『始まり』 (アイリスさん)
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その1 始まり

before storyです。
漣好きなんですよ、いいじゃないですか。

そんな訳で、短編ですが最後までお付き合い頂ければ。


 

 

某日、ヒトヨンマルマル。小笠原諸島沖。

一隻のボートが浮いていた。その周りには、何故か駆逐艦が数隻。まるで、ボートを隠すかのように展開している。

 

『聞こえるか』

 

その駆逐艦団の旗艦と思われる一隻から、ボートへの無線。『予定通り実験を開始しろ』との指示で、男に連れられて一人の女性がボートの甲板へと上がってきた。

 

「プール上では成功している。問題は無かろう」

 

男性のその言葉に「はい」と答えた、長い髪をツインテールで結わえた女性。瞳を閉じて、意を決して海へと飛び込む。

 

驚いた事に、女性は水には沈んでいない。泳いでいるとか、では無しに。女性は‥‥‥両足で、海面に立っていた。

 

「成功です、中将」

 

男は無線で旗艦の海軍中将へと通信。『よし。此れで大元帥に良い報告が出来る。我が国の海軍は大きく変わるぞ』と満足そうに頷いている。

 

大本営による狂気の実験。人間に戦艦大和の魂を融合させ、兵器とする実験。これが成功すれば、単独作戦行動が可能な、小回りが効き戦艦に匹敵する戦力を持つ高速海上歩兵が運用出来る。戦艦大和のように大型化する必要も無ければ、収納にも困らない。また、兵器自体が人間の為、隠密作戦にも使える。そんな、一騎当千の力を持った戦力を実現させる実験の一歩目が、今当に踏み出されようとしていたのだ。

だが。思惑通りにはいかなかった。これ迄散々失敗してきた大本営。これが実に20回目の歩行実験。それも、海上での実験に辿り着いたのは初めてだ。

 

結論を言えば、今回も失敗に終わった。拒絶反応だろうか。女性は突如胸と頭を押さえて苦しみだし、そのまま水底へと沈んでいってしまったのだ。アテが外れ、その場の一同は落胆し本土へと引き返していく。‥‥‥‥‥‥女性の命など、彼らにはその程度の物だった。

 

 

 

そして、それは‥‥‥人類にとって悪夢の始まりとなった。

 

 

 

************

 

3月22日。とある湊町の、とある家。漁師の男の葬儀が行われていた。喪主は、その一人娘。母親は既に他界し、祖父も祖母もいない。学校のセーラー服を着ている少女はまだ15歳。本当なら来月から高校へと通える予定だったが、唯一の肉親である父を亡くし、呆然として途方に暮れていた。

 

近所の人達や父親の漁師仲間は優しい声を掛けてはくれる。だが、今はこの湊町は厳しい状況だった。近海にも化け物が現れて船を沈め始めていた。事の始まりは半年前。オーストラリアの客船が沈められ、その生き残りの男性が偶然カメラに収めた写真が明らかとなり、それが今まで人類が見たことのない異形によるものと分かったのだ。鯨、或いは鮫のような姿をし、まるで軍艦のように口から砲撃してくる異形。更には、それを統率している真っ白な髪に真っ白な肌の女性らしき何か。その女性も、両腕に異形の砲を持ち、客船を砲撃一発で真っ二つにした。

 

当然討伐に乗り出したオーストラリア海軍だったが、翌日には消息不明となる。事態を重く見たオーストラリア政府は、国連軍に訴えた。

当然ながら、連合軍が投入された。それが、五ヶ月前の事。

結果は‥‥‥壊滅。人類の兵器は、異形には全く通用しなかったのだ。それを期に、異形は海を侵食し始めた。この五ヶ月で、海域の半分は危険地帯となったか。それでもまだ近海は船でも運航できてはいた。しかし、それももう危険なのかも知れない。人類の情報網や交通網は、分断されつつあった。

 

娘を養う為に近海だが漁に出た父親。遺体は、無い。目撃者の証言では、乗っていた船ごと吹き飛ばされたらしい。対面すら叶わない。

 

「レンちゃん」

 

近所のおばさんに肩を叩かれ、少女は顔をあげた。肩程の長さで、ツインテールで結わえられたピンク色の髪が微かに揺れる。

 

「‥‥‥おばちゃん」

 

レンと呼ばれた少女は、すがり付き泣き出した。やっと今置かれている現実を認識したらしい。

 

「おばちゃん‥‥‥おばちゃん‥‥‥私‥‥‥」

 

「今は泣きな。辛い時は、泣いていいんだよ」

 

******

 

その日の夜。他に誰もいなくなった家で、レンは荷物を整理していた。今住んでいる此処は借家で、5月以降は契約が切れる。一人でも住めるアパートを探し、同時に仕事も見付けなければならない。

 

(どうして‥‥‥どうして父さんが‥‥‥)

 

早起きし、弁当を作って、笑顔で見送った父親の背中。

思い出すと、涙が止まらない。

 

(これから‥‥‥どうなっちゃうんだろう‥‥‥)

 

海を支配し始めた怪物達。このペースで行けば、人類は近いうちに海を失う。世界は分断され、近隣の国へすら行く事が叶わなくなるのかも知れない。

 

(でも、今は‥‥‥)

 

兎に角、明日からは仕事を探さなくては。まだ中学を卒業したばかりの自分にも出来るような、何かを。

 

(アルバイトくらいしておけば良かったな‥‥‥‥‥‥)

 

そんな事を考えていたレンが、あるものを見付けた。いや、ものという訳ではない。小人‥‥‥なのか?

 

(小人っ!?コロポックルとか!?嘘っ!?)

 

恐る恐る近付いてみる。小人はかなり小さい。リスとかの小動物程度の大きさで、2頭身の愛らしい容姿。ただ、着ている服がどうにも軍服に見える。

 

「あっ、あの、小人さん?」

 

レンの呼び掛けに、小人が振り向いた。かなりビックリしているようだ。

小人を抱き上げてみる。幻覚とかの類いでは無いようで、触っている感触もちゃんとある。

 

『私が見えるんですか?』

 

「話せるの!?」

 

日本語を話してきたのにも驚いた。話を聞いてみると、どうやら小人は妖精と呼ばれる類いの生き物らしい。海上を移動していた所を最近現れた海の異形に襲われて交戦、敗北して今のこの家に辿り着いたらしかった。

 

「え?待って。あの怪物達と戦えるの!?」

 

レンの驚きはそこだった。人類の最新兵器の数々すら全く効かない怪物達と、負けはしたがやりあえるだけの力を、この小さな妖精さんが持っているというのだ。驚かない方がおかしい。

 

妖精さんによれば、妖精はかつての世界大戦での軍艦の乗組員達の想いから生まれた化身らしい。故に、通常は人には見えないそうなのだ。こうしてレンが見えるというのは、奇跡なのだ、と。

 

原因を突き止めようと、妖精さんがウーン、と悩む。少し悩んだ結果、妖精さんはレンの頭の上によじ登ってきた。

 

「え?あの、妖精さん?」

 

妖精さんは瞳を閉じて、なにやらブツブツと口走っている。次の瞬間、驚くべき事にレンの身体がうっすらと光り始めた。

 

「えっ!?えっ!?」

 

今起こっている現象が、全く理解出来ない。そもそも妖精が存在している事すら不思議なのだ。あたふたしていたレンに、妖精さんが語りかけてきた。

 

『やっぱり。探しましたよ、綾波型9番艦駆逐艦 漣』

 

「‥‥‥‥‥‥え?」

 

海軍や軍艦については全く分からない。知識はサッパリだ。そんなレンに、妖精さんは丁寧に説明してくれた。駆逐艦漣の生まれ、嘗ての世界大戦での活躍、その最期の事も。

そして、妖精さん達はそんな軍艦の魂から力を分けてもらう事で、今の数倍の力を発揮出来るらしい。

 

「その駆逐艦漣の魂が、私の中に?」

 

『そうです。その力を解放出来れば、あの怪物達を倒す事も出来ます。お願いします、私の仲間達の為にも、力を貸してください!』

 

レンは悩んだ。同級生の男の子と口喧嘩するだけでも怖いのに、怪物と戦うなんて怖いに決まっている。それに、人類を救う力があったとして、それが自分でなければならない道理がない。妖精さんの話だと、他にも同じような力を持った人間がいる可能性があるらしいのだ。

しかし。

 

「分かった。頑張ってみるよ」

 

レンは頷いた。どうせもう天涯孤独の身だ。他の人達にはきっと家族が居る。もし負けて死ぬような事があったら、その人の家族が悲しむに違いない。ならば、その役目は自分でいい。そう考えた。

 

「でも、明後日からでもいい?」

 

妖精さんの話だと、異形に対抗するには武器が必要。それを作るには散り散りになった妖精さんの仲間達と再会する必要があるらしい。出掛ける必要が有るなら、それには準備が要る。

 

翌々日。レンは肩に妖精さんを乗せ、母親の形見のキャリーバックを引いて歩き始めた。中には衣類、父親と母親の位牌。それと、父親が残してくれた通帳。亡くなった母親が最後に買ってくれた下着も。

 

他の物は前日に全て処分した。どうせ、もう此処には帰ってこないだろう。妖精さん達を見つけ、武器を作って、異形達から海を取り戻す。きっと、何年も掛かるだろう。

 

「じゃあ、出発!」

 

レンの履いている靴は、少し特殊な形をしている。スニーカーの上に何やら船の推進機関のような物が付けられた靴。妖精さん一人だけではこれを作るのが精一杯らしい。此れが、駆逐艦漣と同じだけの推進力を得るための機関だというのだが、俄には信じられない。

妖精さんを探すには、ある程度近くまで近付けば独特のネットワークで分かるそうだ。しかしながらそれは宛もなく探さなくてはならないという意味で、異形と対峙できるようになるまでにはかなり時間が掛かるかも知れない。

 

「ねえ、妖精さん、これ本当に海に浮くの?」

 

『燃料の事もありますが、そういう事なら少し練習しましょうか?』

 

‥‥‥移動には燃料が必要らしい。船だというのだから当然と言えばそうなのだろうが、これは困った。少しなら父親が所有していた漁船にも有るが、船用の燃料を確保しなくては‥‥‥と、ここで父親の予備の船をそのままにしていた事を思い出したが、今はもう仕方ない。

 

「いきなり海は怖いから、川にしよう?」

 

そうして、川で進水する事になる。勿論、レンは水面に浮く。浮く、と言うよりは立つと言った方が正確だ。

 

こうして、レン‥‥‥後に英雄と呼ばれるようになる『駆逐艦漣』は動き始めた。その未来に絶望が待っているとも知らず。

 




レンちゃん改め漣さん。人生ハードモード。苦労が報われるといいですね‥‥‥


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その2 初戦闘

10話くらいで‥‥‥いや、多分20話くらいかかります。多分。


「あの‥‥‥妖精さん?」

 

川の、真ん中。確かにレンは水面に立っている。それは間違いない。ただ、前に進む気配が全く無い。確か妖精さんは先程『駆逐艦漣と同じ速度が出せる』と言っていたと記憶している。だが、現実はこうして止まったまま。確かに水面に立てる事は凄い事なのだが‥‥‥。

 

「なんか、話が違うような‥‥‥」

 

『すみません。動力機関までは出来なくて‥‥‥私だけでは』

 

つまり、エンジンが無いから浮いているだけ、らしい。何というか、拍子抜けだ。もっとこう、スキーで上級者コースを滑るように高速で動き回れるものだと思っていた。

 

「じゃあ、やっぱり他の妖精さんを見付けないと‥‥‥ん?」

 

思い付いた。推進機関が無くても、スキーやスケートのように滑ればいいのではないか。もしかするとそれなりに速度が出て、地上を移動するより早く動けるかも知れない。

 

‥‥‥が。やはり動いてくれない。妖精さんによると、『そもそも漣は軍艦だから』。軍艦は川は航行しない。というか、出来ない。今レンが川に浮いているのは、レンの駆逐艦漣としての覚醒が不完全だからだそうで、本来なら座礁して危険なレベルなのだそうだ。

 

「早く言ってくれたら嬉しかったんだけど」

 

『すみません、まさか航行しようとするとは思わなくて』

 

落胆し、川からあがる。ただ、この不便な仕様は人類にとっては不幸中の幸いなのだという。海に現れたあの異形達も、いわば軍艦の化身のようなもので、軍艦故に川や陸には侵入出来ない。海しか動き回れない為に、陸地へ侵略には来ないのだそうだ。

 

「それってさ、私も本格的に覚醒したら海から出られないって事?」

 

『いえ。貴女は『駆逐艦漣』であると同時に『レン』という人間です。覚醒しても陸地で普通に生活出来ますよ』

 

妖精さんの言葉にホッと一息。この先一生陸に揚がれないなんて冗談ではない。レンだってまだ15歳な訳で、やりたい事も沢山ある。それが、生活圏が海だけになるなんて勘弁な所だった。

 

『それなら完全に覚醒させましょう。今のままでは恐らく艤装を手に入れてもまともに運用出来ませんし』

 

完全に覚醒させないと、軍艦としての力が殆んど振るえないらしい。それならば駆逐艦漣として本格的に覚醒しようと提案したレン。それには、先程妖精さんがレンの頭の上でやっていたアレを20分程続ける必要があるらしい。それも、レンは動いてはいけないという制約付き。

 

「えぇ‥‥‥そんなの聞いてない‥‥‥」

 

『すみません』

 

先程から謝ってばかりの妖精さん。ここまで来ると流石に悪いと思えてきて、仕方無くだがレンは頷いた。

 

「私の身体、光っちゃうんだよね?う~ん‥‥‥」

 

覚醒の儀式をしている間、レンの身体は先程のように仄かに輝いてしまう。その辺でやれば目立つ、というか間違いなく通報される。何処か静かに隠れられる場所を‥‥‥と考えていたレンの頭に、ある場所が浮かんだ。父親の予備の船内。

 

「父さんの漁船の中なら大丈夫だよ、きっと」

 

『船を所有してるんですか!』

 

妖精さんが突然話に食い付いた。レンは思わずビクッと狼狽して目を丸くする。驚かせてしまった事に気付いた妖精さんは、興奮を少し落ち着けて改めた。

 

『漁船を解体すれば武器位は作れるかも知れません。武器さえ有れば、異形達とも戦えますよ!』

 

「‥‥‥解体?」

 

幾ら小型とはいえ漁船だ。それを解体するとなると、レンと妖精さんの二人掛りで一体何日かかるのか‥‥‥頭が痛くなってくる。

 

「解体‥‥‥はひとまず置いておこう?先ずは船まで案内するね?」

 

そうして、海に碇泊させてある漁船に到着。漁業仲間の漁船も碇泊している。あれからは漁には出ていないらしい‥‥‥。レンが両手拳を強く握り締めた。悔しさが込み上げてきて、奥歯を噛み締める。

 

「妖精さん、早く‥‥‥早くあの怪物をやっつけようよ。またみんなが海に出られるようにしよう」

 

『そうですね』

 

レンと妖精が船室に入り、約20分。その間微かに光が洩れてはいたが、離れれば気付かれない程度。

 

『完了しました』

 

レンの頭から飛び降りた妖精さん。これで駆逐艦漣の力を充分に発揮出来るらしいのだが‥‥‥イマイチ変わったような感じがしない。

 

「えっと、何か変わったの?」

 

『はい。燃料を消費しますけど、今は微々たるものなので試してみましょうか』

 

言われるままに海面に立つ。燃料を身体全体に巡らせるイメージ。身体の周りが微かに揺らめき、身体全体を薄い空気の膜のようなものが覆う。その状態を維持したまま、右足に力を込めて回し蹴り。

 

「‥‥‥ちぇいさー!」

 

バコンッと音をたてて、蹴られた船腹に穴が空いた。信じられずに目を丸くして思わず「うっそ‥‥‥」と呟く。

 

『もう軍艦の力がありますから、何もしない状態でもレンさんの装甲は遥かに人を凌駕しています。攻撃に関しては艤装さえ出来れば、今の数倍の力が発揮できます』

 

妖精さんの話だと、艤装が揃えば装甲、火力共に大幅に上がるそうだ。それと、ベースの装甲は燃料を使わなくてもある程度は硬い。火力の方は今のように攻撃するには燃料を使う必要がある、と。

 

『漣は駆逐艦ですから、連装砲や魚雷といった所でしょうか?』

 

「レンソウホウ?ギョライって?」

 

何度も言うようだが、レンは軍艦に関してはドの付く素人。当然魚雷や連装砲といった装備の種類など知らない。それどころか、武器の類は持ったことすらない。強いて言うならば、料理に使用している包丁‥‥‥位だろうか。

仕方無く、駆逐艦の使えるであろう武器について話す妖精さん。妖精さんが海で仲間と移動していた時に異形達と戦うために使っていたのが、この連装砲だったらしい。

 

「あの‥‥‥それ、私が使うの?」

 

『中に私が乗り込みますから、レンさんは砲撃の指示と方向づけだけお願いします』

 

急に怖くなってきた。相手が異形とは言え、使うのは兵器。それも、国連軍の最新兵器すら凌駕するもの。そんな恐ろしいものを、自分が使うと思ったら、足がガクガクと震えた。

 

『先ずはこの船を解体します。12.7㎝連装砲一基なら出来ると思います』

 

折角家を出てきたレンだが、その家に逆戻り。三時間程待たされた。その三時間で、妖精さんたった一人で解体、連装砲の開発をこなすらしい。

確か、靴の装備を作るのが精一杯と言っていた気がしたのだが。もしこれで本当に一人でこなしてしまっていたら、あの説明は一体何だったのか。妖精というものは、全くよく分からない。

 

特にやることもなく、三時間。(そろそろ、かなぁ)と船へと向かう。

すると。在った筈の船が、綺麗サッパリ消えてしまっていた。代わりに、妖精さんがサッカーボール程の大きさの金属製の箱のようなものに座っていた。その箱の前方には砲身が二つ。12.7㎝連装砲だ。

 

『撃ってみますか?』

 

燃料は解体した船から。弾薬は‥‥‥何と妖精さんが作り出した、らしい。そもそも妖精さんには弾薬やボーキサイト等の船に必要な資材を海中の成分から抽出、作り出す力があるそうだ。但し、それは妖精さん一人一人だとかなり微々たるもの。レンが貰った靴の装備も、その抽出した今までの資材をかき集めてどうにか作れた代物らしい。

 

「うっ‥‥‥でも‥‥‥うん」

 

躊躇しながらも、やってみる事にした。怪物と戦わなくてはならないのなら、どのみち撃つ事にはなるのだ。仕方無く連装砲を手に取り、海に浮かぶ。足で水面を蹴ってスケートの要領で少しだけ沖へと走り、連装砲を構えてみる。

 

「こう?」

 

『そうです。あと少しだけ、砲を上に』

 

少しだけ箱を上に向ける「えっと、それじゃあ‥‥‥」と連装砲に乗り込んでいる妖精さんに発射の合図を送ろうとした時、更に沖で砲撃音が聞こえた。

 

「‥‥‥え?」

 

音のした方へと視線を向ける。かなり遠くだが、船が二つ。一つはどうやら漁船。これは間違いない。もう1つは‥‥‥黒い影。嫌な予感がしてならない。

 

『『ヤツら』です!』

 

妖精さんも気付いたらしい。つまり、あの怪物に漁船が襲われているのだ。この町の漁師は出ていないとなると、隣の県の漁船か。まだこの辺りが安全と思ってしまっていたのだろうか?

