いつの日か… (かなで☆)
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第一章  【出逢い】

事故に合い、異世界に迷い込んだ一人の女性…
その先で出会ったのは、大切なものを守るために、すべての闇を背負う覚悟を決め、孤独に身を置き生きる者…

耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで生きるその人物…【うちはイタチ】の生きざまに、たった一つの光として彼女は生きる…

彼が求める【終焉】の日まで…
そして、彼に託された想いを未来へとつなげていくために…

(現在文章の見直し中です。文面少し変わりますが、ストーリーに変更はないです2019.5.13)


 暗い闇の中

 一人の女性が佇む

 息が苦しく、体がひどく冷たい。

 

 

 「大丈夫か!」

 

 

 遠くから見知らぬ声。

 

 

 「生きてるか!」

 

 「こっちはだめだ」

 

 「二人とも死んでる」

 

 聞こえた幾つもの声にドキリとする。

 

 

 -- 死んでる --

 

 -- 二人 --

 

 自分以外の存在。

 

 「お父さん…お母さん…」

 

 声を出した途端、体中に激しい痛みが走った。

 

 「生きてるぞ!」

 

 また誰かの声。

 

 何が起こったのかと必死に力を入れると、ほんの少しだけ目が開いた。

 その狭い視野に映ったのは、横倒しになった大きなトラックと白い乗用車。

 女性はうつろな意識をなんとか繋ぎ止めながら、脳の活動を呼び起こす。

 そして気付いた。

 

 あれはうちの車だ…

 

 両親が乗っていた運転席と助手席はその大半がつぶれている。

 そうか自分は事故にあったのだとようやく事態を理解した。

 少し離れたところには血まみれの両親の姿。

 

 二人はもう…

 

 そう悟った時、意識が薄れ始めた。

 

 私も死ぬの?

 

 様々な想いが駆け巡った。

 

 やっと製菓の専門学校卒業したのに…

 夢あったのになぁ…

 一度でいいから、誰かを心から愛する。そんな経験したかったな…

 

 

 描いた未来は来ないのかと、切なさと共に意識が深く…深く落ちていった…

 

 次に感じたのは、浮遊感。

 

 ああ…やっぱり死んだのか…

 

 そう思った瞬間。

 ガクッと、急に体が落ち始めた。

 「え?ちょ、ちょっとぉぉぉっ!」

 ドンッと音を立てて、地面にたたきつけられる。

 「いった…」

 ぶつけたお尻をさすりながらうっすらと開いたその目が、映り込んだ光景に見開かれた。

 所どころに岩が立っている広い土地。岩以外何もない。いわゆる【荒野】

 「え?な、なに?どこ?」

 ふらりと立ち上がりふと気付く。

 「あれ?私怪我してない」

 先ほどまで体中を激しい痛みが包んでいたというのに、今痛いのは先ほどぶつけたお尻だけだ。

 「天国…じゃなさそう。じゃぁ、地獄?」

 そこまで何か悪いことをした覚えはない。

 「と、とりあえず一回落ち着いて」

 とても落ち着けそうにはないが、自分に言い聞かせる。

 と、その時。隣を何かがすさまじいスピードで通り過ぎた。

 

 鳥?

 

 ほんの一瞬だった。その勢いで長い黒髪がなびき、次の瞬間

 

 

 …ドッ…

 

 

 鈍い音が体に響き、鈍痛が腹部に走った。

 「え?」

 目を向けると何かが深く刺さっており、さらに痛みが襲いくる。

 「なにっ?!」

 ドロリと血が流れ、激痛に腹を押さえて座り込む。

 その横をまた何かが通り過ぎ、少し後ろで

 

 キンッ!キキン!

 

 何か固い物同士がぶつかり合う音。

 

 次いで、ドサリと何かが倒れる音。

 そちらを見ていなかったが、本能で悟った。

 

 今人が殺された…

 

 「…う…っ」

 

 痛みに耐えきれず、自分も音を立てて地面に倒れ込む。

 「大丈夫か!」

 誰かが自分の体を抱き起こした。

 「しっかりしろ」

 声に応えようと目を開け、一瞬思考が固まった。

 

 

 あれ?

 この男の人見たことある…

 

 

 その目に映った人物は、額に金属のついたバンダナのようなものを巻いており、赤い雲のような模様が入った黒いマントに身を包んでいた。

 少し長めの黒い髪を一つにまとめ、その顔立ちは美しく整っている。

 瞳は赤く、黒い手裏剣のような形が浮かんでいた。

 

 この瞳。それにこのマントは…

 

 「うちは…イタチ」

 そう呼ばれて、その人物の表情が厳しく変わる。

 「暁…」

 その言葉に瞳が動揺に揺れ、低く厳しい声が発せられた。

 「何者だ」

 だが、それに答える前に彼女の意識はまた深く沈んだ。

 

 

 夢を見ているのだろうか…

 

 イタチに会う夢を

 

 最近【NARUTO】にはまりだし、毎日寝る前にDVDを観ていたからだろうかと、日常を思い出す。

 死ぬ間際に、人気の高いキャラクターであるイタチに会う夢を見られるなんて、ちょっとラッキーかもしれない。だが、これから死ぬというのにラッキーというのは可笑しいかとそんなことを考えて、少し笑った。

 「笑ってますよイタチさん。こんな状況で夢でも見てるんですかね…」

 聞こえてきたその声にも覚えがあった。

 「どうします?やっぱり殺しますか?」

 

 こ…殺す?

 

 物騒なその言葉に意識がはっきりと戻り始める。

 「いや…待て」

 二人の声の響き加減から、どうやら洞窟のようなところにいるようだ。

 そのまま地面に転がされているようで、体に固い岩肌の感触がある。

 「オレの名と暁の事を知っていた。情報を聞いてからだ」

 

 そのあと殺される…?

 

 ドクリと波打つ心臓の音があまりにもリアルな感触。

 そこに生まれた考え。

 

 もしかして夢じゃない?!

 

 自分の身に起こっていることが理解できなかったが、理解しなければいけないと必死に答えを導き出す。

 

 まさか。

 

 【NARUTO】の世界に()()()…?

 

 つぅっと汗が一筋流れた。

 死んだ人間が別の世界に行く。そんな物語はいくつか読んだことがあった。

 だかまさかそんなことが本当にあるとは。しかも自分に起こるなど考えもしなかった。

 思考はパニックに陥っていた。

 

 どうしよう…

 

 身を固くして唇を噛んだ。

 「とりあえず」

 心の声にまるで答えるように、イタチの声が響いた。

 「寝たふりをするのはやめたほうが身のためだ」

 気づかれていたのかとさらに唇を噛み、あのうちはイタチを相手に狸寝入りは通用しないだろうと諦めてゆっくりと起き上がる。が、

 「…っ」

 鈍い痛みを感じ、すぐに腹を押さえてうずくまる。

 

 そうか、さっき刺さっていたのはクナイだ…とその形を思い出し、正体がわかった途端またズキッと痛んだ。

 

 自分はイタチと誰かの争いに巻き込まれたのだと先ほどの事を思い返す。

 だが深く刺さっていた割には痛みは強くない。それどころか痛みが少しずつ治まってきているように感じられた。

 

 「普通の女性に見えますがね」

 飛び来たその言葉に視線を向ける。やはり知った人物。

 イタチの暁での相方。

 「干柿鬼鮫」

 つい口に出してしまったその言葉に、鬼鮫の表情が固く変わる。

 「そうでもなさそうですね」

 

 しまった。余計なことを…

 

 後悔するがすでに遅し。イタチの警戒は極まっていた。

 「何者だ」

 しかし、何と答えたらいいのかわからず黙り込む。

 別の世界から来ましたとは言えない。怪しすぎる。

 

 今でも十分怪しまれてるけど…

 どうしよう。ほんと…

 

 だんまりを決め込む彼女に、イタチは息を吐き出し、腰をかがめて顔を近づける。

 思わずドキリと胸が鳴ったが、すぐに気付いた。

 「月読!」

 慌てて顔をそらす。

 

 遅かっただろうか…

 

 目をぎゅっと固く閉じる。

 「かわされましたか?」

 「いや。大丈夫だ」

 しかし、イタチのその言葉に彼女は顔をしかめた。

 成功したような言い方だ。だが意識ははっきりしている。

 「しかし、月読のことまで知っているとなると」

 「かなり怪しいですね」

 

 …もうどうしよう…

 

 何度同じ言葉を繰り返しただろう。

 幻術にかかったふりをして適当なこと言おうかとも考えた。

 しかしごまかしがきくような相手ではない。

 

 しかたない…

 

 意を決して口を開く。

 「あの…」

 ビクリと二人が体を揺らすのが分かった。

 「かかってないみたいなんですけど。…すみません」

 何故か謝った。

 

  

 

 その後、イタチとの問答が繰り返された。

 「どこから来た」

 「言えない」

 「なぜオレ達のことを知っている」

 「言えない」

 「どこかの忍びか」

 首を横に振るその姿に、イタチと鬼鮫が顔を見合わせてため息をつく。

 何も情報が出てこない事に、どうしたものか…という感じだ。

 「何をどこまで知っている」

 

 何をどこまで…

 

 自分が今知ってるいのは…と、最後に見たDVDを思い出す。

 イタチとサスケの決着がついて、サスケがマダラからイタチの真実を聞いたところまで。

 サスケが海を見ながら涙を流すシーンが思い出される。

 

 だめだ。口が裂けても言えない…

 ややこしすぎる…

 

 口をきゅっと結んで地面を見つめる。

 

 また黙り込まれてイタチは大きく息を吐き出した。

 「名前は?」

 「え?」

 「名前くらいは言えるだろう」

 だが、言葉が出てこなかった。

 

 名前……あれ…?

 私何て名前だったっけ…

 

 口元に手を当てて固まる。

 その様子を見てイタチは悟った。

 「覚えてないのか?」

 

 覚えて…ない?

 

 自分は何を覚えているのか

 そう考えたその瞬間、記憶がよみがえる。

 

 血にまみれた両親の姿

 

 「……っ!」

 体がこわばり震えだす。

 「いや…」

 「どうした?」

 

 そうだ、お父さんとお母さんは…

 

 「死んだ…」

 一気に喉が渇いた。

 「誰が?」

 イタチが顔を覗き込む。

 「お父さんと…お母さんが…」

 声が震える。

 「見たのか?」

 小さくうなずいた瞬間、再びあの光景が浮かぶ。

 「事故にあって…二人とも血まみれで…」

 息が苦しい。体があの時のように冷たくなってゆく。

 「う…っ…」

 ひどい吐き気が襲い、呼吸が止まりそうになる。

 「落ち着け」

 背中に当てられたイタチの手の感触に体がビクリと揺れ、一気に悲しみと恐怖が涙と共に溢れた。

 「どうして私だけ。どうして!いや!いやぁっ!」

 イタチの手を振り払う。

 また呼吸が乱れる。

 「…っ……」

 「落ち着くんだ」

 イタチが再び背中に手を当て、そっとさする。

 「ゆっくり息をしろ」

 混乱しながらも、ゆっくりと息を吸いイタチを見る。

 そこには驚くほど柔らかい眼差しがあった。

 

 この目…

 子供のころのサスケを見るイタチの目だ…

 

 その優しい空気に、少しずつ落ち着きが戻ってきた。

 「これを」

 鬼鮫が水の入ったコップを差し出す。

 無言で受け取り口に含むと、また涙があふれてきた。

 両親を失った現実と、この非現実的な状況。すべてが受け入れがたい。

 声を押し殺して泣くその姿に、イタチと鬼鮫は判断に悩んでいた。

 「どうしますか?イタチさん」

 イタチはしばらく黙っていたが、諦めたように息を吐き出した。

 「この状態では何も聞けない。何かをたくらんでいる様子ではなさそうだがな。しかし、我々のことを知っている限りこのまま放すわけにもいかない」

 「殺しますか」

 

 …もうそれでもいい…

 

 そう思った。しかしイタチは「いや」と返した。

 「傷はどうだ?」

 「…………」

 涙を拭きながら先ほどクナイが刺さった個所を見る。

 そして、驚いてイタチを見る。

 「やはりな」

 「なにがです?」

 鬼鮫が首をかしげる。

 「治っているんだな?」

 イタチにその言葉に頷く。

 すっかりきれいに治っていたのだ。

 「そんなバカな」

 驚きを隠せない様子の鬼鮫。

 そんな鬼鮫とは対照的に、イタチは静かな声で言った。

 「さっき傷を確認したとき、すでに少しふさがりだしていた」

 イタチは地面に落ちていたクナイを拾いあげて揺らめかせる。

 「これは木の葉の暗部のクナイだ。死に至る強い毒が仕込まれている。

 が、お前のその傷に関して我々は何も施していない。にもかかわらず、傷口はふさがり、毒にも侵されていない」

 

 …まさか…

 

 見開いた瞳に、イタチは頷いた。

 「お前は死なない」

 一番驚いたのは本人だ。言葉が出なかった。

 「大蛇丸の実験体か?」

 不死=大蛇丸

 【NARUTO】の世界ではそうなるのかと思ったが、嘘はつくまいと首を横に振る。

 「違うが大蛇丸のことは知っているんだな」

 

 あ…しまった…

 

 思いながらも頷く。

 「我々の知りえない力を持つ一族でしょうか」

 鬼鮫のその言葉には反応できなかった。

 【力】はともかくとして【彼らの知りえない一族】というのはあながち間違いでもない。

 「最後に一つだけ聞く」

 イタチの低い声に、この返答ですべてが決まると、ゴクリと息を飲み込んだ。

 「我々の敵か?」

 辺りに静かな、そして鋭く固い空気が流れた。

 その空気を吸い込んで、強い光をたたえはっきりと答える。

 「違う」

 しばしの静寂。微動だにせずイタチを見つめるその瞳に、彼はひとまず自分たちに敵意がないと判断したのか、警戒を解いた。

 「その言葉、とりあえずは信じよう。だが先ほども言ったが我々のことを知っている限り解放することはできない。かといって幻術も効かず、命を奪うことも不可能」

 「では…」

 イタチは鬼鮫の言葉に頷く。

 「我々と行動を共にしてもらう。その間名がないのは不便だ」

 イタチはしばし考え、言った。

 「名は水蓮(スイレン)としろ」

 「水蓮」

 その名を呟き、彼女は…水蓮は小さく頷いた。

 

 認めがたきを認め。

 受け止めがたきを受け止め、水蓮は心を決めた。

 

 

 なぜこんな事になったのかわからないけれど、ここで生きていくしかないのだ。

 

 私はここで生きていく!

 

 

 強い風が吹き込んで、水蓮の長い黒髪が大きくなびいた。

 その風は何か大きな運命を彼女の中に運んできたようにその体にぶつかり、そして過去の様々なものをさらっていくように引き返していった。

 

 

 

 これは、うちはイタチの悲しくも強い生き様に寄り添った、一人の女性の物語。

 

 

 今その幕が上がった



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第二章  【想いから生まれる力】

 この世界でこの二人と生きると心を決め、水蓮はイタチと鬼鮫に頭を下げた。

 「よろしくお願いします」

 その行為に二人は少し意を突かれたように顔を見合わせ、笑った。

 「一応囚われの身だと思うんだが」

 「おかしな人ですね」

 

 あ、そうか…

 一緒に過ごすと言っても、処遇を決めるまで捕虜的な…

 

 急に自分の行為が恥ずかしくなった。

 「とりあえず」

 と、イタチが気まずく顔をそむけている水蓮の姿を見下ろす。

 「服を何とかした方が良さそうだな」

 「え?」

 水蓮は自分の服を見てゾッとする。

 クナイが刺さっていた所を中心に、真っ赤に染まっていた。

 

 自分はなぜ死なないのだろうか。一度死んでいるからなのか。

 しかしはっきりと死んだのを確認した訳ではない。

 分からず黙り込む。

 「分からないのか?」

 考えを読みとったのか、イタチのその問いに水蓮は頷きを返す。

 次いで鬼鮫のため息が落ちた。

 「記憶障害でしょうか」

 そう言ったものの、鬼鮫の視線には未だ疑いの色が浮かぶ。

 それでもこれ以上は無駄だと思ったのか、もうひとつだけため息をこぼし鬼鮫は話を終わらせた。

 「とりあえず、服は私が調達してきますよ。イタチさんは休んで下さい。今日は瞳力を使いすぎていますからね」

 「すまない」

 鬼鮫は「では」と言葉を残し、サッと姿を消した。

 

 瞬身。

 

 本当にあんな風に消えるんだ…と、テレビ画面でしか見たことのない光景に水蓮は目を丸くする。

 

 「忍を初めて見るような目だな」

 「え?あ、うん。初めて…かな」

 本物を見るのは、という意味を乗せて答える。

 「その記憶も曖昧か」

 言われ、水蓮はそういう事にしておこうと頷いた。

 「まぁ、とりあえずゆっくりしているといい」

 そう言い終わると同時に、イタチは急にその場に膝をついた。

 「うっ…」

 うめき、次に激しく咳き込む。

 「イタチ!」

 水蓮は慌てて駆け寄った。

 しかし、イタチの「来るな!」という強い制止に立ち止まる。

 目の前でイタチは体を折り曲げるようにして咳き込み、かなり苦しそうだ。

 

 そういえば…と水蓮は思い当たる。

 

 サスケとの戦いの後。イタチは病にかかっていたのではという描写があった。

 

 やはり何か体に問題を抱えているのだろうか…

 

 「大丈夫?」

 水蓮は咳の止まらぬイタチのそばに寄り添い、背中を撫でた。

 「離れていろ」

 うつるかもしれないと心配しているのだろうか。見れば、少しだが吐血している。

 しかし水蓮はニコリと笑った。

 「大丈夫。私死なないみたいだし」

 イタチはその言葉にハッとし、少し安心したような顔をしたが、またすぐに咳き込み、顔をゆがめた。

 「薬はないの?」

 「今切らしている」

 

 一体どうすれば…

 背中をさすったところで薬がないと…

 

 どうする事もできぬままイタチの顔が青ざめ始める。

 「心配ない」

 かすれた声でイタチが言う。

 「こんなところで死ぬわけにはいかない。まだ…オレは死ねない…」

 

 サスケとの決着のため?

 この人は、ただそのためだけに。サスケのために必死で耐えているんだ…

 一族殺し。抜け忍。暁の監視。

 里の極秘任務を受けすべての罪を背負って。

 心と、病の苦しみにたった一人で耐えてる。

 そして、もうすぐサスケと戦って…

 

 つい最近見たイタチの最期を思い出す。

 最期にサスケに見せたあの笑顔。

 水蓮は胸が締め付けられた。

 「あまりしゃべらないで」

 なるべく優しく背を撫でるが、イタチは何度も何度も咳をする。

 口を押えたその手がまた少し赤く染まる。

 

 

 何か…私にできることはないの?

 この人のために私ができる事…

 この世界に来たことに何か意味があるなら、私にもできることがあるはず。

 イタチを助けたい!

 

 

 水蓮が強くそう思った瞬間、彼女の両手から薄緑色の光が溢れた…

 「…え?」

 突然の事に驚くが、すぐにはっとした。

 

 見たことがある…

 

 水蓮は自分の両手を見つめる。

 

 そうだ!これは!

 

 「もしかして」

 「医療忍術か?」

 

 綱手がやっていた様子を思い出しながら、水蓮はその手をイタチの胸元と背中に当てる。

 「えと…こうかな」

 

 …あ…なんとなくわかる…

 たぶん…この辺り。

 

 マッサージでツボを探し当てるような、そんな感覚だ。

 光を…チャクラを当てる場所が感覚で分かる。

 徐々にイタチの咳は収まり、顔色も血色を取り戻す。

 しかし、逆に水蓮の顔色が悪くなっていた。

 そのことに気付き、イタチが水蓮の手を握る。

 「もういい。お前のチャクラがなくなる」

 「え?」

 言われて初めて自分の体にかかっていた負担を実感する。

 「…っ…」

 急激な疲労感とめまい。そして息切れが一気に襲う。

 水蓮はその場に両手をつき肩で息を繰り返す。全力疾走の後のような苦しさだ。

 「大丈夫か」

 今度はイタチが水蓮の背を撫でた。

 「お前医療忍者なのか?」

 先ほど忍びではないと言ったばかりだ。イタチの言葉には少し棘を感じる。

 「ちがう。どうしてかわからない…」

 息を整えて水蓮は再び自分の両手を見る。

 「私一体」

 「何者かわからない…か?」

 言葉が出なかった。確かにそうかもしれない。

 過去に生きてきた自分の世界での記憶は残っている。

 でも、今この世界において自分は一体何者と言えるのかわからない。

 「オレもだ」

 「え?」

 思いがけないイタチの言葉に、水蓮は驚いた。

 「すべてわかった上で、オレは道を選び歩いてきた。そのことに疑問も不安もない。この先行きつくべき場所も答えももう出ている。それでも…自分が何者かわからなくなることはある」

 イタチの口からそんな言葉が出てくるとは思いもしなかった。

 いつも全てを見通し。自信にあふれ、自分の決めたことに一点の曇りも見せない。

 そういう人だと思っていた。

 だけど、里と一族、そして暁。

 重なるスパイ活動に、そしてサスケをだまし続けてきたことに、その心は疲弊し始めているのかもしれない。

 

 どんなに優れた忍びと言えど、彼も人なのだ。

 「すまない」

 イタチは自分の言葉にハッとし、顔をそむけた。

 その瞳は複雑な悲しさを浮かべている。

 「気にしないでくれ」

 その言葉半ばに、水蓮は無意識にイタチを抱きしめていた。

 切なくて…苦しくて…そしてどうしようもなく愛おしかった。

 

 …そうだ。私【NARUTO】の中で好きなのは、カカシとイタチだった。

 そのイタチが目の前にいてこんな姿見たら…

 

 ギュッと力を入れる。イタチは動かなかった。ほんの少し時間が止まったようだった…

 しばらくしてイタチが静かに口を開く。

 「水蓮。血が付く」

 「あっ!」

 慌てて離れる。

 「ご!ごめん!汚した?」

 「あ、いや違う。オレの血がお前に付く」

 「え?あ、全然平気!大丈夫。だ、大丈夫…」

 少し、気まずい空気が流れた。

 とその時、タイミングよく鬼鮫が戻ってきた。

 「イタチさん!?」

 イタチの手に血がついているのを見て駆け寄る。

 「大丈夫ですか?薬ももらってきましたから、すぐに飲んでください」

 「すまない」

 鬼鮫がイタチを支えて立ち上がらせ、壁際に置かれていた椅子に座らせる。

 そして薬を飲むイタチを心配そうな表情で見ながら言った。

 「あまり無理をするとお体に障りますよ」

 

 あ…このセリフ聞いたことある。

 アニメで見た時も思ったけど…

 鬼鮫って…

 

 「お母さんみたい」

 「は?」

 鬼鮫が間の抜けた声を出した。

 そしてそのすぐあと、イタチがびっくりするほど普通に笑った。

 「ふ…ハハハ!」

 その笑顔があまりにも柔らかくて、水蓮は目を奪われた。

 

 あんな風に笑うんだ…

 

 見れば鬼鮫も驚いた様子でイタチを見ている。

 しかし、そんな二人を気にとめずイタチはしばらくの間ククク…と笑うのをこらえていた。

 「イタチさん。笑い過ぎですよ」

 さすがに鬼鮫が抗議の声をあげる。

 「すまない…ふ…クク…」

 しかし笑いが止まらないようだ。何か思い当る事でもあるのだろうか。

 「すごい笑われてるけど」

 イタチから離れ、こちらに来た鬼鮫から服を受け取り、水蓮はつぶやくように言った。

 「珍しいこともあるものだ。先程の木の葉での事が…」

 鬼鮫はそこまで言ってハッとして口をつぐんだ。

 そして「どこか岩の陰で着替えてきてください」と、そう言ってまたイタチのもとへと戻って行った。

 

 木の葉…

 

 イタチが木の葉に戻ったのは、木の葉崩しの後だったはず。

 ということは、サスケに月読をかけた後。

 だからさっきあんなことを言ったのかな…

 少し心情に揺れが出ているのだろうか…

 

 水蓮はそんな事を思いながら、状況を整理する。

 木の葉へ侵入して、撤退。

 それで暗部に追われてその場に自分が…という状況だろうか。

 

 自分が今ストーリーのどのあたりにいるのかが掴めてきた。

 続けて必死にストーリーを思い出す。

 中忍試験。我愛羅との戦い。茶の国の任務。サスケに月読。サスケの里抜け。それからナルトが自来也と修行に出て、暁が次に本格的に動くのは3年後。

 

 あと3年

 

 イタチを見つめる。

 すでに平静を取り戻し、鬼鮫と何か難しそうな顔で話をしている。

 さきほどの苦しそうなイタチを思い出す。

 

 あと3年もイタチはあの苦しみに耐えるのか…

 

 水蓮の胸が痛んだ。

 

 少しでも、取り除いてあげたい…

 幸い、何故かはわからないが医療忍術が使える。

 この力でイタチを支えよう。あの人の目的を遂げさせてあげたい。

 里のために、そしてサスケのためにすべてを背負う覚悟で生きているあの人の目的を。

 きっと、私はそのためにここに来たんだ…

 

 

 水蓮はイタチを見つめながら、ここで生きる意味を見つけた。



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第三章  【現実】

 夜の闇が深くなり、辺りには、しん…と静寂が落ちている。

 時折洞窟のどこかで水滴が落ち、その音がより静寂を際立たせる。

 時間は深夜くらいだろうか。水蓮は不意に目が覚め、体を起こした。

 「いたた…」

 地面の上で寝るのは初めてだ。体が固まりあちこちが痛い。

 渡された少し厚手の布にくるまってはいるものの、今までの環境との違いに、体はそう簡単にはついてこない。

 「はぁ…思ったより大変だな。これ慣れるかな」

 体をもみほぐしながら見回すと、鬼鮫は器用に座ったまま寝ている。

 イタチはと目を向けると、外套にくるまって横になっており、ちょうどこちらに向かって寝返りを打った。

 その端正な顔にドキリと胸が鳴る。

 そっと近寄り、そばに座って顔を覗き込む。

 映像で見ていた通りの美しさ。あのうちはイタチが本当に目の前にいるんだと、改めてそんなことを思う。

 ふわりと洞窟の外から夜の香りを運んできた風がイタチの髪をなびかせ、その風に導かれるように思わず手が伸びた。

 しかし、その手が髪に触れる寸前

 「う…」

 イタチが小さくうめいて顔をしかめる。

 「父さん…母さん…」

 「……っ」

 

 もしかしてあの時の夢を…

 

 あの恐ろしい場面が脳裏に浮かび、伸ばした手が思わず止まる。

 「イズミ…」

 「イズミ?」

 聞き覚えがないその名に首をかしげると、不意に背後から声がした。

 「特別な人のようですよ」

 「わっ!…と」

 突然の背後からの声に水蓮は飛び上がったが、イタチの眠りを妨げまいと大きな声がこぼれた口を慌ててふさいだ。

 「き、鬼鮫。いつの間に…」

 「いえね、イタチさんの首でも締める気かと思いましてね」

 「なんで?」

 水蓮はきょとんとした顔で鬼鮫を見る。

 「なんでって、まぁいいですよ。もう」

 苦笑いを浮かべる鬼鮫に水蓮は思い当たる。

 

 まだ疑われてるのか…

 

 だがそれは素性の知れない自分に対して仕方のないこと。

 それよりも気になるのはイタチの口から聞かされた名について。

 「特別な人って?」

 「正確には、だった人というべきてしょうか。彼から聞いたわけではないので、詳しくは知りませんがね」

 「大切な人だった…」

 「同じ一族の女性と言えば分かりますかね。あなたも、うちはの悲劇を聞いた事はあるでしょう。それも覚えてませんか?」

 「それは…知ってる」

 

 【イズミ】

 もしかして、イタチの好きだった人だろうか…

 

 「死んだんだね」

 

 あの日イタチが殺したんだ…

 

 「そういう事になりますかね」

 ぽたりと水蓮の瞳から涙がこぼれた。

 そっとイタチの頬に触れる。

 そのぬくもりに触れてか、イタチの顔が少し和らぐ。

 「起きないね」

 「薬の副作用ですよ。だから、あまり続けては飲めない」

 「そっか」

 涙が止まらない。あまりにも辛すぎる。大切な人を、家族を、彼はその手にかけたのだ。

 

 里のために

 

 それはどれほどの苦痛か。想像を絶するだろう。

 

 自分が知ってることがすべてではない。

 この世界で生きるこの人には、たくさんの現実があるのだと胸が痛んだ。

 

 水蓮が幾度か髪をなでると、イタチの表情は徐々に落ち着き呼吸も静かになり始めた。

 しかし、水蓮の涙は止まらなかった。

 「不思議な人ですね。あなたは」

 鬼鮫はそう言い残してその場を離れ、また壁に背を預けて座ったまま眠った。

 水蓮もしばらくイタチに寄り添っていたが、いつの間にか眠りに落ちてた。

 

 

 

 …ピ…ピ…ピ…

 

 何かの機械音が聞こえる。

 

 「患者のご家族は?」

 

 男性の声がした。

 

 「先ほど来られたご友人のお話では、亡くなられたご両親以外にはいないそうです」

 

 今度は女性の声。

 辺りに漂うニオイには覚えがあり、どうやら病院のようであった。

 

 「容態は落ち着いたが、いつ目を覚ますか。とにかく、よく様子を見るように」

 「わかりました」

 二人の会話はまだ続いていたが、どんどんそれは遠くなり、今度は違う声が聞こえてきた。

 

 「…れん…水蓮」

 イタチの声だとしばらくしてから気付き、ゆっくりと目を開ける。

 目に映るこちらを覗き込む人物が間違いなくうちはイタチであることに、これまでの事が夢ではなかったのだと確認する。

 

 「起き上がれるか?」

 イタチの声にうなづき、体を少し伸ばす。

 慣れない場所での一夜に、体の節々が少し痛んだ。

 「これから移動する」

 「移動?」

 「同じところに長くは留まれません。我々の命を狙うものも少なくはありませんからね」

 鬼鮫が大きな刀【鮫肌】を背負い、歩き出す。

 「余計な戦いは避けたい」

 静かな声でそう言って歩き出したイタチに水蓮は続いた。

 

 

 深い森の中を3人は言葉なく歩く。

 木々の間から差し込む光は少し強さを帯びているが、森の中に流れる低温な空気と合わさり、心地のいい風が吹き抜けている。

 その風の気持ちよさと、寝起きということもあり、水蓮はややぼぉっとしながら先ほどの夢を思い出していた。

 

 さっきの夢。いや、あちらが現実…

 私はまだ死んでいない。

 でも、二人は…

 

 両親を想い深い溜息を吐く。

 分かったことはそれだけではない。水蓮はあることを感じていた。

 あちらの世界で自分が死なない限り、こちらの世界でも死なない。

 なぜだかそう確信していた。

 そしてそれと同時に感じた不安。

 いつこの世界から消えるかわからない

 落ち着かない日々になりそうだと再びため息をついた。

 と同時に、前を歩いていたイタチが急に立ち止まり、その背中にぶつかった。

 「わっ…」

 「おっと」

 よろけた水蓮を鬼鮫が支える。

 「大丈夫ですか?」

 「あ、う、うん。ありがと」

 ぶつけた鼻を押さえながらイタチを見ると、何やらあたりの気配を探っているようだ。

 彼は数秒後小さな声でつぶやく。

 「鬼鮫…」

 「5人ですかね。どうしますか?」

 近づきつつある気配を警戒して、鬼鮫もまた小さな声で返す。

 

 敵?

 

 二人の緊迫した様子に、水蓮は身を固くした。

 

 恐怖を感じ、思わずイタチの近くに身を寄せる。

 そんな水蓮をちらりと見て、イタチは水蓮の手を引き木の陰に身を隠した。

 「様子を見る」

 「わかりました」

 同じく鬼鮫もスッと木の陰に身を置く。

 水蓮は何者かの接近に、昨日その身に受けたクナイの痛みを思いだし、少し体が震える。

 死なないとはいえ、痛みと体へのダメージはそのまま。恐怖も。

 イタチはそんな水蓮に気づき、ほんの少しだけ表情を緩めて言った。

 「声を出すな」

 諭すように言い、そっと外套の中に水蓮を包みこむ。 

 「………っ」

 水蓮はさっそく声を出しそうになって、慌てて口を押えた。

 少し抱き寄せられ、息が止まりそうなほど緊張する。

 しかしその緊張は数秒後、別の物に変わる。

 イタチの黒い衣の向こう側、いくつかの気配。

 すぐそばでその足音が止まる。

 「我々から逃げられると思っているのか」

 低い男の声。

 しかし、それはこちらに投げられた言葉ではないようだった。

 「く…っ」

 誰かがたじろぐ。

 追う側と追われる側。その二つがすぐそばで対峙している様子が水蓮の頭に浮かぶ。

 辺りの空気がさっきまでとはまた違う冷たさに覆われていき、身を隠しているのに、ピリピリと水蓮の肌に痛みが走った。

 

 これが殺気というものだろうか…

 

 「里を裏切った者がどうなるか、知らぬわけではあるまい」

 「お前のやったことは許されることではない」

 「制裁を…」

 どうやら、追われているのは一人。

 

 話の内容からして抜け忍というものだろうか…

 

 水蓮がそう考えた瞬間、ザッ…と地面を蹴る音。

 そして、ほんの数回切り合う音が響き…

 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 と耳を裂くような断末魔…

 

 …殺された…

 

 見えなくてもわかる。

 

 …怖い…

 

 水蓮は、すぐそばで苦しみながら死にゆく者の最期を感じ、体の震えを押さえられずイタチの服をギュッと握りしめた。

 それに気づき、イタチがグッと水蓮の体を抱き寄せる。

 『制裁』を終えた追い忍たちは何かを探しているようで、「あったか?」「ああ。確かに」と数回言葉を交わし、その場を去って行った。

 しばらくして、場を取り巻いていた緊張と殺気は消えたが、辺りには拭えない血の臭いと、禍々しい死の気配が広がっていた。

 「我々ではありませんでしたね」

 鬼鮫が何の感情もなく言い、

 「ああ」

 イタチが同じように返し、外套を開く。

 水蓮は鼻を突く血の臭いに顔をそむけ、震える両手で鼻と口元を押さえた。

 「大丈夫か?」

 

 大丈夫ではない。

 昨日まで、命の奪い合いなどとは全く関係のないところで生きてきたのだ。想像したこともない恐怖。

 ここはそれが当たり前の世界なんだと水蓮はゆっくりと息を吐き出し、頷いた。

 

 イタチを支えてゆくと決めたんだ…

 この恐怖に負けていては、それは遂げられない。

 

 「大丈夫」

 自分でも驚くほどしっかりとした声が出た。

 イタチは何か言いたげな顔で水蓮を見ていたが、「そうか」と一言だけ返し、また何もなかったかのように歩き出した。

 そして振り向かぬまま水蓮と鬼鮫に言う。

 「この森を抜けたら、小さな町がある。今日はそこで宿をとる」

 「宿…ですか」

 含みのある鬼鮫の言葉に、イタチは目を細めて視線だけで返す。

 そんなイタチに、鬼鮫は「いえ別に」と肩をすくめた。

 水蓮はそれがイタチの気遣いだと分かり、ありがたい気持ちと、こんなことではダメだという思いに苛まれた。

 森の中には、先ほど人の命が奪われたという事がまるでなかったかのように、すがすがしい風が吹き抜けていく。

 水蓮は思った。

 

 この風のようになりたい…

 

 イタチにいかなる苦しみも恐怖も感じさせることのない、そんな存在になりたいと。



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第四章  【情報】

 深い森を抜け、一行は小さな町へとたどり着いた。

 程よく賑わっており、いくつもの店が軒を連ねていて、ちょうど仕事が始まる時間なのかあちこちの店からあいさつを交わす声が聞こえる。

 町の中を走る子ども達も、登校時間のようで、宿題の事や今日の授業の話をしたり「教室まで競争だ!」という元気のいい声が響いている。

 治安のよさそうな印象を受ける、ほのぼのとした町の雰囲気だ。

目の前を走っていく子供たちを見るイタチの目は、とても柔らかい。

 しかし、サスケを思い出すのかほんの一瞬曇りを見せる。

 「イタチ…」

 思わず声をかける水蓮。だがその後が続かず、妙な間が流れた。

 「どうした?」

 「あ…えと…」

 言葉に詰まったその瞬間、水蓮のお腹がぐぅと音を立てた。

 みるみる水蓮の顔が赤くなる。

 イタチは「ああ」と小さく呟いて辺りを見回し、

 「どこかで何か食べるか」

 そう言って食事処を探しだした。

 「そうですね。私も少しお腹がすきましたね」

 後ろで鬼鮫がつぶやく。

 

 空腹に我慢できずにイタチに声かけたみたいになってる…

 

 水蓮は恥ずかしさにうつむくが、よくよく考えてみれば昨日こちらの世界に来てから何も食べていないことに気付いた。

 その途端一気に空腹感が襲ってきた。

 そしてまたお腹が鳴る。

 少し前を歩くイタチの肩が少し揺れ、後ろからは鬼鮫の「クク」と小さく笑う声。

 

 『自分の置かれている状況が分かっているのか』と思われているのだろう…

 

 そう考えると水蓮は恥ずかしさが極まりさらにうつむく。

 

 穴があったら入りたいってこういう事を言うんだ…

 

 さっき森での戦闘を間近にして、しばらく気分が悪かったというのに、空腹におなかがなるとは。

 案外自分はタフなのかもしれないと水蓮はそんな事を思いながら、味噌汁のいい香りに顔をあげた。

 イタチも同じくそちらに顔をあげ「あそこにするか」と、店に向かう。

 暖簾をくぐると、ちょうど開店したばかりか人は少なく、店内はほどよく落ち着けそうな雰囲気だ。

 空いている席に座り、メニューを見る。

 「イタチさん、良かったですね。昆布のおにぎりありますよ」

 メニュー表を手にしながら鬼鮫が言う。

 「イタチ、昆布のおにぎり好きなんだ」

 「あとキャベツも好きですよ」

 鬼鮫が答える。

 「余計なことは言うな」

 目を細めるイタチに、鬼鮫は肩をすくめてメニューに目を移す。

 「みんな同じでいいですかね」

 鬼鮫がおにぎりとみそ汁のセットを指さした。

 イタチが無口だからだろうか。鬼鮫は面倒見がよく気遣いも自然だ。

 大きな体と異質な外見ではあるが、根はやさしいのではないだろうか。

 水蓮はそんなことを考えながらふと気づいた。

 「あ…」

 「ん?」

 隣に座っていたイタチが水蓮を見る。

 「どうした?」

 「いや。あの…私。お金もってない」

 イタチはその言葉にフッと小さく笑った。

 「気にするな」

 短くそう言い鬼鮫に注文を促す。

 ほどなくして温かい食事が運ばれたきた。

 水蓮は「いただきます」と手を合わせ、みそ汁を口に含む。

 あたたかくて優しい味に心が落ち着く。おにぎりも、柔らかく絶妙な力加減で握られている。

 馴染みのある食事とその味に、水蓮はこちらに来て初めて心から安心を感じたような気がした。

 「おいしい」

 つぶやき、思わず緩んだ顔にイタチと鬼鮫が顔を見合わせる。

 「不思議な人ですね」

 昨日も聞いたその言葉。不思議そうな顔をする水蓮にイタチが言う。

 「怖くないのか?」

 「え?」

 「オレたちのことを知っていたという事は、オレたちがどういう組織か、多少なりとも知っているんじゃないのか?」

 水蓮は一瞬返答に悩んだ。

 暁は戦争のために尾獣を集めている組織だ。

 それに、イタチはともかく鬼鮫のことはよく知らない。

 見た目もいかつく「殺しますか?」との言葉も本気のもの。

 だが水蓮は「怖くないよ」と、はっきりと返した。

 「死なないからですか?」

 「え?あ…うん。そう」

 死なないからという理由ではない。イタチの事を知っているから。だがそうも言えず、ただ相槌を返しておにぎりを食べる。

 イタチと鬼鮫もそれ以上は何も言わず、3人は静かに食事を済ませた。

 

 

 食事を終え「少し薬草と薬を買い足しておきたい」とのイタチの言葉に、3人は町の路地裏にある薬屋の前に来ていた。

 イタチは店から少し離れてあたりを見回し、人気がないことを確認して印を組む。

 ボンッと音を立てて煙が上がり、中から女性に姿を変えたイタチが現れた。

 青い短い髪。雰囲気は違うものの端正な顔つき。

 

 イタチが女性に生まれていたらこんな感じなんだろうな…

 

 美しい女性の姿に水蓮は見とれる。

 「中では何も話すな」

 顔に似合ったきれいな声で言われて、水蓮は頷く。

 その隣では、鬼鮫が若い男性に姿を変えて立っていた。

 「彼と病を関連させるわけにはいかないのですよ」

 鬼鮫が小さい声で耳打ちをしてきた。

 

 暁のうちはイタチが病気という事が知れるのはまずいという事か…

 

 水蓮はもう一度頷いて二人に続いた。

 店はさほど大きくなく、町にある個人経営の薬局という規模だが、様々な薬や薬草がきれいに整理されており、利用者に安心感を与える清潔さだ。

 店主はイタチの姿を目に捉え、ニコリと笑った。

 初老の男性。柔らかい笑顔に人柄がうかがえるようだ。

 「お久しぶりですね、桔梗さん」

 それがこの姿の時の名前のようだ。

 イタチは笑顔を返して店主の座るカウンターに向かう。

 「届いてる?」

 「ええ。3日程前に届きましたよ。今回は一つでした」

 定期的に何かを頼んでいるんだろうか。

 イタチの後ろから覗き込むと、店主は小さな瓶を取り出しイタチに渡す。

 その蓋には木の葉の里のマークが刻まれていた。

 「ありがとう」

 「やはりよく効きますか?」

 イタチは頷く。

 店主は「そうですか」とまたニコリと笑った。

 「この薬を作っている木の葉の医療忍者の方は我々の間でも有名ですからね。うちのように取り寄せて扱っている店も多い。あなたのように個人的にこういった形で利用する人も増えているようですよ」

 「そう」

 イタチはサッと薬の瓶を懐にしまう。

 「他にも見せてもらうわ」

 そう言ってイタチはいくつかの薬草を手に取ってゆく。

 水蓮は少しイタチから離れて店の中を見て回る。

 名前や見た目は違うが、自身の世界にある漢方薬と同じような効能の物がたくさん並べられていた。

 「興味あるんですか?」

 鬼鮫が声をかけてきた。

 水蓮は口を開きかけて慌ててつぐみ、小さく頷く。

 あちらの世界で製菓の学校を出ていた水蓮は、将来は薬膳を使ったお菓子を中心に店を持てたらと考えていたので、漢方や薬草について学んでいたのだ。

 「そうですか」

 鬼鮫はやはり怪しむ気持ちが拭えないのか、どこか含みのある言い方でつぶやいた。

 ひしひしとそれを感じながらも、水蓮は本棚から何とはなしに一つ本を手に取って開く。

 「あ。読める…」

 小さな声でつぶやく。

 何かわからない文字が書かれているかと思いきや日本語であった。

 そう見えるようになっているのか。どちらにしても、見慣れた文字にほっとする。

 その本は薬の調合について書かれており、薬草の特徴がきちんとカラーで描かれていてかなり見やすい。

 成分はもちろん、調合したときの苦みや渋味。それを押さえる材料なども書かれており、水蓮は無意識にお菓子作りに合いそうなものを探していた。

 だがハッとして本を閉じた。

 

 今更そんなことを考えても意味がない…

 

 自分の描いていた夢は、多分もうかなえられないだろう。

 そのむなしさに、ため息と共に本を棚に戻す。

 とその時、ドアの前に立ち鬼鮫が水蓮を呼んだ。

 「出ますよ」

 「あ、うん」

 いつの間にか買い物は終わっていたようだ。

 イタチはカウンターで支払いをし、買ったものをかばんに入れていた。

 先に店を出る鬼鮫に続く水蓮。そのしばらくあとでイタチが出てきた。

 二人はやや店から離れてから元の姿に戻った。

 

 

 

 その日の夜、昨日とは違い布団で横になり目を閉じたものの、水蓮はなかなか寝付けずにいた。

 体が疲れすぎているのか、それともやはり今朝の恐怖が尾を引いているのか。

 それでも眠らなければと目を固く閉じたが、窓際に気配を感じうっすらと目を開けた。

 窓のふちに腰を掛け、イタチがさっき買った薬の瓶をながめている。

 その瓶は月の明かりを反射しているのか、少し光を放ちイタチの顔を照らしていた。

 しかし、明らかに先ほどと色が違う事に違和感を覚え、水蓮は目を凝らして瓶を見つめる。

 そしてハッとする。

 その瓶に、うっすらと文字が浮かび上がっていたのだ。

 はっきりとは見えないが【綱手】と書かれているようだ…。

 水蓮は思わず目を閉じた。

 

 この時点での綱手ってことは…

 

 と、木の葉崩しのあと自来也とナルトが綱手を探しに里を出た事を連想する。

 ドキリと胸がなった。

 

 もしかしてイタチはあの瓶で木の葉の誰かと情報をやり取りしているんじゃ…

 

 姿を変えて薬局に出入りするのも本当はそのためなのかもしれない。

 

 見てはいけないものを見てしまった…

 

 そんな気持ちに苛まれ、水蓮がゆっくりと寝返りを打つと、イタチがハッとして瓶をしまう気配がする。

 

 忘れよう…

 

 イタチにとっては知られてはならない事。

 

 何も見なかったことにしよう…

 

 水蓮が固く目を閉じた瞬間、イタチが咳込んだ。

 慌てて飛び起きて駆け寄る。

 「イタチ!」

 「水蓮…起きていたのか」

 昨日ほどひどい咳ではないが、イタチは顔をゆがめながら息を整えようとしている。

 「ううん。今気付いて…。ちょっと待ってね」

 水蓮は自分の両手を見つめ「出るかな」と、うまくできるかどうか不安を感じながら力を集めるイメージをする。

 少しずつ手のひらが温かくなり、光が溢れだす。

 「よかった…」

 その様子を見て、イタチが「本当に分からないのか」とつぶやいた。

 そして、自分の体にかざそうとしている水蓮の手を握ってとめた。

 「これくらいは大丈夫だ。その力は使うな…」

 「どうして?ダメだよ!」

 水蓮は無理やり手を近づける。

 が、それ以上の力でイタチが押し返す。

 「昨日の感じだとお前はチャクラの使い方に慣れていない…」

 間で小さな咳をしながらイタチは言う。

 「お前の体に負担がかかりすぎる」

 そこまで言って「うっ」と胸を押さえる。

 水蓮は自由になった手をイタチにかざした。

 「いいの。私の事はいいの。だから、お願い…」

 「なぜ…」

 そこまでして…

 イタチの瞳がそう問いかける。

 「きっと私のこの力は、イタチのためのものだと思うから」

 「………っ」

 そう言ってほほ笑む水蓮のその笑顔があまりに優しく、イタチは言葉に詰まった。

 徐々に水蓮の力がイタチの体から苦痛を取り除いてゆく。

 病の根源は取り除けないものの、それでも十分イタチの救いにはなったようだった。

 「もういい。おさまった」

 イタチのその言葉を聞き、水蓮は術を止める。

 瞬間。疲労感に襲われ、床に手を突き肩で息をする。

 「大丈夫か」

 体を支えるイタチに、水蓮は「大丈夫」とそう返したものの、イタチの腕の中に倒れ込んだ。

 「水蓮!」

 「気を失ってしまったようですね」

 いつから起きていたのか、鬼鮫が横になったまま水蓮を見つめていた。

 その手に鮫肌が握られているのを見てイタチは少し目を細める。

 「鬼鮫…」

 「どうやら普通の医療忍術のようだ。おかしな術なら…と思ったんですがね。しかし、医療忍術を使うとは」

 鮫肌から手を離して起き上がり、イタチと水蓮に歩み寄る。

 イタチは腕の中の水蓮を見ながら、その脳裏に鬼鮫が水蓮に向けて言った言葉を思い出していた…

 

 -- 不思議な人だ --

 

 「…お前の言うとおりだな」

 「そうでしょう」

 「ああ」

 「我々に対してまったく警戒心がないからですかね。こちらも何故かあまりそんな気にならない…」

 見開かれたイタチの目が「珍しい」と言っているのがわかる。

 「警戒しても、まるで本人にそんな気がないですからね。無駄な労力だ」

 鬼鮫は「それとも」と言葉を続ける。

 「久しぶりに『人』に触れたせいですかね」

 らしくないその言葉に、イタチは「珍しい」とまた心の中でつぶやいたが、抜け忍の処理役として同郷の忍びを殺め続け、そして暁に身を置き様々な犯罪に手を染め行く鬼鮫の心の中にも、どこか疲弊があるのかもしれないと、そんな風に思った。

 常に戦いという命の奪い合いに身を置く中、確証はないにしても悪意も策略もなさそうな水蓮とのかかわりに、ある意味戸惑っているのかもしれない。

 「そうか。そうだな…」

 鬼鮫への返答なのか、自分自身への言葉なのか、あいまいな感情でイタチはつぶやいた。

 二人が見つめる中、水蓮は静かに寝息を立てて眠っている。

 微塵の警戒もなく自分にその身をゆだねる水蓮の寝顔に、イタチは何故か心が安らぐのを感じ、そのすぐあとに決して振り払えない闇に襲われ、水蓮から目を背けた。



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第五章  【好き嫌い】

 あれから3日が過ぎたが、水蓮たちは同じ街に留まり過ごしていた。

 イタチと鬼鮫は暁からの命令なのか、情報収集に行くと日中は二人で出かけ、夕方に戻ってくるという日々だ。

 イタチは影分身で鬼鮫と動いており、本体は宿に残した水蓮の見張りとしてそばについている。

 が、町をあまりうろついて人目につくわけにいかないのか、宿から出ることはなく、水蓮はこれと言ってやることもなく時間を持て余していた。

 イタチは特に何かを話すでもなく、忍具の手入れをしたり、何か難しそうな本を読んで過ごしている。

 水蓮は自分のことをあれこれ聞かれるかと思っていたが、初日に何も聞き出せず、それ以上は無駄だと思ったのか、イタチは一切聞いてこなかった。

 今も窓辺で座って本を読んでいる。

 水蓮はテーブルに両肘をついて手に顎を乗せ、そんなイタチをながめているうちに、暖かい日差しに眠気を誘われてうとうととし始め、がくりと崩れ落ちテーブルに額をぶつけた。

 ゴツッという音にイタチはビクリと体を揺らし水蓮を見る。

 「いった…」

 額を押さえて顔をあげる水蓮を見て、イタチは静かな声で言う。

 「大丈夫か?」

 「だ…大丈夫」

 「見せてみろ」

 イタチは額をさする水蓮にスッと近づき、水蓮の前髪をかきあげて顔を覗き込む。

 「………っ!」

 水蓮はビクリとして固まる。

 天然なのか、それとも兄という人間の性なのか。イタチは特に気にする様子もなく真顔だ。

 「ずいぶん赤い。かなり思いきりぶつけたな」

 赤いのはぶつけただけではない。水蓮はパッと体を離して「へ…平気…」とひきつった笑みを浮かべた。

 「そうか…」

 イタチはまた本を読もうとしたが、すぐにその本を閉じ、立ち上がり水蓮に向き直る。

 「少し、外に出るか」

 「え?でも、いいの?」

 躊躇する水蓮の前でイタチは先日の姿に変化し、部屋のドアを開ける。

 「薬屋に用事もある。行くぞ」

 「あ、うん」

 水蓮は急いで立ち上がりイタチの後に続いた。

 「また薬?」

 「いや、これだ」

 イタチが例の瓶を取り出す。

 「受け取ったという証拠に空瓶を送り返すことになっている」

 水蓮はドキッとして瓶を見つめるが、特に変わった様子はなく、文字も浮かんではいない。

 

 それを読みとるには何か仕掛けがあるのだろうか…

 

 なんとなく気まずくなり顔をそむける。

 薬屋につくと慣れた様子で店主がそれを受け取り、二人は雑談をし始めた。

 水蓮は何とはなしにこの間の本を手に取り読む。

 読み進めるうちに、咳や炎症を抑える薬の調合を見つけ、興味深く読みいる。

 薬の調合ができれば、イタチの役に立てるかもと、そんなことを思う。

 「気に入ったのか?」

 いつの間に後ろにいたのか、イタチが本を覗き込んできた。

 女性の姿のイタチは水蓮とあまり背が変わらないので、顔の近さに水蓮はまたドキリとする。

 イタチはその本を手に取り、ぱらぱらとめくって内容を見る。

 「見やすい本だ」

 一つうなずきそのまま店主のところまで持っていき「これを…」と支払いを済ませ、本を水蓮に差し出した。

 「え?悪いよ」

 

 相場がよくわからないが、高そうだ…。

 

 しかしイタチはフッと笑い遠慮する水蓮の手に持たせる。

 「気にすることない。少しは時間つぶしになる」

 そう言って店を出てゆく。

 水蓮は店主に頭を下げ、店を出てイタチに並んで歩く。

 「あの…ありがと」

 本をぎゅっと握りしめるその姿にイタチは少し懐かしげな色を浮かべて目を細める。

 「もう一か所、寄るところがある」

 イタチの視線の先にあったのは、甘味処だった。

 「あそこ?」

 「そうだ」

 早々と店に入って席に座り、注文する。

 

 そういえば…イタチ甘いもの好きだったな…

 

 普段は来ずらいであろうこの場所。女性の姿なら入りやすいのだろう。

 イタチの表情がわずかに柔らかく見える。

 運ばれてきた団子を受け取り、イタチは無言で食べ進める。

 一見無表情に見えるが、どうやら表情が崩れるのを我慢しているようだ…。

 その不自然な無表情に、水蓮は小さく笑った。

 「なんだ?」

 「ううん。何でもない」

 水蓮も団子を口に運ぶ。

 自分の世界の物とは違い、素朴な、本当にシンプルな味。

 だがその優しい甘さに、ついと顔がゆるみきる。

 「おいしいね」

 水蓮のほのぼのとした雰囲気がふわりと広がる。

 「私ね、お菓子作るの得意なのよ」

 「そうか」

 「料理もそこそこできるから、野宿するときは何かおいしいもの作るね」

 「ああ」

 「嫌いなものあるの?」

 「肉はあまり食べない…」

 よほど嫌いなのか顔をしかめるイタチ。

 「お肉も食べないとだめだよ。ステーキとかおいしいじゃない」

 「あれは無理だ…」

 「もったいない」

 気兼ねしない水蓮の雰囲気のせいか、淡々とした受け答えではあるが、ごく日常的な会話を交わし合う。

 水蓮はそんな普通の空気が嬉しく、しばらく何気ない話をして穏やかな時間を過ごしていたが、ちょうど食べ終わったころにイタチの表情が少し厳しく変わった。

 「戻ってきたようだ」

 その言葉に、水蓮は鬼鮫とイタチの影分身が宿に戻ってきたことを悟る。

 何かあったのか、イタチの表情は固く先ほどまでの空気が一瞬で消え、水蓮は不安になる。

 「戻るぞ」

 その一言を最後に、イタチは宿まで何も話さなかった。

 宿に着くと、鬼鮫はすでに荷物をまとめ出立の準備を終わらせていた。

 すでにイタチの影分身はおらず、イタチも元の姿に戻り手早く荷をまとめている。

 「すぐに向かう」

 「ええ。ここの支払いは済ませておきましたよ」

 二人の様子に水蓮は状況が把握できずに戸惑う。

 「ど、どうしたの?」

 鬼鮫が部屋を出ながら水蓮に答える。

 「急用ができました。移動します」

 「わ、わかった…」

 

 暁の任務だろうか…

 

 戸惑いながらも頷く水蓮を見て、鬼鮫はイタチに向き直る。

 「どうしますか?」

 その視線の先ではいつの間にかイタチが再び影分身を作り出していた。

 「連れてはいけない」

 「え?」

 自分に向けられた言葉だと気付き、水蓮は目を見開く。

 「水蓮、お前を安全な場所にしばらく預ける。オレの影分身と行け」

 「………」

 影分身が一緒とはいえ、内容がわからぬまま突然離れることになり、水蓮は動揺していた。

 「そんな…」

 急に心細くなる…。

 「心配するな、信用のおける場所だ。2.3日で戻る」

 まるで安心させるようなその口調に、鬼鮫が目を細めて何やら言いたげな顔で見ている事に気づき、イタチが同じく目を細める。

 「なんだ?」

 「いえ別に…。それより急ぎましょう」

 イタチは頷き、一度水蓮に目を向けさっと姿を消した。

 水蓮は隣にいる影分身(イタチ)に何が起こっているのか聞こうとしたが、やめた…。

 自分は仲間として一緒にいるわけではないのだ。

 何も教えてはもらえないだろう。

 「行くぞ」

 影分身(イタチ)は水蓮を抱き寄せ、瞬身の術でその場から移動した。



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第六章  【忍猫】

 辺りに立ち並ぶ建物はすべてがその機能を失っており、人の気配はまるでなく。吹き荒れる風に砂埃が舞い上げられ、景色を灰色に染めてゆく。

 

 廃墟…

 

 二人は静かに歩みを進める。

 

 「この先だ」

 イタチが見上げた大きな門には「空区」と書かれており、どうやら大きな町の入口のようだ。

 水蓮はその門をどこかで見たことがあるように思い、記憶をたどる。

 

 …ここは確か、サスケがイタチとの最後の戦いの前に来てた…

 

 サスケがあの時に訪れていたうちは一族御用達の武器屋を思い浮かべる。

 

 「行くぞ」

 「あ、うん」

 門をくぐると、先ほど同様町に人気はなく、(さび)れきった感じだ。

 やや歩いて二人はある建物の中に入る。

 中は暗く、壁や天井には水道管のようなパイプがいくつも並んでいる。

 「離れるな。迷うぞ」

 こんな薄暗いところではぐれては困ると、水蓮は思わずイタチの外套を掴んだ。

 そんな水蓮をちらりと見て、イタチは水蓮に見えぬ角度で小さく笑みを浮かべた。

 「ここはうちは一族が利用していた武器屋だ。来るのはかなり久しぶりだがな」

 一族を抹殺したイタチには来にくい場所であろうことと悟り、水蓮は言葉を返せなかった。

 「ここにいる、武器商人のネコ婆にお前を預ける」

 水蓮はコクリと頷く。

 とその時、少し先の暗闇から声が飛んできた。

 「おい、珍しいやつが来たぞ」

 「本とだフニィ」

 壁に反響してあたりに響く。

 イタチは立ち止まり、その声の主を待つ。

 ややあって、闇の中から現れたのは服を着た猫だった。

 「久しぶりだな。デンカ、ヒナ」

 呼ばれてその2匹はちょこんと座り、イタチを見つめた。

 「本当にいつぶりだろうな。大きくなったな、イタチ」

 「デンカ、たぶんイタチには10年近く会ってないんじゃないかフニィ」

 お互い懐かしそうな表情で見つめ合う。

 「で、いったい何の用だい」

 デンカがスッと立ち上がる。

 額には毛の模様なのか特殊なものなのか【忍】の文字が浮かんでいる。

 ゆらりと揺れるフサッとした長い尻尾。

 少し硬い質だが、よく手入れされている毛並みとピンと伸びた耳。

 「か、かわいい…」

 イタチの後ろから覗き込んでいた水蓮が思わずポツリとつぶやき、デンカに向かって手を伸ばした。

 「よせ水蓮!こいつらは凶暴な忍猫で……?」

 慌てて制止したイタチの声が途中で力を失った。

 視線の先で、デンカが水蓮に触られて気持ちのよさそうな顔で伸びていたのだ。

 「なっ…」

 見たことのない光景にイタチが驚きの声をあげる。

 「私猫マッサージ得意なの」

 巧みに動く手のひらにもみほぐされ、デンカの体がどんどん長く伸びる。

 「んにゃぁ。お前、なかなか…」

 恍惚の表情でごろごろ喉を鳴らす。

 「気持ちよさそうフニィ…」

 「あとでしてあげるね」

 うらやましそうなヒナの頭を水蓮が撫でる。

 その一撫ですら気持ちいいのか、ヒナは水蓮の体にすり寄った。

 驚いた様子でそれを見ていたイタチが「…ふ」と小さく笑った。

 「お前は本当に不思議な奴だ」

 柔らかいその笑顔を見て、デンカとヒナは目を細めて水蓮に向き直る。

 「へぇ…」

 「フニィ…」

 2匹ともふわりと飛び上がり、イタチの前に降り立つ。

 「で?」

 「武器を買いに来たのか?」

 「いや、ネコ婆に用がある」

 「ふぅん。持ってきたかフニィ?」

 「ほら、またたびボトルだ」

 イタチが懐から瓶を取り出してヒナの口にくわえさせると、ヒナは満足そうに笑った。

 そしてデンカと共に先ほど出てきた薄暗闇のほうへと歩き出す。

 「ついてきな」

 「案内するフニィ」

 イタチと水蓮は後に続き、その先にあったドアを開けて中に入った。

 「わぁ…猫いっぱい」

 部屋の中に何匹もの猫が思い思いにくつろいでおり、水蓮は思わず声をあげた。

 どうやらデンカとヒナのような忍猫ではなく普通の猫のようだ。

 数匹が水蓮の足元にすり寄ってきた。

 「可愛い」

 久しぶりに動物と触れ合い、その心が和む。

 「誰かと思ったら…」

 部屋の中央に座る人物が二人を見据える。

 灰色の髪を一つに束ねたややかっぷくのいい老婆…

 鼻の頭が少し灰色に色づいており、頭に猫耳をつけている。

 「イタチか?」

 目を細め、静かに見つめる。

 「はい。ご無沙汰してます。ネコ婆…」

 姿勢を正すイタチに習い、水蓮も背筋を伸ばす。

 「まさかお前がここに来るとはねェ」

 うちは一族の事件を知っているのだろう。

 かもし出す雰囲気がやや警戒を現わし、どう対処するべきか考え込んでいるようだ。

 しばらく言葉のないまま対峙し、ネコ婆はふぅ…と息を吐き出した。

 「ま、他人のごたごたはどうでもいい。大口の顧客を失ったことは痛手だがな」

 皮肉交じりに笑う。

 とりあえずは受け入れてもらえたようでに水蓮はほっとした。

 「で、なんだい?何か武器が必要なのかい?」

 「いえ…実は」

 イタチは水蓮の背を少し押して、前に出す。

 「この水蓮を数日の間預かっていただきたいのです」

 「あ、初めまして。水蓮と言います」

 緊張しながらのその挨拶に、ネコ婆は声を少し荒げた。

 「はぁ?イタチ、うちは宿じゃない。武器屋だよ。何の冗談だい」

 その空気がピリッと張り詰める。

 ネコ婆のそばにいた猫がその雰囲気の変化に数匹逃げていく。

 「戻ってきたら武器を買わせていただきます。預かっていただいたお礼も。2 . 3日お願いします」

 頭を下げるイタチの横で、水蓮も慌てて頭を下げる。

 しかし、ネコ婆は「ダメだ」と冷たく突き放す。

 「うちに何のメリットがあるんだい。他人の世話なんて御免だよ」

 まったく聞き入れてもらえそうにない…

 ところが、思いがけず助け舟が出た。

 「まぁまぁ、ネコ婆いいじゃないか」

 水蓮の足元にデンカが走り寄り、その肩に飛び乗った。

 「この子使えるよ」

 「そう、使えるフニィ」

 ヒナも足にすり寄る。

 その光景にネコ婆が目を丸くし、しばらく考え込み、フッと笑った。

 「その子たちが初対面の人間になつくなんてね…」

 腕を組んで、じぃっと水蓮を見据える。

 「まぁ、ちょうど孫が買い付けに出ていて人手不足だし…」

 うんうんと、デンカとヒナが首を大きく縦に降る。

 「…わかったよ。その代わり、うちの商売を手伝ってもらうからね。水蓮」

 「は、はい!よろしくお願いします」

 「ありがとうございます」

 イタチはほっとした様子で頭を下げた。

 そして水蓮に向き直る。

 「オレは行く」

 「うん。気を付けてね…」

 イタチの向かう先がどこなのか、その目的が何なのか、水蓮には分からないが危険であることに間違いはない。

 不安で仕方なかった。

 「では…」

 イタチはもう一度ネコ婆に頭を下げて、ボンっと音を立てて消えた。

 「イタチ…」

 どこからか生ぬるい風が入り込み、水蓮の胸に何か言い知れぬ不安を広げた…



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第七章  【緊迫の帰還】

 あれから4日が過ぎた。

 イタチはまだ戻らず、水蓮はネコ婆のもとで武器の販売の手伝いや、倉庫の片づけなどをしながら過ごしていた。

 空いた時間にイタチからもらった薬草の本を読んではイタチを思いだし、その身が心配になる。

 「水蓮、ネコ婆が呼んでるフニィ」

 どこからともなく現れたヒナの声に本を読む手を止める。

 「時間が空いたから、薬草の調合を見てくれるってさ」

 ふわりと現れたデンカが水蓮の肩に飛び乗る。

 薬草の本を読みふける水蓮を見たネコ婆が、水蓮に薬草の調合を教えてくれるようになったのだ。

 様々な方面の客と商売をしてきたからか、ネコ婆の知識は武器だけにとどまらず、幅広い。

 その知識を惜しげもなく水蓮に与えてくれていた。

 明るく真面目な人柄と、ヒナとデンカの懐き様も手助けとなり、どうやら水蓮はネコ婆に気に入られたようだった。

 ヒナとデンカからもチャクラの練り方を教わり、水蓮はこの世界で生きていくための力を身につけつつあった。

 「わかった」

 本を手にネコ婆のもとへと向かう。

 「ネコ婆様、水蓮です」

 「入りな」

 ドアを開けて中に入ると、ネコ婆の前に色々な薬草が並べられていて、少し独特なにおいが部屋の中に漂っている。

 「薬草をいくつか仕入れた。今日は新しい薬の調合を教えてやろう」

 「ありがとうございます」

 並ぶ薬草を見ると、どれも本で見たことのある種類で、水蓮はそれぞれ名前を思い浮かべる。

 「どれが何か大体わかるかい?」

 「あ、はい。この本に載っていたものばかりです。大体わかります」

 ネコ婆は「うむ」と満足そうに頷いた。

 水蓮の覚えの良さや手先の器用さに、ネコ婆は教え甲斐を感じ、畑違いの薬草の事ではあるが、まるでよい弟子を見つけたような気分になっていた。

 「とりあえず、昨日教えた薬の調合を復習でやってみな。本を見ながらでいいから」

 「はい」

 水蓮は調合用の道具をそろえて、本の分量に沿って手際よく調合していく。

 分量の間違いがないよう慎重に。そして、いつも思い浮かべる。

 イタチの事を。

 はじめは無意識であったが、イタチが飲むことを想定して作ることで慎重さが増し、作業の精密さが自分の中で上がるような気がして、水蓮はそうしていた。

 丁寧で正確な動きにネコ婆は関心を覚えながら目を細める。

 「あんた、イタチが好きなんだね」

 「え!」 

 ガチャッ!

 動揺したことで、薬をすっていたすり鉢を倒す。

 中身はこぼれなかったものの、水蓮は慌てて元に戻した。

「だてに長く生きてないよ、イタチを見るあんたの顔を見たらすぐにわかる。あの子の役に立とうと思ってやってるんだろ?」

 「…いえ…あの…」

 「分かりやすいフニィ」

 「バレバレだな」

 ヒナとデンカのからかいに顔が赤くなる。

 「しかし水蓮。お前もイタチのしたことを知らんわけではあるまい」

 「…はい」

 「それでも、か」

 水蓮は再び薬をすり始める。

 「はい」

 言葉と共に手に力が入る。

 ネコ婆は少し遠くを見るような目でため息をついた。

 「あの子の事は小さいころから知ってる。幼くして戦争を目の当たりにし、命の在り方について考えるようになった」

 幼い頃のイタチが思い浮かんでいるのか、優しく目が細められた。

 「イタチは父親に言われて、時折一人でうちに買い付けに来ていてね。そんな話をよくしとったよ」

 水蓮は改めてこの世界の厳しさと、イタチのすごさを感じる。

 「そのうち弟が生まれて、一緒に来るようになって。自分が守るべき存在ができたことで、より生命の尊さを感じるようになり、とにかく争いのない世を望んでいた。そんなあの子がねぇ…」

 目を閉じ、うちは一族の事を思い浮かべている様子に水蓮は切なくなった。

 「争いの耐えぬ今を生きながら争いのない未来を願って、その矛盾の中で苦しんでいたのかね。それでもサスケだけは、というのがなんともな…」

 水蓮の手が止まる。

 「他人が関与するものではないが、イタチもサスケもよく知っているだけに孫のようなもんだ。何があったかは知らんが、他に道はなかったのかと思わずにはいられないよ」

 「…はい…」

 イタチの悲しい瞳を思いだし、水蓮の胸が苦しくなった。

 過去の道は変えることはできず、そしてこれから向かう道も変えられない。

 それはイタチが望むことではないことを水蓮は分かっている。

 「できました」

 胸の痛みを抑え込み、水蓮は笑顔を向ける。

 そこに強い決意の色を見て、ネコ婆はフッと笑う。

 「あんたがあの子のそばにいてくれるんだね」

 薬の入った器を渡しながら、水蓮は笑顔をたたえたまま力強く答えた。

 「はい」

 この先にあるのはイタチの望む【終焉】

 それは別れを意味する。それでももう水蓮は心を決めていた。

 その日までそばに寄り添い、支えていくことを…。

 ネコ婆は安心した表情を浮かべ、薬の出来を確かめる。

 「問題ないね。じゃぁ次は新しい薬の調合だ。それが終わったら、ヒナとデンカにまたチャクラの練り方を見てもらいな。しっかり鍛えれば、あんたの医療忍術も上達するだろうよ」

 「はい」

 

 ここでしっかり学んで、イタチの役に立てるようになりたい…

 

 しかし、意気込みながらも、なかなか戻ってこないイタチに水蓮は不安を募らせていた。

 何か嫌な予感がしていた。

 

 そしてそれは現実のものとなった。

 

 

 水蓮がネコ婆に言われて薬草をいくつか手にとった時、部屋の隅にある何やら文字の書かれた石版の上に煙が上がり、そこからすさまじい熱風が吹き荒れた。

 その熱は一気に部屋の中に広がり、ピリピリと空気を乾燥させながら、布や武器の入った箱を吹き飛ばし、水蓮たちに迫る。

 「ヒナ!デンカ!」

 「あいよ!」

 「フニィ!」

 ネコ婆の声に答えて、二人は立ち上がりパンッと両手を合わせた。

 その瞬間その体が水蓮の3倍ほどに膨れ上がり、ヒナが水蓮とネコ婆を抱え込み、デンカが大きく息を吐き出して熱風を裂く。

 デンカの吐き出した息に切り裂かれた熱風は、水蓮たちの真横を吹き荒れてゆく。

 ヒナに守られてはいるが、その勢いと熱に水蓮は一瞬息が止まった。

 数秒後、部屋の中は静けさを取り戻し、ヒナとデンカも元の姿に戻る。

 「大丈夫かフニィ」

 「うん。ありがとう。ヒナ、デンカ」

 いったい何が…と石版に目を向け、水蓮は今度は心臓が止まりそうになった。

 石版の上に、鬼鮫とイタチがぐったりとした様子で倒れていたのだ。

 服のあちこちが焦げており、一部が燃え、小さく火がくすぶっている。

 「イタチ!鬼鮫!」

 慌てて走り寄ろうとするが、その腕をネコ婆がつかんで止めた。

 「待ちな水蓮!あそこのカーテンを水に濡らして、上からかぶせるんだ!」

 「は…はい!」

 勢いよくカーテンを引きちぎり、水の入った水瓶(みずがめ)に沈める。

 水分を含んで重くなったカーテンを必死に引き上げ、水蓮はイタチと鬼鮫にかぶせて押さえた。

 じゅっ…と音を立てて隙間から煙が立つのを目にして、水蓮の体が震える。

 

 どうしてこんなことに…

 

 「この石板は時空間移動の術式が書かれているんだよ」

 デンカが走り寄ってきた。

 「一部の客だけだが、これに連動している忍具を渡してる」

 「イタチ…まだ持ってたフニィ…」

 二人の話に、どうやらそれでここに戻ってきたことを悟るが、水蓮にとってそんなことはどうでもよかった。

 二人が無事なのか。そのことで頭はいっぱいだった。

 少ししてカーテンをどけると火は消えていた。

 しかし、二人の状態は決して無事とは思えない。

 二人ともかろうじて息はしているものの意識はなく、服はあちこち燃えてなくなっており、あらわになった肌は焼け爛れ、薄黒く変色している個所もある。

 「こりゃいかん…」

 ネコ婆の言葉に水蓮の体から血の気が引いてゆく。

 「イ…イタチ…。鬼鮫…」

 体の震えが止まらない…

 「いったい何があったフニィ」

 ヒナが二人を覗き込む、そして鼻をひくひくと動かす。

 「このニオイ…。ネコ婆、これはガマの油のにおいだフニィ」

 「妙木山のガマか…」

 ネコ婆のその声に、かすかに鬼鮫が目を開いた。

 「三忍の一人に…たまたま出くわしましてね…」

 「鬼鮫!しっかり」

 水蓮がその肩に手を置く。

 妙木山のガマ…三忍…

 「自来也…か」

 ネコ婆の言葉に鬼鮫が小さく頷く。

 「水蓮、私は大丈夫。体質が特異なんでね。回復力は強い。それよりイタチさんを…早く」

 「わ…わかった!」

 「ちょっと待ちな水蓮」

 イタチの体にかざしたその手をネコ婆がつかんで止める。

 「まずは全身の状態をよく観察するんじゃ。むやみやたらに治そうとしてはいかん」

 「は…はい」

 ネコ婆は素早くイタチを布の上に寝かせ、服を切り裂く。

 「もっとも症状の重い個所を見極めて、そこから治療する。少しずつだ。そして全体の症状を薬でも効果が出る程度まで、同レベルにするんだ」

 「はい!」

 「デンカ、ヒナ!あんたたちはそっちのでかいのを見てやりな」

 「了解」

 「分かったフニィ」

 素早く薬の瓶をくわえて鬼鮫のもとへと二人が駆け寄る。

 水蓮はイタチの状態を観察しようとするが、症状の重さに思わず目をそむけた。

 「しっかりおし!イタチを支えるんだろうが!」

 その叱咤に、水蓮は目に浮かんだ涙をグイッと拭った。

 「はい!」

 ネコ婆の指導に沿って水蓮は術でイタチの火傷や傷に手をかざしてゆく。

 「いいかい、少しずつだよ。忍術で治すと言っても、こういった外傷の場合、本人の治癒力の手助けをしているに過ぎない。傷が深ければ深いほど、それを直そうとする力が強く働いて、本人の体力を奪う」

 集中しながら頷く。

 どれほどの時間そうして治療に集中しただろう。

 重度のダメージを受けていた箇所のほとんどの治療が一段落ついた。

 水蓮の額には緊張と疲労による汗がびっしりと浮かび、顔が少し青ざめていた。

 「ひとまず休憩だ。水蓮」

 「いえ、まだ大丈夫です」

 しかしネコ婆は「だめだ」と厳しく言う。

 「あんたが倒れたら誰もイタチを救えないんだよ。今無理をして、明日一日動けなかったらどうするんだい」

 もっともなその言葉に、水蓮は素直に従う。

 「まぁ、ここまで来たらうちにある塗り薬でも効果は期待できる。明日の朝までは薬で様子を見て、状態にあわせて治療を進めればいいだろう」

 「はい。あ、あの…」

 不安な様子の水蓮に、ネコ婆は優しく笑った。

 「大丈夫。死にゃしないよ。あんたの腕の良さと、その想いがイタチを救ったんだよ」

 「こっちも大丈夫フニィ」

 「ま、何とかなったぜ」

 声に振り向くと、鬼鮫がふらつきながらではあるが体を起こしていた。

 「よかった…」

 ぽたり…と、膝の上に握りしめた手の上に涙がいくつも落ちた。

 「う…うぅ…」

 張りつめていた緊張が一気に解かれて、体がまた震えだす。

 抑えきれない感情が嗚咽となってあふれでる。

 「よく頑張った」

 ネコ婆に頭を撫でられ、余計に涙があふれる。 

 「ありがとう…ございます…っ」

 にじんでゆくその視線の先で「水蓮」と本当に小さな声がイタチの口から発せられ、イタチの指がピクリと動いた。

 「イタチ!」

 顔を覗き込むと、うっすらとイタチが目を開ける。

 「イタチ。もう大丈夫だよ。大丈夫だから…」

 ぽろぽろと涙が零れ落ちる。

 イタチは少し顔色の悪い水蓮を見て、痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと手を持ち上げその涙をぬぐった。

 「大丈夫か?泣くな…」

 「…………っ」

 こんな時に…私の心配なんか…

 水蓮はまた泣きそうになったが、必死にこらえた。

 「私は大丈夫。イタチ、私が絶対助けるから。心配いらないからね」

 火傷が痛まぬよう、気を付けながら水蓮はイタチの手に自分の手を重ねる。

 「大丈夫だから…」

 

 ここで死なせたりしない…

 

 イタチはその心の声が聞こえたかのようにほっとした表情を見せ、目を閉じまた意識を失う。

 意識を手放す寸前、イタチは「泣くな…サスケ…」と小さく呟いた。

 意識が混濁しているようだ。

 「イタチ…」

 また涙がこぼれた。

 重ねたイタチの手は熱く、ほてりを帯びている。額に手を当てるとかなり熱い…。

 「しばらくは熱にも苦しみそうだね。ヒナ、デンカ、二人をベッドに運んでやりな」

 二人は先ほどのように大きくなり、イタチと鬼鮫を抱き上げる。

 鬼鮫もまた気を失ったようで、目を閉じ動かない。

 その様子にネコ婆がため息をついた。

 「イタチがあそこまで追い込まれるとはね。さすがは伝説の三忍と言ったところか…」

 水蓮はペインと自来也の戦闘シーンを思い出していた。

 敗れたとはいえ、6人のペインを相手に渡り合った自来也だ。

 たとえイタチと鬼鮫でも、そうそう敵う相手ではないのだろう。

 「私も行く」

 水蓮は少しふらつきながらデンカ達の後に続く。

 「水蓮、無理はするな」

 そのネコ婆の言葉に、水蓮は頷く。

 「せめてそばに…」

 傷ついたイタチから離れたくなかった。

 

 何もできなくても、そばにいたい…

 

 水蓮は苦しそうに顔をしかめるイタチの表情に、また涙がにじんだ。



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第八章  【深層の願い】

 窓から見える月は満月。辺りに広がる深い闇を静かに照らす。

 深夜の静寂がしん…と落ち、時折風が窓を揺らし音を立て、それに合わせるかのようにイタチが小さくうなされる。

 水蓮はそのたびに頬の汗をそっと拭い、額に乗せたタオルを冷たく絞った物と交換する。

 そのひんやりとした感触に、イタチの表情が少し和らぐ。

 隣のベッドで眠る鬼鮫は、自身が言っていた通りその回復力はすさまじく、イタチに比べるとかなり症状が改善しており、熱もなく、その寝息は穏やかだ。

 一方イタチはかなりの高熱で、火傷がひどく傷むのか、苦しそうに顔をゆがめ時折大きくその体を揺らす。

 水蓮は布団に擦れて外れた包帯を巻きなおしたり、薬を塗りなおしたりと、イタチにつきっきりだった。

 「水蓮、そろそろ休んだほうがいいフニィ。しっかり寝ないとチャクラがもどらないフニィ」

 ヒナが心配して様子をうかがいに来た。

 「うん。ありがとう。でも、もう少しだけ…」

 予想通りの返答に、ヒナはため息をついて静かにその場を後にする。

 

 きちんと休まなければいけないのは分かっている… 

 でも、あと少し。もう少しだけ…

 

 水蓮はそっとイタチの髪を撫でる。目を離すのが恐ろしかった。

 しかし、やはり疲れには勝てず、徐々に水蓮のまぶたが重くなり、その(こうべ)がイタチの眠るベッドの上に静かに落ちた。

 

 

 

 「にいさぁん!」

 遠くのほうから声が聞こえた。かわいらしい男の子の声。

 「こっちだ」

 答えたのはイタチの声。

 辺りが一気に明るくなり、水蓮は自分が森の中にいることに気付く。

 体が少しふわふわとした感覚で現実味がなく、ここが夢の中だとすぐに理解する。

 「サスケ!こっちだ」

 もう一度イタチの声が響く。

 少し離れた場所に忍び装束のイタチと、彼に向かって駆けてくる幼い日のサスケ。

「兄さん、新しい手裏剣術教えてよ 」

 イタチは自分のもとへと駆けてきたサスケを優しく抱き上げて、笑う。

「ああ、いいぞ」

 水蓮はその光景に、違和感を覚えた。

 いつものイタチなら「悪いサスケ…また今度だ」と額を小突く場面だ。

 「修行見てくれるの?」

 「ああ。いっしょにやろう」

 「やったぁ!」

 二人は本当に楽しそうに笑っている。

 

 

 不意に場面が変わり、今度はどうやらイタチの家のようだ。

 「ただいま帰りました」

 笑顔で玄関のドアを開けるイタチ。

 「兄さんおかえり!」

 走り寄るサスケを抱き留め、イタチは優しく頭を撫でる。

 仲の良い二人を、イタチの父と母が柔らかいまなざしで見つめる。

 「お帰り。任務ご苦労だったな」

 「お帰りなさい、イタチ」

 「ただいま。父さん、母さん」

 サスケを抱き上げるイタチを笑顔でむかえ入れ、家族は幸せそうに笑う。

 「イタチ、お前の働きを火影様がずいぶんほめていた。里のために尽くすお前の姿。誇りに思うよ」

 父親がイタチの頭を撫でる。

 「ありがとうございます」

 イタチはなんの警戒もない、素直な笑顔を浮かべる。

 

 

 今度はしばらく時が流れ、少し成長したサスケがアカデミーから走り出てくる。

 「兄さん、迎えに来てくれたんだ?」

 「ああ。ちょうど任務が終わってな。一緒に帰ろう」

 「なぁ、修行つけてくれよ。手裏剣でうまくいかないところがあるんだ」

 「いいぞ。このまま演習場に行くか。とことん付き合ってやる」

 ポンッとサスケの頭に手を置く。

 サスケは満面の笑みでイタチを見上げる。

 

 

 守りたい…

 

 愛おしい…

 

 尊い命…

 

 幸せになってほしい…

 

 そばにいたい…

 

 様々な感情が水蓮の胸に広がり、温かくなる。

 それは、サスケへと向けられたイタチの想い。

 「これって…」

 水蓮はイタチの感情と自分の心が同調していることに気づき、この夢が自分の夢ではなく、イタチが見ている夢だと悟る。

 

 

 場面が小刻みに、次々に変わりだす。

 

 賑やかで楽しげな家族での朝食の風景…

 

 父親に叱られて落ち込むサスケを慰めるイタチ…

 

 母の作るお弁当をこっそりつまみ食いする二人…

 

 アカデミーを卒業するサスケにクナイをプレゼントする…

 

 サスケが中忍になりともに任務に出る…

 

 上忍に昇格したイタチを祝う家族…

 

 里の人々から慕われ頼りにされる兄弟…

 

 

 「これ…」

 イタチの理想…?

 

 繰り広げられるその光景には、いつも家族の…サスケの笑顔がある。

 

 そして場面はかなり時間が進み、やや年を重ねたイタチ。

 アカデミーの屋上に立ち、温かい眼差しで里を見下ろしている。

 その隣には笑顔のサスケ。

 優しく吹き抜ける風にイタチの羽織が揺らめく…

 水蓮は息を飲んだ。

 

 誇らしく、凛々しく、風にはためく羽織の背に【火影】の文字

 

 「イタチ…」

 イタチの理想であろうと思われる夢。

 そこに火影の姿で存在するイタチに胸が苦しくなった。

 

 心が同調している今、分かる。

 イタチは火影に憧れたわけではない。

 里を愛し…里の人々から愛され、必要とされる存在として生きたかったのだ。

 里を守る者として、里に生きることを心の深くで描いて…その想いが、火影という姿になって現れている。

 里を見つめるイタチの優しさに満ちた眼差し。

 水蓮の目から涙があふれた。

 とめどなく溢れる涙でにじむ視界の先でまた時が流れる。

 

 

 同じ場所で、立派な大人へと成長したサスケの姿が見える。

 そのサスケの肩に、イタチが火影の羽織をかける。

 本当に…本当にうれしそうな…誇らしげな顔で火影帽をかぶせる。

 里の人々から歓喜の歓声が上がる。

 

 水蓮の中に、イタチの感情が流れ込んでくる。

 大きな目標を遂げた達成感と幸せにあふれた穏やかな感情…

 

 

 「これがイタチの描く世界…」

 【うちは】という一族の枠を超え、里から必要とされ、里を守る存在。

 里のために、里と共に生き、平和を作る。

 これがうちは一族への、サスケへの、彼の願い。

 

 

 ゆっくりと光があふれ、視界は白一色になり、水蓮は目を覚ました。

 イタチは少し和らいだ表情で眠っている。

 水蓮は小さく震える手でイタチの頬に触れた。

 ぽたぽたと、涙があふれて止まらない。

 

 「誰か…」

 

 声が震える…

 

 「お願い。イタチを里に帰して…」

 

 体が震える…

 

 「全部なかったことにして…」

 

 あまりに辛すぎる…

 

 「全部消して…」

 

 これほどまでに里を…サスケを愛しているのに、その両方から恨まれ、憎まれ、たった一人で戦っている。

 誰にもその思いを、真実を打ち明けることもできず…

 

 「お願い…」

 

 決して叶う事のない願いとわかりながら、水蓮はそう願わずにはいられなかった。



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第九章  【指南】

 4日の時が過ぎた…

 イタチは時折目を覚ますものの、一言二言かわすのがやっとという状態。

 熱も上がり下がりがあり、病のせいで免疫が低下しているのか回復が遅く、まだ時間が必要な様子だ。

 外傷や火傷の跡は、水蓮の医療忍術とネコ婆の塗り薬のおかげで、ずいぶん薄くなりはじめたものの、それは見た目の解決であって、ダメージはなかなか取り除けない。

 イタチを見つめながら水蓮は考える。

 

 暁を監視するために、こんな傷を負ってまでそこに身を置く…

 里のために…

 里への想いを、サスケとの未来を夢の中にえがくほど愛してるのに…

 もしすべてを明らかにして里に帰れたら…

 いや…それをイタチは望まない…

 

 【うちは】は木の葉において名誉ある一族。

 サスケにも、そしてその周りの人々にもそう思い続けてほしいのだ。

 でも、マダラに結局はすべてを明かされて、イタチの苦悩を知って、サスケは里への復讐を決める。

 

 はぁぁぁ…と水蓮は深い溜息を吐く。

 

 全部話そうか…

 いや、信じてはもらえないだろう…

 

 それにそんなことをしたらイタチの今までを全て無駄にしてしまう。

 こちらの存在ではない自分がするべきことではないのかもしれない。

 自分はいつ消えるかもわからない。

 それに、きっとイタチはそれを望まない。何より、イタチの命はもう長くはない。

 水蓮はイタチに医療忍術を使って気付いた。

 この術では、病気は治せない。

 痛みや炎症を抑え、症状を和らげることはできるが、病の根源は消せない。

 そううまくはできていないようだ。

 

 それならやはりイタチの望む最期を…

 

 水蓮は最後のイタチの笑顔を思い出す。

 「許せサスケ…これで最後だ…」

 イタチの集大成ともいえるあの瞬間。

 すべての想いを込めた言葉。

 やり遂げた悔いのない笑顔。

 イタチのすべてが集約されていた。

 その優しい笑みを思いだし、水蓮の目に涙がにじむ。

 

 イタチはそこへ向けて、自分の全てをかけて戦ってるんだ…。

 私が口を出せる問題じゃない…。

 それに、私はここに来た日決めた…

 イタチが目的を遂げるために、彼が望む終焉の日までよりそう…と。

 

 『自分が決めた道を信じなさい』

 

 不意に母の言葉が脳裏に浮かんだ。

 常に前向きで、明るく、自分の気持ちにまっすぐ突き進む。そんな母親であった。

 水蓮が悩んでいるとき、いつもそう言って励ましてしてくれた。

 「お母さん…」

 

 そうだよね…

 

 水蓮は涙を勢いよく拭った。

 

 揺れたらだめだ!

 

 「自分が決めた道を信じて進む!」

 イタチの最期まで寄りそう。

 水蓮は改めて決意を固め、そっとイタチの手に自分の手を重ねた。

 「まだだいぶかかりそうですね」

 突然背後から聞こえた鬼鮫の声に水蓮は振り返る。

 鬼鮫は回復力の高さと、イタチより症状が幾分か軽度であったこともあってかなり回復しており、今朝からおき上がって体を少しずつ動かしている。

 通常よりかなり強いその治癒力。ネコ婆たちも驚いていたほどだ。

 「うん。でも今日は熱はないよ。顔色も昨日よりはいいかな」

 そっと額に触れる。

 「そうですか」と一言答えて鬼鮫は部屋を出て行く。

 水蓮はイタチが寝入っていることを確認して、鬼鮫の後を追った。

 「何か用ですか?」

 部屋を出ると、すぐに水蓮の気配に気づいた鬼鮫が背を向けたまま言う。

 「用というか、鬼鮫にお願いが…」

 「お願いですか…」

 鬼鮫が振り向いた先で、水蓮は真剣な表情を浮かべ、ずっと考えてきたことを口にした。

 「私に修行をつけてほしいの」

 鬼鮫は虚を突かれ、目を丸くする。

 「あなたは本当に読めない人だ…」

 驚きと呆れを交えた声。

 しばしの沈黙が流れた。

 水蓮は少しも目をそらさず鬼鮫を見つめる。

 

 もう離れて待つことはしたくない…

 

 傷だらけで帰ってきた二人を見てずっと考えていたのだ。

 しかし、そのためには自分の身を守れなければただの足手まといにしかならない。

 「二人と一緒にいる限りは、色々あるでしょ。だから、自分の身は自分で守れるようになりたいの。お願い…」

 だが鬼鮫は難しい顔でため息を吐き出した。

 「確かに、あなたの身柄をどうするかをイタチさんが決めるまでは一緒に動くことになるでしょう。そのあいだ、あなたの言うように危険はつきものだ。そうそう私たちもあなたをかばう気もありませんしね。しかし、なぜ私に?私はイタチさんほどあなたを信用していない」

 「だからだよ。私が鬼鮫の知らないところでそんなことしたら、余計信用してもらえないでしょ?それに、イタチは多分聞き入れてくれない…」

 もともとが優しい性分だからか、イタチが自分に対して少し過保護気味なことに水蓮は気づいていた。

 「しかし、何者かもわからない、何かをたくらんでいるかもしれないあなたに、そういったことはできかねますね…」

 「何も企んでなんかないよ。ただ、一緒にいるからには、邪魔になりたくないの…」

 鬼鮫は少し考え込み、もう一度ため息をつく。

 「では、聞かせていただきましょうか…」

 「何を?」

 「あなたは以前、自分は死なないから我々のことが怖くないと言いましたが、どうやらそれは本当の理由ではなさそうだ…」

 「………」

 「どうも何か目的があって、我々と共にいるような感じだ。それを聞かせていただきましょうか」

 フッと鬼鮫を取り巻く空気が変わり、ピリッとした刺激が肌をさす。

 これまでの水蓮の言動を見て、水蓮がイタチの為にとの思いで行動を共にしていることに、鬼鮫は気づいていたのだ。

 ひたと水蓮を見つめ、果たして敵なのかそうでないのか、見定めようとしている。

 

 返答次第で斬られる…

 

 鮫肌に手をかけてはいないものの、水蓮は本能で察知していた。

 

 たとえ自分が死なないとしても、鬼鮫には何とでもできるだけの力があるであろう。

 首を切り落とされたりでもしたら、死なずにはいられないだろう。

 

 水蓮の背筋に、つぅっと汗が走った。

 

 鬼鮫にとって自分は『いつでもどうにでもできる』存在なのだ。

 だから今まで本気で関わってこなかった。

 普段から主導を握っているイタチが行動を起こさなかったこともあり、自分は生かされていたにすぎなかったのだと思い知らされた。

 

 「私は…」

 

 それでも水蓮はその気迫に気圧されまいと、鬼鮫をまっすぐ見つめたまま答える。

 

 ここで引くわけにはいかない…

 だけど話すわけにはいかない…

 でも、嘘はつけない…

 

 水蓮は慎重に言葉を紡ぐ。

 「私は、イタチの目的を遂げさせてあげたい…。それだけ」

 鬼鮫の肩がピクリと揺れた。

 「それは、われわれ暁の目的という事ですか…」

 「違う…」

 その言葉に、鬼鮫は目を細め水蓮をじっと見据える。

 そのままどれほど過ぎただろう…

 鬼鮫の空気がすぅっとゆるんだ。

 「なるほど。我々はどうやら同じらしい…」

 「え?」

 今度は水蓮が目を丸くする。

 「彼は確かに暁のメンバーであり、組織に従順に動く。しかし、その奥には何か大きな、自分の目的を持っている。それは私も感じている。彼ほどの力があれば、もしかしたらこの組織を壊滅させることができるかもしれない。しかしその力を持ちながらこの組織に従ずる。そうまでして成し遂げたいもの…。私はそれに…いや、それを成し遂げるための彼の生き様に興味があるんですよ。それが私が暁にいる理由の一つでもある」

 鬼鮫は目を閉じ、黙り、考え込む。

 そしてややあって水蓮を厳しい目で見た。

 「いいでしょう。どうしてあなたがイタチさんの「それ」に気付いたのかはわかりませんが、イタチさんが動けるようになるまでやることもない。ですが、見込みがないと判断した時点でこの話はなしだ。いいですね」

 「うん…あ!はい!」

 「それから、おかしな行動をしたら…」

 スッと鮫肌を水蓮に突きつけ、殺気みなぎる目で見据える。

 「分かってますね…」

 「分かってる」

 応えて水蓮は慌てて姿勢を正した。

 「よろしくお願いします!」

 鬼鮫は鮫肌を背負い直し水蓮に「それで…?」と問いかけ何やら返答を待つ。

 「え?」

 「何か、得意なことはあるんですか?」

 「あ…うん。一応空手を…」

 水蓮は小学校の頃だけではあるが、父親が空手の師範をしていたこともあり、空手の型を習っていた。

 しかし『空手』という言葉が通じず、鬼鮫が顔をしかめる。

 「あ、え~と…体術?」

 「ほぉ…」と意外そうに声をあげる。

 「でも、技の形を見せる競技みたいなもので、実践に使えるかどうか。それに、もう10年以上体を動かしてなくて…」

 「でもまぁ、基本はできている」

 「一応は…」

 「少し見せてもらいましょう」

 厳しい目付きでそう言った鬼鮫に、水蓮は緊張した面持ちで頷いた。

 

 

 同じ建物内の一室。

 何も物が置かれていなく、ちょうど水蓮が通っていた道場と同じくらいの広さ。

 ここ最近ヒナとデンカにチャクラの練り方を教わっていた場所だ。

 その中央で水蓮は緊張を抱えつつ、記憶をたどり、一つ一つ丁寧に型を繰り出す。

 

 …シュッ…タタンッ…パンッ…

 

 水蓮の腕が空を切り裂く音が静寂の中響く。

 しなやかな足の動きが地をこすり、その音と絶妙にまじりあう。

 静かな呼吸と合わせ、時に緩やかになめらかに

 

 スッ…ザザァッ…

 

 呼吸を体内にとどめた時には、速く、切れよく…力強く

 

 …ダンッ!

 

 強く地についた足に力をこめ、水蓮は構えて息をゆっくり吸い込みながら右腕をあげる。

 

 「はっ!」

 

 腕が気合と共に一気に振り下ろされ、スパッ…と空気を二つに切り裂く。

 見えるはずのないその様が、まるで見えるかのような手刀。

 

 静と動の見事な動きに、鬼鮫は見入っていた。

 まるで美しい舞を見ているようなそんな感覚に陥る。

 ややあって、すべてを終え、水蓮は大きく息を吐き出す。

 さすがにブランクがあって昔の様には動かなかったものの、一連の流れは体が覚えていた。

 それに、体をこうして動かしてみて水蓮はこちらの世界の重力が、自身の世界に比べて幾分か軽いことに気付いた。

 それもあり、思っていたよりは動けた。

 「いや、なかなかのものですね。正直そこまでできると思ってなかった」

 腕を組みながら鬼鮫は水蓮に歩み寄る。

 「まぁ、合格点ですかね…」

 「ほんと?」

 鬼鮫が頷くのを見て、水蓮は胸をなでおろす。

 「では、さっそくですが私に向かって打ち込んでみてください」

 少し距離を取り、鬼鮫は無防備に立つ。

 「とりあえずは一発だけで構いません。蹴りでも突きでも」

 水蓮はゴクリと息を飲み、構える。

 組手はしたことがあるが、水蓮は苦手であまり取り組んでこなかった。

 しかも手順の決まった「約束組手」というものしか経験がない。

 決まりのない中での打ち込みにはやや勇気がいる。

 「いきなり反撃したりしませんから」

 「う…うん…」

 すぅっと息を吸い込み「はぁっ」と気合を吐き出し、手刀で鬼鮫に打ち込む。

 

 …ガッ!

