沈黙は金では無い。  (ありっさ)
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1.手紙を出す時は良く宛先を確認しよう

 

【Ⅰ】

 

 とある絶海の孤島、朽ち果てた埠頭。 

 そこから少しばかり離れた所にある砂浜。そこに小型の船舶――モーターボートが夜闇に紛れて静かに近付いていた。

 風が強く吹き付け、波が手荒く岩礁を打ち付ける。一筋の月明かりも差しこまない夜間航行。 

 

 にも関わらず、ボートは無灯火のまま徐々に速度を落としつつ島へ近づいて行く。

 まるで孤島に居る誰かに気付かれたくない、と言わんばかりである。実際、その通りなのだが。

 程なくして、音も無く砂浜に横づけされたボートから男女数人がすとんと降り立った。

 

「とうちゃ~く! 団長、こっからどうしますー? 取りあえず景気づけにそこらを一発焼いときましょうか? ひっひっひ~♪」

 

 開口一番に朗らかな口調で物騒な事を口走ったのは、学生服にブレザーを着た黒い髪の少女だった。子供の面影を残したあどけない顔立ち。しかし、町を歩けば振り返って見られる程度には整った容姿をしており、少女の年齢にそぐわない何処か妖艶な色気を周囲に放っていた。 

 

「サキ、もう忘れたのか。たった今船の中でミーティングしたばかりだろう」

 

 少女をたしなめたのは覆面の男。くすんだ包帯で頭から爪先まで隙間なくぐるぐる巻きにしたその姿はミイラ男以外の何物でも無かった。

 彼? を辛うじて男と判別できる要素は包帯の奥から聞こえるくぐもった声だけである。 

 

「貴様と私は団長のサポートと雑魚共の露払い、何度も念を押しただろうが!」

 

「えぇ~~~? 雑魚退治とかつまんない! 疲れるだけで面白くないもん!! シキさんがやればいいじゃ~ん!!」

 

「サキ、任務をつまらないとは何だ!」

 

「つまらないったらつまらない~~!!」

 

 暗闇の砂浜。足元を波がざばざばと音を立てて押し引きして行く。

 ぶーぶーと口を尖らせて不満を露わにする少女。憤りを露わに少女を叱りつける覆面男。 

 

 ――そして、もう一人。

 

「……二人共、仲が良いのは大変に良い事だが、今は敵陣の前だ。少し、静かにしようか」

 

 声の主は銀髪の男だった。

 男は俗に云う美形で、精巧な作り物か人形かと見まごう程に、恐ろしく整った容姿をしていた。 

 

 男が放つ気配に気圧されたのか少女も覆面も押し黙った。二人が沈黙するのを見て、再び男は言葉を紡ぐ。

 

「サキ、前から思っていたが君は少々血の気が多い様だね。積極的に物事に当たろうとするのはとても良い事だが、何時も何時もそれでは駄目だ。

 この先もしも、君の力がまるで通用しない強敵と当たった時、今みたいにすぐかっとなって頭に血が昇り、考えも無しに突っ込んで行くようなら、それはともすれば致命傷になりかねない。……今の内に直しておきなさい」

 

「ふん、団長の言う通りだ。大いに反省しろサキ」

 

「うぐっ、……確かにその通りですね。団長ごめんなさい、以後気を付けまーす……」

 

 自分の方を向いてぺこりと頭を下げつつ、指先に集めた念で【ミイラマンのば~か!】と器用に描いたのを団長と呼ばれた男はしっかりと見ていた。

 

「……ふふっ。さて、無駄話はこのくらいにしておこうか。……事前の作戦通りに行きたかったが、長話をしている内にどうやら状況が変化している様だ」

 

 指が差し示した先、三人が今夜の目標としていた人物達が会議をして居るであろう建物からもうもうと白煙が立ち上っているのが見えた。

 

「先客か」 

 

「えっ、うわ、本当だ! 団長、急がなきゃ! 私達の獲物持って行かれちゃうよ!!」

 

「こらこら。言っただろうサキ、焦りは失敗しか生まないよ。……少しばかり作戦を変更しよう。シキ、船に戻ってリンを呼んで来て貰えるかい? 大至急だ」

 

「御意」

 

 

 

【Ⅱ】

 

 

 上下左右360度、見渡す限りの本、本、本。古書。絵巻物。積み上げられた希少本と謄本の山々。規模の小さい図書館を思わせる程の圧倒的なまでの書籍の量。

 現在の時刻は深夜二時を少しばかり過ぎた所。

不意にギィィと音を立てて書斎の入り口、分厚い鋼鉄で作られた扉が開いた。

 

「団長、お目当ての物見つかった?」

 

 書斎に入って来た金髪の男が尋ねる。一見優男風のこの男、しかし男が身に纏う気配はとても冷たく、重い。

 

「……シャルか。丁度今見つけた所だ。後は他に目ぼしい物が無いか見て回りたい。手伝ってくれ」

 

 本の頁を捲る手を止め、振り返ったのは団長と呼ばれた男。オールバックに纏めた黒髪、そして闇に溶け込むような漆黒のコート。額には逆十字の入れ墨が彫られている。

 

 男の纏う気配は、先の金髪の男よりも更に冷たく、昏かった。

 

 彼らは盗賊だった。それも凡百の烏合の衆の集まりでは無い。世界にその悪名が轟くA級盗賊――――幻影旅団。

 

 

「あはは、流石は団長。絶対言うと思った。了解、手分けして探そうか」

 

「助かる。……二人は上か?」

 

「うん。ウボォーとフェイタンは隠れてる奴が居ないかもう一回探してから来るってさ」

 

「……そうか、じゃあアイツ等がこっちに来る前に片付けておかないとな」

 

「あー、そうだね。あいつ等血塗れでずかずか入って来るから折角のお宝が台無しになっちゃうもんね。……で、何をさが」

 

 言葉を最後まで言い切る事は無く金髪の男は跳躍した。一瞬前まで男が居た空間。其処に銀の閃光が一閃、キラリと奔る。

 黴臭い空気がどんよりと溜まった書斎。床に堆積していた埃が急激な空気の移動に耐え切れずにぶわりと舞い上がった。

 

「……良く、見破りましたね」

 

 喉元を目掛け振るわれたナイフを後ろへ飛び下がる事で躱した金髪の男。振るったのは逆十字の男。

 

「クロロ」

 

 逆十字の男がぼそりと呟く。

 

「?」 

 

「呼び方だ。シャルは他の団員が居る時は俺の事を他のメンバーと同じように団長と呼ぶが、二人だけの時に団長とは呼ぶ事は無い」

 

「嗚呼、成程。そう云う絡繰りでしたか。……私とした事が、情報収集が不完全でしたね。……いやはや、情けない限りです」

 

 ぽりぽりと無造作に頭を搔くその仕草は逆十字の男が知る旅団員――シャルナーク其の物だった。秘密主義の自分達を此処まで正確に模倣するとは。相対する偽物の男への警戒心、そして興味が膨れ上がる。

 

「御託は良い。アイツらはどうした?」

 

「さあて、如何でしょうか。心配ならば確認に向かわれたら如何です?」

 

「……まあ、そうだな。そうさせて貰おう」

 

 言い終わる前に再び偽物との間を詰めた逆十字の男がナイフを振るう。常人にはその軌道、軌跡すらも見ることは出来ない程の神速の斬撃と刺突の雨霰。 

 しかし、その刃は標的を捉えられない。斬撃が十を超え、百に迫ろうとも、肉どころか皮を裂く事すら無い。

 

「ほう、これも躱すか。良く鍛えられているな」 

 

「光栄ですね。かの高名な幻影旅団の首領にお褒めの言葉を頂けるとは思いませんでしたよ」

 

「俺を知って尚、向かって来る……か」 

 

「おや、少しばかり喋りすぎましたかね?」

 

 殺し合いをしている最中とは思えない程、二人の口調は平穏そのものだった。何気ない日常の様なワンシーン。 

 

 しかし、そんな朗らかな会話の間にもお互いの命をばりばりと貪り合う、獣染みた戦闘は続いている。 逆袈裟にナイフが振り上げられる。半身になる事で死から逃れた男。しかし、間髪を容れずにナイフは煌めく。振り上げた軌道をそのまま逆回しに、頸動脈を裂きに向かうと見せて置いて、フェイントを交えつつ眼球への刺突。そして陰から放たれる【二本目】

 

 首を後ろに大きく逸らす事で辛うじて串刺し刑を回避した偽物の男。しかし、その代償に大きく体勢を崩してしまう。間髪を容れずに銀のナイフが男の鳩尾を目掛け突き込まれる。更に左手から、【凝】により集められたオーラが足元を目掛け放たれる。 

 男は迫りくる死から逃れようと、背後へ跳躍する為に足へ力を入れ――――真横へ弾かれる様に転がった。 

 

 埃に塗れ、床に這いずった男の頬からぽたぽたと紅い飛沫が落ちる。

 

 確実に止めを刺す為、【本】を顕現させた逆十字の男は見ていた。【背後から突き出されたナイフ】を間一髪、転がりながら避けた男が懐へ手を入れ、何かを取り出すのを。

 

 次の瞬間、眩い閃光と耳を劈く轟音が決して広いとは言えない書斎の中で炸裂する。次いで立ち上る白煙。

 

「……チッ、逃げられたか」

 

 煙が晴れた時、残されたのは逆十字の男――――幻影旅団の団長クロロ・ルシルフル一人だけ。煙に紛れての奇襲を警戒していたが、どうやら仕掛けては来なかった。

 

 万が一を考えて【円】を使ったのは失策だったか。

 

(かなりの手練れだった。あちらは実力も奥の手もまるで見せず、隠したまま。逆に隙あらば俺の情報を少しでも盗もうと虎視眈々、か)

 

 (全く、これではどちらが盗賊か分からないな)

 

 くつくつとクロロは笑った。だがこのままむざむざと逃す気は無い。未だそう遠くへは行って居ないだろう。他の旅団員達の状況も確認しなければならない。

 

 生憎と此処――半ば要塞と化した書斎は地下の奥深くにあり、更に電波の圏外である。

 

 まあ、あいつ等なら早々不覚を取る事は無いだろうが。 

 

 そんな事を考えながら書斎の入口へ視線を向けたクロロの眼にがっちりと施錠された鋼鉄の扉が映る。そして、これ見よがしに貼り付けられた紙きれ。 ポーカーフェイスが売りの彼でも、これには流石に笑いを堪える事が出来なかった。

 

【Ⅲ】

 

 

 孤島の中心、其処には希少な大理石を惜しげも無く用いて建てられた豪奢な建物が有った。周囲を見渡せば定期的に整備されているのか、テニスコート、プールetc……数々の娯楽場が目に入る。

 誰も訪れる事の無いだろうこの島に何故この様な場違いな建築物が存在するのか。 

 

「ほへー、何というかまあ、すっごい無意味に盛大にこれでもかって位に目一杯お金掛けてますよ!! って感じですねー。こんな誰が来るかも分かんない所に良くもまあ……」

 

 先程砂浜でサキと呼ばれていた少女が勿体ないなあ、とぼやいた。少女としては別段返答を求めていた訳では無かったが、隣を歩いていた銀髪の男が相槌を打つ。

 

「元々此処は何処かの富豪が税金逃れの一環として無意味を承知で作ったらしいね。それが色々と込み入った事情が混じった末に今は裏社会のお偉方の会合に使われている、と」

 

 まあ、周囲を海に囲まれた断崖絶壁の孤島と言う点は、防犯のやり易さや機密情報の漏洩を考慮するなら中々に良い案だと思うけどね。 

 そう言いながら見上げたその建物は、今や夜空を焦がさんばかりの勢いで盛大に炎と煙が吹き上がり、かくも無残な有様だった。

 

「あっちゃ~~、何かもう色々と手遅れな感じですねえ、団長、どうします? 一応依頼を受けた以上は中に入って確認しとかなきゃ、ですか?」

 

「いえ、その必要は無いですよ」 

 

 声の聞こえた先、二階のテラスから人影が一つ、ふわりと舞い降りてくる。

 

「……リンか、早かったね。御苦労様だった」

 

「リン君おつかれ様~」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 飛び降りた姿勢をそのままに銀髪の男に傅いたのは、黒いタキシードに身を包んだ青年だった。

 

「必要が無い……つまり僕達が手を出しに行くまでもなく、招かれざる先客が事を全て済ませてしまっていたという事か?」

 

「はい、団長が予想されていた通り、先客はかの幻影旅団のメンバーでした。メンバーが四名、そして地下の金庫兼書斎に旅団の首領が」

 

「うげ~~、旅団ってあの旅団でしょ? 良く無事だったねリン君」

 

「あはは、正直に言うと数回ほど死に掛けましたがね。……まあ何とか生きています。それで団長、これが今回の標的の写真です。(一応)証拠としてどうぞ」

 

 ついと差し出された写真にはこれでもかと言わんばかりに人体のありとあらゆる所がぐちゃみそに損壊した、元が人間だったかを疑わざるを得ない程のグロテスクなナニカが写っていた。

 辛うじて顔が判別出来るので一応依頼を達成した証拠として使えるか、といった所だった。

 

 何も言う事無く写真を懐に仕舞い込み、銀髪の男は小さく溜息を一つ吐いた。

 

「まあ良い。不本意な事とはいえ、結果的に依頼は完遂した。ならばもう此処に用は無い、僕たちのホームに帰ろうか」

 

 二人共、お疲れ様だった。

 

 そう言うが早いかクリードは踵を返してボートの停泊している砂浜へスタスタと歩いて行く。

 

「はい、了解しました」

 

「むぅ~、今回私、何にもしてないし……」

 

 ぶうぶうとふてくされる少女を宥めつつ、青年は団長の後ろを付いて行く。

 

「あっ、そうだそうだ、そうでした。団長、事前に言いつけられた通りに向こうの団長さんに手紙渡しておきましたよ」

 

 まあ置いて来ただけなんであちらが受け取るかは分かりませんけどね。

 

 青年からは彼の上司、銀髪の男の表情を窺い知る事は出来ない。

 

「そうか、渡した……か」 

 

 

 この時星の使徒の団長、本名不明:通称クリード・ディスケンスが未曾有のパニックに陥っていた事に気付いていた者は居なかった。

 

 

【Ⅳ】

 

 

 彼らが去った後、吹き上がる炎は更に勢いを増し、火の粉が熱風と共に周囲を焦がしてゆく。美しかった大理石の面影は見る影も無く黒く煤け、豪奢な装飾が施された内装も、希少な絵画も、調度品も、皆等しく炎の中に消えてゆく。

 

 燃え尽き、半ば崩れ落ちた建物の陰から現れた人影、数にして二つ。

 

「ねえクロロ、あいつ等追わなくて良いの?」

 

「ん? ああ、今は追わない。……今は、な」

 

「? 何か良く分かんないけど、団長がそれで良いならまあ良いか(団長、何だか機嫌良さげ?)」

 

「ウボォーとフェイ、それにアルはどうした?」

 

「あの二人なら団長を待つついでの暇つぶしにあっちでテニスやってるよ? ほら、あそこ。アルはついさっきクルーザーに金目の物を持って行った」

 

 視線の先にはは燃え残ったテニスコートで球技に戯れる二人の姿が有った。 

 

「……すぐに呼んで来い、撤収だ」

 

「了解。ああ、クルーザーは直ぐにでも動かせる状態にしておいたから」

 

 二人を呼びに行ったシャルナークを見送り、思考の海に沈む。

 

(星の使徒。団長クリードより、か)

 

 宛先を間違えて届いた舞踏会の招待状を、そうとは知らずに懐に隠して、クロロ・ルシルフルはくつくつと笑った。

 

 

 

 この時既に、招待状の本来の宛先:稀代の暗殺者――ゾルディックによって、十ニ本足の蜘蛛、その足が一本千切られている事に誰が気付けていただろうか。



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2.話をする時は人の顔を見て話そう

 

 とある地方都市、何所にでも或る様なカフェテラス。

 

 男が一人、本を読んでいた。目深にニット帽を被り、時折コーヒーのカップを口に運んでいる。

 美形、眉目秀麗と言う言葉を体現しつつも、男の纏う独特の空気が周りの干渉を拒んでいる様だった。

 

 男の他にはまばらに男女が数名程。それぞれ取り留めも無い世間話をしている様だ。平穏な平日の昼下がりの光景。 

 そして今、年季の入った木製のドアを開けて客がまた一名入店してきた。背の半ばまで伸びた銀髪を簡素に括り、Tシャツにジーパン、腰に刀を差しただけのラフな格好をした若い男だ。 手には無造作にビニール袋をぶら下げていた。

 

 銀髪の男もまた、絶世の と枕詞に付ければしっくり来るような美形だった。愛想よく応対に出てきた店員を手で制し、窓際で本を読んでいる男の連れである事を伝える。

 

「すまない、待たせたかな」

 

「いや、それ程でもない。 …席は空いている、座ったらどうだ?」

 

 ではお言葉に甘えて。 

 

 そう言うと銀髪の男はからからと椅子を引いてニット帽の男の真正面に座った。(美形を堪能)注文を取りに来た店員にコーヒーを頼み、改めて二人の男が相対する。

 

「では改めまして、かな? 先日はきちんと話をする時間が無かったからね。星の使徒で一応、団長をさせてもらっているクリード・ディスケンスだ。 以後宜しく」

 

「クロロ・ルシルフル。幻影旅団の頭をしている。アンタと宜しくするかどうかは俺が決める事だ」

 

 瞬間、ニット帽の男の纏う気配が明らかに変化した。

びりびりと空気が震え、重苦しいプレッシャーが狭いとも広いとも言えないカフェ全体を瞬時に包む。

 言い知れない恐怖、そして悪寒を感じたのか、まばらに居た客達が先を争うように会計を済ませて店を飛び出て行く。 

 

 程無くしてカフェにはアンティークな机を挟んで相対する二人、カウンターの隅でがたがたと震える店員、そして軽薄そうな金髪の男、ビジネススーツに身を包んだ長身の女を残して誰も居なくなった。

 【念】を知らない一般人でも無意識に震えが走る様な凄まじい威圧を真正面から受けた銀髪の男は、しかし何事も無かった様に前髪を手で払うと真っ黒いコーヒーの水面を暫く眺め、一口こくりと飲んだ。

 

「おや、いきなり手厳しいな。 …僕個人としては君とはビジネスライクな関係を築いて行けると思っているんだけど、ね」

 

「ふん、心にも無い事をべらべらと良く喋る奴だ。 さっさと本題に移れ」

 

 ニット帽の男――クロロから放たれる威圧感がさらに増大する。二人の周囲だけ空間が歪んでいる様な錯覚さえ覚える程に。

 ただし、当人達の意識はそれぞれ別の所―――ニット帽の男は銀髪の男が無造作に床に置いたビニール袋から見え隠れする古書へ、対する銀髪の男――クリードは入り口から直ぐの席でパソコンを操っている長身の美女に向かっていた事はお互いに知る由も無かった。

 

「性急な事で。 …では改めまして、星の使徒の団長として先日の礼を言わせて貰う。 恐らく君達は意図していなかったのだろうけれども、結果として僕達の代わりに仕事を済ませてくれたからね。 一応今日はこれをそのお礼に、と思って持ってきたんだが」

 

 視線を前方へ戻したクリードが、がさごそと音を立ててビニール袋を漁る。そこから差し出されたのは一冊の古書だった。 

 

「…アマルの禁忌術、か」

 

 盗賊の審美眼がその古ぼけた本の価値を一瞬で見抜いていた。

 稀代の錬金術師アマル・ドノヴァン。 アマルの禁忌術とは、彼が死の直前に残した、自分の生涯を掛けて研究し続けた禁忌の術の全てを記した五冊の本の事である。

 アマル・ドノヴァン同様に、その存在すら長らく疑問視されていた文字通りの希少本。

 無論、クロロもその存在を求めて各所へ足を運び、動いて見た事は有った。だがプロハンターを部下に持ち、自身もライセンスを所有している彼の情報網を持ってしても結局、現物どころか情報の緒すら掴めなかった過去が有る。

 そんな幻とも言える国宝級の逸品を、眼前の男は読み終わった雑誌を勧める様に極々無造作に差し出して来た。 

 どう考えても先日の件の対価にしては釣り合っていなさすぎる。訝しがるクロロ。しかし眼前の優男はまるで意に介していない様だった。

 

「ご名答。 団長さんは本が好きだと小耳に挟んだものでね。 …どうだろう、お気に召して頂けたかな?」

 

「中身を確認しても良いか? 万が一と云う事も有る」

 

「構わないよ、好きなだけ確認するが良い」

 

 もう僕は全部読んじゃったからね。 彼の視線はカウンターの隅で暇そうに携帯をカチカチ弄る金髪の優男へ向けられていた。 

 

 罠や念能力の可能性も考えたが、それを上回る抑えきれない好奇心に押されたクロロは本を手に取り、表紙を指でなぞる。 

 

 …この感触、人皮か。

 

 以前手に入れた数少ない情報の中に、確かに有った。アマルは錬金術の材料として度々人間を使用し、最後には自らの妻と娘もをその手に掛けたと。

 

 表紙を捲る。眼に入って来たのは、どす黒く変色した血で書きとめられた狂気と狂喜。 

 

―――、――――。 ――――――。

 

 意識が飛んでいた。 否、余りに内容が自分の興味を引く代物だった為に全てを忘れて没頭し掛けていたのだ。

 前方、カウンターの横にある柱時計に目をやると、数分程時間が進んでいる。眼前の男は所在なさげに窓の外へ視線を向けていた。 

 

 ―――いや、こいつは気付いている。カフェから離れた所で俺達を監視しているノブナガとマチに。当然、シャルとパクにも、か。

 

 この男がその気ならば俺の命は疾うに無かっただろう。そもそも、クロロはクリードが本当にたった一人で此処へやって来るとは思わなかった。

 

 つまり、コイツは今この場で俺達を相手にしても生き延びる、もしくは返り討ちにする力と自信が有るという事か。

 つうっと冷や汗が背を伝うのを感じながら、クロロは銀髪の男、クリードの事を内心で認め始めていた。 

 俺達を相手に護衛の一人も付けず単独で乗り込んで来る度胸。これほどの希少品を入手し、惜しげも無く手放す豪放大胆さ。 

 

 成程確かに、 蜘蛛(俺達)と同格のA級の犯罪集団を束ねていると自称するだけの事は有る。

 

「…確かに、これは本物だ。 間違いない」

 

「あははは、天下の大盗賊、幻影旅団に偽物を掴ませようだなんて恐れ多い事は出来ないよ」

 

「クリードとか言ったな。 お前、これを何所で手に入れた?」

 

 その瞬間、男の眼が変化した。人好きのする微笑は影を潜め、代わりに別の貌が現れる。 人殺し。 人を、同族を殺して何とも思わない人種。

 

 ―――同族だ。こいつも、俺と同じ闇の住人。

 

「悪いけどそれは言えない。 トップシークレットさ」

 

 一瞬で影を内に仕舞い込むように、クリードは好青年の仮面をかぶり直した。釣られた訳ではないが、クロロも表向きの柔和な笑みを顔面に張り付ける。

 

「ふっ、まあそうだな。 俺がお前でも答えないだろう」

 

 下らん質問をして悪かった。 いえいえお構いなく。

 

 あはは、ふふふと朗らかに笑いあう美青年二人。しかし店内はBGMに流れているジャズが空々しく響いているのみで二人の他に誰も何も喋らない。空気は冷え切っていた。

 隅で恐怖に怯えていた店員はカウンターの奥へ消えたきり戻ってくる気配は無い。

 

 二人の話題はお気に入りの古書から興味を持っている文献の情報の交換に始まり、やがて週刊連載の漫画に移り、そして休載を続ける超人気漫画家の愚痴へ。

 お互い超が付くほどの無類の本好きという事を認識してからはクロロの警戒心も幾らか緩んだらしい。空気は冷えたままだったが。

 

「あっ、そうだそうだ。 180°話を変えて悪いけどさ、クロロ、あの時リンと遊んだらしいね?」

 

「やはりアイツはお前の差し金だったか。 …かなりの手練れだった。 あまつさえ俺達の情報をあそこまで完璧に盗み、変装する奴が居るとはな。 流石に想像していなかった」

 

 旅団に欲しい位の逸材だ。

 正直にクロロが言うと、クリードはまるで自分の事の様に頬を緩ませた。

 

「ははは、後で伝えておくよ。 リンはあげないけどね。 …名残惜しいけれどそろそろ時間の様だ、これでお暇させてもらう」

 

 そう言うとクリードは伝票を持ち、椅子から立った。店員が居ないのを見てわざわざ呼ぶのも悪いと思ったのか、もしくは面倒臭いと思ったのかどうかは定かでは無いが、レジカウンターに数枚の紙幣を置くと木製のドアに手を掛け、

 

「ああそうだ。 一つ言い忘れてた。 あの手紙さ、本当は君じゃなくてゾルディックに渡そうと思ってたんだ。 リンが宛先を間違えちゃってさ」

 

 それだけ言い残すと、クリードは振り返る事無くスタスタと歩いて人ごみへ消えて行った。

 

 

「ゾルディックだと・・・!? まさか、いや・・・。 やはりあれは最初から仕組まれていたのか」

 

 先日の孤島での仕事終わり、クロロは帰り際に遭遇したゾルディック家の当主と一戦交える羽目になり、その結果として旅団員の一人が蜘蛛から欠落した。

 正確に言うならば、クロロが駆け付けた時には旅団員の八番、アル・ボーエンは既に物言わぬ躯に変えられていたのだが。

 余りに話が出来過ぎているとは思っていた。正体不明の旅団員の偽物との遭遇。わざわざ建物の前まで来ておいて、何もせず帰って行ったクリード一行。 そして直後のゾルディックとの邂逅。 

 

【ゾルディックに渡そうと思っていた】 

 

 この単語を脳内で反芻して、クロロは一つの回答を導き出した。

つまり奴は、最初から俺達を潰そうと考えていた。どこからかは知らないが俺達の行動を密かに入手し、計画を練っていた。

 …いや、今考えれば大元の情報の流し主が奴だったのだろう。そう考えれば全ての辻褄が合う。

 そしてあの夜。十老頭を暗殺する仕事とでも依頼してゾルディックをその場に鉢合わせさせる事で俺達を殲滅、もしくは消耗させれば御の字、という訳か。

 確かにあの時のメンバーなら、強者を見つけたら喜び勇んで突っかかって行くに違いない。恐らくそこまで読まれていた。

 

 奴の誤算は部下がゾルディックでは無く何故か俺に手紙を出してしまった事か。あれだけの優秀な手駒が凡ミスを犯すとは考えにくいが。

 そしてミスに気が付いた奴は、結果を知る為にわざわざ俺を呼び出して出向いて来た、と。 ...本当に一人で来たのは解せないが。

 

 あの日受け取った手紙には一言、こう書かれていた。

 

仕事が終わって直ぐの所悪いが、追加で仕事を頼みたい。 

 

星の使徒 団長クリード・ディスケンス 

 

そして携帯と思われる数字の羅列。

 

「全く、してやられたな」

 

 呟いた所で自分の懐が振動している事に気づき、携帯を取り出す。新着メールが一件、送り主は。

 

「…クリード・ディスケンス、か」

 

 クロロはくつくつと笑った。

 

 

「・・・うあー、恐っそろしかー、何なのあのイケメン。 殺気半端無さすぎワロエナイ。 てか良く生きてたなー自分。 というか仕事頼むどころじゃ無かったよあれは」

 

 仕方が無いのでメールにしよう、そうしよう。うあー……生きているって素晴らしいなぁ。

 人ごみに同化しながら、早足で家まで歩く青年の独り言が流れていった。青年の知らない所で、青年の所為による勘違いは加速する。

 




次回はオリ主視点。


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3.回想タイムに入る時は誰も居ない所でやろう

何かUAとかお気に入りとかえらい事になっててびっくらこきました。
貴重な時間を消費して読んでくださる皆さんに感謝しきりです。



 

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 

 モーターボートの縁に腰掛け、真っ暗な海面を眺めながら僕は呟いた。

 

 

 何時からだろうか、自分と、自分が生まれたこの世界に違和感を持つようになったのは。立って、歩いて、喋っているのは間違いなくこの僕、自分自身なのだけれど。

 風呂から出たとき、朝目覚めて洗面所へ行き顔を洗う時、鏡に映る姿にどうしても違和感を覚える。自分が自分では無い気がするのだ。もしくは何気なくTVを付けた時。ニュースで流れるありふれた単語や人物名に既視感を覚えたり。 

 

 だが幾ら頭を捻ろうと答えは得られなかった。もどかしさを常に抱えたまま過ごした幼少期。

 

 奇妙な違和感を拭えないまま、それを解決する方法も見つからず。時間は穏やかに確実に流れていく。 

 

 

 切っ掛けは十歳の誕生日だった。その日、僕は誕生日にも関わらず両親が仕事の都合でどちらも不在という不運に見舞われており、大いにふてくされていた。

 暇を持て余した末に思い立ったのが、家の裏手にある蔵(老朽化が進んでいて危ないから入るなと父に固く言いつけられていた)を捜索して、秘蔵のお宝でも手に入れ、自分の誕生日プレゼントにでもしよう!! と言う何とも子供らしい考えだった。

 

 蔵の鍵は以前に父の部屋で見かけた事が有った為、侵入するのは容易だった。

蝶番の軋む音をバックミュージックに重々しい扉を開け、中を覗き込む。 

 薄暗い蔵の中はひんやりとした空気が占めており、子供ながらに好奇心と冒険心を掻き立てられた。目ぼしい物を探して奥へ進むと、壁に立て掛けられた一本の刀が目に留まった。

 近づいて手に取ってみる。鉄の塊の筈の刀は思ったより遥かに軽く、子供の力でも軽々と持ち上げることが出来た。 

 

 この時、そのまま刀を戻していれば、良かったのだろうか。僕は何もかもに気付かないまま一生を終えていたのだろうか。 

 

 ―――今となっては、分からない。

 

 鞘を左手に持ち、一気に刀身を抜き放つ。気分はさながらエクスカリバーを抜いたアーサー王だ。 

 

 引き抜いたその刀には、刀身が無かった。鞘と鍔だけの刀。重さを感じなかったのはそういう事か。

 詰まる所これは【ハズレ】。そう思い刀を鞘へしまおうとして、僕は前触れなく頭痛に襲われた。

 

 頭の中に錐を突き込まれて手加減無しでぐりぐりされたならこんな感じだろう。立っていることが出来ず膝から崩れ落ちる。声も出せない程の激痛。

 耐え切れず埃と自分の出した嘔吐物に塗れながら床をのた打ち回る。

 ひたすらに発信され続ける痛みと死の信号に支配される脳内で、一際大きくカツンと響いた音が有った。痛みの灼熱地獄から逃れようと床を掻きむしっていた指が、先程落とした刃無しの刀に触れた音だと気付くのに暫し時間を要して。

 

 溺れる者は藁をも縋るという諺がある。この場合はガラクタの刀か。とにもかくにも、藁にもすがる気持ちで僕はそれを握り込んだ。

 

 ――その瞬間だった。不意に頭に浮かんだ幾つかの単語。 

 

 そうだ。この刀を、この刀の持ち主を僕は知っている。...いや、知っていた。僕が生まれてから今に至るまで、常に感じていた全ての違和感の正体がスルスルと紐を解くように解けて行った。

 

 ――頭痛は、何時の間にか失せていた。

 

 刀を鞘へ戻し、鍵を元通りに閉めた後、自分の部屋に戻り思考の海に沈む。

 

 ――この世界は。

 

 “かの矢吹大先生のデビュー作、【ブラックキャット】の世界に違いない!!” 

 

 たまにTVで流れるブラックリストハンターとかハンター協会とか言うフレーズに何処かで聞き覚えがあると思ったらそう云う事だったのか。掃除屋とか何所となくダサいイメージだもんね。配管工のおじさんと大差ないし。そういう風に呼ぶようにしているに違いない。

 

 違和感の正体は分かったが、今度は別の意味で混乱していた。一体全体何がどうなっているというのだ。 生まれ変わり? 転生? 神様何て物は生まれてこの方見た事は無い。そもそも前世が何だったか何て覚えちゃいない。 

 

 思い出したのはブラックキャットと云う漫画の存在と自分の外見がその中の敵キャラ、クリードさんに酷似している事だけだ。

 というか何でブラックキャットのキャラぽい外見と名前で生まれてんの!? おかしくね? でも武器っぽい物ははこうして此処にちゃんと有るっていう。

 

 クリードって事は他のキャラも存在しているのだろうか? ・・・これに関しては今は確かめる方法が無いので保留だな。そもそもの話、原作をうろ覚えなのが痛い。 原作知識を利用して無双する、何て事は諦めた方が良さそうだ。

 

 

 ――時間の経過に期待したが、結局の所主要キャラを幾つかと単語を幾つか。思い出せたのはそれ位。 

 

 

 世界の正体を知ってから早くも十年が過ぎ、僕は二十歳になっていた。そして現在、暗い海面を眺めて溜息を吐いている。

 

 二十歳になるまでに色々と有った。それはもう色々と。言葉では語り尽くせない程大変な十年だった。

 いきなり現れたブロンド美女に襲われたあげく僕の身体で仏像を彫られそうになったり、氣の扱い方(一般的には念というらしい)を覚えたり、金稼ぎ兼修行とか言われてバカ高い建物の闘技場に放り出されたり、変態ピエロ(そんな奴は原作に居なかった筈だから多分モブキャラだろう。それにしてはキャラがやけに濃かった)にやらないか?(意味深)と追いかけ回されたり。

 

 幸いだったのは、僕自身は原作のクリードの様な変態にならなかった事だ。正直原作のままだとあの変態ピエロと大差ない変態ぶりだからな。

自分を見失わない様、常にクール&クレバーである事を意識していたのが功を奏したようだ。

 

 不幸だったのは、何時の間にやら僕を首領にしてブラックキャットの原作の様な変態能力者軍団が完成してしまった事だ。軍団の名前まで原作と一緒の【星の使徒】である。

 何か師匠兼金髪のお姉さんが勝手に決めてた。この十年で学んだ最も大切な事、師匠に逆らってはいけない(確信)

 

 まあ、原作キャラそのままは居ないけれども、同じ様な能力者ってのは結構探せば居る者である。探して無いけど。 相撲野郎はいないけれど体温操作+オーラの変化を発展させて火を噴ける女の子はいるし、蟲操作の覆面イケメソも在籍しておりますよ。 

 これに関しては僕は悪くないと思いたい。何時の間にか頭に持ち上げられて、逆らうと怖いしかといって代案を立てるのも面倒なのでイエスマンに徹していたら、何時の間にかこんな事になっていた。 

 

 師匠がやれって言ったんだ、俺は悪くねえ、俺は悪くねえ!! 何て事を面と向かって言える訳も無く。

 

 そして若干二十歳にして世界から頂いた評価が、Aクラスの極悪非道、残虐無比な犯罪集団という、あの極悪盗賊集団:幻影旅団と同じ評価である。 全く嬉しくねえよ!! 

 もうこればっかりはどうしようも無い。地元の両親に下げる顔が無い無い、有りません。もう二人共とっくの昔にお亡くなりになっているけれども。

 

 以上、回想終わり。

 

 

 そろそろ目的地に着く頃だろう。そう思って意識を海面から戻すと、すぐ横で蝋人形みたいに固まっているサキ君が居た。不審に思って声を掛けたら「わひゃあ!!」みたいな奇声をあげてふらつきながら船内へ走り去って行った。 ...え?酷くない?

 何のこっちゃと呆然としていたら入れ替わる様に操舵を担当していたリン君が現れた。 もうしばらくしたら着くらしい。ついでに余りサキを脅かすなと釘を刺されました。回想していただけなのに脅かすなとはこれ如何に。 顔か?顔なのか?

 

 砂浜に降り立つ。どうやら復活したらしいサキ君と、船首で哨戒してくれていたシキの漫才を聞き流しながら仕事の内容を反芻する。

 今回の仕事は要人の暗殺、それも裏社会を牛耳る奴らの大元。何でも十老頭とか云うらしい。 

 依頼主はその内の一人からだ。要はそろそろ俺が一番になりたいから他の奴ら全員殺して来いや! という話である。今日はこの孤島での重要な会合が予定されており、半強制的に全員集合するので纏めて皆殺しすれば手間が省けるんじゃね? と云う理由で僕達は此処に居る訳だ。

 

 だけど、懸念すべき事柄も幾つか浮上して来ている。リン君が入手した情報ではかの高名な暗殺一家のゾルディックが僕達と時を同じくして動いているとかいないとか。 まさかのブッキング・・・無いとは言い切れないのがこの世界の怖い所だ。甘く見ているとマジで死んじゃう。 

 まあ仕事を達成できないと師匠に【滅界カス当てギリギリチャレンジ!ver.頸動脈】の刑をかまされるからやらない選択肢はないんですけれどね!!

 

 気を取り直して森の奥、島の中央に有る目標としていた建物を見ると、燃えていた。盛大に。

 

 あかん、ゾルさん家とマジで仕事ブッキングしとりますわ。てか暗殺一家なのに暗殺してなくない? どちらかと云うと正門からお邪魔しますって感じだな。

 …兎に角、このままじゃ何もする事無く仕事が終わってしまう。せめて仕事してました的な言い訳が出来る物が欲しい。

 若干焦りつつ、呑気に漫才を続ける二人を諌める事にする。 

 

くりーど は こごと をとなえた! あたりのくうきがこおった!! 

 

サキは おびえている! シキは ふるえている!

 

えっ? そんなに固まらなくても・・・。 やはり顔か、顔なのか!?

 

 兎にも角にも現状の把握をしなくては。そう考えてボートに待機してもらっていたリン君をシキに呼んで来てもらう。その間に手紙をさらさらと一筆啓上。

 

 仕事が終わった所悪いですが、もう一つ仕事を頼みたい…っと。

 

 こうすれば例えこの後鉢合わせしたとしてもこっちが依頼者になり、あっちとしては手を出せないという訳だ。我ながら中々冴えている案ではないだろうか?

横から覗いていたサキ君がほへーとかなるほどーとか言ってるけど本当に分かっているのかね? 

 その内にリン君が来たので見張りをシキと交代してもらい、メッセンジャーとして絶賛キャンプファイヤーの最中へ突撃させる。そんな事をいきなり命じられて嫌な顔一つしないリン君は本当にいい奴です。強いし頭も回る、おまけにイケメン。

 

 大丈夫、ゾルさん家は(一人を除いて)目標以外は殺さないから。何でもかんでも殺すのは盗賊だよ。 火は付いてるけれど。もし万が一彼等に出くわしたらこの手紙を渡して置いてくれないか。 宜しくね。

 

 僕のエールを神妙な顔をして聞いていたリン君は一つ頷くと、忍者の如く森に消えて行きました。彼を見送った後、僕達もゆっくりと火祭りの現場へ向かう。森を抜けて、無駄に金を掛けた無意味に広大な娯楽場を横目に歩く。本当に無駄に色々と有るな。

 サキ君とぐだぐだと話している内に到着。あー駄目だコレ、中に入るとかそんなレベルじゃ無いわ。近代的な高層ビルの様だった立派な建物は、今や世界一豪華な火祭り会場のメイン火柱と化しておりました。 消防車はまだですか!? …あっ、来る訳ないか。

 

 想像以上の燃えっぷりにリン君を突っ込ませた事を内心で後悔していると、二階のテラスからスタイリッシュに降りて来られました。やだ、超COOL。一瞬ゾルさん家の誰かかと思ってビビったのは内緒である。 

 

 以下エージェント:リン氏による報告の要点。 

 

 ターゲットは皆さん纏めてSATUGAIされてました。 ミンチですよ!! ミンチ!!

下手人はゾル家では無くて幻影旅団御一行、地下の書斎に団長まで居ました。何かえらいリラックスして読書タイムしておりました。 

 旅団の団長がなんや、どんなもんじゃい!と地上で見かけた旅団員に化けて接触したら速攻でばれて戦闘になりました。ナイフぶんぶん振り回して来ましたー(小並感)。 ―――以上。

 

 以上!じゃありませんよこのお馬鹿さん。取りあえず一発頭を叩いておきました。何で叩くんですか~?とか某CMのチワワばりにうるうるしていたので、無駄に格好つけて「君が居なくなると損失が大きすぎる。 後...僕が寂しい」とか適当にイケボで誤魔化しておいた。実際問題、彼が居ないと困る。仕事が回らない。

 

 まあ要は何かと云うと、此処でする事が無くなった訳である。となれば早い所撤収したい訳である。別に旅団とかと遭遇しちゃったらどうしよう、早い所此処から離れないと、とか考えている訳では無いのである。

 そんなこんなで砂浜まで若干早足で歩いていると、後ろを付いて来ていたリン君がさらりとTNT爆弾をぶん投げて来た。

 

 手紙、渡しちゃったの? 旅団の団長に!? ゾルさん家じゃなくて!? WHY!?

 

 やばいやばいやばい、調子に乗って携帯番号書いてしもうたがな。ていうかリン、お主何しとんねん、さすが団長ですね! じゃないよ。

 内心で絶賛あばばば状態の僕を乗せてボートは再び海へ。さっきから内ポケットの携帯がプルプルしてる気がするけれど、きっと気のせいだ。 

 

 

 

 島に置いて来た幾つかの盗聴器が、ゾルディックと思われる人間と先程自分も相対した強者――クロロ・ルシルフルの戦闘を知らせていた。

ボートを操縦しながらリンは考える。自分の主、クリード・ディスケンスについて。彼は一体何処まで先を見据えて動いているのだろう。

 今回の件でもそうだ。結果を見れば、ゾルディックと幻影旅団。裏社会で最上位に位置する彼等を手紙一枚と自分を巧みに操る事で直接接触する事もせずに潰し合わせている。

 味方に居るからこそこれほどまでに頼もしいが、彼がもし敵だったら、さぞかし恐ろしく映るに違いない。見えない糸に縛られ動かされている様に、知らない間に悪路へと誘導されている。 彼はまるで操り人形の糸を手繰る奇術師の様だ。

 おまけに彼はそれだけで終わらせるような優しい思考をしていない。恐らくだが、この戦いは痛み分けの様な形になる、それさえも最初から予想しているのだろう。

 

 だからこそ旅団の頭、クロロに手紙を送った。次へ繋がりを残す為に。 先日アマルの禁忌本を探す様に命じたのも、恐らくはそこへ繋がる。

 フッと意図せず笑いが漏れた。傍若無人、傲岸不遜、あるいは完璧超人。そんな言葉で形容出来る様な上司。

 彼が僕を必要としてくれると云うなら、僕はそれに全力で応えたい。改めてリンはそう強く思った。

 

「君が居なくなると僕が寂しい・・・か」

 

 帰り際のあの言葉、身体が震える程嬉しかった。今までの人生でそんな言葉を投げてくれる人は居なかったから。

 

「全く・・・・そんな事言われたら、離れられなくなるじゃないですか」

 

 ボートは速度を上げて帰路を進む。

 



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4.人の心何て、分からない方が良い

 

「ねえクロロ、本当に一人で来ると思う?」

 

 或る日の昼下がり。

 とある地方都市のカフェテラス。カウンターに座っていた金髪の男、シャルナークが呟いた。 

 

「…分からん、だが用心するに越した事は無い」 

 

 本の頁を捲る手を止め、目深にニット帽を被った男、クロロ・ルシルフルが答える。 

 

「もう一度確認だ。 少しでも奴が怪しい素振りを見せたらノブナガとマチに連絡、そして」

 

「可能なら捕えてパクに記憶を読ませる。 有能そうなら団員に勧誘、断れば殺してOK、と」

 

 小さく頷くと、冷め掛けたコーヒーを一口啜り、溜息を吐いた。

 

「そうだ。 シャル、警戒は怠るな」

 

「…了解」

 

 壁掛け時計が十四時を指した時、男が一人入店して来た。透き通る様な銀の髪をした男だった。腰の左側に刀を差し、左手にビニール袋をぶら下げている。 

 男は窓際に座っていたクロロを見つけると、応対に出てきた店員にクロロの友人である旨を伝え、此方へ歩いて来た。

 

 ―――こいつ、かなり強い。

 

 男に気取られない様に細心の注意を払いつつも、さり気なく視線を送ったシャルナークは驚愕した。

 無造作に歩いている様でいてまるで隙が無い。

 

…駄目だ、仕掛けられない。

 

 横目でちらりと見れば、カウンターの端、入り口側に陣取っているパクノダも同じ感想を抱いた様だった。 

 クロロを見る。 …警戒はしているが、どうやらいきなり仕掛ける心算は無い様だ。 ならば自分も様子見に徹するべきだろう。

 そう考えて、外で待機している二人にそのままの状態を保つ様にメールを送る。

 

 簡素に文を作り、送信ボタンを押したのとそれは同時だった。 

 

「...アンタと宜しくするかどうかは俺が決める事だ」

 

 言葉と共にクロロから迸る殺気。カフェの中の空気が一変する。

 

 念を感じ取れずとも、途轍もない悪寒と言い知れない恐怖に襲われた一般客達が先を争う様に会計を済ませ、飛び出て行く。

 瞬く間に店内はカウンターの隅で怯える店員を除いて誰も居なくなった。

 

 仕掛けるなら今しか無い! シャルナークは自らの武器である袖の裏側に忍ばせたアンテナを握りしめ、投擲しようとして―――気付いた。

 件の男、クリードはこの状況で何故かクロロでは無くパクノダを見ている。

 

 正気とは思えなかった。至近距離であの殺気を浴びて視線を外すなんて自殺行為も良い所だ。 …待て、今が絶好の機会の筈だ、何故クロロは仕掛けない? まさかクリードに念を掛けられた!?

 慌ててそちらを見る。 …思わずカウンターからずり落ちる所だった。 

 

 クロロ・ルシルフルは、我らが団長様は床に置かれたビニール袋、正確にはその中の本に釘づけだったのだ。

 

 何と云う駄目な上司だ、こっちが必死こいて神経尖らせているのが馬鹿みたいである。

 ...と云うかクロロ、殺気を漲らせながら何してんだよ。

 

 シャルナークは急激にやる気ゲージが減少していくのを隠しもせず、溜息と共に吐きだした。 

 

(…あ~あ、何かもうどうでも良いや、入札しておいたネットオークションの結果でも見るか)

 

 クリードの視線が何時の間にかパクノダから自分に向けられている事に気が付いたのはその直後だった。

 

 携帯の画面から顔を動かすことが出来ない。勝手に歯が震え、背筋を冷たい物が伝う。

 

 一瞬見えたクリードの眼。 

―――あれは人が人を見る眼では無い。 例えるならば餌を――蜘蛛を見つけた鳥のそれだ。

 食べられるか食べられないか、値踏みされている。 余計な事をするな、お前の価値はその程度だ、とシャルナークを見るクリードの視線は物語っていた。

 幻影旅団の一員としての誇り、強者としての矜持がシャルナークを辛うじてその場に踏みとどまらせる。荒くなる息を強靭な意志で押し殺しつつ、外の二人へメールを手早く打った。

 

 『大丈夫だから入って来るな』と。

 

 送信ボタンを押すと同時に圧し掛かっていた重圧は嘘の様に霧散した。助けを求める訳では無いが視線のやり場に困り、再度クロロを見る。

 

 団長はキラキラしていた。差し出された本に大層ご満悦だった。

 まるでずっと欲しかった玩具を買ってもらった子供の様だな、とシャルナークは言い知れない疲労感を覚えながらぼんやり考えた。 

 

「…確かに、これは本物だ。 間違いない」

 

「あははは、天下の大盗賊、幻影旅団に偽物を掴ませようだなんて恐れ多い事は出来ないよ」

 

 そうこうしている内に二人は良く分からない古書の話で盛り上がり始めた。 シャルナークは胸の内でもう一度盛大に溜息を吐いた。 

 

 ―――自分の家でやれよ、もう。

 

 

 旅団員の九番、パクノダは俗に云うサイコメトラーである。 正確に称するなら、世間的に秘匿とされている念能力者であり、さらにその中でも希少な特質系に分類される。

 彼女の能力は幻影旅団の中でも特に重要視されていた。替えの利く戦闘員と違い、パクノダの能力は唯一無二、オンリーワンだから。

 

 対象の人間に触れながら質問をする。

 能力を使う条件はそれだけ。故に誤魔化しは利かない。頭の中で考えた事、記憶を偽る事はどんな人間にでも不可能だからだ。

 

 彼女は自分のボスであるクロロ・ルシルフルに心酔していた。

 

 彼女がクロロと同じ流星街の生まれで、団員の中でも一際に付き合いが長いという事も有ったが、それ以上に彼女はクロロの作った幻影旅団という組織が好きだった。

 蜘蛛の手足となって働き、必要が有れば頭の身代わりとなり死んで行く事。彼女も、他の団員もそれに疑問を持つ事は無い。

 

 そして今、パクノダはクロロの命令を受けて警戒態勢に入っていた。 ブランド物のスーツに身を包んだその姿は外資系のOLと例えれば想像がし易い。

 カフェの入り口で一般客の体を装って待ち構える事数十分程。 事前の情報通り、銀髪の男が現れた。

 

 内心で男の度胸に驚嘆する。 

 まさか本当にたった一人でやって来るとは。 周囲の気配をそれとなく探るが、奴の仲間らしき気配は感じ取れない。クロロの方へ向かっていく後姿をそれと無く見やる。 

 ―――強い。 男の錬度が一目で理解出来た。 

 悟られない様細心の注意を払い、クロロの出方を見る。 二言三言交わした後、クロロの気配が変わった。 文字通り、殺気が破裂するかの如く一気に膨れ上がっていく。

 

 団長は仕掛ける気だ、ならば私は後方から援護を―――。

 

 そう思い、懐の銃を取り出そうとスーツの中に手を入れた瞬間、背筋が凍りついた。

クリード・ディスケンスの眼が、意思の籠った視線がパクノダを真正面から捕えていたからだ。

 

 仕掛けようとしていたのを悟られた? ...いや、まだそうと決まった訳じゃ無い。思い直してクリードを睨み返す。

 

 パクノダに取って永遠にも感じられた数秒の後、根負けしたのかどうかは分からないがクリードの視線はクロロへと戻された。堪えきれずに大きく息を吐く。 

 目は口ほどに物を言う――とは確かジャポンの諺だったか。 彼の眼は途轍もなく重く、昏かった。

 パクノダが心酔する男、クロロ・ルシルフルも時折あの様な眼をする事は有る。だがしかし、だ。

 

 世界でも上から数えた方が早いであろう強者であるクロロを比較対象に持って来ても、未だ『浅い』と思わせる底知れぬ不気味さがあの眼には籠められていた。 

 

 クロロとクリードの談話は何事も無かった様に続いている。 『警戒を怠るな』 そう言われた事を思い出し、何とか平常心を取り戻そうと深呼吸を繰り返す。

 

 どくんどくんと五月蝿く鳴り続ける心臓が酷く煩わしかった。

 

 

 

「どうしてこうなった・・・・」

 

 皆さん、御機嫌いかがでしょうか。 

 クリード・ディスケンスは今、とある地方都市に来ております。 

 先日の仕事の際、リン君がまさかの配達ミスをやらかした所為(後でよくよく考えて見れば自分の言葉選びが不味かった気もした)で、これからかの著名なA級盗賊団の団長さんとオサレなカフェタイムと洒落込む羽目になりました。

 以上説明終わり。 だれかたすけて。

 

「あっちの団長さんからのメールには一対一で会おうって書いていたけどさあ・・・」

 

 律儀に団長さん一人で居る…そんな事ないよなあ。 最悪の場合、カフェに入った瞬間に袋叩きにされてポリバケツにinされても不思議じゃない。

 

「なのにこっちは馬鹿正直に自分一人って云う悲しさよ」

 

 誰も付いて来てくれなかった。 いやまあ、仕方が無い事情は有るけれどさ。 

 

 ぶつくさとぼやいている内に目的のカフェが見えてきた。手元のビニール袋が風に煽られてがさりと存在を主張する。 

 あちらの団長さんは超が付くくらいの本好きだと聞いて、一応機嫌を取る為にこの間入手したばかりの秘蔵本を持って来てはみたが、果たしてどうなる事やら。

 

 平常心、平常心。 好青年染みた笑顔をイメージして扉を開ける。

内心で身構えていたが、事前の予想に反して掛かったなアホがッ!! なイベントは起こらなかった。 良かったね、すごいね。

 

「お一人様ですか~?」

 

 素晴らしい笑顔と共にウェイトレスさんが出て来たので、先に来ているであろう団長さんを探す。

 店内にはラフな格好の金髪お兄さんとパソコンをカタカタしてるお姉さんと、煙草吹かしてるおじさんと…ああ、あれか。 

 窓際の席で本を片手に一人だけ違う世界にinしている黒髪イケメンを発見。ウェイトレスさんに連れである旨を伝え、向かって行く。

 

「すまない、待たせたかな?」

 

 笑顔、笑顔です。 どっかの世界の強面マネージャーも言っていた通り、笑顔は皆を幸せにしてくれる…筈。

 

 幸い団長さんは快く座って良いと言ってくれた。 何だ、意外に話が分かるじゃないか。 良し、この流れで自己紹介だ!

 と思ったのもつかの間、団長さんは突如としてブチキレ状態に変貌されました。何? 何が気に入らなかったんだ!? 

 迸る殺気、震える空気。 Freeze、落ち着け、落ち着こうよ、ほらカタギのお客さん皆怯えて出て行っちゃったじゃん…。

 あっと言う間に店内は怒りゲージMAXの団長さんとスマイル状態のまま固まっている僕、そして携帯かたかたしてる金髪のお兄さんとパソコン弄ってるお姉さんだけになってしまった。 

 この殺気を受けて逃げ出さない所を見ると二人はカタギでは無い…のか? 旅団員の可能性も有るか。 だとしたら既に色々と詰んでる様な….。

 と、とにかくこの状態を何とかしないと話をする所じゃない。 そう思い、もう一度フレンドリーに話しかけようとして…無理でした。 顔KOEEEE!!

 

 ―――ああ、コーヒーの水面は良いね、僕の心を鎮めてくれる。 

 

 兎に角、話をしないと。 そう思って必死こいてビジネスの話を振った。 ...逆効果でした。更に限界突破してブチ切れる目の前の阿修羅マン(イケメン)! 何かもう色々と凄い。殺気だけで窓ガラスに罅が入っていってるもん。

 

 何か本題に移れとか仰られてるけれども、怖すぎて真正面を見られないので顔を横に向ける。お姉さんがスーツの中、胸に手を突っ込んでこっちを見ていた。 巨乳だった。

 ・・・ほら、きっとアレだよ、アレ。 

 汗かいちゃった~、胸が蒸れて痒い~、搔いちゃえ~みたいな?

間違ってもあそこから銃が出て来てパン! みたいな展開にはならない筈だよ、…多分。

 止めて止して撃たないでと念を籠めてお姉さんと睨みあいする事暫し。此処で漸く僕は団長様の怒りを鎮める方法を思いついた。 貢物じゃ、貢物を捧げるのじゃ!

 

 意を決してお姉さんから視線を前に戻す。 3,2,1,…今だ! …良し、撃たれなかった!! すかさず先日の件のお礼を述べ、機嫌を取りつつビニール袋の中身を差し出す。 

 団長よ、怒りを鎮めたまえ~、頼むから。

 

 結果から言うと貢物作戦は成功した。 

 原因不明の怒り状態は解除された。但し、次の問題が発生しましたとさ。 

 …うん、団長さんの優先順位は本≧越えられない壁≧クリードなのね、知ってたけれど。

 キラキラした目で本を捲るイケメン。 話を振れずに放置される僕。 …そういえば本を渡した時にちらっと金髪のお兄さんが見えたけど、何というか凄い筋肉質だった。一言でいうならシュール。

 優男風の顔にボディビルダーの身体が付いてると言えば分かり易いか。 細マッチョだったらさぞかしモテるだろうに。 

 そんな事を考えながら所在無さげに窓の外を見つめて黄昏る事数分弱。 団長さんは漸くこの本を本物だと認めて下さいました。 

 いや、疑ったままであんなキラキラしながら読んでいたのかよ…。

 

 そこからは打って変わった様に人好きのするスマイルの似合う好青年と化した団長さん。…あれか? この本が一刻も早く読みたくて機嫌が悪かったのか? 案外的外れでも無い気がする。

 しかし何所で手に入れた? とか聞かれた時には焦った。 

 言ってもいいけど、絶対この人残りの本を探しに押し入っちゃうだろ。強盗的な意味で。 

 

 へらへらと誤魔化しつつ、こちらもイケメン笑顔を張り付けて暫し本好きの団長さんと談笑する。

 割と重度の本好きを自負している僕だが、団長さんも中々どうして大した物だった。 

 

 まじで? あの本持ってるの? 貸してよ。 別に良いけどそっちも何か面白い本貸して頂戴な。

 

 そんな和やかなやり取りをあははうふふと続ける事暫し。

 ふと考えた。…あれ?何か忘れてない? ……思い出した、手紙に書いてしまった手前、仕事を頼もうと思っていたんだった。

 

「あっ、そうだそうだ。 180°話を変えて悪いけどさ、クロロ、あの時リンと遊んだらしいね?」

 

 ででーん、クリード、アウト―。

 

 話を切り替えた途端、団長さんの眼が切り替わりました。一体どんだけ本の話がしたいんだこの人。

 

 ああもう何でや!、何でこの人そんなキレやすいの!? 何所で地雷を踏んだ!? こうなったら、もう一度怒り状態になられる前に撤退するしかないじゃないか。

 

 ああ、まずいもうこんなじかんだー(棒読み)と言うが早いか、何か言われる前に逃げる様に席を立ってスタスタと出口を目指す。 …店員さーん? 駄目だ、奥に引き籠っていらっしゃる。

 もってけドロボー!と財布から紙を何枚か出してレジに放置。 後は一目散に退散すべし。

 

 しかし本と良い精神ゲージと良い、今日は出費がデカい一日だった。 …まあ命より高い物は無いって言うし、ね?

 

 

 この後僕は滅茶苦茶サムライに襲われた。  

 




勘違いとは何だったのか。


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5.寄り道をする時は、サムライに気を付けよう

強いノブナガさんを書きたかった。(書けたとは言っていない)


 

「団長、かなりまずいかも」

 

「シャル、きちんと説明しろ」

 

「ノブナガがクリードにケンカ売りに行ったってマチから連絡が」

 

「…それは確かにまずいな」

 

 クロロは顎に手を当てて唸った。 

 普段なら勝手にしろと放っておく所だが、今回は相手が相手だ。

 ノブナガは確かにクロロが知る中でも上位に位置する強者だが、クリードと殺し合った時、確実に勝てるかと問われると疑問符が残る。

 そして幾ら替えの利く戦闘員だとは云えども、これ以上団員が減るのは避けたい。

 

「仕方ない、行くか。 シャル、場所をナビゲートしろ」

 

「はいよー」

 

 

 クリード・ディスケンスは街中を歩いていた。 

 特に目的地を決めている訳では無い。強いて挙げるなら、人が居らず、開けた場所があれば良いと思っていた。

 行き交う人の波に逆らう事無く進み、極々自然に脇道へ逸れて行く。

 

 そのまま建物の間を縫う様にしばらく歩き、やがて広場へ出た。広場とは名ばかりで遊具の一つも無く、寂れた空き地と云った方が正確かもしれない。

 

 広場の中心、そこでクリードは足を止め、振り返る。

 

 

「そろそろ出て来ても良いんじゃないか?」

 

 その言葉を聞いて、陰から現れたのは長髪の男だった。 

 

「…気付いていたんならもっと早く言えや、優男」

 

 こんな所まで歩かせやがって。

 

 吐き捨てた男の眼には陰惨な光が籠っている。

 獲物を品定めする様な男の視線を受けて、それでも尚クリードの顔に張り付いた笑みは崩れる事は無い。

 

「…それで? 僕に何の用かな? これでも忙しい身でね、なるべく早く解放してくれるとありがたい」

 

 ある種の挑発にもとれる言葉。みるみる内に男の顔に青筋が浮かび上がっていく。

 

「優男、テメエがアル…旅団の八番をゾルディックに売ったのは調べが付いてんだ、ワリィが逃がす心算はねえぞ」

 

 構えろや。 

 そう吐き捨てる様に言い放つと、男は半身になり刀に手を添えた。

 大仰に溜息を一つ漏らすと、クリードも腰にぶら下げていた刀に手を掛ける。

 

「…おい、何だそりゃあ。 馬鹿にしてんのか、テメェ」

 

 無造作に引き抜かれたその【刀】を見て、長髪の男の怒気が更に膨れあがる。

 クリードの右手に握られたその刀には、一切の刀身が無かった。柄だけの刀、それはもはや武器ですら無いガラクタだ。

 そんなふざけた物で戦おうとするとは。目の前の優男の舐めきった対応に脳みそが怒りでぐつぐつと煮立ってゆく。 

 

 だが、長髪の男―ノブナガ・ハザマは幾度も死線を乗り越え、百戦錬磨の経験を積んだ猛者だった。このまま頭に血が昇るのに任せて突っ込んで行くべきでは無いと第六感が告げている。

 

 ――――コイツを舐めて掛かると、死ぬな。

 

 刀身の無い刀、か。 そこから予想される攻撃は。

 其処まで思考した所で、目の前、数メートル程先で無造作に立っていたクリードの姿がぶれる様にして掻き消えた。

 急速にスローモーション化する視界。 脳内で危険を知らせる警報が大音量でかき鳴らされる。ノブナガは自らの勘を信じ、刀を逆袈裟に振り上げた。 

 

「…へえ、この一撃を初見で止めるか」

 

 何処と無く愉悦を含んだ声だった。 聞いた者を魅了し、惑わせる。 そんな色気の籠った声だった。

 振り上げた刀は空中で何か硬い物にぶつかったかの如く、急停止している。

 ギチギチと耳障りな音を立てる刀。その手前には柄を振り下ろした(様に見える)姿勢のクリードが居た。

 

「予想通り、見えない刀かよ」

 

「正解。 まあ、初撃を凌いだなら誰でも分かる事だね」

 

 能力を看破されたにも関わらず、クリードは動揺する気配を全く見せない。

 ノブナガの脳内で急激に焦りが広がっていく。 見えない刀、それだけなら前例はある。過去にも似た様な能力を使って来た奴は居た。

 だが今回はその能力の使い手のレベルが桁外れだった。 

 

 ―――本当に、全く刀身が見えないのだ。 

 

 オーラ自身やオーラが籠められた物体を限りなく見えにくくする技術、【陰】 ノブナガはクリードがそれを刀身に使っているものだとばかり考えていた。

 だが、見えない。熟練の念能力者であるノブナガを持ってしても刀身を見る事が出来ない。

 隠されたオーラを見破る技術【凝】を使っても、それは変わる事の無い事実だった。

 

「その刀、妙な細工をしてやがるな」

 

「…さあ、どうだろうね?」

 

 鍔迫り合いの状態から、またしても一瞬にしてクリードの姿が消える。 速度を売りにしている旅団員、フェイタンを鼻で笑う様な馬鹿げたスピードだ。

 舌打ちを一つ打ち、反射的にノブナガは【円】を展開する。

 刀身が見えないだけならば、ノブナガには幾らでも対処のしようがあった。

 簡潔に言えば柄の方向、位置を見て刀身の位置を読み取ればいいだけの話だ。 が、今回は刀を振るっている人間が規格外すぎる。 ちまちまと目で追っていたら到底間に合わない。

 腰だめに構えた刀の間合い、およそ四メートル。 【円】の範囲内、感じ取れた気配を目掛けて、半自動的に左後方へ振り返りつつ横薙ぎの一撃を振り抜いた。

 狙い通りに標的の身体を真っ二つに引き裂く軌道を刀は描くも、反応される事を予測していたのか、容易く受け止められてしまう。 

 二度目の鍔迫り合い。 繰り返す様に瞬き一つの間に姿は消え、気配は頭上に。 半自動的に腰だめに構え、居合い抜きを放つ。 

 ノブナガの脳天を目掛けて振り下ろされつつあった不可視の刀と居合いで放たれた神速の一撃がぶつかり合い、盛大に不協和音が掻き鳴らされた。

 

 空中衝突の勢いを利用して器用に着地したクリードは、しかし四度目の攻撃を仕掛けようとはしなかった。

 依然、腰だめに刀を構えた姿勢のノブナガを見て、ぼそりと呟く。

 

「円を張り、そこから動かない事とその構えを制約にする事で、頭で考えるよりも早く、反射よりも迅速に向かって来る相手を切り裂く。 …それが君の能力か」

 

「…チッ、今のやり取りだけで見抜いたってのかよ」

 

 ぽりぽりと後ろ頭を搔きながらノブナガはぼやいた。

 わざわざご丁寧に解説してくれる辺り、団長と瓜二つである。 嫌味な優男だ。

 

「素晴らしい腕だ。 君の能力は大した物だった。 ...些か一対一限定な所は否めないけれどね」

 

「そりゃどーも。 思ってもねぇ事抜かすんじゃねーよ」

 

「いやいや、本当にそう思っているのだけれどもね。 …だがすまない、そろそろ本当に時間が迫っているんだ、次で終わらさせてもらう」

 

 言葉と共に消えるクリード、半自動的に迎撃するノブナガの能力。 ここまでは三度繰り返したやり取りと同じ、そして―――。

 

「ぐああっ!?」

 

 吹き上がる鮮血。 ゴロゴロと地面を転がり、土と泥にまみれた腕。 噴水の様に血が吹き出し続ける、右腕が有った場所を左手で庇いながらノブナガは戦慄していた。

 

(野郎、今まで手を抜いてやがったな…!!)

 

 過去三度の斬り合いと同じく、刃と刃がぶつかり合うと思われたあの瞬間、クリードはバックステップをして距離を取った。 行動を訝しがる間も無くノブナガの刃は空を切る。

 直後、間合い外から飛んで来たクリードの刃によって体勢が十分で無かったノブナガの刀は弾き飛ばされ、次の瞬間には返す刀で肩口からすっぱりと斬り飛ばされた。

 咄嗟に身を捩らなければ容赦なく心臓を抉られていたのは想像に難くない。

 

「糞が…見えねぇだけじゃなくて伸びる機能付きかよ…」

 

 俺と違って便利な事で。

 そう毒づこうと思ったが、既に声が出せない事に気が付く。 意思を無視して身体が崩れ、血溜まりに盛大に倒れ込んだ。

 

(全くよぉ、たまったもんじゃねーな。 …世の中、案外クロロみてぇな化物が転がってやがるもんだ)

 

 出血多量で朦朧とする意識。眼前で柄を振り上げる優男の姿がコマ送りの様に再生される。 

 

 そこでノブナガの意識は途絶えた。

 

 

 

 何時からだろう、人間を殺すのに躊躇しなくなったのは。

 何時からだろう、内臓を見ても嘔吐しなくなったのは。

 何時からだろう、笑顔が癖になったのは。

 

 眼前で血だまりに伏した男。 沈んだ気持ちを振り切ろうと、虎徹を思い切り振り上げ、心臓を目掛けて振り下ろした。

 

 次の瞬間、唐突に景色が切り替わり、僕は思い切り地面を突き刺す事になったのだが。

 

 周囲を見渡すと、左手で本を開きながらこちらへ歩いて来る男が見えた。 後ろには喫茶店で見た金髪の男。 ―――やっぱりアンタらグルだったんかーい!

 内心で叫びつつも、決して顔には出さない。 それがこの十年で学んだ一番の処世術である。

 

「…クロロか」

 

「すまないが、そいつを殺される訳にはいかないんだ」

 

「そうか、構わないよ。 …一応言い訳をさせてもらうと、彼から仕掛けて来たんだ」

 

「ああ、知っている。 その事についてとやかく言う心算は無い」

 

 団長さんが目くばせすると、物陰から女の子が飛び出て来て、瀕死状態のサムライを何か凄い勢いでコネコネし始めた。 て云うか腕くっ付けようとしてる? シュバババ!とか擬音が聞こえて来そうな動きだ。

 

「それで、ノブナガはどうだった?」

 

「強かった。 …これはお世辞じゃ無く本音だよ。 一つ間違えれば僕がこうなっていても何ら不思議では無かった」

 

 団長を見る。 どうやら回答がお気に召したらしく、くつくつ笑っていた。 

 

「そうか、後で伝えておくよ。 …それはそうと、クリード」

 

「…何かな?」

 

 びっくーん! 背中が跳ねかけました。 こそこそ逃げようとしてたのがばれたか!? 