 

「どうしよう‥‥‥」

 

助けないといけないのは、分かる。そして、レンにその力が有るのも。しかし、怖い。どうしようもなく怖い。練習も無しに、いきなりの実戦。しかも、此方の攻撃が効くかどうかまだ分からない。

 

『行きましょう、『駆逐艦漣』!』

 

‥‥‥何故だろう。軍艦のその名を呼ばれた瞬間、胸の奥から込み上げて来るものがある。人としてのレンは、恐怖を感じているのは間違いない。だが、駆逐艦漣の魂が、レンを後押しする。『逃げるな、責務を果たせ』と。

 

「分かった。行くよ」

 

艤装は満足ではないし、推進機関も不十分。武器は連装砲のみ。だが、目の前の漁船を見殺しには出来ない。自分と同じ思いをする人を‥‥‥これ以上増やす訳にはいかない。

レンは両足に力を込め、全身に燃料を巡らせる。水面を蹴って、怪物に向かって滑り出した。

 

「‥‥‥駆逐艦漣、出るっ!」

 

******

 

『絶対に当たらないでくださいよ!』

 

「分かってる!って、キャアア!」

 

真っ黒な鯨のような怪物が口を開けて放ってきた砲撃を、バランスを崩しながらもなんとか避けた。そのまま水面を転がっていって、最後に前転して起き上がって体勢を整える。

装甲が不十分な為、一発でも被弾すれば致命傷になりかねない。此方は初戦闘の素人なのだが、少しのミスも許されない。ゲームで言うならベリーハードモードか。

 

「ああっもうっ!発射!」

 

苦し紛れに放った砲撃は、怪物の右15メートル程を通過。止まっている的でさえ当たるか分からないのに、動いている敵に当てなくてはならないのだ。

 

「もうやだ‥‥‥無理だよぅ‥‥‥キャッ」

 

レンの左の腰のすぐ脇を、砲弾が掠めた。ギリギリセーフ。危うくまともに被弾する所でだった。

 

「危なかったぁ‥‥‥もうっ!!あんまり調子に乗ると‥‥‥っ!」

 

半ばヤケクソに放った連撃が、まぐれ当たりで両方ともヒット。怪物から煙が上がって、爆発。その残骸が水底へと沈んでいく。

 

『やりましたね!』という妖精さん。それに、離れた位置からだが歓声をあげる漁師達。

それよりも何よりも当てたレン本人が一番驚いている。

 

「‥‥‥やった‥‥‥やった!これが漣の本気なのです!」

 

思わず両手を挙げてガッツポーズ。暫し勝利の余韻に浸っていたレンだったが、我に返ってその場を逃げるように離れ始めた。

今更、本当に今更なのだが、ニュースに出るとか新聞に載るとか、非常に恥ずかしい。出来る事ならひっそりと、目立つ事無く影から世界を救いたい。

 

(逃げよう。うん、逃げよう)

 

一目散に、逃げるようにその場を離脱。港には行かずに大きく山の方へと迂回。地形の入りくんだ砂浜から身を隠すように陸へと上がった。

そーっと後ろを見ると、どうやら追っては来ていない。ホッと胸を撫で下ろす。

 

「はぁ‥‥‥怖かったぁ」

 

安心したら腰が抜けた。その場にへたり込んで動けなくなったレン。怪物達を一掃するのは、まだまだ先になりそうだ。

 

*********

 

二日後。東京某所にある編集部。

 

「足木、仕事だ」

 

中年小肥りの編集長に呼ばれた新人の記者。ロングヘアに白いカチューシャ。美人と言える整った顔立ち。ただ、少しダルそうにデスクに突っ伏している姿のせいで全て台無しになっている。

 

「何よぅ、編集長。スクープ?」

 

「それを茨城まで確かめてこい。茨城の漁船が、あの怪物を少女が倒したのを目撃した、って情報があってな」

 

足木は突っ伏したままで顔を顰めた。アメリカやロシア、その他先進国が総力を結集した国連軍ですら歯が立たなかった海の怪物。それを少女が倒した等という情報、デマに決まっている。

 

「はぁ?何それ?」

 

つまり、だらけてヤル気の無い(ように見える)足木記者に、そのいい加減な嘘かも知れない情報を確かめてこい、という事らしい。

 

「イヤよ。そんな嘘よりもっとこう、これだっ!ていうスクープを‥‥‥」

 

「行ってこい。スクープなんぞ自分で探してこい」

 

編集長の額に血管が浮いている。これ以上駄々を捏ねるのは得策とは言えない。仕方無く足木は身体を起こした。

 

「行けばいいんでしょ、行けば。足木妙(たえ)、取材行ってきま~す」

 

適当に返事をして、足木記者は編集部を出た。これが、足木が英雄『駆逐艦漣』を追い掛け回す切っ掛けになるとは、足木本人も想像もしていなかった。そしてその後の事も‥‥‥。

 

 




レンちゃん強運を掴んで初勝利。残念ながら(?)服は無事です。

妙高型3番艦?足柄?さあ、なんの事やら。記者の名前は足木妙(たえ)ですよ?何を言ってるのか分かりませんねぇ


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その3 資質

3話。駆逐艦漣の受難は続きます。


 

 

(これからどうしよう‥‥‥)

 

勢いで家を出て妖精さん探しの旅に出た、迄は良かった。だが、レンはまだ15歳だ。しかも、無職の宿無しである。非常に困った。暫くは預金を切り崩せば生活できるかも知れないが、そんな事長くは続けられない。やはり、何処か働く場所を探す必要がある。それと、拠点となる宿も。

 

連装砲は剥き出しで持ち歩く訳には行かない。少し大きめのバックに詰めて、キャリーバックに固定して持ち歩いている。何気に大荷物だ。

 

(この近くに妖精さんが居ればいいんだけどな‥‥‥)

 

連れている妖精さんは、バックの中で睡眠中。流石に疲れていたようだ。レンもかなり歩いたし、そろそろ何処かで休憩もしたい。

 

(休みたい‥‥‥お風呂入りたい)

 

宛もなく、というのはやはりきつい。目的地さえハッキリしていれば、電車なり海上を走るなりして一直線に進むのだが‥‥‥。

 

「ふぎゃ」

 

普段なら絶対に躓かないような道路の段差に右足を引っ掛け、レンは盛大に前にコケた。両掌を突いたお陰で地面に顔面を直撃、という事態は免れたが、右膝を擦りむいた。小学生の時以来だ。

 

「ううっ‥‥‥痛い‥‥‥」

 

近くにあったベンチに座り、怪我を左手で擦る。「はぁ」と溜め息をついて、バックから絆創膏を取り出して貼った。

 

(‥‥‥ん?)

 

座ってこの辺りを見回したお陰で、近くに銭湯があることに気が付いた。膝は擦りむいてはいるが、血は殆んど出ていないし、大した傷ではない。(怪我してるけど入っても大丈夫かな?)などと考えながら、吸い込まれるように銭湯の方へと歩く。

 

それなりに立派な門。暖簾を潜ると、番台を挟んで左が男湯右が女湯、二手に別れる構造になっていた。昔ながらの銭湯だ。

 

「いらっしゃいま‥‥‥珍しいですね」

 

番台に居たのはよく居るようなお年寄りではなく、恐らくレンと同じくらいの少女だった。肩くらいの長さの黒髪で、後ろを縛っている、純粋そうな娘。

この辺りではレンのような歳の子が一人で利用するのが珍しいらしい。

 

「あ、えっと‥‥‥膝擦りむいてるんですけど、大丈夫ですか?」

 

番台の少女は頷いて「大丈夫ですよ」と答えてくれた。レンの持つキャリーバックに視線を向け「旅行ですか?」と訊ねてきた。

 

「そんな感じです」

 

お金を払い、中へと入る。本当に昔ながらの銭湯だが、ロッカーにはちゃんと鍵も掛かるようだ。

妖精さんはまだ眠ったまま。起こすのも悪いと思い、そのままにしてバックごとロッカーに入れ、服を脱ぎ、身体を洗い、風呂へ。

 

「はー‥‥‥生き返る‥‥‥」

 

そんな年寄り染みた事を洩らし、のんびりと湯に浸かる。何故だか分からないが、もの凄く疲れが取れる気がする。

 

(なんだっけ‥‥‥プラシーボ効果だっけ?ま、いっか)

 

時間が早いからか、それとも田舎だからなのかは分からないが、今はレンの他には誰もいない。セオリー通り富士山の描いてある壁際に頭を持たれ掛け、両手足を投げ出す。

 

(そう言えば膝、染みないなぁ‥‥‥あれっ?)

 

傷が全く染みない違和感に気付いて、右足を挙げてみた。有った筈の怪我が、綺麗に消えていた。

 

(もしかして、これも駆逐艦漣の力かな?)

 

少しの傷なら直ぐに回復出来るのだろうか?だとしたら、軍艦の魂の力はチートもいいところだ。まるで、本当のヒーローになった気分だ。

 

お風呂を堪能し、バスタオルを身体に巻いてあがってみると、番台の少女が牛乳瓶を二本持って待っていた。笑顔で「どうぞ」とその一本を手渡してくれた。レンも笑顔を返し、それを右手で受け取った。

 

「ありがとう。えっと‥‥‥私、レンっていいます。番台さん、名前は?」

 

「ユキだよ。レンちゃんはこれから何処に行く予定なの?」

 

ユキと名乗った番台の少女。レンは駆逐艦漣の事は隠し、適当に『自分探しの旅』だと答えておいた。純粋に「凄い!格好いい!」とキラキラして尊敬の目差しを向けてきたユキに嘘をついた後ろめたさを覚えながら、他愛もない話をした。ユキの両親もまた、あの海の怪物に殺された事や、今のこの銭湯を経営している祖父母と生活している事。レンと同じくらいの歳なのに祖父母の面倒を見る為に学校には通っていない事など。

 

 

 

「レンちゃん、また来てね!」

 

「うん、また来るから!」

 

手を振って見送ってくれたユキと別れ、レンは歩き出した。気のせいではなく、身体が軽い。先程のお湯に疲労回復の効能でもあったのだろう。

 

1㎞程海岸沿いを歩いていると、海の方から警報が聞こえた。沖の方、巡視船があの鯨のような怪物に襲われている。銭湯を出て直ぐに起きていた妖精さんもバックから顔を覗かせ海を見ている。

 

「妖精さん!」

 

『はい、助けに行きましょう!』

 

靴の艤装を付けて、連装砲をバックから取り出す。キャリーバックは見つからないように岩影に隠して、砂浜へと降りる。

 

「今助けに行くからね!」

 

レンは意識を集中。身体に燃料を巡らせ、両足で地面を蹴って、勢いよく海面に着地。出来る限りの力で水面を蹴り、沖へと走る。

 

巡視船も発砲したりと抵抗はしていた。しかしそれが怪物に効く筈もない。怪物は口を開けて巡視船に砲を向けた。万事休す、というタイミングで、その怪物に横から砲撃が飛んできた。当たりはしなかったものの、怪物が向きを変えて砲撃のあった方向‥‥‥レンの方へと向かってくる。

 

『絶対に避けてください!』

 

「うん!」

 

よくよく観察してみると、怪物の砲撃直前、口の中の砲身が光るようだ。相手の怪物が一体だけならば、光った瞬間に全力で今居る場所から回避すればそうそうは当たらない筈だ。

 

全身を投げ出すように横に飛んで、怪物の砲撃を回避。次の砲撃までの間に、此方も砲撃。まだ馴れないのでそうそうは当たらないものの、6回目で怪物にヒット。煙をあげて動きの極端に遅くなった怪物に、レンが落ち着いて連装砲を向ける。

 

「ていっ!」

 

2発とも怪物を捉え、爆発が起こる。だいぶ戦闘にも慣れてきた。一対一ならば、そうそう負ける気はしない。

 

「よしっ!」とその場でガッツポーズ。笑顔を見せて巡視船の砲に手を振っていたレン。その巡視船から再び警報が鳴るのを、首を傾げて眺める。

 

「また警報?手を振ったから答えてくれたのかな?」

 

『レンさん、後ろです!』

 

妖精さんの声で振り向くも一歩遅かった。怪物はもう一体居た。その口内の砲が放たれ、レンの左手を掠めた。と言っても直撃ではなかったというだけ。肘が折れ、二の腕辺りが血まみれ。かなりのダメージもらってしまっていた。

 

「痛い‥‥‥痛いよ‥‥‥妖精さん‥‥‥」

 

痛みに耐えられず、涙を流しその場に座り込んでしまったレン。『レンさん。落ち着いて!砲を構えて下さい!』と必死に叫ぶ妖精さん。

 

再び怪物が口を開けた。次を被弾すれば後は無い。完全に固まってしまったレンは死を覚悟したが、怪物が突然向きを変えた。巡視船が発砲してくれていたのだ。

怪物が砲を巡視船に向ける。今しかない。レンは12.7㎝連装砲を膝と右手で固定し、座ったまま怪物に向けた。放った弾は2発とも命中。怪物は爆発。

怪物が撃った弾が船首に当たり大きく傾いているが、巡視船はなんとかまだ無事。代わりにレンは怪物に近すぎて、爆風で浜の方へと大きく吹き飛ばされた。

 

『レンさん、確りしてください、レンさん!』

 

幸い、波に押されるように浜へと打ち上げられたレン。連装砲や靴の艤装は無事だが、左腕の怪我は不味い。

 

「血‥‥‥止まら‥‥‥ない‥‥‥」

 

痛みで泣きながら、左腕を押さえる。治るような気配はない。先程膝を擦りむいた時は簡単に傷が消えたのに。

 

「さっきは‥‥‥擦りむいた‥‥‥膝は‥‥‥治った‥‥‥のに‥‥‥」

 

妖精さんがハッとした。レンの言葉が確かなら、レンが知らないうちに修復材、もしくはその成分をもつ何かを使った事になる。この町か、それともレンの持ち物かは分からないが、何処かにそれが有る筈なのだ。

 

妖精さんは慌ててレンの持ち物を漁った。該当するような物はない。

レンに聞こうにも、初めて味わったであろう強烈な痛みに既に気を失っている。

 

『‥‥‥‥‥‥さっきの銭湯!』

 

妖精さんは走った。一刻の猶予も無いかも知れない。なんとか銭湯に辿り着き、中へ。湯槽に張られているお湯に手を入れると、強く頷く。このお湯には確かに、駆逐艦漣を修復させる成分が多量に含まれている。

 

『やっぱりこれだ!このお湯をどうにかしてレンさん‥‥‥に‥‥‥?』

 

振り向いた妖精さんの瞳に映ったのは、さっきの番台の少女、ユキの姿。それも、その視線は真っ直ぐに妖精を向いている。

 

「えっと‥‥‥小人さん、なのかな?」

 

やはり。このユキという少女には、妖精さんが見えている。時間が無い。妖精さんはユキに飛び乗り、その髪を引っ張り必死に訴えた。

 

『お願いです!レンさんを、レンさんを助けて下さい!』

 

******

 

その頃。茨城某所。携帯電話を片手に、もう片手に写真を数枚持って興奮気味に話しているのは、足木記者。

 

「やりましたよ、編集長。スクープ、大スクープですよ!救世主ですよ!」

 

足木の持つ写真に収められていたのは、かなり遠目ではあるがレンが怪物を撃沈している所を連続で捉えた写真。先日の漁船の漁師が撮ったものだ。

 

「この写真はそっちに送っておきます。私はこれからこの少女を追います!もっと凄い現場を抑えてみせますから!」

 




ユキちゃんが初登場。まあ、言わずとも誰かはお分かりいただけるかと。


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その4 『吹雪』

4話。思ったより短めで纏まりそうな予感。



「―――――、――――――!―――――!」

 

誰かの声が微かに聴こえ、うっすらと右目を開いたレン。そのぼやけた視界にはユキと、老人の姿が映っていた。

 

「ユキ‥‥‥と‥‥‥‥‥‥砲‥‥‥台長‥‥‥さん」

 

レンのその弱々しい言葉に、老人‥‥‥ユキの祖父が目を見開き驚きの表情をみせた。砲台長と呼ばれたせいだろうか。

 

そのままレンは再び瞳を閉じた。幾ら軍艦の魂の力で身体が強化されていると言っても、レン本人の精神は限界。本来ならば左腕切断になってもおかしくない程の怪我なのだ。薄れ行く意識の中で、ユキの祖父に抱き上げられる感覚。(助かる‥‥‥のかな)とぼんやりと考えている途中で、レンの意識は途絶える。

 

ユキの祖父は、レンの事を病院へは連れて行かず、ユキに話を仲介してもらった妖精さんに言われた通り銭湯へと運んでくれた。時々ユキが担いで運んでいる連装砲や、レンの履いている靴の艤装に視線を向けながら。

祖父が嘘のようなユキの話を信じたのにはちゃんと根拠がある。一つは、ユキがそんな珍妙な嘘をつく訳がないという、孫に対する信頼。現に、レンは大怪我をしてこうして倒れていた。それと、妖精が見えない祖父の為に、ユキが思案して妖精さんに兎のヌイグルミを着せた事。声までは聞こえないが、目の前でまるで魔法のようにヌイグルミが動いていれば、妖精の存在も信じざるを得ない。それと、もう一つ‥‥‥レンの艤装。

 

*********

 

『漣!何処よ!?‥‥‥嘘でしょ‥‥‥漣!!』

 

海面から、自分を呼ぶ声が聞こえる。初めて聞く筈の声なのに、誰のものなのか分かる。不思議な感覚。

 

(ここ‥‥‥ここだよ‥‥‥助けて、ボノ‥‥‥)

 

自分が沈み行く水中には、潜水艦が3隻見えた。身体は動かない。ただ重力に任せ、水底へと落ちていく。微かにだが、水の上から声が響く‥‥‥と、二隻の駆逐艦が近付いてくるのが見えた。僚艦の援軍か‥‥‥どちらにしても、もう遅い。漣は、此処までだ。

 

『曙!助けに来たよ!』

 

『‥‥‥バカ島風ッ!!遅いわよっ!漣が‥‥‥漣が‥‥‥全部アンタ等のせいよっ!返して‥‥‥漣を返してよ!!』

 

水を通して、濁った声だけが聞こえる。曙が涙を堪え必死に叫んでいる声が。

 

(やだよ‥‥‥助けて‥‥‥死にたくない‥‥‥)

 

*********

 

レンが気が付いたのは、ユキの家の浴槽。銭湯の隣の部屋にある、家族が入れる小さめの物だ。

 

(夢か‥‥‥あれ?)