 

 当然簡単に受け止められ、後ろに押し返される。

 

 「つぅっ!」

 どこかをぶつけたわけではない。

 鬼鮫と接触した腕に激痛が走り、抱えて座り込む。

 叩き返されたわけでもない。ただ軽く押し返されただけ。

 しかし、組手では味わったことのない痛みだ。

 「打ち合いはしたことがあるようですね」

 鬼鮫は今の一撃で組手の経験を読み取ったようで、そう言いながら水蓮に近寄る。

 「だが、互いに受け合う事を前提としたものしか経験がないようだ」

 水蓮はその洞察に驚く。

 たしかに、組手…とくに約束組手は手順が決まっており、それに合わせて互いに衝撃を逃がしながら受け合える。

 少しの型と、たった一撃の手刀を受けただけで見抜く。

 

 これが忍…

 

 水蓮は改めて世界が違う事を実感する。

 「実際の戦いでは、相手はこちらの攻撃を受けて返してくる。想定外の動きで反撃してくることもある。力も相手によって違う。今のように軽く押される程度では済まない。あなたは体の動きはできているが、反撃に耐えうる体を作れていない。それでは一撃受けただけで終わってしまう」

 「体作りが必要って事?…ですか?」

 とってつけたように敬語に直す水蓮に、鬼鮫は何か違和感を感じたのか、普通に話すように言い言葉を続ける。

 「体作りなんてしていたら、何年かかるか。そこまでは付き合っていられない。あなたに教えるのはこれだ」

 そう言って鬼鮫は腕を突き出す。

 「これ?」

 じっと見つめると、その腕の周りにうっすらと光がまとわりついているのが感じられる。

 「チャクラ?」

 「そうです」

 鬼鮫は懐から小さいナイフを出して、おもむろに腕につきつける。

  

 ガキッ…

 

 と鈍い音を立てて刃が折れる。

 「見てください」

 チャクラを消したその腕には全く傷がついていない。

 「チャクラで守る?」

 つぶやいたその言葉に鬼鮫が「ほぉ」と、笑みを浮かべる。

 「勘もなかなかいいようだ。これは、いわばチャクラの『盾』です。この(すべ)を身に着けて、あなたの体術と組み合わせれば、身を守る程度にはなるでしょう。もちろん体作りも必要ですが、それは自分で鍛えてください。そこまで面倒は見れない」

 「わかった」

 「ですが、全身にこんな事をしていたらすぐにチャクラがなくなる。相手の動きを読み、攻撃を受ける場所に瞬時にチャクラを集める。洞察力、素早さ、そしてセンスも必要だ。簡単ではありませんよ。それに、あなたはあまりチャクラを使い慣れていないようだから、チャクラの『盾』を作れるようになるまで、最低1週間はかかるでしょう。それができるまでとりあえずは一人…で…」

 鬼鮫の語尾が力を失う。

 目の前で水蓮が腕にチャクラの盾を作っていたのだ。

 「これでいいのかな?」

 自分の手を見つめながらつぶやく水蓮。

 

 ・・・・・・・・・・・・・

 

 鬼鮫はしばらく固まり、突然「ハハハ」と声をあげて笑い出した。

 「え?なに?違う?」

 水蓮はびくっと体を揺らし慌てる。

 「いえ。違いませんよ。ハハ…」

 笑い交じりに「それで構いません」と答えて息を吐き出す。

 「こんなに笑ったのは久しぶりだ。あなたは面白い人だ」

 水蓮は一瞬むっとする。

 その様子に鬼鮫は「褒めてるんですよ」と言ってまた少し笑った。

 「そうは思えないんだけど…」

 水蓮は今まで鬼鮫に言われたことを思い出す。

 

 不思議な人

 

 おかしな人

 

 読めない人

 

 面白い人

 

 …なんかまともなこと言われてないな…

 

 鬼鮫の中で自分はいったい何者なんだろうかと、水蓮はいまさらながら思った。

 「しかし驚きだ、いきなりできるとは」

 

 最近チャクラコントロールの練習していたからだろうか…

 

 「まぁ、それができるなら話は早い。まずは少しゆっくり目の組手で、感覚をつかんでください」

 そう言って鬼鮫はスッと構えた。

 「え…。でも、鬼鮫まだ…」

 動けるようになったとはいえ、傷や体のダメージは治りきっていない。

 しかし戸惑う水蓮に鬼鮫は少し笑って答える。

 「あなた程度の相手は問題ありませんよ。まぁ、多少のリハビリになるくらいだ」

 確かにそうかもしれない…

 

 鬼鮫から見れば自分はど素人だ。

 水蓮は頷いて静かに構え、息を一つ吸い込む。

 先ほどの痛みを思い出して一瞬ひるむが、痛みを恐れているようでは身につかない。

 

 『己に勝てなければ何者にも勝てない』

 

 型を教わった父親の言葉が脳裏に浮かんだ。

 思わず目の奥が熱くなったが、水蓮はそれを奥に押し込めて地を蹴った。

 

 今は前に進む!

 

 

 こうして水蓮と鬼鮫の修行が始まった。



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第十章  【悲しみより強く】イタチの章

 「全部なかった事にして…」

 「全部消して…」

 

 眠るイタチの耳に、か細い…祈りのような声が届いた…

 

 全部なかった事に…

 全部消す…

 

 そうだな。もしそれができたら…

 時折見る温かい夢は現実になるだろうか…

 まるで自分に、無意識にかけた幻術のような幸せなあの夢…

 

 でもそれは都合のよい絵空事だ…

 

 夢の中に、密やかに描くことさえ本当なら許されない

 …許されてはいけないのだ…

 

 同族を殺し、両親の命を絶ち、あいつから大切な物を奪い傷つけ、憎しみを植え付け…

 それを糧に生きることを課した。

 

 それが本当に正しかったのか…

 他に方法はなかったのか…

 いや。もう十分すぎるほど考えて導きだした結論だ。

 悩み苦しむ権利などない…

 それすら自分に与えられてはならない…

 

 決して逃れられない闇に染まる無限のループ。

 

 光ある未来など、願うことは許されてはいけない…

 

 「お願い…」

 

 願うな。祈るな…

 

 「お願い…」

 

 よせ。水蓮…

 

 その名を呼んだつもりだったが、イタチは声がでなかった。

 手の上に、何かが落ちてくる感触。不規則にポタポタと…

 

 泣いているのか…

 

 泣くな水蓮…

 泣くなサスケ…

 

 

 涙を流す二人が重なる。

 ほんの一瞬目を開ける。

 細く薄いその視界に、顔を押さえて泣く水蓮の姿がぼんやりと見える。

 

 泣くな…

 

 手を伸ばそうとするが動かず、イタチの意識はまた深く沈んだ…

 

 

 

 

 幾日かが過ぎた。

 

 イタチは自分のすぐそばに温もりを感じ、ゆっくりと目を開いた。

 目に映ったのは、眠る水蓮の顔。

 「また…」

 

 ここで眠ってるのか…

 

 とぎれとぎれに目を覚ますたびに、こうしてベッドの端に頬を乗せて眠る水蓮の姿をイタチは見ていた。

 いったい自分はどれくらいこうして動けないでいるんだろうか。

 決してそれが短い期間ではないことは分かっていた。

 その間自分にずっとついている水蓮に、イタチは様々な感情を巡らせたが『なぜ…』という戸惑いが最も大きかった。

 イタチは小さく息を吐き出し、全身の感覚を確かめる。

 痛みはまだあるものの、しばらく重かった体が今日は幾分か軽く感じる。

 もうそう長くはかからないだろう。

 ようやく自分の中で回復の目途が見えてきたことにほっとし、イタチはゆっくりと体を起こした。

 「…つっ」

 ベッドについた右手から全身に痛みが走り顔をしかめ、もう片方の手を水蓮が握りしめていることに気付く。

 

 …そうか。さっき、あの恐ろしい夢を見ていたからか…

 

 血に、闇にこの身を染めたあの日の夢。

 あの悪夢にうなされ、目を覚ますたびに水蓮が手を握っていた。

 イタチはその手をほどかず、少しだけ握り返す。

 

 悪夢の後、誰かがそばにいる

 誰かが手を握っていてくれる

 

 それがこれほどまでに安心することを、そして、恐怖から救われるということを、イタチは知らなかった。

 本当なら、この手も自分には与えられてはいけないものなのだろう。

 それでもイタチはなかなか離すことができずにいた。

 

 …彼女はなぜ自分のために泣くのだろうか…

 そんな存在はもう自分にはいないはずだった…

 必要はないのだ…

 だが、拒みきれない自分がいる…

 

 明るく、まっすぐな笑顔で自分を恐れずにかかわってくる水蓮。

 イタチは不思議と受け入れてしまう自分に戸惑っていた。

 その存在はどんどん勝手に自分の中に近寄ってくる。

 捨て去ったはずの人間らしさを呼び戻されそうになる。

 今更誰かに係わったところで、甦ってくるような物ではないと思っていた。

 

 しかし… 

 

 オレはまだ全てを捨てきれずにいるのか…

 

 だからあんな夢を見るのだろうか…

 

 決して叶う事のない景色を描いたあの夢を思い出し、そんな夢を見る自分に対して、イタチは自嘲の笑みを浮かべる。

 「滑稽だな…」

 この手を血に染め、心を闇に浸した自分があんな夢を見るとは。

 「ばかげている…」

 今ここにいる自分も、夢の中の自分も、どちらもまるで他人の様に感じる。

 客観的にその姿を見ているような、まるで現実味のない存在。

 

 自分はいったい何者なのか…

 どこに存在しているのか…

 

 イタチはそこまで考えて一度目を閉じ息を吐き出した。

 

 こんなことを考えること自体、捨て切れていない証拠か…

 

 考える事すら、自分に許してはいけない。

 イタチは今考えていたすべての事に蓋をした。

 だが、やはりその手を離せないでいた。

 

 もう少しだけ…

 

 また少しだけ力を入れる。

 

 「…つっ」

 あまり力を入れると、体中の傷に響く。

 その痛みに顔をゆがめながら、こうなった元凶である出来事を思い出す。

 

 

 …大蛇丸が動いた…

 

 水蓮と会った次の日の早朝、暁のリーダーからの呼び出しに答えた二人は、そう告げられた。

 大蛇丸は暁を抜けた裏切り者としてメンバーには抹殺命令が出ている。

 それを警戒してあまり大蛇丸も目立った動きはしていなかったが、木の葉崩しで負った傷を抱えながらも自らが動いた。

 目的は分からないが組織としては無視できず、メンバー全員にその動向を探り、見つけ次第始末しろと命令が下った。

 この時、イタチには大蛇丸の行き先に見当がついていた。

 独自に得た情報からも、大蛇丸が三代目火影の封印術によって両腕を封じられ、術が使えなくなったとのことを知り得ていた。

 それが『死鬼封尽』であるとの情報もつかんでいる。

 それによって受けた腕のダメージの回復。

 大蛇丸に係わりのある人物で、それをなしえる者がイタチの知る中に一人いる。

 初代火影の孫である『綱手』だ。

 綱手を探せば大蛇丸に行きつくと考えたイタチは、賭け事の好きな綱手が行きそうな町を当たり、その途中で自来也と遭遇してしまったのだ。

 次期火影にと、綱手の探索に自来也がナルトを連れて里を出ていることもイタチは知っており、遭遇の危険性は考えていたが、大蛇丸を処分することが最優先であった。

 暁の命令には従わねばならない。疑いから逃れるために。

 そして何より、サスケのために。

 大蛇丸は以前写輪眼を欲してイタチを襲ってきた。

 しかし、イタチとの力の差に無理だと悟り身を引いた。

 だが、そう簡単に諦める相手ではない。名前の通り、蛇のようにしつこい執着心。

 次に狙われるのはサスケだ。

 イタチはそのことを危惧して、何とか大蛇丸を消しておきたかった。

 そしてあの日、大蛇丸の情報を手にして向かったが、残念ながら自来也との遭遇で機を逃した。

 「やはり強いな」

 自来也との戦闘を思い出す。

 仙人化した自来也と、口寄せされたガマとの連携の火遁術。

 印を組むスピード、技の威力、攻撃範囲。桁外れの強さであった。

 暁の外套が術に対しての防御力が高いことで何とか命は取り留めたものの、ここへの移動の忍具がなければどうなっていたか。

 

 さすがは伝説の三忍だ…

 

 「だがそうでなければ困る」

 イタチはそんな自来也がナルトのそばにいることに感謝していた。

 そうそう簡単に暁の手に九尾は渡らずに済むだろう。

 そしてサスケのそばには…と、先日木の葉の里で再会し、千鳥をうならせながら自分に向かってきたサスケの姿を思い出す。

 おそらく今の木の葉で最も強い忍であろう、はたけカカシのオリジナルの術。

 暗部でともに従事したときに幾度となくその技を見てきたイタチにとって、その技の会得の難しさはよくわかる。

 そしてカカシがその術に何か深い思い入れがあることも、共に過ごす中で感じていた。

 それをサスケが使っていたという事は、カカシがどれほどサスケを想い、寄り添ってくれているか。

 イタチは安堵の息を漏らした。

 カカシの強さとその人柄はイタチもよく知っているのだ。

 

 感謝します。カカシさん…

 

 窓の向こうに、里とサスケを想い描き目を細める。

 と、その時…

 

 「お父さん…お母さん…」

 

 水蓮が不意につぶやき、イタチはドキリとした。

 

 両親の夢を見ているのか…

 

 初めて会った時のことを思い出す。

 両親の死に混乱する水蓮を見て、イタチはあの時思わず「見たのか」と聞いた。

 思い出したからだ。サスケを…

 両親の死を目の当たりにした者がどういう感情を見せるのかが気になった。

 何を見て、何を感じ、そして笑う事が出来るのか。

 共に行動する水蓮に、イタチは度々サスケを重ね合わせてみていた。

 

 

 無意識にその手が水蓮に伸び、触れる。

 

 サスケと同じ黒い髪…

 そして、少し広めの額…

 笑う時に柔らかく膨らむ頬…

 

 そっと触れてゆく。

  

 柔らかい…

 

 指の背で撫でる頬の柔らかさにイタチの表情が【無】を浮かべる。

 何もかもが一瞬だけ【無】に戻った。

 

 「ようやく起きたのかい」

 突然に飛んできた声に、イタチはすべての物を取り戻し、スッと手を引く。

 「気分はどうだい?」

 デンカとヒナをひきつれて、ネコ婆が部屋に入ってきた。

 「だいぶいいです」

 その表情はすでに元に戻っている。

 「すっかりご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」

 ネコ婆は、隣のベッドから布団を取り水蓮にかける。

 「まったくだよ。久しぶりに来たと思ったら、この子を置いて行って、戻ってきたらこの様だ」

 「すみません」

 「謝るならこの子に謝りな。必死だったよ」

 「そうだぜ、まったく」

 デンカがひょいっと水蓮の肩に乗る。

 その様子にイタチの表情が少し揺れるのを見て、デンカは「起きやしないよ」と笑った。

 「この感じならあと2時間は起きないフニィ」

 ヒナがベッドに飛び乗り、水蓮の頬にすり寄る。

 「そうか…」

 よほど疲れているのだろうと思いながら、自分の知らぬところで、水蓮がずいぶんここに馴染んでいたのであろうことを感じる。

 「それで…」

 ネコ婆の表情が少し硬くなる。

 「お前これからどうするんだい?」

 イタチは窓の外を見つめ答える。

 「時を待ちます」

 その身に静かな空気が集まってゆく。

 目には見えない静寂。

 それがイタチの足先から髪の先まで…すぅっとまとわりついてゆく。

 「サスケか…?」

 ネコ婆のその言葉は、問いかけであって問いかけではなく。どこか悲しげな色を含んでいる。

 「奪った者と奪われた者が相まみえるとき、それがどういう事なのか覚悟の上なんだね…」

 イタチの周りに集まった空気が今度は冷たさを帯びてゆく。

 「はい」

 微塵の揺れもない瞳。

 いかなる言葉も無力。

 ネコ婆は「そうか」と、ただ一言だけ答えて、デンカとヒナを連れて部屋から出て行った。

 ドアの閉まる音と同時に、水蓮が「お父さん…お母さん…」とまたそうつぶやき、その瞳から涙がこぼれ、頬を伝った。

 

 …サスケもこうして夢に見て涙を流しているのだろうか…

 

 悪夢にうなされるあいつのそばには、誰かがついてくれているんだろうか。

 しばらく前に月読で苦しめたサスケの姿が脳裏に浮かぶ。

 

 …あいつはもう…目覚めただろうか…

 

 サスケ。悲しみに打ちひしがれるより強く…

 

 オレを憎め…

 

 恨め…

 

 



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第十一章 【ひと時の和み】

 水蓮は夢を見ていた…

 

 

 朝、リビングからお母さんの声がする。

 「起きなさぁい!」

 「起きてるってば!」

 

 いつもこんな感じで、ちょっと愛想なく返事して…

 部屋から出ると卵焼きのいい匂いがして…

 なかなか同じ味にならないんだよね…

 

 そんなことを考えながら食卓に着く。

 お父さんはいつもこの時間、庭での稽古を終わらせて、さっとシャワーを浴びて着替えて先に座ってた。

 お母さんはいつも私が座ってからお味噌汁をよそって、席につく。

 「食べましょ」

 「今日もうまそうだな」

 いただきます。と絵に描いたようにみんなで手を合わせて食べる。

 

 いつも同じ光景…同じ言葉…

 同じ時間に同じことして…

 なんだか当たり前に過ごしてた…

 でも、それってすごいことだったんだね…

 

 失ってからわかる…

 

 本当に月並みの言葉で、いまどき歌の歌詞にも使われない…

 でも、その通りだ…

 お父さんともお母さんとも、これと言って何の問題もなく、よくある仲のいい家族に分類されるだろう…。

 だからこそ、当たり前が当たり前で…

 当たり前のことが、当たり前に目の前にあることが、本当は奇跡なんだと気付かなかった…

 

 「ちょっと焦げちゃったかなぁ」

 お母さんが卵焼きを箸で持ち上げて、向きを変えながら確かめる。

 「そんなことないよ。いつもおいしいよ」

 お父さんが笑う。

 娘が大人になるほどの期間一緒にいるのに、二人はいつまでたっても仲が良くて、それは娘としては嬉しいことだけど、ちょっと呆れてた…。

 だけど、二人は分かっていたんだね…

 当たり前が奇跡だって…

 そんな大切なことが分かっている二人が死んで…気付かなかった私が一人生き残った…

 ごめんね…

 もっと早く気付けばよかった…

 もっともっと話したいことあった…

 伝えなきゃいけないことあったのにね…

 「ごめんね…」

 二人がこちらを見て笑った。

 「一緒に行ってあげられなくてごめん…」

 「お前のやるべきことをやりなさい」

 お父さんが言う。

 「あなたの信じた道を行きなさい」

 お母さんが言う。

 二人は優しく微笑んで頷いた。

 その姿が薄れてゆく…

 

 …私やり遂げてみせるから…

 

 こんなにも大切な時間を、あの人はその手で消し去らねばならなかったのだ…

 その苦しみは計りしれない…。

 

 必ずあの人の想いを遂げさせてみせる…

 見守っていてね…

 

 「お父さん…お母さん…」

 

 つぶやいたその自分の声で、水蓮は目を覚ました。

 ゆっくりと目を開ける。

 と、自分を見下ろすイタチの顔があった。

 「わぁっ!」

 思わず声をあげて起き上がる。

 「なんで!」

 「なぜと言われても、ここはオレのベッドだ…」

 「あ、そうか」

 呟いてハッと気づく。

 「イタチ…起きてる…」

 ベッドの上に身を起こすイタチに、目を見開く。

 「起きてる…」

 「ああ。起きてる」

 「よかった…」

 ぽろっ…とまた落ちる涙に、イタチは目を細めた。

 「すまなかった」

 「え?」

 思わぬ言葉に水蓮は驚き涙が止まる。

 「無理をさせた…」

 首を横に振ると、止まったはずの涙がまた落ちた。

 「お前はよく泣くな」

 フッと表情を緩め、体勢を直そうと身じろぎをしたとき、体に痛みが走り顔をしかめる。

 「イタチ、まだ横になってたほうがいいよ」

 そっと体に手を添える。

 「ああ。すまない。水蓮、鬼鮫はどうした?」

 「鬼鮫はもうすっかりいいよ。ここ数日はデンカとヒナに倉庫の片づけ手伝わされてる。治療してやったんだから、手伝えって言われて…今日も朝からしぶしぶ手伝ってるよ」

 「そうか。デンカとヒナにかかれば元忍刀七人衆の名も、霧隠れの怪人の名も形なしだな」

 小さく笑い、体をベッドに戻しながらイタチは自分の体に添えられた水蓮の腕に痣を見つけて顔をしかめる。

 「どうした?」

 「え?」

 イタチの視線の先に気づき、水蓮はさっと手を引っ込める。

 鬼鮫との修行でついたものだ。

 チャクラを酷使しているからか、修行でついた傷がすぐに消えないこともあり、その痣も昨日よりは薄くなったもののまだ少し残っていた。

 「ちょっとぶつけただけ。大したことないよ」

 鬼鮫との修行はイタチにはまだ話さないでおこうと水蓮は考えていた。

 「やめろ」と言われそうな気がして、水蓮は鬼鮫にも自分から話すまでは黙っていてもらえるように頼んである。

 「水蓮…」

 「なに?」

 痣の事を追及されるかとドキリとするが、イタチは少し言いにくそうに口を開いた。

 「両親の夢を見ていたのか…?」

 「……あ……」

 寝言を聞かれていたのかと気まずくなる。

 しかし、寝言に関してはイタチも同じことだった。

 熱にうなされている間、両親の事やサスケの事をよくうわごとで言っていた。

 水蓮の夢も、イタチのその言葉に影響されたのかもしれない。

 「うんそうみたい…」

 「そうか…」

 沈黙が落ちる。

 「でも、大丈夫だよ」

 水蓮の言葉に、イタチの手がピクリと揺れる。

 「大丈夫じゃないけど大丈夫」

 「…………」

 「そりゃぁ辛いし悲しいし、さみしいし。なんかいろいろ痛いけど。いつまでも立ち止まってはいられない。進まないと何も見つからない…」

 イタチの視線が水蓮に向けられる。

 「生きる目的を見つけることができれば、強くなれるから…」

 イタチが目を見開き、また「そうか」とつぶいて、どこか少し安心したような表情で窓の外を見つめる。

 その目に浮かぶ優しくて切なげな色に、水蓮はハッと気づく。

 イタチがサスケを思い出していることに。

 

 …そうか。イタチは両親を目の前で亡くした私と、両親の死をその目に見たサスケを重ねてたんだ…

 

 初めに合った時、水蓮が両親の死を呟いたあの時、イタチはこう聞いた。

 

 「見たのか?」と。

 

 あの時から時折見せる表情の変化は、サスケを重ね合わせて…

 思い出して…

 いつでもサスケを思って…

 

 水蓮は一瞬の切なさを押し込め、両手にギュッと力を入れてもう一度言った。

 「目的があれば、強くなれる!」

 

 サスケも…

 

 その想いを込める。

 イタチに自分の進む道が、サスケに課した道が間違いではないと、そう感じてほしい。

 少しでも心の負担が取り除ければ。そう思った…。

 イタチは水蓮の勢いに少し驚いたような顔をしたが「そうだな」と笑った。

 

 

 

 それからさらに3日が過ぎ、二人が戻ってきてから20日ほどたった。

 イタチの熱や痛みの症状はほぼおさまり、回復は順調だった。

 鬼鮫はすでに完全に回復し、イタチの回復を待っている。

 水蓮と鬼鮫の修行も順調に進み、水蓮のチャクラコントロールは驚くほどのスピードで上達しており、空手と組み合わせての使い方はかなり形になってきていた。

 「鬼鮫はまたこき使われているのか?」

 ベッドから体を起こし、イタチは部屋の中を見回す。

 「うん。鬼鮫大きいからね。高い場所に置きっぱなしになってたものとか、重い物とかの移動を手伝わされてるみたいだよ」

 「デンカとヒナでもできるだろう」

 確かに、どちらも大きくなる術を持っている。

 「そのこと鬼鮫知らないから。うまく使われちゃって…」

 イタチもデンカとヒナに何かそういうような思い出でもあるのだろうか。

 気の毒そうに目を細めた。

 「まぁ、あいつもいいリハビリになるか」

 そして少し柔らかく笑う。

 長く床にいてしばらく戦いから離れたからか、その空気から少し警戒が薄れているように思い、水蓮は嬉しさを感じていた。

 この場所が、古くから知る所だということもあるのかもしれない。

 それがたとえ一時的なものでも、水蓮にとっては貴重な、穏やかな時間だった。

 「そうだね」

 笑顔を返し、水蓮はイタチの薬の時間になっていることに気づき、椅子から立ち上がる。

 「薬持ってくる」

 「…あ…ああ」

 その表情が一気に曇る。

 イタチの憂鬱の原因は、薬ではなく合わせて飲んでいる栄養補給と治癒力を高めるための薬草にあった。

 苦みがひどく、甘いものが好きなイタチにとって、その苦さは地獄のようで、いつも飲むまでにかなり時間を要する。

 表情はあまり変えないものの、まとう空気があからさまに重くなるイタチに、水蓮は「今日は大丈夫だから」と笑う。

 と、その時ドアが開き鬼鮫が入ってきた。

 「イタチさん、調子はどうですか」

 「ああ。だいぶいい。もう数日すれば動けるだろう」

 「それはよかった。早くここから出ないと、毎日毎日こき使われてたまらない…」

 うんざりとした顔を浮かべる。

 「ゆっくりしてればいいんだぜ」

 憂鬱な表情の鬼鮫の足元から、ひょこっとデンカが顔を出す。

 「水蓮、薬持ってきたぜ」

 器用に二本足で立ち、デンカがお盆を手にイタチのそばに歩み寄る。

 「ほら」

 差し出されたそれを見てイタチは顔をしかめる。

 そこに乗っていたのは、いつもの炎症止めの薬と水。そして温かいお茶と草色の四角いスポンジケーキが二切れ。

 「なんだこれは…?」

 水蓮を見上げる。

 「抹茶といつもの薬草を練り込んで作ったの。特性の薬草ケーキ」

 「ぱうんどけぇき…って言うらしいぜ」

 デンカの言葉に、顔をしかめながら一切れ手に取る。

 今までに経験のないふんわりとしたその感触に、イタチは少し戸惑う。

 「お前が作ったのか?」

 手に取ったケーキを、じぃっと見つめる。

 「ネコ婆様のお孫さんがね、お菓子作りにはまったことがあるらしくて、材料も道具もかなりそろってたのよ」

 イタチは手の中の物を見つめたまま動かない。

 「早く食べろよ」

 デンカに促されるがなかなか食べない。

 何やら警戒するその様子に「毒は入っていませんよ」と鬼鮫が笑いながらデンカの持つお盆を取って、イタチのベッドの上に置く。

 「作るところを一応見てましたから」

 「え?…あ、ああ」

 頷くが、しかし、食べない。

 「イタチ?」

 水蓮が覗き込むと、イタチは少し額に汗を浮かべている。

 「いや……………苦くないのか……?」

 小さな声でぼそりと言う。

 「毒よりそっち?」

 思わず突っ込む水蓮の後ろで鬼鮫が「クク」と笑うのが聞こえる。 

 

 そんなにこの薬草嫌いなんだ…

 

 「子供かよ…」

 デンカが小声でぼやき呆れている。

 「大丈夫だよ」

 笑い交じりに答えながらベッド脇の椅子に水蓮が座る。

 「何のためにケーキにしたと思ってるのよ。そりゃぁ完璧に苦味はなくせないけど、そのままよりはずいぶんましよ」

 それでもしばし見つめたまま動かず「さっさと食え」とデンカの苛立ちに触れてようやく、イタチは意を決したようにかぶりついた。

 手で感じるよりもさらにふんわりとした触感。

 一瞬感じる薬の苦みを抹茶の香りが和らげる。

 「……う」

 小さくうめいて水蓮に背を向けるように体の向きを変える。

 「え?苦い?おいしくなかった?」

 「いや。問題ない…」

 いつもの低い静かな声でそう答え、黙々とすべてを食べ終わり、薬とお茶を飲む。

 「大丈夫だったでしょ」

 「ああ」

 答えはしたものの、目を合わせない…

 心なしか体が少し震えているような気がする…

 「まだあるフニィ」

 ヒナが山積みのパウンドケーキを持って入ってきた。

 それに気付いたイタチの肩がピクリと揺れた。

 「こっちは普通のケーキだフニィ」

 軽い足取りでイタチのそばに歩み寄る。

 しかし水蓮はケーキを取り上げた。

 「こんなにいっぺんに、しかも続けて食べれるわけないでしょ。まだ体調も良くないんだから。イタチ、またあとで食べれそうになったら持ってくるね」

 立ち上がろうとする水蓮を、しかしイタチがその手首をつかんで止めた。

 「まて」

 「え?」

 まるで逃げおおせる敵に向けて放たれたような低く研ぎ澄まされた声。

 部屋の中に沈黙が落ちる。

 

 ・・・・・・・・・・・・・・

 

 「イタチ?」

 首を傾げる水蓮に、小さな小さな声でイタチは言う。

 「食べる」

 「ん?」

 水蓮はそれが聞き取れず顔を近づけると、イタチは少し頬をひきつらせながら

 「今食べる」

 そう言って水蓮の手からケーキの乗った皿を奪いとり、また背を向ける。

 「へ?」

 そのスピードにあっけにとられる水蓮の足元でデンカが呆れた声で言う。

 「うまかったんならそう言えよ」

 「素直じゃないフニィ」

 「そうですね」

 「うるさい…」

 背を向けたままのイタチの耳が少し赤いことに気づき、水蓮は肩を揺らして笑い声をこらえた。 

 「おいしかった?」

 あえて聞いてみる水蓮に、イタチは顔をそむけたまま、また小さい声で言った。

 「…ああ」

 ベッドの上に飛び乗ったデンカとヒナにはその表情が見えているようで、どちらもイタチをみて「ククク」と、喉を鳴らして笑った。

 「気に入ってもらえたみたいでよかった」

 水蓮は嬉しさが溢れたが、

 「でも、あと2つだけね。食べ過ぎはダメだよ」

 そう言ってお皿を取り上げる。 

 ケーキを取り上げられたイタチの顔が少しいじけて見えたのは水蓮の気のせいではなさそうだった。



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第十二章 【空区との別れ】

 薬草入りのケーキと、普通のケーキを堪能したイタチはあれからしばらくして眠った。

 今使っている炎症止めの薬の作用で、こうして眠ると3時間は起きてこない。

 水蓮はイタチに布団をしっかりとかけ直し、部屋を出た。

 「眠りましたか」

 向かった先。鬼鮫との修行部屋ではすでに鬼鮫が待っていた。

 こうしてイタチが眠っている時間は、二人の修行の時間となっていた。

 「うん。ぐっすり」

 「では、始めましょうか。今日は私の水分身と戦ってもらいましょう。ちょっと強めにいきますよ」

 言うなり印を組み、生み出された鬼鮫の水分身が水蓮に向かって一気に間合いを詰める。

 「え!ちょっと!」

 慌てて構えて、水分身(きさめ)の繰り出した突きを両手をクロスして受け止める。

 しっかりとチャクラでガードしているものの、いつもより数段重い衝撃に、水蓮は後ろに弾き飛ばされる。

 

 ざざぁっ…と、地面をこすりながら着地し、すでに追撃のために間近に迫っていた水分身(きさめ)の蹴りを飛んでかわす。

 水蓮は腰につけたポーチからクナイを3つ取り出し、指に絡めて水分身(きさめ)に向かって放ち、その後ろから自身も駆ける。

 まだうまくは投げられないが、自分なりに練習を重ね、多少の陽動としては使えるようになっていた。

 鬼鮫はやはり難なくそれをはじくが、その手が戻るより早く、水蓮が懐に飛び込み、チャクラをためた手で水分身(きさめ)の腹を突く。

 チャクラをためたからと言って綱手やサクラのように威力が上がるわけではなかったが、自身の体への負担が減らせる。

 ぐっと拳に力を込める。

 が、ひらりとかわされ、ほんの少しかすめる程度に終わり、水蓮は唇をかみしめた。

 しかし、その様子を見ていた鬼鮫の口からは小さく感嘆の言葉が漏れた。

 まだまだ荒削りではあるが鬼鮫が見る限り、水蓮の体術は驚くべき上達を見せていた。

 水分身(きさめ)はかわした勢いで反転し、水蓮の背に肘を入れる。

 しっかりとチャクラで防御しつつ、水蓮は前に飛びその衝撃を殺し、クナイを水分身(きさめ)の足元に投げつける。

 それを交わして軽く飛び上がる水分身(きさめ)の少し上に位置を取り、落下の力を利用して拳を放つ。

 「はぁっ!」

 渾身の力を込める。

 しかし、大きな手のひらに受け止められ、腹部に掌底打ちを返される。

 水蓮はチャクラを厚く集めて防ぐが、やはり弾き飛ばされて壁に激突する。

 

 ガァッ!

 

 音を立てて壁の一部が崩れ、砂埃が立ちこめる。

 しかし、その中から現れた水蓮はしっかりと立っていた。

 瞬時に背中にチャクラを回し、その身を守り、衝撃はあったものの体へのダメージは微々たるものだ。

 構えなおして、地を蹴る。

 しかし、同時に鬼鮫が水分身を解いた。

 「そこまででいいでしょう」

 その顔は満足そうに見える。

 「でも、全然…」

 「敵わなくて当然。分身と言えども相手は私だ」

 少し息の上がった水蓮に、鬼鮫はそう言いながら歩み寄る。

 「もともと、相手を倒すための訓練ではなく、その身を守るための物。あれだけしっかりチャクラコントロールで体を守れていれば、まぁある程度物になったと言える」

 鬼鮫は「それに」と言葉をつづけた。

 「力を押さえてるとはいえ、私の分身相手にほんの少し攻撃をかすめただけでも十分だ。相手にもよりますが、あれだけできれば体術でなら中忍レベルの忍と多少はやりあえる」

 「え?そうなの?」

 今までも、ただただ鬼鮫に翻弄されっぱなしだった水蓮には驚きの言葉だった。

 

 そんなに強くなっていたなんて…

 

 水蓮は自分の両手をじっと見つめる。

 そんな水蓮に、鬼鮫が「まぁあくまでも、防御という点でですがね」と言いフッと笑った。

 「あなたはとんだ逸材だ」

 水蓮は思わず鬼鮫を見上げる。

 「あなたに体術を教えた人物も、さぞかし教え甲斐があったでしょうね」

 その言葉に水蓮は少し視線を落として答えた。

 「父親に教わったの…」

 「そうですか…」

 「うん」

 水蓮の脳裏に父親の姿が浮かぶ。

 

 『さすがは俺の娘だ!』

 

 大会で優勝した時の嬉しそうな顔… 

 本当にうれしかった。

 空手が好きというより、お父さんが喜んでくれたから…

 

 それが嬉しく、水蓮は頑張った。

 だが中学に入ってしぱらく後、水蓮は空手をやめた。

 理由はその年頃にありがちな、【女の子らしくありたい】という物だった。

 

 当時の水蓮は様々な大会で入賞し、名を馳せていたため、好きな子ができてもなかなか想いを実らせることができなかった。

 いわゆる【守ってあげたい】タイプとは程遠く、そういうタイプの友達に恋人ができていくのを見守るばかりであった。

 早朝も、放課後も練習ばかりでなかなか遊びに行けず、それが嫌になり空手から離れた。

 だか今その空手に助けられている。

 

 ごめんね。お父さん…

 

 ありがとう…

 

 「お父さんが教えてくれたのよ…」

 「そうですか」

 重ねて言う水蓮に、鬼鮫もまたそう答えて「さて」と、腕を組む。

 「あなたとの修行はここまでで終わりだ。あとは自分でさらに鍛えて行けばいい」

 「わかった」

 「ただ…」

 一瞬考え込み、鬼鮫はフッと笑みをこぼす。

 「頑張ったご褒美にもう一ついいものを教えてあげましょう」

 「え?」

 意外な言葉だった。

 どちらかというと自分に疑いを向けている鬼鮫から、そんなことを言われると思っていなかった水蓮は目を丸くした。

 この修行にしても【しぶしぶ】【気まぐれ】【暇つぶし】という要素が強かった。

 なのに、自分から何かを教えようなどと、水蓮は驚きを隠せない。

 鬼鮫もまた、自身の行動に少なからず驚きはあった。

 だがそういう気になった事が府に落ちる所もあった。

 この短期間にここまで伸びた水蓮を見て、鬼鮫は『面白い』と感じていたのだ。

 強い者が才能あるものに触れた時、育てたいという感情が無意識に芽生える。

 だが自分と水蓮の関係上、下手なことはできない。

 とはいえ、忍としての訓練を受けていない水蓮が、今から何をどうしたところで、自分たちの脅威になるほどの物を身に着けられるとは思えない。

 鬼鮫の中で『許されるギリギリ』のところでの行為であった。

 それに、これまでのイタチへの献身的な態度を見て、鬼鮫の中からは水蓮への警戒はかなり薄れていた。

 「ただし、一緒について教えるのは今日だけです。物にできるかどうかはあなた次第だ」

 そう言って一枚の紙を取り出した。

 「これにチャクラを流してください」

 水蓮は見覚えのあるその紙を受け取り、チャクラを集中する。

 その紙にチャクラが流れた瞬間、紙が姿を変える。

 それを見て鬼鮫は少し楽しげに笑った。

 「どうやらあなたは我々とは相性がいいらしい。とくにイタチさんとはね」

 その言葉の意味を解し、水蓮は強くうなずいた。

 

 

 

 それからさらに幾日かが過ぎ、二人が戻ってきてから一ヶ月がたった頃。イタチと鬼鮫に暁から呼び出しがかかった。

 「また任務ですかね」

 「どうだろうな」

 二人はそれぞれベッドの上に座り、組織との通信に備える。

 その様子を見ていた水蓮に、ふいに鬼鮫が視線を投げ、イタチに向き直る。

 「どうしますか?」

 しばし考え、イタチは「イヤ…」と呟くように言う。

 「まだ報告の必要はないだろう。何も掴めていない状態であれこれ聞かれても面倒だ」

 「確かに、そうですね」

 そして二人とも目を閉じて静止する。

 

 通信が始まったようだ。

 

 イタチ…。私の事まだ暁に言ってなかったんだ…

 

 水蓮はそんな事を考えながら、そっとイタチの側に座る。

 イタチの心に寄り添うのは容易ではない。

 

 せめて近くにいよう…

 

 水蓮はそこから始めようと考えていた。

 チラリとイタチの顔を見る。

 

 睫毛長いな…

 顔立ちも綺麗すぎだよね…

 この顔のシワっていつ頃からあるんだろ…

 それにしても顔の火傷の跡消えてよかった…

 

 いろんな事を考えながらジィっと見つめていると、ふいにイタチが片目だけを薄く開けた。

 「なんだ?」

 水蓮はビクッとして離れる。

 「あ、ごめん。何でもない」

 

 この状態でも多少動けるんだ…

 

 「ハハ…」と気まずく笑う。

 イタチは再び目を閉じ、二人は数分動かなかった。

 しばらくして、通信が終わったのか鬼鮫がため息をつき「面倒ですね」とぼやき、イタチが難しい顔で立ち上がる。

 「そう言うな、組織の命令は絶対だ」

 「イタチさんは従順ですね。ここに本来の目的はなさそうなのに…」

 「鬼鮫」

 イタチの鋭い視線に鬼鮫は肩をすくめ、水蓮に向き直る。

 「用ができました。準備ができ次第出発します」

 

 また暁からの任務…

 

 「わかった」

 少し緊張を含んだ声で水蓮が返す。

 「今回は海の向こうのようです。船や人員はすでにこの先の港町に用意されているようだ」

 「準備いいね」

 「忍以外にも組織にはある程度の人員がいるんですよ。それを維持するための資金集めも大変ですがね」

 鬼鮫はそう言って「案外地味な仕事もしますよ」とため息をつく。

「そうなんだ…」と返しながら荷をまとめようとする水蓮に今度はイタチが言う。

 「水蓮。お前はこのままここで待て」

 「え…でも…」

 イタチには話してないものの、一緒に行動できるように鬼鮫と修行してきたのだ。

 「大丈夫だよ、私…」

 「ダメだ」

 しかしイタチは水蓮の言葉を遮る。

 「行き先は数十年前に滅びた国で、今中がどうなっているか情報がなにもない。 何が起こるかわからない…」

 何かが起こったときに、水蓮を守りながらでは動きが取りにくい。

 すなわち『邪魔だ』とイタチはそう言いたいのだろう。

 水蓮は返す言葉が見つからず、うつむき黙り混む。

 しかし、思わぬところから手が差しのべられた。

 「いえ。水蓮は連れていきましょう」

 「え?」

 肩に手を置かれ、水蓮は鬼鮫を見上げた。

 「どういうつもりだ」

 イタチの空気がピリッと張りつめる。

 「あなたこそ、どういうおつもりですか。この間は相手が相手でしたから、邪魔にならぬよう置いて行きましたが、彼女は監視する必要がある。

 それに、目的地まで数日かかります。まだ完全とは言えないあなたの体の事を考えても、彼女は連れて行った方が良いでしょう。向こうであなたに倒れられたら任務に支障が出て困りますからねぇ。それに言ったはずですよ。『共食いには気を付けたほうがいい』とね」

 「…………………」

 イタチは目を細めて思い返す。

 二人が初めて会った時、鬼鮫がイタチにした話を…。

 鬼鮫はイタチに対して戦ってみたいとの意思を見せたあと、鮫の稚魚が仲間同士で共食いをするという話を引き、互いを監視し合う『暁』のツーマンセルの仕組みの中、イタチに『油断したら殺す』と忠告してきたのだ。

 そのうえ、鬼鮫はもしイタチが暁を裏切れば、自分がその始末役として、うちはの天才であり『一族殺し』の異名を持つ彼を殺せる事を光栄だととらえ、喜びをも感じている男だ。

 体調が不完全な状態で、自分と二人で行動することがどういう事か。

 鬼鮫はそれを改めて忠告してきている。

 イタチはそう悟り鬼鮫を鋭い眼差しで見据える。

 鬼鮫はその視線をどこか心地よさそうに受け止め口元に笑みを浮かべる。

 「体調管理は気を付けたほうがいい。組織のためにも、あなたのためにも…」

 イタチが何かを返そうとするが、それを遮って鬼鮫が言葉を重ねる。

 「それとも、あなたともあろうお人が、任務の達成率より他人の安否を優先させるおつもりですか。それに彼女は死なない。何かが起こっても庇う必要はないでしょう。いざとなれば盾にもなる。案外役に立ちますよ…」

 「鬼鮫…」

 二人を取り巻く空気がどんどん鋭く研ぎ澄まされていく。

 まるで切り合いが始まりそうな雰囲気だ…。

 その空気の重さに、水蓮の額に汗が浮かぶ。

 「あなたはどうしたいですか。水蓮」

 イタチを見据えたまま鬼鮫が言う。

 「私は…」

 チラリとイタチを見ると、その目は厳しく光り「来るな」と言っているようだった。

 水蓮はイタチの迫力に負けまいと、グッと両手を握りしめ強い口調で言う。

 「行きたい」

 イタチの側にいると決めた水蓮にとって、他に選択肢はない。

 しばらく沈黙が落ち、「だめだお前はここに残れ」と言うイタチの言葉に重なって、別の声が飛んできた。

 「うちはお断りだよ」

 イタチの後ろからネコ婆が姿を現す。

 「そう何度も預からないよ。孫ももう帰ってくるし、人手は足りてる。イタチ、その子は連れて行きな」

 何も受け付けない様子のネコ婆にイタチは諦めたように大きくため息で答え、水蓮に向き直る。

 「用意しろ」

 そう一言だけ言って水蓮の横を通りすぎ「武器を仕入れる」と鬼鮫と共にその場を去る。

 イタチの少し苛立っている様子に、水蓮は気まずくうつむいたが、ポンッとネコ婆が肩に乗せたその手のぬくもりに、顔をあげた。

 「頑張りな。あの子を頼むよ」

 「はい!」

 力強く答えて、水蓮はネコ婆に頭を下げ二人の後を追った。

 

 

 30分後、準備を終わらせた水蓮はネコ婆たちとあいさつを交わしていた。

 「デンカ、ヒナ。ほんとにいろいろありがとう…」

 思わず目の奥が熱くなる。

 「ああ。またいつでも来いよな。またマッサージ頼むぜ」

 「マタタビボトルも忘れたらダメだフニィ…。元気で過ごすフニィ…」

 デンカとヒナが、語尾をさみしさに震わせたので、水蓮はこらえきれずに抱きしめた。

 「また来る。絶対来るね…」

 「ああ」

 「待ってるフニィ」

 最後にデンカとヒナの頭を撫でる。

 そしてネコ婆に向き直る。

 「ネコ婆様…」

 「水蓮、達者でな」

 優しく微笑まれ、水蓮はネコ婆に抱きついた。

 こちらの世界に来て初めて、何のわだかまりもなく、自分が何者かも問わず、ただ一人の人として関わってくれた。

 水蓮にとっては大きな救いと支えになった人物だ。

 「本当にありがとうございました」

 「ああ。気をつけて行きな」

 「はい」

 頷く水蓮にネコ婆は「これを持っていきな」と、水蓮にお守りを渡した。

 ネコの形をしたそのお守りを、水蓮は大事そうに握りしめて懐にしまう。

 「ありがとうございます」

 「ああ。イタチ、ちゃんと守ってやるんだよ!この子には治療してもらった借りが有り余るほどあるんだからね」

 念を押すように言われ、イタチは頷きを返し、深々と頭を下げた。

 「お世話になりました」

 その一言には、今回の事だけではなく、今までのすべてがこめられていた。

 

 イタチはもうここには来ないつもりなんだ…

 

 水蓮はまたこぼれそうになった涙を必死でこらえた。

 

 泣いてばかりいたらだめだ…

 強くならないと…

 

 「あとの事は任せておきな」

 ネコ婆の言葉に、水蓮とイタチの脳裏にサスケの姿が思い浮かぶ。

 イタチはもう一度「ありがとうございます」と、頭を下げた。

 そのとなりで、鬼鮫が頭を下げぬまま「一応お礼は言いますよ」と言ってデンカとヒナをジトリとにらむ。

 「まぁ、私はおつりがくるくらい借りは返したつもりですがねぇ」

 「ハハ。鬼鮫、また来いよ」

 「またこき使ってあげるフニィ」

 「いや…遠慮しておきましょう」

 本気で、素の口調で答える鬼鮫に水蓮は思わず笑った。

 「そろそろ行くぞ」 

 イタチのその言葉に二人は頷き【空区】をあとにした。

 水蓮は門を出たところでもう一度振り返り頭を下げ、振り向かず歩いてゆくイタチと鬼鮫の後に続いた。



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第十三章 【亡滅の国】

 空区を発った日の夜。

 水蓮たちは港町につき、用意されていた船ですぐに出向した。

 船はさほど大きくなく、人員は3人。

 イタチと鬼鮫の事しか聞かされていなかった彼らは、水蓮の存在に疑念を抱いたが、イタチの瞳術で催眠にかけられ、それは一瞬によって払拭された。

 

 

 暁からの任務を受け、船が向かう先は戦乱に滅びた「渦の国」

 

 

 やや距離はあるものの海は穏やかで、順調に航路を進めていた。 

 

  

 

 夜の海は、その行き先がまるで見えず、巨大な闇の中にぽつんと放り出されたような不安と孤独に襲われる。

 静かな波の音でさえ、どこか()なる世界へと連れ去ろうとする(いざな)いのようだ。

 潮の香りを含んだ風が船の上を駆け抜け、行きつく先を求めて暗闇の中へと吹き流れてゆく。

 その風に身をさらし、闇をひたと見つめる人影が一つ。

 「暗いな…」

 船の甲板で、イタチはその闇を見つめていた。

 頼りない三日月の光では夜の闇を照らすことはできず、すぐ目の前の景色すら深い闇一色。

赤く輝くその瞳には、揺らめく波がしっかりと見えてはいるが、イタチは辺りを埋め尽くすその闇に自身の闇が同化するようで、そこに吸い込まれていくような感覚に陥る。

 身にまとう暁の外套の黒もその闇に溶け込み、描かれた赤雲(せきうん)だけが血のように浮かぶ。

 イタチはその赤から目をそむけるように瞳を閉じ、静寂に身を浸す。

 ふと、先ほどの水蓮の顔が浮かぶ。

 『行きたい』

 強い意志を秘めたあの瞳。

 

 なぜ彼女は自分たちと共に行きたがるのか…

 

 暁という組織を多少なりとも知っている。自分の名や鬼鮫の名も。

 その名を知るからには、当然その行いも知っているであろう。それでも恐怖を感じず、行動を共にする。

 

 本来なら、逃げ出そうとするはずだ…

 そこに何か意図はあるのだろうか。企みがあるのだろうか。

 

 だが、水蓮の今迄の行動を思い返すが、その可能性は限りなく低いように感じる。

 

 しかし、油断はできない…

 

 自身の目的を遂げるためには、たとえ限りなく無に近い可能性であっても危険を感じさせるものは捨て置くわけにはいかない。

 

 人を見かけや思い込みだけで判断しないほうがいい…

 

 かつて自分が口にしたその言葉を思い出し、ゆっくりと目を開き「そうだな」と自分自身に答える。

 

 しばらく意識を集中してあたりを探るが、これといった異常は感じられない。

 どうやら航路に問題はないようだ。

 

 「イタチさん、風邪をひきますよ」

 船室の中から鬼鮫が出てきてイタチの隣に立つ。

 「見張りは彼らに任せて大丈夫でしょう。感知タイプもいますし」

 「ああ」とイタチは短く答えて鬼鮫にちらりと一瞬目を向ける。

 

 この男はなぜ水蓮に体術の指南をしたのだろうか…

 

 イタチは水蓮から体術の心得があり、自身の身を守れる程度の訓練を鬼鮫から受けたことを聞き疑問を抱いていた…。 

 

 見張るためにそばに置く…

 そばに置くからには、足手まといにならぬよう、多少なりとも動けるすべを身に着けさせたのか…

 

 イタチは自分の中で問い、答えを仮定づけてゆく。

 

 確かに、危険な要因がないか見張るために共に行動させている。

 その真意を見定め、身柄をどうするかを決めるまで、まったく動けないよりは、多少なりとも自身を守れればそれに越したことはない。

 邪魔にならぬように…

 それに【多少】程度で自分たちに危険が及ぶこともない。

 

 だからか…

 

 一つが仮定づくと、次の疑問が浮かぶ。

 

 見張るためにはそばに置く…

 

 それを決めたの自分だ…

 

 なら、なぜオレは「置いていく」と判断した…

 情がわいたか…

 それともサスケを重ね、無意識にその身案じたというのか…

 

 

 いや、違う…

 

 そんなはずはない…

 『情』などこの心にはない…

 邪魔をされたくなかっただけに過ぎない…

 

 そのはずだ…

 

 「何か問題でも?」

 黙して自問自答を続けるイタチに、鬼鮫が首をかしげた。

 「いや…」

 

 …仮定でしかないこと考えるのは無意味か…

 今は、ただ暁からの任務を遂行する…

 それがすべてだ…

 

 「なにも問題ない」

 まるで自分に言い聞かせるかのように言い放ち、一切の感情を闇の中へと沈めた。

 

 

 

 3日後の昼過ぎ、一行は渦の国へと船をつけた。

 自来也との戦いで負った傷はまだ完全に治っていないものの、ここしばらくは動かず療養していたこともあってか、イタチが体調を崩すこともなく、無事にたどり着けたことに水蓮はほっとしていた。

 

 

 遠浅の浜辺をゆっくりと進み、船は徐々にその船底を細かく質の良い砂に滑らせて止まる。

 海水は淡いグリーンで恐ろしいほど透き通り、その水の上からですら、砂につけた波紋の細部まではっきりと見て取れる。

 「すごーい!きれい!」

 船からおり、透き通る水の中を歩きながら水蓮がクルリとまわって辺りを見回す。

 暁の任務とは到底結びつかないその言葉と口調に、イタチが思わずため息をついた。

 その上水蓮の隣で鬼鮫が「確かにきれいな水だ」とつぶやいたものだから、さらに溜息は重なった。

 

 景色を楽しんでいる場合ではない…

 

 しかし、確かに美しかった。

 それは水だけではなく、砂浜や、そびえたつ木々、潮風の中にいてなお咲き誇る花々。すべてが絶妙のバランスでそこに存在している。

 「滅びた場所だなんて思えないね…」

 少しさみしげな眼で水蓮がつぶやいた。

 「いえ、だからこそ、この美しさなんですよ」

 鬼鮫はゆっくりとイタチの隣に立つ。

 「人の手が加わっていないからこその姿…」

 今度はイタチがつぶやき「それが本当の自然の美しさだ」と続けた。

 人が関わると自然のものは自然ではなくなる。

 水蓮はイタチの隣に立ち、足に触れる波の動きに何故か切なさを感じながらつぶやいた。

 「人って、不自然な生き物だね…」

 自分でもその意味は不確かなものでよくわからなかった。

 だが、思わずその言葉がこぼれた。

 この雄大な自然に触れて自分の存在が小さく思えたのだろうか。

 それとも、この世界の存在でない自分に不自然さを感じたのだろうか。

 「行くぞ」

 その答えは出なかったが、静かに言い放ち歩き出したイタチと鬼鮫に、水蓮は続いた。

 「この国のどこかにある巻物を入手すること。それが今回の任務だ」

 共に行くからには内容を伝える必要があると判断したのか、イタチは水蓮にそう説明した。

 「何の巻物?」

 特に意味はなかったが、ついと聞く。

 「我々も知りません」

 鬼鮫が肩をすくめる。

 はぐらかされたのかと思いきや

 「暁が我々に与えるのは目的、欲するのは結果のみだ。内容は必要ない」

 イタチのその言葉に本当に知らないのだと悟る。

 

 暁は皆、こうやって動いているのだろうか…

 何も知らされず、ただ言われたことを実行する。

 その中には、人の命を奪うようなことも…

 

 それは己で考えてそういったことをするより、恐ろしいものがあるように水蓮は感じた。

 今回の事にしてみても、その巻物を使って人の命を奪うためなのかもしれないのだ。

 思わず水蓮の歩みが止まる。

 その様子に何かを悟ったのか、イタチはその目に静けさをたたえて言った。

 「戻るか?」

 水蓮はゴクリと息を飲んだ。

 考えている以上に恐ろしい世界。

 

 それでも…

 

 「戻らない」

 もう自分は決めたのだ。

 何があってもこの道をゆくと。

 イタチのそばで生きるという事は、そういう事なのだ。

 「そうか…」

 そう返してまた歩き出すイタチに、水蓮はしっかりとその歩みをそろえた。

 

 

 砂浜を囲うように生えていた木や、背の高い草を越えると一気に視界が開けた。

 そこに広がっていたのは、遺跡というには少し遠いが、それに近い景色。

 かつては栄えていたのであろう【渦の国】の果ての姿があった。

 住居が並んでいたと思われる、規則的に区切られた石の枠組み。

 小さいものもあれば、大きい物もある。

 造りがしっかりしていた物は、かろうじてその外壁を少し残しており、すでに生活感は消え去っているものの、確かにそこに人が生きていた事を伝えようとするかのように風に耐えている。

 崩れ落ち、折り重なった岩には緑色の苔が生え、日の光に照らされて所どころが光り、美しさの中にさみしさをたたえなぜか胸を打つ。

 「巻物は二つ。【月華(げっか)】【陽華(ようが)】と書かれているそうだ。少し探ってみる」

 そう言ってイタチは近くにあった岩の上に座り、意識を集中しだした。

 「組織がほしがるものですからね。何らかの術で封印、もしくは守られているかもしれない」

 鬼鮫の言葉に、そのチャクラを探っているのかと水蓮は頷く。

 しばらくして、イタチは目を開き一枚の紙を取り出す。

 どうやら地図のようだ。

 「過去の地図であまり役には立たないだろうが、ないよりはましだろう」 

 地図上にいくつか丸で目印を付けていく。

 「反応の数が多い。二手に分かれる。鬼鮫、お前はこれを持って行け。何か特別なことがない限りは、夜になる前に一度船に戻れ」

 「わかりました」

 戻る時間を取り決め、鬼鮫は地図を受け取ってさっと姿を消した。

 イタチはスッと立ち上がり「行くぞ」と歩き出した。

 道と言えるようなものはなく、崩れ落ちた瓦礫や、地面から浮きだした木の根を超えて二人は進む。

 時折イタチがチャクラを感じたのであろう場所を覗き込んだり、クナイで掘り起こしたりするが、朽ちかけた札や忍具ばかりで、目的の物ではなかった。

 少しずつ日が沈みだしたころ、イタチが「あと一か所確認してから一度船に戻る」と、少し離れた場所に視線を向けた。

 そこには『門』として立っていたのであろうと思われる、石で造られた柱が見える。

 「町か何かの入り口?」

 「おそらくこの国の隠れ里だろう」

 近づくとその柱にはぐるぐると丸く描かれた、うずまきの模様がいくつも並んでいた。

 「渦潮の里だ」

 「渦潮の里」

 足を踏み入れると、中はこれまでと同じようにその姿を過去の物とし、日暮れの薄暗さと相成って悲しげな空気を漂わせている。

 夜の闇が近くなっているからだろうか、水蓮の胸がトクン…と一瞬音を立てた。

 さほど広い里ではなかったようだが、かすかに残る建物の跡からそれなりの人口がいたことを感じる。 

 所どころに広場のようなものがあり、そのいくつかの場所には美しい球体の大きな岩が規則的に並んでおり、何かしらの意味を持たせているのであろうと、そんな事を思いながら水蓮はその岩に触れる。

 長い間そのままにされていたはずなのに、硬度が高いのか、まったく欠けていない。

 手のひらから伝わる感触は、驚くほどなめらかで、水晶玉を連想させる。

 「おそらく封印の儀式に使われていたんだろう」

 他の球体を見て歩きながらイタチがつぶやいた。

 「この渦潮の里は【うずまき一族】という一族が住んでいた里だ」

 その言葉に、主人公のうずまきナルトが関係しているのだろうと水蓮は思う。

 「その一族のもつ封印術の力は強く、様々な戦でその存在を必要とされてきた。過去にこの里の者が初代火影の妻になったこともあって、火の国との友好も深かった」

 しばしチャクラを探り、向かう先を定めてイタチは歩き出す。

 「だが、その力を恐れた他里から襲われ、そして滅びた。生き残った者もいただろうがな。今となってはその後を知る者はいない」

 その目は一見何も浮かべていない無機質なものに見えるが、どこか悲しさを感じさせる。

 「力を持つ者は、いずれ恐れを抱かれ、孤立し、そして滅ぶ。初めはそれを強く求められ、それに応えともに存在していてもな。そういうものだ」

 風が吹き抜け、イタチの外套を揺らす。

 はためきに動く赤雲(せきうん)が何かを訴えているようで、水蓮は思わず視線を落とした。

 「悲しいね…」

 ポツリとこぼれたその言葉に、イタチは「そういうものだ」ともう一度繰り返した。

 しばらく歩いて「あそこから何かを感じる」と言うイタチの視線の先にあったのは、いくつかの大きな柱に囲まれた空間。

 崩れた瓦礫を越え、二人は柱の囲いの中に足を踏み入れる。

 柱の並びから、割と大きめの建物だったのであろうことが見て取れる。

 柱の上部は崩れ落ち、ツタが絡まってはいるが、先ほどまで見てきた物より材質がよさそうでしっかりとしている。

 支えとなる下の部分は2重に段が作られていて、複雑な彫刻が彫り込まれており、柱全体にも渦巻き模様がいくつも描かれている。

 床には正方形のタイルがいくつか残っており、家屋というよりは神殿のような、何か特別な場所のように感じる。

 「この辺りで何か感じるんだがな…」

 イタチが辺りを確かめて歩く。

 水蓮もその後ろに続き、ふと足元に光るものを見つけしゃがみ込む。

 「なにこれ」

 床に何かが埋め込まれているようだが、辺りが少し暗くなってきていて少し見えにくく、目を凝らす。

 イタチもその様子に気づき視線を落とす。

 

 赤い石。

 

 その小豆ほどの大きさの石に水蓮がそっと触れる。

 

 コツ…

 

 小さく音を立ててその石が沈み込んだ。

 次の瞬間、イタチと水蓮の足元が消えた。

 「え?」

 水蓮が声を漏らしたとき、すでに二人はその体を空中に投げ出していた。

 「きゃぁぁぁっ」

 すさまじい勢いで二人は落ちてゆく。

 「くっ」

 暗闇の中で光る赤い瞳が四方に壁をとらえる。

 イタチは水蓮を片手で抱きかかえ、空いたほうの手と両足の裏にチャクラを集めて壁に張り付く。

 

 ザザザァァッ…

 

 音を立てて少し滑り落ち、落下が止まる。

 「と、止まった…」

 水蓮が大きく息を吐き出す。

 イタチを見上げると、まだ癒えきっていない傷が痛むのか、少し顔をゆがめている。

 「イタチ…」

 「大丈夫だ」

 答えたイタチの声をまるで合図にしたように、フッと視界が真っ暗になる。

 「うそ…」

 二人が上を見上げると、先ほどあいた穴はふさがり、外界への道を完全に断たれていた。

 イタチがじっと上を見据え、ため息を吐き出す。

 「出れそうにないな…」

 「ごめん…」

 自分が不用意に何かに触ったことでトラップが発動したのだと悟り、水蓮は謝る。

 「いや」

 しかしイタチは気にする様子もなく、ススッと壁を滑り下に向かう。

 「チャクラの反応はこの先からだ。下に通路が見える。先ほどの石はおそらく地下施設に入るための鍵のようなものだろう。この壁にも以前は梯子がつけられていた跡がある」

 その言葉に水蓮は少しほっとする。

 二人はほどなくして下につき、イタチが壁の一部に向かって火遁を吹き付ける。

 どうやら道を照らすための火をくべる場所になっていたらしく、炎が細い筋となって奥まで走り、その光が奥へと続く道を浮かび上がらせた。

 「行くぞ」

 「うん」

 通路はさほど広くなく、並んで歩くと身動きがとりにくい微妙な幅で、水蓮はイタチの後ろを静かについて行く。

 所どころに壁を掘って作られた仏像のようなものが並んでおり、寺院のような独特な雰囲気を醸し出している。

 しばらく進み、二人は開けた場所に行きついた。

 天井は丸くくぼんでおり、そんなに高くはない。

 広さは水蓮が鬼鮫と修行をした部屋とちょうど同じくらいだ。

 壁には何か特別な塗料でも塗られているのか、ほんのり光っており、動くには不自由のない明るさを放っている。

 その空間の中央に、水蓮は腰の高さほどの石柱が立っていることに気づきイタチと共に歩み寄る。

 その石柱の横には【月】の文字が刻まれており、その上部には何かの模様が書かれている。

 じっとその模様を見つめ、イタチが印を組み模様の中心に手を乗せる。

 シュゥ…と音を立てて模様が消え、そこに【月華】と書かれた巻物が3つ現れた。

 「どれも【月華】って書いてあるけど、3つとも?」

 思わず手を伸ばす水蓮をサッと制止し、イタチは巻物を一つずつじっと見据える。

 「いや、そういう話は聞いていない。おそらく二つはダミー。こういった場合、間違えた物を取ると大体全部が消えるという仕組みだ」

 水蓮は慌てて手を引く。

 イタチは万華鏡写輪眼を開き、巻物を見極め「これだ」と、そのうちの一つを取った。

 その瞬間、ポンっと音を立てて石柱に残された二つが消え、イタチの手元の物は消えずに残った。

 「案外すぐに見つかったね……」

 ほっとして呟く水蓮。

 だがその言葉を半ばに、その口を突然イタチが手でふさいだ。

 「…っ?」

 

 …静かに…

 

 その目から伝わる言葉に、水蓮は息を飲む。

 イタチは水蓮の手を取り、部屋の奥にある大きな柱の陰に身を隠す。

 「誰か来る…」

 小さく言い、自分たちが歩いてきた通路に注意を払う。

 そして視線を通路に向けたまま、水蓮に言う。

 「消せるか?」

 一瞬戸惑うが『気配を消せという事か』と理解し、水蓮は頷く。

 それも鬼鮫から教わっていた。

 水蓮は小さく息を吐き、気配を殺す。

 イタチはその様子に、思わず水蓮を振り返った。

 一瞬すぐそばにいる自分でさえ、その存在を見失ったのだ。

 水蓮のそれは完璧だった。

 「だめ?」

 目を向けられて、気配を消せていなかったのかと思い、水蓮が声を潜めて問う。

 イタチは視線を戻しながら「いや。それでいい」と返し、一瞬だけ口元に小さく笑みを浮かべて、再び近づいてくる気配に注意を払った。



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第十四章 【戦い】

 しばらくして、姿を現したのは14・5歳くらいの少年だった。

 

 こんなところに子供?

 

 水蓮が顔をしかめる。

 しかし、額当てを付けていることを見ると忍。

 その額当てを見てイタチの体が一瞬ピクリと揺れ、水蓮もその隣で息を飲む。

 額当てには音符のマーク。

 

 …音忍…

 大蛇丸の手下…

 

 一気に水蓮の中に緊張が走る。

 大蛇丸の配下なら子供と言えども侮れない。

 

 でも、なぜ…

 

 二人が見つめる中、その少年は石柱を覗き込み目を細めた。

 

 目当てはさっきの巻物…?

 

 水蓮の手に汗がにじむ。

 

 とそのとき、少年が声をあげた。

 「隠れても無駄だよお二人さん。出てきなよ」

 こちらの人数を把握しているその言葉に、はったりではないと悟り、イタチが静かに柱の陰から歩み出る。

 そして、続く水蓮を背にかばって立つ。

 少年は小さく鼻を鳴らしながら得意げな表情を浮かべる。

 「僕からは隠れられないよ」

 所どころに赤い色がのぞく少し癖のある深い緑色の髪を揺らしながら、二人に体を向けるその動きは、こちらを警戒している様子はなく、ゆったりとしている。

 しかしまとうその空気はどこか冷たく固い。

 「臭いで感知するタイプか」

 低い声で言うイタチの言葉に答えず「へぇ。その服知ってるよ。暁でしょ」と少年はイタチの姿を物珍しそうに見る。

 「お前を殺したら、大蛇丸様が喜ぶかな」

イタチを見てニヤリと口の端を上げる。

 大蛇丸がかつて暁にいたことや、抜けてその命を狙われていることも知っている。その事からかなり大蛇丸の近くに身を置く者だと二人は悟る。

「ねぇ、ここに巻物なかった?」

 軽い口調で石柱の上を指さす。

 しかしイタチは答えない。

 「あったでしょ。困るんだよねぇ。これ、大蛇丸様が必要なんだよ」

 その言葉に、水蓮は大蛇丸が3代目火影の封印術で両腕と術を封じられたことを思い出す。それを解く術を探して、封印術に長けていたうずまき一族の巻物を集めているのだろうか…と考えを巡らせる。

 「持って帰らないと殺されちゃうかもしれないんだよね」

 少年は子供らしい可愛い笑顔を浮かべ、巻物のあった場所を指でスッとなぞる。

 その指についた臭いを確かめ、イタチと水蓮に向き直る。

 鼻がピクリと動いた…

 「巻物を持ってるのは、あんただ」

 なめらかな動きでイタチを指さす。

 そして、一気にチャクラと殺気が湧き上がる。

 「…………っ!」

 気圧されて息を飲む水蓮を、イタチは軽く後ろに押し下げる。

 「水蓮。下がっていろ…」

 「わ…わかった…」

 修行をしたとはいえ、そばにいては邪魔になりかねない空気を察し、水蓮はその場から下がり、イタチから距離を取る。

 イタチの醸し出す空気が変わった事からも、只者ではないことがうかがえ、水蓮の中に緊張が広がる。

 戦闘の中にまともに身を置くのはこれが初めてだ。

 イタチがいれば大丈夫だと思いつつも、空間を埋め尽くしていく緊迫感に足が少し震える。

 二人はお互いに少し前に歩み出て対峙する。

 距離が縮まり、少年の目がイタチの写輪眼をとらえた。

 「うわぁ。それ、写輪眼…」

 驚きというよりは喜びに近い声を漏らす。

 「あんた、うちはイタチか。光栄だなぁ、こんなところで一族殺しで有名なあんたと戦えるなんてさ」

 わざとらしく姿勢を正す。

 「一流の忍を相手にするときは、礼儀正しくしないとね。大蛇丸様からそう教わったんだ。僕の名前は榴輝(りゅうき)お手合わせお願いします」

 その言葉に、イタチの表情が一瞬ピクリと動いた。

 榴輝はまたわざとらしいしぐさで、うやうやしく頭を下げる。

 どこか軽くてばかにしたようなその態度。

 しかし水蓮はその様子に、腹立たしさより、不気味さと妙な恐怖を感じる。

 イタチはさして動じる様子もなく、榴輝を見据え、二人の間に目には見えぬ鋭い何かが渦巻いてゆく。

 辺りを支配してゆく静寂の中、どこからか染み込んできた水滴が、その張りつめた空気の中に落ちた。

 

 ポタ…

 

 ほんの小さなその音が合図となり、二人が駆けた。

 

 シュッ…と、どこから繰り出したのかわからぬスピードでイタチがいくつもの手裏剣を投げる。

 が、それは榴輝に届く前にことごとくはじかれ、それが地面に落ちるより早く二人のクナイがぶつかり合う。

 

 キンッ!

 

 固い音が辺りに響き、二人はにらみ合う。

 その瞬間、水蓮は勝負がついたと確信した。

 あの距離でにらみ合えば、イタチは幻術を使ったはずだ。

 ガッ…と音を立ててイタチが相手のクナイを押し返し、水蓮の前に飛びすさる。

 「イタチ」

 ほっとして駆け寄る。

 しかし、その水蓮をイタチは後ろに押し返した。

 「まだだ…」

 「え?」

 イタチの視線の先。榴輝を見ると、彼の顔の前に額当てと同じくらいの大きさの何かが浮かんでいる。

 ちょうど彼の髪の色と同じ…緑と赤のコントラストを描く、石でできた板のような物体。

 それが榴輝の目をふさぐように浮かんでいた。

 「なに?あれ…」

 その物体がサァッと細かい霧になって消え、その向こうから、にやりと笑う榴輝の顔。

 「あれで視界を守り、幻術を防がれた」

 イタチは「あれもな」と、先ほどはじき落とされた手裏剣に視線を投げる。

 「空中で何かにあたって落ちた」

 「何かって…」

 写輪眼を持つイタチにもわからない『何か』

 水蓮はゴクリと喉を鳴らした。

 榴輝はニコリと不気味な笑みを浮かべてこちらを見つめ、サッと片手で印を組む。

 「片手印…」

 水蓮のその呟きとほぼ同時に、榴輝とイタチの間に小さい石のような物体がいくつも現れ、榴輝の振りかざした手の動きと同時にイタチに襲い来る。

 イタチはそれをクナイで弾くが、細かく、数も多いためさばききれず水蓮を抱えて飛びすさる。

 その先にすでに飛び上がり待ち構えていた榴輝が二人に蹴りを繰り出す。

 イタチはその動きに目を細めた。

 

 …早い…

 

 水蓮を抱えていることもあり対応が一瞬遅れ、その蹴りを交わしきれずに空いた腕で受け止める。

 「くっ!」

 見た目からは想像できない重い蹴り…

 癒えきらぬ傷に少し響き、イタチは顔をゆがめる。

 「イタチ!」

 その様子に気を取られた水蓮に向かって、榴輝が足をイタチの腕に当て置いたまま、もう片方の足で追撃を繰り出す。

 「………ッ!」

 とっさにチャクラをためて、動きの取れぬイタチに変わり、水蓮がその一撃を両腕で受け止める。

 「う…」

 

 重い…

 

 「でも」

 水蓮はグッと体に力を入れる。

 鬼鮫の攻撃よりは軽い!

 「このぉ!」

 イタチに抱えられたままの姿勢で榴輝の腹に蹴りを入れる。

 「なっ!」

 榴輝はイタチに守られていた水蓮から攻撃されるとは思っていなかったのか、まともにそれを受けて、音を立てて地面にたたきつけられた。

 イタチと水蓮も反動で少し後ろに体をはじかれながら着地する。

 榴輝はゆらりと立ち上がり、擦りむいた頬から血が出ていることに気づき、体を震わせながら水蓮をにらみつけた。

 「お前ぇ…!」

 先ほどまでとは違う、憎悪に満ちた瞳…

 「僕を…僕を傷つけたなぁっ!」

 ぶわぁっ…と、榴輝の周りにすさまじいチャクラが溢れ出る気配が水蓮にも感じ取れる。

 「な、なに?」

 明らかに自分に向けられた怒りに、水蓮はたじろぎ、数歩下がる。

 「お前もあいつと同じだ。あの女と…」

 

 あの女?

 

 誰かに対しての恨みを向けられ水蓮が顔をしかめる。

 その視線の先で榴輝の体が、ユラ…と動いた

 

 …くる!

 

 本能でそれを感じる水蓮。

 イタチがその前に立ちふさがろうとするが、二人の間に先ほどの石版より大きい物体が現れて壁となり、瞬時に分断された。

 「なに!」

 「え?」

 ほんの一瞬その壁に視線を投げた間に、榴輝は水蓮の目の前に迫った。

 「許さない!」

 叫びと共に水蓮の体が蹴り飛ばされた。

 「くぅっ!」

 かろうじてガードしたものの、吹き飛ばされて壁に激突する。

 「つぅっ!」

 チャクラのガードは間に合った。

 しかし衝撃によるダメージに顔をゆがめる。

 「水蓮!」

 隔てていた壁が消え、イタチは、なおも水蓮に向かう榴輝を止めるべく駆ける。

 しかし、

 「あんたの相手はこっちだよ!」

 榴輝が指を噛み切りその血で契約を交わした存在を呼びよせる。

 「口寄せの術!」

 吹き上がる煙の中から現れたのは、スラリとした体を揺らめかせるチータ。

 黄金の毛並みに黒い模様が美しさを際立たせる。

 その瞳は赤と緑、左右違う色をしている。

 「榴輝。どっちだ」

 榴輝の隣に並び、駆けながら精悍な声を響かせる。

 「エクロ!お前はあいつだ。目を見るな」

 「幻術使いか。問題ない!」

 榴輝の命令に、立ち上がればイタチよりは大きいであろうその体がしなり、屈強な骨格を浮かび上がらせながらイタチに向かって駆ける!

 すさまじいスピード。

 「く…」

 イタチは水蓮への道筋を絶たれ、奥歯をかみしめた。

 巨体を持ちながらに風を切る音が聞こえるほどの速さ。

 その合間に、鋭い爪で襲い来る。

 イタチはクナイで受け止めつつすきをうかがうが、一瞬苦い顔を浮かべた。

 エクロと呼ばれたチータの目が閉じられている。

 目で見なくとも気配でイタチを追える能力。

 幻術をかけるのは難しいか…

 しかし、長引かせるわけにはいかない…

 ちらりと投げた視線の先では榴輝が水蓮に迫っていた。

 

 

「殺してやる!」

 恐ろしい怒声とともに、榴輝が水蓮に襲い来る。

 水蓮は一瞬目をつぶりそうになってふと鬼鮫の言葉を思い出す。

 鬼鮫との修行で、そのスピードと気迫に水蓮が思わず目をつぶった時。

 『何があっても、目をそらしてはいけない。恐怖で一瞬目をそらせば、それで終わりです』

 

 そうだ…

 目をそらしたら負け!

 

 …落ち着け…

 

 自分の師匠はあの干柿鬼鮫。

 その事が水蓮の心に落ち着きを呼ぶ。

 

 グッと足に力を入れて構え、迫る相手をにらみつける。

 榴輝は顔をさらにゆがめてこぶしを振り上げた。

 「その目。気に入らないんだよ!」

 

 ガッ!

 

 水蓮は榴輝の拳の下から腕をすくいあげてはじき、そのまま懐に入り込み肘を入れる。

 しかし、榴輝がパシィッとそれを受け止めてそのままつかんで引きながら飛び上がり、前のめりになった水蓮の背に向かって足を振り下ろす。

 水蓮は前に飛んでかわし、体を反転させてすぐさま地面を蹴り、着地した榴輝の脇腹を掌底で狙う。

 だが、榴輝はそれを下に押さえてはじき、蹴りを水蓮に繰り出す。

 

 バシィッ!

 

 と音を立てて、水蓮がその蹴りを両腕で受け止め、二人は一度飛びすさり距離を取る。

 

 ふぅぅぅぅ…と、静かに息を整えながら、水蓮は鬼鮫との修行の成果を感じていた。

 

 …動ける!

 

 見据える先では、榴輝が先ほどよりは少し冷静さを取り戻した顔で、しかし厳しさを浮かべたままの目で水蓮をにらみつけていた。

 「少しはできるみたいだね」

 水蓮はその眼光をしっかりと受け止めながら、構えなおして大きく深呼吸する。

 

 …落ち着けば、かわせる…

 

 榴輝の動きはスピードがあり繰り出される攻撃は細かい。だが水蓮にはその一つ一つがしっかりと見えていた。

 「鬼鮫のほうが早い」

 小さく呟くその声が聞こえたのか、榴輝が目を細めて構えを解き「じゃぁ」とスッと印を組んだ。

 突然榴輝と水蓮の間に無数の小さな粒が出現し、「これはかわせるかな!」との言葉と同時に一気に水蓮に向かって襲い来る。

 「…………っ!」

 

 数が多すぎる!

 

 慌ててチャクラを全身に巡らせようとするが間に合わず、チャクラが回りきらなかった腕や足、体の数か所に傷を負い、吹き飛ばされる。

 「きゃぁっ!」

 

 ずざぁぁぁぁぁ! 

 

 砂埃を立てながら倒れ込む。

 「水蓮!」

 駆け寄ろうとするイタチのゆく手を遮り、エクロが立ちふさがり、咆哮と共に大きな前足をダンッ!と地についた。

 その瞬間地面がうごめき、大きな岩が次々とイタチに向かって突き上げられる。

 「くっ…」

 後ろに飛びすさり、水蓮からさらに引き離される。

 「…っつぅ…」

 水蓮はふらりと立ち上がり、唇をかみしめながら体に力を入れた。

 傷からぽたりと血がしたるが、少しずつその傷がふさがり、痛みも消えてゆく。

 「へぇ…」

 大蛇丸のそばで変わった人材を見慣れているのか、榴輝がその様子にさして驚くでもなくつぶやく。

 「お前を大蛇丸様のところに連れて行ったほうが喜んでもらえるかもな」

 にやりと口を引き上げたその不気味な表情に水蓮はぞっとする。

 

 大蛇丸のところなんて一体何をされるかわからない…

 

 水蓮は額に汗を伝わせる。

 榴輝は今度はちらりとイタチに目をやり、あざけるように笑った。

 「あんたはいらない。写輪眼はもうすぐ手に入るって言ってたから」

 ほんの一瞬イタチの表情が揺れた。

 水蓮とイタチの脳裏には同時にサスケが浮かんでいた。

 

 …サスケの里抜けは近い…

 

 水蓮は少しずつ事が進んでいることに、不安が膨れるが、必死にそれを振り払った。

 

 とにかく今はイタチがあちらを終わらせるまで、何とか攻撃をかわして持ちこたえなければならない。

 

 水蓮はゴクリと息を飲んだ。

 体術だけなら何とか時間は稼げそうであった。

 しかし、術を使われるとやはりなかなか対応できない。

 その上どのタイミングでどこから来るのかわからない術。

 飛びくるつぶての正体もわからないうえに、数が多くチャクラを全身に巡らせないといけない。

 長くなればそれだけ不利になる。

 「…………」

 唇をかむ水蓮と同じく、イタチも思考を巡らせる。

 

 鬼鮫が鍛えただけのことはあるが、長引かせるわけにはいかない…

 

 二人はしっかりと構え直し、それぞれの敵と向き合う。

 イタチは早急に決着をつけるために。

 そして水蓮は。

 

 自分にできることをする!

 

 キッと榴輝をにらみつけて構えた。



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第十五章 【合わさる力】

 長引けば不利になるその戦いの中で、水蓮は何をどうするべきかを考えながら榴輝と対峙する。

 榴輝は、水蓮に向けられた厳しいその視線を受け、また体を怒りに震わせた。

 「その目。あいつと…あの女と同じ目で僕を見るな!」

 一度少し落ち着きを見せた榴輝が再びチャクラを脹れあがらせる。

 そしてその体に何か黒い模様が浮かび上がっていく…

 「あれって…」

 水蓮のつぶやきに、やや離れたところにいたイタチが言葉をつづけた。

 「呪印…」

 どんどんその模様は広がり、やがて全身の肌の色を灰色へと変えた。

 その体から放たれる禍々しいチャクラと殺気に気圧され、水蓮がジリッと足を鳴らす。

 水蓮に傷つけられたこと。そして睨み付けたその視線に対しての反応。

 水蓮は榴輝が何か根深い問題を抱えていることを感じながら、その異様な言動に気味の悪さを感じ、少し後ずさる。

 「お前やっぱり…」

 スッと印を組む。

 「殺す!」

 また無数のつぶてが浮き上がり、水蓮へと襲い掛かる。

 先ほど同様かわしきれず、水蓮は体を飛ばされ地面に倒れ込む。

 「つぅっ…」

 痛みに顔をゆがめ、グッと手に土を握りしめながら立ち上がる。

 そして地を蹴り一気に距離を詰め、手にした土を印を組む榴輝に向かって投げつけた。

 榴輝は後ろに飛びその土をかわし、つぶてを生み出し水蓮に向かって手を振り下ろす。

 水蓮の投げた土が地面に落ちるのと同時にそのつぶてが水蓮を襲う。

 体を縮めてガードするも術を浴びて、ダンッ!と音を立てて巻物が置いてあった石柱へと叩きつけられた。

 「くうっ…」

 石柱に捕まりながら立ち上がる水蓮の手に、そこに溜まっていた埃がまとわりつく。

 それを振り払うことなく、水蓮は再び地を蹴り拳を握りしめるが、距離が詰まるより早く榴輝がまた印を組む。

 しかし水蓮はひるまずそのまま拳を突きつける。

 「当たらないよ」

 鼻で笑いながら水蓮のその腕を囲むようにつぶてを生み出す。

 水蓮はやはり同じく吹き飛ばされ、地面にたたきつけられる。

 だが、立ち上がるより先に手のひらを開き、先ほどの埃がそのままの状態であることを見てつぶやいた。

 「違う…」

 痛みに耐えながらふらりと立ち上がる。

 チャクラが少なくなってきたからか、傷はふさがらない。

 それでも水蓮はまた榴輝に向かって走る。

 「何度やっても同じだ!」

 スッと印を組む榴輝。

 水蓮はその間近まで迫り、目を凝らす。

 とその時、

 

 …つぅっ…と

 

 天井から染み出した水が一滴、二人の間に落ちた。

 そして榴輝の術が発動すると同時に水蓮は手を突き出す。

 「当たらないって言ってんだろ!」

 投げつけるような口調と共に、今までよりも大きなつぶてがいくつも生み出され、水蓮を襲う。

 

 ガードが間に合わない…

 

 体を丸めてダメージを覚悟する。

 しかし、ふわりと体が浮き上がり、水蓮は攻撃を免れた。

 「え?」

 見上げたその視線の先にはイタチの顔。

 「イタチ…」

 つぶやきと同時にイタチは水蓮を抱き抱えたまま地面に着地する。

 「すまない。待たせた」

 榴輝を見据えたままそう言うイタチの体の向こうには、息をしてはいるものの、ぐったりと倒れ込んでいるエクロという名のチータの姿。

 

 倒したんだ…

 

 水蓮は安堵してすぐにハッとし、手のひらを開いた。

 そこには榴輝が生み出したつぶてが一つ。

 緑と赤が混じり合った石のようなその物体は、水蓮の手の中で、一粒の水へと姿を変えた。

 それは、先ほどしみ落ちてきた水滴。

 「イタチ!」

 「水か…」

 その様子を見ていたイタチがつぶやく。

 そして、先ほどエクロと戦いながらも見ていた水蓮の動きを思い出す。

 

 つぶての正体を探ろうと土やほこりを使って試し、見極めようとギリギリまで近づき、落ちてきた水滴が姿を変えたことに気づいてそれをつかみ取った。

 攻撃をその身に受ける事を覚悟の上で。

 そうそうできることではない。

 「よくやった」

 素直に出た言葉だった。

 そして心の中で『どうりで鬼鮫が鍛えたくなるわけだな』と、つぶやき小さく笑みを浮かべる。

 「え?」

 水蓮は驚いて思わずイタチを見上げる。

 イタチはすでに厳しい表情へと戻り、榴輝を見据えて言い放つ。

 「空気中の水分…か」

 榴輝は倒れ込むエクロに「戻っていろ」と言い放ち、その姿が消えたことを確認してからイタチに向き直り「ちぇっ」と舌をならす。

 つまらなさそうにするその仕草は、初めの時と同じ子供らしいものに戻っているが、醸し出す空気は鋭く固いままだ。

 イタチはそれを受け流しながら水蓮を後ろ手にかばう。

 「今の石を見たことがある。あれは特定の場所でしか採れない鉱物だ」

 榴輝の表情がピクリと揺れる。

 その様子を視線に捉えながら、イタチは言葉を続ける。

 「水分を鉱物に変化させる。血継限界か…」

 榴輝はイタズラがばれた子供のようないじけた表情を浮かべて、両腕を頭の後ろに組み「もうばれちゃったか」と言ってニヤリと笑う。

 「でも、だからって状況は変わらないよ」

 その言葉に、水蓮は唇をかんだ。

 確かに、その正体が分かったところで、打開策にはならない。

 空気中の水分なんて見えないし、始めにイタチがわからなかった事を考えても、写輪眼でもとらえられない。

 印を組んでからつぶてや壁が現れるまでのタイミングはまちまち。

 戦況は始めと大きく変わらない。

 「お前らじゃ、僕には勝てないよ」

 バカにしたような笑みに水蓮はグッと奥歯を噛み締める。

 イタチは数歩前に進み出て榴輝と対峙する。

 「水蓮、お前はもう下がっていろ」

 頷きながらも水蓮はイタチの背中に小さく問いかけた。

 「イタチ。火遁で蒸発させられない?」

 しかし、イタチは振り向かぬまま「無理だ…」と答える。

 「この広さの空間にある水分を蒸発させるだけの火遁を使えるのは三忍の自来也くらいだろう。それにたとえできたとしても、その規模の火遁をこの閉ざされた空間で使えば…」

 自分達も火に巻かれる。

 聞かずとも水蓮はそう悟りうつむく。

「身を隠していろ」

 イタチはそう言って榴輝へと駆ける。

 その背を見送り柱の陰に身をひそめる。

 二人の戦いはやはり危惧した通り、イタチはなかなか決定打を与えられないでいた。

 近づけば壁が榴輝を守り、距離をとっても無数のつぶてがイタチを襲う。

 火遁を浴びせても一度鉱物と化したそれには効果がなかった。

 水蓮はその戦況を見守りながら、必死に思考を巡らせる。

 

 このままだとイタチは天照を使うかもしれない…

 

 だかイタチの体の不調がもし瞳力の使い過ぎによるものなら、あまり使わせたくない。イタチ自身もそう感じているからこそなかなか使わないのだろう。

 

 何か他に手があるはず…

 

 必死に考えを巡らせる。

 

 空気中の水分をなくす…

 蒸発させるほかに何か…

 空気中の水分…

 …湿気…

 湿度を下げる…

 

 湿度を…

 

 そこまで考えて水蓮はハッとする。

 

 「イタチ!」

 イタチに向かって声をあげ、柱の影から走り出る。

 「火!…火!」

 その言葉にイタチは顔をしかめたが、水蓮の手元を見て目を見開く。

 「お前…」

 その視線の先で、水蓮が印を組んでいたのだ。

 印を組みながら水蓮は鬼鮫との修行の最期の日の事を思い出す。

 鬼鮫から渡された一枚の紙はチャクラ感応紙だった。

 そして水蓮のチャクラに反応してその紙にはスパッと切り込みが入り、それを見た鬼鮫はこう言った。

 「あなたのチャクラの性質は風だ」と。

 水蓮は最後の印を組みぐっと力を入れる。

 

 あの時鬼鮫に教わった術…

 この術なら!

 

 水蓮が組むその印を見て、イタチは驚きながらも意味を解し、水蓮の隣に跳び寄り、印を組んだ。

 「行くぞ」

 イタチの声に頷く。

 

 「火遁!豪火球の術!」

 

 イタチの術を見て榴輝が「同じことを…」と呆れ顔で壁を作り出す。

 しかし、イタチの放った炎は天井へと向かう。

 「………?」

 眉をひそめる榴輝が見つめる中、その炎は天井を這うように広がり、そこへ向けて今度は水蓮が手のひらを広げ、声をあげた。

 

 「風遁!烈風掌!」

 

 水蓮の手のひらから突風が吹き荒れ、炎を一気に押し広げる。

 炎は天井をさらに広がり、風に押されてその姿を消したが熱を残し、風に乗って熱い嵐となって部屋の中を吹き荒れる。

 イタチは外套を広げて自分ごと水蓮を包みその場にしゃがみ込む。

 外套の向こうで熱い風が轟々と吹き荒れ、榴輝が「くっ…」とたじろぐのを感じる。

 辺りを包む熱に、水蓮とイタチの額には汗がにじんだ。

 イタチは風がやむのとほぼ同時に外套を開き「もう一度だ!」と声を上げる。

 その隣では、水蓮がすでに最後の印へと手を進めていた。

 先程とは別の印。

 その術の種類と、イタチの印のスピードを考えて外套の中ですでに印を組み始めていた事を悟り、イタチはフッと笑みをこぼす。

 

 部屋の空気が熱風によって乾燥し、先ほどにじんだ汗が消え、肌がピリピリと痛むのを感じながら水蓮はイタチの隣に立ち、緊張を抱え体に力を入れる。

 先ほどの術はかなり訓練を重ねて完成しているが、今印を組んだ術は、空区で忍術の本を読んで練習した術で完成したばかり。

 

 …でも失敗はできない。

 

 神経を集中させる。

 「火遁!豪火球の術!」

 イタチの火遁が今度は榴輝に向かい、

 「風遁!大突破!」

 水蓮の放った強い風がその炎に合わさり、威力を大きく膨らませた。

 

 ゴァッ!

