の眼は好戦的にギラギラと光っていた。

 

 

「こんにゃろう!!」

 

 横島が悪態と共に放ったオーラの飛礫を悠人に放つ。

 しかし礫は、悠人の眼前に展開し続けている障壁を貫く事が出来ずに消滅した。

 屋内の戦闘訓練では強力な神剣魔法の使用を禁じられている。今ので貫けないなら、神剣魔法ではどうしようもない。

 

「ひぃ、ひぃ、ふぅー」

 

 横島の息は出産直前の妊婦のごとく乱れていて、とても苦しそうだ。

 神剣の加護を得ているにも関わらず、体は常に重く、息が苦しい。久しぶりの戦闘に肉体が悲鳴を上げていた。

 

(おい、『天秤』。しっかり力を寄越してんのか!?)

 

『やっている。だが、そもそもお前の体は本調子ではないのだ。ここ一ヶ月で2度も重態に陥り、2週間以上も寝たきりの生活だったのだぞ。例え神剣の加護を得ても、ボロボロの車にターボエンジンを載せているようなものだ。長時間の戦いは厳しいな……かといって短期決戦するには守りが厚い。悠人の奴もそれを分かっているようだ』

 

 悠人の狙いを横島も気づいていた。

 だが、気づいてもどうしようない。勝利を得るためには攻めなければいけないのだが、まったく隙が無かった。

 隙が無いのなら作ればいい。その為に罵詈雑言や、悪辣なひっかけ等の、小細工に属する攻めも混ぜているが、どういう訳かまったく反応しないのだ。

 さらに悠人は背後と横に回り込まれないように部屋の隅にいて、前面に強力な障壁を張っている。

 単純に防御力に優れたオーラの壁。ただそれだけであるが、故の強さ。プログラムでいえば、バグが生まれようもない簡単な物。

 

『完全に我らの状態を考えた上での戦法だな。それも、端から引き分け狙いだ』

 

「ちくしょー! 陰険な戦い方をしおって!! これだから陰気な奴は……きっとアイツはインキンだな」

 

『確かに地味だが、我らの弱みを正々堂々と付いてくる生真面目なやり方だ。時間を決められたのが罠だったな』

 

 そう、この戦いには制限時間がある。それが横島を苦しめる要因だ。

 

 模擬戦を始める直前、悠人が「病み上がりに無理はさせたくないから、10分間の制限時間を設けよう」と提案してきたのだ。

 横島は当然、その提案を受けた。長々と悠人と鍛錬するつもりなんて無かったからだ。そして10分もあれば悠人を片付けるなど造作もないと高をくくった。

 

 今思えば、完全に罠だった。

 悠人は、自分が全力で障壁を張り続けることが出来るのは10分と知っている上で交渉を持ちかけたのだろう。

 時間制限さえ無ければ、横島は悠人が障壁を張り続けて消耗するのをただ待つだけで良かったのだから。

 練られた戦略と戦術をぶつけられているのが分かる。

 

『一応、後3分もすぎれば引き分けで終わるのだが……それは望まんのだろう?』

 

「……悠人の奴なんかのと引き分けは……なぁ」

 

 問題はそれだけではない。

 負け続けてきた悠人にとって引き分けが勝利で、勝ち続けてきた横島にとっては引き分けは敗北だ。

 互いの勝敗条件が違うのである。

 

 別に引き分けでいーじゃん。

 

 心のどこかでそう叫ぶ自分がいる。それが、自分らしい自分だとも思う。

 だが、自分らしい自分ではない熱血な自分が騒ぐのだ。

 

 悠人には負けたくない。同格にもなりたくない。悠人は踏み台であるべきだ。

 どうしてここまで悠人に勝ちたいのか、どうしてここまで悠人を貶めたいのか。

 横島自身にも不思議だったが、とにかく悠人に勝ちたかった。

 

(どうしたもんかな、『天秤』)

 

『そうだな……む、突破口になるかもしれない人物が見物席に来ているぞ』

 

 『天秤』に言われて横に目をやる。そこに居る小さな女の子の存在を認めると、横島はニヤリと笑みを浮かべた。

 これは確かに最高の突破口になる、と横島は勝利を確信する。

 

「おい、悠人! 横を見てみろ。佳織ちゃんが来ているぞ!!」

 

 いきなり名指しされて佳織はビクリと震えた。

 

 ――――――こう来たか!

 

 エスペリア達は横島のえげつなさに眉を顰め、そして悠人の気持ちを察して同情の視線を送る。

 シスコンの悠人が、側に佳織に見られていると知って何のアクションも起こさないはずが――――

 

 悠人、動かず。

 

 横島もエスペリア達も目を疑った。妹を一瞥すらしないというのは、これは流石に可笑しい。例えるなら、横島が裸のねーちゃんを無視するようなものなのだから。

 この怪現象の謎に、いち早く気付いたのは『天秤』だった。

 

『なるほどな、そういうことか。どうやら悠人はオーラフォトンを調節して、音を遮断しているな。それに一定以上の光の強さも遮断できるようにしているようだぞ』

 

(マジか。それで、サイキック猫だましも、シスコンや○○って挑発しても何も反応ないって訳か)

 

 意外と器用なオーラの使い方に横島も驚愕した。

 このオーラの使い方は、間違いなく横島の小細工に対応するために作り上げたのだろう。

 『アーアー聞こえない型オーラ防御壁』とでも言うか。

 

 しかし、種が分かればこちらのものだ、と横島は小悪党ような笑いを浮かべる。

 

(視覚だけは完全に塞いでないんだろ?)

 

『うむ、一定以上の光の強さにのみ対応させているのだろうな』

 

「出かしたぞ『天秤』。それだけ分かればこっちのもんだ!!」

 

 横島は右手に霊力を集中し始める。

 霊力。それはこの世界では横島と現時点で確認されている雪之丞だけが使える特技。

 本当の意味での反則で、世界すら騙す力。違法改造、チートに属する異端の力だ。

 

 しかし、それは異端の力だというだけであって、別に強力という意味ではない。

 サイキックソーサーやハンズオブグローリーは威力という点では神剣の足元にも及ばなくなりつつある。

 受け止める所か、逸らす事すら困難なほどに霊力は力不足だった。特に悠人の『求め』を相手にするなんて、紙の盾で大砲を受け止めるようなものだ。

 だから横島は霊力の出力を上げるというのは諦めて、柔軟性と精密動作を上昇させる事を目標として鍛錬していた。

 

 かつて心眼は言った。

 霊力を一点に集中させることが基本だと。

 その教えの通り、横島は霊力を扱ってきた。その極致が文珠だろう。

 だが、そろそろ基本を卒業してもいい頃だった。

 

「チチのように柔らかく、シリのように張りがあって、フトモモのようにしなやか。それが霊力……つまり、霊力とはチチシリフトモモのことだったんだよ!!」

 

『何だってー!! ……一応突っ込んだぞ』

 

「うむ!」

 

 満足そうに横島は頷く。『天秤』は横島の相棒になれるように無理矢理でも彼につき合っているが、恥ずかしそうだ。結局、『天秤』は真面目な性分なのだろう。

 馬鹿なやり取り。

 しかし、横島が今やっていることはとんでも無かった。

 

 か、お、り、い、る。

 

 霊力がミミズのようにうねうねと動いて文字を作る。

 元の世界の霊能力者が見ていたら、驚愕で目を点にするだろう。

 

 霊力は無形だから、形を変えるというのは不可能ではない。

 だが、霊力は粘土などではないのだ。雲のように吹けば吹き飛ぶ代物で、だからこそ一箇所に纏めて硬くしたり、符や呪詛、あるいは炎などに返還して運用するのが普通である。というか、そうする以外に運用方法がないのだ。

 

 横島は、簡単にその常識を打ち破った。

 ただ、そうしたいと思っただけで、特に練習をしたわけでないのに、発想をそのまま形にして実践してしまう。

 悠人が考えるとおり、彼は間違いなく天才なのである。

 まあ、この技がこれから役に立つのかは、はっきり言って難しいだろうが。

 

 悠人は『かおりいる』の文字を見て、ついに意識を横島から外した。見物席にいる佳織の姿を認める。

 兄として、妹に格好良い姿を見せたい。

 これは、シスコンの強力な願望だった。

 妹の目があると分かった途端に、悠人は酷く自分が格好悪くてみすぼらしい戦い方をしていると恥ずかしくなった。どんな手段を取ってでも横島と引き分けてやる、という気概は消えて、横島を格好良く倒したいと見栄が涌いてくる。

 『求め』を持つ手に自然と力が入った。必然的に体にも力が入り、筋肉が盛り上がる。

 

「あっ、駄目です、ユート様!」

 

 エスペリアが思わず叫ぶ。

 悠人の姿勢が、明らかに攻撃態勢に変化した。横島の策に乗せられたわけである。

 だが、悠人も馬鹿では無い。自分が横島の策に乗せられている事など分かっている。

 ならば、それ相応の対策を立てればいい。

 

「いくぞ!」

 

 守りのオーラを打ち消し、悠人が飛び出す。

 すると、待ってましたとばかりに横島がぴょんぴょんと辺りを跳ね回り始めた。相手に隙が出来るように立ち回り、一撃を狙おうというのだ。本人曰く、『蝶のように舞い、ゴキブリのように逃げ、蜂のように刺す』

 

(分かってるさ、隙を――――くれてやる!)

 

 持久戦の構えを解いた今、下手に長く戦うと地力の差が大きく出ることになる。

 だから、悠人はすぐに博打に全額を叩き込むような勝負に出ることにした。

 

「うおぉぉぉぉ!!」

 

 気勢の声を上げ、ラキオスの剣術の型のまま、大上段から会心の一撃を振りおろす。

 二の太刀を考えず、初太刀に全てを込めた一撃を――――

 

「うひょう!」

 

 横島は体を逸らし奇声を上げてあっさり避ける。これが現実。悲しい程の実力差だった。

 一撃に全てを掛けた悠人は前のめりになる。生まれた隙に、横島は容赦無く鋭い突きを繰り出した。

 

 エスペリアは目を瞑って嘆く。勝負ありだと。

 

「まだよ」

 

 いつのまにか隣で戦いを見つめていたヒミカが、静かに言った。

 大きな炸裂音が響いて、エスペリアは顔を上げる。

 

 『求め』と地面にぶつかり合った瞬間、地面が火を噴いて破裂した。

 エクスプロード。『求め』の刃からオーラを流し込んで相手を破壊する技を、地面に使用したのだ。

 爆破の勢いを利用して、ありえない速度で切り上げる。それが悠人の博打の正体だった。

 言うまでもなく、滅茶苦茶な、多くの欠陥を秘めた技だ。訓練でも百回やって一度でも成功すれば良い方だった。

 

 本番に強いのが、主人公の特権の一つである。

 

 博打は成功した。

 地面を破裂させつつ、雷が天に駆け上るような切り返しの一撃。

 殆ど無理やりに軌道を変えたために手首が悲鳴を上げるが、悠人の鍛えてきた肉体は彼の要望に耐え切ってくれた。

 

 初太刀に全身全霊を込めたにも関わらず、二の太刀は初太刀を超える速度の切り上げを行う。

 切り返しを早くすると言う剣術の基本を突きつめた極限の動きは、遂に横島を捉え――――

 

「のおぅわー!」

 

 捉えきれない。

 横島は軟体動物のように体を気持ち悪くくねらせて、どうやってか空中で方向を転換させる。

 

 ――――何でだよ!? ここまでして!!

 

 ここまでしても当てられない現実に悠人は絶望しかけたが、『求め』の刃は何かを捕らえた。

 硬音が辺りに響く。捕らえたのは横島ではなく、彼の持っていた永遠神剣『天秤』だった。

 

 『天秤』が横島の手を離れ、空高く飛翔する。

 神剣が意図せず手から離れる。神剣使いにとって、これはただ武器が無くなるという意味では無い。

 神剣とは武器であり、盾であり、鎧であり、速度であり――――つまり、全てだ。

 いくら横島でも、神剣無しでは戦いにならない。

 

 ――――勝った。横島に勝った!!

 

 遂に手に入れた勝利に、思わず万歳三唱をしそうになって、慌てて自重する。

 勝負はまだ付いていない。油断するには早い。しかし、そう自戒をしても溢れ出る勝利の確信で悠人は笑みを抑えきれない。

 いくら霊力があっても、神剣には到底及ばない。唯一警戒しなくてはいけないのは文珠だが、それはまだ生成できてないと聞いている。

 負ける要素は無い。

 

「俺の勝ちだ……横島!」

 

 最後の一撃を加えるべく横島に接近して、『求め』の刃を寸止めで当てようとして、異変に気付く。

 

(神剣の加護を受けていないはずなのに、足元に魔法陣がある?)

 

 それは異変。

 エトランジェは神剣の加護を得ると足元にクルクル回る魔法陣が現れる。それが横島にあった。

 可笑しい。神剣は握っていなければ加護を得る事は出来ない。その神剣は空中にあるのだ。

 手でも伸びなければ空中の神剣をつかめるわけは無い。

 いくら横島が天才でも変態でも、物理的に手を伸ばせるわけが無いではないか。

 

 悠人は何が起こっているのか確認すべく、視線を空中の『天秤』に移した。そして、驚愕する。

 比喩でも誇張でも無く、横島の手は伸びていた。光り輝く手が、遥か空中に飛んだ『天秤』を掴んでいたのである。

 

 ――――神剣を栄光の手で掴んで!?

 

 悠人が認識できたのはそこまでだった。

 次に目に映ったのは、心配そうに自分を見下ろす佳織の顔だった。

 

「お兄ちゃん! 大丈夫!?」

 

「……か、佳織か。あれ、俺は……痛っ!」

 

「動かないで! 血が、血がどばーって出て……それが金色のキラキラになって!?」

 

「そっか。大丈夫、大丈夫さ。もう慣れっこだから」

 

 仰向けに倒れながら、悠人は佳織に笑いかける。顔と胸部に鋭い痛みを感じていたが、隣でエスペリアが回復魔法を唱えてくれているからすぐに痛みも引くだろう。

 

「負けたか」

 

 千載一遇のチャンスを逃したと気付いた悠人はがっくりと気落ちした。

 悪い手では無かったと思う。あと一歩。あと少しで横島を倒す事は出来たはずなのだ。

 敗北の原因を考える。負けた時は、すぐに敗因を検討して立ち上がるのが戦士と言う者だ。訓練で負けて落ち込んでいる暇などない。

 どうして負けたか。原因はすぐに分かった。

 

 油断と驕り。

 

 勝った、と勝負はまだ決まっていないのに思ってしまった。

 俗に言う『フラグ立て』だが、フラグというのは勝敗を確かに影響させる要素があるからこそフラグなのだ。

 冷静に攻めていれば、勝利は十分ありえたはずだった。

 

(俺は横島に負けたんじゃない。自分に負けたんだ)

 

『ふん、言い訳を。スピリットを犯し食らってマナさえ得ていれば、こんな無様を晒す事などなかったというのに』

 

 『求め』がブツブツと文句を言っていた。

 相変わらずのマナ中毒具合に悠人は苦笑する。

 おなじみの『求め』の愚痴を聞いていると、何だか気分が落ち着くのは不思議だった。痛みを伴う干渉でなければ、愚痴ぐらいなら聞いてやってもいいぐらいの余裕を持ち始めていた。

 

「それで……佳織はどうしてここに来たんだ?」

 

「えっと、お兄ちゃんの……仕事を見たくて……応援したくて来たんだけど」

 

「気持ちは嬉しいけど、来ないほうがいいぞ。はっきり言って、危なすぎる」

 

 やや厳しめに悠人が言って、佳織はちょっと落ち込んだようだ。

 

「あまり佳織ちゃんを子ども扱いすんなよ」

 

「分かってる!」

 

 横島に言われて、語気を荒げて答える。

 

 ようやく痛みも引いて、悠人は「よっこらせ」と起き上がって横島に向き直る。

 

「それにしても、何時の間にあんな事ができるようになったんだよ。あんなの、始めてみたぞ」

 

 栄光の手で神剣を掴んで力を引き出す。

 初めて見た芸当だ。神剣を手放したら負け、という神剣使いの常識をひっくり返す『騙し』のテクニック。

 とても横島らしい反則技だと、悠人は思った。

 

「そ、そりゃまあずっと前から出来るようになってたさ! お前は俺の手のひらの上で遊ばれてただけ――――」

 

「嘘だ。神剣を弾かれたヨコシマは、とても焦ってた」

 

 いつのまにか横にいたアセリアが珍しく口を出してきた。アセリアが嘘を吐くということはない。だから、アセリアの言うことは真実だった。

 横島は不満そうにアセリアを睨んだが、当のアセリアはきょとんとした顔で横島を見つめ返す。何となくアセリアに苦手意識を持つ横島は、腹立たしげにガリガリと強く頭を掻いた。

 

「咄嗟にじゃい! まったく、騙し打ちしようとしやがって。もう少し俺のように真面目に戦えってんだ」

 

 横島の発言には、誰も突っ込まない。

 

「咄嗟に……か」

 

 悠人は項垂れた。

 時間を掛けて練習してきた技が、咄嗟の思いつきに敗れる現実。

 差があるのは知っている。サザエ時空でずっと戦い続けてきた横島とは戦いの年季が違うのは理解していた。

 それを分かっても、努力を嘲笑うかのような結果に唇を噛みしめないわけにはいかない。

 

 落ち込む悠人にエスペリアは軽く寄り添った。

 

「本当に惜しかったです。次は……いつかきっと勝てますから」

 

「……そこは次は、で通してほしかったな」

 

「あ……すいません」

 

 エスペリアが頭を下げるが、実のところ悠人もしばらくは勝てないだろうと思っていた。

 一度見せた技がそのまま通用するほど戦いは甘くない。

 有効な技には違いないだろうが、以後に同じ技が横島に通用することは無いだろう。

 もう、制限時間の縛りも認める事もないはずだ。

 次に勝つのは無理だろう。そう、次は無理。でも、その先はきっと勝つ。

 

「無駄無駄じゃーい! 悠人、貴様はずっっっと負け続けるのだー!!」

 

「ふん。いつか絶対に倒してやるさ」

 

 明らかに悠人は横島を目標にしている。横島も悠人に負けないように強くなっている。

 

 好敵手。ライバル。

 

 二人の関係はそんな感じだ。いがみ合いながらも、悪い関係では無い。

 ただ、平和主義の佳織だけはそう思わなかった。

 理由はどうあれ、二人は互いより強くなろうとしている。

 これがスポーツなら良い。だが、何と言葉を取り繕うと、殺し合いの強さを比べているのである。

 

 もし、何かの拍子で二人の関係が崩れたら。

 

 睨み合う二人を、佳織だけが不安げに眺める。

 セリアやヒミカは、会話に加わらず黙々と神剣を振り続けていた。

 

 

 それからさらに一週間が経った。

 あれやこれやと慌しくも喜びに満ちた毎日だったが、ようやく佳織フィーバーもひと段落ついたようだ。

 悠人も佳織もこの生活に慣れてきたようで、この世界でささやかな幸せを噛み締めて生活している。

 

「夕焼けが綺麗だね」

 

「そうだな」

 

 佳織と悠人の二人が、第一詰め所のリビングで夕焼けを眺めていた。

 地平線に沈み始める太陽は地球のそれよりも美しく見えた。周りの緑が朱に染まっていく様は、まるで大地が紅葉でもしているようだ。

 

「わははは! そうだろそうだろ、もっと夕焼けを褒め称えるが良い! ビバ・夕焼け! ハイール・夕焼け!」

 

「なんでお前が偉そうなんだよ。というかどうしてここにいる!」

 

「フッ、夕焼け検定一級の資格を持つ俺に挑むとは愚かな!」

 

「だれも挑んでねーよ。それに夕焼け検定一級って何だ。そもそもまず質問に答えろよ!」

 

 夕陽を浴びると何故かハイテンションになる横島に、悠人はうんざりした。夕陽を浴びた横島は、どういう訳かウザさが100倍になる性質があるのは有名だったりする。

 せっかく久しぶりに妹と二人きりになれたというのに、横島がいると賑やか過ぎて精神的にキツイ。

 悠人は基本的に騒がしいのがそれほど好きではないのである。

 

「でも、本当に綺麗だよ、お兄ちゃん」

 

「この美しさが分からないとは……悲しい奴め」

 

「一瞬、だけど閃光のように! って感じですね」

 

「待て、佳織ちゃん! それは合ってるけど何か違うぞ!?」

 

「でも、横島さんには何か似合ってるような台詞だと思うんですけど」

 

「……仲良いな」

 

「また嫉妬か。妹離れできない奴め」

 

「黙れ変態」

 

「お兄ちゃんと横島さんも、とても仲良く見えるけど……」

 

「それはないぞ、佳織ちゃん」

 

「ああ、無いな」

 

「ほら、やっぱり仲良いじゃないですか」

 

 三人は賑やかに会話する。

 その一方で、内部にいる二人もお喋りに興じていた。

 

(まったく、ヨコシマったら。夕焼けで盛り上がっちゃって)

 

(随分とうれしそうだな)

 

(ちょっと嬉しいだけよ。この世界の夕焼けも綺麗だし……フフ)

 

 こんな会話もここ最近、内部でされている。

 ルシオラは惚気ているつもりではないようだが、『天秤』からすれば立派な惚気だった。

 自分もエニと色々と話したかったなあ、と『天秤』は今更ながら思っていたりする。

 

「あっ、沈んじゃう」

 

 太陽が地に没し、変わりに夜の帳が落ちてくる。

 茜色が闇色に塗りつぶされていく様子に、三人の会話が途切れた。

 明けない夜が無ければ、沈まぬ陽も無い。そんな当たり前の事が酷く怖い事に思える。

 生まれた沈黙は数秒程度にも、また一分以上にも感じられたが、佳織が悠人に向かい合って口を開いた。

 

「……ねえ、お兄ちゃん。好きな人とか出来た?」

 

「な、なんだ唐突に」

 

 急な話題振りに、悠人は結構戸惑った。

 

「だって、お兄ちゃんの周りには、あんなに素敵な人ばかりいるから。誰が私のお姉さんになるのかなーって」

 

 佳織の脳裏に浮かんでくるのは、アセリア、エスペリア、オルファと言った面々。年齢や容姿に違いはあるが、全員魅力的なのは間違いない。悠人もそれは認める。しかし、いくらなんでも話が飛びすぎだ、と悠人は思った。

 

「特にいないな。そんな事を考えてる余裕も無かったし」

 

 アセリア達をまったく意識したことはない、という事は無い。健全な男子高校生として、美人で魅力溢れる女性達と一つ屋根の下で暮らし、全裸で一緒に風呂にまで入ることもあるのだ。何の感情も抱かない方が難しい。ドキリと胸の高鳴りを感じたことは多々あった。

 だが、如何せん今までは余裕が無さすぎた。何せ初めは言葉も分からなかったのだ。それに毎日のように体力の限界まで訓練して、さらに拷問レベルの苦痛に、何もかも犯しつくしたくなるような性欲には襲われる。そして戦争による人殺し。死線を潜り抜けた事はこの数カ月で何度もある。毎日が必死で、そういった方向に思考を持っていくのは難しかった。

 

「でも、ようやく自由な時間ができたし。本当に、何も感じたことないの?」

 

 しつこいぐらいに話題を振ってくる。少し不思議に思う。兄妹として長く一緒にいたが、こういう話題になることはなかったからだ。

 何となくだが、お互いに色恋沙汰を避けていたように思う。そういった事は考えないよう、触れないようにしようという暗黙の了解があった。

 

「アセリアさんは? とても器用で、綺麗で、可愛くて、不思議な魅力があるように見えるけど」

 

 アセリア・ブルースピリット。

 悠人がこの世界に飛ばされて、スピリットに(性的な意味で)襲われ食われた時にやってきて助けてくれたスピリット。

 表情は乏しく常にぼやーっとしているが、好奇心が強く手先が器用で、気がついたら傍に居てくれることが多い。

 エスペリアやオルファ達と談笑していると、話に混ざらなくてもじっと耳を傾けている。壊滅的だった料理の腕も、時間を見つけては練習してメキメキと実力を伸ばしているようで、努力を努力と思わない純粋さを持っている。

 佳織の言うように、不思議な、他の誰にも無い魅力を持っていると悠人もぼんやり思っていた。

 

「う~ん、そういう感情は特に無いな。だってアセリアだぞ。恋愛とか無理だろ」

 

 心の中では佳織の言っていることを肯定していたが、悠人はそう言って否定する。

 好意を口に出すのは、かなり気恥ずかしいものだ。天然むっつりにしてヘタレと名高い悠人には、とても本音を言うことなど出来なかった。まあ、アセリアが恋に落ちている姿を想像できないと言うのも確かな理由ではあるが。

 

「それじゃあエスペリアさんかな。甘えさせてくれそうな人だし」

 

 エスペリア・グリーンスピリット。

 言葉も分からずに途方に暮れていた時、優しく親切にこの世界を教えてくれた恩人。言葉も、食事も、常識も、どれだけ世話になっていることか。

 エスペリアが居なかったら肉体的にも精神的にも死んでいたと、悠人は疑っていない。

 それだけではない。自分の精神を守るため、性的な奉仕までしてくれている。

 悪い悪いと思って拒否はしているものの、結局最後は流されて欲望を処理されてたる。最後の一線はなんとか越えていないものの、それはそれで欲求不満が溜まるという意味不明な悪循環。若い悠人は賢者モードに突入できる時間が短いのだ。

 

 スピリットを道具と考え、人にただ尽くそうとするエスペリア。

 彼女の持つ神剣『献身』の名の通り、彼女の献身は自己犠牲の領域まで達していて、どこか影があるエスペリア。

 そんな彼女を、悠人はなんとか笑顔にしたいと願っていた。

 

「エスペリアは俺の事を弟みたいに思ってくれているんだと思う。俺も……姉みたいに思ってるし」

 

 悠人はエスペリアに持つ多くの想いを抱えながらも、彼自身は姉と弟のような関係と評した。本人はこれが無難な切り返しだと信じた。

 だが、佳織はこれが兄の最大級の讃辞であると知っていた。

 

 愛ではあるが、恋ではない。悠人が言っているのはこういうことだ。

 しかし、男女間の恋と愛は非常に曖昧なもので、一説には愛など存在しない――――と、とある本で佳織は呼んだ事があった。

 

「それじゃあ……オルファ?」

 

 オルファリル・レッドスピリット。

 苦しいとき、あの元気さと無邪気さにはどれだけ助けられてきたか。

 それに無邪気で幼いといっても、意外と空気を読んで気が利いたりする。大人にとって理想の子供に近い。

 家事や炊事も鍛えられていて、その料理の腕は一級品だ。第二詰め所のネリー達とは比べ物にならないほどである。また、エスペリアに言わせれば輪郭や目じりがある種の黄金比らしく、世界で最高の美人になる事は確定しているらしい。

 オルファリル・レッドスピリットの未来は輝かしいものになると約束されている、はずだったのだ。

 

 いつかオルファに訪れる試練。

 エニや自分が殺したスピリットが帰ってくるとオルファは信じている。狂った教育で、オルファ生来の優しさは歪まされてしまった。オルファに殺されたスピリット達は地獄の苦しみを受けてマナの霧に帰っていった。

 

 真実を知ったとき、優しいオルファはどれだけ打ちのめされるのか。

 その時こそ、今までの恩返しをすべきである。オルファの隣にいて、彼女を支えるのだ。

 その為にも自分は強くならなければならない。もしもオルファが神剣を捨てると言っても受け入れるつもりでいる。

 

 とまあ、こんな強烈な気持ちをオルファに抱いてはいるのだが、こんな恥ずかしい気持ちを言える悠人ではなく、

 

「いくらなんでもオルファはないだろ。どれだけ年が離れていると思ってるんだ」

 

「この作品の登場人物は全員18歳――――」

 

「うるさいぞ横島! そのネタはやめろ!!」

 

 語気を荒げて横島が言おうとしていた言葉を潰す。少々ムキになっているところが横島には気になった。

 こんな風におちょくられるのに慣れていない所為か、それともどこか心に引っかかるものがあるのか。そこまでは横島も佳織も、悠人すら定かではなかった。

 また、年が離れている事を理由にしたが、もし年が離れていなかったらどうなるのだろうか。

 

「それじゃあ、第一詰所には誰もいないの?」

 

「う……」

 

 悠人にとって、この第一詰め所のメンバーは全員家族のようなものだ。戦友や仲間と言った言い方も出来るが、あまりしっくりこない。

 そもそも、恋という感情自体が悠人にはピンとこない。

 初恋は何時だと聞かれたら、まだしていないと答える事になってしまう。

 幼いころに親を二度亡くし、周囲の助けを一切借りずに過ごしてきた悠人にとって、佳織の事が落ちつくまでは自分の事は後回しなのだ。

 佳織の事が落ち着く、というのは何をもってすれば落ち着くと言えるのか、悠人自身も分かっていないのだが。

 

「それじゃあ、他に好きな人がいるとか?」

 

 アセリア達以外の女性。パッと思い浮かんだのはセリア達第二詰め所のスピリットだが、彼女らはあくまで友人であり戦友であるというだけだ。

 勿論、日本でただ挨拶だけをしていた級友などと比べれば遥かに繋がりはあると思っているが、背を任せる事ができる大切な仲間以上の存在にはなりえない。そもそも、手を出したら横島に殺される。冗談ではなく、だ。

 次に出てきたのは二人の女性の姿。

 

 賑やかで明るいレムリアという少女。

 あの少女がいたからこそ、自分はまだこの世界を憎悪しないでいられるような気がする。

 

 そして、こちらも町の中であった金髪で褐色肌の女性。名前は知らない。

 シアーを探す為(日常編3)に町を歩いる時に知り合って、少し話したのだ。

 歩く姿が美しく、古風な喋り方をする女性。妙に印象に残っていた。

 

 しかし、この二人も何だか気になるという程度で、とても恋愛感情などと呼べるものではない。

 

「いないさ」

 

「いないの?」

 

「ああ、いない」

 

 声に出して言うと、若干の寂しさとそれに勝る安心感が胸に湧いてくる。

 ずっとこのままでいいんだ。佳織の事が片付くまで恋などしない。そんな暇なんて無い。

 悠人は心中で呟いて、佳織に笑顔を向ける。すると、佳織は儚げな――――色を失った笑顔を浮かべて、

 

「そうなんだ……じゃあ、私は?」

 

 空気が凍る。

 悠人があえて目を逸らし続けてきた事を、佳織は突きつけた。

 血の繋がらない兄と妹。誰よりも近しい家族。何よりも大切な異性。

 

「か……おり?」

 

「私じゃあ、お兄ちゃんの隣にいられないのかな」

 

 いくら鈍感な悠人でも、それが妹としての言葉ではなく、異性としての言葉であると理解できた。

 喉がカラカラに乾いていく。激しい動悸で胸が痛くなって、体は火照り、背筋だけは寒くゾッとした。

 

 果たしてここで何と答えればよいのか。

 笑い飛ばして場を流す事は、真面目でボキャブラリーが少ない悠人には出来ない。かといって、真面目に対応してその想いに応えるわけにはいかないし、冷たくあしらうなんてことも出来ない。

 顔色を蒼白に染めて、立ち尽くす悠人。

 

「ずっと側に居てくれて、幸せにしてくれるんでしょ。だったら、そうなるしかないんだよ。なっちゃうんだよ」

 

 幾つもの色が込められた佳織の言葉。そこに込められた想いは複雑で、朴念仁に読み取る事などできはしない。

 求められている。しかし、同時に拒絶されている。相反する気持ちが渦巻いているのは悠人にも分かっていた。

 悠人はただ立ち尽くす。

 

 本当にこれが佳織なのか。

 この告白を言うのに、どれだけの勇気が必要なのだろう。

 佳織は、ここまで強かったのか。

 

 ふと、以前横島に言われた言葉が蘇ってくる。

 「佳織ちゃんをあんまり子供扱いしてやんなよ」 

 その時は分かっていると答えたが、ひょっとしたら分かっていなかったのかもしれない。少なくとも、自分が知っている佳織はこんな大胆に、禁断の領域に踏み出してくる勇気など無かったはず。

 

「お兄ちゃん。私は……私ね」

 

 進むも地獄、退くも地獄。さりとて留まる事はできぬ。

 進退窮まったかのように見えた悠人だったが、ここで助け舟が漕ぎ出される。

 

「ふ、ふふふ。許さん……こんな展開許さんぞぉぉぉぉぉぉ!!

 

 カイザード・アルザード・キ・スク・ハンセ・グロス・シルク

 灰燼と化せ冥界の賢者 七つの鍵をもて開け

 地獄の門 七鍵守護「やめろ、この馬鹿は!!」グエェ!」

 

 禁呪を発動させようとした横島を慌てて止める。いくら横島でも使えるわけがないとは思うが、この男ならやりかねない。

 もっとも、ギャグモードなのでたとえ発動しても精々アフロ人間が量産されるだけだろうが。

 

「いきなり何しようとしてやがる!」

 

「そりゃこっちの台詞じゃあー!! 俺を無視してラブコメするなー! 主人公だぞ! 俺は主人公なんだぞ!!」

 

「それが何だ! 俺だって主人公だ!!」

 

 完全に場の空気が変わってしまった。

 

 今の横島の行為は空気が読めなかったのか、それともある意味読んだのだろうか。

 横島と睨みあう兄の姿に、佳織は小さく肩を落とす。

 そして、性急すぎたかなと反省していた。

 

「あはは……横島さんは誰か好きな人はいるんですか」

 

 話の対象が横島に移ったことに、悠人は心底安堵した。

 ほっとした表情の悠人に、佳織は小さく「意気地無し」と呟く。しかし、佳織も同じようにほっとした顔をしていた。恐怖していたのは、話を切り出した佳織も同じだったのだ。

 

「勿論いるぞ! この世のありとあらゆる美人のねーちゃんだ!!」

 

 自信満々にそう答えた横島に、佳織は目をぱちくりさせる。驚く佳織に、悠人は「横島はこういう変態なんだ」と呆れを込めた口調で耳打ちした。

 佳織は腕を組んで納得いかないように「むー」と唸る。

 

 本当にそうなのだろうか。

 佳織はどこか納得できない。確かに誠実そうには見えないし、女好きなのは間違い無いし、嘘をついているようにも見えない。町での横島の様子だって直に見ている。

 しかし、どこか違和感が拭えなかった。多くの女性を侍らす横島の姿が想像できないのだ。

 

「美人って言うと、セリアさんとかですか」

 

「うむ、セリアか。セリアはいいぞ! 色々厳しいが、それが愛情の裏返しである事は一目瞭然。細かい気配りをしつつ、それを表に出さない少し捻くれたところもまた良し。ハリオンさんとは別種の母性もあってな、作ってくれる料理も家庭的でほっとする味なんだ。それにあのツンとした性格とポニーテールの相性は抜群。あれでデレられたら、もう辛抱たまらん!! 強そうに見えて、意外と脆い部分があるのもチャームポイントだ。献身的で、病人を甲斐甲斐しく世話して、辛い事を辛いと言わずに頑張っている姿を見れば、男として奮い立たないわけが無い。さらに―――――」

 

「え、ええ……えーと! ちょっと待ってください」

 

 物凄い勢いで喋りつづける横島を佳織は慌てて止める。

 元の世界に口から先に生まれたような友人がいたが、それに匹敵するマシンガントーク。

 このままだと何時までも喋り続けていくような気がした。

 

「とにかく、セリアは可愛くて美人なのだ。いつか絶対に……ギュフフ!」

 

 涎を垂らしながら、横島は欲に塗れた満面の笑みを浮かべる。

 佳織は恥ずかしさから頬が紅潮するのを感じた。自分の事ではないとはいえ、臆面もなく言える様な事ではない。無論、ただ美辞麗句を並べたわけでもなく、心からそう思っているのも伝わってきた。

 もし、兄にこんな口説かれ方をされたら――――兄にそんな芸当無理か。ギュフフ、なんて笑い方されても困るし。

 たはは、と苦笑いを浮かべる佳織に、悠人は「流石に佳織も、この女好きには呆れるようなあ」などというたわけた感想を持っていた。

 

「じゃあ、横島さんはセリアさんが好きなんですか?」

 

「ふっ! 正確には、セリアもだな!!」

 

「えっ?」

 

「佳織ちゃん、男には、やらねばならん事があるのだよ!」

 

 何だか分からないけど、やらないほうがいいと思う。

 

 佳織は自信満々な横島を見て、素直にそう思った。

 

「え、え~と……他にも好きな人がいるってことですか。ヒミカさんとか?」

 

「うむ、ヒミカか。ヒミカの良さも沢山あるぞ。真面目で突っ込みも中々冴えてるし、お菓子作りが得意だったりな。中でも最大のポイントは可愛いところだ。見た目はショートカットでスタイルもまあ……だし、快活で、色気が足りず、少年っぽく見えることも多い。けど、鏡の前で『おっきくならないなあ……』って言ってため息をつくヒミカは最っっっ高に可愛い! ピンクのエプロンを見て、『こんなの似合わないよね……でもちょっとぐらい……』と言って着て、鏡の前でふわりと回転。そして赤面!! これにゃあ参ったねほんと。さらに――――」

 

「ストーップ!」

 

 またしても暴走気味に話し始めたので慌てて止める。

 ヒミカが美人であるという事に何ら疑う余地は無いが、色気という点から見ると他より一歩引くのは仕方が無い。

 だが何も、女性らしさという点は、色気だけが焦点になるわけではない。

 仕草や立ち振る舞いこそが重要である。その点においてはヒミカは誰よりも可愛らしいと横島は思っていた。

 そして、可愛いという褒め言葉は、ヒミカにとって最高の言葉であるだろう。

 彼女は誰よりも、女性らしく、可愛らしくなりたいのだから。

 

「それじゃあ、ハリオンさんは? あっ、ちょっと短く言ってください」

 

「ハリオンさんか。ふ、そうだな。短く纏めて言えば、やはりあの笑顔だろう! あの笑みを向けられたら大半の男は墜ちる! いや、墜とされるべきだ!! 膝枕されて耳掃除でもされてみろ! もうこの世に生まれてきて良かった――――!! ってなるよな。

 ハリオンさんの魅力はそれだけではない! 魅力の一つに、天然お姉さんという人類が求める究極のパッシブスキルを持っている。膝枕なんてされてみろ。フヒヒ……ムヒョウー!!」

 

 ハリオンの評価は悠人には少し意外だった。てっきりスタイルの良さを、特に胸に関することをプッシュしてくると思っていたのだ。

 悠人は貧乳も巨乳もOKな典型的優柔不断むっつり型ギャルゲー主人公タイプで、ハリオンと話す時は目のやり場に困ることが多々ある。あの笑顔を見ると顔が熱くなって、仕方なく視線を落とすとそこにあるのはチョモランマ。さらに下に目をやるとムチムチのフトモモ。

 身体的なセックスアピールは恐ろしいものがある。

 

 だが、今の横島の発言は、ハリオンのスタイルや顔というよりも性格等の中身に重点を置いているようだった。まさかハリオンの容姿が好きではないという事はないから、それ以上に彼女の内面に惹かれているのだろう。

 

「それに、ハリオンさんは……」

 

 勢い良く喋っていた横島の表情がいきなり曇った。どこか憂いを感じる、今まで見たことが無い表情。一体どうしたというのだろうか。

 静かな愛情を感じた佳織は胸が痛くなった。

 

「え、えーと……それじゃあ、ナナルゥさんは?」

 

「うむ、ナナルゥか。容姿は一言で言えば美人だな。俺の主観だが、今まで出会った女性達の中で最高の美人だ。

しかもメチャクチャ面白い性格でな、美人で真面目なのに面白いってのはかなりポイントだぞ。俺と組んで夫婦漫才でもやれば、この世界を笑いの渦で沈める事を造作も無いことさ。さらにあれで意外と熱い所があってな。愛とか笑いとかに興味を持ってたりしていて、エキセントリックな魅力においては他の追随を許さないな」

 

「ほー」

「へぇー」

 

 これもまたかなりの高評価だ。特に興味深いのは夫婦漫才のくだりだ。戦いが完全に終わった後の事を考えて言っているのなら、一番評価が高いのではないだろうか。

 悠人も、あのナナルゥと付き合うなら横島ぐらいの突拍子の無さが必要だと密かに思っていたりする。逆に、横島とまともに付き合えるのもナナルゥだろう。

 

「ファーレーンさんは?」

 

「ファーレーンさんか。ファーレーンさんは普通だな。ここで勘違いしてはいけない! 普通と言うのはくせが無いって意味だ。他のみんなは魅力的だが非常にあくが強いからな。その点、ファーレーンさんは一緒にいると心休まるというか……ほのぼの出来る。

 それに、とってもしっかり者だけど妹のニムが絡むと面白くなるし、俺なんかの口説き文句で真っ赤になってくれるのも嬉しい! 料理も家事も問題ないし、赤面症の所為で仮面を着けていて顔が見れないのは残念だけど、だからこそたまに見える素顔は堪らなく魅力的だ。美人の嫁さんを貰って退廃的に暮らす、という俺の夢にもっとも合った人だろう。ファーレーンさんとのんびり毎日過ごして……ゆっくり年を取れたら幸せだろうな」

 

「…………」

「…………」

 

 二人はもう言葉がなかった。本当によくもまあここまで恥ずかしがらず褒める事が出来るものだと呆れるくらいだ。

 相手の良い所見つける能力に優れているのか。話を聞いてるだけで、横島がどれだけ彼女らに好意を抱いているのか伝わってくる。悠人も横島の話を聞いていると、なんだかセリア達が考えていたよりも素晴らしい女性達なのだと思ってしまう。

 口が旨い、というよりも、とにかく心が込められているのが分かった。これだけこの男の心を捉えているのだから、さぞ素晴らしい女性に違いない、そんな論法だ。

 なにより、セリア達を語る横島は心底楽しそうなのだ。欲望に満ちているのに、それは陰性ではなく陽性の笑顔。セリア達を語る横島は幸せそうだった。

 

「なあ、横島。お前はいつもそんな事を第二詰め所で言ってるのか?」

 

「勿論だ! 全スピリットハーレム計画は常に発動中だからな。まあ、口よりも体が動いちまうんだが」

 

 男子高校生の業ってやつだな。

 横島はそんな風に言ってなんだか楽しそうに笑った。当然だが、そんな業など無いのは言うまでもない。

 そんな横島に、二人は顔を見合わせて呆れたような面白いような表情を作った後、どちらとも無く溜息をついた。

 きっと、今言った四分の一もセリア達には伝わっていないのだろう。口説き文句を言い始めたら、すぐにセクハラ行動を取ってぶん殴られる。そんな事を何ヶ月も繰り返しているのだ。また、普段が普段だから真面目に聞いてくれない可能性も高い。

 女性を褒めるというのは、ナンパの基本であり、極意であり、奥義でもある。その一番重要な部分を、横島は天性に持ち合わせているようだった。今はまだ若すぎる情熱と劣情に押されて出てこないが、年齢を重ねて落ち着きがでたらどうなるのか。それは彼の父親である大樹の姿と重なるのかもしれない。

 

「本当にハーレム作れちゃうかも。スピリットさん達って、褒められることに慣れてないから」

 

「数年……いや、十年は無理そうだがな」

 

 それはどうかな。悠人の言葉に、佳織はそう心の中で答えた。

 

 正直なところ、佳織は驚いていた。横島の明け透けな心と、ある種の純粋さに。

 普通、こういう欲剥き出しな男は汚らしい気がするものだ。相手に警戒だってされるし、良い印象を持って貰える事はない。

 実際、佳織もこういう横島の欲望丸出しは好きではない。だが、何だか面白くて楽しいのは事実だった。

 万人に好かれる性質ではないだろうが、憎めない性質ではある。

 これはきっと稀有な才能だと、佳織は思った。

 

「とまあ、俺はハリオン達をハーレムにするのに頭が一杯なんだ。そこでだ佳織ちゃん、頼みがあるんだが」

 

「はい?」

 

「どうも皆の様子が可笑しくてな。そこで、佳織ちゃんに力を貸してもらおうかと」

 

「またかよ!? というか、それが目的でここに来ていたのか!」

 

 悠人がうんざりしたような声を出す。

 これでもう何度目か。悠人は迷惑そうに横島を睨む。

 

「どうせ、セクハラをして嫌われたんだろ。ヒミカなんてエスペリアから胃に優しいお茶を教えてもらってるしな」

 

「うっさーい! 俺のセクハラは悪いセクハラじゃないぞ」

 

「お前はどこのホイミンだよ」

 

 横島と悠人の言い争いが始まるが、佳織はすぐに醜い争いを一言で止めた。

 

「ヒミカさん達の事はもちろん手伝います。それで、話の続きなんですけど、ヘリオン達はどうなんですか? 好きなんですか?」

 

「いや、ヘリオン達は子供だろ」

 

 横島があっさりと言い切る。

 すると、悠人は口角を上げて冷やかすように笑った。

 

「この作品の登場人物は全員18歳以上だぞ」

 

 言い返してやったぞ、とばかりに悠人は意地悪く笑うが、

 

「いや、年齢は別にいいんだ。俺は体と心が大人だったら一歳でも二歳でもオールオッケーだぞ。ヘリオン達は普通に子供だしな」

 

 横島は平静に答える。それが悠人には少し面白くない。

 もっと慌てふためく姿が見たかった。

 まともである自分がシスコンだロリコンだと散々騒がれているのだ。変態である横島が騒がれないのは不公平だと感じる。

 

 佳織も少し不満だった。

 ネリー達に気持ちになって考えると、こうまで『子供』の烙印を押され続けるのは可哀相に思う。

 いや、ネリー達と自分の境遇を重ねてみると、酷く胸が痛むのだ。

 

 『子供だから』劣情を抱く事は無い。恋慕してはいけない。それが法的に道徳的に生物として、正しい。

 そして、自分の恋慕は正しく無い。ハーレムを連呼している横島さんでさえ、祝福してくれないだろう。

 佳織は悲しくなった。とにかく、悲しかった。

 

「別に、好きだとかじゃないんです。横島さんがヘリオン達に思っている事を言ってくれませんか」

 

 佳織はじっと横島を見つめながら静かに言った。

 横島は佳織の瞳を見た後、僅かに眉をひそめて根負けしたように天井を見上げる。

 

「……そういう頑固な目はやっぱ兄妹なんだな」

 

「えっ?」

 

「いや、こっちの話。

 そうだな、ヘリオンは見てると面白くて元気が出るな。ちっちゃくてちょこちょこ動いてる姿を見ると和むし。からかい易くて楽しいし。努力家で、剣も家事も手を抜かないで、真面目でもあるな。本当に良い子だ。

 それに、俺の事が大好きみたいで、熱視線を送ってくることもあるんだぜ」

 

 横島は楽しそうに笑みを浮かべてヘリオンを語る。

 セリア達を評した時は笑顔であったが欲望に満ちていた。しかし、ヘリオンを語った時は無邪気で楽しげな笑みだけである。

 煩悩が絡まなければ、横島はとても楽しくて面白い兄貴分なのだ。そして、女心に鈍感でもない。きちんと好意を感じるぐらいは普通に出来る。ただ、自分に自信が無いために変な形で解釈することも多いが。

 

「ニムは……ファーレーンさんをゲットするための壁だな。ファーレーンさんと一緒になって、「義兄さん」って嫌そうに呼ばせてみたいな! いや、何時か絶対にしてみせる!!

 それと、ほっぺの触り心地だけは第二詰め所一だろうな。佳織ちゃんも今度ぐにょ~んって引っ張って見ろ。ぷにぷにで気持ちいいぞ。脛を思いっきり蹴ってくるけど」

 

 今度は意地の悪い笑みを横島は浮かべる。

 喧嘩するほど仲が良い。そんな言葉を思い出すような横島の笑みだった。

 

「シアーは子供組みの中じゃあ一番大人っぽいな。体もそうだけど、あれで結構冷静でちゃっかりしてるしな。

 甘えてくるのも上手だし、素直に可愛いと思うぞ。早く大人にならんかなー」

 

 子供組の中で一番の大人はシアーらしい。

 評価も、少し大人組みに近いような雰囲気だ。

 子供組の中では、色々な意味で一歩抜きんでているように思える。

 

「ネリーは……そうだな」

 

 少し真面目な顔になって何かを考え、ふっと表情が柔らかくなる。

 

「ネリーがいなかったら、俺はここに居なかったかもな」

 

 佳織も悠人も、一瞬言葉を失った。

 たった一言で横島がネリーをどう思っているか十分に伝わってきたのだ。他のスピリット達は長々と説明してきたが、ネリーに関しては一言で十分という事だろう。無論、それは悪い意味では無い。

 

「じゃあ、一番大切な人って誰ですか? ハーレムが無理ならこの人だけでもって」

 

 佳織の興味はどんどん増していった。

 この女好きで、相手の良い所を見つけるのが得意な男の人は、はたしてどういう女性に心の惹かれるのか。誰が、一番になるのかだろうかと。

 

「どうせお前の事だから、全員って言うんだろ」

 

 分かっているぞ、とニヤリとしながら悠人が言う。すると、横島はフッと小バカにするように笑い返して、

 

「ハーレムは目標だけど、ちゃんと本命はいるぞ。それはな」

 

「え? ええ!? ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 あっさりと答えそうになった横島を急いで止める。佳織と悠人は心底驚いていた。ハーレムハーレム連呼しているから、きっと物凄く悩むだろうと予想していたからだ。これだけ全員にアプローチを掛けているくせに、どうやら本命はしっかりいるらしい。本当に変な男だと、今更ながらに二人は理解した。

 

 佳織は深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

 極めてプライベートな話を聞くか聞くまいか。

 人の口に戸は立てられない。

 ここで聞いてしまったら、きっと横島の気持ちは自然に相手へと伝わってしまうだろう。

 

(うん、聞いちゃおう)

 

 結構あっさりと決断した。

 この辺りはやはり佳織も女の子だという事だろう。

 他人の恋路ほど、面白く興味を引くものはない。

 

「それじゃあ質問します。横島さんが、一番気になる人は?」

 

「ああ、それは――――」

 

 答えようとしたその時、大地を揺るがすような振動が横島達を襲った。

 

 



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第二十三話 後編 太陽の軌跡③

 耳をつんざく爆発音が遠くから響いてくる。それも一度や二度ではない。響いてくる衝撃が窓ガラスを振動させて、地面は微かに震えていた。少しして、警鐘も鳴り響き始めた。

 無意識的に横島と悠人は神剣を手にとって力を引き出す。すると、

 

「な、なんだこりゃあ!」

 

 横島は驚嘆した。神剣の気配を探ってみると、町の方角に30以上もの神剣反応あったのだ。間違いなくセリア達では無い。正体不明の、恐らくは敵である。

 日も落ち、人通りも減ったであろうが、それでも普通の人間が生活している街中に神剣を持ったスピリットがいる。

 それは、戦闘機や戦車が街中に突っ込むのと同義だった。ウルトラな怪獣が現れたようなものだ。

 もし、レッドスピリットが強力な広範囲神剣魔法など使用したら、例え魔法の直撃を食らわなくても辺りは人が生存できない灼熱地獄と化す。

 環境や生態系、最悪の場合は地形すら変動しかねない。ラキオスが滅ぶ。

 

「さっさと町に行くぞ、悠人! セリア達も町に向かうはずだしな。佳織ちゃんはここで隠れてて!」

 

 迷わず横島が行動を開始しようとする。パニックにならず颯爽と決断を下して行動する様は、中々に見事だ。この辺りは確実に成長の跡が見られる。ちょっと足は恐怖で震えていたりもするが、だからこそ成長していると言えよう。

 

「まて」

 

 駆け出そうとした横島を、悠人の鉛のように重い声が止めた。

 

「横島、お前はまだ万全じゃない。佳織と一緒にここで待機だ。これは命令だ」

 

 横島も佳織も唖然とした。

 一体何を言っているのか理解できなかった。今がどういう状況か分かっていないのだろうか。

 突如、ラキオス各所に現れた謎のスピリット達。目的も規模を一切不明で、こちらは完全に後手に回ってしまった。もし市街戦になったら、一体どれほどの人間が巻き添えになるか。

 更に間も悪いことに、現在第一詰め所のスピリットも第二詰め所のスピリットも全員が単独行動をとっていて連絡がつかない。こういった緊急時の集合場所など決めてはいない。各々が個別の判断で動き、各個撃破になる可能性が非常に高かった。

 この危機的状況で悠人は、まだ体調が良くない、などという理由で最強の戦力を放棄するといったのだ。

 

「あ、アホかー! こんな時に何を言ってんじゃーい!!」

 

「頼む。俺が何の為に手を汚してきたのか、分かってくれ!」

 

 血を吐くように悠人は呻く。唇を強く噛んでいて、壮絶な、鬼気迫った目をしていた。

 そこで、ようやく横島と佳織は悠人の考えを理解した。

 スピリットは人間を殺せない。しかし、エトランジェはどうか。

 佳織もこの世界に来て、体が肉ではなくマナで構成されてしまったエトランジェだ。

 

 もし敵スピリットがこの詰め所に来たら、最悪の場合は佳織が殺される可能性も考えられる。

 そうでなくとも、万が一にも流れ弾が詰め所に直撃する可能性だってゼロでは無い。

 悠人は、横島に佳織を守って欲しいと命じているのだ

 

「スピリットは俺が死んでも守る。どんな手段を取ってでも守って見せる。だから……頼む。お前は佳織を守っててくれ。……こう言うの卑怯だけど、約束だったろ!!」

 

 互いに大事なものを守りあう。

 この約束が二人を結び付けていた。あるいは、縛り付けられていた。

 

「頼む、横島!!」

 

 悠人は頭を下げた。

 しかし、当の横島はそんな悠人の姿など見ていなかった。

 何故なら、横島の脳裏にはとある光景が映っていたからだ。

 

 東京タワー。

 走り出す自分。

 一人取り残される彼女。

 振り返る自分。

 怒って送り出す彼女。

 立ち去る自分。

 そして彼女は―――――――

 

「守りあうって……あの時さ、いなかったじゃん。お前」

 

 本人すら気付かない、無意識の呟きが横島の口から洩れた。

 それは小声であったが、佳織の耳に届いて、彼女は何気なく横島を見て、

 

「うぁ」

 

 思わず悲鳴を上げた。

 嫉妬、羨望、後悔、憎悪。それらが交じり合い、重なり合って、横島の眼球内に蠢きひしめき合っている。

 憎しみや嫉妬の瞳の色を、佳織は知っている。それは大好きな人すら醜く見せる。

 横島の顔は、妬みと怒りで歪んでいた。

 

「いけ。さっさと行って来い!! 佳織ちゃんは俺が守ってやる……ふっ、俺に惚れちまうかもな」

 

 了解の返事が聞こえて悠人が顔を上げる。その時にはもう横島の表情はいつもの緩い表情に戻っていた。

 

「すまん」

 

「礼なんて言ってる暇があったらさっさと走れ。このシスコンが! セリア達になんかあったら承知せんからな」

 

 悠人の尻を蹴り飛ばす。悠人は痛みに顔を歪めたが、心からほっとしているようだった。

 横島が守ってくれるなら、佳織は絶対安全だ。

 そんな心の声が聞こえてきそうで、佳織は沈黙するしかなく、横島は忌々しそうに顔を歪めるしかなかった。

 

「そうだ、文珠を持っていけ。分かってるだろうが、第二詰め所のスピリットに渡すんだからな!!」

 

 二つある文珠の一つを悠人に渡す。

 三週間で二つしか作れなかったが、やはり文珠はあらゆる場合で切り札となる可能性を秘めている。

 悠人は改めて横島に軽く頭を下げると、さっと町に走り出す。振り返りはしなかった。

 

「アセリア……皆! 無事でいてくれ!!」

 

 痛みからか尻をさすって走り出す締まらない後ろ姿を、佳織は辛そうに見送った。

 

「佳織ちゃん」

 

「は、はい!」

 

 先ほどの横島を見た佳織は、思わず声が上ずっていた。

 

「怖いだろうけど、ちょっとの辛抱だ。悠人はあれでしぶといから大丈夫。俺らはのんびりとお茶でもしてよう。そういえばコーヒーっぽいのもあったな。茶請けは……」

 

 横島はいつも通りの、のんきで人を脱力させる調子に戻っていた。

 それが、佳織にはむしろ恐ろしさを感じさせる。

 人には色々な一面がある。たった一つの感情を見ただけで、その人を優しいとか残酷とか規定するのは間違いだ。

 それは当然の事だが、しかし先ほど垣間見た横島の一面は、何か決定的なものではないだろうか、と佳織は思う。

 

 永遠神剣。それが疑念に拍車を掛ける。

 佳織はレスティーナに頼んで歴史を学んだ。最も古い国であるラキオス王国の資料から学んだのだ。故に、歴史の暗部に近い部分も学ぶことが出来た。

 大陸は一定の間隔で常に血を流し続けていたが、その中で必ず中心に絡んでくるのが永遠神剣である。永遠神剣の持ち主は、その全てが血塗られた道を歩んでいた。

 特に高位の永遠神剣を携えた者達は、色々な要因が重なり合いつつも、最後はお互いに殺し合って命を落とすのが殆どなのだ。

 仲が良い者も、血を分けた者であっても、考えられないような因果の巡りがあって殺しあう。呪いのようにすら感じられるのが永遠神剣だ。

 いつも通りの歴史の流れならば、お兄ちゃんと横島さんは――――

 

 みんな良い人。みんな仲良く。

 それが佳織の信条だったが、ほんの少しだけ心が揺れていた。

 

 ――――お兄ちゃんと横島さんは、あまり仲良くならないほうがいいかもしれない。

 

 それは予感というより確信に近かった。

 

 

 その頃、セリアは騒ぎの起きた町に居た為に、いち早く騒ぎの場に向かうことが出来た。

 町が戦場になる。これはもう避けようが無い事態だと、セリアは悟っていた。

 最悪の場合、人が死ぬかもしれない。

 いくらスピリットが人間を傷つけられないと言っても、戦闘に巻き込まれる可能性はあるからだ。

 

 だが、セリアの想定した最悪はより悪い方向に、信じられない方向に裏切られる事となる。

 

 道の真ん中で男の兵士が死んでいた。

 それも、明らかに神剣によって殺されている。

 何故なら、鎧の着込んだ兵士の下半身だけが吹き飛ばされていたからだ。こんなの神剣でしかありえない。

 スピリットに殺されたのだ。それも、不可抗力ではなくである。

 

 板金の厚みが薄い部分でも2mm、総重量40kgの重フルプレートアーマーはスピリットの攻撃に無力だった。

 ただ神剣に撫でられただけで中身ごと粉微塵に粉砕されてしまう。どれだけ鍛えても、肉と鉄では神剣を受け止めることは出来ない。

 強いとか弱いとか、比較することすら無意味な差があった。

 

 顔を確かめる。セリアは、この死んだ兵士を知っていた。

 知っているといっても名前も知らない。ただ、どういう人物かは知っている程度だが。

 正義を愛し、人情に厚く、勤勉で、そして極度にスピリットを嫌っていた――――この世界における善人を体現したような男だった。

 

 自分達スピリットにとっては、非常にありがたくない人間だ。

 だがこんな理不尽に、訳も分からず殺されてよい人ではない。

 思うところは色々あるが、それだけは確かだった。

 

 冥福を祈り終えると、駆ける。

 辺りから聞こえる悲鳴と怒号はますます大きくなっている。

 悲鳴がもっとも聞こえる町の中心に入ったセリアは、そこで見た。

 泣き叫ぶ子供を背負って逃げ惑う人の群れと、それを必死に誘導している兵士の姿と謎のスピリットの姿。

 誘導だけでない。兵士らは敵のスピリットを見かけたら、自身の体を盾にして無辜の民を守ろうとしている。

 それが殆ど意味の無い行為だと、スピリットの戦闘能力を知っている兵士は分かっているだろう。

 それでも、弾除けにでもなれるのならと、兵士たちは身を投げ出していた。

 

 セリアは人間が嫌いだった。侮蔑され、無視され、唾を吐かれた事もある。

 好かれようと努力したこともあったが、全ては徒労に終わり、殆どの人間に無視された。近づくなと逆に殴られたこともある。

 

 ――――私は、仲間の為だけに神剣を振るう。

 

 それだけを考えて厳しい訓練を耐えてきた。

 わざと人間に反抗的な態度を取って、人間の目がネリー達に向かないようにもしてきた。

 しかし、今は。

 

「ハイロゥ!」

 

 ウイング・ハイロゥに力を回して空中を疾走する。

 目標は、黒のウイング・ハイロゥを持つブルースピリット。その足元には、倒れる人影があった。

 無軌道に、あるいは無意味に、町と人を破壊していたブルースピリットだったが、セリアの強襲に気付いて咄嗟に氷の障壁を張る。

 

 攻と防の争いは、一瞬で決着が付いた。

 ブルースピリットはセリアの上段からの一撃目は己の神剣で防ぎ、続く切り返しは障壁で耐えたものの、流れるように続く連撃の前に体を五つ程度に引き裂かれて、マナの霧に返る。

 元々、攻撃に優れ防御で劣るのがブルースピリットの特徴だ。この結果は妥当なものだろう。

 

「無事ですか!?」

 

 倒れていた人影は壮年の兵士だったのだが、言ってからセリアは後悔した。

 腹からは内臓が飛び出て破れていた。

 重症だ。もうどうしようもない。

 

 壮年の兵士はまだ意識があったようで、スピリットであるセリアを見て怒りと憎しみに満ちた目をしたが、何かに気づいたようで憎しみの色が瞳から抜け落ちていく。

 

「お前……は、セ……リアか?」

 

「は、はい」

 

 いきなり名前を呼ばれて、思わず声が裏返ってしまった。

 ただの一兵士が、奴隷戦闘種族に過ぎない自分の名前を知っているのが不思議だった。

 

「ぐっ……ヨコシマから、聞いている。強く、優しいスピリットだと……頼む! セリア・ブルースピリット、ラキオスの民を守ってくれ!!」

 

 苦しそうに血を吐き出しながら、兵士は震える手をセリアに差し出した。

 この兵士は、スピリットを嫌っていない訳ではないだろう。スピリットを嫌うのは普通で、しかもこの兵士はスピリットによって命を絶たれるのだから。

 しかし、それでも。大嫌いなスピリットに頭を下げても、民を守ろうという強烈な意思があるのだ。

 

「了解しました。必ず、守って見せます」

 

 力強く言い切って、強く手を握る。

 壮年の兵士は安堵したように表情を緩ませて、最後に伴侶の名を呼んだかと思うと、そのまま事切れた。

 胸に熱いものが込み上げてくる。人間に持つわだかまりは無くなってはいない。恨みも、ある。

 しかし、だとしても、民を守る為に命を掛けた男の願いを無下にできるはずがなかった。

 

(私の役目は、敵を倒すよりも人が避難するまでの時間を稼ぐこと! 人の為に!!)

 

 セリアの意識が変わる。

 如何にして敵を倒すか、では無い。どうやって人を守るか、にである。

 やはり一番危険なのは神剣魔法だ。

 市街地での神剣魔法の使用は細心の注意が払われる。

 ブルースピリットが使う敵の神剣魔法を阻害するだけの魔法だって、攻撃でも無いにかかわらず周囲に冷気を発散させてしまう。

 

 可能な限り神剣魔法を使わずに神剣で敵を屠る必要がある。特に優先すべきは、レッドスピリットの排除だ。

 神剣の気配を探りながら空中を駆ける。

 途中、瓦礫に埋まった人を助けたり、火災の拡大を防ぐために木造の建築物を破壊したりもした。仲間も探すが、ラキオス中に神剣反応があるために、どの反応が仲間か分からなかった。

 

 そうこうしながら、見知らぬレッドスピリットを発見する。

 神剣魔法も唱えず、何をしているのかうろうろしていた。

 

 何をしているのか、このスピリット達の目的は何なのか。どうやって入り込んできたのか。

 聞こうかと思ったが、それは意味がないと気付いて止めた。

 球体型の黒いスフィア・ハイロゥが周囲に漂っている。それも、漆黒と言っていいほどの黒のハイロゥ。

 完全に心を失ったスピリットに会話は通じない。

 

 レッドスピリットが一番危険だ。

 ここで倒さなければ。

 セリアが突撃しようとする。だが、突撃は出来なかった。

 

 レッドスピリットの足元に黒いシミが生まれたかと思うと、それは形を針のように変えてレッドスピリットの全身を突き刺さんと殺到した。

 地面から湧き出てくる黒の針を、レッドスピリットは炎の障壁を張って防ぐ。特にダメージは無い。神剣に弱くても、神剣魔法には強い抵抗力を持つのがレッドスピリットの特徴だった。

 

 これはブラックスピリットが扱う神剣魔法、アイアンメイデンだ。

 ファーレーンか、ヘリオンか。それとも第三詰め所のブラックスピリットか。

 なんにしても味方だろう。

 セリアは近づいてくる神剣反応に視線をやって、

 

「……え?」

 

 目を疑った。

 現れたブラックスピリットは見覚えが無く、なんと半裸であった。

 ボロボロの布切れが僅かに体を覆っているだけで、殆ど全裸に近い状態である。

 

 どうやら着ている服がエーテルの戦闘着でないらしい。普通の市民が着るような布で出来た服を着ていたのだろう。そんな服が高速の三次元戦闘に耐え切れるはずもない。

 だから、半裸であるのはまだ分かる。

 

 セリアが驚愕した理由は、そのスピリットの様相だ。

 髪はボサボサ。手足は細く、あばら骨は浮き出ている。しかも、体のあちこちに様々な傷があった。戦いで出来た傷ではなく、古傷のようなものも多い。

 まるで病人の様な有様だ。いや、これはそれよりも酷い。どういう環境にいたらこうなってしまうのだろうか。

 

「……一体、貴女は?」

 

 敵意を忘れてしまいそうなほど哀れな状態のブラックスピリット。

 半裸のブラックスピリットは、セリアに気づくと虚ろな視線のまま、神剣を向けてきた。仲間では無いらしい。

 レッドスピリットも、セリアと新たに現れたブラックスピリットに剣を向ける。

 

 セリアは混乱した。

 まさか、ラキオスを襲撃したスピリットは、2勢力いるのか?

 混乱するセリアに、追い討ちを掛けるようにまた新たなスピリットが空から駆け下りてくる。

 

 今度現れたのはブルースピリット。

 自我を失っていない証拠に、背中からは白のウイング・ハイロゥが展開している。自我がちゃんとしているので、これなら会話が可能だろう。

 こちらも、見たことが無い。新たに配備されたスピリットか、あるいは。

 

「貴女の所属は」

 

 答えは返ってこなかった。ただ、神剣だけを向けてくる。仲間ではないのだけは確かだ。

 そして、このブルースピリットもここに居る全スピリットを警戒している。また、新たな勢力か。

 敵か、それとも敵の敵か。敵意はそこまで感じないのだが、観察するような目を向けてくる。目的は何なのだろう。

 四すくみのような状態になってしまって、どう動くべきかとセリアが悩んでいると、

 

「このよゥゥなお祭りーー騒ぎで、なぁぁぁにをお見合いをしているのかなあぁぁぁ!!」

 

 ハリオンのように間延びした、しかし全身に怖気を走らせる不気味な声が響く。

 今度現れたのはグリーンスピリット。セミロングの髪に、エスペリアと同じく戦闘も出来る緑のメイド服。カチューシャも付いている。

 ギラリギラリと異常な活力を持って光る目と、190センチはある背丈が異様に目立つ。

 そして、純白の鎧でも纏っているように光り輝くシールド・ハイロゥ。

 

 口元を三日月形にして笑う姿は、悪魔的な狂気を感させてくる。まるで御伽噺に出てくる魔女のようだ。

 しかし、御伽噺の魔女は胡散臭い老婆だったが、これは強靭な肉体を持つ、戦士系の魔女という感じだ。

 

 セリアの額から頬に、冷たい汗が伝う。

 強力な、それこそ悠人や横島の持つ高位の永遠神剣に匹敵するほどの力を感じる。

 このスピリットに与えられたマナがラキオスのスピリットとは桁外れに多いのだろう。

 セリアを含む、全員がこの新たに現れたグリーンスピリットに剣を向けていた。

 

「うふふゥゥゥ、強力なボォォスの登場ゥゥに、敵味方が協力ゥゥしあう! いいねえ、楽しいじゃないかァァァ!!」

 

 耳障りな甲高い声で、グリーンスピリットはケタケタと笑う。

 

(一体何なの!? この状況は!!)

 

 セリア自身も含めて、ここに5人のスピリットがいる。

 

 ラキオス所属のセリア・ブルースピリット。

 漆黒のハイロゥを持つレッドスピリット

 白いハイロゥのブルースピリット。

 半裸でボロボロのブラックスピリット。

 そして、強力な神剣を持つ不気味なグリーンスピリット。

 

 5人のスピリットは、他の4人のスピリットを牽制し合っていた。

 これが意味するところは、この場に5つの勢力が存在しているということ。

 

 このままでは経験も訓練もしたことが無いような、最悪の乱戦になる。

 一度、仲間と合流したほうが良い。しかし、彼女らを放置するわけにはいかない。 

 

 どうしたらいいのか。

 奥歯を噛み締めて悩んでいると、一際大きい爆発音が何処からか響いてきた。

 音のした方を見て見ると、城の一部が火を噴いて、さらに城壁には大穴が開いていた。

 城には最重要のエーテル施設がある。それに、王族もいる。

 このスピリット達は、いやこのスピリット達の何処かの勢力は、人を殺すことが出来る。王が危ない。

 

 城に行ってエーテル施設を守るか。

 町で人の救助に奔走するか。

 王族を守るために城に向かうか。

 

 人の為に戦うと決めたセリアだが、どの選択肢が人を救う事になるのか分からない。

 

 悩んでいると、大きな神剣反応が一つ近づいてきた。

 いま町で感じられる反応の中で、間違いなく一番大きい反応。

 目の前にいるグリーンスピリットすら越えているだろう。

 

「おっとォォ。これは下がらないとねェェ!」

 

 グリーンスピリットは身の毛がよだつ声を出しながら、さっと後ろに引いた。

 すると、他のスピリットも一斉にその場から引く。やはり、戦闘意欲そのものが薄いように見える。

 いや、一人だけひかなかった者がいた。

 

「あ……ううあ。うああ!」

 

 形を為していない、赤ん坊のような声を出しながら、あの半裸のブラックスピリットがセリアに飛び掛る。

 ブラックスピリットの動きは良くない。訓練は受けているようだが、どうもブランクがあるような拙さがあった。

 セリアは冷静に神剣を構えて、迎え撃とうとする。実力はこちらの方が上だと分かっていた。

 だが、セリアとブラックスピリットが剣を合わせる事はなかった。

 

「おおおおおお!!」

 

 横から雄雄しい雄たけびのような声がしたかと思うと、一人の男がブラックスピリット向けて突撃していく。

 言うまでも無く悠人だ。

 

 ブラックスピリットは、いきなり現れた悠人に向かって、必死に神剣を振う。

 悠人も、ブラックスピリットの神剣に向かって『求め』をぶつけた。

 

 『求め』は、あっけないほど簡単にブラックスピリットの日本刀型永遠神剣を砕き、そのままブラックスピリットの肉体をも、粉々に吹き飛ばした。

 ここまでくると、切るという言葉も、叩き潰すという言葉も正確ではない。新幹線に轢かれたようなものだろう。

 圧倒的過ぎる力の差。悠人と相対するなら、決して力で打ち合ってはいけないのだ。

 

 悠人は、自身が作り出した凄惨な光景に吐き気すら感じて、しかし『求め』の歓喜の感情が流れ込んできて快楽を感じてしまう。

 スピリットを殺すと、スピリットを構成していたマナを『求め』が吸収して気持ちいいのだ。

 「魔剣め!」と悠人は『求め』を睨んでいたが、セリアに目を向けるとほっとした表情になる。

 

「セリア、無事か!」

 

「……ええ、無事です。助けなど、必要ありませんでしたから」

 

「そ、そうか」

 

 何だか冷めたようなセリアの声に、悠人は少し戸惑いを覚えたが、すぐに思考を切り替える。

 

「状況はどうなってる」

 

「詳しくは分かりません。分かっているのは、スピリットが人間を攻撃できる事。しかし、積極的な破壊行為と取っていない事。所属が違うスピリット達が、少なくとも4種類はいる事。城が襲われている事。これぐらいです……ヨコシマ様は何処に?」

 

「……第一詰め所の方で待機させてある」

 

「……そうですか。確かに、まだ本調子ではありませんから、それで良いと思います」

 

 判断を責められるかと思っていた悠人は、セリアの言葉に安堵しつつも妙に思った。

 

「セリア。これからどうすればいいと思う? やっぱり皆と合流した方がいいか」

 

「いえ、ユート様は城に行ってください」

 

「城に?」

 

「敵の狙いが、城にあるエーテル返還施設の可能性があります。最悪、イースペリアの惨劇を繰り返す可能性があります。それに、人間を傷つけられるスピリットが混じっているという事は、王族も危険です。私はここで人を守るために仲間と合流して戦います」

 

 戦力を分ければ、確かに多くの事態に対処できる。

 それは悠人にも分かる。だが、それは言うまでも無く危険が伴った。

 

「セリアも俺と一緒にこないか。こんな混戦状態で戦力の分散は危険すぎるだろ」

 

「確かに戦力の分散は危険ですが、広範囲に敵が散らばっている以上、こちらも散開して対応する以外に方法がありません。このままでは、どれだけ人に被害が出るかわかりませんから」

 

「そうかもしれないけど、だからといって一人だけでは危ないだろ。せめて仲間と合流するまでは俺と一緒に」

 

「剣を握って半年程度の貴方に、心配される筋合いはありません」

 

 セリアの言葉は、冷静というよりも冷たく、むしろ独りよがりに近い。

 感情論に近いものが含まれている。何だかセリアの様子が可笑しいな、と悠人は眉を顰めた。

 

「だけど、俺は約束をしてるんだ。セリア達を守ってくれって横島に」

 

 その一言で、セリアの眉がつりあがる。

 氷のように冷たい表情で、何かを嘲笑するように唇だけを歪めた。

 

「甘く見られたものね。いえ、きっと信頼されていないということかしら」

 

 セリアはくすりと笑みを浮かべる。

 笑みと言うには歪で、その声には悲しみと悔しさが溢れていた。

 

「信頼されてないって……何を言ってるんだ」

 

「だってそうじゃないですか。私達の力を信じてくれているのなら、ユート様に守ってくれなんて頼まないでしょう」

 

「信じていたって不安になることはあるだろ。それだけ、横島の奴は第二詰め所が大切だから」

 

「私達が、何時、大切にされたいと言いましたか!? 私達はスピリット、戦いを宿命づけられた種族です。それが、お人形のように大事にされる? ふざけないで!」 

 

 いつもの冷静なセリアはいなかった。

 いるのは痛々しいぐらいに感情をむき出しにして『役に立ちたい』と『自分は必要とされている』のだと、必死に主張する一人の戦士の姿。 

 

(ああ、そういうことだったか)

 

 悠人は、ようやく横島が何を危惧していたのか理解した。

 

 余裕が無い。焦っている。嫌われている訳ではない。

 

 横島が言っていた意味を理解する。彼女達は、どうしてか分からないが力を示そうと必死だったのだ。別に自己顕示欲でも、名誉欲などではない。

 恐らく、横島の役に立てるぐらいの力を持っていると、横島と自分自身に示したかったのだろう。

 悠人は迷った。一体どうするのがラキオスとセリアにとって正しい判断なのだろうかと。

 

 一緒にいろと、ラキオスの隊長として命令すればスピリットであるセリアに拒否は出来ない。

 だが、セリアの身の安全の為だけに、セリアの意思を無視して、さらに町を無視して、俺の側に居ろと命じるのは正しいことなのか?

 軍人として正しい選択を選ぶか。相手を信じる選択をするか。いや、こんな混沌として情報が不明瞭な状態で、そもそも何が正しい選択なのか何て分かるわけが無かった。

 

「分かった。セリアは町に入り込んだスピリットを倒して、人間達の救助してくれ……頼むぞ!」

 

「はっ! 任せてください!」

 

 安心したようにセリアは返事をする。信頼していると言ったお陰か、少し角が取れたようだ。

 悠人は、この判断が正しいと信じる事にした。

 

「だけど、無理だけはしないでくれ。無理な戦いはせず、自分の命を優先に……そうだった、これを持ってけ」

 

 勿論、横島との約束は忘れていない。文珠を取り出して、セリアに渡そうとする。

 セリアは「必要ない」と頑なに拒否した。

 

「セリア・ブルースピリット。文珠を受け取れ。そして、自分達の生存のために使え。これは『命令』だ」

 

 滅多にしない隊長としての口調で、悠人が命令した。

 横島の心に応える為にも、この部分だけは譲ることが出来ない。

 

「……了解しました!」

 

 セリアは強引に渡された文珠を忌々しそうに睨みつけて、しかし大切そうに懐にしまう。

 それを見届けると、悠人は城に走り出した。

 

 今も何処からとも無く、悲鳴と怒号が響いてくる。

 夜を昼にしたように、燃え盛るラキオスの町並み。

 一人でも多くの人を助けよう。ヨコシマ様に認められるだけの力を示そう。

 

 それだけを考えて、セリアは白く輝く翼を展開させて、空へと飛び立った。

 

 

 

 その頃、ラキオスの王であるルーグゥ・ダイ・ラキオスと王女であるレスティーナ・ダイ・ラキオスの二人は、城の小さな一室にいた。

 

「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な!! 何だこれは、どういうことだ!?」

 

 ラキオス王は酷く狼狽していて、ようやく生えてきた髪を掻き毟っていた。

 レスティーナはそんな父の姿を冷たい目で眺めている。

 

 城の中でも特に頑丈なその一室に二人は避難していた。

 隠れ潜んでいる、と言ったほうが正しいかもしれない。

 

 人を傷つける事が出来るスピリットが混じっている。

 その情報を得たレスティーナは護衛の人間達を遠ざけた。

 人間の兵士がどれほど護衛してもスピリット相手には意味も無く、むしろ居場所を知られるだけと判断したからだ。

 その判断は的確だったのか、今のところはスピリット達がやってくる気配は無い。

 

「ありえぬ。こんな……ありえぬ!!」

 

 王は現実が認められないようで、ぶつぶつと壁や床に文句を言っている。

 レスティーナは鋭い視線を王へと向けた。

 

「自業自得ではないのですか、お父様」

 

「なにを言う!?」

 

「私は知っています。お父様が謎のスピリット達と繋がりがあることを。それが、イースペリアの惨劇と関係があることを。人間を傷つけられるスピリットが居ることを、お父様はご存知だったのではないですか。ならば、その牙を向けられる可能性は考慮すべきだったはず」

 

 父の顔色が変わった。

 非常に分かりやすい。半分以上は状況証拠からの想像だったのだが、やはりイースペリアの裏には人を傷つけることが出来るスピリットが暗躍していたようだ。

 もしかすると、イースペリアという国はサルドバルドに侵攻する前に、人を殺せる謎のスピリットに滅ぼされていたのかもしれない。

 

「……奴がこのような愚挙をする理由が無い」

 

 奴とは誰の事か。

 やはり、父は色々と知っている。

 イースペリアの侵攻の謎。エニの行動の謎。あの雪之丞の謎についても知っている可能性がある。

 

「奴とは誰のことを言っているのです。此度のスピリットの異常に、何か心当たりがあるのではないですか?」

 

「女子供は黙っておれ! ワシこそが聖ヨトの血を連ねる正当な王。ワシ以上に血筋が優れた王は存在せぬ。マロリガンを下し、帝国も制圧してみせる!! ワシの名の元に大陸を統一するのだ」

 

「帝国はともかく、マロリガンとは敵対する必要はないでしょう」

 

「愚かなことを! この大陸はワシが統一すると言ったであろう」

 

「大義名分がありますか。何の理念があって、どのようなビジョンを持って大陸を制覇するというのですか」

 

「理念などくだらぬ! ワシが統一すると言っているのだ。だから、正しいのだ!!」

 

 王の目は血走り、口からは正気を失ったような声が漏れ、手足を子供の様に振り回す。

 そこには、理念も戦略も戦術も無かった。ただ自身の名誉欲を満たすだけの欲しかない。その欲の為ならば、どれほどの命が消えようと構わないのだろう。

 

 父は、力を得て破滅した。

 それを実感しないわけにはいかなかった。

 

 野望があっても、無謀は嫌っていた王だったはずなのに。

 小心者であるからこそ、身の程を知って現実的な行動を取れていたのだ。

 剛毅であるというのは、剛毅な人物だからこそ剛毅になる。

 凡庸な人物の剛毅など、誰も望んでいないというのに。

 

 妄想の巨人と成り果てたこの父をどうすべきか。

 とにかく、レスティーナにとって色々な面でこの目の前の男は邪魔すぎた。

 

 天啓がひらめく。

 

 ここで父を――――ラキオス王を殺そう。

 この状況で王が謀殺されたら、未来はどうなるか。

 

 言うまでもなく次の王はレスティーナに決まる。

 兄弟はいないし、母である王妃は政治に無頓着で公の場にはまったく姿を現さない人だ。まさか権力闘争は起こらないだろう。父とは違い、母とは愛情も憎しみも利害すら関係が無い。

 

 この騒ぎの中なら、王はスピリットに殺されたと弁が立つ。そうなれば、自分が疑われる心配が無いばかりか、大敵であるサーギオスに責任を押し付けて世論の誘導も容易となる。戦争のための、これ以上無い大義名分も生まれる。

 事実、この騒ぎにサーギオス帝国が無縁とは思えないから、まるっきり嘘というわけでもないはずだ。

 

 スピリットへの融和。

 マロリガンとの関係強化。

 そして、この大地そのものを揺るがしかねない、とある法則への挑戦。

 

 その全てを、自分の手で行える。

 レスティーナ・ダイ・ラキオスの目指す未来にとって、これほどのチャンスは無い。

 

 ――――まるで私を女王にするために、この騒動が起こったような。

 

 馬鹿げた妄想が涌いてきて、首を横に振った。表情を殺して、行動を開始する。

 興奮している王に気付かれぬように、そっと懐から小さなナイフを取り出して、それに香水と偽っていた小瓶から毒を取り出して塗る。

 王はまだレスティーナの行動に気付かない。

 さっと後ろに回りこんで、王であり父である男の背に、凶刃を振り下ろす。そうして王座を奪い、大義名分を得て、世界と戦う。

 

 野望を、大儀を、未来を。

 

 先を見据え、変革と多くのものを望むレスティーナにとって、目の前の肉親など障害物に過ぎない。

 一切の手加減、手心を加えず渾身の力で凶刃を振り下ろし――――ぐらりと地面が揺れた。足場が揺れ、手元が狂い、刃は肉ではなく空を切る。

 王が、レスティーナに気付いた。 

 舌打ちをして、ナイフをもう一度構えなおす。

 

「レスティーナ!!」

 

 王が――――父が叫んだ。

 父に大声で名を呼ばれるなど記憶に無いレスティーナは雷に打たれたように立ちすくんだ。親が子供を怒鳴りつけたような、未知の感覚がレスティーナを怯ませた。

 王は小太りの巨体を揺らしながら走って、棒立ちのレスティーナを突き飛ばす。同時に轟音と共に粉塵が舞い上がり視界が塞がる。

 

 一体、何が起こった?

 

 轟音と粉塵が収まり、よろよろと起き上がったレスティーナは目を点にした。

 目の前に父の姿が無かった。あるのは崩れた天井の残骸だけだ。

 レスティーナは、父に突き飛ばされたおかげで瓦礫の下敷きにならなかったことを知った。

 

「え……あ……お父様? なんで、どうして?」

 

 聡明と言われるレスティーナであったが、その頭脳を持ってしても現れた二つの謎を早々に解くことは出来なかった。二つの謎の一つは、一体どうして父が自分を助けたか、である。

 親子の情など無かった。少なくとも、生まれてきて感じたことは無かった。あくまでも主観でしか語れないが、愛されてきたとは思えない。むしろ憎み合っていた。その父が一体どうして、自分の命を救ったのだ?

 そしてもう一つの謎は、父が何処に居るのかだ。つい先ほどまで目の前にいたのだ。なのに、今はいない。目の前にあるのは山のような瓦礫だけ。

 キョロキョロと辺りを見回す。父を探す。未だに地面には揺れ、怒号やら悲鳴が耳に入ってくるが、頭には入らない。とにかく何もかもが現実感に乏しかった。

 父が『お前』ではなくレスティーナと名前を呼んだことが、何よりも現実感をなくさせる。

 

 ピチャリ。何か温かくて、ヌメヌメしたものが足に触れた。

 天井の崩れた残骸の中にある『何か』から流れ出した赤い液体が床にゆっくりと広がっていく。

 

「い……や。いやあああああ! お父様! お父様! お父様ぁぁ!」

 

 血の匂いと感触に、レスティーナは現実に引きずり出された。

 瓦礫の山を取り除こうと必死に残骸に挑む。

 だが見上げるような瓦礫の山を、女の細腕で崩すなど不可能だった。

 それでも白魚のような手で山の様な残骸に挑むが、そこで気付いてしまう。

 自分がまだ手にナイフを持っていることに。

 

「ひっ!」

 

 悲鳴を上げて毒のナイフを投げ捨てる。

 そのナイフで父の命を狙ったことが今は信じられなかった。信じたくなかった。

 

 ――――くすくす。良かったですわね、自分の手が汚れなくて。

 

 それは自分の心の声か、それとも天使の祝福か、はたまた悪魔の嘲笑か。

 嘲笑うかのような声がどこからともなく響いてくる。

 

「やめて、やめてください……やめてよ!」

 

 耳を塞いで蹲る。

 世界の為の手を血に染める事も出来る王女は、現実を認められない一人の女の子になってしまった。

 その時だった。

 

「ご無事ですか、レスティーナ王女!」

 

 扉が開いて、悠人達がやってくる。いち早くエーテル施設を防衛していたエスペリアら第一詰め所のスピリットも合流していた。

 レスティーナは希望を見た。スピリットの力なら瓦礫など簡単に取り除けるし、回復魔法を使えば傷なんて一瞬で回復できる。父が助かる。

 

「ち、父が下敷きに……助けて」

 

 指先を震わせて、王を潰した瓦礫の山を指差す。

 エスペリアは瓦礫と流れている血の量を見て、沈痛な顔をして首を横に振った。

 

 レスティーナの抱いた希望は幻想に過ぎない。

 回復魔法はマナで作られたものにしか効かないからだ。肉で作られている人間には効果がない。

 そんな事はレスティーナも百も承知だ。

 承知、なのに、

 

「何をしているのです! エスペリア、お父様を助けるのです!!」

 

「落ち着いてください。レスティーナ様。スピリットが使える回復魔法は、人の肉体には効果がないのです」

 

「あ……だ、だったらヨコシマを呼びなさい。彼のモンジュなら、人の肉体も癒せるでしょう。現にダーツィ大公を死から引き戻したでしょう!」

 

「それは報告した通り、大公の肉体が損傷も少なく、死後の時間も少なかったからです。ラキオス王は、もう」

 

 冷静で正しいエスペリアの言葉を受けても、レスティーナは嫌々と首を横に振るだけだった。

 いつも玉座で他を超然と見下ろしていた王女が、肉親の死に我を失って悲しむ女の子に変わっている。

 

「お願い! 父なんです……私のお父様」

 

 泣き崩れるレスティーナ。

 この姿を見て、その父を暗殺しようとしていたなどと推察できるものはいないだろう。

 

「王女様……どうして泣くの?」

 

 死を理解し切れていないオルファが呟く。

 それでも、大好きな王女様が悲しんでいるので、感受性豊かなオルファは一緒に悲しんでいた。

 

(……くそ、こういう場合どうすればいいんだよ)

 

 肉親の死を悲しむ少女の前に悠人達はどうしていいのか分からず途方に暮れる。

 この間にも敵は何らかの行動をしている事だろう。貴重な時間を無駄にしているのは分かっているのだが、しかし今のレスティーナを放置するわけにはいかなかった。

 レスティーナのすすり泣く声が響き続ける。すると、エスペリアが無表情で前に出た。

 

「レスティーナ様。エーテル変換施設は敵の標的になっていないようです。町の方もさほど破壊されておらず、消極的な戦闘しか行われていません。どうも敵の意図が不明瞭です。何か気付くことはないでしょうか」

 

 エスペリアは、父を失って泣き叫ぶ娘に指揮官としての役割を要求した。

 冷静というよりも、冷血じみたエスペリアの言動に、悠人の頭にかっと血が上る。

 

「父親が亡くなった時に、そんな冷静になれるわけが無いだろう!!」

 

「なれる、なれないではありません。ならなくてはいけません、私たちがスピリットであるように、レスティーナ様は王女……いえ、今を持ってこの国の最高責任者となったのですから」

 

 それは理屈だ。きっと、正しい理屈なのだろう。

 エスペリアに比べれば、きっと俺は子供に違いない。

 それでも、それでも認めたくない事はある。

 

「スピリットだろうが、女王だろうが、俺と同い年ぐらいの女の子だろ!? 父親を失って悲しんで、泣いて、混乱するのが何が悪い。何が悪いって言うんだ!!」

 

 理不尽な世界に、怒り、吼える。

 全員が、悠人の怒りの咆哮を聞いて言葉も無く目を瞑る。

 仕方が無い。世の中はその言葉で回っている。

 それに異議を唱える悠人の姿は愚者そのものであり、同時に眩しかった。

 

「悪くなんて、ありません。世界とは、そういうものなのです」

 

 悲しそうにエスペリアが言う。悠人は「くそ!」とまた悪態をつく。

 ただ怒り吠える事しかできない無力さが悔しくて悔しくてしょうがない。

 そんな悠人の姿を見て、レスティーナは涙を流しながらも前を向いた。

 

「ユート、手を……手を握ってください。エスペリアも……アセリアもオルファも。そうすれば、大丈夫ですから」

 

 レスティーナはそっと震える手を差し出す。

 

「ん、分かった」

 

 アセリアは戸惑いも無く、一番にレスティーナの手を握った。素直で直情なアセリアらしい。

 オルファ、悠人と続いて手を握る。最後に、少し時間を掛けてエスペリアが手を握った。

 エスペリアが手を握るとき、小さく「ごめんなさい」と呟いたのを悠人は聞いて、彼は自分を少し恥じた。

 

 レスティーナは涙を流しながら、手の暖かさを支えに思考に耽る。

 敵の狙いがエーテル施設ではない。王族でも無い。スピリットでもない。町の破壊でも無い。

 では、一体何が狙いだ。

 

 思考時間は二十秒ほど。

 何の理もなく、閃きにも似た答えを戦慄と共に導き出した。

 

「ユート! 戻りなさい。カオリが、カオリが危険です!!」

 

 

 その頃、横島は第一詰め所を漁っていた。

 

「ん~お茶葉が見つからんなー」

 

「お茶葉なら台所の一番上の棚に……って何でタンスの中を探してるんですか」

 

「いや、この隙に第一詰め所の家捜しをしようと思ってな。悠人が隠しているエロ本でも発掘するチャンスだ」

 

「よ、横島さ~ん」

 

 第一詰め所に残った二人はのんびりと時間を潰していた。

 苦労したのは佳織だ。これ幸いと家捜ししようとする横島を佳織は必死に宥めていた。基本的に、横島は性犯罪のギリギリに行き来する男である。

 

「もう、緊張感無さ過ぎですよ」

 

「何だかんだ言っても、戦わなくてほっとしてるからな」

 

 それは紛れもない本心だ。 

 セリア達の安否はとても心配で戦場に行きたいが、それでも戦場なんかに行きたくないとも思っている。

 この辺りの精神事情は、いくら成長しても横島である以上はどうしようもない。臆病であるというのも、横島の長所でも短所でもなく、ただの性格の一側面なのだから。

 『天秤』も、別にこの辺りは魂を弄り回す必要はないと感じていた。

 

 暢気で堕落的な感じのする横島に、佳織は呆れ半分安心半分の気持ちで苦笑している。

 やっぱりこういう横島のほうが安心できて楽しかった。

 

 コン。

 ノックの音が響いた。

 

「はーい。どなたですか~」

 

 トコトコと玄関の扉に向かう佳織。

 

「ちょっと待った、佳織ちゃん!」

 

 そんな佳織に横島が待ったを掛ける。

 

「大丈夫だとは思うけど、ひょっとしたら敵って事も考えられる。こういう時こそ、慎重に行動しないとな」

 

「あっ、はい! そうですね!」

 

 のほほんとしていても、きっちりと自分を守ろうとしてくれる横島に佳織は信頼の眼差しを向ける。

 いきなり奇襲が来ても対応できるように、横島は身構えながら玄関の扉を開けた。

 

「申し訳ありません。町が大変なことになっていて、ここで避難させてもらえないでしょうか」

 

 そこに立っていたのは、黒髪でブラウン色の瞳をした、キャリアウーマンを想像させるような大人の美人だった。

 物腰は穏やかそうだが、姿勢正しく目元も鋭い。背丈も高く、ハリオンに勝るとも劣らない巨乳を持っている。声も落ち着いていて、自信と謙虚さが同居している。

 横島の好みど真ん中に剛速球を決めたような容姿。当然、こうなる。

 

「生まれる前から愛してましたーー!!」

 

「だめー!!」

 

 ルパンダイブを敢行しようとした横島を、佳織は必死に服を掴んで押しとどめた。

 

「ぬおー! 離すんだ佳織ちゃん!! こんな美女に飛び掛らんのは、男としての名折れなんだーー!!」

 

「初対面の人にいきなり飛び掛るなんて、男としてじゃなくて人間として駄目ですよー!?」

 

 飛び掛ろうとする横島を、佳織は必死に止める。

 横島の隣に立つ真面目な女性は、大体はこういう苦労を背負うことになるのだ。

 

「慎重に行動するって言ったじゃないですかー!!」

 

「だってあんな巨乳で」

 

「巨乳とか連呼しないでください! そんなんだから変態って言われちゃうんです!!」

 

 きつく佳織に叱りつけられ、横島はようやく暴走を止めて、しょんぼりと肩を落とす。

 心優しい佳織に怒られるなんて、滅多に無い経験だろう。

 

「あの……その……私はリンと言いまして……その」

 

 一人取り残されたリンと名乗った娘は、目を白黒させながら必死に自己紹介をしようとしていた。

 いきなり変態に飛びかかられそうになったかと思えば、後は放置されていたのだ。とても哀れである。

 

「あっ、リンさんって言うんですか。私は高嶺佳織です」

 

 ペコリとお辞儀する佳織に、リンはほっとしたしように笑顔になってお辞儀した。

 

「俺は横島忠夫って言います! ご近所では『えっ、嘘、私の年収低すぎ!?』のタダちゃんと有名っす!!」

 

 意味不明な言葉と共に、キラーンと無意味に歯を輝かせながら、リンの手を取ってリビングへと招き入れる横島。リンは展開が速さについていけないのか困っているようだった。

 佳織の目には、もうリンが不審者というよりも、横島のほうが不審者にしか見えなくなりつつある。

 

 コンコン。

 二度、ノック音が響く。

 また誰か来たようだ。

 

「また……はい、どなたですか」

 

「ちょっと待った、佳織ちゃん! こういう時は慎重に行動せんといけないぞ!」

 

 横島がまた佳織に慎重を促す。

 だが今度は佳織も信用で出来るのか、と懐疑の視線を向ける。

 

「相手が女の人でも、飛びつかないでくださいね!」

 

「それは約束できん!」

 

「約束してくださーい!」

 

 佳織が目に涙を溜めて訴えるが、横島はカラカラと笑いながら扉を開けた。

 

「急にすまないね。ちょっとあたしを避難させてほしいんだけど」

 

 扉を開いた先にいたのは、リンとは正反対の女性の姿があった。

 正反対と言っても、別にブスではない。印象が正反対という意味だ。

 黒髪は少し短いのだが、それをちょっと無理やりポニーテイルの形で結っている。ちょっと不恰好なのだが、不思議と愛嬌がある。

 ラフな格好で、胸元が僅かに見えて、健康的な手足が見え隠れしていた。

 そして、またもや巨乳。先ほどのリンと同じぐらいの、巨乳だった。

 つまり、こうなる。

 

「そのおっぱいに埋まりたい~~!!」

 

「いい加減にしてくださ~い!!」

 

 またしても飛び掛ろうとする横島を、佳織は抱きついて必死に止める。もしも佳織に背丈と胸があったなら、きっと何とかなったのかもしれないが、色々な意味でちっちゃい佳織では横島の暴走を止める事が出来ない。

 佳織の横島に対する信頼度は、右肩下がり一直線だった。

 

「……何だい、この騒ぎは?」

 

 ポニーテイルの女性は、呆れた顔で目の前で繰り広げられる横島と佳織のプロレスを見つめていた。

 

 そんなこんなありながら、ようやく横島の暴走が収まると、佳織は二人を中に招き入れた。

 横島も、二人が神剣の類を持っていないことが分かると、危険は無いと判断した。

 そして、どうして詰め所にきたのかを聞いてみる。

 

「なるほど、二人とも町がスピリットに襲われて、避難しているうちにここにたどり着いたと」

 

「はい。私の名はリンと言います。突然、上がりこんでしまって申し訳ありません」

 

「あたしの名前はマリアって言う。面倒かけて悪いね」

 

 礼儀正しくお辞儀をするリンと、気さくに笑顔を向けてくるマリア。

 見た目どおりタイプは違うが、二人とも佳織には格好良く見えた。

 

 町の騒ぎから逃げてきた二人の女性。人を疑う事を知らない佳織は、すぐに二人を受け入れた。

 笑顔で「大変でしたね」とリンとマリアを気遣っている。

 だが横島は、この二人に妙な違和感を感じた。

 この二人には何か不自然な点がある。とても重要な何かが隠されていると、魂が訴えていた。

 

「あんたら、まさか……」

 

 何かに気付いた眼差しで二人の女性を見る横島。

 緊張した表情で、二人に近づいた。リンもマリアは怪訝な顔をするが、何処か緊張しているように見える。

 

 人を疑うのを良くないと思っている佳織は、横島を止めようとしたが、はっとある考えが浮かんできた。

 横島さんは、私を守ってくれと兄に頼まれているのだ。だから神経質になっているのかもしれない。

 さっき二人に飛びついてセクハラをしようとしたのも、何か武器を持っていないか調べようとしたのかも。

 

 佳織は、人の行動を善意として捉えようとする癖がある。

 だから、佳織は横島の行動を見守った。

 

 ――――信じてますからね、横島さん。

 

 そんな佳織の想いは、

 

 ムニョ。

 横島の両手が、リンとマリアの胸をがっちりと掴む事によって、あっさりと打ち砕かれた。

 

 絶対零度の空気が支配する部屋の中で、なおも横島は空気を読まなかった。

 ムニョムニョと二人の女性の胸をもみ始める。

 すると、

 

 ストン。

 

 という音と共に、リンとマリアの胸が腹の方へと落ちた。

 正確に言えば、胸に詰めていたものが落ちたのだろう。

 リンの方は、胸が一回り。マリアの方は二回りほど小さくなっている。

 

「フッ……やはりな! そんじょそこらの奴は騙せても、48の煩悩技の一つ。ヨコシマ・アイを持つ俺は騙せんぞ!!

 パッドをして乳を大きさを誤魔化すなど、おっぱい神の冒涜だ。そのような虚乳なんて俺が修正してやるさ!」

 

 まるで善い事をしたとばかりに、横島は胸を張る。

 

 助けを求めてきた女性二人の胸をいきなり掴み、そしてパッドである事を看破する。

 

 それは、一体どれほどの罪状となるだろうか。

 リンは表情を変えず、声の一つも上げなかったが、何かに耐えるように手を震わせている。

 マリアは怒りというよりも呆れたような、珍獣でも見ているような顔となる。

 そして佳織は、

 

 プチン。

 

 穏やかな心を持ちながら、しかし度重なる無作法でエッチな行いによる怒りに目覚めた戦士へとクラスチェンジを果たしていた。

 

「いい加減に……してーーーー!!」

 

 躊躇無く、全力で、拳を振う。

 正拳突きだ。

 佳織の小さな拳は、完全に横島の鳩尾に突き刺さる。

 

「ぐほ!」

 

 急所を打ち貫かれ、横島は堪らず片膝をついた。

 そこに、アシュタロスがアシュ耳を伸ばして、横島の背中を思いっきり打ちつける。

 

「ごぶぅ」

 

 車に潰されたカエルの如く、横島は床に倒れてピクピクと痙攣していた。

 

「ま、まさか佳織ちゃんがこんなに強いとは」

 

「これでも、私も肉じゃなくてマナで体が構成されたエトランジェですから、体が強くなっているんです」

 

「それは分かるけど、今絶対にその帽子動いたぞ!」

 

「何を言ってるんですか。アシュタロスは帽子です。動くわけありません」

 

 佳織の言葉に、そうだ、そうだと言わんばかりにアシュタロスは耳を上下に動かす。

 

「動いた! 今絶対に動いたぞー!! リンさんもマリアさんも見ましたよね!?」

 

 横島は同意を得ようとリン達に訴えるが、二人は青い顔をしたまま、ぶんぶんと勢い良く首を横に振る。

 

「もう、変な事を言って誤魔化さないでください!」

 

「嘘じゃないのに……それにしても、まさか佳織ちゃんに殴られるとは……チクショー! 

 どうして俺の周りには居るのは肉体言語を駆使してくる女の子ばっかりなんじゃーー!!」

 

「自業自得です! 本当に最低ですよ!!」

 

 プリプリと怒る佳織。

 普段の佳織を知るものなら、信じられないと目を剥くだろう。

 だが横島が隣にいるのなら、そういうこともあるかと納得するに違いない。

 横島には、周りの女の子を闘士へと変える何かがあるのだ。

 

「まったく、乙女の秘密を暴いちまうなんて、聞きしに勝る男だね。これは慰謝料でも要求しないと」

 

 マリアはおどけた様な声をだして佳織に笑いかけてくる。

 おどけたように笑っているが、だからこそ怒りが隠れているようだと、佳織には見えた。

 

「ご、ごめんなさい。その、慰謝料ってどう払ったらいいんですか? 私達ってお金が無くて」

 

 生真面目に佳織が言う。どうにか横島の暴挙を許してもらおうと必死だった。

 そんな佳織の姿に、マリアは目を丸くすると口元を押さえて肩を振るわせ始めた。

 

「クッ、ククク! 面白いっていうか、良い子だね、本当に。あのキチガイが女神様っていう訳だ」

 

 面白そうに笑うマリアだが、佳織は今の発言で目を丸くする。

 女神様。

 自分の事をそう言ってくる人物なんて、一人しか知らない。

 もし、その人物がいるのなら、彼の考えることは――――

 

「横島さん! この人は!?」

 

「おおっと、気づいちゃったかい。でもちょっと遅かったねえ」

 

 逃げ出そうとする佳織の喉に、マリアの細い、しかし鍛え上げられた腕が蛇のように絡みついた。

 佳織の口から苦しそうに息が漏れる音がしたかと思うと、そのまま人形のように床に崩れ落ちる。

 マリアは崩れ落ちた佳織はやや乱暴に担ぎあげた。ただし、

 

「お化けなんていない~お化けなんていないもんね……お化けなんていないのさ~耳なんて動いていない~」

 

 と、口ずさみながら、佳織の兎型帽子であるアシュタロスは丁寧に扱っているようだった。

 

「呪われるかもしれませんね」

 

 ぼそっとリンが呟いて、マリアは一瞬、泣きそうな顔になった。

 

 これは、ほんの数秒の出来事だった。

 横島はいきなりのマリアの凶行にしばし唖然として、事態に気づくとすぐ『天秤』を抜こうとしたが、それを許すマリアではない。

 

「こらこら、神剣を掴むんじゃないよ。もし神剣を使うような素振りを見せたら、この小さい首がくるくるっと二回転しちゃうかもねえ」

 

「くぅ、犯罪者のくせに!」

 

「乙女のおっぱいを揉んでおきながら、何て言い草だい」

 

「偽物やったないかーー!!」

 

「酷い事を言うね。スタイルを気にする乙女にとっては、偽物だって本物さ」

 

 まったく緊張感が無い会話が続く。だが、水面下では互いにフェイントを掛け合っていた。横島は何とか『天秤』を掴もうとするが、その隙が見出せない。

 しかし、横島には神剣だけでない力がある。

 霊力だ。しかも、この霊力という奴はスピリットには感知できない性質を持っている。

 こっそりと、残していた文珠を手のひらに呼び寄せる。

 

(よし、これで――――痛ッ!?)

 

 背中に針でも突き立てられたような鋭い痛みが走る。

 一体何が、と思う暇すらない。足に何かぶつかって来て、一瞬の浮遊感の後、

 

「ぶべら!」

 

 顔面から床に叩きつけられていた。

 

「少々予定は違いますが、まあ上手くいきました」

 

 いつのまにか横島の背後を取っていたリンが、涼しげな声で言った。

 その手には横島が取りだしたはずの文珠と、太い針の様なものが握られている。良く見ると注射器だった。

 マリアだけでなく、リンと名乗った方も敵だったらしい。

 

「ちくしょー! グルかー!? 美女の集団で俺の玉(文珠)を弄ぶ気かー!!」

 

「いや、グルではないよ。たまたま一緒になって、お互いにお互いを利用しただけさ」

 

「ええ、その通り。それにしても、聞いていた以上に卑猥な方ですね」

 

 侮蔑の視線で横島を見る。

 胸を触られた事を、実はかなり怒っているらしい。

 誇り高いのか、それとも心に決めた男でもいるのか。

 

「クォーリンの奴は文珠を。あたしは女神様を奪取するのが目的だったのさ。利害が一致したから、少し協力した訳だ。怪しまれない為に、色々な設定を考えて、どんな質問にも答えられるようにしてたんだけど、必要なかったね」

 

「マリア、無駄な話はする必要ないでしょう。確かに、想像を超えた展開になりましたが、常識が通用しないのは忠告されてましたから」

 

「まったく、扱う戦術と同じでお堅いねぇ。保険に、薬使って動きを封じる手際も見事だったし」

 

「何を話していりゅん……んあ……あぃ?」

 

 突如、舌の呂律がまわらなくなる。

 指先が痺れ、景色がぐにゃりと歪んでいく。

 

「マナ弛緩剤を脊髄に直接注入しました。エトランジェにも効果があると立証されている、痺れ薬のような物です」

 

 どうやら、針で刺されたときに薬を注入されたらしい。

 気が付くと、もう立っていられなかった。足の感覚がなくなり、五感そのものが機能しなくなっていく。

 床に倒れる。倒れた、という感触も既にない。

 神剣さえ握って加護を得れば薬の効力なんて吹き飛ばせるのだが、それが出来ない状態に追い込まれてしまった。

 

 コンコンコン。

 その時、三度、ノック音が鳴った。

 打ち合わせに無い事態に、リンとマリアが顔を見合わせる。

 誰も返事をしないと、痺れを切らしたのか玄関が開いた。

 

「すいません、助けてください。家が燃えてしまって……」

 

 必死そうな、だというのに透明感のある機械的な声が響く。

 そこには、黒髪をすらりと伸ばした巨乳美人がいた。こちらも怖いくらいの美人だが、表情というものが一切ない。無機質で無個性。神剣に精神を飲まれたスピリットの特徴だ。

 スピリットと思われる女性は横島達の様子を観察すると、

 

「パターン3。不測の事態が発生。任務を中断します」

 

 パタンと扉が閉まる。

 しばらく空気が凍っていたが、マリアは我に返って大きく口を開けて笑い出した。 

 

「あはははは! みんな考える事は同じかい!!」

 

「仕方ありません。こんな怪物をまともに相手にするなど不可能ですから……可能ならここで殺しておきたいのですが、そういうわけにもいかないのが惜しいところです。次はこんな手は効かないでしょう」

 

 リンと名乗った女は憎憎しげに倒れている横島を見つめていた。そこには確かな殺意がある。

 言葉通り、本当にここで殺害したいと心から願っているようだ。

 

「あたし達のユッキー隊長なら倒せる……かな。まあ、無理でも皆で戦えば勝てるね」

 

「それは私達も同じことです。突出した個人の武勇など、統率された軍事力の敵ではありません」

 

 二人は横島の強さを存分に認めたまま、それでも自分達が勝つと確信しているようだ。

 

「いやあ、それにしても今のスピリットも大きな胸だったねぇ。あれもパットなのかな」

 

 手をわきわきと怪しく動かしながら、リンに近づくマリア。

 リンはマリアから微妙に距離を取りながら、げんなりした様に呟いた。

 

「はあっ、男の方が皆、大きい方が好きだといいのですが」

 

「まあ、大体は大きい方が好きらしいよ。一部の例外を除いてね。あたしらの隊長も大きい方が良さそうだし」

 

「その例外を好いてしまった私が不幸というわけですか」

 

「はは。まあ、あたし達の方も三度の飯より殺し合いが好きな変態隊長が相手だからねえ。そこが良いんだけど」

 

 二人の女は互いに笑いあう。どこかお互いに共感できる部分があるらしい。

 横島は朦朧とする意識の中で、その会話を聞いていた。

 

「それじゃあ、生きてたらまた会おう。稲妻のおっぱい妖精」

 

「……次は、戦場で。殺戮妖精」

 

 二人のスピリットはそれぞれの目標を達成したようで、もう横島に目もくれず詰め所から出て行く。

 が、マリアは何故か戻ってきた。

 

「おっと、忘れるところだった。聞こえてるかい、変質者で最強の化け物。

 ユートって奴に伝えておいてくれないか。――――ってね」

 

 どういう意味だ。

 言っている意味を聞こうとしたが、もう舌が痺れて動かない。目も霞んで、瞼がどうしようもなく下がってくる。

 最後に佳織が兄の名を呼ぶのを、薄れゆく意識で聞いたような気がした。

 

 悠人達が第一詰め所に戻ってきたのは、それから10分ほど経ってからだった。

 

 佳織が危ない。

 そうレスティーナに言われても悠人はそれほど危機感を抱かなかった。何故なら、横島が居るからだ。横島を残してきた自分の判断を得意になったくらいである。

 そこには信用があった。信頼があった。友情があった。

 だからこそ、失望も、怒りも、激烈なものとなった。

 

 お帰りなさい、お兄ちゃん。

 

 出迎えてくれるはずの言葉が無かった。

 第一詰め所の扉の先にあった光景は、倒れている横島と居る筈なのに居ない佳織。

 やっと手に入れたはずの日常が消えていた。

 

 奥歯が壊れそうな勢いで悠人は歯を食いしばると、倒れていた横島の胸倉を乱暴に握って無理やり立たせる。

 

「起きろ。佳織はどうした」

 

「悠人……か?」

 

 横島の目がうっすらと開く。

 

 薬はまだ抜けきっていないようだったが、それでも口ぐらいなら動くようになっていた。

 どうやら薬は即効性で強力だが、毒性そのものは低かったらしい。あるいは、横島の体が薬に強かったのか。

 気が気でない悠人の様子に、エスペリアは少し恐怖していた。

 

「ユート様、そんなに乱暴にしては」

 

「うるさい。佳織はどうしたって聞いてるんだ……答えろ! 横島ぁ!!」

 

「わ、悪い。連れて行かれた」

 

 半ば予想していたが、それでも聞きたくない最悪の言葉だった。

 

「なんだよそれは! 約束は!! どうした!?」

 

 互いにとって大切な人を守り合う。

 悠人はスピリットを守り、横島は佳織を守る。それが二人の繋がりであり、絆でもあった。

 それを、これ以上ない最悪の形で横島は破った。

 

「わるい」

 

 がっくりと頭を垂れた横島は、それだけしか言うことができない。

 悠人の拳が横島の顔面に突き刺さる。そのまま床に崩れ落ちた横島を無言で蹴りつけた。

 蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。

 

「ユート!」

「パパ、こんなの駄目だよぉ!」

 

 怒ったようにアセリアが声を出して、悠人の背中に張り付いて押さえようとする。オルファは涙目で悠人を見上げる。

 だが、悠人は獣の唸り声の様な音を喉から出して、横島を蹴る事をやめようとしない。

 

「お止めください、ユート様! こんなことをしている場合ではありません! 今はカオリ様の救出を!」

 

 悲鳴のようなエスペリアの言葉に、ようやく悠人の動きが止まった。

 

「そうだ、佳織を助けにいかないと……俺が。俺が――――俺だけが!」

 

 ぶつぶつとまるで機械のように悠人の口が動く。目の焦点はあっていない。ただ、狂気じみた光だけが瞳の奥にあった。腰に差している『求め』が青白く輝いている。それに気付いたエスペリアは唇を噛む。

 ようやく手にした妹を奪われたのだ。悠人の怒りは当然のものだが、『求め』そこに付け込もうとしている。

 

「ユート様、お願いです、まずは落ち着いてください! 皆で協力すれば、きっと何とかなりますから!」

 

 エスペリアが言うが、悠人の耳にはそんな言葉は認識する余裕が無い。

 

 悠人は「佳織を助けないと」とぶつぶつ呟きながら、ふらふらした足取りで第一詰め所を出ようとしたが、横島は地面を這いずり血を吐きながら呼び止めた。

 

「待て、悠人。伝言がある。

 

『佳織は僕のものだ、この疫病神が』

 

 ……どういう意味か分かるか?」

 

 その伝言を聞いた悠人は、頭の中で何かが切れた事を感じた。

 疫病神。悠人が自分自身でも感じていた事だったが、他人でそう言ってくる人物は一人しか知らなかった。

 

 大敵、宿敵、怨敵。 

 そいつは悠人にとって最悪の敵だった。

 

 ――――その名は。

 

「秋月瞬……あいつが、佳織を。アイツかぁぁぁ!!」

 

 幸せからどん底に叩き落された怒りが、信頼を裏切られた怒りが、一人の男の顔が思い浮かぶことによって遂に許容範囲を完全に振り切れた。

 

 大地を呪うような咆哮をした後、地面を踏みぬくような勢いで悠人が駈ける。

 その後をアセリア達は必死に追う。

 

 周囲にある神剣反応を探ると、意外と近くにここから離れようとする反応がある。恐らくこれが目標だ。

 佳織を攫ったと思われるスピリットの神剣反応を追いながら、悠人は呪いを吐き出すように呻いていた。

 

「間違ってた……俺が間違っていた!!」

 

 悠人の胸に渦巻くものは、横島への憤怒と、佳織を攫う指示を出した秋月への憎悪と、何より自分の甘さに対する怒りだった。

 ずっと一人で妹を守ってきた。

 誰の手も借りず、善意と称して差し出された手は振り払い、強くあろうとした。

 だと言うのに、この世界に来て頼ってしまった。信頼してしまった。

 それが、この報い。自らの求めを他人任せにした代償。それを悠人は自覚する。

 だから、もう二度と他人頼らない。

 

「俺が! 俺だけが佳織を守れる!! 幸せにできるんだ!!」

 

「ユート……私もカオリを守る」

 

「はい、私達にとってもカオリ様は大切です」

 

「オルファ達もカオリを守るよ! だからパパ、そんな怖い顔しないで――――」

 

「黙れ!!」

 

 殺意すら込められた怒声で、アセリア達を一喝する。

 

 もう裏切られるものか! もう信じてなるものか! 

 

 三人の自分を案ずる視線すら疑わしい。その瞳の奥で、何を考えているか分かったものでは無い。

 俺には力がある。無限にも等しい力が『求め』から流れ込む。これだけ力があって、誰かに依存するなど馬鹿のすることだ。

 俺には、全てが出来る。運命すらねじ伏せて見せる。

 

 ただ妹を思うだけの兄は、周りの何者も見ず、聞こうとしなかった。『求め』から流れ込んでくる力が、目に入るもの全てを遮断する。

 アセリア達はそんな悠人を見て、何かを言おうとして、しかし何も言えずに下を向く。

 

 時刻は、もう夜となっていた。

 空には雲がかかり、星の輝きすら大地には届かない。

 闇が深くなる中で、悠人の手に握られた『求め』だけが闇を食らう勢いで輝いていた。

 

 悠人達が出て行った後の第一詰め所で、横島はまだ倒れたままだった。

 

『さて、いつまでこうしているつもりだ』

 

 ぐったりと倒れ伏したままの横島に、『天秤』がぶっきらぼうに声を掛ける。

 薬の影響でまだ体は痺れているが、腕は動くし精神もはっきりとしてきていた。正直、悠人に蹴られた腹の痛みのほうが酷い有様だ。胃からせり上がってくる血の感覚が気持ち悪い。

 

「……俺の所為だ」

 

『そうだな、横島の責任だ』

 

 慰めの言葉の一つも掛けない相棒に、横島の不人情を覚えるより、らしさを感じてちいさく笑みを浮かべた。

 だとすれば、次に掛けてくる言葉は、

 

『腐っている暇があったら私の手入れでもしてくれ。その方がずっと合理的だ』

「分かった。さっきトイレに行って手を洗ってないけど勘弁してくれな」

『下ネタに走るのは三流だと思わぬのか』

「下ネタを使えてこそ一流だろ」

 

 くだらないやり取り。

 無駄とも言える内容だが、『天秤』は無駄口を叩いた。横島もそれに応じる。

 無駄であるが、無駄では無い。まったく矛盾しているのだが、人間なんてそもそも矛盾に満ちた存在だ。まして、相手は変態の横島だ。それを『天秤』は理解している、またはしようとしている。

 『天秤』は変わり始めていた。

 そのまま少し会話して、横島は『天秤』を握り締めて立ち上がった。

 神剣の力を引き出して、痺れ薬の効果と全身の痛みを我慢する。神剣の加護は全能ではないが、万能に近い。

 

『では行くぞ。己の失態は、己自身の手で清算せねばならん。名誉挽回だ』

 

「だな! このままで終われるかい。佳織ちゃんは俺が助けるぞ!」

 

 横島は悠人を追うように駆け出した。

 

(よく言うわよ。貴方はこうなる事を知っていたはずよ)

 

 『天秤』にだけ聞こえる女の声が響く。ルシオラだ。

 怒りを多く含んだ声だった。

 『天秤』は、ふん、と苛立ったように鼻など無いのに鼻を鳴らす。

 

(知ってはいたが、計画の詳細までは知らないな。今度のミスは、紛れも無く横島の責任だ)

 

 自分に責任は無い。そう『天秤』は言っているのだ。実際、今回の件で『天秤』は何の関与もしていない。横島の行動は、彼自身の意思によってのみ動いていた。

 しかし、『天秤』は荒れていた。心の中は不満感で一杯だった。

 どのように敵が手を打ってくるのかは知らなかったが、佳織が攫われる事は知っていた。そして、『天秤』はマリアとリンが変装したスピリットであると気づいていた。

 もし、自分が何のしがらみがないただ神剣であったなら、横島のミスをフォローできたはずなのだ。

 

『ここから先の指示は無い。私の好きにさせてもらおう』

 

「何か言ったか?」

 

『何でもない。行くぞ、横島!』

 

 こうして、世界最強のエトランジェである横島は動き出した。

 

 

 一方、その頃。

 マリアは隠してあった自身の永遠神剣を握りしめて、佳織を連れてラキオスから脱出しようと動いていた。

 だが、今その足は止まっている。足が止まった理由は至極簡単。足止めをされているからだ。

 

「どういうつもりですかね、ウルカ先輩」

 

「手前はもうサーギオスの兵では無い。主を持たぬ流れのスピリット……『殺戮』のマリアよ、カオリ殿を放されよ。手前は、容赦しないぞ」

 

 布地の薄い黒のレオタードのようなエーテル服を身に纏う銀髪のスピリットが、マリアと対峙していた。

 その銀髪の女の背には黒のウイングハイロゥを展開している。ハイロゥの色は完全な黒であったが、どういう訳か自我をまったく失っていないようだ。

 サーギオス帝国に所属していた大陸最強のブラックスピリット――――――漆黒の翼。

 それが、銀髪の女――――ウルカ・ブラックスピリットの二つ名だった。

 

 マリアは、そんなウルカに殺気をぶつけられているにも関わらず、平然と笑みを浮かべている。

 

「容赦しない……ねえ。ラキオスに従属した……って訳では無いみたいだけど」

 

「手前は、カオリ殿に恩があります」

 

 町で佳織にパンを貰って、優しくされただけの恩。

 それだけで、ウルカは命を懸けて戦うのに十分な恩を受け取ったと感じていた。そこには腹を満たしてもらったからだけではなく、孤独という心の飢えをも和らげてもらった感謝があった。

 誰かの為に剣を振る。ウルカは恩義や利益の大小に関係無く、神剣を振るえるスピリットだった。

 

「そうか……そうかそうか! つまり、今あたしたちは敵対しているって事じゃないか!!

 はっはははは! ああ、最高だね!! まさかスピリット最強と謳われた先輩と殺しあいが出来るなんて」

 

 狂ったようにマリア・ブラックスピリットが笑う。その笑みは子供の無邪気さと残酷さを併せ持っていた。

 マリアの背に展開しているウイング・ハイロゥが白く輝く。それはマリアの意識がより強くなって神剣の力を引き出している事を示している。

 殺戮の欲求に飲まれるスピリットを、ウルカは苦々しく見つめていた。

 どす黒い殺戮を求める精神が、白く輝く美しい翼を作り上げるのだ。

 神剣のマナを求める本能を、殺人の欲求が上回っているからこそ、自我を失わずに済む。

 皮肉なものだ、とウルカは吐き捨てた。

 

「これがユキノジョウ殿が目指す戦士の在り方か」

 

「そうさ。戦士はこういう姿が理想だね。勿論、ユッキー隊長は殺し合いが好きでないスピリットにも寛容だった。それを理解しているのは先輩の方だろう」

 

 戦いに身を置きたい者だけが戦う世界。

 戦いに身を焦がせる者だけが戦う世界。

 

 ――――戦いを好きじゃねえ奴を戦わせる趣味はねえ。

 

 紆余曲折あってサーギオス帝国の実践隊長となった雪之丞はそう言って、帝国にあったウルカの隊を解散させた。

 そこに優しさがあったのか、それとも言葉通り主義主張を通しただけなのか、それは分からない。

 とにかく、ウルカが率いていた隊は解散した。それが悲劇の始まりとなった。

 

「手前達は戦う術しか教わっていなかった。それのみが生きる方法。生まれてこの方、ただ剣の腕を磨き続ける日々。それすらも封じられ、それ以外に何も持っていなかった我らに、どう生きよと……」

 

 生きるための金も無く、技能も無い。何より、人権が無い。スピリットを雇ってくれる店などあるはずもない。

 買い物の仕方も分からず、退職金と称して渡された銅銭は商人に毟り取られ、雨水で飢えを耐え忍ぶ日々。

 例えどれほど酷い扱いを受けようと、国の財産であるスピリットが飢えで苦しむなどあり得なかっただろう。

 

 ウルカの恨み言を聞いて、今まで不敵な態度と余裕を崩さなかったマリアが、初めて歯をむき出してウルカを睨みつけた。

 

「隊長を侮辱するな! お前らが自由を望んだのだろう。もうスピリットも『人間』も殺さなくて良いと言われたときのお前らの顔は覚えているぞ。喜んだのはどこの誰だ。

 そうやって与えられた自由をどうしていいのか分からず、右往左往して、最後にはあの男に掻っ攫われた……自業自得という奴さ。自分の不甲斐無さを棚に上げて、隊長を憎むのは筋違いだね」

 

 吐き捨てるようにマリアが叫んだ。その顔には本気の険悪と憎悪が浮かんでいる。

 雪之丞を貶されるのは我慢ならないようだ。マリアは深く雪之丞を敬愛しているのだ。

 

 相容れることは無い。感情の交換は無意味だ。

 二人はそれが分かって口を閉じた。

 後は剣で語るのみである。

 

(しかし、どうしたもんかね)

 

 マリアは表面上は激昂していたが、内心では冷静に状況を分析して舌打ちする。

 先ほど言ったように殺し合いをしたいとは願っているが、脇に佳織を抱えたままで戦えるわけが無い。逃げるにしても、全力で動いたら佳織の肉体が危険だ。

 一方、ウルカの方も手が出せない。下手に手を出せば佳織を切ってしまうかもしれないからだ。

 戦闘どころか動く事が不可能なため、場は完全に硬直していた。

 

 仲間が来てくれれば。

 

 ウルカもマリアも同時に思う。

 増援が来たものが、この戦いを制することが出来る。

 運命の女神はどちらに微笑むのか。

 

 互いに牽制し合うこと、数分。

 ついに、均衡が崩れる時が来た。

 

「佳織!」

 

 佳織を呼ぶ男の声が響く。

 悠人がとうとう追いついてきたのだ。

 

「ちっ! あいつら何をやってるんだか。……どうせ楽しんでいるんだろけどさ」

 

 マリアが舌打ちする。

 味方が一向にこない現状に苛立つ。どこか諦観の念の混じっているようだ。

 だが、増援がきたウルカのほうも現れた悠人を見て驚愕していた。

 

「ユート……殿?」

 

 ウルカは、これが本当に共に歩いたこともある悠人なのか、信じられなかった。

 全てを憎み、恨んでいる様な悪魔のような悠人。

 悪魔のごとき形相に、ウルカは久しく感じていなかった恐怖を思い出す。

 

(何という憎しみと狂気に満ちた顔……これではまるでシュン殿と同じでは)

 

 愛する妹を攫われたのだ。怒りも憎しみもするだろう。

 それは、ウルカにも分かる。

 しかし、これは怒りというよりも狂気に近いものを感じた。

 その狂気を糧に、何か別なものが生まれようとしている。

 

 マリアも、悠人の様子に驚いたようだったが、主導権を得るためにも怯えを出すわけにはいかなかった。

 

「……話に聞いてたより、随分と怖い顔をしてるんじゃないか、お兄ちゃん。でも、どんなに怖い顔をしたって、愛しい愛しい妹ちゃんが、あたしの手の中にいるって忘れたらいけないよ」

 

 余裕綽々にマリアは佳織を首根っこを掴んで、神剣を首に当てて見せた。

 こうすればどれだけの力を持っていても、悠人は動くことが出来ないだろう。

 常人にだったら、常識的な考えが通じるものだ。しかし、常人でなかったら――――

 

「死ね」

 

「……なんだって?」

 

「消えろ、消えちまえ。俺達の幸せを奪う奴は」

 

 狂気。殺意。呪い。憎悪。

 ありとあらゆる負を孕んだ感情が向けられて、マリアの顔に焦りが見えた。

 悠人の前に魔方陣が浮かび上がり、そこに凄まじいオーラが集中していく。

 

「ちょ、ちょっと……冗談はやめないか!? この妹ちゃんが見えないのかい! そんな馬鹿げた力を解放したら、妹ちゃんまで……やめ――――」

 

「俺と佳織以外……すべて消えろーーーー!!」

 

 白の魔方陣から圧倒的な破壊のオーラが打ち出された。

 

 佳織を守る、助ける、救う。その意思は歪んで、狂った。

 妹を想う兄の気持ちは、怒りと憎しみを生み出し、そこに永遠神剣『求め』が悠人の精神と合致して、悠人という一人の男の精神を狂気のみへと塗りつぶす。

 狂気は、力への傾倒を生み出し、敵どころか守りたい人すらも傷つける凶器と化した。

 

 悠人は佳織を傷つけようなどとは考えていない。目的は、力を得て佳織を傷つけようとする者の排除。

 だが、佳織を守る為に全てを拒絶しようとした意思は、佳織すら巻き込む破滅の光を生む事しか出来なかった。

 

 目的と手段の逆転。

 それが永遠神剣に飲み込まれた者の末路の一つ。

 

 破滅の光がマリアと佳織を滅ぼそうと突き進む。

 マリアは何とか避けようとするが、間に合わない。

 

「カオリ殿ぉぉぉ!!」

 

 アセリア、エスペリア、オルファ、ウルカの四人が、佳織を助ける為に狂気の塊とも言えるオーラの矢に突っ込んだ。

 氷の障壁。大気の障壁。炎の障壁。そして、ウルカの黒き翼が白のオーラを包み込もうとする。

 ラキオスの精鋭と、スピリット最強が生み出した強力な守りの技。

 

 相手が悪かった。

 永遠神剣第四位『求め』。この世界で最高位の永遠神剣の力は、ただひたすらに、無慈悲すぎるほどに強力だった。

 

 オーラの矢は4重の障壁をいとも容易く突破して、アセリア達を吹き飛ばした。

 それも、ただ吹き飛ばしたわけではない。

 抵抗力を奪い、精霊力を犯し、全身の力を削ぎ落とす。強力と言うよりも、凶悪と言った方が正しいぐらいのオーラの矢であった。

 

 アセリア達は、全身をボロボロとして倒れた。

 だが、彼女達の行為はまったくの無意味というわけではなかった。

 

「ふう、どうにかなったね」

 

 一時的にアセリア達がオーラの矢を受け止める事が出来た為に、マリアはなんとか逃げ切る事が出来たのだ。

 九死に一生を得た、とマリアはほっとしたが、

 

 ――――ニガスモノカ。

 

 意志など持たないオーラの矢が、呟いたようにマリアは聞こえた。

 そして、まるで呪いのような力を発揮して、オーラの矢はぐにゃりと曲がってマリアを追尾する。

 

「何だって!?」

 

 マリアは驚愕する。

 狂気が生み出す力に、彼女は心底から恐怖していた。

 

 その時だった。

 マリアの強引な動きで、佳織の意識が覚醒する。

 覚醒した佳織の目に飛び込んで来たものは、鬼のような形相な兄と、殺意の塊であるオーラの塊。

 

「いやあああああああああ!!!!」

 

 佳織は絶叫する。

 愛する兄から送り込まれた狂気の感情に、心が悲鳴を上げた。

 

 妹の悲鳴に、ようやく悠人の目から狂気の光が消えていく。

 狂気が消えて冷静さが戻ると、自分が何をしたのかようやく理解した。

 

 自分の手で、佳織が死ぬ。

 

 違う俺はそんなつもりじゃなかったけど俺は佳織の為に戦ったんだけどでも佳織を殺すとしているのは俺で俺は悪くない横島が悪いのだけど俺の所為で佳織が死のうとしていうるのだから俺が悪くて佳織が死んだら俺は俺は俺は一人になって一人だから一人ぼっちに一人一人一人で――――ああ、俺は、高嶺悠人は、疫病神なのか?

 

「ああああああああああああああ」

 

 絶望をそのまま形にしたような声が、悠人の喉から漏れた。

 

 

 横島がその場面に出くわしたのは、その直後だった。

 一体、何が起こったのか、なんて考えている暇は無かった。

 アセリア達を吹き飛ばして、佳織に向かって破滅の矢が飛んでいく。絶叫する佳織。絶望したような悠人。

 もし、この矢が佳織を消し去ったら全てが終わる。佳織の生命は勿論、悠人も精神が滅びるだろうし、ラキオスもスピリットも破滅する。

 

 何としても佳織を助けなければならない。

 幸いここに来る間に新しい文珠を一個作ってある。

 しかし、いくら文珠でも相手は破壊を具現化したようなオーラで作られた光の矢。

 例え文珠を守りに使用しても、あれは容易く全てを粉砕して進むだろう。

 

 策を練る時間など無い。

 横島は本能が命じるままに体を動かす。

 

「飛べ!!」

 

 投げる暇すら無いと分かった横島は、極小のサイキックソーサーを作り出して文珠に打ちつける。

 弾丸のように文珠が空中を飛んで、なんとかオーラの矢と佳織との間に滑り込む。

 もし、アセリア達が飛び掛らなかったらこの時間を作ることすら不可能だったろう。

 

「『曲』がれー!」

 

 飛んだ文珠の刻まれた文字は『曲』。横島は、破滅の矢を曲げようというのだ。

 

『無理だ!』

 

 『天秤』が叫ぶ。あの禍々しくも強大なオーラの矢を、文珠一個で曲げるのは力不足だと分かった。

 力が上の存在相手だと、文珠をその効力を著しく落とすのだ。

 

 だが、横島の目は絶望していなかった。そして、結果が生まれる。

 文珠の周辺までオーラの矢が進むと、ぐにゃりと凶悪なオーラの矢がねじ曲がる。

 『天秤』が驚愕する。そんな馬鹿な、とよくよく観察して、文珠周辺の空間がねじ曲がっている事に気づく。

 

 横島はオーラではなく、オーラが通り過ぎる空間を捻じ曲げたのだ。

 ほんの一瞬、空間のたったの一部分。その程度なら文珠一個でも空間をねじる事は可能だった。

 この極限状態の中で、オーラではなく空間を曲げるほうに発想が行く横島を、『天秤』は心底感心した。いざと言うときの機転の良さ、発想の広さは他に及ぶものはいないだろうとすら思ったぐらいだ。

 

 力があった。知もあった。

 しかし、

 

『横島、避けろ!!」

 

 運がなかった。

 曲げたオーラの矢は、あろう事か横島の方に向かってきたのである。

 偶然か。それとも、横島を憎む悠人の気持ちがそうさせたのか。

 

「ひいぃ! こっちくんなーー!!」」

 

『いかん! これは避けられん!!」

 

 圧倒的なオーラが近づいてくる。

 何とか避けようとするが、いきなりの事で態勢が整っていない。

 『天秤』は直撃を覚悟する。だが、それでも横島は逃げる意志を諦めなかった。

 

「いやじゃーー!!」

 

 そんな情けない声が響くとともにふっと横島の姿がかき消える。そして、横島はいきなり空中に出現した。

 信じられない事態に、『天秤』は驚愕する。

 

(なんと……これはテレポートか? いや、空間干渉の類では無い……まさか短距離のエーテルジャンプか! 魂を飛ばしてマナ構成を……それもこの一瞬で!? 何の訓練も無しでだと!?)

 

 危機に瀕して、新たな力に目覚める。少年漫画の王道的な展開。

 サイキックソーサー、ハンズオブグローリー、文珠。

 命の危機に晒されて、何度となく横島は新しい力を身につけてきた。彼は運命の神に愛されていた。

 だがしかし、この世界の運命の神は横島を愛しながらも、それは酷く歪んだ愛情だったらしい。

 

「ヨコシマ様、ご無事ですか……え?」

「まったく、何でこんなところに……っ!?」

 

 なんと、セリアとニムントールの二人が藪の中から現れた――――ちょうど、オーラの矢の進路上に。

 間が悪い、なんて言葉では済まされないほど、運命は悪意に満ちているようだ。

 

 あ、死んだ。

 

 二人は、あっさりと理解した。

 下位の神剣を持つからこそ、分かるのだ。

 このオーラの塊に抗う術など無い事が、本能的に理解できてしまう。

 咄嗟に目を瞑る。最後の瞬間を覚悟した。

 

 衝撃が体を打つ。雷の音の様なものが、全身を駆け抜けた。

 自然災害の如きエネルギーに、セリアとニムの体が空中へと飛ばされて、そのまま地面へと叩きつけられる。

 

(……生きてる?)

 

 まだ自分の意識がある事に、セリアもニムも驚く。

 あの災厄を前にして、何故生き残れたのだろう?

 

 ふと気付くと、何かドロドロで生温かいものが、自分の体の上に乗っていた。

 瞑っていた目を開けてみる。

 体の上には、ボロボロの、赤と黒がぐちゃぐちゃの配色が施された人型があった。

 

「ひっ! なに……これ」

 

 ニムは自分に覆いかぶさっているグロテスクな物体に悲鳴を上げる。

 顔を判別できないような酷い状況だったが、セリアはよくよく観察して、『それ』が何であるか悟ると、顔から血の気が引いた。

 

「ヨ、ヨコシマ様!?」

 

「え……嘘」

 

 人型は、横島だった。

 その体は襤褸のようである。この表現は比喩ではあるが、正しく正解だった。

 光に全身を焼かれ、貫かれた横島の体は、生きてるか死んでいるかすら判別できぬ状態であったのだ。いや、生きているのだけは分かった。マナの霧に還っていないから。それが無ければ、死んでいると判断される状態。

 

 死ぬ! 回復! 死んじゃう!! 回復!!  死んでしまう!!!! 回復!!!!!

 

 その二つの単語でセリアの頭は埋め尽くされた。

 

「ニムントール! 何をやっているの!! 早く大地の祈りを、回復して!!」

 

 隣に居るグリーンスピリットのニムントールにセリアが指示する。

 

「あ……うん」

 

 全身が穴だらけの横島を前にして呆然としていたニムントールが、ようやく我に返って神剣魔法の詠唱を開始する。

 その表情は、どうしたことか真っ青だった。

 

「永遠神剣『曙光』の主として命じる! マナよ、大地に癒しとなれ! アースプライヤー!!」

 

 ニムントールはグリーンスピリットなら誰しもが使用できる、初級の回復魔法を唱えた。

 若いながらも、ニムントールの実力は並のグリーンスピリットを遥かに凌駕している。

 唱えられて当然――――――当然のはずなのだ。本来ならば。 

 

 アースプライヤーは発動しなかった。

 相当量の集められたマナは、ただ形をなさず消えゆくのみ。

 

「何やってるの!? 早く! はやくーー!!」

 

「分かってる! わかってるわかってるわかってるよー!!」

 

 ニムントールが涙を流しながら『曙光』を抱きしめて詠唱を再開する。

 祈りながら唱える。祈る。唱える。祈る。唱える。

 何度となく繰り返される大地の祈りは、しかし殆ど効果を発しなかった。

 

「……なんで。どうして二ムは……アースプライヤー! アスプライヤー! あすぷらやー!!」

 

 危機に瀕して新たな力に目覚める。

 二ムントールには、出来なかった。物語の主人公とか、運命の神に愛されているとかの問題ではない。

 彼女には初級の回復魔法を扱う適性が無かった。ただ、それだけの事。

 

 一向にニムントールの回復魔法が発動する様子が無くて、セリアはニムントールによる回復魔法を諦める。 

 他に回復魔法が使えるエスペリアもダウンしているのが目に映った。

 だが、回復魔法を使えるのはグリーンスピリットだけではない。

 地面に座り込んで、呆然としている悠人に、セリアは気づいた。

 微弱ではあるが悠人も回復魔法が使える。生まれた希望にセリアは表情を明るくした。

 

「ユート様! ヨコシマ様に回復魔法を!!」

 

 訴えるが、悠人は虚ろな視線を漂わせるだけで、セリアの声に反応しない。

 どうして悠人はこんな虚脱状態なのか、セリアには分からなかったが、今は悠人だけが希望の綱だ。

 

「ユート様、しっかりしてください。今、ヨコシマ様を助けられるのは、貴方だけなんです!!」

 

「違う……違うんだ、佳織。俺は、俺は……ぐが、ぐああああああ!!」

 

 どれだけ訴えても、悠人は何の反応もしない。

 ぶつぶつと何かを言ったかと思うと、頭を押さえて苦しみ出す。

 

「ユート様! しっかりして! しっかりしてよう、お願いだから!」

 

 必死にセリアは叫ぶが、その声は悠人には届かない。

 悠人に声を届けられるのは、地面で青白く輝く『求め』のみだった。

 

『契約者よ。自身の愚かしさに絶望したであろう。もう休むがよい。後は私がやる。肉も心も宿運も我に捧げよ!』

 

 永遠神剣『求め』の干渉によって引き起こされる、肉体と精神の激痛。

 悠人はそれと戦っていた。今まで何度も干渉を乗り越えてきたが、今度は佳織に刃を向けてしまったという苦悩が、彼の精神を弱めていて、『求め』の干渉に苦しんでいる。

 

 激痛にのたうつ悠人の姿に、セリアは絶望する。これでは、とても回復魔法など使えない。

 とうとう横島から金色のマナが放出され始めた。死は、もう間近に迫っているというサインだ。

 

「嫌ぁ……いやぁ! 誰かなんとかしてよぉ! このままじゃ私達の隊長が……やだ、やだぁ!!」

 

 普段の様子は欠片も無く、セリアは幼子のように喚きだす。

 その時だった。ポロリ、とセリアの胸から丸い珠が落ちる。文珠だ。刻まれている文字は『癒』。

 文珠は横島の体に落ちて、穏やかな光を放つ。

 光が収まると、傷は負っているものの命に別状はなさそうな横島の姿があった。

 事態の推移に呆然としていたセリアだが、何が起こったのか気付くと、腰が抜けたのか座り込んでしまった。

 ポツリポツリと雨が降り出す。雨に濡れてか、セリアの目元からは雫が流れ出している。

 

「……本当に何やってるのよ。私は」

 

 生気の無い瞳で、ポツリとセリアが呟く。

 ニムントールは横島の回復に気づかないで、一心不乱に回復魔法を唱えようとしていた。

 

 

 この時点で、ラキオスにおける戦闘行為の一切は終了する事となる。

 

 謎のスピリット達の姿は、いつの間にか町から何処かへ消えていた。

 マリア・ブラックスピリットの姿は既になく、佳織も何処へ連れ去られていた。

 後に残されたのは、惨憺たる悠人達の有様と、未だに町を赤く包み込む炎が豪雨に鎮火されていく姿であった。

 

 ラキオスを震撼させた一日が終わった。

 

 この奇襲によるラキオスの被害は目を覆うばかりとなった。

 王、王妃は死亡。多くの兵士にも被害が及んだ。

 

 幸いにも、もはや奇跡的としか言いようがないのだが、民間人に死者はでなかった。理由はいくつかある。

 スピリット達は神剣魔法を殆ど使用せず、さらにネリー達が敵の神剣魔法を徹底的に阻害した事。

 ラキオスの兵士達が身を盾にしながら避難を誘導して、ハリオン達がそれに協力した事。

 謎のスピリット集団は皆それぞれ思惑があったようで、積極的に戦闘行動を取ろうとしなかった事。 

 だがなによりも、ラキオスの全兵士全スピリットが全身全霊を掛けて無辜の民を守ろうと戦った事が、この結果を産んだのは疑いようも無い。

 

 しかし、ラキオススピリット隊からしてみれば、この戦いは敗北だった。王は死に、佳織は連れ去られ、悠人も横島もダメージを負った。

 

 どうしてこうなったか。

 誰が一番悪いのか。

 意見は多く出るだろう。

 

 ただ一つ確かなのは、例えミスがあったとしても、それを皆でフォローできていたならばラキオスは勝てたのではないだろうか。それだけだった。

 

 また、この襲撃がもたらしたものは、ただ被害だけではない。

 スピリットと呼ばれるものが、本当は何なのか。スピリットに対して多くの疑問を持たせる事となる。

 絶対従順のスピリットが人間に危害を加えることも出来る。その事実がラキオスに、いや、世界そのものに与えた影響も大きい。決して人間に危害が加えられない戦闘奴隷種族スピリット、という全ての前提が崩れる大事件。

 大地も、そこに住まう人も、国も、全てが、何かが動き始めていることに気づこうとしていた。

 

 

 有限世界は加速する。

 向かう先は、何処か。

 




原作で言えば第2章の終わり。
この作品でも、とりあえず序盤が終わった感じです。


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第二十四話 前編 表の戦い、裏の戦い①

 永遠の煩悩者 第二十四話 前編

 

 表の戦い、裏の戦い

 

 

 

 ラキオス王都襲撃から一週間が経った。

 

 王と王妃、つまり実の父と母を亡き者とされた王位継承権第一位のレスティーナ王女は、自らが陣頭に立ち、速やかに国葬を取り仕切った。それは国内の混乱を抑え、同時に次のラキオスの王は誰なのかを宣言したとも言えた。

 堂々と葬儀を取り仕切る立ち振る舞いと、そこに見え隠れする父と母を失った悲壮。

 悲劇の王女、いや、今や悲劇の女王となったレスティーナの姿は映えに映えた。

 その葬儀の中で、一連の悲劇はサーギオス帝国によるものだと発表する。

 

 サーギオスに鉄槌を!!

 

 怨嗟と報復の声が国中に溢れた。いつもの戦争のように、のほほんとした空気は存在しない。

 国民の感情は一つになった。悪の外敵に立ち向かう正義の国、という子供にも理解できる状況に、プロパガンダを操作する必要すらない。

 今後、限りあるマナをスピリットや軍事研究に当てられて生活が少しばかり不便になったとしても、文句を言う者は決して出ないだろう。レスティーナ女王ならマナを国民に提供しなくても最低限の保障はしてくれる、という信頼を持っていたのも大きい。事実、レスティーナはマナを使用しなくても生活できるようなインフラに力を入れていたのだ。

 

 王と王女の水面下の権力闘争も終わり、命令系統が統一されて一枚岩となったラキオスの底力は大きく向上した。

 レスティーナが考えていた、理想を目指す下地は出来あがりつつある。

 

 しかし、すぐにラキオスがサーギオスに兵を出す事はなかった。

 ラキオスに入り込んだスピリットは明らかにサーギオスだけでは無かったし、何よりラキオス内部に多くのスピリットが経路不明で入り込んだという事実と、情報戦という立場での圧倒的敗北がある。

 内部事情の整理が急務であると判断したレスティーナは、まず国内の実情に目を向ける必要があった。

 

 だが、この辺りの事情は物語の主人公である横島や悠人に関係していても、彼らの管轄ではない。

 彼らの役割は、己を鍛えてスピリット隊の隊長として職務に励むだけであり、特に横島にとっての最重要項目は女の子達とキャッキャッウフフと乳繰り合うだけである。

 しかし、ここでも問題が発生していた。

 その問題とは、群れで生活する人という種において必ず発生する問題のナンバーワン。

 

 職場での人間関係だった。

 

 訓練場に気合の声と神剣をぶつけあう音が幾重にも重なる。

 ラキオススピリット隊が訓練に精を出していた。第一詰め所と第二詰め所の面々が互いに剣の腕を磨きあう。

 一週間前に大怪我を負った横島や悠人も、もう怪我を癒して訓練に出ている。

 ここまではいつもの光景だが、ここで少しいつもと違う事態が起こっていた。

 

「はあああ!!」

 

「おわ!」

 

 大剣が横島の頬を掠める。

 横島とネリーが訓練をしていた。実践を意識した、神剣を用いての訓練だ。

 実戦さながらの訓練はいつものことだが、今回の訓練はネリーの迫力がいつもと段違いだった。

 やる気に満ち溢れていると言えば聞こえはいいが、ネリーの動きは苛烈で、無茶無謀に近い動きだ。

 反撃を恐れない動きで永遠神剣『静寂』を振り回して横島を圧倒している。

 

「と、飛ばしすぎじゃあ!? もうちょっと落ち着けって!!」

 

「まだまだ、全然だもん!!」

 

 何が全然なのか分からないが、ネリーは満足していないらしい。

 小型の台風を思わせる猛攻に、横島は過去にネリーと無理やり戦わされた事を思い出す。

 

(もし、今のネリーと戦わされていたら、俺死んでたな)

 

 サルドバルトの保有していたマナの大部分がスピリット達の成長の為に当てられて、ネリー達はさらなる成長を遂げていた。力も速さも魔法も、横島がこの世界に来た半年前とは比べ物にならない。神剣抜きでネリーの相手などしたら、横島でもあっという間にミンチにされるだろう。

 

「えい、はっ、たりゃああ!!」

 

「くっ……にゃろ!」

 

 ネリーの迫力と剣圧に押されて、横島も本腰入れて戦わざるを得なくなった。『天秤』の力を存分に引き出し、ネリーと相対する。こうなれば単独で横島に勝てるものはいない。

 暴風の如く神剣を振り回すネリーだが、風をやり過ごす柳のように横島は体をくねらせて避け続ける。よしんば当たろうと、直撃でなければオーラフォトンで弾く事も難しくない。

 そして、動きが雑になった瞬間を狙ってカウンター気味に『天秤』による突きを繰り出す。

 ネリーは即座に突きに反応した。空中に逃れて突きの射程から逃れる。大した反応の早さだ。

 しかし、それも想定内。

 

「伸びろー!」

 

 右手を伸ばして、射程外に逃げたネリーを追う。

 勿論、伸ばしたのは手は手でも、栄光の手だ。肉体では無い、霊力で作った手で握っても『天秤』の力を引き出せると知って、戦いの幅が随分と広がっていた。

 

 『天秤』の刃が、空中のネリーを捉える。

 当然だが、そのまま突き刺したりはしない。いくら実戦形式とは言っても訓練は訓練。

 可能な限り寸止めは基本だった―――が、

 

「あぁぁ!!」

 

 避けられないと判断したネリーは、後退ではなく、あろうことか前進を選んだ。

 寸止めも空しく、『天秤』の刃はネリーのわき腹を貫いてしまう。

 

「あ、アホ! なにやってん……ぬあ!」

 

 不可思議な行動のネリーを横島は戸惑いながら叱ったが、その先の行動に言葉を紡げなくなった。

 

「うあああっ!」

 

 わき腹を貫かれながらも、ネリーは必死の形相で神剣を突き伸ばしてきた。

 完全なタイミングでの、相打ち狙い。

 大地を蹴って避けることも出来ず、体をくねらせ避けることも不可能。防御も打ち貫くかもしれない。

 文字通り、肉を切らせて骨を絶つ一撃だ。だが、そこまでしても、横島には一歩届かない。

 

「うひ~!」

 

 情けない声を出しながらも、足を動かさず、体もくねらせず、地をすべるように移動して避けてしまう。足の裏にサイキックソーサーを展開させて、霊力を使って移動したのだ。

 これも、今この瞬間に編み出した技である。命名するならサイキック・ムーブと言ったところか。

 

 決死の一撃が決まらず、ネリーはそのまま地面に倒れこんでしまう。

 腹部からは大量の血が滴り落ちていた。それは見る見るうちに床を赤く染めていく。落ちた血は金色のマナへと変わっていくが、それ以上に血が吹き出す量が多いのだ。間違いなく主要な動脈と臓器を傷つけている。

 横島の顔が青ざめた。急いで治療しないと、傷が残る可能性もある。

 

「ま、待ってろ! すぐに回復魔法を掛けるからな! ハリオン! 早く来てくれー!」

 

 自分で回復魔法を使うことも出来る横島だが、今日はもう打ち止めだった。今日の訓練はネリーに限らず異常なほど怪我をする者が多く、限界まで使用し尽くしてしまったのだ。元々それほど回数を使えるわけでもない。無理に使用し続ければ消耗して、こっちが倒れてしまう。

 

「はいは~い! ちょっと待ってください~」

 

 ハリオンが胸を揺らしながらよたよたと走ってくる。

 相変わらずのおっぱいに横島は目を輝かせたが、どこかおぼつかない走り方に目を細めた。

 

「永遠神剣『大樹』の主が……詠唱省略です~。アース……プライヤ~」

 

 苦しそうに息を整えながら、ハリオンは回復魔法を詠唱する。

 緑の光がネリーを包み込んだかと思うと、傷一つ無い白いお腹がそこにあった。

 

「もう……一度」

 

 ぐったりと青い顔をしながらも、ネリーは神剣に体をあずけながら身を起こす。

 傷は治っても痛みは引かないようで、その表情は苦痛に彩られていた。

 

「待てって! そんなに無理してもしゃあないだろ!」

 

 そう横島は訴えるが、ネリーは首を横に振って拒否する。

 歯を食いしばって立ち上がり、足を震わせながらも神剣を構えた。

 横島の目が厳しく光った。

 

「ネリー・ブルースピリット。隊長としての命令するぞ。休まんかい!」

 

 悠人と同じく、滅多に『命令』をする事が無い横島だったが、ここに至って使用を躊躇するわけにはいかない。

 命令を受けてネリーの目は抗議の炎に燃えたが、流石にスピリットだけあって文句は言わずすごすごと引き下がる。

 

「肉刺ができないように、しっかりマッサージするんだぞ」

 

 そう言うと「分かった!」とヤケクソのような返事が返ってくる。

 不満があるのが丸分かりである。一体何に不満があるのかは分からなかったが。

 

 このような光景が、訓練場のあちこちで起こっているのである。

 グリーンスピリットはてんてこ舞いで回復魔法の使用に追われていた。この様子では、別の場所で訓練している第三詰め所のグリーンスピリットにも応援を呼ぶ必要がありそうだ。

 回復魔法が使えない二ムントールは、自身の傷を自分で治そうとして、エスペリアの回復を拒否してさえしているようである。

 

 一体全体何がどうなっているのか。横島は辺りの惨状に目を向け、天を仰ぐ。酷い有様だった。

 

 第一詰め所のアセリア達はいつも通りに見えるが、第二詰め所のスピリット達は鬼気迫る表情で神剣を合わせ続けている。熱意や、やる気があるとかいうレベルではない。本当に相手を殺そうとしているのではないかと錯覚するほどの勢いだ。まともなのはハリオンぐらいに見える。

 鬼のごとき迫力に横島はどうしたら良いのか分からず、ただおろおろするばかりだ。悠人も同じようにおろおろしている。隊長達は頼りなかった。

 

「ハリオンさん、みんな一体どうしちまったんで……ハリオンさん?」

 

 隣にいるハリオンに声を掛けたが、返答が無い。よく見るとハリオンは笑顔だったが、その顔色はまるで死人のように青白かった。

 ハリオンは確かに笑顔が多くてのんき者でのんびり屋だが、辛い時はちゃんと辛いと言うし、怒る時はきちんと怒る。しかし、今は気分が悪そうなのに笑顔である。弱音一つ吐いていない。いつものぽややんな空気が、なりをひそめている。

 笑顔が張り付いてしまったようなハリオン。嫌な予感が背筋に走った。

 予感というのは、嫌なものばかりが的中するのが世の常である。

 

 ハリオンは笑顔のまま、唐突に体が前に泳ぐ。

 そのまま地面に叩きつけられる――――寸前で横島は慌ててハリオンを支えた。体は熱を失っていて、意識は混濁しているようだった。

 神剣魔法を使い続けた結果、精神力を使い果たし、精も根も尽き果てていたのだ。

 

「おい、悠人!」

 

 横島の焦った声に、悠人もこれまでと判断した。

 

「中止だ! 午前の訓練はこれで終了!! 午後まで休憩だ」

 

「まだ……時間が……あります」

 

 ハリオンと同じような蒼白な顔色でナナルゥが異議を唱える。

 あの、ナナルゥまでが逆らっている。やはり何かが彼女らの中で起こっているようだった。

 

「ナナルゥ! 命令だ。午後まで休憩!!」

 

 怒鳴り声のような悠人の声が響き渡った途端、第二詰め所のスピリット達はその場で腰を下ろした。やはり限界だったらしく、荒く息を吐いて疲れ果てているようなのに、目だけがギラギラと光っている。

 彼女達は自分の肉体と精神の限界を忘れたようだった。子供が遊びに夢中で、ふと我に返ると疲れ果て倒れる。そんな光景に似ていたが、しかし彼女らは何度と無く訓練を繰り返し戦ってきた猛者たちだ。今更そんなミスをするものなのか。

 

 そんな訓練の様子を、新しく第一詰め所の一員となった白銀の髪と褐色の肌を持つスピリットが、厳しい視線で見つめていた。

 

「鬼気迫る訓練です。手前も感心しますが……しかしこれは」

 

 ウルカ・ブラックスピリット。

 元サーギオスの遊撃部隊隊長にして、漆黒の翼と恐れられた大陸最強のスピリット。

 佳織を助ける為に悠人のオーラに突撃した彼女は、介抱された後、そのままラキオスに参入する事になった。

 

 レスティーナからすれば、サーギオス帝国の内実を知るウルカは喉から手が出るほど欲しい人物。

 ウルカもウルカで、何やら目的があるらしい。どう言ったやり取りが二人の間にあったのかは知らない。

 ただ二人の思惑は一致したようで、ウルカはラキオスに参入することを決め、第一詰め所に編入された。

 この辺りの詳しい事情は何故かレスティーナに口止めされているらしく、まだ横島も悠人も聞いていないが、そのうち聞かせてくれるだろう。

 

 元サーギオスという事で始めは警戒するものは多かったが、その警戒は直ぐに消えた。

 ウルカの言動は素直で性格は厳格そのもの。とても姦計を弄する人物ではない、というよりも弄する事が出来ない人物なのはすぐに分かったからだ。

 特に、悠人は佳織を助けてもらったからか既に万感の信頼を寄せているようだ。

 

 いや、信頼以上に負い目のようなものが悠人にはあった。ウルカだけではなく、アセリア達全員に。

 第一詰め所は、悠人とそれ以外のスピリットで少しギクシャクしている。というよりも、悠人の方が一方的にアセリア達に罪悪感を持っていた。

 アセリア達の助けを拒絶したくせに、結局助けられて、そして殺しかけた。罪悪感を持つのも当然だろう。 

 

 そして、悠人と横島の間もぎくしゃくしている。お互いに、どことなく相手を避けていた。

 横島は佳織を守れなかったし、悠人は仲間を傷つけ、佳織を殺しかけ、横島も殺しかけた。

 お互いに謝る相手であるし、謝らせる相手である。中々に複雑だ。

 

 結局、もやもやした空気のまま、訓練は終了してしまった。

 

 

「あ~疲れた」

 

 訓練が終わると、横島は自室に戻ってベッドに寝転んだ。

 肉体的な疲れでは無く、精神的な疲れからイマイチ体調が良くない。

 

「イチャイチャしたかったなあ……でも、とてもセクハラできる雰囲気じゃねえし」

 

 力無くうな垂れる。

 永遠神剣は精神を消耗する。無償などという言葉から永遠神剣は遠い存在だった。『天秤』と気が合うようになってきたが、それでも疲れるもの疲れる。

 心に休息と栄養を与えなければ、心は消耗し、最後には砕ける。後に待っているのは、神剣の命ずるままにマナを集める魂無き器の完成だ。

 横島にとって心の栄養とは、女の子達とのスキンシップに他ならない。チチシリフトモモがあれば、いくらでも戦える自信があった。だが、そのチチシリフトモモも横島的には『悪い』のと『良い』のがある。

 今のセリア達のチチシリフトモモは、悪い方に分類されるだろう。

 

「いつまでも、こんな状態じゃいけねえよなあ」

 

 自分は彼女らの、第二詰め所の隊長なのだ。

 清く正しいハーレムを取りもどさなければならない、ではなく隊長として隊員のメンタルケアだってしなくてはいけない

 その為にまずしなくてはいけない事は一つ。

 どうして、セリア達がああまで必死で強くなろうとしているかを理解することだ。

 いくら考えても分からない。本人達に聞いてみても、はぐらかされるばかりで答えてくれない。佳織に聞いてみても分からなかった。

 この八方詰まりの中、横島が打つ手は――――

 

「なあ、この原因は何だと思う? 『天秤』」

 

 やはり相談だった。頼れる存在がいればまず頼る。

 この辺りは情けなくても、横島の隠れない長所の一つだ。

 

『私は心の機微を読むのは疎い。それでも私に意見を求めるか?』

 

「構わんから言ってくれ。いつものように長々と論理的にでも良いし、一言だけでもいいから」

 

『私よりもいいアドバイスをしてくれるものがいるだろう』

 

「それでも、まずお前からだ」

 

 自分の意見を必要とされている。それが嬉しい。

 気恥ずかしさを覚えながらも、『天秤』はそれを認めた。

 

 『天秤』は少しずつ自己を理解し始めていた。

 自分は、誰かに頼りにされる事が嬉しい。期待されると、どうしてもその期待に応えたくなる。期待に応えられたら賞賛されたい。

 『天秤』自身は、こういう自分の一面をあまり好ましくは思っていなかった。それは自己顕示欲や名誉欲によるもの、つまり感情に振り回されていると分かっているからだ。

 永遠神剣第五位『天秤』は感情に流されず合理的な行動を主としている――――――訳ではなかった。

 ただ、そういうクールな自分でいたいという願望に過ぎない。今までは妄想の自分を、本当の自分と勘違いしていたわけだ。言ってみれば、ニヒルなキャラにあこがれる少年が、今までの『天秤』だったと言えるだろう。

 いつか本物のクールな格好良い自分になりたい。『天秤』はそう考えていた。

 

『では意見を述べるが、相手の気持ちになって考えてみればどうだ。最近の自分の行動を、相手の立場になって見てみるのだ』

 

 なるほど、と横島は素直に自らの行動を思い起こしてみる。

 無論、シリアスパートである戦いをメインに。

 

 まず始めに、ダーツィ攻略戦の時だ。あの戦いは味方の目にはどう映ったのだろう。

 本来予定された状況にならず、結果的には成功したがセリア達には大変な迷惑を掛けた。

 

 次にエニとの戦いの時。

 勝手に出歩いて、エニと単独で交戦する事態になってしまった。

 エニを救おうと精一杯努力はしたが、エニを助けることはできなかった。

 これも、迷惑を掛けてしまっただろう。

 

 その次はイースペリアの時。

 『天秤』の人形を取り戻す為に無断で戦列を離れ、そしてセリアを道連れにして爆発に巻き込まれた。

 言い訳出来ない大失敗だ。第二詰め所のスピリット達は、瓦礫に埋もれた自分を必死に探したと聞いている。

 これも、どれだけの心配と迷惑を掛けたか想像できないほどだ。

 

 雪之丞の時。

 なんとかセリア達を助ける事はできたが、別に雪之丞と戦闘したわけではない。

 ここでも回復魔法を使って倒れるという無様な醜態を晒した。

 今思えば、このときからセリア達の様子が可笑しい兆候があったように思える。サルドバルトに向かうときは、妙にやる気に溢れていたような光景があった。

 

 そして、今回のラキオス襲撃。

 これは最悪の失敗だった。敵を懐に招き入れて、そして佳織を奪われるという失態。弁解の仕様も無い。色々あってやっぱり死に掛けた。

 

 以上の点から導き出される答えは―――――

 

「やっぱ俺が頼りないからか」

 

 そうとしか思えなかった。

 この数ヶ月、何度も何度もピンチになった。よくもまあこれほどと、自分でも呆れるほどぶっ倒れては死にかけた。

 

 この隊長は役に立たない。私たちがしっかりしなければいけない。

 

 そう判断して、厳しい特訓を始めたのか。

 横島の考えに、『天秤』は理解を示した。筋道立てて物事を考える『天秤』には、今の筋道が間違っているとは思えなかった。しかし、どうにもしっくりこない。今までなら筋道のみを優先して、感情的なものを無視してきただろうが、それだけではダメな事は分かっている。

 

『立場を置き換えて考えたらどうだ。例えば、美神令子が横島の立場で、横島の立場がスピリットだったらどうなるか』

 

「もし美神さんだったらか?」

 

 自分の姿と置き換えてみる。

 

 ダーツィの時はボロボロになって帰ってくる。

 エニのときは友達を殺して、自身もボロボロになって泣く。

 イースペリアの時は、戦いが終わった後に爆発の中心にいたことを知らされて、ボロボロの姿を見つける。

 雪乃丞の時は、完治しない体で戦ってくれる。そしてまた倒れる。

 ラキオス襲撃の際は、気が付いたときにはまたも死に掛け。

 

「あっ!」

 

 対象を変えると、まったく違う結論になった。

 その結論とは、彼自身が一度経験したものである。

 そう、美神と共にある為に戦士となろうとした時の事件。

 

 ――――共に居られるのは戦士のみ!!

 

 魔に堕ちた戦乙女に一喝されて無力を感じた横島は、らしくもなく生死を掛けた修行を始める事になった

 あの時の横島と同じく、ネリー達は横島と共にあれる戦士になるために特訓しているのではないだろうか。

 大切な人を助けられない無力感は、臆病な横島すら駆り立てないわけにはいかない。まして、戦いに人生の大半を掛けてきたスピリット達だ。役に立てないというのは、どれほど口惜しいのか。

 

『彼女らは、自分達の不甲斐無さを悔いているのではないか。自分達の力不足で横島が傷ついていると判断しているのでは』

 

「……いや、でも俺がポカした事が原因なのも多いぞ?」

 

『一度や二度なら、横島の所為や運の悪かった為と納得できるだろう。だが、こう毎回では己の力不足を嘆くのも当然ではないか?』

 

 『天秤』の考えは正鵠に的を射ていた。

 横島はスピリットを殺したとき大泣きした。泣く横島を見て、ネリー達は決意したのだ。

 スピリットを想って泣いてくれるこの人を守る。

 彼女達は誓った。後からその話を聞いたファーレーンも誓ったし、ニムントールもしぶしぶではあるが誓った。

 だが、その誓いを果たしているとセリア達が実感できた戦いは皆無であったと言っていい。

 

 また、横島がハニートラップに引っかかったミスについても、セリア達は同情的に考えていた。

 横島の優しさ(厭らしさ)に付け込んで、汚い罠に嵌めるという行為そのものが、清廉潔白なスピリットであるセリア達に嫌悪感を持たせていたのだ。横島本人は勝てるのなら手段なんて問わないタイプであるから、引っかかった自分がアホだったという結論に至るのだが、セリア達はそう考えないのである。

 

「力不足って言っても、正直仕方がない部分ばっかりだと思うんだがなあ」

 

 エニの時も、イースペリアの時も、ラキオス襲撃の時も、その場にいなかったのだから仕方がない。別に任務放棄していたわけじゃなく、皆その場で最善を尽くしていたのだから、力不足云々の問題ではないはずだ。

 雪之丞の時は、あんな化け物に奇襲されたらどうしようもないだろう。悠人と二人がかりでようやく防御を貫けたのだ。低位神剣ではダメージを与えることは難しい。

 どうしようもない事は絶対にある。

 文珠という万能に近い力を持っている横島だったが、だからこそ無理なものは無理と理解していた。

 

「そう説明すれば皆も納得するんじゃないか?」

 

『頭では納得できても、心では納得できないだろうな。私は、その状態が一番危険だと思う』

 

 力の籠った『天秤』の説明は横島の胸に強く届いた。長々とあーだこーだ言われるより、実体験の一言の方が心に響くのだ。

 

「なんつーか……ほんと変わったな。お前」

 

『ふん、当然だ。私は日々進化しているのだからな』

 

「そういう所は相変わらずだけどなー」

 

 相も変わらず妙な自信だけは変わらないが、それでもずいぶんと彼は変わった。

 以前の『天秤』なら、頭と心を分けて考えることなど出来なかっただろう。

 『脳髄と心を分けて考えるなどバカらしい』としたり顔で言ったに違いない。合理的合理的と猿のように繰り返して、損得勘定は得意でも、愛憎が絡む人のやり取りは赤子同然だった。

 

(それはそれで面白かったんだけどな)

 

 横島は心の中で少し笑って、この幼き神剣の成長を喜ぶ。

 それにこの神剣と仲良くなるにつれ、妙な違和感や頭痛は消えて、嫌な夢を見る事も減ってきていた。

 

 事実は――――違和感が消えたのではなく、違和感を感じ取る能力が削られているだけなのだが。

 

「それじゃあ、結局どうすればいいんだ? 何が必要なんだ」

 

『自信だろう。今彼女らが鬼気迫った訓練をしているのは不安だからだ。今の自分の実力で、本当に横島の助けになるのかと』

 

「そんじゃあ、自信を付けさせるにはどうすりゃいい?」

 

『それは言うまでもなく、戦功だ。これは私の意見だが、今回の件は慣れ合いで処理せずに、真剣に戦功をたてさせた方が良いと思うぞ。目に見える形で実績を残せば自信もついて落ち着くだろう』

 

 結局の所、セリア達は横島の助けになる力が自分にあるのかないのか不安なのだろう。目に見えての戦績を残していない自分の力を信じられないのだ。

 

『もしくは、余計な事は考えるな、と叱れば良い。俺の命令に従えと強制するのだ』

 

「そんな事できるかい」

 

『だが、何もしないというのは一番やってはいけない選択だろう』

 

「うーむ……どうしたもんかなあ」

 

 横島は頭を抱える。

 自分の為に限界を超える訓練をしてくれるスピリット達。

 彼女らの気持ちは嬉しい。だが、正直言ってありがた迷惑というやつだ。

 横島はそれを直接言えるほど、肝っ玉が据わっているわけではない。

 

 隊長として部下にどう接するか、本当に困る。

 基本的に横島はサポートに回る事が殆どで、人の上に立つ事が無かったのだ。

 経験が圧倒的に不足していて、さらに上に立とうとする気概も不足していた。何だかんだで権力を握ってしまったのが悪かったのかもしれない。

 

 コンコン。

 悩んでいると、控えめなノックの音が響き渡る。

 失礼します、という丁寧な声と共に若い男の兵士が入ってきた。

 

「伝令、レスティーナ女王がお呼びです。至急、玉座の間までお越しください。タカミネ隊長も向かわれています」

 

 妙に人間の兵士が丁寧だな、と感じながら横島は玉座の間に向かった。

 

 

「来ましたね、エトランジェ・ユート。エトランジェ・ヨコシマ」

 

 玉座の間に悠人と横島は呼び出されていた。

 レスティーナの出で立ちは女王になっても特に変わっていなかった。相当忙しい日々が続いているだろうに、その顔には疲れがまるで見えない。

 周りにいる家臣団も、誇りと責任感に満ちた表情で控えている。レスティーナの周りは上手くいっているようだ。

 

「二人を呼び出した理由は、貴方たちの……いえ、エトランジェ・ユートの今後の身の振り方です」

 

「……俺の?」

 

「ええ、エトランジェ・ユート。貴方は妹を人質に捕られて、ラキオスの隊長として従わせられていました。しかし、貴方の妹はサーギオス帝国のエトランジェ、『誓い』のシュンの手に落ちてしまいました。貴方がラキオスで戦う理由は失われたのです」

 

 妹を人質に取った連中が言うことか!

 

 思わず怒鳴りたくなった悠人だが、何とか言葉を飲み込んだ。

 佳織を人質にした張本人である王は既に死んでいるし、レスティーナは佳織に良くしていてくれた事は知っていたからだ。

 それでも、不快感が胸に満ちるのは仕方がない。

 

 何も言わない悠人に、レスティーナは玉座から立ち上がると段上から降りてきて、悠人と目線を合わせる。

 いきなりの行動に、控えていた近衛兵がレスティーナと悠人の間に入ろうとしたが、レスティーナは手で制した。

 

「カオリを人質として扱ってしまい、申し訳ありませんでした、エトランジェ・ユート。ラキオスの女王として、今までの非礼を詫びさせていただきます」

 

「……謝ってもらえれば」

 

 佳織を人質に取った王は既に死んでいる。

 その怒りを王の娘にまでぶつける必要はないから、悠人は完全に納得は出来なかったが、謝罪を受け入れた。

 

「ありがとうございます。今の貴方は完全に自由です……ですからこれは命令ではなく、提案なのですが……」

 

「提案?」

 

「はい。エトランジェ・ユートには今後、ラキオスの将としてスピリット隊の指揮を取ってほしいのです。エトランジェ・ヨコシマは既に第二詰め所の隊長をしてもらうことを了承してもらっています。貴方達の力を借り、サーギオスを打ち滅ぼし、カオリを助けます!」

 

 権限は今までどおりだ。

 しかし、今までは佳織を人質に取られ、佳織の身の安全の為に無理やり戦わされてきたのが、今度は客将としてラキオスのスピリットを率いて佳織を救出する為に戦う。

 目的は変わらないが、立場は大幅に変わることになるだろう。ようやく、人並みの人権を得たと言っても良い。悠人に向ける口調も柔らかいものに変わっている。

 

 目的も重なっていた。

 ラキオスと悠人の進む道は同じなのだ。

 悠人は一瞬、既に了承しているという横島に目を向けた後、深呼吸をして答えた。

 

「分かりました。俺はラキオスの隊長として、スピリットを率いて戦います」

 

 意外とあっさりと言った。 

 ただ佳織を取り戻す事だけを考えれば、単身でサーギオス城まで乗り込んで佳織を救出する、という選択肢だって存在する。

 だが、悠人はその選択肢を選ばなかった。

 

 ――――独りでは駄目だ。

 

 それを痛いほど悠人は理解したのである。

 一人で佳織を助けようとして、怒りと憎しみで生まれた心の隙を『求め』に突かれ、最悪の結末に至る所だった。 

 孤独の心で神剣を握ってはいけない。

 それではいくら強くなっても、最終的に自分の求めは達成できない。

 

 それに、佳織の身の安全だけは、実は心配していないのも焦らない理由の一つだ。

 秋月瞬という男は佳織に異常な執着を抱いているが、それは男女の執着ではない。

 秋月が佳織に抱く感情は崇拝や信仰に近い。狂信者に近いものがある。

 だから焦らず、確実に佳織を助けるための力を必要だ、と悠人は考えていた。

 

 レスティーナは悠人の答えにほっとした表情になった。

 だが悠人は、レスティーナの安堵を知った上で表情を厳しくする。

 

「俺はエスペリア達と佳織を守る為にラキオスに協力するんだ。別にラキオスの為でも、この大陸の為でもない。それを忘れないで欲しい」

 

「無礼な!!」

 

 周りに立ち並ぶ大臣の一人が悠人を睨む。だが、悠人がそちらに視線を向けると慌てて目を背けた。悠人が周りに発散させている気は、並の文官に太刀打ちできるものない。

 悠人が来て一年近く。神剣を握ってから半年と少し。たったそれだけの間で悠人は中々の戦士に成長していた。

 

(わざわざ敵を作らんでもいいのに)

 

 その光景を横島は呆れたように眺める。

 すると、面白そうな『天秤』の声が頭に響いてきた。

 

『ふっ、それが最初に神剣の暴力でスピリットを解放させようとしたお前の言葉か?』

 

(あの時は俺も冷静じゃなかったし、なにより俺に勝てる奴なんていないって感じだったしな)

 

『分かっている。強者には媚びへつらい、弱者には強気。明確なビジョンがあるのなら、それも交渉の手段だ』

 

(……おい、全然褒められてる気がせんのだが)

 

『しかし、横島のように媚びへつらって、相手の心にするりと入り込むのだけが正解ではあるまい。畏怖させ、恐怖させての方が交渉事は上手くいくと思うぞ。横島には、その辺りの適性はなさそうだがな』

 

 『天秤』の言葉に、横島は面白く無さそうに黙りこむ。

 貶されていることが不満ではなく、悠人が一定の評価をされていることが面白くなかった。

 

 横島達がのんきに会話している中で、玉座の間の緊張は高まっていた。

 しかし、レスティーナは悠人の覇気にまったく怯える事も無く、どっしりと構える。

 

「その言葉、覚えておきましょう。我らはただ、互いの目的の為に利用しあうだけの仲であると」

 

 レスティーナの声は冷然としていた。

 悠人を見据える目は恨みがましい訳でもなければ、悲しそうでもない。ただ事実を受け止める目。

 重臣達は頼もしそうに若き主君を見つめていた。

 

 話すことは話したと、悠人はその場で後ろに振り返る。

 その時だった。

 悠人の鼻にある匂いが舞い込んできた。どこか桃を思わせる優しく甘い香り。ヨフアルの香りだ。

 一体この玉座の間の、どこからヨフアルの匂いが洩れてくるのか知らないが、このとき悠人の頭に一人の女性の顔が浮かんでいた。

 

「レムリア」

 

 小さく呟く様に悠人は言った。それは何か目的があった訳はなく、ただ口から漏れただけだ。その呟きは、レスティーナの耳に届いていた。

 

 レムリアの笑顔を、悠人は思い出す。

 彼女は、この国を、この国に住む人を、好きだと言った。

 レムリアの事を悠人は友達と思っている。この世界と悠人の繋がりは、もはや佳織とスピリットだけではない。

 

(伸ばしてくれた手を、無理に打ち払う必要はないのか……)

 

 よくよく思い起こすと、別にレムリアだけが友だったわけではない。

 ラキオスに来てもうすぐ十ヶ月程度になるが、スピリット以外にも少しずつ話が出来る知り合いや顔見知りが出来始めている。そして、スピリットにも好意的な人々が生まれ始めている。

 それに、以前の襲撃の時に命を落とすことになった兵士にレスティーナの事を頼まれていた。

 

「先の言葉は取り消します。俺は、仲間と、そしてラキオスの為に剣を振るいましょう」

 

「……何故、心変わりを?」

 

「俺には友達がいます。レムリアという女の子です。彼女はラキオスを愛しているといいました。俺は、彼女の友達として、彼女の守りたいものを守りたい。

 いえ、彼女だけじゃない。スピリットにも親切に野菜を売ってくれるおじさんや、スピリットを差別しない兵士もいる。皆、ラキオスという国を愛していました。

 俺は……俺も、彼らと同じように、少しずつラキオスが好きになっている――――」

 

 悠人がぽつりぽつりと語ると、辺りが水を打ったように静かになった。誰もが、悠人の言葉を聞き入った。

 真摯な言葉は人の心を打つ。

 形はどうあれ、この場に居る重臣から下級の兵士に至るまで、彼らは国と国民を愛していた。

 異邦人であり、ただ妹の為だけに戦っていると思っていた悠人が、ラキオスに思いを寄せている部分がある。

 その事実が彼らの心を揺さぶった。

 

「それに、レスティーナ女王はスピリットの人権向上を考えていると聞いていますが、本当ですか?」

 

「え、ええ。本当です」

 

「それが本当であるならば、俺はレスティーナ女王を信じ、ラキオスの為に命を賭して戦いましょう!」

 

 騎士がするように剣の平をレスティーナへと向けて、さっと膝をつく。それは忠節を示す所作だった。

 周りからどよめきのような声が漏れた。まるで物語の中のようなやりとりと、堂々とした態度の悠人に胸打たれる思いがしたのだ。

 もしこれが悠人ではなく横島だったら、こうはならなかっただろう。

 

「そ、そうですか。ではそのレムリアという少女と、ラキオスのため死力を尽くしてくれた兵と民に感謝しましょう……もう、時間です。下がってください」

 

 そう答えたレスティーナの声は何故か震えている。まるで何かに耐えているようだ。

 何だか様子が変わったレスティーナを不審に思った悠人だったが、そのまま一礼して玉座の間が出た。

 

「このアホッタレ!!」

 

「ごふぁ!」

 

 玉座の間を出た途端、いきなり横島の拳が悠人の頬にめり込む。

 ドリルのように回転しながら吹き飛ぶ悠人。

 

「いきなり何しやがる!!」

 

「俺がお前みたいにやったらププッて笑われるぞ!! 謝れ! 俺に謝らんかい!!」

 

「何で殴ったお前が泣いて、俺が謝らなきゃいけないんだよ!?」

 

「俺の心が傷ついたんだよ、こんちくしょー!!」

 

「意味が分からん!! 普通は俺の方がこんちくしょーだろ!?」

 

 悠人がたまらず絶叫する。

 だが、横島は謝らずに言葉を続ける。

 

「それと、お前に佳織ちゃんは助けられないぞ」

 

「……何だと」

 

 見逃せない言葉に悠人の空気が変わる。

 獣のように目を細める悠人に、横島はふいとそっぽを向いて、

 

「俺が佳織ちゃんを助けるからな。俺は可愛い女の子の味方だし」

 

「お前は……まったく」

 

 色々と素直ではない言葉だったが、それは謝罪と協力を求める声だ。そして何より、佳織を助けるという約束をまだ覚えている、という意味のある言葉。互いに大切なものを守りあうという約束は、まだ有効なのだ。

 悠人はしばし言葉を失っていたが、ニヤリと笑みを浮かべる。

 

「ふん、お前なんかに佳織が助けられるか。兄である俺が佳織を助けるさ。勿論、スピリットも守って見せる」

 

「やっぱシスコン兄貴の異名を持つだけはあるよな」

 

「いい加減にそのネタから離れろよ! つーか、お前は俺を貶せればそれでいいんだろ!」

 

「そりゃあな」

 

「認めんなよ!?」

 

 ぐだぐだのやり取りをしながらも、とりあえず悠人と横島のわだかまりは少しは解けたようだ。

 二人とも、分かっていたのだ。

 協力し合わなければ、これから先の戦いに勝つことは出来ないのだと。

 

 

 それから少しして、横島と悠人はまたもや城に呼び出された。

 今度呼び出された場所は玉座の間ではなく、小さな貴賓室の一室だった。

 

 ノックをして入ると、部屋に居たのは二人。一人はレスティーナ。そしてもう一人は見知らぬ女性。

 ルビーのように赤い神秘的な瞳に、雪のように白く長い髪。聖者の様に白い外套を纏う、落ち着いた雰囲気を持つ大人の女性だ。

 

「ほぅ」

 

 美人を見慣れている悠人ですら思わず声を漏らしてしまうような、薄く淡い幻想のような美人。それでいて、厚い外套越しでも分かるナイスバディ!

 スピリットで美人を見慣れている悠人だったが、この女性は今まで見たことが無いタイプの美人だった。

 

 そんな美人に、この男が反応しないはずが無い!

 

「おっ姉すわぁ~ん!! ボクと一緒に夜明けのコーヒーを飲みましょう~!」

 

 場の雰囲気をまったく読まない横島がルパンダイブを敢行する。

 相変わらずだが、パンツ一丁にはなっていない。横島の倫理観も成長したのかもしれない。

 横島のダイブに、悠人とレスティーナの反応が遅れる。

 

「おお、やわらかーーいぎゃあ!!」

 

 珍しく抱きつきは成功して、手がわきわきと美人の体を這い回る。

 そこでようやく、レスティーナの鉄拳と悠人のケリが、横島の頭頂部と腹部に突き刺さった。

 「ぐはー!」とのた打ち回る横島だが、勿論だれも心配しない。

 

「申し訳ありません。イオ・ホワイトスピリット殿」

「本当にすいません。この馬鹿が」

 

 レスティーナと悠人は揃って美人に――――イオというスピリットに頭を深く下げて謝る。

 これは横島の側に居る者がいつも味わう事になる責務だ。

 レスティーナは無理やり横島の頭を下げさせる。

 

「ほら、ヨコシマ君……じゃなくて、ヨコシマも謝りなさい!」

 

「すいやせんしたー!! あんまりええ体してるんで、つい若い体が反応しちまって」

 

「ええーい、いいかげんにしなさ~い!」

 

 レスティーナがローキックを横島に放つ。

 ローキックを制するものが世界を制す、という格言があるが、これはレスティーナが世界を目指すと言う暗喩だろか。ちなみにワンピースが捲り上がって、白い下着を僅かに見てしまった悠人は、顔を赤くしてあさっての方に首を曲げている。

 ここまではお約束の展開だが、ここから先がいつもと違った。

 

「ふふ、私の体は貴方にはどう映りましたか?」

 

 なんと、イオというスピリットは柔和に微笑みながらそう返してきたのである。

 

 まさか痴女か。痴女なのか。

 

 三人は戦慄と驚愕で硬直する。

 それでも横島は痴女の要請に応えるべく、先ほどの感触を思い出す。

 

「え、ええとバストの大きさは……」

 

「そういう事を言っているのではありません。確かめたのでしょう。私が戦士としての肉体を持っているのかどうか。

 掌が剣を持つ者の硬さかどうか。どれだけ筋肉をつけているか。あの一瞬で、私の戦闘力の三分の一は見切られました。

 ヨコシマ様は聞いていたよりも狡猾で疑り深い性格のようですね」

 

 イオが薄く笑う。軽蔑の笑みではなく、むしろ感心したような笑みだ。

 いきなり男に抱きつかれたことなど、まるで気にしていない。よほどの大人物か、それとも変人なのだろうか。もしくは他に理由があるのかもしれない。

 

 そんなイオの台詞に、悠人とレスティーナは信じられないものを見るように横島を凝視する。

 まさかセクハラをしながら、そんな事をしていたのか?

 見直すのとは違うが、ほんの少しだけ二人は横島を見る目が変わっていた。

 

 だが、二人よりも驚いたのは横島だ。

 セクハラをしてこんな評価を受けたのは初めてであったし、笑いかけられたのも初めての事だった。

 しかし何よりも驚いたのは、狡猾で疑り深い性格、と評された事である。

 別に横島は自分が疑り深くなろうとしているわけでは無く、そうする必要になっただけだった。

 

 佳織を守りきれなかったのは、痛恨であり悔恨だった。

 もう絶対に同じミスはしない。例え、ルシオラがあけすけと好意的に評してくれた自分らしさが消えようと、女の子を守れないよりはよっぽどマシだ。

 強くなると決めている横島は、そう決意していた。

 

 それで、決意するのは簡単だが、具体的にどうやってハニートラップに強くなろうか考えたところ、出た結論は徹底的なボディチェック、つまりセクハラではなく超セクハラをする事を思いついたのだ。

 セクハラついでに敵か味方か、そして戦闘能力を見極める。一石二鳥の良い手だと彼は判断したのだ。

 色々と突っ込みどころはあるが、横島は真面目に考えた上での事だ。

 少なくとも今後、横島がハニートラップに引っかかる事はないだろう。

 

「え、ええと……多分ですけど、力で打ち合うんじゃなくてスピード……でかく乱……ともちょっと違うかな。

 どうにか不意をついて攻撃するとか……それと、これも多分ですけど、全力出したら俺や悠人並の力が出せる……じゃないかな~なんて」

 

 何となく、横島は言って見た。何の確証もない、本当にただの勘。

 いくらなんでも、あれだけの接触で分かるはずもない。それでも、このスピリットが普通ではない事は感じ取った。

 

「ふふ、そう見えますか。残念ですが、私は戦うことはできませんよ」

 

 イオは柔和な笑みを崩さず、事実を言った。真実は、言わなかった。

 

(恐ろしいものです)

 

 心の中でイオは小さく呟く。

 

「……それでは、自己紹介をやりなおしましょう。イオ殿、こちらがユート。この変態がヨコシマ。二人とも、こちらがイオ・ホワイトスピリット殿です」

 

「今後ともお見知りおきを、『求め』のユート様、『天秤』のヨコシマ様」

 

「あ、いえこちらこそ」

 

「変態は酷いっす!」

 

 お互いに会釈する。

 ようやく普通の自己紹介が始まった。

 

「ホワイトスピリットか。見たのも聞いたのも初めてだけど」

 

 悠人が言うと、イオも小さく頷く。

 

「ええ、そうですね。私も自分以外のホワイトスピリットは見たことがありませんから」

 

「そうか。それじゃあ、ホワイトスピリット込みの、新しい戦術を覚えたりする必要は無いんだな」

 

 ほっとしたように悠人は頷く。

 ホワイトスピリット。

 青、緑、赤、黒の4色がスピリットの種族というか種類だったのだが、ここに来て新しい色のスピリットの出現だ。

 毎日のように戦術書を読んで模擬戦を繰り返す悠人にとって、ここで新たな戦術を覚えろというのは、試験直前で一教科追加されるという地獄に等しい。

 

「ユート様は真面目ですね。貴方に率いられるスピリットは幸せでしょう」

 

「いや、俺なんか本当にまだまだで」

 

「謙遜なさらずとも。異世界の言葉と常識を覚えつつ、剣を握って一年で一人前と呼ばれるまでになったのです。誇れる事だと、私は思いますよ」

 

「あ……え~と」

 

 イオは真面目な表情で悠人を褒める。

 もの凄い美人に褒められて、悠人も戸惑いながらも、まんざらではないようで照れて頬を赤くしていた。

 

「随分と会話が弾んでいるようですね。そろそろ本題に入りたいのですが」

 

「くそぅ、顔か! 所詮、男は顔という事か!?」

 

「あ、ああ。悪い。あと、横島は黙れ」」

 

 何故か冷たい声のレスティーナに、よく分からない焦りを覚えた悠人は謝った。

 『まったく情けない』

 そんな『求め』の声が頭に響いてくるが、何も言い返せない。

 

「それでは本題に入りましょう。エトスム山脈まで、我が主を迎えに行って欲しいのです。道は私が案内いたします」

 

「主?」

 

「イオ殿の主であり、比類なきエーテル技術者である、賢者ヨーティア殿をラキオスに招くのです」

 

 技術者を招く。ただそれだけのために呼んだのか。

 悠人はちょっと不満に思う。悠人の不満を見てとったレスティーナは表情を引き締めて悠人を見据えた。

 

「これは重要な任務です。詳しくはまだ言えませんが、ラキオスの……いえ、世界の命運すら左右するかもしれません」

 

 世界の命運。大仰な言葉だが、レスティーナの表情は真剣そのもの。

 冗談を言っているのではないと、悠人も心を引き締めた。

 

「それよりも、そのヨーティアって人は女性ですか! 美人ですか!?」

 

「私たちが本気であると示すためにも、護衛も兼ねて名声高きエトランジェである貴方達二人のどちらかにヨーティア殿の元に向かって欲しいのです。そういうわけで、頼みますエトランジェ・ユート」

 

「分かりました」

 

「ちょ、ちょっと! 何で相談もなしで悠人なんすか!? それに無視はあんまりっす!」

 

 横島の言葉に『こいつ本気で言ってんのか?』と白けた表情をレスティーナと悠人は浮かべる。

 

「交渉事にヨコシマを向かわせるなら、そこらの畜生でも使わせた方がマシというものです」

 

「そこまで言わんでもいいでしょ~!」

 

 冷淡なレスティーナの物言いだったが、これは仕方ないだろう。実際、その通りなのだから。

 ただ、レスティーナはこうも思っていた。

 絶対に成功しない交渉は、横島がいたら成功するかもしれないと。不思議な評価だった。

 イオは横島を興味深そうに、まるで科学者が実験動物を見るような目で見つめていたが、咳払いして話を戻す。

 

「では、出立の準備を始めましょう。明日の早朝には出たいので」

 

「随分と早いな」

 

「ヨーティア様は、酷く気まぐれで感情の移り変わりの激しい方です。時間が経つと忘れてしまうかもしれません。それに炊事もできませんから」

 

「……本当に天才っぽいんだな」

 

 悠人が呟やく。

 頭の中に浮かんでくるのは、立派な髭を生やした老人の姿、あるいは魔女のような老婆の姿。

 研究に全てを費やした、気難しい人物なのだろうと想像した。

 

「それとユート。旅にはエスペリア達も同行させなさい」

 

「えっ、どうして……」

 

「最近は物騒です。非戦闘員を抱えての戦闘を考えるなら、最小の人員で最大の戦力を確保する必要があるでしょう。ラキオスの守りはヨコシマと他のスピリットで十分です。それに、第一詰め所の皆と仲良くする機会では。皆と、どう接するか難儀していると聞いていますよ」

 

「うっ……どうしてそこまで知って」

 

「上に立つトップとして、部下の動向に目を光らせるのは当然の事です」

 

 済ました顔で言うレスティーナだが、目の奥に下世話で噂好きのおばちゃんが潜んでいる。

 

「おい、悠人! 女の子たちに囲まれて旅する間にエロいことすんなよ!」

 

「お前はそれしか頭に無いのか!」

 

「それしかねえだろ!」

 

「だから、どうして誇らしく言えるんだよ!?」

 

「ふふ、興味深いです」

 

 イオはこんなカオスのやり取りを微笑だけで流していた。

 こうして話し合いは終わったが、部屋に残る影が2つあった。

 横島とレスティーナだ。横島が内密に話したいことがあると、レスティーナを引きとめたのである。

 

「それで、話とは何ですか、エトランジェ・ヨコシマ」

 

 レスティーナは密かに硬く拳を握りながら尋ねた。

 飛び掛ってきたらぶん殴ってやる、と警戒して身構える。

 アッパーかストレートかフックか。ルパンダイブをカウンターで待ち受ける。

 

「その、第二詰め所のことなんですけど」

 

 特にふざけることなく話した。

 第二詰め所の現状。そして、問題を打破するために戦功が欲しいことを。

 

「なるほど」

 

 横島の話を聞いて、レスティーナはほっとしたような残念なような、不思議な気持ちで拳を解いた。

 セクハラしてきたら思いっきり叩いてやる、とドキドキワクワクしていたので、実はちょっと残念だったりしたのだ。

 

(エスペリア達もハリオン達も本当に愛されてるなぁ……くぅ、羨ましい)

 

 レスティーナは自分が僅かながら嫉妬しているのを自覚せずにはいられなかった。

 

「戦功なら、ちょうど良い話があります」

 

「本当っすか!?」

 

「ええ、龍退治です。元サルドバルトと元イースペリアの山奥に、龍の存在が確認されています」

 

「龍って……ちょっ! マジっすか!?」

 

「戦功として、これ以上はないでしょう」

 

 龍殺し。

 古今東西の神話や御伽噺の類でも、それを成せたものは等しく英雄と呼ばれる。

 異世界でもそれは同じで、悠人はラキオスの守護龍とも呼ばれたサードガラハムを打ち倒して、市井では勇者とすら呼ばれる事もあった。

 

「俺が付いていっちゃあ……」

 

「当然駄目です」

 

「いや、でも……やばいっすよ!」

 

 龍の恐ろしさは知っていた。あれはもう怪獣のレベルである。

 それでも、今のセリア達なら対策さえしていれば龍も倒せると思う。第二詰め所の強さも横島は知っていた。

 しかし危険すぎることに変わりは無い。

 

「ハリオン達だけでは勝てませんか?」

 

「……大丈夫だと思うけど、やっぱり万が一ってのが……」

 

「不満があるならば代案を言いなさい。

 話に聞いている第二詰め所の様子では、このまま戦いに出すのは危険でしょう。

 ちょうど今は、サーギオスのスピリットの姿がありません。機を逃しては、大変な事になりますよ」

 

「代案があったらとっくに実行してますよー!」

 

 泣きそうに横島が言う。

 結局、その場では結論が出ず、最後に決定を下すのは横島だと言われて、すごすごと引き返す事となる。

 

 どうしたものかと悩みながら第二詰め所に戻ったが、ここでまた驚愕した。

 セリア達が荷造りしていたのである。保存の利く食料と水をかき集めて、どこかに遠出する準備に間違いなかった。

 

「ちょ、何処に出かける準備をしてるんだ!?」

 

「何処とは……龍退治に決まっています。一ヶ月近く掛かるでしょうから、途中の町で補給するにしても物資は必須ですし」

 

 セリアは当然のように答える。

 一体どこから話が漏れたのだろうか。

 つい先ほど話を聞いて、のんびりとした足取りだったにせよ、一直線に帰宅したのだ。

 恐らく盗み聞きされて、すぐに詰め所に戻って準備を始めたのだろうが、一体誰の仕業だろう。

 

(多分、あの二人のどちらかだと思うけど)

 

 第二詰め所のスピリットの中で、少し特別な位置にいる二人に目をやる。

 ハリオンとファーレーン。

 レスティーナと繋がりがある二人なら色々と聞いている可能性があったが、今はそれを問い詰める時間が無い。

 

「とにかく、俺はまだ許可してないぞ!」

 

「だったら、いまここで承諾してください」

 

「んなっ!? せめて明日からでも遅くは無いって。俺も少し考えてみないと」

 

「善は急げとハイペリアの言葉にもあると聞いています。それとも、私達の力が信用できませんか?」

 

「別にそんな事を言ってないだろ!?」

 

「だったら、早く許可してください」

 

 静かに、しかし追い詰められたようにセリアは答えを求めてくる。

 答えに窮する横島を、セリアはじっと見つめていた。いや、セリアだけではない。ネリーもシアーもヒミカもナナルゥもハリオンもニムントールもヘリオンもファーレーンも、祈るようにじっと横島を見つめていた。

 

(こ、こんな状況でNOなんて言えるわけねえだろ~!)

 

 うなだれる様に、横島は首を縦に振ってしまう。

 こうしてセリア達の龍退治は決まって、支度を整えると彼女達は早々に闇の中に消えていった。

 出かける直前に、ハリオンが「連絡はしますから~」と言っていたが、あれはどういうことだろうか。

 

 兎にも角にも、早すぎる展開に横島は陸に上がった魚のようにビタンビタンと暴れるしかない。

 

「うがあ~! なんだこりゃ、どうしてこ~なるんじゃあ!? どうして第二詰め所がエロスの殿堂っぽくならん!? 俺って結構真面目にがんばっているよな!? もういい加減ラブラブ詰め所になってもいい頃じゃないのか!」

 

『本気なのだ。横島の力になろうと、彼女達は必死に戦っているのだろう』

 

 ――――どうして俺なんかの為に。

 

 自虐の言葉が胸に満ちて、横島ははっとした。

 

 強くなって、女の子を好きなれる自分。ハーレムを築いてウハウハな自分になろうとしたのだ。

 そして、それは少しずつ叶ってきているのだろう。だからこそセリア達は必死になっているのだから。

 剣に生きたスピリットに愛情を向けられるというのは、こういう事態になることも考えられたのだ。

 

『本当に行かせたくないなら、今からでも『命令』で引き止めろ。そういう立場に横島はいるのだからな』

 

「簡単に言いやがって」

 

 淡々とした物言いの『天秤』に腹が立つが、言っている事は正しい。

 もう覚悟を決めるしかなかった。無論、セリア達が傷つく覚悟では無い。

 何があっても彼女らは信じて待つという覚悟である。

 

 信じて送り出すと、決めた。ならばやらねばいけない事がある。

 窓を開けて、大きく息を吸う。そして、

 

「しっかり龍をぶったおしてこいよーー!! それと、なるべく早く帰ってきてくれよなー!!」

 

 エコーが掛かるほど大きな声で叫んだ。

 

「うんー!! まかせてーー!!」

 

 元気いっぱいのネリーの声が闇の中から響いてくる。

 久しぶりに嬉しそうで元気そうな声を聞いた。

 サルドバルトの時も同じようなやり取りがあって、そのときは雪之丞の所為で失敗した。

 今度は大丈夫だ。そう胸に言い聞かせる。

 

『信じて送り出したスピリット達が――――フラグというやつか?』

 

「不吉なこと言うなっつーの!!」

 

『ぬ、ぬぅお!? 振り回すな!? 目が回るだろうが』

 

「お前に目なんてないだろうが!」

 

『言葉のあやだ! その程度のユーモアも無いから女にモテナイ……ひ、ひぃ! アンモニアはやめろ~!!』

 

 こうして、第一詰め所のみならず第二詰め所のスピリット達もラキオスから離れてしまい、横島の一人寂しい声が夜の闇にこだましていた。

 

 

「夜分遅くに、何度も呼びつけて申し訳ありません、エトランジェ・ヨコシマ」

 

「いやいや、そんな事ないっすよ! レスティーナ様が呼んでくれるなら、地の果てからでも駈けつけます!!」

 

 セリア達が龍退治に行ってからすぐ、横島はまたレスティーナに呼び出されていた。悠人の姿も無く、二人きりだ。

 もう夜も遅く、広い第二詰め所で一人ポツンとしていた横島だったから、この呼び出しは素直に嬉しかった。二人きりなのでエッチィ期待もある。

 嬉しそうな横島の様子に、レスティーナは少しだけ破顔したが、すぐに厳しい表情に変わる。

 

「ウルカ・ブラックスピリットの持ってきた情報。父の机に入っていた但し書きからの情報。情報部を総動員して得られた情報の数々。

 これらを統合して、多くの角度から検証した結果、ここ最近の謎について一段落付きました。

 貴方には、説明をしなければいけない事があります」

 

 朗報だった。

 しかし、レスティーナの表情は固い。

 

「変な勘違いをしないよう初めに言っておきます。これから話すことは、貴方の責任ではありません。

 悪いことをした者が悪いのです。子供にでも分かる簡単な理屈ですね」

 

 ゆっくりと、子供に言い聞かせるようにレスティーナが言う。

 これは良くない話だ。それも、多寡はともかく自分が関わっているらしい。

 

「最終的な責任の所在を明確にするなら女王である私にこそあります。くれぐれも勘違いしないよう」

 

 横島は逃げたくなった。

 これはかなり嫌な話らしい。背中に妙な汗が流れる。思わず生唾を飲み込んでしまった。

 

「ただ謎が解けたと言っても、全ての謎はまだ解けていません。解けたのはエニの行動の謎。そしてどうやってあそこまで多くのスピリットがラキオスに入り込んだのか……そしてイースペリアの件もおぼろげながらに把握できました。これらは全て一本の線で繋がっていたのです」

 

 謎で埋め尽くされていた多くの事象が、実は一本の線で繋がっていた。ミステリーではお馴染みだ。

 

「推論すら出来ない謎は、エニの一件での龍ぐらいでしょう」

 

 横島がエニと戦った時に、悠人達が山に引きこもっていたはずの龍と交戦した時の一件。

 あれだけは偶然以外に説明できそうにない、とレスティーナは難しい表情で言う。

 何か、横島の中で龍の一件を偶然以外で説明できるような考えがあるような気がした。

 それを形に出来ないかと努力するが、それが形になる前にレスティーナは喋りだした。

 

「まず、エニの件を簡潔に説明します。エニは故ラキオス王……亡父に売られたのです。育毛剤と引き換えに」

 

「はっ?」

 

 横島の間抜けな声が響く。

 レスティーナは表情を変えず、感情を表さない平坦な声で言葉を続けた。

 

「簡単な話です。亡父はある商人から育毛剤を条件に、エニの指揮権を貴方ではなく、その商人に委譲したのです」

 

 自分の部下が知らない間に売られていた。それも、育毛剤と引き換えに、である。

 怒りや憎しみを超越した、やるせない気持ちに言葉を失う。

 もしも当人が生きていたのなら、くびり殺してやる、ぐらいの感情は持っただろうが、相手は死んでいるのだ。

 恨みはある。が、死人を憎めるほどの感情を横島は持てなかった。

 

「委譲した人間の名は……ソーマ・ル・ソーマ。ラキオスとも因縁がある相手です。今回の騒動の一員でもあります。このソーマという男はサーギオスのスピリット調教師でしたが、エトランジェ・ダテに追放されたようです。現在ある『組織』に属していて、商人をしています。父はどうやってかこの人物とコンタクトをとって――――謀略を張り巡らしました」

 

 レスティーナはそこまで言って言葉を切った。横島を見て、言葉を選んでいるようで逡巡する。

 嫌な予感がさらに膨れ上がる。これから言われる内容は、自分にとって相当きつい事実があるようだ。

 

「人にとってスピリットは軽蔑すべき異種族でした。言葉を交わす事などなく、触れる事すら険悪する……穢れた存在。そういう文化、醜聞がこの大地にはあります」

 

 話題が急に変わる。いや、外堀を埋めるようにゆっくりと話の本質に迫ろうとしているのだ。

 

「私はスピリットの地位を向上させようと手を打ってきました。

 何故、人がスピリットをこうも嫌うのか、貴方には話しましたよね」

 

「ういっす! 確か、スピリットを叩くことが、正義だから……って理由でしたっけ」

 

 レスティーナは頷く。 

 人は、良い人でありたいのだ。自分だけは綺麗でありたいのだ。

 その為にどうしたらいいのか。答えは簡単で、自分のいい人振りをアピールすればよい。

 その一つが、スピリットに冷たくすることだった。

 

 それに正義であるというのは利を生む。

 例えば、商人は信頼が命だ。だからこそ、スピリットに冷たく当たって商品を売らなかったりする。特に一軒屋で店を構えている商人は、決してスピリットに商品を売らない。

 誹謗中傷を恐れているのだ。

 逆に、移動できる屋台や露店はスピリットにも商品を売る店主は多い。こちらは悪評が生まれても、直ぐに場所を移れるからだろう。

 

 スピリットを憎んでいるものは、実はそこまで多くない。利があれば、人はスピリットとも付き合うことが出来る。

 そもそも憎むほどスピリットは知っているわけもないのだ。よくある差別や中傷の理由には宗教などが関わってくる事が多いが、この大陸では宗教色はそれほど強いわけでは無く、政治とは完全に分断されている。

 この辺りも、見た目だけ中世風と佳織が言っていた理由だ。

 

 人がスピリットを嫌う理由は薄い。

 皆が嫌うから何となく嫌う。他者に自身がモラル溢れる社会的人間であると触れ回るためにスピリット迫害する。

 その程度の事に過ぎない。

 

 ここで分かるのは、人間が善玉か悪玉の問題ではなく、人という種は社会的な生き物であるということだ。それを愚かと受け止めるか、もしくは賢明と受け取るかは人それぞれだろう。

 

 つまるところ、レスティーナが言いたいことはこうだ。

 スピリットを迫害したり差別する方がアンモラルで反社会的人間である、というように常識が変化すればよい。

 また、スピリットと仲良くすると益があるような社会を構築すればよい。

 

「ヨコシマには、スピリットと人間が話せるように仲介役を頼んでいましたが、随分とうまくやっているようですね」

 

「わはは……俺は普通にやってただけなんすけど」

 

「ヨコシマが側にいると、モラルとか常識であるとか、どうにも馬鹿らしい物に思えてきますからね」

 

「いやあ、そこまで褒められると照れるッス」

 

「別に褒めたわけでは……あれ、褒めたのかな? まあ、その辺りはともかく」

 

 レスティーナはコホンと咳払いをすると、やわらんだ表情を引き締めた。

 

「そう。人は少しずつスピリットを知り始めた。友情を、愛情を、人はスピリットに抱き始めていた。その矢先に、今回のラキオス襲撃です」

 

 何が言いたいのか分かった横島は溜息をつきそうになった。

 ようやく人とスピリットが歩み寄りを始めた矢先にこれだ。最悪のタイミングと言わざるを得ない。

 雪之丞のアホめ。

 間違いなく今回の襲撃に関与しているだろう悪友を心の中で罵る。

 

「スピリットの戦闘で家を、財産を失った者が多くいます。市井の者達に死傷者は出なかったと言っても、城の使用人、兵士達には犠牲が出ました。親を、子を、友人を、恋人を失った者も少なくありません」

 

「それは、そうっすけど……だけど!」

 

「ヨコシマの言いたいことは分かります。元凶は、命じた人間。人はちゃんと分かっています。

 また、スピリットに救われた者も多く居ます。特にハリオン達は本当にがんばってくれたようですから。

 その所為か、白のスピリットは良いスピリットで、黒のスピリットは悪いスピリットなどの噂もあるようです」

 

 心を失ったスピリットが、良いスピリットである。 

 人はそう言ってスピリットの精神を破壊して、ハイロゥの色を白から黒に変えていった。

 それが一転して、掌を返すように黒のスピリットを悪と言う。黒のスピリットこそ、人間に心を砕かれた被害者だと言うのに。

 身勝手すぎる言い分に、横島も怒りを感じて唇を歪めた。

 スピリットを、一体なんだと思っているのか。

 

「今、スピリットの評価は揺れています。町に出れば分かるでしょう。

 私がスピリットの地位向上を掲げているのも理由の一つでしょうが、何よりも人が『スピリットとは何なのか』と疑問を持っているのです」

 

 アホか。

 横島は今更そんな疑問を持つ輩に呆れた。スピリットとは何か。そんなの決まっているではないか。

 神剣とやらを持つと強くなるだけの、可愛く純粋な女の子だ。

 今回、人を殺せたのも、それを目的に調教されたからだろう。どういう調教と訓練をされてきたのか、考えたくも無い。

 

 人はそれを知らず、知ろうともしなかった。

 ただスピリットを遠ざけていただけ。

 ようやく、人はスピリットを見始めようとしているのだ。彼女達を見れば、分かるだろう。

 スピリットは美人で、純粋だ。強いといっても、それは神剣を持ったときだけで、人にはそもそも逆らえない。

 彼女らは、実に人にとって都合がよい――――都合が良すぎる――――

 

「あ」

 

 心が大きくざわめく。

 気付いてしまった。

 スピリットという存在に対する、ある意味、当たり前の可能性に。

 

「人はスピリットに興味を持ち、少しずつ理解し始めているのです。

 彼女達は、本来なら人と同じ心を持っていることを。

 圧倒的な力は、神剣を持って初めて使える事を。

 ……スピリットの肌がどれほど白いのかを。スピリットは人に服従することを。スピリットの肉体は、いかなる人の情動も悪意も受け止められるほど頑強なのかを。

 組織は、ソーマという商人は、そこに着目して……あるものを取引しています」

 

 思い出していた。エニの小さい体に刻まれていた暴虐の跡。

 色々な種類の暴力を受けたのは間違いない。そこには悪意だけではない、歪んだ愛情すら感じられたほどだ。

 

 人がスピリットに興味を持つ。人に逆らえないスピリット。ソーマという元スピリット調教師。組織。商人。

 経路不明で、降って湧いたようにラキオスに現れたスピリット達。その一部は見るも無残な状態だったと聞いている。

 点と点が繋がっていく。それが導き出す答えは。

 

「エトランジェ・タダオ・ヨコシマ。貴方がラキオスでスピリットの事を語り、スピリットをただの穢れた存在である、という常識を少しずつ打ち破ってくれました。

 ラキオスは大陸でもっともスピリットと人間が仲良くやれている国でしょう。

 だからこそ、ラキオスを中心に『組織』は根を広げつつあるのです。

 さらに今度の騒ぎは、人がスピリットに復讐するという名目も与えてしまいました。『組織』はスピリットへの愛憎を糧として、今急速に勢力を広げようとしています。

 ちなみに、『組織』は相当古くから存在するもののようで、勢力が拡大したからこそ露見したようなもの。貴方とユキノジョウというエトランジェが来なければ、これからも秘密組織として轟いたかもしれません。ハイペリアの言葉で言う『怪我の功名』とでも言いましょうか。

 

 『組織』は……ソーマという男は言わば寄生虫です。私と貴方が育てようとした大樹に潜む寄生虫!

 エニ・グリーンスピリットは、そしてイースペリアも、その寄生虫の犠牲となったのです」

 

 淡々と話してきたレスティーナの言葉に怒りが混じる。

 鳶色の瞳は、憎悪で燃えていた。

 

「……ぁう」

 

 ひゅうひゅう。喉から変な音が漏れた。

 絶望に近い感情で、体が勝手に震える。

 

「エトランジェ・ヨコシマ。気に病むなというのは難しいでしょう。ですが、あえて言います。

 これは前進です。人とスピリットの関係は進みました。人は、スピリットと触れることに忌避を感じなくなりつつあります。

 ですが、このような方向で人とスピリットが進むことを、私は是としません。

 なんとしても、この流れは食い止めねば」

 

 感情を殺したレスティーナの声が訥々と響く。

 それから、レスティーナは『組織』の壊滅を誓い、その為には如何すべきかを話し始めた。

 さらなる事実も次々と明らかになる。

 例えば、そのソーマが前ラキオス王の命でイースペリアの女王および上層部を人質にとってサルドバルトに進軍したこと。

 ウルカ・ブラックスピリットの目的が、ソーマにより組織に売られた仲間のスピリットの奪還にあること。

 

 数十分の密談を終えて部屋から退出してきた横島の顔は、バルガ・ロアー(地獄)の闇よりも暗かった。

 

 

 

 気が付いたら、横島は自室のベッドに寝転がっていた。

 城から第二詰め所までそれなりの距離があったはずだが、どうしたわけか記憶に無い。ぼんやりと闇の中をさまよっていた様な漠然とした感覚だけがあった。

 ぼうっと天井を見る。何も考えたくなかった。考える余裕などなかった。

 

 ぐ~。

 

 腹が鳴った。腹が減ったという感覚は無い。

 それでも、人間は腹が減る。

 

「飯どないしよ」

 

 ふと、気づく。

 第二詰め所の暮らしで、家事は殆どセリアやハリオン任せだった。

 細かい雑事や掃除ぐらいは手伝ってきたが、炊事洗濯は一切やったことがない。特に食事関係は手を触れたことすらなかった。というか、触れさせてもらえなかった。

 以前のアセリア料理大戦が尾を引いているものと思われる。

 

 もう陽は完全に落ちている。市井の方に言っても食材はないだろう。

 そうなると飯屋にでも行く必要が出てくるが、今はあまり外に出歩く気分ではなかった。

 頭の中でグルグルと色々な考えが浮かんでくるのに、自分が何を考えているのかどうも把握できない。

 

「何で誰もいないんだよ……」

 

 異世界で一人ぼっち。

 孤独を感じて、目を閉じ寝ようとする。

 

 ――――俺が来たから、ここまで酷いことになったんじゃないか?

 

 闇の中からネガティブな考えが浮かんでくる。

 頭を振って寂しさを紛らわす。

 

「美神さんのシリコン胸~おキヌちゃんは幽霊の方が人気出た~シロは犬~タマモの駄目狐~」

 

 何となく悪口を言ってみる。

 怒られても良いから、誰か出てきてほしかった。

 

「何を言ってるの」

 

「ひぃ! うそっす! 時給下げちゃいやー! おキヌちゃんは包丁を研がないでくれ~~!!」

 

「はっ? ジキュウ? ホウチョウ?」

 

 快活な声が聞こえてきて、目を開ける。

 横を見ると、いつのまにかルルーがいて、まん丸な目を向けてきていた。

 

「何だ、お前か」

 

「何だって何だよー」

 

「んで、何じゃい。まさか、夜這いか!」

 

「(夜這いって何だか知らないけど)そんな訳あるか!

 まったく。兄さん、その……第二詰め所の皆が戻ってくるまで、第三詰め所で暮らさない?」

 

 

 

 ホーホキョケ! ホーホキョケ!

 微妙な鳥の鳴き声に、横島は重たいまぶたを開けた。朝日が差し込む部屋の様子がいつもと違う。

 部屋はいつもより広く、ベッドも古びているが随分と大きい。

 首を横にやって窓から外を見て見ると、荒れ果てた庭園が見えた。庭園はかなり広い。汚れているが大きな池もあった。さらに外に目をやると、苔むした塀が連なっている。

 

 没落して、国が接収した貴族の屋敷が、第三詰め所の家だった。

 古びていても、豪邸といえる屋敷。第三詰め所がこんな所に住んでいるのは事情がある。

 なんと、現在の第三詰め所の人数は六十人を超えているのだ。バーンライト、ダーツィ、サルドバルドの三国から集めたスピリットは、全て第三詰め所に編入されているから、ここまで大所帯になってしまった。ダーツィのスピリットがそっくりそのまま傘下に加わったのが特に大きい。

 流石にこの人数をプレハブで過ごさせるわけにはいかず、レスティーナが手配したらしい。

 

 ただ、スピリットの半分はサーギオスの国境沿いに配置されているから、ここにいるのは三十人程だ。

 

「ふぅ~」

 

 朝から溜息を吐く横島。

 やはり昨日の衝撃はまだまだ抜けていない。元気は出なかった。

 

『疲れたような溜息だが、朝から股間は元気そうだがな』

 

「こいつが元気でなくなったら、俺は死ぬっつーの」

 

 朝から元気ビンビンの息子に、横島は誇らしく胸を張る。

 何が誇らしいのか、と『天秤』からは呆れの感情が伝わってきた。

 その時だ。ドタドタと大きな足音が聞こえてきたかと思うと、

 

「こらー! いつまで寝てるの。早く起きな……な、なあああ!!」

 

 ノックもしないで入ってきたルルーが、横島の股間を見て悲鳴を上げる。

 股間は生命の息吹を感じられる活火山の如く隆起していた。

 

「か、勘違いすんじゃないぞ! これは男の生理現象で、お前を見て大きくしたんじゃないんだからね!」

 

 勘違いされては堪らないと、横島は早口でまくし立てる。

 

『ツンデレ風……というやつか?』

 

(確かに股間はツンツンだけど、全然デレはないわね。あ、いい子いい子するとデレるのね。うふふ)

 

『オヤジか!?』

 

 ルシオラが息子でシモネタを言っていると知ったら、横島はどういう顔をするだろうか。

 ルルーは横島のボケにまったく反応せず、呆然とパワフル息子を凝視している。

 そして、

 

「そんなに腫らしてどうしたの!? ばい菌でも入ったの!?」

 

 悲鳴のようなルルーの声に、横島はがくっとなる。

 

「これは腫れてるわけじゃなくてな、男の神秘というか……つーか、お前は息子を知らないだろ!?」

 

「馬鹿にしないで! それぐらい知ってるよ。男の人はここからおしっこするんでしょ。それに、とても弱い急所で、大切な器官だって! それがこんなに腫れてるんだよ!? うわわ、どうしよどうしよ!」

 

 ルルーの言うことは間違っていない。しかし、肝心の部分がまるで分かっていなかった。

 女所帯の生活だ。男の部分など、簡単な知識でしか知らないのだろう。

 どう説明すればいいのか。そもそも、何で朝立ちが起こるのか横島だって具体的に知らないのだ。

 

 一体、朝立ちとは何なのか。朝立ちは世界に必要なのか。

 

 そんな哲学的な事を考えている間に、無駄に行動的なルルーは動き出していた。

 懐から陶器製のケースを取り出して開ける。中身はジェル状の、刺激臭のする何か。強力な塗り薬だろう。

 そしてルルーは横島のズボンを掴むと、躊躇無くパンツ毎ずりおろした。

 天を突かんばかりの息子が外気に晒される。

 

『あれ、父さん。おはよ~。どうしたの、今日は朝からお仕事? 二度寝には注意してね」

 

 息子はまだ寝ぼけ眼で、そんなのん気な事を言っていた。

 己の身に迫る危機に、まるで気付いていない。

 横島は唐突過ぎるルルーの行動に口を大きく開けるだけで声も無かった。

 

「お、おおぅ!」

 

 ルルーが眼前にそそり立つモノを見て呻き声をもらす。

 想像していた見た目よりもたくましい息子に、よく分かっていないルルーも顔を真っ赤にしていた。

 何だか自分がとんでもない事をやっているような気がしたが、やはり知識が足りないから良く分からない。

 

「かなりしみるけど我慢して!」

 

 そう言って、ルルーは塗り薬を手にくっ付けると、

 

「塗り塗り塗りー! あっ、この先端の開いてる部分から中に入れたほうがいいかな。塗り塗り塗りー!!」

 

「ふぉぉぉぉぉぉヲヲヲヲごごごごごごごおホホホゥゥゥゥゥゥ!!」

 

『ぎゃああああああ!! 焼ける、焼けぇるるるるるるーー!!」

 

 朝から横島の絶叫が響き渡る。

 ありえないような馬鹿馬鹿しい事で、しかし横島がいる日常がここにあった。

 

 数分後。

 憤怒の表情で股をプルプルさせている横島の前に、しょんぼりして小さくなったルルーが頭を下げていた。

 

「……で、何か言うことはあるか」

 

「うう、だって大きくなるなんて知らなかったから……ばい菌が入って膿を持ったのかなって。白いのが沢山出るって聞いた事があるし……その、本当にごめんなさい」

 

 知識があるのなら、正しい処置が出来ただろう。まったく分からないなら、手を触れないだろう。

 中途半端な知識は悲劇を生む。その実例がここにあった。

 

「まったく、お前は……お前はなあ……ふ、くっ、はははは。まったく本当に」

 

 始めは怒っていた横島だが、何だか可笑しくなってきて笑いがこみ上げてきた。ルルーは何がなにやら分からず、きょとんとしている。

 久しぶりの馬鹿らしい騒ぎに、鬱屈していた気が晴れていくようだ。

 いつのまにか、騒ぎを聞きつけた第三詰め所のスピリット達が勢ぞろいして横島を見つめていた。やはり全員が美人である。何人かは、以前の動物耳を身につけている。

 彼女達を見て、横島は「良し!」と言って拳と拳を打ちつけた。

 

「そうだな! うじうじしてるのは俺らしくない。今は、新たなハーレム生活を楽しむとするか!!」

 

 周囲に居る美人揃いのスピリット達を見て、力強く嫌らしい笑みを浮かべる。

 この世界に来て、辛い事も苦しい事も嫌というほど味わってきた。

 艱難辛苦はまだまだ続く。悩みも解決したわけではない。しかし、それはそれ、これはこれだ。

 ここには、可愛い女の子達が沢山いる。

 どれだけ辛い目に合っても、それだけで横島は元気が出るのだ。

 

「よし、朝ごはんじゃ! ふぅふぅして、あ~んしてもらうぞーー!!」

 

「何だかよく分からないけど、お姉ちゃん達に変なことしないでよ!」

 

「うっさいわ、この男女エロス妹め」

 

「変なあだ名つけるなー!」

 

 これからのハーレム生活に胸を熱くさせて横島は歩き出す――――可能な限り息子が擦れないように、がに股で。

 こうして、第三詰め所と横島の数週間の物語が始まった。

 

 



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第二十四話 後編 表の戦い、裏の戦い②

 朝食後、横島は早速第三詰め所のスピリット達とスキンシップを計ろうと行動を開始する。

 本当なら訓練の時間だが、副隊長権限でレクリエーションを行うと決めた。

 警邏のスピリット達を除いた、数十名のスピリット達を部屋に集める。

 

 テーブルの上には、キラキラと輝く小物がいくつもあった。古ぼけているのが大多数だが、それでも光物である。他にもスカーフやイミテーションの花冠などがある。

 横島が町から少しずつ集めてきた代物だ。

 

『自分に似合いそうな小物を身に付けろ』

 

 これが、横島の出した命令だ。

 スピリットは上位者の命令に服従する。これは、どうしてかは不明だが、そういうものだ。種族の本能のようなものなのかもしれない。

 だが、いくら命令に絶対服従と言っても、出来ない命令がある。

 特定の技術が必要な命令と、酷く主観的な命令である。

 

 似合いそうな、なんて曖昧な命令はどうしたって主観が入る。命令を果たすには、自分の心が重要になるわけだ。

 相手の心を引き出すことを、横島は目標としていた。

 

 第三詰め所のスピリットは互いに顔を見合わせて、しばらく戸惑っていた。戸惑うことが出来る、という時点で多少は心を取り戻しているのが分かる。

 恐る恐る、一人のグリーンスピリットが銀細工の髪飾りを手にとって頭に付けた。

 

「おお!! 可愛い、可愛いぞ~!!」

 

 横島は満面の笑みで拍手喝采をした。

 惜しみない賞賛を浴びて、犬耳のような髪飾りをつけたグリーンスピリットは恥ずかしそうに俯いてしまう。

 

「そんなに、可愛くないです……わん」

 

 首を横に振り、小声で囁くように謙遜する。

 

「なんという奥ゆかしさ。日本女子が失った謙虚さがここにある!!」

 

 だが、横島はそれすら見逃さず賞賛する。無論、お世辞ではなく本気で言っていた。

 褒め殺しの前に、グリーンスピリットはどうしたらいいのか分からず、おろおろするばかりだ。

 横島の反応を見て、それが『正解』と判断したスピリット達は一斉に同じ種類の小物に手を伸ばして髪に付けた。

 

「ん~悪くは無いけど、そこまで似合ってないなあ。髪の色も違うし、いくら美人でも顔もスタイルも皆違うんだぞ」

 

 横島の駄目だしに、スピリット達は僅かにしょんぼりしたようになった。

 逆に最初に褒められたグリーンスピリットは、少し得意げな顔になっている。

 

「やっぱり、ちゃんと鏡を見ないといけないと思うぞ」

 

「か……がみ?」

 

 手鏡を覗き込むスピリット達。

 彼女らは鏡に映る自分の顔に、不思議そうな表情になった。

 鏡を見る、という習慣がないからだろうか。ぺたぺたと自分の顔を触っている。これが、自分の顔なのだと、改めて認識しているらしい。

 今まで自分の顔すら、意識して見ていなかったのだ。

 

 一体どういうのが自分に似合うのだろう。

 鏡を見て、彼女達は真剣な表情で自分の顔と、小物や化粧品を見比べていた。

 

 ――――スピリットが、オシャレしようとしているんだ。

 

 ルルーはその光景を見て、まるで夢のようだと思った。

 

 戦闘奴隷と蔑まれていたスピリットが、普通の女性のようにオシャレをしようとしている。

 そして、このオシャレが仲間の心を取り戻してくれるかもしれない。

 嬉しさと感動で目じりが熱くなった事に気付いたルルーは、慌てて目をこする。

 

「あの、兄さん。その、本当にありが……と、う?」

 

「うへへ、女が、それもこんな美人達が俺の為にオシャレを……俺の為に! うひょーーー!!!!」

 

 横島は口元からじゅるりと落ちかけた涎を拭っていた。

 百年の恋も冷めるような、だらしのないエロエロなニヤケ顔。

 正直、かなり気持ち悪い。

 

(どうしてこう、お礼を言いたくなくなるような顔ばっかりするのかな)

 

 これでは素直に感謝できないし、どうにも変態に見える兄の姿にルルーはがっかりする。

 まあ、下手な同情で優しくされているわけではない事が分かる。

 兄は本気で第三詰め所のスピリットに心を砕いてくれているのだ。

 だが、本気なのは嬉しいが下心も本気である。

 いや、下心が本気だからこそ、ここまで本気になってくれているのだろう。

 

「そういや話は変わるけど、朝の野菜スープは旨かったな! 昼飯は軽食らしいけど、今日の晩飯は楽しみだなぁ」

 

「へへ、そんなに美味しかったんだ、ボクの作ったスープ。丁寧に作るのがコツなんだよね」

 

 ヘヘッとルルーが自慢げな顔をする。実はルルーは家事全般が大得意だったりする。

 バーンライトで、無造作に渡される野菜くずと僅かな調味料を使い、少しでも美味しいものを作ろうと試行錯誤を繰り返した結果だった。

 ルルーの得意げな顔を見て、横島は何となく面白く無さそうな顔になった。

 

「何だ、お前が作ったのか……褒めて損したな」

「それ、どういう意味かなあ」

「そのまんまの意味だろ」

「……妹キック!」

「兄ガード!」

 

 ペチぺチと叩き合う。

 

「そういえば、買い物はどうしているんだ」

 

 第三詰め所のスピリット達が、人間の町で買い物が出来るのか。そんな疑問があった。

 

「えーとね、実は今までセリアさん達から分けて貰ってたんだ。足りない分はボクが買ってたけど」

 

 今日からは相当買い込まなきゃ、とルルーは笑う。

 周りの姉達に買い物は無理だ。

 人間と話すということは、どうしたって悪意ある相手とのコミュニケーションになる可能性が高いからだ。

 だが、ルルーの予想に反して、元ダーツィ所属だったブラックスピリットが手を上げた。

 

「……私も、一緒に行く」

 

「えっ? 買い物だよ。人間のいる所で行くんだよ」

 

「ちょっと、怖い。けど、一人は寂しいでしょ」

 

 ルルーをじっと見ながら、そう真面目な表情で言う。

 また目尻が熱くなって、喉の奥が震えた。嬉しくて嬉しくて、飛び跳ねそうになる。

 

「うぅ~ありがとウワッ!」

 

 ドンと横から衝撃が来て、はじき出され、感謝の言葉が中断される。

 何事かと目をやると、横島がマセスハート・ブラックスピリットの手を取って撫でていた。

 

「くぅ~、マセスハートさんは偉いなー!」

 

「別に偉くなんて」

 

「何言ってんだ。皆が嫌がる仕事を率先してやるなんてすごい事だぞ」

 

 横島に褒められて、マセスハートはぎこちなく表情を動かそうとする。

 喜ぼうとしているらしい。ただ、長く笑みなど浮かべたことが無いから、もうどうすれば笑えるか分からない。

 四苦八苦しているマセスハートに、横島は笑みを浮かべて、強く肩を叩く。

 マセスハートは肩に置かれた横島の手にそっと触れると、どこか泣きそうな表情になる。

 

「明日は、あたしが買い物に行く」

「では、明後日は自分が」

「次は私が行きますから」

 

 その光景を見ていたスピリット達が一斉に主張した。

 何とも現金なものだが、これは仕方が無い。

 自分の行動に意味がある。他者に影響を与える。誰かを笑顔にできる。

 そんな当たり前の事が、スピリットには宝石のように貴重で、本来あり得ないものだったのだから

 

「ふ、ふふふふ。わはははは! 日替わりでデートだ!! 来てる、来てるぞ! 俺のモテモテ王国の足音が聞こえてくるー!!」

 

 男冥利につく、と横島の馬鹿笑いが部屋に響き渡る。

 その笑いが底抜けの能天気とお気楽さで満ちていて、良く分かってないスピリットも笑みを浮かべる。笑いが笑いを呼ぶ。感情は伝染するのだ。

 唯一、ルルーだけが頭痛を感じて頭を押さえていた。

 

「兄さんってさ、本当に幸せ者だよね」

 

 ルルーは皮肉をこめて言ったのだが、

 

「当たり前だ! 男なら、これだけの美人に囲まれて幸せにならないはずがないだろ!」

 

 満面の笑みで答えられて、皮肉が打ち破られる。

 本当にこのエロ馬鹿兄は。

 馬鹿さ加減にうんざりするルルー。そんなルルーも、しかし楽しそうに笑っていた。

 

 

 昼を過ぎて、約束通りルルー達と買出しに出る。

 市場は被害が少なかったようだ。所々で破壊の跡があり、半壊した家屋に槌を振う音が聞こえてきたが、買い物には影響しない無い程度だ。

 

「あ、パパたち助けてくれてありがとう!」

「……………………」

「畜生、俺の店を返せよ」

「父が死にました……憎みます」

「おまけしますから、今度襲撃あったらうちの店を守ってくださいよ」

 

「……こりゃ、確かに大混乱だな」

 

 町に出て買い物をすると、横島には実に多くの声が掛けられた。

 

 スピリットを無視するもの。

 スピリットを恨むもの。

 スピリットを利用しようとするもの。

 

 千差万別の言葉と感情を向けられる。

 特に一番多く感じた感情は、恐れとへりくだりだった。

 

 今まで苛めていた相手が、ものすごく強くて反抗してくるかもしれない。

 恐れ、媚を売ってくるのも当然だろう。

 どれだけ強くなっても、小市民気質が抜けない横島は、彼らの気持ちが良く分かった。腹立たしくはあるが、どうにも共感してしまう。横島の性根は一般人と大差が無い。

 町人達も、一般ピープルな横島の気質を感じ取っているようで、だから遠慮なく声を掛けてくるのだ。

 

 それに、悪い話ばかりではなかった。

 

「パパたち助けてくれてありがとう!」

「あの、青い髪のオカッパ頭の子に、よろしく言っといてくれ!」

「ヘリオン姉ちゃんに言っといてくれよ! すっげーカッコ良かったって!!」

 

 第二詰め所の活躍が、あちらこちらから聞こえてきた。彼女達は自己の判断で敵を倒すよりも、人を救う行動を取った。

 そんな彼女らの気持ちと行動は、間違いなく人間にも伝わっていたのだ。

 ヘリオン達の奮闘が分かって、横島の胸に誇らしさが満ちてくる。

 

「どうだ。俺の第二詰め所は凄いんだぞ!」

 

「ふん、すごいすごい」

 

「…………はい」

 

 鼻を高く伸ばして自慢してくる横島を、ルルーは投げやりに褒め、マセスハートは静かに頷いた。

 あの騒ぎの時、第三詰め所は、何もしなかった。ただ待機状態で指令を待っていただけだった。

 個人で判断して、力を振わない。ある意味、兵士の鏡である第三詰め所。

 それはそれで正しい事だ。しかし、遊兵でいたのは事実。

 第三詰め所に必要なのは、まず判断能力がある隊長に他ならない。

 

(兄さんが隊長になってくれないのかな?)