 

先程迄は確か海辺に居た筈‥‥‥と思って湯槽から上がろうと両手を突いたところで、左腕の違和感に気が付いた。あれほどの大怪我だったにも関わらず、跡形もなく治っている。

 

(え?)

 

風呂から上がり扉を開けると、更衣室にはバスタオルと着替え。それと、先程の兎のヌイグルミを着ている妖精さんが居た。

 

「妖精さん?どうしてヌイグルミ着てるの?」

 

『レンさんを助ける為です。ここのお風呂には、軍艦を治癒する力があるみたいです』

 

そこで、漸く思い出した。ユキ、それとお爺さんに助けてもらったのだ。という事は、左腕の傷もこのお風呂のお陰で治ったという事だろう。

 

「でも、どうやって私の事を?」

 

ヌイグルミは着る事が出来ても、言葉が通じなくては文字通り話にならない。それで驚きつつも理解した。お爺さんの方は見えないが、ユキには妖精さんが見える事を。

つまり、ユキもレンと同じ‥‥‥軍艦の魂の力を持っているという事だ。

 

『それでですね、お爺さんがレンさんと話をしたいみたいです』

 

レンは一先ず身体を拭いて、髪を乾かし服を着た。脱がせてお風呂に入れてくれたのはユキらしい。あんな痛々しい傷を見せてしまった上にお風呂にまでと申し訳ない気持ちを抱えながら、レンは銭湯の裏、ユキ達家族の生活スペースへと回る。

 

ユキは席を外し、ユキの祖母は番台の仕事。待っていたのは祖父だけだった。祖父がユキと妖精を信じ、レンを自宅まで連れて来た理由は、レンの履いていた靴の艤装と、持っていた連装砲。彼は、嘗ての大戦での漣の乗組員だったそうだ。それも、砲台長。家族には大戦での事は多くは語っておらず、駆逐艦漣に乗っていた事すら話していないらしい。にも関わらず自分の事を『砲台長』と呼び、嘗て自分が担当していた12.7㎝連装砲と同じ型の武器を持ち、漣のそれを彷彿とさせる脚の艤装。それだけで話を信じるに足りた、と。

 

「そう‥‥‥だったんですか。何て言うか‥‥‥ごめんなさい」

 

ユキの祖父達乗組員の力に答えられず、敵の潜水艦に沈められていった駆逐艦漣。その力不足が申し訳ない。そういえば先程の夢は轟沈時のものだったのだろう。

 

「お嬢ちゃんのせいじゃないさ」

 

ユキの祖父は、うっすらと笑みをみせながらも遠い目をしていた。嘗ての大戦を起こした事自体が無謀だったからだろう。戦争する事を煽ったマスコミも、決定した上層部も、それに踊らされていた国民も。

 

そのあと。レンはユキと共に裏庭へと案内された。祖父が大きな岩を幾つか避けると、地面にはマンホール位の大きさの扉があった。

 

「漣が沈んだ後だ。生き残った仲間と、此処で機会を待っとった」

 

祖父が言うには、漣が沈んだ後、残った雄志で資材を少しずつ集め、来るべき本土決戦に備えていたらしい。その時集めたものが、まだ地面の下に保管されているのだそうだ。

 

「お嬢ちゃんなら、あの海の怪物と戦えるんだろう?あれを是非使って欲しい。それと、ユキ」

 

祖父に手招きされ、ユキが近付く。祖父はユキの頭を優しく撫で、笑顔で諭すように話した。『レンを助けて、共に戦え』と。

 

******

 

「ユキ、本当に良いの?私みたいに大怪我するかも知れないんだよ?」

 

縁側に並んで座り、お茶を啜るレンとユキ。ユキも妖精さんに軍艦の力を解放してもらった。ユキに宿っていたのは吹雪型駆逐艦のネームシップ『特型駆逐艦吹雪』だ。

 

地面の隠し部屋には、驚く程の資材が眠っていた。大戦後にアメリカに接収されなかったのは奇跡だ。お陰で吹雪と漣の完全な艤装、それと3連装魚雷と吹雪用の12.7㎝連装砲を用意できた。

 

「勿論怖いけど‥‥‥でも、私達がやらなきゃ。みんなが困ってるのに見ないフリなんて出来ないよ。それに」

 

ユキがレンに、ニッコリと純粋な笑顔を向ける。「二人なら、大丈夫」と。

正直、怪物達から海を取り戻せるのかは分からない。もしかしたら、先程の夢のように、志半ばで死んでしまうかも知れない。けれど、決めたのだ。駆逐艦漣は、ユキ‥‥‥駆逐艦吹雪と共に、みんなの為に戦うと。

 

 

 

翌日。荷物を背負い、レンとユキは妖精さんを連れて車に乗った。艤装はトランクの中。運転は祖父。目指すのは首都東京。今朝の新聞に乗っていた写真に、妖精の姿が写り込んでいた為だ。祖父にはその写真ですら妖精は見えなかったようだが。

 

「東京ってやっぱり凄い都会なんだよね?緊張するなぁ」

 

住んだ町から出た事が無いらしいユキは、緊張の余りカチカチになっている。レンはその姿を苦笑いで見つめながら、妖精さんを胸に抱いている。妖精さんは気に入ったのか、ユキから貰った兎のヌイグルミを着ている。祖父に居場所が見えるようにとの考えもあるのだろうが。

 

こうして四人(?)は、一路東京都へ。

 

******

 

「嘘でしょ‥‥‥」

 

ユキ達が東京へと向かっている頃。ユキの町の海岸で聞き込みをしているのは、足木。一日遅かったようだ。

聞き込み相手は昨日の巡視船の乗組員。レンが怪物達と交戦しているのを目撃した一人だ。

 

「‥‥‥待ってください、それじゃあ、この辺の病院に入院してる可能性もあるって事ですね?」

 

怪物を撃退はしたものの、少女は左腕に大怪我をしたらしい。それなら、近くの病院に入院している筈。「まだ運はあるわね」と足木は近隣の病院を虱潰しに当たる。当然ながら何処にも入院してはいないのだが。

 

(怪物を倒せるっていうのは間違い無い‥‥‥待ってなさいよ、救世主さん‥‥‥必ず私が尻尾を掴んでやるわ)

 

 




吹雪が仲間に加わりました。これで、あとは雷です。

早波は艦これ未実装の為セリフ無し。残念ながら島風と曙の出番はこれで終わりです。



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その5 抜錨

雷さんの出番はまだ先。


 

 

「あははははっ!!すごーーい!!凄いよレンちゃん!」

 

「に゛ゃああああああっ!?助けてぇぇぇぇ!!」

 

茨城は大洗沖。響くのはユキの楽しそうな声と、レンの悲鳴。完全な艤装を手に入れた二人は、東京迄の道の途中、試運転する事になった。主にユキが『いつ出ても大丈夫なように慣らしておきたい』と言った為。

 

その発案者のユキは実に軽快に海上を走っている。『駆逐艦吹雪』としての走行機関を完全に使いこなしているようだ。その一方で、艦娘の先輩の筈のレンは、走行機関に完全に振り回されている。海上を走っている、というより無理矢理走らされている状態。まともに旋回することもままならず、低速まで下げて漸く動けるようになる程度。何と言うか、不公平だ。

 

『レンちゃん、大丈夫?』

 

無線まで起用に使いこなしているユキ。運動神経、器用さ、凡てにおいて負けている気がする。

 

「うぅ‥‥‥私の方が先輩の筈なのに‥‥‥理不尽だよぅ‥‥‥」

 

これでユキが射撃の腕まで良かったら‥‥‥立ち直れないかも知れない。確かにレンはインドア派。料理を作ったりする事なら人並みに出来るが、運動は並以下‥‥‥訂正、並未満だ。それに比べユキはアウトドア派。スキー等も得意らしい。その辺の差が出ているのだろう。

因みに、ユキはお祭りも好きで、射的も得意である‥‥‥。

 

沖から海岸の方へと走り、何とか減速、停止。波に拐われないように一応二人とも錨を降ろした。この小さな筈の錨で自分を支えられるのだから、艤装のシステムは全く解らない。

 

二人が何故同時に艤装を駆る事が出来ているのかと言えば、妖精さんの一人と合流出来たお陰。つまり、今は妖精さんが二人居る状態。

 

妖精さんは、とある少女と一緒に小さな公園に居た。そのツインテールの少女には妖精さんが見えていたらしい。『妖精さんと私達の事はみんなには絶対内緒だよ?』と慣れた様子でユキが諭すと、少女は『うん!』と頷いていた。その少女がただ妖精さんを見えていただけなのか、それとも軍艦の魂を宿していたのか迄は確認しなかったが、恐らくは後者。だが、流石に四歳児の少女は命を掛けた戦いには巻き込めない。

『おねえちゃんたち、にんじゃさん?かっこいい!』と瞳をキラキラさせていた少女を何とか宥めて別れ、今に至っている。

 

(あの女の子も大人になって艤装着けたら、私よりも上手く海を走れるんだろうな‥‥‥私って駄目だなぁ)

 

公園の少女を思い出しながら、ユキと共にゆっくりと浜へと向かう。車に戻り、後部座席で揺られながら、いつの間にか眠ってしまった。

 

*********

 

『みんな‥‥‥ごめんね』と苦しそうな表情で、ストレートの銀髪にカチューシャ、弓道着の女性が肩で息をしながら何とか走行している。損傷は甚大。僚艦も彼女の轟沈を覚悟したほどで、機関が無事だったのは奇跡に近い。その弓道着の女性と並走し、周りを警戒しているのは駆逐艦親潮、早潮。

 

『翔鶴さん、もうすぐやから。謝らんといて』

 

自分‥‥‥漣の隣を走りながら、後方の弓道着の女性、翔鶴を励ますのは黒潮。漣も『もうすぐ内地だから!』と励ましている。

また、夢。軍艦としての魂の力を引き出してもらってから、頻繁に見るようになった軍艦の夢。

 

自分‥‥‥漣だけ他の面子から離れていく。状況は全く解らないが『じゃあ、私はサイパンに行かなきゃだから』という言葉が、口から勝手に流れ出てきた。

 

『はぁ‥‥‥はぁ‥‥‥はぁ‥‥‥‥ええ、ありがとう、漣』

 

『いえ。翔鶴さんも気をつけて』

 

親潮達に先導され、翔鶴が内地へと向かっていく。今度はその最後尾に付いて走ろうとした黒潮に、漣はポツリと呟くように声を掛けた。

 

『私達‥‥‥勝てるのかな?』

 

驚いた表情の黒潮。何処か憂いを帯びたような笑顔を見せる。

 

『大丈夫や。勝てるよ』

 

『‥‥‥そう、だね。翔鶴さんをお願い』

 

漣の予感は的中する事になる。翌月、ミッドウェーにて、日本は赤城、加賀、蒼龍、飛龍の空母4隻を失う事となる‥‥‥。

 

*********

 

(‥‥‥また、かぁ)

 

目を覚ましたレン。どうやらかなりの間眠っていたらしい。道路の標識に目をやると、既に千葉県。しかも、東京湾が見える。

レン達が向かっているのは浅草だ。浅草寺の写真の中の1枚に、妖精さんが写り込んでいた。近くまでいけば、何とかネットワークを繋いで連絡がとれる。

 

「怪物が現れなけばゆっくり探せるんだけどね」

 

そんな事を発言しているのはユキだ。何と言うか、もうフラグにしか聞こえない。東京湾内にはまだ怪物は現れてはいないが、もし此処まで来るような事があれば最悪首都移転なんて話にも為りかねない。

 

「ユキ、そういう事言ってると本当に怪物が‥‥‥」

 

言い掛けたレンの言葉を遮るように、警報が辺りに鳴り響く。車を一時止め、レンとユキは沖に目を凝らす。

 

『奴らです!出番ですよ、漣、吹雪!』

 

妖精さんの言うことは分からなくもないが、今回は少し戸惑った。何せ、海の怪物達の姿は此処からでも見える。それはつまり、レン達があそこ迄行って怪物達を撃退すれば、その様子は陸から丸見えという事だ。

 

「‥‥‥絶対目立つよね?」

 

ユキに同意を求める。確かに、怪物を倒して海を取り戻すと誓った。ただ、注目されるのはどうかと思う。倒して戻ってきた時に野次馬に揉みくちゃにされるのは‥‥‥。

 

「行こうよ!」

 

レンの意思に反し、ユキが手を引っぱる。恐らく、ユキはそこまでは考えていない。彼女の思考は『みんなの為に怪物を倒す』 という事だけだろう。

とは言え、黙って見ても居られない。このまま怪物を野放しにすれば東京湾への浸入を許し、東京は首都としての機能を失う事になるだろう。それだけで日本は混乱に陥る。

 

「‥‥‥分かった。妖精さん、お願い」

 

周りに気付かれない程度に小さく溜め息をついたレン。、ユキ、それとお気に入りの兎のヌイグルミを着こんだ妖精さんと共に、艤装を纏い海岸へと向かう。

 

燃料もほぼ満タン。弾薬もある。問題があるとすれば、レンの船としての走行技術と、ユキの砲撃の腕だ。

 

「大丈夫!レンちゃん、任せて!」

 

Vサインで答えるユキは「何だかアニメの魔法少女みたいだよね!」と実にノリノリではしゃいでいる。レンの初出撃の時とは大違いだ。そんなユキを羨ましく思いながら、レンは全身、それに艤装に燃料を巡らせる。

 

(‥‥‥よしっ)

 

気持ちを切り替え、エンジンをフル稼働。最大船速で、駆逐艦吹雪と共に飛び出した。

 

******

 

悔しさ混じりに奥歯を噛み締め、横須賀基地内の執務室で天井を仰ぐ人物が居た。名は橋本、所属は海軍。階級は少佐。ここ横須賀の責任者だ。とは言っても、海軍は世界的に弱体化の一途を辿っている。縮小している訳ではない。海の怪物に徐々にその戦力を削られている為だ。現存の通常兵器はおろか、アメリカやロシアの最新兵器すら効かない怪物。そんな物を相手に勝利など出来る筈もない。

こうして今も怪物を目の前にして、ただ見ている事しか出来ない。

 

コンコン、とノック音。橋本が扉を開けると、部下の一人が息を切らせ立っていた。走ってきたのだろうか?