 

 すさまじい轟音が響き渡り、すっかり水分を失ったこの空間で榴輝は防御の壁を作れず、その身に炎を浴びる。

 

 「うぁぁぁぁぁっ!」 

 

 その叫び声と炎の威力に、水蓮が目を背けた事に気づき、イタチがさっと水蓮の顔を引き寄せ、その視界をふさぐ。

 しばらくして炎が収まり、辺りにシン…と静寂が落ちた。

 その静けさの中「うぅ…」と小さくうめく榴輝の声が水蓮の耳に届く。

 恐る恐る水蓮が目を向けると、すっかり呪印の力を失った榴輝が、ぼろぼろの姿で膝をついてその場に座り込み、荒い息をしながらこちらを睨みつけていた。

 「い、生きてた…」

 水蓮は榴輝が生きていたことに、敵ながら安堵する。

 必死だったとはいえ、榴輝の叫び声を聞いたとき、自分が人の命を奪ったかもしれないという恐怖に襲われていたのだ。

 「とっさに皮膚の水分を使って体を鉱物化し、守ったか…」

 イタチのつぶやきに、血継限界とはそんなことまでできるのかと、水蓮は驚きを隠せない。

 「だが、限られた微量の水分だ。あの炎の熱と威力は防ぎきれるものではない。おまえにはもう戦うだけの力はない」

 「くっ…!」

 榴輝は顔をゆがめながら、その場にゆっくりと仰向けに倒れ込む。

 イタチがゆっくりと榴輝に近づき、スッと腰をかがめた。

 水蓮もそれに続き、榴輝の顔を覗き込む。

 息はあるものの、目を固く閉じていて意識があるのかどうかわからない。

 「五良町(いつらまち)のつむぎ榴輝…」

 イタチの言葉に、ピクリと榴輝の体が揺れ、うっすらと目を開く。

 イタチは目を細め、言葉を続ける。

 「やはりそうか。しばらく前に、お前の母の死に目に立ち会った」

 思わず水蓮はイタチを見た。

 榴輝は表情を変えずにただじっとしている。

 「五良町(いつらまち)榴輝岩(りゅうきがん)と言われる鉱物が取れる所として、コレクターや商売人には有名な町だ。榴輝岩には行動力や生命力を高める効果があると言われ、装飾品はもちろんだが忍具の一部に埋め込んで使われることもある。取れる場所も量も限られていて、高価な金額で取引される物だ。こいつが術で作り出した鉱物がそれと同じ物だ」

 水蓮にそう説明し、イタチは言葉を続ける。

 「3ヶ月程前の事だが、榴輝岩に目を付けたどこかの権力者が忍を雇い町を壊滅させ、町ごと乗っ取った。その時、町から逃げ、山の中で倒れていた女性と会った。かなりの重傷で、すでに手の施しようがない状態だった。その時、最後の言葉を聞きうけた。『息子の榴輝にもしもどこかで出会ったら、ごめんなさいと伝えてほしい』とそう言っていた」

 その言葉に榴輝は目を見開き、すぐに鼻を鳴らして笑った。

 「嘘だ。あの女がそんなこと言うわけがない」

 

 あの女…

 

 榴輝が口にしていたその言葉は母親に向けての言葉だったのかと水蓮は悟る。

 「あの女は僕のこの力を知って、恐ろしいものを見るような目で、拒むような目で僕を見て。僕を叩いて傷つけた。『二度とその力を見せるな』と、怒りに狂った目で僕をにらんで僕の存在を否定したんだ!だから…僕は…」

 大きな声が体に響いたのか、それとも辛い記憶がよみがえったのか、榴輝は目を固く閉じて顔をゆがめる。

 榴輝の水蓮に対しての異常な反応は、母親への憎悪。

 それがまだ消えきらないのか、榴輝は水蓮をきつく睨み付ける。

 その様子にイタチは目を細める。

 「だから町を出た。そして、彷徨っているところを大蛇丸に拾われたというところか。弱みに付け込み心のすきを利用するのは大蛇丸の常とう手段だ」

 「黙れ!大蛇丸様の事をそんな風に言うな!」

 声を荒げた後、榴輝は少しさみしげな眼で「あの人だけが僕を必要としてくれたんだ」と続けた。

 その口調はまるで、利用されていても構わない。そんな色を含んでいるような気がして、水蓮は胸が苦しくなった。

 最も愛されるべき母親からそんな仕打ちを受けて平静でいられる子供はいないだろう。

 

 悲しみと絶望に襲われ、そんなときに手を差し伸べられたら…

 

 水蓮は視線を落とす。

 「死んで当然だ。当然の報いだ」

 吐き捨てるような榴輝のその口調に、イタチは静かに言う。

 「真実はすぐには分からないものだ」

 イタチが一枚の封筒を取り出し榴輝のそばに置いた。

 「お前の母から預かった物だ。いつか渡せればと書きしたためていた様だ」

 少しくたびれてはいたが、その手紙はきれいに形を留めていて、水蓮はイタチの優しさを感じる。

 「そんな物いらない!」

 「そうか。なら自分で処分しろ」

 短くそう言って立ち上がる。水蓮もそれに続き立ち上がる。

 「殺せ!」

 榴輝が叫んだ。

 「情けのつもりか!忍にそんなものは必要ない!」

 だがイタチは「すまないな」と返してちらりと水蓮に視線を投げる。

 「連れが人の死には慣れていないんでな」

 「ふざけるな!さっさと殺せ!」

 その言葉に水蓮が声を重ねた。

 「引きなさい!」

 強いその口調に、榴輝が息を飲む。

 「引きなさい…」

 2度目は静かに。

 榴輝の母親の話。もう目の前で人の死を見たくないという気持ち。

 そしてイタチに誰かを殺めさせたくないという気持ち。様々な思いが水蓮の中で入り混じる。

 何より、イタチは榴輝を見逃そうとしている。

 いくつもの形のない何かが水蓮の胸を締め付け、涙が一筋落ちた。

 「…行け」

 シュッと音を立てて、イタチが起爆札を付けたクナイを天井に向けて放ち、そこに開いた穴から出て行くよう視線で促す。

 「…………」

 水蓮の涙に榴輝が何を感じたのかは水蓮にもイタチにもわからなかったが、榴輝はふらつきながらも立ち上がり、無言で立ち去った。

 その場に、母親の手紙は残されていなかった。

 辺りに静寂が広がり、水蓮は戦いが終わったことを実感し、一気に緊張から解かれてその場に座り込んだ。

 イタチが「大丈夫か?」と歩み寄る。

 「だ、大丈夫…」

 しかし、その声と体は震え、水蓮はギュッと自分の体を抱え込み、何とか落ち着こうと大きく深呼吸をする。

 夢中で戦っているときは感じなかった恐怖が一気に襲い来る。

 自分も相手も死ぬかもしれない戦い。

 その精神的ショックは想像をはるかに上回っていた。

 「無理をするな」

 イタチはそう言って水蓮の隣に座り、震える背を撫でた。

 「ごめん…」

 

 こんなことでは一緒にはいられない…

 

 しかしイタチは「なぜ謝る」と、フッと笑う。

 「お前に助けられた」

 その言葉に水蓮はイタチに視線を向ける。

 「よく思いついたな」

 そこには柔らかい笑顔があった。

 水蓮はいまだ震えの止まらぬ声で返す。

 「イタチと鬼鮫が空区に帰って来たとき、熱風で部屋が一気に乾燥したのを思い出して…」

 「そうか」

 イタチは優しさを浮かべたまま言う。

 「よくやったな」

 先程も聞いたその言葉。

 心を落ち着かせるための言葉だとしても、水蓮は嬉しかった。

 少しでも役に立てたのだろうかと、少しずつ体の震えは小さくなった。

 それでも、まだ動けそうにないことを悟り、イタチは「少し、休む」と短くそう言い、座ったまま先ほど起爆札であけた天井の穴を見つめた。

 同じく水蓮も見上げる。

 「あの手紙、何が書いてあったんだろうね…」

 榴輝の事を思い出す。

 イタチはしばらく黙り、静かな声で話し出した。

 「別の親子の話だが、同じように血継限界の子を持つ親に会ったことがある。その親も、子供が力を使った時、思わず頬を打ち、二度と使うなときつく叱ったそうだ。異端な力を持つ者にはよくある話だ。だがその親はオレにこう話した。子供のその()なる力を誰かに知られて、その力が悪しきことに利用されないようにするための戒めであったと。そして何より、周りからわが子を守るためだったとな」

 「それじゃぁ…」

 榴輝の親も同じだったのだろうか…と水蓮はイタチを見る。

 イタチは榴輝が去って行った場所を見つめたまま小さく「さあな」と言った。

 「オレは手紙の中身は見ていない。あいつの親もただ謝罪を繰り返しただけで、多くを語るだけの余力はなかったからな…」

 しかし、きっとイタチはそう信じているのだと水蓮は感じていた。

 

 『真実はすぐには分からない』

 

 先ほどのその言葉はそういう事なのだろうと、そう思った。

 「きっとそうだよ」

 願いを込めてつぶやく。

 「渡せてよかったね…」

 その言葉に、イタチは興味のなさそうな口調で「忘れていた」とそう答えた。

 それが本当なのかウソなのか、それは重要ではなかった。

 あの手紙に何が書かれていて、それを見た榴輝が何を感じ、どうするのかはわからなかったが、家族の最期の言葉、想いを受け取れることはとても大切なことだ。

 「渡せてよかった」と水蓮は言葉を重ねた。

 「そうだな…」

 イタチの切なげな声が静けさの中に溶ける。

 

 榴輝の背を見送るように二人が見つめたその先には、満天の星空が広がっていた。



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第十六章 【紐解く時】

 戦いを終え、疲労と後から襲い来た恐怖にしばらく動けずにいた水蓮だったが、ややあってゆっくりと立ちあがった。

 「もう大丈夫」

 「そうか」

 空に広がる星が、鬼鮫と打ち合わせた帰船の時間がとっくに過ぎていることを伝えている。

 「戻るぞ」

 「うん」

 しかし、頷いたものの水蓮は不意に何かが気にかかり、イタチに背を向け壁を見つめる。

 「どうした?」

 「なんか、あそこ…」

 つぶやきながら近寄る。

 特に変わった様子はなく、周りと色も材質も変わらない。

 だが何故か気になり、そっと触れる。

 とその時、水蓮の手がスッと動き、印を組み始めた。

 「え?やだ…なに!」

 戸惑いの声に、イタチは異変を感じて水蓮に駆け寄る。

 「どうした」

 「手が勝手に」

 その間も水蓮の手はなめらかな動きで印を組み続ける。

 イタチはその様子に顔をしかめた。

 見たことのない複雑な印。

 忍術を覚えたばかりの水蓮に扱える印ではないように思えた。

 ややあって水蓮の両手が、タン…と壁につけられ、その手を起点に光の筋が何かの文字を光らせながら壁一面に広がりだした。

 「やだ…。な、なに?」

 体を引いて手を離そうとするが、まるで吸い付いたように離れない。

 壁に広がるその文字を見てイタチが「封印術か?」とつぶやく。

 見たことのない術式だが、イタチが知る封印術と少し形式が似ていた。

 「どうして…」

 水蓮は自分の意思で体が動かせないことに混乱しながらその様子を見守る。

 ややあってその光が収まり、消えた後には、何もなかった壁に大きな両開きの扉が姿を現していた。

 「えぇっ!なに?なんで?」

 混乱の声とは逆に、水蓮の手が扉を押し開ける。

 「イ、イタチ…」

 不安に声が震える水蓮の隣で、イタチは警戒のためクナイを構え中の気配を探る。

 危険なものを感じはしないが、複雑なチャクラの流れを写輪眼が捉えていた。

 扉が開ききり、水蓮の体が勝手に中へと歩み入る。

 イタチも警戒しつつ続く。

 二人が中に入ると扉が静かに閉まり、水蓮が自由を取り戻したようで「あ、動く」と、手を何度か握って開く。

 中は10畳ほどの小さな部屋になっており、先ほどまでの場所と同じ仕組みか、天井が淡く光りを放ち中を照らしている。

 「なにここ…」

 水蓮の呟きと同時に、部屋の奥の台座に置かれていたテニスボールほどの球体の石が光りだし、それに共鳴するように水蓮の体から光の球が飛び出し、その二つが混じり合う。

 「え?今度は何?」

 すっかり混乱する水蓮をかばうように、イタチが前に出る。

 二人が見つめる中、その光は少しずつ形をなし、しばらくして一人の女性の姿となってとどまった。

 年は水蓮と同じころだろうか。

 短く肩で切りそろえられたその髪は赤い。

 ほっそりとした体で姿勢よく佇み、優しい眼差しで二人を見つめている。

 「チャクラと思念…」

 その様子に呟きをこぼしたイタチの後ろで水蓮が目を凝らす。

 

 この人…

 

 「どこかで見たような…」

 その呟きに、女性が口を開く。

 「よくここへたどり着いたわね。香音(かのん)

 「香音…って!あ!私の名前!」 

 突然脳に自身の名前がよみがえる。

 「え、でもどうして…」

 「あ、そうか。この姿だと分からないか」

 女性はそう言って目を閉じしばし静止する。

 淡い光がその体を包み、次第に姿が変わりだす。

 髪が黒く染まり、顔が少しずつ年齢を重ねてゆく。

 「うそ…」

 その様子に水蓮が声を震わせた。

 光が収まり、女性が50代ほどの姿でニコリとほほ笑んだ。

 「これで分かるでしょ?」

 「なんで…」

 その声にイタチが振り向くと、水蓮は両手で口元を押さえ、体をも震わせている。

 「水蓮。どうした…」

 水蓮は視線を女性に向けたまま目を見開き、震えたままの声で、しかしはっきりと言った。

 「お母さん…」

 もう一度しっかりと目の前の女性を見つめる。

 「お母さんなの?」

 再びつぶやき、混乱する。

 

 ここにいるはずがない…

 

 だが、その女性は紛れもなく自分の母親だ。

 「…ほんとに、お母さんなの?」

 女性の頷きに誘われるように、水蓮はゆっくりとイタチの背から出て近寄る。

 距離が縮まるたびに、その存在をはっきりと頭が、心が認識してゆく。

 そして浮かび上がる母親との思い出に、一つ。また一つ。涙が落ちた。

 手が届く距離まで来ると、記憶の中の懐かしい香りがよみがえる。

 「香音」

 ずっと忘れてしまっていたその名前を呼ばれ、母に手を伸ばす。

 しかしその手はするりとその体をすり抜けた。

 空を切った手をぎゅっと握りしめる。

 「お母さん…」

 せきを切ったように涙があふれた。

 こらえきれない声が漏れ、顔を抑え込む。

 聞きたいことも言いたいことも山ほどあるのに言葉が出ない。

 そんな水蓮の隣に、様子を見守っていたイタチがスッと歩み出た。

 「お前の母親か…?」

 コクリと水蓮が頷く。

 「さっきの赤い髪。あれはうずまき一族の持つ特徴だ。お前うずまき一族なのか?」

 今度は首を横に振る。

 「ちがう。だって、だって…」

 自分はこの世界の人間ではない…

 「そうだよ。そんなはずない。そんなはずは…」

 だが目の前に、この世界に母がいる。

 

 

 よくここへたどり着いたわね

 

 赤い髪はうずまき一族の特徴だ

 

 

 母の言葉とイタチの言葉。

 水蓮は混乱の中必死に冷静を引き寄せる。

 

 まさか…

 

 との思いで母に向かって問う。

 「お母さん、こっちの世界の人なの?」

 恐る恐る聞いたその言葉に、水蓮の母はニコリと笑い

 「当たり」

 この場の空気にそぐわぬ明るい声で答えた。

 「…………………」

 思ってもみなかったことに水蓮の頭は混乱が極まる。

 今までの母の事を思い出しても、まったく思い当たらない。

 だがよくよく考えてみれば、母の子供の頃の写真を見たことはなく、母方の身内は一人もいなかった。

 皆亡くなったと聞かされて育った。

 とはいえ、とても現状と結び付けられるような材料とはなりえない。

 水蓮は母に関して思考を巡らせ、ハッとする。

 「お父さんもこっちの世界の人?」

 「ううん。お父さんはあっちの人」

 「そ、そう」

 父方の身内も皆亡くなっているが、そういえば写真は見たことがあった。

 「でも、そんな事今まで一言も…」

 「だって、お母さんにとってはもうあの世界が自分の世界だったから。お母さんの人生は、お父さんがいるあの場所がすべてだったから」

 幸せそうな顔で笑う。

 「……………」

 無言を返し、水蓮は母を見つめたまま固まる。

 

 お母さんはこっちの人で、お父さんはあっちの人…

 もう何が何だかわからない…

 

 「水蓮…」

 黙り込む水蓮の耳にイタチの低い声が響く。

 「こっちの世界とはどういう意味だ…」

 水蓮はハッとしてイタチを見て「あ~。えと…」と、言葉を詰まらせながら目をそむけた。

 なんと説明すればいいのかわからない。

 混乱溢れる空気の中で、水蓮は何をどうすればいいのか、もはや思考は完全に崩壊していた。

 「お前は一体…」

 戸惑いを浮かべながら聞き迫るイタチ。

 言葉を返せず黙り込んだ水蓮に代わって、母親が口を開いた。

 「私から話すわ。私のことも。香音、あなたがなぜここにいるのかも…」

 二人が見つめる中、水蓮の母「楓」は話し始めた。

 

 

 

「まずはじめに、イタチ君。あなたには信じがたい事かもしれないんだけど、香音はこの世界とは別の世界から来た存在なの」

 「別の世界…。それは時空間のような物か?」

 「そうね。そう考えたほうが受け止めやすいのかもしれない。ただ、時空間とは少し違って、私や香音が暮らしていた別の世界には、この世界と同じように人が存在し、歴史もある。文化や習慣は違うけれども、まったく違う場所にもう一つここと同じような世界が存在しているという事なの」

 イタチはしばらく目を閉じて黙し、ゆっくりと目を開く。

 「今一つ現実味には欠けるが、ここでそれについて論ずるよりは、まずあなたの話を聞かせてもらおう」

 その言葉に楓は頷く。

 「まずは私の事を話すわね」

 ニコリとほほ笑み、楓は驚くべき事をさらりと口にした。

 

 「私の母は、この渦潮の里のうずまきミト。そして父は千手柱間」

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 「は?」

 水蓮がとぼけた声を出し、その隣でイタチも目を丸くして固まっている。

 「そして…」

 「ちょ、ちょちょちょ!ちょっと待って!」

 なおも話を続けようとする母を、水蓮が止めた。

 「なに?」

 「いや、なに?じゃなくて。今なんて言ったの?」

 額に汗を浮かべる水蓮に、楓はまたニコリと笑う。

 「だから、私のお母さんはうずまきミトで、お父さんは千手柱間よ」

 「……………」

 水蓮の頭の中で、ぐわんぐわん…と妙な音が鳴り響き、少し足元がふらつく。

 うずまきミトという名は聞き覚えがない。たが千手柱間は知っている。

 

 木の葉の里の初代火影…

 その千手柱間が母親の父親ということは…

 

 「ってことは、私まさか…」

 やっと出たその言葉に楓が「そう」と返す。

 「あなたは、初代火影の孫よ」

 「えぇぇぇぇぇぇっ!」

 その叫び声が部屋の中にこだまする。

 「え?え?ちょっと待って。私が初代火影の孫?え!じゃぁ私と綱手は?」

 「綱は、私の姉の子供よ。私にとっては姪、あなたとは従姉妹ね」

 「私が綱手と従姉妹…。しかも初代火影の孫?」

 混乱する水蓮。しかし、隣にいたイタチが「そうか。だから」とつぶやいた。

 「えっ!なに?何がっ?」

 今のとんでもない話から一体何を納得したのか、イタチは水蓮の腹部に視線を投げ「だからあの時」と言い、言葉を続けた。

 「あの治癒力は、千手柱間の能力か」

 初めて会ったあの日、クナイによる傷が治癒したその力。

 それは印を組まずとも治癒能力を操れた、千手柱間の能力と同じだという事にイタチは気づいた。

 「そう。あれは香音、あなたがおじい様の再生能力を色濃く受け継いでいたからこそ。とはいえ、あなたはまだその力をコントロールできなかったから、あなたの中から私がその力を導いた。まぁ、もともとうずまき一族も回復能力と生命力は強いという事もあるけどね。ちなみに、その能力では毒までは治せない。解毒したのは私の医療忍術」

 「じゃぁ、私の医療忍術は…」

 「私からの遺伝みたいね。お母さんこう見えて、医療忍術のエキスパートだったのよ」

 得意げな笑みを浮かべる母に、水蓮は返す言葉が思い浮かばない。

 そんな水蓮の隣で、イタチがまた何か納得したような口調で言った。

 「オレの月読を返したのもあなたか。中からチャクラを乱して…」

 封印術に長けた者は幻術に強い傾向にある。

 イタチは自身の月読を返したのがうずまき一族なら、納得がいくと内心でため息をついた。

 それでも並みの事ではない。

 楓がかなりの実力者であることを悟り、イタチはじっと見据えた。

 その視線を受け止め、楓は頷き「ちなみに」とニコリと笑って言う。

 「ずいぶん遠いご先祖様の話になるけど、私たちの家系にはうちは一族の血も入っているのよ」

 「えぇぇぇ!」

 「なんだと…」

 さすがにイタチも驚きの声をあげる。

 「100年以上も前の話だけどね」

 水蓮とイタチは思わず顔を見合わせる。

 

 かなり遠い血筋とはいえ、同じうちはの血…

 

 二人の間に思いもよらなかったつながりが存在し、複雑な戸惑いが生まれる。

 「それにしても」と全くそんな二人を気にせず楓が声をあげる。

 「こっちに来ていきなり暗部のクナイでしょ。もう本当に参ったわ。あなたの中にチャクラを残したものの、あの時の治癒と解毒でずいぶんチャクラを消費しちゃって、消えちゃうかと思ったんだからぁ。そのせいでなかなかあなたの中から出れなかった。形を留められるほどのチャクラがもう残っていなかったから。だから、何とかここへたどり着ければと機を待っていたのよ。ここに残したチャクラと合わせれば、あなたと話せると思ったから。あなたに力を貸しながら、消えないようにするの、本当に大変だったんだから」

 語尾に「ウフ」とかわいらしくつけて肩をすくめる。

 どんな状況でも明るいその雰囲気が自分の知る母親の性格と一致し、水蓮は改めて母であることを実感する。

 「あ、そうそう。たぶん治癒能力が高いだけで、死なないわけじゃないと思うわよ」

 「え!そうなの?」

 

 という事は初めてここに来た日、イタチが勘違いしていなかったら殺されてたかもしれないってこと?

 

 脳裏に浮かんだその事に、水蓮の額から、つぅっと汗が流れた。

 それに、先ほどの榴輝との戦いにしても、水蓮は自分が死なないと思っていたからこそ術を見極めるために無茶な戦い方をしたのだ。

 「……………」

 背筋が凍る思いだった。

 「それなのに、あなた無茶するからお母さん結構あなたの中で頑張ってたのよ。でも、チャクラを使いきってしまうわけにはいかなかったから、すべての傷は治せなかった。あなたに、伝えなくてはいけないことがあったから…」

 「伝えなくてはいけない事…?」

 呆然としていた瞳と意識が楓に向く。

 楓は急に表情を固くし、静かな声で言葉を発した。

 「香音。あなたの中には九尾のチャクラが封印されているの」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 部屋の中に沈黙が落ちた。




少しいつもより間が空きすみません(^_^;)
今回の話は私が思う作品のテーマにとっては大切なところとなっております…。

後々にもつながってきますので、これからも見守っていただけると嬉しいです☆
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます(*^_^*)

ちなみに、本作品の勝手な設定として
楓と綱手の母(楓の姉)は14歳差としています。

綱手の母18歳で綱手を生む(楓4歳)
楓34歳で水蓮を生む(綱手30歳)
現在水蓮20歳(綱手50歳~51歳)としております。

ちょっと年齢差がありすぎるので、ご説明として…(>_<)


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第十七章 【親の想い】

 母の言った言葉がまたもや信じられず、水蓮は「もう一回言ってくれる?」と震える声で言った。

 楓は「だから」と、明るい声で返す。

 「あなたの中には九尾のチャクラが封印されているの」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 「いやいやいや…。まさかそんな…」

 水蓮は頭痛を感じ頭を押さえる。

 隣にいるイタチからも、珍しく混乱している空気を感じる。

 それでもイタチはふらついて数歩下がった水蓮の体を支え、近くにあった岩に「大丈夫か」と声をかけながら座らせた。

 イタチにすら声を返せないまま水蓮は顔を両手で抑え込み、しばらく固まる。

 突然あまりにも多くの事を告げられ、その情報量に脳がついてこない。

 「ちょっと待って…。と、とりあえず一回落ち着いて…」

 自分に言い聞かせながら水蓮は大きく深呼吸をした。

 ややあって、水蓮の少し落ち着いた様子を確認してから楓は再び話し出した。

 「少し昔の話になるんだけど。あなたのおばあ様は火の国で初めて九尾の人柱力となった人物だった。そして、役目を終えて次の人柱力であるうずまきクシナに九尾を引き継ぐ際、その場に私も居合わせていたの。予備の人柱力としてね」

 「予備って…」

 「私はクシナの次に九尾を封印しうる器として木の葉の里に連れてこられた。チャクラの質と量がクシナとほぼ同じだったから。それでも、ややクシナのほうが可能性が高かったから、木の葉の里はまずクシナへの封印を試みた。だけどその時、封印しきれなかった九尾のチャクラがクシナから漏れ出した。ほんの微量だったけどね。そのチャクラを私の中に封印したの」

 水蓮の喉がゴクリとなった。

 「その後私は渦潮の里へと戻された。私の中の九尾チャクラとクシナの中の物が呼応して暴走しないようにと」

 「そんな話聞いたことがない…」

 イタチが小さな声でつぶやいた。

 「この事を知るのは、あの場にいた木の葉の上層部の数人と、私の中の九尾チャクラの見張りとして任を受けた祖母だけ。クシナにさえこの事は伝えられなかった。彼女は封印の後気を失ってしまったし、とにかく事を知る人物を一人でも少なくしたいと、木の葉はそう考えていたみたい。私と祖母はこの事実が外部に決して漏れぬよう、そしていずれすべての九尾チャクラをその身に封印できうる人物が現れるまで、それを守り、一族の中で受け継ぐように木の葉から言い渡された」

 静かに聞き入る水蓮だが、あまりに話が大きすぎてなかなか思考がついてこない。

 楓は困惑する水蓮の様子に心配そうな表情を浮かべるが、ゆっくりと話を続ける。

 「だけど私がこの里に戻ってすぐ、うずまき一族の強力な封印術を恐れた他里からの襲撃を受けて、里は壊滅状態に追い込まれた。祖母は私を連れてこの部屋に逃げ込み、時空間忍術で私をここから逃がした。その時に、ここにチャクラを残すように言われたの。この部屋の存在はうちの家系にしか伝えられていなくて、その上特殊な封印術で厳重に守られているから、おそらく私の安否と、いずれ引き継ぐべき九尾チャクラの事を身内に伝え残すために」

 「だがその時里は滅び、この場所を知る者は残らなかったのか…」

 「ええ。そのようね…」

 イタチに答え、楓は悲しげな瞳で続ける。

 「あの時祖母は私を移動の術式が置いてある木の葉に飛ばすつもりにしていたみたいなんだけど、なぜか香音、あなたが生まれたあの世界へ飛んだ。おそらく何らかの原因で時空間にゆがみが生まれて、その狭間に入ってしまったんだと思う」

 「確かに、時空間忍術にはまだ謎が多い」

 イタチが言葉をはさむ。 

 「うちは一族にもその力があるが、扱う者にもすべては分からないようだ。だが、大きな力が働くには必ず何か必要不可欠な条件があるはずだ」

 「そうね。でも私にもわからないの。違う世界を行き来したからなのか、飛んだ時に記憶の一部が欠如したようで、私は飛んだ時の状況をあまり詳しくは思い出せない。香音が名前を忘れていたのもそのせいだと思う」

 そう返して楓は水蓮に目を向ける。

 「それから、これも何故かはわからないんだけど、私が向こうの世界に飛んだ時、この世界で負った傷が治っていたの。自空間を渡るときに何かが作用するのかもしれない。だからあの時…」

 その言葉に水蓮はハッとする。

 「私を飛ばした…」

 「そう。あの時、どんどんあなたから命が消えていくのを感じて、もしかしたら私の時と同じように傷が治るかもしれない。そう思ってそれに賭けた」

 「あの時、お母さんまだ生きていたの?」

 「ええ。言ったでしょ。うずまき一族は生命力強いのよ」

 ニコリと笑う。 

 「とはいえ、もう本当にギリギリだったけど。あの場にいた人に、あなたのそばに運んでもらって、あなたに時空間忍術を使った。九尾のチャクラには治癒力を高める力もあったし、できうることなら引き継ぎ守ってほしいとあなたの中に注いだ。危険な賭けではあったけど、木の葉にある術式に反応すれば、あなたは飛べる。そうでなければこのまま死ぬ。お母さんの人生で最後の賭けだった」

 その言葉に、あの時自分が死を覚悟したことを思い出す。

 そんな状態を見て、ほんの少しでも助かる可能性があるならと、最後の力を振り絞って自分を助けようとした母の想いに、涙がこぼれた。

 楓は優しい笑みをたたえて話を続ける。

 「けど本当に奇跡だった。あちらの世界に行ってからはほとんどチャクラを練れなくなっていて、術を使えるほどのチャクラを感じたのは一度しかなかったから。でも、あの時急に大量のチャクラが戻ってあなたを飛ばせた。だけど、九尾をあなたに封印するのにずいぶんチャクラを使ったし、あなたの中に私のチャクラを残そうとしたせいか、術が不完全であなたの精神体しか飛ばせず、術式に反応したものの木の葉へはたどりつかなかった」

 少しずつ、水蓮の中で様々なことがつながりだす。

 「でも、あなたが今消えずにここにいるという事は、おそらく本体も無事という事だと思う」

 同じようにそう思っていた水蓮は頷く。

 その隣でイタチが楓に問いかける。

 「今ここにいるのが精神体だというのか?」

 約一か月共に過ごしていた水蓮が、実体ではないという事がにわかには信じられず、じぃっとその姿を見つめる。

 「それに、精神体ならやはり死なないという事ではないのか?」

 「それは断定はできないわ。これは私が経験したことなんだけど、精神体に起きた重要な出来事、状況は、そのまま本体に影響するの」

 楓は記憶をたどりながら話す。

 「あちらの世界に飛んだ一年後。ちょうど私の誕生日の日、さっき言ったように一度だけチャクラが戻ったことがあったの。

 その時、時空間忍術でこの世界に戻った。でも、チャクラが足りなかったのか、飛んだのはあなたと同じように精神体だけ。状況はやっぱりあまり覚えてないんだけど、あの時はお父さんも一緒で、何故か次の日にまたあちらの世界に戻っていたの。その時、精神体に起こった出来事が本体にもそのまま影響した」

 どうにも謎が多く、水蓮も、そしてイタチでさえも理解しきれず顔をしかめる。

 「本体で飛べばその体に起きたことは時空間を渡る際に無効化されるのかもしれない。でも精神体の場合、その身に受けたことは本体に影響を及ぼす。だから、今致命傷を負えば本体にも同等のことが起きうるかもしれない。それが原因で本体の命が尽きれば、精神体も消える。そういう意味では不死とは言えないのよ。そこにどんな作用があるのかはわからないし、あくまでも私の見解だけど」

 その話をどう理解すればいいのか悩む二人に、楓は少し考えてから言葉を続けた。

 「今の香音はそうね…。消えない影分身という感じなのかもしれない」

 「ああ」

 「なるほど」

 水蓮に続きイタチがつぶやく。

 ほんの少しというレベルだが、二人とも楓の話を聞く中で、初めて何かしっくりするものを感じていた。

 影分身は、すべてが実体。

 そして本体に戻った時、経験した事や得た情報を本体に影響させることができる。

 その仕組みに似ているのかもしれない。

 すべてが納得いくわけではなかったが、二人ともなんとなく受け止めることができた。

 「香音…」

 楓が少し声のトーンを下げて言う。 

 「おじい様の力があれば、よほどのことがない限りは致命傷とはならないと思うけど、その力を使うにはかなりのチャクラと技術が必要となる。だから、しっかり訓練しなさい。その感覚は私が中から何度か導いているから、そう時間をかけずにつかめると思う。あなたは才能あるみたいだからね…」

 そう言ってほほ笑み、楓は言葉を続ける。

 「これからは、自分の力で自分を守りなさい。ここに残したチャクラと合わさったおかげで、何とかすべてを伝えるだけの時間を作れたけど、私のチャクラはもうすぐ消えるから、今までの様に中からあなたを助けてはあげられない」

 「お母さん…」

 慌てて立ち上がり、母に近寄る。

 伝えるべき事を伝えたらチャクラは消える。

 なんとなく分かっていた事だったが、受け止めたくない。

 水蓮の目から涙があふれた。

 楓は優しい笑みをたたえたままイタチに向き直る。

 「イタチ君。この子を何度も守ってくれて本当にありがとう。それから、香音がなぜあなたたちの事を知っているのか、それは私にはわからない。この子にも…」

 その言葉に、ピクリと水蓮の体が揺れる。

 

 そういう事にしようとしている…自分を守るために…

 

 水蓮は母の想いに気づき、口をつぐむ。

 「記憶の欠如か…」

 イタチのつぶやきに楓は言葉を続ける。

 「だけど、もともとは別の世界の人間。あなたたちに何か影響を与えるようなことは考えていないわ。それを信じるかどうかは、あなた次第だけど…」

 しばし黙り、イタチは「承知した」と短く答えた。

 「香音。あなたの中の九尾チャクラは本当に微量で、あなたに大きく影響を与えるようなことはないわ。もしこの先すべての九尾チャクラを封印できる人物に出会えたら、それを託しなさい。それであなたが命を落とすような事もないから」

 「分かった」

 「私の残りの力で、その方法と私が持つ術をあなたの中に引き継ぐ。ただ、すべての術が使えるわけではないから、自分の中に教科書があると思って、自分が使える物を選んでしっかり訓練しなさい」

 「…うん…」

 「それから、さっきも言ったけど、その身に起きた重要な出来事は本体に影響する」

 一言一言が、丁寧に、大切に紡ぎだされてゆく。

 「だから、よく考えて行動しなさい」

 「…うん」

 「香音。あなたは別の世界で生まれ育ったけど、今こうして私がチャクラを、想いを残したこの世界に、この場所にたどりついた。それは偶然じゃない。必ず意味がある。どんなことにも必ず意味がある」

 昔から父と母がよく言っていたその言葉に、無言でうなずく。

 「あなたならきっと大丈夫。信じてる」

 少しその姿が薄くなっていくことに気づき、水蓮は慌てて言葉を、想いを伝える。

 「お母さんごめん。ごめんね。私二人にいっぱいわがまま言った…。ひどいことも言った…。勝手なことして困らせた…」

 涙が止まらず溢れる。

 その涙と共に、ずっと心から消えなかった重い物があふれだした。

 「私だけが助かってごめんなさい…」

 隣に立つイタチの体が少し揺れた。

 「ごめんなさい…」

 なおも言葉を重ねる娘の頭に、楓はそっと手を乗せた。

 触れるはずのない手のぬくもりと感触を感じ、さらに涙があふれる。

 「ごめん…」

 「バカね」

 楓が笑いながら髪を撫でる。

 「何を言われても、何をされても、子供が生きていてくれれば親はそれで幸せなのよ。それが親の幸せなの。それはお父さんも一緒。だから、生きなさい。あなたの幸せを見つけて、あなたは生きなさい」

 すぅっ…と、またその姿が薄れる。

 「お母さんありがとう。大好き。お父さんに、お父さんにも…」

 「うん。ちゃんと伝える。というか、ちゃんと分かってる。お母さんもお父さんも。香音。生まれてきてくれてありがとう。ずっと愛してる…」

 ニコリと笑い、楓が大きく両手を広げ、最愛の娘の体を抱きしめた。

 母のチャクラが柔らかい光を放ちながら水蓮を包み込み、体の中へと消えてゆく。

 その光があまりに温かくて、切なくて、水蓮は思わずイタチに体を寄せ、声をあげて泣いた。

 震えるそのか細い肩を、イタチは自分でも気づかぬうちに抱き寄せていた。

 そして、先ほどの楓の言葉を思い出す。

 

 『何を言われても、何をされても、子供が生きていてくれれば幸せ…』

 

 胸の奥がクッ…と締まるのを感じ、イタチは自身の両親を思い出す。

 

 いつも笑顔の絶えなかった明るい母…

 厳格ではあったが家族思いの父…

 

 「あなたの想いは分かっているわ」

 

 「考え方は違っても、お前を誇りに思う。…お前は本当に優しい子だ」

 

 少しも自分を責めなかった二人の最期の言葉が脳裏によみがえる。

 そして、そのすぐあと、両親を殺めたあの感触が鮮明によみがえり、あの日刀を握っていたその手から全身へと駆け巡る。

 「……………っ!」

 思わず水蓮の肩に添えた手に力が入る。

 その強さに、水蓮の体がピクリと揺れ、涙にぬれた小さなその手がイタチの外套をぎゅっと握った。

 より近づくその距離に戸惑いながらも、イタチは自身もそのぬくもりに身をゆだねた。



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第十八章 【鼓動】

 母のチャクラが消え、しばらく涙の止まらなかった水蓮だが、次第にその心が落ち着きを取り戻し、まだ少しにじみ出る涙をぬぐい「もう平気…」と、少し笑う。

 「そうか…」

 「うん。ありがと…」

 先ほどまで互いの体温が近くにあったせいか、水蓮は離れた体が急に冷たく感じ、一瞬寂しさ増した。

 「水蓮…」

 呼びかけてイタチが戸惑う。

 どちらの名前で呼ぶべきかと、言葉を詰まらせた様子に気づき「今まで通りでいいよ」と水蓮が笑う。

 「水蓮、この事は誰にも、鬼鮫にも話すな。オレが機を見る」

 イタチの神妙な顔に水蓮は無言でうなずき、地面を見つめる。

 自分が滅び里の生き残りで、初代火影の孫。しかも九尾チャクラを体の中に封印していて、その上異世界から来たなどと、鬼鮫や暁、ましてマダラに知れたら、ややこしい事態を招くことは間違いないだろう…。

 「そうだね…」

 水蓮は力なく呟き、大きく息を吐き出す。

 涙は止まったものの、思いもしなかった展開にまだ頭は少し混乱していた。

 「大丈夫か?」

 「うん。ちょっと自分の生い立ちとか、他にも色々すごすぎて頭がまだついてこないけど。考えても仕方ないもんね!」

 語尾に力を入れてニコリと笑う。

 

 そうだ…考えたところで現実は現実…

 この先どうするかを考えよう…

 

 水蓮は自分に対して「うん」と一つ頷いた。 

 そしてイタチに向き直る。

 「あの、ごめんなさい。違う世界から来たこと黙ってて」

 「いや、仕方ない。どう説明すればいいかわからなかったんだろう?」

 頷きを返す。

 「あの時点で聞いたところで、オレも信じなかっただろうしな」

 「じゃぁ、信じてくれるの?」

 「理解はしがたいがな。偽りを述べているようにも思えない」

 イタチは水蓮の母が立っていた場所に目をやり、言葉を続けた。

 「常識の中の物だけが真実ではないからな…。それに、色々と解けた謎もある。深まった物もあるが。しかし、それを今考えたところですぐに答えが出る物でもない。それより…」

 イタチはそう言って水蓮に向き直る。

 「時空間忍術は使えそうか?」

 「……………」

 水蓮はしばし目を閉じて自身の中を探り、小さく首を横に振った。

 「かなり高度で、この先は分からないけど今は無理そう」

 それは嘘ではなかった。

 「そうか…」 

 そう返して珍しくふぅ…と息を吐き出した。 

 どの出来事に対してのため息かは分からなかったが、そのしぐさに疲労を感じ取った水蓮は、急ぎ部屋を出ようと扉に手をかけた。

 「戻ろうか。鬼鮫も心配してるだろうし」

 しかし、イタチは「少し待て…」と水蓮を止め、壁に向かって立ち万華鏡写輪眼を開く。

 そして印を組み、トンっと手をついた。

 先ほどの水蓮の時と同じように壁に光と文字が走る。

 「…え?なに?」

 まだ何かあるのかと、水蓮は目を見張る。

 「初めにこの部屋に入った時、壁一面にチャクラが複雑に流れているのを写輪眼でとらえた。この壁には術が施されている。これはオレの知っている術式と同じ物だ…」

 光の筋が壁全体に広がり、それと共に何かの絵が浮かび上がる。

 「これって、壁画?」

 「ああ」

 イタチはその壁画を、端から順番に見ていく。

 その瞳がどんどん鋭い光を脹れあがらせていき、絵の終着まできてイタチはじっと一か所を見つめ、ややあってから目を閉じて静止した。

 そして、しばらく黙した後ゆっくりと瞳を開きながら「なるほどな」と小さく呟いた。

 水蓮も同じように歩きながら絵を目で追ってゆくが、文字がまったくないことから、イタチのように何か納得できるような情報を感じ取ることはできなかった。

 「何が書いてあるの?」

 水蓮の問いにイタチはしばし考え「少し説明が難しい。この話はまた今度だ」と答えた。

 そしてその言葉と同時に壁の絵がすぅっと消え、イタチの瞳もいつもの写輪眼に戻る。

 すべてが見えなくなったことを確認してから、イタチは扉に手をかけた。

 「戻るぞ」

 「あ、うん」

 二人は扉を閉める前にもう一度中を見つめた。

 「お母さん…」

 小さくこぼれたその言葉に、イタチは水蓮に視線を落とした。

 「お父さん…」

 水蓮の目には、笑顔の母と、その隣で同じく笑みを浮かべる父親の姿が見えていた。

 「ありがとう」

 柔らかい微笑みと共に紡がれた最後の言葉が部屋の中へと吸い込まれてゆく。

 その瞳は、悲しさと寂しさが入り混じり、少し潤みを帯び光っている。

 だが、それでいて何か強い決意を感じ取れる眼差し…。

 

 トクン…っと、一瞬イタチの鼓動と感情が揺れた。

 

 しかし、イタチがその正体を探るより早く水蓮が顔を上げて笑った。

 「行こう」

 「…ああ」

 ゆっくりと、二人の手で扉が閉じられる。

 音もなく閉まった扉は、淡い光を放ちながら消えゆき、まるで何もなかったかのように元の壁へと姿を戻した。

 

 

 外へと出ると、涼しい空気を含ませた風と美しい星空が二人の疲れを和らげた。

 「気持ちいいね」

 「そうだな」

 答えてイタチは後ろを振り返る。

 その視線の先に、月の明かりを頼りにこちらへと向かってくる鬼鮫の姿が見えた。

 「やっと見つけましたよ」

 なかなか戻らない二人を探しに来たようだ。

 「邪魔が入って時間を取られた」

 鬼鮫は「ああ」と小さく笑う。

 「大蛇丸の手下ですか?」

 「お前もか」

 鬼鮫も同じ状況だったことを悟り、イタチは「それで?」と聞き、すぐにその言葉を打ち消した。

 「いや、聞く必要はないな」

 「ええ。そちらも、ですかね」

 鬼鮫は水蓮に目を向け、体の傷や服の汚れを見てフッと笑った。

 そしてイタチに向き直る。

 「少しは役に立ちましたか?」

 イタチはジトリと鬼鮫をにらみつけ「鍛えすぎだ」と言って歩き出した。

 鬼鮫が少し機嫌のよさそうな声で「行きますよ」と水蓮に声をかけイタチに続く。

 「うん」

 その背を追う水蓮の心には、拭いきれない戸惑いと寂しさが残っていたが、それを振り切り顔をあげた。

 

 すべてのことに意味がある…

 

 母のその言葉が不安を消してゆく。

 

 ここで、イタチのそばで生きるために私はこの世界に来た…

 

 改めてその答えを心に刻んだ。

 

 

 

 渦の国での目的を遂げ、水蓮たちは船で帰路へとついていた。

 船の上で、水蓮は母から引き継いだ術について色々と調べ、自分が使えそうなものとそうでないものを少しずつ整理していた。

 母親が、自身を医療忍術のエキスパートだと言っていただけのことはあり、その術のノウハウはかなり高度な物だった。

 しかし、風遁や火遁などの攻撃系の物はなく、医療と封印に関してものばかりだった。

 それでも、忍術の基本的な知識はある程度得ることができ、これからの自分を助ける力に十分なり得た。

 その中から、すぐに使えそうなものや、役にたちそうなものを二人の目に触れぬよう少しずつ訓練し、渦の国を発ってから3日後の深夜、水蓮たちはイタチがよく使うアジトへと帰り着いた。

 慣れない船、そして渦潮の里での様々なことに疲労がたまっていた水蓮は、ついてすぐに深い眠りについた。

 しかし、やや時間がたってから、イタチと鬼鮫の話し声をかすかにその耳に捉えて、目を覚ました。

 うっすらと開いたその目には、外へと向かう二人の姿。

 小さく話す言葉の中に自分の名前を聞き取り、水蓮はドキリとする。

 二人が外に出てしばらくしてから、気配を消してその後を追う。

 何とか声が聞き取れる場所で岩陰に身をひそめて水蓮は耳を立てた。

 「水蓮はやはり空区へ置いていく。今後、関わることはないだろう…」

 イタチのひどく冷たい声に、水蓮の体が凍りつくように固まった。

 「しかし、よろしいんですか?あなたが問題ないと判断したとはいえ、彼女は我々の事を知っている。渦の国でのことも…」

 「それは心配ない。考えがある」

 

 …幻術をかけるつもりだ…

 

 水蓮はきゅっと唇をかんだ。

 母のチャクラがなくなり、もう中から幻術を解くことはできない。

 イタチは幻術で催眠をかけ、記憶をすり替えるつもりなのだと水蓮は悟る。

 「まぁ、あなたがそう言うのなら問題ないのでしょうがね」

 説明せずとも、鬼鮫がそう言うのも計算の上なのだろう。

 「明日巻物を取りにトビがここに来る。その前に事を済ませる」

 「トビが…。そうですね。今更彼女を見られてはややこしい」

 「ああ」

 「しかし、少し残念な気もしますねぇ。彼女はなかなかいい素材でしたし、あなたの体の事を考えても…」

 そんな鬼鮫の言葉にイタチは表情を変えずに静かに言い放つ。

 「元に戻るだけだ」

 「そうですね」

 「ただ何もなかったことになるだけだ」

 その言葉に、水蓮はイタチが鬼鮫にも幻術をかける気でいることに気付く。

 

 そしてまた、自分だけが様々なことを覚えたまま…

 

 水蓮はグッと手を握りしめた。

 「では、我々もそろそろ休みましょうか。巻物のこともありますし、一応私の分身を見張りにおきましょう」

 鬼鮫がそう言って印を組んで影分身を生み出す。

 水蓮は唇をキュッと噛みしめながら、気づかれぬようそっと元の場所に戻った。



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第十九章 【赤雲《せきうん》】

 翌朝、うっすらと空が白み始めたころ、イタチは眠る水蓮の近くにスッと体をかがめた。

 「水蓮、起きろ」

 心なしか優しさを感じる声。

 「少し話がある…」

 しかし、動かない水蓮の肩に、イタチはそっと手を置きハッとする。

 「どうかしましたか」

 一瞬揺れたイタチの体に、鬼鮫が声をかけた。

 イタチはおもむろにクナイを取り出し、眠る水蓮に突き立てる。

 次の瞬間…

 

 ボンッ!

 

 と音を立てて、その体が消えた。

 

 「影分身!」

 鬼鮫が驚きの声をあげる。

 昨日の夜鬼鮫が印を組んだ時に、水蓮は同時に印を組み影分身を作り出していたのだ。

 同時に発動することでその気配を隠し、影分身を置いて自身は身をひそめる。

 そして今も、この光景をひそやかに見ていた。

 

 …絶対離れないって決めたんだから…

 

 洞窟(アジト)のやや高い位置にある壁にできた大きめのくぼみの中…

 水蓮は極限まで気配を殺してその存在を隠し、二人の様子を見据える。

 その視線の先で「いつの間に…」とイタチがつぶやく。

 

 …母親から受け継いだか…それとも空区で修業していたのか…

 

 イタチはそう思考を巡らせ、どちらにしても油断していた自分に苛立ちを感じる。

 「一体どこへ…」

 「困りましたねぇ。渦の国での情報を持ったまま…」

 「…………」

 このままだと、暁から追われる身となりかねない。

 イタチはふいに渦潮の里での水蓮の母の言葉を思い出す。

 

 「あなたは生きなさい」

 子への願い…

 

 それを無下にすまいと、水蓮をここから離すつもりにしていたのに。

 先程とは違う苛立ちに顔をしかめたイタチに「しかし」と鬼鮫が呟く。

 「才能とは一度開花すると恐ろしいですねぇ」

 どこか面白そうなその言葉に、イタチはジトリと冷たい眼差しを向ける。

 肩を竦める鬼鮫に、イタチは低い声で言いながら立ち上がった。

 「トビが来る前に見つける」

 「わかりました」

 二人はアジトから出てゆく。

 しかし、外をいくら探しても見つかるはずがなく、しばらくしてからトビとの約束の時間になったこともあり、水蓮の捜索を分身に託して二人はアジトへと戻ってきた。

 それとほぼ同時にどこからともなく一人の男が現れた。

 右目にだけ穴が開いたオレンジ色の仮面。

 暁の衣はまとっておらず、黒一色の服にその身を包んでいる。

 

 …あれがトビ…

 

 マダラ…

 

 水蓮は静かに息をひそめてその様子を見つめる。

 トビはイタチと鬼鮫をその目に捉え「どうもー!」と、とんでもなく軽く言う。

 「おはようございます~。お久しぶりのトビで~す!」

 「相変わらず元気ですねぇ…」

 トビがひょこっと鬼鮫のもとに飛び寄る。

 「鬼鮫さん、元気にしてましたかぁ」

 「ええ、まぁ」

 「イタチさんも~。元気ですか~っ!」

 さほど離れた距離にいるわけでもないイタチに、ブンブンと両手を振って見せる。

 イタチは答えずに、トビに向かって先日手に入れた2つの巻物を投げた。

 「早く持って帰れ」

 「わっ、わわ…」

 あたふたとそれを受け取り、トビは巻物を確かめる。

 「つれないなぁ」

 懐に巻物を直しながら、今度はイタチのそばに近寄り体をぺたぺたと触る。

 「この間自来也とかいうやつにぃ、こっぴどくやられたって聞いたから、心配してわざわざ様子見にきたんですよ。もう大丈夫なんですかぁ」

 イタチは振り払うでもなく、表情も変えず低い声で言う。

 「問題ない。帰れ」

 「うわ!冷た!…相変わらずクールですねぇ。ずっと一緒で息が詰まりませんか?鬼鮫さん…」

 イタチから離れて腕を頭の後ろで組みながら鬼鮫に向き直る。

 「私は心地いいくらいだ。それより、早くそれを持って帰ったほうがいい。我々のリーダーは厳しい方ですからねぇ」

 鬼鮫も早々に立ち去らせようと促す。

 「わかりましたよぉ」

 いじけた口調でくるくると回る。

 その一つ一つの動きは実にコミカルだが、その空気にはまったく隙がなく、容易に近寄れる雰囲気ではない…

 渦の国で実戦を経験した水蓮には、それを感じることができた。

 

 だけど…

 

 水蓮はグッと手に力を入れて大きく深呼吸する。

 

 ここに残るにはもうこれしかない…

 

 昨日考え付いた事を実行に移すべく、水蓮はトビに視線を向ける。

 その視線の先で「じゃぁ、帰りますよ」とトビが背を向け、イタチと鬼鮫が少しほっとした様子を浮かべる。

 しかし、トビが姿を消そうとしたその瞬間。

 「待って!」

 身を隠していた水蓮が声をあげて降り立ち、その姿をさらした。

 場の空気が凍りつき「水蓮…」との鬼鮫のつぶやきに「ずっとそこに…」とイタチが続く。

 驚くその表情は今までに見せたことのない戸惑い…

 「ふぅん…」

 トビが小さく漏らしたその声に、鬼鮫とイタチはハッとする。

 自分たちの言動が、水蓮が知った人物であることと、ここにいる誰にも気づかれずこの場に身を隠していたことを明らかにしてしまったのだ。

 らしくない失態にイタチはかすかに唇をかむ。

 「あれ~?」

 トビのとぼけた声とは逆に、緊張感が張りつめてゆく。

 「こんなところに女の子がいるなんて~。何の用かなぁ?」

 醸し出す空気がどんどん重くなっていく。

 水蓮は額に汗を浮かべながらグッと両手を握りしめ、トビをしっかりと見据えて口を開いた。

 「私を暁に入れて!」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 イタチと鬼鮫が、ポカンと小さく口を開けて固まった。

 そんな二人の空気とは逆に、トビから何とも言い難い妙な空気が放たれ、その体がふわりと動いた。

 水蓮の体に目には見えない重い何かが向かい来る。

 

 …こ…怖い…

 

 さらに体に力を入れる水蓮。

 次の瞬間…

 

 ザッ!ザザァッ!ザンッ!

 

 いくつかの音がアジトの中に響き、水蓮の目の前に鮫肌が突き立てられ、まるで盾のごとく水蓮のその体を覆い隠していた。

 「え?」

 そしてそのさらに前にはイタチと鬼鮫の背中。さらに、水蓮の周りにイタチの影分身が2つ。

 それらが完全に水蓮を囲い込んでいた。

 ドンッと、トビが大きな鬼鮫の体にぶつかり、数歩後ろによろめく。

 「うわ…とと…」

 転びそうになるのをこらえて「びっくしたなぁ」とおどける。

 「やだなぁ、ちょっと挨拶しようと思っただけじゃないですか~。そんな完全に防御しなくても~」

 相変わらずの軽い口調だが、仮面の下からのぞく視線が、細い隙間をすり抜けて水蓮に鋭く突き刺さる。

 「お二人の知り合いですかぁ?」

 イタチと鬼鮫は答えない。

 張りつめる空気に水蓮の額から汗が一筋落ちた。

 水蓮は立ちはだかる二人の背中越しに、もう一度言う。

 「私を暁に入れて!」

 前に立つ二人の体がピクリと揺れ動揺が走る。

 その一瞬のすきをつき、トビが姿を消す。

 「暁に入りたい、と…?」

 現れたのはイタチの影分身の肩の上。

 そこから水蓮を間近に見据える。

 ハッとして全員が見上げるが、すきのないトビの空気に誰も動けない。

 「ふぅん…へぇ~」

 じっと水蓮を見つめる。

 水蓮も決して逸らすまいと、恐怖を押し込んで、グッと目に力を入れる。

 数秒、そのまま対峙し、トビはスッと体を引きイタチと鬼鮫の前に移動する。

 「これ、誰ですか?」

 コミカルに首をかしげる。

 「医療忍者だ」

 「自来也との戦いの後、我々のけがの治療のためにしばらく雇っていただけです」

 「そんな報告聞いてませんけど~」

 「すべてを報告する必要はないだろう」

 「まぁ確かに。リーダーは人員の雇用はある程度それぞれに任せてるみたいですけどぉ…」

 とトビは鮫肌と鬼鮫の間から水蓮を覗き込む。

 そのトビに向かって、水蓮は賭けに出ようと息を吸い込む。

 

 自分の中の九尾のチャクラの存在。

 

 イタチには誰にも言うなと言われていたが、それをさらけ出せば暁は自分を離すはずがない。

 「それに、私は…」

 しかし、これ以上余計なことを言われまいとしたのか、後ろにいたイタチの影分身がその口をふさいだ。

 「んん~!」

 もがく水蓮に、トビが仮面の下で顔をしかめる。

 「それに?」

 「私の弟子ですよ」

 鬼鮫が改めて水蓮の体を隠すように、動く。

 「とはいえ、気まぐれで少し相手をしていただけです」

 「もう用済みだ。適当なところに捨て置く」

 「へぇ~…」と、トビは何度もそう繰り返し、イタチと鬼鮫をひたと見つめて言った。

 「入れるのは勝手ですがぁ…」

 フッと身にまとう空気が鋭く変わる。

 「…出すときは殺せ」

 水蓮の体にゾワッと嫌なものが走った。

 トビはすぐに空気を元に戻し「…って、この間リーダーが言ってましたよぉ」と、軽い口調で二人に言い懐から巻物をちらりと見せる。

 「これも見られてたでしょうしね~。なんなら、僕がやりましょうかぁ」

 にこやかな雰囲気の声だが、本気だ…

 水蓮は口に当てられたままの影分身(いたち)の手をぎゅっと握る。

 その手が震える様子をとらえたイタチが、小さく息を吐いた。

 「わかった」低い声で言葉を続ける。

 「リーダーに報告しておけ。我々のチームに医療忍者を一人入れるとな」

 同時に水蓮の口元から影分身(いたち)の手が外された。

 鬼鮫が無言でスッとイタチに視線を落とす。

 トビはしばらくイタチと視線をぶつけあっていたが、ややあって「了解しましたぁ!」と、おどけて敬礼をした。

 そして、どこからともなく暁の外套を取り出し「じゃ~ん!はい!これをあげましょう」と広げて見せた。

 それをイタチがバッと奪い取り「早く帰れ」と言い放つ。

 「はいはい。わかりましたよぉ。あ、お名前はなんでしたっけ~?」

 覗き込むトビを見据えて水蓮は答える。

 「水蓮」

 「僕はトビで~す。よろしくねぇ」

 そして、ハッと気づいたように体を揺らした。

 「もしかして…」

 「なんだ…」

 イタチの目が、警戒に鋭く光る。

 トビは体をわなわなと震わせ、

 「僕、先輩になった~!」

 と嬉しそうに声をあげ、「やった~」と両手をあげた。

 その様子に呆れた表情を浮かべる鬼鮫の隣で、イタチは冷めた視線を向けていた。

 そんな二人の視線を全く気にせず、トビはしばらく喜んでぴょんぴょん跳ねていたが、再度イタチに「帰れ」と言われ「ほんと冷たいな~」とぶつぶつ言いながら水蓮に向き直る。

 「じゃぁ、これからよろしくね~。水蓮ちゃん」

 そしてスッと姿を消した。

 辺りに数秒静けさが落ち、イタチの影分身が消える。

 それを合図にしたかのように、立ち尽くす水蓮にイタチと鬼鮫がバッと振り返って口を開いた。

 「お前!」

 「バカですか!」

 水蓮の体がビクリと揺れる。

 鬼鮫が鮫肌を背負い直し、はぁと息を吐きだす。

 「トビはあんな感じですが、れっきとした組織の一員。下手したら殺されてましたよ」

 「まったくだ!」

 イタチも珍しく声を荒げる。

 「だって、離れたくなかったんだもん…」

 水蓮はそう口にした途端力が抜けてその場にへたり込む。

 「おい」

 「大丈夫ですか」

 「あ、ハハ…。腰が…」

 二人にひきつった笑みを返し、小さく息を吐き出したとたん、急に冷や汗も噴き出した…。

 「やれやれ…」

 ため息をつく鬼鮫の隣で、イタチが『余計なことは言うな』と目で訴えている事に気づき、水蓮はもう一度息を吐き出すふりをして首を縦に振る。

 …が、「でも、どうして二人とも…」と思わず言葉がこぼれた。

 身を挺して自分を守ってくれた二人に水蓮は驚いていた。

 変わらず黙するイタチの隣で、鬼鮫が「さあ…?」と首をかしげたが、小さく笑って言葉を続けた。

 「でもまぁ、拾ったからには多少なりとも情はありますよ。ねぇ?イタチさん。数が多かった分、私よりあなたの方が情が多いですかねぇ」

 面白がって言う鬼鮫に、イタチはいつものように目を細めて無言を返す。

 「しかし…よくトビから目をそらしませんでしたね。あそこで目をそらしていたら…殺されていた」

 「鬼鮫に教わったから」

 鬼鮫は「ハハ」と少し嬉しそうに笑った。

 「まぁ、あなたは死なないんでしょうけどね。そうなったらそうなったで、ややこしいことになっていた」

 「え?あ…はは」

 またひきつった笑いを返して、水蓮は差し出された鬼鮫の手に捕まり立ち上がる。

 イタチはまだ少し機嫌悪そうな表情を浮かべていたが、水蓮の視線がトビが置いていった外套に向けられたことに気づき、口を開いた。

 「お前はこれを身に着けるな」

 「え?」

 不思議そうな表情を浮かべる水蓮に、今度は鬼鮫が言う。

 「これを着たら、あなたは完全にこちら側の人間だ。もう本当にどこにも戻れなくなる」

 「…………」

 これから暁はどんどん表に名前が出て行く…。そんな中これを着て行動し、その姿をあちこちでさらせば、関係する者にも、そうでない者にも、『暁の水蓮』として認識される…。

 そしてそれは一生ついて回る…。

 二人の言葉がそういう意味なのだと悟り、水蓮はじっと外套を見つめた。

 だが、そこにもう迷いはなかった。

 「何も怖くないよ!」

 バッ…とイタチの手からそれを取り、勢いづけて身にまとう。

 そして、二人を見つめてもう一度言った。

 「何も怖くない」

 その様子に鬼鮫がフッと笑みを浮かべた

 「あなたはこれで正式に我々の仲間だ。よろしくお願いしますよ」

 隣に立つイタチはやはり不満げではあったが、水蓮は頷き、二人に頭を下げた。

 「よろしくお願いします」

 視線の先に外套の赤い雲が映る。

 まさか自分が身にまとうとは思っていなかった赤雲(せきうん)に、水蓮は重みを感じグッと両手を握りしめた。

 

 

 外から入り込んできた風が3人の外套をはためかせ、その裾が重なり合った。




活動報告にも書いた内容ですが…

この話でほんの少しですが、ひと段落(?)つくので、ちょっと連続アップしました(^_^;)
しばらくは先の話を構築する時間に当てようと思いますので、ちょっと間が空くかもしれません。
進み具合によっては、不意に投稿するかもしれませんが…
2週間以内には次の話を…とは考えていますので、その際にはまたよろしくお願いいたします☆

いつもありがとうございます(*^_^*)


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第二十章 【夢の浮き橋】

 水蓮が暁に名を置くようになってから1ヶ月程が過ぎた。

 あれから特に組織から連絡はなく、転々と場所を移動しながらイタチと鬼鮫は世情を観察しているようだった。

これまでに比べて、比較的ゆったりとした時間を過ごしていた水蓮達だったが、宿をとり一息ついていた中、暁から二人に呼び出しがかかった。

 どうやら主要メンバーが全員呼ばれたようで、鬼鮫が通信に備えながら口を開いた。

 「全員呼ばれるとは珍しい。どれくらいぶりですか?」 

 「7年ほどか」

 しばし記憶を辿ってから答えたイタチの表情は、一見いつもと変わらないが、何か嫌な予感を感じているのか、その瞳が少し厳しさを増したことに水蓮は気付いていた。

 

 7年ぶり…

 全員…

 

 無意識に記憶が手繰り寄せられる。

 

 サスケが大蛇丸のもとへ…

 この時の会合で確かその事が告げられたはず…

 

 「そろそろですかね…」

 「ああ」

 二人が目を閉じ、部屋に静寂が流れる。

 水蓮はイタチの隣に座り、それが終わるのを待った。

 この日の通信は長く、30分ほど経ってからようやく二人は目を開いた。

 「お帰り」

 実際出かけていたわけではなかったが、水蓮の口から自然とこぼれたその言葉。

 二人は一瞬虚をつかれたような顔を浮かべたが、イタチがすぐに表情を戻し立ちあがった。

 「何の話だったの?」

 イタチには聞きづらく、水蓮は鬼鮫に問う。

 鬼鮫はちらりとイタチに視線を投げ、その空気から判断し、水蓮に事実を告げた。

 「大蛇丸が写輪眼を手に入れたそうです」

 「………………」

 「イタチさんの弟ですよ」

 付け足されたその言葉に、水蓮はやはり無言を返した。

 しばし沈黙が流れた後、イタチの低い声が部屋に響いた。

 「鬼鮫、行くぞ」

 鬼鮫が立ち上がり鮫肌を背負う。

 「水蓮、あなたは待っていてください。夕方には戻ります」

 いつもの情報収集だろうか。水蓮は頷き、二人の背を見送った。

 数時間後、戻ってきたイタチはいつもにもまして無口に過ごし、普段より幾分か早く布団に入った。

 考え込む姿を見せないためだろうか。

 そんなことを思いながら水蓮は窓辺に腰を掛け、眠るイタチを見つめていた。

 「さすがにイタチさんも気になるようですねぇ…」

 あまりイタチの事を知らぬ者なら、いつもとさほど変わらぬように見えるのだろうが、さすがに付き合いの長い鬼鮫にはその変化がわかるようだ。

 「そうだね…」

 「写輪眼を手にした大蛇丸が何をしでかすつもりなのか。少し不気味ですしねぇ。私はあまりかかわったことはありませんが、大蛇丸に関しての奇妙な話は数多(あまた)ある…」

 「うん…」

 「これからは、あなたも身辺には気を付けたほうがいい。うちはサスケを使って、イタチさんを狙ってくるかもしれない。それに、彼自身も一族殺しの兄に、復讐を考えているようだ。いつ何が起こるかわからない」

 鬼鮫は以前、木の葉でサスケの未熟さを見ているものの、うちはの血を持ち、イタチの弟であるその存在を、警戒しているようだ。

 「わかった」

 「では、我々も休みますか」

 「そうだね」

 立ち上がる水蓮と入れ違いに、鬼鮫は見張りを兼ねて窓辺に座って目を閉じる。

 しかし水蓮はしばらく布団の上に座り、イタチを見ていた。

 

 たぶんこんな日は…

 

 そう想いを巡らせたとき、深めにかぶった布団の中でイタチが少し眉をひそめた。

 起きているわけではない。空区やここに来るまでに、共に過ごす中で幾度か見てきたこの表情。

 それは、イタチがあの日の夢を見ている時に見せる表情。

 たが体調をひどく崩していた出会いの時や、空区で熱があった時のようにうわ言を言ったりはしない。

 普段はどこかで歯止めがかかるのだろう。

 寝ていても気を抜くことを許されないイタチの心…。

 水蓮は同じように表情をゆがませた。

 

 …この苦しみは変わってあげることはできない…

 取り除けない…

 でも、せめて少しでも和らげば…

 

 水蓮はそっとイタチのそばに座り、布団の上に手を乗せた。

 少しでもぬくもりが伝われば…。そう思った。

 イタチとの時間はそう長くない…

 どんな小さなことでも、できることはすべてしたい。

 そんなことを考えながら、いつの間にかイタチのそばで眠ってしまった。

 しばらくして、イタチの様子が少し変わったことに気付いたのは鬼鮫だけだった。

 目を開き「珍しい」とつぶやく。

 視線の先でイタチが小さく寝息を立てていた。

 数年一緒に過ごしているが、薬の副作用以外でこんな風に眠るイタチは初めて見るかもしれない。

 鬼鮫は驚いていた。

 そしてイタチの布団に頬を乗せて眠る水蓮の姿を見て、その存在がイタチに静かな睡眠をもたらしているのかもしれない…と考え、フッと笑う。

 「不思議な人だ…」

 初めに会ってから、水蓮は状況もその身につけた力も随分と変わった。

一応【仲間】という肩書きも手に入れ、随分と自分達の空気にも馴染んできた。

 だが、鬼鮫の中でその事だけは変わらなかった。

 そして、イタチだけではなく、その存在が奇妙な変化と違和感を自分にももたらしている事を感じていた。

 今までに感じた事があったのか…。

 記憶の奥深くを探っていかなければ見えてこないその感情。

 

 これは一体なんなのか…

 

 何気なく窓の外を見上げたその目が大きな満月をとらえ、ふいにその胸中に過去が巡る。

 

 

 機密事項を守るためとはいえ、任務の名のもとにいくつもの仲間の命を奪ってきた。

 望んで奪った命などなかった。国のため、里のため…。いや、それはどこか違う気がする。そうする事を、それをなし得る自分を求められたから、そこに存在価値を求めたのか。

 求められる場所に身を置けば、自分が見えるかと、そう思ったのだろうか…

 しかし、その手に血を塗り重ねるごとに、自分の存在は不可解なものとなっていった。

 

 里を抜けた者や、時にはつい先ほどまで共に行動していた、仲間と呼ぶべき者たちを手にかけてきた。

任務だと思っていた事ですら、全く別のもくろみの中操られていた時もある。

その偽りの中で、命の灯を吹き消す。

 その時自分に向けられたのは…

 

 …戸惑い…恐怖…悲しみ…憎悪…

 

 そして救いを乞う、涙…

 

 見えぬふりをするためには、自分は一切の感情を捨てたのだと、偽りで塗り固めるほかなかった。

 

 そんな物は自分にはないのだと、繰り返しそう塗り重ね、偽らなければとても耐えきれなかった。

 

 だがそうすればするほど湧き上がる疑問。

 

 「私は何者なんでしょうかねぇ」

 

 月に答えを求めるかのように、そこへと向けて言葉が放たれた。

 

 自分とはこの世界の中でどのような存在なのか…

 自分のいるべき場所はどこなのか…

 何も偽ることなく心落ち着く場所はあるのか…

 

 そこまで考えて、鬼鮫はハッとしてイタチと水蓮を見た。

 

 「そうだ…」

 

 呟きが漏れた。

 感じていた変化。奇妙な違和感。

 その答え…

 鬼鮫は今それを二人の中に見つけていた。

 

 「ここは、落ち着く」

 

 同じような過去を持ち、自分の存在を否定しないイタチ。

 自分の事を知っていながら、関わることを恐れず、教えを乞うと求めてきた水蓮。

 そこには偽る必要のない、自分の居場所があるように思えた。

 そう感じる自分に驚きを抱えながら、鬼鮫は小さく笑った。

 「知らぬうちに、夢の半分は叶っていたのかもしれませんねぇ。いや…」

 しかし、すぐにそれを否定した。

 「何もかもが移ろいやすいこの現実の中では、いつ消え去るかわからないはかない物…。所詮は夢の浮橋…」

 様々な戦いの中で多くの偽りを目にしてきた鬼鮫にとっては、心から信じられる物は今の世界にはない。

 やはり自分の夢が完全に叶うのは、あの人の作り出す世界の中にしかない。

 鬼鮫がそう心に言いとどめた時、水蓮が小さく身じろぎをした。

 

 水蓮…

 

 「いい名だ」

 淀んだ泥の中で美しく咲く花。

 水蓮の存在は自分たちの闇の中に咲く花そのもの。

 この現実世界では、決して感じることができないだろうと思っていた物を、自分に与えた存在…

 「本当に不思議な人だ…」

 何度もそう感じてきた。

 だが、それ以上の事…すなわち、水蓮の『素性』は鬼鮫にとって、はじめからさほど重要ではなかった。

 自分自身が何者かもわからないのだ…

 他人に存在の意味を問う気も、求める気もない。

 しかし、今は水蓮が闇に染まることなくあり続けてほしいと、そう感じていた。

 「とはいえ、今のこの世界ではそうもいかない」

 心地よく感じるこの居場所も、一瞬で消えうる…。

 「ですが、今しばらくはここに身を浸すとしましょう…」

 自身の本当の夢をかなえる場所、マダラの言う『月が生み出す理想の世界』へと行くまでの間、鬼鮫はこの二人との時間を楽しむのも悪くない。そう思った。

 「ひと時の戯れとして…」

 水蓮に布団をかぶせ、また元の場所に戻って静かに目を閉じる。

 その心は、今までにない落ち着きを感じていた。




お気に入り登録が100を越え…感動と感謝でやる気がさらに上がった私ですo(^o^)o
なので、ピッチを上げて予定より早く
新たに投稿~(^^

皆様、本当にありがとうございます~(^人^)



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第二十一章【伝令の二人】

 翌日。

 朝早くにイタチと鬼鮫は暁からの任務に出る準備をしていた。

 「だいぶかかるの?」

 やや入念に打ち合わせをする二人の様子に、水蓮が問う。

 「一度本拠地にも寄るので、四日ほどかかりそうです」

 立ち上がり鮫肌を背負う鬼鮫の隣でイタチが影分身を作った。

 「水蓮、お前は今回はここで待て」

行動を別にするのは久しぶりだったが「わかった」と、水蓮は素直にうなずく。

 その様子に鬼鮫が小さく笑った。

 「どこかに捨て置かれる心配がなくなってから、すっかり素直になりましたねぇ。それとも、さすがのあなたでも本拠地には踏み入りにくいですか」

 「さすがのって…」

 今までの数々の言動に、水蓮は鬼鮫から【向こう見ず】【怖いもの知らず】とのニュアンスを含んだ言葉で、事あるごとにからかわれていた。

 ジトリと鬼鮫をにらむ。しかし『踏み入りにくい』という鬼鮫の言葉はある意味では当たっていた。

 トビが帰った後、水蓮はイタチから決して九尾チャクラの事を鬼鮫の前や組織の中で口にするなと釘を刺された。

 そこから糸をたどり、千手柱間の血を引くことが知れれば、その力を利用するために何をされるかわからない…。

 

 「死にたくなければ何も言うな…」

 

 そう言われていた。

 

 本拠地には感知能力の高い者もいることから、微量とはいえ水蓮の中の九尾チャクラを感知される危険性がある。

 その事を危惧し、本拠地に足を踏み入れることは避けたいと二人とも考えていた。

 特にトビを、マダラを避けなければ…

 水蓮はあの日、トビの恐怖を間近に感じ、そう思っていた。

 自分が千手柱間の孫。

 その事実へは、細い細い糸ではあるが、彼ならたどり着きかねない。

 イタチも恐らくそう考えているのだろう。

 「鬼鮫。行くぞ」

 身をひるがえしドアを開けるイタチに、「なるべく早く戻りたいですね」とぼやきながら鬼鮫も続く。

 「行ってらっしゃい」

 ピクリ。と二人の背中が一瞬揺れ、水蓮に半身だけ振り返る。

 そこに生まれた妙な間に、水蓮が「ん?」と首をかしげると、鬼鮫がフッと笑った。

 「悪くないですね。ねぇ、イタチさん」

 「………」

 イタチは無言だが、鬼鮫はやはり笑みを浮かべている。

 「何が?」

 「いえ、何でもありませんよ。では、行ってきます」

 「う…うん。行ってらっしゃい」

 もう一度かけたその言葉に、イタチが「行ってくる」と小さく呟くように言ってすぐにドアを閉めた。

 閉まる直前、イタチを見て「クク」と笑う鬼鮫の声が聞こえた。

 「なに?」

 水蓮は隣にいる影分身(いたち)に問うが「さあな」という一言が返ってきただけで、後に言葉はなかった。

 その瞳には少し厳しい色が浮かんでいる。

 

 サスケのことを考えているのだろうか…

 

 「イタチ。お茶入れるね」

 水蓮は精一杯の笑顔を浮かべる。

 

 この影分身が消えた時、少しでもいい記憶が…心地いい感情がイタチに伝わるように、できることをしよう…

 

 水蓮はそう思った。

 

 

 あれからさらに1か月ほどが経ち、水蓮たちはイタチのアジトを回りながら過ごしていた。

 イタチと鬼鮫は相変わらず情報収集へと日々出ており、水蓮は時折同行することはあったが、アジトで帰りを待つことがほとんどだった。

 変化があった事と言えば、この一か月の間、時折暁のメンバーが怪我の治療に水蓮のもとを訪ねてくるようになったことだ。

 そこには水蓮に対しての監視も兼ねられているのだろうと、それがイタチの見解だった。

 来る顔はいつも決まっていた。

 そして今日も、二人が不在の間に水蓮のもとへとその人物が来ていた。

 「あ~、やっぱ医療忍者がいるとべんりだな。うん」

 負傷していた腕の治療が終わり、両腕をぐるぐるとまわしながら立ち上がったのは主要メンバー最年少のデイダラ。

 高い位置に結んだ金髪を揺らしながら、まだ少しあどけなさが感じられる笑顔を水蓮に向ける。

 「ありがとな。あーね」

 デイダラのいう『あーね』とは『姉』を意味しているらしく、彼はいつの時からか水蓮をそう呼ぶようになっていた。

 「おい、デイダラ…」

 治療の様子を見ていたデイダラの相方…サソリが不機嫌そうに声をあげる。

 ほぼ四つん這いの姿勢となっている傀儡…。その中から低い声が響いた。

 「お前大した怪我じゃないだろ。わざわざそいつに治療させるな」

 水蓮への気遣いではない。

 本来の用件以外のことで時間を取ったことに対しての苛立ち…。

 「でもよぉ、二人ともいないんだぜ。待ってる間に診てもらうくらいいいだろ。うん」

 「まだ戻らないのか…」

 水蓮に向き直り不機嫌な空気を漂わせるサソリ。

 どうやら、今回は二人に用があってきたらしいのだが、タイミングが悪く入れ違いになったのだ。

 まだ組織に入って間もない水蓮には託せない用なのか、苛立ちを現わしながらもサソリは二人の帰りを待っている。

 「今日は昼過ぎには戻るって言ってたから、もう少しかな…」

 「オレは待つのが嫌いなんだ…」

 

 これで5回目…

 

 水蓮は少しひきつった笑みを返す。

 まだ来てから1時間も経っていないが、サソリとこのやり取りを繰り返していた。

 サソリは苛立ちをぶつけるかのようにデイダラに言葉を投げる。

 「だいたい、お前はこいつのところに来すぎだぞ」

 「おいらは旦那とは違って生身で戦ってるんだからな。それに、危険な任務もやってんだ。しょうがないだろ。うん」

 腕を組んで、フンッと鼻を鳴らす。

 そのしぐさが少しかわいく見えて、水蓮はクスリと笑った。

 デイダラは粘土で作った鳥を使い空を飛べるので、その機動力を使った偵察の任務が多いようだが、本来はその粘土を爆発させることを得意といているため、破壊工作などの危険な任務も多い。

 そのため負傷の頻度も高く、水蓮のもとを訪れる回数は多かった。

 それでも急ぎ治療しなければいけないような怪我をしてきたことはまだなく、デイダラは治療目的と言うよりは、水蓮を気に入り、度々足を運んでいるようだった。

 自身が天敵ととらえているイタチがいるにもかかわらず、こうして訪れるのだから、その気に入りようはかなりのものだ。

 だが、それにつき合わされているサソリはいつも不機嫌で、イライラしている。

 「お前といることがオレにとっては危険だがな…」

 相変わらずの重苦しさで、サソリがぼそりと言う。

 「なんだよ、まだこの間の事根に持ってんのかよ…。しつこいと嫌われるぜ。うん」

 しばらく前の任務で、サソリの近くに起爆粘土が落ちたことに気づかずデイダラが爆破したため、サソリは爆発に巻き込まれ被害をこうむった。

 どうやらその事を愚痴っているようだ。

 その任務の後もデイダラは水蓮のもとを訪れていたのだが、爆発でサソリの傀儡に傷が入ったらしくずいぶんもめていた。

 あの時イタチが騒ぎ立てる二人に苛立って、とてつもなく冷めた声で「消えろ」と言っていた事を思いだし、水蓮はまた笑った。

 そんな水蓮を見てデイダラが「へへ」と笑顔を見せた。

 「なに?」

 「いや、なんかあんたといると落ち着くんだよな。なぁ、おいらたちのチームに入りなよ。それがいいぜ。うん」

 勝手に納得して、うんうん…と頷く。

 「鬼鮫の旦那はほっといても傷治るのはえーし、イタチはあんま怪我しねーし。負傷の多いおいらのそばが、適材適所ってやつだろ。うん」

 その言葉にサソリが呆れた声をあげる。

 「お前、それは自分がイタチより弱いと自分で認めたようなもんだぞ」

 「なっ!違う!おいらの方が危険な任務が多いってことだ!うん!」

 あたふたと反論する。

 「それに、イタチといたって退屈だろ?ほとんどしゃべんねぇし。おいらのとこに来たら退屈させねぇ。最高のアートを毎日見せてやるよ。感動の日々だぜ。うん」

 無邪気な感じで水蓮の肩を抱く。

 「何なら今から見せてやろうか?あんたになら、とびきりでかいやつ見せてやるぜ。うん」

 得意げに胸を張るデイダラに水蓮はくすくすと笑いながら返す。

 「だめだよ、そんなことしたらこの場所ばれちゃう」

 「気にすんな。困るのはイタチだけだ」

 水蓮の肩に手を置いたままにっと笑うデイダラに、サソリの冷めた声が飛んできた。

 「おい、殺されるぞ」

 「うん?だれに?」

 サソリの視線の先。アジトの入口へと目を向け、デイダラがピシィッと固まる。

 鬼鮫とイタチが帰ってきていたのだ。

 「デイダラ…。また来てたんですか」

 呆れた口調の鬼鮫と共に、イタチが無言でデイダラをジトリと見ながら歩み寄ってくる。

 そして「離れろ」と短く言い、デイダラの手を水蓮の肩から払いのけ、ちらりと水蓮に視線を向ける。

 あ…と水蓮は気まずくなる。

 九尾チャクラを感知されないように、他のメンバーとの接触には気をつけろと言われていた事を思い出したのだ。

 デイダラの愛嬌ある性格にまるで弟のような感覚を覚え、つい油断していた…と、反省する。

 「また水蓮に治療してもらいに来たんですか?」

 「違う」

 サソリが答える。

 「組織からの伝令だ」

 シュッと巻物をイタチに投げる。

 「この間おいらの華麗な働きで手に入れた物だ。うん」

 「オレたちだ」

 サソリがすかさず言いなおす。

 「そこに書かれてるものを入手してこいとの事だ」

 イタチが巻物を開き、鬼鮫と共に中身を確かめる。

 サソリが「ただし」と言いながら水蓮に視線を向ける。

 「そいつを必ず連れて行け」

 「リーダーからの命令だ。うん」

 「え?私…?」

 組織から自分に対して何か言われるとは思っていなかった水蓮が、思わず声をあげる。

 しかし、イタチと鬼鮫は想定していたのか、冷静な声で答えた。

 「分かりました」

 「承知した」

 二人の返答を聞き、サソリは「確かに伝えた」と言い早々とアジトから出て行く。

 「あ、旦那ぁ!」

 デイダラが慌ててその後を追い、一度水蓮に向き直る。

 「じゃぁな!あーね!また来るぜ。うん」

 「もう来るな」

 水蓮が口を開く前にイタチが返す。

 デイダラはむすっとした顔で「あんたに言ってねぇ」と言い放ち、水蓮に手をあげて笑顔を残し、サソリを追いかけて姿を消した。



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第二十二章【与えられた任務】

 デイダラとサソリが組織からの伝令として持ってきた任務。その目的地は、火の国から少し離れたところにある【()の国】の南方に位置する【夢隠れの里】

 内容は里長の孫娘が持っている【夢叶(ゆめかな)いの鏡】を手に入れるという物だった。

 「夢隠れの里はどの国にも属していない独立した里だ。今のところな…」

 里へと向かう道すがら説明するイタチの目は、珍しく写輪眼ではない。

 行き先が忍び里という事もあり、自身の存在が任務の邪魔にならぬようにとそうしているようだ。

 「その里にしか咲かないと言われている、【(べに)くちなし】という珍しい品種の花を使った香料が有名なところだ」

 「その花を使ったお香や、香り袋、香りを付けた扇子や小物を流通して、里の経済を保っているようです」

 「裕福と言うわけではないが、里の中には貧困の差もなく、数ある隠れ里の中でも比較的安定している」

 「まぁ、里の規模もさほど大きくないですからね。里長も治めやすい環境でしょう」

 水蓮を真ん中にはさみ、淡々と話すイタチと鬼鮫。普段から様々な情報を集めているだけあって、二人は博識だ。

 「それで、その夢叶いの鏡ってどういった物なの?」

 右隣を歩くイタチに問う。

 「サソリが持ってきた情報によると、小さな手鏡で、2枚一組となっているらしい」

 「なんでも、その名の通り夢をかなえる鏡だそうですよ」

 「夢を叶える…」

 そんな都合のいいものがあるんだろうか…

 水蓮はそう考えて顔をしかめる。

 「まぁおそらく何か珍しい術か、何かの隠し場所が仕込まれているという感じなんでしょうがね」

 「宝の地図的な…?」

 見上げた先で鬼鮫が「ま、そのような物でしょう」と小さく笑った。

 「有名な物なの?」

 「いや」と今度はイタチが答える。

 「初めて聞く。だが、最近表に出た話だとすれば、新しく開発された術が施されている可能性もある…」

 「まして、どの国にも属していない里の物…」

 二人の話を聞きながら水蓮は組織の意図を読み考える。

 「不確かだからこそ、他に渡る前に入手して確認する必要があるって事?」

 イタチと鬼鮫は同時に水蓮に視線を落とした。

 「え?違う?」

 思わず立ち止まる。

 合わせて立ち止まったイタチが「いや」と短く言い、鬼鮫が「あなたは相変わらず勘がいい」と笑い交じりに言葉をこぼし、再び歩き出す。

 水蓮もそれに続き、二人の間に戻る。

 「どの国にも属していないからこそ、情報が少ない。表だって戦には出てこないからな。その分、変わった情報や、動きには警戒が必要になってくる」

 「それに、独自の物を扱っているのに、外からの干渉を受けず安定した生活環境を保っているという事は、夢隠れの里の忍はなかなかに実力者ぞろい。すなわち、それなりの防衛能力があるということです」

 水蓮はこの間の渦の国で戦った榴輝の町の事を思い出す。

 希少価値のあるものを扱うには、他から狙われるリスクが高く、それを守るのは容易ではないのだ。

 「だから余計に組織としては無視できないという事です」

 「なるほど…」

 水蓮が呟くと同時に、鬼鮫が前方を指さした。

 「見えてきましたよ」

 目を向けた先から、風が吹き流れ、上品な甘さを含んだ香りが3人を包んだ。 

 

 

 里長の屋敷がある主要部の入口までは、小さな商店街のようになっており、3人はその中ほどにある茶屋で打ち合わせを兼ねて休憩を取ることにした。

 店の一番奥。近くに人がいない席を選び、注文したものが来てから話し出す。

 「まず問題は、どうやって主要部に入るかです」

 どうやら強力な結界が張られているらしく、うかつに足を踏み入れれば感知され、動きにくくなると鬼鮫が説明する。

 「ま、所有者がはっきりしていますから、強行突破しても構いませんがね」

 「いや…。それは今回は無理だな」

 イタチが水蓮に視線を向ける。

 「そうですね。退路の確保が難しいかもしれませんね」

 どれほどの実力の忍がいるか不確かな状況で、忍び走りのできない水蓮を連れて強行突破し、撤退するのは危険が大きい。

 かといって、今回は水蓮を置いていくわけにはいかない。【水蓮を必ず連れて行け】それが組織からの命令だ。

 ここしばらくは、監視のために、組織のメンバーを治療目的で水蓮のもとへとよこしていたが、その段階が終わり、今回は任務に就かせることで【使えるのか】を見ようとしているのだ。

 「では、面倒ですが、町の様子を観察して、住人がどういう経路で主要部に入っているのかを調べますか…」

 「ああ」

 「経路って?」

 水蓮が顔をしかめる。

 「紅くちなしの花は、主要部の塀の中にしか咲いていません。それを使って商いをしているのなら、里に定期的に出入りしている人物が必ずいるはず…」

 「その行動パターンを観察し、変化して入る」

 「なるほど…。案外地味にやるんだね…」

 つぶやくように言ってお茶をすする水蓮に、鬼鮫が小さく笑う。

 「あなたお得意の荒っぽいやり方でも構いませんよ。何かあった時に置き去りにしてもいいのなら…」

 水蓮はジトリとにらみつけながら大福をかじる。

 と、その時、ふいにななめ向こうに座っている青年に目が留まる

 二十歳前後だろうか。

 短く切った黒髪を揺らしながら、少し下がり気味の目を細めてほほ笑むその表情は、どこか上品で清潔感がある。

 水蓮は、その青年が手に持っている物を目に捉え、ハッと息を飲み、ひそめた声で言う。

 「ねぇ。あ、あれって…」

 青年には見えぬ角度で立てられた水蓮の指の先へ、二人が視線を少し動かす。

 そしてかすかに表情を揺らす。

 青年が持っていたのは、白い花の刺繍が施された赤い布の貼られた四角い手鏡。

 大きさや形状、そしてその刺繍。

 道中に水蓮がイタチから聞いた【夢叶いの鏡】の特徴そのものだった。

 よく似た物なのか、それとも実物なのか。

 しかし、持っているのは里長の【孫娘】のはずだ。

 青年の姿を、視線の端にかすかに映す程度にとどめ、水蓮たちは怪しまれぬよう何気ない会話をする。

 ややあって、その青年が茶屋を出た。

 「鬼鮫…」

 名を呼ばれるよりも少し早く、鬼鮫はすでに立ち上がっていた。

 「水蓮…。イタチさんに迷惑をかけないでくださいね」

 背を向け際にそう言い残して、鬼鮫は店を出る。

 「もう。子供じゃないんだから…」

 つぶやき、お茶をすする。

 その後二人はしばらく待っていたが、鬼鮫はなかなか戻らぬままだった。

 「こちらも別で動くか…」

 すっかり空になった湯呑を持て余していた水蓮に、イタチが立ち上がりながら言う。

 「行くぞ」

 「あ、うん」

 店を出て水蓮が何気なく目的地の方に目を向けると、そちらの方角から風が吹き抜けた。

 先ほどと同様甘い香りが鼻をくすぐる。

 「本当にいい匂いだね。これが紅くちなしの花の香り?」

 「そうだ。ちょうど今が満開の季節だ」

 「へぇ…」

 良い香りに包まれ、水蓮は心地いい気分で辺りを見回す。

 先ほどのような甘味処もあれば、食事処もあり、服屋、雑貨屋。様々な店が並んでいる。

 間には住居が立ち並び、それぞれさほど大きい家ではないが、水蓮が想像していたよりは栄えていた。

 「思ったより大きいね」

 「ああ。前に来た時より人も店も増えたようだ…」

 「いつごろ来たの?」

 その質問に、イタチはしばらく沈黙してから静かに答えた。

 「下忍の頃、護衛任務でな…」

 水蓮は聞いたことに後悔した。

 一見変化のないように見えるイタチの目が、ほんの少し色を変えたからだ。

 しばらく無言で町を進む。

 歩みを進めると、さらに花の香りが強くなる。

 水蓮は閉じられた主要部の門の向こうに咲き乱れる、赤いくちなしの花を想像し、自宅の庭に白いくちなしの花が植えられていたことを不意に思い出した。

 しかし、想いを呟いたのはイタチだった。

 「懐かしいな…」

 「…え?」

 本当に小さな呟きだったが、それをはっきりととらえた水蓮がイタチを見上げる。

 イタチはほんの一瞬ハッとしたような表情を浮かべ「なんでもない」と顔をそむけた。

 そのしぐさに水蓮の胸が少し締まる。

 イタチが「なんでもない」と言うときは、里やサスケ…家族を思い出している時だという事が水蓮にはもう分かっている。

 そして同時に浮かべるその無表情の中に、様々な感情が隠されていることも…。

 だが、水蓮は何もなかったように笑顔を浮かべる。

 「白いくちなしとはちょっと香りが違うね」

 「ああ…」

 そう答えて、イタチは一点を見つめて立ち止まった。

 その視線の先には、町の子供と楽しげに話をしている少女がいた。

 その少女は、子供に「弓月様」と呼ばれている。

 「あれが里長の孫娘【天羽 弓月(あまは ゆづき)】だ…」

 緩く一つにまとめられた長い栗色の髪。同じく長めの前髪から覗く瞳はきりっとしているが、きつさはなく精悍な印象を受ける。 

 イタチの話では18歳との事だったが、少し大人びて見える。

 二人はゆっくりと進み、少女…

弓月の前を通る。

 「ねぇねぇ」

 弓月の半分ほどの背丈の女の子が、弓月の服の裾を引っ張りながら明るい声で言う。

 「弓月様、あの鏡見せて~!」

 イタチと水蓮がほんの少しだけ歩みの速度を落とす。

 「またか?しょうがないのぉ」

 ふわりとほほ笑みを返し、服の腰帯にくくりつけられた袋の中から弓月が取り出したのは、小さな四角い手鏡。

 鏡の背には白い布が貼り付けられていて、赤い花の刺繍が施されている。

 先ほど茶屋で見た物とは色が逆。

 しかしそれが対なす鏡の特徴だった。

 水蓮が視線だけでイタチを見上げる。

 しかし、イタチの頷きを見るより早く、水蓮は何か嫌なものを感じ、自然と体が動いていた。

 「危ない!」

 弓月と女の子に向かって両手を広げ、身を(くう)に投じる。

 すでに異変に気付いていた弓月が子供を抱きかかえる姿をとらえながら、水蓮は二人を抱きしめてかばう。

 

 

 キィンッ!

