待っていた夜は (厨二患者第138号)
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プロローグ
1話


※12月15日、修正しました。


 ――――――どうしてこうなったのだろうか。

 

 少女はそう思わずにはいられなかった。眼前には蛸の様な生き物が迫りくる。しかし、果たして蛸とは見ているだけで狂ってしまいな程冒涜的な生き物だっただろうか。

 

 断じて違う。

 

 あの生き物は、いや、そもそもアレは生き物ではない。アレは存在すらしてはいけないモノだ。いうなら化け物。アレは化け物だ。今、真正面で触手をうねらせている化け物は、どうしようもなく化け物で、だから化け物は少女を殺そうとしている。

 

 「は、はは」

 

 ふと、乾いた笑いが零れた。目の前はもう絶望しかなく、希望など欠片も見えない。一匹や二匹ではないのだ。化け物は十や二十を超える数が四方八方にいる。

 

 故に、どう足掻いても少女は死ぬ。分かり切っていたことだ。だから逃げることを止めたのだし、抵抗することすらも諦めた。化け物らは、ゆっくりと少女に近づく。逃げ道など最初からなかった。

 

 「あっは」

 

 化け物を直視すれば、それだけ少女の大切な何かが削がれていく。その実感もある。だからもういっそのこと、狂って、叫んで、死んでしまいたい。その方がきっと気が楽だ、そんな風に思った。

 

 ――――――どうしてこうなったのだろうか。

 

 少女は気が狂いそうになる頭で、気が狂いきる前にもう一度思い馳せた。

 

 確か両親と喧嘩したことが発端だった筈だ。何でもない些細なことで言い争いが始まり、それがエスカレートした。少女は癇癪をおこして家から飛び出し、自分に理解を示してくれない母親の顔なんて見たくない、そんな幼い意地っ張りが原因で未遠橋で長いこと時間を潰してしまったのだ。そうして夜になり、周囲が薄暗くなったことに遅まきながら焦りを感じた訳だ。

 

 だから急いで帰ろうとしたら、こんな化け物らと出くわした。

 

 ただ母親と喧嘩をしたから、ただ帰りが遅くなったから、こんなことになったのか。ただ小さな偶然が重なり、自分は死ぬのか。そう思うと、今度は少女は怒りを覚えた。

 

 ―――――どうして、どうして私が死ななければならないの。

 

 当然の疑問だろう。たかだか偶然の重なりが原因で、少女は惨めに死ぬのだ。そして少女を殺すという理不尽を全うするのは眼前に広がる化け物である。ならば、この化け物たちは少女にとって『敵』だ。敵は排除しなければならない。完全なる正当防衛だ。

 

 いや、そもそも化け物相手に人間の法律など何ら意味はない。法は人の命を助けない。

 

 「は、ははは」

 

 また笑いが零れた。ただ、今度は恐怖によるものではない。震える自分を鼓舞するためだ。怖くとも、生きることはあきらめてはいけない。何故か先程とは打って変わって、猛烈に諦める気が失せた。

 

 逃げ道がないのなら、作ればいい。

 

 少女は視線を地面におろす。何か武器になる物はないか探し始めたのだ。そんな都合のいい展開などある筈がない。そんなことは分かりきっている。それでも、少女は生きる努力をするために必死に探した。

 

 偶然(・・)、或いは少女の見苦しくも勇敢な行動が報われたのか、足元には鋭利な杭の様なモノが落ちていた。少女が杭を見つけたのと同時に、丁度前方にいた化け物らが道を開けた。

 

 助かった、訳でない。今この瞬間、明確に死の気配を感じる少女にはそれが分かった。

 

 「おお、貴方の様な人がまだこの現に居ましたか!! その勇気、正にあの聖処女の様に気高い!! 素晴らしい、素晴らしいですぞぉ!!」

 

 

 狂人とはまさにあの事を言うのだろう。眼はもはや焦点が合っておらず、腰は酷く折り曲がっている。不気味と言う言葉を体現したかのような出で立ち。そんな男が化け物らが開けた道から、つまり少女の目の前に現れた。

 

 そして少女は直感する。あの男こそがこの化け物らを操る親玉だという事に。ならば、少女が殺すべき障害はあの男に他ならない。何故か地面にある杭を拾い、強く握りしめる。不思議なことに、ただそれだけの行為で少女は自身に力が沸いた気がした。

 

 「だからこそ残念でなりません。ええ、神は勇敢な貴方を見捨てるでしょう! 断言しましょう! 悪逆を尽くし、世からは忌み嫌われる私から、神は貴女を救わないぃぃ!!」

 

 当然ながら男は狂っていた。神を連呼し、紳士的な言葉遣いの裏腹に狂気を孕ませている。何せ化け物を統べる親だ。頭がおかしくない訳がない。男は発狂し、叫び始めた。

 

 「あああぁぁ!! では、大人しく我が血肉となりなさい! 聖杯に選ばれた私、このジル・ド・レェの現界に貴女が必要なのですっ!!」

 

 ひとしきり叫び終えた後、男はゆっくり手を上げた。さながらその動作は大軍を率いる軍師のそれである。だが、男は誉れある軍師とはかけ離れた雰囲気を纏っている。そして仮に彼が軍師だとしても男が率いるのは化け物の群れだ。いくらその仕草が様になっていようと、少女にとっては本当に迷惑な話なだけだ。

 

 「やりなさい」

 

 静かで、無慈悲な宣告。男の手を振り下ろす合図とともに、周囲の化け物は少女に飛び掛かる。死を悟るのには一瞬で十分だった。

 

 しかし、それでも少女は杭を振り上げた。眼前の化け物は己に死をもたらす。それを振り払うには化け物自体を殺すしかない。だから、無駄でもやらなければならないのだ。

 

 「……」

 

 握った杭は驚くくらい手になじむ。きっと殺せる。確信なんてないが、最後に良い夢を見せてくれた。

 

 だってそうだ。

 

 

 

 化け物が目の前でバラバラになる(・・・・・・・)なんて、そんなの夢以外に有り得ない。

 

 

 

 まだ少女の手にある杭の先端は化け物に届いてさえいない。だからきっと少女は化け物に殺されて、死後の夢を見ているのだ。

 

 だが、夢にしては妙にリアルだ。夢とは果たして臭覚が働くものなのだろうか。悪臭が漂っている。それが手を斬れば出る、身近にあっても見るのは恐ろしい赤い液体と同じ金属質の臭いなのだと分かった。

 

 そして気づけば目の前の化け物だけでなく、少女を取り囲んでいた無数の化け物もただの肉塊に成り下がっている。明らかに少女の仕業ではない。多少武術の心得があるとはえ、それ以外はまるで平凡な少女に、自身よりも一回りも二回りも大きい化け物相手に解体する技術など持ち合わせていないのだ。

 

 「……なんだ、もう終わりか。呆気ない」

 

 

 そんな声が聞こえた。何が何だか分からない。ただ、それでも間違いなくその声が先の狂った男の物ではないという事だけは分かる。落胆が入り混じった、全く別の人間の声。恐る恐る、聞こえた方に顔を向けた。

 

 

 そこには、狂った男の首を片手に佇む影がいた。

 

 

 「……これがフランスの英雄の末路か。アンタ、死ぬ間際に改心したんじゃなかったのか?」

 

 影はどこか悲し気に、首だけとなった狂人に語り掛ける。しかし狂人が返事を返すことはなかった。完全に狂人が死んだことを悟った影は首を丁寧に地面におく。そして静かに何か言葉を紡ぐと、狂人の男の首は燃え去った。

 

 あまりの非現実に、少女は言葉を失った。後に残ったのは何もなく、いつの間にか惨殺され尽した化け物達の死体も跡形もなくなっていたのだ。

 

 影のもう片方の手には剣よりは短く、かといって短剣よりは長い『剣』を持っていた。本能的に恐怖を感じる。影の持つ剣は赤く塗れていた。一目で、その剣があの狂った男の頭と上半身を切り離したのだと分かった。

 

 ――――――次は自分の番かも知れない。

 

 そう思うと、少女の身が竦みそうになった。先程までの立ち向かおうとする勇気も、あの影の前では無意味に思えたのである。化け物を統べるあの狂人を瞬く間に化け物ごと屠った影。勝ち目が元々なかったものが更にその絶望性を増した気がする。

 

 影は静かに、本当に不自然なくらい静謐な動作で少女の下にいた。

 

 少女は何もできずにいた。恐怖で体が硬直していたからだけではない。影の動きがあまりにも静かな上に存在そのものが希薄せいで、近づいてきたという事実の認識が遅れたのだ。

 

 おかしな話だ。

 

 影は確かに実体を持っているように見えるのに、存在してるのかどうかさえ疑ってしまう程そこにいるという実感(・・・・・・・・・・)が薄い。

 

 「大丈夫か?」

 

 影は剣を、人間で言うところの懐に仕舞いながらそう問うてくる。近づいてきて分かったのは、少女が影と勘違いしたのはその影の纏っている黒いフード付きの外套が幽鬼の如く揺らめいていたからだ。

 

 つまるところ影は手も足も備わっている人間だったのである。

 

 体格から鑑みるに性別は男だろうか。警戒を解いたわけではないが、同じ人間で多少はマトモ(少なくともあの狂人よりかは)なのだと分かって少しばかり少女は安心した。先程の化け物や狂人に比べたら、この人はまだどうにか出来る余地がある。

 

 「……は、はい、大丈夫、です」

 

 どうにか言葉を発することが出来た。極度の興奮状態で身体と口元は震えて動くことも喋ることも困難になっていたのだ。その反面、頭は比較的冷静に働いている。不思議な話だが、今の少女にとってはありがたいことだった。

 

 男は被っていたフードを下ろすと、骸骨の仮面をのぞかせた。そしてその仮面も外して素顔を晒す。やはり影だったものは人間で、想像通り男だった。ただ、日本人ではなかった。褐色肌を持つ以外は凡庸の容姿を持つアラブ系の男である。

 

 「驚いたな。日本人に君の様な人がいたなんて。良ければ名前、を聞く前にまずその杭を返してもらってもいいかな? 実はソレ、俺のなんだ」

 

 外国人とは思えない流暢な日本語と、先程とは打って変わって優しい口調。男はいつの間にか少女の杭を握る手に触れて、丁寧に指の一本一本を杭から離すよう促した。

 

 少女にとって杭は唯一の攻撃手段。

 

 それを手放すという事は、数少ない生き残る確率を止めを刺すようにゼロにすることに他ならない。頭の中では分かっているというのに、少女はあっさり指から杭を離してしまった。それ以上に何故か、男に触れられただけで手だけではなく体全体の震えが収まったのだ。

 

 そして心なしか気持ちも落ち着いた気がした。

 

 「おう、素直なのはとてもいいことだ。それじゃあ、自己紹介に移ろうか。俺はー……まぁアサシンって呼んでくれ。お嬢ちゃんのお名前は?」

 

 アサシンと名乗った男は目が少女の視線と丁度同じ位置になるようにしゃがみ込む。その時には化け物や狂った男の放っていた殺意は微塵も感じられなかった。ただあるのは温情の詰まった男の言葉と瞳だけ。全力で影の男は少女を気遣っていた。

 

 一方、真正面から純粋な好意を受けた少女は照れくさくなった。今思えばその時から一目ぼれだったのかもしれない。少女のピンチに颯爽と現れ、ヒーローの様に『悪』を倒す。惚れなくとも、幼い少女の分かりやすい好感度が鰻登るのはしようのない事だった。

 

 

 「あの、私、みつづり。美綴綾子って言います」

 

 

 

 

――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 目が覚めた。どうやらテーブルに伏すように寝ていたようで、頬には痕が残っている。時刻は六時ちょっと。少女は、美綴綾子は寝ぼけた様子で部屋を見渡すと、テレビの電源がついていた。ただし、ニュースやテレビ体操が流れている訳ではなく、乙女ゲームの選択画面が映っていた。二人の男が言い争っている状況らしく、主人公の女の子は何と言ってこの場を治めるかの選択を迫られていた。

 

 「ふぁ、寝落ちしちゃったかぁ」

 

 美綴は口を大きく開けて欠伸を掻きながら、コントローラーを手早く操作して即座にセーブした。そしてテレビとゲームの電源をぶちっと消して、大きく背伸びをした。

 

 「うーん。結構面白いじゃん、これ」

 

 最初はいきなりバッドエンドを迎えて何事かと思ったが、時を駆けることでこれから起きるであろう災厄を未然に防ぐというシナリオは実にいい。それがしっかりと体感できるように、選択肢がさりげなく一つ増えていたり、主人公の台詞が若干変わってたりと細部に渡って配慮がなされていた。

 

 正直に言って、起きたからには続きをプレイしたい。だが、今日は生憎のこと平日である。加えて美綴綾子は私立穂群原高校の弓道部に所属しており、極めつけにそこの主将を任されている。

 

 そんな彼女が朝練に赴かないのは些か以上に筋が通ってない。夜遅くまで乙女ゲームをする割には、存外彼女は生真面目だった。

 

 「よし!」

 

 気合を入れる。そして勢いよく部屋を出て、洗面所に向かうために階段を下りようとする。だが、何か思いついたようにまたすぐ自室へ戻った。

 

 そしてベッドの裏に隠してある物体を大事そうに取り出す。

 

 ソレは『杭』だった。鋭利な先端は容易に人の肉を傷つけるだろう。取っ手の部分は包帯で何重にも巻かれており、中腹から先端にかけては何か怪しい文字の様なモノが刻まれている。美綴はその杭、正確には文字に触れた途端、言いようもない安心感を覚えた。

 

 あの日、美綴がまだ幼い少女だった頃の話。名状しがたい、神話でさえも登場しそうにない(・・)おぞましい化け物に襲われた。

 

 しかし救世主はいた。影の様に曖昧な存在感を放っている人だった。気配なんてまるで感じられなかったのだ。黒い外套は本来の不気味さをなくし、寧ろ安心感があった。短いとも長いとも言えない不細工な剣を片手に、一瞬の内に化け物を惨殺した。

 

 きっと英雄(・・)とは『彼』の様な人の事を言うのだろう。今でも美綴綾子にとって『彼』は最高の英雄(ヒーロー)だ。そしてこの杭は他ならぬその『彼』からもらったものだ。

 

 ――――――二度と大事に遭わないように。これは君を守ってくれるお守りだ。

 

 そういって、小さな掌の上にそっとこの杭を置いてくれたのをよく覚えている。彼と彼女を繋ぐたった一つの接点は、不思議と触れるだけで安心する。持っているだけで不幸の方から逃げていく気さえした。

 

 だからこの杭は彼女にとってこれは色んな意味で宝物だ。美綴は杭を大事そうに鞄の中に仕舞い込んだ。

 

 「よし」

 

 もう一度、気合を入れた。今日もいつも通り平和な一日であると信じて。

 

 

 

 

 

 

 




地雷とかそんなレベルじゃない。
でもアニメの美綴たんの鍵クルクルがあまりに可愛くて……
気づいたらこんなのを書いてたw


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僕の考えた最強のハサンの過去編
2話


 

 輪廻転生という言葉をご存じだろうか。

 死んだモノの魂がこの世に舞い戻り、また何かしらの形で地上に命をもって生まれ落ちる事である。

 この何かしら(・・・・)という言葉が重要である。

 仏教的に言えば転生をした先の人生は前世でいかに善行、或いは悪行を積んだかで変わる。

 例えば悪行を積み重ねた者は畜生として生まれ、その最後も悲惨な物になる。

 逆に善行をしたものには人間として生まれ、然るべき幸せな人生が待っているという。

 人間で生まれる事が幸せかどうかは兎も角、転生とはそういうものだ。

 少なくとも俺の知識の中ではそうなっている。

 

 さて、ではなぜそんな話をするのか。

 まぁ脳みそがサル並みのド低能でもわかるだろう。

 

 次に目を開けた時、そこに広がっていたのは俺の知らない天井だったのだ。

 

 その天井は石造建築なのだとすぐに分かる程度には塗装も何もされていない。

 しかもかなり古い建物なのか、清掃が行き届いておらず天井の隅には蜘蛛の巣が大胆に張り巡っている。

 明らかに現代日本に住む俺の家ではない。

 そもそも俺の住んでいる家はこんなオンボロ石造建築物ではなく、鉄筋コンクリートでできた超現代チックなアパルトメントの一室である。

 しかし、事実として俺はこの古い建物で寝転がっている。

 

 最初に頭にチラついたのは誘拐の二文字。

 

 最近は世界全体で治安が悪くなりつつあるこのご時世。

 日本人である俺でも、テロや戦争などの流血沙汰とはもはや完全に無縁と言いきれないのが現実だ。

 どこか違法な組織に誘拐された。

 あまり考えたくないが、そうだとすればこの状況にも説明がつく。

 

 だが心当たりがない。

 

 裏社会の恐い人たちに喧嘩なんて売ったことなんてないし、ましてやそんな度胸もない。

 経歴も目立ったものがある訳でなし。

 俺はそこらへんで酒飲んで上司の愚痴を漏らしているような社会人だ。

 もっと有体に言えば一般人だ。

 勉学や知識には多少の自信はあるものの、それも全国的に見ればたかが知れている。

 誰かに誘拐されるような理由が俺にあるようには思えない。

 とすると、これは無差別な誘拐だという事になるのだろうが……

 

 「あ?」

 

 そんな疑問が吹き飛ぶくらい、俺は新たな違和感を覚えた。

 掌がまるで赤ん坊のような小さな椛型だったのだ。

 握ろうとしてもうまく力が入らず、拳を作ることもままならない。

 おかしい。

 俺の手はこんな小さくない。

 これではまるで……

 

 嫌な予想をしながら、手の事はとりあえず忘れて、俺は周りを確認しようと起き上がろうとした。

 だが、案の定というべきか手と同じく足の膂力も貧弱だったようだ。

 何故か短い俺の足は体重を支えきれず、起き上がることは叶わなかった。

 嫌な予感が現実になりつつあることに焦る。

 他にも何か出来ないかと試行錯誤を繰り返した。

 しかし、本当に、文字通り、何もできなかった。

 しいて言うのなら、甲高い声で泣き叫ぶことのみ。

 

 認めざる得ない。

 

 ――――――俺、赤ん坊になってる(転生してしまった)、と。

 

 




今回短い上に急展開で申し訳ありません。
次回はもうちょい文章量を増やしますよっと。


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3話

 「おい、誰かソイツを捕まえてくれ! 泥棒だ!」

 

 赤い泥レンガで形成された美しい街並み。

 その中でもとりわけ人通りが激しい大通りにて、必死に人ごみを掻き分け、叫びながら走る男がいる。

 しかし同じ町に住む町人と言えど、所詮は他人だった。

 自己を優先、或いは何らかの身の危険を感じ、男の叫び声を敢えて無視して道を往来する者が大半であったのだ。

 彼らは嫌な顔をしながら、申し訳程度に道を開けることしかしない。

 中には男の助けを求める声に善意で反応する者も少なからずいた。

 だが、結局は男の言う『泥棒』を目に捉えることが出来ず、あっさり諦める。

 やはり見知らずの他人のために血眼になって探す変人などいないのだ。

 

 「糞野郎っ!!」

 

 悪態をつきながらも、男は『泥棒』を追いかける事を止めなかった。

 男の目には『泥棒』が映っている。

 それは子供だった。

 しかも身なりからして裕福そうには思えない。

 ボロ布にすら劣りそうな服に加え、やせ細った肉体。

 成程、子供が盗みを働いた理由が良く分かる。

 人間は食事をしなければ生きていけない。

 『泥棒』が盗んだモノとは、この国では主食となるナンだった。

 

 「待ちやがれ餓鬼ぃ!!」

 

 男はやはり声を張り上げて、より一層足の動きを速める。

 そして血走った目で『泥棒』を見逃さんとし、手を伸ばして少しでも『泥棒』との距離を縮めようと努めた。

 が、いかんせん距離があり過ぎる。

 水が流れていくように『泥棒』は走りながら人ごみを器用に避けていく。

 最早男と『泥棒』との距離は自力では詰め難いものとなっていたのだ。

 また、人の往来が激しいという事実がそれに拍車をかける。

 執念というべきか、しかし男は最後まで『泥棒』を見逃さなかった。

 途中で大通りを抜け、路地裏に入っていくのを見た。

 男も遅れてその路地裏に入る。

 すると男にとっては都合がいい事に、路地裏は袋小路となっている。

 『泥棒』は盗んだナンの二つある内の一つを齧り、行き止まりの壁にもたれかかっていた。

 

 「追い詰めたぞ、餓鬼ぃ」

 

 好機と見た。

 男は額から垂れる汗を無視してそう考える。

 ナンのことなぞもうどうでもいい。

 そもそも『泥棒』の薄汚れた手で触れられたナンは売り物にならない。

 ならば何故こうして『泥棒』を追いかけたのか。

 

 「覚悟は出来てんだろうなぁ?」

 

 ただの憂さ晴らし。

 それ以外に理由はない。

 盗まれた恨みにこれだけ無駄に走らされた恨み、そして何よりも日ごろのストレス。

 幸いなことに、『泥棒』には人権がない。

 いくら子供といえど犯罪に手を染めた以上、殴って蹴って殺しても誰も文句は言うまい。

 また、見かけでは『泥棒』の年齢はまだ十にも届いていないように見える。

 路地裏は細い袋小路となっている。

 故に『泥棒』と喧嘩になって男が負ける道理などない。

 加えてここには子供を殴ることに異を唱える宗教家もいない。

 男の口が吊り上がる。

 

 状況は完璧だ。

 

 「いやぁ、おっさんがここまで追いかけてくるとは思わなかったよ。ナンの一つや二つでここまで執着されるなんて、こりゃあ盗む店間違えたかな」

 