 

 ルルーはずっとそれを願っていた。

 それは願望だったが、実際それが自然な流れであるとも分かっていた。

 第一詰め所の隊長である悠人は、新しく編入されたウルカを入れても、たった四人の隊長だ。対して、横島は九人を指揮する副隊長。

 そして権限の上では、悠人がラキオス全体の隊長で、横島は副隊長。

 そして、第三詰め所は全体で六十もいて、隊長はいない。

 

 どう考えても、これは可笑しい。

 妥当なところとして、ラキオス純正の第一詰め所と第二詰め所の隊長を悠人にして、第三詰め所の隊長を横島とするのが良いのではないか。

 

 そんな事を考える。

 何にしろ、このまま隊長がいないというのは考えにくい。

 横島が隊長になってくれれば。それは第三詰め所全体の意志でもあった。

 

 

「う~ん、こっちの方が大きいから沢山食べれる……けれど、身がきっちり入っているのはこっちだから……」

 

 果物屋の前で、ルルーは真剣な表情でブツブツと考え込んでいた。

 

「あいつも、よ~やるなー」

 

 少しでも良い物を手に入れようと、吟味に吟味を重ねて食材を買おうとするルルー。どうやら、買い物好きらしい。

 店主が迷惑そうに咳払いをしているが、そんなのまったく意に介していないようだ。

 大阪のおばちゃんを思わせるふてぶてしさに、横島は関心半分呆れ半分だった。

 

 ぎゅるるる。

 隣から、何だか凄い音が聞こえてきた。

 横を見ると、マセスハートが自分のお腹を見て、きょとんとしていた。

 

「お腹が減ると、どうしてお腹が鳴るのでしょう?」

 

 酷く真面目な顔で、横島に聞いてくる。恥じらいの一欠けらもない。

 ニヤリと、横島は意地悪く笑う。

 

「お腹の中には小人さんがいて、お腹が減ると泣きだすんだぞ」

 

「小人さん……わあ~。小人さん、夕食まで待っててね」

 

 お腹をさすりながら真剣に言うマセスハートに、思わず噴き出しそうになったが、相手が同い年の美女だと思うと、笑みは苦笑に変わり、最後には恐怖を抱いた。

 こんな子供を、殺して、これからも殺す可能性が高いのだと考えると、正直ゾッとする。

 何にしろ、マセスハートはお腹が減っているようだ。ちょっと考えが生まれて、一つの店に向かって、あるものを買ってきた。

 肉饅頭だ。にんにくの入っていない餃子のようなものである。

 肉饅頭を半分にして、片方をマセスハートに差し出す。

 

「え?」

 

「はんぶんこだ。ルルーにはナイショだぞ。二人と……小人さんの秘密だ」

 

 悪戯小僧のような笑みを浮かべた横島は、指を唇に当てて『ナイショ』のポーズをする。

 マセスハートはコクコクと頷いて、同じようにポーズを真似る。無表情だったが、頬は高潮していた。

 

「ほら、あいつが戻ってくる前に急いで食うぞ! はふはふ、うまうま」

 

「はい。ふーふー……っ! ふーふーふーふー……うまうま」

 

 マセスハートは少し舌を火傷したみたいだったが、ふーふーして食べている。

 何となくマセスハートを見ていると、横島と目があった。

 

「うまうま」

 

「うまうま?」 

 

「うまうま!」

 

 よく分からないやり取りをして、マセスハートは始めて笑みを浮かべた。

 笑みは、美女の微笑というよりも、童女のあどけない笑みのようで、横島は抱きしめ欲求に耐える作業を強いられた。

 食べきったと同時に、ルルーが戻ってくる。

 

「ちょっとだけサービスしてもらえたよー……ってマセスハートさん? 舌だしてどうしたの?」

 

「ナイショ」

 

「へ?」

 

「ナイショーナイショ~」

 

「うー! ナイショって何なの~! 気になるーー!!」

 

 楽しそうに「ナイショ」と連呼するマセスハートと、教えてと取りすがるルルー。何だか幸せな光景だった。

 不意に、背後から冷気を感じた。

 振り返ると、フードで顔半分を隠した怪しい男が近づいてくる。

 男は傍まで来ると、平坦な声で呟いた。

 

「――――隊結成。――――だ。加わるか、加わらないか」

 

 ――――加わる。

 

 そう一言答えると、影は人ごみに消えていった。

 心が冷えるのを感じた。あれは、闇からの使者で、絶望を突きつけにきたのだ。

 

 もう一度、ルルーとマセスハートに目をやる。

 じりじりとマセスハートがルルーに問い詰められ、追い詰められていく。

 もうじき、マセスハートは口を開くだろう。実際は、ナイショの話を誰かに話したくてしょうがないのだろう。

 

 この光景は光だ。

 レスティーナと自分と、それに悠人やセリア達が生み出した、希望の光景。

 その裏で、闇が生まれた。誰かが笑う中で、泣く者が出てきてしまった。

 

 今までは光ばかりで、闇の部分に目を向けなかった。

 闇に目を向けなくても良い。レスティーナは通告してくれたが、それは出来ない。

 女の子を守り、ハーレムを作る。その為にも強くなる。それが目標だ。

 

 今、可愛い女の子が大変な目にあっている。

 なんとしても助ける。そしてあわよくばハーレムを作るのだ。

 決意を新たにしていると、楽しく賑やかな声が響いてきた。

 

「こら~! 二人でこっそり美味しいもの食べるなんて、ずるいぞ~~!!」

 

「ヨコシマ様ーばれちゃいましたー!」

 

 マセスハートが笑顔でバタバタとこっちへ逃げてくる。

 その後ろで、ルルーが握りこぶしを振り回して追いかけていた。

 

「よし、マーちゃん、逃げるぞ!」

 

「は~い!」

 

「こら待てー!」

 

 三人が駈けだす。

 幸せな、何処にでもある光景。

 何処にでも無ければならない光景。

 決してありえなかった光景。

 

 少しずつ、でも確実に。

 

 彼の周りでは、それを生まれ始めていた。

 

 

 日も落ちて夜になった。

 『いただきます』と『ごちそうさま』の流儀を第三詰め所に伝えながら、夕食をとる。

 夕食後は、ラキオスという国家が妙に力を入れている、お風呂の時間だ。

 横島はルルーに、湯殿に案内すると言われて、屋敷から少し離れた木造の小屋に入った。

 中に入ると、そこには人が四人程度は入れそうな大きな釜がある。

 

「五右衛門風呂かよ!」

 

「凄いでしょ! エーテルを使わずにお湯を沸かす為の最新型お風呂だってさ」

 

 ルルーは声を弾ませて言う。

 自分達の為に新しいお風呂が用意された事が、とても嬉しいらしい。

 

 今更ながら、横島は思い出した。

 ここの台所には、竈があったのだ。エーテル製品があるなら必要ないはずのものである。

 そういえば、食卓の明かりもエーテルではなく蜜蝋によるものだった。

 

 どういう訳か、レスティーナは可能な限りエーテルを使わないようにしているようだった。

 それだけマナを戦争につぎ込もうとしているのか、あるいは他の目的があるのか。

 

「ボイラーぐらい作れっての。この世界の技術ならエーテルなくても出来るだろ」

 

「何文句言ってるの! ほら、さっさと脱いで!」

 

 ルルーは言いながら、一気に全裸となった。

 膨らみ始めている胸に、僅かに生え始めているヘア。

 全部丸見えである。

 ネリー達と違って第二次成長が始まっているルルーに、ロリに興味はないと豪語できる横島も目を逸らした。

 

「な、何やってんじゃあ!? 今の世の中、乳首券だって早々発券できないんだぞ!? そんな簡単に放り出したら、少年誌でやっていけないぞ!」

 

「何の話してるのかちっとも分からないんだけど」

 

「いや、だからな。簡単に肌をさらすなんて……って、俺が言うことじゃないだろ!?」

 

「え? ハイペリアって服着たままお風呂に入るの?」

 

「そうじゃねえ! おまえ、まさか俺と一緒に風呂に入るつもりか!?」

 

「馬鹿なこと言わないで。二人だけで入るなんて、お湯がもったいない事しないよ」

 

 まったく話がかみ合わない。お互いに「何を言っているんだ、こいつは?」状態だ。

 そうこうしているうちに、さらにもう二人のスピリットが脱衣所に入ってきた。

 グリーンスピリットとレッドスピリット。どちらも横島と同い年か少し上ぐらいだ。

 すぽーん! という擬音が似合うように、二人は一気に上着を脱いで下着姿になる。

 

「ま、まさかこの釜に四人で入るのか!?」

 

「当然でしょ! まさか一人で豪勢に入ろうなんて考えてた訳じゃないよね。薪や水瓶だって限りがあるし、外ではルーお姉ちゃんが火の番してるんだよ。贅沢言わないの!」

 

 贅沢は敵だと言わんばかりのルルー。

 言うまでも無いことだが、横島はそんな事を問題にしているわけじゃない。

 

(この狭い風呂で美女二人プラスおまけ一人と風呂だと? 正に超密着状態……何か事故ったら合体もあり得る状態だぞ!?)

 

 狭い風呂で美女と風呂。しかも複数。

 これはもう男の夢の一つ。女体風呂に匹敵するのではないだろうか。

 しかし、横島の表情には喜び以上に当惑があった。

 

「私とお風呂はヤダ?」

 

 不安そうなレッドスピリットの様子に、横島の中で何かよく分からない線がブチッと切れた。

 

「ふざけんな~! 俺が女体の為にどれだけ命を掛けてきた思ってるんじゃ!?

 時給二百五十五円生活に、バケモンと戦い、カメになりブタになりハゲになり、絶壁の氷山を登り深海に潜り月に飛び、過去へ行き、それでもオッパイタッチやほっぺにチュウで満足する日々だったんだぞ!!

 それが、こんな何の苦労も無くロマンを達成できるだとぅ!? 今わかったぞ、この世界は可笑しい!!」

 

「え、え~と、相変わらず言ってる事はよく分からないけど、兄さんが馬鹿だって事はわかるよ」

 

「じゃかあしい! 今度という今度は俺が正しいぞ!

 つーか、こんな簡単に美女の裸体が見れるんじゃあ、俺の今までの苦労はなんだったじゃーい!

 連載八年の苦労を返しやがれ!!」

 

「いや、そんなこと言われても」

 

「とにかく! 俺は……俺はこんな色気ない女体風呂には入らんぞ! 入りたくないんだからな。本当の本当に入りたくなんか……入りたくなんかないんや~~~~!!!!」

 

 滂沱の涙を流し、固く拳を握り締めながら、横島は脱衣所から逃げ出す。

 何が何だか分からず、唖然とする三人。

 

「……難しい、お年頃?」

 

 後に残ったグリーンスピリットが、ポツリとそんな事を言っていた。

 

 

「もったいなかったか……もったいなかったよなぁ……でもなあ」

 

 ベッドの上でゴロゴロと転がりまわる。

 安堵と後悔と無念で胸が張り裂けんばかりだ。

 

『僕は入らなくてよかったと思うよ。あんなの全然ロマンがないから』

 

「うむ、よく言ったぞ息子! そうだ、ロマンが足りないんじゃ!! テレビで裸で過ごす民族を見たことがあったけど、エロスをちっとも感じなかったのと同じだな」

 

 我が意を得たりと、息子の頭を撫でて褒めてやる。

 息子はカメのように頭部分はピョコピョコと震わせて嬉しそうにした。

 

 もう完全に夜だ。

 後はもう寝るだけ。だが、男ならもう一行事ヤル事が残っている。

 

「まあ、おかずには困らんけど」

 

 そんな事を言いながら、ズボンを脱いでパンツに手を掛ける――――

 

「こんばんわ」

 

「のわ!」

 

 ガチャリとドアノブが回って、一人のスピリットが入ってきた。ズボンを上げる暇もなかった。

 入ってきたのは、ルー・ブラックスピリットだ。パンツ一丁の横島に何ら反応することなく、頭を下げる。

 そして、震えるような声をだした。

 

「暗いの、怖いの」

 

「……うぇ?」

 

「一緒に寝てほしい……またペロペロしていいから」

 

 そう言って彼女は、パンツに手を掛けて固まる横島に寄り添った。

 

 

 次の日。

 また朝食の時間になっても起きてこない横島を、ルルーは肩を怒らせて起こしに向かう。

 

「まったく、どうしてこうネボスケなんだろ……こらー起きろ……オオォ!?」

 

 とんでもない光景に、ルルーの声が裏返った。

 なんと、横島の部屋から一人のスピリットが出てきたのだ。それも、はにかむような笑みを浮かべて。

 

「ルーお姉ちゃん……えぅ?」

 

 男女が共に一夜を過ごす。

 その意味を察したルルーの顔が真紅に染まる。

 精根尽き果てたような蒼白な表情で、ぼうっと立っている横島に詰め寄った。

 

「兄さん! ま、まさかエ、エエ、エッチな事をしたんじゃあ!?」

 

「いくら俺でも、暗闇を怖がって一緒に寝てほしいって頼みこんで来た相手を、クチャクチャできるわけあるかー!」

 

「な、何も血の涙を流さなくても……うわあ! 鼻水垂らすな! 気持ち悪い!」

 

 鼻水を垂らして泣く横島から距離を取るルルーだが、とりあえず何も無かった見たいだとほっと胸をなでおろす。

 そんなルルーに、横島が聞かなければならないことが出来た。

 はっきり言って、セクハラ以外の何物でもない質問だったが、事ここにいたっては聞かざるを得ない。

 

「なあ、ルルー。お前さ、今エッチな事って言ったけど、エッチって具体的に何するか知ってるか?」

 

「へ? ……それは……ええと、ペロペロしたりチューチューしたり……胸とか揉んだり……舐めたり……うわあ、セクハラ! セクハラー!」

 

 自分で口走った事が恥ずかしいのか、ルルーは顔を真っ赤にしてバシバシと横島を軽く叩き始める。

 痛みではない理由で、横島は顔をしかめていた。

 

「……それだけか?」

 

「そ、それだけって!? 他にどんなのがあるの!?」

 

 戦々恐々と、ルルーは顔を青ざめさせて横島を睨む。

 

 ――――なんてこった。

 

 嘆息するしかない。

 第三詰め所のスピリット達の幼さは、十分すぎるくらい感じてはいた。

 それは感情が失われていて、だから羞恥心も減っているのだと思っていた。

 だが、第三詰め所のスピリット達は想像を遥かに超えた純粋培養をされてきたらしい。

 羞恥心以前に、知識そのものがない。これでは心を取り戻しても、色気の欠片も出ないだろう。

 

「迷惑だった?」

 

 様子が可笑しい横島にルーが、不安そうな瞳を向けてくる。

 

「迷惑なんかじゃないぞ。ルーさんと一緒に寝られて俺も楽しかったし」

 

 素直な気持ちを言って、笑いかける横島。

 実際は、楽しい以上に、息子に血が集まるのを抑制するので苦しんだのも事実だったが。

 

「ヨコシマ様、大好きー」

 

 美人の告白。それも愛の告白だ。

 横島は泣きたくなるような笑いたくなるような、異様な気持ちを抱いた。

 年上の美女が、幼児の好意を向けてくる。これは、どうしたらいいのだろう。

 

(なんつーか……幼稚園児に『ダイスキー!』って言われてるような、ほのぼの感なんだが)

 

『実際その通りだろうしな…………………………幼くて良い』

 

(おい……おいロリ剣)

 

『いや、何でもないぞ……私は何を口走っているんだ?』

 

 密かに『天秤』の趣味があらわになったが、今はそれどころでは無い。

 ルーはそわそわと何かを待つように横島を見つめてきた。

 何を求めているのか、非常に分かりやすい。

 

「お、俺もルー……ちゃんの事が大好きだぞー」

 

「はい」

 

 ルーは幸せそうにはにかんだ。

 初めてルーを見たときは美人だと思った。美人ではあるが、それは冷たい彫像の美であった。

 今は、美人というよりも可愛く、ほにゃにゃ~んでへにゃにゅ~ん感じである。思わずちゃん付けしてしまうほどだ。

 

「……人を挟んで何言ってるの」

 

 ルルーがじと目で睨んでくる。姉と兄が仲良く通じ合っている姿に、色々と複雑なのだろう。

 さらに視線を感じて振り返ると、後ろに十人近いスピリット達がいて、じっと横島を見ていた。

 

「今夜は、私が部屋に行って良いですか?」

「私も、一杯おしゃべりしたいです」

 

 横島と夜を共にしたい(お喋りと添い寝的な意味で)スピリット達が順番待ち。

 

 ブシャァアア!!

 

 横島の鼻から、明らかに出てはいけない量の鼻血が放出される。

 鼻血は見事にルルーに命中して「わーん!」と悲鳴が上がる。

 

「こりゃあ、ホントにどうにかせんと」

 

 鼻血をだらだらと流し、ルルーに蹴られながら、横島は本気で第三詰め所の性教育を考えるのであった。

 

 第三詰め所にきて二日目の朝。

 この時点で、もう横島は認めるしかなかった。

 第三詰め所は、ハーレムに出来ない。というよりも、ハーレム以前の問題外なのだと。

 

 

 一方そのころ。

 セリア達は野営の片付けに取り掛かっている最中だった。

 

「出来れば今日中にサルドバルトまではたどり着きたいわね」

 

 地図を取り出しながらセリアは現在地を確認して、道程を確かめる。

 龍の住処までまだ距離がある。

 二箇所もあるのだから、道のりは最短でいく必要があった。

 

 地図を見て、道を確認していると、視界の端にうろうろと落ち着きなく歩き回る人影が映った。

 子供かと思ったら、ファーレーンが何故かそわそわとしていて、仮面の奥にある、深緑色の瞳が不安そうに揺れていた。

 

「どうしたの、ファーレーン」

 

「セリア……ヨコシマ様は今頃どうしてるでしょう」

 

 言われて、セリアや、会話を聞いていた周りも険しい表情になる。

 

「そういえば……確かに、食事とか作れてるのかしら?」

 

 皆の頭に、広い第二詰め所でぽつんと佇む横島が思い浮かぶ。

 想像の横島は「腹減ったー!」と叫んでじたばたしていた。

 ぎゅっと胸が痛くなった。

 この間までは役に立ちたいと気ばっかり焦っていたが、いざ行動を始めて冷静になると、今回の龍退治はやはり強行軍すぎた感がある。

 

「私は、ヨコシマ様が何か変なことをしていないか不安ね」

 

 ヒミカも険しい表情で言う。

 幾人の頭に、スピリット達の下着を被り、ベッドでアフンアフン言いながら寂しそうにしている横島が浮かんだ。

 

「もう、皆さん! 何を言っているんですか。ヨコシマ様はそんな人じゃありませんよ!」

 

「はい、ヘリオンの言うとおりでしょう。ヨコシマ様の嗜好は下着よりも中身にあると考えられます」

 

「そうです! ヨコシマ様は下着じゃなくてお尻やおっぱい……って、何言ってるんですかナナルゥさん~!」

 

「間違ったことを言っていないと思いますが」

 

 漫才チックな会話はさておいて、全員が一人残してきた横島が色々な意味で心配になったらしい。

 

「う~ん、そういう心配はしなくても大丈夫だと思いますよ~」

 

「どういうこと、ハリオン」

 

「きっと、第三詰め所でお世話になっていると思いますから~」

 

 ハリオンの言葉に、全員がしんとなって言葉を失う。

 あの煩悩男が、従順で疑うことを知らない第三詰め所のスピリットの元にいる。

 そこから導き出される答えは?

 

 イヤ~ン、ウッフーン、バッカ~ン。

 

 第三詰め所のスピリット達は、大半が元バーンライトと元ダーツィのスピリット達で心を失っている。

 彼女らは十歳前後で必要最低限度の知識を得たら、後は神剣に精神を食わせて心を失った人形にさせられてしまう。

 だから、そこで精神の年齢はストップしている。

 この十歳という年齢にしても、現代日本での十歳である小学四、五年生とは違う。

 碌なコミュニケーションも取れず、性教育も受けた事がなく、異性と接した事も無い十歳である。

 

 スキンシップと愛情に飢えながら、スピリット達は心を閉ざしていく。

 そこに現れる、色々な問題点はあるが愛情に満ち溢れていて、セクハラというスキンシップを敢行してくる横島。

 生みだされる結果は、二身合体か、あるいは三身合体か、十身合体もありうるか。

 

 ある程度の知識や精神性があれば、横島の変態的行為は蔑むべきものと分かる。

 ヒミカやセリアのように、愛情を持ってくれているのは分かるが、それでセクハラを許せるかは別の問題、と当たり前の認識できる。しかし、第三詰め所にはそれが分からない。

 

「不倫でしょうか?」

 

 ナナルゥが少し不安げな声でポツリと呟く。

 

 どこからか血の気が引く音が聞こえたような気がした。

 別に第二詰め所の中で横島と男女の仲になっている者はいないのだから、不倫などという呼び方は不適合なのだが、しかし心情的にはピタリと当てはまった。

 

「ど、どど、どうしましょう! 帰ったら『俺はこれから第三詰め所の隊長だから』なんて言われたらー!!」

 

 ヘリオンの悲鳴は全員にリアルな想像を与えた。

 どういう訳か、その場面を想像出来てしまうのである。

 

 龍を倒して凱旋する自分達。

 意気揚々と横島に龍を屠った事を報告するのだが、彼は褒めもせずにこう言うのだ。

 

『龍を倒すスピリットより、おっぱいを揉ませてくれるスピリットの方が良いスピリットだぜ!』

 

 そして、そのまま第三詰め所のスピリットとイヤ~ンでアッハ~ンなムッフ~ンへ―――

 

「じょ、冗談じゃないわよ!! 一体誰の為に龍を倒そうと……あっ」

 

 怒り猛っていたセリアだが、そこであることに気付いて言葉を詰まらせる。

 

 ――――――ちがう。私はヨコシマ様の為だけに強くなりたいのではない。

 

 目を閉じれば、あの光景がまざまざと蘇る。

 悠人の放った一撃から、自分は庇われた。その結果、横島が顔も判別できないほど滅茶苦茶になり、死の直前まで追い込まれたのだ。結局、横島から渡された文珠で命は助かった。

 

 あの時の無力感は決して忘れられない。

 もう二度と、あんな惨めな思いはしたくなかった。

 だから、自分のために、自身の誇りのために、龍を倒したかった。全て、自分のためなのだ。

 

 セリアの考えを、何人かのスピリット達も気付いたようだ。

 今回の龍退治は、『ヨコシマ様の力になるため』という建前で、自分勝手なワガママを押し通しているだけだと。

 本当に横島の為を考えるなら、エロい事してOK、とでも言った方がよほど相手も喜ぶだろう。

 しかし、いまさら『不倫されるのが怖いから戻ってきました』などと言えるわけがない。

 

「とにかく、私達に出来ることは速攻で龍を殺って、ラキオスに戻ることよ!」

 

 セリアの言葉に一同が頷いて、急いで出発するための準備が始まる――――と、そこで

 

「ちょっと待ってくださ~い」

 

 ハリオンがのんびりと声を上げた。

 

「どうしたのハリオン?」

 

「はい~実はイオさんに神剣通話の実験に付き合って欲しいと言われてるんですよ~」

 

「神剣通話?」

 

「何でも、神剣と神剣のハチョ~? を繋げて、遠く離れていても会話できるそうです~」

 

 ザワザワ。

 全員が騒ぎ出す。

 

「そ、そんなことが本当に可能なの?」

 

「それの実験に手伝って欲しいようです~。私の『大樹』に、何か色々と仕掛けをしてくれました~

 色々な条件があるそうで~なるべく強い神剣同士でやった方がいいみたいです。それと、呼びかけは私の方からしかできないようですけど。

 私の『大樹』だと、緑マナが濃い所なら出来るだろう……って言ってました~」

 

 どうやら、イオ・ホワイトスピリットとその主であるヨーティアという人物は相当な人物らしい。

 セリアはまだ半信半疑だったが、もし連絡が取れるなら、これは既存の戦術を一新させるかもしれない。

 

「ハリオン、やってみて」

 

「了解です~。もしもーし、ヨコシマ様~聞こえてますかー」

 

 ハリオンが自分の神剣である永遠神剣第六位『大樹』に向かって話し始める。

 その声は、僅かのタイムラグも無く、ラキオスにある『天秤』に中継され始めた。

 

 

 

「もしもーし、ヨコシマ様~聞こえてますかー」

 

「わ! なにこの声? どこから聞こえてくるの!?」

 

「お化けだったら、こわいよう」

 

 いきなり聞こえてきた声に、ルルーと、周りにいたスピリット達が騒ぎ出す。

 

 ここはラキオスの野外訓練場。訓練場といっても、要はスピリットが野外で訓練するための場所に過ぎない。

 横島は少し離れて小便をする為に、一時的に『天秤』をルルーに達に預けていた。

 何故預けたかというと、

 

『時々小便が飛んでくるのだぞ! エニの作ってくれた人形が汚れたらどうしてくれる!!』

 

 というような『天秤』の言い分らしい。気持ちは分からないでもない。

 緊急時ならそんな事は言わないのだろうが、周りをルルーに達に囲まれて、安全が確保されているなら、大丈夫と横島も『天秤』も判断していたのだ。

 何とも間の悪い時に、ハリオンは神剣通話をしてしまっていた。

 

「まさか、『天秤』の声が聞こえているのかな?」

 

「違いますよ~これは~神剣通話と言って~何と~」

 

「ああもう、話が長くなるからハリオンは黙ってて! かくかくしかじかよ」

 

 魔法の伝達言葉で説明を省略する。

 ルルーは圧倒的な技術力に目を丸くするしかない。

 

「……こんな事が可能なんて」

 

「ビックリですね~」

 

「いや、ハリオンさんがやってるんじゃないですか」

 

「そうですね~私ってすごいですぅ~」

 

 ハリオンの間延びした声が響いてきて、ルルーは笑ってしまう。

 第二詰め所は、実に個性的でユニークな連中の集まりだ。

 多分、こういう個性派の方が兄には似合っているのだろう。

 そんな考えが一瞬生まれて、ルルーは頭を振った。

 

「それで、どうしてヨコシマ様の神剣を貴方が持っているの? ヨコシマ様は?」

 

「えーとね、それはかくかくしかじかで」

 

「そんな理由で神剣を手放すなんて、何かあったらどうするつもりなの、あの人は。もし敵が来たら――――」

 

「周りは私達が囲んでいるから、絶対に安全です」

 

 隣にいたマセスハートが、ヒミカの言葉を遮って、きっぱりと言い切った。

 声には、確実に不快の色がある。

 そして、

 

「ヨコシマ様は……私達の隊長」

 

 宣言するように、ルーは呟いた。

 神剣の向こうから息を呑む声が聞こえたかと思うと、物凄い怒鳴り声が響いてくる。

 何種類もの声が交じり合っていたが、それはそのうち聞こえなくなっていった。

 

 プツン。

 古い電話のような音と共に通信は完全に途切れる。

 どうやら、かくかくしかじかしている間に、時間切れとなってしまったらしい。

 

 ちょうど、用を足した横島が戻ってきた。

 何か悪いことをしたと自覚している子供がするように、ルーはぷいっとそっぽを向く。

 横島は首をかしげた。

 

「何かあったんか?」

 

「あ~その……ううん、別に。はい、神剣渡すね」

 

 戻ってきた横島に、ルルーは何でもないよーと対応する。

 セリア達からの通信ついては何も言わなかった。どうして言わなかったかは、ルルーにもよく分からない。

 ただ、ルーの行動の心情は何となく分かった。

 少しでも第二詰め所と横島を離したい。自分達を見て欲しい。

 そんな、嫉妬じみた思いが根底にあるのだろう。

 

「そ、それで、今日はここでどんな訓練するの?」

 

「その前に、質問だけど」

 

 横島の声は重く、何だか緊張していた。

 顔付も、いつもよりキリッと凛々しくなっている。

 

「スピリットって、どういうときなら戦闘中で神剣を手放す?」

 

「いやいや、何言ってるの。何があっても神剣は手放さないよ。手放したら、そこで終わりだし。手放すのは死んだときか命令された時ぐらいだよ」

 

 ルルーの答えに「だよなぁ」と力なく頷く。

 一体を何を確認しようとしているのか。

 横島は真剣な表情で、第三詰め所を見つめる。

 

「今日は、集団で本格的な実践訓練をする。実践だと思って戦うんだぞ」

 

「……チーム分けは?」

 

「俺と、第三詰め所で分ける。ただグリーンスピリット数人は回復役に徹してもらうから外れてもらう」

 

 実質、一体二十の戦い。

 第三詰め所の力を甘く見ているな、とはルルーは思わない。むしろ、勝負になるかどうか心配なくらいだった。

 第三詰め所のメンバーは殆どマナを供給されていない。ラキオスと戦ったときと比べて、レベルがまったく上がっていないのだ。

 逆に、横島は以前よりも間違いなく強くなっている。

 ただでさえ、神剣の位が違うのだ。攻撃が通るかどうかすら怪しい所だ。

 

「……言っとくけど、寸止めしないからな」

 

 当然の台詞に、ルルーの心臓が跳ね上がった。

 

「ちょっと待って! 兄さん、ボク達を殺す気!?」

 

「グリーンスピリットが回復に徹してもらうから、大丈夫だ。俺も広範囲の神剣魔法は使わんから」

 

 そうは言うが、万が一は考えられる。

 ルルーがなおも取り縋ろうとすると、

 

「ルルー、反論しちゃだめ!」

 

 他のスピリットはルルーをたしなめる。

 人間に反抗するなど、彼女らは考えない。どのような理不尽があっても、唯々諾々と従う。

 疑問に思わない。相手の裏を読もうと思わない。ただ、命令を実行する。

 彼女らは、この上無く優秀な戦闘奴隷だった。

 そんな彼女たちを見て、横島は決意を新たにする。

 

「それじゃあ……この石を投げるから、地面についたら開始でいいか?」

 

「え? うん、良いんじゃないかな」

 

 問いかけられ、何となく違和感を持ったルルーだが、素直に頷く。

 横島の視線は、やはり厳しい。

 

「戦う場所は、俺はここ。ルルー達は……あの少し離れた原っぱ辺りから開始でいいか?」

 

「どうして兄さんに指定されないといけないの?」

 

「ルルー、文句は駄目」

 

 ルルーはやはり何か引っかかったようだが、他のスピリットは素直に頷いて、横島が指差した原っぱに向かう。

 首を捻りながらも、ルルーも従った。

 

 全員が位置についたのを確認して、横島は石を投げる。

 それは放物線を描か――――ないで真下に落ちた。

 

「ええ!?」

 

 驚愕する第三詰め所のスピリット達。

 横島は、放り投げた石に極小のサイキックソーサーをぶつけて、石の軌道を変化させたのだ。

 こずるい策略によりルルー達の出足をくじき、先手を取った横島は、間髪いれずに次の策を発動する。

 

「発動! 成功型失敗文珠!!」

 

 ルルーの足元に転がしてあった黒ずんだ三個の文珠が、光を放ち爆発する。周囲に大量の煙がわき上がった。

 煙は一面に広がって、ルルー達を包み込んで完全に視界を塞いでしまう。

 文珠の生成に失敗した時に発生する、霊力のカスを利用したのだ。

 ちなみに、この成功型失敗文珠は、一日で三個も作れる生産力の高い失敗品である。

 

(完全に罠じゃないか! だから変な予感がしたんだよ!)

 

 ルルーは内心で今度は絶対に引っかからないようにと反省する。

 完全に虚を突かれた状況で、さらに視界がゼロ。

 煙の中で、動揺する声が幾重にも重なる。

 

「こんな煙なんて!」

 

 ルルーは全力で神剣を振り回して、衝撃波で煙を吹き飛ばそうとした。

 だが、どうしたことか煙は一向に吹き飛ばない。まるで煙が意思を持って纏わりついてくるようだった。いや、実際に纏わりついてきている。

 煙を引き離す速度で走るか。

 ルルーはそう考えたが、すぐに破棄する。下手に動くと全員バラバラになる。

 第三詰め所の有利な点は数だけだ。その利点を手放したら、あっという間に各個撃破されてしまうだけ。

 お互いに視界は利かないのだ。条件は対等。ならば、

 

「皆! グリーンスピリットを前面にして陣を組んで! 視界が利かなくても、神剣反応さえ見れば場所は分かるから!! 慌てないで大丈夫」

 

 ルルーは即座に指示を出した。

 実践では密集すると大規模神剣魔法で全滅する恐れがあるので、散開と集合を臨機応変に繰り返す必要があるのだが、今回の訓練では強力な神剣魔法は禁止してあるから問題ない。

 

 神剣反応さえあれば、視界が塞がれていても場所を特定できる。

 視界が塞がれたまま、神剣反応のあるところにグリーンスピリットを中心に外側に障壁、内側に槍衾を作って防御陣形を構築した。

 

「レッドスピリットは神剣反応箇所に砲撃して、ブルーは強襲準備、ブラックは遊撃」

 

 またルルーの指示で、レッドスピリット達は炎の矢を飛ばす。

 決して悪い判断ではなかった。相手が横島でなければ。

 

「ぐあ!」

 

 スピリットの悲鳴が聞こえた。

 ルルー達が陣形を組んだ、真後ろからだ。

 意味が分からない。どうして、神剣反応と真逆に地点で襲われるのだろう。

 そうこうしているうちに、後ろにいたレッドスピリット隊の反応が次々消えていく。

 

(まさか、本当に殺しているわけじゃないよね!?)

 

 一瞬、不安になったが、流石にそれは無いと思いなおす。

 

「グリーンスピリットの半分は後ろに回って!!」

 

 ルルーが指示して、グリーンスピリットを後ろに回す。

 すると、今度は左翼と右翼にいたブルースピリットとブラックスピリットが悲鳴を上げた。

 

「何か、飛んできた!? 攻撃きてる!」

 

「ええ!? どういうこと!!」

 

 相手は一人のはずなのに、四方から攻撃を受けている事になる。

 どうにかして遠隔攻撃をしているのは分かるが、手段が分からず、横島本人が神剣反応の所に、本当に存在しているかも分からない。

 

「仕方ない! グリーンスピリットは円形になって防御態勢にして!! 上空も警戒してね」

 

 四方にグリーンスピリットを配置して、どの方向から攻撃が来てもいいように備える。

 だが、それは悪手だった。まず、どうしてルルーはグリーンスピリットを集中的に運用しようしたのか。それは、力の差がある横島が、もし突撃してきたら、全グリーンスピリットをぶつけるしかないからだ。

 

「おんだらああああ!」

 

 霧の中から横島の気合いの声が響いたかと思うと、薄くなったグリーンスピリットの障壁は一気に打ち破り、陣の中に入ってきた。

 ルルーは舌打ちする。こうなったらもう、突撃してグチャグチャにするしかない。

 

「全員突撃!!」

 

 もうこれしかないと、ルルーは声を張り上げる。

 だが、誰も動かなかった。

 ふと、気づく。音がしない。剣戟の音も、声も、何も音がしない。

 

「わああああ!!」

 

 声を張り上げたが、自分の声すら聞こえない。視覚が奪われたら、今度は聴覚だ。

 何が何だか分からないうちに、バタバタと神剣反応が消えていく。

 

(どうして視界ゼロなのに、こんなに上手く立ち回れるの!?)

 

 疑問ばかりが膨らんでくる。こんな訳の分からない戦いは始めてだった。

 とうとう、神剣反応が全て消える。残っているのは、自分と、兄だけ。

 

(せめて一矢報いてやる!)

 

 永遠神剣第七位『反抗』から全ての力を引き出す。

 同時に、霧の中から兄が飛び込んでくる。ここまで近づけば、いくらなんでも見える。

 兄は、右腕に持った『天秤』を、思い切り振りおろしてきた。

 必死に受け止める。重い一撃だったが、何とか受け止める事が出来た。

 ここから反撃――――

 

「え? どうして?」

 

 気が付くと、肘から先が斬り飛ばされていた。

 見ると、左手に持った『天秤』で、切り上げられたらしい。

 もう本当に訳が分からない。一体何時の間に、神剣が移動したのか。

 ボトリと、手が落ちる音が聞こえた。音が戻ったかと思うと、みるみる霧が晴れていく。

 

 霧が晴れると、そこにはうずくまるスピリット達の姿があった。

 傍には、神剣を握ったままの腕がいくつも落ちている。ぞっとするような光景だ。

 ルルーも、神剣を握ったままの、自分の腕が血だまりに落ちていて、流石に顔を青ざめさせた。

 

「ムーちゃん! 回復、回復!」

 

 血しぶきを浴びて赤と黄金色に染まった横島が、待機しているグリーンスピリットに声を張り上げる。

 この惨状を作り出した張本人とは思えないほど、泣きそうで蒼白な表情だ。

 

「永遠神剣――の主が命ずる――――」

 

 グリーンスピリット達は一斉に回復魔法の詠唱を開始した。

 吹き飛ばされた腕がマナの霧となって消える。

 それとほぼ同時に、スピリットの腕が再生を始める。

 怪我をした直後だったから、初級の回復魔法でもほどなく完治する。

 

 ルルーは項垂れた。

 何が何だか分からないうちに負けた。まず、戦いそのものになっていなかった。

 練り上げた剣術も魔法も、殆ど使用しないまま負けてしまったのだ。

 それも、全員が腕を切り落とされて神剣の守護を失って無力化されるという、馬鹿馬鹿しいほどの力の差を見せ付けられた。

 理解する。これは訓練では無い。実験だと。

 

「実験は上手くいった? スピリットをそんなに殺したくないんだ。兄さんって本当に優しいね~」

 

 ブスッと頬を膨らませて、面白くなさそうにルルーが言った。

 ルルーは良く見ている、と横島は普通に感心した。

 確かに、今回の戦いは実験だった。自分と、そして彼女らの力を試す為の。

 

(まあ、大体目標達成できたけど)

 

 今回の戦いの結果に、それなりに満足する。心は痛かったが、必要な事だったのだと、何とか自分を納得させる。

 横島の目標の一つが、可能な限りに敵のスピリットを殺さずに倒す、というものだ。

 『可能な限り』である。いざという時は、横島も割り切る、だから、『可能』を増やし、いざという時を起こさせないようにする必要があったのだ。

 

 今回の実践訓練は、この『可能な限り』の可能を増やすための訓練だった。

 まあ、それだけが目的という訳ではない。他にも、色々見られたのは幸いだった。

 それにしても、と横島は思う。

 

(もし美神さんとおキヌちゃんがいてくれたらなあ)

 

 殺さない為に、腕を斬り落とす。その方法が本当に上手くいくか、実際に実験してみる。

 真面目に考えて、こんな方法しか思いつかなかった自分が情けなかった。

 二人がいれば、こんな辛くシリアスな世界を、ギャグで塗り替えられるかもしれないのに。

 

『愚かなことを。神剣持ちならともかく、今更あの二人が来たところで何の戦力にもならないだろう』

 

 横島の希望を打ち砕くように、冷徹で現実を見据えた声が頭に響いた。

 戦闘力で言えば、確かにそうだ。最低限、小竜姫クラスの力が無いと、戦闘なんて出来やしない。

 今の自分なら、強化されたぺスパが十人いても戦えるのだ。力ずくで倒す事も、不可能ではないだろう。

 強くなった。大部分は神剣のおかげだが、それでも強くなったには違いない。戦闘力だけではない。訓練で女の子の腕を斬り飛ばすなんて、昔の自分ではできなかったはず。肉体も精神も強くなった。

 だが、どうにも成長したとは思えないのだ。

 

『馬鹿な事を言う。今まで出来なかった事がやれるようになった……これが成長ではなくて何だと言うのだ』

 

「そりゃあ、そうなんだけどなあ」

 

 それでも、思うのだ。どこかで、道を間違えたのではないか。

 強くなるとは、本当にこういう事だったのかと、美神を思い出すたびに疑問がよぎってしまう。

 ズキンと久しぶりに頭痛が来た。

 考えるのを止める。訓練は、実験は、これからだ。

 

「次の訓練を始めるぞ。次はな、逃げる訓練だ。俺と追いかけっこをして、捕まったら負けな」

 

「追いかけっこ? 逃げる?」

 

 聞いたことが無い訓練に、全員が首を傾けた。

 

「ああ、これから勝てない相手が出てきたら、命令を待たずに、咄嗟の判断で逃げることも必要だからな」

 

「咄嗟って……命令無しで敵前逃亡なんてスピリットには出来ないよ」

 

「そこは戦略的撤退とか、後ろに向かって前進とでも言えばいいんだ」

 

「おー流石に兄さん。汚い、とても汚い」

 

 ルルーは感心したように頷いたが、彼女以外のスピリットはよく理解できなかったのか、頭の上に? マークを飛ばしていた。

 そんなスピリット達の様子を、内心溜息で横島は見つめていると、ルルーがぴょんと手を挙げた。

 

「やっぱり空飛ぶのは無し……だよね?」

 

「いや、いいぞ」

 

「え、でも」

 

 疑問を言い終わる前に、横島は歩き出した――――空中へと。

 まるで透明の階段があるように、すたすたすたと、空中を歩いて見せる。

 サイキックソーサとオーラフォトンを組み合わせて足場を作ったのだ。

 ルルーは口をあんぐりと開けるしかない。

 

「ま、こんなもんだな」

 

「こんなもんって……エトランジェって……霊能力者って皆そんなことできるの?」

 

「全員ってわけじゃないけど、空を飛べる奴は結構いたぞ」

 

「霊能力者って凄いんだねえ」

 

 感心したように頷くルルーだが、横島としてはそれで霊能力者が凄いとは思わなかった。

 あの世界のGS連中の強さは、力が強いとか空が飛べるとか、そういう次元ではない。

 神の御業も、悪魔の所業も、高笑いして潰していく。

 スキルがあるから強いのではない。道具があるから強いのではない。頭が良いから強いのではない。

 言葉にするのは難しいのだが、あえて言うのなら、誰も彼も『イイ性格』で強かった。 

 

『私には、分からんな。戦いに必要なのは、まず能力だろう』

 

「……お前みたいなタイプが、美神さんにとっては一番カモだろうな~」

 

『何だと!? 貴様はまだ永遠神剣の恐ろしさが分かっていないようだな』

 

 怒りの声が響くが、やはりどう想像しても、美神のハイヒールでゲシゲシと蹴られる『天秤』の姿が浮かんできて、横島は笑ってしまう。

 

「それとな、この追いかけっこで捕まったら奴とは、今日は口きかんから」

 

 唐突な横島の発言に、辺りがしーんと静まり返る。

 鳥の声や虫の鳴き声すら消えてしまった沈黙から少しして、

 

「や、やだー!」

「そんなの、駄目」

 

 姦しい声が辺りに木霊する。

 彼女たちにとって、横島と会話するという行為は、一日で一番楽しい時間なのだ。

 あちらこちらから悲鳴が上がるが、横島は目を閉じて心を鬼にする。

 

「よし、じゃあ十秒数えたら追いかけるからな。ほい、ストラロ~(10)、クトラ~(9)、キトラ~(8)」

 

「え、ええ?」

「ど、どうしたら」

 

 いきなりのカウントダウンに、動揺して混乱するスピリット達だったが、

 

「何してるの!? まずは急いで逃げないと!」

 

 まず、ルルーがウイング・ハイロゥを展開して、空中に逃げ出す。

 ルルーが逃げ出すと、ようやく他のスピリットが動き出した。だが、ここでルルーの予想外の事態が起こる。

 なんと飛行できるブルースピリットとブラックスピリットが、全員一塊になってルルーの周辺を飛んでいる。

 さらに、地上ではグリーンスピリットとレッドスピリットが走って追いかけてきていた。

 

「な、何で固まって動いてるのー!?」

 

 ルルーが叫ぶと、何人かが顔を見合わせた。

 確かに、ルルーの言うことは当たっている。このままでは捕まった時、一網打尽だ。

 それは分かったが、じゃあどうしたらいいのか分からない。

 

「早く全員散って~~!!」

 

 涙目でルルーが指示して、ようやくスピリット達は散り散りに逃げ始める。

 その逃げ方も、地理を生かそうとか、囮を使って撹乱しようとか、一切考えず、ただ全力で走るか飛ぶだけ。

 何だかルルーは情けなかった。自分で考えることがまったく出来ない。ひたすら指示を待って動くしかない。

 それはそれで命令尊守の兵士の鏡に見えないこともないが、命令を尊守するのと思考ができないのは別の問題だ。

 命令の枠内で、自己の判断で最善を尽くしてほしい。この有様では、事細かに指示しないと不安でしょうがなかった。

 

(きっと兄さんは、こういう部分をなんとかしたくて、この訓練を始めたんだろうな)

 

 この訓練の意図を理解する。

 思えば、さっきの戦いでも、場所の指示や、戦いを始める条件を決めていたが、決して命令はされていなかった。

 この訓練は敵を倒す訓練ではない。頭を使い、自分で考え、そして――――。

 

 とにかく生きてくれ。死なないでくれ。

 そんな横島からの想いを感じて、ルルーは熱い気持ちが胸にせりあがり、想いに答える為の頭を冷やす。

 

 さて、どうやったら逃げられる? このまま飛び続けるか?

 駄目だ。そもそも、向こうのほうが足が速い。それに野外訓練場の範囲限界まで逃げたら、後は追いつめられて捕まってしまう。

 どうする、どうする、どうする…………

 

「あっそうか!」

 

 ――――スピリットって、どういうときなら戦闘中で神剣を手放す?

 

 ヒントは、何度も出されていたのだ。

 神剣さえ手放せば、神剣反応で追いかけられる事は無くなる。

 戦わずに生き残る。それを意識すれば、答えは簡単だった。

 

 空を飛んで辺りを見回す。すると、ちょうどいいものを発見できた。

 ルルーは、神剣を藪に隠して、泥の中に飛び込み、ゆっくりと身を沈めていった。

 

 

 

 

「やっぱりお風呂は最高だね!」

 

 手ぬぐいを頭に乗せたて、ほかほかしたルルーが、第三詰め所に戻ってくる。

 結局、逃げ延びれたのは神剣を手放して沼に飛び込んだルルーだけだった。

 全身泥まみれのルルーを、横島は声を立てて笑ったが、唯一褒めたのもルルーだけだった。

 

 風呂からあがってリビングに戻ると、兄はぼうっと窓から外を見ていた。周りには、沢山のスピリットがウロウロしている。

 

「にゃ~」

「お茶、入れますか?」

「お菓子もあるよ」

「ちち~しり~ふともも~」

 

 横島に纏わりつきながら、色々と行動するスピリット達。だが、横島は彼女らに何の反応も示さない。

 捕まったスピリットとは、今日一日話さない。

 それは脅しではなく、本当だったらしい。

 

「私は、ここにいる。ここにいるの!!」

 

 無視され続けて、我慢の限界に達した一人の、悲痛な声が響く。

 話して欲しいとも、愛して欲しいとも言わない。

 私は、ここにいる。

 スピリットの心を壊す調教の本質を表した、正に悲鳴だった。

 

「ねえ、兄さん。少しぐらいは話しても」

 

「ダメだ! 俺だって辛いんだぞぅ!」

 

 横島はぐっと唇を噛み締めて、憮然と言った。そして、指をトントンとテーブルにぶつけて、何だか落ち着かない様子である。

 何かを待っているのかな、とルルーが思ったと同時に、チリンチリンと呼び鈴の軽やかな音が響き渡った。

 これまた同時に、横島は玄関に駆けだす。扉を開ける音が聞こえ「待ってました!」と横島の軽やかな声が響いた。

 

「こんにちわです~」

 

 満面の笑みを浮かべた優しそうな女性が、第三詰め所に入ってきた。

 

「マリオンさんだ。これからの、皆の教育係の一人だぞ」

 

「教育係って……」

 

「俺だけで皆を立派なレディにするのは難しいからな。それに、色々な人と触れ合うのは大切な事だろ」

 

 まるで親や教師のような発言だった。

 それだけ横島は本気なのだ。冗談で第三詰め所のスピリット達と付き合っているわけでは無い。

 第三詰め所のスピリットの、命と尊厳と心。それを育み、守る為にも、女性の教育者は必須と横島は考えたのだ。

 

「えっと、マリオン様、よろしくお願いします」

 

 物怖じしないルルーが、まずしっかりと挨拶する。

 

「礼儀正しい良い子ですね~私の事は、マリオンお婆ちゃんでも構いませんよ~?」

 

「お、お婆ちゃんって……どうみてもボクより少し年上なだけじゃないですか」

 

「あらあら~嬉しいことを言ってくれますね~こんな六十のお婆ちゃんに」

 

「……うそ」

 

 どうみても二十才ぐらいにしか見えない。

 

 信じられないぐらいの童顔で、スタイルも抜群だ。肌もピチピチしていて、髪の艶も良い。垂れ目で、とても優しそうな印象だ。

 ただ、鼻が少し潰れていて全体的にのっぺりとした印象があるからか美人とは言い辛い。可愛いとか愛嬌がある、という言い方が適切だろう。どちらであろうと、六十の女に対する感想とは思えない。

 

「あら~ばれちゃいましたね」

 

 どうやら流石に六十歳は嘘だったらしい。

 ルルーはほっと胸を撫で下ろそうとして、

 

「実はサバを読んでいて~本当は七十歳です」

 

「嘘だ!!」

 

「ひゃあ! 大声を急に出されると怖いですよ~」 

 

「あ、ごめんなさい」

 

「いえいえ~ゆっくりと大きな声を出してくれるなら、怖くないから大丈夫です~」

 

 ニコニコとマリオンは笑う。

 ルルーはどうもマリオンのノリに付いていけず、曖昧な笑顔を浮かべるしかなかった。

 

「この人は、ハリオンとへリオンの育ての親だ」

 

 横島の説明に「ああ、なるほど」と納得してしまう。

 これは確かに、あのハリオンと同じ雰囲気だ。

 実は、マリオンはハリオンをして『のんびり』と言わしめるほどの人物だったりする。

 ヘリオンは所謂反面教師としてマリオンを見ていたのだろう。だから、あんなに忙しないのだ。

 

「それじゃあ、マリオンさんお願いします。俺はちょっとやることがあるんで」

 

「また出かけるの? 何だか忙しいね」

 

 ここ最近、ルルーは横島がのんびりしているのを見た事がなかった。

 いつも何かかしら忙しそうに動き回っている。以前は町で遊んでいると聞いていたが、最近は町にもそれほど姿が無いらしい。

 帰ってきても、スピリットと触れ合っている時以外は、地図や書類を睨みつけている事が殆どだ。

 

「それにしても、『今日一日口聞かない』とか言っといて、これから一日出かける予定があったなんて……本当に兄さんって……えへ」

 

「……なんじゃい、その変な笑いは」

 

「べっつに~。ただ……えへへ~」

 

 悪っぽく笑みを浮かべるルルー。

 何だか恥ずかしくなった横島は、頬を紅潮させて睨んだが、何かを思いついたようで、ルルーと同じような悪巧みな笑みを返す。

 

「何言ってんだ。お前も頑張るんだぞ。ルルー・ブルースピリット隊長」

 

「へっ? たい……ちょうって?」

 

「ルルー・ブルースピリット! 第三詰め所隊長に任ず!! ……ほい、辞令だ」

 

 横島は懐から取り出した封書をルルーに渡す。

 しっかりと、ラキオスの紋様である龍の花押が押されていて、中から一枚の羊皮紙が出てきた。

 そこには、確かにルルーを隊長とする辞令と署名が記されていた。名前の所だけが、まだインクが滲んでいる。

 どうやら、書き込まれたばかりらしい。先ほどの訓練は、どうやら隊長を選出するのも目的だった様だ。

 

 ――――何でルルーが……ヨコシマ様じゃないの……私は構わないけど……ヨコシマ様がいいよ~

 

 ひそひそひそひそ。

 辺りからそんな声が聞こえてくる。

 

「うぎぎ……兄さん。分かって言ってるでしょ!」

 

「ん~、何の事か分からんな。これから、隊長としての勉強がた~っぷり待ってるからな!」

 

「兄さんの鬼ー! 悪魔ーー!!」

 

「ふ、なんとでも言うが良いわ! ……頼んだからな」

 

 横島がルルーの肩に手を置く。

 肩に置かれた手には、少なからず力が込められていた。

 

「分かってるよ。任せておいて」

 

 ルルーは力強く頷いた。

 とにかく、死なないでくれ。

 それが、兄の一番望んでいる事だと気づいている。

 自分達の為にも、そして兄の為にも、精一杯頑張らないといけない。

 

「それじゃあ、行ってくる」

 

「あっ……行ってらっしゃい」

 

 スピリットが何処かへ行く横島に声を掛ける。

 やはり、横島は返事をしない。返事が返ってこなくて、しょんぼりするスピリット達だが、

 

「美味しいパンが食いたいなー(チラチラ)」

 

 そんな独り言を呟いて、何度も視線をスピリット達に送った後、仕事に出て行った。

 ルルーは馬鹿らしいような、微笑ましいような、恥ずかしいような、良く分からない気持ちになった。

 マリオンはニコニコしながら、スピリット達に向き直る。

 

「それじゃあ、何から教えましょうか~」

 

「美味しいパンの作り方ーーーー!!」

 

 異口同音でスピリット達が答え、マリオンは優しく微笑むのであった。

 

 

 

 

 それから数日が経過した。

 ルルーは毎日毎日お勉強で忙しい。

 特にマリオンの『夜のお勉強会』は、色々と意識をさせられて大変だった。

 中学生の時、保健体育の授業が妙に恥ずかしかった、あの感覚に近いだろう。

 

「う~恥ずかしい」

 

 女のあれこれを教えられて、妙に熱くなった顔を冷ますために、夜の散歩に出る。

 夜風を浴びて、気持ち良く涼んでいると、思いがけない人物にあった。

 

「兄さん! どうしたこんな所で」

 

「お前こそ、どうしたんだよ」

 

「ボクは……その、顔の火照りを冷ます為に」

 

「ほ~なるほどなるほど。マリオンさんの授業は、どういう感じだ?」

 

「うぅ……エッチな話は恥ずかしいよ」

 

 耳まで真っ赤なルルーが涙声に近い声色で呟く。

 嫌いというわけでは無いが、苦手と言った感じらしく、イヤイヤと首を横に振っていた。羞恥心は着実に育っているようだった。

 それなりに成熟した子供は、性を不潔と捉える時期がある。ルルーはその時期にはいったらしい。

 ちなみに、ルー達はまだ恥ずかしいという感情よりも、面白いという感情の方が先にくるようだ。

 

「子供やな~俺の妹なら猥談ぐらいできんと失格だぞ」

 

「兄と猥談する妹なんかいるか!」

 

「いや、世の中には結構いるらしいぞ」

 

「ええーそれやだな~」

 

「確かに、エロイ姉ちゃんならともかく、エロイ妹がいても意味無いよな」

 

「この変態兄め……それで、こんな夜更けに外でなにやってんの」

 

 こんな夜中に、一体どうしたのだろうか。

 自分と同じく夜の散歩かと思ったが、このお祭りのように賑やかな兄が一人で散歩している光景など、何かの笑い話にしかならない。

 誰かと待ち合わせでもしているのかな、とルルーが考えていると、ゆったりとした足音が近づいてきた。

 

「おや、妹様もお連れで」

 

「偶然だ。つーか、何でお前までこいつを妹扱いしてんだよ」

 

「ははは」

 

 現れた男は中肉中背の短髪で、何処にでもいそうな特徴の無い顔をしていた。若年にも壮年にも見える。形容する言葉が見つからない。特徴が無いのが特徴、とでも言うしかない。

 目の前で話をしていても、ふと相手の顔が分からなくなるような希薄さが目の前の男にあった。しかし、初対面でも何処かであったような気にさせる存在感がある。

 ルルーは頭に思いついてきた言葉を言った。

 

「……憲兵?」

 

「はい、憲兵ですよ」

 

 男はあっさり答える。

 ルルーの表情がさっと変わった。

 

「家の兄が何か……まさか下着泥棒!? 強制わいせつ罪!? 下半身露出でもしたの!!」

 

「はい、女性用下着を一万枚も盗み出してしまって」

 

「うわ~最悪。ま~いつかはやると思ったけどね」

 

「おいこらそこー! 俺は中身専門で下着は妄想の補助程度だぞ!」

 

「胸張って言うことじゃないよね」

 

「ええ、まったくです」

 

 憲兵の男とルルーは互いに頷きあう。

 初対面とは思えないほど会話が進む。横島というバカは、話のネタに最適だ。

 

 また暗闇の中に、ルルーはふと気配を感じた。気配を感じた方を、じっと目を凝らして見てみる。

 そこには、黒い外套を纏った男が夜の闇に溶け込んでいた。

 ターバンのようなものを顔に巻きつけていて、目だけしか表に出ていなかった。その目も、何も映していない。

 とても挨拶や会話なんて出来る雰囲気ではなかった。

 

 スパイや諜報員に該当する、闇の戦士であると理解したルルーは、露骨に嫌な表情をする。

 黒衣の外套を纏った人間は音もなく近づいて、横島と憲兵の耳元でひそひそと何やらを呟く。

 

 ――――追いつめたぞ。

 

 ぞっとするような声が、歪に開かれた横島の口から漏れた。

 ルルーは思わず耳を塞ぎたくなる。いつも楽しく面白い兄から出る声とは思えないほど、暗く恐ろしい声だった。

 

「俺は今日から最低二日は留守にすっから。皆に伝えておいてくれ」

 

「ええ!? 急になにそれ!!」

 

「俺は俺でやる事があんだよ」

 

「やる事ってなに!」

 

「何そう怒ってんだよ」

 

「怒ってないよ! ただ……兄さんが」

 

 何処かに行ってしまいそうで。

 よく分からない不安で、ルルーの唇がへの字の形に変わる。

 

「何だ、まさか寂しいのか?」

 

「別に寂しくなんてない!!」

 

 ルルーは自分でも思っていなかったほど大きい声が腹から出てきて、恥ずかしくて俯いてしまう。横島も、案外とルルーが寂しがっていると分かって少しニヤニヤしてしまう。笑みに気づいたルルーは、カッとなって横島の足を蹴りだした。

 憲兵と名乗った男は、にこやかにルルーを見守っていたが、笑いながら横島にそっと耳打ちした。

 

「では、いきましょうか。逃げれないよう、周りは確実に囲んでおきます。戦闘の恐れもありますから、周囲から人を遠ざけた上で、突入は貴方一人で。どのような光景が広がっていても……奴らを殺さないようにお願いします。情報を聴きだした上で、法にのっとり、見せしめも兼ねて処理しますから」

 

「ああ」

 

 感情のこもっていない返事をする横島。

 

「それじゃあ行くか。ルルー、皆にはよく言っといてくれ」

 

「あ、うん。分かった……気をつけて」

 

 心配そうに言うと、横島は手をひらひらさせて、男と共に歩きだす。

 そうして、彼らは闇の中に消えていった。

 周囲の闇が、まるで横島の体に入り込んでいくようで、ルルーは思わず身震いした。

 

 

 

 

 サルドバルトの南東に広がる湿地帯。その奥地に、ビルが飲み込まれるような巨大な縦穴があった。

 縦穴の奥には、まるで青々しい山がそびえる様な巨体がある。

 龍だ。名をネストセラスと言うが、その本名を知るものはいない。

 

 この龍は、悠人達に討伐された守護龍サードガラハムと同じく、高い知能を持っていた。

 だから、この世界の現状を深く考え、そして迫り来るものがどういう意図を持っているかを悟るのも造作ない。

 

(遂に、この時が来たか。是非も無い)

 

 スピリット達が殺意を持って迫っている。それを感じた。

 龍は、いつかこうなる事を理解していた。

 恨みは無い。未練も無い。『門番』としての役目は果たせるだけ果たした。もはや自分が為す事は何一つない。

 この身に蓄えられている莫大なマナ。この莫大な力で生産も破壊もせず、無為に生きていくのは罪悪に等しい。

 だから、討ち果たされても構わない。

 とは言っても、ただで殺されるつもりも無かった。

 生ある者の勤めである、生きるための努力を放棄するつもりはない。

 

 ――――来るがいい、妖精よ。我が最後の舞台に付き合ってもらおう。

 

 雄大に、荘厳に、龍はスピリットの訪れを待ち続けた。

 だが、予想に反してスピリットは訪れなかった。

 

 訪れたのは、洞窟内に怒涛の如く流れ込んで来た炎の波。雷の鞭。そして、大地揺るがす衝撃。

 圧倒的な熱量が逃げ場の無い洞窟内を埋め尽くしてゆく。魔の炎は洞窟内を灼熱地獄と変えた。

 

「オオオオオォォォォォォ!!」

 

 龍は炎の海でもがき苦しみ、雷の鞭で打たれ咆哮する。硬い岩肌はチョコレートのように溶け出して、龍の鱗に張り付く。

 地獄の釜とも呼べる中、のたうつ龍が見たものは、何十トンにも及ぶ岩盤が崩れ、潰されていく我が身だった。

 

 遠くから、その様子をつぶさに観察する人影があった。

 青のポニーテールを揺らしたセリアが、グラスにマグマを注ぎ込んだも同然の縦穴を、睨みつけるように観察していた。

 隣には、荒く息を吐いて、呼吸を整えているナナルゥの姿がある。

 

「目標に着弾を、確認しま、した」

 

「ええ、さすがナナルゥね。アポカリプスって言ったわね。大した神剣魔法よ」

 

「ですが、詠唱の長さと、マナの消費が激しく……さらに効果範囲が広すぎるため……戦場での使用は限定……されると」

 

「疲れてるんでしょ。無理して説明しなくても大丈夫よ」

 

「……はい」

 

 何となく、しゅんと肩を落としたナナルゥ。

 案外、この新技を自慢したかったのかもしれない。

 

 これで潰れてくれれば楽なのだけれども。

 

 セリアはマグマ溜まりとなった巨大縦穴を観察する。

 足の裏に、僅かに振動を感じた。

 何か巨大なものが、地下から這い出てこようとしている。

 

「ナナルゥ」

 

「はい」

 

 ナナルゥは最後の力を振りしぼって離脱する。

 彼女の役目は、最初に最高の痛打を与える事。十分役割は果たした。後はこちらの出番だ。

 いよいよ振動が激しくなって、セリアはウイング・ハイロゥを展開させて空中に飛ぶ。

 少し遅れて、地面が大きく裂け、裂け目から緑龍が翼をはためかせて空へと舞い上がってきた。

 セリアを見る目は怒りに燃えている。かなりダメージを負っているように見えたが、まだ五体満足で動き回れそうだ。

 

「あれぐらいじゃ潰れてくれないか」

 

「当然だ。妖精よ、汝は選択を誤った。大人しく我が眼前にくればよかったものを。

 我が翼を見よ。汝ら妖精の脆弱な羽とは比べものにならぬぞ! 洞窟内ならいざしらず、この翼を使える空中で龍を打ち倒せると思うたか!!」

 

 荘厳すら感じる龍の声。そこに含まれる怒りの響き。

 並の人間なら卒倒しかねないプレッシャーをセリアは一身に浴びるが、

 

「言いたいことはそれだけ?」

 

 大気すら震わす龍の怒気を素っ気無く受け流す。

 背中のウイングハイロゥに力を注ぎこんで、龍とは逆方向に飛びぬけた。

 

「逃げるか、愚かなものめ」

 

 龍も翼を広げて、逃げたセリアを追う。言うだけの事はあり、龍の方が僅かに素早いようだ。

 この巨体がどうしてここまで素早く動くのか。小山がハヤブサのように飛んでいるようなものである。

 龍とセリアの間はぐんぐんつまり、あと少しで龍の爪がセリアを捉える――――

 

「龍の鱗を貫くのは確かに難しいわ……だから、鱗が無い部分を貫けばいい話よ!」

 

 気配を殺して龍の通り道に潜んでいたヒミカが、龍の背後で神剣魔法の詠唱を開始する。

 フレイムレーザー。何本もの強力な熱線を生み出す神剣魔法だったが、龍は鼻で笑う。

 目や口などの急所では無い限り、危険は無いだろう。今はこのブルースピリットを捉えるのが先決。

 龍はそう判断した。己が鱗に絶対の信頼を置いていたからだ――――が、続く言葉に龍は生まれて初めて戦慄した。

 

「生物だったら、食べて、出すのよ! 」

 

 数本の紅の矢が、龍の尾の付け根付近に殺到した。

 

「AAAAAAAAHHHHHHHHHHHH!!!」

 

 生み出された熱線の一本が、穴に潜り込んで内臓を焼き貫く。

 これには流石の龍も、色々な意味でたまったものでは無い。

 龍の無残な悲鳴が辺りに木霊する。そこには哀愁と卑猥な響きがあった。

 

「おのれ! 愚劣な妖精共め!!」

 

 龍は目に涙を溜めながら、大いに怒った。

 長く生きて、何度かスピリットと争った事があったが、これほどの侮蔑は受けたことが無い。

 恥辱を晴らそうと、龍は旋回するために翼を広げて空中で静止した。

 

 正にその時。

 二つの青の弾丸が龍の直下から飛び出した。

 完全に予期していなかった方向からの攻撃に、龍は対応できない。

 

 ズブリ。

 ネリーの神剣『静寂』とシアーの神剣『孤独』が根元まで龍の体内に埋まる。

 翼の付け根。翼を羽ばたくための柔軟性を得るために、この部分だけは鱗が柔らかかった。

 完全に狙い定められた一撃だ。

 

「ヤアアアア!!」

 

 さらに二人は翼を引き裂かんと、青のマナを神剣に纏わせながら激しく動く。

 そうはさせじと、龍は二人に爪を打ち込もうとするが、視界に黒い影が二つよぎった。

 

「いきますよー!」

「針の一刺し、うけなさい!」

 

 ヘリオンとファーレーンの、二振りの刀が、龍の眼球を貫こうと眼前にまで迫る。

 慌てて振り払う龍だが、今度は耳に漆黒の針を突き入れられ、龍は鬱陶しげに咆哮する。

 致命打ではないとはいえ、非常に鬱陶しい攻撃の連打。それでいて、油断をすると命を絶つのがブラックスピリットの持ち味だ。

 

 龍がヘリオン達に苦慮している間に、とうとう半分ほど翼が引き裂かれると、遂に龍は落下を始める。

 バキバキバキ!!

 龍の体は、多くの木々をなぎ倒しつつ、それをクッションとして地面に墜落した。

 龍は顔をしかめたが、この程度の衝撃はダメージにも入らない。

 

「おのれ、こざかしい真似を! だが、翼を失おうとも我にはまだ爪と牙と尾が……む、ここは」

 

 龍はただでさえ巨大なまなじりを、驚愕で限界まで見開く。

 落ちた個所は湿地帯で地面が非常に柔らかく、龍の巨体がずぶずぶと沈むほどではないにしろ、歩くのも難儀するほど。さらに巨木が多く腕を振るうのも難しい。

 翼を失い、巨体である龍には非常に戦いにくい地形だ。

 そして周囲に湧き上がる神剣の気配。完全に罠を張られていたようだ。

 

 龍の胸に恐怖と呼ばれるものが宿った。

 胸を貸すつもりで、有終の美を飾るつもりで、龍はスピリットと戦う予定だった。

 甘かった。甘すぎた。セリア達は手段を選ばず本気で殺しに来ているのだ。

 これは、龍とスピリットの伝説的な戦いでも、まして英雄譚などではない。

 狩りだ。最強と畏怖される龍が、ただの獲物に過ぎない。

 

「な、汝らは本当に妖精か? 我が知る妖精は、純粋で儚き存在だったはず!」

 

「私たちは馬鹿でスケベで煩悩塗れの……だけど最高の隊長を持つスピリット隊。それが答えよ」

 

「それはいっッオ!! お、おのれ語りの途中で攻撃なグァ!! 後ろから斬りつけてヒギィ!! いい加減にオゥアハァ!!」

 

 後ろから、横から、炎の棘が、刀のきらめきが、槍の一刺しが、残酷なほど龍に殺到する。

 龍も、必死に応戦した。全身を武器として、ブレスを吐いて、辺りの地形が歪むほどの力を示した。

 だが、多少ダメージを与えても、ハリオンと、そして何故か初級の回復魔法はつかえないのに、上級の回復魔法を使えるようになったニムントールの活躍で、致命打をあたえられない。

 その後の戦いを形容するのなら、巨躯の草食動物が、二回りも小さい肉食動物の集団に嬲られたようなものだった。

 

 爪牙を折られ、尾を切られ、ありとあらゆる箇所から血を流す龍。

 それでも龍は倒れずに立っていた。並はずれた耐久力、というより自尊心でボロボロの体を支える。

 せめて最後ぐらいは、雄々しくありたいと、もう必死だ。

 

「グゥ……見事だ、妖精よ。我の役目もここで終わる……だが心せよ。汝らはこれより戦の坩堝へと――――」

 

「よし、これは冥土の土産的な台詞ね。倒したわ!」

 

「じゃあ、さっさと次にいきましょう!」

 

「いそげいそげ~!」

 

「え? ちょっとは我の話を聞いていったら……末期の台詞なんだぞ? 為になる話とかしちゃうぞ? ま、待て去るな。こんなギャグっぽい最後など嫌だーー!!」

 

 そんな龍の絶叫も哀訴もむなしく、セリア達は風のように去っていった。

 空虚な風が龍に吹きつける。何処からともなく新聞紙が飛んできて龍の顔にぺったりくっつく。

 地上最強の種族である龍。しかし、清廉潔白ではなくなったスピリット達には手も足も出なかった。

 

「WOOOOOONNNNNN!!!!!!」

 

 最後に響いた断末魔の咆哮は、とてもとても澄み切った青空に吸い込まれていった。

 

 

「はあ、何でボクが怒られるんだよ」

 

 ルルーは背の高い木製の椅子に座って、足をぶらぶらさせながら怒っていた。

 横島が出ていった日、ルルーは姉らに横島は何処に行ったのかと酷く問い詰められて怒られたのだ。

 

 何で知らせてくれなかったのか。本当に二日で帰ってくるのか。何処に行ったのか。危険はないのか。

 怒涛の勢いで質問攻めにされて、その殆どに答えられなかったルルーは、ぐちぐちと文句を言われる羽目になった。

 何でボクがこんな目に、と世の理不尽を思わずにはいられない。

 

 今日が約束の二日目だった。しかし、もう夜も更けてきた。

 ヨコシマ様が帰ってきたら食事を取ろう、という事で皆まだ夕飯を食べていないが、この調子ではそれも叶わないだろう。

 本当に今日帰ってくるのかも怪しくなってきた。

 このまま帰ってこなかったら、嘘つきと姉たちに言われてしまう。

 

 クルミ入りのパンに、チーズ。それに鮮やかな色彩のサラダ。具が沢山入ったシチュー。更に油滴るレアステーキに、甘いお菓子まである。

 マリオンに教わった料理の数々は、料理の水準を飛躍的に押し上げた。

 いくつも料理を覚えたが、料理の腕が上がった、とは一概には言えなかった。

 皆、レシピどおりにしか作れないのだ。どうして弱火にするのか、この調味料は何で入れるのか、さっぱり理解せずに作っている。

 

「まだかな」

「きっと、もうすぐ」

 

 他のスピリット達は、そわそわと玄関を見つめていた。

 何だかご主人様の帰りを待つ犬みたいだ、とルルーは何だか情けなくなったが、そういう自分も玄関をちらちらと見ているのだから笑えない。

 それから待つ事、五分。

 

「帰ったぞー!」

 

「お帰りなさいー!」

 

 馬鹿に陽気な、横島の声が響き渡った。

 スピリット達は、嬉しそうに横島を出迎えようと玄関に向かう。ルルーも、少しめんどくさそうにしながらも、やはり仕事帰りの兄をねぎらおうと玄関に向かい、少し驚いた。

 横島の隣に、一人のスピリットの姿があったのだ。年齢は、自分よりも少し上だろうか。

 

「この子は、ソスーハ・グリーンスピリット。ソスーハちゃんだ! 今日から第三詰め所の一員になるから、皆、仲良くしてやってくれな!!」

 

 横島は大きく朗らかな声でソスーハというスピリットを皆に紹介する。

 だが、当のソスーハは淀んだ瞳で、ちらとルルー達を見つめただけだった。

 

 ルルーはじっとソスーハを見た。

 神剣に心を食われたスピリットかと思ったが、よくよく見ると目には感情があった。

 だが、その感情が何なのか分からない。警戒とも、悲しみとも、怒りとも違う。 

 表情も気になったが、ルルーはもう一つ気になることがあった。

 

「ソスーハ?」

 

 一人のスピリットが首を傾げながら聞き返した。ルルーも、同じところで疑問を持っていた。

 ソスーハとは、聖ヨト語で始まりを意味する言葉である。

 

「うむ! 第2の人生……いや、ここからが本当の出発って感じだ! 良い名前だろ。愛称はソっちゃんとかが良い感じだと思うぞ」

 

 横島は誇らしげに笑みを浮かべる。いや、先ほどから横島は笑みしか感情の表現が生まれていないのだが。

 

 ルルーは多くの違和感を覚えた。

 横島の異様な笑みの違和感。そしてスピリットの名称に意味のある名前を付けてあるのが妙なのだ。

 スピリットの名称など、呼ぶ為の記号にしか過ぎないものだから、馬鹿みたいに適当だ。

 

 ルルーがいたバーンライトなんて、幼年期のスピリットは一か所に集められて育てられるから、名称を決めてくれる者は一人しかいなかった。その為、名前は似たりよったりだ。

 ルー。ルルー。アルルー。イルルー。ウルル―――――――――等々。

 そのスピリットが死んだ場合は、また誰かに同じ名前がつけられる事がある。新しい名前を考えるのが面倒だからだ。

 ルルーという名前も、何十年と受け継がれてきていて、自分は三代目ルルーぐらいらしい。ルルー三世である。

 どれだけものぐさなのだと、ルルーは嘆くよりも面白くて笑ってしまった。何となく自分が偉くなったようにすら感じたものだ。

 また、意味のある名前を付ける事もないわけではないが、マセスハート・ブラックスピリットなんて、聖ヨト語ではマセス(黒)のハート(四番)という記号に過ぎない。

 番号で呼ばれるよりは、まだ自分の名前の方が鼻くそ程度はマシだとルルーは思っている。

 

 ラキオスはソーマによって引き起こされた過去の事件もあって、スピリットの教育は一か所で行われるのではなく、別々に始められる事になっているから、名付け親も別々で同じような名前になる事は少ない。

 それでも、時たま二人を育てることになると似た名前になる。セリアとアセリア、ヘリオンとハリオン等の似たような名前が同じ人物に育てられた証拠であった。まあ、ヘリオンとハリオンは特殊な例であるが。

 

 これではまるで、横島がソスーハという名前をつけたようではないか。

 いくらなんでも呼ぶ名が無いなんてありえない。

 ソスーハの異常性に、ルルーは眉を顰める。

 

「兄さん、この子の、ソスーハの神剣はどこにあるの。グリーンスピリットだから槍だと思うけど」

 

 ソスーハは神剣を持っていなかった。

 これもまたあり得ない事だ。基本的にスピリットは帯剣を義務付けられている。そうでないと、有事の際に何も出来ないから当然だ。

 

「神剣は無いぞ」

 

「……………………………………………はっ?」

 

 言葉を理解するのに、しばらく時間がかかった。

 スピリットなのに、神剣がない。なんだ、それは?

 

「ソっちゃんは、神剣を持たないんだよ」

 

 横島はそれだけを言って言葉を切る。

 これ以上、喋りたくないとでも言いたいように。

 

「ねえ、ソスーハさん。本当に神剣持ってないの?」

 

 ルルーの質問に、ソスーハの瞳が揺れた。

 これは神剣を持っていると確信する。

 どうして嘘を吐くのかと、質問しようかと考えていると、

 

 ゴチン!!

 

 握られた拳が、ルルーのつむじに突き刺さった。

 

「いったーい! いきなり何すんの兄さん!?」

 

「うっさーい! なんだ、お前はあれか!? 神剣も持っていないスピリットはスピリットじゃありませ~ん! とでも言うのか。神剣フェチシズムか!?」

 

「……別にそういうんじゃないけど、でも何だか変で」

 

「うるさい! だったらいいだろうが!」

 

 横島の剣幕と拳骨に、ルルーはしゅんと肩を落とす。

 いつものようにおどけた言い回しだったが、どこか本気の怒りをぶつけられていると分かって落ち込んでしまう。

 他のスピリット達も横島の様子がいつもと違うことに気付いたのか、不安げな表情をしていた。

 

「……神剣無しでどうするっていうのさ」

 

「ソっちゃんには、これから炊事洗濯を担当してもらえばいいだろ。この屋敷は広いし人数も多い。家事を専門にする子がいれば助かるしな」

 

「それはそうだけど」

 

 しかし、ルルーが聞きたい事の本質は、はぐらかされてしまった。

 辺りに微妙な沈黙が降りる。何だか横島の様子が可笑しい事に全員が気づき始めていた。

 

「あ、あの。ソスーハさん、何かして欲しいことはあるかな」

 

 空気を変える様に、ルルーが提案してみる。

 ソスーハは泥のような瞳を、ゆっくりと動かして何かを考え込み、面倒そうに口を動かした。

 

「もう一度、おふろに、入ってみたい、です……迷惑ならいいです」

 

「そっか、うん分かった! 背中流してあげるから、一緒にお風呂入ろう!」

 

 ルルーがにこやかに言うと、初めて泥の瞳に感情が混じった。

 その感情とは、恥じらいと、戸惑いと、誇り。

 

「え……一人が……いいから」

 

「遠慮しない遠慮しない! さあレッツゴーー!!」

 

 ほぼ無理やりにルルーはソスーハを風呂にまで引きずっていった。

 何だか妙にソスーハの事が気になったのだ。

 

「ヨコシマ様、ご飯の用意が出来ているから、一緒に食べよう」

 

 一方、ルーが目を爛々と光らせて提案する。

 皆で美味しくご飯を食べる。そして、「こんなに美味しいご飯を作れるのか! 凄いな、ルーちゃんは!」と思い切り褒めてもらう姿を夢想する。

 だが、横島から帰ってきた言葉は、耳を疑うものだった。

 

「あ~悪い。疲れてっから、休むわ」

 

「え……でも、その、沢山作ったから……美味しいよ?」

 

「悪い。皆で食べててくれや」

 

 横島は笑いながら、笑みを浮かべたまま、断る。

 笑ったまま、階段を上り、自分の部屋と入っていった。

 その後ろ姿を、しばし呆然と、次に涙目で、ルー達は見送るしかなかった。

 

 部屋に戻った横島は、椅子に腰かけた。

 そのまま、止まった。まるで、人形に動かなくなる。横になる訳でなく、何をするわけでも無く、椅子に座り続ける。

 ただ、何も見ていない目を、何もない虚無に向けて、何もしない。

 静止画の様に、動くものは何もない。

 時が止まったようだったが、十分程度経って、ようやく変化が訪れた。

 

「兄さん! いい、入るよ!」

 

 乱暴なノック音が響いた後、横島が返事をするのも待たず、ドアが開く。

 そこには顔を真っ赤にしたルルーが怒りに震えながら立っていた。

 

「どう言う事!」

 

「何がだ」

 

「ソスーハさんの体だよ。どうして……どうやったらあんな酷い事に!」

 

「ああ……そんなに酷いか?」

 

 表情一つ変えない横島に、ルルーの頭にかっと血が上る。

 

「馬鹿言わないで! ちゃんと目ぇ付いてんの!?

 あばら骨だって浮き出てるし、手首なんて持ったら折れそうなぐらい細いんだよ!! 肌の色だって良くない。日の光を浴びたことが無いんじゃないってくらい!!

 神剣があるとかないとかじゃなくて、とても戦える状態じゃないよ! あんなの!!」

 

 ルルーは風呂に入った時に、見てしまったのだ。ルルーの体に刻まれた、悪意の痕を。

 吼えるルルーだが、横島は不気味なほど平静な目で彼女を見つめ返す。

 

「でも、ちゃんと歩けるだろ。腱は切られてないからな」

 

 横島は声の調子を変えずに言った。表情も、眉一つ動かしていない。

 口だけが、機械のようにカタカタと動く。

 

「は? 何言って……」

 

「歯だって抜かれてない。喉も潰れていない。焼きごての痕もない」

 

「……やめて。怖いよ」

 

「治す役割のグリーンスピリットだから、あれでまだ酷い目に遭わずに済んだんだ。でも、他の皆は……他の皆はナぁ」

 

「やめて!!」

 

 いつのまにか、ルルーは横島に部屋の隅まで追い詰められていた。

 横島の眼には残酷な光があった。無表情の中には名状しがたい、地獄を覗いて来たような闇があった。

 殺されるかもしれない。

 いつもと違いすぎる横島の様子に、ルルーは怯えて目を閉じた。

 

 ドガァン!!

 聞こえてきた破壊音に、ルルーは身を震わせる。

 殴られたのかと一瞬思ったが、そうではなかった。そっと目を開けると、テーブルが粉々になっていた。

 そして、横島の顔に、本当の表情が宿る。

 

「うお~ん! 何だって言うんじゃあ~! 俺って本当にマジで頑張ってるよな! もういい加減、チチシリフトモモのパラダイスが作られてもいい頃だろ。つーか、あそこまでやる事無いだろうが! 精々、エロい事ぐらいにしとけよコンチクショウ!!」

 

 怒りと、呪いの言葉を外へ吐き散らかす。暴力を家具にぶつける。

 ちくしょう、チクショウ!

 ひとしきり悪態を吐いて回ると、今度はベッドに倒れ込んだ。

 

「俺が……俺がもっと慎重に……やってりゃあ」

 

 怒りが、呪いが、今度は内に向いた。

 こうしていれば。ああしていれば。後悔と自責が、積りに積もっていく。

 

 ルルーはもう、見ていられなかった。

 何があったか知らないが、決して兄の所為ではないはずなのに。

 

「何があったのか、ボクは知らない。でも、兄さんがスピリットのために頑張ってくれているぐらいは知ってるよ。

 だから……ありがとう、兄さん。スピリットを代表してお礼を言います。兄さんがこの大地に来てくれて、本当に良かった。だから、自分を責めないでよ」

 

 必死に、本心を言う。

 恥ずかしさはあったが、恥かしくても何でも言わなければいけないと思った。

 横島はしばらく何の反応も無かったが、急に立ち上がると嗜虐的な色をした目をルルーに向ける。

 

「俺が来てくれて良かった……か。俺がこなかったら、お前の姉さん達も死ななかったかもな」

 

 自虐じみた挑発に、ルルーは逆に冷静になった。

 子供の癇癪を相手にしている。それが分かったからだ。

 

「そうだね。でもそのお姉ちゃん達が生き残った場合って、ラキオスのスピリットは全滅しちゃうって事だよね。

 兄さんはその方が良かったのかな?」

 

「……べ、別にそんなことは言ってないだろ」

 

「兄さんが言っていることは、そういうことなんだよ!

 というかさ、さっきから何言ってるの。ううん、何をボクに言わせたいのかな。

 何だか責めてもらいたいみたいな言い方してるけど……違うね。本当は、慰めてもらいたいんじゃない?

 今の兄さんって、『ボクってなんてかわいそうかわいそうオーラ』が出てるよ」

 

 歯に衣を着せないルルーの言葉に、横島の顔色が変わる。

 どうしてもっと優しい言い方が出来ないのか、とルルーは自嘲した。

 兄がとても大変で辛い目にあってきたのは分かっている。それも、間違いなくスピリット関連でだ。

 抱きしめて、いい子いい子と頭を撫でてあげたい気持ちもある。

 

 だけど、ここで慰める訳にはいかない。

 そんなことをして、自分が『不幸で可哀想な奴』なんて思ったら、もうおしまいだ。

 この世界も、そして永遠神剣も、生易しいものではない。自分を哀れむ時間があるのなら、前に向かって突っ走らなければならない。

 

「この……ずげずげと言いやがって」

 

 悔しげな顔をして、横島はルルーを睨みつける。

 

「へへ~そりゃあね。前の隊長にも生意気とか言われてたし」

 

 一体何が自慢なのか、八重歯を光らせながら得意げに笑って、薄い胸を張るルルー。

 それがイタズラ小僧のような、何とも憎たらしい笑みで、横島は危なく噴出すところだった。

 

「……ま、そうだな。つーか、酷い目にあったのは俺じゃないのに、俺がお前に八つ当たりしてもしょうがないか」

 

「へ~八つ当たりしてる自覚はあったんだね」

 

「ええい! この可愛くない妹め!!」

 

「何だよ。この格好良くない兄め!!」

 

 にらみ合うが、お互いに楽しんでいる雰囲気があって、心地よい。

 少しにらみ合って、どちらともなく破願する。

 

「……ソっちゃんに何があったのかは言えん。ただソっちゃんは、たくさん酷い目にあったんだ。だから、いっぱいいっぱい優しくしてやろうな」

 

 横島の言葉は素朴で、純粋な優しい響きを持っていた。

 若干の闇はその目に残っていたが、もう残酷で恐ろしい目はしていなかった。

 

 ――――どうだ、見たか! これが、ボクの兄だ!

 

 ルルーは誇らしい気持ちで胸が一杯になった。

 誰彼かまわず自慢した気分だ。一体どれほどのスピリットが生まれ、マナの霧となって消えていったのかは知らないが、こんな兄を持てたのはボクが初めてだろう。

 この出会いをくれた神様に感謝しないとね!

 

 ――――くすくす、どういたしまして?

 

 何だか物凄く不吉な子供の声が聞こえたような気がしたけど、うん、きっと気のせいだよね。

 

「サンキューな」

 

「へ? いきなりどうしたの」

 

 いきなり礼を言われて面食らう。

 

「いや、妹ってのも悪くないなと思ってな、うん」

 

 じっと見つめられて、満面の笑みを浮かべながら頷く横島。

 恥ずかしさで、思わず俯く。嬉しさで、しゃくり声をあげそうになってしまった。

 ボクも、君が兄さんで良かった――――

 

「これでもっと可愛くて大人っぽくて素直で……おっぱいが大きければなあ」

 

 思わずこけそうになった。

 沢山褒めてくれるのかと思いきや、何故か思い切り駄目だしされていた。

 どうして、いつも感動で話を終わらせてくれないかと、思い切り睨みつける。

 

「可愛くなくて、子供っぽくて、捻くれてるのは分かるけど、おっぱいは関係ないでしょ!」

 

「何を言う! やっぱり男ってのはおっぱいを求めるものなんだぞ! 小さいおっぱいよりもやはり大きいおっぱいの方が、おっぱいとして存在をより身近に感じられてだな」

 

「知らないよそんなの!? うあ~ん、ボクの兄がこんなに変態なわけない~!」

 

「ぬはははは! 変態な兄を持って、悔しかろう恥ずかしかろう!!」

 

「自分で言うなーー!!」

 

 ――――どうだぁ~みたか~これがぼくのあにだぁ~。

 

 横島の恰好悪さに、ルルーは泣いた。

 だけど、ルルーは隠れて笑みを浮かべていた。

 格好良い兄も嬉しいけど、格好悪い兄も楽しい。

 変な自虐をしているよりは、欲望に突っ走ってくれた方が百倍マシだ。

 

 ぐう~。

 横島の腹から音が鳴り始める。

 

「何か、急に腹減ってきたな……まだ飯残っているか?」

 

 横島の言葉に、ルルーは呆れかえった。

 

「兄さん、それ本気で言ってる?」

 

 冷たい目でルルーは言い返す。

 そういえば、食べててくれ、と命令したのを横島は思い出した。 

 自業自得だと、項垂れながら食卓に向かう。せめて、何か残りものでもあれば、と考えて食卓に向かう。ルルーは、何故かニヤニヤしながら、横島を見つめていた。

 

 食卓について驚いた。テーブルの上にはずらりと御馳走が並んでいたのだ。

 手を付けた形跡はない。台所からは、シチューを温めなおす音と、レアステーキをミディアムステーキに焼きなおす音が聞こえてきていた。

 まだ、誰も食事を取っていなかったのだ。

 側にいたブルースピリットの一人に、呆然と問いかける。

 

「どうして……ご飯食べなかったんだ?」

 

「食べろと命令されましたが、いつ食べろとは言われませんでしたから」

 

 トンチのような答えに、横島は目を見開いて驚く。

 

「それに……ヨコシマ様とご飯を食べると美味しいから。皆で食べるご飯はもっともっと美味しいから。だから……元気を出しくください」

 

 潤んだ目で横島を見つめるブルースピリット。

 

 あ、これ意識して媚びているな。

 

 女としての武器を使い始めた姉に、ルルーは頼もしいものを感じた。

 実際は、女の武器というよりも子供が親に駄々をこねているに近いのかもしれないが、それでも弱弱しく頼むと男が弱くなる、というのは実感しているらしい。

 

「くぅ~生きてくれて良かったぞ! よし、一緒に食べような。実は酒も持ってきてるから、皆で宴会だ!」

 

 目から大げさに涙を流しつつ、横島は笑顔になる。先ほどまでの、無理に作られた笑顔じゃなくて、能天気でお馬鹿な笑みだ。にわかに場が活気づく。

 だが、ただ一人。泥の瞳に、暗い闇の炎を燃やして、横島に立ちはだかった。

 

「生きてくれて良かった? そんなの、生きてて幸せな奴だから言えるんだ!!」

 

 ソスーハ・グリーンスピリットが、全ての生者を恨む、亡者の声を上げた。

 

 それは、呪詛。

 それは、悪意。

 それは、嘆き。

 ルルーは悔しくて泣きそうだった。

 この圧倒的な恨み辛みの前で、一体何を言ったらよいのか。

 

 ソスーハの、泥の様な瞳が、静まり返った場を見渡し、暗い喜びを見出す。

 そんな中、横島は悪意なんて気にしないとばかりに、空気を読まなかった。

 

「そうだな。だから、生きてて良かったって言えるぐらい、生きてて幸せにしないとな」

 

 ふてぶてしいほど傲慢に、横島は言い切った。そこにあるのは、優しさや慈愛などではない。

 それは誓いだ。何が何でもスピリット達は幸せになる。

 横島は言うのなら、きっとそうなる。理屈も方法も分からないが、きっと上手くいくと、不思議と信じられた。

 言葉を失ったソスーハの頬を、横島は撫でた後、威勢良く叫んだ。

 

「さあ! まずは、飲んで食っての宴会だ宴会! 野球拳にポッキーゲームに王様ゲーム、この三つは鉄板だな」

 

「……うん! エッチなのはダメだからね! 兄さんはエロの王様だし」

 

 野球拳も王様ゲームも何だか知らないというのに、ルルーは横島に釘を刺す。この辺りの信頼はお約束だった。

 横島は口うるさい妹にうんざりしたが、まあ酔わせてしまえばどうとでもなるだろう、と考えてリビングに向かう。

 他のスピリットは、何が何だか分からず顔を見合わせていたが、光に誘われる虫のように彼らの後を追った。

 ソスーハは、空気を読まなかった横島に怒り心頭といった感じで、また嫌がらせしてやるから、と呟きつつ彼女らを追った。

 

 その夜はソスーハの歓迎会という事で盛大な宴となった。

 スピリット達は始めてアルコールを摂取して、色々と面白い事になる。

 

 いつも何処か横島に一歩引いたところがあるスピリットが胸に顔を擦り付けて甘えてきたり、逆に絶対的に従順だったスピリットがセクハラを嫌がったりした。

 そんな彼女らの様子に、横島はさらに上機嫌になった。

 スピリット一人一人に話しかけ、酌をして、笑わせ、勿論セクハラっぽいスキンシップもかねて歩き回る。

 笑わせる種が無いときは自分で作り、霊能力を使って芸までして見せた。

 

 笑いを。とにかく笑いを。さらなる笑いを。そして、ちょっとのエロを。

 

 血と脳漿を振り絞り、魂まで燃焼させて横島は第三詰め所の心血を注ぐ。

 スピリット達もそれを分かっていて、その愛情に答えようと心を彼にぶつけていた。

 

 部屋の隅には、第三詰め所の手によって布でグルグル巻きにされた『天秤』が放置されていて、そこから色々な声が聞こえていたのだが、それは宴会の声にかき消されていたのだった。

 

 この瞬間、哀れなるもう一匹の龍の運命が決定する。

 何の描写も無く、龍は倒された。

 

 

 それから、また数日が経過した。

 

「ルーお姉ちゃん! おはよう!!」

 

「うん、おはよう、ルルーちゃん」

 

 朝の挨拶をすると返事が返ってくるのが、とても嬉しい。

 窓から外を見ると、荒れ果てた庭園を綺麗にしようと草むしりするスピリットの姿が見えた。花壇を作ると聞いている。

 その横には、クーヨネルキが草を食べていて、それを何人かのスピリットがじっと見つめていた。

 少し離れた池には魚がいると分かって、朝ごはんの足しにしようと魚釣りをしているスピリットもいる。

 命令されているからやっているのではない。自発的に行動を始めていた。

 その行動の根底は、横島に褒められたいという依存的なものだが、それも続けば趣味になっていく事だろう。

 

 皆、朝が来るのが待ち遠しいのだ。

 早く起きて、朝ごはんを食べて、また色々ある騒がしい一日が始まる。

 

「おはよー兄さん。早く起きろー……って起きてるね」

 

 部屋に行くと、珍しい事に横島が起きていた。

 窓の傍に立って、何やら真剣な表情をしている。

 

「おっぱい波が近づいてくる」

 

「………………は? 何言ってんの」

 

「座標確認……風速確認……発射!」

 

 パリーン!

 窓ガラスを豪快に破壊しつつ、横島はロケットのように『発射』される。

 古い漫画の表現の様に、空に昇った横島は、キラ~ンとお星様になった。

 

「え、ええ~! 何で勝手に発射されてるの~! というか窓ガラス割るなーー!! そもそも発射って何~~!?」

 

 壊れた窓ガラスを踏まないようにしながら、ルルーの朝一番の突っ込みが炸裂していた。

 

 

 

 ドドドドド、とバッファローの行進の如く大地を揺らして、その集団は走っていた。

 

「第三詰め所の屋敷は、こっちでいいの!?」

「ええ、間違いないはずよ!」

「やっぱり、第三詰め所にお世話になっていたのね!」

 

 龍を倒し、戻ってきた第二詰め所の面々だった。

 第二詰め所に戻ってみると、やはり横島はいなくて、第三詰め所で生活していると確信したのだ。

 

 急いで第三詰め所に行かなければ、とファーレーンを除く全員が第三詰め所に向かっていた。

 ちなみにファーレーンは、流石に誰かに帰還の報告をしなければまずいと言う事で、いち早くレスティーナの元へ向かっている。

 

「あれ、何でしょう?」

 

 走っていると、何かに気づいたヘリオンが空を指差す。

 鳥か、飛行機か、いやあれは、

 

「ハリオンさ~ん!!」

 

 変態だ! 空から、変態が降ってきた!!

 

「ヒミカ、お願いです~」

「え? ええ」

 

 ハリオンは、さっと親友を盾にする。周りも、ささっとヒミカの傍から離れた。

 それがあまりに自然な光景で、ヒミカも思わず頷いてしまうほどだ。

 ドーンという音と共に、変態は小さい丘に着陸を果たす。

 

「あれ、何か小さいぞ。しかし、これはこれで」

 

 頭をヒミカの胸にグリグリと押し付ける。

 ポカーンとしていたヒミカだが、グニグニと自己主張が激しくない胸が形を変えて 思わず甘い声が口から漏れそうになった所でようやく我に返った。

 

「い、いや~~~~!! 貴方という人は貴方という人は貴方という人はーーーー!!」

 

「ええやないかー!! 二週間以上我慢したんだぞ!!」

 

「どういう理屈ですか!? どうして降ってくるのですか!? ハリオンも何で私を盾にするの!?」

 

 ここ数週間分を取り戻す勢いで、ヒミカの連続突っ込みが炸裂する。

 

「まったく、何て再会なの」

「ヨコシマ様だー!」

「ヨコシマ様だ~!」

「うう、もうちょっとロマンチックな再会が良かったです」

「……何故か、落ち着きます」

 

 セリア達は、その馬鹿な光景に呆れながらも、自分の居場所はここにあるのだと、改めて頷いていた。

 この、ヒミカが横島にセクハラされる光景こそ、ラキオス第二詰め所の有るべき姿なのだと、全員が確信する。

 

「勝手に確信しないで~~~~!!」

 

 ヒミカの突っ込みは第二詰め所一であった。

 

「帰って来たんだ……」

「ヨコシマ様が、いつもと違う」

「アレがヒミカさんか……何かボク、ちょっと親近感わいちゃうかも」

 

 横島を追いかけた第三詰め所の面々は、いつもと違う横島の表情に、何か寂しくなった。

 自分達の知らない横島の表情に、思わず嫉妬めいた感情を抱いてしまう。

 

 第三詰め所にとって、横島は理想的な『父兄』だった。

 強く優しい父のようで、面白く頭が良い兄のようで、尊敬すべき絶対の存在だった。

 当然だが、それは横島の、嘘とまでは言わないにしろ、極極一面に過ぎない。父兄的な要素が無いとは言わないが、どちらかといえば『父兄』よりも『愚弟』のほうが、本来の横島に近いだろう。どれだけ有能であっても、横島は良い馬鹿なのだから。

 大きな子供同然の第三詰め所の手前、横島は『父兄』にならざるをえなかっただけなのだ。

 

 ひとしきりセクハラし終わると、途端に横島の表情が厳しくなる。

 

「心配したんだぞ! 連絡が入るはずだって言うのに、全然入ってこないし。何やってたんだよ!」

 

 その言葉には怒りすら含まれているようだった。

 横島の剣幕に、まるで怒られた様な気がしたセリア達は逆に憤慨する。

 

「連絡はしました! だけど全く応答ありませんでした! 貴方が聞き逃したのではないですか!!」

 

「そうなのか? 全然、気づかなかったけど……」 

 

 普通に困ったような横島に、セリアは彼が嘘や誤魔化しをしているわけではないと知る。

 可笑しい。一度ぐらいなら聞き逃すことはあるかもしれないが、どうしてこうもすれ違ってしまったのか。

 

 セリア達は側に居る第三詰め所のスピリット達に視線を送る。

 すると、面白いように心が戻っていない数人を除いた全員がさっと目をそらした。

 それだけで第二詰め所の面々は察した。

 第二詰め所と横島の間を、意図的に邪魔してきた第三者がいたのだと。 

 

「……なるほど、分かりました。その事は、もう良いです。とりあえず……ヨコシマ様、私たちの家に帰りましょう」

「うんうん! 早く早くー!!」

「久しぶりに~お菓子も作っちゃいます~」

 

 ネリーらが横島の右手を引っ張って、第二詰め所に連れて行こうとする。

 かなり強く引っ張ったのだが、しかし横島の体は動かなかった。

 何故なら、横島の左腕に第三詰め所のスピリットがひっついていたからだ。

 

「ヨコシマ様は、今日は、家で、ご飯を食べるんです……にゃぅ」

 

 第三詰め所のスピリットは、一語一語区切りながら、セリアたちに向かってそっけなく言った。

 そこには特に感情が込められていない、なんて思えたのは横島だけで、彼女の声は明確に一つの意思を持っていた。

 

 ――――――こっちくんな。

 

 そこには敵意とはまではいかなくとも、拒絶の意思が強く込められている。

 スピリットは仲間意識が強い。だからこそ、普段触れ合わない部隊は異物でしかなかった。

 第三詰め所にとって、第二詰め所とは家族(横島)を奪いに来た簒奪者なのである。

 

 だが、それはセリア達も同じこと。

 横島を守れるぐらいに強くなるため、そして自信を得るために龍退治を成功させたというのに、ちゃっかり隊員として収まろうとした第三詰め所。

 この泥棒猫め、とも言いたくなるだろう。

 

「はは……いやあ、俺ってモテモテだなあ」

 

 ――――やべえ、これ修羅場だ。

 

 いくら横島でもそれぐらい分かる。

 

「ヨコシマ様~ネリー達と、ネリー達とご飯~~!!」

 

「違う! ヨコシマ様は、私達のご飯なの!」

 

 二人はしばし睨みあい、キッと強く横島に視線を向けた。

 ヨコシマ様はどっちとご飯を食べるの!?

 視線が、そう語っていた。

 

「いやあ~どうしようかな~」

 

 横島は頭を掻いて、う~んと唸る。

 傍目に見れば、どちらの女の子たちとご飯を食べようか、困って悩んでいるように見えた。

 だが、ルルーだけは横島の心がどちらに向いているのか分かってしまう。

 それは、横島の第三詰め所を見つめる目が、子供のワガママをどうやってなだめ様かと考える親のような慈悲をもっていたからだ。

 

 第二詰め所と第三詰め所に送る視線の違いに、ルルーは気づいてしまった。

 第二詰め所を見る目は、対等な女性を見る目で、第三詰め所を見る目は、保護をしなきゃいけない子供を見る目だ。

 

 横島が優しいというのは、ルルーも十分に理解している。だが、彼の本質はそれだけでないことも知っていた。彼の本質は、何と言おうと煩悩だ。エロこそが横島の魂の源泉。エロこそが力。

 その煩悩を、横島は第三詰め所のスピリット達に注がない―――――否。注ぐ事が出来ない。

 

 ひょっとしたら、横島は第二詰め所よりも第三詰め所を大切しているのかもしれなかった。

 しかし、それ故に、

 

「やっぱり、俺はハリオン達と飯を食うよ。苦労して龍を倒してきたんだし、ここは隊長として労わんとな」

 

 横島は第二詰め所を選ぶ。

 彼は、エロスが出来る女性と保護すべき女の子を前にした時、女の子をどれだけ大切でも、最後にはエロスを選ぶ。

 それが、彼の『天秤』の傾きだった。

 

 ルルーは納得できたが、他の者は納得できそうになかった。

 

「やーー!!」

 

 金切り声をあげて横島の腕を握り放さない。

 彼女は今日の朝食の当番の一人だった。早起きして、横島に褒めてもらうことを考えて、眠い目をこすりながら食事を作ったのだ。必死になるのも当然だった。

 

 初めてのワガママに、横島は新鮮な感動を覚えた。

 何でも自分の言うことに疑いを持たず、盲目的と従っていたスピリットがワガママに自分を主張している。

 娘の成長を見るようで、思わず顔がほころんでしまう。

 

 しかし、どうしたものか。

 せっかくのワガママなのだから、出来れば叶えて上げたい。

 だけどダメだ。残酷だが、第二詰め所と第三詰め所を『天秤』に掛けたなら、もう答えは決まっている。

 唯一、気がかりなのはソスーハの事だが、それでも――――

 

「俺は――――」

 

 捨てられそうな子犬の目をした第三詰め所を、切り捨てる――――

 

「兄さんは、第二詰め所の隊長だから、ボク達とはいられないよ。規則で決まっているの。それと、ワガママばっかり言ってると、兄さんに嫌われちゃうかもしれないね」

 

 横島が言う前に、ルルーが規則を建前に答える。

 ルルーの一言は、絶大な威力を示した。

 全員が横島から離れる。そして「嫌わないで~」と子犬のように鳴いた。

 

(兄さんからは、その一言を言わせるわけにはいかないもんね)

 

 兄にとっても、第三詰め所にとっても、その言葉だけは言わせるわけにはいかない。いつか、言わなければいけない時がくるだろうけど、その時はきっと姉達も受け止められるはずだ。

 妹であるルルーは、妹であるからこそ、いつか兄と離れる時が来るのだと、既に覚悟していた。

 

 横島も、ほっとしたような笑顔になる。

 第三詰め所を傷つけずに済んだ事を、心から喜んだ。

 

「悪いけど、俺は、第二詰め所の隊長だしな」

 

「うんうん! ヨコシマ様はネリー達の隊長なんだからね! ネリー達の!!」

 

 『自分達の隊長』であると強調して、ネリーは得意げに第三詰め所のスピリット達に笑いかける。

 怒りの感情が第三詰め所全体から発せられた。

 

「いい加減にせんかい!」

 

 コツンとネリーの頭をはたく。

 「うう~」とネリーは涙目で唸ったが、でもすぐに横島に絡まる。

 

「また、また来てください。もっと美味しいご飯を用意しますから」

「おお、その時までにもっと良い女になってな……今の俺って格好良すぎじゃねぇか」

 

「全然似合ってないわね」

「気取った馬鹿」

 

 横島が馬鹿な事を言って、セリアとニムが冷静に突っ込みを入れる。

 口をとがらせながら、文句を言おうとした横島だが、その前に、

 

「いえ、ヨコシマ様はとても格好良いです」

 

 ルーが真っ向からセリアの言葉を否定する。

 またしても、第二詰め所と第三詰め所の間で火花が散る。

 

「……やっぱこの世界に来て良かったな。あとはどうにかしてハーレムを作れりゃあ……というか、全員でご飯食えばよかっただけじゃね?」

 

 そんな光景を見ながら至極真面目に呟く横島は、やはりエロでアホだった。

 

 数日後、悠人達が一人の女性を伴い帰ってくる。 

 物語は再び加速する。

 

 



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第二十五話 新たな登場人物達

 永遠の煩悩者 第二十五話

 

 新たな登場人物達

 

 

 

 ヨーティア・リカリオン。

 悠人達が連れてきた賢者とあだ名されるこの人物は、まだ若い女性だった。若いといっても少女とは程遠い成人女性で、子供の視点で見ればおばさんといわれても可笑しくない程度の若さだが。研究者として名を残していて破格の若さである。

 

 小顔で顔立ちは整っており、美人と言えば美人なのだろう。

 だが、そもそも女性として意識するのが難しい人物だった。

 ヨレヨレの白衣を常に着ていて、髪はボサボサ。かろうじて不潔ではない程度で、それも助手兼家政婦のイオ・ホワイトスピリットが必死に世話をしてである。ラキオスから与えられた最高の研究室は、二日と待たずに本と実験器具で足の踏み場もないほど散らかされた。

 もしイオがいなかったら研究だけを追い求めて風呂にすら入らないかもしれない。

 目には知性というよりも、子供のような好奇心に満ちた輝きがあった。好奇心の塊である子供が、そのまま大人になったらこうなるという見本のようだ。

 

 一応、横島の守備範囲内に収まる女性だ。

 かの目神にも抱きついた男は、やはり手を握りにいったが、

 

「そちらから来てくれるとはありがたいね。さあ、イオ。……実験の始まりだ!」

 

「はい。全裸にして陰毛を剃りましょう。毛髪に排泄物に体液……ヨコシマ様、貴方の全てを、私達に下さい」

 

「勿論、神剣の方も丸裸にしないとねえ。削り取ってやろう」

 

「ふむ、人形がついてます。それもマナで構成されている? ……実に興味深い」

 

 怪しげな薬を打たれ、動けなくなった横島と『天秤』は、人にはちょっと言えない秘密な実験をされまくった。

 数日後、横島は全裸で、泣きながら第二詰め所に逃げ込むことになる。

 以後、横島は決してヨーティアにもイオにも飛び掛ることはなくなった。

 

 マッドサイエンティストな意味で科学者の鏡であるヨーティアだったが、その実力のほどは天才の名に相応しいものであったのは疑いようもなかった。

 彼女が持ってきた技術は、どれもがラキオス国家の技術を遥かに上回り、特にその中の一つは既存の戦略戦術を一変させるほどであった。

 

 そんなヨーティアから呼び出しが掛り、悠人、横島、レスティーナの面々が彼女の実験室に集まった。

 部屋に入ると、アルコールと薬品の臭いが入り混じった異臭が酷い。

 悠人とレスティーナは苦い表情となった。壁を見ると、謎のコケが生えていたり、何故か腐敗している。

 「新品の研究室が……ここだけ時間の流れが速いのでしょうか?」とレスティーナは真剣に呟いたほどだ。

 

「遅い! この大天才が呼んだら、一分でこれるようにしておくんだ!」

 

 一国の女王相手に、この一声である。

 これだけで、このヨーティアという女性がどういう人物か分かるというものだ。

 隣では助手のイオ・ホワイトスピリットがすまなさそうに頭を下げている。

 

「無茶言うなよ! これでも急いで来たんだぞ」

 

 一喝されて、理不尽だと悠人がにらみ返す。

 悠人とヨーティアの仲はあまりよくない。旅をしている間に色々とあったようで、喧嘩友達のようになっている。まったく異性を感じさせないヨーティアに、悠人も遠慮はしなかった。

 

「きょ、今日は何の話でしょーか?」

 

 横島は悠人の背に隠れてビクビクしながら話しかける。

 怯えきった子羊の如き横島に、ヨーティアは「情けない奴め」と舌打ちした。

 

「まったく、そうビクつくな。そう大した実験はしていないのに。せいぜい直腸に媚薬を流し込んで発情させて放置したり、管を突っ込んで排泄させてやっただけだろう」

 

「一生モンのトラウマになるに決まってんだろうがーー!! ホントに犯しちゃろうかい!!」

 

「別に構わないよ。勿論、性交の様子はイオに観察させて、霊力の感知、計測の実験をしてもらうけどね」

 

 淡々と返されて、がっくりと横島は項垂れた。

 童貞変態程度では、とても扱える女性ではないのだ。変態は、それ以上の女傑に弱いらしい。

 悠人もレスティーナは、このやり取りを前にして顔を赤くしたり青くしたりしている。

 

「ヨ、ヨーティア殿。そろそろ本題を……」

 

「そうさね。あ、話の本題前に、ヨコシマから依頼を終えとくか」

 

 ヨコシマからの依頼と言われて、悠人とレスティーナは何の事かと首を捻った。

 

「ほれ薬でもお願いしたのですか?」

「いや、こいつのことだ。もっと直接的に、媚薬を譲ってくれとでも頼んだんじゃないか」

「ちょっと待て! どうして俺がんなこと頼まなきゃいけないんだよ!?」

「横島の事だからな」

「ヨコシマですから」

 

 二人の声が重なる。悠人とレスティーナはお互いに顔を見合わせて、小さく笑った。

 何だか二人の世界に入っている。

 

「おいこらそこー! 俺を無視するなー!」

「おいこらそこー! 天才を無視するなー!」

 

 今度は横島とヨーティアの声が重なり、お互いに「真似すんな!」と睨みあう。

 ここで、今まで黙っていたイオが溜息を吐きつつ、動いた。

 

「ヨーティア様、コントはそろそろやめましょう」

 

「何だとイオ! この天才が侮辱されて黙っていられると」

「そうっす! 俺の女王様がこのシスコンむっつりスケベなんかに」

 

「――――ヨーティア様? ヨコシマ様?」

 

 底冷えする柔らかいイオの声に、二人は人形のようにカクカクと頷いた。

 もっとも怒らせてはいけないのは、このスピリットなのだと、ヨーティアは元より、横島も実験される過程で気づいていた。

 

「あー、話を戻すぞ。ヨコシマから依頼された内容は、スピリットの神剣依存度についてさ」

 

 思ったよりも真面目な内容に、悠人は表情を引き締める。

 スピリットに関しては、横島は本気で取り組んでいるのだ。

 

「第一詰め所と、第二詰め所のスピリットは……バーンライトやダーツィで得たスピリットは別だが、神剣に心を奪われている者は一人もいない。誰もが強い意志と自我を持っているってことさ。驚くべきことに、最前線で戦っているのにね」

 

 ヨーティアの言葉には微妙なニュアンスが隠れていたが、それに気付くものはいなかった。

 

「はあっ」

 

 悠人は何が凄いのか分からず、ステレオタイプの相槌を打つ。

 ぼんやりとした悠人の顔を見て、ヨーティアは皮肉っぽく唇を歪めた。

 

「やれやれ、ボンクラめ。これがどれだけ凄いことか分かってないのかい」

 

 ヨーティアは事あるごとに悠人をボンクラ呼ばわりする。凡人と同義の意味らしい。

 ヨーティアとしてはこれがコミュニケーションの類なのかもしれないが、やられる方にはたまったものではない。

 

「ラキオスじゃあ、自我を弱らせる調教を行ってないからじゃないか?」

 

 明らかに馬鹿にされたと分かった悠人が、ムッとしながら反論する。

 

「確かにラキオスではそういう調教はしてないけど、神剣を多様しすぎれば多少自我は弱まっちまうのさ。ユートのように強力な神剣でなくともね。特に命のやり取りでぎりぎりまで神剣の力を扱えばなおさらだ。これだけの腕利きを揃えて、戦い続け……よくもまあ完璧に自我を保っているもんだよ。さらに回復してる娘もいるようじゃないか」

 

 確かに他国のスピリットとラキオスのスピリットは明らかに違う。

 いくら調教方法が違うとはいえ、どうしてここまで差が生まれたのか。

 頭を捻る悠人と横島だが、そんな二人を見て、レスティーナもヨーティアも呆れたようになる。

 

「あるスピリットがこう言ってたよ。『あの人と暮らしていると、神剣に心を奪われている暇なんてないのよ』ってね。充実した苦労をしているって顔だね、あれは」

 

 あるスピリットとは、恐らくヒミカだろう。あの人とは、横島以外に考えられない。

 惚気とはまた違うが、それでもヒミカの胸の内に自分がいることが分かって横島は思わずニヤニヤしてしまう。

 

「何つーかダメ亭主に苦労する妻って感じっすね」

 

「普通、自分で言うか? しかも嬉しそうに」

 

 呆れたような悠人の声色だったが、そんなものは横島イヤーに入らない。

 

「他にも、料理に絵画に彫刻に精を出してるスピリットもいるみたいだね。悠人が着てから、色彩が豊かになってるのがよく分かるよ」

 

 これはアセリアの事だ。

 元々、手先が器用なアセリアは、芸術関係の造詣が深い。特に悠人が着てから、それが顕著になっていた。

 

「色々話したけど興味深い娘達だね。料理、ガーデニング、ペット、愛、個性溢れる面白い娘ばかりさ。どの子も生き生きと毎日を過ごしているみたいで、私としても気分がいい。あんた達は良くやってるよ」

 

 ヨーティアは悠人と横島に優しげに微笑む。

 二人は目を見開いた。

 サバサバしてるけど、優しいお姉さん。そんな雰囲気のヨーティアに二人はドキリとした。

 

「さぁて、本題に移るよ」

 

 しかし笑みは一瞬で、すぐに元の調子に戻っていた。

 これから重要な話があるらしい。女王であるレスティーナがこの場にいることでも、それは明らかだった。

 

「まず……そうだね、話の大前提を知ってもらうか。

 マナとは何か、から説明しよう。それじゃあユート、マナとは何か知ってるかい?」

 

 いきなりビシリと名指しをされて悠人は面食らう。

 気分は教師にいきなり問題を解いてみろと言われた学生だ。

 

「たしか……マナは空間に漂っている有限エネルギーで、エーテルにすることによって機器を動かしたり、布地にしたり、俺達を強化したり……エトランジェやスピリットそのものだったり、とにかく便利な物ってイメージだな」

 

「そんなの子供だって知ってるよ。私が聞きたいのはもっと根源的な……マナとは何であるのかって事さ」

 

 横島と悠人は互いに顔を見合わせる。

 この教師の問題を誰か解けよ、と譲り合う学生の気分だ。

 沈黙が続いて、ヨーティアが舌打ちをした。

 

「まったく……こんな初歩でいちいち話が詰まってられないね。結論から言うぞ。マナとは命だ」

 

 命と言われて、悠人は「ああそうか」と言葉に出して納得してしまった。

 普通なら命といわれても訳が分からないだろう。だが、神剣使いにとっては感覚的に理解できるのだ。

 スピリットの肉体を砕き、その身を構成していたマナを神剣が食らうときの感覚は、比喩ではなく『命を奪っている』と実感させられるのである。

 

 横島も悠人と同じように感じたが、捉え方が違かった。

 横島は――『彼ら』は、マナを、命を、『部品』に感じた。欠けた物、あるべき場所にない者、元に戻さなければいけないモノ。

 不完全なのだ。だから、完全にしなければならない。

 そこに理念や思考や論理は存在しない。言って見れば、本能のようなもの。食欲や性欲よりも、原始の本能だ。

 横島は、自分の、果たして本当に自分のモノか分からぬこの感覚を、口に出さなかった。

 

 特に異論が出ないので、ヨーティアは言葉を進める。

 

「さて、マナとは命……それを踏まえたうえでだ。ユート、あんたはラクロック限界って知ってるかい?」

 

「あー……えっと……聞いたことがあったような」

 

「内容は?」

 

「いや、そこまでは……」

 

「まったく、それならすぐに分からないっていいな。ヨコシマはどうだい?」

 

 答えられず、ちょっと拗ねた悠人を横目に、横島はニヤリとしながら答える。

 

「確かマナが有限で、エーテルは消費されるとマナになる……って話っすね」

 

「お、ちゃんと知ってるね」

 

 回答できた横島は悠人の方に目を向けて得意げな顔をする。

 所謂、どや顔である。

 何かにつけて悠人より上位に立ちたがる横島であった。

 

「で、続きは」

 

「へ? いや……あまり細かいところまでは知らないっす」

 

「細かくなんてないさ。研究者ラクロックが後年追加した第二法則こそ、一番重要なところだよ」

 

「……グリーンスピリットは胸が大きくなる法則?」

 

「阿呆め」

 

 たった一言でヨーティアは切り捨てた。

 まったく容赦無い言い方だったが、だれも横島の擁護などするわけが無い。

 特にレスティーナの視線は冷たかった。

 

「でも、悠人の奴よりは質問に答えられたじゃないすか!」

 

「やれやれ、中途半端に理解して全部知った気持ちになるなんて無知よりも始末に悪いね」

 

 サドっ気のある笑みを浮かべながら、ズバッとヨーティアが切り込んだ。

 ぐうの音も無く落ち込む横島を見て、今度は悠人がどや顔をする。横島が相手になると悠人も容赦が無い。

 そんな二人を見て、仲が良くて羨ましいなあ、などと思いつつ今まで空気と化していたレスティーナは声を重くして結論を述べた。

 

「ラクロック限界のもう一つの法則とは、エーテルを消費してマナに帰る時に、全てがマナに還元されるわけでは無い、という法則です。

 つまり、マナサイクルは永久機関などではありません。エーテルを消費することで、少しづつマナが、命が、この大陸から失われているのです。マナは全ての源。土地が肥えるにも、作物が育つにも、人が生まれてくるのさえマナが必要なのです。マナは有限です。減ることはあっても増えることはありません。

 ……マナサイクルを続ければ世界は滅ぶでしょう」

 

 世界が滅ぶ。

 国同士の攻防から、急に話が壮大になった。

 そして、それは壮大でありながら、目の前にある危機である。

 

 今まで世界を支えてきた技術が、実は世界を滅ぼす物だった。

 正に驚天動地の真実だったが、

 

「あまり驚いてはいないようですね」

 

 悠人も横島もそれほど表情に変化が無い。レスティーナはそれが少し不快で、思わず唇を尖らせる。

 淡白な二人の反応に、二人が事態の重大さを理解していないのかと考えたが、そういうわけではなかった。

 

「いや、納得だと」

「むしろすっきりしたっす」

 

 元々、悠人も横島もこのマナサイクルシステムには疑問を持っていた。

 余りにも都合が良すぎて、この世界に似合っていないのである。例えば、この世界にメルヘンな魔法や蜂蜜とミルクで満ちた川でもあったりしたら、別にそういうものがあってもおかしくないと考えるだろう。

 だが、奴隷戦闘種族スピリットによって有限を取りあう世界に、無限循環の可能なエネルギーシステムは、酷く不似合いすぎた。

 

 二人の反応に、レスティーナはいたたまれなくなった。

 何のリスクも無く延々に循環可能な燃料。まともに考えればそんなものあるわけないのだ。

 それを、この世界の人間達は理解しなかった。実験結果で示されていたのに、見たくない現実から目を背けたのだ。

 この世界に住む一人の人間として、レスティーナは恥ずかしかった。

 

 しかし、現実を見なかったと言っても、為政者達にどれほど現実を見た上での政策があっただろう。

 

 例えば地球上で、電気を使うと世界が滅ぶから電力発電を止めて電化製品の類を一切を使うな、と言われたらどうなるか。

 当然混乱が起こるだろう。それも、想像を絶するような大混乱だ。

 世界各国で大激論が起こり、暴力で血が流れ、難民が溢れ、餓死者がどれほど生まれる事になるか、考えるだけで恐ろしい。

 

 非難するのは馬鹿でも出来る。問題があると突っ込むのは簡単だ。しかし、対応策を打ち出すのは難しすぎた。

 

「私は、マナサイクルの封鎖とエーテル製品の廃棄。そしてスピリットの奴隷戦闘の取りやめを打ち出していこうと考えています。

 世界を守り、未来に希望を残す為……それが私が信じる道であり、正しいと思う事ですから」

 

 それが女王としてのレスティーナの判断だった。

 エーテルに替わる代替エネルギーが存在しない以上、文明の後退を受け入れるしかない。犠牲は出るだろうが、それを覚悟しているようだ。

 世界の為に、そこに住まう人の為に、築き上げてきた技術を、先人達が連綿と成して来た歴史を、全て否定することとなる。

 

 世界。

 犠牲。

 天秤。

 正しいと思う事を。

 

 横島はウンザリ顔で、レスティーナの言に頷いた。

 過去に下した決断から、横島は頷くしかない。頷かなければ、最愛の彼女に顔向けできないのだから。

 「よりにもよって世界かよ……」と小声ではぼやいていたが。

 

「今の時期にそれは……」

 

 横島と違い、悠人は明確に難色を示す。言っている事は同意するが、実現は困難だと思ったからだ。

 エーテル製品は庶民の生活にだって深く浸透している。流石に日本ほどではないが、それでも風呂を沸かし、食材を炒め、明かりを付け、生活を豊かにしているのだ。

 

 レスティーナが女王となってまだ日も浅い。

 いくら世界の為という御大層な名目があっても、日々を精一杯生きている民にそれが通じるかどうか。

 それも、これは世界全てで実地しなければ意味が無い。下手にエーテルを使用できる地域や特権を作ってしまうと、それは必ず争いの元になる。

 政治には疎い悠人でも、マナサイクルの封印がどれだけ難しいか理解できた。

 困難だ。困難すぎる。

 

「勿論、この事実を発表してエーテル機関を封鎖するのはまだ先になるでしょう。少なくとも、帝国があるかぎり、そしてカオリを助けるまでは戦いを止める訳にはいきませんから。

 帝国を倒し、マロリガン共和国とも協調していける体制の構築と、間違っても混乱や餓死者が出ないよう、しかるべき状況にしてから発表します。今はその土壌作りを目標にするだけです。

 この国を、私を心配してくれて……感謝します。ユート」

 

 春雪のように一瞬だったが、レスティーナは悠人に向かって信頼の笑みを向ける。

 悠人は思わず視線をそらして、何となくぶっちょう面を作った。

 

「……俺は一般論を言っただけだ」

 

「それでもです。感謝を」

 

 信頼と温かさを持った瞳で見つめられて、ついに悠人は赤面した。

 面白くないのは横島だ。

 

「俺だって心配してますよ!」

 

「フフ、分かっています。ありがとう、ヨコシマ」

 

 上品に口角を上げて、レスティーナは横島に微笑む。それだけで横島はでへへと鼻の下を伸ばす。

 女好きめ、と悠人は内心で呆れたように毒づいたが、しかし仕方ないとも考えていた。

 美形で、女王で、頭が良く、理想に燃えている。ヒロイックサーガの主人公のように完璧なのだ。

 大抵の男なら惚れるだろう。いや、信奉者となるだろうか。

 

 だが、完璧ではない。ある一部が決定的に欠けていた。

 悠人の視線がその一部に向けられる。

 そう、胸だ。バストだ。胸囲だ。おっぱいだ。

 レスティーナはゴテゴテのドレスなどは好きではないようで、簡素で質の良い絹の薄着を纏っていた。アクセサリーの類も身につけず、頭上にティアラを頂いてるだけである。

 当然、体のラインが浮き彫りになるのだが、彼女の胸には非常に慎ましい膨らみがちょこんとあった。

 いや、それでも言葉過剰だろう。真実は、つるペッタンである。それはもう絶壁なのだ。ロリでもないのに66は驚異すべき胸囲だった。

 

(天は二物三物四物ぐらいまでなら与えても、流石に五物までは与えないみたいだなあ)

 

 悠人の口元が綻ぶ。嘲笑でも欲情の笑みでもない。親しみだ。

 頭脳に美貌に血統、さらにはカリスマを併せ持つという完全無欠な女王であるが、それでも人並み? な部分がある。それが悠人には何だか嬉しかった。

 

 さて、レスティーナはサイコメトラーでもなんでもない。女王という枠を取っ払えば年頃の少女だ。

 その少女が、自分の薄い胸を凝視したあげく笑みを浮かべた男を見て、何を思うだろうか。

 

「ユートは人の胸を見て笑う癖があるのですね。エスペリアやカオリに伝えておきましょう」

 

「ちょっと待ってくれ! 別にそういうつもりじゃあなくて」

 

「では、どういうつもりで笑ったのでしょうか?」

 

 マジな目つきで、極上の笑みを浮かべる女王様を前に、悠人はダラリダラリと汗を流し浅く呼吸を繰り返す。

 そんな二人を、ヨーティアは余裕の笑みを浮かべて見守る。

 

「まったく若いねえ……いや、私も十分若いけどさ」

 

「……ヨーティア様、ご無理をなさらずに」

 

「だ、誰が無理をしとるかー!」

 

 このコンビは、どうもイオの方が上位に立つ事があるらしい。

 ピーチクパーチク。二組の口論で話し合いが完全に止まる。

 一人取り残されることになったのは横島だ。

 

「つーか、もう少し真面目に話進めましょうよ。時間がもったいないっすよ」

 

 至極真っ当な意見を言った横島に、

 

「お前が言うなー!!」

 

 一同が突っ込みを入れて、場はさらなる混沌に飲み込まれていくのだった。

 

 

 こほん、とレスティーナは咳払いをして、ようやく話し合いが再開した。

 

「これからのラキオスの目的を達成するためにも、まずマロリガン共和国と軍事同盟を申し込みます」

 

 この大陸に存在する国家は事実上残り三ヶ国だ。

 大陸の北に位置するラキオス王国。南西にマロリガン共和国。南東に神聖サーギオス帝国。

 北西にソーン・リーム中立自治区があるが、人口は少なく、産業も資源も無く、気候も厳しく、さらには神聖な地であると噂されている。また、スピリットが転送されてきたという事例も無い。

 併合するには旨みが少なく、むしろお荷物になる為、どの国家も無視している。

 

「……まあ妥当な所かね」

 

「……一応、賛成だ」

 

「……とりあえず賛成っす」

 

 悠人も横島も同意する。敵を減らし、味方を増やす事は常道だ。

 そうでなくとも、王が変わったなら他の国との関係を強化するのは必須である。

 この一ヶ月で内部事情を整理した。後は外部に目を向けようと言う事だろう。

 それが終わって、ようやく戦力をサーギオスに向けられるのだ。

 だが、全員が賛成したのだが、とにかく歯切れが悪い。

 

「レスティーナ、前の襲撃でマロリガンが関わっていない事は確認できたのか」

 

 対等な言葉遣いで、悠人は全員が思っていた疑問を口に出す。

 

「いえ、逆にあの襲撃に関わっていた事が分かったくらいです」

 

「それじゃあ、やっぱり敵って事じゃないか」

 

「しかし、マロリガン所属と思われるスピリットは町で建物や人に害していません。ただ、他のスピリットをじっと見つめていただけらしいです」

 

「偵察ってわけか。サーギオスが攻めてくるのを、マロリガンは知っていたんだな」

 

 ラキオスは情報戦で完全に敗北しているらしい。

 恐らく、相当量のスパイや内通者がいるのだろう。だからレスティーナは憲兵を総動員して見つけようとしているのだが、不思議な事に影も形も見つからない。

 何を通してラキオスの内実を知っているのか、レスティーナも情報部も頭を抱える毎日だ。

 

「色々と疑念はありますが、クェド・ギン大統領は理知的な人物と聞きます。また彼の国は帝国とは常に刃を交えている国です。ユートの国でも、敵の敵は味方という言葉があるように、対サーギオスの軍事同盟できる可能性は十分あります。

 問題はラクロック限界を知り、マナサイクルの破棄とスピリット解放に同調してもらえるかどうかです」

 

 クェド・ギンという名が出て、ヨーティアは表情を僅かに変えた。

 ほんの僅かな表情に、多くの感情が溢れていたが、正より負の感情のほうが多いように見える。しかし、それは本当に一瞬で気づくものはいなかった。

 

「失敗したらどうするつもりだい」

 

「もし同盟が駄目でも、二国間の結びつきは強化していきたいと考えています。サーギオスという共通の脅威がある以上、関係の強化は難しくないでしょう」

 

 そこで、話は終了した。

 これからは暗殺に気をつけなくては。

 部屋から退出する際、そう小さく呟いたレスティーナを見て、二人の異邦人はこの少女が目指す道がどれほど苦難に満ちているのか、改めて痛感した。

 

 

 一ヶ月後。

 スピリットを伴わず、僅かな供だけを連れだってレスティーナは大砂漠を越えて、マロリガンの都市の一つであるスレギトに赴いた。

 一国の王が、スピリットも伴わず砂漠を越えて訪問したのだ。

 下手な対応などしたら国家としての信用に関わると、クェド・ギン大統領は既に現地に足を運んでいた。

 レスティーナはクェド・ギンとの一対一の対談を望み、彼も快く承諾した。

 

 一室に通されて、レスティーナはクェド・ギンと相対する。

 クェド・ギンはまだ三十代の半ばほどで、長身で髪をオールバックで纏めて、とても精力的な顔つきをしていた。

 壮年の、肉体と精神が最も充実している時期であり、立ち振る舞いには自信と生気が溢れている。

 

「遠路はるばる、良くお越しになられました」

 

「いえ、こちらこそ突然の訪問を受け入れていただき、ありがとうございます」

 

 握手をすると、掌はまるで戦士の様に硬く、豆も出来ていていた。肉体も相当鍛えているようだ。

 それからいくつか世間話をして、すぐに会談に移る。レスティーナは出し惜しみせず、カードを切った。

 

 ラクロック限界。エーテル技術の危うさ。サーギオス帝国と帝国が保有するスピリットの危険性。

 ラキオスの保有する多くの資料が惜しげもなく、ずらりとクェド・ギンの前に開示されていた。

 無論、資料には信頼に足りる証明があって、夢想妄想の類で無い事は明らかである。

 クェド・ギンは世界の常識を覆す情報の前で、さしたる表情の変化はなかった。

 

「我らはお互いにこの大地に住まう者。我が国は貴国と手を取りあい、互いの末永い繁栄を望んでいます。

 そのためにも、確固とした同盟を結びサーギオスを打倒し、マナサイクルに終止符を打たねばなりません」

 

 単刀直入にレスティーナが切り出した。

 トップ同士のみの話し合いに、下手な小細工は時間の無駄との判断だ。

 クェド・ギンは資料を一瞥して、鉄仮面のような表情を崩さない。

 

「マナサイクルの封鎖と、軍事同盟。この二つの理はまだ分かるが、スピリットの解放はどういう意図で?」

 

「今更隠す必要もないでしょうが、我らの国にはハイペリアからのエトランジェが滞在しております。

 彼らの話を聞いて、私は確信しました。スピリットの立場は……いえ、これは国のあり方が明らかに可笑しいと言うべきです。

 そもそも、いつ、どこで、どうして生まれるのかも分からないスピリットという存在だけが、一国の軍事力に等しい状況が、異常であると思えませんか。

 さらに、そのスピリットを統率する、いわば軍事のトップである隊長が閑職というのは、もはや狂気の沙汰でしかありません」

 

 レスティーナの言葉にクェド・ギンは僅かに眉を顰めた。

 一般的な感覚からすれば、この反応は正しい。今までの常識を、非常識だと言いだす。気狂いの戯言と言われても不思議ではない。

 

「結論から言おう。マナサイクル凍結案は受け入れられん。また軍事同盟の件も承服できない」

 

 淡々と、しかし強い意志を感じる言葉に、レスティーナは交渉は決裂したと理解する。

 

「理由を聞かせてもらってよいでしょうか」

 

「質問に質問で返させてもらおう。若き女王よ、一つ聞きたい。現実的に考えて、エーテル技術の封印とスピリットの解放など、できるとお考えか」

 

「できます。どれほどの難事であっても、これは成さねばならないことです」

 

「どれほどの苦労を民に強いる事になるか、考えたことはあるか?」

 

「今が異常なのです。本来なら人が苦しまねばならぬ所を、スピリットとマナに肩代わりさせてきたのです。人が現実と向き合わなければいけない時が来た……それだけでしょう。

 民が苦しむかどうかは、我々の手腕に関わるだけです。民を苦しめない為にも、協力が必要なのです」

 

「簡単に言うものですな。

 この現実を知りながら見て見ぬふりをしたのは、相応の理由があったのだと、為政者である女王には分からぬか」

 

「確かに、これは難事でしょう。どれほど対策を施しても、民からは不満の声が漏れるでしょう」

 

「その通り。民が求めているのは、世界の持続ではないのです。彼らは生活の持続を求めている。

 私が民の上に立っていられるのは、彼らの望みを満たす必要があるからこそ。上に立たせてもらっているのだ。

 これは共和制だろうと王政だろうと、上に立つ者は持たねばらない意思であると私は考えているのだが」

 

「民のため、自国のため、職と安全を供給すること。それが国の、我らの役割であること。

 確かにそれは正論でしょう。私も為政者として、それを否定することはできません。

 ですが、それは緩慢な死を迎える理由にはなってはいけません。

 今でさえ出生率の低下、作物の不作、ダスカトロン砂漠の拡大……これらは天災ではなく人災だったのです。

 このままではこの大陸は干からび、人は自ずと滅ぶのです。

 例え後世の歴史書に文明を破壊し民を苦しめたと書かれようと……いえ、エーテル技術を封印して後世に命を残さねば歴史書すら生まれなくなるでしょう。

 どれほど苦しくても次代に命を繋ぎ、希望を連ねていくこと。それこそ国の上に立っている我々が、世界に果たす使命であり責任ではないでしょうか」

 

「ほう、国の上に立つものが世界の行く末を案じるのですか。

 責任とは責務より生じるもの。失礼であるが、一国の若い女王に世界を背負う責務があると思えませんな。

 また、未来と女王は言われるが、我らが搾取しているのは今生きている民です。税を納めた民を重視するのが我らの責任でしょう。

 現実を見ぬ傲慢な物言いは、年寄りには不快なものだが」

 

「どうせ誰かが成さねばいけない事です。それも早ければ早いほど良い仕事です。ならば私が先駆者となって悪い道理は無いでしょう。それに、しがらみの多い年寄りよりも、若者の方が動きやすいのも事実。それと、貴方はまだお若いと思いますが」

 

 レスティーナは含みがあるように言うと、クェド・ギンは軽く肩をすくめた。

 

「どうか、協力を。二国が手を携えれば、きっと現在も未来も救えます。ラキオスは協力を惜しみません」

 

 真摯に、心からレスティーナは訴える。

 レスティーナが持つ、優しさと心の輝きは自国の民だけではなく他国にまで降り注がれていた。

 高潔な魂。これがレスティーナの放つカリスマの根源だ。

 

「失礼、煙草はよろしいか?」

 

「はい。構いません」

 

 クェド・ギンは一礼して、懐から煙草を取りだす。

 取り出した煙草にレスティーナは注目する。少しでも、このどこか得体のしれない大統領の情報が得たいからだ。

 煙草はトヤーアという銘柄で、自由を意味していた。

 クェド・ギンは一度だけ煙草を吸って、すぐに灰皿に押し付けて火を消した。

 

「ここまでのご高説、しかと聞かせてもらった。理想論極まれり、と言った所ですかな」

 

「その理想論を貫かねば世界は衰弱して滅びます。それが現実です」

 

「いや、もう一つ方法がある。スピリットの大半を処刑して、大地に住まう人間が半分になれば、大地にマナは満ちて、しかもマナ消費は抑えられる……戦争による口減らしはどう思われますかな」

 

 眉一つ動かさず、クェド・ギンは言ってのけた。

 とても冗談を言っている様子ではない。

 レスティーナの心胆は冷えたが、そんな事はおくびにも出さず無表情を貫く。

 

「それはただの暴論です」

 

「しかし、これも世界を救う考えでしょう。しかも戦争でいともたやすく達成できます。スピリットが人を殺傷できると分かった今ならば特に。理想論と暴論。さて、どちらが現実的でしょうかな」

 

「……貴方は、破滅を求めているのですか」

 

 レスティーナの問いに、クェド・ギンはしばらく何も答えなかったが、少しして重々しく息を吐いた。

 

「確かに女王の言葉が正しいのでしょう」

 

 クェド・ギンは今までの弁を翻し、あっさりとレスティーナの弁に頷いて見せた。

 論説に敗れた――――というよりも、相手を言い負かそうとする意思がそもそも無かったように見える。

 先ほどまでのクェド・ギンの反論は、極論で相手の意見を封殺しようしたに過ぎない。皮肉に近いものがあるだけで、相手を糾弾するという意識が欠けていた。

 

「私はマロリガンの民の総意を代弁する立場に過ぎん。女王がどのような大義を持っていようと、愛国心に燃え、民衆の為を考える議会の年寄り共は取り合わぬだろう。選挙の票は集まりそうもないしな」

 

 クェド・ギンの語りには、どこか自虐的な響きがある。

 共和制であるマロリガンは、クェド・ギンの一存で動く事は無い。基本は何をするにしても議会の承認が必要だった。

 クェド・ギンはまだ若い。後ろ盾もなく、自身の意見を通す事が出来ない張子の虎なのかもしれない、とレスティーナは思案した。

 

「ではどうあってもエーテル技術封印に協力はできぬと……対サーギオス同盟も」

 

「最初に申し上げた通りだ」

 

 駄目だった。

 そう上手くいくわけがない。

 それは分かっていたが、何の感触も得られなかった。

 

 会談は失敗に終わったが、とはいえレスティーナは別に落ち込んではいなかった。まさか一度の会談で何もかもが上手くいくなんて夢物語は信じていないし、ただ話せば相手が理解するだろう、などという妄想を抱く訳が無い。

 

 まず、こちらの意思をトップに伝える。女王が直接来た事で、こちらの本気は伝わっているはずだ。

 これから何度となく話し合い、お互いの落とし所を探っていく作業に移る。

 地味ではあるが、これが外交の本質だ。また、レスティーナの理想を民に分かってもらうには、どうせ時間が掛る。最低限、エーテルが無くとも生活が出来るという理解は必須だ。

 悠長にしてはいられないが、性急に事をなすものでもない。

 

「分かりました。それでは次に通商に関して提案があるのですが」

 

「女王よ、その話はする必要が無い」

 

「どういう意味でしょうか」

 

「マロリガン共和国は、これより九十六時間後、ラキオス王国に宣戦布告する」

 

「なっ!」

 

 何を言われようと表情を崩さなかったレスティーナの顔色が変わった。外交の場で狼狽するなんて素人以下の反応であるが、それも仕方が無いほどの事態だった。

 その宣告はあまりに唐突であり、そしてレスティーナが思い描いていた構図を全て打ち壊す事を示していたのだから。

 

 ――――帝国と手を結んだか。

 

 マロリガンと帝国は犬猿の仲で同盟など考えられない情勢であったが、可能性としてはそれしかないように思えた。

 そうでなければラキオスに宣戦布告などするわけがない。だとしたら最悪の展開だ。

 

「一体どのような名分あっての事でしょうか。貴国をラキオスが侵した事など一度たりとも無いはずです。まさか、四神剣時代の古い諍いを持ち出しての事ではないでしょう」

 

「そうですな。大義名分は、他国のエーテル事情への内政干渉とでも出来ますが……先を見ての行動と言っておきましょう」

 

 どこか他人事のようにクェド・ギンが言った。

 「先を見て」という言葉に、レスティーナは怪訝そうに眉をひそめる。

 

「なに、簡単なこと。もしラキオスがサーギオスを下せば、間違いなくラキオスは大陸最強の国家となるだろう。そうして女王はまた進言……いや、勧告をマロリガンに突きつける事となる。

 マナを、スピリットを使うな。さもなくば……とな」

 

「ラキオスが武力介入するとでも言うのですか。私は言論によって行動します」

 

「力が介在しない言論などありはしない。それに貴女は国益の為ではなく、世界の為に行動するのでしょう。世界の為ならマロリガン共和国を潰す事が女王にはできるはず。民も貴女に味方するでしょう。世論の操作など女王のカリスマなら難しくはないですからな」

 

 クェド・ギンの言葉の理を、レスティーナは僅かながら認めるしかなかった。

 強力すぎる大義。正しすぎる名分。

 それらは目的の為に手段を選ばなくさせる、最たるものだ。『目的』を『手段』よりも上位に置いた場合、モラルは崩壊する。

 正しいから悪い事をして良い。例えルールに反していても、正しいのだから。

 個人で正義感に酔っている者ほど、この理論に引っかかりやすい。そして自分を正しい悪と思いこみ、酔う。

 その正しさというのはどれだけ大義名分を振りかざそうと、大抵は自分本位のものだ。

 典型的なダークヒーローの理屈を、国というエゴの集大成が使用した場合、最後に待つのは暴走の一語である。

 

「それは貴方が考えすぎているだけです。私は平和の為、民の為、未来に負債を残さないよう最善を尽くそうと努力し、その為に隣人に協力を求めているにすぎません」

 

 表情を引き締め、レスティーナが毅然と言う。

 

「第一、それはあまりに非現実的な考えと言うしかありません。ラキオス、マロリガンが争っている間に、もしサーギオスから一撃を食らえば両国とも滅びます。それが分からぬとは思えません」

 

 レスティーナの言葉に、クェド・ギンは深く頷く。

 その表情は真面目に見えたが、口許は皮肉そうに歪んでいた。

 

「その通り。『だから』サーギオスは動かない。決してな」

 

 レスティーナは怪訝な顔をした。

 何か、会話の中にノイズが発生したような気がしたからだ。

 

「言葉の意味が分かりません。一体どういう意味か、しかと答えて下さい。

 私も正直に言いましょう。私は、マロリガン共和国はサーギオス帝国と何らかの密約を交わしたのではないかと疑っているのです」

 

 言葉を選ばず、真っ向から斬り込む。

 兎に角、レスティーナが聞きたいのはその一点だった。

 レスティーナの眼が、クェド・ギンの一挙手一投足すら見逃さないようにギラリと光る。拒否したとしても、少しでも不審な素振りがあれば、帝国と繋がりがあると判断することにした。

 もし帝国と繋がりがあるのなら、この会談も危険かもしれない。

 事前に横島から渡された文珠を発動させて、逃げる必要も考えなければいけなかった。

 

「女王は民草が読むおとぎ話はお嫌いか。

 ……舞台はとある大陸に存在する小国だ。

 小国は王と可憐な王女が治める美しい国だったが、大陸にあっては弱小で周りの列強に絶えず脅かされていた」

 

 レスティーナの緊張を他所に、クェド・ギンはまるで関係の無いことを喋り始める。

 勿論、ただ関係のない話を始めるわけが無い。これは何らかの暗喩だ。

 この小国というのは、間違いなくラキオスの事を指している。

 レスティーナは無言で続く言葉を待った。

 

「話の筋書きは簡単だ。小国は一つの大国と争い、そして勝利する。すると、それよりも強力な大国がまた攻めてきて勝利する。それを続けて、最終的に小国は大陸の覇者となり、姫は活躍した少年騎士と結ばれる。

 ……どうして、小国は大国に囲まれて、勝利できたと思う?」

 

 なんだ、この問いは?

 

 レスティーナは唖然としながらも、少しでもクェド・ギンとの会話を伸ばして情報を得る為に、会話に乗った。

 質問の意図を測りかねながらも、考えた言葉を述べる。

 

「その話からすると、小国は常に一体一で大国と争っています。それも、弱い順から強い順に戦っているとなれば、常に激戦ながらも勝利の可能性は十分にあったのでしょう」

 

「その通り。ギリギリの勝利を小国は繰り返しました。では、どうして各国はバラバラに小国と戦ったのでしょう?」

 

「……他の国内部で混乱があったのでは。天災、政争、内乱等、外に目を向けることが出来ない事態になった」

 

「過去のバーンライトのようにか?」

 

 お伽噺から、突如現実に話が戻った。

 クェド・ギンは小さく笑みを浮かべる。レスティーナは何も答えない。

 ラキオスは過去にソーマという男によって、スピリットの殆どを失った過去がある。

 実践が出来るスピリットは、まだ幼いエスペリアだけという絶望的な状態に陥ったのだ。隣国には常に小競り合いを繰り返すバーンライトがあった。

 その時は徹底的な情報統制で事実を隠し、スピリットを速成で仕上げて何とか乗り越えようとした。

 しかし、当然それにも限界があった。

 ある時、とうとうスピリットがいなくなったと突き止められ、ラキオス滅亡と思われた。

 だが、そこでバーンライト内部で天災、政争があって、足並みがそろわなくなってしまった。

 

 幸運が重なり、アセリア達がギリギリ戦えるようになって、ようやくバーンライトは動き出した。その戦いで、子供に毛が生えたようなアセリアは戦功を上げて『青い牙』の二つ名を獲得したのだが。

 ラキオスはギリギリで命を永らえたのである。

 

「賢察の通り、その物語でも同じ理由で強国は動けなかった……動ければ勝敗は決したはずなのに。では、それは何故か? どうして病が流行る? どうして、不運だったのか?」

 

 雲行きが怪しい。

 最初、レスティーナは話をはぐらかそうとしているのかと考えたが、クェド・ギンの目は真剣だった。それこそ、先ほど国がどうとか話していた以上に真剣なのだ。

 まるで、これこそ話の本題と言わんばかりに。

 

「分からないか。ならば答えよう。答えは、作者の都合だ」

 

 皮肉っぽい笑みを浮かべるクェド・ギン。その笑みの中に、例えようも無いほどの怒りがある事をレスティーナは見抜いた。今まで能面のような表情を崩さなかった彼が、ここにきて始めて人間らしい生きた表情を作っていた。

 レスティーナは無言で先を促す。

 

「作者とって、その物語の存在価値は『王女と少年騎士のハッピーエンド』でしかなかったからだ。山あり谷ありの物語。そして結果は決まっている。

 作者の立場は作者の考えるハッピーエンドの向かって如何に自然を装いつつキャラクターと世界を構築し操作すること……全ては、物語のため」

 

 違和感が無いように。作者の意図が見えないように。

 決められた結末に物語は誘導される。

 

「これが俺の出した答えだ」

 

 色々と、含みが込められている答えだ。

 俺の―――とは、どういう意図で言ったのか。そもそも答えとは? 一体何を問題としているのか? 話の流れからすれば、どうしてサーギオスが攻めてこないのかの理由付けだが、まさか神(作者)の都合とでも言うつもりか。

 マロリガンは議会制を採用している共和国だ。この訳も分からぬお伽噺のようなお話を、議会は信じているのか。いや、いくらなんでもそれはないだろう。

 もし、そうだとしたら議会の連中は何を持ってサーギオスは攻撃してこないと信じているのか。それとも、攻撃して来ても対処できると考えているのか。

 

 ただこちらを煙に巻こうとしているだけなのか。夢想と妄想に生きているのか。狂人の戯言か。

 だが、クェド・ギンの目にある深い知性の輝きが、狂人である事を否定している。いや、狂っていても知性は衰えないものなのか。

 レスティーナには分からなかった。分かる訳もなかった。

 ただ一つ理解できたのは、この男は何があってもラキオスと協調する気はないというだけ。

 

「顔色が優れませんな。マロリガンの水はお気に召しませんか?」

 

「……ええ、性質の悪い演劇でも演じているような気分の悪さですね」

 

「同感です」

 

 ぬけぬけと、クェド・ギンは言ってのけた。

 だが、レスティーナには、その一言が一番の本心であるように聞こえて、ますますこの男の正体が分からなくなる。

 

「最後に一つだけ聞かせて下さい」

 

「何ですかな」

 

「貴方は、何と戦っているのですか?」

 

 クェド・ギンは沈黙する。目は、何処か遠くを見ているようだった。

 

「私は、貴方がもっと別の何かを見ているような気がしてなりません。この対談は貴方にとって遊びに過ぎなかったのでは?」

 

 クェド・ギンの目が、レスティーナを覗き込んだ。この対談の中で、初めてクェド・ギンはレスティーナを見たようだった。

 それは科学者のような冷徹さで満ちていた。

 

「……ラキオス領までの安全は保障しましょう。では」

 

 そこで対談が終わった。

 関係強化の為の話し合いで、まさか宣戦布告を突きつけられるという異例にして異常な事態に、レスティーナの頭はめまぐるしく活動していた。

 これから先の戦いは、今までとは桁違いの激戦となる。一歩間違えれば、奈落はすぐそこだ。

 

 部屋から外に出る扉までの数メートル。時間にして数秒。その間に、レスティーナは戦略を決めた。

 文珠を発動させる。この瞬間より、ラキオスは戦争を開始する。

 神は、この世界の理でもって動く神であるがゆえに、チート(不正)である霊力を感知できなかった。

 

 

 クェド・ギンはレスティーナが部屋から出たのを見てから、重く息を吐いた。

 

「モラルが高く、頭も切れる。民衆の人気も高い。協力するにも、手駒にするにも不都合か」

 

 また懐から煙草を取り出す。咥えて火を点け、ゆっくりと吸って吐く。

 肺の中に、体中に、自由の煙を染み込ませる。

 

 ――――貴方は何と戦っているのですか。

 

 そんなもの、決まっている。

 

「人は、神剣などに屈せぬ」

 

 

 ――――くすくす、無駄な足掻きですわ。

 

 

 闇が、嗤っていた。

 



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第二十六話 日常編その4 隊長交換

 これはレスティーナがマロリガンに向かう少し前のお話。

 ある晴れた昼下がり。朝の訓練も終わり、スピリット達はそれぞれ短い自由時間を満喫していた。

 例えば、アセリアはふらっと何処かに出かけ、ハリオンはお昼ねに精を出す。ナナルゥは何処からか仕入れてきた『愛』と題名がついている本を読みふけり、年少組みはお菓子を報酬にファーレーンに引き連れられ哨戒の訓練をさせられている。

 彼女らの中で一番精神が成熟していて、いわゆる大人っぽいのは、エスペリアとセリア、それにヒミカだった。

 第一詰め所の庭に用意したテーブルとイスに腰掛けて、柔らかな日差しを浴びながらエスペリアの煎れたお茶を飲み、ヒミカが作った菓子に舌鼓を打つ。セリアは二人のお茶とお菓子を賞賛した。

 三人はのんびりとお茶とお喋りを楽しむ。

 彼女らが話を続けていると必ずと言っていいほど出てきてしまう話題があった。

 

「――なんて事があったのよ。どうして落ち着いてくれないのかしら」

 

「ヨコシマ様という人は本当に……苦労しているのですね」

 

「苦労なんてものじゃないわよ……はあっ」

 

 セリアのこぼす愚痴に、エスペリアは同情の言葉を掛けて、ヒミカは深いため息をついた。

 セリアとヒミカの話題は、やはり横島の事だ。

 彼が毎日のように起こす騒ぎ。その愚痴をエスペリアにくどくどと聞かせる。

 

「ユート様は変な事をしない人みたいで羨ましいわ」

 

 呟くように言うセリアに、エスペリアはどう答えたらいいのか分からず曖昧な笑みをこぼす。

 これには流石に「そんなことありません」と謙遜する訳にはいかない。隣の芝生が青く見えるのは事実だが、それでも分かりやすい差は現れてくる。

 そして、エスペリアの胸には少しだけ優越感が湧き上がっていた。

 訓練時、いつも悠人は横島に負けている。それも全敗。もう百を超えるほど剣を合わせてきて全敗なのである。悠人自身も悔しい思いをしているが、それ以上にエスペリアも悔しさに歯噛みしていたのだ。加えて、シフト作成や書類の整理など、その他もろもろの仕事の手際も横島に軍配が上がる。悠人が不出来というよりも、横島は色々と細かいところで無駄に優れているのだ。悠人は横島よりも時間を掛ける事で対抗するしかなかった。

 

 悠人が仕事をしている間に、横島は遊び呆けることができる。それが何よりエスペリアには悔しい。

 悔しい思いをする理由はエスペリアが悠人贔屓というのもあるが、横島に対して良い印象を持っていないのも原因だろう。

 

「そうですね。そういえば、こんな事がありました」

 

 そうエスペリアは口火を切って話し始めたのは、悠人に関する自慢話だった。

 毎日をひたむきに一所懸命に頑張っているとか、お茶に意外と詳しいとか、ツンツンの髪の毛は感触が良いとか。そんな自慢話は、いつのまにか惚気話に変化していく。

 最初は羨ましそうに相槌を打っていたセリアとヒミカだったが、そんな話が五分十分と長引くにつれ、段々とその顔は面白くなさそうに変化していく。

 

「私達にとって、最高の隊長です」

 

 僅かに頬を赤く染めたエスペリアは、最後にそう締めくくった。

 別にエスペリアは横島を貶したわけではないが、会話の前後を考えると、横島よりも悠人の方が優れていると言っている。少なくとも、セリアとヒミカにはそう感じ取れた。

 はっきり言って、セリア達の方が遥かに横島を貶している。腐るほど文句を言ってきた。しかし、自分が貶すのと他人が貶すのは少し勝手が違うらしい。ざらざらした不快な感覚が、セリア達の心に生まれ始める。

 

「あ……でも、ヨコシマ様にも良い所はあるのよ」

 

 ヒミカが口火を切って、セリアをちらと見る。

 意を察したセリアはコクリと頷いて言葉を引き継いだ。

 

「まあ、そうね。細かい部分にも目が行き届くし、ああみえてマメで頼りになるわ」

 

「……へえ、そうなんですか。少し信じられないですけど」

 

 疑わしげにエスペリアが答えると、ヒミカとセリアの表情に苛立ちのようなものが入り込んだ。

 ――――何も彼の事を知らないくせに。 

 そんな気持ちが、二人の言葉を少し攻撃的にさせる。

 

「確かに悪い所は多いけど、ユート様よりは仕事はできるわ」

 

 ヒミカの言葉に、エスペリアのこめかみがぴくりと動く。

 

「あれで話は面白いし、知り合いも多いのよ。コミュニケーションもユート様より上手いわね……変態だけど」

 

 セリアの言葉に、エスペリアのこめかみがぴくりぴくりと動く。

 エスペリアは少し表情を硬直させていたが、何かを思いついたようで妖しげな笑みを浮かべた。

 

「ああ、そうでした。実はこの間、ユート様が私達にハイぺリア料理を振舞ってくれたんです。簡単な料理しか出来ないって言っていたけど、とても美味しくて優しい味でした。ヨコシマ様はどんなハイぺリア料理を作るのですか?」

 

 無邪気を装った攻撃的な質問だった。質問の答えなど、誰もが知っているのだから。

 無言で三人は見つめあう。そして、

 

『ほほほほほほ』

 

 口元に手を当てて、貴婦人の如き笑いを響かせた。三人は少し冷えたお茶を無言で一口飲む。

 カップをソーサーに置く音だけがカチャリと聞こえた後は、微妙な沈黙が場を支配する。

 そこに、女達の複雑な情念が絡み合っているのは言うまでも無い。

 不用意な発言をすれば一気に流れを持っていかれかねない。何処に落とし穴があるか想像もつかない。

 午後の優雅なお茶会は、緊張と緊迫に満ちた戦いの場に変わっていった。

 

「これはいけないですね」

 

 凛と響く女の声が、三人のすぐ横で聞こえた。

 すぐ傍まで接近されて気づかなかった三人は、戦士にあるまじき失態に、迂闊と顔を顰めて声の方向に振り返って唖然とする。

 そこにいたのはレスティーナ女王そのひとであった。

 突然の最高権力者の登場に、驚きの余り口をぱくぱくと魚のように開け閉めするだけになったセリアとヒミカ。

 

「レ、レスティーナ様、これはいったい」

 

 レスティーナと親交のあるエスペリアはなんとか言葉を紡ぎだすが、それでも驚きは隠しようも無かった。

 

「チェンジしてみましょう」

 

 レスティーナはその一言を残して風のように去っていく。

 エスペリアは慌てて立ち上がり、護衛の為にレスティーナを追いかけた。

 一体何が何なのやら。

 顔を見合わせるセリアとヒミカ。どうも面倒事が起こりそうだ、と漠然とした不安が胸によぎる。

 不安は、その日の内に現実のものとなった。

 

 永遠の煩悩者日常編その四

 

 隊長交換

 

 第一詰め所と第二詰め所の隊長を一週間の期間、交換する。

 そんな電撃的な命令が下された。それも女王が直接出した王命である。

 理由は、これからの戦いに備えて親睦を深めよう、というレクリエーションのようなものらしい。今更といえば今更であるし、どうして女王自身がそのような命を出したのか皆が頭を捻ったが、聡明であり圧倒的なカリスマを持つ女王が出した命令だ。きっと深い理由があるに違いない。多くの人はそう判断した。

 

 面白そうだから。

 

 まさか、この一文が目的とは、誰が想像できるものか。職権乱用という言葉すら生ぬるいだろう。

 それでも、一応、レスティーナはただ面白いからという理由だけで隊長同士を交換させたわけでは無い。理由の大半ではあるが、別の理由もあった。

 交換の理由。それは第一詰め所の、というよりもエスペリアの横島不審にある。

 エスペリアは横島の事を完全に信用していない事は明らかだった。はたから見れば横島という人物は非常識極まりない男で、大変な女好きで、とにかく欠点が多い人物だ。外から見るだけでは信頼できないのも無理は無い。

 それに問題は横島だけでは無い。悠人にもある。

 悠人は訓練や仕事を精力的にこなしているし、性格も真面目であるから、第二詰め所からも高く評価はされている。

 だが、プライベートの付き合いは殆どない。互いに頼りになる同僚のような関係だ。その関係を悪いとは言わないが、少し寂しいと言わざるを得ないだろう。

 

 信頼、友情、愛情。

 

 そう言った青臭いものをレスティーナは武器にしようとしている。それは、別に感情論だけで言っているわけではない。

 神剣の力を引き出すには心の力が必要だ。そして、信頼は心を強固にしてくれる。友情や愛情は育む、というのはマナを使用せずに戦力を上げられる財政に優しい手法なのだ。あくまで、心を残したスピリット限定ではあるが。それに戦場で連携を取るのだってお互いを知っておけばやりやすい。

 また、敵のやり口によっては内部不和を目的とした姦計を打ってくることも考えられる。

 確固とした信頼関係を築くにこしたことはない――――

 

「という建前があれば問題ないでしょう。ふふ、どういうハチャメチャが起こるか楽しみだなぁ」

 

 結局は面白そうだから交換するのだが。

 レスティーナ・ダイ・ラキオス。 

 私益と公益を兼ねる事が出来る女王であった。

 

 この辞令を喜ぶ者も反対する者も何人かいたが、当人である悠人と横島が乗り気であったため、つつがなく次の日には交換が決まる。

 時間はさっさと流れ、次の日の朝。

 

「ハンカチは持ちましたか。着替えは大丈夫ですか。日用品も、あと……」

 

「大丈夫だって。ちゃんと準備したさ」

 

 第一詰め所の玄関前で、そんなやりとりがされていた。悠人とエスペリアだ。周りにはアセリア達もいる。

 まるで子供を遠足に送り出す母親だ、と悠人は呆れと気恥ずかしさを感じていた。交換が決まってから、エスペリアはずっとこんな感じである。

 優しくて包容力があるけれど、どこか抜けてて可愛い所がある姉。それが悠人にとってのエスペリアだ。

 それ以上の想いもあるとなんとなく感じていたが、それがどれだけの意味を持っているかは、まだ良く分かっていなかった。

 

「ユート、生水には……うん、気をつける」

 

「なあ、アセリア。意味を分かって言っているか?」

 

 アセリアはやはりいつも通りだ。表情の一つも変えない。

 少しぐらい寂しがってくれないのか。

 悠人は少し悲しくなってやきもきしてしまう。

 良く見れば、アセリアのいつも元気一杯に重力に喧嘩を売っているアホ毛が弱弱しく垂れていたのだが、悠人もアセリア本人すら気づいていなかった。

 

「パパぁ~向こうに行っても、オルファのこと忘れないでね!」

 

「はは、オルファを忘れるわけ無いさ」

 

 素直に寂しさを表現してくれるオルファは可愛かった。思わず頭を撫でてしまう。

 

「広く見識を求め、深めるのも修行の一環となるでしょう。ご精進を」

 

「あ、ああ。精進する」

 

 ウルカはやはり真面目だ。真面目すぎてどこかピントが外れているのもウルカらしい。

 悠人は背筋をピンと伸ばし、自然と微笑した。

 

「それじゃあ、いってくる」

 

『いってらっしゃい』

 

 四人の声に見送られて、悠人は第二詰め所に向かった。

 

「ああ、ユート様が行ってしまう……」

 

 遠ざかっていく背中に、寂しげな声を漏らすエスペリア。

 その様子は離れ離れになる恋人のようにも見えたし、愛しい弟を見送る姉のようにも見えた。

 エスペリアの心境としては、そのどちらも正しいと言っていい。家族のような、それ以上のような、複雑な気持ちなのだろう。この辺りは悠人とシンクロしている。

 ついに背中が見えなくなって思わず溜息をついてしまう。その溜息は悠人と離れ離れになってしまう悲しみだけが原因では無い。

 

(今日から一週間、あの方と暮らすのですね)

 

 脳裏に浮かんできた締りの無い男の顔に思わず嫌々と頭を振ってしまう。

 人と会話する事がスピリットにしては多いエスペリアは、横島の噂をよく耳にしている。

 どのような噂が流れているかは、今更言うまでもない。

 

(うう、もし迫られたらどうしましょうか。貞操はユート様に)

 

 間違いなくラキオスの全スピリットで一番横島を信用していないのはエスペリアだろう。

 その理由は、エスペリアが常人としての感性を備えているからに他ならない。

 いきなり飛びかかってきてセクハラしてくる男の評価など、こうなって当然なのだから。

 

「神剣反応が近づいてます」

 

 ウルカが気配に気付いて静かに言った。

 とうとう来たか。

 思わず身構えたエスペリアだが、視界の端に映ったのは赤い短髪だった。

 

「あっ、やっぱりヒミカお姉ちゃんだ!」

 

 オルファにはヒミカが近づいていると分かっていたらしい。

 彼女は神剣反応で人物が分かるという稀有な力を持っていた。さらにどれぐらいの力を持つのかも何となく分かるらしい。唯一、分からないのはウルカらしいのだが、そのウルカにはまた別のものを感じていると本人は語っている。

 ヒミカは息を弾ませて、エスペリアの前までやってきた。

 

「どうしたんですか、ヒミカ。そんなに急いで」

 

「ヨコシマ様が来る前に第一詰め所……というよりも貴女に渡す物があるのよ」

 

 そう言って、ヒミカはエスペリアに紙の束を渡す。

 

「それじゃあ、エスペリア……頑張ってね!」

 

「え、ええ」

 

 思い切り握手をされて激励される。ヒミカはそのまま走り去って行った。

 十枚以上にも及ぶわら半紙の束。その表題にエスペリアは目を丸くした。

 

『エトランジェ・ヨコシマに関する対策と方針。

 これで貴女もヨコシマ様マスター! 大丈夫、ヨコシマ様は怖くない。

 素敵なヨコシマライフを満喫しよう!!

                           著者 ヒミカ・レッドスピリット』 

 

「はふぅ」

 

 エスペリアは短い悲鳴の後、もんぞりうって倒れた。

 オルファの声が聞こえたが無視する。目を瞑って意識を宇宙へと飛ばす。

 どうせ今回は日常編でストーリーは進行しないのだから、このまま気を失って、次話まで寝ていよう。

 オラクル(電波受信)に成功した彼女は、宇宙のブラザーと交信する事によりメタフィクションを扱えるようになったのだ。

 

 新たな技を覚えました。

 

 どこからともなく聞こえてくる自分のそんな声が聞きながら、エスペリアは夢の世界へと旅立つ。

 

 ――――大きくなったな、エス。

 

 聞こえてきた声が夢幻であることが、エスペリアには良く分かった。

 その愛称を言ってくれる人は、もういない。

 

 ――――だけど、大きくなって少し残念だ。

 

 何か不満があるのですか? お膝に乗せてもらってご本を読んでもらえないのは私も残念ですけど。

 

 ――――やっぱりロリメイドは最高だぜえ!

 

「ラスク様はそんなこと言いません!」

 

 恩師の痴態に思わず叫ぶ。と、同時に夢から覚めて目を見開く。

 次の瞬間に飛びこんできた映像は、タコのように突き出された唇だった。

 

「ぴゃああああ!!」

 

 美人系ヒロインにあるまじき悲鳴を上げながら、エスペリアは身を捻ってタコ唇を避ける。同時に、戦士としての訓練が功を奏したのか、咄嗟に『何か』をガシッと掴むと、

 

「はあっ!」

 

 ジャーマンスープレックス!

 

 白と緑で基調されたメイド服が、オトコらしく翻った。

 乙女の危機と戦士の動きがフュージョンした結果は、犬神家を復興させるという偉業を成し遂げた。

 『何か』――――いや、隠す必要は全くない。横島の上半身は地面に埋まって、下半身だけがバタバタと暴れていた。

 目の前で暴れ狂う下半身にエスペリアは驚くしかない。

 

「一体何事ですか!?」

 

「エスペリアお姉ちゃんが何事だよぉー! ヨコシマ様が下半身エトランジェになっちゃったよ!?」

 

「……卑猥か?」

 

「うん? アセリアお姉ちゃん、卑猥ってなあに?」

 

「エッチな事」

 

「エッチって?」

 

「卑猥な事」

 

「うぅ~全然分からないよぉー!」

 

「大丈夫だ。私も分からない」

 

「アセリアお姉ちゃんが言い出したのに~!?」

 

 アセリアとオルファの何やら不思議な会話に、エスペリアは頭を抱える。

 ズキズキする頭を押さえながら、一人真面目に佇むウルカに声を掛けた。

 

「あの、ウルカ……これは一体何事なんでしょう」

 

「はい、ヨコシマ殿は倒れたエスペリア殿を見つけるや否や、ものすごい勢いで飛びついて救命活動を開始したのです。あの迷いがない迅速な行動……やはりヨコシマ殿は並の御仁ではありません。エスペリア殿も見事な体術でした」

 

「真面目なのも対外にしてください!!」

 

 目に大きな涙を溜めながらエスペリアが怒る。怒られたウルカは「はてな?」と頭を捻るばかりであった。

 エスペリアは溜息をつくしかない。

 これが本当にスピリット最強と恐れられた『漆黒の翼』なのだろうか。一緒に旅をした時も思ったが、どこか抜けている。

 純粋というか、真面目というか、世間知らずというか。アセリアと少し似ている。

 アセリアが不思議な天然なら、ウルカは真面目な天然だった。

 

 そうこうしている間に横島は地面から這い出すと、満面の笑みを浮かべてエスペリアに詰め寄った。

 

「安心してください! 俺はこうみえても心臓マッサージと人工呼吸のプロっす!!」

 

「何を安心して良いか分かりません!?」

 

「神剣魔法以外の医療を行えるのですか。ヨコシマ殿は博識なのですね」

 

「ウルカはもう少し人を疑うことを覚えた方が良いと思います!」

 

「……手前は一人旅を続け、人を見る目も養いました。ヨコシマ殿は嘘では無く、本気で言っていると分かります」

 

「本気だからまずいんじゃないですか!?」

 

 エスペリアに一喝されて、またウルカは首を傾げる。

 横島がやって来てまだ数十秒程度。それだけでこの騒ぎだ。エスペリアはこの一週間がどうなるのか、不安で不安でしょうがなかった。

 

 交換生活 一日目

 

 挨拶が終わり、エスペリアは部屋に戻ると、これ以上無く憂鬱そうにしながら机にヒミカから渡された書類の束を置いた。

 頭痛がするような表紙に目をやって、しばらく躊躇したがページを捲る。

 

 はじめに。

 

 この本を見ているということは、貴女はスピリットであり、幸か不幸かエトランジェ・ヨコシマと接触し、共に闘う事になったのだと思われます。

 ヨコシマ様は非常に女好きであることは周知の事実であり、大変困った人物です。

 しかし、決して乱暴な人物ではありません。権力や力を笠に着て狼藉を働いてくる事は決してありません。

 ですが、楽観は禁物。もしヨコシマ様が迫ってきて、その時にきちんと抵抗できないとそのままエッチな事をされてしまいます!!

 また、彼の非常識につき合わされると気苦労も多いでしょう。しかし、苦労に勝る喜びもある事を忘れてはいけません。

 この書はヨコシマ様と健全に付き合い、彼と楽しく生きていく事を目標に作られた本です。

 

 そこまで読んで、色々な意味で限界を感じたエスペリアは羊皮紙から目を離す。

 

「ヒミカ……大丈夫なんでしょうか……脳が」

 

 とんでもなく失礼な事を言っていると自覚しているが、言わずにはいられなかった。

 ヒミカは第二詰め所内でも屈指の常識人だ。いや、これを見るに常識人だった、と言わざるを得ない。

 本人は真面目に書いているつもりなのだろうが、いや真面目だからこそより狂気を感じる。

 

「どうせ今回は日常編でストーリーなんて進まないのですから、もう全部お昼寝で終わらせても良いと思うのですが」

 

 ブツブツと文句をたれるエスペリア。こちらもこちらで変になっている。

 エスペリアも真面目だからこそ、壊れ方がいっそう激しいようだ。

 それでも、この身の為にまた羊皮紙を捲る。

 

 その一 生態

 

 素敵なヨコシマライフをエンジョイするためには、ヨコシマ様の生態をきちんと把握することが重要です。

 ここではヨコシマ様の生態について学びましょう。

 

「せ、生態って……だから素敵なヨコシマライフってなんですか?」

 

 最初の一文から思わず泣いてしまいそうだった。

 ヨコシマ様の生態について学ぶことは、今後の人生に何か役に立つのだろうか。役に立たなかったら無駄であるし、役に立ったら立ったで空しいだけな気がする。

 すんすんと泣きそうになりながらも、エスペリアはページを捲り続けていく。

 

 ・空を飛び、水に潜み、地に潜る。

 ・よく妄想する。その時に近づくと抱きつかれる。

 ・テレポートしてタンスに潜む事があるので注意が必要。

 ・正々堂々覗きをする。

 ・致死量の怪我でも一瞬で完治。

 ・でも、息子を切られると死亡する。

 ・息子は品行方正だが、本人はエロい。

 ・女性は拳闘家にクラスチェンジさせる性質あり。

 ・今後、分裂する可能性あり。

 ・つまり周囲をギャグ化する。

 

「ヨコシマ様とは一体何なんでしょう?」

 

 果たして、これが同じ生物なのだろうか。

 人、スピリット、エトランジェ。

 様々な種が存在し、その分を守るべしと考えているエスペリアだが、何だかどうでも良くなってくる気がする。

 

 というか、周りに対する被害がやばい。

 

 自身の決め台詞である、『私は汚れているのです』が、

 

 私は汚れキャラなのです。

 

 になりかねない恐れがあるのだ。

 汚れキャラに定着するなど冗談ではなかった。

 

 その二 嗜好

 

 さて、ここまでこの話を読んでくれた皆さんには周知の事実でしょうが、ヨコシマ様は非常に女好きです。ですが、女といっても何でも良い訳ではありません。ここでは彼の趣味を良く理解しておきましょう。

 また、もしこの本を開いている貴方が子供の場合、一切の問題は無くなるので本書をここで閉じられて構いません。

 ………………ああ! 私も子供の時にヨコシマ様にあいたかっ――――――以下、愚痴が延々と続いている。

 

「…………ヒミカも苦労しているのですね」

 

 突っ込みどころは多いが、もうそれだけで流してしまう。

 それから少し先まで読み進める。答えとしては、同い年の美女美少女が好物で、特に美人のお姉さん系が大好物らしい。

 性格に関しては、強気だったり真面目だったりするほうが良いらしい。あまりに弱気だったりエキセントリックだと、横島のセクハラ攻勢は影を潜めるとも書いてある。

 この嗜好を見てエスペリアは考える。

 第一詰め所で横島の嗜好に一番合っているのは誰なのか。

 

 まず、オルファは除外。

 横島は子供を劣情の対象にしない。

 肉体が成熟していない相手には紳士、というよりも遊びやすい兄ちゃんという感じだ。それぐらいはエスペリアも理解している。

 

 次にアセリア。

 これは微妙なラインだ。恐らく横島当人も微妙だと感じているだろう。

 年に関しては問題ないのだろうが、雰囲気も顔立ちもやや幼い。体格も小さくない程度。それに性格も純粋無垢で天然だ。横島の趣味には入っていないだろう。

 しかし、アセリアには不可思議な魅力がある。万が一の危険性はあるように思えた。

 

 次にウルカ。

 これは完全に危険ラインだ。同性であるエスペリアも、はっと目を止めてしまう格好良さがウルカにはあった。体のラインが浮き出るレオタードのようなエーテル服も色気がある。変な部分で知識が無いのも、それはそれで可愛いかもしれない。

 ただ、これはエスペリアの勘なのだが、ウルカは別に心配ないような気がしていた。

 根拠は特に無いのだが、強いて言うのなら横島とウルカがイチャイチャしている光景が想像できないのだ。

 

 そして、自分。

 エスペリア・グリーンスピリット。

 これは――――

 

「危険です。ピンチです。デッドオアアライブです。ミッションインポッシブルです」

 

 自分で言っておきながら意味が分からない言葉の羅列。

 何だか分からないが、とにかくヤバイ、という意味は伝わってくる。

 

 縋るような気持ちで頁を捲る。 

 今度の項目は、ヨコシマ様の対策だった。

 

 誠実、ツッコミが得意なスピリットは三ページ目に。

 天然、ボケが得意なスピリットは七ページ目に。

 冷静、クールなスピリットは九ページ目に。

 ファーレーンは十一ページ目に。

 

 突込み所は多々あったが、精神の安定の為にもスルー。

 ツッコミはともかく、誠実であろうとしているエスペリアは三ページ目を開く。

 

 さて、誠実、ツッコミタイプの貴女! 貴女は大変危険です。

 ヨコシマ様は常識的で強いタイプの女性が好みのようで、怒涛の勢いで飛び掛ってくる事があります。

 これにきちんと対抗しなければなりません。

 

 ヨコシマ様と楽しく付き合っていくコツは、自身の感情をきちんと言葉や体で示していくことです。

 つまり、変な事をしてきたら鉄拳を叩き込みましょう! 

 もちろん人であり、上役である隊長を叩くというのは大変心苦しいものです。

 ですが、彼に抱かれるのが嫌ならばキチンと抵抗しましょう。叩いて関係が悪化するとか、別な子に毒牙が向けられるのではないかという懸念はあるでしょうが、彼はそんな愚かで陰鬱な考えはもっていません。何故なら、一度や百度叩いた程度で彼はセクハラを諦めたりしないからです!

 

 そこまで見てエスペリアは横島を分析する。

 彼は決して無理強いはしないという事だ。いきなり飛びかかってくる事はあっても、そこから好き放題されるわけではない。セクハラ後は、一度相手のアクションを待つのである。

 ここではっきりと嫌と言わなければならないわけだ。それも、鉄拳付きで。

 もし少しでも受け入れる素振りを見せれば、そのままお姫様抱っこされてベッド一直線になってしまう。

 ベッドに入ったとしても一線を越えられるほどの度胸があるかは、また怪しいものなのだが、そこまではまだエスペリアは分からなかった。

 

「しかし、人を殴るなんて……いくら変態でも人は人ですし……」

 

 スピリットは人に服従しなければいけない。手を出すなどもってのほかだ。

 さっきは思わずジャーマンをかましたが、本当ならマットを引いていない状況でジャーマンはやってはいけない。鉄拳もだめだ。

 いや、手を出すのが駄目なら蹴ればいいのではないか。だが、蹴りを放てばパンツが見えてしまうかもしれない。パンツが見られたら、横島はよりパワーアップするだろう

 ならば締め技や関節技、投げ技でもいいかもしれない。だがそれは体が密着してしまう。ヒミカの書によれば、横島の力の源は煩悩だから、密着も危険だ。

 こうなれば毒しかないか。

 

「打撃か関節技か毒か、一体どうしたら……って、何で私はこんな馬鹿なことを考えなくちゃいけないんですか!?」

 

 一人でノリツッコミを敢行するエスペリアは、本人は認めないがツッコミタイプなのだろう。若干、天然ボケも入っていそうだが。

 真面目に考えれば考えるほど、自分が馬鹿をやっている気がしてくる。

 何か他に対策はないかと、ヒミカからもらった横島解体新書をめくってみる。

 

「それにしても、これは褒めてるのかしら。貶してるのかしら」

 

 頁をめくると、出る出るわ横島に対する愚痴の数々。

 大変だ。困った人だ。エッチイ人だ。

 だが面白いのは、これだけ愚痴が書かれているのに嫌だとか苦しいとかは一言も書かれていていないのだ。

 側にいると大変と書かれているのに、迷惑ともいなくなって欲しいとも書かれていない。

 こんなにも貶めているのに、何故か信頼と愛情を感じる。不思議としか言いようがなかった。

 

「もう少し彼を信頼してみましょうか」

 

 そう呟いて、横島攻略本から目を離して視線を上げる。

 すると目と目が合った。壁に目が付いている。赤い目と黒い目だ。

 心臓が跳ね上がって悲鳴を上げそうになったが、何とか声を抑えて冷静に考える。

 壁に目が張り付いているわけではない。壁の外側に目があるのだ。

 隣の部屋は悪戯好きなオルファリルの部屋。そして、第一詰所にやってきたお馬鹿でエッチな横島。

 つまり、

 

「よ、ヨコシマ様ー! オルファー! 何をやっているのですかーー!!」

 

「のわ、見つかった! 逃げるぞ、オルファ隊員!」

「イエッサー!」

「こら、待ちなさいー!」

「ん、エスペリア。家の中で走らない」 

「あう、ごめんなさい」

「手前が走らなくても素早く動ける歩法を教えましょうか」

「ええと、それなら良い……のでしょうか?」

「そりゃダメッすよエスペリアさん! 大股を開いて走ってくれないとパンツが見えないじゃないないですか!?」

「大股なんて開きませんし、パンツなんて見えません!!」

「あ、エスペリアお姉ちゃんもパンツ穿かないんだ!」

「穿いているに決まっているでしょう! というかオルファ!? 貴女まさか――――」

「私は前垂れにヒモパンだ」

「手前は透けないレオタードなので下着は穿いてませぬ」

「あ、あ、あ、貴方達はーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」

 

 エスペリアの絶叫が響き渡り、皆が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 押さえつけようとした感情が、無理やり表に引きずり出される。

 極楽にして能天気なギャグの足音が、エスペリアの背後まで迫りつつあった。

 

 さて、一方の悠人はというと。

 

「今日から一週間、よろしく頼む」

 

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 ごく普通に挨拶して、ごく普通のやり取りをして、ごく普通に食事を取る。

 セリアとは今回の交換でどうしてこうなったと疑問を言い合い、ハリオンからはお菓子を受け取り、子供達とは遊ぶ。

 特筆すべき事は特にない。あえて言うのならヒミカが非常に喜んだという事だろう。

「普通……普通の隊長だ」

 と、涙を流さんばかりに感激するヒミカに、悠人は普段横島によってどれだけ苦労させられているのだと、深く同情した。

 

 食事も終わってやることもなくなると、次は風呂に入る。

 風呂の作りは第一詰所と大差は無かった。

 木でできた大きな風呂は十人ぐらいは入れそうな大きなものだ。一人で入っていると、開放感と同時に孤独感も少しわいてくる。

 

 体を洗い始めると、ドタドタと脱衣所の方から騒がしい音が響いてきた。

 そして聞こえてくる騒がしい子供の声。元気で早口なのと、少しのんびりした声が二つ。

 ネリーとシアーだ。どうやら風呂に乱入しようとしているらしい。

 

(俺はロリコンでもシスコンでもないから慌てないのさ)

 

 心の中で余裕たっぷりに言う。心の声が外部に漏れたのなら、どこか繕った様に聞こえただろう。

 元の世界でも、この世界でも、何故かロリコン呼ばわりされることがあるから、悠人は少し意固地になっていた。

 絶対に素っ裸のネリー達に絡まれようと驚かない。どこも反応しない。

 そう固く決めていた。

 ガラリと脱衣所の扉が開く。

 

「ユート様ー! 遊ぼー!」

「遊ぶの~」

 

 だが、風呂に入ってきたネリーとシアーを目の前にすると、悠人は眼を丸くして驚いた。

 

「な、なんでタオルを巻いてるんだ!?」

 

 2人は胸元と股間部分をタオルで巻いて隠していた。それが狼狽の理由だ。

 悠人の名誉の為に少し補足しよう。

 別に悠人はネリー達の裸体が見れなくて驚愕したのではない。羞恥心がある事に驚いたのだ。

 

(オルファやアセリアやウルカだって全裸で風呂に入ってくるのに)

 

 エスペリア以外と、不純ではない裸の付き合いをした事がある悠人。彼女らは悠人が入っている風呂に当然のごとく乱入してくる。

 アセリアとオルファは、始めて見る男のシンボルに興味津々と見つめてきたり握ろうしてきた。ウルカは「これが実物ですか」と僅かに興味を示しただけ。

 ちなみに、彼女らには横島と風呂に入らないよう『命令』してある。

 

「えーとね、ヨコシマ様が男とお風呂に入るのならきちんとタオルを巻けって」

 

「うん。恥じらいの心が重要なんだよ~」

 

 どこか得意げに二人は語る。

 本当に恥じらいを理解しているのかは疑わしいが、少なくとも男に裸を見せるものではないぐらいは理解しているらしい。

 

(俺は……裸で風呂に入ってくるアセリア達に何も言わなかった)

 

 なるべく見ないように配慮はした。触れるなんてこともこちらからはしていない。タマを握りつぶされた事もあったが、それでも紳士の対応を心がけた。

 だが、横島はきちんと女の子達に一般常識を教えていたわけだ。これらが示す事柄から導き出される答えとは。

 

「俺は……俺はァァァ横島の奴よりもォォォォォ変態だと言うのかァァァァァァァァ!!」

 

 悲哀に満ちた悠人の叫びが木霊する。

 ゴンゴンと思い切り壁に頭を打ち付ける。

 横島以上の変態、横島以上の変態、横島以上の変態。

 残酷な言葉が悠人の頭に木霊する。

 

「ねえ、シアー。どうしてエトランジェっていきなり柱に頭をぶつけるのかなぁ」

 

「わかんないよぅ~」

 

 時として横島が行う奇怪な行動を悠人も取ったので、姉妹は?マークを頭上に浮かべる。

 騒ぎを聞いて他の皆が風呂場にやってきた。

 

 セリアは一つため息をつく。ファーレーンは横島が馬鹿な事したときは笑顔なのに、悠人のときは冷たい目で見ていた。

 ハリオンは「男の子ですねえぇ~」とニコニコと笑う。ナナルゥは冷静に「ヨコシマ様と比べて形は、大きさは……」と謎の言葉を言っていた。

 そしてヒミカは、

 

「普通だと……ユート様は普通だと思ったのに~!!」

 

 と滂沱の涙を流していた。

 

 交換生活 二日目

 

 キィンと金属と金属をぶつかり合わせる甲高い音が、ようやく日が昇り始めた森の中で響く。

 剣先の方が巨大化している特殊な形の『求め』と、ヒミカのダブルブレード型の『赤光』がぶつかりあって火花を散らせていた。

 悠人はよく自主的に訓練をしていて、今日も早くに起きて訓練を始めたのだが、そこにヒミカが現れて協力を申し出たのだ。当然、悠人は感謝して協力を受け入れた。

 

 公の場での訓練ではなく、あくまでの私事の訓練であるために、神剣の力は使わずに剣技と体術のみの訓練だ。回復もないので慎重に剣技を比べあう。

 こうなってしまうと、悠人とヒミカの訓練がどうなるかは火を見るよりも明らかだった。

 

「くぅ、全然だめだ!」

 

 足を引っ掛けられて転ばされた悠人が、大地に寝そべりながら悔しそうに呻いた。

 そんな悠人に、ヒミカは微笑を浮かべて首を横に振る。

 

「ユート様、私達は生まれてこの方、剣で生き続けてきたんですよ。剣技で早々負けたら私達の立つ瀬がありません。

 大丈夫です。ユート様は強くなっています。あと一年もすれば、どのスピリットにも早々遅れを取ることはなくなるでしょう」

 

「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど、実戦で負けたらそんな事も言えないからな……考えてもしょうがないか。次は剣の型のチェックでもするかな」

 

 相も変わらず地味な訓練メニューを悠人は黙々とこなしている。

 これが、ヒミカが悠人を尊敬する理由だ。大抵の者は身体能力をある程度備えると技術に走る。強力な技や、ハッタリや小手先の技術を体得したほうがすぐに強くなるし、強者にも一泡吹かせる事ができるかもしれない。

 だが悠人は目先の強さよりも、先を見ての野太い強さを選んだ。横島のハチャメチャな戦術や能力とは、正反対の道。こちらの方がヒミカにも指導も容易で理解しやすい。

 まず鍛えるべきは体力と判断力。特に悠人のように指揮官であり高い戦闘能力を持つものには、長時間戦場で良質な指揮を陣頭で執り行って欲しかった。

 

 また、悠人が鍛えているのはそれだけではない。

 戦略や戦術や連携、さらに周辺のマナ分布量や地形まで勉強している。完全に頭を戦闘特化に作り替えていた。

 逆に横島はスピリットや神剣に関し造詣を深め、人間との連携を考えているらしい。

 互いに別分野の勉強しながら切磋琢磨しているようだ。

 まあ横島からすれば女の子達と仲良くなりたいがためだけだろうが。

 

「ああ、そうだ。ヒミカに言わなくちゃいけない事があったんだ」

 

 表情を少し厳しくした悠人に、これは重要な話だと理解したヒミカは神妙に頷いた。

 

「以前から思っていたけど、ヒミカは前に出すぎるきらいがある。確かにヒミカは接近戦が得意ではあるんだろうけど、無理に出る必要はないんだぞ」

 

 これは欠点と言っていいレベルであった。別に悠人からの指示を無視するわけではないのだが、時として突出するきらいがヒミカにはある。

 別にヒミカは戦闘狂というわけでもない。ただ仲間が窮地に陥ると、周りが見えなくなって、どうしても足が勝手に動いてしまうのだ。

 自身の欠点をヒミカは理解していた。しかし、それを悠人に言われると少し腹が立った。

 

「申し訳ありません。以後気をつけます。

 ですが、あえて苦言を言わせていただければ、それはユート様も同じでは。サルドバルト戦でも、ちょっと他の子が危なくなると前に出ようとしていましたね」

 

 言われて、悠人も痛いところを突かれたように苦い顔をする。

 こちらも前に出る理由はヒミカと一緒だ。仲間がピンチになると、どうしても体が動いてしまう。

 

「俺はグリーンスピリット以上に防御が優れているから……大丈夫だ」

「そういう問題ではありません。隊長がむやみに最前線に立つなんて危険すぎます」

「役割をこなすって言ったらヒミカだって同じじゃないか。ヒミカは遠距離でも十分に戦えるだろ」

「私は遠距離でも近距離でも戦えますから。なによりも私はスピリットです。指揮を執らなければいけない隊長は後ろでどっしり構えたほうが良いと思いますけど」

「理由とか言い出したら、隊長が前に出れば士気が上がるから、なんていい返すことも出来るんだけどな」

 

 お互いに言いたいことを言い合って、しばし軽く睨み合いが起こったが、やがてどちらともなく破顔した。

 結局の所、二人は同じ気性、同じ気持ちなのだろう。自分よりも他者が痛い目に合うのを見ていられないのだ。

 互いの欠点を鏡のように映し出していた。だからこそ相手の気持ちが分かる。

 

「申し訳ありませんでしたユート様。口答えなんてしてしまって……短所は理解しているのですが中々……」

「口答えなんて気にしないでくれ。俺も人の事は言えなかったし。俺も後方で指揮ができるように落ち着こうと思う」

「……きっと、仲間をもう少し信用することが重要なんでしょう」

「だな。俺ももっと皆を信用しないと」

「それでも、本当の本当にあの子達が死にそうになったら前に出てしまうかもしれませんけど」

「その時は俺も付き合わせてもらうさ。二人でならお互いに身を守りあう事もできるだろ」

 

 二人で笑いあう。

 良い雰囲気が流れていた。

 ヒミカは微笑を浮かべながら、タオルを持って悠人に近づく。

 

「汗を拭くので、少しじっとしててください」

「え、それぐらいは自分でやるから」

「遠慮しないで」

 

 そう言ってヒミカは強引に悠人の額辺りにタオルをやって、そして彼の胸元に飛び込んだ。

 

「ちょ、ヒミカ! 何を」

「静かに。後ろの茂みに、気配を殺した誰かが潜んでいます。スピリットでは無いようですが、合図をしたら二人で確保しましょう」

 

 息がかかるぐらいの距離で言われて、どきまぎしながらも悠人は気づく。

 確かに息を殺した気配が、それもこちらの様子を伺う気配がある。

 悠人は少し頷いて、ヒミカを胸元に抱きとめたままこっそりと茂みに近づく。

 そして、二人は一気に分かれて神剣を別々の方向から茂みに向けて突き付けた、ヒミカは一息で赤の魔法を使う事もできる状態だ。

 

「五秒やる。出てこい」

 

 悠人がそれだけ言うと、茂みの中から男が出てきた。

 二十歳ぐらいの若い男だ。武器などは特に携帯していない。

 

「あはは、すいません。ちょっと道に迷っちゃいまして」

「ここは道に迷ったぐらいでこれる場所じゃない。それに何で俺たちに悟られないように藪の中にいた説明になっていないぞ」

 

 悠人の目が懐疑の光を帯びた。

 他国の情報収集力は不思議なほど高く、相当の密偵がラキオスに放たれていると予想されている。

 

 まさか、こいつは密偵か。

 

 場に緊迫し空気が流れる。

 すると、男は顔をしかめて両手を降参とばかり挙げた。

 

「私は諜報部のものです。無論、ラキオスのね」

 

「それを証明するものはあるか。本当だとしても、どうして俺たちを監視した」

 

「職業上、身分を特定されるものは携帯していませんよ。どうして監視したのかですが……はあ……申し訳ありませんが秘密です」 

 

 男は大きくため息を吐いた。心底からうんざりしているように見える。

 こいつの言っていることが本当かどうか判断できない悠人とヒミカはどうしたものかと顔を見合わせていると、そこに緑の影がのんびりとした足取りで近づいてきた。

 

「あら~固焼きさんじゃないですか~。おはよう~ございます~」

 

「ああ、おはようございますハリオン」

 

 今日の朝食役であるエプロンを付けたままのハリオンがやってきた。

 ハリオンは謎の男を知っているらしい。名前は知らないのか、よく分からない愛称を言っていた。ヒミカが首を傾げる。

 

「固焼きさん?」

 

「はい~固焼きさんは名前が秘密なので~固くて甘いのが好きだから、固焼きさんなんですよ~」

 

「何だか頭が痛くなるけど、とにかく敵ではないのね。申し訳ありません、失礼しました」

 

「いやいや、怪しいのは確かだったから仕方ないよ」

 

 人好きそうな笑顔を固焼きさんは浮かべる。

 男が自国の諜報員であるのが確定したため、ヒミカは恭しく頭を下げた。

 固焼きさんはいえいえと首を横に振る。

 

「それで~固焼きさんはどうしたんですか~? あ~そういう事ですか~固焼きさんは~ヒミカが大好きですからね~ストーカーさんですね~」

 

 いきなりの言葉にヒミカは目を丸くして、思わず固焼きさんから距離をとってしまう。

 悠人も、別な意味でこの男を警戒した。

 

「ハリオン、言葉がたりないよ。僕はあくまでヒミカさんのお菓子好きってだけです」

 

「同じようなものですよ~」

 

「違うから!! というかハリオン! もう少し分かりやすく説明して!」

 

「え~とですね~実は~」

 

 のんびりと説明しようとしたハリオンだったが、このままでは時間がかかると思った固焼きさんが先に説明を始める。

 

「簡単な事ですよ。ハリオンとヒミカさんが作ったお菓子はラキオス中にばらまかれていて、ファンが多くいるのです」

 

 想像外の範囲にヒミカは絶句した。

 ハリオンがどこからともなく大量の材料を待ってくるので、菓子作りが趣味な二人は、菓子を余らせることがあった。

 その時はハリオンがどこかに持っていって処理をしていて、ヒミカとしては町の子供にでも振る舞っているのだと考えていたのだ。

 

「でも~ちょっと違いますね~商人さんにも振る舞っているので~保存がきくヒミカの焼き菓子は大陸中に届いてますよ~」

 

「……は?」

 

「それじゃあ~私はご飯の用意があるので~これで失礼しますね~あ、忘れてました~はいお菓子です~」

 

 立ち尽くす三人に棒付きの飴を渡して、のんびりとした足取りで去っていくハリオン。

 

「なあ、ヒミカ。ハリオンって本当に何者なんだ」

 

「……親友の私でもわからない事はあります」

 

「諜報部でも彼女は恐れられてますからね」

 

 三人揃ってため息をつく。そしてペロペロする。疲れを取る蜂蜜味だ。

 悠人の第二詰め所生活は、日々発見の連続だった。

 

 朝の第一詰め所。

 そこでは一人の少女が朝食をせっせと作っていた。

 少女の名はアセリア・ブルースピリット。かつて、料理という名の兵器を作り出しスピリット隊を壊滅寸前まで追い込んだ猛者である。

 彼女が今日の朝食担当だった。

 

 冗談ではないと逃げ出そうとした横島だったが、エスペリア達に大丈夫だと言われてたので、戦々恐々とアセリアを見守ることにすると、専用の軽鎧の上にエプロンを着て随分と手際良く動いていた。

 確実に彼女の料理の腕は上がっているのだろう。でなければエスペリアが任せるわけがない。不思議と、そんなアセリアの様子が横島には面白くなかった。

 このアセリアの上達の背景には間違いなく悠人が絡んでいるのが分かりきっているからだ。

 

「何か……随分と上手くなったな」

 

「ん、いっぱい練習したから」

 

 アセリアは素直に努力が出来る娘なのだ。だから教えたことには忠実で、試行錯誤も繰り返すから確実に実力を身につけていく。

 

 とりあえず食事は大丈夫そうだと分かった横島は、なんとなく台所を見渡してみる。

 すると、皿の上に美味しそうな赤色の葡萄が置いてあった。

 ひょいと口に入れてみる。途端に凄まじい酸っぱさが口内を駆け抜けた。

 

「ぬおお! ずっべえ!!」

 

「テルモゥ・セィン・ポロはすっぱいから、砂糖に漬けてジャムにするのが普通。そのまま食べるのは良くない。それに今は料理中だから、勝手に食べるのは駄目だ」

 

 子供を諭すように言われて、横島はぶすっと捻くれた感情が芽生えるのを感じた。何だかいたずらでもしたくなってくる。

 しかしいくら横島が嫉妬魔人でも料理そのものを台無しするほど馬鹿ではないし、アセリアにセクハラするのはダメだと感じた。

 

 とにかく酸っぱさを何とかするために、何か口直しできるものを探すがこれといって見当たらない。水を飲んでも駄目そうだ。

 仕方なく、もう砂糖を直接でもと考えて、その場にあった白い塊をペロリとなめる。

 

「ちょっぱあああ!」

 

「それは白塩。ん……ヨコシマは、馬鹿なのか?」

 

 透明な目をして素直に横島に聞くアセリア。

 そのあまりにまっすぐな目に、思わず頷きそうになって、慌てて首を横に振った。

 

「うっさい! アホ毛に言われてたまるか」

 

 コツンと軽くチョップしてアセリアのアホ毛を倒す。すると、

 

 ピョコ!

 

 別なところからアホ毛がまた飛び出てくる。 

 横島は何とも言えない表情で、残った手でまたアホ毛を押さえつける。

 すると、また別な所からアホ毛がピョコンと飛び出してきた。

 

「ええい馬鹿にしとんのか~! モグラ叩きやってんじゃねえんだぞ~!」

 

 人を小ばかにしたようなアホ毛の行動に横島が切れた。

 両手を使って、アセリアの頭をグッと押さえつける。

 

 アセリアは髪の毛を横島にされるがままで、相変わらずの無表情を貫き通しているようだったが、見るものが見れば分かっただろう。

 これは、怒っていると。

 横島は両手を使ってアセリアの髪をむりやりと押さえつけていたが、指と指の、ほんの僅かな隙間からアホ毛がピョインと飛び出して、

 

 ブスッ!

 

「うぎゃあああ! 目が、俺の目ガアァァー!!」

 

 アホ毛が横島に目に刺さった。

 痛みでゴロゴロと転がる横島を見て、アセリアは何だか少し得意げに胸を張る。

 

「アホ毛を笑うものはアホ毛に泣く……うん、ハイペリアの言葉にある」

 

「あるかー!? 天然だからって人をおちょくるのもいい加減にせいよ!」

 

「ヨコシマはうるさい」

 

 睨みあう二人。どうやら二人の相性はあまり良くないらしい。

 二人の睨み合いを、オルファとエスペリアは興味深そうに眺めていた。

 

「うわあ、凄い凄い! アセリアお姉ちゃんと喧嘩してるー!」

 

「アセリアが嫌がってる姿なんて始めてみました。それにヨコシマ様もアセリアに少し意地悪なような」

 

 オルファは楽しそうに喧騒を眺め、エスペリアは頭を抱える。

 純粋無垢であったアセリアが、少しずつ良くない風に変えられている様に見えた。

 悪い友達と付き合う妹。それを見守る姉のような心境に、エスペリアの心労はかさむばかり。

 

「平時でも戦いの訓練を忘れない……武人として良き心構えです。手前も精進せねば」

 

 ウルカは、やはりずれていた。

 

 トラブルが絶えない横島と違って、悠人は基本的に良好な関係を築いていた。尊敬の念を持たれていると言って良い。

 頭を抱えながら戦術書を読みふけり、分からない所があったらすぐに誰かに聞きに行く姿は尊敬すべきものだろう。

 また、第二詰め所の面々とも積極的に交流を続けた。

 

 ナナルゥには佳織についてよく質問を受けていた。

 血の繋がらない兄妹、という題材が彼女の読む本に出てくるらしく『愛情とは性欲とは』と答えにくそうな質問を遠慮なくぶつけられて難儀することとなる。

 さらには草笛という隠し芸まで披露してもらって、無感情なレッドスピリットという印象が随分と払拭された。

 

 ネリーやシアーは横島よりもノリが悪い悠人はちょっと退屈なようだが、それでも十分に悠人となじんでいる。

 二ムントールは相変わらず無愛想だが、どこかひねた所が返って子供っぽく、悠人の方はニムを気に入っていた。

 だが、ただ一人だけ明確に悠人を警戒しているスピリットがいた。

 

「なあ、ファーレーン。ちょっといいか?」

 

「……いまから城に用があるのですが、それは緊急の要件でしょうか」

 

「いや、そういうのじゃないけど」

 

「ならば申し訳ありません。今は用事があるのでまた後にしてください」

 

 このようにそっと距離を取られるのだ。

 上品な言葉遣いも敬意の表れではなく、むしろ壁を感じさせた。

 仮面から僅かに見える視線も、どこか刺々しく鋭い。

 

「やっぱ警戒されてるな」

 

 あまり良い感情を持たれていない。それは悠人も理解していたが、想像以上の警戒に眉を顰めた。

 

 人の印象は初対面で九割固まる。

 そんな話を聞いた事があるが、確かにそれは事実だと思い知らされる。

 悠人とファーレーンの初対面は最悪だった。

 ファーレーンの視点からすれば、いきなりタンスから飛び出してきた怪人物で、しかも押し倒されたあげく胸を揉みまくり、さらに腰を密着させてきた、正に変態・オブ・変態。

 それからも行動は共にしてきたが、事務的な会話程度で接点が薄かった。悠人自身も積極的に話しかけることもなかったので、いつのまにか完全にファーレーンの中での悠人像が出来上がってしまったのだろう。

 

 お互いに背中をあずける戦友である以上、このままの関係で良い訳がない。上手く連携が取れなければ戦死の可能性も上がる。

 そして、なによりもの理由として、

 

(横島以上の変態って思われるなんて冗談じゃない!)

 

 常人としてのプライドがあった。

 何とか仲を修復しようと考えたが、まずどうしたらよいのか分からないのだ。

 女性が苦手というわけではないが、そもそも喋るという行為そのものが悠人は得意で無かった。

 こういう時は共通の話題があるのが一番良い。悠人とファーレーンの共通点。それは義妹がいるという事だろう。

 

「なあ、唐突だけどニムの良い所ってどういうところだ?」

 

 ファーレーンと二人きりになった悠人は、下手なことを言っていると逃げられるので、いきなり会話を切り出した。

 キラリとファーレーンの目が光る。

 

「ニムの良い所ですか。もう沢山ありますが、一番はやはり可愛いところですね。

 ちょっと斜に構えてるのに、負けず嫌いで優しいんです。褒めると嬉しそうなのに、顔に出さないように頑張るんですよ! それがもう!!」

 

「ああ、俺も分かるぞ。ちょっとひねているけど努力もするし、優しいところあるよな」

 

 すかさず同意して同調する。好きなものを肯定されるのは嬉しいものだ。仮面で表情は分からないが、それでも目元は緩んでいるのが見えた。

 だが、そのままニムを褒め続けているとファーレーンの顔色が悪くなってきた。何か気に食わないことを言ってしまったかと、内心で悠人は舌打ちする。

 

「ユート様、まだニムは子供です。まだ貴方を……受け入れられるほど成熟してません!」

 

 凄まじく冷たく、そして必死に悠人に言った、

 どうやらファーレーンは悠人の事を鬼畜と認識しているらしい。

 いくら何でもあんまりな評価に、頭を抱えるしかない。

 どうしてここまでファーレーンから信頼を失ってしまったのか、悠人は泣きそうだった。

 

 実はファーレンが悠人を警戒する理由は始めに押し倒されたと言うのも大きいが、それだけではなかったのだ。

 ファーレーンは悠人とエスペリアの関係と、そして横島とハリオンの関係を知っている。その二つの違いをも知っていた。

 つまり、『ダークエロファンタジーの主人公』と『健全な少年誌の主人公』のどちらが信用できるか、という問題だ。せめてコンシュマー版だったらこうはならなかっただろうが、あいにく無印基準なのだ。

 

 そんな事とは露とも知らない悠人は必死に弁解した。

 俺はニムに興味なんて無いと。あんなチンチクリンでこまっしゃくれた子供に欲情する分けないと。力一杯に語る。

 すると、今度は不満そうに表情になった。

 

「……それはニムには魅力が無いという事でしょうか」

 

「いや、もうなんといったら……」

 

 また違う方向に話が飛んだ。

 正直、悠人はうんざりし始める。

 

(なんかもうめんどくさい。というかファーレーンも俺に佳織の事を聞いてくれよ)

 

 自称、シスコンでない男は、妹の事を話したくてしょうがなかった。

 話の流れからきっと佳織の話題になるかと思ったらそうもならず、どうしても不審げなファーレーンの様子にイライラしてくる。

 

「まあ、佳織と比べたらニムにはそこまで魅力はな」

 

 いい加減に腹が立っていた悠人はついつい一言多く喋ってしまう。

 

「ニムの方が絶対に可愛いです!!」

 

 ニム命なファーレーンがそれを流せるわけもなく。

 そこまで言われると悠人も後には引けなくなった。

 

「違う! 絶対に佳織のほうが可愛い!!」

 

「むー!」

 

 互いに顔を赤くしあって、とうとうどちらの妹が可愛いか力説が始まった。いつもなら二人ともこんな暴走の仕方はしない。だが、今はイライラと興奮からか魂の叫びが口から飛び出てしまっている。

 白熱した議論が続く。これはもうどちらが可愛いかというよりも、どちらかが上位のシスコンかを決める戦いと言ったほうが良い。

 もし当人であるニムントールと佳織がこの場にいたのなら、恥ずかしさのあまり他人の振りをする事になっただろう。

 

 そんな悠人とファーレーンのシスコンファイトを、セリアとハリオンは物陰から眺めていた。

 二人とも真面目で義妹持ちという共通点を持っていて相性はよさそうなのに、どうしてか喧嘩腰になってしまっている。

 これはもう星の巡りが悪かったとしか言いようが無い。

 

「仲良くなる所か喧嘩して……しょうもない」

 

「まあ~これはこれでいいのかもしれませんね~」

 

 ハリオンがのんびりと言って、セリアは眉をひそめた。

 

「何がいいのよ。今回の交換って仲良くなるためでしょう。不仲になったら失敗じゃない」

 

「だって~ユート様もファーレーンさんも~喧嘩できる人なんて殆どいないじゃありませんか~。これはこれで仲良しさんですよ」

 

「そんな考え方もありなのかしら」

 

 確かに互いに不信を抱いて喋らなくなるよりは、喧嘩してでも言いたいことを言い合える仲の方が健全かもしれない。

 間違いなく第一詰所で騒動を引き起こしているだろう我らが隊長の姿をセリアは思い浮かべ、あまり騒動を起こさないで仲良くなってほしいと、無駄な祈りをささげるセリアであった。

 

 交換生活 三日目

 

 エスペリアは第一詰め所の庭で仁王立ちをしていた。

 後ろには守らねばいけない無力で愛しき子供。眼前にはその子を食らう獣がエスペリアの隙をうかがっている。最強の防壁である彼女だが、しかし敵は手ごわい。

 獣がエスペリアに向かって一直線に走る。横でも上でも受け止めれるようにエスペリアは身構えたが、獣は予想の上を行った。

 

「下!?」

 

 元々が小柄な獣は、さらに姿勢を低くしてエスペリアの股の下を潜り抜ける。風圧でスカートがはためいて、エスペリアはパンツが見えないよう咄嗟にスカートを押さえ込んだ。

 それが致命的な隙となって、獣は獲物にたどり着く。

 

 ガツガツガツ!!

 

「あぁ!? ダメ、それは食べ物じゃないんですー!」

 

 第一詰め所のペットであるハクゥテが、エスペリアが菜園で育てているハーブを食い散らかす。

 拳を振り回して何とか追っ払ったが。しかし茂みの影で虎視眈々とハーブを狙っているのは間違いなかった。

 一体どうしたら良いのだろうか。まさかずっと見張っているわけにはいかない。途方に暮れるエスペリア。

 

「わははは! 爽快に横島参上!!」

「オルファもいるぞー!」

「私もいるぞ」

「手前もここに」

 

 そこにこの四人が現れた。

 何だかんだでこの四人は仲良くなっているらしい。横島の陽気に当てられたか、オルファは悪戯の度合いが増して、アセリアも活動的になり、ウルカも面白がっているのか口数が多い。

 また馬鹿かセクハラをするのかと、エスペリアは疲れた目で彼らを見る。

 

「なんすかその目は! ハーブ園がハクゥテに荒らされて困ってると聞いたから、ここは俺が一肌脱いでみようと思ったのに!!」

 

「本当ですか! ありがとうございます! 本当に助かります!」

 

 本当に困っていたエスペリアは満面の笑みで横島に頭を下げた。

 

「お、おぅ」

 

 屈託の無い笑みを見せられて、横島の頬に赤みが差す。返事はぶっきらぼうのようにしか出来なかった。

 実は横島はエスペリアの純粋な笑みというのを始めてみたのだ。想像よりも可愛らしい笑みに胸が飛び上がってしまう。

 

「あはっ、ヨコシマ様の顔真っ赤~!」

「変な顔」

「恥ずかしがっているようです」

 

 オルファ達が好き放題言って思わずムッとする横島だが、すぐに機嫌を良くした。

 

「まったく、まあいい。悠人が出来なかったことを俺が成功させればエスペリアさんメロメロに……悠人め、寝取ってやるぞーー、ぐははははーー!」

「ぐはははは~~!」

「ぐははー」

「寝取る? 寝技の類でしょうか」

「……まったく、この方は」

 

 横島の馬鹿笑いがハーブ園に響き、隣でオルファが楽しそうに真似をして、さらにその隣で無表情のアセリアが真似をして、ウルカは生真面目な表情で考え込んでいる。

 何ともあけすけな欲望全開で好感度稼ぎをしてくる横島に、エスペリアは好悪を通り越した乾いた笑みを浮かべるだけだった。

 

「私は家事があるので、ここはお任せしてよろしいですか?」

 

「え? 俺の大活躍はここで見てくれないんすか!」

 

「すいません、色々とやらなければいけないことがあるので」

 

 本当はないんですけどね。

 エスペリアは申し訳なさそうに頭を下げながら、小さく舌を出してみる。

 

「変わりと言ってはなんですが、今日はヨコシマ様の好きな夕食に致します」

 

「俺の好きな食べ物はエスペリアさんです!」

 

「分かりました。生のロロゥ(玉ねぎ)とシセミィ(ヤモリ)を山ほどご用意しますね」

 

「いやじゃ~! 玉ねぎとヤモリは嫌なのぉ~~!!」

「ええ~! 生なのエスペリアお姉ちゃん!?」

「ヨコシマ殿、オルファ殿、好き嫌いはいけませぬ」

「冗談に決まっているでしょう! きちんとお料理します。まったくもう」

「ん、エスペリアが冗談を言うのは珍しい」

 

 流れるような会話の流れに、随分と騒がしくなった、とエスペリアは思う。

 

(私もヨコシマ様に遠慮がなくなってきているみたい)

 

 こんな事ではいけない。スピリットは人間に服従して、恭順でなければいけない。

 そうは思うのだが、横島を見ていると『この人を人間と見るのは、人間に対して失礼では?』なんて思ってしまうのだ。

 そこまで考えたエスペリアは首を横に振って思考を断ち切る。思考するとどつぼにはまってしまう。下手をするとヒミカ化してしまいかねない。

 

 それじゃあよろしくお願いします。

 それだけ言ってエスペリアは詰め所に戻っていった。

 

「それで、どうやってハクゥテからハーブ園を守っちゃうの?」

 

 ワクワクしたようなオルファの問いに、横島はあごに手を当てて考え込む。

 

 常道としては柵を作ることだ。

 それなりの敷居の高さと、穴を掘って進入してくることも考えて地中まで柵を張れば、まず大丈夫だろう。

 だが、それなりの広さのハーブ園を全て囲うとなると、これはかなり時間と資材と労力が必要だ。それに開け閉め可能な入り口も作る必要がある。正直めんどくさい。それに同じやり方で悠人は失敗している。

 

 他に何か良い手はないものかと、過去の経験を思い返す。これで色々と経験が豊富なので、過去を思い出せばヒントはいくらでも転がっている。

 過去を思い浮かべ、懐かしい気持ちになりながら経験を掘り起こしていくと、一つ思い出した。

 

 この方法ならハーブを守るのは容易だ。大した手間もなく実行できる。 

 問題点は実行できるだけの能力が自分自身にあるかどうかだが、なんとか出来るだろうという漠然とした自信があった。

 肉の器を捨て去り、魂がマナをかぶっているのがスピリットやエトランジェだ。肉が無くなったためか、魂をより身近に感じる。今ならば魂を作り出したり、魂に変化を与えるのも簡単だろう。

 

「愛の名のもとに――――」

 

 そして、奇跡はなされた。

 

 エスペリアはこれからどうするか考え込んでいた。台所の整理は数分で終わった。

 仕事といっても後片付け程度で、実質横島の作り出す馬鹿騒ぎから逃げるために作った仕事のようなものだったからだ。

 

「お昼ねしちゃおうかな」

 

 それ以外の仕事を横島がそつなくこなしてくれたために、エスペリアには結構な空き時間があった。

 エトランジェに雑事をやってもらってスピリットが休憩するなど、スピリットとしてもってのほかだと思うが、

 

 ――――――まあ、ヨコシマ様ですから。

 

 と、エスペリアもここ数日で達観しつつある。

 何事も例外はあるのだと、多少は柔軟に考えるようになっていた。流石に何もしないのは悪いので、横島の好きな料理を一品追加して感謝を表せばよいだろう。

 余った時間はお昼寝と決めた。豆入りの専用枕を机に置いて、そこにほっぺたをのせる。流石に昼からベッドで寝るつもりは無い。

 

「ぽかぽか~」

 

 窓から差し込む陽気を浴びて、エスペリアは幸せそうに微睡む。その寝顔はどこかあどけない。

 しっかりものなお姉さん。そういう役柄にいるエスペリアだが、実際はまだ二十歳程度。成人ではあっても、まだあどけなさが残る年齢だ。

 ここ最近は横島が引き起こすお馬鹿な騒動に気を張り続けるのがバカらしくなったのか、彼女が持つ本来のお茶目さが表に出てきているらしい。

 エスペリアの幸せなお昼寝が続く――――

 

「ヨコシマ殿! 回り込んでください!!」

「分かった……くそ、壁まで登れるのかよ!」

「アセリアお姉ちゃん、家に入られちゃうよ! 窓閉めてー!」

「ん! だめ、間に合わない」

 

 ドッタンバッタンギャーギャーキーキー。

 

「ふっ、短い休みでした」

 

 エスペリアはムクリと起き上がりながら、哀愁を込めながら言った。もはや、そこには慌てる様子はない。

 またあの人が起こした、いつものバカ騒ぎだ。一体今度は何をしでかしたか。

 心乱されぬように深呼吸をして部屋から出る。

 

 そこで、エスペリアが見たものとは!?