 

 

 甲高い音が響く。

 水蓮が二人を抱いたまま振り向くと、そこにはイタチの背があった。

 その足元にはクナイと手裏剣…

 明らかに弓月を狙って投げられた物だった。

 バッとイタチが見上げたその先。木の上に気配を感じるが、大きく茂った葉に隠れ姿は見えない。

 一瞬だけ、風に揺れた葉の間に、黒い仮面がちらりと見えた。

 シュッ…と空を切る音。

 幾本もの細い針のようなものが飛びくるのが見える。

 「千本か!」

 後ろにいた弓月が印を組み立ち上がろうとするが、抱きついた子供に体を取られ動けない。

 風遁で…と水蓮が印を組むが、すでに印を組み終えていたイタチが先に術を放つ。

 「水遁!水飴拿原(みずあめなばら)!」

 チャクラが練り込まれた水の塊が虚空に生まれ、広がる。

 その水は名の通り飴のような粘着性を帯びており、飛びくる千本をことごとくからめ取った。

 すっかり勢いを殺されたそれは、ボタボタ…と音を立ててすべて地面に落ちてゆく。

 「チィッ…」

 茂る葉の向こうから忌々しげに吐き捨てられる悪意。

 状況が不利と悟ったのか、その気配は葉の揺れと共に薄れてゆく。

 水蓮は警戒を続けながら二人を背にかばい、地面に落ちている手裏剣とクナイに目をやる。

 そして、顔をしかめた。

 「イタチ…。これ…」

 イタチがちらりと水蓮に視線を投げ、小さく頷いた。

 とその時、弓月が抱きかかえていた子供が声をあげて泣き出した。

 「大丈夫じゃ。泣くな。わらわがおる」

 弓月が優しく髪を撫でる。

 「何があっても守ってやるからな」

 「弓月さまぁ!」

 ギュッと弓月の服を握りしめて抱きつく。

 その様子に、弓月への信頼を深く感じ、水蓮は弓月の人柄のよさを垣間見た思いがする。

 「気配は完全に消えたようだな」

 スッとイタチが手にしていたクナイを直す。

 幸い辺りに人はいなく、騒ぎにはならずに済んだが、子供の母親が慌てて走り寄ってきた。

 「ミツ!」

 「おかぁさぁん!」

 母親は子供を抱き上げ、弓月や水蓮たちに頭を下げた。

 「ありがとうございました」

 「いや」

 返したのは弓月だ。

 「里の中で危険な目にあわせてしもうて、すまなかったな」 

 その言葉に、里長の孫として里を守ろうという気持ちがしっかりと含まれているように感じ、水蓮は感心した。

 親子は何度も礼を述べ、頭を下げながら場を去った。

 その姿を見送り、弓月が水蓮とイタチに向き直る。

 「礼を言う。助かった」

 礼儀正しく頭を下げる。

 「いえ…。無事でよかった」

 水蓮の言葉を聞き終わってから顔をあげ、弓月は地面に落ちたままの手裏剣とクナイに目を向ける。

 そして、わなわなと体を震わせた。

 「なんと腹ただしい事だ…っ。自身の力ではかなわぬと見て忍を雇ったのか…」

 何やら思い当たる節があるようで、弓月はさらに体を震わせて両手を握りしめた。

 「わらわが叩きのめしてやる!」

 そして、バッと勢いよくイタチと水蓮に向き直る。

 「そなたら!」 

 「えっ!」

 水蓮がビクリと体を揺らす。

 「これも何かの縁じゃ。力を貸せ!」

 「力って…」

 「3日間だけでよい。わらわに雇われてくれ」

 思わず水蓮とイタチが顔を見合わせる。

 弓月は二人の返事を聞かずすでに歩き出していた。

 「詳しく話す。ついてこい」

 「え?あ、ちょっと!」

 あたふたとする水蓮の隣でイタチがつぶやく。

 「少し手間がかかりそうだな…」

 二人はもう一度地面に落ちたままの物に目を落とし、一度顔を見合わせてから弓月の後に続いた。




いつもありがとうございます。
 
本作品も二十二章となり、書き始めたころに考えていた話数を超えました(^_^;)
書き始めるとやっぱり膨らんでしまいますね(*^_^*)

ストーリーは、やや、新章…的な感じに入りました☆
うまくまとまっていくかどうか…若干の不安はありますが、しっかりと取り組んでいきますので、これからも何卒よろしくお願いいたします!(^O^)


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第二十三章【闘志燃やして】

 夢隠れの里、里長の屋敷。

 屋敷と言っても、普通の家に比べて少し大きいと言った感じで、ぜいたくをして暮らしているような雰囲気はない。

 水蓮とイタチはいわゆる応接間に通され、「待っておれ」と言って出て行った弓月の戻りを待っていた。

 部屋の中には大きめの長机と、椅子が10脚。

 どうやら会議室としても使われているような感じだ。

 「なんか静かだね…」

 先ほどまでいた所とは違い、主要部であるこの近辺は静けさが漂っている。

 「人が出払っているんだろう。国に従していないとはいえ、忍たちは色んな形で仕事を請け負う物だ」

 イタチは大きな窓を覆っていたカーテンを開け、外を眺める。

 「おそらくこの周辺は忍の住居が中心なのだろう」

 「なるほど」

 いわゆる【出稼ぎ】というものだろうか…

 水蓮はそう理解してイタチと同じく外を眺める。

 「それにしても、屋敷の中も静かすぎない?」

 その言葉に答えたのは部屋に戻ってきた弓月だった。

 「今この屋敷にいるのは、わらわと、お付きのくノ一だけだからな」

 机の上にティーカップが並べられる。

 ふわりと、里の中を流れていた香りと同じ物が部屋の中に広がる。

 「いい香り…」

 カップの中を覗き込むと、飴色の紅茶の上に赤い花びらが浮かんでいる。

 「紅くちなしの紅茶じゃ。はちみつを少し入れるのがポイントだ」

 得意げに話しながら、それぞれのカップにはちみつを少し入れる。

 「あの、弓月さんが入れてくれたの?」

 里長の孫娘が直々に客にお茶を入れるというのは若干違和感がある。

 「弓月でよい。ふだんは、わらわ付きの花夢(はなゆめ)がするんじゃが…」

 弓月は顔をしかめながら、部屋の奥にあるふすまをスッと開けて、中を二人に見せるように体を開いた。

 その先には6畳ほどの和室があり、部屋の真ん中で誰かが布団にくるまり寝ていた。

 「あれが花夢じゃ。風邪で寝込んでしもうてな…」

 顔をひきつらせながらふすまを閉めようとすると、か細い声が聞こえてきた。

 「ゆ、弓月様。客人でずが…」

 鼻がつまり、喉も荒れているのか、言葉に濁点がついて聞こえる。

 表情もかなり辛そうだ。

 「ああ。町で知り合った忍だ」

 水蓮が顔を出して頭を下げる。

 イタチはちょうど対角線上にある窓際から動かず、離れた場所から遠巻きに様子を見守っている。

 「お前がこんな状態だからな。雇ってきた」

 その言葉にピクリと体を反応させ、花夢は布団から顔を出す。

 紫がかった長い髪。切れ長の瞳。年は水蓮と同年代だが、体調が悪いせいか顔が疲れ切っており、やや老けて見える。

 熱が高いのだろうと見て取れるうつろな瞳を浮かべながら、ずりずりと布団から出てくる。

 「ま!まざが私は解雇でずが!ぞうなのでずね!風邪などひいだがら!役立たずだがらぁ!」

 濁った声で必死に叫びながら弓月のところまで這いより、しがみつく。

 「何を言うておる!違う!」

 「ひどい!そりゃ、ごんな時に風邪をひぐなんで我ながら情げないでずよ…。でも、いぎなり解雇だなんで…。長年あなだのそばに寄り添ってぎだのにぃ…」

 ぼろぼろと涙を流しながら、弓月の腰にすがる。

 「だから!違うと言っておるだろうが!お主、その早とちりと勘違い癖を直せ!」

 弓月はそのまま布団まで花夢を引きずってゆき、べりっと引きはがして無理やり布団の中に押し込む。

 「例の事が終わるまでの間だけじゃ」

 「ほんどにぃ…?」

 疑いの眼差しで弓月を見つめる花夢。

 「ほんとじゃ。どうやら、わらわに敵わぬと思い忍を雇ったようでな。先ほど攻撃を受けた」

 「ええ!」

 がバッと起き上がり、すぐにふらついて倒れ込む。

 「じっとしておれ」

 布団をかけ直して、弓月は水蓮とイタチに振り向く。

 「あ奴らに助けられた。なかなかの手練れだ。それで雇ってきた」

 水蓮とイタチの動きを見てそう感じたようで、弓月はにっと笑い、花夢に視線を落とす。

 「そうでしだか…。ありがとうございましだ」

 寝たままだが、花夢はほんの少し頭をあげて礼を述べた。

 「まぁ、そういう事だから、お前は寝ておれ。早く治せ」

 「はい…。申し訳ありません。あの、弓月様をお願いいだじまず…」

 花夢は本当に申し訳なさそうに布団を深くかぶり、顔を半分隠しながら水蓮に言う。

 「お、お大事に…」

 水蓮のその言葉と同時に、弓月がふすまを閉め椅子に座った。

 「お前たちも座れ」

 イタチと水蓮がその正面に並んで座る。

 「少し冷めてしまったな…」

 弓月がそう言いながら紅茶を飲む。

 それに続き、カップに口を付けた水蓮が「うわ。おいしい…」と言葉を漏らす。

 上品な甘さ。そして後から来る酸味。そのままでは少しきついであろう香りと風味をはちみつが絶妙な加減でまろやかにしている。

 「こんなおいしい紅茶初めてかも…」

 それを聞き、弓月が「そうじゃろ」と、嬉しそうに返す。

 イタチは飲んだことがあるのか特に反応はしなかったが、ゆっくりと味わっているようだった。

 そして、静かにカップを置き口を開く。

 「今、里長はいないのか?」

 「穂の国へ行っておる。穂の国からこの里に、守り里として従事てほしいとの申し出があっての。

 その契約にジィは出向いておる。先日無事に契約が済んだが、しばらくあちらに滞在することになっておる」

 「穂の国は確かつい最近国主が代替わりしたばかりだったな…」

 「そうじゃ。国主の長女が跡を継いだ」

 「女性が国主かぁ。すごいね…」

 その呟きにイタチが返す。

 「まだ若いが、政治力や外交に有能だという話を聞いたことがある。その事から、兄ではなく妹が継ぐことになった様だな」

 イタチの話に、弓月がピクリと体を揺らし、声を荒げた。

 「それだ!その兄が問題なのだ!」

 ダンッと机をたたく。

 そして一枚の紙を二人に差し出す。

 「これを見てくれ」

 無数のしわがついており、どうやら一度握りつぶされたような感じだ。

 イタチがそれを受け取り広げる。

 隣から水蓮も覗き込む。

 

【無事に契約が済んだ。

  それと共に、国と里、良き関係を築ける様、

  国主家のご子息とお前の縁談が決まった。

 

                  以上。

              

 追記:一か月程こちらに滞在する。里を頼むぞ】

 

 

 短い内容だが、どうやら、里長から弓月に宛てられた手紙のようだ。

 「これって…」

 水蓮のつぶやきにふすまがバンッと開き、花夢が床に這いつくばったまま顔を出す。

 「政略結婚でずよ!」

 「出てくるな!うつる!」

 瞬時にふすまを閉める弓月。

 「まったく。まぁ、とにかくそういう事じゃ」

 「政略結婚…」 

 本当にそういう事があるのかと、水蓮はその手紙を見つめる。

 「だが…」

 少し言葉に詰まりながらイタチが弓月に言う。

 「確かここの里長は代々天羽家が引き継ぎ、時期里長はお前だという噂を聞いているが…」

 「え?」

 水蓮が声をあげる。

 里長が弓月の祖父なら、次はその子供…つまり弓月の親が里長なのでは…

 そう考えを巡らせる。

 それに気付いた弓月が「ああ」と小さく頷く。

 「わらわの両親はもう死んでおるからな…」

 「………………」

 無言の水蓮に弓月が続ける。

 「父様は優れた土遁の使い手だったのだが…そのせいで無理やり戦に駆り出されてな。戦場で死んだ。かあ様はそれが原因で床に臥せって、8年前に病で死んだ…」

 やはり言葉を返せず水蓮は黙り込む。

 その隣でイタチが口を開く。

 「では、穂の国から養子に来るという事か…」

 「そういうことだ」

 「普通、政略結婚となれば立場が下のものから上のものに嫁ぐものだ…」

 イタチの言葉に、水蓮がハッとする。

 「あ、逆…」

 「普通はそうじゃが…」

 弓月は手紙をイタチから受け取りながら返す。

 「おそらく役に立たない長男を体よく厄介払いする為じゃろう」

 「役に立たない…」

 イタチが少し顔をしかめる。

 「そうじゃ。妹に国主の座を奪われるような男だぞ。ろくなものではあるまい!」

 怒りがよみがえったのか、手紙をぐしゃりと握りつぶす。

 「じゃが、そんな思惑には乗らん!大体わらわには、わらわには…」

 そう言い淀む弓月に水蓮は「ああ」と声をあげる。

 「好きな人いるんだ…」

 「…っ!」

 弓月の顔が赤く染まる。

 「なるほどね」

 「と、とにかく、そんな勝手な話を引きうけるつもりはない!」

 「だが、内容からすると向こうは了承しているようだな」

 「そうだ」

 弓月は、ため息をつく。

 「簡単には断れまい。だからこちらから条件を出した」

 「条件?」

 水蓮のつぶやきに、弓月はあの手鏡を取り出した。

 「これは【夢叶いの鏡】というものだ。1週間以内に、わらわからこの手鏡を奪えたら受けるとこの間伝令を送った。わらわより強い男でなければ認めぬという旨を向こうに伝えたのだ」

 「でも、もしその人が強かったらどうするの?」

 「わらわは時期里長だぞ…。忍でもない者に負けぬ。それに、向こうが忍を使ってきたという事は、自分では、わらわには敵わぬという証拠だろう…」

 言いながらまた怒りが湧き上がったようで、弓月はこぶしを握り締める。

 「まったくもって許せぬ!正々堂々向かってくるならまだしも、忍を雇うとは!しかも里の者を危険な目に合わせよった!そんなやつにこの里に住む資格はない!」

 弓月は、怒りに満ちた目で話を続ける。

 「期限までは明日を入れてあと3日。その間、お前たちにこの事に関して手伝ってもらいたい。お前たちはあちらの忍びをやってくれ。邪魔が入らぬようにな。本人はわらわが…やる…」

 そう言い放つ弓月の瞳が鋭く光り、口元にニヤリと笑みを浮かべる。

 そして「フフフ」と不気味な声をこぼした。

 「二度とわらわに近づけぬよう、完膚なきまでに叩きのめしてくれるわ!」

 弓月の背中に燃えたぎる炎が見えたような気がして、水蓮は苦笑いを浮かべながらイタチをちらりと見る。

 イタチは何も言わずその様子を見ていたが、水蓮の視線に気づいて小さく頷き「承知した」と静かな口調で言った。



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第二十四章【幼き日の約束】

 「あ、見てイタチ。ネコいるよ」

 水蓮が屋敷の廊下を歩く途中、庭を指さして立ち止まった。

 見れば、その先にはネコが3匹、日の光の中で気持ちよさそうにくつろいでいる。

 「うちのネコではないがな。時折この庭へ遊びに来るのじゃ。人になついておるから、どこかの飼い猫だろう」

 弓月がその光景にほほえましく目を細め、水蓮が少し庭の方へと足を進める。

 その気配に気づき、ネコたちが体を起こし水蓮の姿を目にとめて駆け寄ってきた。

 「こっちきた」

 姿勢を落とすと、一匹がその膝に飛び乗り、体を摺り寄せてきた。

 手入れのされた白い毛並みにそっと手を乗せる。

 「かわいい」

 思わずデンカとヒナを思い出す。

 「お前は、ネコになつかれやすいな…」

 背後からの声に振り向くと、もう一匹がイタチの肩に飛び乗った。

 つやのある漆黒の毛色がイタチの顔の横で揺らぎ、何故かとても相性よくなじんでいた。

 もう一匹は茶色の縞模様で、弓月の腕の中に納まっていた。

 「昔、猫飼ってたんだ…」

 水蓮は白猫を抱いたまま立ち上がる。

 「すごくかわいがってたんだけど、ある日突然いなくなって、帰ってこなかった…」

 「死期を悟ってというやつじゃな」

 弓月のつぶやきに水蓮は頷く。

 「たぶんね。もうずいぶん長く生きてたから。ネコは最期の姿を見せない…って分かってたけど。でも、最期を見てないと、もしかしたらどこかで生きてるんじゃないかってしばらくはつい探してしまってたな…。寒がってないかなとか、怖い思いしてないかなってそんなこと思ったりして…」

 腕の中の白い猫を撫でる。

 「この子と同じ白猫で、ユキって名前だったの」

 「良い名じゃ」

 白い猫が「ニャァ」と鳴いた。

 「同じ名かもしれんぞ」

 水蓮と弓月が顔を見合わせて笑う。

 二人の腕からネコがするりと降り、庭にかけ出てじゃれ遊ぶ。

 イタチの肩に乗っていた黒猫はトンッと飛び降りたものの、縁側に座りその様子を見守るようにじっと眺めていた。

 「この庭で出会ったのじゃ…」

 弓月が懐かしそうに目を細めた。

 「さっき言ってた、好きな人?」

 水蓮の問いに、弓月は少し頬を赤くしながら語る。

 「もう9年ほど前の話だ…。時折、この屋敷には里の子供が遊びに来るのだが、あの時も数人来ておってな…。あやつは、転んでそこで泣いておった」

 ちょうど猫がじゃれ合っている辺りを見つめる。

 

 その瞳には、その日の光景がはっきりと浮かんでいるようだった…

 

 

 

 9年前…

 

 夢隠れの里長の屋敷の庭で、一人の少年が泣いていた。

 転んで膝から血が滲み、頬にも擦り傷…

 「どうしたのじゃ」

 かわいらしい声がしゃくり泣く男の子の背中から飛びくる。

 振り向いた先にはいたの、幼き日の【弓月】

 弓月はぽろぽろと涙をこぼす男の子に歩み寄り、怪我に気付く。

 「なんだ、転んだのか?」

 「うん…」

 頷いてまた涙があふれる。

 「泣くな!男が転んだくらいで泣くでない!」

 弓月よりいくつか年上であろう少年が、その強い口調にさらに涙をこぼす。

 弓月は、はぁ…とため息を吐きだし、隣に座り、懐から取り出した手拭いで頬についた血をそっと拭く。

 「これくらいで泣くな。男は強くなくてはいかん。こんな事で泣いておっては、夢は叶えられないぞ!」

 「夢?」

 「そうだ。あるじゃろう。夢」

 「ある…かな…?」 と、曖昧に返ってきた返事に弓月が顔をしかめる。

 「ないのか?」

 「君は?夢あるの?」

 「もちろんじゃ。わらわの夢は、里を、民を守れる強い里長になることじゃ!」

 「…………っ」

 そう言って笑う弓月のかわいらしい笑顔に、子供ながら心がドキリと音を立て、少年の顔が赤く染まる。

 「君ならなれるよ、きっと」

 素直に出たその言葉と、先ほどまでの泣き顔とは違う柔らかい笑顔に、弓月の頬も赤く染まる。

 「あ、当たり前じゃ!お前に言われなくても分かっておる!」

 「君は、強そうだしね。でも、僕は…」

 いじけたように地面に視線を落とすと、膝に滲む血が目にはいり、また涙が出る。

 「あ~っ!もうっ!男が泣くなと言っておるのだ!」

 弓月は少年の前にかがみ、新しい手拭いを膝に巻いた。

 「泣くな。わらわが守ってやるから」

 「え?」

 「この里におる者は皆わらわが守る!だが、お前も自分の夢を見つけて強くなれ!」

 「なれるかな…」

 口をへの字に曲げ、また瞳に涙を滲ませる。

 「泣くな!!」

 何度目かの叱責に体をビクリと震わせ、少年が弱々しい顔で弓月を見つめる。

 少し上目づかいで目を潤ませるその姿が、まるで捨てられた子ネコが寒さと孤独に震えているように見えて、弓月は無意識に「かわいい」と思ってしまった。

 少年の整ったその容姿が、少女のような愛らしさを少し含んでいることも要因の一つだろう。

 だが、それだけではなかった…。幼いその心に、特別な感情がくすぶっていた。

 「と、とにかく!」

 不覚にも見とれた自分が恥ずかしくなり、弓月は大きな声を出した。

 「夢を叶えるには強くなければならない。お前も頑張れば強くなれる!」

 照れ隠しに勢いをつけて立ち上がる。

 そして何かを思い出したように、懐に手を入れる。

 「これを貸してやる」

 差し出されたのは小さな四角い手鏡…

 「…………?」

 首をかしげるかなめに弓月は鏡を無理矢理握らせ、もうひとつ手鏡を出す。

 「これは【夢叶いの鏡】という物だ。二つ一緒に持っていれば夢を叶える事ができるらしい」

 「じゃぁ、分けたら意味ないんじゃ…」

 「バカカ。お前…」

 弓月の冷めた口調に、少年は言葉を詰まらせる。

 「この世にそんな都合の良いものがあるか。迷信だ。ま、お前の夢が叶うように、お守りにでもすれば良い。わらわもそうする。そして、お前の夢が叶ったら、わらわの元へ返しにこい」

 そう言った弓月の笑顔は太陽の光を浴びて、キラキラと輝いていた。

 この時少年は自身の夢を見つけた。

 「弓月。僕決めたよ!」

 「何をじゃ?」

 「僕の夢!弓月の夢を叶えるのが僕の夢だ!」

 浮かべた満面の笑みに、弓月の胸がトクンとなった。

 「そのために、強くなる!弓月に守られるんじゃなくて、守れる男になるよ!」

 弓月の顔がどんどん赤くなっていく。

 そんな弓月の手をキュッと握り、少年はまっすぐに見つめてニコリと笑む。

 「だから弓月、僕が強い男になったら、僕と結婚して!」

 「なっ!」

 「強くなって、僕が弓月をずっと守るよ」

 先ほどとは違う、強い意志を感じるその瞳に、弓月は何か特別な物を感じる。

 

 こやつ…何か…持っておる…

 

 直感だった。

 弓月はまだ幼いが、立場上様々な人間を見てきた。

 その中で身に着け始めた『人を見る目』

 それには確かなものがあった。

 「わかった」

 ニコリと笑みを返す。

 「いつか、わらわより強くなったら、その時は結婚してやる!」

 

 

 子供同士のかわいらしい約束…。

 しかし、二人の心にはその思い出が色濃く残り続けた。

 

 

  

 「それが、わらわとあ奴の出会いじゃ」

 弓月が頬を少し赤くしながら語ったその話を聞き、水蓮は先ほどの茶屋での事を思い出していた。

 

 もう一つの鏡と思われる物を持っていた少年…

 

 「もしかして…」

 こぼれたその言葉に、イタチが言葉をかぶせた。

 「名は?」

 「ん?」

 弓月がイタチの質問に向き直る。

 「相手の名は聞かなかったのか?」

 「かなめ…じゃ」

 「かなめ…」

 繰り返したイタチの声に水蓮が言葉を続ける。

 「お互い一目ぼれだったんだね」

 「ま、まぁな…」

 気恥ずかしそうにそっぽを向く。

 「その相手の人とは、そのあと…」

 鏡の事もあったが、水蓮は単純に二人の事が気にかかり聞く。

 弓月は庭の猫を見ながら「さぁな」とため息をついた。

 「どうやら里の者ではなかったようでな。あれ以来会ってはおらぬ…」

 「そうなんだ…」

 「じゃが、あ奴とは必ずまた会える。わらわには分かるのだ」

 再び茶屋での事を思い出す。

 

 もしあれがもう一つの鏡なら、あの青年がかなめだろうか…

 

 弓月と結婚するためにそのかなめと言う人物がこの里に来ているなら、政略結婚の相手と鉢合わせするかもしれない…

 そんなややこしい状況で、二人が別々に持っている鏡を手に入れることができるんだろうか…

 それに…

 

 「さっき言ってた鏡って、本当に迷信なの?」

 「当たり前じゃろう。そんな都合の良いものがあるわけがない。何か特別なチャクラを感じるわけでもないしな…」

 ため息交じりに答える。

 

 本当に迷信なのか、何か特別な物なのか…

 今の時点では判断できない…

 しかし、どちらにせよ入手して組織には渡さなければならないのだろう…

 組織にとっては『結果』が重要なのだ…

 

 それに、水蓮もイタチも気になっていることがあった。

 先ほどの忍の襲撃。二人とも思う所があった。

 

 …うまくいくのかな…

 

 先行きに不安を感じ、水蓮はイタチを見る。

 イタチは特に表情を変えるでもなく、縁側に座っている黒い猫をじっと見ていた。

 声をかけようとした時、弓月が「ゆくぞ」と、二人を客間へと導き歩く。

 「ああ」

 短く答えて歩き出すイタチに続いた水蓮だが、不意にネコが気にかかり振り向く。

 遊んでいた2匹が「にゃぁ」と甘えたように鳴き、それに答えるように黒い猫がそちらへと駆けた。

 体を寄せ合い、ネコたちは仲よさげに去って行った。



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第二十五章【記憶を呼ぶ香り】イタチの章

 夜の闇の中から、時折、季節の虫の鳴き声が聞こえる。

 優しく響くその()。夢隠れの里に広がる甘く上品な香り。

 本来なら心地よい眠りを誘う環境下。しかし、イタチは黒い夢の中にいた。

 

 何度も何度も見続ける夢…

 

 「なぜだ!どうしてお前が!」

 「自分が何をしているか分かっているのか!」

 「やめてくれ!」

 

 記憶から決して消えぬ阿鼻の叫び…

 最期を悟りながらも、受け入れられない戸惑いを浮かべたあの目…

 

 何も感じぬよう、狂気を演じ、ただひたすら血に染まった…

 

 いや…

 

 イタチはうなされながらも自身の考えを否定した。

 

 本当に演じていたのか…

 この心に、一族に対しての怒りがまったくなかったのか…

 一族と言う枠にとらわれ、力で支配しようとした愚かさへの落胆…

 それは皆無ではなかったのではないか…

  

 サスケの命を守るため。里を守るため。そして一族の名誉を守るため…

 考え、苦しみぬいた末に下した決断…そこに後悔はない…

 だが、あの日の自分の感情は…本当の心はどこにあったのだろう…

 

 わからない…

 

 自分の中に、自分でも気づかない狂気が眠っているのではないか…

 それがうちはの血…

 

 「イタチ君?」

 

 ふいによみがえったのは、あの日自分が一番初めに命を奪った少女の声だ。

 

 うちは イズミ

 

 近寄りがたいと言われてきた自分に、何の隔たりも持たずに笑顔を向けてきた同級生。

 思えば、里にいたころ、偽りなく自分のそばにいたのは、一族で言えば、サスケ以外には親友のうちはシスイと、彼女だけだった。

 自分より早く写輪眼を開眼させ、洞察力もあり、感受性も高かったイズミは、一族の中に渦巻く大人達の不穏な空気を感じ取っていた。

 

 才能ある忍だった。

 

 そのイズミが、自分に好意を持っていた事は気づいていた。

 だが、応える気はなかった。

 自分の彼女への感情は、どちらかと言えば好意的な物だっただろう。

 しかしその正体は、彼女の物とはまた違う気がしていた。

 

 しいて思い浮かべるなら…

 

 何事もなく時が過ぎれば、シスイと同じに、信頼のおける良き仲間として、共に戦う存在になっていたであろうという事。

 それでも、一番初めに彼女のもとへ行ったのは、自分にとって最も感情を動かされる人物だったのだろうとも思う。

 彼女との繋がりを切ることで、すべての感情を消し去ることができる。そう考えた。

 イズミが望むであろう、自分との幸せな時間の流れを幻術で見せ、その中で人生を終わらせた。

 そして、精神の最期と共に、その命の灯は消えた。

 

 「ありがとう…」

 

 イズミの最期の言葉…

 

 すまない。イズミ…

 

 「イタチ君」

 

 明るいまっすぐな声が響く。

 

 だが、次の瞬間。

 その声は、低く、恐ろしい響きへと変わり、言葉が直接イタチの脳へ突き刺さるように発せられた。

 

 「許さない!」

 

 「………っっ!」

 

 はじかれるようにイタチの体が起き上がった。

 跳ね飛ばされた布団が、その心を現わしているかのように歪み、重々しさを感じさせる。

 額には汗が浮かび、不規則に早く刻まれる鼓動が体の中から何かを押し出してくる。

 「…う…」

 知らぬ間に息を止めていたことに数秒してから気づき、イタチはまるで水中からもがき出たように息を吸った。

 そして体の奥底から吐き出す。

 

 

 この里に来ることが決まってから、おそらく見るのであろうと思っていたこの夢…

 過去の記憶が思い起こされる。

 

 

 下忍の頃任務で一度訪れたこの里。

 ほんの少し与えられた休憩の時間。イタチはイズミにと、紅くちなしの香りがする石鹸を買った。

 お礼のつもりだった…。

 アカデミー時代、たちの悪い上級生にからまれ、対処しかねていた所をイズミに救われたことがあった。

 そのお礼のつもりで買ったのだ。

 だが、結局渡せぬままだった。渡す前に会話の中で彼女を傷つけてしまい、その機会を失った。

 その後和解はしたが、やはり渡せぬまま終わった。

 今となってはそれでよかったのだろうと思う。渡していたら、余計な勘違いをさせただけだっただろう。

 

 今となっては遠い記憶。

 

 だがこの里に広がり満ちる香りに、それが呼び起こされる。

 あの日の夢を、闇を寄せる…

 

 人の脳、意識と言うのは、複雑なことを考えていても結局は単純な物だ。

 目には見えぬ何者かに操られ、弄ばれているようで。それに抗えない自分に嫌気がさす。

 

 もう一度大きく息を吐き出し、見ていた夢を、声を思い返す…

 

 

 許さない…

 

 

 「そうだ。お前はオレを許すな…」

 許さないでくれ…

 「イズミ…」

 その呟きに、少し離れて眠っていた水蓮が、バッ…と突然勢いよく体を起こした。

 思わずイタチがビクリと体を揺らす。

 「すまない。起こしたか…」

 言葉が終わるよりも早く。イタチの顔が水蓮の腕の中に包まれていた。

 突然の事に、イタチは身動きが取れずに固まる。

 「水蓮…」

 戸惑いの混じる声に、水蓮の声が重なる。

 「ユキ。ここにいたの…」

 「………?」

 顔をしかめ、気付く。

 先ほど言っていた、昔飼っていたネコの名前…

 

 …寝ぼけているのか…

 

 ため息をつき、その体を離そうとするが、再び水蓮の口から言葉がこぼれた。

 「大丈夫だよ…」

 ギュッと腕が締まる。

 「私がいるから。怖くないよ」

 「………っ!」

 心が勝手に反応していた。

 「大丈夫…」

 その静かな声に、揺れていた水面から波紋が消えていくように、イタチの体からゆっくりと力が抜けてゆく。

 「大丈夫」

 水蓮の体を離そうと持ち上げた両手が、トス…っと弱い音を立てて布団の上に落ちた。

 

 優しく、だがしっかりと包み込む細い腕…

 さらりと揺れ、頬にあたる髪…

 ふわりと流れる柔らかい香り…

 そのすべてが、イタチのあらゆるものを受け止めてゆくかのように、そこに()る…。

 

 

 空区の時も今も…

 闇に落ちそうになるたびに、水蓮がそばにいる。

 

 本来ならいるはずのない存在…

 

 与えられてはいけない何かを、心の中に感じる…

 

 静かに流れる時間の中で、イタチは自身の鼓動に意識を向けた。

 

 先ほどとは違う静かなその響き…

 

 オレの心は、今落ち着いているのか…?

 

 落ち着きと言う言葉も感情も、遠い過去に置き去りにしてきたイタチにとって、今自身の中にある感情がそれと一致しているのかどうかがわからない…

 だが、その胸中に浮かぶ想い。

 

 …もう少しだけ…

 

 無意識化の中に生まれたその想いと共に、心と体を水蓮のぬくもりに預け目を閉じる。 

 しかしイタチに与えられたのは、ほんの数秒だった。

 閉じられたふすまの向こう。覚えのあるチャクラが揺れる。

 

 …鬼鮫か…

 

 その思考と同時に水蓮の体が布団に崩れ落ちた。

 イタチはそのまま水蓮を布団に寝かせ、静かに部屋を出る。

 暗闇が広がる庭に向けて写輪眼を開く。

 塀の向こうからつながる細い水路が行きつく小さな庭池の中に、その目でのみとらえることのできる光が一つ。

 それは、鬼鮫のチャクラに包まれた小さな紙。

 庭に下りて拾い上げ、静かに目を通し、読み終えたのち火遁の炎でそれを滅する。

 炎が闇に溶け、消え去るのを見送り廊下に戻ったその時、いくつかの気配を感じてイタチは警戒の目を庭に向けた。

 「ニャー」

 ガサッと音がなり、庭の奥に並ぶ垣根から昼間の猫が顔を揃えて現れた。

 そして、屋敷から漏れる薄明かりの中で、先程と同じように2匹がじゃれ遊ぶ。

 ほっと息をついたイタチのそばに黒い猫が飛び来て、その光景をじっと見つめる。

 「こんな時間まで遊んでいるのか…」

 遅くはないが、早い時間でもない。

 足元にいる黒い猫に視線を落とす。

 「兄は大変だな」

 なぜ【兄】と思ったのか。2匹を見守るようなその眼差しに、イタチは自然とそう声をかけていた。

 それを肯定するかのように、漆黒の体がしなり、イタチの肩にその存在を預けてきた。

 「なんじゃ、眠れぬのか?」

 廊下の奥から聞こえた弓月の声に、スッと瞳を黒く戻し、視線を向ける。

 弓月の手には、水の入った桶。

 どうやら花夢の看病をしているらしい。

 「手伝いはいないのか?」

 「一人使用人がおるのだが…今ジィについて行っておる」

 「そうか」

 「こやつら、また来ておったのか」

 イタチの隣に立ち、和む光景を見つめる。

 しばし、沈黙が流れた。

 「9歳…」

 庭を見つめたままのイタチの口からポツリと言葉がこぼれた。

 「ん?」

 「それくらいか?」

 弓月は顔をしかめて、その意味を読み探る。

 そして「ああ」と思い当たり笑う。

 「かなめの話か?」

 イタチの無言を返事と取り、弓月は呆れたように言う。

 「イタチ、お主言葉が少ないにも程があるぞ」

 「……………」

 また無言を返す。

 「何も言わぬと言うことは自覚はあるようじゃな」

 笑いながら手に持っていた桶を床に置き、座る。

 「して、何が聞きたいのじゃ」

 イタチは、多くを聞かずとも相手の事を理解する弓月に感心を覚えていた。

 自分と同じ年。だが、自分が年相応の内面ではない自覚があるイタチにとって、こうして話せる同年の弓月の存在が少し不思議に感じた。

 同時に、彼女もまた自分とは違う何かを背負って生きているのだろうとそう思う。

 そういう人間は、感性が違う。

 「なぜそういう感情だと…」

 弓月とかなめの話を聞き、お互いに想いを確信するには幼いと、そう思っていた。

 まして弓月は今でも変わらず想い続けている。

 それが、ただ単純に不思議だった。

 自分ですら、その頃イズミに対しての感情がわからなかったのだから、余計に不可解だった。

 しかし、そんな事を聞く今の自分も不可解だとイタチは驚いていた。

 普段人に疑問を投げる事のない自分が、会ったばかりの弓月に、なぜこんな事を…

 

 それもこの里の香りのせいだろうか…

 イズミの夢を見たせいだろうか…

 そこに一体何の答えを求めているのだろうか…

 

 イタチの脳裏にいくつもの疑問が浮かんだ。

 「それは…」

 イタチの少ない言葉の意味をしばし考えていた弓月が口を開く。

 「かあ様から昔聞いたのじゃ。父様といるとなぜだか落ち着いて、つないだ手をあと少し、もう少しだけと離せないでいた。それが『好き』だという事なんだと。そう思ったとな。わらわもかなめにそう思った。だからじゃ」

 最後の一言が照れ隠しで強くなる。

 無言のままのイタチの瞳が少し揺れた。

 「さて」

 勢いをつけて弓月が立ち上がる。

 「もう寝ろ。今日は変わった者は結界よりこちらには入ってきていない。心配はいらんじゃろう」

 「ああ」

 弓月は庭で遊ぶ猫たちに向けて「お前たちも早く家に帰れ」と言葉をかけた。

 まるでその言葉を解したように黒猫が一声鳴き、イタチの肩からするりと降りる。

 そして、軽い足取りで庭をかけ、闇の中へと体を投じた。

 その後を2匹が追い、庭に静寂が戻った。

 「じゃぁの」

 ネコに言ったのか、イタチに言ったのか、弓月は一言そう言ってその場を去った。

 イタチはもう一度ネコたちが去った闇を見つめ、しばらくしてから部屋に戻った。

 

 静かにふすまを閉め、穏やかな寝息を立てて眠る水蓮に一瞬視線を落とし、部屋の奥にある窓際に座る。

 

 見上げた窓の外には、夜の空に消え入りそうな細い三日月が、頼りなくどこかせつなげな光を放って浮かんでいた。



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第二十六章【鏡を持つ者】

 翌朝、弓月にイタチの分身を付け、水蓮とイタチは昨日とは別の茶屋で鬼鮫と落ち合っていた。

 「なるほど。そちらはそういう事になっていましたか…」

 水蓮とイタチの状況を聞き終えた鬼鮫がそうつぶやき、自身の状況を話し出す。

 

 

 

 水蓮達が弓月と出会う前。

 

 

 鬼鮫は茶屋を出て、目的の鏡とおぼしきものを持っていた青年の後をそっとつけていた。

 数歩進むと、どこからともなくサッと二人の人物が彼の近くに姿を現し、歩みをそろえる。

 「ご子息様…」

 「このまま屋敷へと向かわれますか?」

 額には砂隠れの額当て。ツーマンセルで雇われた護衛の忍びのようだ。

 立ち居振る舞いから見て、それなりに腕の立ちそうな忍であると察知し、鬼鮫はさらに気配を絞る。

 様子を探る鬼鮫の視線の先で、【ご子息】とそう呼ばれた青年は、茶屋で浮かべていたのと同じ柔らかい笑みのまま、小さく首を横に振った。

 「いえ。このまま行くのはやめたほうがよさそうです…」

 その言葉に忍びたちが頷く。そして、大通りから外れて裏路地に入り込む。

 

 気付いている…

 

 「面倒なことになりそうですね…」

 鬼鮫は小さく息を吐く。

 しかし、気配を悟られたのは鬼鮫ではなかった。

 先ほどの茶屋の中で、彼に目を向けていた別の存在を鬼鮫はとらえていた。

 その人影は二つ。路地へと姿を消した青年たちと、そのあとを追う鬼鮫の間にその気配が揺らめいていた。

 その両者の後を追い、鬼鮫も続く。

 しばし行くと、町の裏手。人気のない広場へと出た。

 鬼鮫は路地から出ず、広場へとそっと視線だけをのぞかせる。

 そこでは、砂隠れの忍と彼らの後をつけていた二人が対峙していた。

 相手は黒い仮面をかぶっている。

 鬼鮫にも見覚えのないその仮面は、どこかの暗部と言うわけではなく、ただ正体を隠すための物のようだった。

 その手にクナイがある事から、どうやらその黒仮面達も忍。

 護衛対象の青年は少し離れた場所で事を見守っている。

 「何が目的だ!」

 砂の忍が声をあげる。

 「そちらのご子息様の持つ【夢叶いの鏡】をお渡し願いたい」

 わざとらしく発せられた黒仮面の丁寧な言葉遣いが、場の空気を嫌な色に染める。

 しかし、鬼鮫の視線は対峙する忍達ではなく、青年へと向けられていた。

 

 彼が持っていた鏡がこちらの目的の物に間違いなさそうだ…

 

 そう確信する。

 だが、うかつに手は出せない。組織の狙う物を別の忍が狙っているのであれば、相手の正体を暴く必要がある。

 はぁ…とめんどくさそうに息をつき、鬼鮫はひとまず戦況を見守ることにした。

 

 

 しかし、ほどなくしてその決着はつこうとしていた。

 有利に事を運んでいたのは、黒仮面の二人だった。

 派手な術を使うわけではなく、体術中心の戦闘スタイル。

 対する砂隠れの忍たちは火遁と風遁の使い手。

 連携には相性のいいコンビだが、黒仮面の二人の動きが早く、なかなか印が組めずにいた。

 ほんの一瞬のすきを見つけては術を繰り出そうとするが、強い術の印を組む時間が取れず、流れをつかめぬまま徐々に追い詰められていた。

 「どうやらここまでのようですね…」

 鬼鮫のつぶやきとほぼ同時に、黒仮面の体術によって砂隠れの忍が二人とも地面に倒れ伏す。

 黒仮面の二人は倒した相手に目もくれず、青年へと歩みを進める。

 「やれやれ…」

 こんな事なら、こちらを水蓮達に任せればよかったと心の中で愚痴をこぼし、鬼鮫は印を組んだ。

 「覚悟!」

 「鏡はいただく!」

 黒仮面たちが地を蹴り、青年へと飛びかかる。

 しかし、その攻撃が届くより早く、鬼鮫の声が響いた。

 「水遁!水龍弾の術!」

 少年の背後から水のうねりが上がり、竜の姿と化し黒仮面に迫る。

 あまり騒ぎにするわけにもいかず、なるべく力を押さえていはいるが、それでも相手には十分な焦りを与える規模の物だ。

 「な!」

 「なに!」

 二人はとっさに体勢を変え、一人は風遁、もう一人は水遁を発動して水龍にぶつけ、自身の体をはじいて術から逃れる。

 「くそ…」

 「何者だ…」

 彼らが着地した時には、すでに鬼鮫は青年の前に立っていた。

 「まったく。面倒ですねぇ…」

 鮫肌を地面に突き立て、ジトリとにらむその瞳には、言葉とは裏腹に殺戮の予感を喜んでいるかのような色が見え隠れする。

 そこから醸し出される空気と気迫。そして先ほどの術から力量を見て、不利であることを瞬時に悟ったのか、黒仮面達はジリッと数歩下がる。

 対して一歩足を進める鬼鮫。

 「………っ!」

 動きに反応して、水遁を使った人物がいくつもの手裏剣を放ち、もう一人が術を発する。

 「風遁!風塵の術!」

 大量の塵を含んだ風が吹き荒れ、放たれた手裏剣と共に鬼鮫に向かう。

 「水遁!水陣壁!」

 瞬時に水の壁が張り巡らされ、鬼鮫とその後ろにいた青年を囲いこみ、360度すべての角度から防御する。

 高圧の水壁に遮られて手裏剣がギンッ…っとはじき落とされる。

 鬼鮫は透明度の高い水壁の向こうに視線を向け追撃に目を凝らす。

 しかし、相手の放った風塵によって視界は遮られていた。

 それでも、鬼鮫はその壁を消して無防備に息を吐き出した。

 すでに、敵は塵の向こうへと逃走していた。

 「なかなか逃げ足が速い…」

 戦闘の実力は警戒するほどの物ではなかったが、逃走能力に関してはやっかいな物が感じられ、鬼鮫は心底ため息をついた。

 「あ、あの…」

 背後から声がかかり、鬼鮫は鮫肌を背負いなおしながら振り向く。

 青年が姿勢よく鬼鮫を見つめ、教育された美しい流れで頭を下げた。

 「助けていただきありがとうございました」

 「いえ。たまたまですよ」

 鬼鮫にしてみれば、目的の【鏡】を守ったにすぎないのだが、面と向かって礼を言われるのに慣れていないためか、少し言い淀む。

 青年は頭をあげると、倒れ伏した自分の護衛の忍に駆け寄る。

 「大丈夫ですか?」

 息はあるものの、完全に意識を手放しているようで、微動だにしない。

 「命に別状はないでしょうがね…」

 覗き込む鬼鮫を見上げ、青年はしばし思案し立ち上がった。

 「あの。突然で申し訳ないのですが、数日私に力をお貸しいただけませんか?」

 「力…ですか…」

 「はい。…あ、まだ名乗っていませんでしたね。申し訳ありません」

 静かに頭を下げる。

 そして、腰に差していた小刀を手に取り、柄を鬼鮫に見せて名乗る。

 「穂の国、国主の家系に名を置く【輝穂(てるほ) かなめ】と申します」

 差し出された小刀に施されているのは紛れもなく穂の国、国主の家紋。

 確かつい最近国主を息女が継いだはずだったと思い起こし、目の前にいるのがその兄だと自身の持つ情報から悟る。

 「所用があってこの里を訪れたのですが、護衛がこの通りで…。用が済むまでの間、お力をお貸しいただきたいのです」

 小刀を腰に差し直し、まっすぐに鬼鮫を見つめる。

 鬼鮫はその視線を受け止めながら思考を巡らせる。

 

 ここで鏡を奪うのも手だが、二つとも持っているかどうかわからない…

 先ほどの忍も、調べるために捕らえる必要がある…

 そのためにはこの少年に張り付いていた方が、あの黒仮面の忍達と接触しやすいかもしれない…

 それに、先ほど屋敷と言っていたことから考えても、彼の言う「所用」とは里長につながっているようだ。

 行動を共にして損はない…

 なにより、今回の任務は、組織が水蓮の信頼度と力量を見るための物…

 派手なことは避け、慎重に運ぶべきか…

 

 最期にそんなことが頭をよぎり、鬼鮫はフッと小さく笑んだ。

 「わかりました。協力させていただきましょう」

 「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 ほっとした様子でまた頭を下げた少年…かなめは、倒れたままの砂の忍に目を落とし「あの…」と言いにくそうに口を開く。

 「さっそくすみませんが。この方たちを運んでいただけますか?」

 やはりこのままというわけにはいかないか、と鬼鮫は内心でため息をつき「わかりました」と答え、二人を抱え上げた。

 「あまり騒ぎにはしたくないので、どこか宿で治療して、砂隠れに迎えを要請する伝令を飛ばします」

 その対処は鬼鮫にとっても都合がよかった。

 「それから、里長の屋敷へ。気になることがありますので、急ぎ向かいます」

 「というと?」

 「先ほどの忍。道中から私をつけてきていたんですが、3人いたはずなんです…」

 その表情に嫌な予感を浮かべている。

 「彼らが狙っていた鏡は2枚で一組となっている物で、もう一枚はここの里長の孫にあたる人物が持っているんです」

 かなめは鬼鮫を真剣な眼差しで見つめて言葉を続けた。

 「そちらにも危険が及ぶ可能性が高い。という事ですか…」

 かなめは里長の孫の安否が気がかりであり、鬼鮫は、もう一つの鏡が先によそに渡るのは困る…

 「なるほど。確かに急いだほうがよさそうだ…」

 

 問題が起きる前に水蓮達が接触できていればよいが…

 

 鬼鮫はそう考えながら、かなめと共に歩き出した。

 

 

 

 

 「とまぁ、これがここに至るまでのこちらの経緯です」

 「それで、これか」

 聞き終えたイタチが小さく息を吐きながら、鬼鮫にクナイを突き出す。

 昨日弓月を狙って飛んできた物の一つだ。

 「そういうことです。ちなみに、今彼は私の分身と宿にいます」

 言いながら突き出された物を受け取り仕舞い込む。

 そのクナイは鬼鮫の物だったのだ。

 弓月を狙ったのは手裏剣のみで、クナイはそれをはじいた物。

 それが鬼鮫のクナイであり、何らかの合図だと気付いた二人はすでに鬼鮫が事に係わっていると判断し、成り行きに任せながら連絡を待っていたのだ。

 「しかし、彼の所用とはそういう物でしたか…」

 水蓮達の話を思いだし、鬼鮫が小さく笑いながら茶をすすった。

 その様子を見ながら、二つの話を擦り合わせて水蓮が声をあげる。

 「政略結婚の相手と、弓月が言ってたかなめって、同一人物?」

 「ああ。そうだ」

 全く驚いた様子のないイタチ。

 「もしかして、イタチ気付いてたの?」

 「かなめという名を聞いたときにおそらくそうだろうとは思っていた」

 「そっか。でもじゃぁまったく問題ないんじゃない。ただ結婚すればいいだけ」

 その言葉に、二人が目を細めて水蓮を見る。

 「我々の目的はそこではありませんよ、水蓮」

 「あ、そうか…」

 はぁ…と二人が息を吐く。

 「何事もなければ、このままそれぞれ鏡を入手すればよかったのですが…」

 「他にもそれを狙う者がいるとなると、少し厄介だ」

 「鏡だけじゃなく、その忍たちも捕まえないといけない…」

 イタチが頷く。

 「それに、向こうはこちらの力を一度見ている」

 「よほどのバカでない限り、うかつに手を出しては来ないでしょう」

 「でも、こちらの時間は限られている。か…」

 弓月がかなめの事に気付けば、自分たちは護衛の任を解かれる。

 鏡を狙う忍に関しても、弓月が里で対応し、よしんば関われたとしても身柄はこの里預かりとなる…。

 そうなれば、その黒仮面の忍に関しての情報も得にくくなる。

 その上、鏡への警戒が強まり、入手しにくくなる。

 「……………」

 何も考えが浮かばず、水蓮は八つ当たりするように団子にかじりついた。

 「まぁ、鏡はいつでも奪えるでしょう。幸いどちらもターゲットには信頼されている。まずは、忍をとらえるのが先決だ。相手が出てきさえすればとらえるのは簡単ですよ。さほど強くはない。我々にとってはね」

 鬼鮫の言葉に、水蓮は湯呑の中で揺れるお茶を見つめながらしばし考えて、顔をあげた。

 「こちらからあぶり出す…」

 イタチは表情を変えぬまま、そして鬼鮫はどこが満足げに、同時にうなずいた。



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第二十七章【里の兄弟】

 「明日じゃな!」

 屋敷の中に弓月の声が響く。

 庭の木に止まっていた鳥が驚きはばたいた。

 

 

 あの後先の事を打ち合わせし、このまま別行動をとることになった水蓮達は、弓月のもとへと戻り「あちらから接触があった」と伝えた。

 「う、うん。明日屋敷の裏手にある広場に来るって…」

 「そうか!よし!」

 弓月はこぶしを握り締めて「フフフ」と不敵な笑みを浮かべた。

 「昨日話した様に、お主らはあちらの忍びを頼むぞ。手出しされては困るからな。輝穂家の息子は、わらわがやる…」

 浮かべた表情とそのニュアンスは、すでに【戦う(やる)】ではなく【殺す(やる)】に近い。

 「わらわが直接叩きのめさなければ意味がない。2度と近寄りたくないと思わせなければならぬからな」

 「あ、あの。一応、ほら。ご子息様だからね?」

 実際には戦うような事にはならないだろうが、あまりにも意気の上がる弓月に思わず水蓮が言う。

 「ん?分かっておる。心配するな。直接危害を与えたりはせぬ」

 水蓮が首をかしげる。

 「どういう…」

 「幻術か…」

 後ろからイタチの声が入り込む。

 弓月は、フフン…と得意げに笑って見せた。

 「そうじゃ。わらわの得意分野は幻術じゃ。精神世界で存分に痛めつけてくれるわ!」

 

 それはそれで恐ろしい気がする…

 

 「……………」

 仁王立ちで声をあげる弓月を水蓮達は無言で見つめる。

 

 相手が【かなめ】だと分かったら、一体どんな反応するんだろう…

 

 その時の事を想像して、水蓮は笑みをこぼした。

 が、そのあと鏡を奪わなければいけないのだという事を考え、気持ちが重くなった。

 

 おそらく戦う事になるのだろう…

 

 しかし、この任務をやり遂げなければイタチのそばにいられなくなるかもしれない。

 水蓮は組織が自分を試しているという事に気づいていた。

 

 やるしかない…

 

 複雑な思いで弓月に視線を投げた。

 

 

 

 この日は、弓月の里の見回りについて回ることになった。

 里の中は程よく賑わっており、休日なのか子供たちの姿も多くみられる。

 走り回る子供のうちの一人が弓月のもとへと寄ってきた。

 10歳くらいの男の子だ。

 「弓月様!」

 「どうした(かける)

 翔と呼ばれた男の子は、ずっと走り回っていたのか、息を切らしながら弓月を見上げた。

 「兄さん見なかった?」

 イタチの視線が翔に向けられる。

 「なんじゃ、また追い掛け回しておるのか」

 呆れたその口調に、よくある事なのかと水蓮が小さく笑う。

 「だって、全然修行見てくれないんだもん」

 「勘弁してやれ。マナトはもうすぐ大事な選抜試験を控えておる。忙しい身じゃ」

 「でも、その試験に受かって特殊部隊に入ったら任務で忙しくなるだろ。だから今見てほしいんだよ…」

 翔は頬を膨らませて「あっち見てくる」と言い残し走り去っていった。

 「選抜試験って?」

 水蓮が弓月に問う。

 弓月はゆっくりと歩きながら話す。

 「穂の国と契約したことで、これからは国からの任務に就くことになる。そのために、請け負う任務によっての、いわゆるランク分けをこの里でもきちんとせねばならなくなった。じゃからこの間、木の葉での中忍試験にと思ったのだが、ちょっと里内でゴタゴタがあってな。参加できなんだ。それで、里で独自に試験をすることになったのだ」

弓月はひとつため息をつき「しかし」と顔をしかめた。

「まさか木の葉があのような事になるとは…」

 水蓮の脳裏に、木の葉崩しが浮かぶ。そして連動してサスケの里抜けの事を思い出した。

 写輪眼と同様、任務の支障にならぬようにと布で隠した額当ての向こうで、おそらくイタチも思い出しているのだろうと、ほんの少し近くに体を寄せる。

 「さっきの翔の兄マナトも、もちろん出すつもりじゃったのだか結果としては巻き込まれずにすんだ…」

 弓月は複雑な表情で言葉を続ける。

 「しかし、木の葉の甚大な被害を思うと、自里の者が無事じゃったからと手放しでは喜べぬ…」

 その視線はイタチと同じ方角を向いていた。

 二人が見据える先には、おそらく木の葉の里があるのだろうと、水蓮もそちらを見つめる。

 「今、この里からも何人か復興の手伝いに出向いておる」

 「そうか…」

 たった一言のイタチのそのつぶやきに、色々な思いが込められているように感じ、水蓮はイタチを見上げた。

 イタチの視線は今度は別のところを向いていた。

 水蓮と弓月もそちらを見る。

 「マナト…」

 弓月のつぶやきの先。雑貨屋の陰に身を隠す一人の少年の姿があった。

 どうやら先ほどの翔の兄のようだ。

 弟に見つかるまいと、辺りを警戒している。

 その目が弓月をとらえ、苦笑いを浮かべながら頭を下げた。

 弓月が歩み寄り「大変じゃな…」と、ねぎらう。

 「あいつ、しつこくて…」

 困ったような顔だが、浮かぶ笑顔に、弟の事が好きな気持ちが現れている。

 「少し見てやれば気が済むだろう」

 そう言ったのはイタチだった。

 突然見知らぬ人物から声をかけられ驚いたのか、マナトは一瞬言葉に詰まった。 

 それでも、弓月と共にいる人物であるという事で警戒は感じておらず、「それが…」と口を開く。

 「あいつ、すぐに無茶をするんですよ。まだできない事でも、僕のまねをして…。だから、怪我をさせたくなくて…」

 「しないよ」

 声は、マナトの背後から聞こえた。

 振り向いたマナトが顔を引きつらせながらそこに立っていた者の名を呼ぶ。

 「翔…」

 はぁぁと、まだ成長しきっていない小さなその肩を揺らしながらため息をこぼす。

 翔はむすっとした顔で兄に言う。

 「兄さん。僕がいつまでも、何もできないと思わないでよね」

 腰に両手をあてて、胸を張って立つその姿がかわいくて、水蓮と弓月が小さく笑った。

 「油断してたら、兄さんなんてすぐに追い抜いてやるから!」

 強気なそのセリフに弓月が返す。

 「お前にはちと難しいやもしれぬぞ。マナトは、この里きっての天才じゃからな。これからもどんどん伸びる」

 マナトの肩を誇らしげにグイッと抱き寄せる。

 「ゆ、弓月様…」

 褒められたことと、肩に乗せられた手。その両方に照れを浮かべる。

 翔はさらにむすっと頬を膨らませる。

 「そんなことないよ!絶対兄さんより強くなってやる!」

 「そうだな」

 すかさず答えたイタチに目を向けて、水蓮はドキリとした。

 柔らかい、優しい笑みが浮かんでいた。

 「弟だからと言って、兄より強くなれないことはない。努力次第だ」

 「そうだろ!兄ちゃんいいこと言うな」

 「こら、言葉遣いに気をつけろ」

 厳しい目で弟に一言投げる。

 イタチは今度はマナトに優しい口調で話しかけた。

 「怪我をさせたくないと突き放していては、自分の身を守るための力をつけられない。兄弟だからと言って、ずっとそばにいて守ってやれるわけではないんだ。共に過ごせる時間があるなら、少しでも見てやれ。いつか後悔せぬようにな…」

 会ったばかりのイタチの言葉。それでも何か感じる物があるのか、マナトはまっすぐな目でそれを受け止めていた。

 その光景を見ながら、普段見せない柔らかなイタチの姿に、水蓮は胸が詰まる思いだった。

 そこには考えるまでもなく、サスケへの思いが溢れている。

 マナトはそんなことはもちろん知らぬが、何か大切なことを教わっていると理解したのだろう。

 姿勢を正して「わかりました」と、きりっとした声で答えた。

 そして、美しくお辞儀をした。

 「ありがとうございます」

 イタチは思ってもいなかったその返しに少し戸惑い「い、いや…」と言葉を詰まらせた。

 「兄さん、見てくれるの?」

 翔が嬉しそうな声をあげる。

 マナトは「少しだぞ」と弟の頭を撫で「お前もお礼を言いなさい」と、イタチに向き直り、翔を促す。

 翔は、ニッとイタチに笑って大きな声で言った。

 「ありがとな!兄ちゃん!」

 「ありがとうございますだろ。お前にはまず言葉遣いから教える必要がありそうだな」

 呆れた顔でそう言い、マナトはもう一度イタチに礼を言い、頭を下げて弟と一緒に去って行った。

 「いい兄弟だね」

 二人の背を見送りながら水蓮がほほ笑んだ。

 「ああ。マナトはまだ13歳じゃが、さっき言ったように天才肌でな。先日の中忍試験には出せなんだが、十分その力はある。内面もな」

 イタチが「そのようだな」と返す。

 「弟の翔も、優秀な奴じゃ。内面は、ちとまだまだじゃがな」

 弓月が苦笑いを浮かべた。

 「ああ。そのようだな」

 少し笑いながらそう答えたイタチの視線の先では、楽しそうに話す兄弟の横顔。

 それを見つめるうちに、少しずつイタチの瞳が切なげに色を変えていく。

 水蓮はそれを見ていられなくて、思わずイタチの外套の袖を握った。

 そして自分に向いたイタチの視線に微笑んだ。

 「行こ」

 「…ああ」

 短く答えて、イタチはいつもの空気を取り戻した。

 

 

 

 …夜。

 ここ数日の中では久しぶりに空が少し曇り気味な天候となり、月もその姿を隠していた。

 空気もヒヤリと冷たく感じる。

 水蓮は風呂を済ませ、台所を借り、温かいお茶を煎れて部屋へと戻った。

 部屋では、イタチが窓際に座って空を見上げていた。

 背を向けていてその表情は見えないが、空と同じように、少し曇った空気が漂っているように感じた。

 「イタチ。お茶煎れてきたんだけど、飲む?」

 明るい声で近寄る。

 イタチは「ああ」といつもの静かな調子で振り返った。

 湯呑を渡し、水蓮もそばに座る。

 「あのね、これ借りてきたんだけど」

 そう言って弓月に借りてきた物をイタチの前に出し広げる。

 それを見てイタチが目を細めた。

 「将棋か…」

 「うん」

 昼間の事が気になり、何かで気分を紛らわせる事ができればとの水蓮の考えだった。

 「久しぶりに見るな…」

 折りたたまれていた盤をイタチが広げ、水蓮が駒の箱を開ける。

 「できるのか?」

 問われて、水蓮は苦笑いを浮かべながら首を横に振った。

 「ぜんぜん。イタチは?」

 「まぁ、普通にはな…」

 「じゃ、教えて」

 イタチは一瞬考えた様子を見せ「わかった」と答えた。

 丁寧に一通りの事を教わり、二人は打ち始める。

 初めは「これ、ここに打てる?」「こっちに進めるんだっけ」と、一つ一つ聞いていた水蓮だったが、数回打つうちに、何とか少し打てるようになってきた。

 それでも、初めてするがゆえ、ある意味『読めない』手を打ってくる水蓮に、イタチは時々こらえた笑いをこぼした。

 そのたびに、水蓮はジトリとにらみながら頬を膨らませる。

 そして、数回目の局面。

 「ここかな…」

 ポツリと言いながら水蓮の打った一手に、イタチがまた小さく笑った。

 「お前がそこに打ったら、オレの勝ちだ」

 「え~っ!」

 「こういう場合は」

 と、水蓮の打った一手をとり、イタチは別の場所に打ち直す。

 「ここに打つ。で、オレがこう打ったら次は…」

 「あ、ここ?」

 呟きながら思いついた手を打つ。

 「そうだ」

 再びうち進めてゆく。

 

 パチリ…パチリ…

 

 しばらく駒の音だけが部屋に響く。

 次第にイタチも集中し、他の事を考えなくなっていた。

 打ち慣れてきた水蓮は、時折り先を読んで長考するようになり、そのたびに、イタチは静かに待つ。

 

 パチ…

 

 考えた末に打たれた水蓮の一手。

 イタチは小さく頷いて「いい手だ」とその駒を見つめた。

 「ほんと?よかった」

 「ああ。筋は悪くない。時折、ドキリとする手を打ってくる」

 思わぬほめ言葉に、水蓮が違う意味でドキリと胸を鳴らす。

 「将棋は、打ち手の人間性が出るからな。お前の駒の動きも、お前そのものだ。思いがけないところに打ってくる」

 「それって、危なっかしいって事?」

 「それもあるな」

 言いながら駒を打つ。

 水蓮は、今度はすぐに打ち返す。

 その一手に目を細めて笑い、イタチが駒を持つ。

 「考えていない様で、考えている」

 パチリ…と、優しい音が響く。

 数秒考えて、水蓮が駒を進める。

 イタチはその動きに一瞬手を止めて、盤を見据え、ゆっくりと手を選び打つ。

 「きわどい所に、賭けてくる」

 その言葉を嬉しく感じながら、水蓮が打つ。

 「だが、油断しやすい」

 イタチは、パチリと音を鳴らした駒から手を離し、水蓮に目を向ける。

 「オレの勝ちだ」

 「う~…」

 どう考えても勝てるわけはないが、それでも水蓮は悔しそうにうなだれる。

 その様子を見ながら、イタチはすっかり冷めたお茶を口に含み、小さく咳き込んだ。

 「イタチ!」

 慌てて顔をあげると、イタチは「大丈夫だ」と、湯呑を置いた。

 「少しのどに詰まっただけだ」

 「ほんとに?」

 「ああ。ここ最近は体調もいいからな。心配ない」

 その言葉がどうやら本当の様で、水蓮はほっとする。

 「でも、もう寝たほうがいいよね」

 少し残念な気持ちもあったが、明日の事を考え、水蓮は駒を片付ける。

 しかし、その手をイタチが止めた。

 「水蓮」

 「…え?」

 再び上げた視線の先で、イタチが柔らかい表情を浮かべていた。

 「あと一局だけどうだ」

 思ってもいなかった言葉に驚いたが、水蓮は笑みを返した。

 「うん」

 

 

 そうして打ち始めた二人の向こうでは、夜空の雲がいつの間にか晴れていた。



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第二十八章【采配】

 翌日の昼過ぎ。

 主要部から外れた所にある人気のない広場に、それぞれが集まった。

 かなめには用意された移動用の籠の中で、事が済むまで待機してもらう手はずになっている。

 9年経っているといは言え、顔を見て気付かれては困ると、そういう事になった。

 鬼鮫が付き添う籠の中から、かなめが弓月に気づき丁寧なあいさつを渡した。

 しかし、顔を見せぬかなめに、弓月の闘志に怒りが上乗せされた。

 「輝穂(てるほ)殿、早く出てきてはいかがか。このままでは鏡を取るどころか、顔を見ぬままにわらわの術に敗れることになりますぞ!」

 どうやらこの状態でも弓月の幻術は効果を発揮できるようで、後の事を考えて、イタチが意識鋭くその言葉に耳を傾けている。

 「まぁまぁ。落ち着いて…」

 なだめる水蓮の声に、イタチが続く。

 「まずはあちらの忍とオレがやる」

 スッと足を進める。

 「ん?…うむ」

 弓月が答えた時には、すでにイタチと鬼鮫が対峙していた。

 いつもと変わらぬ表情のイタチに対して、鬼鮫は「ククク」と喉を鳴らし、どこか嬉しそうな笑みを浮かべている。

 「手加減はしませんよ。あなたも、ご遠慮なく…」

 「そのつもりだ」

 答えたイタチの口元が一瞬だけ引き上げられたように見えた。

 「水蓮。イタチは大丈夫なのか?あの忍、かなりできるようじゃ…」

 鬼鮫から湧き出る気迫に、弓月が額に汗を浮かべる。

 「大丈夫だよ」

 返した水蓮の言葉を合図にしたかのように、二人が地を蹴り…消えた。

 

 ギンッ!

 

 音は上空から。しかし、弓月と水蓮が見上げた時、すでに違う場所で再び音が鳴る。

 

 ガッ!

 

 次は水蓮達の正面。

 すさまじい勢いで互いの腕をぶつけあう。

 そのスピードと気迫がチャクラに混じり、ぶわぁっと二人を中心に風が吹きあがり、砂を巻き込んで辺りに一気に広がる。

 「っ!」

 「う…」

 弓月と水蓮が腕で顔を覆いながら、隙間から二人の姿を追う。

 二人は一度体をはじき合い距離を取るが、互いに一瞬にして間合いを詰める。

 洗練された流れのある動きで繰り出されたイタチの蹴りを、鬼鮫が体を開いてかわし、そのまま反転してイタチの背中を肘で狙う。

 イタチはスッと体を落として逃れ、右手一本で体を支えて持ち上げ、そろえた両足で鬼鮫の顎を狙う。

 ほんの少し体をそらすだけでこれをやり過ごした鬼鮫は、鮫肌を背中から外す勢いを利用してそのまま振りぬく。

 しかし、すでにイタチは先ほどの蹴りの勢いのまま上空へと飛び上がっており、鮫肌は空を切る。

 

 シュッ…シュシュッ!

 

 いくつもの音が空気を切り裂く。

 イタチの放った手裏剣。

 鬼鮫は微々たる動きでそれをかわしてゆく。

 

 ひゅっ!

 

 そのうちの一つが見当違いのところを飛び過ぎるが、鬼鮫はそれに警戒した視線を向ける。

 同時に、違う角度から投げられたイタチのクナイがその手裏剣をはじき、鬼鮫の首筋に向かう。

 

 ギィン!

 

 耳の奥に響く音…

 見れば、鬼鮫の命に迫った手裏剣が、瞬時に構えられた鮫肌によって叩き落されていた。

 互いを狙う手は止まらない。

 「水遁!水龍弾の術!」

 水辺のないこの広場で、鬼鮫の背後から通常の規模から外れた水龍が空へ舞いあがりイタチへ向かう。

 「水遁!水龍弾の術!」

 同じく水龍を発するイタチ。

 だが、鬼鮫の物よりは小さい。

 「それでは私の水龍は返せませんよ!」

 嬉々とした声をあげる鬼鮫。

 しかし、イタチは答える代りにさらなる印を組む。

 「風遁!大突破!」

 

 ゴォアァッ!

 

 風を含み膨れ上がったイタチの水龍が勢いを増して鬼鮫の水龍とぶつかる。

 同じ力で激突した二つの龍が力のゆき場所を求めて、空へと舞い昇りはじけた。

 

 ズザァァァァァッ!

 

 ダダダダダダダッ!

 

 風遁の風によってはじき広がった水が、暴風雨となって襲い降る。

 「ひあぁぁぁぁ!」

 「なぁぁぁ!」

 「わわ…わ」

 体を抱え込む水蓮と弓月の声に続き、かなめの慌てふためく声。

 水蓮が向けた視線の先で、籠が風雨に飛ばされそうになっている。

 どうやらそれを中から必死に抑えているようで、籠がいびつに揺れていた。

 「ちょ、ちょっと…」

 いまだ打ち合う二人に水蓮が声をあげ、それに弓月が続く。

 「お主ら!里を水浸しにするつもりかぁ!加減を考えろ!」

 イタチと鬼鮫は一度距離を取って動きを止め、ちらりと弓月に視線を投げてすぐにまた向き合う。

 「ここでは少しやりにくいですね…」

 「そうだな」

 にらみ合ったまま互いの意見を確認し合う。

 そして、小さく笑みを浮かべて同時に言う。

 『場所を変える』

 「え?ちょっと!」

 水蓮のその声は、すでに二人の姿が消えた場所にむなしく溶けた。

 「お、おい。あやつら、なんか楽しんでおらんか?」

 「は、はは…」

 水蓮が渇いた笑いをこぼす。

 「まぁ、しかし。あ、あちらの忍びがここからいなくなったのであれば!」

 必死に気を取り直す弓月。

 バッと勢いよくかなめの入っている籠に向き直る。

 「輝穂殿!いざ、勝負じゃ!」

 数秒の沈黙の後、籠が開きゆっくりとかなめが姿を現す。

 しかし、その姿がすべて弓月にさらされるより早く…

 

 『覚悟!』

 

 3つの声と影が無防備になった水蓮達にそれぞれ襲い来る!

 「な!なんじゃ!」

 弓月は驚き声をあげたものの、瞬時にクナイを引き抜き、襲い来た者の攻撃を受け止める。

 その隣で、水蓮が自分に向けられた手裏剣をはじき落とし、繰り出された追撃の蹴りをかわして相手を蹴り飛ばす。

 そして、かなめへと飛びかかったもう一人は、スピードを殺さぬままこぶしでかなめを狙うが、それが届く寸前、彼の足元の土が盛り上がり…

 

 パシィッ!

 

 地面から現れ出たイタチによって防がれた。

 「なに!なぜ貴様が!」

 手を掴まれたままたじろぐその人物。そして水蓮と弓月を狙った二人。

 その顔には黒い仮面。

 昨日襲い来た黒仮面の忍に間違いなかった。

 「何じゃお主らは!」

 声をあげつつ、自分に向かい来た相手を2・3発のやり取りで吹き飛ばす。

 

 強い…

 

 横目に見ながら、水蓮も自身に襲い来た一人を体術であしらい、印を組む。

 そして懐に入り込み手のひらを相手の腹にあてがう。

 「風遁!烈風掌!」

 至近距離での風に抵抗できず、黒仮面が弓月の倒したもう一人に向かって吹き飛び重なる。

 そして、その二人の上にたった一度の蹴りで、イタチが最後の一人を折り重ねる。

 「う…」

 「か!鏡を…」

 「よこせ!」

 ふらふらになりながらも、目的の物をあきらめる気配はない。

 「…鏡?」

 弓月の声が低く辺りに響く。

 「どうやらわらわを狙ったようじゃな…。ならば手加減はせぬぞ!」

 両手を広げ、なめらかな動きで印を組む。

 しなやかな曲線を描きながら胸元に寄せられる腕の動きは、まるで日舞のように美しい流れ。

 

 ふわり…

 

 風が生まれる。

 その風は、里の中に満ちていた紅くちなしの香りを集め、どこからともなく舞い呼ばれた紅色の花びらと合わさり、弓月を取り巻いてゆく。

 「すごい…」

 あまりにも量の多い花びらに、水蓮は目を凝らす。

 どうやら、赤く発色するチャクラが、本物の花びらと混じり合っているようだった…。

 「水蓮…」

 その光景に見とれていた水蓮の口元を、イタチが後ろから外套の袖で覆い隠した。

 「………?」

 見上げると、イタチも自身の嗅覚を外套の襟で覆っていた。

 離れた場所では、かなめも口元を隠している。

 

 香りではめる幻術…

 

 そう悟りながら、再び弓月に視線を向ける。

 

 カッ!

 

 弓月の体を包み込む花びらが強く光った。

 「夢忍法!夢幻紅吹雪(むげんべにふぶき)!」

 

 ぶわぁっ!

 

 弓月が降り下ろした腕の動きに合わせ、まるで花びらが命を吹き込まれたかのようにすさまじい勢いで黒仮面達に向かい、一瞬でその姿を強い香りと紅色で包み見えなくする。

 「耐えがたき恐怖を味わえ」

 顎を引き上げ、見下した視線を向けながら弓月がつぶやいた瞬間。

 『ヒッ…!』

 紅色の包みの中から黒仮面達が息を吸い込んだ声がたった一度だけ聞こえた。

 

 戦いはあっけなく終わった…。

  

 

 弓月の術が解かれ、幻術から解放された3人は体を寄せ合ってプルプル震えており、すっかり戦意は消失していた。

 「いったい何を見せられたんだろ…」

 ゴクリと喉を鳴らした水蓮の隣でイタチは無言だ。

 

 同じ幻術使いとして、何か想像がつくのだろうか…

 

 「イタチ。先ほどのは影分身だったのか…」

 黒仮面達をにらみつけていた弓月がクルリとイタチに振り返る。

 「こやつらの事を知っておったのじゃな…」

 鋭く一つ一つを解明してゆく。

 「お前と手合わせした忍も知った顔か…」

 同時に、鬼鮫がどこからともなく姿を現し、水蓮の隣に降り立った。

 イタチと戦っていた鬼鮫も影分身。

 黒仮面達が逃走した際に、その退路を断つため身を隠して待機していたのだ。

 「こやつらをおびき寄せるために、わざとこの場から離れたように見せたのじゃな…」

 「えと…」

 水蓮が何をどこから説明しようかと言い淀む。

 その様子に、弓月はふぅ…と一息つき「まぁ、説明はあとでゆっくり聞く」と、自分の後ろに立っていたかなめに振り返る。

 「輝穂殿。無事か…っ?」

 振り向ききった瞬間。弓月はかなめに抱きしめられていた。

 「なななななな!何を!」

 突然の事にパニックになり突き放そうとする。

 しかしそんな弓月をさらに抱き寄せ、かなめは声をあげた。

 「弓月!会いたかった!」

 どうやらやっと会えた感動がもう抑えられなかったようだ。

 「は!離せ!」

 必死に体を離し、かなめを見上げる。

 「突然なにを!…………ん………?」

 どこか見覚えがあるその顔に一瞬固まる。

 「弓月。僕だよ」

 「は?」

 間の抜けた声がこぼれた。

 かなめは手鏡を取り出して弓月に見せ、ニコリと笑った。

 「なぜそれを!」

 「僕だよ。かなめだよ」

 「…え?は?輝穂…どの…。え?か、かなめ?かなめなのか?」

 かなめが一層ニコリとほほ笑んで、再び抱きしめる。

 「やっと会えた」

 「な…な…な…な…!」

 どんどん弓月の顔が赤く染まりあがり…

 「……………っ!」

 パニックが極まったのか、かなめの腕の中で意識を手放した。

 「弓月!」

 かなめが抱き支えたまま声をあげ、困ったように水蓮達に視線を投げる。

 「あ~。と、とりあえず屋敷に戻りましょうか?」

 苦笑いを浮かべる水蓮の視線の端では、鬼鮫がいまだ震える黒仮面達を縛り上げていた。

 イタチがゆっくりと近づき仮面を外す。

 「あなたたちは!」

 あらわになったその顔を見て驚きの声をあげたのはかなめだった。

 黒仮面達は気まずそうに顔をそむけ黙する。

 「知った顔ですか?」

 立ち上がりざまに鬼鮫が問う。

 「はい…」

 頷くかなめを見て、イタチが静かに言った。

 「話を聞かせてもらおう」

 

 

 

 屋敷に戻ると、弓月はすぐに意識を戻し、それぞれに身を整え、応接間で顔を合わせていた。

 部屋の隅には縛り上げられたままの忍達の姿もある。

 「一体何がどうなっておる…」

 隣に座るかなめに目を向けられぬまま弓月が口を開いた。

 思わぬ形での再会に、まだ少し混乱しているようだ。

 「輝穂殿が、かなめだったなんて…」

 「紫卯月(しうげつ)様…里長は、僕の名前を手紙に書かなかったんだね」

 相変わらずの柔らかい笑みで発せられた言葉に、弓月が顔を引きつらせる。

 「ジィめ。いつもいつも肝心なことを省きよって!」

 全てが勘違いであったことを理解し、頭を抱えてうなだれる。

 「して、この忍らは何者じゃ?」

 その問いにイタチが答える。

 「お前たちの持つ鏡を狙っていた」

 「里でわらわを襲ったのはこいつらのうちの一人だったのか。で?お主らは初めから知っておったのか?」

 顔を覆う手の間から水蓮に視線が向けられる。

 「初めから知ってたわけじゃないよ。本当にたまたまそれぞれ知り合って。最終的にこうなった感じで…」

 その言葉に、弓月は、はぁ…と大きく息を吐きだした。 

 そのため息を聞きながら、水蓮は捕らえた忍に目を向ける。

 「かなめさん。この忍達のこと知ってるみたいだったけど…」

 「はい。ひと月ほど前の事です。

 どこかの戦に巻き込まれてけがを負い、我が国に逃げ込んできた彼らを父が保護したのです。おそらく、城で療養中に、私の家臣から鏡の事を聞いたのでしょう…」

 その通りの様で、縛られた3人はうなだれた。

 「なんという恩知らずな!」

 弓月が怒りに震え、忍びたちの前に立ち、見下ろす。

 「この鏡でいったい何をするつもりだったのだ!何を企んでおる!」

 しかし彼らは口を開かない。

 その様子に、弓月が「ほぉ…」と頬を引きつらせる。

 「まだ恐怖が足りなんだ様じゃなぁ…」

 怒気が溢れていくその言葉に、主格らしき人物が慌てて白状する。

 「そ!その鏡を手土産に!木の葉の里で雇ってもらおうと…」

 思わぬところで木の葉の名を聞き、イタチがピクリと揺れた。

 「どういう事…?」

 水蓮のその問いに、彼らはポツリポツリと語りだした。

 「オレたちは、木南《きな》の里っていう本当に小さな里の忍だ。いや、だった…」

 「大戦中はうちのような小さな里の忍にも声がかかって、戦に出てた…」

 「それで何とか里の生活を守ってきたんだ…」

 主格の忍が話を続ける。

 「でも、大きな戦が終わったとたん、オレたちのような小里の忍は用無し。戦でどんなに活躍しても、どうしても大きな里の忍の方が目立って、同じように戦ったオレ達には光は当たらねぇ。その後戦の減少と共に請け負う物はなくなり、一瞬で里は衰退した。里での暮らしが厳しくなり、皆散り散りになって里は自然に消滅した…」

 …シン…と静寂が落ちてゆく。

 「でも、オレたちは、どこまで行っても忍だ。忍としてしか生きれねぇ。だけど流れの忍じゃぁ、今時どこでも使ってはもらえない。だから、だから…」

 「鏡の真意はわからぬにしても、聞き珍しい【夢叶いの鏡】を木の葉に持ち込み、自分たちを売り込もうと思ったのか…」

 イタチの静かな言葉に、彼らはまたうなだれた。

 「なんと浅はかな!いかに今人手が足りぬからと言って、大国火の国の木の葉隠れが、このような真意のわからぬ物に目がくらむか!」

 弓月の言葉はもっともだったが、綱手の事を知っている水連とイタチは『そうでもないかもしれない』と一瞬思った。

 この鏡は、場所によっては賭けの材料になるかもしれない。

 しかし弓月は続けて声を荒げた。

 「あきれて物も言えぬわ!」

 「う…うぅ」

 とらわれた3人が、言葉を失いうつむく。

 弓月より、10は年上であろう大人達が、すっかり彼女に頭が上がらなくなっていた。

 そんな彼らを見ながら弓月は息を吐き出し、自身を取り巻く空気を緩めた。

 「じゃが、里を失った忍の苦しみは分からんでもない。父がそうであったからな」

 「…え?」

 思わず水蓮の口から驚きが漏れた。

 「父は若い頃に里を失い、ここに彷徨いついたのじゃ」

 父親の過去を思い出すように、少し遠くを見つめてしばし黙り込み、気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸をした。

 そして、弓月はいまだ目を閉じたままの3人の忍に向かって静かに言った。

 「お主たち。この里で働け」

 その場にいた全員が弓月に目を向けた。

 「いいのかい?弓月…」

 かなめが弓月の隣に立つ。

 「こやつらを放っておいたら、また同じことをやりかねん。余計な争いをなくす事が、わらわの忍としての目標の一つだ。それに、罰せられ、世から見捨てられることが償いではない」

 「うん。そうだね」

 かなめはどこか誇らしげな顔で弓月を見ている。

 「ただし!」

 弓月がビシィッ!…と、3人を指さす。

 「チャンスはこの一度きりじゃ!もしまた裏切るようなことをしたら、2度と人として生きてゆけぬほどの恐怖を味あわせてやるからな!」

 『は!はい!』

 恐怖と感謝と忠誠の入り混じった3つの声が部屋に響いた。 



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第二十九章【誰のための】

 あの後3人の忍たちは、弓月の恩赦があったとはいえ、他に疑わしき事がないかを調べるため、里の役人にひとまずひき取られていった。

 部屋から連れて行かれるその様子を見送り、水蓮達は顔を見合わせる。

 機を見て水蓮がかなめを、鬼鮫が弓月を捕らえ、イタチが幻術をかける。

 そういう手はずだ。 

 しかし、水蓮は動きかねていた。

 弓月から鏡を奪い取る。何も感じずに事には及べない。

 二日ほどの付き合いではあったが、弓月の人柄に少し触れすぎたと、水蓮は感じていた。

 「して、かなめ…」

 緊張を走らせる水蓮の前で、弓月が自身にとっての本来の目的を進めるために口を開いた。

 「お主一体どういうつもりじゃ…」

 「何が?」

 ふんわりとした空気で弓月のにらみを受け流す。

 弓月は少しいらだった様子で言葉を続ける。

 「何が…ではない!なぜジィより先にわらわに言わなんだ!順番が違うであろう!」

 「確かに…」

 思わず小声ではあるが水蓮がつぶやいた。

 もし自分が同じ状況だったら、やはりそう言って怒るだろう…。

 だが、かなめはその意味が解らないといった様子で首をかしげた。

 「だって、もう結婚の約束はしてるじゃないか」

 「な!あんな子供の時の約束で。それに、わらわの気持ちが変わっていたらどうするつもりじゃ!」

 その言葉に、かなめはニコリと笑って返す。

 「僕がこんなに君のこと好きなんだから、君も僕のこと好きに決まってるじゃないか」

 「~~っ!」

 ただただ純粋なかなめの言葉に、足の先から頭の先まで赤く染まる(さま)が見えるようだ。

 弓月と同じように、彼もまた変わらず弓月を想い続けてきたのだろうと、水蓮はその光景を見つめる。

 「し!しかし!お主、わらわより強くなってきたんじゃろうな!それが条件であることに変わりはないぞ!お主が自分で言ったことじゃからな!」

 かなめは、今度は少し気まずそうな表情を浮かべた。

 「確かに『守られるんじゃなくて、君を守れる強い男になる』そう言ったけど、僕には残念ながら忍術や武術の才はなかった。その分野では君より強くはなれない。だけど、僕には僕にしかできないことで、君を守るための力をつけてきた」

 「どういう事じゃ…」

 弓月のその問いに、かなめは「ここだよ」と、自身のこめかみを指で刺した。

 「…んん?」

 顔をしかめた弓月に水蓮も同じく戸惑う。

 そんな二人にイタチと鬼鮫が言う。

 「穂の国の輝穂かなめといえば、その頭脳、参謀としての能力が高い事で有名だ」

 「今回の策も彼が考えた物ですよ。彼は大昔の大戦で名を馳せた、伝説の軍師の再来とまで言われている」

 「そ、そうなのか?」

 驚きの表情で弓月がかなめを見つめる。

 「そうみたいだね~」

 どこまでも柔らかい雰囲気…

 「よく国から出ることを許されたな」

 イタチが呟くように言った。

 「かなり大変でしたが…」

 ここに至るまでの事を色々と思いだしたのか、苦笑いを浮かべる。

 「でも、僕のこの力は弓月のための物だから。君のそばにいなければ、意味がないんだよ」

 キュッと弓月の手を握りしめる。

 「かなめ…」

 弓月がさらに顔を赤くして目を潤ませる様子を見ながら、水蓮はグッと手に力を入れた。

 

 この力はイタチのためにある…

 

 出会ってすぐの頃、そう言ってイタチに医療忍術を使った。

 

 そうだ。イタチのそばにいなければ、意味がない…

 そのためには、任務をやり遂げる…

 

 弓月に対して感じていた罪悪感を、一気に心の深くに沈める。

 その空気を察したのか、イタチと鬼鮫が水蓮の後ろで頷き合った。

 それと同時に、かなめが鏡を弓月に差し出す。

 「これを君に返すよ。受け取ってくれるだろ?」

 弓月はしばらく無言でかなめを見つめていたが「受け取ってやる!」と強気に返した。

 そして、自身の鏡を取出し、その二つをつなげた。

 

 今が機…

 

 水蓮達が息を合わせた。

 しかし、弓月が声をあげた。

 「なんじゃ?」

 その視線の先。鏡同士が反射させた光が、壁を照らしていた。

 「え?」

 水蓮達もそちらに目を向ける。

 壁にぶつかる光の中に、文字が浮かび上がっていた。

 弓月は光がそのままになるように、鏡を机に置き、壁に近づき目を凝らす。

 水蓮もその隣に並んで壁を見つめる。

 「小麦粉」

 「卵、バター」

 「砂糖…」

 二人が交互に読み上げる。

 「これって…」

 「レシピじゃ」

 弓月がハッとしたようにそれに読み入る。

 一緒に内容を見ていた水蓮も、それがクッキーのレシピであることに気付く。

 「これは、かあ様のクッキーのレシピじゃ。そうか。そういう事か」

 一人何かを納得して、弓月は声をあげて笑い出した。

 「なに?どういう事?」

 隣で戸惑う水蓮に、弓月が笑みを返す。

 「かあ様は菓子作りの名人だった。特にクッキーがうまくてな。大好きじゃった。だから、いつかわらわもうまく作れるようになりたい。そして、大きくなったら菓子職人になりたい。そう思っていたのじゃ。それが、わらわの初めての夢だった」

 「あ、だから…」

 言いながら、自分と同じ夢を持っていた弓月に不思議な縁を感じる。

 「そうじゃ。かあ様はわらわのためにと、この鏡にクッキーのレシピを残したのじゃ。何か特殊な作りをしていたようでな。かあ様がいなくなった後何度か作ったが、なかなかその味にならなんだ。その手法が他には漏れぬよう、この鏡同士が光を反射したら見えるように細工して残してくれたのじゃ。いつか、わらわが夢をかなえる時のために…」

 じっと壁に見入る弓月の肩に、かなめが手を置く。

 「それで【夢叶いの鏡】。君の夢を叶えるための鏡だったんだね」

 「うむ。肝心のこの事をわらわに言わぬままに。まったく。親子だな。ジィと同じじゃ」

 うっすらと涙を浮かべながら、弓月は笑った。

 そんな弓月を見て、水蓮の気持ちがまた揺らぐ。

 

 内容はどうあれ、持ち帰らなければならない…

 

 だが、いわば母親の形見だ。同じように親を失った自分にはそれを奪えない。

 

 でも…

 

 壁を見つめたまま苦悶する。

 「水蓮」

 弓月が不意にその名を呼んだ。

 そして鏡を手に取り、水蓮に差し出した。

 「……え?」

 目の前にある鏡に戸惑い、弓月を見つめる。

 「持って行け。お主らも、この鏡が目的であろう」

 「…………」

 何も言えぬまま固まる水蓮の隣にイタチと鬼鮫が立ち、少し警戒の色を浮かべる。

 「なぜそれを…」

 問うイタチに、弓月はフッと小さく笑った。

 「あの場で会った時、お主らは里で何かを買った風ではなかった。観光ではないだろうと思った。お主らほどの忍が観光ではなく、この里に、ましてあの辺りにいたという事は、何か目的がある。初めはどこぞかの者に雇われて紅くちなしの種でも奪いに来たのかと思ったが、お前たちは花にはさほど興味を示さなんだ」

 そんな風に観察されていたのかと、水蓮は息を飲んだ。

 「それに、あの時お主らはこの鏡を見ておっただろう。それに、今もわらわとかなめを取り押さえるつもりだった…」

 「気付いていたのか…」

 その洞察力に、イタチも驚きを現わしている。

 「これでも、次期里長じゃからな」

 少しあどけなく笑う。

 「お前たちを雇ったのは、その動向を見張るためでもあった。お主らが何者で、なぜこの鏡を欲するのかはわからぬが、わざわざ争わねばならぬ物でもあるまい。余計な争いは望まぬ。それに、どうあっても悪用できるようなものではないしな。お主らにとっては残念な事実じゃろうがな」

 弓月は改めて鏡を差し出す。

 「でも…。それはお母様の…」

 「レシピはもう覚えた」

 水蓮の言葉を遮る。

 「それに、大事なのは形ではない。もうちゃんと、ここにある」

 弓月は自身の胸を押さえる。

 その気持ちは水蓮にもわかった。

 「礼だと思って受け取れ。わらわはともかく、お主らがおらねばかなめは無傷では済まなかったじゃろう」

 その言葉に、かなめが「ハハ…」と気まずそうに笑った。

 「それに、あの時お主らは里の子を守ってくれた。その恩を返す。まぁ、もしいらぬのならよいが、持ち帰る必要があるのなら持って行け」

 そう言いながらも、水蓮達の正体がわからないからか、弓月は少し複雑な顔で笑った。

 「弓月…」

 気持ちを受け取り、水蓮が手を出す。

 しかし、その手が鏡に触れる寸前。イタチが水蓮を後ろに引きよせ、鬼鮫が蹴り開けたふすまから庭へと飛び出た。

 「え?」

 何が起こったかわからずに戸惑う水蓮の視線の先。先ほどまで自分が立っていた所に、クナイが刺さっていた。

 そして、同じくそれを見つめる弓月の前には、紫がかった長い髪をすっきりとまとめあげたくノ一が厳しい眼差しを浮かべて立っていた。

 「花夢!」

 そのくノ一の名を弓月が呼ぶ。

 「お主もう良いのか。というか、何をしておる!」

 声をあげる弓月の周りにはいつの間にか10数人の忍が控えていた。

 そして、水蓮達を囲むように、庭にも同数ほどの忍。

 「これほどの数を、我々に気づかれぬまま…」

 水蓮は鬼鮫の言葉に、忍たちが待機していたことを悟る。

 花夢は、弓月に答えぬままイタチを見、鬼鮫を見る。そして最後に水蓮に視線を落とした。

 「この二人が何者か知って共にいるのか?」

 「…………っ!」

 息を飲む水蓮の後ろで、イタチと鬼鮫が空気を変える。

 

 水蓮はこの数か月二人と共に様々な場所を移動してきたが、イタチと鬼鮫の名が有名といえども、その名と顔が一致することはほとんどなかった。

 だが、今目の前にいるくノ一は知っているのだ。

 二人が何者なのかという事を。

 

 「やはり知っていたか…」

 イタチがつぶやくように言い、水蓮の前に出る。

 花夢が動きに反応してクナイを構えなおす。

 「あのとき、もう一人の気配を感じてはいたが、お主の姿は見えなかった。ゆえに、気付くのが遅れたのだ」

 花夢の額に汗が浮かぶ。

 水蓮は、花夢に会った時イタチが離れた場所から動かなかったのは、この事を危惧していたのだと悟る。

 「おい花夢。一体…」

 戸惑う弓月に、花夢が答える。

 「このたびの穂の国との契約に先立ち、私は国よりビンゴブックを渡されておりました。早急に覚える必要があったため、ここ数日徹夜が続き、恥ずかしながら体調を…」

 「ビンゴブックを…」

 「はい。この者達はそこに載る者」

 「なんじゃと!」

 弓月の瞳が驚愕に染まる。

 一歩前に出て、花夢が水蓮達に鋭い視線を投げる。

 「大名殺し!国家破壊工作容疑のかかる霧隠れの抜け忍【干柿鬼鮫】。そして、同族殺しの木の葉の抜け忍【うちはイタチ】。どちらもS級犯罪者として手配されている者です。もう一人は載ってはおりませぬが、仲間とあれば油断はできませぬ」

 「水蓮。本当か?」

 弓月の揺れる眼差しを受け、水蓮は思わず顔をそむけた。

 「イタチ。まことなのか?」

 イタチは無言を返し、その瞳を赤く染めた。

 「…っ!」

 「写輪眼!」

 息を飲んだ弓月の顔を隠すように花夢が動く。

 「どうしますか。イタチさん」

 鮫肌に手をかける鬼鮫。

 イタチは視線だけで全体を見回し「少し多いな」と目を細めた。

 そして「次の機会を見る」と、水蓮を抱えて塀に飛び乗る。鬼鮫もそれに続いた。

 「待て!」

 声をあげたのは花夢。

 「逃がさぬ!」

 素早い動きで印を組む。しかしその手を弓月が制した。

 「よせ。お前の叶う相手ではない。わらわがやる」

 弓月が歩み出たのと同時に、鬼鮫が「水蓮」と小さく呟いた。

 その意を解し、水蓮が弓月と向き合う。

 この任務は、組織が水蓮に与えた物ともいえる。

 自分が動かなければいけないのだと、そう感じていた。

 

 パキ…

 

 誰かが踏んだ木の枝が音を立てた。

 それを合図に互いに印を組む。

 術の発動は同時だった。

 

 「夢忍法!紅夢大吹花(こうむたいふいか)!」

 「風遁!烈風掌!」

 互いにほぼ全力のチャクラを込める。

 弓月の術によって場に渦巻いた花びらと香りは先ほどの比ではなく、大規模な物だった。

 しかし、それを何とか水蓮の風が押し返し、そのすべてが夢隠れの忍達に向かった。

 花びらと強風に乗る香りに襲われた忍達から次々に声が上がる。

 「くっ!」

 「しまった!」

 「弓月様!」

 最後に花夢の声が響き、風がやんだ後には幻術に落ちて倒れ込む夢隠れの忍達とかなめの姿…。

 術者の弓月だけがそこに立ったまま水蓮達を見ていた。

 少しも動じず、毅然と立つ弓月の様子にイタチがつぶやく。

 「わざとか」

 「ほぉ、あれだけの人数を一度に落とすとは。恐ろしい術ですねぇ」

 二人の言葉を聞きながら、水蓮は黙って弓月と視線を交わしていた。

 ややあって、弓月が水蓮に何かを投げた。

 ゆっくりと、柔らかい軌道を描いて、それは水蓮の手の中に納まった。

 イタチと鬼鮫が落とした視線の先。水蓮の手の中には夢叶いの鏡があった。

 「この次にお主らがそれを狙ってきたら、大きな被害を受けるのはこちらじゃろう。悔しいがな。その鏡のために里を!民を危険な目に合わすわけにはいかぬ」

 「賢明な判断ですねぇ」

 鬼鮫が感心の声をあげた。

 「今も同じじゃ。ここでこやつらを危険にさらすわけにはいかぬ」

 倒れ込んでいる里の仲間に優しい眼差しを向ける。

 「じゃが、わらわ達ももう一国に従ずる身。コレクターの類いならまだしも、ビンゴブックに載るお主らを本来なら見逃すわけにはいかぬ。しかし、お主らには先ほども言うたように恩がある。それをここで返しておく」

 キッと強くむけられた視線には、鋭さの中にどこか悲しさが見えた。

 水蓮は弓月の言葉に何も返せなかった。

 今口を開いたら、鏡を渡してくれたことへの感謝を述べてしまいそうだったからだ。

 しかしそれは、どちらにとっても言ってはいけない言葉なのだとそう思った。

 弓月にとって、自分たちはもう、戦うべき対象として認識されている。

 「それにしても…」

 弓月がため息交じりにつぶやいた。

 「わらわの人を見る目も、まだまだじゃな。まさかビンゴブックに載っておったとはな。お主らの事は、嫌いではなかったのだがな」

 浮かべた笑顔が泣きそうで、水蓮の胸が締まった。

 「じゃから…」

 弓月は再び厳しい顔で言葉を発する。

 「二度とこの里に踏み入るな!次に会ったらこうはいかぬ。じゃから、もうわらわの前には現れるな!」

 その言葉を最後に、弓月は背を向けた。

 言葉なく、水蓮達も背を向ける。

 鬼鮫が少し体を下げて鮫肌に捕まるよう水蓮に言った。

 水蓮の小さなその手が鮫肌の柄を掴み、それを確認したイタチと鬼鮫が地を蹴った。

 

 風を切って駆ける自分たちの体からふわりと香りが立つ。

 

 里を抜けてもなお消えぬ紅くちなしの少し強い香りが、弓月を思い出させて水蓮は手にした鏡をギュッと握りしめた。



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第三十章 【この世界で】

 夢隠れの里から撤退し、しばらく駆けた後、イタチと鬼鮫が立ち止まった。

 「この辺りまで来れば大丈夫でしょう」

 「そうだな」

 鮫肌につかまっていた水蓮も、地面に降りる。

 その様子をチラリと見てから、イタチはどこへともなく声をあげた。

 「出てこい」

 「え?」

 追っ手かと水蓮が緊張するが、木の陰から現れたのはデイダラとサソリだった。

 「あーね。お見事だぜ。うん」

 その言葉に先程の様子を見ていたのだと悟り、水蓮はため息をついた。

 「これ…」

 デイダラに歩みより、鏡を渡す。

 「多分、組織の役に立つものじゃないだろうけど」

 弓月との別れの余韻は消えぬままではあったが、無事に終えられた事に、一応の安堵を感じる。と同時に、一気に体が疲労に襲われる。

 「でもまぁ、あの里の内情はかなり掴めましたね」

 鬼鮫の言葉にイタチが続く。

 「天羽 弓月。輝穂 かなめ。あの二人の力が合わさればかなりの勢力となる」

 「夢隠れの里は組織としては、マークすべき存在と言えるでしょう」

 二人の神妙な顔に、サソリが低い声で同意する。

 「ああ。そうだな」

 「うん?そうなのか?」

 適当な返事を返すデイダラにサソリが苛立つ。

 「ちゃんと聞け。というか、お前ちゃんと見てなかっただろう。あの里の事もオレたちが組織に持ち帰るべき情報だぞ」

 「そうですよ、デイダラ。それがそちらの任務でしょう」

 鬼鮫がそう言ったのを聞き、水蓮は今回の事が自分達に与えられた鏡の入手、そして、自分と夢隠れの戦力を分析する役を受けたデイダラ達の、2重の任務であったことを知った。

 「里の事を見るのは旦那の仕事だっただろ。おいらは、あーねを見守ってたからな。うん」

 ニッと笑顔を浮かべるデイダラの背後で、サソリがさらに苛立つのを感じながら水蓮は再びため息をつく。

 「随分と、慎重なんだね」

 「でも、今回の事を話せばリーダーも納得するって。幻術を返したあーねの活躍をバッチリ報告しておくからな。うん」

 「誇張して話すな。これを持って行け」

 イタチがシュッと、巻物を一つデイダラに投げ渡す。

 「今回の内容だ。それを渡しておけ。お前達が何か報告する必要はない」

 イタチの冷めた言い方に、自分の役目をないがしろにされたように感じ、デイダラのこめかみがピクリと脈打つ。

 「それはこっちが判断することだ。うん。あんたの指図は受けねぇ」

 「珍しく同感だな。ここからはオレたちの任務だからな」

 サソリがデイダラの隣に並ぶ。

 「必要なことは書いてある」

 デイダラが事を大きく話して、組織が水蓮に必要以上に興味を持っては困るというのがイタチの考えだった。

 「水蓮はもともと医療忍者だ。前線要員ではない。組織としても戦闘能力の報告は欲していない」

 静かな口調が逆に癇に障ったのか、デイダラが荒れた空気を放つ。

 「それは組織が判断する事だろうが、うん。おいらたちは見た物をすべて報告する。言っただろ。あんたの指図は受けねぇ。あんたはリーダーじゃねぇ」

 「今日は意見が合うな。同感だ。こちらの事に口を出すな」

 3人の間に不穏な空気がうずまき、水蓮は慌てて間に入った。

 「まぁまぁ、落ち着いて。デイダラも…」 

 と、デイダラに体を振り向けた瞬間。水蓮の視界が揺らいだ。

 「…っ?」

 「あーね!」

 景色が、デイダラの姿がゆがむ。

 『水蓮!』

 イタチと鬼鮫の声が遠くの方で響いた。

 めまいだと自覚した途端、全身に不快感が廻る。

 かろうじてイタチに向き直ったが、その顔を目に捉えた瞬間、フッと意識が落ちた。

 

 

 どれくらいの時間がたったのだろうか。

 額に心地の良い冷たさを感じて、水蓮は目を開けた。

 「目が覚めたか」

 「イタチ…」

 ぼやけた視界の中にその姿が浮かぶ。

 しだいに思考がはっきりとし始め、自分が気を失ったことを思い出した。

 「気分はどうだ?」

 イタチの背後に電気のついた天井が見え、どこか宿にいるのだと悟る。

 「頭が痛い…」

 顔をしかめると、イタチが額のタオルを少し押さえた。

 ひんやりとした感覚が気持ちよく強まり、目を閉じる。

 「かなりの熱だ。疲れが出たんだろう」

 「熱。何年振りだろ…」

 体力に自信のある自分が、最後に高熱を出したのはいつだったか…すぐには思い出せない。

 「めったに出ないんだけど…」

 その呟きに、イタチは「そうか」と返してタオルを裏返した。

 「だが、当然と言えば当然だろう。今まで使ったことのないチャクラをこの短期間で酷使してきたんだ。体にかなり負担がかかっていたはずだからな」

 「そっか…」

 「まして慣れない世界での生活だ」

 「うん…」

 イタチの言葉に、鬼鮫はいないのだろうと思う。

 「しばらくここに留まって動く。ゆっくり休んでいろ」

 「ごめんね」

 息を吐きながら言った水蓮の言葉に、イタチは「気にするな」と柔らかい声で返した。

 しばらく静かに時が流れ、水蓮は不意に弓月の事を思い出した。

 「いい里だったね」

 

 

 余計な争いをなくす事が、わらわの忍としての目標の一つだ

 

 

 弓月の言葉が脳裏によみがえる。

 

 そんな想いがこの世界に増えればいい…

 そして、どんなに長くかかってもいいから、争いがなくなれば…

 

 「弓月が言ってたみたいに、そんな日が来ればいいね」

 イタチは窓の向こうを見つめながら「そうだな」と一言答えた。

 水蓮からはその表情が見えなかったが、祈るようなそんな響きだった。

 「いい里だったね」 

 もう一度つぶやき、水蓮はこぼれそうになる涙をこらえた。

 

 お主らの事は嫌いではなかったんだがな…

 

 あの泣きそうな笑顔が浮かんだ。

 

 もしこれが暁としてではなく、たとえば、木の葉の忍としての任務であったら…

 もっと違う形で、知り合い、関わることができたのだろうか…

 もしかしたら一緒にあのレシピにあったクッキーを作れたかもしれない…

 

 ふとそんなことを思う。

 なぜか、ひどく苦しくなった。

 

 イタチはずっとこんな思いをしてきたんだろうか…

 

 そう思うと、さらに苦しくなった。

 ただ、誰も命を落とすことなく終われたことが、唯一の救いだった。

 「あんなことは稀だ」

 まるで水蓮の考えていたことを読み取ったようにイタチが言った。

 

 ターゲットとの関わり、そして誰も傷つかずに終わった事。その両方。

 

 「うん」

 水蓮は目を閉じて頷いた。

 「分かってる。大丈夫」

 「そうか」

 またしばらく沈黙が落ち、今度はイタチがつぶやいた。

 「お前の暮らしていた世界はどんな世界だったんだ?」

 水蓮はその問いに少し驚いた。

 初めて会ったあの日以来、何も聞いてこなかったイタチから、今になって自分の事を聞かれると思っていなかった。

 「んー」

 ゆっくりと思い出しながら答える。

 「ここより建物が多くて、乗り物とか、生活に使うものとかがすごく発達してて。便利な世界だったけど、賑やかというか忙しい感じかな」

 話しながら、水蓮はなぜかあちらの世界を遠いものに感じていた。

 「お前は何をしていたんだ?」

 珍しくイタチが質問を重ねる。

 水蓮はしばらく目を閉じて記憶をたどる。

 自分の過ごしていた生活さえも、すぐには思い出せない。ひどく昔の事のように感じる。

 「製菓…。お菓子を作る専門家を育てる学校に行ってた」

 「ああ。だからうまいのか」

 イタチにお菓子を作ったのは、空区に滞在中ほんの数回だったが、そう思ってくれていたのかと水蓮は嬉しく思った。

 「仲のいい友はいたのか?」

 またしばし記憶の中を探す。

 幾人かの顔が浮かぶ中、最も仲の良かった友達の事を思い出す。

 「真波…」

 生まれた時からずっとそばで育ってきた存在だ。

 「しっかり者で、おっとりしてて、優しくて。喧嘩したりもしたけど一番信頼のできる友達。お互いにいろんなこと相談し合って、励まし合って。ほんと、ずっと一緒にいた…」

 「親友か」

 「うん」

 頷き、彼女が自分の事をどれほど心配しているだろうかと胸が痛んだ。

 少しの沈黙の後「その世界には…」と、イタチが少し言い淀んだ。

 「なに?」

 笑みを返して促す。

 「お前の世界には争いはなかったのか?」

 そう聞いたイタチの目には複雑な色が浮かんでいた。

 肯定されることを望み、否定されることを拒む。期待と不安の混じった色。

 水蓮はその目を見つめながら頷いた。

 「うん。国にもよるけど、私が暮らしていた国では、この世界にあるような戦いはなかった」

 「そんな所もあるんだな」

 ほっとしながらも、信じられないという響きだ。

 子供の頃から戦いの中にいるイタチからすれば、そうだろう。

 「何十年か前には大きな戦争が何度かあったけど、私が生まれた頃にはもうなかった」

 「そうか。いい所だな」

 「きっと、きっとこの世界も、いつかそうなる」

 イタチが少し驚いた顔をする。

 「そうなる…」

 水蓮はそう言いながら、この世界の未来がそうなってほしいと、心から願った。

 そして、強くそう願えるほどに、自分はもうこの世界の一員なのだと感じていた。

 

 ここが自分の生きるべき世界…

 

 自分の人生は、ここにある

 

 かつて母親があちらの世界でそう感じたのと同じように、自分にとっての生きる場所はここなのだと強くそう確信していた。

 

 イタチがいるこの世界で生きていきたい…

 

 「私はこの世界が好きだよ」

 イタチがまた驚いた表情を浮かべた。

 「争いの耐えないこの世界がか?」

 水蓮は小さく微笑む。

 「ネコ婆様、デンカ、ヒナ。弓月。かなめさん。素敵な人達に出会った。もう会えなかったはずのお母さんにも、会えた。自分の本当の事を知れた」

 記憶が、今までの事を遡っていく。

 そして、ここに来た日にたどり着く。

 「鬼鮫とイタチに出会えた」

 その言葉と水蓮の笑顔に、イタチは戸惑いを返す。

 「色々あったけど、私はこの世界が好きだよ。だから…」

 まっすぐにイタチを見つめる。

 「だから、もう帰らない」

 イタチが目を見開く。

 

 水蓮は、話す間に気がついていた。

 イタチがいつか自分を元の世界に帰そうとしていることに。

 そのために、他のメンバーや組織から自分を遠ざけてきたのだと。

 

 できうる限り任務に同行させなかったのも、夢隠れの里で強硬的な手段を取らなかったのも、すべてそのためだったのだ。

 

 

 なるべくその手を汚さぬように…

 

 いつか、元の世界に戻るときの枷にならぬように…

 

 イタチはそう考えていたのだ。

 

 水蓮はイタチを見つめてもう一度言った。

 「元の場所には帰らない」

 「…………」

 少し困ったような複雑な表情を浮かべるイタチに、水蓮は強い意志を浮かべた瞳で言う。

 「私、ここで生きるって決めたの」

 「水蓮…」

 「だから」

 言葉を遮り、イタチの服の端をギュッと握りしめる。

 「だから、はなさないで」

 「………っ!」

 「私を遠ざけないで」

 そう言いながら、水蓮は熱に誘われ、そのまま眠りに落ちた。

 イタチは自分を捕まえて離そうとしない水蓮の手に視線を落とす。

 「お願い…」

 うわ言を呟いた水蓮の瞳から涙が一粒こぼれる。

 その涙をぬぐいかけて、イタチは伸ばした指をグッと握りしめて手を引いた。

 

 「お願い…」

 

 もう一度つぶやかれたその声が、赤く染まる空へと融けていった…



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第三十一章【穏やかなる時】

 あれから4日後、すっかり熱は下がったものの水蓮は任務に出る二人を見送り、宿で体を休めていた。

 とはいえ、熱が下がればじっとしてもいられなくなり、水蓮は外へと出かけることにした。

 この町には1週間ほどとどまる予定らしく、慌てて動くよりは今のうちにしっかり体を休めるようにとイタチと鬼鮫に言われていたが、先日の夢隠れでの一件もまだ少し心に残っており、あまり部屋にいると気持ちが塞ぎそうだった。

 

 宿から一歩出て水蓮はその景色に足を止めた。

 「あれ?ここ…」

 見覚えのある街並み。食事処、そして茶屋…。

 そこは、水蓮がはじめてイタチと鬼鮫と共に来た町だった。

 「なんか懐かしいな…」

 あれから4か月程しかたっていないが、ずいぶんと前のように感じる。

 あの頃は少し気温も高く、移動時に汗をかくような気候だったが、今はすっかり冷え込み、吐く息はやや白い。

 歩みを進めながら、こちらに来た時の事を思い出す。

 「色々あったな。ほんと…」

 めまぐるしく変化し続けた自分の数か月に苦笑いをする。

 「そりゃぁまぁ、熱も出るか…」

 つぶやき、ふと小さな公園に目が向く。

 数人の子供が集まっており、声をあげて楽しそうに遊んでいる。

 「俺のが一番高いだろ!」

 「私だってば」

 「僕のだよ!」

 足を踏み入れると、子供たちの会話がはっきりと聞こえてきた。

 皆10歳まではいかないだろうか…。

 見ると、それぞれ手に竹トンボを持っている。

 「へぇ、竹トンボかぁ。懐かしいな」

 子供たちの手を覗き込む。

 「それ、手作り?」

 どれも少しずつ形がいびつになっており、手作り感が出ていた。

 「そう!自分たちで作ったんだ」

 一番背の高い男の子が胸を張る。

 その隣で髪を二つに結んだ少女がニコリと笑った。

 「なかなかうまく作れなかったんだけど、なんとか飛ぶようになったの」

 「で、今飛ばしあいっこしてたんだよ」

 一番背の低い男の子がそう言って「僕のが一番」と、声を大きくして言った。

 「私だって」

 「俺だろ」

 先ほどのやり取りがまた始まる。

 「ねぇ。飛ばして見せて。どれが一番高く飛んだか、私が見ててあげるから」

 クスリと笑った水蓮に、3人は「よぉし!」と意気込み、並んで一斉に竹とんぼを飛ばす。

 が、それは水蓮が思っていた以上に上がらず、飛ばしたというか、投げたという感じだった。

 「どうだった?」

 「どれが一番とんだ?」

 「ぼくでしょ?」

 詰め寄られて水蓮は「え~と…」と言いよどむ。

 正直どれも飛んだとは言えないうえに、ほぼ同じ高さだ。

 「もうちょっとこう、シュッと飛ばさないと…」

 地面に落ちている竹とんぼを一つ拾って、飛ばしてみる。

 子供たちよりは高く上がるものの、動きが重く、竹とんぼらしい飛躍感が感じられない。

 「なんだろ。回し方が悪いのかな…」

 水蓮は落ちた竹とんぼを拾い上げもう一度飛ばす。

 子供たちもその隣で飛ばす。が、やはり上がらない…

 「なんでだろうね」

 子供たちと代わる代わる何度か試す。

 そして幾度目かに、病み上がりに上を向きすぎていたからか、水蓮は軽く立ちくらみを感じ後ろにふらついた。

 「わっ…」

 小さく声をあげると同時に、トンッと背中が誰かにぶつかる。

 「あ、ごめんなさい」

 頭を下げながら振り向くと、そこにはイタチが立っていた。隣には鬼鮫もいる。

 「あ、お帰り」

 二人の無事に安堵し、パッと花が咲いたように笑う。

 「ええ」

 柔らかく返す鬼鮫とは対照的に、イタチは少し目を細めて水蓮を見た。

 「休んでいろと言っただろう」

 「あ、ごめん。だって、暇なんだもん」

 気まずく「ハハ…」とこぼした水蓮の手元を見て、鬼鮫が「懐かしい」と竹とんぼをその手からスッと取る。

 「なかなか飛ばなくて」

 「ああ。まぁ、これでは上がらないでしょうね」

 少し太い指でつまみ、くるくると回しながら笑う。

 子供たちは体の大きな鬼鮫が少し怖いのか、水蓮の後ろからそっとその様子を見ている。

 「削りが浅いんですよ」

 そう言ってクナイを取り出し、器用に削る。そしてあっという間に形を整えて水蓮に渡した。

 なめらかに削られた断面を見て、子供たちが声をあげる。

 「すげぇ…」

 「きれーい」

 「まっすぐだぁ」

 警戒の目が一瞬で尊敬のまなざしに変わる。

 水蓮はそれを持ち主の少女に渡した。

 「飛ばしてみて」

 「うん」

 結んだ髪を揺らしながら、シュッと空にめがけて力を放つ。

 

 シュゥン!