 

「禁忌術、読み終わった。 続きを貸してくれ」

 

 

 僕は今度こそ崩れ落ちた。 

 

 

 




幻想虎徹(イマジンブレード)

LV1  具現化系+変化系

柄に刻まれた神字で補助する事で不可視の刃を具現化する。 
刃の切れ味と耐久力は変化系の習熟度に比例する。 
刃の伸縮は原作通りなら80mまで可能だが、この作品のクリードは最大で約30mまで。 
伸縮する長さに応じてオーラの消費量が増大する。
刃は如何なる手段を持ってしても視認する事は出来ない。(クリード自身も含まれる) 

制約:刃が破損した場合、破損の度合いに応じてクリード自身にダメージがフィードバックする。 修復が不可能な程に完全に折られた場合、死亡する。 

また、柄に刻まれた神字が破損した場合、修復するまで刃を具現化する事は出来ない。

この作品ではこんな感じの能力です。


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昔の話
6.ピエロがみんな、こうじゃない。


タイトルはあれだけど結構重要な回、の筈。


【Ⅰ】

 

 

「……ここか」

 

 空を貫かんばかりに聳え立つ巨大な闘技場。仰ぎ見る様に一度見上げた後、少年は闘技場の入り口、参加者受付を目指して歩いて行った。

 

 

「すまない、参加者として登録したいのだが」

 

 鈴の鳴る様な透き通った声。

 釣られる様に顔を上げれば、登録用紙を手にした絶世の美少年が其処に立っていた。 

 まるで有名な彫像や絵画からそっくりそのまま抜け出て来たかのような、完成された美を見ている様だと受付担当員のリリィは思った。

 見蕩れるとは、きっとこういう事なのだろう。少年から漂う妖艶な雰囲気に否応なく心が乱され、呑まれていく。

 

「……すまない、登録を」

 

「っ! あっ、はい、登録ですね! 登録。……少々お待ちください」

 

 動揺しながらも、用紙に記入された参加者の情報をサーバーへ送信し、登録を完了させる。

 ……15歳、出身はヨークシンの郊外。武道歴は五年、名前はトレイン・ハートネット。 

 

 数分程掛けて出来上がった書類、そして注意事項を纏めた紙を手渡す。一日に何十、何百と繰り返したその動作なのに、動悸が止まらないのはどうしてか。

 

「……はい、出来上がりました。どうぞ」

 

 受け取った紙を暫らく眺めた後、少年は予選参加者の待合室へと消えて行った。

 

「ありがとう、お姉さんかぁ……ふふふ……うふふふふ……」

 

 虚空を見つめ、蕩けた表情を浮かべる受付担当員を周囲の人間が遠巻きにして眺めていた。

 

 

 

 予選の試合が行われている闘技場は異様な空気に包まれていた。

 

 半径20m程の石で造られた簡素なリング内には対戦者が二人。

 一人は上半身裸の筋骨隆々とした男。張り詰めた筋肉を誇らしげに膨らませ、周囲へポージングを決めている。

 対するもう一人はやや細身の美形の少年。薄い笑みを浮かべ、対戦相手の様子をじっと見つめている。

 極々偶に見られる女性や子供の参加者に対して、普段なら周囲の野次馬や他の参加者が雨霰の如く罵声を浴びせているのが常なのだが、今日に限って云うならばそれらは殆ど聞こえてこない。

 

 皆が揃って少年の発する異様な気配、魔性とも言える色気に惹きつけられていた。 その一挙一動に固唾を呑む。 

 

「武器の使用は無し、試合時間は十分。決定打が見られた時点で終了とする。――始め!」

 

 審判の声が響くと共に筋骨隆々の男が咆哮する。

 先手必勝とばかりに間合いを詰め、渾身の力を込めて剛腕を振りかぶると、少年の華奢な身体へ思い切り叩き付けた。

 一方の少年はと云えば、怯えているのか、または緊張しているのか。全く動く気配を見せない。 

 圧倒的な体格差、筋肉の量。

 全てに置いてどう見ても少年が劣っており、この時点で勝敗は決したと大部分の人間が強く確信した。 

 

 だが――

 

「がっ!? ぐわああああ!!」

 

 次の瞬間、悲鳴と共に地面に転がったのは男の方だった。振り下ろした筈の両腕は無残に圧し折れ、所々骨が飛び出している。

 側に立つ少年は始まる前と変わらず、薄い笑みを浮かべていた。

 

「そ、そこまで! 勝者、トレイン・ハートネット!!」

 

 周囲に居た観客の殆どが何が起きたか分からず騒然とする中、勝ち名乗りを受けた少年は一礼し、審判に指定された50階へ向かう為のエレベーターへすたすたと歩いて行った。

 

 

【Ⅱ】

 

 

「こんにちは♤ さっきの試合見ていて、キミに興味が湧いちゃったよ♡」

 

「……それはどうも。所で貴方はどちら様ですか?」

 

 ゆるやかに上昇するエレベーターの中、少年は奇術師の様なメイクをした男に絡まれていた。

 ねっとりとした視線が上から下まで少年の身体を嘗め回す様に上下している。

 

「う~ん、やっぱり僕が見込んだ通り、素晴らしい逸材だ♤ 僕の名前はヒソカって言うんだ☆ 宜しくね♡」

 

「……そうですか、僕の名前はトレインです。以後、宜しくしないで良いので僕に近づかないで頂けますか?」

 

 一通り観察して満足したのか、ヒソカの視線は少年の臀部で止まった。

 

「おやおや、手厳しい事だ♡ ……所で、キミの本当の名前は何て言うのかな?」

 

 少年の顔がほんの僅かだけ、驚愕に染まる。エレベーターのランプは50階を示し、扉が開いた。

 

「何の事やら分かりませんが、二度と僕の前に現れないで下さい。……不愉快です」

 

 

 少年の去って行く後姿を見ながら奇術師は悦に浸る。

 トレイン?は今までヒソカが見てきた数多くの果実の中でも、間違いなく最高級の素材だった。熟し切ったあの少年と殺し合うのを想像しただけで、血が滾る。痛い程に下半身が張り詰めていく。

 体術もかなりの物だが、特筆すべきはあの流麗で自然体な纏。彼は余程良い師に出会ったのだろう。

 あの歳で念をあそこまで修めているのはヒソカから見ても珍しく、それだけに将来が楽しみでならない。

 

「うーん、やっぱりいいね、最高の青い果実だ♤ ……ダメだ、興奮して来ちゃったよ♡」

 

 ――鎮めなきゃ。

 

 悍ましい表情を浮かべた奇術師を乗せて地獄の扉は閉じられた。

 天空闘技場で後に語り継がれる恐怖のエレベータードッキリ(命の危険的な意味で)の開幕である。

 

 この後、エレベーターを使う人間が激減した事は言うまでも無い。

 

 

【Ⅲ】

 

 

「トレイン・ハートネット、ですか」

 

 五年間の地獄を経て、漸く師匠に合格判定を貰い、最終試験として天空闘技場で経験を積んで来る様に言われた次の日の事だった。

 出発の準備を整え、いざ出かけると言う時になって言い渡された命令。

 

「そうです、闘技場での名前はそれを使う様にしなさい」

 

「別に構いませんが、どうしてそんな事を?」

 

「理由は二つ。貴方にはこれから私の跡を継いで、或る組織を率いて貰おうと思っています。組織の頭として、外部に漏れる情報を少しでも減らして置きたいのです」

 

「或る組織、ですか。……もう一つは?」

 

「私の様な転生者が万が一闘技場に居た場合、まず間違いなく貴方に接触してくるでしょう。それ自体は大いに歓迎すべき事ですが、貴方の容姿と名前は『知っている者』に要らぬ誤解を生みかねません」

 

「ああ、確かにそうかも知れませんね。最悪出会いがしらに襲われかねない、と」

 

「そう云う事です。今の貴方の実力なら早々後れを取る事は無いでしょうが、保険を兼ねてのその名前です、うっかり本名を喋ったりしない様にしなさい。……最後に一つ、稼いだお金は無駄遣いしない事」

 

 

――― 

 

―――――――――

 

――――――――――――――――

 

「トレイン・ハートネット対ザンギオフ、始め!!」

 

 

 審判に名前を呼ばれ、現実に戻って来る。

 駄目だ駄目だ、言いつけ通りしっかりと相手の動きを見て観察しなくては。

 相手は筋肉100%のパンツ一丁なおじさんか。 ……何と云うか胸毛が凄い、もっさりとかいう次元じゃない。文字で表すならわっさーて感じだ。 わっさー。 駄目だと分かっていてもついつい見てしまう。 

 僕が胸毛を観察しているのに怒ったのかどうかは分からないが、おじさんは熊みたいな雄たけびを上げながら突進して来た。

 何と云うか、今からアームハンマーしまーすみたいなポージングで走って来る。

 フェイントに気を払いつつ両腕の振り下ろし攻撃に合わせて手を添え、力の方向を地面へ受け流す。 ――良し、成功だ。

 

 ……成功したのは良かったが、上手く行きすぎておじさんの手がバキバキになってしまった。何と言うか、ごめんねおじさん。そんな心算ではなかったんだ。本当に。

 周囲の観客とか順番待ちの人もドン引きしてしまった様だ。 …止めて、そんな目で見ないで。

 

 気まずい、早く此処から逃げ出したい。

 その一心で勝ち名乗りの後、僕はエレベーターへ直行した。しなければ良かった。

 

 

 そそくさと入り込んだエレベーターの中には世界レベルの変態が待ち構えていたからだ。 

 

 無情にも閉じられるエレベーターの扉。にやけるピエロ。震える僕。 

 

 原作での主人公の名前を使っておけば、出会いがしらに襲われる確率は減るだろう。

 そう言われてやって来た天空闘技場だが、初日が終わる頃には僕はもうホームシックに罹っていた。

 缶ジュースをチビチビ飲みながら涙を堪える僕(15歳)

 

 本当、何なんですかねあのクレイジーなピエロさんは……。予選の時からやけにねっとりした視線を感じると思っていたら、ピエロさんが何か凄いにやにやしながらエレベーターで待ち構えて居られました。

 興奮するじゃないか・・・♡ とか言いながら尻をガン見された時にはヤバかった。もうよっぽど虎徹でエレベーターをぶった切って逃げようかと思った位である。よく耐えたな自分。偉いぞ自分。 というかさっそく名前バレしているし。 

 

 ……おかしい、あんな変態はブラックキャットの原作には居なかった筈。居ないだけで存在していました、とか? それにしてはキャラが立ちすぎだろ……。

 

 嗚呼、あの修行地獄に帰りたいと思う日が来るなんて夢にも思わなかった。

 

 

 

【Ⅳ】 

 

 セフィリア・アークスは俗に云う転生者である。しかし、彼女は神を見た事は無い。

 物心がついた頃には自分の姿と名前が『誰』のものなのか、前世の記憶を完全に思い出していた。しかし、成長すると共にセフィリアは自分とこの世界の齟齬に気付かされる事になる。

 

 私が前世で読んだ漫画【ブラックキャット】の中のキャラクター【セフィリア・アークス】だと云うのなら、何故この世界は【ハンターハンター】と云う漫画の世界其の物なのか。

 

 食い違う世界と自分。

 幾ら思考しても答えは出ない。 葛藤の末、彼女は決意した。 

 もし同じ境遇の人間が居るなら、会って話してみたい。もしかしたら答えを知っているかも知れない。もしかしたら私の様な転生者が世界の何処かに潜んでいるかも知れない。

 彼らを見つけるにはどうすれば良いか。……簡単な事だ、私がこの世界で知らない人が居ない程に有名になれば良いのだ。

 

 決意した彼女の行動は早かった。

 宝剣として代々アークス家に奉られていたクライストを持ち出し、毎晩毎夜何かに憑りつかれた様に素振りを続ける日々。日中は部屋に籠り、只管念の修業に明け暮れた。

 当然、親兄弟は唐突に変貌した愛娘に困惑する。奇行を止めさせようと幾度と無く説得し、暇が出来れば精神科へ連れて行った。その全てが徒労に終わった事は想像に難くない。

 

 16歳の誕生日。

 彼女は家を出奔し、程なくして後のA級犯罪集団と呼ばれるグループ【星の使徒】を設立した。 

 何故に彼女が原作で自分が所属していた【クロノナンバーズ】を作らず、敵の組織であった【星の使徒】を設立したのか、理由を知る者は誰も居ない。

 

 

 

 ――――そして彼女は、血の海の中、銀髪の少年に出会う。

 

 

 おまけ  原作のハンターサイト風 クリード君の紹介

 

 クリード・ディスケンス 

 

 年齢:不明 性別:男

 

 念能力:詳細不明  武器:刀(数少ない目撃者の報告では飾りで差しているだけとの情報もあり)

 

 A級犯罪集団【星の使徒】の実質的な首領だそうだが、姿・背格好・闘っている所を見た者は殆どいないらしい。 

 目撃者は女子供関係なく皆殺しがコイツ、そして星の使徒のモットーだそうだ。

 メンバーが全員特Aクラスの念能力集団を一人で束ねている所から、その実力は同等かそれ以上と考えるのが妥当だろう。

 半端な腕で挑むのは止めておいた方が賢明だぜ。死体を増やすだけだからな。

 

 数少ない生存者の話では、明らかに刀の届く間合いじゃあ無かった筈なのに、奴さんが剣を振り回した途端、隣にいた仲間の首がいきなりすっ飛んだとか。おっかねえおっかねえ!

 

 これはつい最近だが、かの著名なシングルハンターのT氏はクリードに挑んで返り討ちに合い、両手両足を失ったそうだぜ。可哀想にな。

 

 ……こいつは未確認情報だが、あの天空闘技場に五年程前、何と奴さんらしき人間が在籍していたという噂だ。 

 200階へ登るまでの試合、その全ての対戦相手を惨殺して勝ち進んだとか。降参する相手を執拗に痛めつけながら笑っていたそうだぜ。 

 

 他の星の使徒のメンバーの情報かい?一人に付き一億ジェニー頂くぜ?

 

 ⇒yes no



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7.やっぱりピエロは、そんなかもしれない。

【Ⅴ】

 

「そこまで! 勝者、トレイン・ハートネット!!」

 

 天空闘技場120階。俄かに歓声が巻き起こった。

 勝ち名乗りを受けたのは華奢な少年。倒れ伏した対戦者の男を一瞥した後、審判に一礼し、入場口へ歩いて行く。口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。

 

「あのガキ、これで登録してからここまで負けなしで120階だぜ」

 

「正真正銘の化け物だな、ありゃあ。おまけに対戦した奴は全員あの様だ、見ろよ」

 

 ――あのガキ、ワザとギブアップさせない様に痛めつけてやがるんだ。 

 

 視線を向けた闘技場の石畳の上では、手足が不自然に圧し曲がり、全身を血に染めた男が苦痛に悶えながら担架へ乗せられている所だった。 

 

「ククク……♡」

 

 

 この三か月程の間に、天空闘技場にまことしやかに囁かれる様になった噂が有った。

 

 曰く、悪魔に憑りつかれた少年が闘技場の参加者を嬲って楽しんでいる。

 曰く、以前から闘技場に出没していた道化師と少年は仲間であり、深い仲である。

 曰く、二人は素質の有る者を探し、玩具にする為に闘技場に居座っている。

 

 

【Ⅵ】

 

 

 エレベーターには余程差し迫っていない限り乗らない事にしよう。ドッキリピエロ事件の後にそう固く誓ってから半年程。

 僕は闘技場の利用者専用食堂で食事を取っていた。……ピエロと。

 

「すみませんヒソカさん、食事の邪魔なので消えて頂けませんか?」

 

 ピエロさんはテーブルを挟んで頬杖をつき、何がそんなに楽しいのか知らないがニヤついている。 

 

「ダーメ♤ 君が僕とやる約束をしてくれるまでは動かないよ☆」

 

(一体何をヤるんですかねぇ……)

 

「それは勿論、最高に気持ちいい事さ♡」

 

 そう言うとピエロさんはウインクを一つパチンと飛ばして来た。反応しても喜ばせるだけなので、僕は無視してエビフライにフォークをすぱんと突き刺した。

 お尻の辺りがざわざわするのは気のせいである。そうであってくれ。

 

この半月余り、僕が何処かへ行く度に彼?は後ろを付いて来る。それこそ試合の最中でも食事をしていても周辺を散策していてもだ。

 当然だが最初は全力で撒く事を考え、【絶】を使ったり人ごみに紛れたりした。

 ピエロさんは見た目に反してかなりの実力をお持ちの様で、その全てが無駄に終わったのだけれども。

 

 その対応が寧ろ逆効果である事に気付いてからは出来る限り無視を決め込んだ。それでも彼?は嬉々として後ろを付いて来る。

 突いて来るじゃない、付いて来るである。間違えてはいけない(戒め)

 

 そして、出来上がった現状がこれである。

 僕を中心に円を描いて半径10メートル。不可視の結界が張られているかの様に人が居ない、寄って来ない。……当たり前か。

 

 闘技場を歩いていると聞こえて来る僕の噂の数々。ピエロさんの妾だとかグルになって他の参加者を痛めつけるのを楽しんでいるのだとか、悪魔の子供だとかそれはもう散々である。

 

「所で、キミはどうして此処へ来たんだい? お金に困っているとかでは無さそうだけども」

 

「……経験を積む為です。修行はそれなりに積みましたが、対人の経験が不足しているとの指摘を受けまして」

 

 渋々と返事を返し、目玉焼きを口に放り込む。濃厚な筈の黄身の味と塩コショウの味を余り感じられないまま咀嚼し、呑み込む。

 ここ最近、目の前のストーカー変態奇術師の所為で食事を楽しむ余裕も無い。

 師匠も師匠だ。初日にピエロさんの恐怖に耐え切れず電話で泣きついた時に、気に入られたのなら殺される事は無いでしょうとか何とか良く分からない事を仰っていた。 

そして、取りつく島も無く一蹴されて、以後不通のまま。

 しかし、だ。どう繋ぎあわせてもこのピエロと師匠の接点が分からない。……まさか生き別れの弟という訳でも有るまいし。

 

 そこまで思考した所でピエロさんが黙っている事に疑問を持ち、顔を上げた。すっごい良い笑顔でこっちを見つめているピエロさんと目が合った。所謂満面の笑みという奴である。 僕は顔を背けた。

 

「それなら尚更ボクとやるのが一番だよ♡ キミほどの素材は滅多に居ないからね。手取り足取り教えてあげるよ♦」

 

「結構です、十分間に合っておりますのでお構いなく」

 

 本当に? そう言わんばかりのピエロの視線が僕を見ている。……まあこれだけべったりなら見抜かれているよなぁ。

 

「……はぁ、確かにここの参加者の皆さんは凄く脆くて、力を抜いている心算でも必要以上に怪我を負わせてしまったりとかは有りますけど」

 

 これは事実だ。言いつけ通り、多種多様な格闘技の動きを観察して盗もうと一生懸命至近距離で眺め倒し、隙あらば合気道の真似事で反撃しているのだが、どうにも手加減という奴が上手く行かない。

 

 そもそもの話、この五年の間で殆ど師匠としか戦闘経験が無いのが問題なのだ。格上の相手としか立ち会っていない所為で、いざ格下と相対した時に力が入りすぎたり、または抜き過ぎて立ち上がって来られたり。

 そんな事を繰り返している内に上記の心無い噂が広まっていた。何て事だろう、こんなに心優しい少年はそうそう居ないと云うのに。

 

 この状況から抜け出す方法は只一つ、一刻も早く師匠に言われた条件-闘技場200階クラスで一勝する事。

 だが、ここで問題が発生した。風の噂で聞いた話によると、200階の皆さんは効率よく勝ち星を得る為に談合だとか八百長だとかでごりごりに固まっており、確実に勝てる相手か脅して填められる人間しか対戦を組まないらしい。ソースは目の前で豚汁を啜っているピエロさん。

 そう云う事に興味が無い――つまり何も知らず200階に上がって来た人間は、大抵200階に上がって来た瞬間に念の洗礼を受けて再起不能になるか、ピエロさんに味見(意味深)されて闘技場からお別れする羽目になるのだそうだ。一応ピエロさんは才能を感じたら殺さないらしいけれど。

 

「つまり、貴方と戦う以外で対戦者を探して200階で勝利するのはかなりの時間を要する、と」

 

「そういう事☆ というか、ボクを一番目の相手にしてくれないと駄目だよ?」

 

 何故? と聞くと、豚汁をずずずと啜ってピエロさんは席から立ちあがった。 

 

「ボクを差し置いて他の奴と戦おう何て事をされたら、嫉妬して200階に居る奴ら纏めて皆殺しにしちゃうかも♡」

 

「……それは困りますね、僕と試合する人間が居なくなります」

 

「……200階で待ってるよ」

 

 早く上がっておいでね、あんまり待たせると雑魚で暇潰ししなきゃいけなくなるから☆ 

 

 物騒な事を朗らかに告げ、去り際にウィンクをもう一回かましてピエロさんは去って行った。僕は頭を抱えた。

 

 

【Ⅶ】

 

 

「さあ始まりました世紀の一戦!! ここまで四勝一不戦敗、勝ち試合は全て対戦相手を惨殺して来た狂気の奇術師、ヒソカ!!」

 

 歓声が沸き起こる。リングの中心、其処にヒソカは立っていた。その佇まいからは何も読み取る事は出来ない。 只、今までと違う点を挙げるとするならば、瞑目し腕組みをしている奇術師の姿は物珍しく、観客の目を引いた。 

 

「対するは若干15歳の美少年、トレイン・ハートネット!! ですが侮る事無かれ、実力は折り紙つき!! 何と彼は200階に上がるまで一度のダウンも無く、有効打の一発も喰らっていない、文字通りのパーフェクト試合を成し遂げ、此処に現れました!! 対戦相手のヒソカ選手とは只ならぬ間柄との噂も有りますが、其処の所はどうなんでしょうか、私も非常に気になる所です!!」

 

 奇術師の視線の先、少年が姿を現す。

 薄い笑みを浮かべたまま、街中を闊歩するかの如く無造作に歩いて来る姿を見て、劈かんばかりの大歓声が響き渡る。惨劇、もしくは番狂わせを期待する声と少年に対する黄色い悲鳴が半々と云った所だろうか。

 少年がリングの中央に辿りついた時、ヒソカの瞼がゆっくりと開かれた。 

 

「逃げずに良く来たね、待ってたよ♡」

 

 言い終わると同時、待ちきれないと言わんばかりにヒソカから濃密なオーラが溢れ出る。ドス黒い欲と狂喜に彩られた、悍ましいと呼ぶ事すら烏滸がましい“ソレ”がざわざわと周囲の空気を蜃気楼の様に揺らめかせ、審判を、少年を呑みこんで尚飽き足らず、円形のリングを余さず包み込んで行く。

 【念】が分からずとも、ヒソカから放たれる圧倒的で異様なプレッシャーを感じ取った観客は揃って少年を見た。

 この粘りつく様な重圧を至近距離で受けてしまってはとても試合どころでは無いだろう、と。

 

 果たして少年は――。

 

「わ、笑っていやがる……!」

 

 少年は笑っていた。よくよく見れば何時もより口角が上がっているのが見て取れた。にこやかにほほ笑むその端正な顔立ちに観客の女性達から黄色い歓声が飛ぶ。

 臆する所か余裕を持って自分を見るその顔に気を良くしたのか、心の底から楽しそうに道化師も笑う。

 

「くくく……! いいね♤ ……さあ闘ろうか♡」

 

「10カウント、10ポイント制、始めッ!!」

 

 審判の宣言と共にヒソカの掌が下から上へクイクイと動いた。 

 

「ハンデだ☆ 先手はあげるよ♡」

 

「……では、遠慮なく」

 

 透き通った鈴の様な、何所か甘い響きを持った声が闘技場に響き渡る。次の瞬間、少年の姿が蜃気楼の様に霞み、掻き消えた。

 闘技場の360°を埋め尽くしたほぼ全ての観客が少年を見失う中、ヒソカは背後の空間に向けて無造作に裏拳を放つ。 

 何も無い空間に向けて放ったと思われたその一撃は、しかし少年の額の中心を的確に捕えていた。

 一撃で勝負を付ける心算だったのか、少年の顔が驚愕に染まる。次の瞬間、少年の華奢な身体は盛大に宙を舞った。

 

「クリーンヒットォ!! ヒソカ2ポイント!!」

 

 歓声が地鳴りの様に鳴り響く。

 ヒソカは笑っていた。今の一瞬の攻防、トレインは裏拳を避けられないと見るや、自ら後ろへ飛びダメージを軽減していた。

 

「うーん、良い反応だ♡ 気配の殺し方や動きも野生の獣並みかそれ以上♤」

 

 待ち焦がれていた玩具の性能を確かめる様に、壊さない様に加減して放った一撃。けれどもこの闘技場レベルなら、大抵の人間がその一撃で終わってしまうのだが。 

 果たして少年は?と 見れば、どうやらその大抵の中に入る人間では無かった様だ。口の端を切ったのか、ペッと血を吐きだして。しかし、大したダメージを見せずに立ち上がって来た。

 

 埃を掃いつつ立ち上がった少年。

 試合続行を確かめる審判の問いに表情を変える事無く頷いているのを見て、ヒソカは快感と愉悦に口角が吊り上るのを抑えるのに苦心していた。

 思っていた以上に、ずっと楽しめそうだ。 

 

「良かった♡ まだまだ壊れるには早いからね♤」

 

 さあ掛かっておいで、ボクを楽しませておくれ。

 

 誘うような言葉に少年は溜息を一つ漏らした。

 

「少し、侮っていました。……使わせてもらいます」

 

 そう言って少年は腰に下げていた刀を引き抜いた。晴天の陽を浴びててらてらと光る《それ》を見て、極上の獲物を目の前にして愉快そうに微笑んでいたヒソカの顔が急激に歪み、怒りに染まる。

 当然、観客には何故奇術師が急に怒り出したのかが理解できない。この場でその理由を知るのは対峙している二人のみである。

 

「……違う、《それ》じゃ無いだろう? キミの本気を見せなよ」

 

 凄まじい形相で凄むヒソカ。その悍ましさは、安全な場所で見物している筈の観客達にさえ途轍もない恐怖を抱かせた。現に泡を吹いて卒倒する者、恐怖に怯える余りに闘技場から逃げ出す者が続出している。

 しかし、至近距離で対峙している少年の表情には怯えも恐怖も見られない。それだけで彼が如何に異常な精神をしているかを観客達は否応なしに理解した。

 

「お断りします、こんな衆目に晒される場所で《使う》気は有りません」

 

 溜息を一つ吐いて、少年はにべも無く言い放った。  

 

 ――怒髪天を突く。

 

 憤怒と云う物を分かり易く具象化したならば、きっと今のヒソカの様な顔を指すのだろう。

 唇が醜悪に歪み、ギリギリと歯ぎしりが零れる。無造作に撒き散らされるオーラに当てられて、足元の石盤がピシパシと軽快な音を立てて罅割れて行く。

 

「……そうかい、じゃあ今度はこちらから行くよ」

 

 忠告だ、キミが死ぬ前に《使う》事をオススメしておこう。言葉と共に奇術師が駆ける。狂気の表情を浮かべ、地を這う獣の様に異常に低い姿勢で駆ける。

 距離を取ろうとしてか、大きくバックステップをしようとした少年。しかし、突然にその体勢が崩れた。――不自然に。

 

 必死に体勢を立て直そうとする少年。だが奇術師がその隙を見逃す様な愚を犯す筈も無く、丸太の様な足から繰り出された蹴撃が側頭部へ吸い込まれていった。

 

「ク、クリーンヒット!! ヒソカに3ポイントォ!!」

 

 何度もバウンドし、石盤を深く抉りながら吹き飛ばされた少年を見て、観客は強く死をイメージし、解説者は絶叫し、審判はKO宣言で試合を止めるか否かを思考する。

 

「立ちなよ、【凝】でガードしていただろう?」

 

 そう言いながらヒソカは右腕を後ろへ引く。するとその動きと連動する様にして少年が立ち上がった(様に観客には見えた)。

 

「やれやれ、休む暇も与えてくれませんか」

 

 慌てて掛け寄る審判を手で制す少年に目立った怪我は見て取れない。擦り傷と打撲痕が数か所程。凄まじい勢いで石盤に叩き付けられたにしては、明らかに割に合わない程度の怪我だった。

 

「ボク相手に寝たふりとは、命知らずな子だ」

 

 攻撃を加えた事で幾らか溜飲が下がったのか、ヒソカの表情は幾分か和らいでいる。それでも悍ましきに過ぎる事に変わりは無かったが。

 

「……それが貴方の【念】ですか」

 

 ヒソカの右腕から伸びたオーラ。それが自分の頬にくっ付いている事に気付いたのか、渋顔でぼそりと呟いた。

 

「その通りさ♡ 伸ばすも縮むもボク次第☆ これでもう君は僕から逃げられない……よ!!」

 

 パントマイムの様に、見えない何かを引っ張る様な仕草をみせる奇術師の右腕。だが少年は《それ》に引き摺られる様に少しずつ引き寄せられていく。

 

「……逃げられないなら、攻めるまでです」

 

 試合開始の時と同じく、一瞬で少年の姿が消える。 そして、次の瞬間には奇術師の左前方、上空に袈裟掛けに切り落とそうと刀を振り上げた姿が現れた。

 しかし、ヒソカが一歩後ろへ下がる事でその攻撃は空を切る。

 少年の動きに停滞は無い。 躱される事を予測していたのだろう。 地面に降り立つと同時に振り下ろした刀を構え直し、横一文字に振るいつつ更に距離を詰める。 そのまま流れる様に逆袈裟から上段振りおろし、片手平突き、身体を捩じるようにしての下段への切り払い。

 

 突如始まった少年の勇猛果敢な攻勢に興奮し、俄かに湧きあがる観客。その中に一人だけ、女性が座ったままで渋顔を作っていた。

 少年の猛攻は続いている。低くなった姿勢から頭部への刺突、仰け反る様にして避けた奇術師への鋭い足払い。更に距離を詰めつつ、斬撃の合間に徒手空拳を交えての激しい応酬。

 

「全く、呆れる程に馬鹿弟子ですね。あれ程私が口を酸っぱくして未知の相手と戦う時は【凝】を怠るなと教えたというのに……」

 

 右へ、左へ、嵐の様な斬撃を紙一重で躱しつつヒソカは心中で唸る。

 

(本当に大した子だな♡ 多分闘技場の売店で投げ売りされていただろう適当な刀でここまでの動きが取れるとは、ねえ)

 

 予測でしかないが、恐らく少年が普段使っている刀はとても軽いのだろう。それこそ少年の体格でも余裕を持って片手で扱える程に。

 身に沁みつく程に使い込んだ刀を振るう動きに慣れきっている所為で、何時もと違う武器とそれを使用する人間の間に微妙な齟齬が生じている。

 と言っても、百戦錬磨を鼻で笑える程の経験を積んだ強者であるヒソカだからこそ気付く事の出来る本当に微かな差なのだが。

 ヒソカが少年の熾烈な攻撃を余裕を持って躱せている理由が其処に在った。 

 

「……名残惜しいけれど、そろそろ終わりにしようか☆」

 

 少年の現時点での全力は堪能出来た。これ以上は止めて置こう。……これ以上は、殺しちゃうから♡

 

 そんな身勝手な思考のままにヒソカは左腕を振り下げる。その瞬間、少年の持っていた刀がすっぽ抜ける様にして宙を舞い、石盤に深くめり込んだ。

 

「【隠】……!」 

 

 呆然と呟いた少年。次の瞬間、その顎を奇術師の拳が突きあげる様に捕えていた。

 

「油断大敵だよ♡」

 

 高々と宙を舞い、三度石盤に叩き付けられた少年。 しかし、今度は早々に立ち上がる事は無かった。素早く審判が駆けより、戦闘不能を宣言する。

 

「トレイン戦闘不能! よって勝者、ヒソカ!!」

 

 地鳴りがする程に沸き返る闘技場。倒れ伏した少年を見下ろして奇術師は呟いた。

 

「くくく……! 中々楽しめたよ、もっと強くなって次は本当の武器を持っておいで☆ そうしたら二人きりで心行くまで殺し合おう♤」

 

 彼はまだまだ強くなる、それこそ下手をすれば自分を逆に喰らいかねない程に。ヒソカはその時が楽しみで仕方が無かった。

 

「くくく、あはは、あーはははは……!!」

 

 

 

 奇術師が去った後の闘技場。

 

 クリードはゆっくりと目を開けた。 周囲の気配を探り、変態が居ない事を確認して大きく息を吐く。

 

 

「い、生きてる……! ああ、生き延びたぞ……!!」

 

 やった、やった! 顎とか頭とか、いろんな所が涙が出そうな位にすっごい痛いけれど生きているんだ、何て素晴らしいのだろう。 ……ピエロさんが手取り足取り教えてくれるとは何だったのか。

 

 上半身を起こし、周囲を見渡す。 

 変態と死闘を繰り広げた僕に暖かい言葉を投げ掛けてくれる観客の中。その中に一人だけ、此方を睨みつけているブロンドの女性と目が合った。彼女の口が開き、ぱくぱくと動く。

 

「しゅ・ぎょ・う・や・り・な・お・し。……あああ、やっぱり死んだかも」

 



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8.独り言を喋る時は、後ろを振り返ってからにした方が良い。

過去編そのニ

ハンター世界のジャポンって想像しづらい・・・。 
書いてて某デレマスの蒼担当の娘が浮かんでででで



 

【Ⅰ】

 

 

 私は孤独だった。家にも学校にも居場所は無かった。

 私は強かった。孤独を耐えられない子供では無かった。

 私は空虚だった。朝起きて、テーブルに置いてある買い置きのパンを齧り、学校へ行き、教師の放つ言葉の羅列を聞き流し、下心と打算を隠そうともせずに親しげ風に話しかけてくる級友達を適度にあしらい、灯りの無い家へ帰って寝る。

 

 そのサイクルの繰り返しが私、キリサキ・キョウコの全てだった。

 

 

 きっとこのまま、空っぽのままで大人になり、老いて死んで行くのだろう。

 

 ――ああ、私の人生の何とつまらない事か。

 

 その日も変わらない朝だった。 

 味気の無いパンを適当に齧り、屑籠に放り込む。そして、何時もの様にバス停で学校へ行く為のバスを待っていた。

 

 つまらない、下らない。 いっその事、一思いに死んでしまおうか。

 

 其処まで考えた所でスクールバスが向こうからやって来るのが見えた。ぼんやりした頭のまま、さっさと乗り込もうと乗り場の一番前に出る。

 唐突に響き渡る年上の女性の甲高い悲鳴。

 ひったくりか何かかな? と視線を左右に巡らせた。 

 そこで漸く私は対向車線のトラックが車線をはみ出してこっちへ向かって来ている事に気が付いた。右へ左へ、明らかに蛇行運転だ。

 

 運転席を見ると、運転手らしき男性が前のめりに俯せていて、操縦者を失ったトラックは暴走する凶器と化していた。

 ゆらゆらと揺れながら猛烈な勢いでこちらに近づいて来るトラックを見て、私は安堵感さえ覚えながら目を閉じる。

 

 ...何だ呆気ない、これで終わりか。

 

 次の瞬間、私は鉄の塊に勢い良く跳ね飛ばされ……ていなかった。

 温かくて柔らかい物に包まれる感触、柑橘系の甘い匂い。そして、少しの浮遊感。 

 暫くの間身構えていたが、跳ねられたはずなのに幾ら待っても痛みが襲って来ない。 

 

「キリサキ……キョウコ?」

 

 男の人の声だった。 ……名前を呼ばれた? 恐る恐る目を開けると、顔面数センチ、超至近距離に男の人が居た。

 光に透ける様なサラサラの銀の髪。TVで騒がれているアイドルみたいな、ううん、そんなのとは比べ物にならない位に整った顔。

 

 落ち着け私、ときめいている場合じゃない。状況から考えるとこの人が助けてくれたと考えて間違い無い筈。 とにかくお礼を言わなくちゃ。

 

「あ、ありがt」

 

「うん、怪我は無いみたいだね。……すまない、急いでいるんだ」

 

「え……? ちょ、ちょっと!」

 

 それだけ言うと男の人はスーツに付いた埃を掃いながらすたすたと立ち去ってしまった。まさかまさかの放置プレイである。

 

 座り込んだまま、茫然自失状態の私。

 此方へ近づいて来る救急車の音がやけに空々しく響いていた。

 

 

 幸い擦り傷も打ち身も無かったので、次のバスに乗ってそのまま学校へ。 サボる事も考えたが、どうせ他にやる事は無い。

 結局の所、時間を浪費するには学校が一番だという事なのだろう。一応、登校がてら担任に連絡しておいたので問題は無い筈だ。 時間的にはホームルームの最中か。 

 

「すみません、事故で遅れました、キリサキで……っ!?」  

 

 集まるクラス中の視線。いや、其処じゃない。 

 担任の隣、とんでもないイケメンが其処には居た。……というかどう見てもさっきの男だった。 何故か黒髪のウィッグを付けているけど。

 暫くの間ドアを開けたままで固まっていた私だが、担任に急かされて慌てて席に座る。

 

 隣の席の女子生徒A(名前忘れた)が執拗に話しかけて来るのをシカトして、教壇で自己紹介をしているあの男の情報に集中する。

 

 教育実習生、帰国子女。 嘘くさい、て云うか絶対嘘だ。 大体今は六月のど真ん中、この時期に実習に来る人間何て居る訳ないじゃん。

 

「栗井・ディスケンスです。短い間ですが宜しくお願いします」 

 

 そして狙った様なキラースマイル。 芸能人かっての。次の瞬間、割れんばかりの黄色い声が教室を埋め尽くした。 五月蝿い、耳が痛い……。

 

 ホームルームが終わるとあの男、栗井さん(仮)は早速女子達に囲まれていた。

まあ当たり前か、ガキばっかりの所にいきなりあんな大人のA級イケメンを放り込まれたら騒ぐのも無理はない。

 当然、私はその喧騒の外で一限の開始を待っている。彼に聞きたい事は沢山あるけれど、あんな所に入って行くなんてまっぴらごめんだ。

 

 窓の外をぼんやりと眺めていると、何処からか甘い匂いが漂って来た。……この匂い、つい最近何処かで嗅いだ様な気がする。 シャムフローズンの最新の奴かな? とか考えているといつの間にか教室はしんと静まり返っている。

 いきなり訪れた静寂を疑問に思い、視線を前に戻すと件のイケメンが私の机の前に立っていた。

 

「……私に何か用ですか?」

 

「いや、大した事じゃないよ。キリサキ、君? ……今朝の事故について、少し話を聞かせてもらってもいいかな?」

 

「怪我が無かったから問題ないのでしょう?」 

 

 少しばかり皮肉を籠めて言ってやった。栗井さん(仮)は顎に手を宛てて、ん~、実はそこじゃないんだけどなあ。 とか何とかぼそぼそと小声で呟いている。

 

「……まあ良いか。そんなに急ぐ用でも無いから放課後で良いよ」

 

「? はぁ、分かりました」

 

 私がそう言うと彼は教卓へ戻り授業の準備を始めた。 再び群がる女子達の半分。 舌打ちする男子共。 

 

 ...そして私は残りの女子達に囲まれていた。

 

「キョウコちゃん、あの人とどういう関係なの?」

 

 そんなの知らないっつーの、むしろこっちが聞きたいわ。

 

「知り合い? 親戚とか?」

 

知り合いなら紹介しろって顔からダダ漏れしてますよ?

 

 鬱陶しさに耐え切れず盛大に溜息を吐く。 

 

 ……あれ? 事故の時が栗井さん(仮)との初対面の筈でしょ? 私、あの人に名前教えて無いよね?

 

 

 鞄の中でブルブルと携帯が振動し続けている事に私は気付けなかった。

 

 

【Ⅱ】

 

 

 早朝、四時半。けたたましく鳴り続ける携帯の音で目が覚めた。

 ……こんな朝早くに誰だ、マナーの無い。

 覚醒しきらない頭で携帯の画面を見て、ベッドから転がる様にして飛び起きた。

 

 震える手でボタンを押す。……南無三。

 

「おはようございますクリード君、君が電話に出るまで35秒も掛かりました。35秒もです」

 

「い、今は朝の四時半ですが……」

 

「あらあら、何時の間に君は私に口答えできる程、偉くなったのですか?」

 

 これはまた、近い内に実力が鈍っていないか確かめておかなければなりませんね。 

 ひうん、ひうん。 電話の向こう側から聞こえて来る師匠の愛剣が風を切る音。怒っている、大魔王は大層お怒りの様だ。

 修行時代のトラウマがフラッシュバックし、頭の中が急速にクリアになっていく。

 

「ひぃぃ……!! し、師匠、それより電話を掛けて来られたという事は何か用事が有ったのでしょう?」

 

「ああ、そうでした。いきなりですがクリード君、貴方にはジャポンという島国でハイスクールの教師をお願いしたいのです」

 

「……すみません師匠、仰られている意味が分かりかねますが」

 

「おや、文字通りの意味ですが。クリード君、まさかハイスクール程度の授業を教える自信が無い等と戯言を吐く心算ではないでしょうねえ?」

 

「いえ、滅相も無い。……只、後学の為に教師をやって来なさいと云う訳では無い……ですよね?」

 

「ええ、当然です。貴方にはもう一つ、任務を与えます」

 

「……成程、了解しました。ちなみに、何時から何時まで教師として勤務する予定なのでしょうか?」

 

「今日から数えて一月です、その間に任務を達成しなさい」「……はい?」

 

「聞こえませんでしたか? 今日からですよ? ちなみにホームルーム開始は九時からなので、遅くとも八時にはあちらへ着いておきなさい。……書類やその他諸々は私が書いてあちらに出して有りますのでご心配なく」

 

「……師匠、僕が今何処に居るか知っていますか?」

 

「はい? そんな事を知る訳がないでしょう。君は私を何だと思っているのですか」

 

「(怪獣を超えた超獣を超えた宇宙怪獣辺りですかね)はあ……。師匠、時間が無いので失礼します。進展が有ればまた連絡しますので」

 

「ええ、朗報を期待しています。――そうそう、これが一番大切な事ですが、お土産をちゃんと買うのですよ?」

 

「雪○大福抹茶味……ですよね?」

 

「覚えていましたか。当然ですが箱単位でお願いします。後、怪獣ならベムスター一択です」

 

 溜息と共に電話を切って時計を見る。

 現在の時間、午前五時を少々過ぎた所。このホテルから最寄りの空港まで約一時間。そこからジャポンまで高速便で約二時間か。……成程、つまりは。

 

「初日から遅刻確定じゃないですか師匠……」

 

 

 そして午前八時、僕はジャポンへ降り立った。 

 ジャポンはこれで二度目になるか。感慨に耽る間も無く、空港から出るや否や全力で走る。

 

 セフィリア師匠との厳しく辛い修行(拷問)の成果がここで遺憾なく発揮された。

何かもう下手に車とか使うより自分で走った方がよっぽど早い。

 

 そもそも重石を全身隈なくガチガチに装備して朝から晩までフルマラソンさせられたあの夏の日に比べれば、この程度の距離は走った内にも入らないのである。

 少しでもペースを落とそうものなら、音速を超えた居合い突き、通称マッハ突きが容赦なくびゅんびゅん音を置き去りにして背後から飛んで来たあの日。

 師匠は無茶振りの達人だった。正面からでも殆ど視えないのに背後から放たれてどうやって避けろと。

 

 地獄の修業時代を回想しながら走る事二十分弱。FAXで送られて来た資料に有った、勤務させてもらう学校の制服がぽつぽつと目に付き始める。

 生徒に笑われそうだしそろそろ走るのは止めておこうかな。そう考えて若干早足で歩く。

 バス停の前に差し掛かった時、乗り場の先頭に立っている一人の少女がふと目に付いた。 何の変哲も無い女子高生だが、何故か気になったのだ。 何処かで見たような気がする。

 

 ――何処だ?

 

 思い出そうと足を止めた次の瞬間、前方からトラックが猛烈な勢いで蛇行運転しつつ此方へ暴走して来るのが見えた。

 誰かの悲鳴。タイヤがアスファルトを削る音。 

 運転手を見る。運転席に凭れ掛かる様にして意識を失っていた。

 

 ……いや、あれは死んでいるな。

 

 トラックの進行方向に目をやると、ドンピシャのコースに先程の少女が居た。恐怖に固まってしまっているのか、逃げる素振りの全く無い少女。

 

 まずい、このままでは跳ね飛ばされる!

 

 舌打ちしつつもスーツの内側に忍ばせていた虎徹を抜き打ちでトラックの前輪二つへ放つ。 次いで納刀の勢いを利用して遠心力を付けつつ、氣を集めた回し蹴りを全力で車体へブチかます。衝突コースがずれたのを確認して、少女を抱えて歩道へ飛び下がった。

 

 ……ここまで0.7秒か、大分鈍っているな。師匠が見ていたらきっと小一時間ほど説教されるに違いない。 ……見ていないよね?

 

 着地から数秒遅れてトラックは横倒しのまま標識に衝突し、轟音と共に停止した。

 

 未だに衝突の恐怖を堪えているのか、固く目を瞑ったままの少女を真正面から見据える。

 ……思い出した、彼女の名前はキリサキ・キョウコ。かの原作で星の使徒に所属していた女の子だ。

 

 赴任初日でこの出会い。

 若干、いやかなり作為的な匂いがするものの、まさかまさかの邂逅に驚きを隠せない。

 混乱する僕を尻目に恐る恐ると云った感じで開かれる眼。 そして、少女と僕は真正面から見つめ合う。

 

 ……待て、良く考えるとこの状況、凄まじくまずいぞ。事故を見ていない第三者からみれば、今の僕は公衆の面前で女子高生とゼロ距離で抱き合っている変態にしか見えない。 現に周りの人間がざわめき始めている。

 

 (リア充爆発しろ)(イケメン杉ワロタ)(通報しますた(^Д^b))(……恐ろしく速い居合い抜き、俺でなきゃ見逃しちゃうね)

 

 手早く少女の状態を確認する。擦り傷無し、打撲も見た所大丈夫そうだ。――良し、逃げよう。

 キリサキさん(仮)が何か言いかけていたが、今はこの場から逃げるのが先決である。

 

 くりーどは、にげだした!

 

 

「……何アイツ、邪魔されちゃった」

 

 

 

 すたこらさっさと逃亡して早歩きで歩く事暫し。

 校門が目に入った時、僕は気が付いた。さっきの少女の制服、この学校のじゃないか……。

 

 まあしかし、担当するクラスが被っていなければ問題無いだろう。……ここで立ち止まっていても仕方が無い。 気を取り直して何時ものように営業スマイルを張り付ける。

 

 守衛さんに会釈をして、今日から勤務する事になった旨を伝えた。 内線で確認を取って貰っている間にカバンからウィッグを取り出し付ける。

 

 ジャポンは基本的に黒髪が基本であり、銀髪は目立つので避けた方が良いとの師匠の助言である。登校している生徒を見ると確かに黒髪が殆どで、まれに茶髪がちらほらと見える位。確かにこれでは僕の銀髪は悪目立ちするに違いない。

 

「師匠も偶にはまともな事を言うものだな……」

 

「おや失礼な。私は何時でもまともな事しか言っていませんよ?」

 

 がばりと前を向いた。

 見覚えの有るブロンドの金髪。 聞き覚えの有る艶っぽい声。対峙する者を竦ませるこの威圧感。

 

「嘘でしょう、ええ~……」

 

 我が愛しの師匠、セフィリア・アークスが其処に居た。

 

 ……いや、貴女確か電話口でお土産がどうとか言っていませんでしたっけ?



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9.考え事をする時は、前方を確認してからにした方が良い。

 

【Ⅲ】

 

 

「……では今日から教育実習生という形で、栗井さんには一年の特進クラスで担任のサポートを宜しくお願いします」

 

「了解しました。一ヶ月と云う短い間ですが、お世話になります」

 

 実習生という教わる立場の癖に、初日から朝の職員会議に遅れて突入するという、ゆとり丸出しな行動を取ってしまった僕こと栗井さん。

 

 それをさして咎める事もせず、懇切丁寧に注意点や留意すべき事柄を説明して下さった心の広い校長先生に深々と頭を下げて部屋を後にする。

 何故か校長先生の側に立っていた師匠と共に教室へ。

 ……あれれー? おかしいよね、二人共今日から勤務の筈なのに何この立場の差。

 

 それぞれの受け持ちである教室へ向かいながら、前を歩くセフィリア師匠……じゃない、先生を見る。

 伊達眼鏡を掛けて髪を後ろで括り、パリッと黒スーツを着こなした姿は贔屓目を抜きにしても見惚れる程に格好良いと思う。

 中身がそれを打ち消して御釣りがどばどば溢れ出る位に残念な事を知らなければだが。 ……つくづく勿体ない人だ。

 

「クリード君。……いえ、今は栗井さんでしたか、何か失礼な事を考えていませんか?」

 

「は、はい? まさかそんな事を考えているわけぎゃ、訳が無いでしょう? ……そんな事より彼女ですよ、彼女」

 

 振返った師匠にジト目で睨まれ、背中を冷たい物が伝う。 幸いにも一限の時間が迫っている為か、それ以上の追及は無かった。

 

「キリサキさんですね? やはり《こちら側》の可能性が高いですか?」

 

「ええ、自覚は無いようですがそう考えて間違いないかと。それともう一つ、今朝のトラック事故の件ですが、運転手は念を使われていた可能性が高いと思われます」

 

「念。……意図的に狙われていた、と?」

 

「恐らくは、ですが。一瞬だったので少ししか見えませんでしたが、首筋に棒か針の様な物が刺さっていましたから」

 

「針……ですか」「おや師匠、何か心当たりが?」

 

「ええ、まあ。有ると云えば有りますが、無いと云えば無いですね」

 

 こんな風に歯切れの悪い師匠は珍しい。

 そう思ってじいっと見ていると、師匠はこほんと咳払いしてそっぽを向いてしまった。

 

「『彼』に依頼してまで彼女を狙う理由が思いつかないのが一つ。そして、わざわざ遠路遥々彼女如きに出張って来る三下でも無いというのがもう一つ」

 

 師匠の言う『彼』と云うのが誰かは分からないが、言葉から推測するに殺し屋か始末屋の類だろうか。 そこまで考えた所で予鈴が鳴り響いた。

 

 それでは私はこちらですので。

 カツカツと小気味良くヒールを鳴らし遠ざかって行く師匠を見送り、自分も気持ちを入れ替える。 深呼吸を一つ吐いて笑顔を張り付けた。

 

 

 ……あれ? 結局師匠は何で此処に居るんだっけ? 暇つぶし? あの人の事だからあながち外れてもいない気がする。

 

 

【Ⅳ】

 

 

 両親が、死んだ。

 

 

 イケメンに浮かれる女子と、同時に赴任して来たブロンド美女の話題で盛り上がる男子共でクラス中が持ちきりの昼休み。

 

 私は何時もの様に何時も以上の喧騒を避ける為に屋上に行き、しかし食事をする気にはなれなかった。 ……どうせ何時もと同じ購買のパンだけど。

 ……ショックだった。 ちっとも悲しいという感情が浮かんでこない自分に。

 何時かこんな日が来る事を心の何処かで覚悟していて、その知らせを聞いてからたった数時間でその言葉を受け入れて納得しかけている自分に。

 

 曲がりなりにも血の繋がった肉親にこれだ。幾らここ数年ロクに会話も交わしていないとは言え、ドライにも程があるだろう、私。

 

 警察署に言って話を聞いて来てくれた栗井さん(仮)によると、二人は難病や奇病専門の患者が集う病院の医者をしており、時折死体を譲ってくれと押し掛ける人体収集マニアの変態やら未知の病原菌を求めて脅迫を仕掛けて来るマフィアの対応に四苦八苦していた、らしい。

 そう言われると、確かに二人共お医者さんだった気がしないでも無い。

 

 そういえば、程度の出来事だが、一月ほど前に珍しく家に居た父と母が口汚く口論をしていた事を思い出した。 ……興味が無かったので余り真剣に聞いていなかったが、今になって思い返してみると辻褄が合う。恐らく今回の件について話し合っていたのだろう。

 

 何をする気も起きず、ぼんやりと空を見る。

 ポケットに煙草が有れば吸っていただろうなあ。……吸った事ないけれど。

 

 死にたい、生きるのが面倒臭いと思っている私が生きていて、自らの生を削ってまで人の為に生かそうと尽くし続けた彼らは殺された。何という皮肉か。

 

 ――そう、彼らは医者としての矜持を捨てなかった。脅迫に屈せず、決して譲らなかったのだ。 ……だから、

 

「だから殺された、ですか?」 

 

 後ろを振り返る。 匂いで分かっていたが、またしても彼だ。 朝の件も相まって段々と目の前のイケメンがストーカーに見えてくる。……違うよね?

 てっきり転落防止のフェンスにだらしなく凭れ掛かっていた私を咎めるのかと思ったが、彼は特に何も言わず隣に座った。

 

「すみませんねキリサキさん。一応クラス担当とはいえ、家族の事にずかずかと踏み込んでしまって」

 

 全然そんな事を考えていなさそうな口調と顔で栗井さん(仮)はコンビニの袋から取り出した携帯栄養食をちうちう吸っている。ハムスターみたいで可愛らしいとちょっぴり思った。

 

「良いですよ、気を遣わなくても。……そんな事少しも思っていない癖に」

 

「……キリサキさんは前世って信じますか?」

 

 脈絡の無さに思わず彼の顔を見る。 どうやら冗談を言った訳では無さそうだ。

 

「え~と、何かの宗教の勧誘ですか? それにしては随分と下手くそですけど」

 

 傷心の人間に付け込んで信徒を増やす。 良くTVで聞くやり方だ。

 

「ああ、聞き方が悪かったですね。……うーん、難しいなあ。もし、たらればの話になりますが、キリサキさんは『自分の姿や名前がそっくりそのままなキャラクターが漫画やアニメにされて世に出回っていた記憶』を思い出した事はありますか?」

 

「……ぷっ、何ですかそれ、もしかしてそれを放課後に聞こうとしていたんですか?」

 

 至極真面目な顔のままでそんな事を言うものだから思わず私は笑ってしまった。くすくす笑う私を置いて彼の独白は続く。

 

「僕はね、有るんですよ。そんな奇妙な『記憶』が」

 

「えっ?」

 

 

 

 ――それを思い出した時に僕は殺したんです。 ……両親を、この手でね。

 

 

【Ⅴ】

 

 

 報告が入ったのは一限の終わり際だった。

 担任の教師に急用で抜ける旨を伝え、足早に教室を後にする。 何故か顔を紅く染めていたのが気になるが、今はそれを気にしている場合では無い。

 曲がり角を過ぎた所で丁度巡回していた守衛のおじさん、では無くリンと合流する。

 

「……それで、どうでしたか?」

 

「結論から言うと、黒ですね。 脅しを掛けていたマフィアからゾルディックに依頼が入っています。……残念ながらキリサキさんの御両親は既に殺されてしまっていると考えた方が良いかと」

 

「ふむ……まず其処が分かりませんね、彼女の両親を狙うだけならば自分達で行えば良いだけの話だと思うのです。わざわざ大金を積んでゾルディックに依頼する意図が見えて来ません。腐ってもマフィアなのでしょう?」

 

 そう、其処が今回の件で一番の疑問だ。何故にたかが一般人の殺しを殺し屋、しかも超A級に位置するゾルディックに依頼するのか。

 暫くうんうん唸っていると、リンが一枚の写真を差し出した。 写真の中では、華やかなドレスに身を包んだ令嬢がにこやかに笑っている。

 私はその人物を見た事が有った。

 

「ネオン・ノストラード……!!」

 

「おや、御存知でしたか。流石はセフィリアさん、と言っておくべきですかね? ……その通り、その娘の名前はネオン・ノストラード。今回キリサキ家に脅しを掛けているマフィアのボス、ライト・ノストラード。その一人娘です」

 

 ライト・ノストラード。 その名前は微かにだが覚えていた。

 【ハンターハンター】の原作にて100発100中の的中率を誇る娘の占いを武器に裏社会をのし上がろうとしていたマフィア。そして、娘の趣味は確か。

 

「人体収集、ですか。成程、少し見えてきましたね」

 

 妙齢のおじさんの顔をしたリンが笑った。 毎回の事だがリンの変装技術には驚かされる。 前情報が無ければ私でも見抜けないレベルとは。

 

「そこまで知っているなら話が早い。キリサキさんの御両親は難病・奇病の高名な専門医だそうですから、希少な『物』を求めたネオン・ノストラードと、その願いを叶えようとした父親が今回の騒動を引き起こした、という事でしょう」

 

 拒否し続けたキリサキさんの両親に痺れを切らし、遂にノストラードが強行手段に出たという事か。 ……娘まで殺そうとするのは些か腑に落ちないが。

 

「成程、後は彼らがゾルディックに依頼した理由が分かれば良いのですが。……いっその事、ゾルディックに直接聞いてみると云うのも手かも知れませんね」

 

「あはは、セフィリアさんなら本当にやりそうですね。本当、怖い人だ。……っと、呼び出しが掛かっちゃいましたか。 では僕は引き続き情報収集に戻ります、キリサキさんの警護は大丈夫ですか? ……ああ、そうか。クリードさんが同じクラスでしたね」

 

 手を振りながら巡回に戻って行くリンを見送った後、私は携帯を取り出した。

 打てる手は直ぐ打つ、手遅れになる前に。

 

 

【Ⅵ】

 

 

「……ほう、これは美味ですね。抹茶味が至高なのは変わりませんが、このクリームチーズ味も中々です」

 

「でしょでしょ? まあ私は生チョコストロベリーが一番ですけど」

 

「おやキリサキさん、それは聞き捨てなりませんね。抹茶が至高なのは全世界共通の見解の筈です」

 

「はい? 先生こそ勝手に抹茶を一番にしないで下さいよ、ストロベリーが一番で決まりなのは遥か昔から決定済みで覆りようの無い事実なんですから」

 

 放課後、夕日が差し始めた通学路。

 スーツを来た女性と制服を着た高校生の二人組が歩いて行く。 買い食いをしつつ、他愛も無い議論を交わしながら歩く二人は、髪の色を見なければ歳の離れた姉妹にも見える。

 

「それでね、あの栗井先生が超真面目な顔して言うんですよ――私は殺したって! もう何かリアクションに困っちゃって……先生?」

 

 一転して厳しい顔になり、その場に立ち止まってしまったスーツの女性、セフィリアを訝しげにキョウコは見る。

 

「……キリサキさん、動かないで」

 

「はい? いきなりどうしたんですか先生?」

 

 キョウコを手で制したセフィリアが前方を鋭い眼で睨みつけた。 アイスの詰まった大福をもぐもぐしながら。

 

「……そこに隠れている者、出て来なさい」

 

 暫くの無音の後、観念したのかぬるりと電柱の陰から姿を現したのは長身の男だった。

 男はおおよそ感情と呼べる物が全て抜け落ちたかの様に希薄な顔をしていた。ジャポン風に例えるならば能面の様な、と例えるべきだろうか。

 

「……ああ、もう。一般人に何でそんな大層な護衛が付いているかなあ。学校は【円】で警戒されてるし、変なやつもうろちょろしているし。本当、こんな面倒くさい仕事は殺し屋やっていて初めてだよ」

 

 心底面倒臭そうに、しかし、感情の籠もっていない声色でそう吐き捨てた男だが、このまま何もせずに大人しく帰るつもりは無い様だった。

 男から放たれる氷の如き冷たい視線、そして、殺し屋という単語にキョウコの身体が意思を無視して震え、恐怖で視界が揺れる。

 

「大丈夫ですよキョウコ、私の後ろへ下がっていなさい」

 

 今までに経験した事の無いであろう濃密な殺気に当てられ、震えるばかりのキョウコを半ば抱きかかえる様にして自分の背後へ押しやったセフィリアが油断なく構えた。……雪○大福の棒を。

 

 次の瞬間、幾つかの風切り音と共に男の手から何かが飛来する。しかし、それらは全てセフィリアが手にした雪見○福の棒に弾かれ、標的を捕える事無く傍らに乾いた音を立てて転がった。

 

「うわ、弾かれた。何か屈辱なんだけど」

 

「ふん、貴方程度ならこれで十分です」

 

 そう吐き捨てたセフィリアだが、内心ではこの状況をどう切り抜けるか頭をフル回転させていた。冷や汗が背を伝う。

(私一人なら何とでもなるが、この子を護りながらとなると少しばかり厳しいか……!)

 

 クライストが有ればまた話は別だが、タイミングが悪い事は重なる物である。 愛剣は今朝方にジャポンで高名な研ぎ師の元を訪ね、渡して来たばかりだった。

 その為に、今セフィリアの元には代刀として渡された匕首しか無い。

 

 それでも棒よりは幾分かマシだろう。 そう考え懐へ手を伸ばしたが、ほんの少しばかり遅かった。

 

「うーん……。ちょっと勿体ないけど、ムカついたからこれで殺すね」

 

 言葉と共に四方八方に針が飛散し、周囲を歩いていた人々、三人を遠巻きに見ていた人々に容赦なく突き刺さる。

 次の瞬間、哀れな被害者達から一斉にドス黒い波動が立ち上り、彼らはイルミ・ゾルディックの操り人形と化した。――永遠に。

 

 そして、自らの意思を失った人々の群れが容赦なく二人を取り囲む。

 

「くっ、無関係な人々を巻き込むとは卑劣な……!」

 

「あーはいはい。卑劣でも何でも良いからさ、早く死んでよ」

 

 そして、四方八方から傀儡人形は襲い掛かり――――。

 

「万事休す、ですか……!!」

 

「きゃああああああああ!!」

 

 

 ――――――吹き飛ばされた。

 

 

「……全く、大の大人が女性二人に寄って集って乱暴を働くのは感心しませんね」

 

 キョウコは見た。足が竦んで動けない自分を庇う様に抱きしめてくれたセフィリア先生。その手前に現れた男を。

 

 仄かに香る柑橘系の香水、夕日に透ける銀の髪。

 

「く、栗井先生!?」

 

「はい、栗井ですよ。良く頑張りましたね、キョウコさん」

 

 

 

 クリード・ディスケンスは其処に居た。

 




繋ぎ回。
次回こそ格好いいセフィリア姉さんを書きたい。(書けるとは言っていない)


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10.愚痴を溢す時は、下を見てからにした方が良い。

ハンター再開おめでとうごじゃいます。



 

 黄玉が欲しければ医師を探すと良い。

 向かうなら水晶を掲げし場所が望ましいだろう。

 

 翡翠石が欲しければ時期を待てば良い。

 焦る必要は無い、金剛石は貴方の手元に有るのだから。

 

 蒸し暑く涼しい日、貴方は柘榴石を奪われる。

 

 未来が欲しいのならば金と銀に手を出してはいけない。

 世界を知る者に刃を立てる事は、未来を捨てる事と同義なのだから。

 

 

 

 六月の始まりの日、ライト・ノストラードは困惑していた。娘の予知能力をフル活用して裏社会をのし上がろうとしていた矢先、唐突に示された自らの死を示す予言に。

 一行目と二行目は、まだ意味を理解する事が可能なレベルだった。

 だが問題は最も重要な三行目だった。世界を知る者とは? 金と銀が特定の人物、もしくは何かを指しているのだとしてもそれが何かが分からない。

 周囲の人物、取引先等、思いつく限りの全てを調べたが明確な答えは見つからなかった。幾度も会議を重ねたが結論は出ず。

 娘のボディガード兼、自身の相談役でもあるお抱え念能力者ダルツォルネもお手上げとの事だった。

 

 当面の対策として、予言に記された月日が過ぎ去るまで護衛を増やし、財産管理の一切を行わない事を決定したが、胸中で渦巻く不安は晴れる事は無かった。

 

 娘の機嫌を取る為に占い通り希少品を探しにジャポンに向かわせた部下達から、目的の物を見つけたと報告が入ったのが一週目の終わり。

 

 交渉が難航しているとの報告が入って来たのが二週目の中程。娘の機嫌を保つのが限界だと訴えが有ったのが二週目の終わり。

 

 多少の金銭を失ってでも慎重を期すべきだと主張するダルツォルネに半ば押し切られる形でゾルディック家に殺しの依頼を立てたのが昨日。曜日で言えば火曜日だった。

 当然だが少しでも予言を回避する為、ゾルディックとの交渉に自分は関わらず、組の金も自分の金銭も一切使っていない。

 

 そして、今日が水曜日。予言に記された日だった。

 

(後七時間か……)

 

 ノストラードは屋敷の周囲を武装した構成員で固め、居室で時間が過ぎ去るのを待っていた。厳戒態勢が敷かれている所為で人の声はおろか、物音も全く聞こえて来ない。

 

 静寂の中、唐突に羽音が聞こえた。

 次の瞬間、首筋にちくりとした痛みが奔る。咄嗟に手で叩き、開く。見れば蜂の潰れた死骸が掌に広がっていた。 

 

「……何だ、虫か。……ぐあっ!?」

 

 まともに思考できたのはそこまでだった。

 全身を耐え難い程の激痛が駆け巡る。呼吸が止まり、急速に意識が薄れて行く。死を告げる警報が脳内で鳴り響く中、それでも内線に手を伸ばそうと必死にもがいて。 

 

 

 

 一体、何……が…………。

 

 

 

 ネ……n。

 

 まだ、私……は、

 

 

 し……ね……ぃ……。

 

 

 閉じて行く瞼に最後に映ったのは、朽ちた包帯を全身に巻きつけた奇妙な男の姿。

 

 未来を求め続けた男、ライト・ノストラードの人生が終わりを告げた。

 

 

 

【Ⅶ】

 

 

 始まりは何時もと同じだった。

 依頼が入り、情報の一切合切を担当している執事が標的の身辺を徹底的に洗い、そして家の中で適任と思われる人間に割り振られる。……此処までは何時も通り。

 違ったのは標的。詰まる所、殺しのターゲットだ。

 

 

「……何コレ、どう見ても一般人じゃん。こんな、そこらのチンピラでも出来そうな殺しを俺にやれって?」

 

 標的の情報が子細に記された一枚の紙。仕事によっては自分の命を左右しかねない『それ』を、オレは無造作に放り捨てた。余りにも殺り甲斐のない仕事だったからだ。

 

 たかがジャポンの女子高生一人にわざわざオレが出張る意味が分からない。

 

「し、しかしイルミ様、これはゼノ様直々にイルミ様にお渡しする様にと命じられた物で……げぶbひゃあ!?」

 

「ぐちぐち五月蝿いよ、執事の癖に。……ふーん、爺ちゃんの仕業か」

 

 口答えする執事を手早く黙らせ、ゼノ爺ちゃんの居室へ向かう。 幸いにも仕事へ出掛ける前に見つける事が出来た。

 

「おお、イルミか。……どうした?」

 

「いや、どうしたじゃないよ爺ちゃん。何であんな一般人の殺しやんなきゃいけない訳? こんなのミルキにやらせておけば良いじゃん」

 

「ふむ、それか。 何やらその依頼、裏……と云うか、厄介事が潜んでいそうな気がしての。 本当ならシルバに頼もうと思っておったんじゃが、生憎別の仕事に出かけてしもうた」

 

「裏、ね。 オレにはどう見ても只の一般人にしか見えないけど」

 

「じゃから、というのも有るな。 儂らに殺しを依頼する時点で厄介な案件で有る事に違いは無かろう。……まあ金さえ貰えば一般人じゃろうと聖人じゃろうと殺るのが儂らだがの」

 

 “年寄りの勘じゃ、精々用心せいイルミ”

 

 そう言い残して爺ちゃんは仕事に出かけて行った。もう一度紙を確認するが、やはり一般人にしか見えない。

 

 

 午前七時、ジャポンに到着。柄にも無く深呼吸を数回して気分を落ち着けようとしたが、どうにも原因不明のイラつきが収まらない。

 曲がりなりにもオレはゾルディックでプロの殺し屋だ。積んで来た経験から来る勘が告げている。こういう日は大抵ロクな事が無い――。

 

 早い所仕事を終わらせて、思う存分ふて寝でもしよう。仕事用に頭を切り替え、現時点での情報を吟味して最適な方法と手段を頭の中でシミュレートする。

 標的の行動パターンから考えて、通学バスを使用する瞬間を狙うのが確実か。

 

 午前八時、標的が家を出たと報告が入る。特筆事項無し、状況に変わり無し。歩行速度を考慮するとバスターミナルに着くまで約20分程か。

 一般人相手に何をやっているのだと思わないでもないが、念の為に気配を殺し、体勢を整える。万が一、初撃で殺り損ねた時の為に使えそうな目ぼしい車を探していると、緊急入電を知らせるトランシーバーの振動が聞こえた。

 

「……ゴトー。俺、今忙しいんだけど」

 

「申し訳ありませんイルミ様。正体不明の黒スーツの男が空港からかなりの速度でそちらへ走って向かっているとの情報が入りまして、御連絡差し上げた次第でございます」

 

「……何それ意味分かんない。……そいつ、どれ位で此処に到着する訳?」

 

「現在の速度で走り続けたと仮定しますと……約20分でイルミ様とニアミスすると思われます」

 

「大至急、そいつの情報洗っといて。というか足止め位してよ、向かって来てるのが分かってるならさあ」

 

 役立たずとの通信を切り、思考する。

 嫌な予感が見事に的中してしまった様だ。このままだと標的と俺とそいつが鉢合わせする可能性が高い。

 

 ……続行か、それとも次の機会を待つか。

 

 ――父さんならきっと次の機会を待つだろう。

 『待つのが俺達の仕事』そう口を酸っぱくして教えていたから。

 

 ――ゼノ爺ちゃんなら先に不明因子、この場合で云う黒スーツを確認、可能なら排除しに向かうだろう。

 

 ……なら俺は? イルミ・ゾルディックはどうする?

 

 

 

 

 午前八時二十五分。バスターミナルに標的の姿を確認した。不確定因子とやらの姿は見えない。決行は可能と判断。

 気配を絶ち、後ろから近づく。さり気なく、細心の注意を払って標的の背後五メートルまで接近する。頸部の急所を狙い、念を籠めた針を懐から抜いて――――放てなかった。

 

 見られている。冷徹な視線が背後から俺を射抜いていた。

 

 俺の名誉の為に言っておくと、油断はしていなかった。【絶】は完璧に保っていたし、殺気も仕掛ける一瞬しか漏らしていない筈、だった。だが、現実として敵に背後を晒してしまっている。

 

 ――今仕掛ければ、俺も死ぬ。

 

 動けない俺を差し置いて、標的は列の先頭へ歩いて行く。

 久方ぶりに感じる、自分の命を握られている畏怖と標的を逃がしてしまうかもしれない焦燥。

 一瞬にも満たない思考の末、まだ仕事は可能と判断した。即座に用意してあった次策を発動させる。

 予め用意して置いた【トラック】を操作して、標的を目掛けて発射。……これで首尾よく潰されれば良し。そうでなくても、何処か怪我でもしてくれれば儲けものだ。後は応急処置をする体で近づいて脳天に針を刺せば仕事終了。

 

 邪魔をされると面倒なので、構えたままだった針を抜き打ちで背後に放とうとして、再度俺は驚愕する事になる。振り返る瞬間まで、確かに背後に有った筈の気配が跡形も無く消失していたからだ。

 今の、ほんの一瞬にも満たない思考の狭間を突かれたというのか。即座に周囲の気配を探る、までも無く奴――銀髪の男はトラックの前に居た。

 

 抜刀、居合い、納刀、そして回し蹴り。四つのアクションをこなすのに一秒足らず。結果、トラックは標的を捕える事無く電柱に衝突し、大破してしまった。

 

「……何アイツ、邪魔されちゃった」

 

 トランシーバーの振動で我に返る。気が付けば標的も銀髪の男も姿を消していた。

 

 ……まさか、俺が他人の動きに魅入っていた? 

 

 仕事中に呆ける何て事、生まれて初めてかもしれない。

 

 

 午前九時三十分。標的は授業中である。恐らくあの銀髪の男の仕業だろう、学校全体を覆う程の広範囲の【円】。オレはそれに触れるのを避け、遠巻きに観察していた。

 標的が窓際にでも近づいて来れば、この距離からでも確実に撃ち殺せる自信は有る。だが今の所、そんな動きは期待出来そうに無かった。

 そして今、標的のクラスで教鞭を振るっている銀髪の男、クリード・ディスケンス。星の使徒とかいう犯罪組織のリーダーで要人暗殺やテロ等で第一級レベル指名手配されている男らしい。

 そんな男が何故に一般人の標的に接近し、守ろうとしているのか。

 ゴトーによると、クリードと同日に金髪の女が勤務し始めたという話だ。そいつもクリードとグルと考えた方が賢明だろう。

 

 標的を目と鼻の先にして如何にも手出しが出来ない。苛立ちは募るばかりだった。

 

 

 午前九時五十分。標的の両親、つまりキリサキ夫妻の暗殺完了との報告が入る。これで後は俺の仕事を残すのみか。

 

 午前十時半。クリード・ディスケンスが学校を離れた。

進行方向から推測すると警察署が目的地か。どうやらキリサキ夫妻の死亡の確認を取りに向かった様だ。

 必然、学校全体をカバーしていた【円】が消える。訪れた好機を逃すまいと標的を確認すると、第二の不確定因子と思わしき金髪の女が側に付いて警戒に当たっていた。コイツもかなり強い。 

 ……遠目に見るだけでも相当に厄介な相手なのは理解出来る。クリードが戻って来る前に仕事を終わらせたかったが、どうやら厳しそうだ。

 

 午後十二時二十分。標的が屋上に移動したのを確認。

 金髪の女は……居た、一階、職員室で職員会議中か。クリードも隣に座っている。【円】は復活しているが、仕掛ける好機で有ると判断。

 標的は都合良くフェンスの側まで歩いて来た。……邪魔者の気配は無い。そして、この距離ならしくじる事も無い。 とっととおっ死ね。

 

 

 午後一時三十分。 ふて寝なう。 結論から言うと暗殺は失敗した。オレが日に二度も仕損じるなんて、ガキの頃以来だ。 苛立ちを通り越して乾いた笑いが零れて来る。

 

 ……あの瞬間、標的の眉間を目掛けて放った長針は真下から飛んで来た礫に弾かれ、校舎の壁に突き刺さる結果に終わった。

 まさかと思い下を覗くと、金髪の女でもクリードも無い第三者。校門で守衛をしていた壮年の男が此方を見ていた。……コイツもか。

 視線を戻し標的の様子を確認すると、クリードが居た。何を言っているか分からないと思うが、最初から其処に居たかの様に自然に座っていた。

 

 これでは無理だ。即座にその場を離脱し、最初のポイントへ戻る。 ……後で情報担当の執事ぶっ殺そう、オレは心の底からそう思った。

 

 午後四時。授業が終了し、標的が校舎の外へ出て来た。……金髪の女と共に。

 何時も通りのオレなら一旦引いて、次の機会を待っていただろう。だが、校舎に仕掛けた虫(盗聴器)から聞こえていた会話。

 標的がこの後、安全が確保されるまで当分の間、金髪の女の住処へ居候する事は確定事項らしい。詰まる所、今日の内に仕事を終わらせようと思うなら今しか無いという事だ。

 

 待つか、仕掛けるか。 オレは本日三度目の選択を迫られていた。

 

 

【Ⅷ】

 

 

「全く、遅いですよ栗井先生」

 

「いや、これでも出来る限り早く駆け付けたんですけれど。……というか師、じゃないセフィリア先生、何でそんな棒で戦おうとしているんですかアナタは」

 

 寄りにも寄ってあのゾルディックにそんな舐めた真似をする人間が居るとは。

 心底呆れ果てた表情を浮かべるクリード。馬鹿にされたと認識したのか、セフィリアの顔が紅く染まる。

 

「そんな棒とは何ですか、そんな棒とは。栗井さん、貴方は雪○大福を侮辱するのですか!?」

 

「あのー、そんな言い争いしてる場合じゃないと思うんですけれど……きゃあ!」

 

「話、終わった? 早い所仕事終わらせて帰りたいんだけど」

 

 抜き打ちで放たれた針を平手で弾き飛ばし、セフィリアが睨みつけた。

 

「不意打ちとは、随分と卑劣な真似をするのですねゾルディック。如何に殺し屋と云えど、少しは自らの仕事に誇りを持っているのかと思っていましたが…残念です」

 

「……いや殺し屋の誇りって何? オレからすれば敵の目の前で漫才する方がよっぽど舐めてると思うけど」

 

(ごもっともです)

 

 セフィリアを除く二人の意見が一致した瞬間である。

 

「全く先生は。……エキドナ、頼む」

 

 それはほんの一瞬の出来事だった。

 前触れ等は一切なく、さも始めから其処に有ったかの様に。 クリードの横に厳めしい門が現れた。

 

 続けて、さも当然の様に門の内側から妖艶な女性が現れ、セフィリアに剣を投げ渡した。

 

「クライスト……! 良い所に来てくれましたねエキドナ。この礼は何れ返します!」

 

「えっ、何今の、何処から来……っ」

 

 続けざまに起きる超常現象に頭が付いて行けないキョウコ。頸椎に手刀を受け、崩れ落ちた彼女をクリードが優しく抱え、エキドナへ渡す。

 

「……ではキリサキさん、また後で。エキドナ、この子を頼んだよ」

 

 一つ頷いて、エキドナは門を通り何処かへ消えて行った。

 現れた時と同じ様に蜃気楼の如く門は消え、この場に残るは三人。

 

「さて、待たせましたね、ゾルディックさん。……始めましょうか」

 

「んー、いや、別に? どうせキミ達の事だからオレの邪魔するだろうし、それなら先に殺した方が楽になると思っただけだよ」

 

 

 

 

 駆ける。

 クリードが居合い腰の姿勢で構え、左へ駆ける。セフィリアはクライストを正眼に構えて右へ駆けた。

 敵との距離が三メートルを切った所で顔を見合わせ、頷く。次の瞬間、その場から二人の姿が搔き消えた。

 一瞬の後、イルミの左右に刀を突き、振り下ろした姿勢の二人が現れ、一拍遅れて耳障りな金属音が辺り一帯に響き渡る。

 イルミは表情一つ変えずに左上段から振り下ろされた幻想虎徹の見えない刃を針二本で挟むようにして止め、右下方から脾臓を狙ったクライストの刺突を逸らす様にして回避していた。

 

「……流石に、二人同時はキツイね」

 

 まるで意に介していない表情でイルミが呟く。

 

「キツイだけですか。割と、本気で打ち込んだんですけれど」

 

 溜息交じりにクリードがぼやく。

 

「……クリード君。交戦中に敵と仲良くお話しするとは余裕ですね」

 

 セフィリアが小言を吐く。それと同時に二人が弾かれる様にその場を飛び退いた。まるで生き物の様にぐにゃぐにゃと波打つアスファルト。深く突き立った針が悠長にその場に留まっていた場合の結末を如実に伝えていた。

 

「その針。無生物でもお構いなしですか、思ったより厄介な能力ですね」

 

「……それ、アンタには言われたくない台詞だよ」

 

「くくっ、言われてますよ師匠」

 

「ぐっ、五月蝿いですよ!」

 

 無音無動作、かつ間断なく放たれる針の礫を避けながらセフィリアが間合いを詰め、突きを放つ。繰り出している剣を持つ手が見えない程の神速の連続突き。まともに受ける事を嫌ったイルミは後ろへ飛び下がる。

 

「……成程、速いね」

 

 着地の瞬間。 狙っていたかの様に先回りしていたクリードが現れ足元へ薙ぎ払いを放つが、重力を無視するかの様に上空に飛び上がったイルミを捕える事は出来ず、空を切る結果に終わった。 

 回避された事に驚愕している間は無い。 納刀と同時、転がる様にクリードが横に跳んだ。それを追う様に針が次々とアスファルトに突き刺さり、地面がぐらぐらと揺らぐ。

 素早く体勢を立て直して見上げた視線の先、イルミは電柱に対して垂直に立った姿勢のままクリードを見ていた。

 

「(針頭にワイヤー。それを張り巡らせることで不規則な動きを可能にし、電柱へ飛んで逃げた、か)……もしかして、見えてます?」

 

「ああ、それ? 確かに見えないけど予め頭に入れておけばそんなに怖くないよね。……っと」

 

「油断大敵ですよゾルディック。アークス流剣術、十三手――雷霆!」

 

 見上げた先には上空から雷の如く突貫し、紫電の如き速度で突きを放つセフィリアの姿が有った。その速度は先の突きよりも遥かに速い。回避するよりも早く、迎撃するよりも速く。

 瞬く間にイルミの身体から無数の血飛沫が吹き上がる。

 だが、最も強大な要の一撃は突如として折れ曲がり、倒れかかって来た電柱によって中断させられる事になった。

 

「くっ、防がれましたか」

 

「……今のはかなり危なかったね」

 

 ここまで致命傷を避け、余裕を持って達人クラス二人の猛攻を回避し続けている様に見えるイルミ。だが、実の所はそこまで楽な戦いでは無い。

 殺し屋としての習性、そして、強者の意地がそれを表面に出していないだけであり、精神的、肉体的疲労はこの短時間で鉛の様にずしりと圧し掛かって来ていた。

 

 ……そもそもこの場に標的が居ない今、本来ならイルミがこうして悠長に闘っている理由など無いのだが。

 

 ぐるりと辺りを見渡し、セフィリアが戦いの終局を宣言する。

 

「ふむ、暗くなって来ましたね……。クリード君、そろそろ決着を付けます。援護しなさい」

 

「了解です、師匠」

 

 瞬く間に間合いを詰めたセフィリアが、先程と同じように突きを繰り出す、と見せかけて一足飛びに飛び下がり、入れ替わる様にクリードが前に出る。

 逃がす隙も反撃の好機も与えないとばかりに、不可視の刃がセフィリアのお株を奪う程の凄まじい速度でイルミを襲う。

 その全てを最小限の動作で弾き、受け流し、逸らしていくが、吹き付ける豪風の如き斬撃を全て防ぐ事は出来ず、徐々に追い詰められ、足が後退して行く。

 

 ――そして、気が付けば壁と電柱に抑えつけられる形で動きを封じられていた。尚も斬撃の嵐は止むことなく吹き荒れ続ける。

 

(上手く誘導されたか。まずいな、身動きが取れない……!)