 『泥棒』の悪びれもせず言う言葉はとても十歳の子供とは思えない程流暢だった。

 だが、同時にどこか嘲りの色が含まれている。

 表情にも全く焦りは見られない。

 それどころか呑気にナンを食して、ケラケラ笑っている。

 

 そう、まるでこの不利な状況を楽しんでいるようにすら見えるのだ。

 

 「テメェ、自分が何したか分かってんのか、あぁ?」

 

 「罪が怖いんだったら最初から犯罪なんて起こさない。つまりはそういう事さ」

 

 「舐めた野郎だ。殺してやる」

 

 決して高くない沸点に達した。

 次の瞬間には男は『泥棒』に飛び掛かる。

 太い腕は勢いよく風を切り、『泥棒』の小さな頭を捉える。

 『泥棒』はいともたやすく吹き飛んだ。

 男は追撃にマウントを取って動きを封じる。

 そこまで来れば、後は『泥棒』が動かなくなるまで殴り続けるだけ。

 

 それが現段階、男が飛び掛かっている最中に頭の中で思い描いた最高のシナリオだった。

 

 「じゃあね」

 

 だが現実は非情である。

 いや、ある意味ではご都合である。

 男の剛腕は綺麗な弧を描き、確かに空を斬った。

 子供の頭部に当たりでもしたら下手をすれば即死である。

 しかし、手ごたえは感じなかった。

 気づけば目の前から『泥棒』はいなくなっていたのだ。

 

 路地裏に佇むのはただ一人の男。

 彼は自分の店のナンを盗んだ『泥棒』を追いかけてここまで来た。

 そして『泥棒』を追い詰め、粛清と言う名の憂さ晴らしを繰り広げる筈だった。

 では、なぜ憂さ晴らしの相手が忽然といなくなっているのか。

 

 「……あぁ? どこいった餓鬼ぃぃいい!!」

 

 短く、細い路地裏に響いたのは、やはり男の叫び声だった。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 「ああー怖かった」

 

 数ある赤いレンガで出来た家々の中の、その一つの屋根の上で俺は残ったナンを食していた。

 今日追いかけてきたおっさんは中々強敵だった。

 完全に巻いたと思って路地裏に入ったのに、まるで待ってましたと言わんばかりに後から路地裏に入ってきた時は滅茶苦茶ビビった。

 そして何よりもあの顔はヤバかった。

 捕まえることなんか忘れて殴り殺してきそうな勢いすらあった。

 というか殴りかかってきた。

 あんな太い腕で殴られたら死ぬわ。

 二度とあのおっさんがいる店ではナンを盗むまいと決心するのに時間はかからなかった。

 

 「さて、んじゃまぁ、じいさんの所に行きますか」

 

 愚痴もほどほどに、俺は最後のナンだけは残して手を合わせる。

 なんだかんだ言って日本人だった時の習慣は忘れられないのである。

 

 今の俺は日本人ではない。

 

 惨めに自殺したわけでも、或いは勇ましく子供を庇って車に轢かれたわけでもなく、ましてや神様の悪戯で死んだわけでもない。

 だというのに何故か、気づけば転生をしていた。

 俺の母親が所謂仏教徒で、そういう事(・・・・・)が世の中にはあると何回か聞かされたことがある。

 しかしながら、俺は特別神様や仏さまを信じている訳ではない無宗教者だったので、話半分にしか聞いてなかった。

 それが今ではこうして現在進行形で経験している。

 という事は転生は本当にあるのだろう。

 幼児退行が物理的に行われるくらいなら、転生などしたくなかったが。

 

 まずはあの人ひとりとしていないボロ屋で、文字通り泣きわめくことに飽きた俺は現実逃避を止めるところから始まった。

 俺はあの時間違いなく赤子で、誰かの手を借りなければ生きていくことなど到底できなかった。

 だから次に俺は助けを求めるよう大声で叫ぶよう努めた。

 発達してない喉は声を出すことにも苦労させた。

 だが他に出来ることもなかったわけで、疲れても休憩した後はまた泣くように叫んだ。

 

 助けが来るまでどれくらい時間が経ったか覚えていない。

 しかし助けはきたのだ。

 その人は老人だった。

 顔は日本人特有のしょうゆ顔ではなく、中東特有の深い彫のある顔。

 まぁ、明らかに日本人ではない。

 ただ言いようもない嬉しさが込み上げてきた。

 後は語るのも無粋というやつだろう。

 俺はその老人に助けられ、今日まで生きている。

 

 「おぉ、また盗みを働きおったな? このバカ息子が」

 

 気づけば俺は我が家に着いていた。

 正確にはただのボロ屋なのだが、そこは気にすることではない。

 今俺に語り掛けた声の主がその例の老人だ。

 俺は『じいさん』と呼んでいる。

 名は未だに教えてくれないのだから他に呼びようがないのである。

 

 とはいえ、それでも俺とじいさんはお互いがお互いを知り尽くしている。

 例えば俺が転生者なのだということもじいさんは知っているし、逆に俺は元々じいさんはメチャクチャ強い武芸者だったという事を知っている。

 因みにじいさんは俺が転生者だと聞いても大して驚かなかった。(俺は驚かなかったことに驚いた。

 また、先程ナンのおっさんから逃げたときの謎の瞬間移動もじいさんから盗み得た歩法(・・)である。

 瞬間移動なんてどんなファンタジーだよとか言われそうだが、出来る物は出来るのだから仕方ない。

 

 「まぁそう言わないでよ。じいさんの分も盗ってきたからさ」

 

 「ふん。お前の母国は道徳すら教えんのか? 人様のモノは盗んではならんと何度言うておる」

 

 日本は道徳をとても重んじるよ?

 代わりに裏では何を考えてるか分からんがな。

 ついでにバレなきゃ犯罪ではないを地でいく国でもある。

 いや、ソレは何処でも同じかな。

 

 「じゃあこれいらないの?」

 

 そう言って俺は残ったナンを食べるそぶりを見せる。

 するとじいさんはにっこりと笑う。

 

 「そうは言うておらんじゃろう」

 

 元はトンデモない達人だったとしても、やはり食べ物には弱いらしい。

 だがそれも無理もない話だ。

 

 じいさんには片腕がない。

 

 戦場に赴いた結果失ったというが、どうも俺はそう思えない。

 なんせあの歩法を用いればそうは簡単にやられたりしないからだ。

 現に俺はあのナンのおっさんから傷一つなく逃走が出来ている。

 ぶっちゃけ、あの歩法は使い方次第ではいくら混沌とした戦場の中でも無傷で帰っていけるだろう。

 

 話を戻そう。

 片腕がないという事は、だ。

 つまりそれは働くことが困難だという事だ。

 働かなければ金は生まれない。

 加えてじいさんはもういい歳である。

 この国の平均寿命がいくつなのかは知らないが、恐らくじいさんは老い先短いだろう。

 ボケてなくとも、そういうの(・・・・・)はちょっとした所作で何となく分かる。

 だから、と言っていいのかは疑問にはなるが俺は最後の時くらい、じいさんに大変な思いをしてほしくないのだ。

 もっともそんな事を本人に言えば余計なお世話だと言われて怒られそうだが。

 

 「全く、強がらずに最初から欲しいって言えばいいのに」

 

 「老いさらばえても儂は男じゃ。男は意地を捨ててはいかん」

 

 「落ちるの結構早かったけどね?」

 

 「うるさいぞ」

 

 軽口の言い合い。

 それも親しき仲であるからこそだ。

 俺はじいさんにナンを手渡す。

 するとじいさんは受け取る前に小さな声で「ありがとな」と呟いた。

 その言葉だけで盗んできた甲斐があったというもの。

 

 泥棒は良くないことだと頭の中では理解できても、恐らく俺はじいさんがこの世からいなくなるまで止めることはないだろう。

 俺を拾ってくれた恩は何があっても全力で返す。

 今の俺の数少ない生き甲斐なのだから。

 




主人公は『縮地:D』を覚えた!

瞬間移動とか男の憧れだよね。
さて、過去編は出来るだけ短くまとめて行きたいと思います。
少し文章に不安が残りますが、まぁそれはいつもの事です。
あとがきを見てくれる方がどれだけいるか分かりませんが、感想をくれると嬉しいです。
やっぱりコメントを見るとモチベが上がりますからw


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4話

 じいさんの死はあまりにも呆気なかった。

 

 こんなにも人とは脆かっただろうか。昨日までは元気だった。いつも通り憎まれ口をたたき、たたかれ笑っていた。確かにそう遠くない日に死ぬんだなと、心の何処かでは覚悟していた。だが、こんな急だなんて聞いてない。

 

 早すぎる。

 

 俺はまだ何も返せていない。赤子の俺を拾って、片腕で苦心しながらも一生懸命に育ててくれた。転生者である俺に無言で理解を示してくれた。この国の難解な文字と言語を文句を言いながらも、俺が分かるように丁寧に教えてくれた。現代日本と比べ圧倒的に過酷なこの世界で逞しく生きていける力を見せてくれた。

 じいさんが俺にしてくれたことを一つずつ挙げるとキリがない。だから今日までじいさんに恩返ししようと、一生をかけても返せない恩を少しでも返そうと、それが俺の生き甲斐だから返そうとした。

 

 「畜生、早いよ」

 

 目の前にはじいさんの骸がある。ふとすると目を開けるのではないか。

 そう思えるほど、自然に横たわっていた。

 だが、嫌でも分かってしまうのだ。じいさんの肌はもう氷の様に冷たい。

 死んでいるのだ。

 

 「ああ、畜生。死んじまった」

 

 今日死ぬのだと予め分かっていれば、まだやりようはあった、だなんて、都合のいい事を考えてしまう。

 せめてどう遺体を葬儀すればいいかということだけは聞いておけばよかった。じいさんの望んだ埋葬をしたかった。

 いや、埋葬だと限った話ではない。

 もしかしたら川に流してほしいと言ったかもしれないし、砂漠に撒いてほしいと言ったかもしれない。

 日本人だったら火葬なのだが、生憎この国でソレはご法度だ。このままじいさんを放っておくわけにもいかない。

 

 「……ん?」

 

 ふと、じいさんの片方しかない手が力強く握られているのを見つけた。

 

 「最期、まさか苦しかったのか?」

 

 手に力が入る程、苦しく死んでしまったというのか。だとすれば、何故うめき声の一つも上げてくれなかった。

 少しでも苦しいというアクションさえ起こしてくれれば、俺がすぐにじいさんの異変に察知出来たかもしれない。そうなれば、まだじいさんは死んでなかったかもしれない。

 そんな自分にとって都合のいいように考えると、どうしようもなく胸が苦しくなる。

 

 強く握られた指を解きほぐそうとしたが、筋肉が硬直していて上手く動かせない。しばらく掌を広げることに四苦八苦していると、じいさんの手に何かが握られていることに気づいた。

 それは紙だった。

 俺は紙片が破れないよう、ゆっくり取り出す。日本ではどこにでもある紙だが、この国、というよりもこの時代ではそれなりに高価なものになる。だから無一文に等しいじいさんが紙を持っていることに疑問に思った。

 

 「……これって、もしかして」

 

 しかし、そんな疑問は紙片の内容を見てすぐに消えた。少し考えてみれば分かることだった。じいさんは苦しんだがために手に力が入っていた訳ではない。

 ただ、死を悟って、あらかじめ準備していた遺言書をかみしめるように握っていたのだ。

 

 所詮これは俺の憶測と『直感』でしかない。

 だが、きっとそうだったのだ。転生した影響か、俺の『直感』はよく当たるようになった。

 それに直感など関係なく心で分かる。

 じいさんは俺に何も言わず死ぬはずがないのだと。

 

 しかし、遺言書と言うにはあまりにも短い内容だった。

 というのも書かれていた内容が……

 

 「『影の国へ向かえ』、だって?」

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 結局、俺はじいさんを土葬した。

 

 所詮は素人の発想に過ぎなかった。この国で一番ポピュラーな葬儀が土葬だったのだ。だから俺はそれに則っただけ。まず人気のない山の奥の更に奥、そこにじいさんを埋めた。人目につく場所に埋めて、墓荒らしにじいさんを掘り返されたくなかったのだ。

 一人にさせて申し訳ないと思っている。だがそれ以上に死んだあとくらいは安らかに眠っていてほしい。

 

 恐らくじいさんは人生の大半を『戦い』に費やしていた。

 

 土葬するにあたってじいさんの身なりを整えていた時、自然とじいさんの体を見ることになった。

 全身が傷だらけだった。後遺症が残ってもおかしくなかったくらいに見るに堪えない傷の数々が無数に刻まれていて、しかしそれが嫌に映えていたのが憎らしかった。

 また、そのことに気づけなかった自分にも嫌気がさした。だが、それ以上に俺はじいさんに対して怒りを感じていた。

 

 何故俺をもっと頼ってくれなかった、と。

 

 これでも日本人だった頃は『MSF(国境なき医師団)』に在籍していた身だ。諸事情で長くはいられなかったが、それでも俺は人を助ける事が嫌いじゃない。

 人一人くらい介護するのは苦にもならないし、寧ろじいさんは俺の命の恩人であるのだから喜んでする。もっと俺からじいさんに言ってあげればよかったなどと、意味ないと分かっていても今更後悔する。

 

 「……で、影の国ってどこだよ……じいさん」

 

 今は亡きじいさんに向けて呟く。

 じいさんの遺言書(?)に書かれてあった影の国。そこが何処にあるのかが分からない。というかそれなりに良い大学に通っていた俺でさえ知らない国名なのだ。

 じいさんの昔の伝手で町の知識人に話を聞いたが、分かったことが少なくともアジア方面には存在しないという事。同じユーラシア大陸にあると思うので、もしかするとヨーロッパにあるのかもしれない。だが、そうだとするとあまりにも遠すぎる。

 

 現在地は恐らくイラン。全盛期であったガズナ朝のマフムードと言う男がこの国を治めていたのが数十年前で、現在はかの有名なセルジューク朝の真っ盛りだ。

 とすると、現在は十一世紀から十二世紀辺り。近いうちに十字軍がイスラエルに出軍するのでヨーロッパへの道のりはかなりの危険地帯となるだろう。

 それに一応英語も喋れるが、十一世紀に二十一世紀の英語がどこまで通じるかも不安だ。というか、イギリスかその植民地辺りじゃないと英語は使われてないし、コミュニケーション的な側面でもかなり苦労するだろう。

 

 「……うわ、あるかもわからない国探すとか」

 

 前途多難とはこのことを言うのだろう。

 まるで手がかりが見つからない。

 でもまぁ、することもないのも事実。俺の新しい半生はこの『影の国』とやらを探すことにつぎ込むことになりそうだ。

 実は奔放な旅にあこがれていたので、案外いい機会なのかもしれない。

 

 「でも、路銀とかどうしようか」

 

 旅をすることは確定。最悪アメリカ大陸に進出することも考えると、お金はあって困らない。金と言うよりも、金目の物を持っていた方が良いだろう。

 窃盗にも限界がありそうだし、本当にどうしようか。

 

 そんな事を考えながら、俺はじいさんと俺が住んでいたボロ屋へと帰宅する。この家ともそう遠くない内にお別れになるのだと思うと感慨深いものがある。雨風も碌に凌げず、空調も劣悪であったが、それでも別れるというのは来るものがある。後で綺麗にしてあげようと、そう決めた。

 

 「ん? 何だ、これ」

 

 ふと、じいさんが最期に眠っていた寝床に何か棒のようなモノが立っていた。

 

 「え、でもこんなもの……」

 

 ――――――先程まではなかった。

 

 少なくとも、じいさんが死んでいたことに気づいた時にはなかった。

 俺は慎重すぎるくらい慎重にソレに近づき、半ば引き腰になりながら棒を抜く。結構重さがあるということに驚きつつも、棒を横にして両手で持った。

 まるで得体が知れない棒はやはりただの棒ではなかった。短い取っ手に、そこまで長くはない刃物が付随している。得体の知れない棒ではなく得体の知れない剣だったのだ。

 

 「……じいさん」

 

 否、得体の知れない剣ではなかった。

 刀身に、言葉が、刻まれていた。

 

 

 

 ただ、『愛している』

 

 

 

 

 




高難度イベントの鬼殺しにて。

 しじみ「よし、ゲオル先生のガッツ発動ぅ! 全体攻撃さえこなければ、次のターンの宝具受けれるぞぉ!」

 茨木童子「フハ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ!!」(893キック

 ゲオル先生「申し訳ありません、マスター……」

 しじみ「ファー!?」


どうも、最近鬼殺しが安定してきたしじみです。
今回のイベントかなり難しいですね。
宝具の強化解除は兎も角、ガッツ後に攻撃が来るのだけは勘弁です。
そして今イベントは槍ニキが大活躍ですね。
兄貴、大好きなので本当にうれしい限りです。


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5話

 

 この国に未練はない。

 

 俺は第二の故郷の景色を遠くから眺め、そして前を向いた。思い出の詰まったボロ屋は最後にしっかり掃除をした。立つ鳥跡を濁さず、という訳ではないがそうすべきだと思った。

 

 腰にはじいさんが残したと思われる剣を添え、何故かボロ屋にあった黒い外套を身にまとう。恐らくどちらともじいさんが俺のために用意してくれたものだ。

 剣には『愛してる』という文字の他に、沢山の文字の様な何かが刻まれていた。それは外套も同じで、目を凝らしてよく見ると似た様な文字が書かれている。

 

 「大冒険の始まり、か」

 

 心が躍らないと言えば嘘になる。だが、ソレ以上に不安があった。

 俺は今年で十四歳となる。一応前世、つまり日本人だった頃を入れれば四十を超えるおっさんだが、それでも徒歩の一人旅と言うのは初めてだ。不安にならない方が難しい。

 路銀は窃盗と怪しいバイトで十分に用意した。食料だって節約すれば二週間はもつように調整して持ってきた。野盗に襲われても対応できるよう、独学でありながらも瞬間移動的なムーブを活かした剣の修行した。

 

 準備は沢山してきた。

 

 しかし、それでも不安は拭いきれない。これからどうなるかという恐怖、無事に次の町までたどり着けるのかという不安、何よりも『影の国』は本当に存在するかという疑問。

 懸念に思う点は多々あり、それを解消する術は今のところない。『影の国』にいたってはじいさんの遺言以上に存在を証明する材料がない。

 目的の存在が不明瞭な無謀な旅。残念だが、現状はこう言わざる得ない。

 

 「はぁ、ホント、これからどうなるんだろう」

 

 非力な俺は、ただため息をつくことしか出来ないのだ。

 

 

 

 

 

―――――――――三年後――――――――

 

 

 

 

 「影の国、か。随分と懐かしい単語を聞いたもんだわい」

 

 「おじいさん、知ってるんですか?」

 

 第二の故郷を発ってから三年。ようやっと俺はそれらしい情報源を見つけた。

 そしてその情報源と言うのがこのいかにも歴戦の戦士だったっぽいおっさんだ。因みに彼の名前は物知りジダンと言うらしい。

 

 「知ってるも何も、元は儂も影の国を目指す武芸者だった。お前さんも影の国を目指すものならば、少なからず武術に精通しとるじゃろう?」

 

 「まぁ武術と言っていいかは微妙だけど、それなりには」

 

 俺が出来る事なんて不意をついて後ろから刺すことくらいだ。とはいえ、一応じいさんの瞬間移動的な武術っぽい何かを用いて不意打ちしているので、一概に武芸が出来ないという訳ではないが。

 

 「ふむ、そうか。ところでお前さん、肌が薄黒いが中東の辺りから来たのか?」

 

 「そうですよ。しっかり言葉通じてますか?」

 

 目深にフードを被っているのに見抜いてくるあたり、やはりこのおじいさんただ者じゃない。

 人を呼ばれると面倒なことになるのでどうか黙ってほしい。現在ヨーロッパ諸国と中東方面の国々はかなり仲が悪い。

 そんな中で俺みたいな『ザ・ペルシャ系』の容姿を持った人間が町をうろついていたら奴隷と勘違いされるか、或いは問答無用で襲い掛かられる。

 因みに現在地はドイツかポーランド辺りにある町。恐らくポーランド大国だと思われる。勉強は嫌いじゃないので、ここらの言葉は頑張って覚えた。

 

 「若干訛りが見られるが問題ないじゃろう。安心せい。多くを語らねば誰にも分からんじゃろうて」

 

 「ご忠告ありがとうございます」

 

 いい人で良かった。というか、ピンポイントで俺の不安を解消してくるあたりやはりこのおじいさん(ry

 兎も角、俺は内心かなり安心していた。

 

 「それで、出来るだけ詳しく影の国について教えてくれませんか? 大恩人兼家族の遺言でそこを目指しているんです」

 

 「いいぞ」

 

 「……え?」

 

 おう、マジか。

 何か面倒な条件とか出されて、今やドラゴンの出番なんてないクエストや何がファイナルなのか分からないファンタジーばりのお使いをさせられるんじゃないのかと思っていただけに、何か拍子抜けである。

 いや、本当にそんな簡単に教えちゃってもいいものなの? 俺ってばここまで漕ぎ着けるのに三年掛かったんですよ? 寧ろもっとなんかこう、無理難題吹っかけられて四苦八苦するだろうと思ってかなり身構えていたんですのよ、よ?