 

「少佐、報告します。『深海棲艦』6隻と何者かが交戦中、2隻撃沈したとの事です!」

 

「‥‥‥何だと?」

 

目を見開き、報告に驚く。何者かは分からないが、あの『深海棲艦』を撃沈したというのだ。無理もない。

 

「何者だ?映像はどうなってる?」

 

戦闘の様子を映している映像を確認する。映っているのは、軍艦の一部のような艤装を背負い、その手に連装砲を持った二人の少女だった。ぎこちない動きではあるが、連携をとりながら砲撃、鯨のような深海棲艦を撃沈している様子が見える。

 

「‥‥‥中将に繋げ」

 

あの計画は失敗した筈だ。だからこそ『南方棲戦姫』や『深海棲艦』が生まれ、人類は海を奪われたのだ。だが‥‥‥映っているのはどう見ても人間の少女が海上を走り、軍艦のように戦う姿。軍艦の魂を人間に宿す狂気の実験がつづけられていた、という報告は受けていない。

 

中将からの命令は、二人を『確保』しろというものだった。それと、落ち着くまでは公にするな、と。騒ぎを嗅ぎ付けたマスコミを煙に巻くのは面倒だが、中将からの命令とあれば仕方無い。

 

(身から出た錆とは言え‥‥‥)

 

まさか、こんな少女に日本の、いや、世界の命運を託す事になろうとは。橋本は椅子にもたれ、煙草に手を伸ばした。

 

(彼女達を騙して使うのか‥‥‥命令とは言え、心が痛むな)

 

 

 




公園の少女:後の川内さんです。この時四歳。

橋本少佐:某駆逐艦の最後の船長の血を引いてます。


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その6 海軍

6話です。ここから大本営に翻弄されていきます。


『レンちゃん、伏せてっ!』

 

ユキからの通信に反応し、レンがその場にしゃがむ。直後、真後ろから砲弾が飛んできて頭の上を掠めた。振り向き連装砲を構え放つ。

 

一発目は怪物の左に逸れて水飛沫が上がった。レンが二発目を放とうとした直前、レンの右に回り込んだユキの砲撃が怪物を捉え、爆発と共に沈んでいくのが見えた。

 

気を取り直し立ち上がったレン。怪物の砲撃音が聞こえる度に耳を押さえてビクッと怯みながらも、何とか前進。射程内に捉え砲撃すると、今度は怪物に当たった。炎と煙をあげた怪物に近付いてもう一発。今度こそ怪物は沈んでいった。

 

「はぁ、はぁ、はぁ‥‥‥」

 

三度目の戦闘となっても、未だに慣れない。ずっと死の恐怖と葛藤し、足を震わせながらも何とか身体を奮い立たせた。そうして今回も生き延びる事ができた。怪物に対抗できるのが自分達だけとは言っても、死の恐怖を克服できる訳ではない。確かに身体は強化されているし此方の攻撃も通るが、自分が無敵になった訳ではないのだ。

 

「これで‥‥‥全部?」

 

周りを見回すレンに『うん、そうみたいだね』とユキからの通信。それにしても、ユキはレンとは大違いだ。艤装の使い方も上手いし、動きもレンより遥かにいい。当に艦娘に成るために生まれてきたかのようだ。それに引き換え‥‥‥と少し落ち込んで低速で海面を走っていると、何かが此方に近付いてくるのが見えた。駆逐級の軍艦‥‥‥。

レンとユキは合流し停止、妖精さんをそれぞれ抱きかかえて軍艦に視線を向けた。

 

「ねえ、攻撃されたり‥‥‥しないよね?」

 

ふと頭に浮かんでしまって、レンは再び怖くなった。人類の敵である海の怪物をやっつけた、とはいっても、レン達以外の普通の人間から見れば自分達は化け物と言えなくもない。海面を走り、砲を放ち、人が及ばない力を行使する。それが『怪物の姿』をしているか、はたまた自分達のように『人間の姿』をしているかというだけなのではないか。海軍からしたら、どちらも海の脅威に見えるのではないか、と。

 

そう思ったら、怖くなった。何とか、何とかしなくては。どうにかして人類の敵ではない事を伝えなくては。それも、今すぐに。

 

(あっ、でも、どうやって?‥‥‥そうだ!)

 

普通に叫んでもきっと聞こえない。それなら、無線で語りかければ。

抱いていた妖精さんに艤装に戻ってもらい、通信を試みる。結果から言えば、いともあっさりと話が通じた。それは勿論、レンの説明で理解してくれた訳でも何でもなく、レン達を『手に入れる事』が海軍中将の命令だったからに他ならない。

 

‥‥‥軍の駆逐艦と並走、ユキと共に港へと入ったレン。言われるままに艤装を外して案内されるままに歩く。

軍人関係者以外が軍事基地に入るなんて滅多に出来る事ではない。預けた艤装を気に掛けつつ、レンは不安そうに妖精さんを抱く。

 

『資材さえ有れば艤装はまた作れます。大丈夫ですよ』

 

ユキの祖父が隠していた資材の残りでも、まだ艤装が作れるくらいはある。それに、時間は掛かるが妖精さんが資材を作り出せる。例え軍に艤装を接収され分解されても、また作ればいい。妖精さんの言葉で少しだけ落ち着きを取り戻したレンだが、不安はまだ消えない。

 

(ちゃんと帰れるのかな‥‥‥)

 

身の安全。あの怪物に唯一対抗できる自分達は実験動物のように扱われるのではないかという不安。拘束されて、朝から晩まで研究材料にされるのでは、という思いが込み上げて不安に陥る。そんなレンの様子を見かねてか、ユキが手を握ってくれた。

 

「きっと大丈夫だよ」

 

ニコリ、とユキが笑みを向けてくれる。彼女にも不安な気持ちはあるだろうに。そんな心遣いに嬉しくもあり、申し訳なくもある。

 

程なくして、大きな建物の門前に来た。2階建ての洋風の大きな、一見学校か役所にも似た建物。

 

促されるままに中へと足を踏み入れ、玄関すぐ左脇の応接室に通された。高そうな調度品が並べられた室内の、座ったことも見たことすら無い高級感漂うソファに並んで座らされて待たされる。

「このソファふかふかだね!」と相変わらずのユキの姿にもう呆れながら、自分は緊張し待つレン。1分かそこらだった筈が永遠にも感じられた待ち時間の後に現れたのは、思っていたよりもずっと若い人物。歳は二十後半から三十前半といった感じの、取っ付きにくそうな男性。顔はまあ、中の上くらい‥‥‥とか考えている時ではない。彼がこの基地の責任者なのだろうか?

 

「この基地を任されている橋本だ。君達に同行してもらった理由は他でもない。我が国‥‥‥否、人類の為に力を貸してもらえないだろうか?」

 

正直、これ程友好的に接してくるとは思ってもいなかった。橋本少佐の提案は、ユキとレンが海軍属になるその代わりに、衣食住の保証、家族の保証、それから艤装等の怪物達と戦う為に必要不可欠な装備品や物資の提供。

此処まで言われると、流石に裏があるのかと思ってしまう程の待遇だ。

隣のユキは表情は引き締めているが受ける気のようで「はいっ!」と慣れない敬礼をしてみせている。彼女は人を疑うことを知らないようだ。それだけ純粋に育ったのはいい事なのだろうが‥‥‥レンは受けるか否か迷っていた。

 

レンの背中を押したのは妖精さんだ。『これ程バックアップをしてもらえるなら』と。確かに燃料、資材、弾薬など、これから大量に必要となってくるものの心配をせずに戦えるのは心強い。それに、住む所も給料も貰えるというのだ。実際、ユキの家族はいいとは言ってくれているものの、いつまでもユキのお世話にもなれない。

 

(‥‥‥そう、だよね)

 

これからを考えれば、自然な流れだったのかも知れない。そう思い、レンはコクリと頷く。

 

「分かりました。それから、もう1つだけ」

 

抱いていた胸の中の妖精さんに、兎のヌイグルミを着せる。テーブルにポン、と着地した妖精さんに視線を落しながら、レンは艤装と妖精さんの関係を説明。見えない人間には俄には信じられないだろうが、目の前で何の仕掛けもない筈の兎のヌイグルミが動いているのだから仕方ない。

 

こうして妖精さん用の開発、改修工廠の施設、それと入渠ドック(ユキの実家の銭湯のお湯の確保)を確保し、軍での生活がスタートする事となった。ユキの家の銭湯には、祖父母の面倒を見るのも兼ねて二人の女性軍人が就くそうだ。

 

余りの急展開に脳が付いていけず、取りあえずで用意された建物最奥の右の部屋の布団に倒れ込んだ。ユキは既に就寝。この神経の太さが、軍艦の魂に対する自分との適応力の差だろうか?

 

(私も限界‥‥‥考えるのは明日にしよう)

 

そう思い、瞳を閉じた。この時の二人は知る由も無い。大本営の思惑も、これから二人を待ち受ける運命も。

 

*********

 

気付けば、海上に居た。何処かフワフワした高揚感と緊張感。何度経験しても慣れない。

 

(‥‥‥観艦式だ)

 

直ぐに理解できた。勿論、レン自身にそんな経験などない。となれば、また夢。『駆逐艦漣』の記憶の一部だろう。

 

まだ式が始まる迄には時間があるのだろう。壮大な数の軍艦が居るが、整列まではしていない。

 

『ほら、漣はあの辺りだよ』

 

初めてみる駆逐艦だが、分かる。語りかけて来たのは白露型駆逐艦の五番艦、春雨だ。今回の漣と同じ第二列。気付けば近くには駆逐艦の夕立や五月雨、綾波や浦波も居る。

 

(少し早いけど)

 

自分の位置まで、低速で移動。そこから改めて周りを見回した。今回は軍艦98隻、航空機527機が参加。再び自身も此処に居られるのは栄誉な事だ。

 

視線の先に重巡二隻が見えた。古鷹型の加古と古鷹、今回の供奉艦だ。それから、その二隻と何やら打ち合わせをしているらしき軍艦。日本が誇る高速戦艦、金剛型二番艦の比叡‥‥‥御召艦だ。

 

‥‥‥と、その比叡と視線が合った。その比叡は此方に気付いたようで、微笑みパチリとウィンクしてくれた。

 

(戦艦比叡か‥‥‥いつか、私も‥‥‥)

 

*********

 

目を覚ますと、見慣れない天井に見慣れない部屋。隣にはまだ眠るユキ。それでやっと、此処が横須賀の官舎である事を思い出した。

 

(あ、そっか)

 

布団から出て、部屋を出て、玄関迄真っ直ぐに伸びる廊下を歩く。目指すは玄関のホール手前、食堂の正面にある洗面所。顔を洗っておきたい。

 

玄関の方から声が聞こえた。覗いて見てみると、昨日会った橋本少佐の後姿と、話している少女の姿。「‥‥‥‥はい、お弁当。忘れちゃ駄目じゃない!全く、やっぱりパパは私が居なきゃ駄目ね」という、明るい感じの少女の声。橋本少佐の娘、だろうか?

 

その後の事はよく聞き取れなかったが、帰り際の少女と目が合った。向こうは不思議そうな目で此方を見ていた。それはそうだろう。自身と同じくらいの少女が、いかにも此処に住んでいますというような格好で見ていたのだから。

レンは取りあえずその少佐の娘と思われる少女に軽く会釈をして、洗面所へと入った。

 

それが、レンと駆逐艦雷との初めての出会いだった。

 




御召艦:金剛型は金剛さん以外は3隻とも経験あるんですよね。比叡は何度もやってますけど。
因みにレンちゃんが夢で見たのは1940年の日本海軍最後の観艦式です。


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その7 三人目

7話。雷の話です。


 

「おかえりなさい。お疲れ様、パパ」

 

「ああ。ナツ、ただいま」

 

橋本少佐の帰りを家で待っていたのは娘のナツ。ボブヘアーの側頭部から房が伸びる独特な髪型の、活発そうな中学生だ。母親は居ない。ナツが小学生の頃に離婚。ナツはそれ以来、家事が殆んど出来ない橋本少佐の代わりに家の事を任されている。

 

「お風呂沸いてるから先に入って来てね」

 

ニコリ、と微笑むナツ。

橋本少佐はいつも帰宅後直ぐに風呂に入る。‥‥‥と此処までは何時ものやり取り。何時もと違うのは、橋本少佐の反応だ。

 

「‥‥‥ああ、分かった」

 

娘が見れば直ぐに分かる。何か悩んでいる顔だ。「何かあったの?」と自然と口にしたナツの脳裏に浮かんだのは、朝に横須賀基地で見かけたピンク色の髪の少女の姿。

 

「今朝の子の事?」

 

ナツの問いに対する橋本少佐の反応が鈍い。表情を一瞬固まらせたように見える父親は、それを誤魔化すように笑顔を見せた。

 

「いや、実はな、中将から直々に昇進の通達があってな」

 

橋本は横須賀の司令官にも関わらず少佐。理由は、例の海の怪物『深海棲艦』によって前任の司令官が亡くなっていて、人事が保留となっていた為。それが、今日のタイミングで橋本は大佐に昇進が決まったらしい。二階級‥‥‥余程の功績があったのだろうか?

 

「大佐!?凄いじゃない!お祝いしなくっちゃ!」

 

橋本少佐は今までは言わば司令官代行。それが正式に司令官となるのだから、めでたい事に代わりはない。

 

「あ、でも今日はもう晩御飯準備しちゃったから、お祝いは明日ね!もうっ、どうして昼間のうちに言ってくれないの?」

 

ナツが帰宅後すぐに知らせてくれれば、橋本少佐が帰ってくる迄には何とか出来た筈。プクッと頬を膨らませ拗ねてみせるフリをしているナツの頭を、橋本が右手で撫でる。

 

「ああ、悪かった悪かった」

 

そうして風呂に向かった父親の背中を見送り、ナツは夕飯の仕上げに取り掛かる。そのキッチンの調理台の真後ろの小さなボードの上に、雑誌が一冊。週刊誌。ナツが買った訳ではなく、友達が持っていたものを借りただけ。理由は、あるページだ。例の『深海棲艦』が少女と思しき謎の人物によって撃沈された、という記事。遠見だがそこに載っていた写真の少女が、今朝基地で見かけた少女と似ていたからだ。

 

国連軍ですら敵わない深海棲艦に対抗できる少女。その写真の少女が東京湾沖で深海棲艦と戦闘しているのが目撃された、という噂もある。それと今日の父親の昇進。タイミングが良すぎる気がしない訳はない。

 

風呂から上がりパジャマ姿の父親。向かい合わせで夕飯を食べながら、どうしても気になるナツは週刊誌の話題を切り出した。

 

「ねえ、パパ。あの海の怪物‥‥‥『深海棲艦』だっけ?あれを倒せる子が居るって本当なの?」

 

表情が一瞬凍った父親は「そうなのか?」と惚けてはいるが、どうやら間違いは無いようだ。言えないという事はまだ海軍の機密事項なのか、それとも別の何かなのか。

 

「えっとね?週刊誌に載っててさ‥‥‥それで、パパなら知ってるかな、って思って」

 

「‥‥‥なんだと?」

 

今度は一瞬とかではない。鋭くなった父親の視線に、思わずビクッと震えた。

 

「どの雑誌だ?」

 

「あ、えっと、待ってて」

 

食事中に立つのは行儀がよくないと思いつつも、キッチンにある雑誌を取りに行く。目的のページを広げ、父親に見えるようにテーブルに乗せた。

 

「ほら、ここ。この写真の娘。この人形持ってる子‥‥‥今朝基地に居た子だよね?」

 

明らかに舌打ちした父親。やはり軍の機密だったのだろうか?(不味かったかな)と思って雑誌の写真を見ていたナツは、突然父親に両肩を掴まれた。

 

「おい、ナツ。今‥‥‥人形と言ったか?」

 

「‥‥‥え?うん、ほらココ」

 

驚いたが、聞かれるままに写真を指差す。ナツの目には、写真に写る少女の胸に確かに人形らしき物が写っているのが見える。

 

両肩を掴んだままの父親は、今まで見たことも無いような険しい表情。その両手の指に力が入り、ナツの肌が強く押される。食い込んで痛い。

 

「パパ、痛いよ、パパってば!」

 

やっと我に返ったらしい父親が、ハッとした様子で手を離した。「すまない」と謝ってはくれたが、まだ顔は険しい。

 

「どうしたの?人形がどうかしたの?」

 

ナツは、知らなかった。写真のそれは人形等ではなく、妖精である事を。父親である橋本少佐には妖精の姿は写真ですら見えない事を。妖精が見えるのは軍艦の魂をその身に宿す一握りの人間だけである事を。そして、ナツは既に『駆逐艦雷』として戦わねばならない運命に引き込まれてしまった事を。

 

******

 

翌朝。ナツは学校に向かいながら、昨晩の事を考えていた。

 

(『写真の人形の事は誰にも言うな』って‥‥‥どうして?)

 

何度も何度も口止めされた。勿論理由は分からない。心霊写真では無さそうだし、別に人形くらい‥‥‥と思い顔をあげると、いつの間にかケーキ屋の前に居た。誕生日などのお祝いで何時も使う、交差点の側の店だ。そういえば父親は大佐に昇進したのだという事を思い出す。

 

(帰りにケーキ買ってあげなきゃ。お祝いだもんね)

 

今日の晩御飯は奮発しないと、とあれこれ思いを巡らせつつ、横断歩道を渡る。その横断歩道の終点に何かが座っているのが見えた。

 

(あれ?あれって‥‥‥)

 

昨日写真で見たのと同じ人形、否、それは生物。小人。ナツは驚き思わずその場に立ち止まり呆然としてそれを眺めていた。

 

(いきもの‥‥‥嘘でしょ)

 

突然、ナツの右側から音が聞こえた。それがトラックのクラクションだと気付いた時、一瞬だが恐ろしい程の激痛が全身に走り、ナツの意識は途切れていた。

 

********

 

気付くと、ナツは海の上に居た。

 

(あれ?何、これ)

 

見える物全てがセピア色。スコールが降る、大荒れの夜の海。

あちこち損傷していて息も絶え絶えの旗艦・比叡が、生き残った艦にどうにか指示を出している。

 

『みんな、今のうちにショートランド泊地へ撤退して!雷、天津風は今すぐ離脱!』

 

雷は大破。天津風は中破。これ以上の戦闘続行は無理だ。比叡の声が聞こえてから、急激に全身が痛み出し、重くなる。どうやら、ここではナツは『雷』という存在らしい。

 

『雷、何してるの!旗艦命令よ!』と叫ぶ天津風に無理矢理手を引かれ、その場を後にする。雷の瞳からは後から後から涙が溢れて止まらない。

 

『暁が!暁を置いて行けないわよ!』

 

そう叫びながら天津風の手を振り解こうとするものの、力が入らない。いくら周りを見回してみても真っ暗で、暁の探照灯の光は見つからない。

 

『バカッ!夕立の行動を無駄にする気なの!?暁は、もう‥‥‥』

 

五月雨が捜索しているものの、夕立の行方は不明。つい先程まで単艦で敵陣に突っ込み孤軍奮闘、鬼神の如き活躍を見せていた夕立のお陰でこうして何とか生き長らえている。その夕立に応える為にも、ここは撤退して体勢を立て直すべきだ。そう分かってはいるが、暁を置いて行けない‥‥‥違う。認めたくないのだ。暁が沈んだのを。

 

『嫌よ、離して!暁を、暁を探さなきゃ!』

 

 

 

 

 

 

『沈んだのよ!暁はっ!もう沈んだのっ!』

 

天津風のその一言が、衝撃となって雷を襲った。決して認めたくなかった事実を突き付けられて張っていた糸が切れたように脱力。呆然とし、何も考えられなくなって言われるままに天津風の後に付いていく。

 

『‥‥‥ねえ、比叡さんは?』

 

そうして戦地からかなり離れた辺りの海域で、雷はやっと気が付いた。全艦に撤退命令を出した比叡本人は、撤退する訳でもなく微速で動いているだけだった。まさか‥‥‥機関と操舵系がやられてまともに動けないのではないだろうか?そんな雷の心配を少しでも和らげようと天津風が『大丈夫。比叡さんは御召艦よ?だから、大丈夫』と言い聞かせてくる。

 

*********

 

(‥‥‥ここは?)