 

 その後方。構えたクライストを限界まで引き絞り、セフィリアが必殺の構えを取っているのがイルミの視界の端に映った。

 

 

「これで終わりですゾルディック……! アークス流剣術終の三十六手――【滅界】!!」

 




やったか!?


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11.涙を流す時は、上を向いてからにした方が良い。

割とグロ表現注意。


 

【Ⅸ】

 

 アークス流剣術―終の三十六手、滅界。

 その意は使用者の身体に重大な負担を強いる程の絶技。

 その技は極限を超えた剣戟乱舞。高速を凌駕し、音速を超えて光速に迫る神技。

 

 要は凄まじく速い突きの連続である。そう言い切ってしまえば一言で済む程に簡単だが、それ故に強い。

 シンプル故に強く、単純故に打ち破る方法は限られる。

 

 奇しくもそれはハンター協会会長ネテロ・アイザックの秘奥、百式観音が繰り出す不可避の速攻と酷似していた。

 

 ――技を受けし者が【神】を垣間見る事も含めて。

 

 

 

 異様な光景が広がっていた。

 通学路として使用されていた筈のアスファルトは歪に捲れ上がって波打ち、その傍らには半ばから飴細工の様に捻じ曲がり倒れた電信柱。周囲一帯には崩れたコンクリートブロックが散らばっている。

 砂埃が立ち込めるその一角は戦場もかくやと言わんばかりの凄まじい惨状が広がり、通学路には倒れ伏した人々が折り重なるように倒れていた。

 

 彼らはもう二度と瞼を開ける事は無い。

 自らの意思と無関係に操られ、意思なき傀儡と化した。そして事が終わってしまえばそこらに転がっている空き缶の如く投げ捨てられる。

 強者が弱者に求める物はいつだって理不尽だった。

 

 その中で一際に凄惨な景色が有った。

 人の形を留めない程四方に飛散した肉片、どす黒い血の水溜り、砕けた脳漿、はみ出た臓物と潰れた眼球。

 そして足の踏み場も無い程のそれらの真ん中に平然と立つ長髪の男。

 能面を思わせるその顔には何の感慨も浮かんではいない。

 

「あー、久々に死ぬかと思った。 残しておいて良かったよ、肉人形」 

 

「……下種め」

 

 思わず吐き捨てたセフィリアだが、怒気を孕んだ口調と裏腹にその呼吸は荒く乱れている。

 

(好機に逸って勝負を焦りすぎましたか、まさかあの様な外道な方法を平然と使用して来るとは)

 

 滅界を放とうと気を放ったあの瞬間、周囲に倒れていた哀れな傀儡人形達が一斉にイルミに引き寄せられ、文字通り肉の盾と化したのだ。

 

(あの時、咄嗟に滅界の軌道を逸らさなければ、あの男を仕留める事は出来たでしょうか? …いや、恐らく彼らが緩衝材となって致命の一撃にはなりえなかったでしょうね)

 

「…ついでに補足しておくとこの人達、体内にしこたま針が仕込まれていました。 ともすれば不意を突かれて僕達もやられていた可能性も有りえましたね」

 

 刹那のタイミングで滅界を回避したクリードが臓腑を曝け出した老人を横目に見ながら立ち上がる。

 

「もう少し近寄ってくれたらお見舞いできたんだけどね。 ホント、つくづく愚図って使えないや」

 

 抑揚の無い声には、使い捨てた命への敬意も哀悼の念も感じられない。

 書き損じた紙を丸めて投げて、屑籠に放り込み損ねた。イルミ・ゾルディックには精々その程度の認識だった。

 

「ゾルディック。 貴方は他人の命を何だと思っているのですか?」

 

 漏れ出る怒りを噛み殺す様に、溢れだそうとする感情を抑えつける様に。

 俯いたままセフィリアは呟く。

 

「……私も決して人に誇れるような人間では有りません。 他人の血で汚れた掌は貴方と同じです。 ・・・けれど、けれども。

貴方と私で確実に、大きく違う所が一つ有ります」

 

「…へえ、違う所? 興味が有るね、教えてよ」

 

 イルミは揺るがない。

 

 彼は何処までも無感情で無表情だった。それは暗殺者としては正しいのだろう。だが、この場に限って言うならば、彼は超弩級の地雷を踏み抜いた。

 

ーー瞬間、セフィリア・アークスを繋ぎ止めていた最後のブレーカーが弾け飛び、落ちる。

 

「イルミ・ゾルディック、貴方には覚悟が有りません。 手前勝手な都合で手に掛けた命。それを背負って生きる覚悟も無しに、私の前に現れた事を後悔させてあげましょう・・・!」

 

 セフィリアの瞳が真正面からイルミを捕えた。

 久しく感じていなかった感覚。ぞわりと全身が粟立つ様な、凄まじい悪寒がイルミの全身を駆け巡る。

 

「人の命の重みをその身を持って知れッッ!!」

 

 咆哮と共に大気が弾け飛んだ。

 噴火の如く吹き上がるオーラに世界が震え、空間が揺らぐ。

 

 次の瞬間、イルミの正面数十センチの所にセフィリアが居た。 

 先程までの戦闘と桁違いの速度にイルミの思考が追い付けない。

 咄嗟に後方へ飛び下がろうとして―――彼は盛大に地面に叩き付けられる。

 受け身も取れず背中を強打する事になり、次いで左腕から今までに味わった事の無い猛烈な灼熱感を感じた。

 

(くっ、何が起きた・・・!?)

 

 残った肉の壁を引き寄せると共に素早く体勢を立て直し、状況を把握しようと試みる。

 未だ衝撃に揺れる彼の視界に映ったのは、クリードが持っている異様な剣だった。 

 

『グゲゲゲゲ…ゲゲゲ…!!』

 

 先程まで携えていた不可視の剣とは似ても似つかない醜悪な剣。

 それが自らの腕を根元から喰いちぎったのだと認識するのに数瞬。

 引き寄せようとした肉壁と自分を繋げるワイヤーが全て切断されている事に気づくまで更に数瞬。

 視界から消えたセフィリアを探すのに更に数瞬。

 それだけの時間が有れば、セフィリアには十分だった。 

 

「…せめて仏の慈悲を持って葬りましょう、イルミ・ゾルディック」

 

 手加減無し、本当の威力を籠めた【滅界】が彼の身体を隈なく蹂躙していく。  

 

 

 

 ―――夕闇に甲高い電子音が響いていた。

 

 

【Ⅹ】

 

 セフィリアの滅界によって文字通り砂塵と化した通学路。僅かに残った瓦礫の一つに腰を預け、座り込んだイルミが何所かと連絡を取っている。

 その身体には左腕が無かった。更に左の脇腹は大きく抉れ、さらしで固定しているものの、隙間からはピンク色の腸が覗き、ぽつぽつと血が滴っている。

 血臭香るその脇で、クリードが蛙か飛蝗の様に這い蹲った姿勢のまま何やら喚いていた。

 

「というか、さっきから酷いですよ! 僕ごと殺す気ですか師匠!!」

 

「おや失礼な、これでもかなり(心の中で)加減して放ちましたよ? そもそも直前に即死コースから軌道を逸らしましたしね。 …それに私が何を放つか態々丁寧に予告してあげたではないですか」

 

 クリード君、あの程度位は余裕を持って躱せる様になりなさい。

 

 至極理不尽な事をさらりと述べつつ、セフィリアは懐の携帯電話を取り出した。

 

「…クリード君、どうやら時間稼ぎは成功したようですよ」

 

「そうですか、良かった。 …ではこれでキョウコさんは貴方達に狙われる事は無くなったのですね?」

 

 埃を叩きながらよっこらせと立ち上がったクリードがイルミに問う。 左手で通信機を内ポケットに仕舞ってから、イルミが考え込む姿勢を見せた。

 

「…ああ、そういう事か。 まあ、依頼主から中止命令を出されたらしょうがない。 オレとしてはもう少し早く出して欲しかったけどね? 割と本気で死ぬところだったし」

 

 まあいいや、仕事が無くなったなら用は無いから。

 

 そう言い捨てるが否や、すたすたと立ち去るイルミを見送った後、セフィリアが膝から崩れ落ちる様に倒れた。

 

「あ、あああああ、ああああああ・・・・!!」

 

「ちょっと師匠、大丈夫ですか? 滅界二連発何て無茶苦茶するから!」

 

「大丈夫ですか?ですって? …全然大丈夫ではありませんよ!! これを見なさい、この無残な姿を…!!」

 

(…まさか、無茶な使い方をした所為でクライストが欠けてしまったのか!? ついさっき研ぎ終わったばかりなのに! 僕のポケットマネーで!!)

 

 クリードが悲壮な声を上げたセフィリアの視線の先を見れば、何の事は無い。

 土埃に塗れ、溶けてグシャグシャに崩れた雪見大○の残骸が転がっていた。

 

「まだ半分しか食べてないというのに!! おのれゾルディックぅうううう・・・!」

 

 全く、逆恨みも甚だしい。

 そう思いながらクリードが視線を横にずらすと、文字通り砂の塊と化した通学路の一角に歪な阿弥陀如来が顕現していた。

 咄嗟に軌道を逸らしたせいでこんな口元がにやけた仏様になってしまったらしい。

 

 改めて周りを見れば、何処かの誰かが手加減無しで放った滅界のせいで視界に映る物全てが滅茶苦茶だった。大災害がピンポイントで直撃したのだと言われてもあながち嘘とは思えない光景だ。

 

「ああああああああああ!!!!?」

 

「……師匠、今度は何ですか?」

 

「此処に! 確かに隠しておいた、お持ち帰り用に取って置いたゴリゴリ君がありません!! 氷嚢ごと持って行かれたに違いない!!」

 

 おのれゾルディック、ゆ゛る゛さ゛ん゛!!

 もう片方の腕も捥いでや゛る゛!!

 

 咆哮と共にセフィリアが阿修羅の形相で走り出し、数歩進んだ所で思いっきりずっこけた。

 

「あっ、痛たたた……」

 

「幾ら師匠でも無理ですって、あれを連発して尚戦おうなんて無茶ですよ。 …そんな事より、ふざけていないで早くこの場から離れましょうよ…ってあれ? 師匠!? 消えた!?」

 

 直後、けたたましいサイレンの音が鳴り響く。振り返れば視界を埋め尽くす赤色灯の群れ。

 気が付けばクリードはパトカーと特殊警察に完全に包囲されていた。

 

「手を挙げて地面に伏せろォ!! お前は完全に包囲されている!!」

 

「そんな、僕が何をしたっていうのですか? やったのは殆ど師匠なのに!! 

...っていうかもしかしなくてもこれ、全部僕がやった事になるんじゃ…」

 

 もしかしなくてもその通りだった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

「命を背負う覚悟、ねえ。 そんな物一々背負っていたら暗殺業何て出来やしないっての。 …ふーん、中々美味いねこのアイス」

 

 今丁度家に居る筈だし、キルにお土産で持って帰るかな。

 そうだ、帰ったら義手を作って貰わなきゃ。 . ...そういえば【アレ】が居るか。 折角だし使ってみよう。

 

 割に合わな過ぎる仕事を終え、暗殺者は帰路に着く。

 

 

 

 ――未来が欲しいのならば金と銀に手を出してはいけない。

 世界を知る者に刃を立てる事は、未来を捨てる事と同義なのだから。

 

 ランプの灯りがぼんやりと部屋の薄闇を照らしていた。

 

 暖かな橙の光が照らした先に、倒れ伏した壮年の男が居た。

 唐突にその指先がぴくりと跳ねる。数秒の間を置いてもう一度。

 時間を置いて一定の間隔で痙攣が続く。指から掌へ、そこから腕へ登り、肩へ達し、やがて全身へ痙攣が廻って行く。

 

 爪先まで痙攣が達してから暫し。

 最後に一度、身体が大きく仰け反る様に跳ねると、ギギギと擬音が付く様な、糸に引っ張られる傀儡人形を思わせるぎこちない動作で男は立ち上がった。

 腕を上げたり掌を開閉したり。

 それはまるで生まれたばかりの赤子が自らの身体の動かし方を確かめている様を想像させた。

 

「うーーー、…あー、…うー、…….あーー、ああーーー………」

 

 抑揚の無い声が静寂に満ちた居室に響き渡る。

 それはまるで雛鳥が声の出し方を確かめている様を想像させた。 

 

 やがて満足したのか、それとも声を出すのに飽きたのかはさて置いて、男はキョロキョロと周囲を見回し始める。

 

 そして先程のどこかぎこちない動作では無く、生きた人間の動きで机の前まで歩いて行き、其処に有った一枚の紙を手に取った。 

 

「…なる、ほど、な」

 

 その直後、尋常ならざる物音と苦痛に満ちた声を聞きつけたダルツォルネが主人の居る部屋の扉を勢いよく開け放った。

 

「ノストラード様、失礼します!!」

 

 果たして、彼の主人は安楽椅子に座っていた。

 血相を変えて飛び込んで来たダルツォルネをじろりと睥睨して重々しく口を開く。

 

「どうした、ダルツォルネ。 随分と、騒がしいな」

 

「い、いえ…。 大きな音が聞こえましたので、何事かと思いまして…」

 

「ああ、そこの椅子を倒してしまっただけだ。 …それよりも今日が終わるまでまだ後七時間はあるだろう、気を抜くな」

 

「は、はあ、申し訳ありません…」

 

 訝しがりつつ首を捻りながら部屋を出て行ったダルツォルネを見送った後、ノストラードと呼ばれた男は懐から携帯電話を取り出した。

 

「ふん、全く面倒な事だ。 しかしこの男が使えるのも事実…。 未来を見据えた行動の早さ、流石はクリード様だな」

 

 何処かで虫の羽音が聞こえていた。

 

 

【epilogue】

 

 

 目を覚ました時、全ては終わっていた。

 私の居ない所で私を巻き込んで話は進み、けれども私が関わる余地が無いまま事態は収束してしまったのだ。

 …どうにも今日一日で起こった事が色々と現実離れしすぎていて実感が湧かない。未だに夢の中を漂っている様な気分だった。

 

 事の顛末は砂塗れで帰って来た栗井、じゃないクリードさんから聞く事が出来た。

 

 何でも私達一家は世界でも有数の殺し屋に狙われていたらしい。あのネコ目の長髪さんは、その中でも特にヤバイ奴だったとか。

 じゃあクリードさんは何奴?と聞けば、実は泣く子も黙る極悪犯罪集団の団長だとか何とか。  突拍子の無さに思わず噴出しかけたが、彼の真剣な表情を見るに冗談で言った訳では無いらしい。

 

「…とまあ、おかげで僕は大量殺人、テロ容疑に公共物損壊、公務執行妨害その他諸々の極悪犯罪人扱いですよ? 全く心外です」

 

 それを聞いて、何の気なしにTVを付けてみる。丁度アナウンサーのお姉さんが強張った表情で緊急速報を読み上げている所だった。

 

 どうやら目の前のイケメンは放課後の通学路に突如として出現し、居合わせた通行人を老若男女の見境なく切り裂き、爆弾で粉微塵に吹き飛ばし、それだけでは飽き足らず手当たり次第に建物や壁に当たり散らし、挙句の果てには包囲した警察を振り切って現在も逃走中らしい。

 現場に謎の阿弥陀様を残して。

 

 砂埃を被ったまま、必死になって警察から逃げ回る残念なイケメンことクリードさんを想像して私は大いに笑った。

 

 

「あっはははは、 …あー、笑った笑った。 うーん、一年分ぐらい纏めて笑った気がするなー。 …あっ、もしかして今警察にクリードさん突きだしたら賞金もらえたりします?」

 

「えっ? まあ、今までの余罪を含めれば軽く億は貰えるでしょうね。 …こんな事は自慢にもなりませんが。 ってキョウコさん、割と洒落にならないので止めて下さいね?」

 

 クリードさんはでかでかと自分の姿が映し出されたTVを顔を引き攣らせながら凝視している。

 

 

 それからもう少しだけ詳しい話を聞いた。

 本当なら両親と同じ時間に私はあの世に行って居たらしいが、運良くクリードさんとセフィリアさんが赴任して来る日だった為、今こうして生きているそうだ。

 じゃあ何で二人がこんな何の変哲も無い地方都市に赴任して来たのかを質問したら、お昼の話をもう一度最初から聞かされる事になった。

 

「キリサキさん、お昼に僕が言った事を覚えていますか?」

 

「前世の記憶がどうこうって話ですか?」

 

「そうです、僕とセフィリアさんは共にその【記憶】を持っているのです」

 

 少々話が長いので割愛。クリードさんの話を要約するとこういう事だ。

 

 

 ◆クリードさんとセフィリア先生は効率よく情報を集める為に組織を作り、同じ様な記憶が有る人間を探して世界を回っている。 

 

 ◆同じ記憶を持っている人間でも、その中身にはかなりの個人差が有る。

 現にクリードさんは穴ぼこだらけの記憶しかないが、セフィリア先生はほぼ完全に近い形で記憶を思い出しているらしい。

 

◆組織の目標は、『原因』を突きとめる事。

 そして私の様に不可思議な記憶を思い出していない『原作に登場していた』人間を見つけ出し、組織に勧誘、もしくは保護する事。

 

 

 根掘り葉掘り話を聞いている内に何時の間にやら時計は二十一時を指していた。

 

「…おや、もうこんな時間ですか。 キリサキさん、お疲れの所を長々とお話してすみませんでした」

 

「いいえ、先生こそ私を護ってくれてありがとうございました。 セフィリア先生にもお礼を言わなくちゃいけないですね。 ……星の使徒、でしたっけ? 其処に入るかどうかはまだ決められないですけれど」

 

「別に焦る必要はありません。 キョウコさんの人生は貴女自身が決めれば良いのです、誰かに強制されて進む物では無いですから」

 

 そう言ってクリードさんは柔らかく微笑んだ。見る見るうちに私の顔が紅くなっていくのが分かる。 

 

「……最後にもう一つ、これは余計なお世話かもしれませんが。 お父さんとお母さんは、決してキョウコさんを見捨てていませんでしたよ?」

 

 訝しがる私を見て、栗井さんが鞄の中から一枚の紙を差し出した。

 

「キリサキさんの御両親は立派に守りましたよ。 自分達の命よりも、患者の命よりも、何よりも貴女を優先して守ったんです」

 

「守った…? 私を?」

 

 それでは、答えが決まったら教えて下さいね。それまでは此処に居てもらって結構ですから。

 そう言ってクリードさんはホテルの部屋を出て行った。

 

 

 私の人生の中で、恐らく最も慌ただしい一日が終わろうとしている。

 …それにしても今日は疲れた。気だるさに身を任せてさっさと寝てしまおうかと思ったが、流石にまだ早すぎるのでテラスへ出てみる事にした。

 ...決してセンチメンタルな気分になった訳では無い。

 一応部屋の周囲は警戒してくれているらしいが、念の為に外へは出ない様にとのお達しが出ていた。 …まあテラスならセーフだと思う。

 

 遠くの方に街の灯りが見えた。多分私が住んで居る町だろう。

 

 ―――覚悟を決めろ、私。

 

 意を決して紙を覗き込む。そこに書かれた文字はインクが掠れて滲んでいるのか、とても読みづらかった。

 

 

 

「ところで師匠、結局何故わざわざジャポンに来られたので?」

 

「そんなものは決まっています。 クリード君が真面目に教師をやっているのを笑い…じゃない、観察…ではなくて、ええと…そう、見学…じゃない、見守りに来ただけの事ですよ」

 

「そんな理由でわざわざ来ますかね、普通。 しかも昨日はケーキの食べ放題に半日以上居たらしいですね、リンの手を借りて変装してまでしぶとく居座って...」

 

「うっ! …だって、制限時間が一時間半しか無いんですもの、それだけの時間では到底全種類食べきれません、だからしょうが無かったんです!」

 

(うわあ、何言ってんだこの人…)

 

 

 




次回からやっとこさ原作ですよ、原作! 


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今の話
12.自己紹介は大切です。


 

 ありふれた中小都市の一つ、ザバン市。

 

 大通りに立ち並ぶ飲食店通り。その中の一つ、何の変哲も無い小料理屋。

 そこへ今、二人の男が煤けた暖簾を掻き分けて入店していく。 二人の入店と同時に、騒がしかった店内は一瞬にして静寂に包まれた。

 一体何事かと眼を向けた店員達も、入り口に立つ二人を見て事情を察する事になる。

 

 接客業として有ってはならない事なのだが、全員がもれなく固まるか、或いは厨房へ逃げてしまい誰一人として注文を取りに行こうとしない。

 誰もが口を噤み、箸を置いて顔を伏せ、ただ嵐が過ぎ去るのを待っている。

 

 おおよそ食事をする場所とは思えない程に重苦しい空気が店内を満たす中、このままでは埒が開かないと意を決した一人の店員が応対に向かった。

 

「い、いらっしゃいませ、お二人様ですか? 先に御注文をお伺いしますぅ…」

 

 カタカタカタカタ・・・・。

 

 入店して来た男の内の一人、全身を隈なく大小様々な針で突き刺した男は喋らない。開き切った瞳孔でただ店員を見つめている。

 

「ヒィッ!? あ、あのう、注文を……」

 

「ああ、ごめんね♡ 彼はこう見えてシャイな人間なんだ。 …ステーキ定食、弱火でじっくりね♤ 彼にも同じやつを宜しく」

 

 針男の代わりに返答したのは同時に入って来たもう一人の男。男は道化師風の化粧と装いをしている。

 しかし、店内に居合わせた客達は彼らを大道芸人の類だとはとても思えなかった。二人の身体から漂う濃厚な血の臭いが、彼らがそんな愉快で生易しい存在では無い事を暗に誇示していたからだ。

 

「す、ステーキ定食ですね、畏まりましたー! お客さん、奥の個室へどうぞ!」

 

 他の客に配慮したのか、店員が厨房奥に有る個室へ二人を案内する。

 姿が完全に見えなくなったのを確認して、店内に居た客とスタッフは一斉に安堵の溜息を吐いた。

 

「何だよあいつ等、絶対カタギじゃねーよ…」

「あんなの、シャイな奴がする格好じゃねーぞ!?」

「店員さんマジGJ!!」 

 

 二人が発していた異様なプレッシャーから解放され、俄かにざわつき始める店内。

 そこへまた一人、男が訪れた。左腰に刀を下げた、恐ろしく整った顔立ちをしている銀髪の男だった。

 まとも(少なくとも外見的には)に見える客に安心したか、厨房から威勢の良い掛け声が飛ぶ。

 

「いらっしゃーい! お客さん、ご注文は?」

 

「ステーキ定食、弱火でじっくりで」

 

「あいよー! お客さん、奥の個室へどうぞー!  ……ん?」

 

 

 

 

 

 小料理店の地下、数百メートル。 そこに数十名の人間が屯していた。 

 彼らは皆、超難関と謳われるハンター試験に挑む猛者達であり、自信に満ちた顔つきで試験開始の時を思い思いに待っている。

 

「…おや、案外人が少ないね♤ 少し早く着きすぎたかな?」

 

 周囲を見渡した後、横の二人に問い掛けたのは鮮血の奇術師、ヒソカ。

 彼の姿を見た参加者達は視線を逸らし、一斉に距離を取った。昨年のハンター試験を受験した者は彼の恐ろしさを覚えていたのだ。

 そうでは無い者も、三人と自分達の間を隔てている千尋の谷よりも尚深い実力差を自ずと悟るか、或いはその風貌を危険視して遠巻きに見ているだけだった。

 

 ヒソカの隣、全身に針を突き刺した不気味な男は何も言わずただ黙している。

 

「…恐らくそうだろう。 現に他の参加者が付けているプレート番号はかなり若い物だ」

 

 答えたのは二人と共にエレベーターから現れた銀髪の男。

 彼は二言三言ヒソカと会話した後、係員からプレートを受け取るとその場を離れた。そして近くの岩場に座り、徐にタスキ掛けにしていた鞄から本を取り出して我関せずとばかりに読み始める。

 

 

 地下会場は重苦しい沈黙で満ちていた。

 誰もが目を伏せ、早く試験が始まる様に祈っている。その中で時折漏れ聞こえて来るのは、やはり先程の異様な組み合わせの三人組についてだった。

 そんな中で一人、意を決した様に小太りの男が銀髪の男に近づいて行く。

 男の名はトンパ。 彼は受験生が脱落する瞬間の表情を見たいが為に、死を伴う可能性が有るハンター試験に十数回以上参加しているという筋金入りの変人だった。

 

 ヒソカと針男と銀髪の優男。

 この三人の中で誰かを選ばなければならないとするなら、やはり銀髪の男だろう。 そう考えたトンパはお手製の下剤入りジュースを手に男の前に立った。

 

「よう兄ちゃん、災難だったな」

 

 その声を聞いて、男は読んでいた本からゆっくりと顔を上げる。そしてトンパを真正面から見た。

 

(な、何だよこいつのこの眼。 まるで俺の事をそこらの犬畜生か何かみたいに…!)

 

 今、この優男の中で自分の価値が値踏みされている。 ぞわり、と全身の産毛が逆立つ様な怖気に襲われながらトンパはそう直感した。

 同じ人間を見る眼では無い、この優男は自分の事を精々が使い捨ての道具程度にしか考えていないのだ。 そう思わせるのに十分な冷酷な瞳をしていた。 

 それでも動揺を顔に出さずに話しかける事が出来たのは、それなりに場数と修羅場を潜って来た経験と自負からか。

 

「ああ、言い忘れてた。 俺はトンパって名だ。 まあ一応ベテランだからな、分からない事が有ったら何でも聞いてくれや。 アンタは?」

 

「…クリードだ。 親切にどうも有難う。 だが僕には必要ない、他を当たってくれ」

 

 それだけ言うと男はトンパから興味を無くしたのか、再び本へ眼を落とした。

 

(この新人、人が親切に教えてやろうってのにスカしやがって~~! …ちぃっ、このままじゃあ、新人をからかいに行ってビビらされて帰って来ただけで終わっちまう!)

 

「~~っと、いけねえ、忘れてたぜ。 これ、やるよ。 お近づきの印に受け取ってくれや」

 

 精一杯の笑みを浮かべ、ダメ元でお手製の缶ジュースを差し出す。

 次の瞬間だった。 首筋に熱さを感じ、次いで手にしていた缶が中程からすっぱりと二つに断ち切られて地面に転がり落ちたのは。

 反射的に首筋に触れ、手を開く。 掌はべったりと血で染まっていた。

 

「…危なかったな。 トンパさん、だったかな? 折角拾った命だ、大事にすると良い」

 

「ひ、ひいぃぃぃぃい!!」

 

 痛みと恐怖にショートしかけた脳みそを何とか奮い立たせ、トンパは這いずる様に逃げ出した。

 

(何をされたか分からねえが、このままあの優男の前に居たら確実に殺される!!)

 

 

「…失敗したか」

 

 

 

 

 数時間後、地下に居る人の数はさらに増えていた。

 優に数百名を超えた辺りだろうか。 また扉が開き、エレベーターから受験者が姿を見せる。それを見て静まり返っていた試験会場が俄かにざわつき始めた。

 扉から現れた四人組がこの難関を受験しようとしているとは到底思えず、余りにも場違いに見えたからだ。

 

 四人の内の一人、制服を着た少女がいきなり大声を上げた。

 

「あっ、見つけましたよ~~! 師匠、じゃなくてクリードさん!!」

 

「おやサキ君。 何とか試験開始に間に合ったようだね」

 

 とてとてと駆け寄って、ぎゅっと首にしがみついた少女をやんわりと引き剥がしつつ、銀髪の男もといクリードは後ろでぽかんと口を開けている三人組に目を向けた。

 サングラスを掛けた軽薄そうな男、そしてやや線の細い金髪の青年。 その隣に黒髪を逆立てた活発そうな少年。

 

「それで、後ろの人達はお友達かい?」

 

「はい、此処に来るまでに仲良くなりました!」

 

「話に割り込んですまないが、彼を私達にも紹介して貰えるか? 師匠という言葉は聞こえたが、此処に居るという事は参加者の一人なのだろう? 今は少しでも情報が欲しい」

 

 金髪の青年がそう言うと隣の軽薄そうな男が小さくガッツポーズをし、それを見た黒髪の少年が不思議そうな顔をしていた。

 

「はーい。 この人はクリードさんでーす。 私の命の恩人で、超イケメンで~。 ~~~、~~~、~~~~~。 ……あっ、後は師匠で、お仕事の上司です。 …ねっ?」

 

「まあ命の恩人と言えば些か語弊が有るが、大方はそれで間違いないかな」

 

 その後20分以上に渡り、終わりの見えない長話と自慢話を聞かされ続け、その間に絶え間なくクリードからぶつけられ続けた視線と強烈な圧迫感。三人は疲れ果てた表情を隠せずにいた。

 疲労困憊の三人を気にする素振りも見せず、クリードは溜息と共に読んでいた本を鞄に戻して立ち上がる。

 

「クリードさん? どうかしましたか?」

 

「そろそろ試験が始まりそうだ。 お友達の紹介は始まってからにしよう」

 

 

 

 

 走る。 光の届かない地下を何十、何百人もの人間が同じ方向を向いて走っていた。

 行先も時間も、何一つ知らされないまま彼らは走る。只管に試験官の後を付いて行く。それが一次試験だと聞かされて。

 

 集団の先頭、試験官のすぐ後ろを銀髪の男と黒髪の少年が談笑しながら走っていた。 ここまでで既に80キロを優に走破しており、ちらほらと脱落者も出ているのだが、二人の表情にはどこか余裕すら見える。

 

「成程、ゴン君は父と同じハンターを目指すのか。 良い目標だ。 此処まで着いて来ているのを見る限り、きちんとトレーニングもしている様だしね」

 

「本当? ありがとうクリードさん!」

 

「…ちなみにだが、君のお父さんの名前を聞いても構わないかな?」

 

「うん、『ジン・フリークス』って言うんだ!」

 

「ジン…?」

 

「クリードさん、ジンの事を知ってるの?」

 

「ああ、思い出した。 …確か三年程前かな、キミのお父さんと闘って負けてね。 全く、ぐうの音も出ない程の完敗だった。 危うく刑務所に叩き込まれる所だったよ」

 

 その時の事を思い出したのか、額に手を当てくつくつと笑うクリードをゴンは不思議そうに見つめていた。

 

「おや、どうかしたかな?」

 

「うーん…。 何か上手く言えないんだけどさ、クリードさんって不思議な人だなあって思って」

 

「…へえ、具体的には?」

 

「えっと、クリードさんって野生の動物みたいな凄く濃い血の匂いがするのにとっても優しい眼をしてるよね? だから不思議なんだ」

 

 ほんの一瞬だけクリードの顔が驚愕に染まり、すぐに元の冷酷な微笑を浮かべた表情に戻る。

 

「…君のお父さんはとても強かった。 恐らく彼に敵う相手は世界中を探しても両手の指に満たないだろうね」

 

 頑張ってお父さんに追い付くが良いさ。

 

 そう言ってクリードはわしゃわしゃとゴンの頭を撫でまわした。それは彼の素性を知る者からすれば、驚愕する事必至の光景だった。 

 

「あっ、俺と同じ位の子だ!」

 

 その直後、後ろからスケートボードに乗った銀髪の少年が二人を追い抜かして行く。

先頭へ躍り出た少年を見てゴンが明るい声を上げた。

 大半が筋骨隆々の参加者達の中に子供が一人という状況で、やはりどこかで疎外感や孤独感を感じていたのだろう。

 

「あれ? ここが先頭かよ。 とろとろ走ってるからって前に出過ぎたかな~。 …っと、そんな事よりさ、仲良いねお二人さん。 俺、キルアってーの。 一応、宜しくな」

 

「オレはゴン! 宜しくねキルア!」

 

 子供特有の無邪気さゆえか、二人は直ぐに打ち解けて好きな物談義に華を咲かせている。 その隣を並走しながら、クリードはサキの現在地点を携帯電話のGPSで確認していた。

 

(僕の後方、大体2キロ程か。 少し急ぐように忠告しておくかな)

 

「はー、まさか俺以外に子供の受験者が居るとは思わなかったなー。 …んで? そこの優男さんは何て名前?」

 

 メールを打ち終わった携帯を懐に仕舞い、クリードが答える。

 

「……クリード・ディスケンスだ」

 

 その名前を聞くや否やキルアから無邪気な子供の顔が消え、即座に警戒態勢に入る。そしてゴンを引きずる様にしてクリードから遠ざかって行った。

 

「えっ? いきなりどうしたのさキルア?」

 

 当然、訳が分からずに戸惑うゴン。 厳しい顔のまま、キルアは告げた。

 

「スタート地点からずっと引っかかってたんだ、アイツの顔が。 …思い出したぜ、ゴン。 クリードはな、二年前に俺の兄貴の腕を吹き飛ばした奴だよ」



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13.我慢も大切です。

適当に各話のタイトルを付けて来た所為で、せっかく浮かんだ格好良さげで厨二臭いタイトルが付けられなくて泣く羽目に。


 

「おや、これは予期せぬお客さんだ♤」

 

 唐突に始まった地獄の三者面談。

 

 この場合はどちらが先生でどちらがお母さんなのか。そんなくだらない思考で現実逃避しようとする程度には、僕はこの場――ハンター試験会場へ移動するエレベーターを訪れた事を後悔していた。

 

 

 中華風の回転式円卓。皿の上には等間隔に切り分けられた牛ステーキが盛り付けられている。 断面から覗く見事なまでのミディアムレアの赤身。

 鮮やかな赤色が、この皿を提供したのが一流、もしくはそれに準ずるレベルの料理人の仕事だと教えてくれていた。

 彩りを添える様に盛り付けられた人参のグラッセとマッシュポテト。黄金色のコンソメスープの水面にぽつぽつと浮かぶクルトンもまた美しい。

 

 …惜しむべきはテーブルを囲んでいるのが目を血走らせたピエロと目が逝っちゃってる針男という事だ。 それさえ無ければ喜んで食していただろうに。

 

「あの時から、随分と成長したじゃないか。 …今すぐにでも食べちゃいたいぐらいだよ♡」

 

 舌なめずりをしながら、感極まった表情で鳥肌が立つ様な台詞を仰られたのは、かつて天空闘技場で僕にばっちりトラウマを植え付けてくれた元凶ことヒソカさん。 

 

(先生! ヒソカくんが素手でステーキを持って食べてまーす! きたな…気持ち悪いので帰って欲しいです! 切実に!!)

 

 超至近距離で繰り広げられる余りにおぞましい光景に僕は思わず顔を逸らした。

 まあ、逸らした先には全身にこれでもかとぶっとい針を突き刺しまくった、スピリチュアルでスパイシーな格好をされている御方が座って居るのですけれどもね。

 

 変態☆奇術師ヒソカさんに負けず劣らず針男さんもやばい、何がやばいってまず目がやばい。 何処か遠く、遥か彼方へ逝っちゃってる。 ほぼ逝きかけましたってレベルじゃない。

 

(クリードちゃん、お母さんの今日のファッション、どうかしら? ……まず額に刺さったぶっとい針を抜こうよ、お母さん)

 

 おかしい、何故に僕はハンター試験を受けようとして世界レベルの変態二人と食事会をしているんだろう? …ああ、こんな事ならサキ君一人で行かせれば良かった。

 余りにも意味不明な状況に意味不明な妄想が頭を駆け抜けて行く。

 如何にか意識を現実に戻すと、依然として規則的な動きで一心不乱にカタカタしている針男さんが視界に映る。 あのー、食べないと折角のステーキ冷めちゃいますよ?

 

 さっきから妙に引っかかっているのだけれど、この針男さん、前に何処かで見た事が有る様な気がするんだよなあ。

 僕の気のせいだろうか? 少なくとも記憶を辿る限りではこんなファンキーな格好をして、【左腕が義手】の人に心当たりは無いけれども。

 

「彼が気になるのかい? ギタラクルって言うんだ♤ とても人見知りな奴だから、是非仲良くしてあげてね♡」

 

 紹介された針男もとい、ギタラクルさん(以下、呼びにくいのでギタさんで表記)は何のリアクションも取らず只管にカタカタしている。 どうやら彼はヒソカさんのお友達(意味深)だそうで。

 類は友を呼ぶってこういう事ですか、成程。 妙に納得した所で、先程からどうしても気になっていたギタさんの左腕について質問してみた。

 

 ・・・・えっ、何この空気。

 

 カタカタをやめて僕を睨むギタさん。 何故か嬉しそうなヒソカさん。 ノンストップで降下し続けるエレベーター。

 

 びっくりするぐらい気まずい空気が漂う中、唐突にヒソカさんが立ち上がった。 ヒソカさんのヒソカさんも立ち上がっている。

 

「そんなに誘惑しないでくれよ・・・! もう少し熟れるまで我慢しようと思ってたのに…。 駄目だ、抑えきれないよお・・・♡」

 

 ちょっと、何言ってだこの人。 僕はトマトか何かですか? 

 突っ込みを入れる間もなく、ヒソカさんは珍妙なポーズを決めている。

 

 嗚呼駄目だ、師匠助けて下さい。 僕のスキルではこの人達のレベルには対処しきれません。

 

 次の瞬間、爆発を思わせる勢いで暗黒オーラが吹き上がる。

 文字通り、色んな意味で完全に臨戦態勢になってしまわれたヒソカさん。 逃げ場のない密室。

 こんな狭いエレベーターの中で戦うも何も無いでしょうに。

 そう思いつつ、助けを求めて万に一つの可能性に掛けてギタラクルさんを見る。

 

 …さっきよりも若干激しくカタカタしていた。

 

 ちょっと貴方、仮にもこのピエロさんのお友達なら何とかしてくださいよぉ!! 駄目だ、聞いちゃいない!!

 

「さあ、闘ろう・・・!」

 

 一体何をやろうって言うんだ、何を!?(白目)

 凄まじい顔芸を維持しつつ、じりじりと近寄って来る変態に思わず腰に下げた虎徹に手が伸びる。

 

 …来る!! 

 

 その瞬間、エレベーターが目的の階に到着した様で、気の抜けた音と共に扉が開いた。早足でエレベーターから飛び出て、すかさず安全地帯を探す。

 一刻も早くこの場を立ち去らなければ危ない!! 色々な意味で!!

 

「おや、残念、時間切れか…♤ 仕方ない、また後で闘ろうね♡」

 

 心底残念そうな顔をしているヒソカさんを尻目に安全地帯を探して逃げる。 逃げました。

 暫し周囲を見渡して、座るのに良さげな岩場を少し離れた場所に見つけた。すかさず陣取って持参した本を鞄から取り出す。

 

 これから一生、命の危険が有る様な火急の事態に陥らない限りはエレベーターに乗らない様にしよう。 僕はそう固く誓った。(フラグ)

 

 

 

 ――ああ、やっぱり本は良いね。 活字は僕を至福へ誘ってくれる。

 

 暫くの間、新しく出来たトラウマを忘れようと新しく入荷した希少本の世界に没入していた。

 …そういえば、クロロさんが近々新しい本を入手しに行くのに人手が足りないから手伝いに来てくれーとか言っていた気がする。 この試験が終ったら少しは暇が出来るし、顔を出してみるかな。

 

◆◆

 

 ふと気配を感じて顔を上げると、何だか凄くニコニコしながらこっちに近づいて来る小太りのおじさんと目が合った。

 フレンドリーに話しかけて来られたのでこちらも誠意をもって対応をし…無理でした。 おじさん、後ろ、後ろ~~~!!

 人好きのする笑顔を見せるおじさんのすぐ後ろに、人を殺しそうな笑顔をしたマッドピエロ――ヒソカさんが立って居るではありませんか。 

 怖すぎて思わず顔を伏せちゃったけれど、おじさん気付いて! ヒソカさんが手にしたトランプでおじさんの首を掻っ切ろうとしているよ!? 呑気に自己紹介何てしている場合じゃないよ!

 ほらヒソカさんが空いた手でカウントダウンしておりますがな!! 5、4、3、2、1、 ああ、もう!!

 

 間一髪、抜き打ちで放った虎徹でヒソカさんが奔らせたトランプを半ばで斬り飛ばす事に成功し、おじさんは辛くも九死に一生を得る事が出来ました。 

 コンマの応酬から一拍置いて、血が吹き出る首筋に気付いて情けない悲鳴を上げて逃げ出したおじさん。 大丈夫、頸動脈は外れている筈だから。

 一方のヒソカさんは満足そうな顔をして針男さんの所に戻って行きましたとさ。

 結局の所、彼が何をしたかったのか不明である。 …ストレス発散?

 

 …それにしてもあのおじさん、真後ろに居たヒソカさんに最初から最後まで全く気付いていなかったな。

 周囲の気配(主に例の二人)はこまめに探っていたから、歩き方や身に纏う気配でおじさんがそこまでの使い手で無いのは予め分かっていたとはいえ、この先が些か不安になるね。

 此処へ来た時から思っていた事だが、やはり参加者の大半がヒソカさんはおろか絶賛修行中のサキ君にすら敵わないレベルらしい。

 勿論、念(氣)の使い方を覚えているか否かの違いは大きいけれど、それを差し引いても皆さん少しばかり修練不足なのでは無いだろうか? 一度師匠のトレーニングを受けてみれば良いのにね。 この世の地獄を見る代わりに耐え抜けば確実に強くなれる。 ソースは僕。

 

 その後、数時間は何事も無く読書に集中する事が出来た。 例の二人をちらりと覗き見る。トランプタワーをしていたりカタカタしていたり、今の所は落ち着いている様だ。 出来ればそのまま試験が終るまで静かにしていて欲しい。

 

 丁度キリの良い所まで読破したので、腕時計を確認する。そろそろ一次試験が始まっても良い時間ではある。 周りを見渡すと、エレベーターから出て来るサキ君が見えた。

 何時にも増してスキンシップ過剰なサキ君を引き剥がしつつ、道中で意気投合したらしいお友達を拝見させてもらう。愛弟子に集る羽虫は早めに排除して置かないといけないからね。

 

 以下、僕の私見による三人の考察もどきを記しておく。

 

 まず目についたのが金髪の聡明そうな青年、クラピカ。

 知り合いという情報だけで満足せず、僕や他の参加者について少しでも情報を集めようとする周到さ。 さり気なく周囲の気配を探り、危険な人物を警戒している冷静さはお世辞抜きで素晴らしい。 きっと彼は何所の組織に属したとしても素晴らしい働きをするだろうね。

 少しばかり引っかかると言えば、彼の眼か。 …これはあくまでも僕の想像だが、彼の眼の奥には想像を絶する程の悲しみと、それを燃料にして燃え盛る仄暗い蒼い炎が垣間見える。 …様な気がする。

 目的の為に非情になろうとする冷酷さと彼が本来持っている優しさ。 いずれその矛盾に押しつぶされなければ良いのだが。 …難しく考えすぎかな?

 

 その次に気になったのはツンツン頭の少年、ゴン。

 この子を率直に表すならば、底が見えない恐ろしさといった所か。 僕を見る少年の眼には、一点の曇りも汚れも見つからなかった。

 それだけならば、只の世間知らずの子供だと切り捨てれば良いだけの簡単な話だが、どうやらそれで終わる様な単純な話では無い様で。

 これでも僕は自分の事をそれなりの使い手だと自負している。 修羅場を潜って来た中で培った勘が、忙しなく警鐘を鳴らし続けていた。 

 少年の内に秘められた得体の知れない何か、絶対に触れてはならない禁忌が潜んでいる、と。

 というか、この少年もさっきの針男さんと同じく以前に何処かで会った事が有る様な…。 気のせいか?

 

 最後にブランドスーツを着込んだ軽薄そうな男性。何故か彼だけフルネームで名乗ってくれた。レオリオ・パラディナイトという名前らしい。

 彼は、何というかまあ『人は見かけに依らない』を地で行っている人物だ。 俗に云う、『超』が付く程の御人好し。 彼に対して抱いた印象はそんな所か。

 周囲に向けて威圧感を剥き出しにして高圧的な態度を取りながらも、隠しきれていない暖かい人柄の良さが行動の端々から滲み出ている。

 先程の騒動の際に、僕の側に落ちていた血の付いたトランプ。 それを見つけた彼は真剣な顔で怪我人が居るのかと問いただして来た。

 何処かのヒソカさんの所為で優しいおじさんが負傷した旨を教えると、すぐさまおじさんの元へ駆けつけてそこいらの医者のお株を奪う様な的確で手早い処置を施していた。その際の彼の眼は真剣そのものであり、彼が何を成す為にこのハンター試験にやって来たのかを容易に想像させてくれた。

 …まあ、彼に聞いてもサキ君の長話から逃げだすのに丁度良かった等とはぐらかすのだろうけれど。

 

 とまあ、依然として続いている長話を聞き流しつつ、そんな事をつらつらと考えている内にどうやら一次試験が始まるらしい。 

 やって来た試験官さんは髭が素敵なナイスミドル。 ….どうやら彼の後を着いて行くのが試験だそうだ。 さしずめ、持久力テストといった所だろうか。

 ふと横を見るとサキ君がかなり不安そうな顔をしていた。

 技術面は元々の才能も有ってかなりの物を身に付けたとはいえ、身体能力的にはまだまだ発展途上だからな。

 緊張を解す為、何時もの様に軽く抱きしめて頭を優しくぽんぽんする。 こうするとサキ君は(何故か)やる気が出るようで、大きな仕事の際には半ば恒例になっていたりする。

 案の定、鼻息を荒くして頑張ります!を連呼しておられる。 …これでまあ、少し位のマラソンは問題無いだろう。 

 一部始終を見ていたレオリオ氏とクラピカ君の冷たい視線が解せなかった。 何故だ、星の使徒ではそんな目で見る奴は居なかったというのに…。

 

 そんなこんなで走り出して早くも80キロ余り、いつの間にか先頭に来てしまっていた。もう、少し位とは言えない距離になって来たな。 果たしてサキ君は大丈夫だろうか。

 

 頭の片隅で心配しつつ、何時の間にか隣を走っていたゴン君と世間話をしながら尚も走る。話の中でゴン君の父親があのジン・フリークスという衝撃の事実が発覚。

 いや本当に、あの人はチートの塊としか例えようの無い化物だった。 幻想虎徹を念の技術だけであそこまで完璧に模倣されるなんて、夢にも思っていなかったもの。

 

 メッタクソにしばかれた当時を思い出して苦笑いしたり、ゴン君のツンツン頭を撫でまわしたりしている内に巨大な階段が見えてきた。

 今度は此処を駆け上がるのか。 そんな事を考えていると、スケートボードに乗った少年が横を突っ切って行った。 ...と思ったら戻って来た。

どうやら少年はゴン君に興味が有ったみたいで、僕達の後ろで話しかけるチャンスを伺っていた様だ。

…さっきから地味に怖かったんだよね、僕のすぐ後ろを殆ど音のしない【何】かに乗った、音を立てない人間に引っ付いて居られるのは。

 

 光の速さで打ち解けた二人。 ついでに僕もお友達にしてもらおうと簡単な自己紹介をした。 

 …何という事でしょう。 名前を教えた途端、物凄い勢いで少年―キルア君が僕の事を警戒し始めたでは有りませんか。 当然の事だが、ゴン君は訳が分からずにぽかんとしちゃっている。

 

 

 何故だ? …心当たりは、そこそこ有るな。

 

 

◆◆

 

 

「思い出したぜ、ゴン。 アイツはな、二年前に俺の兄貴の腕を吹き飛ばした奴だよ」

 

「クリードさんが、キルアのお兄さんを!? …って、あれ? ちょっと待って、後ろから血の匂いがする…?」

 

 ゴンの言葉と同時に、クリードの懐がタイミングを見計らったかの如く振動する。 

 

「ヒソカか…!」

 

 取り出した携帯の画面を見て、舌打ちと共にクリードが受験者の波を掻き分けて逆走し始める。思わずその姿を追いかけようとしたゴンに、離れて行くクリードから怒声が飛んだ。

 

「ゴン! 君は君の成すべき事をするんだ!!」

 

「…っ!! でも!!」

 

「ゴン、アイツの言う通りだ、ヒソカはお前が行ってどうにかなる様な相手じゃないよ」

 

 立ち止まってしまったゴンを一瞥し、先に行く旨を伝えてキルアは階段を駆け上がって行った。

 

 進むべきか、引き返すべきか。 逡巡するゴン。

 その間にも受験者達は我先にと階段を駆け上がって行く。

 

 

 唐突に聞こえた足音や息遣いとは違う誰かの悲鳴。その中に確かに聞こえた、此処に至るまでに知り合った大切な仲間の声。

 

「この声…間違いない! クラピカとレオリオだ!!」

 

 

 ーーーかつん。

 

 

 折り重なる様にして倒れていた。

 屈強な肉体を誇っていた男も、老獪さと経験で生き残って来た猛者も、人知れず野心を抱えて歩んで来た少女も。 皆等しく倒れていた。

 地下道は力尽きた受験者達から溢れ出た血で黒く染まり、辺り一面に噎せ返るような鉄錆の香りが立ち込めている。

 

 

 ―――かつん。

 

 静まり返った地下道に、革靴が地面を叩く音が一際高く反響する。 音の主は銀髪の男。 

 

「やあ、トレイン。 じゃなくてクリード君だったかな? …危なかったね♡ もう少しで、この娘を食べちゃう所だったよぉ・・・!?」

 

 愉悦に満たされた声を発したのは道化師。 鮮血の海。彼はその中心で笑っていた。

 足元に広がるどす黒い紅色。それと同じ位に艶やかな唇を引き攣らせて、只々笑っていた。

 死が満ち満ちたこの場に残っている、数少ない生きた人間。 奇術師と対峙していたクラピカとレオリオが振り返り、驚愕に眼を見開く。

 

「…ヒソカ、今すぐその人達から離れろ」

 

 冷徹な眼差しで奇術師を睨むクリード。

 その右手には奇術師の『狂気』を稚戯と嘲笑する、本物の『狂気』が顕現していた。

 

『グギャギャギャギャ!!』



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14.大人だって、切れる事はある。

刹那という単語を使って見たかっただけの回。
結構、グロ注意。


 

『グギャギャギャ! ギーヒヒヒヒヒ…!!』

 

「それがキミの能力かい? 随分と良い趣味をしているね♡」

 

 込み上げる愉悦を隠す素振りも見せず、ねっとりとした情欲をクリードにぶつけるヒソカ。しかしクリードはその期待に答えようとはしない。

 相対した時から彼が見ていたのはヒソカの足元。 

 そこで血だまりに倒れ伏した、制服を着た少女。 

 

――見間違えようも無く、キリサキ・キョウコだった。

 

 視線に気付いたヒソカが安い挑発の言葉を投げ掛ける。

 

「ああ、彼女かい? …安心しなよ、ちょっと味見しただけさ。 折角【使える】のに何時まで経っても使ってくれないからさ、ついムキになっちゃった♡」

 

 次の瞬間だった。 

 全く唐突に、ヒソカは左足――太腿の辺りから久しく味わっていなかった熱を感じた。

 何事かと見れば、左足の中程の皮膚が楕円形に裂け、体内に有る筈の白い骨が覗いている。

 瞬く間に血がぶくぶくと音を立てて吹き上がり、痛覚が得も知れぬ快感を伴いながら脳内を駆け巡る。

 視線を前方に向けると、クリードの持つ異質な剣の先端、人で例えるならば口に当たるであろう部位から薄ピンク色の物体が覗いているのが見えた。 

 その物体から滴り落ちている雫を見て、察した。

 

―――察して、絶頂した。

 

「素晴らしい、ボクが齧られ終わるまで全く気付けないスピードだなんて、最高じゃないか…♡」

 

「黙れ…! 大人しく脾臓を抉られていれば良かった物を」

 

 感情を吐き捨てる様に呟いたクリード。

 その背中には今の短いやり取りの一体何所で抱えたのか、ヒソカの側で倒れていた筈のキョウコが居た。

 

 一人は抑える心算の無い歓喜を露わにし、もう一人は抑えられない不快感を珍しく表情と言葉に出して。 

 

 じりじりと睨みあう奇術師とクリード。

 その一方で目まぐるしく変化する状況に全く着いて行けない、一般人以上、能力者以下である二人。 蚊帳の外の彼等は未だ混乱の極致に居た。

 

 現在の状況を二人の視点から説明するならば、《会話の途中、何時の間にかヒソカの太腿がごっそりと抉られており、何時の間にかクリードの剣が恐らく抉られた肉片の一部であろう部分を咥えていた》としか表現のしようが無かった。 序に、何時の間にか倒れていた筈のキョウコもクリードが背に乗せている。

 

(おいおい、何だよあの不気味な剣は…。 まるで【あの剣】自体が生きていて意思を持っているみてぇだ…!)

 

 九死に一生、または起死回生。

 不幸にもこの虐殺現場に居合わせた自分が、志半ばでの死を覚悟した瞬間に現れた救いの神。 救世主。 ――そう思えたのはほんの一瞬だけ。

 

 レオリオには、あの形容のし難い不気味な剣を携えているクリードとヒソカ。 そのどちらも同じく悪魔か、それに準ずる者にしか見えなかった。

 

 

 絶句、そして硬直。 クラピカにはこの状況で取れる行動がそれ以外に無かった。

 

 クリードが持っている歪な剣。

 それは今までにクラピカが見て来たどんな人間よりも『ヒト』らしく、今までに出会って来たどんな人間よりも醜悪に嗤っていた。

 その双眸から紅い雫をぽたぽたと零しながら、それでもげたげた、げらげらとさも愉快そうに笑っている。

 

 クラピカは【それ】を心の底から恐ろしいと思った。

 志半ばで命が潰えるかと思わざるを得なかった先程よりも、勝ち目が無いと分かっていてヒソカと相対した時よりも、【それ】の方が余程恐ろしいと。 

 …あの剣に籠められた悍ましい怨念と比べれば、自らの中で今この瞬間も青白く燃え続けている復讐心と憤怒でさえ、まだ生ぬるいのでは無いか。

 

 例え一瞬でもそう思ってしまった事が、クラピカには何よりも恐ろしかった。

 

 

「クラピカ君、レオリオ君、ここは僕に任せて試験に戻ると良い。 …今ならまだ二次試験に間に合う可能性も有る筈だ」

 

 均衡を破ったのはクリードだった。 

 携えた異質な剣と、その持ち主から発せられた余りにもそぐわない冷静な言葉。

 そのお蔭かどうかはさて置き、半ば恐慌状態だったクラピカに常の冷静な思考が幾分か戻る。

 

「レオリオ、ここはクリードの言う通りにしよう。 ….悔しいが今の私達ではヒソカを相手取るには力不足の様だ」

 

 数瞬の思考の後、レオリオもその意見に同意する。 

 彼をこの場に留まらせていたのはちっぽけなプライドと生来の負けん気。そして何よりも、知り合いがこの場に居たという事実が大きい。

 レオリオは、最悪の場合には自らが囮になる事でクラピカだけでも逃がす算段だった。

 

 自分だけのうのうと逃げて殿を任せるのは良心が痛むが、それと同時にこの場でヒソカを相手取って『死』以外の結果を見出せる可能性が存在するのはクリードだけだという事も、先の攻防をまざまざと見せつけられて痛い程に理解していた。 させられていた。

 

「ぐっ…! …おい、クリードだったか? そんな格好付けといてあっさり死ぬんじゃねーぞ! 俺は誰かに借りを作ったままにするのがこの世で一番大嫌いなん…っ!?」

 

 言葉を全て吐きだす前に腹部に重い衝撃を感じ、視線を下げる。 鳩尾に拳が深くめり込んでいた。 

 意識を失いその場に崩れ落ちようとするレオリオを、めり込ませた張本人であるクリードが支え、駆けだそうとしていたクラピカに渡す。

 

「済まない、大人しく従って貰えそうに無かったので少々荒っぽい手を使わせて貰った」

 

「…お見通しという訳か。 まあ、レオリオが人の言う事を聞きそうにないのは同意するよ」

 

 少々重いが、まあ何とかなるだろう。 

 ぼやきながらも、再度駆けだそうとしたクラピカにクリードから小さな懐中時計が投げ渡される。

 

「これは?」

 

「ちょっとしたお守りという所かな。 表示されている光点を追って行くと良い、とだけ伝えておこう」

 

 クリードの意図する所を理解して、クラピカが一つ頷いた。

 

「クリード、この礼は次に会えた時に言わせてもらう事にしようと思う。  …死ぬなよ、必ずまた後で会おう」

 

 今度こそ遠くへ走り去って行く足音を聞いて、クリードはほうと溜息を吐いた。

 今の彼の心情を晒すなら、待つ事に我慢出来なくなったヒソカが襲いかかって来ないかとヒヤヒヤしていた。 

 ついでに、ゴンが忠告を聞かずにこちらに向かって来ていないか少々不安だった。

 

 もう少しだけ其処で待っていろ。 

 

 クリードはそう言い捨てて、返事を聞く前にヒソカから離れて行く。

 ある程度離れた所まで歩いて行くと、背負っていたキョウコを降ろし、立ち上がらせた。

 

「…サキ、目が覚めていたなら自分で起きてくれないか」

 

「え? あ~、いや~、想像以上にクリードさんの背中が心地よくて…つい、うとうとしちゃいました!」

 

 てへり。 悪びれる素振りも見せずそんな表情を浮かべるキョウコ。 

 場が場ならクリードも可愛らしいの一言で済ませただろうが、生憎と今の彼にはそんなおふざけに付き合っている余裕は無く。 結果、地下道に鈍い衝撃音が響いた。

 

「痛った~~い! 暴力反対ですよぅ!!」

 

「悪いが今は冗談に付き合っている暇は無い。 大した怪我が無いのなら、直ぐに走って集団に戻りなさい」

 

「ええ~? 私あの変態に腹パンかまされて超しんどいんですけどー。 それに、またあの汗臭い中に混じって走るとか絶対、無…理…!?」

 

 さながら阿修羅の如き憤怒の形相を浮かべたクリードにキョウコがごくりと息を呑む。

 仕事柄か、それとも元々そうなのか。滅多に感情を表に出す事の無いクリード。 状況を無視すれば、レアなショットで有る事は間違いない。

 

 彼の珍しい顔を見る事が出来て内心で喜んでいた所に追撃とばかりに耳元で何事かを囁かれ、半ば千鳥足になりつつもキョウコは受験者達との合流を目指してばたばたと駆けて行った。

 

(やった! クリードさんに褒められた!! 後でシャルデンさんに自慢しちゃおうっと!)

 

 

 

「…茶番劇は終わったかい?」

 

「お蔭様で。 大人しく待って居てくれてどうもありがとう」

 

 ヒソカとしては、もしあのままクリードが逃げようとしていたら、追いかけて行って少女や先の二人を嬲り殺しにしてでもやる気にさせる心算であったが、どうやら杞憂に終わってくれた様で安心していた。

 

 改めて目の前の御馳走を観察する。 

 初めて見たあの日に感じた予感は、今この瞬間に確かな実感に変わっていた。この相手となら、文字通り、極上の戦いが楽しめるだろう。

 

 熟れた果実を摘み取り、思うままに齧りつく快感に浸りたい。 

 ヒソカの脳内には、最早それ以上の思考は一欠片たりとも存在して居なかった。

 

「…うん、良く育ってくれたね♡ 君の成長ぶりは素晴らしいよ、ボクの予想以上だ♡ …あの時、食べるのを我慢していて本当に良かったなぁ」

 

 限界を超えた興奮の余り、放つ言葉の端々に震えが混じる。 

 

くくく…くくくく……うふふふ……..。

 

『ギャヒ! イーヒヒヒ…!』

 

 対するクリードは何も喋らない。 只、右手に携えた幻想虎徹が妖しく笑い、ゆらゆらと揺らめいていた。

 

「嗚呼、もう我慢できない…。 クリード、ボクを楽しませておくれよ…!!」

 

 対峙する二人の距離、およそ五メートル。 

 文字通り、瞬く間に距離を詰めたヒソカ。 彼が無造作に腕を振り下ろすと同時、薄暗い天井から無数のトランプがクリードを目掛けて一斉に降り注ぐ。 

 ヒソカにとっては先程の茶番劇の合間に戯れで仕込んだ遊び道具に過ぎないが、受ける側からするとそれは命を刈り取る残酷無比な凶器に他ならない。

 たかがトランプ、されどトランプ。 

 死の雨と化したそれは、一枚一枚がコンクリートの地面をまるで豆腐にナイフを突き刺すかの如く、容易く貫通する威力を秘めている。

 

 クリードは後方へ跳ねる様に飛び下がる事でそれを回避。 同時に虎徹を真下へ向けて振り下ろす事で高跳びのバーの様に弾みを付けて更に高く飛び、身動きの取れない空中での方向転換を行った。

 薄汚れた地面とキスする事になった虎徹が抗議の声を上げるが、それに構っている場合では無い。

 くるり、と一回転して降り立った視線の先、つまり方向転換を行わなかった場合の着地点には、ヒソカが満面の笑みで両手にトランプを構えて待ち受けていた。

 

「おや残念♡ 逃げられたか♤」

 

 さも楽しそうに肩をすくめるヒソカに、何所か呆れたようにクリードが相槌を打つ。

 

「生憎と、奇術師と舞踏会に行く予定は入れていないのでね」

 

「おや、つれないなぁ◆ …うん、それならいい考えが有るよ♡ ボク一人だけじゃ無くて、皆と一緒ならどうかな?」

 

 不意に、こと切れていた亡骸の一つが起き上がる。 

 一人だけではない。 地下道のあらゆる所に横たわっていた者達全てが、見えない糸に引っ張られる様にして一斉に起き上がった。

 気が付けばクリードは亡者達に完全に取り囲まれていた。 先の方向転換さえも計算に入れた上でヒソカに上手く輪の中心に誘導された事に気づくも、もはや後の祭りだった。

 

「さあ、楽しいダンスパーティの始まりと行こうか。 …すぐに壊れちゃ、駄目だよ?」

 

 視界を塞ごうとしてか、両手を目一杯に広げて上空から、または地を這う様に迫って来る亡者達。 後方で涎を垂らしながらにやつくヒソカの姿があっという間に見えなくなる。

 足を掴もうと倒れこんで来る者を蹴り払い、動きを封じようと腰にしがみ付いて来る者を拳で打ち払う。 

 

 無感動に無機質に、道化師の命令に従い只管に繰り返される亡者達の襲撃。 

 時折合間を縫って死角から飛来するトランプも余さず撃ち落として行くが、悪戯に体力と気力を削られるばかりで状況を打開する策が見いだせない。

 焦りが少しずつ心中で広がっていく。 やむを得ず虎徹で薙ぎ払おうと、腰だめに構えた姿勢で振り抜こうとして。 

 

――刹那。 クリードの脳内で危険を、否、死を警告するベルが大音量で鳴り響いた。

 

 勘に従い、左下手から薙ぎ払いへ移行しつつあった身体の動きをそのまま利用して、しがみ付いていた亡者を吹き飛ばしつつ後方へ飛び下がる。

 空中を半ば独楽の様に回転しながら、クリードは視界の端で捕えていた。 

 無理な体勢のまま虎徹を振るった所為で死角と化した左後方から、狂喜の表情を浮かべて飛び掛かって来る道化師の姿を。

 

 虎徹による迎撃は間に合わない、このままでは地面に降り立つ前に奇術師に切り刻まれる。 …ならばどうするか? 端から答えは決まっている。

 

 先程と同じ様に、虎徹で方向転換を。 其処まで思考して、不意に目に留まった奇妙な違和感。 

 操り人形達の腹部。 何故か皆、異様に膨らんでいた。

 

「…BANG!!」

 

 指鉄砲を構えたヒソカが、引き金を引く動作を真似る。 

 対抗策を練る間も無く、クリードの視界全てが一瞬の内に赤で染め尽くされる。 地下道は再び、奇術師の狂った絵の具で狂気に塗りつぶされた。

 

「どう? 気に入って貰えたかな、ボクのプレゼント。 …不思議な物でさ、凡愚で無才な低能人間で有れば有る程、綺麗な花火が咲くんだよね◆」

 

「…悪趣味だ、としか言えないな」

 

 血液、そして人間の体内に存在する酸を至近距離から浴びた事によって一時的にとはいえ視界の一切を封じられ、クリードは窮地に追い込まれていた。

 

 亡者達の体内をゴムと化したオーラで極限まで圧縮し、標的の至近距離で破裂させる。

 種を明かせば別段どうという事は無い手品。 だが実際にそれを考え、実行に移す狂気の持ち主はヒソカ以外には居ないだろう。

 

 クリードは条件反射的に【円】を展開する。 しかし周囲には依然として数多くの人形達が犇めいていて、視界を封じられたこの状況では大まかな人間の形しか認識できない。

 更に、周囲に立ち込める血臭と人体の内側に詰められていたガスやその他の強烈な匂いが相まって、クリードの集中力を著しく削いでおり、【円】の展開が通常時通りに行えていない。

 歯噛みするクリードに、更なる窮地が襲い掛かる。

 

(まずい、ヒソカの気配が消えた。 これでは何所から仕掛けて来るか分からない……!)

 

 此処に至って漸くクリードは気付いた。ヒソカは最初からこの状況を狙っていたのだ。 

 他の受験者達を無意味に虐殺していたのも、わざわざ自分に対して有効打に成り得ない人形を用いて回りくどく戦っていた事も、自分の残虐さを強調する為では無かった。

 

 全てはこの時の為。 

 血で足元をぬかるませ機動力を奪い、血臭で集中力を削ぎつつ、亡者達で体力と気力、そして判断力を削り、視界を奪う為。

 今更歯噛みしてももう遅い。 既に自分はヒソカの術中に腰まで嵌ってしまったのだ。 俎上の魚とは、まさにこの状況を示す言葉ではないだろうか。

 

 死が、久方ぶりに喉元まで近づいていた。

 

 

 

 ヒソカは動きを止めた玩具の姿を、周囲を包囲させた人形達の後ろで気配を殺しつつ観察していた。 苦し紛れに【円】を展開しているものの、明らかに自分の居場所を補足出来ては居ない。

 

―――さあ、どうやって食べようかな。

 

 数秒だけ考えて、やはり何時もの様に首筋を掻っ切って壊す事に決めた。 ヒソカにとってクリードは最早、興味を無くした玩具でしか無かったから。

 

(…ああ、キミも所詮はこの程度だったか)

 

 胸中を過ぎる少しばかりの満足感とそれを上回る大きな失望感。 

 彼の成長した姿を見た時は期待と興奮に胸が膨らんだものの、いざ蓋を空けてみれば、やはりこの程度だった。 少しばかり気を入れて戦っただけで、もう詰みの局面だ。

 

(残念だ。 やっぱり、クロロ程の生きの良い玩具はそうそう見つからないか…♤)

 

 ヒソカはそこで思考を打ち切った。 

 少しばかり力加減を間違えたとはいえ、この程度で壊れてしまった玩具、もといガラクタに何時までも付き合っている時間も慈悲も無い。

 彼の思考回路は、この試験で見つけた将来に期待できる青い果実候補の選別。 最早それしか頭に無かった。

 

 人形に紛れて音も無く近づいて行き――念を纏わせたトランプを首筋へ向けて振り抜く。

 

「さようなら♤ …思ったよりは楽しめたけれど、かなり期待外れだったよ」

 

 スペードのエースが、依然として微動だにしないクリードの首筋へ吸い込まれる様に近づいて行く。 ゆっくりと、何時か暇つぶしに見た、映画のコマ送りのシーンの様に。

 

 奇妙な違和感に気付いたのはその直後だった。 

 その瞬間、ヒソカは確かにクリードの視線を感じたのだ。 クリードの視界は依然として潰れているままであり、どう考えても『見えて』居ない筈なのに? 何故? 何処から? 誰が?