 

 気持ちのいい音が響き、竹とんぼは子供が飛ばしたと思えないほどに、高く上がった。

 「すげぇ!」

 「うわぁぁっ!」

 「すごい!」

 子供たちの歓喜の声が、飛びゆく竹とんぼの後を追うように上がる。

 「鬼鮫、器用だね」

 「意外だな」

 鬼鮫は「これくらいはできますよ」と、笑った。

 その鬼鮫の前に、サッと二つの竹とんぼが突き出された。

 「………?」

 首を傾げる鬼鮫に子供たちがにっと笑う。

 「これも」

 「やって」

 普段子供と関わるようなことがない鬼鮫は、少し戸惑ったように身じろいだ。

 そんな鬼鮫の隣から、イタチがその竹とんぼを取り、一つを鬼鮫に渡す。

 「やらないと帰してくれないぞ」

 そう言ってイタチはその場に腰を落とし「竹を削るにはコツがいる」と、手元を子供たちに見せながら、慣れた手つきで、シュ…シュッ…とクナイをリズミカルに音立たせる。

 鬼鮫も同じく姿勢を落とし「力の入れ方ですよ」と削り上げ、二人は1分もしないうちに仕上げてそれを子供たちに渡した。

 3人は並んで飛ばし、高く上がった事に大騒ぎで走り回る。

 そして水蓮のもとへと走り寄ってきて、その腕を引っ張る。

 「ねぇねぇ、私のが一番でしょ?」

 「僕だって!」

 「俺だ!」

 必死にそのやり取りを繰り返す子供たちが微笑ましく感じる。

 「みんな一番」

 そう言われて3人は頬を膨らませたが「そうだ!」と水蓮達に竹トンボを突き出した。

 「お姉ちゃんたちでやってみてよ」

 「俺たちより背が高いから」

 「もっと高く飛ぶ!」

 ほぼ無理やり手に持たされ、水蓮達は顔を見合わせた。

 「早く早く!」

 少女がキラキラした目で水蓮を見る。

 「よぉし!」

 水蓮が気合を入れて両手で竹とんぼをはさみ持ち、イタチと鬼鮫に視線で促す。

 「負けませんよ」

 意外にも鬼鮫は乗り気だ。

 イタチも、はぁ…とため息をつきつつも少し笑った。

 子供たちが大きな声で秒読みをする。

 『3・2・1・0!』

 

 シュゥッ!

 

 と、空気を切り裂く音が心地よく鳴り、3つの竹とんぼが空高く舞い上がった。

 

 その高さと勢いのよさに、水蓮は心の中が一気に晴れ渡ったように感じた。

 

 

 

 

 「結局、イタチが一番なんだから」

 子供達と別れて宿に戻る途中、水蓮がむすっとした口調でイタチをにらむ。

 「そうですね。なんでも器用ですね、イタチさんは」

 水蓮を挟んで投げられた鬼鮫の言葉と視線を、イタチは興味なさげに受け流す。

 「でも、よくよく考えたら、私が一番小さいんだから不利じゃない」

 「背の高さは関係ないだろ」

 「センスの問題でしょう」

 両側から飛びくる言葉に水蓮は口をとがらせる。

 その様子を見て鬼鮫が言葉を続ける。

 「ハンデをつけて、あなたの勝ちでも構いませんよ」

 水蓮はそれにむすっとしたまま返す。

 「それはそれで納得いかない」

 ジトリと視線を向けられ、鬼鮫は「そう言うと思いました」と笑う。

 「そう思ったなら言わないでよ…」

 そんな会話をしながら宿の前まで来ると、表を掃除していた中居が水蓮の姿を見て声をあげた。

 「あ、お戻りですか~」

 水蓮とさほど変わらぬ年だが、童顔で背も低いため、ずいぶん年下に見える。

 「女将さぁん!お帰りになりましたよぉ!」

 容姿に似合ったかわいらしいその声を聞きとめ、女将が大きな紙袋を抱えて出てきた。

 少しふっくらとした体に着物がよく似合う、やさしい笑顔。

 明るく話しやすい性格と、数日泊る間に打ち解けはじめた事もあり「お帰り」と気さくな空気で水蓮達を迎える。

 「ただいま。女将さん」

 答える水蓮に女将は袋を揺らす。

 「待ってたんだよ~。ほら、これ!」

 そろって中を覗き込む。 

 「わぁ…」

 「さつま芋」

 「ですね」

 きょとんとするイタチと鬼鮫の間で、水蓮が「さっそく買ってきたんですか」と、笑った。

 「皆、早く作りたがってね~」

 「女将が一番やりたがってたんですよ」

 「だって、昨日聞いただけでもおいしそうだったからさ」

 仲よさげにやり取りをする女将達に、水蓮がクスリと笑う。 

 その光景に「何だ?」と問いかけたイタチの言葉に、女将が答える。

 「昨日、食事の後に出す和菓子の新作を考えてたんですよ」

 「そしたら水蓮さんがスイートポテトはどうかって」

 昨日の夕方、やることもなく宿の中をうろうろしていてその場に出くわし、水蓮はそんな話を女将達としたのだ。

 「それで、美味しいスイートポテトの作り方を教えてくれるっていうから…」

 「女将が早速買ってきたんですよ」

 イタチと鬼鮫に話しながら、女将は袋を中居に手渡して、水蓮の手を取る。

 「今丁度、皆時間あいてるんだよ。芋もいくつかゆでてあるし、頼めるかい?」

 「いいですよ」

 その返事を聞く前に、女将はすでに水蓮の手を引いて歩き出していた。

 「お、おい…」

 イタチが声を上げるが、「止めても無駄でしょう」と鬼鮫が笑った。

 そんな二人に水蓮は笑顔で振り返る。

 「ちょっとだけだから」

 「お連れさん、少しお借りしますね~」

 「楽しみ~!」

 賑やかに宿へと入っていくその様子に、イタチはため息をつく。

 その隣で鬼鮫が「クク」と、喉をならす。

 「彼女の周りには人が集まりますねぇ」

 「目立ってどうする…」

 静かにそう言い放つイタチに、鬼鮫はまた少し笑う。

 「まぁ、今しばらくは大丈夫でしょう。まだ組織も大きくは動いてませんしね」

 「そういう問題ではない…」

 自分たちは普通に地を巡っている旅人ではないのだ。

 はぁ…と、続けて吐き出されたため息を横目に、鬼鮫が歩き出す。

 「疲れ仕事の後には、彼女のあの空気がいい」

 その言葉に、先ほどまでのことが思い浮かぶ。

 手を焼くほどではなかったが、やや激しい戦闘だった。

 奪わざるを得なかった命もあった。

 その事実が消えるわけではないが、確かに今までとは違うものをイタチも感じてはいた。

 「そうは思いませんか?」

 振り返った鬼鮫に、イタチは無言を返した。

 【尾のない尾獣】そして戦闘時の残忍さから【怪人】とまで言われるこの男がそんな事を言うとは…

 「意外ですか?」

 思考を読み取り、鬼鮫が言う。

 しかし、イタチはその考えを自分で否定した。

 同胞殺しという血塗られた過去を持つ鬼鮫だが、その闇の中を歩きながらも、自身を肯定し、受け止めてくれる存在を欲し、光の当たる場所を、癒しを求めているようなそんなところがある。

 幾年かを共に過ごす中で、イタチはそんなことを感じていた。

 だが、それは自分の中にある勝手な思い込みなのかもしれない。

 イタチはいくつもの返答の言葉を探したが、どれも当てはまらぬ気がして「意外なのか?」と聞き返した。

 鬼鮫は一瞬きょとんとしたような顔を浮かべたが、口元を引き上げ「やはりあなたは食えないお人だ」と一言返して宿へと入っていった。

 そのあとに続き宿に入ると、部屋へ向かう途中にある厨房から、水蓮と働き手たちのにぎやかな声が聞こえてきた。

 鬼鮫はすでに通り過ぎ部屋へと入っていたが、イタチは何気に中をのぞいた。

 ふわりと芋の甘い香りが広がる厨房の中、水蓮が火にくべた鍋の前に立っており、その周りを調理人や女将、数人が取り囲んでいる。

 「ただ茹でてつぶすだけじゃなくて、しっかり裏ごして、他の材料を少しずつ入れながら弱火でこうして練ると、舌触りがびっくりするくらい滑らかになるんです」

 時折見える横顔には、柔らかく温かい笑顔が浮かんでおり、イタチは知らず知らず見つめていた。

 周りにいる女将たちは、水蓮の手元を見ながら聞き入っている。

 「へぇ。そうなんだぁ」

 「初めて聞いたね」

 「でも、火加減には気を付けてくださいね。強いと水分が飛んでしまうから」

 うんうんと、皆一様に動きを合わせたように頷く。

 「滑らかすぎて物足りないと感じる人もいるから、茹でて角切りにした芋や、リンゴのシロップ煮を中に入れるのがお勧めです。栗を入れてもおいしい」

 「なるほどねぇ」

 調理人の男性が感心したようにつぶやく。

 「あとは、表面を焼けば外と中で食感も変わるし、香ばしさも出る」

 想像するだけで美味しそうだ…と、思わずイタチがのどを鳴らした。

 その気配に気づいた水蓮が振り返り、練り上げた芋の生地をスプーンで一すくいしてイタチに差し出した。

 「味見してみて」

 イタチは慣れぬ状況に一瞬戸惑ったが、甘い香りに抵抗できず受け取り口にする。

 水蓮の言うように、今までにない滑らかさが口の中に広がり、程よい甘さとともに芋が溶けてゆく。

 「うまい」

 思わず素直に言葉が漏れ、恥ずかしくなりハッとするが、水蓮以外は皆自分たちもと、鍋に意識が集中していた。

 「うまくできてたみたいでよかった」

 ホッとしたように笑う水蓮の笑顔に、イタチは先ほどの鬼鮫の言葉を思い出していた。

 

 

 

 疲れ仕事の後には、彼女のあの空気がいい

 

 

 

 「そうだな…」

 

 こぼれたその言葉に、水蓮は嬉しそうにうなずいて、味見をして湧き上がる輪の中へと戻っていった。

 

 「そうかもしれないな…」

 

 水蓮を取り巻く穏やかな空気をその身にも感じながら、受け入れてよい物なのかどうかが判断できず、イタチは複雑な気持ちでそうつぶやいた。



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第三十二章【近くて遠い】

 夢隠れの任務から半年が過ぎ、水蓮がこちらの世界に来てからもうすぐ1年が経とうとしていた。

 暁はいまだ大きく動く気配を見せてはおらず、相変わらず術の収集や、噂の立つ忍具の調査・入手など、裏で動く任務がほとんどだった。

 組織で使う物もあるようだったが、どうやらそれを売り、資金を集めているようだ。

 水蓮も任務に就くことはあったが、イタチが内容を選んで同行させていたため、戦闘に巻き込まれるような事はほとんどなかった。

 たとえ戦闘になったとしても、イタチと鬼鮫で対応しきれないようなものもなく、水蓮は後方で待機。というのが常だった。

 そんな中でも、鬼鮫が時折水蓮に修行をつけていたため、任務同行の際に二人の足を引っ張るような事がない程度には力をつけていた。

 その事もあり、内容によっては、水蓮と鬼鮫のツーマンセルで任務の遂行に当たることもあった。

 

 今もまさにその最中だ。

 

 組織が欲する術式が記された巻物を奪いに、鬼鮫が某国の城に潜入中であり、水蓮は城の裏手にある大きな木の上で待機していた。

 少し切った黒い髪と、暁の外套が風に揺れる。

 「もうそろそろかな…」

 近くの枝に止まっていた鳥が、つぶやきに驚いて飛び立つ。

 水蓮はその鳥の羽ばたきを見送りながら、目を細めた。

 

 イタチはもう終わったかな…

 

 見つめるその先は、イタチが別任務で向かった方角。

 イタチは時折、単独で任務に就くことがあり、その裏にはマダラがいるのだろうと、水蓮は推察していた。

 そうして、イタチが別行動の時は今のように鬼鮫と任務に出る。

 それでも、水蓮はやはり後方待機の事が多かった。

 イタチの意を汲んでいるのか、それとも医療忍者としての扱いに重きを置いているのか、鬼鮫もあまり水蓮を前線には出さなかった。

 水蓮が退路の確保に力を発揮し出したことも、その理由の一つなのかもしれない。

 

 「あ、きた」

 少し離れたところに鬼鮫の気配を感じ、水蓮は足元に置いてあった香炉を手早く片付ける。

 その香炉では今まで眠り薬が焚かれており、風遁で起こした風を操ってその無色無臭の煙を空気に流していたのだ。

 以前夢隠れの里で、弓月の幻術を風遁で返した事をきっかけに思いついた物だった。

 

 目に見えぬ煙が広範囲に広げられ、そのエリアに入った者が辺りに数人倒れている。

 それを眼下に捉えながら、鬼鮫が水蓮のもとへと飛びくる。

 「終わりましたよ」

 「うん」

 すっかり退却準備を整え、水蓮が頷く。

 「退路は大丈夫そうですね」

 鬼鮫が眠りこけている忍達を見下ろす。

 「でも、あと5分くらいかな」

 「では少し急ぎますか」

 鬼鮫が姿勢を落とし、水蓮が鮫肌に捕まり乗る。

 移動を急ぐ際はこうして鬼鮫の背に乗るのが通例となっていた。

 「行きますよ」

 「うん」

 二人の姿が瞬時に消えた。

 

 

 待ち合わせ場所にしていた洞窟まで来ると、鬼鮫は入手した物の受け渡しに行くと言い、水蓮は一人で待つこととなった。

 しばらくすると、洞窟の入り口に人の気配が揺れる。

 遠目にではあったが、それがイタチであることがわかり「お帰り」と、笑顔で迎え寄る。

 しかし、その水蓮の視線の先で、イタチがガクリと膝を地についた。

 肩が、大きく揺れている。

 「イタチ!」

 慌てて駆け寄る。

 イタチは額に汗を浮かべて、荒い呼吸で言葉なく顔をゆがめている。

 チャクラをひどく消費している様子に、水蓮はその場でイタチにチャクラを送り込み、呼吸が整うのを待つ。

 「少し瞳力を使い過ぎた」

 まだ完全に整いきらぬ呼吸の合間に、イタチが言葉を絞り出す。

 「とりあえず、奥に…」

 体を支えて、洞窟の奥に入る。

 壁に背をもたれかけて座らせ、水蓮はどきりとした。

 イタチの手に血がついていた。

 「心配ない。オレの血ではない」

 イタチがスッと手を引く。

 

 誰かの命を…

 

 イタチの様子を見て、水蓮はそう悟る。 

 そしてその血で汚さぬようにまた自分を遠ざけている。

 

 水蓮は水筒の水で手拭いを濡らして、強引にイタチの手を取り、血を拭う。

 「平気だから」

 疲労で力が入らないのか、イタチはその手を振り払いはしなかった。

 「怪我は?」

 小さく首を横に振り、少し咳き込む。

 外傷がないとは言え、難しい任務だったのだろう。

 「何の任務だったの?」

 単独任務の後、イタチはこうして深いダメージを負って戻ることがある。

 いかに屈強ぞろいの組織と言え、やはりイタチの写輪眼は利用価値が別格なのだろうか。

 イタチは決してその内容を話さないが、組織には珍しい単独任務の事を考えても、背負わされるものが違うのかもしれない。

 そんな事を思いながら、水蓮は胸が締まる。

 

 サスケとの対戦のために力を残す必要がある中で、組織の内情を探り監視するために、心を殺してその手を血に染め、一人で苦み続ける。

 

 こんなこと続けてたら、体も心ももたない…

 

 そんな思いが表情に出ていたのか、イタチは「大したことはない。もう大丈夫だ」と小さく笑って、水蓮の手を止めた。

 

 またそうやって、この人は嘘をついて笑う…

 

 水蓮は思わず涙が出そうになったが、ぐっとこらえて、止められた手をもう一度イタチに向けた。

 「まだ終わってない」

 「いや…大丈夫だ」

 押し返そうとするイタチに、水蓮は「だめ」と、冗談めいた厳しい口調で返す。

 「医療班の言う事は聞いてもらいます」

 言い放って笑顔を浮かべる。

 ここで泣けば、イタチはまた自分を気遣う。

 そう思っての笑顔だった。

 イタチは顔をしかめて何か言おうとしたが「わかった」と呆れたような、諦めたような表情で息を吐き出した。

 大人しく水蓮のチャクラを受け入れるイタチの顔が少しずつ和らぎ、ほっとする。

 「イタチ。次は私もついて行く」

 一緒に行けばその場で回復することができる。

 そう考えての言葉だった。

 しかし、イタチは目を閉じて黙し、答えぬまま眠ってしまった。

 「またですか…」

 戻ってきた鬼鮫が、イタチの様子にため息をつきながら歩み寄る。

 「最近よく見る光景だ」

 確かに、ここ最近は少しこうした事が続いている。

 「鬼鮫、イタチは何の任務についてるの?」

 イタチを見つめたまま鬼鮫に問う。

 鬼鮫もイタチに視線を向けたまま答える。

 「私も知らない。我々の任務とはそういう物なんですよ」

 無感情に放たれた言葉に、水蓮は少しずつ近づいたと思っていたそれぞれの存在を、ひどく遠く感じた。

 

 

 

 翌日の朝。水蓮が目を覚ました時には、イタチの姿はなかった。

 「また一人で行ったの?」

 鬼鮫からその事を聞くなり、水蓮は声を荒げた。

 怒りを含んだ声が洞窟内に響き渡る。

 「ええ。今朝早くに」

 「なんで起こしてくれなかったのよ!」

 詰め寄ってくる水蓮の勢いに、鬼鮫が少し体をのけぞらせる。

 「イタチさんが、起こすなと言ったので」

 当然のことのように言う。

 暁での所属がイタチの方が長いからなのか、それとも他に理由があるのか、鬼鮫がイタチの意思を尊重するところは変わらない。

 「なんで、そんなにイタチの言う事きくの」

 詰め寄ったまま鬼鮫をにらみつける。

 鬼鮫は「さぁ?」と、肩をすくめて見せた。

 軽く流されたことに余計に苛立ちが湧き上がったが、もう行ってしまったものは仕方がない。

 「それで…」

 「わかりませんよ行き先は。行ってくる。起こすな。としか言われてませんから」

 予想通りの答えに水蓮は、はぁ…と大きく息を吐く。

 昨日の様子から見て、まだ体は完全に回復しきっていない。

 そんな状態でまた瞳力を酷使したら、昨日より大きなダメージを受けるだろう。

 苦しむその姿が目に浮かび、そばにいれない事への悔しさが溢れた。

 「ちょっと出てくる」

 つぶやくようにそう言い、水蓮は洞窟の外へ向かう。

 「どこへ?」

 「薬草摘んでくる」

 イタチが怪我を負って帰ってきた場合に備えようとの考えだった。

 その意図を汲み、鬼鮫は「わかりました」と一言返してその背を見送った。

 洞窟から出ると、少し湿り気を帯びた空気が広がっており、ぬるい風に土と草のにおいが混じる。

 「雨降りそう」

 肌にまとわりつく湿気に、気持ちまで重くなる。

 

 必要としてはもらえないのだろうか…

 

 そんな事を思いながら、少し暗くなり始めた空を見上げた。



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第三十三章【求める】イタチの章

 一人任務に出たイタチを思い、水蓮が空を見上げたのと時を同じくして、イタチも生い茂る木々の間からほんの少しだけ見える空を、見上げていた。

 

 もう起きた頃だろうか…

 

 自分がいないことに気づいて鬼鮫に食って掛かる水蓮の姿を想像し、ほんの少しだけ笑う。

 そして、戻ったら自分にも詰め寄ってくるのだろうと考え、今度は顔をしかめた。

 

 今回はもう少し体を休めてから戻ったほうがいいか…。

 

 そんなことを思う。

 あまりダメージを受けた姿を見せてしまうと、無理やり隠れてでもついてきそうだ。

 だが、それは避けねばならなかった。

 その原因ともいえる存在が、イタチの背後にいた。

 「イタチ。どうだ」

 低い、冷たい声が耳に響き、イタチは決して少なくない不快感を自分の中に見ていた。

 道という道のない山の中。急な斜面を後ろからゆっくりと、まるで見張るようについてくる男。

 

 うちは マダラ。

 

 片目だけがのぞく仮面。そこから冷たい空気が溢れて来るようだ。

 

 この男と水蓮の接触は避けたい…

 万が一にでも柱間の能力に気づかれたら、その力を利用しようと、何をされるか分からない…

 

 「この少し先だ」

 不愛想にそう返して突き進む。

 ところどころに色とりどりのアジサイが咲いており、胸の中の不愉快さを少し薄めてくれる。

 「本当に無愛想な奴だな」

 マダラはため息交じりにつぶやき「そういえば」とイタチの背中に話しかける。

 「あの女は役に立っているようだな。名前は…水蓮だったか」

 ピクリとイタチの肩が揺れる。

 「デイダラの話を聞く限り、医療忍術の腕はよいようだな。任務もうまくこなしているそうじゃないか。どこで拾ってきたんだ」

 「あんたには関係ない」

 何も答えるつもりがないとの意思をあらわに答える。

 しかしマダラは気にせず話し続ける。

 「鬼鮫が鍛えているそうだな。よく二人で任務に行っているとも聞いたが、風遁が使えるなら裏方ばかりでなく、お前が水蓮と組んでもっと戦闘に参加させたらどうだ」

 思いのほか水蓮の情報をつかんでいるマダラに、やはり少し怪しまれているかという懸念と、『見張っているぞ』と言わんばかりの物言いに、心の底から嫌悪感が湧き上がる。

 何より、マダラが水蓮の名を口にする事が、ひどく気分を悪くする。

 「そう思うならオレを呼ぶな」

 自分の目的を果たすために、単独任務と称して駆り出されることに対しての腹立たしさも加わる。

 低く放たれたその言葉に、マダラが「ハハ」と小さく笑った。

 「珍しく感情を出す」

 「……………」

 嘲笑を含ませるマダラにイタチはもう何も返さなかった。

 しばらく歩き、イタチが立ち止まる。

 「あそこだ」

 イタチの写輪眼で感知しながらたどり着いた目的地。

 二人が見据える先には小さな祠があった。

 人が踏み入ることがないであろう森の奥深く。

 手入れされることなく長年が過ぎ、朽ちて落ちかけた祠の扉をイタチが開く。

 中には何もなく、背面にある岩肌が見えるのみ。

 「どの術式だ」

 マダラが腕を組みながらイタチの動きを見つめる。

 急かす空気に苛立ちを感じながら、イタチは目に力を込める。

 

 …万華鏡写輪眼…

 

 イタチの瞳が変化し、何もないはずの岩肌に封印の術式をとらえる。

 高度で複雑な術。

 それを読み解くためにさらにチャクラを込める。

 「……っ…」

 眼底にチリッと痛みが走り顔をしかめるが、そのまますべてを解析してゆく。

 しばらくして、イタチは額に少し汗を浮かべながら息を吐き出した。

 「桂樹月下法印(けいじゅげっかほういん)だ」

 マダラはそれを聞き、自身の記憶をたどるように黙してその場で静する。

 が、しばらくして「覚えがないな」と首をかしげた。

 「ならさっさと見ろ」

 少し髪をかき上げてマダラと向き合う。

 自身の写輪眼にマダラが照準を合わせたことを確認して、イタチは術式の成り立ちとそれを解くための印をイメージする。

 印だけなら口頭で教えることができるが、高度な封印術となればその術式を理解していなければ解けない。

 それを写輪眼を通してマダラに見せ伝える。

 たがいにチャクラを込める。が、消費するチャクラの負担は伝える側のほうが大きい。

 伝え渡した後、イタチが少しふらつく。

 ここ最近こうした事が続いているためか、イタチは疲労がたまっているのを感じる。

 「少し休むか?」

 「いい」

 即答する。

 一刻も早くこの男との空間から離れたい。

 その拒絶の色を感じたのか、マダラは「フン」と不機嫌そうに鼻を鳴らし、自身の目的の物を手に入れるため、祠の前に立つ。

 イタチもその隣に立ち、合図もなく同時に印を組む。

 その動きが気味が悪いほど揃うことに、【うちはの血】【一族】という括りの中、自分とマダラがつながっている事をいやがおうにも感じ、腹の奥が黒い熱を帯びる。

 すべての印を組み終わり、同時に祠の前に手をつく。

 

 『解!』

 

 風を起こしながら封印が解かれてゆく。

 その風が静かに空気に溶け消えた後、何もなかった岩肌に小さな扉が現れた。

 それを開け放ち、マダラが中から何かの札を取り出し懐にしまう。

 その背を見つめながら、イタチは目を細めた。

 

 いったい何を集めているのか…

 

 マダラはこうして封印の施された箇所を見つけてはイタチを呼び出し、ともに解呪させる。

 忍具であったり、札であったり、巻物であったりと様々ではあったが、手に入れたものに関して言葉はなく、ただ淡々と作業させられる。

 木の葉のためには情報を探りたいところではあったが、それを聞いたところで答えが返ってくるはずもなく、イタチは調べかねていた。

 

 「終わったならオレは帰る」

 マダラに背を向けながら言い放つ。

 この男との時間は居心地が悪い。

 

 なぜなら、うちはマダラの存在はあの日を思い出させる。

 

 あの夜を知るこの男のそばにはいたくない。

 その思考とともに、嫌な記憶が脳裏を走る。

 「………っ!」

 目の奥に激痛が走り、それは神経を伝って頭痛をも起こす。

 瞳力を酷使したことも合わさり、胸に激しい痛みと苦しみがもたらされた。

 ガクリと膝が落ち、地面を埋めていた木の葉ががさりと音立つ。

 それが背中から見えていたかのように、マダラはさして驚く様子もなくゆっくりと振り返る。

 「ずいぶんときているようだな」

 

 うるさい…

 

 そう返そうと開いた口から、先に咳が出た。

 「しっかり診てもらえ。そのための医療忍者だろう」

 マダラはイタチに歩み寄り、すっ…と姿勢を落とす。

 「まだ死なれては困る。組織にとってもな。養生しろ」

 「なら…」

 低い姿勢からにらみあげて、絞り出すように言葉を発する。

 「一人でやれ」

 キッと睨み付けたイタチの赤い瞳を簡単に受け流し、マダラは立ち上がる。

 「封印術はお前のほうが詳しい。最近は扱う種類も増えたようだしな。それに、一人ではオレに負担がかかり過ぎる。それでは困る」

 どこまでも己のことしか考えていないその言葉に、イタチの奥から苛立ちと怒りがあふれる。

 が、その感情が表に出るより早く、激しく咳き込む。

 その様子を横目にマダラは「何より」と言葉を投げる。

 「オレの手伝いをするかわりに、お前の自由行動も許してやってるんだ」

 整わぬ呼吸に顔をゆがめながら目をそらす。

 

 マダラに力を貸すにあたっての条件。

 それがイタチが一人で動く自由な時間だった。

 イタチはその時間を使って自身の欲するものを探していた。

 

 「何を探しているのかは知らんが。我々に楯突こうとはするなよ」

 念を押すようなその言葉。

 無言のイタチにマダラはさらに続ける。

 「まぁ、お前はそんなバカではないがな」

 イタチは奥歯をぎりっと噛んだ。

 イタチが探しているものは、組織やマダラに関係するものではない。

 だが、マダラはたとえそうであっても

 

 『お前ではオレに勝てない』

 『お前もそれは分かっているだろう』

 

 そう言っているのだ。

 

 すべてを見透かした物言いと、それが事実であることへの苛立ちが極まり、イタチは「失せろ」と一言発した。

 マダラは、いまだ痛みに胸を抑えるイタチの姿に少しのためらいも見せず「また連絡する」と短く返し、姿を消した。

 その気配が消えたことを確認して、イタチはそばにあった大きな木に背を預けて大きく息を吐き出した。

 全身の血が脈打つかのように暴れ、激しい痛みをもたらす。

 胸の奥から湧き出た咳に血の味が混ざった。

 それがまた、あの闇の記憶を呼ぶ。

 

 決して消えぬあの日…

 

 イタチは空を見上げてもう一度大きく息を吐き出す。

 

 思い出されてゆく場面場面…

 「サスケ…」

 つぶやきが漏れた。

 「お前は無事なのか…」

 大蛇丸のもとへと身を置くサスケが心配だった。

 

 力を求める心を利用されたのだろう…

 純粋で、素直なサスケ…

 何色にでも染まるその無垢さがあだとなったか…

 だが、今自分がサスケにできることはない…

 

 できることは、サスケが自分のところまで上り詰めてくるのを待ち、その手によって討たれ、名を上げさせること。

 木の葉の里のために力を尽くしてきた【うちは一族の仇を取った英雄】と言う肩書。

 その名が広がれば、世間体を考えた里の上層部たちはサスケを受け入れざるを得なくなる。

 

 里へ帰れるはずだ…

 せめて、あいつだけでも…

 

 幼いころのサスケの笑顔が浮かぶ。

 「サスケ…」

 つぶやきと同時に、激しい咳が出た。

 さらに痛みが襲い、体を折り曲げる。

 「………っ」

 

 

 次は私もついて行く

 

 

 痛みにこらえる中、水蓮の言葉がふいによみがえった。

 

 さすがに一年も共に行動すれば、いないことに多少違和感を感じるか…

 

 ふとそんな事を思う。

  

 とくに、こんな時はいつもそばにいた分、余計にそう思うのかもしれないとイタチは治療を通じて感じる水蓮のチャクラを思い出していた。

 「あいつのチャクラは、暖かいな…」

 つぶやきと同時に、また胸がズキリと痛む。

 あまりの痛みにイタチは、連れてくれば良かったかと思い、ハッとする。

 「バカかオレは…」

 この苦痛からの解放を望む自分を戒めた。

 

 目をそむけるな…

 この苦しみ、痛み…

 それをこの身に受くることがせめてもの…

 

 グッと力を入れて瞳を閉じる。

 

 ポタリ…

 

 黒い雲を広げていた空から一粒の雨がイタチのほほに落ちて流れた。

 薄く目を開くと、さらにいく粒かの細かいしずくが降り落ち、しだいに音を立てて森を濡らし始めた。

 

 薄暗く深い森

 雨音が大地に響き、染み渡っていく

 広いこの空間に残されたイタチの存在が、孤独に小さく雨霧の中にかすむ…。

 

 

 冷たい雨…

 

 

 どれほどその雨に打たれたのだろうか。徐々に体温を奪われ、うすれゆく意識の中でイタチはまた思い出していた…

 

 「あいつは温かい…」

 

 夢隠れの里で、夢うつつに自分を包み込んできた水蓮のぬくもり。

 

 あらゆる物を包み込むような温かさ。

 

 「水蓮」

 

 無意識にその名をつぶやき、姿を思い浮かべ、ゆっくりと闇の中へと落ちてゆく。

 またあの夢を見るのだろうと覚悟しながら目を閉じ、思う。

 

 

 …あの夢の後も、いつもあいつがいたな…

 

 

 「イタチ!」

 

 

 雨音を切り裂いたその声に、堕ちかけた意識が引き上げられる。

 聞こえるはずのないその声。

 幻聴か、との考えと苦笑いが次の瞬間消された。

 

 「イタチ!」

 

 先ほどよりもはっきりと聞こえるその声。

 それは紛れもなく水蓮の声であった。

 うっすらと開いた瞳の先、その細い視界は少しぼやけてはいるが、降りしきる雨の中、白い鳥がこちらに向かって飛んでくる様が見える。

 その鳥は風を巻き起こしながら近くに舞い降りた。

 「イタチ!」

 その背からはじかれたように飛び降り、自分に向かってくる水蓮の姿をとらえた瞬間…

 「…………っ」

 先ほどまでの、(むしばむ)む苦しみとは違う何かが、イタチの胸を強く締め付けた。

 「水蓮…」

 滑り込むように水蓮がイタチのそばに体を寄せる。

 その手にはすでにチャクラがあふれていた。

 「もう大丈夫だから」

 かざされた手から、暖かいチャクラがイタチに注がれていく。

 「お前、どうして…」

 「連絡があったんですよ」

 答えたのは鬼鮫だった。

 「お前まで」

 つぶやきと同時に、降り注いでいた雨がフッと消えた。

 見上げると、先ほどの鳥の羽が自分たちを覆い、雨を遮っていた。

 「なんだよ、本当にくたばりかけてんじゃねぇかよ。うん」

 「デイダラ」

 鬼鮫の背から現れた思わぬ人物に目を見開く。

 「言っとくけど、これはあーねのためだからな。うん」

 デイダラが粘土で作り上げた鳥の羽を指さす。

 「トビが、伝令で来たんですよ。あなたが任務でダメージを受けて動けないから、迎えに行くようにと。ちょうど彼が来ていてよかったですよ。おかげで早くこれた」

 鬼鮫が視線でデイダラを指し、フッと笑う。

 

 トビ。マダラが…

 奴の気まぐれか嫌味か

 それとも、組織と自分のために少しでも長く生かそうという魂胆か…

 

 どう考えても好意とは取れないマダラの動きに、イタチは嫌な気分を渦巻かせる。

 しかしそれを、暖かく柔らかい水蓮のチャクラが薄れさせていく。

 「ったく。雨の中飛ばしやがって。これは貸だからな。うん」

 腕を組んで胸を張るデイダラに、イタチは「ああ」と答え、過度の疲れに目を閉じながら言葉を続けた。

 「すまない。助かった」

 「うん?…ん!…なっ!なっ!」

 デイダラが思いがけない言葉に驚きの声をあげて戸惑う。

 「なんだよ。調子狂うぜ、うん。あの、あれだ…。おいらは、怪しいやつがいないかその辺見てくるぜ。安全確認ってやつだ。うん」

 気恥ずかしそうに背を向け、少し小降りになった雨の中へ歩き出す。

 「私も行きましょう」

 鬼鮫もそれに続く。

 二人が去って行く気配を感じながら、イタチは目を閉じて呼吸を整える。

 

 ここまでのダメージは久しぶりだな…

 

 自嘲の笑みをこぼす。

 「イタチ」

 水蓮が小さな声で呼んだ。

 「なんだ…」

 目を閉じたまま答えるが、言葉が終わるより早く水蓮が声をかぶせた。

 「ばか!」

 耳に響くほどの大声。

 イタチは驚いて目を開いた。

 その視線の先で、水蓮が治療の手を止めぬまま自分をにらみつけていた。

 「水蓮…」

 「ばか!」

 怒りをあらわに言葉をかぶせてくる。

 「だから!私も行くって言ったのに!ばか!」

 三度(みたび)浴びせられたその言葉に、イタチはきょとんとする。

 

 いまだかつて、こんな風に誰かに「ばか」と言われたことがあっただろうか…

 こうしてまっすぐに叱られたことがあっただろうか…

 

 記憶の中にその経験をなかなか見つけられないまま、本気の怒りを浮かべる水蓮の顔を見て、イタチは小さく笑った。

 「なによ!」

 自分の怒りに笑いを返されて、水蓮はさらに顔をゆがませた。

 その表情を見て、イタチはまた笑う。

 「それがいい」

 「…え?」

 言われた意味が分からず、今度は水蓮がきょとんとする。

 イタチはどこかほっとしたような笑みで水蓮に言った。

 「無理に笑うより、本気で怒る方がいい」

 「………っ!」

 水蓮が小さく息をのんだ。

 「イタチ…」

 言葉に詰まる水蓮を見て、イタチは思い出していた。

 感情を抑えて笑う水蓮の顔を。

 

 ああして何かを隠して笑うより…

 

 「その方がいい」

 

 ウソを重ねて笑うのは、痛い。

 

 「無理に笑うな…」

 

 柔らかい笑みを浮かべ、イタチは目を閉じた。

 流れ込む水蓮のチャクラの温かさが、イタチをやさしく眠りに導いてゆく。

 

 それでもきっとオレはあの夢を見るのだろう…

 

 眠りに落ちながらイタチは思う。

 

 それでも、目覚めたときにお前がいるなら…

 

 眠りの先に闇を感じながらも、今までとは違うその先をイタチは感じていた。

 

 

 しばらくして、イタチの顔が夢にゆがむ。

 

 その頬の上にポタリとしずくが落ちた。

 

 「どっちが…」

 

 それは、水蓮の目からこぼれた涙…

 

 「ばか…」

 

 

 ポタポタとこぼれる水蓮の涙と入れ替わりに、雨は止み、差し込む日の光を受けた雫が、いたるところで紫陽花を輝かせた。



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第三十四章【訪問者】

 抜けるような青空

 

 その言葉がきれいに当てはまる空色。

 日に日に気温が上がり出し、夏の日差しが照りつけ始めた。

 水蓮たちは風の通りがよい洞窟に身を置き、暑さをしのぎながら過ごしていた。

 イタチの単独任務は、あの一件から幾月かが過ぎる中で2回あったが、どちらもあの時ほどのダメージを負うようなことはなかった。

 水蓮はその都度同行しようとしたが、イタチはそれを許さず、結局は心配しながらその帰りを待つ形となった。

 それでも、黙って行くような事はなくなり、「戻ったら回復を頼む」と水蓮に言葉を残すようになった。

 誰かを頼り、求めるような事をしないイタチのその大きな変化に、今は多くを望まずにいようと、水蓮もイタチの意向を受け入れた。

 そして、今日もそのイタチの帰りを待っていた。

 2日前に久しぶりに単独任務に出かけ、今日戻る予定になっている。

 

 

 「そろそろ戻るかな」

 そうつぶやいた水蓮の言葉と同時に、洞窟の中にふわりと風が舞い込んだ。

 その風の中に花の香りが混じり、水蓮が入口に目を向けると、再び舞い込んだ風と共にイタチの姿がそこに浮かんだ。

 中に歩み()ってくる足取りがいつもと変わりなく、水蓮はほっとしながら駆け寄った。

 「お帰り」

 「ああ」

 言葉は短いが、その響きはこの1年で随分と柔らかくなった。

 「体調は?」

 「大丈夫だ。今回はさほど使っていない」

 「そう。よかった」

 言葉をかわしながら奥へと並んで入る。

 「なんか、いい匂い。金木犀かな?」

 イタチの外套からふわりと香りが広がり、少し顔を寄せる。

 「ああ。そういえば、出向いた先に咲いていたな」

 記憶の中にその花を見て、イタチが視線をあげる。

 そしてあたりを見回して「鬼鮫はどうした?」と、その姿がないことに気づく。

 「情報収集に行くって。夕方戻るって言ってたから、あと2・3時間は戻らないかも」

 暁は基本ツーマンセルだが、イタチが組織からの命令で単独で動くように、鬼鮫もまた単独での動きを許されているらしく、組織の鬼鮫への信頼は厚いのだろうと水蓮はそう感じていた。

 「そうか…」

 しばし考えて、イタチは水蓮に「頼めるか?」と聞いた。

 疲れ具合から見て、チャクラの回復ではなさそうな様子に、水蓮は思い当りうなづいた。

 「うん。でも、帰ってきてすぐ大丈夫なの?」

 「ああ。大丈夫だ」

 その場に座るイタチの前に、水蓮は向き合って座る。

 「え~と、まだ教えていないのは…」

 つぶやきながら、水蓮は母親から引き継いだ封印術の術式と印を頭にイメージする。

 それが出来上がると、イタチが写輪眼を水蓮の視点に合わせてイメージの中に入り込んでいく。

 こうしてここ数か月、水蓮がイタチに封印術を教えていた。

 滅びた里の封印術は文献も少なく、イタチにも知りえない物が多かったため、水蓮の母の術はかなり貴重なものであった。

 伝え終わり、水蓮がふぅ…と息をつく。

 「大丈夫か?」

 「もう一つくらいはいけるよ」

 術のレベルによって異なるが、伝える側に負担がかかる手法であるため、一度に一つが限度。

 だがチャクラコントロールが上達した水蓮には、まだ少し余裕があった。

 それでもイタチは「いや」と答え、今教わった術の印を組み始める。

 「少し難しそうだな」

 とはいうものの、器用に今見たばかりの物を再現してゆく。

 が、途中で少し手が詰まる。

 「やはりコピーしきれないな」

 うずまき一族の封印術は写輪眼でもコピーしきれず、血継限界に近い何かがあるのかもしれないと、イタチはそう感じていた。

 中にはイタチにも扱えない物もあり、その特殊さは際立っていた。

 「そこはね、こうだよ」

 進めかねていたイタチの手を見て、水蓮が自身の手を動かす。

 今教えた術は内容が高度なため今の水蓮では発動しないが、自身の中にある分、印の組み方は要領を得ている。

 イタチの前でゆっくりと印を組んで見せる。

 「こうして、こう」

 「ああ、なるほど…」

 それに合わせてイタチもゆっくりと続く。

 幾度かそうして動きを合わせながら、水蓮は小さく笑った。

 「なんだ?」

 「なんか、何でもできるイタチに何かを教えるのって不思議だなと思って」

 「何でもできるわけではないさ。初めは皆教わる」

 「そうだね」

 水蓮にとってこの時間は心地よく穏やかに過ごせる貴重な時間であった。

 また、自分が必要とされているように感じ、うれしかった。

 時々ちらりと見るイタチの表情も柔らかく、それが余計にその気持ちを大きくする。

 ほどなくしてイタチは印をマスターし「また頼む」と立ち上がった。

 ふわりと、また金木犀の香りが揺れる。

 「今晩アジトを移動する。体を休めておけ」

 「任務?」

 問いながら立ち上がる水蓮に、イタチは「いや」と答えた。

 「少し長くここにいるからな。そろそろ移動した方がいいだろう」

 自分と鬼鮫への、追い忍のことを考えての移動。

 今のところまだ遭遇はしていないが、なるべく居場所を悟られぬよう、こうして移動することが多かった。

 「わかった」

 そう言ってうなずいた水蓮だったが、調合途中の薬があったことを思い出す。

 「これだけやってしまうね」

 壁際に置かれた調合道具の前に座り、手早く作業する。

 イタチはその様子を見ながら、少し離れたところに座った。

 その瞳に柔らかい色が浮かんでいることに、水蓮は気づかず作業に集中する。

 しかし、イタチもまた自覚のないままのことだった。

 それでも、水蓮がいる空間に違和感を感じなくなったことには気づいていた。

 壁に背を預け、自然な空気の中「少し休む」と目を閉じる。

 が、すぐに何かの気配を感じ体勢を起こす。

 気味の悪い、妙な空気が洞窟内にあふれ広がり、今までの穏やかさを一瞬で消し去る。

 その放射点。それは水蓮の背後に感じられた。

 「離れろ!」

 「…………ッ!」

 イタチの声と同時に水蓮も何か嫌な物を感じ、慌てて体を持ち上げる。

 しかし、立ち上がるより一瞬早く、壁から飛び出した何者かの腕に水蓮は羽交い絞めにされた。

 「きゃぁっ!」

 「水蓮!」

 声を上げたイタチの視線の先、水蓮を捕まえていたのは…

 「ゼツ…」

 イタチの口からその名がつぶやかれた。

 水蓮はほんの少しだけ視線を後ろに向けその姿を確認する。

 食虫植物のような深い緑色の棘に覆われた体。

 その棘の間から見える姿は、左右で白と黒に分かれており、間近に見える瞳は怪しく光っている。

 「イ、イタチ…」

 突然の事に動揺する水蓮のその声は、かすれ、空気に消えそうなほどか細い。

 だが、イタチはうかつには動けずにいた。

 暁に身を置いて長いイタチですら、いまだにこのゼツの事は把握できていない。

 後方支援として、諜報活動を中心にしており、その姿をあまり組織の中でも見せないこともあって、あまりにも情報が少ない。

 だが、只者ではないという事だけは分かっていた。

 その容姿と、左右で逆の性格を持つ異様な特徴を持っているという事もあるが、それだけではない。

 油断できぬ何かを、イタチは初めて見た時から感じていた。

 水蓮にしてみても、ゼツの登場のタイミングや描写を見る中で、その存在の特殊さは認識している。

 「ゼツ。何のつもりだ…」

 イタチの口から慎重に言葉が発せられる。

 その警戒の度合いに、水蓮はゼツの腕を無理やり振りほどきたい衝動を抑え、じっとイタチの出方を見る。

 微動だにできぬ水蓮の後ろから、白ゼツが答える。

 「イタチのとこにかわいい子が入ったって、ずいぶん前から聞いてたんだけど、ずっと忙しくてさぁ。やっと見に来れたって感じ。へぇ…。確かに可愛いね」

 その口調から、ふざけての事のようだが、イタチは読みきれないゼツの存在に警戒を解けずにいた。

「それにしても、あの人本当に人使い荒いよね。ここ一年は特にオレたちめちゃくちゃ忙しくてさぁ…」

 水蓮を離さぬまま、うんざりした口調で愚痴りながら、ゼツが話途中にグッと腕に力を入れた。

 「やっ!」

 一瞬、ぞわりとした感触が体を走り、水蓮が逃れようと動く。

 どうやら拘束を強めたのは黒ゼツの様で、白ゼツが「どうしたの?」と半身に問う。

 黒ゼツはしばし黙し、イタチに鋭い視線を向けた。

 「オイ。イタチ、オ前知ッテルノカ?」

 「何をだ…」

 嫌な予感がイタチの脳を駆ける。

 黒ゼツはかすかに揺らいだイタチの瞳を見逃さなかった。

 「知ッテイルナ…」

 無言を返すイタチに代わって「何を?」と、白ゼツが軽い口調で聞く。

 水蓮は目の前のイタチの表情が少し強張ったことに気づき、心臓を大きく脈打たせた。

 「コイツ」

 黒ゼツのおぞましい声が響いた。

 「九尾ノチャクラヲ持ッテイル」

 

 「………ッ!」

 

 感知された!

 

 水蓮とイタチの息と思考が重なる。

 

 「え?あ、ほんとだ。ちょこっとだけど感じるね」

 白ゼツがそう言い、黒ゼツがさらに水蓮を強く抱え込んだ。

 「つぅっ!」

 グッと締まる腕に水蓮の顔がゆがむ。

 「放せ…」

 イタチが低い声で牽制しながら足を進める。

 だが、踏み出した一歩目で、黒ゼツの体が沈みだした。

 「少シ借リルゾ」

 「え?」

 水蓮の口から一言のぶやきが漏れた時、すでに体の半分が土中に埋まっていた。

 「いや!」

 体をよじるがびくともしない。

 「水蓮!」

 「イタチ!」

 地を蹴りイタチが手を伸ばす。

 しかし、必死に伸ばされた水蓮のその手を掴めなかった…



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第三十五章【怒りの万華鏡】

 薄暗く、冷たい空気が張りつめた部屋の中。

 水蓮はドサリと乱暴に床に投げ落とされた。

 「つっ…」

 腕を強く打ち付け、顔をゆがめる。

 「オイ、オ前何者ダ」

 ずいっと詰め寄ってきたゼツから逃れようと体を引く。

 しかしその背が壁に当たり逃げ場を奪われる。

 「……っ」

 何が起こるか分からない。しかし、何でも起こりうる状況下。

 水蓮は顔を背けながらも、かろうじて視線を外さず、必死に全身をめぐる恐怖に耐えた。

 「黒ゼツ、やめなよ。怖がってるじゃない。女の子には優しくしないと」

 「ナラ、オ前ガ聞キダセ」

 「え~やだよ。めんどくさいもん」

 「ダッタラ、口ヲダスナ」

 「でもさぁ、かわいそうじゃん」

 「ソウ思ウナラオ前ガヤレ」

 「え~。ん~。どうしようかな。…やっぱやだ」

 「デハ黙ッテイロ」

 ゼツは水蓮をよそに、自分たちだけで話し出す。

 しかし、そこには針一本ほどの隙もなく、水蓮は微動だにできなかった。

 「とりあえずさぁ、どっちか呼んでこようよ」

 「ソウダナ」

 しばらく続いたやり取りがそこでひと段落した。

 

 どっちかって。トビかマダラ?

 

 それとも…

 

 水蓮が思考をめぐらせたとき、部屋のドアがカチャリと音を立てた。

 白ゼツが「…あ」と振り返る。

 その先にいた人物を見て、水蓮は息をのんだ。

 鼻と耳に深く突き刺さった黒いピアス。

 喜怒哀楽。人の持つあらゆる感情を捨て去った表情。

 その両目には渦を巻いた瞳…輪廻眼。

 「ペインだー」

 白ゼツが、その名を呼ぶにはふさわしくない軽い口調で呼びかけた。

 静かにたたずむその姿から溢れだす威圧感に、水蓮はごくりと喉を鳴らした。

 ペインを取り巻く冷たい空気は水蓮が今まで対峙したどれとも違う。

 一切の感情がまるで見えない【無】の冷たさ。

 「ゼツ。何をしている。本拠地(ここ)に不用意に人を連れてくるな」

 水蓮を一瞥し、ペインが無感情な声で言う。

 「この子さぁ、イタチのとこにいる子なんだけど」

 「少シダガ、九尾ノチャクラヲ感ジル」

 「調べといたほうがいと思ってさぁ」

 ゼツの話を聞き、ペインは静かな動作で水蓮に近寄り「話せ」とたった一言だけ投げた。

 しかし、水蓮はグッと唇を結ぶ。

 

 きっとイタチが来る…

 それまで余計なことは…

 

 両手を固く握り、イタチを待つ。

 

 「話せ」

 もう一度繰り返されたペインの言葉に、殺気が混じり飛ぶ。

 「………っ」

 背筋が凍りつき、体が自然と震えた。

 それでも、水蓮は沈黙を守る。

 「ねーねー。いう事聞いた方がいいよー」

 「死ニタイノカ」

 ゼツが再び詰め寄り、恐怖をあおる。

 それでも話す様子のない水蓮に痺れを切らし、ペインが強引に腕をつかんで立たせた。

 つかまれた腕が先ほど痛めた箇所を刺激し、水蓮は顔をしかめながら振りほどこうと抵抗する。

 「は、離して!」

 「何も言わぬなら、無理やり調べるほかない」

 ペインの手のひらが水蓮の額にあてがわれる。

 その冷たさと、何をされるのかわからぬ恐怖で水蓮の体が硬直した。

 

 ズッ…

 

 「…っ!」

 ペインの手にチャクラが集まるのを感じた瞬間。

 水蓮の脳裏に巨大に膨れ上がった輪廻眼が浮かぶ。

 そして、一気に体の中をペインのチャクラが駆け巡る。

 「やっ…!」

 全身におぞましい寒気が走った。

 まるで体の中を素手で触られるような感覚。

 そしてそれは、水蓮の深層…記憶へと迫る。

 「………!」 

 

 

 見られたらイタチのことが!

 

 「やめてっ!」

 水蓮はとっさにチャクラを練り上げ、体の中をめぐる悪寒を追い出すように全身から放った。

 

 

 バヂィッ!

 

 

 電気が放たれたような音が響き、水蓮を捉えていたペインの手がはじかれた。

 その勢いに水蓮の体もはじき飛び、壁に激突する。

 「つぅ…っ」

 痛みにうめいた次の瞬間。先ほどまでの感覚がよみがえり、体の震えが強くなる。

 「…う…っ…」

 水蓮は、恐怖と大げさなほどの震えを抑え込むように、自分の体をぎゅっと抱え込む。

 今までに感じたことのない恐れ。

 自分の意思をまるで無視して、体が…心が恐怖に支配されていく。

 「おおーやるねー」

 「ペインノ力ヲハジクトハ…」

 ゼツの声に顔を上げると、ペインがはじかれた自分の手を見つめていた。

 「九尾のチャクラは、大した量ではないな」

 言いながら再び水蓮に歩み寄る。

 しかし、その足がふと止まった。

 「お前、その髪…」

 「……え…?」

 ペインの言葉に、水蓮は自分の髪をすくい上げ、目を見張った。

 手のひらに乗せた髪も、ちらりと目にうつる前髪も赤く染まっていた。

 「ソウカお前…」

 黒ゼツが低い声を放った。

 「ウズマキ一族カ」

 「じゃぁ、今のはうずまき一族の力?」

 確かにそうだった。

 水蓮がペインをはじいた力は、母親から受け継いだ術の中の一つ。

 それに反応して髪の色が変わったようだった。

 「なるほどな…」

 低く響いたその声はペインの物ではなかった。

 扉の向こうから現れたのは、トビ。

 

 ドクンッ…と、心臓が大きく波打つ。

 

 見られていた…

 

 ペインがちらりと視線を送り「トビ。いつから…」と、つぶやきを向ける。

 トビは先ほどの低い声とは違ういつもの明るい声と、コミカルな動きで部屋に入り込む。

 「あ、一応はじめからいましたぁ!でも、なんか取り込み中だったので入りずらくてぇ」

 水蓮の前に、ペイン、ゼツ、トビが横並びとなり、恐怖を重ねあげる。

 「いやあ、まさかうずまき一族だったなんてぇ。びっくり!」

 大げさに驚いて見せ、トビは「で?」とペインに向き直る。

 「どうするんですかぁ?」

 ペインはいまだ震えの止まらない水蓮に歩み寄り「もう少し調べる」と、手を伸ばした。

 水蓮は壁に背をつけ体を固くする。

 

 もう先ほどのように弾き返すチャクラは残っていない…

 

 イタチ!

 

 胸中でその名を呼び、間近に迫ったペインの腕に目をギュッと閉じた。

 

 

 パシィッ!

 

 

 乾いた音が部屋の中に響き、ペインの手が払われた。

 と同時に、ふわり…と金木犀の香りが広がる。

 水蓮は目を閉じたまま、すぐそばに感じる存在に手を伸ばし、揺れる香りをつかんだ。

 「イタチ…」

 ギュッと握った手にはイタチの衣。

 体の震えはおさまらぬままだったが、その心は不安と恐怖から解放されていた。

 「水蓮…」

 眼前の者に警戒を浮かべたまま、ちらりと水蓮に視線を落とす。

 体を小さく縮めて今までにないほど震え、あふれおさまらぬ涙でほほを濡らしながら自分を見る目は怯えきっている。

 そして、赤く染まった髪。

 状況を見ておらずとも、明晰な頭脳がおおよその事を導き出す。

 赤い瞳が厳しく光り、正面に向けられる。

 「勝手なことをするな」

 ひどく抑えられたその声には、怒りが満ち溢れ、イタチの体から放たれる空気がどんどん鋭く研ぎ澄まされてゆく。

 「勝手ナ事ヲシテイルノハ、オ前ダ」

 「そうだよー。この子が九尾のチャクラを持ってる事知ってたくせに」

 「ナゼ隠シテイタ」

 イタチは低く抑えた声のまま答える。

 「隠していたわけではない。言う必要がないと判断しただけだ。九尾チャクラの封印は一番最後だ。その時でも問題はないだろう」

 「イタチ…」

 ペインの無感情な声が響く。

 「それを判断するのはこちらだ。それに、その女を仲間に入れると決めたのもお前だそうだな。勝手が過ぎるぞ」

 二人の間に重い空気が渦を巻いてゆく。

 それが極みに達する直前。

 「困りますねぇ」

 新たな声が水蓮の前に現れた。

 見上げた水蓮の視線の先には、鬼鮫の背中があった。

 「何があったのかはわかりませんが…」

 ちらりと水蓮に視線を向け、様子の変わったその姿に一瞬目を細めたが、正面に向き直りイタチ同様鋭く目を光らせる。

 「彼女はうちのチームの一員だ。たとえあなたといえども、断りなく無茶はしないで頂きたいですねぇ」

 隙を見せない動きで一歩前に歩み出て、イタチと水蓮をその大きな背に隠した。

 同時にイタチが水蓮のもとに姿勢を落とす。

 「水蓮」

 「イタチ…」

 水蓮が伸ばし上げた両手をしっかりと受け止め、イタチが抱え上げる。

 「…うぅ」

 なかなか震えが止まらぬものの、水蓮はグッと自分を強く抱き寄せるイタチに、安堵してしがみついた。

 いまだ渦巻く重苦しい空気の中、沈黙を破ったのはトビだった。

 「まぁまぁ、皆さん。落ち着いてー」

 くるりと回転しながら中心に躍り出る。

 「うずまき一族なら、まぁ、木の葉での九尾封印に何らかの形で関わっていて、その時にちょこっとそのチャクラをもらったんじゃないのかなあ」

 事情を知らぬ鬼鮫の肩が少し揺れる。

 「ね、イタチ先輩」

 「イタチ」

 ペインがその短い言葉で説明を求める。

 イタチは淡々とした口調で言葉を発してゆく。

 「水蓮の母だ。うずまきクシナの九尾封印に携わっていた。クシナが封印しきれなかった微量のチャクラをその身に封じ、死ぬ間際に娘にチャクラを引き継いだ。だが、水蓮は記憶を失っていた。思い出したのはつい最近だ。自分がうずまき一族だという事もな」

 「なるほど~。そういうことでしたか。

あの一族には医療忍術に優れた忍が結構いたみたいですし、イタチ先輩が重宝してそばに置きたがるのもわかるなぁ!」

 相変わらずの大げさな物言いでトビは続ける。

 「それに、イタチ先輩は最近封印術のバリエーションが増えたそうじゃないですか。

 それも彼女のおかげなんでしょ?」

 「そうだ。だが、こいつは知識はあるが封印術は使えない」

 何かを牽制するようにイタチが返す。

 「オレが教わり、組織(ここ)で使う」

 「まぁ、組織もそれで助かるんだから、いいじゃないですか。もうこれくらいで。いい拾い物したってことで!ね?」

 自分の目論みにも得があると感じたのか、水蓮を庇護するようなトビの言動に、イタチは腹立たしさを感じながらもそれを抑え込んだ。

 「じゃ、そういうことで!」

 パンッ…と、手をたたいたトビに、ゼツが目を向ける。

 「オ前ガ仕切ルナ」

 「でもまぁ、いいんじゃない。トビの言うとおり、別に誰も損はないんだし」

 「そうそう」

 勝手に話をまとめるその様子を横目に、ペインが無感情なままイタチに言葉を投げる。

 「イタチ」

 輪廻眼と写輪眼がぶつかり合う。

 「次からはすべて報告しろ。それから、九尾封印の時はその女も必ず連れてこい。微々たる量だが、あるに越したことはない。…いいな」

 イタチは「承知した」と、短く一言だけ返した。

 ペインは鬼鮫に「あとで来い」と言葉を残し、部屋から出て行った。

 「あ、まってくださーい。僕も行きますー」

 それに続いてトビが出てゆき、パタリと静かにドアが閉まる。

 その音に、鬼鮫がふぅ…と息を吐き出し、いまだ震える水蓮の頭に軽く手を置く。

 「彼女を頼みますよ」

 「ああ」

 イタチはグッと腕に力を入れなおし、ゼツをにらみつけた。

 「ゼツ…」

 「ナンダ」

 「なにー?」

 瞳が万華鏡写輪眼へと変化し、一瞬でイタチの怒りが空間を支配した。

 ゼツが一瞬寒気を感じ、ピクリと体を揺らす。

 「二度とするな」

 その一言と、怒りの余韻を残し、イタチはさっと姿を消した。



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第三十六章【理由】

 本拠地から一番近くにあるアジトに、イタチは水蓮を抱えたままたどり着く。

 水蓮を座らせて自身も正面に座り、少し震えの小さくなった細い肩に両手を置き、覗き込むように見つめる。

 「水蓮。お前はやはり空区へ行け。ここから離れろ」

 水蓮は予想していたその言葉に首を横に振った。

 「大丈夫。大丈夫だから…」

 平静を取り戻そうと息を吐き出すと同時に、髪の色が元に戻る。

 「大丈夫…」

 「ダメだ」

 強く放たれた言葉。

 その目には懇願の色が浮かんでいた。

 「わかっただろう。ここには、組織にはお前をどうにでもできるやつらばかりだ。危険から身を離せ」

 肩に置かれた手に力が入る。

 「今回は運が良かっただけだ。いつ気が変わって九尾のチャクラを無理やり取り出しにくるかわからない。やり方によっては、お前が無事に済む保証はない」

 イタチはもう一度強く「ここを離れろ」と言った。

 水蓮はジッとイタチの目を見つめて返す。

 「離れない」

 「お前の、うずまき一族の力を利用して、危険な任務につかされるかもしれない」

 「構わない」

 「母親の気持ちを無下にするな!」

 それはイタチがずっと気にかけてきたことだった。

 自分は両親の想いに答えられず、その命を奪った。

 だから、せめて水蓮の母親の願いをと、その気持ちがずっと心の中に残っていた。

 「組織から命令が下れば、誰も助けてはくれない」

 まして、自分はいずれサスケに討たれる。

 その言葉を含ませた表情。

 「それに、お前は元々この世界には関係のない人間だ。ここにいる必要はない。元の世界に戻れないなら、空区へ行け!」

 叱るようなその口調に、水蓮は一瞬息をのんだが、それでも引かない。

 「行かない。確かにお母さんは私に生きろって言った。でも、こう言ったのよ。あなたの幸せを見つけて生きなさいって。私の幸せは、私の生きる場所は私が決める」

 水蓮は「それに」と言葉を続ける。

 「私が空区へ行ったら、ネコ婆様達に危険が及ぶ。私の中に九尾チャクラがある限り、組織は私を放ってはおかない」

 「あそこには強力な結界が張ってある。そうそう入れない」

 「入ってくるかもしれない」

 イタチは一瞬言葉に詰まる。

 組織にはマダラがいるのだ。

 「だが、お前の九尾チャクラは微量だ。無理をしてまでは組織も追って来ない」

 「追ってくるかもしれない」

 じっと合わされた視線に、言葉を返せずイタチは黙り混む。

 確かにその可能性は高い。

 微量とはいえ、水蓮が木の葉の手に渡れば、ナルトが更に九尾チャクラを手にすることになる。

 それがどういった効果を生むか分からないが、組織にとっては決して良しとはできない事だ。

 黙するイタチに水蓮は静かな口調で言う。

 「それに、私はもう組織に入ってる」

 「……………」

 水連も、そしてイタチも分かっていた。

 生きて組織から出る事はできない。許されない。

 まして主要メンバーであるイタチと鬼鮫と共に任務に携わっている。

 もう後には引けないのだ。

 だがそれでも、イタチは(すべ)を探そうとする。

 「オレがうまくやる」

 諭すような口調に水蓮は首を横に振る。

 「出来ないよ」

 暁はそんな簡単な組織ではない。

 必ず誰かが水蓮を見つける。

 「どこにいても同じなら、私はここにいたい」

 強く放たれた言葉。

 だが、体はまだ震えている。

 イタチはその様子に戸惑いすら浮かべて問う。

 「なぜだ。なぜそうまでして…」

 その言葉に水蓮は問い返す。

 「なぜなの?」

 組織に背いて水蓮を匿えば、立場が悪くなる。

 疑われ、自分の目的が知られるかも知れない。

 その危険をおかしてまで

 「なぜそうまでして私を離そうとするの…」

 「それは、お前の母の…」

 返しながら、イタチは自分の中に違和感を抱いていた。

 「お前はもともと忍ではない…」

 口にした言葉に、何かが反発してくる。

 「ましてこの世界の人間でもない…」

 理由を言えば言うほど『何かが違う…』そんな気持ちが湧き出る。

 だがそれが何なのか分からず、何も言葉が出なくなる。

 その答えの代わりに、沈黙の中、水蓮がゼツに連れ去られたときに感じた物を思い出す。

 しかし、それは瞬時に無意識のうちに胸の深くに沈められていく。

 「私は医療忍術が使える」

 黙り込んだイタチと入れ替わりに水蓮が強い口調で言う。

 「だから、お願い」

 「水蓮…」

 まだ震えがおさまらぬほどの恐怖を味わい、それでも離れようとしない水蓮に、イタチは再び「なぜだ…」と投げかけた。

 少しの沈黙を置いて、水蓮が何かを言おうと口を開いた。

 が、その時…

 「あーね!」

 アジトの入り口からデイダラが走りこんできた。

 その後ろには鬼鮫もいた。

 「やはりここでしたね」

 「鬼鮫…」

 イタチのつぶやきと同時に、水蓮が立ちあがり、デイダラに歩み寄る。

 「デイダラ、どうしたの?」

 「どうしたって。トビのやつが、あーねがリーダーにいじめられてたみたいだって言ってたからよ。うん」

 その言葉に、イタチも水蓮も、組織がデイダラに様子を見に越させたのだと察する。

 「何それ」

 水蓮はとわざと笑いを作った。

 「違うのか?」

 返された言葉と表情から、どうやら詳しくは聞かされていないようだ。

 「勘違いだ」

 その考えを肯定するようにイタチが言う。

 そこに水蓮が言葉を続けた。

 「まだ会った事なかったから、あいさつに行っただけだって」

 「そうなのか?」

 デイダラがイタチに視線を向ける。

 イタチは「そうだ」と短く答えて鬼鮫をジトリとみる。

 「勝手についてきたんですよ」

 肩をすくめる鬼鮫の後ろにはサソリの姿もあった。

 「おい、デイダラ。お前が行く先には俺もついて行くことになるんだ。巻き込むな」

 「いいだろ。旦那はどうせ傀儡磨いてるだけなんだからよ。暇だろ。うん」

 「一度殺してやろうか…」

 「まぁまぁ、落ち着いて…」

 荒々しい空気をなだめる水蓮の姿に、イタチは組織の狙いが気に入らないものの、デイダラが来てよかったのかもしれないと少し思った。

 デイダラを前に、平静を取り戻そうとして水蓮の震えが止まったようだ。

 にぎやかな3人を眺めるイタチの隣に鬼鮫が並び立ち、同じように視線を向ける。

 「木の葉へ渡るような事がないようにしろとの事です」

 

 やはりな…

 

 イタチは内心で溜息を吐く。

 それは、鬼鮫にも監視させる意味を持つ。

 鬼鮫が水蓮を一応は弟子としてとらえ面倒を見ているとはいえ、自分とは違う。

 いざとなれば組織のいかなる命令にも従う男だ。

 

 下手なことはできない…

 

 「わかった」

 「しかし、驚きましたねぇ」

 鬼鮫のつぶやきにイタチは「すまない」と一言返す。

 「いえ。まぁ元々彼女の処遇はあなたに任せていましたから。考えがあってのことでしょう」

 「……………」

 イタチの無言を肯定ととらえ「構いませんよ」と笑う。

 「ですが、これからはそうもいかない。組織の目がありますからね」

 「わかっている」

 言葉を交わす二人の前で、3人はいまだにぎやかにやりあっている。

 その様子を見ながらイタチが「それにしても」と、鬼鮫に目を向ける。

 「お前、よく本拠地にいると分かったな」

 鬼鮫は少し首をかしげ「あなたではなかったんですか」と、手裏剣を取り出して見せた。

 刃が一か所かけたそれを見て、イタチは「あいつ。あの状況で…」とつぶやいた。

 それは、落ち合うことなく移動することになった場合に、移動先を伝えるための手段として取り決めた合図。

 種類はいくつかあるが、鬼鮫の持つ手裏剣は『本拠地』を意味するものだ。

 「てっきりあなたが残したんだと思っていましたが…」

 二人は同時に水蓮に視線を向ける。

 

 あの状況でとっさに本拠地に連れて行かれると予想して、鬼鮫に合図を残したのか…

 

 イタチは驚きを隠せなかった。

 「どうやら…」

 鬼鮫がその手裏剣をしまいながら笑う。

 「我々が思っているより彼女はやり手のようだ。こうなると、彼女が欠けるのは避けたいですね。受ける痛手は小さくはなさそうだ」

 「そうだな」

 「特に、あなたの体のためには…」

 

 そうだ。そのために過ぎない。

 

 ゼツに水蓮が連れて行かれた時に感じたものを、イタチは思い起こしていた。

 

 

 失うかもしれない…

 

 

 あの時感じたそれは恐怖だった。

 だがそれは、自身の目的を達するために必要な『医療忍者』を失うかもしれないという不安だったに過ぎない。

 

 それ以外にはない…

 

 それを決定づけるように、思考の中に練りこむ。

 

 しかし、その半面で水蓮を危険から離そうとする自分の本意が分からず、その矛盾を振り払うように「そうだな」ともう一度強く答えた。




いつもありがとうございます。
何とかかんとか三十六章まで来れた次第ですが、皆様に少しでもお楽しみいただけていたら嬉しいです~(^○^)

二人はやだいぶきもきしてきた感じですかね…
進展させるか…どうか…私もやきもきしながら書いてます(笑)
その加減もあり、いつもより少し間が空くかもしれませんが、これからもよろしくお願いいたします☆


しかし、書き出すと止まらなくて…毎日2時…3時…と夜更かししてしまってます(^_^;)
たまには早く寝ないと…ですね(~_~;)

では、また次話…なるべく早くお届けできるよう取り組みます(^v^)

皆様に感謝をこめて…(*^о^*)


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第三十七章【伝わるぬくもり】

暁秘伝のネタバレが含まれています。(引用も少しあり)
ご注意、ご了承ください。
よろしくお願いいたします。


 「キャー!」

 

 「いやぁっ!」

 

 

 夕方から降り出した雨をしのぐために入った、そう大きくはない洞窟の中。水蓮の叫びが響き渡った。

 入り口で外の様子を伺っていたイタチと鬼鮫が慌てて中に走り()る。

 数ヵ月前のゼツの一件が脳裏をよぎった。

 「水蓮!」

 「何事です!」

 水蓮は自分に向かって駆けてくる姿を目に留め、イタチに飛び付く。

 「お、おい…」

 戸惑いながらも抱きとめ、辺りを警戒する。が…

 「特に怪しい気配はありませんね」

 隣で鬼鮫が呟く。

 その時…

 

 ゴロゴロゴロゴロ…

 

 ピシィィィ!

 

 黒い雲に覆われた空に、今日2度目の雷鳴が(とどろ)き渡った。

 

 「ひぃぃぃっ!」

 

 水蓮が体を固くしながらイタチにさらにしがみつく。

 「あ…」

 鬼鮫が呟き

 「お前、もしかして…」

 イタチがあきれた顔で続き、そのすぐ後に再び雷が鳴り響いた。

 「無理無理無理無理ーっ!」

 その場にしゃがみこんで、自分の外套で体を包み隠して丸くなる。

 その姿にイタチと鬼鮫が声を並べる。

 「亀」

 「ですね」

 ククク…と笑いながら鬼鮫が水蓮の外套を少しめくって顔を除き混む。

 「あなたにも怖いものがあったとは」

 「う~…」

 顔をひきつらせながらも、水蓮は鬼鮫をにらみつけた。

 「昔からダメなのよ、雷」

 こちらの世界に来てから初めての雷。

 水蓮は子供のころから苦手なその存在に、かすかに体を震わせている。

 

 ドォォンッ!

 

 地響きすら感じる大きな一撃。

 「きゃぁー!」

 水蓮があげた幾度目かの叫びに、イタチがその口を手で塞いだ。

 「大声を出すな。場所が割れる」

 「んー!」

 もがきながら、水蓮はその目に外が光る(さま)を捉え、次に来る雷鳴を予測して自分の手で口を押えイタチにしがみつく。

 数秒後に来た空気を切り裂く音に、水蓮は「むぅぅぅ!」と妙な声で叫びたい衝動を抑えた。

 その様子に、鬼鮫が笑いながら水蓮の頭にポンッと手を置いた。

 「怖い物なんてないのかと思ってましたがね。こんな弱点があったとは。イタチさん、今度彼女が無茶をしそうになったら雷遁を使うといい」

 「ああ。そうだな」

 二人の会話に怒りを返そうとするが、幾度目かの空の嘶きに、水蓮は口を結んだ。

 

 この日は一日中雨が降り、長く続いた雷に水蓮はすっかり体力を消耗していた。

 それでも、夜には空も落ち着き、食事を済ませてからは水蓮もようやくいつもの調子を取り戻した。

 「あ~。え~と。ごめんなさい…」

 気まずく言葉を投げた先には、走り回ったり、丸まったり、しがみつきに来たりと、そうして騒ぎ立てた水蓮に付き合い疲れた二人の顔。

 「いや…」

 「面白い物を見せてもらいましたよ」

 水蓮は「はは」と濁った笑いをこぼした。

 その視線の先で、雨宿りに入ってきたのであろう一匹の蜂が洞窟の外へと飛び立っていった。

 小さく鳴った羽音の向こうではすっかり雲が晴れ、大きな満月が浮かんでいた。

 

 

 この日は気温がかなり下がったこともあり、移動をあきらめてそのまま洞窟で夜露をしのぐこととなった。

 

 静寂が落ち、水蓮がすっかり寝入ったころ、イタチは一人洞窟の外へと足を進めた。

 見上げた先に浮かぶ満月。

 こんな月の日は、決まってその脳裏には血塗られた過去が浮かぶ。

 夜の闇の中、月明かりに照らされた衣の赤い雲と、美しい黒髪が冷たい夜風に揺れた。

 そっと伸ばした手で額宛をなぞる。

 指先に触れる横一線に走った傷は木の葉の文様を二つに切り裂いている。それは抜け忍の証。

 その鋭い指ざわりは、切ない痛みと共に木の葉の里を思い出させる。

 

 そしてこの傷と同じくらい深く傷つけた愛する存在を…。

 

 …サスケ…

 

 今や里を抜けたサスケ。

 本来なら里を守り、里と共に生きる存在でいてほしかった。

 その思いの中にはもう一人の男の存在があった。

 親友のうちはシスイ。

 

 …頼めるのは親友のお前だけだ。

 この里を、うちはの名を守ってくれ…

 

 木の葉を思い、うちはを思い、陰に徹して戦い散っていった彼の最後の言葉。最大の願い。

 

 そのために、クーデターを止めた

 そのために、一族を手にかけた

 

 そして残ったサスケと自分

 

 里の外と中。両方から木の葉を守れれば…

 

 そう思っていた。

 そしていつかサスケが自分を討ち、里に貢献する存在となれば、一族から初めて…

 

 ふわりと凪いだ風を受け、脳裏に、幼き頃に憧れた羽織が揺れた。

 

 「いや、そう簡単ではないな…」

 

 拭き流れてゆく風に、何かを乗せるように手を伸ばす。

 

 せめてこの想いを…

 

 里を愛するこの気持ちだけなら、故郷へ届けることは許されるだろうか。

 

 しかし、イタチはすぐにその手を引いた。

 

 この手は里へ向けるには、血に染まりすぎた。

 

 だが、この衣を身にまとい、罪を背負い汚名を着る事など、サスケやシスイの痛みに比べれば動作もない。

 暁という組織の中で罪を犯し続ける自分ならば、サスケは躊躇なく殺せるだろう。

 

 そうであってほしい…

 自分を殺めるとき、ほんの少しの悲しみも、痛みも感じさせたくはない…

 

 その時まで今しばらく、この目は人の血をすする。

 

 これからも…

 

 月明かりを遮るように目を閉じる。

 

 「眠れませんか?イタチさん」

 

 背後からの声に振り向くと、鮫肌を手に携えた鬼鮫が立っていた。

 「世間話をしに来たのか?」

 「まさか」

 クク…と笑う。

 どうやら、彼もまたこれから流れるであろう血の気配に気づいたようだ。

 「さて。どちらですかね」

 何もない虚空に目を向けながら隣に立ち並ぶ。

 

 月がかすんだ…

 

 瞬時に深い霧が立ち込め、隣にいる鬼鮫の姿さえも見えなくなる。

 

 

 霧隠れの術…

 

 

 濃霧の中に浮かび上がる

 

 気配、殺気…

 

 「どうやら私のようですね!」

 声と同時に一閃させた鮫肌がクナイを弾き飛ばす音が響いた。

 

 

 

 「………っ!」

 洞窟の中、硬い金属音をその耳に捉え、水蓮が飛び起きた。

 と、同時に隣にイタチの影分身が現れる。

 「イタチ…」

 「静かに」

 水蓮の手を引き、洞窟の奥、岩陰に身を隠す。

 「霧隠れの追い忍だ。お前は待て」

 気配を殺してじっと身をひそめる。

 洞窟の外では水遁同士の戦いが繰り広げられているようで、水蓮と影分身(イタチ)のすぐそばまで水が入り込んでくる。

 「鬼鮫。派手に…」

 目を細める影分身(イタチ)に、水蓮は小さくつぶやく。

 「私のせい?」

 先ほど騒ぎ立てた声を聞かれていたのかと不安になる。

 影分身(イタチ)は外の様子を探りながら「さぁな」と少し軽い口調で答えた。

 「まぁ、どちらにしてもいずれは起こることだ。気にするな」

 その言葉の終わりと同時に、中に再び水が流れ込み、二人の足元まで迫る。

 「わわ…」

 慌てる水蓮を抱えて影分身(イタチ)が飛びあがり、手足にチャクラをためて壁に張り付く。

 

 ざぁぁぁっ…

 

 奥まで水が入り込み、壁にぶつかりしぶき立つ。

 「あいつ。やりすぎだ」

 ため息交じりに吐き出された言葉。

 それを連れ出るように、水が引いてゆく。

 「大丈夫なの?」

 「ああ。問題ない」

 派手な戦況を見て不安げな水蓮に、影分身(イタチ)はさして心配する様子なく答えた。

 「そう…」

 

 フツッ…と表に揺らめいていた気配が消える。

 

 「場所を変えたか」

 外が静かになったことを確認し、影分身(イタチ)が水蓮を抱えたままススっと壁を滑り降りる。

 「あ…」

 水蓮がふいに声を上げた。

 「…ん?…ああ」

 降り立ったイタチが思い立ったようにつぶやき、水蓮が小さく笑った。

 「思い出した」

 「そうだな」

 二人の脳裏に浮かんだのは渦潮の里での事だった。

 突然消えた床から落ち、イタチが今のように水蓮を抱えながら壁を滑り降りたあの場面。

 「懐かしい」

 「ああ」

 外の静寂を見つめながら思い出す。

 「もう、こっちに来てから一年以上たつんだね」

 水蓮の脳裏に様々なことがよみがえる。

 その中でもやはり、渦潮の里での事は大きかった。

 順を追って記憶が流れ、母親との別れを思い出すが、さみしさや悲しみが少し薄れて感じるのは、隣に流れる空気があの時よりも柔らかく、そしてその存在が近くなったからなのだろうと、水蓮は思った。

 あれから、暁に入って、夢隠れの里や鬼鮫との任務。そしてゼツやペインとの対面。

 「色々あったね」

 「そうだな」

 影分身(イタチ)は少し遠くを見つめて黙り込んだ。

 しばらく沈黙が続いた後、影分身(イタチ)がポツリと言った。

 「お前は、オレが怖くないのか?」

 その視線はゆるく組まれた腕、袖の端から少しだけ見える手に向けられていた。

 水蓮はその姿に、以前血に汚れた自分の手を隠すように引いたイタチを思い出した。

 そして、出会ってすぐの頃、同じように聞かれたことを合わせて思い出す。

 ジッと手を見つめる影分身(イタチ)の瞳は、一見無感情に見える。だが、そこに揺れるかすかな色に水蓮は気づいていた。

 どこか切なげなその色…

 過去の闇を思い出しているときの瞳。

 水蓮が過去を振り返る中で、影分身(イタチ)もまた自分の過去を振り返っていたのだろう。

 そして、多くの命を奪ってきた自分の存在が、恐ろしくないのかとそう聞いているのだ。

 

 あの時と同じように…

 

 水蓮は、しっかりと影分身(イタチ)を見つめて、あの時と同じように答えた。

 「怖くないよ」

 柔らかく微笑む。

 「イタチを怖いと思ったことはない」

 影分身(イタチ)はどこか戸惑ったような顔をし、小さく笑った。

 「お前はおかしなやつだな」

 「イタチまで…」

 鬼鮫によくそう言われていたことを思い出す。

 「オレや鬼鮫は怖くなくて、雷は恐いのか」

 「そ、それとこれとは、話がちがう」

 ふてくされて顔を背ける。

 「オレは犯罪者だ」

 まるで自分に言い聞かせるような口調に、水蓮は再び視線を影分身(イタチ)に向ける。

 複雑な感情が入り交じったその瞳は、また自身の手を見つめていた。

 その目は先ほどとは違う揺らめき。

 

 里を。サスケを思い出している目…

 

 「イタチ…」

 影分身(イタチ)はハッとしたように視線を上げ、フッと笑う。

 「何でもない」

 

 またこの笑顔…

 

 全てを隠した寂しげな…

 

 この笑顔は、きっと痛い…

 

 少しでも和らげることができれば…

 

 「イタチ…」

 水蓮はスッ…と影分身(イタチ)の手を取る。

 影分身(イタチ)の体が驚きに一瞬揺れた。

 「私は、この手を怖いと思ったことは一度もない。一度もないよ」

 

 静かな空気が流れた

 

 「水蓮…」

 小さくつぶやいたすぐ後、影分身(イタチ)は何かに気づき入り口に目を向けた。

 月明かりに浮かび上がる二つの影。

 「戻ったようだな」

 自然と手が離れ、影分身(イタチ)は戦いから戻った本体(イタチ)と入れ替わりに、外の様子を伺うために洞窟の外へと出た。

 その背を見つめながら、水蓮は今まで触れていた温もりがイタチの心の痛みに届くことを願って、手をキュッと握りしめた。

 

 

 

 「お帰り」

 冷たい風を受けながら、霧隠れの追い忍との戦闘を終え、戻ってきたイタチと鬼鮫。

 迎え寄り、その姿をとらえて水蓮は目を見開いた。

 「鬼鮫!」

 鬼鮫の腕からかなりの出血が見て取れた。

 慌てて駆け寄る。

 「大したことはありませんよ」

 とは言うものの、傷口は深くえぐれており、その周りに数か所腫れが見て取れる。

 「すぐに治ります」

 「こいつが自分でやった傷だ」

 あきれたように放たれたイタチの言葉に顔をしかめる。

 「自分でって。鮫肌で?」

 深く削ったあと。周囲の腫れ…

 水蓮は思考を巡らせ、ハッとする。

 「毒?」

 気鮫が頷いて笑う。

 「ええ。すっかり医療忍者らしくなりましたねぇ」

 少ない情報での判断に、関心の声を漏らす。

 「相手が変わった術を使う者でしてね油断しました」

 「おかげで逃した」

 「追うのをやめたのはあなたですよ」

 「お前がその状態だったからな」

 「平気だと言ったのに」

 「お前の根拠のない自信で不利に巻き込まれたくはない」

 イタチのそれは、攻めるような口調ではなく、鬼鮫もまた嫌な空気を感じさせないやり取り。

 今までにも幾度か見てきたその光景に、水蓮は不思議なものを感じていた。

 イタチはもちろん、鬼鮫も決してイタチに対して『仲間』という意識ではない。

 ただ同じチームという括りで暁からの命令に動いているに過ぎない。

 ましてイタチはスパイとしてここにる。

 それでも、互いにどこか気持ちの良い遠慮なさを持っているように思えた。

 気を許していると言えるようなものではないが、そこには水蓮には計り知れない何かが存在しているように感じた。

 「とにかく、今は少し休め。明日の朝出て見つける。そう遠くには行っていないだろうからな」

 そう言って目を細めたイタチの頬には、冷たい夜風を受けながらも少し汗が浮かび、表情にかすかな疲労が見える。

 水蓮はまたハッとしたように息を飲んだ。

 「月読使ったの?」

 イタチと鬼鮫が驚いたように水蓮を見た。

 その表情は水蓮の言葉を肯定づけていた。

 「もう。二人ともあんまり無茶しないで…」

 二人の視線に気付かぬまま、水蓮はすでに鬼鮫の腕に手をかざしていた。

 「まだ全部取りきれてないみたい。奥に座って。毒抜きして傷も塞ぐから」

 「毒抜きも覚えたんですか」

 「最近ね。でも、全部は取りきれないかも」

 「大丈夫ですよ。これくらいはほっておいても治るくらいだ」

 話しながら中に入りゆく水蓮の背に、イタチは「いつの間に…」とつぶやきながら、外に異常がないと判断して影分身を解いた。

 「……………」

 伝わりくる情報。先ほどまでの水蓮とのやり取りに、不思議な温かさが流れ込み、その場に立ち尽くす。

 「……………」

 無意識に手を握っていた。そこには優しいぬくもりがあった。

 「イタチ?」

 その場から動かないイタチに水蓮が振り返る。

 イタチはハッとしたように顔を上げ「ああ。今いく」と、短く答えた。

 が、静かなその歩みに、大きな羽がはばたく音が混じり、イタチは振り向く。

 満月を背に、見覚えのある白い鳥が舞い降りてきた。

 「またですか…」

 少しうんざりした鬼鮫のその言葉に、誰もが思い浮かべた人物だいた。

 しかし、その鳥の背から降りてきたのはヒルコを身にまとったサソリ一人だった。

 「ようやく見つけた」

 相変わらずの苛立ちだが、何カ所かアジトを回ったのであろうその言葉に、水蓮たちは顔を見合わせた。

 「何かあったのか?」

 一人で来たことにも十分異常が感じられ、イタチがすぐにそう聞いた。

 サソリはイタチの横をすり抜けながら、すでに鬼鮫の治療に入っていた水蓮に、音なく近寄る。

 「おい。お前一緒に来い。デイダラが負傷して動けない」

 「えっ!」

 「早く来い」

 治療途中の水蓮の腕をつかんで立ち上がらせようとする。

 「ちょ、ちょっと待って。まだ…」

 「おい。はなせ」

 イタチがサソリの腕をつかんで水蓮から離し、間に割って入る。

 サソリは苛立ちあらわに、低い声でイタチを通り越して水蓮に言葉を投げる。

 「急げ。毒を受けて死にかけだ」

 「ええっ!」

 水蓮が大きな声を上げた。

 さすがにイタチも戸惑う。

 「水蓮。私はもういい」

 鬼鮫の言葉を受けて、水蓮はイタチを見上げる。

 イタチはしばし黙して息を吐きだした。

 「デイダラには以前借りがある…。頼めるか…」

 水蓮に向けられたイタチの表情は苦渋の決断を浮かべていた。

 「わかった」

 「影分身を…」

 うなずく水蓮の前で、イタチは印を組もうとする。

 しかし、

 「いらないよ」

 組まれたその手と言葉を水蓮が止めた。

 月読後であることと、明日の戦いのことを考えてだった。

 「戦いに行くんじゃないんだから。大丈夫。チャクラ使わないで」

 「しかし…」

 「大丈夫だから」 

 強い口調でそう返して、水蓮は壁のくぼみに置いていた自分のカバンを取り、準備する。

 その様子を見ながらイタチがサソリに強い口調で言った。

 「終わったらすぐに戻せ。任務に連れて出るようなことはするな…」

 サソリは一瞬黙し「誰がするか。邪魔になるだけだ」と、苛立たしく返して踵を返した。

 「行くぞ」

 「あ、うん」

 サソリは素早い動きですでに鳥の背に移動していた。

 そのあとに続こうとして、水蓮は鬼鮫に振り替える。

 「鬼鮫、ごめんね。だいぶ毒は抜けたと思うんだけど…」

 「大丈夫ですよ。気を付けて」

 うなずいてイタチに視線を向ける。

 「イタチ、行ってくる」

 「ああ。終わったら西アジトへ来い」

 「わかった」

 答えて水蓮は背を向ける。

 「水蓮」

 少し慌てた様子でイタチがその背を呼びとめた。

 そして振り向く水蓮に「無理はするな」と小さな声で言った。

 「うん」

 水蓮は笑顔でそう答えて「さっさとしろ!」と声を上げるサソリに急かされて鳥の背に飛び乗った。

 月の中に消えゆく鳥を見つめるイタチの隣に鬼鮫が並ぶ。

 「心配ありませんよ。任務にだってついて行けそうなくらいだ」

 イタチはジトリと目を細めて無言を返す。

 「まぁ、危険を避けるに越したことはない。貴重な医療忍者ですからね」

 どこか含んだその物言いに、イタチは「お前は休め」と一言こぼして、見張りのため外へ出た。

 

 

 こういった形で水蓮がどこかへ一人で行くのは初めてだ…

 

 

 月の沈みをその目に捉えながら、イタチは何者かわからない妙な感情を自身の中に感じていた。



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第三十八章【特性】

暁秘伝のネタバレが少し入っています。
ご注意・ご了承下さい。
よろしくお願いいたします。


 夜露に濡れる森の奥深く。

 小さな小屋の中で水蓮はデイダラの治療に向き合っていた。

 どうやら頬と腕についた切り傷から毒が介入したようだった。

 デイダラは意識はあるものの、グッと固く目を閉じ、毒の浸透に耐えている。 

 「どうだ。解毒できるか?」

 水蓮の後ろでヒルコの尾がゆらりと揺れる。

 状態を診終わり、水蓮は一度息を吐いて苦しげなデイダラの汗をタオルで拭った。

 「何とか。でも、かなり強い毒。任務で?」

 カバンから解毒薬や、治療道具を取り出し準備を進める。

 「いや、追い忍だ」

 「こっちも…」

 その呟きにサソリが「そっちもか」と返し、小さく舌打ちした。

 「どいつもこいつも、油断しやがって」

 「…う…」

 デイダラが痺れと苦痛に顔をゆがめるのを見て、水蓮は手を早める。

 「デイダラを狙って…」

 「いや。砂の追い忍だ。それゆえ毒が強い」

 「……え?砂の追い忍って」

 「他の抜け忍を追っていたようだがな。俺を知る奴がいて戦闘になった」

 「じゃぁ、デイダラはあなたをかばって?」

 水蓮の問いに、サソリが無言で踵を返す。

 その動きに合わせたように、デイダラが小さくつぶやいた。

 「()けた」

 「え?」

 視線の先、デイダラは痺れる腕を持ち上げて、人差し指でサソリを指す。

 「避けたんだ」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 「避けた」

 もう一度言ってデイダラは腕をポトッと布団の上に落とし、苦痛に顔をしかめる。

 短いその言葉に、水蓮は大体のことが読み取れた。

 

 追い忍の毒の攻撃。

 クナイか手裏剣かその手法や状況までは分からないが、サソリなら避けずとも傀儡を使ってうまくはじくと思い、デイダラは後方で何か仕掛けようと準備していたのかもしれない。

 

 だが…

 

 砂忍の扱う毒が強いのを知っていて…

 デイダラが後ろにいるのを知っていて…

 

 「避けたんだ…」

 ジトリと向けられたその視線に、サソリは「フン」と不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 「そいつの油断だ」

 「避けんたんだ」

 「砂の毒はきつい。傀儡に着くと、変色するかもしれないからな」

 「……………」

 あきれで思わず表情が歪んだが、水蓮はもう何も返さなかった。

 準備を終え、デイダラに声をかける。

 「デイダラ。今から毒抜くからね」

 傷口を消毒し、手をしっかりと洗って器に入れた解毒薬にチャクラをためた手を浸す。

 次第に解毒薬がチャクラに吸収されてゆき、器の中が空になる。

 「チャクラに解毒薬を溶け込ませているのか」

 融合させたままの状態をキープするのにかなりのチャクラコントロールが必要なため、サソリのつぶやきに答える余裕がなく、水蓮は無言でデイダラの頬の傷と、腕の傷に手を当てる。