 

「しゃげええええええ!!!」

「キィ! キュイ!」

「ああ、ハクゥテが捕まっちゃった!」

「やはり恨みを忘れてないようです」

「小動物に触手攻めなんて誰得だよ!」

 

 まったく未知の生物がそこにはいた。

 全身が緑色で細く縦長だ。全身から蔦のようなものをだして、ハクゥテを締め上げている。全身に葉があって、根っこを伸ばして歩いていた。植物の化物だ。

 こんな異形の生物は見たことがない――――はずなのだが、どこかで見た覚えがあった。化物に所々咲いている赤色の花から嗅ぎ覚えのある匂いが漂ってくる。

 ありえない、そんな事が常識的に起こり得るはずがない。だが――――ああ、何という事だろう! 隣には横島がいるのだ!!

 

「ウルカ……これは、あれはまさかそんなことがどんなことに!?」

 

「はい、彼、あるいは彼女は、エスペリア殿が栽培していたハーブです」

 

 エスペリアの混乱を前にしながらも、ウルカは淡々と答えてきた。

 エスペリアは呆然とその光景を見る。

 何年と時間を掛けて育ててきたハーブが、二足歩行を行い「しゃげええ!」とハクゥテに襲い掛かっている。

 

 なんて大きく立派になって――――――もうハクゥテに齧られることもないだろう。うふふ。

 

「さて、そろそろ夕食の準備をしなければいけませんね。今日は塩漬けの魚にいたしましょうか」

 

「エスペリア殿、現実逃避はいけませぬ」

 

 台所に向かおうとしたが、ウルカは進路を塞いで容赦無く現実を突きつけてきた。

 認めたくない現実に晒されて、ぶわっとエスペリアの目から涙が溢れた。

 

「あうう! どうしてなんですか!? どうしてこんな事が!?」

 

「はい、ヨコシマ殿はハクゥテ殿にハーブを食べられぬにはどうすれば良いかと考えた結果、ハーブがハクゥテ殿よりも強くなればと合理的に考えたのです」

 

「どうして、そう合理的に考えてしまったのですか!? というか合理的なんですか!?」

 

「不合理よりはよろしいかと。それにしても植物に命を吹き込むとは……神の御技と言えるでしょう」

 

「勝手に人のハーブに神の御技を使わないでください!! そっちの方が不合理です!!」

 

「確かに、一言でも断るのが筋というものでしょう。すいませんが、ハーブに命を吹き込んでよろしいでしょうか、と」

 

「ウルカ……貴女、分かって言ってるでしょう!?」

 

「はてさて、なんのことやら」

 

 ウルカはいたずらっぽく片目を閉じて茶目っ気たっぷりに笑って見せた。

 エスペリアはウルカの評価を見直さずにはいられなかった。

 どうやらただの真面目天然スピリットではないらしい。なんだかんだで横島からのセクハラを避けながら楽しく生活しているのだ。

 真面目で天然。それは間違っていないだろうが、中々に要領が良いらしい。

 エスペリアとしては、楽しいヨコシマライフを送っているウルカから一手ご教授頂きたいほどである。

 

「しゃげしゃげ! しゃげえぇぇ!」

 

 ハーブはまだまだ元気よく走り回る。その非現実的な光景にエスぺリアは過去へと思いを飛ばした。

 姉をなくして一人ぼっちになったエスペリアは、寂しさを紛らわせる為にハーブ達に愛情を注いできた。水をやり、虫をとり、土を整える。

 すくすくと成長していくハーブの姿に、心を汚されたエスペリアは随分と癒された。

 そしてアセリアやオルファが配属されたときに、ハーブティーが美味しいと言われた時は幸せを感じたものだ。

 

 エスペリアがハーブとの思い出に浸っていると、当のハーブ本人がズゾゾゾと根っこを運動させて近づいてきた。

 

「しゃげええええ、しゃげええええええ。しゃげええええええええええええええええええええええええ!(見て見て、お母さん! 僕はこんなに強くなったよ!!)」

 

 ハーブはエスペリアの前まで来ると、嬉しそうに花の蜜をぶしゃーー! と勢いよく飛ばしてきた。

 エスペリアの顔に白濁の蜜が塗りたくられる。オルファは「パパミルクそっくりだね!」とトンでもない事を口走っていたのだが、幸いなことに誰も気づいていなかった。

 自分の子供とすら思っていたハーブが今や立派に成長し、二足歩行ならぬ百足歩行を体得して、蜜による顔射に蔦拘束による攻めをもこなすようになった。

 あまりの成長振りに、エスペリアは「あはは~」と虚ろな笑みで笑っていたが、突如ピタリと笑みを止めると、虚ろな表情で全員を見渡して、

 

「せいざ~」

 

 ぽけ~と間延びした声で言った。

 

「はい?」

「しゃげ?」

 

 横島とハーブが首と茎を傾げると、エスペリアの目がカッと光った。

 

「ヨコシマさま! しゃげええぇぇくん! せーざしてください! はんせーしてください! じゃないときょうのごはんはぬきですよ!」

 

「えー……俺がんばったっすよ」

「しゃげえぇぇ(え? 僕ってしゃげええぇぇって名前なの?)」

「えー、でも、しゃげえぇぇ、でもありません! わるいこにはおしおきです!」

 

 とうとう切れて漢字すら使えなくなったエスペリア。

 

「ん、私は散歩に行ってくる」

「あ、オルファは訓練してくるね」

「む、では手前は神剣の手入れを」

「キ、キィキ」

 

 嵐が収まるまで逃げようとアセリア達三人と一匹は避難しようとするが、エスペリアは残像すら残す勢いで逃げ道をふさいだ。

 

「アセリアもオルファもウルカもハクゥテもです みんなせーざーー!! あ、ウルカは女の子座りで」

 

 こうして、リビングで正座する謎の一同をメイド少女がハーブティーをすすりながら見下ろす、という謎の光景が生まれた。

 褐色の頬を赤らめて恥ずかしそうに女の子座りするウルカの姿に、とうとう横島の煩悩が爆発して飛びかかる事案が発生したが、エスペリアは満面の笑みでそれを許容したという。

 

 交換生活 四日目。

 

 ラキオス中心街から離れた人目を避ける一角に、小ぢんまりとした屋敷があった。

 あたりに民家はなく、道も獣道と呼ばれる程度のものしかない。やもすれば無人の屋敷にしか見えない寂れたものだ。

 だが、屋敷の周囲には兵士達の姿があった。数人の使用人の姿に、さらに第三詰め所のグリーンスピリットの姿もある。厳重と言ってもよいほどの警備だ。

 

 その屋敷に二人の男女の姿があった。

 横島とウルカだ。二人は果物を詰めた袋を持っている。

 

「この部屋ですか」

 

「ああ、ここでちょっと待っててくれ」

 

 とある部屋の前で止まって、コンコンとノックした。

 

「お~い、横島だぞー」

 

「あ、ヨコシマさん! どうぞ!」

 

 中から弾んだ女性の声がして、ウルカを待機させて横島だけが部屋に入る。

 部屋にはレッドスピリットの少女がいて、必死にベッドから身を起こそうとしている。横島はさっと彼女の腰に手をやって優しく起こす。少女はすいません、と嬉しくも申し訳なさそうに頭を下げた。

 彼女は非常に痩せこけていた。手の甲は血管と骨がもろに浮かび上がっていて、手首なんて強く持てばポッキリと折れてしまいそうだ。肌は白いというよりも、病的な白蝋色で、一部には裂傷の治癒跡が残っている。

 身を起こすのすら困難で、立ち上がることすら出来ない。そんな彼女を前にして、横島は精一杯の笑顔を浮かべた。

 

「ふっふっふっ、今日はお客さんを連れてきてるぞ。入ってきてくれ」

 

 そういうと、レッドスピリットの少女は緊張したように頬を引きつらした。

 彼女自身も理由は分からないが対人恐怖症を発症していたのだ。

 だが、入ってきたウルカを見て少女は驚き、そして涙した。

 

「元気には見えないが……それでも元気だったか?」

 

「あ、あああ……ウルカ……隊長!」

 

「久しいな……無理に立たなくて良い」

 

「すいません、こんな体で」

 

「生きていてくれただけで、十分だ」

 

 ウルカはいつもの凛々しい表情を消し去り、まるで母親のような慈愛に満ちた顔をしていた。

 少女も赤く目をはらして、まるで迷子の子供が母親にあったかのようだ。

 

「他の皆は?」

 

「何も、覚えていません。覚えているのは、山菜を取りに行って……気づいたときにはこのベッドで横になっていて……目の前でタダオ様が微笑んでくれていました」

 

 ウルカは少し視線を厳しくして横島を見た。横島はここにはいない、と首を横に振る。

 

「すいません、何とか思い出したいのですが」

 

「無理に思い出す必要はないさ」

 

 語気も強く横島が言った。それは言い換えれば思い出すなと言ってるも同然だ。

 少女は不満げな顔になった。失われた記憶に仲間を救う手立てがあるのではないかと考えていたからだ。

 

「大丈夫だ、他の皆も俺が絶対に助けてやるからな。今は体を治して、それから俺の部隊に加わって戦ってくれ!」

 

 真面目な顔で言う横島に、少女は強く頷いた。

 仲間のため、そして横島のために、神剣を振るいたいと強く心に刻む。

 

「さて、今日は旨そうな果物を持って来たんだ。今が食べどきだぞ! まだ手がうまく使えないんだから、ほれ、アーンしろ。ムシャムシャ食べて、プクプクと太れ!」

 

「ムシャムシャ何て恥ずかしく食べませんよぅ! それにアーンなんて……食べますけど……あの、恥ずかしいから、食べるところをそんなに見つめないで」

 

 少女は横島に差し出された果実の一部を、恥ずかしそうに口をあけてかぶりついた。そして小さく咀嚼する。

 精一杯、上品に食べようと努力している姿がいじましい。彼女は横島に純粋な好意と憧れを持っているようだった。

 それを見たウルカも爪楊枝をカットされた果実に突き刺す。

 

「ふむ、手前もやってみましょう。あ~んです」

 

「そんな、隊長まで。あの恥ずかしいから」

 

「ヨコシマ殿は良くて手前はダメか。手前よりも男を取るのか」

 

「うあ~違うんです隊長ー! 食べます、食べますから!!」

 

「俺よりもウルカのほうがええのかー!」

 

「違いますー! も~二人してからかうなー!!」

 

 怒ったり、笑ったり。優しく楽しい時間が部屋に満ちた。

 思い出話に花を咲かせるウルカとレッドスピリットの少女を、横島はしばし優しく見つめたあと、こっそりと退室した。

 

 また一人、可愛い女の子が、それも自分を慕う少女が生まれたことが横島には嬉しく頬を緩ませる。

 だがその笑顔はすぐに曇る事となった。

 

 別の部屋からうめき声が聞こえてきた。すすり泣く様な声が聞こえてきた。何かを呪う様な声が聞こえてきた。

 

 グリーンスピリットの回復魔法があって本当に良かった、と横島はつくづく思った。

 うら若い女の子が一生、入れ歯やカツラが必要な生活は可哀想だ。地獄に長く居たものほどグリーンスピリットの回復魔法の効きが悪いが、それでも時間さえ掛ければ完治できる。

 だが、こちらはあくまでも体の問題だ。体は回復できても、心はそう簡単ではない。

 うめき声がどこからか聴こえてくる。悪夢にうなされる声だ。回復しないで、もう楽にして、という声が聞こえてくると、彼女たちがどれだけの責め苦にあっていたか思い出してしまって身震いする。

 神剣を持たされていなかったから、心は残っている。だが、それが良かったとは必ずしも言えない。神剣に精神が飲み込まれるのは一種の精神防壁とも言えると横島は知ったのだ。

 

 何とかしたいのだが、そう簡単に心は癒せるものではない。いくらギャグ人間である横島でも、数日そこらで心を癒すのは厳しい。それに彼女らに付きっ切りというわけにもいかないのだ。

 先のレッドスピリットの少女もその一人で、少し前まで自傷行為すら始める始末だった。

 

 ただ彼女はウルカの隊にいたと話していた。ウルカは、かつての隊員たちを助ける為にラキオスの一員となった。そういった事情ゆえ、優先的に文珠による忘却という名の治療を受けさせることにしたのだ。

 少しでも身内を優先する。優先順位を決める。これは横島自身も憎憎しいと感じているが、一つの誓いのようなものである。

 できればさっさと文珠を使って全員のトラウマ除去をしたいと横島は考えていたが、文珠が足りなくて手が出ないのが実情だった。

 

 また効率を考えるなら、文珠を一人一つではなく連結させて一気に治療するのがいいと考えていた。

 正直、今なら文珠を八文字ぐらい連結させる事も可能だろう。

 神剣の加護があまりにも強力すぎるので目立たないが、霊力とその制御力は相当強くなっているのは感じていた。人という枠組みから解放されたからだろうか。また、霊力より遥かに強い神剣という力に少しでも対抗するというのも理由にあるかもしれない。

 完全広域治癒や完全広域忘却等といった文珠を使えば、一気に治癒が可能なのだが、

 

「ちっ、なんで文珠を作る速度だけは変わらないんだよ!」

 

 これが忌々しい限りだった。霊力は増したのに、作り上げる速度はまったく変わらないのだ。

 実感的なものだが、文珠を早く作るのは霊力の多寡が問題ではないと分かっている。

 必要なのは一定量の霊力と時間だ。ワインやチーズを熟成させるように、霊力をそのものの質を変化させるには時間が必要があるのだろう。この時間をかけないと、あの失敗型文珠となってしまう。まあ、あれはあれで使い道があるから作ってはいるが。

 

「きっついなあ」

 

 スピリット達との生活は実に楽しい。全員が可愛いし、料理は美味しいし、程度の差はあれ好いてくれているのは伝わってくる。現在でも似非ハーレムぐらいは作れているだろう、

 後はこれでエッチなことも可能となったら酒池肉林な理想郷といって良いくらいだ。

 しかし少し裏道に逸れれば、目を背けたくなるような光景が広がっている。関係せずとも良いと、レスティーナに言われたが女の子の事で逃げたくは無かった。

 だが自分で望んだこととはいえ、裏道に逸れるのは精神的に疲れてしまう。

 

「皆は何やってんのかな」

 

 ネリー達の顔が思い浮かんでくる。

 辛い時や苦しい時。そういったときに思い浮かぶのはいつも第二詰め所の面々である。

 第一詰め所でも楽しく過ごしているが、どれだけ楽しくても出先に過ぎない。安らぎは第二詰め所にあった。

 

『ホームシックか?』

 

「うっせーな。仕方ないだろ。悠人の奴が変なことをしてないかも気になるしな」

 

 特に恥ずかしい様子も見せずに横島は言い切った。

 

(もう頭痛どころか違和感も感じないか)

 

 『天秤』は安心感と罪悪感の二つを感じた。

 この世界に来た頃に横島を悩ませてきた頭痛や悪夢は、もう完全に消失していた。

 その苦しみは『天秤』が見えない毒を少しずつ彼に混ぜていて、横島は必死に抵抗していた証拠だったのだが、毒に打ち勝つことは出来なかったらしい。

 無論、心を直接侵そうとすれば苦しみはあるだろうが『とある部分』に関しては、何を言われても大丈夫だろうと『天秤』は確信した。

 

 そんな横島に、一人の男が近づく。

 例の固焼きさんと呼ばれた青年だ。

 

「お疲れ様です。それで今日の第二詰所とエトランジェ・ユートの様子ですが……」

 

 固焼きさんの報告を聞くたびに、横島の表情は曇っていった。

 

 

 

「ようやく終わった。うああ……頭がいたい……目が苦しい」

 

 悠人は机に突っ伏しながら、目尻辺りを何度も揉んでいた。

 目の前にあるのは資料の山。つい先ほどまで悠人は書類に目を通してサインした物だ。

 別に高度な技術を要求される文書作成を要求されたわけではない。

 いつもならエスペリアが音読をしてくれるのだが、今度は自分一人でやると彼自身が言って手伝いを拒否したのだ。

 結果は、凄まじく時間がかかって目を傷めることとなった。

 部屋から出ると疲れ切って居間のテーブルに突っ伏した。そこに茶を持ってやってきたセリアは厳しく言った。

 

「まったく、情けない。文字に対して慣れないのは仕方ないですが、部下の目の前で情けない姿を晒すのはどうかと思いますが」

 

 厳しく言われて、ちょっと落ち込みながら悠人は礼を言って出されたお茶を飲んだ。

 鮮烈な香りが鼻から頭を突き抜ける。疲れきった頭と目に心地よい風がつき抜けたように感じた。

 以前に横島がセリアを評した言葉が、ふと頭によみがえった。

 

「……へぇ、なるほどな」

 

 渋みと甘みが混合されたお茶に、悠人は思わず頷く。

 

「何ですか、言いたいことがあるのなら、しっかり言ってください。何が『なるほど』なんですか」

 

 セリアが視線を厳しくして悠人に言った。

 自分が淹れたお茶が、意味深な評価を受けたのが気になったのだろう。

 

「あ……いやその、以前に横島が言ってたとおりだなって」

 

 睨まれて、悠人は少ししどろもどろになりながら返答する。

 すると、セリアはさらに表情をキツくした。

 

「あの人が、私の淹れるお茶に何か文句を言っていたのですか」

 

「いや、文句じゃなくてな……その、セリアは細かい気配りができて、献身的だって」

 

 セリアは少し面食らった。唇をへの字型に曲げて、頬が不自然に痙攣する。

 おべっかを使ったように見られて不機嫌にしてしまったか。

 悠人は少し不安になったが、実際は、褒められたのが嬉しくて頬が緩みそうになるのを必死で抑えていただけだった。

 僅かに深呼吸してセリアは反撃を繰り出した。

 

「あの人が言うことをいちいち真に受けないでください! 大体、ユート様もお茶の味一つで何が分かるというのですか。変なことを言わないでください」

 

「だってこれ、シナニィの葉とホーラスの葉の組み合わせだろ。目の疲労と緊張をほぐしてくれるやつだ。それだけじゃ渋すぎるからハシバスの実の汁を少し混ぜて味を調えてる」

 

 今度こそ、セリアは本気で驚いた。

 ブレンドしたお茶の種類を言い当てるほどの味覚。茶の効能が分かるほどの知識。

 これだけのものを悠人が有しているとは想像もしなかった。

 実は悠人がこの世界に来た当初、まだ言葉が通じないときにエスペリアはお茶を使って言葉を指導したことがあった。

 苦いや甘いと言った言葉を覚えるのに味覚を使った練習は効果的で、そして楽しく、お茶を軸として他の言葉も覚えることが出来たのだ。

 

「ぐ、偶然です。たまたま余っていた茶葉がこれだったというだけの話に過ぎません」

 

「いや、それはないだろ。エスペリアが言っていたけど、ホーラスの葉は貴重な上に淹れるまでに時間が掛かるって。しかも、淹れたてじゃないと途端に味が落ちるって聞いてるぞ。

 俺も数回しか飲んだことがないしな。セリアはわざわざ休憩時間を使って淹れてくれて、俺が疲れに根を上げる時間を見極めたうえで注いでくれたんだろ?」

 

「それは……」

 

 何とか言い訳をしようとしたセリアだったが、上手い言い返しが見つからずに、そのまま沈黙してしまう。

 悠人の言っていたことは全て事実だったのだ。

 気遣いを理解してくれた嬉しさと気恥ずかしさに、セリアは顔を赤くして黙り込む。悠人も自分の言った事が割りと臭いと自覚して頬を赤くした。

 どこか甘酸っぱい沈黙が流れると、そこにヒミカ達が帰ってきた。第二詰め所のスピリット達が居間に集結する。

 ヒミカは二人が顔を赤くして向かい合っているのを見て、意地悪く笑みを浮かべた。

 

「あら、お邪魔でしたか」

 

「ヒミカ! 何を言っているの!」

 

「だって、何だかいい雰囲気だから」

 

 ニヤニヤと笑いながらヒミカは二人をからかう。

 悠人はいやいやと首を横に振った。

 

「以前に横島が第二詰所の事を自慢して……アイツの言ったとおりだなあ、と思った事を喋っただけだぞ」

 

「……ユート様、彼はヒミカの事を何て言っていましたか?」

 

「ちょっとセリア、いきなり何を言い出すの!!」

 

 ヒミカが抗議するが、セリアは顔を赤くしながら悠人を目で恫喝した。

 

 ――――言ってください!

 ――――わ、分かった!

 

 あっさりと悠人は脅しに屈する。

 女性にはあまり強く出れない悠人だった。

 

「ヒミカは……その、一番女性らしいって、言ってたぞ」

 

「なあっ!」 

 

 目をまん丸にして驚くヒミカ。当然だろう。

 彼女は自分が女らしくないことを気にしている。それが一番女性らしいといわれたのだから。

 だが、他のスピリット達は当然といった表情だった。そもそも、女性らしい、らしくない、なんて意識しているのはヒミカぐらいなのだ。

 

「ヨコシマ様は私なんかのどこが、女らしいなどと馬鹿なことを言ったのですか!?」

 

「……その……ピンクのエプロンで回転?」

 

「うああああ! あれは違うんです! ほんの出来心で!」

 

 顔を真っ赤にして必死に言い訳を始める。

 その姿は確かに可愛らしかった。

 反撃が成功したセリアはにんまりしている。

 

「他にはヒミカの事を何か言ってませんでしたか」

 

「ちょっとセリア! 本当にいい加減にしてよ!!」

 

「いや、本当に色々言ってたんだけど、長くて全部は覚えきれなかったんだ。セリアの事ももっと色々言ってたし」

 

「私のことは言わなくて結構ですから!!」

 

「いいえ、言ってください!!」

 

「この、ヒミカ!」

 

「そっちが先にやってきたんじゃない!」

 

 ヒミカとセリアの言い争いが始まる。悠人はどうしたものかとおろおろするだけだ。

 そんな二人を横目に、今度はちっちゃい青髪ポニーテールがぴょんぴょんと跳ねだした。

 

「ねえねえ、ネリーは! ネリーの事は何て言ってたか教えて!!」

 

 悠人の周りを飛び跳ねながらネリーが催促する。

 他の皆は興味と羞恥の狭間で揺れ動いている中、この積極性はネリーだからこそだ。

 

「ああ、分かった。実はネリーだけは何て言ってたのか全部覚えてるぞ」

 

「ほんと!」

 

 ネリーは目をキラキラと輝かせた。

 そんなネリーに、悠人は少し悪巧みをする。

 

「ああ、ネリーだけはとても短かったからな」

 

「ええ~! なにそれー!!」

 

 プクッとネリーは頬を膨らませる。

 フッ、と悠人の表情が優しくなった。

 

「『ネリーが居なかったら、俺はここに居なかったかもな』だってさ」

 

「……へっ? え、え~と……どういう意味?」

 

「ネリーがいるから、横島はここに居るって事じゃないか」

 

 ちょっと拡大解釈しているか。

 そう思わないでもない悠人だったが、こう言った方が後で面白くなりそうなので訂正はしない。

 

「そう……なんだ。あーえーと……うん」

 

 ネリーは手足をバタバタさせたり、視線をさ迷わせたりと落ち着かない様子だ。

 嬉しいのは確かだが、どう嬉しさを表現していいのか分からないのだろう。

 いつもなら楽しければ歓声を上げてはしゃぎ回るネリーだが、今回は上手く声が出ないらしい。

 シアーは見なれない姉の表情に首をかしげた。

 

「ネリー、恥ずかしがってる?」

 

「べ、別に! 恥ずかしくなんてないから!!」

 

 大声で否定して顔を背けるネリーだが、すぐにへら~と表情を緩ませていた。

 

「……なによ、私にも同じようなことを言ってたのに」

 

 誰にも聞こえない程度に言って、もう一人の青髪ポニーテールはムスっとしていたが。

 

 ここで一旦、沈黙が降りる。

 あのネリーがあそこまで恥ずかしがっているのだ。これは想像以上に恥ずかしいのかもしれない。

 だけど気になるのは確かだった。普段からセクハラされたり美人とか言われたりはするが、ただ純粋に褒められたことは無かった。

 二人きりになってもロマンチックな雰囲気にならずにお祭り騒ぎのようになってしまって、最後にはセクハラからの突っ込みで幕が下りる。それが横島と第二詰め所の関係と言える。

 だからこそ、横島からギャグと性欲を切り離した言葉に、第二詰め所の皆は何かに期待してしまう。

 

「わ、私はどうですか!?」

 

 今度はヘリオンが顔を真っ赤にして聞いてきた。

 

「ヘリオンは……え~と、なんて言ってたかな」

 

「思い出してください~!」

 

 涙目でヘリオンが見上げてくる。

 とても可愛い。可愛いのだが、同時にからかいたくなってくる衝動に悠人は襲われる。

 誰かをからかったりするのは悠人は得意でも好きでもなかったが、このヘリオンという少女は天性の被虐属性を持っているようだった。

 

「思い出したぞ!」

 

「ほ、ほんとですか!? 何て言ってました、私の事!」

 

「とっても小さいって言ってたぞ」

 

「うあ~ん! いくら私がちっちゃくても、それだけなんてあんまりです~!」

 

 ぺたーん、とツインテールが元気なさそうに垂れてくる。

 本当に分かりやすく、そして可愛い少女だった。目元に涙が浮かんでいる。

 流石に可哀想になってきたので、悠人もいい加減からかうのをやめようと考えた。

 

「あ、他にも思い出したぞ」

 

「はいはい! なんですか!!」

 

 泣き顔から一気に笑顔になった。

 またムクムク悪戯心が芽生えてくる。

 

「物凄くからかいやすいって言ってたな」

 

「それって褒められてませーん!」

 

 ツインテール振り乱してヘリオンがえぐえぐと涙を流す。

 

 やばい、なんか楽しい!

 ヘリオンの反応が楽しくてサドッ気が悠人の中で目覚めようとしていたが、

 

「女の子を泣かして喜ぶ趣味があるんですね」

 

 とファーレーンが冷たい声で言って何とか悠人は踏みとどまった。

 そして「横島はヘリオンは真面目で努力家だって褒めてたぞ」と伝えるとヘリオンは見る見るうちに笑顔になる。

 自分の努力が見られて認められるのは嬉しいものだ。それが想い人ならなおさらだろう。

 

 さて次はだれにしよう。

 何だか楽しくなってきた悠人は次なる標的を見つけようと首を動かして、真横にナナルゥの顔があった。

 

「い、いや。ナナルゥ、顔近いって!」

 

「ユート様は、顔が近いのは嫌いなのですか?」

 

「そ、そーいう問題じゃなくてな」

 

 ナナルゥは何も言わずに、じっと悠人のそばに立ち続ける。

 相変わらずエキセントリックなナナルゥの言動だが、それでも悠人も少しずつ慣れ始めていた。

 

「あ~確かナナルゥはエキゾチックで夫婦漫才できるって言ってたぞ」

 

「エキゾチックとは何でしょう?」

 

「えーと、確か異国的な雰囲気というか……うん、独創的って意味でいいと思うぞ」

 

「独創的……ですか? 私はヒミカとは違い、標準的なレッドスピリットだと思いますが。それでフウフマンザイとは何でしょう?」

 

「う~ん、夫婦になって皆に笑いを振りまく事……かな」

 

「それは……とても素敵で愛のある話だと思います」

 

 ナナルゥは小さく笑みを浮かべた。

 思わず悠人は生唾を飲み込んだ。反則としか言いようがない笑みだった。

 そういえば一番美人とも言っていたのを思い出す。確かに、美形揃いのスピリットの中でもトップかもしれない。

 笑みという言葉で悠人は思い出す。

 

「ハリオンは一番笑顔が素敵だって言ってたな」

 

「うふふ~それはもうお姉さんですから~」

 

 一番の笑み、という褒め言葉が嬉しかったのか、ハリオンは幸せに笑う。

 見ているこっちも幸せになりそうな、春の陽気を感じさせるのがハリオンだ。

 

「シアーは子供たちの中で一番大人っぽいってさ」

 

「え~そうかなー」

 

 シアーは首を捻る。その言動は幼く見えるが、悠人も横島とは同じ意見だった。

 ネリー達が無軌道に動き回る中、きちんと周りを見れるのがシアーだった。

 結果的に要領良く立ち回ることも多いので、確かに一番大人かもしれない。

 

「ファーレーンは……まあ色々と言ってたけど、将来は一緒にのんびり出来たら幸せだって言ってたぞ」

 

「ヨコシマ様がそんなことを」

 

 思いもしない横島の望みに、ファーレーンは驚いた。

 横島の周りはいつも人がいっぱいで騒がしい。彼自身もにぎやかしの性質を持つ。

 きっと賑やかで楽しく騒がしい日々を彼は求めているのだと、ファーレーンは考えていた。それはファーレーン自身の望みとは相反していた。

 

 ファーレーンは戦いが終わって、万が一にもスピリットに自由の時が来たのなら、妹である二ムントールと二人で静かに密やかに暮らしていければ良いと考えていた。

 そういった意味では、ヨコシマ様と自分の未来は合わないだろう。そう判断していたのだ。

 だけど、もしヨコシマ様が同じくのんびりとした生活を望むのなら、その時は三人で暮らすのもいいと思った。

 

 ふと幻想を見る。

 朝起きたらまず寝こけている二ムントールを起こして、妹にヨコシマ様を起こしてと頼み込む。

 妹はぶーぶーと文句を垂れながらヨコシマ様を起こしていって、その間に自分は料理を作る。そして、二人が賑やかに食事するのを見守るのだ。

 

「素敵な未来です」

 

 うっとりとしたような声でファーレーンが言って、ニムントールは機嫌悪そうにほっぺを膨らませる。

 

「あ~ニムについては……ほっぺたの感触が良いってさ」

 

「……なにそれ」

 

 何だか投げやりな褒め言葉にムスッとするニムントールだったが、ファーレーンは満面の笑みを浮かべた。

 

「ふふ、流石はヨコシマ様! そう、ニムのほっぺたは素晴らしいの! このプニプニ感は世界の宝よ」

 

「ちょっ、ちょっとお姉ちゃん!」

 

 ぷにぷにとほっぺを突かれてニムントールは嬉しさと恥ずかしさで顔を赤くする。

 全員の評価を聞いて、セリアははあっとため息をついた。

 

「それにしても、彼は本当に女好きね。あまり真に受け止めない方がいいでしょ」

 

 結局、全員に好きだと言っているようなものだ。別に嘘をいっているとは思わないが、そういう女好きな男なのだ。

 そんな認識があって、全員がほっとしたような残念なような空気が流れた。

 そんな雰囲気をまったく読めない悠人は、ここで最大の爆弾を投下してしまう。

 

「全くだな。というか、本命がいるんだから一人に絞ればいいのに」

 

 悠人が呆れたように言う。すると、シアーが首をかしげた。

 

「ユート様~ほんめ~って何?」

 

「ん? ああ、本命っていうのはな……その……一番好きな人って事かな」

 

 ざわりと空気が変質した。

 

「ユート様は、その……ほんめーをご存知なのですか」

 

 ナナルゥが率先して聞いた。

 緊張と興味と期待と恐怖。

 心臓の音が聞こえてきそうな静寂が満ちたが、

 

「い、いや。俺は聞いてないぞ」

 

 悠人が答えると、残念そうな、それでいて安堵のため息が周囲から漏れた。

 沈黙が場に流れ、同時にいくつかの視線を交錯した。

 一体誰が本命なのか。誰が彼の想い人なのか。

 

「好きな人なんて……どうせ冗談よ」

 

 セリアがぽつりと言った。

 それは彼女の本心というよりも、そうであってほしいという願いであった。

 もし本気で愛されていたらどうしたらいいのか困るし、かといって自分に向けられる口説き文句やスキンシップがただの冗談だとしたら、何かよくわからない感情に全身が支配されそうだった。

 

「でも、それなら納得できるかもしれませんね~」

 

 うんうんと頷きながらハリオンが言う。

 彼女にはそう考えると納得できる事柄が一つあるのだ。

 それを知らない皆はいぶかしむ様に彼女を見た。

 

「納得って……それどういう意味?」

 

「さあ~どういうことなんでしょうね~」

 

 ハリオンは答えず、ただいつものようにニコニコと笑みを浮かべる。

 その笑みがいつもと違うように見えて、ヒミカはそれ以上、追求することは出来なくなってしまった。

 

「ハリオンはほんめーじゃないのね。だからか……」

 

 ファーレーンだけがハリオンの呟きを理解できていた。

 また場が混沌とした良く分からない雰囲気で満ちる。

 そんな中で、悠人は居心地の悪い思いをしていた。

 

(横島の奴は本気で好かれているんだな)

 

 場に満ちる微妙な雰囲気に、そこまで男女の機微に聡くない悠人でも分かるものはある。

 多かれ少なかれ、また明確に男女のそれとは違うとしても、第二詰所は横島を意識して想っている。この様子なら横島がギャグ抜きで本気で本命に告白すれば、相手が誰であれ成功するのではないだろうか。流石にハーレムは難しそうだが、それも決して不可能ではないかもしれない。

 ドクン、と不安気に心臓が脈打った。

 横島が第二詰所の誰かと恋仲になるのは別に良い。横島は馬鹿だが命を掛けてスピリットを守ろうと行動している。

 自分の様に家族の為というわけじゃなく、ただスピリットの為だけに命を削って戦っているのだ。第二詰め所の誰と結ばれようと素直に祝福できる。

 

 そんな横島が第一詰所にいる。アセリア達と共に過ごしている。

 横島は遊び上手で話も上手い。戦闘力もあって、色々と器用で、なにより周りを明るくする。それは自分には出来ないことだ。

 長所だけを抜き出すと本当にとんでもない奴だ。そのスペックを台無しにするほどの女好きで馬鹿なのだが、それさえ乗り越えてしまえば長所は山のようにある。

 

 それに比べて俺は、楽しくお喋りするのは不得意で、どうも不器用だ。

 アセリアは横島と一緒に居ると、表情が豊かになって口数も増えていた。

 エスペリアは横島を警戒していたが、一緒に居れば自然と仲良くなるだろうし、なによりエスペリアが時折する影を含んだ笑顔を払い飛ばせる陽気を持っているかもしれない。

 オルファは遊び上手な横島に懐くだろう。

 ウルカはあまり想像できないが、横島の戦闘力に興味を持っていたような気がする。

 

「ちょっと様子を見に行くかな」

 

 遠距離恋愛で彼女の浮気が不安な彼氏のように、悠人の心は揺れていた。

 

 その日の夜。

 隊長二人の意向により、今日をもって『交換』を終了とする、と通達があった。

 

 朝早くから、第二詰め所内の居間には緊張した空気が流れていた。

 悠人の様子が可笑しいのである。眉間に皺を寄せて、足音も大きく、コメカミをトントンと叩いている。不機嫌であると、誰が見ても分かるだろう。

 今回の『交換』の感想、意見等などを纏める為に横島達と第二詰め所で合流して話し合う事になっているのだが、この様子ではまともに話し合いになるだろうか。

 それに一日早く交換が終了することになったのは、悠人が掛け合った為らしい、という情報もあった。何か逆鱗に触れて第二詰め所に居たくないと思ってしまったのかもしれないと、皆が不安を抱いていた。相変わらずハリオンだけはニコニコと笑っていたが。

 

 このままではいけない。聞くしかないか。

 ヒミカは少し不安で胸を重くしながら、思い切って口を開いた。

 

「ユート様……あの」

 

「……ん? どうした?」

 

 ヒミカの方に向き直った悠人の顔には、何の険しさも無かった。ヒミカは少しほっとする。

 

「少し聞きたいことがあるのですが……よろしいでしょうか」

 

「いいけど、どうしてそんなに他人行儀なんだ?」

 

 仲良くなってきて少し砕けてきていたはずなのに、妙に口調が固いヒミカに悠人は少し口を尖らせる。

 

「その、少しお加減が悪そうに見えて……それにユート様が早く『交換』を止めたいと言ったと聞いたので……あの、私達に何か至らない所がありましたか」

 

「至らない所?」

 

 一体、ヒミカが何を言っているのか悠人には分からない。

 

「本当なら後一日交換期間があったはずです。それが今日までとなったので」

 

 そこまでヒミカが話すと、悠人の顔色が変わった。

 どこか恥ずかしそうな、気まずそうな、そんな感じだ。

 

 ちょうどその時、扉が開く。

 横島とアセリア達がぞろぞろと入ってきた。そして第二詰め所の面々は目をしばたかせる。

 彼らの表情は悠人らと同じで、横島は厳しい顔つきでアセリア達は少し怖がっているという、今の自分達とまったく同じだったのだ

 

 一体、二人の隊長に何があったのか。

 横島と悠人は互いににらみ合った。

 

「アセリア達に手を出していないだろうな」

「ハリオン達に手を出していないだろうな」

 

 二人の声が完全に重なる。

 

「真似すんな!」

「真似すんな!」

 

 またしても声が重なって、お互いににらむ合う。

 悠人、横島の言ってる意味も行動もわからず、エスペリア達は揃って頭の上に?マークをつく

 今回の騒動の理由を一番早く察したのは、なんとナナルゥだった。

 

「なるほど。友達の彼女を寝とろうとしていたら、自分の方が寝とられそうになって驚いた訳ですね。それで慌てて戻ってきたと」

 

「う、ううるさいわぁ!! 大体、ナナルゥだって悪いぞ! 悠人の奴に、俺だって知らなかった草笛なんて演奏しちゃって。どうして俺には演奏してくれないんだよ!!」

 

「いい女には秘密が必要だと、本に書いてありました。私は、いい女になったでしょうか?」

 

 至極真面目な顔をして言うナナルゥに、横島は顎が外れるんじゃないかと思うくらいにあんぐりと口をあけた。

 ため息をして、頭をガリガリとかいて、ようやく落ち着いたようで強い意志を込めた目でナナルゥを見つめる。

 

「良い女になりたいなら、俺にも草笛聞かせてくれよな。俺もナナルゥの草笛聞きたいんたから。あ、悠人の時よりも力を入れてくれよ!」

 

「はい。了解しました」

 

 一連のやり取りを見てたスピリット達はようやく理解した。

 どうやら自分たちと悠人の仲が良くなりそうで戻ってきたらしい。 

 そんな事でわざわざ掛け合って一日期間を減らしたのか。

 相も変わらず女好きで馬鹿でアホである。

 

「へへー! 大丈夫大丈夫!! ユート様も好きだけど、ネリーはヨコシマ様が大好きだからね!!」

 

「うん、大好き~!」

 

 得意そうにニヤニヤしながらネリーとシアーが横島に飛びついてベタベタと絡まる。

 普段なら「ガキに好かれても嬉しくないんじゃあー!」と叫ぶだろうが、今度ばかりは違う。

 子供の言葉と分かっていても、横島は少し顔を赤くして嬉しそうに表情を緩めてしまう。

 それを見た二人はますますニヤニヤと笑みを浮かべた。

 

「それとヒミカも、二人きりで悠人の奴と会うなんて止めること! いつあいつが狼になって襲い掛かってくるか分からないだろ!」

 

「はあ、ヨコシマ様ではあるまいし」

 

「ヒミカぐらい可愛ければ襲われるんだよ!!」

 

「で、ですから軽々しくそんなこと言わないで! それとあの諜報部の方は貴方の差し金でしょ! こんな馬鹿なことに人員を使って!?」

 

「しゃーないだろ! 何のために俺がここでこうして戦ってると思ってんじゃ! 第二詰め所の皆は俺のものだ! 金輪際、悠人の奴と一緒にさせんからな!!」

 

「そんな事を言っても異動命令がくれば離れる事はありえますが」

 

「んな事は絶対にさせん! とにかく俺のじゃー! 俺のモンなんだぁ~~!!」

 

 バタバタと手を振って暴れ始める横島。

 子供らしいような独占欲に、セリア達は呆れたように顔を見合わせる。あのヘリオンやナナルゥでさえ、しょうもない人だなあと苦笑いだ。

 

「シアーもね~ヨコシマ様が隊長じゃないと嫌だよ」

 

「くぅ~可愛いやっちゃなあ! よし、今度一緒に遊びにでも行くか!」

 

「わ~い!」

 

「ずるいー! そういうのを抜け駆けっていうんだよー!」

 

「え~」

 

 イチャイチャワイワイガヤガヤ。

 横島は数日ぶりの第二詰所を堪能するのだった

 一方、悠人の方も。

 

「ユートも寂しかったか?」

 

 そんな横島と第二詰所の様子を横目で見つつ、アセリアが問いかける。

 悠人にも自尊心と羞恥心がある。そんな簡単に寂しいなんて言える訳が無い。横島のように、鼻水垂らしながら嫉妬全開オーラを撒き散らすなど、言語道断だ。

 

「……俺は別にそこまで」

「私は、ユートがいなくて……うん、寂しかった」

 

 透明感ある声が響き、青の瞳が悠人を射抜く。

 ここで妙な見栄を張って『寂しくない』と叫ぶほうが恥ずかしいのではないか。

 少しだけ素直になろう。悠人は横島の明け透けな心を少し見習う事にした。

 

「ああ、俺もアセリアがいなくて……その、な。寂しかったぞ」

 

「そうか」

 

 アセリアは素っ気なく頷く。

 いつも通りに見えたが、その身はいつもよりも一歩程度近く悠人の傍らにいた。

 

「オルファもね、ヨコシマ様と遊ぶの凄く楽しいのに、パパと一緒にいた方がウキウキするんだ! 何でだろうね」

 

 満面の笑みでオルファは悠人の手を握る。その頬には赤みが差している。

 アセリアとはまた違う真っ直ぐな好意。そこに混ざるほのかな愛情と羞恥心。

 幼くとも女の子をやっているオルファに、悠人も少し胸がドキリとする。

 

「はい。手前もヨコシマ殿よりもユート殿の方が好きです」

 

 ざわ。ざわ。空気が震えた。

 今までは友情とも愛情とも取れるカーブ球を投げていたのに、突然の直球だ。

 

 空気のざわめきに、ウルカは自分が何を口走ったのか理解した。

 褐色の頬に赤みがして、わたわたと口と手を動かす。

 

「あ、いえ……違います。尊敬できるという意味で……あ、ヨコシマ殿も尊敬はしているのですが……ユート殿はまた違う種類の尊敬でして……つまりそれは……あー」

 

「あの……ウルカ、言いたいことは分かったような気がするから、もう良いぞ。なんかこれ以上言うと大変なことになりそうだし」

 

「は、はい。手前の精進不足性ですいません」

 

 ペコリと頭を下げたウルカは、そのまま赤くなった顔を見られないように頭を下げたまま後ろに下がる。

 何だか妙に可愛らしいウルカに、悠人も顔を赤くした。

 最後にエスペリアが前に出て、

 

「ユート様、お帰りなさい」

 

「ああ、ただいま」

 

 二人にはそれだけで十分だった。

 そんな二人の落ち着いたやりとりを、ヒミカは羨ましそうに眺めていた。

 

 それから今回の交換についての報告会が始まったが、それは非常に騒々しいものとなった。

 いつのまにやらお菓子にお茶が持ち込まれて、思い思いに語り合う。

 喧騒の中、ヒミカはエスペリアに聞いてみた。

 

「それでエスペリア。ヨコシマ様の事はまだ信頼できないって考えてる? それとも信頼できる?」

 

 今回の交換をやった最大の要素はエスペリアの横島不信だ。もしもこれで不信感が払拭できていないとすると、今回の交換は失敗となってしまうだろう。

 問われたエスペリアは横島について思い返してみる。

 

 はっきり言って苦労はあった。能力も精神も常人のものとはかけ離れていて、異常な力を目の当たりにし、より警戒しなければいけないような目にもあった。冷静に思い起こせば、信頼なんて出来るわけがない。

 にもかかわらず、エスペリアの胸には不思議な感情が去来していた。だが、それを上手く言葉に出来ない。信頼や不信という感情とはまた別のもの。

 

「できるかできないかで言えば……ヨコシマ様だなーと思います」

 

 質問の答えになっていない答えを返したエスペリアだが、ヒミカは納得したように頷いて見せた。

 とても困った人ではあるが、振り返ってみると悪くない感情を抱くことになるのが横島なのだ。

 彼が原因でトラブルに見舞われても、悲しみや憎しみが起こらない。怒りやストレスがあってもその場で彼自身にぶつけて発散できるし、苦労したのに笑っている事が多い。

 結局、既存の言葉で形容できないから、答えとして『ヨコシマ様だから』という不思議な答えが出てきてしまう。

 彼はそれで良いのだと、ヒミカは思った。

 

「おお、何だか分からんがヒミカの好感度が上がっているような気がする! これはもうおっぱい揉んでOKとしか!!」

 

「そんなわけないでしょー!! せっかく精一杯フォローしようとしてるのに貴方って人はーー!!」

 

「あはは……本当に私の隊長はユート様でよかった」

 

 何はともあれ、スピリット隊とエトランジェ達の信頼感はより強固な物となった。

 それは連携力を強化しただけでなく、神剣の力をより強く引き出すこととなりパワーアップを果たしたといえる。

 この結果に『流石はレスティーナ女王』と彼女は内外から賞賛を彼女は受けることとなったが、

 

「ちぇっ! もう少し修羅場になったら面白かったのに」

 

 その裏で、そんな独り言を玉座でもらす少女がいたとかなんとか。

 

 



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第二十六話 日常編その5 一歩づつ前に

 何のへんてつも無い小さな原っぱ。

 そこに数名の少女と、一匹の白い獣の姿があった。

 

「伏せ! 回れ! お手! 跳ね!」

 

 レッドスピリットの少女、『理念』のオルファリルが矢継ぎ早に指示を出す。

 すると、ハクゥテと名づけられたエヒグゥ(一角ウサギ)が指示通り素早く動く。

 

「えへへ! いい子いい子!!」

 

 擦り寄ってきたハクゥテを優しく撫でるオルファ。ハクゥテも目を細めて気持ちよさそうに愛撫を受ける。そして、何かを催促するように鼻をオルファに擦り付けた。

 オルファも心得たもので、すぐにハクゥテが何を求めているか察した。胸元からラナハナ(にんじん)の欠片を取り出してハクゥテの口元まで持っていく。ハクゥテは目を光らせてラナハナにかぶり付いた。

 

「うんうん、たくさん食べてね」

 

 一心不乱になってラナハナを食べるハクゥテの姿を、オルファは幸せそうに眺める。なんとも優しげなひと時であった。

 

「むうー」

「ぅ~」

「はう~」

「……」

 

 それを見つめる八つの目。

 ネリー、シアー、ヘリオン、ニムントールら年少チームである。

 オルファは彼女達の視線を存分に意識しながら、ハクゥテを愛撫していた。

 

「ふっかふかーで、やわらかー」

 

 オルファはハクゥテを抱きしめながら歌を歌う。

 ハクゥテのふさふさの白い毛。小さい体。小さい角。つぶらな瞳。ピクピク動く長い耳。

 そのいずれもがネリー達の心をがしっと掴んで離さない。

 

「へっへ~ン、一体どうしたのー」

 

 ニヤニヤと意地の悪い笑みをネリー達に向けるオルファ。

 明らかな挑発だった。玩具を自慢する子供そのもの。

 ネリーはせめてもの抵抗として「別に」とぶっきらぼうに言うしかない。

 オルファはさらにニヤニヤする。

 

「ふ~ん、そっかそっか。羨ましいんでしょ!」

 

「別に羨ましくなんてないよ!」

 

 顔を赤くして否定したネリ―だったが、それが強がりである事は誰の目にも明らかだった。

 そんな彼女らの様子に、オルファは何か思いついたように怪しげな笑みを浮かべた。

 

「あげよっか」

 

「えっ……う、嘘つかないで!」

 

「嘘じゃないよ。ほら」

 

 オルファは満面の笑みを浮かべて手に持ったハクゥテをネリーに突きだした。

 悪戯を警戒して、ネリーは手を出そうとはしなかったが、ハクゥテのキラキラな瞳に見つめられてとうとう堕ちた。

 おずおずと手を伸ばすネリー。しかし、ネリーの手がハクゥテを捉える事はなかった。

 

「はい! あーげた!!」

 

 オルファは満面の笑みで、ハクゥテを頭上に上げた。

 ネリーは少しきょとんとして、次に騙されたと気付いて握りこぶしを作る。

 

「うきー! 馬鹿にしてーー!!」

 

 期待をお約束で裏切られ、顔を赤くしたネリーが両手を振り上げながらオルファに突っ込んでいく。

 そうなる事を予測していたオルファは、さっとハクゥテを抱きしめると、「ひっかかった! ひかっかったー!」と笑いながら逃げ出した。

 その様子を呆れたように眺めるシアー達だったが、やはり羨ましさと嫉妬を感じている事は否定できなかった。

 

 この何処にでもある一幕が、今回のお話の始まり。

 

 永遠の煩悩者 日常編その5

 

 一歩づつ前に

 

「そういうわけで! これ以上オルファに大きい顔をさせちゃだめ!!」

 

「だめ~」

 

 びしりと、ネリーが大きい声で宣言した。横ではシアーがエコーをかけている。

 

「はい! 私もモフモフがしたいです!!」

 

 ネリーの発言に呼応するように、ヘリオンもツインテールを上下させながら強く言った。

 目は炎のように燃えている。やる気は十分らしい。ただ、口からは「モフモフ! モフモフ!」と言いながら手を奇妙に開けたり閉めたりしているところが気持ち悪い。

 

「何でニムまで……はあっ」

 

 やる気の三人とは対照的に、ニムントールは冷めた表情でテンションも低い。なし崩しに付き合っているように見えないわけでもないが、一応は興味があるらしい。何だかんだ言っても、ネリー達と遊ぶのはやぶさかではないのだろう。

 

 彼女らは現在、深い森の中にいる。手には虫取り網を持って、首からは木で出来た虫かごをぶら下げていた。神剣さえ無ければ、虫取りに向かう子供そのまんまの姿だ。

 虫かごは横島とシアーの手製のもの。これら道具のおかげでテンションは最高潮まで高まっている。

 

『女体じゃなく虫を追いかけるなんて、あのころの俺は若かったな~』

 などとぼやきつつ、虫かごを作る横島を子供たちは、特にシアーはニコニコと見つめていた。

 

 目的はオルファが羨むような可愛い動物をゲットすること。

 だったら虫かごは必要ないのでは、などという突っ込みを入れるのは野暮というものだ。

 横島が作ってくれたものを粗雑に扱うという選択肢は、彼女らには無いのだから。

 

 目標の動物は、実は無い。

 とりあえず森にいけば何か居るだろう、というおおざっぱな考えだけで動いていた。

 森で色々な騒ぎはあったが、何があったのかは割愛する。

 結果だけを言えば、彼女らは特大の獲物を見つけることに成功したのだった。

 

 その日の夜。

 第二詰め所のリビングでは夕食準備が進められていた。

 緑と黒を基調としたメイド服に身を包んだハリオンとニムントールが、ほかほかと湯気が立つスープを並べていく。

 どうしてグリーンスピリットにだけメイド服が支給されるのか分からないが、似合っているのは間違いないので誰も文句は言わない。

 ただ、エスペリアのメイド服とは違いエーテルで出来ているわけではないので、戦闘だけは出来ないが。

 スプーンとフォークと箸が置かれる。箸は横島専用だ。

 基本的に食事はスプーンとフォークだが、漆のようなものが塗られた箸での食事も上流階級では行われる時もあった。

 

「それでは……いただきます」

 

「いただきます!」

 

 いつものようにガヤガヤと賑やかな食事、とはならなかった。

 一番元気な子供たちが、何故かしずしずとスープを口に運んでいたからだ。

 

「あらあら~あんまり食べていませんねえ~どうしたんですか~」

 

 いつも豪快に食べるはずの子供達が、静かにゆっくりと口にご飯を運んでいる様子にハリオンが首を捻る。

 特に子供たちが嫌いな食材を使っているわけでは無いので、体の具合でも悪いのかとセリアは心配した。

 

「お腹の調子でも悪いの?」

 

「ううん! 別に調子が悪いわけじゃ……あっ! うん、やっぱりお腹痛いよ!!」

 

 ネリーが答えるが、やはりどうも普通の様子では無い。

 ほんの一口二口だけスープを飲んで、そこでスプーンを置いてしまう。

 

「ええと……今は食欲が無いから、後で自分の部屋で食べるね!」

 

「シアーも」

 

 食器を持つとそそくさと食卓から離れようとする青の姉妹。

 恐ろしく挙動不審である。こういう場合にいち早く動くのが、第二詰め所のまとめ役であるセリアだった。

 

「貴方たち……何を隠しているのかしら」

 

「ギク!! ベツニナンデモナイヨ」

 

 言葉は片言、汗はダラダラ、顔色は真っ青。これで何も隠していないと思うほうがどうかしている。

 セリアは二人の様子を見て、すぐに状況を察した。

 

「大方、オルファのエヒグゥに対抗心でも出して、野良エヒグゥでも拾ってきて隠しているのね」

 

「違うよ!」

「よ~!」

「そうです! エヒグゥじゃありません!!」

「……馬鹿」

 

 あっさりと自爆する子供たち。というかヘリオン。

 はあっ、とセリアは溜息をして、現在の状況を完全に把握した。

 

「……つまり、エヒグゥじゃない動物を拾ってきて、それを部屋に隠していて、ご飯を持っていこうとしたわけね」

 

「はぅ! 正解ですぅ」

 

 完全に答えを言い当てる。

 ネリー達は絶望を覚えてがっくりと膝をつくが、

 

「まったくもう、私は別に飼っちゃだめなんて一言も言っていないでしょう」

 

 その言葉に子供達は目を光らせた。一番反対するのがセリアだと思っていたのに、まさかそのセリアが一番に賛成してくれるとは。

 驚いたのは子供達だけではなく、ヒミカ達も驚いたように目を大きく見開いてセリアを見つめていた。

 

「ちゃんと世話するなら許すわよ。ただ、私達が遠出して世話できなくなった時の事は考えておきなさい。それが出来ないようなら、森に返してあげなさい」

 

 ネリー達が歓声を上げた。

 セリアのお墨付きがもらえるとは想像もしていなかったにちがいない。

 ただ、ニムだけは不安げな表情をしていた。

 

「それで、ネリー達は何を取ってきたのですか。見てみたいです」

 

 ナナルゥが顔色も声色も変えず、しかし興味津々に言った。

 

「うん、ちょっと待っててね! とっても可愛いんだよ!!」

 

 子供達がどたどたと二階に駆け上がっていく。

 そんな子供たちをやれやれと見つめていたセリアだったが、どういうわけか残った全員に見つめられていると分かって、不思議そうに首を傾げた。

 

「どうしたのよ」

「セリアって本当にお母さんね」

「なによそれ」

「書物に、母の愛は山より高くバルガ・ロアー(地獄)よりも深いと記述がありましたが、それに通ずる所があります」

「そこまでのものじゃあ……」

「私はお姉さんですけど~セリアさんはお母さんです~」

「そう言われると、妙に年を食った感じがして嫌なんだけど」

「母……とくれば新妻! いや、ここは若き未亡人でいこう。毎夜毎夜体が疼く! その疼きは、俺が止める!!」

「貴方は口を開かないで」

「ニムのお姉ちゃんは私だけです!」

「いやそれは……うん、そうだろうけど」

 

 流石に子供たちには負けるが、それでも賑やかな会話が成される。

 少しして、ネリーは白いシーツが掛った籠を手に持ってやってきた。中々大きい籠で、意外と大きい動物なのかとセリアは思う。

 

「おぎゃあーーー!!!」

 

 籠の中の動物の赤ちゃんが、そんな泣き声をあげた。

 おぎゃあ。そんな泣き声をあげる動物なんて居たかしら。

 セリアは内心の不安を打ち消すように首を傾げる。何人かは顔を引きつらせていた。

 

「あらあら~まるで人間の赤ちゃんみたいな泣き声ですね~」

 

 ハリオンが空気を読まずにのん気に言う。

 

 ――――いやまさか。そんな事あるはずが。

 

 大人達の緊張を知りもせず、シアーが白いシーツをめくり上げる。

 そして見えたのは、橙色の大きな頭に、小さな体。小さい手に小さい足。

 それは紛れも無く、

 

「人間の赤ん坊じゃないの~~!!」

 

 赤ん坊に負けないぐらいのセリアの悲鳴が、第二詰所全体に響いた。

 

 正座。

 フローリングでの正座は、正直かなり苦しい。

 横島から伝わった正座や土下座はハイぺリアの謝り方ということで、実は少しずつこの世界に広がっていたりする。正座は別に謝る作法ではないが、こちらの世界ではどうしたことか謝る方法や折檻で使われるようになっているらしい。主に横島の功績だろう。

 重苦しい雰囲気の部屋の中で、ネリー達は正座をしていた。ファーレーンはニムの正座を見てハラハラしている。

 騒ぎの渦中にある赤ちゃんは泣き疲れたか、ハリオンの胸の中でおねむとなっていた。

 

「ふぅ~」

 

 額に手をやりつつ、セリアは重苦しい溜息をつく。子供達は溜息のたびにビクビクしていた。

 大人の溜息というものは、子供を不安と恐怖に陥れる最たるものの一つである。

 叱責を恐れて子供達は首をカメのように引っ込めていたが、ネリーだけはセリアと戦おうと顔を上げている。

 

「私が何を言いたいか、分かっているわよね」

 

「分からないもん。ネリー達は拾っただけだから」

 

 捨て子を拾っただけ。

 ネリーはそう主張する。

 思慮が足りない台詞に、セリアの怒りが一気に膨れ上がった。

 

「スピリットが人間の赤ん坊を育てられるわけ無いでしょう!!」

 

「育てられるよ! 一生懸命大きくするんだから!! ご飯だってちゃんとあげるし」

 

「それ以前の問題なのが分からないの! スピリットが、人間を、育てる……不幸になるわ! 私たちも……なによりもその赤ん坊が! リュート様の事を忘れたの!?」

 

 あの年頃の少年が、奴隷と蔑まれていたスピリットという女の子達の味方と宣言したのだ。

 周りからは心の無い言葉をどれほど叩きつけられたか、想像に難しくない。今現在は家族とも最悪の関係らしい。

 それでも、まだリュートは良い。自分自身で茨の道を選択したのだから。

 だが、この赤ん坊は違かった。

 

「この子はね、スピリットに育てられたって経歴が刻まれるの! そうしたらこの子の一生はどうなるの!? それだけじゃない、スピリットが人間を隠し育てているなんて知れたら、私達の首が飛ぶわ!! そもそも育てる事なんてできるの!? 常識で考えなさい!!」

 

 セリアは容赦無く現実を述べる。

 厳しい口調だったが、言わなければいけないことなので誰も口を挟まない。

 

「じゃあ、セリアさんはこのまま赤ちゃんを放っておいて良いって言うんですか!?」

 

 俯いていたヘリオンが顔を上げて言った。彼女の目には、珍しく怒りがある。

 

「赤ちゃんはずっとずっと泣いていたんです! こんなに小さい体で、歩くことすら出来ないのに置き去りにされたんですよ! 放っておけるわけないじゃないですか!」

 

「私が言いたいのはそういう事じゃないのよ! まずそもそもの話として――――」

 

 パンパン。

 

 いきなり柏手の音が響いて、全員が言葉を止めて音の方に目を向けた。

 拍手を打ったのは横島だ。激しい言い争いに腰が引けていたが、セリアと子供達に向ける眼差しは優しげだった。

 

「あ~~今日はもう遅い。今からこの子の親を探すにしても、城に届けるにしても、ちょっと無理がある」

 

 日も落ち、外も冷え始め、赤ん坊を連れて城まで向かうのは危険が大きい。

 少なくとも、今日一日は詰め所内で世話をするほうがいいだろう。それには特に反対意見は出なかった。

 黙り込むネリーに、横島は腰を落として視線を合わせる。

 

「あ~~……ネリー、やっぱりここで赤ちゃんを育てるのは無理だと思うぞ。それに、親が本当に赤ちゃんを捨てたのかも分からないしな」

 

 横島が優しく言うと、ネリーはしばらく俯いて黙っていたが、悔しそうにしながらも、やがて小さく頷いた。

 第二詰め所で赤ちゃんを育てるなど不可能だと、本当は分かっていたのだ。

 それでも、わんわんと泣き続ける赤ん坊を前にして、なんとかしたかった。抱き上げて、あやして、ようやく笑みを浮かべてくれると、もう放したくなくなった。

 本当に赤ん坊の事を考えるなら、すぐに人間に預けなきゃいけないのは知っていたのにだ。

 自分がワガママだったのだと、ネリーは落ち込んで俯いてしまう。そんなネリーの頭に、ぽんと暖かいものが触れた。

 

「それにしてもよく見つけた! 赤ちゃんの命を助けたんだ、偉かったぞ!!」

 

 横島は笑顔で褒めながら、ネリー達の頭を拳でぐりぐりする。

 セリア達は、はっとして顔を見合わせた。

 もし、子供達が赤ちゃんを発見できなければ、この子は間違いなく死んでいただろう。

 育てるかどうかはともかく、子供達は赤ちゃんの命を救ったのだ。それは確かな事実。

 子供チームの代表として、涙も見せず気丈にセリアと戦っていたネリーはそこで限界だった。

 

「あぅウウ! ヨゴジマザマァァ~!!」

 

「おいこら! 鼻水つけんな!」

 

 横島の腹の辺りに涙と鼻水で濡れた顔を押し付けるネリー。

 苦い表情になる横島だったがさせるに任せて、余った両手でねぎらう様にシアーとヘリオンとニムの肩をトントンと叩く。シアーは嬉しそうに、ヘリオンは幸せそうに顔を緩める。

 二ムだけはぶっちょう面で嫌そうにしたが、横島の手を払おうとはせずにされるがままになっていた。

 今回だけは特別だからね!

 そんな心の声が聞こえてきそうだ。

 

 さらに横島はセリアに向き直ると頭を下げた。

 

「悪かった。本当なら俺が言わなくちゃいけないことだったよな」

 

「謝る必要などありません。貴方にそんなリーダーシップは期待していませんから」

 

 冷たく言い放つセリア。

 ぐっと言葉に詰まる横島だが、ハリオンはニコニコと笑う。

 

「ナナルゥさん~今のは『私が厳しいお母さん役をやるから、ヨコシマ様は優しいお父さん役をやってくださいね~』って意味なんですよ」

 

「なるほど、勉強になります」

 

「そんなわけないでしょ! うあ、ヨコシマ様も何を興奮してるんですか!?」

 

「セリアがいじられ役になってくれると本当に楽ね」

 

 かなり本気で言うヒミカであった。

 

「とにかくだ、今日だけは俺達でしっかりと赤ちゃんを世話するぞ!」

「おおー!」

 

 何とか話も纏まって場か収まったとたん、

 

「ふぎゃあ! ふぎゃあ!!」

 

 今度は赤ん坊がけたたましく泣きだした。

 ハリオンの胸の中、何が気に食わないのかわんわんと泣きだす。腕の中で泣き続ける赤ん坊に、ハリオンはめずらしくおろおろした。

 

「わ、わ、泣きだしちゃいました~こういう場合、どうしたら良いんですか~!?」

「どうしたらって言われても……お腹がすいているからミルクが飲みたいとか?」

「おっぱいなんて出ませんよ~」

「この時期ならもう離乳が済ませているのではないでしょうか」

「じゃあ何を食べさせたらいいの!?」

「パンとか焼き菓子はとかは」

「殆ど歯が無いのに出来るわけないでしょ!」

「でも、街にいる歯の無い犬は骨を噛み砕いてましたよ」

「犬は犬! 赤ちゃんは赤ちゃんでしょう!!」

 

 赤子の鳴き声に合わせてセリア達が一斉に動き出すが、どうにも慌ててて頼りない。全員が始めての赤ん坊に軽いパニックなっている。

 何をどうしたらいいのか分からず、とにかく響く泣き声に、自分たちが悪いことをしてしまったのか不安になっているようだった。

 

「慌てなくていいぞ。赤ん坊なんて泣くのが仕事みたいもんだしな……ご飯は離乳食……果実でも摩り下ろしてあげるといいな。ヘリオン頼む」

 

「りょ、了解です!」

 

 その中で横島だけはのんびりしたままだった。

 ひのめの世話を何度か見ていたこともあり、赤ん坊が泣く程度で慌てたりはしない。

 慣れているし、なんと言っても都市が壊滅することも無いのは非常に助かった。

 果実と聞いてすぐさまネネの実をすり潰して与えることにする。

 

「ふぇ~ん! ダメです、食べてくれません! お願いだから食べてください~!」

 

 ヘリオンが涙目でスプーンを近づけるが首を振って寄せ付けない。

 ついには「ぶー!」と思い切り息を吹きかけて飛ばしてしまう。

 うろたえるスピリット達だが、横島は相変わらずのんびりとした様子で赤ちゃんを抱きかかえる。

 

「どうしても食べないなら無理しなくていいぞ。まだまだ理由はあるかもしれん。例えば……やっぱりな」

 

 オムツというほど上等ではないが、赤ちゃんのお尻を覆っている布地をずらして見てみると、そこはグチョグチョに汚れていた。

 布地が粗く厚かったから気付けなかったらしい。

 

「こっちが本命だな。オムツはないだろうし……なあセリア、使い捨てても良い布地ってあったか?」

「はい、すぐに持ってきます!」

「オムツがあればいいんだけどな……よし変えてやるから暴れるな」

 

 ただの布地を渡されて、苦労しながらも横島は赤ちゃんのお尻を拭いて整えてやる。

 ちなみに、赤ちゃんは男の子だった。

 

「よし、これでお前もすっきりしただろ!」

 

「あー!」

 

 高い高いをしてやると、大泣きから一転して笑顔になる。

 

 ――――――か、可愛い!!

 

 スピリット達の目じりがトロトロに下がる。

 まん丸のおめめをキラキラと輝かせて、ちっちゃい手足をパタパタと動かす赤ん坊の可愛さに理由などなかった。

 触ってみたい。抱っこしたい。だけどあんなに小さくて柔らかいのを抱きしめたら壊れそうで怖い。

 そんなスピリット達の心の動きを、横島は感じ取って小さく笑った。

 

「いつまでも俺が抱いてると疲れんな、抱っこの仕方教えるから誰か」

 

 はい!!

 

 話し終える前に一斉に返事と共に手が上がる。

 想像以上の勢いに横島は押されながらも、とりあえず抱っこのやり方を皆に教える。

 じゃんけんに勝ったヒミカが一番手となって抱っこした。想像してたよりも重くて、命の重さにヒミカは感動する。

 大人達が次々と赤ちゃんを抱っこする中で、子供達は『どうだ! 可愛いだろ!!』と自分の事のように得意顔していた。

 

「ヨコシマ様! 見てください、ほら、手のひらで指を一本だけ掴んでくるんですよ! これはもう……反則です!」

 

「こら~それは食べ物じゃないですよ~。も~何でもかんでも口に入れようとするんですね~」

 

「移動しようとしています。これがハイハイと呼ばれるものですね……頑張ってほしいです」

 

 赤ちゃんの行動一つ一つにスピリット達は大わらわだ。

 横島はその光景を楽しそうに、そして疑問があったら、そのつど正解を導き出す。

 セリア達はそんな横島に感心した。

 

「ヨコシマ様は赤ちゃんの世話が出来るんですね」

 

「以前の仕事場で大変な赤ちゃんの面倒も何度か見てたからなー」

 

 実際は大変なんてレベルでは無かった。

 首都崩壊もありえる程だから、赤ちゃんの扱いも必死になって覚える必要があった。

 

「首はすわっているみたいだし、ハイハイもできるか……生後八ヶ月……こっちの暦で一年は経過してるのかな。寝返りもうつぶせも問題無しだな。これから注意することは、とりあえず冷やさないようにする事。お尻はかぶれないように布地は強く巻かないようにしたほうがいいかな。それと口に物を入れることが多いから、手の届く範囲に物を置かないこと。食事は数回に分けて根気強く……あとは」

 

 横島はてきぱきと指示をしていると、熱のこもった視線を周囲から感じた。

 周囲を見ると、尊敬の目でスピリット達は横島を見つめていた。

 一体何事かと横島は首をひねる。

 

「あ、その……頼りになると思いまして」

 

 珍しくセリアが横島を賞賛する。

 

「はい~とってもカッコイイですよ~」

 

 ハリオンもニコニコしながら横島を称える。他の皆もつぶさに横島を褒めた。

 何気にここまで賞賛されることはない横島は、恥ずかしさで小さく頭を掻いた。

 だが心の中ではニヤリと邪な笑いを浮かべる。このまま赤ちゃんをダシにしてチヤホヤされるのも悪くない。

 上手くやれば擬似父母プレイも可能で、モテモテになれそうだと画策する。

 

「じゃあ次は赤ちゃんが喜ぶ遊びを教えるぞ。まずは高い高いだ!」

 

「すごいすごい! 本当に笑ってる! ヨコシマ様、他には何か無いんですか!?」

 

「良し、次はいないいないばあだ!」

 

 尊敬と好意を集め続ける横島。

 このまま横島の考えどおりモテモテに――――――いける訳が無い!!

 この男が何のオチもつけずに平穏無事にいくなど、神は許さないし誰も許さない。

 

「あら、これは?」

 

 赤ちゃんが入っていた籠の中から、ファーレーンが一枚の羊皮紙があるのを見つけ出す。

 そこに書かれている文字をファーレーンは何気なく読み上げた。

 

「タダオ君へ。

 約束どおり、この子をそちらで預かってください。めどが付いたら、こちらから連絡します……って、え?」

 

 ビシ!!

 

 空気が、まるでひび割れたような音を立てた。

 絶対零度の視線が視線が視線が横島に刺さる。横島はもう、南極にでもいるかのように顔を青くしていた。

 裁判の執行者として、セリアが一歩前に出る。

 

「名指しされていますけど、どういう事ですか、これは。それに君付けですか」

 

「は……ははは、さあどういう事っすかね。ボクワカンナイ」

 

「ふ~ん、そう。ネリー」

 

「は、はい!」

 

「籠はどこで拾ったの?」

 

「はい! 第二詰め所玄関であります!!」

 

 どうやら被告に弁護士はついていないようである。いたとしても、弁護のしようがない。

 もうこの時点で明らかだ。

 つまりこの赤子は捨て子などではなく、横島に送られたものなのである。

 それが意味するものは果たして何であろう。しかも呼び方が君付けである。

 

 それが指し示す意味に重々しい空気が辺りに満ちるが、『そんなの関係ねえ』とばかりにナナルゥが空気を読まずに、

 

「ヨコシマ様、懐妊は計画的に行わないと悲劇につながります。愛憎系の小説では、子供がキーポイントでトラブルが発生しやすい統計が出ているので、これからは注意しましょう」

 

 何だか得意げに胸を張りながら、爆弾を投下した。

 しばし、沈黙。

 そして、爆発。

 

「ヨコシマ様の子供だー!!」

「子供だ~!!」

「子供なんですか~!?」

 

「違うわー! エニの時と同じ流れじゃねえか! 大体、俺はまだどうて……どう……どどど童貞ちゃうわー!!」

「ヨコシマ様なら、それでもヨコシマ様ならきっと童貞でも種付けする霊力を持っていても可笑しくない!!」

「そんな霊力いらんわー!!」

「しかし、ヨコシマ様の世界には処女受胎の実例があると……」

「それがなんじゃあ!? 何が悲しくて童貞で子持ちにならなあかんのや~! せめて一発やらせんかワレーー!!

「ふぎゃあふぎゃあああ!!」

「ああ! また赤ちゃんが泣きだしちゃいましたー!」

「ヨコシマ様ー!! 貴方という人はーー!!」

「俺か! 俺が悪いんかーー!?」

 

 こうして、赤ちゃん騒動は纏まるどころか、さらなる混乱を巻き起こすのだった。

 

 次の日。

 横島は朝早くから城へと向かっていた。正確には、冷たい視線に晒されて向かわされた。

 この赤ちゃんをどうするかの善後策を聞きに言ったのだ。

 一体どういうやり取りがあって横島の元に赤ちゃんが来たのか、送られた当人も分からないが、流石に第二詰め所で赤ちゃんを育てることにはならないだろう。今日中にはお別れだ。

 

 それは子供達にも分かって、名残を惜しむようにネリー達は、いや第二詰め所のスピリット全員が赤ちゃんに掛りきりだ。

 赤ちゃんが見せるふとした仕草に、全員がメロメロとなっている。子供たちは言うに及ばず、ハリオンやファーレーンも満面の笑みで、セリアやヒミカは弛む表情を必死に引き締めいている。ナナルゥは笑顔ではなかったが、真剣な目つきで赤ちゃんを観察していた。

 後数時間でお別れだから、全力で赤ちゃんを甘やかして笑顔を見ようと頑張っている。遊び食べをしてテーブルを汚す姿すら愛おしかった。

 しばらくして横島が帰ってきた。どこか渋い表情をしている。

 

「現在、戸籍調査や聞き込みを行っており、一週間ほどで親を探し出せるとの見込みだから、それまでの間は第二詰め所で面倒見る様にってお達しだ」

 

「……本当ですか? いえ、本気ですか?」

 

「ああ、本当で本気だ。人手が足りないんだとさ。ちゃんと、辞令を受け取ってきたぞ」

 

 わぁーー!!

 子供達が飛び上がって歓声をあげる。

 だが、大人達は表情を曇らせたままだ。

 

「……どういう事ですか? 戸籍調査は結構ですが、それ以前の問題として第二詰め所で子供を預かる理由になっていません。ここは託児所ではないのですよ」

 

 セリアの言い分は尤もだった。

 人間が遊びに来るぐらいは許容範囲だろうが、いくらなんでも赤ちゃんを預かるのは無茶苦茶だ。

 俺にも分からない、と横島はぶっちょう顔で言って横を向く。何かを隠しているのは誰にでも分かった。

 城で何かを知ったか、あるいは思い出したかしたのだろう。そして、理由は分からないが真実を口にしてはいけない事になったのだ。

 セリアは不満げに唇を尖らせる。

 

「……つまり、子供はちゃんと父親の元で育てろ、という事ですか」

 

「だから違うっての! そんなに俺が信用ならんか~!!」

 

「いいえ、信用してます。この人ならやりかねないという意味で」

 

「そんなん信用じゃないぞ!?」

 

 大仰な身振り手振りを交えながら横島は強く否定した。

 別にはセリア達も横島が父親であると思っているわけではない。また、適当な女に手を出したとも思ってはいない。

 多少恥ずかしくはあるのだが、横島が自分達に対して親愛と愛欲を向けてくれていると分かっている。それに意外と性的に一線を守っているのも知っている。最低限ではあるが常識や道義も、これはこれで持っている。

 間男になって子供を預けられたというのも考え辛い。

 だからこそ分からない。一体、どういう経緯でこの赤ちゃんは横島に預けられて、その理由をどうして横島が隠すのだろう。

 

「ヨコシマ様、本当にあの赤ちゃんの身元は分からないんですか」

 

 猜疑に満ちたセリアの瞳が横島に向けられる。

 この決定はいくらなんでも可笑しい。どうして戦闘部隊である第二詰め所のスピリット達で赤子を育てなければならないのか。人手が足りないなどという、世迷言を信じる奴がどれだけいるのだろう。精々、子供達が信じる程度だ。

 セリアの視線を真っ向から浴びて、横島は怯えたように後ずさりしたが、

 

「……この子は、しばらく第二詰め所で預かる」

 

 質問には答えずに、それだけをしっかりと宣言した。語気は弱弱しいが、そこには断固とした意思があった。

 基本的に弱腰の横島が、しつこく追求されてもこうまで頑固に主張するのだ。何か隠された事実があるのだろう。

 たとえば、この赤ちゃんは貴族の私生児が何かで、相続絡みで命を狙われたから安全の為に第二詰め所に置かれたとか。それなら情報を秘すのも分かる。

 だが、例えそうでも多少の事情はしゃべる筈だ。どうしてここまで黙秘するのか。

 

(何か負い目があるってことかしら。ヨコシマ様だけでなく……私達も?)

 

 ひょっとしたら、この赤子は先のスピリットの争いで親をなくしたのかもしれない。

 それも、最悪の場合は第二詰め所のスピリットの誰かが間接的にこの赤ちゃんの親をあやめてしまった可能性もある。

 横島は罪滅ぼしの為に赤ちゃんを預かることにしたのか。何にしてもこれはセリアの推論に過ぎないが。

 

「私たちは育児などしたことがない素人です。それに常に第二詰め所にいるわけでありません。まさか哨戒任務や訓練所にまで赤ちゃんを連れて行くなんて考えてませんよね?」

 

「その辺は考えてあるぞ。仕事については第三詰所にもある程度やってもらう事で、常に第二詰め所の人員を数名は赤ちゃんに当てる。育児に関してはプロフェッショナルを呼んであるから、一緒にやって覚えてもらう。もうそろそろ来るはずだ」

 

 相変わらず段取りは完璧だった。

 有能といえば有能だが、自らトラブルを起こして解決するのだから褒めようという気には一欠けらもならない。

 それにいくらなんでも、この短時間で完璧すぎる。家事の専門家を第二詰め所に送るなど、いくら横島でもたった数時間で手配できるわけがない。やはり何かあるのだろう。

 次にファーレーンが手を上げて横島に質問する。

 

「プロフェッショナルを呼んであるという事は、人がここに来るんですか?」

 

「ああ、赤ちゃんの扱いも家事も出来る人を呼んである。数日程度だけど皆も色々と勉強してくれな」

 

 ファーレーンの目に僅かな怯えが入った。

 外で仕事としてなら人間相手でも平気だが、日常の象徴である第二詰め所に見知らぬ人間が入り込むのは嫌なのだろう。

 それにファーレーンは心に弱い所がある。それが仮面を被る理由にも繋がっている。

 他に嫌がっているのはファーレーンの妹分であるニムントールだ。彼女も自分の領域に異物が入り込むのを好まない。

 それ以外のスピリット達は緊張がありつつも、少しずつ変わっていく日常に何かしらの期待があるようだ。

 

 少しして、赤ちゃんの世話役が来た。

 メイド服に身を包んだ、小さい老婆だ。

 シアーとほぼ同じぐらいの背丈だが、腰は曲げずにきちんと背筋を伸ばしている。

 短めの髪を頭の天辺あたりで団子のように纏めていた。

 切れ目でツリ目。さらに眼光は鋭く、相当怖そうに見えた。シアーやニムントールは思わず一歩下がってしまう。

 

「今日から皆様に赤ちゃんに関する知識一般を教えるノーラと言います。どうぞよろしくお願いします」

 

 口調は丁寧だが、僅かに威圧を感じる芯の通った声に、スピリット達の背筋がピンと伸びる。

 

「はっ! ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

 

 まず率先してセリアが代表のような形で前に出た。横島はこういった所がセリアの凄い所だと感じる。

 この老婆が果たしてスピリットに危害を与える存在ではないか見極めるため、そして危険な人物なら、その害を自分が引っかぶって他の皆を守るため、一番に率先して動く。

 ヒミカも同じように動くが、彼女は上下関係を重んじ人間に楯突くという事ができないので、やや反抗的なセリアの方がこの役目に合っているといえた。

 

「よし、それじゃあ今日の赤ちゃんの世話と勉強はセリアとネリーに頼む。ノーラさんに従ってくれ。

 ヒミカは俺と来てくれ。悠人とルルーと一緒に打ち合わせすっから。ファーレーンは第三詰所の哨戒を指導してくれ。

 後は訓練所に行って既定の訓練だ」

 

 横島が指示して、皆が一斉に動き出す。

 こうして一週間の育児体験が始まった。

 

 ちなみに、赤ちゃんを利用してスピリットの仲を深めようと考えた横島の企みは、

 

「ハリオンさん! これから町にお菓子でも食いに行かないか!」

 

「ごめんなさい~今日はこれから赤ちゃんを背負うおんぶ紐を作るから駄目なんです~」

 

「……ナナルゥさん! 町の広場で演奏会をやるみたいだから、俺と一緒に聴きにいかないか!?」

 

「それは命令でしょうか? これからノーラ様に子守唄を教えてもらうのですが」

 

「…………おいネリー! 暇だったらなんかして遊ばないか?」

 

「あーごめんなさいヨコシマ様。これから赤ちゃんと一緒にお昼寝するから」

 

「………………こ、こんの! 毛も生えていない分際で俺の第二詰所を奪いやがってーー!!」

 

「馬鹿な事を言っている暇があったら、すぐに赤ちゃん用のイスでも作ってください!」

 

 と、母が夫よりも子を重視する古来からの法則によって、あえなく失敗に終わった。

 

 次に育児と家事を教えに来たノーラだが、彼女はスピリット達から嫌われてはいなかった。しかし人気はなかった。

 彼女の指導は罵倒もなく制裁はない。しかし厳しく容赦がなかった。間違えたら出来るまでやらせる。無駄口も泣き言も許さない。ただ手を動かせと言ってくる。

 上手くできても当然と言った顔で、褒めることもしなかった。

 

 取っ付き辛い頑固婆さん。

 それが第一印象で、それは当たっていた。

 スピリットのみならず、人間相手にもノーラは容赦なく指導することで知られた鬼メイドだったのだ。

 

 その中でセリアは特に厳しい指導を受けていた。ちょっとしたミスも許さず、他のスピリットなら成功と言われるほどの仕事しても、セリアに関しては妥協を許さないのだ。

 そして、セリア自身も妥協しなかった。家事から育児全般の知識を、時間の許す限りノーラに付いて師事を受け続ける。

 どうしてここまで熱心なのか、ノーラ自身も不思議に思うほどだ。

 

「ふっふっふ。俺には分かってるぞ! 俺の為に花嫁修業してくれてるんだな! 横島感激ーーーー!!!!」

 

「ノーラ様、騒がしい男を黙らす手段を教えてもらえませんか」

 

「ふむ、では毒草を使用した秘伝の不能薬を教えよう」

 

「いやじゃ~! ノーラさんも、それはずっと秘伝にしておくべきでしょー!!」

 

 ノーラに深く刻まれたしわくちゃが、懐かしむような笑みに変わる。

 偏屈なノーラも、横島がいる時だけは微妙に表情が出ているようだった。

 

 数日が過ぎる。 

 

 居間では赤ちゃんと他のスピリット達がキャッキャッと楽しく騒いでいるのに、セリアとノーラだけが部屋で裁縫のやっていた。

 スピリット用の証書では、基本的に生活費必需品しか買えない。また、この世界では基本的に作れるものは自分で作るのが基本だった。

 赤ちゃん用の靴下をせっせとセリアは作り、ノーラに出来栄えを見てもらう。

 

「ダメだね。やり直し。材料無駄にしてるんだ。しっかり糧になさい」

 

 出来具合を見て、ノーラは一切の手心を加えず冷たく言い切る。

 

「はい」

 

 セリアもそれだけ言って、また作業を始める。

 

「うむ、よし」

 

 今度の出来栄えは満足するもので、ただそれだけを言った。

 

「指導ありがとうございます」

 

 セリアはお礼を言う。

 それだけで会話が止まり、しばしの沈黙が満ちる。

 和気あいあいとお喋りしたりはしない。事務的で淡々とした会話が二人のやり取りだった。

 

「……私はこういうやり方なのさ」

 

 ノーラはぽつりと言った。珍しい無駄口だ。

 そこには厳しい指導に対しての後ろめたさがある。

 悪い指導をしているとは思わないから、謝ろうとは思わない。自分はこう教えてもらったし、それが正しかったと信じている。

 だが別な言葉で言い換えると、どうしたら優しく楽しく指導できるか分からないとも言えた。

 

「いえ、非常に熱心な指導を授けてもらって感謝の言葉もありません」

 

 セリアはまっすぐに言い切る。

 それは皮肉ではなく本心だった。

 最低限の必須教育だけ受けて放置で育てられたセリアにとって、時間を割いてまでしてくれる熱意のある指導は厳しくも幸せだった。

 その言葉にノーラの目じりが下がった。彼女は給仕のまとめ役として張り切っていたが、厳しい指導とやや偏屈な所からか周りから陰口を良く叩かれていたのだ。

 仕事もできないくせに口だけは一丁前と、ノーラは陰口をたたく連中を見下したが、それでも寂しさは感じていた。

 そこに真面目で熱心なスピリットが表れて指導に感謝をしてくれる。どこか救われるような気持になっていた。

 そしてノーラは理解した。どうしてセリアに対して特に厳しくするのか。それはセリアの真面目と不器用さが、どこか自分に重なるからだ。

 

「セリア、この調子で仕事を覚えておくれ。そうしたら駄目な奴らに『あんたらはスピリットよりも家事ができないんだねえ』って言ってやれるよ。私も若いころはあんたみたいに年長者に感謝したものだけど、今の若い者はねえ」

 

 年寄りの伝家の宝刀『俺の若い頃は』の発動だ。ノーラはセリアに親しみを感じたらしい。心に堪った淀みを、愚痴として吐き出し始める。

 その切れ味の前にセリアは撤退することも立ち向かうこともできず、ただ曖昧な笑顔を作りながら相槌を打つという苦行を強いられることとなった。

 何はともあれ仲は良くなって、今後困ったときにノーラは生活の知恵袋として、また年長者として頼りになる人となる。

 

 それから数日が経過した。

 

 その日、セリアは一人で第二詰所の番をしながらのんびりと赤ちゃんの世話をしていた。

 いや、のんびりと言うのは語弊があるだろう。それは戦いだった。

 本来なら数人がかりで赤ちゃんの世話を見るのだが、手違いでセリア一人で見ることになったのだ。

 

 家事をしながら赤ちゃんの世話をする。言葉にするのは簡単だ。だが、それがどれほど大変かは経験しなければ分からないだろう。

 幸いにもおんぶ紐のおかげで両手は空いているから、後ろでおぶったまま行動は出来る。

 しかし赤ちゃんはセリアのポニーテールをいたく気に入ったようで、とにかく引っ張りまくった。

 グキ、ゴキ、グキ、ゴギィ!

 セリアの首と赤ちゃんのわんぱくとの決戦は続き、セリアは何度もコキャッとなった。

 

 首の痛みをこらえつつ、ようやく食事の下準備も終わり赤ちゃんだけに集中できると思ったら、気づけばスヤスヤと眠っていた。

 先ほどまで暴れに暴れて泣いていたのに、ほんの数分で電池が切れたようにこたっと寝付く赤ちゃん。

 セリアは神秘を前にしたようにほうっと息を吐いて、抱っこしたまま深く椅子に腰かける。

 

「どうしてこんなにほっぺが柔らかいのかしら」

 

 ぷにぷにと頬をつつくと、すべすべで柔らかく、それでいて張りがある。

 男の肌とも、女の肌とも違う、赤ちゃんの肌。天使が存在するのなら、きっとこういう肌をしているのだろう。

 

「貴方はヨコシマ様みたいになっちゃだめでちゅよ~」

 

 自分で言った赤ちゃん言葉が凄く恥ずかしい。でも、この寝顔を見ていると、どうしてもほんわかしてしまうのだ。

 散々苦労したのに、この寝顔を見るだけで満足してしまうのだから、何だか割に合わないようで悔しかった。

 

「えいえい」

 

 ぷにぷにとほっぺたをつっつく。

 夢でも見ているのか、赤ちゃんが小さく笑った。たまらなく可愛い。

 

「えいえーい」

 

 ぷにぷにぷにぷに。

 優しく突いていたが、流石に突っつきすぎたのか赤ちゃんが目覚めそうな気配がして、慌ててセリアは赤ちゃんを抱きかかえるとゆらゆらとゆする。

 そうすると、またゆっくり眠りの気配に入っていってセリアは胸をなでおろした。

 

「ごめんね、起こしかけちゃって」

 

「随分と一生懸命なんだな」

 

「初めての事です。必死にもなります。それに、頑張った甲斐は十分ありました」

 

 この寝顔の為なら、それこそ何だって出来る。

 そう思わせてしまうものを赤ちゃんは持っているのだ。

 

「そうかもな」

 

 悠人は笑いながら、ここ一年で十回は皮の剥けた指先で赤ちゃんのほっぺたをつっつく。

 未だに豆を破り続ける未熟な悠人の指で、あの柔らかいほっぺが傷つかないか、セリアは少し心配になった。

 せっかく寝かしつけたのにまた起きないかも不安になったが、セリア自身も先ほどぷにぷにしたし、また赤ちゃんの肌を自慢したいので悠人を止められない。

 

「本当に可愛いな」

 

「はい。人間にどう思われても気にしない……そう気を張っていますが、この子に嫌われたら……きっと辛いです」

 

「これだけ愛情を込めているんだ。嫌うなんて事はあるはずないさ」

 

 そうであってほしい。セリアは心の底からそう願って、次の瞬間にはっとした。

 いつのまにか悠人がいる。

 別に悠人がここにいるのはいい。重要なのは、『いつ』からここにのだろう。

 

「ゆ、ユート様? い、いつから、ここに?」

 

 その質問に、悠人はすこしバツが悪そうに答える。

 

「『ヨコシマ様みたいになっちゃだめでちゅよ~』から……ごめん。どうも声が掛けづらくて」

 

 最悪だ。まさか一番見られたくない所を見られてしまうとは。

 一体自分は先ほどまで何をして、何を言っていた?

 『えいえーい』なんて可愛い声で言ってたような気がする。さらには赤ちゃん言葉を使っていた。

 恥ずかしさのあまり、セリアの頬がリンゴのようになった。

 

「忘れて……忘れてください。あんな似合ってない言葉遣いなんて」

 

「いや、そんな事無いぞ。随分と似合ってた……母親みたいな」

 

「そんな事言われても……ああもう!」

 

 どうして皆そう言うのだろうか。母親なんて経験したことがない。

 ただ、自分が欲しかった愛情やその他諸々を、少しでもこの子に注ぎたい。ただそれだけの事なのだ。

 

「将来は保母さんなんて似合うかもな」

 

 悠人が特に含みも持たずにさらりと言った。純粋に似合うと思っているのだろう。

 だが、セリアはそんな悠人の言葉に険悪感を持った。

 ありえない未来を聞かされて、心が氷のように冷えていく。

 

「スピリットが保母なんてありえないわ」

 

「でも、今ちゃんとあやしてるだろ。戦争が終わったら可能じゃないか?」

 

「これは例外です。本来ならありえません。こんなことになったのは、またヨコシマ様がバカなことをしでかしたからでしょう」

 

「横島なら毎回バカなことをやるから、案外またやることになるかもしれないぞ」

 

 冗談のように悠人が言った。

 セリアも笑い返そうとしたが、それがまるで冗談になっていないことに気づいてしまう。

 

「ユート様、冗談になっていません」

「いや、すまん」

 

 悠人は素直に謝罪した。

 そんな風に謝罪されると、本当になる気がするじゃないですか!

 思わずそんな文句を言いそうになったが、何とか言葉を飲み込む。これ以上、何かを言うのは本当に危険と頭が警告を発していた。

 

「まあ、ともかくだ。常識なんて変わるって事を言いたかったんだ。人もスピリットもきっと変わっていく……いや、もう変わり始めているな。戦闘奴隷なんて立場は無くなると思うぞ。

 例えばアセリアなんて絵画や彫刻なんてかなりのレベルだから、芸術家になれるかもしれないな。それに料理も家事もどんどん出来る様になっているから、良い母親になれるかもしれないぞ」

 

 ――――あのアセリアが良い母親になる?

 

 スピリットが母親になるというのも狂気であるが、まさかあのアセリアが言われるとは。

 

 馬鹿なことを、と否定するのは簡単だが、男性である悠人が良い母親になるといったのだ。男の立場から見て、アセリアは魅力的に見えるのだろうか。

 セリアは答えず沈黙した。肯定も否定もしたくなかった。

 その光景が見たいような、見たくないような。変わっていくことの興味と恐怖が同時に襲い掛かってくる。

 

「どうしたセリア?」

 

 黙りこんだセリアにどうかしたのかと悠人が聞いて、セリアは我に返る。

 どこか間の抜けた顔の悠人に少し腹が立って悪戯をすることにした。

 

「いえ、何でもありません。それにしてもユート様、良い母親になれるというのは、もしかしてアセリアを伴侶として迎えたいということですか?」

 

「え!? いやそこまで言っているわけじゃなくてな!」

 

「へえ、随分とアセリアを買っているようでけど。確かに随分と料理ができるようになったらしいですが、もしや貴方が花嫁修業でもさせているとか?」

 

「う、あ……そういうことじゃ無くて……そうだ! 俺は横島に用があったんだ。じゃあな、セリア」

 

 顔を赤くして逃げるように去っていく悠人に、セリアは声を殺して笑った。

 どうやら恋愛に関して奥手で苦手な様子だから、当分はアセリアと何かしらの発展はないだろう。

 しかしそれにしてもあのアセリアが、男性に良い母親になれると言われるなんて――――

 

 私には関係ない。私の手は血で汚れている。私の手は神剣を握るためにある。

 安易な希望を持って後々苦しまないために、セリアは自身に言い聞かせて心を冷やす。

 そこに、一人の老女が近づいてきた。

 

「あ、ノーラ様」

 

「ふむ、赤ちゃんは寝ているようですね……セリア。今日はテーブルマナーを教えましょう。家事はもとより、礼節を身に着けることは将来間違いなく役に立つでしょうから。そして貴女が身に着けたことを、他のスピリットに伝えていきなさい」

 

「了解しました。よろしくお願いします」

 

 心の中でどれだけ理由をつけながら未来を否定をしていても、セリアは黙々と人間社会に出る為の技能を身につけようと行動していた。

 

 それから数日が立った。

 今日が赤ちゃんを預かる期限の一週間目、最終日だ。

 誰もが不安と期待を隠せなかった。 

 一体この赤ちゃんはどうなるのか。どのような人が面倒を見るのだろう。しっかりと世話をしてくれるのか。

 ひょっとしたらこのまま第二詰所で暮らせないか。

 

 そんな期待は、あっさり砕けた。

 第二詰所の玄関に設置された呼び鈴がなった。扉を開けると、そこには一人の女性の姿があった。

 年齢は二十歳程度で横島より少し上ぐらいだろう。パッチリした目と短髪で若々しく元気な印象を受けるが、よくよく見ると肌や髪の艶がなく、手も荒れている。

 この女性が出す雰囲気は、苦労知らずには出せない円熟味があった。

 勝気な少女が母となり苦労を重ねて色々とまろくなった。そんな印象を受ける。そしてそれは当たっていた。

 

「こんにちわ。タダオ君」

 

「お久しぶりっす!」

 

「今日は飛び掛かってこないのね」

 

「いつも飛び掛かってるわけじゃないっすよ!」

 

「どうだか」

 

 女性はさばさばした様子で横島に軽口を叩き、横島は苦笑いを浮かべながらも楽しそうに対応した。

 居間に女性を通すと、赤ちゃんを抱いたネリーに目をやって手を伸ばそうとしたが、今はそうすべきじゃないと手を引っ込めてセリア達に向き合う。

 それを見た横島は、まず女性の紹介をスピリット達に始めた。

 

「この人が赤ちゃんの母親のルイーズさんだ」

 

「ルイーズと言います。このたびは色々とお世話になりました」

 

 ルイーズはぺこりと頭を下げた。スピリット達も頭を下げる。

 聞きたいことは沢山あった。とにかく事の経緯を教えてもらわねばならない。

 

「ヨコシマ様、この方とそして一体何があったのか……説明をしてくれますね」

 

「あら、タダオ君。説明してないの?」

 

「まあ、変な同情とか先入観で世話してほしくなかったんで」

 

「単純に馬鹿な出会いを話したくなかっただけじゃない?」

 

 ジトーと横島を睨むルイーズ。横島は「なはは」とごまかすように笑みを浮かべる。

 ルイーズは「まったく!」と呆れたように言ってから、事の経緯を話し始めた。

 

「そうですね……事の始まりはイ―スペリアがサルドバルトに仕掛けた戦争です。

 私達はイースペリアに住んでいたんですが……数か月前のあの爆発で良人も家も仕事も失ってしまったのです。私とこの子はたまたま離れていて無事でした」

 

 以前のセリアの予想は確信を付いていた。

 この子の親はラキオスによって殺されたのだ。世間一般ではイースペリアの裏切り、そして自爆という形になっている。

 

 だが真実は。

 

 裏切りについては王の欲望と、横島にしか知らされていないがソーマという男が調教したスピリットが原因だ。

 そしてマナ消失爆発については、横島達がエーテル変換施設を暴走させたのが真相だった。

 イースペリアはラキオスの被害者でしかない。

 

 勿論、この事は緘口令がしかれてスピリット達は何も口に出来ず謝る事すらできない。

 真実は闇に消え、悪いのは全てイースペリアだというのが歴史となった。そうしなければ、ラキオスが滅びてしまう。

 

「イースペリアでは生活できないので、遠縁を頼ってラキオスに来て生活を始めたんですけど、この間の襲撃でその方も亡くなってしまいました。完全に天涯孤独なってしまって」

 

 ラキオスの戦いに巻き込まれて一文無しになり、しかも親類知人が全滅してしまったのだ。

 予想以上の悲惨さに全員の表情が沈痛な面持ちとなる。

 

「国からの支援は受けられないのですか?」

 

「……私はイースペリアからの難民でしたから」

 

 イースペリアは龍の魂同盟の裏切り者。

 その国民である以上、風当たりはどうしても大きかった。

 職に就くのは難しく、心の無い言葉をぶつけられたのも一度や二度ではない。

 

 レスティーナもイースペリア国民を厚遇することは立場上不可能だった。

 可能な限り偏見や差別をなくそうとしていたが、いくら法を整えようと、理屈を唱えようと、人の心から恨みを消すには幾ばくかの時間は必要だ。

 この母子にとって、その幾ばくかの時間が命取りとなってしまうのだった。

 

「なぜアズマリア女王は裏切りなど……」

 

 疑問と、それ以上に恨み辛みが込められた呟きだった。

 

 ごめんなさい。本当にごめんなさい。

 

 セリア達は心の中で謝る。

 彼女らは何も知らされずにいたから野望の手足に過ぎなかった。

 それでも渦中の当事者である以上、何の罪もないと胸を張れるものはいない。

 だから心中で謝る。今の彼女達にはそれしか出来なかった。

 

 ――――頼むから疑問に思わんでくれ。

 

 横島だけは必死にそう思った。

 万が一、ラキオスが怪しいなどと思い真実に近づいて、そう吹聴でもされたら、女王レスティーナは鬼となってルイーズをどこともない暗黒に消さざるを得なくなる。

 イ―スペリアの人々にどれだけ無念の思いがあろうと、レスティーナ自身と彼らの安全のためにも真実を明らかにするわけにはいかないのだ。

 

「あの人には申し訳ないけれど、もう実入りが良い仕事でもするしかないのかなって、公園で泣い……落ち込んでる時にタダオ君に会ったんです」

 

「そうなんすよ! とても困ってるみたいなんで、そこで俺が話を聞いてやって助けてやらなければと!」

 

「さすがヨコシマ様ですね。優しくて行動力があります!」

 

 ファーレーンが興奮したように横島を称賛する。

 すると、ルイーズはにっこりと笑った。

 

「『そこの巨乳で美人なおねーさーん! ちょっとお茶でも飲みませんかーってこぶつきかーい!! 期待させおって~いくら俺でも人妻は無理だぞくそ~!』だっけ。

 はあ~崖っぷちに居る人間に、よくもまあ好き放題言ってくれたわねー!」

 

「いや~言わんといてくれー! というか巨乳は言ってなかったような……ひぃ、なんでもないっす!!」

 

 母親は怒ったように目を吊り上げながら、しかし楽しそうに横島の行動を言葉に出して彼を弄る。セリア達はただ頭を抱えた。

 最悪だ。最悪というしかない。絶望の最中に母子に対して、あまりに無遠慮で配慮を欠いた行動だった。子供達すらも軽蔑したような目を横島に送る。

 それでもファーレーンとヘリオンだけは、きっと慰めるためにわざと道化を演じたのだ、と信じていたが。

 

「子持ちをナンパするなんて……それに何て無思慮な……本当に、本当に私達のヨコシマが迷惑を掛けてすいません!」

 

 身内の恥に、ヒミカが何度も頭を下げる。他のスピリット達も頭を下げた。

 頭を下げて謝るスピリット達に、ルイーズは幾度か頷いて見せた。

 

「そう、本当に最悪。人が苦しんでいる時にあんな能天気で馬鹿そうな顔で笑いかけてきて……しかもボコボコにしたらすごい情けない顔で謝って……かと思ったら傷が治ってて……思い出すと何だか可笑しくて笑いそうになるほどよ。

 だけど、まあ昔の血が蘇ったのか、久しぶりに怒って殴って蹴って、タダオ君とは関係ない事まで怒りを爆発させて最高のストレス解消になりましたから」

 

 その時を思い出したのか、ルイーズは肩を怒らせて拳を振り回す。

 もう勘弁してくれ、と横島は泣きべそだ。それを見てルイーズは犬歯を光らせて笑う。

 怒りと親しみを混ぜ合わせたような感情が目に宿っていて、それでスピリット達は察した。

 あくまで結果論であって、出会いは到底褒められないが、何はともあれ横島はルイーズを元気にしたのだ。

 

「それで、慰謝料として就職の口利きを頼んだんです。誰かに何かを頼むって好きじゃないけど、この人からなら容赦無く絞りつくしてやろうって」

 

「うう、どうしていつもこんな女傑ばかり……まあいいけど。それで就職の口利きをやっておいたんだ。それと、いつでも赤ちゃんの世話を受けるって約束したわけだ」

 

 ――――その約束を完全に忘れてたくせに。

 

 スピリット達の呆れの視線が横島に突き刺さる。

 これにはヘリオンとファーレーンも参加した。

 

「ただ紹介してもらった就職先が首都から少し離れた郊外にあって、身軽に動く為に少しこの子が邪魔だったんです。面接だけで採用は決まっていたわけでもないので……それに」

 

 そこから先は言葉にしなかったが、実はもしこれで職が決まらなかったら、このまま赤ちゃんは横島達に預けるつもりだった。

 金もないし頼れる友人もいない。割のいい仕事はいつ病気になるか暴力を振るわれるかも分からない。

 自分が倒れたら、もう赤ちゃんも死ぬしかない。だからもしも就職が決まらなかったら、一旦横島に赤ちゃんを預けて余裕が出来たら引き取りに来ようと計画した。

 横島なら優しいし、これで立場もあるから赤ちゃんの命だけは助かるとも考えがあった。それは杞憂に終わったが。

 

「しかしよく、このヨコシマ様に預けようと思いましたね」

 

「ちょっと違いますね。正確には、タダオ君と皆さんにです。

 タダオ君から皆さんの事を聞いて、町でスピリットに関する話を聞いて、それで預けても大丈夫と判断したんですよ。いくら彼が信頼できても、それだけで預けられるわけありませんもの」

 

 ルイーズは好意的な視線をスピリット達に向ける。軽蔑や侮蔑はあっても、信頼と好意という滅多にされない視線に、セリア達はむず痒い思いをして視線を逸らした。

 先ほどからルイーズは、自己紹介したわけでもないのにセリアやヒミカの名をしっかりと呼んでいる。

 十分に第二詰所という存在を下調べして、絶対に信頼できると判断してから赤ちゃんを預けたのだ。

 

「よし、それじゃあ赤ちゃんを返さないとな。ネリー、渡してやれ」

 

 赤ちゃんを抱っこしていたのはネリーだった。

 しかし、ネリーは赤ちゃんを離そうとはしなかった。

 いやいやと首を横に振って、ひしとして赤ちゃんを抱きしめ続ける。

 だが、そこで赤ちゃんが暴れはじめた。

 

「あーあー!」

 

「うう、何で暴れるの。ほら、いないいないばー! 高い高いー!」

 

 ネリーは必死にあやしながら抱っこしたが、赤ちゃんは激しく暴れながら母に手を伸ばし続ける。

 今までは母親がいないからネリー達に抱かれていたのだ。本来の絶対的なぬくもりがすぐそこにあるのなら、薄情な言い方になってしまうが、赤子にとってネリーは必要なくなってしまったのだ。

 

「おい、ネリー。何やってんだ、さっさと赤ちゃんを渡せって」

「……ヨコシマ様~もう少しだけ待っていてください~お母さんもお願いします~」

 

 ハリオンが真剣に言うと、横島は黙り込むんで見守ることにした。

 暴れる赤ちゃんを必死にあやすネリー。ルイーズも何も言わずにはじっとネリーを見つめ続けた。

 

「うっ……くう……はい」

 

 とうとう泣き続ける赤ちゃんが可哀想になって、ネリーはぬくもりを渡した。途端に赤ちゃんが泣き止む。

 我が子を抱っこする母親を見て、そこにいる誰もがほうっと息を吐いた。

 あるべき姿がそこにある。どこにでもある当たり前で、自然の光景。だがこの光景こそ、何より尊いものであると誰もが理解できた。

 悔しさからか俯くネリーに、ルイーズは優しく微笑みかけた。

 

「ネリーちゃん。この子を守ってくれてありがとう」

 

 優しく礼を言われたネリーは、怒った様に目を吊り上げて猛然と顔を上げた。

 

「そんなの当たり前でしょ! こんない小さくて可愛いんだよ! 守るに決まってるよ!!」

 

「こ、こら! 何を興奮してるの! 申し訳ありません、無礼な言葉遣いでこんな事を」

 

 そんなネリーの姿にルイーズは微笑む。

 本当に赤ちゃんを愛してくれていたのだと分かって嬉しかった。

 たとえ天涯孤独になってしまったとして、また新たな絆を結ぶことはできる。

 

「皆さんに出会えてよかった。色々と大変だけど、私とこの子はまだマシなほうです。

 私はこれから声を大きくして周りに言います。スピリットは戦闘奴隷なんかじゃないと。私たちと同じ、誰かを愛して愛される事ができる、尊敬すべき友になれると」

 

 強く言うルイーズに、セリア達は泣きそうになった。

 自分たちの意思と考えを尊重してくれる友が生まれてくれたのだ。

 それだけで十分だと、スピリット達は思った。

 

「ダメです。それを言ってはダメなんです」

 

「どうして? 私と友達になるのは嫌?」

 

「とんでもありません。非常に嬉しくて……もう泣きたいくらいです。

 ですが、スピリットと友達というのは良くありません。貴女の手には、小さな命があります。もしも次の職場を追われたら、この子はどうなりますか?」

 

 ヒミカは、この世界の常識を語る。

 スピリットとは世界で最も嫌われた存在だ。首都ラキオスでは随分とその評価は覆されてきたが、それでも郊外ではまだスピリット汚らしいとされている。

 レスティーナや横島の影響が少ないほど、スピリットへの風当たりは強い。

 母親の表情が曇った。スピリットと友達になりたいのは確かだが、自分だけでなく生活と子供が絡んでくると、おいそれと頷くことはできない。

 

「公言しなければ良いのでは。表向きはスピリットを批判して、内心は私たちを友と見てくれる。私は、それで十分……嬉しいです」

 

 珍しくナナルゥが語る。

 他のスピリットもその言葉に頷いたが、

 

「私が嫌です。どうして友達を批判しなければいけないの!」

 

 ルイーズが難色を示した。

 元々が勝気で言いたいことをはっきり言う性質だから、陰口を嫌う性質なのだ。

 

「気にしないで言いたいことを言えばいいさ。私が今度の職場での長で、私も同じ気持ちだからね。あんたは私が守ってやるよ」

 

 沈黙を保っていたノーラが声をかけた。

 横島を除く皆が驚いようにノーラを見た。

 

「ふん、陰口を叩いてくるような連中何て気にしてもしょうがないさ。それに、別段スピリットと友になっても法律で罰せられることは無い。言いたいことは言ってやりな!」

 

 皺くちゃの顔に不敵が宿る。ルイーズも同じように笑った。

 慌てたのはセリア達の方だ。

 

「ノ、ノーラ様! それでは貴女が!」

 

「ふん、言いたい奴らには言わせておけばいいのさ。それに」

 

 ノーラは言葉を切って、横島を見つめる。

 

「ヨコシマさん、スピリットの評価がどうなるか、貴方の手腕も問われてくるでしょう。貴方がラキオスに良き結果を出せば、私もルイーズも胸を張ることができます」

 

「ああ、任せてくれ! 世界の一つや二つ変えて見せるさ……そうして」

 

「そうして?」

 

「最高の女(スピリット)を何人も侍らしながら街を歩いて、周囲の男どもに見せびらかしてやるんじゃあ~うははは!」

 

「何て情けない理由で」

 

「馬鹿」

 

 世界を変えると格好良い事を言いつつも、その本心は俗物でエロな横島にスピリット達は軽蔑の目を向けるが、しかし安心もしていた。

 この煩悩男が高潔で高尚な想いでスピリットをどうにかしようと考えていたのならば、嬉しい以上に寂しいとも感じただろう。

 スピリット達がため息や笑いで横島を見守る中、ノーラとルイーズは懐かしいものを見るような目で横島を見つめ、次にスピリットを見た。

 

 ――――さっさと抱かれないと後悔するかもしれないのに。

 

 意地を張って得られなかったノーラや、唐突に夫を失ったルイーズとしては、現状に満足しきっている第二詰所をもどかしく感じた。

 だが、それをとやかく言うと、また変な意地を張ることがあると当人が身をもって理解しているので、何も言うことができない。

 青く未熟な若人達に、ノーラとルイーズは視線を交わして肩をすくめあった。

 

「まあ、なるようになるさね。それじゃあルイーズと言ったね。仕事場に案内するよ。色々と叩き込んでやるからね」

 

「はい、よろしくお願いします。それじゃあ、私達はいきます。

 ネリーちゃん、それに他の皆さん。ついでにタダオ君も、いつでもこの子に会いに来て。この子もきっと歓迎するわ」

 

「あ……うん! 遊びに行くね! 絶対ぜったぁ~い行くからね!!」

 

 去っていく母子に手を振り続けるスピリット達。

 

 母と子の二人。

 本当ならば、あの二人の傍らにはもう一人いるはずなのだ。

 母子を守る男性の姿が横に居るはず。だが、そこは空白で埋められてしまった。

 

「ニム達がもっと頑張っていたら、こんな事にならなかったのかな」

 

 悔しそうに言う二ムントールの言葉に皆が視線を落とした。

 出来ることと出来ないことがある。負う責任と負わなくとも良い責任がある。これはスピリット達の責任ではないだろう。

 それを理解していても、あの母子の姿を見て、今後の苦労を思うと考えざるを得なかった。

 

「俺らがやれるのは、これからあの二人が安心して暮らせるように国を守る事だな。敵が神剣使いなら、守れるのは俺たちだけなんだから」

 

 珍しく凛々しい表情で横島が言って、スピリット達も神妙に頷いた。

 とまあ、良い感じで話が終わりそうな気配であったが、どうしてもオチついてしまうのが横島が存在する場合の特色と言うもので。

 

「ヨコシマ様! ネリー、欲しいものがあるんだけど」

 

「……物凄く嫌な予感がするけど言ってよし!」

 

「ネリーね、赤ちゃんが欲しい!」

 

「やっぱりかー!!」

 

 正しくお約束だった。大人たちは顔を見合わせる。

 まだ子供と言っても、人間なら子供も作れる年齢に達しているし、ここ最近はシアー以外の胸も膨らみ始めている。

 戦争のせいで早々に教育を打ち切られたネリー達にとって、これからの教育は大切だ。特にこれからは人間の男児と遊ぶことも考えると、性を勉強しないと大変なことになる可能性がある。

 かと言って、気軽に教えるのは難しい。

 

「あ、ああそうだな。実は、結婚して仲良くなると出来るんだ」

 

「嘘! そんなんで騙されるほど、ネリーは子供じゃないんだから!!」

 

 以前なら騙されてくれたのに。

 横島は困ったものだと途方に暮れた。

 子供だましに引っかかるほど子供ではなく、かといって全部知っているほど大人でもない。

 難しい年頃に際しかかってきたのだと実感する。元から十八歳以上だけど。

 

「ネリー、良く聞いて。スピリットには子供は産めないの」

 

 セリアが静かに現実を言った。

 子供を作る行為は出来ても、子供は授かれない。

 それはスピリットの歴史の中で確定された事実だ。

 

 家庭を持つことも、命を残すことも出来ない。

 ただただ神剣を振るって同族を殺すだけの人生。それが奴隷戦闘種族スピリットの定め……だった。

 ここ最近は少しずつ変化してきている。剣を振ることだけでない未来があるかもしれない。人と愛し合う未来もあるかもしれない。

 しかし、それでも種族的な特性から逃げられない。それがスピリットという存在の定め――――――

 

「でも~ヨコシマ様が相手なら産めそうな気もしますねえ~」

 

 スピリット達の暗い雰囲気をものともせずに、ハリオンが相変わらずのんびりと言った。

 

「何言ってるの。いくらヨコシマ様でも……ヨコシマ様なら……」

 

 ヒミカが馬鹿らしいと言おうとして、途中で言葉を詰まらせる。

 何とも微妙な沈黙が流れた

 スピリットに子供は産めない。

 それは道理だ。だが、この男相手に道理云々を言うのは間違いだ。

 何が起こっても不思議ではない。いや、むしろ起こすだろう。

 

「いやまあ、俺は何が何でも子供作るけど」

 

 平然と、当たり前の様に横島は答えた。子供を作ることは横島からすれば当然だ。

 女として愛した人を、今度は子供として愛する。そして幸せにする。

 これは決定事項であり、何が何でも果たさなければいけない使命である。

 

 横島の事情を知らぬスピリット達に、この言葉は強力すぎた。

 何が何でも子供を作る。

 横島がそう言ったのなら、スピリット相手だろうと理屈抜きで子供を作るだろう。幾人のスピリットの目がキラリと光った。

 子供が欲しい。

 ここ数日、赤ちゃんの世話を始めて、そう思わなかったスピリットは皆無だった。

 ナナルゥやニムですら、無邪気な笑みを浮かべる赤子に心動かずに入られなかったのだ。

 

「きっと子供の秘密はネリー達にない股の棒と玉にあるんでしょ!」

 

「朝におおきくなるのも関係あるのかな~」

 

「う~ん、マリオン様は教えてくれたんですけど、たぶん冗談なんですよね。入るわけないですし」

 

「ヨコシマはあんまりいらないけど、子供だけは欲しい」

 

「誰かー助けてくれー!」

 

 子供達からの無垢アタックに横島は悲鳴を上げる。

 

「助けてと言われましても。そこは『うっしっしっし! 俺が実戦で教えてやるぜ!!』とやったらどうでしょう」

 

「俺はロリコンじゃないっすよ!!」

 

「そうですよナナルゥさん~ヨコシマ様は『うっしっしっし!』なんて鳴かないですよ~」

 

「否定してほしいのはそこじゃねえよ!!」

 

 いつも以上に騒がしい第二詰め所の騒動。

 その中でセリアは一人窓際に立って、ここではないどこかを見ていた。

 振り向けば後ろ髪をグイグイと引っ張る赤ちゃんが背中に張り付いている気がする。

 

 ――――この子はまだ幸せな方です。

 

 ルイーズの言った言葉が蘇る。

 父も母もいない子供が今のラキオスには大勢いるのだろう。孤児院とてどれほどあるのか分かったものではない。彼らは教育も愛情も受け取れず育っていくのだろうか。そもそも生きていけるのか。

 もしも――――もしもであるが、保母になるのならポニーテイルを切ったほうが良いのかもしれない。

 

「そんな未来なんて」

 

 スピリットにはあり得ない未来。

 だが、今この目の前にある光景は、この幸せは、本来ならあり得ないもの。

 

「期待……しちゃおうかな。その時には手伝って……ね」

 

 子供達にまとわりつかれる横島を見ながら、セリアは恥ずかしそうに呟いた。

 

 



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第二十六話 日常編その6 小ネタ集

 永遠の煩悩者 日常編その6

 

 小ネタ集

 

 

 ヒミカとファーレーンの事情。

 

 その日、横島がリビングに行くと、ヒミカが椅子に腰かけて手帳を見ていた。

 何か悩んでいるようで、唸りながら手帳を見つめている。

 

「お、何見てんだヒミカ」

 

「……ヨコシマ様、聞きたいことがあるのですが……時間は大丈夫ですか?」

 

 割と真剣な表情なので、横島も真面目に頷く。

 

「ああ、大丈夫だけど」

 

「ありがとうございます。では……何故、どうして、貴方はファーレーンにはセクハラをしないのですか?」

 

「……は?」

 

 意図の分からない唐突な質問に、横島は頭上にクエッションマークを浮かべる。ヒミカは険しい表情のまま、横島の眼前に手帳を突きつけた。

 ヒミカの手帳には、セリア、ヒミカ、ナナルゥ、ハリオン、ファーレーンの名前が記され、その名前の横にいくつかのペケマークがある。

 一番マークが多いのはヒミカだった。

 

「これは、ヨコシマ様が私達に……その、ふしだらな悪戯というか……過剰なスキンシップを行ってきた回数です。私が見た所、ファーレーンだけはまったくセクハラされていないのです」

 

 手帳には確かにファーレーンの欄だけが空白だった。実際、横島もファーレーンにセクハラした記憶は無い。

 唯一あったのは、彼女に抱きかかえられて運ばれたときぐらいだろうか。それも、大したことはなかった。

 ヒミカにとって、この事態は予想を覆されるものだった。

 ファーレーンが来たらセクハラ仲間が増えて、自分に対するセクハラが減るだろう。そう考えていたのだ。

 だが、その考えは否定された。ファーレーンは何故かセクハラされず、むしろ自分に対するセクハラがさらに増えたのだ。

 

「前にも言いましたが、私と淫らな行為をしたいなら『命令』してください」

 

「う~ん、やっぱり命令で無理やりってのは……何だかなあ。まず愛がねえと」

 

「そんな気持ちで、どうしてセクハラするんですかーーーー!!」

 

「ヒミカは俺に死ねと言うのか!」

 

「セクハラしなくちゃ死ぬような生命体なんて死んじゃえばいいのよ!」

 

 中々に過激な事を言うヒミカだが、それだけストレスが溜まっているのだろう。

 敬語も態度も平時に比べてぶっ飛んでいる。

 

「とにかく、ファーレーンにセクハラするか、もしくは私へのセクハラをやめるか、二つに一つです!」

 

 何だかとても不思議な選択を迫られた。

 セクハラか、あるいはノットセクハラか。

 横島はしばし考えた後、仰々しく頷いてみせた。

 

「分かった! 俺はファーレーンにもセクハラをするぞ! ここでヘタレたら俺じゃない!!」

 

「それでこそ私のヨコシマ様! さあ、ファーレーンは台所にいます。前から後ろからレッツセクハラです!!」

 

「ありがとう、ヒミカ! セクハラを応援されるのは生まれて初めてだぞ!」

 

「ええ、私も初めてです!!」

 

 二人はガシッと強く握手をする。

 セクハラする者。それを応援する者。

 二人の間には他者が入り込めない友情が結ばれたようだ。

 横島はのっしのっしと大股開きでファーレーンに向かっていく。後ろでは「がんばれーセクハラー」とヒミカがエールを送っていた。

 

 ファーレーンは台所で包丁を持って何かしらの料理を作っていた。まだ食事時ではないので、簡単な軽食でも作ろうとしているらしい。

 こっそりと後ろから近づくと、背徳からかドキドキと胸が高鳴った。あのファーレーンにセクハラするというのかどうにも興奮する。

 

「あ、ヨコシマ様ですか。今は火を使っているので手が放せなくて……」

 

 ファーレーンは背後で気配を殺し、声も掛けてこない横島を警戒していなかった。

 これがヒミカやせリアなら、セクハラを警戒して簡単には後ろを取らせないだろう。

 覚悟を決めて、後ろから無防備な肢体をギュッと抱きしめる。

 

(おおおお~柔らかくて暖かくて良い匂いじゃあーー!!)

 

 内心で歓喜の声を上げる横島。対するファーレーンはビクンと体を震わせたが、抵抗することも無く、そのまま硬直してしまう。

 流石に泣かれたり、本気で嫌がられたら、すぐに土下座しよう。そして頭を壁にぶつけて血だるまになろう。

 そんな風に考えながら、ファーレーンの柔らかい体を堪能する。とはいっても手は肩とお腹に回しただけで、胸やお尻に動くことはなかった。セクハラであっても、彼なりに精一杯優しく抱きしめようとしていたのだ。ドキドキと心臓が激しく鼓動して、それが相手に伝わっているかもしれないと考えると妙に恥ずかしくなる。

 十秒、二十秒、三十秒。どちらも喋らず、無音の時間が過ぎる。

 時が止まったような中で、コンロで温められていた鍋の蓋がカタカタと動き出して、ようやく二人は息をするのを思い出したようだ。

 

「あのヨコシマ様。このままだとお鍋が吹き零れちゃいます」

 

「あ、ああ」

 

 名残惜しそうに横島は抱きしめを止めて、自由になったファーレーンは蒸気をあふれさせ始めた鍋のふたを開け、エーテルコンロを切る。

 エーテルコンロを消す時、ファーレーンが小さく「もう」と残念そうに呟いたのを横島は聞き逃した。

 

 お互いに顔を見合わせて沈黙が降りる。互いに相手の出方を伺っていた。

 横島としては、悲鳴でも上げられて叩かれるとでも思っていたし、ファーレーンは『次は』何をされてしまうのだろうという恐怖と期待が同時に存在していたからだ。

 ずっとこのまま黙っているわけにもいかない、と横島がぎこちなく謝り始める。

 

「その、悪い。ええと、怒らないのか? いきなり抱きついたのに」

 

「え? あ、その……怒るだなんて……私はヨコシマ様が紳士だって知っていますから。今回見たいに悪ふざけはするかもしれないですけど……でも包丁を持っているときは危ないですよ」

 

 仮面越しにも、ファーレーンが信頼の笑みを浮かべていることが分かった。

 圧倒的な信頼を前にして、横島の良心がチクチクと痛む。

 ここで、「グヘへ~おっぱい揉ませろー!」などと迫ったら、一体どういう表情になるのだろう。

 もしも涙目で見つめられたり、失望されでもしたら。

 それを考えると、燃え盛っていたセクハラ魂がしおしおと萎えていく。

 ファーレーンの信頼を汚したみたいで、本当にごめん、と横島は心中でもう一度謝った。

 

「それに、私みたいな仮面を被ったスピリットなんて気味が悪くて、とてもそんな気持ちになれないでしょう?」

 

「んなこたあないです!!」

 

 反射的に横島が叫んで、ファーレーンは目をぱちくりする。

 

「え……まさか仮面フェチ?」

 

「いやあ、そうなんですよ。仮面の曲線美がもう……って、んなわけあるか!」

 

「ふふ、すいません。私もボケてみたくて……」

 

 くすくすとファーレーンは上品に笑った。

 横島もつられて微笑む。ゆるいボケと突っ込みをファーレーンは持っている。

 他の第二詰め所メンバーのように強烈な個性は持ってはいないが、だからこそ彼女はある意味異彩を放っていた。

 いや、外見だけで言えばもっとも個性がある。仮面こそが彼女の異彩であり、そして彼女の心を示す特徴だ。

 

「俺はファーレーンさんが何で仮面を被ってるか、分かってるんで。変になんて思わないぞ」

 

 横島は話を戻した。

 赤面症で人と目を合わせることが苦手。戦うのも実は怖いから、仮面をつけて自身そのものも誤魔化して守っている。

 一つ屋根の下で過ごしているのだ。それぐらいは把握していた。

 

「仕方がないっすよ!」

 

 あっさりと横島はファーレーンの弱点を許容した。

 自分が弱点まみれであるのを横島は自覚している。そんな自分が美人の弱点をあれこれ言うなんて出来るわけがない。

 まあ、美神のような破天荒な美女なら好き放題言わせて貰うのだが。

 

 ファーレーンは心が軽くなるのを感じていた。

 自身の弱さを受け入れてくれる。そんな人が隊長である事がファーレーンには嬉しい。

 しかし、だからこそと彼女は思う。

 

「本当にヨコシマ様はお優しいですね……ありがとうございます。だけど、このままでは駄目なんです。

 心の弱さを誤魔化し続けては、剣の弱さに繋がるとウルカさんに言われました。実際に、ここ最近、剣の腕が伸び悩んでいるんです」

 

 伸び悩んでいる、との言葉に横島は首をひねった。まだまだ伸びしろがある子供達と比べれば、それは伸び悩んでいるといえるかもしれない。

 だが、そもそもファーレーンの剣の腕は完成されている。今現在でも、間違いなくラキオストップクラスの実力者であるのは疑いようもない。

 ウルカに未熟と言われたといっても、それはスピリット最強と言われるウルカだからこそ言える台詞だろう。

 

「ファーレーンさんは十分強いじゃないすか」

 

「ウルカさんやヨコシマ様と肩を並べて戦うにはまだ不足ですよ。それに剣だけの問題じゃないんです。

 みんな成長しているって分かるんです。戦士としてだけじゃなくて、スピリットとして、女性として、強く魅力的になっています。二ムも元から強くてすごく可愛いのに、もっともっと可愛くなってきて。

 この間、二ムが人の子供と一緒に遊んでいたんですよ。本人は嫌だけど無理やり誘われたって言っていましたが、あの子は本当に嫌なら無視するか逃げるでしょう。私も前に進みたい。それに……」

 

 ――――ヨコシマ様が隊長になってくれて、大変良くしてくださっているのに、私だけ成長できないのが嫌なんです。

 

 そう言葉に出すのは、流石に恥ずかしかった。それでも勇気を出して言った。

 敬愛し、ほのかな愛情を抱いている男性に良いところを見せたい。

 ファーレーンが言っているのは、つまりはそういうことだ。

 

「だから……」

 

 ファーレーンは言いながら、意を決して仮面を外した。

 ブラックスピリットには珍しい黒みがかった青髪のショートヘアーに、恥ずかしさから真っ赤に染まった小さい丸顔。

 姉妹であるニムントールぐらいしか見ない、優しげな素顔が横島の目の前に現れた。

 

「これからの私の成長を見ててください」

 

 本当に信頼され、敬愛されているのだ。横島はそれを強く感じ取った。

 同時に、ファーレーンは自分を過大評価しているのだと強く感じ取った。勘違いといってよいだろう。

 横島は少しファーレーンが怖くなった。今こうして愛情を向けてくれているのは勘違いしているからだ。第二詰め所で馬鹿をやっても笑顔でいてくれるのは曲解しているからだ。

 もしも横島忠夫という男が、本当にエロで馬鹿だという真実を理解したら、その時は笑顔を向けてくれるだろうか。

 不安になった横島は仮面を被ることにした。ファーレーンの望む、幻想の横島でいるために。

 

「俺もまだまだなんで、一緒に頑張っていこう!」

 

 横島はファーレーンの手を握った。

 それも紳士的に、力強くだ。

 

「あ、ありがとうございます……今更かもしれませんけど、ヨコシマ様の部下になれて、私は本当に幸せ者です」

 

 目元を潤ませて、ペコリと頭を下げるファーレーンに、横島はもう言葉もない。

 

(ちくしょー! これは可愛すぎる! こうなったらもうファーレーンさんでいいんじゃないかこれは!?)

 

 こういった内心をファーレーンの前では口にしないのが、彼女に好かれる理由の一つだろう。

 

 互いに相手に送る愛情と尊敬。一部は劣情。

 どこからかリンゴの甘酸っぱい香りが漂ってくるような、沈黙すら心地よい安らぎに満ちた二人の世界が作られる。

 だが、背後からぞっとする気配。

 横島はそっと後ろを見ると、ドアの影から顔を半分だけ出したヒミカが凄い顔をして睨みつけていた。そして指でちょいちょいと手招きする。

 

「あ……悪い。ちょっと」

 

「え? あ、はい」

 

 ファーレーンをその場に残し、そのままヒミカに引き連れられるように部屋から出る。

 リビングまで戻ると、ヒミカは横島を壁際にまで追い込んで壁にドンと手を突いた。

 

「ねえヨコシマ様。どうしてファーレーンにはあんなに優しくて紳士なんでしょうか。ねえ、どうしてです? ねえ?」

 

 ヒミカは笑みを浮かべている。

 先ほどのファーレーンの笑みに負けないぐらいに素敵な笑みだが、背後には業火を纏った虎を背負っていた。

 

「ううっ……んなこと言ったって、あんな笑顔で信頼してます……何て言われると、やりづらいなー……なんて」

 

「なっ何ですかその理由は!? 私だってヨコシマ様の事は……信頼してます。絶対にファーレーンにだって負けてません!」

 

 始めは怒ったように、しかし最後の方は気の毒なぐらい顔を赤らめてヒミカが言う。

 セクハラされない理由が信頼にあるのなら、決して負けるわけがない。むしろ、第二詰め所としては新参のファーレーンよりも自分の方が横島をより知っているし、信頼もしているという自負がある。

 もしもヨコシマ様が『ヒミカは俺の事を信頼していない』なんて考えていたら、それは酷く悲しくて嫌なことだった。

 ヒミカは告白まがいの台詞の恥ずかしさを我慢しながら、キッと強い目で横島を見た。ほんの少しだけだが、目が潤んでいた。

 真面目で強気なショートカット美女の涙目上目遣い。横島の理性が一気に振り切れた。

 

「そ、そんなに俺の事を……うおぉ、ヒ、ヒミカー!!」

 

 感極まった横島は思い切りヒミカを抱きしめる。さらに手をこっそりとお尻に向かった。

 

「きゃああーー!! だからどうして私の時は変な事するんですか!? せめてファーレーンの時みたいに優しく抱きしめてくれればいいのに!!」

 

「しょうがないんや! 何かファーレーンにセクハラするのは悪いような気がするから」

 

「私だったらいいのかーー!?」

 

「ああ、なんか久しぶりなやりとりーー!!」

 

 ピシピシとヒミカは突っ込みを横島に入れる。

 横島は、痛がりながらもどこか楽しそうに突っ込みを受けていた。そして隙を見つけては抱きついて、また叩かれる。

 ヒミカと横島は、結局いつもこうなる。こうなるからこそ、一番ボディタッチが多くなるのだ。

 セリアのように冷たい視線や、ハリオンのように適度に受け入れるか、ナナルゥのように天然を炸裂させれば、こうはならないのだが。

 そんな二人のどつき漫才を、今度はファーレーンがドアの隙間からこっそりと見つめていた

 

「ヒミカさんはヨコシマ様と本当に仲良さそう……いいなぁ」

 

 横島から愛情を感じ取りつつも、どこか壁を感じるファーレーンは人知れず寂しさの声を漏らす。

 勇気を出して、気恥ずかしさを我慢して、ようやっと握手できた。

 今まで感じたことのない熱が手に宿ったような気がして、今日の夜に使用するまで洗わないでおこうと考えたほどだ。

 だが、宿った熱は横島とヒミカのやりとりを眺めて急速に失われていった。

 

 握手など、今ヒミカが横島に仕掛けているコブラツイストの前では全然たいしたことが無い。

 密着度、殺傷能力、技の錬度。その全てで、握手はコブラツイストに及んでいないだろう。

 手を握った程度で何をいい気になっているの、と言外に言われた気がして、ファーレーンは少しヒミカを妬んでしまう。

 

 ヒミカは横島の過剰なスキンシップを嫌がっている。

 そうヒミカ自身が言っているのはファーレーンも聞き及んでいるが、しかしファーレーンからすれば鬱陶しさを感じさせた。

 

『いや~またヨコシマ様にセクハラされちゃったわ~マジで大変だわ~胃薬ある~?』

 

『ファーレーンは抱きしめられなくて羨ましいわ~私は今日三回も抱きつかれたのよ~』

 

 このような愚痴(ファーレーン主観)をあちらこちらで吹聴されると、どうにもイラッと来る。

 遠まわしに自慢されているようにしかファーレーンには思えなかった。

 

 無論、ヒミカにそんな意図はあるはずもなく、ヒミカにとっては紳士的に振舞われるファーレーンを羨ましく感じているのだが。

 人間関係は難しい。

 

 

 お給料が入った!

 

 

 レスティーナが女王となって、スピリットへの融和政策が始まっていた。

 その一環として、スピリット達にも給料が支給される事となった。これはスピリットが『物』ではなく『人』であると認められたとも言える。

 ただ、各個人に出るわけではなく、詰所別に一定額支給されるらしい。

 給金とは言いづらいかもしれないが、それでも諸経費という括りではなくなったのは大きいだろう。

 

「おおー! キンキラリンだね!!」

「とても綺麗ですー!」

 

 机の上に無造作に置かれた硬貨の山に、ネリーとヘリオンが歓声を上げる。

 大人達は感慨深そうに硬貨を眺めていた。確実に自分達の立場が向上していることに、嬉しさと戸惑いで胸がいっぱいだった。

 

「でも、私たちって現金を使って買い物したことが無いんだけど……これってどれくらいの額なの?」

 

「大体三千ルシルぐらいだな。一人頭三百ルシルって所だ。それと、剣の手入れに使う必需品は支給されるから買わなくてもいいぞ」

 

 ヒミカのつぶやきに、横島が答える。

 十人が一ヶ月過ごすには十分な額だった。週に一日程度なら多少豪勢に食べられるだろうし、ある程度の嗜好品も買えるだろう。

 ただ、そうした場合はまったく貯蓄が出来なくなるから、やはりそれなりの節制は求められる。

 

「店の人いつも迷惑そうにしていたもんね! これでお買い物が楽になるよ!」

 

「そうですね~売ってくれなかったお店も、売ってくれるかもしれません~」

 

 年少組みとハリオンはとても嬉しそうだ。

 証書ではなく現金で支払えば商人達も面倒が少ないため、確かに売ってくれる可能性は高まるだろう。

 青空市場だけでなく、屋根付きの店舗でも売買できるかもしれない。

 

 だが、セリアらはそこまで楽観的には考えていなかった

 確かにスピリット融和政策は始まっている。人がスピリットに向ける感情は、以前と比べて遥かにマシになっていると言えるだろう。

 とは言っても、戦闘奴隷として蔑んでいた相手が、人様と同じように給料を貰い買い物をする。人と同じように生活する。

 苦い顔をするものは確実に出てくるだろう。別な問題が出てくること事も考えられる。

 

 だが、それを今更言っても仕方がない。

 スピリットの扱いが変化する以上、スピリット自身も変化に対応しなければいけないのだ。

 果たして物を売ってくれるのか。

 スピリット達は硬貨を握り締めて、緊張しながら市場へと向かった。

 

「このスカーフは優れた芸術家手製の品でして」

「この本は有名な著作家によるものでして」

「この砂糖はデオドガンでも一二を争う」

「このツボは幸運のツボでして」

「この枕で寝れば」

「この布地は」

「この食器は」

「この胸当ては」

 

 正に怒涛のセールストークがスピリット達を襲った。

 どうやらスピリットが金を持って市場に来るというのは事前に知らされていたらしい。

 横島も想定以上の攻勢に驚きを隠せなかった。

 

 子供達は初めてのセールストークに混乱して、あっという間に乗せられてしまった。

 ヒミカら大人達は子供たちほど楽観的では無かったが『断れば不敬になるのではないか』という疑念が頭を過ぎり、中々断ることが出来ない。

 言葉巧みに買わせようとしてくる商人達に対して、売買を断られることはあっても、勧められることに免疫がないスピリット達は抗うことができなかった。

 ついつい買う約束をして、詰所に戻って硬貨を握りしめ市場を往復することになったスピリットすらいた。

 

 その日の夜、第二詰所緊急ミーティングが行われる事となる。

 議題は、机の上に置かれた硬貨の量を見れば明らかだ。

 

「……お給料が入って、一日目よね? たった数時間よね? 数日分の食料の買出しにいっただけよね? これはどういう事なの」

 

 セリアの声は静かだった。まるで魂が抜けたような虚脱した声。瞳に力もなく、茫然としていた。

 露骨に目を逸らす者、肩を深く落として反省する者、無表情を貫く者、何故かニコニコしている者。セリア以外の全員が、そのいずれかに属している。

 

 硬貨の数は、最初見たときの六分の一程度まで減ってしまっていた。

 買ったのは二日分の食材と、ツボ・本・ガラクタ・枕・甘味料・カラフルな生地等々。

 

 食材を除く全てが嗜好品で、セリア以外の全員が余計な物を買ってきてしまった。セリアだけが人間のセールストークを振り払えたらしい。

 それにしても、買った品物は見るからに怪しいものばかりだ。一部は嗜好品というよりもゴミでしかない。

 

「うう、ごめんなさい」

「申し訳ありません」

 

 皆々が口をそろえて謝り始める。

 そんな中、仮面を外したファーレーンが無理やり作ったような笑顔を浮かべて、古ぼけたツボを前に出した。

 

「で、でもセリア! これは幸運のツボで、これを持っていれば姉妹安全、商売繁盛、恋愛成就間違いなしって! これはいいものよ!!」

 

「だったらすぐにお金を出すか、食料を生み出すか、恋人でも作ってみせて」

 

 言われてファーレーンはしょんぼりとする。

 「恋人なら俺が!!」と声を上げようとした男がいたが、それはニムに足の甲を踏み抜かれて悶絶する羽目となった。

 大半は露店で買ったから、今更返品は不可能だった。とてもこれから一か月を生き抜くほどの生活費は残っていない。

 

「レスティーナ様に言って、もう一度お金を貰うわけにはいかないでしょうか」

 

 ナナルゥが一番簡単な解決案を言うが、セリアは顔を赤くして首を強く横に振った。

 

「そんな恥ずかしいこと出来るわけ無いでしょ! それに、これは私たち第二詰所だけの問題じゃないの。スピリットがお金を与えられてしっかりと日常生活を送れるかというテストなのよ! それが初日でこんなことに……ああもう、信頼を裏切ったなんてレベルじゃないわよ!!」

 

 このままでは笑い話ですまないと、皆の表情が暗くなる。

 

「んじゃ、誤魔化すしかないな」

 

 横島が言って、皆が渋い表情になったが反対意見は出なかった、

 幸いなことに領収書なんていうものは存在しなかった。そして、給金をどう使ったのかという報告も、今のところは必須ではない。

 というのも、問題視されていたのはスピリットが金を持った時の人間の反応だったからだ。そちらに関しては非常に旨くいった。仕込みはあったとしてもだ。

 まさかスピリット側に、こんな馬鹿な問題が発生するとは誰も思ってもいなかった。

 

 可能な限り誤魔化そう。横島が統率する第二詰め所内らしく、それで決定する。

 すると、次なる問題はどうやって生活していくかだ。衣食住の内、衣と住は問題なく税金もまだない。とにかく食さえどうにかできればいいのだ。

 今ある食材を乾燥させたり塩漬けにするなど保存して、細く長く食べればしばらく持つだろうが、やはり限度がある。それに体が資本の戦士が、すきっ腹を抱えるというのはやってはいけないことだ。ある程度は食わなければならない。しかし、そんな金などない。

 

「そういえばウルカさんが食べられる野草に詳しいって言ってましたよ!」

「森に行けば、鳥獣の類もいると思います」

 

 こうなればやはり自給自足ができれば良い。

 ある程度はサバイバル経験があるスピリット達からは、やはりこういう意見が出始める。

 だが、それにセリアは待ったをかける。

 

「馬鹿なことを言わないで。森には所有者も管理人もいるのよ。勝手にやったら密猟でしょ」

 

 ちょっと採取するぐらいならまだしも、十数人の団体が一ヶ月分もの食材を山から頂戴するわけにはいかない。

 ただの人間なら注意される程度で済むかもしれないが、スピリットの場合は何らかの実刑を受ける可能性がある。

 スピリットの人権が生まれようとしている中で、泥棒騒ぎなど起こったらおしまいだ。

 やはりスピリットは戦闘奴隷として扱うべきと世論が傾くだろう。レスティーナの顔にどれだけ泥を塗ることになるか、考えたくもない。

 

「それじゃあ、何かバイトでもするか」

 

「スピリットが仕事なんて出来るわけないでしょ」

 

 横島の意見にセリアは馬鹿らしいと言ったが、横島は表情を変えなかった。

 

「いや、そうでもないぞ。俺の知り合いの店ではスピリットに優しい奴もいるし、目ざとい奴はスピリットの労働力は金になるって考えてるやつもいる。そうじゃなくとも、色々とチラつかせられる餌はあるな……んー守銭奴やあの地区なら」

 

 真剣な顔で横島は呟きながら考え込んで、スピリット達は思わずドキリとした。

 普段はギャグキャラらしく崩れた表情が多い横島だが、本気のときはそれなりに男前だ。

 仕事できるかも、という空気が満ちて、慌ててセリアが言った。

 

「わ、私が言いたいのはそれだけじゃありません。暇な一日なんてないじゃないですか。哨戒に警邏に訓練に家事。まさか合間の休み時間に働けなんて言うんじゃないでしょうね!」

 

「ここ最近はファーレーンやセリアに第三詰め所のメンバーも鍛えてもらっているから、色々と代替できそうなんだよ。人間の部隊とも連携が取れそうでな。シフトを上手く組めば、働く時間ぐらいは十分に取れるぞ。この間の赤ちゃんの件でノウハウも出来てきてるしな」

 

 横島は簡単に答えを出す。

 頭の中で、仕事の量、スピリットの数、休憩時間、引継ぎに教育等を考える。それぞれをざっと計算してみると、第二詰所の数名を仕事に出すことができた。

 いや、むしろ第三詰所の教育を考えると、第二詰所には少しばかり仕事を休んでほしいとすら横島は思った。

 引き継ぎできる人材を育てるのはシフトを組む立場の横島にとって必須なのだが、第二詰所が休まずに動くと中々育てられない。また、きちんとローテーションが組めれば長期戦にも強い部隊が生まれるだろう。

 なにより、第二詰所にもっと自由時間が生まれれば、デートやセクハラを仕掛ける時間が大幅に増すことになる。

 むしろ、これはいい機会だと横島は判断した。

 

「よし、据え膳食わぬは……じゃなくて善は急げだ。皆、なにかしてみたい仕事があったら考えておいてくれ。俺はちょっと悠人とルルーの所に行って話し合いしてくっから」

 

 それだけ言って、横島はもうすっかり暗くなった道を駆けていった。

 基本的に横島は勤勉ではないが、女の子が絡んで動き始めると、常識を突き抜けた行動力を持つ。

 

「ねえねえ、シアーはどんな仕事がしてみたい? ネリーはあちこち動き回る仕事がしたいよ!」

「ん~とね。シアーは色々と作ってみたいかな。ヘリオンは~」

「私は可愛い制服が着てみたいです! ニムみたいなメイド服もいいかも! あ、でも剣を見てみたいって子がいたから訓練士でもいいかなー」

「うう……めんどくさい事になりそう」

 

 子供達はすでに横島が仕事を持ってくるだろうと確信していた。絶対的な信頼がそこにはある。

 

「仕事ねえ。やっぱりお菓子作りがやってみたいけど」

「ヒミカ……貴女までそんな事を」

「仕方ないわよ。だってヨコシマ様だもの。きっと彼ならやっちゃうでしょ」

「ありえないわ。そう、ありえないはずなのよ……本来なら」

 

 大人達も横島が失敗するとは考えていないようだった。

 ありえないと言っているセリア自身も、横島ならどうにかしてスピリットでも出来る仕事を見つけ出してしまうだろうと、諦めという名の信頼がある。

 

 その信頼は正しく、横島はたった二日でスピリットができる多くの仕事を持ってくることに成功した。

 さらに、それは第一詰所も巻き込むことになり、スピリット達はまた新たな体験をする事となる。

 

 さて、給金を得るために仕事を始めることとなったスピリットだが、全員が仕事をするわけにはいかなかった。

 外に出るのも仕事なら、家を守るのもまた仕事。簡単に言えば、無駄な出費をしないように財布の紐を握り、収入と支出を管理する者が必要となる。言ってみれば、財布の紐を握った専業主婦だ。

 これにはセリアが割り振られた。唯一、財布の紐を締めることが出来たのだから、妥当な人選と言えるだろう。それに彼女だけが何の希望も出していなかったら、ちょうどよかった。

 セリアは当然とでも言うように、平然とその役割を受け入れたが、横島は申し訳なさそうだった。

 

「ほんとは保母さんでもやってほしかったんだけど、どうしても受け入れてくれる所がなくてな」

 

 残念がる横島に「そんなの頼んでません」とセリアは返したが、心のどこかでは残念に思っていた。

 

 そうしてセリアが町で買出しをしていると、どこからか視線を感じる。

 横を見ると、主婦と思われる女性たちがセリアを見て密談を交わして、笑みを浮かべあう。そこには侮蔑の色がある。

 

(ふん、馬鹿らしい)

 

 また根も葉もないスピリットの嘲笑だ。

 生まれてこの方、幾度も聞いてきた言葉に、いまさら心を乱されることなど無い。

 

「聞きました? なんでもスピリット達に給金が支払われたって」

「そうそう。なんでも、くだらない物を買って生活できなくなったとか」

「それで今はバイトしてるんだって。いや、馬鹿ねえー」

 

 根も葉もある噂だった。というか真実だ。すっかり恥部がばれてしまっている。

 事実であるだけにいつものように受け流せず、セリアの頬は羞恥から赤くなって思わず主婦達を睨んでしまう。

 そうして、目が合ってしまった。

 セリアは何も言い返せず、主婦らも悪口対象が目の前に現れて硬直していたが、

 

「なに、ほんとの事でしょ。くだらないものばかり買って……計画性のない」

 

 主婦の一人は軽蔑するような目でセリアを見る。

 

「わ、私は真面目にやったんです! まずは節約しようと思ったんです。それなのに、皆無駄遣いして……私だって欲しい家具や調理器具があったのに! それだって皆のためを考えてたのに!

 子供達は食べ盛りだから、色々とこっちも考えて作ってるのにあれが嫌だこれが嫌だってわがままで!」

 

 色々とこみあげてくるものがあって、セリアは気持ちの内をまくしたてた。

 言いたい事を言った後、我に返って青ざめる。

 人間に反抗してしまった。別に彼女たち自身に暴言を吐いたわけではないが、感情に任せた苛立ちを人にぶつけたのだ。

 戦々恐々としたセリアだったが、返ってきた言葉は予想外のものだった。

 

「スピリットもご飯を食べるの?」

「好き嫌いもあるんだ」

 

 聞こえてきた言葉にセリアは呆れてしまった。

 確かに人間ではないし、妖精や戦闘奴隷とも呼ばれているが、まさか食事をしないとでも思っていたのだろうか。好き嫌いがないとでも思っていたのか。風邪をひかないとでも思っていたのか。

 スピリットに関して人間は無知すぎる。それをセリアは改めて思い知る。

 

「ふん……それなら一層、食材は厳選することね。貴女が買ってるのは、最低品質よ」

 

 女の一人がセリアのバッグに詰め込まれた野菜の数々を見て言った。

 きちんと厳選して買った自負があるセリアは、思わず鼻を鳴らす。

 

「ちゃんと良い色や形の野菜を選んで、しっかり買ってます」

 

「はい、それが間違い。それ、色塗ってるわ」

 

「え?」

 

「形が悪くても別に味に関係ないし、しかも高いのよ」

 

「うそ」

 

「そもそも言い値で買ってるでしょ。それで良く、しっかり買い物できているって言えたものね」

 

 もうセリアは何も言えずに項垂れるしかない。自身の負けだ。

 その落ち込みようが面白かったのか、主婦の一人が思わず笑みを浮かべる。

 

「まあ、全然知らないんだからしょうがないでしょ。野菜を買うなら、野菜力って店や、肉ならササミ―って店がおすすめよ」

 

「麺も忘れちゃだめね。保存がきくやつも多くて調理も楽だし」

 

「え? えっと……え?」

 

 主婦たちの会話に巻き込まれてセリアはひたすら困惑したが、そのうち旦那の悪口に話が移行すると、セリアは己の隊長への不満を言い始めて大いに場が盛り上がる事になる。

 それはいわゆる主婦達の井戸端会議と呼ばれるものに違いなかった。

 

 その光景を、影からこっそりと覗いていた横島は冷や汗をかきながらも、うんうんと頷く。

 

「やっぱりセリアは包丁かな……いや、それじゃあ感謝はされてもエロエロな展開には……うーん、ならばエプロンか」

 

 そんな事を言いながら横島はセリアから目を離して、次の目的地を目指す。

 目的の広場にたどり着くと、そこには多くの子供と、幾人かの大人の姿があった。

 子供達の見つめる先には、何枚もの絵と物語を紡ぐ声がする。

 紙芝居だ。題材は横島が持ち込んだ桃太郎だが、きびだんごがヨフアルに変化していた。

 何枚もの絵を絵をめくりながら、物語が進行していく。

 紙芝居の機材の裏から聞こえてくる声に、横島は本気で感心していた。

 

「……ほんと、人は見かけによらないものだよなあ」

 

 男の声、女の声、化け物の声。全てを一人で完璧にこなしている。声質すら変えているようで、まるで数人いるかのようだ。

 これを、あの感情表現が少ないナナルゥがやっているのだから驚きだ。声優の才能があるだろう。

 紙芝居も終わって、スポンサーの宣伝とお菓子が子供達に配られる。

 配るのは機材を動かしてたオヤジで、ナナルゥは最後まで機材の裏に隠れていた。

 子供達が解散して、ようやくナナルゥが出てくる。オヤジがナナルゥに給料を渡して、それで解散となった。

 

「よっ、お疲れさん」

 

 仕事も終わって、そこで横島はナナルゥに声をかける。

 

「はい。ヨコシマ様も私どもの見回りありがとうございます」

 

 開口一番に行動を言い当てられて、思わずビビる。

 一体なぜ、行動を見破られたのだろうか。

 

「ヨコシマ様の事はいつも見てますから、それぐらい分かります」

 

 横島は何も言っていないにも関わらず、ナナルゥはまるで心を読んだように言った。

 そのまっすぐな言葉と瞳に、横島は色々な意味で恥ずかしくなった。

 

「あ~ナナルゥ。仕事はどんな感じだ」

 

「はい、才能があると褒めてもらえました。出来れば、次は愛憎渦巻く劇をやりたいのですが」

 

「子供向けの紙芝居でそりゃダメだろう!」

 

「そうですか。それは……残念です」

 

 本当に落ち込んでいるナナルゥに、横島は噴き出す。

 そのまま分かれると、横島は顎に手を当てて考え込んだ。

 

「ナナルゥはやっぱり愛だな……やっぱり本か、演劇もいいか。出来れば主役は俺みたいなので、ヒロインはナナルゥみたいな」

 

 ブツブツ言いながら、次にある貴族の屋敷に向う。

 といっても、屋敷に入るわけではない。

 サイキックソーサーを足場にして空を駆け上り、空中から広い庭を見てみる。

 

 そこでは、ファーレーンとニムが雑草を毟り取っていた

 二人は人と多く関わるのが嫌ということで、人を遠ざけて出来る地道な作業をしてもらうことにしたのだ。

 ニムはマイペースだからか、広い敷地にウンザリしつつも地道に雑草を引っこ抜いていた。これがネリー辺りなら、きっと何とか楽しようと余計な事をしていたにちがいない。

 そんなニムをファーレーンは愛おしそうに眺めながら、やはりこちらもマイペースに雑草を毟り取っている。

 

「本当に仲が良い姉妹だよな。これはやっぱりそれに関係した方がいいか」

 

 次に向ったのは、とある工房だ。ここでは職人達が器を作っている、そこに、周囲のむさ苦しい職人達と正反対の小さい少女がいた。

 シアーだ。彼女は一心不乱に土をこねていた。そして出来上がった土を職人に渡す。職人は土の具合を確かめた後、土を器の形に整え始める。

 これは陶器作りの現場だ。まだとても形成させるほどの技量がないシアーは、ただひたすら土をこねる作業ばかりさせられているが、それに不満を言うわけでもなく黙々と仕事をしている。

 そして、別の職人の動きを目で追っている。これは、次に自分も作るために技を盗もうとしているのだろう。

 横島が竹とんぼを作ってから、彼女は何かを作るのが大好きになっている。いや、ただ好きなだけじゃない。何かを創造するという行為は、シアーに誇りを感じさせた。

 

「シアーはどうすっかな。材料や器具じゃ味気ないだろうし」

 

 そんな事を呟きながら、横島はまた次の場所に足を向ける。

 

「さて次は……これ本当なんかなあ」

 

 次の現場は少々特殊だった。

 まず、第二詰め所のスピリットではない。話を聞きつけたアセリアが、自分もやってみたいと志願したのだ。

 しかし、アセリアが出来そうな仕事がなかなか見つからなかった。接客などできるはずもなく、買い物も上手くできないだろう。

 色々と考えた結果、アセリアだけが持つ品があったからそれを使ってみようと悠人が提案したのだ。

 

 アセリアがいる広場に到着する。

 そこはフリーマーケットで、老若男女が声を張り上げて様々な物を売っていた。

 熱気と活気に満ちていたが、とある一角だけが閑散としている。そこにいるのは、茣蓙のような敷物に座り込んでいるアセリアだ。

 客引きもせず、彼女は相も変わらずぼーっとしていた。

 

「よっ! アセリアちゃん、景気はどうだ!」

 

「……ぼちぼちでんなー」

 

「いや、どうみても全然売れてないだろうが!」

 

「ん……間違ったか?」

 

 どこからか覚えたハイぺリア(日本)言語を使いたがるアセリアに、横島は苦笑した。

 

 アセリアの周りには絵画や彫刻などが並べられていた。細木細工などもある。

 彼女が作成した芸術品だ。手先は器用だと思ったが、ここまでとは横島は思ってもいなかった。

 風景画や動物などをモチーフにしたものが多い。出来の方は芸術に程遠い横島に分かるわけもなかった。裸婦像でもないかぎり、まったく興味はない。

 材料については、おそらくレスティーナが裏から手を回したのだと思われる。

 

「でも意外だな~アセリアちゃんって、どう考えても芸術とは無縁っぽいんだが」

 

「よく分からない。けどヨコシマに言われると何だか納得できない」

 

 なんとなく馬鹿にされたと分かったアセリアは、ムッと頬を僅かに膨らませていた。

 ますます表情が豊かになってきたアセリアだが、その中でも険悪に属する表情はもっぱら横島が独占をしている。

 険悪といっても、憎悪というほどではなく、なんだか面白くない程度のものではあるが。

 

 むーと二人がにらみ合っていると、一人の男が近づいてきた。

 横島と同じぐらいの若い男で、よれよれの服にボサボサの頭。ひょろっとした身体つき。指からは絵具の臭いが漂ってくる。

 若く売れない芸術家という言葉を具現化したような青年だった。

 

「アセリアちゃん! どうみても金を持ってない客が来たぞ!!」

 

「……ん。こういう時は、体で払ってもらうといいか?」

 

「こんな冴えない男に言ってどうすんじゃ!」

 

 そんな漫才を見向きもせず、みすぼらしい男はアセリアの絵を見て、興奮したように目を輝かせた。

 

「これ、貴女が描いたんですか?」

 

「ん」

 

 男の質問に、アセリアが頷く。すると男は感心したようだった。

 そんなに良い絵があったのかと横島も見てみるが、何のへんてつもない青空の水彩画だ。本当に、ただの青空である。

 

「この空の絵の何が良いんだ?」

 

「いや、私ら芸術家って、創作物に何かの意思を乗せるんですよ。写生するにしたって、今見ているのをそのまま写し出そうって考えてやるもんです。

 だけど、この絵にはそういうのが無い。ただ、空。純粋で透明な空。何の我欲も感じ取れない。テーマも感じられない。それでいて、ただの写生とも違う。一体何を考えながら、この絵を書き上げたのか」

 

「どうせアセリアちゃんの事だから、何も考えずに描いたんだろ」

 

 悪戯っぽく横島が笑って言う。

 良い意味で言えば素直で、悪く言えば頭空っぽ。

 そんなアセリアが高尚なテーマを決めて描くなどありえないと、横島は決めてかかっていた。

 

「そんなことない。この絵は空だなあって……思って書いた」

 

 不思議な自信を漲らせながらアセリアは答える。

 空を見ながら、空だと思って、空の絵を描いて、空だと思う。

 あまりの純粋さに、横島はもう馬鹿にするのではなく、生暖かい気持ちでアセリアを見ていた。

 

「いや、すごいですよアセリアさん! 空を空と想って描く。ただそれだけの、まさに無心の境地。いえ、これは空の境地とでも言うのでしょうか!!」

 

 しかし芸術家の青年は怒涛の勢いでアセリアを褒め称えた。

 アセリアは何を褒められたのか分からずきょとんとしたが、とにかく認められたことが分かると横島に向かって得意そうに胸を張った。

 

「どうだ、ヨコシマ。私の絵は良いらしい」

 

「ふ~ん、頭が空っぽのほうが良い絵が描けるのか」

 

「……『存在』がヨコシマは敵だといっている」

 

「嘘つくな! 『存在』はそんな事言わないぞ!」

 

 相も変わらず横島はアセリアに程度の低いちょっかいを出して、アセリアもやり返す。悪友のような関係と言えた。

 そんな横島とアセリアの漫才に惹かれたか、それとも青年のべた褒めに惹かれたか、遠巻きに見守っていたギャラリーが集まってくる。

 

「この首飾りはなんだ」

「この藁で出来た人形みたいなのは何?」

「スピリットの作った品か……後で値が上がるかもな」

 

 人間達の質問にアセリアは相変わらずぶっきぼうにしか答えないが、しかしどんな問いにもまっすぐ答えた。

 笑顔をまるで浮かべないので客商売としては最悪だが、不思議と無愛想には感じず、真摯に対応していると分かるのがアセリアの魅力だ。

 横島は頷く。

 これなら問題ないだろう。こちらにも保険はある。

 集まってきた客の男にちらと視線を交わしあうと、横島はその場を離れた。

 

「第一詰め所は別にいいな。まずは第二詰め所だ……ぐふふ」

 

 次に横島はネリーを探した。

 ネリーの仕事は手紙の配達だ。

 

 神剣の力を使えば圧倒的な速度で仕事が終わるだろうが、レスティーナとも話し合ったが、神剣の力は抜きという事になった。

 これはまあ、仕方がない。神剣の力で走り回って人にぶつかれば、人は木っ端みじんになるだろう。それに異端の力で人よりも多くの事が出来るとなったら、妬みや僻みを買ってしまう。

 ただそれがなくても、横島はネリーが心配で不安だった。

 

 他の皆には出来るだけ人との接触を抑えたり、スピリットに優しい人が多い地区や場所に仕事を振り分けたが、ネリーだけはあちこちに走り回る為に、どうしてもスピリットに風当たりがある場所にも行かなければならなかった。

 彼の隊員に見守ってもらおうかとも横島は考えたのだが、健脚のスピリット相手に尾行は難しい。

 空を走りながら、ネリーを思われる神剣反応を探して向かう。

 

 不安は、当たった。

 ネリーの髪が妙に汚れている。泥か何かでも投げつけられたのだろう。

 表情をしかめながら、横島はネリーの元へ空から駆け下りる。ネリーの表情がぱっと輝いた。

 

「よっ、頑張ってるみたいだな……悪い。もっといい人がいる所で仕事させられたら良かったんだけど」

 

 ネリーの頭に付いている汚れを払いながら言う。

 

「いいのいいの! 嫌だけど痛くないし、それに前に比べればすごく減ったんだよ」

 

 気にしなくて良いと朗らかに笑うネリーだが、それが逆に横島の心をかき乱す。

 そんな横島の心を察したネリーは、ただ笑うだけじゃなく、慈愛を湛えた笑みを浮かべた。

 

「目立たないように意地悪してくる人はいっぱいはいるよ。だけど、親切な人も沢山いて、どんどん増えてる! だから、ネリーは怖い人の所に行って、沢山笑って、もっともっと頑張って、スピリットに優しい人をもっと増やすの。そうしたら、シアー達も喜ぶし、もっともっと皆が喜ぶよ!!」

 

 悪意を受けても歪まない健気で優しい心の光。より良い未来を目指す強い意志。それがネリーにはある。

 本当に優しく良い子だ。

 横島はネリーの頭でも撫でようかと手を伸ばす。

 

「それに、苛められた事を優しい人に笑顔で話すと、お菓子とかオマケしてくれてこっそり食べたりできるしね! それはネリーだけのものだよ!」

 

 ふてぶてしい笑顔をネリーは浮かべた。これで色々と計算しているらしい。

 訂正だ。健気というよりも、強かで逞しい。悪意すらも利用している。ただ無垢な子供ではない。

 これだから横島はネリーに少し厳しい仕事を割り振るのを許可したのだ。

 

 頭でも撫でようとしていた手がピタリと止まっていた。

 こんな子供にするように頭を撫でるというのは、今のネリーにはふさわしくない。

 少し考えて、邪笑を浮かべる。

 

「よし、頑張れよ!」

 

 応援しながら、小ぶりな尻をパンと叩いてやる。

 

「うひゃん!」

 

 ネリーが飛び跳ねる。尻を軽く叩かれたことに驚いたようだった。

 どうもいつものボディーランゲージと種類が違うと気づいて、何だか分からない気持ちがネリーの胸に競りあがってくる。

 

「ヨコシマ様のえっちー!」

 

 ネリーは赤面して「きゃ~」と楽しそうな悲鳴をあげながら、道を駆けていった。

 

「うむ、尻を触られてこの反応。これこそ清く正しい女の子だ。お前もそう思うだろ?」

 

『横島よ、それはロリコンの第一歩ではないか?」

 

「違うっーの。ただあまり子ども扱いしたくなかっただけだ」

 

『子供じゃない相手は尻を叩くのか』

 

 そんな会話をしながら、ネリーの場合はどうするかと考えてみる。

 

「ネリーは……そうだな。沢山の人と、とにかく楽しくか!」

 

 また数日かけて色々と町を回る。

 

 ウルカとヘリオンは血気盛んな男子達に棒を使っての剣術や防衛術を教えたりする。最高レベルの技を教えてくれるとだけあって、中々の盛況具合だ。

 人間が戦争などで武力を発揮する場など無いにも関わらず、剣術というものが人間達の間には広がっている。代々受け継がれてきた道場も珍しくない。

 それも、精神鍛錬という意味合いではなく、実践向けでだ。

 このあたりも横島には歪に感じられる。色々と可笑しい。人間は戦わないのに、しかし戦う術が伝えられている。

 一番の歪は、それを疑問に思わない事であるが。

 

 ハリオンとヒミカは町のお菓子屋で手伝いをやっている。

 元々、菓子作りが趣味であるだけあり、たった数日で仕事を任され始めているらしい。ただ、その地区はまだ人間がスピリットに好意的ではなかった。

 顔を出すのは危険という事で裏の厨房から出ることは出来ず、人が菓子を美味しく食べている姿が好きなハリオンは残念そうだった。

 

 オープンカフェテラスではエスペリアとオルファが走り回っていた。

 二人共特製のメイド服をはためかせながら、笑顔でお客に対応している。二人とも愛想が良くて家事万能だから、十分戦力になっているだろう。人間達にも好評だ。

 ここは特にスピリットに優しく寛容な地区だけある。レスティーナの努力もあるのだろう。何故なら、この地区はヨフアルの激戦区でもある。

 女王の権力をいかんなくレスティーナは発揮しているようだ。

 

 だがそれでも、中にはオルファを見ただけで食事もせずに退出する客がいる。

 腹立たしくはあるが、横島は我慢して、その若い男を目で追う。

 すると、その男を追う影があった。

 

 ああいったスピリット嫌いの人間は、色々と調査される。

 生い立ち、経歴、能力等。どうしてスピリット嫌いになったのか、その原因を掴むためだ。

 

 これがドラマや物語なら、人種差別をするような輩は大抵が無能だったり嫌われていたりするだろう。

 しかし、この世界においては、むしろ有能で人の上に立つ資質を持っているほうが、スピリットを嫌うことが多い。

 あくまでも多いだけで絶対にそうと決まったわけではないが、それでもその割合は異常だと、調査が進むたびに分かり始めている。

 どうして優秀な人物ほどスピリットを嫌うのかは、まだ分かっていない。血筋や教育等でスピリットを嫌うのは大いにあるだろうが、それだけではないはずだ。

 なにかが、そこにある。

 

 その『なにか』に彼らは狙われているのだ。

 

 社会的強者や能力が優れ、周りに影響を与える人物を狙うのが一番効率が良い。

 尊敬する人や上司がスピリットを嫌うのなら、それに同調する。それが人間と言うものだ。

 だがそれが意味するものは『なにか』は決して全能ではない、力に限りがある存在だと言うこと。

 そうでなければ、人間全てが問答無用でスピリット嫌いになっているはずだ。

 

 ここまで考えて、横島は自分が物凄く面倒くさい事をしているような気分になった。

 目の前に答えがあるのに、自分からそれに目をそらしているような感覚がある。何度も味わう感覚だった。

 

「なんつーか、こんな面倒なこと考えなくてもいい気がするんだけどなあ……お前はどう思う?」

 

『さてな』

 

 居心地悪そうに、『天秤』が言った。

 

 

 肩車の罠!

 

 

 昼も過ぎた頃、ラキオスの商店街を二人の男が並んで歩いていた。

 悠人と横島だ。

 

 偶にはエスペリアの助けになろうと買い物に出た悠人だったが、町人達からは相変わらず尊敬と畏怖の視線にさらされていた。

 伝説の勇者。四神剣を扱うもの。美丈夫な悠人は女性から人気があったが、声を掛けようというものはなく遠巻きに見られるだけだった。

 そんな女性たちを狙って、横島が突撃し、悠人が突っ込む。以前と同じく光景。

 

 そんな二人の間に、青い影が滑り込んできた。

 

「へへー両手に花って奴だね!」

 

 両の手で横島と悠人の手を握り、ブンブン振り回しながらネリーは快活に笑う。

 意味を分かって言っているのかそうでないのか、微妙に判断に迷うところだ。

 すると、今度は横島の空いた手のほうへ、何かがピトッと寄り添う。シアーだ。

 

「えへへ~」

 

 手を強く握りブンブンと振り回しているネリーと違って、シアーはキュッと腕を組んで胸を軽く当ててくる。そして僅かに頭を預けてきた。男心を擽る行動をシアーは自然に取ってくる。

 姉と妹。一体どうしてここまでの差が生まれたのか。

 今後、人間とスピリットの間がどうなるか分からないが、間違いなく男性に人気が出るのはシアーだろう。

 

 今度は悠人の方に青い影が近づく。アセリアだ。

 アセリアは買い物袋で塞がっている悠人の左手と、ネリーに振り回されている右手を交互に見つめる。

 そして、小さく呟いた。

 

「ユートは、空気が読めない」

 

「んなっ!」

 

 どこが空気を読めないんだよ! と思い切り聞きたくなった悠人だが、しかし不用意に聞くと泥沼にはまりそうなので、何とか言葉を飲み込む。

 アセリアは後は何も言わずに、悠人の横をとことこと歩き出す。

 相変わらず、何を考えているが分からないが、何だか怒っているような気配だけは悠人も感じ取ることが出来た。

 

 何だか皆集まってくるな。

 そんな事を悠人が考えていると、

 

「とーう!」

 

 幼くも元気な声が響いて、バサリと赤い布地が悠人の頭に覆いかぶさってきた。

 同時に肩に何かが乗ってきて、頬には暖かく柔らかいものが触れる。

 

「わー高い高い!」

「オルファか! まったく危ないぞ!」

 

 肩車の形になるが、今の悠人は手を使えないのでオルファの体勢は酷く不安定だ。

 そこでオルファは太ももで強く悠人を挟んでバランスを取ろうとする。

 

「へーきへーき! お~ネリーが小さいね」

 

「む、ヨコシマ様! ネリーも肩車したい!!」

 

「重いし危ないからダメだっつーの」

 

「あー! 女の子に重いは禁句だよ!!」

 

「お前はまったくそんなの気にしてないだろうが!」

 

 そんな風に楽しく会話していたのだが、突如、悠人は奇妙に表情をゆがめた。

 しかめっ面とも違う。珍妙に唇を突き出して、眉が毛虫のようにぐにゃぐにゃ動く。

 悠人は喉を震わせながら、オルファに話しかけた。

 

「あ……オルファ、そのな……パンツは」

 

「パンツ? パンツがどうかしたの?」

 

「いや……だからな」

 

「うん? よく分からないけど、オルファはパンツが嫌いだよ!」

 

 パンツが嫌いだと笑うオルファ。

 彼女はモブキャラである第二詰め所の面々と違い、ヒロインらしく特注のエーテル戦闘服であるロングスカートをはいている。

 肩車をしているから、そのスカートは悠人のツンツン頭に覆いかぶさっていた。細く柔らかい生足が悠人の頬に強く密着している。

 悠人は目を瞬かせながら「ス、スージーが……」と謎の名前を呼んでいたが、オルファがさらに強く抱き着いて体を揺すり始めるとカッと目を見開いた。

 

「オルファ、降りろ」

 

「え~なんでー!」

 

「いいから降りろ!」

 

 首を振ってオルファを振り落とそうとする悠人だが、オルファは降りてたまるものかと力いっぱい悠人に抱き着いた。

 それに気づいた悠人はさらに慌てたようにオルファを引っぺがそうと首を強く振って、当然あちこちが強く擦れる。

 

「あ、う、ひゃあ! や、こすれて……ひっぱられてるよぉ! パパァ~! やめて~!」

 

 顔を真っ赤にしてオルファが悲鳴を上げた。

 慌てて悠人も首を動かすのをやめる。

 はあっ、はあっ、と荒い息遣いのオルファに、悠人は全力の変顔をしていると、いきなりネリーに腕を引っ張られた。

 

 正確に言えば、横島がネリーを引っ張って、手を放さなかったネリーが悠人を引っ張ったのだ。

 一体なんだと悠人が横島を見ると、割と凄い形相で横島は悠人を睨みつける。

 

「早くネリーの手を離しやがれ! 肩車してガキのパンツに興奮するような変態に、ネリーを近づけられるかっつーの!」

 

「誰が変態だ! 俺はパンツに興奮したんじゃ……じゃなくてそもそもパンツじゃなくても興奮してねえよ!!」 

 

「ええい! そんだけ慌ててるくせに信用できるか!! ネリー、こいつマジで危ないから早く手を離せ!!」

 

 横島がぐっとネリーの手を引っ張る。

 必死な横島の様子に、ネリーも悠人を手を放そうとする。

 

「ネリー! 別に離さなくていいからな!!」

 

 離れようとしたネリーの手を、悠人は強く握って引っ張った。

 

「おおー! ネリーってモテモテ!! 流石はクールなスピリッドオオゥゥ!!」

 

 両側から引っ張られて、ネリーの足がぷら~んと地面から浮いた。

 

「いだだだだ! ネリーが裂ける裂けるーー!! 」

「ん、力だけならユートもヨコシマに負けない」

「ヨコシマ様ーがんばれ~」

「パパぁ、何かビリビリするから動かないでー!」

「いや、ほんとに助けてほしーんだけどおおおーー! ぬああー手が抜けるーーーー!!」

 

 道の往来で、大の男が少女を引っ張り合う。

 恐ろしく迷惑だが、周りの人間たちは面白がってその騒動を観戦していた。

 だが、その騒ぎを蒼白の表情で見つめる小さい少女が一人いた。

 

「あ、ああ!? ヨコシマ様もユート様もネリーを取り合ってる!!」

 

 ヘリオンの目には二人がネリーを取り合っているようにしか見えなかった。

 このまま手をこまねいていたらヒロインレースから脱落してしまうかもしれない。

 ここは一つ攻勢に出るべきだろう。目標は、唯一空いている横島の頭だ。

 

「私はちっちゃいですけど、いえだから速さでは負けられないんです!」

 

 人気投票で一番になった原動力である台詞を言いながら、ヘリオンは疾風となって駆けた。

 目標に近づくと、勢いよくジャンプするが、空中でバランスを崩してしまう。

 必死に空中で大勢を立て直して、横島の後頭部を掴み、足をかけようとして。

 

 ゴン!!

 

 後頭部にひざ。

 格闘技は多々あれど、後頭部への攻撃と、ひざの使用を禁止した競技は多い。

 その二つを組みあせた極悪非道なヘリオンであった。

 流石の横島でも、唐突な残虐攻撃にギャグ化する暇がなく昏倒してしまう。

 

「殺したー! ヘリオンがやったーー!!」

 

「ん、良い一撃だ」

 

「ひ~ん! 違うんですヨコシマ様~! 死んじゃ嫌ですーー!!」

 

「あふぅ、パパァ。何だかお腹が熱いよぅ」

 

「くっ! このバカ剣め!! そんな干渉に俺が負けるかよ!!」

 

『……何を一人芝居している、契約者』

 

 そんな、いつもの一日だった。

 

 

 悠人と第三詰め所の関係。

 

 

 それは第一、第二、第三詰め所で合同訓練をしている時だった。 

 第三詰所のスピリット達が横島の周囲にまとわり着いて遊んでいた。

 わき腹をくすぐったり、抱き着いたり、すね毛を抜こうとしたりと好き放題している。

 

「わはは、くすぐったいぞ! ぬお、柔らっこい……痛で! 何を抜いてんだ! こらこら」

 

 年長者のように横島がやんわりと言うと少し離れるが、またすぐに絡まってくる。

 スピリット達は横島と一緒にいられて楽しくて仕方が無い様子だ。

 横島も美女の集団に囲まれて嬉しそうに見えるが、その笑みは苦笑であり困っていた。

 

「もう、姉さん達! いい加減に真面目にやって!!」

 

「は~い、隊長! 分かりましたー」

 

 今度はルルーが強く叱責する。

 だが、それも効果が薄い。ルルーは肩書きは隊長であるものの、年下という事もあり甘く見られがちだ。

 好かれてはいるが、しかし畏怖や尊敬を薄かった。

 少しすると、またスピリット達が横島に絡みつき始める。

 

 精神を集中して『赤光』から力を引き出すトレーニングをしていたヒミカは、聞こえてくる甘ったるい声に、とうとう耐え切れなくなった。

 

「ヨコシマ様! もっとしっかり怒ってください! ルルーもしっかり監督しなさい!」

 

 上下関係を重んじるヒミカは、隊長を叱りつけるというのはしたくはなかった。

 だが、それでも物には限度があるのだ。しかし、それを目ざとく見つける者もいる。

 

「あ、ルルー隊長を呼び捨てにしてるし。いけないんだ~いけないんだ~」

 

 第三詰所のスピリットの一人が、ヒミカをからかうように言ってケラケラ笑う。

 これにはヒミカだけでなく、他のスピリット達も腹が立った。

 

 見た目が子供ならまだ仕方ないと思えるかもしれないが、第三詰所のスピリット達は殆ど同年代か年上のため、もうぶりっ子にしか見えない。

 同種であり同性のセリア達にしてみれば、こうも精神的に幼い事情は知っていても、もう馬鹿にされているようにしか感じられなかった。

 第二詰所と第三詰所がにらみ合う。横島とルルーが割ってはいるが、一体どちらの味方なのだ、と双方から睨まれてどうしようもなかった。

 

 そこで、

 

「横島、ルルー、こい」

 

 悠人が、二人を呼ぶ。

 何だか怪しげな雰囲気だな、と皆が思い始めていたが、どうせちょっと注意して終わりだろう。

 誰もがそう思っていたときだった。

 

「お前らが、しっかりしないからこうなったんだ!」

 

 怒鳴りつけながら、ルルーには平手を頬に、横島には腹に拳骨を打ち込む。

 甲高い音と、鈍く重い音が響いた。ルルーはたたらを踏み、横島はその場でうずくまる。

 

「いきなり、何をするんですか!」

 

 第三詰め所のスピリットが慌てて横島とルルーに駆け寄り、悠人を睨みつけながら言った。

 そんな彼女に、悠人は冷たい声で言い放つ。

 

「これは罰だ」

 

「ば……つ?」

 

「ああ、ルルーは隊長の役目が果たせないで、横島はルルーを推挙した責任がある」

 

 隊長として隊員を統率できないルルー。

 そのルルーを隊長に推した横島。

 仕事を果たせなかった罪を与えたと、悠人は言った。

 

「な、何で貴方がそんなことを!?」

 

「ラキオス全体の隊長は俺だぞ。横島とルルーは副隊長……俺の下だ。部下のミスを怒って何が悪い」

 

 悠人はふんぞり返って言ってのけた。

 第三詰め所のスピリット達は、大好きな隊長達を殴り倒した悠人を憎悪の目で睨む。

 睨まれてた悠人は、呆れたような目をしてまた拳を振り上げた。

 

 ――――殴るなら殴ってみろ。そんなの慣れているんだ!

 

 スピリット達は殴られる覚悟を決めた。

 だが、悠人の拳は、未だに腹を押さえて倒れる横島に向けられる。

 

「あ、やあ! やめて、止めてください! ごめんなさい! 真面目にしますから、やめて!!」

 

 二人を庇いながら、必死に頭を下げて謝りまくる。横島を人質にされたらどうしようもない。

 第三詰め所のスピリットは逆らう余地が無いことを自覚させられる事となった。

 そんな彼女達を小ばかにしたような目で悠人は見やり、そして溜息をついた。

 

「横島、ルルーは既定の倍訓練しろ。それと、後で反省文を提出してもらうから部屋に来い」

 

 言いたい放題言って、肩を怒らせて訓練部屋から出ていく。

 去る直前、ルルーが悠人に向かって感謝するように頭を下げたが、それを理解できたものはいなかった。

 悠人がいなくなって訓練場は水を打ったように静かになる。第三詰所のスピリット達が忌々しそうに呟いた。

 

「ヨコシマ様より、よわっちいくせに威張り散らして」

「あんな乱暴で怖い人が一番上なんて」

「卑怯者」

 

 第三詰所の悠人に対する好意は地に落ちた。

 権力を笠にして大好きな人達に乱暴し、そうして自分達を支配しようとする。まるで魔王のようだ。

 今まで感じたことがない怒りと、それ以上の恐怖が第三詰所にもたらされる。憎々しくても、逆らおうとはもう思えないほどだ。

 

「何を言っているの。貴女達が真面目に訓練しなかったからよ」

「そうだよ! ユート様って本当は凄く優しいんだから」

 

 悠人の事を良く知る第二詰所は、彼をかばった。

 流石に暴力を振るったのは褒められたことではないと思うが、それ以上に第三詰所を良く思っていなかったのが大きな要因だ。

 これだけ言われても仕方ないと、彼女達は感じていた。

 

「ヨコシマ様の部下なのに、あんな人を庇うなんて」

「うう~私達のほうがヨコシマ様が好きなのに」

 

 第三詰所のスピリット達は視線をそらしながらも、まだブツブツと文句を言った。

 自分達が悪かったのは、彼女達も分かっている。それでも、心がモヤモヤしてどうしようもなかった。

 それは、感情を制御できない小児の姿でしかない。彼女達はようやく戻り始めた感情に振り回されているのだ。

 また、第二詰所と第三詰所の間でにらみ合いが発生する。

 そこに隊長達が割って入った。

 

「ま、気にすんな。あいつに殴られるよりもセクハラでのお仕置きのほうが痛いしな」

 

「ほら、さっさと訓練しよ。のんびりしてたらご飯作るのが遅れちゃうし」

 

 殴られた当人である横島とルルーはさっぱりした様子だった。そこには悠人への害意などは無いように見える。

 

「でも」

 

「ここでまた騒ぎが起こったら、またあいつに殴られちまう! な、俺を助けると思って」

 

 そう横島が言うと、第三詰め所のスピリット達は慌てて神剣を振り出す。

 ようやく、真面目な特訓が再開するのであった。

 

 一方そのころ。

 エスペリアは立ち去った悠人を追いかけていた。

 小走りで追いかけると、すぐに訓練所の廊下でたたずむ悠人を発見する。

 

「ユート様、お待ちください!」

 

「ああ、エスペリア。どうした?」

 

「先ほどの件ですが……」

 

 悠人が間違ったことを言ったとはエスペリアは思わない。

 神剣を使う訓練は、一歩間違えば命の危険もある。だから心を引き締めて真面目にトレーニングをしなければいけないのだ。

 先ほどの第三詰所の態度はひどかった。あれを注意しないわけにはいかないのは当然だ。

 それでも、あそこまで苛烈な言葉と拳振り上げたことは悠人に似合わしくない。正直、別人かと思ったほどだ。

 何か、よほど腹立つことでもあったのだろうか。もし八つ当たり気味に横島やルルーに当たったとしたら、これはいけないことだ。

 どう言おうかとエスペリアが言葉を探していると、悠人の方からエスペリアに声を掛けた。

 

「なあ、エスペリア。さっきの俺、怖い隊長でいられたかな?」

 

 先ほどの鬼隊長振りが嘘のような、不安に満ちた声だった。

 

「え?」

 

「横島からも報告が上がっているんだけど、心を取り戻し始めた第三詰め所のスピリットは、物凄く幼いらしくてな。正直、きちんと命令を聞くかどうかすら怪しいらしい。

 

 命かける戦場に、命令を聞くか怪しい子供がいる。その子供を指揮して戦場に向わねばならない。

 スピリットは確かに命令には絶対服従だが、それでも命令を曲解して行動も出来る。指揮するほうにとって、これは堪らない恐怖とストレスだ。

 

 しかも、心が戻ってきても精神力が強化されたわけではないから、戦闘能力そのものも下がっているという。

 心が戻ってきて、殆どの面で弱くなっているのだ。だからこそ、何があっても命令は聞いてもらわねばならない。たとえ、命令を聞かねば横島を傷つけるという脅しをかけてもである。

 仲間の命が掛かっているのだ。多少、恨まれようが憎まれようが、手を選んでなどいられない。その程度で死傷者が出ないのなら喜んで悠人は嫌われ役をやるだろう。

 そこで、エスペリアにも合点がいった、

 

「つまり、さっきのは演技ですか? ヨコシマ様とルルーで打ち合わせをしていたと」

 

「いや、打ち合わせはしてないぞ。ただどうにかしないと三人で考えてたところでアレだったからな……咄嗟の思いつきでやってみたんだ。

 自分達(第三詰め所)が不真面目だと横島やルルーが叩かれるってなれば、ふざけることはないだろうってな。

 横島も俺に合わせてくれたみたいだ。そうじゃなきゃ、俺の拳はあいつに当たらないし。ルルーも理解してくれたみたいだぞ」

 

 第三詰所の為に、悠人は怖い鬼隊長となったのだ。

 それが分かってエスペリアは納得したが、同時に納得いかなかった。

 

「どうしてユート様がそんな役目を」

 

「怖い隊長は必要だからな。俺が鞭役で、横島が飴役になったっていうだけの話しさ」

 

「何もユート様じゃなくてもいいじゃないですか! ルルーがやっても良いし、ヨコシマ様でも……ユート様は本当に頑張っているのにどうしてあんな目で!」

 

「ルルーは隊長というよりも代表って感じだし、横島は絶対の味方じゃないといけないんだ」

 

 間違った方向に行かないように叱る者が必要なのは当然だが、同時に子供には絶対の味方が必要だ。

 

「俺は横島みたくはなれないしな。

 あいつ、第三詰所のメンバー全員のスリーサイズから好みまで把握してるんだぞ。俺は顔と名前を一致させるので精いっぱいだ。俺が飴役にはなれないさ」

 

 横島は本当に女好きだ。だからこそ、そこまで執着できる。そして、あれで倫理観もある。

 絶対の味方として横島が、そして逆らえない絶対者として悠人が。

 それが彼女らの生存と成長を守る最良の方法だと隊長達は判断したのだ。

 エスペリアは沈黙した。全てを納得したわけではないが、それでも仲間のため、国のためという判断があってやったことなのだ。

 だがそれでも、エスペリアの心は晴れない。

 

「私は、ユート様がもっと多くの人に認めて貰いたいと思うのです」

 

 これがエスペリアの心の底だった。尊敬する人が、もっと愛されて、認められてほしいのだ。

 肩を落としてしょんぼりするエスペリアの姿に、悠人は胸が熱くなるのを感じた。

 意を決して一歩踏み込み、彼女の肩に手を置く。

 

「そんなに沢山の人に認められなくても別にいいんだ。身近な……その、エスペリアに分かってもらえれば十分だから」

 

 顔を赤くして、恥ずかしそうに頬をかきながら見つめてくる悠人に、エスペリアは胸の高鳴りを必死に抑えた。 

 

「そんな……私なんかが」

 

「エスペリアだからいいんだ」

 

「ユート様」

 

「エスペリア」

 

 互いに、至近距離で見つめあう。 

 そのまま、二人の顔が少しずつ近づいて――――

 

「ちゅ~するの! ぶちゅ~って!?」

「ん、オルファ、声大きい」

「はてさて、キスだけ済むでしょうか。この通路を通行禁止にしたほうが」

 

 ひそひそと聞こえてくる三種の声。

 慌てて振り向くと、そこにはアセリア、オルファ、ウルカがこっそりと悠人達を見つめていた。

 

「あ、貴女たち! 盗み見なんて!?」

 

「ふむ、何か見られてはいけないような事をするつもりだったのですか」

 

 にやにやしながらウルカが言って、エスペリアが真っ赤になって一歩下がる。

 そこを見逃さず、三人は悠人に向き直った。

 

「ユート、私もユートの事は分かってる」

「そうだよパパ! エスペリアお姉ちゃんだけでいいなんて寂しいよ!」

「手前たちが分かっていないと思われるのは心外です」

 

 三人の熱い気持ちが悠人に伝わる。

 

「みんな、ありがとな」

 

 さわやかに笑う悠人に、アセリア達も晴れやかに笑う。

 第一詰め所の友情は、横島達第二詰め所に比べても勝るとも劣らなかった。

 

 良い所で邪魔されたエスペリアは、床をペシペシと蹴ってふて腐れた。

 

 

 ホラー大会

 

 

 その日は、もう終わろうとしていた。

 夕食を終え、風呂にも入り、夜間任務も無く、後はただ眠るだけ。

 

「ねえねえ、ヨコシマ様。何かを面白い話してー!」

「話して~」

「ええい、暑いからまとわりつくなお前ら!」

 

 特にやることが無くなったネリーとシアーは横島に話をねだっていた。

 少し離れたところには、ヘリオンとニムが絡まるわけはないが聞き耳を立てていて、もう少し離れて大人達がその様子を微笑ましそうに見ている。

 

 横島は子供達を面倒そうにあしらっていたが、結局何だかんだで子供達に付き合うことになるのが横島だ。

 結局なにか話をすることになって、青の姉妹は歓声を上げて、ヘリオンとニムもなんだかんだと横島の周りに集まる。

 他の大人達も、椅子に腰かけて横島の話を待っていた。

 

 だが、この横島という男。ただ優しく遊び上手だけというわけではない。

 色々と悪戯や爆弾を投げ込むのも、また得意だった。

 

「これはハイペリアに伝わる、ある男の話だ。

 もう夜遅く、ひゅーひゅーと妙に風がうるさい日だった。まるで誰かがガラスを叩いているように窓が揺れて、男はどうにもいや~な気配を感じてな。

 もうさっさと寝ちまおうと布団に包まったんだ」

 

 ゴクリ、と誰かがつばを飲み込んだ。この話が何か良からぬものだとうっすら気づいたらしい。

 子供達は何も言わずに横島の話を聞き込んでいる。大人達も茶を飲むのを止めていた。

 

「布団に包まっていたのに、気づくと男は赤い部屋にいた。いつの間にか眠ってしまって、夢を見ているらしい。

 目の前には七つの扉があった。その扉の右から三番目に入る。いいか、右から三番目、右から三番目だぞ」

 

 横島が何度も念押しして、ネリーは真面目な顔でコクコクと頷く。

 それから先も、いくつもの窓が現れたり、はしごや穴が現れた。それを潜り抜けていく男。横島はその順番を何度も念押しさせる。

 

「―――――そして最後に赤色の扉に入る。いいか、赤色だぞ。間違えんなよ。そして男は夢から目が覚めたとさ。めでたしめでたし」

 

 横島の話が終わる。スピリット達は意味不明な話に困惑した。

 ただ、意味不明だが妙に嫌な予感を感じさせて、横島に事情を聞こうとする、その時だった。

 

「じゃじゃじゃじゃ~ん! じゃ~じゃ~じゃ~じゃ~~~~ん!! はい、残念でしたーー!!」

 

 いきなり不気味な大声を横島が上げて、聞き入っていた皆がビクリと反応する。

 呆気に取られたスピリット達を見て、横島はニヤニヤと笑みを浮かべた。

 

「ふっふっふっ。実は今の話はハイぺリアの怪談でな。この話を聞いてしまうと、三日以内に同じ夢を見る可能性があるのだ! そしてもし、同じように行動できなくて脱出できないと……」

 

「で、できないと?」

 

「お化けに取り込まれて、一生眠ったままなのだ~! いや~みんな残念だったな。夢で頑張ってくれよ!」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら横島が言う。

 言われたことを理解すると、子供達は当然悲鳴をあげた。

 

「ヨコシマ様の馬鹿ー!! バカバカバカバカーー!!!! なんて話するのーーーー!!!!」

 

「怖いの~!」

 

 子供達が悲鳴を上げながら横島に飛び掛かる。

 取っ組み合いのプロレスが起こるが、それを笑いながらいなして横島は逃げ出す。

 大人達は冗談だと言いあった。それも、何度もだ。顔色は悪かった。

 

 唯一、ヘリオンだけが

 

「うわーハイぺリアの怪談ってこういうんですねー! わわわどうしよどうしよーー!!」

 

 と、妙に怖がりながらもハイテンションで盛り上がっていた。

 

 その日は、そうやって過ぎていった。

 

 二日目。

 

 この日も、いつもの訓練場で訓練が始まる。

 少し様子が違うのは、子供達は唸りながら横島を睨んでいることだ。さらに数人ほど体が重そうである。

 それらの様子に横島は首をひねったが理由を聞かせてもらえず、『あの日』だろうと勝手に推察して触れないようした。

 昨日の怪談の件など頭にすらない。彼にとって、あれは軽い冗談にしか過ぎなかったのだ。

 いつもの訓練が一段落ついて、セリアは横島が周囲にいないのを確認すると、休憩中の悠人に昨日の怪談話を聞かせた。

 

「こんな怪談を聞かせられたんですよ。本当にこんな下らない怪談を……ユート様もそう思いませんか?」

 

 セリアが面白くもなさそうに悠人に問いかける。

 その言葉には確認の意図が含まれていた。

 ――――あんなの嘘ですよね?

 実は密かに怖がっていたセリアは、悠人に確認をとって枕を高くして眠りたかった。周りのスピリット達も、密かに悠人の答えに耳を澄ませている。

 鈍い悠人も珍しく意図を察することができた。第二詰所を安心させるべく、笑みを浮かべて答える。

 

「そうだな。俺達の世界ではいくらでもある、よくある話しさ」

 

 悠人は言い方を間違えた。

 どこにでもある怪談だから大丈夫だと元気づけたのだが、セリア達からすれば「そんな話ありえない」と言って欲しかったのだ。

 よくある話ということは、ハイペリア(天国)では、今の呪いの夢は普通にあることなのだろうか。

 そんな恐れをセリア達に与えるだけとなってしまった。さらに悪いのが答えたのが真面目な悠人だという事。

 下手な冗談や嘘を言わないと信頼されているから、怪談の信憑性が一気に高まってしまった。

 

「それじゃ、今日の訓練はこれで終わりだ。また明日な」

 

 去っていく悠人。

 

「……うそ」

 

 セリアは白い肌を青白くして立ち尽くしていた。

 他のスピリット達も一様に顔色が悪い。訓練で火照っていた体が一気に冷たくなったようだ。

 

「わわわ! 本当なんだあの話!! きゃーどうしよう~~!!」

 

 ヘリオンだけは怪談の信憑性が上がった為か大盛り上がりだ。怖がっているが、しかし面白がってもいる。

 幾人かがヘリオンを睨んだが、テンションが上がった彼女は気づかない。

 また、普段はよくからかわれているヘリオンが怖がらないから、他の皆は怖がりづらかった。

 その夜は、多くの部屋で寝返りを打つ音が響き渡った。

 

 三日目。

 今日もいつもの訓練が始まるが、昨日とはまた様子が違っていた。

 第二詰め所のスピリット達の動きがさらに鈍くなっている。

 何時もと変わらないのはハリオンとヘリオンとシアー。それ以外がどこか体を重そうに剣を振っていた。

 気だるそうに神剣を振るうセリア達に、エスペリアが首を捻る。

 

「シアーが強いというか、何か皆の動きが良くないというか」

 

「神剣に神経が通ってません。集中を欠いた動きです」

 

「それに随分と不機嫌そうだな」 

 

 そして、最後の夜が来る。

 もう限界だと、ネリーは自室で感じていた。この二日、怖くてろくに睡眠を取れていない。

 だが、体は睡眠を欲している。せめて何とか恐怖を紛らわしたい。

 ネリーは眠いのを我慢してベッドにも入らず、じっとドアを見つめていた。

 妹が来てくれるのを期待したのだ。怖がりな所がある妹なら、きっと姉を頼ってくるはずだ。

 

 二人で寝れば、きっと大丈夫。お化けもこないに違いない。

 だというのにシアーはこなかった。姉として、お化けを怖がって妹の部屋に行くというのはプライドに関わる。

 だが、眠気とお化けの恐怖が、姉の尊厳を上回った。とうとう、ネリーはシアーの部屋に行くことにした。

 

「シアー、まだ起きてる。今日は一緒に寝ない?」

 

 声をかけたが、何の返事もない。

 もう寝たのかと思ったが、そもそも部屋に人の気配がない。

 不安を覚えて扉を開けると、そこに、シアーの姿は無かった。

 

「シアーーーー!!」

 

 絶叫が詰所中に響き渡る。

 

「おいどうした!」

 

 尋常ならざるネリーの悲鳴に、『天秤』を持った寝巻き姿の横島がやってきた。

 ネリーは恐怖と混乱から横島に涙を流しながら抱きつく。

 

「ヨコシマ様! シアーが、シアーがいないの! どうしよう、お化けに食べられちゃっ……たん……じゃ?」

 

 つー、とネリーの視線が横島の左手に移動する。

 彼の左手には、寝ぼけ眼のボブカット少女がピタッと張り付いていた。

 

「ヨコシマ様……どうしてシアーいるの?」

 

「ああ、昨日からお化けを怖がって一人で寝るのが嫌だからって、部屋に来たんだけど」

 

「ん~ネリー? ど~したの~?」

 

 シアーは横島に抱きつきながら、幸せそうにそんな事を言う。

 眠気と恐怖で色々と限界を感じていたネリーは、その瞬間何かが切れた。

 

「ず、ずるいずるいずるいーー! シアーのずるっこ!!」

 

「えーずるいなにが~?」

 

「ずるだよ! ずるずるずるずるずるずるずるずる!!」

 

 叫びながら、ネリーはまずシアーを睨んだ。

 一人で横島の部屋に言って、一緒に楽しく寝る。羨ましい以外の言葉など出てこない。

 言い方としては生々しいが、妹に男を取られたように感じていた。

 

 次に横島を睨む。

 本当だったら、妹に頼られるのは姉である自分だったはずなのだ。自分は頼りになるクールなお姉ちゃんだったはず。

 その役割を取られてしまった。姉として、それが悔しく悲しい。こちらは男に妹を取られた感じた。

 

 最後には二人を睨んで、

 

「何でネリーを仲間外れにするの! ネリーの事、嫌いなの!? 酷い酷い!!」

 

 涙を流しながら怒った。

 凄まじい癇癪だ。当然、騒ぎを聞きつけて他のスピリット達も集まってくる。

 横島とシアーが一緒に寝ていたというのが知れると、皆の目が険しくなり横島を打ちつけた。

 これはあかんと、しどろもどろになりながらも横島は弁解しようとしたが、そこにまた別な叱責が入る。

 

「ヨコシマ様、貴方が子供相手には不埒なまねをしない事は知っています。ですが! そういう問題ではありません!! 年頃の男女が寝床を共にするなど、あってはいけないことです!

 シアーも、いい加減に甘えはやめなさい。もう子供と呼べる年じゃなくなってきてるでしょ!! 胸だってヒミカ程度だけど一応あるのよ!!」

 

 セリアが吠えた。ヒミカは泣いた。

 横島もシアーも色々と反論したかったが、寝不足なのか目元にうっすらとくまが出来て不機嫌なセリアに対抗するなんて怖くてとても出来ない。

 それに、周りにいるスピリット達も妙に厳しい目を二人に向けていた。孤立無援である

 ちなみに、ヘリオンだけはいない。

 

「まあまあ、セリアさん~いくら羨ましくても嫉妬は見苦しいですよ~?」

 

 ハリオンが仲裁に入る。不機嫌そうな皆の中で、ただ一人だけいつも以上に優しげな顔だ。

 嫉妬といわれてセリアの目が一層厳しさを増した。

 

「嫉妬なんてしてないわよ!」

 

「え~本当に羨ましくないんですか~?」

 

 再度問われて、セリアだけでなく、年長組みは思わず過去を思い出し言葉を詰まらせた。

 それはまだ幼い頃。一人ぼっちで夜を迎えていた時の事。

 女が泣いているような風の音。誰かが壁を叩いているような窓のゆれ。顔に見える天井のしみ。全てを飲み込むような闇。

 子供心にはどれもこれもが大変な恐怖だった。誰かに助けを求めたかった。しかし、親も居ないし優しい人など周りにいないから、誰かの名を呼ぶことすら出来はしない。

 慣れるまでは、ただひたすら恐怖に耐えるしかなかった。孤独が当たり前だった。

 しかし、今は戦争という辛い理由があるにしろ、一箇所に集められて皆で過ごせる。しかも、優しく楽しい隊長までいるのだ。

 もしも子供のときに横島がいてくれたら、どれだけ楽しかったことだろう。そう思ってしまう。羨ましくない、と言ったら嘘だろう。

 

 嫉妬に近い気持ちが生まれて、セリアだけではなく、ハリオンを除く年長組みからもジトーとした視線がシアーに向けられる。

 

「まさかそんなに俺と寝たかったのか! それならいくらでウェルカムだぞ!!」

 

 横島は未だにおちゃらけた雰囲気でふざけたことを言う。

 そこで、ナナルゥが一歩前に出た。

 彼女は横島の目の前にまで行き、ギュッとほっぺをつねる。突然の行動に横島は目を白黒させた。

 

「冗談だとは思いました。それでも……この二日、怖くて眠れませんでした。

 このまま目を閉じて寝たら、そうしたらもう本も読めず、草笛も吹けず、皆にも会えず、ヨコシマ様にも会えないかもしれない。怖いんです」

 

 いつものように淡々とした喋り。そこに含まれる恐怖。

 目元に隈が受き出てきているナナルゥに、横島も素直に反省した。

 想像以上に隊員達に恐怖とストレスを与えたらしい。ここまで来ると、単なる悪ふざけではきかないだろう。

 

「変な怪談して悪かった」

 

 赤くなったほっぺをさすりながら、頭を下げて謝る。

 どうやら真面目になってくれたと判断したセリアは、とにかく聞きたい事を確かめることにした。

 

「ともかく、この際だから聞きます。ヨコシマ様、先の怪談話は本当に大丈夫なんですか!?」

 

「本当に大丈夫だって! 良くある怪談だし。つか、あれは即興の作り話だからな」

 

「本当の本当に大丈夫なんですか! 絶対にありえないんですか!?」

 

 セリアにすさまじい剣幕で詰め寄られて、横島は何もいえなくなった。

 絶対に無い。そこまでは、言い切れない。元の世界では大抵何でもアリだったのだ。実際に夢の世界に行って悪魔退治をしたことすらある。

 この話は横島がとっさに作った創作だが、似たような話はいくらでもあった。何か元ネタがあって、それが形を変えて各地に伝わっていたのだろう。

 その元ネタに何らかの怪異があった可能性は否定できない。派生話に怪異が無いとも言い切れない。単なる戯言から怪異は発生するかもしれない。

 霊能の世界は、基本的に何でもアリなのだから。

 

 言葉に詰まった横島を見て、全員の顔からサーっと血の気が引いていった。

 

「どうしてくれるんですか! もう何が正解だったかあやふやなんですよ! もし、お化けに連れ去られたら一生眠ったままに!」

 

「本当に悪かったって。まさかここまで怖がるなんて思わなかったんだ」

 

「なんて無責任な!」

 

 もう夜遅い中、神剣を振るって戦う大人達が、怪談を恐れていがみ合う。

 一体俺は何をやっているのだろうと、横島は頭を抱えた。

 

「そんなに怖いなら~今日は居間に毛布を敷いて皆でヨコシマ様と一緒に寝ませんか~一度皆さんと一緒に寝てみたかったんですよ~」

 

 ハリオンは相変わらずのほほんと言った。

 

「よ、ヨコシマ様と一緒に寝るなんて!? それに一緒に寝たからってお化けを退治できるわけじゃないでしょ!」

 

 セリアが恥ずかしさから顔を赤くして反論するが、ハリオンは笑みを崩さない。

 

「いえいえ~もし悪夢を見てもヨコシマ様が傍に居たらきっと助けに来てくれますよ~」

 

「まあ、夢魔退治の経験はあるから、多分やれるとは思うけど」

 

 過去を思い出しながら横島が言って、それが本当だと皆も分かった。

 

「本当にやったことあるんですね……それならどうしてこんな怪談なんかを」

 

 本当に夢にお化けが現れても助けてくれる。

 それが分かって、スピリット達は安心した。

 

(なら、仕方ないか)

(そうね、一緒に寝るのも仕方が無いわ)

(はい、仕方ありません)

 

 大人達は頷きあう。

 

「それじゃ、ここにタオルケットを持ってきましょう」

「はい。全員が寝る広さがあるのは、リビングしかありません」

「え、マジでか?」

 

 いそいそと寝る準備を始めた皆に、横島は驚いた。

 絶対に猛烈な拒絶反応が出ると思ったのに、セリア達はお化け一つで横島と寝るのを良しとしたらしい。

 

(や、やべえ! 皆メチャクチャ可愛いぞ!)

 

 普段は強気な戦士である彼女達が、お化け一つで眠れなくなって、一緒に寝ようと言う。

 これが可愛くなくて、何が可愛いと言うのか。

 横島が皆の可愛さと一緒に寝れるという事実に浮かれると、ハリオンがやってきて、指を彼の額に押し当てた。

 

「ヨコシマ様~皆さんは本当に眠くて怖がっているんですから~優しくしなきゃメッ! ですからね~」

 

 可愛く怒られる。これにはどうにも逆らえないし、逆らおうという気すら起こらない。

 変な事はしないで、頼れるGSとして過ごす。色々と難儀ではあるが、男を上げるチャンスだ。

 

「大丈夫っすよ! ちゃんと離れて寝るんで」

 

 本当は同じ布団で寝たいぐらいだが、流石にそうはいかないだろう。

 涙を呑んで紳士的に対応する。

 だが、それには大人達が難色を示した。

 

「あ、あんまり離れられると……その、怖いです」

「じゃあ! もうこうなったら一緒の布団で!」

「近づいてきたら、切ります!」

「どないせっちゅーねん!」

「では子供達をヨコシマ様の近くに、大人達は子供を挟んで寝たらどうでしょうか?」

「よし、それ採用でいきましょう!」

「う~どうしてニムがヨコシマの傍で」

「ニムを挟んでヨコシマ様と寝るか……ふふ」

「シアーはヨコシマ様の横だよ~」

 

 そんな彼女達を、ネリーはバカにするような目で見た。

 

「ふ、皆ダメダメだね。ネリーはヨコシマ様の下で寝るから!」

 

「した?」

 

「うん、男と女が一緒に寝るときはね、女が下で、男が上で寝るのが正常な形なんだって。というわけで、さあヨコシマ様、ネリーの上に乗って! 正常位でねよー!」

 

「お前はもうちょっと考えてから喋れ!」

 

 こうして、ヘリオンを除いた全員がリビングで寝ることとなった。

 横島の下に潜り込もうとするネリーや、セリアの布団に潜り込んできたナナルゥ等のトラブルがあったが、数十分後には皆寝息を立て始める。

 朝から晩まで、騒がしい第二詰所であった。

 

「これは一体どういうことなんですかー!!」

 

 朝も早くから、甲高い叫びが第二詰め所内に響いた。

 その一声で横島達は重いまぶたをひらく。すると目の前には涙目でプルプルと震えたヘリオンが目に映った。

 

「お~おはよう。どうした、ヘリオン」

 

「おはようございますヨコシマ様! で、どうしたもこうしたもありません! 何で皆さん一緒に寝てるんですか!? 寝ててもいいけど、どうして私だけ仲間外れにするんですか~!?」

 

「あ~これか。いや、何だか皆が怪談話に怖がってな。眠れないからってなんだかんだとここで皆で寝たんだけど」

 

「ずるいですー! どうして私だけ仲間外れにするんですかー!」

 

「だって、ヘリオンは怖がってなかっただろ。普通に寝てたし」

 

 横島にピシャリと言われて、ヘリオンはぐうの音も出なかった。

 怪談が怖くないわけではなかったのだが、それ以上に面白くてテンションが上がって訓練に熱がこもり、体が疲れて熟睡できてしまったのだ。

 どうしてもっと怖がらなかったのか、と涙するしかない。

 そんなヘリオンの心など分からず、横島と大人達はヘリオンを称賛する。

 

「ヘリオンだけはまったく怖がってなかったもんな~正直見直したぞ」

 

「そうですね。あまり子供扱いはできません」

 

「むーまさかヘリオンがこんなに勇気あるなんて」

 

 大人たちもヘリオンをつぶさに褒め、ネリー達もヘリオンの評価を上げたらしい。

 それはそれで嬉しい。だが、そんなことよりも。

 

「ふえ~ん! なんでこうなるんですか~!?」

 

 こんな事で見直されるよりも、皆と一緒に眠りたかった。

 ヘリオン・ブラックスピリット。

 どこか幸薄い人気ランキングナンバーワンな少女だった。

 

 

 こんな妹がいたら。

 

 

 ある日の事だった。

 横島とヘリオンが詰所近くを歩いていた時の事。

 

「ヨコシマ様の事、お兄ちゃんって呼んでいいですか!? 実は私、お兄ちゃんが欲しくて」

 

 ヘリオンがいきなりそんな事を言い出した。

 目を大きくする横島に、ヘリオンは内心で邪笑を浮かべる。

 

 ――――ふっふっふっ~知ってますよ。男の人は年下の妹に弱いんです! ユート様だけじゃないんです!! それに特別な愛称を呼べば、一気に仲良くなれちゃうかも!?

 

 そんなヘリオンの悪巧みを露とも知らず、横島は深く考えることもせず頷く。

 

「まあいいぞ」

 

 横島は様付けで呼ばれるのが殆どだが、これは別に強制しているわけでも、望んでいるわけでもない。

 ヨコシマ様というの聖ヨト語で『ソゥ・ヨコシマ』だ。

 聖ヨト語を勉強している間、言葉の意味も分からない間に呼ばれ続けてしまい、気づいたときには完全に定着してしまった。

 横島も慣れきってしまったので、特に訂正させなかった。これは悠人も同じだ。

 

「えへへ~!」

 

 機嫌が良さそうなヘリオンに目を細める横島だが、そのとき膀胱が膨張を宣言する。

 このままでは三ターン以内に膀胱のライフがゼロになるだろう。

 しかたなく、横島はマジックカード『SHONBEN』を発動させる。

 

「ゆっくり出してきてくださいー」

 

 森に入っていく横島に声をかけるヘリオン。

 そんなヘリオンに一つの影が近づいた。

 

「こんにちわ、ヘリオン」

 

「あれ? こんな所でどうしたんですか」

 

「ちょっと散歩だよ。それよりさ、お兄ちゃんって聞こえてきたんだけど……」

 

「聞いてたんですか! 実はですね、たった今、私はヨコシマ様の妹になったんですよ!」

 

「ふーん……ねえ、知ってる。兄と妹ってね……」

 

 それから少しして横島がヘリオンの所に戻ってきた。

 

「あ、ヨコシマ様」

 

 暗い顔のヘリオンは、横島を兄と呼ばずにいつもの様付けで呼んだ。

 不思議に思う。ついさっき決めた事なのに、どうしてもう止めてしまったのだろう。

 

「あれ、お兄ちゃんって呼ばんのか」

 

「だって! 兄と妹ってずっと一緒にいられないって聞いたから……そんなのやです」

 

 俯きながら悲しそうにヘリオンは言った。

 その言葉に、横島は思わずうめいた。

 これは、可愛い! 文句無く可愛い!!

 身近にいるシスコンを馬鹿にしていたが、もしもこういう妹がいたら妹狂いになっても致し方ないのかもしれない。

 それだけの破壊力をヘリオンは秘めていた。

 

「ヘリオンって、メチャクチャ可愛いな」

 

「え、ええ!? そんなことないですよ……えへへ~」

 

 ヘリオンは顔を真っ赤にして、蕩ける様に表情を崩した。

 好きな人に可愛いと呼ばれる。

 恋する女の子にとって、これほど嬉しいこともなかい。

 まあ、それがマスコット的な意味での可愛さであるとは、当の本人は気づいていないのだが。

 幸せの絶頂にいるヘリオンの様子に、横島はうんうんと頷く。

 

「いやいや、本当に可愛いぞ。こんなに可愛い妹がいて俺は幸せだ。嫁に行くときは泣いてやるぞ!」

 

「え!? 違いますよ、私はもう妹やめたんです!」

 

「くうぅ! いやあ。本当に可愛い妹だな」

 

「だから、妹じゃありません!」

 

「妹よー!」

 

「あ~ん! どうしてそう意地悪するんですかー!?」

 

「ヘリオンだからな~」

 

 ぴいぴい泣くヘリオンを、よしよしと撫でてやる横島。からかいがいがあるヘリオンは、こうやって色々な意味で皆に可愛がってもらえている。

 ちなみにヘリオンは泣いてはいるものの、これはこれで構って貰えて楽しかったりする。

 恋に恋する少女は、まだまだ子供だった。

 

 ちなみにこの話が中途半端に伝わった第二詰め所では、

 

「ニムね、お姉ちゃんの……ううん。ファーレーンさんの妹やめるから」

 

 その瞬間、ファーレーンの仮面がひび割れて砕け散った。

 また別の某所では。

 

「どうしたのルルー……隊長。元気がないみたいだけど、おなか痛い?」

 

「ううん、大丈夫大丈夫。ちょっと落ち込んでるだけ……うああ、ボクだけのお兄ちゃんでいてほしいからってあんな事を言って……うう、自己嫌悪だぁ」

 

 顔を真っ赤にしたブルースピリットがいたとかなんとか。

 

 

 おやすみなさい

 

 

 その日、横島は隊長という特権をフルに生かして、ハリオンを自室に呼んだ。

 

 命令してハリオンをベッドに座らせる。

 ここまで来たら、やることは一つ。

 

「ああ~やわっこいな~暖かいな~! この膝枕のために俺は生きてるんだー」

 

 膝枕である。

 暖かく柔らかいふともも。おっぱいまくらや尻まくらにも匹敵する膝枕に、横島は桃源郷にでもいるかのように表情が崩れている。

 くんかくんか。太ももに顔を埋めたまま深呼吸する。

 良い匂い。ただそうとしか言い様が無かった。

 

「さっきまでヒミカとお菓子を焼いていたから、美味しそうな匂いがするんですね~」

 

 そんな風に言ってハリオンはニコニコと笑う。横島の変態的な行為などまったく気にしないで、横島の頭を撫で始める。流石は天然お姉さんだ。

 嗅覚と触覚を満たされた横島は、今度は視覚を満たされるために仰向けになってハリオンの笑顔を見ようとする。だが、それはかなわなかった。

 二つの大きな山が眼前にあって、ハリオンの顔を隠していたのだ。

 

「うおお~! 絶景かな絶景かな!」

 

 柔らかい太ももの感触。

 えもいわれぬ良き匂い。

 巨大な二つの山脈。

 

 ごくりと、横島は喉を鳴らした。

 正直、色々と限界だった。この乳を好きにしていいのは知っているのだ。

 もう十分仲良くなったし、そろそろ大丈夫ではないだろうか。

 

 煩悩に誘われるまま、ゆっくりとハリオンの肢体に手を伸ばす。ハリオンは胸に近づいてくる手を見ても、ニコニコと笑っている。

 しかし、ビクリと、本当に僅かにハリオンの全身が硬直した。だけどそれは本当に一瞬で、すぐに筋肉の硬直は解けて横島の頭を撫で続ける。

 その一瞬の硬直を横島は見逃さなかった。

 横島の手は、胸を通り過ぎてハリオンのほっぺたに向かう。

 

「おおーふっくらしてるっすね!」

 

「も~それじゃ太ってるみたいですよ~」

 

「わはは、すいません!」

 

 イチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ!

 砂糖を吐き、血涙を流したくなるような光景が続く。

 ハリオンは本当に楽しそうに、幸せそうに、壊れ物を扱うように、横島の頭を撫で続けた。

 それは寝息が始まっても、しばらく続くのだった。

 

 



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第二十七話 前編 新たな敵対者①

 青、緑、赤、黒、白。

 五色のブロックが組みあがって出来た遺跡だった。

 遺跡の中央に法王の間と呼ばれる広間がある。そこに三人の男女が集まっていた。

 一人は、以前に横島と戦ったタキオスという大男。後の二人は、線の細い優男と、目を部分を黒の布で覆った妖艶な美女。

 

 その三人がいる中心の空間がぐにゃりと歪み、ガラスの割れたような音と共に一人の幼女が飛び出してきた。

 全身を白のローブで包み、年相応の小さな手には小さな杖が握られている。

 幼女はひび割れた先の空間に手を振った。誰かに挨拶しているようだ。

 割れた空間の先からは返答も無く、程なくひび割れた空間はゆっくりとくっ付いていった。

 三人を代表して、タキオスが一歩前に出て幼女にうやうやしく声を掛けた。

 

「お忙しいところ、時間をとっていただきありがとうございます」

 

 筋骨隆々の、猛犬のような強面であるタキオスだったが、言葉遣いや仕草は品のある執事のようだ。

 幼女は気にする必要は無い、と微笑をたたえて言う。その様子に上機嫌であると理解したタキオスは、少し突っ込んだ質問をした。

 

「調整はどうですか?」

 

「上々ですわ。完全にこちらの意のまま。知識も搾り出せるようになってきました」

 

 幼女は声を弾ませて言った。

 しばらくの間、幼女は研究に没頭していた。研究の中身は、精神を如何にして操るという、人権無視なものだったが、幼女はそれこそ得意としている。ただ今回は多少勝手が違うので苦労していたのだ。

 その研究がようやく一段落ついたのだから、ご機嫌なのも当然といえよう。

 

「それで、何か問題でも起きましたか?」

 

「はっ、このままではラキオスとマロリガンとの戦いが我々にとって……いえ、テムオリン様にとって面白くない事態となるでしょう」

 

「私にですか?」

 

 目をぱちくりさせる幼女。

 その仕草は愛らしさの塊だったが、どこか余裕と不遜を感じさせる。

 タキオスはそんな上司をいさめる様に、僅かに語気を強くして言った。

 

「現在、『求め』と『天秤』の両契約者はスピリット達と共に、既にダスカトロン大砂漠を突破しつつあります」

 

「まさか」

 

 常に超然とした振る舞いと余裕の笑みを浮かべていた白の幼女は、珍しく狼狽したように目を丸くした。

 幼女は急いで手に持っていた杖で空を突く。すると、空間に水滴を垂らしたように波紋が起き、波紋は色を変え始めた。

 そうして色を変えて映し出された光景は、一面だたひたすらの黄金色。生命の息吹が失われた大砂漠。

 その砂漠を、純白ではない白の翼をはためかせて飛ぶ集団があった。

 

 永遠の煩悩者 第二十七話 前編

 

 新たな敵対者

 

 ダスカトロン大砂漠。通称、無の砂漠。

 ラキオスとマロリガンの間に横たわる大陸中央の大砂漠である。

 砂漠だけあって昼が直射日光が酷く、夜は凍えそうなほど寒い。環境は恐ろしく厳しい。何よりも厳しいのが、この砂漠にはマナが殆ど存在しない、という点だ。

 マナは命そのもの。特に神剣にとってはマナは空気も同じだから、この砂漠はスピリットやエトランジェにとって過酷な世界だった。

 砂漠だからマナが存在しないのではない。マナが存在しないから砂漠と化したこの地は、少しずつ広がり続けて大陸の暗雲を象徴しているといえるだろう。

 そんなエーテル機関の行く末を示した砂漠を、砂嵐さえ引き起こすような勢いで飛ぶ集団があった。

 

 ブルースピリットだ。その数は十五人。

 全員が何かを抱えている。大きさは人程度。いや、実際に人を抱えていた。お姫様抱っこやおんぶで運んでいる。手には神剣を持ちながらなので持ちづらそうだが、重たさは感じていないようだ。

 ブルースピリット達はラキオス第三詰め所のメンバーで、運ばれているのは第一、第二詰め所のメンバーである。

 

 マロリガンからの宣戦布告。それはマロリガンとサーギオスの二国を同時に相手にする危険性を生み出した。

 この状況を打破するには、マロリガンかサーギオスのどちらかを迅速に叩きのめすしかない。

 そう判断したレスティーナの行動は迅速という域を超えていた。

 会談終了直後に文珠を使って、即マロリガン攻略の指示をラキオスで待機していた悠人達に出したのだ。

 

 本来なら、レスティーナがラキオスに帰還して、初めてマロリガンとの戦争に入った事が分かるだろう。例え、お供に早馬での伝令を頼んだとしても二週間は掛ったはずだ。

 その時間を、文珠という奇跡の珠が乗り越えさせた。

 敵地での宣戦布告から半日でラキオスは戦支度を整えることに成功する。さらに、次の瞬間にはラキオス首都からマロリガンに最も近い都市ランサまで全軍が移動していた。

 

 大陸最北端にあるラキオスからマロリガン国境近くにあるランサまでの道のりは、スピリットの健脚でも一週間はかかる。

 一体何が起こったのか。答えはヨーティアが開発した新技術にあった。

 

 エーテルジャンプ装置。

 この発明こそ、正に稀代の偉業としか言いようがない代物だった。

 エーテルジャンプの効果は至極単純。スピリットとエトランジェのみに作用する『テレポート』だ。

 ラキオス首都に親機を設置し、要所に子機を設定することで、親機と子機の間を行き来することが出来る。そこに距離など関係なく、使用時に何のエネルギーも必要ない。

 ただあえて言うのなら、作り上げるのに大量のマナと技師と時間を要することだった。コストは高いが有効性は極めて高いため、マロリガンとサーギオスの国境沿いだけに子機を二基設置する事にレスティーナと悠人は決めていた。

 

 これは当然軍事機密で知っているものはごくごく僅かであったが、マロリガンは既に察知していた。しかも装置が仕上がる時期すら正確に把握していたのである。

 極秘プロジェクトすら探り当てる、異常なまでの情報収集能力。

 この高すぎる情報収集能力が、しかしマロリガンにとって裏目に出た。

 

「おっ、こうすれば工程短縮になるな」

 

 霊力実験で横島を弄りまわしていたヨーティアは装置の改良案を唐突に閃いた。

 そして技術者の性というものなのか、現在建設中のエーテルジャンプ装置の設計図を勝手に書き換えたのだ。

 悲鳴を上げたのは現場の技術者達だ。ただでさえ自身の理解がまだ及ばぬ装置を不眠不休で作っていたのに、いきなり設計が変わってるのだから溜まったものではない。泣き声を上げる技術者は続出した。

 当然、ヨーティアはそんなものを無視したが。

 技術者らの屍の上で、エーテルジャンプ装置はマロリガンどころかラキオス自身すら想定しない速度で仕上がり、宣戦布告から一日も経たずに横島達はマロリガンに最も近いランサに降り立ったのだ。

 

 そこからラキオスは行軍速度の為に、さらに一計を案じた。

 雪之丞が悠人達を襲った際、横島は移動だけの目的でルルー・ブルースピリットを利用した。今回もそれにならう形にしたのだ。

 サーギオス国境沿いにある都市『ケムセラウト』に配置した第三詰所の中から、ウイングハイロゥを持つブルースピリットを抜き出して、移動手段の為だけに活用する。

 第三詰め所の錬度はいまいちであるため、こういった使い方を横島は考えていたらしい。また、少しでも彼女達に手柄を立てさせたいと横島は気を配っていた。

 

 さて、ここで横島の様子を見てみよう。

 横島をお姫様抱っこで運搬しているスピリットは、彼が望んだ大人のブルースピリットだった。ふくよかな胸が腕に当たって、横島の頬はゆるゆるに緩んでいる。

 しかし、時たま複雑な表情をすることもあった。

 

「わりと飛ばしてるけど疲れてないか、アーネンムさん……じゃなくてアーネンムちゃん」

 

「う~アーちゃんって言って! ヨコシマ様がつけてくれたんでしょ! うえ~ん!!」

 

「俺がつけたのは名前であって愛称は付けてない……ああ、うそうそ! アーちゃん泣くな泣くな!!」

 

「嘘泣きだよ~ん!」

 

「嘘かい!?」

 

 このように非常にお馬鹿で幼い会話が展開される。

 横島は愛称を呼ぶのに四苦八苦していた。

 なんと言っても見た目は二十代半ばから後半で、身体つきもスピリットには珍しくふっくらしている。さらに黙っていると知的なお姉さんのように見える。にも関わらず精神年齢はかなり幼い。

 スピリットの事情を知らない人が彼女を見たら、ぶりっ子と敬遠してしまうかもしれない。それだけアンバランスだから横島も戸惑う時がある。

 

 こうなってしまった原因は一つだ。アーネンムの知能が優れていて、褒められたいという欲求から勉学に励みすぎてしまい、幼児の頃に軍規から家事まで覚えてしまった為だ。

 必要なことを覚えた為、早々と調教されて神剣に心を飲まれてしまったのがアーネンムだった。横島やルルーの頑張りに心が解凍され始めると、大人の体に幼児の心が宿ってしまった。

 大人の肉体に子供の精神。第三詰め所のメンバーの多くがこれに当てはまるが、アーネンムは特にそれが顕著だ。

 横島にとって見れば、ある意味で一番厄介なスピリットと言えるだろう。

 ちなみに、彼女の名前は横島が付けた。元の名前はアステと言う。聖ヨト語で『あいつ』や『そいつ』を意味する代名詞で、「もう名前じゃねえだろ!」という横島の突っ込みから新しい名前を付けたのだ。

 アーネンムとは聖ヨト語で暖かい青を意味する。ブルースピリットの青と、横島が抱きつかれたとき体温が高かったからという理由からで、これはこれで酷い理由だがアーネンムはすっかり気に入ってしまったらしい。

 

「えへ……チチシリフトモモ~!」

 

 アーネンムの手がわさわさと横島の体をまさぐり始める。

 

「こ、こらこらー! どこを触って……ぬおおお! そこは待てい!!」

 

「にへへ! ここか~ここがええんか~!」

 

 横島の抗議の声に、アーネンムは白い歯を輝かせながら得意そうに、あるいは意地悪く笑ってみせた。

 これは子供がいけない事と分かっていながら、大人の反応が面白くてわざとやる悪戯の類だ。

 怒られると分かっていながら、それでも相手が許してくれると信頼しているからこそ出来る悪戯でもある。それに多少の性知識が生まれてきた結果だろう。

 

 良い傾向だ、と横島はほくそ笑む。

 今までもスピリットに異常に好かれていたが、彼女らは決して横島に対して悪ふざけをしなかった。命に関わるからである。

 実際、少しスピリットに理解を持った人間に悪戯をして首をはねられた事例があった。普通なら許される程度のイタズラであっても、スピリットには処刑に直結する。

 こうなってしまうのはスピリットの命の軽さもそうだが、殺したところでマナという資源で回収できてしまうからだろう。

 人に悪ふざけをする、というのは相当な信頼関係を築いて初めてできることなのだ。

 

 それからも少し会話しながら飛び続ける。

 数時間ほど経過して、アーネンムの表情が苦しげに変化し始めた。

 

「はあっはあっはあ」

 

「そろそろきついか?」

 

「まだ大丈夫」

 

 歯を食いしばりながらもアーネンムは答える。

 それからも少し飛行を続けていたが、段々とスピードが落ちてきた。

 ろくにマナがないこの砂漠で飛び続けるのは体力を著しく消耗する。

 

 帰りも考えなければならないし、そろそろ限界か?