 俺のそんな複雑な思いが老人にも届いたのか、含みのある笑い方をして告げる。

 

 「ここまで苦労してきたんじゃのう。じゃったら儂も何か面白おかしく難題でも出そうかのぉ」

 

 「やめてください、死んでしまいます。主に俺が」

 

 割とマジで切実に何度も頭を下げてお願いする。できればもう何事もなく目的を達したい。詐欺とかもう勘弁なのである。

 俺の反応に老人は心底面白そうに笑うも、すぐに眉間にしわを寄せて神妙そうな顔になる。

 

 「生半可な力では影の国に足を踏み入れる事すら叶わんぞ? そしてもし仮に国境を踏み越えたとしても、その先は幻想種ばかりの秘境。思うに今のお前さんでは――――――死ぬぞ?」

 

 ――――――死ぬ

 

 その言葉を聞いた瞬間に背筋に嫌なモノが走った。

 俺はその重みを知っている。実際、それを間近で見たからだ。

 目の前の老人もその言葉の重さと意味を正しく理解しているだろう。

 その上で、俺は答えた。

 

 「……だとしても、俺は行かなきゃいけない。じいさんが俺に残してくれた最後の言葉だったんだ。『影の国へ行け』って」

 

 目の前の老人は目を瞑り、そして口角を吊り上げた。

 それが恐ろしいくらい様になっていたのが印象的だった。

 

 「いいのう、若さというのは。後先考えず、それでも走り切れれば本物じゃ。故に、いいじゃろう。影の国の在りかを教えてやる」

 

 老人はそう言って、重そうに腰を浮かして俺の手を握った。突然の行為に戸惑うも、それを突き放す気にはならなかった。

 ただ奇妙には思ったので俺は問いかけた。

 

 「……あの、これは一体」

 

 「ふむ。魔術の才能はそれなりか」

 

 「は? 魔術?」

 

 「何だ、知らんのか」

 

 魔術。それはファンタジー界の王道と言っても過言ではない学問、或いは技術である。しかしそれは本来フィクションであり、現実にはそんなものは存在しない。

 そう、本来(・・)は、である。物事にはいつだって例外がある。

 というのも、俺は一度超常的な現象に遭ったことがある。輪廻転生だ。俺は一度転生を経験し、第二の人生を歩んでいる。そしてそれこそが魔術の存在を示していると言えるのではないか。

 

 「はい、申し訳ないです。魔術なんて絵空事だと思っていたもので。まさか本当にあるんですか?」

 

 俺が尋ねると、老人は質問には答えずに腰を折って地面に何か文字の様なモノを書いた。その文字は何となくだが、俺の纏っている外套やじいさんの剣に刻まれている文字と同じような雰囲気があった。

 

 「儂もあまり得意という訳ではないのだがな。何、とはいえ基礎程度ならばできなくはない。――――――ほれ、これが魔術だ」

 

 老人はいくつか文字を掘った後、俺の方に顔を向けた。彼の手先から青い光の様なモノが文字に流れた、その時だった。

 

 文字が、燃えた。

 

 まるで意味不明だ。薪や油が継ぎ足されているという訳ではないのに、何故か火が消えることは無い。むしろ時間が経つにつれて火の勢いは増していく。

 代わりに老人の手先から青い光の線が文字のあった所に流れていく。まるでそれがエネルギー源とでもいうかのように。

 

 「その、青い線は……?」

 

 「流石に気づくか。これは魔力。魔術を扱うために必要な、そうじゃな、燃料の様な役割を果たす」

 

 老人の手先から青い光の流れが途絶えた。それと同時に火の勢いは衰えていき、やがて消えた。

 

 『……す、すげぇ』

 

 俺は思わず日本語で驚きの声を出してしまった。しまった、そう思って老人の顔を窺う。

 しかし、どうやら老人は俺の突発的に出た日本語を中東の言語だと思ったようで、さして気にするような素振りは見せなかった。その様子を見て、俺は胸をなでおろした。

 

 「何を安心しておる。お前さんが中東から来た事なぞ誰にも話さんよ」

 

 「そういう意味じゃ……ああ、いえ、ありがとうございます。しかし、それが魔術ですか。何か、こう、思った通りかっこいいですね」

 

 「ははは、かっこいいか。お前さんは知らないからそう言えるのじゃろうが、本来魔術を扱うものは常に死と隣り合わせじゃ。もっとも、儂は魔術師ではないから言うほど死に近いわけではないが」

 

 ん? それはどういう意味だろうか。

 魔術が使えるからと言って魔術師とは限らない。ならば、何をどうすれば魔術師と言えるのだろうか? 

 老人の言い分だと魔術師は常に死が付き纏う事に対して、老人の様な魔術を使えるだけの人間は死ににくいという風に聞こえるのだが。

 いや、そもそも魔術を扱うこと自体が命がけだという事にかなり驚いている。魔法とか魔術とかのファンタジーに憧れを持っていただけに、少しショックである。

 

 「すみません。質問いいですか?」

 

 「無論、何でも聞くと良い」

 

 気前のいい返答に驚くが、何も特別な事を聞きたいわけではないのでそのまま尋ねる。

 

 「魔術師とおじいさんの違いは何ですか? いまいち違いが分からないのですが」

 

 「む? そうか、お前さんは魔術の見識が深いわけではなかったのだったな。ふーむ、何と答えてやれば良いやら」

 

 老人は顎の髭を弄り、しばし思考に耽り始めた。その時、顎に触れる指の内親指がないことに気が付いた。切れ味のいい得物で切り裂かれたのか、不謹慎だが断面は非情に綺麗である。見れば、他にも肌が露わになっている個所には痛々しい傷跡が多く刻まれていた。

 それだけで、老人は少なくとも以前は堅気ではないのだと分かった。

 

 「一言で表すならば魔術師は学者。儂の様な人間は放牧された家畜とでもいえばいいか」

 

 言い終えた老人は上手いこと言ってやったぜ的な、そんな良い表情をしている。有体に言えばドヤ顔というやつである。

 しかし残念なことに前者の方は分かるのだが、後者はまるで意味が分からん。

 学者と言うくらいなのだから魔術師という人種は魔術を研究し、魔術を発展させていく者達の事を指すのだろう。

 

 では、老人の言う家畜とは一体何か。

 想像出来得るのはある程度魔術を修めた後に、魔術師に実験の道具として使われる事。他には魔術とは違って研究する気がない人たちの事か。だとすると、家畜の意味が通らない訳だが。

 

 「家畜、ですか?」

 

 「正しくは放牧されている家畜、だ。放牧はある程度自由を許されておるじゃろう? もしかすると野生にかえることもある」

 

 「と言いますと?」

 

 「基本、儂らの様な魔術をただ一つの道具として行使する者たちを魔術使いと言う。そして魔術使いは魔術師とは違って『魔術』を目的としていない」

 

 成程、つまり魔術使いはただ魔術を行使できるだけの者達の総称。魔術師と違ってあくまでも魔術は手段に過ぎないのだ。

 だが、ソレだけではわざわざ家畜と称した意味がない。

 

 「魔術使いの実力もピンキリ。才能のある人間は魔術師に狙われる。また、魔術を習うには魔術師に教えを請わなければならない。家畜とはそういう意味ですか?」

 

 「ほう、頭の回転は悪くないようじゃな。そうじゃよ、しかし喜べ少年、お前さんは運がいい。なんせ目の前にいるのは魔術使いだ。魔術師の様に研究材料にはせんし、対価を払う必要はない」

 

 「対価、ですか?」

 

 「魔術師の世界では等価交換が常識じゃ。相手にしてほしい事があれば、こちらもそれ相応の事をしなければならない」

 

 当たり前と言っちゃあ当たり前だが、どうも聞いた限りだと魔術の世界はシビアらしい。何となくお近づきになりたくない人種だな、魔術師って。

 

 ……しかしさっきからこの老人、親切にもほどがあるんじゃなかろうか。何故か先程も何でも答えると言っていたし、今も無償で魔術を教えてくれる気でいるらしい。

 ぶっちゃけて言うと、逆に優しすぎて不気味だ。

 今日までの旅路でここまで親切な人間は皆無と言ってよかった。見知らぬ人間だしそれが当然だと思っていた。だが、その常識がこうも裏切られると、逆に疑いたくなる。

 

 「……あの、ここまで聞いておいてなんですが、貴方はどうしてここまでしてくれるんでしょうか。ハッキリ言ってしまいますと、俺は少し貴方を警戒しています」

 

 もし老人の行動が全て善意から来るものだとしたら、俺の発言はあまりにもあんまりなものだが、ここだけは明確にしておきたい。

 老人は果たして俺の味方なのか、もしくはソレと全く反対に位置する人間なのかを。でないと、俺はこの老人とマトモに会話できる気がしなかった。

 

 「じゃろうな。儂自身もここまでお人よしだったか疑問に思っておる。きっとお前さんの若さに充てられたんじゃろうなぁ」

 

 すると、老人は俺から目を離してどこか遠くを見るような眼で空を見上げた。

 まるで計り知れない。それが俺の老人に対する評価だった。

 

 

 ただ、少なくとも分かることは、この老人は決して邪な思いで俺と会話している訳ではないという事だ。

 

 

 「して、どうする少年よ。影の国の前に、そこまで至るために強くなる気はあるか?」

 

 酷く優しい声音だった。

 そして老人は親指の欠けた掌をこちらに差し出してくる。

 

 

 その姿がじいさんと重なった。

 

 

 老人の手を取るのに時間はかからなかった。

 

 

 

 





 友人A←無課金で☆五持ち「☆四の中で最も悲しみを背負ってるバーサーカーってベオウルフだよな」

 しじみ←最初に当てた金鯖がベオウルフ「は? 何言ってんの? ベオの兄貴滅茶苦茶宝具強力じゃん」

 友人A「火力はヘラで十分だし。しかもヘラの方が戦闘継続力高いし。つーか絆礼装も強力だし」

 しじみ「っぐ! でもほら、ベオの兄貴はビジュアル面で優れてるじゃん? 今回の高難度クエストでもクリティカル発生ダウンで活躍したし……」

 友人A「でもガッツの仕様変更でベオウルフの唯一あった戦闘続行弱くなったよね。ヘラはその分回避があるからマシだったけど」

 しじみ「っぐふっぅ!?」


 お願いします。ベオの兄貴の強化を……。せめてガッツの仕様をもとに戻してくださいぃ……



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6話

 

 「お世話になりました。ジダンさん、どうかご達者で」

 

 「最後まで律儀な奴よなぁ、お前さんは。今まで数多の弟子を取ってきたが、お前さんほど師匠孝行な弟子もいなかったぞ」

 

 『物知りジダン』と出会ってから早半年が経った。

 俺は彼から魔術を教わりつつ、剣の指導も受けた。ジダンさんは恐ろしく強く、最初の内は手も足も出なかったのは良い思い出である。その時に、俺には剣の才はないと何度も面と向かって言われたときはかなり堪えたが。

 そのため、今でも剣の実力だけで彼を倒せるかと言われれば首を傾げざる負えない。だが、ソレとは逆に魔術の腕はジダンさん曰くそれなりに非凡らしいので、影の国へ向かう事を許されたという訳だ。

 

 因みにジダンさんは元は影の国出身者で、彼の国の女王スカサハから武術の教えを受けたらしい。スカサハとは先にも述べた通り俺の目指す国である影の国の現女王であり、更には神殺しを為した規格外の人間(?)である。道理でその弟子であるジダンさんも強いわけだ。

 彼女は今も見込みのある人間がいればその人間を弟子にして、武術及び魔術の英才教育をするらしい。話によればケルト神話の大英雄クー・フーリンもスカサハから武術や魔術の教えを受けたらしい。

 ジダンさんに興味があれば教えを乞うてみろと冗談めかして言われたが、そもそも影の国に到達できるかどうかが鬼門なのでその話は後回しとなった。

 

 「いえ、これ位は当然の事です。ですから、どうか体をご自愛ください」

 

 「ははは、儂もまだ現役じゃよ。戦があれば迷わず突っ込む。もとより儂は情報屋なんぞより傭兵といった方が正しいからな」

 

 ――――――理不尽に生きて、理不尽に死ぬ。

 

 それは彼の口癖だった。そして実際その通りだと思った。

 俺の生きていた時代は何と優しく、温い世界だったことか。『国境なき医師団』に在籍して、この世の残酷さについては人一倍知っているつもりになっていた。

 そのことが今は恥ずかしい。本当に残酷な環境に置かれている者は、自身が残酷な環境にいるなどと認識できる訳ないというのに。

 

 だからジダンさんの言葉は酷く的を射た、救いのない言葉だと思った。

 

 「……それでも、やっぱりジダンさんには死んでほしくありません。俺は……」

 

 「それ以上口にせんで良い。儂の様な狂人には何を言ってもしようがない。お前さんの優しさは、本当に救いを求める民に向けてやればよいのだ」

 

 自分を狂人と語るのに、一体どれだけの思いが込められているというのか。俺には計り知れないが、少なくとも一種の誇りの様なモノがあるのは分かる。

 そしてそれは俺には一生理解できない代物だとも思った。

 

 「……分かりました。でもジダンさん、甘いと言われるかもしれませんが、そこまで言うんだったら戦場でも生きて帰ってくださいね?」

 

 「……優しいのう。儂はそれを甘さとは言わんよ」

 

 ジダンさんは一度驚いたような顔をして、その後すぐにいつもの優しい表情に戻って微笑んだ。それが面白くて、しかしこれが恐らく最後の会話なのだと思うと悲しくなってきた。

 何と言っていいか分からなくなってなってきた俺に見かねてか、ジダンさんは俺から目を反らして背けた。

 

 「話が過ぎたな。これ以上は別れが惜しくなる」

 

 

 ――――――彼の声が、若干上ずって聞こえたのは果たして気のせいか。

 

 

 「……ええ、そうですね。再三失礼、どうかご達者で」

 

 「応、お前さんも行けると良いな、影の国」

 

 

 それを確かめる術は最早なかった。

 

 

 

 




 主人公は『ルーン魔術:D』を覚えた!!

 UBWで槍ニキがルーン魔術を使うとき、しっかりその用途に則った文字を刻んでいて感動したしじみです。
 ところで、今イベントで大蓮花の獲得量が増える鯖の殆どが☆四ばかりでかなりしんどいです。
 おかげでメドゥーサちゃんが活躍できるのでいいのですが、流石に効率が悪いっすねw


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7話

 頬が、裂ける。

 

 血が飛び散って、視界が回る。奴の爪から逃れるために倒れる様にして体を捻ったからだ。すぐさま態勢を立て直し、視界を奴の元へ向ける。だが、その時には奴の巨体が目の前まで迫っていた。

 

 ――――――間に合わないっ!

 

 そう直感した。だから回避することは諦めて、全力で奴に体を傾ける。半ば無意識でじいさんの剣を構えていたのは幸いだった。

 

 次の瞬間、俺は吹き飛ばされた。自動車と激突したかのような衝撃。圧倒的な圧力が俺を宙に飛ばしたのだ。僅かな滞空の後、気づけば俺の背中は派手な音と共に巨木に叩き付けられていた。

 

 「……っ痛」

 

 チカチカと世界が点滅する。巨木に背を預け、身体は思うように動かない。霞がかった視界の先では、奴が地を割りながら攻め入って来る。

 

 カタチは馬だ。だが普通の馬とは違う。額には先の尖った鋭く長い角、大凡の馬とは一線を画す速度に筋肉。何よりも今まで見てきた生物の中でも、最高の魔力保有量。これではまるでおとぎ話に出てくる化け物だ。あれがジダンさんの言う幻想種という奴なのかもしれない。何にせよ、普通の生き物じゃないのは確かだ。

 

 「――――――糞がぁ!」

 

 石になったかのように重い身体を無理やり動かす。このまま呑気に巨木に身を寄せていれば、あの化け物に体を押しつぶされるか、或いはあの殺人的な角に串刺しにされる。直感なんかなくとも分かることだ。そら、もう奴は俺の視界の大半を占めるくらい近づいている。

 

 足を、動かす。頭の中は真っ白だ。死が目前まで迫っている。とても冷静になんかいられない。だから頭の中を空っぽにさせて、無理やり冷静であろうとする。それが功を奏したのか、俺は奴の巨体で圧死することはなかった。

 

 『縮地』

 

 それはジダンさん曰く、対人最強の歩法。相手は化け物だがそれでもこの技術は奴にも通じたようだ。俺は反射だけで『縮地』を用い、その結果奴の死角となる宙を舞っていたのである。瞬間移動ってホント便利であると、再三実感した(正確には瞬間移動ではないが、今はどうでもいい事だ)。

 

 奴の無防備な首が映る。巨木にその立派な角が深く突き刺さってしまったようで、あの化け物はそれを抜くのに難儀している。いい気味だと思う。ぜひともそのまま無様を晒してくれると嬉しい。

 

 ――――――この好機を逃す訳にはいかない。

 

 空中にいるまま、体を最大限捻るとギチギチと体が軋んだ。また軋みと伴って、強烈な激痛が襲ってくる。それを心地よく思うのは、決して俺がマゾヒストなんかだからではない。歓喜を覚えるのはこの痛みと引き換えに、奴を確実に殺せるからだ。

 

 ベーゴマの要領で捻った体を一気に開放する。体につられて腕が鞭の様にしなり――――――そして次の瞬間には肉を断つ重い感触が伝わってきた。右手で持つじいさんの剣、それが奴の首を刎ねたのだと分かる。

 

 ドシンと、奴の首がなくなった身体が崩れ落ちる。またそれと同じくして、重力により俺も地面に落ちた。頭から落ちたせいで結構痛い。だが、そんなものなど本当に些細なことだった。今はそれ以上にただただ嬉しい。

 

 「……やったぜ」

 

 勝利の余韻、これで四度目だ。最初はライオンとか馬、蛇などがごった煮した怪物。空中に漂う様にうごめく眼球にゴブリンの大群。そして先程の馬の化け物。これらのおぞましい怪物たちに勝利してきた。

 

 正直、生きた心地がしなかった。一つ一つの戦闘が命がけで、今こうして生きていること自体が夢現だ。俺は地面に大の字になって生き残れたことに誰とも知れない何か、しいて言うならじいさんの剣に感謝する。今回の戦闘で命を拾えたのも、このじいさんの剣による。ただの鉄の剣であれば奴の突撃を受けた時点で割れてしまっただろうし、そもそもあの化け物の首など切断できやしない。よく分からないが、この剣は並々ならぬ素材でできているらしく、途轍もない頑丈さと切れ味を誇っている。

 

 「はぁ、はぁ、っく」

 

 今になって息が荒くなる。それもそうだ。今の今まで、俺は呼吸さえも忘れて殺し合いを興じていたのだから。凄まじい疲労感が俺を襲う。汗が全身から噴き出て気持ちが悪い。風呂なんかこの地には存在しないのだから、結局この汗は魔術かタオルかで何とかするしかない。

 

 ここは影の国、その入り口付近である。橋に聳え立つ塔を超え、いくつかの島を経てようやっとこの場に辿り着いた。その間に何度も死にかけたし、その度に強くなった。もし仮にジダンさんに鍛えられなかったら、今頃俺は最初のごった煮化け物の養分となっていただろう。

 

 動悸が収まらない。仕方ないので自分の身体に『ベオーク』のルーンを刻む。ルーンというのはいわば古代から伝わる魔術的な文字の事で、それを対象に刻むことでその文字の恩恵が得られる。今回のこの『ベオーク』の意味は大雑把に言って回復である。だからある程度は俺の状態を改善させてくれるだろう。

 

 「ふぅ」

 

 少しだけ落ち着いた。やっぱり魔術って便利だ。俺がまだ現代人だった頃にもこうした魔術と言うのは存在したのだろうか。いや、今そんな事を考えても仕方がない。魔術は便利、それだけ分かってれば十分である。

 

 ゆっくりと体を起こす。まだ横になって休んでおきたい気分だが、また先程の化け物と遭遇してしまえば今度は本当に殺される。一日に一度の戦闘が限界だ、経験上少なくともあのレベルの化け物と戦うのは一度までだ。だからすぐに身を隠せるような場所を確保しておく必要がある。

 

 身を起こし、その足を進めようとした時だ。

 

 「見事。この時代にまだ秘境を目指す戦士がいようとは」

 

 どう形容してやればいいか分からないくらい美しく、また力強い声が俺の耳に届いた。久々の、具体的には一か月ぶりの意味のある人の声。それを聞いて本当は安堵するべきなのだろう。しかし俺が最初に抱いた感想は――――――

 

 「なんて、魔力っ」

 

 その存在の巨大さによる恐怖だった。声を掛けてきた人物は、それこそ今まで見てきた化け物の何十倍もの魔力を保有していた。しかもそれだけではない。

 

 俺が声の聞こえた方を振り向いた時、そこに居たのは圧倒的な気を纏った黒い装束の女性だった。容姿など目に入らなかった。あるのは素人目で見てもわかる技量の高さ。ただそこに立つという身のこなしが、俺と彼女の差をありありと示していた。

 

 よく見れば、彼女は槍を携えている。その槍は悪趣味なことに血の様に真っ赤で、しかし造形はかなり凝っている。パッと見使い古されているように見えるが刃こぼれなどはない。要するに、彼女は槍の扱いに長けているという事だ。もし俺が彼女に挑めば十を数えるまでもなく殺される。今までの経験と分析で、そういう結論がついた。

 

 ――――――ならばどうする?