 

(いや、ボクを見ていたのはこの剣の方...!?)

 

 驚愕に眼を見開いたヒソカと、幻想虎徹の視線が交錯した刹那の時間の後。 

 ヒソカは腹部と頭部に強烈な衝撃を感じ、碌に受け身も取れないまま地下道を通っている鋼のパイプに半ばめり込むようにして叩き付けられた。

 衝撃で千切れ、彼方へ飛んで行く自らの右腕を視界の端に映しながら、ヒソカはクリードの姿を探す。

 

 モノクロの視界の中、浴びた血液を手で拭いながら憐れむ様に此方を見るクリードの姿、そして目に留めていた青い果実の一つである黒髪の少年の姿を見つけ、満足したのかヒソカは意識を失った。

 

(あのコ、頭に貰った一撃、は彼が放ったのかな? 素晴らしい一撃だ、気配の、消し方も、見事だった。 …ああ、それにしても…クリード、キミは最高だったんだね…!  次……は必ず、キミを食べ…….!)

 

 奇術師が完全に気を失った事を確認したクリードは、遅れて来た少年を連れて去って行く。 

 

(アンタを殺すのは簡単だが、殺しはしない。 この場は利き腕を捥ぐだけにしておく。 

 …ままならない身体で精々無様に足掻いて、苦しむが良いさ)

 

 

 

 二人の姿が見えなくなって暫し時間が経ってから。 

 ギタラクル、もといイルミが排水管の陰から姿を現した。満足そうに気絶しているヒソカを一瞥し、カタカタと針を揺らしながら大きく溜息を吐く。

 

「またこっ酷くやられたなヒソカ。 あんな奴に構うのは止めておいた方が良いって俺、言ったじゃん。 …人が親切に忠告してあげたのに無視するからそうなるんだよ」

 



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15.大好きだから、切ない。

 

 呆れる様な、何処か嘲りを含んだイルミの声。 

 その言葉を待っていたかの様にぱちり、と音を立ててヒソカの瞼が開いた。 形の良い唇が三日月を描いている。

 

「…はぁ~、最高に楽しい時間だった♡」

 

 鉄錆の匂いが充満した地下道、損壊した死体の山、片腕の無い奇術師、側に佇む針男。

 

 大の字で横たわったまま、奇術師の口から愉悦が漏れ出る。先の戦闘の代償として、欠損した右腕――それが接続されていた部分から今もじわじわと血を流し、それでいて今も尚、恍惚の表情を浮かべている彼の姿は控えめに見てホラー映画のワンシーンでしか無かった。

 

「人様の能力を都合の良い舞台装置扱いしておいてそのザマは無いんじゃない? …というか、思いっきり右手吹き飛んでるのに良くそんな台詞が出て来るなヒソカ」

 

「逆だよイルミ、じゃ無くて今はギタラクルか。 …久々に会えたんだ、ボクをここまで追い詰められる生きの良い玩具に」

 

 ――そんなの、楽しくてしょうがないに決まっているじゃないか。 

 

 そう言いつつ上体を起こす。それと同時に、彼方へ吹き飛ばされていた右腕が吸い寄せられるようにしてヒソカの元へ戻って来た。

 

「まあ、黙ってやられるのも癪だったから一撃は入れてやったけれど、差し引きで言えば今回はボクの負けだね。 ..…そうだ、これ返すよ」

 

 ヒソカはごそごそと懐を漁り、一本の長針を取り出した。

 

「借りたボクが言うのもなんだけどさぁ、『コレ』、ちょっとばかし怒らせる位しか役に立たなかったよ♤」

 

「本当に失礼なヤツだな君は。 …まあ、アイツは家の中でも数える位しか居ない終身名誉ブラックリスト入りしてるヤツだから、しょうがないと言えばその通りだけど」

 

 無造作に投げ渡された針を受け取りつつ、イルミの視線は千切れた右腕に向かう。 

 

「…くっつけて♡」

 

「別に良いけどお金は貰うよ? さっきの針の使用料と合わせて上乗せで。 …邪魔だから繋げる所のオーラ切って」

 

「はいはい♤」

 

 止血の役割を果たしていたバンジーガムのオーラが消え、断面から血がごぽりと吹き出る。 

 一瞬置いて、肩口と腕の中程に怪しい光を放つ針がそれぞれ一本ずつ突き立った。

 始めに針が突き刺さった肩口がボコボコと異様な音を立てて盛り上がる。 次いで身体から切り離されている筈の腕が柘榴の如く赤黒く染まり、弾けんばかりに膨れ上がる。

 

 どくり、どくり。 

 肩と腕、継ぎ目の血管が激しく脈動し始める。 

 どくり、どくり。 

 バラバラだった脈が徐々に同調していき。 

 

 ……どくり、どくり、どくん。

 

 数十秒、或いは数分か。 

 異常は唐突に収束し、残ったのは若干の赤黒さのみ。

 

「…はい完了。 とりあえず、試験が終るぐらいまではそれで大丈夫だと思う。 あんまり激しく動かすと捥げるから気を付けてね」

 

「え~♦ 捥げちゃうのかい? それは困ったなぁ…」

 

 調子を確める様に、ぶんぶんと腕を振っていたヒソカが残念そうに呟いた。

 

「…呆れた奴だ、まだやる気だったのか。 …言っておくけれど、次やる時は手伝わないから。 また仕事の邪魔されたら面倒だし」

 

「えー、冷たいなぁ♤」

 

「はいはい。 誰かさんの所為で大分遅れちゃったし、急いで追いかけるよ」

 

 そう言いながらイルミが懐から取り出した小型の通信機。 点滅する光点がとある受験生の方角と距離を発信し続けている。

 

「それ、誰に付けたの?」

 

 横から覗き込んだヒソカが疑問を口にする。

 

「誰って、キルに決まってるじゃん」

 

 何言ってんのコイツ? 的な顔を見せるイルミに内心苛立ちつつも、腕や先程の手伝いの件も有り、ヒソカが表情に出す事は無かった。

 

「さて、少し急ごうか。 二次試験に間に合わなかったなんてオチは避けたいからね」

 

 誰の所為だと思っているんだ誰の。 鼻歌でハミングを取りながら、呑気に前方を走るヒソカの背中に傀儡針を打ち込むか否かを割と真面目に考えたイルミだったが、余計な時間を食うだけなので自重する事にした。

 

 

 

「クリードさん、腕は大丈夫?」

 

 心配そうに見るゴンの視線の先、クリードの左腕からは、先程ヒソカの策略によって浴びた血液とは違う、自らの身体から溢れ出る血が滴っていた。

 ヒソカとの最後の攻防。 

 あの瞬間、ゴンの存在を認識した事でクリードと視界を共有していた幻想虎徹の動きが一拍遅れ、結果として左腕をトランプで裂かれる結果になった。

 幸いにも動きに支障が出る程では無いし、正直に教えた所で怪我がどうなる訳でも無いので、クリードがゴンに話す気は更々無かったが。

 

「ああ、この程度なら問題ないよ。 利き腕ではないしね」

 

 事もなげにそう言いつつも、クリードの眼には何処か遠く、遥か昔、師匠と二人三脚で繰り広げた特訓の光景が蘇っていた。

 

「ふふふ、失血状態の身体の動きを教わるのに手っ取り速いからと、良く師匠にやられた物だよ。 …クライストでグサグサッと」

 

「えっ、何それ怖い」 

(クリードさんの師匠って一体どんな人何だろう!?)

 

 ゴンの脳内で、クリードが師匠と呼ぶ人物の像が異次元の魔獣、もしくはそれに類する魔王の様なナニカで固定された瞬間だった。

 

 二人で地下道を走る事暫し。二度目の大階段を駆け上った先は、失格者を通さぬとばかりに分厚い鋼鉄の壁に閉ざされていた。

 

「あっ、クリードさんにゴン君! 無事だったんですね、良かったぁ…」

 

 閉じた鋼鉄のシャッター。 

 その手前にサキは独り残り、クリードを待っていた。

 

「サキ君、間に合わなかったのか?」

 

「残念ながら。 目の前でガシャンと閉じちゃいましたよぅ…」

 

 一瞬だった。 三人を塞いでいた目の前の壁が人間が通れる大きさ、縦長の長方形に切り抜かれ、轟音を立てて吹き飛んだのは。

 結果から言えば、抜き打ちで幻想虎徹を奔らせた後、クリードが壁に向けて思い切り寸勁をぶちかましただけの話なのだが。

 

 クリードが見せた一連の動きの余りの速さに何が起きたか理解できず、目を白黒させるゴン。 辛うじて剣戟の軌跡を目で追う事が出来たサキ。

 

「…まずいな、後ろからヒソカと、もう一人が走って来ている」

 

 険しい表情のままクリードが告げる。 

 その言葉に慌てる二人。 特にサキはヒソカと直接対峙した事も有り、わたわたしながら怯えていた。

 

「ど、どどど、どうしましょうクリードさん! 私もうあの変態と闘うの絶対嫌ですよ!?」

 

「時間も無いし、少々急ぐか。 サキ君、失礼するよ」

 

「えっ!? ちょちょちょ、クリードさん!?」

 

 左手は膝裏へ、右手は肩から脇へ。

 サキは俗に云うお姫様抱っこの姿勢を強いられていた。勿論、抱えているのはクリード。

 耳元まで真っ赤に染まりぶつぶつと何事かを呟いている少女に構わず、クリードはゴンに声を掛ける

 

「ゴン君、僕の背中におぶさってくれ。 時間が無い、急いで」

 

 暫しの逡巡の後、ゴンがクリードの背に飛び乗る。このまま自分が走るよりは、その方が早いと理解出来たのだ。

 ゴンが飛び乗るのを確認した次の瞬間。文字通り、景色が霞む程の速度でクリードは走りだした。

 

「うわぁ、クリードさん凄いや! すっごい速いよ! モノレールみたいだ!!」

 

「……その例えはどうかと思うよ、ゴン君」

 

 二人を背負い、第二試験会場に向けてクリードは疾走する。  

 …彼の名誉に掛けて、後ろから眼を血走らせて駆けてくる二人が怖かった訳では無い。 断じて無い。

 

 

 

 

「……ありがとう」

 

 小刻みに揺れる腕の中、少女が小さくお礼の気持ちを呟いた。

 

「サキ君、今、何か言ったかな?」

 

「…人の気も知らないで、クリードさんの馬鹿! って言ったんですよぅ!」

 

「!? すまないサキ君、僕には良く分からないが、どうやら失礼な事をしてしまった様だね」

 

「クリードさんの鈍感魔人!!」

 

「!?」

 

 

 

 

「う…ぐ…..。 …はっ!? ここは?」

 

 腹部に鈍痛を感じつつも、意識を浮上させたレオリオ。 

 周囲を見渡すと、先程まで居た筈の薄暗い地下道から景色が一変して森と草原が一面に広がっている。

 

「漸く起きたかレオリオ。 此処は第二試験場前だよ、試験開始まではまだ少し間が有る様だ」

 

 隣に立っていたクラピカはそれだけ言うと眼前の扉へと視線を向けた。釣られてレオリオも同じ場所を見る。 

 そこに在ったのは簡素な造りの小屋と固く閉ざされた扉。 

 扉の上部には紙が貼られており、其処には 『第二試験開始時刻 本日正午より』 とだけ記されている。

 その為、受験者達は待ちぼうけを強いられている様子だった。 

 

「成程な、皆してぼけっと突っ立ってんのはそう言う訳か。 …って、そうだ! ゴンとクリードは? ヒソカの奴は?」

 

「二人はまだ着いていない、ヒソカも同様だ」

 

「…そうか」

 

「レオリオ。 仮に、あの場に私達が残っていたとしても何も出来なかったよ」

 

「んな事は言わなくても分かってる! …だけどよ、」

 

 レオリオの言葉は最後まで紡がれる事は無かった。 

 やむを得ず扉の前に陣取って試験の開始を待っていた受験者達の輪、その後方。試験開始時刻が迫り、否が応でも高まって行く緊張感の中、突如として絹を裂くような悲鳴が上がったのだ。 

 悲鳴は更なる叫びを呼び、叫びは瞬く間に絶叫へと変貌して行き、絶叫は場に混乱を引き起こす。 

 瞬く間にそれは輪の全体へ広がって行った。

 

「うわああああ!!」 「ひぃぃぃぃ…こ、殺される、皆殺される!! 御終いだぁ!!」 「さ、さつ、さつじんkiiiiii!!」

 

 他の受験者達が我を忘れて逃げ惑っているのも納得せざるを得ない。

 

 何事かと振り返ったレオリオとクラピカ。二人にそう思わせる、異様な光景が広がっていた。

 

 まず目に映ったのは、品の良い黒スーツを身に纏ったクリードの姿。 『それだけ』なら素直に無事であった事を喜べもしたのだが。

 悲鳴を巻き起こしている原因は、彼の佇まいに有った。

 

 所々に人間の臓器と思わしき物体やら破片がへばり付いており、更に手や足等、肌の見える場所は洩れなく乾いた血で薄汚れている。

 そんな状態で腰やら足に腸の一部を巻きつけたまま、首元から臍の辺りまでカッターシャツの面積のほぼ全てを赤に染めた少女をお姫様抱っこで抱え、背中にはこれまた血塗れの少年が凭れ掛かる様にしておぶさっている。

 

 そんな格好で此方へ向かってジャパニーズ仮面――能面もかくや、といわんばかりの無表情で疾走して来る男が居たらそれはまあ、こうなるのも当然の事だとも言えるだろう。

 彼を見た受験者達は、一次試験開始前の彼と道化師との茶番劇を一様に思いだしたのだ。 

 駄目押しに、この場に奇術師が居ないという事も、恐怖を加速させる一因となった。

 あの受験者殺しのヒソカを打ち倒して此処に来たというのか!?

 血塗れの衣服もその信憑性を裏付ける証拠となり、《次はお前達がこうなる番だ》 言外にそう宣告された様(に感じた)受験者達は一気に大混乱に陥ったという訳である。

 

 事前にクリードと接触しており、遅れて来た理由と血塗れになっている原因に薄々察しが付いている二人でさえ腰が抜ける程の恐怖を感じているのだ、事実を知らなければ二人共、絶賛パニック中の他の参加者と同じ行動を取っていた事は想像に難く無い。

 更によくよく見れば、クリードの後方から件の殺人中毒者ヒソカ(彼もクリード程では無いが血で全身を斑に染めている)と全身に針を隈なく突き刺した異様な風体をした男が眼を血走らせ、同様に此方に向かって駆けて来ているではないか。

 

 二人が現れたこの時、受験者達のパニックは最高潮に達した。 

 このまま此処に居たら、怒り狂ったヒソカとクリードの戦いに巻き込まれる!!

 失禁する者、耐え切れず意識を手放す者。試験会場は阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈していた。

 

「げえっ!? ヒソカの奴、ピンピンしてやがるじゃねーかよ!! …っておい、クラピカ! ぼさっとしてないで俺達も逃げようぜ、あんな奴等と関わっていたら命が幾つ有っても足りやしねえよ!!」

 

 焦るレオリオと対照的に、クラピカは比較的に冷静だった。 クリードの背中から呑気に手を振っているゴンの姿が見えたから、という事も有るが。

 

「焦るのは分かるが、一先ず落ち着けレオリオ。 辺り一面に濃霧と危険な生物がうようよ蠢いている此処から逃げて、何所に向かおうというんだお前は」

 

 

 

 第二試験開始予定時刻三十分前。試験担当官のメンチは未だ嘗て無い程に苛立っていた。 

 彼女は美食ハンターという職業柄、とても鼻が利く。 それは危険に対してで有ったり、未知の食材に対してで有ったり。 …もしくは血の匂いで有ったり。

 

 今回の場合は―――。

 

「ちょっとブハラ! 何で試験開始前なのにこんな五月蝿いのよ!!」

 

「えー、俺にそんな事言われても…。 でも確かにおかしいよね、さっきまで皆大人しく扉の前で待ってくれていたのに」

 

 メンチに理不尽な苛立ちをぶつけられた巨漢の男、ブハラは困った様に頬を搔いた。二人が話している間にも、ざわめきは全く収まる気配を見せない所か、悲鳴や金切声を交えながら更に大きくなっている。 

 悲鳴、叫び声、慌ただしく走り回る複数の足音。 

 ―――そして、扉越しにもはっきりと匂いはじめた『人間の』血と臓物の匂い。

 

「…うーん、これは少し不味いかもしれないよメンチ。 さっきサトツさんが言ってたじゃん、44番が一次試験の途中で他の受験者を襲い始めたって」

 

 まだ満足出来なくて、もしかしたら此処でもう一回同じ事をやっているのかも。

 ブハラのその言葉が引き金となったのか、メンチは踏ん反り返っていた椅子から立ち上がると徐に扉へと歩いて行く。

 

「一応聞くけどメンチ、どうする気?」

 

 言外に試験官の受験者に対する過度な手助け禁止、というルールをメンチが破ろうとしているのでは無いか? との意が込められている事に当然メンチも気が付いている。 だが――。

 

「何よ、アタシのテストの前に受験生が皆居なくなっちゃったら、折角頑張って食材やら道具やら用意したのが無駄になっちゃうじゃない!」

 

 なによりこれ以上此処を血生臭くされたら試食するアタシの食欲の方が失せちゃうわよ。 

 そう言うが早いか、メンチは扉を勢いよく開け放った。

 

「ぎゃあぎゃあ五月蝿いのよアンタら!! 全員纏めて失格にされた…い…!?」

 

 怒気を放った目と鼻の先。 

 扉の正面に立ち、タオルで顔を拭っていた銀髪の青年と目が合った。 

 細身ながら、鋼の如く鍛え上げられた肉体。 光に透ける様な銀髪、整った顔立ち、そして身体を巡っているオーラの流れの滑らかさ、纏の力強さ。

 メンチの身体を、今までに体感した事の無い蒼い電流が駆け抜けて行く。

 

「…......カッコイイ」

 

 完全に恋する乙女と化したメンチを、ブハラは色々と悟りきった目で見ていた。 

 

 

 

 第二試験の開催される建物の脇、それなりの高さの木上にて、暇つぶしに受験者達の様子を観察していた一次試験官サトツは一人の男に既視感を覚えていた。

 遅れて到着した銀髪の男、名をクリードと言ったか。 サトツは彼を何所かで見た覚えが有った。

 

(ふーむ、私の仕事はもう終わりですし、少しばかり調べてみましょうか)

 

 サトツはそう胸中で呟くと、音も無く木上から飛び降り、蓄えた髭を弄りながら何処かへと去って行った。

 

 




今回の要点

・ヒソカさん右腕が本調子でない&若干の欲求不満。
・クリードさんまたしても謂れのない風評被害を被る。 左腕を負傷中。
・サトツさんクリードさんの正体に気付く?

次回は少しばかり試験から離れて、クリードさん不在の間のセフィリアさんの動向を中心にお届けします。


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15.5 貴方は神を信じますか?

真面目な話だよ!


 ありふれた、何所にでも存在する様な喫茶店。 

 男が一人、窓際の席で本を読んでいた。艶の有る黒い髪を、白いヘアバンドで留めた若い男だった。

 整った顔立ちは、街を歩けば幾人もの女性が振り返る程には俗世離れしている。 

 近寄って来る者が居ないのは、男の纏う独特の空気が、周囲との干渉を遠ざける異質な雰囲気を醸し出しているからか。 

  …そも、今この喫茶店には店主とアルバイトの給仕を除けば、黒髪の男しか客と呼べる人間は居ないのだが。

 

 古びた蓄音機から流れてくるクラシカルなジャズと、掛け時計の秒針が進む音をBGMに時間がゆっくりと流れて行く。

 口に出した事は無いが、男はこの店に漂う退廃的な雰囲気がそこそこ気に入っていた。新しい本を入手する度にこの店のドアを開く程度には。

 

 男の持つ古めかしい本の頁が半分程捲られた時、喫茶店の入り口でからんとベルが鳴り、新たな客の入店を知らせた。

 丁度洗い場に居た給仕の代わりに、妙齢の店主が鈍重な動きでカウンターを出て応対に向かって来るのを手で制し、先の男と待ち合わせしている旨を伝えたのは真っ白い洋装に身を包んだ金髪の女だった。腰に一振りの西洋剣を携えた、凛とした空気を身に纏う女だ。

 年齢は20代後半から30代前半という所だろうか。艶の有るブロンドが風に吹かれてはたはたと揺れていた。

 

「すいません、どうやら待たせてしまった様ですね」

 

「…いや、先に俺が此処に来ていただけだ、約束した時間は過ぎて居ないよ」

 

 栞を挟み、ぱたりと本を閉じた男が顔を上げ、値踏みする様にじろりと女を見た。 

 

「そうですか、では失礼します」

 

 ねめつける様な男の視線を気にも留めず、からからと椅子を引いて男の対面に女は腰掛ける。

 目の前の男を一瞥して徐にテーブルの上に立て掛けられたメニュー表を手に取り、暫し熟考した後に給仕を呼びつけると、高らかに注文を言い付けた。

 

「では、お手数ですがこのケーキの欄に書かれている物を上から下まで全てお願いします。 後、カフェオレを一杯。 当然ですが砂糖ましましで」

 

「…はい?」

 

 給仕が間の抜けた顔を晒す。 女の注文を聞き間違えたのか、または急に耳が遠くなったのか? と考えざるを得なかったのだ。 

 無理も無い事だった。この喫茶店の(唯一の)売りであるケーキ。 シナモンロール、ジャポン栗のモンブラン、オードソックスなショートケーキetc…。 数にして20、それを一度に全て頼む等というふざけた人間が存在するとは想像すらしていなかったのだ。 その後ろで男も驚愕に眼を見開いている。 カウンターの奥では店主も天を仰いで仰け反っていた。

 

(こいつは一体全体、此処に何をしに来たのだろうか。 まさかわざわざ人様を呼びつけておいて、見たくも無いケーキの大食いでも見せつける心算なのか…?)

 

 男は心の内で、以前にこの喫茶店で出会った銀髪の男と眼前の女を無意識に重ね合わせていた。

 人を小馬鹿にした様な態度といい、身に纏う雰囲気といい、腰に差した剣といい、どうにも身内か、それに近しい者としか思えない。

 

「…注文が聞こえませんでしたか? 全てです、全て。 迅速に、かつ最高の品を所望します」

 

「ヒィ!? し、少々お待ちくださいませー!!」

 

 女に睨まれ、給仕は足をもつれさせながらも慌ただしくカウンターへ駆けこんで行く。

 給仕から男へ、視線を戻した女は髪を後ろに流して溜息を一つ吐き、木目の机の上で手を組んだ。

 

「…さて、()()()()()の注文も済ませた事ですし、改めて自己紹介と行きましょうか。 私はセフィリア・アークスと云う者です。 先日は不肖の弟子、クリードがお世話になった様で」

 

 男の中で予測が確信に変わった瞬間だった。 

 とりあえず、当たり障りの無い返答をしようと男が口を開いた瞬間、セフィリアの掌が顔を覆う様に突き出された。 

 

「ああ、貴方の名前は既に存じているので結構ですよ? …幻影旅団団長、クロロ・ルシルフルさん」

 

 伸ばした掌に収まりきらず、はみ出した男の顔のパーツがひくひくと動いているのがセフィリアからは良く見えた。

 

「…アンタといい、アイツといい、人の神経を逆撫でする趣味でも有るのか?」

 

「失礼な、私をあの超Sクラスの鈍感無神経男と同列にしないで頂きたい」

 

 どう見ても同じ類の人間にしか見えないが。 

 危うく口から漏れ出そうになった言葉を呑みこんで、クロロは本題を話せと促した。 

 小窓の向こう側で、一際に強く風が吹き付けている。

 

「おや、性急な事ですね。 …本題に入る前に一つ、聞いておかなければならない事が有ります。 

 

 ―――貴方は神を信じますか?」

 

 フッ、とクロロの口から失笑が漏れた。

 

「生憎だが、俺は神を信じちゃいないんだ」

 

 そう言うとクロロはヘアバンドを外し、前髪を搔き上げて見せた。 露わになった額の中心には神への反逆の証―逆十字が彫られていた。

 

「…成程、寧ろ自分は神に反逆する人間だと主張している訳ですね」

 

「何だ、わざわざ人を呼びつけておいて宗教の勧誘でもする心算か? …それとも星の使徒は新興宗教の信者の集まりだったのか?」

 

 嘲りを含んだクロロの言葉に苛立つでも無く、語気を荒げるでもなく。 

 只、セフィリアの腹部から極々小さな唸り声が聞こえた。 クロロは何も聞かなかった事にした。

 

「ゴホン! …い、いえ、そう云う訳では有りません。 これからする話の前にどうしても聞いておかなければならなかったものですから」

 

 そう言いつつも、セフィリアの視線は明後日の方向―給仕がワゴンに乗せて運んで来るケーキの山へ向けられている。

 

「お、お待たせしました、こちらが当店のケーキの一式になります」

 

 ワゴンから机へと次々に移送されて来る数多のケーキの群れ。 脳味噌が爛れる様な、甘い香りが二人の座るテーブル、否、店内を余さず蹂躙していく。 見ているだけで胸焼けを起こしそうだとクロロは思った。

 全てのケーキが机へ置かれた時には、セフィリアは苺のムースを早々と食べ終わり、間髪入れずに隣のティラミスへと食指を伸ばし始めている所だった。 

 

「話を戻しましょう。 貴方、クロロさんは神や、宗教に類する物は信じていないが、神の存在は信じている、と」

 

 一口で三分の一が口内へと消える。 クロロはセフィリアをUMAか宇宙人でも見る様な、信じられない物を見てしまったといわんばかりの表情で見ていた。

 

「クリードから星の使徒について、何か聞きましたか?」

 

 回答を待たず、残りの三分の二が口内へと吸い込まれていく。 僅かな咀嚼の後、隣のモンブランタルトが半分に分断される。

 

「…特に何も。 少し調べた限りでは、俺達と同列のA級犯罪者集団というぐらいだな。 俺達と違う所は、組織としての目的がどうにも不透明な所か」

 

 回答の報酬としてセフィリアから突き出されたのは、フォークに刺さったモンブラン、二分の一ヶ。

 

「…何がしたい?」

 

 訝しがるクロロに、極々真面目な口調でセフィリアは告げた。

 

「食べなさい」

 

「人をおちょくるのも大概にしろよ…!」

 

 ついに忍耐の限界を超えたクロロから怒気が放たれた。 

 それを、まるで稚児が駄々を捏ねるのを見ているかのようにセフィリアは涼しげな表情のままで見つめていた。 口をもきゅもきゅさせながら。

 

「モタブの予言書」

 

 机を叩き割らんばかりの勢いで立ち上がりかけていたクロロの動きがピタリと止まる。 

 

「貴方にお譲りしましょう。 …但し、このモンブランを食べて、尚且つ私の話を最後まで聞いて頂けたら、ですが」

 

「……良いだろう、提案に乗ってやる」

 

 言うが早いか、クロロはフォークを喰い千切らんばかりの勢いでモンブランに食らいついた。冷静沈着を素で行う彼らしくない、やけくそな行動だった。 

 幻影旅団の突っ込み担当で有るシャルナーク辺りがこの場に居たならば、さぞかし口をあんぐりさせていたに違いない。

 

 瞬間、口内に広がる柔らかで典雅なモンブランクリームの風味。 鼻へ抜ける独特の芳香が、使用されている栗の品質の高さを暗に誇示している。特筆すべきは生地に練り込まれている細かく刻まれた薄皮付きの栗の実だろう。噛みしめる度にぷちりと心地よく弾け、それがまた、ともすれば飽きが来やすいモンブランの食感のアクセントとして素晴らしい役割を果たしていた。

 

「…これは、美味いな」

 

 かなりの頻度でこの喫茶店に来店しているクロロだったが、コーヒーか紅茶、稀に軽食類しか注文する事は無かった為、ケーキを食べるのは初めてだった。 

 別に甘いものが嫌いという訳では無く、好きこのんで注文する気にならなかっただけの話だが。

 

「品が有りませんねクロロ。 …折角私があ~んをしてあげようと思っていたのに無碍にするとは」

 

「やかましい黙れ、早く話を進めろ」

 

 悍ましいまでの怒気を放ちつつも、一口に入れてしまったモンブランの量に四苦八苦しているクロロ。 それをセフィリアは微笑ましい気持ちで眺めていた。マドレーヌを分割しながら。

 

「私を含めて、星の使徒の全てのメンバーには或る共通点が有ります」

 

「…神を見た事が有るとでも言う心算か?」

 

 先の会話を踏まえてのクロロの言葉だったが、不正解だと伝えたいのかクロロの眼前でフォークが左右に揺れる。 額に青筋が浮かびかけるのをクロロは鋼の精神力で抑え込んだ。

 

「残念、不正解です。 …良い所は突いていますが」

 

 正解はですね。 

 

 そう言いつつ、セフィリアの口内へチョコレートケーキが消えて行く。 

 アクセントに乗せられたのだろうオレンジピールの残骸が、真っ白い皿の上でケーキが此処に在ったのだと主張している様だと、クロロは疲労が蓄積し始めた頭でぼんやりと考えた。

 

「私達には、とある摩訶不思議な記憶が共通して存在するのです。 …多少の個人差は有りますがね」

 

「…記憶?」

 

 

 セフィリアが語った事は、クロロには俄かに信じがたい話の連続だった。

 この世界に存在しない、異なる世界の『漫画』の記憶を持つ人間。 それも複数。 一つの例外も無く『原作』キャラクターに酷似した外見、能力。 その集まりが、『星の使徒』なのだとセフィリアは言った。

 かのクリード・ディスケンスや、目の前でシナモンロールを満面の笑顔でもぐもぐしている女も同様なのだという。

 クロロは久方ぶりに盗賊としての血が騒ぐのを感じていた。

 

「…そこで私は違和感を覚えたのです。 不可思議な記憶を保有する者は、その量や鮮明さに多少の違いは有っても今、この世では先にお話しした様に『ブラックキャット』の原作キャラクターに酷似している容姿、発現する能力も強弱や規模は違えども同一と断言しても良いレベルを例外なく保持しています。

しかしです、前世の自分は誰で、どんな人間だったのかとなると一切思い出せないのですよ。 …記憶を保有している誰一人として、です」

 

 言葉の終わり際、セフィリアの口の中にチーズケーキが消えて行く。

 

「成程な。 まるで、神によって作られた様な記憶という訳か」

 

 外気から、口内から、纏わりつく甘ったるい匂いを打ち消すかのように、クロロはブラックコーヒーを口に含んだ。

 

「その通り。 この様な奇跡、神の御業としか思えない。 …しかし、誰一人として神の御姿を見た事は無いのです」

 

 季節のベリーがふんだんに練り込まれたロールが分割され、口内へ消えていく。 

 

「…成程、確かに面白い話では有るな。 だが、何故俺にその話を聞かせた? お前の口ぶりから察するに、俺がその記憶を持っていると思って接触して来た訳ではあるまい」

 

 ええ、その通りです。

 

 セフィリアは一つ頷くと純白のショートケーキを目の前に引き寄せた。

 

「ではお聞きします。 ――神の定義とは?」

 

 暫し熟考して、クロロは答える。

 

「…全知全能で有る事か?」

 

 フォークに刺さった大粒の苺が艶めかしい唇へ、その奥へと呑み込まれていく。 僅かな咀嚼の後、ごくりと音を立てて喉を通り、胃へ流れて行った。 

 

「ぎりぎり及第点と言った所ですね、クロロ。 …では、今回貴方を呼び出した理由、本題に入ります」

 

 今までになく真剣な面持ちで、セフィリアはクロロを真正面から見据えた。 頬に生クリームをこびり付かせて。

 

「―――もし、未来の情報を知る事が出来たとしたならば、貴方は対価に何を差し出せますか?」

 

 吹き付けていた風は、いつの間にか止んでいた。

 

 

◆◆◆

 

 

 

「さて、行きますよクロロ! めくるめくスイーツ巡りの旅へ!!」

 

 結局、20に迫る数のケーキをほぼ一人で完食し、更に御土産としてホールのショートケーキをぶら下げたセフィリアはすこぶる上機嫌だった。

 

「……は?」 「…ん?」

 

 コイツは一体何を言っているんだ? というクロロの視線と、この人は何故に疑問符で返答したのでしょう? というセフィリアの視線が交錯する。

 

「貴方は何を勘違いしているのですか? 私の話はまだ終わってはいませんよ?」

 

「何…だと….!?」

 

「提示した条件は、『私の話を最後まで聞いてくれたら』です。 此処で別れるのならば、誠に残念な事ですが約定は無効となりますねえ」

 

 してやったりな表情でにやにやと笑うセフィリアを力無く睨み返す事しか、クロロに出来る事は残っていなかった。

 

(コイツ、まだ食べる気なのか…!? 俺の金で!!)

 

「…太るぞ?」

 

 失言だったと気付いたのは、直ぐ脇を通り抜けた一筋の風と、半ばから寸断されて轟音と共に倒れ込んだ電柱を視界に入れた後。

 

「う、運動するから平気です!!」

 

 若干涙目になりながらそう叫ぶセフィリアを見て、こいつは間違いなくクリードの師匠なのだろうな、とクロロは疲労が溜まりきってぼんやりとした脳内で考えた。

 

 

 

 

 

 半日後、スイーツ巡りの旅(強制)から漸く解放され、胸焼けの激しい腹を摩りつつクロロは帰路を辿る。

 込み上げる吐き気と共に思い出すのは、帰り際のセフィリアの言葉。

 

 

 この十年余り、私は手掛かりを求め、同じ記憶を持つ仲間を探しながら世界を回って来ました。 

 

 ――そしてついに見つけたのです、全てを解き明かす『鍵』の存在を。

 

 

「神の御許へ踏み込む禁忌の技術、ナノマシン【G・B】―――か」

 

 先に紹介された予知能力者の事と云い、今日は収穫の多い日だったと言えるだろう。 得た情報の代わり、対価はかなり高く付いてしまったが、それはこれから取り戻せば良いだけの話だ。

 くつくつと笑いながら、盗賊は闇に紛れる様に姿を消した。

 



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16.調味料は分量を守って使おう。

 

 訳が分からない。 その一言に尽きる。

 

 撃退したと思ったのは束の間、ほんの一瞬だけで。 変態さんは神速で回復して追いかけて来た。 

 何故か斬り飛ばした筈の腕も繋がっているみたいだし、一体全体どうなっているんだあのピエロさんの身体は。

 サキ君はサキ君で、小声でぶつぶつ喋っていると思ったらいきなり怒り出すし。慌てていたとはいえ、体中血塗れのまま抱きかかえたのが悪かったのだろうか?

良く分かっていないけれど、とりあえずで謝ったら零距離からぐさぐさと罵倒の礫が飛んで来ました。 …あの、僕は一応とはいえ貴女の上司なんですけれども。威厳とかカリスマとか、諸々足りないのは自覚しておりますが、面と向かって罵られると流石にキツイ物が有りますね、はい。

 

 この状況下、唯一の清涼剤で有る筈のゴン君はゴン君で、何か凄い事言ってた。確か、

 

『あ~、駄目だよクリードさん、女の子にそんな適当に返事したら。 そういう時は耳元で【こちらこそ、良く生きていてくれたね、サキ】って言ってあげないと』

 

 とかそんな感じ。とても10代前半の少年の吐く台詞とは思えない。 …もしかすると、過去に一度お会いした事の有るゴスロリ少女と同じく、ゴン君も年齢詐称しているのかもしれないな。

 とすると、この無邪気な少年も本来の姿はガチムチマッチョで、髪の毛わっさーなのかもしれない。 「THIS WAY…!」 とか渋い声で言っちゃうのかもしれない。

 いや、流石にそれは無いか。 ジンさんの息子だって話だし。 …ないよね?

 

 極限までオーラが凝縮された拳骨で頭上からぐしゃりと摺り潰される様を幻視して身震いしつつ、携帯のGPS、そこに表示されている光点を目指して全速力で湿原を駆け抜ける。 

 先程から光点に動きが無い所を見るに、無事に試験会場に到着しているか、動けなくなっているかのどちらかなのだろう。 まあ、キルア君に限ってそんな事にはなっていないと思うけれど。

 湿原を走り抜けている途中、へんてこな造形の亀とか熊とか諸々にすれ違うも全力でスルーした。 もっとへんてこりんなヤツに追われているからね、仕方ないね。

走って走って、只管走る。恐怖心を噛み殺して無心で走ったお陰か、無事二次試験会場と思わしき建物を発見出来た。 ついでに此方を見ているクラピカ君とレオリオ君の姿も確認した。おまけにキルア君も。

全く、虎の子の発信機(予備)をキルア君に付けておいて良かった。 あの子の身体レベルなら二次試験に辿りつけないなんて事にはならないだろうと考えた僕、賢いぞ。

 

まあ何はともあれ、無事に辿りつけた様で一安心である。 …お互いに。

 

そう思えたのは一瞬だけで、直ぐに気付く事になった。 試験会場が悲鳴と恐怖に満ち満ちている事に。

 

「おかしい、張り付けられたあの紙を見るにまだ試験は始まっていない筈だが、この混乱は一体…!?」

 

「…つーん」

 

 意見を聞こうとすると、サキ君はそっぽを向いてしまった。 …えっ? 酷くない!?

 

「だってクリードさんもサキさんも、ついでにオレも血塗れだもん、そんな格好でいきなり現れたら皆ビックリするよ」

 

あたふたする僕を見て助け舟を出してくれたゴン君。 その言葉で合点がいった。成程、盲点だったと言わざるを得ない。

 

 兎に角、一刻も早く血塗れの身体を何とかしなければ試験を受ける処では無いなぁ。

 

そう思った所でこんな湿原のど真ん中に都合良くシャワー等が有る訳は無く、仕方なしに持参したタオルで顔を拭いていた時だった、いきなり二次試験会場の扉が開け放たれたのは。

 

「ぎゃあぎゃあ五月蝿いのよアンタら!! 全員纏めて失格にされた…い…!?」

 

勢いよく中から現れたのはスケスケでアミアミの服と超絶短パンを履いた、セクシーを通り越して公然猥褻で捕まるレベルのお姉さん。偶々扉の目の前に居た僕とお姉さんの視線がぶつかり合う。 

…嫌な予感がした。 この感じ、以前に師匠の着替えを覗いてしまった時と同じ―――

 

 

 

 

暫しの混乱の後、予定時間を大幅にオーバーして漸く始まった二次試験、試験科目は料理らしい。 

 マラソンからの料理か。周囲の人間が予想していなかった的な顔をしている中、僕は内心でガッツポーズを取った。

 自慢では無いが、修行時代の料理当番はほぼ百%自分がやっていたのだ。 …師匠の料理の腕が致命的な程に壊滅的だったのが原因だが。 あの甘味中毒者に料理をさせてはいけない(戒め)。

 かつて味わった、舌が捩じ切れるほどゲロ甘いカレーの味を思い出して思わず身震いする。 師匠曰く、自分なりに辛さを抑えようとした結果らしいが。 

 

「クリードさん、どうかしたんですか?」

 

 意識を現実に戻すと、サキ君が心配そうな表情でこっちを見ていた。

 

「サキ君、辛さを抑えたい時は砂糖では無く牛乳を使うんだ、良いね?」

 

「…お題は豚の丸焼きですよ?」

 

 

◆◆◆

 

 

 豚自体は然程の困難も無く仕留めることが出来た。他の受験生達も潰されたり跳ね飛ばされたりしながら思い思いに捕獲している。

 …問題はお題である。 子牛程も有るサイズの豚の丸焼きとは、大した難題ではないだろうか。流石はハンター試験、屈指の難題と謳われるだけの事は有る。 

 周囲を伺うに、試験内容に不満たらたらな受験者が要る様だが、捕獲や料理をハンターに必須なサバイバル要素と考えれば、あながちハンター試験と云う本題から外れてはいないと考える事も出来るだろうに。

 

 兎に角、うじうじと考えていても仕方が無いので作業を開始する。

 手を合わせて仕留めた子豚に暫し冥福を祈る。

 横にした豚の頸動脈を裂いて血抜きを行い、並行して腹部を切り開き腸と胃、その他調理に向かない部位をを取り出した後、体内の排泄物の処理を行う。 あくまで作業は手早く丁寧に。

 次に用意した塩水で内部の汚れを荒い、下処理を済ませたら森で採取した香草、木の実を詰めた後に薪を敷き詰めて火を点ける。 

 遠くでゴン君とキルア君がサキ君の事を怪獣だとか火吹き芸人だとか茶化しているのが耳に飛び込んで来るが、此処はスルーしておこう。 

 

 …試験中の(それと分かる形での)能力使用禁止令、守ってくれているだろうか。 一抹の不安を抱えつつも、自分の調理を進めていく。

 

 強火から徐々に弱火へ。ここで重要なのは優しく、食材を慈しむ様に扱う事である。砂糖ぶちまけダメ、ゼッタイ。

 焦がさない様に火加減を見ながら、用意してあったフライパンを手に取りもう一品。 何故か知らないが都合よく炊き立てのライスが用意されていて助かった。

 

 結構な手間と暇を掛けて、漸く満足の行く料理は完成した。これで合格出来ないなら、今回は大人しく諦めよう。 

 

 …そもそもの話、自分がこの場に居ること自体が間違っている気がしないでもないが。

 勿体もない考えを頭から追い出し、即席で切り出した木製の皿に料理を乗せ、持って行こうとした矢先だった、耳を劈く様に銅鑼の音が響いたのは。

 

「二次試験、前半戦終~~~了!!」

 

 

なん・・・だと・・・!?

 

 

 ◆◆◆

 

 

 二次試験前半、合格者70名。 

 そう告げながらも、メンチの視線は後方で唖然と立ち尽くす件の優男、正確にはその両手に持った皿の上に鎮座した料理に注がれていた。

 

 一流の料理人は提供された料理を一瞥すれば大凡のレベルが理解できるという。

 自他共に認める料理人であるメンチには、一瞥するまでも無く、漂って来る匂いだけで十二分に理解出来ていた。 

 あの皿に盛り付けられた『豚の丸焼き』は、今までに自分が食べて来た幾千幾万の食物の膨大な山。そのピラミッドの頂点に君臨するかもしれないレベルの料理だと。

 

 食べたい。あの皿の上に載った料理を思う存分に味わい尽くしたい。 

 メンチの脳内は瞬く間にその思念だけで埋め尽くされた。

 

 「や、やべえ! おいゴン、アイツマジ面白いな! 一番最初に豚捕まえてたのに何処にも居ないと思ってたら、豚の丸焼き如きに凝りすぎて試験終わってたとか...!」

 

 腹を抱えて爆笑するキルア。 

 

「で、でもさ、クリードさんの作った豚料理、凄い美味しそうだよ?」

 

 先ほどの件も有り、必死にフォローを入れるゴン。

 

「確かに我々の作った丸焼きとは比べ物にならないほどに美味なのだろうが、今回の試験は味ではなく、如何に早く豚を捕獲して試験官に提供できるかだった。 …ゴン、残念だが彼は不合格なのだよ」

 

 冷静に状況を判断するクラピカ。

 

「あーあ、クリードさんの悪い癖が出ちゃいましたね、どうでも良い所で拘る人だからなー…」

 

 冷たくあしらわず、傍に付いて居るべきだった。サキはその事に気付いたが、最早状況は覆しようが無かった。

 

 

 

 二次試験前半の試験官、ブハラは後半のお題を告げようとせず、一点を見つめて固まったままのメンチを見た。

 涎を口の端から垂らし、ぶつぶつとうわごとの様に皿の上に乗せられた豚について呟いている彼女の姿は、決して少なくない時間を共に過ごして来たブハラからしても異様に映った。

 これでは後半の試験をする事など、到底出来はしないだろう。ブハラは溜息を一つ漏らした。

 

「メンチ、不合格とは言っちゃったけれどさ、あの人ならもう一度チャンスを与えてあげても良いんじゃない? 確かに一番最初に豚を捕まえて来てたし、他の人とは違ってお題自体は持って来てる訳だしね」

 

「…良いの?」

 

「うん。 但し、オレはもうお腹いっぱいだからメンチが味見して決めてよ」

 

 そう言うとブハラはニヤリと笑う。 世界で見ても上から数えた方が早いレベル、屈指の料理人でも有るメンチに味見をさせ、その上で合否を決めさせる。それがどれ程に困難な事かを分かっていて尚、言っているのだ。

 

「…そうね。それなら確かに不公平では無いわね。 アンタ、聞いてたかしら? その料理を出しなさいな、私が味見して『美味しい』と言ったら特別に合格にしてあげるわ!!」

 

 

―――ナイフで切り分け、フォークで突き刺す。 

 

 何千何万何億と繰り返して来た、たったそれだけの行為が、メンチには堪らなくもどかしく思えた。 

 早く食べたい。 出来るならばナイフもフォークも投げ捨てて両の手で掴み、齧り付きたい。 その一念を、全ての理性を総動員して押さえつけ、震える手で口元に運び、入れる。

 

 瞬間、メンチは紫電に打たれた。

 

 そう錯覚する程の、未だかつて味わった事の無い強烈な衝撃。 蕩ける様な、甘美な旨味の電流が舌先から脳内へ、そして全身の隅々を蹂躙して行く。

 酔いしれていた。鼻を突きぬける芳しい香りに、喉を通り過ぎて胃へ落ちて行く脂肪の持つ、暴力的なまでの旨味の奔流に。

 今が試験中であることも、自身に向けられた殺気や敵意すら忘れて、この一時、メンチは只管に美味の世界、その桃源郷に酔いしれていた。

 これ以上は無いという程に繊細、かつ大胆に行われた火入れが豚肉の上品な甘みを完全な形で引き出していた。 最大限に豚肉の力を引き出すように計算され尽した細やかな細工が、そこかしこに秘められたささやかな気遣いが、メンチの心を捕えて離さない。

 極上の品を迎え入れ、歓喜に打ち震える身体が意思を無視して震えだす。 抑えようとしても到底抑えきれない感動の波が、怒涛の如き津波と化して体内を暴れ回る。

 

 …となれば、紡ぐ言葉はたった一つしか無かった。

 

「おい…しい…」

 

 メンチの頬を知らず知らずのうちに涙が伝う。 自分から提案した話とはいえ、ブハラは眼前の光景が現実の事だとはとても信じられなかった。

 

(まともな調味料も無いこの場で、これだけの料理を!! …ってか、あのメンチを料理で泣かせるなんて…! この広い世界、星の数ほど存在する数多の料理人を見渡しても数人といないのに、46番、この青年は一体…!?)

 

「…高原に咲く花の如きこの芳しい匂い、薪に使ったのはアラヨ林檎の木ね、火力をダイレクトに伝える役割を果たすと共に、燻製の役割をも担っている」

 

「匂いだけで察するとは、流石は星持ちハンターというべきか」

 

「それだけじゃないわ、グレイトスタンプ特有の繊細にして仄かな甘みを含んだ肉質…それを完璧に引き出している火の入れ方もそうだけど、特筆すべきは、ともすればしつこさすら感じさせる豚肉の脂肪を別次元の高みまで昇華させて、なおかつ豚が本来持っている甘味をも120パーセント引き出しているこの塩よ! 只の塩じゃないわね、これは……分かったわ、アコウの粗塩でしょ!」

 

「御名答。 塩はサバイバルの基本でもある。 …こういう形の試験では必需品だと思っていたが」

 

「それには同意してあげるけれどね、100グラムで一万ジェニーはするアコウの塩をサバイバル用に持っていく人間なんて初めて見たわ」

 

「…それで、試験の結果は?」

 

 得も言われぬ緊張感が周囲に張り詰める。

 今、メンチは合格か不合格かを脳内で考えているのだろう。受験者たちはそう考えていた。 

 何故メンチは即座に合格を告げないのだろう。ブハラはそう考えていた。

 

 暫しの沈黙の後、カッと目を見開いてメンチは叫んだ。

 

「アタシと付き合…いや、結婚してください!!」

 

「はぁ!? ふざけんなおばさん!」

 

 喰いついたのはサキ。先ほどクリードに抱えられて登場した女の子である。 試験中に着替えたのか、至る所血塗れだった服は真っ白いワンピースに変わっていた。

 

「誰がおばさんだゴルァ!! 私はまだ21だっちゅーの!! ナマ言ってっと不合格にすんぞ小娘が!!」

 

 咬みつき返したのはメンチ。 先ほどクリードに一目惚れした女の子? である。

 

「クリードさんは私みたいな若い子が好みなんですぅー、アンタみたいな痴女はお呼びじゃないんで、帰ってくれません?」

 

「やんのかゴラァ!!」 「上等じゃないですかおらー!」

 

 結局の所、自分が合格か不合格なのか分からず仕舞いである。 

 大きく溜息を吐いたクリード。不意に肩を後ろから叩かれ、振り返る。 巨漢の男、ブハラがサムズアップしていた。

 

「46番さんは合格で良いよ。 メンチを泣かせるほどの腕前、落とすなんてとんでもない。 だよね、メンチ? …OKだってさ、良かったね」

 

「助かった、どうも有り難う」

 

「いえいえ、どういたしまして。 …後でレシピを教えてね?」

 

 一瞬の沈黙を挟んで再び繰り広げられる女二人の痴話喧嘩。 

 

「あだだだ…。クリードさんは絶対に渡しませーん!!」 「むぎぎぎ…、それはアンタが決めることじゃ無いでしょうが!」

 

 その原因であるクリードは眼前で繰り広げられるキャットファイトにも、ワンピースからちらちらと覗く下着にも、揺れる二つの巨砲にも全く興味を持たず、手元の携帯電話を操作していた。

 

「…どうかしたかいゴン君?」

 

 くいくいとスーツの裾を引っ張られ、視線を向けると、ゴンが期待に満ちた眼差しでクリードを見ていた。

 

「一緒に持って来たあっちの料理もクリードさんが作ったんだよね? 匂い嗅いでたら何だかお腹空いちゃってさ、食べてみてもいい?」

 ゴンの指さす方向、大皿に盛りつけられた炒飯と豚の丸焼きが依然として盛大な湯気を立てている。

 

「ああ、余った豚肉を使って炒飯を作ってみたんだ。 …もう少し時間に余裕が有ると思っていたからね。 結構な量になってしまったから、良かったら皆さんもどうぞ」

 

 クリードの言葉が終るのを待たず、ゴンはスプーンを炒飯の山へ突き刺した。

 

「うわあ! クリードさん、これすっごい美味しいよ! もしかしたらミトさんの作るごはんより美味しいかも!!」

 

 一心不乱に食べるゴンの姿を見て、興味を惹かれたのかキルアが手を伸ばす。

 

「おぉ~、ゴンの言う通り、確かにこれは美味いな。 やるじゃん優男、ただのスプラッタ俳優かと思ってたけど見直したぜ。 …俺ん家も炒飯は良く出るけど、大抵毒入りだし、太るからってあんまり量が出ないんだよな~。 …ブタ君はいっつも大盛りなのにさ」

 

 周囲を満たす食欲を刺激する香り、そして何よりも無我夢中でがっつく二人の姿を見て、先程の一件からクリードを恐れて遠巻きに見ていた他の受験者達も恐る恐る手を伸ばし始めた。

 

「う、うめえ…! こんな美味い飯、初めて食べたぜ」

 

「これが俺が作った豚の丸焼きと同じ肉を使った料理だと…!? まるで別次元だ、信じらんねえ…!」

 

「上品にして繊細、一流レストランの品書きに載せていても何ら遜色は無いだろうレベル…!」

 

「いやクラピカお前、確かにおったまげるぐれぇ美味ぇけどよ、たかが男の手料理だぜ? そんな小難しく考えんなよ」

 

 

 

 喧騒が一段落した後、皿の上に残った豚肉を摘まみながら、ブハラは未だ興奮冷めやらぬ表情のメンチに問いかける。

 

「うーん、確かにこれは凄いや、メンチが泣くのも理解出来るよ。 …というかさ、こんな超高レベルの料理食べちゃって後半の試験まともにテスト出来るの?」

 

「…あー、正直やばいかも」




やめて、豚の丸焼き作るぐらいで丸々一話掛けてんじゃねーよとか言わないで! 次からテンポアップしますから!


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17.顔文字は使い過ぎに注意して楽しく使おう。

 

「……はい、そうです、受験者の中には…ええ、見当たりませんでした。 ......そうですか、クロロ・ルシルフルは『ハズレ』でしたか。 …ええ、また何か進展があれば連絡します。 ..えっ? 憂さ晴らしにクロロをスイーツ巡りの旅に強制連行した? 折角のお勧めケーキを意地でも食べようとしないので隙を見て口に捻じ込んだ!? はぁ…。師匠、毎度毎度同じ事を言っていますけれどね、そういう事は時と場合と相手を見てやってくださいよ、尻拭いするのは貴女では無くて僕なんですからね?」

 

 特大の溜息と共に通話終了のボタンを押し、俄かに鈍痛を発信し始めた額をぐりぐりと揉み解す。 

 一体、何をやっているんだあの人は。 

 たかが一日二日、目を離しただけでこれである。シキ君に監視とさりげない周囲へのフォローを頼んでおいて本当に良かった。 僕が帰るまでに彼が心労で倒れていない事を祈っておこう。 …帰ったら特別ボーナスでも出してあげないといけないな。 “これ以上セフィリアさんの世話をやりたく無いので星の使徒、辞めます” とか言われたら大変だ。

 そこまで考えた所で、懐に仕舞ったばかりの携帯がぶるぶると振動を伝えて来た。 何かもう既に嫌な予感しかしないけれど、渋々と画面を見る。 何々、新着メールが二件か。 

 

 

FROM:クロロ・ルシルフル

 

 今日一日、お前の師匠を名乗る女の所為で散々な目に遭った。 この借りはいずれ必ず返す。 そう女に伝えておけ。

 使わされた分のジェニーはお前が立て替えろ、拒否権は無い。 請求書をホームコードに送っておいた。 ついでに、欲しい本が幾つか有ったので買わせて頂いた。 無論、支払いはお前宛だ。 

 

 追記:こないだ少し話したと思うが、ウボォーギンがお前の事をノブナガから聞いてえらく興奮していたそうだ。 その内そちらに遊びに行くかもしれない、その時は適当に相手をしてやってくれ。

 ウボォーは典型的な強化系バカだが、悪い奴では無いと思う。 …時間に異常に厳しい点を除けばだが。

 

 

 これはまだ先の話だが、九月にヨークシンでオークションが有るのは知っているか? もし暇なら仕事を手伝ってくれ、人手は幾ら有っても足りるという事は無いからな。

 

 

 

RE:クリード・ディスケンス

 

 大方の事情はその本人から電話で聞いた。 …とりあえず、ご愁傷さまとしか。 

 只、一つ言わせてもらうなら、君では無くて僕が今日一日付き合わされていたとしたらそんな生易しいモノでは済まなかったよ? 

 

 まず、家に帰るまでが遠足です!とか何とか変な理屈を付けてゴネまくられるのは確実だろう。 

 何を言おうが、絶対に自分の意見を曲げない師匠に面倒になってYesと言ったが最後、晩御飯を作らされて部屋の片付けを命じられた後にTVゲームに気が済むまで付き合わされ、それが終わると、師匠が寝るまで腕枕を強制される。 へとへとになって帰宅してもまだ終わりでは無い。 朝、師匠が起きた時に側にいないと電話とメール攻勢が延々と続くから気を付けろ。 起きた時、万が一でも朝御飯が出来ていないと大変な事になる。 …ちなみに朝はジャポン食一択だ、間違えるな。 …とまあ、そんな所かな。

 

 ウボォーさんの件は了解した。 君の悪い奴では無いという言葉を信じておこう。 

 こちらでも若干名のメンバーがそちらの女性陣の写真を見て興奮していたので軽く苦言を呈しておいた。 お互いに良い部下を持っているようで何よりだな。

 

 仕事の件については、今の時点では何とも言えない。 また詳しい情報が決まったら教えて欲しい。

 

 

 とりあえずはこれで良し、と。 クロロさんの頼む仕事…また血生臭い事になるんだろうなぁ。 

 正直な所、余り乗り気にはなれない。邪魔する者も邪魔しない者もとりあえず皆殺しにするクロロさんの所と、殺しは必要最低限、仕事の完了を最優先にして動く僕達、星の使徒の仕事に対するスタンスの違いだな。

 …殺す殺さない、どちらにしても人様に顔向け出来るような仕事では無いのは大いに自覚していますけれどね。

 

 

 …二件目、メールの送り主の名前だけで何かもう大体の予想が付くんですけれど。 異様に重い指先を叱咤して受信メールを開く。

 

 

FROM:セフィリア・アークス

 

 クリード君、緊急事態です!! 今、お風呂上りに体重計に乗ったら、何故だか分かりませんが○キロも増えていたんです!! \( ^)o(^ )/ ナンテコッタイ‼

 試験から帰ったらダイエットを手伝って下さい!! お願いします!! (*´Д`)σ旦

 

 P.S 片付ける人間が不在のお陰で、部屋の中が散らかり放題です。 試験が終わり次第、そちらの件も( `・∀・´)ノヨロシク‼

 

 

 

 

 

 

 

ξ ゚Д゚)キャー‼ クリードさんのエッチ-‼

 …きっと今、貴方は私のお風呂上りという単語を頭の中でリピートしてさぞかし興奮しているのでしょうが、サキに手を出してはいけませんよ?。

 

 

 試験、無事に合格できる様、陰ながら祈っています。 |д゚)Φ……ファイト‼

 

 

 ……さて、血塗れだった服も着替えたし、晩御飯でも食べに行くか。 僕は携帯を懐に仕舞い、立ち上がった。

 

 颯爽と食堂へ向かう途中、トランプタワーを積んでは崩し、積んでは崩ししてニヤついている変なピエロさんを視界に入れてしまった。

 

 僕は何も見ていない、何も見ていない、見ていないったら見ていない…。 

 

 

 何か食欲を削がれる様なモノを見た気がしないでも無いが、気を取り直してこれからの事を考える事にする。 

 まずハンター試験。 これに関して云うと、最も重要な用件はピエロさんが暴れてくれたお陰で、図らずも終了してしまった。 

 なのでこの先、万が一僕が合格出来なくても、サキ君が合格してくれれば特に問題は無い訳である。 まあ、もしもそうなってしまった場合、師匠とか師匠とか師匠とかに爆笑されるだろうな。 

 後は星の使徒の中で僕の立場が地に堕ちる位か。 …もともとそんなに高くないだろうが、とか言ってはいけない。

 

 次に『例のアレ』について。

 

 これについては、今暫くの猶予は有りそうだ。 ..といってもそこまで悠長にはしていられないだろうが。

 何としても発動前に止めると師匠は仰っていたけれども、場所も規模も勢力も、何一つとして分かっていない現状ではどうにも手の打ちようが無い。

 僕の勘だけで言えば、何か簡単な事を見落としているだけの気がするんだけれど。 どうやらクロロさんも知らないみたいだし、一体全体どうなっているのやら。 

 

 そんな事をつらつらと考えながら歩いていると、ゴン君とキルア君が汗だくになって二人で老人を追い回している所にばったりと遭遇した。 

 まさか、老人狩りか? …いや、あれは確か会長のネテロさんだったか。

 

「あっ、クリードさん!」 

 

「…何だか知らないけど良く会うね、色男さん」

 

「むっ?」

 

 

◆◆◆

 

 

「何をしていたのか聞いても良いかな?」

 

 涼しげな表情で銀髪の男―受験番号46、クリードはそう言った。

 

 喜々として自分達が何をしていたのかを説明するゴン。 警戒心を露わにして、さりげなくクリードから距離を取るキルア。 表情にこそ出さないものの、ネテロの胸中で久方ぶりに感じる驚愕の感情が渦巻いていた。

 

(【円】を使っていなかったにせよ、周囲の気配は常に探っておった。 …確かに誰も居なかった筈じゃ。 しかし、この男はいつの間にやらそこに立って、さも当たり前の様にワシらをじぃっと観察しておった。 只の女たらしのビビリかと思っておったが…中々に侮れない男かもしれんの)

 

 

「どうじゃ、お主も参加するかの? その子が言うた通り、ワシからこのボールを奪う事が出来たらハンターライセンスをくれてやるぞい」

 

 お前には出来ないだろう。暗に、そう挑発する様なネテロの言葉。 

 顎に手を当て、クリードは黙考していた。 期待に満ちた眼差しでクリードを見つめるゴン。キルアは何処か白けた表情で腕組みをしつつ、今の隙にネテロからボールを奪えないかと隙を伺っていた。

 

「…悪いが止めておくよ。 僕が参加すれば、確かにボールを奪う事は出来るかもしれないが、それではゴン君やキルア君の為にならないからね」

 

 暫し続いた沈黙の後、クリードはそれだけ言うと壁まで歩いて行き、床に座り込んだ。

 

「といっても、暇を持て余していたのは確かだし、此処で観戦させてもらう事にするよ」

 

 胸ポケットの内側から、頻りに振動音が鳴り響いていた。

 

◆◆◆

 

 VIP客室、その一室にて。

 

 

「…んで? 今回の試験、どう思う?」

 

「それは今年の受験生がどれ位残るかって事?」

 

「そうそう、今年ってかなりレベル高いと思うのよねー」

 

 そう言いつつもにやけた顔を隠そうとしないメンチに若干の気持ち悪さを覚えつつ、ブハラは手にしていた骨付き肉を飲み込んで、言葉を紡いだ。

 

「まあ確かに、いい意味でも悪い意味でも今年は豊富だよね。 っていうか、メンチは46番が本当に気に入ったんだね。 …合格か不合格か告げるタイミングでいきなりプロポーズした時には流石にびっくりしたけど」

 

 前々から結婚するなら料理が上手くてイケメンじゃないと無理とは言っていたけれど、あのタイミングは流石に予想していなかったなー。

 ぼやく様に呟いたブハラ。 それを聞いて、メンチのボルテージが更に高まって行く。

 

「だって、あんな美味しい料理を作れてさぁ、しかも超絶イケメンよ? …おまけに強いし、ちょっぴり可愛い所も有るし、文句の付けようがないじゃない!!」

 

 如何にクリードが男として魅力的か。 

 力説しながらフォークをトマトに勢い良く突き刺したメンチを見て、此処まで沈黙を守っていたサトツが蓄えた髭を弄りながら口を開いた。

 

「…実はですね、今話されていた46番の方についてですが。 一次試験の最中から、少しばかり既視感を覚えていましてね。 試験終了後に調べて見たのです」

 

 真剣さを含んだサトツの言葉に二人が気圧され、押し黙る。

 

 ――藪を突いて蛇を出してしまったというべきか…。 実に驚くべき事が分かりましたよ。

 

 

◆◆◆◆

 

 

 予定を一時間ほどオーバーして午前九時半、飛行船は第三次試験会場――モノリスの如くそびえ立つ、巨大な円柱状の建築物、その頂上に降り立った。 

 下船した受験者達に言い渡されたのは以下の一点のみ。

 

 ※頂上であるこの場所から72時間以内に地上へ降りて来る事。 手段は問わない。

 

 

 一見、下へ降りられる様な階段も手摺も見られない無機質な石造りの床。 側壁を見渡しても、降りて行ける様な凹凸はどこにも無い。

 飛行船が去り、受験生達がそれぞれの方法で床や側面に仕掛けが無いかを探している中で。 

 サキは建物の中央で何も行動を起こそうとする素振りを見せず、虚空を見つめて黄昏ている(様に見える)クリードの姿を見つけると、大きく深呼吸を吐いて口の中で声を出す事無く気合を入れ、とてとてと駆け寄って行った。

 

「クリードさん、こ、これどうぞっ!」

 

 半ば押し付ける様に手渡したのは、小さなバスケットに詰められたサンドイッチだった。

 

「これは…。 サキ君、君が作ってくれたのかい?」

 

「はい、頑張りましたっ! …クリードさんみたいなもの凄いヤツは無理でしたけど」

 

 ふんす! と鼻息を荒くしてサキは胸を張る。

 

「そんな事は無い。 サキ、君が僕の為にわざわざ早起きして作ってくれた。 それだけで幾億の財宝より遥かに価値が有るさ」

 

 …ありがとう、大切に食べさせてもらうよ。

 

 人好きのする柔らかい微笑を受かべつつ、クリードは肩から提げていた鞄へバスケットを仕舞うと、子供をあやす様にサキの頭を優しく撫で回した。

 

「ほわぁ…」

 

 ほんの一瞬で夢見心地、放心状態に陥ったサキを、レオリオは呆れたといわんばかりの表情を浮かべて眺めていた。

 

「良くもまあ、あんなクサイ台詞を恥ずかしがらずに言えるな、クリードの奴は…」

 

 …やっぱアイツ、そういう系の仕事が本職なんじゃねぇのか? ぶつぶつとぼやくレオリオの横で床を調べていたゴンが不意に顔を上げた。

 

「ううん、違うよレオリオ。 今朝方にサキさんが厨房で作っているのが見えたからさ、もし渡されたらそう言った方が良いよってクリードさんに教えたんだ」

 

 ついでに、オレの分も作って貰っちゃった。そう言ってゴンは鞄の中から小さな包みを広げて見せた。

 

(コイツ、大人だ…!)

 

 

 三人が驚愕と嫉妬と憂慮、それぞれに染まった顔でゴンを見つめる中、受験生達は次々と頂上からその数を減らしていた。

 



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18.剣はスコップじゃありません。

 

どうしてこうなった。

 

 ハンター試験が始まってから、一体何度この言葉を胸の内で呟いただろう。 どうしてこんな事を。 なら、師匠が無茶をやらかす度に呟いているけれど。

 

 下へ降りる絡繰りが複数個重なっている場所をゴン君とキルア君が見つけて来て。 僕達六人は地上での再会を誓った後、一斉に仕掛けの上に乗って階下へ降りた。 …そこまでは何の問題も無かったのだが。

 

「……」 「……」

 

 気まずい。 

 僅か四文字、句読点を入れても五文字で表せる今の僕の心境である。

 等間隔で配置された薄暗いランプの灯りを頼りに、無機質な石造りの廊下を進んでいるのは僕ともう一人。 …そう、件の針男さんだった。

 お互いに饒舌な人間では無いとはいえ、鉢合わせてから此処まで一言も喋っていないのはどうなんだろう。 まあ、いきなりフレンドリーに接されてもそれはそれで戸惑うけれどさ。

 

 …うん、やっぱりだ、この針男さんもキルア君と同じか、もしかしたらそれ以上に足音が聞こえない。 

 というか、この沈黙空間&至近距離で息遣いも衣擦れの音も殆どしないんですけれど。 でもカタカタは凄い良く聞こえます。 針男さんのエキセントリックな風貌とこの場の不気味な空気も相まって、軽くホラー染みてて超怖い。 

 

 以前に戦ったゾルディック家の方や、キルア君も同じ位足音が聞こえなかった事を思いだして、連鎖的に一次試験でキルア君がゴン君に言っていた言葉、兄が二人居るという台詞を思いだす。

 

 師匠によると、以前に戦った方は長男らしいから、消去法で考えるならこの人は次男だろうか? 

 この人が本当にお兄さんなら、キルア君が家から逃げるのも無理はないよなぁ…。 そんな事を考えつつ只管に歩いていると、唐突に針男さんが立ち止まってしまった。 

 いきなり歩みを止めた針男さんを不思議に思い振り向いた僕。 その視界に驚愕の光景が飛び込んで参りました。

 ぽん! とかみょいん! みたいな形容しがたい音を立てながら、針男さんの顔が凄い勢いでぐにゃぐにゃしている。 有りの侭を説明するとそんな感じである。 

 唐突に起こる急展開に、僕は状況を理解できず硬直してしまった。 

 …ま、まさか、これが試験? もしくは能力者の攻撃を何処かから受けているのか!?

 この状況では後者の方が可能性が高いか? 一瞬の思考の後、僕は臨戦態勢に入ろうとして再度硬直する事になる。

 

「…クリード・ディスケンス」

 

 発された声に聞き覚えがあったからだ。 少しづつ変化して行く針男さんの気配が、過去に出会った膨大な人間の中から該当者を弾き出す。

 感情の読み取れない顔付き、抑揚のない声。 鼻を衝くどす黒い殺気と血の匂い。 

 間違い無く、以前僕と師匠が対峙した件の暗殺者―ゾルディックさんだった。

 

 顔だけで無く、声色や骨格、纏うオーラまで針で変えられるとは。

 

 思わずそう口走った僕を、ギタさん…もといイルミさんは何故か吃驚した表情で見ていた。 

 

 …どうやら、イルミさんは料理店の時点で僕が正体に気付いていると思っていたらしい。 気付いていて、万が一の場合のカウンターとしてキルア君を利用しようとしているのでは無いかと疑っていたそうです。

 疑いが晴れて一安心かと思いきや、警戒して損したとか、気付いて無かったなら殺しておけば良かったとか、寧ろ今殺しておいた方が後々が楽かも...とか、物騒な事をぼやいておられる。 …僕は何も聞いていない事にする事に決めました。

 殺されては堪らないので、少しでも気を逸らそうと思い、何故にこのタイミングで変化を解いたのかを聞くと意外と俗な答えが返って来ました。 何でも、あの顔を常に維持するのは意外としんどいとか何とか。 要はこっそりと見守ってるキルア君にバレなきゃ無問題らしい。

 もし万が一にもばらしたら、針千本眼球に突き刺して先程の針男状態の顔に永続的に強制整形されるらしいので、死んでも黙秘を貫こうと思いました。

 

 変化を解いたイルミさんは以外にもフレンドリーだった。 地雷(またの名をキルアと言う)を踏まなければ、そこそこ話の通じる人だと云うのが僕の出した結論である。 仕事に対するスタンスは真逆だけど。

 話の流れで教えてもらったが、例の一件の後、僕と師匠はゾルディック家の長い歴史の中で数人しかいないブラックリスト入りしていたらしい。 

 基本的に、依頼された殺しは必ず請け負うのがモットーのゾル家が仕事を断る可能性が有る稀な人間、それが僕。 

 …正直な所、有り難いのか有り難くないのか良く分からない。 馬鹿高い金を積んでゾル家に依頼されている時点で恨み骨髄という事だろうしなあ。

 ちなみに、師匠は家長さんと懇意の仲らしく、現在では晴れてブラックリストは解除されているそうだ。 …一人だけズルくないですか師匠。

 

 身内の愚痴やらキルア君の自慢を延々と聞かされている内に、通路が途切れて行き止まりになっている所にぶち当たりました。

 落下した場所でイルミさんと鉢合わせてからここまで一本道だったし、隠し通路らしき物も見当たらなかった。 

 

 …仕方がない、脳筋と思われるかもしれないが、また穴を開けて進むしか無いか。 

 

 そう思い、虎徹に手を伸ばそうとして—――僕は思い切り横へと跳ねた。

 

 

■■■

 

 

「…相も変わらずの不意打ちとは、あの時から成長していない様だな、イルミ・ゾルディック」

 

 この薄闇の中、抜き打ちで放った光を吸収するステルス極細針を此方を見もせずに躱し、服に付いた埃を払いながら態勢を立て直して平坦な口調でぽつぽつと喋るクリード・ディスケンス。 

 暗殺者である俺に勝るとも劣らない程に冷酷で残忍な光が籠ったその両眼には、俺に対する憐憫の情が籠められていた。 …あの時と同じ様に。

 

 …とりあえず、壁と天井を崩して生き埋めにしてみるか。 

 

 そう考えた時、ザザザ…という雑音が部屋に響いた。 …音の発信源は天井か。

 

『…お取り込み中の所、申し訳ないが、試験の概要の説明をさせて頂く』

 

 まるで間を計っていた様に割って入った、備え付けられたスピーカーから流れて来た音声。 おそらく試験官だろう。

 

『此処は三人で進む三又矛の道である。 よって、君達の他にもう一人が其処へ来れば道は開かれる。 …来なければ、残念だがそれまでだ。 …健闘を祈る』

 

 何か他にヒントでも無いかと暫く身構えていたが、スピーカーからの音声はそれきりだった。

 

「…どうやら、もう一人誰かが此処を訪れるまで待つしか無いようだな」

 

 言うが早いか、その場に座り込んで携帯でメールを打ち始めたクリード。 

 今の今まで、割と本気で殺してやろうかと思っていた筈だが、隙だらけのその姿を見ているとどうにも妙な気持ちになる。 俺の中の殺る気ゲージが見る見るうちに削がれていくのが分かった。 

 それは、俺が生まれてから初めて味わう不思議な感覚だった。 

 

(…まあいいか、機会なら何時でも有るし) 

 

 そう考えた所で、こいつはヒソカのお気に入りでも有った事を思い出した。 

 ヒソカの獲物を先に殺したらさぞかし面倒な事になるだろうな。 …というか、この試験中にヒソカが我慢出来ずに殺っちゃう可能性も有るか。 それならその方が楽で良い気もする。タダ働きならぬタダ殺しをしなくて済むし。 

 俺はそう考え直すと、思考を切り替えてキルの動向を確認する事にした。 

 

 ——― ―—― —――――うん、どうやら彼方では試験が始まって居る様だ。 …まあ今のキルなら、念使いが出て来なければ問題無いだろう。

 

 一瞬、壁に寄りかかって座り、携帯の画面を注視していたクリードの背がぴくりと震えた様な気がした。

 

 

■■■

 

 

 三次試験。 例年通りなら彼―—受験番号16:トンパはそろそろ脱落する事を考え始める頃合いだった。

 

 薄暗い石造りの廊下を進みながら、彼は今年の受験者達の事を考えていた。 

 ハンター試験に参加出来るというだけで、彼等は世界という大海から選りすぐられた、一%にも満たない上澄みの水なのだ。 

 そんな彼等。 将来を有望視されていた筈の彼等が希望を打ち砕かれ、脱落していった瞬間の絶望に染まった表情を思い返し、トンパは一人悦に浸る。

 だが、それと同時に否が応でも思い出してしまう事も有る。 試験開始前、親し気に話し掛けただけの自分をさも当たり前の様に、表情一つ変えず殺そうとしたクリード。 

 そして試験官ごっこと称して一次試験の最中、受験者を100名以上無意味に殺害したヒソカ(情報によると、虐殺にはクリードも参加していたらしい)

 かの二人の危険人物である。

 

(大丈夫、大丈夫の筈だ。 金輪際、あいつ等には出来る限り近づかない様にする、もし闘う様な事態に陥ったとしたら直ぐに逃げる、無理なら降参する。 …そうやってオレは生き延びて来たじゃないか、今回もそれを徹底していれば平気の筈…!)