 

 そう思い始めたときだった。地平線付近に何か動くものが見え始める。

 十数人の団体。団体の中央には砂漠すら渡れる最先端の馬車。

 その周囲には相当な腕前と見られる人間の護衛達。マロリガンから帰路についてるレスティーナ達だ。

 

「がんばれ。あそこがゴールだ!」

 

 横島の声にアーネンムは頷いて最後の力を振り絞る。

 他のブルースピリットも速度を上げた。それは徒競走のゴール前を彷彿させる。

 最終的にはアーネンムがトップでレスティーナの元までたどり着いた。

 

「おつかれさん! 一着だな! がんばったぞ!!」

「はっ……ふぅ……ヨコシマ様……から貰った『ぼんの~パワ~』のおかげだよ」

 

 さわやかに笑って言うアーネンムに、横島も汗を拭いてやりながら労う。

 大好きな人に良いところを見せたい。

 それが分かるから、横島も精いっぱい褒めてやった。アーネンムは幸せそうに微笑む。

 

「ユート様、ヨコシマ様、彼女達は私共が見るので、まずはレスティーナ様に話を」

 

 そこにセリアが声を掛けた。

 横島との交流を邪魔されて、ムッと第三詰め所のブルースピリット達がセリアを睨む。

 

 第二詰め所と第三詰め所の間は良好とはいえない。

 特に第三詰め所のスピリット達がセリア達を敵視、というよりもライバル視している。

 修羅場に巻き込まれてはたまらないと、横島と悠人はそそくさとレスティーナの元に向かった。

 

 馬車から顔を出したレスティーナは厚手の布地を頭からかぶっていた。

 日差しに肌を焼かれないためだろう。露出が少なくて横島としては少し残念だが、これはこれでいつもと違う魅力があって良かった。

 

「ご苦労様です。エトランジェ・ユート、エトランジェ・ヨコシマ。よく皆を纏め上げて来てくれました」

 

「いやーそれほどでもないっすよ! レスティーナ様の為ならば男横島、何だってしてみせます!! というわけでご褒美のチューを!!」

 

 いつものように飛びかかろうとしたが、こうなることを予想していた悠人が首根っこを掴んで押さえ付ける。

 毎度の恒例行事に、レスティーナも悠人も安心感すらあるほどだ。 

 

「それにしても、理屈の上では可能というのは分かっていましたが、ラキオスからここまでを二日足らずで……信じがたいスピードです」

 

 レスティーナは頭の中で、この大陸の地図を思い浮かべる。

 広大な大陸の最北に、ちょこんと慎ましくあるラキオス首都。中央部には大砂漠。そこから遥か南西にあるマロリガン。

 それだけの距離をたった二日で踏破しようとしている。それも、細かい作戦を詰めたり、食料や水を準備する時間が大半で、実際には半日程度でここまで来たと言って良い。

 距離、空間といった戦いではラキオスは最強になったとレスティーナは確信した。

 

「では、この戦いの目的をおさらいしましょう」

 

 目的はこの砂漠を越えたところにある、スレギトという都市の攻略だ。

 ラキオスを攻めるにあたって前線となるスレギトには、大量のマナと技師が詰め込まれ始めている。

 そして、この部分が重要なのだが、現在、スレギトにはスピリットが殆ど配置されていないらしいのだ。

 大体のスピリットはマロリガン首都で行われる軍事パレードに出席する事になっている。無論、もてなしを受けるのではなく、兵器として民衆に見せつけるためのものらしい。

 

 この作戦が成功すれば、マロリガン政府は民の前で声高々にラキオスに宣戦布告したと同時に、橋頭堡の都市が奪われた挙句、技術とマナも奪われるわけだ。

 さらにスレギトを奪えば、マロリガンにある三ヶ所の都市を攻撃範囲に収めることができて敵は戦力を分散せざるをえなくなる。マロリガンの混乱は極致に達するだろう。

 ここで上手く外交すれば停戦や和平も不可能ではないはずだ。さらに文珠を使えば外交で有利に立ち回るのも造作ない。

 

「頑張ってください。急げば急ぐほど、戦いも少なくなりこちらに有利になって、戦争は瞬時に終わるでしょう。罪なき民も、そしてスピリットも、死なずに済みます」

 

 最後のレスティーナの言葉に、悠人と横島は神妙に頷いた。

 誰も死なずに済む。それが戦争に赴く二人にとって、なによりも戦意を高揚させる言葉だった。

 

 ラキオスに戻るレスティーナに、第三詰め所のブルースピリット達の護衛をつける。

 後は横島達の仕事だ。

 改めて砂漠に立つと猛烈な日差しが肌を焼いてくる。

 今までは風を感じていたから良かったが、何もしていないと暑いというよりも熱いと言った方が正しいレベルだ。

 

「うう~」

 

 ニムが唸り声を上げて蕩けていた。

 横島がほっぺたをつついても、めんどくさそうに視線を横島に向けただけで、あとはされるがままになっている。

 他の子供たちもオルファを除いて死にそうな表情だ。

 

 大人達は弱音は吐かないものの、それでも暑さに参っているようで、胸元をいつもよりも開けていた。ハリオンなんて今にもとろけそうなスライムの表情をしている。

 唯一元気が良いのはレッドスピリット達だ。

 

「ヒミカやナナルゥは元気そうだな。やっぱりレッドスピリットは暑さに強いのか?」

 

 横島が元気そうなヒミカらレッドスピリットの胸元を見つめて言う。

 イヤらしい視線に気付いたヒミカは、さっと胸元を隠すと、顔を赤くしてぷいと悠人に向き直った。

 

「それもありますが、何よりの要因は私達が通っているヘリヤの道は赤マナが多少とはいえあるからだと思います」

 

 ヒミカが言うと、ナナルゥも悠人に向かってこくりと頷く。

 

「神剣は常にマナを吸収しています。ダスカトロン砂漠は一大マナ消失地域ですが、このヘリヤの道だけは僅かとはいえ赤マナがあるので、相対的に見て私達レッドスピリットが優位に立てるでしょう。戦術を考える際には一考してください」

 

「ああ、分かっている。それに砂漠は見通しも良いし、遮蔽物も少ない。活躍してもらうぞ、オルファ、ヒミカ、ナナルゥ」

 

「おー!」

「はっ!」

「承知しました」

 

「ちょっと待てい! 悠人、何でお前が答える!? 今の会話の流れなら俺が答えるはずだぞ!」

 

「だったらもう少し真面目にしてください!」

 

「何を言うヒミカ! 俺はいつだって真面目だぞ! 夏場での楽しみって言ったら、女の子たちが薄着になる事だろ!」

 

「それのどこが真面目なんですか! 大体、私達に支給される戦闘服のデザインは固定です。第一詰所は例外なんですから」

 

「そんな事もあろうかと、ヨーティアさんやレスティーナ様にスケスケの戦闘服希望と要望出しときました!」

 

「どうしてそう無駄な行動力があるんですか!」

 

「無駄じゃないだろ! 俺の霊能力がアップして戦いが有利になるんだぞ」

 

「これが本当だから参るわ……」

 

 ガックリとヒミカが肩を落とす。

 そんな様子を半分が呆れたように、もう半分は楽しそうに見つめる。

 

「じゃあ、そろそろ走るか!」

 

 悠人の号令でようやく場が収まって、神剣の力を引き出して皆が走り始める。力を引き出せば暑さなんてどうということはない。

 既に砂漠の半分は超えていた。多少は速度を抑えて小休憩を挟んでも、後半日もあればマロリガンの城塞都市であるスレギトに到達できる。

 そうすれば最悪のケースであるサーギオス、マロリガンとの二正面作戦を避けられるのだ。

 最高の結果を目指して、横島達は黄金色の大地を走り続けた。

 

 それらの様子を確認した幼女は、思わず天を仰いでいた。

 

「まさかこうなるとは」

 

 文珠による連絡、ウイング・ハイロゥを持つスピリットの獲得、エーテルジャンプ装置の工程短縮。

 単一の効果だけならともかく、それが連動した結果、想像を超えた速度を生み出すこととなった。

 

 マロリガンはとある情報網からこの緊急事態に気づき、急いで防衛部隊を差し向けたが、ぎりぎりで間に合わないだろう。

 なんとか間に合っても市街戦になる。そうなれば、スレギトの市長は戦を避けるため無防備都市宣言を出すだろう。

 

「まったく、『天秤』は何をしていたのでしょう! このような事態を避けるためにも、常に連絡を忘れずにと言っておいたのに」

 

 文句を言いながら幼女は周囲に浮かぶ連絡用の神剣に目を向ける。

 刀身には、このような文字が浮かび上がっていた。

 

 神剣着信履歴、十九件。

 テンくん。

 

 表示される文字に硬直する幼女。どうやら研究に夢中で聞き逃していたらしい。

 ピコピコと点滅する神剣は、何処と無く哀愁を漂わせている。

 三人は白けた目つきで上司である幼女を眺めていた。

 

「ま、まあ『天秤』も仕事はしていたみたいですわね。ここは素直にラキオスの手腕を称えるべきでしょう……ほほほ!」

 

(うわ、笑って流そうとしているよ、あれ)

(やれやれ、こういう上司にだけはなりたくないですね)

(…………テムオリン様)

 

 三人の冷たい視線が幼女に突き刺さる。

 視線に気付いた幼女は笑いを止めると、真面目な表情を作り出した。

 

「ええ、ええ、連絡を見逃してましたわ。すいません。確かに私の責任ですが、今は責任を問うよりもこの状況をどう切り抜けるかが重要だと思うのですけど」

 

 まったくもって正論を述べる幼女だが、それは先ほどまで部下に責任を追及しようとしていた主張と相反している。

 三人は内心でさらに呆れたが、表情は引き締めた。余りからかって不評を買えば、次の瞬間に空間のあちらこちらから神剣が飛び出してくるのは知っていたからだ。

 

「どうしたものでしょう。このままでは勝負が付いてしまいますわ」

 

 今まで多くのイレギュラーがありつつも、微修正で結果的に予定通りになっていたから油断していたのかもしれない。

 ラキオスとマロリガンが戦争になるのは予定通りだが、一方的な展開は望むところではなかった。

 幼女の心配に、妖艶な女が面倒くさそうに声を掛けた。

 

「別に構わないのではないじゃないですか。どうなろうと候補者同士は殺しあうように設定しているでしょう。ま、あたしは賭けに負けちまうので面白くないけどねぇ」

 

 どれだけ横島や悠人が予定外の行動を取ろうと、幼女達の計画に支障は無かった。

 この世界に来て永遠神剣と契約した時点で、もう殺しあう以外の道はなくなっているのだ。道筋が変わっても、行き着く先は同じだ。

 誰が勝者になるのかだけは分からず、それを賭けの内容にしているが、勝負なしになることだけはありえない。

 

「目的の完遂は心配していませんわ。ラキオスの完勝では、私の目の保養にならないのが問題なのです」

 

 勝負は決まっていないとは言うが、幼女にとっては愛する横島が勝つというのは既に確定事項に過ぎない。

 だから、重要なのは結果では無く過程なのだ。横島を笑わせ、苦しませ、幸せの絶頂と地獄の苦しみを味あわせる。

 愛する人のがんばっている姿が見たい。横島の喜びと苦しみこそ、幼女の悦び。

 幼女は実に恋する乙女をやっていた。性根が心底邪悪なのが玉に致命傷だ。

 次に優男が発言する。

 

「ミニオンでも使って足止めすれば良いのでは」

 

「論外ですわ。尖兵を直接送り込んでは、確実にカオスの連中がやってきます」

 

 幼女はあっさりと却下した。

 今更何を、と優男の表情が歪んだが、すぐに澄ました顔に変わる。

 次に発言したのは大男のタキオスだ。

 

「贄の時のように、龍に干渉して足止めさせては」

 

「あの大陸には、もう私達が干渉して動かせる龍はいませんわ。あらかた刈りつくされてしまいましたし、残っているのは強力な龍のみで、早々と干渉できません。

 私達はあくまでも確率的に起こりえる可能性を選択するか、大勢に影響しない程度の干渉をするしかないのです……少なくとも、時が来るまでは」

 

 幼女に言われて三人は黙り込んだ。

 圧倒的な能力を持つ彼女らであったが、それでも全知全能にはなりえない。

 小箱に大箱は入らないように、有限である世界で無限の力は振るうことはできないからだ。

 不用意に力を発揮すれば、同格の敵が入り込んでくる可能性もある。それだけは避けないといけない。

 どうしたものかと、考え込む四人。

 そこに、何かがゆっくりと近づいてくる。

 

「キュガァァ」

 

 現れたのは、巾着袋の中央に大きな目がついた怪物だった。全身は燃えるような赤色で、手足は無く、ふよふよと浮いている。どこが声帯かも不明ではあるが、男とも女とも言えない奇怪な声を上げていた。

 紛れも無くモンスターと称される外見。だが大きな一つ目には深い知性が宿っている。

 外見からは考えられないが、この生物は高い思考能力と演算能力を持つ賢者であった。

 

「キュァガ!!」

 

 怪物の奇声に、幼女は何度か頷いて見せた。

 

「ふむ、なるほどなるほど……何を言っている分かりませんわ」

 

「キュガ!? ギュガガ!!」

 

「うふふ、冗談ですわ。なるほど、天災……隕石を落としてオモチャを起動させるですか。悪くはありませんが、その天災を引き起こすのに直接我らの力を振るえば、やはりカオスの連中が干渉してきてしまう可能性が――――」

 

 と、幼女は言葉を止めた。

 ぐにゃりと目の前の空間が歪んで、人型がいきなり現れた。

 人型は全身に灰色のローブを纏っていて、肌の一つも見えない。

 年齢どころか性別すら不明だが、大柄なタキオスと同じくらいの体駆であるから恐らく男だろう。

 ローブの人物は跪いて幼女に何かを呟く。すると、幼女の目が輝いた。

 

「分かりました、認めます。直ちに実行しなさい」

 

 幼女が指示すると、ローブの人物は頭を下げた。そしてふわりと浮かび上がると、そのまま空へと昇っていった。

 

「ふふふ、やはり霊力というのは反則ですわ。世界の枠組みに組み込まれる私達にとって、チートというのは実に便利」

 

 満足そうに笑う幼女に、タキオスは眉間に皺をよせて一歩前に出る。

 

「テムオリン様」

 

「何です、タキオス」

 

「あれの自我は無いと仰られたはずですが、今のは自発的行動では?」

 

「元の自我という意味ですわ。あれは純粋に神剣の意思しか残っていません。その意思は、私に忠誠を誓っていますから」

 

 幼女は自信満々に言うが、タキオスはどこか不安が拭えなかった。

 不安の源は、大陸の戦乱ではない。この計画はどう転がろうと殺し合う以外の道はないのだから、過程はどうあれ目標は達成されるであろう。

 では何が不安なのか。それはタキオスにも分からないのだが、問題は外よりもむしろ内にあるのでは。

 そこまで考えて、考えても意味がないことだと首を振った。

 

 暗黒の宇宙にローブの男は存在していた。

 周りを見渡して、お目当てのモノを見つける。

 

 本来なら引力に捕らわれず、この閉鎖世界の宇宙を旅するだけの岩の塊。

 ローブの男は小惑星に向かって手を突き出すと、手の平から光を打ち出した。

 永遠神剣の力にも遜色が無い、圧倒的な霊波砲だ。その出力はルシオラが放つ霊波砲などとは比べ物にならない。

 小惑星は霊波砲に砕かれて、爆発を起こしながら道筋を変えた。

 

 小惑星は隕石となって、大気の摩擦で赤く燃え上がりながら地表に落下していく。

 ローブの男はそれを目で追いつつ、隕石の後ろに小さな霊波砲を打ちだした。

 隕石と霊波砲。隕石は世界に対する理由付け。世界を狂わせない為の措置。霊波砲が目的を達成させる事になる。

 

「抗うしかないのだ。小僧、私も、お前もな」

 

 重厚な男の声は、宇宙には響かない。

 ただ、何もかもを呪うかのような呪詛がそこにはあった。

 

 その頃、横島達は未だに走り続けていた。

 日は落ちて急激に寒くなり始めた砂漠だが、走り続けているからこの方が都合が良い。

 ハイロゥの輝きと月明かりのお陰で砂漠はほのかに明るく。さらにエスペリアが星を見ることも出来るので道に迷うことも無かった。

 順調な行軍が続く――――

 

『横島! すぐに停止の命令を出せ!!』

 

 いきなり頭に『天秤』の大声が響いて、横島は思わず耳を押さえた。

 

「いきなりなんだよ!」

 

『説明の時間がない! とにかく一度足を止めろ! すぐに障壁を張れ! 急げ!!』

 

 『天秤』の声は切羽詰まったものが感じられた。悪ふざけの類ではない。

 停止のブロックサインを出す。全軍が停止して、何事かと横島の元へ駆け寄ってきた。

 

「いきなりどうした……敵でも見たか!」

 

「俺にもよう分からん! こいつがすぐに止まれって」

 

「『天秤』がですか? 詳しく説明を」

 

「み、皆さん! あれを見てください!?」

 

 会話が落ち着かないうちに、ヘリオンが叫んで空を指差す。

 闇夜の彼方に光の玉があった。それは煌々と燃え上がり、少しずつ大きくなっていく。

 反射的に悠人が一歩前に出て、非常に強力な障壁を張った。

 その裏で、横島はもう一つ障壁を張る。悠人の障壁をダイヤモンドとすれば、こちらはゴムのように柔軟だ。

 スピリット達も簡単な障壁を張ると密集隊形を取る。それを見た悠人と横島は障壁を狭めてより強い障壁を張った。

 

 カッと一際強く炎を塊が光ったと思うと、闇夜は白く染まる。眩しさに目も開けられない。

 そして猛烈な衝撃が襲いかかってきた。鉄筋の建物すら破壊しかねないソニックブームの嵐。そこに強力な熱波も混じっている。

 人なら粉みじんに吹き飛ぶところだが、そこは人外である永遠神剣の主たち。核弾頭程度なら対応できれば何の問題もない。

 衝撃波をやり過ごして、一体何が起こったのかと横島は『天秤』に聞いてみた。

 

『空中で隕石が破裂したのだ』

 

「隕石かよ! こんな時にどれだけ運が悪いんだっつーの!! つーか、よくお前気づけたな」

 

『まあ、それは……私だからな!』

 

 褒められて、『天秤』は当然と言った感じだが、実際はもっと褒めろと心の中で言っていたりする。

 その裏で悠人は全員の点呼を取っていた。全員の無事を確認して、ほっと息を吐く。

 横島は今のが隕石だったと伝えて、ネリーやナナルゥがテンションを上げたが、後は特に気にするものは居なかった。敵ではないのならどうでも良いのだ。

 

「よし、全員無事だな。それじゃあ、行軍を再開するぞ。あと少しだから、みんな頑張ってくれ!」

 

 悠人が発破をかけて横島を除く全員が頷く。

 思わぬトラブルだったが、当然こんなことで進軍を止める理由にはなりはしない

 だが、歩を進めようとしたところ今度は足元がぐらぐらと揺れた。

 

「のわぁ、地震か!」

 

 横島の悲鳴にセリアが首を横に振る。

 

「いえ、これは違います! 何かが地面から這い出してこようと! 皆、ここから離れて」

 

 砂が割れて、地面から何かがせり上がってくる。高さは数メートルではきかない。横幅もある。

 ずんぐりむっくりの黒い城砦のような外見だ。装甲には機銃を思わせる小さな突起が複数と、背中には馬鹿みたいに大きい砲がくっ付いている。底には昆虫を思わせる足が何本もついていて、移動もできる巨大な城壁を思わせた。

 

「はあ? 多脚型戦車……いや、ここまで大きいとロボットか?」

 

 口を大きく開けっ放しにして、悠人が呟く。

 この世界に来てエーテル技術と呼ばれる部分的に高度な文明に触れてきた。それでも基本はファンタジー中世レベルの文明だったはず。

 しかし、目の前には黒光りする重厚な装甲を持つロボットが動いていた。

 剣と魔法のファンタジーから、一気にSFにチェンジだ。世界観が崩壊するような目の前の光景に全員があんぐりと口を開ける。目の前の光景に頭がついていかなかった。

 

 皆の混乱をよそに、ロボットから女性の落ち着いた声が聞こえてきた。

 

「休眠モードから覚醒……エネルギーライン接続確認できず……休眠モードへ移行……中断。周囲に未確認高マナ反応確認……動体反応あり……シリアル確認できず……休眠モードへの移行を停止……自己防衛モード起動……敵性診断開始、対話を……エラー……未確認を敵性と判断します」

 

 一方的になにやら呟いたと思ったかと思うと、漆黒のロボットの表層に赤いラインが文様に如く浮かび上がる。

 さらに、ロボットの中からは直径一メートル程の球体が十個ほど射出された。

 

「散開だ!」

 

 悠人が咄嗟に叫ぶと同時に、球体は赤色のビームを打ち出し始める。照準は甘いが、しかし連射してくるので気が抜けない。

 見たこと聞いたこともない兵器を前にして、スピリット達は浮足立った。

 

「おい、悠人! さっさと逃げるぞ。こんなんの付き合ってられるか!?」

 

 逃げ腰の横島はすぐに撤退を提案する。

 

「駄目だ。こんな危険なのを放置して、町に向かったら大惨事だぞ! ここで破壊しないと」

 

 それに対して悠人は交戦を提案した。

 

「さっき休眠とか何とか言ってたし、俺らがいなくなったらきっと止まるだろ!」

 

「そんな確証はない! これを無視してスレギトを落としても、その間にどれだけの被害が出る可能性があると思っているんだ!! 最悪の場合、レスティーナや第三詰め所の皆に向かうかもしれないんだぞ」

 

 意見をぶつけ合ったが、最後には横島が折れた。本当の最悪を考えれば仕方がない。何をしでかすか分からない物を背後に置いておくのはリスクが高すぎた。

 それに横島も実は感じたのだ。最悪の可能性を残した場合、その可能性がどれほど低くても、存在さえすれば運命は最悪を選ぶだろうという悪意を。

 

 まったく考えてもいなかった戦闘が始まった。

 

 球体は空を飛び回りながら最下級レベルの赤の魔法を放ち、複数の突起からは銃弾が発射される。

 その銃弾は小銃というよりも重機関銃並みの破壊力があって、防御しなければスピリットでもダメージを受けるだろう

 

「キャッ!」

「何か小さくて硬いのが飛んできてますよ~」

「障壁は展開し続けなさい!」

「でも攻撃しないと!」

 

 ロボットの繰り出す攻撃にスピリット達は上手く対応できず翻弄される。

 スピリット達の戦闘は全て対スピリット戦を想定して、それに特化している。当然だ。こんな兵器を相手にするなど考えられてもいないのだ。

 銃なんて見たことも聞いたことも無い。まず間合いの取り方からして違うから、どうすればよいのか分からず混乱してしまう。

 

「うわ! のわ! なんとおー!! 避けて反撃……って、やっぱりもう霊力じゃダメか。文珠は惜しいし」

 

 その中で横島だけがロボットの攻撃をいなして見せる。さらに効果は無かったが栄光の手を伸ばして反撃までしてみせた。

 技術ではなく純粋な反射神経による回避能力。多種多様な敵を相手に戦闘してきた経験。これで百戦錬磨の横島は初見の相手にも対応できるのだ。

 それを見て取れた悠人は即座に戦術を決める。

 

「よし、横島は最前線で囮を頼む。他は少し離れて攻撃と補助しながら情報収集だ!」

 

「おいこらまて!! どーして俺が一番危険なところなんだよ!!」

 

「お前が一番適任なんだ! というよりも、お前以外に出来る奴がいない」

 

 人外相手なら経験豊富で基本能力も高い横島が間違いなくベスト。

 それは横島にも分かったが、しかし一番危険な部分をひょいと請け負うほど彼は勇気が無い。

 

「ヨコシマ様~がんばってくれたらほっぺにちゅーですよ~」

 

 そこに飛ぶハリオンの黄色い声援。

 ここで、誰がほっぺにキスするかと明言してないのがポイントである。

 

「わははは! 任せておけい!!」

 

「うわ……扱いやすい」

 

 女の子達の声援を受けてあっさりと囮役を引き受けた横島に、ニムが馬鹿を見るような目で見る。

 実際に馬鹿だが、お馬鹿な横島ほど厄介なものもいない。

 妙に機敏な動きで横島はロボットの周囲を駆けずり回る。当然、凄まじい弾幕が横島の目の前に張られたが、空中を気持ち悪く走り回りながら、銃弾を障壁で弾き、魔術は『天秤』の力を全開にして耐える。

 回避と防御に関しては、間違いなく横島は大陸一だった。

 

 その様子を見ていたウルカは、なるほどと頷く。

 

「これはユキノジョウ殿がライバルというわけです。なんとも凄まじい」

 

 敵の攻撃の殆どが横島に向いて、その間に悠人達は補助魔法を使用して体勢を整えた。

 そうして、補助魔法をかけられたブラックスピリットが隙を見て突撃して、レッドスピリットは魔法で攻撃を始める。

 

「エーテル製の壁よりも硬いわね」

 

「痛っ! 何か攻撃が跳ね返ってきましたよ!」

 

「魔法が消された!?」

 

「赤の魔法の効果が低い模様です」

 

 相当量のエーテルを組み込まれた装甲は硬く、どういった原理かは分からないが物理攻撃を反射し、さらに魔法を打ち消す時がある。

 もし、不用意に攻撃を仕掛けたら瞬く間に全滅しかねない。下手に総攻撃をかけなくて良かったと、悠人は胸をなでおろす。

 物理攻撃を反射したり、魔法の打消しなどはポピュラーなものだ。冷静に判断すれば、きっと穴があるはず。

 

 「ぎょわ~~!!」と変な悲鳴を上げながら囮役をこなす横島を尻目に、悠人はスピリットに指示して有効な攻撃を模索する。

 斬撃、刺突、打撃、炎、雷、冷気。そして精霊力を秘めた剣。

 しばらく観察して、悠人は結論付ける。

 

「赤の魔法以外の攻撃魔法だ!」

 

 悠人が叫んで指示を出す。

 セリアとファーレーンの二人が魔法の詠唱を開始した。

 

「エーテルシンク!」

「ダークインパクト!」

 

 青と黒の塊がロボットにぶつかる。

 どちらも攻撃魔法だが、行動を妨害したり弱めたりする類の魔法で、威力そのものはかなり低い。

 にもかかわらず、ロボットの装甲を凍らせ、そして砕く。間違いなく、これが特効だ。

 歓声が上がったが、次の瞬間、絶望の声が響いた。

 なんと傷ついたところがキラキラと輝いて修復されていく。ここまでくると、もうただの機械とは思えない。

 

「自己修復って奴か! どこの未来からやって来たんだ!?」

 

 でたらめぶりに悠人が悪態をつく。

 これでは地道に攻撃は無理だ。回復があるなら一気に畳み掛けなければいけない。

 レッドスピリットと同威力の攻撃魔法を使えるのは、横島と悠人。そしてグリーンスピリットが使える唯一にして最大の攻撃魔法、エレメンタルブラストだ。

 だが、これには色々と問題がある。エレメンタルブラストは攻撃範囲が広すぎるのだ。離れないと、囮役の横島はもちろん、他の皆も巻き込まれてしまう。

 

「一度離れてから攻撃したらどうでしょう」

 

 エスペリアが提言するが、悠人は首を横に振った。

 

「背中にある、あのバカでかい砲台が気になる。距離を開けた瞬間に打ち込まれるかも」

 

 流石にこれは試すわけにはいかない。

 どうしたものかと悠人が悩んでいると、肩を叩かれた。

 振り返ると、肩には光り輝く手が置かれていた。弾幕に慣れた横島が、囮役をこなしながら栄光の手を伸ばしたのだ。

 

「交代だ! お前が囮になれ!」

 

「ちょ! うわああ!」

 

 栄光の手に引っ張られて、悠人はロボットの前に引きずり出される。

 

「横島! いきなり何をしやが……る?」

 

 文句を言った時にはすでに横島の姿はなく、代わりにあったのは黒く小さい塊と炎の矢だった。

 

「うおおおおおおおおお!!」

 

 嵐のごとく悠人に打ち込まれる銃弾と熱線に、悠人は必死に障壁を展開させる。

 人間や車なら、一瞬でチリになるだろう程の物量だ。

 硬さなら横島と同程度の力を持つが、足はない悠人はひたすら耐えるしかない。

 下がろうと思えば出来ないこともないが、ここで囮役をやめるわけにはいかなかった。

 

(後で一発ぶん殴る!)

 

 それだけを思って。悠人は耐え続ける。

 入れ替わった横島はグリーンスピリット達の元へいた。

 いきなりの事にエスペリアは憤慨している。

 

「ヨコシマ様! 何をなさるんですか!!」

 

「そりゃあいつを亡き者にするため……冗談っす!」

 

 こんな時でもふざけられるのが横島の強さなのかもしれない。

 

「俺の魔法なら、状況を打破できるからです。エスペリアさん、ニム! 俺の魔法に続けて打て!」

 

「もう、分かりました!!」

 

「うう~あれすごく疲れるのに」

 

「すいません~まだ私は使えないんです~」

 

「泣かないでくださいハリオンさん! あの魔法はきっと腹黒かったり暴力的じゃなきゃ使えないんです!」

 

「へ~私は腹黒いんですかー」

 

「むかつく」

 

 横島の根拠無い慰めを聞いたエスペリアとニムは、ジトッと横島を睨む。冷や汗を浮かべながら、横島は詠唱を始めた。

 

「永遠神剣第五位『天秤』の主が命ずる。マナよ、集まって、後に続くものの道となれ! コンバージェンス!!」

 

 割と真面目に詠唱して、横島が魔法を唱える。

 すると、空中に浮かんだ魔方陣からロボットに向かって光の橋が架かった。少しして、二人のグリーンスピリットの詠唱も終わる。

 

「エレメンタル」

「ブラスト」

 

 緑の光が一点に集まる。

 ここから大爆発が起こって周囲を巻き込む緑の大爆発が起こる……本来なら。

 

「わあ、綺麗です」

 

 ヘリオンが感嘆の声を上げる。

 緑の光は、横島が作り上げた光の橋に乗った。爆発は起こったが周囲を巻き込むことは無く、ただ光の矢になって突き進んで、ロボットの中心を打つ。

 力の方向を定められた爆発は、圧倒的な貫通力でロボットを軽々と打ち貫いた。

 ロボットは中心部に大穴が開く。バチバチと放電して、回復が始まる様子も無い。

 

「ダメ……コン……ール……不可。修……不能。

 周囲に箱……を確……できず。……舟に被害無しと判断。機密保……の為……ケ……ンスに移行。10、9、8……」

 

「お約束かよ!? 離れて集団防御! 悠人を盾にするぞ!」

 

「お前も盾になりやがれ!!」

 

 経験の為せる業か、自爆にいち早く気づいた横島が急いで指示を出す。

 悠人と横島を中心して、先の隕石と同じように障壁を展開する。

 ほぼ同時に、光が炸裂した。圧倒的な衝撃波に、皆は本能的に姿勢を低くして歯を食いしばる。

 障壁越しに感じる熱波に、周囲の温度がどれほどになっているのか想像もできない。もし神剣の加護を失えば、息をするだけで肺が焼け爛れるだろう。

 しばしして、ようやく熱波が弱まりはじめる。

 

「ぜ、全員無事か?」

 

「い、今数えます……けほ」

 

 何とか凌ぎきって、エスペリアは神剣の加護を得ていても、むせるほどの灼熱の中で周囲の確認を始める。

 この結果に胸をなでおろしている者が一人いた。

 

『投げ出されたガーディアンか……よもやこんなものを使うとは、流石は『法王』様』

 

 安堵と関心に『天秤』は、口も無いのにほっと息を吐き出していた。

 ラキオスの動きが余りにも早すぎだ為、慌てて連絡が入れたのだが上司に繋がらず、どうなることかと心配していたのだ。

 使えるものはなんでも使う。上司の手際の良さに『心配するだけ無用であった』と思わず呟く。

 

 ――――案外、相当焦って偶然上手くいったんじゃない?

 

『馬鹿なことを。あのお方がそのような凡ミスをするわけがあるまい』

 

 ――――ああいった人ほど、そういうミスをするものだと思うけど。

 

 そんな二人の会話が横島内部で交わされていたりしたが、それは誰にも知られることはない。

 何とか全員が無事だった。ただ数名が火傷を負っていたのでグリーンスピリット達が回復に回る。

 ようやく落ち着くと、悠人はエスペリアに視線を向けた。

 

「エスペリア、隕石を降らせる神剣魔法があるって聞いたことがあるけれど、さっきのはそれか?」

 

「隕石落下時に神剣魔法の気配はありませんでした。あれは、ただの自然現象……偶然かと」

 

 エスペリアが複雑な表情で悠人の質問に答える。

 無論、彼女自身も疑念が渦巻いていた。これを偶然と捉えて良いのか。

 隕石が降ること自体は、まああってもいいだろう。たが、それにしてもこのタイミングは、そしてこんなことが――――――――

 悠人は唇をかみ締めた。

 

「俺達がここを通るのを見越して、さらに隕石が落ちるのを見越して、さらに隕石で機械が作動する事を見越して、こんな機械をマロリガンが埋めたと思うか?」

 

「考えられません」 

 

 エスペリアは断言した。

 当然だ。まず、隕石が落ちてくる時期と場所を特定できるほど、この世界の天文学は発展していない。

 もちろんこんなロボットを作成する技術など、どの国家にも無い。

 歴史書からも忘れられた遥か古代の技術か、もしくは異世界から流れ着いたもの、としか考えられないだろう。マロリガンがロボットを発見していたとしても、わざわざ砂漠のど真ん中に放置する事もないだろう。

 そもそも、隕石の衝撃でロボットが起動するなど分かるわけもない。普通に兵器として使うべきだろう。

 

「それじゃあ、全て偶然ってことか?」

 

 その問いにはエスペリアも、誰も答えなかった。

 偶然とは、とても考えられない。しかし、偶然としか答えようが無いのだから。

 

「なあ、横島。素早い奇襲を行わなきゃいけないって状況でさ、『何故か』地面に謎の機械が埋まっていて、『偶然』隕石がそこに落ちてきて、その衝撃で『偶然』機械が起動して、一刻を争う俺達に襲いかかってくる確率は、一体どれぐらいのもんだろうな?」

 

 吐き捨てるように悠人が言った。

 その顔には笑みすら浮かんでいる。理不尽を受けた者がやけくそ気味に浮かべる種類の笑みだった。

 返事をする気も起きないのか、横島はしかめっ面で満天の星が輝く夜空を見つめていた。

 

 戦には次の三つの物が必要と言った偉人がいた。

 天の時、地の利、人の和。

 簡単に言えば、時の運と地形効果と友情パワーの事だ。

 この三つの中で、一番強いのが友情パワーで、次が地形効果。最後が時の運と言われている。

 

 だがどうやら、このファンタズマゴリアという世界では時の運が一番重要らしい。

 団結も戦略も神の気まぐれでひっくり返る。人の知恵と努力を嘲笑うかのように。

 

「とりあえず、どうにかなりましたわ」

 

 幼女の姿をした神にも等しき存在は、人を嘲笑う余裕もなく、ただ安堵の溜息をついていた。

 相当強引ではあったが、天文学的確率の『偶然』で全てを済ませることが出来た。『敵』が手を出してくることは無いだろう。

 マロリガンの部隊は事態に気づいて大急ぎでスレギトに向かっている。横島達はこの騒ぎで行軍速度が落ちるだろうから、相当ギリギリではあるが、これで何とかなるはずだ。

 

「さて、何とかなったことですし、ちょっとお風呂にでも入ってきますわ。ルンルン」

 

 幼女は見た目相応の、しかし年齢不相応の浮かれた様子で風呂に向かう。

 残された三人と一匹は顔(目)を見合わせた。

 

「これは、あれですか」

「そうだね、あれだねぇ」

「あれというやつか」

「キュガァァ」

 

 ある者は肩をすくめて、ある者は溜息をして、ある目はウルウルと涙を流す。

 三十分後、ほかほかした幼女がタオルを頭にして戻ってきた。

 

「ふう、いい湯でした」

 

 雪のように白い肌がほのかに赤く染まっていて、どこからともなく取り出したアイスキャンディーをチュッパチュッパと舐めていた。

 

「テムオリン様、まずはご覧下さい」

 

 タキオスが横島達の様子を映した空間を切り取って持ってきた。

 そこには、凄まじい速度で砂漠を横断しようとする集団が写っていた。

 言うまでもなく横島たちだ。体力が削られるのを承知で強行軍を敢行している。

 どうして無理してまで移動しているか。その理由はこうだ。

 

 自分達は悪意を持つ意思に足止めをされている。

 敵が何かは分からないが、それだけは間違いないと全員が感じていた。 

 これは逆に言えば、早く動けばそれだけ自分たちに有利になるという事だ。

 だから悠人達は多少の無理は承知で更なる強行軍を行った。

 羽を持つブルーとブラック。まだ赤マナ適性があるレッド。高い神剣加護を得ているエトランジェはともかく、羽がないグリーンスピリット達はかなり苦しそうだが、それでも歯を食いしばって走り続けている。

 ロボットとの戦いで遅れが出たが、なんとか遅れは取り戻せそうな勢いだ。

 

「困りましたわ」

 

 途方に暮れたように幼女がうな垂れる。

 もはやスレギトは目と鼻の先だ。

 いくら幼女達が世界をすき放題出来るといっても限界はある。出来ないものは出来ないのだ。

 

「最悪、候補者は単独でラキオスとやりあうわけか。こりゃあ、倍率を変えてもらわないと」

 

「これでもし賭けに勝ったら、壊しがいのある世界を四つ五つは譲って頂きたいですねえ」

 

 マロリガンにいる二人に賭けている男と女は自分たちが絶対的に不利に追い込まれて、しかもその理由が普段ふんぞり返っている上司の不備によるものだから好き勝手を言い始めた。

 タキオスは沈黙を守っている。もともと饒舌な男ではないが、下手に口を開いても面倒ごとに巻き込まれるというのが、長い従者経験で理解しているからだ。

 

「キュガ、キュガ!」

 

 ちなみに目玉の化物は賭けの胴元であるため、倍率が高い二者が転落しそうなのでご機嫌だった。

 

 そこに、またローブの男が現れた。

 気落ちする幼女に向かって歩を進めて、膝をつくと彼女の耳に何かを呟く。

 くわっと幼女の目が輝き見開いた。

 

「うふふ、グッドですわ! 何と気の利く部下でしょう! あの不確定要素で、どう彼を苦しませようと考えてはいましたが、ここで使ってしまいましょう」

 

 目的地まであと少し。

 悠人達の足は自然と速まっていく。

 

「ユート殿、少しお待ちを」

 

 そこで不意に声が掛けられる。

 いつの間にか、悠人と並走していたウルカだった。

 

「この辺りは兵を伏せるには絶好の場所。用心を」

 

 基本的に平坦な砂漠であったが、全部が全部平らなわけではない。

 ちょうど走り抜けようとした箇所は両脇が砂が盛り上がっていて、小さな山が出来ている。身を隠すには最適で、奇襲には持ってこいだ。

 それに目的地が目の前となると気が焦って視野が狭くなりやすい。悠人も、もし兵を伏せるならここを選ぶ。

 

「ありがとうウルカ。索敵を頼む」

 

 皆が周囲に散って、極力飛ばないようにしながら周囲を探り始める。

 すると、

 

「みなさ~ん! ちょっと来てください!」

 

 ヘリオンの困惑した声が響いた。

 傍にいた悠人がいち早くヘリオンの所へいくと、そこには三十代後半程度の男と、ローブに身を包んだ数十人の集団があった。

 男は小さな眼鏡をかけて、鼻が大きいのが特徴で、ローブの集団は顔も性別も分からない。

 敵かと警戒した悠人だが、男はにこやかに悠人に笑いかけてくる。

 

「おお、これはこれは。その出で立ちはラキオスの勇者殿でしょうか?」

 

 男は丁寧そうに言って悠人に頭を下げる。

 

「あんたは?」

 

「私は旅商人でしてね。スレギトで仕入れた商品を売り歩いているのです」

 

「荷駄も何も無いように見えるけど」

 

「ええ、商品はこれですよ」

 

 男は顎で分厚いローブで全身を覆い隠した一団を示した。

 思わず悠人は顔をしかめた。奴隷と言うやつだろう。

 顔も体も見えないので性別すら定かではない。ただ人間であるのは間違いないだろう。なぜなら神剣反応がないからだ。

 万が一だが、神剣を持っていないスピリット可能性もあるが、それなら戦力にならないから危険はないだろう。

 奴隷と聞いて酷く不快だが、とりあえず警戒度を引き下げる。

 

「ラキオスでもマロリガンでも奴隷は認めていないぞ」

 

「そこは、まあ蛇の道は……という奴でして」

 

 男は愛想笑いを浮かべる。

 良い気持ちはしないが、逮捕権など悠人は持ち合わせていない。かと言って、見て見ぬ振りをするのもどうだろう。

 どうしたものかと悠人が頭を悩ませていると、

 

「随分と愛想笑いが上手くなったようだな……茶番を」

 

 冷たい声が悠人の後方から響いた。

 能面のような表情のウルカが、ゆっくりと歩いてくる。

 その後ろにエスペリアの姿もあった。

 

「なるほど。貴女はラキオスに入ったわけですか。やはりラキオスのお得意先もろとも情報源がヨコシマによって潰されたのが痛いですねえ」

 

 男は呟きながら、現状を把握しているようだった。

 そんな男に、ウルカは珍しく怒りを隠さない。

 

「商人などと、たわ言を」

 

「ふふ、嘘は言っていないですよ。私はユキノジョウに追放されて、細々と暮らしているのです」

 

「それだけ血色の良い肌をして、よくも言うものだ」

 

「それはまあ、私の商才がなせる技ですねえ……いえ、ウルカ。貴女の指導が良かったからかもしれません。

 彼女らは実に高値で売れましたよ。そしてエスペリア……そんな後ろで震えていないで、もっと良く顔を見せてくれませんかねえ」

 

 ウルカとエスペリアの体が震えた。

 一人は怒りによって、もう一人は恐怖によって。

 ただ事ではない様子に、悠人は困惑と警戒で思わず『求め』に手をやっていた。

 そこに、横島達が合流する。

 

「その顔……おまえが、ソーマか?」 

 

 横島が男の顔をじっと見つめた後、静かに問う。

 

「はい、私がソーマですよ。以後よろしく」

 

 商人の男――――ソーマが名乗った直後だった。

 

「じゃあ、死ね」

 

 横島はさらりと言って、サイキックソーサーをソーマに投げつけた。

 それはあまりに自然な動作で、悠人達は止めるまもなく呆けた顔で横島が殺人を犯そうとしてるのを見るしか出来ない。

 サイキックソーサーがソーマの頭部に当たる――――直前に、飛び込んできたローブの奴隷が剣でサイキックソーサーを叩き落す。

 

 黒い外套の下にいたのは、きちんとしたエーテル戦闘服を着込んだスピリット達だったのだ。

 しかも、ちゃんと神剣を手に持っている。彼女らはソーマを守るように陣取った。

 

 悠人も、他のスピリット達も二つの意味で驚いた。

 一つは横島が強烈な殺意を持ってサイキックソーサーを投げた事。

 もう一つは、今の今まで神剣反応が無かったことだ。神剣を持ったまま反応を消すのは、非常に難しい。特に至近距離まで近づいても知覚出来ないほどとなると、よほどの適正があるか、最高レベルの実力者でないと不可能だ。

 ラキオスでも完璧に出来るのはウルカとファーレーンぐらい。それから横島やアセリアと言った実力者が、それなりのレベルで習得している。

 

 ここにいる全員が警戒度を最大まで引き上げて、神剣を構えた。

 このスピリット達は、自分達と同等以上の強者だ。それが同数。そして、横島がここまで敵意をむき出しにする相手。

 セリア達は横島にソーマに関する説明を求めなかった。説明できる状況でもないし、何より横島がここまで殺意を向けているだけで、この男が最悪の敵だと分かる。

 

「横島、説明は後で良い」

 

 悠人もそれだけ言って、『求め』を構える。

 ただ一人、神剣を構えていないのはエスペリアだ。彼女はまだ、震えている。

 

「ふう、まったく何て事だ。見逃してはくれませんかねえ。私はラキオスと敵対する意思はこれっぽっちもないのですが」

 

 殺されかけたソーマはやれやれと面倒そうに両手を挙げる。

 そこには不運を嘆くだけで、殺されかけた疑問はなさそうだった。こうなると予想していたらしい。

 

「むしろ私は味方ですよ。サーギオスにて暴虐に振舞う『闘争』のユキノジョウを倒すために、私は一市民でありながら勇気を振り絞ってスピリットを率いているのですから」

 

「貴方の言っている事が正しいという保障はありません。なにより、どの国においても、個人がスピリットを所有するのは認められていません」

 

 セリアがきっぱりと言うと、ソーマは両手を挙げてヘラヘラとした笑みを浮かべる。

 

「このスピリット達はどの国にも所有されていませんし、私はサーギオスを追放された流浪の商人です。国籍も持たないのに国法を守れといわれましてもねえ」

 

「黙れ! お前がスピリットを使ってイースペリアの王族を脅して、スピリットをサルドバルトに侵攻させた上で王族を殺したのは察しがついてんだ!!」

 

 横島がそう叫んで、ウルカを除く全員が驚愕する。

 その様なことが可能なのか。そして横島の言っていることが事実なら、このソーマという男は相当の大罪人という事になる。

 

「何を言い出すかと思えば。私は王の命を聞いただけですよ。貴方達と同じです。同じ人間の掌で動いて、より多くの人間を殺したのはどちらですかねえ」

 

 ソーマは嘲笑しながら、事実を言った。苦い顔になるスピリット達。

 だが、横島だけは聞く耳持たずと言った様子で、殺意と『天秤』をソーマに向け続ける。

 

「やれやれ、交渉は無駄みたいですか。エトランジェというのはどうしてこうも話し合いができないのやら……まあ、出会えばこうなるのは想定内ではありますが……だからこそ絶対に出会わないように、と考えていたのですがね」

 

 ソーマはことさら大きく息を吐いた。どうやらこの出会いは彼にとって相当不運であるらしい。

 私も覚悟を決めますか。

 それだけ言って、ソーマは柔和な笑みのまま目つきだけは爬虫類のように変えた。

 その目は相手を内面を無造作にのぞき込むような嫌らしさで満ちていて、とにかく不快を与える顔つきだ。

 

「では、改めて自己紹介といきましょう。元ラキオス所属のスピリット調教師であり、元サーギオス調教師。現在は都市を巡り歩く一介の善良な商人。ソーマ・ル・ソーマと言います。

 今後ともよろしく、とスピリットの皆さんには言っておきましょうか……顔なじみはいますけどねぇ、エスペリア、ウルカ」

 

 嫌らしい笑みのまま、ギョロリと爬虫類の目をエスペリアに向ける。

 

 この時点で悠人も分かった。

 こいつは敵だ。それも今までの人間たちのようにスピリットを傷つける存在ではない。

 この男はスピリットを歪め汚し堕とすものなのだと。横島や悠人とは正に対極の存在だ。

 

『横島! 落ち着け! 間違っても飛び出すなよ……この心を失ったスピリットらは半端ではない』

 

「くそ、分かってるよ!」

 

 『天秤』の言葉に横島は口惜しげに答える。

 これでも長年戦い続けてきたのだ。危険な相手かそうでないかぐらい、見れば察しはつく。

 敵スピリットは一人一人がセリア達と同等かそれ以上だ。真正面から戦いを挑めば、負けないまでも相当な被害が出るだろう。

 最悪の場合、生き残れるのは横島だけの可能性もあった。

 

「何名か見たことがあるスピリットがいます。確かイースペリア、サルドバルトで腕利きと言われた者たちです」

 

 ヒミカが驚いたように言う。

 元々は同盟国だけあって、スピリットの顔ぐらいは知っている。

 

「ええ、ええ、その通りでしたよ。このスピリットは優秀で心も強かった。私などとは比べ物にならぬほどに。

 ただ、無能で愚鈍な私にも一つぐらいは特技がありましてねぇ。スピリットの調教に関しては大陸一と自負しているのですよ……私ほどスピリットの肉と心を知り尽くしたものはいないでしょう」

 

 ソーマは隣にいるブルースピリットの頬をなで上げながら、さらに言葉を続ける。

 

「外側からの絶望ではダメなのですよ。内側から……自分で自分を絶望させなければ。絶望させるまでは心を待たせなくてはいけないのです。

 凡百の調教師どもはそこが分かっていない。言葉の強制力によるマインドコントロールや、性交による快楽と堕落だけでは中途半端に心が残ってしまう。下手に自意識を失うと、心を完全に消すのは難しくなってしまいますからねえ。

 自身の拠り所を自分自身で破壊する。自分自身がいかに醜く汚れているかを自覚させる。自己の否定……それがもっとも効果的である、というのが私の持論なのですよ。

 貴女なら分かるでしょう、エスペリア」

 

 ソーマは自分の理論に酔うように恍惚と語る。

 話を振られたエスペリアはただ震え上がるだけだった。

 

 あまりの怒りとおぞましさに、悠人の理性は振り切れる寸前だ。

 この男は邪悪だ。邪悪とはここまでおぞましく、そして気色が悪いものだとは思いもしなかった。

 『求め』を握りつぶさんばかりの力が拳にこもる。

 駆け出さなかったのは、ひとえに震えるエスペリアの存在が背にあったからだ。常に最前線に立って楯となるエスペリアが、子供のように震えている。どれだけの増悪があっても、今のエスペリアをほっぽり出す事は出来ない。

 

 他のスピリット達も怒りを感じていたが、しかし戦おうとしなかった。

 命令もないし、何より敵スピリットは相当な腕前だ。むやみに飛び掛ればウルカや横島でも危ない。

 それに、今は急いで都市を攻略しなくてはいけないのだ。こんなところで戦っている場合ではない。しかし、背も向けられない。

 場の主導権はソーマによって握られていた。

 

「そうですねえ、調教例としてエニ・グリーンスピリットをあげてみますか。故ラキオス王から拝領した珍しき金髪のグリーンスピリット。彼女は調教に抵抗しました。

 すぐにピンと来ましたよ。あの顔は、愛しい誰かを思い浮かべて耐える顔だと……貴女のお陰ですよお、エスペリアァ!」

 

 身の毛のよだつ声を掛けられて、エスペリアはとうとう悲鳴を上げた。

 

「それ以上、エスペリアを語るな!!」

 

 悠人は『求め』を構え、殺気を込めてソーマをにらみつけた。

 このソーマという男がエスペリアを苦しめている。こんな男が自分の知らないエスペリアを知っている。

 それがたまらなく憎くて、悔しく、そして不安になる。

 

「ええ、良いでしょう。もうエスペリアについては語りません」

 

 嫌らしい笑みを浮かべつつ、ソーマはエスペリアに関しては口を閉じた。

 だが、それはいわば棘だった。真実をあえて言わないことで、悠人とエスペリアの間を歪ませようとする楔を埋め込んだのだ。

 これで悠人はエスペリアが真実を語らない限り想像するしかなくなる。

 やらされた事、されなかった事。それが分からず、悠人は悶々とするだろう。

 

「では話をエニに戻しましょう。その日の調教が終わらせてエニの部屋を覗くと、一体どこから持ち込んだのか、エニは刀の人形を作っていました。

 テン君テン君と、己の意思を確認するように針に糸を通しながら泣いていました。

 神剣に懸想するとは……なんと愚かなスピリットなのでしょう! ですが、私はこの幸運に感謝しましたよ『ありがとうテン君』と私も言ったほどです」

 

『この男!』

 

 『天秤』の憎しみが横島にも伝わってきた。

 心に憎しみと殺意に満ちて、全身に力が漲って意識が遠くなる。

 必死に冷静になって『天秤』を押さえつけようとしたが、横島にしてもソーマが憎い事には変わらない。

 この男のせいで、どれだけのスピリットが絶望で心を砕かれたことか知っているのだ。

 

「心の拠り所を見つけたら、後は簡単です。彼女の心身を汚しながら、愛しの『テン君』が見てますよと人形を見せつければ良い。まあ、私の類稀な調教技術があるからこそ簡単なんですがねえ」

 

 得意そうに語るソーマに、誰もが声も無く、ただ怒りをこらえる。

 気づけば、ソーマの周りではスピリット達が見事な防御体勢を作り上げていた。もはや攻撃できる隙などありはしない。

 その無常な現実が、横島と『天秤』の理性をつなぎ続ける。

 

「ただ、最後の最後で失敗してしまいました。仕上げのつもりでテンくんを壊しなさいと言ったら、まさか人形ではなく本物を砕きにいくとは……一体どうしてこんなミスをしてしまったのか不思議です」

 

 ソーマは演技のように肩をすくめて額に手を当ててみせた。

 カチカチカチと歯を鳴らす音が響く。ぐ、ぐ、ぐと声にならないくぐもれた音が喉から漏れる。

 横島は、『天秤』は、必死に耐えた。今ここで戦えば良い結果にはならない。

 だが、ソーマは最後の一押しを押す。

 

「ふふ、テン君、私が育て上げたエニの体は、美味しかったですかぁ」

 

 人の声とは思えないような叫びを上げて横島が『天秤』を振り上げながらソーマへと走った。悠人達は止める暇すらなかった。

 『天秤』に精神を乗っ取られた、訳でもない。かと言って、横島でもない。

 それは一人と一本の怒りの塊。

 二人の怒りが重なり増幅することによって理性は完全に破壊され、怒りの獣となっていた。

 

 横島の前面にグリーンスピリット達が割り込んで障壁を作る。その動きはスムーズで、完全に狙っていたものと分かる。そして横からはブルースピリットとブラックスピリットが横島に迫る。必殺の布陣だ。

 エスペリアに匹敵するほどの障壁を多重に展開されたが、だが横島は力任せに前面の壁を粉砕する。横島と『天秤』の精神が合致した今、異常なほどの力が彼らに宿っていた。

 だが、すぐに新たな壁が立ちふさがる。

 

「がああああああああ!!」

 

 横島は絶叫しながら、その全身を黒い炎で包み込んだ。その炎でグリーンスピリットを焼きながら吹き飛ばす。

 その黒い炎はウルカには見覚えがあった。

 ブラックスピリットの神剣魔法で、サクリファイスと呼ばれる禁技だ。自身を供物とすることで、生命力を地獄の炎に変換して敵に与える攻撃魔法。

 使えば死ぬか、生き残っても死ぬ寸前まで追い詰められるほどの、敵にとっても自分にとっても凶悪な絶技である。

 横島が使ったのはそれの応用だろう。そして、詠唱もせずに発動したからには制御などできようはずもなく、横島の死は約束されたも同然だった。

 

 全身を黒い炎で燃やして、悲鳴とも怒号をとも取れる絶叫を上げながらも、スピリットの壁を粉砕してソーマに肉薄する。横島の後方からスピリット達が追いすがるが、届かない。

 だが、最後に一人のブラックスピリットが横島の前に立ちはだかった。

 年の頃は、まだ十歳にもなっていない。他のスピリットとは違ってエーテルの戦闘服ではなく、あられもないところが見え隠れする襤褸を纏っていた。実力も大したことが無い。

 さらに感情も残っていて、悪魔のごとき横島の前で震えながらも神剣を構えている。

 

 今の横島が触れれば、それだけでマナの霧に帰るほどの弱弱しい少女。到底、肉壁にすらなりようがない。

 だが、少女は唯一、横島の足を止めることに成功する。理由は簡単。足を止めねば、この少女を殺してしまうからだ。

 例え理性を失った獣となっても、哀れな子供を押しつぶす事は彼の、いや彼らの本能が拒否した。

 足が止まり致命的な隙が生まれる。追いついたスピリット達が、横から、後ろから、神剣を突き出して横島の肉体に埋めていった。

 

 横島が突撃して、数秒も経っていなかっただろう。

 刀が三本、槍が一本、西洋剣が二本。横島の体に深々と突き刺さっていた。

 さらに上空から、黒の翼をはためかせたブルースピリットが横島めがけて降下してくる。

 

「――――――だ!」

 

 誰かが何かを叫んだが、それは横島を救うこと叶わず。

 

 空中からブルースピリットが降下して、白刃を煌めかせながら地面に着地する。

 同時に横島の首はポロリと胴体からこぼれ落ちて、怒りの表情のまま、砂の中に埋まった。

 

 



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第二十七話 後編 新たな敵対者②

「リヴァイブだ!」

 

 横島の首が落される直前、悠人は言葉短く指示を出した。回復ではなく蘇生の指示だ。

 エスペリアはまだ動けなかったが、ハリオンと二ムントールは反応できた。すぐに蘇生魔法リヴァイブの詠唱を開始する。

 空中から飛んできたブルースピリットが白刃を煌めかせながら地面に着地する。同時に横島の首が寸断されて、首はポロリと胴体からこぼれ落ちて砂の中に埋まった。

 頭部を失った首から噴水の如く血が噴き出し、それは金色のマナになっていく。

 

「後ろのブルースピリットを潰せ!!」

 

 絶叫のごとき悠人の指示と同時に、悠人とグリーンスピリットを除く全員が鬼の形相で突撃を開始した。

 悠人は未だに震えて動かないエスぺリアと詠唱で動けないハリオンとニムントールを守るべく、全力で障壁を展開する。

 

 後方でハリオンらの蘇生魔法を阻害しようと詠唱を始めたブルースピリットは三人。

 蘇生魔法は死んだ直後でしか発動しない。もしもここで発動を阻害されたら、横島は確実に死ぬだろう。

 最低でも二人は潰す必要がある。敵スピリット達はブルースピリットを守るように立ちはだかった。

 

 一番に突破したのはウルカだった。

 圧倒的な速度で突撃し、敵の剣をいなしながら速度を維持して前に出るという神業を持って、ブルースピリットの一人に肉薄する。

 だが、そこでウルカは気づく。形相が違いすぎて近づくまで気づかなかったが、そのブルースピリットはかつての部下だったのだ。

 

 致命傷にならない程度に、袈裟懸けに切る。これで詠唱を中断できればと、ウルカは考えた。

 だが、鮮血を撒き散らしながらも、ブルースピリットは詠唱を止めない。ウルカの周囲にスピリットが集まってくる。

 次で仕留めなければ、自分と横島の命も危なかった。

 

「すまない」

 

 血が出るほど強く唇をかみ締めながらウルカが言って、神速の居合いを放つ。ブルースピリットの首が宙を舞った。

 自分は部下を助けるためにラキオスに入ったというのに、まさかこの手で殺める事になろうとは。

 運命の残酷さと、そして無為に突撃した横島と、何より自身の無能を呪う。

 そんなウルカの心中など知る由も無いスピリット達は、ただ歓声の声を上げた。

 

 これで後二人。

 だが、そこで一人のブルースピリットの神剣魔法が完成してしまう。

 

「凍結せよ。アイスバニッシャー!!」

 

「や、やああああ~! 止めてください~!!」

 

 青の魔方陣が浮かび、弾けて、ハリオンの周囲に氷の檻が作られる。

 ハリオンが詠唱していた蘇生魔法のマナ振動が停止して、魔法は発動前に止められた。ハリオンは必死に抵抗したが、よほどの実力差が無い限り気合でどうにかなるものではない。

 これで、蘇生魔法が使えるのはニムだけ。詠唱を妨害しようとしているのはブルースピリット一人。

 だが、よりにもよって、目標のブルースピリットは一番奥に陣取っている。

 

 間に合わない!!

 

 全員に絶望の衝撃が走る。

 が、次の瞬間、詠唱していたブルースピリットは空を舞っていた。

 

「な?」

 

 全員、何が起こったのか分からず目を白黒させる。

 吹き飛ばされたブルースピリット自身も理解できないようで、ただ腹部に走る衝撃に胃液の逆流をこらえるのが精一杯だ。

 

「はえ?」

 

 先ほどまでブルースピリットがいた場所には、きょとんとしたヘリオンが地面に倒れている。

 ヘリオンが体当たりして吹き飛ばした。ただそれだけのことだが、その速度は異常だった。ファーレーンやウルカですらヘリオンの動きを捉える事すら出来なかった。

 当の本人すら何だか分かっていなかったようだが、孤立しないように慌てて立ち上がり仲間達の元へ向う。

 

 とにかく、ブルースピリットの詠唱は防げた。

 ここでニムントールが詠唱を終える。

 

「神剣の主が命じる。『曙光』よ、お願い……生き返って! リヴァイブ!!」

 

 ニムの祈りが一条の光となって、横島が死んだ所に差し込んだ。

 その光を目印にするように、周囲に漂っていた金色のマナが集まって人の形となる。

 復活した横島の姿に、皆がほっと息を吐いた。安堵のあまりポロリと涙をこぼした者もいた。

 何とか最悪は脱したが、それでも状況は良くない。

 突撃したスピリットは横島を中心として完全に包囲されてしまった。横島は蘇生したばかりで体にはダメージが残っているだろう。それ以外の何人かも、突撃の際に傷ついて血を流している。

 それに対して敵は万全だ。ウルカが殺したスピリットを除いて、広域回復魔法で全回復している。

 最悪なのが回復と防御能力に優れたグリーンスピリットと悠人だけが包囲の外側にいること。悠人はともかく、グリーンスピリットは下手をすれば強力な赤の魔法一発で全滅しかねない。

 それでも横島やウルカがいる以上、そうそう負けないだろうが、しかし勝っても相当の犠牲が出るだろう。

 

「まったく、最後の防壁まで来られるとは、これではユキノジョウを倒すなどまだまだですね……まったく使えない」

 

 状況を確認したソーマは忌々しく呟いた。

 後一歩で自分が死んでいたというのに、そこに恐怖の色は見られない。

 

「いくら私が名うての調教師でも、やはり素材が良くないと一定ラインを越えるのは難しい……ふむ」

 

 ソーマは値踏みするような視線でハリオン達を見た。スピリット達は思わず総毛立つ。

 蔑みの視線なんて人間たちから嫌というほど浴びた。その度に怒りや悲しみが湧いてきたものだが、ソーマの視線はただ気持ちが悪かった。

 その視線は見られたくないものをあばかれるような、侵されてはいけない部分に踏み込まれるような、そういった不快感を絶えず与えてくる。

 スピリット調教師。その肩書きがどれほどスピリットにとって恐ろしいものなのか、彼女たちも理解し始めていた。

 

「エスペリア、私の元へ戻ってきてはどうです。お姉さん達が待っていますよ。

 ウルカ、貴女もどうです。ほら、部下達も恋しがってますよ」

 

 ソーマがパチンと指を鳴らすと、数人のスピリットが前に出てきた。

 

「エス、お姉ちゃん達と一緒に居ましょう。おねえちゃんといっしょに。オネエチャントイッショニ」

「隊長、一人は淋しいです。たいちょう、ひとりはさびしいです。タイチョウヒトリハサビシイデス」

 

 それは、正に虚無からの呼び声だった。

 

「ああ、お姉さま……」

「お、お前達……」

 

 二人は魂を抜かれたような仲間の声に、ただただ絶望する。

 ソーマという男に対する怒りよりも、自分に対して怒りが湧いてきた。

 悠人や仲間と楽しい生活を送っていたとき、姉や部下達は地獄で魂を砕かれていたのだ。

 

「この外道!」

 

 強烈な罵倒の声がヒミカの口から発せられた。

 圧倒的な嫌悪、憎悪の感情がスピリット達から発せられソーマを貫く。

 ソーマはそれをものともせず、ヒミカ達を値踏みするようにじっくり見つめた。

 

「『赤光』のヒミカ。貴女も中々興味深い。私自身のスキルアップの為にも、是非とも貴女の精神と肉体を勉強させてほしいですねえ」

 

「冗談を!」

 

「いえいえ、冗談ではありませんよ。ここでひとつ提案があるのですが、私と共に来ませんか? 私達は協力できるはずなんですよ」

 

 この男は何を言っているのだ?

 全員が呆然とソーマを見やる。

 

「もう一度言いましょう。私はラキオスと敵対する意志は無いのです。それどころか協力できるはず! 私の目標はただ一つ、サーギオスにいるエトランジェ・ユキノジョウ。あの化け物と配下のスピリットを打倒し、私のやり方こそが最高のスピリットを育てるのだと証明したい。スピリットマスターになりたいのです!」

 

 ソーマは興奮しながら言って、頬をバラ色に染めながら口角泡を飛ばす。

 それは夢を語る男の表情である。中年男性の邪悪な想いが満載だった。

 

「良ければ、スピリットを交換してもいいですよ。お互いの為に、決して無碍には扱いません……意味は分かるでしょう?」

 

 ソーマからすれば、ラキオスと敵対したくないというのは本音なのだろう。

 だが、スピリットを穢し、売り、貶めてきた以上、横島とは決して相いれない。見かけたら殺す。それほどの増悪がある。

 だから人質を取ろうと言うのだ。もしセリア達を手中におさめれば、彼女らを人質にされて横島はソーマに手出しできなくなる。

 

「何でしたら、そちらは一人で、こちらはエスペリアの姉とウルカの部下を一人づつ交換してもいいですよ。一対二。数の上では私が不利です」

 

 それが本当であるなら、決して悪い取引ではないように思えた。

 戦力的にも戦略的にもメリットは大きい。ここで不戦協定が結べればマロリガンの戦いに集中できるし、なによりここで死者が出ては溜まったものではない。

 

 私の身一つで、国が、仲間が、ヨコシマ様の命が助かるなら――――

 

 幾人かが生贄になっても良いと、そう考えた時だった。

 一人のブラックスピリットがスレギト方面から飛んできた。

 スピリットはソーマの前で跪いて、何かを報告する。途端、ソーマの表情が一変した。

 

「まさかこれほど早く……もし共闘されれば……ここは大事をとるしかありませんか」

 

 どうしてこんな事に。ソーマは無念そうに呟く。

 何が起こったのか分からないが、それはこちらの台詞だとラキオスのスピリット達は思った。

 本当なら、既にスレギトを攻略しているはずだったのだから。

 

「不本意ではありますが、ここで失礼させていただきます……ラキオスのスピリット達、もし強くなりたければ、私の元まで来てください。そう、身も心も私に捧げてくれれば、対価として願いをかなえて差し上げましょう」

 

 それだけ言ってソーマはきびすを返して夜の砂漠を歩き始めた。

 横島が何かを叫ぼうとした。逃がさないとでも言おうとしたのだろうが、それはヒミカが彼の口元を押さえて言わせなかった。

 ここでソーマが引いてくれるのなら、それにこしたことはない。だが、何を思ったかソーマは足を止めて横島達に向き直る。

 

「ああ、最後に少し訂正させていただきます。エニが死んで惜しかったと言いましたが、あれは嘘です。

 私も色々なスピリットを調教して肉体と精神を勉強してきましたが、あれは類を見ないほど天才で邪悪そのものでした。自身以外の全てを自覚なく見下し利用することだけを考えていた。例外として愛する神剣はいましたが、それはどう苦しませるかだけを考えて、喜悦に浸ろうとしていたのでしょう。あれは、世界の害悪。生命の天敵。殺さなくてはいけない存在でした」

 

 これ以上ないほどエニをボロクソに言った。

 挑発のつもりかと思ったが、今更挑発する意味はないはず。

 

「正直死んでくれてほっとしています。もし、生きていたらと思うとゾッとしますよ」

 

 嘘を言っているようには聞こえなかった。

 それでは、とソーマは丁寧に頭を下げて、どこぞへと消えていった。

 

 ソーマが消え去った後は、沈黙だけがあった。

 いや、僅かに聴こえてくる声がある。エスペリアのすすり泣くような懺悔の声。ウルカの奥歯をかみ締める音。

 肉体的にも精神的にも、ソーマは多くのダメージを与えていった。

 

「それじゃ~まずは回復ですね~ヨコシマ様、魔法のお時間ですよ~」

 

 ハリオンがのんびり言って、ようやく時間が戻ったようだった。

 全員がはっとした様子で周囲を見回して安全を確かめ始める。

 

 ハリオンは横島に回復魔法をかけて、そして懐からおやつの携帯型乾燥パイを取り出すと、横島の口に詰め込んだ。

 蘇生魔法は万能ではない。死んだ瞬間でないと効果がないし、蘇生しても傷も疲れも残ってしまう。

 横島は目を閉じて回復魔法を受け、糖分を摂取する。それが終わると『天秤』の力を引き出して、ソーマが消えた方角を睨み付けた。

 ハリオンは、めっめっと横島を叱る。

 

「もう、駄目ですよ~まだ二人とも元気じゃなありません~!」

 

「私は……俺は大丈夫だ! 早くソーマを追うぞ! あいつは、生かしてられん!!」

 

 『天秤』は、そして横島はまだソーマへの激情を抑えきれていなかった。ただ憎い。憎くて憎くて、腸が煮え返り続ける。

 そんな横島にスピリット達は口元をゆがめる。どう見ても平静ではない。だが、スピリットである自分達が下手に諌めても、

 

 『人間に逆らえない哀れなスピリットだからこう言うのだ。だから俺がスピリットの敵を排除しなければ!』

 

 そんな事を自分勝手に妄想するに違いない。一体どうしたらいいのだろう。

 横島を落ち着かせる言葉をセリア達は探す。大人達がそうしていた時だった。ニムントールがトコトコと横島の目の前までやってきた。

 そして、

 

「ふん!」

 

 思い切り横島の脛を蹴り上げる。

 悶絶する横島。いきなりの暴力に、何をするとニムを睨んで、あっと声を上げた。

 ニムの頬は不自然に痙攣して、緑色の瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。

 

「ふ、ふざけ、ふざけるな! な、なな、何が、だい、大丈夫だ! も、もしも、ま、魔法が失敗したら……そしたりゃ、も、もう、うああ」

 

 そこから先はも言葉にならなかった。

 全身を震わせて、ただ泣く。限界を超えた怒りと安堵が、ニムの感情を爆発させた。

 そこで横島はようやく気づく。自分に蘇生魔法をかけてくれたのは、ニムだということに。

 自分の命は、この小さな少女の肩にかかっていた。もしも魔法が失敗したら、確実に死んでいただろう。

 元々ニムは回復は不得手で、しかも蘇生魔法は難度が高いのだ。

 この小さな体に、どれだけのプレッシャーは掛かっていたのか想像もつかない。

 泣きじゃくる少女にかける言葉が見つからず、何となくニムの頭に手を伸ばしてみる。

 

「しゃわるなあ!!」

 

 横島が伸ばした手を振り払う。

 その時には、もうニムの顔は涙と鼻水で凄いことになっていた。

 

 ニムを放っとけない。この顔をあまり周囲に見せたくない。

 そう思った横島は軽く抱きしめようとしたが、今度は両手を突き放して横島を拒否した。

 次に横島は今度は暴れられないように、両手ごと強く抱きしめる。

 

「ごめん、本当にありがとな」

 

 力強く抱きしめながら言って、涙塗れのニムの顔を胸に抱いた。

 ニムは最初は暴れて抵抗しようとしたが、強く抱かれて脱出できないと悟ると抵抗を止めた。ただしゃくり声を抑えようとして、それでも抑えきれない嗚咽の音が周囲に漏れる。

 泣き声が皆に聞こえないように、横島はさらに強くニムを胸に招き入れて抱きしめた。ニムも、自分から胸に顔を押し付ける。

 皆は二人をしばし見守る。今の二人には抱擁が必要だと判断したからだ。

 

 それから少しして、横島の力が緩んだ隙を突いてニムが腕の中から抜け出した。

 

「……変態!」

 

「誰が変態だ! つーか見てみろ。お前の涙と鼻水で服がべチョべチョになったぞ!!」

 

「それはヨコシマの汗!!」

 

「こんなベトベトな汗があるかー!」

 

「こっちくるな変態! くっ付けるなー!!」

 

 くだらない、いつものような掛け合いが始まる。横島の表情から影が抜けた。

 それを見て、大人達は自分達が考えすぎていたことに気づいた。

 

 そうだった。冷静な言葉で落ち着かせようとするよりも、女の子をけしかけておけば元気になるような変態が私達の隊長なのだ。

 

 スピリット達は呆れたような顔をして、次に笑った。

 そんな中で、ハリオンだけが少し寂しい表情になったが、すぐに怪しげな笑みを浮かべる。

 

「ニムさん、ちょっと失礼しますね~」

 

「へ?」

 

 ハリオンはニムをひょいと抱きかかえる。

 そして、ニムを横島に近づけて、

 

 ――――ちゅ。

 

 横島のほっぺたにキスをさせた。

 

「な、ななななな! 何するのハリオン!」

「だって~今は私なんかがキスするよりも、ニムさんがキスしたほうがヨコシマ様が喜ぶじゃないですか~」

「そうなの!? この……変態エロスケベ!!」

「んなわけあるか! ハリオンさん、俺はロリコンじゃないっすよー!」

 

 横島もニムも顔を赤くして絶叫する。

 

「結婚式には呼んでねー!」

「二人は幸せのキスをしたの~」

「あわわわ、まさかニムが一番のライバルなの!」

 

 騒動の種に、やんややんやと子供達がはやしたてた。

 ニムが恥ずかしさと怒りで、神剣を振り回してネリー達を追い立てる。

 いつもの第二詰め所だ。さきほどの絶望が嘘のようである。

 セリアは僅かに頬を赤く染めた横島に近づいて、ただ一言だけ言った。

 

「ヨコシマ様、分かってますね」

 

「ああ……悪かった」

 

 言いたいことは山ほどあるが、横島への説教は、これで終わりだ。

 これで何も理解できないほどバカではないと、セリアは信じている。だから、これで終わり。

 

「セリア~ヨコシマ様だけじゃないですよ~」

 

 ハリオンに言われてはっとした。

 あの横島は横島だけではなかった。もうひとつの意思が重なった結果だ。

 横島だけならまだ正気を保てたはずだった。

 

「『天秤』、貴方もよ。エニを侮辱されて怒った気持ちは分かるけど、それで冷静を失ったら貴方でもこうなるのだから」

 

 セリアは天秤と話したことがあり、どれだけエニを大切に思っているか知っている。

 ただでさえ横島が怒りで理性をやられている所に、神剣からも怒りの感情が伝わったら平静でいられるわけが無い。

 最低でもどちらか一方は、冷静になってもらわないと困る。

 

「反省している……だとさ。まあ、エニの件については俺のほうがこいつを抑える側に立つべきなんだけどな」

 

 そう横島が言いながら、彼は少しだけソーマの言っていたことを肯定した。

 『天秤』をここまで苦しませたエニは、確かに恐ろしかったのだと。

 

 横島達がそんな事をしている一方、悠人達、第一詰め所の面々は気まずい空気の中にいた。

 エスペリアは未だに青ざめた顔で立ち尽くしている。

 悠人はそんなエスペリアの様子に、頭の中をかき回されているような感覚を覚えた。

 

 一体あの男と何があったのか。

 かつてソーマはラキオスの調教師だったが、どうやってかスピリットの所有権をラキオスから奪い取って逃走、そのままサーギオスに組み込まれた。

 唯一残ったのはエスペリアのみ。

 悠人はそれぐらいしか知らない。

 聞きたい。でも聞いてよいことなのか? 触れてよいことなのか? 触れたら余計に傷つけてしまうんじゃないか?

 

 そしてウルカだ。 

 ウルカも、エスペリアと同じように立ち尽くしている。

 罪悪感を耐えるように口を真一文字に引き締めて、永遠神剣『冥加』を握り締めていた。

 これから先、俺はウルカに対して仲間を殺せと命じなければならないのか。もしかしたら、ウルカの部下を救うために彼女は交換に応じてしまうのではないか?

 引き止めるにしても、どう引き止めたら良いのだろう?

 

 どうしたら良いのか悠人には分からない。

 神剣という力を得ても、それだけではどうしようもないという事実を突きつけられて悠人は無力感に苛まれる。

 沈み込む三人に、アセリアもオルファも言葉が無い。どう慰めたらいいのかすら分からなくて、悔しげに俯いてしまう。

 そこに、ヒミカがやってくる。

 

「ユート様、指示をお願いします。スレギトは目の前です」

 

 横島とニムが抱き合っている間、ヒミカは悠人から指示を受けに来た。

 これから先、横島が冷静でない可能性が高いだろうから、悠人に指揮を任せるしかないと考えたからだ。

 だが、それは失敗だったとすぐにヒミカは気づいた。

 

 悠人も心ここにあらずという感じである。ヒミカの言葉も聞こえていないようだ。

 言葉一つ分からぬ中、妹を人質に取られ、神剣を持たされ殺し合いをさせられるという極限の中で、献身的に悠人を支えたのがエスペリアだ。

 その彼女が揺れ動いた結果、悠人のほうにも精神が揺らいでしまっている。

 

 参ったとヒミカは頭を抱えた。

 悠人が駄目なら横島。横島が駄目なら悠人。

 そんな感じでラキオスのスピリット隊は回っているが、両方駄目になってしまってはどうしたらいい。

 

 困ったようにヒミカは横島を見て、そして言葉を失う。

 横島はハリオンに頭をナデナデされたり、ヘリオンのツインテールをいじくったりしていた。

 その度に、横島はあからさまに元気になっていく。それはただ気力が戻ってきたと言うだけではない。

 その肉体が、霊力が、マナが、明らかに活性化されているのだ。もしこの場面をヨーティアが見たら、嬉々として横島を弄繰り回すだろう。

 これこそが横島の力だった。煩悩で霊力が増幅するだけではない。煩悩で頭脳も肉体も心もパワーアップするのだ。

 

「女でボロボロになって、女で強くなるか。本当にこの人は」

 

 呆れと頼もしさでヒミカは力強く頷いた。

 私達がいれば、ヨコシマ様は大丈夫だ。

 ヨコシマ様がいれば、きっと負けることは無いはずだ。

 ヒミカはそう信じた。家族同然の絆がラキオスにはある。どんな困難も、乗り越えていけるはずだ。

 

「ヨコシマ様、指示をお願いできますか」

 

 ヒミカが言って、横島は頷く。

 

「スレギトに行こう」

 

 ソーマを追おうとは、言わなかった。

 

「おい横島。本当に進軍するのか。あのソーマを追いかけたほうが……いや、一度ラキオスに戻らないか」

 

 弱気になった悠人が言うが、横島は首を横に振った。

 

「大丈夫だと思うぞ。あいつが行った方角はデオドガン方面だし、他にもラキオスに行かない理由があるしな」

 

 確かに戦力的には、ソーマはラキオス領内にもいける。だが、ソーマを見つけ出そうと諜報部隊は躍起になっているし、それをスピリットで叩き伏せても宿や食事を取るにもラキオスは不都合だろう。

 旧デオドガンはマロリガンが制圧したばかりで治安も完璧ではないし、さらに商業も活発で異国人もなじみやすい。身を潜めるにも適している。まともに考えればラキオスにはいかないはずだ。

 

「でも、それでも裏をかいてラキオスに来る可能性もあるだろ!」

 

「スレギトまで行けばマナがあるから、神剣通話でソーマの事をラキオスに伝えられる。そうしたら第三詰め所に防備を固めてもらえばいいさ。今やることはスレギトの占拠。それが第一だ」

 

 混乱から完全に立ち直ったらしく、横島の声は落ち着いたものだ。

 周りのスピリット達は平常に戻った彼の様子にほっとしている。隊長が冷静になったというのもあるが、それ以上に横島がいつもの調子になったのが単純に嬉しかった。

 その、いつもの声で、横島は次の一言を発した。

 

「それにソーマは、アイツは俺が絶対に殺す。もう決まったようなもんだから、慌てなくていいさ」

 

 ――――何があっても殺す。ソーマという男が持つスピリット調教方法等の知識、その思想、全てをこの世界から消し去ってやる。

 

 横島の中では、もうソーマという男の未来は確定した。それこそ、死刑台に上った死刑囚のようなもの。

 絶対に死ぬのだから、その短い命を堪能しておけ、というかませ雑魚の如き思考で冷静になれた。それだけ横島の中でソーマの死は絶対だった。

 

 殺し合いの世界で生きてきたスピリット達だから、今更命を大事にしようなどと言う者はいない。命を奪うというのは罪悪だが、戦いなのだから仕方ないと皆が割り切っている。

 スピリットの特性と受けた教育から人間を殺すのはいけないとは思うのだが、あのソーマに関してはそういう思いも抱けなかった。

 

 だが、それでも。

 

 あの横島が激情に駆られているわけでもないのに殺意を常備した事が、セリア達には酷く悲しかった。

 

「ソーマを殺したら、エスペリアさんとウルカの仲間を助けたらいいさ。大丈夫だ、きっと上手くいく!」

 

 横島は快活にエスペリアとウルカに笑いかける。

 エスペリアは何も答えない。

 ウルカは密かに怒りを覚えた。

 

 貴方が突撃したせいで、手前は自らの手で仲間を殺しました。

 横島の楽観的な言葉に、ウルカは思わずそう言葉にしそうになったが、何とかこらえた。

 自分も同罪だ。自身の無能さによって、部下達は心を砕かれてしまった。

 

「はい、上手くいかせましょう」

 

 ウルカが感情を抑えた声で言って、横島も頷く。

 

「よっしゃ、いくぞ! 何があってもここでマロリガン戦を終えて、さっさとソーマを倒して佳織ちゃんを助けに行かないとな! それが終わったらスピリットハーレムだ!!」

 

 横島が現在の目標と、これからの目的と欲望を語って皆を鼓舞する。

 そう、これから先、どんな困難があってもそれを切り伏せ乗り越えなくてはならない。

 

 再度決意して進む。少し進んだだけで地面が砂からしっかりとした土に変わった。砂漠を抜けたのだ。

 もうスレギトは目の前だ。

 だが、そこで横島達の足が止まった。

 

 目の前に、懐かしい顔が現れたのだ。

 

「久しぶりでござる……先生!」

「よう、待ってたぜ!」

 

 本当に唐突だった。

 考えもしない再会だ。

 

「シロに……タマモか?」

 

「光陰に今日子?」

 

 そこにいたのは、横島の同僚である妖狐タマモと犬塚シロ。

 そして、悠人の同級生である岬今日子(みさき きょうこ)と碧光陰(みどり こういん)。

 それとどこか見覚えのあるグリーンスピリット。計五人だ。

 

 横島は嬉しさに思わず飛び上がりたくなった。、

 これで美神やおキヌちゃんをこちらへ呼び寄せることが出来れば、美神除霊事務所のメンバーが揃うわけだ。

 そうしたらもう怖いもの無しだ。勝利は約束されたも同然だろう。

 悠人も親友との再会に目を輝かせる。

 

 だが、その希望は、すぐに困惑へと変わった。

 理由は簡単だ。タマモと今日子の目には冷たい殺意が浮き出ていたのだ。

 

「我が名は永遠神剣第五位……『金狐』」

 

「ふん、『空虚』だ」

 

 扇を構えたタマモは『金狐』と、レイピアを構えた今日子は『空虚』と名乗る。

 悠人も横島も言葉を失う。

 中二病にでもなったかと、笑う余裕もない。

 

「拙者はマロリガン所属のシロと言います。拙者の持つのは永遠神剣第四位『銀狼』。誇り高い神剣で、なにより犬とは違うのでござる! 犬とは!!」

 

「同じくマロリガン所属の碧光陰だ。稲妻部隊って奴の隊長をやってる。俺が持つのは永遠神剣第五位『因果』だ。割といい奴なんだぜ」

 

 シロは刀の、光陰はダブルセイバーの永遠神剣をそれぞれ見せ付ける。

 この二人はいつもの様子だが、しかし横島達は気づいてしまう。その距離感が、その立ち振る舞いが、戦士としてものだと。

 間合いを計られているのだ。その事実に、それが意味するものに、二人は戦慄する。

 

 最後に、ハーフアップの髪を後ろに纏めた、仕事が出来るOL風のグリーンスピリットが前に出てくる。

 

「ちなみに私は」

 

「偽乳の薬物姉ちゃんだな!」

 

 横島の発言に周りから奇異の視線が飛ぶ。

 主に、その小さめの胸にだ。

 

「クォーリンです! クォーリン・グリーンスピリット!!」

 

 顔を真っ赤にして怒鳴りつけるクォーリンに、ヒミカはどこか親近感を感じていた。

 さて、と光陰が言って、

 

「自己紹介も済んだし、色々と話したいことはあるんだが……やっぱりまずこれを報告しないとな。

 察しているとは思うが、今日子とタマモちゃんは神剣に心を奪われた。このままだと回復する見込みは無い」

 

 最悪の事態だった。

 それは永遠神剣を操る者には等しくありうる災厄。

 

「何で今日子が」

「何でタマモが」

 

 横島と悠人の声が重なる。

 悠人が知る今日子は勝気で強く男勝りで、神剣の干渉を跳ね返すぐらいの強さがあると悠人は思っていた。

 そして、横島が知るタマモもクールで自立心が強く、神剣の干渉に負けるとは思えない。

 

「悠人、お前は本当に鈍いよな」

 

 非難するように、しかし尊敬するような、複雑な感情をこめて光陰は言った。

 悠人にはまるで意味が分からない。ただ一つ理解したのは、自分が何かを見落としているというだけだ。

 

「タマモに関しては、拙者のせいでござる」

 

 シロの目には苦渋の色が見て取れた。

 一体何がシロとタマモに起こったのかは定かではない。だが、言葉も通じないこの世界で、文字通り血の滲む様な苦労をしてきたのだろう。

 

 どうしてその場に俺はいなかったのか。

 どうしようもない事だったのは分かるが、それでも横島は悔しかった。

 

「今日子とタマモちゃんを助けるには、マナが必要なんだ。それもただのマナじゃない。今日子には悠人の『求め』、秋月の『誓い』、そして俺の『因果』」

「タマモには横島殿と『天秤』、雪之丞殿と『闘争』、拙者と『銀狼』」

 

 二人の言葉には微妙な違いがあった。

 今日子を救うには、あくまでも神剣だけで良いが。タマモの時は契約者の命、つまり横島の命も含まれている。

 

「つーかおい! 何でタマモの奴を助けるときだけ、俺の命も入ってるんだよ!!」

 

「そういうものだから、仕方ないでござる」

 

 意味が分からない、そう言おうとして、横島は失敗した。

 そうなのだ。色々とこの世界には理不尽があるのだが、『そういうもの』としかいいようが無いときがある。

 そういうものと、設定がされているように。

 

「俺は親友と恋人を天秤にかけた」

「拙者は先生と仲間を天秤にかけた」

 

 何を捨て、何を得るのか。

 二人は既に決断しているようだった。

 

「横島殿は言ってくださった。拙者たちを守ってくれると。約束をしてくれた・・・・・・その約束を果たしてくだされ」

 

 そうだ、約束をした。

 将来の美女になること確定のシロとタマモを守ると。

 恥ずかしいが、家族とすら思っていた。美神除霊事務所の賑やかな生活の為にも、守らねばいけない存在だ。

 

 だが、この場合の守るとは――――守るには。

 

「タマモを守るため」

「今日子を守るため」

 

 二人は声を揃えて、永遠神剣を悠人と横島に向ける。

 

「死んでくだされ」

「死んでくれや」

 

 弟子と親友から言い渡された断絶の死刑宣告は、なんともあっさりしたものだった。

 横島も悠人も、ぼんやりと宙を見る。

 現実感が薄い。異世界に連れてこられた時よりも、周りの存在感が希薄だった。

 一体どうして剣を突き付けられて死ねと言われてるのか。

 理由も理屈も説明されたが、心はまったく納得できない。

 

「おいシロ。お前はまだ子供なんだ。そんな難しい事を考えんな。俺に任せろって」

 

「拙者は子供から大人に変わったのでござる……横島殿だって変わったでござろう」

 

「俺は変わってねえよ」

 

「……商館地下での暴れようは、大したものでした」

 

 シロの言葉に横島の顔色が変わった。

 あれは裏の裏。秘中の秘。知っているものなど、極々一部なはず。

 一体、マロリガンの情報収集能力の高さはどうなっているのだろう。

 いや、シロが向こうにいるのなら、ある可能性が浮上する。これは文珠でも使って確認しなければならないだろう。

 何にしろ、知られたくない面を大切な弟子に知られていると分って、横島は苦々しく顔をしかめた。

 

「それでも……俺は変わってねえよ。あんなの見て、正気でいられるほうが可笑しいし、これからの事を考えれば、見せしめの為にも……それに俺だけがやったわけじゃ」

 

「そんな慌てなくても分かってるでござる。相変わらず女好きで、優しくて、だからああまでやれたのでしょう。

 変えられない部分がある。だからこそ、変えなくちゃいけない部分があったのでござろう。やはり横島殿は拙者が敬愛する人です」

 

 優しく微笑むシロ。慈愛と尊敬の念がそこにある。

 横島は救われたような気になったが、そこで気づいた。呼び名が、先生から横島殿に変化している。

 どういう心境の変化かは分からないが、線引きをされたことは感じ取った。

 

「嘘つくなー! 何が大人だ。俺の見立てではお前はまだAカップだぞー!!」

 

「なっ! そんなの大人と関係無いでござろう!」

 

「い~や、関係あるぞ! そんなちっぱいで大人ぶろうなんて百年早いわ!」

 

「も~せんせ……じゃなくて横島殿はいっつもそうだから美神殿やおキヌ殿に――――」

 

「それぐらいにしてくれや、横島」

 

 ここで光陰がシロを庇う様に前に出た。

 ほっとしたような表情をシロは浮かべて、

 

「シロちゃんは小さいから良いんじゃないか! 手のひらですっぽりと覆い隠せる青いつぼみ……これが大きくならないよう、俺は毎朝毎晩、仏様に祈っているんだぞ!!」

 

「何をアホな事を祈ってるでござるかー!!」

 

 シロの見事なアッパーカットが光陰の顎に突き刺さる。

 鈍い音があたりに響いて、光陰は天高く舞い上がり、そして頭から落ちる。

 ゴキリ、と聞こえてはいけない音が荒野に木霊した。

 

「光陰ー!?」

 

 悠人が叫ぶ。

 敵のロリ大将がここに散った。

 

「まったく、はいアースプライヤーアースプライヤー」

 

 ここで傍に控えていたクォーリンが迅速に回復魔法を唱える。その手際は随分とこなれていた。

 以前に痺れ薬を打たれた時、薬の効果は実証済みと言っていたが、この様子だと光陰に打ったことがあるのかもしれない。

 

「おお~い、シロ。戻ってこないかー?」

 

「うう~ん、悩んでしまうでござる」

 

「シロちゃ~ん! 俺を捨てないでくれ~~!!」

 

 シリアスとギャグの狭間を行き来する会話のなかで、セリア達は頭を悩ませていた。

 それにしても、これは一体どうしたものか。目的地の目の前で足止めされてしまった。この奇襲は失敗か。

 いや、神剣反応は目の前の五人分しかない。スレギトからも特に気配が無いのだから、ひょっとしたら敵はこの五人だけなのかも知れなかった。

 とするならば、これはもう最高だ。敵の最高戦力を3倍の戦力で叩き潰した上にスレギトを占拠する事が出来るかもしれない。

 そうすればマロリガンは終わりだ。外交でも大譲歩を迫れるだろう。

 

 だが、果たして横島達は友達と戦うことが出来るのか。

 正直、かなり厳しいだろう。

 

 こうなったら、自分達だけでも光陰とシロと呼ばれた者と戦うべきではないか。

 そこまで考えたセリア達だったが、そこで気づいた。

 確かに神剣反応はない。

 だが、気配はあちらこちらからする。その気配は二十近くあった。

 

(まさか、囲まれている?)

 

 セリアの背に、どっと汗が噴き出した。

 この距離まで神剣反応を隠す事が出来るほどの猛者達が周囲に伏せられ、それに取り囲まれようとしている。

 ということはレスティーナが想定していた迅速なる奇襲は、既に失敗したと言ってよいだろう。

 

 このくだらない会話の流れも横島得意の相手のペースを乱すギャグに持ち込んでいるようにも見えるが、それを逆手に取られているのではないか。

 時間を稼いでこちらを取り囲み、死地に追い込まれようとしているのでは。

 

 ただでさえ、こちらは万全ではない。

 強行軍の疲労、不可思議な機械の襲撃、ソーマが率いたスピリットとの交戦。

 どれも心身をすり減らされる出来事だった。止めに旧友との再会して殺す宣言だ。

 横島達を戦力として見るのは酷な事だろう。

 

 セリアがちらりと横を見ると、ヒミカがこくりと頷いた。ニム達も同様に頷く。

 この状況で戦うのは不味い。撤退が最善だ。しかし、逃がしてくれるか。

 その時、セリア達の思考を読んだかのように光陰が笑って言った。

 

「逃げたいんならさっさと逃げたらいいさ。悠人、俺はお前と戦って勝ちたいんだ。できればこそこそとした戦いで決着をつけたくない」

 

「拙者も同意権でござる。戦うのなら真正面から、やりあいたいでござるからな」

 

「俺はごめんだぞ」

 

「それはもうしわけありませぬ」

 

 うんざりしたように言う横島に、シロは軽く微笑んだ。

 その笑みは悩みに悩みぬいて、そうして生まれた覚悟を持っていなければ出せない輝きを持っていて、それから目を背けるように横島はラキオスに足を向けた。

 作戦は失敗だった。ラキオスに帰還するしかない。

 

「さようなら、横島殿。次に出会うときは、互いの大切な者達の為に……剣を振るいましょう」

 

 去り行くの横島の背中に、とても優しい声でシロは宣言する。

 彼女は完全に心を決めていたのだろう。横島は、ただこの世界を呪った。

 家族同然の第二詰め所の安全のためならば、世界以外の全てを犠牲をいとわない。そう決心していた横島だが、まさかここにきて敵方に家族が出現するなんて、あんまりすぎる。

 何とかタマモを助けて、シロと戦わないようにしなければ。そう考えたが、タマモを助けるには、絶対に誰かが犠牲にならなければならない。

 何故かはしらないが、シロと同じくそんな確信が横島にはあって、ただ奥歯をかみ締めて逃げるしかなかった。

 

 横島たちが完全に視界から消えたのを確認すると、光陰とシロはお互いに顔を見合わせて苦笑した後、崩れ落ちる様に砂漠に座り込んだ。

 

「ふ~何とかなったな」

 

「そうでござるな」

 

「疲れた」

 

「……」

 

「コウイン様、私はもう駄目です」

 

 突如、五人の額から大粒の汗がにじみ出てくる。

 膝はガクガクと震えて座り込んでしまった。立ち上がることすら困難のようだ。

 

「もう出てきて大丈夫でござるよ」

 

 シロが言うと、周りに隠れ潜んでいた者たちが出てくる。

 現れたのはスピリットではなく、皮の鎧を着込んだ男達だった。

 

 周囲に隠れ潜んでいたのは神剣反応を隠せるほどの熟練スピリットではなく、ただの人間だったのだ。

 セリア達も良く考えれば気づけただろう。神剣反応を隠せるほどの強豪スピリットが、これほど大量にいるわけもなく、それがこうも簡単に気配をもらすわけがないのだとという事を。

 結局、全員が度重なるトラブルに混乱していたのだ。

 

「何とか勘違いしてくれたでござるな」

 

「ああ。もしこのまま攻められたら俺達の負けだった……正直かなり運が良かったな」

 

 この場に居たのは、シロらエトランジェ四人とグリーンスピリットのクォーリンただ一人。他のスピリット達はまだスレギトに向かっている最中で、まだしばらくは到着しない。

 最精鋭とも呼べる五人だったが、いくらなんでも五人で横島達全員を相手にするのは不可能だ。

 しかもここに来るまでに一睡もせずに走り続け、飲まず食わずだ。第二詰め所スピリット相手でも勝てないほど疲労していた。

 

「天運は我らにあり、ござる」

 

 シロの耳がピクピクと動いて、遠くから発せられた鳴き声をキャッチする。

 

「光陰殿。どうやら想定ラインまでせんせ……横島殿らが下がったようでござる」

 

「分かった。それじゃあ装置作動だ。ようやく作戦通りに動けるな……あ~危なかった危なかった」

 

 それから悠人達はマナ嵐と呼ばれる現象を受け、完全に後退を余儀なくされる。

 レスティーナの機転から始まったマロリガン攻略戦だったが、それは失敗に終わることとなった。

 

 



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第二十八話 ラキオスの猛威

 永遠の煩悩者 第二十八話

 

 ラキオスの猛威

 

 

 

 

「これはどういう事でござる!」

 

 マロリガン稲妻部隊の副隊長であるシロは、机を強く叩いて眼前の坊主頭を睨み付けた。

 

「そんなに怒んないでくれよ、シロちゃん。俺が決めたわけじゃないんだから」

 

 坊主頭の青年、碧光陰はシロに強く睨まれて両手を上げる。

 シロは表情をしかめて、すまないと謝った。だが、腹の虫が収まるわけではない。 

 

「とにかく、説明を。どうして手前らが先陣を切れないのでござるか?」

 

 シロが怒っているのは、これからマロリガンの戦略や戦術についてだった。

 ラキオスとの戦いはマロリガンの最精鋭である自分達が先陣を切ると思っていたのに、別の部隊に任されたのだ。

 最強のカードを切らない理由を知りたかった。

 

「稲妻部隊は大将の直轄部隊だからな。俺らが活躍すると、大将の活躍になっちまう。それを嫌がる連中がいるんだろ」

 

 一番槍や大将首を落とすのが名誉になるのは分かる。

 それゆえの足の引っ張り合いも、馬鹿らしいとは思うがシロにもまだ理解できる。

 だが、問題はここからだ。

 

「しかし何ゆえ、こんな小規模な部隊を送るのでござる!!」

 

 戦いに赴くのは、10にも満たない少数の末端部隊だったのだ。

 これでは死にに行くようなものだ。

 

「それが出世に繋がるからだろ」

 

「どういうことでござる?」

 

「基本的に軍属の連中は権力闘争に敗れた連中が落ちてきた所だから、まだまだ出世欲は旺盛なわけだ。でも、スピリットって嫌われ者を指揮して戦功を上げてもまず人気に影響しない。だが、よほどの戦功があれば別だ。少数で戦果を挙げれれば、次の選挙で勝ちも見える」

 

 他にも思惑は色々とあるのだが、これは結局の所、権力闘争に過ぎないと光陰は説明した。

 

 シロは思わず「馬鹿か!」と議会を罵った。

 そんな軽い気持ちでスピリットの命が消耗させられようとしている。

 部下に死ね、殺せと命令するのが指揮官だが、その指揮官に命じる連中の頭がゆる過ぎた。

 スピリットの扱いは軽すぎる。ただの駒。いや、玩具のようだ。

 命を大切に、とはシロは立場上言えない。しかし、命を有用に使って欲しいと思った。

 魂を失い誇りある死すら迎えられなくなったスピリット達にとって、残されているのは意義のある死だけなのだから。

 

「……勝つ気があるのでござるか?」

 

「国の勝利よりも、国内での権力争いが優先って感じだな。ま、あのマナ障壁のおかげで負けが無い……と信じているからだろうが」

 

 あまりにも志が低いマロリガン上層部に、シロは情けない気持ちでいっぱいになった。

 眼前に敵がいるというのに身内で足の引っ張り合いだ。そんな連中に剣を預けているのか思うとがっかりする。

 

 それにシロはどうにもマロリガンに住む人たちが好きになれない。

 戦が始まり、つい数日前には電撃的な奇襲を仕掛けられあわやという事態になったにも関わらず、町人達はどこかのほほんとしている。戦えば必ず勝つ、という自信に満ち溢れているのではない。ただ『なんとかなるだろう』というぼんやりとした考えがそこかしこに満ちていた。

 しかしこのお気楽さはマロリガンだけでなく、人が死なない大陸に共通したことだ。流した血の量が絶対的に少ないからこその弊害と言えるだろう。

 ただ人的被害があったラキオスだけはそのお気楽さからの脱却を成功していたが。

 

 また、シロはマロリガンの部隊を率いる指揮官達を信用していなかった。

 以前に少し話してみたが、軍や議会からのお墨付きらしく確かに頭は良いのだが、どこかひ弱に感じてしまう。

 

「どうにも頼りない同胞……いや、同僚でござる」

 

「参謀官僚タイプ……って奴なんだろうな。戦術は頭に叩き込まれていて、スピリットの知識も豊富。テストの点なら百点って秀才君だ。それに戦争は政治の延長であると考えているのさ。議会の思惑を読み取り、高度な政治的問題や駆け引きにも対処できる優秀な奴らだろう」

 

 シロの表情から考えを読んだ光陰が、皮肉を苦笑交じりに言った。

 

「優秀でござるか? 守りはマナ障壁で完璧なのに、都市防衛に戦力を割いている訳の分からん連中なのに?」

 

「奴らの理屈だと、マナ障壁は完璧だが、でも本当に完璧かどうか分からない。スピリットは自国民の安全と権益を守るためにある。故に都市にスピリットを配置するのは間違ってはいない。こんな感じだな。マナ障壁が完璧でないって前提があるとすれば筋道としては間違っていないんだろうが……国民に向けてのパフォーマンスだな」

 

 説明をしながらも、光陰は苦笑を漏らす。おかげで全体の六割以上が遊兵となってしまった。いくらなんでも、後方都市にまでスピリットを多数配置するのは馬鹿だと思うのだが、民がそれを望んでいるのだから仕方がない。そうしなければ選挙に勝てないのだ。

 そして政治的判断のせいで最強の稲妻部隊はお留守番。最強こそ国民の盾にすべし、という理屈だが大統領直下の稲妻部隊に手柄を立てさせたくないのは丸分かりだった。

 ただこれは、最強の戦力であるエトランジェを四人とも大統領のお抱えにしてもらったせいでもある。これには諸々の事情があるとはいえ、首輪付きである大統領にいわくつきの精鋭が集中しすぎていて酷く警戒されていた。

 

 ただラキオスもサーギオスへの警戒のため、スピリットの半分以上はサーギオスとの国境沿いに配置している。戦力は互角か、ややマロリガン有利か。

 まともにぶつかり合えば、勝率は五分五分と考えられる。

 だが、それは稲妻部隊が正面に立った場合の話。マロリガンの二線級の部隊とラキオスの第一、第二詰所の精鋭が同数でぶつかった場合、勝敗は火を見るより明らかだ。

 それならせめて数だけでもそろえなきゃいけない時に、少数とはいえ無駄にスピリットを消耗しようとしている。

 

「こんなことで味方が命を散らすことになるなんて……悔しいでござる」

 

「しゃあないさ。これは、一度やられなきゃ目が覚めそうにない。そうすれば議会の連中も大将にある程度は裁量を持たせるさ……敗北したら全ての責任は大将に向かわせる為にもな」

 

「それが、老人どもが求める俺の役割だからな」

 

 クェド・ギン大統領は皮肉げに笑ってみせた。

 大統領など、この国を裏から牛耳る老人達のトカゲの尻尾。いざとなれば全ての責任を負って辞職しなければいけない。それでいながら、結局は老人の言いなりなのだから堪らない。

 だからこそ、俺はマロリガンのトップに立てたのだ。

 そう笑いながら言うクェド・ギンに、二人は表情を曇らせた。

 虚無感と怒り。この二つがクェド・ギンを構成している。この男は爆弾を抱えている、というのが光陰とシロの見解だった。

 

 それから少し実務的な話をして、シロは部屋から出た。

 正直、肩がこる話ばかりだったので、思い切り体を動かしたくなってくる。

 そこに、元気そうな部下のブルースピリットが目に映った。

 

「あ、隊長! こんにちわ!! 隊長は今何を……」

 

 シロに笑顔で話していたスピリットだが、彼女のお尻でパタパタと動く尻尾を見て泣きそうな表情になる。

 

「散歩だけはご勘弁を~!」

 

「まだ何も言ってないでござる」

 

「じゃあ散歩じゃないんですね! やったー!!」

 

「無論、散歩でござる」

 

「散歩じゃないですか、やだーー!!」

 

 泣き始めるスピリット達に、シロは部下の軟弱に鼻を鳴らした。

 

「まったく、せんせ……横島殿は神剣などなくとも毎朝毎晩五十キロの距離を付き合ってくださったのに」

 

「……それ神剣使うどころか、マナじゃなくで肉で体が作れられていたときですよね? そのヨコシマって人は人間ですか?」

 

「それが、次の相手でござる」

 

 シロの目が強く光って部下のスピリットを見つめる。

 スピリットは顔をしかめたが、はあっと溜息をついてヤケクソ気味に頷いた。

 

「うう~分かりましたよ。でも、私だけなんて不公平……じゃなくて寂しいので、皆も呼んできますね」

 

 意地の悪い笑みを浮かべて、ブルースピリットは生贄を増やそうと駆け出す。

 その様子をシロは苦笑して見送ったが、やって来たスピリット達に混じる一つの顔に、思わず顔をしかめた。

 

「鍛錬なら付き合おう」

 

 タマモが、いや『金狐』が抑揚の無い声で言う。

 シロは湧きあがる黒い感情を必死に押さえつけた。 

 

「鍛錬ではないでござる。楽しいサンポでござるよ」

 

「あの惨劇がか? フッ、スピリット達は散歩という単語を、地獄の行軍と呼んでいるぞ」

 

 タマモの顔で、『金狐』は小さく笑みを浮かべる。

 体を乗っ取っておきながら、ぬけぬけと話しかけてくることに腹が立つ。

 だが、ここで断ってもしょうがない。シロにとっては敵同然だが、マロリガンとしてみれば仲間なのだ。

 

「あ、タマモさん……じゃない、『金狐』さんもサンポするんですね。

 

「うむ。苦しくなったら助けを呼ぶか良いぞ」

 

「え? おんぶでもしてくれるとか!?」

 

「いや、幻術で鼻先にステーキをぶら下げてやろう」

 

「もー隊長じゃあるまいし~!」

 

 スピリット達と『金狐』は楽しげに喋りあう。それがシロには面白くない。

 『金狐』はスピリット達に人気があった。

 礼節があり、ユーモアもある。そして、非常に努力家だ。実力も、特殊な力を除いてスピリットより少し強いぐらいで、訓練相手としても人気がある。シロは訓練相手としては強すぎて容赦がないため、鬼や悪魔と呼ばれていた。

 

「『金狐』、無駄口を叩くなでござる」

 

「まったく、シロは心を開いてはくれないな」

 

「拙者に好かれたければ、タマモの心を返すでござる」

 

「……それはできんさ」

 

 ――――私自身でもどうにも出来ないのだから。

 

 自由などありはしない。未来も、期待されていない。

 求められているのは、歯車としての役割のみ。

 望まれて生まれてきた『天秤』と『闘争』。未来を期待される、その二本が憎かった。

 この二つを、なんとしてでも破壊して、運命を打破し生き延びて見せる。

 『金狐』は、ただ生きたいだけだった。

 

 

 

 デオドガン商業組合。

 マナの希薄な砂漠の中で、何故かマナが濃いオアシスがあって、そこを中心にこの地域は発展してきた。

 商人たちが集まって生まれたこの自治区は、スピリットと天然の要塞を駆使して強固な防衛線を構築して、大国の干渉を撥ね退け自治を貫いてきた。

 だが、それももう終わろうとしている。

 マロリガン共和国が2人の強力なエトランジェを陣頭に、侵略を仕掛けてきているのだ。

 

 どうにかしてマロリガンを撃退せねばならない。

 その切り札になると期待された二人の少女が、檻の中に入れられていた。

 シロと、タマモである。

 

「ラスト・ラーリク・ムスル・レナ・ヤァ・ロロヤシマヌ・テハン」

(本当にこの尻尾女がエトランジェなのか?)

 

「ハキウス・アクリネ・ヤァ・シミハオ・ラスレス・カウート・クタ・ライ・レ・ラナ・レナ・ナム」

(ああ、スピリット共が言うには神剣反応が出ているらしい)

 

「ラスト・デスウフゥ・ヒナゾス・ラ・シミハオ・ラスレス・カウート。ラスト、テステール・ソタメイ・ハテンサ・ニハ」

(神剣は見当たらないぞ? それに、どうやって服従させる?)

 

「ハケニテス・レテングス・セム・クワセル・スロフ・アムナ・アーン・ソラニサ」

(なあに、いざとなったら戦場に突っ込ませれば自然と闘うだろう)

 

 男達はこちらを見ながら何かを言っている。

 何を言っているのかは分からないが、碌な事ではないだろう。

 

 どうしてこうなってしまったのか。

 あの時、横島が光の渦に吸い込まれていくのに手を伸ばして、気がついたら砂漠にいた。

 分けも分からずシロとタマモはさ迷い、ようやくオアシスを見つけたら言葉の分からない連中と出会って、檻の中に入れられてしまったのだ。

 抵抗はしたのだが、流石にスピリットには勝てる訳も無かった。

 

 檻の中から逃げ出そうにも、いつの間にか狼にも狐の姿にも戻れなくなって、人型に固定されてしまった。

 自分達は、どうやら人狼でも妖狐でも無くなってしまったらしい。

 状況の変化についていけず、二人は途方にくれる。

 

 ――――我を握れ。我を求めよ。

 

 弱気に付け込むように、頭に声が響く。

 何かが、自分達に住み着いたのは分かっていた。

 それが凄まじい力を持っているのも、感覚的に理解できる。

 この状況を打破できるなら。シロはその言葉に応えたくなったが。

 

「やめなさい、馬鹿犬!」

 

 誘惑に乗りそうになったシロを、タマモが一喝する。

 

「いい、これは絶対に良くないものよ! 乗ったらただじゃすまないわ!」

 

「分かってるでござる! しかし、この状況を覆すにはこれしか……」

 

 永遠神剣の危険性。それに二人は本能的に気づいていた。

 これは興味本位で触れてよいものではないのだと。

 だが、状況が力を求めないことを許さない。

 

「マネ・ヤァ・マロリガン。ムスル・ワ・レナ・テカイン」

(マロリガンが来た! エトランジェを放て!)

 

 檻が開くと、スピリットに剣を突きつけられて強制的に歩かされる。

 着いた先は白刃と炎が支配する戦場だ。

 二人は必死に戦いを逃れようと走るが、運命は彼女らを逃さない。

 

 一人のブルースピリットが風を巻いて襲い掛かってくる。

 シロは霊波刀で神剣を何とか受け止めるが、衝撃で吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。

 

「シロ!?」

 

「タマモ……お前だけでも逃げ……せんせぃ」

 

 頭を強打して意識が朦朧となったシロに、止めを刺さんとスピリットが剣を振りかざす。

 

「ふざけないで! 皆で戻るのよ! 私は、あそこが気に入ってるの!!」

 

 言いながら、タマモは右手を振り上げて何かを握る動作をする。

 タマモの体から金色の光が溢れて、扇が彼女の手に握られられた。

 

「せめて、その想いには応えよう」

 

 タマモが言って、扇が振り下ろされる。

 爆発的な衝撃波が巻き起こり、シロに止めを刺さんとするスピリットを吹き飛ばした。

 驚くシロに、彼女は言う。

 

「シロと言ったな。早く逃げるがいい。そうすれば、あるいは私も」

 

「お前は……タマモではないな! タマモをどうしたでござる!!」

 

「諦めろ。もうどうしようもない……せめてお前だけでも……む!」

 

 タマモの姿をした何かは、いきなり膝をついて苦しみだした。

 

「お、おのれ! やはり私はただの駒だというのか!? ぐうう!」

 

 もだえ苦しむタマモの姿をしたなにか。

 そこに、スピリットの集団がやってきて剣を向ける。

 このままではタマモの肉体は殺されるだろう。

 

(先に約束を破ったのはお前でござる……人狼は、狐に借りなど作らないのでござる)

 

 そうして、シロは剣を取る。

 言葉が通じる光陰が来るまで、シロはタマモを守り続けた――――

 

 そこで、シロはパチリと目を開けた。固いベッドの上で伸びをする。

 寝汗が酷い。思い出したくも無い悪夢に、シロは溜息を吐いた。

 

「夢でござるか……まったく、過去を懐かしんでなんていられないというのに」

 

 あの時、もっと良い決断があったのではないか。

 そんな事を考えてしまう自分を、シロは恥じた。

 過去は戻らない。そして、受けた恩義に報いるのが人狼の生き方だ。

 必ずタマモを助ける。借りを返す。その覚悟を揺るがすわけにはいかない。

 

 窓から外を見ると、ようやく明るくなり始めた程度。

 まだ朝早い。二度寝をするか。だが、ノックの音がシロの耳に届いた。

 

「お~い、シロちゃん。起きてるかー」

 

「おきてるで~ござるよ~」

 

 ガチャリと扉が開いて、光陰が部屋に入ってくる。

 

「普段のカッコいいシロちゃんもいいけど、やっぱり間の抜けた顔もいいなあ」

 

 起き抜けで、ぼーっとしたシロの姿は光陰には眼福だったらしい。

 嬉しそうにうんうんと頷く。

 

「一体どうしたでござるかー」

 

「報告だ。ラキオスにやられたぞ、シロちゃん」

 

「負けたのでござろう。分かりきっていた事でござる」

 

 寝ぼけ眼でぼんやりと言うと、光陰はフルフルと首を横に振って両手をあげてみせた。

 

「遭遇戦で勝っちまったらしい。ラキオスは都市を捨てて後退。議会は攻め時と判断して、稲妻部隊を除いた、戦力の大半を送り込むと決めちまった……このままじゃマロリガンの……いや、俺たちの負けだ」

 

 事の重大さに、寝ぼけた頭が一気に冴えた。至急、話し合う必要がある。

 寝巻きを一気に脱いで軽装の戦闘服に着替える。

 尻尾のところにちょうど良い穴が開いている特注の戦闘服だ。

 

「こらこら、シロちゃん。男の前でそれは駄目だろ。俺は眼福だけどな」

 

 エロいことを言いながらも、光陰は下着は見ないよう、さっと後ろを向いた。

 こういう部分は先生によく似ているとシロは思った。助平なわりに純情な所があるのだ。

 まあ、横島なら大人の女性だった場合、間違いなく目を皿のようにして見るだろうが。

 着替え終わったシロと光陰はすぐに美味しく話し合える場所へ――――つまりは大統領の執務室に向かった。

 

「どうしてここに来る」

 

 クェド・ギンは憮然とした表情で言うが、二人は笑みを崩さずソファーに身を沈めた。

 

「堅いことは言わない約束でござる」

 

「そうそう。秘書さん。俺はいつもので」

 

「あ、拙者も拙者も」

 

「いつそんな約束をした……まったく」

 

 いつもの、で通じてしまう現状にクェド・ギンはしかめっ面になるが、最後には諦めたようにため息をついた。せめて最高級の茶葉を使わないことを秘書に祈るだけだ。

 大統領の仕事場が愚連隊のたまり場になってしまっている。それなりに信頼している秘書も随分と慣れているようだ。

 出されたのは最高級の茶で、クェド・ギンは秘書に目を向けたが、秘書にはしれっとした顔で席に戻り書類仕事を始めていた。

 溜息を一つして、改めて先の戦いを纏めていくと、その異常さに全員が頭を抱える。

 結論をだけを言えば、十名程度のスピリットでエトランジェを含む敵精兵を撃破、全滅。勢いそのままで都市ランサを占領。

 そして増援を求めて、合流したら一気にラキオス全土を征服するつもりらしい。

 

「んなわけあるか、でござる」

 

「いやーこの報告者面白いなー。下級魔法数発で悠人達が全滅してるぞー。ラキオスはスピリットだけで龍を二体も倒してる猛者なのになーわははは」

 

 今回の戦いについての報告書を読み直して一通り笑いあった後、シロも光陰も真顔になった。

 

「こりゃ洒落にならん。一発殴られたら本気出そうっていうのに、一発目でKOされるぞ」

 

 常に余裕を持っている光陰だったが、今回は声に焦りが滲んでいた。

 今回の件についての報告書を見ると、希望に満ち溢れた情報のオンパレードに泣きたくなる。

 徒然といかにマロリガンは強くラキオスは弱いか、と書き記されているが、結局のところ三行で求めるとこうだ。

 

 敵弱し。

 速やかに増員してラキオス全土を蹂躙すべし。

 必要最低限の守りとして稲妻部隊は本土に配置すべし。

 

 何もかもが間違っていると光陰もシロも思った。

 敵は弱くない。これは間違いなく罠だ。横島達は壊滅などしていない。彼らは奇跡の珠で夢を見たのだろう。

 その罠を見極める前に突撃などありえない。

 しかも、このごに及んで最精鋭であり霊力に対抗できる自分達を防衛に使うという。

 意味不明だ。

 

「議会では既に全軍上げての攻勢が決定したそうだ。俺はまず足元を固めたほうが良いと反対したのだがな」

 

 クェド・ギンは笑って言う。

 その笑みは余裕の笑みでも絶望の笑みでもない。全てに対しての嘲笑だった。

 破滅的な笑みに、光陰とシロは顔をしかめる。

 

「なあ大将。その増員の中に俺たち稲妻部隊が含めることは出来ないのか?」

 

 一縷の望みにかけて、光陰が聞いてみるが

 

「無駄だ。俺も提案したのだがな……どう反対されたか聞きたいか?」

 

「ま、想像ついているから簡便だ」

 

 光陰は両手をお手上げとばかりに上げて、苦いブラックコーヒーを飲み込んだ。

 どうせ、大衆向けの心地よい言葉が聞こえてくるだけだろう。

 だが、シロはまだ諦めてはいなかった。

 

「拙者達が出れないのはひとまず脇に置いて、どうして急な攻勢に出るのでござるか?

 まずはランサを橋頭堡にするべく拠点を作って、地形を調べて、万全を期して侵攻すれば良いでござろう」

 

 拙速よりも巧遅をシロは主張する。

 敵の庭にいきなり踏むこむのは危険と考えていた。狩りを得意とする人狼らしい。

 

「エーテルジャンプ装置が、ラキオスが撤収する際に破壊された。慌てて機密保持を考えたのだろうという見解だ。これが罠じゃない証拠らしい。時間はラキオスの味方だろうから、混乱しているうちに一気に攻めようという事らしい」

 

「そんなの事前に準備してればいいだけの話ではないでござるか。むしろ罠の疑いが高まったような気がするでござる」

 

「それでも都市捨てて、最新技術の塊を捨てるなどありえない思われる。返答はこの一点だ。」

 

 実に強気な発言だ。

 今までに守勢を貫いてきたマロリガンだったのに、ここにきて急に攻めっ気をだしている。

 

「それは分かったでござる。だが、霊力に関してはどうするでござる。罠が敷かれている可能性が高すぎるでござる。拙者達がいなければ、感知できない罠に突っ込むだけなのに」

 

 文珠の罠がある可能性が極めて高い。確かに文珠の攻撃程度ならスピリットには効かないだろう。しかし、それは神剣の力を引き出してこそだ。もしも、神剣を持たずに団欒しているところへ文珠を投げ込まれたら壊滅だ。

 そうじゃなくても、幻覚や洗脳の類もある。いや、考えられるかぎりの戦術が文珠は可能なのだ。

 その罠を見破るには、霊力が検知できて、なおかつ強力な永遠神剣を持つシロかタマモが必要不可欠なのである。

 

「その点も、戦術参謀様は答えてくれてるな。まず、根本的に霊力にはスピリットを撃破する程の力はないだろう。幻覚や催眠などは範囲が広くないからはずだから、部隊を小分けにして進めば被害は軽微で済むらしい。なにより油断せずに神剣の力を引き出していれば文珠の効果は薄いと『金狐』はレポートを出しているからな」

 

 それは確かに嘘ではない。だが、その程度の弱点は少し工夫すれば補える。工夫と言う点では横島はかなりのものだ。

 何よりも問題なのは、横島を甘く見ていると言う所だ。

 先生を甘く見るのは絶対にいけない。甘く見たら、確実に負ける。

 

「敵地で戦力を分散させるのは危険でござる。そもそも、拙者達がいけば済む話なはずでござる。

 それに先程から『だろう』とか『のはずだ』とかばっかりで、ちっとも信用できないでござる。そもそも、話の前提として敵が弱いなんて理屈が変でしょう。散々、拙者達が戦力を分析して、送った資料はどうしたのでござる!?」

 

「今回の結果を見るに、間違っていたのだろう、の一言だ」

 

 シロは、もう言葉も無かった。

 

「そもそもだ、こんなものは茶番なのだ」

 

 クェド・ギンはふんと鼻を鳴らす。

 

「議会は見たい現実を見たという事だ。敵は弱くあってほしい。だからきっと敵は弱い。それならば急いで出兵させなければ、戦機を逃したとして次の選挙が危うくなると判断したのだろう。

 軍の連中はこれで戦功を上げれば議員の道も開けるだろうから、出兵が危うくなるような情報を得ようとは思わない。

 財務担当のやつらなどは戦費を抑えられるというだけで正義だ。早期に出兵してくれと駆けずり回っているだろうさ。

 俺たちがいくら戦術や戦機で現実を見ろと言っても、奴らは目を閉じるだけだ。そして頭の中で都合の良い妄想を描き、それを現実に落とし込もうとする」

 

「もう、どうしようもないのでござるか?」

 

「今回の戦略は政府で決めたものだ。例え作戦に不備があろうと、お前ら軍人が何かを言って覆ることはない……まあ、俺もではあるがな」

 

 クェド・ギン大統領は皮肉そうに言って、歪に笑った。

 軍は政府の下にある。全ては議会の決定でしか動けない。あくまでも指揮官にあるのは現場での采配のみだ。

 

 あの横島が手ぐすね引いて待っている所に、何の警戒もしていない軍団を送り込む。

 結果の見えた戦いに、シロも光陰も頭を抱える。もう負けた後を考えるしかない。

 もしも今回の戦いで出兵したマロリガン全軍がやられたとしたどうなるか。

 最低限の都市防衛を考えると、戦える部隊は稲妻部隊しかいなくなる。戦力の補充は簡単には出来ない。

 残された稲妻部隊は確かに精兵だ。エトランジェ四人に加えて、シロと光陰が鍛え上げたスピリット達は強靭な心を持っている。

 だが、とにかく人数が足りない。ダーツィとバーンライトのスピリットを吸収したラキオス相手だと、数の差で押し切られてしまう。

 

 というよりも戦い以前に、戦力が低下しすぎて国としては完全降伏しか道はなくなるだろう。上手くいって条件付講和が限界だ。

 このままでは光陰やシロの手の届かない所で彼らの負けが確定してしまう。それが、横島達の望みなのだろう。戦わずして、シロ達を捕らえるつもりなのだ。

 

「あの女王様は半端じゃないな。マロリガン上層部の実態……いや国の気質を見切ってやがる。それに、思い切りも良い」

 

 リスクを背負うことに躊躇がない。これはマロリガンには無い強みだった。

 マロリガンは強気で押していくべき所を弱気で、弱気で押す所を強気で向かっている。

 

「なあ、大将。どうにかして稲妻部隊と俺達を出せないか。最悪、俺とシロちゃんだけで良い。そうすればまだ勝機はあるんだぞ」

 

「……ここで俺の独断でお前たちを出せば、俺は大統領を解任させられるだろう。そうなれば、お前たちは奴隷に落とされるぞ」

 

 エトランジェであるシロ達の人権が保障されているのは大統領の庇護があるからだった。

 頭が挿げ替えられたら、そのときは非人道的な扱いを受けることになるのはシロも光陰も承知している。

 それでは戦いに勝っても意味がない。

 

「参ったな。こんなんで負けるのか」

 

「冗談じゃないでござる! 戦力は互角で、厄介な砂漠を突破して橋頭堡となる都市を制圧! 罠があることも分かっている。勝機が転がっているのに負けるなどと!」

 

「だからこそさ、シロちゃん。ピンチがチャンスになるなら逆もまたしかり。ま、あれだけの大部隊だ。全滅ってことはないだろ。多少負けたら早めに撤退してくれればまだ大丈夫なはず」

 

「甘いな。今度の指揮官は頭が良く諦めが悪くて絶望せずに、どんな時でも勝利を目指す事ができる……現実を直視できない典型的マロリガン軍人だ。最後の一人まで希望を抱いての全滅もありえるぞ」

 

「大将は悲観的だなぁ。全滅した場合は、大将はどうなると予想している」

 

「間違いなく講和だな。いくらなんでも稲妻部隊だけで勝利できるとは老人共も考えまい。あの女王も二面、いやソーマという男の部隊も考慮すれば最悪三面作戦か。それを考慮して講和を受け入れるだろう。広大かつ政治思想が違うマロリガンを併合などという苦行を請け負うとは思えん。

 もっとも、お前たちはそうはいかないか。マロリガンを抜けて、四人で暗殺者のようにターゲットを狙うしかなくなるだろうな」

 

「最悪の場合、RPGよろしく四人で国相手に喧嘩かよ。難易度スーパーハードにも限界があるっつーの」

 

 二人の男は悲観的に笑いあう。

 

 シロは、それはそれで良いかも知れないと優しく微笑んだ。

 人狼は仲間を決して裏切らない。受けた恩は必ず返す。だから、何があってもタマモは助けなければならない。

 その為には、先生を、愛する人を殺さねばならない。

 この現実にどれほど苦悩したことか。悩んで悩んで、シロは一つの答えにたどり着いた。

 

 友の為に命を懸けて戦い、愛する人に討たれる。

 武人として、女として、そうすればきっと悔いの無い最後を迎えられるだろう。

 万が一にも先生を討ち取ってしまったら、タマモを助けてから、腹を切って後を追えばよい。

 シロは完全に覚悟を決めていた。

 

 だが、別にわざと負けるつもりはない。隊長として仲間のためにも勝利を目指すつもりはある。死力を尽くして戦った上での敗北が、シロの理想だ。この危機をどうにか乗り越えなくてはならない。

 困難に直面したとき、思い出すのは美神除霊事務所で過ごした日々の事だ。

 あの破天荒な日々を思い出すだけで勇気がわいて、そして悪知恵が浮かんでくる。

 さっとシロは立ち上がる。それを怪訝な表情で見る男二人。

 

「どうするつもりだ」

 

「なに、ばれなきゃ犯罪ではないのでござる!」

 

 当然の表情でシロは言ってのけた。

 

 

 数日後。

 

 悠人は迷彩を施した塹壕で体を休めていた。

 彼の隣には、歪な刀の人形が張り付いた、一本の刀がある。『天秤』だ。『天秤』には霊力の糸が巻きつけられて、それが遠くまで伸びている。

 霊力を伸ばして神剣の力を引き出すことによって、神剣反応を遠ざけながらその加護得る。

 こうすることによって、最強の力を得ながら最高の隠密性能を備えることが出来る。偵察には最適だろう。

 相変わらず反則な奴だと、悠人はもう達観の領域に突入していた。

 しばらくして、塹壕内に偵察を終えた横島が降りてくる。

 

「横島、どうだ」

 

「確認できたのは、全員心を失っているな。稲妻部隊ってのは神剣に心を飲まれていないって話ならこっちには来てないだろ。シロタマもお前の友達もいなかったぞ……上手くいったぽいな」

 

 上手くいかなければ困るさ。悠人は心の中でそう答えて、今回の作戦を振り返る。

 敵の大群を懐近くまでおびき寄せて、総力を挙げて速やかに勝利する。大雑把に言えばこういうことだ。そうしなくてはいけない理由があった。

 敵がマロリガンとサーギオスだけなら、まだ一方を守りつつ、もう一方を攻撃するのも可能だったかもしれない。だが、敵はこの二つだけではなくなった。

 この大陸にはソーマという爆弾がいるのだ。本人はラキオスと敵対する理由がないとは言っていたが、逆に言えば理由さえ出来れば容赦なく襲い掛かってくるだろう。あのスピリット達の実力は相当なものだ。

 マロリガン、サーギオス、ソーマ。この三つの勢力を同時に相手する力はラキオスにはない。とは言っても、どれとも話し合いは不可能。ならばどれか一つを早急に叩くほかは無かった。

 まずは一個人に過ぎないソーマを倒すべし。私怨もある横島はそう主張したが、まずソーマが見つからなかった。

 ラキオスは一年前の五倍以上の領地の獲得したのだ。正直、まだまだ目の届かない土地が多すぎる。そもそもラキオスにいるかどうかも分からない。ソーマを探すのは困難を極めた。

 

 そうこうしている間にマロリガンの部隊が迫ってきて、それが少量というのが分かった。どうして無駄な斥候を送ってきたのか、マロリガンという国を調査、解析して明らかになっていたので、レスティーナは博打に出た。

 適当に戦ってわざと敗走して、対マロリガンでの最重要である都市ランサを放棄。さらに破壊したエーテルジャンプも置き去りにする。こうやって無理な攻勢を誘ったのだ。

 

 また、横島によって敵の情報源が確定できたのが大きかった。

 まさか犬猫や鳥などの動物がスパイになっているなど考え付くわけが無い。

 事実が明らかになって、必死に敵の影を追っていた諜報部のあんぐり顔を横島は思い出して、笑った。

 敵の正体が分かれば、所詮は動物。誤情報を流すのも難しくない。

 

 それでも、相当なリスクは背負った。大博打を打ったと言って良い。

 なんと言っても一都市を放棄して、壊れたとはいえ最高のエーテル機器を渡してしまったのだ。これで何のリターンも得られなければ相当まずいことになる。

 ラキオスは追い詰められていた。それだけ、ソーマ、マロリガン、サーギオスとの三面作戦になるのを恐れていたのだ。

 だが、ラキオスは賭けに勝ったのだ。

 

「この戦い、同数以上の敵を壊滅させて、こちらの被害はゼロにする。さらに、可能な限りスピリットを生かして無力化する」

 

 高いリスクを払っただけのリターンも得る機会が得られた。

 圧倒的に優位な状況で一戦して、ここでマロリガン戦を終えようと言うのだ。

 これなら砂漠という慣れない地形と、マナ嵐による防衛装置を突破すると言う労力を負わずに済む。

 何から何まで、こちらが有利。正直、負ける要素はない。

 

「作戦開始だ!! 悪いな、光陰……おまえとは戦わない! これで決着だ!」

 

 こうして、マロリガンの歴史において最悪の悪夢が幕を開ける。

 

 始めに悪夢を見たのは、前軍だった。

 敵の姿はどこにもなく順調に進軍を続けていると、突如として敵の神剣反応が現れた。

 その数、約80。前軍の倍以上で、包囲しながら向ってきているという。

 

「は?」

 

 スピリットから報告を受けた指揮官は呆けた声を上げた。

 その数は、ラキオスに所属するスピリットの全軍に近い数だ。

 半分はサーギオスとの国境に配置されていると聞いていた指揮官は、あまりの事に頭が真っ白になったが、すぐに頭を切り替えて戦術を考える。現状を打破するにはどうすべきか。

 だが、考えれば考えるほど、どうしようもないと分かった。

 奇襲され、半包囲されて、質量とも負けていて、それが連携を保ち襲ってくる。

 これを挽回できる将官がいたのなら、それは名将という括りすら超えているだろう。

 

「密集して耐えろ! とにかく耐えるんだ。敵襲は想定内だ。すぐに増援が来る!!」

 

 指揮官はそう言ってスピリットを鼓舞する。いや、心を失ったスピリットは士気の高低はないのだから、自分自身に言い聞かせているのだ。

 マロリガンにとっては絶望的な、ラキオスにとっては勝利の約束された戦いが始まった。

 

 中軍には人間の兵士が付いておらず、多少の自意識を残したレッドスピリットが指揮を執っていた。

 彼女は前軍がとてつもない戦力に襲われてることが分かって、慌てて救援に向かっていた。

 一刻も早く合流するため、ウイングハイロゥを持つブルーとブラックだけを先行させる。本来、色を統一させるのは多様な戦略に対抗できなくなるために悪手なのだが、このままちんたらしていたら前軍が壊滅してしまう。

 機動力のあるブルーとブラックは羽をはためかせながら救援に向かう。

 この機動力がある打撃部隊がラキオスの横腹を突けば、戦況は好転するはずだ。

 それは正しい答え。だからこそ、読みやすい。

 

 ブルー・ブラックスピリット達を隠蔽された塹壕から見つめるスピリットが二人いた。

 ヘリオンとハリオンだ。

 

「襲われた前軍を助ける為に急いで合流する必要があるから、きっとウイングハイロゥを持つブルーとブラックだけ突出して助けに向かうだろう……ふふ、ヨコシマ様の言ったとおりです!」

 

「まるっとお見通しですね~」

 

 流石はヨコシマ様!

 そう笑うヘリオンだが、別に考えたのは横島だけじゃなく悠人やイオ・ホワイトスピリットも含まれていたのだが、彼女の脳内で横島一色に染まっているらしい。

 

 ヘリオンの上空を通過しようとするスピリット達。

 そこでヘリオンは神剣を握って力を引き出す。

 同時に上空のスピリット達が一斉に眼下を見た。だが今更気づいても、もうおそい。

 

「レッツ墜落! バニシングハイロゥです!!」

 

 陽気な詠唱と共に神剣魔法の効果が発動する。同時に、ブルーとブラックスピリットのウイングハイロゥが消失して、飛行力を失った彼女らは地面に落下を始める。

 バニシングハイロゥとは、ハイロゥを打ち消して行動を制限する神剣魔法だ。防御不可回避不可の強力な魔法だが、場に展開する魔法だからヘリオン達も等しく効果を受ける為に、使いどころを考えなければいけない魔法である。

 

 上空からの落下だが、ハイロゥを失っても神剣の加護を失ったわけではないので、落ちても痛いですませられるだろう。

 着地したら走って魔法の影響下から抜け出せばそれでおしまいだ。

 だが、それを分かっていればやれることはあるのだ。

 

「ふっふっふ! さあ、ヨコシマ様の奇跡の結晶たる力です。くらいなさ~い!!」

 

 満面の笑みを浮かべてヘリオンは敵の落下地点へ文珠を放り投げる。

 

 『沼』

 

 ズボッ! ズボッ! ズボッ! ズボッ!

 空中から勢い良く落下してきたスピリット達は、胸の辺りまで泥に埋まっていく。

 中には空中でバランスを崩したのか、昔の漫画のように顔面からダイブして、人型の型抜きを作り上げる者もいた。

 最悪の足場に、これでは走る所か歩くのもままならない。魔法の影響で飛び上がることも出来ないだろう。

 

「うわぁ~泥だらけですねーえへへ!」

 

「後でお風呂ですねぇ~」 

 

 ヘリオンは楽しそうに、ハリオンは能天気に、それぞれ笑顔を浮かべる。

 しかし、マロリガンのスピリットは完全に心を失っているようで、怒りも焦りもない。

 ただ眼前の敵を屠ろうと、えっちらおっちらとヘリオンに向って歩き始める。

 沼は広範囲に広がり、ヘリオンの足元も同じだった。

 しかし、ヘリオンは身軽とまでは言わないが、マロリガンのスピリットよりもスムーズに沼を歩いてみせる。その秘密は彼女が履いている円型の靴にあった。

 いわゆる水蜘蛛だ。流石に水は歩けないが、しかし、泥の中を歩くには十分だ。

 

 こうして泥の中の追いかけっこが始まる。

 機動力が奪われ持ち味の接近戦が出来ず、ブルーとブラックが使える神剣魔法では碌なダメージを与えられない上に、もし与えてもハリオンの魔法で回復できる。これは敵にはブルースピリットがいるので、ある程度離れなければいけないが、距離を取るのは簡単なので問題ない。ハイロゥを封じる魔法は効果が切れそうになったら、また張りなおせばよい。

 こうして、たった二人に、数十人のスピリット達は足を完全に止められることになった。

 

 その間に、前軍の苦闘は続く。

 マロリガンのスピリット達はいくら守りを固めても少しずつ削られて、セリア達に手足を落されていった。ヒミカなどは切った瞬間に断面を焼いて止血を施してダメージを軽くする。

 手足を切られたり、神剣を吹き飛ばされて無力化されたスピリットは、すぐさま捕まってラキオスの陣地に運ばれ治療を受けた上で縛られた。味方どころか敵にすら死者が出ない凄まじい戦場だ。

 

 援軍が来ないことを悟った指揮官は、やぶれかぶれに突撃の命令を出した。

 形勢が少し変わる。いくら圧倒的に有利でも、ひたすら神剣を振りかざしてくる相手を無傷で捕獲するのは難しい。

 やがて、一人のブルースピリットが第二詰め所が作った囲みから抜け出して、後方で魔法の援護をしていた第三詰め所に突撃した。

 第三詰め所のスピリット達は、それでも殺傷力の低い魔法を連打して、殺さずに捕らえようとする。しかし足を止めることが出来ず、ついに剣を振り下ろされてしまう――――が、そこで悠人が現れた。

 彼は『求め』で神剣を軽く受け止めて、返す刀で相手の神剣ごとブルースピリットを叩き潰す。ここに来て、初の戦死者だ。

 第三詰め所のスピリット達は悠人を睨みつけた。

 

「ヨコシマ様に褒めてもらえなくなるのに!」

 

 彼女らは強く文句を言う。悠人は思い切り顔をしかめた。

 言いたいことはいくらでもあった。

 だが、悠人はグッとこらえる。体は大人でも、心が子供同然の彼女らを前線に立たせているのは自分らなのだ。今はとにかく、言うことを聞かせるだけだ。

 

「一人でも死ぬか、致命傷を受けたら横島は褒めないぞ」

 

「う……でも!」

 

「とにかく、敵が第二詰め所の囲みを抜けたら、強力な魔法で殺せ。これは命令だ!」

 

 冷たく、強い口調で悠人は命令する。これが必要だった。

 下手に命を助けようとすれば、首をはねられるのは自分の方だ。

 第三詰め所のスピリット達は面白く無さそうだったが、しかし命令には逆らえないので嫌々ながらも首を縦に振った。

 

 それからは危なげなく進行して、前軍は壊滅した。人間の指揮官も捕らえられる。

 死者はゼロにはならなかったが、それでも大半のスピリットはラキオスに捕縛されることになった。

 

「さあ、次はヘリオン達の所に行くぞ!」

 

 悠人の号令に、皆が頷いて動き出す。

 

 

 その頃、中軍で救助に向ったブラック・ブルースピリットを除いたレッドスピリットとグリーンスピリット達は、仲間と合流しようと走って前線に向っていた。

 だが、その足は一人の男の出現によって止まることになる。

 レッドスピリットはサイキックソーサーを足場にして、空中で立っている男を見上げた。

 

「ラキオスの……『天秤』のエトランジェか」

 

 黒い羽織と、赤いバンダナ。そして、日本刀型の永遠神剣。

 話に聞き及んでいた横島の特徴だ。相当にやっかいな相手であるのは間違いないが、しかし、彼は一人だった。

 

「まさか、たった一人で我らを相手にする気か?」

 

「ふっ! 俺一人で十分だってことさ!」

 

 しまりのない緩い顔で言い放つ横島に、レッドスピリットは眉を潜めたが、それだけだ。

 空を飛べない緑と赤のスピリットでは空中にいる横島に神剣は届かない。

 だが、レッドスピリットには羽や足がなくても、強力な遠距離攻撃がある。

 

「永遠神剣の主が命じる。炎よ、火球となりて――――」

 

 レッドスピリットの集団が詠唱を開始する。だが、それが発動する前に横島は動いた。

 失敗型の文珠を数個ばらまく。

 文珠は爆発して、霊気の煙を周囲にばら撒いて視界がゼロとなった。横島の姿は完全に見えなくなる。

 視界がきかなくても、神剣反応は分かる。

 空中にいる横島に炎の矢をぶつけようと詠唱を開始するレッドスピリット達。しかし詠唱を開始した途端、神剣反応が地上に降りてきた。

 これは接近戦になる。グリーンスピリットが横島を囲もうとしたが、それは出来なかった。

 

「え?」

 

 なんと神剣反応は空中から地上どころか、地中にまで潜って行った。

 地面の中にいる横島に対して、スピリット達の動きが止まった。地面の内部にいる敵に対してどう戦うかなんて教わったことがない。

 ほぼ感情を失ったスピリット達は機械的に訓練どおりのマニュアルをこなすことには優れている。決して恐れることもなく、戸惑うこともない。ただ目的に向かって進むだけ。下手な挑発やギャグでも心を乱さない横島の天敵だ。

 しかし、それは同時に思考能力の低下に繋がる。だからこそ、足手まといであっても人間の指揮官や必要になるケースがあるのだ。

 指揮を取っていたレッドスピリットも困惑したが、横島が潜ったと思われる穴を見つけて決断した。

 

「ここに魔法を打ち込むぞ」

 

 横島が地中に潜った穴に向かって、炎を流し込む。それは、アリの巣に液体を流し込むようなものだ。炎を流し込むと、地中の神剣反応が激しく動いた。

 レッドスピリットの唇が三日月形につりあがる。

 あの緩い顔が地中で熱に苦しんでもがき苦しんでいるのだと思うと、非常にたまらない。

 

「……ふふ、これで奴も生きてはいまい」

 

 指揮を取っていたレッドスピリットは、息を切らしならも得意げに笑って見せた。

 地中からの神剣反応が消失したのだ。地中で蒸し焼きにでもなっただろうと、彼女は笑うが、その尻に邪な手が伸びる。

 

 グニン!

 

「ひぃん!」

 

 お尻から立ち上ってきた感覚に、思わず変な声が漏れる。何事かと尻を見ると、光る妙な手が尻をグニグニと握っていた。

 光の手が伸びてくる方向を見ると、空中に一人の男の姿があった。

 右手から伸びた光の手は尻を、左手から伸ばした光の手は地中に突き刺さっている。

 

「う~ん、やっぱり直接触らんとつまらんなー」

 

 そんな事を言っていた。

 唖然としていると、地中から一本の神剣が飛び出してくる。そちらは、左手から伸びた光の手で握られていた。神剣は横島の手に収まる。

 

 やられた!

 

 こっちが必死になって地中の神剣を追い回して土まみれになっているのを、あの男は空中で笑いながら見ていたのだ。

 完全に手のひらで転がされていた屈辱に、紅潮するレッドスピリット。

 そんな彼女を見て、横島はニタニタといやらしく笑う。

 

「ふふ、これで奴も生きてはいまい……だってさ! うひゃひゃ! 格好良いぞーー!!」

 

「う……ぐううう!」

 

「しかも、お尻を触られたら、ひぃん! だからな。いやあ、可愛いなーー!!」

 

「ううう! この痴れ者が!」

 

「え~あんたらが勝手に俺が地中に居るって勘違いして地面耕したんだろ」

 

「黙れ黙れ!」

 

 火球を飛ばす。他のレッドスピリット達も炎を飛ばし始めるが、横島は空中でカサカサとゴキブリのごとく動いて回避し続ける。

 

「どうしたどうしたー!! 乳が重くて動けないかーー!」

 

「重くなんてない! 死ね、死ね、死ねー!!」

 

 レッドスピリット達は赤の魔法を唱え続ける。

 空を埋め尽くさんとする赤い壁に、流石の横島も表情に焦りが生まれた。その時だった。

 スピリット達の周辺が歪んで、そこから黒い針が飛び出してくる。ブラックスピリットの扱う魔法だ。レッドスピリットは突き刺さってくる針に慌てて詠唱を中断する。

 隠れ潜んでいたファーレーンの姿を見つけて、また騙されたとレッドスピリットは横島を睨みつけた。

 

「仲間を潜ませてたか! 一人で十分と言ったのに……嘘つきめ!!」

 

「ふっ、敵の言うことを真に受けるとは愚か者め!!」

 

「ぐうう、むうううう!!」

 

 レッドスピリットの顔が怒りで真紅に染まって、地団太を踏む。彼女のスフィア・ハイロゥがますます黒から灰色に変わり始めていた。

 そんな彼女を、横島は嬉しそうに見つめる。馬鹿にされてるのだとレッドスピリットは思ったが、実際はこのスピリット集団で一番横島の好意を受け取っていたりした。

 それが怒りであれ、感情の無いロボットのごとき女の子よりは、ずっと魅力的だ。

 だが、レッドスピリットの憤怒はファーレーンには我慢できなかったらしい。

 

「卑怯者など……その言葉、取り消しなさい。本来ならヨコシマ様は一人で貴方たちを殲滅することが出来たのです! ですが、ヨコシマ様は貴女達を哀れに思い、少しでも多く生かそうと頑張っているのですよ! ですよね、ヨコシマ様!」

 

「お、おう」

 

 ファーレーンはキラキラした表情で横島を見た。

 尊敬とか敬愛とかをひっくるめた目で見られて、横島はどこか引け目を感じてしまう。

 間違ってはいないが、助けたら後で尻を触らせてもらおうと考えていた横島にとって、この輝かしいばかりの信頼は重かった。

 

「我らを生かして捕らえるだと? ふざけたことを。お前ら2人は、ここで我らが殺す……さあ、掛かって来い」

 

「いや、選手交代だ」

 

 さらりと横島が言って、そこでレッドスピリットも気づいた。

 前軍のスピリット反応が消滅している。救援に行ったブルー・ブラックスピリット達の反応も、既に無い。圧倒的な数の神剣反応が、すぐ間近まで迫っていた。

 

 圧倒的な戦力差に、自分が死ぬであろう事が分かった。

 別に死ぬのなんて怖くない。生きるも死ぬもどうでも良い。いや、最近はそういう事すら考えていなかった。

 だが、レッドスピリットは横島とじゃれあって少し心を取り戻してしまった。

 

「いやだ、やっぱり死にたくない」

 

 思わず呟いてしまう。

 

「大丈夫、死なないさ。これから一杯良い事が待ってるんだからな」

 

 横島はニカッと笑って言う。レッドスピリットは思わずその笑みに見惚れた。

 こんなにも優しい笑顔を、こんなにも温かい言葉を、生まれてこの方貰ったことはあっただろうか。

 ぽーっとレッドスピリットは横島を見つめる。

 やってきたネリーがその様子を見て、頬を膨らませて横島のわき腹に頭突きをかました。

 

「ヨコシマ様は、ネリー達の隊長なんだからね!」

 

「いきなり現れて何を言ってんだお前は」

 

 グリグリと頭を押し当ててくるネリーに押されながら、横島は周囲を確認した。

 第二詰め所に第三詰め所の皆が周囲を囲んでいる。これなら万が一もないだろう。

 後は、最後の詰めだ。

 

「仲間になったら、また尻を触らせてくれな!」

 

「だ、誰が触らせるか!」

 

「ぐっふっふ! それじゃ、ファーレーンさん、それとネリー達も、怪我はないようにな」

 

「お任せください」

「うん! もちろん!!」

 

 スピリット達をネリー達に任せて、横島は前へ走り出す。

 隣には、いつのまにか悠人が並走していた。

 

 最後に残った後軍は、状況の変化についていけなかったのか動く様子はない。

 こうなった時のプランは、既に考えてある。

 後軍を逃がさず仕留めればマロリガンは完全に終わるだろう。

 

「そんじゃ、最後のつり出しだな。悠人、いくぞ」

 

「ああ!」

 

 こうして、二人の隊長は敵の元へ向う。

 敵に、最後の希望を与えるために。

 

 

「これが現在の状況です」

 

「馬鹿な……こんな」

 

 その頃、後軍にいたマロリガンの総司令官は、神剣反応探知役のスピリットの報告に頭を抱えて呻いていた。

 まったく敵に打撃を与えることなく、こちらだけが一方的に叩かれていく。悪夢としか言い様がない。

 敵は弱いはずではなかったのか? スピリットの半分はサーギオスとの国境沿いに配置されているのではなかったか? どうして万全の態勢を整えていたのだ?

 予想と違う。予定と違う。これでは戦いにならない。機動力は発揮できず、戦力は分断された。スピリット単体の質は完全にラキオスが上で、今現在は量でも負けている。

 前軍は壊滅状態。中軍は半壊して全滅は時間の問題。後軍をこのまま進軍しても勝ちの目を拾うのは不可能といえた。一応、都市ランサに配置したスピリットを呼び寄せて合流させるという手もあるが、それでも厳しいだろう。

 

「ランサへ撤退しましょう。これ以上被害が大きくなれば……万が一全滅ともなれば、マロリガンは終わります!」

 

 真っ青な副官の言葉に、その通りだと胸の内で頷く。

 撤退するべきだ。ここで無理をして全滅すれば、マロリガン全戦力の七割が消失する。そうしたらせっかく奪ったランサも奪い返されるだろう。

 文珠対策と戦力を上手く出し入れする自信があったから部隊を小分けしていた。そのせいで各個撃破の餌食になったが、逆に言えばまだランサの部隊を含めれば半数近くは無傷で残っているのだ。

 今すぐ逃げれば自分たち後軍は無傷で後退できるはず。そうしたらランサに引きこもって、本国の救援が来るまで篭城すれば良い。それが現実的な戦術だ。

 

 だが、ここで逃げれば俺はどうなる?

 これだけの損害を出したのだ。派閥も擁護しきれないだろう。左遷は当然として、最悪、責任を取らされての処刑もあり得るのではないか。

 なんとか一矢報いたい。そうすれば名誉ある撤退が望める。

 

 それに今後の外交にしても、一矢も報いなければ講和の際にラキオスから大譲歩を要求されてしまうだろう。

 それを民衆は飲めるだろうか。議会がよほど上手く情報統制しなければ民衆の反発は必死だ。和平など不可能になり、より厳しい状況でラキオスと戦争になりかねない。

 だとすれば、やはりここで起死回生の策をとるべきだろう。

 

 少しでも希望を見出せないか、物見のスピリットを呼び寄せる。

 報告によると、手足を傷つけられて身動きが取れなくなったスピリットがあちらこちらで泣き喚いているとか。報告してきたスピリットは青い顔で残酷だと罵っていた。

 

 奴隷ごときが、しかも役に立たない無能が何をほざく。

 殴り飛ばしたい衝動に駆られるが、何とか我慢する。今は少しでも戦力が欲しい。

 司令官は考えた。何か方法があるはずだと。諦めなければ道は開かれると、必死に考える。

 それでも希望は見つからない。もはや逃げるしかないか。

 

 絶望にくれながら撤退を指示しようとする司令官。

 そこに一つの情報が飛び込んでくる。

 ラキオスのエトランジェが二人だけで、こちらに向かっているというのだ。

 

 これは罠だ。すぐに理解した。

 ラキオスの立場からすれば、ここで我らを逃して篭城されるのが一番面倒だろう。

 しかし、だからこそこれはチャンスだ。釣り出しが目的なら、ある程度は突出してくるはずだ。

 

 エトランジェの首があれば、まだ名誉ある退却と認められるはずだ。ここまで追い詰められた以上、勝利するには賭けに出なくてはいけない。罠を食い破るという賭けに。

 

 負けが込んでいるのに撤退しない。最後まで希望を持って勝利を目指す。損を損として認められず、得の為の投資と考える。

 この司令官の思考はギャンブルで素人が大敗するパターンそのものだった。

 半端に頭がよく、未来が読める上に勝利への道筋が見つけられるのだから、どうしても諦めがつかない。

 

 残された全スピリットを横島と悠人に突撃させる。

 それから、数分後。朗報が脳内に舞い降りる。

 

「司令、ラキオスのエトランジェを撃破しました!」

 

「おお!」

 

「指令、ラキオスのスピリット共は算を乱して逃げ出しました!」

 

「おおお!」

 

「指令、我らの勝利です。民が英雄の帰国を待っていますぞ!」

 

「よくやった! マロリガンへ凱旋するぞ!」

 

 絶望を乗り越え、男は勝利し、民の喝采を浴びることになる。

 この結果を前にして、男は政治家となり、マロリガンで最高の大統領と歴史に名を残すのであった―――――――

 

「見せた私が言うのもなんだが、本当に人という生き物は見たいものだけを見るのだな」

 

 抵抗どころか、嬉々として幻術を受け入れた司令官に、『金狐』は呆れたように言った。

 周りにいる参謀達も、虚ろな目で立ち尽くしている。

 

 ――――マロリガンへ帰国する。

 

 とにかく、その言葉を言ってもらえればよかった。

 指示を受けたスピリット達は撤退の準備を始める。

 

 虚ろな目で涎を垂れ流す司令官を、『金狐』は少し哀れに思った。

 酷な様だが、万が一にも『金狐』に幻術をかけられたとばれたら稲妻部隊の立場が危ないので、この人間達はこっそりと処理しなければならないだろう。どうせ敗戦の責任を負わされるだろうから、罪悪感など抱く必要はないのだが。それに戦死に見せかければ、彼の名誉も少しは保たれるだろう。

 

 ようやく撤退に移るが、しかし敵との距離が縮まりすぎていた。

 このままでは猛烈な追撃を受けてしまう。

 

「シロよ、後は頼む。どうか運命を打ち破り、我らに未来を」

 

 『金狐』は祈るように言った。

 一方、遠ざかり始めた後軍の様子に横島達は慌てていた。

 

「ここで引くのかよ! おい、悠人!」

 

「ああ、釣り出しは失敗……それなら全力で追撃だ!! 多少の犠牲が出ても、ここで全部無力化させて決着をつけるぞ!!」

 

 横島も悠人も歯を食いしばって決断する。

 予定では横島や悠人を囮にして敵を誘い出し、あとはじりじりと引いて仲間と合流して安全に敵を無力化する予定だった。

 だが、逃げられてしまってはこの方法は使えない。ならば、後退する敵に対して二人で攻撃を仕掛けて足を止め、仲間と合流して倒すしかない。被害は増えるが、仲間の命のためにも仕方ないだろう。

 それに倒せなくても、追撃しなくてはならない理由がある。

 

 遠くに見える、成功を意味する赤色の狼煙。

 それを意味する事柄からも、ここで追撃をしないわけにはいかなかった。

 二人はさらに足を速める。アセリア達もそのうち追いつくだろう。

 だが、ここで横島達の足が止まった。

 

「『金狐」は上手くやってくれたようでござる」

 

「だな。後は俺達が通せんぼするだけだ」

 

 シロと光陰が、横島達の思惑を阻止すべく立ちふさがる。

 間違いなく、マロリガンで最強の殿だろう。

 悠人は歯噛みした。

 

「ちっ、後一歩って所で」

 

「はっ、ギリギリセーフって感じだな」

 

「つーか、大統領派が勝手に出てきていいのかよ!?」

 

「その辺りは誤魔化せば良いってシロちゃんがな」

 

「え~い、それでも俺の弟子か!!」

 

「いや、お前の弟子だからだろう(ござる)」

 

 三人の突込みが横島に送られる。

 ここだけを切り取れば、歳が近いこともあいまって仲の良い級友にしか見えない。

 だが、彼らはこれから殺し合いを始めるのだ。

 

「くそ、終わった勝負に今更出てくるなよ」

 

「へっ、勝負はまだ終わってないさ」

 

「それでは、いくでござるよ!」

 

 戦闘が始まった。

 戦いの構図は、自然と決まる。

 横島VS光陰。

 シロVS悠人。

 四人の思惑が全て重なってこうなった。

 

 横島は、悠人ならしばらく耐えられる。

 悠人は、横島なら光陰を殺さず捕らえられる。

 シロは、光陰ならしばらく耐えられる。

 光陰は、シロなら悠人に勝てる。

 互いに相手を信頼しているからこそ、一対一の戦いとなった。

 

「あの光陰殿に勝ちたいと言わしめる実力……見せてもらうでござるよ!」

 

 シロは嵐のごとき剣舞を悠人に叩きつけた。

 日本刀でありながら、その重さはアセリアの剣に匹敵し、その鋭さはウルカを超える。

 悠人は早々にまともに剣を合わせるのを放棄した。格上の横島と戦う時と同じく、ひたすら敵を攻撃を見極めながら分厚い障壁を張り続ける。

 瞬く間に悠人は全身を血で染め上げ、マナの霧を纏い始めた。到底、全て防ぐのは不可能なのだ。シロは無傷で悠人を追い詰めていく。

 

 だが、圧倒的に優位な立場のシロの顔には苦いものが滲んでいた。

 手傷は負わせているが、しかしどれも致命傷には程遠い。危険な一撃は障壁で、浅い一撃は我慢されてしまう。

 シロはフェイントを駆使して障壁外から切りつけようとするのだが、悠人はフェイントを見破って強力な攻撃だけをしっかり防いでみせた。

 

 この芸当は、横島と模擬戦を繰り返してきた悠人だからこそだろう。

 変異自在の戦闘方法にして、ギャグとシリアスを織り交ぜた横島と戦い続けてきた悠人は、少々の事で取り乱すことはない。想定外の攻撃など、いつもの事なのだ。

 パワーだけなら最強の神剣である『求め』を使えば、下手に剣で受けたりせずに障壁で防御を固めれば、まず攻撃を防げる。体力は消耗するが、そこは重点的に鍛え上げてあるのだ。

 勝てはしないが、しかし一定の時間を稼ぐには適した戦い方だ。

 

 一方、横島と光陰の戦いも似たような展開だ。

 光陰は本当に一年前まで普通の高校生だったのかと、疑問符がつくほど落ち着いた動きを見せていたが、その程度では横島に勝つことなど出来ない。

 身体能力とセンスで光陰を押していく。しかし横島は剣術の未熟さから致命傷を与えることが中々出来ない。

 明確な隙が必要だと判断した横島は、丸い珠を取り出す。

 その数は五つ。

 

「文珠か。厄介だけどな、使える数は一個か二個が限界だろ。それは偽物さ」

 

「そりゃどうかなっと」

 

 数個の文珠を光陰に投げつける。

 

「悪いが、そりゃ知ってんだ!」

 

 失敗型の文珠が爆発して、周囲を霊力の塵で覆って視界をさえぎる。

 だが、同時に光陰の神剣魔法が完成した。

 

「永遠神剣『因果』の主が命じる。守りの気を放ち、敵を退けよ……トラスケード!!」

 

 光が集まり、大きくはじける。霊力の塵が一気に吹き飛ばされた。

 光陰は失敗型の文珠の特徴を知っていて、すでに対策を考えていたのだ。

 この文珠は文字が込められない。だから、投げられた文珠を良く見れば見分けるのは簡単だ。

 

「ちっ! もういっちょ」

 

 横島はまた文珠を投げつける。

 

「何度やっても無駄だ……っお!?」

 

 今度の文珠には、何かが刻まれている。込められていた文字は『縛』

 

 もういっちょ、何て言いつつ今度は本命だ。

 嫌らしい奴だと、光陰は慌てて距離を取って、全力で障壁を展開する。

 だが、落ちた文珠はうんともすんともいわない。恐る恐る近づいてよく見ると。

 

「こりゃあ……文字の彫られたビー玉かよ!」

 

「へっへ! や~い、怖がってやんの~!」

 

 子供のように横島が挑発して、光陰はやや引きつった苦笑を浮かべた。

 下らない小技であるが、下らないからこそやられるほうは溜まったものではない。

 

「ほら次行くぞ!」

 

 また文珠を放り投げる。今度は文字が込められていない。

 失敗文珠と判断した光陰は、また魔法で霧を吹き飛ばそうとするが。

 

「いくぞ新技! 文珠式サイキックソーサー!」

 

 失敗型の文珠が炸裂したかと思うと、矢のようになって光陰に向う。

 また霊気の煙かと思った光陰は、またもや意表を突かれた。

 

 慌てて弱い障壁を張ったが、新サイキックソーサーは僅かながらに障壁を突き破り、光陰の顔面にぶつかった。精々文珠程度の威力なので、ダメージは薄いが目の前に火花が散る。

 

「伸びろ、栄光の手ー!!」

 

 そこに間髪いれず、栄光の手が飛び出してくる。

 霊波刀なら、なんとかなる。シロと共に訓練していた光陰は、その威力を理解していたから適度な障壁を張ろうとして、猛烈な悪寒が背筋に走った。

 

「おおおお! プロテクション!!」

 

 勘に従って、全力の防御魔法を使用する。

 集中する間も無かったから非常に疲れるが、その選択は正しかった。

 全てを分かつような光の壁を、栄光の手は僅かに突き破っていた。よく見ると、栄光の手の先端は金属の刃となっている。

 『天秤』を栄光の手で覆って、その姿を隠していたのだ。

 

「ちっ!」

 

 変幻自在の攻撃に、光陰はたまらず後ろに下がった。

 同時に、ニヤリと横島は笑う。その場所に足をつけるのを待っていのだ。

 

「サイキックトランポリン!」

 

 次の瞬間、光陰は飛んだ。

 密かに足元へ薄く延ばしたサイキックソーサーを仕込んで、空へ飛ばしたのだ。

 

 ただのサイキックソーサーはもはや攻撃にも防御にも使い物にならない。

 だったら、攻撃にも防御にも使わなければ良い話。横島のやりたい放題の戦闘方法は、霊力が弱いからこそ輪をかけて磨かれ始めている。

 

「よっしゃ! 貰った!!」

 

 空中に吹き飛ばされて身動きが取れなくなった光陰に、横島が空中を階段のように駆け上がって襲い掛かる。空を自由に動けない光陰では、これに対応しようが無かった。

 腕の一本は貰ってふんじばる。悠人並みに頑丈そうだから死にはしないだろう。

 横島が『天秤』を振りかざす。

 その瞬間、後方で悠人の神剣反応が急速に高まった。

 

 咄嗟に空中で固定したサイキックソーサーを蹴って、横に飛ぶ。すると、光の矢が腕を掠めていった。もし、避けなかったら胸に大穴が出来ていただろう。

 矢が飛んできた方角を見ると、シロの弓を構えていた。神剣反応は弓から出ている。

 矢を外したシロは、そのまま光陰の落下するだろう場所に走り出す。その最中、弓が輝いて刀へと変化していた。

 

「刀が弓に変形した? まったく、横島の世界の連中はどいつもこいつもでたらめだ」

 

 絶好のチャンスを反則技で潰されて悠人は舌打ちする。

 だが、舌打ちは悠人よりもシロの方が大きかった。

 とっておきの隠しだまを晒してしまった。距離を置いて、ほっと一息を付いたときに必殺の一撃を叩き込む。

 それが必勝法だった。ばれてしまえば有効性は薄れてしまうだろう。

 

 シロが落下してきた光陰と合流する。

 悠人も横島と合流した。仕切りなおしだ。

 

「すまん、シロちゃん。耐え切れなかった。流石シロちゃんの先生だけあるな。正直、何が何だか分からないって感じだ」

 

「いや、謝るのはこちらでござる。まさか悠人殿がああまで粘るとは……流石は光陰殿が勝ちたいというだけはあるでござるよ」

 

 互いの好敵手を褒めあう。

 

「おい悠人! もう少し抑えとけなかったのかよ!」

 

「無茶言うな! 剣が弓に変わるとか分かるわけないだろ!? そっちこそ、時間をかけすぎじゃないか!?」

 

 シロ達と違い、こちらは言い争いをしていた。

 こちらは主に横島が原因だ。まあ、男同士で和気あいあいとするなど彼の趣味ではないのだ。

 

 その様子を見て、シロ達はニヤリと笑う。

 確かに、一対一では負けた。だが、戦いはそれが全てではない。

 

「光陰殿、いくでござるよ!」

 

「おうよ!」

 

 今度は二人同時に仕掛ける。

 二対二のタッグマッチだ。

 まずシロ達は悠人に攻撃を仕掛けた。それは息のあった連携で、悠人はたちまち追い詰められる。横島は慌てて悠人を助けに向うが、シロ達は悠人を無視して横島に襲い掛かった。

 

「のわああああ!」

 

 シロ達は絶妙なコンビネーションで横島を襲う。

 上空に逃れる隙すらない。必死に避けるも二人の刃が体を擦り始める。 

 

「横島!? この……オーラフォトンビーム!!」

 

 悠人が慌てて横島を援護しようと魔法を放つが、それはあっさりと避けられて、横島の足元に直撃した。

 

「このアホ!! 俺に当たりそうになってどうする!?」 

 

「すまん!」

 

「連携はてんで駄目でござるな」

 

「ふっ、俺とシロちゃんの愛の連携が凄すぎるのさ!」

 

「いや、愛とか無いでござるから」

 

 シロと光陰の漫才に、横島達は苦い顔となった。

 タッグマッチは分が悪すぎる。どうやらシロ達は集団戦に長けているらしい。

 

「チャンスでござる! いまこそ先生得意の必殺技を見せる時!!」

「いくぞ、悠人!」

 

 シロ達の神剣反応が爆発的に高まる。

 特大の攻撃が来ると思った横島達は必死に守りを固めた。

 そして、

 

「「ゴキブリの如く逃げる~~!!」」

 

 なんとも情けない声が響く。

 あっという間に遠く離れ、豆粒のように小さくなった二人が、笑いながら手を振っていた。

 後ろからスピリット達の反応がやってくる。あと少しで全員でタコ殴りにできる所だったのだ。

 

「後一歩だったのに、やられたな」

 

 悠人が言って、横島は苦い顔になる。テストで百点が九十八点になったような感覚だ。

 いち早くやってきたヘリオンが、腰を下ろした横島を心配そうに覗き込んだ。

 

「大丈夫ですか、ヨコシマ様!!」

 

「……ヘリオンとだったら上手く言ったかもな~」

 

「へ? それは一体……は!? まさかいつの間にかフラグが立っていたりとか!?

 『俺のパートナーヘリオンしかいないよ』なんちゃってなんちゃって! きゃ~どうしましょうーー!!」

 

 顔を真っ赤にして妄想世界に飛び立つヘリオンを、横島は過去の自分を見るような優しい顔で眺める。

 その間に、悠人は他のスピリット達を纏め上げていた。

 

「ユート、無事か」

 

「ああ。大丈夫だ。もう追いつけないだろうけど、追撃するぞ」

 

 そうして全員での最後の追撃が始まる。

 追いつけはしないが、これが決め手になると隊長達は知っていた。

 

 その頃、シロと光陰は撤退の時間は十分に作り出したと、ほっと胸をなでおろしていた。

 

「とにかく、どうにかなったでござる」

 

「ああ。後はランサに防御施設でも作って防衛すればまだ何とかなるな」

 

 酷い被害をこうむったが、最悪は免れたとシロ達は安堵する。だが、それは僅かな間だけだった。

 スピリットを伴ったマロリガンの兵士が正面から走ってくる。

 その顔からは血の気が引いていた。

 

「何があったでござる」

 

「それが、ラキオスの兵士達がランサで反乱を……驚いた司令官どのが、スピリットの武装解除させてしまって……」

 

 人間が戦うことはない世界だ。

 ランサに駐留していたラキオス兵士の武装解除などもさせることはない。

 人間による反乱など、そもそもありえないという前提が成り立つ異常な世界。

 レスティーナはタブーを犯すことを決めたのだった。

 

「……つまり」

 

「ランサは奪い返されました。詰めていた兵士もスピリットも全て投降しました」

 

 シロは気が遠くなるのを感じが、頭を振って必死に気を保つ。

 

「拙者らでランサを再度奪い返せば!」

 

「シロちゃん。それは無理だ。制圧してる最中に、後ろから来てる悠人達にやられちまう」

 

 光陰が冷静に言って、シロはがっくりとうな垂れる。

 こうなったら砂漠を渡って本国へ引き返すしかない。物資もないので、これも地獄の行軍になるだろう。

 あまりの事態に、二人は変な笑いが浮き出てきた。

 

「こ~いんどの~拙者泣いてもいいでござるかー」

「よ~し、俺の胸を貸してやろう~」

「わ~乳毛が生えてるでござる。抜いちゃえ~ふんでござる!」

「いでえ!!」

 

 光陰の乳毛が金色のマナに変わっていく。

 

「それー『銀狼』、ご飯でござるよー」

『これほど食べたくないマナがあるとは驚きだ』

 

 現実逃避が終わって、二人は顔を見合わせる。

 

「まったく、厳しい展開だな」

「まずい戦でござった」

 

 マロリガンがこうむった被害の大きさに、光陰とシロはこの先の苦難を思って空を仰ぎ見るしかなかった。

 

 今回の攻防戦で、マロリガンは全軍の7割以上の大損害を出して後退する事となる。

 対してラキオスはまったくの無傷で、さらに大量のスピリットと人間の捕虜を獲得。しかも人間の部隊が都市を奪い返すと言う前代未聞の大金星に、ラキオスは人間とスピリット対しての議論を活発させる事になる。

 

 マロリガンは士気が最低にまで低下し、さらにまとも戦えるのは少数の精鋭部隊のみという、敗北の一歩手前まで追い詰められることになった。

 

 




 マロリガンの説明や描写必須と思われる部分を最低限書き出しました。面白くは無いけど、書かなきゃいけないのが辛いところ。
 シロ関連は、まともに書くと数話にはなるので、かなり略しました。今更、デオドガンの歴史背景を説明するとか誰も求めてないでしょうし。

 聖ヨト語博士の方は、聖ヨト語に関しては間違いあってもお目こぼしください。
 助詞が怪しく、人種や立場で同じ意味の言葉でもガラリと変わるなど難易度が高く、私にはこれが限界。

 マロリガンとの戦いをオリジナル展開にした結果、実はこれでマロリガン戦は8割がた終わりです。原作での持久戦もマナ障壁の無力化も三都市解放戦もなし。だって、敵がもう殆どいないので。


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第二十九話 312分枝系統67320世界00065294時間断面

 いったいどれだけ集めれば良いのか。

 ミリメートル程度の薄さしかないガラス片のようなものを、野太い指で慎重に掴みながら、大男のタキオスは嘆息する。

 見鬼君と呼ばれる人形は「こっちこっち」と誘導してくれるが、件の物に接近すると精度が落ちるため最後は目視で見つけなければならない。

 視力も人を超越しているとはいえ、それでも目を皿のようにしなければいけない任務は非常に疲れるものだった。しかも、これが何で、何に使用するかも分からないことがそれに拍車をかける。

 そんな時だった。

 見知った神剣の反応が近づいてくる。

 タキオスは犬歯を剥き出しにした。これぐらいの戯れは許されるだろう。

 

「ストレス解消とするか」

 

 

 森の中を横島、悠人、アセリアの三人が彷徨っていた。

 ただの散歩というわけではなく道に迷っているわけでもない。

 付近の住民から森の中にマナ結晶が落ちていたと報告があったのだ。

 

 マロリガン政府はボロ負けにより戦争を継続すべきか議論を続けていたが、レスティーナが緩い条件での講和を申し出ると和平に傾きつつあるらしい。このまま進めばマロリガンとの戦争は終わるだろう。そうすればシロとタマモとも戦わずに済む。

 おかげで手の空いた悠人とアセリア、そして横島は町人をナンパして迷惑をかけた罰として、休みを返上して仕事に出たというわけだ。

 横島の機嫌は最悪だった。

 

「当てもなく探してて、本当に見つかるのかよ」

「当てはあるさ。マナ溜りがある所にマナ結晶がある……事が多いらしいな。大きさもあるしキラキラ光ってるらしいぞ」

「隊長を二人駆り出す必要なんてないだろうが」

「人様に迷惑かけて文句を言うな。マナはいくらあっても足りないって事は無いんだからな」

「ん、口よりも手を動かす」

 

 悠人とアセリアが横島をたしなめて、横島はさらに不機嫌そうに黙り込んだ。

 イライラの原因はマナ結晶探索ではない。悠人とアセリアが原因だった。

 

 アセリアはさりげなく悠人を見ている。その表情は恋する乙女のような熱情は感じられないのだが、ただ澄み切っていて綺麗としか横島には言いようがない。

 悠人は悠人で、それとなくアセリアの前を行って歩きやすいように道を作っていた。

 バカップルのようなイチャイチャではないが、深い信頼を感じられる二人を見せられて横島の機嫌は絶賛大降下中なのである。

 

「隕石でも落ちて爆発せんかな~」

「おい馬鹿やめろ」

 

 それが洒落にならないと知っている悠人とアセリアが半目で横島を見る。

 横島はへーへーといい加減に返事をした。こんな事ならヒミカ辺りを拝み倒して付いてきてもらうべきだった。それが無理ならネリーやヘリオン辺りについてきてもらえば、まだ楽しかっただろうと思う。

 そんなこんなしながら森を歩き回り、その男が現れた。

 全身が筋肉で覆われ、黒い意匠を凝らしたジャケットのような大男。

 その手には刃渡りだけで2メートルはあろうかという武骨な神剣が握られていた。

 ただ、何故か肩に和服を着た妙な人形が置かれている。

 

「な……に……?」

 

 悠人は歯を打ち鳴らした。

 神剣を持つ手が恐怖で震える。

 

 恐怖という感情は別に珍しくない。この世界に来て幾度と無く味わってきた。

 初めて戦場に出たときの恐ろしさを、悠人は忘れたことが無い。

 死という圧倒的で根源的な恐怖。

 木々が少し揺れただけで震えて、鳥の声に怯えて、アセリアやエスペリアすら怖かった。

 死ぬかもしれない。どうしてただの高校生だった自分がこんな目に。逃げたい逃げたい逃げたい逃げたい!

 そこに強い弱いは関係なかった。

 命をやり取りするという恐怖。大切な人を失うかもしれない恐怖。

 それこそが悠人にとって恐怖と言うものだった。

 

 だが、今感じているものはまるで違う。

 ただひたすら恐ろしい者。圧倒的な強者。どうしようもないもの。

 『求め』よりも上位の永遠神剣!

 

「ユ……ト」

 

 アセリアが声を掠れさせて悠人の名を呼ぶ。

 例えスピリットの大軍と相対しても表情一つ変えず突貫できるあのアセリアが、真っ青な表情で神剣を構えている。

 アセリアの永遠神剣『存在』は相手の特性を察知できる、ような事があるらしい。その彼女にとって、この男の存在はどれだけ恐ろしいものに見えていることだろう。

 

「俺と戦ってもらおう」

 

 大男はただそれだけを言って、身の丈はありそうな巨大な神剣を構える。

 悠人は両親の顔を思い出していた。

 

「……ちくしょー!! 今日は厄日じゃ~~!!」

 

 横島は涙交じりに怨嗟の声を上げる。そして愚痴りながらも『天秤』を構えた。

 戦いの準備を始めた横島に悠人は目を剥く。

 

「横島! お前はアレと戦って生き残れると思ってるのか!?」

 

 悲鳴に近い声色で悠人が叫ぶ。

 アレと戦うくらいなら、単身でマロリガンに乗り込んで国一つ滅ぼすほうが遥かに容易だ。

 逃げるしかない。それ以外の道などありはしない。アレはケタ違いすぎる。

 

「うっさいわあ! 逃げるのも無理だし、小細工も無駄なんだぞあいつは!」

 

「お前、あいつと戦ったことがあるのか!?」

 

「……あれ、言ってなかったか?」

 

「言ってない! そんな大事があったら報告しろよ!」

 

 怒鳴るように悠人が言って、横島もはてと首をかしげた。

 何故言わなかったのか。というよりも、どうして忘れていたのか。記憶そのものはあったのだが、どういうわけかタキオスの存在を意識外に追いやっていたらしい。

 自分自身の事ながら、これは不自然すぎた。だが今はそれどころでは無い。

 

「とにかくだ、あのムキムキはメチャクチャやばいぞ!」

 

「そんなの見りゃ分かる! 一体何なんだよ、アイツは!」

 

 悠人の言うことは尤もだった。

 まったく唐突に、最高クラスの力を持つ横島や悠人を遥かに凌駕する化物が出現したのだ。

 そして今回も見鬼くんを持っている。何かを捜し求めているのは間違いない。探し物は霊力に付随する何かだろう。マナ結晶ではない、あのガラス片なのだろうが、それが何かは分からなかった。

 

「俺の名はタキオス……名前はどうでもよいだろう。戦士と戦士が出会ったのだ。ならばやることは一つ」

 

 タキオスは刃渡りだけで二メートルはありそうな黒く無骨な神剣を横島達に向けた。

 

「力を見せろ。策を見せろ。俺を仰天させ、倒して見せろ」

 

 圧倒的な闘気をタキオスは全身から立ち上らせる。

 

 あ、本当にこれは無理だ。

 

 横島は勿論、悠人もアセリアも理解する。

 戦うなどありえないと。とにかく逃げるしかない。しかし逃げられない。

 どうにかして戦闘を回避できないか。三人は必死に考えを張り巡らせる。

 戦意の低さをタキオスは即座に理解して眉をひそめた。

 

「……戦う気はないか。『天秤』の契約者も『求め』の契約者も、彼我の戦力差を理解しているのは分かるが、これではな……まあ、所詮は暇つぶしだ。いいから掛かって来い!」

 

 暇つぶしとタキオスは言った。その言葉に嘘はないのかもしれない。

 圧倒的な闘気のようなものは感じるが、殺意のようなものは感じなかった。

 殺す気がないのは本当かもしれない。純粋に暇つぶしに戦いたいだけなのか。

 ならば、下手に逃げようとする方が危険かもしれない。

 

「ユート、きっと逃げられない。だから、やるしかない」

 

 アセリアは覚悟を決めた表情で言った。

 確かに、やるしかないのなら、やるしかないのだ。悠人も覚悟を決めた。

 どう戦うかも決まりきっている。

 小細工しても無駄。あの小細工が得意な横島がそう言っているのだから、不器用な自分やアセリアが下手に考えてもしょうがない。

 ならばやれることは、ただ一つ。

 

「アセリア! 俺たちが放つことが出来る、最高の一撃でいくぞ!!」

 

「ん、分かった!」

 

「バカ剣! 全力で気張れ!!」

 

「『存在』よ、力を!!」

 

 精神を集中して神剣の力を引き出しながら、二人は自然と寄り添った。

 威力を上げるために二人同時に、一箇所に攻撃を集中させる為だ。白色のオーラと青色のオーラが神剣から立ち上る。

 キィンキィンと甲高い音が二人の神剣から発せられた。二つの音は最初はバラバラに木霊していたが、そのうちに重なり始めてついに一つの音となる。爆発的なオーラが高まっていく。

 悠人とアセリアに起こっている現象について横島は心当たりがあった。

 イースペリアのマナ消失の際にセリアとの間で起こった神剣の共鳴現象である。

 

 この共鳴現象とやらは、恐らく文珠の『同』『期』に近い現象だ。

 流石に力が数千倍ほど上昇することは無いが、数倍以上は上昇しているだろう。

 

「ほう」

 

 共鳴現象に気付いたタキオスが歯をむき出しにしてニヤリと笑う。

 肉食獣のような獰猛な笑み。しかし、瞳の奥には子供が新しい遊び道具を見つけたようなキラキラした輝きがあった。

 善悪を超越した純粋な狂気――――行き着くところまで行き着いてしまったバトルマニア。

 雪之丞に少し似ている、と横島は感じた。

 

(これなら逃げられるかも)

 

 掌にこっそりと文珠を出現させる。

 悠人達が攻撃した直後、二人の下に駆け寄って文珠による『転移』。

 いかにこの桁違い男でも二人の同時攻撃を受けた直後に行動するのは難しいはずだ。避けられる危険もあったが、このバトルジャンキー男なら、きっと受け止めるだろうという予想ができる。

 

「いっ――――」

「けぇぇぇぇ!」

 

 二人の気合いの声と共に神剣が振りおろされ、青と白が交じり合ったオーラによる光の矢がタキオスに向かう。

 それはさながら、青龍と白龍が絡まりあいながら相手を飲みほそうとしているようだった。

 

 ――――これなら倒せるんじゃないか。

 

 神々しいまでの力を見て、横島は思わずタキオスを倒せるのでは、と希望を見てしまう。

 

 希望は現実を見る目を曇らせる。

 横島が楽観的な希望を脳内に描いたのはコンマ数秒程度。

 だが、そのコンマ数秒が分かれ目だった。

 

 光の矢がタキオスに命中する。

 天地揺るがす爆発が起きるかと思ったが、タキオスの展開した闇色のオーラは音も衝撃も飲み干すように静かに光を受け止めかき消してしまう。

 爆発に紛れて逃げようと考えていた横島は舌打ちして、僅かに遅れて二人の元へ走る。

 

 ボキン。

 

 小気味の良い不吉な音が横島の耳に聞こえて、右手に痺れが広がる。

 ポトリと、右手に持っていた『転』『移』の文珠が零れ落ちた。

 一体なんぞやと右手を見ると、タキオスの丸太のような腕が横島の腕をマッチ棒のようにへし折っていた。

 僅かな空白の後、

 

「いっでぇぇぇぇぇぇぇぇ!! こんにゃろう!!」

 

 叫びながらも左手に持った『天秤』を無理やり突き出すが、空しく宙を切って横島は地面に転がった。

 

「折れた折れたぞくっそ痛てえよ! 早く医者か魔法か無修正エロ本をよこせー!」

 

「魔法なら既にかけたぞ」

 

 平然とタキオスが言って、改めて右手を見るときれいさっぱりと治っていた。いつのまにか治療されたらしい。

 もう嫌だ。

 横島は狂気の筋肉を相手にして半べそをかいていた。

 一方、悠人は一連の横島達の動きが察知できず混乱したが、ようやく場を把握したらしい。

 

「くそ、避けられたのか!?」

 

「違う。威力を確かめるために受け止めてから動いただけだ」

 

 こともなげにタキオスは言った。

 タキオスには怪我一つ無かった。それどころか浅黒い肌には跡一つ無い。

 あの馬鹿げた威力の悠人とアセリアの攻撃でも、薄皮一枚すら傷つけられないというのか。それも攻撃を受けてから動いたという事は、スピードも桁違いという事だ。

 タキオスの力は恐ろしいものだったが、それ以上に戦慄するのはこれからだった。

 

「横島よ。貴様は先の一撃を見て、俺を倒せるかと希望を持ったな。それが文珠による退避行動を遅れさせた」

 

 完全に考えを読まれていて、刹那の感情すら読まれていた。

 

「そんなゴツイ顔をしてサイコメトラー能力でも持ってんのかー!?」

 

「読心能力などない。だが、眼球の動き、筋肉の硬直、場の流れ、判断材料はいくらでも転がっている。例え霊力の流れは掴めなくとも、なにを考えているかは経験が教えてくれるものだ」

 

 横島も悠人もアセリアも言葉が無かった。行動どころか感情すら読まれている。

 圧倒的な神剣の気配もさることながら、この男の実力がただ神剣のみではなく、この男自身にある事は紛れも無い。

 神剣の強さとか、剣の技量とか以前に根本的に戦士としての経験地が違いすぎた。

 

「まさかこれで打つ手がなくなったわけではないだろう。さあ、次はどうする」

 

 まだまだ遊びに満足していないらしく、タキオスは次の手を示せと悠人達に要求する。

 

 どうするもこうするも無かった。

 どうしようもない。本当にどうしようもなかった。

 この男の防御を打ち砕く火力をどうやってもひねり出せず、さらに不意を突く事も出来ない。

 これはもう、完全に詰んでいる。

 

 悠人とアセリアはちらちらと横島を窺う。

 それでも横島なら、横島ならなんとかしてくれる!

 そんな淡い期待を込めていたのだが、

 

(無理なもんは無理じゃボケぇー!!)

 

 いくら考えても妙案など出てこない。

 もしもダメージを与える方法があるとしたら、それは相打ち覚悟の特攻しかないだろう。

 少なくとも攻撃に対して防御はしているのだ。相手の攻撃に合わせてこちらも剣を振るえば、あるいは。

 だが、一撃で倒せなければ即座に回復されるだろうし、確実にこちらは死ぬ。

 もし特攻するのならば蘇生魔法の準備が必須だった。この場では出来ようもないし、そもそもいくら蘇生魔法の準備があっても、横島は特攻などするはずもない。

 

 やはり逃げるしかない。横島は決断する。

 悠人達と一緒に逃げることはできなくとも、自分一人だけなら逃げられる可能性はある。悠人達には悪いが殺されることだけは無いだろう。

 こっちを追いかけてきたら、その時は悠人達に増援を呼んでもらうまで逃げ惑うしかない。戦うならともかく、逃げるなら一人の方がやりやすいのだ。

 タキオスの遥か後方の、何も無い空間を睨みつける。

 あそこにテレポートして後はゴキブリのごとく逃げるしかない。

 

「まったく」

 

 タキオスが呆れたように言って、神剣の柄を強く握った。

 するとタキオスの後方で、いきなり空間が割れた。

 切断された空間は横島がテレポート――――エーテルジャンプを試そうかと考えた場所である。

 このままエーテルジャンプをしていたら、実体化した瞬間に真っ二つになっていただろう。

 

「滅茶苦茶すぎるだろうがー!」

 

 横島は涙目で絶叫する。

 一連のやり取りが分からなかった悠人とアセリアは首をかしげて、タキオスは嘆息した。

 

「魂、空間、時間、因果律等を操る能力は確かに強力だ。だからこそ扱うマナも多く、時間が掛かり対抗手段も多い。故に、能力の研鑽と戦術の構築が重要となる」

 

 滔々とタキオスが語る。

 

「横島よ、一つ忠告しておこう。お前は多くの能力を持っている。だが、それは『能力』であって『技』ではない。能力は始まりだ。能力を研鑽し『技』にまで昇華することで初めて技術となる。さらに『技』を練磨して『必殺技』と呼ばれるものになる。そこまで至れば、能力など一つで良い。

 だが、それにはひたすらの鍛錬が必要だ。お前向きではないな。お前が目指すのは、状況に応じて最適の能力を選択できるようになること。まず前提として、ありとあらゆる能力を行使できるようになれ」

 

 まるで教官のような物言いだ。

 敵意は一切感じない。それどころか親愛の情すら感じられる。

 『俺の敵になってみせろ』

 闘争と殺戮という欲求を満たすために、タキオスは好敵手に飢えていた。

 

 ――――もうおうちに帰りたい。

 

 さめざめと横島は泣いた。

 

「今回はここまでか。さて、敗北者にペナルティが無いと考えているわけではあるまいな?」

 

 タキオスの前面に黒い魔方陣が作り出す。そこから赤黒い芋虫のようなものが魔方陣から這い出てきた。

 それはずんぐんむっくりとしていて、まるで男性器をより醜悪にしたような触手だった。

 

 悠人の脳裏に、ある映像が流れ込んでくる。その映像とはアセリアが醜悪な触手に無残にも犯されているものだった。

 それは別の未来で起こりえた可能性だったのかもしれない。または、これから起きる事なのか。

 触手は鎌首をもたげながら、ゆっくりと擦り寄ってくる。

 

「させるか!」

 

 迫ってくる触手からアセリアを庇うように悠人は前に出て剣を構えた。

 

「弱者が無駄なことを。さあ、ユートよ、諦めて尻をだせ」

 

「誰が諦めるか! アセリアは守って見せ――――え?」

 

 ――――――え?

 

 よく分からない空気が流れる。今まで絶望的な空気は消えて、代わりに腐臭を放つ弛緩した空間に変貌したようだった。

 悠人は困惑したようにアセリアとタキオスと触手をちらちらと見つつ、

 

「……アセリア?」

 

「違う。触手の狙いはお前の尻だ」

 

 タキオスには男色の気も女色の気もなかった。

 あるのは己が主の為という忠誠心。そして、弱者を食らおうとする強固な意思だけ。

 その忠誠心と強固な意思の全てが、悠人の尻の穴に向けられている!

 

「ひいぃぃ!」

 

 未だかつて無い程の情けない悲鳴を上げて悠人は後ろに飛びずさる。

 誰がそれを責められよう。

 

「逃げられると思っているのか」

 

 一瞬で悠人の背後に回り込んだタキオスの野太い声が、息が、悠人の耳元に吹きかかる。

 

「俺の背後に立つんじぇねえーー!!」

 

 駒のように回転しながら悠人は『求め』を全力で振り切るが、あっさり神剣で受け止められる。

 が、それを悠人は予想していたらしく刀身から爆発を起こして、その反動で距離を取った。

 

「ほう、今のは良い一撃だったぞ。お前の潜在能力も侮れんな」

 

 獰猛な笑みを浮かべるタキオスに、悠人はガタガタと体を震わせる。

 命の危機は去った。しかし、今正に別の危機が訪れている。

 初めて童貞を失った時は無理やり謎のスピリットに奪われた。異世界でのファーストコンタクトは逆レイプというトンデモ初体験だ。

 それはまあ衝撃的だったが滅茶苦茶気持ちよかったので、そこまで気にしてはいない。

 だが、いくらなんでもこれは嫌だ。

 

「あ、アセリア、横島! 助けてくれ……あれ?」

 

 哀願するように呼びかけて返事がなかった。近くに二人の姿がない。

 キョロキョロと見渡して、少し離れた所に二人の姿を見つける。

 どうやら横島がアセリアの手を引いて離れたらしい。

 

「アセリアちゃん、悠人が帰って来たら黙って軟膏を渡すんだ。それが優しさって奴さ」

 

「そうなのか。ん、分かった」

 

「『ん、分かった』じゃねええええええ!! 助けろ! 助けてくれぇ!!」

 

 本気で泣きに入りかかっている悠人。

 流石の横島も胸が痛んだが、多少の同情で判断を誤る男では無い。

 

「悠人……グッドラック!!」

 

「横島ぁ!」

 

 今までで最高の怒りを悠人は横島に向ける。

 横島にも流石に罪悪感はあるのだが、それでも助けようとは思えなかった。触手を踏んで尻を出すのは絶対に嫌だからだ。

 

「さて、『求め』の契約者よ、これを受け取れ」

 

 そんな悠人の混乱など気にもせずタキオスが何かを投げる。

 投げられたものは鉛筆と紙だった。

 

「触手の具合については具体的に記してもらうぞ。学生をやっていたならば、レポートは書けるだろう。

 改良点もあれば書いてくれ。俺はそれを見て触手を改良し、結婚祝いにカスタマイズされた触手を送る予定なのだからな」

 

 ――――天国のお義父さん、お義母さん、お元気でしょうか。

 俺は異世界に連れてこられて、人間を止めさせられて戦争をしていますが元気です。

 佳織は連れ去られてしまいましたが、俺の命に代えても助け出すので安心して見守っていてください。

 

 さて今日一筆したためたのは、他でもありません。

 俺は尻を触手に狙われています。嗚呼、お義父さんお義母さん、違います。俺は正気なのです。狂気ではありません。

 それは目の前でぐるぐるぐるぐると、ダンゴムシの表皮のような黒と紫芋の光沢を混ぜて蠢いているのです。結婚祝いだそうです。そんな馬鹿な!

 何とかしなくて『求め』『求め』『求め』! この馬鹿剣が、どうして答えない!! ああ、絡み付いてくる!! もっと力をよこせ! うおおおおおおおお魚おおおおおおおおおお!!

 ああ、尻に、尻に!

 

 ――――正気に戻ってください! 

 

 悠人の頭の中に切羽詰った女の声が響く。

 それが妄想でも悪魔でも何でも良かった。とにかく助けてくれ、と悠人は懇願する。

 

 ――――分かっています! 幸いそこはシージスの門付近、今すぐに向えますから!!

 

 その声と同時に、悠人の頭上が光り輝く。

 

「悠人さんのキュッって引き締まったお尻は、渡さないんだからー!!」

 

 光の中から若い女の声が響く。頭の中で響いてきた声そのものだ。

 声は高く、透き通るような響きだったが、言ってることは欲望に濡れていた。

 パリンとガラスが割れるような音が響いて、光から人影が飛び出す。漏れ出した光は悠人に纏わりついていた触手を吹き飛ばしていた。

 それは神聖な光で悠人の頭を正気に戻す。

 

 目の眩むような光が収まると、目の前に女性が一人出現していた。

 白と赤で彩られた巫女服。きめ細かい黒髪のストレートヘアー。その先端を紐と鈴で結っている。

 年はまだ二十前だろう。柔和で温和そうな顔立ちだが、左手に扇を、右手には文字の彫られた短刀を構えていて、童顔ながら中々に凛々しい。

 これぞ日本が世界に誇る『巫女』と呼ぶに相応しい少女がそこにいた。そして、横島も未だにここにいた。

 つまりこうなる。

 

「可愛い巫女さんや~!!」

 

「この私が来たからにはもう安心……ってきゃーー!! 何ですか貴方はーー!!」

 

 巫女パンチが炸裂して横島が宙に舞う。 

 どこか安心できる光景に悠人もアセリアもほっこりしたが、巫女を良く見て悠人は驚いた。

 

「まさか時深なのか?」

 

 悠人はこの巫女――――倉橋時深(くらはしときみ)を知っていた。とは言っても、さして交友があったわけではない。

 この世界に飛ばされる少し前に近所の神社で少し雑談したのだ。顔見知り程度だろう。

 

「お久しぶりです、悠人さん。話したい事は沢山ありますが……今はそういう訳にもいきません」

 

 時深は短刀をタキオスに向ける。

 そこから圧倒的なマナが立ち上った。間違いなく永遠神剣。それも悠人や横島が持つ神剣よりも遥かに強力だ。

 歴史上でも、そして『求め』自身からも、自身の持つ『求め』は最高クラスの強力な神剣だと聞かされていたが、この二人の持つ神剣と比べると月とすっぽんである。

 

「タキオス、一体いつから貴方は衆道に入ったのですか。それも触手を使ってとは業が深すぎます! いくら悠人さんが良い男だからといって」

 

 時深はタキオスと面識があるらしく、その名を呼んで油断なく構える。

 タキオスは表情こそ変えないが若干首を傾げたようだった。

 

「何か勘違いしているようだが、まあ良い。それにしてもここでカオスが出てくるか。貴様らは俺たちが世界に影響を与えるほどの直接干渉を掛けなければ動かないはず。

 ここで『求め』の契約者が触手に犯されても世界に悪影響はあるまい。俺もこの世界から去るからな。

 無かったことになるか、あるいは『通りすがりの男に口説き落とされた』とでも世界は修正可能なはずだが」

 

「私の初恋がそんなんで終わられてたまるかぁぁぁーー!! あ、コホン。違います、そういう問題ではありません!

 悠人さんが触手にやられちゃったら、ショックのあまりイン○になってしまう。そうしたら、私の初恋が……ではなく! この世界は破滅してしまうからです!」

 

 悠人には時深の言葉の意味がまったく理解できなかった。

 俺が○ンポになると世界が破滅する。意味が分からない。分かりたくもない。初恋というのも何のことだろう。

 悠人は自分の表情がいったいどうなっているのか想像も出来なかったが、時深の表情は真剣そのものだ。

 

「時深……悪いけどまっっっっっったく理解できないんだけど」

 

「すいません、悠人さん! 今は多くを語れないのです。

 今はただお尻を守ってください。悠人さんのお尻に、宇宙の希望と永遠の運命が掛かっているんです」

 

「お、俺の尻に宇宙の希望が!?」

 

 とても信じられない。

 俺の尻に、そんなコズミックな価値があるのか?

 あるはずがない。時深は頭が可笑しいのではないか――――

 

「なるほど、貴様は誘いの巫女でもあったな……なるほど、資格を得るためか……それがカオスの目論見か」

 

「納得するのかよ!?」

 

 タキオスは意味深な言葉を呟きながらも、時深の言葉を真実と受け取ったようだ。

 どうやら悠人の尻にはそれだけの価値があるらしい。

 

 悠人は生れ落ちて以来ずっと連れ添ってきた尻に目を向けた。

 数センチの尻の中が広がるような不思議な感覚。

 広がった尻は、人を飲み込み、大地を飲み込み、星を飲み込み、銀河を飲み込み、宇宙を飲み込み、時間すら超越する。

 

「良く分からないけど、ユートの尻は大切なのか……うん、分かった。私の剣は、ユートの尻を守る為にある!」

 

 どうして剣を振るうのか、答えの求めていたアセリアは、遂に答えを見つけたようだ。

 悠人の尻を守るため、アセリアは剣を構え背中に白き翼を形成する。悠人はもう、色々な意味で泣きそうだった。

 

「なんやよう分からんけど、俺のいないところでやってほしいんだが」

 

 横島はついていけないと左右に頭を振る。

 ふざけるな、と悠人は内心で叫んだ。確かに今までの会話では横島は部外者のように聞こえる。横島の立場からすれば、このとんちき騒ぎに混ざりたくないと言うのも当然だろう。

 だが、このタキオスと言う男にしろ時深にしろ、何か言動が可笑しくなってしまった遠因は間違いなく横島にあると感じていた。

 

「ふん、まあいい。ここで貴様を蹴散らし、その男の尻はテムオリン様の性生活の糧とさせてもらおう」

 

「させません! 数周期……ではなく千年も前から見守ってきた悠人さんのお尻は私がいただく……ではなく守って見せます!」

 

 タキオスと時深は真剣な表情で神剣を構えた。

 相変わらず二人の言っていることは悠人にはまるで理解できない。

 ただ美少女である時深が、お尻お尻と連呼するので悠人は何だか恥ずかしくなった。

 

「その時深……こんな時になんだけど、女の子がお尻お尻って大声で叫ぶのは止めたほうがいいと思うぞ」

 

 盛り上がった舞台に水を差すような悠人の忠告。しかし、至極当然の忠告だった。

 時深は少しの間キョトンとしていたが、言われたことを理解すると顔を真っ赤にした。

 

「あ……うぁ……わあぁ~ん!! バカー! 悠人さんの大バカー!」

 

 目から大きな涙をこぼして、手足をジタバタさせる。

 一応は神秘的で落ち着いたように見える巫女が、いきなり子供のようになってしまって今度は悠人が慌てる番だった。

 

「ユート……泣かせた」

「え、いやだって……え、ええー俺が悪いのか?」

「仕方ないな。ここは俺が慰めてやヘギャ!!」

「うるさいですこの変態! いくら貴方が出雲の待ち望んだ人かもしれなくても、もうそんなの関係ありません! 貴方のせいで私のロマンチックが……返せー! 私のロマンチックーー!!」

「これだけうろたえておきながら、隙の一つもないとはな。さすがは混沌の永遠者にして、出雲の巫女と言ったところか」

 

 相変わらずタキオスだけが別の視点でギャグ世界から隔離されていた。

 

「こ、こんな格好の悪い運命の再開なんて認められません! こうなったらもう、やり直しです! やり直しーー!!」

 

 時深と呼ばれた巫女は横島を蹴飛ばしながら、短刀のような神剣を振りかざした。

 馬鹿げた量のマナが集まっていく。タキオスが纏っているマナよりも多い。

 信じられないほど複雑な術式が瞬く間に組みあがる。

 

「時よ、戻れ! タイムシフト!!」

 

「させん! 空間ごと、貴様を断つ! 空間断絶!!」

 

「巫女さんはパンツを着けないんじゃなかったのかー! こんちきしょーー!!」

 

「おい、横島! 落とした文珠が何か輝いてるぞ……って、うわあ! まだ触手が迫ってくるぅ!?」

 

「ん、何だか大混乱だ」

 

 空間が。時間が。マナが。霊力が。ギャグが。シリアスが。触手が。

 混ざり、捻じれ、弾けて、正しき在り方を失う。

 多種多様で膨大なエネルギーが光り輝き、夜を昼に変える勢いで煌めいた。

 

「むっ、またシージスの『門』が開くのか。いやこれはまさか」

 

「『門』が二つも!? これは一体」

 

 タキオスと時深の驚愕の声を聞きながら、横島達は光の中へ飲み込まれる。

 光が収まると、そこには静寂な森が広がっているだけだった。

 ただ彼らがいた証として、『戦いの後』はしっかりと残っていたが。

 

 

 

 永遠の煩悩者 第二十九話 

 

 312分枝系統67320世界00065294時間断面

 

 

 

 細胞、葉、枝、大樹、宇宙、大樹、枝、葉、細胞。

 

 目すら開けられないような光の本流に巻き込まれた悠人は、脳内に直接流れ込んでくるようなイメージとしてそれらを見た。

 神聖で、厳かで、人の身では触れられぬほどの神秘。しかし自身も神秘の一部であることを自覚する。

 

「……あ?」

 

 悠人は気が付くと、まず地面に違和感を覚えた。

 横たわる地面の感触が土では無い。石畳でもない。これはアスファルトだ。

 仰向けに倒れたまま、空を見る。夜だというのに星がいつもよりも数少ない。それなのに周囲は明るい。外灯のおかげだとぼんやり理解する。

 空気は悪いが何処か懐かしい匂いがした。美味くもない空気を胸いっぱいに吸い込む。

 

 横を見ると、佐藤・鈴木・田中の文字が見えた。表札だ。よくある名前が並んでいる、と少しずつ覚醒してきた頭で考える。

 一年ぶりの日本語。いや、あの世界では一年の時間が短かったら、この世界では一年は過ぎていないか。

 そんな事を考えて悠人は自分が意外と冷静だと安心した。

 すぐ横にはアセリアと横島が横たわる姿があった。タキオスと時深の姿は見えない。

 

「戻ってきたのか」

 

 西暦二〇〇九年。

 悠人の世界の日本。

 

 幸いにも悠人の自宅周辺であったので、まずは自宅に戻ることに決めた。

 横島と悠人の陣羽織は目立つが、まだ町を歩けるだろう。しかし特徴ある青紫の髪と瞳で軽鎧のアセリアを町に出したら目立ちすぎる。

 何より神剣が目立った。隠せるのは横島だけなのだ。見つかれば、当然銃刀法違反で御用となってしまう。

 自宅に戻り、悠人は一年ぶりの我が家に入る。

 

「戻らないとな」

 

 戦いの世界から抜け出た元は一介の高校生は、ようやく戻ってきた平和な世界で迷うことなく呟いた。

 殺し合いの世界に戻らなければ、と。

 殺し殺されがない平和な世界。問題が無いわけではないが、人殺しの技を磨き上げる日常に比べれば肉体的にも精神的にも天国だ。

 

 しかし、悠人の心はこの世界には無かった。

 一年程度しかいなかったが、彼の心は共に戦ったスピリットと共にあった。

 そもそも、佳織が向こうにいる時点で戻らないという選択肢は無いのだが。

 

 だが、もし佳織と一緒だったら、どうだっただろう。

 殺し合いをせずに済む普通の高校生に戻れるのだ。平和な日常に心揺れただろう。

 だが、隊長と副隊長と腕利きのスピリットが揃っていなくなり、激戦が控えているラキオスはどうなるのか。

 ラキオスや仲間のため、佳織をほっぽり出して戦いに向かうのだろうか。それとも、全てを忘れて佳織と共にあるのか。

 幸いか不幸かは知らないが、ここに佳織はいないのだ。

 だから迷わずに済む。悠人は佳織がここにいない事に少しほっとしていた。

 

 しかし、家に戻ったところでどうやって世界を移動すれば良いのか、まるで見当がつかなかった。

 だが、悠人が慌てることはない。

 ここには頼りになる仲間が二人も居るのだ。悠人は笑顔を浮かべて二人に向き直る。

 

「二人とも、これからどうす……る!?」

 

「アセリアちゃん、まずはベッドの下を調べてみろ」

 

「わかった……何もない」

 

「なら今度は本棚の裏だ!」

 

「ん……あ、何か落ちてる」

 

 頼りになる仲間は、何の躊躇も無く悠人の部屋を物色していた。

 

「待て待て待て! お前ら何をやっているんだ!!」

 

「見りゃ分かるだろう。お前の秘められた性癖を明らかにして、エスペリアさん達の評価を下げてくれるわ!!」

 

「お前って奴は本当にブレないよなぁ!?」

 

「ヨコシマ、タンスの裏にも何かある」

 

「っ! そっちは待て!!」

 

 ドッタンバッタンギャーギャーキーキー!

 横島がいるので、いつものドタバタが巻き起こる。

 

 色々と騒ぎはあったが割愛する。

 ただ一つ分かったことは、悠人はまっとうな高校生だったらしい。

 気を取り直して話し合いが始まった。

 

「それで横島、これからどうする」

 

「んなの決まってるだろ。戻るぞ」

 

「俺が言っているのは、どうやって戻るかって事だ」

 

「そんなの俺が知るわけないだろ。まあ何とかなるって」

 

「悠長に言ってられないかもしれないぞ」

 

 楽観的な横島に悠人は新聞を見せ付けた。

 

「今日の日付は12月19日。俺があの世界に移動したのが12月18日だ。これがどういう事か分かるだろ」

 

 言いたい事を理解した横島は眉間に皺を寄せる。

 

「時間の流れが違う……竜宮城みたいなもんか。早く戻らないとピチピチのスピリット達が婆ちゃんになっちまうな」

 

「……そういう事だ。まあ、あの世界は竜宮城みたいに極楽じゃないけど」

 

「竜宮城だって碌なもんじゃないぞ。乙姫はトンでもない地雷女で、しかも下半身が蛇だしな」

 

「なんだそりゃ。お前は月や魔界だけじゃなくて、御伽噺の世界にまで行ってるのかよ。ひょっとしたら本の中にも入ったりした事があるとか?」

 

 冗談めかして悠人は言うが、

 

「ああ、ゲームの世界に引き込まれたり、絵の中や映画の中にも引きずり込まれたりしたぞ」

 

 普通に返されて悠人は言葉もない。

 相変わらず何でもありだ。経験という点では、この男に勝つのは生涯不可能だと悠人は確信する。

 それからあーだこーだと議論して見るが、建設的な意見など出てこなかった。

 『求め』や『天秤』にも意見を求めたのだが、二本ともうんともすんとも言わなくなってしまっている。

 

「とりあえず、朝になったら俺があの世界に飛ばされた神木神社に行ってみよう」

 

 無難な、というか現状ではそれ以外に選択肢が無かった。

 一眠りして朝を迎えると、横島を除いて神剣を置き家を出た。

 アセリアは軽鎧を脱いで佳織が来年着る予定をしていた制服を着用する。

 

 数十分後には神木神社についたが、特に何も無かった。まったく普通の神社だ。

 横島は境内を掃除していた神主を見つけて言葉をぼかしながらこの辺りで神隠しがあったり、時深という巫女がいないかと聞いてみたが、まるで心当たりが無いといわれてしまう。

 

「なあ悠人。ここで、あの時深っていう巫女さんに会ったんだよな?」

 

 神社で異世界に飛ばされたという状況と、時深という巫女の出で立ちから、ここで会ったのだろうと勝手に判断していた横島は、確認の意味で悠人に聞いてみる。

 だが、返ってきた言葉は想定を超えていた。

 

「時深って誰だ?」

 

「はあっ!? 何言って……あ」

 

 思い出す。

 そういえば、以前にタキオスと会った時も、ファーレーンとエニがタキオスの事を忘れていた。

 

「……タキオスっていう筋肉男は覚えているか?」

 

「そりゃ覚えてるに決まってるだろ。あいつのせいでこうなったんだから」

 

 悠人もアセリアも、時深の事は綺麗さっぱり忘れているが、タキオスの事は覚えている。二人が言うには、タキオスと戦っている最中にこの世界に飛ばされたことになっているらしい。

 

 どういう事だ。

 横島にはもう訳が分からない。

 状況を整理して見よう。

 

 以前にタキオスという男と接触した時は、自分はタキオスの事を覚えていたが、ファーレーンとエニはすっかり忘れていた。

 今度は悠人もアセリアもタキオスを覚えているが、時深の事は忘れている。

 悠人はこの世界で時深に出会っていた。あの世界にいたときも時深を覚えていた。しかし今は覚えていない。

 

 正直、何が何だか分からなかった。

 どうにもシステマチックな匂いがするのだが、法則性が見つからないのだ。根本的に情報が足りていないのだろう。

 

「まあ、今は考えてもしょうがないか。しかしどうしたもんかな」

 

 横島はあっさりと思考を切り替える。

 考えても分からないし、分かっても意味が無いだろう。

 これからどうしようかと横島と悠人が悩んでいると、

 

「ユート、ハイぺリア見てみたい」

 

 アセリアが力強く言った。

 表情は素面だが、その目はキラキラと輝いている。

 横島もその言葉に頷く。

 

「いいかもな。ここでうだうだ話してもしょうがないし、街に出た方が色々と分かるかも。それに特に慌てる必要はない気がするんだよな」

 

 楽観的に横島が言って悠人は少し呆れたが、どうせ何の案もないのだ。

 横島の勘を信じるのも悪くないだろう。

 そう判断した三人は一眠りして朝になった後、街に繰り出した。

 

「ユート! 変な音が聞こえてくる!」

 

「ああ、あれはスピーカで音楽を流してるんだな」

 

「ユート! 鉄の馬車が走ってる!」

 

「ああ、あれは車っていって」

 

「ユート! あれは――――!」

 

 アセリアは今まで見たことが無いほど興奮して何か気になるものを見つけるたびに、悠人を呼んで質問攻めをする。

 悠人もそんなアセリアが珍しいのか、笑顔を浮かべてアセリアに付き合った。

 

「ちくしょー!! 第二詰所の皆がいれば俺だってなーー!! こんちくしょーー!!」

 

 仲の良い男女から一人あぶれた横島は哀れであった。嫉妬魔人となって世界の全てを呪っている。

 これが非常に見苦しく、人目を引くアセリアへの視線を分散させることに成功していた。

 

「ユート! ユート! あれ見て!?」

 

 興奮したアセリアが指差した方向にはテレビがあった。電気屋の前に置かれたテレビの中でアイドルグループが踊りながら歌っている。

 驚くのは当然だろう。アセリアからすれば箱の中に小人が入っているようにしか見えない。

 どう説明するかと悠人が考えていると、ニヤニヤと邪悪な笑いを浮かべた横島が口を開いた。

 

「アセリアちゃん、あれはなテレビってやつで小人を閉じ込めておく箱なんだ。小人は早く出して欲しいから、芸をして出してもらおうとしいるのさ」

 

 横島が呼吸するように嘘を吐く。

 アセリアは少し怖がったようにテレビと距離をとった。

 

「おい、横島」

 

「いいじゃんか! お約束って奴だ」

 

 珍しくオドオドしているアセリアを見ながら、横島は楽しそうにニヤリと笑った。

 やはり横島はアセリアに対して妙に意地悪だ。何かしらのちょっかいをよくかけている。

 

 しかし、悠人も普段と違うアセリアの様子にちょっと楽しい思いをしていた。多彩な表情のアセリアを愛しく思ってしまう。

 それにこうして元の世界に戻ってくると、スピリットという存在の美しさがより際立ってきた。誰もがアセリアに注目している。目を引く青い髪に青い目もあるし、これだけの美少女はアイドルにもそうはいないだろう。

 

 そうアセリアは純粋で、言葉を変えれば単純なのだ。そこで悠人は気づいた。

 単純で直情なアセリアがこれからどう動くのか。

 気が付いたときには、もう遅かった。

 

「今助ける! はあっ!」

 

 見事な貫手をアセリアは放つ。

 神剣による強化を一切使っていなくても強靭なマナの肉体と鍛えられた戦士の手により、テレビは大破した。

 

「ユート、ヨコシマ、小人がいないぞ」

 

 パチパチと火花散らせた液晶をのぞき込んで、小首をかしげるアセリア。

 次の瞬間、悠人はアセリアを片手で抱きかかえ片手で諭吉さんを数人ほど店に投げつける。ほぼ同時に横島がサイキック猫だましで周囲の視界を奪った。互いに無言での完璧なコンビネーションだ。

 閃光が収まると、そこに三人の姿は無く、放電したテレビと諭吉さんが転がっていた。

 

「アセリア! 店の物を壊しちゃだめだぞ!」

 

 商店街から離れた悠人が、ガミガミと説教する。

 アセリアは、顔を赤くしてぽーっと説教を聞いていた。

 聞いていないのかと声を荒げようとした悠人だったが、

 

「あ、悠人先輩!」

 

 後ろから聞こえてきた懐かしい声に中断させられた。

 小走りでセミロングの髪を後ろで二つに分けた少女が走ってくる。

 背丈は低く、佳織と同年代ぐらいだろう。横島の守備範囲内には入っていなかった。

 

「もう~こんな所でどうしたんですか悠人先輩。いくら今日がお休みでも、こんな早い時間に出歩くなんてお寝坊さんな先輩が珍しいって……って、きゃ~~何ですかこの可愛い美人さんはー!! 青い髪なんて染めてるんですか! でも何だかとても自然です! この人と一体どういう関係なんですかーー!! さあさあ早く説明してください、じゃないと佳織にあることない事いろいろと~」

 

「分かった! 分かったから少し落ち着け小鳥!」

 

 マシンガントークをぶちかましてきた少女に、悠人は頬を引きつらせる。

 

 この女の子の名前は夏小鳥。

 佳織と同級生で友達だ。その関係上から悠人とも少し交流があった。

 口から先に生まれたとは正に小鳥のことで、とにかくお喋りだ。もの静かな佳織とは対照的で、どうして馬が合ったのか悠人にはさっぱり分からない。

 

 下手な事を喋ったら大騒ぎになると悠人は慎重に言葉を考えていると、

 

「俺は横島って言うんだ。お姉さんがいたらぜひ紹介してくれ!」

「えー! 私じゃ不服だって言うんですか横島さん!?」

「うむ! やっぱりもう少し大きくないとどうしようもないな!」

「がーん! でも私だってカッコイイ人がいいので全然問題ナッシングですよ!」

「くそう、所詮は男は顔が良くなきゃ駄目なのかよ!?」

「いえいえ、後は愛とお金と健康だけがあればOKですね!!」

「ひでえぞ! 俺なんて体があればOKだぜ!」

「おお、謙虚ですねー」

「ああもう! お前らもう少し考えて喋れよ!」

 

 目の前でいきなり意気投合したように喋りあう横島と小鳥に、悠人は頭を抱える。

 だがいくら考えようと妙手などまったく思いつかなかった。

 

「さ、悠人先輩。早く紹介してください。あ、女の子のほうですよ」

 

「あ、ああ。この娘はアセリアって言って外国から来た……その、なんというか」

 

 悠人が悩んでいる間に、小鳥は勝手にアセリアの前に躍り出た。

 

「アセリアさんって言うんですね! 私は夏小鳥って言います!!」

 

「ン……ヤシュウウ」

(ん……よろしく)

 

「わわわ、外国語だ! 英語でもないみたいでさっぱりです。こういう時こそボディランゲージですね! はい、握手握手!!」

 

 小鳥は臆することなくアセリアに手を差し出す。差し出された手に、アセリアもゆっくりと手を差し出した。

 だが、握手が交わされる事は無かった。

 

「……あ」

 

 アセリアの体がふらついたかと思うと、そのまま小鳥にもたれかかったのだ。

 

「きゃ、きゃあ! 一体どうしたんですかアセリアさん!? まさか悠人先輩よりも私が良いとか! そんな禁断の愛なんて私……でもでもアセリアさんぐらい綺麗だったらそれでも……って、アセリアさんって体温が高いんですね~って高すぎですよ!! 悠人先輩、アセリアさんが!!」

 

 慌てた声に悠人がアセリアの額に手をやると、凄まじい熱を持っていた。

 

「病院です! 早く病院に!?」

 

「あ、ああ!」

 

 小鳥に急かされて悠人がアセリアを背負って最寄の病院に担ぎ込もうとしたが、それを横島が制した。

 

「えーい落ち着け。スピリットを病院に連れて行って採血でもされたらえらい事になるぞ。まずは家に連れて帰ったほうがいいだろ」

 

「そ、そうだな。じゃあまずは一旦家にいくぞ」

 

「二人とも何言ってるんですか!? 普通、病院でしょう。事情があるなら説明してください!」

 

 確かにこのままでは小鳥がおさまりそうに無い。変な噂話がたっても面倒だ。こうなったらしっかり説明することに決める。

 悠人は家で説明すると言って、悠人の家に行くことになった。

 

 帰宅すると、急いでアセリアをベッドに運んで寝かせる。

 息も荒く、苦しそうに胸を上下させるアセリアに悠人は辛そうな顔をした。

 小鳥は少しだけアセリアを暗い目で見たが、すぐに真面目な顔で説明を要求する。

 

 悠人は隠すことなく小鳥に全てを話した。

 自分達が異世界に召喚され戦っていたことを。まだ佳織が向こうにいて、助ける為にまた異世界に戻らなければいけない事を。

 小鳥は流石に衝撃を受けたようで、言葉を無くした様だ。

 悠人は家の薬箱を漁っているが、スピリットに効く物があるかは微妙だろう。

 そもそも、原因が分からないのだ。

 

「風邪でも引いたのか。馬鹿は風邪ひかないってきくもんだが」

 

 横島が失礼なことを言う。アセリアも横島にだけは言われたくないだろう。

 

『風邪ではないな』

 

 唐突に、横島だけが聞ける声が響く。『天秤』だ。

 

「お前、今まで何で黙ってたんだよ」

 

『こちらにも都合があるのだ。先の閉鎖世界と違ってこちらは我らの手が及んでいない分枝世界。下手に過去ログを漁られると霊力の秘密が漏れるやもしれんから、色々と工作が必要なのだ』

 

「だから、もう少し分かるように言えっての!」

 

『気にするな。今はアセリアの事だろう』

 

 確かにその通りなのだが、『天秤』の言葉は色々と不可解で横島を不安にさせる。

 とは言っても、説明しないのは『天秤』の意地悪ではない。神剣宇宙のすべて説明などできるわけにないのだから、仕方ないといえば仕方ない。

 

『アセリアの不調の原因は、簡単に言えば栄養不足だな。この時間樹のマナは、我らがいた世界のマナと比べると薄い。神剣は常にマナを吸収しているから消耗しているのだ』

 

「いきなり酸素が薄くなって呼吸困難になっているようなもんか」

 

『その通りだ。『求め』はスピリットの持つ神剣と比べるとマナ総量が大きいから、まだ大丈夫なようだがな。それでもマナを無駄にしない為に沈黙しているのだろう』

 

「お前はどうなんだよ」

 

『フッ、私はマナだけでなく霊力でも活動しているから問題ないな。そこいらの凡庸な神剣とは違うのだ!』

 

「はいはい、すごいすごい」

 

『正直、この時間樹ではシステムの方がやっかいだな。霊力のせいでエラーが出ている。バグを消去しようと【激烈なる力】が来たらどうしたものか』

 

「は?」

 

『こちらの話だ。あまり気にするな』

 

 『天秤』が何かぶつくさ言っていたが、横島はもう説明を求めなかった。

 聞いても理解できないし意味もない事だろう。とにかく、『天秤』の説明を悠人にも伝える。

 悠人は悔しげに唇をかんで、こぶしを握り締めた。

 

「じゃあ、アセリアは随分前から辛い体だったってわけか。くそ、気づけなかった!」

 

「まったく、隊員の体調も管理できないで、それでも隊長かよ」

 

 ここぞとばかりに横島は悠人を責める。

 悠人を貶めるのが大好きな横島らしい。悠人はがっくりと肩を落としたまま、横島の説教を聞いていた。かなり気落ちしている。

 気がつかなかったのは横島も一緒で同罪なのだが、基本的に真面目な悠人の方が責任を大きく感じるらしい。

 

「大体、お前は」

 

「違う、ヨコシマ」

 

 さらに貶めようとした所を、アセリアの声が遮った。

 悠人はアセリアに済まなさそうに頭を下げる。

 

「悪い。アセリアの様子に気がつけなくて……ごめん」

 

「謝らなくていい。私はユートと歩くのが楽しくて、気がついたら倒れただけ。悪いのは、私」

 

 そう言って、アセリアはぎこちないが小さく笑みを浮かべる。しかし、額からは玉のような汗がにじんでいて、息も切れ切れで苦しそうだ。

 悠人は胸を締め付けられるような感情を抱いて、思わずアセリアの手を握り締めた。すると、アセリアの表情が確実に柔らかくなった。

 その様子を見ていた横島は舌打ちして立ち上がる。

 

「何時までもこの世界にいるわけにはいかないな。もう一度、帰る方法を探してくるぞ」

 

「あ、俺も……」

 

 行くぞ。

 そう言おうとして、言えなかった。

 横島が栄光の手をハンマーのように変化させて、悠人の頭を打ったからだ。

 かなり痛くて文句を言おうとしたが、横島の目には悠人以上の怒りが燃えていた。

 

「アホかー! この状況でお前が出て行けるわけないだろーが!!」

 

「この状況って何だよ! 今は一刻を争うだろ。土地勘のある俺がいかないと……」

 

 怒鳴りながら立ち上がろうとして、手を引かれて踏みとどまる。

 悠人の右手をアセリアがしっかりと握り締めていた。

 意識は朦朧として体に力など入らないはずなのに、悠人の手を離すまいとしっかりと握りしめている。

 その様子を見て、小鳥は僅かに顔を伏せて唇を噛んだ後、すぐに満面の笑みを浮かべて横島の手を引っ張った。

 

「そうですよ、悠人先輩。土地勘なら私にお任せあれです!! 流行のスイーツショップなら全部知ってますよ! さ、横島さん、行きましょう!!」

 

「お。おおそうだな。看病にかまけてエロイ事すんじゃねえぞ!」

 

「するか! そっちこそ小鳥に変なことすんなよ……必要なものがあったら好きに使え」

 

 悠人が横島に財布を投げる。横島は笑ってそれを受け取った。

 二人が外に出て行くと、悠人は苦笑を浮かべる。

 

「あいつら……まったく」

 

 横島にも小鳥にも困らせられる事は多いが、やはり友人なのだと実感する。

 ここは好意に甘えて、しっかりとアセリアを看病しようと悠人は気を張った。

 

「ユート、その」

 

 珍しく言いよどむアセリアに、悠人は何でも言ってくれと優しく促す。まともに歩くことすらできないほど消耗したアセリアだ。どんな要求でも通そうと決意をしていた。

 それでも躊躇していたアセリアだが、やがて意を決してか細く言った。

 

「……トイレ」

 

「……え?」

 

 悠人の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

「まったく、何で俺がこんな役回りをせにゃいけないんだよ」

 

 小鳥と外を歩きながらブツブツと横島は文句を言う。

 あの状況でアセリアと悠人を引きはすわけには行かない。それは分かっていたが、しかし美男美女のお膳立てをすることになった横島の機嫌は最悪だった。

 傍に小鳥という可愛い女の子はいるが、守備範囲ではないので特に機嫌は向上しない。

 

「何言ってるんですか。親友なんですから親友の役割を果たすのは当然ですよ」

 

「んな事ない! 俺が悠人といるのは利害の一致があってだな」

 

「ツンデレですか? ツンデレですね!! いや~男のツンデレって始めてみました! 出来ればもう少し美形ならそっち系の需要もあったと思うんですけどね! いや、でもこれはこれで良いって人はいると思いますけど」

 

「小鳥ちゃん、頼むから勘弁してくれ~」

 

 小鳥は口から先に生まれたのではないかと思うほどお喋り好きで、こちらが喋ってなければ常に話を続けてしまう。少々、異常を感じるほどだ。

 話すのは横島も好きだが、流石に限度があると横島は辟易し始めていた。

 

「ほんと……アセリアさんって綺麗ですよねえ」

 

 小鳥がうっとりと夢見る少女のような口調で言ったかと思うと、

 

「もう何ていうか御伽噺から飛び出してきた美少女戦士って感じですし、いやもうそのまんまユーフォリアみたいですよ! あ、ユーフォリアっていうのは私や佳織が読んでいる小説の主人公なんですけどね。悠人先輩とアセリアさんと名前が少し似てるから、二人に子供が出来たら名前はユーフォリア何て良いかもしれないです!! ってキャーー私ったら話が飛躍しすぎかも、でもでも何かお似合いだからしょうがないです! アセリアさんって、女の私もドキドキしちゃうぐらいに可愛いのに格好良いなんてもう反則で、それでいて儚さとか守ってあげたいーって気にさせるなんて何処の完璧超人ですか! 反則ですよ反則!! しがない一市民の私からするともうムキャキャって感じで!!」

 

 猛烈な勢いでまくし立てる。横島が口を挟む暇もない。

 それは勢いが強いから声を掛けられなかっただけではなかった。小鳥の声には、聞く者の喉を詰まらせるような響きがあった。誰かに話しているのではなく、自分自身に向けた言葉であった。

 

「ほんとに……反則ですよぅ。あんなの、どうしようもないじゃないですか。諦めやすくていいですけどね! あははは」

 

 笑顔のまま、涙を流さずとも、小鳥は泣いていた。

 小鳥の視点では僅か数日の間に、訳が分からないまま決着が付いてしまったのだ。

 少女の小さな思慕は、壮大な運命に巻き込まれた勇者には届きようがなかった。

 自分は物語の脇役。ただの村人Aでしかない。それを少女は無理やり理解させられたのだ。

 この異常なお喋りは、きっと己の感情をうまくコントロールできないからだろう。

 

「悠人の奴め」

 

 横島は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 特に友達がいないとか、人付き合いは得意じゃないとか言っていたくせに、こんな可愛い女の子に慕われているじゃないか。

 

 横島は今だけ悠人やアセリアを忘れて小鳥だけを見る事に決めた。

 コンビニに入りATMに預かった財布からカードを取り出して入れる。

 キャッシュカードの暗証番号は一発で当てた。別に文珠を使ったわけではない。

 あのシスコンならきっと佳織にちなんだ番号であると予想として、佳織の誕生日を小鳥に教えてもらい、それを逆さにして入力するとあっさりと当たったのだ。流石はシスコンである。

 引き出せる限度額まで引き出す。

 

「よし、小鳥ちゃん! 少しこの金で遊ぶぞ!」

 

「ちょちょちょ、ちょっと何をやってるんですか横島さん!? どろぼうですかーー!」

 

「好きなように使って良いってあいつは言ってたぞ」

 

「それは、普通に考えて財布の中にあるお金の事ですよ!?」

 

「俺は普通には考えん。それに、あいつも文句は言わんだろ」

 

 自分勝手すぎる横島に流石の小鳥も眉を吊り上げる。

 

「何を勝手なこと言って!」

 

「悠人の奴も小鳥ちゃんを元気付ける為だったら、きっと文句は言わんって」

 

 好き放題に横島が言う。

 それは決して褒められたものではない。しかし、一人の少女を元気づけようとした強い言葉だった。

 小鳥は複雑そうな顔になった。期待と不安が小鳥の胸を駆け巡る。

 

「でも、そのお金は悠人先輩の両親が残したもので、それに手をつけないようにバイトして暮らしてたのに」

 

「なんだよそれ、訳分からん。せっかく残してくれたんだから使えばいいだろうが。

 

「よく分かりませんけど、きっと誰かの手を借りたら弱くなるって思ってたのかも」

 

「あ~なるほど。以前のあいつなら言ったかもな。でも今のあいつなら、んな事は言わないぞ。変な意地を張って生き残れることは無いからな」

 

 さらりと横島が言うと、小鳥は少し寂しそうに笑った。

 想い人が、自分の知らない想い人に変わっている。それも、好ましいほうに変化している。

 それが嬉しく、そしてどこか悲しい。

 

「ま、あいつが許可しようがしまいが金を引き出しただろうけど」

 

 小鳥はずっこけて横島を睨む。

 横島は生気に満ちた顔で小鳥を見た。

 

「俺が知る一番強い人だったら、絶対に使ったな。現世利益最優先って叫んで」

 

「何かろくな言葉じゃない気がするんですけどー」

 

「善いか悪いかはともかく、強いのは間違いないぞ。それに楽しいしな! さ、小鳥ちゃん一緒に上手いもんでも食おうぜ!」

 

 仄暗い闇を消し飛ばすような横島の陽気を受けて、小鳥の目にも強い光が宿った。

 

「えーい分かりました! 少しの間だけ楽しんじゃいましょーー! となれば女の子的にスイーツです。スイーツスイーツ! こうなったらとっても高いスイーツを注文しまくちゃいますよー! 体重なんて怖くありません!!」

 

「おお、食え食え! 俺も食いまくっちゃる! イケ面の金で食う飯は旨いぞ!」

 

「あはは、全品制覇しちゃいましょうか……それにしても横島さんって、色々と気を使えるし話も面白いから、きっとモテモテですねー!」

 

「ナンパ100連敗の俺がモテモテなわけあるか~!」

 

「またまたーそんな嘘言ってちゃって~!」

 

 そうして二人は洒落たスイーツ店に入った。

 横島がモテナイと言った理由を、小鳥はすぐに理解させられた。

 スイーツ店で店員の女性に飛びかかってぶん殴られたからだ

 

 ――――傷心の女の子を慰めようと連れ立って入った店で、他の女性に色目使うって信じられないです!