 

ナツが瞳を開けると、天井が見えた。どうも眠っていたらしい。掛け布団を退けて上体を起こす。自宅ではない部屋。確か、横断歩道を渡っている最中に小人を見つけて、それから‥‥‥。

 

(って、私トラックに轢かれたんじゃ!?)

 

思い出した。確かに轢かれた。猛スピードで突っ込んできたトラックにはねられた筈だ。だが、それならどうして生きているのか?しかも、五体満足で掠り傷一つ無しに。

 

『気が付きましたか?』

 

右手側で聞こえた声に顔を向けると、そこには先程見たのとそっくりな小人‥‥‥妖精さんが居た。「あっ、えっ、あっ」と言葉が上手く出てこないナツが寝かされていたのは、横須賀基地の医務室。

妖精さんが知らせたのだろう。扉が静かに開かれて、各々妖精さんを肩に乗せた少女が二人入ってきた。黒髪の少女と、例のピンク色の髪の少女‥‥‥ユキとレンだ。

 

『彼女達は、駆逐艦吹雪と漣です。これから貴女と共に戦う僚艦です‥‥‥駆逐艦雷』

 

妖精さんの言葉の意味を理解できなかった。戦う?僚艦?自分が?どういう事なのか‥‥‥先程見た夢の内容がナツの頭の中で再生される。『駆逐艦雷』。そう、自分は雷だったのだ。

 

「戦うって、深海棲艦と?私が?」

 

トラックに轢かれた後、ナツは見るも無惨な状態だったらしい。手足は千切れ、腹が抉れ。目撃した誰もが即死だと思ったくらいだった。奇跡的に死んではいなかったが、どう足掻いてもそのままでは命は消えてしまう。病院は遠いし、司令官の娘であるナツは横須賀基地に運ばれた。そこで、橋本大佐自ら土下座までしてレン達に頼んだのだという。『娘を助けてくれ』と。

妖精さんが見えたということは、ナツの身体には軍艦の魂が宿っているという事。残された時間は僅かだったが、何とか軍艦の魂の力を覚醒させる事に成功。急ぎ入渠させ回復させたのだ。

 

「‥‥‥そっか、分かったわ。私、やるから。『駆逐艦雷』として、みんなの為に」

 

 

 




駆逐艦雷こと橋本ナツの話でした。フルネーム出したのは雷が初ですね

見た雷の記憶はソロモン海戦。あの後比叡も‥‥‥

走ってきたトラックに轢かれた雷さん、そりゃもう悲惨な状態に‥‥‥即死じゃなかったのが幸いしました。オイコラそこ、巴マ●とか言っちゃ駄目なのです


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その8 兵器

 

「はぁ!?戻れ、ですか?これから?」

 

足木が携帯電話を手に、怒鳴る。散々病院を探し回ったが、例の少女は見付からず。しかも、今度は東京湾で目撃されたというのだ。苛立ちを隠せない。

 

「だって、左腕切断になってもおかしくないくらいの怪我の筈なんですよ!?それを、こんな短時間で‥‥‥‥‥‥え?はい、はい、分かりました。戻ります」

 

通話をオフにして、「チッ」と舌打ち。目撃に間違いは無いらしい。かなり遠いが画像もあるそうだ。

それに関連して、押し付けられた調査がもう一つ。横須賀の海軍大佐の娘の近況を追え、というもの。こちらは凄惨な事故で目撃者、轢いたトラックまであるのに死亡というニュースが何処にもない。目撃証言が正しければ、不謹慎な言い方にはなるが死んでいなくてはおかしい事故だった。それにも関わらず、その後大佐の娘の無事な姿の目撃証言がある。酷い怪我をしている筈の二人の、超短期間での回復。何処かに共通点があるに違いない、と編集長は踏んだわけだ。

 

(戻れとか簡単に言ってくれちゃって全く、私がどれだけ駆けずり回ったと思ってるのよ、あのデブ編集長!)

 

 

 

 

そうして足木は横須賀海軍基地へと向かう事にした。先ずは見付けるのに確実性の高いほう、橋本大佐の動向。それで娘が見付かれば儲けものだ。

‥‥‥と思っていたのだが。編集部から再び連絡。大本営が緊急の記者会見を開くというのだ。あの海の怪物、『深海棲艦』に関する重大な会見だという。

 

実際に出席してみて、足木は舌打ちした。海軍に先手を打たれた。

深海棲艦に対抗できる戦力を手に入れた事。その技術は軍事機密の為に明かす事は出来ない事。足木の書いた記事の少女‥‥‥少女ではなく、れっきとした海軍下士官であるのとプライバシーと機密保護の為に名は明かせないが、彼女がそのシステムを運用しているのに間違いはない事。それと、軍事機密なので情報は制限、必要に応じて海軍が会見を開く事。

 

(つまり、これ以上詮索するな、って事か‥‥‥ウラがありそうねぇ)

 

海軍が軍事機密と言っている割には呆気なく認め過ぎだ。確かに、ごく近海で深海棲艦が現れればいやが上にも海上で彼女達が戦う姿は大衆に目撃される事になるだろう。それなら、初めからある程度認めておいた方が対策は立てやすいという事か。その方が、全て嘘で固めてボロが出やすくなるよりも『知られてはならない真実』を隠すのには都合がいいのだろう。

 

(深海棲艦を作ったのが大本営とか?‥‥‥流石にそんな訳無いか。まっ、追ってればそのうち分かるわよね‥‥‥)

 

編集部の自分のデスクに戻り、何時ものようにグデーっとだらしなく突っ伏し思考を巡らす。その頭の直ぐ脇には、自分が書いた例のレンの記事。

 

(軍艦の娘、軍艦っ娘。略して『艦娘』って、我ながら安直なネーミングだったかしら。‥‥‥にしても、なーにが下士官よ、全く‥‥‥何処の世界に人形抱えて戦う軍人が居るんだっつーの)

 

載せた写真の少女は、確かにリス程の大きさの人形を抱えている。その事に関して誰も突っ込まないのは妙だと思いながら(腐ってても仕方無い、大佐の娘を追ってこよう)と足木は漸く重い腰をあげた。

 

勿論、写真の人形は海軍はおろかマスコミ関係者の誰一人として見えてはいない。その人形‥‥‥妖精さんが写っているのが見えているのは関係者ではレン、ユキ、ナツの3人、それとこの足木だけ。

それに足木が気付くのは、もう暫く後の事になる。

 

******

 

「‥‥‥ねえ、パパ」

 

「此処では司令官と呼べ」

 

執務室。駆逐艦雷ことナツが、不満そうに橋本を見つめる。橋本大佐のほうは、視線はデスクの上の書類に固定されたまま。

 

「外出が許可制ってどうして?私、学校行かなくていいの?」

 

既に義務教育を終えているレンとユキは兎も角。ナツはまだ中学生だ。

まだ終業式が終わっていない。

橋本大佐が言うには、ナツは今日からはもう海軍軍人。故にもう学校に行く必要は無い、という。理屈はなんとなくは分かる。だが、あんな事故に遭ったのもあるし、きっと学校の友達だって心配している。それに、中学の課程くらい確り終えたい。昼間は学校、他の時間は海軍、では駄目なのか、と。

 

心なしか、父親の表情は辛そうに見える。ナツが海軍に入るのが辛いなら、辞めるという選択だって考えなくてはならない。そう思い声を掛けてみる。

 

「ねえ、パパ。私が海軍になるのが嫌なら、私辞めても‥‥‥」

 

ナツの言葉を途中で遮り、「それは無理だ」と答えた橋本大佐。「どうしてよ?」というナツにもそれ以上答えようとはしてくれない。

 

「‥‥‥いいわよ。分かった」

 

これ以上話しても恐らく答えてはくれないと判断。ナツは仕方無く執務室から出る。

‥‥‥分からない事だらけだ。海軍に居る間は本名を名乗る事を許されず、コードネーム‥‥‥即ち、駆逐艦・雷という名で通さなくてはならない。レンとユキに関しても同じでそれぞれ駆逐艦・漣、駆逐艦・吹雪と名乗る事しか許されない。何だか日本人としての自分を否定された感じがしてならない。

 

「ねえ、妖精さん。私の怪我ってさ、そんなに酷かったの?」

 

歩きながら抱いている妖精さんに疑問をぶつけた。元をただせば、全てはあのトラック事故。軍艦の魂を覚醒させなければ助からなかった程の怪我。気にならない訳はない。

 

『知らない方がいいですよ』

 

妖精さんが言うには、見るのも耐えられないくらいの酷い有り様だったという。現に、漣も吹雪もその凄惨さに入渠させた後に吐いてしまったらしい。「そっか」と溜め息を洩らして、現在の生活の拠点であるこの建物の右奥の部屋、漣や吹雪との同室へと歩く。

 

「ただいま」

 

扉を開けると、漣と吹雪は本を読んでいた。昔の、砲塔の扱い方についての教本。

 

「あ、雷ちゃん、おかえり‥‥‥うーん、慣れないなぁ」

 

そう話すのは吹雪。本名でもあだ名でもないコードネームでの呼称にまだ戸惑い気味のようだ。漣はといえば「おかえりなさい」と言うときだけ顔をあげて、直ぐに食い入るように本を読み始める。吹雪よりも砲撃が苦手な分、少しでも知識を入れておきたいらしい。

 

例え軍艦の力があったとしても、ベースは人だ。彼女達の運用は文字通り世界初だし訓練は手探りしながらになるだろう。しかし、ゆっくりもしていなれない。こうして本を読んでいる間にも、人類は少しずつ海を失っていっている。早く親玉を倒さねばならない。仮称『深海棲艦・南方棲戦姫』を倒し、元の海を取り戻さなくては。

 

‥‥‥漣と吹雪は気付いていないようだが、雷はふと感付いた。どうして『南方棲戦姫』が親玉だと分かるのか。もしかしたら南方棲戦姫は先兵で、他に親玉が居るかも知れないのに。

 

(パパ、もしかしてまだ何か隠してるの?)

 

***

 

それから基礎的ではあるものの訓練は始まった。先ずは海上航行の練習。自由自在に海を走れなくては戦う以前の問題だ。それと、砲撃訓練。放射角や方角などの計算は妖精さんがしてくれるものの、最終的な調整は漣達自身。どのくらいの距離だとどの角度で撃てばよいか、等を身体で覚える必要がある。燃料、弾薬は海軍が持ってくれるので心配もない。

 

‥‥‥例によって、どちらも漣が一番苦戦していた。

 




今回からレン達の呼称がコードネームに。

‥‥‥次回は漣の例のアレの話。


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その9 潜水艦の気持ちは分からない

まあ、R-15ならこのくらいでしょう。

短めの回です。


 

鯨のようなイ級が横に三体繋がったような容姿の、軽巡ホ級。その砲が放たれ、漣は慌てて回避行動をとる。

間に合わず、漣の直ぐ側に幾つも水柱が上がる。音に驚き、恐怖もあって思わず首を竦めて瞳を閉じてしまった漣に、そのうちの一発が真っ直ぐに飛んで来た。

 

『避けてください!』

 

兎のヌイグルミに身を包んだ妖精さんの声に我に返った漣だが、反応出来なかった。左肩の辺りに直撃を受けて、大きく後ろへと飛ばされた。

 

「‥‥‥痛っ‥‥‥」

 

恐る恐る左肩に視線を向けた。良かった、傷だらけにはなっているものの、ちゃんと腕は付いていた。これが完全に装甲が揃った艤装の力か。

 

『3時方向!魚雷が来ます!』

 

妖精さんに言われるままに顔を向けると、ホ級が今当に魚雷を発射しようとしている所だった。なんとか回避しようと身体を起こすが、うまく舵が切れない。先程受けた砲撃で支障をきたしているようだ。

 

「駄目っ、動けないよ‥‥‥」

 

死の恐怖に目を瞑って震える漣の耳に聞こえてきたのは、前方から発する爆発音。助けてくれたのは雷。周りの駆逐イ級を片付けた雷が魚雷を放ち、それがホ級の発射管を直撃。誘爆を引き起こして沈ませた音だった。

 

「漣、大丈夫?」

 

「うん‥‥‥大丈夫。ありがとう」

 

尚も震える漣を、雷が正面から優しく抱き締めてくれた。

 

「大丈夫よ、漣。もう大丈夫」

 

「ごめんね‥‥‥」

 

艦娘としても、人としても雷の方が歳下の筈である。にも関わらずこうして優しく慰められ、助けられ。申し訳ないうえに情けなくて漣の瞳からは涙が溢れてくる。

 

「仕方無いわよ。死ぬのは誰だって怖いもの。それに、漣は一人じゃないわ。私や吹雪がいるじゃない。もし辛くなっても、私達を頼ってくれればいいのよ」

 

後輩の筈の雷の優しさに、今度は嬉しくて涙が後から後から流れてくる。

そうして一通り泣き腫らした漣は、雷に支えられて戦場を後にした。

 

深海棲艦の艦隊を片付けた帰り。雷は何ともないが、レン‥‥‥漣は被弾してしまい大破状態。身体のあちこちに傷をつくり、着ている服もボロボロ。セーラー服の上着を落ちないように右手で押さえ、雷に支えられながら走行している。

吹雪は待機。理由は、万が一3人が同時にやられてしまったら、深海棲艦に対抗する手段が無くなってしまうから。だから、南方棲戦姫と対する迄は常に二人での出撃となる。

 

「ねぇ、漣。私ずっと思ってたんだけどさ、どうして私達の出撃の制服ってセーラー服なのかな?」

 

理由は恐らく、水兵の制服といえばセーラー服だから。だがそんな事は雷も承知している。今問題にしているのは、そんな事ではない。

雷の視線は漣の腰の辺りを向いている。漣はミニスカートもボロボロで、苺柄がプリントされている下着がかなりハッキリ見えてしまっている。漣がどうしてそんな下着を穿いているのかは一先ず置いておくとして、問題はスカートがボロボロにならなくても雷にはそれが分かっていた事だ。

 

「すっごく今更だけどさ、どうしてミニスカートなの?まさか‥‥‥パパが決めたの?」

 

雷の疑問は尤もだった。海上で激しく動く必要があるばかりでなく、海では風もある。別に戦闘時に人の目が届く訳ではないが、雷達が動く度にスカートの中が見えてしまう訳で落ち着かないのは確か。

 

「ううん、これも艤装なんだって」

 

漣が言うには、この制服も艤装。ちゃんと装甲として機能しているそうだ。普通の人間よりも防御が高いとは言え、この制服を着ているお蔭で深海棲艦の砲の直撃を受けてもどうにか耐えられる。

 

「そっか‥‥‥じゃあ妖精さんの趣味なんだ?」

 

『違いますよ!』

 

雷の疑惑の視線に、漣の艤装の上で狼狽しつつも否定する妖精さん。妖精さんによると、艤装の設計図は妖精さん達が考えている訳ではないらしい。軍艦の意思‥‥‥とでも言うのだろうか。建造を担当する妖精さんの頭に別の次元から降りてくるイメージ、なのだそうだ。確かめようが無いので何とも言えない。

 

「それだとさ、もしその別の次元からのイメージが水着とかだったら、私達の服も水着に

なってたって事?」

 

雷の言うように水着で深海棲艦と‥‥‥と漣もイメージしてみるが、流石に恥ずかしい。今の大破状態と比べれば幾分マシかも知れないが。

 

「水着‥‥‥はちょっとヤダなぁ」と溢しつつ、漣は見えてきた陸にふと顔を向ける。何かが光った‥‥‥ような気がした。

その時は、何かの光が反射でもしたのだろうと大して気にしなかったのだが‥‥‥。

 

◆◆◆

 

2日後、事件は起きた。前日の夜戦のせいで昼まで眠っていて、まだ基地内の部屋で寝起きで頭がぼーっとしている漣に向かって、吹雪が勢いよく突撃してきたのだ。

 

「たっ、たっ、大変!大変だよ、漣ちゃん!!」

 

正面から両肩をホールドされた状態のまま、吹雪に前後に揺さぶられる。

頭がグワングワンと揺れて、漣の思考は完全に停止。死にそうな顔をしている漣にやっと気付いた吹雪が手を離す。

 

「漣ちゃん、見て!これ見て!」

 

吹雪が持っていたのは週刊誌。その中の折り目が付いているベージを開いてみて、漣は固まる。脳がそこに載せられている写真の内容を理解するのに数秒。それから、漣の頬から耳、太股に至るまでが真っ赤に染まった。勿論、羞恥心で。