 ゆっくりと一度深呼吸し、神経を集中してチャクラを流し込んでゆく。

 「……う…」

 傷や疲労の回復時に流し込むチャクラとはまた違い、体の中の毒を打ち消しながら体内を進むチャクラ。

 強い痛みはないものの、違和感とピリピリとした刺激を感じ、デイダラが顔をしかめる。

 多少痛みのリスクはあるが、毒に直接解毒薬をぶつけられるため即効性は高い。

 うずまき一族の力ではないが、水蓮の母が使っていた医療忍術であった。

 ただ、チャクラコントロールが難しく、消費も激しいため、術者の心身ダメージはかなり大きい。

 それでも、あまりに強い毒性に、ただ解毒薬を飲ませるだけでは追いつかないとの判断だった。

 いったんすべてを流し終えて、水蓮は息をつく。

 先ほど鬼鮫の治療でチャクラを使っていたこともあり、ドッ…と疲労が襲う。

 が、まだ毒は消し切れていない。

 「解毒薬を器に入れてもらえる?」

 額にびっしり浮かぶ汗を見てか、それともデイダラに多少は罪悪感を感じているのか、サソリは「分かった」と素直に手伝う意思を見せる。

 そうして、3度作業を繰り返し、ようやくほとんどの毒を消し終えた。

 水蓮のチャクラもギリギリで、何とか限界を目前に終えれたことにホッとした。

 「あとは明日の朝、解毒薬を飲めばもう心配はいらないと思う。だけど1週間は安静にしたほうがいいかも」

 「そうか」

 サソリの低い声を聞きながら、ふぅ…と大きく息を吐く。

 「あーね」

 デイダラがまだ少し顔をしかめながら体を起こす。

 「まだ無理だよ」

 しかし、デイダラは割としっかりとした動きで起き上がった。

 「いや、もうここまで来たら起き上がれる。うん」

 両手を何度か握って、にっと笑う。

 「オイラ、毒の耐性は強いほうなんだ。子供の時から、免疫つけるために色々飲まされてるからな」

 「そんな…」

 壮絶な子供時代を垣間見て、水蓮は言葉が出なくなった。

 「今回のはきつかったけど、まぁ死ぬほどじゃねぇぜ。うん」

 体を伸ばしながらまた笑う。

 当たり前のように口にされた過去の事実。そして、彼のこの先…

 いかに暁の一員とはいえ胸が痛まずにはすまなかった。

 それはデイダラのまだ若い年齢と、どこか憎めない性格が大きな理由なのかもしれない。

 「無理しないでね」

 そう言うのが精一杯だった。

 「うん?大丈夫だって。ありがとな、あーね」

 「…うん」

 力なく返したその声に、サソリの声が続いた。

 「デイダラ、動けるのか」

 「あー。1週間もいらねぇけど、2・3日は難しいな…うん。痺れで手がうまく動かねぇ」

 「役立たずめ」

 チィッとヒルコの奥から聞こえた舌を打つ音に、デイダラのこめかみがピクリと揺れる。

 「誰のせいっスかね」

 「お前の油断だと言っただろう。オレの動きを見てなかったからこうなったんだ」

 「いやいや、あそこは旦那がはじいてからの、オイラの喝だろ!うん!」

 「お前の爆破ですべて飛ばしてからのオレだろ。普通に考えれば」

 「くそー!かみ合わねぇ!」

 痺れの残る手で髪をぐしゃっとつかみ、デイダラはむすっとそっぽを向いた。

 しかし『かみ合わない』という言葉を聞きつつも、水蓮は二人の中に形は違えども、イタチと鬼鮫のような何かが少し見えたような気がして、不思議な空気を感じていた。

 「せっかくこの間手に入れた新しい粘土で盛大にやってやろうと思ったのによ。うん」

 その言葉に、サソリが少しあざけるような口調で続く。

 「二度と毒に負けないように、この間手に入れた【釉薬(ゆうやく)の秘伝書】から作った毒を飲ませてやろうか。新しい免疫が付くぞ」

 「いらねぇ!」

 しばらく黙ってそのやり取りを見ていた水蓮だったが「まぁまぁ、落ち着いて」とデイダラをなだめる。

 「あんまり騒いだら、もっと長引くよ。とにかく今は体を休めなきゃ」

 水蓮に促されて、デイダラは体を横にする。

 「でもよ。旦那、どうする?」

 布団をかぶりながらのデイダラの言葉にサソリがしばらく黙してから答える。

 「任務の日取りは変えられん。明日の夕方、オレが忍び込ませた手下の潜脳操砂の術が解けるからな。必ず落ち合わねばならない」

 聞き覚えのない術ではあったが、サソリが人を操り、潜入させる術を使っていたことを思い出す。

 「明日任務だったの?」

 「うん?ああ」

 「でも明日はさすがに無理だよ」

 水蓮はサソリに視線を向ける。

 「役立たずめ」

 その言葉にデイダラが言い返すより早く、サソリは部屋から出て行った。

 「む、むかつくぜ…。うん」

 デイダラは顔をひきつらせながらフンッとそっぽを向いたが、すぐに水蓮に振り返った。

 「なぁ、あーね。もう帰るのか?」

 そのつもりにしていたが、デイダラの経過も気になり、水蓮は首を横に振った。

 「明日の朝まではいる」

 デイダラは「そっか」と嬉しそうに笑った。

 その笑顔はどこかあどけなさが残っていて、それが先ほどの胸の痛みをよみがえらせた。

 「デイダラは、なんで暁に入ったの?」

 ついとそんな言葉が出てしまい、水蓮はハッとした。

 質問には質問が返ってくる…。

 自分の事を聞かれないよう、気を付けなければと思っていたのだ。

 「それは…」

 ぼそりとデイダラが口を開いた。

 「それはイタチのやろうが…」

 「え?」

 思いがけずイタチの名が出てデイダラを見る。

 その視線に、デイダラは少し黙り「なんでもねぇ…」とそっぽを向いた。

 どうやらイタチが何か関係しているようだったが、それ以上話す気がないデイダラの雰囲気に、水蓮も口を閉ざした。

 「それより、あーね」

 しばらくしてからデイダラが水蓮に向き直る。

 「大丈夫なのか?」

 「何が?」

 「うちは一族って、あれだろ。異常なまでの執着だっけか?そんなんあるんだろ?それって束縛みたいなもんだろ?」

 「え?」

 「あーねの事、無理矢理そばに置いてんじゃねーのか?」

 「違うよ。イタチが私に執着って、それはないよ」

 考えてもなかったことに、思わず笑う。

 「そっか…」

 「いや、そうでもないな」

 同じように笑ったデイダラに、突然サソリの声が重なった。

 その低い声がすぐ後ろから聞こえて、水蓮がビクリと体を揺らす。

 「気配消して近づかないでよ」

 「忍にそれを言うのか」

 「何も今消すこと…」

 「それより」

 サソリが水蓮の言葉を無感情に遮る。

 「これは全部お前が作ったのか?」

 見せられた手には、水蓮が調合した薬や解毒薬がいくつかあった。

 「ちょっと!勝手にかばん触らないでよ!」

 「いやそれより、旦那!さっきのはどういう意味だよ!」

 ガバッとデイダラが起き上がる。

 「使えそうだからいくつかもらっておいてやる」

 「何で上から…」

 「そうでもないってなんだよ!」

 「とりあえず、明日からの任務は組織との話で鬼鮫と行く事になった」

 「…え?」

 「そんな事聞いてねえ!やっぱ噛み合わねー!って、うん?鬼鮫の旦那と?」

 ようやく3人の会話が一つになる。

 「日程は変えられない。だが我々は基本ツーマンセルだ。お前が動けないなら他に誰か連れて行くしかない」

 「それで、鬼鮫を」

 「そうだ。ちなみにデイダラ、お前は明日本拠地に放り込みに行く。オレが帰るまで待ってろ」

 その言葉に、デイダラは「ゲ…」と顔をゆがめた。

 「ぜってートビがうるせぇ。うん」

 うんざりしたようにそう言い、大きな欠伸を一つする。

 その様子に、水蓮は布団を少しめくる。

 「騒ぎすぎだよ。もう寝て」

 デイダラはまだ何か言いたそうな顔をしてはいたが、さすがに体の疲労を感じたのか、促されるまま横になり、すぐに寝入った。

 「明日こいつが起きたらすぐに出る」

 「でも、明日はたぶん鬼鮫すぐに動けないと思う。霧隠れの追い忍と…」

 言葉半ばに事を悟り、サソリはまた舌を鳴らした。

 「先にこいつを放り込みに行くか。おまえらが落ち合うのは西アジトだったな」

 「うん」

 「なら、午前中はここで待て。鬼鮫にも組織から連絡がいく。昼には片を付けるだろう」

 サソリは水蓮の返事を聞く気なく、早々と部屋を出て行った。

 パタリとしまったドアの音の後に、窓の向こうで小さく鳥のさえずりが聞こえた。

 

 窓の曇りを手のひらで撫でて消し、そっと見上げた空は少しずつ白み始めていた。

 

 やさしく切なげなその色を見ながら、水蓮は昨夜のことを思い出す。

 

 鬼鮫が負傷し、イタチが月読を使うような相手…

 

 激しい戦いになるのだろう…

 

 それに、追い忍となれば、逃がすわけにもいかない…

 

 イタチがまた心に傷を負うのかと思うと、辛くなった…

 

 「イタチ…」

 

 

 揺れる花びらから夜露をすくった小鳥が、明るさを帯び始めた空にはばたいた。 



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第三十九章【夢に咲く花】

暁秘伝のネタバレが含まれています。
ご注意・ご了承下さい
よろしくお願いいたします


 音もなく、二つの存在が(くう)を切って駆けてゆく。

 そのスピードはすっかり登り切った日の光を浴びても、地に影を作ることすら許さない。

 「なんとも奇妙な最後でしたねぇ」

 先ほどまでの戦いを振り返る鬼鮫の隣を、イタチは無言で駆ける。

 朝、洞窟を出てからほどなくして、昨日取り逃がした相手を見つけ戦闘となった。

 敵は二人。忍びではなく、霧隠れに雇われた、毒蜂を使う特殊な一族。

 鬼鮫が受けた毒も蜂の物で、2度刺されると死に至ることもあるその特性を利用して鬼鮫を狙ってきた。

 忍びではなかったが、水遁と雷遁を巧みに使い、毒蜂での攻撃を繰り出してきた。

 しかしイタチと鬼鮫にかなうものではなかった。

 「まさか、毒蜂に自分たちを襲わせて幕を引くとは」

 戦いの末に適わぬと悟り、選んだ最期がそれだった。

 倒れ伏す二つの体を見えなくするほどの毒蜂。

 それは黒い塊となり、蠢き続けていた。

 しかし、イタチの心に影を落としたのはその光景ではなかった。

 「兄の手で殺される弟の心境とは、どういったものですかねぇ」

 まるでイタチの思考の流れを読み取るかのように、鬼鮫が言葉を並べてゆく。

 

 

 兄弟であった…

 

 先ほど戦った二人は兄弟だったのだ。

 毒蜂を操っていた兄が、勝ち目はないと悟り、最期の選択をした。

 

 「大丈夫だ…。僕も一緒に、死ぬから…」

 

 蜂の鋭い針と強い毒に苦しむ弟の体に、クナイを突き立ててそう言った兄の目は愛にあふれていた。

 

 

 『お前も…他の弟たちも…愛しているよ…』

 

 

 兄の最後の言葉

 

 それこそが、イタチの鼓膜に、心に貼りついて離れないものだった。

 

 

 「明日は我が身、ですか?」

 一言も返さないイタチに視線を向けぬまま鬼鮫が言う。

 

 いや…

 

 イタチは言葉に出さず自身の中で否定する。

 自分は弟に。サスケに討たれるのだ。

 同じではない。

 それに、先ほどの兄弟。弟は死んでいない。

 兄の体からは確かに命は消えていた。

 しかし、隙間なく蠢く毒蜂の向こうで、弟の体にチャクラが消えることなく流れていたのを、イタチの写輪眼が捉えていた。

 いったん弟が死んだとこちらに思わせ、兄が自分の命を弟に注ぎ込んだようであった。

 彼らの一族に伝わる秘術のようなものなのだろう。

 毒蜂にもチャクラが流れていたため、鬼鮫は気づかなかったようだが…。

 

 しかし、兄が死に、弟が生きる…

 そういった意味では同じか…

 

 

 『お前も…他の弟たちも…愛しているよ…』

 

 再びその言葉がよみがえった。

 

 最期にこの世に打ち明けることのできた想いは、弟に届いたのだろうか…

 

 だが、どちらにせよイタチは真実を口にして散って行った兄が羨ましかった…

 

 自分はもう決して伝えられないのだろう…

 サスケにすべてを託して死にゆく覚悟はとっくにできている。

 だが、ただ一つ後悔があるとすれば、本当の想いを伝えることなく命を終えることだ…

 

 

 オレは最期の瞬間。何を語るのだろうか…

 

 問う

 

 だが、それは死の瞬間にしかわからない…

 

 

 

 「どうだろうな」

 

 返答を待つように黙する鬼鮫に、イタチは一言だけ返して、さらに速度を上げた。

 

 

 

 

 日が少し傾き始めたころ、水蓮はサソリと共に、西アジトへと降り立った。

 アジトの入り口では鬼鮫が待っており「そちらも済みましたか」と、水蓮を迎え入れた。

 「済みましたか。じゃねぇ。お前らの都合に合わせてきてやったんだ」

 水蓮が答えるより早くサソリがいつもの悪態をつく。

 すぐにでも出発したいようで、乗り来た鳥から降りてくる気配はない。

 「大丈夫だった?」

 小走りに駆け寄り、鬼鮫の腕を見る。

 すでに傷はふさがり、少し残っていた腫れもひいていた。

 「相変わらず直るの早いね」

 「あなたのおかげですよ。ちなみに、あの毒は、蜂の物でした」

 「蜂?」

 顔をしかめる水蓮に鬼鮫は「ええ」と答えて続ける。

 「相手は毒蜂を操る一族でした」

 その言葉に、水蓮は「あ」と思い当る。

 「昨日洞窟の中に蜂が…」

 雨がやみ、空が落ち着いた頃合を見計らって飛び出て行った蜂。

 その羽音が脳裏によみがえる。

 「なるほど。偵察の蜂ですか。まぁ、問題なく終わりましたよ」

 「イタチは?」

 その姿を探す水蓮に、鬼鮫は小さく息を吐いた。

 「いいところに戻ってきましたよ」

 水蓮はハッとしてアジトの中に目を向ける。

 「うなされてるの?」

 うなずく鬼鮫を見て、それで外にいたのかと納得する。

 イタチがうなされている時、鬼鮫はいつも離れて過ごす。

 

 『聞かない方がいい事もある』

 

 理由を聞いた水蓮に鬼鮫はそう言った。

 

 『特に我々のような人種は』

 

 お互いにとの意味で。

 

 

 「彼が起きるまでの見張りに置いて行きます」

 鬼鮫が影分身を作った。

 「三日ほどかかりそうですから、後は頼みますよ」

 シュッと音を立ててサソリのもとに移動する。

 水蓮が目を向けるとすでに鳥は羽ばたいていた。

 その姿を見送り、水蓮はアジトの中へと急いだ。

 

 

 

 イタチは壁にもたれて座った姿勢で眠っており、少し顔を歪ませていた。

 そっとそばに座り、肩に手を置く。

 その感触に、イタチが薄く目を開いた。

 「戻ったのか」

 「うん」

 「遅かったな」

 「ごめんね」

 眠気で少しぼうっとした表情を浮かべたまま、イタチは小さく呟く。

 「もう少し、寝る…」

 ゆっくりと目を閉じ、静かな寝息を立てる。

 色濃く見える疲れは、昨日の月読の事もあるのだろうが、それだけではないのだろう。

 水蓮は疲労を見せるその心に寄り添うように、イタチの隣に身を寄せて座り、自身も目を閉じた。

 

 

 

 

 

 ……暗い闇が広がっていた……

 

 

 ひどく冷たい空間…

 水蓮はその黒の中で、ポツリと浮かび上がる存在を目にとらえた。

 任務服…

 背中を向けて立っているその姿は、忍。

 それがイタチであると水蓮はすぐに気づく。

 そしてこれがイタチの夢であることも。

 

 

 空区の時と同じ感覚だ。

 

 イタチの心から警戒が消えている時に同調するのかもしれない…

 

 そんなことを思うと同時に、自分が精神体であることも関係しているのだろうとも思う

 

 強い感情に影響を受けているのかもしれないと…

 

 

 水蓮の視線の前にあるその背中は、今よりかなり小さく幼い。

 

 その背が、体が、震えていた。

 

 そっと近づき、息が苦しくなる。

 

 鼻の奧に、まとわりつくような臭い。

 

 覚えがある。

 

 血の臭い…

 そして死の気配…

 

 息苦しさに耐えながら足を進める。

 イタチの体は、大きく震え、その動きに合わせて、カチャカチャと硬い音がなっていた。

 「………っ…」

 水蓮の鼓動が跳ね上がった。

 

 どうしてこういう事は、見えなくてもわかってしまうのだろう…

 

 彼の手には光る刃があるのだ。

 そして見つめるその先には

 

 「父さん…母さん…」

 

 ポタ…ポタ…と雫が落ちる音がする。

 

 それはイタチの涙か。それとも両親の命を奪った鋭い切っ先からしたたる血の音か。

 

 水蓮からは見えない。

 ただ、同じリズムで激しい痛みが胸に迫ってくる。

 「…………っ」

 苦しさに胸をギュッとつかんだ。

 音に合わせて全身の血が脈打つ。

 

 

 …ギィッ…と、扉の開く音がした。

 

 

 幼き日のサスケ

 

 

 現れた愛すべき存在に、イタチは深い傷を刻んでゆく。

 それと同じように彼の心も傷ついていくのが分かる。

 

 

 …痛い…

 

 

 走り去る弟の背が消える

 

 

 イタチの膝ががくりと落ちた

 

 「…サスケ…」

 

 震え収まらぬまま、イタチは動かなくなった父の背に、額をつけた。

 

 「父さん…母さん……っ…」

 

 

 …苦しい…

 

 

 ポタ…

 

 再び聞こえたその音とともに、闇の中に、フッ…と小さな光が生まれた。

 

 ポタ…

 

 その光は、一つ。また一つと増えていく。

 

 そして、次第にイタチの周りを取り囲み、すぅっ…と何かを残して消えてゆく。

 

 「……………っ!」

 その光景に水蓮は息を飲んだ。

 

 光が消えた後に現れたのは花だった。

 

 美しく咲くスイレンの花

 

 「イタチ…」

 

 水蓮の胸がさらに締め付けられた。

 

 感じる…

 私を呼んでる…

 

 「イタチ!」

 

 水蓮は震えたままのイタチの背を抱きしめようと手を伸ばした。

 しかし、見えないなにかに阻まれて届かない。

 

 

 「どうして…」

 

 

 目の前で小さな体が震えている。

 

 こんなに近くにいるのに…

 

 「イタチ!」

 

 すぐそばでイタチが泣いているのに…

 私を呼んでいるのに…

 声も、手も届かない…

 今どれほど恐ろしい思いをしているだろう…

 苦しんでいるだろう…

 

 「父さん。母さん。サスケ…」

 

 何度も何度も呟かれる言葉に、水蓮は以前イタチの夢の中で見た、家族の幸せな光景を思い出す。

 

 家族を愛し、家族に愛される

 決して特別な、贅沢な望みではない。

 誰もが普通に与えられるべき幸せ。

 それがイタチが何より望んだもの。

 守りたかったもの。

 

 それを自分の手で消さなければいけなかった

 

 あまりにも辛すぎる…

 残酷すぎる…

 

 こんなにも小さな体に、幼い心に、一族の、里のすべてを背負って耐えてきたのだ。

 

 たった一人で…

 

 誰にも見えぬところで震え、泣いていたのだ。

 

 たった一人で…

 

 「ごめん。イタチ…ごめん」

 

 届かない自分の手が悔しかった

 

 溢れる涙でイタチの姿が、全てがにじみ消えていった… 

 

 

 

 

 …ポタ…

 

 

 …ポタ…

 

 

 夢の中に聞いた音が夜の静けさに響き、少しずつ水蓮の意識を現実へと連れ戻す。

 

 昨日降った雨の名残だろうか…

 洞窟のはるか上のほうから地面をすり抜け、一つ。また一つと切なげな音を立てて地面へと落ちてゆく雫。

 その一つが頬に落ち、ヒヤリとした感触に水蓮は目を覚ます。

 不意に目覚めたのになぜか眠気を感じず、逆に頭が冴えていた。

 この洞窟が少し高い場所にあり、より空気が冷たいからだろうか。

 水蓮はその気温の低さに少し体を固くしながら起き上がり、自分の外套の上にもうひとつ外套が被せられていることに気付く。

 「イタチ…」

 外に出ているのか姿が見えない。

 水蓮はイタチの外套を手に、外へと向かう。

 足を進めるたびに、気温がさらに低くなるのを感じながら、その目にイタチの姿をとらえる。

 洞窟の入り口の少し先。イタチは枯れて朽ちかけた木の下に座り、頼りないその木に背を預け、遠くを見つめていた。

 「外にいると風邪ひくよ」

 息が白く色立つ。

 水蓮はそっと歩みより、外套をイタチに渡す。

 そこにはイタチの姿のみで、鬼鮫の影分身はすでに姿を消しているようだった。

 「ごめんね、寒いのに。ありがと」

 「ああ」

 小さく浮かべたその笑みに、先ほどの夢が脳裏を駆け、水蓮は胸が苦しくなった。

 それでも、笑みを返して隣に座った。

 イタチはスッと外套に手を通し、しばらく言葉なく景色を見ていたが、ややあって静かに口を開いた。

 「兄弟だった…」

 静かに空を見上げる。

 月の光を受けてその瞳が揺れた。

 水蓮は一瞬イタチが泣いているように見えてドキリとする。

 「さっき戦った二人は」

 その視線は、ある方角を見定める。

 …木の葉の里を…

 「兄弟だった」

 イタチが戦いの内容を話すのは珍しい…

 相手がその生命に纏っていた【兄弟】という繋がりが、イタチを感傷的にしているのだろうか…

 「そう…」

 

 だからあの夢を…

 

 水蓮はイタチが見つめる先を、同じように見つめた。

 「弟とは不思議な存在だ」

 ポツリポツリとイタチは言葉を紡ぐ。

 「兄は無条件に弟の幸せを願う」

 月光がイタチの姿を光らせてゆく。

 「そのためなら、自分が恨まれることも、憎まれることも恐ろしくはない」

 吹き上がる風がその美しい黒髪をなびかせ、その光景はまるで一枚の絵画のような芸術性を見せる。

 「心から愛する存在」

 先ほどの戦いの話をしているであろうはずが、水蓮にはイタチ自身の話に聞こえる。

 「それを伝えて、弟を守り抜き兄は散って行った。それはオレには…」

 

 …オレにはできないことだ…

 

 イタチが飲み込んだその言葉が水蓮にははっきりと聞こえた。

 「イタチ…」

 名を呼ばれ、イタチはハッとして小さく笑った。

 「すまない。何でもない」

 その笑顔が泣いて見える。

 水蓮の胸がクッと締まった。

 

 

 またこの笑顔…

 

 何度この笑顔を見てきただろう…

 

 すべてを抑え込んださみしげな微笑み。

 

 そこからいつだって伝わってくる…

 

 痛み、苦しみ、悲しみさみしさ、孤独…

 そして、大切な存在への愛情…

 

 

 だけどそれを決して誰にも言えずそうすることを許されず、許さず。

 いつも全てに耐えて生きている。

 

 たった一人で…

 

 夢の中で震え、涙を流し、救いを求めながら。

 

 ずっと一人で戦っている…

 

 そしてその先にあるのは…

 

 待ち受ける最期の場面。そしてあの笑顔が脳裏に浮かび、どんどん水蓮の胸が苦しくなる。

 

 誰にも言えないから真実を隠さなければいけないから、言葉も、心もウソを重ねてゆく。

 

 『なんでもない』と、こぼれ出そうな本心にいつもすぐに蓋をして、何も感じていないと自分に嘘をついてゆく…。

 

 辛すぎる…

 

 一人で耐えるにはあまりにも辛い…

 

 もうこの人をこれ以上、孤独にしたくない…

 

 止められぬその想いと共に、水蓮の瞳から涙が大きな粒となってあふれる。

 「水蓮。なぜ泣く?」

 イタチは驚きながらもその涙をぬぐう。

 「イタチ。もうやめて。一人で全部抱え込むのはやめて」

 拭いとった涙がその数を増やしてまた溢れたからか、それともその言葉に対してなのか、イタチは少し動揺するが「オレは何も抱えてなどいない」そう言ってすべての物を抑え込んでまた笑う。

 

 …やめて…

 

 そんな悲しい目で笑わないで…

 

 「…………っ」

 あまりに苦しくて、言葉にならなかった。

 「水蓮、大丈夫か…?」

 その様子に、イタチは心配そうに目を細める。

 

 いつもそうやって、人のことを心配して…

 本当は一番つらいのに…

 もう一人で苦しませたくない…

 

 夢の中で、孤独に震えるようなことはさせたくない。

 

 だけど…

 

 

 このままじゃ届かないんだ…

 

 

 水蓮はゆっくりと息を吐き出し、涙を拭い止め、心を決めてイタチを見つめた。

 

 

 何も言わないままではこの人には届かない…

 

 

 

 冷たく研ぎ澄まされた風が二人の間を通り抜けた。



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第四十章 【月下の誓い】

 「イタチ。私あなたに言ってないことがある」

 水蓮の言葉を追うように、空気が白く色づき、広がる。

 それが消えるのを見送るように、少し黙してから、イタチが「あれ以上にまだなにかあるのか?」と冗談交じりに返す。

 一年ほど前に知った水蓮の素性。

 それ以上に驚くようなことはない。

 イタチの目がそう言っているようだ。

 「私の話を聞いて、私をどうするかはあなたが決めて」

 「どうするかって…」

 「生かすか、殺すか」

 イタチが息を飲む。

 水蓮の鼓動は不思議と落ち着いていた。

 「私は知っている」

 「何を…?」

 「知ってるの」

 その言葉に、(まとう)う空気に、決意を秘めた目に、イタチは何かを感じその表情が色を変えていく。

 水蓮はまっすぐにイタチを見つめて言った。

 「私はあなたの真実を知っている」

 イタチの瞳が大きく見開かれる。

 ともに真実を分け合える者の存在が救いとなるか、それとも許せぬ物となるか。

 そのどちらなのかは分からない。

 それでも、もう孤独に耐えて笑うその笑顔を見ていられなかった。

 「何のことだ」

 言葉とともに、イタチの瞳が厳しく冷たくきらめく。

 水蓮は一度目を閉じ、再びイタチをまっすぐに見つめ、己の知る真実を口にした。

 

 「すべてが任務だった」

 

 その一言ですべてが(かい)されてゆく。

 イタチを取り巻く空気が固く冷たく張りつめてゆき、二人を取り巻く空間のすべてが止まったようだった。

 音も、風も、時間も

 全てが機能を失い、何も動かない。

 その止まった空間の中で、水蓮の涙がポタリと零れ落ち、すべてが再び動き出す。

 「私は知ってる。里のために、サスケのためにあなたが一人苦しんできたことを。里を守るために(ここ)でずっと孤独に耐えてきたことを知ってる…」

 「…っ!」

 

 イタチの目が厳しく光り、音も立てずにのばされたその手が、水蓮の首を掴んだ。

 

 「うっ…」

 息苦しさにうめく水蓮の声に、イタチはハッとして苦悩にゆがんだ顔でその手を震わせながら離した…。

 数回水蓮が咳き込む(さま)を見て、イタチは複雑な色を瞳に浮かべ、それでも絞り出すように「すまない」と言った。

 意思とは無関係に、反射的に手が出たようだった。

 真実を知る者は生かしておけない。その衝動はイタチ自身にも制御しきれない。

 水蓮は首を横に振り、息を整える。

 「大丈夫…」

 「どうやって知った」

 今までに聞いた事のない、恐ろしく低い声。

 その目は水蓮を見ていない。

 まるで見ることを恐れるかのように()らされていく。

 「私の世界には、この世界の事を知る(すべ)があるの」

 「思い出したのか?」

 過去に水蓮の母が、時空間忍術の影響で記憶が欠如し、水蓮がイタチや鬼鮫の事をどうやって知ったのかを『覚えていない』とイタチに語った。

 だがそれは、水蓮の身を守るために、水蓮の母が述べた偽りだった。

 「…………」

 答えられず地面を見つめる水蓮の様子に、イタチはハッとする。

 「始めから忘れてなどいなかったのか」

 「ごめん。ごめん、でも…」

 グッと地面を握りしめる。

 「私は知ってる。知ってしまってるの」

 地面に水蓮の涙がいくつもの跡をつけてゆく。

 それを視線の端に捉えながら、イタチの心は動揺していた。

 「初めから知っていたのか…」

 沸き上がるその感情が、怒りなのか驚きなのか。その正体がイタチにはわからない。

 「お前は、知っていたのか」

 決して知られるはずのない、知られてはならない真実を知る存在が目の前にいることに、イタチは恐怖にも似た戸惑いに襲われ、混乱へと陥っていく。

 

 うちは一族がクーデターを起こそうとしていたという事実

 そして、それを止めるため、サスケの命を守るために一族抹殺の任務を遂行した事実

 里を守るために、暁にスパイとして身を置いている事実 

 

 それらは決して外に出てはいけないものだ。

 【うちは一族は、木の葉の里を作り守り抜いてきた名高い一族】

 その歴史を、うちはの名を、守る。親友【うちは シスイ】との最後の約束だ。

 命を懸けて里を、一族を愛したシスイとの約束。

 

 それを守るためにも、真実は決して表に出てはいけない。

 なにより、サスケに知られるわけにはいかない。

 サスケは、自分にその血が流れていることを誇りに思っているのだ。

 その誇り高き一族と、愛すべき家族を殺した自分を恨むことで生きる力を得ているのだ。

 強さを求めているのだ。

 知られてしまっては、すべてが崩れる。

 まして、自分の命を守るために兄が一族を殺したなどと知ったらあいつは…

 

 イタチの鼓動が早くなってゆく。

 

 知られてはならない…

 

 だが、それを知る人物が目の前にいる…

 

 「一体どうやって」

 そう問うものの、イタチはすぐにそれを自身の中で打ち消した。

 どうやって知ったかは今、重要ではない。

 この世界の人間であるならば、その経路を知る必要がある。

 だが、この世界の人間ではない水蓮が、その世界にしかない方法で知ったのであれば、他に知る者はいないだろう。

 

 なら重要なのは、知りながら何も言わず自分と共に行動していたその理由。

 そして、その情報をどうするつもりなのかだ。

 

 「何を企んでいる。誰かとつながっているのか」

 「何も企んでなんかないよ!誰ともつながってもいない!」

 「なら、なぜ今まで何も言わずに…」

 その言葉に、水蓮が静かに言葉を紡ぐ。

 「あなたのそばにいたかったから。なんでもいい、自分にできることがあるなら、そばにいて力になりたいと思った。でも、この事を言ったら、そばにいれなくなるとそう思った。だから言えなかった」

 ずっとイタチのために黙っていようと、そう考えているつもりであった。

 だが、水蓮は気づいた。

 

 イタチと離れたくなかった。

 そばにいられなくなる事が怖かった

 

 すべて自分のためだった。

 

 だからあの時手が届かなかったのだ。

 

 「あなたのそばにいたかったから」

 「オレのそばに…」

 「だけど、もうこれ以上一人で苦しむあなたを見ているのが辛い。すべてを背負って孤独に耐えているあなたを、孤独にしたくない。だから真実を知る者として、あなたと共にいさせて。そばにいさせて。一緒に背負わせて」

 溢れる涙をそのままに、水蓮はイタチを見つめる。

 「それがダメなら…」

 震える声で、しかしはっきりと言う。

 「それがダメなら私を殺して」

 「………ッ!」

 イタチが息を飲んだ。

 「一緒にいれないのなら生きてる意味ない」

 心の底から絞り出されたその言葉に、偽りはない。

 それがはっきりと分かるからこそ、イタチには分からなかった。 

 「なぜそうまでして…」

 自分のそばにいたいと言うのか…

 イタチにはその真意が見えなかった。

 「なぜだ…」

 どれほど考えても見えないその答えを求めて、イタチの瞳が揺れる。

 「なぜって…」

 水蓮はその瞳をまっすぐに受け止め答える。

 「なぜって。そんなの決まってる」

 どれだけ流れても止まらぬ涙と共に、水蓮の想いがあふれ出た。

 

 「あなたが好きだから」

 

 イタチが目を見開く。

 言われている意味が解らない。そんな表情だ。

 

 どんな事情も、理由も、名目も関係ない。

 一族を、両親を手にかけた犯罪者。

 

 闇に染まったその道を歩く自分に決して向けられるはずのない感情。

 「ちがう…」

 ぽつりと、イタチの口からこぼれる。

 「ちがう。それは同情だ。いや、哀れみか?」

 乾いた冷たい笑みを浮かべる。

 「違うよ!そんなわけない!」

 「いや、違わない」

 「違う!そんな感情で命かけたりしない!」

 

 …命をかける…

 

 その言葉にイタチは今までの水蓮を思い出す。

 

 その身を削って病から助け傷を癒し、離されまいと恐怖に震えながらトビの前に存在をさらし、この組織に入り。

 慣れぬ世界で死の恐怖と向き合いながら戦いに身を投じてきた。

 ゼツに連れ去られ、恐ろしい思いをしてもなお離れようとせず。

 そして今、殺されるかもしれないと分かっていながら【真実】を語る。

 共にいれないのなら「殺してくれ」と本気でそう言う。

 

 そうして、命を懸けて自分のそばに居続けようとしてきた水蓮の姿がめぐる。

 

 そしてさらに思い出されてゆく

 

 悪夢にうなされ目覚める度につながれていた手のぬくもり

 恐怖と不安を消し去る笑顔

 里やサスケを思いだし、胸が苦しくなるたびにいつもそばにいた…

 

 

 なにより、水蓮がいる空間は、穏やかな時間であふれていた

 …心が落ち着き、温かさに満ちていた…

 

 

 全身を駆け巡る今までのすべてに、イタチの心が震えた。

 

 

 …オレはいつもその存在に支えられていたのか…

 

 

 夢に咲く花が脳裏に浮かぶ

 

 

 …オレはいつもその存在を求めていたのか…

 

 

 しかし、だからこそイタチには分からなかった。

 与えられていたのが自分だとしたら。

 「お前がオレを好く理由がない」

 自分は水蓮に何も与えてはいない。

 水蓮の言う感情に足りるだけのものが、思い当らない。

 しかし、水蓮は首を横に振る。

 「何言ってるの。あなたは気遣ってくれた。守ってくれた。涙をぬぐってくれた。あなたは、優しい」

 イタチが目をそむける。

 「違う。それは、お前にサスケを重ねて」

 すべてがそうではなかったが、そうであった物は決して少なくない。

 「知ってるよ」

 返された思いがけない言葉にイタチは息を飲む。

 「でも関係ない。誰に向けた物かなんて、関係ない。あなたの本当の気持ちであることには違いない。優しくされたから好きになったんじゃない。優しさを、大切なものを愛する気持ちを持っている人だから好きになった」

 どんなときも、イタチの優しさには偽りはなかった。

 本来持っている真実の姿がそこにはあった。

 「全部本当のイタチだった!」

 「……………」

 イタチの瞳が揺れる。

 

 …本当の自分…

 

 闇にその身を沈めてからずっと、自分でさえわからなかったその存在。

 それを水蓮が見つけていた。

 見つけてくれていた。

 胸の奥が締め付けられるように痛んだ。

 「水蓮…」

 イタチは自分の中に湧き上がるその痛みと感情の正体に、もう気づいていた。

 気付いたからこそ、戸惑いと動揺が心に広がってゆく。

 自分がその感情を誰かに抱くことがあると、考えたことがなかった。

 

 …オレは…

 

 あふれ出てくる感情の中、イタチの脳裏によみがえる。

 水蓮がゼツに連れ去られた時の恐怖。

 あの時イタチは思った。

 

 失うかもしれない

 

 そして…

 

 失いたくない。と

 

 「オレは…っ」

 溢れおさまらぬ感情を浮かべたその表情は、今までに見せたことのない素のままの【うちはイタチ】だった。

 

 そんなイタチの表情を見て、水蓮の心からイタチへの想いが涙と共に溢れだす。

 「他にもあるよ!いっぱいある!」

 まっすぐ見つめたまま水蓮は想いをぶつける。

 「イタチの髪も、目も、手も、声も好き!」

 

 届いて…

 

 「ちょっと驚いた時の顔とか、甘いもの食べた時ににやけそうなのをこらえてる顔とか。難しいこと考えてる時の顔も、眠くてぼぉっとしてる時の顔も好き!」

 

 届いて…

 

 「私の作ったお菓子をおいしいって食べてくれる。そんなあなたが好き!」

 

 届いて…

 

 「何でもかんでも背負い込んで、一人で全部しようとするところはちょっと嫌いだけど、それでも自分の決めた道を進む強さが好き!」

 

 お願い…

 

 「…サスケや里のことを誰よりも愛してるところも好き…」

 

 届いて…

 

 「あなたを好きな理由なんて、あふれるほどある!」

 

 届いて…

 

 「まだ、まだまだあるっ!」

 

 届いて!

 

 「…水蓮…」

 

 

 あふれ出てぶつかりくる水蓮の想いに、イタチの心が動いた。

 気づいてしまった想いを、もう押さえきれなかった

 

 「他にもまだある!まだ…」

 「もういい!」

 言葉の途中で、水蓮はイタチの胸の中に抱きすくめられていた。

 

 「もういい…」

 

 絞り出された声…

 

 抱きしめた腕に、ギュッと力がこめられる。

 「イタチ…」

 イタチの手が震えている。

 「もうわかった。わかった…」

 もう一度その腕に力がこもる。

 その強さに、言葉はなくともイタチの心を感じ取り、水蓮はギュッと抱きしめ返す。

 「イタチ!」

 二人を静かな空気が包み込んでゆく。

 「水蓮…」

 その静けさの中、イタチの声が流れる。

 「お前は全て知っていたんだな…」

 隠してきた【真実】とイタチの心の【真実】

 その両方へと向けられた言葉。

 「知っていて何も言わず、オレのためにずっとそばにいたのか」

 ようやく気付いたその事に、胸が苦しくなり、イタチは水蓮の髪に指を絡ませながら抱き寄せる。

 「知ってる。全部知ってる…」

 水蓮の頷きに、イタチは「そうか…」と返し、驚くほど弱々しい声で想いを紡ぎだす。

 「オレは、そのすべてを近しい者に知られることなく、死んでゆく覚悟だった…」

 

 水蓮のまっすぐな想いに触れ、少しずつイタチの心が内から外へと導かれ、一つ一つが確かな形を作ってゆく。

 

 「その苦しみを、一人背負うことがせめてもの罪滅ぼしだと…」

 

 自分でも気づかぬよう、分からぬほど奥深くに閉じ込めてきたすべて

 

 「だがあの日、お前に初めて会った日。サスケを傷つけ、里の暗部に追われ、自分がわからなくなった。いつでも【木の葉のうちはイタチ】でいたつもりの自分が、木の葉に追われ、本当の姿が見えなくなった。

 覚悟していたはずなのに。それは想像をはるかに超える苦しみだった…」

 

 イタチの声は震えていた。

 水蓮はただ黙ってそのすべてを受け止めてゆく。

 

 「己の手で奪った一族の命。その重さにつぶされそうになった。そしてあの時、その弱った心で思った。一族を裏切り、サスケに憎まれて生きることを選び里を出たオレが、オレが…」

 

 言葉に詰まるイタチ。

 その先を口にすることを戸惑い、もう一人の自分が拒んでいる。

 水蓮はその想いに寄り添うように、イタチの背中をそっと撫でた。

 その優しさに、イタチの願いが彼の心を支配している闇の奥深くから放たれた。

 

 「誰かに愛されて生きる。そんな未来を選べていたらと。ほんの一瞬思った」

 

 水蓮の心が震えた。

 

 「イタチ…」

 

 いったいどれほどの夜を孤独に耐えて超えてきたのだろう…

 こんなにも強く誰かを求め、愛されたいと願いながら…

 どうしてこんなにも苦しまなければいけなかったのだろう…

 なぜそれがイタチでなければいけなかったのだろう…

 その答えはどこにも見つけることができないのかもしれない…

 

 でも、見つけた答えが一つ。ここにあった。

 「私も…」

 イタチの服をぎゅっと握りしめる。

 「あの時思った。誰かを心から愛する。そんな人生を歩みたかったって…」

 水蓮は自分がイタチのもとへ来た理由がわかったような気がした。

 その答えをイタチが口にする。

 「オレたちは互いの願いに引き寄せられたのか」

 どうしようもなく胸が苦しくなった。

 水蓮の目からはとめどなく涙があふれる。

 イタチの体も小さく震えていた。

 水蓮はゆっくりと体を離し、イタチを見つめる。

 「あなたが【木の葉のうちはイタチ】でいられる場所として側にいさせて…」

 しかし、イタチの目には迷いが浮かぶ。

 「だが、オレはもう長くはない…」

 病と、サスケとの戦いによる終焉…

 その両方を含ませた言葉。

 「オレがお前に残せるものは『孤独』だ」

 一人水蓮を残して逝くことになる。

 その事にイタチの顔が苦悩を浮かべる。

 だが水蓮は笑顔を浮かべた。

 「あなたを孤独にすることのほうが辛い」

 「水蓮…」

 月の明かりがより一層強くなり、二人を静かに包み込んでいく。

 イタチにとって月の明かりは、自身の罪を薄れさせないための戒めでしかなかった。 

 しかし今、その月明かりを、その光に照らされる水蓮を『美しい』と感じている。

 「オレはいつもお前の存在に救われ、守られ、いつの間にかお前を求めていた」

 イタチの手が小さく震えながら水蓮の頬を包む。

 「オレはお前が好きだ」 

 「…イタチ…」

 「水蓮…」

 迷いながら、戸惑いながら、そして恐れながら…

 それでもイタチの口から言葉が紡ぎ出された。

 「許してくれ。お前に愛されることを」

 イタチの手に水蓮が手を重ねる。

 「あなたを愛することを許して」

 

 

 二人の影が、月明かりの中で重なった

 

 

 最期を迎えるその時まで、決して孤独にはしない…

 

 

 互いのその想いが色を重ねてゆく。

 

 

 誰かを愛し、誰かに愛されることの幸せと、締め付けるような胸の苦しみ。

 そのすべてを包み込むように月が優しく輝き、柔らかい風が流れて行った。




いつもありがとうございます(*^_^*)

ようやく…の二人です…
それでも、【最期】を決めているイタチと、【最期】を知っている水蓮…
今後二人はどのように進んでいくのか…
見守っていただければと思います。

…あ、終わりではないです(~_~;)続きますので☆

これからもよろしくお願いいたします(^○^)


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第四十一章【浸食】

 日に日に下がる気温は肌に射し込み、冬の厳しさを感じさせる。

 それでもこの時期の早朝の空気は澄み渡り、気持ちを静かに保ってくれるようで、水蓮は心地よさを感じながら歩いていた。

 手のひらを口元で合わせて息を吹きかける。

 それは白くふわりと広がり、指先を温めて空気に溶けてゆく。

 その先を目で追いながら、洞窟を出てすぐのところにある小さな崖の前で立ち止まる。

 「あった」

 切り立つ崖に咲く白い小さな花。

 数か所でその姿を見せ、冷たい空気の中で凛と咲いている。

 この時期の朝早くにしか開かず、ほんの数時間で閉じてしまう。

 この花の茎と蜜に炎症を抑える効果があり、イタチの薬として使おうと採取に来たのだった。

 崖に近寄り、いちばん近いものに手を伸ばす。

 が、ギリギリ届かない。

 「む…」

 冷たく硬い岩肌に体を張り付けながら指先でその茎を引き寄せようとする。

 「もうちょっと」

 あと数ミリ…

 チャクラ使って上ったほうがいいだろうかと思いつつグッと体を持ち上げると、不意に視界が陰った。

 背中にやさしいぬくもり。ふわりと心地よい香りが立ち、トクンと胸が鳴った。

 「これか?」

 静かに降り落ちてくる声に、頬が熱を帯びるのを感じながら顔を上げる。

 「イタチ。おはよ…」

 背後から水蓮の体を覆うようにして花に手を伸ばし、ゆっくりと手折る。

 「ああ。ずいぶん早いな」

 まだ少し夜露の残るその花を水蓮に手渡す。

 「ありがと。この薬草、今の時間しか花が咲かなくて。閉じると、扱いにくいから」

 それももちろんではあったが、昨日想いを伝え合った後で、気恥ずかしかったというのが理由の大半だった。

 イタチが眠っている間に、少し気持ちを落ち着かせようとこの場に来たのだ。

 「そうか。まだ採るか?」

 「うん。あと2本くらい」

 イタチは自身の手が届く所にあるものをそっと引き寄せ水蓮に渡す。

 「お前の作る薬はよく効くな」 

 「ネコ婆様直伝だから」

 懐かしいあの時間を思い出す。

 イタチも少し記憶をたどるような表情で遠くを見つめていた。

 「色々わかったような気がする」

 「え?」

 つぶやくようなイタチの言葉に、水蓮は首をかしげた。

 「お前に対して、いつも思っていた。なぜ…と」

 イタチは何か思い出したように、少し笑った。

 「なんて無茶な事をする奴だとそう思っていた」

 「あ…。ハハ…」

 

 思い返せばそうかもしれない…

 

 水蓮は居心地悪く顔をそむけた。

 「だが、すべてわかったような気がする」

 どれも自分のためだったのだと、イタチは納得いったようだった。

 だがそれは、水蓮が初めからずっとイタチを想っていたという証明でもあり、水蓮は恥ずかしさでうつむいた。

 「自分に対しての疑問もな」

 見上げたイタチの顔は、どこか複雑な色を浮かべていた。

 自身の気持ちを受け入れたものの、自分にそれを許してよいのか。

 その気持ちはすぐには拭えないのだろう。

 「イタチ…」

 水蓮は、複雑な表情のままのイタチに笑顔を向けた。

 「おなかすいたね」 

 イタチは一瞬きょとんとして柔らかく笑った。

 「そうだな」

 並んで歩き出す。

 水蓮は、風に揺れたイタチの袖口を、キュッと握った。

 それを見て、イタチが優しい目でまた笑う。

 その笑顔からは陰りがなくなったわけではない。

 水蓮はそれが少しでも和らぐように、手にもう少しだけ力を入れた。

 

 

 

 この日は午後から近くの町へと出ることになった。

 「もう少し行ったところに薬屋がある」

 隣を歩くイタチは桔梗の姿だ。

 水蓮はうなずき、あたりをくるりと見回す。

 「にぎやかな街だね」

 観光地のようで、今までのどの町よりも賑わっており、民芸品や土産用の特産物を取り扱う店が所狭しと並んでいる。

 店先からは商品を勧める声が聞こえ、その活気が心地よく気持ちを上げてゆく。

 寒い季節ということもあり、いたるところで肉まんを蒸す湯気と、食欲をそそるいい匂いが漂い、先ほど昼食を済ませたばかりなのに、おなかがすいたような感覚に襲われる。

 「こっちだ」

 イタチの声に、湯気立つ店の前で思わず立ち止まっていた事に気づき、水蓮は慌ててイタチの後を追う。

 人通りの激しい大通りを抜け、細い路地を進みゆく。

 「あそこだ」

 路地の奥にたたずむ小さな店。

 初めて行った店よりも一回りほど小さく感じた。

 薄暗い路地の中にあるものの、店内は明るく、陳列はすっきりと整理されていた。

 イタチが行く薬屋は、こうした小さくて中がきれいというところばかりだ。

 整理が行き届いた店は信用度が高く、小さい店は目立たないというのがその理由のようだった。

 それに、大きな店のように、ありきたりのものを大量に仕入れるのではなく、珍しい物や、希少価値の高い物を必要な分だけ取り扱っている所が多いというのも大きな要素のようだった。

 ここもその一つのようで、棚に並ぶ薬草を見て水蓮が目を輝かせていた。

 「わぁ。やっぱり珍しい薬草多いね」

 「何か必要なものは?」

 隣に立つイタチの言葉に、水蓮は棚を見ながら答える。

 「この間デイダラの治療で毒消し全部使ったから、それくらいかな」

 「世話の焼けるやつだ」

 「おかげで、鬼鮫も連れて行かれちゃったしね」

 今二人で任務の最中なのだろうと、鬼鮫とサソリが共に行動するところを想像する。

 「なんか合わなさそう。あの二人」

 「確かに…」

 いらいらするサソリと、それにうんざりしてため息をつく鬼鮫が思い浮かび、二人同時に笑った。

 「鬼鮫、すごい疲れて帰ってくるんじゃない?」

 疲れ果てた鬼鮫を想像して、また笑う。

 「仲いいですね」

 カウンターの向こうに座っていた、女性店主が「フフ」と小さく笑みをこぼした。

 「え?」

 50代の少しふっくらとした顔立ちの店主。

 柔らかく、ほほえましげな表情を浮かべていた。

 「桔梗さんに妹さんがいたなんて知りませんでしたよ」 

 水蓮とイタチが顔を見合わせる。

 きょとんとした二人の顔に、店主は「違うんですか?」と首をかしげる。

 「違いますよ」

 水蓮が手を振りつつ答える。

 「よく似てらっしゃるから」

 もう一度顔を見合わせる。

 その動きがそろっていたことに店主はまた微笑み「あ、そうそう」と、カウンターの下からマグカップほどの大きさのツボを取りだした。

 「解毒薬ならいいのがありますよ」

 「ほんとですか?」

 興味津々で水蓮が店主の開けたツボの中を覗き込む。

 「桔梗さんにはこちらですね」

 以前見たものと同じ薬の瓶。

 水蓮は、以前月明かりを浴びて瓶に文字が浮かび上がっていた光景を思い出し、無意識に視線をそらした。

 「で、こちらの御嬢さんは」

 「あ、水蓮です」

 「水蓮さんには、これ」

 店主はツボの中の液体を小さな柄杓ですくい、水蓮に見せる。

 「桔梗さんに渡した薬を作っている医療忍者の方が作った解毒薬です。彼女の調合の緻密さと効果の高さはかなり有名ですよ」

 柄杓からツボの中へと流し落とされるその薬は、少量でもその滑らかさが見て取れた。

 「あの、それ何回分か買いますので、少しだけここに入れてもらえますか?」

 水蓮はカバンの中から小さな器を取り出す。

 「構いませんよ」

 店主が一すくいして、数滴器に注ぐ。

 水蓮は手にチャクラをためて解毒薬を上から垂らす。

 それはチャクラと触れ合った瞬間に溶け込んでゆく。

 「すごい。なじみ方が全然違う」

 最近は薬の調合にかなり自信がついてきていたが、店主の言うように調合の緻密さが自分の物とは比にならない事が分かる。

 「いやいや、あなたもすごいですよ水蓮さん」

 店主が水蓮の手元を見て目を見開いていた。

 「自分のチャクラに解毒薬を溶け込ませる人初めて見ました。かなりのチャクラコントロールが必要でしょう」

 「あ、はい。結構大変です。でも、このまま解毒薬をチャクラと一緒に体の中に流し込めるので、即効性が高いんですよ」

 「すごい…」

 「ありがとうございます」

 しきりに感心する店主に照れて返した水蓮の隣で、イタチが「いつの間に…」とつぶやく。

 「二人が出てる間、ただぼうっとしてたわけじゃないんだから」

 今度は少し得意げな顔で笑う。

 その笑顔に、イタチはそれも自分のためなのかと、胸の奥が温かくなるのを感じ、無意識のうちに水蓮の頭に手を乗せていた。

 「あ、あの。き、桔梗。は…恥ずかしいから…」

 「……ん?」

 イタチは自分の手に気づき、ハッとして引きおさめる。

 桔梗の姿であることが、普段より警戒を少し緩めさせているのだろうか。

 「仲いいですね」

 店主がまたほほえましげに笑った。

 

 

 

 夕方からはかなりの冷え込みとなり、外で過ごすのは難しいと考え、二人は町で宿をとることになった。

 観光地ではあるが、寒い季節ということもあり人が少なく、案外早く見つけることが出来た。

 「空いててよかったね」

 「そうだな」

 元の姿に戻ったイタチは、少し難しい顔で空を見ていた。

 「どうかした?」

 隣に並び水蓮も空を見上げる。

 視線の先には少し欠け始めた月…

 「月?」

 「ああ。これから新月に向けて進む」

 「新月って、太陽と重なって、月が見えなくなる…」

 「よく知ってるな」

 月に目を向けたまま頷く。

 「お父さんが月とか星とか、好きだったの」

 「そうか」

 しばし落ちた静寂に、音を立てて風が舞い上がる。

 「新月の日は少し時空に乱れが出る」

 「そうなの?」

 「ああ。万華鏡写輪眼を手に入れてから、かすかにだが時空の揺れを感じる事ができるようになった。新月に限らず、空に動きがある時は特にな…」

 「不思議だね…」

 水蓮は空を見るイタチの写輪眼を見つめる。

 月光の美しさを吸い込んだかのような端麗な輝き…

 「イタチの目はきれい」

 スッ…と静かに水蓮に向けられた赤い瞳が、少し悲しげに揺れる。

 「血に濡れてきた目だ」

 水蓮は「違う」と微笑んだ。

 「大切なものを守ってきた目だよ」

 そっと体を寄せて手をつないだ。

 その手には柔らかい温もりがある。

 だが、なぜか胸が痛んだ…

 

 どこからともなく何かが押し寄せてくる…

 

 幸せなはずのこの時間に、襲い来たもの…

 

 それは今日一日を通して、水蓮の中に広がりだしていた。

 

 

 【不安】と【恐怖】

 

 

 未来を知る者ゆえに感じる恐ろしさ。

 

 自分はもうすぐこの人を失う…

 

 その時、この時間を思い出して壊れてしまうのではないか…

 

 その不安と恐怖は想いを伝える前より、強くなった…

 

 

 小さな白い花。

 

 いい香りと共に空気に立つ湯気。

 

 空に浮かぶ月。

 

 

 普段の生活の中に普通にあるそれらを見て今日の事を、イタチを思い出す。

 

 

 …一人で…

 

 

 想像しただけで涙がにじんだ。

 

 いざ『その時』を目の当たりにして、つなぐこの手を離せるだろうか…

 

 

 …怖い…

 

 

 覚悟のその上から覆いかぶさってくるこの感情を、もしイタチも感じていたら…

 それが苦しみになってしまったら…

 

 本当にこれでよかったのだろうか…

 

 水蓮の脳裏を様々なことが駆けた。

 

 「水蓮。もう休め。オレはもう少しやることがある」

 知らず知らず、不安が顔に出ていたのか、イタチはあやすような口調でそう言って笑った。

 「うん」

 こんな事ではダメだと、水蓮も笑みを返した。

 

 

 だが、拭いきれないそれは、まるで白い布に落ちた血のようにじわじわと水蓮の胸に広がりだしていた…




いつもありがとうございます。(^○^)
先日日間ランキングで6位にランキングしました(*^_^*)
すごい嬉しいです!本当にありがとうございます!
UAも30000を超え、悩みながらも書いてきて本当に良かったな…としみじみ…。

本当に皆様のおかげです☆
ありがとうございます!
これからも水蓮たちと一緒に頑張っていきますので、なにとぞよろしくお願いいたします
(*^。^*)


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第四十二章【疑い】

 翌朝アジトに戻ると、予定より早く任務を終えた鬼鮫が戻っており、顔を合わせるなり思いもかけないことを口にした。

 その内容にイタチは顔をしかめて黙り込み、水蓮が大きな声を上げた。

 「単独任務?私に?」

 「そうです」

 「そうですって…」

 言葉をなくす水蓮の隣で、イタチが難しい顔を鬼鮫に向ける。

 「内容は」

 「最近この先の森を抜けた所にある街で、うちはサスケが何度か目撃されているそうでしてね」

 「ええっ!」

 思わず声が大きくなる。

 予想以上のリアクションに鬼鮫が目を見開いた。

 「そんなに驚かなくても」

 「あ、ごめん…」

 「その動向を探れとのことです」

 「ええっ!」

 水蓮がまた声を荒げる。

 「私が?サ…うちはサスケの?」

 鬼鮫が頷く。

 「無理だ」

 静かなイタチの声に、水蓮がすぐに続く。

 「そうだよ。私きっとすぐ見つかる」

 尾行なんてしたことがない。

 しかし鬼鮫は「大丈夫でしょう」と笑う。

 「何も彼のあとをつけろという意味ではないですよ。彼の目撃情報をもとに、聞き込みをする程度だ。接触した人物を探し、何を聞かれたかどこへ向かったのか」

 「あ、なる程…」

 「もちろん、うちはサスケと接触する必要もない」

 「それなら…」

 「いや、ダメだ。危険すぎる」

 水蓮の言葉終わらぬうちに、イタチが強い口調で言う。

 その反応に鬼鮫が少し驚いたように視線を向けた。

 「珍しい。組織の命令は絶対が口癖のあなたが…」

 「万が一にでもサスケや大蛇丸に気づかれて、こちらの情報が洩れては困る」

 答えたイタチに鬼鮫は「だからですよ」とフッと笑った。

 「わかりませんか?」

 鬼鮫の視線がイタチと水蓮に交互に向けられる。

 イタチがため息をつき、水蓮はしばし考えてから「あ」と小さく声を漏らした。

 「私と大蛇丸が…」

 「そういうことです」

 

 疑われている…

 

 水蓮もイタチ同様ため息をついた。

 「変わり種を集めるのが好きなようですからねぇ。大蛇丸は」

 滅び里の、ましてうずまき一族の生き残り。

 その水蓮を組織は大蛇丸の手下かもしれないと、そう疑っているのだ。

 そして、暁に送り込まれたスパイかもしれないと。

 

 それを払拭するための任務。

 

 サスケの動向を探り、情報をもたらすことで水蓮に自分でその疑いを晴らせと、そう要求してきているのだ。

 内容を理解し、黙り込んだ二人に鬼鮫は「そういうことです」と、もう一度言った。

 「この任務でこちらの事が少しでも大蛇丸に知れれば、状況はどうあれ、あなたがあちらの人間という疑いが濃くなる。ですが、うちはサスケの動向をきっちりと持ち帰れれば、疑いは晴れる。すべてではないでしょうがね」

 何かを含んだその言葉に、水蓮は組織のもう一つの疑いを感じた。

 それをイタチが口にする。

 「木の葉か」

 「そうです」

 母親がクシナの九尾封印に携わっていたのなら、木の葉とのつながりを疑われるのは当然であろう。

 だが、さすがに九尾のチャクラを持つ水蓮を、木の葉へと送り込むわけにはいかない。

 それゆえ、まずは大蛇丸との関係を確かめようという事なのだ。

 「だが…」

 「わかった」

 何かを言いかけたイタチの声を水蓮が遮った。

 ここでイタチが異論を唱えれば、イタチも疑われる。

 木の葉に関係しているかもしれないと疑われている自分と、木の葉にいたイタチ。組織の目はそこも危惧しているはずだ。

 そう考えた水蓮と同じくイタチもそれを読み取り、諦めたように大きく息を吐き出した。

 それを隣でとらえ「わかった」と、水蓮はもう一度強く言った。

 鬼鮫は満足そうにうなずいて、内容を述べていく。

 「期間は今日から3日間。準備が整い次第出立。集められるだけの情報を集めてきてください。どんな小さな事でもいい。何を聞き、何を見、どこへ向かったのか。一人なのか、連れがいるのか、何かを探しているのか」

 「わかった…」

 喉がごくりとなる。

 「もし何かを買ったのなら、その品や忍具ならその効果なども聞くといいでしょう。3日たってなくとも、彼の目的がはっきりとした時点で戻って構いません」

 緊張が高まり無言でうなずく。

 あとをつけるのではないにしろ、情報を追えば本人にぶつかる可能性もある。

 この時代のサスケがどの程度力をつけているのかはわからないが、とても適うものではないだろう。

 手に汗が生まれた。

 「準備してくる」

 水蓮は二人から離れ、荷を整えにかかる。

 その姿を見ながら、鬼鮫がイタチに小さく笑う。

 「あなたは彼女にはずいぶん過保護のようだ…」

 その言葉に、イタチは無表情で返した。

 「お前こそ。ずいぶん丁寧に教えていたな」

 ちらりと視線を向けられて、鬼鮫は肩をすくめる。

 「何か問題を起こされては困る。それに、貴重な医療忍者ですからね」

 何かにつけてそう言う鬼鮫に、イタチは鬼鮫にとっても、水蓮がそれだけの存在ではなくなってきているのだろうと感じていた。

 彼もまた【理由】を探しているのかもしれないと。

 「なら見てやれ。オレは手を出さない方がいいだろう」

 「そうですね」

 鬼鮫は「クク」と喉を鳴らして水蓮の準備を確認しに行った。

 

 

 基本的な事や注意事項などをさらに確認し、水蓮は昼過ぎに出立することとなった。

 「健闘を祈りますよ」

 軽い口調で笑う鬼鮫の隣で、イタチは硬い表情を浮かべていた。

 「危険を感じたら身を引き、時間を空けて動け」

 「うん」

 「無理だと判断したら、すぐに戻れ。いいな」

 先ほども話したことを強く繰り返す。

 「わかった」

 厳しく光るイタチの瞳には、鬼鮫から離れたときに言われた言葉が浮かんでいた。

 

 『決してサスケと接触するな』

 

 もし幻術が使えるようになっていたら、組織の情報を読み取られ事態はかなり厳しいものとなる。

 それ以上に、サスケに知られてはいけない物が水蓮の脳内には山のようにあるのだ。

 最悪の事態を避けるためにも、サスケとの接触は避けねばならない。

 「行ってくる…」

 ひきつった顔で言う水蓮を鬼鮫が笑って見送り、イタチは「気をつけろ」と、静かに声をかけた。

 

 

 

 

 日が傾き始めた頃に、水蓮はやや深めの森へと差し掛かった。

 日の入りが早いこの時期。急いで抜けなければと、少し早い足取りで進む。

 ここ数日の中ではまだ温かい方だが、やはり空気は冷たく、水蓮は襟元を少し握りしめた。

 万が一の事態を考え、外套はいつもの物ではなくイタチが潜入捜査時に使っている薄いグレーのマントを着用している。

 ほのかにイタチの香りを感じ、それが少し心強さをもたらしてくれた。

 だが、それでもやはり不安は拭いきれず、しばらく歩みを進めるうちに心細くなり、水蓮はポツリとつぶやいた。

 「うまくいくのかなぁ…」

 と、その時。何かが自分に飛び来る気配を感じ、水蓮はその場を飛びのく。

 

 ガッ…

 

 音を立てて先ほどいた場所にクナイが突き刺さる。

 「…っ?」

 宙を飛びながらあたりを探ると、少し離れた場所で切りあう音が聞こえた。

 どうやら忍び同士が争っているようだった。

 自分に向けられたものではないことが分かり、ほっとして崖のふちに着地する。

 しかし、地に足がついた途端。

 

 ガゴッ…

 

 重い音と共に足元に地割れが生まれ、体がぐらりと揺れた。

 「…え?」

 つぶやきと同時に足元が崩れ落ち、水蓮の体は崖に放り出され、再び宙に舞っていた。

 「きゃぁぁぁぁっ!」

 叫びをあげながらも、水蓮はチャクラをためて崖に手を伸ばす。

 が、あと少しのところで届かない。

 「…くっ…」

 貼りつくのは無理ととらえ、体にチャクラをめぐらせ落下の衝撃に備えて目を閉じる。

 

 そう高くはない。何とかこらえきれる!

 

 さらに固く目を閉じ多少の痛みを覚悟した。

 しかし、急に体がふわりと浮きあがる感覚と、やわらかい温かさに包まれ、ほどなくして地面に着く気配。

 「………?」

 ゆっくりと目を開きながら、誰かに抱きかかえられていることに気づき、落ちる自分を抱きとめ助けてくれたのだと悟る。

 「あ。すみません……」

 開き切ったその瞳に相手を捉え、水蓮は息をのむ。

 静かな空気をまとい、無言のまま自分に向けられた美しく整った顔。

ツンと伸びた黒い髪と、少し吊り上った瞳がきつい印象を与えるが、それがまた美しさを際立たせている。

 そして、その瞳の色は、赤い…写輪眼…

 「きゃぁぁぁぁぁっ!」

 その正体がうちはサスケだと脳が理解し、水蓮は思わず叫んだ。

 サスケは突然の声に顔をひきつらせ「うるさい」と低く短く言い放ち、水蓮をボトリと地面にわざと落とした。

 「いった…」

 お尻を思い切りぶつけ、さすりながら視線をあげる。

 改めて目の前の人物を確認する。

 原作で再登場した時の姿に比べるとやはり幼いが、同年代と比べればかなり大人びて見える。

 黒い前合わせの服にスッキリとした黒いズボン。

 かなりの軽装に、薄紫の外套をはおり、腰の辺りにチラリと刀が見える。

 水蓮を見据える赤い瞳は、イタチの物とはまた違う、どこか重い輝きを放つ写輪眼。

 

 間違いなくサスケだ…

 

 …最悪だ。いきなり接触するなんて…

 

 額に一粒汗が浮かんだ。

 「おい、あんた…」

 サスケが低い声で近より、水蓮に手を伸ばした。

 「え!…あ、うん…」

 水蓮はこの失態に動揺しながらも、必死に平静を装い、その手につかまろうと手を出す。

 しかし、サスケの手はそれをすり抜け、水蓮の肩を掴み「どけ」と勢いよく横に押し飛ばした。

 「わっ…」

 ドサッと音を立てて倒れる。

 「ちょっと!何するのよ!」

 水蓮の抗議の声を全く無視し、サスケは崖に近寄り、すっとかがみこんで崖に這う蔦をかき分けた。

 そこには小さな文字が書かれているようだった。

 じっとそれを見つめるサスケの横から水蓮も目を凝らす。

 そこにあったのは【封】の一文字。

 サスケはその文字の上に手を乗せ、チャクラを流す。

 周りに円状に浮かび上がる封印の術式。

 どうやらそれを写輪眼で読み解いているようだったが、ややあって小さくため息をついて立ちあがり、そのまま立ち去ろうとする。 

 「え?ちょっと。いいの?これ?」

 必要だったのではないかと思い、思わず声をかける。

 「俺には解けない」

 振り向かぬまま言い放つサスケの背に、水蓮が言葉を続ける。

 「私解けるよ」

 ピクリと肩を揺らしてサスケが立ち止まる。

 水蓮は【封】の文字に向き直り、手を当ててチャクラを流し、浮かび上がった術式を読む。

 「うん。解ける」

 自身の知っている封印術であることを再確認してうなずく。

 いつの間にか隣に来ていたサスケが小さな声で「やれ」と水蓮に一言投げた。

 「…………」

 態度の悪さに、水蓮は無言でサスケをにらみつける。

 「なんだ」

 「なんだじゃないでしょ。お願いしますでしょ」

 サスケは顔をしかめしばし黙っていたが、渋々といった感じで「頼む」と不機嫌に呟いた。

 それでもやや納得は行かなかったものの、水蓮は壁に向き直って印を組む。

 「解!」

 タン…と、印を組み終えた手を術式の中心に置くと、ふわりと光が立ち、壁に穴が開く。

 その奥には巻物が一つ置かれていた。

 その巻物を手に取ると、どうやら巻物にも封印術がかけられているようだった。

 だが、それを深く調べる前に、サスケがさっと水蓮の手から取り上げてカバンにしまいこんだ。

 そして顔も見ずに「ついて来い」と水蓮に言い放ち歩き出す。

 「え?なんで?」

 戸惑いながらも、とりあえず後を追う。

 「あと二つ探している。手伝え」

 水蓮が封印術に詳しいと読み、勝手にそう結論付けたようだ。

 「なんで私が…」

 とんでもない。と内心で叫ぶ。

 

 これ以上一緒にいたら何が起こるかわからない…

 万が一大蛇丸が来て、もしもそばに以前戦った榴輝がいたりしたら…

 

 …殺されかねない…

  

 「無理だよ。私この先の町に行かないと。連れとはぐれて急いでるの」

 必死に取り繕う。

 「今からではこの森は抜けられない」

 「え?」

 バッと見上げた空は、いつの間にか薄暗くなりつつあった。

 だがそれでも、急げば日が落ちる前には町につけそうな気もする。

 「まだ大丈夫じゃない?」

 「いや、無理だな」

 そうはっきり言われると、自信がない。

 自分より若いとはいえ、そういったことはサスケのほうが詳しいに違いない。

 それに、崖から落ちたことで経路も予定していたものとは違う。

 「そうかな…」

 不安げな態度にサスケは目を細めて水蓮を見る。

 「一人でこの森で過ごせるのか?」

 「……っ…」

 さすがにその自信はなかった…。

 「手伝うなら、身の安全は保障してやる。用が済んでから町まで送ってやってもいい」

 どこか意地の悪い笑みを浮かべながら言葉を続ける。

 「早く決めろ。俺はどっちでもいい」

 「………う」

 しばし苦悶し、水蓮は「お願いします」とうなだれた。

 そしてすぐにハッとする。

 「お願いしますはそっちの言う事でしょ!」

 しかしサスケは「さっさとついて来い」と足早に歩きだしていた。

 「なんか全然違う…」

 イタチとのあまりの性格の違いに水蓮は顔をひきつらせ、大きく息を吐き出してサスケの後に続いた。

 「大丈夫かな…」

 このとんでもない事態に、水蓮は救いを求めるように空を見上げ、イタチを思い浮かべた。



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第四十三章【うちはの兄弟】

 暗闇が生み出す静けさの中、夜を生きる者達の鳴き声が、まるでその存在を競い合うように、確認し合うように響く。

 その中にひときわよく聞こえるのは、強者の咆哮。

 「ついてきて正解だったな。狼の群れだ」

 サスケのその言葉に、水蓮は顔をひきつらせた。

 「そうね…じゃない!全然時間に余裕あったじゃない!」

 サスケに連れて来られたのは、森の奥、地下に作られた空間。

 どうやら今は使っていない大蛇丸のアジトのようだ。

 保管庫のような用途だったのか、そう広くはない。

 その限られた空間に響いた水蓮の声に、サスケは無表情で背を向けた。

 

 この場所までそう短くはない距離を歩いたが、夜になったのはここに着く寸前。

 十分に森を抜けれた距離だった。

 「あんな所から落ちてくるような、どんくさい人間の足ではという意味で言ったんだ」

 無言で睨み付ける視線を背中に感じたのか、振り向かぬままサスケが言う。

 

 か、かわいくない…

 

 わなわなと手を握りしめる水蓮の視線の先で、サスケは様々な瓶が並んだ棚を見ていた。

 「これか」

 その中の一つを取り、ふたを開ける。

 ツンと鼻に刺すようなにおいが立った。

 どこかで嗅いだことのあるにおいに記憶をたどる。水蓮の脳裏に浮かんだのは、デイダラの顔。

 「それ…」

 数日前にデイダラの治療の時に感じた毒の匂いだった。

 何をするのかと、水蓮が見つめる前で、サスケは無造作にその瓶に口をつけた。

 「ちょっと!なにしてるの!」

 とっさにサスケの手からその瓶を取り上げて蓋をする。

 思いがけぬ速さで奪われ、サスケは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに表情を戻し取り返そうと手を出す。

 「返せ」

 「だめよ」

 さっと手を引いてかわす。

 「何考えてるの。これ、毒でしょ」

 「わかってる」

 「わかってるって」

 返して、再びデイダラを思い出す。

 

 

 『子供の時から、免疫つけるために色々飲まされてるからな』

 

 

 その言葉が耳によみがえった。

 「免疫?」

 「そうだ。それを取りにここへ来た」

 再び奪い返そうとするサスケの手を、身を引いて避ける。

 「おい。いい加減に…」

 「分量!」

 サスケの言葉を遮って声を上げる。

 「…?」

 きつく言葉をぶつけられて、サスケが少したじろいだ。

 「免疫をつけるにしても、分量があるでしょ!」

 本当なら止めたい。だが、この世界に生きる彼らにとっては、これもまた、命を守るための物なのだと…水蓮はデイダラを見て感じていた。

 訓練してなければ、あの時デイダラは死んでいたかもしれないのだ。

 「今、一気に飲むつもりだったでしょ。この毒はかなり毒性が強い。量によっては訓練を受けてる人でも命に関わる可能性があるものよ」

 「詳しいな。あんた医療忍者か?」

 水蓮はうなずき、カバンから器を取り出して数滴毒を入れた。

 デイダラが受けた傷。そして、治療で感じた量からはじき出した分量。

 「これくらいが限度よ」

 だがサスケは不満な顔を浮かべ、受け取ろうとしない。

 「俺は普通のやつより耐性が強い。それくらいでは意味がない。それの数倍飲んでも、一晩眠れないくらいだ」

 こともなげに言うサスケに、水蓮は思わずいらだつ。

 

 あまりにも自分を無下に扱いすぎだ…

 

 そう感じていた。

 強くなりたい。イタチに勝ちたい。その力を求めての段階、手段の一つなのだろう。

 もしかしたら、大蛇丸のところで様々な薬物を投与されて、毒が効きにくい特殊な体質になっているのかもしれない。

 それでも、腹が立った。

 イタチの気持ちを考えると、無性に腹がっ立った。

 あんなにサスケを思い、自分のすべてをかけて彼を守ろうとしているのだ。

 それを知らないとはいえ、許せなかった。

 「もっと自分を大切にしなさい」

 大きな声ではない。抑えた静かな叱咤。

 サスケはほんの少し身を引き、一瞬だが表情に子供らしさを浮かべた。

 が、すぐに元に戻し「あんたには関係ない」と不機嫌に言い放つ。

 「関係ある!」

 「何の関係があるんだ」

 「迷惑よ!」

 ぐいっと毒を入れた器をサスケに押し付ける。

 「夜中にあなたがうなされたら、気になってしょうがないでしょ!」

 「ほっておけばいいだろ」

 「ほっとけないわよ!一応医療忍者なんだから!そばで人がうなされてたら無視できないの!それに、うるさくて眠れない!言うこと聞かないなら、手伝わないから!」

 「…………」

 さすがに言葉に詰まるが、すぐに気を取り直す。

 「別に構わない。解けない術なら、調べて会得してから解くまでだ」

 「あ、そ。じゃぁ、この毒捨てる」

 「まて!」

 サスケは慌てて水蓮の手をつかもうとする。

 だが、水蓮は身をひるがえして距離を取る。

 その動きに水蓮の力量が見えたのか、サスケは真剣な空気をまとわせて水蓮ににじり寄った。

 「それはここにしかない。もう一度作るには時間がかかる」

 「だったら」

 サスケの空気に押されまいとグッと体に力を入れる。

 「言うこと聞いて」

 

 引くわけにはいかない…

 

 サスケを愛し守ろうとするイタチの想いを考えると、サスケの行為を許すわけにはいかなかった。

 「聞かないなら捨てる」

 「……………」

 しばしにらみ合いが続き、サスケが大きくため息をついた。

 「分かった…」

 体の力を抜き、諦めたように言い放ったサスケに水蓮もほっと息をつき、器を渡す。

 「そっちも返せ」

 瓶を目で刺すサスケに、水蓮は「だめ」とその瓶をカバンに入れた。

 「勝手に飲まれたら困る。どうせ明日も飲むんでしょ?明日また分量計って渡すから」

 免疫をつけるには少しずつ量を増やして、数日続けて飲むはずだ。

 サスケは無言でそれを肯定し、不機嫌そうに毒を口に含んで器を水蓮に返し、部屋のすみにある長椅子に横たわった。

 「もう寝る」

 吐き捨てるようにそう言って目を閉じたサスケから少し距離を取って、水蓮は壁に背をつけて座った。

 はぁぁ…と、思わず深いため息が漏れた。

 「なんか疲れた」

 もう一度息を吐き出し、その姿勢のまま目を閉じる。

 いつの間にか外はすっかり静になっており、時おり虫の羽音による小さな音色が聞こえるのみとなっていた。

 その心地よい響きに誘われ、水蓮もいつの間にか眠りに落ちていた。

 

 

 どれほど時間が経っただろう。

 小さく呻く声に、水蓮は目を冷ました。

 部屋の中央にあるテーブルに置かれたランプの灯りの先。サスケが少し顔を歪めていた。

 少量とはいえかなり強い毒。やはり、症状は軽くなかったようだ。

 「もう。何がそれくらいでは意味がないよ…」

 呆れた息を吐きながら、水蓮はサスケのそばに座り手をかざした。

 しかし、チャクラをためたその手をサスケが掴んだ。

 「やめろ。毒を抜くな…」

 薄く開いた目は、苦しげな色を浮かべながらも厳しく光っている。

 「意味がなくなる。すぐにおさまる」

 額にも汗を浮かべ、時折襲う痛みと痺れに表情を変えながら、それでも耐えようという意思。

 

 先程のように、怒りはわかなかった。

 かわりに、胸が苦しくなった。

 

 「分かってる」

 その声は、優しく空間の中に響いた。

 「痛みを少し和らげるから。じっとしてて」

 その柔らかい声と表情に、サスケはどこか安心したような顔で目を閉じた。

 水蓮の手から、あたたかいチャクラが注ぎ込まれ、少し表情が和らぐ。

 「名前…」

 「え?」

 目を閉じたまま、サスケが呟くように言った。

 「名前聞いてない」

 「あ。えと、香音」

 さすがに水蓮という名前は伏せた。

 「俺の事は知ってるな…」

 「え?」

 「俺の顔見て、驚いてただろ。いや、目か…」

 「うん」

 水蓮は頷く。

 それでも、サスケは目を開け、自分の名を口にした。

 「うちはサスケだ」

 そこにはやはり、【うちは】への誇りが感じられた。

 「うん」

 もう一度頷きを返すと、サスケはまた目を閉じた。

 

 しばらくたち、水蓮のチャクラの温もりに誘われて、サスケが静かな寝息をたてる。

 まだ少し辛そうなものの、眠るサスケはどこかあどけなさを感じさせ、知らぬ間に水蓮の目から涙がこぼれた。

 

 どうして…

 

 どうしてこの二人は戦わなければいけないのだろう…

 

 本当ならそんな必要はどこにもない…

 

 誰よりも大切に想い合ってきた兄弟なのに…

 

 それなのに…

 

 

 イタチは、恨まれ、憎まれ闇に染まりながらサスケに討たれ、死ぬことを望み。

 サスケは、恨み、憎み、闇を求めてイタチを討つために生きる。

 どちらも、自分を傷つけ苦しみながら…

 

 どうしてこの二人なのか…

 

 【うちは】を想い守ろうとするその気持ちは同じなのに…

 

 

 ただただ胸が苦しかった。



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第四十四章【侮辱】

 朝の気配を感じて、水蓮はゆっくりと体を起こし、サスケが寝ていた長椅子で眠っていたことに気づく。

 「いつの間に」

 身じろぎと共にするりと体から布が落ちそうになり慌ててつかむ。

 「これ…」

 薄紫のそれは、サスケの外套。

 「………」

 

 こういうところは似てる…

 

 その意外な行為に驚きながらサスケの姿を探して外へと出る。

 少し高く上った太陽の位置を見て、思ったよりゆっくり寝てしまっていたことに気づく。

 やや離れたところに気配を感じ、目を向けると、サスケが体術の鍛錬をしていた。

 シュッ…と、動きに合わせて切れの良い音が生まれ、森の中に溶けてゆく。

 無駄のない動き。洗練された体の運び。

 機敏に、そして時にしなやかに。美しく舞うようなその形は、やはりどこかイタチの姿と重なる。

 ややあって、サスケは鍛錬の緊張を解き、息を大きく吐き出し呼吸を整えた。

 「やっと起きたのか」

 無愛想な口調だが、それでも起きるまで待っていてくれたのかと思うと、自然と「ありがとう」と言葉が出た。

 「別に急いでないだけだ」

 フイッとそっぽを向くしぐさが少し可愛く見えて、水蓮は小さく笑った。

 

 

 

 軽く食事を済ませてから、二人は目的の物を探しに出た。

 方向を定めた足取りで歩くサスケの後に続きながら、水蓮が言葉を投げる。

 「場所はわかってるの?」

 「ああ。しばらく前から調べていた。昨日場所は確認したが、封印が解けなかった」

 

 なるほど…

 

 何の巻物を探しているのかは分からないけど、その封印場所を調べるために、街で聞き込みをしていたのだろう。

 水蓮がそう思考をめぐらせたとき、サスケが「ここだ」と足を止めた。

 その視線の先には、直径1メートルほどの大きな切り株。

 サスケがその上に手をつき、チャクラを流すと、淡い光と共に、封印の術式が浮かぶ。

 だが少し昨日の物とは違っていた。

 「どうだ、解けそうか?」

 水蓮はサスケの後ろから覗き込むように確認し、自身の知りうる術であることにうなずく。

 「うん。大丈夫」

 少し難しい術式ではあったが、イタチに封印術を教えながら自分も訓練していたこともあり、この半年ほどで水蓮の扱う術の数もかなり増えていた。

 サスケの隣に立ち、じぃっとサスケを見る。

 「なんだ」

 「何か言うことあるでしょ」

 「なにを」

 「お願いしますでしょ」

 ジトリとにらんで低い声で言う。

 サスケはしばらく黙り「うざい」とそっぽをむいた。

 「じゃぁやらない」

 「いい」

 「あ、そ」

 苛立ったように背を向けるサスケに、水蓮は意地悪く笑みを浮かべる。

 「さらに難しい封印術かけといてあげるから。頑張ってね」

 スッと印を組む。

 「おい!やめろ!」

 その手をサスケが慌てて止める。

 「ややこしいことをするな!」

 「じゃぁ、ちゃんと言いなさい」

 しばしにらみ合いが続く。

 それでも言う気配を見せないサスケに、水蓮は手を振りほどいて再び印を組む。

 「まて!わかった!」

 手を止めてサスケを見ると、とんでもなく不機嫌な表情を浮かべ、目をそらしながら「頼む」と消えそうな声で言った。

 それがサスケの精一杯なのだろうと、水蓮はいささか不満ではあったが「まぁいいわ」と返して改めて印を組む。

 複雑な印をゆっくり丁寧に組んで切り株に手をつく。

 年輪に沿うように光る文字が走り、その中央にふわりと巻物が浮かび上がった。

 それを手に取り、水蓮は気づく。

 昨日の物と同様、この巻物自体にも封印が施されている。

 

 いったい何の巻物なのか…

 

 この中身が分かれば、組織に持ち帰るには十分な情報になる…

 つい、じっと巻物を見つめる。

 が、サスケが隣からさっと奪った。

 「次に行くぞ」

 「あ、うん」

 答えた時には、すでにサスケは少し先を歩いていた。

 「ちょっと待ってよ」

 慌てて追いかける。

 昨日も今日も、こうして過ごして思うことが水蓮にはあった。

 イタチも鬼鮫も、自分のペースにかなり合わせてくれていたのだと。

 思い返してみれば、初めて会った時からそうであった。

 移動で森を歩いた時も、必死に後を追うようなことはなかった。

 イタチはもともとがやさしい性格だが、鬼鮫も両親を亡くして取り乱した自分を、彼なりに気づかってくれていたのだろうかと、そんなことを思う。

 足を速めてサスケの背中を見つめる。

 イタチや鬼鮫に比べてかなり小さい背中。

 「無理もないか…」

 つぶやいて小さく息を吐く。

 サスケはまだ14・5歳。そんなことができるほうがおかしいのだ。

 口の悪さも、自分が強くあるための物なのかもしれない。

 そう思うと、様々な考えが脳裏に浮かんだ。

 

 すべてを断ち切ることで強さを得ようと、心を、感情を殺そうと必死なのかもしれない…

 

 本当は里を、仲間を想い、辛くなる時があるのではないだろうか…

 

 今のサスケは、イタチを憎んではいるけれど、そのほかの存在への憎しみはない…

 

 里に対しても、仲間に対しても…

 

 今朝の事を見ても、まだこのころのサスケは思った以上に柔らかさが残っていて、表情も感情も動きがある。

 

 それを消し去ろうと、彼なりに必死なのかもしれない…

 

 消そうとしても消しきれない何かと戦っているのではないか…

 

 それゆえの、この態度なのかもしれない…

 

 そう思えば、多少は許せる…

 

 「おい。ぼさっとするな」

 ふいに振り向いたサスケがジトリとにらみながら言葉を投げてきた。

 「さっさと歩け」

 「………」

 

 やっぱり許せない…!