 

 こっぴどく言われて、横島はがっくりと項垂れた。

 これには同情の余地はないだろう。今は小鳥だけを見る、とか考えておいて、一時間もしないうちにナンパを始めたのだから。

 プリプリと怒っていた小鳥だが、一応元気は出たようだ。

 どうしても良い格好はできないが、とりあえず横島と一緒に居る女の子はなんだかんだで元気になる、いつものパターンだ。

 

 アセリア達にお土産のスイーツをいくつか買って店を出る。

 さて、これからどうしたものかと二人が考えていると、一人の少女が近づいてきた。

 背丈は小鳥と同程度で、銀髪長髪の女の子だ。時深が着ていたような巫女服を着ている。

 最も特徴的なのは、頭に犬耳と尻尾があることだ。

 

「ええ? コスプレ……じゃない!?」

 

 小鳥が信じられない者を見るような声で驚くが、

 

「はあ……可愛いけど、また小っちゃい女の子か」

 

 横島としてはそれだけだ。

 明らかに人外相手にまで煩悩を燃やそうとする横島に、小鳥は呆れたような目で彼を見た。

 

「こんにちは」

 

 犬耳巫女は小さい声でペコリとお辞儀して挨拶してくる。

 その視線は、わずかにケーキの方を向いていた。

 

「ああ、こんにちは……人狼か?」

 

「大神の綺羅(きら)と申します」

 

「綺羅ちゃんだな。早速だけど、綺羅ちゃんには年上のお姉さんとかいる……ぐあ!」

 

 脛に痛みが走る。

 見ると小鳥がつま先で横島の弁慶を蹴り飛ばしていた。

 そんな二人に綺羅は目をパチクリさせる。

 

「今夜0時に、神木神社にいらしてください。それで、戻れます」

 

 いきなり、今一番欲しい情報が提供される。

 完全にこちらの事情を把握しているようだ。それについては別に驚きはない。

 そもそも時深という巫女があのタイミングで助けにこれたのだって、こちらを見ていたからに決まっているのだ。

 

「それで、やっぱりそっちの事情は言えないんだな」

 

 横島は確認するように言うと、綺羅は表情を変えずにこくりと頷く。

 

「はい、申し訳ありません」

 

 無表情にペコリと頭を下げる綺羅に、横島はそれ以上は追及しなかった。

 悪意等は感じない。きっと、どうしようもない事なのだろう。いくら追求しても無駄。

 変に情報を抜き取ろうとしたら、記憶喪失にでもなってしまう予感がある。

 

 あのタキオスや時深といったトンでも存在がいて、幾つか陣営に分かれて敵対している。

 彼らはこちらに直接干渉はしないが、間接的にはちょっかいをかけてくる。

 これだけは覚えていなければならないだろう。

 

 とにかく、帰る目処は付いた。

 綺羅が嘘をついている可能性もあるが、それはないだろうと判断する。

 今のこの状況は、きっと誰にとっても不利益でしかないのが分かるからだ。

 

「それでは、私はこれで。夜に会いましょう」

 

「あ、ちょっと待ってくれ綺羅ちゃん。それと小鳥ちゃん、ちょっと力を貸してくれるか」

 

「はあ?」

 

 せっかく元の世界に近い世界にこれたのだ。ならば是非ともやりたい事がある。

 第二詰め所の面々を思い出して、横島は二人の少女を連れ立って商店街へと歩いていった。

 

 それから数時間後、大き目のリュックを背負った横島と小鳥は悠人の家に戻った。

 家に戻って部屋に行くと、悠人がぐったりと座り込んでいた。彼の周辺にはアセリアが着ていた制服と下着が散乱している。

 ベッドには、おそらく裸のアセリアが薄いタオルケットだけをかけて横になっていた。体のラインが良く分かって、中々に扇情的である。

 悠人はドロンと濁った瞳を硬直した横島達に向けた。

 

「動けない女の子の看病は、俺には荷が重すぎた」

 

「うう……お尻にお湯が……んぅ」

 

 息も絶え絶えな悠人と、どこかの気恥ずかしい様子のアセリアに、横島のサイキックハリセンと小鳥の口撃が炸裂した。

 

 

 

「それで、何か手がかりは掴めたのか」

 

「ああ、神社に0時に来いって将来が楽しみな犬耳巫女に言われたぞ。信用できると思うぞ」

 

「犬耳……俺の世界にもこういうオカルトはあったんだな。小鳥もありがとな、こいつの脛を蹴り飛ばしてもらって」

 

「いえいえ~世界のためですからー!」

 

 見ていなくても横島の行動を見切っている悠人だった。

 

「それで横島。その荷物は何だ?」

 

「いや、せっかくだから色々と持って帰ろうと思ってな」

 

「ネリーちゃんやハリオンさんって人たちにお土産を買いたいって横島さんが言って、綺羅ちゃんと私が手伝ったんですよーいや~やっぱりお買い物って楽しいですねー綺羅ちゃんとも少し仲良くなれました!」

 

「よくキャッシュカードの番号が分かったな。言うの忘れたと思ったんだが」

 

「それはお前がシスコンだからな」

 

「あはは! 悠人先輩、もう少し番号を捻ったほうがいいですよ。そうだ、アセリアさん、少しだけ食べませんか。悠人先輩が喜ぶハイペリアのお料理作りますよー!」

 

 そんな小鳥の言葉を、悠人が聖ヨト語に変換してアセリアに伝えると、彼女はコクリと頷いた。

 

「ん、サンキュ」

 

 アセリアのたどたどしい日本語を聞いて、小鳥は元気よく厨房に向った。

 白米に、味噌汁。そこに塩の噴いたシャケ。冷奴には鰹節に醤油だ。

 慎ましいながらも久しぶりの日本食に、横島達は涙ながらに喉にかっ込む。

 それからどうでも良い様な日常の話をして盛り上がり、あっという間に時間が過ぎていく。

 

 気が付けば、もうすぐ0時だ。

 

「アセリアちゃんは動けるか?」

 

「私は大丈夫だ」

 

 いつもの軽鎧に着替えたアセリアが言った。

 その顔色は良くないが、だが青ざめてはいないし熱も高くはない。

 不調だが動けると言ったところだろう。だがそれもいつまで続くかわからない。

 

「私も付いてっていいですか? 今日は佳織の家にお泊りって家に連絡してるから問題無しですよ!」

 

「いや、小鳥は来ちゃだめだ。何があるか分からないし、それに万が一にも小鳥が世界移動に巻き込まれたら大変だからな」

 

「そうですか……はい、わかりました」

 

 小鳥にはなんとなく分かった。

 きっとこれが、悠人先輩を見る最後の光景になるだろうと。

 佳織は戻ってくるかもしれない。だが、悠人が戻ってくるような気がしなかった。

 胸にこみ上げてくるものを押さえつけて、小鳥は好きな人の思い出に残るようにと最高の笑顔を作る。

 

「悠人先輩、アセリアさん頑張って佳織を助けてください。あとついでに横島さんも」

「ああ!」

「こらー小鳥ちゃん。俺はついでなんかー!」

「あはははは!」

 

 小鳥は笑って悠人達を送り出した。

 横島をついで扱いしたが、とても感謝はしていた。彼がいなければ、きっと笑って送り出すのは難しかっただろう。

 

「行っちゃった」

「行きましたわね」

 

 小鳥の後ろから幼い声が響いた。慌てて振り返ると、見覚えのない童女が笑っている。

 小柄な小鳥よりもさらに小さな子供だ。小学生程度に見える。

 だというのに、小鳥はこの幼女を恐れ、後ずさった。

 いきなり現れた不審な子供だからという理由じゃない。こちらをのぞき込んでくる目が、明らかに異常なのだ。

 

「ふふ、敏感な体に、歪な精神を持ってますわね。貴女は……好ましいですわ」

 

 幼女は笑いながら小鳥に近寄ってくる。

 小鳥はいつのまにか壁際まで追いつめられていた。

 

「本当なら最高の快楽をプレゼントするか、もしくは精神を陵辱させてもらったのですけど」

 

 幼女の瞳に加虐の色が宿る。金の瞳には、圧倒的な邪悪が詰まっていた。

 悲鳴すら小鳥は上げられなかった。ただただ恐ろしくて体と心が震えるだけ。

 

「今回はタダオさんに免じて諦めましょう。運が良かったですわね」

 

 幼女は優しく微笑むと、ふわりと浮かんで小さく柔らかい掌で小鳥の喉から頬をなで上げる。

 悪魔の爪で撫でられているとしか小鳥には思えなかった。気まぐれで幼女の気持ちが変化すれば、次の瞬間には乙女の尊厳も人としての心も奪われるのだ。

 

「それでは、縁があればまた会いましょう」

 

 幼女は言って、目の前から消え失せる。

 へなへなと腰を抜かしたように小鳥は座り込んで、そして祈った。

 どうか、悠人達に幸運があるようにと。

 

 

 アセリアの体調も考えてゆっくりと走って神木神社に向う。それでも神剣を使っているので車を軽くぶっちぎるほどの速度だ。あっさりと神木神社に到着する。

 神木神社の石階段を上り境内を進んでいくと、綺羅が待っていた。

 彼女の後ろには数人のスピリットそっくりの女性が数人ほど控えている。そこには神剣の気配が確かにある。

 異世界ではない身近に神秘があった事に悠人は驚く。

 

「お~い!」

 

 横島は笑いながら綺羅に手を振りながら彼女の元に向かう。

 手を振られた綺羅は少し驚いた表情になったが、若干躊躇しながら手を振り返す。

 さらに横島はスピードを上げて、大きく手を広げた。綺羅は頬を少し染めながら目を閉じて、抱きしめられると覚悟した。

 しかし、抱きすくめられる感触がいつまでたってもこない。

 

「……あれ?」

 

 目を開けてみる。すると、

 

「いや~君可愛いねえ。どう、今度ボクと夜明けのデートにでも」

 

 ナイスバディの美女をナンパしている横島が目に飛び込んできた。

 

「符よ」

 

 綺羅がお札を持ってポツリと言うと、横島の頭が燃え上る。

 「あちー!」と騒ぐ横島の頭を、ナンパしていた女の子がボカボカ叩いて何とか火を消していた。

 

「いきなり何すんじゃい綺羅ちゃん!」

 

「それは人形です。心もありませんし、喋ることすら出来ないです」

 

 綺羅はぶっちょう面で、少し冷たく言った。

 

「そうなのか?」

 

 当人に聞いてみる。

 

「………………そうだよー」

 

「そっかー本人が言うんだから仕方ないな」

 

「そうです。本人が言ったならって、喋ってるーー!!」

 

 ガビーンと綺羅が絶叫する。

 綺羅を知るものなら、信じられないというだろう。ひたすら感情が希薄な女の子だからだ。

 しかし、傍に横島がいたと聞けば、きっと納得するに違いない。

 

「ナイス突込みだぜ、綺羅ちゃん!」

 

 歯をキラリと輝かせて親指を立てる横島に、綺羅は無性にかぶりつきたくなった。

 

「横島だな」

「ん、横島だ」

 

 悠人達は日常風景(燃える横島や巻き込まれ壊れる人々)をのんびりと見つめるだけだ。

 そんな二人に、綺羅はこの人達も色々とずれていると溜息をつく。

 綺羅は喋りだした人形を隔離して、さらに他の人形も遠ざけた。下手をすれば、この世界が危険と判断したのだ。

 

 騒いでいる間にもうすぐ0時なってしまった。

 すると、空間の一部がねじれて光りだす。悠人とアセリアは挨拶する時間すらなかった。

 

「その『門』に飛び込んでください。それで戻れます。時間が無いので」

 

「分かった。挨拶も出来なくて悪い」

 

「サンキュ」

 

「それじゃな、綺羅ちゃん」

 

 三人は光の場所まで行くと、段々と周囲の光景がかすみ始めた。

 

「遠くない未来、きっと私達の事を知るでしょう。その時は――――」

 

 綺羅の声が、姿がかすれていく。

 光の道に導かれて、世界を超え、時間を越えて、あの有限の世界へ――――

 

 

『子宮回帰』

 

 

 妖艶な声が響いて、白の光は赤黒い光に浸食された。

 

 横島達はただ周りの景色に困惑していた。

 元の世界に戻れる『門』とやらを開いて、またあの光の道を通るのだと思っていたのだが、なぜか赤い世界に入り込んでいたのだ。

 それは毒々しく生々しいほどの赤。空も大地も赤黒く、周りには赤く脈動する壁があった。まるで生き物の体内に紛れ込んだような、いやそれそのものとしか思えない。

 

 横島たちが困惑していると、いつのまにか女がそこに立っていた。

 薄い羽衣とパンツだけを身に包んだ扇情的な赤毛の美女だ。無造作に波打たせた長い髪は乳首をギリギリで隠して、怪しげな魅力を際立たさせている。

 

「――――お腹空いたの」

 

 それだけ言って、女はゆらゆらと横島たちに寄って来た。

 

「もう本当に勘弁してくれよ」

 

 泣きそうな声で悠人が言う。

 あっさりと理解したのだ。このほぼ全裸の女が、あのタキオスと名乗った男と同格の強さだと。それはつまり、どうしようもないという事。戦闘力のインフレにも程があるだろうと、悠人は毒づく。

 

「おおおおおおお!!」

 

 悠人が泣き言を言っている間に、先手必勝と横島が女に飛び掛る。

 馬鹿が、迂闊すぎる!

 悠人はアセリアは慌てて横島に助成しようと神剣を構えるが

 

「スケスケのお姉さん! ブラが無くては型崩れしますよ、俺が手で支えてあげましょう!」

 

「本当に馬鹿か~~!!」

 

 こんな時でも煩悩に走る横島に驚嘆した。

 

「おいたは、だめよー」

 

 にっこりと女が言うと、横島の頭上に巨大な剣が出現して落ちてくる。

 とても避けられるタイミングではない。

 だが、剣は横島の真横に落ちた。慌てて横島は後ろに下がる。

 

「ひえぇ~あぶねえー! 普通いきなり攻撃してくるかよ!!」

 

「いきなり飛び掛ったヨコシマがいう台詞じゃないと思う」

 

 あのアセリアが呆れたように突っ込みをいれる。

 彼女の突込みが見れるのは相手が横島の時だけだ。

 

「あら、まさか空間を引き延ばして避けるなんて……それも意識しないでやってるなんて、大した才能ねえ。だから可哀想なのだけれども」

 

 半裸の女は横島を見て笑みを浮かべる。

 それはまるで聖母が浮かべるような慈悲に満ちていた。

 

「苦しいのでしょう。分かるわ、貴方が抱えている罪。そしてこれから抱える罪。とても貴方だけで抱えていけるものではないの」

 

 女は優しげな笑みを浮かべ、救いの言葉を横島に投げかけてきた。

 何を言いたいのか横島には分からなかったが、余計なお世話としか思えない。おっぱいでも揉ませてくれたほうがよほど救いになると思った。

 

「さあ咎人よ、私とひとつになりましょう。赦しをえて、永久の安らぎを……怖がらないで、とてもきもちいいから」

 

 ゆらりと半裸の女が近づいてくる。恐怖が、どうしようもない存在が近づいてくる。

 

「ちくしょー!! 美人でおっぱいで色気ムンムンなのに、やっぱ地雷女かよーー!」

 

 滂沱の涙を流しながら横島は『天秤』を構える。

 どうやら女は横島が狙いらしい。それが分かった悠人は決断した。

 

「お前はそいつを引き付けててくれ。俺達は脱出経路を探す!!」

 

「おい! 俺を見捨てんのかこの野郎!」

 

「一人で戦っても三人で戦っても同じだ! というよりも俺達じゃ足手まといになっちまう。まずは退路を見つけて、逃げるっきゃない!」

 

「ヨコシマ、頑張れ」

 

 先の攻防を理解すら出来なかった悠人とアセリアではどうしようもなかった。

 二人は横島を激励して駆け出して、赤黒い、まるで肉壁のような壁を切りつける。

 硬い岩ではなく分厚いゴムの切りつけたような感触に悠人は血の気が引いた。

 気持ち悪さもあったが、それ以上にこれを破壊するのは絶望的と悟ったのだ。

 硬ければ砕けるが、これは砕くのも焼くのも厳しい。アセリアも同じ結論に至ったようで、「困った」とぽつりともらす。

 

「それはそうよ。ここは命を守るための聖域だから頑丈なの。だけど、罪を生んでしまうところでもあるの。だから、いっぱい傷つけてもいいのよ」

 

 女は優しく笑いながら言った。言っている事がメチャクチャだ。

 気が狂っているのか、それとも凄まじい死生観でも持っているのかもしれない。とにかく会話が成り立たないのが横島にはきつかった。

 

「それじゃ、いただきます」

 

 女は横島に向って手を合わせる。

 逃げ場が無いほど周囲の空間が歪んで、女はペロリと舌なめずりをした。

 回避も防御も無駄だと横島は悟る。

 

 物理的に食われる!

 

 咄嗟に『蘇』の文珠を準備する。その時だった。

 前触れもなく剣が、槍が、槌が、刀が、永遠神剣達が豪雨の如く女に降りかかった。

 

「痛いわぁ……うふふふ」

 

 体にいくつもの神剣を生やしながらも、女は笑みを崩さない。

 自分の胸に突き刺さった槍に噛み付いてボリボリと貪る。吹き飛んだ手が一瞬で生えてきて、損傷して体外に飛び散った内臓があっという間に再生した。

 目を覆いたくなるような凄惨な光景の中、見た目麗しい一人の幼女が舞い降りてくる。

 

「もう、食事の邪魔しないでちょうだい。それとも、一緒に食べましょうか?」

「お断りですわ。胃界の聖女、貴女の救済などに付き合ってなどいられません」

「そう……つれないわねえ!」

 

 半裸の女が小刀を振るうと、小さな赤い光の粒が幼女に殺到した。

 幼女は強力な障壁を何重にも展開して身を守るが、小さな赤い粒が一つだけ障壁を突破する。

 横島は咄嗟に『天秤』で赤い粒を切って、幼女を守った。

 

「あら、あらあらあら! 守っていただきましたわ。何というか……これは思った以上に」

 

 幼女は顔を赤くして体を恥ずかしそうに捻らせる。

 好きな人に守って貰えたという未知の感覚が心を擽った。

 

「タダオさん。手を貸してもらえるないでしょうか」

 

「……おお」

 

 幼女からの誘いに背筋に寒いものを感じるが、しかし胸は熱い。

 そんな不思議な感覚を味わいながらも、横島はどこか幼女に惹かれるものがあった。

 

「アセリア、俺達も手伝ったほうが」

「駄目。足を引っ張るだけだ。今は、ヨコシマの力が凄く上がっているみたい」

 

 アセリアがきっぱり言って、悠人は無力感にうなだれる。

 何にしても、この幼女と一緒なら勝てるかもしれない。

 希望を抱いた直後だった。全員が、ある方向を見た。

 赤黒い肉壁の向こう側に、何かいる。

 とてつもない、とほうもない、はてしない、なにかがいる。

 

「う……ああ」

「…………ん」

 

 悠人もアセリアも腰を抜かしている。

 根本的に抗ってはいけない存在がいると、神剣が、魂が、認識しているらしい。

 だが、どうしてか横島はその存在を脅威に感じなかった。力の差は太陽とミジンコ程あるというのに、何故か恐怖を感じない。

 

「当然ですわ。貴方はナルに浸食されませんから。実でも虚でもない……異なる者」

 

 無垢そのものといった笑みを幼女は浮かべる。

 その笑みに横島は言葉を失った。どこかで見たことがある笑みだが、何故か背筋が寒くなる。横島は幼女から引力と斥力の両方を感じていた。

 

「いつか、私と共に戦ってくれることを願いますわ」

 

 幼女は言って、横島の周囲に強力な神剣を何本も浮かばせる。

 同時に赤黒い世界が割れて、そこから力の奔流が流れ込んでくる。同時に、空間が割れて光の道が――――『門』が現れた。あれに入れば第二詰め所の元へ帰るだろう。

 まわりの永遠神剣達が力の本流を遮り、横島は『門』へとたどり着いた。

 

 問題は悠人達だ。

 あの光の道に乗らなければ帰れない。

 悠人とアセリアは本能的にそれを悟って必死に力の本流に逆らうが、それは嵐の中で羽をばたつかせる小鳥のようなものだ

 圧倒的な力の流れに悠人とアセリアは翻弄されて、徐々に光の道が離れていく。

 

「このままじゃ佳織に元へいけなく……くそ、くそ!!」

 

 必死に手を伸ばすが、光の道は遠ざかっていく。

 このままではもう二度と佳織に会えなくなる。

 絶望に落ちかけた悠人の手を、アセリアが握った。

 

「やっぱり、ユートの手はあったかい」

 

 のんきに言うアセリアを悠人は怒鳴ろうとしたが、彼女の顔を見て何もいえなくなった。

 

「ユートは、私が剣以外にも何か掴める……そう言ってくれたな。私は見つけた!」

 

 それは幸せの笑みだった。

 それは充足の笑みだった

 それは覚悟の笑みだった。

 

「だから、もう、十分。私は幸せだった」

 

 こんなにも透明な笑顔があるのだろうか。

 これほど清廉でまっすぐな瞳が他にあるのだろうか。

 

「待て! 止めろアセリア! ダメだ……ダメだ!!」

 

 何がダメなのか、悠人自身も分からない。

 だけど、とにかくダメだった。

 

「ん、大丈夫。私が私じゃなくなっても、ユートが幸せなら、それで良い」

 

「何だよそれは!」

 

「ん、ごめん」

 

 アセリアの永遠神剣『存在』が強く光り輝いて、彼女の白い羽が大きくなって悠人を包み込んでいく。

 圧倒的な力の本流に逆らいながら、光の道へ飛ぶ。

 

「さよなら」

 

 薄れゆく意識の中、悠人はアセリアの最後の声をきいた。

 

 

 

 

「起きられましたか、ユート様」

 

 次の瞬間、目の前にはほっとした表情のエスペリアがいた。ここ一年、使っているベッドが下にあった。

 あたりを見回すと、そこは慣れ親しんだ自室だ。ハイペリアではなく、ファンタズマゴリアの自室という意味であったが。

 

 ――――帰ってこられたんだ。

 

「良かった。戻られて……本当に良かった」

 

 エスペリアは涙ぐんですらいた。

 たかが一日連絡が取れなくなっただけで、随分と大げさと悠人は思った。

 

「ユート様。貴方がいなくなって、この世界ではもう一ヶ月も経とうとしていたんですよ。ヨコシマ様が言うには、時間の流れに違いがあったのだろうと」

 

 その可能性はあると思っていたが、どうやら当たったらしい。もし数日も過ごしていたらどうなっていた事か。

 悠人はほっと胸をなでおろしたが、最後に見たアセリアの表情が浮かんできて一気に背筋が寒くなる。

 

「アセリアは!? アセリアは戻ってきてるのか!?」

 

「はい。アセリアは戻ってきて。今は自室で休んでいます。怪我はありません」

 

 そう言って、エスペリアは悲しそうに顔を伏せた。

 

 なんでそんな顔をするんだよ。戻ってきたんだろ? またいつもの日常が始まるんだろ?

 

 悠人はいてもたってもいられず、ベッドから跳ね起きた。

 寝巻のまま、アセリアの部屋に向かう。

 そこに、アセリアはいた。

 

「あ、ああああ」

 

 悠人は絶望の声を絞り出す。

 アセリアは表情を、感情を、心を、失っていた。

 

 

 

 

 

 

「ここは、何だ?」

 

 一方、タキオスはどこぞの極楽な世界にたどり着いていた。

 

 

 



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異伝 覇王の極楽体験記

 その世界には霊と呼ばれるものが存在していた。

 死という絶対の終わりが、終わりではない世界。

 

 死んでも生きられます。

 どこぞの巫女幽霊が言ったように、生きの良い霊が歌を歌い、相撲を取り、銀行強盗をしたりと、死を謳歌することも出来る極楽世界。

 死を謳歌されては堪ったものではない生者達は、GS(ゴーストスイーパー)を雇って日々の生活を守っていた。GSの方が、よほど阿漕だったりもしたが、それはそれだ。

 これは、そんな極楽な世界に降り立った覇王の愛と涙の物語である。

 

 

 その1。

 

 覇王、目覚める。

 

 

 体が重い。重すぎる! これは何事だ。

 ふと目覚めて体を起こそうとした所、俺の鍛えに鍛え上げた筋肉の一筋一筋が、まるでお相撲さんになったかのように重い。

 必死に体を起こすと、そこはビルが立ち並んだ人気の無い裏路地だ。ここは一体何処だろうか。

 くっ、それにしても体に力が入らん。一体何故……そうか。ここは神剣宇宙外の世界か。

 移動の原因は、膨大な力と文珠の霊力が原因といった所だろうな。あの咄嗟では『天秤』も能力を発揮できなかったのだろう。

 やはりこの世界にはマナが一切存在してないか。神剣で生まれた世界では無いから当然だが。体を構成しているマナは、およそ葉っぱ一枚分と言った所か。

 

 この世界に飛ばされる寸前、体に一枚の葉が張り付いていた。

 そこに含まれていたマナによって俺の体は構成されたのだろう。永遠者は、その世界のマナ量によって力が制限される。

 つまり、俺の力は羽虫以下という事だ。

 

「ふん、面白い」

 

 今の俺は弱者だ。それが実に面白い。

 遠い過去を思い出す。

 胸躍る戦いを求め、ありとあらゆる者に挑みかかったものだ。

 俺より強い奴を殺しに行く。当時の俺は血と戦いに飢えた求道者でしかなかった。

 気づけば覇王などと呼ばれていたな。その辺の棒を振り回しで国家を崩壊させながら旅をすれば、是非も無いが。

 

 それから光臨されたテムオリン様に軽く潰されて、その強さにほれ込み、『無我』と契約して俺は永遠者となった。

 世界の寿命を齢の基準にするような時の流れに生きて来て、弱いという体験は初めてだ。

 いずれテムオリン様が迎えに来るだろうから、それまでこの世界を体験させてもらおう。

 

 俺より強い奴に会いに行くとするか!

 

 巨大な神剣である『無我』を出現させて振り回す。

 如何に俺が弱者になろうとも、この『無我』があれば臆することなど――――

 

 パリン!

 

「ほあ?」

 

 ガラスが割れたかのような軽快な音が響いて、黒の破片が飛び散る。

 『無我』は近くにあった電信柱にぶつかり、その強度に破れ砕け散った。

 

「お、俺の『無我』がぁー!?」

 

 な、何たることだ。

 まさかこんな所に電信柱があるとは!

 おのれ、許さんぞ電信柱め! 俺のせいでは無いぞ『無我』よ!!

 うおおお、風に吹かれて破片が飛び散っていく。いくな、帰って来い!

 

「ママ―、あの筋肉おじちゃん泣いてるよ~」

 

「しぃちゃん。ああいうのを見せ筋っていうの。しぃちゃんはああなっちゃだめよ」

 

 …………なんたる屈辱か。

 

 

 その2

 

 覇王、願う。

 

 

 さて、どうしたものか。

 あれから何とか『無我』を繋ぎ合わせたものの、『無我』は怖がって表に出てこなくなってしまった。

 『電信柱怖い、電信柱やだ』と、うわ言のように言っている。このような『無我』は初めてだ。軽くぶつけて壊れるようでは仕方ないだろうが。一部は欠けたままだしな。

 

 どうやら想像以上に俺は弱っているようだ。

 まさか、この俺の筋肉が見せ筋呼ばわりされるとはな。

 見よ、我がボディ! 力を入れれば山のように隆起する筋肉を……あ、つりそう。

 と、とにかく、覇王として戦いを求めて動かねばな。

 下手に体をぶつけたり、段差に躓かない様に気をつけながら歩き始める。最悪、落ちてきた鳥の糞にぶつかっただけで死にかねない。

 

「出せー出さんか~!」

 

 裏路地を少し歩いていると、どこからともなく声が聞こえてくる。

 どうやらゴミの中にある奇妙なツボから聞こえてくるようだった。

 興味を引かれてツボにしてある紙の栓を引き抜いて見ると、モクモクと煙が立ち上り、それが人の形を作り上げていく。

 

「ボハハハハハーー!! ボハ、ボハゴホ! ゲホゲホ!! カーッぺ!」

 よくぞ我を呼び出した。我は精霊イフリート! 全知全能の精霊なり。さあ三つの願いを言うがよい。どんな願いでも叶えてやるぞ!!」

 

 ふむ、これはこの世界の神と呼ばれる類だろうか。

 ちょんまげ以外は丸刈り。全裸に胸毛ボーボーで下半身は光ってて見えないという、変質者そのものに見えるが、そこ以外はどこにでもいそうな中年だ。大した力を持っているとはとても思えない。

 だが、俺には霊力の有無が分からん。封じられていたようだし、何かとんでもない力をもっているやもしれん。

 

「ならば俺に、この世界の者と対等に戦えるだけの力をくれ」

 

「うむ、いいだろう。シャカシャカヘイ! ……これでよし」

 

 何も変わったような気がしないのだが。

 

「何を言う! さあ、目の前を見てみろ。ワシが見たところ、目の前に居るアシナガアリとお前の強さはどっこいだぞ」

 

 ふん、随分と甘く見られたものだ。

 確かに蟻は強い。自身の体重の何倍もの重さを運べるほどの強靭さが蟻にはある。

 だが、所詮は蟻は蟻。この覇王の敵ではない!!

 

 全力でジャンプして、地面から数センチ高く舞い上がる。

 そして空中から蟻に向かって膝を叩け付ける。ジャンピングニードロップだ。

 如何に蟻とて、この一撃の前にはひとたまりもあるまい――――むう!

 

 止められただと! それも手(足)一本で。

 いかん、前顎での攻撃が来る。噛まれたら致命傷だ。急いで回避せねば。

 ふっ、この緊張感! 久方ぶりに血が滾ってきたぞ――――って!

 

「違う! これは違うぞ!! おい、イフリートとやら、これは話が違う」

 

「は? 何が違う。確かにワシはこの世界のものと対等な力を与えたぞ。それが昆虫であったとしてもだ!」

 

 なんという詭弁か。

 このような輩に踊らされるとは覇王の名折れだ。

 いや、まだだ! まだ終わらんぞ!!

 

「まだあと二つの願いは残っているのだろう!?」

 

「おお、残っておるぞ」

 

「ちょっと待て……よし、まずは俺の力を戻してもらおう。せめてこの世界に来る直前まででよい。そうすればこの世界の連中と熱い戦いが」

 

「あ~それは無理だぞ。何故なら、すでに願いは全て叶えたのだから」

 

「なぬ!?」

 

「まずはお前は質問に答えた。そして『ちょっと待って』やったぞ。これで三つの願いは叶えた! では、さらばだーー!!」

 

 イフリートは自分でツボを持つと、足も無いのにすたこらさっさと駆けていく。

 

「こういうアホな奴らばっかりだと楽なんじゃがな~」

 

 去り際に、そんな事を呟いたような気がしたが、あいにくと聴力まで低下しているようだから、よく聞こえなかった。うむ、聞こえなかったのだ!

 

「ふん、見事な話術だ。俺を欺くとは……き、強者には敬意を表さねばな」

 

 俺は武を身上としているが、決して知を蔑ろにしている訳ではない。

 此度の交渉は、奴が一枚上手だったという事だろう。

 べ、別に俺が白痴だったというわけではないからな!

 

「ママ―、あのおじちゃんの声がふるえてるよ~」

 

「見せ筋なのに、脳みそは筋肉で出来ているのね。しぃちゃんはキチンと勉強するのよ」

 

 

 …………屈辱だ。

 

 

 その3。

 

 覇王、食べる。

 

 

 ぐう~。

 

 むう、腹から音がするだと。これはどういう事だ。何かの病気か。

 いや、そんなはずは……何らかに寄生でもされたか。どうにも先ほどから、体に力が入らず、足元がふらつく。病気になどかかるはずはないのだが。

 これは一体……いや待て。遥か昔、同じような経験があったはずだ。これは確か……そうだ、思い出したぞ。これは空腹だ!

 

 高次情報生命体とも言える永遠者は食事を取る必要はないのだが……この世界はルールが違うのだろう。

 仕方ない。ここは食い逃げや盗みでもするしかないか。

 ふん、この俺が食事の為に下賤な事をしなければならんとは……長く生きてきて初体験だ。これはこれで良い経験になるやもな。

 

 人通りや、昆虫を避けて町を歩く。今の俺は蚊に刺されただけで死にかねないのだ。

 少し歩くと、芳しき香りが漂ってきた。大地の匂い、野菜の香りだ。

 匂いを辿って行くと、大きいが少し汚れた建物が見えてきた。匂いの元は庭からだ。どうやら家庭菜園のようだな。

 この様子なら見張りも無いだろう。よし、食わせてもらうとするか。

 赤い野菜を手にとって見る。実に上手そうだ。

 宝石のような赤く、その皮はみずみずしく生気に満ちている。さらにつぶらな目に、小さな口も愛らしい――――え?

 

『私を食べてー!』

 

 やろうとしていた事をしなさいと命令されると、途端にやる気がなくなるという覚えがあるものは多いと思う。

 だから、食べようとしていたのに、食べようとした対象から食べてと言われると食欲が失せるのも仕方が無い。

 必死に逃げようとするが、周りをナスやトウモロコシ共に囲まれる。

 こ、これが俺の最後か……あ、カボチャは美味しい。

 

「ママー! 大きいおじちゃんがお野菜たくさん食べてるよーー!」

 

「あら、偉いわねー。好き嫌いしないとあんなに大きく立派になれるのよ」

 

「うん、しぃちゃんは好き嫌いしないようにがんばるねー!」

 

 …………褒められた。

 

 

 

 その4。

 

 覇王、治療される。

 

 

 野菜に倒された俺は救急車に乗せられ、病院へと運ばれた。

 

 正直、死んだと思った。

 幼児の乗る三輪車に轢かれて即死するほどの体力しかない俺に、あれほどの力を持った野菜達が群がってきたのだ。

 本来なら死ぬはずだ。だというのに、生きている。これはどういう事か。

 

「落ち着いて聞くのだ! 君はどうやら最新病魔に侵されている!!」

 

 白髪の医者が力強く訴えてくる。

 医者としては、そう判断するしかなかったのだろう。

 採血しようと注射するだけで死に掛けたら、是非もなしか。

 

「だが安心したまえ。この白井総合病院の現代医学は最高だ。君の病魔もノックアウッ!」

 

 これは病気ではなく素なのだが。それにしてもこの医者は熱意に満ち溢れすぎてるな。

 

「君がいぶかしむのも無理は無い。かく言う私も、古い常識に邪魔をされて最新医術の導入には時間がかかったものだ。百聞は一見にしかず、これを見たまえ」

 

 言われてとある部屋に案内される。

 集中治療室か。ここで、この世界の医療技術が伺えるな。さてさて。

 

「タイガー、精神感応最大出力にして、病魔を追い出しなさい!!」

 

「ジャー!!」

 

「よし、病魔が出たぞ! 今こそ白井医術団の力を見せる時、突撃せよ!!」

 

 褐色肌の女が踊り狂い、大柄なトラ男が光を放ち、白衣を着込んだ男達が化け物にタックルを喰らわせる光景だった。

 体術とシャーマニズムを組み合わせた、まったく新しい医術である。

 ……この世界の病気は、気合が入っているのだなあ。

 

「理解できたようだね」

 

 ああ、理解できないというのは理解できたぞ。

 

「では、治療を開始する! 総合格闘……ゲフンゲフン! 医療技を受けるが良い!!」

 

 俺の病気を治そうと突撃してくる医師団。トラが光って、女は踊る。

 医療とは一体何かを考えさせる光景を目の当たりにしながら、俺は逆水平チョップをその身に受けるのであった。

 

 

 その5。

 

 覇王、飛ぶ。

 

 

 一体何なのだこの世界は!?

 歩く端からトラブルが追い降りてくるぞ。なんと治安の悪い……いや、違うか。見たところ、治安は悪くない。きちんと警察機構は働いているようだ。強盗や殺人などは起こってはいない。

 にもかかわらず、命の危機が何度と無く起こっている。

 俺が弱くなったというのは原因の一つだろうが、少しそれとは勝手が違うような。

 とにかく、こんな世界に居られるか! 俺は元の世界に帰らせてもらう!!

 人通りの無い路地に引きこもり、救助を持つ。

 

「ふえ~ん、迷子になっちゃった」

 

 そこへ、一人の女が前方からふらふらと歩いてくる。

 ふむ、大人しそうな少女……いや、見た目や雰囲気は幼いが成人のようだな。

 俺には分かる。この少女は、やばい。本気でやばい。俺の覇王センサーがビンビンだ。

 俺はより強者と戦うために永遠者となった。

 ならば俺がなすべき事は一つ。この少女に戦いを挑む!

 

 と思ったのが、ここは一つ止めておこう。

 きょ、強者には敬意を表さねばならないから、仕方ないのだ!!

 

 目を合わさないように壁に張り付いて、空気のように気配を消す。

 くそ、この二メートルを超す長身とガタイの良さが恨めしい。今の俺に必要なのは、草や空気と同化する能力だというのに!

 

 少女は壁に同化している俺に少し目を向けてきたが、特に興味を持たなかったようで、のんびりと離れていく。

 よし、これで何とかなった。そう、安心した時だった。

 

「ふぇ?」

 

 何も無い所で、少女が転ぶ。膝を僅かに擦りむいた。

 ただそれだけの事で少女の目に涙が浮かび、少女の影から異型の化生が飛び出してきた。

 嗚呼、とタキオスは嘆息する。もう、先の展開は完全に読めていた。読めても、どうしようもなかった。

 

「ふええええええええん!!」

 

 大音量の泣き声をBGMにして、荒れ狂う十二の鬼。

 この世界でも屈指の破壊力と理不尽を併せ持つ『ぷっつん』に、タキオスの巨体は風に舞う木の葉のように空へ吹っ飛ばされた。

 薄れ行く意識の片隅で、タキオスは思う。

 

 強者には敬意を――――払っていいのか?

 

 もっと早くに、その疑問を持つべきだったのだと思いながら、タキオスの意識は消失した。

 

 

 その6。

 

 覇王、癒される。

 

 

 気が付けば、使い古したせんべい布団が身を包んでいた。

 部屋は全体的に古めかしい。障子はボロボロで、ちゃぶ台も年季が入っている。

 古臭くカビが生えたような狭い部屋。そこに、制服姿のおさげ少女が教科書を読んでいた。

 

「あ、気が付きましたか」

 

 目を覚ました俺に、優しく微笑んでくれる。

 状況を考えれば、この少女に介抱されていたのだろう。

 なんとも穏やかで優しそうな女性だ。

 ――――油断するな、油断するなよ俺!

 

「何を企んでいる! 次は何をしてくるのだ!!」

 

 もはやこの世界に安住の地も、安全な人間も居ないと俺は確信していた。

 この女も何をしでかしてくるか分かったものでは無い。おさげを振り回して空を飛ぶぐらいはやってのけるやもしれん。

 

「怯えなくても大丈夫です。きっと辛い目に合われたんでしょうけど、でも太陽はいつも微笑んでくれています。たとえ、空が雲に覆われていても、太陽はそこにあるんです!」

 

 何を言ってるのか分からん。分からんが、助けて慰められているのは分かった。

 

「きっとお腹が空いてるんですね。美味しいものを食べて元気になってください」

 

 そんな事を言いながら、粗末な器を突き出される。

 白米にお茶をかけて梅干を乗せただけの、素朴なお茶漬けだった。

 ずずずと腹にかっ込むと、これが中々に美味い。食事を取るなど何周期ぶりだろう。

 

「美味しいですか……今日の私のご飯なんです。でも、気にしないでください、こまった時は助け合いですから!!」

 

 すきっ腹を抱えながらも、少女は顔を赤らめて微笑む。

 天使はここにいたのか! 

 

 そばかす、みつあみ、巨乳。

 何だか古臭い気もするが、だからこそ与えてくれる安心感は並大抵のものではない!!

 強き者が正義で、弱き者は悪。それが世界の基本原理だ。だからこそ、俺は弱者を喰らい、強者を尊敬して生きてきた。

 でも、たまには弱いのもいいよな! なぜなら俺は覇王だから!!

 

「あ、すいません。これからちょっと用事があるんです。自由にしてもらってて構いませんから」

 

 そうして少女は外に出て行った。どうやらここはアパートだったらしい。

 それにしても、まったく大した少女だ。

 見知らぬ大男を家に連れ込んで介抱した挙句、自由にしてくださいとは……天使だ。

 これは覇王として恩ぐらいは返さなくてはならないだろう。

 

 冷蔵庫を開ける。冷気で凍え死ぬかと思ったが、なんとか耐え切る。

 中身を見ると随分と質素だ。まあいい。食えるものは作れるだろう。

 まず準備と、エプロンを着ようとしたが到底サイズが合わず、服を脱いで無理やり着込む。エプロンの紐が肩に食い込んできて死に掛ける。だが、覇王としてこれぐらいは我慢だ。

 後は材料を鍋に入れて、そのまま火を入れる。すぐに出来上がるだろう。

 

 そこで、後ろから神剣の気配を感じた。

 振り返ると、そこには白い幼女の姿。

 その背後には、空間に亀裂――――テムオリン様曰く、ダストシュートが展開していた。

 ようやく来てくれたか。

 

「迎えに来ましたわ、タキオス……何をしているのですか?」

 

「はっ、世話になった娘に料理を作っています」

 

「……はあっ」

 

「どうされました。テムオリン様」

 

「腹心がブーメランパンツとエプロンだけで味噌汁を作っていれば溜息も出ますわ。どうやら、随分と影響を受けているようですわね」

 

 影響?

 何のことやら分からないが、しかし一つ訂正しておかねば。

 

「申し訳ありません。ですが、これは味噌汁ではなく水スープと呼ばれるものでして……少しいかがですか?」

 

「え、遠慮しておきますわ」

 

 にべもなく断られてしまった。

 確かに味そのものは貧相だが、これはこれでシンプルな味わいがあるのだがな。

 

「迷惑をかけ、申し訳ありません」

 

「それは気にしなくていいですわ。これを取りに、そろそろこちらに顔を出す予定でしたから」

 

 テムオリン様はそう言って懐から指輪ケースを取り出した。

 中を開けると、そこには黒く光る何かがいる。これは昆虫か?

 

「これが最後の決め手になるのですわ」

 

「はあ、その二匹がですか?」

 

 俺が言うと、テムオリン様は「二匹?」と首をかしげて手元を見た。

 そこには、小さな蛍と、もう一匹の虫がいた。

 

 黒くつぶらな瞳。

 艶々と光沢のある脂ぎった表皮。

 素早く動く細長い脚。

 ピコピコ動く触覚。

 彼奴の名はG。

 

 カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ!!

 

 手を這い回る何本もの足の感覚がテムオリン様を襲う。

 

「いやああああああ!!」

 

 テムオリン様が絶叫する。虫が苦手だったのだろうか。

 この御方にも苦手なものあるのだな。揚げれば食えそうなものだが。

 

「このおおおおおお!!」

 

 聞いたこともない大絶叫と共に、テムオリン様はワインドアップからの、豪快なオーバースローで二匹をダストシュートに放り投げて、虫達は神剣宇宙のいずこかへ消えていった。

 

「あ……うそん」

 

 ヘナヘナとテムオリン様はその場で崩れ落ちてしまう。

 このような姿は初めて見る。『法王』として常に超然と、そして飄々と、全てを見下していたのいうのに。

 何だかとても面白い。俺もこの世界で散々ひどい目にあったからな。テムオリン様にも苦労してもらおう。

 しばらく様子を見る事に決めると、テムオリン様に一つの黒い影が近づいて肩を叩く。

 

「あ……そうですわね。こんな所で呆けているわけにはいきませんわ。急いで蛍を追いかけて取り戻さねば。もし広大過ぎる神剣宇宙に放り出されて見失ったら、無限に近い有限世界を駆けずりまわる事になってしまう。今すぐ追いかければまだ時間樹の特定できるでしょう。いきますよ、タキオス」

 

 どうやらテムオリン様は肩を叩いたのを俺だと判断したらしい。

 だが、それは俺ではない。

 

「よう分からんが、美味いもんでも食って元気出したらどうだ」

 

 テムオリン様の肩を叩いたのは、人型のゴキブリだった。

 ゴキブリが差し出したフランクフルトからは芳しい匂いが立ち上る。

 中々に人が良いゴキブリだな。

 

「ほぉーおう!」

 

 妙な掛け声と共にテムオリン様が杖型永遠神剣『秩序』でゴキブリに突きを放つ。

 ポッキーの如く、ポッキンと『秩序』が折れる。ゴキブリの表皮、恐るべし。

 

「私の『秩序』がぁーー!!」

 

 折れた杖を抱えて絶叫をするテムオリン様。

 いやはや、どこかで見た光景だ。まあ、俺の時は砕けはしても折れなかったがな!

 何にしても、ここで見ているだけだと後が怖い。

 

「おのれ! テムオリン様に手を出すとは!!」

 

「いや、俺が出されたのではないか」

 

 ゴキブリはまったくもって正論を述べるが、

 

「問答無用!!」

 

 俺は『無我』を出現させる――――のではなく、部屋に置かれていたゴキジェットを手にとって中段に構える。

 

「ゴキブリ断絶!!」

 

 全身全霊をこめて、ポチっとスイッチを押す。

 プシューと吹きかけると、二足歩行のゴキブリは嫌そうな顔をして、部屋から出て行く。

 ふっ、見たか! これが覇王の実力よ!! 

 やはりゴキジェットは最高だな。二つも三つも攻撃手段を持つ必要は無いのだ。

 

 だが、敵はやはり甘くは無かった。

 あの人型ゴキブリを追いかけるように、何十ものゴキブリが部屋のあちこちから湧き上がって来た。テムオリン様が悲鳴を上げて、部屋から飛び出す。

 俺は鍋の火を止めて、すぐに追いかけた。そこで、俺とテムオリン様はありえぬ物を感じる事となる。

 

「この感覚は……マナ機関?」

 

 テムオリン様が驚いた顔でとある部屋を見る。

 俺も同様だ。どうして、この世界の、こんなボロアパートから、異世界の技術があるというのだろうか。

 幸いにも玄関に鍵はかかっていなかったので、こっそりと覗き見る。

 そこには、小鳩を含めた四人の女性と、一人の老人の姿があった。

 

「ちょっと、カオス! 今度こそは本当なんでしょうね!!」

 

「うむ、このヨーロッパの魔王に失敗があると思うか!?」

 

「もう二度も失敗してるじゃないの! 

 

「はて、そのような記憶はないぞ」

 

「あんたの記憶ほど、頼りにならないものなんて無いでしょ!」

 

「まあまあ、美神さん。落ち着いて」

 

「イエス、ミス・美神」

 

「大丈夫です! 三度目の正直って言葉があるんですから!」

 

「そうじゃそうじゃ! 二度ある事は三度あると言うじゃろう」

 

「……これはダメかも」

 

 ボディコン姿の女が猛っていて、巫女とアンドロイドと小鳩がそれを宥めている。

 それは、別によい。問題なのは、老人の隣にある電球のような機械だ。

 

「まあ、見ておれ! さあ、この天才の発明『小僧の居場所見つけちゃう装置』だ。今まで動かなかったくせに、少し前から急に動き始めてな!」

 

 ドクターカオスなる老人が己の作り出した機械を撫でながら得意そうに語る。

 その機械は、マナをエーテルにするエーテルコンバーターと、エーテルで動くエーテル機関の様相を示していた。

 絶句するしかない。

 ドクターカオスなる人物は、異世界の技術であるマナ技術を作り上げたというのか。

 

 しかし、分からない。そもそもマナ技術は、マナが無ければ動かない。

 この世界にはマナが無いのだから、これはガラクタ同然だ。作った張本人がそれに気づかないはずが無い。今回動いたのはテムオリン様や俺の神剣が砕けて、マナが僅かにこの世界に満ちたからだろう。

 一体、どういう事なのだ?

 

 タキオスもテムオリンも混乱の極地に達し、ただ畏怖を持ってカオスを見る。

 いかな永遠者達と言えども、分からなかった。分かるわけもなかった。

 絶大な創造性と技術を持ちながら、作る端から忘れていくという、天才的トコロテン頭脳。

 馬鹿と天才は紙一重と言うが、カオスはその二つを両立させた天災科学者なのだ。

 当然、マナ機関を作りながらマナが必要な事等、とっくに忘れている。

 

 カオスは得意満面に機械を操作し始める。

 テムオリン様の表情が強張った。もし、あの機械が動作してしまったら、ここで『天秤』の契約者がこの世界に引き戻されて計画の半分が潰れてしまうからだ。

 

 だが、それは杞憂というもの。

 テムオリン様は、この世界の事を、まだ分かっていないようだ。

 小鳩という少女が、はてなという顔で落ちていた一本のネジを手に乗せていた。

 それで、十分に先の展開が予想できる。予想できても、逃れる術が存在しないのだが。

 

 また爆発するのだろう。こんな木造アパートなど木っ端微塵になるほどの爆発が起こって、しかし誰も死なない不可思議な爆発が。

 それが分かっても、俺の体は勝手に動いた。

 

「小鳩よ! 助けるぞ!!」

 

「え?」

 

 俺は小鳩に走りより、ぐっと抱きしめる。

 どうせ爆発で果てるのなら、せめてこの身を盾として恩人に報おうと考えた。

 血煙の中を歩んできたこの俺が、まさか自己犠牲らしき行動を取ることになるとはな。

 まあ、このような戯れも悪くは無い。善い事をした。

 不思議と満足していたのだが。

 

「いっ、やああ!!」

 

 小鳩は絶叫と共に、顎が割れんばかりのアッパーを俺に放つ。

 その破壊力はすさまじく、ピンボールのように俺は部屋を跳ね回った。

 薄れ行く意識の中、俺は考える。

 

 何故だ?

 やはり小鳩という少女も、この恐ろしき世界の一員であったという事か?

 

「いや、ピンクエプロンの筋肉半裸男が抱きついてくれば、そうなるでしょう」

 

 呆れたように言うテムオリン様。

 そういうものか。気にした事は無かったが、もう少し常識を学ぶべきなのかもしれん。

 次回への再戦を誓いつつ、とうとう機械は爆発して、俺は白熱の中に消えていった。

 

 

 

 

 

「酷い目に合いましたわね」

 

「はっ」

 

「タキオス、お互いあの世界での醜態は忘れましょう」

 

「はっ」

 

 あれから、這う這うの体でテムオリンとタキオスは神剣宇宙に戻った。

 戻った後、テムオリンは自分達が通ってきた亀裂を無言でなで上げる。すると、亀裂は見る見るうちにふさがって、ただの空間となった。

 

「これであの世界との繋がりは完全に断たれました……もう彼の世界にいく術はありません」

 

 元々、神剣世界とあの世界は本来つながるはずがない世界だ。行き来できたのはダストシュートがあったから。

 それが消えた以上、如何な技術があろうとも、あちらの世界にはどうやってもいけない。もし繋がるとしたら、またあの世界で天変地異が起き、『世界』が不要な魂を放り出すような事があって、それをこちらが偶然に察知した時のみだろう。天文学的確率に天文学的確率を合わせたような偶然が必要となる。

 つまり、もはや霊力世界へ出入りすることはできないという事。

 

「よろしいのですか。剣にも楯にも属さぬ、完全なる異世界の力……非常に惜しいと思いますが」

 

「確かに惜しいですわ。ですがリスクが高すぎると理解できました。力云々ではなく、世界の仕組みが違いますから、正直何が起こるか分からないないのです。あなたも私も彼の世界では力が弱っただけでなく、思考も不可思議だったでしょう? あれが神剣世界全体に満ちれば神剣世界が崩壊……ギャグ化するかもしれませんわ」

 

「あ~死ぬかと思った……が多発するというわけですか」

 

 タキオスはその様子を想像して、思わず体を震わせた。

 世界の法則が違う。情報の在り処が違う。ジャンルが違う。

 完全なる未知がそこにはあった。

 

「特に私達のような世界に適応する事で、世界を存在できるようになる永遠者は、その影響を受けやすいのかもしれません。つまり、先の私の醜態は仕方が無い事だったのです。繰り返しますが先の醜態を忘れなさい。いいですね」

 

「はっ、承知しました」

 

「では、私は少し休みますわ。まだどのような影響が私達に出るか分かりませんから。貴方は引き続き、力の欠片を集め続けなさい……ふぅ、まさかこんな事になるなんて」

 

 テムオリンはそれだけ言うと、ふらふらと力無く飛んでいく。

 それを見てタキオスは思った。

 

 確かにテムオリン様にとって虫如きでミスを犯してしまった事は甚だ不本意だろう。

 ふむ、ならばここは一肌脱ぐとするか。ここに彼の世界から持って来たピンクのエプロンもある。テムオリン様には、最高の虫料理は披露するとするか。

 やはり素材の味を引き出すには塩が一番だ。楽しみにしていてください、テムオリン様。

 

 





 難産でした。別に見なくても問題ない話で、どうしてこんなに苦しむことになったのやら。
 文字通り世界観が違うので、それ相応の書き方をしないといけなくて、短い話なのに右往左往。一人称も久しぶりで大変でした。
 GS美神の漫画本を読んでいるような作風に仕上がったかな?

 もっと面白く書きたかったけど、このままだと数か月以上は投稿できそうになかったので、覚悟を決めて投稿。

 少し注意! ここから永遠神剣世界のネタばれが含まれる後書き。

 クロス作品で改めて言う必要はないと思いますが、念のため。
 永遠者がGS世界で貧弱でギャグキャラになるのは、『永遠の煩悩者』の独自解釈です。
 設定的には『マナの量で強さが制限される』『ありとあらゆる世界に適応して行動できる』『その世界の法則に囚われる』という原作設定があるので、独自設定ではないけれど、この辺は解釈次第で色々どうなるか分からないので独自解釈だと思います。

 ただ、これら設定と矛盾した描写も原作自身にあるのですけれども、あまりその辺りは触れないでくれると嬉しいです。神剣世界はシステマチックとファジーな設定が絡まりあっていて、さらに息の長い作品なので仕方ない部分が……ね?


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第三十話 前編 常在戦場の日々①

 永遠の煩悩者 第三十話 前編

 

 常在戦場の日々

 

 

 横島は一日ぶりの、この世界にとっては一ヶ月ぶりの自室で書類に目を通していた。

 時間の流れが違うというのを理解できても実感は薄かった。それでも、こうして書類に目を通していると本当に一か月経ったのだと認識はできる。

 幾つかの報告を確認した横島は嘆息すると、目の前の義妹を見つめた。

 

「まさか一ヶ月も経ってるなんてな~」

 

「本当に色々と大変だったんだよ! 兄さんが居なくなって、仕事はトンでもないことになるし、もう皆パニックで!! しかも兄さんは何食わぬ顔でただいま~って帰ってきてさ! 友達のレムリアちゃんはレスティーナ様で女王様だよ! もう訳が分からなかったんだから!!」

 

「そう怒るなって。これは不幸な事故だったんだぞ。」

 

 ルルーは様々な怒りを横島にぶつけた。

 天災にあったようなもので横島に非は無いのだが、それでも文句を言いたかったのだろう。

 怒れる妹に横島は苦笑いを浮かべるが、その表情をゆっくりと曇らせる。

 

「おまえ……ちょっと痩せたか? 大変な時にいなくて悪かった」

 

 笑みを消して沈痛に言った。

 大変な時、というのは別に横島がいなくなって寂しいとかではない。

 横島が居ない一ヶ月間の間に、第三詰所は戦闘で死亡者を出したのだ。

 死亡したスピリットは三人。それぞれの名前を確認して、横島は悔しげに下唇を噛んだ。

 

「全員、心が最後まで戻らなかったスピリットだな……くそ」

 

 その三人の顔は覚えていた。第三詰め所のメンバーが少しずつ表情を取り戻していく中で、まったく心の回復しないから印象は深かったのだ。

 しかし声はよく覚えていない。うっすらと平坦な声だ、としか印象が無かった。彼女達が喜怒哀楽を感じたことが無かったからだろう。

 結局、最後の最後まで笑顔一つ作らせて上げられなかった。

 ただ生まれて、心を壊されて、散る。それが彼女達の一生となってしまった。楽しい思い出すら無く、生まれてきて何の意味があったのだろうかと、横島は胸が苦しくなる。

 

「兄さん、お願いだからあの子達の命が無駄だったなんて思わないで」

 

 考えを読み取ったルルーが、真剣な眼差しで言った。

 

「あの子達の生には意味があった。ううん、そうじゃない。意味があったようにしてみせる!

 ボク達は生きぬいて幸せになって、皆にこういうんだ。『ボクが生き残れたのは、勇敢でカッコイイスピリットがいたからだ』ってね!」

 

 ルルーは瞳を燃やしながら強く言い切った。

 だが、その燃えるような瞳の中に自分自身すら焼きかねない悔恨の炎が見え隠れしていて、横島は心配になる。

 

「お前も、あんま自分を責めんな」

 

「……無理だよ。ボクの判断ミスが三人を殺したんだ」

 

「殺したのは敵だろうが」

 

 フォローはするがルルーの表情は晴れない。横島としても、もしルルーと同じ立場だったら自身を責めるだろう。

 もう取り返しがつかない失った命にたいして『ああしていれば、こうしていれば』と考えてしまうのは、今を生きていれば当然のことだ。

 特にそれが隊長ともなれば、苦しみや反省もより大きくなる。

 

「戦いの状況は書面だけじゃ分かりづらいから、詳しく説明するね」

 

 ルルーは沈鬱な表情のまま、仲間を失った状況をゆっくりと話し始めた。

 

 

 その日、第三詰め所の半数はサーギオス国境に近いケムセラウトという都市に配備されていて、ルルーもそこで指揮を取っていた。

 日も傾きかけた頃、見知らぬ神剣反応が町の外に出現する。確認すべく見晴台に上ると、ブルースピリットとレッドスピリットの二人が神剣を手にしながら歩いてくるのが見えた。見晴らしの良い平地だから伏兵もないだろう。

 こちらは三十人。相手はたったの二人。

 

 第三詰め所の言い渡されているのは都市の防衛だけだ。

 都市を囲むように作られたエーテル城砦に、スピリットの力を高める祭壇が設置され、要塞化されている。

 城壁から圧倒的な数のレッドスピリットによる炎の弾幕。そしてブルースピリットのバニッシュ能力を駆使しつつければ、神剣で打ち合わなくとも十分に戦えるだろう。

 悠人、横島が第一、第二詰め所のメンバーを指揮して攻撃しようとしても、簡単には落せないほどの防衛能力はあるのだ。サーギオスが攻撃を仕掛けてきたら、防衛して増援を待つ。防ぎきれない場合は撤退も許可されていた。

 

 命を大事に。それが第三詰め所の方針だ。

 大事にされている。ルルー達もそれは理解していたが、同時に期待されていないのでは、という疑念も生まれていた。

 そこに、これである。

 

 一体、自分達はどれだけ馬鹿にされているのだ!

 

 第三詰め所が精鋭に比べれば劣っているのはルルーも認める。

 しかしだ、相手はスピリット二人だけ。こちらの十分の一以下なのだ。

 いくら相手が強いと分かっていても、この人数差で穴熊を決め込むのは戦士としてのプライドに関わった。いくらなんでも負けるわけが無いという楽観もあった。

 

 第三詰所の皆も気持ちは同じらしく、正面から戦おうと提案もされる。

 防衛のみ、と命令されてはいたが、どうやって防衛するかまでは言われていない。

 勿論、施設の恩恵を受けられる場所で引きこもって魔法を放つのが最善と分かっているが、しかし平野で数で勝るこちらが打って出るのは決して悪手ではないはずだ。

 

 ――――もっと第三詰所を認めさせたい。

 

 そんな想いがルルーの、いや第三詰所全体にあった。

 横島が戻って来た時に胸を張って戦果を報告したかった。

 その想いは以前に第二詰め所が抱いた気持ちと同じである。

 

 まともに戦おうとルルー達は町を出て、敵に迫った。

 敵はあくびをしながら近づいてくる。あげく、ブルースピリットにはパチンとウインクまでされた。

 ルルーが攻撃命令を下すと、まず真っ先に心を完全に失ったスピリットの三人が突撃する。迷いも恐れもないからこそ、その行動は早い。ルルーが制止する間もなく三人はブルースピリットに飛び掛かって、次の瞬間にバラバラになった。

 ブルースピリットが神剣を横薙ぎにするだけで、チーズを割くように神剣が裂かれて、豆腐を砕いたように臓腑が地面に散らばる。生まれた赤色の絨毯は、すぐに金色の霧へと変わっていった。

 死んだ彼女らが弱かったわけではない。むしろ、神剣に心を奪われていたからこそ判断能力は低くても力だけはあった。

 それが、技術と力で打ち砕かれた。ルルーは気づく。

 

 同じスピリットだから意識が薄かったが、この強力な神剣反応は悠人や横島と同格だ。

 彼らと同格の力を持つスピリットが、エトランジェの幼稚な剣術とは比べ物にならないほどの剣技で眼前に立とうとしている。

 

 ――――ボクは何を考えていたんだ!?

 

 夢から覚めたようにルルーは急いで後退の指示を出した。

 他のスピリット達も、先の光景に恐怖を思い出して我先にと駆け出す。

 

 下手をしたら赤の魔法で全滅していた。星か炎の柱でも落ちてきて、一瞬でマナの塵に帰っただろう。

 青の魔法で黒の魔法以外はバニッシュできるのだが、あまりにも実力差がありすぎると失敗する。徹底的に青の魔法が強化される施設を利用して何とか打ち消せる、という所だろう。

 必死に自分たちの力を強化してくれる施設に転がり込む。これで一安心と思ったら周囲が妙に慌しい。一人のスピリットが後方を指差した。

 

「後ろの……エーテルの施設が燃えてる! 神剣反応もあるよ!」

 

 重要施設であるエーテル関連の火災に、ルルーは部隊を分けて急いで現場に向った。

 そこでルルーは敵の意図をようやく知ることになる。

 最高機密であるエーテルジャンプ装置が破壊されて、最重要機密であるブラックボックス部分が抜き取られていた。当然、様々な資料もである。

 ヨーティアがラキオスにもたらした技術的な優位は、これで無くなってしまっただろう。

 

 ルルー達を防衛施設から引きずり出して、その隙に技術を奪う。

 これがサーギオスの目的だったのだ。

 追っ手を出したい所だが、ここで不用意に飛び出せばやられるだけ。

 ルルーは歯を食いしばりながら、ただ仇が離れて行くのを眺めるしかなかった。

 

「これが一連の出来事だよ。ボクのミスで死人が出て、貴重な情報が奪われちゃった……本当にごめんなさい」

 

 責任を感じて落ち込むルルーの姿に横島も心を締め付けられる。

 ルルーを隊長に推薦したのは横島である。この重荷をルルーに負わせたのは横島なのだ。

 特にこの一ヶ月はどれほど重責と重圧があったことだろう。

 スピリット隊は通常のラキオス軍からは完全に独立している。だから指示を出すのはレスティーナ女王しかいない。

 横島と悠人が居なくなった結果、なし崩し的にルルーがトップとしてレスティーナと話し合っていた。

 

 少し前まで捕虜であったルルーなのに、何故か三大強国の隊長として重責を担っていたのだ。これで泣き言や愚痴が出ないほうが可笑しい。

 部下の命を預かる重圧は横島にも良く分かる。

 

「報告も終わったし、ボクはもどるね……後回してでもいいけど、第三詰所にも顔を出して。みんな、本当に心配したんだから」

 

 力の無い足取りでルルーは部屋から出て行こうとする。

 横島は呼び止めると、持ち帰った大きなリュックから色々と取り出して、大きな袋に詰め込んで突き出した。

 

「ハイペリアのお菓子と酒だ。ほんと……よく頑張ってくれた。おつかれさん」

 

「でも、ボクはこんなの貰える様な活躍してないよ」

 

「お前が自分をどう思おうが、俺は良くやっている思うぞ。これからは何かあったらカッコイイ兄貴を頼ればいいさ……ちみっちゃい妹よ」

 

 頑張ったと労われて、ルルーは胸が熱くなるのを感じた。

 努力が認められるのと、こんなにも嬉しいのだと始めて知った。

 だからこそ思う。もっと頑張れたのではないかと。

 

「でも」

 

「どうしても食わんなら、全て皆にやればいいだろ。

 ま、第三詰め所の皆はルルーが食べないなら自分もいらないって言うと思うけどな」

 

 その言葉が止めとなった。

 ルルーは感謝の言葉を述べて、横島から菓子の袋をいくつも貰う。

 

「兄さんってバカだけど優しいよね」

 

「バカは余計じゃい!」

 

「あはは……本当に優しいよ……優しすぎ。無償の愛ってやつ?」

 

「わっはっは、もっと褒めていいぞ!」

 

 横島は得意そうに鼻を高くして笑う。

 相変わらず馬鹿っぽい兄の姿にルルーは笑うが、別に褒めてるわけでは無かった。無償という言葉は酷く残酷だとルルーは実感している。

 

 第三詰め所は兄に与えられすぎている。そして、何にも返していない。

 特に問題なのは、兄は第三詰め所に何も求めていないという部分だ。

 もっと第三詰め所を求めて欲しい。最悪、体でも構わない。

 このままお返しできず与えられ続けたら、第三詰め所はどうなってしまうのだろう。

 ルルーは少し冷めた目で横島を見た。

 

「ねえ、兄さん。怖い話と、ゾッとする話を聞かせてあげるね」

 

「怪談か?」

 

「まあ、そんな感じかな。これは二つとも本当にあった話だよ。まず、怖い話の方から。

 もう二ヶ月前になるかな……マロリガン戦が始まる前にね、物凄く嬉しそうな顔してる第三詰め所のスピリットがいたんだ。

 ボクがどうして嬉しそうなのって聞いたら『今日、ヨコシマ様と遊んだの』って笑ってたんだ」

 

 ルルーは本名は言わなかったが、横島には数人程度の見当はついた。

 第二詰め所ほどではないが、時間を見つけては第三詰め所と交流している。誰もが美人で慕ってくれるから横島としても至福の時間だ。

 だが、それのどこが怖い話なのだろう。まさか『横島とスピリットが仲良くしているなんて怖い!!』等というつもりか。

 

「その話をしてから、二日後。また同じようにニコニコしてたから、その理由を聞いたらさ『二日前にヨコシマ様と遊んだから』って返してきたんだ」

 

 何だか話が怪しくなってきたぞ、と思いながらも、まだ怖くはない。

 

「それから三日後。またニコニコしてたから、理由を聞いたら『五日前にヨコシマ様と遊んだから』って返してきたんだ」

 

 若干、横島の顔が引きつる。

 

「それからそのスピリットはマロリガンとサーギオスの国境沿いに二週間ずつ配置されて、しばらくラキオスから離れていた。

 一ヶ月してラキオスに帰ってきたんだけど、またニコニコしてたから理由を聞いたら……」

 

 ゴクリと、横島はつばを飲み込む。

 

「『一ヶ月と五日前にヨコシマ様と――――」

 

「オチ無しかよ! 怖ええええよ!!」

 

「だから言ったでしょ、怖い話って」

 

 面白くもなさそうにルルーが言った。

 ヤンデレという言葉を横島は思い出したが、それとも違うだろう。そのスピリットは別に病んではいない。愛が重いとか、痛い女とも、似ているがまた少し違う。

 ただ、そう、彼女には何もなかったのだろう。そのスピリットにとって、生まれて得た楽しい思いでは横島と一緒に過ごしたわずかな時間だけしか無かった。それしかないのだから、それを思い出すしかなかった。

 

「もっと別な良い思い出も増やさなきゃな」

 

 横島は真剣な表情で言う。それで解決すると考えた。

 そうじゃないとルルーは思う。効果はあるだろうが根本的な解決にはならない。

 それを分かってもらうために、ルルーはもう一つの話を繰り出すことにする。

 

「次はゾッとする話だね」

 

「もう十分ゾッとしたんだが」

 

「これは兄さんがハイペリアに行ってからの話。

 兄さんが居なくなってね、こういう噂が立ったんだ。兄さんはハイペリアに行ったんじゃないかって」

 

「おお、実際にその通りだったぞ」

 

「ねえ、知らないの? ハイペリアって、天国……死後の世界って意味があるんだよ」

 

「そりゃあ知ってるぞ。それが何か……」

 

 思い立った可能性に横島は声を失った。

 いくら何でもそこまでは考えないはず。そう思うが、しかし。

 

「ヨコシマ様に会いたいな。会えないかな。会うとしたら……どうしたらいいと思う?」

 

 凄まじい悪寒が背中を走って、思わず鳥肌が立ってしまった。

 

「言ったでしょ。ゾッとする話だって。極少数だけど、危ない娘はいたよ」

 

 蒼白の横島を見て、ルルーは吐き捨てるように言った。

 俺は大したことしてないぞ。

 横島はぽつりと口にする。確かに彼女たちの為に環境を整えるなどの骨をおった。会うときはいつも笑顔で、楽しく優しく接してきた。好かれる要素は大いにあるだろう。

 だが、いくら何でもここまでの愛や忠節を貰うほどの事はしてないはずだ。

 

 ルルーは、そんな兄をどこか冷たい表情で見た。

 普通に生きてきた兄には分からないだろう。

 望まれて生まれたわけでもなく、心が邪魔だからと言われ調教され人形にされて、ただ歯車のように同胞と殺しあう毎日。それだけの人生。歴史上どれほどのスピリットが、そうやって生きて、そして死んでいったか。

 絶望という闇の中に居たスピリット達にとって兄は眩し過ぎる。横島忠夫という男しか見えなくなるほどに心の中に居座ってしまう。

 そこまでやっておいて兄は第三詰め所に何の見返りも求めない。無償の愛を注いでくれる。それが妄信と愛情を育ててしまう。

 いつかきっと問題が起こるだろう。ルルーは確信している。

 

「ねえ兄さん、もう少しだけ、第三詰め所を求めてあげて。皆ね、何かお返ししたいんだよ。そうじゃないと、きっと安心できないんだ」

 

「……ああ、分かった」

 

 了承の返事はしたが、いまいち事態を理解しきれなくて、どこか生返事だ。自己評価の低い横島は、自分が好かれていることに違和感を覚えてしまう。

 それに横島にとって第三詰め所は大切だが、第二詰め所とでは優先順位が違う。

 求めているのは、あくまで第二詰め所なのだ。どれだえけルルー達に優しくしても、それは親愛に過ぎない。

 横島は多くの物を手にして掌から零れ落ちるのを恐れている。ゆえに、第三詰め所には澄んだ愛情しか送れない。

 それを察したルルーは、どこか寂しい表情で言った。

 

「あ、それと兄さんって第二詰め所に好きな人がいるんでしょ。だったら、今がチャンスだから」

 

「は?」

 

「一ヶ月は長かった……って事。それじゃね」

 

 言いたい事だけ言って、ルルーはお菓子とお酒を詰め込んだバックを抱えて部屋から出て行った。

 

「お話は終わりましたか~」

 

 同時に、扉が開いてスピリット達が部屋に入ってくる。

 ハリオンにセリアにヒミカだ。

 ヒミカは横島をジト目で見つめる。

 

「まったく、帰ってきて私達(第二詰め所)じゃなくてルルーを優先するなんて」

 

「しょうがないだろ。色々と話さなけりゃいけないことはあるし、なにより一番頑張ってきたのはアイツだぞ」

 

「……まあ、そうですけど。私達だって……急に一ヶ月も居なくなって心配させておいて」

 

 ヒミカは納得しつつも不満そうに唇を尖らせる。

 

「んなこと言われてもなー。やっぱり一ヶ月も経っている実感が無いんだよ。この部屋の様子だってちっとも変わってないし」

 

 横島はそう言って自室を見渡す。

 部屋の様子はちっとも変わっていなかった。

 机には投げ置いてた鉛筆がそのまま転がっていて、書類もそのままだ。埃も積もっていない。

 唯一、時間の経過を示すのは、ゴミ箱に入っている萎びた果実の皮ぐらいなものだ

 

「掃除ぐらいしてくれりゃいいのに」

 

「それぐらい、自分でやったらどうです。普段から整理整頓を心がけないからです」

 

 相も変わらずツンとセリアが言う。

 一ヶ月ぶりにあったはずなのに冷たい対応をされて、横島はしょんぼりだ。

 そんな中、ハリオンだけはいつものようにニコニコと笑う。

 

「実は~少し前にですね~ヨコシマ様の私物を片付けようって城の兵士さん達が来たことがあったんですよ~。その時にセリアさんが――――」

 

「ハリオン! 変な勘ぐりは止めて」

 

 セリアが顔を赤くしてなにやら抗議するが、ハリオンはやはり笑顔を浮かべたままである。

 気にはなった横島だが、ここで下手に突っ込むと冷たい目で睨まれるので危うきには近寄らないようにスルーする。

 

 そこで部屋を眺めていた横島は違和感を覚えた。

 ベッド辺りに良く分からない違和感がある。具体的に何処とはいえないが、何かが変わっているように見えた。

 

「どうしましたか」

 

 セリアが言って、横島は困惑したように首をひねって見せた。

 

「いや、何かベッド辺りに違和感がな……何だか嬉しいような気もするんだけど」

 

「はあ?」

 

 よく分からない違和感を訴える横島に、セリアもベッドに近づいてみる。いくら見ても変化があるようには見えない。だが、鼻をクンと動かして表情が変わった。

 顔色は赤く青く白く、表情は焦り怒り恥辱と。目まぐるしく移り変わる。最後は頭を抱えて締めくくった。

 ただそれは一瞬のことで、横島にはセリアが頭を抱えたことしか分からない。

 少しして顔を上げたセリアは、頬を引きつらせたまま横島に向き直る。

 

「……部屋の掃除はしておきますから、貴方はリビングへ行ってください。子供達が今か今かと待ってますから」

 

「お、おお、そうだな。よし、あいつら用に色々と持っていくか!」

 

 リュックからまたゴソゴソと取り出して、ニヤリと笑う。

 悪戯っぽく目を輝かせながら子供達の待つ広間へ向かった。

 

 横島が部屋から出ていくと、セリアは掃除道具を持ってくると言って部屋から出て行く。

 その際に何かを訴えるかのような目でハリオン達を見て、部屋から出て行った。

 

「一体どうしたのかしら。違和感が何か気づいたみたいだけど」

 

 どこか可笑しいセリアの様子がヒミカも気になったようだ。

 ハリオンも気になったのかベッドまで近づいて、少し眺めた後、胸いっぱいに深呼吸する。そして、合点がいったように手を打った。

 

「ああ~そういうことですか~まったくもう」

 

「え、ハリオンも分かったの?」

 

「はい~ちょっとズルした人がいたみたいです。もぅ~皆さん想像だけでやってるのに毛布を使ってするなんてずるいです~寂しいのは一緒だったのに~」

 

 ぷんぷんと可愛らしく怒るハリオンに、ヒミカはまだ理解が追いつかない。

 横島のベッドにある毛布を見ても、それは全員に支給されている無地の規格品だ。同じものなのに違うとは、一体どういうことだろう。

 『皆』『寂しい』『毛布』『する』

 いくつかのキーワードと、横島と、先のセリアの様子を組み合わせて連想する。

 

「え、ええ!? ちょっとまさか」

 

 行き着いた答えにヒミカは可哀想なぐらい顔を赤くした。

 

「それは寂しくて不安だったから慰める回数が増えるのも仕方ないですけど~一人だけヨコシマ様成分を補給しながらなんてズルイですよ~」

 

「ハリオン! まってまって! ええと、ほら! 寂しくて持ってっただけで、そういう用途に使うとか決まったわけじゃ」

 

「でも~ヨコシマ様が来てから~一ヶ月に一回が隔週に一回になって~仲良くなったら週間で~ヨコシマ様がいないこの一ヶ月なんて数日毎に~」

 

「わーー!! わぁーーーー!!」

 

 暗黙の了解に臆せず突っ込むハリオンに、ヒミカはひたすら声を張り上げて遮る。

 

 妖精と呼ばれるスピリットだって若く健康的な女性だ。当然、色々な欲求がある。

 横島がやってきて、ある欲求は特に膨れ上がった。

 日々の訓練でたくましさを増していく胸板や、朝起こしに行く時に目撃する生理現象など、若く娯楽の少ないスピリットにとってはクルものがあるのだ。特に横島が居なくなったこの一ヶ月は、諸々の不安から眠りづらくなった者も多い。

 不安な夜は、スピリット達に長く秘めやかな夜をもたらしたのである。

 

「でも仕方ないですよ~この一ヶ月は私も怖くてあまり眠れなかったですから~」

 

 のほほんとハリオンは笑うが、ヒミカは真面目な顔で自分達の現状を振り返る。

 もはや横島忠夫という存在は、ここにいて当然の存在となっている。ここでずっと隊長をやってくれるのだと、第二詰め所の面々は心の底から信じていた。

 だが、それは幻想だ。はっきり言って、横島がここに居なければいけない理由は無い。

 以前は王が、横島が逃げたらスピリットを殺す、という訳の分からない命令で横島を縛っていた。そんな命令はレスティーナが女王になってから無効となっている。

 

 横島が第二詰め所で隊長となる理由は無い。

 給金も名誉も殆ど無く、女の子達を殺める立場に居る。

 いつ居なくなっても可笑しくない。

 この恐ろしき事実を、この一ヶ月の間に何度考えたことか。

 

 どうしてこんなブラックな職場にいるのかは、彼自身が日頃から語ってくれている。

 

『第二詰め所のチチシリフトモモは俺のもんだ!!』

 

 愛情や友情は当然あるが、それでもやはり女が欲しいのだろう。

 ならばと、ヒミカは思う。

 

「こんな怖い思いするくらいなら、もういいかな」

 

「何がいいんですか~」

 

「もう彼に……身を任せちゃおうかなってね」

 

 女という理由があれば、何があっても横島はここにいてくれるだろう。

 これだけ国と自分達の為に心身を削って戦ってくれているのだ。それだけの報酬はあってしかるべきだと、ヒミカは考えた。

 

「へえ~やっぱりヒミカもヨコシマ様の事が好きだったんですね~」

 

「好き……とはちょっと違うとは思うけど」

 

 大切な人というのは間違いない。友情も愛情も強く抱いている。

 だが、この感情が果たして恋と呼ばれるものかどうかは、ヒミカ本人にも分からなかった。何といっても、初めて男性と親密に付き合っているのだ。自身の感情を知る術が少ないのだ。

 

 だが、例え恋ではないとしても。

 抱かれても構わないと思うぐらいには愛情があるとヒミカは実感している。

 

 抱かれたとしても、恋人になってほしいとは思ってはいない。

 ただずっと、第二詰所の、私達の隊長でいてほしいのだ

 

「でも~それじゃあきっと抱いてくれませんよ~きっと彼は本当に好きな人じゃないと抱かない人なんですよ~」

 

 ハリオンは口調こそのんびりしていたが、きっぱり言い切った。

 そうであってほしいと、期待が込められているようにもヒミカには感じた。

 

「そうかしら? 確かにヨコシマ様は優しいけど相当な女好きよ。押し倒されたり誘われた時にOKすれば、きっと抱くでしょ。私の時も、セリアやナナルゥも、押し倒された時に拒否したから大丈夫だったんだしね。まあ、ファーレーンはちょっと特殊みたいだけど。ハリオンだって押し倒されたら抵抗してるんでしょ」

 

 それはヒミカからすれば何気ない言葉だった。

 なのにハリオンは真顔となって何度も瞬きする。

 まるで気持ちを落ち着けるように深呼吸した後、いつもの笑顔を浮かべて言った。

 

「それじゃ~毛布の犯人を捜しに行きましょうか。セリアさんとヒミカと私を除いてですから~」

 

 急に話題を打ち切ったハリオンに、ヒミカは首を捻ったが、恥ずかしさもあり続けたい話題でもなかったので話題の転換に乗る。

 

「あの二人のどちらかって事ね。まあ十中八九、彼女でしょうけど」

 

 暗黙の了解があるとはいえ、一つ屋根の下だ。

 どれだけ隠そうとしても音や振動等で、どうしても分かってしまうことはある。特に男性である横島の目がなくなったこの一ヶ月。『誰かさん』は色々と緩んでしまっていた。

 

「子供達って可能性もありますよ~目覚めてきて~どう処理したらいいのか分からないのかもしれませんし~」

 

「戦争が無ければ情操教育が始まっている頃だしね。ヨコシマ様もいるし、真面目に教えたほうが良さそうね……こういうの苦手なんだけど」

 

 会話を続けながら、二人は犯人を見つけに歩いていった。

 

 

 ネリー達子供組の前に、彩り豊かな駄菓子が並べられていた。

 この世界の菓子ではありえない青色や紫色の、憧れの異世界であるお菓子。

 結果は、言うまでもない。

 

「ネリーはこれ食べる!!」

「シアーはこれにする~」

「私はこれを……って、辛い辛い辛いー!!」

「お、流石はヘリオンだ。見事に外れを引いたな」

「どうしてお菓子に外れが入ってるんですか~~!!」

「これで安心して食べれる」

「う~ニムばっかりずるいー!」

 

 大騒ぎだった。

 余りの声量に第二詰所が揺れる。

 テンションの高さは横島も驚くほどだ。

 

「わー伸びる伸びる~~!」

「へっへー! 女王様とお呼びーー!」

「今度こそ当たりを……ずっぱいですーー!!」

 

 ネリーとシアーはグミの鞭で叩き合い、ヘリオンは見事に三分の一の確率で引く外れお菓子を食べまくる。

 

「……ぉぉ……わぁ……」

 

 ニムントールは一人で小さな歓声をあげながら、小さいプラスチック容器に入ったゼリーのようなものをコネコネしていた。ゼリーは混ぜれば混ぜるほど色が変わっていく。

 見た目鮮やかな青から毒々しい紫色など、想像を超えるお菓子にニムの目が爛々と輝く。

 

 さらに横島が持ち込んだのは、お菓子だけではなかった。

 シアーはビーズにテグスを通していた。年少の女の子なら誰もが好きなアクセサリー作り。

 プラスチックと宝石の違いなど、子供達には分かるはずもない。

 鮮やかなアクセサリーを身に纏ったシアーが、横島にポーズを決める。

 

「ヨコシマ様~似合うかな~?」

 

「おお、可愛いぞ」

 

「えへへ~」

 

 自分で作ったキラキラのネックレスやティアラを褒められて、シアーは幸せそうに笑う。

 

「ヨコシマ様! ネリーもやるよ!!」

「私だって負けません」

 

 お菓子や玩具を放り出して二人もアクセサリー作りに取り掛かる。

 

 とにかく楽しそうな子供達の様子に横島も満足げに頷く。

 これで色々と考えて選んだので、喜んでもらえるのは嬉しかった。

 無論、子供達がここまで喜んでいるのは、お菓子や玩具の影響だけでないのは言うまでも無い。

 

 ネリーやシアーはいつもよりも激しく横島に抱きつく。ヘリオンやニムントールは恥ずかしがりながらも、理由をつけては手を握ってきた。

 

 子供って体温高いよなあ。

 引っ付かれて思う事は、その程度だが。

 しばらく遊んでいると、子供達四人は顔を見合わせて頷きあった。

 

「へへー! ヨコシマ様に渡すものがあるんだ!!」

 

「おっ、エロ本か」

 

「そんなわけないでしょ! ちょっと待っててね、今もって来るから!!」

 

 元気よく二階に登っていくネリー達。

 だがどうしたことかニムが戻ってきた。そうして鋭い目つきで横島をにらみ付ける。

 

「ん、どうした」

 

「ちゃんとここで待ってて」

 

「へ?」

 

「また勝手にいなくなったら、絶対許さないから」

 

 ニムはコロコロのほっぺたを赤く染めてポツリと呟くと、また二階に向って走っていった。

 思いがけないニムの情の深さに思わず顔がほころぶ。帰ってきて良かった、と心の底から思っていた。

 

「久しぶりに、にぎやかです」

 

 落ち着いた声が響く。

 声のした方を見ると、ナナルゥが無表情で突っ立っていた。

 表情は相変わらずだが、いつもよりも唇の色がはっきりしている。

 なんと化粧をしているようだ。

 

「一ヶ月ぶり……何だよな」

 

「はい、一ヶ月ぶりです」

 

 淡々と返してきて、それで言葉が切れる。

 

 沈黙が満ちた。ナナルゥとの会話は弾むことが少ないが、不思議と沈黙が気にならない。それは、ナナルゥが沈黙を自然として、喋りたくなったら喋るタイプだからだろう。

 だが、今の沈黙はどうも具合が悪かった。ナナルゥの視線が不自然に泳いでいるからだ。

 

「その……私は無罪のようです」

 

「へっ?」

 

「はい。つい先ほど私が部屋で身だしなみを整えていると、ハリオンとヒミカが部屋に来て毛布に鼻をこすり付けた後、無罪との判定を受けました」

 

「何だそりゃ」

 

「さあ」

 

 意味の分からない行為に頭を捻る二人。 

 そして、また沈黙が降りる。横島としては自分が色々と話題を振れば良いと思うのだが、どうにもナナルゥが何かを喋りたそうな雰囲気がある為に、なかなか動くことが出来ない。

 

「……ニムントールとの会話は聞こえましたが、ヨコシマ様は随分と嬉しそうですね」

 

「そりゃまあ、ガキ相手でも好かれりゃ嬉しいだろ。それに、あのニムだぞ」

 

 素直な子供達の中で、ニムは小生意気な部類に入るだろう。

 だからこそ、ふとした時に素直になるのは破壊力が高い。ツンデレの基本である。

 普段見せない姿を見せてくれるのは嬉しいものだ。

 

 そんな横島の言葉に、ナナルゥは「なるほど」と呟くと、

 

「ヨコシマ様がいなくなって、子供達は変わりました。

 ニムは少し勤勉になりました。

 シアーは嫌いな野菜を食べるようになりました。

 ヘリオンは少し落ち着きました。

 ネリーは少し悪戯をしなくなりました」

 

 横島が居なくなった一ヶ月の状態を、一気にまくし立てた。

 まさか、俺が居たせいで悪い子になっていたのか。

 そんな事を考えたが、それは続く言葉が否定してくれた。

 

「神様、もっといい子になるから、どうかヨコシマ様を返して下さい……子供達はそう誓ってヨコシマ様を求めました」

 

 胸が詰まるというのはこの事か。

 正直、言葉がない。嬉しいというよりも感動のほうが先にたつ。子供達は可愛く健気だった。

 横島は感動で頬を上気させる。だが、ナナルゥはさらに言葉を続ける。

 

「セリアは、国がヨコシマ様の部屋を一時的に片付けようとした時に抵抗しました。

 ヨコシマ様の痕跡が、詰め所から少しでも無くなるのが嫌だったからと推測します。

 ヒミカとファーレーンは前にもまして訓練に打ち込むようになりました。

 ヨコシマ様が居ないうち戦争を終わらせて、平和になったら戻ってくれると考えたようです。

 ハリオンは毎日お菓子を余分に作っていました。

 いつ帰ってきても、美味しいお菓子を食べさせたかったからです」

 

 感激というしかない。

 嬉しさに滂沱の涙を流す横島だが、ナナルゥは辛そうに顔を伏せた。

 

「私は何をしたらいいのか分かりませんでした。

 もし、私が何もしなかったら戻ってこないかと考えて……でも何をしたらいいのか分からなくて……申し訳ありません」

 

 横島はナナルゥのいじらしさに身もだえた。

 もう誰も彼も可愛すぎて、どうにかなってしまいそうだ。

 

「ヨコシマ様、バーンライト戦が終わってからの約束は、まだ有効でしょうか?」

 

 約束というのは、スピリットのお願いを何でも一つ叶えるというやつだ。

 

「おお、やれることなら何でもやるぞ!」

 

「ならば……どうか、ずっと私達の隊長でいてください。どうか、私達のお傍にいてください。お願いします」

 

 それはいつもの淡々とした声色ではなかった。

 袖を掴んで、言葉を震わせた、精一杯の感情をこめた懇願、哀願だ。

 

 男として求められているかは、実は微妙だと横島は思っていた。

 これだけ綺麗で純粋な女性に手を出していいのかという想いはある。

 

 だが、ここまで来るともうそんなの関係ない。

 変化に乏しいナナルゥの表情が切なげに揺れている。

 僅かに上気し淡い桃色になった頬も、堪らない色気をかもし出していた。

 

(もうマジで限界だぞ! これ抱きしめていいよな! つーか最後までやっていいよな!!)

 

(ええ、やっちゃいなさいヨコシマ! ナナルゥがお母さんならきっと私もバインバインよ!)

 

(ルシオラよ、お前はそれでいいのか?)

 

(やれるときにやんなきゃだめよ! 私もさっさと抱かれてればと後悔したんだから。雰囲気なんてやってれば付いてくるわよ!!)

 

 横島は知る由も無いが、魂の恋人からも了承が出される。

 

(息子! 『天秤』! ルシオラ! 行くぞ!)

 

『おおー!』

『私としてはもっと幼い娘のほうが……いや、何でもないぞ』

『のりこめー!』

 

 横島の手がナナルゥの肢体に伸びる――――――

 

「おい横島、邪魔するぞ」

 

 何の前触れも無く、険しい表情の悠人がノックも無しに部屋に入ってきた。

 

 こいつ殺してやろうか。

 

 良い所を邪魔された横島は半ば本気で思ったが、悠人の表情を見て殺意は四散する。

 

「文珠はあるよな。たのむ、俺と一緒にアセリアの所まで来てくれ」

 

 少ない言葉で、ただそれだけを伝えてきた。その表情と声には一切の余裕が無い。

 一体何故、とは言わない。今の悠人が何を考えているのか手に取るように解る。藁にもすがるような気持ちで居るのだろう。

 無駄だ。

 答えは知っていたが、ただ言葉だけで説明しても、この隠れ熱血漢が納得するはずもない。

 

「分かった。少し待ってろ」

 

 普段の横島なら仕事でもないのに悠人に呼ばれて行動するなんてありえない。

 だが、今回は仕方が無かった。

 悠人の気持ちが十分すぎるほど理解できるからだ。

 

「すまん、ナナルゥ! この続きは後で頼むな」

 

「私よりもユート様が良いのですね。理解しました」

 

「ちゃ、ちゃうぞ! ただこればっかりちょいと事情が!?」

 

「冗談です……面白かったですか?」

 

 どこか意地悪っぽく言って、蠱惑的な流し目を横島に向けた。

 ドンドン魅力的になっていく第二詰め所の面々に、何としてでも落としてみせると横島は改めて決意を新たにする。

 そのまま子供達の事をうっかり忘れて、アセリアが居るヨーティアの研究室に向う。

 

「アセリアちゃんの所にいくまで、これでも見てろ」

 

 その道中で、横島はわら半紙の束を悠人に渡した。

 

「なんだこれ」

 

「スピリットと神剣の関係についてまとめたものだ。俺の仕事のひとつだな。これで部外秘資料だからすぐに返せよ」

 

 元は横島が第三詰所のスピリットに対して様々な行動を起こして、それによってスピリットの精神がどう回復に向かったかのかをまとめた物だった。内容的には難しいものではない。言い方は悪いが、赤ちゃんや動物の成長過程をレポートした程度のものだった。

 それにヨーティアが興味を示して、横島と協力して神剣とのシンクロ率やら肉体の反射スピードやらを事細かく記載したのだ。

 悠人が少し目を通すだけでも、心を取り戻すことによって神剣の装飾に変化が起こっている等の記述があって驚く。神剣とスピリットの心は密接に結びついているのだ。

 

 これから先、この資料はスピリットの精神回復に大いに役立つ事が期待されていた。

 

「お前はこんな事もやってんだな」

 

 悠人は感心こそしたが、驚きは無かった。相変わらずスピリットに関しては真面目だと思うだけ。

 これだからこそ、悠人は安心してスピリットを横島に任せられているのだ。

 そうして、城にあるヨーティアの研究室にまでやってきた。

 中にはヨーティアとイオに、さらにレスティーナまで居る。

 

 挨拶もそこそこに、『心』の文珠をアセリアの押し当てる。

 やはり奇跡は起こらず文珠は発動しなかった。ただ空しく光り続けるだけだ。

 

「やっぱ無理か」

 

「くそ! どうして文珠が効かないのか分からないのか!?」

 

「いや、文珠が効いてないんじゃなくて、これはそもそも発動してないんだよ。ほれ、文字が浮かんだままで消えてないだろ。理由は分からんけど、スピリットの心を戻そうとした時だけ発動しないんだ」

 

 発動さえすればスピリットは心を取り戻すだろう。それは知っている。

 以前にエニに対して一度だけ効果を発動した時があったからだ。一時的ではあるが、エニは確かに心を取り戻していた。またすぐに神剣に心を奪われたものの、もしその瞬間に神剣を奪い取れていれば、きっと回復しただろう。

 なぜあの時だけ発動したのだろうか。本来なら効果の是非は問わず発動するのが正しいはずだ。発動しない今が異常なのだ。

 発動しない理由についてヨーティアが言うには、神剣そのものが文珠に危機を感じ何らかの妨害手段をとっているのではないか、というものだ。

 これには横島は納得しなかった。というのも、神剣使い達は霊力を探知できないのだ。障壁で防御や抵抗は出来るが、それは霊力を感じ取るのではなく、見て防御するケースが殆どだ。

 

 何故、スピリットの心を取り戻そうとした時だけ文珠が発動しないのか。

 何故、エニの時だけ文珠が発動したのか。

 その理由は、獅子身中の虫ならぬ、変態身中の神剣の所業だ。

 

(エニの時は私の霊波ジャミングの周波を掻い潜るために、無意識的に霊質を変えて文珠を生成したのだろうな)

 

 ――――貴方がジャミングをやめれば済む話じゃない。

 

(黙れルシオラ。ここでジャミングを止めれば、横島はスピリットに文珠を無駄打ちするだろう。また、神剣そのものを軽んずる危険がある。私は横島を秩序の高みに導く使命があるのだ。なによりエニの死を無駄してたまるものか!!)

 

 惚れた女の死を無駄にしないため。

 ルシオラは溜息をつくしかない。幼女の笑い声が聞こえてきそうだ。

 ただこれだけのために、エニは生まれ、そして死んだのだ。

 

「なんだそれ! どうしてこんなに俺たちに都合が悪い!?」

 

「本当にな。一体誰とっては都合がいいのやら」

 

 悠人の憤りの声に、横島はやれやれと肩をすくめながら同意する。

 飄々とした態度が悠人の癇に障った。

 

「何でそんなに落ち着いていられるんだよ!!」

 

「結果は分かってたからな。なんつーか……っち! 言いたくないけど、慣れってやつだ」

 

 憮然とした顔で横島が言う。

 慣れと言う言葉に、悠人は胸糞が悪くなりつつも同意できてしまって苦い表情となった。

 悠人が初めてスピリットを殺したときは頭痛と眩暈に吐いた。その後は思い切り泣いた。今はもう吐くことも泣くこともない。

 

 辛くないわけじゃない。辛くなくなった時は、人として何かを失ったときだろう。

 ただ、辛さに慣れて我慢できるようになったのだ。

 

 今回、悠人は始めて心を完全に失ったスピリットに心を砕いた。

 今までも気にしたことはあったのだが、自分の事と仲間で手が一杯であったし、なにより横島がいたから基本的に放置していた。

 それに対して横島はスピリット達の無表情に幾度も立ち向かい、勝利と敗北を繰り返してきた。慣れているのだ。だからアセリアが心を飲まれていても冷静でいられる。もっとも、これが第二詰め所のスピリットだったら、こうも冷静ではいられないだろうが。

 

 悠人は苛立ったように足を踏み鳴らしたが、深呼吸して強く前を向いた。

 理不尽に晒されて生きてきた男達だ。絶望に苛まれて足を止める時間は極僅かだ。

 

「駄目なのは分かった。それで横島、今のアセリアの状態について説明してくれ。何も分かってない、という事はないんだろ?」

 

「当たり前だっつーの。簡単に説明するとだなアセリアちゃんは心が完全に飲まれちゃって、取っ掛かりが無いんだよ」

 

「取っ掛かりが無い?」

 

「ああ。ヨーティア様……じゃなくてヨーティアさんが言うには、ゼロに何を掛けてもゼロって話らしい」

 

 少しでも心が残っていて話が出来るのなら、神剣を無理に使わず、楽しい日常生活を送れれば感情は少しずつでも回復する。

 会話が成立しなくても、食事で美味を感じたり、音楽に聞き入ったり、動物と触れ合っていれば回復するスピリットも多く居る。

 僅かでもよいから神剣に取り込まれなかった心があれば、それを取っ掛かりに感情は回復させられるのだ。だが、全ての心が神剣に取り込まれるとそうもいかなくなる。

 

「ゼロって言っても勘違いすんなよ。アセリアちゃんの心は消え去ったわけじゃないんだ。心の全てが神剣の奥深くまで飲み込まれて、こっちから何を刺激してもそれが届かないだけ。つまり届きさえすれば治せるんだ」

 

 心は消えていない。その言葉だけで悠人は救われるようだった。

 しかし、現状は絶望的というしかない。鍵のかかった箱の中に鍵あるようなものだ。どれだけ感動できる食事を作ろうと、愛の歌を送ろうとしても、愛そのものが心に届かない。文珠で不可能では、他の何が有効なのか。

 

「俺もヨーティアさんも、やり方そのものを変えなくちゃいけないと思ってる。スピリットじゃなくて、永遠神剣そのものにアプローチする方法が必要なんだ」

 

「……俺に出来ることは」

 

「やりたいようやればいい。それぐらい自分で考えろよ」

 

 横島は突き放すように言った。だが、それは悠人のために言った事だ。

 正直に言えば、悠人がアセリアに出来ることは一つもない。だが、それを言えば悠人はより苦しむだろう。

 だから好きにやらせることにしたのだ。それに、奇跡が起こる可能性もある。

 

「さて、そろそろ良いでしょうか」

 

 ここでようやくレスティーナが声を掛けた。

 あっ、と悠人はばつの悪そうな顔をする。レスティーナの存在を今の今まで認識してなかったらしい。レスティーナは少し拗ねている様に見えた。

 

「これからについて語り合おうと思ってたのですが……ユート、貴方は下がりなさい」

 

「え、なんで」

 

「今の貴方は集中を欠いています。はっきり言って、機密を伝えるには信用が置けません」

 

 レスティーナの容赦無い言葉に悠人は言葉を詰まらせた。

 何とか反論を試みようとしたが、さっきまで存在すら気づいていなかったという事実が、反論の材料を作らせてくれない。

 

「話は後日、ヨコシマから聞きなさい……いいですね」

 

 悠人は項垂れるように頷いて、アセリアを連れて部屋から出て行く。そんな悠人の様子を、ニヤニヤと横島は眺めた。

 

「ふっ! レスティーナ様。やはり頼りになるのは、この俺というわけっすね!」

 

「その通りです。期待してますよ、エトランジェ・ヨコシマ」

 

「わはははは! 悠人の奴とは違うのだよ悠人の奴とは!」

 

 豚もおだてりゃ木も登る。

 まして横島なら、比喩抜きで宇宙にまで達するかもしれない。

 今は元気な横島を酷使して、その間に悠人を休息させようとレスティーナは考えた。

 

「さて、それじゃあ聞かせてもらおうかね。この一ヶ月……あんたらにとって一日の間に、何があったのか」

 

 横島はタキオス、時深、異世界で自分達を送り迎えした謎の一団について語る。

 その圧倒的過ぎる力。自分達の事を非常に良く知っている事。

 ヨーティアは話を聞きながら何度も頷いて、自身の推論が正しいと確信する。

 

 何故、スピリットは生まれるのか。

 何故、スピリットは人に逆らえないのか。

 何故、人格や社会的に優れた人間が特にスピリットを嫌う事が多いのか。

 

 これらに関して、ヨーティアは一つの仮説を出していたが、今回の件でついに結論が出た。

 

「やっぱり間違いない見たいっす」

 

「そうかい。まあ、予想通りか。この天才の目に狂いは無くて当然だね。人間の思考を、スピリットの特性を、遥か昔から操り続けてきた超越者……この大陸を牛耳る黒幕」

 

「ええ、私達が打倒すべき真の敵です!」

 

 とうとう、全ての黒幕の尻尾をラキオスは捉えた。

 黒幕を打倒し、そしてシロ達を救出すべく、横島達は議論を重ねていく。

 

 

 一方その頃、悠人はアセリアを部屋のベッドに腰かけさせて、何度となく語りかけていた。

 

「なあ、アセリア。今日のご飯はなんだろうな」

 

 アセリアは何も答えない。虚無の瞳を壁に向けるのみだ。

 横島の言うことが本当だとすれば、何を言っても聞こえていないことになる。

 何の意味もないのかもしれない。それでも、何か起きるかもしれないと言う奇跡を信じるしか道は無い。

 

 そんな悠人の献身を、陰から見つめる瞳があった。

 エスペリアとウルカだ。二人は愁いを込めた目で悠人達を見つめる。

 懸命にアセリアに語りかける姿がいじましく、とてもその間に入っていける雰囲気ではなかった。

 二人は小さく溜息を吐く。

 そんな二人の後方からダダダと大きな足音と共に何かが飛び掛ってきた。

 

「おるふぁきっく~!!」

 

 オルファのとび蹴りを背中に喰らって、二人は部屋に飛び込んでしまう。

 

「もう、いきなり何をするの、オルファ!」

 

「そんな端っこでパパを見ててもつまんないよ!」

 

 怒ったエスペリアに、オルファは逆に怒鳴り返した。

 そして、目を白黒させている悠人に向ってこぼれる様な笑顔を向ける。

 

「パパ! お帰りなさい!!」

 

 童女のあどけなさと、母のような包容力を併せ持ったオルファの笑みに、悠人はただ見ほれた。

 こんな小さな女の子に目を奪われたという事実に、悠人は恥ずかしさに頬を赤くして、ようやく自分が何を言わなくてはいけないか気づく。

 

「あ、ああ。ただいま……オルファ」

 

「えへへ! ほら、エスペリアお姉ちゃんも、ウルカお姉ちゃんも!」

 

「あ……お帰りなさいユート様」

 

「お、おかえりなさいませ」

 

「ただいま、二人とも」

 

 声を掛け合い、相手の目を見る。

 

 大切な人が帰ってきてくれた。

 そんな実感をようやくエスペリア達は得ることが出来た。

 オルファは満足そうにうんうんと頷くが、次に悠人に向き直る。

 

「ねえパパ。アセリアお姉ちゃんを笑わせたかったら、パパが笑ってないとだめだよ! それに、一人より皆で声掛けたほうがアセリアお姉ちゃんも喜ぶよ!!」

 

 オルファが軽く怒るように言って、悠人ははっとした。

 まったくもってその通りだ。

 自分一人で出来ることなど、たかが知れている。

 辛い時こそ、皆で協力しなければならない。

 

「皆……分かっていると思うけど、アセリアは神剣に心を奪われちまった。現状、治る見込みはないらしい。でも、俺は諦めない! 絶対にアセリアの心は取り戻してみせる……その為にも、皆の力を貸してくれ!!」

 

「はい、勿論です」

 

「手前も微力なれど死力を尽くします」

 

 悠人からの真っ直ぐな言葉に、二人は誇りに満ちた表情で返事をする。

 もっと私達を頼ってください。

 そんな心の声が聞こえてきそうで、悠人は独りよがりの愚かしさを噛み締めた。

 見つめあう三人の姿に、オルファは優しく微笑む。

 

「うんうん、良かった良かった。それじゃあ、今日はパパとアセリアお姉ちゃんが帰ってきたお祝いだね。オルファは準備のお使いに行って来るから!」

 

 買い物袋を持って駆け出すオルファ。

 周りを考えて気遣いと準備が出来るオルファに、悠人とウルカは感心したようだったが、エスペリアはオルファの企みを見抜いていた。

 

「お肉とお菓子ばかりじゃなくて、ちゃんと野菜も買ってくるんですよ!」

 

「ぶー!」

 

 ちゃっかり自分の好きなものを買い込む予定だったらしく、オルファは唸り声を上げて走っていった。

 油断も隙もないオルファに、悠人もウルカもエスペリアも、声を出して笑いあう。

 第一詰め所で笑い声が響くのは久しぶりだった。

 

「オルファは凄いな」

 

「はい。時々、私よりも大人みたく見える時もあるくらいです」

 

「手前も、あの笑顔には救われます」

 

 エスペリアとウルカは眩しそうに小走りで町に向うオルファを眺めた。

 悠人とアセリア、そして横島がいなくなって、意気消沈している皆を元気付けているのはオルファだった。

 三人が居なくなった影響は大きく、殆どのスピリットが塞ぎ込みがちになってしまった。

 そんな中で、オルファは元気に過ごしで、皆に声を掛け続けていた。

 

 勿論、オルファは悠人達がいなくなって寂しくなかったわけではない。最年少で、悠人を特に慕っていたオルファの悲しさはスピリットの中でも大きいほうだったろう。

 それでも、寂しさを我慢して皆を元気づけようと頑張ってきた。

 天真爛漫で幼いオルファだが、その心根はまるで母のような慈愛に満ちている。

 

 エスペリアが身を預けたくなる大樹ならば、オルファは全てを明るく照らす太陽なのだと、悠人は感じた。

 

「なあ、エスペリア。お茶を淹れてくれないか」

 

「あ……はい!」

 

「ウルカ。お茶が終わったら、剣の訓練を頼む」

 

「はっ、承知しました」

 

 皆で出来ることをやろう。

 そうすれば、きっと何とかなる。

 

 悠人は前向きに、希望を信じた。

 だからこそ、悠人は考えもしなかった。

 まさか数時間もしないうちに、オルファが泣きながら血を流して帰ってくるなどと。

 

 

 



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第三十話 後編 常在戦場の日々②

「横島は、横島はどこだ!」

 

 悠人は『求め』を握って、必死に横島の神剣反応を探してた。

 事は一刻を争う。そう長く命は保っていられないはずだ。

 

 横島の神剣反応を察知して第三詰め所の屋敷に行くと、横島はスピリットに埋もれていた。

 美女にもみくちゃにされるという男の夢を叶えた横島だが、その表情は喜びが五割、困惑が三割、恍惚が二割と言ったところだ。

 悠人の登場に苦笑いをしていたルルーは血相を変えた。

 

「もうお姉ちゃん達! 恥ずかしいでしょ、いい加減離れて離れて。ユート様が来てるよ!」

 

 不満そうな表情で横島から離れていくスピリット達。

 

「…………あと五分」

 

 それでも横島から離れようとしないルー・ブラックスピリットは、まるでコアラの赤ちゃんのように横島にぺったりとくっ付いていた。

 それを見た他のスピリットは自分も自分も、とまたもや横島に張り付こうとして、ルルーが無理やり剥がしていく。

 

「うう~」

 

 唸り声を上げながらも、ルーはルルーに引っ張られて横島から離された。

 引き離されたルーは元凶となった悠人をキッと睨みつける。

 

「一体、何なんですか! 今忙しいのですが!!」

 

「お姉ちゃん! いい加減にして!!」

 

 ラキオスの総隊長ともいえる悠人に対して、あまりにも礼を逸した隊員達にルルーは本気で怒る。ようやく辺りは静まった。

 

「なんというか……凄いな」

 

 悠人の感嘆に、横島は困ったように頬をかく。

 

「ほんとに子供だろ? まあ、しょうがないんだけど」

 

 子供の間に心を凍結させられたから、こうなるのは仕方が無い。彼女達は肉体は大人でも、心は子供なのだ。

 横島はそう納得する。あくまでも幼稚園児に好かれているにすぎないと。

 確かにそれは間違いないのだが、真実は微妙に違っていた。

 

「兄さんが居ない時は、もっと大人っぽいんだけどね」

 

 ルルーは複雑な表情を浮かべながら、横島に聞こえない程度の声でポツリと言った。

 確かに心が戻り始めた時は幼子同然に過ぎなかったが、今は少なくとも小中学生程度には情緒は発達しているのだ。

 横島が居ない時は、それなりに大人をやっている。

 現在、甘えんぼになっているのは、所謂、子供帰りを起こしているのだ。それだけ横島に甘えて構ってほしいのだろう。

 

「それで悠人。今度は一体何のようだよ」

 

「すまん、ちょっと来てくれないか」

 

「またかよ。スピリットに関わる事だろうな」

 

「それは……ああ、関わる事だ」

 

 少し言いづらそうに悠人は答えた。

 

 さて、どうしたものかと横島は考える。

 悠人の用件は分からないが、なにやら随分と真剣だ。面倒事が発生したのは明らか。隊長としては悠人に付き合うのが正しいだろう。

 しかし、第二詰め所と違って、第三詰め所はコミュニケーションの機会が限られる。あまり我慢はさせたくない。

 体は二つあれば良いのだが。

 そんな事を考えて、ふと思い出す。

 

 ――――お前はまずありとあらゆることが出来るようになれ。

 

 少し前に筋肉超人に言われた言葉が蘇る。

 滅茶苦茶としか言いようの無い言葉だが。しかし神剣は滅茶苦茶な力を持っている。

 それに、分裂というのは既に体験済みだった。元の世界において、月でベルゼブルと退治した時に何十人にも分裂したことがあるのだ。

 あれは竜具をつけていたからこそ出来たことだが、しかし今は神剣がある。

 やってやれない事は無い。そんな実感が確かにあった。

 

 意識を集中する。自分自身の内側に潜り込み、魂を感じる。

 人間であった時とは違い、今や魂が身体そのものを作り出しているようなもの。

 元の世界でルシオラが『神魔とは魂が皮をかぶったようなもの』と言っていたが、肉を失いマナで構成された今の横島は極めてその状態に近い。

 

 元の世界では幽体離脱だってしたことがあるのだ。

 魂を意識するというのは難しいことではなかった。

 自身の魂を意識すると、魂に混じる『彼女』を感じた。

 

 色で例えれば、闇夜を仄かに灯す光。

 味で表現すれば、甘く苦い、青春の味。

 胸で言えば、貧乳。

 

 ――――こいつは俺のだ。

 

 『彼女』を自身の魂で抱きしめて、それ以外の自分の魂を分離して、目の前に置く。

 それはミルクの混ざったコーヒーを、ミルクとコーヒーに分離しなおして、さらにコーヒーを二つに分けて一方にだけミルクを入れたような作業だ。

 後は分離した魂は勝手に周囲のマナを吸収して、マナで身体を作り上げる。

 

 悠人達の目の前に、もう一人の横島が出現した。

 顔も体もそっくりそのままで、服も『天秤』すらも同じ。

 違いがあるとしたら、分裂した横島はバンダナを身に付けていないぐらいか。

 皆が声を失う中、ルルーだけは不思議と驚かず、ただ嫌そうな顔をした。

 

「兄さんが二人も……うぇー」

 

「何がうぇーだ、まったく。それと本物! 俺が第三詰め所を相手するから、お前は悠人の用件に付き合えよ」

 

「はあ!? 偽者の分際で何言ってんだ」

 

「ふざけんな本物! 俺の女を取ったんだ。これぐらい良い目は見させろっーの」

 

 二人の横島はにらみ合うが、結局は本物が折れた。

 本物も魔法で作られた分身も思考や能力は完全に同一だ。『天秤』すらも分裂している。

 はっきり言えば、記憶も魂が同一である以上、偽者も本物も無いのだ。

 唯一違うのはルシオラの魂だけ。その有無だけが、横島本人達に本物と偽者とを分類させている。『ルシオラの魂が無い横島は横島では無い』と彼本人が認めていた。

 それだけ横島にとってルシオラという存在は重要なものなのだ。

 

「ちっ! おい悠人、俺はどこに行けばいいんだ」

 

「あ、ああ。第一詰め所まで頼む」

 

 偽者を残して、二人は第一詰め所へ向う。

 

「え、ええと……ヨコシマ様?」

 

 何が何だか分からないのは第三詰所のスピリット達だ。彼女らは残ってくれた横島の名を不安そう呼んだ。

 横島はにやりと笑って、わき腹を擽ってやる。黄色い悲鳴が響いて、そして楽しげな笑い声に変わっていった。

 ルシオラを取られた分、良い目に合わなければやってられない。

 爽やかにイチャラブしてやろう。

 

「よし、皆。何でも言ってくれ! 沢山イチャイチャするぞ!」

 

「何でもいいの? だったら私達の隊長に……じゃなくて!」

 

 途中で困った顔になった横島に、スピリットは慌てて訂正する。

 

「だったらヨコシマ様のこと、お父さんって呼んでいいですか? 肩叩きやお手伝いもちゃんとするから」

 

 期待と恐怖を足した幼子の瞳で、長身のスピリットは横島を僅かに見下ろしながら言う。

 第三詰め所が横島忠夫に何を求めているのか。これだけで分かるというものだ。

 いじましさを感じた横島は精一杯の笑顔を作ってみせる。

 

「……アア、イイゾー……イチャイチャってよりも家族サービスだなこりゃ」

 

『良いではないか。これがハーレムという奴だろう』

 

「ハーレムっつーのは、ちちしりふとももを触れてこそハーレムなんだよ! こんな無垢おっぱいを触れるか! 恥じらいおっぱいこそ至高だ」

 

『そうか? 個人的には、おっぱいを触ってキョトンとする小さい子が……いいような』

 

「おまえ……ガチで壊した方がいい神剣かもな」

 

 そんな事を話していると、いきなり乱暴に扉が開いた。

 そこには、ネリー、シアー、ヘリオン、ニムントールの四人が目と顔を真っ赤にして、息を荒げている。

 やっちまった、と横島は内心で叫ぶ。

 

「第二詰め所に居てって言ったでしょーー!! 馬鹿馬鹿馬鹿ーーーー!!」

 

「す、すまん。ついうっかり」

 

「つい!? うっかり!?」

 

 鬼の形相のネリーに、横島もたじたじだ。

 シアーとヘリオンは怒りながら半分泣いていて、ニムは神剣に手をかけている。

 ルーはニヤリとネリー達に笑いかける。

 

「……第二詰所よりも、第三詰所の方がいいんだよねーお父様」

 

「がるるるるる!!」

 

 それは大好きな家族を巡る子供の戦いだ。

 どちらの味方もできない横島はどうしたものかと困っていると、

 

「ヨコシマ様! はいこれ!!」

 

 ネリー達は怒りの余り顔を真っ赤にしながらも、何かを差し出す。

 それはバンダナだった。ネリーとシアーは青。ヘリオンは黒。ニムントールは緑。

 それぞれの色に対応したバンダナだ。一つ一つ、微妙に形が違う。

 

「これ……ひょっとしてお前らが作ったのか!?」

 

「えっへん! そうなんですよ、布地を頂いて、セリアさんに教えてもらったんです」

 

「やるもんだなー! どうだ、似合うか」

 

「うん、とっても似合うよ!」

 

 どうよ!

 

 横島に褒められた子供達は見事なドヤ顔を披露する。

 ドヤ対象は無論、第三詰め所だ。ぐぎぎと歯軋りする第三詰め所のメンバー達。

 そこで、また玄関が開く。そこには一人の優男が立っていた。

 

「ヨコシマさん、皆が会いたがっているので『病院』まで来てほしいのですが……ひぇ」

 

 ネリー達とルー達が現れた男を睨みつけて怯えさせる。

 場は、横島争奪戦の様相を呈していた。

 

『愛されてるな』

(愛されてるわね)

 

 『天秤』とルシオラは呆れたようにモテモテぶりを眺める。

 横島の芸人気質と、笑いと救いを求めたスピリット達の相性は決まりすぎていた。

 美女美少女―――子供と幼児と病人の集団に求められた横島は、

 

「チチーシリーフトモモーチチーシリーフトモモー」

 

 虚ろな表情で鳴き声を上げていた。

 これだけ女の子に慕われているのにエッチが出来ないのだ。健全な男なら発狂もやむなしか。

 この時、ヒミカ達に一心不乱のセクハラを仕掛けようと、彼は決心を固めていたりする。

 まあ、一ヶ月も留守にした反動というものだろう。しばらくはモテモテの禁欲ライフを体験することになる横島だった。

 

 

 

 偽横島が重苦しい愛情に押しつぶされている頃、真横島は悠人と並んで走っていた。

 

「よく体が二つあればって発想が出来て、しかもあっさり実現できるよな。おまえは忍者か孫悟空かよ」

 

 賛美とも畏怖とも違う声色で、悠人が言う。

 

「神剣持ってりゃ不可能って気はしないだろ。元の世界で分裂した経験はあったしな。それと、猿……孫悟空は俺の師匠みたいなもんだ」

 

 軽く答える横島に悠人はむっつりと押し黙り「急ぐぞ」とだけ言って走り出す。

 悠人との会話がなくなると、今度は『天秤』が喋りかけてきた。

 

『横島、分かっているとは思うが情報の……魂の分裂は危険すぎる。よほどのことが無ければ使うなよ』

 

「そうなのか?」

 

『気づいてなかったのか!? どちらかが死んだら、その情報は分かれた側にもいってダメージを受けるのだぞ! やるとしたら繋がりを完全に絶つことだが、それでは同化できなくなって完全に独立されかねん。今の横島には早すぎる技だ』

 

 戦闘能力は半分以下にまで落ちて、どちらかが死んだら無事なほうも死ぬ。

 これは戦闘に使える技能では無い。無理にでも使うとしたら、よほど弱い分身を作って本体を安全な場所に置いておく必要がある。それに、分身のほうにも意識がしっかりあるのも問題だ。下手すると女をめぐって造反される恐れもあった。

 現状、この『分裂』は使いどころが極めて難しいと言わざるを得ない。

 『分裂』について認識を深めていく、その最中だった。

 

「あ、向こうの俺がまた分裂したみたいだぞ。今度は三人に分かれたみたいだな」

 

『おいいぃぃ!!』

 

 『天秤』の絶叫を聞きながら、ようやく目的地に着いた。

 第一詰め所の庭。そこに、赤毛の小さなスピリットが何かを持って立ち尽くしていた。

 

「オルファちゃん?」

 

 呼びかけると、オルファはゆっくりと横島へ向き直る。

 彼女は白と赤のまだら模様の毛むくじゃらを抱えていた。

 ハクゥテだ。白い毛は赤く染まって、体には穴が開いている。息はしているが、虫の息だ。

 

「ハクゥテは狩りの対象になったんだ」

 

 悠人の言葉に、そういう事もあるかと思ったが、

 

「オルファがね、やっちゃったの」

 

 続く言葉に耳を疑った。

 オルファは魂が抜けたような声で、ゆっくりと言葉を紡いでいく。

 

「友達の男の子達から、オルファは狩りに誘われたの。そこにハクゥテがやってきたの」

 

 男の子達は獲物が来たとはしゃいで、勇んで弓を放った。

 そして親切にも、オルファにも弓を渡したのだ。

 

「オルファも弓を借りて撃ったんだ。だって遊びだから。遊べば皆が笑顔でいてくれるから」

 

 最初、横島にはオルファの言っている意味が分からなかった。

 どうして大切なペットを狩りの獲物にしたのかと。

 そして思い出す。オルファの倫理観が他とはかけ離れた異常なものであったと。

 

「ハクゥテと遊ぶのはとても楽しかったよ。目を撃つと良い声で鳴いて、足を撃つと変な風に歩き始めて。でも、おかしいんだ。こういう時はね、ハクゥテは逃げなきゃいけないんだよ。なのにオルファに向かってくるの。足を引きずって、目が潰れてるのに!!」

 

 ハクゥテは射られながら、何を考えていたのか。

 大好きな飼い主が、笑いながら酷いことをしてくる、

 この絶望的な事実を前にして、その小さな脳みそで何を考えていたのかは分からない。

 一つ確かなのは、ハクゥテはこれほど酷い目に合いながらもオルファを信じて、彼女の元へ歩いたのだ。

 

「オルファ! もういい、もういいから!」

 

 悠人はオルファを後ろから強く抱きしめた。

 嗚咽で、もはや声にならないオルファに変わり、悠人が言葉を紡ぐ。

 

「最後に、オルファはハクゥテを庇って撃たれたんだ。傷は俺が癒しておいた……くそ! どうしてオルファが!!」

 

 やりきれない怒りと悲しみに、悠人は吠えた。

 オルファの歪な死生観が、彼女の大切な家族に牙を向いたのだ。

 

 俺の責任だと、力不足だったと、悠人は嘆く。

 

 元々、オルファの倫理観が異常な教育を受けて捻じ曲がっていたのは知っていた。だが、戦争という非常時があって、オルファの倫理観を矯正するのも躊躇われた。

 オルファは戦士の心得を学ぶこともなく、ただひたすら優しさと歪みを植え付けられている。

 この状況で正しい倫理観など身に着けたら、戦いに迷いが生まれて命が危ない。

 

 このような理由はあった。

 しかし、どのような理由があろうとも問題を先延ばしていたに過ぎない。

 最悪な事件が起きるのは必然と言えた。

 

「横島……文珠が切り札で、簡単に使えるものじゃないのは分かってる。けど、今はこれしかないんだ……頼む! ハクゥテを治してやってくれ!!」

 

 普通なら死ぬしかない。獣医がいても、内臓が損傷してればどうしようもない。

 だが、文珠なら希望はあった。

 

 獣一匹に貴重な文珠を使って良いのか。

 そんな思いも無いわけではない横島だったが、基本的に彼は馬鹿なので、目先の可愛い女の子が泣いてるのなら躊躇はしなかった。

 ハクゥテに『治』の文珠を使おうとして、

 

『本当に癒すつもりか』

 

 『天秤』が怪訝に聞いてくる。

 文珠を使うのが惜しいとでも言うつもりか。

 確かに文珠は貴重だが、それでもここで惜しむつもりは無かった。

 

『ふん、文珠が惜しいのも理由の一つだがな、それだけではない。

 もしここでこの獣を助けると、この……スピリットは命を理解するチャンスを失うぞ』

 

 意外にもオルファの事を考えていた『天秤』に横島は驚いて、そして言っていることの正しさに顔を顰める。

 子供が生き死にを学ぶのに役立つのは、ペットの死であると横島は聞いたことがあった。

 ハクゥテが死ねば、オルファは間違いなく命の尊さを学べる。

 だが、それはオルファの心に消えない傷を刻み込むと同時にだ。

 しかしここでハクゥテをあっさり助けてしまったら、彼女は狂気を抱えたままになってしまうかもしれない。

 

 どの選択が、これからのオルファにとって正しいのだろうか。

 

『選択肢が多いというのも考え物だな』

 

 選択肢が多いということは、それだけ多くの取り捨て選択を強いられる。

 助けられる者が多いということは、助けられるのに助けないという見捨てる覚悟もしなければならなくなるのだ。

 もっとも、力が無いものは取り捨ての選択肢すら与えられないのだが。

 

 面倒な事件を持ち込みやがって。

 悠人を睨みつけるが、何の意味もない。

 考えに考えて、横島は決断した。

 

『治』

 

 文珠の光がハクゥテを癒していく。

 光が収まると、そこには傷一つないハクゥテがオルファの胸の中で眠っていた。

 オルファは表情を明るくして、横島に礼を言おうと顔を上げる。

 

「ぐあ~~!! じ~びょうの~じゃぐが~!!」

 

 横島は全身を痙攣させて絶叫する。

 さらに鼻からは血を噴き出して地面を転げ回った。

 

「おい! どうした!?」

 

「大丈夫! ヨコシマ様!!」

 

 いきなり苦しみ始めた横島に、悠人とオルファは慌てて駆け寄る。

 すると、横島はオルファから見えないようにそっと悠人に耳打ちした。

 悠人は怪訝な顔をしたが、すぐに表情を戻すと

 

「すまん、横島。俺達の所為でこんなことに!!」

 

「そ、それってオルファがヨコシマ様にハクゥテを治してもらったから?」

 

「そうだ!」

 

 険しい表情を崩さず、怒鳴るように悠人が言うとオルファは泣きそうになった。

 

「ご、ごめんなさいヨコシマ様。でも……でもオルファは……」

 

「言い訳はいい! 俺は横島を医者の所まで連れて行くから、オルファはここで待っていてくれ」

 

「一緒に行く!」

 

「駄目だ! オルファは部屋で待ってろ!!」

 

 有無を言わさぬ剣幕で悠人が言って、横島を肩に担いでその場を離れる。

 後ろからは、オルファの「ごめんなさいごめんなさい!」と謝罪の言葉が聞こえてきた。

 オルファから見えない所まできて横島を下ろす。横島は何事もなかったかのように立ち上がった。

 言うまでも無く、横島の苦しみは演技だったのだ。

 

「それで、どういう事か答えてもらうぞ」

 

「簡単に命が助かるのを見たら、また命を軽視するかもしれないだろ。だから俺が苦しんで、冷や水を浴びせたんだ。まあ、オルファちゃんは頭が良いから念のためだけどな」

 

 ここで横島が苦しめば、何のリスクも無しで助かるという勘違いはなくなるはずだ。

 後は上手く事後対処すれば、ハクゥテが助かった上で命の大切さを学べるだろう。

 悠人は感心したように頷いて、少し顔を悔しそうに歪ませた。

 

「お前……スピリットに関しては本当に色々考えてるよな……サンキューな」

 

「男に褒められても嬉しくないっーの。それと俺がやるのはここまでだぞ。後は」

 

「お前に任せることじゃないさ。オルファの事は俺に任せろ」

 

「流石はパパだな!」

 

「ああ」

 

 横島の皮肉にもまったく動じず、力強く頷く悠人。

 熱血モードだ。これに関わると面倒くさくなりそうなので、横島はあとの全ては悠人に任せることに決めた。

 

 悠人はオルファと話そうと詰所に戻る。

 オルファは自室で、ベッドに眠るハクゥテを愛おしそうに撫でている。

 悠人に気づくと、慌てたように駆けてきた。

 

「パパ! ヨコシマ様は大丈夫だった!?」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 良かったとオルファは胸を撫で下ろす。

 すると彼女はある柱の前に立った。柱についている幾本もの線を指でなぞる。

 悠人が前に見たときは二本だったが、今は四本に増えていた。

 それは戦士の勲章の数であり、同時に人としての業を背負った数でもあった。

 

「パパ、このお姉ちゃんは胸が大きくて力が強かったんだ。この子はオルファと同じぐらいの小さい子だよ」

 

 溝を一本一本なぞりながら、今までの相手を言っていく。

 

「全員……覚えてるのか」

 

「うん、大切な遊び相手だもん。友達だから」

 

 大切な遊び相手。友達。

 残虐に殺し尽くした相手を、そう呼ぶオルファ。

 殺戮が遊びで、良い事で、しばらくしたら遊んだ相手が戻ってくる。

 倫理観が、そして知識そのものが、歪められてしまったのがオルファだった。

 その歪んだ知識も、とうとう終わりを迎える時が来た。

 

「パパ……教えて。今までオルファが遊んだスピリットさん達は、いつ帰ってくるの? 本当に帰ってくるの? ううん……それよりもオルファは、遊んでたの? 遊ぶのは……良い事なの?」

 

 オルファはズバリと確信を突いてきた。

 幼くて感情の抑制が苦手でも、頭は良くて機転が利く少女だ。一度、疑念が出てくれば答えにたどり着くのは容易だったのだろう。

 

 もう嘘などつきたくない。

 

 悠人は真実を言う覚悟を決めた。

 きっとオルファの心には消えない傷が残る。だけどここでうやむやにしたら、オルファの小さい体にますますカルマが溜まっていく。

 

「オルファ」

 

 名を呼びながら彼女の肩に手を置いて、目線を合わせるために膝をついた。

 オルファは何かを覚悟するように強く唇をかみ締めた。彼女も答えはうすうすは分かっているのだ。

 

「死んだ人は戻ってこないんだ。オルファも、俺も、皆も、遊んでるんじゃない。とっても酷いことをしてるんだ」

 

 スピリットは死ねば再生の剣に帰ると言われている。

 だが、再生の剣とやらを確認したもの誰もいない。横島の世界では輪廻転生が存在するらしいが、この世界はどうか分からない。

 

 死は絶対だった。

 

 真実を知らされたオルファは、記憶を過去へと飛ばしていた、

 物心がついた時、思い出されるのは血と悲鳴。鮮血とマナ。

 赤色と金色の海の中で、優しく頭を撫でてくれる手。

 

 悲鳴と笑みはセットだった。

 よくやったね、上手だね。

 遊べば遊ぶほど、皆が喜んでくれた。それが、周りにいる人間が喜ぶ唯一の方法だった。

 笑顔が好きだから、喉を切り裂いた。誰かが喜んでくれたから、臓物を引きずり出した。

 

 ――――みんなの笑顔の為に、苦しんで死んでね。

 

 それが、オルファの戦う理由。

 そのすべてが偽りとなって、絶望的な過去がオルファを覆った。

 

「どうしよ。謝らないと……でも、死んじゃったから、オルファが殺しちゃったから謝れないよ! うああ!!」

 

 知らなかったでは済まないと、オルファは知った。

 泣きすがるオルファを悠人は強く抱きしめる。

 胸の中で「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝るオルファを見つめて、悠人はある決意をしていた。

 

 次の日、悠人はレスティーナに謁見を申し込んだ。横島も色々と心配だったらしく悠人に付き添う。そして悠人は、オルファを戦闘に参加させないよう具申した。

 周りに居る重臣達は怪訝な顔で悠人を見る。

 この反応は悠人も想定済みだ。だが、スピリットに優しいレスティーナなら、きっと分かってくれるはず。

 悠人は期待を込めてレスティーナを見つめたが。

 

「アセリアの時と同じです。戦闘が可能ならば、使わぬ理由にはなりません」

 

 冷然とレスティーナは言い放った。

 まるで物を扱うような言葉に、悠人の怒りが一気に膨れ上る。

 

「ふざけるな! 誰のせいでオルファが苦しんでいると思っているんだ!! あんなに優しい子に殺しを楽しい事だと教えて、殺してもいつか帰ってくるなんて目茶苦茶を教えて! もう取り返しがつかないって、オルファがどれだけ泣いているか知っているのか!!」

 

 決して消えない十字架を、オルファは無理やり背負わされた。

 

 ラキオスのスピリット隊で手を血に染めていない人物はいない。

 だけど、自分や彼女らは、どのような理由があろうとも業を背負うことを自分の意思で決めることが出来た。

 だが、オルファは善悪の区別すらつかず、生死観すらも狂わされて罪を背負わされた。

 誰かを責めることもできないオルファだ。ただ懺悔することしか出来ない。

 そのオルファに戦いを強要することは出来ない。そもそも、戦いに出せる精神状況ではないのだ。

 

「その点については私も思うことがあります。

 しかし、今は戦時です。戦時には戦時の計があるのです。もう一度言います、戦闘が可能なら使います」

 

 レスティーナは同じ答えを繰り返す。

 

 ――――この分からず屋が!!

 

 拳を強く握りしめ、悠人は立ち上がってレスティーナに歩を進めようとして、コテンと倒れた。

 膝カックンで悠人を転ばした横島は、その隙に動き出す。

 

「レスティーナ様、俺からもいいでしょうか」

 

「発言を許します」

 

「俺が見た所、オルファリルは現状、まともに神剣の力を引き出すことが出来ていません」

 

「ではオルファリル・レッドスピリットは戦闘が困難な状態であり、足手まといになる、と」

 

「はい。弾避けにも使えません。居ても連携を乱すだけでしょう」

 

「使えぬスピリットに録を与える必要は無いのですが」

 

「今回の不調は精神的なショックが大きいのが原因で、いくらかの休養を与えれば戦線復帰は可能です」

 

「分かりました。では、オルファリル・レッドスピリットの運用については貴方達に任せます。もう下がりなさい」

 

「はっ!」

 

 横島はきびきびした動きで片膝をついて頭を垂れる。

 返答も、まるで準備していたかのように流暢だ。

 そして何が何だか判らず目を白黒させている悠人の服を掴んで、そのまま引きずる形で謁見の間から出る。

 玉座の間から出ると、未だ事態を飲み込めていない悠人に横島は鼻を鳴らした。

 

「お前はアホか! どうしてレスティーナ様が『戦闘できるなら』って散々強調したと思ってるんだ!?」

 

「えっ?」

 

「あの場で、女王様が「私たちが悪かったから戦わせません」なんて言えるわけ無いだろうが。そんな事をしたら、スピリット一人の為に大事を見誤る、なんて陰口を叩かれるに決まってるだろ。オルファちゃん自身にも悪意がいく可能性もあるしな。

 だからレスティーナ様は、オルファちゃんを戦わせないために『戦闘できるなら』って何度も言ったんだよ。勿論、オルファちゃんの状態を把握して言ったんだろうな。お前はただ戦闘で使えないって言えばそれで済む話だったんだよ」

 

 ようやく事の理解に及んで、悠人は自分を恥じた。

 レスティーナの真意を読めず、いや読もうともしていなかった。ただ自分の感情を爆発させてしまった。

 

 ――――俺が、俺だけがオルファを守らなければいけないんだ!

 

 まるでオルファを守れるのは自分だけのような錯覚に陥ってしまった。

 あれだけ可愛くて良い子のオルファなのだから、味方が沢山居て当然だ。

 レスティーナは厳格な指導者だが、非常に優しい人間でもある。彼女もオルファを助けようとしていた。

 ただ、皆それぞれ立場がある。堅苦しい社会があって、大義名分を必要とする。だからどうしても言葉や行動に違いは出てしまうが、目指すものは同じだった。

 

 悠人を貶す事が出来て横島は満足した笑みを浮かべている。

 横島は不思議なほどに悠人を意識していて、優位に立てるように立ち回っているらしい。

 悔しい思いをしながらも悠人は横島に礼を言った。

 

「でも、お前だって、もしネリーやニムが同じような目に合ったらそんなに冷静でいられるかよ」

 

「ふっ、俺はお前と違って冷静だからな」

 

 余裕綽々と言った様子で横島はそう答えた。その口調は『天秤』を彷彿させるような自信と嫌味に満ちている。

 後でそれがまったく見当違いだったことが分かるのだが、それはまた別な話だった。

 

 ともかく、オルファの一件はひとまず終わったようにみえた。

 ようやく訓練漬けの日常が戻ってくる。

 その合間合間に第二詰め所とイチャイチャするのが、横島の望みというものだった。

 

「これがカメラというものなんですか?」

 

「そうっす!」

 

 横島が持ってきた道具の一つ。インスタントカメラだ。

 現代人でカメラを利用したことが無いというものはいないだろう。

 カメラに皆は興味津々といった様子で、すぐさま第二詰め所全員で撮ることに決定する。

 

「それじゃ、ヨコシマ様が真ん中だね」

 

 カメラを置いてタイマーをセットする。

 横島を中心として各人それぞれのポーズを決める。

 そこで横島は気づいた。ファーレーンは顔を赤くして、随分と離れている。

 

「何でそんなに離れてるんですか! それじゃあ体半分しか写らないっすよ」

 

「だ、だって……恥ずかしくて」

 

 見えなくても顔を真っ赤にしていると分かる声で、蚊の鳴くような声のファーレーン。

 非常に可愛い。純真可憐な乙女っぷりに横島は鼻息を荒くする。それにムッとするヒミカ。

 

 純情と褒め称えられて、ファーレーンは恥ずかしがりながらも横島に近づく。

 そんなファーレーンにヒミカがこっそり近づいて耳打ちした。

 

「も・う・ふ。も・う・ふ」

 

「うあーーん!!」

 

 ファーレーンは泣きながらポカポカとヒミカを叩く。

 ヒミカは「染み付き染み付き」と言いながら邪悪に笑う。

 横島には何がなんやら分からなかったが、ファーレーンは近くまで来てくれないらしい。

 ならばと、横島は当たりを見回して、獲物を見つけて邪笑した。

 

「よし、ヘリオン。俺の隣に来い」

 

「え、えええ! 何でですか!?」

 

「いいからいいから」

 

「はわわわわ!」

 

 くっ付くように腕を組む。

 ヘリオンは慌てながらも『ついに人気投票第一位の私の時代が来たか!』と内心でガッツポーズだ。

 

「なあ、ヘリオン。実はな……」

 

「は、はいいぃ。私もヨコシマ様の事が……」

 

「カメラって真ん中の人物の魂を吸い取っちまうんだ」

 

「ふぇ?」

 

 パシャっとカメラが音が鳴って、写真が出てくる。

 写真の中央には、大口を開けてマヌケ顔になったヘリオンが堂々と写っていた。

 

「うわああぁ~ん! ヨコシマ様ーー!!」

 

「冗談だ、冗談!」

 

 ヘリオンは泣きながらポカポカと横島を叩く。

 それから横島はラジコンやら白のスクール水着やらを取り出して、イチャイチャとセクハラに全力に取り組み始めた。

 お陰で第二詰め所からは数十秒と声が途絶えることは無い。

 笑い声と怒鳴り声が響きあう。

 

「まったく、せっかく最近は静かだったのに」

 

 文句を言うセリアだが、彼女も頬は緩んでいる。

 

「幸せですね~」

 

 ハリオンは本当に幸せそうに言った。

 

 

 第二詰め所で賑やかな騒動が巻き起こっている頃、悠人はヨーティアに呼ばれて研究室に居た。

 研究室は相も変わらず足の踏み場を見つけることすら困難な有様だ。

 

「それで、何のようなんだ。俺だって急がしい――――」

 

「オルファの事でちょいとね」

 

「分かった。聞かせてくれ」

 

 すぐに態度を変えた悠人にヨーティアは苦笑いを浮かべる。

 

「オルファの心を癒せるいい方法を思いついたのか!」

 

 聞かせてくれと言ったくせに、質問を浴びせてくる悠人。

 その暑苦しさに、ヨーティアは室温の上昇を実感していた。

 

「いや、そういうことじゃない。確かに私は自他共に認めれる大天才だが、誰かの精神衛生を整えるなんてのは畑違いだからね。今回、分かった事はオルファリル・レッドスピリットの特異性についてだ。一体これが何を意味しているのか……この天才にも分かっていない。でも、とりあえずはユートには言っておこうと思ってね」

 

「特異性?」

 

「ああ、結論から言う。オルファリル・レッドスピリットは、全てのスピリットの雛型だ……たった一人を除いてね」

 

「……雛型?」

 

「そう。全てのスピリットはオルファの因子を劣性として持っている……簡単に言えば、オルファは全てのスピリットの母親さ。さらに言うなら、オルファの年齢は百年や千年どころか、最低でも万年単位。場合によっては億や兆でも足りない可能すらある」

 

「…………はあ?」

 

「さらにさらに言うのなら、オルファの神剣が過去に保有していたマナ量は、この世界の全てのマナを集めても足りやしない。過去にオルファが持っていた力は、この大陸全ての命を生み出しても指一本分程度だろう」

 

「………………」

 

 悠人は言葉を失っていた。

 言っている意味が分からないのではなく、いきなりそんな事を言われても困る。

 正直よく分からなかったが、とにかくそういうものなのか、と無理やり納得した。

 今はただ知識を詰め込むだけだ。そこにオルファを癒す鍵があるのかもしれないのだから。

 

「それで、たった一人の例外ってのは?」

 

「ウルカだ。ウルカ・ブラックスピリット。彼女だけはオルファの因子を持っていない。スピリット全てがオルファから生まれているとすれば、ウルカは厳密にいえばスピリットではないね。

 ただ、それでいながらウルカとオルファは妙に神剣の波長が合う。まるでそう作られたように相性が良すぎる」

 

 そういえば、オルファは不思議とウルカを慕っている。ウルカも、オルファを気にかけている姿は見かけられた。

 仲が良いとは思っていたが、二人の間には何らかの縁があるのかもしれない。

 ウルカはウルカで神剣が『拘束』から『冥加』に変化するという特異性もあったのだ。

 

 二人はスピリットでは無いのかもしれない。何か特別な存在である可能性が高い。

 そんな情報を得た悠人は、ただ落胆した。それが何だというのか。役に立つ情報ではない。

 期待ハズレに悠人はため息を一つ吐いて、ヨーティアに視線を送る。

 

「何であろうとオルファはオルファ。ウルカはウルカだ。それで、俺は二人の隊長で仲間だ」

 

 静かに、しかし辺りに重く響く声で言った。

 ヨーティアは眼を細めて微笑する。そう言うだろうと分かっていたようだ。

 

「ま、そうだね。ボンクラな答えだが、ボンクラなりの正答だ」

 

「いちいち人をボンクラ呼ばわりしないと気がすまないのかよ」

 

「ボンクラにボンクラと言って何が悪い。

 あれだけの天才が傍にいて、自分のボンクラを理解できていないわけじゃないだろう」

 

 言われて悠人は表情をしかめた。

 ヨーティアが言う天才とは彼女自身のことではない。

 同い年で、同じ境遇にいる。しかし凄まじい才能を持つエトランジェ。

 

「俺が天才じゃない……ボンクラだってのは分かってるさ」

 

 横島との差は戦闘訓練のたびに思い知ってきた。

 何度も何度も素振りしてミリ単位でフォームを矯正したり、必死に走りこんで体力作りをして、魔法も繰り返し練習して精度を高めている。

 この世界に来た当時とは比べ物にならないほど強くなった実感はある。

 だが、横島はそんな自分の努力をあざ笑うかのように、苦も無く先に進んでいるようにしか見えなかった。

 必死に階段を一段ずつ登っている最中に、三段飛ばしで駆け上がっていくのを見る気分だ。

 目を見張るような技を開発していく横島を前にすると、地味で目立たない努力を続けている自分が酷く滑稽に思えてしまう。

 

 それは戦闘だけではなく、仕事や日常生活においてもそうだ。

 

 周りを陰から陽に変えていく性格。

 豊かな発想と凄まじい行動力。

 何でも器用にこなす才能。

 

 地味で真面目で不器用な性分の自分では真似しようが無かった。

 ラキオスの総隊長という立場は横島に譲ったほうが良いのではと考える事もある。

 

「悩んでるねえ。ま、この天才には分からない悩みだけど」

 

 いつものように上から目線でヨーティアが言う。

 はいはい天才天才、と悠人は鬱陶しそうに相槌を打った。

 そこで少し驚く。ヨーティアは真剣な表情で此方を見つめていた。

 

「私は以前、帝国の大学で研究者をやっていた」

 

 唐突に過去を語られ、悠人は何を言えるわけもなくただ聞き入る。

 

「始めはチームで動いていたけど、他の奴等はボンクラ揃いで、すぐに独りになった」

 

 ヨーティアはただ一人で他のチームよりも結果を出し続けた。

 憧れや嫉妬など、色々な理由で接触はあったが、結局は一人に戻った。

 

 誰もヨーティアに付いてこれなかったのだ。

 殆どの者がヨーティアと向き合い話をすると、話についてこれず劣等感に苛まれて自爆していくのである。

 そんな折、ヨーティアの前に一人の男が現れた。

 

 ――――君の実験結果と違う反応が出たぞ。天才も大したことがないのだな。

 

「その男は研究者としては並みのボンクラだった。特徴なんて、ガタイが良くて頑丈だったぐらいさ。そんな凡才が、私が数回で切り上げたマナ実験を数百回とこなして、私の知らない反応が出たことで論争を吹っかけてきやがった」

 

 取っ組み合いの論争の末、最終的にはヨーティアが勝利した。

 ヨーティアは男を散々なじったが、研究論文にはヨーティアと男の名が刻まれていた。

 それからだ。

 男は検証に検証を重ねて、ヨーティアの論文にある小さな穴を見つけては論争を仕掛けた。

 どれほど才能の差に打ち倒されようと、根性と体力と、何より不屈の精神で凡人は天才に挑み続けた。

 

「気が付いたら、私とあいつと……は、チームを組んでいた。

 その時に私達が仕上げた論文が、帝国のエーテル技術を支えていると言って良い」

 

 ヨーティアの言葉に悠人は耳を奪われていた。

 自他ともに天才と認めていて、周囲を凡人と見下す天才が、凡人を愛おしく語る。

 天才科学者が、何を見て、何を経験してきたのか。その一端に触れていると理解する。

 

「ヨコシマの力を引き出せるのは女性体であるスピリットだろうさ。でも、アイツの隣で剣を振るって対抗心を引き出せるのは、やる気のある凡人じゃないかね。それに……天才って言うのは、稀に凡人が考えもしないミスをするもんだ。誰かは、付いていってやらないとダメなのさ」

 

 そこまで言われて、悠人はようやく自分が慰められているのだと気づいた。

 いや、慰められているというよりは、年長者からのアドバイスと言った方が適切か。

 

「あ、ありが――」

 

「さあ、天才は色々と忙しいんだ。出てった出てった」

 

 礼など言わせず、蹴飛ばすように研究室から追い出す。

 悠人を追い出した後、ヨーティアは途端に表情を厳しくして溜息を吐いた。

 

 敵は、余りに強大すぎる。

 

 横島と話をして、そしてオルファリルの特殊性を見て、ヨーティアは黒幕との間に絶望的な戦力差がある事を理解していた。

 これはただの力の差だけではない。

 敵は記憶を、歴史すらも操ってくる。反則としか言いようがなかった。

 

 突破口があるとすれば、それは横島以外に無い。

 だが、それは敵も理解しているのだろう。『天秤』という枷を嵌めているのも納得だ。

 それに横島の心には特大の闇があるとヨーティアは睨んでいた。いつか致命傷になりかねないほどの、特大の地雷が横島にはある。

 その闇を癒せるのは女だ。しかし、闇を暴きだせるのは悠人しかいない。

 横島が妙に悠人を意識していることからも、それは明らかだ。

 

「私らみたいな結末にはなってくれるなよ」

 

 天才と凡人の行く末を思い、天才科学者は強く酒をあおった。

 

 

 

 その頃、黒幕の頭領である幼女はとある映像を見て頭を抱えていた。

 遺跡の広間に浮かぶ映像には、赤毛の少女が写りこんでいる。

 幼女の目には旧知を見るような、懐かしさと忌々しさが同居していた。

 

「まさか覚醒寸前とは。この大事な時にまた面倒な」

 

 幼女は本当に面倒そうに言った。

 そこに焦りはないが、しかしいつもの余裕も感じられない。

 どうもここしばらく予定外の事態が重なってきているから、何事も無く予定を消化させたい、というのが幼女の本音であった。

 

 幼女の周りには、優男と黒の布で目を覆った女がいる。

 二人は幼女の困りようを楽しそうに眺めていた。

 

「万が一も『再生』が目覚める事はない、って言ってたような気がするんだけどねぇ」

 

「億に一つはありうるという事でしょう」

 

 二人は軽口を叩き合う。

 ギロリと幼女に睨まれて、女は肩をすくめた。

 

「問題はそれだけじゃないですよ。想定より遥かに『再生』にマナが循環していない。大地にマナの満ちてない。いくら最後にジェノサイドって言っても、これじゃ時間が掛かり過ぎちまう」

 

 言いながら鞭の持ったSM女が遠くを見やった。

 そこには何十メートルもありそうな巨大な神剣が輝く大地に突き刺さっている。

 

「死者が、嘆きが、余りにも少なすぎますねえ」

 

 二振りの剣を腰に差した優男がつまらなそうに言う。

 すると、幼女はにんまりと笑った。

 想像以上に横島が頑張った結果だった。まさか、これほどスピリットが死なないとは思いもしなかった。バーンライト、ダーツィ、マロリガン、そして人間に秘密裏に飼われていたスピリット。

 いずれもが殆どがマナの霧となって、一定の割合で『再生』に流れ込むはずだった。

 だが、予定の八割以上が生き残るというトンでもない結果が生まれてしまった。

 

 彼の周りでは、希望と笑いが生まれる。

 だからこそ、最後が地獄となるのだ。

 横島の笑顔と苦悶を想い、幼女は悦に浸る。

 

 楽しげな幼女の笑みに、女はうんざりした。

 

「最後のお楽しみに取っておくのも限度があるよ。想定より手間取れば、カオスの連中がテコ入れしてくるかもしれないんだからねえ」

 

 女は警告のように言った。

 幼女はどうしたものかと考えて、ポンと手を叩く。

 

「来なさい」

 

 その一言だけで、ローブに身を包んだ巨体の隠者が出現した。

 どうにかしなさい。

 幼女は現状を説明して、ただそれだけを命じる。

 隠者は軽く頷いて、そして掻き消える。

 

「うふふ、本当に霊力というものは便利ですわ」

 

 幼女は機嫌良さそうに笑う。

 空気の緩み具合がSM女には気になった。

 

「アイツが何者かは知らないけど、ちょっと権限を与えすぎじゃないかねえ」

 

「使えるものに裁量を与えるのは当然ですわ」

 

 部下の抗議にあっさりと答える。

 それで話し合いは終わった。

 幼女は日課の『横島・ザ、ベスト集』の作成の為に部屋へ戻る。

 

「どうにも嫌な予感がするねえ」

「同感です」

 

 色ボケ上司に、正体不明の力を持つ隠者。

 長く生きてきた二人には、綻びの予兆が見えていた。

 

「ま、楽しいならそれでいいさ」

「同感です」

 

 諌める家臣がいないというのが、一番の問題かもしれない。

 不穏の兆候は、黒幕達にすら覆いかぶさろうとしていた。

 

 

 それから数日後。

 

 それは、本当に唐突だった。

 午前の訓練が終わり、ヒミカと一緒に第二詰め所に戻ろうとしていた時のこと。

 やや離れたところに、強力な霊力が現れたのを横島は感じた。

 自身よりも遥かに強い霊力。これは上級神魔クラス。

 しかも、この霊圧には覚えがあった。もしもアイツなら、この距離でも危ない。

 

「こい! 『天秤』!!」

 

 すぐさま神剣の守護を受ける。

 同時に、世界が切り替わった。

 鳥は空で羽ばたきを止めて静止し、風で揺らいでいた草木は凪いだまま動きを止める。

 明らかな異常だ。隣で歩いていたヒミカもピタリと動きを止めていた。

 いや、よくよく見ると、少しずつは動いている。

 

「ふむ」

 

 横島は今までに無いほど真面目な表情になった。

 ヒミカの胸に手を置く。

 

 フニフニフニ。

 

『最低だ』

(最低ね)

 

 最低としか言い様が無い行為を終え、一仕事を終えたような晴れやかな横島は『天秤』を振り上げる。

 

「永遠神剣第五位『天秤』の主が命じる! 時間の刻みを俺の元へ。タイム・アクセス!」

 

 魔方陣が周囲に広がって、そこから草木や鳥が普通に動き始める。

 

 横島の唱えた神剣魔法は、場魔法の一つだった。

 効果は、周囲一帯の時間の流れを正常にするというものだ。

 謎の巫女、倉橋時深の術式を見て、とりあえず作った神剣魔法である。

 

 本当は対象の時間を早くしたり、遅くできる魔法を開発しようとしたのだ。

 だが、自分に魔法をかけようとしても、神剣の守護で弾かれてしまう。魔術の耐性を弱めればいけるかもしれないが、それでは炎の槍を一発喰らうだけでお陀仏だ。

 敵に魔法を掛けようにも、よほどの力の差がないと効果はないだろう。それなら、力を弱める魔法を掛けたほうが何倍も効率的だ。

 

 結局、対象にかけるのを諦めて、フィールドに展開する方式を採用した。

 一応、フィールドの時間を操作することも出来たが、殆ど意味がない上にマナ消費が激しくなるので操作するメリットは薄い。

 はっきり言って使い所は無いと横島は考えていたが、まさかこんなにも早く活躍するとは思いもしてなかった。

 時間の流れが戻り、ヒミカも動き出す。

 

「ヨコシマ様、いつの間に神剣を?」

 

「ヒミカ、話は後だ! 霊力の方向は……急いで第一詰め所に行くぞ!」

 

「何だか分かりませんが、分かりまし……たあ!!」

 

 ヒミカの拳が横島に突き刺さる。

 きりもみしながらぶっ飛んでいく横島。

 何故殴ったのかヒミカもよく分からなかったが、きっとまた知らないところで横島が馬鹿をやったに違いないと納得する。

 極限まで突っ込み属性を強化されたヒミカには、時間を操られたセクハラすらお見通しだった。

 

 

 場面は第一詰め所に移る。

 

「オルファー帰ったぞー」

 

「あ、パパ! お帰りなさい」

 

「ああ、ただいま」

 

 訓練を終えた悠人を、メイド姿のオルファが出迎えた。

 戦えなくなったと言っても、オルファは働き者だ。炊事家事洗濯と、訓練しないのだからと全て一手に引き受けていた。

 庭先でエスペリアのハーブに水をやるオルファを、悠人は優しく見つめる。

 

「ねえ、パパ。オルファね、最近、夢見るんだよ」

 

「へえ、どんなのだ」

 

「夢の中のオルファはとても大きくて、胸もボインボインなんだ。とっても強くて、たくさん仲間が居るんだよ」

 

「そっか。オルファが大人になったら、きっと美人になるさ」

 

「えへへ。ありがとね、パパ」

 

 珍しく女性を褒める悠人。

 子供相手というのもあるが、それ以上にオルファなら間違いなく美人になると確信しているからだろう。

 オルファは恥ずかしそうにして、水まきを再開する。

 しばらくして、オルファはまた悠人に声を掛ける。

 

「パパは、ママってどういうのか分かる?」

 

 不思議な質問だったが、悠人はしっかりと考えた。

 生母は覚えていないが義母は覚えている。

 血の繋がりは無くとも優しくしてくれた、大切な母だ。

 

「子供にとって一番優しくて……絶対の味方って奴かな」

 

 自分にとっての印象を答える。

 悠人の答えに、オルファは視線を伏せた。

 オルファの手は震えていた。

 

「ねえパパ。オルファね……オルファはひょっとしたら」

 

 まるで罪を告白するように、オルファは何かを言おうとしている。

 ふと、ヨーティアの言葉を思い出す。オルファは、全てのスピリットの母親だと。

 思わずぞっとした。

 

 まさか、そんな、あるはずがない。もしもそうだとしたらこの世界は。オルファは。

 そこまで残酷な事、あってよいはずがない。

 

 心配になった悠人はオルファに向って一歩を踏み出して、横島の神剣反応を強く感じた。

 すぐさま『求め』を握って力を引き出す。これは神剣使いの嗜みだ。

 次の瞬間、オルファに二又の槍を突き出す銀髪の女が現れていた。オルファは完全に動きを止めて、気づいた様子もない。

 その距離は、もう一メートルもなかった。

 考える間もなく、気合を入れてオーラフォトンを放出。女を吹き飛ばす。

 

「これは一体なんだ!?」

 

 時が止まったようにオルファは動きを止めていた。

 悠人は混乱したが、それでもやる事は分かっている。

 動かないオルファの守るように女の前に立つ。

 

 銀髪の女は17,8歳ぐらいの、悠人と同い年ぐらいの見た目だ。

 強気で勝気で、殺意に満ちた目でオルファを睨んでいる。

 

「はん、妙な力を使う男だね。悪いがあんたに用は無いんだよ。そのおチビちゃんを引き渡しな」

 

 日本語で言われて驚く。

 さらに、どうやら神剣のことも知らないらしい。

 しかも、この妙な現象。となれば察しはつく。

 

「お前は横島の世界の住人か」

 

「……ふん、その通りだよ。そうか、ソイツもこの世界に来てるんだね」

 

「ああ、お前の後ろにいるぞ」

 

「なに!?」

 

 慌ててメドーサは振り向く。

 だが、そこには誰も居ない。

 

「横島の世界の住人にしちゃあ、随分と単純だな」

 

「貴様ぁ!」

 

 射殺すような目で睨まれるが、恐怖など感じない。

 今のでこの女は脅威になりえないと分かったからだ。

 

「おい、横島。こいつは知り合いなんだろ?」

 

 悠人が呼びかけると、さっと横島とヒミカが現れる。

 神剣反応から、すぐ傍まで来ていたのは気づいていた。

 気づいていなかったのはメドーサだけ。

 さっきの嘘に騙された時点で、永遠神剣を持っていないのは確定だ。

 

「いや、久しぶりだな……やっぱりピチピチ状態が一番やな!」

 

「お前が横島……メドーサを、あたしを殺した男か……覚えてるよ」

 

 メドーサは呟く。

 妙な違和感に横島は首を捻った。まるで他人事のように聞こえる。

 メドーサの言葉から怒りは感じ取れても、どうにも強い憎しみを感じとれなかった。

 それに、あの程度のペテンに騙されるほどメドーサは馬鹿だっただろうか。

 とにかく捕まえて、色々と話を聞く必要がある。

 

「はん。確かに人間とは思えないほどの霊力を身に付けたみたいだが、所詮は人間。その程度じゃ勝負にならないね。超加速を無効化する力を得た程度でいい気になるんじゃないよ!」

 

 どうやら神剣に関して、何一つとして知識を持っていないらしい。

 

「いやまあ……かかってこいや」

 

「その余裕面、引き裂いてやる!」

 

 メドーサが横島に飛び掛る。

 戦闘は一瞬で終わった。

 ブラックスピリットが使う、物理衝撃を反射するタイプの障壁を張る。

 二又の一撃を受け止めて、メドーサが自身の衝撃を喰らって硬直した瞬間に、軽くオーラの波を叩き込んだ。

 メドーサは地面に大の字になって倒れる。

 

「ば、馬鹿な! パワーアップした、この私が!?」

 

「いや~この世界は少年漫画以上にインフレが激しくてな。再生怪人がちょっとパワーアップした程度じゃどうしようもないんだ」

 

 バトル物は世知辛い世界だ。

 一度でもやられた敵キャラなど、大抵はかませキャラに転落していく未来しかない。

 というか、神剣もなしに放り出されてはどうにもならないだろう。

 戦闘ロボットと世界最高のスポーツ選手を戦わせるようなものだ。まあ、特殊なテニスプレイヤーなら、また別かもしれないが。

 

「そんじゃあ、縛り上げて色々と聞き出しちゃる!」

 

「それは良いですが、ヨコシマ様? どうして手を気持ち悪く動かしているのでしょうか」

 

 手を気持ち悪くワキワキさせてメドーサに近づく横島をヒミカは冷たい目を向ける。

 くっ、殺せ! とばかりにメドーサは横島を睨みつけて――――心臓を貫かれ果てた。

 

「は?」

 

 横島達は目を丸くする。

 前触れなく天から降ってきた槍が、メドーサを突き殺した。即死だ。

 慌てて回復魔法を唱えようとした横島だが、なんと自分を突き刺した槍をメドーサは引き抜く。

 その目は、ただひたすら虚ろだ。

 メドーサを貫いた槍から、悠人すら超える強力な神剣反応が放たれる。

 

「危険ですヨコシマ様! 下がってください!!」

 

 ヒミカが飛び出し、横島の前に立つ。

 横島は止める間もなかった。ヒミカも、メドーサも。

 

 メドーサは凄まじい勢いで永遠神剣と思わしき槍で薙いだ。

 音速を遥かに超えた一撃をヒミカは『赤光』でギリギリ受け止める。

 だが、なんと受け止めたはずの槍が大蛇に変化した。

 マリオネットの糸が切れるように、メドーサが倒れる。

 

「え」

 

 想像を超える事態にヒミカは呆けた声を出して、それが最後の言葉となった。

 大蛇は素早くヒミカの首に絡みつき、一気に締め上げる。

 

 ブチブチブチブチン!

 

 肉が一気に引きちぎられる音が響いて、最後に骨すら切断される。

 引きちぎられた首が、オルファの足元に転がった。

 

 蛇は倒れ伏していたメドーサに寄生虫の如く絡みつくと、また槍の姿を戻る。

 メドーサがゆらりと立ち上がった。メドーサの瞳は、やはり何も見ていない。まるで人形だ。

 

「メ、メドーサァァァァーーーー!!」

 

 殺意の塊となって横島はメドーサに切りかかっていった。

 メドーサは横島と激しく打ち合いながら、オルファへと足を向けようとする。

 どうやら、狙いは最初と変わらずオルファらしい。

 

 悠人は怒りと悲しみに襲われていたが、とにかくオルファを守ろうと周りに障壁を張り続ける。

 そこで気づいた。

 

 オルファはヒミカの首を抱きしめていた。

 首が黄金色のマナに変わっていくのを、涙を流して見つめる。

 その涙は、ただ仲間が死んだ悲しみだけでなく、もっと深い悲しみが含まれているように悠人は感じた。

 オルファの手には、いつの間にか彼女の神剣である『理念』が握られている。

 

「『再生』よ」

 

 オルファが『理念』を胸に当てて呟くと、膨大なマナがオルファに集まっていく。

 横島やメドーサとは比べ物にならないほどのマナ量。

 そしてオルファの永遠神剣『理念』が少しずつ形を変えていく。

 

「『再生』の炎リュトリアムの初期覚醒を確認。自爆による次元幽閉を実行します」

 

 メドーサだったものは機械のような声を出して、周囲のマナを取り込み始めた。

 明らかに自身の限界を超えるほどの勢いでマナを集めていく。

 

「おい横島! 何だかやばい、離脱するぞ!!」

 

「クソクソクソ! こいつは俺が絶対に!!」

 

 ヒミカの死によって横島は我を失っている。

 オルファの様子も可笑しい。

 このメドーサという女は爆発寸前の爆弾のような有様だ。

 全滅という言葉が悠人の頭をよぎる。

 

「大丈夫だよ、パパ」

 

 まるで幼子を安心させるような、慈愛に満ちた声。

 いつものサイドテールがほどけて、オルファの豊かな髪が波動を受けてたなびく。

 今のオルファは、小さな女神のようにすら見えた。

 

「オルファは、パパに会えて幸せだったから」

 

 心臓が跳ね上がる。

 その言葉が。その笑みが。アセリアと重なった。

 

「やめろ、止めるんだ! 止めてくれ!!」

 

 悠人は目に涙をためて懇願した。

 しかし、いくら頼んでもオルファの覚悟は揺らぐことは無い。

 皆の為に、自分の為に、全てを捧げる。

 

 ――――さよなら、パパ。

 

 メドーサが槍もろとも破裂する。

 膨大なエネルギーが横島を、悠人を、全てを飲み込んで崩壊させていった。

 その最中、悠人は見た。 

 オルファから放たれた金色の炎が横島を、ヒミカを、自分を、包み込んでいくのを。

 

 遠い昔。

 母の胸に抱かれているのを思い出しながら、悠人の意識は消失した。

 

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

「なあ横島。このメドーサって女の素性を教えてくれ」

 

 横島は、目をぱちくりした。

 

 目の前に悠人とヒミカがいた。

 地面には、粒となって消えていくメドーサの姿がある。

 手には『天秤』が握られていた。

 

 ――――これは一体何が起こった?

 

 ゆっくりと記憶の整理を始める。

 

 ヒミカがメドーサに殺されて。

 敵を討とうとメドーサに切りかかって。

 最後にメドーサが爆発して。

 

 いや違う。

 

 俺は襲ってきたメドーサを打ち据えて。

 倒れても抵抗を止めずに霊波砲を乱射してきて。

 しかたなく俺が止めを刺した。

 

 そういう記憶はある。

 だが、違う。違うはずだ。

 

 記憶の混乱で吐き気を催す。

 

「どうしたんです、ヨコシマ様。もしや傷でも?」

 

 ヒミカが、生きて目の前にいた。

 それだけで横島は良かった。

 衝動のままヒミカを強く抱きしめる。

 

「貴方と言う人はまた!!」

 

 いつものセクハラだとヒミカは思い、手を振り上げる。

 だが、拳を振り下ろすことは出来なかった。

 

「ヒミカ……ヒミカ! 良かった、生きてる……うううぁ」

 

 何が何だか分からなかった。

 襲い掛かってきたメドーサとか言う女を切り倒した後、急に泣きながら抱きついてきたのだから。

 それでも、わかる事はある。

 横島は、ヒミカ・レッドスピリットの命がある事を心から喜んでいるのだと。

 

「大丈夫です、大丈夫。私は生きてます。生きて、ずっとあなたの傍に居ますから」

 

「う……うあ。ああ、ああ!」

 

 嗚咽のような声で、何とか返事をする横島。

 ヒミカはたまらない切なさを覚え、横島に負けないぐらいの強さで彼を強く抱いた。

 どれほどそうしていただろうか。

 

「あーその……もうそろそろいいか」

 

 居心地の悪そうな悠人の顔を見て、ヒミカはようやく人前で抱き合っているのを自覚した。

 

「よ、ヨコシマ様! ほら、もういいでしょう……どうしてもというなら、また後で抱きしめるから」

 

 どうしても、から先の言葉は、悠人に聞こえないように囁くように言った。

 横島はようやく我に返ったようだ。

 

「うおおおお!! ヒミカーーこうなったもう、青空の下でーー!!」

 

「正気に戻っても、結局それかーー!!」

 

 ヒミカの昇竜拳(強)が横島に突き刺さる。

 これがいつもの平常の日常だ。

 呆れ顔の悠人が倒れ伏した横島を見下ろす。

 

「それで、横島。あのメドーサとかいう女について、どういう関係だったのか知りたいんだが」

 

「ああ、分かった……って、ちょっと待て! オルファちゃんの姿が見えないぞ!!」

 

 間違いなくメドーサの、正確に言えばメドーサを乗っ取った神剣の狙いはオルファだった。

 まさか少し目を離した隙に殺されてしまったのではないかと、横島は慌てる。

 だが、悠人とヒミカは首を捻るだけだった。

 

「いや、オルファちゃんって誰だ?」

 

「オルファちゃんはオルファちゃんだろ! お前がパパって呼ばせていただろうが!」

 

「……すまん、何を言ってるか分からないんだが」

 

 本気で悠人が言っているのが分かって、横島は血の気が引いた。

 ヒミカにも聞いたが、オルファリル・レッドスピリットなんて聞いたことがないと、首を横に振るだけだ。

 んな馬鹿なと、横島は第一詰め所に入ってオルファの痕跡を探す。

 

「ま、マジかよ」

 

 愕然とする。

 文書からも、写真からも、オルファリル・レッドスピリットの存在は消えうせていた。

 オルファの部屋はもぬけの殻となり、彼女が付けていた傷跡も残っていない。

 『記憶』の文珠まで使ったが、それは『心』の時と同じく効果を発揮しなかった。

 

「おい、横島。本当に大丈夫か。少し休んだらどうだ?」

 

 病人を気遣うように、様子の可笑しい横島を心配する。

 間髪いれずに、横島は悠人をぶん殴っていた。

 

「何しやがる!!」

 

「うっさい、この馬鹿が」

 

「いきなり殴って来てなにを言って」

 

「馬鹿が!!」

 

 怒りと、悲しみと、やるせなさと。

 誰よりもオルファの幸せを願っていたのは、悠人だったはずなのに。

 一体何が起こったのかなんて横島には分からない。どうしようもない事態が発生しているのかもしれない。

 それでも、横島は悠人を罵られずにはいられなかった。

 どうしてお前が、他の誰でもないお前が忘れてしまうのだと!

 

 理不尽に殴られ、罵られた悠人だったが、横島の剣幕を前にして言葉を無くす。

 とても大切な何かを失くしてしまったのではないか。

 何かが、魂に訴えてくる。

 しかし、いくら記憶を揺り起こしても『何か』の影すら浮かんでこなかった。

 だが、それは仕方がないこと。

 

 今の悠人は、オルファに出会わなかった悠人なのだから。

 

 

 

 あれから誰に聞いてもオルファを覚えている者はいなかった。

 唯一、何故かルルーだけが違和感を強く覚えていたが、やはり思い出す事はない。

 

 文書すら、オルファの部分の記述が摩り替わっているのだ。

 横島は『書いた覚えは無いのに、書いた記憶がある状態』に困惑した。

 

 最後に横島はレスティーナとヨーティアの元へと向う。

 覚えているのは期待していなかったが、しかし二人にはある事情を伝えていた。

 そう、記憶を操る黒幕の存在を二人には話していたのだ。

 何か良い案を考え付いてくれるのではないかと期待したのだが。

 

「記憶を操る黒幕? 一体何の話でしょう、エトランジェ・ヨコシマ」

 

「いやいやレスティーナ様、話したじゃないですか。黒幕は記憶を操るって」

 

「私達がヨコシマから聞いたのは、この世界に戻ってくる時に犬耳の巫女に世話をしてもらった、ぐらいでしたが」

 

 忘れたのはオルファだけじゃなかった。

 少し前に横島が話した、タキオスや時深といった、この大陸を影にいる黒幕達。

 それらをどうにかしようと話し合ったことすら忘れている。

 いや、厳密に言えば忘れたではない。無かった事になっていた。

 

 横島はもう、どうにでもなれ、としか言いようがない。

 だが、ヨーティアだけは頷いていた。

 

「ふむ、なるほどね。そういう事か」

 

「思い出してくれたんすか!」

 

「いんや。だけど、この異常な世界に疑問を持たないのは、思考を誘導されているだけじゃなくて、真相に近づくと消されちまってるのかもね。そうでもなけりゃ、何十年何百年もこんな状況を維持できないさ」

 

 絶対者による完全な箱庭。

 それがこの、有限世界の正体。

 

「しかし、どういう手を打ったらよいもんか。対策を考えようとすると、対策を考えていない状況に戻されちまう……参ったねこりゃ」

 

 流石の天才も、無かった事にされてしまうのでは打つ手がないようだ。

 打開策が見出せないまま、局面は進む。

 

 数日後。

 横島はレスティーナに呼び出された。

 

「エトランジェ・ヨコシマ。良くない報告が二つあります。

 まず一つ、マロリガン戦で捕虜にしたスピリットの半数が殺されていました。

 看守の報告によると、犯人は二又の槍を持った長髪の若い女。貴方が撃破したメドーサに間違いないでしょう」

 

 撃破したのは、俺じゃないんですけどね。ま、言っても無駄みたいですけど。

 心の中で、皮肉っぽくレスティーナに返すのが精一杯だった。

 

 神剣使いは戦力のほぼ全てを神剣に依存している。神剣を取り上げられた捕虜のスピリットでは、神魔のメドーサに対抗できるわけもなかった。

 

 あれだけ皆で協力して、苦労したのに、あっさりと半分を無しにされてしまった。

 命も、記憶も、存在すらも。黒幕は好き放題に弄り回してくる。

 

「もう一つ、マロリガンが動きました。

 詳しい経緯は後で説明しますが、最後の攻撃を仕掛けてきます。

 エトランジェ・シロ・タマモ・コウイン。キョウコ。彼らが先頭に立ち、特攻をしかけてくるでしょう」

 

 黒幕は意地にでも俺たちに殺し合いをさせたいらしい。

 使い捨てにされたメドーサの姿が目に浮かんでくる。

 メドーサは許せないが、だけど全ての元凶は黒幕共にあるはずだ。

 

 ――――GSを、俺達の世界をなめんなよ!

 

 横島は決心した。

 黒幕の思惑を叩き潰す為ならば、なんだってやってやると。

 

「俺に任せてください」

 

 唇を三日月型にして、圧倒的な覇気を纏った微笑で横島は言った。

 レスティーナは未だかつていないほどの悪寒に身を震わせた。

 

 





 話がごちゃごちゃしている印象。視点が移動しすぎなのが原因かな。
 どれも必要な話なんだけど、もっと上手く纏められないものか。

 割と悲壮感溢れる話だったかも。
 原作だと世界改変で大切な人が消されても、誰も覚えていないから悲しむ人はいない。
 敵は皆殺しするしかない状況だから、助けられなかったとか苦しむこともない。

 横島が希望と笑いを振りまくからこそ、ダークな世界観が輝いていい感じです。

 勿論、横島もやられてばかりではありません。次話は横島の反撃で、諸々の事情で色々と弾けます。エロにギャグに大暴れの巻き。
 そして次次話でヒロイン決定。こっちは本気でどうしようかな。二つのルートを書いて見比べてますが、どちらが良いのかまだ判断できない。


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第三十一話 GS横島 極楽大作戦!!

 最近、ヨコシマ様の様子がおかしい。

 

 眉間に皺を寄せたヒミカが言った。

 その言葉に一緒にお茶を飲んでいたファーレーンは首をひねり、ハリオンはやはりいつも通りニコニコと笑う。

 

 視線が胸やお尻にこない。

 着替えの時もちょっかいをかけてこない。

 手を握ることも抱き着いてくることもない。

 正直言って、爽やか過ぎて気味が悪い!

 

 メドーサにマロリガンの捕虜達が半数近く殺されてからはや数週間。

 横島はジェントルマンと言うに相応しい男と成り果てていた。賑やかで騒々しいのはいつも通りなのだが、むやみやたらに女性の体に触れなくなってしまっている。

 ヒミカの訴えにファーレーンは呆れたような目を彼女に向けた。

 

「何を馬鹿なことを言ってるんですか。ヨコシマ様は元から優しくて頼りになる紳士然とした素敵な人じゃないですか」

 

 ファーレーンはきっぱり言い切る。彼女にとっては、それは間違っていない。ファーレーンの視点では横島は何一つ変わっていなかった。

 迷いのない口調にヒミカはイラッとした。

 

 貴女に言われなくとも分かっている。

 貴女は何も分かっていない。

 

 相反する気持ちが競りあがってくる。

 優しいのは分かる。

 優しさを示す事柄は沢山あるが、最近だと病院と呼ばれる施設に収容されているスピリット達の為に、癒し効果のある音楽を自動で奏でる装置を持ち込んだらしい。無論、ハイペリアからの持込品だ。病人や子供には本当に優しい人である。

 

 頼りになるのも当然。

 仕事も戦闘も高いレベルでこなして、他の雑務も適度にこなす。仕事の出来る男だ。

 

 しかし、紳士然というのはありえない。

 あの人は紳士の対極にいる変態だ。あの変態チックな行動の数々に一体どれだけ苦労してきたことか。いきなり改心するなど不自然すぎる。

 惨殺されたスピリット達に同情したから、という理由も考えた。しかしヒミカも横島と一年を過ごして優しさと変態は両立する事を理解している。これは違うだろう。

 

 素敵かどうかは――――人それぞれだとは思うので否定も肯定もしないが。

 

「それよりも、私はニム……子供達の様子が可笑しいと思うんですが」

 

 朝起きたら鏡で寝癖を整えて少しポーズを決めたりする。

 お洒落に興味があるようで、スースーして嫌だといっていたスカートをお小遣いで購入する。

 どこか物憂げな表情をしたかと思えば、何かを想像したように顔を赤くする。

 横島とのボディランゲージも頻度を減らし、お風呂も一緒に入ろうとしなくなった。

 

 大人になりはじめた。女らしくなった。

 簡単に言えばそういう事だが、それにしても急すぎる。一体何があったのか。

 ファーレーンは妹が急に女の子らしくなったのが心配だった。

 

 ヒミカは答えに窮した。

 そうなった理由を知っているのだが説明するのは少し恥ずかしい。上手く説明しないと騒動になってしまうだろう。

 ヒミカは言葉を慎重に選んでいたが、隣にいたのは無敵のお姉さんだった。

 

「ああ、それはですね~子供達は、もう子供じゃなくなったからですよ~」

 

「え?」

 

「もう大人の女って奴ですね~」

 

「お、おおおおお、大人の女ってどういう事ですかまさかヨコシマ様が禁断の白無垢を突き破って赤くしちゃったりとかなんとかってそういうどういうにゃあああああああ!!」

 

「もぅ~違いますよ~。大人の女にしたのは、この私です~」

 

「はああああ!? つまりハリオンが義理の妹になっちゃってこれからは私がお姉ちゃん!?」

 

「夜にきちんと自習もしているみたいですよ~」

 

「いけない一人遊びまで!?」

 

「お姉ちゃんが何をしていたか分かったって言ってましたよ~」

 

「それって見られてたって事じゃないですかー!! いやーーーーーー!?」

 

 ファーレーンは頭を抱えて絶叫して部屋の中をギュンギュンと飛び回る。

 予想通りの混乱振りにヒミカは親友をにらみ付けた。

 

「まったく! ハリオンも言葉を選んでよ。こうなるのは目に見えてたじゃない」

 

「でも本当の事じゃないですか~それにニムさん達もいつまでも子供じゃないって、ファーレーンさんには分かってもらわないと~」 

 

「それはそうだけど……まあファーレーンの事はもういいわ、今更だけど子供達の教育については、もう少し時間をかけてソフトに教えてもよかったんじゃ」

 

「ヨコシマ様がいるんですよ~短期間でしっかりと子供達に教えなかったら大変な事になったと思います~」

 

 その言葉にヒミカは渋面を作る。その通りだったからだ。

 子供達は肉体と精神の成長から来る情動を処理しきれていなかった。

 ハリオンが発散方法を実地で教え、ヒミカは羞恥心と性知識を仕込んで事なきを得たのだ。

 

 特に行動的なネリーとシアーは危険だった。ヒミカもそれは理解している。

 あのまま放置していたら横島に衝動のまま夜這いをかけていただろう。知識が無いからこそ本能のまま動いたはずだ。下手をすると横島が朝目覚めると二身合体や三身合体をはたしていたかも知れない。まるで予知夢の如く、その未来がリアルに思い浮かんだのだ。

 

「はあ~私はこういう生々しい話って苦手なのに」

 

「苦手なんて言ってられないですよ~これから楽しく暮らしていくためにも、人間様と猥談できるぐらいになりませんと~」

 

「はい!? 何でよ!」

 

「それは私達、スピリットの事を人間様に理解してもらうためです~スピリットはご飯を食べたりトイレにも行かないって人間様は考えていたみたいですし~」

 

「う、嘘でしょ?」

 

「本当ですよ。偏見をなくす為にも~スピリットはご飯を食べて~出すものは出して~寝坊もして~エッチな気分にもなっちゃうって、きちんと伝えていきませんと」

 

「それって凄く恥ずかしいんだけど」

 

「レスティーナ様が頑張ってスピリットの事を伝えているのに~私達が隠そうとしちゃダメです」

 

 広い視野で周りを見ているハリオンにヒミカは驚く。

 非常にのんびりしているが、彼女の行動に間違いがあった事はない。

 皆のお姉ちゃんを自称しているのは伊達ではないのだ。

 

 ヒミカは親友を見直していると、そこに不機嫌そうな足音が近づいてくる。

 

「何を騒いでいるの」

 

「あ、セリア。ちょっとね……ってどうしたの? 怖い顔して」

 

「マロリガンが動いたわ。私達は国境もよりの都市で待機。ヨコシマ様は極秘の単独任務だって」

 

 部屋の空気が一気に冷えた。飛んでたファーレーンもコテンと地に落ちてくる。

 マロリガンが攻め入ってくる。それに関しては想定していた。

 あれだけ叩かれても未だに講和どころか停戦協定すら結ばれていないのだ。また攻めてくるのは考えられた。だがそれでもラキオスの力を結集すれば打ち払うのは可能と考えていたのだが。

 

「まさか、またあの人は単独で戦おうとしているわけじゃないでしょうね」

 

 ヒミカの口から発せられた声には深く静かな怒りが込められていた。

 その可能性もあるとセリアも考える。横島の様子が不可解なのはセリアも気づいていた。異常に紳士的になっている。女性としては安心できるが、セリアはむしろ恐怖を覚えていた。

 まるで無理やり抑え付けられた獣が眼前にいるような圧迫感を常に横島から感じたからだ。

 

「嫌な予感がするわ」

 

 何か信じられないような事件が起こりそうな気がする。背筋が妙にざわついて仕方が無い。

 不吉な予感に、スピリット達は表情を厳しくして神剣を握りしめるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日後。

 空が白み始めた頃、砂漠という熱砂の中を20名余りの集団が進んでいた。

 悠人の同級生である碧光陰が率いるマロリガンの最精鋭スピリット部隊だ。

 

 通称、稲妻部隊。

 構成メンバーは碧光陰、岬今日子、犬塚シロ、タマモの計四人のエトランジェと、心を失っていないスピリット十数人。目的は勿論、ラキオスの攻略である。

 

 これがラストチャンスでありラストアタック。

 シロ達はそれを理解していた。この攻勢に失敗したらマロリガンは諸手を挙げて降伏するだろう。

 状況は劣勢。退却は許されない。間違いなく双方とも死者が続出する激戦になる。

 それを理解していたスピリット達だが、誰一人として弱音を吐くものおらず、戦意を強く維持していた。光陰とシロの統率と士気の高さが伺える。

 

 しばらく進み、ラキオスの都市まで数百キロ地点まで来た。このぐらい離れていれば神剣反応も察知されないし、四半刻もあれば都市に襲撃をかけられる。といっても、ここで焦る必要は無い。

 訓練で慣れているとはいえ無の砂漠を行軍して体力は減っていた。

 以前に都市を占領した際この辺りはマナ溜まりと呼ばれるホットスポットになっている事は調査済みである。スピリットの体力回復に持って来いの癒し空間だ。

 ここで休息を取り都市に夜襲をかける。それが光陰達の計画だった。

 

「よし、太陽が昇る前に穴を掘って日除け陣地を作るぞ」

 

 光陰が指示してスピリット達は動き出そうとした、その時だ。

 

「待つでござる! この匂いは……まさか」

 

 シロは鼻をクンクンとうごめかした後、『銀狼』をある方向に向けた。

 神剣の向いた先には、大きなが穴があった。

 穴の中から、本を手にしたバンダナ男がひょっこり顔をのぞかせる。

 

「お、来たな。時間ぴったりって所か」

 

 驚く光陰達に横島は穴から這い出しながら、にこやかに笑って言った。

 横島は右手を掲げると、遠くから金色のマナが飛んできて刀の形となる。

 

 完全な待ち伏せだ。それも侵攻の道筋から時間まで全て読まれている。

 光陰とシロは自分達の行動が完全に読まれていたと理解し、そうなった経緯を想像してげんなりとする。

 

 ――――どうやら自分達はマロリガンに売られたらしい。

 

 二人の考えは的中していた。

 マロリガンの和平派はシロ達の情報を全てラキオスに売っていたのだ。

 

 

 ラキオスとマロリガンは戦争の落とし所を探っていた。

 レスティーナは元々マロリガンのマナや領地を狙ったわけではない。むしろ支配など頼まれても嫌だった。

 

 完全にマロリガンを潰せば、当然だが統治しなければならない。

 長きに渡って情報統制を敷かれ、民主制に馴れ親しんだマロリガンの民は王政や貴族に対して忌避感が強く、人心を慰撫するのは非常に困難だ。さらに砂漠の所為で地理的にも遠い。下手な代官を置くのも躊躇われた。無理やり統治しようとして強く反発されたら、レスティーナ最大の武器であるカリスマにも傷がつく。

 適度に勝利して、ラキオスの民が納得できる程度に賠償金を支払わせて後腐れなく戦いを終わらせたいのがベターであると結論が出た。

 

 マロリガンも既に勝利は難しいのは理解していた。

 賠償金で終わらせられるのなら、それに越したことは無い。

 

 賠償で今回の戦争を終わらせようと、既に両者の間で結論は出ていたのだ。

 ここからマロリガンの、というよりもマロリガンを牛耳る議会の思惑が出てくる。

 

 彼らの考えは一つ。

 誰に、どう、この敗戦の責任を押し付けるかだ。

 

 何といっても大統領であるキェド・ギンはラキオスとの戦争は時期尚早と反対していたのだ。それを議会は多数決を取って会戦を決定したのである。

 これで戦いが終わってしまうと民からの批判は全て戦争をごり押しした議会に向かい、戦争に反対した大統領とその一派に支持が集まるだろう。しかも、マロリガンに残された戦力は大統領に忠誠を誓っている。

 長年、マロリガンで権勢を振るい、既得権益を欲しいままにしていた議会にとって、自分達の力を削ぎ落とされる事態を許せるわけが無い。

 

 そんな時だ。

 横島と悠人の姿がラキオスから忽然と消え、しかもサーギオスに国境周辺の都市が襲撃されたという情報が入る。

 大統領は攻勢に転じるべきだと主張した。この勝機を逃すべきではないと。

 老人たちは反対した。偽情報の可能性もある。もう少し様子を見ようではないかと。

 ここで反対した理由は一つ。もしこの攻勢に成功してしまったら、大統領の基盤が強くなってしまうからだ。

 

 ほどなくして横島達がラキオスに帰還して、ようやく議会は攻勢に賛成した。此度の攻勢を指示したのは、大統領であると民に流布して。

 これで大統領派が攻勢を指示して負けたと言いのけて、全ての責任を負わせることが出来る。

 議会を牛耳る老人達にとって、マロリガンという国の栄光はどうでも良かった。ただ自分達に権勢を振るえる場所があれば良かったのだ。

 

「議会の連中ここまでやるかよ。おい横島、どれぐらい俺達の情報が貰ったんだ?」

 

「ああ。お前がアゴヒゲを生やすかどうか悩み中ってのも書いてあったぞ」

 

「個人のお悩みまでかよ! やりすぎだろおい」

 

 まるで旧知の友のように横島と光陰の会話は馴染んでいた。

 光陰はともかく横島は男と楽しい会話をするなんてまっぴらごめんなのだが、どうやら相性は良いらしい。

 だがそれだけ仲良くなれそうでも、今この場では何の意味もなかった。

 

「それで、いくら情報を貰ったからといって、まさかたった一人で俺らとやるつもりか。流石にそれは無謀ってもんだと思うぜ」

 

 軽口を叩く光陰だが、その目は猛禽のように光って横島を観察していた。

 今の横島には何かただならぬものを感じるのだ。横島はにこやかに笑ってはいるものの、噴火寸前の火口を覗き込むような圧迫感を前にして、油断も余裕も出来たものではない。

 横島は光陰の鋭い眼光を気にも止めていない様子だった。

 

「この一戦さえ凌げば、マロリガンは降伏するんだろ? そっちの情報は漏れてるんだ。もう諦めて逃げた方が良いんじゃないか」

 

「そのような事、とうに知っております。拙者達に引く気はござらん。もはや生きるか死ぬかしか決着はありません。まさか、まだどちらも死ななくて良い等と考えているのでござるか?」

 

「ああ、考えてるぞ」

 

 甘っちょろいことを、などと考える余裕はシロにも光陰にもない。

 横島忠夫という男を調査していない国など無い。今までの戦いでも、向こうから挑んでくる時は策に策を練って勝利を掴んでいる。

 横島は勝利を確信しているが如く、余裕の表情で手に持った本をチラチラ見続けていた。

 自分達は間違いなく罠の渦中にある。シロ達は最大限に警戒した。

 

「一体、何を企んでいるでござる!」

 

「俺の企みか? ふっふふふ。それはな……これだ!!」

 

 横島は見ていた本を光陰にぶん投げる。

 本は光陰の手前に落ちて彼の目に入った。光陰は驚愕に目を見張る。

 

「ば、馬鹿な! これは!?」

 

「何でござるか!?」

 

 あの光陰がここまで動揺するとは。

 シロは興味を引かれて本を覗き込む。

 

『痴漢タクシー ~最逝き黙示録~』

 

 どぎついピンク色の本の表紙と常識を疑うようなタイトル。題名の周りには美女に電車にチーズにと、妙なものが色々と描かれていた。何が何だか分からないが、どういった種類の本なのかは雰囲気で分かる。

 エロ本だ。

 

 アホでござるか!?

 

 シロはエロ本を読みふける光陰の頭に突っ込みを叩き込もうとしたが、何とか我慢する。

 これは先生の作戦だ。それが理解出来た。先生のペースに飲まれてはいけない。

 

「はっ! こんな本に俺が動揺すると思ってんのかよ」

 

 ――――流石は光陰殿でござる!

 

 シロは内心で喝采を上げた。

 動揺していたように見えたのは目の錯覚だったらしい。

 バラバラとページを開く光陰は賢者のように悟った目で女体を見つめ、本を閉じた。

 

「だって小さい娘いないじゃねえか」

 

「結局それでござるか!!」

 

 ハリセンを取り出して光陰の坊主頭をひっぱたく。光陰の恋人である今日子が持ってきたという、由緒正しきハリセンだ。

 

 光陰は所謂、ロリコンである。

 小さければ小さいほど良いと言うような本物だ。とはいえ、小さい女の子は好きだが恋愛対象ではないらしい。

 女は今日子ただ一人と明言してる。一本筋が通った理想のロリコンだ。それに、これで優しく楽しく優秀である。

 

 結果的に子供達からは嫌われて、大人達には好かれるというのが光陰のキャラクターだった。

 どこかで聞いたような話だ。

 シロが光陰を尊敬している理由に、どこか横島に似ているというのがあるが、悪い所まで似ているのは勘弁して欲しいと思っている。

 横島はハリセンを振り上げるシロを見て得意満面の笑みを浮かべていた。

 

「シロ、分かったな。こういうことだ」

 

「さっぱり分からんでござる。ふざけるのなら一人で極楽に逝ってもらいます……拙者も後で逝きますゆえ」

 

「色々とごちゃごちゃ考えてんな。本気の殺気を出しやがって。子供らしくなくなったなー」

 

「当然でござる。現実が、状況が、拙者を子供にしてくれなかったからでござる」

 

「ああ、ギリギリだけど認めるさ。心は成熟して、一年で体も一回り大きくなった。今のお前は……大人だ!」

 

 横島から放たれた殺気とも違う何かが放たれて、ゾクリとシロの全身が総毛だった。

 今まで感じたことのない感覚。恐怖ではない。おぞましい感覚が胸や尻に纏わりつく。

 

「もう後悔しても遅いぞ! さあ――――――極楽に逝かせてやるぜ!!」

 

 横島の足元に巨大な魔方陣が生まれ、漆黒の何かがせり上がっていく。

 

 ――――どんな方法を用いても絶対に殺しはしない。

 

 横島の想いから生まれた希望の淫虫が今、世界に放たれた。

 

 

 

 永遠の煩悩者 第三十一話

 

 GS横島 極楽大作戦!!

 

 

 

 稲妻部隊の全員が首を80度ほど傾けて『それ』を見た。

 非常に大きい。いや、大きいというレベルではない。その全長は雲にまで届いている。数千メートルは確実にあるだろう。胴回りも数百メートルはあるか。近くに居たら、ただの壁が出現したとしか思えないほど巨大だ。

 映画に出てくるような怪獣――――を一飲みするほどの強大な蛇のようなもの。その表皮は黒く粘性を纏い、無数の突起があり、凄まじい威圧を与えてくる。

 

「な……く……こ、後退して戦闘態勢!」

 

 光陰が声を上ずらせながらも指示する。

 どんな状況でも焦らない強い心を持っている光陰だが、流石にこれには冷静を保ってはいられなかったらしい。

 こんなのが倒れてきたら、それだけで地形が変わってしまう。

 

「うぇぇ気持ち悪い」

「こんなの大きすぎるよぅ」

「黒くてヌラヌラしてる」

「……コウイン様のアレに似てるね」

「ありえないでしょ!!」

 

 スピリット達も唖然としていた。

 とにかく大きすぎたのだ。倒すとか倒さないとかのレベルではない。

 光陰もシロも指示どころではない。高さだけなら日本最高の標高を持つ富士山を越えている。地図に書き込まなければいけない領域の存在を前にして、何をどうしたら良いのか分からない。

 

「なあ『金狐』、これは幻術なのか……幻術だよな」

 

「残念だが……本物だ。まさかこれほどの力が……これが『本命』の力か、クソ!」

 

 光陰からの問い掛けにタマモの体を乗っ取った『金狐』が悔しそうに呻く。

 こんな化け物とどう戦えば良いのか。そもそも戦えるのか。

 思案するシロ達だが、超弩級触手は作戦会議の時間など与えないよう素早く動いた。

 

 ドビュルビュルビュルビュルルル!!

 

 不快を感じるような爽快音と共に、触手の膨れ上がった頂上付近から白濁の液体が大量に放出される。青空に汚い雲が浮かんだ。後はボダボダと垂れるように降ってくる。

 

「さあ、ミドオルガズムよ! 全てを溶かしつくせ!!」

 

 どこからともなく横島の声が響いてきてシロは戦慄する。

 もしやこれは溶解液の類か。触れるわけにはいかない。

 光陰がハンドサインを出す。サインを読み取ったスピリット達は一箇所に集まる。

 

 レッドスピリットとタマモと今日子が集まって、上空に強力な火の壁を作り出して、その下にスピリット達は退避した。幸いにも、白濁色の液体は火の障壁を突破できず燃やし尽くされる。

 

 防ぎ切った。

 ほっと一息を付く。

 その緩みを狙って触手が地面からにょっきり顔を出すと、レッドスピリット達の足首に絡みついた。足首から太股に触手は上り始める。

 レッドスピリット達は上に注意を向けていて、さらに防御に力を使ったから対応できない。

 

「ひぃ」

 

 醜悪な外見に、ぬるりとした感触。

 生理的なおぞましさから悲鳴が喉から漏れる。

 触手は太股からさらに際どい所に触れようと鎌首をもたげながら突き進んだ。

 

「甘いな」

「この程度」

 

 今日子とタマモの、正確には『空虚』と『金狐』の神剣が触手をなぎ払う。

 レイピアで串刺しにされ、扇で叩かれた触手は燃え落ちる。

 流石に高位神剣の守護を受けたエトランジェは強かった。

 

 にぃと唇を吊り上げた二人だが、はたと気づく

 足元に珠が落ちている。六つの文珠がタマモと今日子。それにレッドスピリット達の周りを囲んでいた。

 

「しまった! 防御を――――」

「もう遅いっーの」

 

 いつの間にか横島が頭上にいた。自分達の作り上げた炎の壁で見えなかったらしい。

 上に注意を向かせて、次に下から奇襲。そして、また上から奇襲。いやらしい事、この上ない。

 いち早く狙いに気づいた『金狐』は慌ててオーラを防御に転用しようしたが間に合わない。

 

 『範』『囲』『内』『完』『全』『睡』『眠』

 

 タマモ達を取り囲んだ文珠が光の線で結ばれて、次にドームのようになり囲われる。

 シロ達が気づいた時にはもう遅かった。

 光のドームが消えると、そこには今日子とタマモ、そしてレッドスピリット達が地面に倒れていた。

 

「タマモ!」

「今日子!」

 

 シロと光陰が慌てて二人を抱き起こすと、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 ただ寝ているだけらしい。だが、気付けをしても起きない。回復魔法も効果がなかった。

 

「まさか文珠を七文字も使うとは」

 

 シロの驚愕には二つの意味が込められていた。

 文珠を連結させるには超人的な霊力と技量が必要とされる。あの僅かの間に七文字の連結を苦もなく完成させるというのは人間業ではなかった。

 もう一つ重要なのは文珠を七つも使ったという事。これで文珠は打ち止めだろう。

 

 文珠を使い終わった横島は、いつのまにか巨大触手から突き出た小さい触手を足場にしてニヤニヤと笑っていた。

 

「数日はまず起きないぞ。これで勝負ありだ」

 

 邪悪な笑みを浮かべたまま勝利を宣言する。

 確かにレッドスピリット全員とエトランジェ二人が無力化されてしまい、戦力は大幅ダウンだ。

 だが、それだけで勝負ありの宣言は早い。他は全員無傷で残っている。それに文珠は使い切っただろう。もう反則の塊である文珠は警戒しなくてすむ。

 

「しょ、勝負は。ま、まだまだこれからです!!

 

 一人のブルースピリットが巨大触手に怯えながらも勇気を出して剣を構える。

 美少女戦士の気丈な振る舞いに興奮したのか、巨大触手から突き出ていた突起が白濁液が発射した。

 

「きゃ!」

 

 謎の白い液体がまき散らされ、スピリットに降りかかる。必死に避けるが幾人かの手や服に付着した。そこで気づく。手はなんとも無いが服が溶けている。不運にも胸に付着したスピリットなどは下着まで見えていた。

 

「嘘……これって」

 

「わはははははは! 見ての通りだ。見えちゃうぞ~大事な所が見えちまうぞ~~!!」

 

「や、やああ」

 

 何ともいやらしい白濁液の効果にスピリット達はもう涙目だ。

 光陰達は配下のスピリット達にしっかりと倫理観等の教育を施していた。羞恥心は人並みかそれ以上にある。

 巨大触手と変態のタッグにスピリット達の士気は見る見る下がっていく。

 

 それでも隊長であるシロと光陰は目ざとく触手の異常性に気づいた。

 あの巨体を持っておきながら、服を溶かす特殊能力まである。これはありえない。

 すべては有限だ。これだけの質量を構築するマナなど、国家が保有するレベルのマナが必要なはず。それに特殊能力の付加など、一体どれだけのマナがあれば可能だというのか。いくら何でもこれは異常すぎる。

 

「シロちゃん、正体を確かめるぞ。弓であの触手を撃ってくれ」

 

「承知!」

 

 『銀狼』を刀から弓に変化させる。

 全長二メートルを超える大きめな弓だ。形状は和弓に酷似している。

 矢を番える動作をしながら意識を集中すると、オーラが矢の形となって弓引くこと出来るようになるのだ。

 シロは光の矢を放つ。矢は触手に当たると、何の抵抗も無く触手を貫いていった。

 

「やはりそういう事でござるか! やられたでござる!!」

 

 この超弩級触手は完全に見掛け倒しだ。とにかく装甲が薄い。そして軽い。中身は空気同然だ。押しつぶしなども出来ないだろう。簡単に言えば、この触手は風船みたいなものだ。

 少し考えれば当然だった。こんな大きすぎる巨体が見かけ通りの質量だったなら、自重でとっくに潰れているはずなのだ。触手の先端部分が大きいのは、男性のアレを模したというよりも大気圧の差で膨れ上がっていると考えたほうが良い。

 

 移動能力も無い。攻撃能力も無い。

 おおよそ全てのマナを巨体と服を溶かす液体にだけ注ぎ込んで作られたのだ。

 

 はったりとエロ。

 

 この巨大触手はそれだけしかできない。

 それだけにリソースを注ぎ込んだからこその、この巨体。張子の虎ならぬ張子の触手。

 敵の実態は知れた。知れたからこそ、理解した、

 

 これは倒しようがない。あまりにも巨大すぎるのだ。

 これを吹き飛ばすのはレッドスピリットの広範囲攻撃が必要不可欠。横島もそれを理解していたからこそ、文珠を大盤振る舞いしてでも広範囲攻撃持ちを根こそぎ無力化したのだ。

 剣で切り殺すなんて、それこそ山をスコップで平らにするような労力が必要となる。

 

 となると残された手は術者である横島を倒すしかないのだが。

 

「わははは! どうしたどうした、こっちにこないのかー」

 

 横島は巨大触手の上で跳ね回っている。

 粘液のジャングルジムといえる触手タワーで横島を捕まえるのは困難を極めるだろう。

 

「どうする、シロちゃん。いっそ、横島を無視して進軍する手もあるが」

 

「これを後方に置いておきたくないでござるな。それにタマモ達がいつ目覚めるかも分からぬし」

 

 最良の戦術は一旦後退すること。

 この触手をずっと維持することはできないだろうし、数日もすればレッドスピリットも目覚める。そうすれば弱点の分かりきった触手は簡単に焼き払えるだろう。

 それに文珠を使い切らせたのも大きい。

 

 だが、それは出来ない。今回がラストチャンスなのだ。

 シロ達が後退すればマロリガンは完全に降伏するだろう。ゲームオーバーだ。横島もそれが分かっているからこそ、追い返そうとしているだから。

 ここで横島を殺す以外に道は残されていない。

 

「皆の者、聞くでござる! 拙者達は女である前に戦士でござる。手弱女の如く恥辱で剣を捨てるなど、それこそ恥と思わんか!

 どうしても恥が許せないのであれば、横島の死を持って恥をそそげば良いでござろう!」

 

 シロの激励にスピリット達ははっとした。

 

 恥など一時の事。

 女のプライドで敗北するような事があったら、それこそ戦士としての恥だ。

 

 裸は一時の恥。

 殺さぬは、一生の恥。

 隊長であるシロの意思は伝播していく。

 

 そうだ。この程度の辱めをいくら受けようと、死ぬことは無い。

 それにいくら見られようと、見た当人はここで殺すのだ。恥など殺してそそげば良い。

 

 スピリット達は戦意を取り戻して剣を構えなおす。

 手で隠していた素肌が、横島の眼前に晒された。

 偶然か、あるいは横島の意思か。発育が良いスピリットほど衣服が溶けている割合が多い。

 

 ――――横島を殺して、この恥辱に塗れた記憶を永遠に消してやる。

 

 全員が覚悟を決めて触手タワーに挑もうとする。

 だが、横島はシロが考えてたよりも悪辣で、そして容赦がなかった。

 

 パシャパシャパシャ!

 

 乾いた音が砂漠に響いた。

 いつのまにか、横島は小さい機械を持っていて。ボタンをせわしなく押している。

 機械から薄っぺらい正方形の紙切れが出てきた。

 

 出てきた紙を見てにやりと笑って、紙をスピリット達に投げつける。

 スピリット達は紙に描かれた絵を見て悲鳴を上げた。

 

「君たちの姿はここに永遠に残るだろう! 世界初、スピリットの春画として!!」

 

「いやあああ!!」

 

 一時の恥だから我慢しようとしたのだ。

 記録に残り、しかも全国にばら撒かれるかもしれないとあっては、とても平静を保ってはいられなかった。

 まあ、流石の横島もばら撒くのは酷すぎるのでブラフであったのだが、それはスピリット達には分からない。

 

 またもやスピリット達は手で体を隠し始める。

 駆け引きでは横島のほうが一歩も二歩も上だった。

 

 戦士の決意を羞恥で打ち壊され、シロは歯を食いしばりながら横島を睨んだ。

 確かに横島はエロい。それはシロも知っていたが、ここまでするとは思ってもいなかった。

 

「横島殿! 一体なにがあったでござる! 確かに変態な所は沢山あったけど、ここまで酷い変態ではなかったはずですでござる!」

 

「ふん、甘いわ馬鹿弟子が! 男はみんな変態なんだよ!」

 

「それが少年誌主人公がやる事でござるか!!」

 

「俺がいつまでも同じところにいると思ってんのか。んな少年誌マインドは忘れたさ」

 

 口角を思い切り上げて横島は笑う。それはただのエロ少年が作れる笑みではない凄絶なものだった。

 彼は理不尽に殺されていくスピリット達の絶望にどうやって抗うかを模索し、自分の最高の力を発揮するしかないと考えたのだ。

 

 横島忠夫が発揮できる最高の力とは何か。

 それは悪知恵でも霊力でもない。その程度なら元の世界にいくらでも上はいた。

 横島忠夫が世界にも誇れるもの。

 

 それはエロだ。エロしかない。

 

 エロの力を高めるべく、横島はマロリガン侵攻の情報がもたらされてからの三週間。一度も自分を慰めなかった。可愛いお姉さんが胸を揺らそうと、決して触れも見もしない。

 夜はハイペリアから持ってきたエロ本を読んで、何もしないで眠る。悶々としたまま朝を向え、美人の集団と団欒する。どれだけセリア達をむしゃぶりつくしたいのを我慢した事か。

 その溜めに溜めた煩悩。その全てを放出して理不尽な世界に相対しようというのだ。

 

「馬鹿弟子。お前の殺意も絶望も、俺が打ち壊してやる」

 

「せん……横島殿……」

 

 横島の絶望に抗う意思に強さにシロは戦慄する。

 それは正に運命に立ち向かおうとするヒーローのそのものの姿といえた。

 

 ―――――――――――――――その表情が、だらしなく緩んでさえいなければ。

 

「だから、スケベしようやあ!!」

 

「結局はセクハラでござるか~!」

 

 どれだけ大層な事をのたまおうと、その為にやる行動はセクハラでしかない。

 スピリット達の絶叫と共に横島の魔手が動き出す。横島の手に握られた触手マシンガンが白濁を噴いて、スピリット達の体に命中する。ダメージは皆無だが、しかし服はドロドロと溶けていく。

 

「横島殿の力は煩悩でござる! 皆、大事な所は隠すでござる」

 

 シロの呼び掛けで衣服を溶かされたスピリット達が局部を隠した。例え全裸になろうとも、手と足でガードすれば最低限は隠せる。

 煩悩さえ消せれば横島の力は落ちる。その隙を突けばよい。シロはそう考えた。

 しかし、横島の煩悩は止まらない。ええぞええぞ、とテンションがますます上がって煩悩と霊力が上昇していく。

 

「霊力が回復してる? 一体どういう事でござるか!?」

 

「ふん、愚かなり馬鹿弟子が! ただチチシリフトモモが見えただけではエッチィではないのだ。そこに女の子の羞恥があって、初めてエロスは生まれる」

 

 横島は力説するが、シロもスピリット達も意味が分からずポカンとするだけだ。

 唯一、光陰だけはうんうんと頷いていたが。

 

「くっ! ならば皆、大事な所をおっぴろげるでござる!!」

 

「絶対に嫌です!!」

 

 当然、却下される。

 触手の巨大さとエロさで士気は壊滅的だ

 困り果てたシロは横にいる坊主頭を揺さぶった。

 

「光陰殿、呆けてないで何か対策してくだされ! このような状況で一番頼りになるのは光陰殿でござる!」

 

「そりゃ分かるんだけど……どうしたもんか」

 

 これでシロよりもずっと戦況を考え、冷静に触手を観察していた光陰はもう理解していた。

 横島の打倒は理屈の上では可能だが、現実的には不可能であると。

 

 強力な範囲遠距離攻撃を備えたタマモやレッドスピリット達が眠った今、巨大触手を破壊するのは不可能。だとすれば横島を直接討ち果たすしかないのだが、それには蠢く触手タワーの中で横島と追いかけっこする羽目になる。

 自分では間違いなく横島に追いすがることはできない。ゴキブリの如き逃げ足に捉えるのは困難であるし、なんとこの巨大触手は姿を少しずつ変えているのだ。地の利は完全にあちらにある。

 それでも、全員で追い続ければ時間は掛かるが横島を捕まえられるだろう。何せ敵は攻撃してこないのだ。

 追い続けることが出来れば、であるが。

 

「なあ、シロちゃん、それに皆。あの触手タワーで追いかけっこできるか」

 

 スピリット達は改めて超弩級触手を見た。

 巨大触手の表皮からはでろんと怪しげな突起が突き出ている。しかも、微妙にピクピク動いていたりもする。突起はぬらぬらとした液体に覆われているように見えた。

 飛び回れば、間違いなく素っ裸になる。万が一にも転んだら、繊細な触手ブラシで全身を洗われるだろう。

 さらにその光景をカメラで撮られてしまうのだ。

 

「無理です!」

 

「だよな」

 

 当然の答えだった。

 命令で無理やり言うことを聞かせることも出来るが、それでは間違いなく力を発揮できないし、羞恥に塗れたスピリット達の動きは横島のご馳走だ。

 

 こんな事なら稲妻部隊以外のスピリットも少しでいいから連れてくるべきだった。

 もしも一般的な心を失ったスピリット達だったら、こうはならなかっただろう。

 心が無ければ裸でも問題ないし、横島はただ綺麗なだけの肉人形には興味は無い。むしろ、同情して力が弱まったかもしれない。

 まあ、それをしたのなら横島も別な対策を考えただろうが。

 

 根本的にシロ達は全ての情報を握られているというのが痛すぎた。砂漠の行軍により疲れがピークに達していたのも大きい。

 そうこうしている間にも触手は白濁液を振りまき続け、小さい触手がスピリットに飛び掛る。

 もうスピリットの大半が下着まで見えていて、一部は大切なところまでピンチな者もいる。いよいよ15禁の領域に突入し始めていた。

 

「や、やぁ! ダメですコウイン隊長……見ないで」

 

 とうとう、光陰の副官であるクォーリン・グリーンスピリットも白濁液を身に浴びてしまった。

 服がドロドロと溶け始めて豊かな胸が露わになり始める。

 光陰はさっと上着を脱ぐとクォーリンに羽織らせる。その紳士的な振る舞いに、クォーリンの頬が赤く染まった。

 

「安心しろ、クォーリン! 俺は小っちゃいのが好きで、巨乳には興味なブボボゥ!!」

 

 表情を消したクォーリンの拳が光陰の鼻の下に突き刺さる。

 ばったりと倒れる光陰。最高戦力が仲間の突っ込みで脱落だ。シロは思わず空を仰ぐ。

 悲壮な世界観がギャグで塗りつぶされていく。

 

「わはははははは!! チチ、シリ、フトモモの楽園だーー!!」

 

「や、や、やめてええ! 胸が見えちゃうって!!」

 

「ひゃあ! ヌルヌルの触手が絡みついてくるよーー!!」

 

「うわぁ~ん! もう嫌~~!!」

 

 大空からは白濁の雨。

 地上には淫欲の触手。

 

 鍛え上げた剣術も、磨き上げた魔法も、何ら意味を成さない。戦士の心意気を、全ていやらしさで封殺しようとしてくる。

 外道かと、シロは横島を本気で軽蔑したが、そこで横になって眠り続けているタマモの姿がシロの目に映った。タマモ達は無事だ。衣服も完全で触手もすり寄っていかない。寝ている相手をどうこうしようとはしていなかった。

 

 最悪の変態でも外道にはなり切っていなかった。当然だ。この変態行為は間違いなく横島の趣味というか本能だが、それでも自分やタマモのためにやっているのだから。

 本当に自分達を大切に思ってくれている。だからこそ、シロは恐ろしい。

 もしも、やるだけやって助けられなかったら、先生はどうなってしまうのかが。

 

 理不尽な世界を、理不尽なエロで乗り越える。

 

 それが今の横島の思いであり信念。

 その信念が常軌を逸した強さを持つことが分かって、それでもなおシロは確信している。

 タマモを助けるには誰かの命が必要だ。ギャグとエロだけでは世界は変えられない。

 シロには横島がタマモを助けられず、あるいは助けたとしても誰かの命を使用してしまって泣き崩れる未来が見えてしまう。

 

 ――――拙者がどうにかしなくては。

 

 シロの永遠神剣『銀狼』が光を放つ。

 突きの構えのまま、横島に向って無謀ともいえる突撃をする。

 相打ち覚悟の、というよりも相打ちで良いとシロは覚悟していた。

 

「拙者の殺意、受け取れえ!」

 

「だが、おっぱい!」

 

 しかし、おっぱいなのである。

 横島は両手を前に突き出すと手から丸い珠のようなオーラが広がる。

 オーラはプクプクと膨れ上がって『銀狼』を挟み込んだ。これがほんとの神剣白刃取りである。

 

「な、なんで拙者の剣がこんな……どこからこんな力が!?」

 

「どこからだぁ? そんなん……ここからに決まってんだろうが!!」

 

「ひぃあん! 尻尾の付け根はやめるでござるぅ~~!!」

 

「わははは! やはり犬よのう」

 

「犬じゃないでござるーー! 先生のエロ馬鹿--!!」

 

 必殺の一撃を止められ、敏感な部分を容赦無く触られたシロが半べそをかく。

 横島はエロと優しさを足して2で割ったようなエロ優しい顔になる。

 

 この単純な馬鹿弟子が殺意と絶望に染まるなど許せない。

 絶対に助けてやると、セクハラへの決意を新たにする。

 それにせっかく体も心も成長したのだ。成長具合を確かめるのも師匠の務めだろう。

 

「ぐふふふ! あちこちと色々と成長したのぅ」

 

「ぎゃーセクハラーー! セクハラ先生でござるーー! いくら何でも酷すぎるでござる! こんな事をしていたら人気も評価もガタ落ちで、酷評が山ほど来てしまうでござるよ!!」

 

「ふっ! それがどうした。俺はやる! 例え評価が地に落ちようとも、どんな感想がこようとも、俺はヤる!!」

 

「作者が泣くからやめるでござるーー!!」

 

 シロの抗議を受けて、横島はニタリと笑う。

 とうとう、こちら側に墜ちた。

 

 作者に対する自虐ネタにメタフィクション。

 いずれもが彼の極楽世界で起こりうる特徴だ。シリアスであってもボケる。どれだけの悪党でもコケにする。これが出来てこそGS美神大作戦である。

 さらに横島殿から先生へと呼び名が変化した。久しぶりに呼ばれてとても嬉しい。

 

 もはや血と惨劇を引き起こす殺意は消えうせた。

 後に残るは、ギャグとエロの世界のみ。

 

「さあ、15禁の果てに挑戦するぞーー!!」

 

「ひぃぃぃでござる~~!!」

 

 横島の魔の手がシロ達に襲い掛かる。

 もはや横島の暴虐とエロギャグを止めることはできない――――と思われたその時だった。

 

「青のマナよ、荒れ狂う変態を地の淵に沈めよ! エーテルシンク!!」

 

 青き一条の光が横島の足元に突き刺さって、彼の動きを止めた。

 光が来た方向に目を向ける。風にたなびくポニーテールの姿がそこにあった。

 

「ヨコシマ様……これはどういう事です」

 

 信じられないほど冷たい顔をしたセリアが、横島をまるで養豚場にある糞を見るような目で見つめていた。

 周りには第二詰所のメンバーが勢ぞろいしている。殆どが横島を睨みつけていて、ファーレーンは茫然としていた。

 

「何で来たんだよ」

 

 待機命令が出ていたはずだ。

 

「緊急時には市民を守るため、独自の判断を許されていますから。その巨大な黒い棒……のようなものが町からでも確認できました。お陰で市民はパニック。第一詰め所は都市の防備に、私達は市民のため諸悪の根源を潰しに来ました」

 

 あくまでも命令を無視したわけでないと、セリア達は主張する。

 

「何で来たんだよ」

 

「だからそれは説明したとおり」

 

「何で来たんだよ」

 

 同じ言葉を繰り返す横島。

 凄まじい威圧感が、圧倒的な感情の渦が、セリア達に放たれる。

 何かが可笑しいとセリア達は神剣を握り締めて、横島に対して身構えた。

 

 どうして横島がこの戦場にスピリット達を連れずに一人で戦ったのか。

 理由は大きく分けて二つだ。

 

 まずそもそも横島はまともに戦闘する意思は無かったから、第二詰め所を連れて来る必要性が無かった事。

 もう一つが、第二詰め所が傍にいたら我慢できそうになかったからだ。

 

 何といっても第二詰所は横島の本命なのだ。

 欲望を全て解放した横島にとっては、躾のなっていない犬にお預けを命じるようなもの。

 

 ――――もう我慢できない。食べちゃおう。

 

 ゴクリと生唾を飲み込みながら、ゆらりゆらりとセリア達に手を伸ばす。

 

 やばいやばいやばやばいやばいやばい!