 

「えっ?‥‥‥ちょっ‥‥‥えっ!?」

 

思い当たるものはある。あの時、雷に支えられて基地に戻る途中で陸でチラッと光ったそれだ。あれがまさかカメラの望遠レンズだったとは。写真は勿論、雷と共に海を走る『あられもない姿』の自分だ。下着の苺柄までハッキリと見てとれる‥‥‥。

 

「なっ、なっ、何これっ!?」

 

写真を撮ったのは、足木という記者らしい。怒りも勿論あるが、今は其れ処ではない。吹雪と雷に依れば、この記事のせいで基地近辺の海岸には所謂『カメラ小僧』が少なくない数居るらしい。勿論、狙いは漣や雷。

 

漣は誓った。必ず生き残ってみせる。生き残って‥‥‥この足木という記者を探しだして必ず文句を言う。言わないと収まらない。

 

そのあと実際出撃があって分かった。カメラ小僧共は毎日張っている。かと言って艤装であるセーラー服を外す事は、そのまま命の危険に繋がる。

 

‥‥‥以降、妥協案としてスパッツを穿く事になった。




でち公「ゴーヤ達の悪口はそこまででちぃぃ!!」


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その10 接触

 

「ねえ‥‥‥カメラ増えてない?」

 

気付いたのは雷。艤装を背負い出撃から戻ってくる途中の海の上。遠くに見える海岸にはカメラのレンズの反射光。流石にどうにかして欲しいレベル。『スパッツは制服と違って艤装ではない』と言えば察しがつくだろう。彼等の狙いは言うまでもなく、漣の中破以上での帰投。深海棲艦からの攻撃を受ければ、只のスパッツなど穿いている意味はなくなる。

 

(だから目立ちたくなかったのに‥‥‥)と考えてみてももう遅い。週刊誌の足木記者のせいで漣は良い意味でも(本人にとって)悪い意味でも有名人になってしまった。『自称親戚』なるものまで現れる始末。深海棲艦を倒して海を取り戻さなければならないのは確かだが、もしも今の世間の反応のままで南方棲戦姫を倒しでもしたら‥‥‥少し怖い。

 

「ほら、行くわよ。考えても仕方無いでしょ?」

 

雷にそう促され、「うん‥‥‥」と項垂れながら頷いた漣。気を取り直して進もうと水面を蹴ってすぐ、前方に何かが浮いているのが見えた。

 

「ちょっと!?釣り船!?危ないじゃない!行くわよ、漣!」

 

有ったのは小型のヨットだ。デッキには誰も見えない。ともあれ、いつ深海棲艦が現れるか分からない以上放ってはおけない。慌てて近付いた漣と雷が保護しようと横付けして中を確認しようとした瞬間、パシャ、というシャッター音とフラッシュ。

 

「はぁい、御二人さん」

 

中に居たのは女性だった。固定式のカメラのシャッターから右手を離した女性。長い髪、長身でスレンダーだが女性として主張する部分は確りと主張している。顔も何処か勝ち気ではあるが美人といえる。ただ‥‥‥左手に持つ巨大なカツサンド(食べ掛け)のせいで全て台無しになっている。

 

「あっ‥‥‥やっぱりか。貴女、橋本大佐の娘よね?確か中学生だった筈だけど‥‥‥ふぅん‥‥‥」

 

女性はまじまじと雷を眺めている。素性がバレているあたり、一般人では無さそうだ。

 

「こんな所にヨットなんて危ないですよ、早く港に戻って‥‥‥」

 

漣が言い終える前に、女性は軽い感じで二人に「はい、これ」と名刺を差し出してきた。突然過ぎて思わず受け取ってしまった漣が名刺を確認すると、そこには足木、と記者の名前が書かれていた。

 

「‥‥‥‥‥‥あーっ!!」

 

漣の顔が羞恥で真っ赤に染まる。足木と言えば例の『苺パンツ激写』記事の犯人その人だ。同時に無意識に12.7㎝連装砲を足木に向けていた。向けられた足木の方はたまったものではない。顔を引き攣らせながら「ちょっとぉ!?落ち着きなさいよ、ね?ね?」と漣を宥めようと必死。

 

「その記者さんが何の用?港まで随行してあげるから帰りなさいよ」

 

間に割って入り漣を押さえる雷の口調も、平時と違い少し棘がある。そんな様子をみせる珍しい雷に、足木が営業スマイルを向ける。

 

「貴女までそんな顔しないでよ。私は只ね、話を聞きたいだけなの。ね、ナっちゃん?」

 

「私はそんな名前じゃありません。それから記者さん、この子に謝って下さい」

 

海軍大佐の娘である雷は、機密保持についても理解している。この後も漣が余計な事を言う前に逐一口を挟み、自分達のコードネームを含む一切の情報を渡そうとしない。

港まで並走している漣達と足木のヨット。勿論撮影した映像は没収している。

 

「ねえ、二人とも。それってどうやって浮いてるのよ?その靴?何でそれで浮けるの?ねぇ?」

 

雷に促され、漣も足木の質問はスルー。尤も、漣自身も浮いてる理由はハッキリとは説明できない。分かる事と言ったら『駆逐艦漣の力が有るから』という曖昧なものだけ。

 

「そろそろ着きますよ」

 

そんな足木からの一方的なやり取りをしているうちに、港に着いた。渋々ヨットを停泊し降りる足木と、それを海から見送る二人。

 

「今回は引き下がってあげるわ。次は情報を貰う迄帰らないから、そのつもりで」

 

やけに大人しく引いた足木に違和感を感じながらも沖へと戻る二人。まさか足木が別のカメラで隠し撮りしていたとは、漣も雷も知る由もなかった。

 

***

 

(うん、バッチリね)

 

編集部で足木が確認しているものは、先程隠し撮りした漣と雷の写真。今後は監視が一層厳しくなって同じ手はもう使えないだろうが、これで他社を出し抜けたのは確か。ついでに名刺も渡してこれたし、捨てられないのを祈るだけ。

 

(さーて、次はどうやって近付こうかしら。大佐の娘が厄介だけど‥‥‥ピンクの髪のあの子なら何とかなりそうね)

 

***

 

その一週間後。漣と雷は執務室に呼び出された。橋本大佐の手に握られていたものは週刊誌。

 

「‥‥‥やってくれたな」

 

溜め息混じりに吐き捨てた大佐。「でも、パパ!」と思わず叫んだ雷に鋭い視線を向ける。

 

「『司令官』だ、雷。いいか、二人とも。あの足木とかいう記者にはこれ以上近付くな」

 

流石に今回は不味かったらしい。雷が橋本大佐の娘だという事は週刊誌に載った写真から判別可能。そのくらい、今回撮られた写真はハッキリ写っている。故に、現在も横須賀基地には問い合わせが来ている。内容は殆んどが『自分の娘を危険に晒すとは何事か』という橋本大佐に対する抗議だ。現状、漣、雷、吹雪の三人以外に深海棲艦に対抗できる戦力が存在しない以上、ある程度真実を公表して収める他無い。つまり、『艦娘は軍艦の魂を宿した限られた人間にしかなれなくて、艦娘以外に深海棲艦に対抗できるものは無い』という事をだ。

 

とは言え、やってしまった事は仕方無い。それに、大本営の目論みも今回の騒動に合わせて変更されている。つまり‥‥‥大本営が真の犯人である事を闇に葬り、『人類の敵である深海棲艦と戦う正義の大本営』という姿とその崇拝の対象としての『英雄・艦娘としての漣、雷、吹雪』というイメージ戦略だ。

 

そしてそれは近い将来、漣の精神を追い詰めていくことになるのだが‥‥‥。その時漣が頼れるものは、海軍でも、吹雪でも、雷でも、勿論橋本でもない。そう、天涯孤独な漣が頼れるのは軍や政府とは全くの無関係な、貰った名刺の人物のみ‥‥‥。

 

「次は無い。二人とも肝に命じておけ。それと、上から『南方棲戦姫を早く討伐しろ』と急かされている。奴の根城が分かり次第出撃となる手筈だ‥‥‥何時でも出れる準備だけはしておけ」

 

執務室から出た漣と雷。大佐が何かを隠しているであろう事は娘である雷には何となくは分かるが、それが何かは分からない。

 

「ねえ、漣。パパはきっと苦しんでる。核心は分からないけど、きっと大本営には都合の悪い真実なんだと思う」

 

「でも‥‥‥何を?」

 

それは雷にも、漣にも想像は出来なかった。只、妖精さんにはもしかしたらという思いはあった。だがそれは、目の前の二人には決して言えない真実。そう、艦娘も深海棲艦も等しく軍艦の魂を宿しているという事から導き出される結果だった。

 

『今は練度を少しでも向上出来るように頑張りましょう。来るべき南方棲戦姫との決戦に向けて』

 

妖精さんには、そう言って誤魔化すのが精一杯だった。コクリ、と頷いた漣と雷から視線を逸らして、妖精さんは兎のヌイグルミを被った。

 

(『すみません、駆逐艦漣、駆逐艦雷。きっと‥‥‥きっと南方棲戦姫は‥‥‥』)




情報操作と不都合な真実。全てを知った時、漣は‥‥‥。

あと数回で終えられそうです。月1~2回ペースで何とか。


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その11 再会

 

 

「‥‥‥あの」

 

深夜。横須賀基地の外のコンビニエンスストア。その駐車場に設置されている公衆電話で声を殺して話す少女。頭からフードを被り、その顔は確認できない。

 

『漣、ね?』

 

電話の向こうから聞こえてくるのは、あの足木記者の声。あれからもう数ヵ月。漣はこうして時々足木と連絡を取っていた。基地の警備の穴は既に把握済みだし、海を経由してしまえば脱出は容易。艤装も足のもののみで、何時かのようにスケートの要領で燃料無しで走って来ている。

 

日々募っていく不安。今行っている訓練とたまにある出撃のみで、果たして南方棲戦姫に勝てるのかどうか。今まで相手にしてきた深海棲艦はどう見たって下っ端だ。国連軍が残した対南方棲戦姫の映像を見る限り、その戦闘力は比較にならない。

確かに自分達の砲は深海棲艦に通じるが、初期の頃と比べてもの凄く強くなったという訳でもない。

只でさえいつ死ぬか分からない恐怖が付き纏う。海軍には相談するだけ無駄。吹雪や雷には言えない。二人ともきっと同じような感情を持ってはいるだろうが、二人は必死にそれを克服しようと頑張っている。そんな二人の足を引っ張るような言葉は、結局言えなかった。

 

「南方棲戦姫が‥‥‥見つかって」

 

『‥‥‥そう』

 

海軍に繋りの無い外部の人間で連絡をとれる人物。漣には一人しか居なかった。今ではこうして時々辛さや恐怖を話す。勿論、書いても問題ない部分は了解を得て記事にしたりもするが、話の大部分、重要な部分は足木も記事にはしない。その積み重ねが、今の漣と足木の状態を生み出している。

 

「私‥‥‥勝てないです。あんな化け物になんて、勝てっこない‥‥‥」

 

涙で視界に映る電話器はぼやけ、声も掠れる。『他の二人には?』という足木に、嗚咽を洩らしながら応える。

 

「言えない‥‥‥言えないよ‥‥‥私‥‥‥死にたくない‥‥‥」

 

吹雪も雷も、自身が巻き込んだようなものだ。吹雪はあの時に漣と会わなければ今頃実家でのんびりと生活しているままだろう。雷も死にかけたとは言え、漣が現れなければ衝突事故は起きなかった可能性だってある。常に死と隣り合わせの危険な任務に引き込んだのは、自分だ。そんな自分が真っ先に逃げ出すなど、況してや辞めたいなどと弱音を吐くなど、あって良い筈が無い‥‥‥漣の思考はそれ以外を考えられなかった。

 

『逃げちゃえばいいのよ』

 

受話器の向こうから、思いがけない言葉が聞こえてきた。雷でさえ口にしなかった言葉だ。

 

『今すぐに、って訳じゃなくてもさ。その南方棲戦姫と一戦交えてみて、無理そうなら逃げてくればいい。某撤退作戦の指揮を執った何処かの少将だって『帰れば、また来られるからな』って一度撤退して作戦を成功させたのよ?』

 

「でも‥‥‥」と尚も口籠る。きっと、逃げていいなんて誰も許可してくれない。今や漣達は人類最後の希望。深海棲艦の親玉を倒さない限り、静かな海は戻ってこない以上、漣達に逃げ出すなんて選択権は無い‥‥‥。

 

『‥‥‥ああっ、もう。いい?誰も‥‥‥誰も貴女達が死ぬ事なんて望んでないの。無理そうなら逃げて、生きて、更に鍛えてまた挑めばいいの。死んだら何の意味も無い。過去の大戦では『死して護国の鬼となれ』なんて言葉があったけど‥‥‥どうせなら『生きて護国の鬼』になりなさい』

 

「‥‥‥はい」

 

少しだけ、心が軽くなった気がした。どうせ自分達が負けたら、死んだら後は無い。それなら、やられそうになって撤退するのは致し方ない事なのだ。死んだら、駄目だ‥‥‥生きないと。

 

******

 

その二日後、ハワイ沖。漣、吹雪、雷の三人はとある海域を目指し洋上を走っていた。南方棲戦姫の根城。

 

「勝てる‥‥‥のかな」

 

不安を隠しきれない漣。静かに深呼吸を繰り返すのみの吹雪。「大丈夫よ」と声を掛けるも震える声の雷。緊張した様子で走る三人の視界に、白い何か水面に浮かんでいるのが見えてきた。

ツインテールの真っ白な髪に、真っ白な素肌。紅く妖しく光る瞳。両腕には、漣達とは比較にならないくらい圧倒的な大きさの艤装に幾つもの砲塔。凄まじい威圧感。思わず息を飲んだ。

 

『ミナソコニ オチテイクガイイ‥‥‥』

 

その異形は確かに声を発した。と同時に、両腕の砲が漣達に向けられる。

 

「二人とも!」

 

叫んだ吹雪が走り、先制とばかりに魚雷を放つ。その内の一発が南方棲戦姫の左腕の先の砲塔の一本を掠めて爆発。その煙に紛れ漣と雷が連続で砲撃。

 

「当たったよ!」

 

これ迄の相手なら、数発当てれば轟沈していた。轟沈しないにしてもきっと深手は負わせられた筈。祈るような気持ちで煙の方を見つめる漣。だが、煙が徐々に晴れてくるにつれ、その表情が絶望に変わっていく。

 

「うそ‥‥‥でしょ」

 

思わず洩れた言葉。煙が完全に晴れて姿が露になった南方棲戦姫の身体には、深手どころか傷1つ無かった。

 

雷も驚きを隠せない様子で、「‥‥‥え」と呆然としている。再び南方棲戦姫の砲が無防備となった二人に向けられた。

 

漣はギリギリで我に返り、寸でのところで被弾を免れた。だが、漣の耳に轟音が飛び込んで来る。同時に爆風の衝撃で真横に飛ばされた。雷の方はそうはいかなかった。棒立ちのまま動こうとしなかった雷が居た場所は、南方棲戦姫の砲撃で爆発、煙が立ちこめている。

 

「雷‥‥‥?雷ぃぃ!」

 

但し。雷は無事だった。煙の中に見える影は、雷が誰かを抱き抱えている姿。そう、吹雪が咄嗟に走り、雷と砲の間に割って入って身代わりとなったのだ。

 

慌てて雷の方に走る漣。吹雪は血だらけで意識は無く、艤装も大破しているものの、まだ生きている。圧倒的な戦力差。此方の砲では傷1つ付けられない上に、向こうの砲撃は一撃で瀕死。これだけの差があるのに勝てる訳がない。漣の頭に足木の言葉が浮かんでくる。『帰れば、また来られる』。

 

「逃げよう‥‥‥逃げようよ、雷!」

 

‥‥‥しかし。雷は首を横に振った。「駄目よ」と。

 

******

 

雷には。南方棲戦姫に‥‥‥南方棲戦姫の顔と声に、覚えがあった。これだけ近くで見る迄どうして気が付かなかったのか。雷はある一点を見つめ、思考を巡らせていた。

 

(次はもっと強くなってるかも知れない。けど今なら、まだ何とかできる)

 

南方棲戦姫の左の砲塔。先程の吹雪の雷撃で、その一本が歪んでいる。魚雷をまともに当てられれば、傷を負わせられるかも知れない。

 

(漣、吹雪、ごめんね。折角‥‥‥折角助けてもらった命だったのに)

 

漣と、漣の抱いている意識の無い吹雪。二人にチラリと視線を向けて心の中で謝った雷は、再び前に視線を戻す。

 

(さあ、決着をつけましょう。大丈夫よ、

私も一緒に逝くから。だから、ママ。もう静かに眠って‥‥‥‥‥‥)

 

 




11話。誰も望まぬ終局へと加速していく。


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その12 決着と、残酷な現実

 

 

「無理だよ‥‥‥一度帰ろうよ」

 

戦意をほぼ喪失してしまっている漣。雷は黙って南方棲戦姫を睨んだまま。状況は悪化している。相手の度重なる猛攻を凌ぐだけで手一杯。雷が前に出て、気絶したままの吹雪を抱える漣を庇いながらの回避。そんな状態で何時までも持ち堪えられる筈もなく、徐々に傷が増えていく。これでもまだ直撃を受けていないだけマシだ。今の状態でまともに被弾しようものなら‥‥‥。

 

「駄目よ。次は相手ももっと強くなってるかも知れないわ。それに‥‥‥撤退は命令違反よ」

 

そうなのだ。『撤退』の2文字は作戦に含まれていない。大本営からは『国の威信にかけて、命に代えても撃沈すべし』とまで言われている。尤も、『命に代えても』の部分は三人には伏せられているが。