 

 目と目が合ってしまった以上、奇襲はできない。もっとも奇襲が出来たところで彼女を殺せるかと問われれば、否としか答えようがないが。真正面からの戦闘など論外だ。瞬く間にあの朱い槍で心臓を貫かれる。

 

 そもそも俺は彼女という圧倒的な存在に声を掛けられるまで、近くにいたという事実にさえ気がつかなかったのだ。彼女はその気になれば俺を殺せたはずだ。ともすれば彼女は俺を殺す気がないと取れる。俺から仕掛けなければ殺し合いには発展しないだろう。だったら俺は彼女と真正面から会話をするべきだ。

 

 「良い目だ。分かり切っている事だが、何用でこの影の国へ来た。ここは貴様のような生のあるモノが訪れるところではない」

 

 「……じいさんの、俺の育ての親が影の国を目指せと言った。それだけだ」

 

 不味い、思った以上にぶっきらぼうな言い方になってしまった。彼女の機嫌を損ねてしまったらどうするつもりなんだ俺は、ここはもっと慎重に……

 

 「ほう。本当にそれだけか?」

 

 俺の懸念はどうやら杞憂だったらしい。彼女は俺の物言いに大して気にした様子を見せず話を続ける。どうやら彼女は俺が思っている以上に大物の様だ。

 

 「ああ、それだけだ。俺はただじいさんに『影の国へ向かえ』と言われたからここに来た。影の国が一体どういうところなのかは知らないけど、それでも遺言には従うべきだろう?」

 

 「然り。親孝行なのだな、貴様」

 

 「そんな大したものじゃないさ」

 

 割と話しやすい人で驚いた。意外と話好きの女性なのかもしれない。しかし次の彼女の台詞で和やかな雰囲気は消え去った。

 

 

 

 「ならば、疾くこの場から立ち去ると良い」

 

 

 

 底冷えするような声だった。もはや言霊。彼女に立ち去れと言われて、意味もなく立ち去らなければいけないと錯覚してしまった。しかし理由もなく「帰れ」といわれて「はいそうですか」と納得できる程俺もお人よしじゃあない。

 

 「……一応、理由を聞いても?」

 

 「なに、簡単なことだ。これより先は死者の国。日の当たらぬ暗い世界、行きは良いが並大抵の者では現世に帰れない。幾ばくか言葉を交えて分かった。貴様はこちら側にくる必要はない」

 

 「そう言う訳にはいかない。さっきも言っただろう? 大恩人の遺言なんだよ、今はそれが俺の人生における目標だ」

 

 手を剣に掛ける。いざとなればやるしかない。

 

 「本気か?」

 

 「本気だとも。それとも貴方は男の覚悟を踏みにじる気か?」

 

 体の疲労はベオークによりそれなりに回復している。魔力は十分。この女性を前にしてどれだけ戦えるか、否、どうすれば退けられるかを考える。正直、勝算は薄い。

 

 「よくぞ言った。ならば力を示せ」

 

 溢れんばかりの闘気が彼女を取り巻く。これは相当だ。今までの何よりも、そしてこれからも彼女ほどの力をもった人物を見る事はないだろう。そう思えるほど彼女の力は圧倒的であり、見惚れるべき代物だった。

 

 「応とも。俺はユージン、しがない旅人だ」

 

 「スカサハ、影の国の門番にしてその女王だ」

 

 成程、うすうす気づいていたがやはりそう言う事か。これだけの人物がまさかただの一般人な訳ない。この人が神代から続く国を治める女王か。ならばこの闘気にも納得である。

 

 ――――――さて、何処まで行けるものか。

 

 目の前の最強を前にして、ひたすら冷静であろうと努めた。

 

 




久々の投稿。
まぁこんな作品を待ってくれる人なんて……(しょんぼり


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8話

 勝負は一瞬。

 

 少年の脳裏にあるビジョンが浮んだ。黒の戦装束を纏った女は音もなく目前まで迫り、為す術もなく少年は女の槍に穿たれる。それは左胸、つまり心臓を貫いている。それが一瞬先の未来の出来事。

 

 気づけば、反射的に剣で心臓を守るように構えていた。

 

 直後、真紅の雷が一筋、どうしようもない程の殺意の放流が一突きとなって少年を襲う。それは断じてただ剣を添えるだけで防げるような一撃ではない。故に少年が塵屑の如く吹き飛ばされるのは、もはや当然のことであった。

 

 少年は形見の剣を手放さなかった。必殺の一撃を受けて手が痺れ、圧倒的な圧力で地から足が離れようとも少年は剣を握りしめることをやめない。それは少年の芽生え始めた戦士としての執念と、少年を愛する老人の愛がなした現象だったのかもしれない。

 

 「――――――っ!?」

 

 とはいえ、今の攻防は女にとってみればまだたったの一合に過ぎない。追撃は終わらない。影の女王は地を割り風を切って疾走し、一息せぬ間に飛ばされる少年に追いつく。規格外な状況を目の当たりにして、彼の表情は恐怖と驚愕に染まる。朱い槍が今度こそはと、少年の心臓を穿つために繰り出される。

 

 それは死だ。

 

 女が操る朱槍は少年にとって死そのもので、このまま何の抵抗も示さなければ少年は確実に死ぬ。しかし哺乳類である彼は空を飛ぶための翼を持たない。当然ながら宙に浮けば無防備を晒すことになる。さながら池に落ちた羽虫のように、無様に空中をもがくことしか出来ないのだ。

 

 いや、それで十分だった。生きようと働きかける本能が、死に物狂いで少年の体を動かす。その姿がどれだけ無様だろうが構わない。死なないために今できる全ての手段を講じなければならないのだから。

 

 その往生際の悪さが彼の命運を分ける。

 

 「っがッは!!」

 

 槍は心臓から外れ、少年の肺を貫く。

 

 少年の胸から血が噴き出て、その返り血を浴びる女。場違いにも少年はその鮮血を被った女を「美しい」と思っていた。しかしそれも束の間のことである。少年は容赦のない蹴りを食らい地面に叩き付けられる。水切りをする小石の如く少年は地面を数度バウンドした。

 

 このまま吹き飛ばされて距離を稼ぐ。少年はその考えの下転がるようにして態勢を整えるが、その顔は苦痛に歪んでいた。気づけば背中から血が滲んでいて、衣服を赤く汚している。どうやら地面と激突した際に背中の肉が抉れてしまったらしい。数秒にも満たない間に随分と傷が増えたものだと、少年は何となしに考える。何か考えなければ痛みで意識が飛んでしまいそうだった。

 

 「呆気もない。どうした、威勢がいいのは最初だけか」

 

 己の得物を弄びながら、数多の英雄を鍛え上げた絶対強者は色のない声で語り掛ける。三度目の追撃はないようだ。だとしても、少年に返事を返す余裕はない。ただ次の攻撃を防ぐための算段を整える。

 

 「なんだ、まだやるか」

 

 どうすれば、あの速さに着いていけるのか。どうすればあの一撃をいなせるか。防げたとして、どうすればあの女に一撃を返してやれるのか。そもそも、たった二合の攻防で満身創痍になるこの身体でこれ以上戦えるのか。

 

 次から次へと問題は重なる。そしてどの結論も少年にとっては芳しいものではない。口から大量の血液が零れることなんて忘れながら、かちこちになった肩の力を抜く。直感―――あの未来予知にも等しいビジョンは狙って扱える代物ではない。不確定なモノを頼るのは、この状況では不適格であると判断。

 

 少年にとって、今最も武器となり得るのは。ジダンという情報屋が授けた魔術と、少年の育ての親を見よう見まねで得た殺しの業のみ。前者は神秘はより強力な神秘に敗れるという法則の下、少年の付け焼刃な魔術では効果は薄いだろう。ならば少年がとれる手段は――――――

 

 「やめておけ。それ以上動けば貴様、死ぬぞ」

 

 「知るか」

 

 制止の声を無視して重い足を動した。体は加速して、世界が暗転する。

 

 旅を始めてから少年を幾度となく救った最強の奥義。その名を『縮地』という。単純な速度だけではなく、相手の死角、体得者の呼吸とそれに沿った体捌き。ありとあらゆる武術の要素を詰め合わせた究極の歩法。本来であれば模倣で出来るような軟な技術ではない。

 

 少年には武器を扱う才能がない。それどころか、少年は殺し合いを好まない。影の国までの道のりで何度も他者を下したが、あくまでもそれは自分を守るための正当防衛。少年は殺しだけは嫌だった。そんな餓鬼が何故、数多の武人が求めてやまない歩法をたかが見ただけ(・・・・)で扱えたのか。

 

 その理由は、少年の持つとある特性が原因だった。

 

 少年の持つ唯一の特異性と言えば、それは彼が『転生者』であるという事に他ならない。極めつけに、転生前、つまり少年が現代日本人であった頃の世界と、現在死闘を繰り広げているこの世界は全くの別物(・・)である。

 

 少年はただ転生をしたのではない。世界を超えて、その上で転生をしたのだ。自我を保ったまま彼は彼のままで、前世と似たようで根本から違う異世界に訪れた。彼がそのことを知る由もないが、恐らく彼は頭のどこかではそのことを理解している。

 

 何故ならそれこそが彼という人間を形作る『起源』だからだ。

 

 起源とは、すなわちその持ち主の「~をする」という本能の事を指す。少年の起源の名は『移動』。そして移動とは、点から点へと移ろうための手段である。故に究極の歩法、根も葉もない事を言ってしまえば移動方法(・・・・)の一つである『縮地』を何となしに身に着けてしまうのは、彼にとっては存外不思議な話ではなかったのだ。

 

 

 加速の後、少年の目には白く美しい細い後ろ首が映った。

 

 丁度、女の背後に跳べたらしい。

 

 考えることよりも先に、形見の剣を振るう。

 

 それでどうなったのかは分からない。

 

 何故なら結果を見るよりも先に、少年は意識を失ってしまったのだから。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 「……千年、か」

 

 漆黒の戦装束を身にまとう女傑は、感慨深そうにそう吐露した。彼女の名はスカサハ。大小さまざまな英雄を育てた上げたケルト神話のケイローン的存在である。

 

 「あのバカ弟子が死んでもう千年。どれだけの年月が重なろうと勇者は生まれる、か」

 

 スカサハは口角を僅かに吊り上げる。久しく感じる歓喜という感情に、彼女は心が躍った。まだこんな大バカ者がこの世にいたのか、と。

 

 視線を下に向けると、そこには血みどろになって倒れている一人の少年がいる。少年は先程ユージンと名乗っていた。ユージンはスカサハの制止を呼びかける言葉を無視し、命がけで彼女の命を狙った。事実その命がけはスカサハの背後を取るまでは完璧だった。

 

 惜しむらくは少年の剣術の練度不足。もし仮にユージンにあと少しだけ剣才か経験があればスカサハの首の皮一枚くらいを裂いていたかもしれない。無論皮を斬るだけで人は死なないが、それでもあと僅かに剣の鋭さがあれば少年はスカサハを斬っていた。どれだけ小さな傷であろうと、まだ二十にも満たない子供が最強(スカサハ)に確かな傷を残せたのだ。

 

 しかし事実はその正反対である。少年の決死の一撃は防がれ、その一撃を放つ前には出血多量で意識を失っていた。執念だけで剣を振るったのは称賛に値するが、何の結果を残せなかったのではまるでいただけない。

 

 だからこそ惜しいと、影の国の女王は考える。磨けば神話の英傑らにも引けを取らない良い戦士になる。その可能性が、今は無様にも地に伏している少年にあるのだ。

 

 スカサハは膝を曲げ、少年の首筋に指を当てる。とくんと、か弱くとも生きる音がした。問題なのはその音が消えてしまいそうだという事だ。

 

 「息はあるな、大した生命力だ」

 

 今度は少年の胸に空いた大きな傷に細い指を移す。彼女は指を素早く動かして、魔力を流し込む。ユージンの扱えるルーン文字よりも更に高位の原初のルーン。その力の凄まじい事か、胸の大傷はたちどころに塞がり始める。

 

 問題なく傷口が塞がっていくのを確認しながら、彼女は一息つく。取り敢えず今できることはした。後は安静できる場所に少年を休ませればいい。ここはまだ影の国ではなく、幻想種が跋扈する無類の地。流石にここで放置するのも忍びなく、スカサハは少年を肩で背負う。その際、未だに少年が握る剣が視界に入った。

 

 「……これは……そうか。お前は奴の子か」

 

 半世紀前に戦場を求めて影の国から去った弟子を思い出す。この剣はその時餞別にその男にくれてやったものだ。ただ頑丈なのが取り柄の剣が、今こうして帰って来た。

 

 刃こぼれはない。血もしっかり処理しているらしく、錆も見えない。成程、あの男も少年もこの剣を相当大事に扱ってきたらしい。

 

 「良い戦士だ」

 

 影の女王は呟く。目を閉じて静かに眠る少年に、生意気で、キザで、その挙句彼女を殺すと確約して、でもその約束を果たせなかったとある弟子の姿を思い起こしながら。

 

 




戦闘描写ホント難しい。


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9話

後で修正するかも。


 目が、覚める。

 

 仰向けになって寝ていたようで、まるで知らない黒い天井が俺の視界一杯になって広がっていた。そう、黒いのだ。部屋は明るい筈なのに暗い印象を受けるその色は、さながら影である。家主は趣味が悪いに違いないと、そんな風に思った。

 

 (なんか、デジャヴだな)

 

 以前にも似た様な出来事があった気がする。あの時は何故か赤子になっていたが、自分の掌を見る限りどうやら今回はそんなことはないらしい。とはいえ、安堵するにはまだ早い。ここが一体どこなのか、そもそも俺はあのエロ黒タイツに殺されたのではないのか、疑問は尽きないのだから。

 

 取り敢えずは目先の状況の確認。そう思って身を起き上がらせようとすれば、これがまるで力が入らない。指をグーパーさせることくらいは造作もないのだが、身体を起こすとなるとかなり体力を使った。おかげで大した動作をした訳でもないのに、着ている服は汗まみれになった。

 

 ところで今俺が着衣しているこの衣服、まるで心当たりのない代物なのだ。しかも地味に材質がいいのか、普段俺が着てる旅用のローブよりも幾分か着心地がいい。ちょっと腹立つ。

 

 「なんだ、この服」

 

 「目覚めて最初の一言がそれか」

 

 「え?」

 

 不意に声を掛けられて間抜けな声が漏れた。いやだってこの部屋誰もいないと思ってたんだもん。

 

 しかもこの声は知っている。忘れられるものか。年若い女性にしては途方もない年季と威厳を感じさせる声。大凡に有無を言わせないその言葉の主は、予想通り影の国の女王、スカサハの物だった。スカサハはあの時と同じくエロ黒タイツ、もとい影の戦装束を身に纏い近くの椅子に座っていた。

 

 「……俺、てっきり貴方に殺されたもんだと思ってたんだが」

 

 「戦いの最中で眠りこける輩を殺す価値もないわ」

 

 そう言えば、そうだった。俺は最後に彼女の死角に跳んで(・・・)、そして首を取り損ねることさえ確認出来ずに気絶したのだった。成程、意識を保てなかったのが逆に俺の命運を分けたらしい。しかし彼女としては俺の気絶という終わりは気に入らなかったようだ。

 

 少しだけ申し訳ない気持ちになる。影の国の女王と言えば、ケルト神話の神殺しで有名だ。またジダンさんが言うにはその実力は今もなお衰えず、寧ろ更に自らを高めているという。そんな彼女を失望させるのは恐れ多いわけで、何と言えばいいのか分からなくなるのだ。

 

 「なに冗談だ、そう真剣に思い悩むな。まだ四半世紀も生きない餓鬼が、私を満足させる命のやり取りを興じる筈もなかろう」

 

 呆れと言うよりも、諦めの側面が垣間見えるような声音だった。伝承を聞く限りスカサハという女傑は生粋の戦闘狂である(神殺しを幾度となく為したという話を聞いた)。ともすると彼女と満足に殺し合いを行えるような英傑は、ケルトの神話以降では現れなかったという事だろうか。

 

 兎も角、スカサハの言葉はもっともだ。俺は所詮一介の男子。前世では日本人としては割と非日常を経験したとはいえ、それもこの十一世紀の世界に比べれば格段も劣る。ともすれば俺が武芸で彼女に劣るのは言うまでもない事で、そもそも比べること自体が烏滸がましいだろう。

 

 まぁ、今俺が気にすべきは俺が強いか否かではない。問題なのは俺が彼女に生かされた理由だ。ご丁寧にルーン魔術で治療してくれたようで、槍による刺傷は傷痕が多少残る程度で治まっている。そう言えばスカサハといえば、ルーンの魔術も極めた最高峰の魔術師だったか。

 

 「……さて、聞きたいことはたくさんあるんだけど、まずここが何処なのかを聞いても?」

 

 「影の国に決まっている。加えて言えば我が城の一室だぞ、この部屋は」

 

 そうだろうな。スカサハがいて、かつ彼女が自由に出入りが出来るような場所と言えば、影の国以外に考えられないだろう。部屋の配色にはセンスを感じないが。

 

 その後俺は彼女にいくつか質問した。

 

 何故殺し合い(一方的な戦いともいえない代物ではあったが)をした相手に治療など施したのか。そもそもスカサハは何がしたかったのか。俺は思いつく限り質問をした。そのどれもが……

 

 「ユージン、貴様を鍛えるためだ」

 

 という割とスパルタな返答だったのである。確かにスカサハはアルスター代表の英雄、クー・フーリンの師匠でもあったと聞き伝わっている。だが、まさかここまで見境なく人を弟子扱いするとは思わなかった。

 

 だって俺、剣才ないって言われたんだもん。他でもないジダンさんと、恩人であるじいさんから。だから俺は「戦いのセンスなんてない」って言ったのだが、どうやらそれが不味かったらしい。彼女はギロリと俺を睨んで、しかし瞳とは反対に口調は楽し気にこう返した。

 

 「バカ者が。剣の才能の有無が戦の才能の有無に直結するとは限らないと知らぬか? 儂の見立てでは、貴様は確かに剣才は無に等しいだろうよ。だが、戦の才に関してはその限りではないと見える。そも今の時代に幻想種を狩れる人間なぞそうそういるものか。だが貴様は未熟ながらもこの地に足を踏みぬいた、あの男達の様にな。ならばその力は確かに本物よ。貴様も戦士の端くれならば自身の力をよく把握しておけ。聞いた限り現世ではキリストの徒が一戦上げようとしているらしいではないか。従軍するのならば、いくら力があっても足りない事はないだろう?」

 

 長い長い。途中から俺を睨むことも忘れて自分の世界に入る彼女に思わず苦笑いする。いやぁ、こうして興奮気味に喋るスカサハをみると絶世の美人と言うか、そもそもこの世界の住人の顔面偏差値高いよなぁとか、そんな事を考えました、はい。

 

 「いや、俺は従軍なんかしないよ。そもそもキリスト教徒じゃないし、俺」

 

 「ならば猶更のこと。修羅となりつつある現世で生きるために力を身に着けるのは、決して悪い選択ではあるまい?」

 

 随分と食い下がるな。どうしてそこまで俺にこだわるのだろうか。彼女が俺に何らかの才能があると宣言したのなら、その才能はきっと俺の中で眠っているのだろう。再三言うが、彼女はケルト神話における最強の戦士である。そしてギリシャ神話でいうケイローンの様な存在だ。彼女の観察眼は当の本人である俺よりも、俺の事を如実に見抜いているに違いないのだ。その才能を引き出したいと思うのは教育者として当然の事であるし、その気持ちは俺にも少しわかる。

 

 だがしかし、スカサハはそれ以外にも理由を抱えているように思えるのだ。でなければ彼女が俺にここまで執着する必要性を感じない。そして俺が他人と違いのある点と言えば、それは……

 

 「……まさか、貴方は」

 

 「貴様が何を思ったのかは知らん。だが、そうだな。どれだけの秘密を抱えていようと、私の様に何とも思わん人間がいるという事を覚えておくと良い」

 

 この反応は、間違いない。スカサハは俺が『転生者』であることを見抜いている。その上で彼女は言うのだ、「気にするな」と。

 

 それは正に救いの言葉だった。

 

 じいさん以外に話したことのなかった秘密を、虚言だと笑うことなく、それを真摯に受け止めてくれる。それがどれだけありがたいことか。秘密を打ち明けた人物が死に、自分を知る人がいないこの世界で、どれだけ彼女のような存在を渇望したことか。気づけば、目元が熱くなっていた。

 

 そして、彼女は告げる。

 

 「ふん、こうして面と向かってしまったのだ。次に出会った時に薬漬けだったという話ほど、後味の悪いものもないだろう? せめて出国する前にここで()を蓄えていくと良い」

 

 「薬、漬け?」

 

 なんか時代錯誤な言葉を聞いた気がする。よく考えてみてほしい。この十一世紀は碌な医療技術も確立されてない。所詮は民間医療レベルで、薬物治療でさえ効果があるかどうか怪しい、迷信に頼ったモノだらけだ。それで薬漬けって、一体どういうことなのだろうか。

 

 さっきまで感動して涙が出てしまいそうだっただけに、それを吹き飛ばした疑問と言うのはかなり気になる。しかし、彼女の返答は存外簡単だった。

 

 「今そのことを気にする必要はない。この国に留まっている間だけは、少なくとも安全だろう」

 

 「……まぁ、貴女がそう言うんだったらそうなんだろうけど」

 

 なんか、釈然としない。

 

 「そんな顔をするな。いつの日か教えてやるから安心せい」

 

 ポンポンと俺の頭を叩くスカサハ。ああ、よくよく考えてみれば俺って外見は十五歳くらいの子供なんだったな。いくら精神年齢がおっさんだとはいえ、彼女から見ればやはり精神年齢込みでも子供だ。

 

 しかし、もし仮に俺の身体がむさいおっさんのままだったのならば、こうして頭を撫でられなかった可能性がかなり高い。それに思い返せば道中で野党に襲われた際、餓鬼であると油断した野盗どもを斬り込んだ記憶もある。この幼い身体で何度も得をしているのだと実感した。実際、美女に撫でられるのは最高だしね。

 