 

 自身の陰鬱な気持ちを反映しているかのような薄暗い石造りの廊下。 トンパは慎重に進んでいった。

 

 暫く廊下を進んだ薄明りの先、数メートル先に見えるやや開けた小部屋。 意を決して先へ進もうと足を振り上げた瞬間。 トンパの脳内で、全く唐突に警鐘が大音量で掻き鳴らされた。 

 …寒くも無いのに冷汗が噴き出して止まらない。 “この先に進んでは行けない、命を落とす事になる” 第六感が、それなりの修羅場を潜って来た経験が、間近で命を失う瞬間を観察し続けていたこの十数年が、それを警告してくれていた。

 直観に従って急いで踵を返し、歩いて来た道を振り向く。 ―—―ジャポンの仮面を思わせる、無表情を顔面に張り付けた様な不気味な男が通路を塞ぐ様に立っていた。

 

(な、なにぃ~~~!? コイツ、何時の間に俺の後ろに!? つーかこんな奴、試験会場に居なかっただろ!! …って事は試験官かコイツ? …いや、だとしたら俺の後ろに居るのはおかしいぞ! ~~つーかヤバイ、早く逃げないと殺される!!)

 

 前後しか無い長い廊下。 その前方を塞がれている以上、トンパが逃げる事の出来る方向は後方にしか存在しなかった。 …つまる所、最初に予感を感じた小部屋にしか――。

 縺れる足を奮い立たせながら、可及的速やかに部屋の中へ駆け込む。

 

「~~っ、はぁ、はぁ、はぁ……。 た、助かった…!?」

 

「...助かった? それは一体『何』に対してかな?」

 

 恐る恐る、顔を上げる。 

 今の声を発した人間が『彼』で無い事を信じて。 自身の脳が弾き出した愉快な予想が外れている事を神に祈りながら。

 

「あっ、あっ、あっ……あああああああああ……!!」

 

 ランプの灯りに照らされる銀髪、猛禽を想起させる鋭い眼光。 無情にも答えはトンパが想像した通り、受験番号46:クリード・ディスケンスその人だった。

 前後を塞がれた今、逃げるという選択肢は潰えた。 …この化け物のどちらかと闘って一縷の望みを見出す? そんな事をしても無駄なのは端から分かり切っている。 

 自身に戦闘センスが無い事は、初めて試験を受験した時に嫌と云う程に味わったから。 …ならばどうする? どうやってこの危機的状況を回避する!?

 

 気休めにもならない命乞いの言葉を発しようとして、開いた口から言葉が紡がれる事は無かった。

 自分を見るクリードの視線に覚えがあったからだ。 

 …そう、試験開始前に受けたあの視線と寸分違わず同じ眼。 自分の事を、道端に転がっているゴミかそこらと同じにしか見ていないあの冷徹な眼だった。

 そして泣き言を紡ぐ暇も無く、直ぐ後ろにもう一つの気配が出現する。 

 振り返らずとも理解出来ている。 あの不気味な男に違いない。 首筋にはこれまたいつの間にかしか言い様の無い早業で、鋭く尖った【何か】が押し当てられていた。

 間違いなく至近距離で行われた筈の動作――その一切を、この致命的な状況に陥るまで全く感じ取る事も出来ない自分。 嫌と云う程に格の違いを思い知らされる。 

 ちくりとした痛みと共に、温かい液体がたらりとトンパの身体を伝い、服へと染みて行った。 

 最早、声を出す事も出来なかった。 彼に残されたのは、奇跡的にこの二人が自分の命を奪わない事を神に祈る事だけ。 

 後ろに立つ不気味な男が音も無く耳元へと近づき、感情の籠らない声で囁いた。

 

「…もう一度逃げたら殺す、手を抜いても殺す、口答えしても殺す。 俺の足を引っ張っても、勿論殺すからその心算で宜しく」

 

 耳元で囁かれたその言葉を聞いて、がくがくと膝を震わせながらトンパは頷いた。 壊れた人形の様に何度も何度も。

 その光景をじいっと見ていたクリードが、イルミが離れた後も依然として震え続けている哀れな男―トンパへ近づいて行き、反対の耳へと何事かを囁く。 

 途端、震えは痙攣と呼称出来るほどに激しさを増していった。 ガクガクと、諤々と。

 

「あっ…あああああ….あばばばばぁ…」

 

 クリードが離れると同時に、寸での所で堪えていたトンパの精神が限界を超えたのだろう。 顔面は蒼白を通り越して白磁の如く色を失い、口からは止めどなく泡が吹きこぼれる。

 そしてズボンに盛大に染みを作り、彼はこの地獄から(一時的にでも)脱出する為に意識を手放す事を選択した。

 

 

―—―不幸な事に、彼にとっての地獄はまだ終わりでは無い。 …寧ろ始まってすらいない。

 

 

 

「うわ、ばっちいなあコイツ。 クリードさあ、何て言ったの? ビビリすぎて蟹みたく泡吹いてるじゃん」

 

 考え込む様に顎に手を当て、クリードは呟いた。

 

「…いや、失敗しても僕がフォローするから気にするな。 と伝えただけだが」

 

 不思議そうに頬を手で掻いて、イルミが首を傾げる。

 

「本当に? おかしいね、てっきり殺すとかしばくとか、怖がらせる様な事でも言ったのかと思ったよ。 ……一本行っとく?」

 

 懐から取り出した針がランプの光に中てられて、てらてらと怪しい光を放っていた。




次回、トンパ死す。 デュエルスタンバイ!!


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■.小さな願い。 -A small wish-

割と本編の核に関わるネタバレを含みます。 1~3話を既読の上で読んで頂けるとありがたいです。 全三話構成です。 
後、某可愛いモノ好きの方の台詞をお借りしました。


 

In being limited, and there being the happy days when I pretended not to notice. 

(気付かない振りをしていたのよ、幸せな日々が有限で有る事に)

 

 

【Ⅰ】

 

 

 いつも通り。

 

「トレイン、そっちに行ったぞ! 仕留めろ!!」

 

「あいよー。 …ほ~らよっと!!」 

 

 気の抜ける様な返事と共に繰り出された、空気を切り裂く蹴撃が強盗犯の側頭部へと吸い込まれていく。

 私とスヴェンの華麗な連携によって知らず知らずの内に誘導され、トレインの待ち構える路地裏までそうと知らずに追い込まれたのだ。

 私達が駆け付けた時には、既に強盗犯はぐるぐる巻きに縛り上げられた後だった。 ロープの先を持ち、警察署へとずるずる引っ張って行くトレインはすこぶる上機嫌である。 

 調子外れの鼻歌が遠ざかって行くのを見送った後、スヴェンは慣れた手つきで煙草に火を付け、溜息と共に紫煙を吐き出した。

 

「やれやれ、これで今月の家賃はどうにか払えるか…?」

 

 がしがしと頭を掻きながら気だるげにぼやくスヴェン。 

 お金が無い事をぼやく時、手強い獲物を相手取る時、日に何度か見かけるトレインの奇行を目撃した時。 彼が無意識に取るその何気ない癖。 …何故だか分からないが、私は『それ』がとても好きだった。

 じいっと食い入るように見ていた私の視線に気付いた彼は、咳払いを一つして腰を落として目線を合わせると、今度は至極真面目な顔になって私を見た。

 

「…イヴ、何か欲しい物は有るか? 家賃払っても少しぐらいは余裕が出来るだろうから、今なら買ってやれるぞ?」

 

 バレると煩いし面倒臭いからトレインには内緒な。 

 スヴェンは人差し指を口に当てて、屈託の無い笑顔でくくくっと笑った。

 

“新しい本が欲しい”

 

 自分から聞いておいて、私が何を欲しがるかは大方の予想が付いていたのだろう。 思った通りだとスヴェンはにやついている。 

 …ふふっ、これから私が発する言葉を聞いてもまだその表情を保っていられるだろうか。 楽しみである。

 

「で、それはどんな本だ? こないだみたく小難しい医学書か? それとも….」

 

 思いついたジャンルをつらつらと羅列していくスヴェン。 手に持った煙草から煙がもうもうと快晴の青空へ昇って行く。

 

“……が欲しいの”

 

 そっと彼の耳元に近づいて囁いた、他の誰にも聞かれない様に。 

 

 数秒後、私が何と言ったのか理解したスヴェン。 

 彼の表情が驚愕の色へと染まって行くのを至近距離で思う存分に堪能しながら、私はどくりどくりと早鐘の様に脈打つ心臓がまるで身体と別の物みたく、意思を無視して暴れ回るのを懸命に堪えていた。  

 …堪えていたけれどやっぱり駄目だ、恥ずかしさが耐えられる限界を突破して、私は俯いてしまった。

 

 「……は、はぁ!? 子供の作り方が書いてある本だとぉ!?」

 

 “先に帰ってるから” 

 

 予め用意していた言葉。 それだけを何とか言い捨てて、子の様に舌を出して私は駆け出す。 …後ろは振り返らない、振り返れない。

 通りすがりの泥棒お姉さんが教えてくれた作戦は見事に成功したといえるだろう。スヴェンが見せてくれた激レアな表情を忘れない様に脳内フォルダへと焼き付けながら私は走る。

 

「あ、あれが噂に聞く、思春期ってヤツなのか…? と、とりあえずトレインに相談…いや駄目だ、アイツは役に立たねぇ! ならリンス…..いかん、アイツにそんな事を話したらこれ見よがしに変態扱いされるに決まってる…!」

 

 後ろから聞こえてくるスヴェンの呟きを私の耳は目ざとく拾っていた。 

 

『何時までも、貴方に守られるだけの子供扱い何てさせないんだから』

 

 …私の気持ちは伝わっただろうか、伝わっていると良いな。

 

 

 何処かのトレインの真似をする訳では無いけれど無性に鼻歌でも歌いたいような、そんな愉快な気分に水を差す様に。 

 ぞくりと背筋に氷柱を差し込まれたような悪寒が唐突に背中を過った。

 

 ……まただ、やっぱり気のせいじゃない。 この間からふとした時に感じるこの感じ。 …誰かに見られている? でも、何処から?

 

 

 慌てて辺りを見回すが、路地裏には依然として立ち竦んだままのスヴェンと私、そして目の前をとてとてと横切って行く黒猫以外には誰の姿も見えなかった。

 

 

―—―いつも通り?

 

 

【Ⅱ】

 

 

 私には記憶が無い。 生まれた場所も、両親の顔も、自分の名前さえも、何一つとして知らない。

 今名乗っている“イヴ”という名前は、私を拾ったトレインとスヴェンが相談して名付けてくれた物だ。 

 未だに上手く表現できないが、その言葉を聞かされた時、自分の中でずれて空回っていた歯車が噛み合う様にとてもしっくりと来たのを今でも良く覚えている。

 名付けた二人も、最初に頭の中に浮かんだフレーズがその名前だったというのだから驚きだ。 …というか、せーので口に出した本人達が一番驚いていた。

 

 トレインとスヴェン。 二人は奇妙な縁で知り合って以来、仕事仲間としてブラックリストハンター、つまり指名手配犯や犯罪者を捕まえる職業である―—をこなして日銭を稼ぎながら世界を転々としている。今はそれに私も加わっている。 …まだ危険度の低い仕事しか手伝わせて貰えないけれど。

 性格も行動も外見も、食事の好みでさえもまるっきり正反対な二人だが、不思議と仕事をする上ではウマが合うのだそうだ。 曰く、ずっと昔から組んでいたみたいに息がピッタリと揃うのだとか。

 …そういうのを難しい言葉で何て言うのだっけ。 ……ええと、そう、阿吽の呼吸。 多分そういう感じ。 ちょっと羨ましい。

 

 私には普通の人間にはまず備わっていないだろう不思議な力が有る。 それはまるで、赤ちゃんが生まれ落ちた瞬間から泣く事を覚えている様に、私の中に最初からさも当然の如く存在していた。

 腕を形状変化、或いは硬質化させて刃や盾を造る事、髪の毛を変化させて拳を造りだす事etc…。 慣れて来た最近では、全身を纏めて変化させられないか練習中である。 

 初めて二人と出会った日、それらの能力を駆使して襲い掛かったのも今となっては良い笑い話。 

 ふとした時にそう言ったらトレインが引き攣った笑顔になったのも、スヴェンがお腹を押さえて顰め面になった事も、何時かは皆で笑える様になると良いな。

 

 自分という存在がハッキリして来るにつれてその事実に気が付いたのだが、私は怪我の直りが異常に速い。 掠り傷くらいなら数分も有れば僅かな痕を残して塞がってしまう。

 一度、スヴェンの勧めで信頼できるお医者さんに診て貰った事が有るが、結果は全くの健康体という一文のみ。 

 報告を聞いて首を傾げていたスヴェンも、時間の経過と共に納得せざるを得なかった様だ。

 

 不思議な能力、私はそれを【変身】と呼んでいる。

 

 

【Ⅲ】

 

 

 いつも通り。

 

 

 変わらない朝、変わらない二人。 それを眺める私。

 密かに私が毎朝の日課にしている、ブラックコーヒーを苦いのを堪えてちびちび飲むスヴェン(本人は気付かれていない心算らしい)を観察していると、これまた何時もと同じ様に気だるげな顔で新聞を読んでいたトレインが俄かに大声を張り上げた。 

 丁度マグカップを取りに行こうとしていた私は、流し台の近く―—―つまりトレインの直ぐ真横でそれを浴びた為に耳のキンキンに苦しむ羽目になった。 抗議の意を込めてトレインを睨むが、気にも留めてくれていない。 

 …正直、かなりイラッと来た。 気まぐれ猫に躾をしてやらねば。 そう思い、トレインの後ろに回ってバレない様に髪を少しずつ金槌に変化させていると、再び響き渡る大声。

 

「スヴェン、姫っち、これ見ろって!」

 

「何だトレイン、朝っぱらから馬鹿デカい声出しやがって」

 

「馬鹿は余計だっつーの。 …って、んな事はどうでも良いんだよ、これ見ろよ、ほら!!」

 

 言うが早いか、トレインは新聞を乱暴に広げて見せた。 

 

「これは……!」

 

「….!!」

 

 少し皺が寄った大見出し、そこには。

 

【細胞学の第一人者として著名なティアーユ博士、世紀の大偉業を達成!?】

 

 興味を惹かれるタイトルだ。しかし重要なのはそこでは無い。 私とスヴェンの視線の先、記事の中央で写っている白衣を着た女の人。 この人がティアーユ博士だろう。

 私はその顔に見覚えが有った。 …正確には、見覚えが無い筈が無い。 どうしようもない程に、彼女は私とそっくりだったからだ。

 

「…確かに驚いたな。 イヴを鏡に映して二つに分けたみたいにそっくりだ。 …うーむ成程、何年後か分からんがイヴが成長して大人になったらこうなる訳か」

 

…姫が大人になってもこんなにおっぱいがデカくなるとは限らないけどな。

 

 ぼそりと余計な事を呟いたトレインの膝に髪を変化させたハンマーで一撃を与えつつ、痛みに呻くトレインから奪い取った新聞の記事を読み始めたスヴェンの横へ移動し、記事を読むついでに件の写真を改めて眺めてみる。 

 細胞学、超極小治癒機械の開発、人工授精による生命の創造。 …SF小説の一節かと錯覚する程に現実味の無い単語の羅列。

 

「ティアーユ・ルナティーク。 この記事によると細胞研究の第一人者らしいな。 イヴ、この人や名前に覚えは有るか?」

 

「…ううん、全然」

 

 これは本当だ。 髪の色も、目の色も、顔立ちまで全く一緒の博士だが、私にはまるで見覚えが無かった。 

 “私が大人になったらああ云う風になるのかな” 浮かんだのはそんな漠然とした感想のみ。

 

「そうか。 うーむ、だがまあ、此処まで似ていて全くの無関係、他人の空似って事は無さそうだしな…」

 

 駄目元で連絡を取ってみる、夜までには戻る。 

 

 そう言って出かけて行ったスヴェンを見送った後、私とトレインはそれぞれ別行動を取る事にした。

 

「ん? 別に姫っちは留守番してても良いんだぜ? 情報集めなら俺一人で十分だからよ」

 

 嘲る様なトレインの言葉。 何時もなら軽く受け流すか無視するかだが、少々気が立っていたのも有り、捨て台詞を吐いて私は外へ飛び出した。

 

「…お~怖。 あれが思春期ってヤツか? スヴェンが言ってた通り、子供ってすげえスピードで成長するんだなー」

 

 

【Ⅳ】

 

 

 売り言葉に買い言葉。 

 絶対トレインより先に良い情報を見つけて来る。 威勢よくそう言って出て来たは良いが、具体的に何処をどう調べて見るかなんてさっぱり思いつかない。 

 とりあえず公園の遊具に腰を乗せて考える事にした。  

 しかし、頭に浮かぶのは依然として欠片すら思い出せない私の記憶。ともすれば暗く沈んで行きそうになる気持ちを切り替えようと、ふるふると被りを振って頭をリセットする。

 ティアーユ・ルナティーク。 私と瓜二つの顔をした新聞記事の女の人。 

 私には彼女が何かに怯えている様に思えた。 あれは自らの研究成果を誇る様な笑顔等ではなく…まるで、誰かに脅されてあの写真を撮り、大衆紙に大々的に乗せる事で私達、もしくは特定の誰かに存在をアピールしているかの様…。

 

 そこまで考えた所で、にぃと鳴き声が聞こえた。 見ると私の足元に猫が一匹、ぺたんと座って此方を見ている。 何処かで見た覚えがある黒い猫だ。視線が合うと、黒猫はもう一度にぃと鳴いた。

 

 見た所この子は首輪をしていない。 …しかし、野良猫というには毛並みは整えられており、がりがりに痩せてもいない様だ。

 

“おいで”

 

 軽く手招きをしながらそう言うと、彼は逡巡する素振りすら見せずに膝へ飛び乗って来た。 警戒する素振りすら見せようとしないこの馴れ馴れしい態度。 …どうにも彼がつい先程別れたばかりの何処かの誰かと被って見える。

 黒猫の背を撫でながら私は尚も思考の海に潜る。 潜って、潜って、思考は横道へとそれて行く。 

 こうして眼を閉じて、考え事をする時、または夜寝る前。 

 何時も真っ先に思い出すのは二人と出会ったあの雨の日の事。 あの時のスヴェンの言葉。

 

 

 

―—―っ…! 何も知らないくせに、知った風な口利かないで!!

 

―—――――ぐっ!? —――おいスヴェン!! —―――っ痛…! 大丈夫、だ。 ―—―トレイン、少し黙ってて、くれ―—―こいつに言っておかなきゃならん、事が出来た—――

 

 

『お前は…ぐっ、…言ったな、私はニセモノ…だと….』

 

 そう、きっとあの時の私は錯乱していたのだ。 雨の中で傘も差さずに佇んでいた私を見かねて声を掛けてくれた二人を見て混乱し、恐慌状態に陥り、良く分からない事を口走りながら腕を刃に変化させて襲い掛かった。

 

『…それでも、例え世界が違っても、限りなく本物と…同じな紛い物なんだとしても…俺達は、お前は此処に居る。 此処でこうして…生きている。 ….それで、良いじゃないか』

 

 つーか、ニセモノがそんな悲しそうな顔が出来るかよ。 

 

 切れ切れの息でそう言って、スヴェンは私を抱きしめた。 …腹から背へ、深くずるりと飛び出した私の刃を抜く素振りすら見せずに。

 

 

 

 ―—―――どれ位の間そうしていただろうか。 ぴょんと膝の上から飛び降りた黒猫さんの感触で私は現実へと帰還する。

 

 “バイバイ” そう言うと、彼は律儀に鳴いて返事をしてくれた。何となくだが、彼とはまたその内会える気がする、そんな不思議な予感がした。 

 手を振って別れた後、私は家路を辿っていた。 一つ、確認したい事が出来たからだ。

 

 私の推測が正しければ、きっと―—―。

 

 




本編は明日投稿予定です。 きっと。



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19.おじさんは盾でも剣でもありません。

 

《何だ、オレはまだ夢の中に居るのか》

 

 目が覚めた時、まず最初にトンパが考えた事はその一文だった。

 これを現実だと云うには余りにもリアリティの無い状況。 例えるならばTVのブラウン管。その内側に閉じ込められた様に、黒く四角い枠で切り取られた視界からトンパは世界を見ていた。 

 夢と現。 その違和感にはすぐに気が付く事になる。 

意識を投げ出す前に見ていた景色と今、枠から見ている景色が全く同じなのだ。 

 …本当にこれは夢の世界なのか? もしかすると現実では無いのか?

 そう考えてしまったら最後、言い知れない恐怖を覚えたトンパは堪らずに悲鳴を上げ、夢から醒めようと身を捩って…捩ろうとして気付く。 声が出せず、身体の感覚が全く分からない。 

 まるで暗黒の宇宙空間に放り出されたかのように、頭の先から足の爪先に至るまで、一切の感覚が消失していた。 如何に力を籠め、歯を食いしばってもがき、喉を震わせようとしてもこの不出来な夢から醒める事は叶わない。 

 

 操作しているイルミでさえ与り知らない事だが、一時的にとは言え意識を失った状態でイルミの針によって『人形』へ変えられた事。彼にとっての最大の不幸がそこに有った。 

 

 トンパの身体は彼の意識を離れ、額に埋め込まれた針が受信するイルミからの思念を頼りに動き始める。 

 今や元の主であるトンパの方が異物と化している状態であり、自身の意思が介在する余地は何処にも残されていなかった。 バージョンアップしたパーソナルコンピューターのOS、その内側にデータの塊として残されている旧OS。 

 トンパが置かれた今の状況を表すとすれば、それが一番近い表現だろうか。

 自らの意思を無視して動かぬ体。 自らの意思を無視して勝手に動き出す体。 耳を塞ぐ事も出来ず、嫌でも聞こえて来る外界の物音。

 

 どうやら前へ向かって歩いているらしい自分の直ぐ後ろに、クリードともう一人(恐らくはあの能面の様な顔をした男だろう)がぴったりと付いて来ているのが、時折漏れ聞こえて来る声で分かった。

 

「イルミ、約束しろ。この試験が終わったら彼を自由の身に開放すると」 

 

「…えー、面倒臭いなあ、まあ良いけどさ。 こんなおじさんを後生大事に手元に置く趣味もないしね」

 

《自由の身? 開放? オレの事か? …こいつ等の会話から察するに、あの不気味な男が俺の身体を操っているって事か? だがどうやってだよ、つーか元に戻せよ!》

 

 この状況で唯一、自分の意思で自由に動かせる脳内。そこでトンパが答えの出ない葛藤を繰り広げている間に風景は変化し、三人はまたしても行き止まりに突き当たっていた。 目の前には真白い大理石の石壁が広がっており、その中程に掌が収まるサイズの丸い窪みが三つ空いているのが見える。

 

「三又鉾、つまりこういう事な訳だね」 

 

「…恐らくだが、三人が揃っていなければ先へ進めない様な仕掛けが多々有ると見た方が良いだろうな」

 

 三人の手が同時に窪みへと翳されたその瞬間、トンパは確かに見た。 

 電気の様な無色の光が窪みから毛細血管の様に網状に広がり、部屋全体を走るのを。 

 数秒後、前方を塞いでいた石壁が地響きと共にせり上がって行く、

 

「予想通りだね。 道が開いた事だし、じゃあ出発進行」 

 

 イルミと呼ばれた男が抑揚の無い声でそう呟くと、枠から見える風景が少しずつ前に進み始める。 

 “やはり自分の身体は自分の意思を無視して、この男の裁量で動かされているのだ” 

 否応なしにそう悟るも、どうしようも無かった。 

 ともすれば発狂しそうな程の際限無い恐怖に包まれながら、それでもトンパには呻き声一つ、瞬き一つ自由に行う権利さえも与えられていなかったから。

 

 避雷針…もとい、トンパを先頭に三人がしばらく道なりに進んで行くと、延々と続くかと思われた廊下が不意に途切れ、階下へ降りる為の螺旋階段が見えて来た。

 

「…罠か」

 

「うん、罠だね。 …って事で、良し行け一号」 《…は?》

 

 短いやり取りの後、その場に留まる二人。歩み続ける自分。 

 階段の一段目、そこへトンパが右足を掛けた瞬間だった。カチリという妙に小気味良い音が踏み込んだ足元から聞こえると同時、突如として鋼の槍がすさまじい勢いで飛び出した。 上から下から横から、有りとあらゆる方向から。雨霰の様に。

 

《どおわああああああああ!!》

 

 頬の直ぐ真横を通り過ぎて行った刃に絶叫し肝を冷やすが、それが外へ漏れる事は無い。

 ギラリと光る穂先に映った自分の顔は、ゾッとするほどに感情が抜け落ちていた。

 

「おー、危なかったね。さて進もうか」 《おいふざけんな、危ないのはオレだけだろうが!! 人を罠避けに使うんじゃねえ!!》

 

 どんなに泣き喚こうが、トンパの叫びは届かない。 例え届いたとしても、イルミが懇願を聞き入れる事は無いだろうが。

 

「また罠だね、頼んだ一号(棒読み)」

 

 階段の途中で止まる二人。 進む自分。 発動する罠。

 

《ふざけんな畜生!! 俺の命を一体何だと思っていやがるんだ!! っでええええええ!?》

 

 

「さあ逝け、じゃないや、行け一号~(適当)」 《うわああああああ!?》

 

―—――—―

 

「おっ、また出番だ、良かったね(よそ見しながら)」 《ちっとも良くねえよバカやろおおおおお!!》 

 

―—―――――—――

 

「….(携帯電話を弄っている)」 《せめて何か言えよ…ってぎゃああああああああああ!?》

 

 鉄球、落とし穴、高圧電流の仕込まれた複数の仕掛け扉etc…。 

 延々と続く螺旋階段、その至る所に張り巡らされた罠をトンパ、もとい一号がその身を以て掻い潜りつつ進んで行くと、やがて奇妙なオブジェが三つ並んでいる小部屋へと出た。

 

「この像、さっきと同じ様に掌を当てる所が有るね」

 

「他に道は無いようだし、やって見るしか無いだろうな」

 

 翳す。 固く閉ざされていた岩戸が開く様に、扉が横へとスライドして行く。

 開いた先、そこは今までの小部屋とはまるで広さが違う、試験の為に誂えたような作りの部屋だった。 

 底のまるで見えない深さの奈落が四方を囲んでおり、その中央には石畳で構成された舞台が用意されている。 

 三人が室内へ入って来るのを見計らったかのように、天井に備え付けられたスピーカーから音声が響く。

 

 

『三又鉾の試験へようこそ。 此処では試験官と一人ずつ、一対一で勝負をしてもらう。 勝負の内容は試験官によって決められる。 君達三人で二勝すれば先へと進む為の道が開かれるだろう。 …但し、一敗する度にペナルティとして残り時間が二十時間ずつ減るので注意して欲しい。 …以上だ』

 

「ふむ。 随分とペナルティが重い気がするな」

 

「…確かにね。 あー分かった、多分だけどアレじゃない? 俺達が『使い手』だから厳しくしてるんだよ、きっと」

 

「成程、それで三人で二勝か。確かにそれなら合点が行く」

 

 二人がのほほんと会話している内に、閉ざされていた反対側の扉から囚人服を着た男と女が一人ずつ、そしてダークスーツに身を包んだ厳めしい男が一人、現れた。

 

「…スーツのあの男、何処かで見た覚えが有るな」

 

「あっ、クリードもやっぱりそう思った? オレもどっかで見た覚えが有るんだけどなー、何処だったか…」

 

 会話を遮る様にして先に出てきたのは囚人服を着た女だった。 

 中央舞台からクリード達に向けて指を向け、高らかに宣言する。

 

「さあ、此方の一番手は私だよ、そっちは誰が来るんだい?」

 

「うーん、見た感じは大した使い手じゃあ無さそうだけど。 …クリード、どうしようか?」

 

 夕食のおかずを尋ねるかの様に、緊張感の欠片も感じさせない口調でイルミがクリードの意見を聞く。

 

「彼方の出方を知る為にも様子見が必要だろう。 最悪、二勝一敗でも此処は通過できる。 詰まる所、僕とイルミが勝てば良い話だ。どうしても闘いたいと言うのなら止めはしないが」

 

「いや、まあそりゃそうだけどさ。 一々あんな雑魚の相手するの、面倒じゃない?」

 

 じろりと睥睨するイルミの視線を受けて女がぶるりと身を震わせる。

 

「…まあ良いや。 じゃあここは一号君に頑張って貰おうかな」 

 

「ハイ、ガンバリマス」

 

 口が開き、喉が震え、舌が言葉を紡ぐ。 トンパの体は相変わらず、彼自身の意思を完全に無視して中央舞台へと歩いて行った。

 

 

◆◆◆

 

 

「ちっ、誰が来るかと思ったらアンタかい。 おっさん何てアタシの趣味じゃ無いんだけどねぇ」

 

 目の前であからさまに失望された顔をされても、彼にとってはそれ所では無かった。 …そもそも『人形』と化した彼は、リアクションの取りようが無いのだが。

 

『出来る限り頑張ってくれ、()()()は気にしなくて良いから』

 

 トンパの頭の中では、舞台へ出てくる前に耳元でクリードに囁かれた言葉がぐるぐるとリフレインしていた。

 

「ゴタクハイイカラ、トットトカカッテコイヨクソビッチ」

 

 これ見よがしに唾を吐き捨てるトンパ。 次いで中指が天へ向けて立てられ、止めに親指が首を切る様に左から右へと流れて行った。

 

《おいよせ止めろ、わざわざ挑発すんなオレ!!》

 

「……ブチ殺す。 と言いたい所だけれどね、見ての通り私は腕力に自信が無いのさ。 という訳で私が提案するのは『にらめっこ』!! 先に声を出した方の負け!! …どうだ、分かり易いだろう?」

 

「イイダロウ、トットトハジメロ」

 

「へえ、見た目と裏腹に度胸は有るんだ。 …じゃあ行くよ? 私が次に『スタート』と言ったら勝負開始だ!! (馬鹿オヤジめ、引っかかりやがったな。 誰も顔で笑わせろとは言っていないのにねぇ? 男なんて生き物はみんな同じ!! 少しばかり下着でも見せてやれば動揺する事必至!! 其処を付く!!)」

 

「…スタート!!」

 

 舞台脇で睨みを利かせ…観戦していたイルミがぽつりと呟いた。

 

「…勝ったね」 「…ああ」

 

 

―—―――

 

―—―――――—――

 

 

『勝者、トンパ!!』

 

「ば…馬鹿な….。 私の色香が通用しない…!?」

 

《…そりゃそうだろうよ。 喋れねえんだもん、オレ》

 

「…終わったなら退け、次は俺が行く」

 

 敗北のショックで蹲った女を押しのける様にして、スーツの男が舞台へ登って来る。 

 

「この時を待っていたぞクリード…! あの日貴様にやられてから今まで、一日一秒としてこの失った四肢の痛み、そして恨みを忘れた事は無い。 さあ上がって来い!! 今こそ満願成就の時、被った汚名を晴らさせてもらう!!」

 

 怒りに震える指が指し示す先、クリード・ディスケンスはカチカチと携帯電話を弄っていた。

 

「…おーいクリード、何か指名されてるけど?」

 

 携帯を胸ポケットに仕舞い込み、クリードがゆっくりと顔を上げて男を見る。 暫しの間を置いて、得心が行った様に頷いた。

 

「…ああ、漸く思い出した。 彼はツェズゲラさん。以前、僕を捕えに来たブラックリストハンターだよ。 どうにもその時の印象が薄くて忘れてしまっていた様だ」

 

「わあ可哀想、本人を目の前にしてそんな事言っちゃうんだ」

 

 待ちきれないと言わんばかりにツェズゲラの身体から間欠泉を思わせる勢いで噴き上がるオーラ。 

 その流れは滑らか、かつ流麗であり、クリードへの怒りに任せて闇雲に修練して来たのでは無い事が見て取れた。

 やれやれと溜息を付いて、クリードが舞台へと上がる。

 

「どうもお待たせしたようで。 一つ宜しく頼む。 …所で勝敗はどうするのかな?」

 

「決まっている、何方かが死ぬまでだ。 …と言いたい所だが、生憎と此処での殺しは許可されていない。 故に勝敗は失神するか負けを認めるまで! …但し、オレが失神していると認めない限り死合いは終わらんがなぁ!! クククク…!!」

 

「成程、了解した。 …何時でもどうぞ?」

 

「ふん、どこまでそのふざけた態度を保っていられるかな…!? 行くぞ!!」

 

 足元の石舞台を踏み砕く勢いでツェズゲラがクリードに迫る。 

 小規模の爆発を想起させる程の凄まじい加速は、観戦していたイルミがほうと感嘆の溜息を漏らすほどだった。

 十メートルは優に離れていた二人の距離が一瞬の内にゼロになる。 

 横合いから左の鋼拳がクリードの顔面を目掛けて迫る中、抜刀即撃―—居合の構えから神速で抜き放たれた虎徹、その刃が一瞬早くツェズゲラの胴体を輪切りにせんと真一文字に奔った。 —――だが。

 

「…!」 「無駄だ!! 砕けろクリードォォォ!!」

 

 鈍い金属音と共に不可視の剣戟が弾かれる。 弾かれたその勢いを上手く利用して身体を捻り、寸での所で致死の鋼拳を躱したクリード。 しかし、その口端からは一筋の血が滴っていた。

 

(刃の破損によるフィードバック…! 幻想虎徹が欠ける程の合金とは。 このまま闇雲に斬り合っても分が悪いか…?)

 

 三次試験開始から今まで表情筋一つ、眉一つ動かす事の無かった目の前の怨敵。 

 その余裕に満ちた表情が初めて崩れたのを見て、ツェズゲラは愉悦と歓喜を抑えきれずにいた。 

 

(行ける、あの時とは違う。 自分の力はクリードに通用している。 これまでの血の滲む様な修練の日々は無駄では無かったのだ!!)  

 

「ふっ、今の一撃を良く躱したと褒めてやりたい所だが、生憎と残念だったな。 今の俺の拳は絶対無敵だ。 例え躱したとしても、それによって生じる風圧でさえ皮膚を裂き、骨を抉る凶器と化す!! くくく、ふははは…!!」

 

(意外に馬鹿だなアイツ。 あれ、どう見ても風圧で負ったダメージ何かじゃ無いでしょ。 …考えられる可能性としては、あの見えない刃が鎧で弾かれて欠けたから制約でクリード本体もダメージを受けた、かな? 面白いのは俺やヒソカと戦った時に見せた剣とまるで形状が違う事だよね、まあ何らかのトリガーが有るんだろうけれど…)

 

 観戦しているイルミが脳内で幻想虎徹に対する考えを纏めている内にも戦闘は続いている。 舞台上では好機と見たツェズゲラがクリードを一気呵成に攻め立てていた。

 

 風を切り裂く左フックから軽く残像を生じさせるほどの右の高速ジャブのコンビネーション。そこからオーラの流れや視線を含めた高度なフェイントを挟んで側頭部へのハイキック。 

 まともに受ける事を嫌い、屈んで避けようと姿勢を低く落としたクリード、その脳天を叩き潰そうと頭上で急停止した鋼の足が豪速で落ちる。まともに当たれば確実に肉はへしゃげ、骨が砕ける事は必死の苛烈な攻め。 

 それを左前方へ身を投げ出す様にして半ば転がりながら躱し、更にその回転の勢いを利用してクリードは再び剣戟を奔らせる。 

 狙いは全霊を籠めた蹴撃の代償に崩れた態勢、そこから狙える唯一の急所、首筋―—―!

 

 二度目。 ガリガリと金属と金属が擦れる耳障りな音が周囲一体に響き渡る。咄嗟にツェズゲラが顔の前で交差させた腕に阻まれ、刃は急所を貫く事が出来ずにいた。

 

「くくく…! 無駄だ、その程度の反撃は端から想定済よ。 …だが今の一撃、良く躱したと褒めておいてやろう。 まあ、この鋼の四肢から繰り出される殴打の嵐から何時まで逃げ続けられるか見物だがなぁ!!」

 

(…成程、守りを鋼の身体に委ねる事で全身全霊、全ての力を攻撃に集中出来る訳か。 アイツからしたら鋼で覆っていない急所だけ気を配って守れば良いと。 脳筋だけど、まあ中々に厄介かもね)

 

「一号はどう思う?」

 

《は、速すぎて何してんのか分かんねぇ..》

 

「...?」

 

 分の悪い鍔迫り合いを嫌い、クリードが後方へ飛び退く。 当然ツェズゲラがそれを見逃す筈も無く一足飛びに踏み込み、そして拳を振りかぶって、振り下ろそうとして。

 

「…何の真似だ?」

 

 クリードは何時の間にか虎徹を腰の鞘へと戻し、腕をだらりと下げて無造作に突っ立っていた。 少なくともツェズゲラにはそうとしか見えなかった。 

 

「戦闘中に得物を仕舞い、剰え呆けるとは。 随分と余裕だなクリード、それとももう諦めたのか?」

 

 どこまでも余裕の態度を崩さない怨敵。 図らずも言葉の端々に震えが混じる。 

 

「いや、これで良いんだ。 どうぞ、遠慮せず掛かって来るといい」

 

「…ふん。 そんなに死にたいのならば…望み通りブチ砕いてやろう!!」

 

 端正な顔面を目掛けて、超至近距離からツェズゲラの鋼拳が迫る。 そのスピードはこれまでの攻防で見せた動きよりも間違い無く数段速かった。 

 しかし、クリードは動かない。 ツェズゲラの視界が彩度を増して急速にスローになっていく、まるで白黒映画のコマ送りシーンの様にゆっくりと、必殺の拳がクリードに吸い込まれていく。

 

(くくく、もうお前がどう動こうと間に合わん!! …取った!!)  

 

 

 —――――パシィン!!

 

 

「…がはっ!?」

 

 

 果たして、血反吐を吐いたのは必勝の気合を籠めて全身全霊の拳を振り抜いたツェズゲラの方だった。 

 腹部から全身へと、波紋の様に広がる衝撃。 恐る恐るツェズゲラが視線を下げると、息遣いを感じる程に接近したクリードの掌が超合金で覆われた腹部の中心―—手首の半ばまで減り込んでいるのが見えた。 

 渾身の一撃は鋼の腕、更にその内側へと入り込んだクリードの銀髪を数本掠めただけの結果に終わってしまっていた。

 

「ぐっ、馬鹿な…!!」 「…悪いが終わりだ」

 

 ぼそりとクリードが呟いた言葉。 

 脳内で単語の意味を咀嚼する前にツェズゲラは腹から背に抜ける激しい衝撃を再度感じ、次の瞬間には遥か後方――中央舞台を突き抜け、周囲を囲む奈落を超えて、真白い大理石の壁へと錐揉み状態で叩き付けられた。

 この時、培って来た経験と勘がツェズゲラの命を救っていた。 

 クリードの全身から添えられた掌へとうねりながら急激に集中するオーラを見て、咄嗟に全てのオーラを【硬】で腹部に集中していなければ、間違いなく首から下は挽肉と化していただろう。 それ程の衝撃が詰められた一撃だった。

 

「み…ごと…..だ」

 

 ツェズゲラが完全に失神して起き上がって来ないのを確認し、此方へと戻って来たクリード。 イルミが投げやりに拍手を打って勝利を称える。

 

「お疲れー。 これで二勝だね。 っていうかクリードって寸勁とか使えるんだ。 …何処で覚えたの?」

 

「正確に言うなら通背拳という技だがな。 昔、仕事中に戦闘になった相手が使って来たのを覚えていて、時間を掛けて会得した。 …それだけだ」

 

 クリードの脳内に現在同じ塔内で試験をこなしているだろう少年、その父親の顔が浮かぶ。 態々其処まで懇切丁寧に説明する気も余力も無かったが。

 

「…ふーん、まあどうでもいいや、これで此処を突破出来る訳だしね」

 

 イルミの視線の先、ツェズゲラを背負った囚人服の男が扉の奥へと消えて行く。

 

『試験突破おめでとう。扉の先にペナルティ用の部屋が有るので、そこで時間を過ごしてもらう…と言いたい所だが、君達は一度も負けていないのでそのまま通過して頂いて結構だ。 …この先の健闘を祈る』

 

 話の腰を折られて興味を失ったのか、はたまた端からそんな物はどうでも良かったのか。イルミは我先にと開いた扉の先へ消えて行った。 …と見せかけて引き返して来た。

 

「イルミ、どうした?」

 

「ん~、クリード、先に行っててくれる? ちょっと忘れ物しちゃってさ」

 

 訝しげにイルミを見つめていたクリードだが、無言無表情を貫くイルミに根負けしたのか扉を潜り、一人外へと出て行った。

 クリードを見送った後、イルミはぐるりと後ろを振り返り、棒立ちしていたトンパを見やる。

 

「全く、約束を忘れるところだったよ。 —――という訳で、アンタは自由の身だ、良かったね」

 

 “じゃあバイバイ。それなりに役に立ったよアンタ” 

 

 相変わらずの抑揚のない声でイルミがそう呟くと、トンパの視界が後ろへ――—詰まる所、身体が少しずつ後退りを始めた。 少しずつ、少しずつ。

 

《ちょ…おい、ふざけんな、俺一人置いて行く気かよ! せめて身体を元に戻して行けよ!! …おい!?》

 

 如何に歯ぎしりをし、泣き叫ぼうとトンパの口から音が漏れる事は無い。 徐々に離れていくイルミの背に恨みの念をぶつけるも、状況は何一つ変化しなかった。

 一歩、また一歩。 じりじりと後ろへ下がって行く視界。 やがてトンパの脳内に或る一つの恐ろしい考えが過る。

 

《…おい待て、待てよ? まさか、このまま後ろに下がって行ったら…!!》

 

 この状況下、否が応でも思い返すこの部屋の構造。 四角い石畳の闘技場、その周囲を囲む様に配置された奈落。 脳内で描く現在の自分の位置。 …つまり。

 

《ああああああああああああああああああああ!! 誰か助けて!! 誰か誰かダレかダレかd…》

 

 

 

 

 クリード・ディスケンス 所要時間十六時間二十三分。

 ギタラクル 所要時間十六時間二十六分。 三次試験突破!!

 

「イル…ギタラクル、彼はどうした?」

 

「ん? ああ、アイツならこの先の試験に合格する自信が無いから辞退するってさ。 勿体無いよねー」

 




一度やって見たかった魔改造、ちょっとだけ満足。


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20.前へ進む時は、後ろを振り返らない方が良い。

所々省略してます。


 

◆受験前の日常、その一幕。

 

 

「…えっ? 星の使徒、解散しちゃうんですかぁ!?」

 

「ああ、僕の言い方が悪かったかな。 サキ君、それは違う。残念ながら今の所は星の使徒を解散する予定は無い…と言いたい所だけれども。 生憎と人様に褒められた職業じゃ無いし、何時終わりが来るとも知れないからね」

 

 詰まる所、これは一種の保険の様な物だ。...特に、君の様な歳の若いメンバーにとってはね。 

 そう言いながらクリードさんは机に向かって一心不乱に何かを書いていた。

 

「要は、君が将来やりたい事を見つけた時、僕達の手を離れても困らない様にする為さ。 売るだけで一生を遊んで暮らしても十二分にお釣りが来ると言われているハンターライセンス。 持っておくに越した事は無いだろう? あの時は仕方が無かった事情が有ったとは言え、まだ学生だった君を半ば無理やり星の使徒に引き込んでしまったのは僕の責任でも有るしね」

 

 言葉と共に書き終わったのか、徐に立ち上がり、つかつかと歩いて来て私に一枚の紙を手渡してくれた。

 

「まあ、無理やりだなんて。クリード君ったら意外とだ・い・た・ん♡」

 

「師匠、茶化さないで貰えますか? 今、割と真面目な話をしているのですけれども」

 

 良いよ、読んでご覧。 後ろへ苦言を呈した後、私の方へ向き直ったクリードさんはそう言うと柔らかく微笑んだ。 恐る恐る、目を通していく。

「ハンタ―ライセンス受験要項 、保証人…。 クリードさん、これって…!」

 

「そうだ、頑張りたまえサキ。 まあ君なら然程の苦も無く合格出来るだろうけどね」

 

 クリードさんの後ろで丸椅子に座りノートパソコンを弄っていたセフィリアさん。 私と目が合うと、親指を立ててパチンとウインクをしてくれました。 …可愛い。

 

「まあ、可愛いだなんて。サキったらそんな上手な。 …当然ですけれど」

 

「はぁ、師匠…」

 

 溜息、そしてこめかみぐりぐり。 クリードさんの半ばお決まりになっているポーズである。 

 最近、セフィリアさんはこれを見る為にクリードさんをからかっているのではないかと思う様になった私だった。

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ぞぶり。 

 そんな擬音を残して大柄の男の左胸からどくどくと脈打つ心臓が抉り出された。 

 盗られた『それ』を取り返そうとして、男は覚束ない足取りで数歩程歩き、倒れる。 そのまま暫くの間痙攣していたが、やがてそれも無くなり完全に絶命した。

 さながらスプラッタムービーのワンシーンの様な光景だ。 

 盗んだ張本人―—キルア君が鼻歌を鳴らしながら此方へ戻って来るのを、レオリオさんが軽く後退りしつつドン引きした顔で見ていた。

 

 えっ、私? クリードさんの事を考えてましたが何か? 彼の事だから、今頃きっと無駄に苦労して無意味に神経を擦り減らしているに違いない。 

 …毎度の事ながらお疲れ様です、クリードさん。

 

「よっし、これで此処は突破だよな? …おい何だよ、皆してシケた顔してよー」

 

「い、いや、ビビるだろ普通。 …キルア、お前一体何者だよ?」

 

「あ、そうか。二人には話して無かったんだっけ? キルアは暗殺一家の期待の星なんだってさ。 …えーと、ゾル、何だっけ?」

 

「ゾルディックだよ。 つーかゴン、それ位覚えろよな」

 

「ゾルディック…!? 稀代の暗殺一族と謳われているあの…! 成程、今の早業はそれで培った技術という訳か」

 

「ん、まあね。オヤジはもっと上手く殺るけどな~」

 

 “盗む時に血が出ないからな” そう言ってキルア君はにやりと笑った。 子供らしい無邪気な笑顔と血塗れの掌のギャップが凄い、何だかとっても背徳的。

 クラピカさんが難しい顔をして、ゴン君がカッコいい物を見る目でキラキラしていて、レオリオさんがドン引きしていて。 私はその光景を他人事の様にぼ~っと見ていた。

 

 …う~ん、何時からだったかな~、グロ死体を見ようが、血を見ようが、何とも思わなくなったのは。 ちょっと前まで極々普通のJKだった筈なのに。 慣れって怖いなぁ。

 そんな事をぼんやり考えていると、何時の間にか閉ざされていた奥の扉が開いているのに気が付く。

 

『扉の奥にペナルティ分の時間を過ごしてもらう為の部屋が有る。 そこで賭けに負けた分のチップ―——40時間を過ごしてもらえば、次へ進む為の道が開かれるだろう、健闘を祈る』

 

 スピーカーから聞こえて来た声に従って、私達は先へ進む。

 程なくしてやって来たペナルティルーム。ご丁寧に時間を潰す為の本やらゲームやらが置かれていた。

 

「おっ、ゲームが有るじゃん。 おーいゴン、これやろーぜ!」

 

「良いよ、負けた方が罰ゲームね」

 

 早速キルア君とゴン君はレースゲームで盛り上がっている様だ。 他の二人も各々で時間を潰す態勢に入ろうとしている中、私と云えばどうにも手持無沙汰だった。 

 とりあえず適当に棚から本を手に取り、開いてみる。

 

 ――——駄目だ、中身何て全く頭に入って来ない。 それもこれもクリードさんが此処に居ないのが悪い。

 ぼんやりと底なし沼に沈む思考。 

 私は試験開始前にクリードさんから言われた事を思い返していた。 

 

 

—―――私のやりたい事、かあ。

 

 

◆◆◆

 

 

  “暴力と殺しの世界で生き残る為に一番気を付けないといけないのは見極めだ” 

 かなり前の仕事でクリードさんはそう言っていた。曰く、強者になればなるほどにその実力を隠すのも上手になる、外見だけで相手を舐めて掛かるのは死にたがりか自殺願望者だ、どんな時も油断をしてはいけない。 

 ほうほうと頷く私を見て、クリードさんは言葉を連ねる。

 “ではサキ君に問題だ、君が任務中、敵のアジトでばったり誰かと出くわしてしまったとする。 次に僕が上げる人間を警戒すべき順に並び替えてごらん”

 

 1、年端のいかない子供。 2、ナイフを構えた屈強な男。 3、腰の曲がった老人

 

 

―——少しだけ考えて、私は答えた。 

 

 

 

「サキさん分かったよ! 2番、1番、3番の順でしょ?」

 

「ほうほう、ゴン君は何でそう思ったの?」

 

 ペナルティルームに来てかれこれ十時間位か。 暇つぶしに出した問題に唸っていたゴン君は、漸く答えの当てが付いたのか私の方へ駆け寄って来るなりそう言った。

 

「えー、だってどう考えても2番が一番強そうだし、3番何て腰が曲がってるって事は跳んだり走ったり出来ないでしょ? って事でその順番!! どう?」

 

「…成程。ではキルア君、正解をどうぞ」

 

 横で盗み聞…聞き耳を立てていたキルア君にバトンを渡す。 

 

「3、1、2だよゴン。 …だろ?」

 

「キルア君正~解! ゴン君は残念ながら任務失敗です、追試決定だね」

 

 うし! とガッツポーズを取るキルア君、その横で回答に納得いかない様子のゴン君。

 

「え? え? どうしてその順番なの? う~ん、解んないよぅ…」

 

 ぶすぶすとゴン君の頭から煙が上がる。 放って置くと爆発しそうなので、横でニヤニヤしているキルア君に助け舟を出させてあげる事にした。

 

「しょうがないなぁ。 キルア君、答えを教えてあげて」

 

「良く考えてみろよゴン。 問題の状況は敵のアジトに侵入した時だぜ? 1と3はどう考えても不自然だろうが」

 

「…あっ、そうか! 敵のアジトに腰の曲がった老人とか子供が居るのはおかしいんだ…!」

 

「そういう事。 老人とか子供がわざわざ侵入者の前に出て来るって時点でおかしい事に気づけよ。 …ちなみに3と1の差は何か分かるか?」

 

「えっと、老人と子供…。 ……う~ん、経験の差、かな?」

 

「その通り。ちなみにお前が突っ込む前に言っておくとだな、一見して腰が曲がっているからって余裕こいて掛かるとえらい目に遭うぜ? ソースは俺」

 

「へー、キルアでもそういう経験あるんだ」

 

「そりゃあな。 これでも暗殺者だぜ? …元が付くけど」

 

 キルア君が暗殺者あるある? を楽しそうにゴン君に話しているのを横目に見ながら、私は再び読む気の無い本に目を落として―——

 

「サキ、大丈夫か? 先程から元気が無い様だが」

 

 振って来た声に釣られて顔を上げれば、クラピカさんが心配そうな顔で此方を見ていた。 その後ろにゴン君。

 

「私ですか? そんな事は…無い事は無いですけれど」

 

「やはりか、原因はやはり…」

 

「クリードさんなら大丈夫だよ、あんなに強いのに不合格になんてなる訳ないよ」

 

 ひょこっとクラピカさんの後ろから顔を出したゴン君が確信に満ちた声色でそう言った。 …見事に見透かされている、そんなに分かり易いかなあ、私。

 

「お見通しですか、流石ゴン君。 少し訂正するなら、私はクリードさんが不合格になる事を心配しているんじゃなくてですね、一緒に試験する事になった他の人を心配していました、ストレス的な意味で」

 

 私の言葉を聞いてキルア君とゴン君が同時に噴き出した。 …失礼な。 クラピカさんは顔を伏せて笑いを堪えている。 これまた失礼な。

 

「あははは、すっげえ分かる、あんなのと一緒に居たら頭がどうにかなっちまうもんな!!」 

 

「あー、確かにクリードさんって色々と凄いもんね…」

 

 

 

✂   ✂   ✂

 

 

 

 

「…へえ、そういう流れで兄貴の腕が吹っ飛んだ訳ね、成程な。 …クリードと同レベルかそれ以上の化け物を纏めて相手にしたら幾ら兄貴でもああなる、と」

 

「サキさん、クリードさんの師匠ってどんな人なの?」

 

「ん? 写メ有りますよ、見ます?」 「見る、見たい!!」 「軽っ! そんな簡単に見せて良いのかよ(人の事言えた家じゃねーけど)」

 

「良いんですよ、許可は貰ってますしね…はい」

 

「うわあ、すっごい綺麗な人だね」

 

(どうしよう、何回か実家で見た事が有るぞコイツ…)

 

 

✂  ✂  ✂

 

 

 

「…クラピカさんって確か、お仲間さんの敵を取る為にハンターを目指しているんでしたよね?」

 

「ああ、奪われた眼を取り戻し、蜘蛛を一網打尽にする。 その為にはどうしてもハンターライセンスが必要だからな」

 

「あっ、そういえば聞いて無かった。 サキさんは何でハンター試験を受けようと思ったの? ハンターになって何をするの?」

 

 純粋な好奇心に満ちた表情でゴン君が私を見ている。 やめて、そんな目で私を見つめないで。 クリードさんに褒められる為にライセンスを受けに来たなんて、言える訳が―——。

 

「おいゴン、分かり切った事を聞いてやるなよ。 どうせサキの事だから合格したらクリードに褒められるとか考えて受験しに来たに決まってるぜ?」

 

 私のやりたい事、かあ。 

 そう改めて問われると困ってしまう。 学生をしていた時は、只管に学校行って帰って寝て…の繰り返しだったし、星の使徒に入団してからは修行とクリードさんの付き添いで仕事の手伝い漬けだった。

 キルア君に関節技を掛けながら暫くうんうんと頭を捻っていると、横からクラピカさんが助け舟を出してくれた。

 

「別に今この場で急いで考える事ではないと思うぞ? ライセンスを取ってからでもゆっくり考える時間は有るだろう」

 

「そっか、じゃあサキさんもキルアと一緒だ。 ライセンスを取って、やりたい事を探す…だね?」

 

「痛ててて…。 くっそ、おかしいぞ? 全然、抜け出せねえ!! おいゴン、クリード馬鹿のコイツとオレを一緒にすんなよって…!」

 

「うん、そうだね。 二人共ありがとう、ゆっくり考えてみるよ。 …で? 誰が馬鹿ですって?」

 

「あだだだっだだ!! ギブ、ギブ!!」

 

「レオリオ、この騒々しさの中で良く寝ていられるな、お前は…」

 

 

◆◆◆

 

 

 

「痛たた…手がマメだらけだ~」

 

「短くて簡単な道が滑り台になっているとは思いませんでしたねー」

 

(…時間が無いあの極限の状況で選択を迫られて尚、それを打ち壊す発想が出来る…。 ゴン、お前の凄い所だな)

 

「まあ、どっかのスケベオヤジが時間を三十時間も無駄遣いしまくってなきゃ、もっと早く突破出来たけどな~」

 

「うぐっ! …それに関してはマジですまんかった。 …あー、その、サキ、さん。 ………すまん」

 

「ん? ああ、別に気にしてないですよレオリオさん。 私は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()で怒ったりしないですから」

 

「うぐっ!?」

 

「あ~あ、完全に嫌われちゃったねレオリオ」 

 

「ふん、自業自得なのだよ」

 

「うひゃひゃ、目先のスケベに走った末路だな~哀れなりエロオヤジ」

 

「…もう、先に出ますよ?」

 

 四者四様、騒がしい四人を尻目に扉を開けて外へ出る。 照りつける朝日が目に眩しい。何時の間にかこんな時間になっていたのか。

 暫く辺りを見回して―——見つけました、目的の人。 まあ、私達より先に居るよね、そりゃあね。

 

 

「あっ、居たぁ!! クリードさん、お疲れさ…..あっ(察し)」

 

 木陰に寄りかかる様にして座っているクリードさんを見て私は色々と察した。察さざるを得なかった。

 左にハゲ忍者、右に針男、背中に変態ピエロ。 そして前には件の露出狂試験官。およそ五十時間ぶりに見るクリードさんは、私が来るまでの間、ずうっと変態達に纏わりつかれ続けていたのだろう、酷く疲れた表情をしていた。

 

 

「こらぁ~~!! そこの変態共ぉ!! クリードさんから離れなさ~~い!!」

 

 

 私のやりたい事。 …少しだけ、見えて来た気がする。

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ◆受験前の日常、幕の二。

 

 

 軽快な足取りで部屋を出て行ったサキ。 何とはなしにその方向を見続けるクリード。 その背後から不意に声を掛けられ、ゆっくりと振り返る。

 

「クリード君、心配ですか?」

 

「…いえ、あの子の実力的には、ハンター試験程度ならまず問題無く受かるでしょう。 問題はその後です」

 

「ふむ、確かにそうですね。 それについては私も同意見です。 その後…まず間違いなく命を厭わない戦いになる事は必至ですし、出来るならあのような未来有る娘に参加して欲しくは無いというのも確かです」

 

「…」

 

「そうですね、貴方の考えている通り、此方の手数が足りないというのもまた確固たる現実です。 それについてはどうする心算なのですか?」

 

「…すいません師匠、現状では何とも。 今の手持ちの札で何とか出来ないかと打開策を考えてはいますが…」

 

「足りませんか。 私と貴方の力を足しても尚?」

 

「もしもを考えて、です。 万が一、億が一が有る訳にはいかないでしょう? …そうなってしまえば最後、『アレ』は世界を巻き込んで人類を丸ごと滅ぼしてしまいかねない…!」

 

「クリード君、貴方の気持ちはとても分かります。しかし、だからと言って焦ってはいけませんよ。 幸いな事に、あの占いにはまだそれを想起させる事柄は現れていないのです、今暫くの猶予は有ると考えて良いでしょう」

 

「しかし、彼方の手がいつ完成するかもしれない状況で余り悠長にしている訳にも行かないでしょう。 一刻も早く【彼】と決着を付けなければ」

 

 手を組み、浅く椅子に腰かけていたセフィリアは徐に立ち上がり、つかつかとクリード近づいて行き―——――殴った。 ぽかりと。

 

「痛っ!? 師匠、いきなり何をするんですか!?」

 

 嘆息、そしてジト目。 身長差の所為で若干ばかし下から上へと見上げる形になってしまっているが、セフィリアの瞳はクリードを正面から真っすぐ見据えていた。

 

「分かっていない様なので何度でも言いましょう。 クリード君、焦りは禁物です。古くからジャポンの諺にも有る通り、『急がば回れ』ですよ? 

 

………はぁ、全くもう。 何時まで経っても仕様が無い弟子ですねえクリード君は。 そんなにサキの事が心配なら、貴方も試験に付いて行きなさいな、私が許可します」

 

「はぁ、それは構いませんが…。 僕が居ない間、師匠はどうなさる心算ですか? まさか、一人で…?」

 

「幾ら私でもそんな浅慮な真似はしませんよ。 二、三点ほど当たって見たい所が有ります、上手く行けばこの現状に風穴を開ける突破口を見出せるかもしれません」

 

 両者の視線がぶつかり合い、沈黙の時間が流れる。 

 やや有って、クリードが根負けしたのか視線を逸らし、大きく溜息を付いた。

 

「…シキをフォローに付けます、くれぐれも無茶はしないで下さいね」

 

「むぅ…。貴方に子供扱いされるとは、全く以て心外です。 一体全体私の事をどう思っているのか、一度正式に問いただす必要が有るようですね?」

 

 頬を膨らませてむくれるセフィリアを見て、クリードがもう一度盛大に息を漏らした。

 

「子供扱いというか、まるっきり子供其の物というk…。 って痛いっ!?」

 

 げしげし、がしがしと一心不乱に銀髪の美青年の脛を蹴り飛ばす妙齢の美女。 

 傍から見れば仲睦まじい友人の様であり、親愛に満ちた家族のようであり、はたまたそれなりの時を重ねた恋人の様でも有った。

 

(師匠、貴女のそういう所が子供って言われるんですよ…)

 

 げしい!! 「痛い!!」 

 

 

 

 では、試験の準備が有りますのでこれで失礼します。 

 

 二度に渡って叩かれた額と、散々に蹴り飛ばされた脛を摩りながら渋々といった感じでクリードが出て行き、1LDKの生活感の無い部屋にセフィリアが一人残された。 

 

 

 

「…何もかも貴方の思い通りにはさせませんよ、止めてみせます。 私と、星の使徒が総力を挙げて必ず…!」

 

 精々その時を覚悟しておきなさい、ドクター。 

 

 虚空へと向かって、そうぽつりと呟いて。

 

 やがてセフィリアも出て行き、部屋には誰も居なくなった。

 



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21.夢を見る時は、周囲に気を配った方が良い。

 

「僕達を認めようとしない、こんな腐った世界は壊さなければならない。 全部壊して、僕達の手で一から作り直そうじゃないか…!!」  

 

 男は同士達の前で拳を振り上げて熱っぽく語った。

 男の言葉は鋼鉄を蕩かせる程の熱となり、狂気を孕んで、瞬く間に伝播していく。

 そうして、男とその仲間達は行動を開始した。 

 冷酷に、無感情に、ありったけの憎悪を込めて。 彼らは眼前に立ち塞がる全ての人間を殺していった。

 愚鈍な老人を、肥え太った無能な豚共を。 かつての仲間だった者達、親兄弟を。 殺して、壊して、殺し尽して。 

 

 

 —――——例えその先に破滅しか無いと分かっていたとしても、もう後戻りは出来ないのだから。

 

 

『トレイン・ハートネットに認めて欲しい』

 

 男が人の域を超えた力を求めたのも、同士を集めて世界を壊そうとしたのも、突き詰めて行けばそこに集約されるのだろう。

 

 かつて、男が唯一心の底から心酔した存在。  一切の慈悲も憐憫も無く、只管に標的を屠る一匹の黒い猫。世界に存在しない時間の番人。

 男は強烈に焦がれ、その姿を追い続けた。 自由を愛し、孤独を貫く黒猫のその生き方が男には太陽の如く眩しく映った。

 

 物語の終わりは何時だって唐突に訪れる。

 目にした“黒猫”の腑抜けた姿。 その姿に絶望し、腑抜けさせた元凶を激情のままに殺し、それでもまだ足りないと執着して。

 

 ―——結局、愛する人を失った黒猫は男の前から姿を消した。

 

 狂った精神を辛うじて支えていた柱を失い、満たされない心は男の中で抑え切れないほどに膨れ上がり。 やがて男は絶対を求める様になる。 

 

 それから幾年が過ぎた有る時、偶然の助けを借りて黒猫と男は邂逅する。 相変わらずの府抜けたその姿に男は激高し、またそれ以上に失望した。

 腕を切り落とした代償は鉛弾を数発。 男はせせら笑った。 かつてあれ程までに恐れられた黒猫が、今やこんな程度にまで落ちぶれたか、と。

 

 狂気は収まらない。 やがて男は星を掻き集め、世界に生きる全ての存在に猛然とその牙を剥いた。

 

『僕は神になる。 全然足りない。 ….もっとだ、もっと。 全てを超越する力を僕に―—―——!!』

 

 人の身に余る力は男を人間から『化物』へと変貌させる。 不死身と呼んでも遜色ない程の異形の肉体を手に入れて、それでも尚、男は満足する事は無かった。 

 何処まで行けば満たされるのか、何処まで飲み込めば満足できるのか。 

 

 ―—――——まだ足りない、まだ満足出来ない。 そうして、僅かに残ったヒトの心、その最後の一片まで狂気に染まろうとして。 

 

 

 寸での所で『化物』は黒猫によって打ち倒される。 

 そして積み上げた全ての力を失い、男は“神”から“只の人”へと引き戻された。

 文字通り、心を真っ二つに圧し折られた男は潔く敗北を受け入れた。 

 何よりも、男にとっては自身の全てを掛けて執着し続けた黒猫に否定され、引導を渡された事が大きかったのだ。

 

 

 男は喜劇の舞台から退場し、ついに紅い幕は下ろされる。 スタンディングオベーション、万来喝采の嵐の中で物語は終焉を飾った。 …筈だった。

 

 

 ◆◆

 

 

 懐かしい声に誘われるまま、ゆっくりと眼を開く。 半ば予想していた通り、鏡で映して分けた様に瓜二つな『僕』が其処に居た。 

 『僕』は何処にでも有る様な、ありふれた木製の椅子に深く腰掛けて『ボク』を見ている。 やや有ってから、形の良い唇が弧を描き、紅い舌がちろりと顔を覗かせた。

 

「おや、また会ったね、僕」

 

「…ええ、前に有ったのは大体二年程前ですかね、『オリジナル』さん」

 

『僕』は口に手を当てて暫く震えていたが、やがて堪えきれなくなったのか、くつくつと笑い始めた。

 

「ふふっ、その呼び方は止めてくれ。君だって同じ『クリード・ディスケンス』だろう?」

 

「…前にも言ったでしょうに。外見と名前が同じだけです、中身は違う。 駝鳥と鶏の卵位は似て非なるモノですよ」

 

 何故か無性に可笑しくなって、『ボク』も笑った。

 

「ふむ、同じ鳥類の卵でも生まれて来るモノはまるで別人という訳か。 相変わらず君は面白い事を言うな」

 

 

 くつくつ、くすくす。

 

 

 ―—―——やがて『僕達』は笑う事を止めて、向かい合った。

 

 

 

 360度、地平線が果てしなく続く灰色に満ちた幻想の世界。そこに()()()()()()()()()()()。 不可視の剣が幾度となく絡み合い、火花を撒き散らしていた。

 

「…ふむ、視線の誘導とフェイントは以前に比べてかなり上達したんじゃないか?」

 

 左下手から振り上げた渾身の一撃を、前のめりに崩れた態勢から片手一本で難なく受け止めて『僕』が笑う。

 

「顔色一つ変えずに受け止めながら言われても嫌味にしか聞こえません…よっ!!」

 

 鍔迫り合いの状態から一気に氣の出力を上げて力任せに吹き飛ばすも、まるで手応えが無かった。 確かに目の前に居るのに、空気か霞でも相手にしているような不気味さである。 

 こういうのを柳に腕押し、糠に釘とジャポンの諺で言うらしい。 …でしたっけ、師匠?

 

「おや、呆けている暇が有るのかい?」

 

 吹き飛ばされた勢いを利用してくるくると空を廻る僕。 

 ニヤリ、と厭らしい笑みが垣間見えた。 背筋をゾクゾクと悪寒が駆け抜けて行く。 …こういう、神経が研ぎ澄まされていく感覚は嫌いじゃない。

 間合いの外から超速で突き出された刺突を紙一重で躱し、次いで横薙ぎに振るわれた一閃を屈んでやり過ごそうとして。

 

「…ッ!!」 

 

 ボクは直感に従って両の足を跳ねさせる。

 次の瞬間、本当の一撃が一瞬前までボクの足が有った空間を文字通り、根こそぐ勢いで薙ぎ払っていった。

 

「ほう、良く避けたな。 今ので決める心算だったのだが」

 

(二重の刀身を投影した幻想虎徹…!? しかも今の刃は背後からだった!! 遠隔操作? それとも…即席で生成した?)

 

 目の前で悠然と微笑む僕のポテンシャルの凄まじさ。 戦慄に慄く身体を叱咤しつつ、改めて思い知る。 …分かっていた事だが、虎徹の使い方ではやはり彼方に分が有るようだ。

 

 ―——――となれば、やはりボクが『僕』に勝機を見出す為には氣を用いた接近戦しかないか。

 

 思考を切り替えて【円】を展開する。脳天を唐竹割りにしようと振り降ろされつつある致死の一撃を半ば転がる様にして身を投げ出し、避ける。 次いで足元から飛び出て来る具現化された刃の群れを強引に虎徹で逸らしながら、少しでも離れた間合いを詰めようとして―——。

 

「切り替えが早いのは素晴らしいが、少しばかり勝負を焦りすぎだな」 

 

「!!」

 

 ほんの瞬き一つ分の間に、『僕』は()()目の前に居た。 受け身を取る間もなく側頭部に強烈な蹴撃を浴びて吹き飛ばされる。 

 僕達以外、何も無い空間の中をおおよそ数十メートル程吹き飛び、ごろごろと無様に転がって。 

 

「ぐっ….。 ……はぁ…ッはぁ…!」

 

 膝に力を込め、強引に立ち上がる。 舞い上がった砂塵と衝撃でふらつく視界を強引に戻し、もう一度【円】を展開――—する間も無く、袈裟に切り落とす一撃を薄皮一枚の所で受けとめた。

 

 

 『僕』が憎しみで磨き上げられた剣を振るい、『ボク』がそれを寸での所で空虚さを押し固めた剣で受けとめる。 何て素敵なreciprocity。 虎徹がギリギリと耳障りな刃鳴を上げていた。

 

「おや、もうお終いかい? まだ出来る事が有るだろう?」

 

 砂塵が晴れ、そう言い放ちながら僕が悠然とその姿を現した。  

 幾ら同じ姿形をしていてもやはり違う存在なのだろう。こうして改めてその姿を見ればやはりそう思う。

 似て非なるモノ。何処までも同じで、何処まで行っても交わらない平行線。

 思考している間にも途方もない力が圧し掛かって来ている。 カタカタと震える唇と刃はそのまま僕達の心の優劣を表すバロメーターの様だった。 

 もう、数秒もしない内に彼方の刃がボクの身体に食い込むだろう。

 

(…だから、気に入らない。 その眼が、その余裕に満ちた表情が気に入らないよ、クリード・ディスケンス!!)

 

 勝てないまでも、せめてその余裕面を削いで見せる。 高ぶる激情に身を委ね、久方ぶりにボクは歯を剥き出して吠えた。 

 渾身の力を込めて迫る刃を押し返し、稼いだ一瞬で体に残る全ての力を開放する!!