勿論、やられているばかりではなく反撃もしてはいる。ただ、漣達の砲撃では南方棲戦姫の装甲を破れず牽制くらいにしかならない。雷撃も放ってはいるが、上手く当たらない。此方の方が船速は速いのだが‥‥‥如何せん、漣達自身の練度が足りない。夜の闇に紛れてなら兎も角、昼間のこの明るさの元では避けてくれと言っているようなものだ。

 

(このままじゃ‥‥‥漣も、吹雪も、みんなやられちゃう)

 

弾薬は無駄に減る一方。魚雷もあと何回撃てるか。吹雪は動けず、漣は心が折れてしまっている。雷の手持ちの魚雷は、残り三発。もう、一発たりとも無駄には出来ない。

チラリ、と漣に視線を向けた雷の瞳に映ったのは、今にも泣きそうな漣。

 

(やっぱり、やるしかないわ)

 

後方の漣達の元まで引いた雷。南方棲戦姫から視線を外さずに、漣に静かに問う。

 

「ねぇ、漣。魚雷、あと何発残ってる?」

 

残っていた魚雷は、漣が二発、吹雪のが一発。雷のものと合わせても計6発。これを、何とかして全弾命中させねばならない。雷の選択は、たったの一つだった。

 

「私が必ずやってみせるから。お願い、魚雷を、私に」

 

避けられてしまうのなら、避けられない距離まで詰めるのみ。覚悟は既に出来ている。

 

(大丈夫。だって、魂は存在するんだから。此処で私が死んでも、私の本質はきっと消えない)

 

軍艦の魂が存在するのだから、きっと人間にだって魂は存在する。だから‥‥‥大丈夫。そう必死に自分に言い聞かせ、雷は前を向く。

漣から魚雷を受け取り、自分の艤装に装填。これで、失敗は許されない。是が非でも南方棲戦姫の元まで辿り着き、魚雷を浴びせなくてはならない‥‥‥自らの命に代えても。

 

(そうよ。一度漣や妖精さん達に助けてもらった命だもの。今度は私がみんなを助ける番)

 

不安そうな漣を背に、雷は密かに自分の艤装を駆る妖精達に告げた。『南方棲戦姫に接触する直前に全員脱出して』と。

 

「ごめんね、妖精さん達。けど、これが最初で最後の私のお願いだから。‥‥‥漣と吹雪の事、宜しくね」

 

雷は走り出した。舵が損傷しているため、避ける事はかなわない。背中の艤装の推進機関以外と砲を盾に最大船速で真っ直ぐに走る。当然ながら南方棲戦姫からの砲撃が降り注いでくる。

 

『雷!!』

 

通信。漣からだ。どうやら雷の意図に気付いたようだ。‥‥‥よかった。もう、漣には助けには来れない距離まで来ている。

 

「来ちゃ駄目!大丈夫よ、絶対に当たってやらないから!」

 

言葉とは裏腹に、雷の声は震える。幾ら理屈で納得はしても、死への恐怖は絶望的に増していくばかり。それでも、止まれない。親友達を死なせる訳にはいかないし、母親を止めなくてはならない。

 

と、雷の真っ正面に砲撃が飛んできた。これは流石に避けられない。魚雷に誘爆されては困る。左手に艤装の装甲を持ち、砲を払い除けるように手を伸ばす。それで無事やり過ごせる筈は無く、雷の左手は吹き飛ぶ。しかし、何とかそれだけで済んだ。血は止まらないが、もう後には引けない。あと少し。あと少しで、自分の身体ごと魚雷をブチ込める。

 

ああ、もう会えないんだ‥‥‥と思うと、涙が溢れて止まらない。もう直撃まで幾ばくもないタイミングで、雷は通信を繋ぐ。

 

「漣‥‥‥‥‥‥二人に逢えて、二人と友達になれて、凄く嬉しかったよ。凄く、楽しかった」

 

泣いてしまっているのは伝わっているだろう。『やめて‥‥‥』とか細い声の漣に、雷は最後の言葉を続ける。

 

「今まで、ありがとう。私の事‥‥‥忘れないでね」

 

『止めて‥‥‥雷ぃぃ!!』

 

悲痛な漣の叫びの聞こえる通信を切り、艤装の妖精達にも退避を促す。渋る妖精達を無理矢理脱出させて、雷は南方棲戦姫‥‥‥自らの母親に咆哮をあげた。

 

「さあ、ママ、今楽にしてあげるわ。大丈夫よ、私も一緒に逝くから!」

 

直後、轟音と閃光。その中にうっすらと揺れる大小二つの影は、ゆっくりと水底に沈んでいった。

「雷ぃぃぃぃい!!!」という漣の声を残して。

 

********

 

吹雪が目を覚ましたのは、その30分後。全てが終わった後だった。漣はその吹雪を抱えたままで、その場で呆然として立ち尽くしていた。

 

「漣‥‥‥ちゃん?」

 

漣は答えない。南方棲戦姫の姿が無い事に気付いた吹雪の「南方棲戦姫は?やっつけたの?」という言葉に僅かに反応し、小さく首を縦に振る。ただ、吹雪が明るい表情を見せたのは一瞬だけ。雷の姿が無い事に直ぐに気付いたからだ。

 

「雷ちゃんは‥‥‥?ねえ?」

 

またしても漣は答えない。泣き疲れて、既に涙も枯れてしまっている。その頬にある涙の跡を見付けた吹雪は、漣の掌にある物が乗せられている事に気付く。微かな皮膚の肌色と、赤い色に染まった小さな肉片。それは、奇跡を信じて必死に漣が探し回った末に漸く見付けた、残酷な現実‥‥‥雷の身体の一部だったモノだった。

 

「うそ‥‥‥でしょ?」

 

吹雪にも理解出来た。二人が雷に助けられたのだと。雷は命と引き換えに、全人類を守ったのだと。

 

「うそ‥‥‥嘘だって言ってよ!ねえ!漣ちゃん!!」

 

漣は答えない。まるで魂が抜けてしまったが如く。何とか自力で海面に降りた吹雪が最初にしたことは、兎も角通信が可能な位置まで移動する事。

 

「司令官っ!!」

 

普段は怒った所を見せた事の無い吹雪が、通信機の向こうに居るであろう橋本大佐を烈火の如く怒鳴り散らす。

 

「人でなしっ!最っ低!!」

 

橋本も、覚悟はしていたのだろうか。黙ったまま答える様子は無い。

 

確かに南方棲戦姫は倒した。けれど、こんな結末があっていいものか。やりきれなさと悔しさ、何より親友を喪った悲しみ。未だ焦点の合っていない漣を引っ張りながら、吹雪はぶつける先の無い感情を暫くの間吐き出し続けた。橋本は、何も答えずにそれを聞いていた。




誰ですか、四作同時進行とかやってるのは。お陰で月1更新ですよ。‥‥‥申し訳ありません。

before storyももうすぐ完結ですね。


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その13 帰艦

 

編集部の自分の椅子に深く寄りかかり腰掛け、アイマスクをして身体を仰け反らせた状態で口を開けて眠っていた足木。まだ早朝。昨晩飲み過ぎた。帰宅したら起きられずに遅刻すると踏んで編集部に泊まった‥‥‥顔立ちが整っているにも関わらず彼女に未だに男が出来ないのも頷ける‥‥‥。

 

っと、後ろから肩を揺すられた。「んぁ?」と間抜けな声を出して起きた足木。アイマスクをずらしてボヤけた焦点を合わせてみると、見えたのは編集長の顔だった。

 

「なーんですか編集長?折角人が気持ち良く眠ってたのに」

 

編集長はどうやら何度も足木の携帯を鳴らしたが出なかった為、どうせココだろうと思って来たのだそうだ。まだ寝惚けながらも携帯電話に手を伸ばしてみると、確かに着信履歴が埋まっている。そこまでして足木に知らせねばならなかった用件。大本営の緊急会見があるらしい。

真偽はまだ定かではないものの、どうやら南方棲戦姫の討伐に成功したらしい事を聞き、足木の頭は一気に覚醒した。

 

「ちょっと!それ先に言ってくださいよ!何時からですか!?」

 

電話に出なかったのだから先に言うもクソも無い訳だが、そんな事はさておき。足木は会見に間に合うよう動き出した。幸い会見自体は11時から。今から家に帰り、シャワーを浴びて化粧を軽くすれば間に合う。

 

(あの子達‥‥‥やってくれたわね)

 

初めの頃こそ、足木にとってオイシイ取材対象でしかなかった漣達。しかしながら今は少し違う。取材対象なのは変わらないものの、妹のような存在だ。最も接触の機会の多い漣に対しては特に。あの漣の莓パンツの記事は少し申し訳無かった、と足木なりに思っているくらい(だからと言って反省はしていないが)。

 

逸る気持ちを抑え、会見場へ。既に他の社の記者達も集まっていた。この御時世に危険を冒して日本に滞在している外国の記者達も多数。彼等も、国連ですら手に負えなかった人類の宿敵を討伐したかも知れないとあって色めき立っていた。

 

会見は予想通りだった。漣達は南方棲戦姫の撃沈に成功、今は小笠原の父島基地に滞在して身体を休めているらしい。明後日の正午に横須賀基地に戻ってくる予定、なのだそうだ。

 

ただ、違和感もあった。南方棲戦姫を撃沈した時の写真も有るにはあったのだが‥‥‥彼女達は三人で南方棲戦姫に挑んだ筈であったにも関わらず、此方側で映っているのは吹雪と漣のみ。雷のカットは一ヶ所も無かった。不自然処の話ではない。嫌な予感がしてならない。

 

(ちょっと‥‥‥不自然じゃない?)

 

会見での質問は予め用意されたものだけだった。勿論、その質問で雷の安否については問われていない。釈然としないままに編集部へと戻り記事を書き始めた足木。14時を過ぎた頃だろうか、携帯電話に見かけない番号から着信。直感でそれと気付いた足木は、周りに悟られないよう屋上へと走ってから電話を繋いだ。

 

『‥‥‥あの』

 

何時もの、聞きなれた声での第一声。間違いなく漣だった。

 

「雷は?雷は無事なの!?」

 

『‥‥‥』

 

向こうの漣は、暫し沈黙。どうやら何かあったようだ。やはり、雷の身に何か‥‥‥?

 

『今はあんまり話してる時間無いんです。帰ったら‥‥‥会ってもらえませんか?』

 

電話越しの漣の声は‥‥‥これ以上無いくらいに沈んでいた。

 

*********

 

「ねえ、漣ちゃん‥‥‥」

 

海上を走る吹雪と漣。見えてきたのは横須賀の港。恐らく二人が初めて目にしたであろう、とんでもない数の人達。多くの人が手で持てるサイズの日の丸の旗を振っていて、歓声が聞こえてくる。全員が自分達を迎えてくれているのは分かる。

ただ、全員が祝福ムードなのだ。此方はとてもではないが愛想笑いすら出来ない精神状態だというのに。

 

「どうして‥‥‥みんな笑ってるの?どうして笑えるの?」

 

漣は答えない。吹雪が言いたい事は分かる。雷が亡くなっているのだ。普通なら哀悼の意を示すなり黙祷するなりあっていい筈だ。にも関わらず何故祝福ムードなのか、と。

やはりあの時の電話での足木の言葉はそういう意味なのだろう。つまり、『雷が轟沈した事実は伝わっていない』。命に代えて人類を守った雷の存在は消され、漣と吹雪が討伐したという事になっているのだろう。

自分達は殆んど何も出来なかった。全ては雷のお陰だったというのに。漣自身は足手纏いでしかなかったというのに。仮に祝福されるのだとしてもそれは雷であって、自分達では無い。

 

「帰ったら、少し休もう?ね、吹雪」

 

体力的にも、精神的にも疲れていた。入渠施設の無い小笠原では怪我も完治出来ていない。早く横須賀に帰り、傷を癒し。気持ちを整理するのはその後だ。自分だけではうまく切り替えられそうに無い。早く足木に会って思いを吐き出して楽になりたい。そんな事を考えボーっとしながら港の観衆を後にし、漣は横須賀基地へと入っていく。

 

橋本大佐にはなるべく会いたくない。報告なら通信で済ませたし、詳細なレポートと映像なら小笠原で済ませてきた。今更橋本に会う用は無いし、事もあろうか自分の娘に『死んででも敵を沈めろ』と命令したかも知れない相手の顔など見たくはない。それに、吹雪がまた怒りに任せ怒鳴り散らすかも知れない。

 

艤装を下ろし入渠を済ませて、真っ直ぐ自分達の部屋へ。何も考えたく無かった漣は吹雪とそのまま眠りに就いた。

 

******

 

目を覚ましたのはその日の深夜。隣で眠る吹雪を起こさないよう立ち上がった漣の視界に、今は亡き雷の荷物が映る。

虚無感に襲われながら、暗闇で目立たない黒のパーカーと黒のパンツに着替え、忍び足で工廠へ。妖精達も勿論協力しているので、漣が艤装を装着するのは容易い。もう基地からの脱出にもすっかり慣れた。

 

足のみ艤装を付け、海へ。あれだけの事が有ったとはとても思えない程穏やかな海。空は曇っていて星は見えない。真っ暗闇の海面には、陸から照らされるライトによって時折微かに光が差し込むのみ。光輝く陸上の夜景とは正反対。まるで、今の漣達の心と歓喜に満ちた昼間の観衆を表しているかのよう。

 

そんな光景に「ふぅ‥‥‥」と深く溜め息をついた漣は海上を大回りして海岸へ。何時もそうしているように岩場の影に艤装を隠して向かう。フードは被ったままだが、ジョギングでもしていれば不審には見られない‥‥‥と思いつつ。

 

数枚のコインを手に、コンビニへ。目的は勿論、今では余り見なくなった公衆電話。それなら少なくとも通話履歴で辿られる心配はない。

 

足木に会うのも久し振りだった。電話を受けて飛んできた足木の姿を見たとたん、枯れたとばかり思っていた涙が溢れてきて止まらない。今の今まで言えずに押し込められてきた思いが溢れてくる。漣の頬を伝い顎の先から雫が零れ落ちる。悔しくて、辛くて、悲しくて。心が割れてどうにかなってしまいそうなくらいに痛い。

 

足木が近付いてきて、そっと抱き締めてくれた。言いたい事が沢山あった筈なのに、漣の口からは言葉が出てこない。代わりに出るのは嗚咽と涙ばかり。

 

漣と吹雪が帰艦した時の海上での表情を、足木も望遠レンズで見てはいた。二人とも喜怒哀楽の抜けた、全く感情の見られない無表情だった。だから心配はしていたようだ。

 

「よく生きて帰って来たわね」

 

足木は、普段の彼女からは想像もつかないような穏やかな表情だった。涙で滲む視界で彼女を見ながら、漣は精一杯の言葉を発していく。

 

「私‥‥‥怖くて‥‥‥何もできなくて‥‥‥」

 

途切れ途切れで単語を並べるのが精一杯だったが、おおよその内容を伝えていく。一通り話し終えると、漣は我慢出来ずに声をあげて泣き出した。

 

 




帰艦した漣と吹雪。この後に知ることになる現実は、更に漣を追い詰めていきます。待っているものは‥‥‥。


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その手を

 

暫く‥‥‥とは言っても2週間程。漣と吹雪は休暇を貰えた。大本営は深海棲艦の動向を見てから今後の活動を再考するらしい。

大本営は自身の生み出した怪物を真実が明るみになる前に討伐したうえ、漣、吹雪という二人の艦娘をまんまと手に入れた。漁船よりも遥かに小さい人間サイズの為に発見は困難、深海棲艦同様に人類の作り出した兵器の一切を退け、核兵器さえも効かない兵器としての艦娘を。そう考えると、犠牲は大きかったものの大本営は目的を達成したのだ。彼等は今頃高笑いしている事だろう。

 

当然ながら、休暇と言っても二人に自由がある訳ではない。基本的に基地内での行動となるし、外出するともなれば政府の要人かのように何人もの護衛(実際は監視だが)が付く。息苦しくて堪らない。だから、休暇を貰えたからと言っておいそれと足木にも会いに行けない。やはり深夜にこっそりと会うしかない訳だ。

とは言っても本当に久しぶりの休暇。最後に休んだのは何時の事だったか。

 

「私、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに会ってくるね」

 

吹雪は海軍の将校二人に付き添われ、久し振りの実家へと戻っていった。彼女の故郷がお祭り騒ぎになるであろう事は想像に難くない。例え遠目の出撃中の写真でも『吹雪がユキ』だと分かる人には分かるし、実家の銭湯には海軍が毎日不自然に出入りしている。地元の人間からしても吹雪は誇るべき英雄の筈だ。当の本人はそんな雰囲気は歓迎出来ないだろうが。

 

レン‥‥‥漣はと言えば。一日部屋に籠って両膝を抱え、頭から毛布を被って落ち込んでいた。親友が特攻を行ったのを目の当たりにしたし無理もない。それも、漣達を生かす為だったのだから尚更だった。

食欲も湧かず、その日はそのまま過ぎた。一日落ち込んでいて、漣の脳裏にやっとある事が浮かぶ。雷‥‥‥ナツの行動は作戦の内だったのかどうか。もしそうだとしたら、橋本大佐は実の娘にどんな思いでそれを命令したのか。

 

(聞こう)

 

力無くヨロヨロと立上がり、まだ虚ろな瞳を扉に向けた。そこでやっと風呂に入っていない事に気が付き、先に入浴へ。

 

入浴を済ませ、身体を拭いて髪を乾かして。少しだけ身なりを整えて。執務室の扉をノック。「漣です」と一言だけ告げると「入れ」とあっさり入室を許可された。

 

「司令官。雷‥‥‥ナツの事、聞いてもいいでしょうか?」

 