 

 今朝のやり取りで『かわいい』と感じてしまった自分にも、(なに)か腹が立った。

 「ちょっと!」

 水蓮は足を速めてサスケに並んで歩きながら声を荒げる。

 「年上相手に口が悪すぎるわよ!」

 「知るか。ぼさっとしてるあんたが悪い」

 「してない!」

 歩きながらきつい視線で睨み付けてくる水蓮に、サスケはちらりと一瞬だけ目を向けてため息をつく。

 そして一言つぶやくように言い放った。

 「うるさい」

 「なっ!あのねぇ!」

 「ついたぞ」

 怒りおさまらぬ水蓮の声を遮り、サスケが到着を告げた。

 サスケの視線の先には小さな井戸のような物があった。

 覗き込むと、かなり深いのか底が全く見えない。暗闇があるだけ。

 水が入っているのかどうかも分からない。

 「ここだ」

 サスケは姿勢を落として井戸の淵壁の外側に手をついた。

 浮かび上がった術式は、先の二つとはまた違っていたが、水蓮の使える物。

 ちらりと無言で視線を送ってきたサスケに、水蓮はうなずいた。

 そして隣に座り、サスケをじっと見る。

 サスケは顔を歪めながらしばらく水蓮を睨むように見つめていたが「頼む」と先ほど同様小さい声で言った。

 水蓮は満足げに頷き印を組む。

 その後ろでサスケが何かに敗北感を感じて「くそっ…」と息を吐き捨てるのが聞こえた。

 その様子に、やっぱりちょっと可愛いかも。と水蓮は小さく笑みを浮かべた。

 「解!」

 トンっとついた手の周りに光が生まれ、消えると同時に井戸の中からコポコポと水が湧き上がる音が聞こえた。

 二人で同時に中を覗き込む。

 水はあっという間に登り詰め、井戸から少しあふれるほどとなった。

 しばらくしてから、その水の中からチャクラの膜をまとった巻物が浮かび出てきた。

 水蓮がそっと取り上げると、水が引き、またそこには暗闇が戻った。

 「はい」

 サスケに渡しながら軽く確認する。

 やはりこの巻物にも封印術が施されているようだった。

 「ねぇ。それ何の…」

 思い切って中身を聞こうと水蓮が口を開いた瞬間。

 あたりにいくつかの気配が生まれた。

 サスケも気づいたようで、さっと巻物を懐にしまい、気配を探る。

 「5人いるな」

 「誰かに追われてたの?」

 サスケを狙ってきたのかと思い問う。

 しかしサスケは「さぁな」と軽い口調で答えた。

 「とばっちりはよく受けるがな」

 

 大蛇丸の…

 

 水蓮の脳裏にその姿が浮かんだ。

 サスケはやや水蓮の前に出て声を上げる。

 「出てこい」

 現れたのはサスケが言った通り5人。

 見たことのない額宛をつけていた。

 その中のリーダーと(おぼ)しき男が一歩進み出た。

 「うちはサスケだな」

 「だったら何だ」

 「大蛇丸の居場所を言え」

 どうやらサスケの読み通り、大蛇丸に恨みを持つ者のようだ。

 「隠す義理もないが、教える義理もない。失せろ」

 10…いや、20歳ほど年に差がありそうな相手。サスケの悪態にみるみる苛立ちを脹れあがらせる。

 「言え。あの男…あいつを殺すまではわれらの…我が里の無念は晴れない!」

 「そうだ!」

 後ろから別の忍びが声を上げてゆく。

 「あの男は、大蛇丸は里の繁栄のために力を貸すと言っておきながら」

 「実際には実験のために我々を、里の者を利用し」

 「あげく証拠を消すために里を焼き払ったのだ!」

 水蓮は思わず息をのんだ。

 しかしサスケは無感情に「知るか」とすべてを一蹴した。

 その一言に、忍たちの怒りがさらに膨れ上がる。

 「教えぬのなら、力づくで聞くまでだ」

 はぁ…と、サスケがあきれたように息を吐く。

 「死にたくなければ去れ」

 冷めた瞳…

 それが相手の怒気を頂点まで引き上げた。

 体を震わせながらサスケを睨み付け、ぶつける言葉を探すように黙り込む。

 そして数秒して、それを見つけたのか、嘲笑を浮かべながら言った。

 「一族一の落ちこぼれらしいな」

 挑発するように投げつけられたその言葉に、ピクリとサスケの肩が揺れる。

 「うちはの生き残りはそうだと聞いたがな」

 「残った者がそれでは、一族も無念だろうな」

 「ちょっと!」

 思わず水蓮が声を上げた。だが男たちの罵倒は終わらない。

 「名高きうちは一族も、今では大蛇丸の手下だ」

 「所詮はその程度の物。成り下がりが大きな顔をするな!」

 

 相手の忍たちの怒りや無念は分かる…

 

 だが、我慢が出来なかった。

 うちはの名を侮辱されることが許せなかった。

 

 サスケも、水蓮も

 

 「いいかげんに…」

 水蓮が反論の声をあげようとしたその時。サスケの姿が消えた。

 一瞬だった。甲高い鳥の嘶きが森に響き、空気を震わせた。

 

 ドサッ…と重なるいくつもの音。

 

 水蓮の視線の先で、今まで立っていた5人の忍が地面に倒れ伏し、うめいていた。

 

 サスケはリーダー格の忍のそばに立ち、瞳を赤く染めて見下ろす。

 とらえたものを凍りつかせるその瞳。

 「お前らごときがうちはの名を口にするな。汚すな」

 静かに、低く放ち、カチャリと腰の刀に手をかける。

 「だめ!サスケ!」

 水蓮はとっさに駆け寄り、その手を止めた。

 「離せ…」

 グッと力を入れるサスケ。その強さに必死に抵抗して水蓮は押さえ込む。

 「ダメ。やめて、お願い」

 ギュッとサスケの手首を握りしめて見つめる。

 「お願い…」

 

 この手を無駄に汚させたくはない…

 イタチが命を懸けて守ろうとしているサスケを…

 

 「お願い…」

 知らぬ間に水蓮の瞳に涙がにじんでいた。

 それに驚いたのか、サスケから、すぅっ…と殺気が消えていき、その腕から力が抜けてゆく。

 水蓮がほっとして手を放すと、サスケは「行くぞ」と短くつぶやくように言って歩き出した。

 後ろに続き、その背中を見つめる。

 小さいその背、肩。

 そこにどれほどの物を抱えているのだろうか。

 

 

 吹き流れた風に、薄紫の衣が切なげに揺れた。



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第四十五章【手のひらに乗せた想い】

 朝の出発が遅かった事と、先ほどの一件で時間を取った事もあり、出発地点であったアジトへ戻った頃にはすっかり日が落ちてしまっていた。

 「で、どうする?今から町へ行くか?」

 当初の約束通り送ってくれるつもりはあるらしく、サスケはアジトに入る前に水蓮に聞いてきた。

 しかし水蓮は首を横に振った。

 「今からだと少し遅くなるし。はぐれた仲間と会えないうえに、宿取れなかったりしたら困るから」

 実際のところ、巻物が気になっての事だった。

 少しでも調べる事ができればと、もう一晩ここで過ごそうと考えていた。

 そして、もう一つ気がかりなことがあった。

 「それに、これもあるし」

 カバンから取り出したのは、昨日サスケが飲んだ毒。 

 「ちゃんと分量計って渡さないと、何するかわからないから」

 サスケは目をそらしながら小さく舌を鳴らした。

 「やっぱり無茶な飲み方するつもりだったんでしょ」

 「うるさい」

 投げ捨てるように言い、アジトへと入っていくその背に水蓮も続く。

 中に入り、持っていた保存食で食事を済ませ、サスケはまた毒を口に含み眠った。

 幾度かサスケと口論しながら折り合いをつけたその量に、水蓮は少し不安を感じていた。

 そして1時間ほどたってから、サスケが苦痛に小さな声を上げた。

 「やっぱり」

 ため息を吐きながら、水蓮は昨日同様痛みの緩和をと、サスケに手をかざした。

 しばらくチャクラを流すと、思ったより早くサスケの表情は平静を取り戻した。

 「もう少しかかるかと思った」

 思わずつぶやく。

 

 やはり何らかの薬で、体質が特殊になっているのだろうか…

 

 それでも、念のためにと、水蓮はもうしばらくチャクラを流したまま様子を見ることにした。

 「なんで…」

 目を閉じたまま、不意にサスケが口を開いた。

 「起きてたの?」

 「ああ」

 「なに?」

 向けられた問いを尋ねる。

 「さっき、なんで…」

 先ほど刀を握る手を止めたことかと、水蓮は答える。

 「目の前で人が死ぬのは見たくないから」

 しかしサスケはその答えに、目を閉じたまま「違う」と言葉を重ねた。

 「え?」

 「さっき、なんで怒ったんだ。あんたには関係ないだろ。うちはの事は」

 「あ…」

 水蓮は一瞬言葉をつまらせたが、素直に思った事を言った。

「何も知らない人間が、何かを言えるような事じゃないでしょ。たとえどんな事情があっても、失われた命に対して言っていい事じゃない」

 サスケが目を開き、水蓮を見つめた。

 「それに…」

 水蓮は少し声を落として続ける。

 「私も一緒だから…」

 

 両親が死に、うずまき一族は滅び、今やその後がどうなっているのか分からない。

 自分がうずまき一族だという実感はあまりないものの、先程のように侮辱されたら、やはり腹が立つだろう…

 

 「あんたも、なくしたものがあるんだな」

 毒の影響で意識がはっきりしていないのか、少し虚ろな瞳で呟くように、ポツリ…ポツリと言葉を並べていく。

 「俺は全てを奪われた」

 左手を持ち上げ、その手のひらを見つめる。

 「あの男に全てを。俺は必ずあいつを殺す。必ずこの手で…あいつを殺す」

 グッと握りしめた手がゆっくりと落ちた。

 数秒後に聞こえてきた静かな寝息。

 もうチャクラを流す必要はなさそうだった。

 だか、水蓮はその手を止められなかった。

 心を治癒することは出来ない。

 それが分かりながら、それでもサスケに注ぐチャクラをなかなか止めることができなかった。

 

 

 

 

 しばらくたち、サスケがしっかりと寝入った事を確認して、水蓮はサスケのカバンからそっと巻物を取り出した。

 音を立てぬよう、息を殺し、本の少しだけチャクラを流す。

 浮かび上がった封印術は、封印場所にあった術と同じ。

 だが、水蓮は息に近い小さな声で「これ」と目を細めた。

 その時、部屋の気温が一気に下がった。

 「……っ」

 

 

 カチャ…

 

 

  固い音。首筋に冷たい感触。

 チラリと落とした視線の先、クナイが見えた。

 「何をしている…」

 耳元にサスケの低い声が刺さる。

 緊張に音を鳴らした水蓮の喉に、グッとクナイが押し当てられた。

 「答えろ」

 「これ…」

 手にした巻物にチャクラを流し術式を見せる。

 「トラップが仕掛けられてる。気になって調べてたの」

 サスケはしばし黙し。スッとクナイを引いた。

 「詳しく説明しろ」

 警戒を解かぬまま厳しい口調で言うサスケに、水蓮は、もう一度巻物の術式を見せる。

 「この術、封印場所にあった物と同じ形式なんだけど…」

 「ああ。だから、あとで俺が解くつもりにしていた。術はあんたからコピーしてある」

 

 さすが。抜け目がない…

 

 「だけど一カ所だけ式の文字が違う。これだと印が全然違ってくるの」

 水蓮が指差す先にある小さな文字を見て、サスケがハッとする。

 「気づかなかった」

 「一番小さい文字だから」

 水蓮は術式を指さしながら説明していく。

 「封印式を読むときは、まず核となる大きい文字を見る。その字と並びでどの封印式かがほぼわかるから。次は間と末の何文字かを見る。それで99%どの術かが確定する。だけど、他の小さな文字にも意味がないわけじゃない。1%の確定要素がある。だから、私はできうる限り細かく見るようにしてるの。その1%の読み違いが命取りになりかねないから」

 以前イタチから教わったことを、ゆっくりと話してゆく。

 サスケはその説明に真剣な表情で耳を傾けていた。

 水蓮の言葉が偽りないか、聞き定めようとしているようだ。

 「この巻物には封印場所にかけられていた封印式の、一カ所だけを変えたものが施されてる」

 「思い込みか…」

 水蓮はうなずく。

 「初めに難しい封印式を読み解かせて、その術式を強く印象付ける」

 「そして、巻物の封印式の小さな一カ所を見落とさせる、か。単純なようで巧妙なというやつだな」

 大きく息を吐いて、サスケは水蓮にフッと笑みを見せた。

 「あんた、意外にちゃんと勉強してるんだな」

 「意外にって一言多い…」

 そう返しながら、同じ雰囲気を感じさせる笑顔にイタチの顔が重なり、思わず音を鳴らした鼓動を落ち着かせながら水蓮は言葉を続ける。

 「違う術式で解いた場合、ただ封印が解けないだけの時もあるけど。2重にかけられていた事と、術式の伏線を考えると、もしかしたら間違えた式で解くと、中身が消えるとかそういうトラップかもしれない」

 そう言ったものがあるということも、以前イタチから教わっていた。

 それを聞き、サスケはしばし考えてから口を開く。

 「香音…」

 「………えっ!」

 久しぶりにその名で呼ばれたことと、サスケに名前を呼ばれたことの両方に驚き、声が大きくなる。

 サスケは「違ったか?」と顔をしかめた。

 「いや、違わない!な、なに?」

 「解けるか?」

 その視線は巻物に向けられている。

 水蓮は他の二つも確認して、うなずいた。

 「うん。大丈夫」

 「頼む」

 「………えぇっ!」

 あまりに素直に言うサスケに、思わずまた大きな声が出る。

 「あんたが言えって言ったんだろ。できるんならさっさとやれ。いちいちうるさいやつだな」

 「あのねぇ。だから一言余計なんだってば」

 ため息をつきながら、水蓮は巻物に手をかざす。

 そしてすべて解き終わり、それぞれを紐解く。

 「中身、確認して」

 サスケがそれぞれをしっかりと確認していく。

 どうやら中に記されていたものは消えていなかったようで、サスケは小さくうなずいた。

 サスケがすぐに巻物を閉じたため、じっくりと内容は見れなかったが、書かれていた物を読み取り、水蓮は少し息をのんだ。

 「それ…」

 「毒の調合法だ」

 中身を見られた今、隠す意味がないと思ったのか、サスケはすんなりと答えた。

 「昔、この森を拠点に毒の研究をしていた薬師がいたらしい。その人物が森の中にいくつか特殊な毒の調合法を記した巻物を隠したという情報を手に入れて、それを探しに来た」

 「そう…」

 おそらく、それもまた彼が口にするものなのだろう…と、水蓮の胸はずきずきと痛んでいた。

 

 彼は今、毒の免疫をつけている最中なのだ…

 

 「他にもまだあるんだろうがな。まあ、これほど複雑な封印のかかった物が3つあれば十分だろう」

 こともなげにそう言って少しだけ振り向いた顔が、ランプの明かりに照らされる。

 その光が瞳の中で揺らめき、切なげな色に見えた。

 

 

 「………」

 

 

 何か言葉をかけたかった…

 

 その巻物を奪い取りたい気持ちになった…

 

 イタチの事を話したくなった…

 

 彼が本当はあなたを愛していると言いたくなった…

 

 

 だが、そのすべてを飲み込んで、水蓮はニコリと笑った。

 「私、寝るね…」

 脳裏に浮かんだ事は、どれ一つとしてサスケを救えはしない。

 

 …そしてイタチも…

 

 「おやすみ…」

 「ああ」

 短くそう答えるサスケに背を向け、水蓮は部屋の隅で横になる。

 ぎゅっと握りしめた外套からイタチの香りがした。

 

 

 夜は、静かに深まっていった

 

 

 

 

 

 翌朝、早めにアジトを出て二人は森を抜けた。

 「街まではすぐだ」

 そう言って足を進めたサスケの肩越しに、水蓮は思わぬ人物をその目に捉えて足を止めた。

 「き、桔梗!」

 森の少し先、桔梗の姿をしたイタチが立っていたのだ。

 「連れか?」

 「うん」

 振り返るサスケに、戸惑いながらもうなずく。

 と同時に桔梗(イタチ)が近づいてきた。

 桔梗(イタチ)とサスケの距離が縮まる度に、妙な緊張が水蓮の中に走り、鼓動が大きく波打った。

 「どうしてここに…」

 「街で合流できるかと思って待っていたけど、なかなか来ないから探しにきた」

 「…ごめん。色々あって」

 ちらりとサスケを見る。

 サスケは「じゃぁ、俺は行く」と、さっと踵を返した。

 だが、揺れて広がったサスケの外套を、水蓮が掴んで止めた。

 「まって!」

 思わずだった。

 あまり長くそばにいれば、チャクラでイタチに感づかれるかもしれない。

 

 でも、もう少し。もう少しだけでもイタチのそばに…

 

 そんな思いから出た行動だった。

 「なんだ?」

 顔をしかめるサスケに「え~と。あの…」と言葉を探す。

 「………?」

 サスケがさらに顔をしかめるのを見て、水蓮はハッと思いだした。

 「これ!」

 カバンの中から預かったままの毒の瓶を取り出す。

 「ああ」

 サスケはそれを受け取り、さっとカバンに入れる。

 「それから、これ」

 もう一つ、親指ほどの小さな瓶を手渡す。

 「あと一回飲めば大丈夫だと思う。分量計って入れてあるから」

 「わかった」

 「絶対こっち飲んでね」

 ジトリとにらんで念を押す。

 「わかってる」

 ふてくされた様子で返すサスケに、水蓮は手を差し出した。

 「あの、ありがと」

 「なにが?」

 瓶をカバンに入れながら、サスケは怪訝そうな顔をした。

 「初めに助けてもらったお礼ちゃんと言ってなかった」

 「ああ。別に。あんたが俺の前に落ちてきただけだ」

 それはたぶん嘘なのだろうと、水蓮はそう思いながら、無理やりサスケの手を取った。

 「それでもありがとう。助かったことに変わりはない」

 サスケはどこか落ち着かない顔をしてはいたが、無理やり振り払うような事はしなかった。

 水蓮は手を放し際に「桔梗もお礼言って」と、促す。

 「…え…」

 「崖から落ちたところを助けてもらったの」 

 戸惑い動かない桔梗(イタチ)の背に周り、サスケの前に押し出す。

 

 こういった形でサスケに会えるのは、これが最後かもしれない…

 

 そう思っての事だった。

 「そう…」

 桔梗(イタチ)は静かに手を出した。

 「ありがとう」

 サスケは先ほどとは違い、抵抗なく自分の手を重ね「ああ」と、そう言い、すっと手を引いた。

 そして「じゃぁな」と短く一言残して、一瞬で姿を消した。

 桔梗(イタチ)はしばらくの間、サスケと重ねた手を見つめていた。

 その瞳には柔らかい光が揺らいでいた。

 

 

 ほどなくして、イタチが元の姿に戻る。

 それを見て、サスケの気配が完全に消えた事を悟り、水蓮は大きく息を吐きながらその場に座り込んだ。

 「どうなるかと思ったぁ…」

 緊張が抜けてゆき、空を仰ぐ。

 その視線の先から一羽のカラスがはばたき降り、イタチの前をかすめて飛び去った。

 それを見て、イタチが自分にカラスをつけて、状況を見ていたのだと悟る。

 「水蓮…」

 イタチが、座り込んだままの水蓮の腕をそっとつかんでゆっくりと立ち上がらせる。

 そしてそのままグイッと引き寄せ、抱きすくめた。

 「…え。イ、イタチ…」

 突然の事に戸惑い身じろぐ。が、イタチがさらに力を入れて抱きしめた。

 「無事でよかった」 

 「……っ…」

 強い感情がこもった口調ではない。

 静かで単調な言葉運び。

 だが、それが余計にイタチの心を深く伝えてくる。

 「イタチ…」

 目の奥が少し熱くなる。

 二日離れていただけなのに、もっと長く離れていたように感じた。

 「うん。大丈夫だよ…」

 ギュッと腕を回して力を入れる。

 イタチの体温が、今までの心細さや不安をゆっくり解きほぐしてゆく。

 ほっと心を落ち着かせる水蓮に、イタチが少し言いにくそうに口を開いた。

 「水蓮。あいつは、サスケは…」

 そして、しばらく間をおき「いや。何でもない」と小さく呟き言葉を飲み込んだ。

 水蓮も言葉をこらえる。

 イタチが聞こうとしていたものが水蓮にはわかっていた。

 

 サスケがちゃんと自分を恨み、憎んでいたか

 

 それを確認したかったのだろう。

 だが水蓮もイタチも、あの夜【終焉】については何も触れていない。

 

 そしてこれからも。

 水蓮はそれを知っている事だけは口にするまいと決めていた。

 

 

 それは、イタチにとっては、自身とサスケ二人だけの物…

 

 そこには誰人も入り込む事は許されない…

 

 イタチも話すことはないだろう。 

 それ故に、イタチは水蓮に「恨んでいたか」と尋ねる事は不自然だと思い、言葉を飲んだのだ。

 本来なら、確認する必要のないことだ。

 そして水蓮も答えるわけにいかず、口をつぐんだ。

 しかし水蓮は、それでもと、離れそうになった体をギュッと抱きしめ、イタチに伝えた。

 言えるだけの事実を。

 「サスケはあなたを…」

 イタチの体がピクリと揺れる。

 

 「自分の手で必ず殺すとそう言ってた」

 

 伝えられるせめてもの事…

 

 

 イタチは柔らかい声で「そうか」と、ただ一言だけ返した。

 

 

 涙が落ちた

 

 

 

 

 

 小高い丘の上。

 赤い夕陽にその目を染めながら、サスケは何時間か前まで共に行動していた人物を思い出していた。

 忍としての経験はさほどなさそうではあったが、封印術には()けている。

 その妙なアンバランスさが印象に残っていた。

 そして、口うるさい医療忍者。そう記憶に残していた。

 だが、なぜか心地の悪い時間ではなかったことも、心の隅にほんの少し刻まれていた。

 

 丘の下からふわりと風が吹きあがり、サスケの髪を揺らす。

 

 その髪を抑えようとした手を見てふと思い出す。

 「桔梗…」

 そう呼ばれていた人物。

 「なぜ…」

 呟きながらじっと見つめるのは、桔梗と重ねた左手。

 あの人物はなぜあの時左手を出したのか。

 まるで自分が左利きだという事を知っていたかのようだ。

 「いや…」

 

 考えすぎか…

 

 サスケは相手も左利きだったのだろうと結論付けて、どこか覚えのあるような手の感触を、気のせいだと片づけた。

 そしてカバンの中から毒の入った瓶を取り出す。

 手の中にある大小二つの瓶。

 サスケは大きい方の瓶を手に取りフタを開け口元に運ぶ。

 

 

 『もっと自分を大切にしなさい』

 

 

 不意に脳裏によみがえる言葉。

 

 それは復讐に生きる自分には必要のない物。

 強さを手に入れるためなら手段は選ばない。

 そう決めたのだ。

 

 自分の身を案じるなど、馬鹿げている。

 

 

 グッ…と手の中の瓶を握りしめる。

 死に至らないギリギリの量はわかっている。

 ツンと鼻に刺さる臭いにも、表情を変えることなく瓶を傾けた。

 しかし、その手が止まった。

 

 ふわりと再び風が吹く。

 この時期には珍しく、少し暖かい風。

 それは、香音と名乗った医療忍者のチャクラの温かさに似ていた。

 

 「……………」

 

 サスケは瓶のフタを閉めてそれをカバンに入れ、小さい方の瓶を開けて中身を口に含んだ。

 

 そして何かを振り切るように瓶を空高く投げた。

 

 グッと練られたチャクラが左手に集まり、チチチチチ…と弾き鳴る。

 

 空気を切り裂くかのような勢いで、サスケはオレンジ色の空に浮かぶ小さな瓶に向けて手を突き出した。

 

 「千鳥鋭槍(ちどりえいそう)!」

 

 千鳥が長い槍となって空へと伸び行き、瓶を貫く。

 

 

 砕け散った細かい破片の一つ一つが、夕陽を受けて切なげに輝いた。



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第四十六章【師と弟子と】

 水蓮の初めての単独任務は、組織からそれなりに信用を得られた結果となった。

 特に、今は使われていないとはいえ、大蛇丸のアジトの場所が把握できたことが大きかったようだった。

 「使っていなくとも、アジトにはそれなりに情報は残っていますからね」

 「ああ。運がよかったな」

 「そうだね」

 水蓮達は組織にありのまますべてを報告し終え、街で宿をとり、一息つきながら言葉を交わしていた。

 イタチと鬼鮫も一緒だったとはいえ、久しぶりの本拠地と、ペインとの対面で緊張したこともあり、水蓮には疲労が色濃く表れていた。

 それでも、いつもの空気にその身を戻せたことに、気持ちは落ち着いていた。

 「まぁ、まずまず成功と言えますかね」

 鬼鮫はそう言って、すぐに「いや」と打ち消す。

 「接触しなくていい本人に接触した時点で、ある意味失敗でしょうか。どうですかねぇ、イタチさん」

 「そうだな…」

 ジトリと二人の視線が刺さる。

 「…う。ふ、不可抗力よ」

 答える水蓮に、鬼鮫が「クク」と笑う。

 「あなたが出た夜に、イタチさんから聞いたときは驚きましたがね」

 「驚いたというか、お前は笑ってただろ…」

 イタチがあきれた口調で放った言葉に、鬼鮫がまた笑う。

 「まさかすぐに本人と接触するとは思いもしなかったので。ある意味才能だ。さすがですね」

 「なによそれ。他人事(ひとごと)だと思って。大変だったんだから」

 思い返してげっそりとする。

 「イタチさんはずいぶん動揺してましたけどね」

 「どんな情報が漏れるかわからないからな」

 スイッ…と視線を流し反らせ、イタチは立ち上がった。

 「明日から少し出る」

 「今度はあなたですか」

 イタチは小さくうなずいた。

 「2日ほどで戻る。霞峠のアジトで待て」

 「わかりました」

 答える鬼鮫の隣で、水蓮が不安げな顔を浮かべた。

 「心配ない。今回はそう困難なものではない」

 小さく笑って、ふわりとやさしく頭に手を乗せる。

 「もう休め。疲れてるだろうからな。オレは少し物を買い足しに行く」

 イタチはそう言って部屋を出て行った。

 その背中を見送る水蓮に、鬼鮫が「いいんですか?」と言葉を投げた。

 「…え?」

 首をかしげる。

 鬼鮫はフッと小さく笑って返す。

 「いつもならついて行くのに」

 確かに、そういったことは何度かあった。

 だが、なぜか体が動かなかった。

 疲れていることもある。しかし、それだけではなかった。

 そばで過ごしたいという気持ちはもちろんあるものの、やはり躊躇する気持ちがぬぐい切れぬずにいた。

 こんな事ではダメなのだと言い聞かせながらも、隣にいると先の事を想像して泣いてしまいそうな気がして、どうしても動けなかった。

 通じ合った後に襲い来た思いもよらぬ感情。

 そして、今までとは違う自分の弱さ。

 それに阻まれて動けない情けなさが、どんどん気持ちを沈み込ませていた。

 「…疲れて」

 水蓮はスッと視線を落とした。

 鬼鮫は「そうですか」と一言返し、立ち上がった。

 「この宿の裏に、広場があるんですがね」

 唐突な話に水蓮が不思議そうに顔を上げる。

 「久しぶりに少しやりますか」

 向けられた視線に、修行の話だと悟る。

 「………」

 無言で考える水蓮に、鬼鮫は背を向けてドアに手をかける。

 「疲れているなら構いませんよ。一人で体を動かしてきます」

 カチャリ…とドアノブをまわす音に、まるで引き上げられるように水蓮は立ち上がった。

 「行く。私も行く」

 確かに疲れてはいた。

 だが、少し体を動かして気分を変えるのもいいかもしれないと、鬼鮫の後に続いた。

 

 

 「いつでもどうぞ」

 「うん。よろしくお願いします」

 宿の裏。体を動かすには十分なスペース。

 宿から漏れる明りで視界もさほど悪くなく、水蓮は鬼鮫をしっかりとその目に捉え構える。

 深く息を吐き、短く一気に吸い込み地を蹴る。

 

 ガッ…と音を立てて互いの腕を交える。

 水蓮は空いた手で重なる鬼鮫の腕をつかんで、そこを起点に飛びあがり蹴りを繰り出す。

 後ろに身を引いてかわした鬼鮫は、水蓮に掴まれたままの腕をくるりと反転させ、逆に水蓮の腕をつかんで引く。

 傾いた水蓮の体の先には、鬼鮫の膝。

 斜めの角度から来たその一撃を、水蓮はチャクラをめぐらせた手で、力の行先に向けてはじく。

 その勢いを利用して鬼鮫の手をほどき、倒れそうになった体をひねって、地に手をついて着地する。

 

 ずざぁぁっ…

 

 地をこする足先から砂ぼこりが立つ。

 水蓮はグッと足に力を入れて土を蹴りあげ、またすぐに鬼鮫に向かった。

 

 

 しばらくの間、こうして打ち合いは続き、夜の薄明りの中に、二人の存在が切れの良い音を生み出してゆく。

 

 ややあって、水蓮が高く飛び上がり鬼鮫と距離を取った。

 

 …距離を取って、風遁で搖動を…

 

 息を整えながらそう思考をめぐらせる。

 しかし、印を組むその手が止まった。

 背後に生まれた気配とともに「残念…」とつぶやく鬼鮫の声。

 手刀の形にぴんと伸ばされた手が、軽く水蓮の首に当てられた。

 「ここまでですね」

 まったく息の上がらぬ様子の鬼鮫を背にしたまま、水蓮は大きく息を吐き出し、膝に両手をついて体を前かがみに折り曲げる。

 そのまましばらく荒い息を繰り返し、少しずつ呼吸を整える。

 ポタ…と落ちた汗が地面に跡をつけて広がり、消えてゆく。

 冷たい風が吹き抜け、少し火照った体を心地よくなでていった。

 水蓮はもう一度大きく息を吐き出して、ゆっくりと体を起こす。

 「全然だめだ。強すぎるよ」

 当たり前のことだが、ついこぼれる。

 だが、体を動かし、打ち合いに集中したことで幾分か気持ちがすっきりしたのか、知らぬ間に笑顔が浮かんでいた。

 「だいぶ上達したと思いますよ」

 「ほんと?」

 振り向いた先で、鬼鮫は小さく笑み浮かべていた。

 「あなたは、相手の力を逃がすのがうまい。まともに受ければ力負けしてしまう自分の事が、よくわかっている」

 思いがけず褒められて、照れながらもうれしくなる。

 「ですが、術との兼ね合いがよくない」

 「…う…」

 間髪入れずに指摘を入れられ、喜びが一瞬で消える。

 「なぜなら?」

 問われて、水蓮は目をそらしながら答える。

 「止まらないと印を組めないから」

 鬼鮫は「そう」といいながらうなずいた。

 「しかも、あなたは印を組みなれていないから、まだ遅い。それに、脚力もさほど強くないから、それほど相手から距離をとれない。その上止まらなければ印を組めないようでは、隙だらけだ」

 「…うぅ…」

 返す言葉なく、水蓮はうなだれる。

 「何度も言ったはずですがね」

 確かに、この話は数回聞いている。

 それなりに練習はしているものの、水蓮はまだ走りながら印を組むということが、習得できずにいた。

 「どうしても指がぶれるのよ。走りながらだと」

 「言い訳は不要。必要なのは訓練だ」

 とはいえ、水蓮が術を使い始めてからまだ2年たっていない。

 それを考えれば、その言葉はずいぶん厳しい。

 しかし、鬼鮫はそうは思いながらも表情を緩めて言葉を続けた。

 「あなたは器用ですからね。できるはずだ」

 突き放した言葉の後に向けられた期待を込めた言葉。

 それがうれしく感じ、水蓮はグッと握った手を見ながら笑顔でうなずいた。

 「少しはすっきりしましたか」

 「…え?」

 「まるでナメクジのようでしたからね」

 「なにそれ…」

 口をとがらせて返す。

 しかし、内容は分からぬにしても、鬼鮫なりに気にかけてくれていたのだと思うと、さらに気持ちがすっきりしだした。

 その様子を見届けて、鬼鮫は視線を上げ、水蓮の後ろに浮かぶ月をその目に映す。

 「この時期は月がよく見える」

 つられて水蓮もふりあおぐ。

 …冷たく澄みきった空気が月を美しく輝かせていた。

 その光に、あの夜の事を思い出す。

 そしてハッとする。

 

 あの日誓った

 決して孤独にしないと

 

 自分の恐怖より、イタチを孤独にすることの方が怖いとそう思っていたのに…

 それなのに…

 サスケと会った後のイタチを…

 

 水蓮はバッと勢いよく鬼鮫に振り返った。

 「どうしました?」

 「やっぱり、行ってくる!」

 一言そう言い残し、水蓮は走り出した。

 

 

 

 町の中は、あちこちの店が一日の仕事を終えて戸を閉めだしていた。

 水蓮はイタチの姿を探してあたりを見回しながら走る。

 「物を買い足すか」

 先ほどイタチの言っていた言葉を思い出し、行き先を考える。

 

 「薬草は私が持ってるし…」

 

 薬屋にもついこの間行ったばかり…

 

 保存食も確かまだあった…

 

 あとは忍具…

 

 足を止めてくるりとまわりながら、目に留まる店を確認する。

 しかし、街の雰囲気からして忍具店があるようには思えない…

 「いったい何を…」

 ゆるく握った手を口元に当てて考える。

 しかし、買う必要のある物が思い当らない。かわりに違うことが思い当った。

 

 買うものなどない…

 

 何かを買いに出たのではない…

 

 サスケに会った後の、感情の揺れを抑えに外へ出たんだ…

 

 「ばかだ。私…」

 つぶやいて再び走り出す。

 

 こんな時に一人にするなんて。これじゃぁ意味ない…

 

 水蓮の胸に情けなさがあふれた。

 その感情と、少しずつ荒くなり始めた息を時折整えながら、探し続ける。

 

 イタチの行きそうなところ…

 

 水蓮は町の中を走りながら上を見上げた。

 

 こんな時はきっと…

 

 しばらく走り、たどり着いたのは町の中で一番高い建物。

 その屋根の上に、揺れる赤い雲が見えた。

 

 見つけた…

 

 近くの建物伝いに、水蓮は何とか屋根までたどり着く。

 イタチは、静かなたたずまいで屋根の端に立ち、見上げていた。

 

 輝く月を

 

 「どうした?」

 振り向かぬまま放たれたその言葉を乗せた風が、水蓮の髪をなびかせる。

 水蓮は何も言わぬままそっと歩み寄り、後ろからイタチを抱きしめた。

 「何でもない」

 ギュッと力を入れる。

 イタチは水蓮の手に自分の手を重ね「そうか」と一言静かに冷静な声で返した。

 だが、水蓮の手を握る力が少しずつ強さを増してゆき、それが揺れる胸中をあらわしていた。

 水蓮はさらにその上から手を重ね、強く握りしめる。

 

 

 この人のために強くならなければ…

 

 いつでも笑顔でいられる様に…

 

 何にも負けない。決して涙を流さない。そんな強さを見つけないと…

 

 

 イタチの見つめる先にある月に、それを願った

 

 

 こぼれそうな涙を、ぐっとこらえた



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第四十七章【重なる】

 翌朝、早くにイタチは出立し、水蓮は鬼鮫と共に二日後に落ち合うアジトへと向かっていた。

 「今日はずいぶん冷えるね」

 「そうですね」

 二人が見上げた先では重い雲が広がり、目的地付近の空でもかたまりとなっていた。

 「雪が降るかもしれませんね」

 「雪…」

 見上げたままの空にイタチの顔が浮かぶ。

 「大丈夫ですよ」

 「え?」

 「イタチさんは今回宿に泊まると言ってましたから」

 「………」

 無言を返しながら、ちらりと鬼鮫を見る。

 鬼鮫は何も言わずとも、こうして先読みして答えてくることが多々ある。

 あまり多くを話さないイタチと長年いるからか、それとも、もともとの性格なのか。

 水蓮は共に過ごす中で、鬼鮫のそういったところを多く見てきていた。

 

 なぜわかるのだろう…

 

 と、不思議な顔を向けられていることに気づき鬼鮫が笑う。

 「見ればわかる。特にあなたは」

 「どういう意味よ」

 「そのままの意味ですけど」

 

 単純と言いたいのだろう…

 

 水蓮はそうとらえてフイッと顔をそむけた。

 その動きに揺れた水蓮の髪に、ふわりと白い粒が落ちた。

 「ああ。降り出しましたね…」

 再び見上げた二人の視界には、ゆっくりと舞降る淡雪。

 「我々も、今日は宿をとった方がよさそうだ。夜はもっと冷えるかもしれない」

 「そうだね」

 一層白く色立つ息に、水蓮はまたイタチを思い出していた。

 

 イタチのいる場所でも降ってるのかな…

 

 初雪…

 

 一緒に見たかったな…

 

 一瞬浮かんだその想いを、水蓮はすぐにかき消した。

 

 それは、(のち)に思い出すには辛いかもしれない…

 

 今は、自分が求めるのではなく、イタチの求めることに応えていこう…

 

 それが、自分にできる事…

 

 手のひらに雪を一粒乗せてキュッと握りしめた。

 

 「行きますよ」

 いつの間にか歩き出していた鬼鮫の声が少し先から飛び来た。

 「うん」

 水蓮は歩みを進めながら、手の中で解けた雪をもう一度強く握りしめた。

 

 

 

 

 赤く光るその瞳が、注意深く景色を映しこんでゆく。

 立ち並ぶ細く長い竹が風に揺れ、そばを流れる小川のせせらぎと絶妙に合わさり、心地よい音を奏でる。

 本来なら美しい緑の光景。

 しかし、万華鏡を浮かべた赤い瞳には、そのすべてが朱に染まって見えていた。

 「違うな」

 ふぅっ…と、息を吐き出し、イタチは一度瞳を黒く戻す。

 瞬時に目にうつる美しい竹の色が、疲労を薄めてくれるようだった。

 しかし、イタチの心は陰っていた。

 「ここでもないか」

 今回一人離れての行動はマダラとのものではなく、自身の目的を果たすための物であった。

 だが、的が外れ、もう一度吐き出したため息が、陰鬱に白く模様づくり消えてゆく。

 「いったいどこに…」

 呟きに誘われたように、ちらちら…と空から雪が舞い落ちてきた。

 その一つを手のひらに乗せ、空を見上げる。

 「初雪か」

 その年に初めて降る雪は、淡く、はかなく、それでいて最も印象強い。

 イタチはそばに水蓮がいないことに、妙な安心感を感じていた。

 一緒に見ていたら、水蓮の心に深くその情景が刻み込まれていたかもしれない…

 

 それはひどく残酷なものだ…

 いつか一人で思い出すには辛すぎるだろう…

 

 だが、そう思う反面、隣でフワフワと舞う雪を見て喜ぶ水蓮をつい思い浮かべる。

 ギュッと、手の上で解けた雪を握りしめた。

 そして、あの夜を思い出しつぶやく。

 「まさか知っていたとはな…」

 すべてを知りながらそばにいたその存在に、いまだにイタチはすべての戸惑いを拭えぬままでいた。

 真実を知るものが自分のそばにいたとは思いもしなかった。

 しかもその存在を自分が受け入れるなど。

 「…………」

 だが、記憶をたどり、それをどこかで分かっていたのかもしれないと、ふと思う。

 そして、そんなことはありえないと、打ち消す。

 不安定に揺れる不確かなもの。

 しかし確かに感じるものもあった。

 与えられるはずのなかった存在がそばにいることに、自身の心は救われている。

 だが、それは同時に、イタチに不安をも与えていた。

 はたして本当に自分に与えられて良い物なのか。

 一人苦しむサスケを思うと、その気持ちは拭いきれなかった。

 それでも、感情を抑えきれなかった自分にも戸惑いは消えない。

 「うちはの血…」

 再び瞳が赤く染まる。

 一族の持つ特性。執着ともいえるであろう『深い愛』

 それが無意識に働いたのか。それとも純粋に自分の想いなのか。

 考えをめぐらせ、イタチは小さくかぶりを振った。

 今それを考える必要はない。今は受け入れた存在とどのように向き合っていくのか。

 そして、水蓮に何を残してやれるのか。

 それが重要なのだ。

 サスケへの気持ちは変わらない。

 すべてを託し、己は死ぬ。それこそが自身の求め行きつく場所。

 だがそこへたどり着くまでに、自分は水蓮に何をしてやればいいのか。

 イタチにはその答えが見えなかった。

 

 何かを残すことは果たして水蓮のためになるのか…

 

 そして、水蓮に残せば、自分にも残る。

 もし、いつか急に水蓮が元の世界へ戻るようなことがあったら…

 

 この手を離せるのか…

 

 苦悶の末に認めてしまった水蓮への気持ちは、イタチの心の中であまりにも大きかった。

 

 しばしそうして考えていたが、イタチはさっと踵を返して次に目星をつけている場所へと歩き出した。

 

 今こうして考えたところで明確な答えは出ないだろう…

 

 そう思うと同時に、少し不安げな表情を浮かべていた水蓮を思い出す。

 今はあの表情をさせないように、求められたことに応えていこう…

 

 それが、今の自分にできる事…

 

 

 イタチはグッと足に力を入れてその場から姿を消した。

 

 

 

 2日後、アジトで合流した水蓮たちはイタチが持ち帰った任務へとすぐに向かうことになった。

 「今回の行先は【花橘町(かきつまち)】という小さな町だ。

 その町に【竜の心】と呼ばれる水晶があるらしい」

 「それが今回の目当ての物ですか」

 「ああ」

 いつものごとく、それが何なのか、何に使うのかはまったく情報はない。

 「ただ、伝説に近い品のようだ」

 「じゃぁ、あるかどうかわからないってこと?」

 二人の間で水蓮が顔をしかめる。

 「はっきりとは言えないがな」

 そう答えたイタチに、鬼鮫がため息をついた。

 「時間がかかりそうだ。その上無駄足になるかもしれないとは。気が乗りませんねぇ」

 「そう言うな。名が立つということは、その存在が皆無というわけでもないだろう。過去にはあったが、何らかの原因で失われたのかもしれない」

 「じゃぁ、まずは情報収集だね」

 イタチは小さくうなずき、鬼鮫に目をやった。

 「それに、花橘町は魚介が有名なところだ。お前の好きなものがいくらでもあるだろう。

 そう悪い事ばかりでもない」

 その言葉に、一瞬で士気が上がったのか、鬼鮫が顔色を明るくした。

 「それはありがたい」

 案外鬼鮫も単純なのだと、水蓮は小さく笑う。

 「鬼鮫の好きなものって?」

 「私はエビやカニが好きでしてね。この時期ならどちらもいいものがありそうだ」

 水蓮は、鬼鮫が殻ごと豪快に食べる姿を想像してちらりと視線を向けた。

 それを受けて、鬼鮫が目を細めた。

 「剥きますよ」

 「え?」

 「殻は剥きますよ」

 「あ、剥くんだ」

 思わず笑う。

 「それ、イタチさんにも言われましたね」

 過去にそういったことがあったらしく、イタチは小さく思い出し笑いを浮かべる。

 「ああ。そうだったな」

 「殻ごと食べれない事もないですがね。おいしくないでしょう」

 「そうだね」

 当たり前のことだが、鬼鮫が言うと妙におかしい。

 「そういえば…」

 いまだくすくすと笑う水蓮に鬼鮫が視線を落とす。

 「あなたは何が好きなんですか?」

 「…え?私?ん~」

 しばし考えて答える。

 「ミカンかな」

 「ミカンですか」

 「ああ。それならちょうどいい」

 何か思い当ったようにイタチがつぶやく。

 「花橘町はミカンの産地でもあるからな」

 「そうなんだ」

 久しぶりに食べれるかもと、そう思うと少し気持ちが上がる。

 「じゃぁ、早くいこ」

 意識的に気持ちを上乗せして、水蓮は足を少し早めた。

 しかし、しばらく進み、その視線の先で体の大きい男性が地面に座り込んでいる姿を捉え、立ち止まる。

 鬼鮫ほど大きくはないが、筋肉質ながっちりとした体つき。

 その隣にはほっそりとした華奢な女性が同じように座り込んでいる。

 何か見ているのかと目を凝らし、女性の顔色がひどく青ざめている様子が見え、水蓮は思わず駆け寄る。

 「大丈夫ですか?」

 「おい、待て…」

 余計な事にかかわるべきではない…と制止しようとイタチが声を上げるが、水蓮はすでに女性のもとに座り込んでた。

 「無駄ですよ。止めても」

 肩をすくめる鬼鮫に、イタチはため息で答えた。

 「どうしたんですか?」

 水蓮の問いに、男性が女性の体を支えながら「少し気分が悪くなってしまったようで」とカバンから水筒を出して水を女性に飲ませる。

 「時々あるんです。すぐにおさまりますので、大丈夫です」

 男性がそう言うものの、女性の額には冷や汗も浮かんでいる。

 「あの、少し診させてください…」

 水蓮は気になり女性の体に手をかざして全身の様子を診てゆく。

 「これは…」

 その状態に思わず息をのんだ。

 体内の数個所で細胞に激しい損傷を感じる。

 はっきりとしたことは分からないが、かなり重い病。

 損傷の具合から見て、薬や医療忍術ではもう治らない。

 

 おそらく、そう長くは…

 

 「わかっているんです」

 少し顔色を取り戻した女性が、水蓮の思考を読み取ったように、弱々しい笑みを浮かべながら小さな声で言った。

 その口調と笑みは、自身の症状と先を理解しているようだった。

 そして、寄り添う男性も。

 「何もない日もあるんですよ…」

 大きな体にしっかりと女性を支えて言葉を続ける。

 「症状に少し波があって…。今日は体調がよかったので、この先にある椿園に花を見に行こうと出かけたんですが…」

 男性がその行き先に視線を向ける。

 「少し休んでから町に戻ることにします」

 こういう状況に慣れているのか、静かにそう言い、ニコリと優しく女性に笑みを向けた。

 「…………」

 その笑顔に水蓮の胸が痛んだ。 

 「少し痛みを和らげることはできます」

 水蓮は再び手にチャクラを集めて女性の体にかざしてゆく。

 「すみません…」

 か細い女性の声に、男性が「ありがとうございます」と続き、女性の手を握った。

 治療しながら話を聞くと、二人は夫婦で、水蓮たちの目的地である花橘町の住人らしく、町まで一緒に行くこととなった。

 「本当にありがとうございました」

 水蓮の隣を歩く男性【リョウタ】が頭を下げた。

 その背におぶさる【ヒヨリ】という名の女性も同じように頭を下げる。

 「いえ。おさまってよかったです」

 リョウタはうなずいて、少し後ろを歩く鬼鮫とイタチに振り返った。

 「町までは、もうすぐです」

 伝えて前に向き直ったリョウタの視線の先に町の入り口が見え、吹き来る風の中に磯の香りが混じりだした。

 「泊まるところはもう決まっているんですか?」

 リョウタの言葉に水蓮は首を横に振る。

 「でしたら、知人の宿を紹介します。料理もおいしいところですので」

 「助かります」

 答えた水蓮に続き、イタチがリョウタに話しかける。

 「花橘町には【竜の心】というものがあると聞いたんだが…」

 「ええ。ですが、誰も見たことはないんですよ。言い伝えのようなもので…」

 

 やはり存在しないのだろうか…

 

 水蓮たちは顔を見合わせる。

 「それにまつわる場所が2カ所あるんですが、もし明日でよければご案内しますよ」

 その申し出に、イタチが「頼む」と短く答えた。

 それに続き「よろしくお願いしますと」軽く会釈した水蓮の視線の先では、ヒヨリが大きな背に揺られて静かな寝息を立てていた。

 その寝顔は柔らかく、身を預ける相手を心から信頼していることが見て取れた。

 しかし、水蓮はその幸せそうな寝顔にまた胸が痛んだ。

 明確な時間は分からないにしても、そう遠くはないであろう最期。

 それを知りながら、この二人はどう生きているのだろうか。

 

 

 知らず知らず、そこに自分とイタチの姿を重ねていた



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第四十八章【見えない望み】

 「いい眺めだね」

 紹介された宿の部屋。大きめの窓から見える海を見ながら水蓮がつぶやく。

 その視線の先では、美しい海の向こうへと少しずつ傾いてゆく太陽の光が、穏やかな波の端を輝かせていた。

 その上を拭き流れてゆく冷たい風も、雄大なその景色の中では、厳しさよりも、清廉さを感じさせる。

 季節がら観光客が少ないこともあり、町に喧騒はなく、時折聞こえてくる人の話し声が、冬のさみしげな夕暮れに程よく色を添えている。

 のどかで平和なその空気。

 数日前の任務の事だけではなく、自分たちを取り巻く様々なものが、どこか遠い物に感じる。

 「きれいな町」 

 「ああ」

 「そうですね」

 隣に並び来たイタチと鬼鮫が同じように外を眺める。

 ふと…ふすまの向こうに気配が生まれ、振り返ると「失礼いたします」との声が聞こえ、ふすまがそっと開いた。

 そこには着物姿の女性が、正座で姿勢よく頭を下げていた。

 先ほど紹介されたこの宿の若女将の【静香】

 黒髪を美しく結い、清楚な雰囲気漂う佇まい。

 先ほどの夫婦とは幼馴染みで、皆鬼鮫と同じ年であったが、静香はずいぶんと若く見える。

 下げていた頭をゆっくりと上げ、柔らかい性格が表れている瞳でふわりと微笑む。

 「お食事まではまだ時間がありますので、よろしければこれをお召し上がりください」

 差し出されたのはかごに入ったミカン。

 「わぁ!おいしそう」

 水蓮が思わず声を上げる。

 小ぶりだが、美しい色と整った形。

 新鮮味あふれる皮の光り具合に、見えぬ果肉のみずみずしさまでもが感じられる。

 「リョウタがハウス栽培したものなんです。今朝採れた物なので新鮮ですよ。たくさんありますから、いつでもおっしゃってくださいね」

 「ありがとうございます。いただきます」

 受け取り、早速食べようとテーブルに置き、座る。

 静香は「またお食事の時に参ります」と丁寧なお辞儀を残し、ふすまを閉めた。

 鬼鮫がその美しく流れるようなしぐさを見送り、次に水蓮を見る。

 「なに?」

 その視線に気づき、水蓮はミカンを手に首をかしげる。

 鬼鮫は「いえ別に」と、笑いながら目を背けた。

 

 比べられてる…

 

 そのことに気づき、水蓮はジトリと鬼鮫を睨み付けた。

 「私だって、着物着れば」

 言いながらも、ミカンの皮をむく。

 「服は関係ないでしょう。ねぇ、イタチさん」

 イタチは何も答えず「フ…」と小さく笑った。

 「イタチまで…」

 ショックを受けたようなその顔に、イタチは慌てて「いや違う」と否定する。

 「違いませんよ」

 鬼鮫がさらに否定し「まぁでも…」と、何かを考えるように間を置き笑った。

 「あなたがあんな感じで我々の後ろにいたら、それはそれで落ち着かない。まぁ、つまるところあなたはそのままでいいということだ」

 自分からふっておいてそこに落ち着いた鬼鮫の言葉に、水蓮はむっとする。

 それは自分に女らしさや、しおらしさがあるとおかしいという事だろうか。

 少し唇を尖らせる。

 「なんか結局けなされてるような気がするんだけど…」

 そう言いつつも、鬼鮫がもたらすこの空気にどこか安心を感じながら、水蓮はミカンを一つ口に運ぶ。

 「あ、おいしい…」

 張りのある実が口の中ではじけ、小さい粒からは想像以上に多い果汁があふれる。

 甘さだけでなく、程よい酸味…

 それがバランスよく口の中に広がり、さわやかな柑橘の香りが鼻からスッと抜けてゆく。

 「すごくおいしい」

 美味しそうに食べる水蓮につられて、イタチも一つ手に取る。

 「では私も…」

 続いて手を伸ばした鬼鮫を水蓮がじぃっと見つめた。

 その視線を受けて、鬼鮫は大きなその手に小さなみかんを包み込んで言った。

 「皮、むきますよ…」

 「わかってるって」

 返しながら思わず笑う。

 この町の、のんびりとした空気と柑橘の香りのおかげか。

 水蓮は久しぶりに心が落ち着いたような気がした。

 

 

 

 夜、食事を済ませてから、鬼鮫は自分でも少し調べてみると言い外へと出て行った。

 今回の任務に初めは乗り気ではなかった鬼鮫だが、ヒヨリを助けたことへのお礼にと出された豪華な食事に気分を良くしたのか、ずいぶんとやる気が出たようだった。

 機嫌よく出て行った鬼鮫の姿を思い出しながら、はぁ…と水蓮がこぼしたため息が、ふわりと上がる湯船の上の湯気に溶けてゆく。

 「気持ちいい…」

 チャプン…と少し深めに体を沈めると、硫黄の香りが鼻をなでた。

 花橘町は魚介やミカンだけではなく、温泉でも有名な町だったらしく、水蓮は食事の後ゆっくりと体を温め、時間を満喫していた。

 すこしとろみのあるお湯を手ですくい上げ、流れ落ちるさまを見ながら昼間の夫婦の事を思い出す。

 ヒヨリの病は、はっきりとは分からないが…腹部の細胞が特に激しく損傷していたことから、水蓮はもしかしたら癌かもしれないと推測していた。

 どこから発症したのか、その箇所は断定できなかったが、かなりの範囲に広がっているように思えた。

 先ほど同様、そう長くないのであろうという考えに胸が痛む。

 それでもあの夫婦は笑っていた。

 体調がいいからと、花を見に出かけようとしていた。

 

 思い出を作りに…?

 

 どちらから言い出したのだろう…

 

 言われた側はどんな気持ちなのだろう…

 

 二人はどんな想いで日々を過ごしているのだろうか…

 

 残す側は何を想い…

 

 残る側は何を想うのだろう…

 

 

 そんなことを考えるうちに、はぁ…と重いため息が落ちた。

 それをかき消すようにパシャリと顔に湯をかけ、少し高い位置にある窓を見上げる。

 夜に消え入りそうな細い三日月が見えた。

 頼りないその光に寂しさと不安が浮かび、落ち着くはずのぬくもりに浸れず、水蓮は湯から上がった。

 脱衣所に用意されていた浴衣をまとい身を整えて部屋に戻る。

 鬼鮫はまだ戻っておらず、イタチが窓辺で鬼鮫の帰りを待つように外を見ていた。

 イタチも浴衣に着替えており、水蓮はその姿に一瞬見とれて部屋へと入る足が止まる。

 「どうした?」

 その気配に気づいたイタチが振り返り、小さく笑う。

 「何でもない。鬼鮫、まだ戻らないの?」

 「ああ」

 「そっか…」

 再び外へと向き直るイタチの隣に立ち並ぶ。

 窓際は少し気温が低く、体のぬくもりがその冷たい空気に奪われてゆく。

 「体が冷えるぞ」

 イタチが部屋に用意されていた羽織を水蓮の肩にかける。

 「ありがと」

 二人の間にほんのり石鹸のいい香りが揺れ、水蓮は少し胸を鳴らしながらうつむく。

 「さっき笑ったのは、お前が着物を着たら似合うだろうと、そう思ったからだ」

 「え?」

 見上げた先には柔らかい微笑み。

 水蓮は恥ずかしさについ目をそらす。

 「イタチの方が似合ってるよ…」

 窓にうっすらと映ったイタチの浴衣姿を見つめ、その先に広がる海に視線を移す。

 宿からの明かりでうっすらと見える光景は、日の明かりの下で見るものとはまた違う雰囲気。

 光の届かぬ遠方に広がる暗闇。

 すべてを吸い込むような正体のわからぬ引力を感じ、不安を誘う。

 「この町は、静かでいい町だな」

 水蓮の心に気づいたのか、イタチの声はいつもより少し明るい色を見せる。

 「そうだね」

 水蓮も気持ちを上げようと明るく返す。

 ふと、ミカンの香りが鼻先をかすめた。

 

 水蓮の脳裏に、ミカンの花が咲き乱れる町の様子が浮かぶ。

 

 白くて小さい花の、すっきりとした甘い香り

 

 その優しい香りを乗せた風の中をイタチと二人で歩く

 

 一瞬そんな光景が浮かぶ。

 

 もしまたその季節にここに来れたら…

 イタチと景色を楽しみながら歩きたい…

 

 「一緒に…」と、小さく言葉がこぼれた。

 

 だが、すぐにその想いを心の奥に閉じ込める。

 今は求めるのではなく、求められたことに応えていこうと、そう決めたのだ。

 

 自分の望みは、必要ない…

 

 決意を思い返す。しかし、窓の外を見つめる水蓮の目には暗い光がさしていた。

 

 望まれたことに応えたい。

 だが、イタチは自分から何かを求めることはしない。

 

 水蓮は、イタチに何をしてあげればいいのかが分からなかった。

 かといって、何をしてほしいかと聞くのは何かが違う気がしていた。

 

 何をしてあげられるのだろう…

 

 それが分からず、さらに瞳の色が深く沈んでゆく。

 

 「水蓮?」

 その雰囲気に気づいたイタチが水蓮に視線を向ける。

 水蓮はハッとし、様々なものを抑え込んでイタチに笑顔を向けた。

 「何でもない」

 その言葉と笑顔に、イタチは少し間をあけて「そうか」と一言だけ返した。

 

 

 再び外へと視線を向けた二人の手が、触れそうで触れない距離で少し揺れた。

 

 

 

 

 翌朝、準備を整えて水蓮たちはリョウタの家を訪ねた。

 戸を叩くと、すでに準備をして待機していたようで、リョウタはすぐに顔を出した。

 「おはようございます。皆さん、昨日はゆっくりできましたか?」

 大きな体をしてはいるが、声や口調が柔らかく、目じりを下げて笑うその表情は人に安心感を与える。

 この笑顔が大切な人の心を支えているのだろうと、水蓮はそんなことを思う。

 「はい。いいお宿を紹介していただいて、助かりました」

 「それはよかった」とのリョウタの声に続いて「部屋が空いていてよかったです」とヒヨリの声がした。

 リョウタの大きな体にすっぽりと隠れていたその姿を探して、水蓮がそっと覗きこむ。

 「お加減いかがですか?」

 「ありがとうございます。昨日あれ以降すっかり良くて。ご心配おかけしました」

 ニコリと微笑むその顔色は、確かに昨日に比べるとかなり血色よく見える。

 「よかったです」

 「ええ」

 ヒヨリのうなずきに合わせたかのように、その背後から「あの…」と小さな声が飛び来る。

 水蓮がさらに覗き込むと、そこには10歳くらいの一人の少年が立っていた。

 襟足を少し伸ばした、ヒヨリと同じこげ茶色の髪。くりっとした大きな目。

 姿勢よく立つその姿は、おとなしい雰囲気の中にも、どこかキリッとした聡明さが感じられる。

 「息子のカロンです」

 ヒヨリに促されてカロンと呼ばれた少年が水蓮の前に歩み出る。

 「あの、昨日はお母さんを助けていただきありがとうございました」

 ぺこりとかわいらしく頭を下げる。

 水蓮は、根本的に救えたわけではない状況に複雑な気持ちではあったが「どういたしまして」と笑顔を返した。

 その隣でイタチがリョウタに言葉を向ける。

 「昨日言っていた竜の心に関係している場所だが。2カ所あると言っていたな」

 「はい」

 「できれば二手に分かれて見に行きたい」

 なるべく早く任務を終わらせようという事なのか…。

 昨晩何も情報を見つけられなかった鬼鮫も、イタチの言葉にうなずいた。

 リョウタは「でしたら」とカロンの肩に手を置いてグイッと前に押し出した。

 「私とカロンでご案内します。今日は学校も休みですし。カロン、お前は竜神池を頼む。父さんは竜の洞窟に行く」

 「わかった」

 「気を付けてな」

 「うん」

 笑顔でうなずくカロン。

 「でも二人とも出てしまったら…」

 水蓮がちらりとヒヨリを見る。

 体調がいいとはいえ、昨日の今日だ…

 一人にするのは心配だった。

 「大丈夫ですよ。今日は体調がいいですから」

 心遣いに気づいたヒヨリが微笑む。

 だが、水蓮は首を横に振り、イタチと鬼鮫に振り返る。

 「やっぱり一人にするなんてダメだよ。私残ってもいいかな。案内してもらってる間に何かあったら申し訳ないし」

 「まぁ、私はどちらでも構いませんが、どうしますか?」

 鬼鮫の視線を受けて、イタチは少し考えてからうなずいた。

 「そうだな。水蓮、お前はここに残れ」

 「うん」

 「助かります」

 リョウタが安堵の表情で水蓮を見た。

 「では池は私ですね。イタチさんは洞窟をお願いしますよ」

 言うなり歩き出した鬼鮫の隣に、カロンが「こっちです」と、歩みを並べる。

 その背を見送り、リョウタが行き先へと身を向けた。

 「では、私たちも行きましょうか。水蓮さん、妻をよろしくお願いします」

 「はい」

 答えてヒヨリの隣に立ち並ぶ水蓮にイタチが言う。

 「何かあったら空に術を放て」

 「わかった」

 うなずき笑顔で送り出す。

 

 『行ってらっしゃい』

 

 水蓮とヒヨリの声が重なった。 




いつも読んでいただきありがとうございます。
気持ちは通じたものの、なかなかすっきりしない二人…。あと少し…が詰まらない…感じです…(~_~;)もうすぐ…進展…させたい…と考えています!
これからもなにとぞよろしくお願いいたします(*^^)v
いつも本当にありがとうございます!(^○^)


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第四十九章【互いに】

 出立してから30分ほどが経ち、イタチとリョウタは洞窟のある山へと到着した。

 細く少し急な山道をゆっくりとのぼり進む。

 吐く息が白く、いまだ終わらぬ寒い季節の存在を肌身に感じながら、イタチは自分の左側の空気が妙にその寒さを際立たせていることに気づく。

 

 いつもそこにいるはずの存在がいない…

 

 その違和感。心もとなさ。

 

 今までにない感覚だった。

 それでも、水蓮が残ると決めたのなら、それを尊重するべきなのだろうと、そう考える。

 「どうして、竜の心を見に来られたんですか?どこかで噂を?」

 黙り込んだまま足を進めるイタチに、少し前を歩くリョウタが問いかけた。

 下手な答えは怪しまれる。

 イタチは数秒考えてから小さくうなずき、言葉を返す。

 「今竜に関係した品物を調べている」

 間接的な物へと目的を置き換えて様子を探る。

 「そうでしたか。でしたら、申し訳ない結果になりそうです」

 「………?」

 無言の疑問にリョウタは少し振り向き、申し訳なさそうな顔をした。

 「先日も言いましたが、竜の心は言い伝えのようなものですから」

 「その言い伝えとは?」

 「曽祖父から聞いた…昔話のようなものですが。その昔人の姿に化けていた竜と人間の女性が出合い、恋に落ちた。だけど、竜の正体に気づいた女性の父親が二人を引き裂き、竜を退治しようとした」

 「よく聞くような話だな。それで竜は退治された、か」

 そう予想する。

 だが、違っていた。

 「いえ。討たれそうになった竜をかばい、女性が命を落としたんです」

 予想から外れた展開にイタチは静かに聞き入る。

 「それを目の当たりにした竜は、自分が許されぬ形の「愛」を求めたがゆえに、自分の愛する者が死んでしまったと、自身を責め、『自分がなにも求めなければ、こんな事にはならなかった』と悔やみ、2度と何も望むまいと自分の中の『求める心』を水晶に閉じ込めた。その水晶が竜の心と言われています」

 

 求めたがゆえに失った…

 

 イタチの脳裏に水蓮の姿が浮かんだ。

 「自分の望みは求めるべきではない…か」

 まさに今自分が考えている事だった。

 知らず知らずこぼれたその呟きを捉えたリョウタが立ち止まり、イタチを振り返った。

 「私はそうは思いません」

 「…………?」

 首を傾げるイタチに、再び歩き出しながらリョウタは続ける。

 「人は常に、求め、求められ存在している。そこに生きている実感を感じる。愛し合う者同士なら余計にそうありたい」

 「……っ」

 何も言えず感情を揺らすイタチに、リョウタが少し切ない笑顔を浮かべた。

 

 「求められないことの方が辛い。そう思いませんか?」

 

 また水蓮の姿が浮かんだ。

 

 

 目の前にいるこの男の妻は、昨日の水蓮の様子から見て、おそらく長くは生きれない病にかかっている…

 

 彼は残される身…

 

 その状況下にいるリョウタと水蓮が重なり、その言葉がまるで水蓮の言葉のように聞こえる。

 「残されるとわかっていてもか?」

 思わずそう問いを投げ、イタチはぶしつけな質問をしたと、ハッとする。

 「申し訳ない」

 しかしリョウタは「いえ…」と笑った。

 「私は彼女に求められたい。彼女の望みを聞きたい。叶えてあげたい。そう思っています」

 それで、昨日も花を見に出かけたのかと、先日の光景を思い出す。

 

 だがそれは、後を生きるこの男に思い出を残すことになる…

 この世を去る者が、残る者に何かを求める。共に何かをする…。

 それが許されるのか…

 死にゆく自分が水蓮に何かを求めることが…

 残すことが…

 

 しかし、イタチは小さくかぶりを振る。

 

 残った記憶、思い出は後々水蓮を苦しめる。

 孤独を思い知らせる事になるに違いない…

 それが自分から求めたものなら余計だ…

 

 イタチは手をグッと握る。

 

 水蓮が求めてきたことなら、それは自分の中で『大丈夫』だと判断したものだろう。

 だが、自分が水蓮に求めたものは、その範囲を超えていても、きっと無理をしてでも叶えようとする。

 そしてそれがもたらす思い出が、後々こらえきれない悲しみになってしまったら…

 

 イタチはそれが怖かった。

 

 

 だが彼は、残される身でありながら、相手の望みを、思い出を求めている…

 それは辛くないのだろうか…

 恐ろしくないのだろうか…

 

 「先ほどの話は言い伝えというよりは、作られた物語だと町では言われています」

 リョウタは目の前に張り巡らされた蜘蛛の巣を、拾った枝で払いのけ、話を続ける。

 「確かな話ではありませんが、曽祖父の生きていた時代、その水晶はこの山の上にある神社の祠に奉納されていたらしいんです」

 思わず顔を少し跳ね上げる。

 「その水晶を拝むと、自身の中にある『欲』が抑えられると言われていたそうなんですが、参拝者を増やすために当時の住職が作った話ではないかと。だから、竜は全く関係ないかもしれません」

 また苦笑いを浮かべるリョウタに、イタチは念のために聞く。

 「水晶は存在していたのか?」

 「そう言われてはいます。ですが、ある日突然消えてしまったらしいのです」

 「盗まれた?」

 リョウタが「おそらく…」と答えたものの、苦い顔のまま続ける。

 「ただ、参拝の際にも祠の扉は閉められたままだったそうで、実際に見た者はいないようです。だから、本当にあったのかどうか定かではありません。ですが古い時代の人達ですから、水晶が無くなったときに、そこにまた物語が生まれて…」

 そこで言葉を切り、リョウタが立ち止まり前方を見据えた。

 「あそこが竜の洞窟です」

 視線の先に見えたのはそう大きくない洞窟の入り口。

 垂れ下がる蔦がそれ隠すように長く伸び、風に静かに揺れていた。

 二人は蔦をめくって中に踏み入る。

 その蔦が外気を防いでいるのか、中は少し気温が高いように感じた。

 ところどころ天井部分に小さな穴が開いており、そこからこぼれ入る日の光が、壁や地面の苔の緑をかすかに輝かせている。

 「先ほどの続きですが、自身の心を閉じ込めたその水晶を、竜が取り返しに来たのではないかと、そんな話ができたんです。一度は封じた愛を求めて…」

 イタチはなぜか自身の事が重なるような思いがして、胸がドキリとした。

 「水晶を取り戻した竜が、その身と水晶を隠すために選んだのが、名前からこの竜の洞窟。もしくは竜神池ではないかと言われています」

 ほどなくして奥に行きつく。

 そこには1メートルほどの高さの竜の石像が置かれていた。

 所々に見える傷み具合から、長い年月ここに置かれているのであろうことが、見て取れる。

 それでも、丁寧に加工されたその石像は、鱗や髭、爪が見事に形造られている。

 過去には鋭くとがっていたのであろう爪に包み込まれるようにして抱かれているのは、円筒型の水晶の結晶をかたどった石。

 その上部は、斜めに削れたような形をしている。

 「これと同じものが竜神池にも置かれています」

 リョウタが石像に手を乗せ、少し撫でるようなしぐさをする。

 「先ほどの話から、竜を哀れに思った人々が、水晶から竜の『心』が解き放たれるようにと、願いを込めてこの石像を作ったんです。そして、今までとは逆の意味を持つようになった」

 「逆の意味?」

 「ええ。欲を抑えるものとして扱われてきた水晶でしたが、今度はそれをかたどったこの石をなでると、自身の求めることが叶うとか、愛する者同士で触ると、素直に互いを求められるようになると、そう言われる様になったんです。その話が広がり、温かい時期や海のシーズンになると、観光客がここや竜神池にも訪れます」

 リョウタはそう言って、少し恥ずかしそうに言葉を続けた。

 「私も、しばらく前に妻と息子と3人で一緒に来ました。彼女が家族で行きたいと言ったので。作り話だとは思いながらも、結局人はそう言ったものを求めてしまうところがありますね」

 照れた笑いで頭を掻く。

 「時折人を案内しますが、ここに来るたびに一緒に来たことを思い出します」

 瞳が寂しげな色を帯びてゆく。

 思い出しているのだろう。

 先の限られた愛する者とこの場所に来た時の事を。

 そして想像している。

 いつか、その存在を失ってからそれを思い出す時のことを。

 

 また水蓮の姿が浮かび、重なる…

 

 一人になって、心に残した思い出を思い返す…

 

 「それは…」

 イタチは足元に視線を落とし、聞こえないほどの小さな声で言ったつもりだった。

 しかし、響きのよい洞窟で、その言葉はリョウタの耳にしっかりと届いていた。 

 「辛いですよ…」

 大きなその体が、一瞬震えたように見えた。

 「思い出すのは辛いですよ。彼女のためなら辛くない、なんていうのはとても言えない。思い出を作るのはやはり怖いです。彼女がいなくなったあと、一人で、そしてカロンと一緒にここにきて彼女を思い出す。他にも一緒に行った場所、一緒にしたこと、一緒に見たもの、一緒に食べたもの。そのすべてに彼女を思い出す。それは想像しただけでもつらい。だけど、望むもの、求めるものを聞かせてほしい。思い出を残してほしい」

 

 水蓮の声が重なる…

 

 「なぜ…」

 リョウタは竜の石像に手を置いたまま、笑顔を浮かべて答えた。

 

 「愛する人の望みを聞きたい」

 

 自分も水蓮に対してそう思っている…

 

 「愛する人が自分に何かを求めてくれるというのは、とても幸せなこと」

 

 水蓮もそう思っているのか…?

 

 「それに…」

 リョウタの瞳が、強く輝いた。

 

 「思い出すのは辛い。だけど…」

 

 

 

 イタチと鬼鮫が出かけてから、水蓮はヒヨリと二人でお茶を飲みながら、すっかり打ち解けた様子で時間を過ごしていた。

 そして、イタチと時をほぼ揃え、彼らと同じ話をしていた。

 「私は彼に求められたい。彼を求めたい。そして彼もそう言ってくれた。だから、一緒にたくさんの事をしよう。いろんなところに行こうって思ったの。お互いにしたいことを言い合って、家族でいっぱい思い出を作ろうって」

 

 思い出を作る…

 

 話を聞いて、思わず「でも、それは…」と、つぶやくように言った水蓮にヒヨリが言葉を返す。

 「怖いわ」

 水蓮は両手で包み込んでいたコップをぎゅっと握りしめて、顔を上げた。

 ヒヨリは柔らかく、そして少しさみしげな微笑みを浮かべていた。

 「思い出を作るのは怖い。私から求めたものが、その思い出がいつか彼を苦しめるんじゃないかって。だから、自分からは何も求めずにいようってそう考えていた」

 その言葉に、水蓮はイタチもそう思っているのだろうかと、姿を重ね、思い浮かべる。

 「でもね、彼が言ったの」

 その瞳が、何か大切な物を思い出すように、優しく愛おしげに揺らめいた。

 

 「思い出すのは辛い。だけど、思い出せなくなることの方が辛いって」

 

 「………っ」

 水蓮の胸に深く言葉が刺さった。

 

 思い出せなくなることの方が辛い…

 

 その言葉を心で繰り返し、イタチの姿を、柔らかく笑う顔を思い出す。

 

 もし、イタチがいなくなった後に、それを思い出せなくなったら…

 

 それほど寂しく、辛いことはない…

 

 「だから、たくさん思い出を作ろうってそう言ってくれたの。私のやりたいこと、してほしい事、行きたい場所、全部言ってほしい。たくさんの私を残してほしいって。そうすれば、いろんなところで私に会えるからって。初めは思い出して辛い想いをするかもしれない。だけど時がたてば、きっと思い出は生きる力になる。そう言ってくれた。だから、たくさん残そうと思えた。残してあげたいと、そう思えた…」

 その言葉が終わる前に、水蓮の瞳から涙が零れ落ちた。

 「……う…っ…」

 こらえきれない声がこぼれる。

 

 …思い出はいつか生きる力になる…

 

 両親との思い出が今そうなっているように、いつかイタチとの思い出が自分を支えるものになる…

 

 「うぅ…っ」

 涙が次々にあふれた。

 「水蓮さん…」

 その様子にヒヨリは驚きを見せたが、すぐに優しく微笑んだ。

 「あなたにも、そういう人がいるのね」

 包み込むような空気に涙がさらに溢れ、水蓮は両手で顔を抑え込んだ。

 「私も思い出したい…」

 

 何一つ忘れたくない…

 だけど、いつか記憶は薄れるのだろう…

 その時のためにら多くの思い出を残したい…

 

 イタチのしたい事、行きたい場所、見たい物…

 全部叶えてあげたい…

 二人で一緒に思い出を作りたい…

 

 ヒヨリの話を聞いて、水蓮はそう思った。

 「だけど何も、何も…」

 「求めてこないのね?」

 涙を抑えられぬままうなずく。

 「それに私も怖くて…」

 「何も言えなかった?」

 水蓮は肩を震わせながら再びうなずいた。

 「だから、とにかく強くならないとって。泣かないように、笑っていないとって。安心して、求めてもらえるように…」

 「しばらく前の私たちと一緒ね」

 「…え?」

 涙を目にたたえたまま顔を上げる水蓮に、ヒヨリは柔らかい口調で言った。

 「多分、相手の人もあなたと同じように考えてるんじゃないかしら?お互いに、相手の望むものに応えようとしている…」

 「お互いに…」

 「そう。私とあの人もそうだった。でも、それだと何もどうにもならない。どちらも、相手の望みを待って、何も言わないのだから」

 「…………」

 

 イタチも私が何かを求めるのを待っている…?

 

 浮かんだその事が分かったのか、ヒヨリがうなずいた。

 「二人で話し合ってお互い気づいたの。無理をして作った笑顔を見るのが一番つらいということに」

 

 自分もそうだったことを思い出す。

 

 「だから、無理に笑うんじゃなく、辛いときは一緒に泣こうと約束した」

 

 無理に笑うな…

 

 以前聞いたイタチの言葉を思い出す。

 

 「自分のために泣いてくれるあの人を愛おしいと思った。愛されていると感じることができた」

 

 愛を感じてほしい…

 

 「この人に求められていると、幸せを感じた」

 

 幸せだと感じてほしい…

 

 「お互いに素直に求めあうことが、相手を幸せにする近道だった」

 

 「素直に求めあう…」

 

 「そう。そうしてわかったの。想い合う二人の求めるものは、結局は一緒だったんだって」

 「………っ」

 水蓮の目の前には、穏やかな…幸せにあふれた笑顔があった。

 「隣を歩きたい。手をつなぎたい。一緒にきれいな景色を見たい。一緒にいたい。一緒に笑いたい」

 言葉が出ぬまま、水蓮はうなずく。

 「何も特別な事じゃない。お互いにそれを求めていた。だけど、それすら怖くなっていた。それは、泣いてはいけないと思っていたから」

 その通りだった。

 辛いのは自分ではなく、イタチ。自分は泣いてはいけない。強くいなければとそう思っていた。

 だからそんな当たり前のことができなくなっていた。泣いてしまいそうだったから。

 「でも、辛いときは素直に泣けばいいのよ。一緒に。あなたの大切な人は、それを受け止めてはくれない?」

 今度は首を横に振る。

 

 イタチはきっとちゃんと受け止めてくれる…

 

 そして、イタチが涙を流したときは、自分が受け止めてあげたい…

 

 お互いに受け止めあえるとそう信じる…

 

 それが本当の強さ、愛なのだ…

 

 見つけた答えが、水蓮の瞳を強く色染めてゆく…

 

 それに気づき、ヒヨリが安心したようにうなずく。

 「私たちもよく泣くのよ。カロンも一緒に。辛いときは無理をしないでいようって約束したから」

 ヒヨリはそう言いながら、温かいお茶を入れなおし、水蓮の前に置いた。

 ふわりと上がった湯気が緑茶の香りを運ぶ。

 それが水蓮の心に少しずつ落ち着きをもたらしてゆく。

 「一番泣くのはカロンじゃなくて、あの人、リョウタさんなのよ」

 「…え?」

 思わず声を上げた水蓮に、ヒヨリはくすくすと笑いながら言う。

 「おかしいでしょ。あの大きな体で、おいおい声を上げて泣くんだから。いつもカロンに頭をなでられてるのよ」

 その光景を想像してまた涙が出たが、ヒヨリが変わらず笑っているのを見て、水蓮もつられて少し笑った。

 「素直に求めればいいのよ。それがいちばん相手が求めている事なんじゃないかしら」

 その言葉とやさしい笑顔に、涙は止まらないままではあったが、水蓮は大きくうなずいた。

 「はい」

 

 

 

 和みの香り立つ温かいお茶をゆっくりと飲み終えたころには、涙は止まり、水蓮の心は霧が晴れたようにすっきりとしていた。

 

 それでも、この先やはり不安や恐怖を感じることはあるのだろう…

 だけど、強くありたい。笑っていたい。辛いときには一緒に涙を流したい…

 そして、素直に想いを伝えたい…

 

 水蓮はそう思った。

 

 

 リョウタと同じ話をしたイタチもまた、そう感じていた。

 

 そして、二人は強く思った。

 

 

 会いたい…

 

 

 水蓮が一層強くそう思った時、ヒヨリが窓の向こうに目を向けて微笑んだ。

 「帰ってきたみたい」

 同じくそちらに目を向けた水蓮の瞳に、イタチの姿が映る。

 「イタチ」

 はじかれたように立ち上がる。

 その様子に、ヒヨリはイタチが『その人』なのだと気づき、扉を開けて水蓮を促した。

 扉の向こう。イタチも水蓮と同様に、どこかすっきりとした表情で立っていた。

 互いにその表情から、同じ話を聞いたのだと察する。

 「水蓮」

 「おかえり」

 「ああ」

 うなずいたイタチの後ろで、リョウタも気づき、二人を見て微笑んだ。

 水蓮がイタチのもとにゆっくりと歩み寄る。

 「どうだった?」

 「夜、もう一度見に行こうかと思っている」

 「そっか」

 どちらともなく言葉に詰まり、しばしの間を置いて同時に口を開く。

 『一緒に』

 重なった声に同時に笑う。

 

 

 「ああ。一緒に来てくれ」

 「うん。一緒に行く」

 

 水蓮の瞳から、一粒涙がこぼれた。

 

 

 それをイタチがそっとぬぐい、二人はまた一緒に笑った…




こんにちは(*^_^*)
何とか今週中に…投稿できました(*^。^*)

しっかり者の二人ですが、やはりまだ若く…恋愛には不器用で…でも何とか先へ…というのを描きたかったのですが…。二人と一緒に迷走してしまってました(^_^;)
水蓮とイタチと一緒に、私も前に進めれば(ストーリーを)…と思います☆

これからもよろしくお願いいたします(^○^)
いつも本当にありがとうございます!


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第五十章 【素直な想い】

 その日の夜。

 水蓮とイタチは共に竜の洞窟へと向かった。

 時間の条件を変える事で、水晶の形をした石に、何か変化があるかもしれないというのがイタチの考えであった。

 それを聞いた鬼鮫も、その可能性を考慮して、夕飯後に再び池へと出向いて行った。

 「真っ暗だね」

 山道に差し掛かり、すぐ先の足元も見えない状況に水蓮が思わずつぶやく。

 「今夜は特にな」

 見上げた空には、星は見えるが月は姿を隠していた。

 「あ、今日が新月?」

 「ああ」

 イタチは宿で借りてきた懐中電灯で足元を照らし、水蓮に振り返る。

 「行くぞ」

 どちらともなく差し出した手が自然につながれる。

 伝わるぬくもりに、簡単な事だったのだと、互いに思う。

 「洞窟まではすぐだ」

 「うん」

 柔らかく響くイタチの声が、暗闇の不安を取り除いてゆく。

 「水晶は月とは相性がいいと言われている」

 「イタチはホント何でも知ってるね」

 その知識の幅の広さに、いまさらながら驚く。

 「少し調べてきたからな。特に新月から満月にかけてのこの時期は、水晶が月の力を充電する期間と言われているようだ。だから、もしかしたらと思ってな」

 「なるほど…」

 「もし今夜なにもなければ、数日この町にとどまり、ここを含め他の場所もさぐることになる。だが、あまりうろうろしていては怪しまれる。長期になるようなら、一度町を出たふりをして最悪この山で野宿になるかもしれない」

 この時期の野宿はかなり厳しい。

 「それはできれば避けたいがな」

 水蓮もうなずく。

 自身の事よりも、心配なのはイタチの体調だった。

 ここ最近は激しい任務もなく、大きく体調を崩すことはないが、冷え込みが厳しい日は少し咳が出る事もあった。

 そばにいる自分や鬼鮫には、うつることなく過ごしていることから見て、感染症では無く、やはり瞳術を酷使してきたことによる過度の負担が、何かしらの異常を体にもたらしているのだろうと水蓮は考えていた。

 サスケとの終焉までは大丈夫なのだろうと思いつつも、自分の知らないことも起こる現状に、水蓮は不安を隠せなかった。

 知らず知らず、つないだ手に力が入る。

 イタチは水蓮に視線を落とし「心配ない」と、柔らかく言った。

 どのことに対しての言葉なのかは分からなかったが、水蓮はうなずいた。

 本当に辛いときは素直に話そうと、そう思えるようになったからなのか、すべてを口にしなくとも今までのように不安になることはなく、不思議と強くいられる。

 しばらく歩き、二人は竜の石像のもとへとたどり着く。

 「特に変わりはないか」

 近づき、注意深く観察しながらイタチがつぶやく。

 懐中電灯の明かりに照らされ、竜が抱く石が闇に浮かんだ。

 その少し独特な形状に、水蓮は「丸じゃないんだ…」と言葉をこぼす。

 水晶をかたどった石と聞いて、水晶玉をイメージしていた。

 「そういう事だ」

 「そういう事?」

 イタチの言葉に首をかしげる。

 「水晶と言われて連想しやすいのは、水晶玉か、六角柱で先がとがっているようなものだ。だが、この石は意図的にこの形に作られている」

 水蓮はハッと息をのむ。

 「見たことのある人が作った」

 「そうだ。水晶は実在していたと考えられる」

 イタチはそう言って「竜の話の真偽は分からないがな」と、小さく笑った。

 「もしかしたら、そのありかを示すような仕掛けがあるかもしれない。さっきはあまり調べられなかったからな…」

 イタチはそう言って、石像を注意深く観察する。

 水蓮も少しだけ石にチャクラを流して調べてみる。

 が、特に封印術がある様子もなく、ただの石のように感じられた。

 「んー。特に何もなさそうだけど」

 「そうだな。まぁ、何もない方がいいんだがな」

 少し苦笑いを浮かべる。

 組織が何のために【竜の心】を欲しているのかは分からない。

 だが、決して良い結果を生むことはない。

 木の葉に被害をもたらすものかもしれないのだ。

 かといって、おろそかにするわけにもいかない。

 結果を出して信用を得ることも、イタチにとっては重要なのだ。

 「そうだね」

 イタチの複雑な心境を考え、厳しい顔で答えた水蓮の頭にイタチの手が乗せられた。

 「そんな顔をするな」

 柔らかい表情の中に見える決意…。

 「お前は何も心配するな。それはオレの役目だ」

 

 木の葉を守る。

 

 その想いが瞳にあふれていた。

 「うん」

 水蓮は、ただイタチを支える事だけを考えようと、うなずいた。

 イタチは少し安心したように笑みを浮かべ、再び石に手を乗せて、特に変化のない状態に目を細める。

 「この石はあまり関係ないのかもしれないな」

 「そうだね」

 二人の指先が石の上で少しふれ合う。

 水蓮はふいに、ヒヨリの話を思い出した。

 

 『想い合う者同士で石に触れると、素直に互いを求めあうことができるようになると言われているのよ』

 

 素直に…

 

 今自分はどうしたいのだろう…

 

 そんなことを思う。

 「水蓮…」

 「えっ?」

 考え込んでいたところに声をかけられ、肩が小さく跳ね上がる。

 「しばらくここで様子を見る」

 イタチがすっと立ち上がり、体温が離れたことに心寂しくなる。

 「朝までとはいかないだろうがな…」

 壁に背をつけて座るイタチに、水蓮も続く。

 「そうだね。外よりは少し気温が高いみたいだけど、朝方はかなり冷えるだろうしね」

 隣に座り、地面の冷たさに体を少し硬くする。

 と同時に、イタチがふわりと外套を開き水蓮を包み込んだ。

 そっと引き寄せられて、ほんの少し開いていた距離が一気に縮まる。

 「……っ」

 思わず揺れた水蓮の肩を、イタチは改めて手に力を入れてキュッと抱きしめた。

 「火を起こせればいいんだが、なるべく自然の環境で調べたい」

 「…あ、う、うん…」

 寒さをしのぐためと思いつつも、水蓮の鼓動は大きく音を鳴らしていた。

 それでも、先ほど一瞬脳裏に浮かんだ望みが形になりそっとイタチに体を寄せた。

 「それに…」

 「え?」

 つぶやかれたイタチの言葉に顔を上げると、そこには少し照れたような…優しい笑みがあった。

 「少しこうしていたい」

 「イタチ」

 

 なぜか胸が苦しくなった…

 

 切なくなった…

 

 そして、同じくらいあたたかくなった…

 

 「私もそう思った…」

 

 笑顔を見せて、イタチの胸元に頬を寄せる。

 

 「そうか」

 「うん」

 

 こうして少しずつ重ねていこう…

 

 一つ一つ大切に…

 

 二人は同じように思い、互いのぬくもりをその身に刻む。

 

 「話を聞いた」

 ふいに、ぽつりとつぶやかれたイタチの言葉に、水蓮はヒヨリとリョウタの顔を思い浮かべながら「私も」と答える。

 「水蓮お前は…」

 「同じだよ」

 戸惑うようなイタチの声に、水蓮ははっきりとした声で返した。

 「ヒヨリさんたちと一緒だよ。イタチの求めてるものを聞きたい。知りたい」

 「オレもだ」

 互いの存在を、想いを確認するように見つめ合う。

 「特別な事じゃなくていいの。一緒に歩いて、同じものを見て、二人で笑っていたい。笑っていたい…」

 言葉に反して、涙がこぼれた。

 「ごめん」

 「すまない」

 そっと涙を拭ったイタチの手に、水蓮が手を重ねる。

 「謝らないで。私は幸せだから」

 「水蓮…」

 「あなたのそばにいれることが幸せだから」

 きゅっと指に力を入れる。

 ほほに当てられたイタチの手にも少し力が入った。

 「お前に辛い思いをさせている」

 水蓮が首を横に振る。

 「怖い思いをさせている」 

 「私は…」

 「それでも…」

 言葉を挟もうとした水蓮の声をイタチが遮る。

 水蓮が見つめる先には、泣きそうにも見える笑顔があった。

 「それでも、自分のために泣いてくれるお前がいることに救われている」

 「……っ」

 胸が詰まった。

 「オレにはもうそんな存在はいないはずだった。だが、お前がいてくれる。そのことに救われている」

 「イタチ…」

 

 自分の涙に愛を感じ、幸せを感じてくれている…

 

 求められている…

 

 伝わりくる想いに、涙が追って溢れる。

 「お前は出会ってからずっとオレのために涙を流してくれていた」

 過去を思い出すように、瞳が揺らぐ。

 「初めからずっと。ずっとオレは救われていた」

 まるで自分の中に確認するように、丁寧に言葉を紡ぐ。

 「感謝している」

 拭いきれないほどの涙が零れ落ちていく。

 「すまない。オレは、お前を泣かせてばかりだな」

 「私こそごめん。泣いてばかり…」

 「すまない」

 「ごめん」

 繰り返したその言葉をかき消すように、唇が重なった。

 

 この言葉はこれで最後にしよう…

 

 お互いにそう誓い、笑みを交わした。 

 イタチはそっと水蓮を抱き寄せ直し、今の望みを言葉にする。

 「水蓮。お前の話を聞かせてくれ」

 「私の話?」

 「ああ。なんでもいい。お前の事を知りたい」

 水蓮はうなずいて、やさしい声とぬくもりに身をゆだねた。

 穏やかな空気が広がり、二人を包み込む。

 「何を話そうかな」

 そう言葉をはじめ、水蓮は自分の子供の頃の話や、両親との思い出を、記憶を手繰り寄せながら話した。

 水蓮が経験してきた様々なことに、イタチは時に笑い、驚き。今と変わらぬ水蓮の無茶な性格が引き起こした出来事にあきれたりと、その表情は今までになく、多く変化した。

 

 

 そうして水蓮の話は続き、1時間ほどが過ぎた。

 

 

 「…あいつ、お前にそんなことを言ったのか?」

 変化のない石を観察しながら話を聞いていたイタチが、顔をしかめて少し驚いた様子で水蓮に視線を向けた。

 この間の修行で鬼鮫に言われたことを話しての反応だ。

 「うん」

 うなずき、言葉を続ける。

 「止まらないと印が組めないようでは、隙だらけだ。って」

 少し口調を真似をしながら言う。 

 それが面白かったのか、それとも内容に対してなのか、イタチは小さく笑った。

 「無茶を言うな」

 しかしすぐに否定する。

 「いや、まぁ、あいつが言うなら、できるんだろうな。お前には」

 「かなり難しいんだけど。手がぶれて」

 風遁の印を胸の前で形作る。

 「そうだな。鬼鮫は何かアドバイスをくれるのか?」

 二人の修行はイタチが単独で動いている時がほとんどで、その内容をまともに見たことがなかった。

 「えーと。走りながら印を組むときは、態勢を少し落として、脇を閉めて、臍の前あたりで印を組むとやりやすいって」

 イタチはまた少し驚いた様子で言葉を返す。

 「あいつ。ちゃんと教えてるんだな」

 「うん。鬼鮫は結構わかりやすく教えてくれるよ。厳しいけど…」

 「そうか…」

 イタチは少し難しい顔を浮かべる。

 まだ今の水蓮に対して教えるにしては、少し難しい事を言っているようにも思えた。

 それだけ鬼鮫は水蓮の能力を見込んでいると同時に、気に入っているのだろう。

 だからこそ、水蓮をマダラから離さなければいけない。イタチはそう考えていた。

 何かが原因で、マダラが水蓮を生かしておけないと判断した場合、おそらくその命を奪うことになるのは、自分より信頼の厚い鬼鮫だ。

 

 そしてあいつは従うだろう…

 どちらにとっても、それは重い…

 

 そう考えをめぐらせて、イタチは『そうはさせないが…』と、心の中でつぶやく。

 だが、自分がいなくなった後の事を考えておかねばならない。

 

 その時、水蓮を託せるのは…

 イタチがその人物を思い浮かべると同時に、水蓮の体が少し揺れた。

 落とした視線の先で、水蓮がうとうとしながら、眠気と戦って顔をゆがめていた。

 その必死の表情に思わず「ふ…」と、笑いをこぼす。

 それに気づいた水蓮がハッとしたように顔をそらした。

 「どうした?」

 イタチの問いに水蓮は振り向かぬまま返す。

 「変な顔してた?」

 「ああ。してた」

 「…う……」

 イタチはうなだれる水蓮の頭を引き寄せて「少し眠れ」とやさしく言う。

 降り下りてきたその柔らかい声に、水蓮はうなずいて素直に目を閉じた。

 

 

 イタチは水蓮をより深く包み込む。

 

 

 互いのぬくもりがそれぞれの心に穏やかな感情をあふれさせた…。



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第五十一章【望みを叶えるもの】

 しんと静まり返った洞窟の中。

 水蓮の小さな寝息がイタチの耳に心地よく届く。

 

 包み込む穏やかな空気

 安心しきった顔で眠る水蓮を見て、自然と顔がほころぶ。

 

 自身の中にも広がる静穏さ。

 

 まだもうしばらくこうしていたい…

 

 そんな思いが脳裏をかすめる。

 しかし、夜が更け、気温が下がりだしたこの時間。そうもいかないだろうと、小さく笑う。

 

 「水蓮…」

 優しい声で名を呼ぶ。

 

 が、水蓮の目を覚ましたのはその声ではなかった。

 

 

 ドォォッ!

 

 

 イタチの声をかき消すように、突如大きな音が響き渡った。

 「何っ?」

 すさまじい音に、水蓮が体を跳ねあがらせ目覚める。

 「外だ!」

 同時に立ち上がり、洞窟の外に走り出て周りを見回す。

 暗闇で何もとらえられない水蓮の隣で、イタチの赤い瞳が鋭く光る。

 

 ドォッ!

 

 再び音が轟く。

 その方角に目を向け、イタチの目が少し離れた場所にチャクラの流れを捉えた。

 長く空へと延びるそれは…

 「鬼鮫の水龍だ」

 「じゃぁあっちが…」

 「そうかもしれないな。行くぞ!」

 二人は同時に駆けだした。

 

 

 

 たどり着いた先では、鬼鮫が池の上に立ち、じっと水面を見つめていた。

 池の淵には洞窟にあった物と同じ竜の石像があり、その隣には夜の観光客用なのか、火をくべる場所がある。

 そこにイタチが火遁で灯りをともす。

 照らされた水面に、イタチがさっと降り立つと、それと同時に、池の中から大きなしぶきが上がり、細長い何かが宙に飛びあがった。

 炎の明かりに照らされたその姿を目に捉え、水蓮が声を上げる。

 「ナ、ナマズ?」

 池の中から飛び出したのは、鬼鮫の3倍はありそうな大きなナマズ。

 ぬめりのある体が炎の明かりを受けて気味悪く光った。

 「池の主か」

 「さぁ。水中を探っていたら突然」

 二人の視線の先で、ナマズが空中で大きな体をうごめかせた。

 その動きに合わせてバチバチと音が鳴る。

 「電気ナマズのようですね」

 電気を帯びたまま水の中に落ちるナマズ。

 そのしぶきから逃れるように、二人が飛びあがり水蓮の隣に着地する。

 

 吹き上がったしぶきの中を電流が走り、激しい音を立てて水面に広がった。

 

 「そ、そんなに…?」

 電流の強さに水蓮が思わず声を上げ、鬼鮫がため息で続く。

 「厄介だ」

 「大きさがあれではな」

 イタチも顔をしかめる。

 「水物とはいえ、あまり好まない相手だ」

 「だがどうやらやるしかなさそうだ」

 イタチの鋭い瞳が池の中を探るように動いていた。

 どうやらナマズの動きを追っているようだ。

 「どうしました?」

 鬼鮫のその問いに、イタチは池を見つめたまま答える。

 「腹の中に何かある。チャクラのようなものを帯びた塊が見える」

 「まさか、水晶?」

 水蓮も池に目を向ける。

 「その可能性はあるな」

 「なるほど」

 何かに納得したように鬼鮫も池を見つめる。

 「先ほど、何か妙な力が水中に吸い込まれているような気配がしたんですよ。それで調べていた」

 イタチはしばし考え、つぶやくように言った。

 「自然エネルギーか」

 「自然エネルギー…」

 そのまま言葉を繰り返した水蓮にイタチが返す。

 「人の体内には身体エネルギーと精神エネルギーというものがある。それを練りこんでチャクラという力に変換する。それと同じように、自然界の中にも力を生み出す自然エネルギーというものがある。大地、水、木、火や風、空気中にも。そして」

 つい…と、夜空を見上げる。

 その様子に水蓮がハッとする。

 「月…」

 「そうだ…。日中ももちろんその力は働いているが、動くものの少ない夜の方が障害がなく、自然エネルギーを感じやすい」

 「それでも、自然エネルギーは感じ取ることが困難な代物だ。かなりの訓練がいると聞きます。だが、それをかすかにでも感じたということは…」

 「今夜の新月が関係しているのかもしれない。何か特別な力が働き、そしてそれが池の中に集まっているのだとしたら…」

 水蓮は先ほどのイタチの話を思い出す。

 「月の力を充電…」

 「ああ。水晶の可能性は極めて高いな」

 「……………」

 水蓮は言い表せない心境で池を見つめた。

 もし、ナマズの腹の中にあるものが求めている水晶なら、任務は終わる。

 だけど、何に使われるかわからないものを組織に渡すことになる。

 胸中は複雑だった。

 そんな水蓮を視線の端に捉えつつ、イタチと鬼鮫はもう一歩池のふちに歩み寄る。

 「鬼鮫…」

 「上からですね…」

 「ああ」

 本当に短い言葉で流れを確認し、鬼鮫が鮫肌を構え、水蓮に振り向いた。

 「落ちてきたら、あっちへ飛ばしてください」

 「…え?」

 鬼鮫は対岸を指さし、戸惑う水蓮に答えぬままさっと印を組む。

 

 「水遁!水龍弾の術!」

 

 鬼鮫の水龍が池の中へともぐりこみ、数秒後に先ほどの巨大ナマズが池から追い出されて飛び上がる。

 その下に鬼鮫がさっと入り込み、鮫肌を一閃させてさらに上へと弾き飛ばした。

 高く生え並ぶ木々の更にその上へと、ナマズが跳ね飛ぶ。

 それを追うように鬼鮫が飛びあがり、イタチが続く。

 二人は空中で合流し、鬼鮫が組み重ねた手にイタチが足を駆けた。

 グンッ…と、鬼鮫がイタチを跳ね上げる。イタチはその力を利用して、さらに高く跳躍した。

 その細くしなやかな体がナマズを追い越して最も高く上がり、冷たい空気に精悍な声を響かせる。

 

 「火遁!豪火球の術!」

 

 星空を背にイタチが放った火の塊がナマズの巨体を飲み込み、上空からその熱波が降り注ぐ。

 「……う…」

 水蓮が熱風に耐えながら目を凝らすと、炎に包まれたナマズが、うねり苦しみながら落下してくる様子が見えた。

 

 「水遁!水龍弾の術!」

 

 ナマズの蠢きに揺られて広がった炎が木々に触れるより早く、今度は鬼鮫が再び水龍を放ち、ナマズへとぶつけた。

 

 じゅぅぅぅっ…

 

 音を立てて炎が消え、煙と共に異臭が立ち込める。

 魚を焼いたようなよい匂いではない。

 生臭く、思わず鼻をふさぎたくなるような嫌な臭い。

 ナマズはまだかろうじて息が合ったようで、その体から音を立ててほんの一瞬だけ電流をはじかせた。

 しかし、それが最後の力だったようで、息絶えて脱力した。

 それを確認して、鬼鮫が声を上げる。

 「水蓮!」

 鬼鮫の水龍にやや落下の勢いを殺されたとはいえ、かなりのスピードで落ちてくる巨大ナマズ。

 水蓮は待ち構えて印を組み、焼け焦げた巨体が水面に触れる前に術を放った。

 「風遁!大突破!」

 

 ゴオゥッ!

 

 吹きうなった風が水面を大きく波立たせ、ナマズの体を対岸へと押しやる。

 が、思うようにはじき飛ばない。

 

 …重い!

 

 風を通じて伝わるその重さに、グッと体に力を入れてチャクラを練り足すが、さらに強さを増した風に、水蓮の体が少し揺らぐ。

 「……っ」

 「おっと」

 その体を後ろから鬼鮫が支え、水蓮が何とかナマズを対岸へと押し飛ばした。

 

 ズゥゥンッ!

 

 重々しい音を立てて巨体が地面に落ち、かすかに足元を揺らした。

 ふぅぅ…と、安堵の息を漏らす水蓮の隣にイタチが降り立つ。

 水蓮は周りが燃えなくてよかったと、もう一度息を吐いた。

 「なんで上から…」

 イタチの豪火球は、力を絞ったとしても威力は大きい。

 「木に火が移ったら…」

 「この時期、空に向けて火遁を放つのはあまり好ましくない」

 答えたイタチに鬼鮫が言葉を続ける。

 「大気の気温が急激に変わると、雨雲が来ますからね」

 言われて、なるほどと納得する。

 雨で濡れてナマズの電流で感電するのを避けるため。

 理解した様子の水蓮に鬼鮫はフッと小さく笑い、ナマズのもとへと飛びゆく。

 それに続いたイタチが黒く焼けこげた体を観察し「ここだ」とナマズの体の中ほどを指さす。

 鬼鮫が鮫肌を振り上げるのを見て、水蓮は思わず目をそらした。

 

 …ズ…ズズ…

 

 耳障りな音が耳に届き、鳥肌がたつ。

 少ししてから目を向けると、鬼鮫が池の水で何かを洗い持ち上げた。

 その手には、長さが50センチほどはありそうな大きな円筒型の水晶の結晶。

 上部が斜めになっており、竜の石像が持っているものと同じ形。

 その水晶は池のほとりに灯された炎の光を受けて美しく輝いていた。

 「これほど大きい物は見たことがない」

 水蓮の隣に飛び来た鬼鮫が、水蓮にも水晶を見せる。

 直径も大きく、鬼鮫の手のひらと同じほどある。

 「すごくきれい…」

 ナマズの腹の中にあったかと思うと複雑ではあったが、その水晶はかなりの透明度。

 覗き込むと、向こう側がかなりはっきりと見える。

 「任務完了ですかね」

 「ああ。そうだな。おそらくこれのことだろう。過去に盗み出した者が、ここに隠したのか落としたのか…」

 「ナマズに飲み込まれて回収できなかった」

 水蓮の言葉にイタチがうなずき、鬼鮫が小さく息を吐いた。

 「あの電流の強さも、この水晶が関係していたのかもしれませんね。まぁ、とにかく無駄足にならずに済みましたね」

 鬼鮫が水晶をイタチに渡す。

 「ああ」

 「そうだね…」

 複雑な気持ちのままではあったものの、任務の終了を実感し、水蓮が息を吐き出す。

 それに合わせたように背後の茂みが揺れ、イタチがさっと水晶を懐にしまった。

 がさがさと音を立てる茂みの向こうから現れたのは、リョウタと静香だった。

 懐中電灯を手に持ったリョウタが水蓮たちの姿を見て「やはり、あなた達でしたか」と、駆け寄る。

 「何かあったんですか?」

 「大きな音が聞こえたので…」

 リョウタの後ろから、静香も心配そうな顔で続く。

 騒ぎに気づいて駆け付けた様子の二人に、鬼鮫が対岸のナマズに目を向けて肩をすくめた。

 「いえね。あれが、突然」

 そちらに目を向けて、リョウタと若女将が息をのむ。

 「あれは…」

 「大ナマズ…?」

 その存在を知ってはいたようだが、黒く焼け焦げているためか、はっきりと断定しきれず二人は目を凝らす。

 そして正体を認めて水蓮たちに向き直り、声をそろえた。

 『ありがとうございます』

 深々と頭を下げられて、水蓮たちが戸惑う。

 「この池は桜の名所で、春にはかなりの観光客が訪れる所なんです」

 静香の言葉にリョウタが続く。

 「特に昔は夜桜が人気のスポットだったんですが、突然変異なのか20年ほど前に突然あの大ナマズが現れて、夜は近寄れず長い間困っていたんです」

 やはり水晶の力がナマズに何か特別な力を与えていたのだろうかと、水蓮は息絶えたナマズに目を向ける。

 リョウタも同じようにナマズを見て言葉を続ける。

 「昼間はまったく出てこないのですが、夜はかなり活発で…」

 「そうか。ナマズは夜行性だったな…」

 「はい。伝えておくべきでしたね。行かれるのは洞窟だけかと思っていましたので。すみません」

 「いや、問題ない」

 そう答えたイタチと、その両隣でうなずいた水蓮と鬼鮫に、二人はもう一度頭を下げた。

 

 

 こうして、思いがけず感謝される形で任務は終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 深夜を回り、眠る水蓮と鬼鮫を宿に残してイタチは水晶を手にマダラのもとへと出向いていた。

 花橘町から少し離れた場所。イタチのアジトの一つ。

 普段使うことはなく、マダラとの密会にのみ使っている場所だ。

 しばらく待つと、背後に禍々しい空気が生まれる。

 イタチは振り向きざまに、まだ何も現れていない虚空に向かって水晶を投げた。

 

 パシィッ!