 

 「—――――当然だ、ボクはまだ負けていない!! 幻想虎徹Lv2,、開放!!」

 

 『ギャヒャヒャ…!!』

 

 僅かに眼を見開いて、僕が嗤った。

 

「ククク…! いいぞ、その調子だ。もっとぶつけて来いよ、“僕”!」

 

「言われなくても、その心算、です!!」

 

 

 斬って、突いて、薙いで、ぶつけて。 

 延々と、永遠と続けとばかりに僕達は剣を振るい続けた。 

 …永遠何て、そんな物は有る筈が無いのに。 

 

 

 

 

 

「99%と100%の差…か」

 

 結局の所、完膚なきまでに打ちのめされ、半強制的に大の字に横たわる事になったボクは空を見上げて呟いた。 

遥か上空をゆるゆると灰色の雲が流れて行く。どうやら、この幻想に満ちた空間にもそれ位の情緒は有るらしい。

 

「そうだね。 たった1%、けれども大きな1%だ。 …ほら、立てるかい?」

 

 差し出された手を取り、ふらつきつつもどうにか立ち上がる。

 

「嗚呼、楽しい時間をどうもありがとう。 …ふふふ、久々に有意義な時間を過ごせたよ」

 

 僕の幻想はもう折れてしまったからね。

 

 そう言いながら、僕は空を見上げている。

 

 そうして暫しの間、何をするでも無く二人で空を見上げていた。

 

 

 

 

 ……ああ、そうだ。手合わせの報酬代わりという訳でも無いが、同じ僕のよしみだ。 

一度だけ、君に手を貸してあげよう、光栄に思うが良い。

 

 頷いて、僕は目を閉じる。 今度こそ、抗えない微睡に落ちて行く。

 

「…それは、どうも。 出来れば、永遠にそんな機会が来ない事を願いますよ…」

 

「ククク、違いないね」

 

 

 

 ドクターの事、宜しく頼む。

 

 もう一回だけ頷いて、今度こそ僕は現実へと帰還する。

 

 

 …徐々に浮上していく意識。肌に感じる心地よい陽光。 ゆっくりと目を開けて。

 

 

「おや、おはよう♡ よく眠れたかい?」

 

「……お陰様で。 早速だが顔が近いので僕から離れて頂けると有り難いのだが。 出来れば5キロ位は」

 

「おやおや、手厳しい事だ♠」

 

 嫌な意味で毎度お馴染みになった、変態ピエロさんが僕の目の前、数十センチも無い程の超至近距離でニヤついていた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 三次試験を恙なく突破した後、僕は未曽有の危機に陥っていた。 

 前後左右を逃げ場無く包囲され、懐の虎徹を抜き放つ余裕も隙も見いだせないまま、ぶるぶると震えているしかない。そんな絶望的な状況である。 

 

「ハァ…ハァ…やっぱり君は最高だよ♡ あんな不出来な林檎なんかじゃあ全然、全く足りないんだ…。 ああ駄目だ、今すぐ殺りたい…! ねぇクリード、殺ろうよぉ…♠」

 

 寄り掛かっている木陰の背後から生臭い息がふぅふぅと吹き掛かる。 所々を血で染めたピエロ―—ヒソカさんだ。 鋭い刃物と思わしき物で刻まれた裂傷が身体のそこかしこに見受けられる。

 …どうせまた、相手を舐めくさった戦い方をした結果なんだろうけれども。

 

「はあはあ五月蠅いのよ変態ピエロ!! どっか行ってろや!! ね、ね、そんなことよりさ、ねえ、冗談よね? 貴方があのA級盗賊団――星の使徒の頭だなんて…! そうよ、何かやむを得ない事情が有るのよね? 悪い年下女に嵌められたとか、誰かを助ける為にお金が必要だとかさぁ!!」

 

 正面からぐいぐいと詰め寄って来るのは、今日も今日とてはしたなく露出した素肌を晒す試験官―—メンチさんである。 

 正直な所、そのファッションは無いと思います。 

 …言ったら間違いなくどつかれそうなので、絶対に言わないけれどね。 どつかれるのは何処かの師匠だけで充分である。

 

「オイちょっと待てよ! こいつに質問したのは俺が先だぜ!? つーか二次試験はとっくに終わっただろーが!! 試験官はとっとと消えろよ!!」

 

「あ? 何だハゲ、やんのかコラ!?」

 

「ハゲじゃねえ、これは剃ってんだよ!! ああもう、話が進まねえ!! …話を戻すぜ、クリードさんよ。 悪いが調べは付いてんだ、アンタが俺の探している【隠者の書】を持っているのはな。 ...なあ、金なら幾らでも積む、譲ってくれよ、頼む!!」

 

 左側からはつるつるに頭を剃り上げたおしゃべりな忍者さん…お名前、何ていうんでしたっけ? 残念ながら覚えていません、ごめんなさい。

 

「カタカタカタカタ…」

 

 右側ではエキセントリック針男ことギタラクルさんが、さながら風にそよぐ蒲公英の様に、楽しそうに揺れていた。 

 …貴方、どさくさに紛れて僕に針を刺そうとしていません? 何か右手からちらちらと細長く尖った物が見え隠れしているんですけれども? 殺気がちらちらと漏れているのは態と何だろうか。 多分、態とだろうなあ。

 

 嗚呼、助けてくれ、誰でもいい。 この状況から助けてくれるなら誰でも…!!    あっ、出来れば師匠以外でお願いします。 

 

 …もしかするとこれは、早速『僕』に助力を頼むべき時が来たのかもしれない。 …どうしよう。 いや、本当に。

 

 内心で困り果てていた僕を見かねたのか、遂に救いの女神が舞い降りた。

 

「こら~~! そこの変態共、クリードさんから離れなさーい!!」

 

 地獄に釈迦の蜘蛛の糸。とはこの事か。

 

「済まない、助かったよ女神…じゃない、サキ君。正直危ない所だった」 

 

「ま、まあ、確かに色んな意味で危なかったですねえ…。 (えっ、ちょっと待って!! 女神!? 今クリードさん、私の事を女神って言ったよね? 何それ何それ何それ!! …はっ、そうか、分かりました!! クリードさんったら、会えなかったこの72時間の間に私への思いが積もりすぎて思わず口から火炎放射しちゃったんですね、きっとそうだ、落ち着くのよキョウコ!! Coolになるのよ私! 冷静になってこの機を掴む!! あのでかちち女何かに渡してたまるものか!!)」

 

 

「は~い、三次試験突破おめでとうございまーす!! 早速ですが次の試験会場へ向かいますので、皆さん私に付いて来て下さ~~い!!」

 

 声のした方を見れば、受付嬢の様な装いをした小柄な女性が小型の拡声器を手にして呼びかけていた。 

 長丁場の三次試験が終わるや否や、間髪入れずに次の試験とは。 時間が押しているのか、それとも元からこうなのか。

 

「ふむ。そういう事らしいし、準備をして次の試験に備えようかサキ君」

 

 とにもかくにも行かない事には始まらない。 

 そう思い、急かす様に声を掛けるも返事が無い。 振り返って見れば、サキ君は惚けた表情のまま固まっている。 

 

「…サキ君?」 「あっ、はい!! 結婚式はジャポン式がよかとです!! でもウエディングドレスも捨てがたいです!!」 

 

「???」

 

 

 …何が何だか、さっぱり分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い室内。 唐突にカーテンが開け放たれる。 

 無遠慮に窓を開けながら妙齢の女が後ろを振り返り、少しばかり驚いた顔をして見せた。

 

「や、珍しいね、今日はえらく機嫌が良いみたいじゃないか。 …何か良い事でも有ったのかい?」

 

「くくく、いや、何でもないさエキドナ。 …少しばかり良い夢を見た、それだけの話だよ」

 

 頬を撫でる微風に目を細め、銀髪の男が笑う。 

 

 “嗚呼、今日はとても良い天気だね。 久しぶりに散歩にでも出掛けるかい?” 

 

 男の提案を信じられないといった顔で見ていた女も、やがて柔らかく微笑んだ。

 

「私が断る理由なんてないさ、クリード。 …但し、条件が一つ」

 

「…何だい?」

 

「どんな夢を見ていたのか、私にも教えておくれよ、それが条件さ」



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22.いちゃつく時は、周囲に気を配っている余裕なんて無い。

 

【Ⅰ】

 

 

 三次試験終了後、受験者達が身体を休める間もなく即座に開始を宣告された四次試験。

 その開催場所、ゼビル島へ向かってフェリーは凪の海を一路進む。 

 

 担当官から告げられた内容を聞いて、受験者達は一斉に顔を強張らせた。

 孤島での七日間に渡るサバイバル、そして限られたプレートの奪い合い。 

 それだけならば、ここまで残って来た強者達が今更になって焦り始める事は無かっただろう。 

 

 そう、問題はそこでは無かった。 

 ヒソカとクリード。 此処までの試験の間、優に百を超える人命を摘み取って平然としている血に飢えた二人の狂人。 その魔手を潜り抜けながら、尚且つ試験を突破する為に自分のプレートを含めて六点分のプレートを集めなくてはならないのだ。 

 最高に運が悪ければ三点分を当人から奪わなければならないその難易度は推して図るべし。次点で針男さんから。 受験者達の顔は極々一部を除き、皆一様に絶望に染まっていた。

 

「クリードさ~ん! 番号、何番でした?」

 

 標的となる番号を係員が持つ箱から引くや否や、絶望色に染まっていない極々一部の内の一人、受験番号406番:サキが重く湿った空気を読む素振りすら見せず、甘ったるい声を放ちながらクリードへと駆け寄って行く。

 そのままの勢いで腰元にぎゅうっと抱き着いた所を荷物を放るかの如く無造作に引き剥がされるが、生憎と今日の彼女は諦めが悪かった。

 再度抱き着いて、すかさず上目遣いの態勢で攻める。 

 これが並の男――例えるならこの光景を羨望の眼差しで見ているレオリオ辺りになら通用したかも知れないが、生憎と相手が悪かった。

 余りの鉄仮面っぷりに受験者達の間で同性愛者疑惑も浮上している件の男―—クリードは何も喋らず、只、手に持った紙をサキに向けて広げて見せた。

 

「えっ…406番…。 …ってことは!? もしかして、もしかしなくても私ですかぁ!?」

 

 奪いに来る? クリードさんが? 私のプレートを!? …えぇー、何このムリゲー。 

 

 唐突に設置された世界記録を優に超す高さのハードル。余りの鬼畜難易度っぷりに一瞬で大多数の受験者と同じ絶望色に染まったサキ。そこに更なる追い打ちが掛かる。

 

「...えっと、もしかしてですけどぉクリードさんの受験番号って」

 

「46番だよ。というかそれ位は覚えて...ああ、成る程」

 

 サキの手に握られた紙を見て、合点が行ったクリードが頷く。

 

「サキ君。予め言っておくが、君だからといって手加減する気は一切無いよ」

 

“寧ろ君の方こそ僕の鼻を明かすつもりで掛かっておいで”

 

 余裕に満ちた表情でそう言いつつ、常日頃の様にサキの頭を優しく撫でるクリードだったが、周りから感じる殺気を一身に受けて小さく溜息を吐いた。

 そんな彼の胸中など露程も知らず。胸元に顔を埋めたまま、小さな声でサキが尋ねる。

 

「…クリードさん、一応聞きますけど、“念”は使っても?」 

 

 間髪を入れず、明瞭な発音でクリードが答える。

 

「【円】以外は(死に掛けない限りは)駄目です」

 

 無慈悲なクリードの言葉を聞いて、サキのぐりぐり攻撃が激しさを増していく。 

 

 ふがふが、ぐりぐり。 ふがふが、ぐりぐり。

 

 その動きはまるで、クリードのお腹で火起こしを試みているかの様に激しかった。 周囲からの殺気が更に濃さを増していく。

 

「ふふっ、珍しいねサキ。最近はそんな風に甘えて来る事は少なかったと思うけれど?」

 

「むー、島に入っちゃったら当分甘えられないから、今甘えておくんですぅ!!」

 

 何だあの二人、この状況で何時までも呑気にいちゃついてんじゃねーよ。 

 

 際限なく繰り返される二人の茶番劇。 

 船上に居合わせた観客達の間でそんな白けた空気がうっすらと漂い始めたその時、一際大きく船体が揺れる。 ゴン達が何事かと乗り出してみれば、船首が白い砂浜へと大きく乗り上げていた。

 

「あ~、くたばれリア充…じゃなかった。ええと~、いちゃついている所を大変申し訳ないですが~。 はい皆さんご覧くださいませ~、四次試験の会場、島に到着しました~。 ではでは、三次試験を突破した順で船から降りて頂きますので。 ご健闘を~~」

 

 先程拡声器を持っていた女性がどこか間の抜けた声でそう告げるや否や、人の波が真っ二つに分かれ、その奥からヒソカが現れる。

 先に行って待っているよと言わんばかりに徐にクリードの方へ向かってウインクを一つ飛ばし、縁から軽やかに砂浜へと飛び降りるその姿には、所々に垣間見える裂傷による影響は全く感じられない。

 

「...はい、次の方どうぞ~」

 

 言葉を受けてクリードが縁から砂浜へと飛び降りる。 その際、両の掌がギュッと握られているのをサキは見逃していなかった。

 

(クリードさん、二次試験の時にも思ったけれど、やっぱりまだ高所恐怖症が治っていないんですねぇ、可哀想に…)

 

 

 

【Ⅱ】

 

 

 クリードは森の入り口にて、大樹に寄りかかりながら携帯電話の画面を眺めていた。

 

 

(圏外…。 やはりというべきか、どうやらこの島では電波の類は全て遮断されているようだな。 四次試験が終了するまで七日間か、その間に何事も無ければ良いけれども…)

 

 少しでも目を離したら最後、予想も出来ない方向へと気の向くまま、好き放題に動き回るかの女性を七日間も放置する。 想像するだけでゾッとする話だ。

 その上、彼女はこの魑魅魍魎が犇めく世界で上から数えた方が早い程の腕前を保持していると云うのだから尚の事、質が悪い。

 彼女がこれ以上暴走していない事を夕暮れの空を見上げ、特に信じても居ない神に祈る。時間を確認する以外の機能を失った携帯電話を懐へと仕舞うと、クリードは島の中央へ向かって歩き出した。

 

(まあ、万が一にも緊急で火急の事態になったとしたら、一応はエキドナ君が僕を迎えに来る手筈にはなっている。 …けどまあ、この場所は指定出来ないだろうなあ、本拠地からはかなり遠いし)

 

 そんな事を考えながら荒れた獣道の中央を堂々と歩いて行くその姿は、この状況下からすると少しばかり無警戒が過ぎる様に見えるが、その実、周囲の環境を把握し、起こり得る全てに対応出来る姿勢でも有った。

 如何なる状況でも常に自然体でいる事。 常々クリードが口を酸っぱくして弟子に説き、師匠に叩き込まれた生き残る術である。

 

(やはりというか、予想はしていたが…。 差し当たっての問題が一つ。 はてさて、どうしたものか…)

 

 いい加減しつこい奴だ、と内心で辟易しつつも歩みは止めない。淀みなく一定の間隔を保ちながら歩き続けるクリード。 

 その数メートル程後ろから、漏れ出る血臭を隠そうともせずに件の奇術師が付いて来ていた。

 

 

 

 

 船が降り立った場所から見て、丁度真反対の位置――南西に有る砂浜。 

 その波打ち際に体育座りで固まったままぶつぶつと何事かを呟いている少女が一人。三次試験のワンピースから一転して、動きやすい服装に着替えたサキだった。

 彼女は考えていた。 あのクリード・ディスケンスから三点分のプレートを奪う方法を。

 

 何とかおねだりして譲ってもらう―——これはほぼ100%無理だと断言できる。あの鈍感魔人ったらそういう事に対してだけは異常に防御力が高い。 …恐らくはあの星の使徒名物:干物姉さんことセフィリア師匠の所為で妙な耐性が出来てしまったんだろうなぁ。

 

 力づくで奪う―——そんな事が出来るのだったら、端からこうして固まってなんかいない。

 

 誰かと戦っている隙をついて奪う―——力づくで奪うよりはまだ可能性が有りそうだが、仮に成功したとしてその後が怖い。 お尻ぺんぺんで許してもらえるだろうか。 

 

『君がそんな手で来るとは思わなかったよ、がっかりだ』 

 氷の様な視線で此方を睨みながらそう言い放つクリードを思い浮かべ、サキはぶるりと身震いをした。  …おお、くわばらくわばら。

 

「…っていうか、まずクリードさんが島の何処にいるか分かんないし!! お風呂入りたいし!! お腹空いたし!! 森の中は変な虫が居て入りたくないし!! 薄暗くて怖いし!!」

 

 しきりに空腹を訴えるお腹を摩りながら徐に立ち上がると、両手でメガホンを作り、水平線に向かって吼えた。 

 

「クリードさんのあほー!! 鈍感大魔神!! チートイケメン!! でもそんな所が最高です!! 結婚して!!」

 

 穏やかに揺れる波間にサキの魂の叫びが消えて行く。

 ひとしきり叫び倒し、無駄に体力を消費した後、とぼとぼと言った表現がとても似合う様子でサキは海岸線を歩き出した。 

 

「うぅ…。 こんな事なら、もっと【円】の練習をしておくんだったぁ…」

 

 自分を中心に半径五メートル。 それが今のサキの体調で無理なく維持し続けられる【円】の限界だった。

 

 

「…さて、どうしようか。 下手な事したらクリードが五月蠅いだろうし、ヒソカにもあの子がもう少し熟れるまで手を出すなって釘を刺されたしなぁ…。 とはいえ、例えたった一点分でも確保して置きたいのもまた事実だ」

 

 波間に沈む夕日が美しい海岸線。 肩を落としながら歩く少女の後ろをぴったりと付いて歩く針男。珍妙な絵面は何時まで続くのか。

 

 

 

【Ⅲ】

 

 

 

 鬱蒼と生い茂る木々の間を憂いに満ちた表情で歩く美青年が一人。

 周囲の気配を注意深く探りながら、只管に歩くその歩調は妙に重く見える。

 クラピカは苦悩していた。この四次試験に至るまでに自分の実力不足を何度も痛感する事になったからだ。 幾つもの偶然と幸運が重なったお陰で今、この場で生きて思考していられるといっても良い。

 自分一人の力だけではとうの昔に黄泉へと召されていただろう。 ゴン達や、サキ、クリードがいなかったら。

 試験に臨む前に、自分に出来る範囲で肉体を鍛え、修練を積んで来た心算ではあったが、やはり、世界というのは想像も付かない程に広大で計り知れない器を湛えているという事か。

 瞼の裏に浮かぶのは試験の間に出会った強者の姿。

 

 人殺しの快楽に狂った道化師、ヒソカ。 

 クラピカは彼にハンターの資格が有るとは到底思えなかったが、同時にあの突出した戦闘技術とセンスだけは認めざるを得なかった。

 使命を果たすまでは死にたくない、死ねないと必死に言い聞かせ、折れかけた心を奮い立たせても、隔絶した実力の差は如何ともし難くて。 

 あのままなら間違いなく死ぬか、運が良くても試験を続ける事は出来ない身体にされていただろう。

 

 積み重なる人だったモノの残骸、地面を赤黒く染める液体。今思い出しただけでもぞわりと身の毛がよだつ思いだった。 

 かつて目にしたあの地獄の光景と重なる様で。考えれば考えるほどにどんよりと沈む気持ちを、ぶんぶんと頭を振る事で無理やりに思考を切り替える。

 

 もう一人の強者。 銀髪の男、クリード・ディスケンス。

 サキ曰く、自分達を赤子扱いしたあのヒソカを一対一の戦闘でほぼ圧倒して見せた(らしい)ポテンシャルの高さ。

 クラピカ自身は実際にその戦闘を見た訳ではないが、ヒソカと戦ったとは思えない程、怪我らしい怪我も無く二次試験に合流し、平然とした表情で三次試験を早々にクリアして今に至るのだから、その実力はさもありなん。

 

「ネン…か」

 

 “ネン” 先程の船上や、これまでの試験の合間にサキの口から洩れ聞こえて来た単語である。 

 その“単語”が示している何か。  

 あくまでも推測に過ぎないが、クラピカには三次試験でサキが垣間見せた不可思議な力や、クリードの強さの根幹に関わっている気がした。

 

 この試験が終わったら、彼の元で一から修行をやり直すのも良いかもしれないな。 

 散々に思い知った世界と自分との差。今のままでは、散らばった眼を集める以前に、同胞の敵すら満足に取る事は出来ないだろうから。

 

 何はともあれ今、自分が成すべき事はこの四次試験を突破する事だ。

 

 ともすれば足元に広がる腐葉土の底へと重く沈みがちになる足と気力を奮い立たせ、クラピカは意を決して森の中央へと進んで行った。

 




次回、時系列その他を完全無視しておふざけ100%の小ネタ集。

■クリード、地獄の修業時代を語る。
■クロロ、初めての合コン。
■セフィリアさんハード。

以上の三本でお送りします。


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22.5 小話は平穏の中で。

 

1、クリード、地獄の修業時代を語る。

 

注1:試験編や闘技場編より以前なので人並みに感情表現が豊かなクリード少年です。 

注2:この時点ではまだサキでは無くキョウコ呼びです。

 

 

「クリード君、今日は素晴らしい天気ですね。肌を撫でる爽やかな風…空気も澄み切っていて、ぽかぽかとした日差しが実に心地良い」

 

 とある日、とある場所にて。

 

 山から山へと掛けられた古めかしい木製の吊り橋。 その中腹にて女が一人、欄干に手を置いて柔らかく微笑んでいた。

 その堂々とした佇まいは一流と呼ばれる武人の風格を強く印象付け、吹き抜ける風にざぶざぶと波打つブロンドの金髪は一面に広がる麦の穂を想起させた。

 

「ええ、ええ、本当にそうですね。 暖かくてハイキングにはうってつけの日和だと思いますよ…! 所で“コレ”、そろそろ終わりにして帰りません?」

 

 見下ろせば紅葉、見渡せば秋の色。視界一杯に広がる艶やかなジャポンの四季。 

 それを心の底から楽しむ女性―——セフィリア・アークスの穏やかな口調と裏腹に、相槌を打つ銀髪の少年、クリード・ディスケンスの声色には明らかに恐怖と緊張の音が混じっていた。

 

「クリード君、何を馬鹿な事を言っているのですか。出掛ける前にちゃんと教えてあげていたでしょう? 貴方が行っているそれは“臨界行”と呼ばれる、一流と呼称される僧達がこなして来たれっきとした修行なのですよ? それを、初めてからたったの一時間弱でギブアップとは。実に情けない限りですねえ…」

 

 繰り返すが、現在、吊り橋の上にはセフィリアが一人のみ。 

 …ではクリード少年は何処に居て、何処から声を発しているのか。

 

「だってこの姿勢、凄い頭に血が上るんですよ? …って、ちょっと師匠!? 貴女、まさか、ワザと橋を揺らしてたりとか、していないですよね? 何だか、明らかに風と橋の揺れが一致していない気が、するんですが!? 師匠!? ねえ!?」

 

 先程より、更に切羽詰まった声で訴える少年。その視界を下せば雲一つない秋晴れが、上へ向ければさらさらと流れる渓流が。そこへ時折混じる紅葉の赤。

 少年から見える絶景は、上と下がぐるり180度逆転していた。 

詰まる所、クリード少年はセフィリアと呼ばれた女が立っている橋の丁度真下、そこから蜘蛛の糸の様に垂れ下がった一本のロープを両の足に巻き付けて、ぶらぶらと揺れ続けていたのだ。

 山と山の間を流れるこの美しい渓谷。その上空遥か数百メートルに設置されてから幾年、或いは数十年か。 

 否応なく風雪に晒され続けて経年劣化を隠せない吊り橋は、ぎしぎしと音を立ててその存在を主張し続けている。

 

「おや失礼な…ぷっ、私がそんな意地悪な真似を…くふっ! 愛しい弟子にする訳が…うぷぷっ、無いでしょう? 言い掛かりも大概にしておきなさいな、全く…!! ぷぷっ!」

 

「この野郎、いやこの陰険美女!! アンタ楽しんでるだろ!! …やめて、激しく揺らさないで!! ちょっ、視界がぐるぐる回って怖い怖い怖いぃぃぃぃ……!!」

 

 それは突然だった。 

 クリード少年の足元――この場合は少し上方と呼ぶべきか。 そこから妙に小気味の良い、ぷつりと云う音が聞こえると同時に、吊るされていた時と違う完全な浮遊感がクリードの全身を包み込んだ。 

 瞬きの間に移り変わっていく景色。空が遠ざかり、その代わりに蒼と紅が頭上に迫って来る。

 

「うわあああああああ、死ぬううううううう! 助けてえええええええええええ、師匠の砂糖中毒ぅぅぅぅぅぅううう!!!」

 

「おや? 少々、やりすぎましたか。 まあ下は結構な深さの川ですし、死ぬ事は無いでしょう。 …多分」

 

 不意に渓谷の間を木霊するソプラノの絶叫が途切れる。 

 セフィリアが欄干から身を乗り出して見れば、クリード少年がピクリともせずに激流に揉まれ、滝壺へ向かって一目散に流されていく所だった。

 

 修羅場は何時も唐突に訪れる。 

 土壇場に遭遇した時、込み上げる恐怖と死への畏怖を相対する者に悟られてはならない。心臓の皮一枚に仕舞い込んで、外側に溢れさせない様に克服する技術はこの先必ず役に立つ筈だ。 

 そうする事で()()()の様な悲惨な事態にならない様に少年を鍛え上げる。それが今回、ハイキングに訪れた目的の一つでも有ったのだが。

 

「全く、仕方のない弟子ですね。  ―——――よいしょっと」

 

 溜息を一つ吐いて、セフィリアは加重を感じさせない軽やかな動作で橋から飛び降りた。

 

 

__________

 

 

 

「…とまあ、一歩どころか半歩間違ったら死ぬ。 大体がそんな感じの修業ばかりだったかな」

 

 ああ、そうだ。丸一週間ぶっ通しで活火山に放り込まれて、魔獣と勝ち抜きデスマッチを強制させられた挙句、ガスを死ぬ寸前まで吸って中毒になった所を山頂から一時間で走って戻って来いとかも有ったなあ。

 朝、目が覚めたらぼろぼろのゴムボートに乗せられていて、夕飯までに沖から帰って来いとか、あったあった。

 懐かしむ様に遠い目をしながら。クリードは悲惨な修業時代のメニューの数々をぶつぶつと呟きつつ、指を折って数えている。

 

「えぇ~。 ま、まあクリードさんが高所恐怖症になった理由は十分過ぎるほど理解できましたよ…」

 

(良かった、師匠がそんなセフィリアさんの指導を私で繰り返そうとしないで。あのクリードさんがこんなになるまでの過酷な修業なんて。 私じゃあ到底耐えられそうにないし)

 

 そんな感想を胸の内で零し、まあ所詮私には関係ない話か、とほっとキョウコが胸を撫で下ろした瞬間だった。 

 全くの唐突に、一切の気配を立てずに。キョウコの両肩に暖かい掌が置かれる。

 

「わっひゃあ!! …って、セフィリアさんですかぁ、ビックリしたー」

 

「失礼、何やら面白そうな話が聞こえましたので。」

 

 何やらクリード君のトラウマがどうとか。 

 そう言いながら広げて見せたチラシには、何処かの誰かのトラウマをぐりぐりと錆びたナイフで抉る、懐かしい風景が印刷されていた。

 

「何やらこの付近で隠居暮らしをしている、不可思議な衣装を身に纏った蟲使いの男が居るとの有用な目撃情報が入りましてね。 折角ですし、今動ける星の使徒のメンバーでハイキングに出掛けましょうか?」

 

 何気なく振り向いたキョウコは見た。クリードの額をつうっと流れる一筋の冷汗を。

 

「すいません師匠、拒否権は?」

 

「ありません」

 

 素晴らしい真顔でセフィリアが告げる。

 

「じ、じゃあ、私はこれから自主練が有りますので~…」

 

 素晴らしいスピードでキョウコが逃げの一手を打った。

 

「…キョウコ、僕と一緒に逝ってくれるよね?」

 

 そして、素晴らしい笑顔でクリードがキョウコに告げる。

 

「うわあ、クリードさんったらすっごい良い笑顔だぁ…」

 

 逃がさないとばかりに両の手をがっしと握りしめられ、キョウコは思った。

  …本当なら飛び上がるほど嬉しい筈なのに、微塵も喜べないのは何故だろう。

 

 

 

2、クロロ、初めての合コン。

 

注:時系列的にはハンター試験編の後です。

 

 ギィと椅子を軋ませて、パソコンからクロロの方へ振り返ったシャルナークが僅かに目を見開いた。

 

「えっ、クロロって合コン行った事無いんだ。 …何か意外」

 

「…そうか?」

 

「うん、何かそう云うのには手慣れてるイメージだった」

 

 手元の缶コーヒーのプルタブを開けながら、もう一本をクロロに投げ渡す。

 

「クリードに聞いた話だと、合コンというヤツはモテない男女が集まって相手を見繕う場らしいじゃないか。生憎と、俺にはそんな必要は無かったからな」

 

 欲しい物は買わずに奪う。それは商品も女も変わらないという事か。まあ、クロロ位の顔面偏差値になると相手から寄って来るもんなぁ…。

 そんな勿体も無い事を思考しつつ、シャルナークはコーヒーに口を付ける。不純物が多分に含まれた独特の苦みが口内でじわじわと広がっていく。

 

「うぇ、このコーヒーまっず~。 そういえばウボォーも同じ事言ってたね、欲しい物は奪い取るって。 団長のそれとはちょっとばかし方向性は違うけれど。 兎にも角にもご立派、盗賊の鑑だ。 …ってあれ? クロロ、もしかして今クリードって言った?」

 

「ああ、そもそもこの話を持ち込んで来たのはアイツからだ」

 

 常人より少しばかり回転の速い脳内で思考するが、シャルナークにはどうにも合コンと彼のイメージが重ならない。 

 先に考えた様に、クロロに負けず劣らず上から数えた方が早いレベルのイケメンとしてインプットされているクリード・ディスケンス。シャルナークには彼が女に飢えている図がどうしても想像できなかった。 

 そんな彼の様子を見て、してやったりと言いたげな表情でクロロは薄く笑った。

 

「シャル、言っておくがな、別にアイツが女に飢えているから手伝いに行くとかいう話じゃあないぞ?」

 

「いや、それはそうだろうけどさ、じゃあ何で?」

 

「極々単純な理由だよ。本当なら俺とクリードがサシで飲むだけの話だったのだがな、何時の間にやらアイツの女にそれを聞き付けられてしまったらしく、連れてけと五月蠅く喚き散らしたらしい。 それで、それならもう少し人数を増やして合コンにしようって事になっただけの話だ」

 

「…成程、それで俺にクロロのフォローに回れって事ね」

 

「流石に察しが良いな、そうしてくれると助かる」

 

 先に自分が飲んで不味いと言ってしまった為か、クロロは缶コーヒーを開けようとせず、掌で器用にクルクルと回して弄んでいる。

 

「まあ、消去法だよね。 ウボォーは論外だし、ヒソカは変態だし、フランクリンやボノは見た目で怯えられるだろうし、フィンクスはチンピラっぽいし。 …ん? ノブナガは? 髪下せば割とまともじゃない?」

 

「…ああ、お前は知らないのか。 アイツはな、酒飲むとヤバいんだ。 だからNG」

 

「ヤバい? …ごめん、具体的にどうなるの? 全っ然想像つかないんだけど」

 

 う~ん、見境なく居合で人を襲い始めるとか?

 ああでもない、こうでもないと首を捻るシャルナークを見やったクロロはそのまま視線を空へ投げ、遠い目をしながらぼそりと呟いた。

 

「……踊るんだよ。 こう、腰に手を当ててな、扇を振って、やたらくねくねしながら…」

 

 何、そのつまらない冗談。

 …そう笑い飛ばそうとしたシャルナークだが、クロロの真剣な表情を見るに、どうやら冗談でも、出まかせでもないらしい。

 扇を片手にキレッキレのダンスを披露するノブナガを想像し、シャルナークは軽く嗚咽を漏らした。

 

「ええ~? 何それ、気持ち悪っ!!」

 

「だろ? …これ、俺が話したってノブナガに言うなよ? 前にやらかした時の事をまだ気にしてるっぽいから」

 

 兎に角、当日は宜しく頼んだ。 出来高に応じて報酬は払う。

 結局、クロロは缶コーヒーを飲む事無く机に置きなおして部屋を出て行った。その後姿を見送ってからシャルナークはパソコンへと向き直る。

 

「…あっ、クロロに場所と女の子の詳細を聞き忘れてた」

 

 

 

 後にシャルナークはこの合コンについて感想を求められた際、他の旅団メンバーにこう語っている。

 

 ―——――ああなる事を知っていれば絶対に参加なんかしなかったのに。 俺の知ってる()()()は絶対あんなじゃない。 あれはきっと、人間の皮を被った魔女だったんだ…と。

 

 

 

 とうじつ!!

 

 

 前髪を下し、額に白いヘアバンドを付けたクロロはラフなジャケットに身を包み、好青年めいた笑みを浮かべてシャルナークの左に座り、居酒屋の一室で本を読んでいた。

 それを横目に眺めつつ携帯電話を弄っていたシャルナークがふと顔を上げ、クロロの左側で本を読み耽っていたクリードに話しかける。

 

「クリード、中々良い所だねこの店。値段も良心的だし、何より完全個室でこの広さなのは有り難いや」

 

「そうか、気に入って貰えたなら何よりだ。 …ちなみに僕のお勧めは裏メニューの…」

 

 次の瞬間、クロロとクリードが同時にピクリと身体を震わせる。 何事かと身構えたシャルナークも、暫しの間を置いて理解した。 

 

 —――ああ、今、この瞬間から戦争が始まるのだと。

 

 

「クリード、今入って来た三人組がそうか?」

 

「ああ、そうだ。 …言い忘れていたが、三人ともかなりのレベルの使い手だよ。 一応忠告はしておくけれど、下手な真似は止めておいた方が君達の身の為だ」

 

 火傷では済まないかもしれないからね。 

 何時にない程の真顔でそう言い放つクリードの表情に真剣さを感じ取り、シャルナークはごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「(ヒョホホホ!流石に彼女のセレクトなだけは有るだわさ、超が付く程のイケメン揃いだわさ!! 今夜は)フィーバー…じゃなかったわさ、遅れてごめんなさい、ビスケットです、ビスケって呼んで下さい♡」

 

 扉を勢いよく開け放ちながら現れたのは、どう見ても十代前半にしか見えない容姿の可憐な少女。 絹の様な細さの金髪を分けたツインテールが実に可愛らしい。

 そんな危ない感想が浮かびかけたシャルナークが、寸での所で自分を取り戻してクリードに詰め寄る。

 

「(フィーバー?) …ってクリード、どう見ても子供じゃないか! この国ではあんな年齢から酒を飲めるのかい? …もしかして、クリード、ああ云うのが好みなの!?」

 

「ん? ああ、そういう事か。 問題ない、ああ見えて彼女はゴジュウっ……。 い、いや、十五歳、の間違いだった、済まないビスケ、さん…」

 

「うふふ、ビスケさんだなんて、そんな他人行儀な。 ビスケで良いんですよ♡」

 

 少女から絶対零度の視線を浴び、冷汗を滝の様に流しながらもクリードは辛うじて堪えてみせた。 

 この時、隣に座っていたシャルナークが本日一度目の死の予感を感じていた事を記しておく。

 

「うふふふふ、パーム・シベリアです、宜しく…」

 

 次いで自己紹介したのは、腰元まで伸びた長い黒髪をざばらに流し、乱れた髪の間から淀んだ瞳が爛々と覗いている女性だった。

 

「OH…。クロロ、ああいうオバケが居るってマチに聞いた事が有るよ、ジャパニーズゴーストでさ…TVから出て来て首を締めあげるんだって…」

 

「あら、怨霊だなんて…。 失礼しちゃうわ、私はこうして生きて居るっていうのに…。 そう、私は生きて、ノブ様にたっぷり愛して貰わないといけないんだから…」

 

 うふふ…うふふふふ…。 くふふふ…。 

 

 先の少女に負けず劣らず、異様な気配を身に纏った女にじっとりと見つめられ、シャルナークはゴクリと生唾を飲み込む。

 

「あら、よくよく見れば貴方、中々に素敵な顔立ちをしているわね…。 まあノブ様には遠く及ばないにしても、及第点よ、喜んでいいわぁ…」

 

「は、はあ…。 どういたしまして?」

 

 生返事を返した所を、有無を言わさずシャルナークの隣へパームが座りこむ。 

 疑問を感じてちらりと見れば、パームが座っていた場所に移動して居た筈のクリードは件の少女に首根っこを掴まれて壁際へと連行され、何事かを熱心に囁かれている所だった。

 

「お待たせしました、どうやら私が最後の様ですね」

 

 そして、最後に現れたのは…。

 

「どうもー、セフィリア・アークスでぇす!  今日は気合入ってるんでぇ、ξ・∀・)ノヨロシクゥ!!」

 

 反応できず、固まる二人。 ウインク+親指を立てて華麗に登場したセフィリアを見て、男性陣の中で唯一固まっていないクリードがぼそりと呟いた。

 

「師匠、流石にそれはきついですよ…」

 

 

 ―—――—――瞬間、店内に轟音が響いた。

 

 

 それなりの高さの有る天井の梁。そこから力なく落下したクリードの胸元を容赦なく掴み上げ、クロロが詰め寄る。

 

「おい、クリード。 アイツが来るなんて聞いていないぞ。 ...お前、俺を騙したな? これは契約違反だ、悪いが此処で帰らせてもらう!!」 

 

「ちょっ、クロロ、俺は!? 置いてけぼりにする気!?」

 

「だ、駄目だ、君は僕にあの三人の相手を纏めてさせる心算か?」

 

 ごほごほと咳き込みながら、クリードがクロロの腕を振り払って立ち上がる。

 

「知るか、俺は自分の命の方が大事なんでな。 どうしてもというなら…そうだな、報酬、追加で三冊だ。 それでこの茶番に付き合ってやる」

 

「…ぐっ、背に腹は代えられない、か…。仕方ない、その代わり、仕事はきちんとこなしてくれ」 

 

「くくっ、良し、契約成立だ。シャル、予定通りフォローを頼む」 「り、了解!!」

 

 

「はいはい、男同士のお話はそれ位にして、楽しい合コンを始めるだわさ!!」

 

 

 以下、ダイジェストで合コン? の様子をお楽しみください。

 

 

 ※王様ゲーム?

 

「ヒョホホホホ、王様は私だわさ! さあどんな命令をしてやろうかしらね、グフフフ、グフッ! …よし、決めたわさ、一番と三番が抱き合ってキスをするだわさ!!」

 

 勿論濃厚なヤツじゃ無いと認めないだわさ。 鼻息荒く宣言するビスケと裏腹に、男達の意気は海溝の底を漂う深海魚の如く、異様に低かった。

 

「どうしようクロロ、一番…俺だよ…」

 

「安心しろシャル、骨は拾ってやる、存分に散って来い」

 

「(この野郎、自分が違うからって嬉しそうにしちゃってさあ) …くっ、後で覚えてなよクロロ」

 

「あっ、因みに三番は僕では無いよ」 「私でも有りません」

 

 クロロでも無い、クリードでも無い。 セフィリアでも無い。 王様はビスケ。 …では、三番は誰?

 

「うふふ、貴方に限ってそんな心算は無いでしょうけれど、一応言っておくわ。 ニガサナイから……」

 

 急速に冷え込む周囲の温度。 シャルナークには床を這いずる様にして、異様に低い姿勢でじりじりとにじり寄って来るパームが生きて居る人間だとは到底思えなかった。

 

「あ…あ….あああ……や、やめ…!!」

 

 

  ズギュルズギュルズギュルズギュル!!

 

 

 そんな擬音を立てて唇を貪り合う二人を見て。 

 男二人は戦慄し、ビスケは興奮し、セフィリアは…一心不乱に焼き鳥を串から外していた。

 

「ほほほ、こっちが焼けるほど情熱的ですこと。 パームったらキスに魂、籠ってるわさ~」

 

「…魂を吸われているの間違いじゃないのか?」

 

「奇遇だなクロロ、僕も同意見だ…」

 

「は、激しいですねぇ…」 ←から揚げにレモンを掛けながらの一言。

 

 

※ヤマノテ線ゲーム?

 

「うふふ…古今東西、拷問器具の名前。 せーの、ギロチン♡」

 

「苦痛の梨!! グフフ…」

 

「スパニッシュ・ブーツ、で良かったですか? クリード君、合ってます?」

 

「大丈夫ですよ師匠。…ガロット」

 

「アイアン・メイデン」

 

「え~っと、 …っておい、ちょっと待って待って!! 怖いよ!! 何で合コンに来て拷問器具の名前を羅列しなくちゃいけないんだよ!! そこは普通、スイーツとか本の名前とか、当たり障りの無いお題にするだろ!! ってーかクロロもクリードも何普通にやってるんだよ!! 突っ込めよ!! 頼むからさ!! 一瞬俺がおかしいのかと思っちゃっただろ!!」

 

 なけなしの勇気を振り絞って、先程のショックから辛うじて復活したシャルナークが突っ込む。 

 

「…ふむ。 確かに本なら俺が有利だな」

 

 顎に手を当て、クロロが考え込む仕草を見せる。

 

「あっ、スイーツなら私の得意分野です。 何百個でも挙げられます!」

 

 若干酔いが回り始めたセフィリアが赤みが差した顔を綻ばせてそう言えば、

 

「アタシは、世界イケメンランキングなら何も見なくても唱えられるだわさ! …まあ、今日は其処にもう一人加わったんだけどねえ…ぐふふ….」

 

 何時の間にやらかなり酔いの回ったビスケがクロロを怪しげな眼で見つめつつ嗤う。

 

 シャルナークは怯えていた。この場に居る六人の内、まともに会話が成立する人間が只の一人も居ない恐怖に。一体何時までこの地獄の宴は続くのか。早く帰りたい。一刻も早く。

(もう嫌だ、こんなの、俺が知ってる合コンじゃない。 こんなの、合コンの名を借りた魔女達の晩餐会だよ…)

 

 堪えきれず溜息を吐くが、その腰には依然としてパームががっしと抱き着いたままだった。

 

 

 

 

 

 どうにかこうにか女たちの魔手から逃れた帰り道、疲弊しきった表情で歩くシャルナークの横でクロロは何事かを考えていた。

 因みに、クリードはクロロ達が二次会という名のサバトから無事逃げ出す為の生贄として女達に捧げられた為、この場には居ない。

 

 

「ふむ…」

 

「どうしたのクロロ、また何か考え事?」

 

「いや、案外というか、意外というか。 合コンという奴も悪くなかったと思っていた所だ…」

 

「!?」

 

 

 

3、セフィリアさんハード

 

注:良い子はクリムゾン コピペで検索してはいけませんよ? セフィリアお姉さんとの約束です。

 

 

 ジョギングの帰り道、漂って来た甘い香りに釣られて単身で敵地へと乗り込んだセフィリア。 

 しかし、それはかつてセフリィアに店の商品を冷蔵庫の中身まで全て食べ尽され、恨みを募らせていた店主の仕掛けた巧妙な罠だった。

 減量の最中だった筈の彼女の目の前に、職人が趣向を凝らした至高の甘味の数々が次々と並べられていく。 

 

 こんな砂糖の塊、食べてはいけない筈なのに、どうして…!?

 

 整然と並べられたスイーツ達が放つ芳香が、容赦無く捕らわれの身に堕ちたセフリィアの精神と忍耐力を削っていく。

 

「くっ、何時もの様に好き放題に食べる事が出来れば…! この程度のスイーツの量を躊躇う事なんて無いのにぃ…!」

 

「良かったじゃないですか、ダイエットの所為にできて」

 

「んんんんんんんッ!! (いけない、このショコラムースの舌触りの良さと来たら…! 生地の絶妙なしっとりさと相まって、美味しすぎるっ…!)」

 

 優越感に卑しく顔を歪めた店主が、手にしたインスタントカメラで恍惚の表情に染まったセフィリアの顔を激写していく。

 

「へへへ、生お姉さんの生クリームこびり付きトロ顔ゲ~ット。 有り難く店の宣伝に使わせて頂いても宜しいですかね?」

 

 有無を言わさずテーブルの周囲を取り囲んだ店員達から容赦なく浴びせられるカメラのフラッシュ。 

 

「くうっ……!(耐えなきゃ、今は耐えるしか無い…っ)」 

 

 現在の時刻は昼を回ったばかり。当然、店内には他の客達も存在する。

 そんな中、あられもない姿を衆目に晒される恥辱、フラッシュの中でケーキを頬張らなくてはならない余りの屈辱にセフィリアの身体がぶるぶると震え始める。

 

 小腹を満たす分だけ。少しだけ食べて、直ぐに店を出る心算だったのに。 悔しい、こんな筈では無かった。  

 

 未だかつて味わった事の無い程の屈辱感と焦燥。 …とにかく、一刻も早くこの魔境から逃げなくては。取り返しの付かない事になる。

 セフィリアは必死の思いでテーブル脇へと置かれた伝票に必死に手を伸ばすが、甘味に蕩けた身体は意思に反して知らず知らずの内にフォークを掴み、口直しの名目で追加注文したパンプキンパイを等間隔で切り分けていた。

 

「お姉さんのダイエットとやらは私に崩される為に続けて来たんですものね?」

 

 一心不乱にパイを頬張るセフィリアの耳元で、本日のお勧めケーキをワゴンからテーブルへ移し終わった店長が厭らしく囁いた。

 

「あああああああッ!!」

 

 悔しい、でも食べちゃう。 ぱくんぱくん。

 

 

セフィリアさんハード2

 

 

 

 セフィリアが甘味の誘惑に屈し、一生の不覚とも云える無残な敗北を喫してから早くも一時間が過ぎた。 

 彼女にとって永遠にも等しく感じられた苛烈な甘味の攻撃は、依然として止む事無く繰り返されていた。

 入店当初、彼女の心の内に僅かに残っていたダイエットへの未練はとうに消え失せ、今では店員達から一定の間隔を置いて只管に与え続けられる至上の快楽の波。 その匠の技に翻弄されるばかりの哀れな雌と化していた。

 

「おいお前ら、お姉さんが喜んでいらっしゃるぜ? とっておきのスペシャルジャンボパフェを用意しろ、生クリームたっぷりでな…!」

 

「んんんんん!! (いけない、生クリームの上に乗った苺が大好物なのを悟られたら…!)」

 

「そうだお姉さん、ケーキばっかりでそろそろ口が乾いて来ただろう? 口直しに当店自慢の濃厚生クリーム入りカフェラテは如何かな?」

 

 もうひと押しでこの女は完全に堕ちる。ウチのスイーツの魅力に屈するのだ。 

 執拗なまでに繰り返されたスイーツフルコース責め。その余韻にふやけきったセフィリアの表情から店長はそう感じ取っていた。 

 

 …そして、それは正しかった。

 

「…みます」

 

「へへ、良く聞こえなかったなぁ。 済まないがもう一度言ってくれよ、大きな声で」

 

「飲みます、そのカフェラテを飲ませて下さい!! あっ、ついでにこの特製シュークリームを追加で三つ程お願いします…」

 

 かつての世界での時の番人、クロノナンバーズ【Ⅰ】、セフィリア・アークスが心の底からプライドを圧し折られ、店長に敗北を認めた瞬間だった。

 

「へへへ、そう来なくっちゃなあ?」

 

「店長、先程仰られていた品、出来上がりましたぜ!!」

 

 歳の若い店員が皿を片手に持ったままの姿で厨房から現れる。

 

「…おっと、常連様の為にサービスで作らせていた宇治抹茶入りティラミスが出来上がってしまったか。 お腹の贅肉が何時までも取れないだろう?」

 

「あああああああッ!!(悔しい、こんな屈辱を…。 でも…食べ過ぎてしまう…!)」 。

 

 

 

 

 ―――—―———その後、セフィリアは後から突入して来たクリードによってSEKKYOUされた。

 

 

 




んんんんんッ!!(いけない、シリアスが書きづらくて安易なネタに逃げた事を読者様に悟られたら…!) 



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■.黒猫は何処へ行ったのか。 — The contents of the box are something? -

割と核心に迫るネタバレが有るやも知れません。気にしない方はどうぞ。


 

 

  何時か見た夢、今日に見た未来。

 

 

 四角い箱の中に、真っ黒い猫を入れて蓋を閉じました。

 

「さあ、箱の中身はどうなっているでしょう?」

 

 

 

【Ⅴ】

 

 

 S.Aコーポレーション内、第一研究室

 

「…結論から言いますね。 イヴちゃん、貴女は私のクローン体です。 DNA配置、その他諸々の全てがこれだけ一致しているのはそれ以外に有り得ません」

 

 ぎしり、と椅子を軋ませてパソコンから此方へ向き直ったティアーユ博士はそう断言した。

 

「クローン体…」

 

 ぽつりと零した俺の言葉に反応してかは知らないが、イヴがYシャツの袖をギュッと摘まむ。少しでも安心させようと、俺は頭の上にぽんと手を置いて。博士に先を話す様にと視線を送った。

 

 

 クローン体。 博士の説明によれば、イヴは一人の人間(この場合はティアーユ博士)の遺伝子を元に造りだされたコピー、生き写しらしい。 

 この場に至るまで、そんな夢物語なんぞSFの世界の出来事でしか有り得ない事だと半信半疑だった俺も、やはり間近で見てしまえばそれを肯定せざるを得なかった。 

 顔の作りや、髪の毛の色といった単純な話じゃない。  

 一度も有った事が無い筈の二人の発する雰囲気、仕草、何気ない癖までもが恐ろしく似通っている。 兄弟以上、双子以上の存在。 どちらもティアーユであり、イヴである。それがクローン体。

 

「それとですね…どうやら、イヴちゃんの身体にはナノマシンが多数存在している様ですね。 それも、常に一定の数を保つ様に生成、破棄をプログラミングされた、恐ろしく高度な物です」

 

「…ん? ちょっと待てよ博士、少し前に医者に診て貰ったけど、その時はそんな物が有るなんて何も言われなかったぞ? なあ姫っち?」

 

 ぷいっという擬音が付く位の勢いでイヴは露骨にトレインから顔を逸らす。俺の時とのあからさまな態度の違いにショックを受けるトレイン。真っ白になった黒猫を置きざりにして、尚も博士の話は続く。

 

「ええと...話を続けても? このナノマシン…普段は血液中を赤血球に擬態して回遊しているようですね。 恐らく、通常の血液検査だけでこれを見破るのは不可能といっていいでしょう」

 

「…なあ、さっきから疑問に思っていたんだが、イヴを作ったのは一体誰なんだ? 俺はてっきり博士かと思っていたが、その口ぶりからすると違うのか?」

 

「それは...正直に言うと、分かりません。 只、それが出来る人物に一人だけ心当たりが有ります。 数年前、定期検査という名目で私のDNAマップを採取して行った人がいます。 私のクローンを作る事が出来るとしたら、その時の事位しか...」

 

 ドクター...か。 

 

 すぐ後ろに立っている俺とイヴが辛うじて聞き取れた程の小さな声。 呟いた主、トレインを博士は酷く驚いた顔で見た。

 

「数年前から私はある男に脅されていました。 名前も知らないその人が、一度だけ自分の事をそう呼んでいたのを覚えています。 …トレインさん、貴方と彼は知り合いなのですか?」

 

「ん? …ああ、検査って言ったら医者だろ? てきとーに言ってみただけだ。 知り合いでもなんでもねえよ。 んな事はいいからよ、博士、続きを頼むわ」

 

 余りにも唐突で不自然なトレインの態度。 だが、俺がそれに対して口を挟む前に、トレインに急かされたティアーユ博士が話を再開してしまった為、開きかけた口を閉ざさざるを得なかった。

 

「は、はい。 彼は当時、しがない一研究者の一人に過ぎなかった私の前にいきなり現れ、莫大な資金提供と引き換えに、有る分野の研究をして欲しい。そう言ったのです」

 

「それがナノマシンやらクローンやらの研究だって言うのか?」

 

「ええ、そうです。彼は定期的に私の研究の成果を確認しにこの場所を訪れ、決まって幾つかのデータをコピーして行きました。 …といっても、そのデータで自分が学会に躍り出るとか、誰かに発表させるといった事は一切行わず、只、研究の進展を確かめに訪れるだけだったのですが…」

 

 デスクの上から冷めかけた紅茶のカップを取り、一口含んで。 

 ティアーユ博士は憂いに満ちた表情で話を紡いでいく。

 

「…それから数年が過ぎた頃、彼はいきなり態度を一変させました。 その時点で既に八割方完成していたナノマシン理論とクローン技術を応用しての臓器移植。或いは腫瘍、及び未だに治療法が確立されていない数多くの難病の臨床実験。その研究費の継続を盾に私に強要したのは、それまでの純粋に医学に帰依する研究では無く。 ナノマシンによる人体の強制的な変異、細胞レベルの再生。 …そして、絶対的な不死性の確立でした。

 

 恥ずかしい事ですが、その時になって私は漸く気付いたのです、彼がそれまでに私にしてくれた事の全ては、人類の発展や、医学の進歩を願っての無償の行動では無かった事に。 私にナノマシンの予備知識を植え付け、恩を売って逃げ場を無くした上で、あの悪魔の研究を行わせる為の布石だったのだと…!」

 

 そこまで一息に話すと、とうとう博士の中で堰が切れてしまったのか、顔を抑えてしゃくり上げ、とうとう泣き出し始めてしまった。

 

「す、すいませんっ…。 私っ…、ずっと、誰かにこの事を話したくてっ! ……でも、言えなかったんですっ…! 他言したら、私だけじゃない、この研究に関わっている皆に、迷惑が掛かると思って、言えなかった……うぐっ、うぇっ….!」

 

 

「悪りぃ、二人共。 ちっと外の空気吸って来るわ」

 

 博士の事、頼んだ。 

 

 そう言い捨てて、俺達の返事を待たずに出て行くトレイン。

 

「畜生、やっぱ【GOD】かよ…!」

 

 研究室の扉を閉める間際、トレインがぼそりとそう呟いたのを、俺は聞き逃してはいなかった。

 

 

 

【Ⅵ】

 

 

「トレインさん、スヴェンさん。イヴちゃんの事、どうか宜しくお願いします…!」

 

 俺の手を痛い程に握りしめながら懇願する博士。その姿を見て、此処を訪れるまでの間にほんの僅かでも罠かもしれないと思っていた自分を恥じる。

 せめてものお詫びに何か気の利いた事でも言ってやろうかと頭を捻るが、それよりも先に復活したトレインが茶化しに入りやがった。

 

「おう、大風呂に乗った気になって任せとけって。 そのドクターだか毒団子だかいう奴をぱぱっとシバいてデータをぶち壊す、楽勝楽勝!」

 

「トレイン、それを言うなら大船だよ?」

 

「ん? そうか? まあ細かい事は気にすんなって姫っち、そんなにケチケチしてるとでっかくならないぞ~?」

 

 何がでっかくならないんだ? と律儀に俺が突っ込む前に、鈍い音を立ててハンマーがつい一瞬前までトレインの立っていた地面に減り込んでいた。 

 天井を見上げると、部屋の角を利用して器用に張り付いるトレインの姿。 …お前、そうしていると猫ってよりクモかコウモリみたいだぞ? 拗ねるから言わないけれどな。

 それよりイヴだ。 以前より、【変化】の速度が格段に上がっている。最近、イヴが俺(ついでにトレイン)の役に立ちたいと口癖の様に言っていて、密かに練習をしているのは知っていたが、まさかこの短期間で此処まで使いこなせる様になっているとは。俺は内心で驚愕していた。

 

「おお、姫っち怖ぇ~。 これも思春期パワーって奴かね、スヴェン?」

 

「知らん」

 

「ふんっ!  トレイン…次は本当に潰すから」

 

 鼻息を荒くして、研究室の出口に向かって早足でずんずん歩くイヴの背を慌てて追い掛けて歩く。 数歩進んで気付く。トレインが付いて来ていない。

疑問を覚えて後ろを振り返ると、何時になく真剣な表情をしたトレインが、胸ポケットから皺くちゃの紙を取り出してティアーユ博士に握らせているのが見えた。

 

 

 

「わりぃわりぃ。 ちょっと好みだったモンでな、メアド渡して来た~」

 

「お前…。それはつまり、イヴの事をそんな目で見ているって事か?」

 

俺が白い目で睨むと、慌てて弁解にもならないしどろもどろの良い訳を始めるトレイン。 

 

「げっ!? って違う違う、そうじゃねえよ!! ええと……っあ~、何つ~か、ほら、あれだよあれ…」

 

 本当は分かってる。 コイツがこうやって下手糞な嘘を吐く時は、大体が碌な事にならない前兆だって事はな。

 

「..なあトレイン、今じゃなくて良い。 だけどな、何時かは話せよ? 相棒だろ?」

 

「わ~ってるって。 そんなカリカリすんなよ()()

 

 俺の言葉を何故か目を丸くして聞いていたトレインは、一瞬の硬直の後、からからと笑いながら俺の背中を力一杯叩き始めた。 その姿は小憎たらしい位にいつも通りで。   

 

 …いつも通り、か。

 

「ったく、何年立っても変わらねえなあお前は。 ああ、後でちゃんとイヴに謝っておけよ? じゃないと今晩のおかずは鰹節とライスだけだ」

 

「げっ、マジかよ!? うぇ~い….」

 

 

 スヴェン、姫っち許してくれっかなぁ…。 

 

 知らん、お前の自業自得だ。

 

 

 

 

■ ■

 

 

 あなたは箱の傍に置いてあったハンマーを振り下ろして、私にこう言いました。

 

「どうなっているか何て分からないから、箱じゃない様にしてみたよ?」

 

 

【Ⅶ】

 

 

「トレイン、スヴェン。 …これ以上、駄目だよ、この先に行っちゃ、行けない気がする…」

 

 腕時計を見る。現在の時刻は…朝の十時を少しばかり過ぎた所か。 

 

 今、俺達三人の目の前には冷たく光る分厚い鋼鉄の扉が有った。不本意にも特技と化してしまった扉開けのスキルを使おうとして気付く。 

 とっくに鍵は外れていた。

 

「ん? 何でぇ、ビビったのか姫っち。 …って言いたい所だが、流石にここは茶化す場面でもねーか。 ティアーユ博士に貰った、変態から俺達に宛てて送られた手紙、どうやらビンゴみたいだな。 …おいスヴェン」

 

 トレインに言われずとも、俺は左目に掛かった眼帯を外していた。部屋の中から感じる異様な気配。 …どうやら、【未来眼】を使わずに済む様な生易しい相手じゃなさそうだ。

 

「って、急かすまでもねーか、流石だな相棒。 準備は万全ってか? …うし、そんなら行くぜ」

 

 ぱしりと拳を突き合わせ、無警戒に先へ進んで行くトレインを慌てて追おうとして。何時に無い程に委縮しているイヴに気が付いた。

 

「そんなに怯えるなイヴ。大丈夫、大丈夫だ、心配ないさ。 なんせ俺達が一緒だからな。 …それに、何か有ったらお前が助けてくれるんだろう?」

 

 優しく言い聞かせる様に頭を撫でると、漸くイヴも安心した様だった。

 

「うん、私がスヴェンを助ける、スヴェンが私を助ける。 ベストパートナーだね」

 

「そうだ。 但し、次からはトレインも入れてやれ。 あんまり冷たくしていて泣かれても困るからな」

 

「…善処しとく」

 

 少しも善処する気の無いふくれっ面を見て安心する。全く、言い聞かせたのはどっちなのか、これでは分からないじゃないか。 

 

 深呼吸を一つして、意を決して扉を潜る。

 

 きっと、此処が()()()なのだろう。

 

 

 

「ようこそ、といっておこうか。 遠路遥々こんな辺鄙な所まで良く来たね、待っていたよ」

 

 此処までの道中の経緯から、罠がそこかしこに張り巡らされていると予想していた俺の事前の予想とは違い、本当に何もない、全てが真っ白い部屋の中央。 

 さも愉快そうにずれた眼鏡の位置を直しながら、白髪が混じり始めた白衣の男が立っていた。

 

 

「てめえ…誰だ?」

 

 僅かに埃っぽい部屋に、トレインの押し殺した声が反響する。

 

「くくく…下手な三文芝居は止めなよ。 スヴェン君とそこの女の子—――イヴちゃんだっけ? は兎も角、君は覚えているだろう? …そういう風に()()んだから」

 

 にやにやと唇を歪ませて笑うこの男。こいつは一体、何を言っているんだ? トレインは覚えている? 俺とイヴは覚えていない?

 

「何を言ってやがる、俺達はお前と会うのは初めての筈だ。 …トレイン? おい、どうした?」

 

 絶句した。何時如何なる時も小憎たらしい程に飄々とした態度を崩さないあのトレイン・ハートネットが、俯いてぶるぶると拳を震わせている。そんな姿を俺は今までに一度も見た事が無かったから。

 

「…すまねえ、二人共。 俺は、こいつを知っている。 … いや、知っていた。 多分、初めから…」

 

「トレイン…。お前、何でそんな大事な事を黙ってやがったんだ!?」

 

「だってよ、気持ち悪いだろ!? 会った事も話した事も無い筈なのに、頭の中にそんなおかしな記憶が有るなんて話。 お前らに喋っちまったら、何だかよ、今までの全部が纏めてブチ壊れちまいそうな気がしてさ。 言えなかったんだ、済まねぇ…」

 

「トレイン…お前…」

 

 能天気な態度の裏でそんな事を考えていたのか、こいつは。 …そして腑に落ちた。ここ最近の妙な態度の元はこれだったのか。

 

 俺が何か勿体も無い事を言おうと口を開きかけた時、ぱかん! と間の抜けた音が鳴った。何事かと見れば、腕をフライパン状に【変化】させたイヴがトレインの頭を叩いていた。 …それはもう、上から下へ思いっきり振りぬいていた。

 

「痛ってぇ!? いきなり何すんだ姫っち!!」

 

「何って、この間の仕返しだよ。 …良かったねトレイン、これ位で済んで」

 

「ああ!?」

 

 イヴが【変化】させた腕を元に戻し、俺の方を指さしてニヤリと笑う。 

 

「私達はチームで、パートナーでしょ? だったら隠し事は無し。 出発前に三人で約束したの、忘れたの? アホのトレイン」

 

 暫し考える素振りをみせて、トレインが漸く思い出す。

 

「ああっ! そうだ、ついうっかり忘れてたぜ、言った言った! もし誰かが足を引っ張ったり、隠し事してたりしたら、きっつい罰ゲームを残りの二人から…って事は何? 俺、三食飯抜き!?」

 

「まあ、そういう事だ。 今更妙な記憶がどうとか、その程度の事でどうにかなっちまうやわな付き合いでもねえだろうが。 水臭い事を抜かしてんじゃねえよ、このアホたれが」

 

「スヴェン...姫っち...! …おい、アホは余計だっつーの」

 

 

 

 ぱちぱちぱち。 気だるげに叩かれた掌の音で俺達は臨戦態勢に戻る。

 

「うんうん。 素晴らしいねえ、実に感動的な演劇だったよ。 此処が舞台ならおひねりの一つでも投げてあげる所だ。 …で、もう気が済んだかな?」

 

「ああ、お陰様でな。 後はお前を取っ捕まえてこの話は終いだよ」

 

 完全に自分を取り戻したトレインが腰に提げた銃を抜き、構える。 釣られる様にして、俺とイヴも臨戦態勢に入った。

 

「ああ…もういいや。茶番劇に付き合うのも、もう飽きた。 こんな()()()()()共に掛ける言葉など一つも持ち合わせていない。 生憎と、年中暇を持て余している君達と違って、僕は忙しいのでね」

 

 口角が釣り上がる。赤い舌が厭らしく動いて。

 

「そうだ、駄賃代わりと言っては何だが、折角だから一つ教えてあげようか。 ―——――どうして僕は、君達が此処に来る事を知っていたんだろうねえ? 予め、手紙まで渡してさあ?」

 

 何だ? こいつは一体何を言ってやがるんだ!?  

 言葉の意味を理解できず。只、背筋に今までで最大級の悪寒が走り抜けていく。

 

「どうして僕は、君達三人相手に丸腰で囲まれてこ~んなに余裕たっぷりなんだろうねえ?」

 

「テメエ、さっきから黙って聞いてりゃ訳分かんねえ事ばっか言いやがって。 俺達を舐めるのもいい加減にしやが…」

 

 トレインの言葉が最後まで紡がれる事は無かった。 

 

 ヤツのささくれた親指と人差し指がすうっと胸元へと伸びて行く。それが合わさり、擦れ、弾かれて。 ぱちりと乾いた音が鳴った。 

 

 真っ白い部屋に妙に空々しく響いたその音は、これから永劫に続く地獄の始まりを告げる音であり、俺達が築いて来た平凡で幸せな日々の終わりを告げる音でもあった。

 

「まあ、種を明かしちゃえば何て事は無いんだけれどね。 …とどのつまり、こういう事さ」

 

 

 実はこの時、数秒後の未来を映し出す俺の切り札―――——未来眼は発動していた。 

 発動していて、俺は何も行動出来なかったんだ。見えた光景が余りに信じ難くて。信じたくなくて。 

 俺は只、馬鹿みたいに呆けて突っ立っている事しか出来なかった。

 

 音。 …そう、音だ。

 その時、確かに聞こえたんだ、何時かの雨の日に聞いた、二度と聞きたくないと思っていた音が。ぞぶりだとかずぶりだとか、そんな感じの間の抜けた音だ。

 そして同時に感じる、異物が俺の身体を抉っていくこの得も言われぬ不快感。そんな事をしなくてもどうなっているか何て分かっているのに、どうしてもこの目で確かめたい欲求に負けて視線を下げる。 

 

 

 ―—―——ああ、駄目だ。見えた、見てしまった。 

 

 

 刃状に【変化】した腕が俺とトレインの身体のど真ん中をぶち抜いていた。 ()()()()()から。

 

 そう、俺達三人の他には誰も居なくて、今貫かれているのは俺とトレインの二人で。 …詰まる所は、そういう事だった。

 

 …なあ、何で、どうして()なんだ? 

 

 疑問は言葉にならず、代わりに口から溢れ出たのは生臭くて赤黒い噴水。

 

 急激に視界が赤く染まり、間を置かずにそれは黒へと移り変わって行く。 

 …暗い。あっという間も無く全てが暗くなる。 …これが全部黒に変わったら死ぬのだろうか。死ぬんだろうなあ。 

 そんな勿体も無い考えが頭の中で浮かんでは消えて行く。

 

 

(私は一緒に居たい。 二人と、トレインとスヴェンと一緒に居たいよっ…!)

 

 …そうだ、思い出した。 あの日、俺達がイヴを博士に預けて去ろうとした時の事を。 あの、消え入りそうに儚い声。 

 

…俺は気付いていなかったのか。 

 

 ……いや、違うな。 思い出していた。きっと、認めたくなくて目を逸らしていただけなのだろう。 

 

 

 幸せな日々が、有限で或る事に。

 

 

 

 蝋燭の火が消える瞬間。 ほんの一瞬、最後に見えたのは、紅く染まった眼をしばたかせてじぃっと俺を見つめるイヴの姿だった。

 

 

 …おい、おい、泣くなよイヴ。 まるで、これで全部、終わり、みたいじゃねえ…か。

 

 

 

   愉快だと、愉快で堪らないと。 酷く耳に触る笑い声が、部屋の中をわんわんと反響していた。

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 あなたが本当に潰したかったのは箱なの? 猫なの? 

 

 それは本当に()だったの? 中に入れたのは本当に()だった? 

 

 あなたは、誰なの?

 

 

 

     

    ―—―—―——ぐしゃり。

 

 




次回、トレイン視点で補完して黒猫sideは終了です。 次から何事も無かったかの様に本編に戻ります


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23.我慢は身体に良くないと言うけれども、我慢しないのも良くないです。 

 

 皆さん御機嫌如何でしょうか、クリード・ディスケンスです。 

 

 突然ですが僕は現在、まっくら森の中を走っています、割と全力疾走です。 

 

 …えっ? 何で走っているのかって? 決まっているじゃあないですか、変態に追われているんですよ。 変態です、大変です。大変態です。

 もう本当、メッチャクチャ怖いんですってば。 さっきチラッと振り返ったら例のあの人、興奮しすぎてかどうかは知らないですけれども、作画崩壊しておりました。薄暗闇の中から顔面ヨダレべっちょべちょでハァハァ、フヒフヒ言いながら四つん這い気味に走って来る奴が居たら誰だって逃げる、僕だって逃げる。 

 楕円形に伸ばした【円】を後方に比重を置いて展開。逃げて逃げて、時折後方から飛んで来るトランプを撃ち落としながら只管に走り倒す事早三十分弱。 

 サキ君に【念】を使うなとあれ程言っておいて、舌の根も乾かぬ内に自分が使うのはどうかと思わないでもないが、今回ばかりは(今回もか?)命が掛かっているから許して頂きたい。 

 

 一つだけ、不幸中の幸いと言うべきか。 逃げながら密かに目指していた目的地が森を抜けてから然程しない内に見えて来ました。 

 

 意を決して前方へ思い切り跳ねる、と同時に身体を捻りながら抜刀の構えを取り、大変態と正面から対峙する態勢に入る。 

 

 …ああ、顔怖い。気持ち悪い。

 

 

【Ⅳ】

 

 

 獣が二匹、月明かりの下を疾走していた。 

 一匹は耐えがたい血欲の飢えを満たす為に。もう一匹は執拗に追い縋って来る捕食者から命を守る為に、或いはこの島の何処かに居る自分の知り合いに凶刃の矛先が向かう事を恐れてか。

 二匹は走る、何処へ向かうとも知らずに。されどその足取りに淀みは無い。真っすぐに一直線に、月明かりが朧気に照らす何処かへと向かって闇の中を走り続けていた。

 

 丁度その時、二人の進行方向の先に人間が一人立っていた。

 彼には何ら落ち度は無い。これから間を置かずやって来る長い夜に備えて野営の準備をしようとしていただけだ。 異常に気付き、振り返る。 

 その時点でもう、驚愕に目を見張る程度の僅かな時間しか残されていなかった。 そして、終わるのもほんの一瞬に満たない刹那の間だった。 

 

 一匹目の獣が疾風の如き速さで脇を通り過ぎて行く。 極東の極々一部で語り伝えられる合気の術か、それとも別の何かだろうか。80㎏を優に超す彼の身体が、風に弄ばれる木の葉の如く易々と宙へ吹き飛ばされる。 

 その真下では、二匹目の獣が唇から舌先をチロリと覗かせ、歪んだ三日月を描いて笑っていた。 

 錐揉みながら独楽の様にクルクルと舞う彼の耳に、風を切るひゅうひゅうという音がやけに鮮明に聞こえていた。  

 

(死にたくない!)