 でもやっぱり女性にずっと触られるのも気恥ずかしい。俺はやんわり彼女の手を除ける。その時、スカサハの手に触れて分かったことがある。それは、ラノベや漫画などで描写されるような女性の柔らかさというものがなかったという事だ。ただ感じられたのは鍛え上げられた武芸者特有の、無駄をそぎ落とされた筋肉の感触。その彼女の感触に戸惑ったせいか、俺は思わず手をニギニギしてしまった。

 

 何と言うか、やっぱり硬い。硬いが、何故か心地がいい。あの朱い槍を振るい続けてきたであろう彼女の手は無骨で、それでいて女性らしい線の細さを兼ね備えている。言葉で表現すればアンバランスで不格好なようだが、実際は違う。優しさと強さを両立させたような、そんな掌。どこか憧れさえも抱かせる彼女の手に、しばらく俺は夢中になっていた。

 

 「……何をしておる」

 

 俺がスカサハの手を握ってから幾ばくか経過した時。彼女は何とも言えない表情と声音、敢えて言うなら困り果てたように声を掛けてきた。

 

 それでようやく正気に返った。顔が熱くなる。十秒くらい前の自分を殴り飛ばしたくらい激しい衝動が走った。

 

 「お、俺、何して」

 

 「この阿呆が。私の方が聞きたいくらいだ」

 

 スカサハは持て余したような目つきで俺を見る。俺も何と言葉を発せばいいか分からず、無言で彼女を見つめ返した。そうしてまた静かな時間が流れて十数秒。先に口を開いたのはスカサハだった。

 

 「……はぁ、まあよい。今のは見なかったことにしてやる。私は気にしないが、今のを家臣がいる前でやってくれるなよ。あやつらはうるさいからな」

 

 ため息交じりに吐き出された彼女の言葉に、俺はただ頷くことしか出来なかった。

 

 ん? でも待ってくれ、その言い方だとまた手をニギニギしてもいいように聞こえるのだが。俺がそのことを聞きただすと、スカサハは「勝手にしろ」と素っ気なく返してきた。

 

 (勝手にしろって、一番反応に困る返答なのですが、それは)

 

 ちょっと女性としての自覚が足りないのではないかと思う。スカサハは言うまでもなく美人だ。顔もそうだが、肉体美も素晴らしい。いくら超弩級の実力を有しているとはいえ、やはり彼女は女性なのだ。美人がたやすく男に体を触らすことを許すべきではない。男なんて何をするか分かったものではないのだから。

 

 「ダメだよ、スカサハ。女性がそう簡単に自分の身体を男に許すべきじゃない」

 

 「それは私を軽んじる発言か?」

 

 槍が心臓に突き付けられる、そんな錯覚を覚えた。でも言ってしまえば錯覚である。一度死に瀕した俺ならば怯むことはあっても、今更怖気づいて何もできなくなる様な事態にはならない。

 

 「まさか、俺は一度貴女に殺されかけている。そんな俺がどうして貴方を軽んじれようか。俺が言いたいのは、貴女は女性で俺は男だという事だ」

 

 「なに?」

 

 「だからさ。貴女は一度自分の魅力に気づいた方が良い。お互いがお互いを多少なりとも好ましく思っているのなら、なおさら俺達の関係はしっかりしておくべきだ」

 

 伝えたいことは大凡伝えた。すると彼女の殺気は鳴りを潜める。もうひと押しといったところか。

 

 「俺は貴方を失望させたくない。だから貴方も、俺が貴方に失望されないよう(・・・・・・・・・・・・・)に努力してくれないか?」

 

 「どういう意味だ?」

 

 「俺を貴女の弟子にしてほしい。その代わりと言っては変な話だけど、俺も貴女が嫌う貴女(・・・・・・・)の魅力について最大限言葉で表すから」

 

 俺が言いきると、スカサハは目を点にして驚いていた。それは自覚があったからか、それとも無意識な事実に気づかされたからなのか。

 

 「何を言っておる。私が私を嫌っている、だと? 冗談にしては笑え―――」

 

 「冗談なんかじゃない。冗談で、貴女は破滅願望を抱く筈がないからだ」

 

 これは俺の前世を中心とした人生に基づいた勘働きである。決して、今世で得たあの戦闘で不意に感じる『直感』ではない。彼女は確実に死にたがっている。理由なんざ知らない。だが、今をもって俺の理解者となった彼女が、自分自身を嫌いになってほしくない。それは俺の紛れもない本心だ。

 

 「何を根拠にその様な世迷言を」

 

 「だってスカサハ、いろいろ諦めた人と同じ目をしてる」

 

 そう、俺が『MSF(国境なき医師団)』の活動で現地の人々を診察した時、もう命に見込みがないと宣告されたときの患者、或いはその家族と同じ顔をスカサハはしている。彼らは死ぬ運命にあるから絶望するが、恐らく彼女の場合はその逆だ。

 

 ――――――死ねないから、絶望している。

 

 そうでなければ、そんな憂を感じさせる表情であり続ける理由がない。そうでなければ、彼女は千年以上も生きているはずがない。彼女は死ねない。人として、それはもうただの地獄だ。不老不死に良い事なんて一つだってない。周りは老いるのに、自分は何も変わらない。ただの傍観者として、数多の死を見て、彼女は今まで生きてきたに違いない。自分が一番求める物を身近に感じ、でも一生をかけても届かない。

 

 俺だって彼女から見れば一夜の夢の住人に過ぎない。だが、だからこそ、俺は彼女にしてやれることがある。

 

 「俺を弟子にしてくれ。俺は貴女の夢を楽しませるような、そんな人になるためにも」

 

 




美綴さんを出せなくて本当に申し訳ない。
ですが、ここで区切りが良いので、取り敢えず次回からはステイナイト編に移れるかと思います。


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10話

初代様かっこよすぎ。



 

 

 スカサハのしごき……失礼、訓練は苛烈を極めた。

 

 手始めの体力作りに影の国の外周を何周も走らされたり、魔術の訓練では魔力が空になるまで魔術使わせられたり、サバイバルと称した幻想種の根城ツアーを強制されたりと、割とマジで生きた心地がしなかったのである。しかも今挙げた例はまだ軽い方である。

 

 ただまぁ面白いのは俺の方で、自分で実感出来るくらいには逞しくなった様な気がする。彼女に弟子入りしてからもう早一年が経過するが、未だに五体満足で生きていられるのは着実に成長しているからだ。そう考えれば俺はやはり逞しくなったと言えるだろう。

 

 「ふん。多少は様になったではないか」

 

 もうこれ以上ないほど偉そうな顔で俺を褒めてくれたのはスカサハ、この国を治める女王である。そう言えば女王なのに何故門番など兼ねているのだろうと、ふと疑問になったので聞いてみたことがある。

 

 彼女曰く「暇だから」だそうだ。もの凄くあっさりして拍子抜けした記憶がある。とはいえ実際、変化に乏しい影の国では内政も味気ないそうで、臣下達に任せておけば全部片づけてしまう。だからといって外に出て化物退治をしていい訳ではない気がするのだが。というかそういうのって兵隊さん達のお仕事じゃないの? 彼ら涙目だよ?

 

 さて、そんな退屈を満喫していた女王様にとって、久々の弟子(つまり俺)は格好の暇つぶし相手だった。正直楽しんでるのではないのかと言いたくなるくらい、見事にスカサハはしごき抜いててくれた。いい歳の癖してアグレッシブなのだから手に負えない。

 

 「この感じ……ユージン、貴様何かよからぬことを考えてるな」

 

 「いいえ、何も」

 

 すごいでしょ? この人ってば迂闊に考えるだけで地雷踏むんだぜ? こうなったら死ぬ目に遭うことは確定なので、もう好きなだけ言ってやる。

 

 「口ではどうとでもいえる。よろしい、そこまでやりたいのなら望みどおりにしてやる」

 

 「いやいや、ヤりたいだなんて。そんな恐れ多いことを」

 

 ほら、俺は精神込みでも四十なんぼだし。流石に千歳とは、ね?

 

 俺がウザい含み笑いをしながら告げると、スカサハの顔から表情が消える。ただ目を口ほどにモノを言うというのは本当のことだったようで、彼女の真紅の瞳はまるで得物を狙う鷹のように俺を睨んでいた。そしてその手にはいつの間にか彼女愛用の朱槍、身体からは溢れんばかりの魔力(オーラ)

 

 これがもし最初に彼女と出会った頃の俺ならば、或いは竦んでしまっただろう。俺が己を逞しくなったと思うのにはしっかり理由がある。というのも簡単な話で、俺はこの凄みを受け流せるようになったからだ。

 

 彼女が動こうとすれば、俺もそれに対応した動きが出来るという確信がある。もっともそれは錯覚に過ぎず、十数合打ち合えば俺は呆気なく敗北するだろうが。しかしそれでも初めて彼女と相対した時と比べれば、相当な進歩であると言える。

 

 「……すっかり、ケルトの戦士らしくなったな」

 

 殺気を緩めながら、スカサハは微笑んだ。

 

 彼女らしからぬ言葉だ。いつものスカサハならば、今頃指導というのを名目に殺し合いを繰り広げたことだろう。それがしおらしく微笑み、挙句の果てには真心を持って俺を褒めたではないか。

 

 これは、もしかして……

 

 「風邪ひいた?」

 

 「失礼だな。だが、そんなところも奴とそっくりだ」

 

 何か面白い事を思い出したのか、スカサハの表情はますます柔らかくなる。いつもの仏頂面もそれはそれで美しいが、やっぱり美人は笑った方がもっと美しい。その事が今をもって証明された。

 

 まぁソレはそれとして、だ。

 

 「奴?」

 

 「聞いたことはあるだろう? 儂の最高傑作、光の御子だよ」

 

 それは、聞いたことがある。それも前世(・・)の頃から知っている人物だ。殆どドラゴン要素皆無の某パズルゲームやストライクでショットなゲームにも出演するくらい、高名(?)な人物だ。そして何より、ケルト神話でスカサハの最高傑作と言えば一人しかいない。

 

 「……クー・フーリン?」

 

 俺が思いついたまま呟くと、スカサハは肯定するように頷く。

 

 「ああ、お前はセタンタによく似ている。義理難いが、軽口は叩く。飄々としているが物事を深く考慮し、何より己に課した戒律に誠実だ」

 

 「おいおい本当に大丈夫? アンタがそこまで俺を評価するだなんて。ましてやケルトの大英雄と一緒にされちゃあ、向こうも迷惑でしょう?」

 

 クー・フーリンと言えば、ケルト神話の中でも最強と形容するに相応しい英雄である。スカサハがケルト神話版ケイローンなら、クー・フーリンはケルト神話版ヘラクレス、いやアキレウスと言ったところだろう。その功績はどんな英雄よりも華々しく、またその死に様はどんな英雄よりも惨たらしかったという。

 

 逸話によると臓物が垂れてもまだ立っていたり、戦場ではたった一人で国と相手取ったりと、もう何処から突っ込めばいいか分からないほど英雄をしていた人物。それがクー・フーリンだ。因みにどうでもいい話だが、今俺が最もカッコいいと思ってる英雄NO1である。

 

 そんな人物と俺が似ているだなんてそれこそ恐れ多い。個人的には嬉しいと思ってるが、本人であるクー・フーリンがどう受け取るかは別の話だ。

 

 「それはどうだろうな。奴なら笑って許すと思うが」

 

 「へぇ、意外と心の広い御仁なの? クー・フーリンって」

 

 「聞きたいか?」

 

 「そりゃあ勿論」

 

 割と気になる。なんせ憧れの英雄だ。影の国にいれば嫌でも耳にするクー・フーリンが、実際はどのような人物だったのか。そのことを気にならない筈がない。

 

 俺は期待の眼差しでスカサハを見ていると、不意に彼女の全身から殺気が溢れ出た。

 

 「え?」

 

 「まぁ、それはそれとしてだ。ケジメはしっかりつけようじゃないか。覚悟は出来ているだろうな」

 

 どうやら先程の件がまだ尾を引いていたらしい。これは死んだかも。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 「強くなったな、ユージン」

 

 「……知ってた? 実は俺の本名って広瀬(ひろせ)雄二(ゆうじ)って言うんだぜ?」

 

 影の国にはその女王が居を構える巨大な屋敷がある。そしてその屋敷の三分の一を占める巨大な庭にて、大の字になって倒れている男と朱い槍を片手に佇む一人の女性がいる。つまり俺と師匠様だ。

 

 つい先ほどまで俺はスカサハの制裁、もとい特訓を受けていた。私怨が七割ほど含めれていた気がしないでもないが、そこは気にしてはいけない。死に物狂いで食いつこうとしたが、結果はご覧の有様。

 

 全身を打ち付け、刺し傷は数えるのも億劫なくらいできてしまった。そのせいで動くこともままならない。対してスカサハの方は傷らしい傷はなく、しいて言うなら払っただけで落ちるような汚れがいくつかあるだけである。仕方ないとは言いたくないが、こうも差があるとやはり悔しい。

 

 まぁ強くなったと言われたのだから、今はそれで良しとしよう。切り替えの良さは良い戦士の証だとは、彼女の言である。

 

 「今更だな」

 

 「貴女には知っておいてほしいと思ってね」

 

 何とか立ち上がりながら、自身にベオークのルーンを刻む。ルーン魔術の中でもぶっちぎりで使用頻度が多いこのベオーク。お陰様であのスカサハをも唸らせるほど、このルーンの扱いは長けている。事実、ルーンを刻んだ直後に傷の再生が始まった。

 

 「なんだ、なら今からでもユウジと呼んだほうが良いか?」

 

 「いや、それは良いよ。今更その名前で呼ばれるには、今の名前は馴染み過ぎた」

 

 「そうか」

 

 ユージンも雄二も似ているしね。そもそもじいさんが俺の名前を聞いて、ちょっと間違えて『ユージン』になったわけだし。

 

 「ところでユージン」

 

 傷の痛みが治まりはじめたところで、タイミングを見計らったようにスカサハは呼びかける。何か面白い事を確信したのか彼女の目は熱がこもっていた。

 

 「お前にとってこの世界はどうだ。前の世界と比べて、やっぱり不便か?」

 

 彼女は俺にそう問う。つい先ほどまで剣を交えた後だというのに、それとは全く関係ない話をするのは初めてかもしれない。とはいえ目つきは真剣そのものなわけで、適当な返事をするわけにはいかない。

 

 しばし考えた後、俺はこう答える。

 

 「そりゃあ不便さ。魔術とかいうオカルトあったとしても、文明のレベルは今より千年も進んでるんだ。それで何も変わらないとか嘘だよ、嘘」

 

 「ならば前世の世界に戻りたいとは思わんのか」

 

 そんなの、答えなんて決まり切ってる。

 

 「ないね。前は前、今は今だ。今更前世に帰りたいとか思ったって、どうしようもないだろう? それなら今をどう生きていくか―――」

 

 「お前なら、戻れるかもしれん」

 

 「―――は?」

 

 思いもよらないカミングアウトだった。それは予想にもしてなかった。もしかすると俺の生涯に直結するくらい、それは聞き逃せない言葉だ。

 

 「あの、申し訳ないんだけど。戻れるって何処に?」

 

 「流れで察せ。お前が元居た世界に決まってるだろう」

 

 今度こそ開いた口が塞がった。こんな時、俺は一体何と言えば良いのだろうか。確かに俺は元の世界、つまり前世には未練がある。俺を生んでくれた両親や友人には今まで失踪してしまったことを謝りたいし、お付き合いをしていた女性もいる。

 

 ただし、俺はもう彼ら彼女らの顔をぼんやりとしか覚えてない。未練はあるが、本当にそれだけだ。

 

 「因みに何を根拠にそんな事を?」

 

 「縮地、なぜお前が歩法の極致を拙いとはいえ扱えるのか気になったのが始まりだったな」

 

 あ、これは長くなりそうだ。半ば直感だが、残りの半分は経験から来るものである。彼女がもったいぶったような話の始め方をするとき、それは間違いなく会話が長くなる前兆である。

 

 そして絶対、絶対にそのことに対して苦言を言ってはならない。言ったら最期、確実にか弱い一つの生命が盛大に散る事となる。年寄りの話はしっかり聞くと相場が決まってるのである。

 

 「前にも話したな。魔術を修める際にお前の起源を調べただろう?」

 

 「ああ、確か『移動』だったっけ」

 

 そして教えてもらった訳ではなく、ただ見ただけ(・・・・)でじいさんの縮地を模倣出来た理由が、その起源によるものだという事もスカサハから教わった。確かに俺はじいさんの足さばきを見て「ああ、これなら俺にもできそうだ」と感じた記憶がある。

 

 補足として、起源とはその人の生まれる前から、更に言うなら魂が形成された頃から持つ根底にある本能、だそうだ。俺としても全てを把握してる訳ではないが、要するに俺と縮地という技術は途方もなく相性が良かったのだと考えてもらっていい。

 

 ん? でも待てよ。俺の起源とやらがその『移動』だとして……

 

 「まさか俺って世界も『移動』出来るの?」

 

 「まだ分からんがな。ただ既に時間、或いは世界を渡ってこの時代に訪れた訳であろう?」

 

 「うーわ、随分とスケールのでかい話になったな」

 

 実際そう思う。そしてお師匠様のドヤ顔がやけに眩しいのが腹立つ。

 

 「でも俺は世界の移動の仕方なんて分からない」

 

 それに尽きる。スカサハの理論で言うと、どうも俺は精神だけ世界か時間を超えてしまったということになる。しかも何の前触れもなく、無意識でだ。はたしてそんな事が可能なのだろうか。ましてや世界は異物に対して絶対的な力を持つと聞くし、そう簡単に世界とか時間だとか移動していいものなのだろうか。

 

 俺が疑問を口にするとスカサハはニコリと笑う。この調子を見るにやっぱり彼女は、相当俺の置かれた状況というやつに熱心だったようだ。まぁ毎日が退屈だと言うくらいだし、こういった謎というのは彼女にとっては最高の暇つぶしなのだろう。お師匠様が楽しいなら弟子としても嬉しい限りである。

 

 「ああ、そうだろうな。聞く限りだと前世のお前は魔術や神話とは程遠い生活を送ってきたように見える。ならば世界を渡来したのは恐らく無意識で間違いない」

 

 「でもそれじゃあ抑止力の排斥対象になっちゃうんじゃないの、俺?」

 

 とすれば俺は大変な問題を抱えていることになる。

 

 地球の抑止力は強大である。俺はその抑止力とやらが働いているところを直に見たという訳ではないが、スカサハが「ヤバい」と形容するのだ。彼女ほどの存在がひたすら「ヤバい」と連呼する力が、俺如きに手に負える筈がない。

 

 そして俺が他の時間軸、または別の世界から『移動』したとすればだ。俺は間違いなく地球から異物扱いされる。だが現時点で俺は生きている。もし地球が俺と言う存在を許さないのであれば、この時代に覚醒した時点でに何らかのアクションがあってもおかしくはない。これでは筋が通らない。

 

 「ならば逆転の発想だ」

 

 もう答えが言いたくてうずうずしているのか、スカサハは若干興奮気味になっている。本当に考察するのが楽しかったんだろうな、この人。年甲斐もなくテンションが上がってるスカサハに俺はため息を吐きたくなるのを堪え、真剣な面持ちで彼女の話を聞き入るよう努める。

 

 「もしお前が抑止側から呼ばれた存在であるなら、答えはまた変わってくるとは思わないか?」

 

 ああ、成程と。

 

 驚き過ぎて逆に他人事のように思った。

 

 




感想で過去編いいよって評価してくださる方々いらしたので、思わずステイナイト編を書いてたのを途中で切り上げて過去編を一気に仕上げました。
やっぱり感想欄の力って大きいですねぇ。

とはいっても、今度こそはステイナイト編を投稿します。
そっちの方を期待してた方々には本当に申し訳ないことをしてしまいました……なんでもするんで許してくださいっ


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stay night編
11話


急ぎ足かも。
あと自分の文章力の幼稚さに絶望不可避。


 ―――一月三十一日、時刻は午前七時半ごろ。

 

 

 一歩、二歩と進んで三歩目で止まり、足を擦って下半身を盤石にする。床と密着した足からは慣れ親しんだ木材のひんやりとした感触が伝わってきた。腰を足踏みの上で安定させ、体幹を腰の中央へと乗せる(・・・)。その際しっかり呼吸は整え、弓の本弭は左膝の頭に置くことを忘れない。

 

 

 親指を弦にかけて、薬指でおさえる。そして人差し指と中指は触れる程度に添える。天文筋に弓の外側が当たるようにして、親指の付け根と小指の付け根を付けるような動作で弓を握った。

 

 

 三重十文字を崩さないように弓を打ち起こす。角度は自身に最適化された五十度程である。

 

 

 見据えた先にあるは射抜くべき黒と白の的。ゆっくりと、ゆっくりと、魂を込めるよう緩慢な動作で水平に弓を引く。体で引くのだ、決して指だけに任せない。

 

 

 心を静かに保つ。「当たれ」という邪念や欲はどうしても生まれてしまう。だがそれを極限までなくして、射に備えることはできる。無心であることすら意識しない程の無心で、やごろ、矢を離すまで気を込める。

 

 

 矢の発射。それは葉に溜まった滴が零れ落ちるような、そんなごくごく自然なように行われた。しかしそんな自然な流れであっても、弓と矢に込められた爆発的な感情と勢いは確かに的に届いた。

 

 

 浮かれてはならない。まだ射法八節が終わっていないのだから。ただあるがままを受け入れて弓を倒す。その後は物見を戻して、穏やかな気持ちのまま静かに足を閉じる。その際、的に対しての感謝の気持ちを忘れない。

 