大佐は振り向かなかった。ずっと窓の外の方を向いたまま。聞けた答えは「あの子自身の意思だ」だけ。つまりは、雷自らが特攻を選択したという事だけ。大佐は作戦がどうだったのかまでは言及していなかった。

 

ただ、漣には分かった。雰囲気で何となくだったが、橋本大佐が娘を失って悲しみに暮れている事。橋本自身はそれを隠そうとしてはいるようだったが。

 

よくよく考えてみれば、普通の親なら実の娘に死んで欲しい等と思う筈が無い。橋本は当に死の間際だったナツを救いたい一心で、深海棲艦と戦う運命になるのを覚悟してまで艦娘にさせたのだ。

そう思ったら、もう橋本を責める気も失せてしまった。そんな、辛さをぶつける先を失って呆然と佇む漣の背中の扉が突然勢いよく開かれた。入ってきたのは若い海軍軍人。

 

「報告します。東京湾沖に深海棲艦を発見。イ級が4、ロ級が2です」

 

その報告に、漣はまるで後頭部を鈍器で強烈に殴られたような衝撃を受けた。南方棲戦姫を倒して終わりだと思っていたのだ。これから自分と吹雪はどうなるのか、なぜまだ海軍から解放されないのかという疑問も有ったが、これがその答えだとは。

 

「漣、出撃しろ。残党狩りが終わっていないようだ」

 

橋本大佐の方は極めて冷静。想定はしていたのだろう。何かのゲームの物語のように、ボス敵を倒したら即平和が訪れる、というようにうまくは行かないのが当然らしい。

 

工廠で暇をもて余していた妖精さんと合流。漣は再び艤装を背負い、連装砲を手に取った。もう実戦で使う事も無いと思っていた兵器。両手で握り締め、瞳に涙を溜めて天井を見上げた。

 

(見てて、ナツ。貴女の行動は絶対無駄になんてしないよ)

 

******

 

南方棲戦姫と比べれば何の事は無い。イ級とロ級はあっさり片付ける事が出来た。休暇は中止となり、その翌日から漣と吹雪は残党狩りに取り掛かった。深海棲艦の目撃情報が入り次第現場へ急行し、殲滅する。その繰り返しの日々。

そんな中で、最初に違和感を覚えたのは漣の妖精さんだった。どうもおかしいのだ。

 

『深海棲艦の出現が増えているのはおかしいと思いませんか?』

 

そうなのだ。南方棲戦姫、つまり敵の大将を討ち取ったのだから、普通なら減っていく筈の深海棲艦達。それが、南方棲戦姫討伐後のここ2ヶ月の内になだらかではあるが増加してきている。まるで、嘗ての勢いを取り戻しているかのように。

 

「確かに変‥‥‥だよね」

 

イ級の群れを片付け帰路を走る漣。不覚にも中破。ずり落ちてしまいそうなセーラー服を、ヌイグルミを着た妖精さんを抱いてどうにか押さえている。何時かのように下着が見えてしまっているものの、それを気にしている余裕はない。

妖精さんの言葉が頭を巡っている。嫌な予感がしてならない。きっと吹雪も感じているであろう不安。漣の中の軍艦の魂が警鈴をならしているように感じる。

そのあられもない状態で帰投。艤装を降ろして真っ直ぐに入渠施設へと歩く。

 

「漣ちゃん!」

 

施設まであと数メートルという所で、吹雪に後ろから呼び止められた。

 

「新たな深海棲艦が見つかったって!」

 

不安は的中。吹雪の話では、新たな人型の深海棲艦が現れた、らしい。それも、南方棲戦姫を沈めた海域で。

高くない身長の、真っ白な肌の深海棲艦。フードのようなものを被り、白くて長く大きな尾を持つ少女、のような姿らしい。

 

「深海棲艦が居なくならないのって」

 

「うん、多分その子が原因だろうって。行こうよ、漣ちゃん!」

 

折角。折角ナツが命を懸けてまで守った海の平穏。それを壊されていい筈が無い。漣は決意した。その新たな敵を何としても止める。ナツの意志を継ぐと。

 

漣が出撃直後のため、討伐は改めて明日となった。幸いというべきか、その新たな深海棲艦は、その海域から動く様子はまだ見られないらしい。

ただ、司令官である橋本の表情が暗い。どうしてかはその時は漣達には分からなかったが‥‥‥。

 

******

 

どうも附に落ちないままに出撃した二人。橋本が何時にも増して言葉少なだったのが妙に引っ掛かる。髪を靡かせスカートをはためかせながら海上を走り悩む漣。

 

「妖精さん?」

 

『何でもありません』

 

抱いている胸の中の妖精さんも悩んでいるようだった。と言っても、漣とは違い確信に近いもの。故に漣には言い難かった。出来るなら、漣達には気付かせずに終えたい。その思いが強かった。

 

『見えてきたよ、アレだよ!』

 

吹雪からの通信。遂にその敵の姿を視界に捉えた。ここからではまだ遠く、白い尾と黒いフードが見えるのみ。

 

 

 

 

「‥‥‥テタョ」

 

 

 

 

何か。何かが聞こえた。背筋が凍るような声で、確かに。その声が聞こえたのは、恐らく前方から。心の奥底に響くような、重く冷たい声。

 

「え?」と声に出した漣。思わず胸の中の妖精さんに視線を向けた。その肝心の妖精さんの表情は‥‥‥予感が当たってしまった絶望にも似た表情をしていた。

 

『漣ちゃん、今、何か‥‥‥』

 

吹雪からの通信。彼女にも確かに聞こえたようだ。やはり空耳等ではない。発したのはあの深海棲艦だろう。

 

『漣ちゃん、前!!』

 

吹雪の声に驚き顔をあげると、そのフードの深海棲艦がすぐ目の前に居た。驚き声も出ない漣をニヘラと笑い見つめる深海棲艦。黒いフードがハラリと後ろに外れて、白髪ではあるがボブヘアーの側頭部から房が伸びる独特な髪型が現れた。その顔も、忘れる事の出来ないあの彼女の‥‥‥。

 

「マッテタョ、サザナミ」

 

狂喜を湛えた瞳で漣をあざ笑い見つめるその顔は‥‥‥。驚愕と恐怖で脚がすくみ、漣はその場でしゃがみ動けなくなってしまった。涙をポロポロと流しながら絞り出した言葉は一言だけ。

 

「嘘‥‥‥だよ‥‥‥」

 

その深海棲艦‥‥‥後に『戦艦レ級』と名付けられる彼女は、ただ海域から動かなかった訳ではなかった。文字通り待っていたのだ。漣と吹雪が彼女の元に来てくれるのを。

 

涙は止まらない。辛い、苦しい、悲しい、何にも増して恐い。体の震えが止まらない。

レ級が漣の胸に砲を押し付ける。ニタァ、と不気味に笑いながら、「ダイジョウブヨ」と囁いてくる。

 

(止めて‥‥‥止めて、ナツ‥‥‥)

 

見間違いようが無い。そのレ級の顔は、紛れもなくナツ‥‥‥雷そのものだったのだ。目の前のそれの身体の大きさも、雷と全く同じ。感じる雰囲気も、その声も、全て。

 

殺される。親友だった筈のナツに殺される。その恐怖のみが漣の思考を支配し、指一本動かせない。

 

「漣ちゃん!!」

 

その声に反応し、砲を漣の胸から放して吹雪の方へとゆっくり海面を移動し始めたレ級。吹雪が間髪入れずに砲撃。全弾命中しレ級は煙に包まれる。

 

肩で息をしながら煙を睨んでいた吹雪が、突然左舷方向に吹き飛ばされた。涙で滲む漣の視界に映ったのは、右腕を押さえ震えながら立ち上がった吹雪の姿。血がボタボタと落ちる右腕は、肘から先が吹き飛ばされて失われている。

 

「ふぶ‥‥‥き‥‥‥?」

 

吹雪が痛みで溢れてくる涙を必死に堪え、残った左手で連装砲を構える。諦める様子は無い。漣の方へと移動し、レ級の視界から漣を遮る位置に立った。

 

「逃げて、漣ちゃん‥‥‥逃げて!」

 

吹雪は振り向かない。その身体は微かに震えていた。レ級との力の差は歴然だ。吹雪だって恐いに決まっている。それなのに、逃げ出さずに漣を庇い声を張っている。

 

「早く!漣ちゃん!」

 

呆気に取られ動かなかった漣が返せたのは「でも‥‥‥」という戸惑いの言葉だけ。また逃げるのか?また自分だけ逃げ出すのか?親友を見捨てて、その死と引き換えに自分だけ?それだけが頭をぐるぐると堂々巡りし、漣は動く気配すら見せない。

 

幸いというべきか、レ級の興味は今は吹雪に向いている。無反応の漣の相手はつまらないらしい。

業を煮やした吹雪が、横目で見ながら漣に砲を向けた。ビクッと身体を震わせ目を見開いて、漣はやっと今の状況を飲み込んだ。

 

 

 

――――――――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい

 

 

 

心の中で何度も何度も繰り返し、漣は背を向けて走り出した。振り向いたら駄目だ。振り向いたら‥‥‥振り向いたら、走れなくなってしまう。親友がまたしても目の前で沈む光景を見てしまったら、二度と立てなくなってしまう。逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ‥‥‥‥‥‥。

 

*********

 

振り向かずに我武者羅に走った。涙で顔は酷い事になっていたが、気にする程の余裕は無い。肩を震わせ嗚咽を洩らしながら、逃げた。

 

吹雪の懸命の足留めのお蔭か、レ級が追ってくる様子は無かった。夕暮れ、やっと見えてきた灯りの点り始めた横須賀の港。妖精さんが帰投の合図を送ってくれていた事もあり、漣の回収は早かった。状況は最悪。漣は完全に戦意喪失、吹雪は轟沈。これではレ級に対抗する術が無い。

 

艤装を降ろした漣が真っ先に向かったのは執務室。その手に握り締めているのは、さっきの戦闘中に妖精さんが写したレ級の写真。

 

「司令官」

 

「やはり来たか、漣」

 

橋本の態度が全てを物語っていた。知っていたのだ。初めから、全てを。

 

「答えて、司令官‥‥‥雷なんでしょ?この深海棲艦はナツなんでしょ!」

 

レ級の写真をバンッ、とテーブルに叩き付けた。肌と髪の色こそ真っ白だが、何処からどう見てもレ級はナツにしか見えない。

 

「母親なんだ」

 

突然の橋本の告白に「‥‥‥え?」とだけ反応し、思考停止した漣。橋本は続けた。その彼の焦点は写真にも漣にも合っていない。遠い何処かを見ているような目だった。

 

橋本の告白は衝撃だった。漣達が苦戦し、雷の特攻でどうにか倒した南方棲戦姫。彼女は元々、その雷‥‥‥ナツの母親だというのだ。狂喜の実験により大本営が産み出した怪物、それが南方棲戦姫だと。つまり、味方だと思っていたモノは諸悪の根源だったのだ。

それから。レ級は確かにナツだという事も認めた。南方棲戦姫が元は人だったように、レ級も当然元は人。つまりは漣のような艦娘‥‥‥軍艦の魂を持つ人間が人の魂を失った時、深海棲艦の王(この場合は姫か)が生まれるのだろう、と。

 

「そんな‥‥‥そんなのって‥‥‥」

 

漣‥‥‥レンはその場に崩れ落ちた。涙が再び溢れてきて止まらない。親友を失っただけでは済まされない。きっと吹雪もまた深海棲艦になる。そして、自分も何時かそうなる。自分も人類の敵となる日が来る‥‥‥。

 

信じていた筈のモノを打ち崩された挙げ句、自分の未来さえも失い。レンの瞳は光を失ってしまった。フラフラと力無く立ち上り、執務室をゆっくりと出ていく。

 

一人トボトボと部屋へと入り、鍵を掛けた。

 

(あんな怪物になんて、なりたくない‥‥‥なりたくないよ‥‥‥)

 

ポタリ、ポタリ、と涙が床に零れ落ちる。漣‥‥‥レンの心は‥‥‥折れてしまった。音をたてて崩れてしまった。

 

(もうやだよ‥‥‥もう‥‥‥)

 

もう、疲れた。レンは天井を見上げる。レン自身の背丈の二倍程の高さ。棚を足場にすれば何とか届きそうだ。

 

縄なら有る。棚に足を掛けて天井の突起に縄を掛けて降りる。改めて椅子に登り少し高めの位置で縄を縛って輪を作った。ちょうど頭が通る位の大きさの輪‥‥‥。

 

(ごめんなさい‥‥‥ごめんなさい)

 

その輪に自分の首を通した。足を乗せている椅子に視線を落とし‥‥‥。

 

(父さん、私も‥‥‥そっちに行くから)

 

レンはそのまま椅子を‥‥‥‥‥‥蹴った。

 

*********

 

それから程なく。他の国の情報もあって戦艦レ級の存在は隠す事は出来ず、大本営はやむ無く会見。その席で吹雪が轟沈した事を報告。漣は‥‥‥『病気療養中』であると発表、現在全力で治療中であると嘘をついた。

 

勿論、日本はおろか世界中で動揺が起きたのは言うまでもない。何せ、唯一深海棲艦に対抗できる筈の艦娘が不在となったのだ。

 

だが、そんな情報に納得しない人物が一人居た。足木だ。

 

(病気‥‥‥ねぇ)

 

彼女は大本営を信じてはいなかった。雷の特攻も隠した大本営の事。今度も必ず裏がある。そう睨んで情報を掻き集める事半年‥‥‥。

 

(何よこれ‥‥‥!)

 

足木が手に入れたのは、マル秘と書かれた内部文書。流した犯人は、橋本大佐だ。

 

(自殺!?あの子自殺したの!?何で!何でよ!!)

 

それは、漣の自殺の実況見聞調書。怒りもあったが、それ以上にあったのは後悔。あの時漣にもっと何かできていたら死なせずに済んだかも知れないという、自身の不甲斐なさに対する。

 

(せめてアンタの無念、私が晴らすわ。大本営に全て認めさせてやるんだから)

 

‥‥‥そうして足木が記事を書き始めて、3日目の事。自宅で休憩がてらに珈琲を淹れようと立ち上がった時だった。

コンコン、と扉を叩く音。疲れもあってか「はいはい」と不用意に開けてしまった。

瞬間、数人の男がなだれ込んできた。憲兵隊だった。足木は呆気なくその場で押し倒されて拘束された。

 

「足木 妙だな?」

 

憲兵隊を率いていたのは女性だった。褐色の肌、筋肉で引き締まった身体、髪は白髪で、眼鏡を掛けた威圧感のある女性。

 

「憲兵隊のアンタ等が何の用よ?不当逮捕よ!」

 

無論、足木には心当たりしかない。原因は恐らく、今書いている記事。下手をすれば国家反逆罪に問われる可能性のあるそれだ。

 

「連れていけ」

 

憲兵の女性の支持で、足木は連行された。ただ、足木の視界に不可解なものが見えた。その憲兵の女性の肩に、申し訳なさそうにこちらを見ている小人の姿が見えたのだ。一瞬だが目も合った。

 

拘置所か取調室にでも連れていかれるのかと思っていた足木だが、実際は違った。連れて行かれたのは海軍の施設‥‥‥横須賀基地だった。

 

「どういうつもり?言っとくけど何年掛かってもアンタ達の罪は‥‥‥」

 

言い掛けた足木の言葉を遮ったのはまたしてもさっきの女性の憲兵。突然足木の前に肩に乗せていた小人‥‥‥妖精を突き出し睨み話す。

 

「コイツが見えているだろう?私と来い。共に戦え」

 

足木にも、漣達と同じ才能があったのだ。彼女に眠っていた魂は、妙高型重巡洋艦三番艦・足柄。

 

女性の憲兵の方は、大和型戦艦二番艦の武蔵。

 

「どうせ私に選択権なんて無いんでしょ?分かった。やるわ。あの子の分まで‥‥‥」

 

************

 

それから。どれくらいの年月が流れたか。成仏できずに海を彷徨っていたレンの魂は、ある艦隊の姿を見ていた。

荒れ狂う洋上を走る、ボロボロの6人。駆逐艦が二人、重巡が一人、その重巡洋艦に支えられている空母が一人。戦艦が二人。

 

その戦艦の一人が、嵐に紛れ接近してきた魚雷から僚艦を庇い轟沈。泣き叫ぶもう一人の戦艦の女性。格好からして同型の戦艦、姉妹だろうか?

 

海中に目を向けると、戦艦の女性は当に沈みゆく最中だった。下半身は吹き飛び既に無く、左腕は肩から抉れて喪失。見るも無惨な姿だった。

その戦艦の女性と、目があった。有り得ない。レンは魂。その女性はまだ死んではいない。生者に死者が見える筈は‥‥‥。

 

戦艦の女性が、苦しそうにではあるが右手を伸ばしてきた。間違いなく、レンを見ている。

 

『助けて‥‥‥下サイ‥‥‥』

 

心に直接。その女性の声が響いてきた。

 

『お願いデス‥‥‥力を‥‥‥貸して下サイ‥‥‥』

 

戸惑った。どう足掻いても、その女性は助からない。それに、もう艦娘には関わりたく無い。自身や親友の命を奪った艦娘には。

 

『ワタシは‥‥‥まだ死ねナイ‥‥‥約束、シマシタ』

 

瞬間。女性の思いと記憶が流れ込んできた。妹の笑顔を守りたい、泣かせたくない、と。

 

心が揺らいだ。これが、最後。彼女を助けるのが関わる最後だ。そう納得して、右手を伸ばした。

 

『掴まって!』

 

レンは必死に手を伸ばして‥‥‥彼女のその手を掴んだ。

 

『Thank You‥‥‥漣』

 

『ええっと、金剛‥‥‥さん?』

 

 




という訳で。before storyでした。これにて完結。

大本営に脚色された英雄・漣の真実。

レンちゃんに幸運がありますように。


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