 

 急激に三半規管を揺さぶられた事に伴う激しい嘔吐感と全身を駆け抜ける耐え難い激痛の中で。 それでも何とか受け身を取ろうと彼は必死に足掻いて、足掻こうとして。 

 赤い飛沫が舞う視線の先。 見慣れた自身の体と真正面から対面していた。 

 

———首は此処に。身体は彼方へ。

 

 …果たして、彼は己の死を理解する事は出来たのだろうか? その答えは永遠に闇の中に在る。

 

 激しく錐揉みながら、肉体は八つ裂きに切り裂かれていく。 

 血膿と身体の内に収まっている筈の臓腑が、さながら弾けた柘榴の果実の如くばらばらと森中に撒き散らされていった。

 

 …繰り返すが、彼に落ち度は無い。 只、運悪く血に飢えた獣二匹に出会ってしまっただけなのだから。

 

 

 獣は走る。まるで子蠅を払うかの如くあっさりと人命が散った事など、気にも留めずに走る。

 疾走の途中、鬱蒼と生い茂る森林が不意に途切れ、終わりを迎えた。葦が生い茂る草原を駆け抜け、次いで小高い岩山を登りながら、尚も二匹は走る事を止めない。 

 

「…いい加減にしてくれよ♠」

 

 先を走っていた獣――クリードが僅かに膝を沈ませる。次の瞬間、前方へ向かって空高く跳躍した。 視線の先には断崖絶壁、その下方にはざぶざぶと波が打ち寄せ続けている。 終端が迫る中、跳躍と同時に身体を180度回転させると、その勢いを利用する様にして懐の剣を抜き放ち、縦横無尽に振るう。 柄だけしかない様に見えるその【剣】。

 しかし、それは確かに鋭い風切り音を生じさせ、闇夜の隙間を縫って四方八方から飛来する幾枚ものトランプをすっぱりと両断していた。

 

「…むっ!?」

 

 砂埃を盛大に巻き上げながらも、辛うじて断崖の端ギリギリで踏み止まったクリード。尚も執拗に追い縋るヒソカを迎撃しようと腰を落とした瞬間だった。クリードの身体が両手を腿の横で揃えた、所謂気を付けの姿勢で硬直した。 ―――否、させられていた。

 

 唯一自由に動かせる首を左右に振って原因を探る。 両目に集めた【念】が、切り捨てたトランプから半透明に伸びるオーラを見つけ出す。

 異常な事態の原因は直ぐに分かった。伸び縮みする奇妙なオーラが、周囲に散らばったトランプから伸びて、クリードの身体をぐるぐると縛る様に纏わり付いていたのだ。 

 視線を前に向ける。 細い紐はやがて縒り合わさって身体の自由を奪う一本のロープと化し、束ねられてヒソカの右手に握られていた。

 

(成程、ワザと僕にトランプを斬らせたな。 道理で、やけに斬り易い位置にばかり飛んで来ると思っていたが、こういう仕掛けだった訳か。 ご丁寧に【隠】まで施す念の入れ様、そしてこの薄闇も絶好の隠れ蓑となる…)

 

「いい加減に…か。 それはお前では無く、僕の台詞だと思うのだが?」

 

 首から上を除いて、完全に四肢を拘束されているこの状況。正しく絶体絶命の窮地で有る事を理解出来ていない訳では無いだろうが、この場に於いても尚、クリードの瞳に動揺の色は微塵も浮かんでいなかった。 

 他愛も無い世間話でもしているかの様に愚痴りつつ、僅かに自由の利く右足の指先で紙切れの一つを器用に摘まみ上げ、ヒソカに投げつける。  苦も無く二本の指で挟み、胸元で受けとめるヒソカ。

 

 突き返された二つに裂けたハートのエースからは、自らが籠めた【情念】の残滓がぷうんと香っていた。

 

「ボクには分からないな。 一次試験の時もそうだったけれど…。 何でキミは、そんな良いモノを持っていながら戦いを楽しまないんだい?」

 

 それは煽りでも何でもなく、奇術師ヒソカの純粋な疑問だった。 

 何故にクリードは此処まで頑なに戦おうとしないのか。 何故、強者との邂逅を避ける様に動き、避けられないと分かるとこうして逃げの一手ばかりを打つのか。

 ヒソカには本当に理解出来ないのだ。…分からないのを分からないと言うべきだろうか。

 

 他人の命を自分の手前勝手な都合で摘み取る瞬間の、何物にも勝る優越感。 至近距離で標的の首筋を掻っ切った際の、避けられない死を理解して絶望に染まり切った表情の美しさ、一拍置いて紅く噴き出す血潮の暖かさ。 背筋がひり付く様な修羅場と戦闘の最中にのみ感じる、あの得も言われぬ恍惚感を、彼も味わっている筈なのに。

 

「生憎だが、僕にとって戦いとは楽しむ物では無い。 精々が…そうだな、五体満足で生き残る為の手段に過ぎないよ。 …そう、昔からそうだった。 そして、それは今も、これから先においても何ら変わる事は無いね」 

 

 そんな事はどうでも良いと言わんばかりに、ぽつりと零した言葉の終わり際。 ―――唐突に、何かが擦れる音が響いた。 

 

ギィ…ギィ……。

 

 依然としてクリードは自分の能力――バンジーガムによって全身を拘束されたままだ。動ける筈は無い。 現に、右手に握りしめられた虎徹の柄は一切のオーラを発さずに地面を向いている。

 しかし、この場には二人しか居ない。 …つまり、この出所不明の異音を奏でている下手人は、ヒソカかクリードのどちらかしか居ない。

 即座にヒソカは【凝】を使い、クリードとその周囲を注視する。 

 …無い。何も異常は見つからない。眼前の美青年の全身を薄く覆うオーラは、淀みなく一定の厚さを保ちながら循環し続けている。

 

「…何をしているのかな?」

 

 異常は無いのに、明らかに異常だ。 

 奇術師が奇術のタネを見破れない。それはヒソカにとって、最大級の屈辱だった。

 

 堪らず問うが、クリードは答えない。 

 返答の代わりとでも言いたいのだろうか、微笑を湛えた薄い唇の端が極々僅かに吊り上がる。

 それと同時に何かが擦れる音がまた、何処かで響いた。 それは僅かにだが先程より大きく、微かに振動を伴っていた。

 

「別に、何もしていないよ。 何かをするのは()()()()だからね」

 

 紡がれた言葉の終わりと共に、右手に携えた幻想虎徹が無の状態から以前対峙した際に見せた異形の剣――LV2へと瞬時にその姿を変化させ、クリードとヒソカを繋いでいるオーラの紐を喰い千切ろうと身体を伸ばし、大きくその顎開く。 

 

 当然、ヒソカがそれを黙って見逃す筈は無く、瞬時にバンジーガムを収縮させてクリードを自らの元へ引き寄せた。 

 

 それが今回、ヒソカが犯した最大級の悪手で、クリードの狙いだった。

 

「―――ぐぅッ!?」

 

 ヒソカの視界が無色の光で白く染めあげられる。聴覚が至近距離で炸裂した轟音によって麻痺させられる。 次の瞬間、右手に握った拘束帯から一切の重量が消え失せた。

 

(バンジーガムから逃げられた!? どうやって? …決まっている、あの奇妙な剣、それ以外に有り得ない! 他人のオーラを喰う? 特質系!? …それよりもこの状況はマズイ、見えないし聞こえない!)

 

 そこまで思考した瞬間、今までで最大級の轟音――いや、地響きが鳴り響いた。 直後、急激に辺り一帯に立ち込め始めた砂埃の匂いと、遥か下方の海面から響く轟音。 

 

 此処で漸くヒソカは先程から鳴っていた異音の正体に気付くに至る。

 

(クリードの剣、あれは何も発していないんじゃない、何も感じない“あの状態”で既にLv1――抜刀状態だったのか。 やられた、勘違いしていたな。てっきりボクは必要な時だけあの柄にオーラを籠めて刀身を造り出すのが能力だと、勝手に思い込んでいた…!)

 

 それとは別に、クリードの取った行動がヒソカの頭を沸騰させていた。

 

 先の一瞬。拘束に抗えず、無防備に此方へ引き寄せられたクリード。その喉笛を左手に持ったスペードのエースで掻き切ろうとした瞬間、左手の袖口から何か丸い物が転がり出て来るのを、ヒソカは興奮の余りに紅く滲んだ視界の端で捉えていた。 

 直後に受けた衝撃から推定して、手榴弾の類だろうか。 それも殺傷力の無い逃走、鎮圧用の物だ。

 

 …何処までも自分をコケにしてくれるじゃないか、クリード君。

 

 沸々と湧き上がる怒りと至近距離で浴びた衝撃でふらつく脳味噌を無理矢理に奮い立たせ、崩落中の崖端へと駆け寄る。 

 まるでヒソカが覗き込むのを持っていたかの様なタイミングで、海面へ向けて絶賛落下中のクリードと目が合った。

 

「―――おや、これはどうも。先程ぶりですねヒソカさん。 そうだ、散々に追い掛け回された迷惑料と言っては何ですが、折角なので『これ』は有り難く頂いておきます」

 

 

—――――それでは、“生きて居れば”ですが、七日後まで御機嫌よう。

 

「うがああああ!! クリードおおおォォオオッッ!!」

 

 ガムの拘束から解放されたクリードがにこやかに手を振りながら大量の岩と土砂を盾にして、崩れた崖の断面からヒソカが放つバンジーガムを避けつつ落下して行く。 

 轟音と共に盛大な波柱が上がる。仄暗い海面が常の静けさを取り戻した時には、クリード・ディスケンスの姿は影も形も見えなくなっていた。

 

 呆然自失の面持ちのまま、ヒソカは左胸に手を当てる。 プレートは何時の間にやら掠め取られていた。 …先程の裂けたトランプを投げ返された時か、それとも、今の一瞬に満たない交錯の間にだろうか。 

 一時的に姿を喪失した事実を踏まえると、後者の可能性が高い。

 

 目的を喪失し、冷静に思考する脳内とは裏腹に、ヒソカの内側からは怒りの感情が抑えきれない程に、喉元まで膨れ上がって来ていた。

 

 掠め取られた? 奇術師であるボクの眼を欺いて? 逃げた? ボクをここまで昂らせておいて…!?

 

「ふざけるな…! ふざけるなよクリードォォォ…!!」

 

 歯軋りの音が岸壁に打ち寄せる波の音を憎悪で上書きして行く。やがて、悪鬼羅刹の形相と化したヒソカがゆらりと立ち上がった。その両手からはボタボタと鮮血が滴っている。 余りにも強く握りしめた所為で皮膚が破れたのだ。

 

「絶対に、必ず! キミを見つけて、食べてやるからねぇ…♡」

 

 頭を低く、低く。 自らの足を舐める程に、夕立でぬかるんだ地面を舐める程に低く。 四足獣の如く異様に低い姿勢で走る影が一つ。 血に濡れた両の指にしかとトランプを挟んで闇夜を狂奔するは人に非ず、されども獣と呼称するには、眼に宿した狂気の色が濃厚に過ぎる。

  

 落とした御馳走を求めて迸る禍々しいオーラを、半分に欠けた月と戦慄に慄く青年だけが見ていた。

 

 

【Ⅴ】

 

 

 島の中央を分断する様に流れる川。その畔に広がる見晴らしの良い草原にて。細長く伸びた影が二つ、踊る様に揺れていた。

 

「…ねえ、さっきから待ってあげてるんだけど、何時使うの? というか、何で使わないわけ?」

 

 心底どうでも良さそうに呟きながら。 影の片方、全身に余す事無く針を差し込んだ異形の男―—ギタラクルが左足を一歩分後ろへ引く。

 そうする事で生まれた隙間の中を、もう一つの影が放った拳が通り抜けて行った。

 勢いを殺さない様に素早く腕の関節と拳を掴む。それと同時に彼女の足を払い、突進して来た勢いを利用して空中へと力のベクトルを転換して投げ飛ばす。

 

「おっととと…! 何でって、それはまあ、使わない様に、言われてますからっ、ねっ!」

 

 さりとて、投げ飛ばされた彼女も戦闘に関しては丸きりの素人という訳では無い。投げられた勢いに逆らわずに、空中で体を丸めて回る。 

 数瞬の間を置いて。 ふわり、と軽い動作で地面に降り立ったもう一つの影―—サキを見て、実家で昔飼っていた、あのやたら元気な黒猫の様だな――とギタラクルの脳内を凡人の様な感想がぽつんと浮かんで消えた。

 

 無論、ギタラクルからすればこれは只の暇つぶし、余興でしか無い。

 彼がその気なら既に決着は着いている。 本職――暗殺業にそぐわない、至近距離で隙を見せた相手を態々投げ飛ばす、追撃を行わずぼうっと突っ立っているだけ――等といった無意味な行動を取らずに、身体の至る所に装備している針で一刺しすればそれで終わる話である。

 

「ふうん、使わない様に…ねえ。 それ、クリードに言われたんだよね? 理由は?」

 

「…貴方に教える必要は有りません!!」

 

 んべっと舌を出したサキ。無感情に見つめるギタラクルからは一切の感情が読み取れない。 

 それを彼に言わせれば、感情何てモノは仕事に於いて邪魔でしか無い。そう、にべも無く言い放つだろう。 

 

 怒りは標的に対する目を濁らせ、悲しみは仕事に対する自分の身を危うくさせる。その一文を生まれた瞬間から徹底的に教育された。

 その結果として、暗殺業という因果な職業に就きながら此処まで生きて居る事。揺るぎの無いその事実が、考えの正しさを証明している。

 

 ずっとそういう風に生きて来て、これからもきっと、そういう風に生きて行くからだ。そこに疑問を挟む余地は微塵も無い。

 

 

「まあ聞いといて何だけれど、どうでも良いんだけどね。 ―――そろそろ飽きたし、殺しちゃうよ?」

 

 直後、ギタラクルの気配が明確に変化した。無軌道に垂れ流されていた戦意と殺意が一ヶ所に押し固まり、眼前の相手――サキに向けて指向性を以て放たれる。辺り一帯の空気がビリビリと震え、生有る者は皆、その場を去るか、もしくは耐えきれずに気絶するかの二択を迫られる事になる。 

 

「しまった、地雷踏んじゃった!?」

 

「…あっ、そうだった。これを言い忘れてたな。 大人しくそのプレート置いて行くなら(一応は)殺さないけど、どうする?」

 

「折角ですけれども、お断りします!!」

 

 考える素振りも見せず、ノータイムで言い放つと同時に懐から何かを取り出して勢い良く地面に叩き付ける。 直後、もうもうと立ち込める白煙。 煙に紛れ、踵を返して逃げ出すサキの背が見る見るうちに小さくなって行く。

 

(この月明かりと障害物の無いだだっ広い平原での煙幕、ねえ…。 まあ、この状況下では悪くは無い選択肢では有るか。 勝ち目が無い事を理解して、瞬時に保身に思考を切り替える。 捨て身で掛かって来るよりは断然、利口な選択だ。 ―――まあ、百歩譲ってそれは是としてあげても良いけれどもさ。 ……消し忘れているんだよねー、気配)

 

 クリードやヒソカには悪いけれど、別に見逃す義理も無いし、逝ってみようか。

 

 ギタラクル、では無くイルミ・ゾルディック。 自他共に認める超一流の暗殺者である彼にとって、この程度の煙幕や暗闇程度は障害になり得ない。 

 

 躊躇い無く、瞬時に針を抜き取ると白く細い彼女の首筋に狙いを定めて投擲した。

 

 



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24. 長い夜、短い生。(上)

 

【Ⅵ-1】

 

 

 人間なら誰しもがその身に宿している生体オーラを操る技術、念能力。 

 それを大まかに分類すると六つの系統が存在していて、俺はその内の一つ、操作系に属している。

 操作系はその名称の通り、物体や自分――つまり、何かを操作する事に長けている系統だ。例え肉体的資質や発するオーラの多寡で劣っていようとも、定めた発動条件を満たせさえすれば、そんなモノは些末な問題へと変わる。 

 

「きゃあっ!?」

 

 短い悲鳴と共に草むらに倒れ込む女。…成程、腐っても流石にクリードに師事しているというだけの事は有るか。コンマの判断でとっさに身体を捻り、割と真面目に殺す気で放った急所への一撃を避けていた。 

 まあ、例え死点を避けようと意味は無いのだけれども。定めた()()()()が放った針が刺さる。それが俺の能力の発動条件で、一切の例外も特例も存在しない。

 意識を失い昏倒した女の脳を掌握する為、掌に刺さった針へ向けて思念波を送る。 

 

(思ったよりは身体能力が高い事も分かったし、とりあえずは標的を誘き出す囮人形にでもなってもらうかな。首尾良く三点分の標的のプレート、もしくは二点分のハズレプレートをGet出来たら、この女のプレートを頂いて四次試験は無事に終了だ。 殺すのはその後でも事足りる。 最悪の場合、クリードの前に連れて行ってプレートと交換と云う手も有るしね)

 

 そんな、有り触れたつまらない事をつらつらと考えていた時だった。 …二つ、想定外の事態が発生した事に気付く。

 

 想定外の一つ目、確かに()()()()()()()()()()筈なのに彼女を操作出来ない。

 …これに関しては、操作系の能力を使う上で必ず頭に入れて置かなければならない暗黙のルールが有り、今回のケースでは俺がそれを見落としていた。 というよりは、予想出来なかった、が正しいか。

 

『操作しようとする対象が他の能力者によって先に操作されていた場合、先に操作している能力が優先される』

 

 

 想定外の二つ目、俺達――この場合、どちらかと云えば俺の方か。 遠距離、背後から狙っている第三者の存在。 漏れ出ている殺気の距離から推定すると、獲物は銃…狙撃に特化した得物。

 

 二つ目に気付くと同時、俺は【練】で身体の防御力を跳ね上げた。さして間を置かずにくぐもった銃声が一発聞こえ、続いて鈍い衝撃が左腹部を襲った。

 

 …どうやら、銃弾には【念】は籠められていない様だ。 これだけ離れた距離から狙撃ポイントを俺に気付かれる程度の杜撰な腕前とは言えども、一応万が一を考えて防御しておいた。

 が、どうやら杞憂に過ぎなかった様だ。 念の為、【凝】で注視してみるが身体に異常は無い。 

 

 それよりも、だ。 今の僅かな思考の間を突かれて、クリードの弟子にまんまと逃げられてしまった。 

 折角思いついた良い計画をつまらない茶々によって水を差された事で、言い様の無い苛立ちが俺の中で沸々と湧き上がっていた。

 

 遥か前方の草むらを猛然と逃げる女。背後から俺を狙撃し、効果が無いと分かると即撤退行動に移り始めた第三者。 ――はてさて、どちらを追うべきか。

 

「ん~。 とりあえず、よりムカついた方かな、やっぱり」

 

 

【Ⅶ-2】

 

 

 ゴン・フリークスはゼビル島の中央を流れる一本の河川、そこから少し離れた位置に有る天然の溜め池の畔で一心不乱に釣竿を振るいつつ、思考していた。

 

「やっぱり、どう考えても正攻法じゃ勝ち目無いよなあ…」

 

 策を考えようとする度にどうしても思い出す、一次試験の途中で突如として始まったヒソカ主演による狂気の殺人劇。 聞こえた二人の悲鳴。 無我夢中で駆け付けた自分。 生まれて初めて、身近に感じた死の気配。 凝縮された恐怖と興奮の感情。 途轍もなく大きく感じたクリードの背中。 何も出来なかった自分自身への歯痒さ。 

 

 思い出す。彼に急かされて二次試験の会場へ走っている途中の事を。 どうしても気になって、一度だけチラリと振り返った時に垣間見えた二人の戦い。

 

 ―――未熟な自分でも分かった。 彼らが何をしているのかは分からなくても、何をぶつけ合っているのかは理解出来てしまった。 

 

 あれは、向こう側の景色が透ける程に極限まで薄く研ぎ澄ませた、殺意という名前をした刃のぶつけ合いなのだ。 …有らん限りの力でぶつけ合って、先に刃が折れた方が負けて死ぬ、この上なくシンプルで野蛮な戦い。

 

 本当に、正しく自分とは次元が違う領域に居る二人だ。 こうしてあの光景を思い返すだけでも背筋に恐怖とも寒気とも違う、ゾクゾクとした震えが走る。

 

「…駄目だ駄目だ、弱気になっている場合じゃないや、何とかしてこの一週間の内にヒソカからプレートを奪う!! そう決めたんだから!!」

 

 陰鬱になり掛けた気分を振り払う様に大きく竿を振りかぶって、数メートル先で木の枝の先に止まって居る鳥を目掛けて思い切り投擲した。 

 釣り針が風切り音と共に奔る。 獲物を捕らえる寸前、ばさりと翼がはためいて。 数瞬前まで標的が居た空間を釣り針は虚しく通り過ぎて行った。

 

…やっぱりダメだ。 真正面から普通に仕掛けても今みたいに避けられちゃう。 

 

 ましてや相手はあの超人染みた身体能力を誇るヒソカである。たかが野生の鳥一匹相手にこの様では、一矢報いるなど到底無理なのではないだろうか。

 

 それでも何とかして攻略のヒントを掴もうと無我夢中で竿を振るっている内に、辺りはすっかり暗闇に染まっていた。 

 もう幾度目かになるのかも分からない程になる竿を構えた、その時だった。 

 川の上流から何かが此方へ向かって流れて来るのを、常人離れしたゴンの視力が目の端で捉えていた。 徐々に近づいて来る見覚えの有る銀髪、つい最近何処かで見た黒いスーツ。

 

「何か流れて来る…? うわ、人だ!! ……ってクリードさん!? 何で!? 嘘でしょ!?」

 

 ジャポンの昔話に伝わる桃の話の如く、どんぶらこっこと流されて来たのは、見間違い様も無くクリードだった。 ピクリともせずに川の流れに揉まれるその姿は、否が応にもゴンの危機感を煽った。

 

と、とりあえず、助けなきゃ! その一念でゴンは釣竿を放り投げると、勢い良く川の中へ飛び込んだ。

 

 

【Ⅵ—2】

 

 

「…これは、運が良いというべきなのかな」

 

 然程の苦も無く逃げる彼女に追い付き、苛立ちに任せて叩き潰した後で気付いた。 

 このプレート、俺の刈ろうとしていた三点分のナンバーだ。 …ついでにポケットにもう一点分。

 

 …はて、どうしようか。 図らずも、一日経たずして四次試験が終了してしまった。島中を汗まみれになって探し回る面倒は省けたけれども、代わりに暇な時間が多大に増えてしまった訳だ。

 

「う~ん、残り六日か、地味に長いなあ。 只管に寝て過ごすのも良いけれど、その前に気になった事を解決しておかないと。 …仕事とか考え事が残ったままだと安眠出来ない質だしなー、俺」

 

 目ぼしい物、あわよくばもう一点位はプレートが隠れていないかと死体の側でゴソゴソ鞄を漁る姿は、傍から見れば物盗りかそこらにしか見えないだろうな。

 一流の殺し屋を自負している俺からすれば、不本意極まりない話だ。 そんなどうでも良い事を考えつつも、漁る手は止めない。プレート出て来い。

 

 

※※※

 

 

 結局、さして目ぼしい物は見当たらなかった。

はてさて、これからどうしようか。 

 

 色々と思案しながらも、脳内でリフレインするのはやはり先程の光景だった。 あれだけ自由意思で動いている様に見えた彼女が、何者かによって操作されているという揺るぎない事実。

 

 本人の意識が生きたままの操作…となると、操作系の能力で該当するのは意識の同調操作、もしくは思考盗聴位か。それ以外なら特質系か。 それならば、ああいったケースも有り得るかな。

 …どちらにしても、本人のプライバシー等は有ってない様な物である、御愁傷様。

 

 クリード。 彼女を操作しているのが彼だとは思えないが、何らかの事情は知っているに違いない。 …万が一、あの子が何者かに操作されている事実を彼が知らないとしたら、それもそれで面白い事情が有りそうでは有る。 …上手く行けば貸しの一つ位は作れるかもしれない。

 

 そこまで考えて、漸く思い出した。 

 彼女、何時だったかに俺が殺そうとしてクリードともう一人に邪魔された、あの時の標的の子か。 …もう終わった仕事だから、すっかり忘れていた。

 ついでにクリード繋がりでヒソカの事を思い出す。 彼は今頃どうしているだろうか。…まあ、大体予想は付くけれども。

 そこまで思考した所で、タイミング良く懐がぶるぶると振動し始めた。 

 うん、流石にミルキ特製の無線機だ。電波妨害が掛けられているこの島でも特に問題なく作動しているね。

 

「…うわお、タイムリーだな。 此方から掛ける手間が省けたから良いけど」

 

 

 【Ⅶ—2】

 

 

「ありがとうゴン君、助かったよ」

 

 ずぶ濡れたシャツを脱ぎ、上半身裸で焚火に当たりながらクリードがしみじみと礼を述べる。

 

「いやホント、ビックリしたー。考え事してたらクリードさんが流されて来るんだもん」

 

 …まさか、クリードさんが誰かにやられたの? 

 

 当然の疑問を口に出すゴンの手には、何故かインスタントカメラが握られていた。ぱしゃりぱしゃりと夜の闇にフラッシュが奔る。

 極限を軽く超えた日々の弛まぬ鍛錬。それにより鍛え抜かれたクリードの肉体美がカメラに記録され、ジリジリと云う音と共に現像されて飛び出ては地面に落ちて行く。

 

「誰かというか…。 まあ、ゴン君が想像している通りの変態さんと追い掛けっこする羽目になってね。 (顔怖いし)キリが無いから海に飛び込んで逃げたらこの様さ、格好悪い所を見せてしまったね」

 

 突然始まったゴンの奇行を訝しがりながらも、クリードは質問に答える。 

 言う必要も無いので省いていたが、クリードは別に泳げない訳では無い。ヒソカが放ったバンジーガム。 先の瞬間、ヒソカとの繋がりは幻想虎徹で断ち切ったものの、身体に巻き付いたガムは処理が間に合わず、そのままだった。

 右腕以外を縛られた状態で薄暗い波間に放り出されたクリードは、それでも何とかして浮上しようと必死にもがいた。 

 が、しかし。間に合わなかった結果が先の、クリードの川流れである。

 

(Lv2の状態だと水中で使用出来ない…か。 盲点だったな、試していなかった)

 

「ま、まあ、僕の事はそれ位で良いだろう。 それより…ゴン君はプレートを取りに行かないで良いのかい? 見た所、随分と余裕そうにしているけれども」

 

 周囲に散らばった写真を拾っていたゴンが顔を上げ、困ったといわんばかりの表情でクリードを見た。

 

「全然、余裕なんかじゃ無いよ。 何とかして標的からプレートを奪う作戦を考えていたんだけれど、中々上手く浮かばなくて…」

 

 そもそも、相手がこの島の何処に居るかさえ、全く見当も付かないんだけれどもね。

 

 そう言いつつ、お手上げとばかりに両手を広げておどけて見せたゴンは写真を鞄へ仕舞い、水没した携帯電話の機能を確かめているクリードの隣に腰掛けた。

 

「ちなみに、ゴン君の標的の番号は?」

 

「…44番だよ」

 

「44番…。 よりによってヒソカだったのか。 …それはまあ、運が無いとしか言えないな」

 

 実はスーツの外ポケットにその番号が書かれたプレートが入っている事を伝えるべきか否か。 

 内心で悩んでいるクリードをさて置いて、パチパチと薪の弾ける音をBGMに長い夜が更けて行く。

 

 

 

 

おまけ ※編集の事情によりお蔵入りした24話冒頭の没案。

 

 

 積み上げて来たその自信は、川を飛び越える姿勢だったサキが畔で急ブレーキを掛けてしゃがみ込んだ事で意表を突かれ、一瞬前まで頭蓋が有った空間を無常に針が通り過ぎて行く結果に終わった事で微塵に打ち砕かれた。

 

「うわっ、土座衛門!? …ってええええ? クリードさん!? 何で!? こんな短時間で死に掛けてるの!?」

 

(どざえもん? この間ミルキが見てたアニメにそんな名前のキャラが居た様な…。ってわあ、レアな光景だ。 …割と本気で死に掛けてるね、彼)

 

「どどっど、どうしよう、お医者さ~~ん!! …って、こんな無人島に居る訳ないじゃん!! と、とりあえず心臓マッサージ…いや、人工呼吸が先!? …つ、つまり、キ、キキキ、キス…!! クリードさんとキス…!? ヤバイヤバイヤバイ、ちょっと、心の準備が…! ってそうじゃなくて、早く助けないと!!」

 

 ピクリとも動かないクリードを前に、はわはわはうはうと狼狽えるサキ。 その直ぐ真後ろでギタラクルが長針を手に構えたまま、この状況をどうしようかと思案していた。

 

(ん~、放って置いたら死んじゃうよなぁ。 ……ん? その方が都合良くないか? 最低でもこの娘と合わせて二点分になる訳だしね)

 



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25.長い夜、短い生。(中)

視点ごっちゃごちゃ。  作者、筆力の無さを痛感するの巻。


【Ⅵ—3】

 

 

「う~ん残念、またハズレか♠」

 

 踏みしめた靴底がぐじゅりと湿った音を立てる。 

 懐に小型の無線機を仕舞い込んで、誰に聞かせるでも無い独り言と共にヒソカが立ち上がった。その手の中では斑に赤が散ったプレートがクルクルと回転している。 無残に息絶えた受験者から頂戴した物だ。 

 現在、ヒソカの手元には他の参加者から頂戴した一点分のプレートが二枚のみ。 四次試験を通過するには六点分、単純に考えると残り四点分ものプレートが必要な計算である。只、今のヒソカにとっては大事の前の小事、些末な事柄に過ぎなかったが。

 

 みすみす極上の御馳走を逃した腹いせという訳でも無いが、苛立ち紛れに適当な獲物を見つけて瞬殺してみたものの、やはり根本的な解決には至っていない。 

 

 ―――こうもあっさりと死なれると、つまらないのだ。 

 

 確かに殺しは楽しいけれども、それでハイお終い、満足だ、プレートを集めよう♡ とは行かない話だった。 何故なら、今現在ヒソカが求めているのは『ソレ』では無くて、未知の強敵や能力と戦うスリルや興奮、ともすれば死の奈落へ突き落されるかもしれない、絶頂に至る事が出来る麻薬染みた快楽なのだから。

 

 満たされない不満の代わりに溜息を一つ。しゃがみ込み、視線を下げた先には死に立てほやほやの躯が鎮座している。

 断続的に躯の首筋から吹き出る赤黒い血潮。 何時の間に、何処から飛んで来たのか、それに群がる好血蝶。 

 その光景をぼんやりと眺めていると、頭に昇った血が少しずつだが冷えて来るのが分かる。

 

 ほんの少しばかり理性の柱が戻った頭の内で、ヒソカはこれからどうするかを思案し始めた。その矢先。

 

「ん?んん~~~!?」

 

 徐に立ち上がったヒソカが視線を上げて片手で丸を作り、右目に宛がう。 戦闘直後で冴え渡る彼の鋭敏な嗅覚と第六感が、遥か先の森林に存在する新たな玩具の存在を伝えていた。

 

「…面白そうな三人組、見~つけた♡」

 

 

◆◆◆

 

 

「…はいはい、じゃあ明後日の正午に島の中央辺りで待ち合わせで。 …君も大概しつこいなあ。 分かってるよ、見つけたらスグに連絡するから。 …はいはい、じゃあね」

 

 何だか知らないけれど、電話越しでやたらとハァハァ言っていたヒソカとの通話を終了する。 バックミュージックにおっさんの悲鳴が聞こえて居た様な気がするけれど、まあそれはどうでも良い事だな。

 

 通話の内容を要約すると、懲りずにクリードを追い掛け回してたら隙を突かれて自分のプレートを奪われた上に、まんまと逃げられて現在激おこプンプンです。 もしクリードを見つけたら教えてね♡という事らしい。

 今さっき逃げて行った弟子の方なら兎も角、クリードの居場所何か知らないし、どうでも良い。 何処かでばったり出会ったら、さっきの件を聞いておくかな。 精々がその程度だ。

 

 どうでも良い事を頭の中から追い出して、これからどう動くかを思案する。 点数は早々に四次試験の通過ラインに届いちゃったし、特に現時点でやっておくべき事も無い。 

 

 ―――良し、とりあえず明日まで寝るか。

 

 そうと決めたらすぐ行動。こう見えて、俺は睡眠の邪魔をされるのが一番嫌いなのだ。

ので、安眠用に穴を掘ろうと右手を地面に突き刺した瞬間だった。 またしても懐から着信を知らせる振動と音が鳴り響き始めた。

 

 何だ? 今話したばかりでまたヒソカか? 念能力と同じでしつこい奴だな。と思いかけた所で気が付いた。 この独特の高周波の音は――ゾルディック専用無線、しかも緊急時のコールサイン。 

 

 う~ん、何だろう? 親父が標的に返り討ちにされたとか? …幾ら何でもそれは無いか。 裏山が噴火したとか? それならまだ有りうるかもしれない。

 

 まあ、何にせよ通話ボタンを押して内容を聞かない事には始まらない。早く出ろとばかりにぶるぶる震えて耳障りな音を立てる無線機。その真ん中に有る星型のボタンを何時もより少し強めに押し込んだ。 俺の睡眠時間を削った罰だ。

 

 

 

 

 

 

「…うん、大体状況は分かった。当たり前だけど、居場所を見失わない様に追跡だけ宜しくね。 …はいはい、こっちも心当たりに聞いてみるから。 何か進展有ったらスグに報告宜しく」

 

 

…カルトが家出したらしい。それも、あの忌々しい金髪女の手引きで。 

 

 呑気に欠伸をしていた先程とは状況が180度変わってしまった、可及的速やかにこの島の何処かに潜んでいるクリードを探し出して事情を聞き出さなければ。

 この島の地理と、周囲を廻る海流の流れを眠気がこびり付いて来る頭の片隅から思い出し、ヒソカから聞かされたクリードが海に飛び込んだ場所を脳内でマーキングする。

そこから此処までの時間を考慮して、最終的に辿りつく場所…。

 

「駄目だ、全然分からないや。 ……勘だけで言うと、この辺りかな?」

 

 

 

【Ⅵ—4】

 

 

 薄暗闇に乾いた衝撃音が響く。 

 響いたのはクラピカさんの頬っぺた。 響かせたのは私の掌。 はっと我に返って謝罪の言葉と共に差し出した私の手。少しだけ迷う素振りを見せていたものの、クラピカさんは手を取って立ち上がってくれた。

 

 何にせよ、立ち直ってくれて良かった良かった。これでレオリオさんを入れて三人組である。 夜が明けかけているとはいえ、まだ辺りは暗いしお腹は空いたし、変態は襲ってくるし、いい加減に一人が寂しくなって来た所だったので、お供が出来たのは渡りに船なのだ。 これで何か食べる物を恵んでくれたなら百点満点なのだけれど…。

 

 

 それは丁度、此処までの四次試験、三人それぞれの状況を教え合ってほんわかした空気がそこはかとなく漂い始めた頃だった。 

 

「…という経緯で、レオリオと一緒に行動している訳だ。 甚だ不本意ではあるがな」

 

「はっ、さっきまでメソメソしてやがった癖して、偉そうにしてんじゃねーよ」

 

「何? 訂正しろレオリオ、私はメソメソ何てしていないぞ!!」

 

「こいつ、立ち直った途端にこのガキは…。バレバレの嘘こくなってのクラピカ!! ヒソカ怖いよ~~っ!! つっていじいじメソメソしてたじゃねーか」

 

「ぐぅっ!! う、五月蠅いぞ、レオリオの分際で!!」 「お? やる気か? 相手になるぞ?」

 

「あ、あはは…。 ~~~っ!? そこに隠れているの、誰?」

 

 背筋に氷柱を入れられた様な、言い様の無い寒気がいきなり私に襲いかかる。 視線を感じた先へ振り返り、私に出来る限りで速やかに警戒態勢に入った。

 

 

「―――へえ、面白い話じゃないか、是非ボクにも聞かせておくれよ♡」

 

「…ッ!!」 「ヒソカだと!? どうしてこんな所に居やがる!!」

 

何でやねん!!

 

 星の使徒に所属する前にカンサイに住んでいた――訳では無いが、心の内でそう突っ込まざるを得なかった。

 変態去って、また変態。 針男から逃げた先にピエロ男。全く面白くない、冗談にもなっていない。

 

「二人とも、直ぐに此処から逃げて下さい!! 私が時間を稼ぎます…急いで!!」

 

「おやおや、酷いなあ♠ ボクはまだ何も言っていないし、していないだろう?」

 

「生首を掴んだままで何を言っても説得力皆無ですよ!!」

 

 ここから先へは行かせない。 有らん限りの勇気を振り絞って、私は両手を力の限り、横へと伸ばした。

 

 

【Ⅶ—3】

 

 

 後ろ手に釣り竿を構え、狙いを付け、標的を目掛けて振るう。 

 

 為す術無く激流に流された先で出会ったゴン君。 彼がヒソカに一矢報いる為の特訓を再開してから、早くも半日余りが経過していた。 僕が来る前、試験が始まってから間を置かずに此処に来て振っていたらしいから、もう丸一日は竿を振り続けている訳か。

 愚直とは正にこの子の事を表す言葉だと思う。 愚かなほどに真っ直ぐ。 誓っても良いが、悪い意味では無い。受験者達がプレートを狙ってそこらをうろうろしているこの現状で、無心になって一つの事に集中していられるのは一種の才能と断言しても良い。

 

 …というか、僕がゴン君ならまずヒソカを狙わない。狙われる事は有っても狙わない。単純にリスクが高すぎるのも有るし、このそこそこに広い島の中を闇雲に動いて他の参加者に追い回される面倒の方がリスクとして大きいからだ。

 それよりは、多少の手間を掛けてでも自分のプレートを守りながら三点分のプレートを集める事を優先するだろうな。 

 

 とまあ、そんな事を考えている僕は何をしているのかというと、集中しているゴン君の邪魔をしない様に少し離れた場所に座り、疲労が溜まらない程度に薄く、それでいて最低限の範囲をカバー出来る距離の【円】を展開していた。 …今の体調と地形等を加味して、大よそ半径50m位か。 これが広いのか狭いのかは、人と比べる機会が滅多に無いのも有ってイマイチ分からない。まあ正直な話、ウチの師匠が規格外過ぎるだけの気もしないでも無い。あの人、鼻歌交じりに一km位有る【円】を自在に動かして索敵したりするからなぁ。 

 

 この間何か、偶にふらっと家を訪れてはタダ飯を喰らいに来る謎の中華風衣装を身に纏った老人(といっても上から数えた方が早いレベルの熟練の使い手)相手に、自分を中心にして球状へ変化させた【円】を張り巡らせて「流水制空k…ゴホン!!」とか良く分からない事をやっていたりしたのを調理の合間に横目で見ていた。最終的に老人の方も同じ事をやり出して大層、呆気に取られた覚えが有る。 

 下を見ればキリが無いが、上にもまた、存外に化け物が犇めいているという事か。

 

 …脱線し掛けた話を戻すが、【円】という技術は念能力の他の応用技に比べて精神的疲労が格段に激しい。 というのも、広げたオーラの内側に有る物や外から入って来る物全てを、視界という制限フィルターを通さずに強制的に脳で認識してしまうからだ。 

 いうなれば、昆虫の複眼に近いかもしれない。 当然と云えば当然だが、人間の脳は多角的に複数の情報を取り込み続ける様な無茶に耐えられる様に出来てはいないから、時間と共に加速度的に疲労が蓄積して行く訳だ。 

 平気な顔をして長丁場の戦闘にバリバリ使う前述の二人がおかしいんです、本当に種族:人間にカテゴライズして良いモノなのか迷うレベルである。

 

 誰に向けてでも無く、脳内で言い訳と解説を展開している最中、【円】の末端に近づいて来る動体が一つ。

 

(…南南西、約30m先の木の陰に人間の形が一つ。 動き方からして男、それなりに腕が立つ…か)

 

 例え一点分でも貰っておくに越した事は無い。 瞬きの間に意識を戦闘モードに切り替えると、精孔を閉じてオーラを体内へ仕舞い込む技術——【絶】を使って一瞬で気配を絶ち、師匠直伝の無音歩行術で間合いを詰める。 

 

 ―――良し、発見。 この静かな湖畔で周囲に悲鳴が響いてしまっては少々不味い。 何より、折角頑張っているゴン君の邪魔をしたくは無い。 ので、まず最優先で喉を潰し、次いで鳩尾に肘を減り込ませる。蛙の様な鳴き声を発しながら崩れ落ちた男を手早く地面に寝かせて身体を改めさせて頂く。 

 誤解の無い様に予め弁解しておくが、僕はソッチの気が有る訳では無い、これは試験を突破する為に必要不可避な事なのだ。

 

「…残念、彼も自分のプレートだけか」

 

 さながら誘蛾灯の如く、特訓中のゴン君に引き寄せられる様に近づいて来るさもしい受験者を不意打ちで締めてプレートを頂く。 無駄が無くて素敵、正しくWin-Win。これで一点分が二つ、ヒソカのプレートと合わせると三つか。 

 

 …あれ? 何時の間にやら点数が合格ラインに届いているじゃないか。 といっても、44番はゴン君の欲しがっているプレートだしなぁ。

 

 【円】を再展開しつつ、なるべくゆっくりと音を立てずに元の場所へ戻ると、ゴン君が項垂れていた。釣竿を脇に放り出して。

 僕がプレート漁りに夢中になっている内に誰かにやられたのか? と焦りつつ考えたが、見た所何処にも怪我は見られない。 

 

 とりあえず、何が有ったか話を聞いてみよう。その一心で隣に座った僕に気付いたゴン君だが、一度こっちを向いて、また項垂れてしまった。

 

 

「何か、有ったのかい?」

 

 あっ、しまった。沈黙に耐えきれず、先に話し掛けてしまったではないか。危うくタイトルを回収してしまう所だった。危ない危ない。

 

「…何て言うか、クリードさんって凄いよね。 ヒソカもそうだけどさ」

 

 その一言で僕は察した。 成程、珍しくゴン君が神妙な顔をしているとおもったらそういう事か。子供らしく無邪気に見えて、案外考えているらしい。 考え無しに動く某師匠にも見習って欲しい物である。

 

「幾ら頑張って努力しても、オレ何かじゃあ一生掛かっても追い付けないんじゃ…。 そうやって考えだしたらさ、こうやって釣竿を振っている事も全部無駄何じゃないかって思えて来ちゃって…」

 

 こういう場面に出会った時、僕は何時も躊躇してしまう。 僕では無く、()()()()()()()()()()()ならどうするべきかを考えてしまうからだ。

 師匠なら、横っ面を張り飛ばして無理やりに立ち上がらせるだろう。サキ君なら、きっと親身になって話を聞いて、一緒に解決方法を模索するだろう。

 

 では、()()()()()()()()()()()ではない、僕なら?

 

「ゴン君。 君は一つ勘違いをしているね。 …努力が無駄になる事、それ自体はこの世の中で多々有るけれども、無駄な努力何て物はこの世には存在しないんだよ」

 

「そう…なのかな?」

 

 此処まで根気良く頑張っていたし、少し位ヒントを上げても罰は当たらないかな。 

 そう考えた僕は腰を屈めてしゃがみ込むと、右手で足元の小石を一つ掴んでゴン君に投げつけた。 

 

「わっ!? いきなりどうしたのさ、クリードさん」

 

 問い掛けには答えず、もう一度。 今度は左手の石を投げつける。 

 先程と同じ位の速度と軌道で楕円を描いて飛ぶ石礫。 当然と云えば当然だが、同じ様に動いて避けようとしたゴン君。次の瞬間、その脳天に《別の》礫が鈍い音を立てて衝突した。

 

「あ痛っ~~~!?」

 

 それなりの大きさの石による、不意打ちの衝撃に堪らずに頭を押さえて蹲るゴン君。折角なので、もう一つヒントをプレゼントしておこう。 というか、今の時点で半分以上答えを教えてしまっている気がしないでも無い。 …まあ良いか。僕だし。

 

「君は何故に僕の投げた石を避けられたのか。 そして、二度目は何故に避けられなかったのか。 それがヒントだよ、良く考えてごらん」

 

「ヒント...! うん、ありがとう、クリードさん。 良し、やるぞ!! 絶対、ヒソカに一泡ふかせてやるもんね!!」

 

 頭を擦りつつ、満面の笑みで頷いてくれたゴンの顔を見て安心する。 

 …うん、これでゴン君は大丈夫だろう。少なくとも後悔しない結果で終われる筈だ。 頑張れ若人。

 

 さてさて、点数も溜まったし僕は残り六日の間、何をして過ごそうか。 

 そんな事を考えながらくるりと踵を返した僕の視界の先。 先程変態と追い掛けっこをしていた辺りの岩山付近、山峰に広がる森林から轟轟と、盛大に火柱が上がっているのが見えた。

 

 (恐らく)未だに大興奮状態のヒソカ、いきなり立ち上った火柱。 

 二つを合わせて思考する。 …猛烈に嫌な予感が過り始めた。 愉快な思い過ごしで有って欲しいが、恐らくはそうでない事も否応なしに理解出来てしまう。

 

(まさか、サキ君、ヒソカと鉢合わせてしまったのか…!?)

 

 火柱を上げているのがサキ君と決まった訳では無いが、誰かがヒソカと戦っているのはほぼ間違いないだろう。 

 こういう状況の時、()()()()()()()()()()()はどうするべきか。 決まって何時も逡巡してしまう。 助けに行くのは過保護だろうか? 助けに行かないのは非情だろうか?

 

 行くか、行かないか。 判断を下せずに迷う僕の視界の先を、迷わないゴン君が走り抜けて行った。

 

 

【Ⅵ—5】

 

 

 ヒソカは訥々と語る。

 

「ついさっきの話だよ。折角の御馳走にまんまと逃げられちゃってね♦ 猛りを鎮めようと思って、そこらを回りながら適当に鬱憤晴らしをしていたんだけれど…♠」

 

 暗闇から音も無く現れたヒソカは、右手に哀れな受験者の生首を片手に掲げ、歓喜の表情のままに三人の居る方向へずい、と近づく。

 それをさせまいと、サキがレオリオとクラピカを庇う様に一歩前へ踏み出し、ヒソカを睨みつけた。

 

「もう結構です。それ以上、口を開かないで下さい。 残念ですが、貴方何かにプレートは一枚たりとも渡さないし、お友達も傷つけさせません!!」

 

「下がるんだサキ、幾ら何でも無茶だ!!」 「そうだぜ、此処は三人で何とか…!」

 

「二人共、その気持ちは嬉しいですけれども。 酷い言い方ですが、二人に居られる方が戦いにくいんです。 …ほら、気にしなくて良いですから、私に構わず行って下さい。 

 

―――――ぼさぼさするな!! 行けッッ!!」

 

 滅多に見せないサキの怒声に衝き動かされる様にして二人が山を駆け下りて行く。

 徐々に気配が遠ざかって行くのを背中で感じながら、サキは禁止されていた【念】を使う覚悟を決めた。先程とは状況が違う。使わなければ二人が完全に逃げ切るまでの時間を稼げない。 

 

 ―――使わなければ、私は此処で死ぬ。

 

(クリードさんごめんなさい、約束破ります。 でも、これは決して自分の為じゃない。他の誰かを、友達を守る為…!) 

 

「やあっ!!」

 

 二人が十分に離れた事を確認すると、烈号の気合と共にサキの身体からオーラが噴き上がる。

 サーカスの見世物を楽しむかの様にヒュウ♪と口笛を鳴らすヒソカに構わず。間髪入れずに、勢い良く地面を踏みつけた。 

 夜明け間近、白み始めた空へ勢い良く舞い上がる森林に堆積した大量の木の葉。 次の瞬間、その全てが前触れ無しに紅炎に包まれた。

 

「へえ…中々の震脚だ♡ それで? 次はどうするのかな?」

 

「こうするんです!! ―――『超・火炎竜巻(ちょ~・ふれいむとるねーど)!!』」

 

 気合一閃、交差させた細腕から生み出されたとは思えない程に激しい突風が、宙を舞う火の粉を含みながらヒソカへと向かって吹き抜けて行った。 

 当然、それだけでは終わらない。 縦横無尽、指揮者のリードに従って風は吹き付け続ける。 一陣、二陣、十、百、千を超えて、尚も風は止まない。 万に至ろうと終わらない。

 

 ヒソカを此処で足止めする、私の後ろへは決して行かせない!!

 

 彼女の意思を反映するかのように、炎を孕んだ風の強さが加速度的に増していく。それは瞬く間に気流の渦を巻き上げながら突風から旋風へと成り替わり。 舞い散る火の粉は炎へ変貌して。やがて二つは合わさって火災旋風へと変貌を遂げ、尚もその大きさを膨れ上げながら二人の間で轟轟と音を立てる。瞬く間に、白み始めた夜の闇を盛大に打ち払う照明が出来上がった。

 

 渦を巻く橙に照らされたヒソカの唇が堪えきれない歓喜に吊り上がって行く。 

 臨戦態勢に入った今も、ビックリする程に隙だらけで有り、依然として未熟な果実で有る事には違いないが、鬱憤を晴らす玩具としては申し分無い。 

 そこそこ以上に期待出来る前菜が自ら飛び出て来たのだ、嬉しくならない方が間違っている。

 

(このイライラしたキモチを鎮める為に、誰でも良いから見つけ次第に殺さないといけないかと思っていたけれど♠ …う~ん、少しは気分が晴れそうかな♡)

 

 

 

 

『良いですかクラピカさん。 【弱いのは罪では有りません、守られるのは情けない事何かじゃ有りません。 本当に弱くて情けないのは…それらを自覚して尚、立ち上がろうとしない人間なのです】…ってまあ、ぶっちゃけちゃうと、これは師匠の師匠、つまり、大師匠の口癖何ですけれどもね』 

 

『年下の癖に叩いたり偉そうな事を言っちゃってすいません。 でも、今のクラピカさんは…昔の私みたいで、黙って見て居られなかったので』

 

 

 殿と言えば聞こえは良いが、要は体の良い囮だ、止む事の無い後悔がクラピカの胸を押し潰そうと湧き上がって来る。試験が始まってから幾度となく感じた無力感。それをまた、立ち直りかけた矢先で味わう事になろうとは。

 

「くっ…。また私は…!」

 

 抑えきれない悔しさが歯軋りと共に唇から溢れ出て来る。 

 

「自分の命も満足に守れず、挙句の果てには、ヒソカに立ち向かう事すら出来ずにサキを見捨ててのうのうと逃げているなんて…! 情けない、これではどちらが年上か分からないじゃないか…」

 

「クラピカ…お前…」

 



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26.長い夜、短い生。(下-前編)

 

【Ⅵ—6】

 

 

 意思(おもい)では、意地(きもち)だけでは、どうやっても越えられない壁がある。

 

 私は過ちの代償として『それ』を思い知り、それまでの斜に構えて他人を見下していた自分を捨てる事を決めた。ジャポンの高校生、キリサキ・キョウコはあの時に死に、代わりに星の使徒の一員、サキが生まれたのだ。…いや、生んだのは私自身か。 私自身が変わらなければ、あの人の隣に居る資格が無いと思ってしまったから。

 

 そして今。 私はまた、懲りもせずに同じ過ちを繰り返そうとしているらしいです。 場所と時間と相手こそ違えど、状況はあの時と皮肉なほどに似通っていた。

 余りにも分の悪すぎるギャンブル。 所持金()が尽きるまでに()を出す事が出来たならば私の勝ち。財布の中身を全部使って、それでも()しか出なかったならば私の負け。ゲームセットでお終いだ。

 

 

 

「はぁ…はぁ…、くっそぉ、化け物め…」

 

 渾身の思いで生み出した火災旋風はとうに消えていた。 周囲の木々に誘火させる事でヒソカを閉じ込めていた私の炎は、タイミング悪く降り出した大粒のにわか雨の所為で粗方が鎮火してしまっている。

 

 相変わらずのニヤついた表情のまま、ヒソカは動こうとしない。 

 私が手札から何を出すかを予想し、眺めて遊んでいるのだ。所謂一つの舐めプという奴である。少しでも二人が安全圏へ逃げる時間を稼ぎたいこちらとしては願ったり叶ったりなのだけれども。隠そうともしない此方を舐め切った態度を目の当たりにしてしまうと、どうしても苛立ちを隠せない。

 

 ヒソカが動く気が無い事を確認し、右手に嵌めた腕時計を見る。 …足止めを始めてから大体七分と少しか。 精根尽き果てる寸前までオーラを絞ってぶつけて、たったの七分しか稼げていない。対するあっちは息切れ一つせずに余裕で高みの見物ときた。

 

 でも仕方がない。これが現実、これが今の私の実力。覆せない、“経験”と“才能”という名称が付いた絶対の壁。

 

 それでも、死ぬ気で頑張っても一矢報いる事すら出来ないのだとしても。 こんな私にだって譲れない物は有るんだ。

 

 

「いいね、中々面白い能力だ♡ 自分のオーラに熱量を付与して発火させ、その火が触れている物体を間接的に操作している…といった所かな? だから最初に震脚で木の葉を巻き上げる必要が有った訳だ★」

 

 ぜいぜいと息を切らしている私を嘲笑うかの様に、ヒソカが笑いながら御考察を得意げに述べて下さった。 大体の部分が合っているのがまた腹立たしいったらありゃしない。

 私が答えないでいると(答えるだけの余裕が無いとも言う)、ヒソカは初めて自分から動きを見せた。無造作に一歩前に足を踏み出す。それと同時にやる気なく垂れ流しになっていた変態オーラが明らかに力強さを増したのが私の眼にもはっきりと分かった。 

 

 …来るか!?

 

 それはほんの一瞬の出来事だった。 そして、つい最近に何処かで見た覚えが有る動きだった。

 蜃気楼が霞んで消えるみたいに、目の前からヒソカが文字通り消失する。 

 次の瞬間にはあれだけ濃厚に漂っていた殺気さえも嘘みたいに感じられなくなってしまった。感じるのは生臭い血の匂い、その残り香だけ。 戦闘開始直後から脳内で喧しく鳴り続けていた警鐘が一気に最大音量へと跳ねあがる。 セオリー通り【円】で警戒を、と考えた瞬間、お腹の中心から途轍もなく重い衝撃が奔った。 

 

 ずどん。 擬音で表すならそんな感じ。 トラックに真正面から全速力で衝突された様な凄まじい衝撃だった。寸前とは言え、しっかりと【凝】でガードしている筈なのにこの重さですか。込み上げる嘔吐感、喉の奥からせり上がって来る灼熱感。耐えきれずにごふごふと咳き込んでしまう。口に添えた掌は真っ赤に染まっていた。

 

 短時間に大量のオーラを消費しすぎた事による強烈な脱力感。戦闘の連続で蓄積した疲労とダメージ。そして今の腹パン。 

 急速にブラックアウトしてゆく意識を懸命に繋ぎ止めて、私は歯を食いしばる。 

 視線を下げる。鳩尾に深く突き刺さった拳が見えた。 視線を上げる。JKに腹パンをブチかました事で愉悦の頂点に達してしまわれたのか、超至近距離で涎を垂らしながらアへ顔でニヤつく変態さん。

 

 どちらも血塗れ、煤塗れでお揃いねってか。図らずもその変態さんと熱い視線を躱し合う羽目になった私は、半ば現実逃避しながらそんなくだらない事を考えていた。

 

 いやいや、冗談じゃないってば。何が楽しくてこのドSピエロとペアルックしなけりゃならないんですか、クリードさんとならまだしも。

 

「只…残念な事に、それだけの高度で大量の念を繰り出して展開し続けるにはキミ自身のスタミナが全く足りていない♠ おまけに操作技術もまだまだ未熟で粗雑♦ 使いこなす事が出来れば良い使い手になれるかもしれないけどね♡」

 

 後何年か修業すれば良い感じに食べ頃になるとか何とか。本当、聞いてもいないのにべらべらと良く喋る変態ですことよ。人様をスーパーで売っているフルーツ扱いして下さって、大変に光栄ですねぇ。

 

 心の中で必死に毒づくも、もう十分頑張っただろう、適当に倒れて気絶した振りでもして休んでしまえばいいと頭の内側で頻りに黒い私が囁いているのが聞こえていた。

 

 いや―――まだだ、諦めるな、私。まだ、後一つだけ私は奥の手を残しているじゃないか! 

 

 危うく黒い私の誘惑に屈しそうになった所で、反対側から白い私がそう囁くのが聞こえて来る。

 

 そうだった。その言葉で私は正気に返る。ハッと思い出して見渡せば、数メートル先の茂みに私の鞄が転がっているのが見えた。 その中身に思いを馳せ、機を伺う。

 

 ...いや、待っていても駄目だ、チャンスは自分の手で作り出して見せる!! 

 

「げっほ…! そうやって…余裕ぶっこいてるから、私なんかに足元を掬われるんです…よッ!! 【陽炎(咄嗟に思いついた技なので名前はまだ無い)!!】」

 

 この時、私にとっては都合の良い事に、にわか雨が止んでくれていた。 空前の好機、仕掛けるなら今しか無い!! 地面からもわもわと立ち昇る湿気に、変態の後ろで何とか燃え尽きずに燻っている炎。それに残りのオーラをありったけ混ぜ合わせ、総動員して発動する!!

 

「へえ、器用な真似をするじゃないか♡ さしずめ、炎で出来た幻影――陽炎という奴かい?」

 

 私としては完全に虚を突いた、会心の一撃の心算だったが、ヒソカの顔に張り付いた余裕の表情は全く崩れない。振り返りもせずに裏拳の一撃で背後から飛び掛かる()()()()を打ち抜いてしまわれた。 

 無慈悲ですかこのヤロー! 剛腕で薙ぎ払われた事で形を保てずに霧散していく虚像の私。

 

 でもでも、呑気にベラベラと感想を述べてくれたお陰で隙が出来た!! これで決める、ていうか決めないと私がマズイ!! 

 

 私は可及的速やかに茂みへ飛び込んで鞄を手繰り寄せる。中身を掻き分けてお目当ての物を―――良かった、割れずにいてくれた!!

 

「こっの…超ウルトラ変態め!! これでも…喰らえええええッ!!」

 

 ありったけ、渾身の力を籠めて、鞄から小瓶を取り出してヒソカに投げつけた。瓶はゆっくりと此方へ振り返りつつあったヒソカの顔面、そのど真ん中に衝突し、破裂し、その中身―――ガソリンと灯油の混合液を盛大に…ぶちまける事無く止まってしまった。まるで顔に接着剤でも付いているかの様に。ピタリと吸い付く様にして。

 

 破裂―――しない!? 何で!?

 

 液体を浴びた瞬間に着火してやろうと思っていた矢先に起きた不可解な現象。理解が追い付かず、目を見張る私。

 

「…残念♡ 君には悪いけれど、ついさっきに同じ様な手でやられたばっかりなんだよね。 二度続けて無様にやられるほどボクは馬鹿じゃない♦」

 

 ずるり、と顔から剥がれ落ちた瓶がヒソカの腰の辺りで停止して空中を浮遊していた。咄嗟に【凝】で注視してみれば、指先から伸びたオーラが瓶にベトリと張り付いていて、その動きに従ってプラプラと揺れているではないか。

 

 …ああ~成程、そういう事ですか。あの粘着する奇妙なオーラで瓶を覆う事で衝撃を吸収して破裂する事を防いだということですか、納得です。

 

 納得するついでにもう一つ合点が行った。繰り出した炎が消えるのがやたらに早かったのもそういう訳だったのだ。恐らくだが、あのオーラを被せる事で燃焼の広がりを妨げていたのだろう。

 そこまでこの状況についての考察が終わった所で再び私の全身に衝撃が奔る。 

 流石に二度目は意識を保っていられない。 急速に灯りが消えて行く脳内。…今度はもう、立ち上がれないな。そう実感してしまうと落ちるのも早かった。

 今、自分が出せる力を出し尽くした事にある種の満足感を覚えながら、私は目を閉じる。

 

(ああ….二人は上手く逃げ切れたでしょうか。 ある程度の時間は…稼げた筈ですし、きっと大丈夫だと信じたいですね。 けれども、少し残念で……)

 

 

 

 確実にサキの意識を刈り取る為、先程よりも本気で撃った腹部への強烈な一撃。

 それによりくの字になった事で晒し出された無防備な延髄に向けて、止めの手刀を放った瞬間だった。 

 ヒソカには雑草の間を縫って此方へ転がって来る球体に見覚えが有り、それ故に動きがほんの一瞬だけ停止してしまう。

 数時間前の二の轍を踏むまいとして、そして直前にサキと交わした攻防のリプレイの如く、最速でバンジーガムを発動させるまでに一瞬、球体を包む様にすっぽりと覆い被せて虚空へ放り投げる間に更に数瞬。 後方へ飛び下がりながら耳をオーラで塞ぎ、両目を手で塞いで閃光に備え、“何も起こらない”事を訝しがるまでに数秒。 

 

 それだけ有れば、“三人”にとっては十分だった。

 

 破裂、しない!? 

 

 ゆっくりと塞いでいた手を下げる。 焼け焦げた木々の奥に、サキを抱えて斜面を駆け下りて行くレオリオとクラピカ、そして釣竿から何かを外して懐へ仕舞い込んでいる途中のゴンの後ろ姿が見えた。 左胸に手を当てる。プレートは見事に消え失せていた。

 

「…ククク、またヤられちゃったよ♡ 一体、誰の入れ知恵かな?」

 

(まあ、大方の予想はついているけれどね。 …さ~て、どちらを追い掛けようか♡)

 

 三方に別れて逃げる三人のうちの一人に狙いを定めて、陸上のクラウチングスタートの様な極端な前傾姿勢から、弾丸の如き速度でヒソカが宙を舞った。

 

 

 

 

「はっ…はぁっ…」

 

 先程登って来た場所とは少し離れているが、山道を登る時に通った雑木林が視界の前方に迫って来ていた。

 

(そろそろ安全な所まで逃げ切れたかな?) 

 

 急斜面を飛ぶ勢いで駆け下りながらそう思い、足を緩めかけた瞬間だった。後方から何かが凄まじいスピードで風を切りながら近づいて来る音をゴンの優れた聴覚が捕える。 

 

(何か…こっちに向かって来てる!?)

 

 まさか、ヒソカだろうか? 恐怖心に駆られ、堪らず振り返る。髪を逆立てた特徴的なヘアースタイル。その額の中心に握り拳大の石礫が衝突し、血飛沫と共に少年の小柄な体は宙を舞った。

 

「がっ…!!」

 

 間を置かずに現れたヒソカが、もんどりうって倒れたゴンの元へ歩み寄り、上から覗きこむ。

 

「ククク…追いついた♡」

 

「これ…彼のだろう? 成程、海水に浸かった事で破裂しなかったんだね、すっかり引っ掛かっちゃったよ♡」

 

 ヒソカが閃光手榴弾を掌の中でクルクルと回して弄ぶ。 

 その隙に何とか動こうとして、必死の形相でもがくゴン。しかし、意に反して身体はピクリとも動かない。 直撃した礫が脳を揺らした事で、一時的な脳震盪を引き起こしていたのだ。

 

「まあ、それはともかくとして、ゴン…だったかな? キミ、中々に見事な一撃だった♡ ボクの発した一瞬の殺気に自分の意を上手く紛れ込ませて、寸前まで攻撃を悟らせなかった。 …そして気配の消し方♡ これもまた素晴らしいね、野生の獣と比べても遜色ないレベル…自己流とは思えない程だよ。 

使()()()でも無いのに此処まで気配を完璧に消せる人間が居るとはねえ♦ ……ああ、そうだった。 これ、あげるよ♡」

 

 ボクから奪って見せたご褒美だ。 そう言って無造作に放り投げたプレートがゴンの顔の上に転がって、ぽとりと落ちた。

 

「キミなら恐らく、一日有れば動ける位には回復できるだろう。 じゃあね♡」

 

 さて、とりあえずの用件を済ませたし、近くに居る筈のクリードにでも会いに行こうか。 

 そんな事を考えながら、鼻歌交じりに上機嫌で立ち去ろうとしていたヒソカ。 

 

「…♠」

 

「お前のプレートなんて…必要…無い…ッ!! 今….返す…!!」

 

 時に、強い意思は肉体の限界を容易く超越する。 頭部に直撃した礫の一撃。それにより起こった脳震盪。身体を動かす為の司令塔がマヒした事で弛緩して動かない筈の身体。それをぐつぐつと煮えたぎる怒りの感情一つで無理やりに捻じ伏せ、稼働させて、ゴンがヒソカにプレートを突きつけていた。 震える指先が、ガクガクと嗤う膝が、額から流れ落ちる鮮血が、定まらぬ視点が、揺るがぬ意思の力を以て立ち向かう力へと変換されている。 

 俄には信じ難い光景だが、現実に彼はやり遂げて見せたのだ。

 

「…」

 

 ぶわりと空気が粘度を増す。 

 無言のままつかつかとヒソカが歩み寄り、無造作に右拳で殴り飛ばした。碌に動かない身体で避ける事など出る訳は無く、鈍い衝撃音と共に再びサッカーボールの様に吹き飛ぶゴン。 受け身を取る事も出来ず、背中から万年杉の大樹に叩き付けられた。

 

「御立派な心意気を見せてくれた所を申し訳無いけれども、残念ながら今の君の我儘に付き合う心算は、全く無い♦」

 

 胸を抉る様なヒソカの言葉。 ゴンに答える力は残っておらず、それでも…せめてもの抵抗として、首だけを起こしてヒソカを睨みつける。それが精一杯で、正真正銘の限界だった。

 

「…もっともっと、食べるのが惜しくなるほどに目一杯熟れてから出直しておいで。 それまでそのプレートはキミに預けておこう♠」

 

 くくく…ふふふ…。 不気味な笑い声と共に股間を摩りつつヒソカが去って行き、後には悔し涙を浮かべて空を見上げるゴンが一人残された。

 

 

「うぐッ…。 くそ…、くっそぉ…!!」

 

 

【Ⅶ—4】

 

 

「勘も案外というか、馬鹿に出来ないモノだね。 …見つけたよクリード」

 

 クリードから湿気た鎮圧用手榴弾を受け取ったゴンの姿が木々の奥へ消えてから幾ばくもしない内に、背後の暗闇から滲み出る様にしてイルミが現れた。

 クリード一人にだけ存在を気付かせる為に放たれた、微かに漂って来た気配の仄暗さと冷たさから発信者が誰なのか大方の予測は出来ていたものの、出来る事なら違っていて欲しかった。 願い叶わず小さく溜息を漏らしたクリードだが、それに構う事無くイルミは話を続ける。

 

「…イル、ギタラクルか。 僕に何の用かな?」

 

「クリード、聞きたい事が有る。 これから俺が話す事について、お前が知っている事を全て、嘘偽りなく正確に答えろ」

 

“君レベルになると色々と面倒だし、出来る事なら無理矢理吐かせる様な真似はしたくないから” 

 

 口調こそ平常時と変わらずに平坦なものの、発している気配は尋常な物では無い。

 手間を取らせるなら無理やりでも構わない。そう暗に告げる様な、昏く禍々しいオーラが全身から漲っていた。 

 三次試験で対峙した瞬間よりも更に悍ましく、さながら夕暮れの通学路で対峙したあの時の如く。

 

 

「―――――という訳で、君のお連れさんはゾルディック家を散々に荒らし回った挙句、弟を連れて見事逃走に成功したという訳だ。 …此処までで何か弁解は有るか?」

 

 抑揚の無い声でそう問われ、クリードが額を揉み解す様にぐりぐりと動かしていた真っ白い指を下げて真正面からイルミを見据えた。

 

「…ギタラクル、期待に沿えなくて済まないが、僕は何も知らない。 今聞いた話の全て、何もかもが初耳だ。それが君に言える全てだよ。 悪いが僕には何の事か分からない(というか、今の話を現実だと認識したくない)。 

 この試験を受ける前に彼女とそんな話はしなかったし、僕はあくまでサキ君の付き添いという名目でこの試験に参加したからね。 …ついでに言っておくと、今すぐ連絡を取れと言われても不可能だ。 虎の子の携帯電話は生憎と海水に浸かった所為でこの通り、おしゃかになってしまった。 今、この場ではどうやっても連絡の取りようも無い現状だよ。 …少なくとも、この四次試験が終わるまでは」

 

 クリードはダークスーツの懐から携帯電話を取り出し、罅が入った液晶画面をイルミに見せつける様にプラプラと揺らして見せた。耐水性と耐衝撃に優れた機種だった筈だが、高高度からの落下と着水の衝撃には流石に耐えられなかったらしい。

 

 感情の籠らない目でじっと見つめていたイルミ。やや有ってから、ぽつりと言葉が漏れた。

 

「―――ふうん、成程。 そういう事か、了解した。 とどのつまり、今回の件に君は一切関与していない。全てはあの金髪女の独断だという事だね?」

 

 念を押す様に問うイルミに、間を置かずに肯定で以てクリードは答える。

 

「君の話が本当なら、だけれども。 残念ながら、その通りだと言わざるを得ないな」

 

「…ふうん。 まあいいや、知らないなら仕方ない。 それじゃあクリード、取引しようか」

 

 唐突に飛び出した『取引』をいう単語に警戒心を強めるクリードだが、イルミの提案した取引の内容を聞いて、承諾せざるを得なかった。

 

“クリードは四次試験が終り次第、セフィリアに連絡を取って事の真偽を確認する事。 イルミは四次試験の間、ヒソカをクリードからそれとなく引き離す事”

 

「……成程、そういう事か。 そうだな…まあ、非は此方に有る訳だし、その程度別段構わないが...」

 

「うん、じゃあ取引は成立だね。 もし万が一四次試験の間に彼女と連絡が付いたとしても俺に報告宜しく、大至急ね」

 

 ああそうだ、これ、俺のホームコード。 無造作に紙切れを放り投げながら背を向けてすたすたと立ち去るイルミ。試験中に幾度もクリードと邂逅しているが、彼の動作は不気味なほどに全く足音がしなかった。

 そのまま何処かへ立ち去るかと思われたが、暫く歩いた所でイルミが急に立ち止まり、顔だけをクリードの方へぐりんと動かして振り返る。

 

「…まだ、何かあるのか?」

 

「もう一つ、ついでだから聞いておくけれども。 キミが連れて来ている女の子さぁ、『()()()()()』?」

 

「………」

 

 クリードは答えない。答えない事、沈黙が返答とでも言う心算なのだろうか? それは本人にしか解らない。 只、そのポーカーフェイスがほんの僅か、針の先端に満たない程微かに歪んだ瞬間をイルミは見逃していなかった。

 

「…ああ、答えづらいなら無理に答えなくていいよ? 君のその顔を見れば、どういう事かは大体想像が付いたからね」

 

“特に意味ないし、別に誰にもばらす心算は無いけれど、これで貸し一つだね。 気が向いたらその内何かで返してよ、宜しく”

 

 そうして、今度こそ本当にイルミは茂みの奥へと姿を消し、後に残されたのはクリードと静寂だけだった。

 

 

「…生きているさ。ちゃんと、自分の意思で」

 

 

 ◆◆

 

 

 暗殺業を続けていく上で絶対必須なスキルの一つ。 無尽蔵に溢れている情報の海から嘘と真実を正確に見抜き、仕事を遂行する為に必要なモノだけを拾い上げる観察眼。

 

 人間が嘘を吐く時というのは面白い物で、何気ない仕草や表情、声色、オーラ、etc…。 

 その何処かに決まって必ず、特有の仕草や癖が現れる。訓練を積めば“それ”を限りなく小さくする事は可能だが、完全に消し去る事はほぼ不可能と言っていい。それは老若男女問わず、どんな人間でも変わる事は無い。

 勿論、その時の状況によって引き出せる情報の質も量も違って来る。 

 例えば、拷問によって与えられる苦痛から逃れたい一心で吐く嘘と、何気ない会話の中に散りばめられた嘘ではそこに含まれる虚飾の色が違うし、種類も違う。

 

 話を本題に戻す。暗殺者として本格的に活動を始めてから十数年。コツコツと積み重ねて来た、その経験から云えば―――クリードは、今回の件について本当に何も知らない。 それが俺の出した答えだった。

  

 今回の様なケースの場合、少しでも何かを知っていれば、知られたくない情報を隠そうとして発する言葉の何処かに誤魔化しの単語が混じるし、表情や態度の何処かに必ず、嘘を吐く瞬間特有のぎこちなさが滲み出て来る。 

 クリードはその点で言えばかなり読み取りにくいタイプの優秀な人間では有るが、伊達に俺もゾルディックの看板を背負って仕事している訳じゃない。みすみす見逃すような何処かの間抜けと同じにして貰っては困る。

 

 推測だが、過去にも同じ様な事をかの女は繰り返し、その度にクリードが後始末に奔走していたのだろう。一見すると平常と変わらない様に見える彼の無表情。その面の皮一枚を剥がした内側に、明らかに憔悴の色が混じり始めたのがその根拠だ。

 

 “またやらかしたな” クリードは今回の件を俺から聞いた時に無意識でそう考えてしまったのだ。そして連鎖的に、自分が後始末に駆り出されるであろう、近い内に訪れる事が確定している未来をも想像してしまったに違いない。

 

 …まあ、嘘を吐いていない事以外の全ては俺の憶測に過ぎないのだけれども。 クリードの心象風景を好き勝手に想像しながら、俺は懐から通信機を取り出した。

 

『もしもし、ヒソカ? ちょっと頼みが有るんだけど…』



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27.長い夜、短い生。(下―後編)

 

【Ⅶ—5】

 

 

 イルミの気配が完全に消えたのを確認してから暫しの間。 頭を抱えて天を仰ぎ、盛大に仰け反る僕が居た。 表情筋の硬さとリアクションが薄い事に定評がある僕でも、仰け反らずには居られない理由が其処には有る。

 

「えぇ~~~!? 嘘だろ!? 質の悪い冗談だと言ってくれよ…まだ本拠地を留守にしてから一週間も経っていないんだぞ!? 一体、どれだけ無茶苦茶をやらかせば気が済むんだあの人。 もう嫌だ、勘弁してくれぇ…、もう尻拭いは嫌だぁぁぁぁ!! “DOGEZA”も嫌だぁぁぁぁあああ~~~!」

 

 そう遠くない未来、確実に来るXデー。 ほんの僅かでも助力を得る為、コミュ障の僕が必死になって信頼関係を構築して来たクロロに真正面から喧嘩を売る、人払いもしていない喫茶店で機密情報をベラベラと喋りまくる、挙句の果てにはゾルディック家の子息を言い包めて攫って来る。 

 超弩級の特大爆弾三点セット(爆破まで絶賛カウントダウン中)を150キロ越えの全力ストレートで投げつけられた気分だった。 

 これまでの地道な努力を一瞬で水泡に帰す様な理不尽極まる暴虐三昧。 更に言えば、間の悪い事に携帯電話も無線も水没して使い物にならず、現地点は公衆電話等、通信手段を望むべくも無い海上の孤島。 …駄目だ、完っ全に詰んでいる。

 

 この期に及んで漸く気付いた。これからの人生に必要なサキ君は兎も角、僕は別段欲しくも必要でも無い資格を取る為に、遠路遥々ハンター試験なんかに来るべきでは無かったのだ。

 

(いや…あの師匠の事だ、最初からこうする事を目論んでいて、その為に邪魔な僕をサキ君の保護者兼見張りという名目で遠ざけたに決まっている。 くそっ、唐突にハンター試験の話を振られた時に気付くべきだった…!! 何時にない位に、妙に熱心に進めて来るからおかしいとは思ったんだよ。何故其処で気が付かなかったんだ僕の阿呆、畜生ッ!!)