 射手である美綴綾子は静かに残心を取った。

 

 

 

 「やっぱり衛宮には程遠いねぇ、本当に。どうしたらこう、あいつみたいに上手く出来るかな」

 

 「主将だって凄いです。殆ど図星に当たってたじゃないですか」

 

 弓道場に備え付けられた女子更衣室にて。二人の女子生徒が袴から制服を着替えている。

 

 弓道部主将である綾子はため息交じりにそう言うと、その横で後輩である間桐桜がふるふると首を振る。桜から見れば綾子も相当上手である。ただ綾子の言う彼、衛宮士郎は半ば反則染みてるくらいポンポンと的を射るので比べることが間違っているというか、最早一般の域ではないというか、そんな規格外なのである。

 

 勿論桜がそのことを先輩である綾子には言えないし、ましてや桜より弓道を知る綾子からすればより明瞭にその差を実感していることだろう。しかし実感していても納得できる美綴綾子ではない。

 

 元来、彼女の性格には武人の気質のきらいがある。だから目標となる存在がどれだけの高みにいようが、それは綾子の知ったことではないのだ。寧ろ目標が高ければ高いほど燃えるのが美綴綾子と言う女子生徒なのである。

 

 「さて、着替えも終わったし頭を切り替えて勉学に励むとしますかねっと」

 

 また、それと同時に驚くくらい切り替えの早い女子生徒でもある。着替えを終えた綾子はぐんと体を伸ばして背伸びをしながら、彼女の後輩である間桐桜の方を向いた。

 

 「ところで間桐。ここ数日慎二の奴が落ち着きがないように見えるんだけど、最近何かあったりした?」

 

 「いえ、特にないと思いますけど……」

 

 「そっか」

 

 慎二、フルネームを間桐慎二という。間桐、つまり間桐桜の兄であり、綾子と同学年の少し訳アリ男子高校生である。訳アリと言うのは簡単な話で、彼はすっごい性格の悪い秀才系ボンボンなのだ。因みにどうでもいい話だが先の話で登場した衛宮士郎の悪友でもある。

 

 そんな実の兄である慎二を毎日間近で見ている桜が、綾子の感じた違和感などないと言うのだ。自分の懸念が気のせいだと分かった綾子はこの話をすぐに切り上げた。

 

 「よし、それじゃあまた放課後にね。あ、それと機会があったら衛宮に弓道部に戻るよう間桐からも言ってやってよ。間桐も衛宮が戻ってきてくれた方が嬉しいでしょ?」

 

 「え、そ、そんな……」

 

 綾子のからかいに途端に赤面する桜。ご覧の通り、この後輩はその件の衛宮何某にほの字なのである。何にせよそれを先輩でもあり友人でもある綾子が応援しない理由がなく、でも面白いので時折こうして桜をいじっている。

 

 自分がからかわれているなどとは露ほどにも思ってない桜は、ただ顔を真っ赤にしながらあたふたしている。控えめに表現しても美人と言っていい桜の恥じらいは見ているだけでも幸せになれそうだ。実際、もしこの場に美綴綾子の弟、美綴実典がいれば相当悶えたに違いない。二重の意味で。

 

 「ん、青春を謳歌してるようで大変よろしい」

 

 微笑ましいものを見るように(事実微笑ましい)、綾子は顔を緩ませる。とはいえいつまでもこうしている訳にもいかない。そろそろ朝のHRが始まってしまうので、桜に断りを入れてから美綴は教室に急ぎ足で向かった。

 

 「恋愛、か」

 

 教室まで向かう途中、彼女はそんな言葉を呟いた。

 

 道中である廊下はもうHR間近という事もあってか人気はない。各教室からは僅かに生徒らの楽しそうな会話が漏れるだけであって廊下は基本的に静かであった。

 

 「あの人、今は何してんだろ」

 

 それは美綴綾子という一人の少女の話。もう十年も前の出来事だ。それでも色褪せることなんて有り得ない。

 

 十年前、綾子は怪物に襲われた経験を持つ。冗談とか作り話とかの類ではなく、事実として彼女はこの世のモノとは思えない冒涜的なナニカに命を脅かされた。そして、それと同時にとても人間とは思えない動きで彼女を救ってくれた存在がいた。

 

 確か、その名を……

 

 「アサシンさん」

 

 明らかな偽名だが構わない。彼には彼なりの事情があって名を偽ったに違いないのだから。感謝をすることはあってもそのことに憤ったりはしない。ただ少し悲しいのがその件から一度も綾子はその『彼』と会ってないということだ。

 

 容姿を見た限り外国人である可能性が高い。だからもしかすれば母国に帰って今も生きているのかもしれない。しれないが……。

 

 よくよく考えてほしい。化け物というだけでも馬鹿馬鹿しい話なのに、その化け物を退治できるような存在がいるのだ。そんな半ば兵器といっても過言ではない人間が、果たして普通の生活を送れるのだろうか。少なくとも綾子はそうは思わない。

 

 綾子の目から見た『彼』の殺しの技術は現実の代物ではなかった。多くの武術に精通する彼女が断言する。肉弾戦において『彼』を殺めることのできる人間なんて、この世には存在しない。それだけ強く、なによりも殺しが鮮やか過ぎた。

 

 「だから心配なんてする必要はないんだけどさ」

 

 それでもやはり心配だ。

 

 化け物がいて、化け物を操る男が以前冬木市にいた。そして『彼』はあっという間もなくそれらを殲滅した。もしそういった外道を退治することが『彼』の仕事なのだとしたら、彼はいつも危険な目に遭っているという事になる。

 

 ソレは頂けない。

 

 できればもう一度会って、しっかり『彼』にお礼を言いたい。お礼を言って、少しでも恩返しがしたいのだ。それが美綴綾子の切なる願いであるから、お礼を告げる前に死なれてもらっては困る。

 

 「誰を心配する必要がないの? 美綴さん?」

 

 ふと、背後から声が聞こえた。

 

 「ん、ちょっとした知り合いのこと。一度その人に命を助けてもらって。しっかりお礼を言いたいんだけど、今はどこにいるんだか」

 

 振り返った拍子にそう言う。背後から、それも挨拶もなしに『穂群原学園において敵に回してはならない人TOP3』に入る美綴に話し掛ける輩といったら一人しかいない。

 

 「おはよう遠坂。随分と遅い登校じゃない」

 

 「ええ、おはよう美綴さん。最近徹夜が続いて碌に眠れないのよ」

 

 「ふーん。穂群原学園屈指の優等生様が徹夜だなんて、教師が聞いたらびっくりするかもね」

 

 髪をツーサイドアップにして束ね、赤いコートを着た女子生徒が居る。彼女の名は遠坂凛、変人が多い穂群原学園の中でもある意味異彩を放つ優等生である。もっとも、彼女とそこそこ付き合いが長くなれば、彼女が優等生の皮を被ったあくまであるとすぐに分かるが。

 

 因みに、一応綾子とは友人の間柄はである。しかし本人はそこまで人付き合いが得意という訳ではなく、というよりも本人が人を避ける傾向にあるので友好関係としては並みである。

 

 しかし、それでも友人である。だから遠坂に殺気をぶつけられる(・・・・・・・・・)のは筋が通らない。

 

 「そうかしら、人間って一つや二つくらい隠し事があっても不思議じゃないわ」

 

 威圧感を隠す気配すらなく、むき出しの殺意が籠った視線を綾子に向ける。それがおかしい。綾子には遠坂にそんなことをされる云われがない。

 

 「それはどういう意味だい、遠坂? 少なくとも今の話に嘘なんてないよ」

 

 綾子が遠坂の意図が分からず不思議そうに首を傾げると、逆に遠坂の方は顔をしかめる。何か変な事でも言ってしまっただろうか、綾子は今までの会話及びその前の独り言までも思い出してみる。しかしやっぱり心当たりなんてない。そもそも過去の出来事を思い起こしただけで、それは遠坂とは何の関係もない話だ。

 

 「……アサシンって何?」

 

 暫く考える素振りを見せた後、遠坂はそう尋ねてくる。その表情は未だに険しい。

 

 これはやはり尋常ではない。遠坂の不自然な態度、そして何よりも美綴綾子のカバンの中にある大切なお守り(・・・)がこれ以上ない程震えている。

 

 「アサシンさんと知り合いなの?」

 

 「いいから質問に答えて」

 

 質問をする暇すら与えられてないらしい。遠坂は変わらず綾子を睨み付ける。ただ心なしか、少しだけ無表情になったように綾子は思えた。

 

 「……十年前、悪い奴らに絡まれて危なかったところをその人に助けてもらっただけよ」

 

 「ああ、十年前か」

 

 嘘は言っていない。悪い奴ら(化け物)に襲われたのだから。

 

 美綴の警戒交じりの言葉は遠坂の殺気を収めた。そのことに安堵しつつも綾子は一つ気になった。

 

 「ねぇ遠坂。もしかしてアサシンさんのこと知ってたりするの?」

 

 「いえ、私は知らないわ」

 

 「じゃあどうしてそこまで『彼』のことを?」

 

 「だってアサシンだなんて明らかに渾名じゃない。気にならない筈がないでしょ?」

 

 一瞬、遠坂の目が光ったように見えた。背筋にゾクッと冷たいものが走る。

 

 何かを言おうと思った。だが口からは言葉が出なくて、代わりにカバンの中のお守りがブルブルと伝わってくる。カチカチと音が鳴る。それが自分の歯同士がかち合って鳴っている音だと気づく。しかしそれを止めることが出来なかった。止めようと思っても、身体がまるで言う事を聞かない。

 

 間違いない。今、遠坂に何かをされた。

 

 「それじゃあ、美綴さん。そろそろHR始まるから早くね?」

 

 ふざけるな。動けないのはアンタが何かをしたからだろうが。そう言いたいのに、言えない。歯のかち合う音が脳に響き、それと同じく何故かお守りが震える。

 

 動けるようになったのはそれから数分後の事だ。その時には歯とお守りの震えは収まっていた。

 

 HRはもう既に始まっていて担任からは注意を受けた。普段の行いがよかった(・・・・)おかげで、それだけで済んだのは不幸中の幸いだった。また、遠坂は何事もなかったように席に着いていたのが妙に腹立たしかった。

 

 あまりにも頭にきたので、問い質してやろうかと思ったのだがやはり止めておいた。それは危険であると、なんとなしに感じたからだ。もしここで遠坂に先程の話をしたものならばきっと良くないことが起こる。根拠のない直感ではあるが、この時の判断は間違っていなかったと後に知ることとなる。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ―――時刻は午後八時半ごろ。

 

 その時、美綴綾子は弓道場の出入り口の鍵を閉めていた。この弓道場は校長の意向なのか、高校生が使うには立派過ぎる上に無駄に広い。だから少し掃除をするにしてもかなり時間が掛かってしまうし、部長として部活終わりの最後の見回りをする綾子にとっては地味に頭を悩ませる問題だった。

 

 今はその見回りが終わり、弓道場の鍵を職員室に返したところだ。掃除の行き届いてない場所を発見してしまったためいつもより帰る時間が遅くなったしまったが、後は速やかに帰宅し家族と一緒に晩御飯を頂いてから、趣味の乙女ゲーを攻略して寝るのみ。それは綾子が高校生になってから殆ど変わらない生活サイクルである。

 

 「それにしても、結局アレは何だったんだ」

 

 今朝の遠坂との邂逅。あの時、自らの身に起きた不自然が一体何だったのかが分からない。しかし一つ分かることがある。それはあの不自然は美綴綾子が一般的な営みを続ける上で、全く知る必要のないモノだという事だ。

 

 ならば無理に考えることもないだろう。遠坂とはあくまでも友人。それ以外の事は求めはしないし、それ以外のものにはならないでほしい。遠坂だって少なからず綾子と同じことを考えてるだろう。

 

 だから、この話はこれでおしまいだ。

 

 

 

 「……ふぅ、今日は冷えるねぇ、こりゃ」

 

 帰宅の途中、綾子は自身の手に温かい息を吹きかける。こんなことなら手袋でも持って来ればよかったと、今更ながら後悔する。ニュースで今日は暖かい日だと聞いてすっかり油断してしまった。

 

 季節は当然ながら冬である。彼女の住まう冬木市の冬季は基本的に温暖だが、それでも寒い日は寒い。今日はそう言う日だった。

 

 家に到着するまであと数十分、耐えられない寒さではない。綾子はコートのポケットの中に手を突っ込みながら、気を少しだけ引き締めて急ぎ足で帰路を急ぐ。その行動が彼女、美綴綾子の運命を大きく変えた。

 

 ―――近くで、まるで金属が何か大きな質量と激突したかのような、そんな爆発的で不快な音が響いた。

 

 危機感を覚えた。人間は己の身に危険が及ぶかもしれないと認識した時、その脅威から自身を遠ざけるためにあらゆる手段を講じる。故に、綾子は音の聞こえた上空(・・)を見てしまったのだ。

 

 「なに、あれ」

 

 

 青い衣装の男が何か棒状の何かで、ローブの女性が放った赤い閃光を弾いていた。

 

 

 




どうも、呼符一枚でマーリン当てました(挨拶)

なんかものすごく評価が上がっててびっくりしました。
総合評価も七百から二千五百まで上がってますし、読者の皆さんには下げた頭が上がりません。
この場を借りて感謝を、ありがとうございます!

でも文章能力だけは残念なことに変わりない模様。


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12話

ひっどい文だなおい、そんな声が聞こえてきそう。
あと最後のはオマージュ。


 それが異常な光景であるとすぐに分かった。分からなければ人として、否、この地球に生きる生物としてどうかしてる。

 

 かたや空を飛び、得体の知れない光弾を放つローブの女がいる。かたや血の様に朱い槍を振り回し、その光弾を叩き落とす青い装束の男がいる。両者によって再現されるはさながら神話に語られるが如き戦い。

 

 そしてもし仮に、そんな戦場に何の力も持たない一般人がいたとしたらどうなるか。簡単な話だ。きっとその力なき者は圧倒的な暴力の渦に飲み込まれ、最終的には塵芥となり果てるだろう。

 

 ―――それは、嫌だ。

 

 十年前、若しくはそれ以上に危険な状況。少なくとも今現在、空中で殺し合ってる二人はあの時の狂った男よりも格段に強い(・・)。そんな中で綾子に出来ることはただ脇目も振らずに走る、つまり逃げることだ。この場に居続けるならば、いつあの人外達の争いに巻き込まれるか分かったものではない。

 

 巻き込まれたら最後、絶対に死ぬ。それが分かってしまう。

 

 「っは、っは、っはぁ!!」

 

 とにかく走った。冬の冷たい風が顔に突き刺さるが、そんなことなど気にしてられない。足を止めてしまえばきっともう走れなくなる気がする。誰かが追いかけてきている訳ではないというのに、説明のつかない焦燥感が綾子の足を急かした。

 

 鞄の中にはそれほど物が入ってないのにも関わらず、どうしてか岩の様に重い。そのせいで走ることが思い通りにいかず、速度も平時より遅く感じられた。荷物の存在がこれほどまでに邪魔だと感じた日が今までにあっただろうか。ならばいっそのこと投げ捨ててしまおうか、そこまで考えてそれだけは出来ないことに思い至る。

 

 教科書や参考書、ノートは学生である綾子にとって大事なモノではあるが、それも自分の命があってこそ。しかし、それでも綾子はその鞄を捨てる訳にはいかなかった。せめて、せめて鞄の中に大事にしまってあるとある代物(・・・・・)を取り出すまでは。

 

 「―――っ!」

 

 綾子は鞄を投げ捨てる。代わりにその手には包帯の巻かれた杭が握られていた。

 

 それは十年前、あのアサシンと名乗った男から手渡された大切なお守り。この杭こそが『彼』と綾子を繋ぐたった一つの接点であり、また今まで何度も彼女に危機を知らせてくれた文字通りのお守りである。危ないから捨てろと両親に取り上げられそうにもなったことがあるが、この通り片時も離した時がない。

 

 上空からはまだ衝撃音が響いてくる。あの人外どもはまだ空で殺し合っているのだ。辺りは静かだからなおさら戦闘によって生じる音は今も新都に響いて、いる?

 

 「あれ?」

 

 おかしい。

 

 どうして今まで疑問にすら思わなかったのだろうか。いや、そもそも最初に気づかなかったこと自体が異常とすら言える。何か作為的なモノを感じた綾子は、忙しなく動かしていた足を止めた。

 

 ―――新都でこんなに騒音を撒き散らしているのにも関わらず、どうして周りは静かなんだ?

 

 綾子は辺りを見渡す。本来そこそこ人通りのある道には、今は誰もいない。それどころかビルをはじめとした近くの建物らにも人の気配が全く感じられなかった。なんせ電気がついてないのだ、暗い建物中に人がいる道理がない。

 

 学校を出てまだ一時間、つまり時刻は九時程度。この時間帯で、否、どんな時間であれ新都において人が全くいなくなるだなんてことは起こる筈がないのだ。しかし、その有り得る筈のない出来事が今起きている。

 

 「……そのまま走り去ってくれれば見逃してもよかったのですが、仕方ない」

 

 綾子が走ってきた方向から淡泊な女性の声が聞こえてくる。振り返ると、十五メートルほど先に黒いスーツを着こなした長身の女性が見えた。

 

 自分以外に人がいた事に驚きつつも、素直には喜べなかった。その女性は手にグローブをはめながら、ゆっくりとこちらに距離を詰めてくる。

 

 綾子が喜べなかった理由が彼女の瞳にあった。

 

 無感情な目が綾子を射抜くが、その眼に綾子は映ってない。それが綾子には末恐ろしく思えたのだ。その眼はまるでそう、以前綾子がスーパーのバイトで見た精肉を解体する店員と全く同じだったから。

 

 「あ、アンタは―――」

 

 誰かと、そう問おうとした。周囲には誰もいない新都、そして意味深な言葉と共に現れた男装の麗人。答えなんて分かり切っているのに、綾子はそれでも問いかけようとしたのだ。

 

 だが男装の女性はそんなことすら許さなかった。

 

 有無を言わせぬ圧力が綾子を襲う。それだけで綾子は言葉を詰まらせた。圧力の源である女性は拳を握り、一呼吸で綾子との距離を詰めた。もはや人の膂力を無視した速度に、綾子は半ばそうなる(・・・・・・)ことを予期していた。

 

 「このっ!!」

 

 直立した状態から横に飛び込むことが出来たのは、弛まぬ彼女の鍛錬のお陰だろう。回転の後、綾子の元居た位置から凄まじい轟音と打撃音が彼女の耳に叩き付けられた。

 

 ―――ほらね、この人も人をやめてる。

 

 男装の女性が何をしたのかは見なくとも分かった。

 

 今の音は拳によって生じた打撃、英語ではこれをパンチという。ただし綾子の知るパンチとは何もかもが違う。まず拳はアスファルトを砕かない。そしていくらグローブをしているとはいえ、それだけの力が籠った拳が無傷というのも納得できない。

 

 しかし現に暗い赤色の髪を持つ女性は特に苦悶の表情を見せることなく、あろうことか自力でアスファルトに突き刺さった拳を抜いていた。その拳はやはり全くの無傷で、微かにグローブが光っていた。

 

 男装の女性が地面から手を引き抜いている間に、綾子は許される範囲まで距離を取った。下手に距離を離すとかえって危ない。

 

 あの女は獣だ。ただ殺す理由が本物の獣と違うだけであって、根本的な部分で今のあの女の行動原理は殺すことにある。故に彼女の間合いから離れすぎてしまってはならない。

 

 あくまでも間合いというのは獣が獲物を仕留めるために用意した領域である。つまり獣の領域から離れるという事は、獣に再度距離を詰められてということだ。そして綾子が追撃を受けたとして、それをもう一度無傷で凌げるという保証はどこにもない。

 

 「驚いた、咄嗟の判断で躱されるような温い一撃ではなかった筈ですが……ただの一般の方ではないようですね」

 

 無感情だった瞳に、ほんの僅かばかりの熱が帯びる。どうやら下手に助かったのが彼女のプライドに火をつけたらしい。

 

 とはいえ、女性の言う一般の方というのが文字通りの意味を示すというのならば、美綴綾子という女子は間違いなくそれだ。幼い頃に少しばかりの非日常と武道を経験しただけの、本当に何の特異性も持たない女子高生なのだ。

 

 だからこんな異常な空間で綾子が誰かに殺される理由なんてない。

 

 「……あたし、一応穂群原学園の一般的な女子生徒だと思うけど?」

 

 なんなら笑い飛ばして軽口をたたく。綾子にとって死による恐怖はこれで二度目だ。だからといって慣れた訳ではないが、それでもパニックを起こして何も出来なくなるだなんて事態にはならない。

 

 それは十年前の出来事、そして何よりも彼女の持ち合わせる精神力が為せる業。

 

 恐怖は押し殺し、押し寄せる緊張はねじ伏せる。代わりに心の底から湧き出てくる興奮の波には身を任せ、自身を奮い立たせる。今、美綴綾子に出来るのはそんなことだけだ。

 

 「呼吸が整った? それにこの古いルーンの反応。成程、貴女の力の源はそれ(・・)ですか」

 

 納得したように呟くのは男装の麗人。彼女はグローブを嵌め直し、恐らくは次の攻撃のために備えている。彼女の視線は綾子の手にあるある物(・・・)に注がれていた。

 

 そして綾子が持っている物と言ったら一つしかない。

 

 「……お守り」

 

 先の鋭い黒い鉄杭。綾子がお守り代わりにしているこの杭は、確かに触れているだけで安心する。女性の言っていることの半分は理解できないが、この杭が今まで自分を助けてきたのだという事は分かった。それだけで嬉しい気持ちになる。