 セリア達は横島を糾弾するのも忘れて、思わず後ずさる。まるで熊に遭遇した人間のように、刺激しないようにそろりそろりと後退した。

 だが、ここに愚かなスピリットが一人いた。

 ファーレーン・ブラックスピリットだ。誰よりも横島を勘違いしていた彼女は、未だに現実を認めていなかった。

 

「よ、ヨコシマ様? これは何かの冗談ですよね? 何かの間違いなんですよね?」

 

 半裸に剥かれて、恥辱に染まった稲妻部隊の面々の光景を嘘だとファーレーンは思った。

 ヨコシマ様は優しくて、強くて、格好良くて、まるで絵本の中から飛び出してきた王子様。

 

 それがファーレーンにとっての横島像。

 ヒミカ等にエッチな悪戯をするのを目撃はしていたが、その光景にはエロティシズムの欠片も無く漫談にしか見えなかった。

 

 こんなエッチな事を、私のヨコシマ様がするわけない。

 そんなファーレーンの信頼は、

 

「うおおおおぉぉぉぉぉ! ファーレーンさんーー!!!!」

 

 涎を流し、思い切り胸を揉みしだいてきた横島によって完全に粉砕された。

 

「きゃああ! ダメです……こんな、ぁぁ、んんんああ!」

 

「おお、何かすげえ敏感だな! エロ可愛いぞファーレーーーーーーン!!」

 

「い、ぃ、い、いやあああああああああああ!!」

 

 全身をこねくり回されて、ファーレンは絶叫する。

 憧れの横島像はここに粉砕されてしまった。

 

 普段の横島ならセクハラをしても悲鳴を上げれば流石にそれ以上はしない。殴りかかられれば、抵抗もせずに殴られる。だが、今は違う。

 有害図書に指定されかねないヤングなパワーを横島は獲得してしまったのだ。

 気を失うか本気で泣かれない限り、横島はセクハラを止める事は無いだろう。

 

「お姉ちゃんに手を出すなーー!!」

 

 ファーレーンの悲鳴に、妹であるニムントールが立ち上がった。

 ハルバート型の永遠神剣第八位『曙光』を振り回して横島に立ち向かう。

 

「うう、ネリー達もニムに続くよ」

「えー」

「私もですか~」

 

 友の助けになるべく子供達が横島に挑む。

 横島は荒くエロイ呼吸をしているファーレーンを名残惜しそうに地面に横たえ、身構える。

 

「ええい、ちょこざいな! 食らうがよい、サイキックオーラロープだ!!」

 

 霊力とオーラを合わせた強靭無比なロープが子供達を襲う。

 ネリー達は必死に抵抗したが、あえなく四人纏めてグルグルに巻きつかれて動きを止められてしまった。

 

「クックックッ、動けまい! さあ、お前らは――――」

 

 横島の手が拘束された子供達に伸びる。

 ビクリと子供達の体が反応した。

 

「わ、わ、わ! ヨコシマ様!? ちょっとタイムタイム!!」

 

「う~シアーはまだ心の準備が」

 

「ふえ~ん! ヨコシマ様、正気に戻ってください~!」

 

「へ、変なとこ触っちゃダメ!」

 

 子供達は顔を真っ赤にして騒ぎ出す。それは紛れもなく恥じらいの表情だ。

 ハリオン達から手ほどきを受けた彼女達は、若き妄想で体を火照らせくねらせる。

 僅かながらに色気を感じた横島は驚いて手を引っ込めたが、彼女達の体をじろじろ見てほっとしたような溜息をついた。

 

「ガキはいらんのじゃああーー!!」

 

「ぎゃあああああああああーー!!」

 

 思いっきり空へ投げ飛ばした。

 子供達は色気もクソもない悲鳴を上げながら、昔のアニメのように空でキランとお星様になる。

 これで子供達は完全に退場だ。

 

 ガキ共は置いてきた。

 修行(性教育)はしたが、ハッキリ言ってこの戦い(15禁)にはついてこれない。

 

 まあ、そういうわけだ。

 

 今度こそセリア達とイチャイチャしようと横島が大人達に目を戻すと、彼女達は神剣を振りかざし戦っていた。

 

「な、なんなのこの気持ち悪い生物はーー!!」

 

「ぬとぬとですね~」

 

 ミニ触手達がセリア達に飛び掛っている。

 その勢いは先ほどのマロリガン部隊の比ではない。

 横島の顔が怒りに染まる。

 

「お前らはモブと戯れてやがれ!!」

 

 ハリオンに襲い掛かろうとしていた触手を稲妻部隊の方に蹴り飛ばす。

 触手はギュビーと不満そうな声を何処からか出した。

 

「うっさい! 触手如きが俺のヒロイン達に手を出すんじゃねえ! お前達はモブキャラの稲妻部隊と戯れてろよ……なに、お前らも脇役じゃなくてヒロインが良いだと!? 気持ちは分かるけど贅沢言ってんじゃねえ!!」

 

 触手達と意見をぶつけあう。

 現実離れした光景にセリア達は頭痛で倒れこみそうだった。

 

 それ所ではないのが、稲妻部隊のスピリット達だ。 

 今まで散々楽しそうにエロい悪戯を仕掛けておきながら、脇役はいらんと袖にされたわけだ。しかも触手にまで。女としてのプライドはもうボロボロだ。

 未だかつて無い怒りが稲妻部隊を襲った。

 この男をボコボコにするためなら何だってやってやると心に決める。

 

「ラキオスのスピリット達ー! 聞いて、この触手を倒すにはレッドスピリットの――――」

 

「えーい、じゃかあしいわ! やれ、ミドオルガズム!!」

 

「きゃあああ!!」

 

 まずは超巨大触手を倒すべく、協力すべきと一人のマロリガンスピリットが弱点を教えようとしたが、それは横島が白濁液を触手に出させて阻止する。

 

 だが、それだけで十分だった。

 ヒミカとナナルゥは魔法の詠唱を開始する。

 これはやばいと、血相を変えた横島が触手に大量の白濁液をヒミカ達にぶっかけるよう命令する。

 ドビュルルル、と滝のような白濁液がヒミカ達に襲い掛かった。二人は魔法の詠唱で避けようがない。しかし、二人の詠唱を守ろうとマロリガンスピリット達は動く。

 

「させません……あ、んんあ!」

 

 白濁液からヒミカとナナルゥを庇ったマロリガンのスピリットが身もだえながら裸になっていく。

 身を挺して守ってくれたのだ。その意思には応えなければならない。

 

「永遠神剣の主が命じる。マナよ、炎のつぶてとなり、全てを焼き払え!」

「フレイムシャワー!」

 

 ヒミカとナナルゥが赤の魔法を唱えた。

 空に巨大な魔方陣がいくつも生まれ、そこから火のつぶてが落ちてくる。

 フレイムシャワーは効果範囲こそ非常に広いが、威力は非常に低い神剣魔法だ。

 ランク的は習得しやすい下級魔法に属する。だから使用できる回数も非常に多い。

 その下級魔法が、エトランジェを含む精鋭スピリット隊を圧倒した触手を焼いていく。

 

 巨大な山のような触手だったが、しかしその防御力は貧弱そのもの。

 炎の雨に打たれて、触手は見る見る溶けていく。

 

 スピリット達をあれだけ苦しめた弩級触手は、下級魔法の数発で粉砕された。それだけ触手の能力は歪だったのだ。

 触手はドロドロと溶けて、とうとう一軒家程度の大きさの粘液となって動かなくなる。

 横島も炎と粘液の中に消え去っていった。

 

「勝った! 私達は勝ったのよ!!」

 

「二人は私達の英雄ね!」

 

 ラキオスのスピリットもマロリガンのスピリットも手を叩いて喜び合った。

 一番の功労者であるヒミカとナナルゥは賞賛を浴びる。

 エロの暴虐を討ち果たし貞操を守れた。まあ、元々15禁が限度なので貞操が破られる心配は皆無であったのだが。

 

「さあ、これでようやく戦闘開始でござる! ラキオスを屠るでござる!!」

 

 下着のみとなったシロが、神剣を天に突き出して宣言した。

 しれっとした空気がその場に流れる。この状況で殺し合いを始めようというのか。ラキオスのスピリット達は極悪エロ触手を共に倒した戦友なのである。それに雌雄を決する戦いを白濁でベトベトになった半裸と全裸が入り乱れて戦うなんて最悪の絵だ。

 

「シロ隊長……もう少し空気を読んだ方が」

 

 スピリットの一人が言った。他のスピリットも頷きあう。

 横島が作り出したエロギャグの空間に染まったスピリット達。

 その光景にシロは苦虫を噛み潰したような顔となった。

 

 シロだけは、まだギャグの海に沈んではいなかった。シロは考える。

 先生を殺す覚悟も、殺される覚悟もそんな簡単に出来たものではない。

 そう簡単にギャグで脳味噌を侵食されて堪るものか。

 こうなったら仕方がない。一人殺せば皆の目は覚めるだろう。

 シロは『銀狼』を構えなおした。

 

 流石にラキオススピリット隊の顔色が変わる。シロが本気と分かったらしい。

 慌てて神剣を構えようとしたが、遅い。

 

「さあ、死んでもらうでござ……るうぅぅぅぅぅぅーーー!?」

 

 るうぅぅぅぅぅぅ、とドップラー効果を起こしながらシロは空中に巻き上げられた。

 シロの足にゼリー状の、スライムのようなものが伸びて足首を捉えていた。シロは慌てて宙吊りの元凶となった足首に巻きつくスライムを切りつけるが、いくら切っても瞬時に再生して振りほどくことが出来ない。

 目を白黒させるシロだったが、彼女の目にあるものが飛び込んでくる。

 

 巨大なスライムが眼下にあった。

 

 溶けた触手の残骸と思われた白濁の粘液が、まるでスライムのように躍動してた。

 スライムの中にはすっぽんぽんの横島がいた。上半身だけがスライムから飛び出ていて、下半身は埋まっている。

 シロを見る横島の表情には苦々しく、悲しげなものが僅かに浮かんでいた。

 だがそれは一瞬のこと。すぐにエロエロしい表情に切り替わる。シロの額には大粒の汗が浮かんだ。

 

「先生……一ついいでござるか」

 

「ん、なんだ」

 

「拙者、飛べないのでござる」

 

 横島は笑った。

 シロも笑った。

 するりとシロの足首を捉えていたスライムが外れる。シロは半泣きでスライムに落下する。

 

 ドプンという粘着的な音ともに、シロはスライムの体内に取り込まれた。

 瞬く間に残されていたシロの服は溶けていく。あっさりと全裸になるが、それだけではすまない。

 

「あぅ……ッッ! し、振動が!? きゃん……ぅぅぅっああ! う、動かないでぇぇ」

 

 スライムの体液には服を溶かすだけでなく、媚薬効果もある。誰もが知る当然の常識だ。

 無論、スライムらしくブルブルと振動する事でマッサージ効果もあり、ゲル状なのを利用して普通は揉めない所も揉める。

 スライム風呂とは最高のマッサージチェアそのものであった。

 

 砂漠にシロの嬌声が響き渡る。

 殆どのスピリットは顔を青くして、またあるものは普段凛々しいシロの淫らな声に鼻血を流す。

 

 少しして、ぺっと唾を吐き出すようにシロがスライムから吐き出された。

 

「あふぇえ……」

 

 この戦場で誰よりも戦意と殺意に満ちていた犬塚シロのあふぇえ顔であった。

 

 横島も流石にやりすぎたかという顔をしたが、まあいいかと軽く頭を切り替える。

 

「さて、それじゃあ……始めるか!!」

 

「ひいいぃぃ!」

 

「これが第二形態だ。ここからが本番だぞ!」

 

「そんな……まだ本気じゃなかったなんて」

 

 ずりずりとスライムが迫ってくる。頼りになるエトランジェはもう居なかった。

 かつて無い危機が身に迫っているのを感じたスピリット達は、生き残るために友情もプライドも放棄した。

 

「ほ、ほら! 本命は第二詰め所なんでしょ! 私達なんて所詮モブですから~」

 

「貴女達!? 一緒に戦ってくれるんじゃなかったの!?」

 

「自分達の隊長なら責任持って処理しなさいよ!!」

 

「うるさい! そもそも貴女達が攻めてこなければこんな惨事にはならなかったのよ!!」

 

 まるで貧乏神の擦り付け合いである。

 必死なスピリット達を前にして、横島は大仏のような笑顔を浮かべる

 

「皆、安心してくれ」

 

「え?」

 

「俺は両手に花が好みなのだ! さあ、スピリット達よ、俺のスライム風呂に招待してやるぜ!」

 

「う~ん、大変な事になってしまいましたね~」

 

「うわーーん! 魔法も剣も効かないよーーーー!!」

 

「ラキオスのエトランジェは化け物だーー!!」

 

「ラキオスは変態国家だーー!!」

 

「あの人が特別なだけよーー!! いやああああ!!」

 

 砂漠に女達の嬌声が響き渡る。

 

 

 一時間後。

 エロスライムはスピリット達にエロスを振りまき続けた。ついにパンツの一つすら残さない不毛の荒野に、いや色取り取りの草は生い茂っていたりもするのだが、それはともかく。

 苦し紛れに唱えたブラックスピリットの弱体化魔法を受けて、スライムはあっさりと四散した。やはり弱点はあったらしい。

 力を使い果たした横島はラキオス、マロリガンの双方のスピリットからぼこぼこされ、地中深く埋められて封印された。

 

 こうして第三次マロリガン戦は終わった。

 

 ラキオス、マロリガン双方において、この戦についての詳細情報は後世に伝わっていない。

 関係者各位が、一様に口を閉ざしたからだ。

 ほぼ全員が素っ裸で帰国したという事で想像を超える激戦があったと推測されるが、誰一人として死亡者どころか怪我すらしていないという奇怪な事態に、真実を知ろうとしたものは悩まされる事となる。

 

 まあ、それでも、誰もが分かった。

 ああ、また横島が馬鹿をやったんだなと。

 

 




 いやあ、女戦士を触手やスライムで辱めて無力化するのはダークファンタジーのお約束ですよね。え、違う?

 今回は読者さん達にどう思われるか中々怖いです。投稿するのも躊躇しました。手ぬるいと思われるか、やりすぎと思われるか。ゲームやりながらだとこの程度のエロで世界観を壊せないかもと手ぬるく感じるし、GS美神を読みながらだと横島がやりすぎな気もするし……クロスオーバーは本当にバランスが難しい。忌憚のない評価や感想お願いします。

 もう全部エロパワーでいけるやん、と思われそうですが、本編でも言っている通りよほど状況に恵まれない限り煩悩パワーだけで勝利はできません。
 今回のギャグ勝利は、シロ達の情報が筒抜けであり、大量の文珠と数週間の準備期間でオナ禁できたからこその勝利。ここまでやれば世界観をひっくり返せたりします。
 決して無常な世界観や理不尽神剣パワーに横島は無力じゃないのです。

 この流れから次話でヒロイン決定。まずはIFルートから。


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第三十二話IF 嫉妬の味は蜜の味 前編

 こちらはIFルートです。本編ではありませんが、本編を楽しむ為には読んだほうがいいかも。
 前編はややフラストレーションが溜まる話なので、イライラしたくない人は中編と後編を含めて一気に読んだ方がいいかもしれません。その場合は文字数が多いので時間に余裕がある時が推奨です。




 横島が大暴れしてから、マロリガンの攻勢はピタリと止んだ。

 人的被害は互いに無かったのだが、ただの一人にマロリガンの全精兵が素っ裸にされて追い返されたのだ。

 圧倒的なエロの差を見せ付けて敵スピリットの心を折る、という横島の企みは成功したかに見えたが、事実は少々異なっていた。

 実はマロリガンのスピリット達は戦意を失うどころか、『バンダナの変態は殺せ!』と横島への敵意を燃やして士気が大いに上がっていた。戦闘力で心を折るというよりも羞恥で戦意を萎えさせたから、というのもあるだろうが、何より横島という男の個性が女の子を意気消沈させるのに向いていないのだ。

 まあ、戦いの最後で横島をボコボコにした時に殺そうと思えばできたはずなのだが、そこは横島の作り上げたギャグ空間に飲まれて考え付かなかったのだろう。

 

 ただ戦意の向上はスピリット達だけであって、人間達はただ一人に自国最強の精鋭部隊が裸にされて追い返されるという事態を重く受け止めていた。

 少数とはいえ、エトランジェに率いられた最強の部隊が一人に追い返されたのだ。圧倒的な実力差があると考えるのは当然だった。どの道、講和する予定だった向こうの戦意はこれで完全に消え去った。

 マロリガンとの和平は必ず成立するとレスティーナは確約した。

 横島の成した功績は非常に大きい。だが、その対価の大きさを横島は知ることになる。

 

 

 

 

「ファーレーンさん、ちょっと話が」

 

「ひぃああ! すいません、私は見回り行ってきます!!」

 

「セリア、買い物なら付き合うぞ! 荷物持ちでも何でも」

 

「私に近づかないでください」

 

「ナナルゥ、一緒に読書でもどうだ! 良い本があるんだけど」

 

「それはご命令でしょうか?」

 

「ヒミカ! 良い砂糖があるんだけどお菓子作りでも」

 

「お断りします変態様」

 

「ネリーシアーヘリオンニム、一緒に何かして遊ばないか」

 

「やだー!」

「シアーも絶対に嫌なの」

「こっちにこないでくださーい!」

「この変態」

 

 とまあ、このような状況だ。

 女の子達からちやほやされる楽園であった第二詰め所は、今や針の筵と化していた。

 

「どうしてこうなった」

 

『当然としか答えようが無いな』

 

「むぐぅ」

 

 触手にスライムにと大暴れ。

 15禁を上限としてだが、男の欲望を余すことなく叩きつけた。

 今までもお馬鹿でエロな悪戯を仕掛けることはあったが、そこまで生々しい悪戯は仕掛けず、すぐにお仕置きされていたからか尾を引く事はなかった。しかし今回は度が過ぎたとしか言いようが無い。

 特にファーレーンからしてみれば、憧れの男性から唾棄すべき変態にまで落ちたのだ。その衝撃は計り知れない。

 

「ガキ共には何もしてないだろうが!」

 

『何もしなかったのが問題だったのではないか? まったくもったいない』

 

 思春期に入って、体も心も少しずつ女性的になり始めたネリー達は横島を意識し始めていた。

 女性としての自意識や自尊心が生まれていた矢先に、

 

 ガキはいらん!

 

 とポイ捨てされたのだ。女性としての自尊心など木っ端微塵である。

 別にエッチな事をされたかった訳ではないが、それでも気になる人から眼中に無いと言い切られた多感な少女達は怒っているのだ。

 ちなみにハリオンだけは、

 

「男の人だから仕方ないですよね~」

 

 と、謝罪したらあっさり横島を許していた。

 のんびり者の無敵お姉ちゃんは健在である。

 

「ともかく、いつまでもこうしてられん! 何としても仲直りするぞ!! 考えていたのと状況は変わったが、ここは秘密兵器を投入せねばなるまい」

 

 横島は自信満々な顔をして言ってのけた。

 そう、横島には秘策があったのだ。以前からちびちびと伏線を張り続けてきた成果を発揮しようと張り切る。全ては、第二詰所とのラブラブでエッチな日々のため。

 その秘策が、全ての元凶になるというのを、神ならぬ横島には知りようもなかった。

 

 

 

 

 

 永遠の煩悩者 第三十二話IF

 

 嫉妬の味は蜜の味

 

 

 

 

 

 昼下がり。

 哨戒などの勤めは全て第三詰め所に割り振られており、珍しく第二詰め所のメンバー全員が揃っていた。夕飯の下ごしらえ等も終わり、空いた僅かな時間でお茶会を始める。

 

 話題は多種多様だ。セリアは横島がハイぺリアから持ち込んだ調理道具の利便性を熱く語り、ナナルゥは今見ている小説の批評を皆に聞かせ、子供達は人間の子供達との遊びを吹聴する。

 趣味も特技も増えているスピリット達にとって、話題に事欠くことは無い。

 それでも、やはりメインの話題は当然というか横島の事だ。

 

 ――――――本当にヨコシマ様って変態ね。

 

 横島への不満を言い合いながらお茶をすするスピリット達。不満を口にしないのはハリオンぐらいだ。その彼女も、思う所があるのか横島の擁護はしなかった。

 横島は『何でもするから許してくれ』と何度も謝罪して頭を下げているが、裸にされてスライムをけしかけられるという筆舌尽くしがたい屈辱を軽々と許せるわけがない。

 しかし、怒りの声は口に出る表向きなものになりつつあった。

 

 ――――――ちょっと寂しいかも。

 

 横島と口をきかなくなって数日は経つ。それだけの時間で、もう誰もが内心で仲直りしたいと思っていた。時間が経てば怒りは少しずつ失せるものだ。それに、やはり横島と馬鹿騒ぎしたほうが楽しいのは分かりきったこと。

 

 次にヨコシマ様が謝りに来たら許してあげよう。そして、いつもの騒がしく楽しい日々に戻ろう。

 

 恥ずかしさがあって誰も口にはしていないが、全員がひっそりと決めていた。

 まあ、ファーレーンだけは未だにパニックから抜け出していなかったが、それでも険悪の感情は抜けていた。

 

 横島とスピリットが紡いできた絆は強い。15禁エロ程度が引き起こす怒りで崩壊するよう脆い繋がりではないのだ。

 だからこそ、彼らの関係を崩すとしたら、それは怒りではない別の感情しかなかった。

 

「ヒミカ、ちょっといいか」

 

 お茶会の最中に横島がやってきてヒミカを呼んだ。横島の頬を少し赤くして緊張しているようにみえた。

 

「なんの用事ですか。見てのとおり、私達は休憩時間でお茶の途中なんですが」

 

「いいからいいから!」

 

「きゃ!」

 

 横島はヒミカの手を強く握って部屋から連れ出す。そして自分の部屋まで連れ込んだ。

 男の部屋に連れ込まれるという体験に、ヒミカはドキドキと胸を高鳴らせる。

 そこに険悪や恐れがない時点で、ヒミカがとっくに横島を許しているのが伺えるだろう。

 

「ヒミカ、今回は本当に悪かった! どうか許してくれ」

 

 深く頭を下げる横島。

 部屋に連れ込んでおいて謝罪が目的なのかと、ヒミカは肩透かしを食らった気分だ。

 とりあえず予定通り謝ってくれたので、さもしょうがないというように笑顔を作る。

 

「はあ……分かりました。今回だけはゆる――――」

 

「でも謝っただけじゃ俺の誠意は伝わらないのは確か。そこで! 俺の謝意を示すためにプレゼントを用意させていただきました! ささ、お代官様。これを」

 

 ヒミカの声を遮って、横島が綺麗に包装された箱を突き出す。

 

 いやもう許していたんだけど。

 

 話を聞かない横島に若干呆れた。また変な悪戯じゃないだろうかと怪しみながらも、差し出された箱をそっと開ける。

 そこには、黒いドレスが綺麗に畳まれて入っていた。

 畳まれているから詳しくは分からないが、それでも変に露出が多いとか、恥ずかしい装飾が施されていないのは分かる。生地は滑らかで光沢も良い。シックな雰囲気だが、裾や袖には刺繍が施されていた。

 全体的にシンプルだが上品であり、それでいて可愛さもある。ドレスはどこかヒミカに似た雰囲気があった。

 間違いなくヒミカに似合うだろう。サイズに関しても横島の目測に誤りがあろうはずもない。

 

「……わぁ、素敵」

 

 ほうっと、ヒミカは熱く吐息をもらすように呟く。

 燃えるような熱を頬に感じた。胸は早鐘のように打ち、マグマの如き熱い血が全身を駆け巡る。

 

 気になる男性からドレスが贈られるという、生まれてから今まで想像すらしえない体験に、もうヒミカの頭の中では許すとか許さないではなかった。

 嬉しさと恥ずかしさが混じりあいながらも、早くこのドレスを着てみたい。そして、ヨコシマ様に早く見せたい。そうしたら褒めてもらえるだろうか。綺麗と言ってくれるだろうか。もっとスタイルが良ければいいのに。可愛い下着を履いておかなければ。

 諸々の混乱がありながらも、ヒミカは胸の高鳴りを覚えずにはいられない。

 

「その……な。受け取ってもらえるよな」

 

 緊張と期待からか横島の顔も赤く染まっていた。彼の頭の中では仲直りは成功したも同然で、仲直り後からどうやってエッチな雰囲気に持ち込むかが問題だった。相も変わらず邪な奴である。

 そんな横島を、ヒミカは格好良いとも情けないとも思わない。

 

 ただ、愛しい。愛しい人。

 ヒミカの口から人類史を存続させてきたある言葉があふれ出ようとする。

 

 

 そこでヒミカは視線を感じた。

 部屋の外に彼女らがいる。僅かに開いたドアの隙間から、青と赤と緑と黒の瞳が何かを訴えてくる。

 目は語っていた。

 

 ――――さっきまでヨコシマ様を罵っていた言葉は嘘だったのか。

 ――――どうしてヒミカだけが。

 ――――うらやましい。

 ――――合体しちゃうんですか~

 

 怒り、嫉妬、妬み、好奇。諸々の視線が突き刺さってきた。ヨコシマ様の想いを受け取ろうとしている姿を見つめられている。

 それを意識した途端、嬉しさは全て恥ずかしさに変化した。

 喜びが大きければ大きいほど、それに比例して羞恥が増した。先日、横島に裸にされた以上の羞恥に、比喩抜きで全身が燃えたかとヒミカは思った。

 もし、ドレスを受け取り横島への好意を口にして、それを仲間達に見られてしまったら。

 

 ――――恥ずかしくて死んでしまう。

 

 ヒミカは本気でそう思った。

 比喩や例えとしてではなく、心臓が爆発すると、顔が焼けてしまうと、彼女は本気で恐れた。それだけヒミカが感じている羞恥は大きくて未知のものだったのだ。

 

 時間にして数秒。

 凄まじい感情のうねりがヒミカの全てを侵しつくす。

 そして、彼女の口が動いた。

 

「こんな物で私のご機嫌を取るつもりですか。貴方は卑怯です」

 

「へ?」

 

「私は戦士です。このようなヒラヒラを着て戦場に行けるわけがありません」

 

「いや戦場で着なきゃいいだけじゃ」

 

「と、とにかく! このようなものお受け取りできません。失礼します」

 

 ドレスの入った箱を横島に押し返し、きびすを返す。

 その際、魂魄ぬけたように茫然としている横島が目に入った。まったく分けの分からない理屈で入魂のプレゼントを袖にされれば是非も無い。

 ズキリとヒミカの胸に痛みが走る。同時に、甘い疼きもよぎった。

 

 言ってやったという恍惚感と、言ってしまったという後悔。

 横島の虚脱した表情にヒミカは罪悪感を覚えたが、同時に深い愛情を感じた。

 

 ――――私が受け取らなかったのは、そんなにショックだったんだ。

 

 子供が大好きな親に反発したような。

 好きな人にわざと意地悪するような。

 

 空虚と興奮が全身を支配した。

 悲しくて、嬉しくて、苦しくて、切なくて。

 涙と笑顔が同時に浮き出てこようとする。スピリットが経験し得ない感情の動きに、ヒミカはただ翻弄されていた。

 

 が、そんなヒミカの女児じみた内面など横島に読めるはずも無い。

 仲直りの為に、ヒミカとの関係を一歩を進める為に、最終的にはエッチして愛し合う為に、横島の本気の想いと行動は受け取ってすら貰えないという最悪の結果で幕を下ろした。

 

 俺はヒミカに本気で嫌われている。

 

 横島がそう考えるのは当然の帰結だった。

 この瞬間、盤石を誇っていた第二詰所の歯車がずれた。ここが全ての分岐点。IFの始まり。

 そのズレが世界全てのスピリットに影響を与える事になると、まだ誰も気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒミカにドレスを突っ返された後、横島は自室で不貞寝していた。寝転がりながら天井をぼーっと眺める。

 まさか受け取ってすら貰えないのは想定外だった。

 国同士の外交でも、人間同士の親交でも、贈り物を突っ返すというのは最上級の無礼とされている。それはこの世界でも変わらない。突っ返す方だって絶交の覚悟がいる。

 

 仲良くする気も仲直りする気もない。

 そう明言したという事だ。

 事実は、ヒミカが恥ずかしがっただけで、自分のした行動の意味など碌に考えてなかったのだが、サイコメトラーでもない横島に分かるはずもない。

 がっくりと肩を落とし続ける横島。そこに、のんびりとした声が響いた。

 

「ヨコシマ様~大丈夫ですか~」

 

 ハリオンが部屋に入ってくる。

 いつものように安らぎを与えてくれる笑みは健在で、横島も少し心が楽になった。

 

「安心してください~ヒミカは恥ずかしがっただけなんですから~」

 

「いや……恥ずかしいってだけでありゃないっすよ。子供じゃないんすから」

 

「ヒミカは第二詰め所で一二を争う乙女なんですよ~そういう事もありますって~」

 

 ハリオンの慰めに、そういうものかと横島は気を取り直す。

 ならば次は、恥ずかしさなんて感じないようなスピリットにしよう。

 

 不屈の精神ですぐさま行動を決意する。女の子とイチャイチャ出来なければ、何のために第二詰め所で命を張っているか分からない。

 そう考えた横島はハリオンに礼を言って、丁寧に包装された本を手にすると力強く歩き出す。

 ハリオンは笑顔で横島を見送った。その笑みに、どこか陰があるのを横島は気づかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、ヒミカは皆の所に戻り、お茶会を再開させていた。

 ゴゴゴゴゴゴゴと、まるで地雷原の上でタップダンスするような緊張感と共に。

 

「ヨコシマ様からの贈り物は拒否したわ……これで満足かしら」

 

 潤んだ目でキッと周り睨みつけながらヒミカが言った。

 生涯で最高の贈り物を受け取れるところだったのに、妙な視線で台無しにされてしまったと、ヒミカは怒りをぶつける。

 それに対し、ナナルゥが反論した。

 

「満足も何も、私達は何も言っていません。ヒミカが勝手に受け取らなかっただけだと思いますが」

 

「あんな目で見つめといて、そんな言い訳が通ると思ってんの! ああ、そう。ナナルゥって、実はヨコシマ様が好きなんじゃない? だから嫉妬して睨みつけてきた……違う?」

 

「違います……ちがう、はずです」

 

「どうだか」

 

 口ごもりながらもナナルゥは反論する。ヒミカはナナルゥを睨みつけたままだ。

 他のスピリット達も色々と思う所があるのか、むっつりと黙り込んでいる。

 茶会はまさに一瞬即発の修羅場になり果てていた。

 

「おーい、ナナルゥ! いるかーー!!」

 

 そんな空気を物ともせず、横島が茶会に割って入ってくる。

 ヒミカはクルリと後ろを向いた。気まずさと甘酸っぱさでとても横島の顔が見れないらしい。

 横島は顔を顰めたが、今の目標はヒミカでは無い。ナナルゥの手を握って、ヒミカのときと同じく自室に引っ張り込む。

 

「ナナルゥ、本当に悪かった!!」

 

「……はい」

 

 ナナルゥはぶっきらぼうに返事をする。内心でドキドキと期待で胸を膨らませているのを隠すかのように。

 

「それで、お詫びといったらなんだけど……これを受け取ってくれないか!」

 

 横島は綺麗に包装された一冊の本をナナルゥに差し出した。

 ヒミカと比べれば手が込んでいないように見えて、ナナルゥは少しだけ落胆したが、それは本に書かれている著者を目にして一変した。

 

「まさか……この著者は!」

 

「おっ、知ってるのか!? これを手に入れるのに苦労したんだぞ!」

 

 その著者の名は一般には知られていない。知っている者は、むしろ口を噤むだろう。

 それもそのはず、この著者は人間とスピリットの恋愛をテーマに本を書いているのだ。当然、禁書である。スピリットであり、愛を知ろうとしているナナルゥにとっては、正に垂涎の一品だ。

 どこの店でも取り扱わない幻とも言える物品。希少性を考えればヒミカのドレスよりも遥かに上だろう。

 

「俺と一緒に本を読みあって、お互いに感想を言い合ったら面白そうじゃないか」

 

 言って見れば恋人同士で恋愛映画を見に行こうという提案だ。

 肩を寄せ合いながら同じ本を見て、互いの意見を交換し合う。

 

 ――――――ヨコシマ様はなんて素敵な事を考えるのだろう。

 

 ナナルゥは初めは尊敬の目で横島を見て、次に横島と二人きりで本を読むふけるシチュエーションを想像して顔を真っ赤にした。夢見るような表情で本をとろうとして、

 

 ――――――ナナルゥ、さっき私に言ったことを忘れたの?

 

 扉の隙間からナナルゥは視線を感じた。それは嫉妬と怒りに満ちている。

 だが、横島が考えたとおりナナルゥは他人の視線を意識するタイプではなかった。ヒミカと違って、そこまで恥ずかしいとは感じない。

 しかし、ナナルゥの胸はとある感情で飛び跳ねていた。

 その感情とは、

 

 ――――幸せすぎて怖い。

 

 羞恥ではなく、恐怖だった。

 一体何故、こんな恐怖を抱いてしまったのかナナルゥ本人にも分からないが、幸せと恐怖を同時に感じてしまったのは確かだった。

 

 恐怖と幸福。

 

 濁流の如く流れ込んできたその感情は、未だに幼子同然の心を有しているナナルゥには、あまりに大きく、あまりに強く、とても制御できるものではなかった。

 

 ――――溺れてしまう。このままでは、ヨコシマ様に溺れてしまう。

 

 恋愛小説を読みふけっている影響か、ヒミカと比べると詩的な表現だ。

 未知なる恐怖を抱いたナナルゥは、その恐怖を取り除くためにシンプルな行動に出た。

 すなわち、

 

「いりません」

 

「え?」

 

「本などいりません。失礼します」

 

 横島から送られてきた愛情を受け取らない。

 それが恐怖に対処するためにナナルゥの取った行動だった。

 

 本を突っ返されて、横島の瞳が光を失う。

 光を失っている横島の姿を見て、ナナルゥは強く胸がうずいた。

 

 私はヨコシマ様に愛されている。

 

 そんな秘かな充実がナナルゥの胸を満たす。同時に、プレゼントが受け取れなくて悲しいとも思う。ここは先のヒミカとまったく同じだ。

 横島の心に多大な傷を残していることに、自分の感情でいっぱいいっぱいの彼女は気づかない。

 こうして、ヒミカに続きナナルゥまでも横島との仲直りを拒否することになる。

 

 二人が横島のプレゼントを拒否した所為で、セリア達には妙な制限がかけられてしまった。

 

『今後、ヨコシマ様からのプレゼントを受け取ってはならない』

 

 横島からすれば『はあっ!?』としか言いようがないふざけた内容。

 しかし、第二詰め所全体の空気が横島と仲直りしないように、と決定されてしまった。

 

 そうすればヨコシマ様は仲直りのプレゼントを持ってきてくれる。

 そうすればヨコシマ様に愛されていることを実感できる。

 そうすれば恥ずかしさから逃れることが出来る。

 そうすれば恐怖を感じずに済む。

 

 意味不明な論理展開。

 それは初めて恋を受け取った小さなレディ達の、情動による暴走だった。

 かくして、女児達の癇癪に横島は振り回されることになる。

 

 

 

 

 

 

 

「ちくしょー! なんだってんだよ!!」

 

 部屋に戻った横島はひとしきり叫んだ後、ベッドに倒れこんだ。

 しばらく死んでいると、ルルーが仕事の事で話があると部屋にやってきた。

 横島はやってきた妹に愚痴をグチグチと聞かせる。ルルーは呆れたようだった。

 

「どうせ、しっかり謝らなかったんでしょ。兄さんってふざけてばかりだから」

 

「しっかり謝ったわい! 本気で頭を下げて、お詫びの品も持ってんだぞ!! これで謝ってないっていうなら、ほかにどうやって謝れっていうんだよ! 言ってみやがれ!!」

 

「ひゃ! そ、そんなに怒りながら言わなくても……」

 

「……ああ、悪い。はあ……はあ~~~~」

 

 横島の怒りと落ち込みようにルルーは首を傾げた。

 どうやら本気で謝ったらしい。しかも、それでもハリオンを除く第二詰所の面々は全く横島を許さなかった。

 そんな事ありえない、とルルーは思う。

 

 どれだけ横島が、兄が、スピリットの為に心を砕いていると思っているのだ。

 兄の頑張りを間近で一番見ていて、その恩恵を最も多く受け取っている第二詰所が、裸に剥かれた程度で絶交を宣言するなどありえるはずがない。

 きっと何か勘違いがあったのだと、ルルーは考えた。

 

「安心して。兄さんがどれだけ頑張ってきたか、分からないスピリットはいないから」

 

「……そうか、そうだよな! 本気で頑張って成果も出してるよな!」

 

 あっさりと元気になった横島だが、ルルーにはどこか無理しているようにも見えた。それだけ真剣に心をぶつけたのだと理解する。本気をぶつけてスルーされるのは本当に辛い事だとルルーも知っていた。

 どういう理由で兄の心を拒絶したのか、セリア達から話を聞きに行った方がいいかもしれない。

 ルルーも行動を起こし始める。

 

 

 

 

 

 そんなルルーの動きなど露知らず、横島は次にシアーの所へ向った。

 子供達にもプレゼントは用意してある。大人達とは違い、こちらは下心はない。ただ純粋に喜んでほしいという心の表れだ。根本的に横島は子供に優しかった。

 

「んしょ、んしょ」

 

 シアーの部屋に行くと、彼女は竹と木材を組み合わせて何やら作っていた。

 作っているのは竹馬だ。横島は日本の遊び道具を子供達に聞かせて、それをシアーは作ろうと努力している。こうしてハイぺリアの遊び道具を作ると、シアーは町の子供達の所に持っていくのだ。

 その為、シアーは男の子達から非常に人気がある。男の子受けする性格に、男の子受けする趣味を持っているのだから当然だ。無論、スピリットという種族の足かせは大きかったが、レスティーナの方針と一人の少年の努力が実を結び始めているのも大きいだろう。

 

「ん~切りづらいなあ」

 

 大人用の無骨な彫刻刀は、小さな手のシアーには使いづらいらしい。

 ちょうど良い時に来たものだと、横島はほくそ笑む。

 

「よ、シアー。なに作ってるんだ」

 

「あ、ヨコシマ様~。あのね、今は……なんでもないもん」

 

 最初はニコニコとお喋りしていたのに、途中で急に不機嫌になる。

 いつも仲良くしている相手と今は喧嘩中だったと気づいた子供だ。子供時代を思い起こさせるシアーの言動に横島は癒される。微笑ましくも感じるが、いい加減そろそろ仲直りをはたしたい。

 

「なあ、シアー。どうして怒ってるのかよく分からんけど、とにかく俺が悪かった。これで手を打って仲直りしようぜ」

 

 横島はプレゼントを差し出した。

 シアーに送ったものは、なんと彫刻刀である。無論、ただの彫刻刀ではない。

 その数は十数本にもおよび、それぞれ握りの色が違う。さらに握りもシアー用に小さく作ってた。

 止めに、シアー・ブルースピリットと名前を彫ってある。まさにシアー専用の彫刻刀だ。

 シアーは呆けたように彫刻刀を見つめた。だけど、いきなり胸を押さえてクルリと回れ右をする。

 

「いらない」

 

「へ?」

 

「いらないから出てって!!」

 

 シアーの金切り声が部屋を震わせる。

 本気の拒絶を横島は感じた。その表情は横島からは見えないが、絶対に近づくなと全身が主張している。

 

「お、おい。何か気に食わなかったんか。だったら出来れば何が悪かったか言ってくれると」

 

「いいから、出てって……早く!!」

 

 まるで恐怖を堪えているかのように、シアーの肩は震えていた。

 横島はもうどうしようもなくて、悪かったと言って部屋を出る。

 部屋から横島を追い出したシアーは、泣きながら横島に謝った。

 

「ごめん……なさいヨコシマ様。でも、どうしようもなかったの。顔がとけそうで……胸が痛くて……体が、お腹が……熱いよぅ……ヨコシマさまぁ」

 

 シアーのまだ幼さが残る声には、艶やかで生々しい女性のそれが含まれていた。

 リンゴのように真っ赤になったシアーの切なげな吐息が部屋に満ちて、彼女は部屋の鍵をかけるとベッドに倒れこんでいった。

 

 

 

 

 

 圧倒的な徒労感に横島は打ちのめされていた。

 一体何が悪かったのか。このプレゼントに何か問題でもあったのだろうか。

 シアーの気持ちがまったく理解できなくて、ただ悔しさと混乱で胸が痛い。

 棒のような足を引きずりように部屋に戻る。

 

「ふざけんな! 何を考えてるの君達は!?」

 

 すると大きな怒鳴り声が響いてきた。

 リビングに行くと、ルルーがセリアを相手にして怒鳴りつけていた。

 

「第二詰め所の事は第二詰め所で考えます、関係ない人は関わらないで!」

 

「関係ないわけないでしょ! 兄さんは第二詰め所だけと付き合っている訳じゃないんだよ」

 

 セリアがルルーに怒鳴り返して、ルルーはまた怒鳴り返す。

 にらみ合いが続くが、セリアは横島の姿を確認するとふいと顔を背けた。そして、そのまま席を立ってどこかへ歩いて行った。

 やはり話し合いにすらならず、横島はうなだれるだけ。

 最悪の顔色をした横島にルルーも泣きそうになる。

 

「兄さん、お願いだからスピリットを嫌いにならないで。お願いだから」

 

「は、ははは。まあ、俺がモテナイのはいつものことだし大丈夫だぞ……はは」

 

 横島はネガティブにボジティブ発言をしたが、声にはまるで力が込められていない。当然だ。

 通りすがりの女をナンパして振られるのとは訳が違う。第二詰め所の為に、一年間も血と汗と涙を流してきた。その結果がこれでは嘆いて当然だ。

 

 冗談ではすまないとルルーは思う。

 

 この状況が続くようなことがあれば、笑い話にもなりはしない。

 ルルーも隊長となり、未来を見据える目と想像力を鍛えている。

 このまま横島が冷遇され続ければスピリットの未来に影を落としかねない事態に発展しかけない。

 どうにかしなければ、と考えた時、ある野望が芽生えた。

 

 ――――これは上手くすると、第三詰め所の悲願を達成できるかもしれない。

 

 簡単では無いだろう。でも、このままいけばチャンスはある。

 ギラリとルルーの目は強く輝いて横島を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、また日は過ぎていく。

 その日。イオ・ホワイトスピリットは主人であるヨーティアの命である薬草を探していた。

 世にも珍しい銀というよりも白に近い長髪をたなびかせながら、森で薬草摘みに精を出す。

 そんなイオの目に、ある光景が飛び込んできた。

 

 横島とセリアである。

 何を話しているのか分からないが、横島は何度もセリアに話しかけて、セリアは彼に背を向け続ける。

 しばらく話していたが、最後には横島がこの世の終わりのような表情をして、肩を落として歩いていった。

 一体どうしたのか興味を抱いて、イオはセリアに近づいて話しかける。

 

「こんにちは、セリア様」

 

「あら、イオさん。お久しぶりね」

 

「そうですね。私の会話シーンがあったのは二十五話が最後ですから、実に久しぶりといえるでしょう」

 

「……貴女もなかなか天然ね」

 

「それほどでもありません」

 

 良く分からない挨拶を交わして、話題は先の横島との会話に移る。

 

「それで、ヨコシマ様と何を話していたのですか。彼は随分と落ち込んでいたようですが」

 

「見ていたのね。私と二人でご飯を食べたいって誘われたのよ……しかも人間の店でよ。当然、断ってやったわ」

 

 ピクピクと不自然に頬を痙攣させながら、セリアは意気揚々と言ってのけた。

 誘われた店の名前を聞いたイオは、ほおっと感心したように目を丸くする。

 

「それはまた随分と奮発したものです。その店は恋人同士がいくようなロマンチックな良店だと耳に入れたことがありますよ」

 

「そ、そうなの……へえ~そうなんだ……そう……ふふ」

 

 セリアの頬がさらに不自然に痙攣する。はっきり言って変顔だ。

 必死に澄まし顔を作ろうとしているが、上手く取り繕えないらしい。

 浮かれているのは一目瞭然だが、ならばどうして断ったのかイオには見当もつかなかった。

 

「どうして誘いを断ったのですか?」

 

「それはその……私が彼を嫌いだからよ! ヨコシマ様なんか……」

 

 顔を真っ赤にして横島を罵るセリアだが、イオははてと首を傾げた。

 どうみても嫌っているようには見えない。表情は生き生きとしているし、声には張りがある。

 だけど、言っている事は手厳しい。それに誘いを断ったのは事実だ。

 

「随分とエトランジェ・ヨコシマに辛辣ですね。これも一つの愛情表現なのでしょうか」

 

「あ、愛情表現!? そんなわけないでしょ! あんな情けない女好きなんて大嫌いよ!」

 

「それほどヨコシマ様は酷いのですか?」

 

「ええ、本当に酷いものよ。汚らしい男の人の欲望はね。それを私達は一番良く知っているの」

 

 自分達以上に男の人と触れ合ったスピリットはいないだろう。

 そんな自負がセリアにはあった。ピクリと、イオの端正な眉が動く。

 

「そうですか。では、ヨコシマ様の汚らしい欲望とやらを聞かせてもらっていいですか」

 

「え? そ、そうね。胸やお尻を見てくるし、私達に妙な服を着せたがったり、何かの拍子にすぐに抱き着こうとしてくるし……あ、食事時に調味料を取ろうとすると、ヨコシマ様と手が触れることがあるの! しかも握り締めようとしてくるし! あれは絶対に狙ってるわね」

 

 セリアは必死に自分達がいかに横島の邪欲に襲われていたかを語る。苦労しているとセリアは言うが、相も変わらず表情は嬉々としている。まるで自慢話を語っているようだ。

 その内容も、聞けば聞くほどイオの失笑を誘うだけだった。

 

「フッ、フフフフ! そうですか、エトランジェ・ヨコシマが汚らしい男の欲望を振りまいていると。皆さんはそれの最大の被害者と、そう言われるわけですね」

 

「そうよ。私達がどれだけ彼に汚された事か」

 

 汚されているというセリアの言葉に、イオは噴出すのを必死にこらえた。

 イオは愚者を哀れむような目でセリアを見る。

 

 ――――何て愛らしく、そして愚かしい。

 

 横島に沢山大切にしてもらった結果がこれだ。

 何かを思い出すかのようにイオは遠くを見つめる。

 

 ――――セリア達が汚れているとすれば、自分は一体どれだけ汚れているというのだろうか。

 

 イオは自嘲するような笑いを浮かべた後、セリアに言った。

 

「皆さんを見て分かりました。スピリットは適応能力に優れているようです。それが良いものでも、悪いものでも、スピリットは状況に慣れてしまうのでしょう」

 

 話の繋がりが見えず、イオの言葉にセリアは首を傾げる。

 

「……私には、イオさんがどういう意味で言っているのか分からないわ」

 

「貴女達はとても幸せという意味です。ハイぺリア流に言えばおめでたい限りですね」

 

 イオは満面の笑みで笑い声を響かせた。

 口元を手で覆って上品に笑う。しかしその笑みは、大嘲笑とも言うべき侮蔑に満ちたものだった。

 言葉の意味は分からずとも感情は読める。セリアは憮然として言った。

 

「イオさんに私達の気持ちが分かるとは思えないわ」

 

「その言葉、そっくりそのままお返しします。

 それと冗談だとしても、その言葉を他のスピリットの前で言わない事です……夜道で刺されますよ」

 

 氷のように冷たいイオの瞳に、セリアも流石にゾッとした。

 自分達が第三詰め所に恨まれ始めているのは知っている。横島が大好きな彼女達は、彼を苦しめている第二詰め所を嫌うのは当然だ。それはセリアも理解していたが、自分達にも言い分はある。

 

「誰にも、第二詰め所の辛さなんて分からない……分かるもんか」

 

 ありったけの感情をこめて、セリアは絞り出すように言った。

 

 そうだ、誰にも分かるわけがない。

 優しく楽しい隊長がいて羨ましい。それなのに、第二詰め所はヨコシマ様を苛める馬鹿な奴ら。

 第三詰め所のスピリットを始め、病院やら牢獄にいるスピリット達はそう羨やみ妬んでいるのだろう。

 横島と共に居て得る感情とは、そんな簡単なものじゃないのだ。

 ここ数ヶ月だけを思い出しても、どれだけ心を掻き乱された事か。

 

 戦いで横島の首が落とされた時の光景は、今でもたまに夢で見て跳ね起きることがある。

 横島が行方不明の一ヶ月は恐怖で眠れぬ毎日を過ごした。

 そんな恐怖に苛まれながら過ごしていたのに、帰ってきたらエロで暴れて怒らせてきて。

 そして、今回のプレゼント。

 

 毎日が喜怒哀楽のジェットコースター。初体験の連続。

 生まれて二十年近く経つが、この一年で感じた感情はその全てを上回っているだろう。

 抑えても抑えきれない感情が渦巻いて、心も体も本当に苦しいのだ。

 

 

 イオの瞳から険しさが少し抜けた。全てとは言わないが、セリアの気持ちが理解できたからだ。イオも暗黒の底から拾い上げられた時、ヨーティアの放つ光に戸惑った経験がある。

 暗闇からいきなり太陽の下へ移動すると目が潰れる時もあるのだ。

 

 まして、男と女である。

 どうしようもなく心も体も疼いて、でも経験がないからどうしたらいいのか分からなくて、混乱としかいいようが無い日々を送っているのだろう。

 

 セリアは愚者というよりも、愛され方も愛し方も知らない子供なのだとイオは理解した。少し哀れにも思う。こんなにも初心な女児が、あの規格外の塊である横島と共に居るのだ。初めてのお酒にウォッカを進められたようなもの。

 問題が出て当然である。

 

 だが子供という理由が免罪符になりはしない。

 セリア達以上の子供を、彼女達は知らずに傷つけているのだから。

 

 親を持たない子供に親の煩わしさを愚痴るような。

 家を持たない子供に家出の辛さを語るような。

 愛を知らない子供に愛されて辛いとのたまうような。

 

 そんな無思慮と無配慮をセリア達は周囲に押し付けている。

 このままでは、第二詰め所とそれ以外のスピリットで対立が起こってしまう。平時ならいざ知らず、戦争が起こっている現在では致命的な破滅を呼びかねない。

 

「セリア、もう少し大人になりましょう。貴女達が酷く混乱しているのは分かります。それでも自分達がどれほど恵まれているか理解しているでしょう。それで不幸面をされては……周囲のスピリットがどう思うか分からぬほど子供ではないはずです。このままでは、誰にとっても不幸な結末になりますよ」

 

 イオは優しく語りかけたがセリアは何も答えなかった。

 どれだけ理屈で説得されようと、横島の前に出るともうだめなのだ。顔が熱くて、胸が苦しくて、とても平静ではいられなくなってしまう。まったく未知の何かが胸から溢れ出して、全身を支配しているとしか思えない。

 今でさえ、横島から食事に誘われた事を思い出して顔がにやけそうなのだ。

 

 

 セリア・ブルースピリットは初めての青春に惚けていた。

 

 

 そんなセリアに、イオは『初恋は叶わない』という何処かで聞いた格言を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだだ、まだ終わらんぞ!」

 

 手酷く振られ続けても、横島はまだその目に闘志を燃やしていた。

 次なる標的はヘリオンだ。あのどこか近しい雰囲気を感じる少女なら、大丈夫だろうと横島は考えた。それに、ヘリオンには好かれているという自覚もあったのだ。

 

 町にいたヘリオンを見つけて声をかける。

 

「ひゃ、ヨコシマ様! えへへ、まだ私はヨコシマ様を許してないですよー! えへへ」

 

 ヘリオンは怒っているのか笑っているのか分からない顔で横島を迎えた。

 

 ――――――これは絶好のチャンスなのです! 

 

 実はヘリオンはある策略を考えていた。策略の名は、抜け駆けである。

 ここで横島と仲直りしたスピリット第一号となれば、彼の好感度はググッと上昇するに違いない。後は勢いに任せてゴールインだ。

 

「えへ、えへへへへ~」

 

「お~い、ヘリオン。妄想から戻ってこーい」

 

「はわ! 戻ってきました!」

 

「よし、戻ってきたか。それでだな、ヘリオンに許してもらう為にな、最高のデートを俺として貰いたいんだけど」

 

「で、デートですか!?」

 

「おお、デートだ。今日はどこまでも付き合うし 何でも好きなの買ってやるぞ!」

 

「分かりました! 許します、もうたくさん許しますよー! えへへこれで私がヒロイン……ってデートですか!? あわわわ、どうしよう! 一足先に大人の仲間入りなんですか~~!?」

 

 相も変わらず妄想全開なヘリオン。元から素質はあったが、同類である横島がやってきて彼女の妄想力はパワーアップを果たしていた。

 百面相なヘリオンを横島は生暖かくも、優しい表情で見つめる。

 

 ようやく、許してもらった。大切で可愛い女の子と仲良くできる。

 

 笑顔を貰って、なにより本気を受け止めてくれて、横島の心は水を得た魚のように力を取り戻した。

 これで子供じゃなければ、とは流石に口に出さない。

 

「本当にありがとな、ヘリオン」

 

 ただ純粋な感謝を込めて、ヘリオンに最高の笑顔を向ける。

 ヘリオンは爆発した。爆発したと、ヘリオンは思った。

 

「ふっ……くぅ!」

 

 心臓が跳ね回る。いや、心臓が跳ねるなどという生易しいものではない。心臓に爆弾を食らったかのような、爆発的な動悸が起こる。とても立ってなどいられない。

 

「かっ……はぅ……っ」

 

「お、おい。どうした!」

 

 胸を押さえて苦しそうに息をするヘリオンに、横島は慌てて彼女の手を握り抱きとめる。

 だけどそれは逆効果だった。心配そうな顔を近づけられて、さらに手を握られて、とうとう息すら出来なくなってしまう。

 そこでヘリオンは気づいた。横島が握ってくれた自分の掌は、普通の子供と比べてどれほど醜いかを。

 

 肉刺が何度も割れて、固く厚ぼったくなってしまった自分の手。

 さらに、今は物凄い量の汗が噴出してしまっている。

 汗に塗れた醜い手が愛しい人に触れている。

 ぬちゃりと、横島に握られた手から音が聞こえたような気がした。

 

 ――――――もしも、ヨコシマ様に気持ち悪い手と思われたら?

 

 それを意識したヘリオンは、心の均衡を失った。

 

「い、いやああ。いやあいやあああ! 汚いから触らないで、触らないでください!!」

 

 恋に恋するような乙女ヘリオンにとって、自身のベトベトな手を触ってほしくないと考えるのは当然だった。しかし、そんなヘリオンの心の動きを横島は察知できるわけもない。

 一年間も家族同然に過ごしてきた少女に『汚い、触るな』と手を振り払われた衝撃はかなりのものだ。

 

 ヘリオンは横島を突き飛ばすと、脱兎の如くその場から逃げ出す。その後姿を横島は茫然と見送った。

 さらに悪かったのは、ここが町中だったという事。

 少女に触ろうとして、汚いと手ひどく振られた。

 周りから見ればそうとしか見えない。人間達は横島を見てひそひそを言葉を交わす。

 侮蔑の視線が横島に突き刺さるが、人間達の視線が横島の顔を捉えると、あっと言った後、思わず笑った。

 

 あんぐりと口を空けて放心する横島は非常にユーモラスで、笑わずにはいられなかったのだ。さらに横島はペタンと腰を付いた。周囲の人間達はどっと笑う。

 

 そんな人間達のかき分けて、一人のレッドスピリットが駆け寄っていた。

 

「ヨコシマ様、ご無事ですか!」

 

 彼女はそう言って、横島を抱きしめた。

 

 

 

 

 

「ヨコシマ様、ご無事ですか!」

 

 町で買出しをしていた私は、偶然その光景を見てしまった。

 スピリットに汚いと言われて、周囲の人間様に笑われるヨコシマ様。私の体は勝手に動いた。

 

 ヨコシマ様の手を握り締める。一体、この手のどこが汚いというのか。

 むしろ剣ダコがある私の手のほうが遥かに醜い。あのブラックスピリットがどういうつもりでヨコシマ様の手を汚いなど言ったのか、私には理解できなかった。

 

「フーリちゃん、俺の手……汚いかな」

 

「そんなわけありません!」

 

 私は必死に否定した。

 汚らわしい。汚らしい。

 スピリットであれば、誰もが言われたことがあるだろう

 それから手を洗って体を拭いて、それでも汚いと叩かれるまでがセットだ。

 

 

 ヨコシマ様の手を握り締めながら、私は過去を思い出していた。

 私、フーリ・レッドスピリットはダーツィ大公国に所属するスピリットだった。

 別段、特別な能力も特徴もない、極一般的なレッドスピリット。

 周囲の環境も一般的だったが、一つだけ例外があった。

 私には一人の姉がいたのだ。それも、何と心を残したまま成人になろうかという姉である。

 

 それは私がまだ幼くて心を残していた時の物語。

 

 

 

 

 

「私はね、誰かに抱きしめて欲しいの。心を残しているとね、調教師様っていうスピリットを抱きしめてくれる人の所にいけるんだって」

 

 お姉ちゃんは嬉しそうに言った。気持ちは分かる。ときどき見かける人間様が楽しそうにお喋りして抱き合っているのを見ると堪らなく切なくなる。愛されるってどういう感じなんだろう。

 どうしてスピリットにはパパもママもいないのかな。ママがいてくれたら、きっと優しく抱きしめてくれるのに。

 

 お姉ちゃんは調教師様の所に行くため、頑張って心を維持していた

 より神剣の声を聞くためだって、真っ暗い部屋に閉じ込められて、仲間とも話すなって命令されて。弱らされた状態で神剣を無理に使わされた時はお姉ちゃんも本当に苦しそうだった。

 

 でも、お姉ちゃんは耐えた。

 調教師という希望を胸に秘めて、地獄を耐え切ったのである。

 

 お姉ちゃんのハイロゥは白色のまま。遂に調教師の所へお姉ちゃんは元へ送られた。

 調教師様、どうかお姉ちゃんに優しくしてください。

 神様というのは知らないけど、それでも祈る。

 

 数日してお姉ちゃんは帰ってきた。

 お姉ちゃんは笑っていた。泣いていた。怒っていた。悲しんでいた。

 突然、叫びだして頭をぶつけたり、誰かに触られるのを酷く嫌がる。

 可笑しくなっていた――――狂ってしまった。

 

「調教師め」

 

 変になってしまったお姉ちゃんを見つめて隊長は怒ったよう呟く。

 調教師様はお姉ちゃんに酷いことをしたらしい。それが隊長には許せないのだ思う。同情してくれているのだ。

 隊長は誇り高くて正義感の強い人だから。

 

 今なら、隊長もスピリットに優しくしてくれるかもしれない。

 

 私はそっと隊長に近づいて手を触れてみた。

 

「汚らわしいスピリット風情が、触れるんじゃない!!」

 

 心底気持ち悪そうに叫んで、隊長は私を殴った。鼻血がポタポタと床にこぼれた。

 汚いと言われたのはこれで何度目だろう。始めの頃は手を洗ったりしたけど、今は何の意味もないと知っている。

 それからお姉ちゃんは神剣を持たせられると、すぐにハイロゥが黒くなった。

 

 心なんていらない。世界もいらない。何もかも消えてしまえ。

 

 お姉ちゃんの心が私にも聞こえた。全てを絶望して望んで心を消したのだ。お姉ちゃんのハイロゥは誰よりも黒く染まっていた。人間がスピリットに求める『完全なスピリット』にお姉ちゃんは至ったのだ。一番、人間様を信じていたのがお姉ちゃんだったのに。

 

 ようやく私も理解した。優しいとか、正義とか、スピリットには関係ないのだと。

 スピリットは汚い。スピリットは気持ち悪い。スピリットに希望は無い。

 スピリットに生まれた事が罪なんだ。

 もう消えてしまいたい。誰か私を殺して。

 

 ――――マナを集めよ。

 

 神剣の声がいつもより大きく聞こえて、私のハイロゥは黒く染まっていた。

 

 

 

 

 そこから先は記憶は曖昧だ。心の殆どが神剣に飲まれてしまったからだろう。

 私が自意識を取り戻すまでの八年間。その間の事は何も覚えていない。八年間という時間を無駄にしたみたいだけど、今となってはどうでもよかった。

 だって、ヨコシマ様がいないから。ヨコシマ様がいない時間なんて何の意味もないもの。

 貴重な青春時代を、とヨコシマ様は嘆いてくれたけど、本当にどうでも良かった。むしろヨコシマ様が同情してくれたのだから、それで良かったと今は思う。

 

 

 私の記憶がおぼろげに生まれ始めたのは、鏡を見ている時から始まる。

 鏡を見ていた時に、何を考えていたのか覚えていない。覚えているのは一つだけ。

 

「うんうん、やっぱスピリットは美人だよな。しかも珍しくモデル体型だし」

 

 これがヨコシマ様に初めて言われた言葉だ。

 私の胸は妙に大きくて神剣を振るのに邪魔でしょうがなかった。身長も高くて正直嫌いだったけど、今はヨコシマ様に褒められるから誇りを持っている。

 

 でも、言われた時は私には殆ど感情がなかったから、何の反応も出来なかった。

 何となく覚えているのは、ヨコシマ様の笑顔。あの底抜けに優しくて明るくて、ちょっとだけ馬鹿っぽい。でも、私の事を真剣に考えてくれていた。エロ強い顔だ。

 

 それからヨコシマ様は二日に一回は訪れて、色々な物を与えてくれた。

 

 不器用な音楽を奏でてくれた。

 可愛い動物を持って来てくれた。

 色々な遊びを教えてくれた。

 何人かが特に興味を持って、少しずつハイロゥが白くなり始めていたのを覚えている。

 

 私にも、その時が来た。

 ヨコシマ様が持ってきてくれた真っ赤なパスタ。特別な香辛料を振りかけた一品。

 

 鼻にツンときて、舌がピリピリする。

 ああ、そうだ。これは『辛い』という味だ。

 他のスピリット達は嫌そうに顔を顰めていた。何故だろうか、こんなにビリビリして美味しいのに。

 

「美味いか?」

 

「はい」

 

 これが、私とヨコシマ様の始めての会話だ。

 今思うと、何て色気が無いのだろうと思う。

 

 ヨコシマ様は万歳と両手を上げて喜んだ。私はきょとんとヨコシマ様の大喜びを眺めていた。

 後から聞いた話だが、パスタを食べて私は笑ったらしい。美食で心が目覚めるなんて、私はいやしんぼなんだと思う。

 

 それから私にだけ辛い料理を与えられるようになった。

 食べ終えるとルルー隊長が感想を求めてくる。最初は殆ど喋れなかったけど、いつからか私はたくさん喋るようになる。好きな事は沢山喋りたいし、他の皆にもこの美味しさを伝えたかったから。これも、私が心を取り戻すためにヨコシマ様が考えてくれたらしい。

 

 いつしかハイロゥの色も黒から白に近い色となって、私は自分を取り戻して世界に帰還した。世界に戻りたかったから、楽しくて希望がある世界だから、つまりヨコシマ様いるから私はここにいる。

 

 ヨコシマ様にはどれだけ感謝してもしきれない。この人の為に剣を振るって、そして死のう。私がこの世界にいるのは彼が存在しているからだ。そう決意するのは当然である。

 でも、その願いは叶わないかもしれないと不安になる時があった。

 だって、ヨコシマ様は私達の隊長じゃないから。きっと分かれて戦う方が多い。もし、私の知らないところでヨコシマ様が死んじゃったら。考えるだけで身の毛がよだつ。

 

 

 そのヨコシマ様が悲しんでいる。

 笑顔が消えて苦しんでいる。他ならぬ、ヨコシマ様の直属のスピリットによって。

 こんな馬鹿の事があってたまるものか。

 

「ヨコシマ様、元気を出してください」

 

 どうにかヨコシマ様に元気になってほしかった。

 どうしたらいいかと少し考えて、やはり辛い物を一緒に食べると元気になると考える。

 

「半分個しましょう」

 

 からし入りの肉饅頭を二つに割る。

 意図的に、小さいのと大きいのに分けた。

 

「大きい方を、ヨコシマ様が食べてください」

 

 この程度しか出来ない自分が情けない。

 でも、やらないよりはいいと思う。

 ヨコシマ様は驚いた顔をしたけど、お礼を言って食べてくれた。

 

「辛くて美味しいな」

 

「はい」

 

「一緒に食べると美味しいよな」

 

「はい……はい!」

 

「ありがとな。フーリちゃんが……フーリが居てくれて、本当に助かる」

 

 ヨコシマ様が抱きしめてくれた。

 何度か抱きしめてもらった事はあった。私が新しい魔法を覚えた時は偉い偉いと褒めてくれて、失敗した時はよしよしと慰めてもらう。いつも私が寄りかかる側だ。

 

 だけど、今回は違う。

 ヨコシマ様の重さが私に寄りかかってくる。私がヨコシマ様を支えている。

 呼び捨てにされた事も心地よい。自分が好きになれそうな誇りが胸に満ちてくる。

 

 全てが報われたと思った。

 私が今まで生きてきた理由。体が大きな理由。私がここいる理由。

 辛い目にはあったけど、それも全部ヨコシマ様を支える為だったなら運命に感謝したい。

 

「ありがとうな。元気が出たぞ」

 

 ヨコシマ様が笑顔を浮かべて――――

 

「元気も出たし……第二詰め所の皆と早く仲直りしないとな」

 

 ――――え?

 

 あんな目に合っても、まだ第二詰所が大切なのだろうか。

 私なら、私達の第三詰所ならヨコシマ様を絶対に泣かせない。彼のお願いなら全て聞き入れよう。死地に送られても、死ねと命令されても、ヨコシマ様の為ならば喜んで従おう。

 私達にとってヨコシマ様はこの世界の全てといって良いのだから当然だ。でも、ヨコシマ様は第二詰所を望む。

 心の中で、黒い暴風が吹き荒れた。悔しさと怒りで歯がカチカチと音を立てる。

 

「ま、今は第二詰め所はいっか。よし、フーリちゃん。一緒に辛いもの巡りでもしようぜ!」

 

 今は、第二詰所ではなく私を見てくれる。黒い暴風が収まっていく。

 まだ胸のうちで何かが渦巻いているけど、でもそれを口にしちゃいけないと分かった

 もし、私が第二詰め所の連中を批判したら、きっとヨコシマ様は困った顔になるだろう。それは嫌だ。

 だから、我慢する。我慢する。がまんする。ガマンスル。ガマンガマンガマン!!

 

 でも、これ以上ヨコシマ様を泣かせるのなら、もう我慢はしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから横島はまた行動を始めた。

 次なる目標はファーレーンとニムだ。今度のプレゼントはペア物なので二人同時に渡すことにする。

 だが、

 

「ファーレーンさん! ニム! 二人にちょっと渡したいものがあるので仮面を取ってもらえれば」

 

「いやあ! 近づかないでください!!」

 

 ファーレーンのアッパーカットにより、横島は宙に舞って、そして地面に叩きつけられる。

 プレゼントを渡すどころか、仮面を外してもらう事すらできず、そもそも近づく事すら出来はしない。ニムもファーレーンと一緒に行動しているから近づけず。

 ファーレーンとニムントールに関しては、どうにもならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 横島は自室で死んでいた。

 息をするのも億劫と感じているような横島に、ハリオンはお菓子を出しながら慰めようとする。

 

「気を落とさないでください~皆さん恥ずかしがっているだけなんですよ~」

 

「その慰め……もう何回目でしたっけ」

 

 流石のハリオンも返す言葉がない。

 沈黙が場に満ちる。横島はハリオンが横にいるというのに、ベッドに横になったまま身動き一つせず、ハリオンも気軽に雑談など出来る雰囲気では無いと理解していた。

 どれだけそうしていただろう。ポツリと、ハリオンが言った。

 

「もう『命令』してもいいんじゃないでしょうか~」

 

「っ!」

 

 スピリットは上位者の命令に逆らえない。

 横島が一言つぶやけば、それで全てが終わる。

 

 仲直りしろ。

 

 そうセリアらに命じるだけでいいのだ。

 耐え難い誘惑が横島を襲った。誘惑を肯定する言葉も浮き上がってくる。

 

 俺は十分に努力した。ここまでやって許してくれないあいつらが悪い。

 

 自分を肯定したい言葉がいくつも思い浮かぶ。ハリオンも、それを認めてくれるだろう。

 横島の心は少しずつ『命令』に傾いて―――――

 

 

 ――――どうしてスピリットに生まれちゃったんだろう。

 

 

 傾きがピタリと止まる。

 思い出してしまう。スピリットがどういう目に合ってきたか。思い出すだけで身震いする。

 人に逆らえないという種族特性によって、どれだけスピリットが心を壊されてきた事か。

 

「……『命令』はできねーよ。してたまるか!」

 

 それは横島の誓いだ。

 スピリットの心を守る。スピリットという一個の生命を最大限、肯定する。

 その上で、楽しくて明るいエッチな毎日をスピリットと送る。

 この為に命を懸けて頑張ってきたのだ。この欲望を諦めるわけにはいかない。

 

 そんな横島をハリオンは優しく見ると、上着をスルリと脱いだ。

 いきなりの事に目を白黒させる横島だが、ハリオンは穏やかな笑みを浮かべたまま、彼に馬乗りになる。

 

「うふふ~ヨコシマ様~私の全て……好きにしちゃっていいんですよ~」

 

 温かく、柔らかく、艶めかしい、ハリオンの肢体。

 いきなりで驚きつつも、麗しい女体を全身で感じた横島に選択の余地などあるわけがない。

 本能の赴くまま抱きしめて、欲望を叩きつけようとして、

 

 ――――ハリオン・グリーンスピリットはエトランジェ・タダオ・ヨコシマの――――

 

 呪いの如く聞かされた言葉が蘇る。

 

 横島は世界で一番大切で、一番抱きたい人の笑顔を思い出して、エロスを跳ね返した。

 息子に伸びていたハリオンの手を払いのけ、彼女の体を優しく突き放す。

 そうしてベッドから降りると、横島は精いっぱいの笑顔を作る。

 

「わはは! 冗談はダメっすよ! ハリオンさん」

 

「……冗談なんかじゃ」

 

「ありがとうございます。でも俺は大丈夫なんで……すんません」

 

 横島は謝りながら、ハリオンを残して部屋から出た。

 部屋の主を失った部屋で、下着姿のハリオンはベッドの上で呟く。

 

「やっぱり、私じゃダメみたいですよ~レスティーナ様」

 

 いつものように、のんびりしたハリオンの声。

 その声の中に、自分を呪うような響きがある事に、気づいたものはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 何があっても第二詰所と仲直りしなければならない。

 

 横島は自分自身の為、そして大切な人の為にも、仲直りの重要性を自覚した。

 女の子とキャッキャッウフフの楽しい毎日を送り、最終的にはエロに至る。

 それが横島がこの世界にいる理由の原動力。それに、シロとタマモを助けるためにも、仲直りは必須だ。

 諦めたら、この世界にいる存在理由を失ってしまう。諦めるわけにはいかないのだ。

 横島は気力を振り絞り、次なる計画を発動する。

 

 

 

 

 

 クール祭り。

 そんな垂れ幕がネリーの目に飛び込んできた。周囲には沢山の人間達がいて、忙しそうだが楽しげに動き回っている。

 

 横島から祭りに誘われたネリーはウキウキワクワクと辺りを見回していた。

 もう歩いているだけで楽しい。美味しい匂いと、楽しげな音楽が心を弾ませてくれる。

 何よりも嬉しいのが、周囲の人間達に追い出されないことだ。以前なら、催し物にスピリットが混ざろうとしたのなら、袋叩きにされて当然だったからだ。

 ラキオスは優しく暖かいもの変わり始めたのをネリーは実感する。

 

 最後に横島が指定した所までいくとネリーは驚きで歓声を上げた。

 

「うわあ、なにこれ! すごいすごい!!」

 

 ネリーの眼前には、巨大な氷の広場が広がっていた。いわゆる、スケートリンクだ。巨大な湖は完全に凍っていた。

 常春のラキオスでは雪も降らず氷が張ることもない。ネリーも氷など話でしか聞いた事がなかった。

 ありえない光景が目の前に存在している。誰がやったことなのかなんて、考えるまでも無い。

 目をキラキラさせて興奮するネリーに、その様子を遠くから見守っていた横島が笑みを浮かべて近づいた。

 

「よ、ネリー。どうだ、凄いだろ!」

 

「うんうん! とっても凄いよ、ヨコシマ様! あ……そうだった。ヨコシマ様なんて大嫌いなんだからね!」

 

 シアーとまったく同じような反応だ。流石は姉妹と評されることはある。

 今度こそ仲直りしてやると、横島は気を引き締めた。

 

「あの時は本当に悪かった。どうか許してくれないか」

 

 本気で謝る。全力で謝る。真剣に謝る。

 横島の本気を理解したネリーは黙り込んだ。

 

「これはな、ネリーの為に開催した祭りなんだ。だから……俺と祭りを見て回らないか?」

 

 横島はネリーの肩に手を置いて、まっすぐに彼女を見つめた。

 ネリーは、もう言葉にならなかった。

 心が震えて、あふれ出る感情の海で笑いたいのか泣きたいのかも分からない。

 ただ、周囲の人間達の視線が、自分達に注ぎ込まれているのは感じていた。

 

 

 

 そして、

 

 

 

「知らない……ぜんぜん分からないよ! ネリーは……ネリーは!!」

 

 ネリーは横島を突き飛ばして、脇目もふらずに逃げ出す。

 とうとう、ハリオンを除いた第二詰め所のスピリット全てに横島は振られてしまった。

 

 ――――夢でも見ているのではないか? ネリーも俺のことが嫌いなのか?

 

 頬を本気で引っ張る。痛みは無常なほどリアルだった。

 

「おーい、ヨコシマ君。そんなとこで遊んでないで、早くスケートリンクを開放しよう。出店もお客も待ちくたびれてるようだし……ヨコシマ君?」

 

「いやいや、おやっさん。ヨコシマにそんな余裕はなさそうっすよ。実は今――――」

 

「ええー!? 振られたのか! はははは! これだけやって振られるとはこりゃなんとも」

 

 人間達の囃し立ての声など、横島の耳にはもう届かなかった。

 横島はジャンプしてスケートリンクの真ん中に降り立つ。

 怪訝そうな顔をする周囲など気にもせず、足を大きく振り上げて、

 

「ちょっ、ちょっと待てヨコシマ君!?」

 

「何がクールスケート場だ……こんなもの!!」

 

 人間達の制止の声も聞かず。憤怒の表情で足を振り下ろす。

 時間と技術、なにより大勢の人との協力を得て作られたスケートリンクは、横島の一撃であっさりと粉砕された。

 

 当然、祭りは中止。

 このミニ祭りに出店していた人間達は横島に強い非難を出す事となる。

 

 その夜、横島は自分の部屋に引きこもり、食事時になっても出てこなかった。

 

 

 

 

 

 

 同日。宵のうち。

 暗い森の中、ネリーのポニーテールが元気無く揺れていた。

 ネリーの表情は死人のように青い。

 

「どうしよう。病気が全然治らないよ……もし一生このままだったら」

 

 得体のしれない恐怖が胸中を駆け巡る。

 横島の落ち込みようを思い出すと、罪悪感と良く分からない満ち足りた感情が胸にわいてくる。

 大好きな人に意地悪をして、どうしてこんな感情を抱いてしまうのだろう。

 意味が分からない。感情が、行動が、まるで制御できない。

 

 好きなものは好き。

 嫌いなものは嫌い。

 そんな当たり前のことが出来なくなっていた。

 

「胸が痛いよ。体が熱いよう――――ネリーは壊れちゃったの?」

  

 気になる異性と間柄を周りの友達にからかわれる。恥ずかしさのあまり、好きな人を邪険にしてしまう。

 黒板に書かれた相合傘に名前を書かれるような、ハイティーン時代に経験する些細な一幕。それを経験していればこんな事にはならなかっただろう。

 しかし、気になる異性など出来ようがないスピリットにはまったくの未知でしかなかった。未知は恐怖だった。

 

 スピリットという存在が感じたことが無い感情。

 前例がなく、それ故に誰も対処方法を知らない。子供だけじゃなく大人達も同じ事。聞いたことすらない。アドバイスなんて出来ない。

 ネリーは病気になってしまったと本気で思っていた。

 心の疼きが止められずじっとしていられなくて、当て所も無く森を散歩し続ける。

 

 ふと、虫の大合唱の中から、聞きになれた音が耳に飛び込んできた。

 それは巨大な鉄の塊が空気を引き裂く音。

 ネリーは確信を持って音のする方向に足を向ける。すると、

 

「こんばんは、ユート様! また特訓中なんだ」

 

「ネリーか。ああ、こんばんは」

 

 悠人が汗だくで剣の特訓をしていた。

 こんな時間にどうして特訓をしているのか、などとネリーが疑問に思うことは無い。

 悠人は努力の男だった。反則な横島に何度ボコボコにされようと、腐らず地道な努力を反復できる熱さを身に秘めている。

 

「ネリーも一緒に訓練して良い? なんか体を動かしたいんだ」

 

「ああ、出来れば訓練相手になってくれたら嬉しいんだけど」

 

「いいよ! ネリーのクールな剣捌き見せてあげる……って」

 

「あ、ユート様~こんばんは……あ、ネリーもいたの」

 

「あれ、シアーも散歩だったのか」

 

「う、うん」

 

 どこからともなくシアーがふらふらとやってきた。

 そして、

 

「あれはナナルゥか。おーい」

 

「あの仮面はファーレーンか……おおーい」

 

 と、次から次へと第二詰所のスピリット達が集まってくる。

 わいわいがやがやと、いつの間にやら九人もの大所帯となってしまった。

 

「何だ、全員で散歩してたのか」

 

 そう悠人が考えるのは当然だ。一人二人ならともかく、全員が何となく散歩するなんて偶然があるわけがない。

 第二詰め所でいないのは横島とハリオンだけだった。

 

 ネリー達はばつが悪そうに顔を見合わせる。

 別に狙った訳ではなかった。胸の中がそわそわして、横島と同じ屋根の下にいるのすら恥ずかしく感じてしまったのだ。

 

「そ、そんな事より、また秘密特訓ですか、やはりユート様は真面目ですね」

 

 ヒミカの言葉に悠人はそうでもないと謙遜する。

 悠人の秘密特訓を知らない者はいなかった。

 公然の秘密というやつで、第二詰め所のスピリットは時として特訓に付き合っている。

 

「そうだ。よかったらまた剣術を教えてくれないか。それと、横島の弱点もあったら教えてくれ」

 

「ええ、構いませんよ」

 

 悠人の申し出に皆は快く了承する。セリア達は悠人が好きだった。

 無論、男女としてではなく、剣の弟子としてだ。

 

 普通の高校生であった悠人は剣のド素人であったが、素直で努力家で適度な才能があり、メキメキと実力を伸ばしてくれるのが師としての喜びを与えてくれるのだ。

 

 その点、横島はあまりに動きが滅茶苦茶で剣の型もまるで出来ないのに、それでいて強いのだから何も教えることが出来ない。いつしか、横島に剣を教えようと言う者はいなくなってしまった。猫に犬の動きを教えても害にしかならないという事だろう。

 戦巧者で異才の横島と、素人で秀才の悠人。教師として、どちらが親しみやすい生徒か言うまでも無い。

 

 横島の欠点を悠人に教えていく

 こうすれば横島に勝てるのではないか。こうすれば横島を倒せるかも。

 皆で悠人の横島打倒を応援する。

 セリア達は別に横島に対して害意があるわけでない。ただ仲間に対する助言をしているだけ。

 理屈はあっている。不実をなしている訳ではない。それでもだ。

 

 横島の部下である第二詰所のスピリット達が、夜間にこっそりと他の男に横島の倒し方を伝授する。

 その様子が他人からどう見えるのか。考えるまでもない。

 

 悠人も、セリア達も、誰も気づかなかった。

 

 訓練を見つめる黒と緑と青の瞳の存在に。

 震えるほど強く握られた拳に。

 それぞれが身に宿した激情に。

 

 彼女らは、まだ気づかなかった。

 

 

 その夜、第二詰め所の一室で獣のような唸り声と何かを破壊する物音が鳴り響いた事。

 同時刻、城で穏やかならざる密談が開かれた事。

 やはり同時刻、第三詰め所で統一された強力な意志が生まれた事。

 

 その全てに、やはり彼女達は気づいていなかった。

 

 

 



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第三十二話IF 嫉妬の味は蜜の味 中篇

「おもしろくねー」

 

 横島は自室のベッドで天井に向かって文句を言い放った。見つめる天井には何も描かれていない。だが、横島には天井に一人の男が映し出されていた。

 

 高嶺悠人。

 ツンツン頭のイケメンで努力家。

 実に気に入らない男だ。

 

 横島も悠人が努力を積み重ねているのは知っている。

 訓練外の時間でも、夜遅くにも、人知れず訓練を繰り返しているのだ。本人は秘密特訓と言っているらしいが、もはや誰もがその訓練を知っている。汗臭く走り回りながら、時には吐瀉物をまき散らかしていれば誰だって気づく。

 

 横島としては秘密特訓(笑)とか何とか茶化して笑いたいところだが、実力を着け始めているのは間違いないので無下に笑うこともできず、下手に笑えばこちらに矛先が向くだろう。

 横島も自分なりに努力はしているが、戦闘訓練に限れば悠人の半分もやっていない。

 

「何でもかんでも、俺と悠人を比較しやがって」

 

 面白くない、と横島はまた言葉を重ねる。

 

 悠人と模擬戦をすると、第二詰め所のスピリットは悠人を応援することが多い。特にここ最近は異常だ。悠人は努力をしているし、常に負けているから、応援したくなる気持ちもわからないではない。

 だが、戦いのたびに「ユート様がんばれ~」と声援を送られている姿を見るとイライラする。

 声援を送っている者には他意はないのだろうが、横島からすれば負けろと言われているようなものだ。穿ったものの見方だとは思うが、そんな風に思ってしまうのだからしょうがない。

 スピリットの声援を一身に浴びる悠人に、横島はイライラを叩きつけるようにして戦っているのだが、戦いは以前のような簡単なものではなくなっている。訓練と実践を繰り返した事によって、悠人は単純に強くなっているのだ。それもまた腹立たしい。

 

 もっとも、こうなった原因の一つは、横島の虚栄心とエロ心だったりする。

 悠人を叩きのめして、良い所を見せて惚れさせる。それが目的だった。

 しかし、それがいけなかった。ネガティブな横島の意思をスピリット達は敏感に感じ取り、弱く頑張っている悠人を応援する事が増えてしまった。

 

「ぐぅーあ! くそ! くそったれい!!」

 

 ひとしきり怒鳴り散らして、何とか落ち着く。

 悠人の事はもういい。いや、良くは無いのだが、ひとまず置いておく。

 重要なのは、未だに第二詰め所のスピリット達と仲が修復できていないことだ。

 

 色々と努力をしているのだが、全て空振り。

 食事に誘っても全然乗ってこない。

 スピリットを入れてくれる美味しい店なんてほとんどないから、あちらこちら駆けずり回って、粘り強く交渉して、ようやく入れる店を見つけたというのに。

 確かに下心はあったが、セリアと美味しい料理を食べたい、仲良くなりたい、という意思だってちゃんとあったのだ。普段の行いが首を絞めているのをひしひしと感じる。おそらく、悠人が食事に誘えば簡単に付いて行くのではないか。

 

 ファーレーンの素顔を見たいためにイヤリングを買ったり、ナナルゥの為に本を見つけ、ヒミカの為にドレスまで贈った。町でハイペリアの簡単な情報をばら撒いて稼いだ金や、諜報部から出ている給金を全て注ぎ込んだというのにだ。全て袖にされてしまった。

 

 確かに、正直やりすぎたと思う。

 触手を作り出し、粘着性のスライムを作り出し、欲望の赴くまま大暴れ。

 本来の目的であるマロリガンのスピリット達に混乱と恐怖を与えて戦いを膠着状態にする、という目的は達した。

 しかし、途中から気分が盛り上がってしまい、敵どころか味方にまで襲いかかるという始末。

 もう少し自重するべきだったかもしれない。横島だって反省している。

 しかしだ、もし自重していたらシロ達の気迫に飲まれて殺し合いになっていたのは間違いないと思う。

 シロ達は本気で殺しに来ていた。だからこそ、彼女らの意思を砕くためにこちらも本気でエロに走ったのだ。まあ、どのような理由を付けても全力でセクハラを楽しんだのは事実だが。

 

 だけど、いくらなんでもあんまりではないか?

 ここまで冷たい扱いをされるほど悪いことをしたか?

 

 三日前の夜、ハリオンを除く全員が悠人と密会していた時の事を思い出す。

 全員で自分を倒すことを考えていた。

 

 悠人は仲間だから剣を教えるのは裏切りでも何でもない。

 それは理屈として分かるが、心情的に納得できるかどうかは別だった。

 

「そんなに俺が憎くて嫌いなのかよ」

 

 消え入りそうな声だった。

 馬鹿をやって、悪戯をして、怒られることは多々あった。

 アホをやって怒られるのだから悪いのは自分であると彼自身も理解している。

 だが、ここまで本気で謝って許してもらえないとは思っていなかった。

 

 異邦人である横島にとって、セリア達は全てだった。嬉しさも、怒りも、悲しみも、楽しさも、全て彼女達が起点となって起こるもの。彼女らが居るから、横島はここに居る。

 彼女らに拒絶されるという事はすなわち、この世界から否定されたも同然。

 圧倒的な孤独感が胸を締め付けてくる。なんとか彼女達と仲を修復しなければいけないのだが、もうどうしたらいいのか分からない。人脈も金も底を尽きた。なにより、心が疲れた。何だか全て馬鹿らしくなってくる。どうして、こんなにも辛い目にあって頑張っているのだろう。

 こんな事ではタマモを救出するなど出来そうもない。このままではタマモを殺してしまう。あるいはシロを殺すか。それとも、自分が死ぬか。

 

 寝転がったまま、窓の外をぼんやりと眺めてみる。

 草も木も、地球にあったものではない。虫も動物もそうだ。食事だってどれだけ味が似ていても厳密には違うものだ。空気も違う。排気ガスで汚れた空気が、今は無性に恋しかった。

 何より、ここにはあの人が居ない。

 

「――りたいな」

 

 無意識の呟きが洩れる。

 そよ風にかき消されるほど小さなそれは、確かに横島の口から洩れたのだ。

 脳裏にスタイル抜群なクソ女の姿がおぼろげに思い浮かんだが、

 

「い……ぎああああああああああ!」

 

 目も眩むような痛みが脳味噌に送り込まれて、絶叫と共に女の姿が消えていく。

 『天秤』の干渉による激痛が横島を襲っていた。

 

 『天秤』はいくつもの干渉を横島に精神に施している。

 悠人の持つ『求め』は魂を深奥まで沈めて肉体を奪い取ろうとしているが、『天秤』は違う。横島の意識を残したまま、計画の為に精神を密かに弄繰り回していた。

 そのいくつかの干渉の中で最も重要度の高いものがある。

 

 望郷の念を打ち消すことだ。

 

 元の世界への帰還。文珠を持つ横島には、その可能性がどうしても生まれてしまう。それだけはなんとしても阻止しなければいけないからだ。

 だから『天秤』は常に横島の精神を犯していたのだが、しかしこの干渉は実に楽だった。

 

 セリア達をこのままにしてはおけないから、俺はこの世界から離れられない。

 

 このような意識があったからである。

 だけど、横島の第二詰め所に対する執着が弱まって、とうとう元の世界へ思いを馳せてしまった。故に、横島の意思は『天秤』の干渉に触れてしまい、破滅的な痛みをもたらす。

 

「おォォ! あうう! があああ!」

 

『くそ! 横島よ、頼むから思い出さないでくれ!』

 

 脳味噌を直接こねくりまわされる激痛に、横島は獣の如き声をあげる。痛みを送っている『天秤』の声にも悲痛が混じっていた。

 こんな事で横島の苦しめるのは彼も本意ではないのだ。

 

「ヨコシマ様!!」

 

 扉が開く音が聞こえて、女の声が部屋に響く。

 甘い砂糖の匂いと、背中に大きくてやわっこい塊を感じて、横島の精神はゆっくりと眠りに落ちていった。

 

 そうして、横島は夢を見た。

 夢では自分とハリオンが何かを会話している。

 

 

 

 ――――イオさんから――――という薬が―――――その場合は

 

 ――――だろう――――――協力して―――――なんとか―――

 

 ――――ありが―――――――――これは私達の罪―――――

 

 

 一体何を話しているのか分からない。

 ハリオンの表情には、今まで見たことが無いほどの悲しみが溢れていた。

 とうとう涙まで溢れそうになって、横島はその涙を拭おうとしたが、体は意に反して動かない。

 

 

 ――――もっと二人で話し合うのだな――――

 

 

 

 自分の口が発した、その言葉だけは、良く聞こえた――――

 

 

 

 ふと、横島は目を覚ました。

 いつの間にか寝ていたらしい。固いベッドの上で大きく伸びをする。

 何だか記憶が混濁していたが、霧がかかったように思い出すことが出来ない。

 

 そこで、枕元に赤い液体の入ったビンが置かれていることに気づく。

 ラベルにはこう書いてある。

 

 惚れ薬。

 

「ぐふ……ぐふぐふぐふ。手に入れたぞ……手に入れてしまったぞ!! 世界の至宝を、人類の宝を!!!」

 

 笑いながら、横島はうっとりとした目で薬を見つめる。この世界の全てを手に入れた王のような充実感と満足感が全身に満ちていた。

 

『横島よ。聞きたいのだが、惚れ薬が何故、枕元に置かれていたのか、疑問に思わんのか?』

 

「良い子にしていた俺への、神様からのプレゼントさ!」

 

 キランと歯を輝かせ、妙にさわやかな笑顔を作る。

 

『まったく、こうも馬鹿とは……色々と考えてた私が馬鹿みたいではないか』

 

 『天秤』の声には呆れと苦笑が含まれていた、

 この超絶に怪しい惚れ薬をどう使わせるか、『天秤』は悩んでいたのだ

 根本的にお馬鹿な横島にあれこれ悩むのは、悩んだ方が馬鹿を見るのが大半である。

 

 というか『命令』はダメで薬は良いのだろうか。

 『天秤』は疑問に思ったが、どうせ男のロマンとでも返ってくるだけだろうから突っ込みは入れない。

 

 横島は惚れ薬を片手に台所に移動する。

 調理用のお酢にでも混入しようとしたが、そこで背後に気配を感じた。

 

「何をやっているのです、ヨコシマ様」

 

 いつの間にやら、セリアが背後にいた。他のスピリット達も横島を見つめている。

 何とか言い訳をと横島は考えたが、こっそりと後ろに回り込んだニムに薬を奪われてしまった。

 

「こらー! 俺の夢だぞ! 返しやがれ!!」

 

「ニム、何て書いてあるの」

 

「惚れ薬……って書いてある」

 

「どこからそんなものを……薬に頼るなんて、本当に最低な人ね」

 

 セリアは冷たい視線と声で横島を糾弾する。

 

 ――――この人の事だ。また『うわ~ん』とでも泣きながら馬鹿な事をやるだろう。

 

 セリアも、他のスピリットもそういう認識だった。

 しかし予想に反して横島は泣きも叫びもしなかった。

 ただ、ぼんやりとセリア達を見つめるだけ。

 

 熱を失った瞳だ。

 怒りや悲しみ等ではなくて、落胆するような色が多くにじみ出ている。

 

 冷たい何かがセリア達の背に流れた。

 何か、取り返しのつかない事が起きているような、そんな恐怖が心から湧き上がってくる。

 だけど、自分が間違ったことを言っているわけが無いとセリアは胸を張った。

 

「はあ……そだな。俺が悪かった。その薬も、もういいわ。じゃあな」

 

 横島は軽く言って、そのまま歩き出す。

 今の横島に何と言っていいのか分からず、セリア達はそのまま見送ろうとしたが、そこでハリオンが動いた。

 

「ヨコシマ様~お口を開けてください~」

 

「ん?」

 

「それ~」

 

 惚れ薬の瓶を横島の口に突っ込んだ。

 いきなりの事に横島は目を白黒させながらも、ごくりと液体を飲みほす。

 

「それじゃあ、私を見て、神剣を重ねてくださいね~」

 

 ハリオンは横島の首を動かして至近距離で見つめ合いをさせて、さらに己の神剣である『大樹』と『天秤』の刀身を重ねる。横島はハリオンに抵抗せず、そのままにさせた。

 いきなりの行動に、しばしセリア達は唖然としたが、何かに気づいたように慌てて二人を引き離した。

 

「ちょっとハリオン! 何してんの!!」

 

「は、離れるのー!」

 

「効果があるのかなぁ~と気になったのでぇ~」

 

 ヒミカが慌てて横島とハリオンを引き離す。ヒミカの必死な表情に、ハリオンは苦笑をこぼした。

 薬を飲まされた横島は目の焦点が定まらずぼんやりとしている。ヒミカは怖くなって、思わず横島を抱きしめた。そこには確かな愛情が感じられる。

 横島の顔がふにふにとした感触に支えられて、ようやく焦点が合い始めた。

 

「よ、ヨコシマ様……大丈夫ですか」

 

 心配そうな赤の瞳を間近で見て、横島は覚醒する。

 

「うおお! ヒミカ! とうとう俺の愛を受け止めてくれる気になったんですねーー!」

 

「や、ちょっと。きゃあ! 頭を胸に押し付けるなーー!!」

 

 煩悩男の本領発揮とばかりに、セクハラを仕掛けてきた横島をヒミカが殴り倒す。

 普段どおりの横島の様子に、セリア達は安心したようにほっと息を吐いた。

 ハリオンは、そんなセリア達の様子を何かを言いたげにしながらじっと見つめる。

 

「まったく、くだらない! もっと真面目にしてください!!」

 

 いつものようにセリアが横島を怒って、騒ぎもおしまいと皆それぞれ散っていく。

 彼女らの背を眺めながら、ハリオンは口許に今まで見たことが無い種類の笑みをたたえていた。

 

「効果が出るのは数時間後なんですよね……うふふ~皆さんが手放したものが何なのか、知ってもらいますからね~」

 

 どこか寂しそうに、でも嬉しそうに。

 ハリオンはただ微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に横島の異変に気付いたのは子供達だった。

 ネリー、シアー、ヘリオンの三人で町を練り歩いていると、

 

「な、何で!? どうして!!」

 

 ありえない光景が眼前に広がり、ネリーが悲鳴を上げた。

 その光景とは、湖がカチンコチンに凍り付いて、氷の広場になっている事だ。

 その周囲にはいくつかの出店があり、まるでお祭りのようである。

 垂れ幕にはこうあった。

 

 リラックス祭りと。

 

 ネリーはありえないと頭を振る。

 この祭りは本来クール祭りで、ヨコシマ様がネリーを楽しませる為に開催してくれた祭りのはず。どうして自分の為のお祭りが開催されているのだろう。

 だって、ネリーは呼ばれていないのだ。こんなのありえない。

 

 不吉な予感がネリーの胸いっぱいに広がっていく。

 胸が痛くなるほどの動悸の中で横島の姿を探して、スケートリンクで彼を見つけた。彼の隣にいる、最高のプロポーションを持つお姉さんと共に。

 

「ヨコシマ様~滑りますよ~~!」

 

「そりゃそうですよ! 滑りに来たんですから」

 

「ひゃう~~助けてください~~!」」

 

「よっしゃ! 俺に抱きついてください!!」

 

 転びそうになったハリオンが横島にぎゅっと抱きつく。

 プロポーション抜群のお姉さんに抱きつかれた横島は、もう至福の表情だ。

 霊力が全身から溢れ、バチバチと周囲に圧力を振りまいている。

 

 ネリーは二人のいちゃつきを唖然として眺めた。

 シアーとヘリオンも言葉が出ない。

 

 それからハリオンは何度か滑ろうとしたが、その度に転び続けて、とうとうスケートリンクから逃げ出してしまう。

 何度もしりもちをつけば仕方が無いか。ハリオンのお尻は、きっとお猿のように真っ赤になっているだろう。

 

「む~転んでばかりで面白くないです~もう止めましょうよ~」

 

「そんじゃあ色々と出店があるから、そっちで買い食いっすね」

 

「はい~そうしましょう~」

 

 二人がスケートリンクが出てくる。

 そして、ネリー達と目が合った。横島はさして気にするほどもないと手を上げて挨拶するだけだったが、ハリオンはにんまりと笑う。

 

「ネリーさんも滑ってきたらどうですか~私はヨコシマ様とたっぷり遊んできたから、もういいですけどね~」

 

 横島の腕を取りながら、ハリオンは得意満面の笑みでネリーに言った。

 ネリーの頬が紅潮してポニーテールもブルブルと震える。泥棒と、心中で叫ぶ。

 もはやネリーには、ハリオンが泥棒にしか見えなかった。自分の祭りを、自分のヨコシマ様を盗んだ泥棒だ。

 

 そんなネリーの心中を察していながらも、ハリオンは笑みを崩さない。

 さらにハリオンは次の標的であるシアーに攻勢を仕掛けた。

 

「あ、そうでした。ヨコシマ様~このプレゼント、ありがとうございます~」

 

 言いながらハリオンは懐から木造のケースを取り出す。

 ケースの中身を見て、シアーは目を剥いた。

 

 精密な彫を可能にする彫刻刀。

 握る所が小さくカラフルで可愛らしい。

 数日前にシアーに送られた彫刻刀そのものだ。

 

「それ、シアーの……シアーのなの!!」

 

「何言ってんだよ。これは俺がハリオンさんにプレゼントしたんだぞ」

 

「そうですよ~これは私の物ですよ~」

 

 当然のようにハリオンが言って、横島もうんうんと頷く。

 シアーは目に涙を溜めて、嫌々と首を横に振る。

 

「シアーのなのに。ヨコシマ様が用意してくれたシアーの。シアーの……なのに」

 

 ぶつぶつという口の中で繰り返すが、横島は気にも留めない。

 さらにハリオンはこともなげに言った。

 

「でも~私はあんまり工作に興味ないから使わないかもしれないですよ~」

 

「そうっすか。でもまあ、しょうがないか」

 

「つ、使わないって!」

 

 信じられない物を見るような目でシアーはハリオンを見つめた。

 こんなに可愛くて素敵な道具を使わないというのが、シアーには信じられない。

 だけど、シアーに文句を言う権利は無かった。彫刻刀はハリオンのものだからだ。

 

「つーか、今の俺はハリオンとのデート中なんだから邪魔すんなよ」

 

 面倒くさそうに子供達に言って、ヘリオンも衝撃を受けた。

 

 デート。自分がするはずだったデート。

 

 大好きな人と二人きりで、甘い夢のひとときを織り成す魔法の時間。

 夢にまで見た時間を、ハリオンに奪い取られてしまった。

 ヘリオンは喉から湧きあがろうとするしゃくり声を必死に抑えて、横島を涙目で睨んだ。

 

「うう~ヨコシマ様は怒ってるんですか?」

 

 横島に散々冷たくしてきたのだ。

 怒って意趣返しをされているのだと、ヘリオンは判断したのだが、横島は不思議そうに首を傾げた。

 

「なんのこった?」

 

 子供達だって横島と一年近く一緒に住んでいるのだ。

 嘘をついているかどうか、大体分かる。だからこそ理解できた。

 ヨコシマ様は嘘をついていない。プレゼントを受け取らなかったことを怒っているわけではない。これが平常なのだと。

 祭りも彫刻刀もデートも、自分達ではなくハリオンの為に用意したものと切り替わってしまっている。その事を、覚えてすらいない。間違いなく何かの異変が起こってる。

 

 子供達はハリオンを睨みつけたが、ハリオンはただ笑みを浮かべるだけ。

 

「とにかく、邪魔すんなよ。さあ、いきましょうハリオンさん!」

 

 横島は子供達にはつっけんどんに、ハリオンには満面の笑みを浮かべた、二人は寄り添って歩き出す。

 楽しく、優しく、温かい光景が目の前にあった。

 子供達は思う。

 

 本来なら、横島の隣にいたのは自分だったはずなのに。

 

「あ、あああ」

 

 子供達の声にならない声が、喧騒の中に消えていった。

 

 

 

 

 子供達の次に異変に気づいたのはヒミカだった。

 それは、横島とヒミカが一緒に書類仕事をしていた時の事。

 

 ヒミカは横島とイス一つ離れた席で、彼を見張りながら作業をしていた。

 横島と一緒に作業をするというのは、心身共に大変な疲れを持つことになる。

 別に横島が仕事をできないと言う事はない。むしろ、何でも器用にこなしてくれるので、労働力としては中々なものだ。それに、意外と目の届かない部分もしっかり見てくれたりもする。こういった部分は悠人よりもずっと優秀だ。

 しかし、横島は横島なのだ。お互いに少し離れて仕事をしていたはずなのに、気づいたら隣にいて、体をベタベタ触ってくるなどのセクハラを仕掛けてきたり、一時も気が抜けない。

 

 だが、ヒミカの心配をよそに横島は黙々と作業を続けた。哨戒や警備等のシフトを考えつつ、誰にどのような訓練をさせるか、またその際の教員を誰にするか。悠人が考えた戦術を実行するために、どの技術者をどの都市に派遣するか、等の草案を纏めていく。

 一方、ヒミカの仕事のはかどり具合は余り良くない。向かいに座っている横島が気になっているからだ。無論、横島が気になるというのは好きとかそんな感情ではなく、体をベタベタ触ってこないかと言う心配である。

 

「ヒミカ、もっと集中しろ」

 

 作業が遅いヒミカに、横島が注意する。

 横島を警戒しているため、ヒミカの仕事は遅い。ヒミカが一枚仕上げる間に、横島は五枚は仕上げるほどだ。

 ヒミカはむっとする。自分の仕事が遅い理由は、この変態隊長を警戒しているからだ。

 

「ヨコシマ様がいちいち私にちょっかいを出そうとするから遅くなっているんじゃないですか!」

 

「ちょっかいって……何で俺がヒミカにちょっかいを出さなくちゃいけないんだ?」

 

「何でって……」

 

 不思議そうな声を出す横島に、ヒミカは怒りを覚えた。今まで散々あちらこちら触って来たくせに、突然「何で?」なんて言いはじめるのだ。胃薬までも使い始めたヒミカにとって、これほど腹が立つ事も無い。

 

「まあ、どうでもいいか。早く終わらせるぞ、無駄口叩くな」

 

 言葉通り、本当にどうでもよさそうに横島は言った。声には何の感情も込められておらず、冷淡ですらあった。

 あんまりな横島の態度にヒミカは憤慨したが、その時になって何かが変だと気づく。

 

(私にまったく興味を持ってない?)

 

 ふと、気づく。

 ここ最近、ヨコシマ様と話した事があっただろうか。

 まったく無い気がする。視線すらあっていない。こちらを見てすらいないのだ。

 あの絡みつくような欲望に満ちた視線と、どこか憎めない愛嬌のある顔が何だか懐かしくなった。

 そういえば、あのプレゼントの話は何処にいってしまったのだろう。

 いらない、と手ひどく振ってしまって、酷く落ち込んでいたのを覚えている。本当は凄く興味があった。早く着てみたいと、想像の中でポーズすら考えていたのだ。

 ヒミカの心の中で、得体の知れない不安感が大きくなった。

 

「ちっ」

 

 聞こえてきた舌打ちの音に、ヒミカははっとした。

 気がつくと、またも手が止まっていたようだ。

 

「す、すいません」

 

 ヒミカは謝罪の言葉を述べたが、横島は見向きもせずに手を動かし続ける。

 悔恨と、僅かに恐怖を感じながらヒミカは作業を開始した。

 

 三十分後、書類はようやく片付いた。結局、殆ど横島が仕上げたようなものだった。

 ヒミカは悔しげに頭を下げる。

 

「役に立て無くて……すいません」

 

「調子が悪いときはちゃんと言え。ヒミカだって辛いだろうし、他が迷惑するんだからな」

 

 厳しいが正しい答え。隊長らしいといえば隊長らしい。しかし、どこか義務的だ。

 模範的な解答をそのまま抜き出したようで、横島の言葉では無いようだった。

 

 ヒミカの不安がますます大きくなる。

 何か取り返しがつかない事が起きているような。

 そんな焦燥がヒミカの胸に立ち上った。

 

「あの、ヨコシマ様。時間があったら、ケーキを食べませんか?」

 

「何でだ?」

 

 疑問の声を上げる横島に、ヒミカはギョッとした。

 

 やはり変だ。女性が誘っているのだ。いつもならダボハゼのごとく飛びついて来るはずなのに。

 

「えっ、えーとですね……」

 

 必死に理由を探す。仲直りしたいから、とは口が裂けても言えなかった。

 これは、もう意地である。何の意味もない不毛な意地とヒミカも分かっているが、今まで感じたことのない感情にヒミカは翻弄され続けていた。

 

「試作のケーキなので色々な人に味を見てもらいたいのです。ハリオンは美味しいと言ってくれたのですが、やはりもっと沢山の人の意見を、と」

 

 なんとか理由を作る。

 ここで素直にヨコシマ様と一緒にお茶をして、有耶無耶っぽく仲を戻してしまおう。

 幸い、セリア達はいないから変に茶化されることは無いはずだ。

 

 ヒミカの提案に横島は少し難しい顔をして、しばし沈黙する。

 まさか断られるのか、とヒミカは思わずつばを飲み込んだ。

 

「ハリオンが美味しいって言ったのか?」

 

「え? あっ……はい。甘くて美味しいと」

 

 答えると、横島の顔が曇った。

 ヒミカを見つめる目は、どこか敵意すら感じられる。だが、それは一瞬だった。

 

「ん、分かった。それじゃ、食べさせてもらうか」

 

「分かりました。早速持ってきますね」

 

 厨房に置いてあったケーキを部屋に運んで、二つに切る。

 流石にこれだけでは味気ないので、厨房でお茶を淹れて部屋に持っていった。

 

「結構甘めのケーキなので、少し苦めのお茶を……あれ?」

 

 お茶を持っていくと、部屋に横島の姿は無かった。ヒミカの分のケーキだけ部屋に置き去りにされている。

 横島は、自分の分のケーキだけを持って行ったのだ。

 ヒミカは口をパクパクと開け閉めした後、奥歯を強く噛んだ。

 確かに一緒に食べようとは誘わなかった。ケーキを薦めただけだから、一緒に食べる必要はない。だが、普通は一緒に食べると思うだろう。

 

「何よ……何だって言うの!」

 

 怒りと僅かな悲しみに、ヒミカはケーキにフォークを乱暴に突き刺して一気に口の中に放り込んだ。

 少しばかり味わって一気に飲み込む。せっかくの力作であったが、胸の内にある不快感で味なんて分からない。

 その時だった。

 

 居間の方から、「うまい!」という弾んだ横島の声が聞こえてきたのだ。

 

 何だ、居間の方に移動していたんだ。

 自身の早とちりに頬を赤らめて苦笑しつつ、笑顔の横島を想像して足取りも軽く居間に向かう。

 

 そこで、ヒミカは立ち尽くした。

 居間には、半分のケーキをさらに半分にして、一口サイズのケーキを美味しそうに食べる横島とハリオンがいた。二人とも笑顔で、時折、横島がハリオンにセクハラを仕掛けて抓られたりしている。

 そして、ケーキの感想を聞いているようだ。感想を聞く横島の表情が、妙に真剣だ。

 つい数日前まで、今ハリオンが座っているところにはヒミカがいた。完全に席を奪われた形となってしまった。

 愕然としていたヒミカだったが、ふとハリオンと目が合った。ハリオンはいつもと少し違う笑顔でヒミカを見ると、

 

「ご馳走様です~」

 

 幸せそうにそう言った。

 それは勝ち名乗りの声。ヒミカには、確かにそう聞こえたのだった。

 

 

 

 

 

 

 次に横島の異常に気づいたのはファーレーンだ。

 

 ファーレーンは横島の様子に首を捻っていた。

 ここ最近、謝ろうとしてこない。仮面を取って欲しいと言われなくなってきている。いや、それどころか話もしていない。近づいてすらこない。むしろ、避けられているような気がさえする。

 

 ――――確かにヨコシマ様はファーレーンさんの前で良い顔してましたけど、それだけファーレーンさんの事を大切に思っていたからですよ~

 

 横島が仲直りに奮闘している頃、ハリオンも周りと横島との溝を埋めようとしていた。

 その時にハリオンから言われていた言葉を思い出す。

 確かに、白馬の王子様という横島に抱いていた偶像は砕け散った。しかし、横島と今まで過ごしてきた日々は消えたわけではない。

 

 それに、ヨコシマ様がエロくてそれを隠していたと非難する資格は、ファーレーンにはなかった。

 ファーレーンはファーレーンで、実際は中々――――なのである。互いに外面を良くしていた似た者同士なのだ。

 

 

 それからファーレーンは横島の視界に入る程度の距離で、ちょろとちょろと動き回った。

 横島が話しかけてくるのを待っているのだ。

 弱気で受身。今まで散々、横島を近づけなかったのに、近づいて口説いてくれるという期待があった。

 しかし、どれほど待とうと横島が話しかけてくる事は無く。寂しさの限界に達したファーレーンはとうとう行動に出る。

 

「そ、その、ヨコシマ様! 私の仮面のことなんですけれど……」

 

 言いながらファーレーンは一歩、横島に近づくが。

 

「おい、それ以上近づくな。俺が殴られるだろうが!」

 

 彼は両手を突き出して、ファーレーンの接近を拒絶した。

 まさか拒絶されると思わなかったファーレーンは言葉を失う。

 頭の中でグルグルと、どうして、何で、と疑問が飛び交った。

 

「だって、ずっと仮面を外してほしいってヨコシマ様が……プレゼントを渡したいって……」

 

「記憶に無いぞ」

 

 横島はきっぱりと言い切った。ファーレーンは愕然としたが、一つ思い立つことがあった。

 

 今まで逃げ続けたのを怒って、意地悪く言っているのではないか。

 

 そう考えたのだが、横島の表情には困惑が広がっている。

 混乱するファーレーン。そこで密かに様子をうかがっていたハリオンが動いた。

 

「あ~ファーレーンさん。どうも、あの惚れ薬って~記憶にいくつか飛ばしちゃうらしんですよ~」

 

「な! そんな危険な薬をヨコシマ様に飲ませたんですか!?」

 

 いくら何でも聞き捨てならないとファーレーンは握りこぶしを作りながらハリオンに詰め寄る。だが、横島が二人の間に入り込んでハリオンを庇った。その目にはファーレーンに対する警戒がある。

 今までずっと、優しく楽しい隊長だった横島から警戒の眼差しで見られて、ファーレーンは目に熱いものが込みあがってくるのを必死に抑えた。

 

「ハリオンさん……ファーレーンと何かあったのか」

 

「はい~ヨコシマ様が、ファーレーンさんの事でちょっと忘れたことがあるって話です~」

 

「へ~」

 

 それで話が終わった。何を忘れたのか、等という問いは出てこない。

 今の横島にとって、ファーレーンの事などどうでも良かったからだ。その声は無味乾燥としていた。耳はハリオンの声しか通さなかった。完全に無視されてファーレーンはもう涙ぐんでさえいる。

 涙ぐむファーレーンを、横島は気づきさえしなかった。

 

「あ、そうだハリオンさん。美味い葡萄ジュースが手に入ったんで、一緒に飲みませんか!」

 

「いいですね~。じゃあ私もとっておきのお菓子を出しちゃいますよ~」

 

 二人は寄り添って奥の部屋に消えていく。

 ぎりっと歯を食いしばって二人を見送ったファーレーンだが、何を思ったかハリオンだけがそっと戻ってきた。

 

「ファーレーンさん~安心してください~」

 

「え?」

 

「もう、ヨコシマ様はファーレーンさんの笑顔を見たいからって仮面を外してほしい、なんて言いませんから~」

 

 満面の笑みを浮かべて、ハリオンが残酷なまで清々しく言い切った。

 怒りとも悲しみともつかぬ感情がファーレーンを包み込んだ。

 

「お~い。ハリオンさ~ん! どこ行ったんだー!」

 

「は~い。ヨコシマ様~今行きますよーー! それじゃあ、ヨコシマ様が呼んでますから~」

 

 ハリオンは幸せそうに横島に向って走り出して、彼の胸に飛び込んだ。

 横島はそれはもう幸せそうにハリオンと寄り添って歩き出す。

 

 ファーレーンは声無き声を上げ、その場から遁走した。

 

 

 

 

 

 

 次にナナルゥが異常に気づいた。

 

 ナナルゥが自室で本を読んでいると、トントンとノックの音が響いた。

 入室を許可すると、横島が部屋に入ってくる。

 ナナルゥは身を固くした。部屋で男女が二人きり。それだけで読んで来た小説の情景がよぎって、怪しげな妄想を膨らませてしまう。

 

 だけど、横島はそんなナナルゥを気にもしていないようで、本棚の物色を始める。

 どうやら読みたい本が見つかったらしい。一冊の本を手に取ると、そのまま部屋から出て行こうとする。

 ナナルゥはムッとした。ただ本を漁りに来ただけというのが、妙に胸をかき乱す。もっと何か話をしてくれても良いと思った。

 

「それはまだ読みかけです。持っていかないでください」

 

「固いこと言うなよ。こんだけあるんだから」

 

 小説の数は20を超えているだろう。娯楽本はそれなりに高い買い物だ。

 よくも集めたものだと、横島は関心した。

 

「しかし、何でこんな恋愛小説を集めてんだ」

 

 横島の質問に、ナナルゥは何を言っているのだと不快感をあらわにする。

 

「ヨコシマ様が、私に愛を学べと命令したからです。お忘れですか」

 

 二人が始めてあった日をナナルゥは思い出していた。

 いきなりパンツ姿で突撃してきて、思い切り押し倒されて、何故か股間を叩いて気絶。

 思い出すと、実にトンでもない出会いだったんだと思い知る。

 だけど、決して不快ではなった。今なら分かる。横島がどれだけ自分を大事に思ってくれたか。

 あの出会いを忘れる事は一生ないだろう。

 

 

 

 その大切な思い出を

 

 

 

「んなこと言ったか?」

 

「…………え?」

 

 横島は打ち砕いた。

 

「だって、ナナルゥが愛を知っても知らなくても俺には何の関係もないだろ。そんな命令出すとは思えないんだけど」

 

「…………そんな」

 

「とにかく、これは借りてくぞ」

 

 返答を待たず、横島は本を持って部屋から出ていく。

 

 ナナルゥは本棚の前で立ち尽くしていた。蔵書はすべて、愛に関するもの。

 何のために愛の勉強をしていたか。誰の為に愛を知ろうとしていたのか。

 

 ――――俺には何の関係もない。

 

 横島の無機質な声と無機質な表情が思い浮かぶ。

 

「関係ない……私が愛を学んでもヨコシマ様にはなにも関係な……い。か、かんけ……ない」

 

 上手く呼吸が出来ない。何故か視界がにじむ。歯と歯がカチカチと音を立てる。

 鉛のように体が重いのに、胸だけを残して体が伽藍堂のように何もなくなったように感じた。

 

「ハリオンさん! 持って来たっスよ」

 

「うふふ~ありがとうございます~もしも濡れ場があったら~私がその部分を朗読しますよ~」

 

「よっしゃあ! そんときは俺も手伝うっす! 二人の間で熱が篭る演技! いつしかそのまま実践に……くうぅ~これぞエロの王道だぜ!!」

 

 一つ隣の部屋で行われていることが聞こえてきた。

 

 今、横島とハリオンが肩を寄せ合いながら一つの本を読みあっているのだ。

 

 想像するだけで全身が熱くなった。壁でも殴りたくなるような衝動に襲われる。

 

 目を閉じ、耳を塞ぎ、ベッドに潜り込んでタオルを全身にかぶせた。

 もう何も聞きたくない。何も考えたくない。

 こんな辛いならば愛なんていらない。

 

 ナナルゥの手が永遠神剣『消沈』に伸びる。

 

 嫉妬の苦しみから逃れるため、神剣の干渉で心を失ってしまおうと考えたのだ。

 手が神剣に触れて精神干渉が始まる。

 

 マナを、マナを集めよ。

 

 神剣の声が聞こえてきて、ナナルゥは愕然とした。

 その声はあまりにも弱かった。以前、自分の心を半ば捕らえた神剣の干渉とは、これほど弱かったのか。

 この程度の干渉なんて、この心に燃え盛る炎であっさりと焼き尽くしてしまう。

 スピリットの心を示すハイロゥの色は、純白となって強く光を放ち続ける。

 それだけ強力なエゴがナナルゥには生まれていた。

 

「辛いです。ヨコシマ様……ヨコシマ様……助けて」

 

 ナナルゥは彼の名前を呼びながら、ただひたすら全てを燃やし尽くすような嫉妬の炎に耐え続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 最後に、セリアが異常を知る。

 

 

 客引きの声。値切りの声。ほかほかのパンに舌鼓を打つ声。

 熱気溢れる市場で、セリアは冷静に敵と味方――――値段と予算を見比べて戦力差を計算する。

 

 限られた資金でやりくりしながら、どれだけの栄養価の高い食事を捻出するか。

 主婦の戦いをセリアは人間相手に繰り広げる。

 

「あれも買ったし……これも買った。これで全部ね」

 

「ええ~これだけですか~もっと甘い物を買っていきましょうよ~!」

 

「ダメに決まってるでしょ! 砂糖なんて高いものを買うなら、もっと野菜を買わないと」

 

「うう~セリアさんは厳しいです~」

 

 一緒に買い物に来たハリオンは、甘い物を買えずにしょんぼりとしている。

 

 一通りの物を買い終わり、セリアとハリオンは帰路についた。

 そこに、一人の男の声が近づいてくる。

 

「お~い!」

 

 男のはしゃいだ様な声が後ろから響いた。

 振り返ると、横島が満面の笑みを浮かべて大きく手を振りながらこちらに走ってくる。

 セリアの両手には荷物が一杯で手を振り返す事なんてできないし、そもそも振り返す意思も無い。

 本当に子供っぽいんだから、とセリアは呆れ気味に溜息をついた。

 横島は手を振りながら走ってくる。ひょっとした抱き着いてくるかもしれない。

 

 抱き着いて来たら蹴り飛ばしてやると、セリアは怒りと楽しみを合わせたような表情で、抱き着きを待ち受ける。

 とうとう横島の手が伸びてきて、セリアは前蹴りを繰り出す。

 

 スカッとセリアの足が空を蹴った。

 どうして、と混乱するセリアだが、答えはすぐに見つかる。

 

 横島は隣にいたハリオンに抱きついていたからだ。

 

 カアッとセリアの頬が赤く染まる。

 まるで手を振られたと思って手を振り返したら、実は隣の人物に挨拶をしていて怪訝な顔をされてしまったような、そんな恥ずかしさ。

 恥をかかされたと顔を赤くして横島を睨みつけるが、続く横島の行動に怒りがさらに膨れ上がる。

 

「それじゃあ、ハリオンさんの荷物は俺が待ちますね!」

 

「わあ~ありがとうございます~ヨコシマ様~」

 

「はっはっはっ! 気にせんでください!!」

 

 セリアは両手に荷物を持っているのに対し、ハリオンは片手だけだ。

 にも関わらず、横島はハリオンの荷物だけを持った。セリアは完全に無視されている。

 

 何で無視するの。

 

 そう口走りそうになって、セリアは咄嗟に口を押さえた。

 漏れ出した自分の声があまりにか細くて情けなかったからだ。

 まるで親からはぐれた子供のような、女子らしい声にセリアは顔を真っ赤にする。

 

 そんなセリアなど気にもせず横島とハリオンは会話を続けたが、ある二人の姿が目に入って横島が声を掛けた。

 

「お、ちっちゃ妹とルーちゃん! そっちも買い物か」

 

「別にちっちゃくないよ! このエロ兄!」

 

「はい、お買い物です」

 

 ルルー・ブルースピリットとルー・ブラックスピリットの二人も買い物の帰りらしい。

 

 第三詰め所の買い物は、主にルルーが店員と交渉して、それ以外が荷物持ちをしている。別にルルーは自分が荷物を持っても良いのだが、せめてこれぐらいはやらせて欲しいと他のスピリットは荷物持ちを申し出たのだ。

 

 ルーは両手に荷物を抱えながら、目を輝かせて横島に近づいていく。

 ハリオンが慌てたような顔をした。

 

「あ~ルーちゃん、ちょっと待ってください。今のヨコシマ様は~」

 

 イオ特性の惚れ薬の効果と、『天秤』の干渉によって横島の精神は変化している。

 この惚れ薬は、実は惚れ薬ではないのだ。正確に言えば、薬を飲んで最初に見た対象しか、目に入らなくしてしまう。別に惚れさせる薬ではない。

 

 それ以外を無関心にしてしまう薬。

 命名するのなら『無関心薬』とでも言おうか。

 本来はそれほど強い効果はないのだが、薬に『天秤』が働きかけることによって、効果を増幅させている。

 

 今の横島に近づいても、自分以外はなしのつぶてになってしまうと、ハリオンは慌てたのだ。

 しかし、

 

「そんじゃ、ルーちゃんの荷物も俺が持つぞ。ふっふっふ、いいとこ見せてポイントアップじゃ」

 

 横島はルーに優しく対応して見せた。

 おかしいなとハリオンは目を丸くする。

 

「あれ~おかしいですね~薬と干渉で私以外には興味を持たないはずなんですけど~」

 

「あーその事なんだけど……ハリオンさん。ちょっとこっちに来て。あ、兄さんにルーお姉ちゃん……それとセリアさん。すぐに済むから、少し待っててね」

 

 ルルーはハリオンと秘密のお喋りとばかりに物陰に隠れて、なにやらひそひそ話し始める。

 残された三人だったが、ルーは積極的に横島に話しかけた。

 

「ヨコシマ様は、どんな料理がお好きですか」

 

 そこから話は始まり、ルーは様々な事を横島に聞いた。

 食事の好みから始まり、好きな色、好きな動物、お風呂は何度ぐらいが好きか、何時ごろ寝るか。

 まるで、同棲する時ような会話だ。

 セリアはその会話に入り込むことができず、ただイライラと足を踏み鳴らす。

 

 少しして、ルルーとハリオンが女同士の秘密会話から戻ってくる。

 ルルーはニコニコと笑っていた、ハリオンは困ったような表情をしている。

 

「それじゃ、兄さん。第三詰め所に帰ろうか」

 

「ああ、そうだな」

 

 兄妹はさも自然に言って、歩き出す。

 プチンと、セリアの中で何かが切れた。

 

「ああそう! 第三詰め所に帰るのね……ふん、さようなら!!」

 

 怒りと不満を爆発させて、皮肉っぽく罵る。

 あっと、横島が失敗でもしたかのように口元を歪ませる。

 

 いい気味だとセリアは思った。

 

 私を無視するからだ。嫌味を一つや二つほど言って困らせてやろう。

 ニヤリと笑いながらセリアが口を開こうとしたが、

 

「すんません! ハリオンさん!! 俺が帰るのは第二詰め所だけです。なんと言ってもハリオンさんがいるんすから」

 

 横島がハリオンの手を握りながら猛烈に謝る。

 そこにはセリアのセの字もない。

 無視も無視。眼中に無し。セリアのプライドは完全に粉砕された。

 

「ああ、そう! そんなにハリオンがいいの! だったら二人で好きにしてなさい!!」

 

 両手に荷物を抱えて、のっしのっしと大通りを歩いていく。

 そんなセリアを、ルルーは馬鹿にしたように笑って、ハリオンは困ったように苦笑した。

 

「何を怒ったんだろうな」

 

 横島はきょとんとセリアを見つめて、そこで彼女への関心を切った。

 

「いやはや、面白い事になっていますねえ」

 

 物腰の柔らかい男が割り込んでくる。一般人に見えるが、足運びが普通ではない。

 ルーは警戒した様に横島の背中に隠れたが、男の顔は横島もハリオンもルルーも知っていた。

 

「よお、どうしたんだ。動物に怯える諜報部さん」

 

「いやいや怯えますよ。お陰で我らの会話の殆どが筆談とブロックサインにさせられたんですから。貴方の世界の霊力というのは反則過ぎます」

 

「神剣も大概だけどな。それで、なんのようだ。俺はお前らとは付き合いたくねーんだけど」

 

「ええ、今回は貴方は関係ありません。ハリオンさんに伝えなくてはいけない事情が合って、城まで来てほしいのですよ」

 

「あ~27番さん。ハリオンさんには事情は伝えたよ」

 

「そうですか。それは一つ手間が省けて結構ですが、もう一つ彼女に伝えることがあるので」

 

「おい! 俺のハリオンに間違っても手を出すなよ! もし手を出したら」

 

「はいはい、分かってますよ! 貴方を怒らせたらどうなるか、これでも見てきたんですから」

 

 男の声は軽いが、声の芯には確かな恐れがあった。

 そうして男はハリオンと共に城へと向う。

 横島はルーとルルーという二つの花を両脇に添えて、楽しくお喋りしながら詰め所に戻った。

 

 

 しばらくして、ハリオンは詰所に戻ってきた。

 表情に、今までで見た事もないほどの懊悩を見え隠れさせながら。

 

 

 どうして、こんなことに。

 

 

 横島に無視されて嘆くセリア達と同じく、いや、それ以上に苦しそうなハリオンの声が第二詰め所で密かに響いた。

 

 

 

 

 

 それから数日が経過した。

 第二詰所内は世紀末もかくやというありさまだ。

 

 横島の目は、声は、優しさは、いやらしさは、全てハリオンの物となった。

 それ以外のスピリットはカスも同然。完全なる空気。

 ハリオンを除くスピリット達のフラストレーションは極限まで溜まり、いつ爆発しても可笑しくない爆弾と化していた。

 

 そして、その日が来た。

 

 夕食時。

 リビングに現れたハリオンの服装に全員が驚愕した。

 ハリオンの服装が、いつもの戦闘服ではなく、かといってメイド服でもない、美しい黒を基調としたドレスだったのだ。しかも、イヤリングをつけ、靴もそれようにあしらえている。

 

「どうですか~似合ってますか~!」

 

 ハリオンは目を丸くするセリア達に向かって、ふわふわとポーズを取って見せる。

 しばらく声を失くしていたセリアだったが、ようやく意識を取り戻して、ハリオンを睨みつけた。

 

「そのドレスは一体何!? まさか、買ったの!? 隊のお金を使い込むなんて、そんな事が許されるとでも!」

 

「勘違いしないでくださいよ~この服は~ヨコシマ様個人のお金でリュートさんのパパに作ってもらったものなんですから~」

 

 全員が絶句する。つまり、横島はハリオンにオーダーメイドのドレスを送った事になる。

 子供たちは羨ましそうにドレスを見つめ、大人たちは驚いたようにドレスを見つめた。

 シックでシンプルな黒のワンピース。よく出来ているといえるだろう。

 ただ、ドレスは少し小さいようで、肩の付近の肉が食い込んでいる。

 

 ヒミカはドレスが本来自分に送られるはずだったことに気づいて唇を噛んだ。

 

「もちろんこのイヤリングもですよ~月の石で出来ているって宝石と太陽の石で出来てるって宝石です~兄弟石っていって、二つでセットになってるんですよ~」

 

 綺麗ですよね~と見せびらかしながら、ハリオンは『月光』のファーレーンと『曙光』のニムントールに殊更笑いかけた。

 二人も、イヤリングは私達のものだったと分かって、自慢するハリオンを睨みつける。

 

「待ちなさい! 食事と言ってもスピリットが入れる店なんて無いわ。だから、食事に行くなんて無理だから……」

 

「そこら辺は大丈夫です~ヨコシマ様がスピリットでも大丈夫な店を探してくれましたから。もう予約も取ってくれているんですよ~」

 

 再び絶句。

 スピリットでも利用できる店。そんなものがあるというのか。しかも予約済み。

 これはセリアが行くはずだった店だ。

 

「それでもやめたほうがいいわ! いくら店側が許可しても、普通の人間もいるのよ! 絶対にトラブルになるから!!」

 

「それも大丈夫です~ヨコシマ様が大枚叩いて貸切にしてくれましたから~」

 

 三度絶句。もう言葉も無い。

 何もかも奪い取っていくハリオンに、スピリット達は嫉妬と恨みを込めて睨みつける。

 睨まれたハリオンは、笑みを浮かべながら首を傾げて見せた。

 

「もう~何を怒っているんですか~皆さんが望んだ状況だと思うんですけど~」

 

「わ、私達が望んだ状況? ふざけないで! いつ私達がこんな状況を――――」

 

「望みましたよ~もうヨコシマ様は皆さんに何もしません~

 よかったじゃないですか。大嫌いなヨコシマ様に何にもされないんですから~

 皆さんの分まで、ヨコシマ様の事は引き受けます~お姉さんがヨコシマ様を守るんです」

 

 ハリオンは決然として言った。

 そして何も言えずに立ち尽くすセリア達に踵を返して、横島が待つ玄関に向う。

 二人は恋人のように手を握り合った。横島はでへへと締りの無い顔で笑って、ハリオンはのほほんとした笑みを浮かべて、二人は幸せそうにデートに繰り出す。

 

 後に残るは、無残な敗残者達。

 

「ふ、ふえ~ん! なんで……どうしてーー!!」

 

 その場で泣き崩れるヘリオン。

 他のスピリット達も唇をかみしめて項垂れた。

 だけど少しして、髪を逆立てながらナナルゥが前を向いた。

 

「惚れ薬……惚れ薬です」

 

 端正で透明感ある表情は消え去り、炎のような憤怒に染まっている。

 

「薬で心を縛るなど、許されるとは思いません。ヨコシマ様もユート様も、心を大切にと言っていました。

 また、強力な薬は肉体にどのような悪影響を与えるか分かりません。ある種の薬剤は強い依存性を持ち体に害を与えると聞いた事があります。

 早急に、なんとかしないといけません」

 

 ナナルゥの言葉は正論だった。

 だが話の本題では無い。今回の騒動について、真の問題点は別のところにある。

 本当の問題から第二詰め所は目をそらした。別な部分の正論に飛びついた。

 

 それでも正論は正論だ。

 理論武装を固めて、セリア達は失ったものを取り戻そうと動きだす。

 

 

 

「ただいまぁ~」

 

 数時間後、二人は詰め所に帰宅した。

 お泊りでなかったことに、そしてこの時間ならご休憩もないだろうと察した一部のスピリットはほっとしたが、戻ってきた二人の姿を確認して苦い顔をする。

 

 二人は腕を組んでいた。

 ハリオンの豊満な胸が横島の腕に当たっていて、横島は至福とでも言うように表情を蕩けさせている。その様子は恋人同士にしか見えない。

 セリアは、そんな横島を意図的に見ないようにしてハリオンに鋭い視線を送る。

 

「あらあら~どうしたんですか~」

 

 鋭い目つきでこちらを見つめているセリアとヒミカ。

 ハリオンは妙に嬉しそうだ。

 

「ちょっと話があるの。付き合ってくれない?」

 

 頼むように言ったが、セリアの目には拒否を許さないという強い意志が見え隠れしている。

 

「ハリオンに何のようだよ」

 

 不穏な意思を感じ取った横島が、ずずいとハリオンを守るように立ちはだかる。ハリオンは嬉しそうに彼の背中に隠れた。

 横島の目はぎらりと光って、二人を見据える。そこには温かさは無い。憎しみも無い。

 あるのはハリオンを守ろうとする強い意志だけだった。第二詰め所全てに注がれていた意思は、いまやハリオンにしか向けられていない。

 二人はもう横島を見たくなかった。どうして自分がヨコシマ様にこんな目で見られなければならないのだ、と憤慨して隠れたハリオンを睨む。

 

「ただちょっと話があるだけです! 貴方は関係ありません!」

 

「その話が隊の和を乱すことなら、俺は隊長として見過ごすことはできないぞ」

 

 ――――――貴方が気にしているのは隊じゃなくてハリオンでしょう!

 

 セリアはそう叫びたい気持ちをぐっと堪える。

 どうしてこうなってしまったのか。今まで上手くやってきたというのに!

 どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして――――――――!!

 

「セリアさん~話があるなら、外でお話しませんか~」

 

 いつもの笑みを崩さず、むしろ、いつも以上の笑みをハリオンはセリアに笑いかけた。

 そんなに二人きりの食事が楽しかったのかと、セリアは歯を食いしばる。

 絶対に、自分達のヨコシマ様を取り戻してやると心に決める。

 

「ええ、お願いするわ。外で話しましょう」

 

「ハリオンさん……大丈夫っすか」

 

 横島が不安げにハリオンを見る。

 ただならぬセリアの鬼気を感じて、本当に身の安全を案じているようだ。

 

「心配してくれてありがとうございます~でも大丈夫ですよ~さあ、女の子同士の会話に行きましょ~」

 

 ハリオンはドレスから普段着に着替え終えると、セリアを伴って詰め所から出て行った。

 

 

 

 

 セリアはハリオンを伴って、第二詰め所から少しはなれた森の広場へと連れ出した。

 もう夜遅かったが、大きく月が出ていてマナ蛍も飛び交い、十分な明るさがある。

 

「来たわね」

 

 広場には他のスピリットの姿もあった。

 ネリー、シアー、ヒミカ、ナナルゥ、ニムントール、ヘリオン、ファーレーン。

 第二詰め所のスピリットがそろい踏みだ。

 代表者として、セリアが声を上げた。

 

「単刀直入に聞くわ。ハリオン、貴女は何を考えているの」

 

「何を……ですかぁ~? 」

 

 ニコニコと笑いながらのんびりした声で答えられて、幾人かの眉間に皺が寄る。 

 

「何で惚れ薬をヨコシマ様に飲ませたかって事よ! 彼の健康が心配じゃないの!?」

 

 セリアの言葉にハリオンの表情が曇る。

 まさか、そう来るとは思わなかったという顔だ。

 

「え、ええ~! 健康って……そういう質問しちゃうんですか。ヨコシマ様を独り占めしないでとかじゃなくて~」

 

 ――――ヨコシマ様を返して。

 

 それはセリア達の心の声だった。

 だけど、それを言える様なら、そもそもこんな騒動は起こりえなかった。

 

「違うわよ! 私が言いたいのはヨコシマ様の健康について。ひいては、ラキオスの為に言っているの」

 

 ハリオンの表情が強張った。

 もう涙すら浮かんでいる。

 

「皆さんが言いたい事はそうじゃないはずです。お願いですから、もっと素直になってください~このままじゃ……このままだとダメなんですよ~!

 皆さんは女性として、ヨコシマ様の事が大好きなんでしょう!」

 

 必死にハリオンが訴える。

 だけど、セリア達の答えが変わる事はなかった。

 

「私達は別にヨコシマ様をどうとも思っていないわ!」

 

 最後の最後まで、セリア達は嫉妬を認めようとはしなかった。

 恥ずかしさに負けて、本音を口にすることが出来なかった。

 

 ただ一言、好きな人を返して欲しいと言えばよかったのに。

 

 

「ここまでだね」

 

 木の陰から少年のような快活な声が響く。

 ふらりと姿を現したのはルルー・ブルースピリット。第三詰め所の、事実上のまとめ役とも言える少女だ。

 ルルーは勝ち誇った顔でセリア達を見つめた。敵意と、それに勝る優越感が顔に張り付いている。

 

「ここまでですか~?」

 

「うん。監査役として判断するけど、もうこれまで。ハリオンさんはどう思う? もしこれ以上様子を見て欲しいって言ったら、さっきの発言を全部人間達に話すけど」

 

「……分かりました。私も限界と判断します~」

 

「よし。じゃあ監査役二人の意見を持って、任務は終了っと」

 

 監査?

 任務?

 

 一体何が起こっているのか分からない。

 だけど、もう取り返しが付かない決定的な何かが起こって、全てが終わってしまったような気がしていた。

 

「本当に皆さん馬鹿なんですから」

 

 最後に脱力したようにハリオンは呟いて、胸元から封書を取り出す。

 押されている花押は、ラキオスの象徴である龍。よほど重要なものだ。

 ハリオンは封を切ると、中から出てきた一枚の紙をセリアに渡した。

 

 そこに記されていた内容に、全員が驚き、息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 辞令。

 

 エトランジェ・タダオ・ヨコシマ殿。

 

 封が破られた現時点をもって、第二詰め所隊長から第三詰め所隊長へ異動を命ずる。

 

 

 

 






 遅れてすいません。次回の更新日なんて予告しなければ良かった、
 何とか嘘つきは免れたけど、誤字脱字が心配。文も雑そうなので後で修正すると思います。本当にごめんなさい。

 ちなみに、本当は惚れ薬じゃなくて、病院にいるスピリット達が横島を求めることによって、事態を進展させる予定でした。横島は弱っているスピリットを放置できなくて、第二詰め所と距離を置いて、お互いにすれ違わせようかなと。

 没にした理由は、単純に文字数が多くなるから。デリケートな部分に触れるから、どうしても丁寧に書く必要があって。
 本ルートならともかく、IFで十万文字も書いてられなかったです。
 でも、薬の所為で強引な展開になったのも反省。


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第三十二話IF 嫉妬の味は蜜の味 後編

 沈黙が満ちていた。

 突如としてもたらされた凶報に、セリア達は言葉一つ発することが出来ない。

 

 何で、一体どうして、何が原因で、嫌だ、嘘だ。

 

 目を閉じ頭を振って、目の前の現実を拒絶する。

 だけど、横島の異動を書き記した一枚の紙切れを消す事は叶わなかった。

 

「何でこんな辞令が……そもそもどうしてこんな命令書をハリオンが……」

 

 それでも、第二詰所のまとめ役であるセリアが必死に声を紡ぐ。 

 今にも死にそうな声のセリアだが、そんな彼女を軽蔑するようにルルーは鼻を鳴らした。

 

「説明はハリオンさんに任せるよ。ボクはお姉ちゃん達に報告してくるから!」

 

 茫然自失状態のセリア達を尻目に、ルルーは小躍りしそうな勢いで第三詰所に駆けていく。よほど嬉しいのだろう。足が自然とスキップのようになっている。

 そんなルルーの背に、ハリオンは小さく「ごめんなさい」と声をかけていた。

 

「ハリオン! これってなんなの!? 答えてよ!!」

 

 ネリーが金切り声を上げる。

 今回の凶事にハリオンが関係している。ハリオンが横島と自分達を切り離した。

 そうとしか思えず、まるで裏切り者を見るような目で睨みつける。

 そんなネリーに、ハリオンはいつものような笑みを持って応えた。

 

「そうですね~どこから説明しましょうか……それじゃあまず始めに~ヨコシマ様がどうして第二詰め所の隊長になったんでしたっけ~」

 

「なにそれ! 全然関係ない――――」

 

「関係あります」

 

 きっぱりとハリオンが言って、誰も二の句がつげなくなる。

 それから、スピリット達は過去を思い出し始めた。

 一年と一ヶ月前に、横島は第二詰め所の隊長となった。

 どうして隊長となったか。その原因は、当事者であったネリーが一番知っていた。

 

「王様が、ヨコシマ様が隊長にならないとネリー達を処刑するって命令をだしたから」

 

 今考えても、とんでもない命令だ。

 碌に親交もない相手を人質にするという、訳の分からない狂気の沙汰。

 それを受けた横島も、やはりどこか可笑しいだろうが。

 

「そうですね~ヨコシマ様は殆ど初対面の私達の為に、隊長になって、命を掛けて戦ってくれています~

 それが、どういう意味を持っているのか……分かりますか~」

 

 ハリオンの問いに答えられる者はいなかった。

 どういった方向性の問いか、よく分からないからだ。

 横島がものすごく優しいという意味だろうか。それとも責任感が強いという事か。もしくは女好きという事か。

 

「つまりですね~ヨコシマ様にとって、私達が絶対ではないんですよ~もし、マロリガンに現われていたら、マロリガンのスピリットの為に戦ったでしょうし~サーギオスでもそれは変わらなかったでしょう~

 私達は、ヨコシマ様にとって絶対でも特別でもないんですよ~」

 

 セリア達は鉄槌を食らったような衝撃を覚えた。

 自分達が横島にとって特別では無い。

 ――――馬鹿な!!

 思わず呻いてしまう。

 だけど、否定することはできない。

 

「もし、敵国のスピリットと親しくなるような事があれば、ヨコシマ様は裏切る、そうラキオスの上の方は判断しました。過去の事件もあって怖がってます~」

 

 過去の事件とはソーマの事だが、もしここにGS世界の人物がいたら思わず唸る事だろう。

 もし、何かの歯車がずれていたら裏切る可能性はあったかもしれないのだ。

 

「だからヨコシマ様には監視が付けられました。ファーレーンさんと私です~。私は主に内からヨコシマ様を監視して~ファーレーンさんは外に出たら監視していました~」

 

 ハリオンの告白に全員が、特にファーレーンは目を大きく見開いて驚いた。

 

「そ、それは機密だったはずじゃないですか! 一体何を考えて!?」

 

「大丈夫ですよー。ファーレーンさんも私も、現時点でその任を解かれましたから~まあ当然ですよね~だってヨコシマ様はもう私達の隊長じゃあないんですから~」

 

 私達の隊長では無い。

 改めて言われて、セリア達は胸に痛みを感じた。

 涙まで溢れそうになって、慌てて上を向く。

 

「それとですね、ファーレーンさんも知らないことなんですけど~もしヨコシマ様に反意が見えてラキオスに害を与えると判断されたら、私がヨコシマ様を後ろから刺す予定だったりしたんですよ~」

 

 誰もが声を失う。裏側でそんな密約のようなものがあろうとは。

 特にあのハリオンがそんな役割を引き受けていたのは衝撃だった。

 まあハリオンとしては、何が何でも殺さないためにその役目を引き受けたのだが。

 

「でも~そんな心配なんてありませんでした~ヨコシマ様は優しくて、強くて……『天秤』さんも純粋ないい子でしたから~。

 それにもうずっと一緒に暮らして、一緒に戦って、私達はヨコシマ様の特別になれたと、私は思います~」

 

 その通りだ。

 

 第二詰所面々は誇らしさに思わず胸を張った。

 色々なトラブルに見舞われつつ、皆一丸となって乗り越えてきたのだ。

 確かに、横島がこの世界にきた当初は、横島にとって自分達は特別では無かっただろう。下手をすれば他国に走る可能性もあったのだろう。

 だけど、今は違う。特別な絆は、自分達には存在する。

 

「だけどそれは私達の考えです。今回、ヨコシマ様が私達から嫌われた件を聞いたお城の人たちはこう考えたんですよ。

『エトランジェ・ヨコシマは第二詰め所のスピリットを扱いきれず恨まれている。ヨコシマは守ろうと誓った人たちに恨まれたら怒るだろう。そうしたらラキオスを出て行って他の国に向かうかもしれない。ならば今のうちにヨコシマを討ったほうが』そんな話がちらほらと聞こえてきたりするんですよ~」

 

 セリア達は愕然とした。そして例え様もないほどの怒りを感じた。

 今までどれだけ横島がラキオスに貢献したと思っているのか。英雄といっても差支えがない活躍をしているにも関わらず、大した名誉も給金もよこしてこないくせに。訳の分からない理屈で恩人を討とうというのか。

 

「ヨコシマ様を殺すなんて考えられない事ですよね~でも私はちっとも心配なんてしてませんでした。第二詰め所は喧嘩もするけどとっても仲良しさんですもの~それにヨコシマ様は特別なプレゼントまで用意してましたしね。こんなお馬鹿な考え、仲直りすればすぐに消える……はずだったんですよ……本当なら」

 

 ハリオンの言葉に、怒りと悲しみが混じる。責めるような響きに、誰も何も言えない。

 そんな動きがあるなんて知らなかった。

 心の中で悔しげに言い訳を呟く。

 

「それと~皆さんは気づいてないみたいですけど、一週間の夜に皆さんとユート様との密会現場をヨコシマ様は覗いてたりするんですよ~」

 

「みっか……え? ええ!?」

 

「ヨコシマ様は泣いていました~それはそうです~まさか守ろうとしている人達に命を狙われてるんですから~

 こんなことも言っていました。

 『俺はそんなに嫌われているのか、憎まれているのか……ユートの方が好きなのか』って……

 そんな、とても悲しい事を言っていたんです」 

 

 誰もが声を失った。ナナルゥですら蒼白となっている。

 ヨコシマ様が、私達がヨコシマ様を憎みユート様を愛している、と考えていた。

 思わず叫びたくなる。そう横島が考えていたというだけで、胸が張り裂けそうだった。

 

「まったく……よくやってくれちゃったものです~この一年で築き上げた絆を見事に壊しちゃうんですから。本当に皆さんはヨコシマ様が大嫌いなんですね~」

 

「違う! それだけは違う!! 私たちはそんなつもりじゃあ」

 

「私に言い訳を言われても困ります~ヨコシマ様に言ってくだ……ああ、無理でしたね~

 だって皆さん、彼とは口もききたくないんですから~

 勝手に勘違いしたヨコシマ様が悪い……って結論になるんでしょうか、そうなんですよね?」

 

 容赦の無いハリオンの言葉に誰一人として二の句が告げない。

 ハリオンは怒っている。それも、とんでもなく怒っている。

 いつも笑顔の優しいお姉さんの激怒に、親友であるヒミカも震え上がった。

 

「私は泣きたくなりました~あのヨコシマ様にそんな事を言わせてしまったことを。

 ヨコシマ様が私達を守るためにバーンライトのスピリットを殺して泣いたとき~私達は誓いましたよね~

 ヨコシマ様を守ると。これ以上泣かせないようにしようと。

 なのにどうして、ヨコシマ様を泣かせるんですか~」

 

「それは……だから……その」

 

「それだけじゃありません。元の世界で仲良しだった人たちと戦うことになって、ヨコシマ様もユート様も苦しんでます。

 第一詰め所の皆さんはアセリアさんの事もあって大変な状況なのに~皆でこの危機を乗り越えよう、ユート様を支えようって頑張ってるのに、私たちときたら……」

 

 ハリオンの声が震え、手は小さく拳を作る。

 

「エスペリアがレスティーナ様に、皆で一丸となってユート様を支えますって報告してるのに~私は、皆で一丸となってヨコシマ様を泣かせていますって報告しなきゃいけなかったんですよ~

 私が、どれだけ悲しくて、悔しくて、情けなかったか……皆さんに想像できますか~?」

 

 雫が大地に落ちる。それは涙。悔しさと恥の涙だ。

 横島を泣かせてしまった事の悔しさと、こんな馬鹿馬鹿しい事で作り上げてきた信頼が砕けた事の恥ずかしさ。

 その二つがハリオンを涙させた。

 

「第二詰め所がこんな状況にあることが、ラキオス城内でも噂されています。

 このままでは、エトランジェ・ヨコシマは身の危険を感じ、ラキオスを裏切るのではないか。そんな噂が流れ始めています~

 さっきも言ったように、この状態が続くと私はヨコシマ様を殺さなくちゃいけないんですよ」

 

 ハリオンの言葉は、ネリー達には別世界の言語に聞こえた。

 ヨコシマ様が私達を裏切る? ハリオンがヨコシマ様を殺す?

 一笑したくなるような馬鹿げた事だ、と全員が思った。そんな事、あるわけが無い。起こるわけないのだ。

 

 彼女達は横島を信頼していた。それは盲目的とまで言ってもいいくらいだ。馬鹿だし、暴走するし、女好きだけど、どんな事があっても味方をしてくれると無条件に思っていた。

 だからこそ、彼女らは横島に冷徹な対応を取る事ができたのだから。

 

「まったく! 人間達は馬鹿じゃないの!? ヨコシマ様が私達を裏切るわけないのに!!」

 

 セリアが人間を罵る。自分達の関係をまるで分かっていないと。横島が自分達にちょっかいを出して、それを怒って、そうして笑いあう。これが第二詰め所なのだ。

 

 だが、セリア達は憤りながらも、それが責任転嫁であると気づいていた。

 そもそも、人間が横島を警戒することと、セリア達が横島に冷たくしたことに、なんら因果関係が無い。

 それでも言わずにはいられなかった。

 

 セリアの台詞に、ハリオンはとうとう表情を消した。

 

「そうですね。皆さんの言う通りかもしれません。

 どれだけヨコシマ様に酷いことをしても、きっと彼は裏切らないでしょう~

 皆さんはそれが分かっていたから、たくさん酷いことが出来たんですから……」

 

 静かで悲しげな声に全員が気づいた。

 この部分こそ、ハリオンの怒りの源である。

 

 スピリットの命は決して軽くない。その希少性、重要性は高く、国の大切な財産だ。

 しかし、その尊厳は驚くほど軽い。悠人も横島も、国に損害を与えない程度にスピリットを好きに扱う権限が与えられている。

 だから、横島はその気になればセリア達を好きなようにしてよかった。

 普通の男なら、命を懸けるだけの報酬として好き放題に女を抱くぐらいは要求しただろう。性欲溢れる若い男ならなおさらだ。

 だというのに横島はスピリットに簡単なセクハラ程度を仕掛ける程度で、欲望で汚すことはなかった。むしろスピリット一個の人格を最大限尊重した。それがスピリットにとってどれだけ幸いか、今更語る必要もない。

 

 そう、横島はスピリットの自主性を尊重した。

 その結果、ハリオンを除く第二詰め所スピリット達は、横島の好意と尊重を最大限利用して彼を叩きのめしてしまった。

 

「本当に……どうしてこんな事になっちゃったんでしょう~」

 

 疲れたようにハリオンは呟く。

 もともと、今回の騒ぎの元は第二詰め所のスピリットが横島に辛く当たったことが発端である。横島は皆が本気で怒っていると感じてプレゼントを仲直りの品として、本気で頭を下げて謝った。

 たが、本当は誰も横島を憤っている者は皆無だった。

 横島が混乱した理由は、この点にあると言って良い。恨まれているとは思えないのに、恨まれているとしか思えない行動を取られるのだから。

 まさかその理由が、恥ずかしさと嫉妬と意地が凝り固まった、『子供の意地悪』だとは、横島は想像できなかった。

 

「あの仲直りのプレゼントは、ヨコシマ様の本気でした」

 

 ハリオンの声のトーンが、さらに変わる。一語一語を強く、皆に言い聞かせるように。

 ハリオンの口が開くたびに、セリア達の表情が曇り、凍りつく。

 

「今日、ヨコシマ様に連れて行った貰った店で出た料理は、とても家庭的で優しい味でしたよ。そう、セリアさんが喜びそうな。貸切でゆったりとした良い雰囲気の店でした」

 

 セリアと仲良くなるために、彼女の好みを十分に調べつくした上での店の選択だ。

 横島の本気度がうかがえる。

 

「このドレスを送られるのはヒミカでした~私にはちょっときつくて辛かったです~」

 

 黒のゆったりとした大人っぽいドレスは、女らしくない事を気にしたヒミカの為に作られた物だった。胸の部分が隠れるようになっているのも、ヒミカのコンプレックスを考えた為だった。

 

「このピアスはファーレーンさんとニムさんのはずでした~」

 

 イヤリングには由来が合った。

 大切な姉妹で一つずつ身に付けるもので、兄弟仲を深める石言葉が刻まれているのだ。

 二人の絆を考慮して選んだのだろう。

 

「この恋愛小説はナナルゥさんへのプレゼントですね。

 読むと、ヨコシマ様の意図が見えてきますよ~この小説の主人公は感情表現が苦手な女の子で、お相手はちょっとエッチで騒がしい男の子なんですもの~」

 

 無表情、無感動な少女が一人の男性と出会い、感情と恋を知る。感情はナナルゥがもっとも興味を持っている部分で、横島としては自分がナナルゥに好意を持たれる対象になりたい。確かに横島がナナルゥに贈るに相応しいものである。

 

 もっと仲良くなろうと横島は本気で行動した。

 大人達にはエッチなことをしたいと伝えた。

 子供達には純粋に喜んで欲しかった。

 

 どのスピリットにも横島はメッセージを送っていた。

 

「ヨコシマ様は私たちに……皆さんに本気をぶつけました。これから一緒に頑張っていこうと訴えました。私達を愛していると語りかけてきました。

 だというのに、最後の最後まで、皆さんはヨコシマ様の本気の愛を無視しちゃいました。

 健康とかどうとか、彼の気持ちを最後の最後まで受け取ろうとしないで。

 そんな皆さんに~ヨコシマ様は守れません。むしろヨコシマ様を傷つける――――敵」

 

 敵とまで言われて、セリアは歯を食いしばってハリオンを睨みつけた。

 

「なにを……なにを馬鹿なことを!」

 

「ヨコシマ様を必要としているスピリットはとっても多いんです~別に皆さんである必要はありません」

 

「何を馬鹿な事を言っているの!? あんな、にゃーにゃー言ってる第三詰め所のスピリットにあの人のお守りが務まるわけがないでしょ! ヨコシマ様には私達がいないと!」

 

「それがそうでもないんですよ~悲しんでるヨコシマ様を支えたのは、ルルーさん達ですから」

 

 ハリオンは語った。

 本当なら、今回の騒動で第三詰所は出てくるはずがなかったと。

 

 元々、この惚れ薬の騒動は横島の注意をハリオンに向かわせて、セリア達を寂しがらせて横島と仲直りさせようと、という算段だった。

 だけど、予想以上にセリア達は強情で、そうこうしている内に第三詰め所のメンバーが命を賭した行動に出たのだ。

 

「なんとですね~ルルーさんは夜中にレスティーナ様の元へ出向いてヨコシマ様の異動を直訴したんですよ。打ち首覚悟で。死んでも良いって覚悟で、ルルーさん達はヨコシマ様を助けようとしました」

 

「わ、私達だってそれぐらい!」

 

「仲直りもしないで、ヨコシマ様が苦しんでいるのを見て喜んでいる皆さんが出来る訳ないじゃないですか~」

 

 厳然たる事実を持ち出されて、第二詰め所の面々に反論などできようはずもない。

 

「こんな結果になってしまって、本当に残念です~

 ヨコシマ様は言ってました。『この世界に来て、第二詰め所の隊長になれて良かった』、辛くて悲しくて痛い目にあっているのに、そう言ってくれたんです。

 私もヨコシマ様と出会って思いました。私達は世界で一番幸運なスピリットだって。神様が用意してくれた最高の奇跡だって」

 

 ハリオンの言葉に誇張は無い。この出会いは本当に奇跡的な確率だった。

 横島がこの世界に来てラキオスで隊長になってくれたのは言うに及ばず、ハリオン達がきちんと心を維持していたのも奇跡といえるだろう。

 

 第二詰め所がきちんとした貞操観念があって心身共に綺麗でいられたのは、過去にソーマという調教師が好き放題やったからだ。もしソーマが他国に走らなければ、セリア達は陵辱され尽くされていただろう。

 夥しいほどのスピリットの悲鳴と慟哭の中で、宝くじに当たるような確率で第二詰め所は横島と出会えた。それがどれほど幸運かなど、考えるまでも無い―――はずであった。

 

「だけど私は勘違いしたみたいです。私達とヨコシマ様は――――」

 

 ――――不幸な出会いだった。

 

 ハリオンの言葉が空しく響いて、憤怒が場に満ちた。

 

 今までの横島との交流を全て否定されたようなものだ。

 皆の脳裏に横島との思い出が蘇る。

 

 たくさん笑った。いっぱい泣いた。時には怒り、時に悲しんだ。

 幸福と呼べる日々の数々を、こともあろうに不幸だと宣言したのだ。

 キラキラとした思い出が汚された気がして、凄まじい怒りがハリオンに向う。

 

「取り消しなさい……取り消せ!」

 

「取り消さないよ! この馬鹿スピリット共!」

 

 敵意溢れる少年のような声が響く。

 いつのまにか、ルルーが戻ってきていた。

 横島を奪い取った第三詰め所の隊長に、皆が怒りの矛先を変えたが、ルルーはそれ以上の怒りを第二詰め所にぶつける。

 

「君達はさあ、馬鹿みたいに神剣を振って豆が潰れて、痛い痛いって泣きながら考えたことはない?

 どうして、こんな辛い思いをしながら剣を振るんだろうって。死んだって誰も悲しんでくれない。殺しても誰も褒めてくれない」

 

 ――――私は、何のために生きているんだろう

 

 殆どのスピリットが一度は考えて、いずれ絶望にいたり神剣に心を奪われて、答えを得ることもなく死んでいく。それがスピリットの運命であり歴史だった。

 

「だけど、ようやくボク達は答えを得ることが出来そうなんだよ。

 レスティーナ様と兄さんが、スピリットに道を開こうとしてくれている。その道を切り開けるのが、ボク達が今まで鍛え上げてきた神剣なんだ。

 辛い戦いが待っていると思う。死んでしまう事だってあるさ。でも、ボク達の死は決して無駄にならない。兄さんの守って死ぬのは、スピリットの未来に通じているんだから。この誇り……ハリオンさんを除く第二詰め所には分からないだろうね」

 

「貴女に言われなくなってそんな事ぐらい分かっています! 貴方達よりも私達のほうがずっとヨコシマ様と共に戦ってきたのよ!」

 

「言うな! 君たちに言う資格はないよ」

 

 ルルーは凄まじい形相でハリオンを除く第二詰め所の面々を睨みつけた。

 炎の如き怒りと、氷の如き嘲笑。その二つがルルーの表情から見て取れる。

 

「兄さんはこれからのスピリット達にとって必要な人だよ。

 学校に行かせたいとか、技術や趣味を教える方法を考えてくれたりとか……凄いよね。

 この世界に訳も分からず連れて来られてさ、碌に知らない女の為に命をかけて戦ってくれる。とても酷い目に合っても逃げずに、スピリットの為に笑ってくれるんだ。僕達はそれに報わなければいけないのに……君達ときたら。

 ねえ、兄さんがスピリット嫌いにでもなったらどう責任取ってくれるつもり」

 

 横島がスピリットにもたらし続けている利益。そしてこれからもたらす利益。

 第二詰所は全てをご破算にする所だった。

 その理由が、愛されて恥ずかしいから。幸せすぎて怖いから。

 死ねばいいと、ルルーは本気で思ったものだ。

 

「それに……」

 

 ルルーはさらに目を細めてセリア達を睨みつける。

 

「よくもボクの大切な兄さんを泣かしたな」

 

 兄の為に怒る妹。

 これに対抗するための言葉など、セリア達は持っていなかった。

 

「これが、ヨコシマ様が第三詰所に異動となった原因です……分ってもらえましたか~」

 

 ハリオンの長い説明は終わった。

 第二詰め所のスピリット達は、もう何も言えず、その場にへたり込んだ。

 ラキオスのため。スピリットのため。恩義のため。兄のため。世界のため。

 それは立派な理由で、否定できる論理的な理屈など第二詰め所は持ち合わせていない。

 

 ちがう。そんなつもりじゃなかった。こんなはずじゃなかった。ごめんなさい。

 

 第二詰所のスピリット達は叫んだ。

 その光景は、親に怒られた幼子が感情のまま泣き叫ぶ様を思わせる。

 ルルーは見苦しさに舌打ちをする。だけど、ハリオンはそんな皆を不思議と優しい表情で見つめていた。

 

「まだ、話は終わりじゃないですよ~」

 

「もう止めて……もう聞きたくないの」

 

 ヒミカはボロボロと涙を流しながら、イヤイヤと頭を振る。

 これ以上、自分達と横島の関係を切り離してほしくなかった。

 手放したのが自分達であっても、それでも今までの関係を穢してほしくなかった。

 

「実はですね~私は皆さんに謝らなきゃいけないことがあるんですよ~」

 

 第二詰所のスピリット達は涙を流しながら、その声を聞いた。

 ルルーも、おやっとした顔になる。これからの流れは聞いてなかったからだ。

 

「気づいた人もいたでしょうけど、あのプレゼントって本当は仲直りのプレゼントじゃなかったんですよ~。ずっと前からヨコシマ様が準備してたんです~」

 

 非常に手の込んだ代物や、人間達の予定も合わせる必要があるプレゼントも多かった。

 いくら横島でも、数日で全員分を用意するのは不可能というもの。

 

「私は、ある人からその事を聞かせてもらって、ものすご~くプレゼントを楽しみにしてたんです。でも、私はその人から聞いちゃったんです。私の分だけ、プレゼントが用意されてないって」

 

 残念ですぅ~と軽く笑みを浮かべるハリオン。

 その笑みがいつもと違くて、すごく寂しそうに見えたのはセリアの見間違いではないのだろう。

 

「凄くショックでした。でも、仕方ないと思ったんです~私はお姉さんですから~」

 

 兄や姉というものは、弟や妹に色々と奪われる。

 勿論、即物的に見れば長兄は家を継ぐという点で恵まれている。しかし、兄だから、姉だから、という理由で貧乏くじを引かされる役でもあるのだ。

 

 お姉さんだから仕方ない。妹達が喜んでくれるならそれでいい。

 ハリオンは寂しい思いをしながらも、笑顔で横島がセリア達にプレゼントを渡すのを見守ろうとしたのだが。

 

「でも……まさか皆さんがヨコシマ様のプレゼントを断るとは思わなかったんですよ~」

 

 ハリオンの声のトーンが落ちる。瞳には底の知れない何かが宿っていた。

 

「私が欲しかった物を、皆さんは要らない。それを聞いて、どうしてか私は思ったんですよ~

 本当は私にもプレゼントはあったんだって。ただ皆さんが変な駄々を捏ねたから私の分がなくなったちゃったんだって。そう思ったんです――――そう思いたかったんです。

 きっと薬で皆さんを何とも思わなくなれば私にもプレゼントがある……そういう想いもあって、惚れ薬を飲ませたんです。馬鹿みたいですよね~」

 

 ハリオンの独白を、皆は声も無く聞き続ける。

 

「皆さんのプレゼントみたいに、別にそれほど手が込んで無くても良かった。安くても何でもいいから、二人でお菓子を食べるだけで良かったんです~

 でも、何もありませんでした。きっとお姉さんの事が好きじゃないんです~」

 

「そ、そんなはずないわ。どう見たってヨコシマ様はハリオンが好きにしか――――」

 

「じゃあ、何で私にだけ無いんですか~! 薬で興味を引くのは私だけになったのに、何もしてくれなかったんですよ~~!!」

 

 ハリオンが目じりを険しく吊り上げて怒鳴った。

 その声に皆は驚く。ハリオンの怒鳴り声など初めて聞いたからだ。

 

「それに私だけなんですよね~ヨコシマ様に押し倒されていないのって。こんな私がヨコシマ様の慰め役なんて……何がいけなかったでしょう。胸が大きいから……それとものんびりしてるのがいけなかったでしょうか」

 

 悲しそうに、切なそうに、喉を震わせながらハリオンは言葉を続ける。

 横島の慰め役に任命されたというのに一度たりとも求められたことはなかった。何をしてもいいと伝えたし、夜中に一人で部屋を訪れたこともある。それだけやっても膝枕ぐらいしか望まれたことが無い。

 

 セリアやヒミカが横島に抱きつかれたり押し倒されたりして怒っている横で、ハリオンは『どうして自分に手を触れてくれないのだろう』と笑顔の裏で悩んでいた。

 

 ハリオンの親友であるヒミカには分かった。

 自分達のくだらない意地で傷ついたのは横島だけじゃない。ハリオンも笑顔の裏で苦しんでいたのだ。

 ふつふつと怒りが湧いてくる。

 自分達の馬鹿さ加減が許せなかった。同時に思う。

 

 

 横島と自分達の物語が、こんな形で終わっていいはずがない!

 

 

「ねえ、ルルー。その辞令を無かった事にしてもらえない? こんな終わり方、認めらない……認められるわけが無い! 私達は彼に謝りたいの……謝らなきゃいけないの。今のままじゃ謝ることすらできないのよ……お願い……お願いだから」

 

「無駄だよ、今更泣いても謝っても遅い。スピリット……ううん、軍人なら命令は絶対だよ。もう命令は下されたんだ。封を破った時点で僕にはもうどうしようもない」

 

 ヒミカの願いを、ルルーは何を今更言っているのだときっぱり断る。

 唇を噛み締める第二詰め所の面々だったが、そこでハリオンが動いた。

 

「そうですね~軍人なら命令は絶対です……いくら泣いても無駄なんですよ~

 そういうわけで~これを開いてください、ルル~さん」

 

 ハリオンは先ほど泣いていたとは思えない陽気な笑みを浮かべながら、懐から封書を取り出す。

 それは先ほどルルーがセリア達に渡したものと同様のものだ。

 

 不吉な予感を覚えながらも、ルルーは封を切って中身を取り出す。

 小さな紙切れが出てきた。聖ヨト語で数行の文字と、下の方に印が捺されている。

 ルルーはそれを目で追って、しばし絶句した。

 

「………………えっ、なに、これ? へっ? はあっ?」

 

「見ての通りです~『エトランジェ・タダオ・ヨコシマを本日付で第三詰め所から第二詰め所への異動を任ず』という事ですよ~」

 

 一体、何が起こったのか。

 ルルーは目をパチクリさせながら穴が空くほど辞令書を見つめる。

 だけど文面は変わらない。横島は第二詰め所の隊長となった。第三詰め所に在籍していたのは、僅か数十分と言ったところだろう。

 

 ルルーの顔からは生気が抜けて、対照的にセリア達の顔には生気が満ちる。

 一体どうして横島が戻ってきてくれたかは分からないが、奇跡が起きたのだ。

 

 ネリーの歓声と、ルルーの吼えるような叫びが重なる。

 ルルーはハリオンに掴みかかった。

 

「騙したな……ボクを! ボク達を騙したんだな!?」

 

「騙してなんていませんよー私は、ただ命令書を開けるだけって言ったじゃないですか~」

 

 もし、ルルーとハリオンが第二詰め所は横島に好意も尊敬も持っていないと判断したら、第三詰め所へ異動の辞令書を開ける。

 しかし、ハリオンはもう一つ役割を持っていたのだ。

 もし第二詰め所のスピリット達が横島に謝って、共にありたいと願ったら、すぐさま第三詰め所から第二詰め所に異動させる役目を担っていた。

 ルルーはそれを知らなかった。騙されたと激怒するのは当然だ。

 

「ふざけるな! 兄さんが来るのを、お姉ちゃん達は待ってるんだよ。今、料理を作って、部屋を掃除して、身繕いして、歓迎会の準備をして待ってるんだ!! 取り消して……取り消せ!!」

 

 こんな夜中にそれだけの準備をする。どれだけ横島を隊長に出来るというのが嬉しいか分かるというもの。もし、それが嘘だと分かったらどれほどショックを受けることだろう。

 ルルーの叫びに、ハリオンはただ笑顔を浮かべるだけ。

 

「何とか言え!」

 

「……なんとか~」

 

「馬鹿にするな!!」

 

 ルルーの手加減抜きの張り手がハリオンの頬を打った。その威力にハリオンの頬は真っ赤になって、おもわずたたらをふむ。

 このままでは喧嘩になると、セリア達は二人を引き離したが、ルルーの目にはもうハリオンは映っていなかった。

 第三詰め所では姉達が今か今かと横島を待っているのだ。なんとしても、この決定を覆す必要がある。

 

 ルルーは足を城の方角に向けた。

 

「これからレスティーナ様の所に行って抗議してくる」

 

「女王様の決定に文句を言ったら~今度こそ打ち首かもしれませんよ~」

 

「構うもんか! 殺したければ殺せば良い。とっくに覚悟の上だよ!」

 

「まったくもう~仕方ないですね~じゃあこうしましょう。ルルーさんが私から一本を取れたら~この辞令書を開けなかった事にしてもいいですよ~」

 

 冷静に考えれば、そんな事で辞令が取り消されるなんてありえない。

 

 だが、頭に血の上ったルルーは信じた。溺れるものは藁をも掴まざるをえない。

 ルルーは決死の形相で神剣を構える。逆にハリオンは優しげな表情のまま、ゆったりと構えた。

 

「負けられない……負けて堪るか! 兄さんは第三詰め所に!!」

 

 ルルーは飛び上がり、ハリオンに向って『反抗』を振り下ろす。

 ハリオンも『大樹』を振りかざして、二つの影が交錯した。

 

 本当にあっさりと勝敗が付いた。

 ルルーの神剣はくるくると空を舞っていた。神剣を手から離されるという時点で、圧倒的な実力差がある事を示している。

 空中で舞う『反抗』が地面に落ちる間に、ハリオンは10回ほどルルーを殺せただろう。

 

 ハリオンの永遠神剣『大樹』の穂先を眼前に突き付けられて、ルルーは負けを悟る。

 それでも、怒りは収まらないとハリオンを睨み続けた。

 荒く息を吐きながら、目に涙を浮かべて睨みつけてくるルルーに、ハリオンは優しく問いかける。

 

「ヨコシマ様が私たちに一番何を求めているのか。妹のルルーさんなら分かってますよね~」

 

「……死なないこと。生きてくれって」

 

「ヨコシマ様はとても強いです~だから付いて行くのも大変なんですよ~皆さんじゃあとても付いていけませんし~無理について行ったら死ぬだけです。ルルーさん達は、ヨコシマ様を泣かせたいんですか?」

 

 実力不足。第三詰所が横島を隊長に迎え入れない理由は簡単に言えばそれだけだ。子供のチームに大人が混じっては連携が上手くいくはずがない。

 どれだけ第三詰め所のスピリットが横島を慕って彼を守ろうとしても、戦いの場で弱ければ足手まといになるだけだ。

 

 それに、先ほどルルーは横島を守って死ぬのなら本望と言ったが、横島からすれば最悪としか言いようが無い。目の前で自分を慕う女の子に死なれるのが、彼にとって一番耐え難いことなのだ。

 ルルーは現実を噛み締める。横島が第三詰所になれない理屈は分かった。理由は分かった。

 だがそれでもこれは――――こんなのは。

 

「酷いよハリオンさん。レスティーナ様も……こんなのあんまりだ。初めからボク達を仲直りの為の当て馬にしたんだね。

 ボクが、ボク達がどれだけ兄さんと暮らして、一緒に戦いたかったのか知ってるくせに。最初から僕たちを騙してたなんて。ねえ、ハリオンさん。僕は楽しみに待ってるお姉ちゃん達になんて言ったらいいの? ねえ、答えてよ」

 

「弱い人の言葉なんてしりませんよ~」

 

「そうやっておちゃらけて、騙された怒りを第二詰所やレスティーナ様じゃなくてハリオンに向けさせようとしてるんでしょ」

 

「な、何を言ってるのかさっぱりですよ~」

 

「それぐらい分かるよ。ボクだって今は隊長……皆のお姉さんなんだから」

 

「……お姉ちゃんは大変ですよね~」

 

「うん……うく……ぁぁ! 姉さん、ごめんなさい。兄さんを隊長に出来なかったよぅ」

 

 完全にレスティーナの掌で踊らされたルルーだったが、無論、意地悪で騙したわけではない。

 殺し合いを、戦争をやっているのだ。

 好き嫌いで背中を任せる人物を決めるほど、レスティーナは愚かではない。

 第三詰め所のメンバーは、第二詰め所の面々よりも弱い。横島と第三詰め所は実力差がありすぎて連携など出来ない。それは厳然たる事実。

 今更、横島を第三詰め所に隊長にするなど、戦力的に考えて出来るわけないのだ。

 

 横島が第二詰め所に戻った。

 だけれども、セリア達も横島が第二詰め所に戻ったことを喜ぶ余裕はなかった。

 

 惨憺たる有様だ。

 誰も彼も後悔と悲しみで打ちのめされている。涙で目はかすれ、鼻水で顔が汚れている。それが全員美女美少女だから、それは凄艶とも凄絶と言えた。

 

 この悲しみの連鎖の発信源はどこか。

 

 横島がマロリガン戦で馬鹿をしたからか。

 それとも、仲直りの為にプレゼントを用意したからか。

 第三詰所が弱かったからか。

 

 答えは簡単だ。

 第二詰所が、横島を意識して羞恥心を爆発させたのだ全ての発端だ。

 

「謝罪も好意は素直に受け取ったらいいんですよ~」

 

 素直になる。ただそれだけで良かった。

 それだけで、こんな誰も得をしない騒動は起こらなかった。

 

「謝りましょう。そして、ヨコシマ様の好意を受け取りましょう。お姉ちゃんは、家族が幸せになってくれるのが一番の幸せなんですから」

 

 ハリオンが今まで見た事がないほどの慈愛に満ちた表情で言って、セリア達は姉の愛の深さに思わず涙する。自分達がどれだけ周囲に恵まれているのか、これで分からぬはずがない。

 

 

 

 

 激動の夜が終わった。

 

 次の日の早朝。

 第二詰め所のスピリット達は皆で横島に謝りにいこうと、リビングに勢ぞろいしていた。

 今日で惚れ薬の効果も切れて、今謝れば受け入れてくれるらしい。

 

「何だかヨコシマ様がもう起きているんですよ~台所にいるみたいなので、皆さんで一緒に仲直りしましょう~。私は皆さんが謝るのを見届けたら、お城でレスティーナ様に報告するので~」

 

 ハリオンに促されて、セリア達も頷いて台所に向かう。

 台所に入ると、甘く香ばしい匂いが満ちていた。何か美味しいものでもつまみ食いしているのかと考えたが、それにしては匂いが良すぎる。

 

 首を傾げながら台所に入ると、エプロンを付けた横島がせわしなく動いていた。

 セリアは思わず駆け寄ろうとして、浮き足立ったのか何もない床で躓く。転びそうになって、思わず傍に居たハリオンの体を押してしまった。

 

「キャッ」

「あら~」

 

 二人はバランスを崩して前方に倒れこむ。

 セリアは何とか手を突いて顔面からの着地を否定しようとしたが、そこで横島が走ってこちらに飛び込んでくるのが目に入った。

 それを見たセリアは手を突き出すのを止めた。殆ど無意識に、彼の胸に飛び込めるのだと思って力を抜く。

 

 ぽふ。

 ガツン!

 

 二種類の音が木霊した。

 一つは、横島がハリオンを抱きすくめた音。

 もう一つは、セリアが床に顔面を強打した音だ。

 顔面を強打してピクリとも動かないセリアに、ハリオンは慌てる。

 

「だ、だめじゃないですか~ヨコシマ様ー。

 私なんかよりもセリアさんの事を良く見てくれないと――」

 

「ハリオンさん! ついに出来たんですよ!!」

 

「は、はい~何がですか~?」

 

「これですよこれ! ハリオンさんに俺からのプレゼントです!!」

 

 ハリオンの眼前に、白くて、柔らかくて、ふわふわしたものが差し出される

 真っ白なクリーム。果実が練りこまれた柔らかなスポンジ。香ばしいチョコが乗せられていて、そこにはハリオン・グリーンスピリットの名前が書かれてハートマークが刻まれている。

 間違いなく自分に向けられたプレゼントだが、ハリオンは喜ぶ前に困惑した。

 

 自分には用意されていないと、あの人は言っていたはずなのに――――――

 

 そこまで考えて気づいた。

 横島がプレゼントを色々と準備している事を知っているのはレスティーナ女王から聞いていたからだ。横島が自分にだけプレゼントを用意していないと言っていたのもレスティーナだ。つまり、嘘をつかれたなら説明が付く。何故、嘘を付かれたのかは分からないが。

 

 別にハリオンにだけプレゼントが用意されなかったのではなく、ただ準備に時間が掛かって遅れていただけなのだ。

 

 ハリオンは言葉も無くケーキを見続ける。

 様々な想いが心に押し寄せて何も言えなくなっていた。

 身動き一つしなくなったハリオンに、横島は喉を震わせながら言った。

 

「それで……ハリオン……さん。受け取ってもらえ……ますよね?」

 

 ハリオンは見た。セリアも、ヒミカも、全員が見た。いつもの愛嬌たっぷりの人好きの笑顔。

 だが、その瞳はゆらゆらと蝋燭のように不安げに揺れて、唇は細かく震え、笑顔どころか泣き顔にすら見えた。

 

 ――――もし、受け取って貰えなかったらどうしよう。

 

 恐怖と横島は戦っていた。

 そう、横島がケーキをプレゼントするのに時間がかかった原因はもう一つある。それはプレゼントをハリオンが受け取らないのではないか、という恐れからなかなか行動に移れなかったからだ。

 女性に関しては猪突猛進な横島が、ハリオンにプレゼントと送るときだけ極端に臆病だった。

 

 それが意味するところは簡単だ。

 ハリオンにだけは、絶対にプレゼントを受け取って欲しかったのだ。

 もしもハリオンに受け取ってもらえなければ、心が張り裂けそうになるほどの恐怖があったからなのだ。

 

 全てを理解したハリオンは堪らなくなった。

 このエッチで純情な隊長を今すぐ抱きしめてキスの嵐を降らせたい。

 理性が振り切れそうになるが、今はぐっと我慢した。いつもなら横島も大歓迎だろうが、今この瞬間の望みはそうではないはずだ。

 最高の笑みを浮かべながら、いただきますと言って、ハリオンはケーキを小さくカットして口に入れた。

 

「……ふわぁ」

 

 ふわりとした優しい触感と甘さに自然と声を出る。

 味に関しては、実はそれほど期待していなかった。菓子作りというのは繊細な作業で、一朝一夕で習得できるものではない。ただレシピ通りに作るのも一苦労なのだ。

 だから、たとえどんな味でも横島からプレゼントを貰えたという事実だけで幸せで、ケーキの出来は覚悟していたのだが、良い意味で予想は外れた。菓子は本当に美味しかったのだ。それも、とてつもなく。

 

「な、なんですかこれは~! お、美味しいです~! 私やヒミカ……それどころか町のお菓子屋さんより美味しいですよ~!?」

 

「そうっすか! わははは! ハリオンさんに喜んで貰えて俺も本当に嬉しいです!!」

 

 横島もハリオンに負けないくらいの笑顔を浮かべる。

 珍しくまったく邪念の無い笑みは、年齢よりも三つは幼い純真な少年の笑みとなった。

 

 ゴクリ。

 

 誰かが唾を飲み込んだ。

 それはケーキではなく横島を見て喉を鳴らしたに違いなく、肉食獣が草食獣の前に立ったときに鳴らす音に違いなかった。

 

「ねえヨコシマ様、シアーも少し食べていいかな……」

 

 甘いものに目が無いシアーが、おずおずと催促する。

 こんなに美味しいものを一人で食べるなんてもったいない。みんなで食べましょう。

 いつものハリオンなら戸惑うこと無くそう言うだろう。しかし、今は――――今だけは。

 

 この素敵な贈り物はヨコシマ様が私の為に作ってくれたもの――――――私だけの!

 

 不安げにハリオンは横島を見つめた。 

 

「悪いなシアー。これはな、俺がハリオンさんを想って作り上げた究極にして至高の一品。ハリオンさん専用ケーキなのだ!」

 

 言ってくれた! 欲しかった言葉を、当然の様に言ってくれた!!

 

 甘いケーキと甘い言葉で、ハリオンはもうほっぺたがとろけ落ちそうだ。

 しかし、これ以上嬉しい事は無いと思っていたハリオンだが、それは今手に持っているケーキよりも甘いと知らされる。

 

「まあ、完全にオリジナルってわけじゃないんですけど。ほら、以前にハリオンさんが言ってたじゃないですか。この店のケーキはすごく美味しいけど、もう少し甘いほうが好みだって。そんで、何とかレシピを教えてもらって、俺が少しだけ手を加えて完成させたんです」

 

 ただレシピ通りに作った訳ではなかった。

 レシピを元に、ハリオンの味覚に合う、ハリオンの為だけのケーキだったのだ。

 本当に世界に一つしかない、自分だけのケーキにハリオンは幸せでぐにゃぐにゃになるが、幸せの驚きはまだまだ続く。

 

「いや~ここまで作り上げるのに二ヶ月近くかかったんで。一番最初に準備を始めて、まさか一番最後になるとはな~。あの頑固オヤジめ! 早く教えてくれりゃあいいのに!」

 

 全員が目を丸くする。

 つまり、横島は誰よりもハリオンのプレゼントに手間暇をかけたわけだ。

 ハリオンにもの言いたげな視線が集まる。

 

 なんだ、しっかりプレゼントが用意されているじゃないかと。

 

「まあ、ちょっと凝り過ぎたのもあったんすけどね。ほら、俺がここ最近……あれ、なんだったけ……あ~理由は忘れちまったけど、物凄く落ち込んだ時期があったんですよ。その時にハリオンさんが凄く良くしてくれて……俺を慰めてくれたじゃないすか。なんつーか、すごく救われたって感じで、だから絶対に喜んでほしくて……まあそれを言ったらこの世界に来て一番、夜のオカズに……じゃなくて癒してくれたのがハリオンさんだから……あ~~!」

 

 それはもはや告白といってよい内容だ。横島は恥ずかしそうに頭をかきながら言葉を紡いでいく。

 ハリオンは夢中で横島の言葉をかみ締めていた。

 彼は一番初めにハリオンの為にプレゼントを作り始め、誰よりも時間と手間とお金と愛情を込めていたのだ。

 そして、ちゃんと横島を支えようと陰で努力してきたハリオンの姿を、横島はしっかり見続けてきて、それに応えようと彼も努力し続けていたのである。

 ハリオンの心の器が、喜びと呼ばれる感情で満たされ、溢れた。溢れすぎた。

 

「生まれてきて、ヨコシマ様に会えて……本当に良かったです~」

 

「そ、そりゃ言いすぎですよ! ハリオンの方がずっと美味しいお菓子を――」

 

 珍しく謙遜を始める横島。そんな横島に、ハリオンは非常にじれったい思いを感じた。今の自分の幸福感、満足感をまったく理解していない。もうこのまま死んでもいい、とすら思っているのに。

 これを食べるために生まれてきたのではないかと思うほど、ハリオンは幸せだった。

 今の自分の幸せを伝えたい。この歓びを、この嬉しさを、この胸の鼓動を。伝えなくてはいけない。

 

 ハリオンはケーキを口に含む。

 そして、横島に向って口付けをした。

 

「ム、ムゥ~!?」

 

 いきなり口が塞がれ、目を白黒させている横島に、ハリオンは侵入を開始する。

 

 舌で舌を舐め上げる。それだけで二人は痺れあがった。

 ただ自分を慰めるときの快感とはまったく別の衝撃が、背筋から脳天に駆け上る。

 ぺチャぺチャと淫欲の音がしばし聞こえて、ようやくハリオンは横島から口を離した。

 

「どうですか~とても美味しいですよ~」

 

 その問いに横島は顔を紅潮させて、目の焦点が合わないままゆっくりと頷いた。しきりに舌を動かして口の中にあるケーキとハリオンの味を追い求める。それは食欲と獣欲を求める牡の表情。ハリオンは喉を鳴らした。

 

 彼は私を求め、私は彼を求めている。

 

 妖艶な笑みをハリオンは浮かべた。いつものお姉さんな笑みではない。女であり牝である事を強調した、男を虜にするために生まれた笑み。口の中にほんの少しだけケーキを含み、そしてじっと横島を見つめる。瞳は赤く潤んでいた。

 蜜に誘われる蝶のように、横島はふらふらとハリオンに再度口付ける。

 

「……んむっ、ん……」

 

 二人は互いに互いをむさぼり続ける。もうケーキなど残っていない。

 液と液を啜りあう淫らな音が部屋に響き渡る。

 

 いきなりのディープキスを見せられた他のスピリット達は堪ったものではなかった。ここから一目散に逃げ出したいのに、足が鉛にでもなったかのように動かない。目を閉じたいのに、閉じれない。

 彼女らは、ただ見続けて、目を離せなかった。精一杯ハリオンを愛して感じようとする横島と、それを懸命に受け止めるハリオンを。

 

 長いキスが終わる。

 二人の間に掛かる透明な橋を、ハリオンは指で絡めとって舌で舐めた。

 いつも優しいほわほわお姉さんが見せる淫靡な光景に横島の理性は完全に焼ききれていたが、

 

「ヨコシマ様~結婚しましょうか~」

 

 結婚の言葉に、横島の目に理性が戻る。

 流石にまだ人生の墓場に入るのは躊躇するらしい。

 

「い、いやちょっと、まだ人生の墓場に入るには早いかな~なんて」

 

「結婚したら~私にエッチな事しほうだいですよ~」

 

「今すぐ結婚しましょう! さあさあ!!」

 

 豊満な肉体とほわほわの笑顔の前に、煩悩青年の理性など飴細工でしかなかった。

 そのままハリオンの肩を抱いて部屋に連れ込もうとした横島だが、急に表情を硬くする。

 

「……命令じゃないっすよね」

 

「はい?」

 

「その、ハリオンは俺を癒すために……俺に抱かれる任務があるのは知ってるんで」

 

「へ……ええ~!? な、何で知ってるんですか~!? 極秘事項ですよ~!」

 

「いや、ちょっとレスティーナ様と話したときに聞いたんですけど」

 

 何度かレスティーナと密会して、聞き出した内容だった。

 横島は、ハリオンが自分に捧げられた生贄に近い立場でいることを知っていたのである。

 ハリオンの役割を知った横島はレスティーナに、

 

『命令でなんてハリオンを抱きたくない! その命令を取り下げてくれ、俺は自分の魅力だけでハリオンを惚れさせて見せる!!』

 

 などと言う紳士で男気溢れた言葉を言えなかった。

 あんなぽわぽわお姉さんが命令とはいえ、抱いてよいのだ。ただでさえ辛い戦争で癒しを求めているときに、この魅力に耐えられるはずも無い。

 

 横島はハリオンの慰め役を受け入れた――――が、結局、手を触れなかったのは周知の事実である。

 

「それじゃあ、何で今まで私を抱かなかったんですか~」

 

「そりゃ滅茶苦茶抱きたっんですよ!! もうネチョネチョにやりまくりてえけど! もしそれでいつもの笑顔を消えて泣かれでもしたら」

 

 苦しい現実の中でいつも優しい笑顔を向けてくれるお姉さん。

 そんな彼女を抱いたとしよう。

 事が終わった後に、いつもの癒され笑顔を見ようとして、

 

「本当は抱かれたくなんて無かったんです~でも命令だから抱かれたんです~」

 

 と泣かれでもしたら、横島はその場で首を吊りたくなるだろう。

 一生物のトラウマになるのは疑いようもない。

 スピリットを守ろうとしているのに、一番大切なスピリットを泣かせるなど言語道断だ。

 

 横島は優しかった。でも、アホだった。

 

「では、ハリオン・グリーンスピリットを貴方の慰め役から降ろしますか」

 

「いやっす! こんなチャンスを逃したら、俺があんな良い女を抱くチャンスがあると思ってるんですか!?」

 

「ええー」

 

 抱かないけど、抱ける状況にはさせて欲しい。

 横島の要望にレスティーナは呆れかえった。

 何の意味が、と常人は思うだろうが、一応の理由は存在する。

 

 大好きなお姉さんを、いつでも好きなときに抱いてよい。

 男として、抱いて良い女がいるというのはそれだけで心の安定にもなる。

 つまり、

 

『本当は脱童貞なんて簡単だけど、紳士だから童貞をやってます』

 

 という逃げ口上で自分を慰めていたのだ。

 なんとも情けない男である。

 

 だけれども、ハリオンは情けない横島を愛しく思った。

 自分だけ押し倒されなかったのは、それだけ大切に想われていたからだと分かり、横島をとにかく可愛く感じてしまう。

 

「もぅ~ヨコシマ様! 大事に想い過ぎですよぅ~!! もぅ~ほんとに……もぅ~~!!」

 

 ハリオンはポカポカと優しく横島の胸を叩いた。その瞳からポロポロと大粒の涙があふれ出る。

 

 これ以上、嬉しいことはない。

 たった数分間の間に、嬉しさの上限が三度も更新されてしまった。

 幸せだ。幸せすぎる。幸せで人は泣けるのだと、ハリオンは知った。

 

 もう躊躇も遠慮もない。

 私はこの人を愛して、愛されよう。

 

 横島を強く抱いて部屋に向おうとする。

 そこで横島は体重の全てをハリオンに預けた。何事かと見ると、横島は目を閉じてぐったりとしている。意識を失っているようだった。

 

「あら~そうでした。惚れ薬の効果が無くなる頃って、意識が飛びやすくなるんでしたっけ」

 

「ちょっと、それ大丈夫なの!?」

 

「大丈夫ですよ~ただベッドに運んであげて寝かせてあげませんと~」

 

 倒れた横島をハリオンが抱き上げる。その形はお姫様抱っこだ。その様子はさながら毒リンゴを口にしたお姫様を抱き上げる王子様のごとし。しかし、それは健全なお姫様抱っこではなかった。

 抱き上げた王子様――――もといハリオンの顔には妖しさを秘めた笑みを浮かべている。まるで魔女だ。

 嬉々というか鬼気というか。とにかく、凄まじい何かをハリオンから感じたヒミカ達は、一刻も早く二人を分けねばと頭を働かす。

 

「ハリオン、貴女は確か城に呼ばれているんでしょ。早く行った方がいいんじゃない。ヨコシマ様は私達が見てるから」

 

「大丈夫ですよ~火急の用ではありませんから~。それに今はそれどころじゃありません。とっても幸せで~すっごく温かくて……抑えられないぐらい体が火照ってるんです」

 

 彼と触れている所が熱い。触れていない所が切ない。もし、全身を撫でられ、舐められ、押し倒されたどうなるのか。もっともっと愛されたい。同時に愛したい。

 抱きしめて全身を愛撫したかった。キスを体中にあますことなくして、胸も口もアソコも全てを使って横島を愛したい。

 ハリオンは体を震わせた。想像するだけで、体が反応してしまったのだ。抑えても抑えきれない思いがハリオンの身を焦がす。つまりは発情である。

 

「ちょ、ちょと! ヨコシマ様をどうするつもり!?」

 

 ヒミカの恐怖すら篭った声を聞いて、ハリオンはにっこり笑い、

 

「犯します~」

 

「ブッ!!」

 

 直球ど真ん中。いやむしろデッドボールか。

 

「だってぇ~ヨコシマ様を愛したいんです。ヨコシマ様に愛されたいんです。だから~愛し合いに行くんですよ~」

 

 キラキラと輝く笑顔を振りまくハリオンは、ただひたすら美しくて、これに誘われたら誰しもが抗えないだろう。

 

「だめー! 行っちゃだめーー!!」

 

 ハリオンの行く手を子供たちが塞ぐ。

 

「……絶対だめ! 二人っきりになんてさせないから!!」

 

 子供達も『行為』は知っている。まだ教わったばかりだけど、それが気持ちよくて特別な儀式である事は理解していた。その行為が横島とハリオンの間で交わされたら、二人は特別な間柄となり、自分達は特別で無い間柄となる。

 

 ――――――――――奪われる!!

 

 とにかく、それだけは理解していた。

 純粋な感情をぶつけられてハリオンの動きが止まる。

 止まった隙を突いて、大人達も攻勢に出た。

 

「ねえ、ハリオン。そもそも惚れ薬騒動は私達の反省を促して、ヨコシマ様と仲を戻す為だったんでしょ。貴方が仲良くなるのは可笑しいでしょ?」

「でも~今までたくさんヨコシマ様を苦しめてきて~急に優しくなるのはどうかと思います~」

「先日お涙頂戴の告白をしておきながら、それが的外れだった人物のいう事など聞く耳持ちません」

「ヨコシマ様を苦しめたのは事実じゃないですか~」

「そうね。だからこそ私達がスキンシップを図った方がいいと思うのだけど」

「あらあら~今のキスを見ていなかったんですか。人の恋路の邪魔をするものはなんとやら~ですよ」

「さっきの無理やりじゃないですか! それにケーキまで使うなんて邪道です!!」

 

 もはやお互い譲歩しようとか、相手の気持ちになって考えようとか、そういった気持は皆無であった。

 ハリオンは何としても横島をこのまま部屋にお持ち帰りしようとして、ヒミカ達はなんとしてもそれを阻止しようと、あわよくば横取りしようと画策する。

 

 横島とハリオンのキスを見て、自分達がずっと今の関係でいられない事を全員が理解したからだ。第二詰め所の誰もが、なんとなく漠然と、ずっとこの賑やかな日々が続くのだと考えていた。それで良いと思っていた。

 だが、そんなことはありはしない。血のつながらない年頃若い男女が一つ屋根の下で過ごしているのだ。

 

 もし、このまま何もしないでいたら、横島は誰か好意を抱いてくるものと一緒になるだろう。今ならば間違いなくハリオンだ。

 

 スピリットが結婚なんてありえない?

 そんな事は無い。隣に居るのが横島なら、ありえないなんてありえない。

 

 そうしたら、言わなければいけないのだ。横島の隣で花嫁衣裳を着込んで幸せそうにしている相手に祝福の言葉を言わなければならない時が来る。

 

 『おめでとう』

 

 ――――――言えない。

 

 もし、自分が行動してたら横島の隣にいるのは自分だったかも、と考えると祝福なんて出来るはずがない。

 

 ただ待っているだけで、まして冷たく意地悪をして好かれる事などありえない。

 横島をめぐる第二詰め所の争いが、今ここに開始される。

 

 

 だが、そこにセリアの姿が無かった。

 

 

 セリアは第二詰め所を出て、おぼつかない足取りで外を歩いていた。

 ただ一人、騒動から抜け出した彼女は、幽鬼のように青い顔で、まるで病人のようである。よく見ると鼻から血を流していた。

 だがセリアはそれを拭おうともしていない。

 鼻血を流しながら虚ろな目で歩き回る美女という、一つのホラーがそこにあった。

 

「どうしたんです、セリア……セリア?」

 

 自作のハーブを手入れしていたエスペリアがうろつくセリアに気づく。まるで死人のように生気の無いセリアに、これはただ事では無いと駆け寄った。

 まず回復魔法を使用して鼻血を止める。

 

 またふらふらと歩こうとしたセリアをエスペリアは抱きしめた。

 とても放置できないのと、まるで泣くのを我慢している幼子のように感じて思わず抱きしめてしまったのだ。

 

「放して」

 

 か細く言って、小さく体をゆするセリア。

 普段なら子供のように抱きかかえられるなど彼女のプライドが許さないだろうが、今は少し抵抗しただけだった。

 

「放してよう……」

 

 終には抵抗がなくなって、セリアの体から力が抜けていく。腰砕けになり崩れ落ちそうになる体を、エスペリアは慌てて支えた。

 

「一体何があったか話してください。ヨコシマ様の事なんでしょう?」

 

 横島の名が出てビクリとセリアは震えた。

 エスペリアは最悪を想像して表情を厳しくする。

 

「彼に何か酷いことをされたのですか?」

 

「違うの。酷いことをしたのは私。どうしてこんなに私は可愛くないの?」

 

 自分の性格は好きではなかった。

 意地っ張りで素直じゃなくて、感情を出すのも伝えるのも得意じゃない。可愛げが無く面白くもない。誰かに好意を抱かれる事は無いだろう。

 でも、それが自分の性格なのだと、個性だと割り切っていた。私はこういうスピリットなのだと。

 

 本当は違った。

 ただ、好意を押し出すのが苦手で怖かった。

 拒絶されるのも怖くて、自分が傷つきたくなくて、刃を纏って生きてきた。

 

「嬉しかった……食事に誘ってもらって、私を楽しませようとしてくれるのが分かって……ちょっとふしだらな想いがあっても、本当に嬉しかったのよ。でも、嬉しいって言えなかった。微笑む事も出来なかった!!

 どうしたら良いのか分からなくて、いつもみたいに厳しい事を言って突き放して彼を傷つけた」

 

 悲鳴のような言葉にエスペリアは横槍をいれず、ただ黙って話を聞き続ける。

 

「でも、ヨコシマ様は分かってくれると思ったのよ。私がどれだけ彼を信頼しているかって」

 

 それは甘えだった。

 口にも出さない。行動もしない。彼の好意は踏みにじる。

 でも、私が感謝していることを彼は理解してくれるだろう。

 まるでエスパーのような読心術を、セリアはまだ二十歳にもならない童貞青年に求めてしまった。

 

「もっと意地悪すればもっともっと何か嬉しい事してくれるんじゃないかって! そんなどうしようもない事を考えていたのよ……最低よ、最低だったの」

 

 こんな最低女、愛されなくて当然だ。

 セリアは自身を卑下する。だが、セリアのやったことそのものは良くある駆け引きに過ぎない。

 愛する人に意地悪をするなど、恋愛において珍しくもなんともない。

 好きな人の困った顔を見たかったり、自分がどれだけ愛されているかを確かめるなど、当たり前のようにあることだ。恋と戦争においてあらゆる策が肯定される。そんな言葉はいくらでもあった。

 ただ一つの失敗は、加減が分からなかったこと。

 圧倒的な経験不足。それが根本的な原因だろう。

 

「私じゃなくてハリオンを抱きとめた……当然よ! 私は、愛されるようなこと何一つしていないから!」

 

 エスペリアの背に回されたセリアの手に力が入る。

 当然。仕方ない。しょうがない。

 セリアの口から出てくる言葉は、そんな諦めのようなもの。だが、その言葉とは裏腹にどこか納得できない、悔しさが込められている。その証拠に、エスペリアの背には爪が深く食い込んでいた。しかし、エスペリアは痛みを顔に出すことはしない。

 

「……そうですか。それでセリアは、これからどうするつもりです」

 

「これ……から?」

 

 今までのセリアの告白は全て過去のものだ。今までの自分の選択を後悔して懺悔する。過去を想って泣く。それは生きていれば誰しもが通る道だろう。だがその道はそこで終わりでは無い。後悔の先にはまだ道がある。

 

「勝負はこれからじゃないですか」

 

「無理よ! もう遅いの! 私は嫌われたのよ!!」

 

 セリアは顔を横に振りながら、ヒステリック気味に叫ぶ。

 エスペリアがいくら励まし宥めても悲観的な言葉ばかりが吐き出された。

 

 このまま宥めていても埒が明かない。

 エスペリアは決断した。

 

「セリア、これからヨコシマ様と所へいきましょう。そして貴女の想いをぶつけるのです」

 

「無理……無理よ」

 

「じゃあ、ヨコシマ様と他のスピリットが仲良くやっているのを指を加えて眺めるだけですか」

 

「やだ……やだ」

 

「だったら、無理やりにでも貴女を連れて行きます!」

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、意識を取り戻した横島は目の前で繰り広げられる争いに目を閉じて耳を塞いでいた。

 

 ただの争いならいざ知らず、女の争いである。

 

 どのような英雄であっても、これに率先して関わろうなんて男は古今東西皆無であろう。

 

「さあ~これで終わりですか~!」

 

「くっ!」

 

 戦いはハリオンの勝利で終わろうとしていた。

 やはり、今の今まで横島を支えていたのという事実が大きかったのだ。

 

「さあ、ヨコシマ様~私と一緒にイキましょう~」

 

「お、おお」

 

 とても逆らえる気がしなくて横島はハリオンの手を取ろうとする。

 だけど、二人の手が重なる事はなかった。

 

「ちょっと待ってください!!」

 

 バンと玄関が開いて、エスペリアがセリアをお姫様抱っこして現れたからだ。

 『へい、お待ち!!』とばかりにエスペリアは横島の眼前にセリアを置いた。ハリオンがムッとしたが、セリアの張り詰めた表情に、仕方がないと溜息を吐く。

 

 横島はセリアを見つめた。セリアも顔を真っ赤にして横島を見つめる。

 

「私は……私は! ヨコシマ様の事が……」

 

 告白を察知して、場が水を打ったように静まる。流石に邪魔するわけにはいかない。

 セリアは、というかここにいる誰もがお互い恋敵ではあるが、やはり仲間なのだ。

 頑張れ、勇気を出せ。セリアを心から応援して、

 

「す……嫌いじゃありません!!」

 

 がたがたがた!!

 

 周囲の人影が一斉に崩れ落ちた。

 

 まさか、まさかここまでとは!!

 

 筋金入りの不器用も、ここまでくれば立派なものだ。

 ヒミカ達は恐れ入ったという表情で、しかし口元には笑みを浮かべていた。

 ここに来て未だに素直になれないのでは話にならない。

 もはや全員が肉食動物と化し、飢えた獣のごとく牙を研き爪を砥いで獲物(横島)を狙っているのだ。ヒミカやファーレーンはもう少し平静になれば落ち着いて恋慕を伝えるのだろうが、今は勢いに任せて突っ走っている。今ここで勢いに負ければ、間違いなく負け犬街道一直線だと分かっているからだ。

 

 まず一人脱落!

 

 周囲は笑みを浮かべ、セリアは絶望的な表情になった。

 自分自身の不器用さに絶望する。どこまで可愛げが無いと言うのだろう。

 透明感あるブルーの瞳から一筋の涙がこぼれる。

 だが、そんな彼女の視界に喜色満面な男の顔が目の前に現れた。

 

「本当か!? 本当に嫌いじゃないのか!!」

 

「え? は、はい! 嫌いなんかじゃありません!」

 

「あの素直じゃないセリアが、嫌いじゃない……だと! これはもう愛の告白としか思えん!? ついに俺の時代が始まったというのか!!」

 

 横島は基本的に馬鹿だった。

 その馬鹿さ加減が、今のセリアには眩しかった。

 

「あ、ありが……とうござい……ます!」

 

 セリアはただ礼を言う事しかできなかった。

 こんな何の可愛げもない、告白にもなっていないような告白に喜んでもらえた。

 もうだめだ。もうどうしようない。

 私は、もうこの人がどうしようもないほど好きなのだ。 

 

 我が世の春が来たー!

 と物凄いはしゃぎっぷりを見せる横島に、エスペリアを除く全ての女性が頬を染める。

 本当に女好きで私達の事が好きなんだなあ、と好意を持った。

 エスペリアだけが、正気だった。

 

「今の要素のどこに惹かれるところがあるのでしょう」

 

「何を言っているのエスペリア! もう最高じゃない!!」

 

「うん、ヨコシマ様はカッコイイー!」

 

「えー」

 

 第二詰所は脳をやられてしまったのかと、エスペリアは考えた。

 まあ、そんなエスペリアも悠人のちょっとダメなところが良いという思いがあるので、どっこいどっこいだったりするのだが。

 あばたぼえくぼ。惚れたが負け。

 結局は、そういうことなのだろう。

 

「ヨコシマ様……その、私は!」

 

 感極まったセリアが今度こそと、思いの丈を明かそうとした、その時だった。

 どーん、という大きな音と共に、いきなり壁が破壊される。

 すわ襲撃かとエスペリアが身構えたが、そこに現れたのは第三詰め所の面々だった。

 

「いたーヨコシマ様を発見したよーー!」

 

「うん! これよりヨコシマ様強奪大作戦を開始する!!」

 

 ドドドドと地響きを立てながらスピリット達が流れ込んでくる。

 

「ちょっと! これはどういうこと!?」

 

 唯一、正気を保ってそうなルルーに聞くと、彼女は困ったように笑って見せた。

 

「あはは……なんかお姉ちゃん達、泣き終えたらプッツンしちゃったみたいで、『ヨコシマ様を第二詰め所から奪えー!!』って」

 

 来ないのならこちらから奪い取ってしまえ。明快な野獣ルール。

 たくましくなっちゃったなあ、とルルーは苦笑いを浮かべていた。

 何で壁を壊して入ってくるんですか、とエスペリアは突っ込みを入れていたのだが、誰も聞いていない。

 

「拉致を、一心不乱の拉致を実行するのです!!」

 

「入ってくるな! ヨコシマに近づくなー!!」

 

 ニムが髪を逆立てて威嚇を始める。

 それは縄張りに入られた猫のごとき怒りであり威嚇だ。しかも、威嚇をしながら彼の服を握り締めている。

 

 第二詰め所は横島を守護ろうと。

 第三詰め所は横島を奪取せんと。

 女達の戦いが始まる。

 

 

 最終的に、自分が横島を食べるために。

 

 

 

「ヨコシマ様を守れーー!!」

 

「奪え! 奪え! 奪えー!」

 

「一体何なんじゃあ~! 何かの陰謀か!? それとも世界の終わりなのかー!!」

 

 いきなりモテ期到来に横島は喜ぶどころではない。

 朝起きたら急にモテモテでお持ち帰りされそうになればこうもなるだろう。今までは横島が捕食者だったのだが、これからは被捕食者側に回ったのだ。そろいも揃って美女美少女集団に抱きつかれて、彼は女体の中に埋もれていく。ここまでなら子供達にされた事がある。

 だけど、今は大人達も混じり、さらに強烈な恋慕と情欲が吹き零れていた。

 

「のお~~!! どこ触ってんじゃーー!? ちょっ、ズボンを脱がすな! ひい、舐めるなって……いやーーー!!」

 

 この悲鳴を持って、この先、何億回と開催される事となる横島争奪戦の幕が切って落とされたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 品の良い調度品が並ぶ一室で、レスティーナとエスペリアはお茶を飲んでいた。

 話の花は一連の騒動の顛末。

 レスティーナは機嫌良さそうにエスペリアから話を聞く。

 

「ふふ、そうですか。やはり顛末はそうなりますか」

 

 己の黒髪をいじりながら、レスティーナは楽しそうに言った。その笑いはどことなく黒い。

 予想通り、と黒い笑みを浮かべる女王にエスペリアは驚く。

 

「こうなることを、レスティーナ様は予想していたのですか」

 

「まあ、落ち着くところに落ち着くとは思っていましたが……彼女たちの落ち着くところはこうなると分かってました。遅かれ早かれ、そして多かれ少なかれ、彼の周りでこういった騒動が起きるのは分かりきったことでしたから」

 

 起きて当然とレスティーナは言い切る。

 今までろくに愛されてこなかったスピリット達の中に、スピリットの為に命を懸けて戦うスケベな男性が現れたのだ。しかも相手は良くも悪くも劇薬な横島忠夫という規格外。

 親密に付き合った初めての男が、この煩悩男ではスピリットは色々な意味でたまったものではなかったろう。

 事の大小はあるだろうが、惚れた腫れたの問題が生まれるのは自然なことだった。

 

「と言っても、全員同時に恋心が芽生えるというのは予想外でしたが」

 

 ハリオン達は馬鹿なことした。レスティーナは心からそう思った。

 正直言って、横島と結ばれるのは非常に簡単だったのだ。彼は女好きで第二詰め所に命を賭けていた。告白すれば、子供達を除けばであるが、誰が告白しても嬉々として受け入れただろう。

 さらに彼は童貞であるし情も深い。取り合いになったとしても、最初に告白して抱かれたスピリットは色々と有利になったはずだ。

 特にハリオンは相当有利なポジションにいたというのに。

 

 しかし、今回の騒動で全員が一斉に横島に好意を向けた。いや、恋人とただの隊員との差を自覚して、行動に出るようになった。

 こうなってしまうと女好きだが女慣れもしていないし、そして意外と真面目な所もある横島がどう行動するか。これはレスティーナにも読めなかった。

 誰か一人と付き合うのか。それとも数人と関係を持つのか。それとも全てものにするのか。誰とも結ばれないという未来は、ここまできたらありえないだろう。

 

 これから先に巻き起こるであろう騒動を思い浮かべ、女王は楽しみにニヤニヤと笑いをもらす。

 楽しげなレスティーナと裏腹に、エスペリアは不安に満ちた表情を作る。

 果たしてあれが落ち着いたといえるのか。確かに仲たがいの件は解決したように見えるが、それ以上のトラブルが発生したような気がする。

 

 今まで第二詰め所内で横島が誰かと仲良くしても、殆ど嫉妬という感情は起こらなかった。

 その理由は恋人になったとしても何をしていいか分からなかったからだ。横島は自分達を見てくれる大切な隊長。それで十分に満足できた。第三詰め所と揉める事があっても、それは男の取り合いではなく隊長の取り合いだった。

 だが彼女らは見てしまった。恋人という特別な関係になって始めて向けられる感情と行動を。そして恋人になれなかった場合の終点を肌で味わってしまった。もう隊長であるだけで満足だ、とは言えないはずだ。

 今後第二詰め所では恋の花が咲きに咲き乱れて修羅場という名の台風が常に吹きすさぶ事だろう。

 

 だけど、エスペリアは修羅場も別にいいのかもしれないとヤケクソ気味に思った。

 あのドタバタ劇を見ていると、『ああなるほど』と納得できるような気もしなくも無い。良くも悪くも、あれが第二詰め所の『日常』なのだ。

 とりあえずは納得はできたが、それでも、とエスペリアは思う。

 

「今回の騒動に関しては、もう少しやりようもあった思うのですが」

 

 先の騒動の始まりから終わりまで、エスペリアは目撃している。

 横島もそうだが、ハリオンとセリアも精神的に追い詰められていた。第三詰め所のスピリット達にしてもそうだ。

 一応上手く? 収まったから良いものを、もし着陸点を誤っていたら内部分裂の危機すらあった。

 その気になればレスティーナの「仲良くしなさい」の一言で穏便に事が済んだはずなのだ。

 エスペリアは胡乱な視線をレスティーナに向ける。まさかとは思うが、スピリットを玩具にして騒ぎを楽しんでいたのではないかと勘ぐってしまう。

 

「スピリットは穢れを知らず、あまりにも純粋すぎる。

 綺麗過ぎる川には魚が住まないのと同様に、人も清潔で潔癖すぎる存在には近づきがたい」

 

 レスティーナは真面目な顔をして、凛として言った。

 エスペリアは首をかしげた。一体何を言おうとしているのか分からない。

 

「朱に交われば赤くなる、というハイペリアの言葉があります。その意味は、箱に腐った果実が一つあると、中に入った果実は皆腐る、という意味らしいです」

 

 やはり意味が分からず、エスペリアはまた首を傾げた。

 結局何を言いたいのか分からない。

 エスペリアの困惑顔に、レスティーナは苦笑を浮かべた。

 

「スピリットである貴女には分かりづらいかもしれませんが、人間にとってスピリットは綺麗で純粋すぎるのです。透明で、綺麗過ぎて、近づきがたい壁がスピリットにはある。

 私は、人とスピリットを交わらせるのに何が必要が、常々考えていました。出た結論は、穢れです。

 嘘や恨み辛みといった負の感情。それがスピリットには足りません。ヨコシマにはそれを与えてほしかった……彼は見事にそれを達成したのでしょう」

 

 エスペリアは思わず顔を顰めていた。

 嘘や恨み辛みなど、持たないにこしたことはないはずだ。

 万が一にもスピリットが人間に対して恨み辛みを抱いたら、どうすると言うのだ。

 

「別にスピリットが人間に恨み辛みを持てと言っているのではありません。ただ、スピリットも人間と同じように怒りや憎しみ、そして嫉妬や欲望を持って欲しいのです。同時に、それを飲み込む心の強さも。そうすれば、人はスピリットも同じだと返って安心するでしょう。人という種は、異端者に特に残酷になるのですから。それに恋という感情は、正負の両面を持ち合わせているのでちょうど良いのです」

 

 人間は何かを好きだと話し合う時よりも、何かを罵る時こそ充足し団結する生き物だとレスティーナは知っていた。

 エスペリアは分かったような分からないような気持ちになった。

 この胸に芽生えた嫉妬という気持ち。自分が汚く嫌らしい存在だと自覚させられるこの感情が、人にとって好ましく見えることなどありえるのだろうか。

 言っている相手がレスティーナだからこそ間違っていないと思うが、どうしても納得は出来なかった。

 

「それに下世話ではありますが、恋の話ほど人の興味を引くものはありません。年齢も文化も種族も性別も国境をも越える話の種です。人とスピリット共通の話題として、これ以上の話題は無いでしょう。ましてやそれが今をときめくエトランジェの話題とくれば……」

 

 にんまりとレスティーナは笑う。

 これにはエスペリアもなるほどと思わぬ訳では無い。人とスピリットの距離は少しずつ埋まりつつある。自分達を見る人の目は柔らかくなっているし、買い物をしていて話しかけられる事も増えてきた。

 だが、話といっても何の話をしたらいいのか分からないのが現状だ。共通の、しかも人が強い関心を抱いている話題など、スピリットには分からない。いや、一つある。エトランジェである、悠人と横島だ。彼ら二人は話題性に事欠かない。

 エスペリアも、もし悠人の話題を振られたら5時間ぶっ続けで話し続ける自信があった。その内の半分は惚気になることは、エスペリア自身も気づいていないが。

 

 やはりこの方は一歩も二歩も先を見て、そして私達を信頼してくれている。

 

 レスティーナに仕えられて良かった、とエスペリアは自然と頭を垂れた。

 強く、優しく、高潔で人情深い。

 今回の騒ぎも愛の鞭だったのだ。

 

「なにより、そのほうが私も楽しめますから」

 

「……はっ?」

 

「大体なんですか! 私が毎日のようにおっさんや爺の顔に囲まれて過ごしているというのに、ハリオン達は甘酸っぱい青春群像劇を繰り広げて!! ヨコシマ君から『ハリオンの為に最高級のお菓子の材料を取り寄せて欲しい』なんて羨ましくも妬ましい話を聞かされた後に、ハリオンが『私だけ何も無いんです~』とか泣きついてきて!! 泣きたいのは私の方よ! ユート君はアセリア達や友達の事で頭が一杯みたいで、レムリアの事なんて忘れちゃったみたいだし、ヨコシマ君はハリオン達ばかり見てる!! せっかくほっぺにちゅーまでしてあげたのに。なにこれ!? 完全に私のルートから外れちゃったの!?」

 

 怒涛のようにまくし立てるレスティーナ。いや、今はレムリアと言ったほうがいいか。

 正ヒロインの一員であるにも関わらず、政務に追われ接点が薄い所為でイチャイチャとラブコメできない不満が爆発したと思われる。

 エスペリアの脳裏に「まさか」とトンでもない仮説が思い浮かんだ。

 

「あの……もしやとは思いますが、日頃の鬱憤晴らしの為に今回の騒動を企画したのですか?」

 

「勿論! どうせヨコシマ君の事だから、ギャグっぽく騒動を収めるって信頼してたからね。だから収まるまで徹底的に振り回してやろうと思って。私のおかげで皆の仲が深まったんだから、ヨフアル一封ぐらいほしーぐらいだよね」

 

 あはははははは。

 

 レスティーナの笑い声が響き渡り、エスペリアのコメカミがピクピクと痙攣した。

 とんでもなく低俗で自分勝手だった。これも嫉妬という感情のもたらしたものならば、やはり嫉妬は良くないのではとエスペリアは考えてしまう。

 

「適度にこういう気持ちは発散したほうがいいのだよ! 分かるかなエスペリア君!!」

 

 もはや完全にレスティーナは消え去りレムリアと化していた。

 

「あの。ハリオンから聞いて欲しい事があると言われたのですが」

 

「うん、なに?」

 

「どうしてヨコシマ様がハリオンにプレゼントを用意していることを隠していたのですが」

 

「それは勿論、サプライズの方が喜びも大きいからだよ。

 念のため言っておくけど、プロポーションは関係ないからね! 胸の大きさなんて全然気にしてないから! おっぱいなんて……うう、こんちくしょー!」

 

 ――――ギルティーです~

 

 どこからかハリオンの声が聞こえたような気がした。

 その声にエスペリアは頷く。

 スピリットに怒りや嫉妬を与えたいと、レスティーナは言った。

 いやな気持ちは発散したほうが良いと、レスティーナは言った。

 

 ――――――なら、構いませんね。レスティーナ様!