 

 幾ら地団駄を踏もうが呪詛を吐き散らそうが、三百六十度、見渡す限り全てを海に囲まれたこの孤島から出ることは出来ないし、外部と連絡を取る手段も無い。 少なくとも後六日間はどうしようもない。 

 ああ、リン君一人だけじゃなくてもう一人位は監視役を付けて置くべきだったのか。

 

 “後悔先に立たず” 以前に教わったジャポンの格言が僕の頭の中をぐるぐるとリフレインし続けていた。 せめて師匠がこれ以上の無茶をやらかさない事を祈ろう。 

 

 いや、本当に勘弁してくださいってば。

 

 不意に、山の上から冷えた風が吹き抜けた。 我に返り、ハッとして腕時計を見る。間抜け面で天を仰いで呆けている間にかなりの時間をロスしてしまっていた。

 

「……しまった! 呑気に仰け反っている場合では無かった、馬鹿か僕は。(多分ヒソカと戦っている筈の)サキ君とゴン君を援護しに行かなくては!!」

 

 逸る気を静めつつ、慌てて斜面を駆け登る。 どうか無事で居てくれ!(色んな意味で) 

 その一心で遮二無二になって登って行くと、 にわか雨で湿気た土の臭いに混じって中途半端に草木が焼け焦げた、独特の饐えた臭いが香り始めた。登って行くに連れて次第に強くなって来るそれに釣られる様に、警戒のレベルを一段階引き上げる。戦闘の気配はしないが、誰かが居た事は間違いない。 …まだこの状況を造り出した下手人が潜んでいるかもしれない。

 

 そう考えた僕は走るのを止めて【陰】で気配を殺し、瞬間的に【円】を使いながら慎重に進んで行く。 何度目かの発動時、【円】で感知出来るギリギリの範囲に人の形をした物体が立っているのが視えた。約30メートル先、この斜面を登り切って少し進んだ所か。どうやら手を耳に当てたまま、動く気配は無い様だが…。 

 耳を欹てて(そばだてて)集中すると、微かだが確かに声が聞こえて来た。僕の予想通り、誰かが話をしている様だ。 …丁度木の陰に姿が隠れていて、誰なのかが分からない。

 細心の注意を払いつつも一歩、更に近づいた時だった。にわか雨でぬかるんだ僕の足が小枝を踏みつけてしまい、パキリ、と小気味の良い音が響いてしまった。 

 …すいません、前言を撤回します。 細心の注意とは何だったのか。僕らしくなく動揺しているみたいだ。 畜生、これもそれも全部師匠の所為だ。そういう事にしておこう。

 

 物音に気付いた人影が木陰から姿を現し、ゆっくりと此方を振り返る。 

 僕は某魔法学校の入学式で帽子にクラスを選別される生徒の如く、強く願った。 ヒソカは嫌だ、ヒソカは嫌だ…!!

 

「おやクリード君、またキミか。 さっきぶりだね? 丁度良かった、君に用事が有って探していたんだよ。 わざわざ島の中を探す手間が省けて良かった。 …七日後じゃなくて七時間後になっちゃったからそちらとしては不本意かな?」

 

 ヒソカだったー! やだって言ったじゃないですかー、! やだもー、ばかー! と心の内で信じてもいない神様に理不尽な恨み節をぶつけつつも、周囲の気配を改めて探る。

 …やはり僕と彼以外には誰も居ない様だ。 しかしまあ、これが噂に聞く賢者タイムというヤツなのだろうか。数時間前に対峙した時の顔芸☆全開の彼は何処へやら、妙に落ち着き払ったその態度が逆に僕の不安を誘った。此処を訪れた筈のゴン君や、状況を見るにほぼ間違いなく彼と戦って居た筈のサキ君は何処へ行ってしまったのだろうか。 

 ネテロ会長似のおじさんの生首は煤塗れになってヒソカ氏の脇に転がっているけれども。南無阿弥陀仏。

 

 このまま黙りこくっていても仕方が無いので、とりあえず彼の話を聞いてみる事にしようと思います。 顔芸が収まっている今なら、比較的冷静に会話が出来る筈である(多分)。

 

「…用事とは?」

 

「決まってるじゃないか。 君がさっき持って行った僕のプレートを返してくれるかい? その代わりといってはなんだけど、この一点にしかならないプレートあげるからさ」

 

 彼が提示したプレート、其処に記された数字を見て僕は息を呑んだ。 406番、サキ君のプレート…だと!?

 

「そのプレートはサキ君の…! 貴様、まさか…」

 

 やはり、此処でサキ君と戦っていたのか。 

 こんな変態とバトる事になった彼女の代わりに意趣返ししてあげようと、有らん限りの敵意を籠めて睨みつけてみるものの、予想通りと言うべきか、全くと言って良い程効き目は無い様だった。

 

「怖いなあ。 安心しなよ、お友達共々殺しちゃいないから。 上手い具合にボクを煙に巻いて逃げて行っちゃってさ。 ちゃっかりプレートは盗られちゃうし、どうしたものかと途方に暮れていた所だったんだ」

 

“まあ、ボクは美味しそうな果実はジックリ熟れるまで待つ人間だからねえ” 

 

 寒気のする様な笑顔を浮かべ、舌なめずりをしながら。ヒソカ氏は先程堪能した果実の味を思い返す様に上ずった声で囁いて来る。ビックリする程気持ち悪い。

 

(対象の変態レベル、凄まじい勢いで上昇しています! …駄目です、抑えきれません!!) 僕の脳内で潔癖症のオペレーターが危険を叫んでいた。

 

「…けれど、キミが嫌だって言うのなら仕方ない。面倒だけれど、逃げた方向は分かっているからね。もう一度追い掛けて、今度こそころ…「良いだろう、但し条件を一つ追加だ。 この四次試験中はもう()()に近寄るな。 それを呑めるなら、一点分のプレートをもう一枚くれてやる」

 

 ヒソカ氏の興奮レベルがぐんぐん上昇していくのを肌で感じ取り、身の危険を感じた僕が喰い気味に返答を返してしまう。 まずい、焦りを悟られたか?

 

「……それはとても有り難い話だね。 ボクもその条件で構わないよ。 …よし、じゃあ、せ~ので投げ合いっこしようか? せーの」

 

 よし、喰い付いてくれた!! プレートを一枚失うのは痛いけど、それで残りの試験中にヒソカ氏の変態っぷりに怯えなくて良いのなら十分に大きなメリットだと言えるだろう。どうやらゴン君もサキ君も無事に生きている様だし。 …しかし、あの406番のプレート、何とかしてサキ君に帰してあげないといけないなあ。

 

 この状況でそんな事をぼんやりと考えていたのだから、僕は相当に腑抜けていたのだろう。 暫く平和な日々が続いていた所為でそうなってしまったのか。

 ゴン君と一緒に居た時に入手した一点分のプレートを掴み、投げ渡す。 あちらも同じタイミングで406番のプレートを僕に見せつけ、投げ...。

 

「おっと、手が滑っちゃった(棒読み)」

 

 うおおおい、ちょっと待てや、何してくれやがりますかこの変態賢者ァ!!

 

 僕が投げたプレートはヒソカの掌に。ヒソカが投げたプレートは僕の頭上の彼方を通り過ぎて、登って来た斜面の向こうへ飛び去って行く。 

 

「貴様…!」

 

「怖いなあ、ちょっとした冗談じゃないか。 ほら、睨んでる暇が有るなら早く取りに行かないと。 誰かに盗られちゃうかもよ?」

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

「約束した通り、この試験中に僕や彼女達の前に現れるな。 万が一にも破った場合、僕は本気で君を潰しに掛かる。 ―――良く覚えておけ」

 

 そう言い捨てて、遥か遠方へ投げ飛ばされたプレートを追いかけて急ぎ足で去って行くクリード。その背中を愛おしげに見送ってから暫しの後。

 

「…ヒソカ、もう出て来て良いよ」

 

 誰に向けて言うでも無く、()()()がそう呟いた矢先の出来事だった。ボコボコと音を立てて目の前の地面が盛り上がり、その中心からモグラ――もとい、()()()が現れたのは。

 

「珍しくイルミからボクに頼み事をして来たから何かと思ったら、成程成程、そういう事か♦」

 

 身体にこびり付いた土を払い落としつつヒソカが呟く。 その手には身に着けていた上着が握られている。

 

「戦いたがっている所を悪いねヒソカ。でもアイツにはなるべく早くお家に帰って貰わないと困るんだよ、家の方が割と面倒な事になっちゃっててさー」

 

 今、この場だけを切り取って見ればヒソカがヒソカに話しかけている異様な光景にしか見えないだろう。但し、二人の着ている服は異なっていたが。

 

「ほんの少しは気持ち良く戦えたし、別に構わないよ。 ボク好みに美味しくなりそうな果実も味見出来たしね。それに…どうせまた彼とは直ぐに出会えるだろうから♡」

 

 キミも占ってあげようか? これでも僕の予言、結構当たるんだよ。 

 

 服を脱ぎ捨てたヒソカは下着の類を履いておらず、一糸纏わぬ全裸だった。 その姿のまま、淀みない手つきでトランプをシャッフルするヒソカ。それを一瞥したもう一人のヒソカは投げ捨てられた服を拾い、身に纏いながら冷徹な口調でぽつぽつと語る。

 

「折角の提案を断って悪いけれど、俺は占いの類は全く信用しない質だから。 殺し屋は確実な物しか信用しない。当たり前の事だけど、大事な事だから覚えておいてね」

 

 ほうと溜息を一つ吐いて、着替えの完了したヒソカの顔をした内の一人が徐に自分の首裏、延髄に深く突き立った針を抜き取った。直後、変化は直に現れる。

 

 異様極まる光景だった。まるでアメーバや軟体動物を思わせる様にぐにゅぐにゅと顔全体が蠢き、律動する。 髪が逆立ち、波打ちながら風に吹かれるでも無しに舞い踊る。

 

「う~ん、何度見ても面白い♡」

 

「そうかい? まあ、面白い面白くないは個人の主観だから置いとくとして。 やっている方は結構キツイんだよねー、これ」

 

 やがて顔の変化が収まっていくと共に髪の色が黒く染まって行き―――ヒソカの内の一人が稀代の暗殺一家の長男、イルミ・ゾルディックへとその姿を変えた。 イルミは穴の中から大小様々な形状の針を取り出しては、身体の至る所に無造作に突き刺して行く。

 

「…さて、とりあえずの用は済んだしリミットまで俺は寝るよ。 ヒソカはどうするんだい?」

 

「う~ん、そうだね…クリードに貰ったのを数に入れても、プレートを後一点分見つけないといけないかなあ♡」

 

 再度顔をギタラクルへと変化させ終えたイルミは、つい先程ヒソカが出て来た穴の中へ無造作に入って行った。 

 

「後六日有るし、キミなら問題無いだろうけれども。 まあ、頑張ってね」

 

 見る間に周囲の土がイルミを埋め立てて行き――やがて、土が盛り上がった僅かな痕跡を残して穴は完全に塞がってしまった。

 

 

 

 今年の試験は退屈を持て余す事が少なくて実に良い。 

 

 熟練の使い手であるヒソカの眼から見ても、稀に見る程に良質の粒が揃っていた。初々しい蒼い果実の数々。 

 ヒソカは熟れきった『それら』を舌の上で転がす瞬間を想像し、勃ち上がった分身を撫で摩りながら悦に浸っていた。

 

「星の使徒…か♡」

 

 全裸の奇術師の楽し気な呟きは傍に転がっている生首の他には誰に聞かれる事も無く、静かに朝日に混じり、溶けて消えて行った。

 

 

【Ⅷ】

 

 

 試験開始から五日目の早朝。

 

「えーと…、『済まないゴン君、どうやら外せない野暮用が出来てしまった様だ。 …そうだな、もしもこの先にサキ君が居たら、伝言をお願いしても構わないかい? 『助けに行けなくて済まない。けれども、今の君なら僕の手を借りなくても窮地を乗り越えられる筈だ、健闘を祈る。とね』って言われた、かな…」

 

「ちょ…何ですかそれー!! クリードさんのいじわる―!! 鬼畜イケメン!!」

 

 偶然の助けを借りて、再度合流する事になったゴンからクリードとの顛末を聞いたサキだったが、大仰な仕草で地面に崩れ落ちたかと思いきや膝を抱えて座り込み、しくしくと泣き出してしまった。

 その横で優しい言葉を掛け続けるゴン。 更にその後ろでは、この混沌とした場をどう納めれば良いのか分からずにクラピカとレオリオの年上組二人が狼狽えていた。

 

(私が本当に危なくなったら絶対、助けに来てくれるって約束してたのに!! クリードさんの嘘つき…)

 

 

 

 同日の昼過ぎ。 

 

 

「…有った!! 取りましたよーー!!」

 

 釣竿による後頭部への一撃を受けて昏倒した男を見下ろして、鬱状態から復活したサキが入手したプレートを得意げに掲げて見せた。

 

 「おめでとう! ナイスな演技だったよサキさん!! 一本釣り作戦、大成功!!」

 

 駆け寄って来たゴンとハイタッチを交わして、手に入れたプレートを鞄へ仕舞い込む。

 

「一点分だけど、これで私のプレートと合わせて六点分集まりましたね。 クラピカさんとゴン君は既に六点分有るから、後はレオリオさんの標的を見つけるだけですね!!」

 

 自分が合格ラインに達した事でサキの口調は明るかった。が、その反面で未だに点数が足りていないレオリオ、そして未熟さを何度も痛感する事になったクラピカ。二人の表情には焦りと落胆の色が濃く滲んでいた。

 

「うむ、その通りだな。…だが、余りに情報が足りなさすぎる。容姿はおろか、所在すら分からない。レオリオの標的としているプレートの番号が246番ということ以外に手掛かりの一つも無しでは…」

 

「クラピカが持ってた余りのプレートを足しても、後…えーと……」

 

「後二点分だ、ゴン。 この二日で出会ったのは今の奴と、既にプレートを失ったおっさん一人だけだからな…。集めたプレートを盗られる事を警戒してやがるのか、全く姿が見えねぇし、どうしたもんか…」

 

 試験終了まで残り二日。 徐々に絶望感が四人を覆い始めていた。

 

「クソ、こんな時にクリードの奴が居ればなぁ…」

 

「・・・・・」

 

「あっ、おいレオリオ!! この馬鹿者が!!」

 

「あ~あ。 振り出しに戻る、だね」

 

 落ち込むサキ。 励ますゴン。 狼狽える大人二人。 この後幾度も繰り返される事になる光景だった。

 

 

【Ⅸ】

 

 

 四次試験開始から七日が過ぎて、 詰まる所の四次試験最終日。 快晴の砂浜に心地良い潮風が吹いている。

 

「あっ、クリードさん!!」

 

 砂浜から少し離れた場所に有る木陰で瞑想していたクリードが瞠目し、声の主であるゴンを見た。

 

「おや、ゴン君か。 此処に来たということは、どうやら無事にプレートは集められたみたいだね」

 

 頑張ったじゃないか。 わしわしと頭を撫で回されて嬉しそうにしながらも、ゴンの顔には隠しきれない疲労と憂いの色が滲んでいる。

 

「うん、オレの方は何とか。 まあ、ヒソカにはでっかい借りが出来ちゃったけどね…。 後…レオリオのプレートが一点分足りなくて、此処に来たら誰かしら居ないかと思って…」

 

「そうか、成程。 今の君の言葉で大体の状況は分かった。 ヒソカについて言えば、君が気落ちする必要は無い。借りなら何時か返す機会が有るだろうからね。 その時が来たら、思いっきり熨斗を付けてやると良いさ。 

 …それよりも、だ。 ゴン君、レオリオ君にこれを渡してあげなさい」 

 

 言うが早いか、クリードが懐からプレートを一枚取り出してゴンの手に握らせる。

 

「えっ、これって…! クリードさん、良いの?」

 

「その為に真っ先に駆け寄って来たのだろう? 生憎だが、僕はそれを除いてもまだ七点分有るからね。話を聞く限り、サキ君もクラピカ君も無事に点数を集められたのだろう? それを譲った所で別段問題は無いよ」

 

「やった、ありがとうクリードさん!! あー良かった~~。これで皆揃って合格出来るぞ!!」

 

 自己を顧みる事無く、損得の勘定無しに純粋に友達を思いやる事が出来るゴン。純粋に育った彼を見てクリードは思う。

 あの“変態”も、こんな風に心優しい少年だった時代が有ったのだろうに、どうしてああも捻くれてしまったのだろうか、と。

 

「ん。 …それで、一つ経験豊富な君を見込んで意見を聞きたいのだが、『あれ』を一体どうすれば良いと思う?」

 

 クリードが視線を向けた先――ぷくっと頬を膨らませながら腰に手を当てて仁王立ちし、此方を睨むサキが居た。

 

「あっちゃー、怒ってる怒ってる。 すっごく分かり易く怒ってるなあ、サキさん」

 

「まあ、聞いておいて何だが、彼女が怒っている原因は僕にも想像が付いているさ。 とはいえ、だ。 あの状態の彼女とどう接すれば良いものか。 あの時助けに行けなかったのは確かに僕が悪かったと思っているが、それには色々と止むを得ない事情が有ったのだけれどもね。 …はぁ、困ったものだよ」

 

 う~ん…とゴンが手を組んだまま唸る事暫し。 一際強く、潮が打ち寄せた瞬間だった。

 

「思い出した!! あんな風に女の子を怒らせちゃった時に使えるヤツ!!」

 

 くじら島で漁師のおじさんに教えてもらったんだ。 そう言いながらクリードに近づき、耳打ちするゴンの顔はやけに輝いて見えた。

 

「―――ふむ、成程。 試してみる価値は有るな」

 

 

 

「サキ君…まだ怒っているのかい? いい加減に許してくれないか?」

 

 此方に近づいて来るクリードを睨みつけ、サキが拒絶の言葉を放つ。

 

「…約束、守ってくれなかったじゃないですか。 嘘つきのクリードさん何て知らな―――!?」

 

 有無を言わさずカウンターで放たれたそれは、イケメンにのみ許されし究極秘奥義―――“壁ドン” そして間髪入れずの“顎クイ”!! 至近距離で喰らった相手は必ず死ぬとも噂される禁断の秘技だった!!

 

「分かっているさ、僕が全面的に悪かった。 だからこそ言わせてくれ…! サキ君…いや、サキ! もう一度僕にチャンスをくれないか?」

 

 歯の浮くような台詞と共にクリードの整った顔がぐいと近づく。

 

「し…しょうがないですねえ!! ククク、クリードさんがそこまでいいい、言うのなら許してあげなくも無いというか有りというか…」

 

 顔を真っ赤に染めてもにょもにょと呟くサキ。 挨拶代わりのボディーブローでグラついた精神に向けて、容赦なく止めの一撃が放たれる!!

 

「僕を許してくれるのかい? ありがとうサキ君、君のそういう(扱い易い)所…愛しているよ」

 

 息が吹きかかる程、超至近距離から耳元で囁かれた愛の言葉。抗う術も無く、サキは膝から砂浜へと崩れ落ちた。

 

「あ、あい、ai、愛して…!? ふにゃあぁぁぁぁ、もうらめええぇぇぇ、ゆるしましゅうぅぅぅ…….!! あっ! くくく、クリードさん、わ、私も愛してますからッ!!」

 

「ああ、そうだね…ありがとう」

 

 尚、当のクリードの視線はこれで良かったのかを確認する為にゴンの方へ向いていて、サキの告白染みた言葉は耳に入っていなかった事を記しておく。

 

「ねえキルア! 今の見た? 完璧な壁ドンからの顎クイのコンボだったよね!? しかも教えてないのに“耳つぶ”までやっちゃうなんて!! 流石クリードさんだ、やるなぁ…」

 

 作戦の成功を無邪気にはしゃぐゴンと対照的に、こういった光景に耐性の無いキルア少年には少々刺激が強すぎた様で、耳まで真っ赤に染めて俯いてしまっていた。

 

(あ…あれが大人…!! あんなこっ恥ずかしい事を素面で平然とやってのけやがるのが大人…!!)

 

「っていうかゴン!! お前…まさか、ああいうヤツ、やった事有んのか?」

 

「ん? あるよ? …って言ってもまあ、くじら島にはノウコっていうちっちゃい女の子一人しか居ないから、やったって言えるかは微妙なんだけれどね」

 

(こ、こいつも大人だった…!?)

 

 

 茶番劇が繰り広げられてから数時間後が経過して時刻は正午。 

 島全体に設置されたスピーカーから試験の終了を告げる間延びした女性のアナウンスが響き渡る。それを皮切りに、砂浜に受験者達がぽつぽつと姿を現し始めた。

 

 

 合格ラインに達するだけのプレートを集め終えた数少ない受験者達が列を作り、アナウンスを放送していた女性にプレートを見せては船へと乗り込んで行く。それをぼんやりと僕は列の後方からぼんやりと眺めていた。

 何と云うか、四次試験の間だけで色々有りすぎて疲れきっていた。早く試験を終わらせて本拠地へ帰りたい。…まあ、帰った所でまた謝罪行脚なんですけれどもね。 

 

 ああ辛い、現実が辛すぎる。癒しが欲しいと切実に思う今日この頃。 星の使徒:名誉社畜員ことクリードがお送りしました。

 

 くだらない事をかんがえつつ、ぼんやりしたまま僕は懐からプレートを取り出した。お姉さんに見せ付けて船へと繋がるデッキへ歩いて行く。

 

「あの~、すいません。 そこのクソリア充…じゃなかった、46番の貴方。点数が足りませんよ~?」

 

「…は?」

 

 言われたのは僕なのか? 点数が足りない? 馬鹿な、そんな筈は無い。確かに三点分の自分のプレート+一点分のプレート一枚+サキ君のプレート(三点分)で十二分に合格点は満たしていた筈だ。 慌ててお姉さんに渡したプレートを確認する。

 

 ―――俗な表現だが、その時、僕は自らの眼に映る光景を疑わざるを得なかった。 

 

 一気に目が覚めた。 おかしい、無い、足りない。 そんな馬鹿な。 何時の間にか後生大事に持っていた三点分――サキ君の番号を記したプレートが消えて、代わりに知らない受験者の番号が記されたプレートが増えていた。 馬鹿な、こんな番号のプレートは入手した覚えが無い。

 

「なん…だと…!?」 

 

「あなたのプレート三点分に、一点分のプレート二枚…後一点足りませんよ~、他にプレートを持って居ないなら、真に残念ではありますが46番さんは不合格ですね~。 ざまあリアj...とっとと船から降りてくださーい」

 

「…ほ、他の人から譲り受けるのは?」

 

「さっきアナウンスで言った様に、もうプレートの交換や譲渡は出来ませんよ~」

 

「で、では、この場で一点分を手に入れるのは可能だろうか?」

 

「だから~、もう無理ですってば。 お姉さん、イケメンでもしつこい人は嫌いですよ~。 は~い、数も数えられないお馬鹿さんはとっとと降りて下さいね~~ほら、つべこべ言わずにとっとと降りろ~」

 

 お姉さんにぐいぐいと背中を押されて半ば無理やりに船から砂浜に降ろされる。 未だ状況を飲み込めず呆然とする僕を置き去りに、あっという間に船は水平線の彼方に消えて行った。

 

「不合格者さんを乗せる迎えの船は大体一時間後に来る予定で~す。 それでは、長丁場の試験お疲れ様でした、気を落とさずに来年頑張ってくださいね~」

 

 

 

「ど、どうしてこうなった…!?」

 

 砂浜に打ち寄せる波が、立ち尽くす僕の足元を容赦無くざぶざぶと濡らしていた。

 

 

 

 受験番号46 クリード・ディスケンス、四次試験にて脱落す。

 

 

 

 

 

(ククク…。やっぱり便利、僕のドッキリテクスチャー♡)




…あ、最終試験はちゃんと書きますので。


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28.エクスプロージョン・マイハウス

 

『クリード君。先日私が貴方に言った事をちゃんと覚えていますか?』

 

『…ええ、それで合っていますよ。覚えているなら宜しい。くれぐれも試験に夢中になって貴方がやるべき事を失念してしまわぬ様に。 

 

それに加えてもう一つだけ。今から私の言う事を、良く覚えておきなさい。 良いですか? 一度しか言いませんよ?』

 

『――そうです。私達や、星の使徒のメンバーの様な存在がこの世界に存在しているという事が、既に有り得てはいけない事なのですから…』

 

『私が今列挙した人名は、いずれ必ずこの世界を廻す鍵となる人物達なのです。 それが良い意味でも、悪い意味でも』

 

『絶対に殺す、もしくは再起不能になる様な傷を負わせてはなりません。 ―――ええ、例え貴方やサキ、私の身にどんな事が起きたとしてもです』

 

『えっ? 三年前にノストラード組のボスを殺して組織を乗っ取る様に指令を出したのは誰だったかですって? ………。 あー! あー! 何だか急にスイーツが食べたくなって来ました!! これはいけません、一刻も早く食べないと糖分欠乏症で死んでしまいます。 …という訳でクリード君、後は任せました! 試験頑張る様に!! サキの事をキチンと守護る(まも)事!! では…アデュー!!』

 

 

 

 

 四次試験の終了間際。 一体何が起こったのか全く訳が分からないままに不合格の判定を頂戴し、無人の砂浜にたった一人で置いてけぼりにされてから既に丸一日が経過していた。 

 正しく理不尽と不可解の極みだった。今現在に至るまで、帰路を辿りながら何度も振り返ってみたものの、未だ納得の行く答えは未だに得られていない。試験中に接触した人間と状況証拠からして、限りなくクロに近くて怪しいのは変態☆奇術師ことヒソカ氏、時点でイルミだろう。 

 だがしかし、彼らの何方かがやったのだとしても、()()を明確に提示できる証拠など僕は持ち合わせていなかった。

 まあ、剰え証拠が有ったとしても自分からあの変態’sに話しかけに行く気は毛頭ない。もう変態成分は胃もたれを通り越して潰瘍になる程たっぷり味わったので結構です。

 

 修業時代なら兎も角、残念ながら今の僕には立場が有る。やらなければならない事が山積みになっている今、何時までも変態に構っている暇は無いし、失意に沈んでいる悠長な時間なんて優しい物も存在しない。 

 元々試験はサキ君の付き添いで受けた様な物だし、要は彼女さえ無事に合格すれば問題無い話だろう。きっとそうだ。 …受かるよね?  

 

 という訳で、僕は星の使徒の本拠地及び自宅が在る某国の田舎町まで、色々な意味で鉛の様に重い足を引き摺る様にして一直線に戻って来ていた。繁華街を通り過ぎて暫く道なりに歩いた先に見えるあの赤い屋根こそ、かつて天空闘技場でヒソカさんに怯えながら稼いだ金の大半を注ぎ込んで建てた庭付き一戸建ての我が家だ。

 

 師匠から引き継いだ秘密組織【星の使徒】

 その運営資金に大半を注ぎこんだ残りの賞金、〇千万ジェニー。 後生大事に持っていても何れ師匠に勝手に使われるのは想像に難くない。ならば使われる前にとっとと使い切ってしまえ、とこっそりひっそり購入した我が家…の筈なのだが、恐らく今は某干物お姉さんの私物や洗い物etc…が山盛りに積み上がってゴミ屋敷と化しているのだろう。

 

 とっくの昔に気が付いていた事だが、この世界には神も仏も居やしないらしい。全く以て世知辛い事この上ないです。

 

 本当、家事や雑務の諸々全てを僕に投げっぱなすなら、せめて掃除くらいはやってくれたら良いのに。そう思いかけて僕はぶんぶんと首を振る。 

 駄目だ駄目だ、あの人は剣と戦闘以外の事をやらせると絶望的に不器用な人だった。  庭の草むしりにクライストを持ち出そうとした師匠の素敵な笑顔を思い出してしまい、タダでさえ憂鬱な気分が更に加速する。 

 “剣気を飛ばして雑草ごと土を掘り起こそうと思ったのです。 ついでに魔〇剣の練習も出来て一石二鳥じゃないですか”とか何とか、一ミリも意味の分からない言い訳をしていたあの時の師匠。…大体魔人〇って何ですか、魔物みたいな人が使う剣術って意味なら文字通りで正しいのだろうけれど。 

 

 理解不能な奇行と唐突に吹っ掛けられる無理難題に慣れて来た最近でも、瞑想しているのかと思いきや、“アセリア”がどうとか“ダオスを倒す(だおす)”とかブツブツ独り言を呟いているのをよく見かけるし。

 本当に大丈夫なのだろうかあの人、もとい魔人師匠。クライストの振りすぎで脳味噌まで筋肉に染まっていやしないか? 

 

 色々と溜まった鬱憤を少しでも外へ吐き出そうとして、じっとりと広がった曇天に向けてほうと溜息を吐いてみた。寒気に冷えた身体がぶるりと身震いを起こし、吐息が白く煙って溶けて行く。陽が落ち始めてから一気に気温が下がった様な気がする。 …この寒さだと今夜辺りに雪が降るかもしれないな。 

 

 行き交う人の波に逆らいながらぼんやりと歩く僕。すれ違う人達が時折此方に向けて来る視線に哀れみの感情が混じっている様に感じるのは、きっと気のせいでは無い。 

 

 ええ、ええ。こう見えても苦労しているんですよ、歳の割には。

 

 胸の内に蔓延るもやもやは消えない。現実逃避代わりの思考も止まらない。それでもやらなければならない。

 世界を壊すのに必要な三つの“鍵”の内、既に二つが彼の元に有る事が判明している。師匠曰く、もう一つは最高レベルで安全な場所で厳重に保管されているらしい。

 だが、だといって何もせずにいて良い訳が無い。この期に及んで彼が最後の鍵を揃えるのを諦めるとも思えないし。

 

 こんな、理不尽と不合理が蔓延っている世界でも、僕は結構気に入ってたりするんだ。 

 だから守ってみせる。例え誰にもそれを認知して貰えないのだとしても。誰一人として理解してくれないのだとしても。 

 万が一が起こってしまった時、『僕達』がやらなければ本当の意味でこの世界が地獄と化してしまうだろうから。

 

 我が家が目視できる位置に入った所で立ち止まり、頬を一度叩いて気を引き締める。試験は不本意な結果に終わってしまったが、寧ろここからが本番だとも言えるだろう。

 

 《絶対に、この世界の運命の流れを変えてはいけません。そして、変えさせてはいけないのです…!》

 

 何時になく真面目な顔をした、あの時の師匠の言葉が脳内をリフレインしていた。 

 僕はてっきり『彼』の事を言っているのだとばかり思っていたが、師匠の口ぶりからするとまだ他にも同じ事を考えている存在が居るのかもしれない。それこそ、僕達の様なイレギュラーな存在が集まった集団が。 

 …まあ、変な所で心配性な師匠の事だから、無駄に深く捻って考えすぎているだけな気がするけれども。 

 

 そして今回、試験中に最優先で達成する様に念を押された任務について。 

 結局の所、今年のハンター試験受験者の中には星の使徒、もしくはクロノナンバーズ及び、【黒猫】の関係者と思わしき人物、転生者は見つからなかった。 

もしかしたら混じっていたのかもしれないが、受験者の殆どは一次試験でヒソカさんに味見と称した試験官ごっこ(退屈しのぎ)で一掃されてしまったからなぁ。 

 どんな仄暗い野望を抱いていたとしても、死んでしまったらお終いだ、その後も先も有りはしない。 

 

 

 死人は生き返らない、生き返ってはいけない。未知と不可思議が蔓延しているこの世界でも変わる事の無い絶対の法だ。

 

 ついでだ、関係が有る様でもしかしたら無いかもしれない話をもう一つだけ聞いて欲しい。

 

 師匠曰く、この世界は“ブラックキャット”の世界では無くて“ハンターハンター”という漫画の世界らしい。

 らしい、と前置きで述べたのは、十二歳でクリード・ディスケンスと思わしき人間の記憶が蘇ってから、三年前に勃発したサキ君に関連する一連の事件が終わるまでの間。それを全く疑いもしなかったからだ。何なら今でも半信半疑であるとも言える。

 この世界の齟齬に全く気が付かなかった僕は馬鹿だったのだろうか。 いや、馬鹿ではない(反語)。普通の人間はそんな考えを持つ所か、考えすらしないからだ。

 

 というか、だ。そもそもの話、『ハンターハンター』という漫画を僕は知らない。 他の星の使徒のメンバーに聞いてみても誰も知らないというのだから、本当に存在しているのか疑わしい物である。  

 もしかして、それって師匠の妄想なんじゃないですかね? それをうっかり口に出したら最後、修行と冠した拷問紛いの折檻を受ける事は確実なので、絶対に本人の目の前で言う事は無いけれども、僕は内心でそう考えている。

 

 万が一、『それ』が真実だとするならば。僕達は漫画の世界に違う漫画のキャラクターとして生まれて、そのキャラクターの武器を手に、こうして生きている事になる。この如何ともし難い矛盾を、師匠はどう説明するというのだろうか。

 

 そこまで考えた所で、僕は一つ大きな失敗をしていた事に気が付いた。

 クリードさん(本人)に聞いてみれば良かったじゃないか。折角(夢の中とはいっても)会う機会が有ったのに、戦ってやられてハイお終いとは。あの時の僕は戦闘直後だったり、イルミに絡まれたりして頭に血が上っていたとはいえ、色々と勿体ない事をした様な…。

 

 いやもう全く、辻褄が合わない事だらけで嫌になる。試験は落ちるし、やたらに寒いし周囲の皆さんの視線は痛いし、ヒソカさんはブレずに変態☆奇術師だったし、師匠は相も変わらず師匠だし寒いし。 

 

 …筋肉モリモリマッチョウーメンなお婆さんが後ろから尾行して来ているし。

 

 曲がり角を利用してカーブミラーで姿を確認する。大変に失礼だが、どう見ても、明らかに堅気には見えない。

 「オアッッ!!」とか叫びながら服を気合だけで引き千切りそうな気配がムンムン漂っていらっしゃられる謎のお婆さん。一体、僕が彼女?に何をしたというのだろうか。謂れの無い理不尽がまた一つ増えてしまった。

 何かもう、尾行っていうか普通に僕の後ろ数メートルの距離を維持したまま、ピッタリくっ付いて歩いて来ているんですけれど…。 

 

 ああ…成程、行き交う人達が僕に向けていた意味ありげな視線の理由はそういう事だったのか。

 

 一つ納得が行った所で、この意味不明な状況が変わる訳では無かった。

 この後の事、後ろから付いて来る明らかに堅気じゃない方の事。対応策を考えてはみるものの、碌な案が浮かんで来ない。

 そうこうしている内にいつの間にやら自宅前へ到着してしまった。 

 門の真横にデカデカと張り付けられた表札には、師匠の直筆で《ホシノ・アークス》と記されている。 …我が家とは何だったのか。(一回目)

 

 

 はてさて、これからどう動いて行こう。 一先ず師匠に試験と任務の報告を済ませて、それから大掃除か。それが終わったら携帯を修理に出して、星の使徒のメンバーと連絡を取って。 

 ああ、ノストラード組(仮)に派遣している三人とも現状の確認と今後の動きの打ち合わせをしておかなくてはいけないか。 一週間以上も放置していたからさぞかし面倒な案件が溜まっている事だろう。後ろのお婆さんは…どうせ喰っちゃ寝三昧で暇を持て余しているだろう師匠に押し付けよう、そうしよう。確か、太ったとかダイエットしたいとかメールに書いて有ったし一石二鳥じゃないか。

 

 そこそこの良案が浮かんだ所でいざ動かん。 …良し、行くか(逝くか)。 

 頭の中でこれからどう動くかをもう一度シミュレーションし、家の惨状を直視する覚悟を決めてインターホンを鳴らす。 

 頼む、リン君かエキドナ君が応対してくれ!! 師匠の場合、機嫌の如何によっては最悪中に入れて貰えないかもしれないからな。 …我が家とは何だったのか。(二回目)

 

「…クリード・ディスケンスです。只今試験より帰還しました」

 

『あっ、父様だ! お帰りなさい!!』

 

 良くてリン君、最悪で師匠。そんな僕の予想を大きく裏切って、インターホンの向こうから聞こえて来たのは声変わり前特有の甲高い子供の声だった。 

 …えっ、ちょっと待って待って。 子供? 父様? WHY? 星の使徒のメンバーにそんな年の若い子は居ない筈だが。一番若いサキ君でも18歳なのに、そんな馬鹿な。

  

 まさか、家を間違えたのか? でも今、僕の事を父様って呼んでいたような。 

 慌てて門まで駆け戻って表札を再度確認するも、やはりこの無駄に達筆な表札は師匠の字で間違い無い。

 

 早速勃発した予想外の事態。訳が分からず頭を捻っている内に玄関の施錠が解除され、奥から赤いスリッパを履いた見知らぬ子供がとてとてと()()()()()()駆け寄って来る。 

 黒い髪に真っ直ぐ切り揃えたおかっぱ、切れ長の瞳。身に纏っている黒を基調としたこの独特の服は確か…ジャポンの伝統衣装、“ワフク”だったか? 偶に師匠が真面目モードの時に着用しているのを見た事は有るけれど、この位の歳の子供が着ているのを見たのは初めてだった。

 

「父様? どうかなさいましたか?」

 

 こてん、と可愛らしく小首を傾げた謎の子供。 

 今、この子は確かに“父様”と僕の事を呼んだよね? やっぱり、愉快な気の所為では無かったらしいですよ。

 

「…た、ただいま?」

 

「何故? なのか分からないですけれど、お帰りなさい父様。 ハンター試験お疲れさまでした。 母様も帰って来るのを心待ちにしていましたよ?」

 

「え、ええと、母様って一体誰なのかなー? あー…、もしかしてだが。ししょ…セフィリア・アークスという名前の人だったりするかい?」

 

「…父様、それは酷いです。 まさか、母様の事をお忘れになったのですか? 例え冗談でも言って良い事と悪い事が有ります!」

 

 上目使い+ジト目で僕を睨んで来る謎の子供。この一連の動作に擬音を付けるなら、“ぷんぷん!”という感じだろうか。

 予想外の事態の連続攻撃に硬直してしまい、反応を返せない僕をじれったく思ったのかは不明だが、上記のコンボに追加して頬を膨らませながら可愛らしく怒るその頭を優しく撫でて、よっこらせいと抱き上げる。

 

 その華奢な身体を持ち上げた瞬間、流石の僕も困惑…もとい、ドン引きせざるを得なかった。

 

 うわあ…やばいよ、やばいですよこの子。身体から香って来る血の匂いが尋常では無い。流石にあのヒソカさんやイルミと比べるのは酷だが、それでも無視できない濃厚さで臭って来るんですけれど…。

 染み付いた血の臭いといい、さりげなく最速で関節を取れる様な抱き着き方といい、絶対カタギじゃないよねこの子。 

 …そういえば、動作の一挙動や歩く時に物音を立てないって、つい最近何処かで何度も見かけた光景の様な...。 

 

 ……あっ。そこまで考えて、僕は察した。

 

 謎の子供(恐らくはZさんのお家の息子、その内の長男と三男を除いた中の誰かだろう)を両腕の中に抱えたまま、僕は玄関を抜けてフローリングへ向かう。 

 

 余談だが、こういう時に【円】を使うのはお勧めしない。ゴキ〇リやネ〇ミ何かも纏めて察知してしまうから。本当にどうでも良い話である。 

 

(頼む、頼むぞ! 少しでも想定より少ないゴミ山で在ってくれッ!! 3、2、1、いざ!!)

 

 弾みを付けて勢い良くフローリングを覗き込む。 

… …パッと見た限りでは、想定していたより遥かに家の中は散らかっていなかった。生ごみその他が無造作に詰め込まれたポリ袋も考えていた数よりはかなり少ない。 

 この(Zさん家の)子供が片付けてくれたのか、はたまた師匠が漸く自重という言葉を覚えて下さったのか。

 

 だが、全く以て甘いと言わざるを得ない。この程度の偽装では、長年一人で家事仕事をこなして来た僕の眼は誤魔化せない。 

 よくよく観察してみれば、違和感をそこかしこから感じられる。ギチギチに膨らんだクローゼット、芳香剤の臭いに紛れて仄かに臭って来る生ごみと思わしき腐臭。 

 

 成程成程、随分と雑にお隠しになられた様ですねえ、師匠。

 

「あら、お帰りなさい貴方。 そろそろ帰って来る頃かと思って、油を煮込んでいた所でしたの。直ぐにお召し上がりになられます? 丁度良い感じに煮えていますわ」

 

 フローリングの奥、台所からエプロン姿の師匠が鉄鍋を両手に抱えて顔を覗かせる。 

 

 貴方…、父様…、このわざとらしい演技…。 成程、全ての合点が行った。全部あなたの所為ですか、そうですか。

 

「…ええ、不肖クリード・ディスケンス、只今ハンター試験より帰還しました。 それより師匠…いや、セフィリア・アークス。 そこに座りなさい」

 

「―――あら、少し見ない内に大層な口を利く様になりましたねぇクリード君。 一体誰に向かって…」

 

「座れ」 「あっハイ」

 

「…あのー、ボクはどうすれば良いですか?」

 

「確か…カルト君、だったかな? もう()()はしなくて良いよ、大方この人に無理矢理命じられたんだろうけれども」

 

「…何だ、ボクの名前知っていたんだ。 まあ、そう言うなら遠慮なくそうさせてもらおうかな」

 

 僕の予想通り、彼は猫を被っていたのだろう。

 明らかに変化した雰囲気、そして口調と共にそれだけ言い放ったカルト君は座布団の上にちょこんと正座で座る師匠の膝…ではなく、

 

「…カルト君?」

 

 テーブルを挟んで対面に座った僕の膝の間に体育座りで収まってしまった。

 

「個人的にこの膝が気に入ったので座りました。 何か問題が?」

 

「いや、まあ…。 君がそれで良いなら構わないが」

 

 家に帰ってから此処までのやり取りの何処にカルト君が気に入る物が有ったのだろうか。心中で首を捻るが、全く合点が行く所は思い当たらなかった。単純にゾルディック家でこういう団欒染みた光景が珍しいだけなのかもしれないが。

 

「全く、クリード君と来たら相も変わらずの節操無しですねえ。男でも女でもロリッ娘でもショタでもお構いなしですか?」

 

「はぁ…。 師匠、これ以上有らぬ風評被害を撒き散らすのは止めて頂けませんか?」

 

 テーブルの上で無遠慮に手を組み、さもありなんと溜息を吐く師匠。

 ネットの海に拡散している僕や星の使徒に纏わる悪評の内、何割かは確実にこの人の所為であろう事は想像に難くなかった。その癖、この人の悪評は殆どヒットしないのだから世の中は随分と不公平に出来ている。

 そんな事よりどうしよう。鬱憤に任せて怒ってやろうと思っていたのに何だか変な流れになってしまったじゃないか。 ああ、カルト君可愛い(現実逃避)、

 

「今、何か失礼な事を考えていませんか? …まあ良いでしょう。何はともあれ、クリード君。長丁場の試験お疲れ様でした」

 

「それについてなのですが…。 申し訳ありません師匠、不覚を取りまして、四次試験で脱落という失態を犯してしまいました…!」

 

 カルト君を横にずらし、土下座する勢いで頭を下げた僕。 

 しかし、予想に反して師匠の声に怒りの感情は然程籠っていなかった。

 

「ああ、試験ですか。それについてはサキから大凡の経緯は聞いていますよ。 災難でしたね、クリード君」

 

「…? 師匠、怒っていないので?」

 

「え?」 「ん?」

 

「全く貴方は。 帰って来て開口一番に何を言うかと思えば。 ...勿論怒っていますよ? それこそ貴方を弟子にしてから一番の大激怒です。 

 でも…それと同時にこうも考えたのです。『私は、少しばかりクリード君に頼り過ぎたのかもしれない』と。

 

 今日は、そんな苦労続きの貴方の労を労おうと、頑張ってテンプラ油を用意したのです」

 

“飲んでくれますよね?” 

 

 師匠、恐らく貴女の中では最大限に可愛らしく小首を傾げた心算でしょうが、生憎僕には処刑宣告にしか見えませんでしたよ。 あーあ、カルト君がすっかり怯えて縮こまってしまって。僕が居ない間ずっとこうだったのだろうか、可哀想に。 

 

 …ん?

 

「…テンプラ油って言いました? テンプラではなくて?」

 

「クリード君、テンプラなんて難しい料理、私が作れる訳が無いでしょう、少しは頭を使いなさいな。 …全くもう、職務怠慢に加えて察しも悪くなってしまったのですか? 一度お医者様に診て貰った方が良いのでは?」

 

「えぇ……(何でそんな偉そうなんですか。…あっ、何時もの事か)」

 

 人を小馬鹿にした溜息と共に師匠が台所に消え、程なくして満面の笑みと共に鉄鍋を抱えて戻って来た。危なっかしい足取りで。

 

「クリード君、また失礼な事を考えましたね? ...はい、アツアツの出来立てですよ、冷めない内に召し上がれ♡」

 

 ドスン。 雑に置かれた鉄の鍋。立ち込める熱気とムッとする臭気に咽ながら、恐る恐る鍋の中身を覗き込む。 

 …うん、油だ。純度百パーセントのナタネ油ですね。笑えない冗談かと思ったら本気らしいですよ。

 

「…師匠、つかぬ事をお聞きしますが。 これを、一体どうしろと?」

 

「ん? どうするか? そんなモノは決まっているでしょうに。 飲むのですよ、一気飲みです。 本当に、全く貴方は…! ハンター試験如きに手古摺り、剰え不合格とは情けない限りです!!」

 

 それを飲んで少しはその緩み切った性根を叩きなおしなさい。

 

 人差し指をピンと突きつける師匠からは、これが決して冗談ではない雰囲気、そして有無を言わさぬ迫力が漲っていた。

 

「ああ、何かと思ったら『それ』ですか。イルミ兄様が偶に暇を持て余している時、掟を破った執事にやっている罰ゲームですね。 兄様曰く、一気飲みすればそこまできつく無いらしいですから。 ファイトです父様」

 

 横からひょいと覗き込んだカルト君がさも当然の様に役に立たない助言を授けて下さる。これが日常って…、そりゃあキルア君が家を飛び出す訳だ。

 

 

 

 

 鉄鍋と仁王立ちするセフィリア。偶にカルト。クリードの視線はその何れかを行き来し続けたまま、ふらふらと定まらない。

 焦れったくなったのか、セフィリアのお小言が再開した丁度その時だった。

 

「油が当たる個所を的確にオーラでガードするだけだと云うのに何をそんなに躊躇う事が有るのですか。 何時になっても手間の掛かる弟子ですねクリード君は。 師匠として本当に…ッ!? クリード君!!」 

 

「御意!!」

 

 瞬間にも満たない何百分の一の時間の狭間。 居合わせた人間を根こそぎ弛緩させる様な間抜けた空気を漂わせていた二人の雰囲気が、ゾルディックに勝るとも劣らぬ歴戦の猛者のそれへと瞬時に切り替わったのをカルトは目の当たりにした。

 何が、と声を出す間もなく猛烈な浮遊感と共に身体が宙を舞う。 クリードが自分を抱えたまま体当たりで壁をぶち抜き、外へ飛び降りていたのだ。

 

 自らの住居を破壊する事に一切の躊躇が無い、比類なき判断力と体捌き。(これ幸いと)クリードの両手から放り出された鉄鍋が熱油と共に宙を舞い飛び、その奥でセフィリアがフローリングのガラス戸をぶち破って外へ飛び出して行くのを急激に移り変わる視界の端で辛うじて捕えながら。

 カルトは依然として二人が豹変した理由と行動の意図を図りかねていた。

 

(一体()を、()が!?)

 

 当然に抱いた疑問の回答は、眼前数メートルで繰り広げられた暴虐を以て直ちに示された。 

 飛び出した二人が地面に降り立つより早く、超々低空から亜音速で突っ込んで来た小型の戦闘機が家の支柱を豪快に破壊しながら通り過ぎて行き、間を置かずに遥か天空より降り注いだ、眩い光を放つ数多の龍の矢。それが間断なく家と、その中に有る物全てを微塵に粉砕していったのだ。

 二人が外へ避難する事をほんの僅かでも躊躇っていたならばどうなっていたか。轟音を響かせながら崩れ落ちる、数瞬前まで家だったモノが分かり易く教えてくれていた。

 

(ボクは...対応はおろか、今の攻撃に気付く事すら出来ないレベルだっていうのか…!?)

 

 巻き上がる砂埃と共にカルトを抱えて庭へと降り立ったクリード。

 その目前で家、台所が有ったと思わしき場所から盛大に火柱が噴き上がった。

 

「…あっ、しまった。 そういえばコンロの火を点けたままでしたね、セフィリアさんうっかり☆」

 

 師匠、歳を考えて下さいよ。 砂埃の向こうでクリードが律儀にツッコミを入れるのとほぼ同時だった。爆音、そして爆発が周囲一帯を地震と錯覚させる程に轟き、揺らし、それが収まった時、ほんの先刻まで確かに家だった『モノ』は完全に人の住む事等到底出来ない廃墟へとその姿を一変させていた。 我が家とは何だったのか(三回目)。

 

(マイホ―――—――――――――ム!!!!)

 

 その瞬間、カルトは確かに聴いた。クリードの鉄面皮の内側で木霊した魂の絶叫を。

 

「カルト君、僕から少し離れていたまえ。 決して君を馬鹿にする訳では無いが、誰かをカバーしながら戦える様な生易しい相手では無さそうだ…!」

 

 爆炎の向こうから悠然と歩いて来る二つの人影。 

 身構えるクリードの前に現れたのは白髪の老人。そして髪を二つに分け、執事服を着こなした老婆の二人組だった。

 

「…ふむ。 久しいの、坊主」

 

「ええ、お久しぶりです大師匠。 …まさか、貴方がゾルディックだったとは知りませんでしたよ」

 

「…何じゃ、気付いておらんかったのか。 お主、儂を何と思っておった?」

 

「てっきり、師匠の師匠的な存在かと…」

 

「はぁ…呆れたヤツじゃの。 流石、セフィリアの弟子というだけは有るわ。弟子は師匠に似ると云う事か。 

 

―――まあ良いわ、特別に稽古を付けてやろうぞ。 …構えいクリード」

 

 零れた溜息。そして一瞬の間を置いて双方から放たれるは、空気を揺るがす甚大な殺気とオーラ。  

 

「ゼノ様、不覚を取りましたがまだ私は…!」

 

「いや、こやつ相手にその爛れた腕では厳しかろうて。 ツボネ。お主は隙を見て【失くし物】を探せ。 …“アレ”だけは必ず連れ帰らねばならん。 何としても、だ」

 

「…御意」

 

 一言だけを残し、瞬時に展開された【円】と共にツボネが飛び跳ねる様にして家の残骸へと向かって行く。

 

「ゼノ爺様、それにツボネ…!」

 

 世界でも上から数えた方が早い強者二人。そこから放たれる殺気の応酬に当てられてクリードの後ろで硬直する事しか出来なかったカルト。ここに来て辛うじて言葉を発する事が出来た。 …出来ただけに過ぎなかったが。

 

「…ふむ。お主では力量不足じゃ、下がっておれカルト。 儂個人としてはお主の出奔をどうこう言う心算は無いが、これが少しばかり面倒な事態に発展しおっての。 久々に依頼以外でのド突き合いに来た訳じゃな」

 

《まあ、お主が儂等に付いて来れるなら別に構わんがのう》

 

 震える姿を一瞥し、髭をしごきながらぼそりと呟いたゼノの姿が掻き消える。 

 それを追う様にクリードの姿も消え、次の瞬間、カルトの遥か後方で乾いた衝撃音が鳴り響いた。

 

「くっ……!」

 

 突きつけられた無力さと行き場の無い怒りに、固く握りしめられた拳がぶるぶると震える。少年の鉾は何処へ向かうのだろうか? 今はまだ、誰にも解らない。

 

 

 

 絶え間なく続いている小規模な爆発によって舞い上がり続ける砂埃。

 クリード達に合流しようと動きかけたセフィリアの前に現れたのは、厳粛な雰囲気を身に纏った偉丈夫だった。

 

「―――おやおや、御当主殿のお出ましですか。 残念ですがカルト君は当分此方で預からせて頂きますので。 此処は一つ、穏便にお引き取り願えないでしょうか?」

 

「…つい先程の事だ。執事から連絡が有った。 俺達が此処へ向かっている隙を突かれて【アレ】を強奪されたとな。 ―――言え、何処に隠した」

 

「【アレ】...とは? ……まさか!!」

 

 思わず表情を変えてしまったセフィリアを一瞥し、シルバが一歩、悠然と歩を進める。

 

「どうやら心当たりが有る様だな。 カルトだけならお前に任せるのも一つの手だと考えていたが、【アレ】はゾルディックの極秘だ。 …必ず返して貰うぞ」

 

「馬鹿な…ッ、私は知りません! それについては完全に埒外です!」

 

「ふん、飽くまでも白を切る気か。 ならば此方も容赦はしない…!」

 

 問答無用。寒風を切り裂いて迫るシルバの足刀を寸での所で首を捻って躱し、間を置かずに放たれた手刀による首筋、心臓、肝臓を狙った容赦ない三連撃を居合抜きで抜刀したクライスト、その峰で逸らし、弾き返して後方へ飛び下がり距離を稼ぐ。 

 腰を深く落とし、常の様に正眼に構えたセフィリアだったが、その心中では何時にない程の疑念と焦りが渦巻いていた。

 

(ゾルディックの極秘….【アレ】とは十中八九、最後の【鍵】…あの()の事で間違いないでしょう。 しかし、これは幾ら何でもおかしい。 私の行動を逐一監視しているのだとしても、余りにもタイミングが良すぎます。 

 

 

 

 …まさか、ですが。 内通者が星の使徒の内に存在する…!?)

 

 




次回は五次試験ですね。 


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29.ありとあらゆるものを憎む程度の能力/ありとあらゆる物事を楽しむ程度の能力

 

「ぶわっはははは、ギャハハハハ!! ヒィ、ヒィ…!! …ッ…、クフッ、ぷっ…駄目じゃ、耐えられんッ!! ギャッハハハハ!!」

 

「ちょっと会長、幾ら何でも笑い過ぎですよ!」

 

 ハンター協会が所有する某ホテル、その最上階にて。

 自他共に認める最強のハンター、会長ネテロ・アイザックは腹を抱え、涎を撒き散らし、床をのたうち回りながら笑っていた。笑い転げ続けていた。

 

 事の始まりは四次試験を見事通過した者達のリスト、及び試験中の死亡者、脱落者の報告まで遡る。 

 受験生に随伴していた黒服達により、色々な意味で今回の試験の注目株扱いされていた46番:クリード・ディスケンスが四次試験にて脱落したとの報を受けた直後だった。タガが外れた様に彼が笑い始めたのは。

 彼の奇行や突飛な行動は今に始まった事では無いので、何時もの事だと最初は放置していた黒服達だったが、笑い始めてから五分が過ぎ、十分が経過しようとも一向に笑い声が収束する気配は無く。かと言って、自ら進んで会長に苦言を呈する事の出来る剛の者が居る訳でも無く。

 顔を見合わせて狼狽えるばかりの彼等を見かねた専属秘書官のマーメンが諫めに入るが、それも何処吹く風とばかりにネテロの笑い声は高まるばかりだった。

 

「ひー、ひー、あー…。 えっらい久々に死を覚悟したわ。 これ、その昔にゾルディックのジジイと当主の若造とガチ喧嘩した時以来じゃの。 はー、苦しかったわい…」

 

「全くもう、御歳を考えて下さいよ会長。 それに、彼だって落ちたくて落ちた訳じゃ無いでしょうに。 流石に失礼過ぎます」

 

「うっさいわ、歳の事は言うんじゃねえよマーメン。 いやー、じゃって46番じゃぞ? 空きが出来たら十二支んに入れる事も考えておったと云うのに。 まさか、あれ程の手練れが落ちるとはのう。 …マーメン、そんなに四次試験は難しかったかの?」

 

「…いいえ。 一週間という長丁場、加えて受験生同士の戦闘や駆け引きを強いる等、それなりの難易度では有ります。 が、此処までの試験を通過して来た一定レベルの使い手ならば難なく突破出来る筈ですね。 現に、今回五次試験に進んだ九人の内、六人が非念能力者です」

 

 【念】が使えるか否か。 

 風に揺らめく蝋燭の炎よりも容易く人命が吹き飛ぶこの世界に於いて、この差は絶対に等しい程に大きい。 

 こと戦闘に関して云えば、使い手で無い者が使い手に勝利するというのは極めて稀な出来事であり、双方の間に余程の技量差、力量差が無ければまず有り得る事は無いと言えるだろう。

 

「ふーむ。 まあそうじゃろうのう。 【念】無しでぜ~んぜん本気では無かったせよ、ワシと正面からタイマン張って一撃喰らわせる程の腕前を持っておったからの、アイツ。 

ホント、な~んで落っこちたんだか…」

 

 何気なく放たれたネテロの軽口を受け、俄かに騒めく室内。 

 彼が会長に就任してから既に幾十年。年月を経て全盛期よりは確実に衰えたとはいえ、未だハンター最強との呼び声高いネテロ・アイザック。

 詰まる所、クリード・ディスケンスは現役ハンターを見渡しても見劣りする所か、最上位に近い実力をあの年で既に備えているという事実。

 これが第三者、もしくはクリードから発された言葉ならば対して面白くも無い戯言だと一笑に付して終わりなのだろうが、“一撃を喰らった” そう発したのが当のネテロだという事実。それが真実味を増す原因になっていた。

 

 居合わせた黒服達の内、気まぐれ、もしくは質の悪い冗談だと思う者が半数、四次試験が終了するまでに随所で垣間見えたクリードの実力を思い返してさもありなんと頷く者が半数。

 

 会長らしい、意味の無い嘘か何かだろう、いや、本人がそう言っているのだから流石に真実ではないのか。 

 

 ひそひそと囁かれる小声は徐々に音量を上げ、徐々に喧騒へと変わりつつあった。

 

「おやおや、何やら随分と騒がしいですね。 …もしかして。会長、遂にあの世に召されちゃいました?」

 

 騒めきを生み出していた黒服達が一斉に姿勢を正し、一糸乱れぬ統率された動きで振り返る。失礼極まりない言葉を放ったその声の主はゆっくりと扉を閉めると、かつかつと革靴を鳴らしながら依然として床に寝そべったままのネテロに歩み寄って来る。

 

 傍目にも分かる高級ブランドの黒スーツを見事に着こなした若い男。知る人ぞ知るハンター協会副会長、パリストン・ヒルその人だった。

 

「何だ、そんな所で寝そべっているからあわやと思っちゃいましたよ。 全然お元気じゃないですかー。 いやあ良かった良かった。ボクはてっきり、本当に天寿を全うされたのかと…」

 

「ほっほ、ワシはまだピンピンしとるわい。 残念じゃったのうパリストン」

 

「あっははは! いやあ~、会長が生きていて残念だ、なんてそんな失礼な事は微塵も思っていませんって。 貴方にはまだまだ現役で居て貰わないと困りますからね」

「あー、あー! お話の途中に割って入ってすいませんね。 パリストンさん、今日はどうして此処に? 貴方は確か、本部で第一種禁止指定区域の調査メンバーの選定を行っていた筈では?」

 

 芝居染みた大仰な動作で両の手を広げながら朗らかに笑う好青年。少なくとも、パリストンの素性を知らない人間にはそうとしか映らないだろう。

 だが、内面をを少しでも知っている人間にはまるで違って見える。何を考えているか分からない。何を言っているかまるで理解出来ない。何をしでかそうとしているかまるで予想出来ない。 

 “理解出来ない()()程、恐ろしい物は無い” 正しく彼はそれを体現した様な人間(化物)であった。

 一瞬で場の空気を引き締め、次の瞬間には弛緩させる。傍目にもあからさまにこの場を掻き回しに掛かったパリストンを見て、強い既視感と危機感を覚えたマーメンが割って入る。 

 ネテロの側で長年秘書官を務めて来た彼には分かっていた。これまでの経緯と結果から、この男を自由に動かすと碌な結果にならない事を。 

 

 無論、それを知っていてマーメンが何も対策を講じなかった訳では無い。ハンター試験の間はパリストンを協会本部にて確実に合法的に拘束できる様、意図的に手間と時間が掛かる大量の仕事を割り振っていた筈なのだが…。

 

「ああ、あれですか。先月の終わりに運悪く区域内に入り込んじゃった民間人二人、SOS要請を受けて救助、探索に向かったハンター四人組が完全に消息を絶ってしまわれた、あの忌まわしい区域を調査、生存者が居るなら救出して来い。…っていう結構な大仕事ですよね? 御心配なく、ちゃんと終わらせましたって。 

 といってもまあ、つい先程まで掛かっちゃったんですけどね。 いやー、本当に苦労しましたよ。何せあそこ、一種指定区域ですからね。中々快く引き受けてくれる人が見つからなくて大変でした…。 もう片っ端から電話を掛けて掛けて、耳は痛いし腕はパンパンになっちゃうし。

 という訳でマーメンさん、仕事が有るのは有り難いんですが、こういうのは当分は遠慮させて頂きたいです。 …いや本当に。

 

 ―――ああ、そうでした。これがそれに関する書類ですので。 くれぐれも()()()()()()下さいね? …まあ、優秀なマーメンさんならそんな凡ミスをする事はないでしょうけれども」

 

 予めこの状況を予想して助っ人を本部に待機させて居たのだとしても、一日で終わらせられる量の仕事では無かった筈。

 予想を遥かに上回る速さでこの場に現れた事に焦りを隠せないマーメンを一瞥し、さも当たり前の様に言い放って見せたパリストンは改めてネテロの方へ向き直った。 

 

「ほっほ、仕事熱心なのは関心じゃのう。 して、何ゆえに此処まで来たんじゃ? 五次試験は明日じゃぞ?」

 

 漸く椅子に座り直したネテロの言葉を聞いたパリストンは、態とらしく目を大きく見開き、

 

「えー、やだなあ会長、お忘れですか? 賭けですよ、賭け。 ほら、『46番さんが四次試験を突破出来るか否か』。 …思い出しました?」

 

 口角を吊り上げて笑って見せた。

 

「........ホッ、勿論覚えておったぞい。丁度その46番が試験に落っこちた話をしておった所じゃ。見事、賭けはお主の勝ちと決まった訳じゃが。

 良ければ46番が落っこちると踏んだ理由を聞かせてくれぬかのう?」

 

「...まあ、それ位なら。 会長とその勝負のお話をしたのは、確か四次試験の直前でしたよね? 実は僕、彼に少しばかり興味が有りましてね。三次試験までの彼の様子を随所に設置されていた監視カメラの映像で拝見させて貰っていたのですよ。 …勿論、仕事をこなしながらですよ?」

 

「彼、試験に合格してハンターライセンスを取得しに来た…というよりは、何か他の目的が有ってやって来た。そういう風に僕には映りました。 目的の達成が第一、次点で資格が取れればそれで良し、何方ともが駄目だったとしても、一緒に付いて来た406番の子が合格出来ればまずまずの及第点。 ...とまあ、そんな所でしょうか。

 一番決定的だったのは、三次試験終了後に彼が一瞬だけ見せた表情ですね。 『やるべき事は終わった』そういう顔をしていましたから」

 

 まあ、確証が有る訳では無く、全部僕の勝手な推測でしか無いんですけれど。

 

「なるほどの。一仕事終えた事で気が緩んだまま次の試験に臨む様な間抜けなら、幾ら実力が有ろうともポカミスをやらかす可能性は十二分に有ると踏んだ訳じゃな。

 う~む、結構、結構。文句なしにお主の勝ちじゃ。 約束通り、お主の願い事を一つ叶えてやろうぞ、無論、ワシに出来る範囲でな」

 

 パチパチと手を打ってパリストンを称えるネテロ。対照的に、二人が受験者で賭け事をしていた事を知らされた黒服、そしてマーメンの視線は冷やかだった。

 

「いや~しかし、どうしましょう? 駄目で元々、まさか本当に勝てるとは思っていませんでしたから。 うーん、そうですねぇ…。では会長、こういうのは如何でしょう。

 

 “来年度のハンター試験を副会長で有るこの僕、パリストン・ヒルに一任する” 

 

 どうです? 面白そうでしょう? 是非とも会長の許可を頂けないでしょうか?」

 

 平静の如く、朗らかな口調でつらつらとパリストンが述べた言葉に、その場に居た誰もが驚愕を隠せない。先の比では無い騒めきが場を満たして行く。

 

 今、この男は何を言った? 来年の試験を一人で取り仕切る? 

 

 積立金制度、ハンター十ヵ条の改正案etc…。 会長を隠れ蓑に、副会長という立場を悪用して協会の裏で暗躍しているとハンター達の間で密かに囁かれているパリストン。

 その素性を知っている者には彼の忠実な手駒で有る協選ハンター、もとい奴隷を増やそうとしているとしか映らず、そうでない者もパリストンの意図を図り切れず、何か得体の知れない、もやもやとした嫌悪感を抱かせた。

 

「パリストンさん。 貴方、何を考えているんですか!? ハンター試験を私物化するだなんて、常識的に考えて許される筈が無いでしょう!!」

 

「おやおや、マーメンさんったらスゴイ怖い顔してますよ? …いやいやそんな、勘ぐられても別に他意は有りませんってば。それに、我々の同胞を審査する大事な試験を私物化だなんてそんな滅相も無い事、思ってもいませんよ。 只、今回の試験を傍観させて頂いている内にですね。僕も何かしらの形で参加してみたくなりましてね、ええ」

 

「だからといって、そんな横暴が許される訳が...!」

 

「ほーん。 まあそれ位なら構わんがの。 …但し、試験の内容と試験官のリストは予めワシに提出する事、万が一にも試験中に事故や不慮の事態が起きた際には直ぐに協会本部に連絡して指示を仰ぐ事。 …条件はこんな所でどうじゃの?」

 

「会長!?」

 

「ふむ…了解しました。 まあ、そうは言っても僕一人では流石に限界が有ると思いますから、皆さんの御力を貸して頂く形になるとは思いますけれど。 その際には御協力の程、宜しくお願いします」

 

 始めから受け答えを決めていた様に、淀みなく一息でそう言い切って深々と頭を下げたパリストン。 

 どの口が“それ”を言うんだ。そして究極に胡散臭い。それがこの場に居る全ての黒服、及びマーメンが抱いた感想だった。

 

「あれ? どうしました? 皆さん揃って黙り込んでしまって。 もう、嫌ですねえだんまりは。 そう思いませんか会長?

 …っと、いけません、もうこんな時間ですか。いやあ、僕とした事がついうっかり大事な会合の予定を忘れていました。大事なお話の途中で割って入る様な真似をしてスイマセン、僕はこれで消えますので。 後は皆さんでごゆっくりどうぞー」

 

 

■ ■ ■

 

 

 かつ、かつ、かつん。 

 

 革靴が一定の拍子を刻みながらホテルの赤絨毯を闊歩する。 スーツを着こなした優男、パリストン。その右手は携帯電話を持ち、液晶画面は耳へと当てられている。詰まる所、通話中だった。

 

「…長男さんは試験中で動けない。他の御家族は仕事、もしくは彼方の敬愛するクリード君の所へお出掛けになられたそうです。 …という訳で、仕掛けるなら今が千載一遇の好機かと。 …ええ、『ドクター』に宜しくと伝えておいて下さい」

 

 余程通話に熱中しているのか、殆ど正面を見る事無くエレベーター横の下降のボタンを左手で押す。直後、殆ど音を立てる事無く、緩やかにエレベーターの扉が開いた。

 

「……ええ、では、またいずれ…。 ああ、はい…」

 

「よぉ、随分と楽しそうな話してんじゃねーか。 俺も混ぜろよ」

 

 

 かつん。 

 

 勿体ぶる様な動作でゆっくりと通話を終了するボタンを押し込み、顔を持ち上げる。

 

「いやあ、内密な話なので流石に此処では遠慮させて下さいよ。人の目が有りますから。 しかし、今日は珍しい事が続きますねぇ。珍しい光景を見て、珍しい試験結果に驚き、珍しい人にばったり会って。 

…ああ、成程。 確か、御子息さんが今回の試験に参加されているのでしたね、成長ぶりをこの目で見たくなったとかですか? どうです、当たらずも遠からずでしょう?」

 

「相っ変わらずだな、お前。 嘘を吐くのがちっとばかし下手過ぎるぜ。 前に教えてやったろうが、『誤魔化したい事が有る時にペラペラ喋る奴は下の下、三流だ。 ダンマリになる奴は二流、一流は…』」

 

()()()()()()()()()()()、でしたっけ? あはは、流石は嘘吐きの本家本元です、何もかもお見通しですか。 はぁ~あ、参りました、僕の負け、降参です。 

…それで? 息子さんに会いに来たのでは無いとすると、ジンさんはどうしてまた此処に?」

 

 エレベーターの行き先を決める内部の操作盤。徐に一階を示すボタンを押したパリストンは、先に十階を示すランプが点灯しているのを見て、適当に喋った事が案外的外れでは無いのでは? と内心で考えた。 

 今回、最終試験を待つ受験者に割り当てられた個室が有る階は、それぞれ五階から十階に満遍なく振り分けられていた筈だからだ。

 

「さあな。んな事はどうでもいーんだよ。 それより…お前、弄ってるだろ? ()()をよ」

 

「……すいません、何の事だかボクにはさっぱり分かりかねます」

 

 沈黙。 明滅するランプは十七階を示している。

 

「ハッ、お前がどこぞのトンチンカンと組んで何をしようとしてるかは知らねえし知ったこっちゃねえが、何を考えてるかはお見通しだよ。 そうだな、折角だしこの場でハッキリ言ってやろうか。 

 

 “見事成功すればそれで良し、失敗してもそれはそれで、ネテロのじーさんやらその他有象無象が慌てふためく所を見られればそれで上々、次点でハンターが何人か行方不明になってくれたら御の字だ”

 

…どうだ? 良い線行ってるだろ?」

 

 沈黙。 明滅するランプは十五階を示している。

 

「成程。 僕としては、トンカチとタッグを組んでいる心算は有りませんが。 一つ、今仰られた中にどうしても意図が分かりかねる事が有ったので質問させて下さい。 行方不明になったら御の字とは、これまた不可解な事を仰られましたねジンさん。 我々ハンターにとって行方不明とは、」

 

「任務中、及び戦闘における死亡や変死より余程不可解な事、だろ? お前にとっちゃ願ったり叶ったりだろうが」

 

 沈黙。 明滅するランプは十三階を示している。

 

「ジンさん。 これでも僕はハンター協会の副会長という立場が有るんですよ。 副会長は会長の補佐、そしてハンター会員の皆さんの安全と有意義な仕事を提供するのが一番の仕事なんです。 

 そんな僕が、行方不明を願っている? 冗談でもそんな恐ろしい事を言うのは止めて下さいよ、幾ら温厚な僕でも、怒る時は怒りますからね?」

 

「温厚、ねえ。 ど~の口がんな心にもねえ事を言うんだか。 …まあ良いか。精々頑張ってネテロの爺さんの寿命を縮めてやれや、そしたらお前がやろうとしてる事もちったぁやり易くなるだろうよ」

 

 明滅するランプが十階を示し、扉が開く。ジン・フリークスはひらひらと手を振りながら扉の向こうへと歩いて行った。その姿を真っ直ぐ見つめていたパリストンの視界を閉ざす様に扉は再び閉じて、緩やかな荷重と共に下へ向かって降下して行く。

 

(物事の機が向く時は何時も唐突、そして一度動き出せばそれに釣られて色々な事が同時に進展する。 最も大事なのは『その瞬間』が何時来るかを見極めて、予め備えて置く事。 …ではなく、『その瞬間』を思い通りのタイミングで持って来られる様に周囲の人間を立ち回らせる事、但し自分がそう動いている事を悟られてはならない…でしたっけ。 

 あの時は随分と難しい事を言うものだと思っていましたが、いやはや。

 副会長として立ち回る内に僕も少しは成長したという事でしょうか? 多少の横槍が入ったとはいえ、漸く計画が始動出来る段階まで漕ぎ着けられましたし。割と危ない橋を渡ってまで度々彼の計画を手伝った甲斐が有ったという事ですかね。 

 

 ―――それに、ご褒美代わりと言っては何ですが、会長直々に来年の試験を好きに出来る許可も頂いた事ですし。この後の対応を含めて楽しくなって来ましたねぇ、うんうん)

 

 エレベーターが一階に到着する。 受付嬢に本部に戻る旨を伝えたパリストンはロビーを抜け、駐車場へと向かって行った。

 

(…それにしても。 何処までを知っていて、何処までを知らないのか。相変わらず掴ませてくれませんねえ、ジンさんは。まあ、あの人はそうで無ければ面白くないんですけれど)

 

 人好きのする好青年染みた笑みを浮かべ、パリストンは駐車場を通り過ぎて尚歩き続ける。

 やがて試験会場となるホテル、その真横に無造作に横付けされていたリムジンに乗り込み、何処かへと消えて行った。

 



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