 

 だが、この気分を生み出したのが男装の女性ならば、この気分をぶち壊したのもまた彼女だった。

 

 「一体如何な愚か者がその神秘を施したのかは知りませんが、ええ。なおさら貴女を生かしておく訳にはいかなくなりました」

 

 「……最初から生かす気なんてなかったくせに」

 

 少しだけ、腹が立った。自分が殺されるのは百歩譲っても嫌だが、何も知らない他人にあの人を貶されるのはもっと嫌だ。そして何よりも、何が何だか分からない内に殺されるだなんて有り得ない。

 

 故に、背を向けた。

 

 美綴綾子はその短い生涯を通じて、いかなる戦いであっても逃げるという行為だけは避けてきた。勝ち負け関係なく、綾子は性分として勝負事から背を向けるのが嫌だったのだ。しかし今回ばかりは話が違う。この戦いは自身の命がかかっている。それはすなわち、負ければ死に直結するということ。

 

 そして人として当然の欲求として、綾子はまだ死にたくない。勝ち目のない勝負はしたくない。だから綾子は迷わず背を向け、全速力で敵から距離を離した。

 

 「窮したかっ!!」

 

 後ろからあの女性の怒声が耳に届く。少しだけ驚いた。今まで恐いくらい淡々と言葉を紡いできたあの女が、まさかこうも激昂するとは。しかし心当たりはある。

 

 恐らく武人として、綾子のとった逃走という手段は気に食わなかったのかもしれない。同じような状況で、同じような事をされたら綾子だってよい気分にはならない。もっともあの女が何を思おうが、今の綾子にとってはどうでもいい話だ。というか一方的に殺しに掛かってきた癖して一体何を怒っているのだか。そういうのを世間では理不尽と言う。

 

 「―――っ」

 

 鋭く風を切る音が聞こえる。物凄い速度で距離を詰めているのが背中越しでも伝わってくる。接触まであと三秒もない。その時、変に冷えた汗が額に流れた。

 

 あの時、もしあの拳に何の対応もしなかったならば、綾子は物言わぬ肉塊と化していたに違いない。信じられないがそれだけの威力があの女性の拳にはある。故に綾子は絶対に女性の一撃を食らってはならない。しかしそれがどれだけの難題であるかを綾子は知っている。

 

 速さ、威力、技量。全てにおいて綾子はあの女に劣っている。真正面から戦うのは得策ではないとして、かといって背を向ければすぐに捉えられた後に瞬殺される。一見、詰んでいるかのように見えるこの状況で、綾子にはある策があった。

 

 ―――威力、速度で負けてるのなら、争わなければいい。

 

 そういう武術が日本には存在する。二十世紀、昭和二十三年にて創始された極力相手との力の衝突を避け、効率よく相手を制する業。その武術の名を―――

 

 「合気道、ですか」

 

 迫りくる拳をいなしたと確信した。半ば運に頼ったタイミングで振り返り、裏拳で流れるように相手の拳の道を作り、カウンターのための布石を用意する。綾子が想像していたシチュエーションがそれだ。

 

 しかしどうだろう、現実として綾子の視界は明滅している。何が起こったのか分からなかった。ただ腹部から酷い激痛がするだけ。

 

 酸素が足りない。呼吸が出来ないからだ。息を吸おうとしても、身体の内側がそれを拒む様に空気を取り込ませてくれない。この現象には覚えがある。キャッチボールでボールを取り損ね、そのボールが鳩尾に直撃した時に感じたあの息苦しさと一緒だ。

 

 ただし、全身に駆け回るこの激痛は日常の微笑ましい一面なんかの比ではない。起き上がることすら億劫で、白くぼやけた視界の奥に移るのはゆっくりこちらに歩いてくるあのスーツの女。

 

 「っは、っく、っはぁっ」

 

 無様だ。ようやく自分の置かれた状況が分かった。

 

 ―――あたし、吹き飛ばされたんだ。

 

 なんて出鱈目なんだろう。綾子は結局の所、あの女の拳を防ぐことなど出来なかったのだ。多少天運に任せたとはいえ、自分でも自画自賛したいくらい完璧な合気だった筈だ。それがどうして、予想と正反対な事態になってしまったのか。

 

 「自惚れないでください。そんな小手先だけの技術で私を何とか出来る訳がないでしょう。良い判断だったのは認めますが、それだけです」

 

 事実、綾子が女性の一撃を受けてなお生きながらえているのは、彼女の反撃が全くの無意味では無かったからだ。ある程度威力を抑え、その上で綾子は殴り飛ばされたのである。

 

 その距離はおよそ三十メートルほど。それだけの距離を綾子は飛んだ訳だ。あまりに馬鹿馬鹿しくて、笑いたくなってくる。大体地面を砕くって何だ。どうしてそんな化け物染みた行為が平然と出来るのか。

 

 ああ、馬鹿馬鹿しい。

 

 「……そのまま大人しく、安らかにして下さい。抵抗しなければ一瞬です」

 

 何かを言っている。スーツの女が足元までたどり着き、拳を振り上げているのが微かに見えた。

 

 痛みで脳が働かない。いや、激痛の処理に追われて一時的に外部に対する機能を失っているだけだ。だから考えることは何とか出来る。

 

 「っぐう、うう」

 

 殺される。きっと殺される。何を言っているのかは分からなくとも、どんなことを話してるかは見当がつく。

 

 ―――ああ、理解できない。

 

 ふざけているとしか言いようがない。あの時、確かに助けられたのだ。助けられたのに、お礼も言わずに勝手に死ぬだなんて許されない。

 

 また頭にきた。

 

 死にたくない。死にたい筈がない。こんな、簡単に人を殺す様な奴なんかに、こんなところで、何の意味もなく死んでやるものか――――――!!

 

 「……っな!?」

 

 それは、本当に、魔法の様に現れた。

 

 目も眩む光の中、その存在は丁度二人の間に現れた。

 

 綾子は懐かしくも見覚えのある後ろ姿。スーツの女にとっては新たなる脅威。

 

 女性と影が衝突する。正確には歪な剣を持った影が女性の方に踏み込んだ。ガキン、という金属同士がかち合った音が響く。押し負けたのは女の方。今度は彼女が二十メートル近く吹き飛ばされ、不利と悟ったのかそれを利用して更に距離を取った。

 

 「……」

 

 この瞬間を待ち望んでいたというのに、何の言葉も出ない。それは、あまりにも突然過ぎて、恐らくは生涯で一番混乱していたからだと思う。

 

 「――――――」

 

 突如として現れた影は、黒い外套を纏った男性だった。何かを呟いた後、その男は綾子に振り返って―――

 

 

 

 「形式だから聞かせてもらうよ。君が俺のマスターかな」

 

 

 

 




どうも、呼符三枚でジャンヌ当てました(挨拶)

お陰様で総合評価が3000を超えました!
いやーこんな拙い文でも美綴たんがヒロインだと伸びるんですねーw
誰か他にも美綴たんヒロインのイチャラブストーリー書いてくれないかな(チラッチラ

最後に、いつも誤字報告をして下さる皆様、楽しい感想を送ってくれる読者の皆様にはこの場を借りて感謝を。
本当にありがとうございます!


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13話

今回は短め。


 

 

 この時、綾子にとってあまりにも都合のいい二つの幸運があった。

 

 一つ。それは彼を呼び寄せるための触媒となる(聖遺物)を所持していたという事。

 

 一つ。それは綾子が殴り飛ばされ着地した地点が、十年前、とある殺人鬼の気まぐれによって血の召喚陣が引かれたという曰く(・・)があったという事。

 

 どちらか一つでも欠けていたならば、恐らく綾子の命はなかっただろう。聖遺物が『彼』と共感し、召喚陣が『彼』をこの場に呼び寄せる。この二つの偶然が例外(イレギュラー)を引き起こし、その結果彼女は命を拾った訳だ。

 

 「―――形式だから聞かせてもらうよ。君が俺のマスターかな」

 

 影の男は問う。

 

 声音は優しい。つい先ほどまで命を狙われていたというのに、つい安心してしまうほど穏やかな音。それは決して軟という意味ではなく、寧ろ力強さを感じさせる頼もしさがあったからだ。

 

 ただし問題がある。彼の言っていることの意味がまるで分からない。いや、『マスター』という英単語の意味合いだけならしっかり理解している。問題なのはこの状況で、彼が綾子に対してそんな言葉を投げかける理由が思い至らないということだ。

 

 ―――ま、マスター?

 

 そう問い返そうと思った。しかし彼女の口からは意味のある言葉ではなく、代わりに発せられたのは苦悶に満ちたうめき声。

 

 「―――っ痛!」

 

 綾子の首筋に高温で熱された鉄塊を押し付けられたような激痛が走る。あまりの痛みに思わず首筋に手を当てたが、そこには何もない。ただ少しだけ、触れた部分は熱かった。

 

 「なるほど、そういう事もあるんだろうな。まぁ何にせよ君は俺のマスターだ」

 

 一人で納得する男はフードを取り、次いで髑髏の仮面を外す。素顔が露わになった彼の容姿は特別優れている訳ではなく、どこか親しみを感じさせるアラブ特有の童顔である。青年ともいえる顔つきの男は片膝をつき、右手を左胸に置いて首を垂れた。

 

 その姿はさながら騎士のそれ。しかし風貌、というよりも彼の格好が黒一色の服装であるため、綾子にはなんともアンバランスなように思えた。それでも格好がつくのは彼という存在の誠実さの表れか、或いは過去の記憶が彼に補正を掛けているだけか。何にせよ、突然の出来事に綾子は言葉を失った。

 

 「契約は成った。サーヴァント・アサシン、これより俺は君の剣となり、君の足となろう。さぁ指示をくれマスター。今、君はどうしたい?」

 

 月夜に照らされながら男は誓いの言葉を述べる。それが果てしなく尊いものに見えて、先程までの死に対する恐怖など消え去っていた。ただただ、頭を下げる男の姿に目を奪われた。

 

 視界にはもう彼しか映らない。それだけ彼という存在は綾子にとって特別で、十年前から焦がれていた人物だったのだから。

 

 「いきなり過ぎて何が何だか分からないかもしれない。それでも決断するんだ。君は、どうしたい?」

 

 諭すような言葉は綾子を現実に引き戻す。そうだ、まだスーツの女は健在だ。綾子はまだ完璧に助かった訳ではない。あの女は隙あらばこちらに殴りかかって来るだろう。これだけ時間が経過しても彼女が攻めてこないのは、偏に背を向けた彼に付け入る隙がないからである。

 

 「……わ、私は」

 

 死にたくない、擦れそうになる声でそう告げた。マスターだとか、サーヴァントだとかよく分からないことだらけで頭がどうにかなってしまいそうだけれど、それでもその思いだけは揺るがない、揺るぐはずがない。

 

 綾子の懇願に対して、十年前と同じく己をアサシンと名乗った男は頼もしく「了解」と答え、すっと立ち上がる。

 

 「巻き込まれないよう下がってくれ」

 

 気遣うように注意を促すアサシンの顔は笑顔だった。今から彼が何をするのかは明白である。その上で「何も問題はない」と、そう態度で示していた。絶対の自信、そして綾子だけが知る十年前の実績が彼女の緊張感を和らげる。

 

 振り返ったアサシンの見据える先には、拳を構えた男装の麗人。しかし彼女の傍らには先程まではなかった電気を帯びた球体が浮んでいる。それが何であるのかを瞬時に悟ったアサシンは感心するように笑った(・・・)

 

 「これは驚いた。アンタ、宝具を扱えるのか?」

 

 「……」

 

 アサシンの問いかけに女は答えない。代わりにその眼は闘志に満たされており、決してアサシンの言葉を無視した訳ではない。ただ彼女には答えを返してやれるほどの余裕がないだけである。

 

 「令呪は、その様子だと使わないみたいだ。――――――その無謀に免じて、俺は全力でアンタを殺す」

 

 「―――っ」

 

 静かな殺意とでも言うべきか。血の様にねっとりしていて、それでいて刃物の様に鋭い。アサシンを取り巻く気迫は近くにいる綾子に寒気を覚えさせ、その気迫を直接ぶつけられるスーツの女は額に汗が滲んだ。

 

 黒い外套を着込んだ男は形が歪な剣を逆手に持ち、腰を低く落とす。アサシンと女の間は、距離にして約三十メートル。普通の人間であればそれだけの距離を詰めるのに数秒はかかる。しかし両者は普通という枠に収めるにはあまりにも非常識過ぎた。

 

 

 

 ―――故に勝負は一瞬。

 

 

 

 アサシンと相対する魔術師、バゼット・フラガ・マクレミッツはそう直感する。詠唱は契約を交わしている間に終わった。呼吸はこれ以上ない程整っている。ならば後は目の前の敵を迎え撃つのみ。

 

 斬り抉る戦神の剣(フラガラック)

 

 またの名を『後より出て先に断つ者(アンサラー)』、或いは『逆光剣』。ケルト神話における最上級の神、太陽神ルーが所持していたという短剣をルーツに持つ、数少ない現存する宝具。

 

 対峙した相手が切り札を使った際、その宝具は真の力を発揮する。その効果は後の先の究極、必殺の撃ち合いにおいて必勝を約束された一撃。つまり敵が必殺を放ったとしても、問答無用でその事象よりも先に必殺を放つ。いわば理不尽を形に表した宝具である。

 

 とはいえ、万能という訳ではない。先に述べた通り、まず前提条件として敵に必殺を使わざる得ない状況を求められる。それも独力で。他にも近接で宝具を使われた際、ある程度その宝具を撃退するための格闘技術も必要である。

 

 しかしバゼットはその点について問題ないと判断した。彼女の先にいるサーヴァントは、彼女にとって然したる脅威ではない。どれだけ濃密な殺気を放とうが、その技量はバゼットに半ば不意打ち紛いの一撃でも防がれる(・・・・・・・・・・・・・・)程度のものである。

 

 ならばあのサーヴァントが宝具を使わなかったとしても、バゼットはその一撃に反応できる。これは油断や傲慢ではない。数多くの修羅場を潜り抜けてきた戦士としての冷静な判断とれっきとした事実―――

 

 「―――っな!?」

 

 の筈だった。

 

 事実としてアサシンの剣の技量は平凡の域を過ぎない。バゼットが彼の最初の一撃を見切れたのも、その洗練されていても愚直すぎる剣筋故だった。

 

 しかし、アサシンの武器は何も剣だけではない。寧ろ、彼の強さを支えるのはソレだ。

 

 バゼットの斬り抉る戦神の剣(フラガラック)が反応しない。つまりあのサーヴァントは切り札など用いてないということになる。しかし、それでは筋が通らない現象が起きた。

 

 ――――――空間転移っ!

 

 バゼットは心の中で叫ぶ。アサシンの攻撃に全力で警戒していた彼女の背後に、全身が凍ってしまいそうなほどの殺意の奔流が走る。何が起こったのかを正確に判別できたのは、彼女の能力の持つ高さによるものである。あのサーヴァントはいかなる力を使ったのか、本当に、いつの間にか、一秒も費やすことなくバゼットの背後に跳んだのだ。

 

 しかし、後ろに敵がいる事が分かっているのに、それでもバゼットは後ろを振り向くことが出来なかった。なんせ、今もバゼットの目の先にはあの黒いサーヴァントの姿がある(・・・・・・・・・・・・・・・)のだから。

 

 「―――疾」

 

 そんな呟きが聞こえた気がした。

 

 ―――ああ、ダメだったか。

 

 どこか他人事のようにバゼットは考える。あの歪な剣の刃は、彼女の首を目がけて一直線に向かって来ているのだろう。鋭く空気を裂く音が聞こえてくる。

 

 自分の失態とは思えないほど愚かな失態。そもそも英霊と呼ばれる存在が、一人の魔術師に簡単に敗れるほど安い存在である訳がないのだ。それをどうして見誤ったのだろうか。あまりに馬鹿馬鹿しくて、バゼットは笑いが込み上げてくる。そんなことすらできる時間はない筈なのに、なぜが彼女は笑いが口から零れた。

 

 

 

 ガキィィィン、という重い金属同士の衝突音が周囲に鳴り響く。朱い槍と湾曲した歪な剣。片方はバゼットの首を狩らんと、もう片方はその首を守るために激突した。

 

 

 

 「っち!」

 

 アサシンは自身の真正面からの暗殺(・・)が失敗したのだと悟ると、すぐさま綾子の傍まで下がった。その動きすらも高速と表現するにはあまりにも速すぎて、この場にいる誰もがアサシンを捉えることは叶わなかった。

 

 とはいえ、なんにせよ。

 

 「―――遅いですよ、ランサー」

 

 拳の構えを解きながらバゼットは呟く。命が助かったというのにそこまで驚きの色が混じってないのは、必ず自身のサーヴァントなら間に合ってくれるという信頼の表れによるもの。それに対して、

 

 「なーに抜かしてやがる。だったら令呪でも使えばよかったじゃねぇかよ」

 

 ランサーと呼称された、槍の持ち手である青い戦装束の男は呆れる様に返す。しかし彼は軽口を叩きつつも、目の前の黒いサーヴァントを警戒していた。

 

 「令呪を使うにはまだ早いでしょう。それに貴方なら間に合うと信じてました」

 

 「っは! そいつは嬉しいねぇ。なら、しっかりマスターの期待に応えてやるのがサーヴァントってなぁ!」

 

 ランサーはその血の様に朱い槍を弄びながら進み出る。その足取りには一片の迷いもなく、また自身の力を疑わない絶対の自負が伺えた。

 

 相対するは黒い外套の男。両者は殺気をぶつけ合いながら睨みあう。今にも殺し合いに発展しそうな空気の中。程無くして言葉を発したのは外套の男、アサシンだった。

 

 「マスター、逃げるぞ」

 

 




 マスター:美綴綾子
 真名:
 性別:男性
 身長・体重:179㎝・68㎏
 属性:中立・悪

 筋力:C 耐久:D 敏捷:A 魔力:C 幸運:B 宝具:B++

 【クラス別スキル】
 気配遮断:B

 【保有スキル】
 縮地:A+
 直感:B
 ルーン魔術:C+
 起源覚醒者:EX

――――

いつかこんな風にオリキャラのステータスを書いてみたいと思ってた。
不快に思った方が居たら申し訳ありません。


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14話

話が進まない。


 「マスター、逃げるぞ」

 

 冷静かつ焦りを滲ませた声だった。アサシンの視線の先には、朱い槍を両手に構えた青い戦装束の男。綾子はその男がつい先程まで空中でローブの女と殺し合っていた人物と同じであるとすぐに分かった。瞬く間に怪物を惨殺するアサシンの一撃を防ぐ者など、それと同じくらいの常識外をやってのける存在しかありえない。

 

 故に、状況をよく把握できてない綾子でも分かった。今はこちら(・・・)にとって不利であると。

 

 「あ? 逃がす訳ねぇだろうが」

 

 青い戦装束の男、ランサーは獰猛な笑みを浮かべながらそう宣言する。まさに狂犬、ランサーの纏う空気は明らかに野生染みている。しかしそれでいて身の丈以上あるその槍を扱う手つきは、長刀を得意とする綾子が見てもかなり洗練されていると見て取れた。

 

 アサシンは落ち着いた様子で髑髏の仮面をつけ、外套のフードを被り直す。素顔を隠すような彼の動作にランサーは納得した。

 

 「そうかよ、てめぇ暗殺者か」

 

 「それはどうかな。もしかしたら暗殺者の真似ごとをする剣士だったりするかもよ?」

 

 見せつける様に己の得物を突き出すアサシンにはまだ余裕がある。それは果たしてただの強がりなのか、それともこの実質二対一をひっくり返せるような秘策でもあるのか。

 

 何にせよ。ランサーはその威勢の良さが気に入ったらしい。

 

 「く、ぬかせ暗殺者!」

 

 腰を低く落とした獣が駆ける。駆け出しから既にトップスピードに達したランサーの速度は、アサシンとはまた違ったベクトルの素早さがあった。ランサーが荒々しい獣ならば、アサシンはさながら清水。

 

 まるで最初からそこに居たかのように、暗殺者は凄まじい速度で迫る槍兵の背後を取った。

 

 「―――疾!」

 

 繰り出されるは首を断つ渾身の一撃。ただそれだけのために鍛え上げられたアサシンの剣筋は、愚直ながらも必殺には違いない。故に槍兵はその剣を貰う訳にはいかず、朱槍をもってこれを迎撃する。

 

 火花を散らし、甲高い金属のぶつかり合う音が夜の新都に響く。月明かりに照らされた二人は、そのまま硬直した。

 

 その時、ニヤリと、両者は相手を見つめながら口元を吊り上げる。片方は予想通りの腕前に、片方は暗殺者らしからぬ技量の高さに。お互いがお互いを讃えるような凶悪な笑みは、次の瞬間には殺意が宿った。

 

 その後は正に神話の如き戦いだった。

 

 暗殺者が死角から首を目がけて攻め入り、槍兵が己の得物を巧みに操りこれを防ぐ。奇襲を凌いだ槍兵は次に攻撃へと転じようとし、ソレに対して暗殺者は消える様に背後へと跳んでやり過ごす。追撃に走るランサーの足を止めるのは、再度ランサーの死角を奪ったアサシンの剣である。そうしてランサーは己の首に迫りくる必殺の一撃を捌き、ランサーが攻める前にアサシンはまた距離を取った。

 

 この間が僅か一秒あまり。有り得ない速度で人外染みた攻防が幾度となく行われていく。押しているように見えるのはアサシンの方だ。少なくとも綾子にはそのように映る。しかしそれは半分正解で、半分は間違っている。

 

 「ッチ」

 