 

 エスペリアは覚悟を決めた。

 ハリオンから預かったレスティーナへの貢物。

 あくまでも冗談だと考えていたし、万が一にも使うとは思わなかった。

 だが、もういいだろう。

 

(ヒロインレースから脱落した人が、ヒロイン候補の足を引っ張るなんて駄目ですよ。ウフフ)

 

 エスペリアは黒い笑みをこっそりと浮かべる。

 

「……ああ、そういえば忘れていました。ハリオンからこんな物を預かっています」

 

 バスケットを開けて中から取り出したのは、白くてふんわりしている手の平大の物。

 レムリアの目がキラキラと輝く。

 

「やった、ヨフアルだね。しかもまだ温かい!」

 

「はい。ハリオンお手製です。今度の件でお世話になったお礼と言っていました。ハイペリア流に言うと『お礼参り』だそうです」

 

「うんうん。色々あったけど、結局は私のおかげでハリオンはヨコシマ君争奪戦で頭一つリードしてるわけだしね。お礼ぐらいしてくれてもいいよね~!」

 

 当然だ、という風にレスティーナは言う。

 その言葉でエスペリアの気持ちは完全に決まった。

 

「では、ごゆるりと」

 

 エスペリアは菓子を渡して部屋から退出する。

 後ろから聞こえてきた「辛いよ~辛いよ~!」なんて泣き声は、幻聴だと完全に無視した。

 

 城の内部を歩いていると、外から騒ぎが聞こえてきた。

 窓から外をのぞくと、横島がスピリットの集団に追い回されていた。第二詰め所に第三詰め所の面々が、目を血走らせて横島を追い掛け回す。

 

 別に横島がバカをして追い回されているわけではない。ただ猛烈なアプローチを受けて、何をどうしていいのか分からず逃げているらしい。

 周りの人間達が、やいのやいのと騒ぎ立てていた。

 あれだけ女好きを公言していたのに、いざ迫られると逃げ回る。

 まったくもって意味が分からない――――――――

 

「孕ませろーー!!」

「先っちょだけでいいから!!」

「婚姻届にサインしてーー!!」

「責任取らせて隊長にするぞー!」

「私がママになるんだよー!」

「お前らちょっと落ちついてくれーーー! パンツを取るなーー!!」

 

 ――――あ、うん、これは逃げて当然だ。

 

 恋愛に関して子供同然とレスティーナは言っていたが、確かにとエスペリアは納得した。これは酷い。

 極端から極端に走るのが子供の特性だ。今回の件で一つ成長したといっても、まだまだ恋愛の初心者には変わりない。まだまだ騒動は巻き起こるだろう。

 

 こうはならないようにしよう。もっと自分を律しなければ。

 

 狂乱するスピリット達を見守りながら、あれらを反面教師にしようとエスペリアは心に決める。勢いに任せて行動するような事はしないように、と。

 この瞬間、プッツリとエスペリアとツンツン頭の青年との赤い糸が切れたのだが、それはどこぞでガッツポーズを決める巫女しか知らぬことである。

 

「それにしても、ヨコシマ様と結ばれなんてしたらどれほど苦労する羽目になるか」

 

 エスペリアは顔をしかめながら、彼と結ばれるスピリットに同情した。毎日がトラブルと騒ぎで満たされるのが目に見えるようだ。自分なら絶対にごめんである。

 だけど、横島を好きになれないエスペリアであっても分かった。

 

「とても幸せにはなるのでしょうね」

 

 それだけは間違いないのだろう。

 うんざりとしたエスペリアの呟きが、有限の大地に小さく響き渡った。

 




 こちらはハーレムor個人ルートの場合のお話。
 話の構成上、エッチしないと絶対に結ばれることができません。以前に子供ルートは絶対無いといったのはそのせい。

 IFルートを見たいという人がいると思います。。
 どうしてIFにしなかったのか、理由を書いていたら物凄い量になったのでここでは書きません。どうしてもIFルートが良いという人がいたら、割烹にでも理由を上げます。

 それでもざっくり理由をあげると

 ・IFルートは文字数が増えて完結が遠ざかる事。
 ・最終話を除き、どちらのルートでも殆ど違いがない事。 
 ・スピリットの自立・自活のテーマから外れる事。

 この三つです。
 横島とスピリットのいちゃつきを期待していた人には申し訳ありません。


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第三十二話 運命を変える為の、宿命の戦い

 第二詰め所でスピリット達の笑顔が満ちていた。

 彼女らの手には菓子やドレス等が握られていて、何も持たない者も何やら想像して頬を上気させバラ色に色づいている。

 だけれども、スピリット達の笑顔を見つめる横島の表情は暗い。

 どれぐらい暗いか例えるなら、女に貢まくった挙句『そういうつもりではなかったんです~』とホテル前でドロンされた男ぐらいに暗い。

 

「ちくしょー! そんなに喜んでくれるなら、おっぱいぐらい揉ませてくれても良いだろー!」

 

「この贈り物は、貴方が私達に変な事をしたお詫びなんでしょ! 誰が揉ませますか!!」

 

 滝のように涙を流す横島に、セリアはやれやれと肩をすくめる。

 そんなセリアも、横島と二人で食事に行くという約束に隠し切れない笑顔を浮かべているのだが。

 

 

 第二次マロリガン戦を終えて、横島はスピリット達から敬遠されていた。

 触手にスライムにと、スピリット達をエロエロな目に合わせたのだから当然だ。

 そこで横島は前々から用意してきたプレゼントを贈ることで仲を修繕し、その勢いでエロスに突入しようと画策した。

 セリアには食事。ヒミカにはドレス。ハリオンには自作のお菓子など。用意したプレゼントは全て一人一人専用という力の入れようである。

 

 IFの話をするのなら、下手をすると最初にプレゼントを渡されたヒミカは恥ずかしさのあまり受け取らない可能性すらあった。

 そうなれば第二詰所に騒乱が訪れていただろう。

 

 だけど、そうはならなかった。

 

「あー! ヨコシマ様!? ヒミカに何を渡しているのー!」

「う~シアーも何か欲しいよう~!」

 

 ヒミカにプレゼントを渡している最中、何も知らない青の姉妹が部屋に乱入して来たのだ。

 後はなし崩しにネリーとシアーにも用意していたプレゼントを渡す事になり、ヒミカはプレゼントは自分だけではないのだと理解すると、羞恥心を打ち減らして素直にプレゼントを受け取った。

 

 それから流れで全員にプレゼントを渡す事になってしまった。

 ロマンチックな雰囲気など一欠けらもなく、サンタクロースが子供達にプレゼントを渡すようなホームコメディが展開され、まったくエッチな雰囲気にならず横島は嘆いたのだ。

 

「ちくしょー! このプレゼントでラブラブになれるはずだったのにー!!」

 

 エロスを期待していた横島の嘆きに、スピリット達はほっとしたように胸を撫で下ろす。

 これで横島のプレゼントに胸の高鳴りを感じなかったわけではないが、恋という未知の感情には恐れがあった。

 

 ――――ヨコシマ様はずっと私達の隊長であってほしい。これ以上の関係など望まない。

 

 女性として成長していく体や、女としての情動に目をそらして、彼女達は身を焦がす恋よりも穏やかな陽だまりを選択した。

 

 未来よりも現在を。

 変化よりも停滞を。

 この幸せを永遠に。

 

 不遇な境遇にあったスピリットにとって、今は余りにも幸福すぎた。今とは幸せと同義になった。故に、今を打ち壊す可能性がある恋という感情は決して花開いてはいけないのである。

 

「ヨコシマ様! 今日も、これからも、ずっと……よろしくお願いします!」

 

 スピリット達は家族に見せるような親愛の笑みを横島に向ける。

 陽だまりの笑みを受けて、横島はエロスはまた今度だと笑みを返した。

 

 

 

 

 恋の花は咲かず、その蕾だけを奇形的に膨らませて、時は進む。

 

 

 

 

 

 

 パチン、パチンと小気味の良い音が部屋に響く。木と木がぶつかりあう音だ。

 二人の男が椅子に座り、将棋盤を通して対峙していた。一人はマロリガン大統領クェドギン。もう一人はマロリガン稲妻部隊隊長である碧光陰。

 光陰は眼前に打ち付けられた『銀』の文字に、思わず頭を抱える。『角』が生き残る手を模索するが、生きる道筋が見つからない。大駒をここで失えば『王』も長くは無いだろう。ここが勝負の分かれ目。勝つための一手を模索し、ついに唯一無二の手を見つけ出す。

 

「あ~大将、今の待ってくれないか」

 

「駄目だ。そう何度も待ったを掛けられては勝負がつかん」

 

「まだ三回目だろ。俺たちの世界には『仏の顔は三度まで』という言葉があってだな」

 

「俺は神などではないから無意味だな。これで負けたら俺の許可を取ってから執務室に出入りしてもらうぞ。貴重な酒や茶葉を許可なく飲みあさるなど許さん」

 

「くそう。シロちゃんが不在の時に勝負を仕掛けてきやがって」

 

「賭けに乗ったのは貴様だろう。勝てばスピリット幼稚園の初代園長だぞ」

 

 何とも碌でもない賭け勝負だ。

 結局、『角』と『銀』が交換となり光陰はさらに追い詰められる形となった。

 光陰はしかめっ面で盤上を睨みつけ、クェドギンは小さく含み笑いを浮かべながら窓に目を向ける。

 煙の帯が数本ほど立ち上っているのが見えた。白き羽のブルースピリットが一瞬で建物を破壊して周囲に燃え移るのを防いでいる。人々が我先にと押しつぶしあいながら城壁に駆け出していくが、誰も音頭を取る者がいないので城門付近で相当の死人が出るだろう。外から聞こえる怨嗟と絶望の声が、しかしクェドギンには自由を求める戦いの凱歌に聞こえた。

 狂乱に落ちていく街並みを眺めながら、クェドギンは持ち駒を手に持ってふと言った。

 

「お前は、この駒がどうして争っているのか考えた事はあるか?」

 

 問われた光陰は少し目を丸くした後、面白そうに破顔する。

 

「大将は妙な事を考えるなあ。だって駒は駒だろ。俺らが動かしているから動いてるんだ」

 

「確かにその通りだ。しかし、駒自身は自分の意思で行動していると思っているかも知れん。駒は自覚無く戦わさせられているのだ」

 

 光陰は思わずはっとした。

 実は、自分達を駒のように感じた時が多々あった。

 例えば悠人達がスレギトに強襲を仕掛けてきた際に、幸運に幸運が重なって防衛が成功した時などである。どうしてラキオスが奇襲が失敗したのかを調査したところ、不運というレベルではない不運が重なり合いすぎているのを確認できたのだ。

 隕石やロボットという、ご都合主義すら超えた幸運に自分達は守られた。

 

 あの奇襲を将棋に例えるなら、マロリガンは駒を並べている最中に攻められたようなもの。陣容が整う前に蹂躙され勝敗は決しただろう。

 当然、そんな裏技はプレイヤーである指し手には認められる訳もない。故に奇襲は失敗した。そんな気さえしたのである。

 

 全てを仕組んでいる黒幕が存在する。

 

 それは何度も考えたが、どれだけ調べても黒幕の影も形も見えず、この状況を作り出すには圧倒的な寿命と人の無意識や運勢まで操る力を持っているだろうという結論に至る。

 いくら何でも神と呼べるほどの黒幕がいるとは考えられない――――考えたくない。

 

 光陰はそこで考えを打ち切っていた。

 これは仕方がないだろう。影も形も見えない神と戦おうとするなど狂気の沙汰だ。

 だが、その狂気を身に宿した男が目の前にいた。

 

「ならば、駒が自由を勝ち取るにはどうすれば良い? 自決か……それは負けない為の手段だ。指し手を殺すか……しかしこれは駒の身では不可能だ。ならば、残された方法は」

 

 クェドギンは懐から短剣を取り出す。

 そして、強烈な増悪を持って将棋盤に突き刺した。

 

「盤上がなくなれば良い。駒があっても盤上が無ければ指す事はできない。これで、駒は自由になるだろう。例え、世界が壊れようとな」

 

 くつくつくつと、部屋に暗い笑いが響き渡る。

 

「なんて話だよ。今回の作戦は大将がマロリガンを牛耳ってラキオスをおびき寄せる為じゃなくて、そっちが本命ってわけか」

 

 お手上げとばかりに光陰は両手を上げる。

 この世界の違和感の数々。どこからともなく生まれるスピリット、歪なオーバーテクノロジー、血塗られた歴史、急な人の変心、親友との殺し合い。

 そうならば確かに答えが出てしまう。将棋の世界で平和な世界などあってはいけないのだから。

 挙句、平和な世界を取り戻すための方法が世界を破壊するしかないときたものだ。救いがたい現実である。

 

 とはいえ、おいそれと神の存在を信じるわけにはいかない。

 確かに現実的でない不運があったのは認めるが、それでも全ては偶然で起こり得るものでしかない。

 運勢の傾きを神に例えるというのは一般的なものだ。

 

「何か証拠はあるんだよな。狂気に命を賭けられても、妄想に命は預けられないぜ」

 

「物的証拠はない。しかし、幾度も行われた実験の結果で明らかだ」

 

 人とスピリット。

 この二つを絡めた実験により、人とスピリットは明らかに思考を誘導されているという結論を出すしかなかった。

 この類の実験はラキオスでも行われ始めていて、レスティーナもようやく大陸の裏に潜む悪意に気が付いたが、クェドギンは何年も前から真実に気づいて世界に戦いを挑んでいたのだ。

 

「何よりも、俺自身が一番実感している。俺の意思ではない『意思』が潜り込んでくるのをな。常に自身の思考を疑えば実感は容易だ」

 

 常に自分の思考を疑う。

 口で言うのは簡単だが、実際に行えば狂気でしかない。だけれども、この大陸で真の意味で正気を保つにはそれしかなかった。

 光陰は今更ながら狂気の世界に呼び出されてしまったと痛感する。

 

「世界とそこに住まうすべての存在は、奴らにとって舞台と駒に過ぎない。そして、お前らと彼女達はこの舞台では脇役に過ぎん。そう、言ってみればただの踏み台だ。物語の主役を彩る為のな」

 

「なるほどな。物語的に考えれば、妹を助けてスピリットを奴隷から助けようとしている悠人と横島が主人公。秋月と雪之丞がボスで、俺たちは主人公に試練を与える中ボスって所か。んでラスボスはまだ先と」

 

「その通りだ。俺の予想では、お前の勝利を奴らは想定していない。だからこそ勝利して欲しい。お前らが勝てば俺も世界を破滅させずにすむだろう」

 

「へっ……神の定めた運命に抗って勝利を掴み、惚れた女と世界を自由にしろってか。男としては燃えるシチュエーションだな……はは」

 

 自嘲じみた笑いを二人の男は浮かべた。

 何をどう言いつくろうと、間違いなく自分達がやっているのは悪なのだ。

 自覚すればするほど笑いがこみ上げてくる。

 

「それにしても……俺が踏み台ねえ」

 

「気に障ったか」

 

「いんや。感心しただけさ」

 

 踏み台と侮辱された光陰だが怒りも嘆きもしなかった。

 それは元の世界でも感じていたからだ。

 客観的に見て自分は悠人よりも肉体も精神も優れているだろう。しかし、光陰という一個の存在が悠人に勝っているとは、自分自身思う事が出来なかった。

 いや、きっと勝るも勝らないもない。どこにでもある歌のように、皆それぞれの個性があるだけ。それは分かっている。しかし、誰よりも大切な思い人は自分の方を向いてくれなかった。

 

 友情は薄れていない。憎しみはない。

 だがそれでも、悠人に勝ちたい。

 

 四神剣の担い手は互いに敵意を持って殺し合うようになると言うが、この思いだけは操られてはいないと断言できる。

 

「お前のその感情も、指し手は考慮済みなのかもしれないがな」

 

「なあ大将。どうして俺が悠人と今日子の事を考えてたって分かるんだ」

 

「お前は友と女の事を考えたときだけ、抑え付けている表情が顔に出るからな」

 

「男に観察されても嬉しくないぜ」

 

「違いない」

 

 互いにニヤリと笑う。

 

「さて、お喋りはここまでにして……いい加減に指してもらおうか」

 

 クェドギンは盤面を指さす。勝負は大詰め。

 勝利を確信したクェドギンは笑みを浮かべていたが、光陰も負けじと笑みを浮かべた。

 

「へっ、長話したのは失敗だったな」

 

「何だと……む」

 

 ガチャリと執務室のドアが開いた。

 流れるような銀髪に前髪の一部分だけ赤メッシュな美少女が部屋に入ってくる。

 

「戻ったでござるよー」

 

「おお、シロちゃん。待ってたぞーー!」

 

 手をいっぱいに広げて光陰はシロに抱き着きかかる。

 シロは慣れた様子で避けようとするが、光陰は強引にシロを抱きしめた。怪訝な顔をするシロ。

 光陰はじっとシロの瞳を見つめた。彼の目には気遣うような光がある。

 血の匂いがシロの体からプンと匂い立って、部屋に満ちていく。

 光陰が何を心配しているかに気づいたシロは不敵に笑う。

 

「光陰殿。心配無用です。

 焦らず、迷わず、剣を振る。

 先生に剣を向けた時に、戦いに不要なものなど切り捨てたござる」

 

 シロの言葉には迷いがなく、その瞳は強い光を放っている。

 永遠神剣を得て、そして不条理な環境に身を浸してシロは変わった。齢一桁の女児は立派な戦士になってしまった。

 これを成長と捉えるかは光陰は悩ましく感じたが、何も言う事は出来ない。

 光陰も同じ道を選択しているのだ。同情する資格などない。だがそれでも、自分よりも小さい少女に辛い選択をさせた自分の無力が悔しかった。

 

 そんな葛藤など光陰はおくびにも出さずシロを対局の席に着かせる。

 

「それでシロちゃん。実は大将と賭けをしてるんだけどな、勝てば何でも言う事を聞いてくれるぞ。負けたらここでの飲み食いは禁止されちまうけど。と言うわけで、頼むぜ、シロちゃん!」

 

「待て。これは俺とお前の賭けだろう。代打ちなど認められん」

 

「ふむ……では今からその賭けに拙者も混ぜてもらうでござる。これに負ければ拙者も無断で部屋に入らない。勝ったらスピリットに朝の散歩を義務付けるでござる!!」

 

「いいだろう。ここから逆転できるものならしてみせろ」

 

「では……ほいっと」

 

「……な、なんだと……まさかこんな手が」

 

 仲良く将棋に興じる。周囲から聞こえてくる悲鳴とは無縁の空間。

 莫大なマナが集まり始めているのを感じながら、三人は小さく呟く。

 

「これで最後だ。なあ、悠人よ……勝たせてもらうぞ」

「先生……拙者の覚悟。受け取ってもらうでござる」

「運命などに、人は屈せぬ」

 

 

 マロリガンにおける、最後の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 マロリガンで動きあり。

 詰め所で連絡を受けた悠人と横島はすぐさまヨーティアの研究室に向かった。

 部屋に入ると、レスティーナとヨーティア、イオの三人が横島達を出迎える。

 

「遅いですよ、二人とも!」

 

 レスティーナが叱責の声を飛ばす。

 連絡を受けて早足で来たのだが、それでもレスティーナからすれば遅く感じたのだ。

 一刻を争う事態に陥ったのだと悠人は判断した。すぐさま本題に入る。

 

「一体どうしたんだ。マロリガンとの和平が上手く行かなかったとか」

 

「それだけなら良かったんだけどねえ」

 

 いつも飄々とした態度のヨーティアが、眉間に皺を寄せた険しい表情を浮かべる。

 マロリガンとの和平はラキオスの戦略上で第一の目標だったはず。それが上手くいかなくとも、まだ良かったと言えるほどの事態が発生しているらしい。

 レスティーナがこほんと咳払いをして、密やかな声で凶報を話し始める。

 

「まず、議会に所属していたマロリガン議員の多くと、それに連なる者らがエトランジェ達の手によって殺されました」

 

 いきなりの発言に悠人も横島も目を丸くした。

 人殺しという親友達の凶行。

 無論、自分達の手も血に塗れているわけだから人でなしと批判できる立場ではない。それでも人間という非戦闘員を手にかけたのは、また別な意味を持つ。

 

「マロリガンの権限は全てクェドギン大統領……いえ、クェドギン独裁官に束ねられました。彼は今、各都市から首都に異常な量のマナを集めさせています。これが何を意味するか、分かりますか?」

 

 悠人と横島は首を捻る。

 マナを一箇所に集める必要性は無い。マナは巨大な神剣を核としたエーテルコンバーターでエーテルに変化させて運用するのだが、一気に変換できるわけではないのだ。一万のマナを集めても、一日で変換できるのが数十程度なら集める意味がない。

 無理やり多量のマナをエーテルコンバーターに注入すれば暴走する危険性も――――ー

 

「ま……さか、イースペリアの時みたいにマナ消失を」

 

 青い顔で呟く悠人にレスティーナは重々しく頷いた。

 

 イースペリアの惨劇は大陸中に知れまわっている。

 この世界では大規模に人が死ぬことが無い。

 だからこそ、イースペリア首都が吹っ飛んだ災害は恐怖の代名詞として語られている。

 

「自分達の都市が消し飛ばされるとあって、マロリガン全都市で大恐慌が発生中だ。しかも各都市を治める市長をはじめとする役職共は殺されてしまってまとめ役がいない。あのバカの暴走を止めるのはマロリガンにはいないな。

 さらにマロリガンのエーテルコンバーターは、イースペリアよりも高位の神剣を核として使っている。当然だが溜めこめるマナは数十倍かそれ以上だ。被害は一都市では収まらないだろうさ」

 

「ぐ、具体的にはどれぐらいになるんすか?」

 

 横島が引きつった笑みを浮かべながら言った。

 頭の中では、一部の親しい人達だけを助けようかと保身で一杯だったりする。

 そんな横島の逃げ腰を理解してか、ヨーティアはサドッ気のある笑みを浮かべた。

 

「この天才の計算によると、大陸が平らになる程度と予想している。男と女が一組ぐらいは生き延びるかもな。ああ、神剣使いなら協力し合えば爆発は耐えれるだろうが、大陸全土に吹き荒れるマナ嵐で間違いなく全滅するだろう……世界の危機って奴だねえ」

 

 世界という言葉に横島は渋い表情になる。

 この『世界』という言葉が出た時点で横島に選択肢は無くなるのだ。

 

「それでクェドギンは何を要求しているんだ。やっぱり、ラキオスの降伏か?」

 

 砲艦外交を遥かに超えた、自爆テロの究極とも呼べるマロリガンの暴走。

 大陸を人質にして何を要求しようというのか。

 

「クェドギンは何一つとして、要求していません」

 

 悠人の質問にレスティーナは耳を疑うような答えを返した、

 何の要求もない。ただ、世界を破壊させようとしている。

 

 本当に気が狂ったのだろうか。

 ならば、どうして気が狂ったのか。そして、どうして友人達は狂気に付き従っているのか。

 疑問は尽きない。だが、逡巡している時間は無かった。

 

「もはや言葉を交わしている時間はありません。ラキオスは世界を守るため、スピリット隊と人間の兵士をマロリガン全土に派遣することに決めました。

 計算上、猶予はあと四日はあります。スピリット隊は先行してクェドギンを止め、マナ消失を防いでください。後から人間達が治安を回復させます。

 ……この大陸を、全ての命を、この世界をお願いします。ユート、ヨコシマ」

 

 レスティーナは大陸の未来を二人に託す。

 決意を漲らせる悠人とは対照的に、横島の心には無力感が広がっていた。

 

 

 

 それから半日。大慌てで準備を整えてスピリット隊はマロリガンに向かった。

 いくらエーテルジャンプで大陸の半分近くを移動して、スピリットが音速で動けようとも、一日でマロリガン首都に到達できるはずもない。初日は砂漠で野営である。

 スピリット達が交代で夜の警戒をしている頃、横島は自分のテントからこっそりと抜け出して、砂漠で一人、生気の無い目で星を見つめていた。

 

 どうしてこうなったのだろう。

 やはりこうなってしまったか。

 

 相反する思いが胸に渦巻く。思考が取りとめもなく浮かび、混沌とした考えがいくつも脳裏に浮かんでいく。

 世界を守るためにシロと戦う未来が来るのは感じていた。そうなれば、誰かが命を落としてしまうという悲劇も予感していた。そう、かつて、魔神に世界か女の決断を迫られた時の様に。

 

 あの決断の是非はともかく、後になって深く考えた事がある。

 

 カレー味のう○ことう○こ味のカレーをどちらが良いか。

 

 ――――どちらも嫌に決まってるだろうが!

 

 そのような、どっちも地獄という選択肢を突きつけられた時点で敗北なのだ。

 今度は同じ轍を踏まないよう、世界とシロタマのどちらかを選択するという悲劇を避けるべく横島は精力的に動き、命を懸けて戦った。

 

 希望はある。世界と女。この二つは両立する。それは知っていたからだ。

 それを成した正義の味方が身近にいた。隊長という立場にいる横島にとって、かつて隊長と呼んだ彼女こそが目指すべき人物であった。

 

 今度は自分が見捨てられる側ではなく、見捨てる側に立ってでも世界と女を守る。大切なものだけはなんとしても掴み取ってやる。

 

 その想いを胸に色々と頑張った。成果だって十分に出ていた。

 だけど全てをあざ笑うように世界は容赦なく選択を突き付けてくる。

 

 『世界』は横島がシロとタマモを殺して【世界】を守ることを求めている。

 

 誰かに話せば妄想と笑うだろう。

 だけど、どうしようもないほど感じてしまうのだ。

 

 

 俺は絶対に誰かを殺してしまう。

 

 

 それが、シロかセリア達かは分からない。でも、誰かが死ぬ。死ななければ世界が滅ぶ。

 もしくは、自分が死ねばどちらも助かるかもしれない。だけど、死にたくはなかった。死ぬのは怖い。また、自分の中には幸せにしなければならない命がある。それに女の子とエッチも出来ずに死ぬなど言語道断である。

 もういっそのこと何もかも忘れて逃げたくなる。だが、

 

 世界なんてどうでもいい。

 家族さえ守れればそれで良い。

 

 その言葉だけは、口が裂けても言う事は出来ない。

 過去の選択が言わせてはくれない。それに見捨てられない繋がりが増えすぎてしまった。

 

 一体どうしたらいいのだろう。

 

 いくつもの思考が折り重なり、論理的に積み上がらず、ポエムのように浮かんで消える。

 自分が何を考えているのか、横島自身にもよく分かっていなかった。

 ただ闇の中をさ迷う幼子のように道を示してくれる救世主を探す。

 そこで、一つの影が近づいてくるのが見えた。

 

「この世界は星が良く見えるよな。俺達の視力が上がったのもあるだろうけど、やっぱり空気が澄んでいるからか」

 

 月の光を背に浴びながら高嶺悠人は現れた。

 歩く姿を見ると、足捌きや体捌きは一流とまでいかなくとも一人前の戦士の動きである。

 剣豪であるアセリアやエスペリア等には及ばないが、それでも一年前まで剣を握った事が無かったなど誰が信じられよう。

 才能と経験と努力、なにより強い意志がここまで悠人を押し上げたのだ。

 

 横島は何も応えず、ぼーっと星空を眺め続ける。

 悠人は横島の視線を追って星を見つめたが、やがてポツリと言った。

 

「どうするつもりだ」

 

 悠人の言葉に主語は無かったが、それでも同じ立場同士だ。言いたい事は伝わってくる。

 

 シロとタマモ。光陰と今日子。

 彼らを助けられるのか、助けられないのか。

 助けられなかったら殺すのか、それとも捕まえて監禁でもするのか。

 捕まえる為に仲間を危険にさらすのか。もし、それでネリー達が死んだらどうする。

 

 思考が巡る。答えは出ない。出したくない。どう決断しようと、何かしらのリスクが生じる。

 そのリスクの全てが世界と愛する家族の命に関わる為、どうしても決断が出来なかった。

 どうして俺がこんな重責を担わなければいけないのだと、権利が好きでも義務が嫌いと豪語する横島は内心で毒づく。

 

「お前はどうする気だよ」

 

 答えが出せない横島は質問に質問で返すしかなかった。

 

「俺か? 俺は助ける。そう決めた」

 

 特に気負いも無く言い切った悠人に、横島は目を見開く。

 

「まさか。助ける方法が見つかったのか!」

 

「いや、見つかってないぞ」

 

 なんだそりゃ?

 

 助ける方法が見つかれば、死のリスクがない方法があれば、全員が助かる道を横島も選ぶ。

 だが、それが見つからないから困っているのだ。このままで絶対に誰かが死ぬ。逃げ出せば、全員死ぬ。答えのない選択肢を突きつけられて、どうして選択できようか。

 

「こうなったら出たとこ勝負だ。この戦いは誰も死なせずに今日子達も助けて終わらせてやるさ」

 

 最終的には根性論。未知の希望を信じて、先の見えない闇の中を手探りで進む道。

 それが悠人の出した答えだった。横島は軽蔑の視線を悠人に送る。

 こんな無計画な男が部隊を率いているのが恐ろしく感じられた。

 

「迷ってて勝てる相手じゃない。でも殺すなんて覚悟は俺もお前も抱けないだろ。結局、負ける。だったら、絶対に助けると決めていくしかないだろ」

 

 悠人も何も考えずに出した結論ではなかったらしい。

 確かにその方が横島達は力が発揮できるだろう。だが、勝利条件のハードルが上がるのだから力を発揮したら上手くいくとは限らない。

 とはいえ、確かに悠人の言うとおりであるのも事実。方法が見つからないなら、見つからないなりに最上の道を模索しなければならない。

 

 それは理想の道であり、仲間たちにも多くの負担をかけるだろう。

 だが、上手くいけば最高だ。上手くいかなかったら、最も絶望するだろうが。

 

「何があろうと、責任は俺が取る」

 

 悠人の言葉に横島は惹かれた。

 

 助けられなかったら悠人の所為。

 助けられたなら皆のおかげ。

 助けられても犠牲があったなら悠人の所為。

 

 

 ――――――――――――――――――いいな、それ。

 

 

 横島にとって、これほど魅力的な案は無かった。

 ルシオラを助けられなかった苦しみ。エニを助けられなかった苦しみ。

 あんな苦しみを二度も三度も味わいたくなかった。

 

 俺はそんなに強くない。あの苦しみが大丈夫になるほどの心の強さなど欲しくも無い。

 ただの高校生であった俺が、どうしてこんな重みを背負わなければならない。悠人も同じ高校生だが、そんなことは知ったことか。

 失敗した場合の痛みを、全て悠人に負わせればいいのだ。そうすれば心のまま、タマモ達を助けるため全力が尽くせる。

 

「大丈夫だ。きっと成功する……いや成功させる! 皆も手伝ってくれるしな」

 

 それでいこう。

 そう返事をしようとした横島の声を遮って、悠人は希望溢れる言葉と笑みを浮かべた。

 途端、横島の声は止まり、表情は強張る。

 

 何とかする。やってやる。努力すれば、皆でがんばれば、きっと上手くいく。

 何の根拠もない悠人の言葉が横島の胸にほの暗い火を灯した。

 強い意志を感じさせる悠人の言葉は、横島の心の奥底にある傷跡に遠慮なく触れるのだ。

 

 ――――ふざけるな!! それでなんとかなれば、あいつらだって!!

 

 脳裏に浮かんでくる二人の女性。

 

 ルシオラとエニ。

 

 努力して戦って命を懸けて、仲間と世界と自分の力と魂を燃焼させても、この手は届くことは無かった。

 

 改めて悠人を見つめる。

 笑みを浮かべていても、確固たる自信が張り付いているわけではない。助けられないのでは、という恐怖は確かに悠人にもある。

 だというのに、その恐怖と戦いながらも助けると言い切った。

 

 この男は気に食わない。

 横島が悠人に対して常々思っていた気持ちが鎌首をもたげた。

 

「甘いんだよ」

 

「そうだな。でも、諦めない。それが俺達だろ」

 

 ――――横島が女の子を助ける道を諦めるわけがない。

 

 ――――そんな目で俺を見るな!

 

 万感の信頼を込めた悠人の視線が、横島には疎ましくて仕方がない。

 言動の全てが癪に障る。失った事が無いから言える妄言にしか、横島には思えなかった。

 

「助けられるかどうか分からないだろうが……なんか現実的な方法は無いのかよ」

 

「現実的ってお前が言える言葉かよ……それともまさか助けるのを諦めるとでも言うつもりか」

 

「そうは言ってねえ! ただ、簡単じゃないって言っているだけだ!」

 

「そんなの分かりきった事だろ。だから、皆で協力するんだ」

 

「そういう問題じゃねんだよ!」

 

 お互いに睨み合う。いや、睨んでいるのは横島だけだ。悠人は困惑した様子で、横島の表情を覗き込んだ。

 その表情は怒りと焦りに満ちている。

 余裕と言うものが一切感じられない危険な表情。

 

「横島、お前本当に頭を冷やせよ。いや、冷やし過ぎてるのか。なあ、お前を慕う可愛い女の子が苦しんでいるんだぞ。お前が助けないわけ無いだろ」

 

 穏やかに、落ち着くように悠人は言うが、その態度こそが余計に横島を苛立たせ苦しませる。

 過去の失敗を無理やりほじくられているような気分だった。

 

「馬鹿の考え休むに似たりだ。お前はただ女の為に戦えばいいと思うぞ」

 

 皆が皆、同じような言葉を吐くと横島は思った。

 思うがまま進みたい道に行けばよいと。貴方は馬鹿でよいと。それが横島らしいのだと。

 

 誰も、分かっていないのだ。

 

 そうして進んだ道が、愛する女を自らの手で殺す道になってしまった時の苦しみを。あの絶望を理解できる奴なんていない。

 横島らしくない、などと無責任に批判して無理やり横島らしい選択をさせるつもりか。

 好き放題言って、また俺に女を殺させるつもりか。そうしてお前だけ大切な者を守ろうというのか。

 凄まじい怒りと妬みが横島に生まれ、悠人に向かう。

 

「うるさい! お前に何が分かるんだよ!」

 

「いや、何が分かるかって言われても……お前が女の為に力を発揮するのは分かってるぞ」

 

「うるさいうるさいうるさいうるさい! お前なんかに俺の気持ちが分かってたまるか!」

 

 ここで始めて悠人は自覚した。

 横島忠夫という男が、どれほど高嶺悠人をねたみ羨んでいたかを。

 その心に、それだけの捩れと歪みを持っていたのかを。

 

 横島にかける言葉が見つからない。そもそも、横島が何を言いたいのか悠人には良く分からなかった。

 世界の為に友達を殺そうと言うわけでもなく、かと言って友達の為にその身を捧げるわけでもなく、世界をどうでも良いと言うわけでもない。

 

 横島忠夫は何を言いたいのか。何をしたいのか。まるで見えてこない。

 当然である。横島本人すら、自分が何をしたいのか理解できていないのだから。

 

『見苦しい餓鬼め』

 

 『求め』の声が脳内に響く。

 確かにと、悠人も頷く。今の横島は、あれも嫌これも嫌と駄々を捏ねる子供でしかない。

 悩んでいるなら友人として相談に乗るが、この様子ではとても話し合いにはならないだろう。悠人自身、自分が口下手であると自覚もある。時間を置けば落ち着くかもしれないが、戦いは目前だ。早く横島を、いつもの横島に戻さなければならない。

 

 ならば、手は一つだ。

 

「横島、神剣を握れ」

 

「は、何だよ」

 

「簡単な賭けをするぞ。俺とここで戦え。それで、勝った方の言う事をなんでも聞くんだ。俺は当然、仲間を全員生かして、今日子達を助ける為に全力を尽くせとお前に言う。お前が勝ったら……まあありえないんだけどな。お前の好きなようにすればいいさ」

 

 横島はポカンと口を開けた。

 当然だ。明日明後日には決戦だというのに、いきなり決闘を申し込まれたら呆れるほかない。

 

「意味分からん。んなアホらしいことするわけねえだろ」

 

「逃げるのか。じゃあ、お前の負けだ。俺の勝ちだな」

 

「……ふざけんなよ。俺がお前なんかに負けるか!」

 

 あっさりと横島は挑発に乗った。

 悠人は本気で顔をしかめる。

 

 こんなくだらない挑発に乗るなど、今の横島は異常だ。同時に本気でもある。これほどまで悩み苦しんでいる横島を見るのは初めてだった。

 悠人も覚悟を決める。全身全霊をかけて横島とぶつかり合わなければと。

 

「まさかこんな事になるなんてな。まあ、いいさ。一度ぐらいは勝っておきたかったし。それじゃあいくぞ横島!

 神剣の力……すべて引き出してやる!! 希望を繋ぐ力をここに……エターナル!!」

 

 詠唱と共に、悠人の手から緑色の魔法陣が生まれ、クルクルと回転しながら徐々に巨大になっていく。

 そこから金色のオーラが溢れて悠人を包み込んでいった。

 

「なんだよ、これ」

 

『……信じられぬ。このオーラは』

 

 横島は呆然と呟き、『天秤』は低く呻いた。

 巨大な緑色の魔法陣から現れた金色のオーラは、通常のオーラを一線も二線も越えていた。

 悠人が得意とする身体強化魔法の一種だろうが、今までとはあらゆる面で桁が違う。膨大すぎるオーラ。いや、これはただ強力なだけではない。

 命の輝き、人の煌き、希望の灯火。聖なるかな聖なるかな聖なるかな。

 圧倒的な光輝がそこにあった。

 

『横島よ、これは凡庸な神剣魔法ではないぞ。マナを多種多様なオーラに変えるのが神剣魔法と呼ばれるものだが、これはそうではない。次元の壁をこじ開けて別世界からオーラを呼び出す魔法だ。

 しかもこのオーラは永遠を冠するもの……オーラの中でも最高峰に位置する……究極と呼ばれるものだ。第四位の神剣で扱えるとは。それも神剣を手にとって二年足らずで……なんという』

 

 驚愕。感心。呆れ。『天秤』の声には驚きと共に恐怖すら込められている。

 横島は唇を噛んだ。『天秤』の称賛の声が妙に悔しく、悠人の癖に生意気だぞ、というジャイアニズムが膨れ上がってくる。

 

 頭は警鐘をならしていた。今の悠人と戦ってはいけない。戦うのなら、逃げて、嵌めて、ありとあらゆる奇策鬼道を打っていかなければならない。

 だがそれの意味する所は、まともに戦ったら悠人には勝てないと認めることであった。

 

「アホ! 戦いは明日か明後日だぞ! ここで力使い果たしてどうすんじゃ! それでも隊長かっつーの!?」

 

「その答えはこうだな。多少、俺の力が弱まろうと、お前が捻くれてしょげているほうがよっぽど問題だからだ。俺とお前が手を組めばきっと何とかなるさ!」

 

 熱血と友情。

 悠人から溢れんばかりの熱気が放出されて、横島は暑苦しさに後ずさる

 

「俺達なら、やれる! 一人じゃ無理でも、俺とお前と皆と、全員で協力し合えば……絶対に助けられる!」

 

 仲間に頼る。

 個として最強クラスの力を持った悠人が出した結論がこれだった。

 暑苦しさと青臭さを真正面から叩きつけられた横島は声を失くしていたが、『天秤』は横島以上に驚愕していた。

 

 ――――まさか、本当にこうなるとはな。

 

 実を言うと、この砂漠で横島が誰かと戦いになることを上司に聞かされていたのだ。

 そして横島は戦いに敗れる。

 それが運命だと、上司は言った。どうしたって変えられない確定事項だとも言った。別になんら細工なしでそうなるのだと。敗北が計画にとってプラスになると上司は満足そうに語った。

 

 気に食わない。いくら計画の内とはいえ横島が悠人に負ける姿など見たくない。

 これが素直な『天秤』の気持ちだ。

 

『主、悠人を倒すぞ! あの男はどんな難関でも『最後にはどうにかなる』と高を括っている。私には、それが思い上がりに見える。奴を倒し、どうにもならないことがこの世にあると教えてやれ!!』

 

 これは『天秤』の本心だった。

 『天秤』は知っている。どうにもならない事は絶対にあるのだ。

 

(無理よ。勝てないわ)

 

 『天秤』にだけ聞こえるルシオラの声が響く。

 ルシオラも上司と同じく横島の負けを確信しているらしい。

 

(ねえ、気づいてないの?

 貴方はどうにもならない運命があるのを悠人さんに教えるつもりらしいけど、そもそも運命を変えようとしているのは貴方じゃない)

 

『黙れ! 横島、私の力を限界まで使え!! そして、悠人を倒すのだ!!』

 

 『天秤』の激が飛んで、横島は無言で神剣の力を限界まで引き出す。

 負けたくない。横島も悠人に対して混沌とした思いを抱きつつも、それだけは確かだった。

 横島と『天秤』の思いは重なり、シンクロして強力な加護を引き出していく。

 強大な力を得ていく横島に、『天秤』は満ち足りた思いを得る。

 

(この戦いに勝てば、何かが変わる。『法王』様は決してこの戦いでは勝てぬと言った。運命とすら言った。ならば私が全力で逆らっても良いだろう!)

 

 横島が勝てば何か変わる。

 良くも悪くも、敷かれたレールを外れるだろう。

 

 そう、この戦いは。

 

 

 

 永遠の煩悩者 第三十二話

 

 運命を変える為の、宿命の戦い

 

 

 

 

 

 月明かりの下。身震いするほどの寒さの中で二人の男は剣を構え対峙する。

 悠人は正道である正眼の構え。対する横島は右手に神剣を、左手には何も持たずぶらぶらさせる我流だ。

 訓練では何度と無く剣を合わせてきた二人だが、このように野試合での真剣勝負は初めてだった。いつもなら横島が自由奔放に動き回りながら悠人に多彩な攻撃を仕掛け、悠人は耐えながら隙を見つけようとするのがいつものパターンだ。

 だが、今回は違う。横島は戦うわけでも逃げるわけでもなく、短く息を発しながら悠人を凝視していた。悠人から発せられる圧力は斉天大聖にすら匹敵し、軽々しく動くなど出来やしない。

 

 先手は悠人が取った。

 金色のオーラを陽炎の如く纏って、周囲の空間を歪めながら横島に向かって一直線に駆ける。

 

 早いなんてものではない。横島ですら残像を追うのが精一杯だ。超音速なんてレベルを遥かに超えている。

 まともに打ち合うのは不可能と判断した横島は即座に空へと移動した。そのまま足裏にサイキックソーサーを作り出し、空中に固定する。

 どれだけ高速で動けても悠人は飛べない。神剣魔法による攻撃も広範囲攻撃は存在せず、ただ一直線のビームだけ。避けるのは造作もない。空ならば安全だ。

 

 だが、悠人も横島が空に逃げるのは織り込み済みだったらしい。迷いもなく詠唱を開始する。

 横島が目を見張った。信じられないほどのオーラが瞬く間に組みあがっていく。

 魔法陣の種類から判断するに、悠人が唯一使える攻撃魔法であるオーラフォトンビームだ。

 いつもなら距離さえおけば避けるのは容易い。そう、いつもなら。

 

「くそ、マジかよ!」

 

 どれだけ空中を駆けようと、悠人と常に目が合ってしまう。完全に捕捉されていた。どうやら反射神経や動体視力も大きく向上しているらしい。

 回避が難しいのなら防御しかない。だけれども悠人が放つ魔法は防御型の障壁も反射型の障壁も、全てを貫いてくるだろう。

 ならば。

 

「いくぞ、横島! オーラフォトン……ビーム――――

 

 魔方陣から光弾が放たれる――――直前に、横島は魂を操り空間を跳躍した。

 流石にこれなら回避できると考えたのだが、テレポートした横島は眼前の光景に目を剥く。

 

「ムムゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 

 なんと、悠人は魔方陣に手を突っ込んで発射されようとする光弾を押さえつけていた。

 そして横島が空間に出現すると、光に手を焼かれながらもオーバースローで思い切り投げつける。横島はテレポート直後で動けない。

 

「ひぃ!」

 

 防御も出来ず、食らえば死ぬ一撃に横島は死を覚悟したが、

 

 スポ~ン。

 

 光弾はまるで見当違いのほうに飛んでいった。

 筋力や動体視力とコントロールは比例しないという一例だ。

 基本的に悠人は不器用なのである。

 

「ノーコンやな~」

「くそ! もっと真面目に体育をやってりゃよかった!」 

「ピッチャーノーコン、ピッチャーノーコン」

「……だったらデッドボールかましてやるよ!!」

 

 横島に煽られ、こうなればもう一球と悠人は詠唱を開始する。

 冗談では無いと、横島は空中を蹴って地面に飛んだ。今、悠人の視界に入ってはいけない。防御や回避ではなく、身を隠して撃たせない状況を作るべきである。

 

 横島は地面に着地する。すると待ってましたとばかりに悠人が突撃してくる。だけど、それは横島が読んでいた。

 空中からの勢いそのままに地に潜る、潜る、潜る。

 サイキックソーサをドリルのように回転させて、土を掘り、深い地中に身を隠す。さらに栄光の手を利用して神剣を身から遠ざけて的を絞らせないようにした。

 

 悠人の使った強化魔法が切れるまで身を隠す。

 それが横島と『天秤』が出した答えだった。

 

 やはり横島はとんでもないと、改めて悠人は思う。

 テレポートもそうだが、地面に潜り気配を分散するなど、悠人にはひっくり返っても出来はしないだろう。

 文珠など使用しなくても使える戦術の幅は桁違いだ。だけれども、悠人は横島の異常を実感していた。

 

「中途半端だな」

 

 逃げるのならもっと遠くに逃げれば良いのだ。

 これは訓練でもなんでもない、ただの喧嘩。本当に手段を問わないのなら、強化魔法が尽きるまで逃げ続ければよい。

 だというのに中途半端に手の届く位置にいる。逃げるわけでもなく、戦うわけもでもない。

 

 どっちつかずの戦術に、悠人は横島の迷いを感じた。

 今の横島に負けることは無いと確信を持つ。

 

 地面に『求め』を突き刺して、オーラを練りこみ、地中に送り込む。

 普段の戦いなら横島がいやらしく攻撃してくるから力を練れず戦いづらいが、今のように逃げも攻めをしてこない中途半端な戦術はパワーファイターにとって非常に楽だった。

 

 地面の中をオーラの白い稲妻が走る。

 稲妻は地中深くにいた横島の近辺にまで到達した。無論、広い地中で気配を分散していた横島には直撃せず無傷だ。

 だが、この攻撃はここからが本命である。

 

「エクスゥゥゥプロ―――ド!!」

「ユート様! なにをやっ……きゃああああ!!」

 

 大地が揺れ、発光し、爆発した。

 地中深くで爆発したにも関わらず悠人が立っていた地面も爆裂して、彼自身も思い切り吹き飛ばされる。

 数百メートルも吹き飛ばされて、起き上がった悠人が目にしたのは暗黒の穴だった。

 

「まさかここまで威力があるなんてな」

 

 目の前に広がる光景に悠人も青ざめた。大地にクレーターのような穴がぽっかりと空いていた。

 ここまでならスピリットにも出来る。しかし、悠人の作り出した穴は底が見えない。

 人を止めた実感はあったが、まさかここまでとは思わなかった。

 

 そして気づく。周囲に金色のマナが漂っていた。

 間違いなく、横島の肉体を構成していたものだろう。

 

「oh……殺っちまったZE!」

 

 現実から逃避するようにヒップホップ調に言う。

 しばし瞠目して、

 

「え、エスペリアーー!! 蘇生魔法----!!」

 

 この場にいないエスペリアの名を呼んで、慌てて彼女を呼ぼうと駆けだす。正にその瞬間だった。

 漂っていた金色のマナが悠人の背後に集まって人の形を成した。悠人が異変に気付いた時にはもう遅い。振り返って目に映ったのは、神剣を振りかざす横島だった。灼熱が左肩から右脇腹に抜けていく。

 鮮やかな鮮血を撒き散らしながら、悠人は大地に沈んだ。それを見下ろすは、バンダナの青年。

 

「どうだ! 俺の勝ちだ!!」

 

『ふっ、私が出した咄嗟の指示があってこそだがな』

 

「咄嗟すぎただろうが。俺の詠唱速度があったからだろ」

 

 二人は互いに自分を称賛する。

 あの時、オーラの稲妻が地中に潜り込んできて事態を悟った『天秤』は即座にある魔法の指示を出した。

 

 ゴーストタイプ。

 

 横島が新たに作り出したオリジナルの新魔法だ。

 『魂だけの状態を維持する事により、ありとあらゆる攻撃を無効化する』というトンでも魔法である。

 

 こう言えば強力な魔法に聞こえるだろうが、実は決定的な欠点がある。

 ありとあらゆる攻撃を無効化するものの、ブルースピリットの基本スキルである魔法打消し魔法であっさり打ち消される。打ち消されたら、即死だ。

 ではブルースピリットがいなければ有効かというと、それも違う。

 効果時間は短く、さらに復活の瞬間が分かりやすい。悠人がもう少し注意深かったら倒されていたのは横島だった。

 横島が覚える魔法は、基本的にピーキーで使いどころが難しいのが多い。なんとも彼らしいと言えるだろう。

 

 

 何はともあれ横島は勝った。

 倒れ伏す悠人の姿を横島は満足そう見下ろしたが、突如として体を震わせる。

 

 勝った。勝ってしまった。

 世界と仲間の両方を救おうとした者を倒してしまった。

 これからどうなってしまうのか。

 

 ガチガチと歯が音を鳴らす。

 例え様もない程の恐怖が全身に立ち上ってきたが、

 

 ガブリ!!

 

 ふくらはぎに噛み付かれたかのような痛みが走る、というか噛み付かれていた。

 まるでゾンビの如く噛み付き攻撃を仕掛けてきた悠人を慌てて振り払う。

 

 見れば袈裟懸けに切り裂いたはずの傷が、綺麗さっぱりと治っていた。あのエターナルという魔法の効果だろう。

 だが、それで魔法の効果は切れたらしい。体力もかなり落ちているようだ。

 

「死んだふりかよ! そんな卑怯な戦法で情けなくないのかっつーの!?」

「お前が言うなよ! まったく、無駄な抵抗しやがって」

「状況分かってんのかよ……あの馬鹿みたいな強力な魔法は時間切れ。お前の負けだ」

「この勝負は俺の勝ちさ」

 

 悠人はなおも自分の勝利を疑わず、横島を挑発する。

 凄まじい攻防だったが、結局ダメージを多く受けたのは悠人だ。最強のオーラによる強化も時間切れで、悠人の勝ち目は減っただろう。

 だが、それでも。

 

「横島、お前が強いのはな煩悩があるからだ。女を捨てて、お前が勝てる訳ないだろ」

 

 それでもなお、悠人は自分が負けるとは微塵も思っていなかった。いや、正確に言えば、横島が勝てるとは思えないと言うのが正しい。

 確固たる悠人の言葉に横島は圧されたが、すぐに眉を怒らせて憤怒の面を作り上げる。

 

「うっさいわぁ! 何も知らんくせに! 俺が世界を救った時はな、女を捨ててたぞ。アイツとの約束を守る為に、アイツを殺した!! そして、俺は勝ったんだ! 約束を果たしたんだ!

 ははは、俺は世界を救った英雄様だぞ……無理なもんは無理。それを分からせてやるよ!」

 

 顔を真っ赤に染め上げて、喉から血を吐かんばかりに怒鳴り、嘆き、笑い散らす横島に、悠人は憐憫の情を持った。横島の過去に何があったか、ある程度は察した。どうしてここまで妬まれているのかも、うっすらと理解できた。

 この煩悩塗れの男が、『それ』を決断したときに、いったいどれほどの苦悩があったのか想像することすら出来ない。

 踏み込んでは行けない所に踏み込んでしまったか。少し後悔して、すぐに思い直す。

 

 ――――いや、俺はラキオスの隊長として、なによりこいつの友人として、踏み込まないわけには行かない!

 

 ただ可哀想と慰めて何になるというのか。

 普通の友達同士ならそれも良いかもしれない。だが、横島はこの不条理な世界で戦う戦友だ。向こうがどう思っているかはしらないが、これで親友とすら思っていた。

 言いたいことは全部言って、どれだけ傷ついてもぶつかり合ってやると心に決める。

 

「そうか……でも、その時はその時。今は今だ。無理かどうかは……運命が決まっているのかどうかは、事が済んでから判断するしかないだろ」

 

「済んでからじゃ遅いんだよ! このアホが!!」

 

 失ったことが無いから言えるのだ、と血を吐く様に横島は叫ぶ。

 悲痛そのものと言える横島の咆哮に悠人も覚悟を決めた。

 

 横島が仲間を、女性を諦めるなんてことはあってたまるか。冷静で冷徹になった横島なんて、誰も見たくないに決まっている。こいつは馬鹿である必要があるんだ!

 次の戦いに備えてなんて言ってられない。ここで全精力をつぎ込んででも、横島を倒す!

 

「おい馬鹿剣、力を貸せ。横島をいつものアホに戻す力を!」

 

『これ以上、力を引き出せば過去最高の干渉が可能となるぞ』

 

「ああ、分かった」

 

『ほう、分かっているか。ようやく契約に基づきスピリットを犯し壊す気になったようだな」

 

「悪い、その契約は踏み倒すぞ」

 

『踏み倒す気か契約者!!』

 

「ああ……どうせ瞬の『誓い』は壊してやるからいいだろ」

 

 唖然とする『求め』の気配が伝わってくる。

 これは相当キツイ干渉が来るか。できれば、戦闘中に干渉は勘弁して欲しいが。

 痛みに身構えた悠人だったが、

 

『……まったく、我はなんという馬鹿者と契約してしまったのだ』

 

 伝わってきた感情は、何故かそれほど悪いものではなかった。

 怒りを通り越したらしくどこか楽しげな雰囲気すら漂ってくる。

 

『いいだろう、そこまで言ったのだ。必ず『誓い』を破壊しろ。いいな!』

 

 『求め』から膨大な力が悠人に流れ込む。これならばと、悠人は全力で魔法の詠唱を開始した。巨大な魔方陣が構築され始める。

 それを見た横島は、全力で悠人へ走り出した。強力な範囲攻撃魔法が発動すると気づいたらしい。距離さえ潰せば、強力すぎる攻撃魔法は自爆してしまうから発動させられない。

 悠人は舌を巻いた。今発動させようとしているのは初めて使う神剣魔法だ。

 にも関わらず、横島は広範囲攻撃魔法と気づいて距離を潰そうとしている。動物的な直感の鋭さに、悠人は――――予定通りと笑みを作ってみせた。

 魔法陣が放つ光が増していく。悠人の狙いに気づいた横島はぐちゃぐちゃに顔を歪めた。

 

「こ、この熱血自爆バカがぁぁーー!!」

「さあ横島、我慢比べだ!! 俺と一緒に地獄を見やがれ! オーラフォトン……ノヴァアアアア!!」

「またですかぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 白熱が場に満ちた。

 青の魔法のようにエーテル振動の凍結ではない。

 緑の魔法のように自然の猛威でもない。

 赤の魔法のように焼き尽くすのでもない。

 黒の魔法のようにマナ構造を侵してくるのでもない。

 

 ただ純粋な破壊。全てを破壊する暴虐。

 まだ未完成であったが、だからこそ威力は集約せずに遥か広範囲まで及んだ。

 遠く離れたマロリガン首都からですら、空が輝くのを観測できるほどの光が二人を中心として巻き起こる。

 光が収まると、二人の男がその場で蹲っていた。

 

 ダメージはやや悠人の方が大きかった。

 横島は僅かに障壁を作り上げたが、悠人はもろに破壊の光を浴びたのだ。生きているのが不思議なぐらいだろう。

 それでも悠人は立ち上がった。半身を焼かれ左目は潰れ足は半ば炭化していたが、足首だけで立ち上がり右目は不屈の闘志に燃えていた。

 

「この程度の痛み、慣れっこなんだよ」

 

 毎度のように頭をくちゅくちゅされている悠人だ。痛みで倒れることは無い。

 対する横島は立ち上がった悠人を見て心底嫌そうな顔をする。何とか立ち上がろうとはしたが、凄まじい痛みが全身を駆け巡った。

 

 何でこんな暑苦しい男と殴り合うために立たなきゃいけないんだよ!

 

 聞こえてきた心の声に立ち上がる意思も気力も抜けていく。

 所詮、悠人が気に食わないから戦っただけだ。怒りであれ、憎しみであれ、何であれ。その感情のよりどころが男である以上、横島は立つ事が出来なかった。

 結局、彼自身が何をどう思おうと、男の意地や誇りがあっても、例え愛する女性を殺すことになってしまった過去があったとしても、女性が関わらない戦いでは彼は本来の力を発揮することは叶わない。

 

「俺の勝ちだな。従ってもらうぞ。絶対に女の子を助けるのを諦めないってな」

 

「……うるせーこのアホ。勝手にしろっつーの!」

 

 不満たらたらながら横島は敗北を認めた。悠人はやれやれと息を吐く。同時に血も吐いた。

 精根尽き果てたようにその場に倒れこむ。

 エスペリア達が何事かと走ってくるのが見えて、回復できると一安心した悠人だったが、ある事に気づいて顔を青くした。

 

 彼女達の服はボロボロで、エスペリアなんて頭がアフロになっていたのだ。

 そういえば戦いに集中していて気づかなかったが、何回か女性の声が聞こえてきたような気がする。そのたびに戦いの余波で吹き飛ばしていたのだろう。

 大事な決戦前に隊長同士の大喧嘩だ。しかも仲間を吹き飛ばして。一体どれほど怒られることになるのやら。まあ、横島のイジケを吹き飛ばしたのは後悔していないが。

 

 長い説教は仕方ないけれど、せめて黒くはならないでくれ。

 

 悠人は割と本気で恐怖しながら、エスペリアからの回復とお説教を待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 二人の戦いを見届けたルシオラと『天秤』の様子は対照的だった。

 ルシオラは喜色満面。『天秤』は魂魄抜けた様に呆然としている。

 

(やっぱりこうなったわね。流石、横島よ! 悠人さんも良い男ね……横島には勝てないけど)

 

 横島の内部でルシオラが軽く言った。

 『天秤』は、ただただ悲嘆する。

 

 結局、運命は変わらなかった!! 我らは敗れた!!

 

 何もかも予定通り。敷かれたレールの上から外れる事はかなわない。

 今回の戦いは、何の意志も力も介入していない。ただ、あるようにあっただけだ。

 

 なんという眼力か。『法王』様はこうなる事を予知していたのか。

 上司の読みの凄さに『天秤』は感嘆したが、読みが鋭すぎて不気味でもあった。横島と悠人とは訓練時何度も戦っている。それこそ百回千回と数えきれぬほど戦ってきた。その全てで横島は勝ってきた。なのにどうして今回負けたのか。

 あの『エターナル』という神剣魔法のせいだろうか。あの最強のオーラが勝敗をひっくり返したか。それとも新型の攻撃魔法のよるものか。

 否と『天秤』は考える。確かに今回の悠人は今までの中で一番強かっただろう。それでも横島が悠人に負けるとは思えない。

 確かに悠人は努力家で頑強な精神力を持ち、戦士の才能も十分にあるが、それだけである。

 対する横島は天才だ。鬼才だ。霊力を持ち高い身体能力に機転も利く。悠人が横島に勝るのは持久力ぐらいで、それ以外の全てで横島が勝っていたはずだ。

 しかも今回は横島に凄まじいほどの戦意があって、そこに自身が協力したのだ。負けるはずが無い。でも、負けた。

 

(ヨコシマがユートさんに負けたのは当然よ。それ以外の結果が生まれるわけないもの)

 

(どういうことだ。今まで何十何百と刃を合わせてきて全勝してきたというのに、どうしてこの戦いには負けるのだ!!)

 

(もう、仕方ないわね。一体これがどうして運命なのか、一から説明してあげるわ)

 

 コホンと咳払いをして、ルシオラは精神世界で眼鏡を身に着けた。

 

(題材は夜の女教師よ。それにしても夜って付けると何だかエッチィ響きがあるわね)

 

(何をふざけたことを……いいから説明しろ! 

 

(まず、ヨコシマがシロを助けるかどうか迷うこと。これは当然ね。エニの件だってあるし、今まで散々酷い目に合ってきたのだから、今回は上手く成功する、なんて楽観的に考えられるわけがない。ただでさえ、貴方の影響で何かを成すには犠牲が生まれるって強迫観念すらあるんですから)

 

 そこまでは『天秤』にも十分理解できた。確かに横島は馬鹿でアホだが、学習能力がないわけではない。迷うのは必然だろう。

 だが、一つ訂正しなければいけないことがあった。

 

『私は別に犠牲を強制しているわけではないぞ。結果的にそうなるというだけであって』

 

(……今はそれでいいわ。次に、迷うヨコシマを誰かが後押しに来る。誰が来るかは貴方の上司も分からなかったでしょうけど、でも絶対に誰か来るのは分かっていたはず。皆、ヨコシマの事が大好きで、悩んでる姿に活を入れたくなるのも当然だから。個人的に悠人さんが来たのは驚いたけど)

 

 横島がここで誰かと戦う。

 言われて見れば、確かに横島の経緯を踏まえれば必然――――運命かもしれない。

 そこまでは『天秤』も納得できた。だが、次が一番、重要な点だ。

 

(どうして横島は負けた。私が見る限り、戦闘力も戦意も相当なものだったはず)

 

(戦意の満ち溢れたヨコシマなんて強くてもどうってことないわよ。

 いつものヨコシマならエターナルって魔法が発動したら効果が切れるまで全力で逃げたでしょ……というか戦うわけがないじゃない)

 

(だ、だが横島は強い! それでも強い!! 馬鹿だが頭も良く才に満ち溢れているのだぞ)

 

(もう、話が噛み合わないわね。そういう問題じゃないの。

 ユートさんも言ってたでしょ。というか、ヨコシマを知る人は誰だって分かっていると思うわ。霊力とかマナとかそういう問題じゃないのよ。女の為に戦わないヨコシマが勝てると思う?)

 

 結局、それが全てだった。

 神剣や霊力など関係ない。かつて恋人であるルシオラを殺した時だって、あれはルシオラの尊厳と約束を守るための決断だった。

 今回のシロとタマモの件は、結局の所、ただ横島自身が心に傷を負いたくないという臆病な理由で、まったく女のためではない。

 

 かつて、美神は『煩悩の無い横島は霊力が足らずGSとして使い物にならない』と言った。

 それをもっと正確に言えば『女の為に戦わない横島は使い物にならない』という意味だ。これは、霊力の有無が問題なのではない。たとえ霊力無くても横島が本気で女のために戦えば笑いと奇跡を起こしてきたのは周知の事実なのだから。

 

 戦いにしろ、謀をするにしろ、基本的な原動力は女。

 たまに男の意地や勇気を見せ付けることもないわけでは無いが、やはり女の為に戦う時よりは遥かに劣る。

 どれだけ高スペックのマシンでも、動力が無ければポンコツなのと一緒だ。例え、霊力がどれだけあっても、女がいなければ横島はポンコツだろう。

 

(悔しいけど、貴方の上司は本当にヨコシマが好きなのね。だから、ヨコシマがヨコシマであるのを前提に道を作っている。女の為に戦う限り、運命は変えられないかもしれないわ)

 

 もしも横島が女の為に戦わなくなって、正義や職務などと言った理由で戦うようになったのなら運命は変わるだろう。

 しかしそれは横島忠夫がこの有限世界での敗北を意味する。

 だけど、彼女は信じているのだろう。横島はこの世界に負けない。どれだけ酷い目にあっても女の為に戦って高みに上り詰めるのだと。

 

 黒幕である幼女の真の目的。彼女の側近すらも真意に気づいていないだろう。

 いや、あるいは幼女自身すらも気づいていないのでは無いか。

 

(ほんと……大変な女の子ばかりに惚れられちゃうんだから)

 

 苦笑するように言うルシオラ。そんな彼女を『天秤』は傷ましそうに見る。

 

 横島の、シロとタマモの、そしてルシオラの未来はここに決まった。

 この先の未来を想い、『天秤』は覚悟と慈悲を決意するのだった。

 

 

 

 

 




 ルート確定。悠人ルート突入。
 永遠の童貞者ルート。天秤ルート。ルシオラルート。裏第二詰所ルート。ジェノサイドルート。GS美神ルート。
 そんな感じ……いや、やっぱり全然違うか。第二詰め所との絆が一番感じられるルートになります。
 悠人ルートが確定したので次回は15禁と18禁の両方を書くかも。ちょっとドキドキ。


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第三十三話 黄昏の約束

 18禁版も投稿。
 18歳以上でギャグとエロを見たい方は18禁版を強く推奨。
 別に18禁版を見なくても問題はありません。


 永遠の煩悩者 第三十三話

 

 黄昏の約束

 

 

 

 

 実に懐かしい光景が横島の目の前にあった。

 薄汚れた畳。煤けた壁。狭苦しい六畳一間。築何十年にもなるボロアパートの一室。

 見慣れた元自室だ。窓から夕日が差し込み、部屋を黄昏色に染めている。

 

 その中に、一つだけいつもと違う光景があった。

 潰れたせんべい布団。そこに見え隠れする細く白い足首と、小さな触覚。微かな寝息。

 

 ルシオラが寝ていた。

 

 ゴクリと生唾を飲み込む。もう夢だというのは分かっている。

 悠人との喧嘩が終わって、治療を受けてテントで横になって気づいたらこんな状態なのだ。夢以外に説明がつかない。意識はしっかりしているから、いわゆる明晰夢というものだ。

 夢の中で恋人が寝ている。自由に動ける。さあ、どうしたものか。

 

 答えなど決まっている。

 恋人と甘い言葉を交わしあう、などと言うリア充じみた戯言をほざく横島ではなかった。

 惚れた女が目の前にいるのだ。これはもうヤルしかないではないか。

 だけれども、今すぐルシオラを起こして淫夢をむさぼりつくすとはいかない。

 

(一発やろうとしても、どうせ「この変態がーー!!」とか言ってアイアンクローでもしてくるに決まってんじゃー!!)

 

 エロい夢など昔から何度も見てきた。だが、夢ですら想いを遂げられたことは無かった。

 雇用主などは、彼女のエロい夢を見ようとすると現実から夢の中にまで干渉してぶん殴ってくるという荒業すらこなしてくるのだ。

 それ以外でも、大抵は後一歩という所で邪魔が入るのがお約束である。

 

 ならば、取るべき道はひとつ。

 起きて抵抗される前にひん剥いて、一気に欲望を突っ込むのだ。

 もちろん、現実でやったら最低最悪だ。エロバカでもそれは分かる。だが、所詮ここは夢の中。夢の中ぐらい暴虐でもいいではないか。

 

「ぐふふふふ! 横島、いっきまーす!!」

 

 一気に飛び掛かる。空中で服を脱いで、パンツ一丁になるお約束付きだ。

 そのまま布団を引っぺがそうとして、空中でピタリと止まった。

 

「そういや、濡らさないと確かメチャクチャ痛いって話だよな」

 

 エロ知識だけなら、横島は広辞苑並みにある。気になったエロ単語は辞書を引いて、きちんとチェックマークを残す程の模範的なエロ生徒だった。

 良くあるAVのように、濡らさずに突っ込んですぐに気持ち良くなるなどはありえない。

 特に横島の巨根では高い可能性で裂傷して、酷ければ布団は血の海になるだろう。

 

 夢の中とはいえ久しぶりにルシオラに会えたのだ。痛い痛いと泣いているのを強引に組み伏せながら思いを遂げるというのは、やはり後味が悪い。

 とはいっても、エロいことはしたい。夢の中ぐらい、ルシオラを抱かせてくれと思う。

 

「むむむ!」

 

 頭と息子。理性と本能がぶつかり合う。そして、答えを出した。

 起こさないように前戯をして濡らし、起きそうになったら一気に挿入する。

 いわゆる睡姦と呼ばれるものだ。当然ながら、非常にマニアックである。

 押さえ込めないリピドーと、へたれのずれた優しさと、馬鹿が組み合わさった結果、到達した答えがこれだった。変態の面目躍如といえるだろう。

 

「横島、今度こそいっきまーす!」

 

 寝ているルシオラの足元までいくと、そのまま匍匐前進で布団の中に潜り込んでいく。

 ルシオラの寝巻はネクリジェとショーツだけという中々に扇情的な格好である。

 どちらも生地は薄く、凝視すればポッチも透けて見えるかもしれない。

 

(これはパンツではない。パンティーなのだ!!)

 

 心の中で熱くシャウトしながら、パンティーに手をかけた。

 これを脱がせば桃源郷への道が開かれる。少しだけ罪悪感がこみ上げてきたが、どうせ夢なのだからと罪悪感を無視した。

 栄光の手を生み出して、パンティーのサイド部分をそっと切った。

 

 

 そう、切った――――否。切ろうとした。

 なのに、どうしたことだろう。手が動かない。あと少しで未知の領域に突入できるというのに、どうしても手が動かないのだ。

 ここまできて怖気付いたのだろうか? いや、違う。

 純粋に手が動かないだけである。まるで麻酔をかけられたかのように感覚がない。

 

「ヨコシマは蛍の狩りを知ってる? 光を操り、麻酔をかけるの」

 

 愛しくも懐かしく声が耳を打つ。

 久々に声を聞けて嬉しいが、しかし今は全身が恐怖で震え上がった。

 気づけば、直下にいたルシオラの体が消えうせている。背後からは圧倒的な怒気。

 

「こんの……馬鹿ヨコシマーー!!」

 

「ちくしょーー!! やっぱりこうなるのかよーー!!」

 

 やはり最後はこうなるのか。

 泣きながらボカボカと叩いてくるルシオラに、横島も男泣きをしながらボコボコにされる。

 結局、お約束という運命からは逃れられない横島であった。

 

 

 

 

 互いにひとしきり泣いた後、二人はようやく落ち着きを取り戻した。

 横島はオチが付いたにも関わらず目が覚めないのが不思議であったが、まだエロの希望はあるのかと情熱を燃やす。

 その為にも、何とかルシオラの機嫌を良くする必要があった。

 横島は土下座でルシオラの機嫌を伺う。ルシオラはいつものスーツ姿になって仁王立ちで横島を見下ろしていた。

 

「で、ヨコシマ……何か言い訳はあるかしら……辞世の句ぐらい読ませてあげるわ」

 

「だってしゃあないだろ! 夢の中とはいえ、惚れた女が寝てるんだぞ! やらいでか!」

 

「そこは普通に起こしてからやりなさいよ! どうして睡姦に走るの!?」

 

「だって起こしてやらせろって言っても嫌がるだろ! 今だって怒ってるし!」

 

「やらせてあげたわよ! 私だってヨコシマが好きなのよ!」

 

「る、ルシオラーーーー!!」

 

 ぴょい~んと横島がルシオラに飛びつく。

 あ~はいはい、とルシオラは呆れた目つきで横島を見すめると、闘牛士の如く身をかわす。

 勢いよく壁にぶつかった横島の額から、噴水の如く血が噴出した。

 

「う、嘘つきーー!! やらせてあげるって、やらせてあげるって言ったくせにーー!!」

 

「前にも言ったけど空気を読みなさい!! やらせてあげるって言ったでしょ! 少しはお預けしてちょうだい! 犬だって出来るのよ!! 待て、お預け!!」

 

「俺は人間だぞ! 犬じゃないから待てなんてできるかい!!」

 

「ああもう! どうしてそんなにバカなの!?」

 

 やらせてあげると言ったのだ。だったら少しぐらい待って欲しいというのがルシオラの本音だ。だが、横島の、というよりも男の立場からすれば『やらせてくれると言うのなら、さっさとやらせてくれ』というのが本音である。

 男女の隔たりは、こういう辺りにも良く出るものだ。

 

「もう、分かったわ。ここは私が折れるわよ」

 

 やれやれと両手を上げたルシオラは、そのまま布団の上に倒れこんだ。

 

「さ、好きにして」

「好きに……つーと?」

「しましょ」

「マジか?」

「マジよ」

「本当か?」

「本当よ!」

「本当に本当か!?」

「本当に本当よ!!」

「そんなに俺にやってほしいのか!?」

「ねえ、ヨコシマ。今、どれだけ女に恥をかかせているか分かってる?」

 

 やろうやろうと、男に迫る淫乱な女にされてしまったルシオラは怒り心頭だ。

 それでも横島の目にはまだ疑いの光がある。飛び掛ったら、また息子を苛めるのでないか、という強い猜疑が渦巻いていた。

 

「ああ~もう!! どうしてここで怖気づくのよ!」

 

「んなこと言われたって……なあ」

 

 これが先ほど睡姦を仕掛けてきた男なのだろうか。

 据え膳食わぬにも程がある。非常に面倒くさくて情けない。

 だが、それも仕方ないことだろう。それだけ何度も何度もお預けを食らい、煮え湯を飲まされ続けてきたのだ。

 唐突にOKを貰っても、どうしても素直に信じることが出来ない。

 

「まったくもう、本当にしょうがない人ね」

 

 顔を赤くしてモジモジと立ち尽くす横島にルシオラはひたすら呆れる。

 だけれども、それを可愛いと思ってしまう辺りが、自分はこの男に完璧に惚れているのだろうとルシオラは自覚してした。

 

「ねえ、ヨコシマ。イチャイチャしましょ」

 

 恋仲の男女がするような、甘く楽しい時間を。

 本来なら二人の間に存在したはずの幸せな時間を過ごそうと、ルシオラは提案した。

 さっさとやりたいと思いつつも、結局は手が出せなかった横島はその提案を受け入れた。

 

 そこから先は、なんてことはない時間が続く。

 一緒に料理を作って、美味い不味いと食べあった。

 テレビをつけてくだらないバラエティ番組を見ながら、ひざ枕を堪能する。

 なんとはなしに手を握り、肩を寄せ合いながら、時には悪戯を仕掛けあう。

 若い恋人達に許された甘い時間を堪能した。

 

 最後に狭い布団の中で、二人は顔をくっ付け合いながら語り合う。

 話題は色々。食べ物の事だったり、将来の夢だったり、割とくだらないことばかり。

 笑いあいながら、ふざけあいながら、おっかなびっくりお互いに体を触りあった。

 

 全てをさらけ出した後は、ひたすら交じり合い、溶け合い、二人は一体となった。

 愛と欲が交錯する一つの肉塊になって蠢きあう。

 親愛でも肉欲でもない。愛欲の中に二人はどこまでも落ちていった。

 

 

 

 一人で寝るのがギリギリの煎餅布団に、一組の男女が包まっていた。

 男は女を守るよう包み込むように抱いていて、女は男の胸に顔を押し付けている。

 そこには甘く、艶やかで、淫らな匂いが満ちていた。

 どれだけ愛情があろうと、親子、兄妹、親友では出せない、心と体が両方とも繋がり合ったからこそ放出できる匂いである。

 男は女の黒髪を愛おしそうになでながら耳元でささやく。

 

「なあ、約束しないか」

 

「どんな約束?」

 

 男の言葉に、女は目を輝かせて問いかける。

 心を震わせるピロートークを期待していた。

 

「次に会った時は……どんなエッチをする痛あ!?」

 

「どうしてそっち方面にいっちゃうの!? あんだけやったでしょ! ここからは砂糖を吐かせるようなピロートークが主題でしょ」

 

「俺にそんなの期待すんなよ」

 

「もー。ほんとにエッチなんだから」

 

 横島の二の腕をつねったルシオラは、呆れたように溜息を吐く。

 根本的にエッチでお馬鹿な横島相手に色気のある会話は難しい。

 だけれども、その顔には隠しきれない充足があった。確かに甘い会話ではないが、こうして惚れた男とお馬鹿な会話をするだけで十分に嬉しいのだ。

 

 その様子を見て取った横島は少し真面目な顔で考え込んだ。

 ルシオラが十分に楽しんでくれているのは分かる。だけれども、男としてはもっともっと喜ばせてやりたいと思った。惚れた女に格好良い所を見せてやりたいという見栄が出る。

 

「え~い、分かった! 砂糖を吐かせるようなピロートークをやってやるぞ!」

 

「は~い。頑張って~」

 

 期待してないのが丸分かりなルシオラの応援に、横島は逆に奮起する。

 色々と臭い言葉を考えたが、ここは心のまま素直に言葉を紡ぐと決めた。

 

「約束だ! 俺は絶対にお前を幸せにする!!」

 

 圧倒的な決意が横島の瞳に宿っていた。

 決意の瞳を注ぎ込まれたルシオラは言葉を失くす。横島は続ける。

 

「あの時、俺は『アシュタロスは俺が倒す』って約束したよな。あれ、後悔してんだ」

 

 ルシオラを助ける為にアシュタロスを倒す必要があったから、そう約束した。あくまでも、ルシオラを助けるためである。彼女が助かるなら、別にアシュタロスが生きていようが死んでいようがどちらでも良かったはずなのだ。

 にも関わらず、あの時はアシュタロスを倒すと約束してしまった。その約束は果たせたのが救いであったが、しかしルシオラを失っては意味が無い。

 だから今度こそ、ルシオラを幸せにすると宣言したのである。

 

「俺は惚れた女との約束は絶対に守る。死んでも守ってみせる。だから安心してくれ。ルシオラ……お前は俺が幸せにする」

 

 子供として転生したのなら、父親の立場で幸せにする。

 もし子供として転生できなかったのなら、自身の魂を弄繰り回してでもルシオラを転生させて、来世まで追いかけて恋人として幸せにする。

 

 それは横島忠夫という男の誓いだった。

 

「何度でも言うぞ。俺は絶対にお前を幸せにする!

 俺は俺の煩悩パワーを信じる! ルシオラ……俺を信じてくれ!!」

 

「ヨコシマ……ああ、ヨコシマ」

 

 ルシオラは声にならない小さな喘ぎ声を上げながら横島の胸に顔を押し付けた。

 

 感極まって泣いているのだろう。

 誰が見てもそう思うに違いない。横島も、胸に収まり小刻みに震えるルシオラを見てそう思った。

 

「ダメなの……その約束だけは……出来ないの」

 

 横島の胸の中で、ルシオラは約束を拒絶した。

 だけど、その言葉は横島に聞こえないように小さく呟いただけ。

 拒絶に気づかぬまま横島はルシオラを愛おしそうに抱きしめて、

 

「ねえ、ヨコシマ。どうして私のお尻を撫で回すのかしら?」

 

「いや……その……いい空気になったから……もう一度どうかな~って」

 

「こんの、エロ馬鹿ーー!!」

 

 ルシオラは横島を担ぎ上げると、そのまま窓に思い切り分投げる。

 横島は、ルシオラが俯いていたため、どういう表情をしているか見る事はできなかった。

 きっと嬉し恥ずかし笑顔を浮かべているのだろうと、彼は信じた。

 

「ルシオラー! 愛してるぞーー!! また愛しあおうなーーーー!!!!」

 

 呆れるような、同時に心をほっとさせるような能天気な横島の叫びが木霊する。

 そして、奇跡の出会いは終わった。

 

 横島の部屋は消え去って、世界は暗黒に包まれる。

 暗い闇に一人立ち尽くすルシオラに、一本の剣が近づいていった。

 

『終わったか』

 

 現れた『天秤』を、ルシオラは射殺すような目つきで睨みつける。その目からは涙が止め処なく流れ続けていた。

 

「『天秤』、私は始めて本気であなたを憎いと感じたわ」

 

『……そうか。だが、約束したのは貴様自身だろう……私はただ』

 

「これが慈悲とでも言いたいつもり? 少しでも罪悪感を減らしたいのかしら」

 

 言われて、『天秤』は沈黙した。

 この精神世界に横島を呼び寄せ、ルシオラと邂逅させたのは言うまでも無く『天秤』だった。それも、上司から指示を受けた言うわけではなく、独断で二人を合わせたのである。

 

 『天秤』は何も言わない。

 沈黙した『天秤』をルシオラは目を細めて睨みつけたが、最後に肩を落とした。

 誰がなんと言おうと、約束を拒否できなかったのは自分自身なのだ。

 責任は自分自身にある。

 

「仕方がないわ。もう、仕方がないのよ……仕方ないじゃない」

 

 ルシオラは言い訳するように繰り替えす。

 

 約束。

 これだけはするべきではなかった。横島に聞こえるように拒絶するべきだった。

 『ヨコシマに幸せにしてもらわなくても良い』と言わなければならなかった。だというのに。

 

「拒絶できるわけないでしょ! 出来るわけない……ないのよ!!」

 

 だけど、出来るわけがないだろう。惚れた男が、最高の男が、瞳を燃やして幸せにするといってくれたのだ。それを拒絶できる女がどこにいるというのだ。

 

「愛してるのよ! 愛されてるのよ! 誰よりも……私達は愛し合っているの!!」

 

 ルシオラが血を吐くように、声を荒げて叫ぶ。

 楽しくて、暖かくて、もの凄く馬鹿で呆れることもあるけれど、こんなにも胸を弾ませる男が他にいるか。

 こんなにも格好悪くて、格好良い、煩悩男が他にいてたまるか。

 

 幸せになりたい。

 幸せにしてあげたい。

 だけど、

 

「もう、どうしたらいいのよ」

 

 敵の思惑は分かっている。

 奇跡が起きなければ地獄だ。

 だけど奇跡が起きれば――――起きてしまうという事は。

 

「永遠神剣……奇跡の剣め! 貴方達みたいのがいるから!」

 

 罵倒に、『天秤』は何も言わない。

 圧倒的な能力を持った、不可能を可能にする奇跡の剣。それを『天秤』自身は誇りとしてきたが、それが必ずしも幸いであるとは限らないと、彼も理解し始めているのだ。

 

 ルシオラは考える。

 どうすればハッピーエンドを迎えられるのか。

 答えそのものは簡単だ。

 

 セリアやハリオンといった愛を語らえる女性達。

 悠人やルルーといった信頼できる仲間達。

 

 現実で横島を支える人たちは沢山いる。

 強く現実の中で生きている横島は、どれだけ打ちのめされ叩き潰されても、きっと立ち上がり幸せな生活を送れるはずだ。

 

 だけれども、もし彼女達が横島を支えられなかったら。

 横島が幸せに妥協をしなかったなら。

 人知の及ばぬ奇跡を求めてしまったなら。

 

 彼は誰にも手を伸ばせないほど天高く飛翔するだろう。

 それは、誰の手も届かないほど墜ちるというに等しい。

 ハッピーエンドもバッドエンドも失われて、果ての道へ突き進むのみ。

 

「ヨコシマ……過去や未来に目を向けすぎないで。貴方は愛し愛される人。どうか現実で幸せに」

 

 愛しき人に幸運を。

 

 蛍は最後の祈りを捧げて、闇にとけていった。

 

 




 この話を書く必要ないのでは、と思う人も多いかもしれないですが、非常に重要な話です。わざわざ18禁版を書いたのは相応の理由があります。18禁版を書くと減るとも言われたけど、それでも書かないわけにはいかない大切な話です。

 とにかく、横島とルシオラが記憶に残るエッチをしたと分かればOK。良ければ18禁verも見てください。18禁の方がなんと言うか……言いにくいのですが出来たら18禁ver推奨です。勿論、見なくても大丈夫です。

 次回はシロ達との最終決戦。
 永遠のアセリアという作品の根源とも言うべきお話。


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第三十四話 勇者と英雄

 永遠の煩悩者 第三十四話

 

 勇者と英雄

 

 

 

 

 エクの月 緑みっつの日

 

 大陸そのものを破壊しかねないマロリガンの暴走を止めるべく、横島達は砂漠を超えてマロリガン首都に向かって歩を進めていた。

 道中、横島と悠人の喧嘩や、破廉恥な横島の起床により僅かに遅れは出ていたが、それでも問題無しといえる速度で首都に迫る。

 とはいえ、いくら音速を遥かに超える速度が出せるといっても体力はそれほどでもないのが肉体がマナで構成された者の特徴だ。休憩は必須。出来ればマナの満ちた都市で休むのが望ましい。

 

 そこで道中のマロリガン都市の一つであるミエーユで横島辺りが補給物資を購入し、情報を集めて休憩しようという計画があった。敵の妨害も考えられたが、どうせ降伏が出来ないスピリットは全て排除しなくては前に進めないのだから気にする必要はない。

 

 だが、悠人達は都市付近で立ち尽くしていた。

 敵の防備が想像を超えていたから、ではない。敵スピリットは一人も存在しなかった。

 代わりに立ちはだかったのは石壁ならぬ人壁である。

 

「おい! 早く前に進め!!」

「子供がいなくなったんです! 誰か探して!!」

「いやだ、死にたくない死にたくない」

「食い物の店は襲え! 砂漠を越えてラキオスに!」

 

 狂騒。狂乱。正にパニックと言うに相応しい。都市の周りを塀に囲まれた城塞都市であるため、出入り口のある狭い門には人が多くひしめき合っている。誰もが少しでもマロリガン首都から離れようと必死なのだ。パニックの原因は言うまでもなく、首都でマナ消失爆発が起きて、周辺都市も壊滅的被害を受けると伝わっていたからだ。

 

 しかも、この都市を統括する市長や上級軍人がシロ達に殺害されてしまい、この混乱を収める立場の者がいないのも問題だ。混乱が収まるのは期待できないだろう。

 まあ、この市長とやらは大統領の暴走を耳にすると自身だけ早々に逃げ出そうとして、そこを呆れ顔のシロ達に討たれたので、いても混乱に拍車をかけるだけだったのだが。この事件は喧伝されて市民の怒りと混乱は絶頂に達している。

 

 エスペリアは恐慌に陥っている人々を痛ましそうに見つめたが、副官としての立場から平静を装った言葉で悠人に発言する。

 

「これではとても情報は集められそうにありませんね。食料もやめておいた方が無難でしょう。下手に暴動に巻き込まれたら面倒事になりかねません」

 

 スピリットは人間には手が出せない。暴徒の鎮圧も治安維持も出来ないのだ。

 一部の例外はあるようだが、これは大原則だ。もし人間の暴徒に囲まれたらスピリットはどうなるのか、まったく予想が付かない。神剣の力が使えなかったら暴行を受けるだろうし、神剣の力が使えれば撫でただけで人間のミンチが出来上がる。

 

「この状況を放っておくのか!?」

 

 当然ながら悠人は難色を示した。死人も出ているだろう暴動を素知らぬ顔で見過ごせるほど悠人は冷血漢ではない。

 エスペリアはそんな悠人を誇らしく思いながらも、言葉は断固としていた。

 

「ユート様、治安回復は私達の仕事ではないのです。下手に手を出せば混乱を助長するだけでしょう。戦後処理にも悪影響の恐れがあります。私達は姿そのものを見られないほうが良いと考えます」

 

 正論だ。悠人もそれは分かる。

 優先順位を考えろ。デメリットが大きすぎる。隊長として合理的な判断をしろ。

 上に立つべきものとしての責任が悠人に絡みつく。

 

 先日、横島にシロとタマモの件を諦めるなと不合理な判断を下した時もあったが、あれは相手が横島だったからこそだ。

 ただ自身の感情のみを優先するほど、悠人はバカでも子供でもない。

 歯を食いしばる悠人。その目に、一つの光景が飛び込んでくる。

 

「邪魔だ、ガキ共!」

 

「うあ!」

 

 まだ幼い兄妹が大男に突き飛ばされて地べたに転がった。

 妹は足を怪我したのか立ち上がれず、兄は妹を慰め守ろうとするがどうにもならず、泣きながら親の名を呼ぶ。

 親を亡くし、遺産目当ての親族に振り回された過去を思い出した悠人は大男を睨みつけた。

 

 大男は体格の良さを武器に門にひしめく群衆を押しのけて逃げようとしていた。

 だが、その大男も何百人もの人の濁流には逆らう事はできない。人海に飲まれ、押され、潰され、個人では抗えない力の流れに踏み潰されていく。

 

 いい気味だ、とは悠人には思えなかった。ただ空しさを覚え、同時に胸に火が付くのを感じた。

 横島に視線を送る。悠人の決意に満ちた眼に横島は嫌そうな顔をしたが、やるならさっさとやれと顎をしゃくった。

 次の瞬間、悠人は城壁の上に立ち、民衆を見下ろしていた。

 

「マロリガンの民よ、聞け!!」

 

 重厚な大喝が広範囲に渡って響く。

 悲鳴と怒声で埋め尽くされていた辺りを無音にするほどの、大一喝だ。

 

「俺は『求め』のユート! 既にこの町はラキオスに下った!!」

 

 悠人の名はマロリガンでも知られているらしく、誰もが目を丸くする。

 

「このうえは、早々に騒ぎを止め、沙汰があるまで粛々と元の生活に戻るが良い!」

 

 いけたかだかに悠人は言い放つ。

 完全に上からの言葉は民の怒りを誘うには十分だった。今回の自国の暴走は全てラキオスの所為ではないか。そんな考えすら湧き出てきた。

 男は石を投げつけようとして、女は罵声を浴びせかけようとする。

 悠人はそれを見ながら冷笑した。

 

「逆らうならば」

 

 冷たく、重く、鬼のような声を出しながら悠人は『求め』に力を送り込むと、天に向かって神剣を一振りする。

 

 目も眩むような光が刃となって曇天の空を切り裂いた。

 切り裂かれた雲の隙間から太陽の光が差し込み、薄闇に覆われていた辺りを照らす。

 民は言葉も無く、あんぐりと口を開けながら太陽の光を浴びた。

 

 超常の力を発揮させ、さらに偉丈夫である悠人の姿は映えに映えた。全身から白いオーラを放出させて髪を逆立てるその姿は魔神にすら見えた。

 悠人は『求め』の剣先を民に向ける。

 民は恐怖に引きつり、悲鳴をあげて逃げようとしたが、

 

「大統領の暴走は必ず止めます。皆さんはいつもの暮らしに戻ってください」

 

 その声は圧力がありながらも穏やかで、爆発しようとした恐怖を押さえつけるには十分なものだった。人々はうなだれる様に悠人に平伏する。この恐ろしい男を信じるしかないと理解させられたのだ。

 

「うう、ユート様……とても立派です!」

「見事と言うしかありません」

 

 威風堂々たる悠人の姿にエスペリアは感涙を流す。

 ウルカも驚嘆していた。圧倒的な武威を示し恐怖を与え、それが爆発しない程度に抑える。戦闘も逃走も許さない。これは中々できることではなかった。第三詰め所を力で纏めている経験が生きたのだろう。

 また、下手に長々と演説じみた真似をしなかったのも良い。口下手な悠人では、どこかでボロが出たに決まっているからだ。

 

 他のスピリット達も我らが隊長の勇姿に目を輝かせた。

 面白くないのは、当然だがこの男。

 悠人なんぞに負けてたまるかと立ち上がる。

 

「マロリガンの女の子達よ、聞けーい!」

 

 悠人に劣らない大音量で、しかしどこか力の抜ける声が辺りに響く。

 なんだなんだ、と辺りを見回すと、城壁の上にタキシードを着込んだ妙な男が立っている。妙に目がキラキラしていて、妙なポージングを決めていた。

 

「ふっ! 俺が『天秤』の横島だ!」

「あ、あれが!」

「エトランジェ・ヨコシマ!?」

「かの有名な変態!?」

 

 悠人と同じく、横島の名も有名らしい。どう有名なのかは言うまでも無いだろう。

 同じ城壁の上であるが、横島の方が悠人よりも頭一つ大きく見えた。なんと足元に何処からか見つけてきたミカン箱を足場にして、悠人よりも身長を大きく見せていたのだ。

 それを見た兵士はプッと思い切り噴出していた。

 

「女の子達はみ~んな俺が守ってやるぞ! さあ、俺の格好良い所を見るがよーい!」

 

 先の悠人と同じく、横島も『天秤』に力を入れて空に神剣を一振りする。

 光の塊がぐにょんぐにょんと形を変えて雲を吹き飛ばした。

 

 僕ヨコシマ! 現在、彼女募集中!

 

 アホな文が、日本語以上に複雑な形である聖ヨト語で雲に描き出される。圧倒的な力を示したのは悠人と同じ。だけれども、ただひたすらに横島は馬鹿だった。

 

「なんなんだありゃ!」

「あれがナンパ百敗のエトランジェ・ヨコシマか」

「きっと年齢イコール彼女いない歴ね!」

 

 市民達の反応は当然だった。

 まったく格好良く思われていないと気づいた横島は地団太を踏むと、次なる一手を打つことにする。

 

「マロリガンの皆さーん! 悠人はシスコンでメイド萌えで暑苦しい筋肉馬鹿ですよ~。偉そうにして、リクェムを食べて涙目になる子供舌ですよ~」

 

 自分がモテナイのなら、モテル奴を引き摺り下ろしてしまえばよい。

 こうだから横島はモテナイのだが、たとえそれを言ってもモテ男を扱下ろすのを止められないのが横島なのだ。イケ面など爆発すれば良いのである。

 ちなみに、悠人の悪評を聞いた町人達の反応だが、

 

「妹こそ最強。良く理解しているな」

「メイドが趣味か……ふっ、悪くない」

「やはり男はガチムチが理想」

「リクェム食べて涙目とか……可愛い」

 

 概ね好評だった。むしろ株が上がっていた。

 怖い奴が捨て犬を拾ったりすると妙に良い人に見える、あの現象である。

 

「何でじゃ! どうしてコイツばっかりー! 所詮は顔なのかーー!!」

 

 いつもの横島の嘆きが響く。

 その滑稽な響きは、どうしてか周りの笑みを誘っていた。泣いていた兄妹も笑みを浮かべていて、それに気づいた悠人は少し寂しげに笑みを浮かべる。

 嘆いているのは横島。そしてエスペリアだけだ。

 

「あうう、せっかくのユート様の格好良い場面がギャグに……」

 

 悠人の見せ場がギャグ化させられて、エスペリアはがっくりと肩を落とす。横島の目論みの半分は成功したといえよう。

 落ち込むエスペリアとは裏腹に、町人達は活力を取り戻したようだ。

 

「楽しくて面白そうな人だねえ!」

「ラキオスに支配されたら無能な貴族に搾取されて酷い目に合わされるって聞いてたけど……そんな感じにはならないかもな」

「でもよう、あんなんが本当に頼りになるのか?」

「怖そうな奴もいるし大丈夫だろう」

「もうジタバタしてもどうしようもないもんな。後は信じて待つしかないよ」

「そうだな……そういや、今日はまだ飯食ってしなかったな」

「おい、怪我して泣いてる子供がいるぞ。早く医者と親の所に連れて行かなきゃ」

 

 恐怖と笑い。

 その二つを与えられた民は平静を取り戻した。冷静に考えれば、もう逃げたところで爆発からは逃げられないと悟ったのだろう。それならば横島達に協力した方が助かる可能性が上がるとも理解したのだ。

 横島に話しかけようとする兵士や町人もいる。これなら休憩も可能だろう。

 結果だけで見れば最高だ。

 

「ふふ、ヨコシマ様は相変わらずですね~」

「庶民的というか親しみやすいというか」

「要は、馬鹿なのよ」

 

 スピリット達が横島をバカというが、そこに悪感情は無く、むしろ誇りに思っているようにすら感じられる。

 だが、ただ一人。ウルカだけが表情を厳しくしてポツリと呟く。

 

「やはりヨコシマ殿は恐ろしいです」

 

「え? 今のどこが恐ろしいの」

 

「ユート殿以上の力を示しているのは明白ではありませんか」

 

 ウルカが雲を吹き飛ばして書かれた文字を指差すと、皆もようやく気付く。

 雲を切り裂くよりも、文字を作り上げる方が遥かに難度が高い。パワーはともかく、技術は悠人を圧倒していて、思考に至っては別次元だ。

 納得したようなセリア達だが、ウルカはそうではないと首を横に振る。

 

「本当に恐ろしいのはそこではありません。あれだけの力を眼前で発揮しているにも関わらず、誰もがヨコシマ殿を甘く見るという部分です。

 手前も何の情報も得ずにユート殿とヨコシマ殿と相対したのなら、まずユート殿を警戒してヨコシマ殿を放置するでしょう。いや、情報を得ていても油断するやもしれませぬ。

 真に恐るべきはヨコシマ殿と気づいた時には、時すでに遅し。まず倒すべきはヨコシマ殿であったと後悔しながら敗北するのが目に浮かびます」

 

 神妙そうに言うウルカに皆も少し唸る。

 確かにその通りだとは思ったが、どこかずれているとも感じた。

 

「私としては、無駄にヨコシマ様を警戒すると馬鹿を見ることになりそうなんだけど」

 

 ヒミカの言葉にウルカはしぶい顔になる。

 

「100中99回が警戒した挙句に馬鹿を見て、警戒を緩めた時だけ活躍する。ヨコシマ様はそういう類のお人です。敵がヨコシマ殿の知己であるシロ殿やユキノジョウ殿でなければ、もっと戦いは楽だったのでしょうが」

 

 横島の不運は、彼を最も評価しているライバルと弟子が敵に回ってしまった事だろう。

 100中100回、油断をしない彼らではせっかくの持ち味が封じられてしまったのだ。

 

 

 それから悠人達には無償で食事が振る舞われた。少しばかりの休憩の後、すぐに行軍を再開する。このまま順調に進めば多少の余裕を残して首都にたどり着けるだろう。だからこそ妨害が入り込むのは当然だった。

 

「多少の距離はありますが……あちらこちらから見られてますね」

 

「目的地方面にいないんだから無視して先に進む……ってわけにはいかないか」

 

「横腹を突かれる恐れがあります。ですが、こちらから出向くには距離がありすぎます。逃げられて行軍が遅くなっては意味がありません」

 

 地形も碌に把握できておらず、そもそもが敵中にある。いくら神剣反応で敵の気配を読めるといっても、神剣を身から少し離していれば反応を捉えにくくもなるのだ。

 気が付いたら四方八方を囲まれて赤の魔法を打ち込まれたら目も当てられない。

 こういった場合、斥候を出して索敵しながら進むのが常道だ。しかし、今は急いでマロリガン首都に向かわなければならない。周囲を確かめながらのんびり進む時間などなかった。

 悠人は決断する。

 

「合流が容易い程度の距離で部隊を分けて、リスクを分散しながら進もう」

 

「戦力を分けんのは危ないんじゃねえか」

 

「いや、分けても問題ないと思う。敵は俺達を囲むように薄く広く展開しているから、分けた所で有力な敵には遭遇しないだろ。怖いのは、固まって進んで広範囲魔法を受けて、グリーンスピリットが軒並みやられて回復不能になる事だ」

 

 先の戦いでマロリガンの戦力はほぼ消失している。マロリガンに残されているのは少数精鋭部隊である稲妻部隊ぐらいだろう。残った弱兵なら、例え囲んだところでラキオスのスピリットを撃破はできない。とにかく赤の魔法をやりすごせばいいのだ。悠人の判断は理に適っていた。

 

「しかし、どうしてマロリガンはこのような戦術を取っているのでしょう。いえ、そもそもマロリガンは何を考えているのか」

 

 エスペリアがこめかみを押さえながら呟く。

 敵の意図が掴めない。マナ消失爆発で世界を破滅させたいのなら、エーテル機器周辺を要塞化して防備を固めればよい。ただの脅しでも、やはり防備を固めて脅迫してくればよい。

 最悪の爆弾と、それを守れる実働部隊を分ける意義がどこにあるのか。現状は監視されているだけだ。

 

「少しでも俺や横島からスピリットを引き離したいのかもな」

 

「それはどういう意図で……これは!?」

 

 全員がある一点に顔を向けた。 

 隠そうともしない強力な神剣反応が二つが少し離れた所にある。

 間違いなく高位神剣を持つエトランジェだ。交戦経験のある横島と悠人は、これがシロと光陰のものだと気づいた。

 

「時間もそう多くは無い。俺と横島で行く。エスペリアは皆を指揮してエーテルコンバーターを止めに行ってくれ」

 

「まだ戦力には余裕があります。ウルカや私が同行すれば確実に勝利を掴めると思いますが」

 

「それをすれば光陰達は全ての戦力を集めて徹底抗戦するか、最悪の場合は帝国に逃亡して再起するかもしれない。逃げ道を塞ぐほど戦力を割けば都市は攻略できない。俺と横島の二人で行くしかないんだ」

 

「つーか、戦術とがどうかって話じゃないんだけどな」

 

 横島の言葉に悠人も頷く。

 邪魔者無しで決着をつけよう。

 シロ達の意図はそこにある。マナ消失爆発を起こそうとしているのも、大統領の考えは分からないが、シロと光陰の意図は一対一の状況を作り上げるためのものだろう。その意図を無視したのならシロ達もなりふり構わず戦いを挑んでくるはずだ。

 そうなれば敵味方入り乱れて総力戦になる。最終的には戦力差で圧殺できるだろうが、敵も味方も大勢が死ぬだろう。

 

「それに、敵はもう残り少ないとはいえ、まだ少しは首都にいるはずだ。周辺の敵にも万全を期す為に十分な戦力を送りたい」

 

「ユート様……ですが」

 

 なおも反対するエスペリア。

 

「俺を信じてくれ、エスペリア」

 

 悠人はエスペリアの瞳をしっかり見つめながら言う。

 卑怯だとエスペリアは思った。

 こうもまっすぐに見つめられて首を横に振れるわけがない。

 

「……信じます。ユート様」

 

「ウルカは皆を先導して道を切り開いてくれ」

 

「承知」

 

 ウルカは言葉少なく、しかし瞳を燃やしながら返事をする。

 

「アセリアも頼むぞ」

 

 心を消失したアセリアは何も言わない。言えない。それでも悠人はアセリアに声を掛ける。

 本当ならここでもう一人に声を掛けたのだろうが、彼女の存在を覚えているのは横島だけだ。不機嫌そうに横島は悠人を見たが、すぐににやけ面になって自分の隊員達をチラッと見ると、

 

「よし、皆。俺も頑張ってくるぞ!」

 

「はいはい、頑張って~」

「エッチな悪戯をして、ラキオスの恥にならないようにしてください」

「おみやげ期待してるねー!」

「返事するのがめんどう」

 

 第二詰め所の皆は実に軽かった。

 

「なんでじゃー! ここはドラマチックに、エロチックに送り出してくれるもんだろ!」

 

「だって、ヨコシマ様を格好良く送り出したら死にそうですし」

 

「はい。ヨコシマ様のシリアス時の負傷率を考えればこれが正しい選択です」

 

 まったくもってその通りだった。ギャグキャラを生かす最適な方法を、第二詰め所は知っているのである。

 横島も、「そりゃそうだ」と思わず頷いてしまった。

 

「わ、私はもっとロマンチックでも……あぅ、なんでもないです」

 

 こっそりと主張したファーレーンは皆の非難めいた視線で黙らせられる。

 ヨコシマ様を殺すつもりか、と怒っているように見えるが、抜け駆けは駄目、という意思も少しはあるのかもしれない。

 

「そんなにギャグで送り出したいなら、こうしてくれるわ~! それ、お尻ツンツン!!」

 

「ひゃあ! あ、貴方という人は本当にーー!!」

 

「んん~ヒミカの体術も磨きがかかってきましたね~」

 

「あ~もう! ユート様と良い雰囲気だったのに、隣で漫才を始めないでくださいー!!」

 

 最も不幸なのはロマンチックな雰囲気を潰されたエスペリアであるのは疑いようも無かった。

 

 横島達とスピリット達は分かれ、それぞれの戦いの場へと向かう。

 

 

 

 

「来たでござるな」

 

 夕焼けに染まりつつある荒野にシロと光陰が立っていた。

 そして四人は相対する。

 悠人、光陰、シロ。そして、ボロボロの横島。

 

「なあ、シロちゃん。どうしてか横島の奴が既にボロボロなんだが」

 

「気にしちゃダメでござる。ギャグの領域に引きずり込まれるでござるよ」

 

 よく分かっているシロであった。

 とりあえず全員が横島を無視して、悠人は親友に語り掛ける。

 

「なあ、光陰。どうしても戦うのか」

 

「おいおい悠人。ここまできて今更聞く事じゃないだろ。今日子の為、そして俺自身の為に……男の戦って奴を始めようじゃないか」

 

 もはや言葉は無用と、光陰は巨大なダブルセイバー型の神剣である『因果』を構える。

 悠人もいまさら言葉で説得できるとは思っていなかった。後は行動あるのみと、『求め』を構えて戦闘態勢を取る。

 次に、当然のように回復した横島がシロに声を掛けた。

 

「おい、馬鹿弟子。お前もやっぱり戦う気なのかよ。俺達がタマモを助けるって言っても信用できんのか」

 

「信用できぬでござる。拙者も出来うる限りの努力をしました。様々な策を講じて……沢山の人に協力してもらって……でも、どうしようもなかった。

 拙者には分かるでござる。いや、横島殿も分かっているはず。タマモを救うにはマナが、命が必要だと。誰かが犠牲にならねばタマモは決して助からない。これは、もう、どうしようもないのです」

 

 シロの言うとおり、その点は横島も感じていた。今も、感じている。

 自分かシロが死なない限りタマモは助けられない。

 だが、もうそんな感覚はどうでも良かった。犠牲なく助けると決めたのだ。

 

 タマモは助ける。その為には、まずシロを殺さずに無力化する必要がある。

 今のシロは強い。追いつめられ、覚悟と決意で固く凝り固まったシロの表情。現実と戦い続けた戦士が弱いわけがない。

 だけれども、それだけだ。

 数日前に悠人と戦った自分も、きっとこんな顔をしていたのだろうと横島はぼんやり思った。

 

「なるほどなー。確かにこりゃ負ける気はせんわ」

 

 横島はなんとも能天気そうな声を出して、横では悠人が「そうだろ」と首を縦に振る。緊張感の欠片も無いその態度がシロの癪に障った。

 

 自分達がどれほど悲愴な覚悟で剣を握っているか、まるで理解していないのかと。今だに殺される事は無いとおもっているのか。

 シロは失望にも近い気持ちに囚われた。

 

 ――――――ならば、その甘ったれた心根のまま極楽に逝かせてやる。

 

「おーい、馬鹿弟子」

 

 もう弟子じゃない、と改めて言おうとしたが、横島の顔を見て喉を詰まらせた。

 いつものように締まりの無い緩い顔。それでもシロが敬愛しているその表情に、今まで見た事もないほどの覚悟があった。その覚悟は、狂気的にすら感じた。

 思わず身震いをする。自分達は『狂気の中の正気』を持っていると思っていたが、彼等は『狂気の中の狂気』を持っている。

 

「まってろ。いま――――――」

 

 シロは戦慄した。

 この先を聞いてはいけない。聞いてしまったら――――――

 

「いま―――――助けてやる!!」

 

「ウォォォーン!!」

 

 シロは横島の声を掻き消すほどの音量で吠えて、『銀狼』を携えて突撃を開始する。

 背後では光陰が苦笑を浮かべながらも、しっかりと援護の魔法を唱えていた。

 

 2対2の戦いだ。

 単体の力なら、横島に軍配が上がる。

 純粋な力なら、悠人に軍配が上がる。

 しかし、シロと光陰のコンビネーションは先の戦いでも分かるとおり横島達を翻弄した。

 

 となれば、横島達は個人戦に持ち込むのがベストだろう。

 シロ達もそれを想定して、いかに分断されないようにするが考えてきた。

 だが、戦いはシロ達の予想を外れる展開をする。

 

「サイキックオーラフォトン……悠人バリアパンチ!!」

 

「なに!」

「なに!?」

 

 シロと悠人の驚きの声が重なる。

 それは当然だ。横島は栄光の手で悠人の背中をがっしり掴むと、迫り来るシロに向かって殴りかかるように突き出したのだ。切りかかってくるシロの前面に出された悠人は、悲鳴を上げながら必死に強力な障壁を展開する。形としてはシールドバッシュならぬ悠人バッシュだ。

 冗談みたいな攻撃だが、シロ当人は冗談ではすまない。まったく予期しないタイミングで、超強力な壁が迫ってきたのだ。剣を合わせるなど出来ず、必死に身を捻って避ける。

 

「よっしゃ、隙あり!」

 

 横島は悠人をポイと放り投げると、隙だらけのシロに切りかかる。切るといっても峰打ちで、黒のオーラでエーテル結合と霊力中枢を破壊するのが狙いだ。

 だがここでシロの周りを強力な障壁が覆う。光陰の神剣魔法であるプロテクションの効果だ。全力で切りかかれば突破は出来るだろうが、下手に突破すればシロを殺してしまう。殺さないように手加減すれば突破は出来ないだろう。

 どうすればと立ち止まる横島。ここで悠人が動く。横島の足首を掴み上げて、

 

「ちょっ!? おま、待ちやが……」

 

「オーラフォトンサイキックヨコシマンアタック!!」

 

 勢い良くシロを守る障壁に振り下ろす。

 

 ギャグキャラは人を殺せない。

 人はギャグキャラを殺せない。

 つまり、ギャグキャラそのものを剣とすれば誰もしなない不殺の剣と化す。

 横島は咄嗟に障壁を無効化するオーラをその身に纏って、光陰の障壁を突破した。これは超高等技術の一つである。

 

 横島の頭がハンマーと化してシロを吹き飛ばした。

 

「ま、マジかよおい!」

 

 一連の光景を目撃した光陰の声は震えていた。

 奴らの思考も行動も正気ではない。親友の変貌に光陰は戦慄する。

 

 とにかく、初撃は横島達に軍配が上がった。うん、上がったはずである。

 自分達の連携に敵うはずも無いと光陰もシロも考えていたが、横島達の連携に思わず舌を巻いた。

 

「イタタ……お互い、相手の為に命を投げ出す覚悟で無いと出来ない連携でござるな!」

 

「ははっ、色々狂ってやがるぜ……なんて奴らだ」

 

 互いの命を使いあう。どれだけの信頼があれば出来ることか。

 普通なら、こんな戦い方をしたら友情など崩れ去るだろう。

 

「おい横島! いきなりなにしやがる!」

「連携だ連携! 痛みに強くてモテモテ頑丈男は盾にするのが適材適所って奴だ! おまえこそ人でぶん殴るとか殺す気か!」

「ギャグキャラは死なないだろ」

「ギャグキャラでも時と場合で死ぬんだぞ!」

 

 喧嘩を始める横島と悠人。

 友情は脆くも崩れ去ったようだ。いや、始めから無かったのかもしれない。

 

「こ、これも連携というのでござろうか?」

 

 自分達の連携とはまったく違う。

 攻撃の隙を打ち消し、互いの弱点を補うのがシロと光陰の連携だ。

 1+1を5にも10にもするそれはたゆまぬ訓練で得られた賜物だった。

 

 対して横島と悠人の動きは滅茶苦茶としかいいようがない。その場その場の思いつきで行動する。敵どころか、味方すら翻弄している。敵を騙すにはまず味方から、という言葉はあるが、それにしたって限界があるだろう。

 しかし、結果論だけで言えば、その連携はシロと光陰の上を行っていた。

 

「喧嘩するほど仲が良いってやつか」

 

「仲が良いというよりも、遠慮がないと言うべきでござろう。そして」

 

「ああ。お互いの力量を完全に把握してやがるな」

 

 アイツなら大丈夫。コイツならやれる。

 

 これは横島と悠人の根っこにある。だからこそ、良くも悪くもここまでやれるのだ。

 

 シロ達の表情に焦りが浮かぶ。

 個人戦ではやや分が悪いが連携で勝ると考えていた。だからこそ連携で勝負と決めていたのだが、その連携でも分が悪いとなると厳しい。

 だが、シロ達の予想は当たらなかった。戦いを続けていくと徐々に戦いの形勢がシロ達のほうに傾いていく。

 

 悠人が足を引っ張り始めたからだ。

 

 つばぜり合いになれば押され。走り回れば遅く。

 とにかく、鈍い。横島は悠人のフォローに回るしかなく、攻撃どころではなかった。

 

「おいおい。どうした悠人。随分と体が重そうだな」

「はあっはあっ……くそ」

 

 悠人の息は上がっていた。既に疲労の色が見えている。

 パワーと体力が悠人の武器であるはずなのに、その二つに綻びが見えれば押されるのも無理はない。悠人の不調に横島が舌打ちする。

 

「何やってんだ! つーか、さっさとアレを使えよ!」

「アレ?」

「あのエターナルとかいうインチキ魔法だ! あれ使えば楽勝だろうが!」

「あーーあれか。すまん横島、どうやって唱えたか分からん」

「なんじゃそりゃあ!?」

「いや、その……火事場の馬鹿力のような何かだったみたいでな」

「だったらオーラフォトンノヴァとかいうので……全滅するか」

「ああ、全滅だな。俺たちが」

 

 しばし、なんともいえない沈黙が流れる。

 

「はあぁぁ!? 敵の時は強いくせに、味方になると弱くなるとかありえないだろくそ!」

「うぐぐ……いや、戦略シミュレーションゲームとかだと割とあるぞ!」

「えーい、使えんやつめ!」

「は? 元はといえば、お前が変にいじけてたからだろ。あれが無ければ使えてたはずだ!」

「責任転嫁すんなよ!」

「そっちこそ!」

 

 醜い罵りあいだった。

 これが二人で協力すれば何でも出来ると豪語した戦友同士のやり取りである。

 二人のやり取りを聞いたシロ達は、何とも言えない顔をした。

 

「数日前に夜を照らした光は、まさか喧嘩によるものでござったのか?」

「お前ら、俺達と決戦するって時に喧嘩したのかよ……豪気にも程があんだろ」

「いや、それほどでも」

「褒めてねえよ!」

 

 照れくさそうに頭をかいた悠人に光陰が突っ込みを入れる。

 

「まったく……なあ悠人よ。前にも言ったが、お前と戦うのは今日子を助けるためだ。だがな、それだけじゃないんだぞ」

 

 常に飄々とした光陰にしては珍しく苛立ったように言った。

 当然だろう。悠人との戦いに光陰は全てを掛けていた。

 にも関わらず、悠人は体調を万全にせず戦いにやってきたのだ。これでは不快に思って当然だ。

 そんな光陰の気持ちを多少なりとも察した悠人は何かを思いついたようでポンと手を打った。

 

「なあ、光陰。提案があるんだが」

 

「何だよ」

 

「ここで戦いを止めないか」

 

「……ほぁ?」

 

「なんでか知らんけど、お前は万全の俺と戦いたいんだろ。見ての通り俺は万全じゃない。だからさ、ここで一旦戦いを止めて、俺が元気になったらまた戦おう。というわけで、見逃してもらおうか」

 

「み、見逃してもらおうかって……悠人、お前……お前なあ」

 

 悠人の軽口で光陰は呆れすら通り越したように閉口した。

 元の世界で悠人と光陰を知るものがこの光景を見たら、ありえないと叫ぶに違いない。

 言って見れば、お金に汚くない美神でも見ているようなものだからだ。

 しばし呆然としていた光陰だが、面白そうにニヤリと笑って見せた。

 

「悪いな、前言撤回だ。俺は『今の悠人』と戦いたい。出来ればタイマンでな。

 シロちゃんは横島の助けに入るのを防いでくれ」

 

「承知したでござる」

 

「は、誰が助けに行くか。悠人がやられたら俺が第一詰め所も頂くからな」

 

「まったく、酷い友人ばかりだ! まあ、俺が勝つからいいさ!」

 

 相変わらず横島の言葉は容赦ないが、その目は鋭くシロに向けられる。どちらかというと、シロが光陰に助太刀するのを警戒している目だった。横島は悠人が勝つと信じているのだ。それはシロも同じ。シロも光陰が勝利するのを信じて、横島の妨害を警戒していた。

 

「いくぞ!」

 

 先手は悠人が仕掛けた。『求め』を肩に担いで、一直線に光陰に突撃する。何の捻りもない直線的な動き。しかも、速くなければキレもない。

 しかし、光陰は油断をしなかった。冷静に観察を続け、悠人の手に文珠の輝きが存在するのを見つけた。

 

 光陰は文珠の字を予想する。

 『炎』や『止』といったこちらに悪影響を及ぼす類ならば神剣の加護だけで十分に防げる。

 五文字や六文字と連結されたら厳しいが、文珠使いでない悠人に使えるのは一文字が限度だから心配する必要はない。

 有効なのは、『強』や『速』で強化か、『穴』や『滑』などを使って態勢を崩すぐらいが関の山。それだって身構えていれば対処は容易い。

 

 焦らずにどっしりと構える光陰だったが、閃光と共に悠人の姿が煙に覆われて隠される。

 『煙』でも使ったかと思ったが、違う。これは失敗文珠による霊気のカスだ。

 光陰は少し舌打ちした。視界が潰して本命の文珠を使うつもりなのだろう。これでは効力が分かりづらい。だが、やることは変わらない。

 

「勝たせてもらうぜ!!」

 

「――――ほほーこのあたしを相手に言うわねえ!」

 

 煙の中から女の声が響く。

 光陰は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けて、思わず足を止めた。

 煙が晴れて、悠人が姿を現す。いや、現れたのは悠人ではなかった。

 

 学校指定の制服に、手には彼女愛用のハリセン。

 少し癖のあるツンツン頭に、負けん気が強そうな瞳が光を放つ。

 整った顔立ちは綺麗や可愛いではなく、頼れる姉御肌という言葉が似合いそうだ。

 だけど、その性根は寄り掛かる対象を求めているのだと光陰は知っている。

 

「ちょっ!? 今日子……じゃ無くて悠人! 俺は男の戦いを!?」

 

「光陰!!」

 

「は、はい!?」

 

「頭を出しなさい! この変態坊主がー!!」

 

 愛する女性の懐かしき怒鳴り声に、光陰は条件反射のように坊主頭を差し出した。悲しき恋人関係がそこにある。今日子は容赦なくハリセンを勢いよく振り下ろす。

 スパーンと小気味の良い音が響いた、ような気がした。

 実際は重い鈍器で頭蓋を叩き割るような鈍い音だった。ばったりと光陰が倒れる。

 

 光陰が倒れ伏すのと同時に悠人の姿も元に戻る。

 ハリセンは、当然ながら永遠神剣『求め』であった。無論、刃ではなく峰の部分を叩きつけたのだが、それでもひとたまりもない。

 

『惚れた女を救う為に親友と決闘して、親友が惚れた女の姿になって襲い掛かってくる』

 

 悠人の悪辣極まりない姦計に光陰は敗れた。

 シロは慌てて倒れ伏した光陰に駆け寄る。

 

「光陰殿! 光陰殿! 大丈夫でござるか!!」

 

「へへ……なあ、シロちゃん。遺言を聞いてくれないか」

 

「そんな! 遺言など……くぅ……なんでござるか?」

 

「親友が惚れた女になるって……いいぞぅ!」

 

「ふん!」

 

 シロの容赦のない肘鉄が光陰の顔面に突き刺さる。

 今度こそ、完璧に光陰は倒れた。

 『つい殺っちまった!』とシロは苦い表情になったが、すぐさま気を取り直して悠人を睨む。

 

「おのれ、よくも光陰殿を!」

 

「いや、とどめを刺したのはお前だろ」

 

「あ~犬塚さん。よくやってくれた」

 

 横島はお約束の突込みを。

 悠人は不穏な事を言い出した親友を撃沈してくれたシロに礼を言う。

 

 冗談みたいな戦いだったが、決着は決着だ。

 悠人が勝ち、光陰が負けた。

 二対一。シロが圧倒的に不利な状況に追い込まれる。

 だが、シロの戦意は落ちなかった。二対一だろうが勝利すると息巻く。

 しかし、シロはここで思わぬ言葉を聞いた。

 

「よし、シロ。今度は俺達の番だ。一対一で勝負をつけるぞ」

 

 なんと横島は二対一という有利な条件を捨て、シロにタイマンを申し込んだ。

 タマモを救うためにどんな戦法でも取る。

 そう決めているシロにとって、横島の一対一という話は酷く甘っちょろく感じた。

 

 だが、一人の武人としては。

 尊敬する人。愛する人。そんな人と心行くまで打ち合い、そして死ぬ。

 最高の結果だ。愛する人に剣を向けた贖罪の死と、友を助ける為の死でもある。

 

「武士道とは死ぬこととみつけたり」

 

 死に場所得たり。

 満足そうに血笑を浮かべて神剣を構えるシロ。

 

「まったく、本当に手のかかる馬鹿弟子め」

 

 横島は小さく笑って、

 

「それじゃ、悠人。頼む」

 

「了解。マナよ! オーラへと以下略! ホーリー! エレメンタル! インスパイア! パッション! レジスト! コンセントレーション! 横島に補助魔法全力掛けだーー!!」

 

「よっしゃああ! 正々堂々! タイマンで勝負だ馬鹿弟子!!」

 

「ちょっとおおお!! 待つでござるタイムでござるー!!」

 

 悠人の援護魔法を受けて、馬鹿みたいに強化された横島からの正々堂々発言。

 これにはシロも待ったをかける。

 

「わははは! 何を言っとる、俺は一対一で勝負する言ったが、援護は無しなんて一言も言ってないぞ」

 

「そこは常識で考えるでざる! 良識を持つでござる!!」

 

「わっはっはっ! 俺相手に良識を期待するとは愚かな弟子め」

 

 それもそうだ。横島忠夫に良識。美神に清貧を期待するようなものである。

 シロはあっさりと納得したが、しかし出来れば実力勝負で白黒はっきりつけたい。

 

「悠人殿もそれでいいんでござるか!? もっと真面目な御仁ではなかったのでござるか!? 手を出すなといわれて術を使用するなどトンチもいいところでござる!!」

 

「いや、悪いとは思うんだけど、俺もさっさと今日子を助けに行きたいから」

 

「つーか、男の戦いがしたいって言ってた親友相手に、恋人の姿で襲い掛かる奴が真面目なわけないだろうが」

 

「いやその……精神攻撃もボス戦前のバフも基本技……だろ」

 

 歯切れは悪かったが悠人もあっさりシロを見捨てる。

 基本的に真面目ではある悠人だが、戦いの最中で手段を選ぶほどの騎士道精神は持ち合わせてはいなかった。本音を言えば、さっさと二人掛りで安全にシロを無力化したいぐらいだった。

 無論、こうも悠人が柔軟な性質になったのは横島の影響が多々あるのは言うまでも無い。

 

「あれれ~どうした~シロ。二対一でもどんな手でも使って良いんじゃなかったのか~ん~」

 

 横島は神経を逆なでするような声で挑発する。

 元々、二対一でも戦うと覚悟を決めていたシロだったのに、どうしてか心をかき乱される。

 相手の調子を乱し、自分の領域に引き込む。これぞ美神流の基本にして奥義だ。

 

「ぐ、ぐううううう!! 拙者の勇気が悪を貫くと信じて!」

 

 悲壮の覚悟でシロが突撃する。

 この後、滅茶苦茶ボコボコにされた。

 

「む、無念でござる……本当に無念でござるーー!!」

 

 結局、思いっきりパワーアップした状態の横島に勝てるわけも無く、何よりも心が完全に飲まれてしまっていて、シロはあっさりと負けた。描写すら必要も無いほどの負けっぷりだ。

 致命傷は無いが、あちらこちらを峰うち平うちと叩かれてボロボロになった挙句、止めとばかり力を弱める魔法を浴びせられてヘニャヘニャになって倒れる。その隙を突いて、横島はシロの神剣である『銀狼』を取り上げた。完全に勝負ありだ。

 その頃になると光陰も目を覚まして、大の字で倒れながらも、その様子を苦笑しつつ見つめていた。

 

「悠人……お前変わったな」

「まあな。横島みたいな変人がいればストレスもたまるさ」

「おい、何でもかんでも俺のせいにすんなよ。お前は元からそういう奴だったんだろ!」

「本当に仲が良いでござるなあ」

 

 シロは乾いた笑い声を響かせつつ、ポツリと言った。

 負けたでござる。

 横島は『銀狼』をシロに放り投げた。もう、戦いの意思がないのは明らかだからだ。

 勝者達は次の戦いに向かわなければならない。

 

「それじゃあ、今日子を助けてくるぞ。親友」

「はは、悪友の間違いじゃないか?」

「そんじゃあ、タマモを助けてくるぞ。馬鹿弟子」

「弟子なんてもう辞めてやるござるぅ~!」

 

 怨嗟の声を浴びながら、横島と悠人が駆けていく。

 二人の姿が見えなくなると、シロは真面目な顔で横に倒れる男に声を掛けた。

 

「光陰殿、あんな戦いで勝敗を付けて良かったのでござるか……わざと負けるなどと」

 

 シロは光陰という男を知っている。この男は普段はおどけているが、その芯は冷静沈着で合理を突き詰めた生粋の戦士である。

 恋人の姿で襲われたところで、それが偽物だと知っていれば動揺などするはずもない。

 つまり、あの一撃を食らったのはわざとだ。

 

「ん~~まあ、理由は色々あるんだが……負けていいと思ったからだな」

 

 光陰の声は憑き物が落ちたようにさっぱりしたものだった。

 だったら良いのだろうとシロは思う。

 

「シロちゃんこそ、あれで良かったのか」

 

「良いも何も、経緯こそギャグでござったが、あれで拙者は全力でぶつかりました。そして真正面から叩きつぶされた。しかも拙者の腹の底を完全に読まれた上での敗北……完敗でござるよ。流石は先生でござる!」

 

 シロはもう止まれなかったのだ。

 敬愛する師匠にして、女性としても心を奪われた最愛の男に剣を向けてしまった。その罪悪感を原動力として動き始めたシロは、決して地獄への歩みを止める事はなかっただろう。

 シロを止める方法はただ一つ。心ではなく、体を無理やりにでも押さえ付けるしかなかった。

 横島はそんなシロの心情を飲み込み、彼女に全力で出させたうえで力づくで押さえ付けた。それも、笑い話のようにしてだ。

 完敗だと、シロは認めるしかない。

 

 悠人は横島を思い起こすようなトリックプレイで。

 横島は悠人を思い起こすようなパワープレイで。

 

 互いに良い影響を与え合った戦友であり悪友とも呼べる横島と悠人。

 シロと光陰は同じ目的、同じ思考でいた良き同士だったが、それ以上ではなかった。

 喧嘩など、一度もしたことが無かったのだ。そこが勝敗を分けたのかもしれない。

 

「後は信じるしかないか」

「信じられるというのは幸せでござるなあ」

 

 きっと彼らなら何とかしてくれる。

 理屈ではどうやっても不可能とわかっているが、そんなものを吹き飛ばすほどの勢いが二人にはあった。勇者や英雄とはああいう奴らを言うのだろう。自分達は優秀な戦士ではあるが、それ以外にはなりえない。同時に、横島も悠人もただの優秀な戦士にはなれないだろう。

 

「ま、なんにしてもだ、シロちゃん」

「分かってるでござる」

 

 

 ――――動けるようになったらぶん殴ってやる。

 

 

 二人は倒れながらも、不敵に笑いあった。

 

 

 

 その後、横島達はタマモと今日子の気配を分かれているのを感じて、別々に行動していた。

 二人で片方ずつ助けていくのも考えたが、それをすれば『金狐』も『空虚』も逃げ出すだろう。

 

 結局、一人でタマモを救う事になって、横島は悠人に不満を言った。

 皆で頑張れば助けられる、とか言っておいて、結局一人で戦うことになったじゃないかと。

 すると悠人は、心は一緒にある、等と暑苦しく言ってきたので横島は悠人をポカリと叩いてやった。

 

 そして、運命の時は来る。

 

 太陽はいよいよ地に落ちようとしている頃。

 息を切らせてやって来た横島を前に、『金狐』は得意そうに喋りだした。

 

「ふん、『銀狼』が負けたか……好都合だな。ここで消耗した『天秤』を破壊して、負け犬の『銀浪』も破壊する。それだけのマナを奪えば、単体でも『闘争』を砕くことができる。フッ、予定通りだな 漁夫の利を得た。最後に笑うのは、この私だ!」

 

 タマモの体でニヒルに笑う『金狐』を、横島と『天秤』は冷めた目で見た。

 

『なんとも小者臭いな。『金狐』よ、私はおまえが勝つ場面がまるで思い浮かばんぞ』

 

『黙れ! 未来を期待された『本命』の貴様に何が分かる。『大穴』として生みだされて放置され、餌同然として生きてきた我の気持ちなぞわかるものか……贄の運命など覆してやる!』

 

 タマモが『金狐』を構えると、周囲に炎の玉が生まれ、さらに陽炎が立ち上り目をくらます。

 圧倒的な幻覚能力と火力で押しつぶすのが『金狐』のスタイルだ。肉体はタマモのだからか、妖狐の力をより強力にしたかのようだ。

 

 その攻撃は熾烈かつ丁寧で、そして陰険だった。

 

 強力な炎の矢が飛んでくる。魔法に対応した障壁を展開すると、突如として炎が消え去り針が突き刺さってくる。

 ゴキブリの如く逃げ回り針を避けようとすると、何故か真横から炎が飛んでくる。

 魔法障壁を展開しつつ、全力で動き回るという高度な動きをしているのに、ギリギリで避けたはずの攻撃が突き刺さってくる。

 

 幻術なら魔法に特化した障壁で防げるはずなのに、どうしてか上手く機能しなかった。

 

 翻弄されて、横島の体には無数の傷が刻まれていく。

 ここまで振り回される理由は二つだ。一つは攻撃の正体が掴めない事。もう一つは、攻撃が出来ないからだ。攻撃は最大の防御。ただ逃げ回っているだけでは、いつかやられてしまう。

 

 とはいえ、攻撃すること事態が危険なのだ。

 もし誤って『金狐』を破壊してしまえば、囚われたタマモの心も一緒に破壊してしまうだろう。何かしら糸口が掴めなければ、無駄に攻撃しても意味が無い。

 

『横島よ、どうするつもりだ』

 

「どうにかすんだよ!」

 

 炎や雷が幻覚と共に襲い掛かる中で、やけっぱちのように横島は叫ぶ。

 『天秤』は嘆息すると、厳かな声で希望を語りだす。

 

「問おう。己の一部を切り捨てても、この女を助けたいか』

 

「それでタマモを助けられるなら、さっさとやれよ!」

 

『再度問う。例え己の一部が消えても、構わないと言うのか』

 

「何度も言わせんな! 手足の一本ぐらいなら諦めるわい! こっちは必死なんだぞー!!」

 

 飛び交う焔の中で横島は叫ぶ。

 前後左右から襲いかかってくる焔を回避する最中だ。冷静に相手の言葉の裏を察する暇なんてない。

 いや、横島はもう『天秤』をすっかり信頼している。状況がどうであろうと『天秤』の言葉を呑んだだろう。多少の痛みや苦しみなど、シロとタマモと自分の為には許容すると、言ってしまっただろう。

 

 ああ、言ってしまったか。

 

 不思議な喪失感が『天秤』に去来する。

 任務を果たせるという安心感と共に、同時に任務も何もかも忘れて、いっそ全てを破壊したくなる衝動が生まれたが、ふと一人の少女の顔が浮かんできた。

 何の為に彼女は生まれ、そして死んだか。彼女の生き死にを無駄にしてよいのか。

 それを考えると『天秤』に選択の余地などなかった。自分は強くならなければいけないのだ。

 

 ――――すまぬ、横島。

 

 『天秤』は、その能力を使った。

 その能力を使うために必要あるモノと共に。

 

 黄金色の、命の輝きを『天秤』は刀身に帯びた。

 金色の刀身に夕焼けの朱が差し込む。金と赤。生命と刹那が混ざり合った。

 身の毛がよだつほどの美しさに横島は戦慄して声を失う。

 

『ふっ! 私の美しさに声もないか』

 

「あ、アホ言うな! んで、これからどうすりゃいいんだ!」

 

『私で『金狐』を切れ。それで片がつく』

 

「はあっ!? んなことでいいのか!!」

 

『簡単ではないぞ。チャンスは一回きりだ。二度はできん。失敗したら終わりだぞ』

 

「まったく、いつもこんなんばっかしだなっと!」

 

 迫り来る炎を玉を避けながら文句を言う。

 だが、その動きと口調は軽い。ふって湧いたような希望に全身が躍動する。

 金色に輝く『天秤』の姿に気づいた『金狐』は、まるで死神を見たかのように取り乱した。

 

「その力は!? おのれ、来るな! 来るでない!! 我は生きるのだ! 決められた死の運命などに屈するわけにはいかぬ!」

 

 タマモの体が幾つにもぶれる。得意の幻術だ。これから肉薄して切りつけようとするのに、これほど具合が悪い技も無いだろう。だが、何度か食らって横島はその正体は見抜いていた。

 この幻術はどうも三種類あるらしい。

 脳に映像を送りつけるタイプ。光を屈折させて微妙にずらすタイプ。その場に幻覚を生むタイプ。

 この三つを使い分けてくる。同時展開は出来ないらしい。

 脳に干渉してくるのは魔術的防御を展開させれば大体は防げる。光の屈折はすぐ傍にはいるわけだから大きく動けば問題ない。幻覚タイプは気配を読めば良い。対応は出来る。問題なのは、きちんと幻術のタイプを判断できるかどうかだが。

 

『どうも『金狐』は同じ魔術を連続展開は避けるタイプのようだな』

 

 観察していた『天秤』が有益な情報を見つけ出す。

 じゃんけんで例えれば、グーを連続で出す事はしないのだ。

 二択にまでしぼれば、後は経験と勘が答えを当ててくれる。GS時代からの経験は伊達ではない。

 

 野太いオーラの針が正面から襲い掛かってくる。風を切り裂くような衝撃波もきた。

 これは光の屈折。実際は少し横を通るから動く必要は無い。

 

 全方位から凄まじい炎の矢が襲い掛かってくる。熱さも感じるが、いささか大仰過ぎた。

 これは脳味噌が見せる幻。魔法を弾く障壁で対応。あっさりと見破る。

 

 タマモがじりじりと後退して行く。気配は無いし、そもそも後退する理由が無い。

 これは幻覚だ。辺りを探ると、気配を殺したタマモがいた。後ろから狙い打つつもりだったのだろう。

 

「あ、ありえん!」

 

 『金狐』は悲痛な声をあげる。

 見切られにくいはずの幻覚攻撃が、数分もしないうちに見切られたのだ。泣き言の一つも言いたくなるのも仕方が無い。

 

「化け物め!」

 

 幻術は効果が薄いと察した『金狐』は、幻術を取りやめて攻撃魔法だけに集中する。

 四方八方から無数の炎が殺到し、さらに空に浮かんだ魔法陣からは雷が迸った。

 圧倒的な物量。神剣魔法の常識を覆す連続魔術。弾幕ならぬ、弾壁だ。

 

 空間を埋め尽くす炎だが密度は低い。一撃の威力は高くないのだ。変に避けようとすると逆に多く当たってしまうから、防御に集中して足は止めない程度に動く。

 

「この!」

 

 『金狐』は少しずつ近づいてくる横島に舌打ちしながら新たな魔法陣を構築し始める。

 面ではなく、点の攻撃により威力を上げて防御を貫こうという考えだ。

 そう来るだろうと横島は予想していた。姿勢を低くして被弾面積を下げ防御は背中に集中させる。さらに手足に力を集中して地面を高速で這いずる様に移動する。

 その姿は正に、超高速で動き回るゴキブリでしかない。ゴキブリに点の攻撃など無意味だ。

 

「くっ、考えが読まれているか……ならば! おおおおおおおお!!」

 

 『金狐』の咆哮と共に、さらなる魔方陣が周囲に浮かび上がる。

 強力な幻術と魔法を同時に使用し横島を討とうというのだろう。正に必殺技だ。

 そう来るのも横島は完全に読んでいて、そして待っていた。

 

『好機だ!』

 

「おおよ!」

 

 強力な力を持つ、しかも異なる種類の魔法を同時に使用するのだ。

 当然、大きな隙が出来る。その隙が生まれるのを予想できたのなら、これ以上のチャンスはない。 

 

「しまった!」

 

 『金狐』は失策を理解したが、もう遅い。

 横島は猛烈な勢いで『金狐』に迫っていた。

 

『時間の掛かる必殺技なら最初に叩きつけるのが正解だっただろうに』

 

 呟いた『天秤』の声には呆れの色が多くにじみ出ていた。乱戦になり、技を見切った状態で無理に大技を繰り出そうと当たるわけがない。『金狐』は判断を誤った。

 『金狐』にも考えはあったのだ。横島は『銀狼』と戦い疲弊しているから、長期戦に持ち込んで体力勝負に持ち込めば勝てる。幻術はそれには最適だった。誤算だったのは要の幻術があっさりと見切られてしまった事だ。

 

 『金狐』は根本的に戦闘センスが欠けていた。技の精度は良く、考えも悪くない。だからこそ読みやすい。技も性格も素直なのだ。

 つまり、横島との相性は最悪の一語。さらに参謀の『天秤』まで付いているのだ。一人で戦う『金狐』に勝ち目は無かった。

 

 『金狐』の魔法は間に合わず、横島は一瞬で『金狐』の懐に潜り込む。

 勢いそのままに金色の輝きを纏った日本刀型永遠神剣『天秤』を、扇形永遠神剣『金狐』に打ち付ける。ピシリと『金狐』に亀裂が入った。

 

 『金狐』は必死の形相で己が本体である扇に力を込めて押し返そうとする。

 とはいえ、日本刀と扇だ。勝敗は目に見えている――――と思われたが、

 

「ふ、ふふ! 何があったが知らぬが……ぬるいぞ『天秤』!!」

 

 何かにひびが入ったのは間違いない。だが、そこまでだった。

 後一歩が届かない。横島にもうっすらと『出力』が足りないと理解できた。

 

『ちっ! 何度か使ったからか……しかしこれ以上は』

 

「おい、どうなってんだ『天秤』! 何かダメそうだぞ!」

 

「はははは! 我の勝ちだ! 運命は変わるぞ!!」

 

 狂喜したよう『金狐』が叫ぶ。タマモの表情が喜色満面に綻ぶのを見て、横島の中で怒りが湧き上がった。その怒りは『金狐』ではなく、タマモの不甲斐なさにである。

 

「えーい! いい加減……お前も根性出しやがれ!!」

 

 横島は胸から何やら取り出すと空に放り投げる。それは金色で、四角形やら三角形の形をしていて、香ばしい匂いを放っていた。

 だから何だと『金狐』は馬鹿にしたように横島を見て罵ろうとしたが、自分の口から飛び出た言葉に驚愕する。

 

「わ、わ、私の……お揚げーー!!」

「な、なんと!」

 

 タマモの口から二つの声色が聞こえた。

 一つは『金狐』。もう一つは、間違いなくタマモのものだ。

 

「へっ! それでこそ邪な美神除霊事務所のメンバーだぜ!」

 

 食欲で神剣の精神支配に抵抗する。

 これでこそ欲の皮が突っ張った彼の世界の一員だと、横島は食欲全開のタマモの姿に頬を緩めて喜ぶ。

 タマモの意識が目覚めた影響で『金狐』の力が一気に弱まる。

 

『今だ、押し切れ!!』

 

「ち、違う! やめろ!? これは我と貴様にとって唯一のチャンスなのだ!」

 

『やれ、殺せ!!』

 

 『天秤』の絶叫と共に横島は手に力を入れた。途中、『金狐』が何かを言っていたが聞き取る暇などなかった。

 タマモの体を乗っ取っていた扇形の永遠神剣『金狐』はざっくりと切られる。真っ二つに切り裂かれた扇は黄金色のマナへと変わり、キラキラとした粒子となって『天秤』に食われていく。

 

 その瞬間、何かが切れた。横島の中で、何かが終わった。

 苦痛と絶望に塗れた表情の『金狐』だったが、最後に哀れみの視線を横島に向けて、

 

「蜘蛛の糸を渡りきったな。これで、もう、お前はお揚げ食べたい」

 

「なんのこった。さっさとタマモの体を渡せよ……ロリコン的な意味じゃねえぞ!」

 

「は、ははは! 面白いお揚げだな。ああ……お前はお揚げ世界に来るべきではなかった。油揚げを持つべきではなかった」

 

 心の底から同情するような声色に横島は何も言えなくなる。

 『金狐』はタマモの体を奪いとり心を封じ込めていた敵であったが、別に悪逆非道というわけではなく、むしろスピリットからは慕われていたと聞いている。

 『金狐』が何を目的にして戦っていたのかは、誰も知らないのだ。

 

 ただ、横島は『金狐』を哀れに思った。どうしようもない運命に翻弄された悲劇の人物のようにすら思えた。

 しかも、最期の見所といえる『冥途の土産』を語る場面すらも邪魔されているのだから、悲劇にすらなりきれていない。

 

「私は運命に屈する。お前は運命をおいなりさん……どこまでも上り詰めてしまえばいいさ」

 

「おい、なんか知ってるならさっさと言えっつーの!!」

 

「良いだろう。このままいけば貴様は……おいなりさんになるのだ」

 

「おいー!? 肝心な所がダメダメだぞ! つーか、タマモ邪魔すんなよ!」

 

「ふはは……嗚呼、生まれ変わりがあるのなら貴様の世界に生まれ変わりたいものだな」

 

 それが『金狐』の最後の言葉となった。最期の最期まで不幸な神剣である。何だか楽しんでいるようにも見えたので、これはこれで良かったのかもしれないが。

 

 タマモの体が大地に崩れ落ちて、『金狐』は完全に砕け散って金色のマナとなる。マナは『天秤』に吸い込まれ、食われ、一体化していく。命を食らう感覚。それは横島の本能に純粋な満足感を与える。世界がこれで良いと肯定してくれているような気さえした。

 

 戦いが終わり、倒れたタマモの頬に手を当てる。

 怪我は無いかと心配したのだが、

 

「お~いなりさん」

 

「痛ってえええ!! 手を噛むなーー!!」

 

 寝ぼけながら思い切り手を噛まれて歯型がつく。これが横島のおいなりさんでなくて幸いだ。

 横島は仕返しとばかりに眠っているタマモの口元に油揚げを近づける。匂いに反応したかタマモが寝ぼけながらも噛み付こうとするが、寸前でひょいと油揚げを離す。タマモの眉間に皺がよった。

 くくく、と横島はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。

 

「遊ばないでもらえますか」

 

 冷たい声が後ろから聞こえた。振り向くと、以前に横島を罠にはめたグリーンスピリットが立っていた。

 

「ちょっとだけ偽乳の姉ちゃん!」

 

「誰が偽乳ですか!? クォーリンです! まあ、貴方などに名前を呼ばれたくはありませんが」

 

 冷たい表情と言葉で横島を打ち据える。

 しかし、一転して笑顔となった。

 

「おめでとうございます。その人を助けられたのですね。シロ隊長は喜ばれるでしょう」

 

 笑顔でおめでとうと言いながらも、クォーリンの視線は冷たい。

 恨まれているというのは横島にも分かった。大体、シロ隊長は、などという言い回しの時点で自身がどう思っているのかなど丸分かりだ。

 

「よくも『金狐』隊長を殺しましたね。私は、貴方を恨みますから」

 

 明確な怒りと憎しみをぶつけられる。『金狐』はスピリット達には慕われていた。横島はスピリットに愛されてきた一つの生命を奪ったのだ。

 そこに、後悔は無い。『金狐』は慕われる奴だったのかもしれないが、タマモとは比べものにはならないのだ。ただ、もう少し話をしたかったのは確かだったが。

 

「その言葉はシロには言わんでくれよ」

 

「言いません。だからこそ、貴方に怒りを……え?」

 

 クォーリンの言葉が途切れる。いぶかしげな顔で横島を見ると、ふいと顔を背けた。

 顔をも見たくないのだろう。横島はそう判断すると、クォーリンにタマモを頼むといって、背を向けて走り出した。

 

 セリア達が戦っているであろうマロリガンの首都に向かう。すると、途中で大きな神剣反応が近づいてきた。悠人だ。悠人も今日子の体を奪い取っていた『空虚』を倒したのだろう。その表情は意気揚々で、今日子を助けられたのが分かる。

 だが、やってきた悠人は横島の顔を見て顔面蒼白となった。

 

「まさか、助けられなかった……のか?」

 

「アホか! ちゃんと助けたっつーの! お前こそ助けられたんだろうな?」

 

「ああ、それは何とかなったけど……」

 

 悠人は歯切れ悪く、怪訝そうな顔で横島の顔を覗き込んだ。

 

「それじゃあ――――――なんで泣いてるんだ?」

 

 言われて、横島は目元に手をやった。

 指先が濡れる。どばどばと、まるで涙腺が壊れてしまったかのように涙が流れ続けていた。

 止めようと思っても止められない。どうして自分が泣いているのか分からなかった。恨み言を言われたからではないはずだ。

 

 混乱する横島の目にとある光景が飛び込んでくる。

 それは、夕焼けが地に飲み込まれていく姿だった。

 太陽が落ち、辺りが闇に包まれると、理由のわからない喪失感が胸を締め付けてきて叫びそうになる。

 

 喉の奥から、腹の底から、魂の奥底から、ありとあらゆる絶望が溢れてくるようだった。

 もし、ここが戦場でなくて、悠人が傍に居なかったら子供のように泣き崩れたかもしれない。だけれども横島は膝を屈さなかった。ここは戦場で仲間と大陸の未来が掛かっていて、今の横島はラキオスの副隊長なのだから。

 

「なんでもないわい! さっさと俺達もエーテルコンバーターを止めにいくぞ!!」

 

「おい! 急に走るな!?」

 

 気持ちを切り替えて走る横島だったが、それでも涙は止まらなかった。

 それは一体、誰を想って流す涙なのだろうか。

 分からない。わからない。わかりたくない。わかってはいけない。

 

 

 

 無償の奇跡など存在しない。あるのは、契約を果たす代償のみ。

 

 

 

 

 

 

 




 まず最初に、最後に太字で書かれた『無償の奇跡~』のフレーズは永遠のアセリアにおけるテーマやキャッチコピーの一つで、PVや書籍から引用したことを明記しておきます。

 横島は何故泣いたのか。いつか明かされる日がくるでしょう……まあバレバレなんですが、あまりおおっぴらに言わないでほしいかも。
 それとこの話のタイトルである『勇者と英雄』は横島と悠人を指していますが、どちらが勇者で英雄なのか説明していませんでした。説明しようかと思いましたが止めました。これは読んだ人の判断に任せます。勇者と英雄の違いについては人それぞれでしょうし、それに説明文を書いてたら不思議なほど恥ずかしくなって。
 中高生時の小説を公開できるほど面の皮が厚いくせに、妙な所で気恥ずかしくて不思議。


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第三十五話 進む世界で足踏みを 前編

 第二詰め所のリビングで横笛の高く軽やかな音が響き渡っていた。

 客人は目を閉じて笛の音に聞き入っている。

 

「どうぞ」

 

「ん」

 

 セリアがそっと茶碗を置いた。綺麗なエメラルドグリーンから湯気が僅かに出ている。味よりも匂いが命の茶葉であるから、湯の温度はぬるく50度程度で風味を抽出している。早く味わってもらわないと冷めてしまうと、セリアははらはらした。

 こくりと茶を飲む音。

 美味かどうかの感想は無い。口数の少ない人なので不味かったと考えるのは早計だ。表情で判断するにも、客人の頬には深く皺が刻み込まれているので分かり辛い。

 客人は次に木楊枝で茶菓子を切り始める。プルプルと震える菓子に少し手間取りながら、小さく切って口に入れる。また茶を飲む。

 ここでようやく、ほう、と溜息のような感嘆の声が漏れた。

 

「随分と勉強したねえ。茶は味わい深くなっているし、茶に合う菓子も選別してある。客を迎える座席の位置も正解。イスにはクッションを敷いてテーブルとの高さを調節してる。しかも音楽付きだ。どこの名店に入ったのかと思ったよ。見事なもんだ」

 

 第二詰所への客人、ノーラは深い皺を波打たせて笑って見せた。

 

 満点評価にセリア達は強く拳を握りこむ。茶はセリアがいれ、茶菓子はヒミカとハリオンの自作。クッションはファーレーンが裁縫したもの。横笛はナナルゥが紙芝居をやりながら、何故か習得したものだ。

 

 全ては魅力溢れる女性になるために。

 魅力ある女性となれば、きっと今が永遠に続くのだから。

 

 第二詰所のスピリット達は剣と魔法だけでなく、女の修行にも余念がなかった。恋する乙女はなんとやらだと、ノーラは初々しさに口の中が甘酸っぱくなる思いだ。

 

「この茶菓子はなんて名前だい? ねっとり甘く、それでいてみずみずしいが」

 

「これは海草を利用したラムモチと呼ばれる練り菓子です」

 

「ふうん……その小さい横笛は?」

 

「ナメックというそうです」

 

「ナメック? ラムモチといい、随分とけったいな名前だねぇ」

 

「何でも、これらを伝えた者はエトランジェだったらしく」

 

「ふむ、なるほど」

 

 悠人や横島の活躍でエトランジェやスピリット等の人間でないものの差別は薄らぎつつある。それが影響しているのだ。

 今まで明らかになってはいなかったが、遥か昔から別世界からの来訪者(エトランジェ)はいたらしい。悠人の扱いを見て分かる通り、この世界では異世界人は差別を受け使い潰されてしまう。彼らは素姓を隠して人として生活するしかなかった。

 生まれた子供はハーフエトランジェ、その子供はクォーターエトランジェとして人よりも高い身体能力と親から教わった異界の知識はあったが、それらを表に出さず今も生活していたのだ。

 

 それらの事情が変わり、祖先がエトランジェだったと告白できるようになり始めていた。彼らが子供にのみ伝えていた宝や技術が世に出始めているのだろう。技術面や文化面でも世界は変わりつつあった。

 

「知識や芸は身を助けるもんだ。今後も精進するんだよ」

 

「はい。今後もご指導をお願いいたします」

 

 セリアが代表して深々と礼をする。

 キリッと口元を引き締めていたが、頬は嬉しさからかピクピクと痙攣していた。

  

「本当に嬉しそうですね」

 

「セリアさんはノーラ様を尊敬していますからね~」

 

「ほ?」

 

「こ、こら! ファーレーン! ハリオン!」

 

 心情をばらされたセリアが怒鳴るが、ハリオンはいつものようにのほほんと笑みを浮かべる。ノーラは切れ長の目をぱちくりさせながらセリアを見た。

 

「の、ノーラ様は博識で見識高く、背格好もしゃんとしていて様々な事柄に通じています! 尊敬に値する人物を尊敬するのは当然です!」」

 

 セリアは顔を赤くして一気に捲し立てる。

 相変わらずなツンデレ具合に他のスピリットはニヤニヤと含み笑いをした。

 

「ありがとうよ」

 

 深く皺の刻まれた頬を緩めてノーラは笑って見せる。

 その笑みはどこか自嘲を帯びていたが、そこに気づくものはいなかった。

 

 

 

 マロリガンとの戦争から二週間が経っていた。

 今こうしてゆっくりとお茶を楽しんでいるという事実から、ラキオスが戦争に勝利して大陸を守ったという事実が分かるだろう。

 

 第二詰め所にいるのは年長組みのスピリットだけで、子供達はそれぞれ出かけている。

 別に休憩時間というわけではない。第二詰め所のスピリット達の仕事は、もうただ訓練し続ければ良いと言う段階を越えているのである。皆、それぞれ自分にしか出来ない仕事を遂行しているのだ。

 ノーラも第二詰め所にただ遊びに来たわけではない。

 

「さて。それで、あたしはいつから作業すればいいんだい?」

 

「はい。午後からで、場所は少し離れた第三詰め所です。そこで指揮を執ってもらえれば」

 

「そうかい。まだ時間はあるね。ちょうどいい。部下からあんたらの話を聞きたいってせがまれててね。ラキオスを、大陸を救った英雄譚を聞かせてくれないかい」

 

「え、英雄譚ですか……それは少し大げさでは」

 

「何を言ってんだい。マロリガンのエーテルなんだらを止めたのはあんたらで、エトランジェ達はその場にいなかったんだろう。大陸を救ったのはあんたらだ。英雄だろう」

 

 英雄と言われてセリア達は困惑したような顔になった。

 ノーラの言うことは間違ってはいないのだが、どうにも実感が湧かないのだ。

 あの戦いは一体なんだったのか、自分達にも良く理解できていないのが原因であろう。

 

 

 横島達がシロ達と戦っている最中、セリア達はマロリガンのエーテルコンバーターがある施設に突入した。襲い掛かってくるは、どこか様子の可笑しいスピリット達。

 目は虚ろ。体は細く、妙な痕が全身を覆っている。まるで病人のようだった。なによりも不可思議なのは、神剣の意思が弱く感じられる点である。神剣に細工を施した結果、スピリットにも影響が現れたのかもしれない。

 

 実験動物。モルモット。

 

 そんな言葉が相応しい哀れな同胞たち。異常に力が強い者もいたが、碌な戦術行動は無く、歴戦のラキオススピリット隊の敵ではなかった。

 あの時は急いでいたから分からなかったが、今考えてみると、もう助かる見込みの無いスピリットを介錯していたのではないかとすら思える。

 

 最奥にあったエーテルコンバーターの前にはキェドギン大統領が待ち構えていて、セリア達の顔ぶれを見て皮肉そうな笑顔を浮かべた。

 

「役者共の姿はないか。コウイン達が上手くやった……いや、俺がその程度の存在と思われているのだろうな。だからこそ、ここまで出来たのだろうが」

 

「貴方がマロリガン大統領のキェドギンですね。もはや勝敗は決まりました。これ以上の犠牲は無用のはずです。大人しく降伏を」

 

「俺は意思を貫き通すまでだ。人が全て奴等の奴隷だと思われては業腹だろう?」

 

 キェドギンは訳の分からぬ言葉を言い放ちながら、不気味な永遠神剣と小さなマナ結晶を振りかざす。目も眩むような光が周囲に満ちたと思うと、そこには一本の神剣を持つ白い少女の姿があった。非常に珍しいホワイトスピリットである。

 

 姿を変えたのか。それとも呼び出したのか。

 キェドギンはどうなったのかと、考える暇も無く謎のホワイトスピリットは襲い掛かってきた。

 

 攻撃、防御、魔法。全てが強力無比。マナを光の粒子に変化させ、暴風の如く扱う術は正に脅威。力そのものは悠人や横島と匹敵するほどだ。スピリットと見れば破格の領域だろう。

 だが、それだけだった。

 悠人のような我慢強さを持たず、横島のような柔軟性も無く、スピリットのような技術も無い。

 光の猛威は初撃でセリア達を半死半生まで追い込んだが、そこまでが限界だった。

 

 グリーンスピリットによる回復。

 ブラックスピリットによる弱体化。

 レッドスピリットによる砲撃。

 ブルースピリットによる斬撃。

 

 基本の連携で程なく謎のホワイトスピリットはマナの霧に返った。

 後はエスペリアがエーテルコンバーターを操作して大陸が吹き飛ぶ危機も去った。

 激戦であったのは間違いない。しかし、終わって見ればあっさりしたものだ。

 

 最後は隠れ潜んでいた人間達に大陸の危機が去ったことを伝え、やってきた横島達と合流して終わり。崩れた瓦礫の撤去を少しだけ手伝って、全員が無事にラキオスに帰還している。後は人間達の仕事だ。

 

 横島と悠人は少しの間だけ友人達と話し合えたようだが、シロ達は敗残の将としてラキオスに護送されて今現在は引き離されている。ヨーティアが色々と検査しているらしい。

 まあ、もう数時間後には色々と話し合えるだろう。

 

 それらの事情をさらりとノーラに伝えると、彼女は満足したように頷く。

 

「それで十分さ。あんたらが敵を倒し、民を救ったという事実があれば、それだけでスピリット派の私達には都合が良い。あとは盛り上がるように喧伝してやろう」

 

 ノーラの言葉にスピリット一同は深く頭を下げた。

 スピリットの味方がここにいる。自分達が活躍すればするほど、彼らを助け、それが同胞の幸せにも繋がっていく。

 誇りと希望が胸に満ちるのをセリア達は実感していた。

 

「感謝を」

 

「感謝なんかするんじゃないよ。あたしら自身の為でもあるし、それにちょっと前まではあたしもスピリットを嫌っていたんだから……すまなかったね」

 

 本当にどうしてスピリットを嫌っていたんだか。

 

 ノーラはそう不思議そうに呟く。

 スピリット達はそんなノーラを嬉しそうに見つめ、視線に気づいたノーラは恥ずかしそうに咳払いした。

 

「ごほん……しかし、女王陛下はマロリガンをどう統治する気だろうねえ」

 

「いつも通りにするだけでは?」

 

「いつも通りにできないから言ってんのさ」

 

 マロリガンは今まで下してきた国々とは何もかもが違う。領土の広さ。都市の数。ラキオスとの距離。政治形態。さらに汚職に塗れていた実態。有力者の死。挙句に世界を滅ぼしかけた経緯もある。

 

 いつもの『王族の領地だけを直轄地としてラキオスに組み込んで、殆どの領土は今までの貴族豪族に任せる』なんて出来るわけがない。

 

 レスティーナも頭を抱えているだろう。問題が山積みすぎるのだ。これを治めるというのは並大抵の負担ではない。もはや罰ゲームに近いだろう。

 武力と財力を取り上げて、後は勝手にしててくれと言いたいところだが、自治を任せるわけにはいかない。腐れ果て、まともな人材が育っていないマロリガンを放っておけば四分五裂となって戦争を始めかねない。

 世界の存続にはエーテル機関を封鎖する必要がある以上、マロリガンは完全解体した方が後の為である。

 

 となれば、どう治めるのかを考えなければならない。

 レスティーナが直接統治するには物理的な距離がありすぎて難しい。

 ならば領主や代官を置こうにも、旧ラキオスの10倍は領土があるのだ。地理や国民性の違いもあり、よほど有能でなければ治めるのは難しい。何よりも勲功が存在しない以上、据える口実もない。どう人選しろというのか。

 となれば傀儡政権や分割統治などの手法になるだろうが、それは民に負担と恨みを背負わせ、レスティーナの名声を損なわせてしまう。スピリットの融和政策やエーテル技術の封印という無茶苦茶が世に浸透してきているのは名声あってこそだ。これも難しい。

 

 ノーラがこういった問題を簡潔に説明すると、スピリット達は「へー」と気のない返事をした。

 

「ヨコシマが言うには、普通は戦争で兵を出したり活躍した奴らが土地とかの恩賞が貰えるんじゃないか、って話だけど……」

 

「ハイぺリアでは人間様が戦争で活躍するんですよね……死んじゃったりしないのかしら」

 

「非常識な世界だと思います」

 

 スピリット達は想像もつかないと頭を捻る。

 人が戦争に参加しないこの世界では、まず戦争と人が結びつかない。

 軍とは警察や公安を指していて、対外武力を意味していなかった。

 とにもかくにも、様々な前提条件が違いすぎるのだ。横島や悠人の世界での国家論、戦争論など、何の意味もなさないだろう。

 

「ま、難しい事はお偉いさんが考える事だけどねえ」

 

 ノーラの言葉に皆が頷く。

 自分達には関係ないと思っているのだろう。

 だが、実のところノーラには少しだけマロリガンを任せられる人物に心当たりがあった。それも、セリア達に大きく関係がある人物が。

 まずありえないとは思うが、この激動の時代ならば――――

 

「どうかしましたか、ノーラ様?」

 

「……いや、なんでもないよ。それと、あんた達にはもう一つ皆が知りたがっている話題がある。ヨコシマとはどうなんだい」

 

「どう……と言われても。私達は隊員と隊長というだけの話ですが」

 

「それ以前にあるだろうが。女と男の関係がね」

 

 どこか楽し気にノーラが言うと、セリアはうんざりしたような顔つきになって、他のスピリット達も視線をそらした。

 

 露骨過ぎる態度にノーラは笑いそうになったが、これだけで幾つかの事情は察せられる。

 間違いなく横島を意識しているが、だからこそ意識しないようにしていると。

 

「人の間では随分と噂になってるよ。デートに贈り物と、ヨコシマは随分と攻勢をかけているようだね。誰か一人に決めているわけではないのが、あの助平男らしいが……しかし本気であるのは分かる。愛されてるねえ」

 

 セリア達は町に行くことが格段に増えた。買い出しだけでなく、簡単な仕事や人から雑事を教えてもらうことすらある。街中でスピリットを見かけるのは、もう珍しいことではない。横島もそこに付いていく。

 起こるは夫婦漫才に痴話喧嘩。下手な漫才よりも遥かに面白いコメディが巻き起こる。その騒ぎを楽しみにしている人も多いのだ。

 もはやラキオスに横島と第二詰所の痴態を知らぬ者はいないだろう。ラブコメの結末はどうなるか。人間達の視線が注ぎ込まれている。

 

「ヨコシマがあんたらと懇ろになりたいのは言うまでもない。後はあんたらの気持ち次第だ」

 

「……あんなアホで変態な人を相手にできるわけないじゃないですか」

 

「誤魔化すんじゃないよ。あの男は確かにアホで非常識な変態に見えるが、それは度を越した行動力と女好きがそう見せているだけだ。あれで頭は切れるし、根っこは常識的で性癖は極めてノーマルさ。あんたらがそれを知らぬわけが無い」

 

 反論は無かった。ただ呻くような沈黙が満ちる。

 もはやノーラは呆れるしかない。ここで『そもそも愛していない』という反論が出てこない時点で、お察しである。せめて隊長として愛しているとでも誤魔化せばいいのに。

 

「何か勘違いしているようだが、私は別に受け入れろと言っているわけじゃない。受け入れるにしろ、拒絶するにしろ、そろそろ答えを返してやれと言っているんだ。本気で拒絶すれば、いくら変態でも諦めるだろう」

 

 それが礼儀だ、とノーラは言う。反論の余地もない正論だ。

 セリア達は黙り込んだ。その表情は青白く、まるで病院に行くのを怖がる子供のようだ。

 

「何を怖がっているんだか。ぼやぼやしてると皺くちゃの婆になってポックリ逝っちまうよ」

 

「……戦闘奴隷の私が天寿をまっとうできるとは思えないですけど」

 

「目をつぶるのをやめな。戦闘奴隷? あんた達は子供を作れないだけで、ただの女さ」

 

「簡単に言わないでください! 今まで唾を吐きかけてきて、急にただの女なんて!!」

 

 落ち着きのあるセリアにしては珍しく声を荒げる。他のスピリットも表情を厳しくした。

 それこそつい先日まで人から戦闘奴隷としての扱いを受けていた。それが唐突に普通の女扱いだ。馬鹿にするなと反発するのも当然である。

 配慮が足りなかった、とノーラは素直に頭を下げた。

 

「すまなかったね」

 

「いえ、大声出してすいません」

 

 互いに頭を下げあう。それでも、ノーラは言葉を続けた。

 

「それでも、もう一度言うよ。あんた達は、ただの女だ。ただの女になるんだよ。

 町人のように働いて、誰かと愛し合い、子を育て……子供が出来なければ養子でも取ればいい。そして巣立ちを見守る。普通の生活だ。尊い生き方だ

 それが現実になろうとしているのさ。女王陛下や、あんた達の隊長の活躍でね」

 

 諭すように言われて、今度は誰も反発しなかった。

 本当にそういう未来があるかもしれない。そう思わされるだけの状況になりつつある。スピリット達もそれは否定しない。だが、ノーラの言う『尊い生き方』とやらには興味は惹かれなかった。

 これ以上、望むものなどありはしないというのに。

 

「普通の生活なんて……私達はただヨコシマ隊長の元で戦えればそれでいいだけです」

 

「ヒミカ……おまえさんは馬鹿か。ヨコシマが隊長を辞めたらどうするんだい。他の部隊のスピリット達だっているんだろう。異動する可能性は十分にあるんだよ」

 

「ありえません」

 

 きっぱりとした声が響く。

 無表情でありながら瞳に強烈な感情を宿したナナルゥがノーラを睨みつけるように見据えていた。

 彼女はいつもとは比べ物にならぬほど饒舌に語り始める。

 

「ヨコシマ様は私を……第二詰め所を非常に好いてくれています。私達は彼に好かれるように自分を磨き続けます。これにより、何があってもヨコシマ様は私達を追いかけてくれるのです。異動などありえません。また、好意に応えなどしたら、今の関係が終わりかねません。つまるところ私達がヨコシマ様を受け入れなければ、この関係はずっと維持できるのです」

 

「ん、んん? ……いやまてまて。あんた、自分が何を言っているのか分かってるかい」

 

「承知しています。第二詰所は永遠です」

 

 今の関係を守りたい。仲良しこよしのグループを維持したい。この関係が壊れるのが怖い。

 結局の所はそれに尽きるのだろう。だからこそ、関係が壊れる惚れた腫れたの問題を遠ざけようとしている。

 

 ノーラは嘲笑した。

 

 馬鹿者め! 自分達の都合でヨコシマを縛り続けているのが分からないのか!!

 

 横島からすれば一生モノに出来ない女達を愛し続けろと言われている様なものだ。いずれ見切りを付けられるだろう。  

 それとも、横島がモテないから大丈夫だとでも思っているのか。

 この激変かつ人材不足の時代に、あれだけ有能かつ迷惑極まりない横島をほうっておくわけがない。戦争が終わればレスティーナは彼に妻でも娶らせて非常識な行動を抑制させるだろう。後は要職に就けて思う存分に使いまわすに違いない。

 

「臆病者が。そんなに貞操が大事かね」

 

 何故そこまで関係の変化を恐れるか理解できないノーラは、体を許すのが恐ろしいからだと判断した。

 清く清純な乙女は、男女の性交を汚らしくとらえる時期がある。妖精であり、男に免疫がない彼女達なら性に対して忌避感を持つのもありえるだろう。

 だが、貞操の言葉にスピリット達はキョトンとした。ナナルゥは僅かに首を捻りながら口を開く。

 

「ヨコシマ様との性交渉は是非してみたいと考えています。問題は、ヨコシマ様が責任を取るなどと言う可能性です」

「は?」

「そうですね。それなら好きなだけヨコシマ様と……ひあああ」

「ちょっと! 何て卑猥な……慎みを持ちなさい」

「そうね。淑女としての慎みを持つべきだわ」

「セリアさんもヒミカもああ言ってますけど~実際はどうですか、ナナルゥさん~」

「はい。毎夜ヨコシマ様と切ない声で鳴き、何故かシーツをこっそり洗っている姿が」

「毎夜じゃないわよ! というか聞き耳を立てるな!!」

「プ、プライベートが欲しい……」

「そこで野外ですよ~」

「誰かに見られたらどうするの!」

「空中ですればどうでしょう」

「落ちながら墜ちちゃいますね~」

「それは逝くわね」

 

 割と遠慮のない猥談と、何より責任を取らなければよい発言にノーラは呆れかえった。

 セックスフレンドなら良いと言っているようなものだ。

 横島の影響か。それとも元からか。スピリットは意外と性に大らかなのか。

 

「あんたらねえ……」

 

「あ、あれ? 女の人とはこういう話題が盛り上がるんですけど」

 

 困惑したようなヒミカ達の様子。

 なんのことはない。これはつまり、話題に詰まって下ネタに頼った挙句に滑った図だ。

 性の話題に食いつく思春期特有のアレが第二詰め所に広まりつつあるらしい。

 

「確かにシモの話ってのは面白い。盛り上がるのも分かる。

 だけど苦手って奴も多いもんさ。会話に困ったからといってシモ話を振るのはお勧めしないよ」

 

「はい……うう、恥ずかしい」

 

 ノーラの説教にハリオン以外のスピリットの顔が羞恥で赤く染まる。

 

「だが、まあ……なんだ。そんなにやりたいならやったらどうだい」

 

 男女の営みに興味があるのなら、ヤルことをヤってゴールインすればよい。

 グチグチと恋愛云々と語り合うよりも、その方がよほど建設的で生産性もある。ヤラずに後悔するより、ヤッて後悔するという名言もある。子供を作るのだけは慎重になるべきではあるが。

 

 だが、こう言えばダンマリだ。皆そっぽを向いている。

 いい加減にしろとさらに声を張り上げようとしたノーラだったが、ここで皆を庇うようにハリオンが前に出た。

 

「ノーラ様の言う事は分かるんですけど~もう少しだけ待って欲しいです~もう少しだけ……もう少し……もう少しこの幸せを」

 

 切なく、必死に、まるで喘ぐ様にハリオンが言った。

 それはモラトリアムを必死に伸ばそうとする大人になりきれない子供の姿。

 イドとエゴに満ち溢れた人間そのもの!

 

 痛々しく、愚かしく、愛らしい。

 

 抱きしめたくなるような、突き飛ばしてやりたくなるような、未成熟な子供の精神が彼女達に育っている。彼女ら自身が子供でありたいと願っているのかもしれない。スピリットとして最も心を成長させ、変革の時代の最先端にいる彼女らが停滞を望んでいるというのは。何たる皮肉か。

 

 子供時代を、人間性を、愛を、様々なものを犠牲に神剣の戦士として大人のなった彼女らが今を手放したくない思うのも当然ではあるのだろう。ノーラだって血と差別に塗れて生きてきたスピリット達に、輝かしい青春を謳歌してもらいたいとも思う。だが、それでも。

 

「あんたらの気持ちは分かった。幸福に育った人間には分からない欲求もあるんだろうさ。でもね、物事には時期ってもんがある。潮時ってもんがある。

 ヨコシマが来て一年と半年。それだけの期間、アプローチを受けたんだ。いい加減に答えを出してあげなさい。受け入れるか、断るか」

 

「そんな……それじゃあ」

 

 『今』の幸せが壊れてしまう。

 

 蚊の鳴くような声が聞こえてきた。まるで悲劇のヒロインのような表情をしている。その美しさと醜悪さに、ノーラは唾を吐き捨てるのを必死に我慢した。

 

 永遠に続くラブコメディなど存在しない。

 何をどう言いつくろうと、今のセリア達がやっている事は言い寄ってくる男をキープして先に進ませなくしているだけ。喜劇も過ぎれば悲劇だ。

 

 だから、ノーラは決然と言い放つ。

 

「いいかい。あんたらが守ろうとしている奴は尊い。だけど守り続けていけば誰もが不幸になるもんだ。自分達の立場や状況に見合った環境を構築するのが大人って奴さ。その為には今の状況が壊さなきゃならん。例え、痛みを伴ってもね。永遠なんてものはありゃしないんだよ」

 

「分かっています! 分かっていますから、もう止めてください! しつこいです!」

 

 苛立った様にセリアは「分かっている」と言葉を繰り返す。

 

 ノーラは小さく溜息をつく。結局こういう反応になるとは思っていた。

 部外者の年寄りが訳知り顔で若者に説教すれば、こういう反応を返すのが当たり前。自身も若い時に同じような返答をした。はい分かりました、と素直に言えるほうが異常なのだ。

 だがそれでも、年長者として経験者としてノーラには言う義務が存在した。

 

「私は何度も警告したよ。もしも、あんたらの望む未来が訪れなかったとしても、それで裏切られたとか泣き喚いて八つ当たりするような真似は止すんだね。選択権はあんた達にあったのに、それを放棄したんだから」

 

 怒りと、そして切なさを感じさせるような声でノーラは言い切る。

 本来ならノーラはここまでお節介を焼かない。むしろ放置するだろう。

 

 愛情よりも友情を取った。

 

 一言で表すならそれだけだからだ。正解も不正解もない。

 確かに一歩を踏み出さずにただの仕事仲間で終わって後悔する可能性はある。それはそれで良いのだ。こんなはずではなかった、と痛い目を見ながら若人は成長して幸せに邁進して行く。失敗は後の成功へと繋がるものだ。

 

 だが、相手が横島と言うのが悪い。最悪だ。何故なら、アレは代わりがいない男だからだ。

 横島よりも優しい男。頭が良い男。顔が良い男。そんなものは幾らでもいるだろう。異性なんて星の数ほどもある。好みだって人それぞれだ。アウトドアが好きか、インドアが好きか。甘い物か辛い物か。そこに勝敗も優劣も、本来は無い。

 だが、横島以上にインパクトがある男はまずいない。良くも悪くも特別すぎる。セリア達はそれに触れすぎてしまった。ゲテモノである横島が男の基準なのだ。今後、どれだけ良い男が出てきても普通の烙印が押されてしまうだろう。

 

 強烈な味の料理を食べた時に似ている。

 あまりに鮮烈過ぎる味は、美味い不味いに関わらず次の料理の味を打ち消してしまう。それを食し続けると、普通の食事が物足りなくなる。

 横島という強烈な個性を味わい酔ってしまった第二詰め所が、普通の良い男を特別視できるだろうか。ノーラは、不可能だと結論した。

 

 結果、行きつく先はどうなるか。

 

 まず横島はいずれ第二詰め所を見限るしかなくなる。女との幸せでエロい生活を求め、別の女の尻でも追いかけるだろう。第二詰所のスピリットは恋が出来なくなって結婚は出来ない。子供も生まれない。そうなると時間にゆとりが生まれ、自己を鍛錬し仕事に打ち込めるようになる。

 そうして、賢く、強く、財力のあるババアができあがるのだ。それが不幸せであるとは思わない。思わないが、自身を尊敬しているというセリアには別の道を歩んで欲しいという親心にも似た何かがあった。

 

 親心は子供には伝わらない。伝わっても疎ましく思われる。

 異世界でも、それは変わらないらしい。

 

 

 ノーラの説教の所為で場は冷え切っていた。お茶も冷たくなりつつある。

 唐突にノック音が響く。悪くなった空気を変えるにはちょうど良いと、セリアは助けを求めるように玄関を開けた。

 赤メッシュ入りの銀髪と坊主頭が目に飛び込んでくる。シロと光陰だ。その後ろには所在なさげなタマモの姿がある。

 神剣を砕かれたタマモは当然として、シロと光陰の二人も神剣を見につけていなかった。

 

「戦場で相対した事もありましたが、ここは改めて始めましてでござる。拙者、犬塚シロと申す。こちらは碧光陰殿とタマモでござる」

 

「これはご丁寧に。私は『熱病』のセリア。御三方の事は、よくヨコシマ様やユート様から聞いております」

 

 格式ばった言葉に、光陰は困ったように坊主頭をかいてみせた。

 

「そんなに丁寧に返さないでくれよ。俺達みたいな敗軍の将に」

 

「ですが、やはり人間様が相手となれば……」

 

「拙者達は横島殿や悠人殿の友でござるよ」

 

 実に便利な言葉だ。

 それだけでセリアの姿勢から少し力が抜けた。あの人達の友なのだ。肩に力を入れる必要もあるまいと。

 同時に、あの人達の友ならばさぞ面白可笑しい人物だろうと身構えてもいたが。

 

 

 シロと光陰。

 タマモと今日子。

 

 戦争が終わって四人はラキオスに参入した。 

 言葉にすれば一文だが、シロと光陰に関しては紛糾があった。

 

 シロと光陰の二人は大統領の手先となりラキオスに抵抗し、さらにマロリガンの有力な権力者達を殺害した。

 スピリットと違い、自分の意思で行動した以上、罪人として処刑すべきとの声が上がるのは必然だったろう。

 

 だが、調べが進むとシロ達が殺害した人間達は腐りきっていた実体が明らかになる。

 民主制とうたっていたが、実質は一部の名家がマロリガンを牛耳り好き放題やっていたのが実態だったらしい。

 

 もしもシロ達が殺害しなければ、ラキオスは病巣を抱えるようにマロリガンを併合しなければならなかっただろう。レスティーナとしては喝采を上げたいほどのファインプレイだ。

 マロリガンの民衆も自分達が信じていた政治が最悪だったと理解し、此度の敗戦を彼らに押し付けている。

 悪かったのは死人だけ。そして死人に口なし。生者にとって、それが一番良き結末だった。

 

 まあ、なによりも光陰とシロを処刑するなど悠人と横島が認めるはずも無い。

 もし処刑などすれば彼らは離反し、ラキオスはサーギオスとの戦争に負け滅びてしまう。

 

 落とし所として二人はスピリット以下の立場となって、ラキオスの兵士となった。

 戦闘時だけ神剣の帯剣を許されて、常にラキオスの為に最前線を駆け巡るのを余儀なくされる。エーテルによるレベルアップも優先順位を下げられ、不穏な様子を見せれば即座に拘束されるだろう。辛い立場に立たされているのは間違いない。

 しかし、当の本人たちは朗らかな笑顔を見せている。

 恋人と仲間を助けられ、親友と先生との殺し合いも無くなった。シロ達からすれば万々歳の結果だからだ。

 

「こちらこそよろしくお願いします。ですが、面通しは数時間後の……」

 

「ちょっと予定が変わったのでござる。その件もあり、ヨコシマ殿と話があるのですが」

 

「ヨコシマ様は……確か第三詰所の近くにいると聞いていますが、正確な場所は……」

 

「拙者にはこの鼻があるでござる。近くまでいけば問題なしでござるよ」

 

 それでは、また後で。

 シロと光陰は礼をして歩き出す。だが、タマモはその場でウロウロとしていた。

 

「タマモ、いくでござる」

 

「あ、うん」

 

 ここまでの会話は全て聖ヨト語で行われてい為に、タマモにはまるで理解できないのだ。

 どこか不安そうに、よろよろとタマモはシロの後を追うように歩き出した。

 





 悩める後書き

 少し長くなったのと状況説明ばかりなので前編中篇後編に分けました。明日明後日と投稿します。
 今回はマロリガンの戦後処理を考えて大苦戦。書いては消してを繰り返して、挙句に途中で全部消して放り投げました。原作では敗戦国の戦後処理という話題は一切ありません。問題なくラキオスの統治下に入ったというだけ。この情勢下で、どうすれば問題なく治められるのか。戦争の前提……というか国家としての前提がリアルと乖離しているので『現実的に考えて』という言葉が使えません。完全に思考実験です。
 結局、読者の想像に任せるのが無難だと思われます。続編のスピたんでは間接的に触れているのですが、それは前提が覆ったからですしね。

 この物語は横島の活躍がメインなので、こういった不明瞭部分に深く触れる必要はありません。でも、こういった所で納得の行く説明が出来ると世界観に深みが増すので惜しいところ。でも『現実的にあり得ない』という事実そのものが、この世界の本質を説明できるので、説明できないことが説明なのかもしれません。


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第三十五話 進む世界で足踏みを 中篇

 第三詰所の近く。

 シロ達が横島がいると聞いてやってきた場所には奇怪な人型がいた。

 人型は少しずつ形を変え轟き、凄まじい奇声を辺りに撒き散らしている。

 

 なんだこの化け物は、とシロ達は遠くから恐々と観察して正体が判明する。

 7人ほどの幼児スピリット達が横島に群がっているのだ。幼児達は横島の体を上り下りして、叩いたり舐めたりしながら叫びまくっている。少しだけ年長の子供スピリットが横で「ダメだよ~」と困ったような声をあげていた。

 タマモは何かを思い出したようで、ポンと手を打った。

 

「あ~こんな感じの場面、テレビで見た記憶があったわ。確か、ススメバチに群がるミツバチがこんなだった」

 

「子供は汗をかいて体温が高い……これは拷問でござる」

 

「おお、なんという。コレが噂に名高い幼女ハンター横島の力なのか」

 

 光陰は尊敬と羨ましさの余り、仏にするように合掌した。自他共に認めるロリコンである光陰にとって、幼子に包み隠されるというのは天女に包まれているに等しい。

 しかし、大多数の人間にとって幼女包みはただの地獄に過ぎない。

 

「カンチョーを食らえー!」

「虫さんをヨコッチの服にシュー!」

「はむ、はむはむ!」

「ヨコッチー! きいてきいて~あのね~今日ね~ゆめでね~」

「チチーシリーフトモモー!」

 

 横島の体を全力で触り、叩き、吸い付き、弄ぶ。まるで遠慮というものが感じられない幼児スピリットの群れ。横島を全力で遊べる玩具とでも思っているに違いない。しかし横島もただ玩具にされるだけではない。

 

「ヨコシマン幼子分離霊波光線!!」

 

 ピカーと横島の全身が光り輝く。

 光に押され「ぬわ~!」と横島から弾き飛ばされる幼児達。

 だが、その程度で幼児達が玩具を諦めるはずもなく。

 

「のりこめー!」

「チューしよ~!」

「毛をむしろ取れ~!」

「前にも後ろにもカンチョーだ!」

「ゆめでね~どーんってなってね~そしたらね~」

「チチシリフトモモー!」

 

 砂糖に群がる蟻のように横島を登り始める幼児達。

 もう服はヨレヨレで、顔は涎でべたべた。すね毛は毟られ、尻は割れ、乳首を抓られる。

 幼児達はエンジョイ&エキサイティングを横島で満喫していた。

 

「ヒギィィィあああぁぁぁ! 離れろ、このクソガキ共がーー!!」

 

 ヒギィィィまで言わされた横島はとうとう切れた。

 群がってくる子供達をちぎっては投げちぎっては投げの無双を見せる。

 とはいえ、子供に優しいイメージを崩さないのと怪我をさせない為に、優しく投げ飛ばす程度しか出来ない。子供達からすれば投げて遊んでもらっているだけだ。

 より歓声をあげてアトラクションに向かうが如く横島に突撃していく。

 

「もー! みんな~ダメだよー! うう……でも楽しそう……」

 

 唯一、止めようとしていた子も、手をうずうずとさせて今にも飛び掛っていきそうになっている。

 どうしてこうなったのか。説明するまでもない。

 

 この幼児スピリット達はある目的の為に各地より集められた。

 いつも冷たくあしらわれている遊びたい盛りの子供が、同じような子供達と合流し、そこに遊び上手な横島が現れる。火にガソリンをぶっ掛けるようなものだ。

 哀れ横島は、このまま幼児達の慰み者に――――

 

「何やってるんですか、ヨコシマさん」

 

「あはは、ヨコシマ様ベトベトー!」

 

「ベトベト~」」

 

「遅いぞお前ら! 早く助けんかい!」

 

 そこに新たな集団が現れる。

 人間の子供であるリュートに、ネリーとシアーだ。

 彼らの後ろには人間の子供達の姿もちらほらとある。歳は12歳前後といったところか。3,4歳程度のスピリットから見れば、一回り以上も体格差があるだろう。幼児スピリット達は横島の後ろに隠れて、人間の子供達を警戒する。

 自分達よりも一回り近く年の差があるというのも理由の一つだが、やはり人間というのが大きい。人にどういう扱いを受けていたのか、これだけで察せられるだろう。

 

 だが、こうなるのは横島とリュートの想定内だ。

 

 しっかりやれよ!

 言われなくても!

 

 アイコンタクトを交わすと、リュートはスピリットの幼児達に近づいた。

 

「こんにちは」

 

 腰を屈めて幼児達と同じぐらいまで目線を下げ、やさしく微笑を浮かべて挨拶する。

 幼児達はおっかなびっくりといった様子だったが、一人の幼児が勇気を出して前に出た。 

 

「こ、こ、こんにちは」

 

「うん。挨拶できて偉いね」

 

 リュートが挨拶できた子を褒める。褒められた子は凄く嬉しそうだ。

 それを見ていた子が、意を決したように横島の後ろから飛び出した。

 

「こんにちはー!」

 

「おお、元気が良いな! 凄いぞ!!」

 

「えへへ!」

 

 幼児達は顔を赤くてモジモジしながら挨拶を始める。横島の時と違って暴れることもなく、借りてきた猫の様に大人しい。正統派美少年の爽やか王子様スマイルは効果抜群だった。芸人と王子様なら、そりゃ対応が違う。それが真理である。

 異世界であろうと変わらない残酷な真実に、横島はいつもの如く世界を呪った。

 

「おのれー! ガキでも女か!? 所詮はイケメン好きか!? おい、リュート。こいつら猫被ってるから気をつけろよ。さっきまでカンチョーだウンコ投げたりとか、やべえ連中だからな」

 

「ヨコッチのバカー!」

「やってないよ! やってないからね!」

「チチーシリーフトモモー!!」

「お前はもう少し猫被れよ!」

 

 やはり横島の周囲はこうなるのか。

 このままでは収拾がつかなくなると、リュートは柏手を打って幼児の注目を引いた。

 

「みんな、これからお兄ちゃんやお姉ちゃんと学校に行こう」

「おー学校!」

「べんきょーだべんきょーだ!」

「いってみたい!」

 

 幼児達はノリノリである。

 人間の子供達が楽しそうに学校に行っているのを見ていたのだろう。

 

 だが、意気揚々な幼児達の中で、少し年長のスピリットだけは違った。

 怯えたように震えて横島の足に縋りつく。

 

「あの、その、わたし達はがんばって神剣を使います。戦いでもかつやくします。だからヨコッチ様! わたし達の隊長になってください。学校は……ダメ!」

 

 まだおぼつかない言葉遣いで、必死に頼み込む。

 

 学校はいやだ。調教はいやだ。

 

 真っ青になり震える唇から、そんな言葉が小さく漏れた。

 彼女は偶然だが見てしまったのだ。勉強をして、最低限の生活を出来るようになったスピリットの行く末を。

 

 酷いことをされて心を壊されるくらいなら、例え死ぬとしても信頼できる隊長の元で戦いたい。

 これが、まだ生まれて一年の幼児がした決意だった。

 

 横島の芸人魂はすぐさま幼児を元気づけ笑顔にする方法を考えつく、だが、強い意志で自身の行動を押さえつけた。足に縋りついてくる幼児の肩に手を置きながら、チラリとリュートを見る。出来ればリュートになだめすかして欲しかった。この幼児達と付き合いが多くなるのはリュート達だからだ。頼りになる仲間は多いに越したことは無い。

 

 だが、リュートは困惑したような表情を浮かべたまま動かない。否、動けない。

 リュートはどうして彼女がここまで恐怖しているのかを知らない。知らない為に、どうやって安心させれば良いのかなど分かるはずもない。

 教えればよいのかもしれないが、スピリットの調教云々は、どうしてもえげつない話になってしまって、リュートが変にスピリットに同情してしまう恐れもある。それにリュート自身もまだ子供だ。無理に暗部を見せたくもない。

 

 やっぱり俺がやるしかないか。

 

 横島はそう思った時だ。

 青の姉妹が飛び出してきた。

 

「ねえねえ、これを見て!」

 

 ネリーがポニーテールをふりふりしながら筒状の何かを差し出す。

 

「なに、これ?」

 

「マンゲキョウだよ! ほら、見てみて!!」

 

 幼児に万華鏡を覗き込ませる。

 眼に映るは幻想の世界。

 

 赤、青、黄色、

 丸、三角、四角。

 くるくる回すとくっ付いたり色が変わったり。

 色取り取りの光迷宮。

 

「きれー」

 

 幼児は、もうそれしか言葉に出来ない。

 得意げにネリーが胸を張った。

 

「このシアーが作ったんだよ! どう、凄いでしょ!!」

 

 何故かネリーがドヤ顔を披露する。

 妹の活躍も姉の物、という事だろうか。

 シアーは恥ずかしそうに頬をかいている。

 

 だが、そこで幼児の顔が険しく変化した。

 

「嘘つき! スピリットのぶんざいで! きたならしいせんとうどれいが!」

 

 幼児は目に涙を溜めながらシアーを罵る。

 悲しい言葉だと誰もが感じた。

 その言葉が何度となくこの幼児を打ちのめしてきたのだろう。

 

 シアーはにっこりと微笑む。一年前の自分が目の前にいた。

 スピリットであることに悲しみしか感じない。自己を卑下しながら、ただ生きているだけ。

 自分は幸運にも姉や仲間が周りにいたが、それでも世界は冷たく空虚だった。

 

 今は違う。世界は万華鏡のようにキラキラと輝いている。

 どうして世界が変わったのか。無論、人がスピリットを受け入れ始めている現状があるからだが、それ以上に自分が自分を肯定できるようになったからだ。どれだけ戦闘奴隷と人から貶められようが、自分の手で綺麗で面白い物を作り上げ、その現物が目の前にあるという事実がシアーの心を強くした。

 

 今度は私の番だ。

 以前にヨコシマ様に与えられたものを、今度は私が与えないと。

 

「万華鏡……ちょっと借りるね」

 

 シアーは万華鏡を手に取ると何やらいじりだす。

 そして、もう一度、幼児に万華鏡を差し出した。

 

「もう一度見て」 

 

 静かだが強いシアーの言葉に逆らえず、幼児は万華鏡を受け取って覗き込む。

 すると、世界が変わっていた。緑、紫、橙。星型、菱型、六芒星。

 

「うわあ! すごいすごい! 色が変わったよー!」」

 

「自分で綺麗なものが作れるんだよ」

 

「自分で!? スピリットでも?」

 

「今、目の前で見せたでしょ」

 

 ここで幼児の顔つきが変わった。

 希望を目の前に置かれ、ふつふつと燃えるような気力がわいてくる。

 好奇心と行動力に満ち溢れた子供の顔だ。

 

「学校に行って勉強したら、これ以上に綺麗なのが作れるよ」

 

「行く! 学校に行きたい!!」

 

 シアーは見事に幼児を説得した。

 その手際の良さは横島も感心するほどだ。

 

「シアー……いいよな」

「うん。良い」

 

 そんなシアーに人間の男子達は鼻を伸ばしている。

 それも当然か。男子達の泥団子作りや弓矢作りにシアーは夢中になって笑顔を向けてくれるのだ。おしとやかな性格もあり、一種のアイドル的な存在になりつつある。

 そんな男子達に女子達は鼻を鳴らす。

 

「もうもうもう! 男子共! 何をデレデレしてんのよ!」

 

「デレデレなんかしてねえよ!」

 

「ふっふっふ! まあネリーはクールだから仕方ないね!」

 

「ネリーは関係ないでしょ!?」

 

「ネリーはないよなー」

 

「がーん! クールなはずなのに!」

 

 ネリーのおバカな言動は男女共に笑いと元気を与えていた。

 彼女の行動力は人間とスピリットの子供の架け橋になりうるだろう。ハリオンという特異点を除けば、青の姉妹は最も人に近しいスピリットだ。

 そんなシアーとネリーの活躍を誰よりも喜んでいたのは横島だったりする。これが俺の第二詰所だと鼻高々だ。

 

 なにはともあれ、スピリットの幼児達は人間の子供達と学校を見に行くのに賛成した。

 これで子守から解放されると、横島もほっと胸を撫で下ろす。

 

「おう、リュート。それとガキ共も、また後でな」

 

 手をひらひらさせると、

 

「やだー! ヨコッチも一緒にいくのー!」

「わたしがべんきょー教えてあげるよ~」

「らくだいせーだもんね!」

「何でこんなガキにまで馬鹿にされなきゃいけないんじゃー!!」

「ヨコシマさんだからな~」

 

 さもありなんとリュートは頷く。

 結局、またすぐに会えるからと宥めてなんとか落ち着かせる。

 

「そんじゃあ、また後でなー」

「うん! またねヨコッチーー!」

「ぜったいにまた遊ぼうねーー!」

 

 人間の子供達とスピリットの幼児達は二人一組となって手を繋いで、学校に向かって歩き出す。その光景は新たに小学校に入った一年生が六年生に手を引かれていく光景そのものだった。

 

「これも仕事だ」

「何で私が」

 

 一部の人間の子供達はスピリットと手を繋ぐことに不満そうだが、それでも幼児達には嫌そうな顔は見せていない。その辺りの分別はしっかりついている。

 大体上手く行ったと、横島は満足そうに見送る。そして、ここでようやく彼らに視線をやった。

 

「んで、お前らは一体いつまで遠くで見てるんだよ」 

 

「いやいや、なかなか近づくタイミングが掴めなかったのでござるよ」

 

 今まで騒ぎを見守っていたシロ達が横島に近づいた。

 

「二週間ぶりでござるな。横島殿」

 

 横島殿。

 

 シロの言葉に横島とタマモの眉がピクリと動く。

 横島は不満そうな表情だが、どこか諦めたように息を吐くだけだった。

 

「二週間ぶりって言ってもマロリガンじゃ殆ど話せなかったけどな。タマモも元気だったか」

 

「あ……うん……その、横島は……」

 

 歯切れ悪くタマモは何を横島に伝えようとする。どこかオドオドした様子は、いつものタマモらしくない。

 結局、タマモは何も話さなかった。タマモ本人も何を話したらいいのか分からなかったのかもしれない。どこか微妙な雰囲気が漂ったが、そこで坊主頭が発射された。

 

「ぬわあ!」

 

 横島の胸にねじれこまれるように坊主頭が突き刺さる。

 これで寺の息子である光陰は仏にすがりつくが如く、横島に抱きつく。

 

「横島! いや、横島様……いや違う。幼女ハンターと呼ばせてください!」

「なんじゃ、お前はー!? つか、幼女ハンターてなんだそりゃ!」

「俺も幼女達に噛まれたり舐められたりされたいんです! どうか幼女にモテル秘訣を!」

「えーい! 意味分からんこと言いながら男が近づくんじゃねえ!」」

 

 縋りついてきた光陰をボコボコと殴るが、しかし光陰はまったくめげない。 

 

「だってよ! 俺が小さい女の子と仲良くしようとすると、嫌がられたり引かれて逃げられるんだぜ! もっと『こーいんおにいちゃ~ん~だいすき~~!』って言われたいんだ! 頼む、何でもするからさ」

「ん? 今なんでもするって言ったでござるか?」

「ああ、言ったさ。ちっちゃい子の為ならなんでもするぞ!」

 

 本気の咆哮だった。これが碧光陰という男である。

 光陰に何か近しいものを感じた横島は、かなり呆れながらも問題点と思わしき部分を指摘する。

 

「よ、よー分からんけど、がっつぎ過ぎなんじゃねえか。ガキ相手にするなんて普通にすればいいだけだろ」

 

 この勢いで子供に近づけば、そりゃ怖がられて嫌がられるだろう。

 そもそも、子供に好まれる秘訣なんて横島は知らない。横島からすれば子供の、しかもスピリットの子供なんて普通にしていれば滅茶苦茶に懐いてくるとしか思えないほどなのだ。その『普通』が出来ていれば彼は元来の魅力で大人相手にも好かれる可能性が高いのだが、そこに気づかないのだが横島が横島たる所であろう。

 

「普通にか……くそ! モテる奴ってのは普通にしているだけでモテるのかよ!」

 

 涙を流しながら力説するロリコンの姿に、流石の横島もタジタジである。

 

「横島ぁ~さっきの子達を紹介してくれよ~」

「良く分からんが、流石にやばいと思うんだが」

「ええ~い! この幼充が!」

「幼充っなんじゃい!?」

「幼女が充実しているって意味だよ。言わせんな」

「まるで意味が分からんぞ!!」

 

 横島は本気で頭に?マークを浮かべている。

 今まで見たことが無いタイプの男にどう対応していいのか分からなかった。

 

 まったく横島と会話できなくてタマモが頬を膨らませている。シロは笑顔を浮かべながら光陰の首に手を添えた。コキャッと首から小気味の良い音がして、光陰は大地に沈んだ。

 

「復活までに後10秒はあるから、その間に話すと良いでござる」

 

「う、うん」

 

 それでもどこかタマモの様子はぎこちなかったが、横島は空気を読まずに声を掛けた。

 

「よっ、タマモも散々だったな」

 

 色々とあったというのに、力の抜ける緩い笑顔と言葉でタマモを労う。

 そのバカっぽい笑顔を受けて、どこか余裕がなかったタマモの表情に、ふっと柔らかいものが入り込んだ。

 

「まったくよ! 何が永遠神剣よ! 中二神剣って改名したらいいんじゃない」

 

「うおぉ、誰もが思っても口に出さなかった言葉を!」

 

「はん、言いたいこと言うだけよ。横島もあんな子供に良い様にされて情けないわねえ」

 

「泣く子には勝てんって奴だ。特にあの子は大切に見てやらんといけないしな」

 

「へえ~随分と気に入っているみたいだけど、とうとう幼児趣味になった? だからそいつに紹介したくないんじゃない」

 

「俺はロリコンじゃないっつーの」

 

「どうだかね~」

 

 タマモはからかう様な笑みを浮かべていたが、その瞳には安堵が宿っていた。

 馬鹿でアホでエロイけど、楽しくて、まあ優しい。横島はそのままだ。いつもの、横島だ。とても安心する。

 そんなタマモの思いとは裏腹に、横島の視線にはどこか鋭さがあった。

 

「それに、あのガキ共にはきちんと役目があるんだよ」

 

 そう言った横島の目に合理的な光が見え隠れして、タマモは思わず息を飲む。弾みだした心が、またすぼんでいくのを感じていた。

 シロと復活した光陰はそんな覇気ある横島を気にもせず疑問を口にする。

 

「結局、あの子供達はなんでござるか?」

 

「スピリットの学習計画と交流計画の一環だな。子供の間に仲良くすれば険悪は薄れるだろうって考えで、スピリットを学校に通わせる計画があるんだ。今の子達はその前段階って所だな」

 

「しかし、そう上手くいくでござるか? 子供同士だって問題あります。いくら神剣抜きでも人間とスピリットの身体能力は差がありすぎるでござる。幼ければ幼いほど加減は難しく怪我をさせる恐れも」

 

「それだけじゃないぞ。男だと、自分よりも小さな女の子に力負けするのはきついだろ。女だって、容姿の整いすぎているスピリットは面白くないはずさ」

 

 子供だからとって甘く見るのは危険だ。

 

 二人の言葉に横島は頷く。

 スピリットは『人間ではないが、人間の心を持つ可愛い女の子』だ。完全に人と同じように扱えば、人にとってもスピリットにとっても不幸な事態になる。

 

 まず身体能力に関しては二人の言うとおり危険が大きい。

 心に関しても、子供だからこその問題もある。

 

 子供は幼ければ幼いほど純粋だ。しがらみが少ないから感情だけで動きやすい。良くも悪くも獣と言える。

 上手くいけば一瞬で仲良くなれるが、失敗したら目も当てられない事態になるだろう。

 もし子供の内に『スピリットは逆らえないから、何をしても良い』などという意識が生まれたら、後の悲劇が約束されたようなものだ。純粋と善性は別物なのである。

 

「だから人間の子供達は選別してるんだよ。ある程度は体が出来ていて、そして自制できる奴らだ」

 

「なるほど。さっきの子供達も仕事と割り切ってた奴がいたな」

 

「むう、理屈は分かるでござるが、出来れば同年代が良いと思いますが」

 

「俺も同い年ぐらいの子と友達を作って欲しいんだけどなー。レスティーナ様が慎重に行けって」

 

「重要な時期だからな。ここでトラブルが起きて欲しくないんだろ。今がスピリットの運命を決める転換点かもしれんぞ」

 

 タマモを除く三人は色々と意見を言い合う。日本語で喋っているのでタマモも理解できているが、話題の背景が分からないので何も言う事は出来なかった。

 

 スピリットと人間の融和には、やはり二つのネックが大きすぎると結論が出る。

 人は意味もなくスピリットを嫌う性質が強い。

 スピリットは人には逆らえない。

 

 この二つの特性がある限り、人とスピリットの交流は危険が過ぎ、どうしても制限が必要になってくる。

 この部分の原因を突き止めてどうにかしなければいけない。

 それさえどうにか出来れば、きっと全ては上手くいくはず。

 

『スピリットが人間に逆らえれば』

 

 それが横島達の結論だった。

 だが、それに待ったをかける者もいる。

 

「そう簡単な話じゃないと思うけどね」

 

「今度はお前たちか」

 

 二つの人影が横島達に近づいた。

 第三詰所の隊長であるルルー・ブルースピリットと、その副官とも言えるルー・ブラックスピリットである。ここから、使う言葉が聖ヨト語に戻る。

 ルルーはシロ達の姿を認めると、見事な敬礼をして見せる。 

 

「第三詰め所の隊長であり、タダオ・ヨコシマ隊長の妹のルルーです。今後ともよろしくお願いします」

 

「拙者は元マロリガン隊長であり、元横島殿の弟子のシロでござる」

 

「俺は元マロリガンの光陰だ。立場的には備品みたいなもんだから、好きに扱ってくれ」

 

「び、備品って……」

 

「俺達は一番の下っ端だからな」

 

「光陰殿は肉盾に最適でござるよ」

 

「ううむ、シロちゃんは過激だなあ」

 

「えと……体が大きいから頼りになる肉盾だと思います」

 

「はは、ありがとうルーさん」

 

 和気藹々と話すシロ達にルルー達の緊張も抜けたようだ。

 タマモだけが聖ヨト語についていけずに不満そうに黙り込んでいたが。いや、それ以前に話の内容そのものについていけなかったか。

 

「しかし、兄さんって。横島もあいつと同じく義妹萌えか~」

 

 スピリットを妹扱いする横島に、光陰はニヤニヤと笑って見せる。

 横島は特に表情も変えずに鼻を鳴らした。

 

「あのシスコンと一緒にすんな。こいつは何となく妹っぽいから妹なだけだ」

 

「なるほど……ふ~む」

 

 光陰は少し唸りながらルルーを上から下までジロジロと見てみる。

 ルルーは何を思ったか腰に手をやってポーズを取った。基本的にノリが良い性格なのだ。横島は必死に笑いをこらえている。

 

「うーむ。あと3才若ければなあ」

 

「違うだろ。あと3才年取ってりゃいいんだよ」

 

「なるほど、まったくダメというわけでござるな」

 

「あれ、何だろう。いきなりダメだしされたんだけど」

 

「もっと頑張って、ルルー」

 

「ルーお姉ちゃんまで!? ボクが悪いのー!?」

 

 やはり弄られ性質なルルーであった。

 笑い声が響き渡るが、それに反比例するようにタマモの機嫌は下がっていく。自分はまったく会話できず、横島とシロが機嫌良くお喋りすれば仕方がないだろう。

 

「後で通訳するでござる」

 

 それを察したシロの耳打ちに、タマモは不快そうに頷いた。

 シロに頼らねばならないという事実が、どうにも我慢ならないといった風だ。

 言葉が通じないというのは大きなハンデである。

 

「それでルルー。お前らは何してんだ」

 

「ボク達は第二詰め所に行くところだよ。そろそろ指揮をお願いしますってね」

 

「指揮……ああ、そういえば応援でノーラさんがきてくれるんだっけな」

 

「ノーラ殿と思しきご老人なら第二詰め所にいたでござるよ」

 

「もういたの? 待たせちゃ悪いし、急がないと。じゃあ、また後で」

 

 そのままルルー達は第二詰所に行こうとする。

 それを、横島が呼び止めた。

 

「あ! おいルルー、ちょっと待て。さっきの言葉はどういう意味だよ」

 

「さっきの……ああ、スピリットが人間に逆らえればってやつか。簡単だよ。スピリットが人間に逆らえたら、また別の問題が出るんだ」

 

「つ~と?」

 

「人間がスピリットに何をしてきたか分かるでしょ。もし逆らえるようになったら……後はわざわざ言う必要もないよね」

 

 復讐。

 分かりやすいほど分かりやすい。

 

 だが、横島が見た限りではスピリットが人間に怒りや憎しみを示すのは極一部のみだ。仕方がないと、諦めていたのが大半だった。最近は人間と仲良く出来るのを楽しみにしているスピリットも増えている。

 特に心配はないと考えていた。だから、何気なく聞いてみた。

 

「ルーちゃんは、人間が嫌いか?」

 

「嫌いです」

 

 間髪いれず答えられた。

 正直なところ驚く。そこに確かな憎悪が感じられたからだ。今まで人に対して明確な憎しみを漏らすことなど無かったのに、一体なにがあったのか。

 何か悪いことでもされたのかと心配した横島だったが、少し考えて見れば驚くことではないと分かった。

 

 嫌いになった理由は、心が解凍されたからである。

 豊かな心の情動を取り戻したからこそ、今までの冷遇に腹を立てているのだ。

 怒りは、別に良い。むしろ歓迎するべきだろう。スピリットは怒るべきなのだ。人に逆らえないという特性があるとしても、不平不満を人々に訴えていかねばならない。

 

 今までは言えなかっただろう。

 文句を言えば殴られるか、喋るなと命令されて終わりだ。どうせ調教されて私語すらできなくなる。

 

 喜びも楽しみも与えられず、怒りと悲しみも奪われて、人形に至る。

 

 それがスピリットの調教だ。

 今ここで人間を嫌いと言えるのは悪くは無い。怒りと悲しみは心を構成する大切な感情だ。ネガティブは決してマイナスだけを意味しているわけではない。

 

 横島はそう思う。だがここで、彼は脳裏に一つの光景を見た。

 それは少し先の未来の話だ。この戦乱の終結。サーギオス帝国と雪之丞を下し、大陸統一を成し遂げるラキオス王国。

 そこに、この大陸を動かしてきた黒幕達が現れる。

 

 さあ、一致団結して黒幕と立ち向かおうとした時、突如として『スピリットは人に逆らえない』という特質が消えるのだ。

 

 この恨み、晴らさでおくべきか。

 

 人に恨み骨髄のスピリットがどういう行動に出るのか、考えるまでも無い。

 そうなれば一体どれほどの悲劇が生み出されるのか。正直想像もつかない。最悪の場合、スピリットが人間を虐殺する未来すらあり得る。そんな状況で黒幕と戦って勝利するなど不可能だ。

 仮に黒幕との戦いに勝っても、人間とスピリットの間には消えない溝が残って未来に暗い影を落とすだろう。

 無論、これはただの妄想であるが横島には確信が合った。

 この悪意に満ちた大地を生み出した黒幕達が悲劇を演出しないわけがない。

 

 余談ではあるが、横島がこの世界に訪れなかった場合のif、あるいは正史とも言うべき未来ではこの問題は出なかった。

 スピリット達は人に逆らえるようになったが、レスティーナが掲げた『人とスピリットの融和』という理想を信じ、恨みを飲み込んだのだ。

 

 では、どうして恨みを飲み込めたのか。その理由は呆れるほど明白で残酷である。

 人に恨み骨髄のスピリット達は、ほぼ全滅したからだ。

 

 戦争を生き残ったのは、レスティーナの威光に靡いたラキオスのスピリット。

 光陰やクェド・ギン大統領の薫陶を受けて生き残った稲妻部隊。

 配備を免れた子供のスピリット。

 僻地に配属されて難を逃れたり、あるいは研究対象で戦線に出なかった少数のスピリット。

 

 レスティーナを信じられず人に危害を加える可能性があったスピリットの大半が、ラキオス王国の進撃で死に絶えた。人間に恨みを持つスピリットも少数いたが、それ以上に人間と歩もうとするスピリットが多数派を占めたことにより、スピリットは人と共に歩め始めたのだ。

 

 黒幕達が定めた殲滅戦争にしかなりえないスピリットの特徴が、皮肉にも黒幕の陰謀を打破する一要因となったのだ。

 

 だけど、この世界には横島が来た。

 全てを救うなんて出来なくて、辛く悲しい悲劇はいくつもあったが、それでも正史より遥かにスピリットは死ななかった。命を希望と言い換えるのは珍しくも無いが、正に横島は希望を作り上げてきたのである。

 その横島の努力と奮闘で生き残った希望が、今度は絶望を生むのだ。

 

 

 ――――クスクス。貴方はどちらに味方し、誰を殺すのでしょうね。

 

 

 阿鼻叫喚の未来を、幼くも邪悪な笑い声を、幻視幻聴した横島は顔面蒼白になる。

 顔色の変わった横島に、ルーは慌てて首を横に振った。

 

「あ、嘘です! 嘘……私は人間様が大好き! だから……嫌わないで」

 

 自分の答えが横島を苦しめたと察した彼女はすぐさま前言を撤回した。それが嘘だなんて誰でも分かる。親の前で良い子を演じようとする子供の姿そのものだからだ。

 そんな彼女が横島にはいじらしくして仕方が無い。

 

「嫌うわけないだろ。よしよし……そうだよなあ、いっぱい酷いことされたんだもんなあ」

 

 優しく抱きしめて、背中をさする。

 そこにあるのは煩悩ではなく、ただ純粋な慈愛の念だけである。

 

 ギュッと抱きしめられたルーは、心の内から湧き上がってくるものを感じていた。

 この人なら何を言っても受け入れてくれる。決して裏切ったりはしない。

 だから彼女は心からこみ上げてきた思いをぶちまけた。

 

「だって、だって人間様は酷いんです! 

 剣も魔法も、一杯一杯がんばって訓練したのに、全然褒めてくれない! それどころか酷いことを言ってきたり、殴ったり閉じ込めたりして!

 それでも……それでも人間様を信じていたスピリットもいたのに……それを調教師が!」

 

 悲しい。悔しい。憎い。

 横島はルーの憎悪を否定せずに、ただ彼女を優しく抱きしめながら話を聞いてやった。

 その様子にタマモは信じられないものを見るような目で、シロと光陰は微笑ましく見守る。

 

 ルーはひとしきり泣き吼え終わると、甘えるように彼にもたれかかり上目遣いで見つめた。

 

「人間様は、嫌いです。でも、ヨコシマ様が人間様と仲良くなれるように頑張っているのは知っています。だから、私も人間様と仲良くできるように頑張って見ます」

 

「うう、本当に、本当にルーちゃんはええ娘やなあ~! ええ娘やな~~!!」

 

 横島は感極まったように涙を流しながら、ルーをさらに強く抱きしめた。

 抱きしめられてルーは天使のように笑うが、内面では『計算通り!』と腹黒く笑う。

 別に嘘をついたわけではないが、若干の演技は入っていた。こう言えば横島がさらに優しくしてくれると知っていたからだ。

 

 感情を爆発させながら、それでいて切り替えが早く計算高い。

 

 どこかずる賢い気がするが、ある程度の腹芸は生きていくのなら必須である。それは感情のコントロールや、周りの空気を読むという能力に繋がっていくのだ。美女ならば横島をいい様に扱えなければ話にならない。

 

 しばしルーを抱きしめていた横島だったが、我に返ったようにルルーに向き直る。

 

「なあ、ルルー。他にも苦しんでる娘っているのか?」

 

「うん、いるよ。優しくて強いスピリットほど酷くて……その、色々されたから」

 

「分かった。これから第三詰所の皆を抱きしめてくる」

 

「へ?」

 

「歓げ……っと。集まりには人間も来る。妙なトラブルを起きないように……じゃないな。俺が抱きしめてやりたいんだ」

 

 横島はキラキラと輝くような笑みを浮かべる。

 イケ面横島であった。略してイケ島である。

 

「に、兄さん……ボクの兄さんがこんなに格好いいわけがない! 兄さんを何処に隠した! この偽者め!」

 

「え~い! またこの流れか! 俺は本物だっつーの!!」

 

「へへ。からかわれたお返しだよ!」

 

 ニカッと楽しげに笑うルルーに、横島は冷や汗をぬぐう。

 下手に格好良くすると偽物と言われ水攻めされたり鍋で煮られたりする。格好悪いとやっぱり怒られる。ギャグキャラの苦悩がここにある。

 

「俺としても可愛い女の子を合法的に抱きしめられる機会を逃すわけにはいかんからな」

 

「うん、実に兄さん的で安心したよ。でも、何人かは……その」

 

「分かってる。むやみに抱きついたりしないさ。言葉に音楽に遊び……方法は色々あるしな!」

 

 スピリットの微妙な按配を分かってくれる横島に、ルルーはほっと息を吐く。

 

「本当にありがとね。だけどもう時間が無いよ。もうすぐノーラ様に指揮を執ってもらって準備しないと」

 

「大丈夫だ。時間を操って俺一人が十人がかりでやる。分裂の術だ……ニンニン」

 

 何言ってんだコイツ、とは思わない。

 時空間制御ぐらいなら高位神剣使いなら出来るかもしれない。

 分裂に関しても、横島である。分裂ぐらいするだろう。

 

 どうしてここまで慌てているのかルルーには分からないが、第三詰め所に心を砕いている横島の姿は嬉しかった。

 

「分かったよ。お願い、兄さん」

 

「よし、シロは俺の護衛に来てくれ。分裂は危ない危ないって『天秤』がうるさい」

 

「護衛ですか……しかし拙者は神剣を持ってきていませんが」

 

「呼べば来るんだろ。緊急時なら使用も許可されてるはずだ。せっかくの利点をレスティーナ様が使わないわけないもんな」

 

「流石はお見通しでござるか……しかし」 

 

 シロは不安そうにタマモを見た。

 例えるなら、子供を始めてのお使いにいかせる母親のような目をしている。

 

「タマモちゃんは俺に任せておいてくれ」

 

 光陰がタマモの護衛を買って出た。言葉の分からないタマモを一人にさせない為だ。

 ルルーが来てからはずっと聖ヨト語で喋っているため、タマモには言葉が分からない。

 だが、それでも狐の超感覚もあって空気を感じ取ることは出来た。

 

 シロ達に心配され、光陰に心配され、完全に子ども扱いされている。迷惑になっている。

 この世界で目覚めてからずっと感じていた疎外感が遂に限度を超えた。

 

「なによ、その目は!? ちょっといい気になってんじゃない!」

 

「む、どうしたのでござる」

 

「どうしたもこうしたもあるか! 私はそんなガキじゃないわ! もう一人にして!!」

 

 タマモは目と髪を吊りだたせて吼えた。突然の癇癪だが、横島としてはそりゃそうなると頷くしかない。ちらりと驚いたような顔をしてみせているシロに目をやって、面倒くさそうにガリガリと頭をかいた。

 

「別にいいじゃん。一人になりたい時だってあるだろうしな」

 

 軽く言う横島に、タマモの心が少し落ち着く。

 変な心配をされないのが心地よかった。過保護など、狐に対する侮辱なのだと胸を張る。

 

「横島の言う通りよ! 私は一人で遊んでくるからついてこないでよね!」

 

「ほいほい。あ、夕方にはあそこに見える屋敷に来るんだぞー」

 

 横島の声にタマモは鬱陶しそうに手を上げて、あとは大股開きで森に向かって歩いていく。

 完全にタマモの姿が消えると、横島は眉を顰めてシロに向き直った。

 

「おい、シロ。そろそろ……」

 

「これぐらいは勘弁でござるよ」

 

 心配そうな表情をさっと変えてニヤリと笑みを浮かべたシロに、随分と性格が悪くなったものだと、横島はシロの成長を認めつつも嘆く。

 シロが何を求めているのかは察しが付いている。その求めのために、今は風船に限界まで空気を入れているような段階なのだろう。

 

 やり方はあくどいが、それでも相手の心中を察して問題を解決させようとしている。これがあのバカ弟子なのかと、その成長が寂しいやら嬉しいやらだ。当の横島も、シロのやっている事を理解できているという時点で十分に成長しているだろう。人の上に立ち、彼らの生死を握るという環境は否応なく心身を成長させてしまった。

 

 ここで宙ぶらりんな状態になってしまったのは光陰である。

 

「ううむ、タマモちゃんに振られてしまったなあ。俺はどうしたもんか」

 

「そんじゃあ、さっきのガキ共の所にいってくれ」

 

「そいつは嬉しいけど、何か理由はあるのか」

 

「知っているとは思うけど、俺と悠人は一度おまえらの世界に吹っ飛ばされてな。そこから色々と持ってきてるんだ。あいつらには文字が分からなくても楽しめる動物図鑑をやったんだけど、やっぱり名前やどういう生き物かぐらい知っているほうが楽しめるだろうしな。膝にでもガキを乗せて解説してくれや」

 

「ちびっ子を膝に乗せて本を読んであげるとか……これが幼女ハンターの実力か!」

 

 横島が拳を振り上げる。光陰はバレリーナのように回転しながら距離を取った。そのまま回転しながら子供達の後を追っていく。笑みを浮かべた男が回転しながら子供に寄っていく姿を思い浮かべて、これはまた嫌がられるだろうと横島は呆れた。よく今まで通報されてこなかったものである。

 

「どうでござる。光陰殿は横島殿そっくりでござろう」

 

「んなわけあるか!」

 

「いやいや、確かに違う点は多々あるでござるが、似ている点も多いでござる。尊敬できる御仁です。拙者の本音で言えば、エトランジェで誰よりも正道で強いのは光陰殿だと思っているぐらいで」

 

 信頼と尊敬に満ちた目で光陰を見つめるシロに、横島は不満そうに唇を突き出す。元弟子が他の男をべた褒めするのが面白くなかったのだ。

 そんな横島にシロはにやけて見せる。

 

「むむ、横島殿、嫉妬でござるか。ふっ、拙者も良い女になったものですなあ」

 

「良い女ってよりも悪い女だと思うぞ。ひねくれおって」

 

「素直で良い人が、戦争をやる隊長などやってはいかぬでしょう?」

 

 まったくもってその通りではあるのだが、ああ言えばこう言うシロの姿に横島は苦笑を返す。

 

「まったく。それと、その横島殿っての止めて欲しいんだが」

 

「けじめでござる」

 

 短く一言で言い切る。

 何でもないと言った口調だったが、だからこそシロの意思が強く浮かび出ていた。

 

「……そっか。しょうがねえか……しょうがねえよなあ」

 

 横島も深くは追及しない。大きな決断は人を変える。横島にも覚えがあった。

 仲間の為、愛する人に剣を向けた。その事実が、どれほどシロの心に影響を与えたのだろうか。理由があったとか、全て上手くいったからいいではないか、等という言葉は無意味だ。寂しいし悲しくもあったが、横島はシロの想いを尊重する事にした。

 

「それじゃ、時間もなくなってきたし、行くとすっか」

 

 横島とシロは第三詰所に。

 光陰は幼女を追って。

 ルルー達は第二詰所に。

 

 皆それぞれ動き出す。

 だが、ルーはボンヤリと離れていく横島の視線で追っていた。

 

「ねえ、ルルー」

 

「なあに、ルーお姉ちゃん」

 

「ヨコシマ様って凄いの。胸が軽くなって、頭がすっきりしちゃった! 魔法みたい!」

 

 童子のような笑みを浮かべて跳ねるルーの姿に、ルルーは顔をしかめた。

 

 アレだけ愚痴を言って泣けばすっきりするのは当然でしょ、このぶりっこめ!

 

 そう口走りたくなったルルーだが、何とか口をつぐむ。

 少しイライラしていた。横島の、兄の言葉の意味も考えず、子供の様に扱われて喜ぶ姉の姿が妙に腹正しい。

 どうして兄がスピリット達を学校に行かせて、人間との仲を取り持とうとしているのか、自分の頭で考えて欲しかった。

 

 もうすぐ戦争は終わる。戦争が終われば、スピリットは用済みだ。処刑されてマナを畑にでも撒かれる――事はもうないだろう。きっと一市民として生きていくはずだ

 人権や戸籍を貰って市居で生活が可能になるとはどういう意味か、まるで分かっていないのだ。

 

 このままでは勉学も出来ず、家事も出来ず、仕事など出来ない状況で税金を持っていかれる状況になってしまう。最悪、飢え死にである。

 無論、レスティーナがスピリットに何も配慮せず、ぽんと町に放り出すことはないと知っている。これで何度か話したのだが、本当に優しくて思慮深い、敬愛できる女王だ。変装して町で食べ歩きする食欲……もとい胆力もある。

 

 同時に、公平かつ公正な人物でもある。えこ贔屓もしない。

 もしスピリットが上手く町に適応できず法を犯せば、スピリットだからと許してはくれまい。ある程度は考慮してくれても、法の下に対処されるだろう。

 

 つまりだ。スピリットは早く大人にならなければならないのだ。

 それなのに、まるで幼児に等しい隊員達にルルーは腹を立てているのである。

 

「あんな子供みたいに扱われて恥ずかしいって思わないの」

 

「ヨコシマ様の子供かあ……ふふ」

 

「……お姉ちゃん。年齢だけなら兄さんの方が年下だと思うけど」

 

「そんなの知らない。えへへ……胸が暖かい……あったかいよう」

 

 横島に抱きしめられた温もりを思い出したのだろう。

 ルー・ブラックスピリットはふにゃふにゃでほよよんとしている。

 

 情けない。

 そんな姉の姿に、ルルーは悔しさを覚える。

 

 確かに横島が、兄が、第三詰所に向ける言葉は温かい。純粋で綺麗な愛情を注がれているのが分かる。それはつまり、まったく邪な感情を向けられていないことを意味していた。

 なんて素晴らしく、同時に屈辱であろう。

 あの女好きに、まったく女として見られていないのだ。これが子供なら分かるが、ルーや、他の第三詰所のスピリット達は良い大人だ。

 

 最初の頃は、まだ女として見てくれていたような気がする。

 姉達のエッチな姿に悶えてくれていた。今は、もう、微笑ましく見られるだけだ。

 

 保護者と被保護者。親と子の関係。愛溢れる素晴らしい関係。

 

 そこに、邪はない。

 

 だからこそ。

 

 だからこそである。

 

 ルルーは横島と第三詰め所の別離の未来を予感していた。

 




 色々ともやもやを展開していますが、それは後編で。

 少し困っているのが一部の伏線の回収方法が存在しない所。本編に関わるくせに全容を示す手段がないというのが酷い。最悪、本編が終了したら設定集でも投稿するしかないのか。
 何でこんな設定を考えたのか、過去の自分に物申したくなりますが、過去に戻っても二次小説まで書いちゃう中学生の妄想を押しとどめるのは不可能だろうなあ。


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第三十五話 進む世界で足踏みを 後編1

「はあっ」

 

 一人となったタマモは森をうろつきながら大きく息を吐き出した。

 特に当てもなく辺りをうろつく。何がしたいわけではなく、何が出来るわけでもない。町に出て何かしようにも言葉が通じないのだ。

 その気になれば幻術で好き放題できるだろうが、そんな事をすれば自分だけでなくシロ達の立場も危うくなる。これ以上、迷惑を掛けるわけにはいかない。

 

 どうしてこうなったのか。

 タマモは自問自答してみる。

 

 あのバカ犬が、いや、もうバカ犬などとは呼べない。

 心を失っている間に何があったのか、全て聞いている。

 

 シロが自分の為に横島を殺しにかかった。

 

 初めに聞いた時は性質の悪い冗談にしか聞こえなかった。

 だが、それは事実だった。嬉しさとか怒りとか、そんな言葉では説明できないモヤモヤが胸に広がる。

 

 助けてくれ、なんて頼んでない!