 十八度目の剣激。このままでは追撃は不可能と判断したランサーは自身のマスターの方へ跳躍し、仕切り直す。それはアサシンにとってペースを崩されることと同義である。故に彼は下手に追撃には出ずに、腰を低く落として迎撃の態勢を整える。

 

 「面白い戦い方だな、テメェ。剣の才がねぇと分かってながら、それでも打ち合えるのはその()か」

 

 あれだけ翻弄されながら、ランサーの息はまるで乱れてない。寧ろ凶暴な笑みはその深みは増し、心底楽しそうにアサシンを見やる。

 

 その姿に綾子は戦慄する。あの青い男はまだ全力ではなかった。余力を残しつつ敵の行動パターンを観察し、決して油断しない。反対にアサシンの方は今ので疲労したのか若干呼吸が荒いように見受けられる。持久戦に持ち込まれたら不利なのかもしれないと、素人である綾子でも何となしに理解できた。

 

 「……ふぅ。冷静に相手を分析するのはいいけどさ、忘れてないかランサー」

 

 「あ?」

 

 暗殺者の男は姿を消した。否、消える様に跳んだ。

 

 ランサーからすればもう見慣れたアサシンの足さばき。要するにあの暗殺者は相手の死角に跳び、時間を掛けずに一気に距離を詰めることが可能な訳だ。一体どれだけの修練を積めば、歩法のみで空間転移の領域まで至れたのか。しかし、そういう(・・・・)技術が東方で確立されているという話を耳にしたことのあるランサーは、その対応もこの十八の打ち合いで見極めた。

 

 ―――故に次に姿を晒した時、その心臓を穿つ。

 

 死角とは、つまり目の届かないある意味急所の事。ならば目に見えない部位を最大限警戒し、相手が切り込むよりも先に突き殺せばいい。幸いなことにそれを現実にする技術と経験がランサーにある。

 

 「ランサーっ!!」

 

 マスター(バゼット)が己を呼ぶ。それを煩わしく感じたのは戦士として性である。骨のある敵を前にして他の事に気を取られるなど、そんなことは流儀に反する。

 

 しかしあのバゼットがその程度のことを分からないでいる筈がない。召喚されてからまだ四日程度ではあるが、自身の主の気性をランサーは理解していた。そして、彼女も魔術師である以前に一人の戦士だ。彼女が声を荒げたのだ、それ相応の理由があるに違いない。

 

 と、そこまで考えてランサーはあることに思い当たった。

 

 「あ」

 

 どうして気が付かなかったのだろう。あまりの初歩的な失態に、否、間抜けさに怒りが込み上がってくる。思い返せばあの暗殺者は最初から言っていたではないか。

 

 「―――あの野郎っ!!」

 

 アサシンはそのマスターと共に、この場から消え去っていたのだった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 美綴綾子は混乱していた。

 

 この数分の間にあまりにも多くの出来事が起きた。その中で一番驚いたのがアサシンの登場であるのなら、一番混乱したのは今この瞬間だろう。

 

 「ちょ、ちょっと……!」

 

 「喋らないで。舌を噛むぞ」

 

 ああ、どうしてこうなった。綾子はそう思わずにはいられない。

 

 つい数十秒前まではあの青い男とアサシンは戦って……いや、ただ戦っていたと表現するにはには凄まじ過ぎる斬り合いをしたというのに、今はこうしてそのアサシンに抱きかかえられてる。しかも自動車も真っ青なスピードで走りながらである。おまけに電柱やビルなどの建物を足場にして加速しているのだから、いよいよ現実かどうか怪しくなってきた。

 

 ハッキリ言ってしまえば、かなり恐い。

 

 高所恐怖症でなくともこれは恐怖する。考えてみて欲しい、新幹線と同じくらいの速度で縦横無尽に、不規則に移動するのだ。怖くない訳がない。とはいえ、綾子は人生で二度も命を狙われたという稀有な経験を持つ少女だ。だからこの程度の恐怖などまだ可愛い方だと笑ってのける。

 

 風圧をそこまで感じないのはアサシンが綾子に何かをしたからなのだろう。だが、問題なのは激しく視点が動いて生じる酔いだ。この胃から込み上がって来るリバース感だけはどうしようもない。

 

 しかし彼は自分を守るために行動してくれているのだ。そのことに文句などある筈がない。ただ、少しだけ、気分が、悪くなってきた。

 

 「大丈夫か、マスター。もう少しの辛抱だ。なんなら吐いてしまってもいいぞ」

 

 それだけは有り得ない。マジでない。意地でも吐いてやるものか。

 

 というかだ、大体うら若き少女になんてことを言うのだ。吐いてもいいぞ、だって? そんなことをこの何もない空中でやってみろ。新都にとある女子高生の吐瀉物の雨が降ることになるぞ。ついでに言うならあまりの恥ずかしさに死にたくなるまである。

 

 口を開けば嘔吐してしまう気がして、でも何も訴えないのは癪な綾子は口元を抑えながらアサシンを強く睨む。それに対して「うっ」と声を漏らしたアサシンは申し訳ないとは思ってはいるものの、飛び跳ねる事をやめる気はさらさらないようだった。

 

 「……追ってきた」

 

 不意に、アサシンの声音が強張った。髑髏の仮面に隠れて表情はうかがえないが、それでも口調から彼が緊張しているのが聞いてとれた。

 

 追ってきたと、アサシンは言った。目まぐるしい状況の展開に頭がどうにかなってしまいそうな綾子でも、その言葉の意味くらいは分かる。そして、それは綾子とアサシンの二人にとってあまり芳しくない事象でもあるのだと、綾子は本能的に理解してしまった。

 

 「追撃戦が得意なのは知ってたけど、ここまであっさり特定されるといっそ清々しいな」

 

 あっけらかんと呟くアサシンには、やはりと言うべきかまだ余裕があった。

 

 綾子にとって現状唯一頼れる相手はこのアサシンしか存在しない。十年前の時もそうだったように、結局の所彼女は本当に何も出来ないのである。しいて言うのなら彼が運びやすいように、黙って身体を縮こまらせるのが関の山だ。

 

 何も出来ない、何も知らないでいる状況。自分の危機に、自分の力で立ち向かえないこの息苦しさ。だからいくらアサシンが不敵であろうと綾子の不安が拭える訳ではない。それを知ったうえで、アサシンはこう言う。

 

 「大丈夫だ、マスター。逃げ足には自信がある」

 

 仮面越しに伝わってくる彼の言葉には絶対の自信が伺えた。或いは、綾子を安心させるための虚言なのか。ただ少なくとも、彼はこんな場面でも綾子を気遣っている。

 

 「分かった、全部任せる」

 

 本当は怖い。不安を完璧に取り除くなんて不可能だ。

 

 再三言うが、綾子は今自身の身の回りで何が起こっているのかをよく理解していない。何も分からないのに、殺されるという不条理。今日まで何の不自由もない平和な日常を生きてきた彼女は、世界の裏で密かに行われている神秘に対抗する術を持たない。

 

 故に、敵と拮抗する手段を有するアサシンに自身の命を委ねる。

 

 綾子自身は気づいてないが、これは相当な勇気がいる。人は土壇場になると自身の命を絶対の価値として、これを守ろうと躍起になる。中には例外も存在するが、大抵その例外は早死にするかそもそも死という概念自体が薄い。何が言いたいのかと言うと、美綴綾子は無意識にまだ出会って一日にも満たない他人に自身の命運をあっさり託したということだ。

 

 「……」

 

 

 これに応えずして、何が英雄か。

 

 

 「―――黙想歩脚(ザバーニーヤ)

 

 

 出し惜しみはなしだ。アサシンが思い描くはもう一人の自分。恐らくはすぐ背後で獣の如く獲物を追い詰めに来ているであろう、あの青い槍兵すら振り切れる最強の逃走兵。

 

 可能性の中からそんな自分を探し当てた。ならば後は其の力を借り受けるのみ。

 

 「悪いな、ランサー。どうやら俺はアンタとマトモに戦えないらしい」

 

 足を止め振り返る。案の定もはや鼻の先まで距離を詰めていたランサーに向かって、アサシンは笑顔でそう呟いた。無論ランサーに朱槍を繰り出さない理由がなく、正確な手つきで半ば機械染みた必殺を放った。

 

 轟と、空を切る音。

 

 

 

 「……はん。だったら最初からそうしとけっての」

 

 

 

 気づけば、その場に残っていたのはたった一人の槍兵のみである。

 

 




どうも、最近クラロワなるゲームをやり始めました(挨拶&宣伝)

総合評価がついに4000を超えました! ありがとうございます!
とは言っても、こんな駄文にお付き合いしてくださる方が大勢いるのかと思うと、軽く緊張してしまいます……。
ですからあとがきまで読んでくれた律儀なそこの貴方、いますぐこんな駄作者のために感想を書くのです!
そうすれば私のモチベーションがぐぅーんと上がるので、どうぞよろしくお願いします!

最後に、毎回誤字を報告してくださる皆様。
本当に助かってます。
この作品は読者の皆様のおかげで成り立ってます、本当にありがとうございます!


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15話

 「そんじゃまぁ、状況の整理といこうか」

 

 時刻は深夜十一時ちょっと前頃。外套の男、アサシンと穂群原学園の女子生徒、美綴綾子の二人は公園のブランコに座っていた。

 

 性別も格好も人種も、何から何まで違う異色の二人が夜の公園に二人きり。それだけ聞けば危険な香りをさせる案件であるが、その空気は割と穏やかだった。少なくとも男の方は。

 

 「状況の整理って言っても、あたし何も知らないんだけど……」

 

 控えめに手を上げながら綾子は恐る恐る申告する。つい数分前までの緊張が抜けてないというのもあるが、夜の公園でしかも男性と二人きりという状況が彼女をよそよそしくさせた。

 

 「まぁそうなんだろうね。供給される魔力も弱々しいし、何より君は魔術師じゃないみたいだし」

 

 魔力、魔術師。この人は何を言っているのだろうか。少なくともそれらは日常会話で扱われるような言葉ではない。おとぎ話やゲームの中でしか聞かないような単語は、あまりにこの現代社会にはそぐわないのだ。

 

 しかし先程の神話の如き戦いを見てしまった手前、その非現実的(ファンタジー)な単語を笑い飛ばせるほど綾子は呑気ではない。彼女の何とも言い難い苦い視線を受けるアサシンは「そこからなのか」とやや驚いたように呟く。

 

 「……ならまずは自己紹介からだ。俺はアサシン。マスター、君の名前は?」

 

 少し考える素振りを見せた後、黒い外套の男はそう切り出した。正直助かった。やっと自分でも理解できる会話が出来そうだと、綾子は安心するように息をつく。

 

 もっともそれもあまり長く続かなかったが。

 

 「美綴綾子、できればマスターじゃなくて名前で呼んで欲しいかな」

 

 「それじゃあ綾子と。うん、この響きは君によく似合ってる」

 

 「―――へ?」

 

 それは不意打ちだった。プロレスで言うなら一対一の試合の最中に横から第三者が乱入してラリアットをけしかけてくるような、そんなレベルの不意打ちである。

 

 ましてや相手が二度も自分の命を救ってくれた男性なのだから、根が乙女である綾子の心に来ない(・・・)筈がないわけで。綾子はほんの少しだけ頬を赤く染めて、すぐさまぷいと顔を背けた。それを認めたアサシンは苦笑いしながら髑髏の仮面を取って素顔を晒した。

 

 「―――あ」

 

 先程は頭を下げていた上に、辺りが暗くて良く見えなかった。しかし今は月明かりに照らされ、真正面からこちらと向き合っているから彼の顔が良く分かる。

 

 十年前と全く同じ人相。特別引き立つ何かがある訳でない。良く言えば一般人である綾子にも親近感を沸かせ、悪く言えば何の面白みもない平凡的な顔つきだ。顔面偏差値を五十ぴったしで行く褐色の青年は、十年前から本当に何も変わってなかった。

 

 「お、よく見ればその杭、俺のじゃないか。一体どこでソイツを手に入れたんだ?」

 

 アサシンが注目したのは綾子が今も握っていた全長約四十センチの鉄製の杭。彼はソレを見て懐かしそうに微笑む。対して綾子の心の中は穏やかでなかった。さっきまでの高鳴りも、アサシンの発言で凍り付いていた。

 

 十年前、あの日の出来事を彼は忘れてしまったというのか? 彼にとってああいった(・・・・・)出来事は日常なのかもしれない。しかしそれでも、綾子にとっては一生の中でも特に特別な思い出なのだ。

 

 「……本当に、覚えてない?」

 

 綾子の口からは呻くような問いかけが零れた。それが少しだけ悲しさを帯びていたのを感じ取ったアサシンは、慌ててこめかみに指を当てて考え始めた。

 

 そうしてしばらくして。アサシンは何か思い出したようにはっと目を見開いた。

 

 「―――覚えてはないが、どうやら記録だけはあるみたいだ。それにその記録にある頃よりも幾分も大きくなってて、名前を聞いても全く気付けなかった。許してくれ」

 

 そう言いながら頭を下げるアサシンに、今度は綾子が慌てて取り繕った。

 

 「え? あ、えっと、その、別に気にしてなかったから! それに十年前も前の事だったし、忘れてても仕方ないというか……」

 

 「いや、既知の間柄だったんだ。初対面にするような対応をされたら腹を立てても仕方がない」

 

 綾子のフォローを自ら積極的に潰していくアサシン。どうやら彼は綾子の思っている以上に、綾子を忘却していたことを恥じているらしい。だからアサシンは綾子が何をしようともしばらくの間、頭を上げてはくれなかった。

 

 「さて、反省もほどほどにして本題に入ろう」

 

 切り替えは速かった。何事もなかったようにひょいと頭を上げてそう言いだしたのだから、綾子はほんの少しだけイラッとした。

 

 「いやね。悪いとは思っているんだけど、俺には実感がないんだ」

 

 と、不機嫌になった綾子を見かねてアサシンはバツが悪そうにそう告げた。少し違和感を覚える言い回しだ。謝罪する前にも言っていたが、彼は覚えてない(・・・・・)のに記録がある(・・・・・)と言っていた。

 

 気づけば最初から違和感だらけだった。

 

 アサシンは最初、綾子とスーツの女の間に現れた。それは彼が戦闘中に行っていた瞬間移動とは違って、まるで何もいなかったところから現出されたかのように見えた。そして人を越えた力に加えて今の発言もある。彼は一体何者なのか、綾子ではてんで検討もつかない。

 

 「―――はっきり言ってしまうと、俺は死人なんだよ。いや、突き詰めていうと亡霊か」

 

 亡霊? 言葉通りの意味を受け取るならば、それは死者の魂の事を指すのだろう。しかし綾子の目の前にいる男は、確かな実体を持ってこの場にいる。その証拠にアサシンは綾子に触れて、この公園まで抱きかかえてきたのだ。

 

 とするならばアサシンの言には矛盾が生じるではないか。

 

 「じゃあ今あたしの目の前にいる貴方は何なの?」

 

 馬鹿げた話ではある。しかしそれを嘘だとは思えなかった。ここまで来てアサシンが綾子に対して嘘をつく理由が見当たらないからだ。

 

 ただ突拍子のない話であるのも事実。出来る限り周りの状況を知りたい綾子は、半ば不審がってはいるものの真剣な面持ちでアサシンの言葉に耳を傾けた。

 

 「最初にも言っただろう? 俺は君のサーヴァントだよ」

 

 それは最初にも聞いた。問題なのはそのサーヴァントという言葉の持つ意味である。正直な話、それなりには頭が働くと自負している綾子でも、まるで要領を得られない。

 

 「あー、こんな説明をされても分からないよな。簡単に言うと、俺は君の召喚に応じた過去の人間だ。そして俺みたいな奴が七人――――――」

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 突然だが、どうやら俺はまた冬木の聖杯戦争に呼ばれたらしい。

 

 召喚に応じ現界したと思ったら、目の前に広がっていたのは男装麗人が物騒な顔つきで俺のマスターらしき日本産の女子高生を殴り掛かっている状況。他にも何回か召喚されたという記憶(・・)はあるが、初っ端から危機的状況だったというのはこれが初めてである。

 

 なんとかその場を凌ぎ、後から現れた大先輩の追撃も振り切ってみたものの、今回のマスターは魔術の存在すら知らないド素人ときた。この時点で俺の聖杯にかける願いは絶望的になった訳だが、それ以上に優先すべきは今俺の目の前にきょとんとこちらを見る少女だ。

 

 「……まぁ、つまり君は運悪く魔術師同士の殺し合いに参加してしまった訳だ」

 

 ホント、ご愁傷さまと言いたくなる。千年前の日本ならいざ知らず、現代社会と化した日本の女子高生に神秘による殺し合いの世界など少々刺激が強すぎる。

 

 ともあれ俺は俺の知る知識をマスター、つまり美綴綾子に教えた。出来れば安全な場所でしたかったが何処にキャスターの目があるか分からない。何が起きてもすぐに対応できるこの広い空間が好ましかった。そしたら魔術の反応にも気づける。

 

 綾子は存外、非日常を受け入れるのが速かった。勿論一般人としてはという注釈は入るが、それでも十分だ。彼女は聖杯戦争や魔術師、サーヴァントの説明を受けても多少驚くことはあれ概ね信じてくれた。理性的で、頭の良い子だと思う。普通であれば俺を頭のおかしい不審者と疑ってしかるべきだが、どうやら彼女にその気はないらしい。

 

 その理由は、彼女は一度四次の聖杯戦争で俺と会ったことがあるからだそうだ。確かに俺の脳には美綴綾子という少女の名が記録されている。ただその記録にある綾子の姿と今の綾子の姿は大分違う。いい意味で彼女は良い女性になった。特に体つきが。

 

 「……やっぱり、アサシンは本当に英雄さんだったんだ」

 

 俺の邪な考えなど全く知らない彼女は、「ふーん」と嬉しそうに微笑んだ。そのように面と向かって言われるとこそばゆい気持ちになる。俺としては抑止共の出来レースに乗って座に招かれた身の上だから、正直に言ってしまえばそこまで立派な物じゃあない。

 

 「ま、とは言ってもそう大した存在じゃないけどな。格で言えばさっきのランサーの方が―――」

 

 「でもあたし達にとっては敵なんでしょ?」

 

 敵、と彼女は強調して言った。それがどういう意味を示すか分からない綾子ではない筈だ。だから忠告するように、気持ち低めに告げる。

 

 「令呪の話はした筈だ。教会で俺にある命令をすれば、君はこの戦争に参加せずに済むんだぞ?」

 

 二重の意味で教会にはあまり行きたくないが、一般人の命には代えられない。ともすれば俺のすべきことは決まり切っている。

 

 彼女が無傷でこの聖杯戦争から生き延びるには、教会でマスターとしての権利を捨てればよい。可能性としては半々だが、今回の監督役がきっちり仕事をしてくれる人物であれば、綾子の事も面倒を見てくれるだろう。だから彼女は一言俺に命じればいい。『自害しろ』と。

 

 「そんな事出来る訳ないでしょ。あたしに人殺しになれって訳?」

 

 「人殺しじゃない。この身は元より亡霊の類だ。だからほら、死人が二度死んで誰かが助かるなら、それに越したことはないだろうさ」

 

 それが一番ベストな判断であると考える。魔術師ですらない女子高生と共に勝ち進めるほど、冬木の聖杯戦争は温くない。以前行われた第四次聖杯戦争では、どいつもこいつも一筋縄ではいかない英傑ばかりであった。

 

 しかし、だというのにも関わらず綾子は首を縦に振らなかった。いや、頭では理解していても納得はしてないのだろう。確かに人のカタチをしたモノに自害しろというのも酷な話ではある。だが彼女が生きるためにはそれしか道はない。

 

 「いいか、綾子。君は将来性のある素敵な女の子だ。対して俺は将来すらないただの亡者。だったら―――」

 

 「えーと、令呪をもって命ずる? アサシン、自害なんて絶対しないでねー」

 

 「え?」

 

 その時、目に見えない魔術的な拘束が内側から出現した。それは伝導体に流れる電子のように、瞬間的に俺の体全体に駆け巡った。要するに、これは令呪による制約だ。

 

 対魔力を持ち合わせてない俺にとってそれはあまりに致命的である。抵抗する間もなく、俺の身体は自分の意思とは関係なしに、自分で自分を殺すことができなくなってしまった。本来魔術師ではない綾子の令呪による強制力はそこまで高くない。しかしパスを繋いだことによって流れてくる彼女の感情は、呑気な発言とは裏腹に強すぎるまでに強い懇願の色が滲み出ていた。

 

 理由なんて知らないけれど、ここまで願われては令呪抜きでも死ねないじゃないか。

 

 「……全く、自分からハードモードな人生を選択するなんて。自覚してるか?」

 

 「でも守ってくれるんでしょ?」

 

 「――――――」

 

 俺の皮肉に、綾子は不敵笑ってそう返した。

 

 今どきの女の子は分からない。スカサハやジールの時もそうだが、本当に女性とは俺と同じ人類種なのだろうか。時たまそんな事を考えてしまう。

 

 だって、出会って一時間の関係にしては重すぎる信頼だろう、これは。しかしこれに応えなくては嘘だ。曲がりなりにも英雄を名乗るのであれば、一人の少女くらいは守って然るべきである。そんな師匠の声が俺の頭の中で響いた気がした。

 

 「―――謹んで承知した」

 

 さて、此度の戦も忙しくなりそうだ。

 

 




どうも、型月で一番好きなキャラは七夜志貴(メルブラ仕様)な中二病患者です(挨拶)

意外と綾子の口調が難しい。
皆さんの意見が欲しいので、どうか感想をください(感想難民)


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