 

 思いっきり怒鳴りつけたくなったが、それを言ったら本当に子供だ。だけど、感謝の言葉を述べるのも嫌だった。どんな顔をしていいのかも分からない。

 結局、シロとはあまり言葉を交わしていない。向こうはあれやこれやと気を使ってくれるが、それこそ腹立たしく感じてしまう。シロは妙に大人になった。それが、嫌だ。

 

 だから、横島には期待していた。

 横島が傍にいればシロも馬鹿に戻る。いつもの日常が帰ってくると思った。

 だが、横島も変わっていた。表向きは明るい馬鹿だけど、多くの人に頼られ愛される強い男の匂いがした。

 

 何が何だか分からない。ほんの数日前までは美神の元で破天荒な毎日を過ごしていたはずなのに、気づけば一年以上もの時間が経って、友人が別人のようになってしまった。

 

 いや、違うのは分かっている。シロも横島も別人などにはなっていない。シロは何だかんだ言っても仲間意識が強く責任感も強い。仲間の命を預かる上の立場に行けば、自身を律して大人にもなれるだろう。横島も、あの美神に逆らって白面九尾である自分を助けたのだ。普段はアレでも女の子がピンチという時は強く優しい。スピリットという女の子に厳しい世界で強さと優しさが磨かれたのだろう。

 

 別に悪いことではない。仲間達の成長を受け入れ、誰も死なずに終わったハッピーエンドを喜べばいいだけ。それで終わらせてしまえばよい。こんな所でウジウジしていても意味は無い。

 終わらせてしまえば――――いいのに、

 

「つまんない……つまんないつまんないつまんない!」

 

 とにかく面白くなかった。

 何かが納得いかない。何かに不満がある。それが分からない。

 いや、正確に言えば、理解している。それを認めたくないのだ。

 

「バカ犬のくせに!」

「バカ悠のくせに!」

 

 二つの怒声が森に響く。

 自分のではない怒りの声に、タマモはビックリして声の方に目をやった。

 

 一人の女性が驚いたようにこちらを見ていた。青を基調としたブレザーとスカートを着込み、ショートカットのくせっ毛にパッチリとした目元。歳は横島と同程度か。元気はつらつな女子高生という印象で、まさしくその通りだろう。

 彼女は知っている。マロリガンという所で、自己紹介程度だが言葉も交わしていた。

 

 岬 今日子。

 

 自分と同じく神剣に心を奪われていた女性。話を聞くと、自身と驚くほどに似た境遇だった。

 違うのは、今日子の永遠神剣『空虚』は砕かれなかったという点だ。レイピア型の『空虚』が今日子の腰辺りに吊るされている。この『空虚』は『求め』により精神だけを砕かれたらしい。 

 多少のパワーダウンはあったようだが、おかげで『空虚』はただ力を与えるだけの便利道具となっている。神剣として見るなら異常だが、道具として見るならば真っ当だ。

 

 体を乗っ取られたタマモからすれば、神剣なんて道具で良いと考えている。

 意思を持った道具なんて碌な物ではない。まして、それが使い手を害するものならばなおさらだ。横島やシロを始めとする永遠神剣の使い手たちは、自分の意識ではない思考と絶えず繋がっている現状をどう考えているのか。戦争が終われば速やかに破壊すれば良いとタマモは思う。

 

「あっ」

「あっ」

 

 二人の目が合った。今日子もタマモに気づいたようだ。お互いの嫌な姿を見てしまって、どこか気まずい空気が流れる。

 タマモは誰かと一緒に居たい気分ではなかった。だが、数少ない言葉が通じる人間であるし、今日子の目が妙に気にかかった。鬱屈としたような、どんより雲のような目がそこにある。第三者がここにいれば、タマモも同じ目をしていると気づいただろう。

 

 今日子もタマモと同じように僅かに逡巡していたようだが、すぐに笑顔を浮かべて近づいてきた。

 

「こんにちは! タマモさん……で良かったよね」

 

「ええそうよ。岬さん。私の事はタマモでいいわ」

 

「そんじゃ、アタシは今日子でお願い」

 

「今日子ね。分かったわ」

 

 お互いに相手の癇癪は見ないことしたらしい。

 気安いというよりも、互いにさっぱりとした気性からか、すぐに名前で呼び合うことを許しあった。簡単な挨拶を終えると二人は近くにあった切り株に腰を下ろす。

 今日子は「たはは」と困ったような笑みを浮かべて喋りだした。

 

「ほんと、とんでもない事になったもんよね。異世界よ異世界! マジかって感じよ!」

 

「まったくね。異世界ってのはともかく、言葉が通じないは馬鹿は賢くなるは……変な事ばかりよ」

 

「い、異世界がともかくなの?」

 

「ああ、今日子の世界は私達の世界とまた別なんだっけ。私らの世界は霊能力ってのがあって、神や悪魔や妖怪、二次元の世界や遊園地なんてのがあったのよ」

 

「へええ……世界も色々ねえ……え、遊園地?」

 

「そうよ! 遊園地……人間ってのは本当にバカで最高よね!!」

 

 目をキラキラさせて遊園地を語るタマモを今日子は微笑ましく見つめた。

 見た目通りの年齢ではないと軽く聞いていたが、これなら仲良く出来そうだと胸を撫で下ろす。

 まさか一歳児とは想像だにしていないだろうが。

 

「世界も色々か~。そっちの世界には良い翻訳機もあったのね。それか、霊力って力で言葉を翻訳できたとか?」

 

「え? そんなの別になかったけど」」

 

「あれ、でもさっき異世界で言葉が通じないのは変って」

 

「異世界で言葉が通じるのは当然じゃない」

 

「ええ~」

 

 ギャグ寄りに考えれば通じて当然。

 シリアス寄りに考えれば通じなくて当然だ。

 お互いに色々な意味で世界観が違うのだと認識する。

 

「え、ええと……馬鹿が賢くなったって、なんかあったの?」

 

 この話題には下手に触れない方がいいと判断した今日子は話題を変えた。

 今日子の言葉にタマモは表情を歪めて、少し沈黙した後、ぽつりと呟く。

 

「シロよ。馬鹿犬のシロ」

 

 タマモの言葉に今日子は首を傾げる。

 

「シロ……犬塚シロさんだっけ? こっちに来る前に少し話したけど、随分としっかりした子に見えたけど」

 

「まさか! 肉とサンポと横島。これだけで人生を満喫しているような馬鹿犬……だったわ。それが勝手に変わって……」

 

 怒りと悲しみと不安と不満。

 タマモの声には負の感情が満ちていて、今日子は妙な親しみを覚える。

 

「分かるわ。光陰の奴は変わってないけど、悠は変わったわ! あの悠が立派に隊長をやってんのよ。人っては変われば変わるもんなのねー」

 

 褒めてはいたが、その声には寂寥の響きがある。

 今度はタマモは首を傾げた。

 

「そうなの? 高嶺さんはマロリガンって所で少し見たけど、立派な人に見えたけど」

 

「悠が立派~? あはは、まさか。コミュニケーション下手で、友達づきあいなんてあたしと光陰と……物好きな後輩ぐらい。後はもう妹一直線の、ほんと頑固で困った奴なの」

 

 悠人の高校生活は基本的に灰色だった。

 生活費を稼ぐため、妹に不自由を刺せないため、バイト三昧な日常生活。休む時間は机で体力の回復に努め、学生の青春などまったく手を付けない。金銭に関しては親の遺産を使えば問題なかったはずなのに、自分が妹を守ると息を巻いた結果がこれだ。

 救いようがないのが、この生活で悠人自身が満足している点である。

 

 自立と言えば聞こえはよい。だが、それは結果論に過ぎない。

 結局、人と接するのを恐れたから自立するしかなかったのだ。根性のある根暗と言ってもよい。

 

 人と接するのを嫌がる理由は今日子も知っている。理由は二つだ。

 一つは、幼い妹を抱えたところにお約束のように現れた遺産目的の親族達の影響。

 もう一つは、二度も両親を事故で亡くしておきながら、自分だけ無傷という自己険悪。

 

 幼い心にヒビを刻まれた悠人は、誰彼かまわず噛み付いてしか佳織を守るすべを知らなかった。

 

 小学生の子供が二人だけで生きていく。生活は苦しく、いくつもの試練があった。

 普通なら何処かで力尽きて、誰かに頼っていただろう。

 だが、ここで悠人の頑固さと強情さが発揮された。どれだけ疲れていても周りに頼らずに乗り越えてしまったのだ。

 

 そんなシスコンの捻くれもの。妹以外に眼中に無い――――というわけでもない。何だかんだで真面目で善人なので、妹が関わらなければ普通の男。それでも行動原理が妹なので、どうしても周囲から浮き気味にはなってしまう。

 

 そんな不器用な生き方の悠人を見かねて、実はクラスの皆で世話を焼いていたりもする。裏側で妙な人気があったりするのは横島と同じだ。

 結論として、高嶺悠人という男は面倒くさい困った男と言えるだろう。

 

「そう……困った奴……だったのに」

 

 全て、過去形である。

 今日子もマロリガンで遠目から悠人を見たが、スピリットを立派に指揮し、人の混乱を収め、上に立つものとしての気迫がそこにあった。きちんと仲間に頼る強さと素直さも見て取れた。

 小さい自分の世界だけで完結していた悠人の姿は、もうどこにもない。

 

 それだけではない。人間としてではなく、一人の男としても変わった。

 今日子はついさっき見てしまったのだ。

 アセリアというスピリットを甲斐甲斐しく世話する悠人の姿。その悠人を支える二人のスピリット。

 

 大きな愛の中に悠人はいた。

 あの輪の中に入っていくほど勇気も、そしてとある感情も、今日子には無かった。

 とても『踏ん切り』をつけさせて欲しいなどと言えない。言ってはいけない。

 

「悠……光陰……アタシは……」

 

「今日子? どうしたの」

 

「え? あはは、なんでもない、なんでもない! そっちの横島さんはどうなの。何か色々と噂は聞くんだけど、現実味の無い話ばっかりなんだけど」

 

「いや、横島は困った奴とかそういう問題じゃなくて……」

 

 それからタマモの口から語られた横島物語に、今日子は「アイツ以上の馬鹿がいたのか」と苦笑いを浮かべていた。飛び掛かって来たらハリセンの餌食にしてやると、どこから取り出したハリセンを振り回す。バチバチと放電している辺りが恐ろしい。ハリセンに触れた葉っぱが瞬時に消し飛ぶ。タマモはそっと距離を取っていた。

 

 まだまだ会話は止まらない。話が弾む。話題は尽きない。タマモは和気藹々と会話するタイプではないが、今日子とは妙に馬が合った。互いに物怖じしない性格で、何より同じ境遇にあったからだろう。愚痴を思う存分に語り共感を得られあえば仲良くなるのは容易い。

 ひとしきり自分達の世界や友達を語り合うと、沈黙が降りる。今日子がポツリと呟いた。

 

「おいていかれちゃったわね」

 

 主語は無かったが、タマモには十分に伝わる。

 気が付けば友人達は成長してしまった。受けた恩は大きすぎて、精神的にも差を付けられてしまった。タマモも、それは認めるしかない。迷惑をかけたのも自覚している。だから、やるべき事は明白だ。

 

「ふん、さっさと追いついてやるわよ! 馬鹿犬に馬鹿呼ばわりされるなんて冗談じゃない!」

 

 握りこぶしを作ってタマモは吠える。

 先ほどまでの鬱屈は晴れ気分はすっきりしていた。なすべき事が明確になったからだ。

 

 シロは成長した。ならば自分も成長しよう。対等な友でいる為にも。また、シロをからかい喧嘩をする為にも。

 タマモの不満は、シロと友達でなくなったと感じたことが原因だったのだ。

 

「まずは言葉ね。二人で一緒に覚えましょ!」

 

 タマモが軽やかに笑って今日子に言ったが、今日子はばつが悪そうに目を逸らす。

 

「あ……ごめん。あたしは『空虚』って奴に乗っ取られていた記憶がちょっとあるからか……その、言葉は喋れちゃったり」

 

「裏切り者~~!!」

 

「だからごめんって! 頑張ってあたしが教えるからさ」

 

 二人はすっかり打ち解けあい、またお喋りを始める。

 気づけば日も傾きつつある。夕方には第三詰め所の屋敷に来るようにと言われていた二人は、慌てて夕闇に包まれていく森を駆け出すのであった。

 

 

 

 

 タマモ達がやってきた第三詰め所は元が貴族の屋敷だけあって広く、立派なパーティールームも作られていた。

 中に入ると、沢山のスピリットでごった返している。多くは無いが人間の子供の姿と、僅かに偉そうな人間の姿も見える。壁際には生気のない顔でぼーっと突っ立っているスピリットの姿もちらほらある。

 あれが神剣に心を食われるという奴だと、タマモは内心ぞっとして距離を取った。

 

 食欲をそそる良い匂いのスープ。色鮮やかな果実。きらめくソースが掛けられた肉。

 立食形式らしく、テーブルには様々な種類の料理が並べられていた。

 空腹を覚えてタマモと今日子がふらふらと料理に近づくと、料理を並べていた赤毛でショートカットのスピリットと胸の大きい緑髪のスピリットが声をかけてくる。

 

「ソゥ・タマモ、ソゥ・キョウコ、ナシャリレシス。ヒミカ、ラ、ホロゥ。ハリオン、ラ、ウェスカラス。セム、ワツミテ、リュー、ナスアンカ」

 

「マロリガン、クム、イス、ワツミナステ、セィン、ヤンフ、ユーラス~」

 

 明るい口調で言われる。やはりタマモには意味が分からない。

 今日子は元気よく笑って挨拶を交わしている。

 

「ねえ今日子。なんて言ってるの?」

 

「ええとね、赤毛の人がヒミカさんで、緑髪の人がハリオンさん。これからよろしくねって。このパーティーはあたしとタマモの快気祝いと、マロリガンの皆の歓迎会だってさ」

 

 自分も主役の一員と言われて鬱陶しく感じたタマモだが、成長すると決めた手前、面倒くさいから拒否なんてするつもりは無い。この世界の事を良く知るには会話が一番だ。

 だが、言葉が通じない以上、誰かに通訳してもらうほかない。手間をかけさせてしまうが、仕方がないか。

 そんな事を考えていたタマモの頭に、背後から近づいた横島の玉が二つ乗せられた。

 

 『翻』『訳』

 

 まばゆい光が周囲に満ちる。

 

「あら~懐かしいですね~」

 

「これで会話ができるわね。せっかくのパーティーで話せなきゃ大変だもの」

 

「え、今のなに! 何が起こったの!?」

 

 周囲の会話が理解できる。聖ヨト語が日本語に変化していた。

 これだけの奇跡を起こせるものなど限られているから、タマモは何をされたのかすぐに察した。後ろを見てみると、何故か横島の姿は無い。まず、ヒミカ達と話せという事か。

 

「では、改めてご挨拶を。私はヒミカ。こっちはハリオン。共に第二詰め所でヨコシマ様の元で戦っています。色々と苦労はあるでしょうから、何かあったら気にせず声を掛けてください」

 

「いつでも遊びに来てくださいね~お菓子もありますよ~ケーキとか焼き菓子とか~」

 

「ハリオン! 初対面ぐらいはきっちりして!」

 

「え~初対面だからこそ、美味しいお菓子で仲良くならないと~」

 

 きっちり真面目なヒミカに、ふわふわ柔らかなハリオン。

 性格的にも身体的にも凸凹コンビだ。さて、むやみに敵を増やす必要もないと、タマモは傾国の美女の、いや今現在は傾国の美少女の笑みを浮かべて優雅に礼をしてみせる。

 

「こちらこそよろしくお願いします。私は神剣がないから戦うのは難しいけど、出来ることならやってみせますから」

 

 行儀良くタマモが言うと、ハリオンとヒミカは思わず顔を見合わせた。

 

「はい。私もタマモ様の助けになれれば幸いです……ヨコシマ様の同僚と聞いてどんな変態なのかと心配してたんだけど、杞憂だったみたいね」

 

「可愛くて良い子ですね~これからよろしくです~」

 

 良い子と呼ばれて思わず顔をしかめそうになったタマモだが、愛想よく笑って見せた。化かすのは狐の本分だ。猫かぶりなど簡単なものである。どうせすぐ化けの皮はがれるのに、と何処からか横島がぼやくのが聞こえてきたが無視する。

 

「また後でいっぱいお話してくださいね~」

 

 ハリオンとヒミカは頭を下げて離れると、また料理の配膳をやり始めた。 

 

「ふふふ、どうだ俺のスピリット達は! 美人だろ!!」

 

 天井からバカっぽい声が聞こえた。しゅたっとバンダナ男が地面に着地する。

 謎の登場シーンに今日子は困ったように笑っていた。

 

「なんで上から……というかマジで光陰の声とそっくりだし」

 

「俺は横島忠夫だ。呼び方は何でもいいぞ。美人は大歓迎さ!!」

 

「あたしは岬今日子よ。今日子でいいわ。異世界者同士、仲良くしましょ」

 

 今日子はヒマワリのように笑いながら右手を差し出す。横島も手を差し出した。がっちりと握手する。そして、そのまま離れた。

 驚いたのはタマモである。

 

「あれ。横島、今日子には飛びつかないの? いつもなら飛び掛るのに」

 

「そんな物騒な笑みと後ろにハリセンを構えておいて飛びかかれるかー!」

 

「ちぇ、ばれてたか。残念残念」

 

 今日子は後ろ手に隠し持っていたハリセンを振るう。

 ゴオン。グオン。風切り音が普通ではない。横島も顔を青くする。

 

 そんな横島にタマモは頭を下げて礼を言った。

 

「横島……文珠はありがとね。やっぱり言葉が分からないのはきついわ」

 

「気にすんな。ただ毎回は無理だぞ。文珠の数も限界あるからな。後はしっかり勉強しろよ~」

 

「言われるまでもないわよ。シロやあんたが覚えた言葉なんてすぐに覚えてやるわ」

 

 勝気そうにタマモが言うと、横島はほっと胸をなでおろす。

 

「頼むぞ! 聖ヨト語で書くと読者も疲れるし、作者も聖ヨト語辞典とにらめっこするのはしんどいからな」

 

「何だろう。何だか本当にすぐ言葉を覚えられそうな気がしてきた」

 

 これが世界意思である。

 

「そんじゃ、また後でな。俺は隊長としてやることがあるから」

 

 手をヒラヒラさせて横島は離れていく。

 相変わらず軽い調子だが、その目は油断なく周囲を観察しているように見えた。隊長として周囲に目を配っているようだ。

 

「んー思ったよりもまともな人に見えるわね。手も出されなかったし」

 

 今日子の意外そうな口ぶりに、タマモも確かにと思った。いつもなら酷い目を見ても飛び込んだはずだ。これは思った以上に横島も成長してしまったのかもしれない。シロだけでなく、立派になった横島にも追いつかなければ。

 タマモが決意を新たにしていると、

 

「それでは皆さん。グラスを持って壇上に注目してください」

 

 メイドの美女が言って、一人の男が壇上に姿を現す。

 がっちりとした体形に、精悍な顔立ち。なにより意思の強さが感じられる黒の瞳。

 自然と周囲のざわめきが落ち着いていく。

 

「高嶺さんって、なんかオーラがあるわね」

 

「そう……ね」

 

 タマモの言葉に今日子は複雑そうに答える。 

 悠人は重々しく口を開いた。

 

「今ここで俺の言葉を聞いているスピリットに言いたい。良く、生きていてくれた。本当に嬉しく思う」

 

 いきなりの重苦しい言葉にびっくりする。

 ラキオスに下ったマロリガンのスピリットに向けてだとは思うが、殺した当人が言っても神経を逆なでしかねないだろう。

 

「敵だった俺から言われてもピンとこないとは思う。この中には、俺が妹や友の仇という者もいるだろうから」

 

 悠人の言葉に思わず拳を握りこんだ幾人のスピリット。

 その中にはマロリガンだけでなく、ラキオスに併合されていった国の者達もいた。

 

「言葉に出さないだけで俺が憎い者もいるだろう。戦争でスピリットが死ぬのは当然と割り切っているかもしれないが、それでも怒りや悲しみはあるはずだ。

 忘れろとは、俺は言わない。その感情は皆自身のものだから。それを抱え込むのが辛いのも知っている。だから一人だけで抱えないでくれ。俺は隊長だ。全部、受け止めるから」

 

 実感の篭った声だ。この強く大きな男も、自分達と変わらぬ弱さを持っているのだと、スピリット達は少しだけ悠人を見る目を変えた。

 

「そして、その悲しみと怒りを戦争に対しても向けて欲しい。もうすぐ戦争は終わる。終わらせなければならない。でなければ、幼いスピリットもまた戦場で散ってしまう」

 

 視線が部屋の一部分に集中した。視線の先には、人間の子供がスピリットの幼児に「今は静かにして」と頑張ってあやしている姿がある。信じられない光景に、スピリット達の目が猫のように丸くなった。

 新しい時代が訪れつつあるのを、その目で感じる。

 

「剣を置いて、その手に本や楽器を手に取れる世界が、その手を戦争で失われた者達に向かって合わせられる時代が、目の前まで来ているんだ。その為にあと少しだけ剣を取って俺と共に戦ってくれ!」

 

 悠人の言葉にユーモアやセンスは無かった。ただただ、強く、重い。

 重力が光を捕らえるが如く、スピリットも人も、ただ悠人の言葉に耳を傾ける。その姿は皆に勇気を与える勇者そのもの。

 笑みは与えられずとも、決然と未来を見据える力を悠人はスピリットに与えた。

 

 だが、ここで悠人の言葉が詰まった。視線を右往左往させるたかと思うと、

 

「あ……ええと……というわけで楽しんでくれ! 乾杯!!」

 

「か……乾杯!」

 

 唐突に言葉を打ち切って壇上から降りる悠人。

 他の皆は慌てて乾杯と続いた。

 

「言いたい事だけいって、締めの言葉は考えて無かったわね……不器用のバカ悠らしい」

 

 呆れたように言う今日子だが、表情は柔らかい。

 タマモには今日子の気持ちがよく分かった。成長の影に見えた懐かしい友人の姿が嬉しいのだ。

 

 始まりの言葉も終わり、何はともあれ歓談式が始まる。

 特に決められた流れはないらしく、好きなようにご飯を食べたり話したりすればいいらしい。タマモはなにげなしに辺りを見てみる。

 

 まず目に付いたのは坊主頭の碧 光陰である。

 多くのスピリットが光陰の元に集まって彼の話を聞いている。悠人も隣にいたが、話すのはもっぱら光陰だ。

 ハイペリアでの自分や悠人の失敗談を面白可笑しく話して笑いを取っている。不思議と自虐的な雰囲気はない。行動の端々から余裕と自信が感じられ、しかも嫌味でないのだ。話がいきすぎると悠人が突っ込みを入れている。

 

「盛り上がってますけど、何かお腹に入れないと大変ですよ。片手で食べられるサンドイッチとかお勧めです!」 

 

「温かいスープは冷めないうちに飲んで。片づけるの面倒だから」

 

 そこに長ツインテールと短ツインテールが現れる。

 途端に光陰は話を取りやめ、満面の笑みを浮かべてツインテールの元へ駆け寄った。

 

「おお、ヘリオンちゃんにニムントールちゃん! なんて愛らしい。特にニムントールちゃんのメイド姿……くぅ~最高だぜ!!」

 

「あ、あの、何で私達の名前を知ってるんでしょうか」

 

「ラキオスのちっちゃくて可愛い娘は全て網羅しているさ!」

 

 手を握らんばかりにずずいと迫ってくる光陰に、ヘリオンとニムントールは思わず後ずさる。物凄く好意を持って貰えているのは分かるが、それが妙に困るのだ。

 

「よしよし! 二人も俺の話を聞いて――――」

 

 さらに一歩踏み出そうとした光陰だが、背後から妙な光の塊が迫って来て、

 

「ぐがあ!」

 

 後頭部に突き刺さってばったりと倒れこんでしまう。周囲のスピリット達には何が起きたか理解できなかったようだが、光陰とラキオス勢には全て理解できたらしい。

 起き上がった光陰は痛がりつつも下手人を探すが見つからず、小さく肩をすくめた。

 

「いつつ、俺が認識できない一撃ね。これは第二詰所にだけは手を出すなって警告か。まったく、愛されてるねえ、ヘリオンちゃんもニムちゃんも」

 

「えへへ……はい!」

 

「……ふん!」

 

 ヘリオンは嬉しそうに。ニムントールは頬を赤くしてそっぽを向いた。

 大切な人に気にかけられる幸せを二人は噛み締める。

 

「それじゃあ楽しんでくださいね!」

 

「面倒臭いけど、料理が足りなさそうだったら補充するから早めにいって」

 

 ヘリオンとニムントールは足早に去っていった。どうやら光陰に対して苦手意識を持ったらしい。こうやって大好きな子供との距離が離れてしまっているのを彼は気づいているのだろうか。

 一連の流れを見ていたセリアが、ふと疑問を口にする。

 

「コウイン様は……その、小柄な女性が好みなのですか?」

 

「ちっちゃい子は大好きだが……女って意味なら俺には今日子だけさ」

 

 光陰は清々しいまでに言い切った。何の気負いもなく、ただそれが真実だと万人に納得させるほどの純朴さがそこにある。純愛の宣言にラキオスのスピリットはほおっと目を丸くして、マロリガンの元稲妻部隊スピリットは唇を噛んで小さく目線を落とす。

 そんな微妙な女心に悠人はまるで気づかず、ただ呆れたような視線を光陰にやった。

 

「そこまで言い切って、どうして子供に手を出そうとするんだ。いや、直接に手を出すわけじゃないってのは知っているけどな」

 

 YESロリータ、NOタッチ。

 ロリコン紳士としての当然の嗜みだ。光陰は芯からその実践者である。

 

「おいおい悠人、昔から言うだろうが。甘いものは別腹と!」

 

「ほ~。つまり恋人であるあたしは甘くないってか」

 

「そりゃあなあ。すっぱくてしょっぱくてからい! それが今日子……と、いう話があるとかないとか……はは」

 

 光陰の言葉尻がかすれていく。いつのまにやら今日子が傍にいた。光陰は汗をダラダラと流し、悠人は懐かしいものを見るような目で、今日子は楽しそうに笑っている。今日子の笑みはカラッとした晴天のようだが、雷は時として晴天でも落ちることがある。その時が来たらしい。

 

「悠~この馬鹿ちょっと借りてくねー」

 

「ああ、一発やったら早く戻ってこいよ」

 

「はいはい、分かってるって」

 

 今日子は右手にハリセンを持ち、左手で光陰を引きずりながら何処へとも無く消えた。

 あまりに自然な流れにスピリット達は止める暇すらない。程なくして晴天の青空から突如として稲妻が落ちた。

 ズンと大地が揺れる。

 

「こ、コウイン様は大丈夫なんでしょうか」

 

「まあ、光陰だから大丈夫だろ」

 

 悠人のノリは軽い。

 横島と同じく心配する必要がないキャラクターだと知っていた。

 

「あんな暴力女なら私にでもチャンスが」

 

 元マロリガンのスピリットは今日子の横暴に腹を立て、これなら自分にもチャンスがあると恋心を再度燃やす。だが、その恋心は今日子がプスプスとこんがり焼けた光陰を引きずりながらやってきた事で完全に砕け散る。雷に打たれて黒こげアフロ(何故か髪量が増えている)光陰は物凄く幸せそうで、二人の間に割って入るなどと出来ないと知らしめる事となった。

 

「今日子は美神タイプなのかもね」

 

 その光景を見ていたタマモは思わずつぶやく。

 今日子から強さと弱さを感じたのだ。硬いくせに繊細。そんな理不尽な心に入り込めるのは、柔らかくて図太い心の持ち主なのだろう。今日子と光陰はお似合いだとタマモは思った。

 

 いや、あるいは高嶺さんなら今日子とも良い感じかも。

 

 なんとなく美神と横島とおキヌちゃんの三人を思い出す。

 あの三人の関係は今後どうなるのか。なかなかに興味深い。

 極楽な物語の続きを見るためにも、早く元の世界に帰らなければならないのだ。

 

 そうだ、横島に聞いて見なければならない。

 美神に生殺与奪を握られた丁稚なのだから、元の世界に帰ろうと努力しているのは間違いないはず。どうやって戻るつもりなのか、一度聞いて見なければ――――

 

 ――――余計な考えは身を滅ぼしますわよ。

 

 突如として悪寒に襲われたタマモはぶるりと体を震わせた。

 血の気が引き、世界が止まる。

 

 今、わたしは、死の淵に、立っている。

 

 今は聞くのを止そう。横島は、きっと何かは考えているはずだから、聞く必要は無い。いや、この世界に留まっている以上、まだ帰る方法はまだ見つかっていないのだ。だから、聞いてはダメだ。

 

 ――――そう、それでいいのですわ。

 

 体に熱が戻ってくる。一体自分の身に何が起こったのか定かではない。ただ一つ分かるのは、疑問に思わないことが一番の良薬だという確信だ。

 

「なんなのよ、この世界は」

 

 圧倒的な恐怖に声が震える。

 お釈迦様の掌で暴れた孫悟空のように、途方もないもの存在に全てを握られている恐怖。

 

 帰りたい。

 でも、帰りたいと思うこと事態がダメだ。

 帰りたくない。帰りたくない。かえりたく――――

 

「あれ、私、今なにを考えてたんだっけ? あはは」

 

 痴呆か、とタマモは冷や汗を拭いつつ笑って見せた。

 

 





 すいません、また分割します。
 やはり二万文字を超えると読み疲れるそうなので、越えたら分割する方針で。
 続きは明日。

 それはそうと、こち亀、終わっていたんですね。割とショック。
 とりあえずこち亀の最終話とナルトの続編を見ようと漫画喫茶に行き『ぼくたちは勉強が出来ない』に嵌る。何だかギャルゲーがしたくなってお勧めしてもらったのが『Doki Doki Literature Club』。うん、無料だし皆やろう。そこからUndertaleや東方を勧められてちまちまやってます。フランが強すぎて困る。東方を書いてる人たちは皆フランを倒したのだろうか。とても二作目三作目と出来る気がしない。


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第三十五話 進む世界で足踏みを 後編2

 一瞬、自分が何処にいるのか分からなくなった。

 はてと首をかしげて、辺りを見渡す。料理が並べられ、何処からともなく音楽が聞こえてくる。付近にいるスピリットと呼ばれる種族の綺麗な女性達は、宴というものになれていないのかウロウロとしている者が多い。

 ああ、今はパーティー中だったと、タマモは気を取り戻した。

 

「……何か面白いものないかな」

 

 何かから逃れるように、タマモは辺りを見回して何か目を引くものを探す。すると、一人のレッドスピリットの女性が目に留まった。

 見た目は歴戦の勇士といった感じなのに、まるで会場に紛れ込んでしまった小動物のように、キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回している。テーブルに置かれた豪華な食事にも、手を出しては引っ込めるを繰り返していた。見ていて気の毒なくらい、場になれていない。

 

 彼女は第一次マロリガン戦の時の捕虜だ。横島に散々に振り回されて、最後には多勢に無勢で神剣を取り上げられて牢に押し込められたのだ。

 幸いにもメドーサもどきに殺される事もなく、今までずっとラキオスの牢で捕らわれていた彼女だったが、マロリガンが倒れてようやくラキオスの軍門に下れたのだ。

 

 彼女は精神の多くを神剣に食われていたのだが、横島のセクハラめいた何かを食らって、何故か精神がある程度だが回復した。それが良かったとは言いづらい。中途半端に回復したせいで孤独は嫌だが上手く会話も出来ないような精神状態だからだ。今回のパーティーなど、引きこもりが無理やり合コンに担ぎだされたようなものだろう。

 世界に怯える哀れな女の子。そこに飛びつく邪悪な影があった。

 

「おお、その尻はーー!」

 

「ギャーーーー!」

 

 邪悪な影に尻をムニンムニンされたレッドスピリットが悲鳴を上げて飛びずさる。

 そこには、言うまでもなく横島の姿があった。

 

「お、お前は! だからどうして尻を触るんだ!!」

 

「わはは! そこに可愛くて不安そうな女の子のお尻があるからさ!」

 

 欲望全開のくせに、まるで子供のように屈託なく横島は笑った。 

 本当に楽しそうな笑みにレッドスピリットの目が釘付けとなる。どうして自分と向き合ってこんな笑みを浮かべられるのか分からない。いや、もしかすると。

 可愛くて不安そうな女の子。

 なんて言われたかを思い出して、頬に血が集まってくるのを感じる。

 

「も、もう一度言って見ろ!」

 

「ん? ええと……そこにお尻があったからだ!」

 

「違う! そっちじゃない! 大体、なんで尻を触るろうとする!?」

 

「以前に言っただろ。仲間になったらミトリヤ……ちゃんの尻を触るって。本当に仲間になるの待ってたんだぞ」

 

「あ、私の事を覚えて……それに名前も……うわ、変な手つきは止め……あーもー!」

 

 嬉しさに怒りに羞恥に。多くの感情を叩き込まれてレッドスピリットは困惑する。

 とにかく横島にお尻を触られない為、横島に背後を取られないよう気をつける。

 しかし、その背後には卑猥な影が忍び寄っていた。

 

「おお、その尻はーー!」

 

「ギャーーーー!」

 

 またもや尻をムニムニされて慌てて飛びずさる。卑猥な影の正体は、やはり横島だ。

 いつの間に回り込まれたのかと困惑したスピリットだったが、さっきお尻を触った横島も存在している。

 

「え、ええ? まさか……双子だったのか!?」

 

 その言葉に二人の横島は怪しげに笑みを浮かべるだけ。

 嫌な予感を覚えたレッドスピリットはお尻を警戒しようとしたが、一歩遅かった。

 

「おお、その尻はーー!」」

 

「ギャーーーー!」

 

 再三にわたり尻をムニムニされる。

 そこにいたのは、やはり横島だ。

 

「み、三つ子だと……くっ、囲まれたか」

 

 三方向を横島に囲まれ逃げ場を失う。

 だがそれでも逃げ出そうと隙を探るが、横島の悪夢はここからが本番だった。

 

「ここにもいるぞ!」

「ふっ、俺を忘れてもらってはこまるぜ」

「やれやれ」

「チチ、シリ、フトモモーー!!」

「俺は高島だったりするぞ」

 

 周囲からさらに横島があふれ出てくる。その数、五。総勢八人だ。

 八人の横島に囲まれる悪夢。もはや逃げ場などない。

 八方を囲まれてレッドスピリットは混乱して座り込んでしまった。せめて尻だけは守ろうというのだろう。

 

「ミトリヤよ!

 なにゆえ しりを かくすのか?

 おしりこそ わが よろこび。

 ぷりけつこそ うつくしい。

 さあ わが うでのなかで いきはてるがよい!」

 

「くぅ、私の尻はここまでなのか……」

 

 く、ころせ!

 

 とでも叫ぶのがお似合いなレッドスピリットの様子は、横島達をいけない気分にさせてしまう。これはもういっちまうか、と煩悩がささやくが、世界の意思はそんな横島を許さない。

 

「ミズテッポウ隊、撃てー!!」

 

「なに!? ぐわあああーー!」」

 

 突如として横島の顔や体に強力な水が襲い掛かる。スピリットの幼児や人間の子供が自作の水鉄砲で横島を撃ったのだ。

 この水鉄砲。横島がハイペリアから持ち込んで子供達に渡したのだが、子供達はすぐさま分解して、自分達なりに再構築して数を揃えたらしい。彼らにとって玩具は渡されるものではなく、作るものなのだ。

 

 自作の圧力式水鉄砲の威力は高いらしく、水圧で顔が歪むほどである。料理が並ぶ会場で水を使うという暴挙だったが、周りのスピリットが障壁を張って料理はしっかり守っていた。

 

 ずぶぬれになった横島をリュートは満足そうに眺めると、次なる指令を下す。

 

「良し、皆も行けー! 突撃だー」

 

「わーい!」

「ヨコッチを倒せー!」

「チチ―シリ―フトモモー!」

「ぬああ! またお前らか」

 

 リュートの指示を受け、スピリットの幼児たちが横島達に飛びかかり、ばしばしやはむはむをする。しかし、今度は横島も八人いるのだ。そうそうやられることは無い。

 戦力を増加させるために、リュートは余った水鉄砲を呆然と座り込んでいるレッドスピリットに持たせた。

 

「ほら、レッドスピリットのお姉さんもミズテッポウを持って!」

 

「え? その……これはどう扱えばいいのか」

 

「この筒を上下に動かして。圧力が高まって勢いよくでるから」

 

「分かった……おおお!」

 

 気合と共に高速で手を上下させる。

 シュコシュコシュコシュコ!

 筒の内部で圧力が高まり、先端から少しだけ液が漏れ始める。

 

「よし、もう出るぞ。ここを思いっきり握って」

 

「分かった! いけええええ!!」

 

 ビュビューー!!!!

 凄まじい勢いで液体が発射される。

 

 横島は凄まじい形相で水を避けた。

 それだけは食らわないという意思を感じる動きだ。

 彼は戦慄したようにリュートを見つめる。

 

「無知な女騎士にさりげなくセクハラするだと!? 無知シチュとは高等技術を!」

 

「なにを意味不明なことを……やましく聞こえた人は心が汚れているんじゃないですか」

 

 呆れたように言うリュートに、その場の何人かが恥ずかしそうに顔を下げた。特に、第二詰め所のスピリットはハリオンを除く全員が興奮で顔を真っ赤にしている。どうして水鉄砲の発射に興奮しているのだろうか。不思議である。

 何にせよ、ハリオンは汚れのない心を持っているのは間違いない。

 

 ともかく、子供達による横島への攻撃が始まった。

 八人に分裂したせいか、横島達の動きは鈍い。このままではやられてしまうと、横島は助けを呼んだ。

 

「みんな! 救援を頼む!」

 

 しかし、誰もこなかった。

 

「ウワキモノだー! ウワキモノを倒せー!」

「ぐあああ! お前らもか~~!!」

 

 むしろ敵側の増援が湧いてしまう。第三詰め所のスピリット達も横島に飛びかかっていった。当然、ふざけてやっている。横島と取っ組み合って遊ぶ機会を逃さない為だ。

 さらに、マロリガンのスピリット達も参戦してくる。

 

「コウイン様を失ったイライラをぶつけてやるわ!」

 

「それは俺に関係ないだろ!」

 

「うるさい! 死ねぃ!」

 

 中には『リア充許すまじ』の精神で壁ではなく横島を殴ろうとしてくる極悪スピリットもいたが、悪いのは横島なので気にする必要はないだろう。正に多勢に無勢。スピリットと人間の連合に横島達は次々とやられていく。

 

「くっ! このままではやられちまうぞ!」

 

「仕方ない! 合体だ!!」

 

 八人の横島達が一か所に集まる。

 そして、

 

 な なんと よこしまたちが…!

 よこしまたちが どんどん がったいしていく!

 なんと よこしまに なってしまった!

 

「って、やっぱりヨコシマじゃないかーー!!」

 

 純度100パーセントの横島を混ぜれば、横島が出来上がるのは当然である。  

 

「気をつけろよ……こうなってしまったら 前ほど優しくはないぞ。(セクハラを)やりすぎてしまうかもしれん!」

 

「皆! これが最期の戦いよ! セクハラ魔人に死を!!」

 

 人間とスピリットとの連合軍と、真の姿を現した横島。

 最後の戦いが、今始まる!! 

 

 

 

 それらを見ていたタマモは呟く。

 

「なにこれ」

 

 なにこれである。

 隊長としてやる事がある、とは何だったのか。セクハラしまくった挙句、ボコボコされる。いつもと変わらない。いや、いつも以上に酷い。

 

「ふふ、流石はヨコシマ様です」

 

 その様子を熱っぽく見つめるのは、顔半分だけ仮面をつけた大人の女性だ。

 タマモに気づいた彼女は恭しく頭を下げた。 

 

「初めまして、タマモ様。ヨコシマ様の隊員であるファーレーンと言います。以後良しなに」

 

「あ、はい。タマモです。これからよろしくお願いします」

 

 どうして顔半分だけ仮面を付けているのか疑問に思ったが、横島の部下なのだ。きっと変人なのだろう。

 失礼に自己完結したタマモは、ファーレーンと並んで横島と子供達の激闘を見つめた。

 いつのまにか横島の戦闘服ははだけ、ズボンとシャツでスピリット達とプロレスごっこに興じている。

 

「とても素敵な光景ですね」

 

「どこが!?」

 

「マロリガンとラキオスのスピリットに人間の子供達。皆が協力しながらヨコシマ様を脱がし……じゃなくて遊んでるじゃないですか」

 

 ラキオスにマロリガン、さらにはスピリットと人間の子供達。

 この歓迎会の目的は新しく入ってきたスピリット達と親睦を深めるのが目的だ。

 

 スピリットと人間の関係は良くなってきているとはいえ、まだまだ溝は深い。

 ラキオスとマロリガンのスピリットは殺し合いをして、マロリガン側は少なからず死者が出ている。特にマロリガンの稲妻部隊は感情を多く残していたので、どうしても心にしこりを残しているだろう。

 悠人の言葉に心を動かされたものは多いだろうが、しかし仲良くするための第一歩を踏み出すか悩んでいた者も多いに違いない。それを、横島は第一歩を踏み出させるどころか竜巻のように全てを巻き込み飲み込んでしまった。

 

「きっとヨコシマ様はわざと悪役になって皆を協力させあって、皆の仲を深めようとしているんですよ。自分を犠牲にしてまで私達のために……流石はヨコシマ様!」

 

 物は言いようである。

 ファーレーンの目には、横島がわざと悪役を演じて皆を仲良くさせようとする聖人に見えていた。横島が実はスケベであるとは理解したようだが、まだまだ横島に対する色眼鏡は抜けていないらしい。

 

 この人は目が腐ってる。

 

 タマモは容赦無くファーレーンをポンコツと断じた。

 同時に、自分の目も腐っていたことを理解する。

 

 アレのどこが成長して大人になった、だ!

 何をどう言おうが女性にセクハラしているだけじゃないか!!

 

 結局、横島はアホでバカで変態のギャグキャラなのだ。

 

 確かに大人としての対応を取る事はある。シリアスに決めることも増えた。

 それはスピリットに関しては生々しく凄惨な現実があり、時と場合によって笑い話やエロギャグで済ますのは不謹慎すぎるからだ。横島は馬鹿でエロだが、あれで常識人で、決定的な一線は超えはしないデリカシーもある。ギャグと不謹慎を見極めてこそギャグキャラと言えるのだ。

 逆に言えば、それほどの事情が無ければ横島がシリアスに決めることは無いとも言えるのだが。

 

「でもまあ、悪くないけどね」

 

 周囲の熱気が伝わってくる。横島との遊びに加わっていないスピリットも緊張感が解けて来ているようだ。まるで祭りのような雰囲気に、何だか楽しくなってきた。

 今ならシロとも色々と話せそうな気がする。いつもの下らなくも楽しい会話が出来そうな気配。

 キョロキョロと見回してシロを探して見る。すると、何故か人間のお偉いさんと見られる人にペコペコと頭を下げていた。

 二人が離れたところにタマモは近づき声を掛ける。

 

「あんた、なにやってんの」

 

「挨拶回りでござる。拙者と光陰殿の立場は少々危ういのでござるよ」

 

「……そうなの?」

 

「自業自得ではあるが……まあ、これからは従順かつバカでいる必要があるでござる」

 

 シロは自分達が警戒されているのは分かっていた。

 やったことがやったことだ。人間からすれば、いつその刃が自分の身に降りかかるか分からないのだから、警戒は当然である。

 シロと光陰は身の安全の為にも、罪深き亡国の将という立場を忘れてはいけないのだ。

 

「ただ、あの騒ぎに目を奪われて、拙者達どころではなかったようでござるが」

 

 横島達のほうに目を向ける。

 そこには上半身裸になって、ズボンにまで手をかけられている横島の姿があった。

 

「あと2枚! あと2枚!!」

 

「いやじゃ~止めてくれ~!!」

 

 期待するような声が響いている。横島の悲痛な悲鳴もアクセントだ。

 セクハラするものとされるもの。立場はもはや逆転していた。横島はズボンを押さえて半泣きで逃げ回り、スピリット達はサドッ気のある表情で追い回している。女所帯のスピリット達は基本的に男に触れることはない。それゆえ、女と違うといわれる部分に興味津々らしい。それに、逃げ惑う横島がスピリットの本能を刺激したのだろう。

 中には横島の半裸に生唾を飲み込むスピリットもいたが、それは極少数である。

 

 タマモは頭を抱えた。

 本当に酷い光景だ。だけど、鬱々としたものを問答無用で吹き飛ばすほどのエネルギーがそこにあった。

 

 まるで太陽だ。

 シロのシリアス行動など吹き飛ばし、無理やり世界を明るくする太陽。

 それはタマモが望んでいたものだった。

 

 だけど、とタマモは思う。

 今見なければいけないのは暖かい太陽ではない。

 冷たい現実で今も戦っている、誇り高い狼であると。

 

「シロ、聞いて」

 

「何でござる」

 

「私を見てなさい! すぐに追いついてやるから! アンタをバカ犬に戻して見せるから」

 

 突然のタマモの宣言にシロは目をパチクリしたかと思うと、顔を下に向けて表情を見せないようにした。タマモは不信そうに表情を覗き込もうとしたが、その前にシロはパッと顔を上げた。

 いつもの、さっぱりとした笑顔がそこにあった。

 

「期待しているでござるよ。まあ今は料理を楽しむでござる」

 

「だから! 子ども扱いするな!!」

 

「ただ料理を楽しもうと言っているだけでござるよ。そうやって無駄な意地を張るのが成長でござるか?」

 

「むうっ!」

 

 余裕たっぷりなシロに、タマモは唸った。

 まさかここまで大人になっているとは。これは手ごわそうだと気合を入れる。

 

「これなんてどうでござる。ピリ辛油揚げでござるよ」

 

 ここは好意を受け取るほうが大人の対応だろう。

 そう判断したタマモは一気に貰った油揚げを口に詰め込む。

 

 美味い……辛い……否! 熱……痛……水……無……燃!!

 

「ひ、火ィーーーー!!」

 

 タマモは火を吐いた。比喩ではない。口からゴゴォと火噴き男のように火を吐いたのだ。

 あまりの辛さに狐火が暴走したらしい。述べるまでもなく、油揚げには辛さ三百倍というシロの細工がしてあった。

 

 火を噴くタマモに対し、ラキオスのスピリットは一言。

 

「タマモさんは火を噴けるエトランジェなんですね~」

 

「別に凄くも何ともないですけど」

 

 なんとも平然としたものである。それも当然か。

 パンツ一枚の変態に、ハリセンで雷を落とす変態に、雷を落とされてアフロになる変態もいる。

 火を噴いただけでは芸人としてやれるわけがないと、人間もスピリットも目が肥えていた。こんな連中が受け入れられ始めれば、そりゃ一般的なエトランジェが差別されなくなるのも当然だろう。

 

「くくく、あーはっはっは! この瞬間を待っていたんでござる!!」

 

 シロの大爆笑が広いパーティールーム全てに響き渡った。 

 

 タマモをからかう。

 口喧嘩で勝てず、いつもタマモにからかわれていたシロにとって、これは悲願であった。

 タマモの心が戻って、環境の激変に戸惑うタマモの姿に一計を案じたのだ。タマモと喧嘩友達に戻り、なおかつ悲願を達成するために、シロは大人の姿を見せ付けていたのである。

 

「ふ、ふふふ。タマモの言うとおり、バカ犬に戻ったでござるよ! いやはやタマモの友情に胸が一杯でござる……あははははは!」

 

「こ、こ、このクソ犬が--!!」

 

「その顔でござる! その顔が見たかったのでござる~~!!」

 

「待ちなさい! こら!」

 

 タマモの放つ狐火を避けながらシロは笑い転げる。笑いすぎたのか、目頭には涙すら浮かんでいた。それた狐火は当然のように横島に直撃していたりする。

 

 シロとタマモの喧嘩を、マロリガンの元稲妻部隊は呆然と眺める。こんなシロは見たことが無かった。まだ幼い身でありながら、常に周りに気を配り鍛錬を怠らない。強く気高い理想の隊長。

 そのシロが、まさかこんな子供っぽい悪戯をするとは。

 

 シロも横島と同じだったのだ。

 今まではタマモの為、そして部下達の命を預かる立場になったことで、常に気を張っていた。自身の一挙手一投足が仲間の死に繋がるという現状がシロのリーダーシップを高め、幼い心を封じてきたのだ。

 タマモが解放されて、隊長という責務から降りた今、ようやく素の心をさらけ出したのである。素のシロは、勇気があり真っ直ぐでお調子者の子供だ。

 

「良かったな、シロちゃん」

 

 相棒だった光陰は素直に一人の少女に賛辞を贈る。

 

 またタマモと喧嘩がしたい。

 その一念で、シロは歯を食いしばって戦ってきたのだから。

 この瞬間、シロの戦いはひとまず終わったのだろう。

 

 感慨にふける光陰だが、その顔にパシーンとハリセンが打ち付けられる。

 

「良くないわよ、バカ光陰! この惨状、どうするつもりよ! 悠も隊長ならなんとかしなさい!!」

 

「んなこと言われてもなあ……あ、とうとうパンツまで脱げたぞ」

 

「いやーーーー!!」

 

 今日子の悲鳴と怒声が響き渡った。いや今日子だけではない。パーティールームのいたるところで笑いと悲鳴と怒声が木霊する。圧倒的な感情の坩堝と化したパーティーに、感情を殆ど失っていたスピリット達の顔にすら僅かな困惑がにじみ出ていた。

 

 まだ冷静なマロリガンのスピリット達は「こんなところにいられるか!」と死亡フラグを立てながら脱出しようとして、良い笑顔を浮かべた第二詰め所の面々に退路を塞がれていた。

 

 セリア達は最高の笑顔で言い放つ。

 

「ようこそ。ラキオスへ」

 

「マロリガンに帰っていいですか?」

 

「皆さんはラキオスに同化されます。抵抗は無意味です」

 

 どこか得意げなナナルゥの言葉にマロリガンのスピリット達は泣き笑いの表情を浮かべる。勝者に好き放題される敗者たちの悲哀がここにある。どこか楽しそうにもしていたが。

 世界は確実に変貌の時を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 それから二週間。マロリガン戦が終わって早一か月。

 まだまだマロリガンの処理は終わっていなかったが、これ以上は機を逃すと、レスティーナは帝国打倒に動き出した。

 帝国の打倒と佳織の奪還。この二つがラキオスの主目的である。副目的としては、アセリアの救出と、そしてソーマの撃破だ。

 アセリアに関してはヨーティアが全力で取り掛かってくれていて、ソーマに関してはシロとタマモが動物部隊を編成して、全国各地を徹底捜索中である。どちらも糸口を掴むのは時間の問題だろう。

 

 元マロリガンスピリットの編成も終わり、いよいよ大陸の覇権を決める戦いが始まろうとしていた。横島と悠人がレスティーナに呼ばれたのは、そんな祭りが始まる直前の熱気が満ちた夜だった。

 内密の内容らしく、玉座ではなくレスティーナの私室まで直接行く。今更だが、一国の、それも未婚の女王の部屋に二人の若い男が押しかけるというのはどうなのだろう。

 

「来ましたね!」

 

 横島達が私室に入ると、レスティーナが妙に高いテンションで二人を出迎えた。

 珍しく化粧が濃い。肌は妙に白く、唇は艶がありすぎた。艶やかで活力に満ちているように見えるが、眼下が窪んでいる。これは疲労を隠すための化粧だった。

 

 無理もあるまい。この1年で元の10倍以上の領地を獲得してしまったのだ。官吏も領主も足りず、人材が不足していた。そこにマロリガンの併合だ。レスティーナの仕事量は想像を絶するほどだろう。

 この状況下でさらに戦争に乗り出すのだ。睡眠時間など取りようもない。

 

「だ、大丈夫か?」

 

「うふ、ふふ。大丈夫です……戦争さえ終われば貴方達が……ね?」

 

 レスティーナの両目が怪しく光った。横島も悠人も思わず一歩引いてしまう。

 それは正しく『ブラック企業に来た有望な新人に対する上司の眼光』に違いない。

 

 絶対逃がさない。

 

 鋼の意思がレスティーナにあった。それだけ追い詰められているのだ。

 大国となったラキオスに今必要なのはマンパワー。しかし、ラキオスには失業者すらいないのが現状だ。さらにマナ量の減少に歯止め掛ける為、エーテル機関の停止も実験的に始めている。技術の衰退も始まるのだ。

 ならば、一人当たりの仕事量を増やすしか道はなかった。無論、インフラや官僚制を強化して少しでも仕事がしやすい環境は整えているが、それにも限度がある。この状況下で有能で人気のある二人を逃がそうとする女王などいようはずもない。

 

 ちなみに、ラキオスの今後で最も致命的なのは、マナの枯渇によって将来の人口増加すら見込めない点だったりする。これに関しては根本的な対応策がない。本当に手段を選ばなければ、横島やスピリットを殺害してマナをばら撒き、そこで子作りすれば相応の人口増加は見込めたりもする。するわけないが。

 

「早速ですが本題に入ります。サーギオス帝国より宣戦布告の使者が着ました」

 

「今更かよ」

 

 悠人が呆れたように言った。

 ラキオスは半年以上も前に宣戦布告をしているのにだ。別に宣戦布告をする義務や義理など存在しないが、どうして今更するのか意味が分からない。

 

「いえ、今更では無いのです。見れば意味が分かるでしょう」

 

 巻物のようになっている羊皮紙を広げると、悠人はげんなりした。

 抽象的な、それでいて侮辱していると分かる文が長ったらしく記述されている。

 

「見ても意味が分からないんだが」

 

「文の最後だけを見れば分かります」

 

 レスティーナに言われて面倒臭そうに最後に目をやって、直後に悠人の目が皿のようになった。

 

 神聖カオリ帝国 初代皇帝 カオリ・タカミネ

 

 神聖カオリ帝国とは何だ?

 サーギオス帝国はどうした?

 佳織が初代皇帝とはなんの冗談だ?

 

 悠人は表情と声を失う。

 

「サーギオス帝国は滅びているという噂があったのですが、確かにその通りだったようです」

 

 一体、何があったのか。詳細は定かではない。

 とにかくサーギオス帝国はカオリ帝国と名を変えた。トップは高嶺佳織。誘拐された悠人の妹である。

 打倒しようとしていた帝国は既に消え去っていたのだ。

 

 帝国に誘拐され、これから救出戦を行おうとした矢先に、救出すべき対象が、敵のトップになってしまった。悠人の放心も当然だろう。

 しばしフリーズしていた悠人だが、何かに気づいたようで気を取り戻す。

 

「そうか! 瞬だな! あいつが嫌がる佳織を無理やり女帝にしたんだ!」

 

 なんの根拠もない悠人の言葉だが、妄想とはいいがたい。秋月瞬という男は佳織に歪んだ愛情を向け崇拝していた。

 サーギオス帝国の皇帝を武力により脅し、無理やり禅譲させたと考えるのが自然だろう。とはいえ、エトランジェは王家に対する神剣の強制力があり、逆らうことが出来ないはず。一体どうやったのか。

 

 それらの事情を解き明かすのも大切だ。

 だが、理由はどうあれ佳織がトップに立ったというのは、もう一つ重要な意味を持つ。

 悠人は気づかなかったが、横島は気づいてしまう。

 

 これ、まずくないか?

 

 この世界の戦争は人が死なない。だが、唯一の例外はある。

 降伏して属国にするならともかく、徹底抗戦をするのなら、スピリットの支配権を奪取する為にも王族は殺す必要がある。

 いつもの流れでいけば、佳織は処刑しなければいけなくなるのだ。

 

 とはいえ、一抹の不安はありつつも横島は大きく心配しなかった。

 どう考えても佳織は無理やりトップに据えられただけのはず。名目上のトップだから、まあなんとかなるだろうと楽観的に考える。

 

 そんな二人をレスティーナは厳しく見据えた。

 宣戦布告文書を持ってきた使者の顔には決意があった。瞳には誇りがあった。同じ表情が、横にいた護衛のスピリットにもあったのだ。

 あの表情を作る要因をレスティーナは知っている。主に対する忠誠が、あの誇りを形作る。その忠節は、佳織に向けられたものでは無いのか。無理やりにトップに据えらたのに、忠節にたる王として君臨できるものなのか。

 

 佳織は、本気でラキオスを、兄を潰そうとしているのではないか。

 

 ありえないと思いつつも、嫌な予感はぬぐえない。

 不安な情報はそれだけでなかった。レスティーナは密かにサーギオスの調略に取り掛かっていて、少しずつだが成果を出していた。あと少しでサーギオスの保有する要塞を内部から切り崩せる。その寸前までいっていたのである。

 だが、ある時を境にぷっつりと連絡が途切れてしまった。

 

 その時期が、佳織が誘拐されて数ヵ月してからだ。

 間違いなく何かがあった。それも、ラキオスとしては好ましくない方向に。

 サーギオスには悠人と横島の知り合いであり、大敵になりうる秋月と雪之丞がいる。その二人が何かをしたに違いないのだが、一体なにをやらかしたのか。

 ラキオスも悠人と横島の影響で色々と変貌している。ならばサーギオス帝国も。いや、カオリ帝国も変貌しているのは間違いない。

 

「カオリ……貴女は今、何をしているのですか?」

 

 




 前編で安易なシモネタは駄目と言っておきながら……理由はあるのですが、舌の根も乾かないうちだと少し恥ずかしい。

 次回は攫われた佳織のお話。雪之丞と秋月も出ます。


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第三十六話 前編

 誘拐された佳織の話をすると前話の後書きで言いましたが、久しぶりの更新で横島の出番がないのもどうかと思ったので順番を入れ替えました。ご了承ください。

 今回の話は悠人が主役と言っても過言ではありませんけど。



 

「永遠神剣『赤光』の主が命じる」

「永遠神剣『消沈』の主が命じる」

「ロリ神剣『天秤』の主が命じる」

 

 3つの声が荒野に響く。

 ここはラキオスの魔法訓練場。魔法の影響で見渡す限り何も無い平野となっていた。

 

 サーギオス帝国、もといカオリ帝国との決戦に備えて日夜訓練にいそしむスピリット部隊であるが、今回の主役は横島だ。

 横島が新しく習得した魔法の試射を提案して、それにはナナルゥの協力が必要だったのだ。そのナナルゥの魔法の補助をヒミカが行う。そこにセリアとハリオンの見守り役を含めての5人がここにいた。

 

 まず最初に完成したのはヒミカの魔法だ。

 

「世界を赤く塗り替えろ……ヒートフロア!」

 

 ヒートフロアは高速詠唱が可能な神剣魔法で、周囲の赤マナを活性化させてレッドスピリットの力を飛躍的に高める。『場』が対象の魔法は抗う術はなく、敵にも効果があるので使用には注意が必要だ。

 ただの補助魔法。それだけで普通の人間なら死ぬであろう熱波が広範囲に広がる。不幸にも近くを飛んでいた鳥が熱にやられて落ちていった。

 

「落ちよ、怒りの火。アポカリプス!」

 

 次にナナルゥの魔法が完成し、遠くの空高くに巨大な魔法陣が広がった。

 魔法陣から炎と雷の柱が何本も落ちてくる。

 巨大なビルすら飲み込むような火柱が、何本も何本も何本も。

 

 アポカリプスはレッドスピリットが使える魔法の中でも最大級の威力と範囲を誇る。正に黙示録の火。さらにレッドスピリットには一段上の魔法があるのだが、そちらは効果範囲が広すぎて使用そのものが難しい。

 事実上、このアポカリプスが最高位の魔法だ。

 

 そして最後に横島の魔法が完成した。

 

「全てを抱け! コンプレッサー!」

 

 詠唱の終わると同時に、上空に黒い点が生み出された。

 直径5メートル程度の、球形の魔法陣だ。魔法陣は脈動するように明滅すると黙示録の火を飲み込み始めた。

 地面に着弾しようとしていた炎すら、まるで滝の水が逆流したかのように上昇して魔法陣に飲み込まれていく。

 

 そうして、赤熱に燃える小さな球体が出現した。

 ときおり爆発が起こってエネルギーが周囲に逃げようとするが、すぐさま中心に引き戻される。まるで太陽のようだ。

 

 線ではなく、点。

 莫大なエネルギーをただ一点に留め続けるだけの神剣魔法。高層ビルすら飲み込むような炎の柱が、小さな家程度の大きさに圧縮される。

 一体どれだけの熱量が集中されているのかは分からないが、小さな太陽を見つめるスピリット達の表情は引きつっていた。

 

 やがてエネルギーを使い尽くしたのか、すうっと太陽は消えていく。

 横島はかなり精神力を使ったようでぐったりとしていたが、一呼吸入れてセリア達に向き直った。

 

「どうだ?」

 

「どう考えても威力過多ね」

 

「発動までの時間も問題です」

 

「ヨコシマ様の消耗も気になりますね~」

 

 ヒミカとセリア、そしてハリオンの反応は芳しくなかった。

 無理もない。威力だけを優先した為に欠点が多すぎた。横島は特に反論しない。

 だが、ナナルゥだけはまんざらでも無さそうだった。

 

「私は気に入りましたが」

 

「一体どこが」

 

「はい、ヨコシマ様と協力できましたから」

 

 彼女は素面で言い放ちながら真っ直ぐな視線を横島に向ける。

 シンプルな好意に横島は涙ぐむ。そして、

 

「うおー! これが素直クールってやつか! 愛してるぞナナルゥー! ああ、良い匂いでやわっこい!!」

 

 このセクハラチャンスを見逃すほど横島は耄碌していなかった。これ幸いと抱きついてナナルゥを堪能する。腰まで届くサラサラの髪を手ですいて、肩に強く手をまわす。胸にナナルゥを迎え入れて、えもいわれぬ良い匂いを一杯に吸い込んだ。

 

 横島の熱い抱擁を受けてもナナルゥはいつもの無表情。いや、どこか真剣な表情だ。赤い瞳は何らかの感情で強く輝いている。

 セクハラは止まらない。肩にまわされていた手が腰まで落ちてきて、そこからお尻に進む――――ところでピタリと止まる。尾てい骨付近で横島の手がウロウロと彷徨う。そして何かを探るようにナナルゥの表情を見つめるが、彼女はやはり真剣な表情で横島を見つめるだけだ。

 嫌がっているのか、そうでもないのか。

 

(ぐおー! このままいってええのか!? ぐうう、もっと先までいきたいが!)

 

 進むべきか、引くべきか。横島は激しく葛藤して百面相のように表情を変える。

 そんな横島を全て確認するようにナナルゥは目を大きく見開いて彼を見つめ、そして自分の口元が緩んでいくのを自覚した。

 横島の煩悩と誠実さと臆病さ。横島の横島たる部分。それが自分自身に注ぎ込まれているのを強く感じて、どうしようもなく胸を熱くさせるのだ。

 

(あぁ、たまらない……ヨコシマ様)

 

 何ともいえない高揚感にナナルゥは浸っていたが、熱を冷ますかのような視線が全身を貫いてきた。セリアにヒミカ。そしてハリオンも。ネガティブな感情でナナルゥを見つめていた。

 嫉妬、怒り、不安、恐怖。それらが混ぜ合わさった視線だ。

 

 『今』を壊すな。この視線が求めているのはそれである。

 これが第二詰め所スピリット達の不文律。ナナルゥもそれに否とは言わない。

 横島は大切だが、それ以上に横島と仲間を含めた全てが大切だからだ。

 

 さて、今を壊さない。

 つまり横島を受け入れない為にはどうすればよいのか。

 セリアやヒミカなら物理的に突っ込みを入れるだろうし、ハリオンならやんわりと逃れるだろう。

 

 ナナルゥは考え、思いついたアイディアに目がキランと輝いた。

 攻撃こそ、最大の防御である。

 

「臀部への攻撃……いきます」

 

「のわ!? ひゃ、ちょ、こら! またんかい!!」

 

 セクハラを躊躇した横島をあざ笑うかのように、ナナルゥは容赦なく横島の尻を蹂躙する。彼の尻がどういう形になるかは、ナナルゥの胸先三寸だ。

 容赦のない尻への愛撫に、横島はたまらず距離を取った。

 そんな横島をナナルゥはやはりじっと見つめ、さらに尻の感触を思い出すように手をニギニギさせる。

 

「ふむ」

 

「ふむ……じゃないわよナナルゥ! 一体あなたは何をやってるの!!」

 

 顔を赤くしたヒミカが怒鳴り込む。

 

「はい、ヨコシマ様を引き離そうと思いまして」

 

「それでどうしてお尻を揉むの!?」

 

「ヨコシマ様は離れました。成功したと思います」

 

「だ、だからその方法が!?」

 

「ヨコシマ様のお尻は固いですが、ギュっと引き締まっていて……いいですよ」

 

 突込みどころ満載の発言だが、ヒミカの目が思わず横島の尻に向かって、そのまま顔を真っ赤にして沈黙する。

 横島は無言で彼女らから一歩引いた。

 沈黙したヒミカに代わり、コメカミに手を当てたセリアが前に出る。

 

「ヨコシマ様のお尻がひ、引き締まっていて、それがなんだっていうのよ!」

 

「はい、セリア。勿論それだけではありません。普段はセクハラをしてくるヨコシマ様が、自身の体を触られると喘ぎ声を漏らして怯えたような顔で逃げる……そそりませんか?」

 

 セリアは思わず呻いて横島をちらと見た。奇妙な熱を持ったセリアの視線に横島はビクリと体を震わせて、また一歩後退する。その仕草はセリアに隠されたS心を大いに刺激し、思わずゴクリと喉をならしてしまった。

 横島は、さらに彼女達から一歩引いた。

 

「は、ハリオン! 貴女はこの魔法をどう思った?」

 

 色々な意味で不味い流れだと悟ったセリアは強引に話題を元に戻す。

 

「ん~これは私も空気を読んで、何かエッチな話題を振るべきでしょうか~」

 

「だから、それを止めてって言ってるの!!」

 

「うふふ~残念ですが分かりました~

 私としては、せっかくナナルゥさんが完成したのに、これじゃあもったいないと思います~」

 

 もったいないとハリオンは言った。

 その真意は、レッドスピリットの最大の長所にある。

 

 レッドスピリットの完成とは何か。それは超高火力広範囲魔法を身に付けること。それが一回打てればよい。それが正統派のレッドスピリットというものだ。

 様々な種類の魔法を何度も唱えられるのは悪くは無いが、大勢かつ強力なスピリットの戦いになると中途半端な攻撃は瞬く間に回復か蘇生させられてしまう。それに妨害もしやすい。

 周囲の緑スピリットもろとも一網打尽。これが理想だ。

 これが出来るレッドスピリットが後方にいるだけで、敵方のブルースピリット達は後方で警戒しなければいけなくなり遊兵にさせられるのだ。

 

 勿論、そんなレッドスピリットだけでは不便も多い。しかし最終的には大規模魔法を使えるレッドスピリットの数が、戦争での勝敗に多く影響するのは間違いなかった。

 

 ハリオンの言葉にセリアは頷いて、そしてある意味で一番の欠点を指摘する。

 

「何よりも……この魔法の用途がありません。余りにも強力すぎます」

 

 用途がない。

 

 一番の欠点はそれだ。

 この神剣魔法を使用しなければいけない相手がいない。カオリ帝国との戦争で一番の強敵になるだろう雪之丞と秋月にだって、ここまでする意味はないだろう。

 

 レッドスピリットに求められる広範囲の高火力。

 横島の魔法は無為に火力を収束させるだけの不必要魔法。

 それがスピリット達の評価だ。

 

 ――――まだ火力が足りない。隙は多くても良い。

 

 横島の評価は、まったくの逆だった。

 これは見えているもの、目指している目標がまるで違うからである。

 

 この神剣魔法をぶつける相手は雪之丞ではない。この世界を高みから見下ろしている連中が標的だ。あのタキオスという筋肉男を見ても分かるとおり、奴らは強すぎる。何もかもが圧倒的で、特に戦闘技術は異次元の高みにあった。しかも見張られているらしく、情報すら制されてしまっている。止めに記憶や世界を操る術でも持っているのか、黒幕の存在を誰かに話しても、いつの間にか記憶や文書までもが消えてしまう。

 

 正直にいえば、どうしようもない現状だ。

 『殆どの情報を握っていて、かつ猿神並み戦闘技術を持っている上に、劣化コスモプロセッサを保有したアシュタロスを数人倒せ』と言われているに等しい。

 投げ出したくなるような難易度だが、しかしイチャイチャハーレムの実現の為にも投げ出すわけにはいかなかった。

 

 まず必要なのは火力。

 最低限、これだけは必須だった。

 

 敵は武装した軍人で、こちらはただの子供。それぐらいの力の差はあるだろう。

 それでも子供の手にナイフが握られていれば、奇跡が起きる可能性は生まれてくる。無手では僅かな希望すらない。だから横島はまず火力を求めた。その火力すら持てていないのが現状なのだが。

 とはいえ、火力の当てはあった。悠人の極大神剣魔法が完成すれば、自身の収束魔法と連動して倒せるはずだ。

 

 隙が多すぎる問題も考えがある。

 奴等も霊力だけは感知できないようだ。上手く文珠を使えば高速発動も可能になる。発動には時間が掛かる、と思わせてからの一撃が可能だ。

 さらに、こうやって外で魔法の実験をしているのも罠の一つだ。もはや敵に見張られているのを分かっている。だから、こうやってわざと欠陥をまざまざ見せ付けて油断させるつもりだった。つまりは騙し討ちである。

 

 ただ普通に修練を重ねて強くなったとしても、あの圧倒的な差は埋めようがない。この世界の全ての力を結集させればまともに倒せるかもしれないが、勝てても相当な犠牲が出るだろう。騙し討ちが最善。それが自分に最も合っている。

 

(ふっふっふっ! 情報を制するものが戦いを制するのだ!)

 

 横島は脳内でドヤ顔を披露するが、

 

 ―――ふふ、確かにその通りだねえ。

 ―――我らを殺す可能性はありますね。ばれていなければですが。

 ―――俺達を倒しえる牙を研ぐか。実に結構だ。

 ―――ギシュウゥゥ(また良い戦術を考えてね)

 ―――という感じですわ。期待してますからね。

 

 練っていた戦術を彼らにも好評らしい。

 脳内のドヤ顔はムンクの叫びのように変化する。

 

「ヨコシマ様? どうしました」

 

 表の表情にもムンクは現れていたらしい。

 セリアが心配そうに横島の顔をのぞきこんだ。

 

「うう、セリア。何だかとっても疲れたよ。というわけで」

 

 というわけで、横島はふにょんと顔をセリアの胸に埋めた。いつものセクハラ的な行動。

 だけど、セリアは制裁に踏み切れなかった。横島の表情が本当に疲れているように見えたからである。

 自分に寄りかかってくる横島の重みが、どこか誇らしい気持ちにさせてくれる。

 

(疲れてるみたい……ヨコシマ様が元気ないと戦力が落ちて、ラキオスに悪影響が出てしまうかも。だから……その……ねえ?)

 

 脳内で理論武装を固めるセリア。

 一体誰に言い訳しているのか。それは勿論、自分である。

 このままもたれ掛かってくれても良い。本人はどうせすぐ殴られると思っているようだが、もし抱きしめたらどういう顔をするだろう。

 悪戯心のようなものが湧きあがってきて、セリアの手が横島の背中に伸ばされるが、

 

「なにをやってるの」

 

 ヒミカの固い声が突き刺さってくる。

 特にナナルゥの視線が厳しい。

 『お前、さっき何て言った』とばかりに目を鋭くさせている。 

 

 ――――め。

 

 ふっと湧いてきた思いを、セリアは気づかないように蓋をした。

 横島は怒らないセリアに不思議そうな顔をして、次に何かを期待するように胸にそろそろと手を伸ばしていく。ゆっくりと、それもセリアから見えるようにである。

 セリアは噴出すのを我慢して、横島の額にデコピンをする。

 

「あた!」

 

「まったく、本当にスケベなんですから! 間違ってもレスティーナ様や他の人達には変態行動を取らないでください」

 

「わはは、大丈夫大丈夫! 俺が直接セクハラすんのは第二詰め所だけだ! その為に俺はここにいるんだからな!」

 

 裏表のない、明け透けで真っ直ぐなエロ心。

 ひたすら幸せそうで馬鹿っぽい笑顔の横島に、スピリット達は呆れたように笑うのであった。

 

 

 

 

 セリア達と分かれた横島は鼻歌を歌い、軽やかな足取りで城へと向かっていた。

 

「息子よ! お前の出番は近いぞ!」

 

 ――――期待しないで待ってるよ。

 

「ちっ、ひん曲がりおって」

 

 息子と軽口を叩き合う。

 二年近くもずっと彼女達にアプローチを続けてきたが、ようやく18禁が手の届くところに近づいてきたと実感しつつあった。

 

 だが、ラブラブでエロエロな日々を送るのには障害がある。

 途方もなく大きくて凶悪すぎる障害だ。

 

 それを改めて理解した横島は、憎憎しげに雲ひとつない青空を睨みつける。

 

「まじでふざけんなよ……やりすぎだろ」

 

 黒幕達による現状の理不尽さ。この絶望的な状況下を思い知らされた。

 なんだこれは。脳内すら見張られている。常に手札を見られた状況でトランプをやっているに等しい。これでは勝負にもならない。

 

「これマジでどーしろゆーんじゃ」

 

 横島の嘆きも仕方ないだろう。

 敵が余りにも有利すぎた。

 

 さらに横島は知らないが、黒幕達は事実上の不死であり、万が一の奇跡が起きて倒せたとしても無限コンテニューが可能だったりする。挙句、自身の神剣が敵から与えられたものでいつでも取り上げることが可能で、そもそもスパイでもある。止めに思考を読むどころか干渉すらできる。

 

 手札を見られているどころか、操作すらされているのだ。

 理不尽すら通り越しているのを横島は知らない。

 

 思考を読まれていることが分かっても、横島は考える。

 これは自身がどれだけ頑張ってもどうしようない。ラキオスの面々だけではどうにもならない気がする。どこか自分のあずかり知らぬ所で、奴らの目が届かない所で、何か別の一手が必要だ。

 

 そんな直感がある。つまり、見張られている自分ではどうしようもない。

 

「でも、どうにかなりそうな気がするんだよな~」

 

 絶望的な状況下にあると理解したにも関わらず、それでも横島は楽観的に考える。

 あまり深く考え込んでも良い結果にならないというのは経験から理解していて、シロ達も仲間になり自分が一人ではないという安堵もある。

 そしてなにより、『この世界は理不尽に溢れている』という直感があった。

 どれだけ強い黒幕であろうと、この絶望は変えられないはず。

 

 希望はある。

 それを信じて、横島はレスティーナの元へ歩くのだった。

 

 

 

 レスティーナとの話し合いはヨーティアの部屋で行われることとなった。

 部屋は機械と紙束と酒瓶で埋もれていたが、涙ぐましいイオ・ホワイトスピリットの努力によって、話し合いのスペースだけは清潔に確保されている。

 

 横島に悠人、レスティーナとヨーティアの四人がテーブルに置かれた大陸の地図を囲む。戦略を決めるおなじみの面子だ。口火はレスティーナが切った。

 

「これよりいよいよサーギオス帝国……もといカオリ帝国打倒を目指していくわけですが……カオリの件もあり、帝国の動きは不明瞭すぎます。今何よりも欲しいのは情報。そして戦力の増強。そこで」

 

 レスティーナは地図の一点を指差す。

 場所は神聖カオリ帝国の領土内。

 

「リーソカの町の、この地点に帝国の研究所があります。ヨーティア殿からの情報です。ここから情報と物資を奪取するのが次の目的となります」

 

 割と大掛かりな研究施設らしい。技術者が常駐し、スピリットも多く配置されている。

 さらに北側には秩序の壁という要塞があって、そこに援軍を出す役割もあるらしい。

 

 作戦はシンプル。

 多数の戦力で要塞を攻撃して敵の目を引き付け、少数の戦力で研究所を襲う。

 これだけだ。

 

「ですが、この秩序の壁は現在取り壊されている真っ最中のようです」

 

 秩序の壁とは帝国がマナ技術を利用して作った長壁の要塞で、事実上の国境でもある。

 あり得た世界線では、この要塞を抜くために大きな決戦があったが、ここでは起こりえないだろう。

 

 どうして要塞解体するのか。

 悠人は自身の考えを述べる。

 

「自分の手で要塞を破棄するって事は、もう防衛も国境も必要ないと考えているんだろう。きっと要塞を構成していたマナをスピリットに与えてから攻めてくるはずだ」

 

「私も同じ考えです。猶予はエーテル変換の時間も考えて一ヶ月ほど。それから敵は万全の状態で攻めてきます」

 

 有限のマナを何処にどれだけ注ぎ込むか。

 その際にどれだけの時間を消費するか。

 マナの扱いは、戦術的にも戦略的にも、この世界における戦争の根幹となる。

 

 さて、ラキオスとしてはどう行動すべきか。

 このまま時が過ぎれば、正面決戦は免れない。その前にこちらから攻めることも出来るが、解体されつつあるといっても、やはり要塞戦は難しい。

 

 レスティーナは正面決戦も、先制攻撃も選ばずに、情報収集をこの期間に行うべきと判断したわけだ。

 と、ここまで話をされて、悠人はやや首を捻って発言した。

 

「そこまですることか? リーソカの町は要塞の向こう側。完全に敵の領内だ。」

 

「確かにリスクはあります、ですが、勝算は十分に」

 

「勝算については分かる。南西のミスレ樹海方面から少数精鋭で潜入させるつもりだろ。あそこは地形が複雑で大軍は展開しづらいし、土地のマナ配分が可笑しくて戦闘には不向き。そして妙な逸話があるためか見張りも少ないらしいからな」

 

 悠人の発言にレスティーナとヨーティアが感心したように頷く。

 良く勉強している。周辺の地形やマナ配分。さらに歴史も考慮していた。軍事にリソースを割いているだけはあるのだろう。

 

「情報が欲しいのなら人間の諜報部隊を使えばいいだろ。それに犬塚は動物を操れるんだろ? 動物部隊がサポートすればいけるんじゃないか」

 

 その悠人の質問には横島が答える。

 

「そっちはもうやってんだ。だが、潜入した奴らは誰一人として戻ってない。

 あいつらには他にやることがあるからな、これ以上の被害は出したくないんだよ。

 ちなみにシロの動物部隊は怖がって進みたがらないらしい。おっかない悪魔がいるんだと」

 

 諜報部隊との付き合いがある横島は、彼らの厳しい現状を把握している。

 馬鹿みたいに領土が増えた今、彼らの手はまったく足りていない。やって欲しい事はいくらでもあるのにだ。簡単に調練できるような類でもないから、もう被害を出すわけにはいかなかった。

 

「そうか……研究所に潜入できるのは俺たちじゃないといけないのは分かった。それでも俺は反対だ。デメリットが大きいのもあるけど、それ以上にメリットが少ない気がする」

 

 悠人の疑問は当然だ。情報が欲しいのは分かったが、その為に身近な要塞を攻撃する。これはどう考えてもリスクとリターンがかみ合っていない。下手に攻撃すれば、こちらの戦力だって相手に把握されてしまう。戦力の分散も好ましくない。

 

「大体、戦力の増強ってのはどういう意味だ。敵のスピリットを攫えとでも?」

 

「アセリアです」

 

 レスティーナからアセリアの名前が出て、悠人の肩がビクリと震える。

 ニヤリと笑ったヨーティアがつらつらと詳細を語り始めた。

 

「そのメトラ研究所にある資料はスピリットの精神に関わるものだ。正確には、スピリットの精神と神剣の波長についてだな。神剣にはそれぞれ固有の波長がある。人の指紋に同じものが無いように、神剣も固有の波長をもつのさ。神剣と対話するときに、この波長が発せられるのに私は気づいた。その波長を受信できるのは、その神剣の契約者だけ。神剣との対話できるのが、その神剣の契約者のみというのはこれが理由だ。だが! 極稀にその波長が近い神剣が存在するのさ。さらに状況によってはその神剣同士はさらに波長が重なって爆発的な力が引き起こされる。メトラ研究所ではその点に着目して、戦力を高めようとしていたのだが」

 

「つまり! その研究所の資料があればアセリアの心を取り戻せるんだな!!」

 

「天才の話を遮るな! まったく……取り戻せるとは言わんが、その一助にはなるだろうさ」

 

「よぉし! 分かった、やるぞ!」

 

 先ほどの打って変わってやる気を見せる悠人。

 その掌返しの早さにレスティーナも苦笑いだ。だが、レスティーナはすぐに表情を引き締め女王の顔となる。

 

「国を治めるものとして、ただ一スピリットのために戦力を割くことは出来ません。ですが、その研究所にはマナ結晶も存在しています。これを奪取できれば帝国の国庫に損害を与え、こちらは潤う。それを忘れないでください」

 

「という建前も必要っすよね! やっぱレスティーナ様は優し……いひゃいっす!!」

 

 女王の顔を崩され、顔を赤くしたレスティーナが横島の頬を引っ張る。当然、怒っているのだが嬉しさもあったりした。

 王族に生まれ、そして女王となった今、自分の気持ちを理解し、なおかつ馬鹿馬鹿しいやり取りが出来る者が傍らにいるという希少な幸せをレスティーナは噛み締める。

 

 話は決まった。

 後は作戦決行の日時と人選を決めなければいけない。

 

「俺は研究所に行く」

 

 悠人が力強く言い切る。アセリアは俺が助けると言わんばかりだ。

 あ~はいはい、と女性陣の呆れたような視線が悠人に突き刺さった。

 

「ユートよりもヨコシマの方が適任と思えますが」

 

「隠密に探索に戦闘、場合によっては交渉もありうる。小器用なヨコシマがベストだろうさ。分かってんのか、凡人のぼんくらが」

 

 レスティーナもヨーティアも能力から横島を推した。ヨーティアに至っては不快そうに表情を歪めて悠人をぼんくら呼ばわりだ。

 横島は面倒くさそうな顔をしながらも、目だけは鋭く悠人を見据えた。

 

「悠人、やれんだな」

 

「やるさ」

 

「じゃあ、やれよ」

 

 大切な女は自分の手で助け出したい。

 その気持ちは良く分かる。正直に言えば五寸釘でも打ち付けて呪いたいのだが、あのアセリアの現状を見ていれば茶々も入れられなかった。

 分かり合う男同士に女達は大きく息を吐く。

 

「まったく、これだから凡人は……男はいつもバカばかりだ」

 

「適しているのはヨコシマなのですが。こうなると」

 

 永遠神剣は精神の剣である。感情が物理的に影響してしまうのだ。

 ここで無理やり横島を向かわせることも出来るが、悠人のやる気を削いでしまえば戦力的によろしくない。こういった精神状況に力を大きく作用されるのが、良くも悪くも心で神剣を振るう者達の特徴だ。

 安定した戦力を望むのなら、精神を破壊して神剣の虜にしたほうが良いのである。

 

 レスティーナは強い眼差しで悠人を見据える。

 悠人はレスティーナを見つめ返した。

 やるといったらやる。強靭な決意を宿した男の目にレスティーナも決断する。

 

「貴方はやるべき時にやれる事が出来る男だと信じています」

 

「任せてくれ。やってやるさ!」

 

 レスティーナの信頼の言葉に、悠人は強く頷き言葉を返す。

 かくして、アセリア救出作戦が決定された。

 

 

 

 

 

 数日後。

 悠人はミスレ樹海目前まで到達していた。

 本来なら数週間は掛かる距離を、一瞬でゼロと出来るエーテルジャンプ装置の賜物である。

 

「もうそろそろだな。いくぞ……アセリア」

 

 横にいるアセリアに声を掛ける悠人だが、やはり返答はなかった。

 虚空を見つめるアセリアに、悠人は必ず助けると決意を強くする。

 研究所の進入は、悠人とアセリアの二人で行われる事となった。

 

 潜入は一人のほうがやりやすいが、しかし一人では危険すぎる。それに地形を考慮すると飛ぶことが出来るパートナーも必須だった。

 候補に挙がったのはシロ、ウルカ、セリアと機動力と隠密に優れた面々。

 この内、飛ぶことができないシロは候補から外れる。ウルカはブルースピリットと比べると飛行できる高度と時間が劣るから候補から外れた。セリアは機動力は問題ないが、戦闘力と隠密で劣る。スピリットとしては上位ではあるが、敵地に二人だけとなると流石に厳しい。

 

 最終的には救出する当人であるアセリアが選出された。

 心を失い咄嗟の判断は出来ないが、逆に命令には忠実だ。悠人が適切な命令さえ出せれば問題はない。

 

 神剣の索敵能力を限界まで使用しつつ、神剣反応を捉えられない様に押さえ込む。

 この状態でギリギリまで研究所に近づいて、後は一気に神剣の力を解放して研究所の資料を強奪。敵の増援が来る前に飛んで逃げるというのが作戦だ。

 非常に難易度の高い任務であるが。それでもアセリアを救うため。

 

 さあ、いくぞ!

 

 悠人は決意を新たに戦いへの第一歩を踏み出そうとして、

 

『少し待て、契約者よ』

 

 『求め』の声が頭に響いた。

 

「何だ馬鹿剣。今は忙しいんだ。気が狂うほどの激痛や性欲なら後にするか、さっさとしろよ」

 

『まったく、汝も大概狂ったな。悲鳴を上げながら転がっていた時は可愛げもあったというのに。まあ良い、まず結論から言おう。そのメトラ研究所の資料とやらを持ち帰ろうと、この青の妖精の心を戻すことは出来ん』

 

 出鼻を挫かれる、とはこの事か。

 ラキオスが総力を挙げて始動させた計画の大前提を否定されて、悠人はずっこけるのを必死に耐えた。

 

「勝手に決めるなよ! どういう根拠があるっていうんだ!?」

 

『あの技術者の意見は正しい。理論は完璧だ、しかし、その理論を実践する方法は一つだけだ』

 

 ヨーティアが言っていた理論。小難しいことを長々言っていたが、要はアセリアの神剣である『存在』との波長が合う神剣が必要だということ。

 その手がかりを見つけるための資料を、これから奪いに行こうとしてしているのだ。

 

『より正確に言うのならば行く意味がない。無駄な労力という奴だ』

 

「だからその理由を言え!」

 

『まだ気づかないか。貴様が未熟で、まだ我の力を引き出せないとき、一体どうやって我が力を引き出した』

 

 もう二年近くも前の話だ。

 

 当時、悠人は召喚後に即レイプされマナを抜き取られた影響もあり、『求め』の力をまるで引き出せなかった。にも関わらず隊長として戦場に引きずり出された。このままでは自分の、そしてアセリア達の命も危うい。強引にでも力を引き出す必要があった。

 その時は、アセリアの永遠神剣『存在』によって『求め』を共振させて無理やり目覚めさせて――――

 

「あっ! まさか!?」

 

『ようやく気づいたか、この馬鹿契約者め』

 

 灯台下暗しだった。悠人の持つ『求め』こそ、アセリアを助けられるかもしれない神剣だったのだ。大マヌケとしか言いようがない。

 とはいえ、悠人を少し擁護するならば、その時期はようやく言葉を覚え始めたところで無理やり戦場に突き飛ばされたのだ。状況も精神状態も最悪にして極限。そこに言葉足らずなアセリアの説明を受けて『求め』を覚醒させた。理屈がどうとか分かるはずもなかった。

 

 もっとも、アセリアを助けるには『求め』自身の協力が必要不可欠ではあるのだが。

 

『あのスピリットを犯し喰らうにも感情が無いのでは興ざめだからな』

 

 相も変わらず言う事は物騒であるが、遠まわしに協力すると『求め』は言った。

 

「サンキュー……『求め』」

 

 それはいつも『求め』を馬鹿剣呼ばわりしていた悠人にとって初めての、そして心の底からの礼だった。

 感謝の心が悠人から『求め』に伝わり、『求め』は忌々しげな声を出す。

 

『ふん、礼を言うぐらいなら、さっさとスピリットを犯し壊してマナを寄こせ!』

 

「ああ、分かった。いつかな、いつか」

 

 しかし、それとこれとは話が別であった。

 元から頑固で堅固な悠人の精神だったが、それに加えて図々しく強かになった悠人に、『求め』は強く舌打ちした。しかし、どこか楽しげな雰囲気を漂わせてもいる。悪友とでも呼べる関係になりつつあるのかも知れなかった。

 

 何はともあれ、善は急げだ。

 『求め』の意思が変わらないうちにアセリアを救出しなければ。

 

 やり方は簡単。

 アセリアの永遠神剣である『存在』に『求め』を重ねるだけ。後は『求め』がやってくれる。その間、アセリアは寝かせておく。悠人がすることは特に無かった。敵地に踏み込む前なので、敵が襲い掛かってくる等というトラブルも無い。

 待つ事、数分。

 

『ふん、終わったぞ。貴様が待っていると伝えたら、あっさりと精神の底から浮かび上がってきた』

 

 どこか面白く無さそうに『求め』は言って、後は沈黙した。

 アセリアは小さく伸びをして起き上がり、悠人と目が合うと微笑を浮かべる。

 

「ん、ユート……おはよう……じゃなくて、こんばんは」

 

 夜空に浮かぶ満月を見てアセリアが言い直す。

 相も変わらずマイペースなアセリアに、悠人は涙交じりの笑みを浮かべた。

 

「こんばんは……まったく、状況を分かってるのかよ」

 

「うん、『求め』と話したから……サンキュー『求め』」

 

 アセリアの礼に『求め』は何も返さない。

 それが何だか『求め』らしく、悠人は笑いをかみ殺した。

 

「お帰り、アセリア」

 

「ただいま……ユート」

 

 悠人はアセリアを強く抱きしめた。アセリアも抱きしめ返す。

 再開の抱擁をする二人を、周囲のマナ蛍が照らしていた。

 

 どれほどそうしていただろう。

 思い出したかのように悠人は気づく。

 

 アセリアの救出に成功したのだ。もう命がけの陽動作戦などする必要はない。情報やマナ結晶は取っていないが、それはまた別な機会でもいいはずだ。いや、それでも作戦を継続するべきだろうか。何にしろ状況が変わったのだから、とにかく報告しなければ。

 現在地のミスレ樹海は何故か神剣通信が繋がりづらい。急いで連絡できる場所まで移動しなければ。

 

 悠人は当然の思考をした。だが、思考は中断される。

 アセリアはそっと悠人の頬に手を当てて自分のほうに向かせたからだ。吐息が熱く感じられるほどの距離に悠人は戸惑う。

 

「ど、どうした、アセリア」

 

「ユート……私に、ユートを抱かせてくれないか」

 

「………………え?」

 

 突然で、衝撃的。

 アセリアの言動はいつもそんな感じだが、今回は郡を抜いたぶっ飛び具合だ。

 

 『抱かせてくれ』

 

 女が男に言う言葉ではないような気がするが、そこはアセリアだ。

 ただまっすぐ、心のまま繋がりたいという純心が飾りのない言葉を紡ぎだした。

 顔を赤くして硬直した悠人だが、アセリアの穢れも知らぬ、というような透き通る表情に勘違いだろうと苦笑する。

 

「ちょっと待て。抱くっていうのは抱きしめるって意味だよな? ははは、アセリアは言葉が少なすぎるんだぞ。もっと具体的に言わないと勘違いされるんだからな」

 

「分かった。毎朝、ユートが大きくしているモノを私のアソコにブスリと入れて出し入れを」

 

「そんなしっかり言わなくても言わなくていいから! もっと恥じらいを持ってくれ!」

 

「具体的に言ったのになぜ怒る」

 

 アセリアが不思議そうに首を傾げる。悠人はどうしたらいいのか分からず動けない。

 動かない悠人にアセリアは鼻が付くほどに顔を近づける。

 

「私はユートと深く繋がりたい。ユートを強く感じたい……ダメ……か?」

 

 いつものように透明な青の瞳。しかし、よく見ると瞳の奥に何かに期待するような煽情の色が見え隠れする。

 薄く艶やかな唇。紅潮した頬。吐息には甘く切ないものが混じっていた。

 どれもが余りにも綺麗で、美しくて、初々しくて、魂を抜かれるようだった。

 

 ――――だから、忘れてもしょうがなかったんだ! ごめんなさい!!

 

 とは、後の悠人の言葉である。

 悠人は連絡を忘れた。

 

「ユート、愛してる」

 

 月明かりとマナ蛍に照らされていた二つの影が倒れこみ、一つに重なる。

 レスティーナの言葉は正しかった。

 

 悠人はやるべき時にヤッちまう男だったのである。

 

 こうして予定とは違ったが早々にアセリアが救出され、二人の間である意味で命を懸けた戦いが始まろうとしいた。

 そうとは露とも知らない横島達は、まったく無駄で何の意味もない陽動作戦に命を懸けるのである。

 

 

 

 

 秩序の壁。

 

 サーギオスが保有する白亜の長城である。

 長大にして優美。ロマン溢れる中世の要塞に見える。

 

 しかし、一皮剥くと内部にはパイプや何らかの機器が埋め込まれていた。マナを利用して凄まじい頑強さを生み出し、なによりも要塞にいるスピリットの力を跳ね上げているのだ。石造りの要塞は、エーテル機器を保護する壁でしかない。

 見た目だけ中世の長城。しかし中身は機械的なエーテル技術の塊。この世界の歪な技術体系を示すに相応しい要塞だ。

 

 この攻勢に参加するのは横島とアセリアを除く第一詰め所と第二詰め所。そして第三詰め所のスピリット達。シロを筆頭とした旧マロリガン部隊は少し後方で待機している。

 

 横島達の役割は陽動だ。

 無理に攻勢に出る必要はない。敵が出れば引き、敵が引けば押す。コレがベストだ。とはいえ、言うは易く行うは難し、とは正にこの事ではあるが。考えどおりに物事が進むことなどそうはない。

 戦闘前から、それは明らかになってしまった。

 

「来やがったな……横島!!」

 

 伊達雪之丞が要塞の上で凶悪な笑みを浮かべていた。

 

「マジかよ」

 

 予想外の展開に横島の表情が歪む。シロの操る動物部隊によれば雪之丞の存在は半日前までなかったはず。だからこそ、この日を選んで陽動に来たのだから。一体、どこから現れたのか。

 

 とはいえ、予想外でも想定していなかったわけではない。雪之丞が凄まじい機動力を持っているのは明白。報告の時点でいなくても、突如でてくる可能性は当然あった。こうなった場合の対策は考えてある。対策というよりも、必然だが。

 

「ヨコシマ様……お願いします」

 

「ごめんね、ヨコシマ様。ネリー達じゃどうにもならなくて」

 

 雪之丞の魔装術と永遠神剣を合わせた『鎧』は低位永遠神剣の天敵とも言える存在である。

 なにせ、斬撃も火砲も軽々と受け止めて襲い掛かってくるのだ。しかも、曲線的なフォルムの鎧は全身をくまなく覆っていて隙は一切ない。

 最悪、一人でスピリットの集団を無傷で壊滅できるだろう。雪之丞の相手をするには鎧を砕けるほどの力が必須。つまり、エトランジェの持つ高位神剣が必要で、この場で高位神剣を持つのは横島のみ。

 

「雪之丞は俺が相手をするっきゃないか……ちくしょー! こええよーー!!」

 

 指揮するものが臆病風にふかれるなど、本来なら決してやってはいけないことだ。なのに横島がやると物凄く自然な光景のようで、かえって周りの士気があがるという不思議な特徴があった。

 

「大丈夫」

 

 ニムが得意そうに胸を張って言った。

 

「死んでもすぐ生き返らせるから」

 

「そこは死なせないって言えよ!!」

 

「ええ~」

 

「こんの…………うりうり」

 

「やっ! つっつくなー」

 

 横島がニムントールのほっぺを無遠慮に突っついて、ニムントールは蹴りを繰り出す。

 何度もあった光景だ。しかし、少しずつ様相が変わりつつある。

 ニムントールの蹴りが、何だか優しい。以前なら脛をガンガンと蹴り上げていたはずなのに今はペチペチだ。

 こうなってくると横島も荒っぽくほっぺたを突っつきづらくなる。仕方なく、横島はニムントールのほっぺたを優しく、あるいは撫でるようにつっつく。

 ペタペタ。ペタペタ。ベタベタ。

 それはもうどつき漫才やじゃれあいではなく、恋人同士のイチャツキにすら見えた。

 

「に、ニム! 失礼でしょ、止めなさい!」

 

 慌てたようにファーレーンがニムントールと横島の間に無理やり割って入り、二人を引き離す。それは、いつも通りの光景ではあったが。

 

「ッ!」

 

 姉妹の視線がかち合った瞬間、ピリッと姉妹間に妙な空気が流れる。当人達は慌ててそっぽを向いた。

 今まで何度もあった光景なのに、何かが違う。お互いに失敗したと後悔しているようだった。その妙な空気は第二詰め所全体にまで伝播して、不思議な空白が生まれてしまう。

 

 動きの止まった第二詰め所の面々の隙を突くように、第三詰め所のとあるスピリットが横島に駆け寄った。

 

「ヨコシマ様ヨコシマ様!」

 

 彼女はペチペチと横島を優しく叩くと、プクーとほっぺたを膨らませてみせた。

 ニヤリと横島は悪戯っぽい浮かべて、つんつんとほっぺたを突いてみせる。

 

「やん! もう~ヨコシマ様ヨコシマ様ー!」

 

 満面の笑みで嫌々しながら彼女はまた横島をペチペチする。横島も心得たようでツンツンとほっぺたを突っつく。実に可愛らしく、微笑ましいやり取りだ。

 そのスピリットが、20代半ばほどの美女でなければだが。

 

 はっきり言えば痛々しい光景だ。いくら美女でも、いや美女だからこそ痛い。美女が童女の振る舞いをして喜ぶものは極少数だろう。

 そんな彼女を見て横島は思う。

 

 急いで戦争を終わらせなければと。

 

 このまま時が過ぎれば30代40代の肉体に10半ばの精神が宿ってしまうだろう。

 それは本人にも周りにとっても辛い。横島としては出来る限り子供時代を謳歌して欲しいのだが、彼女の後の人生を考えるなら急いで心を成長させなければならなかった。

 

 精神の発達は時間よりも経験が大切らしいから、色々な所へ連れて行き、遊ばせ、学ばせ、友達を作ってやりたかった。戦争なんてやっている場合ではないのだ。そもそも、こんな子供を戦争などに連れてくること事態がクソッタレだと横島は理解している。だが、奪われた青春を謳歌させられる現状ではないのだ。

 

 また、精神だけの問題じゃない。

 戦争が終わればスピリットにも人権が付与される。そうなれば戦争の道具ではなく、人の社会で生きていかなければいけない。人に逆らえないという絶望的な特性があるスピリットを守るためにも、立場や法が必要になってくるだろう。

 

 ――――第二詰め所の隊長は止める必要があるな。

 

 第二詰め所のメンバーが戦慄する事実を、横島は当然のように考えていた。事実、それはまったくその通りで、戦争が終わった後に横島ほどの人材を副隊長などという曖昧な立場に置く意味はない。横島が第二詰め所の隊長をやり続けるという未来はありえないのだ。

 

 まあ、それは先の話だ。横島は視線をスピリットに戻す。

 今は出来ることからやらなければいけない。

 

「モーちゃんは可愛くて優しい良い子だな。俺の宝物だ!!」

 

 今出来る事。それは戦場で彼女達を守り、後は精一杯優しくしてあげるだけ。

 性癖ど真ん中の美女に抱きつかれながら横島はただひたすら優しい。そこには邪はなく、清く正しい愛しかなかった。

 彼女はそんな横島をじっと見つめた後、

 

「あぁ、パパだ……私のパパ……ぱぱー」

 

 ぐいぐいと顔を横島の胸に押し付ける。甘えっ子だ。

 

「ヨコシマ様~」

「パパー」

「抱っこして」

 

 他のスピリット達も「自分も自分も」と群がってくる。

 可愛い娘達だ。

 年上だとしても関係ない。種族も血の繋がりも関係ない。自分は父で、彼女達は娘。ならば、父として行動しよう。父ならばやること。それは、

 

 

 ブブー!!

 

「ぐわー!」

「おならだー!」

「臭いぞーー!?」

「どうしておならをするんだー!?」

「フッ、オヤジは屁をこいてこそオヤジなのさ」

「そうなのかー!?」

「絶対うそだー!」

「ううん! 私、人間の子からきいたことがある。パパはおならばっかりするって!」

「うむ、オヤジは子供の前で屁をこく人種なのだ! 布団も屁で暖めるぞ」

「オヤジってすごーい!」

「キャハハハ!」

 

 娘たちは大はしゃぎだ。

 臭い臭いと笑い合っている。パパとしての無遠慮な行動が嬉しかったらしい。

 

「もう! おならはダメでしょ!」

 

 そんな中で、一人のスピリットがプリプリと怒っていた。

 後ろから抱き着いていた彼女は、もろに屁を吹っかけられたのだから無理もない。

 横島はニコニコと笑いながら手招きする。

 

「悪かった悪かった。もうおならはしないから、こっちこ~い」

「……ほんとー?」

「本当に本当だ!」

 

 横島の言葉に、スピリットは嬉しそうな笑みを浮かべて抱きつこうとするが、突如として横島はクルリと回れ右をして、

 

「やあー! なんで後ろ向くの!? おならする気でしょ!」

「しないぞーパパはうそつかない」

「うそだぞ! アレはやる目だぞ!」

 

 わーわーぎゃーぎゃー。

 

 今から命のやり取りをしようとしているとは、信じられないほど幼稚でお馬鹿な騒ぎが続く。

 そんなやり取りを、苦い顔をしたブルースピリットが割り込んだ。

 

「はい、ストップ!」

「おばさんだ」

「邪魔するな~おばさん!」

「誰がおばさんだ! 隊長だよ隊長!」

「ええ~ヨコシマ様の妹なら、おばさんじゃないー」

「ああ~まったく! これから打ち合わせするから、邪魔しないで!」

 

 流石に戦いの打ち合わせとなれば邪魔できない。

 第三詰め所のスピリット達は文句を垂れながらも離れていく。

 横島はニヤニヤしながらルルーに言った。

 

「どうした叔母さん」

 

「何で兄さんが言うの!? それは違うでしょ!」

 

「なんだ。お前も屁をこいてほしいか」

 

「やったら切るよ」

 

「何をだ!?」

 

「まったく、本当に兄さんはモテモテの大人気だね」

 

「……そうだな。人気者過ぎるっての」

 

 笑みを消して、どこか空虚に横島は言った。

 この人気が、とても悲しい現実の上に成り立っているという自覚があるからだ。

 だが、ルルーは不思議そうな表情で横島を見た。 

 

「何でそんな顔してんの」

 

「普通、俺がモテるわけないだろ。あいつらは酷い目にあったから、俺が好かれてんのは分かってんだよ! 現にマロリガンのスピリット達には嫌われてるんだぞこんちくしょー!!」

 

 何を言っているのだと、ルルーはただ呆れた。

 確かに第三詰め所のメンバーは、というか普通のスピリットは冷たく暗い闇に囚われていて、そこから救い出してくれた横島に感謝する可能性は高いだろう。

 

 だけど、横島はそこで止まらなかった。いつも自分達を見てくれて、常に笑顔で面白く、それでいてスピリットの未来に真面目に考えてくれる恩人。ルルーも、自分が近づくと何だかんだで嬉しそうにしてくれる横島の存在は救いだった。

 

 一体、どう嫌いになれというのか。

 

 マロリガンのスピリットには嫌われているというが、それは以前の戦争で酷い戦法で煙に巻いた事と、無遠慮なナンパをしているからだ。

 

 好かれる様な行動を取って好かれているだけ。

 嫌われる様な行動を取って嫌われているだけ。

 

 まったく当然なことなのに、好かれているのは環境の所為で、嫌われているのは自身が貧弱な坊やだからとでも思っているらしい。

 よく分からない自己評価の低さとコンプレックスがあるくせに、女の子にセクハラやナンパをするポジティブさ。

 

 本当にわけの分からない、実に変な人物だとルルーは思っている。

 

「兄さんってさ、兄さんだよね」

「おい、馬鹿にしんてんのはわかるぞ」

「いや、馬鹿になんかしてないよ。本当に兄さんだなって~」

 

 しみじみと言うルルーに横島は「なんじゃそら」とぼやくしかない。

 ルルーはそっとスピリット達に目をやった。第二詰め所と第三詰め所のスピリット達が、不自然な笑顔を浮かべて見つめ合ってる

 

『家族だったら、目の前でおならをしても当然。つまり、あなた達は家族扱いされていないの。可哀想だね』

 

『違うわ。あなた達が女扱いされていないってことよ。女扱いされないなんて可哀想ね』

 

 ニコニコニコニコニコニコ。

 あの笑顔の裏では女達の冷たい戦いが繰り広げられている。

 

 ルルーは重く息を吐いた。

 色々と噛み合っていない。傍目から見れば楽しい状況かもしれなかった。貸してもらって見たラブコメディの本に似ているかもしれない。

 だけど、いつか嵐が来る。いつまでもこんな状況が続くわけがない。

 

 それはルルーにもよく分かった。出来れば穏便に事がすんで欲しい。最低でも、戦闘中で爆発するのだけは勘弁して欲しかった。死人が出たら笑い話にもならなくなる。

 だからこそ、ルルーは横島に忠告に来たのだ。

 

「今度の戦いのやり方だけどさ」

 

「それは事前に説明したとおりだ。俺が雪之丞を抑えて、第二詰め所が前衛、第三詰め所が後衛でサポート。毎日の訓練と同じようにするぞ」

 

「うん、そうなんだけど……お姉ちゃん達は兄さんを優先してサポートするかもしれないよ」

 

「はあ? なんで……ああ、そっか」

 

 ルルーの懸念を、横島はすぐさま理解した。

 以前にも第二詰め所で同じようなことがあったのだ。

 

「もう分かったの?」

 

「ああ。似たような事はあったし。でも、どうしてこのタイミングでなんやろ」

 

「そりゃ簡単だよ。いつもは怖い怖いユート様がいるからね。ユート様がいないからはめが外れそうなんだ」

 

 統率という点では、間違いなく悠人のほうに適正がある。

 スピリット達に横島は愛されているが、同時に舐められてもいるのだ。何をしても怒らないだろうという信頼がある。部下たちが好き勝手に動く可能性は高い。 

 

「俺もちょっとは怖くならないとだめか」

 

「無理だね。兄さんが怖くなるなんて考えられないし、なってほしくもないよ」

 

「なんじゃそりゃ」

 

「兄さんは皆の中心なんだよ。偉い人も貧しい人も、強い人も弱い人も、種族だって越えて兄さんの前だと素になれる。だから、皆の上にはなれない」

 

 褒められているのか、貶されているのか。

 横島にはよく分からなかったが、ただ素の自分のままで良いと言われているのは分かる。

 

「勿論、ユート様がいるからだけどね。あの人がいなかったら、無理やりにでも兄さんが上に立って皆を纏め上げなきゃいけないんだから」

 

 それだけはごめんだと、横島は内心で呟く。

 厳しい決断を迫られる立場になるのはごめんだ。何も考えず、ただ可愛い女の子を助けるためだけの立場に居たかった。

 

 高嶺悠人は死んではいけない。

 横島忠夫が横島忠夫であり続けるためには。

 

(女の子達は当然として、お前もだぞ悠人……死ぬんじゃねえぞ)

 

 心の中で、誰にも聞こえないようにこっそりと言う。

 

 それから横島は皆を集め、絶対に訓練通りに動くようにと、特に第三詰め所の面々には強く命令した。不満そうな表情のスピリットが何人かいる。もしも命令していなかったら、功を焦った行動に出ていただろう。

 きちんと部下の精神状況を把握していたルルーには感謝である。

 

 そろそろ悠人がメトラ研究所に近づいている頃合だ。

 

「よし、無理しない程度にいくぞー!」

 

「おおー!」

 

 緩い横島の号令と共に、第二詰め所のメンバーが要塞に突撃して、第三詰め所のメンバーは後ろで魔法の援護体勢に入る。

 敵は雪之丞とスピリットを3人を前面に出してきた。スピリットは横島と遜色ないマナを持っているようで、厳しい戦いになると予想される。

 

 横島はとある方角を見た。

 悠人のいる方である。

 

(しっかりやれよ、悠人)

 

 男に向かって応援など自分らしくなく恥ずかしいのだろう。少し顔を赤くして、恥ずかしさを誤魔化すかのように咆哮を上げて雪之丞に切りかかる。

 

 そして、悪魔と生死をかけた戦いが始まった。

 

 

 

 一方、そのころ。

 

(横島が応援してくれたような気がする……ありがとう横島。俺はやるぞ!)

 

 悠人は美少女とせいしをかける戦いを始めようとしていた。

 

 




 長くなったので、一旦ここできります。
 続きは来週にでも。


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第三十六話 後編

(横島が応援してくれたような気がする……ありがとう横島。俺はやるぞ!)

 

 横島の激励に応える様に悠人は気合いを入れた。アセリアを抱く覚悟を決める。

 もしも横島が悠人達の情事に気づいていたら「死ね」の一言だったろう。

 

 アセリアという少女は神秘的な雰囲気を纏っている。綺麗と可愛いの中間。少女と女性の中間。侵すべからずの聖域を汚すような感覚に、悠人の胸は背徳感でいやがおうにも高鳴った。

 

「ユート。私の服を脱がせられるか?」

 

「あ、ああ! やってみる」

 

 軽鎧を外し、薄い上着を脱がす。

 そしてブラジャーというほど上品ではない胸当てを外した。

 胸当てが落ちるとアセリアは小さく声を上げて、さっと膨らみを手で隠す。所謂、手ブラ状態だ。掌ですっぽり隠せる程度の膨らみしかない。

 とはいえ、細く小柄なアセリアだからか、あまり貧乳とは思えなかった。品評するのなら『ちょうど良い』と言ったところか。

 

「とても不思議」

 

「え?」

 

「ユートは私とお風呂に入ると、いつも目を逸らしてた。なのに、今は凄い目で見てる」

 

 不思議そうなアセリアの目に、悠人は羞恥を覚えた。

 アセリアの胸を凝視した挙句、おっぱい評価まで下した自分が情けない。

 恥ずかしさを誤魔化すように悠人は声を張り上げる。

 

「で、でもそれを言ったらアセリアだって同じだろ! いつもは隠さないのに、隠してるじゃないか!」

 

「ほんとだ。うん、とても不思議だ」

 

 思わず胸を隠したアセリアが、自分自身を不思議がる。

 あのアセリアが恥ずかしがっていると考えると、悠人は胸の高鳴りを覚えた。

 テンションが上がった悠人の手は自然と動いて、アセリアをパンツ一枚まで脱がしていく。

 

「ユート。少し待て」

 

「えぇ?」

 

 いよいよ最後の聖域に手をかけようとして待ったをかけられた悠人は、それはもう悲しい声を上げた。

 

「次は私が脱がす」

 

 どこか楽しげにアセリアが言って、悠人の服を脱がし始める。

 誰かに服を脱がされるなんて何時ぶりだろうか。

 幼い頃、義母に服を脱がせてもらった時を思い出した悠人は感傷に浸っていたが、

 

「ぐぅっ!」

 

 ガツンガツンガツンと股間から激しい痛みが上ってくる。見ると、アセリアがズボンを下ろそうとしているが、何かが引っかかって脱がせられないようだ。何かとは、何か? そりゃナニである。

 エーテルの戦闘服は非常に頑丈で、戦闘で引っかからないように遊びがない。出っ張りがあれば脱がせられないのは当然であった。

 

「ユート。これ小さくしないと脱がしづらい。小さくして」

 

「小さくって言われても……うぅ」

 

 目の前の光景があるかぎり、小さくするというのは並大抵の苦労ではなかった。

 満月の光がアセリアの半裸を浮かび上がらせている。薄ぼんやりと見える裸身は非常に色っぽくて、色々なモノを滾らせてしまうのは無理からぬことだろう。

 

「しかたない……えい」

 

「うひ!」

 

 悠人の『聖賢』を……ではなく『聖剣』……でもなく、『性剣』をアセリアは手で無理やり押さえつけてズボンを脱がそうとする。

 だが、それは悪手だった。出る杭は打たれるというが、打たれるとさらに飛び出てくる杭もあるのだ。

 

「わ!?」

 

 アセリアの手を押し返さんばかりに『性剣』がいきり勃つ。

 さきほどよりも勢い良く、まるでズボンを突き破らんばかりである。

 

「む……ユート。どうして意地悪する。これじゃ脱がせられない」

 

 意地悪と言われても、意地悪されているのはこちらだと悠人は思った。

 ズボン越しでもこんなにも刺激されては大きくなるのは仕方ない。まあ、これ以上刺激されれば小さくなるかもしれないが、それだけは絶対に避けたかった。

 

「やっぱりエスペリアの方がいいのか」

 

 いきなりエスペリアの名前が出て悠人は面食らう。

 アセリアの言葉の意味を理解すると、その顔色は赤と青を行き来した。

 

「気づいてたのか!? 俺がエスペリアと……その……ごにょごにょを」

 

「うん、エスペリアには色々と教えてもらった。それで……最後までしてくれないのが嬉しくて、悲しいって」

 

 あれらの行為はあくまでも悠人の精神を守るためだけのもの。そういう事になっている。

 それが分かっている悠人は、最後の一線だけは越えないように頑張った。ここでアセリアを抱いても、別に浮気でも裏切りでもなんでもない。

 それは確かな理屈だ。だが、理屈だけはどうにもならない切なさが悠人の胸を締め付ける。

 脳裏に浮かぶエスペリアの儚げな表情。だが、気づけばアセリアの顔が目の前にあり、唇に何かを押し当てられた。アセリアとの初めてのキスだ。

 

「ユート。今は私を見てほしい……お願い」

 

 いつもの透明な声ではなかった。

 願いと、執着。透明な心でない、生々しさがそこにはあった。

 アセリアが普通の女の子のようにやきもちを焼いてくれている。いつも泰然自若というか天然のアセリアが、である。

 

 かわいい。

 

 悠人の心はさらにアセリアに引かれ大きくなり、

 

 モコンモコン!

 

 別の場所もさらに大きくなる。

 

「ユート」

 

「わるい」

 

 アセリアがじと目で悠人を見る。

 悠人の性剣は、もはや性槍と化していた。

 

「分かった。じゃあもうこれしかない……はあっ!」

 

 アセリアはすらっと神剣を構えると、気合一閃に振り下ろす。

 パサリと悠人のズボンが大地に落ちた。

 

「これでよし……あれ?」

 

 性槍は、短刀のように縮んでいた。

 

「ん……小さく出来るなら早くしてほしかった」

 

「そこに刃物を向けられたら小さくなるに決まってんだろ!」

 

「なんで……そうか。当たる部分を減らす為か」

 

「そうじゃなくて……まったく、アセリアだよなあ」

 

 それからからすったもんだをしながらも、とうとう二人は互いに一糸も纏わぬ姿となった。

 お互いにぎこちなく、相手の大切な所を触りあう。

 

「ん……ぁ」

 

 いつも抑揚の無い声で喋るアセリアが、聞いたこともない艶やかな声をもらす。

 艶やかな声に、悠人も声と体を震わせるのであった。

 

 一方その頃。

 横島達は。

 

 

「死ぃぃぃぃ!!」

 

「ひぃぃぃぃ!!」

 

 殺意と狂気の声に横島は体を震わせた。

 

 漆黒の鎧を纏った雪之丞が疾風の勢いで横島に殴りかかっていく。

 雪之丞の両拳は奇妙に歪んでいた。空間がねじれているのだ。

 下手に触れようものなら、それだけで肉が裏返るだろう。殴られたらミンチよりも酷い状況となる。横島は空間のねじれに強い耐性がある障壁を張りつつ回避行動をとるが。

 

「あめえよ!」

 

 緑の鎧を纏って雪之丞の手が雷を帯び、さらに拳を手刀の形に変えた。

 慌てて魔法防御と防刃に強い障壁に切り替えようとするが、手刀からさらに指一本だけで刺し貫いてこようとする。

 防御障壁の属性をこれ以上に転換できなかった横島は、迫る一本貫手を『天秤』で必死に受け止める。

 

「おっと、あぶねえあぶねえ」

 

 指を切られそうになった雪之丞は少し距離を置いたが、すぐに襲い掛かってくる。

 今度は赤の鎧となって炎を纏っていた。

 

『なんと目まぐるしく面倒な攻撃だ!』

 

 手刀の形で剣に。

 貫手の形で槍に。

 拳骨の形で槌に。

 

 青の鎧は断の拳。

 緑の鎧は重の拳。

 赤の鎧は熱の拳。

 黒の鎧は速の拳。

 

 ありとあらゆる属性の攻撃が襲い掛かってくる。それも、全てが最高の威力だ。

 特化型で、ある意味で万能。

 これが雪之丞の鎧型永遠神剣『闘争』の特徴だった。

 

「ずるだろ! 四色全部使えるとか!?」

 

「へっ! 全部いなしてるお前に言われたくねえな!!」

 

「俺だけの力ってわけじゃないぞ」

 

 横島は言って、後方で魔法による援護をしてくれている第三詰め所の面々に軽く手を振った。それに気づいた者達は嬉しそうに胸を張る。

 

 横島の周囲には常に大気の壁が出来ていた、さらに雪之丞の周囲には黒いモヤがまとわり付いている。

 第三詰め所の補助魔法だ。

 雪之丞の力が強すぎて、さほどの影響はないが、それでも首皮一枚を助けてくれる程度に効力を発揮してくれている。

 

 横島のほうにも妨害魔法が飛んできているが、こちらは殆ど影響がなかった。後方支援能力ではカオリ帝国よりもラキオス王国のスピリットの方が上手らしい。

 

 二人の戦いは続く。

 雪之丞が攻め、横島は守る。それを何度か繰り返すと、横島は一つの弱点を見つけていた。

 

「おまえ……強力な遠距離技はもってないだろ」

 

 全ての技が鎧に宿るタイプの技ばかり。時たま繰り出す遠距離技も、魔法陣を作ってから、それをぶん殴るという変則スタイル。しかも、弱い。完全なインファイターだ。

 雪之丞はふんと鼻を鳴らした。

 

「本当にそうおもうか」

 

「できんのならやってみろっつーの」

 

 非常に分かりやすい横島の挑発だ。

 ここでの決着を望んでいない横島にとって、後に控えた決戦のためにも情報を引き出せる限り引き出したいのだ。雪之丞も馬鹿ではない。それを察していて、ここで手の内を見せるのは上策ではないと理解していた。

 

「上等だ! みせてやるぜ!!」

 

 ここで熱くなるのが雪之丞という大馬鹿なのだが。

 そして雪之丞はロマンを叫ぶ。

 

「男の子の憧れってな! 食らいやがれ」

 

 その場で右手を突き出したかと思うと、ボンと爆発音が響く。

 

『横島! こいつは』

 

「ああ、マジかよ!」

 

 雪之丞の繰り出してきた遠距離攻撃に二人は唖然とした。

 

 手首が回転しながら飛んでくる。正しくこれはロケットパンチ。

 ロマンが溢れる男の子の夢の一つ。

 

「ぐぅ!」

 

 ロマンは現実には優しくなかった。

 当然だが雪之丞は右手首を失くすという大ダメージを負っている。

 

 さて、大きな代償を払って打ち出したロケットパンチであるが血飛沫を推進剤にでもしているのか、速度はある。だが動きは一直線だ。

 銃弾すら止まって見える横島にとって見切るのは容易い。

 

「踏み込みが足りん……ってな!!」

 

 突っ込んでくる手首を『天秤』で切り払う。

 

 横島は忘れていた。

 雪之丞もまたギャグ漫画の住人にして、GSだということを。

 手首と『天秤』がふれた瞬間、手首が爆発した。巨石すら粉砕できそうな爆発を、横島は寸前で障壁を張って防ぐ。だが、熱風にまぎれて手首の破片が障壁を貫いて全身に突き刺さってくる。とはいえ、皮膚に軽く突き刺さる程度。痛みはあるがダメージは軽微だった。

 

「あだだだ! くそ訳分からん攻撃を……っ!? あ、やば……回復を!?」

 

 何かに気づいた横島は顔を青くしてスピリット達に救援を頼もうとする。

 その途中で、横島に突き刺さっていた雪之丞の破片らが爆発した。肉を抉られて、きりもみしながら横島は吹き飛ぶ。

 

「どうだ! 俺は、俺の体ならどこでも爆弾に変える事が可能なのさ! 佳織にあやかって名づければ『D・Y・B』って所か」

 

 雪之丞は得意げに言った。既に緑の鎧となって、吹っ飛ばした手首は回復している。

 そのままボロボロになった横島に向かって突撃を開始する雪之丞だが、

 

「緑の癒しを! アースプライヤー!」

「闇に囚われよ! テラー!!」

「赤の衝撃を! ファイアボルト!」

 

 すぐに横島には回復魔法が、雪之丞には妨害魔法が入る。

 鬱陶しそうにしながらも雪之丞は横島に止めは刺すべく突き進む。だが、彼の歩みを止めるものが立ちはだかった。

 月の光で銀髪を輝かせて、居合いの体勢のまま鋭い眼光で雪之丞を睨みつけている。

 

「ふん、久しぶりだな」

 

「はい、お久しぶりで」

 

 ウルカ・ブラックスピリット。

 元はサーギオス帝国で、スピリット最強とも言われた彼女は、雪之丞とは面識がある。

 当時はウルカは己の神剣である『拘束』を使いきれない状況にあり、さらに非常に調子を崩していた。また、殺人できないという致命的な欠陥すら持っている。

 

 見るに見かねた雪之丞はウルカとその隊員たちに暇を出した。そこに戦士としての慈悲があったのは間違いないが、その後のフォローを全くしなかったために、ウルカの隊員達は地獄に叩き込まれるはめになった。

 

 お互い、相手に思うところはある。

 だが、この場面で感傷など無用だった。

 

「いきます」

 

「きやがれ」

 

 ただ殺しあうのみ。

 ラキオスのスピリットで雪之丞と打ち合えるのはウルカぐらいなものだろう。それでも、長く打ち合えるわけではない。見る見るうちにウルカは防戦一方となっていく。全身を鎧で纏った雪之丞と、隙を見つけて一撃を打ち込むブラックスピリットの相性は最悪だった。さらに低位神剣と高位神剣との間には根本的な力の差がある。それでも反射能力と絶妙の間合いの取り方でウルカは攻撃を耐え忍び、

 

「悪い、助かったウルカさん!」

 

 横島が体勢を整える時間を稼ぐことに成功した。

 

「こちらこそ、もう持たぬところでした。後はお願いします」

 

 横島と交代したウルカは、次に休むことなくセリア達に襲い掛かっている敵スピリットに向かっていった。

 第二詰め所の面々と直接戦闘をしているのはたった3人。雪之丞の親衛隊とも言える存在だとウルカからは聞かされていた。それ以外の帝国のスピリットは後方で支援魔法に徹底している。

 

 状況は、横島VS雪之丞。

 前衛が第二詰め所VS雪之丞親衛隊である3人のスピリット。

 後衛が第三詰め所VSそれ以外の、大量の雑魚スピリット。

 

 奇しくも、帝国の戦術はラキオスの戦術とまったく同じだった。

 

(頼むから誰も死なないでくれよ)

 

 横島が殺しあう女性達に望む事は、ただそれだけだ。仲間は当然だが、敵だって死んで欲しくはない。やり方さえされば、被害を最小限に抑える事だってできるのだから。

 表情を歪める横島とは対照的に、雪之丞は嬉しそうに瞳を輝かせる。

 

「戻ってきたな。やっぱり俺の相手はお前じゃねえとダメか」

 

「男に言われたい言葉じゃねー!」

 

「つれねえこというなよ!」

 

 雪之丞が突っ込んでくる。

 

『いい加減、防御だけではつらいぞ』

 

 『天秤』の忠告が頭に響いた。

 逃げるのは十八番だが、ただ追われるだけではいつか限界が来る。どこかで攻撃を仕掛けるしかないが、重要なのはどこで仕掛けるかだ。

 

 雪之丞は四色を使いこなしているが、それは長所だけでなく、短所にもなりえる。

 

 青は物と魔を少し防げる。

 緑は物特化。

 赤は魔特化。

 黒は全てに弱いが、反射等の特殊防御が使える。

 スピリットと同じだ。弱点も分かりやすい。

 

 狙い目はやはり黒属性だ。

 攻撃の反射や無効化は強力だが、これは特殊能力にオーラを割いているといえる。素の防御能力は低い。そこさえ突破してしまえば致命打を与えるのは容易だ。『天秤』が以前に『弱者か、よほどの強者の技』といったのはこれが理由である。

 『絶対に当たる拳』や『全てを無効化する装甲』なんて特殊な大技を打ってくれば一瞬で食い破れる。雪之丞と同格である横島にとって、特殊系の技こそが一番の穴なのだ。

 

 横島は攻撃を情けない悲鳴を上げながらも避け続け、雪之丞の隙を待ち続ける。

 

(マジかよ……化け物め)

 

 一方の雪之丞は密かな焦りを覚えていた。

 確実に自身の攻撃が見切られつつある。勿論、全力で戦っているわけではないし、技はまだまだもっている。それでも、見切られ始めているのは確かだ。

 全てに対応できるディフェンダー能力と圧倒的な反射神経と動体視力。そこに経験と柔軟な思考が加わって、雪之丞ですら攻めあぐねるしかない。

 雪之丞が固くて折れない鉄壁なら、横島は柔らかすぎて折れないコンニャクだ。

 

「それでこそだ!」

 

 恐怖と同時に高揚感が湧き上がる。

 この後の展開を考えれば手札を晒すべきではないが、これだけの相手を前に力を出しそこなうというの戦士としてあるまじきこと。

 

「へへっ! 懐かしい技を見せてやるぜ」

 

 ちまちまなんぞやってられない。大技をぶちかましてやると、雪之丞は距離を取って、黒の鎧となる。

 彼の周囲に巨大な魔法陣が生まれた。神剣魔法発動の前段階である。

 横島も魔法の体勢に入る。魔法勝負だ。

 

「――――いくぜ、よこし」

 

「一割の真実を掴み取れ! タイムストップ!!」

 

 雪之丞の魔法が発動する寸前に、横島の魔法が発動する。

 ピタリと雪之丞が止まった。何かを言いかけたようなマヌケな表情で、完全に動かなくなる。

 

「時間操作したいのがバレバレだっつーの」

『この男が無詠唱の時点で余裕もないのが分かりやすかったな』

 

 タイムストップ。名前になんの捻り無いこの魔法の効果は、相手の時間を止めるというシンプルなものだ。

 時間停止。

 何だか凄そうだが、実態は非常に使いづらい欠陥魔法である。

 

 永遠神剣の、特にエトランジェの持つオーラはありとあらゆるもの全てに干渉が出来る。火を防ぐのも、時間操作を防ぐのも、何ら変わりはない。

 しかも、時空間や因果律等を扱う魔法はマナも精神力も多く使うくせに、格下にもそこまで効果はない。相手がよほどの格下なら効果を発揮するだろうが、それなら別な魔法を使うか、そもそも近づいて殴ったほうがずっと早いだろう。

 

 それでは、どうしてそんなにも欠陥だらけの魔法を横島は習得しているのか。賢明なる者なら(変態紳士)お分かりいただけるだろうが、それは横島の名誉に関わるので、ここで述べるわけにはいかないのをご了承いただきたい。

 

 さて、タイムストップはよほどの格下にしか効かない。

 ならどうして雪之丞に効いたのか。答えは簡単だ

 

 雪之丞は、自分から時間抵抗能力を極端に下げたからだ。

 さきほど雪之丞が使用したのは、自分の時間を早める神剣魔法である。自分の時間を加速させるには、時間への抵抗力を落とさなければならないのだ。

 ちなみに、これは多くの魔法でも同じだ。

 攻撃を高めれば防御が下がる。魔法を高めれば攻撃が下がる。防御を高めれば精霊力が下がる。

 例外は悠人の使える極一部の魔法とグリーンスピリットによる防御補助魔法ぐらいだろうか。

 

 また、雪之丞にとって不幸だったのは、横島は謎の巫女である時深という女性の戦闘見てしまったことだろう。時間加速という大技は、横島には筒抜けだったというわけだ。

 

 ともあれ、横島は勝利した。

 

「あっさり決着がついちまったけど……これで終わりだ!」

 

 『天秤』を振り下ろす。

 時間が止まった雪之丞はなすすべなくその刃を身に受けるしかない。

 

「な……めんじゃねえ!!」

 

 流石はGS美神で屈指の戦闘狂だ。

 多少なりとも時間停止に抵抗したらしい。動けはしないが、意識は残っていたのだろう。

 

 雪之丞の鎧が赤色に変わる。攻撃したら爆発するぞ、というわけである。横島が驚いて手を引く時間さえ稼げれば、この魔法を打ち破れるだけの時間を稼げると考えたのだ。

 だが、自爆戦法はもう横島は知ってしまっている。GSに同じ技を仕掛けるのは悪手だ。

 

 横島の剣は止まる気配が無かった。

 そこで雪之丞は気づく。目の前の男に、気配がない。

 

(文珠による幻!)

 

 理解できた時には、もう遅かった。『天秤』が雪之丞の胸を容赦なく貫く。

 横島は後方で、栄光の手で『天秤』を握って、さらに伸び縮みさせて攻撃したのだ。

 巨大な爆弾となっていた雪之丞は、ただ爆発するしかなかった。言うまでもなく即死である。

 

『とりあえず殺したか』

 

「んだな。周りの連中は全然慌ててないし、どうすんのか」

 

 悪友であり、最強の一角である雪之丞を殺した横島だが、その言葉は淡々としていた。

 殺した程度で殺せる相手じゃないのは分かっていたからだ。ここからどう対処するのか。横島は注目する。

 仲間が蘇生させるのか。それとも。

 

「へ、流石だ! 流石だぜ、横島ぁぁ!!」

 

 爆発の跡地で、雪之丞は笑い狂っていた。

 瞬きをする僅かな時間で、周囲のマナが集まって雪之丞は復活したのだ。

 

 その様子はグリーンスピリットの使う蘇生魔法と同じあるが、しかしグリーンスピリットが魔法を発動させた気配はない。

 恐らく、雪之丞は一定の条件で発動する蘇生魔法を唱えていたというわけだ。

 条件は言うまでも無く死亡すること。

 それに関しては横島は驚かない。あっさり殺せたことから何らかの対応は予想していたし、命を増やすというのも難しくもない。条件付けや時間魔法と、魂の操作を応用した魔法を組み合わせればいいだけの話だからだ。

 だが、横島は驚いていた。いや、戦慄といったほうが良いかもしれない。

 

「なんつー蘇生速度だよ。しかも、あんまり消耗した感じもないし」

『よほど熟練しているな……これは強力なブルースピリットでも対抗できないか』

 

 先ほどの時間操作やアホみたいな自爆とは違う。

 純粋な錬度がそこにはあった。一体、どれだけ繰り返し唱えてきたのか。

 

 『蘇生』魔法の錬度である。つまり、この神剣魔法を練習するには死ななくてはいけないわけで。

 

『狂人め』

 

 『天秤』の吐き捨てるような声に横島も頷く。

 横島がドン引きをする間にも、雪之丞は次の行動に移っていた。

 

「『闘争』の雪之丞が世界に命じる! 俺に永遠の闘争を! イモータル!!」

 

 光が雪之丞を包み込む。恐らくは、これが自動蘇生魔法だろう。

 これでもう一回遊べるという表情の雪之丞に、横島は泣いた。

 

「さあ、いくぜ横島ぁぁ!!」

 

「うげえ! 来るんじゃねえ!!」

 

 獣じみた咆哮をあげながら雪之丞が突っ込んでくる。一度死んだことで闘志に火がついたようだった。

 これとまともにぶつかり合うのは得策ではない。

 足を止めるべく、横島は文珠をばら撒く。その数は12個。

 

「ふん、ビー玉が2つ。出来損ないが2つ。本物は8つか。使えるもんなら使ってみやがれ!!」

 

 流石はGSだ。他のエトランジェとは違い、文珠が偽者かどうか、そして発動しているか否かをすぐに判断できる。

 

「そんじゃあ、いくぞ!」

 

 まずは失敗文珠が発動して、霊気の塵が周囲を覆い隠した。

 普通の相手ならこれだけで足を止めるだろうが、雪之丞が止まる様子はない。

 

「文珠発動だ」

 

 横島の宣言と共に、8個の文珠が発動する。凄まじい霊力の波動だ。

 文珠の発動を知覚して雪之丞の足が止まる。いくら雪之丞が好戦的でも、何が起きても可笑しくない文珠、それも複数個をぶちまけられれば止まらざるをえなかった。

 突進を止められてしまった雪之丞だが、彼は得意げに笑みを浮かべていた。虎の子である文珠を使用させたのだ。横島と相対するものにとって、これは非常に大きな意味を持つ。

 

(さあて……何がおきやがる!)

 

 文珠の8連結程度なら防御さえしておけば、どんな攻撃でも問題ない。

 だが、攻撃でなかったらどうなるか。とにかく警戒するしかなかった。

 

 霊気の塵による煙幕が晴れる。

 そして目の前の光景に雪之丞は驚愕した。

 

「なに!? 確かに文珠は発動したはずだぞ!? どうしてまだそいつがありやがる!」

 

 横島の周囲を回転しながら8個の文珠が浮かんでいる。

 その文珠に刻まれていた文字を目撃した雪之丞は「そんなのありか」と呆れた顔をした。

 

『文』『珠』『八』『個』『完』『全』『複』『製』

 

 文珠を発動して文珠を作ったのだ。何の意味も無い、ただ霊力を消費するだけの行為のはずだが、それが雪之丞の突撃を止めた。文珠の消費も無しである。

 横島はニヤニヤと笑いながら後方に引く。完全にしてやられた形となった雪之丞は天を仰いだ。

 

「まったく、よくやるぜ」

 

 威勢を削がれ、完全に横島と距離を取られた雪之丞は忌々しそうに、しかしどこか嬉しそうにしながら要塞に引く。スピリット達も彼らに合わせて後退する。

 第一ラウンド終了といったところか。

 

「ヨコシマ様! 大丈夫だった!?」

 

「なんとかな……そっちは大丈夫だったか」

 

「はい、なんとか。あの3人のスピリット達は信じられない強さです。ユート様並のパワーにシロ様並のスピード。低位神剣とは思えません」

 

「以前に第三詰め所を襲って、死者3名の被害を出したのは彼女達でしょうね」

 

「うん、見覚えがあるよ。あのブルースピリットがボク達を雑巾のように引き裂いたんだ!」

 

「ルルーさん、落ち着いてください。強い敵相手に焦っちゃだめですよ!」

 

 スピリット達が色々な意見を出し合うのを横島は眺めて、あることに気がついた。

 

「誰も怪我してないのか?」

 

 それだけの実力者と交戦した割には、第二詰め所の面々にダメージは見られなかった。

 回復したとして消耗はあるはずだが、それすらも無いように見えたのだ。

 横島の問いにセリア達は複雑な表情になった。苛烈な攻めであったのは間違いないのだが、どこか緩さも感じたからだ。

 

「それが、なんというか違和感があって……踏む込んでくる時に踏み込んでこないのです」

 

 危険な場面はあったのだ。後一歩踏み出せば、どちらかが死ぬ。

 恐らく、こちら側が。

 

 だが、彼女らは踏み込んでは来なかった。

 こちらのほうが数は多いのだから、下手に切り込んでこないのは分かる。それでも違和感があった。敵は消極的過ぎる。

 言動や剣筋から好戦的な性格なのは確かなのに。一体、何を考えているのだろうか。

 

「相手も同じ事を思っているかもしれません」

 

 踏み込まないのはこちらも同じだ。この戦闘の目的は、こちらに注意を引き付ける事だから、勝機があってもリスクを冒す事はしなかった。

 

 現状、まるで訓練のように安全マージンをとりながら戦っている。訓練よりも、安全に腕を比べあっているような印象すらあった。

 死傷者が出なくて当然だった。

 

「何を考えてるのかな」

 

「要塞の防衛を重視しているのでは」

 

「要塞を解体しているのに?」

 

 敵の訳のわからない動きに悩まされる横島達。

 だが、悩んでいるのは雪之丞達も同じだった。 

 

「お前ら……どう思う?」

 

 横島達と同じく、雪之丞達も集まって打ち合わせを始めていた。

 雪之丞の周りにいる特徴的なスピリットは三人。それ以外のスピリット達は少し離れたところで能面のような顔で固まっている。

 

「向こうさんもやる気がなくて困っちまうよ……くそ、切りとばしたい切り裂きたい」

 

 ボサボサ頭のブルースピリットがだるそうに言いながらも、血走った目は周囲に向けられていた。周囲にいるスピリットの集団は怯えたように彼女から距離を取る。

 

「誰も死なない……私がいる意味がない……意味が無い意味が無い意味が」

 

 何故かメイド服を着た大柄なグリーンスピリットは体育座りで雪之丞の傍らにいた。ブツブツと何やらを呟いている姿に、スピリット達は恐怖を感じているようだった。

 

 この二人と会話が成り立たないのは想定内だったのか、雪之丞はただ頷くだけだ。

 

「ダテ隊長。……これは陽動だよ」

 

 そんな中で、ボブカットのレッドスピリット少女が言った。

 無表情にみえるが、しかしどこか気取った様子の小学生高学年程度の女の子だ。

 

「かもな」

 

「ふっ。私の考えどおりみたいだね。ここに注意を引き付けて、リーソカを狙ったのさ。敵がエトランジェを全員連れてこない時点で狙いは明白だからね」

 

「かもな」

 

 軽くこたえる雪之丞だが、確かにその可能性が高いと見ていた。

 だからこそ、雪之丞は部下であり、一番まともなマリア・ブラックスピリットに何人かのスピリットをつけて援軍としてリーソカに向かわせたのだ。

 ラキオスの戦術は見破られていたのである。見破れた理由は、ラキオスの戦術がワンパターンだからだろう。

 

「もうそろそろ伝令が来て、私の予想の正しさを証明するでしょう」

 

「そうだったらカオリ様の言葉通り……要塞を放棄ですね」

 

 三人以外のスピリットが言った。

 ラキオスが苛烈な攻めを仕掛けてきたら要塞を放棄する。それは事前に決まっていたことだ。ラキオスを滅ぼすための佳織の策である。

 ほどなく、リーソカから伝令のスピリットが来た。

 

「報告です」

 

「ええ、ご苦労。ですが答えは分かっています。『求め』のユート率いる部隊がリーソカに来たのでしょう」

 

 小さい体を精一杯ふんぞらせて、レッドスピリットの少女は満足そうに言って見せた。

 伝令であるブルースピリットは不思議そうに首を傾げる。

 

「いえ、リーソカの町には何も異常はありませんでした」

 

 ピシリとレッドスピリットの少女が固まった。

 ブルースピリットの女がニヤニヤと笑って見せた。

 

「これは……きっと陽動……だって。プププ、はずしてやんの」

 

「黙れ、燃えつきろ」

 

「そっちがね。切り散りな」

 

「死ぬの? 死んでくれるの!?」

 

 殺し合いを始めようとする部下達を、雪之丞は寛容に見守った。

 彼は自主性を重視するタイプなのだろう。燃えた左手や、凍りついた腸が飛んでくるが、そんなものには気にも留めない。

 

「……マジで何をやってやがる」

 

 まったく理解の出来ないラキオスの動きに、雪之丞達も困惑を隠せない。悠人とアセリアの煩悩によって、雪之丞は遊兵をつくってしまったのだ。まったく、エロの巧妙である。

 だが、何が起こっているのか分からないのは横島達も同じだ。

 横島達も作戦会議を始めていたが、現状の不可解さに頭を抱えていた。

 

「敵は消極的だし、このまま戦い続けても問題無さそうですが」

 

「いくら消極的な戦いでも、長く戦えばいつかは破綻するわ」

 

 引ける時に引く。

 これがベストだ。その引くための情報を誰もが待っていた。

 

「悠人の奴から連絡はまだか。今が引くチャンスだぞ」

 

「ん~イオさんに連絡して見たんですけど~ユート様からは連絡がないみたいです……もう施設から結晶と研究資料を持ち帰っていても良い時間なんですけどね~」

 

「予定通りにいってないんだな。連絡が一切ないのは戦闘中の可能性が高いか」

 

「それは」

 

「隠密は失敗したんだろ……資料を盗む前か盗んだ後かは分からんけど。そう考えると敵の攻撃がぬるいのも分かる。二方面から攻められているって勘違いしてるのかもな」

 

 面白くもなさそうに横島が言った。何をちんたらやっているんだという不快感はあったが、特に焦りはない。

 幾度と無く想定外に見舞われてきた横島にとって、もはや想定外そのものが想定内だ。他のスピリット達もそれは同じ。

 

「どうしますかヨコシマ様。作戦は失敗したとして後退するのも手です」

 

 悠人が失敗したならば、ここで敵を引き付ける意味は薄い。

 追撃は来るだろうが、逃げ道にはシロと光陰、そして僅かだが神剣反応を打ち消せる熟練ブルースピリットを待機させていた。

 多少、パワーダウンしたとはいえ強力なシロ達を連れてこなかったのは逃げ道の確保のためだ。

 追撃というのは実に恐ろしい。勢いのある突撃を止めるのは困難であるし、高速で移動していれば神剣の詠唱など出来ないから、下手をすればレッドスピリットの一発で全滅する恐れもある。引く前提で戦うとしたら、追撃を抑えるための戦力は必須だったのだ。

 

 だが追撃してこなかったら悠人の方面に向かう可能性がある。

 未だに資料探しに手間取っているのなら、もう資料は、アセリアは諦めるしかないだろう。

 

「最悪を……想定すべきです」

 

 エスペリアは悲観的な予想を口にする。連絡が来ない理由など、それぐらいしか考えられないのだから当然だ。

 実際は、悠人はアセリアへの潜入に成功して性剣を振り回すという、想定を越えた最高最低の展開が繰り広げられているのだが、それを知るものはここにはいない。

 

「ふん、もし見つかったとしてもあいつは諦めず戦ってるさ。あいつの頑固さとしつこさは折り紙つきだからな」

 

 面白くなさそうに横島が言うと、突如何人かのスピリットが吹き出した。

 不審げにヒミカを見ると彼女は謝りながら小さく頭を下げた。

 

「ああ、ごめんなさい。実はダーツィ攻略戦の際にユート様がヨコシマ様に同じようなことを言ってたから」

 

 悠人と同じ、といわれて横島は心底嫌そうな顔をする。

 

「あの時はユート様が奮起してヨコシマ様の時間を稼ぎました」

 

 ナナルゥが淡々と言う。

 横島としては悠人を褒めるスピリット達が面白くない。そして、悠人が出来たことをできないと言うのは男としてのプライドに関わる。

 プライドなんて犬に食わせろ、というのが横島だが、自尊心を捨てられても意地を完全に捨てていないのもまた横島だ。

 

 悠人にだけは、負けたくない。

 自分の胸のうちに湧き上がってくる思いに、横島は正直になる事にした。

 

「もう少し頑張って見るか。ここで戦えばあいつも楽になるだろ……手間かけさせやがって」

 

 横島がやる気を見せると、エスペリアはほっとした顔を、ウルカは闘志に満ち溢れた顔となる

 

「皆もそれでいいか」

「勿論です。今頃、ユート様もアセリアも必死に戦っているはずです」

「第三詰め所に力を見せてやります!」

 

 仲間の為に戦う。横島に良い所を見せ付ける。

 様々な要因でスピリット達の戦意は高い。

 

 女の子の為。友の為。

 横島はなけなしの勇気を振り絞って戦いに赴く。

 第二ラウンドの開始だ。

 

「行くぞ、雪之丞! うおぉぉぉぉぉぉ!!」

 

「へっ! こい! 横島ぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 神剣と神剣がぶつかり合う。

 怒号と悲鳴が世界に響き、大地は血と汗を吸った。

 切り裂かれた箇所からは赤色と金色がこぼれ落ち、辺りに霧のように漂う。

 有限の大地に生と死が飛び交った。

 

 一方、そのころ。

 

「イクぞ、アセリア! うおぉぉぉぉぉ!」

 

「んっ! くる! ユート! ユート!!」

 

 肉と肉がぶつかり合う。

 嬌声と隠語が世界に響き、大地は血と体液を吸った。

 切り裂かれた箇所からは赤色と白色がこぼれ落ち、辺りにむわっと漂う。

 有限の大地にせいしが飛び交った。

 

 

 戦いが終わり、二人はイッた。ぐったりと互いにもたれかかる。

 

 ここで獣となっていた悠人の知能が復活を始めた。悠人は賢者となったのだ。

 自分が今、何を思い何をすべきなのか。ようやく彼は理解しようとして、

 

「ユート……もう一度するか?」

「する」

 

 悠人は賢者になるには若かった。クソ真面目で、そして遊んでこなかった悠人は一度タガが外れるとどこまでもはまり込んでしまうらしい。

 第二ラウンドが始まる。

 

 

 

 一方そのころ。

 

「悠人からの連絡はまだかー!!」

 

「まだですーー!!」

 

 悠人達の戦いが終わらないため、横島達の戦いも終わらない。

 悠人達がイクのが先か。横島達が逝くのが先か。

 どちらの戦いも壮絶を極めていく。

 

「悠人は何やってんだよ!?」

 

 ナニをやっているんですわ!

 ナニをやっているのだ。

 ナニをやっているんだよ。

 ナニをやっているのです。

 ナニをやっているの……ううう、悠人さん~~!!

 ナニヲシギャアアアアア!

 

「ナニって何なんだよー!? なんだかとってもこんちくしょーー!!」

 

 どこからともなく聞こえてくる声と、自身の霊感で横島は気づいていたのかもしれない。

 自分達の戦いは、ご休憩代五千円に過ぎないという事実を。

 

「クソッタレー!!」

 

『そうだ、怒れ! クソ……なんというアホな戦場だ』

 

 純粋な怒りが横島の力を引き出す。上司から悠人達の現状を知らされた『天秤』も怒っていた。

 二つの意識はシンクロしたことによって『天秤』から引き出せる力が増大する。また密かにギャグ要素が満載になったことで横島はパワーアップしていた。

 横島の気迫はカオリ帝国のスピリット達にもプレッシャーを与えていく。

 

「なんて圧力だ。気迫を……鬼気を感じるよ」

 

「切り刻みがいがありそうだね」

 

「うう、怖いよ……カオリ様ぁ」

 

「へへ、それでこそ俺のライバルだ! 楽しくなってきやがった!!」

 

 雪之丞の全身から歓喜と狂気があふれ出る。いよいよ全力で戦うしかないと彼は判断したようだ。

 だが、それを見た一人スピリットが雪之丞に立ちふさがる。

 

「本気の戦いはカオリ様の要求と異なります」

 

「……ふ~ん、ユッキー隊長に逆らうのか」

 

「私達はカオリ様の命を受けています。貴方もでしょう」

 

「ちっ」

 

 雪之丞は忌々しげに舌打ちをした。

 名実共に佳織は女帝となっている。スピリットは種族特性ゆえに当然だが、雪之丞も自身が手駒になってしまっていると自覚があった。

 雪之丞の奔放さを危険視した佳織は、とある計略によって雪之丞の自由を奪ったのだ。秋月なんて佳織の逆鱗に触れて殺されかけたことすらある。

 あれがラキオスから誘拐されてきた、ただの女の子だと覚えているものは、もはや帝国国内にはいないだろう。

 

(まさか、こんなことになるとはなぁ)

 

 魔王。佳織は裏ではそう呼ばれることすらある。悪魔と呼ばれる自分達を従えるものだからだろうか。

 本質は心優しい女の子なのだが、今は本人がただの女の子であるのを嫌ってしまっていた。だからこそ、雪之丞は佳織を友としてみているのだ。

 

「わかったよ。ダチの為だ」

 

「カオリ様です」

 

「だから、ダチだ」

 

 対等な仲間であり、友達である佳織のため。

 雪之丞は自分の心を押さえつけて、拳を振るうのだ。

 

 また、お互いに本気の出さない戦いが始まる。

 

 それは終わりの見えない地獄の耐久戦と呼べるものだった。

 なにせ、お互いに相手を殺すほどの本気をださないのだから誰も死なない。敵が減らないのだから、延々と戦い続けることになってしまう。

 

 汗と泥と血に塗れ、あまりの辛さに血反吐すら吐きながら横島は戦う。

 スピリット達も限界を超えて戦った。

 全ては悠人とアセリアの時間を稼ぐ為に――――

 

 雪之丞も同じだった。

 自分の為に、そして友の為に――――

 

「極楽に……逝きやがれ!!」

 

「ヘッ、お前が逝け!!」

 

 戦士達の咆哮が有限の大地に響き渡った。

 

 

 

 一方、そのころ。

 悠人達は――――

 

 

 

 

 

 永遠の煩悩者 第三十六話

 

 

 

 『18禁にて以下賢覧禁止』

 

 

 

 

 

 

 チチチという鳥の声で悠人は目を覚ました。

 体は少し気だるいが、形容しがたい充足感が全身に満ちている。真上で燦燦と輝く太陽が神々しく感じられた。鳥の歌声は至上の音楽である。

 世界はなんと美しいのだろう。人生とはなんて素晴らしいのだろう。

 悟り開いたような聖人の表情で、悠人は世界を賛美する。

 

「すぅ……ん」

 

 それほどの美しい世界よりも、隣で寝息をたてる少女のほうが美しかった。

 何だか撫でてやりたくなって、悠人の手はそっとアセリアの頬に触れようとして、

 

「まさか、またやるのですか」

 

 呆れと戦慄の入り混じった女性の声が響いた。アセリアの声ではない。声は『求め』から聞こえてくる。穏やかで、しかし怒ると恐ろしそうな声の正体を悠人は知っていた。

 

「イオ! あ……えと、その、まさか」

 

「ようやく声が届きましたか。昨日はお楽しみだったようで」

 

 ミスレ樹海は神剣通話が繋がりづらくなるだけで、極稀に送受信は可能になる。

 この神剣通話は悠人や横島、あるいはスピリットとしては位の高いハリオンの神剣の持つ神剣と、イオ・ホワイトスピリットの持つ永遠神剣第四位『理想』を繋げて会話するのだ。

 

 さて、今回の戦いの間、頑張っていたのはなにも横島達だけではない。

 通話のためにはイオが起きていなければいけないのは当然で、レスティーナやヨーティアも何があってもいいように待機していた。

 極稀に聞こえてくる苦しそうな息遣いに、厳しい戦闘になっているのかと祈りすら捧げていたのだ。

 

 夜も明ける頃にようやく『あ、これやってるだけだ』と理解した時の虚脱感と怒りときたらそれはもうトンでもない。レスティーナとヨーティアは酒を飲みながら暴れまわるほどだ。

 イオは素面のまま、ただ口撃の機会を待ち望んでいた。

 

「フフ……途切れ途切れですが貴方達が睦み合う声は聞こえていました。私とヨーティア様……そしてレスティーナ様も聞いていましたよ」

 

「かはっ」

 

「溶けそうなぐらい気持ちよかったそうですね。だったら溶けたらどうでしょう」

 

「ぐはっ!」

 

「ああ、そうでした。実はもう一つ伝えなくてはいけないことがありました。

 ヨコシマ様達がそちらに向かっています。では」

 

 プツンと電話が切れたような音と共にイオの言葉が聞こえなくなる。

 悠人の顔面は蒼白だった。これはトンでもない事態になっていると、ようやく理解したらしい。

 

「アセリア、起きろ!!」

 

「……ん、おはよ。ユート」

 

 アセリアを起こした悠人は、まず自分のパンツを身に着けた。ズボンは無いが仕方ない。アセリアは悠人の羽織を一枚着ているだけで、下着もなにも付けていない。ゴクリと生唾を飲み込んだ悠人だが、なんとか寝ぼけ眼のアセリアを立ち上がらせると足を上げさせてパンツを穿かせる。

 

「な、何をしているんですか」

 

 直後に、聞こえてはいけない声が後ろから聞こえた。

 ギギギと悠人は錆び付いたような首を動かして見ると、そこにはエスペリアを始めとする第一詰め所、第二詰め所のメンバーが勢ぞろいしていた。皆、ボロボロである。

 

 結局、悠人からの連絡はないまま、横島達は長い長い戦いを乗り切った。最後のほうはお互いに疲れ果て、なんとなく戦いが終わってしまうほどの長い戦いだった。第三詰め所の面々は疲れきって動くことができないほどだ。

 誰一人として死者が出なかったのは、横島達が本気で攻めず、また雪之丞たちも防衛に努めたからだろう。雪之丞達からの追撃はなく、念のため防衛と第三詰め所の快方をシロ達に任せて、イオから大変な事になっていると聞いた悠人達の所までやってきたのだ。

 

 事実、大変な事になっていた。

 ギリギリというか、最悪のタイミングというか。

 今の悠人の姿は、寝ぼけている少女のパンツに手をかけている状況だ。

 

「ち、違うぞ! 誤解だ!! 俺はパンツを脱がそうとしていたんじゃなくて、穿かせていただけだ!」

 

 必死の良い訳だが、何の言い訳にもなってはいない。

 アセリアは慌てた悠人にきょとんとした。

 

「ユートは服を着たままする方が好きか?」

 

「どこでそんなの知ったんだよ!?」

 

「ハイペリアのユートの部屋で落ちてた本に」

 

「あああああああ~!」

 

 悠人が頭を抱えて絶叫する。

 二人の間で何があったのか。察せない者はいない。子供達すら十分に理解していた。

 

 こいつらやりやがったな!!

 

 自分達が戦っている間に、一体ナニをやっているのだ。

 しかも、いつもは真面目な悠人が、である。悪い奴が少し良い事をすると途端に良い奴に見える理論があるが、その逆も存在する。

 こいつは横島以上にスケベな男ではなかろうかと、スピリット達の脳裏に刻まれる。ファーレーンなどは「やっぱり……」と頷いていた。

 

 頭を抱えて地面にうずくまった悠人をアセリアは不思議そうに眺めたが、とりあえず視線をセリア達のほうにやった。

 

「ん、みんな……おはよう……ただいま」

 

 本当だったら仲間が戻ってきた感動の再会だったのだろう。駆け寄って、抱き合って、喜びを露にするシーンのはずだ。

 しかし、今のアセリアに抱きつこうとするものはいない。もうそういう雰囲気ではないし、しかもアセリアの体のあちこちに昨夜の『跡』が残っているのだ。下手に抱きついたらこびりついてしまう。

 

 それでも幼馴染のセリアが何とか再起動を果たした。

 

「ええ、おはようアセリア。そしてお帰りなさい。とても嬉しいわ。それで、貴女達は一体何をしていたのかしら」

 

「一晩中、ユートを抱いてた」

 

 抱かれていたのではなく、自分が抱いたとアセリアは言う。男前である。にも関わらず、冷たい視線は悠人に向った。

 

 仲間が帰ってきた。そして結ばれた。

 実にめでたいのだが、何事にも間というものがあるのだ。

 横島は凄く良い笑顔で彼らに笑いかける。

 

「ほぉ~つもりお前は俺達が切った張ったの命がけの戦いをしている真っ最中に、犯った出したの戦いを繰り広げていたってわけか……わははははははははは!!」

 

「いや、まあ、その……なんというか……あはははははははは!」

 

 もう笑うしかなかった。

 アセリア救出の為に、悠人の時間を捻出しようと横島達は命を賭けた。

 その時間を使って悠人達はいちゃつきほうだいしていたのだ。

 

「悠人、死ぬがよい」

 

 鬼と化した横島が神剣を握り締めながら前に出る。

 悠人は観念したように首を差し出した。

 

 そんな事情を知らぬアセリアは悠人を庇うように前に出たが、

 

「あぅ! うう、股が痛い」

 

 パンツと悠人の羽織だけのアセリアは内股になって体をくねらせた。

 清楚とエロスが混在しているアセリアの半裸を、横島は見ないように視線を横にやって、着るものと体を拭くタオルを、とセリア達に声を掛ける。セリア達は慌ててタオルや服を荷物から取り出した。

 変態の煩悩男の癖に、それでいて良識があるのが横島だ。

 その紳士な振る舞いにグングンと上がる横島株。反比例して悠人株は急転直下である。

 

 ここでようやくエスペリアが再起動して、アセリアに駆け寄った。

 

「あ、アセリア……その……あ、あそこに回復魔法は」

 

「別に、いい。これはユートがくれた痛みだから」

 

 アセリアは小さく微笑んで悠人を見た。

 エスペリアはこれ以上なく悠人に微笑んだ。

 

(血が凍りそうだ)

 

 アイスバニッシャーをかけられたように、悠人は震え上がった。

 助けを求めるように辺りを見回すが、誰一人として悠人に好意的な視線を向けるものはいなかった。ハリオンは笑っていたが『あらあらうふふ』といった笑いで味方にはなり得ない。

 

 味方を探すと、ウルカがいつもの毅然とした表情で立っていた。

 ほっとした表情でウルカに声を掛けようとした悠人だが、そこではたと止まった。

 彼女は凛々しい表情のまま瞳から涙が溢れて、頬を伝っていたからだ。

 

「手前は嬉しいのです。仲間の幸せは手前の幸せ……嬉しいのに。なぜ涙が……見ないで」

 

 ウルカがどうして泣いたのか。そこを追求する無粋なものはいない。ただ、悠人への視線がより厳しくなるだけだ。

 

「うわ~」

「最低ね」

「修羅場かな」

「……私達は絶対にこうはならない」

 

 第二詰め所のスピリット達が囁きあうのを耳にしつつ、悠人は自分がまず何をしなければいけないのかを理解した。

 

「エスペリア、ウルカ……その、ごめん」

 

「違います。私が怒っているのは、どうして連絡を怠ったのかという点です。大方、研究所の資料でスピリットの心を戻す方法を知って、いてもたってもいられず試したら成功して浮かれてしまったのですよね。ならばどうしてすぐに連絡をよこさなかったのですか。」

 

「ん? ユートと私は研究所なんて行ってないぞ」

 

「え?」

 

 もはや下がる事はないと思われた悠人株だったが、ストップ安はまだ先らしい。

 

 それから悠人はどうやってアセリアを助けたのか、経緯を説明した。

 その内容に横島達はがっくりとうな垂れる。

 

「つまり俺達の戦いは完全に無駄だったってことか……は、ははは……はあぁ~」

 

 一体、悠人株はどれほど下がるのか。

 とうとうハリオンすら苦笑いになってしまった。

 他のスピリット達の表情がどうなっているのか。わざわざ記述する必要はないだろう。

 

「よ、横島……どうか俺を殴ってくれ」

 

 この際、嫉妬に狂った横島がボコボコに殴られたほうが百倍マシだ。というか、思いっきり殴って欲しかった。

 横島にぶっ飛ばされて「のっぴょっぴょ~ん!」とでも叫びながらお星様になって話を終わらせたい。

 悠人はそんな話のオチを切に願ったが、

 

「すいません、ヨコシマ様、それに皆も。まずは第一詰め所の私達が」

 

「……うう、ユート殿ぉ」

 

 これからの悠人の処遇はエスペリアとウルカに一任された。

 悠人は連行される容疑者の如く、エスペリアとウルカに両脇を抱えられてどこぞへと連れて行かれる。アセリアはボンヤリと連れて行かれる悠人を見つめていた。やはり何を考えているのか分かり難い少女である。

 そんなアセリアの体を綺麗にしようと、タオルで拭いていたファーレーンとヘリオンだが、

 

「こ、こんなところにまで唇の……ひゃああぁ」

 

「……うう、Hな匂いがします」

 

 アセリアの体に付いた『愛の痕跡』とも言える様々なものに、エロ・ブラック達は慄きつつも、目は戦闘時のようにギラギラとした。

 

「どうした、ファーレーン」

「はい……アセリアはユート様として……その……どうだったのでしょうか?」

「こ、こら! 何をぶしつけに聞いてるの!?」

「でも~気になります~」

「はい、非常に興味深い」

「ネリーもネリーも!」

「シアーも~!」

「二、ニムも……」

 

 経験者となったアセリアはヒーローインタビューの如く質問を浴びせられる。

 セリアやヒミカといった真面目組みも、口では止めなさいと言っても強くは止めず、興味津々と耳を傾けていた。

 

「うん、私も色々と話したい。でも、すぐに体験できると思う」

 

「え…………はっ!?」

 

 後方から異様な気を感じたスピリット達が振り返る。

 そこに、鬼はいた。渦巻く霊力で世界を歪ませながらにじり寄ってくる姿は変態を超えた変態である。

 

「チチィィ! シリィィ! フトモモォォ! ハキルト・ハテス! ヤムカルヤムカル!!」

「ひいいぃ! 少年誌の人が言っちゃいけないことを!?」

「これは本気ですね~やられちゃいそうです~」

「それでも、危険な言葉は聖ヨト語でお茶を濁している辺りがらしいわ」

「いま私達が喋っているのは聖ヨト語じゃない?」

「そんな事よりもやばいわよ!」

「大丈夫だ。最初は痛いけど、すぐに良くなる」

「やっぱり最初は痛いのね……そうじゃなくて!?」

「シャアアアア!!」

 

 奇声を上げながら横島がスピリットに突撃する。

 割と本気の勢いだ。ほんのちょっと抵抗ぐらいなら「嫌も嫌よ好きのうち」理論で突き通すほどの本気具合だった。

 

 だが、世界は彼に意地の悪い優しさを見せる。

 

「いいよー! ドンとこい」

「シアーもいいよ~」

「私だっていきます!」

 

 子供達が横島に抱きついていく。

 

「ええ~い! 邪魔だ、おまえ……ら」

 

 煩悩全開状態だったからか、気づいてしまった。

 ただの子供だと思っていたが、全体的に女性的な体になりつつあった。胸は育ち、腰はくびれ始めて、匂いが子供のそれとは変わりつつある。

 一年と半年。横島が第二詰め所にきてからそれだけの時間が経った。成長期の子供達にとっては重要な時間である。子供は、いつまでも子供ではない。当たり前の事だった。

 

 ドキリと、体の奥から形容しがたい思いがわきあがってくる。

 横島の微妙な変化を子供達は感じ取った。

 

「ちょっと、ドキッとしたでしょ?」

 

 ネリーが耳元でささやいた。その言葉が、少し色っぽい。

 

「ば、ばかな事をいうな」

 

 言葉を詰まらせながら横島が言う。

 いつもと違う横島の様子に、子供達は頬を赤く染めた。

 対照的に青くなったのが大人達だ。

 

「よ、ヨコシマ様……まさか」

「ロリコン様になるのですか」

「んなわけあるかー! え~い、お前らは邪魔だー!」

「ふふ~これは来るよ! ネリーの時代が!」

「ヨコシマ様……ダメですよ。ネリー達はまだ子供なんですから!!」

「だったらお前らがやらせてくれよー! もういい加減にいい感じじゃんかー!」

「そ、それはそれ! これはこれ! 何はナニです!」

「頼むよ~18禁のタグを付けさせてくれ~!」

「きゃああ! 変な所を触らないで! こんの変態がー!」

「燃やします」

「どうしてじゃー! どうして恋人ができんのだー!」

「あ、あのあの! 私が恋人になっても……ふえ~ん、恥ずかしくて言えませ~ん」

「ふふ、とても楽しいですね~

 ごめんなさいヨコシマ様~もう少しだけでいいので~この幸せを続けさせてください~」

 

 結局、いつものグダグダでエロではなくギャグよりになっていくのは少年誌と18禁ゲームの差なのだろうか。

 

 何はともあれ、悠人と第一詰め所の関係は一歩進んだ。

 少しずつ、だけど確実に世界は進む。時間も、進む。

 選択の時は迫ろうとしていた

 




 後書き

 誤字報告ありがとうございます。
 非常に嬉しくて、恥ずかしい。

 またもや更新日時詐欺をやってしまいました。申し訳ありません。
 3連休が消えて12連勤務になるとは思いもしませんでした。
 「どこかで振替休日にして」と上司に言われましたが、その上司は振替休日を使用した日に何故か会社にいるという恐怖……泣きたい。

 気を取り直して今回のお話の補足。
 酷い話だけど、大まかな流れは原作に忠実だったりします。原作では悠人とアセリアは研究所に進入して戦闘もあったので無罪かもしれません。しかし、誤表記だと思われますが24時間以上乳繰り合っていた可能性もあるので、さらに有罪かもしれません。

 次回は攫われた佳織の話。そして敵である秋月の描写も。
 永遠のアセリアを知らない人でも見れる作品を目指しているので、最低限の描写はしておかないと……と思っていたけど、佳織の状況が変わっているので知っている人も見てくださいね。

 永遠神剣の、特に永遠のアセリアの二次はもう増えないのかなあ。
 子供時代に嵌って、何年経っても面白いと感じられるほどの傑作なんだけど。誰か名作を書いて知名度を上げてください。


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第三十七話 天上の道標

 ロウソクの炎だけが灯る、仄暗い洞窟。

 そこで爬虫類が眼鏡をかけたような中年男が手紙を読んでいた。内容は主にラキオスの近況。男が目指す野望のためにも情報収集は欠かせない。ある情報が入ってきたら即行動する準備は出来ている。

 しかし、そこに望んでいた情報はなかった。とある一文に男は顔をしかめる。

 

 『天秤』のエトランジェ、未だ情を通じず。

 

「まったく、童貞はこれだから」

 

 中年男は苛立たしそうに手紙を握りつぶした。

 男の名はソーマ・ル・ソーマ。

 かつてはラキオス・サーギオスの両国でスピリット調教師として活躍し、スピリットに性的欲望を覚える男として誰からも忌み嫌われ、今現在は両国家に犯罪人として追われている男である。

 

 この男の目的は『自身が調教したスピリットで、雪之丞と彼のスピリットを打ち破る』ことだ。そのチャンスが生まれるだろうという確信があったからこそ、こうして機を伺い潜伏していたのだが、どうにも予定通りチャンスが生まれなかった。

 そのチャンスとは他でもない。

 横島と第二詰め所のメンバーが結ばれることだ。この瞬間こそ、ソーマが目標を果たす為の第一歩なのである。

 

 雪之丞達は恐ろしく強い。奴らを倒すには最高の素材が必須だ。その素材にはラキオスのスピリットが最適だとソーマは判断し、セリア達を捕らえる隙を伺っていた。

 

 隙を伺うといっても、既に拉致の準備は出来上がっている。

 第二詰め所のスピリットは町に繰り出すことも多い。彼女らは国家の目に届く所で守られているが、全てを見守るなど不可能だ。人目につかない道も把握済みで、スピリットを昏倒させる薬剤も、拉致させる人員すら用意は終わっている。

 彼らは自身と一蓮托生。裏切りなどは気にしなくていいし、己の命の為にも必死に仕事を遂行するだろう。

 

 問題は拉致した後だ。

 目的の為には調教して洗脳する必要がある。そうすれば横島の逆鱗に触れる。そうなれば彼は全てのリソースをこちらの抹殺に傾けてくるだろう。そこにモラルも手段もない。ラキオス国家も全力で潰しに来るはずだ。

 

 どう隠れていようと二日で見つかるだろう。そうなれば勝てるわけがない。

 対抗するなら拉致したスピリットの調教を完成させ、こちらに従わせるしかなかった。

 

 数日で心を破壊するなど本来なら不可能だ。

 凡百の調教師なら数年はかけて、ようやく中途半端に心を打ち壊せる。

 一流なら一年程度。運が良ければ完全に心を破壊し、完璧なスピリットを育成できる。

 最高の調教師、すなわち自分なら一か月もあればほぼ確実に完璧なスピリットを作れる。

 

 最低でも一か月はかかるのだ。それでは遅すぎる。だが、特殊な条件下なら瞬時に調教を終わらせる可能性があった。その条件こそが、横島がスピリットと男女の仲になることだ。

 

 狙い目は横島と結ばれる直前。あるいは結ばれた直後。

 天上にも上るような幸せでふわふわした状況。スピリットであり、女である自分への誇りと自信に満ちた心身。それらを汚してぶち壊す。スピリットの現実を叩き込む。

 高いところから一気に地面に叩き付ければ壊すのは容易だ。

 

 調教したスピリットを横島と悠人にけしかけて殺害できればラキオスは大混乱だ。

 さらに横島から文珠というものを奪い取れれば、女王レスティーナを虜として一国を握ることすらできる。後は帝国を打ち破れば天下すら狙える。

 

(この大地で最も蔑まれるであろうスピリット趣味の私が、私だからこそ、世界を狙える位置にいるのだ!!)

 

 暗い情念を燃やして、栄光の未来を夢見て、横島とスピリットが結ばれるのを待っていたのだが。

 

「ほんとになにやっているのですかねぇ。いや、ほんとに」

 

 ソーマの声にはただ純粋な疑問しかなかった。

 お互いを憎からず想っている年ごろの男女が一つ屋根の下で2年近くもの時を過ごし、未だに肉体関係はなく、それどころかキスの一つすら怪しい様子だ。

 『ほんとなにやってんの』としか言いようがない。割と本気で同性愛者ではないかと疑いすらした。それだけ不可思議な現状だ。

 

 話に聞く限り、現状では横島からの一方的で子供じみた求愛行動のみ。せいぜい信頼しあった隊長と隊員というだけだ。これでは調教に時間がかかる。横島の童貞=自分の破滅だ。

 ソーマは笑い話でもなんでもなく、真摯に横島の脱童貞を祈っていた。

 

 世界で誰よりも横島とスピリットのエロを望んでいるのがソーマという辺りが、この世界がいかに狂っているという事実を示しているだろう。

 

「あの童貞を非童貞にするにはどうすれば……もうこちらも余裕がないのですが」

 

 顧客からの援助があるとはいえ、そろそろ流浪の逃亡生活は限界が見えてきている。スピリットは使えない奴から売却し、あるいは殺し合わせてレベルアップのマナにしてきたが、それでも20人はいる。食事の用意も楽ではなく、病気も怖い。かといって、これ以上減らしては戦いに不利になる。難しいところだ。

 何とか生活できたとしても、このままではラキオスと帝国が戦争に突入して、雪之丞達が敗北したら野望は潰えてしまう。

 

 どうしたものかと考えていたが、手紙にはまだ続きがあった。続きには、『求め』のエトランジェと『存在』のスピリットが恋仲になったと書かれていた。ソーマは驚く。

 恋と愛の区別も出来ないような歪な男と、男女の機微など理解できないアホのスピリットが最初に結ばれるとは。はっきり言えば予想外だ。凸と凹でかみ合ったのだろうか。

 

 ソーマはいやらしく口元を歪めた。

 

「エスペリア……彼は貴方の勇者様では無かったようですねえ。ふふ、安心したはずなのに苦しい。貴女の呻きが聞こえるようです。

 そしてウルカ。何もわからず、未来に目を向けられない今ならば、過去からの声はより鮮烈に聞こえるでしょうねえ」

 

 できれば横島がベストだったが、次善策として悠人のケースも考えていた。エスペリアとウルカには以前から策謀の種を埋め込んである。特に今ならば、言葉だけでこちら側に誘導できるかもしれない。

 

 慕っていた異性が友人と結ばれる。

 これだけでも辛いのに、一つ屋根の下で逢瀬を見せられれば、それはもう動揺し、苦しんで、増悪すら生まれるだろう。それは当然のことだが、経験不足のスピリットには、その当然が分からない。友人の幸せを祝えない自分はなんて汚い存在なんだろう、ときっと苦しんでいるはずだ。

 その自己険悪の中で姉や部下達と共に犯しぬいて、止めにマインドコントロールを施せば、それこそ数時間で堕とす事が出来る。

 

 そして問題の横島だが、こちらも半年以上の時間をかけて用意しておいた次善の策がある。策により失うものは大きいが、横島とは不倶戴天の間柄だ。この大地で両方が生き残るなどありえない。必ず殺さなければならないだろう。

 悠人と横島を失えばラキオスはこれ以上なく動揺する。ラキオスを取り、帝国を滅ぼし、天下を取るチャンスは来るはず。

 

「天下を支配する。それも、最悪の嫌われ者が。これこそ男の本懐というもの」

 

 野望に満ちた男の策略がラキオスに注がれようとしていた。

 

 

 

 永遠の煩悩者 第三十七話 

 

 天上の道標

 

 

 

「へーい、彼女! ボクとお茶をしませんかー!」

「おまわりさ~ん、こっちでーす」

「ちくしょー! 俺だって色々成長してんのに、どうしてモテないんじゃー!」

「いやいや、成長してないじゃん」

 

 時代を考えろ!

 そうツッコミを入れたくなるナンパをしているのは、言うまでもなく横島だった。

 ラキオス首都で女の子に声をかけては撃沈している。

 

 物凄く可愛いスピリット達に囲まれているが、それはそれ、これはこれ。

 街に出てくれば女の子にちょっかいを出したくなるのがこの男である。

 いつも通り、全滅かと思われたその時、

 

「あ、やっぱり騒ぎになってるとこにいた。ねえヨコシマさん、一緒に遊びに行かない」

 

 なんと、一人の女性が横島に声をかけた。

 

 健康的に日焼けした肌に、厚手の服越しからでもわかる豊満な肉体。ざっくばらんと雑に整えられた黒髪。歳はやや下か。全体的な印象は、やぼったい村娘という感じだ。

 物凄く美人でも可愛いわけでもないが、不細工でもない。なんというか、普通だ。

 

「とうっ!」

 

 というわけで横島はギュッと抱き着いた。女性が声をかけてから1秒も経っていない。素早すぎる変態。セクハラ小僧の面目躍如である。

 

「ふん! はあっ!」

 

 女はショートアッパーで横島の顎を打ち上げ、顔面に正拳突きをかました。

 ガクリと倒れ伏す横島に、女は呆れたように肩をすくめる。

 

「こらこら、いきなりなにすんの」

 

「それはこっちのセリフだ! 俺を遊びに誘うだと……何が狙いだ、悪党め!」

 

「え? 私が怒られるの? というか悪党ってなにさ」

 

「ふっ、俺がナンパなんてされるわけないだろうがー! なんだ、何が目的だこんちくしょー! 金なら少ししかないぞ!」

 

「ねえ……言ってて空しくならない?」

 

「ふははは、慣れてるから大丈夫さ」

 

「なんかごめんね」

 

「謝るぐらいなら、そのおっぱいを」

 

「幻の左!!」

 

「ぐぼお!」

 

 いつものアホなやり取りだ。とはいえ、さりげなく横島は情報を収集している。

 手を握りしめ軽く抱き着いたから分かったが、この娘は完全に一般人だ。変装したスピリットではないだろう。恐らく悪ふざけか、あるいは罰ゲームか。悪くて美人局だろう。最低限の警戒で良さそうだ。

 

『色々と考えて大変だな』

 

 『天秤』の呆れたような感心したような声が頭に響く。

 

(本当にな。早く全部終わらせて、明るく楽しいセクハラ生活を送りたいんだが)

 

『そこでセクハラを止めるという選択肢がない辺り、実に横島だ』

 

 女の色香に油断して佳織を守れなかったことは、未だに尾を引いていた。

 どうせ俺なんかに声をかけてくれる女なんていないだろう、という自己評価から警戒はさほど苦ではないのが悲しいところだ。

 

「まったくエロ変態め……私の名前はスフィレ。一応、初対面ね」

 

 意外にもスフィレは横島を嫌った様子は見せなかった。怒ってはいるが、さっぱりした様子で横島に笑いかける。

 

「うむ、スフィレちゃんか。本当に何が目的で俺に声かけたんだ」

 

「ひ、ひねくれてるねえ。少しぐらい勘違いしてもいいんじゃないかな」

 

「刺されたり拉致されたりしてっからなあ」

 

 しみじみと、実感のこもった声の横島に、触れてはいけないと感じたスフィレは話を進ませることにした。

 

「あ~……んっとね。声をかけた理由は、お母さんにナンパしてこいって言われたからだよ」

 

「はあっ?」

 

 完全に想定外の答えに横島は困惑した。

 

「どういうこっちゃ」

 

「さあ。私はあなたがお母さんに何かしたのかなって思ってたし」

 

 母親の言葉で自分のような男とデートする。

 何だか良く分からなかった。言う方も言う方なら、了承する方もする方だ。

 

 その母親の真意はどこにあるのだろう。また、どうしてスフィレは母親にその思惑を聞かなかったのだろうか。

 

「お母さんは薬屋さんだよ。あ、でも最近は医者の真似事も始めてるんだ。すごいでしょ」

 

 少し話を聞くと、母親は郊外にある薬草をすり潰し調合しているらしい。

 スフィレは母が調合した薬を町で売りさばくことで一家の生計を立てていた。

 

「ほ~だからか」

 

「だからって?」

 

「いや。スフィレちゃんって結構臭うなあって痛でえええええ!!」

 

「女の子に向かって臭いなん言うからでしょ!!」

 

 横島を蹴り飛ばしながらも、スフィレは服のすそをくんくんと嗅いでみて、眉間にしわを寄せて見せた。

 

「まあ……うん。ちょっと薬臭いかもしれないけど。でも仕方ないじゃない。薬草をいぶしたり調合すると凄い臭いが出るんだもの。虫がよってこなくて便利なんだよ……動物も嫌がって寄ってこないけど」

 

「あーそのアトリエって城壁の外にあったりするのか」

 

「そりゃね。薬の生成は近所迷惑だから」

 

 母親からの不思議な命令。

 城壁の外にあるアトリエ。

 動物が嫌がる臭い。

 

 嫌な情報が積みあがっていく。

 諜報部やシロはとある『変態共』を探しているのだが、そいつらを見つけにくい場所や条件と一致しすぎているのだ。

 

「父親は何やってるんだ?」

 

「……父さんはお城で兵士をやってた。でも、前の襲撃の時に」

 

「そっか。悪い」

 

 動機もある。

 霊感が訴える。

 これはそのまま放置して良い案件ではない。

 

「よし。ちょっと行ってみるか」

 

「へ。何を……ってわああ!」

 

 横島はスフィレを抱きかかえると、そのまま走り出す。城壁を越えるために空中まで駆けだすと、スフィレは高所の恐怖からか抱き着いてきた。もにゅんもにゅんだ。 

 ちなみに、神剣の力は使わない。街中で神剣反応が察知されるとスピリット達が集まってくるからだ。

 

「やあああ! 高い! 早い! 怖いって!! 降ろしてーー!」

 

「わははは! よしよし、抱きつけ抱きつけ!!」

 

「それが狙いかこの変態……と、隣で鳥が飛んでるよー!! 凄いけど、ぎゃあああ!! でも可愛いー!!」

 

「意外と余裕がある……いぎゃ!」

 

 ドタバタしながら二人は空中散歩をなんだかんで楽しんだ。

 地面に降りたとき、横島は両頬に奇麗な紅葉を作っていた。スフィレは怒っているようで、しかし表情は何故か晴れ晴れしている。

 

 目の前には平屋の木造で、煙突が2本もある一軒家。謎の草や陶器が積み重なる倉庫に、良く分からないモニュメントのようなものがあり、異臭が酷い。

 

「ここ母さんのアトリエだけど、本当に何をしに……わ!?」

 

 スフィレは驚きの声をあげた。横島の体が光りを放ち、足元には魔方陣が出現したからだ。神剣から力を引き出した証である。

 

「ほへーこれが神剣の力か。照明いらずで便利だー」

 

 のんきな感想だった。

 神剣の力を引き出しつつ、できる限り神剣反応を隠す。

 これには相当の熟練が必要だったが、今の横島ならそれなりのレベルでこなせる。

 数秒で光は収まる。横島は青ざめている。

 

「スフィレちゃん、一つ聞きたいんだけど、このアトリエに地下室があって、そこで助手と過ごしたりするか?」

 

「このアトリエに地下室なんてないし、助手なんて聞いたこともないけど」

 

 眉をひそめながらスフィレは訝しげに答えて、横島は天を仰いだ。

 最悪の予想が当たってしまったらしい。

 母親がスフィレに下した命令から考えるなら、横島を釘付けにしたかったのだと考えられる。

 それの意味する所を考えて、全身を冷たい緊張が包み込んだ。

 

 水面下で魔手が迫りつつある。いや、もう既に誰かが手中に落ちた可能性すらあった。一刻も早く行動を開始しなければならない。

 

 まず何をすべきか。

 

 そう考えていると、

 

「どうしたんですか、ヨコシマ様!?」

 

 ヘリオンがツインテールを乱れさせながら走ってきた。街中で神剣を使用したから何事かと思ったのだろう。迷彩された神剣反応を察する当たり、やはり凄まじい才能を有している。しかも、横島の意を察してか、可能な限り神剣反応を抑えていた。

 可愛くも頼もしい仲間に横島の頬は緩んだが、すぐに引き締める。これからの自分の判断が、可愛い女の子達の命運を分けることになるのだ。

 

「ヘリオン、急いで城に行ってレスティーナ様に伝えてくれ。クソ変態野郎が動いた可能性があるってな。後はこの場所に兵を送ってくれ。城では医者の準備も頼む。俺もやる事やったら城に行くから」

 

 矢継ぎ早に飛ぶ横島からの指示にヘリオンはコクコクとうなづく。

 何があったのかと質問はしなかった。

 雑談も遊びもない、指示だけの横島の様子から只ならぬ事態であることは明白だからだ。

 

(真面目な時はやっぱり格好いいです……けど)

 

 感情が顔に出やすい性質で、その感情が煩悩に振れているから普段はエッチでおバカな表情になってしまうが、真面目な時の顔立ちは決して悪くない。

 

 だが、そんな横島の顔がヘリオンの胸をズキリとさせる。

 何だか言葉にできない切なさで一杯になり、途端、半ば衝動的にヘリオンは横島を抱きしめた。

 確実に膨らみ続けている胸を思い切り押し付ける。

 

 ふにふに。

 

 慎ましいが、確かにある柔らかい膨らみに、研ぎ澄まされすぎていた横島の思考も柔らかくなる。

 

「うう、ごめんなさい。私がもっと色々おおきければ」

 

 ヘリオンは自虐的な表情を浮かべて横島に謝った。

 どういう状況か、自覚はある。体の小ささゆえに、抱きしめているというよりも、これでは抱き着いているだ。自身の小さい体が恨めしかった。

 そこにあるコンプレックスに、横島の口からは勝手に声が漏れた。

 

「あ……いや…………そんなことは」

 

 暖かくて柔らかい。匂いもガキのそれとは違う。横島は素直に嬉しかった。だが、それを今まで子ども扱いしていたヘリオンに伝えるのはこっぱずかしい。

 そんな横島の複雑な胸中は、彼の鼓動を通してヘリオンに伝わる。

 

「にぇへへ」

 

 得意満面の笑みだった。

 妙な声で笑ってキラキラと輝くヘリオンの笑みに、頭を小突いてやろうかという悪戯心が噴出してくる。

 だが、何もできなかった。

 ここで茶化してヘリオンの抱擁を終わらせてしまうのが惜しく感じたのだ。

 

「まあ……わるくないぞ」

 

 消極的肯定。これが横島の精一杯だった。

 横島の手はヘリオンの頭を子供のように撫でることも出来ず、しかし大人のように背や尻に回すことも出来ない。ただ中空をうろうろしていたが、そっと、まるで触れるようにヘリオンの肩を抱く。

 いつものように子ども扱いをしてこない横島に、ヘリオンの胸は高鳴った。自然と視線が唇に向けられる。爪先立ちすれば、届くかもしれない。

 ヘリオンは限界まで爪先立ちをして、唇を突き出し、そして、

 

「ふえ~ん。届きませ~ん」

 

「ブフっ!」

 

「ひゃああ! 何するんですかーー!」

 

 思わず横島は吹き出し、唾を飛ばされたヘリオンが悲鳴を上げる。

 結局はコメディになるのがお約束だが、しかし少しずつイチャイチャ度が上がっているのは間違いなかった。

 

「あ~お二人さん……二人だけの世界から帰ってきてほしいんだけど」

 

 蚊帳の外に置かれていたスフィレの声で、二人はハッとして顔を真っ赤にしながら離れる。横島はさっとヘリオンに背を向けた。色々と恥ずかしくなり、赤くなった顔を見られたくなかったのだ。良く分からないところで羞恥心と自尊心がある男である。

 ヘリオンは恥ずかしがる横島を凝視と言っていいほど見つめ、

 

「……いい」

 

 ごくり、という音がヘリオンの喉からこだまする。

 野獣のような熱視線を浴びた横島は草食動物のように背筋を震わせた。

 

「ええい! ヘリオン、さっさといかんかい!」

 

「はい! よぉし、では『失望』のヘリオン・ブラックスピリット! 全開で行ってきます! シュタタタタタ!」

 

 テンションMAXなヘリオンがシュタタタタタと口に出して駆けていく。

 『はは、可愛いやっちゃなあ』と横島は内心で余裕があるように呟くが、ドキドキと胸が高鳴っているのは否定できなかった。ヘリオンに対して敗北感のようなものすら感じたが、それが何なのかは考えないようにする。

 

「ねえ、さっきからなんなの。何が起こってるの?」

 

 どこか不機嫌そうなスフィレの声。

 現実に引き戻される。

 

 可愛い女の子とイチャイチャだけできればいいのにな。

 

 そんなおバカな事を考えつつ、これからスフィレに起こる救いようもない現実に歯を食いしばった。

 

「なあ、スフィレちゃん。母親の事は好きか?」

 

「好きだよ。それよりも、いい加減教えてよ。何がどうなってんの! いや、もういいから……早く遊びに行こう。ねえ」

 

 不安、焦り、怯え。

 

 そんな様子の彼女に横島は嘆息した。

 彼女は何も知らない。ただ、母親に対して不吉は感じていたのだろう。だから、素直に母の要求に従って、横島と遊んで恐怖と鬱屈を振り払おうとした。彼の陽気を浴びるのを楽しもうとした。

 その横島が、この家族を崩壊させる使者になるともしらずに。

 

 横島の手がスフィレの頭に乗せられた。普通なら嫌がるだろうが、スフィレは目を細めて愛撫を受ける。その手がいたわりの温もりを持っているのを感じたからだ。

 スフィレは幸せな気分のまま目を閉じて、そのまま眠りについた。頭には『眠』の文字が刻まれた文珠が輝きを放っていた。

 

「せめていい夢を見てくれよ」

 

『よけいな事を。間違いなくこれから戦いになるだろうに、無駄に文珠を使うとは』

 

「うっさい。致命的って程じゃないだろうし、俺がやりたかったんだよ」

 

『ならよい』

 

 そこからの仔細は省く。

 少し未来の話をすれば、ラキオスは1名のスピリットを新たに獲得した。ただし、彼女は戦力にならないと判断され、表に出ることはないだろう。

 同時期に、一人の薬師が病死。薬師の一人娘は城から仕事を紹介されて別の町に引っ越した。できれば良い職場を、という横島の口添えがあったらしい。

 一つの家庭にとっては大きな凶事だが、大きな歴史の渦中にあるラキオスや横島にとってはたわいのない小事である。

 

 ラキオスという国家に対し重要なのはここからだ。

 エスペリアとウルカの姿がラキオスから消えた。

 レスティーナ女王はすぐさま悠人と横島を城に呼び、敵への対策を講じることとなる。

 

 

 

 

 紙と実験器具と酒。

 それらに埋もれたヨーティアの研究室に彼らはいた。

 レスティーナ、悠人、横島、ヨーティア、イオ。

 

 様々な戦略戦術を決めるいつものメンバーだ。

 

「早く始めるぞ!」

 

 焦りを隠そうともせず悠人が音頭を取る。

 エスペリアとウルカの誘拐が、どうしようもなく悠人を焦燥させていた。アセリアとそういう関係になってから、二人とはギクシャクした関係になっていたのだ。

 今回の誘拐には、自分にも責任がある事を悠人は感じていたのである。

 

 会議の内容は言うまでもなくエスペリアとウルカの探索と、その原因であるソーマの排除。

 二人の探索ついては、まず横島が動いた。もはや霊能とは無関係とすら言われた万能霊具である文珠を使用していく。

 

 『探』

 

 『探』『知』

 

 『妖』『精』『探』『知』

 

 『献』『身』『之』『妖』『精』『探』『知』

 

 『冥』『加』『之』『黒』『妖』『精』『引』『寄』

 

 文珠は光り輝くだけで、何の効果も発揮しない。

 そこで文珠を追加して発動していく。だがいくら文珠を追加しても、奇跡の珠は宙に浮いて光を放つだけ。

 

 『薄』『幸』『魅』『惑』『巨』『乳』『召』『使』『妖』『精』『探』『知』

 

 エスペリアの特徴を文珠でつなぎ合わせて発動させようとするが、やはり発動しなかった。

 より正確に言うのなら、発動条件は満たしているが発動していない。

 制御に失敗しているわけではなかった。12個程度の連結なら問題なくできる。身体のマナ化により霊力は何倍にも上昇し、さらに永遠神剣の力と連動するために2年間修練を重ねてきた。

 横島の霊力と制御能力は超人レベルにまで到達しているのだ。

 

 『天』『然』『銀』『髪』『褐』『色』『武』『士』『妖』『精』『現』『在』『地』

 

 今持っている全ての文珠を使用したが、やはり何の効果も発揮しなかった。

 

「文珠は無理か」

 

 淡々と横島は言った。そこに落胆はない。

 『やっぱり』という思いがあったからだ。大体、ソーマの探索で文珠を使用したこともあるのだ。その時も同じような状況になった。

 文珠は探索に使えないのか。いや、本来ならそうではない。全ては『黒幕』のせいだと横島は理解している。

 それを理解しているのは横島のみ。希望を裏切られた悠人は思わず舌打ちしてしまう。

 

「お前の文珠って肝心な所で役に立たないな」

 

「ユート。言葉を選びなさい」

 

「……悪い、横島」

 

 焦りと苛立ちで口が悪くなった悠人をレスティーナがたしなめる。悠人もすぐ頭を下げて謝った。

 横島は特に反論しなかった。肝心な時に使えなくなる。その通りだと思った。特にスピリットの精神や生存に関わるとそれが顕著になる。

 ふと、昔やったゲームを思い出していた。そのゲームでダンジョンに潜っているのだが、脱出の魔法を使っても何故か不思議な力でかき消されてしまうのだ。一体どうしたのかと疑問に思いながら入り口まで行くと、そこには強制イベントが待ち構えていた。

 ゲーム製作者が想定していた道筋を外れる行動は制限されてしまうのだろう。

 

 ――――きちんと道筋は守ってもらいますわ。

 

 ――――自由度の低いゲームは嫌われるぞ。

 

 ――――仕方がありません。貴方の能力はシステムを無視した反則そのものですから。

 

 鍵が必要な扉を叩き壊して進んだらゲームの道筋が壊れてしまう、という次元が違う上から目線の答えが返ってきたような気がした。

 

 心の底から腹が立つ。

 そもそも、この神様気取りの黒幕さえいなければ、永遠神剣なんていう危険物に頼らなくてもハッピーエンドを達成できたはずなのだ。GS美神流を世界に叩きこめば、ラキオスの勝利とスピリットの解放だって出来たはずなのだ。それが出来ないのは運否天賦すら操ってくる黒幕の所為だ。

 霊力だとか、文珠云々ではなく、自分達元来の長所を徹底的に封じ込もうとしてくる。最低最悪の敵。

 

 しかしだ。無理やりにでも決められた道を通らせようとするのなら、それは利用できる。

 

「俺とこいつなら二人だけでもソーマを見つけられそうっすね」

 

「どういう意味ですか?」

 

「前に言ってた黒幕の存在っすよ。アイツらの底意地の悪い性格を考えれば、きっと俺達の目の前でイベントを起こそうって魂胆に決まってる。

 でも、全員で動いたら結果の決まった戦いになっちまう。だったら俺とこいつだけならきっとエスペリアさん達の所にいけるはず!」

 

 黒幕達の趣味嗜好を読んだ横島の一手。上位者に媚びへつらうことができる横島らしい手だが、レスティーナは首を傾げて怪訝な顔で言った。

 

「黒幕とは……何を言っているのです?」

 

「へっ?」

 

 ハイぺリアへの世界移動の時などに、この世界を操る黒幕の存在は説明していたはずだ。

 その後にメドーサモドキが表れて捕虜を惨殺したことになって、オルファリルと黒幕の記憶を失って、また説明した。そして今、またもや記憶を失った。正確に言えば世界そのものが書き換えられた。

 今回も知らぬ間に世界が書き換えられていたらしい。

 

「ま、またかよ。いくら何でもズルすぎだろ! これこそチートだろうが」

 

 ――――とんでもない、チートどころか、これこそが仕様なんですの。

 

 ――――こんなアホな仕様で納得できるか!

 

 ――――まったくですわ。早く一緒にこんな仕組みを壊しましょう。うふふ。

 

 もの凄く上機嫌な幼女の声に、横島はうすら寒いものを感じて頭を振る。悪意と好意の入り混じった幼女の声が、ただひたすらにおぞましい。

 悠人達はいきなり百面相を始めてブツブツと言い出した横島をいぶかしげに見たが、ただ一人、ヨーティアだけが頷いていた。

 

「あんたの表情……そうか。想定はしていたけど、黒幕は記憶……というよりも世界を操作できるのかい。対策を考えようとすると、対策を考えていない状況に戻されちまう。参ったね。このセリフも何度も言っている可能性があるのか」

 

「あーそういや、確かにメドーサモドキを倒した時に同じこと言ってたっすね」

 

「は……ははは、そうかい」

 

 天才ヨーティアはあっさりと真実を見抜いた。元々、そういう可能性を疑っていた彼女だからこそだろう。

 だが、そんな天才でも顔色は悪い。

 記憶を失うだけなら紙にでも書いておけばいいが、世界そのものが変わってしまうのだ。対応策などありはしない。

 特に最悪なのは、自分自身が書き換えられていることだ。過去の自分と今の自分は、地続きになっていない。これは死に近しいものではなかろうか?

 

「ふむ、だがヨコシマだけは記憶を失わない……鍵はやはり霊力か。とするなら、霊力そのものを文字にして固定化できれば黒幕に対応できるか……いやしかし」

 

「まさか……ですがそれならこの世界の現状も納得できますが」

 

 ヨーティアとレスティーナが横島の言葉で色々と閃くが、悠人が机を叩いて黙らせる。

 

「話が脱線しているぞ。横島。どうすればいい」

 

「俺とお前でソーマをぶっ殺して、エスペリアさんとウルカさんを助ける。そしてソーマに囚われていた他のスピリットは俺がいただくのだ!」

 

 軽口のように横島は言ったが、その目はソーマ殺害に燃えている。『天秤』もぎらと刀身を輝かせて復讐の時を待っていた。悠人は憤怒の表情のまま、『求め』を強く握りしめた。彼も家族を害そうとする者に容赦はない。

 

 こうして横島と悠人はセットでエスペリア達の探索に出発した。

 勿論、他のスピリットや他のエトランジェ組も手分けして探索に向かう。

 

 そうして日も落ちたころ。

 果たして、横島と悠人はソーマを見つけた。

 ただ勘に従って首都ラキオスを少し南下して、道を外れた薄気味悪い森の中を探索中にばったりと遭遇したのだ。

 互いに神剣反応を隠しながらだったため、完全な遭遇戦となってしまう。

 

「ば、バカな! いくらなんでも早すぎる……どうしてここが!?」

 

 そう驚くソーマの傍らには、二人のスピリットがいた。エスペリアとウルカだ。

 ウルカは外套を脱がされレオタードのみ。エスペリアはメイド服を半分脱がされていたが、それぐらいだ。今まさに事を起こそうとした所、乱入されたのだろう。彼女達の目は虚ろだが、少なくとも貞操は無事のようだ。

 

 突然の遭遇に場が僅かに硬直していた。その状況下で誰よりも早く動いたのはソーマのブラックスピリット達だ。横島の顔が見えた瞬間、彼女達は神剣を手に取って動いていた。

 ソーマの指示も何も聞かずに、何かを空に向かって投げつける。月明りで照らされた『それ』を見た横島は大慌てで飛びつき、優しく抱きとめた。

 

 可愛いブラックスピリットだ。まだまだあどけない少女である。

 優しく抱えると同時に、ソーマズフェアリーが襲い掛かってくる。全てブラックスピリットだ。

 

 敵の計略を横島は見抜いた。

 

「悠人! 少し時間を稼いどけ!! すぐ戻る!」

 

 それだけ言って、横島は森へと駆けだした。6人のブラックスピリット達が後を追っていく。残されたのは悠人とエスペリアとウルカ。後はブラックスピリットを除くソーマのスピリット達。当然、スピリット達は悠人に神剣を向けてくる。

 

 もしも横島がいなかったら、皆殺し以外の選択肢はなかっただろう。

 だが、横島は時間を稼げと言った。ならば、友を信じて行動するのみ。

 攻撃はしない。誰も殺さない。彼女達はエスペリアとウルカの仲間なのだから。

 

 耐えて耐えて耐え続け、ハッピーエンドを目指すのだ。

 

「エスペリア、ウルカ、もう少しの辛抱だ。きっと大丈夫だからな!」

 

 

 

 

 

 

 ブラックスピリットの少女を無理やりお姫様抱っこしながら、追撃を振り切るように走り続ける。

 全速力ではない。その気になれば雷だって振り切れるが、そんな力を出したら少女の体がはじけ飛んでしまう。少女の周囲に障壁を張って保護し、体に負担を掛けない速度で走るしかなかった。これでは追っ手を振り切るのは難しいだろう。

 少女の歳は12,3ぐらいか。ネリー達よりも年下だ。どんぐり眼が星のように輝いて横島を見つめていた。

 

「もう、来るのが遅いよう」

 

「悪い悪い。道が混んでてな」

 

 少女は口を尖らせて文句を言う。横島は軽く言葉を返す。

 本当に遅刻してきた友達に軽く怒ったような感じだ。

 

 普通である。普通過ぎる反応だ。

 それが、怖い。少女の有様は、決して普通ではないからだ。

 

 まず、四肢が切り落とされている。手首から先がない。膝から先がない。全裸でボロの一つすら纏っていなかった。

 全身には無数の傷跡があった。これは傷を受け、しばらく放置された後に回復魔法をかけられた特有のものだ。腹や女性器周りは特にひどい。顔だけが奇妙に思えるほど奇麗だった。

 

(殺してやる)

 

 心がソーマへの殺意で塗りつぶされていくが、頭ではとある疑問を考えることができた。

 貴重な戦力であるスピリットに、どうして虐待を加えたのか。そも流浪であったソーマが、同行者の手足を切り落とすなど愚挙の極みである。変態共の売り物にするにも傷物にしては価値が下がってしまうだろう。

 その疑問に対して、横島はある答えを出していたが、認めたいものではなかった。『天秤』が目をそらすな、というように淡々と言葉に出す。

 

『完全に我ら対策だな。お前の精神をかき乱し……この状況を生み出すためだ。今更だとは思うが、自分のせいでこのスピリットが酷い目に合った、などと子供じみた考えは起こすなよ』

 

 いい加減にしろと叫びたかった。

 こんな可愛い女の子達が生まれてくる世界に呼び出されて、どうしてこんな光景を見せ続けられなければならないのか。

 早くエログロダークファンタジーなどというジャンルをバカエロライトファンタジーに変更しなければならない。

 

「よしよし、早くギャグの世界に連れて行ってやるからな!」

 

「え~」

 

「え~いわない。俺が来たからにはギャグ化が当たり前なんだぞ」

 

 横島は見事に殺意を制御しきってアホな事を言った。それが出来た要因は二つ。

 予想と経験だ。

 自分の弱点を横島は理解している。その弱点を敵が知っているのも理解している。悪辣な敵が狙ってくるのは、まず間違いなくスピリットを利用して自分の判断力を奪う事であると覚悟はしていた。この最悪は、予想の範疇だ。

 経験については何度かあるし、つい半日前にも酷いものをみたばかりだ。こんな光景を慣れるなどあってはならないが、それでも『またか』というくそったれな達観が冷静さを作り出してくれた。

 

 敵の次なる一手を予想する。追っ手が全員ブラックスピリットという点から予想は簡単だった。

 ブラックスピリット達は命を対価に敵を消滅させる凶悪な神剣魔法を放つことができる。それぐらいしか今の横島を倒せる魔法はない。だが、その魔法は動きを止めなければそうそう当たるものではない。

 その動きを止める策が、いま抱きかかえている娘だ。

 

 抱きしめながら動いているせいで機動力を相当に削がれてしまっている。それだけではない。

 今こうして少しだけ笑顔を取り戻したこの娘が、いきなり豹変して襲い掛かってくるか、あるいは自傷する。その可能性が極めて高い。そこで狼狽えさせて足を止めようという策だろう。

 

 対処は簡単だ。

 狼狽えなければよい。それだけである。

 冷静でさえあれば、何が起きても対処できるだけの力は持っているのだ。

 

 この少女が襲い掛かってきたとしても神剣を持っていない以上、どう動こうと脅威は無い。

 そもそも、四肢がないのだ。攻撃しようもない。となれば、舌を噛み切るなどの自傷行為、もしくは遅延式の毒物が一番可能性が高いか。

 

「がっ……ふぅ」

 

 そんな事を考えていたらスピリットが嫌な咳をした。血煙を吐いて、それが金色の霧に変わっていく。

 

 怪我や毒だろうか。いや、それ以前にかなり体が弱っているように見える。病気かもしれない。障壁で衝撃波等から防護しているが、それでも森の中を高速で移動しているのだ。負担は相当なものだろう。

 

 まずはこの娘を回復させる。次に眠らせるなどして動けなくしたら、見つからないように隠す。そうしたら追いかけてきているブラックスピリットを振り切って逃げる。後はソーマの元へ戻り、奴を操ってスピリットへの命令を取り除いてから殺害する。

 これで誰も死なない最良の結果が得られるはずだ。

 難易度は高いが、シロを倒して相当レベルが上がった今なら不可能ではない。

 

 ここまでの横島の判断は9割当たっていた。

 だが、1割は読み切れなかった。

 

 ソーマの智謀は横島の上をいった。

 いや、智謀というよりも悪意と言ったほうが正しいか。

 

「復活せよ、美少女! ディザイア!」

 

 横島の回復魔法が発動する。

 回転する灰色の魔方陣から生まれた白光がスピリットに降りかかった。

 

 ぶず。

 ずぶ。

 

 少女の腹から何かが飛び出す。

 横島の腹には何かが飛び込む。

 

「かはっ」

「がはっ」

 

 少女が血を吐いた。

 横島も血を吐いた。

 

 何が起こったのか分からなかった。いきなり腹部に灼熱が走って、口内に血の味が広がった。視線を下げると、神剣が思い切り腹に突き刺さっている。

 いったい、この刀はどこから現れたのか。目で神剣の出所を追って驚愕する。

 

 少女の腹から神剣が飛び出ていた。

 凄惨で異様な光景に横島は身動きができないが、少女は腹から神剣を飛び出させたまま、背中に真っ白な羽を作り出して彼を包み込んだ。ズブズブと腹に神剣が埋まっていき、ついに貫通。背中から刀が突き出てくる。

 その有様は二つの肉団子に串が刺さっているかのようだ。『天秤』は悲鳴のような驚愕の声を上げる。

 

『馬鹿な! 神剣を砕いて体に埋め込んでいたというのか!?』

 

 物理的には不可能ではない。

 神剣は生きている。契約者の成長により神剣も大きくなる。欠けたり砕かれても、よっぽどでなければ時間や魔法で再生できる。砕けた神剣を体内に仕込み、角度を調節し回復魔法をかければ、腹から神剣が飛び出るスピリットの完成だ。

 しかもである。

 この少女は自分の腹を神剣が突き破った瞬間に神剣の力を引き出し、内臓で神剣を押して横島を貫いた。やりなれた剣の型を繰り返すかのように自然な動作だった。

 

 この少女が普段どれだけの地獄にいたのか。

 横島は口から血を吐きだしながらも、ニコニコと笑顔を浮かべる少女を前に言葉がない。

 

「意味わかんねえんだよ」

 

 それだけ言うのが精いっぱいだ。悲劇を喜劇に塗り替えるのが横島という男だが、少女の悲劇はもう終わってしまっていたのだ。

 

 この世界の人間はスピリットにとても酷い事が出来る。

 横島はそれを知っていた。

 知っては、いた。

 

 しかし理解は出来ず、ゆえに具体的な想像ができなかった。それが、この事態を招いた。

 想定外だった、というのは無能と怠惰の言い訳だ。しかしだ。この横島というあっけらかんとした煩悩男に、このような非道の極致を具体的に想像しろ、というのは酷であろう。

 

「あ……はぁ。つながっだね。これで、ずっど、いっじょ」

 

 口から血を吹きこばしながらも、天使のような笑顔を浮かべる少女。

 安心したような笑みだった。迷子になった子どもが、ようやく親をみつけた時のような安らぎと安寧がそこにあった。

 

 だが、安らぎに満ちた顔はすぐに消えた。

 次に現れた表情は、希望と熱意。幸せになろうと努力する人の顔。

 その表情はキラキラと輝き、ただひたすら真っすぐだ。

 

「今度は、迷子に、ならないから」

 

 意味の分からない言葉を呟きながら、少女は神剣魔法の構築を開始する。

 余裕がないのか無詠唱だが、周囲に展開する魔方陣から読み取れる術式は予想の通り、横島を殺しうる唯一のもの。

 

『いかん、横島! 早く殺せ……いや、私と代われ!!』

 

 もはや少女を殺す以外に自分達が助かる術がないと判断した『天秤』は横島の精神に全力で干渉した。

 圧倒的な苦痛が横島を襲う。だが、横島の精神はびくともしない。

 

(この男の精神の強さは訳が分からん……いや、今なら分かるが。しかし)

 

 横島の脳と魂は少女の生存に燃えていた。全身を駆け巡る痛みなど気にすらしていなかった。

 可愛い女の子の為にこそ、横島は最大のパフォーマンスを発揮する。それは知能、身体、霊能、神剣、天運、全てに通ずる横島の基本にして奥義だ。

 だが、知能も身体も神剣も、少女を助け出す力にはならない。霊能の極致たる文珠も『天秤』に封じられている。

 GS特有の強運も期待できない。ある意味、それこそが最悪の敵であるのだから。

 

 破滅が迫る中、少女は頬を上気させ、幸せを感じていた。

 横島がどれだけ自分を愛しているのか、彼の表情と言動で十分に理解できた。

 その愛に応えなければならない。その方法は教わっている。

 

私を全部あげるね(サクリファイス)

 

 少女と横島は、黒い闇に飲まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、悠人達の戦いも続いていた。

 悠人は集団に一方的に打ちのめされていたが、気を取り戻したエスペリアとウルカが加わり、三人で必死の防戦中だ。

 今の三人なら、ソーマのスピリット達――――かつての部下と姉達を全員倒すことができただろう。しかし三人は攻撃には移らない。

 

「マナよ、俺達の抵抗するための力を! レェジストッ!」

「緑のマナよ、我らに加護を! ガイアブレス!」

「軽々しく力を振えると思うな。ウィークン!」

 

 悠人は魔法の障壁と補助魔法。

 エスペリアは物理障壁と回復。

 ウルカは反射と妨害魔法。

 

 炎と剣戟の嵐を、三人は巧みにロールを切り替えて対応していた。

 必死の交戦の最中、横島とブラックスピリットの神剣反応が全て消えている事に三人は気づいている。

 

 彼らがどうなったのか。考えられる結果は2つ。

 

 横島が全員を殺し、あるいは無力化して、今は神剣反応を消してこちらに向かっている。

 あるいは、横島とスピリットの相打ち。

 

 もし相打ちなら、ここで耐える意味はない。

 

「大丈夫だ。横島はきっと来る!」

 

 悠人は力強く言い切った。ならばエスペリアもウルカも信じるだけだ。

 その情報は少し遅れて、ソーマのスピリットも察知したらしい。

 

「敵エトランジェとブラックスピリットの全神剣反応が消失しました」

 

「ふ、ふふ。そうですか。やれやれ」

 

 ソーマは安堵の息を漏らす。世界で最強かつ、自身の最も殺意を持つ者がいなくなったのだ。ようやく枕を高くして寝られると、ソーマは満足そうだ。

 

「あいつがこんな所でやられるかよ」

 

 当然のように悠人は言い切る。

 エスペリアもウルカはこんな時だが横島に嫉妬した。

 ここまで悠人に信じてもらえるのが羨ましい。

 

「そうですねえ。あの男なら、確かに不可能を可能にするかもしれません……ふふ」

 

 小馬鹿にするようにソーマは悠人の言葉を肯定する。ソーマの立場からすれば、ここで悠人達が良き結末を諦めて戦いを挑んでこられた方が困るからだ。

 希望を抱きながらサンドバックになって力尽きる。それが理想だ。エスペリアとウルカの目の前で悠人を残酷に殺せば、今度こそ二人を壊せるはずだ。

 

「我が妖精達よ、聞きなさい!」

 

 より苛烈な攻撃を与えようとソーマは次なる命令を下そうとする。

 

「私が下した命令の全てを無効とします……んんっ!?」

 

 思っていたのと違う言葉が出た。

 少し考えれば明らかに異常な命令だと分かるのに、精神を喪失しているスピリットには理解できない。

 護衛のグリーンスピリットがソーマを守っていた障壁を解除する。他のスピリットも神剣を下げ、加護を解いてしまう。

 

 声帯が自分のものではなくなったような感覚にソーマが戸惑っていると、いきなり視界がずれる。

 月が見えた。視界の端に首のない男の姿が映る。首のない男から赤い噴水が吹き上がって頬に落ちてきた。ぬるぬるしている。

 

 いったい何が。

 

 それがソーマの最後の思考。

 痛みも恐怖も理解もない。

 

 ソーマ・ル・ソーマは首が落ちて死んだ。

 

「いったい……何が?」

 

「まあ、答えは一つだろ。横島、無事だったか」

 

 エスペリアの疑問の声に、悠人はふうっと息を吐きながら答えた。

 すると、暗がりから横島が現れた。ソーマの死体の前で立ち止まり、奴の髪を持って持ち上げる。血が手についたが気にせず、首検分をするかのようにじっくりと眺めた。

 それがソーマ本人だと確信すると、最後に柔らかい微笑を浮かべ、

 

「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

 

 長い長い長い息を吐きだした。

 ソーマを殺した横島の心に去来したものは、ただひたすらの安堵だった。

 人殺しの嫌悪や興奮、達成感や虚無感。そんな良くある感傷を全て吹き飛ばすほどに、死んでくれて良かったと安堵するしかない巨悪だった。

 この男の思想と調教技術は、横島やレスティーナが目指す未来にとって正に災厄そのもの。

 人の死でここまで安らげるとは思いもしなかった。

 

 ちなみに、ソーマを殺した一連の流れはこうである。

 『転』『移』の文珠で『操』の文珠を、グリーンスピリットが展開する障壁の内側に飛ばしたのだ。霊力の流れを神剣使いは感じ取れないから完全な奇襲となる。

 後は『操』の文珠でソーマ自身に命令を解除させて、障壁が消えた瞬間にミクロン単位まで細くしたサイキックソーサーでソーマの首を切り落とした。

 

 ソーマの死体から目を離し、ここでようやく悠人達を見た。

 エスペリアとウルカの姿を確認して、横島は頭を下げる。

 

「エスペリアさん、ウルカさん。すいません。助けられませんでした」

 

「そう……ですか」

 

 エスペリアはそれだけ言った。他に何を言ったらいいのか分からなかった。

 色々な想いで胸が一杯になる。ここで横島に対して『気にしなくても良い』と言うのは違う。当然、恨み言など論外。

 何を言っても横島が苦しむのが分かる。だから、何も言えない。

 

 僅かな沈黙の後、横島が少し明るめに声を出した。

 

「おい、悠人。気が利かん奴だな。眼福だけどよ」

 

 言われて、悠人は気づく。エスペリアのメイド服ははだけたままだし、ウルカのレオタードは汗で少し透けている。

 エスペリアは慌てて服装を正し、レオタードのみのウルカには、悠人が自身の上着を羽織らせた。

 

「ごめんなさい、ユート様。ごめんなさい!」

「まことに迷惑を掛けました。お詫びのしようもありませぬ」

「謝るのは俺の方だ。二人が苦しんでいるのを知っていたのに俺ばかり浮かれて」

「そんな事はありません。私が汚れて汚いから」

「手前は愚かで、どうしようもない存在です」

 

 自虐に苛まれ、今にも消え入りそうな二人を、悠人は強く抱きしめた。

 

 悠人とエスペリアとウルカ。

 三人は抱き合う。苦しみも悲しみも、三人で分け合おうとするように、一つの塊のようになって。

 

 三人の周りには、エスペリアの姉達とウルカの部下だったスピリット達もいる。

 心を失い神剣に囚われているために無表情だ。しかし、それでも、どこか喜んでいるように見えたのは横島の感傷ゆえか。

 

『貧乏くじを引かされたな』

 

 『天秤』は彼らの抱擁を見て舌打ちした。

 

 エスペリアもウルカも無理やり連れ去られたのではなく、自らソーマの元へ出向いた節がある。彼女らにも事情があったのは知っている。家族を、部下を、敵に回したのは非常に辛かったであろう。

 どうやらそれだけではない因縁があったらしいが、それは悠人は知っていても横島は知らない。彼らの物語に一つの区切りがついたのはめでたいが、正直、巻き込まれた感がある。

 

『今回の殊勲が横島であるのは間違いないというのに』

 

 礼の一つもよこさない悠人達を『天秤』は罵った。

 

 しかし、それら罵りは彼らに向けたものというよりも、横島に聞かせるためのものだ。

 少しでも横島の精神を外へ向けさせるため。つまり『俺は悪くない』と横島に思わせるための悪態だ。

 

(いや、真に悪いのは私だ)

 

 文珠を徹底的に封じ込めている張本人である『天秤』は、胸もないのに胸の痛みを覚えた。

 ロウであることに苦痛を覚え始めている。

 

 愛した少女の命を無駄にしない為。神剣世界の為。

 

 念仏のように唱えるが、使命感に燃えていた当初のような気概は既にない。上司に褒めてもらうのも、どこか空虚に感じ、むしろ反発したくなることが増えた。

 

『横島、お前は本当によくやっている……すまない』

 

 罪悪感たっぷりに『天秤』は横島に詫びる。

 

 そんな『天秤』の言葉を、横島はまるで聞いていなかった。

 その目は悠人が抱きしめる二人の女性に釘付けだ。より正確に言うのなら、女を抱きしめる悠人の手をじぃと凝視している。

 

 悠人は女を殺さずに戦いを終え、女を手にした。

 

 じゃあ、俺は。

 

 赤い血に塗れた手を見る。 

 血に染まっているのはどうでもいい。問題は、何も手にしていないことだ。

 結局、俺は誰も助けられなかった。ただ哀れな女の子達を殺しただけだ。

 

『バカな事を考えるな! あれだけの接触だったが、私にはわかったぞ。あのスピリット達は生きていたが、頭も体も魂までもが弄られて、もう『終わって』いた!

 助けようもなかった。死が唯一の救いだった。一緒に死んだ所で彼女らの魂が救われたとは思えん』

 

「理屈なんてどうでもいいんだよ」

 

 大切なのは助けられたか、助けられなかったか。

 

『しっかりしろ。お前は知っているはずだ。世の中にはどうしようもないことがあるのだと。結果論だけで物事を見るな! 悠人は助けられるスピリットと相対した。お前は助けられないスピリット達と相対した。いや、そもそもお前がいなければエスペリアとウルカを除いて誰も助からなかったと――――』

 

 『天秤』の慰めも、そして事実の列挙も、横島の心には届かない。

 先の戦いが、あまりにも強烈な絶望を与えすぎていた。

 

 

 あの時の事を思い出してしまう。

 

 黒い炎を身に纏いつつ縋り付いてくる少女を助けようと、横島は必死に考えた。しかし、どうしようもなかった。ゲームセット後に勝利を目指すような意味のない労力に過ぎない。

 

 どうしようもないまま、そうして魔法は完成し、少女の体は黒い炎に変わり始めた。

 

 この女の子はもう助けられない。

 このままでは自分も死ぬ。

 

 救われない現実を突きつけられた。

 それが決定的になると、横島の意思に関係なく、ただ生存本能が動き出す。

 抱き着いてくる少女の服を掴み、強引に過ぎるほどに引きはがそうとする。当然、腹に突き刺さった神剣が暴れて内臓が傷つけられるが、黒のマナが付与されていないから回復魔法でどうとでもなる。

 

「な……ぎぇ!」

 

 少女の喉から苦しみあえぐ声がこだました。

 その瞳は疑問で一杯だ。子が親の愛情を疑わないように、彼女は横島の愛情を疑ってはいなかった。

 

 混乱した様子だが、それでも絶対に離れまいと、思い切り横島の服にかみついて身を寄せてくる。

 この小さい体のどこにここまでの力があるのだろうか。ありとあらゆる執念がそこには込められていた。

 少女の半身は既に黒い業火に変わり、横島を燃やす寸前まで迫りつつある。

 

 もう無理だ。殺して逃げるしかない。

 生きようとする横島の本能は容赦なく少女を寸断しようとして、ピタリと止まった。

 

 ――――何の罪もない女児を殺せるか。

 

 横島という男の魂が、生存本能を抑えつけた。ここで横島は我に返る。

 もう無我夢中ではない。そんなつもりはなかったと言い訳はできない。横島は己の意思で選ばねばならなかった。

 つまり、殺すか、共に死ぬか。

 

 ――――正しいと思うことをしなさい。

 

 厳しくで業突く張りで、だが優しさと強さが同居したクソ女の声がどこからか聞こえてきたような気がした。

 

 最後は本能ではなく意志の力で『天秤』で少女の背中から脳天まで突き刺した。

 目の前で少女の顔面が砕け、ブラックスピリット達が放った死の魔法は全て回避し、横島は生還した。

 彼女達の魔法は、最後の命そのものは、誰にも届かず、ただ中空を漂い消え去っていった。

 

 ソーマは横島を見誤った。以前、横島の目の前で嬲った少女を見せつけ、さらに部下だった少女の尊厳すら傷つけた。横島は正気を失い襲い掛かってきたが、それでも女を殺す事が出来なかった。

 何があっても女を殺せない男。少なくとも、戦う力がない哀れな女は決して殺せない。

 そう評価するのも無理はない。

 

 真実は、違う。

 魂レベルで女を殺せなくとも、確たる意志で決断し手を汚せる男。それが横島だ。

 そういう男でなければ世界は滅び、蛍の女も横島に惚れなかっただろう。

 

 こうしてソーマは横島に敗北した。

 だが、横島は自身が勝利したとは考えてはいなかった。

 

 思い出す。どうしようもなく思い出してしまう。

 彼女に『天秤』を振り下ろしたときの、あの表情。

 

 絶望してくれれば、まだ良かった。裏切られたと憎んでくれれば、どこかで開き直れた。

 彼女は最後の最後まで横島を信じ、無垢な笑みを浮かべたまま消えていった。

 

 もう、二度と、あの顔を忘れることはできない。

 

 結局、俺は何かを犠牲にすることでしか、何も成し遂げられないのではないか。

 絶望が心に這い寄ってきて、それは違うと思い直す。

 少なくとも、何の犠牲も無くタマモは助けられたのだ。

 俺は、横島忠夫という男は、女を犠牲にして突き進んでいく男ではない。そうではないはずだ。

 

 そんな横島の思考の流れを、『天秤』は恐怖した。

 全ての真実が明らかになる時は近づいている。横島が破滅して、そして新生する時が。

 

 横島は己の頬をパチンと叩いて気合を入れた。

 大至急にやらなければいけないことがある。ここで止まっている場合ではない。

 ソーマという男が残した災厄はまだ終わっていないのだ。

 

 ソーマの首を肩に担ぐ。悠人達は思わず目を丸くした。

 

「あ~少しやる事があるから、しばらく第二詰め所には顔を出せん」

 

「ちょ、ちょっと待て。いきなりなんだ」

 

「聞きたい事があったらレスティーナ様から聞いてくれ。あ、もし雪之丞達が攻めてきたらすぐ戻るから」

 

「おい、待て!」

 

 悠人の静止の声など気にも留めず、横島は去っていった。

 ソーマの首を持って闇に消えていく横島の姿を、悠人は唇を噛みしめて見送る。

 

 詳しくは分からないが、きっと横島の器量を持ってしなければ成せない仕事があるのだろう。しかしそれは、お気楽煩悩男には酷く不似合いな仕事に違いない。

 手伝いたいが、不器用な己ではついていく事すらできない領域だ。

 

 悠人は自身の無力さに歯噛みして、だけどすぐに気を取り直す。

 

 横島が頑張るのなら、俺だって負けないように頑張らなければならない。

 俺がやらねばならない事。

 それは、

 

「帰ろう。俺たちの家に」

 

 悠人は二人の女性と支え合い、ラキオスへと歩き出す。

 両手にはエスペリアとウルカの肩を強く抱いていた。

 逞しい腕の感触にウルカは安心感を覚え、そっと悠人の横顔を見て目を丸くする。

 

 悠人の視線は女達ではなく、暗闇に消えた横島の方を向いていた。

 

 

 

 

「う~ん、妙な視線を感じるんだが……なんか気持ち悪いぞ」

 

 背に降り注ぐ熱い男の視線。それが横島の心身に微妙なダメージを与えていた。

 居心地悪そうに闇夜を駆ける横島だが、そこである事に気づく。

 ほんの僅かだが、ソーマの血が金色に光っている。

 

 これは体がマナでできたスピリットやエトランジェ来訪者の特徴だが、血の全てがマナに変化してはいない。今まで見たことがない反応だ。

 

『この男は恐らくハーフ……いや、クォーターエトランジェだったのだろう』

 

 おそらくは異世界から来た来訪者の孫。

 妙に自己を卑下する性格など、この男も過去に色々とあったのだろう。今更どうでもいいことだが。

 

『それで、何をする気だ』

 

「こいつには協力者がいたはずだ。そいつらをどうにかしないといけねえだろ」

 

 その一人は半日前に捕まえたが、他にも数人はいるはずだ。

 でなければ、エスペリアとウルカを惑わして、ここまで連れてこれるはずがない。

 

 そいつらはソーマが死んだことを悟れば一般人としての生活を続けるのだろう。もしスピリットを所有していたら口封じされる可能性は高い。

 そしてそいつらは何食わぬ顔で表に現れて、スピリット達と接触するだろう。

 ヘリオンの顔が思い浮かんだ。もし、ヘリオンがスピリット趣味の変態共に調教されて壊されたら。

 考えるだけで腹の底からどす黒い気が溢れ、全身に満ちていく。

 

『それはそうだろうが……疲れが溜まっている。一度休んではどうだ』

 

「殺しまくってマナを食ったから体調は万全だぞ」

 

『私が言いたいのはそういう事ではない!』

 

 精神が先走りすぎても碌なことにはならない。

 横島と共に戦い続けた『天秤』はそれをよく知っている。

 そんな『天秤』の不安を、横島も理解したらしい。

 

「少し俺の考えを読んでみろよ」

 

 言われて、『天秤』が思考を読む。

 その内容に思わず噴き出した。

 

『アホか』

 

 実にアホだった。横島らしいといえばらしい。

 だが、『天秤』はアホとは言ったが馬鹿にしたわけではない。むしろ、賞賛だ。

 

「シリアス寄りになるほど弱体化するからな」

 

 横島は陽性の笑顔を浮かべる。周りに人間がいたら、またバカな事を考えているのだと、笑みを浮かべてバカにしただろう。

 『天秤』だけは知っている。今の横島の心情は大雷雨と言ってよいほど荒れている。その最中で快活と笑いを考えられるこの男は、やはり英雄で、どこかで可笑しく、ゆえに最強の神剣使いとなる適性がある。

 

『しかし、本当に第二詰め所を信じていて、愛しているのだな』

 

「そりゃあな。いい加減、男になってやるさ』

 

 言いながら横島はニヤリとバカっぽく笑みを浮かべ、次によく似た、しかし残酷な笑みを浮かべる。

 

「とまあ、そういうわけだ。それに今は無理しても動かないとな。でないと」

 

『第二詰め所に悲劇が降りかかる可能性があるからな」

 

 『天秤』の言葉に横島は頷き、文珠をソーマの頭部に叩き込む。

 

『覗』

 

 ソーマから協力者の記憶を読み込む。

 

 奴らは、クソ変態共は、やはり身近にもいた。

 珍しくスピリットに優しかった商人。愛想のよい小男。上品な貴族令嬢。

 こいつらは何れも公安や諜報部隊、そしてシロの動物によるローラー作戦で調査されてきた連中だ。

 どうやって捜査を逃れたのか。ソーマの記憶によると――――

 

 うっかり。偶然。たまたま。

 

 こいつらは運よく逃れられただけらしい。

 今回の悲劇は運が悪かっただけ――――――

 

「んなわけあるかよ」

 

 分かってはいたが、あまりにも酷すぎる。一斗缶が落ちてきたアシュタロスの気持ちが今分かった。

 とにかく、黒幕連中を倒さなくては話にならない。だが、いくら強くなっても届く気がしなかった。そもそも、ただ強いだけならGS流でどうにかなる。

 この黒幕連中を追い落とすなら、力でも知恵でもなく、【上】に行くしかない。

 上に行く方法は、もうわかっている。

 

「なあ、『天秤』。何となくは理解してんだけどさ、雪之丞の神剣を砕けば、俺らはもの凄く強く……違うか。強くなるっつーか……上に上れるよな」

 

 雪之丞達を倒せば、肉体の強さ、寿命の長さ、特異な能力。それらを得る事ができる。

 何よりも、一つ上の存在になれる。一つ上の視点を身に着けられる。

 

 そうなれば、どうなるか。まだ詳しくは分からない。

 黒幕と対等になれるのだけは分かるが、果たしてどういう代償を払わねばならないのか。

 分からないことだらけだが、分かる事もある。

 

 ヨコシマらしく生きる。

 愛した人との約束に、致命的な悪影響が出るだろう。

 世界の見方が変わり、価値観が崩れてしまうからだ。

 

 正直、怖い。

 だが、もういい。もう無理だ。

 絶望のまま殺してしまった名も知らぬ少女を思い出すと、もう前ではなく、上を向くしかなかった。

 人を越え、エトランジェを越え、その先に。上り詰める、極点に達する。

 

 美神さんとおキヌちゃんの顔が浮かんだ。

 彼女達はどこか悲しい顔をしているようだった。

 

「お仕置きするなら俺の前に出てきてくれよ」

 

 彼女達さえいてくれれば、こんな詰み状態すらも覆せる。

 戦力的には意味がないとか、そんな常識的な考えを一蹴できる。

 三人揃えば、きっと。

 

 ――――だからこそ、絶対に揃わないようにしたんですわ。

 

 声が聞こえる。今まで最低最悪の敵の声だ。

 やはり上り詰めるしかない。

 

「がっはっは! よー分からんが小僧、ワシと一緒にトコロテン脳になるのだー!」

 

「やっぱ上り詰めんのやめよかな」

 

 その先はボケ老人。嫌なリアルだった。

 

「違いますわー! カオスが! 良いところで邪魔するんじゃありません!!」

 

「な、なんじゃーー!?」

 

 幼女が神剣を五月雨の如く飛ばしてドクターカオスを追い払おうとしてる謎映像が脳内に流れる。止めようとした『天秤』がぶっ飛ばされていた。

 シリアスしている人の脳内で勝手に暴れるんじゃねえと、三人に説教する。

 

 しかし、まあ。あれだ。

 

 なんであれ、どうであれ。

 

「俺は好きな女と楽しくエロエロな日々を送れればいいんだよ」

 

 結局は、それが答えだ。

 この先どれだけの喪失と苦難があろうと、それがあればハッピーエンド。

 それでいい。それで十分だ。余人が何と言おうと、エロが横島忠夫の幸せだ。というか、ヨコシマらしく生きて童貞を貫く羽目になったら、そっちの方がバッドエンドである。

 

「だから」

 

 続きの言葉は言わず、横島は闇の中を進んでいった。

 

 




 お待たせして申し訳ありませんでした。

 最低の屑ことソーマはあっさりと退場。横島ハーレムルートだと彼のさらなる屑パワーや設定がもう少し披露できたんですが……ちょっと残念。
 暗い話ですが、皆殺しの選択しかない原作に比べれば遥かにマシ。全員助けられなかった、なんて横島の無念を原作の悠人が聞いたらどんな反応するのやら。

 ここで少し販促を。
 アセリア3とも呼べる悠久のユーフォリアの開発準備が始まっているようです。今度は歌ではなくてゲームです。何気なくyoutubeを見てたら映像が出てきて驚きました。興味ある方は動画をご覧になってください。
 私が二次創作を開始したのは永遠のアセリアを広めたいという意思もあったからなので本当にうれしい。好きな作品が広まって語り合えるっていいですよね。
 詳しい概要はまだまだ不明ですが、良いゲームになってほしい。GS美神も再アニメ化しないのかな。

 次回は短めのドタバタエロ回を予定しています。


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