 

 冷たい空気の中に音が響き、水晶をその手に受け止めたマダラがジトリと仮面の奥からイタチをにらむ。

 「態度が悪いな」

 「わざわざ後ろに現れるな」

 マダラは「フン」と短く鼻を鳴らし、水晶を確かめる。

 「いい品物だ。術のかかりがよさそうだ」

 あらゆる角度から水晶を眺め、ずいぶん満足げなマダラ。

 「何に使う…」

 短く問いかけたイタチに、マダラは水晶を掲げて見せた。

 「なぁに。ちょっとした戯れだ。まだ先の話だがな。しばらくはお前を呼ぶこともない。好きにしていろ」

 

 今まで集めていたものを使って何かをするつもりか…

 

 じっとマダラを見据える。

 

 木の葉に情報を流すべきか…

 

 イタチは悩んでいた。

 

 いつどこで何をするつもりなのか。一つも分からぬ状態での情報のやり取りは危険かもしれない…

 木の葉に対しての物ではないかもしれない状態で、へたに警戒をあおるべきではないか…

 

 「イタチ、知っているか?」

 マダラの低い声がイタチの思考を断ち切る。

 仮面に開いた穴の前に水晶を掲げ、その奥に写輪眼を光らせる。

 水晶を通して見えたその赤い光に、何か不気味なものを感じ、イタチは無意識に視線をそらしていた。

 「水晶の結晶には独特の2重螺旋構造があり、それによって人の想いを記憶する力がある。己の求めるものを強く望めば望むほど、その想いを、念を記憶し、そして形にしてくれる。願望成就の能力…」

 水晶の事を調べた際にそのことを知り得てはいたが、イタチはあえて言葉を返さない。

 マダラとの間に会話を成り立たせる事を心が拒んでいる。

 「そして、何よりも魅力的なのは…」

 一層瞳の赤が深まり、気温さえも下がって行く。

 「水晶は人を選ばない」

 ゾワリ…と背筋が逆毛立つ。

 「善も悪も関係ない…」

 殺気を放っているわけではない。自分に敵意を向けてきているわけでもない。

 「素晴らしいと思わないか?」

 それでも、この場から早く立ち去りたいと感じてしまうマダラの禍々しい空気。威圧感。

 初めてマダラと対面したときの記憶がよみがえる。

 

 まだ下忍の頃、任務の際に対峙し、目の前で仲間がマダラに殺された。

 

 足がすくんだ…

 

 動けなかった…

 

 仲間が殺されたショック…

 

 自分が何もできなかったという自責の念…

 

 そして何より、マダラの存在に、体が恐怖を感じていた…

 

 思い出したそれらを振り払うように、イタチはマダラを睨み付ける。

 

 今の自分は、あの時の自分とは違う…

  

 力をつけ、何かに対して恐怖を感じるようなことはない…

 マダラに対しても、あの時のような恐怖はない…

 

 だがそれは、互いに戦う対象ではないからなのかもしれない。

 

 いざこの男が自分に刃を向けてきたら…

 

 イタチはその状況を想像しかけて、やめた。

 

 自分はサスケと戦うためだけに生きている…

 

 そしてこの男は組織の中で、利用する駒として自分の事を重要視している…

 

 それ以外の物は何も存在しない…

 

 それ以外の物は意味を持たないのだ…。

 

 「イタチ…」

 禍々しいマダラの声が、イタチの意識を思考の中から呼び戻す。

 「お前の望みも叶えてやろうか?」

 イタチはさらに強く睨み付けて返す。

 「オレの望みはオレにしか叶えられない」

 

 サスケの顔が浮かぶ。

 

 「それに…」

 

 一つはもう手に入れた。

 

 飲み込んだ言葉と同時に水蓮の顔が浮かんだ。

 

 「もう行く」

 

 早く帰ろう…

 

 さっと身をひるがえして姿を消す。

 

 イタチが残した風にふわりと枯れ葉が舞った。

 それを視線に捉えながらマダラがつぶやく。

 「あんな顔ができるとはな」

 消える寸前に一瞬だけ見えた、イタチの柔らかい表情。

 「闇に落ちたお前が何を見つけたのか」

 

 ひらり…ひらり…

 

 枯れ葉が揺れる。

 

 マダラはそれを広げた手のひらに乗せた。

 

 「だが、お前を待つのは死だ」

 

 グッと手が握りしめられた。

 

 グシャリ…と音を立てて枯れ葉がつぶれ、砕かれた。

 

 再び開かれた手から、粉々になった葉が風に舞い、消えてゆく。

 

 「それまではぜいぜい楽しむがいい」

 

 塵と化した葉がすべて消えると同時に、マダラの姿がすぅっ…と闇に溶ける。

 

 

 二人が消えたその場所には、静寂だけが残された。

 

 

 

 

 翌朝、水蓮たちは花橘町を後にした。

 この先の指標を見つけた水蓮にとって、見送りに来たヒヨリたちとの別れは特別な何かを感じるものとなった。

 それはイタチも感じていたようで、リョウタに「世話になった」と小さく辞儀をした。

 

 

 「そういえば…」

 特に行くあてを決めぬまま歩みを進める中、鬼鮫がふいに口を開いた。

 「池に行ったとき、あの子供が言ってましたよ」

 水蓮をちらりと見る。

 「カロン?」

 「ええ。いつか町に忍術学校を作りたいと」

 「忍術学校を?」

 首を傾げた水蓮にイタチが言葉を続ける。

 「忍び里ではない普通の町には珍しい光景だな」

 「なんでも、医療忍者を町で育てたいそうですよ」

 思わず水蓮の足が止まった。

 

 

 彼も思ったのかもしれない…

 

 

 水蓮はヒヨリと会って感じたことを思い返す。

 

 

 医療忍者がいれば、もっと早く病を見つけられたかもしれない…

 

 早く病に気づいていたら…助かったかもしれない…と。

 

 

 

 水蓮は町のあった方角を振り返り、あの家族の笑顔を思い出す。

 最期を知りながら、ありのままに生きる偽りのない笑顔。

 そこには、何ものにも負けない強さが溢れていた。

 

 

 自分もそう生きていこうと、改めて心に強くその想いを刻み、水蓮は強い足取りで歩き出した。



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第五十二章【花言葉】

 幾月かの時が流れた。

 暁は少しずつ各方面で起こる争いへの加担をはじめ、ペインの言う【第2段階】へと動きを進め出し、イタチと鬼鮫も以前に比べてそういった任務が増え出していた。

 一度の任務で数日、数週間かかることも多く、活動の密度が高まりはじめたようだった。

 そんな中、水蓮は二人から任務への同行を禁じられ、宿で帰りを待つか、次の動きに合わせて一人で移動するという日々を送っていた。

 医療忍術、そして鬼鮫の手ほどきを受けているとはいえ、経験の少なさからの事であった。

 情報収集や物を集める任務とは違い、複雑な画策や戦略が繰り広げられる戦場において、戦争を知らない水蓮を連れて行くのはリスクが大きいとの判断であった。

 

 

 組織は大きな戦争への関与を見据えて、いわゆる【実績作り】をするためにまずは小規模な戦に参加しているようだった。

 

 『喧嘩に毛の生えた程度』

 

 先日鬼鮫が言っていた言葉を思い出し、水蓮は一人宿の窓から外を眺めため息をつく。

 鬼鮫の言うように大きな戦ではないため、今の所二人とも目立った怪我をするようなことはほとんどなかった。

 それでも、時には腕の立つ忍との戦いもあり、幾日か休養が必要なほど疲弊して戻って来ることもあったため、帰りを待つ水蓮は気が落ち着かない時間を過ごしていた。

 

 戦の中では多くの命が奪われる。

 イタチの胸中を思い、不安に胸の苦しみも加わる。

 「大丈夫かな…」

 二人と離れて今日で1週間が過ぎていた。

 何か報せが来ないかと、見上げた空から雨が降り落ちた。

 ポツポツ…と小さい音から、次第に強い音へと変わり、咲き始めた紫陽花を濡らしいてゆく。

 「また咲いた…」

 雨粒の勢いに揺れる紫陽花に、水蓮は時の経過を計る。

 

 2度目の紫陽花。

 

 水蓮がこの世界に来てもうすぐ2年がたとうとしていた。

 確実に時間が過ぎてゆく。『その時』へと向かって。

 全身を覆い尽くしてゆく恐怖。

 水蓮はそれを振り払うように大きくかぶりを振った。

 先を考えると立ち止まってしまう。

 

 今を考えよう…

 

 深呼吸をして立ち上がる。

 同時に扉の向こうに気配が生まれ、水蓮は慌ててドアを開けた。

 そこにはちょうどドアに手をかけようとしていた鬼鮫が、タイミングの良さに驚いた顔で立っていた。

 雨は避けれたようで濡れてはおらず、水蓮は笑顔で迎えた。

 「お帰…」

 しかし、ドアを開ききりその声が途中で止まる。

 イタチがぐったりとした様子で鬼鮫に支えられていたのだ。

 「イタチ!」

 その声と肩に置かれた水蓮の手に、ピクリと反応してイタチが少し目を開く。

 「水蓮…?」

 ほんの少し持ち上げられた顔。ゆっくりと動いた口元には少し血がついていた。

 「宿に戻ったのか…」

 自分が宿にいることをようやく理解したその様子に、イタチが気を失っていたのだと水蓮は察する。

 「月読?」

 それもかなり大規模な物。

 その言葉と思考に鬼鮫がうなづく。

 「すぐ布団を…」

 今までにないダメージに水蓮の手が小さく震える。

 「少し瞳力を使いすぎたようです」

 鬼鮫が敷かれた布団にイタチを寝かせる。

 そしてそのまま踵を返した。

 「私はまだ少しやることが残っているので、もう一度出ます」

 その声は少し低い。

 最近立て続けに渡される任務に、鬼鮫も疲労の色を隠せなくなってきている事がそこから感じ取れる。

 「わかった。気を付けてね…」

 「戻るまで、まだ3日ほどかかりそうです」

 心配する水蓮の気持ちを感じたのか、鬼鮫は声のトーンを上げた。

 「イタチさんを頼みましたよ」

 そして少しだけ振り向き、水蓮のうなずきを確認してから、姿を消した。

 「イタチ…」

 そっとそばに座り、額宛を外し手を当てる。

 熱はないようで少しホッとする。

 「怪我はない?」

 口元の血を手拭いで拭う。

 「ああ…」

 目を閉じたまま返すイタチの声は小さい。

 水蓮はまだ少し震えたままの手をかざし、チャクラを流した。

 そのぬくもりに誘われ、ほどなくしてイタチは眠った。

 しかし表情はなかなか和らがないままだ。

 辛そうなその顔を見守りながら、以前にもこれに近い状況があった事を思いだす。

 その時の任務は組織の工作で、対立する両方に暁のメンバーが入り込み、より自分たちにとって利益ある側を勝たせるというものだった。

 その際に利用されたのはイタチの幻術。

 ずいぶん瞳力を酷使し、同じように鬼鮫に抱えられて戻ってきた。

 身体的にはもちろんだが、精神的なダメージも鬼鮫には見せないものの、かなり大きかった。

 

 今回もおそらくそう言った内容なのだろう…

 

 力を貸していると見せかけ、最期に裏切る。

 イタチにとってはかなりつらい内容だ。

 もし考え通りのものであればおそらく…

 

 水蓮がその胸に不安をめぐらせると、イタチが小さくうめいた。

 苦しそうな声。歪ませた眉間に深くしわが入る。

 「やっぱり…」

 

 あの夢を見ている…

 

 水蓮はイタチの手を握り、そっと声をかけた。

 「イタチ、起きて…」

 闇の中からイタチを呼び戻す。

 「イタチ…」

 幾度か呼ばれて、イタチはハッと目を開き、視線に水蓮の姿をとらえてほっとした様子で体を起こした。

 「大丈夫だ…」

 片手で顔を抑えて大きく息を吐き出す。

 「水持ってくる」

 しかし、立ち上がろうとして離れかけた水蓮の手を、イタチが引き寄せた。

 「え…」

 態勢を崩し、そのまま後ろ向きにイタチの腕の中に倒れこむ。

 

 伝わる互いのぬくもり

 

 それを逃すまいとするように、ギュッ…と、イタチが水蓮の体を抱きしめた。

 

 「イ、イタチ…」

 「少しだけ。このまま…」

 

 花橘町での事があったとはいえ、鬼鮫も一緒にいることもあり、こうして抱きしめられるようなことは少ない。

 

 水蓮は鼓動を大きく揺らす。

 

 「うん…」

 それでも、そっとイタチの腕に自分の手を乗せる。

 「水蓮…」

 首筋にイタチが額を摺り寄せてくる。

 そのしぐさが、たまらなく愛おしかった。

 しかし、それと同時に、苦しくなった。

 

 一体何があったのか…

 

 こうも疲弊しきった姿は今までにない…

 「イタチ、何が…」

 「今日は…」

 姿勢をそのままに、イタチが水蓮の言葉を遮る。

 「今日は何をしていたんだ?」

 「イタチ…」

 「いいんだ。お前の話を聞かせてくれ」

 「でも…」

 「それでいいんだ」

 ギュッと腕に力が込められる。

 「それがいいんだ」

 

 かなり辛い事があったのだろう…

 それでも話さない事をイタチが選んだのなら…

 

 水蓮はキュッと手に力を入れる。

 

 きっと話したくなったら話してくれる…

 そう信じられる…

 

 「今日は宿で借りた本を読んでたの」

 机の上に置いてある本に目を向ける。

 帰りを待つ間のしのぎにと、借りたものだ。

 「どんな本なんだ?」

 言葉を発するたびに互いのその身に温もりが揺れる。

 

 あたたかい…

 

 そばにいる…

 

 鼓動を感じる…

 

 二人の心に安心感が広がり、部屋の空気が穏やかな物に変わってゆく。

 「花の図鑑。この間アジトの近くできれいな花を見つけたでしょ?」

 10日程前の話にイタチは「ああ」と思い起こしてうなずく。

 

 小さな白い花。

 それが集まり、手のひらほどの大きさの円形を作り、あちこちで華やかさを放っていた。

 つぼみは金平糖のようなかわいらしい形で、咲いた花は五角形。ふわりと少し脹らみ、ところどころに薄いピンク色が見え、まるでレースの日傘を広げたような美しいな花。

 「カルミアか」

 「うん」

 イタチから教わったその名を頼りに、水蓮は図鑑の中にその花を探していた。

 「花言葉を調べてたの」

 「わかったのか?」

 「うん。大きな希望。優美な女性。だって」

 見た目の通り、良い意味の花言葉であったことに、水蓮はほっとしていた。

 

 いつか思い出したときに、心を支える一つになってくれるだろうか…

 

 そんなことを思った。

 ふいに、イタチが顔を上げて「…ふ」と小さく笑った。

 その息が頬にかかり、少し頬が熱に色づく。

 「なに?」

 気づかれぬよう顔を横向ける。

 イタチはまた額をすり寄せて、つぶやくように言った。

 「お前のようだ」

 「…っ…」

 恥ずかしさが極まり、小さく身じろぎをすると、肩への重みが少し増した。

 ちらりと向けた視線の先。イタチが静かに寝息を立てていた。

 何気ない会話の中で少し気持ちが安らいだのか、先ほどのような苦辛は感じられなかった。

 水蓮はそっと体を離してイタチを寝かせ、布団をかけなおした。

 月読に限らず、力を酷使したのだろう。

 だが、それだけではない。

 何か辛い光景を目にしたのだろう。

 

 水蓮は以前鬼鮫に言われた言葉を思い出していた。

 

 「戦場には多くの屍が転がっている」

 

 二人の傷の回復の為に同行したいと言った言葉への返答。

 

 「それは忍だけではない」

 

 そう言われて冷たくなった指先の感覚が蘇る。

 

 争いの場となる、国…町…里…

 そこには忍、そして忍ではない人々。多くの死があふれかえる。

 その中には幼い命も有りうるのだ。

 

 それを目の当たりにして、イタチや鬼鮫の足を引っ張らずに動ける自信はなかった。

 

 二人が行く先には、自分が考える以上に残酷で悲惨な光景があるのだ…

 

 水蓮は、イタチがいつもに増して何か辛い想いをしたのだろうと、胸が痛んだ。

 「イタチ…」

 手をそっと握りしめる。

 

 これから、こういったことが増えていく…

 

 しっかりイタチの心を支えていこう…

 

 握りしめた手をそっと持ち上げ頬にあてる。

 イタチが辛い夢を見ないよう祈りを込めた。

 

 

 

 イタチはその後時折目を覚ましたものの二日間ほぼ眠ったままだった。

 そして三日後の昼ごろ、ようやく調子を取り戻し布団から身を起こしてきた。 

 「また無理をさせたな」

 治療に少し疲れた様子の水蓮を見て、イタチが目を細めた。

 「大丈夫。私最近チャクラ量増えたのよ。二人がいない間も、ちゃんと訓練してるんだから」

 グッと両手を胸の前で握って力を入れる水蓮のしぐさに、イタチはフッと笑った。

 「頼もしいな」

 思いがけない言葉に水蓮は一瞬驚いて言葉に詰まったが「そうでしょ」と、得意げに笑って見せた。

 「ああ」

 うなずいて返したイタチの言葉に合わせたかのように、一羽のカラスが宿の窓にとまった。

 「鬼鮫につけていたカラスだ」

 水蓮が窓を開けると、カラスはさっとイタチの布団の上に飛びより、足にくくりつけられていた文をほどかれると、すぐに姿を消した。

 文は暗号で書かれているため水蓮には読めなかったが、内容を確認したイタチは何かを考え込み黙した。

 

 一点を見つめたまま動かない

 

 しばらくして、水蓮がイタチの眉間を、指でトン…と押さえた。

 イタチが驚いてびくりと体を揺らす。

 「水蓮?」

 「眉間にシワ寄ってる」

 手を離してグッと詰め寄り、まっすぐ見つめる。

 「一人で考えこまないで」

 イタチはハッとしたように息をのみ「そうだな」と、笑みをこぼして水蓮の頭に手を乗せた。

 「この間の一件は片付いたが、そのまま別の戦場へ駆り出されたようだ。まだ数日かかるらしい。その間どう動こうか考えていた」

 「そっか…」

 少し疲れた様子を見せていた鬼鮫の身が心配になる。

 それを感じたのか、イタチの手がなでるように髪を滑りおり、水蓮のほほに当てられた。

 言葉はないが、安心させようとする気持ちが十分に伝わり、水蓮は笑みで答えた。

 イタチも安心したように笑みを返す。

 「今日中に移動する。この宿にも長くいるからな。そろそろ動いた方がいい」

 「わかった」

 イタチの体がまだ少し心配だったものの、水蓮はうなずいた。

 様々な場所で戦に参加している今、一カ所に長くいるのは以前にもまして危険だった。

 どこに敵対していた側の残党がいるかわからない。

 遭遇してしまったら、奪わなくてもよい命まで奪うことになる。

 それは避けたかった。

 

 「荷物整理するね。イタチはごはん食べてて」

 先ほど運ばれてきた昼食の膳をイタチの布団の上に置く。

 少し目を細めた様子に、まだあまり食欲がないのだろうと悟る。

 それでも水蓮は箸を差し出して促す。

 「少しでもいいから。食べないとダメ」

 まるで子供を叱るようなその口調に、イタチは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、フッと笑って箸を受け取った。

 「わかった」

 その言葉に安心したようにうなずき、水蓮は荷を整理し始めた。

 イタチは胸中に考えをめぐらせながら、じっとその背を見つめた。

 

 水蓮がこの世界に来てからもうすぐ2年…

 

 何もできなかった普通の人であったはずの水蓮。

 必死に訓練を重ね、自身の身を守れるほどの力をつけ、今では自分や鬼鮫をも支える存在となった。

 それは医療忍術の力だけではない。

 心を支える存在。

 「頼もしいな…」

 先ほどと同じ言葉を、小さくつぶやく。

 その声を耳に捉えた水蓮が、ピクリと体を揺らして振り向いた。

 顔が少しひきつっている。

 「もしかして、私太った?それとも筋肉つき過ぎた?」

 背中が、体が大きくなったという意味に捉えたのか、水蓮は自分の腕を触って確かめながらさらに顔を引きつらせる。

 その様子に、イタチは思わず「クク…」と笑った。

 「え?やっぱり太った?」

 「いや違う。そういう意味じゃない」

 笑いをこらえられぬまま、煮物に箸をつけるイタチに水蓮が顔をしかめる。

 「ホントに?」

 「ああ。本当だ」

 答えて小芋を口に入れる。

 「それならいいんだけど…」

 やや腑に落ちないままではあったが、食事の邪魔をしないでおこうと、水蓮は再び荷をまとめだす。

 イタチはまたその背をじっと見つめた。

 

 その瞳には、何かを決意した色が浮かんでいた。




お久し振りです(^-^)
いつもよりは少し間が開いてしまいすみません
(^-^;)
ちょっと身辺バタバタしていて…次話も少し時間がかかるかもしれませんが、何卒よろしくお願いいたします(*^.^*)☆
毎日暑いですので、皆様お体にお気をつけ下さいね~
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
いつも本当にありがとうございます
(*≧∀≦*)


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第五十三章【継がれし想い】

 すっかり暗くなった夜の山の中。

 大きな木の陰に隠れるように位置する洞窟に水蓮とイタチは身を置いていた。

 

 

 「この場所を覚えているか?」

 簡単に食事を済ませて一息ついたところで、イタチが水蓮に聞いた。

 「…え?」

 ランプの灯りの中で水蓮は首をかしげる。

 随分アジトの位置は把握できてきたが、今いる所は覚えがなかった。

 「来たことあったかな?」

 イタチが「ああ」と小さく笑う。

 「お前と初めて会った時に来たアジトだ」

 その言葉に記憶をたどるが、確証するほどの物は出てこない。

 「あの時は混乱してたから」

 苦笑いを浮かべる。

 「そうだな」

 二人の脳裏にあの日の事がよみがえり、顔を合わせて笑う。

 「色々あったな」

 「うん。色々あったね」

 胸中に様々な想いがめぐり、水蓮はランプの灯りをじっと見つめた。

 あの日から、イタチを支えようという気持ちはずっと変わらない。

 それでも、こんな風に気持ちが通じ合い、幸せな時間を持てるようになるとは思ってもみなかった。

 だが、時間を重ねた分どんどん近づく時。

 その不安と恐怖は、消すことはできない。

 それはどちらの心にも、影を差す。

 その影を必死に照らそうとするように、二人の間でオレンジの灯りが揺れる。

 しばし沈黙が流れた後、イタチがランプを手に立ち上がった。

 「水蓮。少し外を歩かないか」

 暗くなってからはあまり不用意に外に出たりしないイタチがこんなことを言うのは珍しい。

 水蓮は少し戸惑いを見せるが、すぐに笑みを返して立ち上がった。

 「うん」

 洞窟から出ると思いのほか暗く、水蓮は一瞬その暗闇に足が止まった。

 そんな様子に気付き、イタチがスッと水蓮の手を取り優しく包み込む。

 「放すな」

 その背に輝く細い三日月が、洗練された容姿と優しいほほえみをさらに美しく際立たせる。

 水蓮はそんなイタチに一瞬見とれ、なぜかその存在がどこかに消え入りそうな不安に襲われた。

 「怖いか?」

 夜の闇をさして言ったその言葉…

 なぜか、この先自分たちが歩む道をさしているように聞こえた。

 水蓮はまっすぐイタチを見つめる。

 「ううん。怖くないよ。イタチと一緒なら怖くない」

 つないだ手に力を入れ、二人は小さなランプの灯りを頼りに歩き出す。

 

 …言葉はない…

 

 だが、その静かな時間を共有していることにお互い心が幸せに満ちていた。

 葉を踏む足音が重なるたびに、同じ空間に存在していることを実感する。

 繋がれた手のぬくもり。視線が合わさるたびに交わす微笑み。

 ただそれだけでよかった。

 

 しばらくして、川のせせらぎが聞こえてきた。

 昼間とは違い、夜の静けさの中で聞こえるその音は、研ぎ澄まされていてどこか神秘な感じがする。

 辺りは樹齢の長い木が多いのか巨木が並び、細い三日月の明かりはすでに届かず、闇が深まる。

 ふとイタチが立ち止まりランプの灯りを吹き消した。

 「少しだけ、目を閉じていろ」

 唯一の灯りを失い戸惑うが、水蓮は言われるがままに目を閉じた。

 イタチはその体を抱き寄せ、ゆっくりと導くように歩く。

 互いに外套はまとっておらず、ぬくもりと鼓動が強く伝わり合う。

 

 ややあってイタチの歩みが止まった。

 「開けていいぞ」

 耳元でささやかれた優しい声にドキリとしながら、水蓮は静かに目を開く。

 「……っ」

 目の前に広がる光景に息を飲んだ。

 深い闇の中、浮かび上がる無数の小さな光の粒。

 その光は静かに流れる川の水を輝かせ、まるでそこに星空が、小さな宇宙が広がっているようだった。 

 「蛍?」

 イタチは頷き、空間にちりばめられた優しい緑色の光を見つめた。

 その瞳は写輪眼ではない美しい漆黒の瞳。

 「今の時期、この辺りはちょうど蛍が見れるんだ」

 「すごい綺麗」

 数え切れぬほどの光が、目の前の景色を惜しげない輝きで照らしている…

 

 穏やかな川

 

 立ち並ぶ木々

 

 やさしい風に揺れる草の緑

 

 咲き乱れる紫陽花

 

 すべてがまばゆい輝きをまとっている。

 

 「本当にキレイ」

 「ああ。キレイだな」

 

 二人はその場に座り、自然の作り出す美しい光景をながめる。

 

 「ここの蛍もきれいだが、オレの中では2番目だ」

 「一番は?」

 イタチはどこか誇らしげなまなざしで答える。

 「木の葉の里で見る蛍だ」

 水蓮はドキリと胸を鳴らした。

 イタチの口から里の思い出話を聞くのは初めてだった。

 「アカデミーの裏山の奥にある川辺で、この時期ここと同じように蛍が飛ぶ。その川辺には様々な色の花が咲き、水の流れはこの川よりまだもう少し穏やかで、あそこで吹く風は優しい香りがする」

 水蓮の脳裏にその光景が浮かぶ。

 懐かしげに眼を細めるイタチの顔。

 

 表情を見ればわかる…

 イタチがどれほど里を愛しているのか…

 

 水蓮は胸が締め付けられるようだった。

 

 こんなにも里を愛しているのに、この人は里には戻れない…

 

 「里にいたころ…」

 イタチは蛍を見つめたまま静かに言葉を続ける。

 「サスケとよく見に行った」

 水蓮はその言葉にまたドキリとしてイタチを見つめた。

 イタチの口からサスケとの話を聞くのも初めてだ。

 少し驚いた様子の水蓮に、イタチはフッと小さく笑う。

 「あいつ、蛍を捕まえようとして川に落ちたことがある。助けようと手を出して、オレも一緒に落ちた」

 幼い二人のその姿を思い浮かべて、水蓮は思わず笑った。

 イタチも笑う。

 「あいつはいつも無茶ばかりしてたよ。強くなろうと必死だった」

 「あなたを追いかけて?」

 「ああ。だからオレは、あいつが強くなるために、あいつの超えるべき壁であり続けようと思った。疎ましく思われても、たとえ憎まれようとも」

 その瞳に、悲しみは見えない。

 決意を秘めながらも、優しい色をたたえている。

 だが、水蓮はその瞳の奥に秘められた物を見つめていた。

 

 だけど、つらい…

 

 他に道はなかったのかと…思わないわけがない…

 

 そっとイタチに体を寄せる。

 イタチは優しくその体を抱き寄せた。

 「誰かにこんな話をできる日が来るとは思ってなかった」

 水蓮はそれを喜んでいいのかわからなかった。

 そうすることで余計に苦しめるのではないかと、そんな不安に襲われた。

 だがもしそうだとしても、その痛みもすべて受け止めて行こうとそう思った。

 ギュッとイタチの手を握りしめる。

 イタチも、強く握りかえす。

 「水蓮」

 心の芯に響く声。水蓮が見上げると、そこには真剣なまなざし。

 イタチは少し間を置き、静かに言葉を伝えた。

 「お前に、頼みたいことがある」

 「…え?」

 水蓮は驚きを露わにする。

 イタチからこんな風に改まって何かを頼まれるなど、今までになかったことだ。

 「なに?」

 戸惑いながら聞く水蓮にイタチはゆっくり話し出す。

 「渦潮の里の事を覚えているか?」

 水蓮は頷く。

 かなり時が経ってはいるが、忘れるはずがない。

 母の思念に会い、自身の生い立ちが明らかになった場所だ。

 「あの壁画の事も覚えているか?」

 「壁画…」

 脳裏にあの時のことが思い浮かぶ。

 母の思念とチャクラが消えた後、イタチの術で壁に大きな壁画が現れ、それをイタチは読み解いていたようだった。

 「覚えてるよ。なんの絵かは分からなかったけど」

 「そうか」

 イタチは一度言葉を切り、川を飛び交う蛍を見つめながら、静かな声で言う。 

 「あの壁画には、オレの探している物について描かれていた」

 「探してるものって」

 水蓮の言葉に誘われるように風が吹き抜け、イタチの髪を揺らした。

 その揺らめく髪の間から見える瞳がひときわ輝き、水蓮を見つめる。

 風が消え、イタチの声がシン…と落ちた静寂の中に流れる。

 「十拳剣(とつかのつるぎ)だ」

 水蓮は息を飲んだ。

 サスケとの最後の戦いの時に、大蛇丸の呪印を封印した(つるぎ)

 

 もうすでに持っていると思っていた…

 

 思わずその言葉が出そうになり、水蓮はグッと口をつぐむ。

 「その剣は貫いたすべての存在を、永久に幻術世界へと閉じ込める力を持つ。古い文献にその剣を見つけてオレはずっとそれを探していたんだが、詳しい情報が残されておらず、この目を持ってしても感知することができなかった」

 「それが、あの壁画に?」

 「ああ。あの壁画に描かれていたのは、過去にうちは一族の者が十拳剣で悪しき存在を封印し、その後剣をうずまき一族と共に封印したという一連の流れと、その封印場所についてだ」

 そんな重要なことが描かれていたのかと水蓮の喉が鳴る。

 「そしてその最期には、万華鏡写輪眼でしか読み解くことのできない5つの事柄が記されていた」

 「5つの事…」

 「ああ」

 イタチはゆくりと話しだす。

 「一つ目は十拳剣の事だ。その剣は実体のない【霊器】と言われるもので、封印の際その力を3つに分かち、それぞれ別の場所に封印したと書かれていた」

 イタチがフッと小さく笑う。

 「実体がない上に強力な術で封印されていたんだ。どうりで感知できないはずだ」

 「強力な術」

 「ああ。特殊な術だ。剣に施された封印術は、うちはとうずまき一族の二つの力で構成されていて、解くにもその両族の力が必要のようだ」

 「うちは一族とうずまき一族。両方の力」

 イタチはうなずき話を続ける。

 「ただ、術式や印に関しては書かれていなかった。おそらく封印場所に行けばわかるんだろうがな。3つ目には再び剣を封印したのちに、その事を伝え継ぐ際の事が書かれていた。うずまき一族は同家系に、そしてうちは一族はその術を扱えるだけの力を持つ者に。それぞれただ一人だけに伝え継ぐようにと」

 「うずまき一族の同家系って」

 「おそらく、お前の家系だ」

 水蓮は息を飲んだ。

 「お前の母が祖母と共にあの部屋に逃げ込んだと言っていただろう。あの部屋を知るのは一家系のただ一人だけのはずだ。伝承通りに伝え継がれていればな」

 「じゃぁ、もしかして剣を使っていたのは…」

 「お前の先祖にいたという、うちは一族の者と言う可能性は高い。そしてお前の母は、本来この事を伝え継ぐ役割を持っていたのかもしれない。だが里が襲撃され、切羽詰まった状況で受け継がれる猶予が持てず、ただチャクラを残すように言われ」

 「九尾チャクラの事を伝えるためだと思って」

 「ああ。あの部屋を選び、逃げ込んだという事はお前の母に剣の事を伝え継ごうとしたと考えるのが自然だ。だがその時間がなく、事実を残せずとも、せめて目印としてチャクラだけでもと思ったのだろう。お前の母でなくとも、その血を継ぐ者への導きの糸となるように願いを託して」

 命の危機を間近に、一縷の望みを託し守り抜いてきたことを必死に継ごうとした。

 壮絶な状況の中で行われたのであろうと想像し、胸が締まる思いだった。

 水蓮の気持ちを汲んだのか、イタチがグッと体を抱き寄せた。

 その時、2つの蛍の光が二人の足元に止まった。

 小さなその光を見つめながらイタチが言う。

 「この剣は次に正しく使われることを願い、二つの力で封印されたんだろう」

 「正しく使われるように二つの力で…」

 「そうだ」とイタチは頷き言葉を続ける。

 「力ある種族が協力し合う時、それは善か悪か二つに一つだ。だが、悪しき思いがどちらか片方にでもあれば、いずれ相手に強い力を持たせまいとひずみが生まれ、それに気付いた側はその者から離れる。封印を解くまでには至らない」

 「でももし両方が悪用しようとしていたら…?」

 「この世の終わり。とまでは言わないが恐ろしいことになるだろうな。だがそうならぬことを願い、祈り、想いと共に封印された。その想いが、4つ目に書かれていた事だ。扉、壁、そして剣に施された封印を解くための術を受け継ぐ条件」

 イタチの瞳が優しく水蓮を見つめる。

 「己の力を、大切な者のために使える人物に引き継ぐべし」

 ふわりとほほ笑むイタチの顔が蛍の淡い光に照らされる。

 「お前の母は、そういう人物だったんじゃないか?」

 水蓮は母の性格を思い返しうなずいた。

 「そして、本当ならいずれお前に引き継がれるはずだった」

 風が流れ、足元に止まっていた蛍が宙に浮き飛んで行く。

 イタチは何かを懐かしむようにその光を見つめながら言った。

 「オレはあの術を、親友のうちはシスイという人物から託された。その命の灯が消える直前に」

 大切な親友を思い出して、つなぎ合う手に力が入る。

 「シスイにしても、お前にしても、己の力を決して自分のためには使わない。何かを守るために使う。そういう人間だ」

 今は亡き親友を思うその心を感じ、水蓮の目から涙が落ちた。

 「書き残された通りに、想いは継がれている。だが未来を危惧して、剣とあの部屋の事はうずまき一族にのみ伝え継がれた。それが最後に記されていた事だ」

 「うずまき一族にだけ」

 水蓮の言葉にイタチは厳しい眼差しを浮かべる。

 「うちは一族は、元来戦闘の種族だ。その剣を欲する理由を懸念しての事だろう。シスイもただ【いずれ一族にとって必要な力となる】とだけ言われて、術を引き継いだようだった。様々なことを想定し、うずまき一族には剣とあの部屋の事。うちは一族には壁画の封印を解く術と、万華鏡写輪眼でのみ読み解くことのできる文章を。それぞれに分けて残したんだ」 

 

 うずまき一族がいなければ扉は開かず…

 

 うちは一族がいなければ、剣の封印場所は分からない…

 

 「二つの種族の協力を願って」

 「ああ。そして本当に剣の力が必要ならば、共にそこにたどり着くとそう信じて」

 「そこに私たちがたどりついた」

 水蓮はその事に、過去からのつながりを感じていた。

 会った事のない祖母や先祖。

 それでも自分にとって確かな身内。そして同じ一族。

 母で途切れてしまうはずだった受け継ぐべき物が、こうして自分に引き継がれている。

 そこに強い絆を感じ、一粒涙が落ちた。

 「イタチ。ありがとう」

 イタチが一緒にあの場にいなければ、壁画に気付かぬまま終わっていた。

 「ありがとう」

 言葉を重ねる。

 自分の中に一族という血のつながりを感じ、水蓮の心の中にぬくもりが生まれる。

 イタチはその想いを悟り、優しく微笑む。

 「オレは一族という枠にとらわれることを好まない人間だ。だが、一族が守り伝えてきたことは、正しく受け継がれるべきだと思っている。そうしなければ、それが争いを生むことにもなりかねないからな。命と共につなげてきた物は、命を守るために存在しなければならない」

 水蓮は無言でうなずく。

 イタチは水蓮の目に浮かぶ涙をぬぐいながら「しかし…」と、珍しく少し高揚した笑顔を浮かべた。

 「何も知らないオレたちがあの場所にたどり着いた。ましてお前は別の世界から来たんだ。不思議なものだ…」

 

 不思議…

 

 しかし、水蓮はその言葉に首を横に振った。

 「不思議なんかじゃないよ。十拳剣がイタチを呼んでるんだよ」

 どこか確信にあふれたその言葉に、イタチは驚いた表情で水蓮を見つめる。

 水蓮は満面の笑みを浮かべて「きっとそう」と続けた。

 「水蓮…」

 イタチはその笑みに感情が極まり、思わず水蓮を抱き寄せ、額に口づけた。

 「………っ!」

 突然の事に水蓮の顔が真っ赤に染まる。

 その様子に小さく笑いをこぼし、次に真剣な眼差しをたたえてイタチは水蓮を見つめた。

 「水蓮。オレには十拳剣が必要だ。そのためにはお前の力がいる」

 考えるまでもなかった。

 しかし、水蓮が答えるより早く、イタチが「だが」と、言葉を継ぐ。

 「これからオレが話すことを聞いてから、よく考えてほしい。オレがどう生きてきたのか…」

 イタチは何かを決意したような目で水蓮を見つめ、続けた。

 「オレがどういう人間なのか。そして、オレが十拳剣を必要とする理由、求めるその先を」

 「……っ!」

 水蓮の体が強張った。

 イタチがしようとしている話。それは、ずっとイタチが描き目指してきた【終焉】

 それは決して誰も踏み入る事の出来ない領域。

 水蓮もそれだけは決して口にするまいと誓っていた。

 それを今、イタチは話そうとしているのだ。

 「お前には知る権利がある。いや。お前には知っていてほしい。そして、その上で決めてくれ」

 その言葉を合図にしたかのように、飛び交う蛍の光が強さを増した。




いつもありがとうございます(*^^)
内容が少し重要なところに入りだし…今後少し投稿のペースが今までのようにはいかないかもしれません(>_<)
今もちょっと詰まり気味で描いている感じで…(~_~;)
二十行くらい書いて手が止まって…。資料読んで…頭こんがらがって…
【だぁぁぁぁぁっ!( 一Д一)∑!】なってます(-_-;)でも、ペースは落ちても進んではいますので…なにとぞ…お待ちくださいませ(>_<)☆
「どうかっ!どうかっ!(柱間風(笑))」

今後ともよろしくお願いいたします(*^_^*)
いつも本当にありがとうございます!(*^^)


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第五十四章【夢・痛み・闇】

【イタチ真伝】のネタばれがあります。(引用も多少…)
小説・アニメでまだ見てみていない方、これから見ようとしておられる方はご注意・ご了承のうえお読みください(*^。^*)
よろしくお願いいたします。

(五十四章から五十六章まで、がっつりイタチ真伝の内容が入ります(-_-;)
イタチの心情を織り交ぜつつ…真伝をなぞる形となっております。)



 

【挿絵表示】

 

 

 静かな夜の空間に、川のせせらぎは優しく音を奏で続ける。

 緩やかな流れのその上を、少し強い風が吹き流れ蛍の光が大きく揺れた。

 揺らいだ灯りにイタチの顔が照らされ、瞳が切なげに色づく。

 「何から話せばいいだろうな」

 話し出そうとして言葉に詰まり、イタチは苦笑した。

 「お前が知っている事もあるしな」

 普段言葉に悩む事がないイタチの珍しい姿。

 

 イタチにとって、本当に深い場所にあるものをさらけ出そうとしている…

 

 水蓮は、言葉を、想いを導こうと柔らかく笑む。

 「全部聞かせて。始めから全部。あなたの言葉であなたの真実を知りたい」

 イタチはうなずき、宙を舞う光の中に記憶を探してゆく。

 「初めて戦場を目の当たりにしたのは、4歳の頃だった」

 細めたイタチの瞳の向こうに、その日の光景がよみがえる。

 

 

 戦いの収まった戦場

 いたるところに屍。血の匂い。死の静寂。

 

 父にその場に連れてこられた幼いイタチは、その光景に動けず体が冷たくなっていくのを感じた。

 

 

 木の葉の額宛をつけている忍。そうではない忍。

 

 2度と動くことのないその者たちの表情は、どれも苦痛にゆがみ固まっていた。

 

 誰一人として、望んで死んだ者はいない…

 

 望まれて死んだ者もいない…

 

 力で何かを解決しようと収めようとした結末…

 

 その先に何があるのだろうか…

 

 4歳という小さき体と心に、おさまりきらない感情がイタチを襲った。

 

 「命は生まれ。命は、死ぬ…」

 

 寂しげに。切なげに。ぽつりとこぼれた言葉。

 

 「人は何のために生まれてくるのか…」

 あの日、心に浮かんだ想いがよみがえる。

 「争うためじゃない。そんなはずはない。そんなことはあってはいけない。人は皆幸せになるために生まれてくるはずだ。それはこの世に生を受けた者が唯一平等に与えられる権利だ。生まれ落ちたその瞬間は、誰もが同じようにそれを与えられる」

 肯定されることを待つように黙したイタチに、水蓮はうなずく。

 イタチは安心したような笑みを浮かべた。

 「オレはその時心に決めた。この世から一切の争いをなくす。そのために誰よりも優れた忍になろうと」

 イタチの想いは、里にとどまらず広く大きくすべてを見据えていたのだと水蓮は知る。

 「初めてこの夢を口にしたのは、アカデミーに入った日だ。自己紹介で一人一人将来の夢を語った。誰も本気にはしなかったがな」

 フッと小さく笑い、肩を抱く手で水蓮のほほをそっと撫でた。

 「水蓮…」

 瞳が真剣にきらめく。

 「ここから先は誰にも話したことのない物だ」

 話す側も、聞く側も、並みの覚悟では進めない…。

 決意したイタチの表情にも、かすかな不安が見える。

 そしてどこか懇願するような瞳の揺らぎ。

 水蓮はそのすべてに、強いうなずきで応えた。

 「聞かせて」

 イタチもうなずきを返し、川の流れに目を向け、丁寧に大切そうに言葉を紡いだ。

 「この世の一切の争いをなくす。その目的を達するためにオレは」

 一度言葉を切り、静かに打ち明ける。

 「オレは火影を目指した」

 水蓮の脳裏に、過去にイタチの夢の中で見た火影姿のイタチがよぎった。

 「この世の争いをなくすためには、まずは里を変えねばならない。そのためには火影になる必要があった。そこを目指し、まずは暗部に入り実績を上げ、里の中枢に地位を確立させる。そうして火影になる。そうすれば、他里の有力者たちとの会談の場も多くもてる。そこで違う里の忍同士の協力をよびかけ、実現させれば互いに勝ろうとする相克は解消されてゆく」

 イタチは幼いころから誰よりも先を見据えていた。

 「時間はかかるだろうが、それでいつか忍がいなくなればこの世から争いは消える。忍がいなければ戦う力を失うからな。火影は、オレにとってはこの夢を叶えるための通過点に過ぎなかった」

 

 火影をも超えた存在…

 

 何も起こらず里にいることができていたら…

 イタチならきっとなれただろう…

 

 水蓮の胸に悔しさが生まれた。

 

 違う人生を歩むべき人だった…

 

 その想いが溢れた。

 

 「先の夢を目指してオレはアカデミーへと入学した」

 

 イタチはゆっくりと順を追って話してゆく。

 6歳でアカデミーに入学し、7歳で卒業。10歳で中忍となり、11歳で暗部へと入った。

 そして12歳で暗部の分隊長。

 めまぐるしく進められてゆくイタチの人生。

 そこには想像を絶する痛みが、闇があった。

 

 中でも、8歳で仲間の死を目の当たりにしたことは、水蓮にとっても衝撃的だった。

 それがきっかけで写輪眼が開眼したことを聞き、その一件がイタチにとっていかに辛い物だったかがうかがえた。

 それでも涙を流さず、一人その苦しみに耐えたのだと語るイタチは悲しげな眼で小さく笑った。

 その後の中忍試験では、スリーマンセルが原則の中、ただ一人単独で試験を受け、すべての試験で他を寄せ付けない結果をたたきだし合格。

 特に3次試験の対戦の場では、圧倒的な力を見せつける必要があったのだとイタチは言った。

 そうすることで、観戦に来ている他里の【影】や大名たちに『木の葉にだけは手を出してはいけない』『木の葉にうちはイタチあり』と、知らしめなければいけなかったと…。

 

 10歳。その幼さで彼はもう里を自分の手で、力で守るという自覚のもと生きていたのだ。

 自身のその時とあまりにも次元の違う世界。

 水蓮はそれを改めて痛感していた。

 だがイタチの突出した才が、彼を悲しみの運命へと導いてゆく。

 

 「父は、オレを一族と里とのパイプ役にするためにオレを暗部へ入れたいとの考えを口にした。違和感を感じた。暗部入りはオレの目的でもあった。だが里とのパイプ役とはどういう意味なのか。そう思った。里の上役には架け橋だと言われた。同じことだ。だが、うちは一族も木の葉の人間だ。同じ里で生きる者同士をつなぐ。意図してつながなければいけない。元々つながっているものではないのか。その関係性はいったい何なのか。木の葉とうちはは、並立する存在なのか。なぜ分けて考える必要があるのか。オレには分からなかった。オレはうちは一族だが、木の葉の人間だ。それは違った考えなのか…」

 溢れ湧き出るイタチの疑問。苦悩。

 それをずっと一人で抱えてきたのかと、水蓮はつないだままの手に少し力を入れた。

 その手を握り返し、イタチは語り続ける。

 「暗部へと入る前に、オレは実績をつけるという名目で任務を受けた。それは他里に情報を流しているスパイを暗殺するというものだった。木の葉の忍を殺すという任務」

 スパイとはいえ、同じ里の人間。

 里を愛するイタチにはどれほど辛かっただろう…

 「妻も子供もいる男だった。子供は3歳と1歳。シスイと共に任務に当たり、その命を消した…。あの男が死に際にふかした煙草の煙がいまだに…記憶に残っている」

 まるでこの場にその煙が立ったかのように、イタチは空を見上げた。

 「そしてオレは暗部へと入った。だが、それが結果として火影への道を閉ざすことになった。クーデターを取り仕切っていた父は、オレの暗部入りをきっかけに、その実行を決めた。里の中枢にオレがかかわることで、深い情報を手に入れ、期を計り動く。そう決めたんだ…」

 イタチの体が、少し震えた…

 「オレの夢が、一族を破滅へと進ませるきっかけとなった」

 

 …ちがう…

 

 そう言いたかった。そう言ってあげたかった…

 

 だが水蓮の口からは言葉が出なかった。

 結果としてそうなったことに違いはないのだ…。

 どれほど苦しかっただろう…

 

 「オレはいったいどこへ向かっているのかとそう思った…」

 

 水蓮は、初めて会った時のイタチの事を思い出していた。

 

 『自分が何者なのか、わからなくなる時がある』

 

 決してそんな弱音など吐かぬ人物だと思っていた。

 

 自分の決めたことに一欠けらの疑問も不安も持たぬ強い人だと…そう思っていた。

 

 だが、イタチは本当は誰よりも繊細でもろい一面を持った人だったのだ。

 それでも強くあろうと自分を奮い立たせてきた。必死に。

 

 「暗部に入り、里の一族への警戒を目の当たりにした。一族の居住地は里によって監視されていたんだ。いたるところに監視カメラが仕掛けられていた。それをモニターで監視する。それも暗部の任務だった」

 「ひどい…」

 思わず言葉がこぼれた。

 同じ里の人間。そこにある確執。胸の奥が痛んだ。

 「オレも信じられなかった。だが、里からしてみれば里を守るための処置…」

 浮かべた小さな笑みに、いまだにその時のショックがぬぐい切れていないことがうかがえる。

 イタチは少し考えるようなそぶりを見せ、水蓮をちらりと見た。

 「その原因は九尾だ…」

 「九尾が…」

 イタチはうなずく。

 「封印されていたはずの九尾が突如里に現れ里を襲い、甚大な被害をこうむった。その時疑われたのがうちは一族だ。九尾の力を操ることができるのは写輪眼のみ。それが一族への疑念を集めた。それゆえ、この事件の後そういった体制がとられた」

 

 里の人々は九尾の事でうちは一族を疑い。疑われたうちは一族は里への不満を募らせた。

 

 同じ里で暮らしていればいたるところで両者は顔を合わせる。

 そのたびに負の感情が渦巻く。事態が悪化していくことが容易に想像でき、水蓮は気持ちと共に体が重くなるのを感じた。

 

 「初代火影となった千住柱間の一族とうちは一族は、もともとは争いを続けてきた者同士だ。過去からの積年があった。そこに九尾の一件。一族の不満は募り溢れた」

 

 それでも、うちは一族への疑念は確証のない物で、3代目火影の深い思慮もあり、強行的に居住地を調べたり、一族の誰かを尋問にかけるようなことはなされず、その監視体制も疑いを晴らすためという3代目による考えもあったのかもしれないと、イタチはそう言った。

 「3代目は決して里に暮らすうちは一族を疑ってはいなかった。それは俺も同じだ。父も、そして他の一族の者も里を愛していた。歴史や政治的なものへの確執はあったが、木の葉はオレ達うちはにとっても故郷だ。故郷を愛する気持ちは何ら変わらない。故郷を守るために強くなり戦ってきた…」

 

 里を守るためにうちはは力を求め、強くなり、戦ってきた。

 その大きくなりすぎた力から里を守るために、木の葉はうちはを警戒し始めた…。

 

 どちらも里を守りたい…

 

 根底はそこにあるのに…

 

 「想いは同じなのに…」

 水蓮の胸の奥の痛みがどんどん強くなる。

 その痛みをずっと抱えながら、イタチは両者の間で耐えてきたのかと息苦しさに襲われた。

 「そうだ。どちらも同じだった。だが、うちは一族は【一族の誇り】に執着しすぎた。その枠にこだわりすぎた。そして里の対応が、さらにそれを膨張させた。そこに、【里側】【うちは側】という言葉が生まれた」

 その言葉のはざまで、一族、そしてイタチは多くの中傷を受けてきたのだろうと、水蓮はその様子を脳裏にめぐらせる。

 「暗部に入って、オレが里の上層部に求められた事。それは、一族の間で秘密裏に行われている会合での内容を里に流すこと。うちはの不穏な動きに感づいた上層部は、今まで以上に細かに監視し最悪の事態を避けようとした。3代目はただ純粋にそう考え、別の者はオレが里を裏切らぬか監視の手段として。そして、また別の者は【反旗の証拠】をつかみ【静粛】という名のもと一族を排除しようとしていた。それぞれに、里を守りたいという心のもとにな」

 

 

 いくつもの絡み合う策略の中をイタチは生きてきた…

 

 その奥にあるものは【里を守る】という想いただ一つなのに…

 

 それをめぐる大きすぎる闇を、一身に受け戦ってきた…

 

 重く、苦しく、辛い…

 

 そして何より恐ろしい…

 

 得体のしれぬ恐怖にその身を包まれ、水蓮の体が知らぬ間に震えだす。

 

 それは、自分が感じている恐怖ではない。

 イタチが感じてきた恐怖なのだと悟り、水蓮はその時のイタチの胸中を想い、たまらなくなり胸元にしがみつくようにして体を寄せた。

 イタチはそっと水蓮の背中をさすり、震えがおさまるまで待つ。

 だが、決して話すことをやめようとはしない。

 水蓮はそこにイタチの想いを感じていた。

 

 受け止められる…

 

 そう信じてくれている…

 

 受け止めてほしい…

 

 そう求めてくれている…

 

 その想いが水蓮の心を強くした。

 

 少しして、水蓮の体の震えがおさまったのを確認し、イタチは再び話し出した。

 

 「オレは里に監視されている事を一族には告げず、一族の会合の内容を里に流した。里の中枢である火影とつながれば、一族の暴走を止められる。そう考えた。だが、オレが里の情報を提供しないこともあり、一族の中にオレを疑う者が出始めた」

 

 一族を守るための苦渋の決断が今度は一族の中に猜疑心を生んだ。

 

 「お前は里と一族、どっちの味方なんだ。そう投げつけられた…」

 フッと小さく浮かべたその笑みは、さみしく哀しげ。

 「一族にとって、里は敵で、一族は味方。すでにその形は出来上がっていた。それでもあの時のオレは、まだ事は動いていない。まだ変えられる。そう思っていた。だが、もうすでに投げられた石は、坂道を転がり始めていたんだ…」

 

 変わらず景色の中に浮かぶ蛍の光が一粒。イタチのほほを照らした。

 

 それはまるで涙の一滴のように見えた。




いつもありがとうございます。
今回から真伝の流れに入ります(*^。^*)
誰にも語れなかったものを語る中で、私なりに感じたイタチの心情をうまく描ければいいのですが
(>_<)
何度も真伝を読んでは泣く日々です…。
そして夢に見るという(~_~;)
では、また次回に…。
いつも読んでくださり、本当にありがとうございます(^○^)


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第五十五章【守り守られ】

イタチ真伝のネタバレがあります。
前話同様、真伝の内容をイタチの心情を交えてイタチが語る形となっています。
ご了承下さい。


 高く枝を伸ばして並ぶ木々の間に、かすかに覗く月を目に留め、イタチはどうしてか柔らかく笑った。

 そのあまりにも柔らかい微笑みがひどく悲しみを伝えてくる。

 「もう誰にも止められないところまで来ていたんだ…」

 一族が決断したクーデター。

 

 必死に止めようと奔走していたイタチが、それを悟った時どんな気持ちだったのだろう…

 今、この笑みの向こうにどんな感情が、記憶がよみがえっているのだろうか…

 

 水蓮は、どうあっても分かりきれないのだろうと、グッと唇をかみしめた。

 「それでもあいつは、シスイはあきらめなかった。クーデターを止めるための唯一の手段があると、オレにその計画を打ち明けた…」

 「唯一の手段?」

 うなずいたイタチの瞳が一瞬赤く光る。

 「シスイの万華鏡写輪眼に宿った特別な力、別天神(ことあまつかみ)

 聞き覚えのないその力に、水蓮は黙してその先を待つ。

 「オレも聞いたことのない物だった。特別な幻術だ」

 「その術を…」

 「オレの父にかけると話してきた。その術で父を操り、父の口からクーデターの取りやめを一族に言い渡すと」

 

 親友が自分の父に幻術を…

 

 「あいつはオレの父にその術を使うことを心苦しく思っていた。だが、オレは一族を止めることができるなら、手段を問うつもりはなかった。父の心を自分の手で変えられなかったことは悔しかったがな…」

 

 それでも止められなかった…

 

 水蓮の心のつぶやきが聞こえたかのように、イタチはうなずく。

 「決起を決める会合の前、シスイは父に接触できなかった。その前に襲撃され深手を負った。そして事は取り決められた」

 

 イタチの親友を襲ったのは里の上役だとイタチは語った。

 

 シスイの瞳術でイタチの父を操り、クーデターを取り消したところで、一族の怒りが収まるわけがない。

 その人物にそう言われ、イタチは言葉を返せなかったと表情をゆがませた。

 「父がしないのであれば、別の誰かが決起のために立つ。オレは心のどこかで分かっていた…」

 

 転がりだした石は一つではない。

 大きな一つを止めても、その後ろから転がる無数の石は、そう簡単に止めることはできない。

 

 「それでも、その後の事を模索しながら、シスイの計画に一縷の望みを託した。だが、その望みも絶たれた。シスイが動くことで自分の計画が濁る事を危惧したその人物が、シスイを襲い、右目の写輪眼を奪い毒を盛った。その日、落ち合う約束をしていた場所に、息を絶え絶えに現れたシスイを見てオレは悟った…」

 

 もう他に手はないのだと…

 

 口にされずともその先には、それ以外の言葉はない…

 

 水蓮はやるせなさに視線を落とした。

 

 「あいつは残った左目をオレに預け、死んだ…」

 

 息を吐き出すように言い放つと、イタチの体から力が抜けてゆく。

 鋭く研ぎ澄まされた空気をまとうその横顔が、ゆっくりと水蓮に向けられてゆく。

 

 小さく浮かべられた笑み

 

 静かに流れ落ちる言葉

 

 「オレが殺した」

 

 夜の静寂が深まった。

 

 「最も親しい存在を殺すことで、万華鏡写輪眼は開眼する」

 

 知ってはいた。

 

 だが、イタチの口から改めて聞き、水蓮の鼓動が痛みを帯びながら大きく波打つ。

 

 するり…とつながれていた手が解かれた。

 

 「この手であいつを殺した」

 

 その手をスッと伸ばし上げ、輝く蛍の光にかざす。

 

 「自分の命が助からぬと悟ったシスイは、オレに万華鏡写輪眼を開眼させるために…」

 

 指の間からチラチラと見える光が、悲しみを、切なさを、痛みを膨らませる。

 

 「オレがこの手で」

 

 飛び交う小さな光をつかむように、グッと手を握りしめる。

 

 「この手で…」

 

 イタチ…

 

 水蓮は、その名を呼ぼうと口を開いたが、言葉にならない。

 

 

 どれほどのつらい物を抱えて生きてきたのか…

 

 

 自分の想像をはるかに超える苦境、苦心…

 

 今となっては取り除くことのできないその苦しみ…

 

 その痛みは消えない。消してあげることはできない…

 

 「オレがあいつを殺した」

 自分の中に確認するような口調でつぶやかれる言葉。

 握りしめられたイタチの手が、さらに固くなってゆく。

 水蓮はそのこぶしを、思わず包み込んだ。

 「イタチ」

 今度はしっかりと言葉になった。

 向けられたイタチの表情は、今までに見たことのない弱々しい笑み。

 包み込んだその手を抱き寄せ、水蓮はイタチを見つめる。

 「あなたは悪くない」

 気休めにもならない言葉。

 だが、そう思いながらも言わずにはいられなかった。

 

 イタチはただ守りたかっただけなのだ…

 

 一族を、里を、大切な物を…

 

 「あなたは悪くない」

 

 どんな事情があろうと、人の命を奪うことは決して許されることではない。

 それが分かりきっているイタチには、そんな言葉は届かないのだろう。

 受け入れはしないだろう。

  それでも、どうしても言わずにはいられなかった水蓮のその言葉に、イタチはほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 自然と指を絡めて強く握りあう。

 「その日オレの万華鏡写輪眼は開眼した」

 その時の感覚がよみがえったのか、イタチはしばらく目を閉じて黙した。

 「後は頼んだぞ…。シスイはそう言い残して逝った。木の葉を創設し、守り抜いてきた一族の誇りと名誉を。そして、木の葉の里を守ってほしい。それがあいつの願い」

 親友の想いを、言葉を思い出しながら、イタチはその姿を探すように空を見上げた。

 「一族の誇り、名誉、うちはの名。それはもちろんオレにとっても大切な物だ。だが、それに執着するべきではない。それは正しきことを見失わせる。狭い了見に己を閉じ込めてゆく。その狭い世界の中で、里に反旗を翻し、己の意地やプライドを誇示する。そんなくだらない事にこだわる者たち。その犠牲となり、あいつは闇の中を耐え忍び戦い、そして死んでいった」

 イタチの体に力が入る。

 「腹が立った…」

 そんな単語がイタチの口から出るとは思いもしなかった。

 水蓮は思わず目を丸くした。

 「誰も、何一つ大切な物が見えていない。愚かしい。そう思った。父に対してもだ。そんな愚かしい行為に先頭を切って走る父。そして父を矢面に立たせて、汚れた仕事をオレやシスイに命じ、陰でコソコソと蠢く者たち」

 その言葉の奥に、まだ語りきれぬほどの痛みを感じる。

 「くだらない。里の平和こそが大切なのではないのか。それが一族の安穏なのではないのか。誰も気づかないのか。シスイの命を懸けた想いは、誰にも届かないのか…」

 そこにあったのは、一族への落胆。

 「何一つ大切な物に気づかぬまま、自分では動かずにオレへの不満をぶつけてきた父の側近の者たちを見て思った。こんな奴らのために、シスイは死んだのかと」

 哀しげな瞳で言葉を続ける。

 「こんな奴らに生きている資格はないと…」

 悔しさを滲ませる声。そこには非難の色が見える。

 だが、それはイタチ自身へと向けられたものだった。

 「同じ一族の者の命を、オレは奪おうとした。怒りに任せ刃を向けようとしたんだ」

 争いのない世界を目指している自分が同胞の命を奪おうとした。

 「自分の中に潜む狂気を垣間見た」

 自責の笑みを浮かべイタチは次に優しく微笑んだ。

 「そんなオレを止めたのはサスケだった」

 その瞳は、今までに見たことのない優しい色を浮かべていた。

 「オレの中の狂気が抑えきれなくなる寸前。あいつの、サスケの声が聞こえた」

 

 『兄さん!もうやめてよ!』

 

 悲痛なサスケの叫び声。

 見たことのない兄の姿に怯え、震え、それでもいつもの兄に戻ってほしいとの願いを込めたひと言。

 「それがオレをつなぎとめた。あいつの兄という存在に、引き戻してくれた。いつもそうだった。己の道を、夢を、目的を。そして、この命の意味を見失いそうになったとき、オレを救ったのはサスケだった」

 目を細めて微笑む。

 人が、これほど柔らかく微笑む姿を、水蓮は見たことがなかった。

 イタチにとってサスケは、何よりも愛おしい存在なのだと、改めて感じる。

 「あいつが生まれたとき、小さな体の中に強い生命力を感じた。必死に生きようとする力。この世に、これほどまでに愛おしく、尊いものがあるのかとそう思った。何があってもオレが守ると、そう誓った」

 すべてをかけて、守りたい存在。守らなければならない存在。

 「だが、守られていたのは、導かれていたのはオレだったのかもしれない」

 眉を下げてさらに微笑む。

 「争いの絶えぬこの世への疑問。任務での痛み。里と一族の間に渦巻く闇。シスイの死。そのすべてにおいて、オレが心折れずに走り続けることができたのは、サスケがいたからだ。あいつのおかげで戦ってこれた」

 誇らしげなその表情。しかし、その奥に悲しげな色がちらりと見える。

 「それなのに、オレはあいつを傷つけた。あの夜、決して消えぬ憎しみをあいつの心に刻み込んだ…」

 イタチの瞳に、あの夜がよみがえってゆく。

 「クーデター前に一族を静粛する。うちはの名を、そして誇りと名誉を守るためにはそれ以外には道はなかった。それになにより、もしクーデターを起こしていたとしてもうちはは勝てない。いかに写輪眼を持つ一族と言えども、木の葉の里は落とせない。内戦の末にあるのは、うちはの敗北。両者の大きな被害。罪なき人々の死。そして、勢力の落ちた里への外からの攻撃」

 「戦争…」

 イタチは「そうだ」と、うなずいた。

 「それは避けねばならない。それだけは、起こってはいけない。そのためには他に道はなかった…」

 

 もし自分がイタチの立場だったらどうしただろうか…

 

 水蓮は、終焉の後マダラがサスケにそう問いかけていた事を思い出した。

 あの時、きっとサスケは今の自分と同じ答えを導き出していただろう。

 そう思うと同時に、頭の奥がひどく重く痛んだ。

 

 「残されたその道、それは一族の誰かの手によって行われる必要があった。他の者による静粛は、里に暮らす他の一族達に恐怖と疑念を抱かせる。『用がなくなれば、里によって消される』とな。だから、同じうちは一族の者の『乱心の末の事件』にしなければならなかった」

 

 それができるのはイタチ意外にいなかった…

 

 水蓮は目を固く閉じ、うつむいた。

 

 なぜイタチなのか。

 こんなにも苦しい想いを、なぜイタチが負わねばならないのか…

 いつもそう思ってきた。

 だが、もしこれが他の者によるものであれば、周りの人間は、まっすぐには受け止めなかっただろう。

 里すらも危惧する力を持つうちは一族を一晩で滅する。

 並大抵の事ではない。不可能に近いと言える。

 それでも、里が、周りがその事実を受け止めたのは、実行者が『うちはイタチ』だったからだ。

 

 

 6歳でアカデミーに入学してから12歳で暗部の分隊長になるまでの、常識から逸した経緯。

 

 そして、中忍試験での圧倒的な強さ。

 

 納得させるだけの条件はそろっている。

 揃ってしまっていたのだ。

 

 『うちはイタチならできうる』

 

 まるで、今までのすべてがそこへと向かうために仕組まれたかのように、事実として存在している。

 

 「オレは決断した。サスケの命を守るという事を条件に任務を受けた。いや、その条件がなくともオレにはもうほかに道は残されてはいなかったがな」

 

 事が起こってしまってからでは一族の名を、里を守れない。

 だからと言ってその命を…

 

 極度に追い詰められていたイタチの胸の苦しみが伝わりくるようで、水蓮は自分の胸元をギュッと握りしめた。

 

 「だが、やはりオレにはサスケを殺すことはできなかっただろうからな。その条件を向こうから提示された事は唯一の救いだったかもしれない。サスケには生きてほしい。そしていつか、新しいうちはの形を作り上げてほしい。人々から利用され、恐れられ、切り捨てられるのではない。大切な物を守れる強い存在。必要とされる存在。すべての垣根を越え、平和へと人々を導くそんな存在になってほしい。闇を生きるオレとは違う、闇を照らす存在となってほしいんだ」

 溢れ止まらぬサスケへの想いが、愛おしむ気持ちが、ひしひしと伝わりくる。

 「あいつならできるとオレは信じている。そのために、あいつには生きる力を与えなければいけなかった。悲しみに打ちひしがれ、立ち止まっていてはダメだ。それではうちはの力を欲する者に利用される。戦いの絶えぬこの時代、オレ達の力はどこにおいても魅力的な物だからな。暁にしてもそうだ。オレにどんな目的があろうと、結果としてその力を利用されていることには違いない。強い力とは、己の意思とは反して気づかぬうちに利用される。利用しているようでいつの間にか逆になっている。そういう事がいくらでもありうる」

 イタチは目を細めて遠くを見つめた。

 「真実と現実は、必ずしも一致するものではない」

 深みのあるその言葉は、苦しい現実を耐えてきたイタチだからこその物。

 「たとえ知らぬ間に利用されていても、最終的にはそれをはねのける強い力とゆるがぬ『目的』を持っていなければならない。サスケも、オレも、自分にしかできない目的をな」

 「自分にしかできない目的」

 うなずき、イタチは強い光をたたえた瞳で水蓮を見つめた。




いつもありがとうございます。
体調を崩し少しペースが落ちてしまいましたが、何とか投稿させていただけました…
(^_^;)
しかし、真伝はやはり辛いですね…(>_<)
書きながら改めて真伝や、終焉の話を読んだり、マダラがサスケにイタチの真実を語るところを見たりして…切なくて泣いてしまいます(^_^;)
予定では、あと一話真伝の内容を踏まえて書かせていただきます(*^_^*)

…今日もまた…真伝を読み返し…イタチの夢を見そうです(笑)

それでは、又…次回…(^v^)
いつも本当にありがとうございます!


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第五十六章【共に】

※イタチ真伝の内容が含まれています。
ご注意・ご了承のほどよろしくお願いいたします。


 川のせせらぎだけが静かに聞こえる中、イタチは求め描く目的を口にする。

 「オレの目的は二つある。一つはサスケの中から大蛇丸の呪印を消し去ることだ」

 水蓮は黙ったまま言葉を聞き入れる。

 「渦潮の里で戦った榴輝の体とチャクラが変化しただろう。あれは大蛇丸の術によるものだ。強力な力を得られるが、精神を蝕まれる。闇にな。術というよりは呪いのようなものだ。あれと同じものがサスケにも埋め込まれている」

 ほんの小さな火種を大火にする力があると、イタチは厳しい瞳で言った。

 「呪印はサスケを一生苦しめ、2度と登れぬ闇の谷底へといざなう。だが、容易に取り除けるものではない。大蛇丸同様執念深く根の深い術だ」

 大蛇丸の顔が浮かんだのか、イタチは顔をゆがませしばし黙した。

 そして、水蓮をじっと見つめる。

 「大蛇丸の呪印からの解放。そのために十拳剣が必要なんだ」

 水蓮は脳裏にその光景を浮かべながら強くうなずく。

 イタチも同じくうなずき、一瞬のためらいの後真剣なまなざしを浮かべた。

 

 水蓮を見つめる目に力がこもってゆく…

 

 「もう一つの目的。これはサスケの目的でもある。その目的を持たせるために、オレは見せなければいけなかった。両親を殺したオレの姿を…」

 イタチの夢の中で見たその光景がよみがえる。

 震えていた、あの小さな背中が…。

 「そうすることで、決してぶれない憎しみを、オレへの憎しみを植え付けた。どんな悲しみよりも強い感情。それがサスケの生きる力になる。そして、何者かに利用されようとも、最終目的がオレである限り、あいつは全てをはねのけてオレのもとへ来る。必ず…」

 両親を手にかけ、泣き、震えていたイタチ…。

 その胸中で、サスケの事を想い、すでに覚悟していた。

 

 その先を。

 

 「それこそが、オレとサスケの目的」

 

 風が吹いた…

 

 静かなその風が二人の髪を夜の中に揺らめかせる…

 

 「呪印を封印したのち」

 

 水蓮はその先の言葉が聞こえぬよう耳を塞ぎたい衝動に駆られた…

 

 言葉が零れ落ちる唇の動きが見えないよう、目を閉じたくなった…

 

 だが、体が動かなかった。

 

 目をそらすことができなかった…

 

 自分の鼓動が聞こえるほどの静寂の中、イタチが静かに、穏やかな口調で告げる。

 

 「サスケと戦い、サスケに討たれる」

 

 言葉の終わりと同時に、水蓮の両目から涙があふれ出た。

 

 …知っていた…

 

 覚悟の上で、そこへ向かって寄り添っている…

 

 それでもイタチの口から聞くその『目的』は、あまりにも痛みが強かった。

 逸らせぬままの目から、涙が追い溢れてくる。

 イタチはその涙ごと水蓮のほほを両手で包み込んだ。

 「水蓮。それがオレの求める最期なんだ」

 

 静かな声だった。

 恐れも、迷いも、後悔もない静かな声。

 

 気づけば、いつの間にか蛍の光が弱まっていた。

 それがまるでイタチの命の灯のようで、悲しみが一層深まった。

 

 「うちは一族を殺したオレを討てば、サスケの名は【うちは一族の仇を取った英雄】として世間に認められる。そうなれば、木の葉の里はサスケを受け入れざるを得なくなる。あいつは里に帰れる」

 イタチはそのことを想像したのか、嬉しそうに微笑んだ。

 その笑みを浮かべたまま言葉を続ける。

 「オレはもう戻れない。だが、あいつはまだ帰れる。故郷に」

 必死にこらえていた様々な物が、嗚咽となって水蓮の中からあふれ出た。

 「それこそが、オレが兄としてあいつにしてやれる最後の事」

 

 どこまでもサスケの兄として生きる覚悟…

 

 そして死にゆく覚悟…

 

 その想いを乗せて、イタチは言葉を馳せてゆく。

 

 「あいつは、里を、仲間を愛している」

 

 愛に溢れた瞳…

 

 「自分が生まれ育ったあの里を、誇りに思っているんだ」

 

 誇らしげな強い言葉…

 

 「里に帰りたいと思っている…」

 

 だけど、それは…

 

 止まらぬ嗚咽に呼吸を遮られ、息苦しさに襲われながら、水蓮は言葉を絞り出した。

 

 「それはあなたも同じ」

 

 イタチの胸元をぎゅっと握り、額を押し当てる。

 伝わり聞こえるイタチの鼓動は、穏やかで優しい波打ち。

 「どうして…」

 

 この人は恐れないのだろう…

 

 「オレはそのために生きてきた」

 

 「どうして…」

 

 イタチは戻れないのだろう…

 

 「オレは闇に生きる事を選んだ」

 

 「どうしてあなたはそんなに優しいの…」

 

 見上げた先で、イタチはやはり柔らかな顔で微笑んでいた。

 

 「どうしてあなたは、笑っていられるの…」

 

 すべての苦しみを、闇を、痛みをその身に受けて。

 それでもなお、穏やかに笑う…

 「どうして…」

 溢れて止まらぬ涙と共に繰り返されるその言葉に、イタチは一層優しい顔で返す。

 「お前がいるからだ」

 大きく、それでいて繊細な手が水蓮の髪をなでる。

 「お前がそばにいてくれるから、オレは強くいられる」

 「イタチ…」

 「水蓮…」

 小さく震える細い肩を、イタチの手がやさしく支える。

 「これが…」

 瞳にほんの少し不安な色が揺れる。

 「これがオレのすべてだ」

 「……う……」

 水蓮は今までのすべてを抱きしめるように、自分の胸をぎゅっとつかみ、ゆっくりとうなずく。

 「オレはお前の思っていた人間とは違ったんじゃないか?」

 

 確かにそうかもしれない…

 

 水蓮は涙で滲む視界の向こうに、必死にイタチを映す。

 

 怒りに駆られ、狂気を覗かせる一面…

 

 迷いも、悩みも、弱さもあった…

 

 自分が知っていた、強く冷静冷淡なうちはイタチとは違っていた…

 

 水蓮はもう一度うなずき、イタチを見つめる。

 「だけど、もっと好きになった…」

 イタチの瞳から不安が消えてゆく。

 どちらともなく唇を合わせ抱きしめあう。

 「水蓮」

 強い響きを持つイタチの声を合図に、弱まり消えそうになっていた蛍の光が、再び強く輝きだした。

 「オレはサスケを呪印から解放し、サスケに討たれる」

 まるで自身の中に確認するかの様に、イタチは丁寧に言葉を紡いだ。

 「そのためには十拳剣が必要だ。お前の力が必要なんだ…」

 「…………」

 無言のままの水蓮の背をそっとなでる。

 「お前に酷な事を言っている…」

 イタチの声が少し震えた。

 「オレが死にゆく手伝いをさせようとしているんだからな…」

 言葉を返せず、水蓮はイタチの背に回した腕に力を入れる。

 「何も話さず、ただ一緒に剣をとも考えた…」

 同じようにイタチも力を入れる。

 「だが、お前には話しておきたかった。知っていてほしかった。オレのすべてを…」

 「イタチ…」

 息が苦しいほどに互いを抱きしめる。

 「お前の中に残しておきたかったんだ。オレの生き様を…」

 水蓮は、何度も強くうなずく。

 「全部忘れない…」

 「ああ。忘れないでいてくれ…」

 安堵の息が、言葉と共に水蓮の耳元で揺れた。

 

 二人は同じ決意の色を浮かべた瞳で見つめ合う。

 

 「共に背負ってくれるか…」

 強い光を放つその瞳から、本当に小さな涙が一粒こぼれた。

 「イタチ…」

 その涙は、蛍の光一つ分にも満たないほど小さい。それでいて今ここにある幾百のその光より美しく尊い。

 水蓮はイタチのその涙を、大切にすくい上げた。

 「あの時言ったでしょ」

 出会った時の事を思い出す。

 「私の力はあなたの為にあるって」

 両手でイタチの頬を包み込む。

 「あなたの道を共に歩ませて」  

 「ああ。共に歩んでくれ」

 降り注ぐ言葉に、水蓮は瞳を閉じた。

 二人の涙の粒が重なる。

 

 喜びなのか、悲しみなのか、苦しみなのか

 

 その涙の正体は分からない。

 ただお互いに愛しくてたまらない気持ちだけは、確かに感じることができる。

 

 その想いを、蛍の美しい光が包み込んでゆく。

 

 幾度も想いを重ねながら時折見つめ合うその瞳には、光の粒に照らされた紫陽花が映る。

 それは、切なく、そして優しい輝きを放ち、二人の記憶に深く刻み込まれていった。




いつもありがとうございます☆
イタチ真伝の内容をイタチが語る…。これは本当にもう私の願望で…(~_~;)
誰にも吐き出せなかったものを、イタチに吐き出させてあげたい!という感じです
(●^o^●)
何度も真伝を見ながら泣きました(T_T)

さて…本作品もそろそろ原作の二部近く…。
終わりも近いのだろうか…と思いながら描き進めています…。
大筋はできているものの、当初なかった話なんか思いついたりして…まだもう少し長くなりそうかな…。でも、あんまり長いのもどうなんだろう…。と、そんなことを考えながら、【いや、やっぱり書きたいことは書ききろう…】とか、一人であれこれ考えています(笑)

これからも、完結に向けてまい進してまいります!
ただ、十月まで色々と身辺が忙しい時期に入るので、遅くなったり…気分次第で早くなったりと不定期になるかと思いますが、なにとぞよろしくお願いいたします!
いつも本当にありがとうございます(^_-)-☆


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第五十七章【対面】

暁秘伝のネタバレが少し含まれています。
ご了承ください。


 朝から暑い一日だった。

 夏の季節を超え、ほんの少しの残暑を残すのみとなったここ最近には珍しい気候。

 それは夕方になってもおさまらず、水蓮は山道を歩く足を止め、木の陰に入って座り息を一つ吐き出した。

 「ここも違った…」

 つぶやきを向けた先にあるのは、少し前に踏み入れていた竹藪。

 ここからではすでに見えないその場所を思い出しながら、もう一度ため息をつく。

 

 

 数か月ほど前にイタチから剣の話を聞いたものの、封印場所は未だイタチも見つけられていないままだった。

 壁画には詳しい場所は書かれておらず、残されていた一番大きな手がかりですら、【小川がそばにある竹藪】というあまりにも漠然としたものだった。

 

 容易には見つけられないようにとの事であろうが、探し当てるにはかなり困難。

 

 

 他にもいくつかの条件が書かれており、イタチは何カ所かに目星をつけているようだったが、なかなかすべてが当てはまる物にはいきつけない。

 

 おそらくその場所には何かしらの目印があるはずだとのイタチの言葉を水蓮は思い返す。

 特殊な術式か、結界か。

 どちらにしても、普段とは違う気配をとらえることができるはずとの考えのもと、イタチは単独任務の行き帰りや、組織から許されるほんの少しの休息の時間を、ずっと探索にあてていたようであった。

 それでも、壁画を見てから2年がたった今でも、そこへとたどり着くことはできないままだった。

 すべての話を聞いたあの夜以来、水蓮も今日のように一人での移動の際に、イタチ同様その場所の探索を始めていた。

 しかし、竹藪を見つけたとしても、そこに特に変わった気配を見つけられず、気持ちには焦りが見え始めていた。

 この世界に来てから2年と数か月。

 記憶していた通りなら、そろそろナルトの修行が終わり、原作はいわゆる『2部』に突入する。

 時間がどの様に過ぎるのか、どの間隔で事態が動いて行くのか、正確な流れはつかめない。

 知っている内容通りに進むのであれば、問題なく剣はイタチの手におさまるのであろう。

 それでも、何の確証もない状況にすべてを委ねるわけにはいかないと、水蓮は気を揉んでいた。

 「とにかく早く見つけないと…」

 気持ちを奮い立たせるように、勢いをつけて立ち上がる。

 しかし、気合を入れて進ませた足がすぐに止まった。

 行く先へと向けた視線に捉えた人影。

 やや距離があり、その姿はまだはっきりとは見えないが、線の細さから見て女性のようだ。

 その足取りが少しふらついているように見えて気にかかり、水蓮は少し早足でその人影に近づく。

 距離が少しずつ詰まり、日の光を受けて美しい藤色の髪が艶めきながら風に揺れるのが見える。

 「きれいな髪…」

 遠目にも輝きが見て取れるその髪に思わずつぶやいたとき、少し強い風が吹き流れ、その勢いに押されるようにその人物がゆらりと体を揺らめかせて地面に座り込んだ。

 「大丈夫ですか!」

 慌てて走り寄る。

 そして、その姿をしっかりととらえて、水蓮は息をのんだ。

 

 自分と同じ暁の衣をまとっていた。

 

 美しい藤色の髪には白い花の髪飾り。

 ゆくりと自分に向けられた切れ長の瞳は、少し息苦しそうな様子を浮かべてはいるものの、彼女の持つ妖艶さが色濃く揺れていた。

 

 …小南…

 

 思わず口からその名がこぼれそうになり、慌てて唇を結ぶ。

 小南は水蓮の纏う暁の衣を見て顔をさらにしかめた。

 「あなたは…」

 見覚えのない顔にあからさまに警戒を示す。

 それでもなにかよほどのダメージを負っているのか、その場から動けない様子だった。

 水蓮はゆっくりとそばに座り、小さく会釈をした。

 「初めまして。水蓮と言います」

 「水蓮…」

 しばし黙して、小南は「ああ」と息を吐く。

 「確かイタチと鬼鮫のところに入った、うずまき一族」

 「はい。医療忍者の水蓮です」

 もう一度改めて頭を下げ、水蓮は水筒を取り出そうと外套の中のカバンに手を差し入れた。

 「闇に降る雨」

 その行為を遮るように鋭く発せられたその言葉。

 水蓮はハッとして動きを止めた。

 小南は額に少し冷や汗を浮かべながらも、瞳に厳しさをたたえ水蓮をじっと見据えている。

 その視線を受け止め、水蓮はうなずき小さな声で返す。

 「痛みに咲く花」

 返された言葉に、小南はようやく警戒を解いた様子で体の力を抜いた。

 

 それは、あらかじめイタチから聞かされていた主要メンバーの中での合言葉。

 

 互いのチャクラでも十分に分かり合えるが、動きが表立ってきた昨今、メンバーに姿を変えて巧みに組織に近寄ろうとする忍びも現れるかもしれないと、用意されたものだ。

 

 まだ会った事のないメンバーがいる水蓮にとっては特に必要だろうと、組織の許可のもとイタチと鬼鮫から教わっていた。

 「大丈夫ですか?」

 水蓮は水筒を取り出して差し出す。

 「ええ…」

 うなずきながら水筒を受け取り、小南は小さくうなずく。

 「私は小南よ」

 水蓮もうなずいて返す。

 「鬼鮫から小南さんの事は聞いています」

 組織のメンバーや人間関係については、合言葉を聞いたときに鬼鮫から説明を受けていた。

 小南は「そう」と答えて水を口に含み、ゆっくりと息を吐き出す。

 「ありがとう」

 返された水筒を受け取り際に小南の髪がゆれた。

 何かの香りがふわりと流れ立ち、水蓮は顔をしかめる。

 「花の匂い?」

 「ええ…」

 小さな頷きとともに再び揺れた少し独特なその香りは、本当にかすかに匂う程度。

 良い香りではあったが、なにか違和感のようなものを感じる。

 頭の奥に、ジン…と響くような、思わず拒絶したくなるような感覚。

 そして胸の奥に走る、射し込むような鋭い痛み…。

 「これ、もしかして…」

 以前読んだ花の本にあった言葉を思い出す。

 「花粉毒」

 つぶやいた言葉に、今度は小南が顔をしかめる。

 水蓮は取り出した手ぬぐいを水筒の水で濡らして軽く絞り、小南の頭にそっとかぶせた。

 「名前の通り、毒性のある花粉です。大量に吸い込むと胸のいたみや、頭痛、吐き気を引き起こしたりするんです。何か、変わった花に触れませんでしたか?」

 小南はすぐに思い当ったのか、うなずいた。

 「さっき、ちょっとした戦闘になって。相手が香りを使った幻術を。その術に見たことのない花を使っていた」

 「きっとその花ですね。香りで催眠と幻覚の効果を高めて、さらに動きを鈍らせるために毒性のある花粉で体にもダメージを…」

 「どうりで…」

 小南はうんざりしたように息を吐き出した。

 「外套についた香りはさっき洗って落としたのに、なぜか体の重さが取れないままで。それに…」

 すっと落とされたその瞳が、暗い色で揺れた。

 「それに?」

 水蓮の問い返しに、小南はハッとしたように顔をそらした。

 「いや、さっきチャクラを使いすぎた…」

 「…………」

 そらされたその瞳に、水蓮は見覚えがあった。

 

 イタチと同じ瞳…

 

 何か辛いことを思い返している時の…

 

 花粉毒のせいだけではない。戦闘でチャクラを使いすぎただけでもない。

 

 何か、精神的にダメージを受けている…

 

 だからと言って自分に何かを語るようなことはないだろう…

 

 水蓮は何も気づかぬふりで小さく笑みを作った。

 「髪や体に花粉が付いているから、症状が治まらないんだと思います。

 とりあえず、私の持っている解毒薬が合うかどうか診ますので、どこか人目につかないところへ」

 うなずき、立ち上がろうとする小南の体を水蓮が支える。

 その体の軽さに、ドキリとする。

 

 思っていた以上に細く、軽い。

 

 小南への知識は少ないが、自来也と共に過ごしていた頃の彼女は『暁』の闇は似合わないというのが水蓮の印象だ。

 そこには何か言い知れぬ闇と痛みがあるのだろうと、胸の奥が少ししまった。

 

 

 山道から少し外れて、生い茂る木々の中へと踏み入り、水蓮は大きな木の幹に小南を隠すように座らせた。

 「症状を聞かせていただけますか?」

 小南は一つ息を吐きだし、小さくうなずく。

 「今は少しおさまっているけど、胸の痛みがひどかったわ。息苦しさもあって。あとは、目のかすみと冷や汗も少し」

 「頭痛や吐き気はありますか?」

 小南は「いえ」と首を横に振り、目を細めた。

 まだ胸の痛みがかなりあるのか、細く白い指でギュッと胸元を握りしめる。

 述べられた症状の通り息苦しそうなその様子に、水蓮は呼吸器系に異常をきたしていると判断する。

 それでも、念のためチャクラをたたえた手を小南にかざし、全身を診る。

 チャクラを通じて伝わる体内の異常。

 水蓮は自身の考えに確信を得て小さくうなずく。

 「この薬で効果が得られると思います」

 カバンの中から自身で調合した解毒薬を取り出し、小南に手渡す。

 「私の医療忍術でも解毒はできるんですが、体力も削ってしまうので、ひとまずこれで」

 ダメージを受けた体での戦闘によって、かなり体力を消耗している小南の様子から最善の処置を選ぶ。

 「ただ、付着した花粉を落とさないとまた同じことになるので、薬が効いている間にどこかで…」

 うなずき薬を飲み干した小南が、不思議そうに手に持った瓶を見る。

 「これ…」

 「どうかしましたか?」

 「苦みがほとんどないわね」

 特に苦みのきつい物が多い解毒薬には珍しいその味に、少し驚いた様子で瓶を水蓮に返す。

 「イタチが苦いの苦手なので。なるべく苦みを抑えて調合してるんです。と言っても、イタチや鬼鮫が毒を受けることなんてあまりないんですが」

 少し照れたように笑って瓶を受け取る。

 水蓮のその表情にふわりとした空気が生まれ、小南は思わず小さく笑みを浮かべて返した。

 「…そう…」

 「30分くらいで効いてくると思います。このあたりは治安もいいですし、私が周りを見張っておきますから少し休んでください」

 しかし小南は首を横に振ってゆっくりと立ち上がった。

 「大丈夫よ…」

 そう言って踏み出した一歩目ですぐにふらつく。

 「無理ですよ、まだ」

 歩いて移動しようとするその様子から、まだチャクラも戻り切っていない事がうかがえ、水蓮は慌てて体を支える。

 「平気よ」

 とてもそうは思えないが、なおも歩き出そうとする。

 浮かべられた表情には、どこか苛立っているような空気。

 それは水蓮に対してではなく、小南自身に向けられたもの。

 先ほど言っていた戦闘で何かあったのか、それとも今の自分の状況を不甲斐なく思っているのか。

 どちらにせよ、一人にはできない。

 支える手に力を入れて、水蓮は小南に笑顔を向ける。

 「あの、歩けるようでしたら、もう少し行った所に洞窟があるんです。近くに池もあるのでそこでとりあえず花粉を洗い落としませんか?その方が症状もすぐにおさまると思いますので」

 「…イタチの?」

 「はい。時折使うアジトです。3日後にそこで落ち合うことになっているんです。ちょうどそこに向かう途中で…」

 「そう…」

 小南は少し考えるように黙したが、水蓮の言うようにするのがいいだろうと判断したのか、うなずきを返した。

 花粉が飛散しないようにと頭にかぶせた手拭いが揺れ、小南の横顔がちらりと見える。

 

 夕陽色の瞳。

 

 だが、そこには悲しみと切なさが色濃く表れ、本来の輝きを覆い隠していた。




いつもありがとうございます(●^o^●)
ずっと登場させようかどうしようか迷っていた小南…。
この間久しぶりに暁秘伝を読んで、やっぱり書きたくなって書きました(^_^;)
上手くつなげていけたらよいのですが…。
暁では(この作品において)女性はこの二人だけ…。
どんな感じになるのか…。私もちょっと楽しみです(*^_^*)

それではまた次回…(^○^)

読んでいただき本当にありがとうございます!


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外伝【染まるか染まらぬか】~小南の瞳に映るもの~

暁秘伝のネタバレと、引用が少しが含まれています。
ご注意、ご了承のほど
よろしくお願いいたします(*^_^*)


 夜空に浮かぶ大きな満月。

 そのまばゆい光の中から漆黒の鳥が翼を音立たせて大地へと降り立つ。

 その羽音は少し奥深い洞窟の中に、静かに響きを揺らめかせた。

 そのはばたきと、そこへと向かう足音に気づき、藤色の髪の向こうで閉じられていた瞳がゆっくりと開かれる。

 薄く開かれた小南のオレンジ色の瞳にうつったのは水蓮の背。

 

 数秒見つめて自身の状況を思い返す。

 

 水蓮と共にイタチのアジトへと向かい、池で花粉を洗い落としたあと少しの休息を取った。

 

 そのまま知らぬうちに眠ってしまったのか…

 

 まだほんの少し重い体を静かに起こした。

 

 疲労していたとはいえ無意識に眠りに落ちていた事に、おそらく飲んだ薬に眠気を誘う成分が入っていたのだろうと推察する。

 「もう日が落ちている」

 ため息の後の呼吸に、ふと心地よい香りが入り混じり、その香りをたどると、少し離れた場所に香炉が置かれていた。

 「金木犀」

 ここへ来るまでの間にその花を幾度か見たことを思い返す。

 

 不自然な香りをたたせないよう配慮したのか…

 

 少し深く息をして香りをゆっくりと取り込む。

 

 こんな風にゆっくり呼吸するのは、いつぶりだろう…

 

 この心地よい香りも、不用意に眠ってしまった原因か…

 

 小南は一瞬の安らぎを消し去り、普段ではありえない自分のふがいなさから目をそむけるように香炉から視線を外し、再び水蓮の姿を映す。

 

 水蓮は洞窟の入り口あたりでカラスの足から文をほどき取り、照らし読もうと紙を広げて月の明かりを探していた。

 イタチからの伝令であろうと水蓮を見つめる小南の胸が、一瞬ドキリと音を立てた。

 手のひらに収まるほどの小さな紙。

 それを見つめる水蓮の顔が、驚くほど柔らかい微笑みを浮かべていたのだ。

 

 月の光を受けて瞳は穏やかな輝きを放ち、頬が薄く桜色に染まっている。

 

 見つめる小南の視線の先で、水蓮は小さな紙を大切そうに胸元に抱きしめた。

 その姿からは、幸せな空気が満ち溢れている…

 

 小南はその表情に、空気に覚えがあった。

 

 脳裏に浮かんだのはペインの顔。

 

 冷たさと無に染まるその顔が、感情と命の鼓動を失う前の弥彦の笑顔へと変わる。

 

 心に温かさが生まれる。

 

 しかしそれはほんの一瞬で消え、すぐに襲い来る悲しみと痛み。

 ギュッと目を閉じてそれらを振り払う。

 同時に、先ほどの戦いで敵に見せられた幻術を思い出した。

 

 

 幼き日の弥彦の姿

 

 

 武力に頼らず平和を目指そうと戦ってきた弥彦。

 自分たちのように戦で悲しみを背負う子供をなくそうと、自身の全てをかけて戦い続けた。

 

 だが、小南の命を救うために弥彦は死んだ。

 

 自分のために弥彦が死んだ悲しみに染まった小南。

 

 そして、共に戦ってきた長門は、弥彦を守れなかった自分の無力さを嘆き…

 

 二人は底の見えない闇を背負った。

 

 小南は、あの日死んだのは弥彦だけではなかったと、そう思っている。

 

 長門もまた、人としての自分を殺した。

 誰よりも優しく、誰よりも繊細で、それでも懸命に闘おうとしていた長門は、弥彦の死と共に夢も希望も捨て【神】となった。

 

 憎しみがはびこるこの世界に本当の痛みを…

 

 学ばぬ愚かな生き物である【人】には、痛みを持ってしつけるほかない…

 

 そして、ひとときの平和を生み出す…

 

 それが長門の夢となった。

 その夢の実現のため、長門はマダラと手を組み、暁には弥彦の思想とは真逆の忍が加入するようになった。

 目的のためならすべて殺す。すべて壊す。

 

 自分たちが歩む道…

 

 たどり着く場所…

 

 それは弥彦の望んだ道から外れ、奪わなくてもよい命を奪う悪の道。

 

 破滅。

 

 このまま長門を破滅へと歩ませてよいのだろうか…

 

 【暁】は、血の雨に泣く国を照らすための希望の光であった。

 しかし、いつしかそれは意味を変え、形を変え深い闇へと変わってしまった。

 

 こんな事、弥彦が望んでいるはずがない…

 

 敵の幻術に浮かんだ弥彦の姿は、小南の心の奥深くにあった想いを引きずり出した。

 感情を波立たせ、不安をあぶり出し後悔を渦まかせる。

 

 それが敵の術の力であった。

 相手の最も深い場所をつき、戦意を喪失させる。

 

 その術にはまり、小南は【あの時自分が死ねばよかった】と、ずっと抱えてきた想いに襲われ心を乱された。

 だが術を破り、相手を倒し任務を無事終わらせた。

 

 それでも、よみがえった重い記憶と苦しみは拭いきれない…

 

 いちばん深い、大切な場所を汚されたのだ…

 

 弥彦へのその心を…

 

 彼を【愛している】というその想いを…

 

 その感情を今でも守り留めているからこそ分かる。

 再びその目にうつる水蓮の笑み。

 

 

 彼女はイタチを愛しているのだ…

 

 

 愛する人のそばで生きていることに、幸せを感じているのだ…

 

 小南はそんな水蓮を一瞬羨み、すぐに複雑な痛みに襲われた。

 

 イタチの命が長くないことはマダラから聞かされている。

 そして、彼の進む道の先にあるのはマダラによって仕組まれた【死】。

 イタチも、そして目の前で満ち足りた笑みを浮かべる彼女もまた破滅へと向かって歩いているのだ。

 

 闇へと形を変えた暁の中で、血に染まる【赤雲】をその身にまとって。

 

 だが、その赤雲で身を包みながらも、なぜかその色に染まって見えない水蓮に、小南は無意識下に興味を抱いていた。

 

 イタチが自分からそばに置くほどの医療忍者なら、おそらくイタチの余命がないことに気付いているであろう。

 それでもあんな風に微笑むことができる。

 

 その姿に、小南は自分と長門を重ね合わせる。

 

 術の影響でそう長くは生きられないであろう長門と、そのそばで生きる自分。

 

 【死と隣り合わせで生きる大切な人を守る】

 

 立場や境遇は違えども、同じ状況下にいる自分と水蓮…

 

 だがそこには何か大きな差がある…

 

 「一体何が…」

 思わずこぼれたその言葉は、小南の胸の痛みと共に静かに空気の中に揺れ、水蓮へと届く。

 「イタチからの連絡です」

 水蓮が柔らかい笑みを浮かべたまま中に歩み戻り、イタチからの文を小南に手渡す。

 内容に目を通し、小南は怪訝な表情を浮かべた。

 

 『承知した。予定通りに戻る』

 

 書かれていたのはただそれだけ。

 

 「これだけ?」

 思わずまた言葉がこぼれた。

 短いこの文章に、あれだけの表情ができるのかと、そんな事を想いながら水蓮に返す。

 「イタチからの連絡はいつもこんな感じですよ。普通はもっと色々書くものなんですか?」

 

 普通は…

 

 その言葉に、小南は一瞬返答を詰まらせる。

 忍としての訓練を受けていれば、そんな言葉は出ないはずだ。

 しかしすぐに、水蓮が記憶をなくしていたらしいとペインが話していた事を思い出す。

 まだ少し記憶障害が残っているのだろうか。

 そんなことを考えながら答える。

 「いえ。大体そんな感じよ。ただ…」

 「ただ?」

 「ずいぶん嬉しそうに読んでいたから。何かもっと違うことが書いてあるのかと思って」

 「へ?」

 水蓮の口からとぼけた声が出た。

 そしてすぐに顔が一気に赤く色づく。

 

 自覚がなかったのか…

 

 小南は、自分もそうだったのだろうかと、またそこに自身を重ね合わせた。

 「いや、あの、それは、あれです…」

 過去の自分を脳裏にめぐらせる小南の前で、水蓮はあたふたと返答を探す。

 「予定通りに帰ってくるということは何事もなく無事だということだから、それで…」

 「ああ。なるほど」

 照れた笑いを浮かべる水蓮に納得を返した小南の顔には、無意識のうちに小さな笑みが浮かんでいた。

 「あの、それより体調はいかがですか?」

 「もう大丈夫よ」

 症状のほとんどが消えていることを自身の中に確認し、小南は水蓮に「助かったわ」と礼を述べる。

 「よかったです」

 安堵の息を吐き、水蓮はイタチからの文を小さく破り、香炉の中へと入れる。

 香を焚き放っていた熱に、紙が燃え消えてゆく。

 名残惜しそうな表情から、本当は取っておきたいのであろうと小南は思う。

 「内容がどうであれ、必ず処分するように言われているんです」

 手早く灰と香炉を片付けながら、水蓮はそう言って残念そうに笑った。

 「そう。それで、承知したとは?」

 書かれていたその言葉に、こちらから何か連絡を入れたのであろうと、問いかける。

 「あ。小南さんの事を、イタチから本拠地に伝えてもらうように連絡を入れたんです。私は自分の伝達手段を持っていなくて。それに、さっきのカラスも、私とイタチのところを行き来するだけの物なので」

 「…そう」

 短く返して、小南はゆっくりと立ち上がった。

 本拠地へと戻るのであろうその動きに、水蓮が岩にかけていた小南の外套を手に取った。

 しかし、それを渡そうとしたその手と、受け取ろうとした手が、小さな気配を感じて同時にとまる。

 吹き入ってきた風に乗り、紫色の小さな蝶がひらりひらりと小南のもとへと舞い行く。

 小南は少し目を細めてそれを手のひらに乗せた。

 「組織からの式よ」

 不思議そうに見つめる水蓮に小南は短く言葉を投げ、蝶にチャクラを流す。

 

 ポン

 

 小さな音を立てて煙が立ち、蝶が小さな巻物へと姿を変えた。

 広げて無表情のままに読み終えると、巻物が煙となって消えゆく。

 その煙を見つめる瞳は、少し重い色を浮かべる。

 

 組織から…

 

 だが、ペインからではない。

 それはマダラからの式。

 

 「…………」

 

 うちはマダラ

 

 

 その姿が脳裏に浮かび、知らぬうちに表情が険しくなる。

 

 弥彦をリーダーとして戦ってきたこの暁にするりと入り込み、まるでこの組織を自分の物のように扱うマダラに、小南は大きな嫌悪感を抱いていた。

 

 

 その文字、内容…

 

 どちらに対しても、嫌な感情以外に生まれはしない

 

 「あの、何かあったんですか?」

 あまりに重い空気を放つ小南に、水蓮が遠慮がちに声をかける。

 小南はハッと気を取り直す。

 「いえ。イタチからの伝令を受け取ったと」

 「そうですか」

 ニコリと笑って、改めて外套を差し出す。

 しかし、小南はそれを受け取ろうとせず、じっと見つめたまま動きを止める。

 「どうかしましたか?」

 首を傾げる水蓮。

 しばしの間を置き、小南は静かな声を空気に響かせた。

 「組織からイタチへの伝言を預かった。彼が戻るまでここで待たせてもらうわ」

 「え…」

 思ってもみなかったことに、水蓮は小さく声を上げる。

 「あの、カラスを呼びましょうか?」

 「いえ。直接伝えたいから」

 そう返して小南は外套を受け取りその場に腰を下ろした。

 ここで待つ以外に選択肢がないその様子に、水蓮は「わかりました」と笑顔を返し、カバンの中から札を取り出す。

 「イタチから持たされている結界の札です。表に貼ってきます」

 「…そう」

 短く返して、外へと向かうその背を見つめる。

 

 鬼鮫から手ほどきを受け、一人で移動しているほどならある程度の力があるのだろう…

 

 それに、アジトはもともと見つかりにくい物…

 

 それでも結界の札を持たせるその入念さに、小南はイタチの意外な一面を見たような気がした。

 

 水蓮との間をカラスに行き来させていたことも併せ、他人には興味のなさそうなイタチにしてはずいぶんと気をまわしているように思える。

 

 自身の体にとっては貴重な医療忍者ゆえか…

 

 それとも…

 

 じっと水蓮を見つめながら思考をめぐらせ、小南はポツリとつぶやく。

 「なるほど…」

 先ほどのマダラの式が思い浮かぶ。

 そこには、イタチへの伝言などではなく、しばらく水蓮の動向を見張るように書かれていたのだ。

 

 あのイタチが自分からそばに置く存在…

 

 マダラはそこに警戒を、いや。興味を抱いているのだ…

 

 ほんの少し関わった自分ですらそうなのだから、同じ【うちは】としてイタチにやや執着しているマダラなら余計だろう。

 

 赤雲を揺らしながら歩く後ろ姿…

 

 そこに幾度目かの重なりを見せる過去の自分…

 

 しかし、その姿がふいに弥彦の背中へと変わり、小南の胸が音を鳴らした。

 

 すぐに水蓮自身の姿へと戻ったその容姿を見つめ、胸の奥がチリっと痛んだ。

 

 暁の象徴であった弥彦…

 

 弥彦そのものであった暁…

 

 それが今マダラによって汚されていくように、彼女もまたその闇に呑まれてゆくのだろうか。

 

 

 視線の先で水蓮は空を見上げていた。

 

 その瞳には、愛しき存在を想う暖かい光があふれていた。




おはようございます。
いつもありがとうございます。
今回は少し視点を変えて、小南の外伝といたしました。
外から見た水蓮を少し書こうかと思いまして(^v^)

この二人はどんな感じになるのかな…と、模索しながら書いてますが
小南がどんどんお気に入りに(*^_^*)
書くと好きになる…単純な私です(笑)

それでは…また次回(*^。^*)
読んでいただき、いつも本当にありがとうございます☆


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第五十八章【せんせい】

 東の空に美しい朝焼けが広がり、鳥の群れが影を成して優美な景色を作り上げる。

 早朝の空気は夏の気配をほぼ遠ざけ、この先にある厳しい季節を感じさせはじめていた。

 

 「この辺でいいかな」

 小さくつぶやき、辺りに人の気配がないことを確かめてから水蓮は静かに身をかがめ、音をたてぬ動きで印を組む。

 練り上げられていくチャクラの動きを表すように、水蓮の髪が赤く色づいてゆく。

 最後の印を組み、やや深く生い茂る草の中に手を差し入れて、タン…と地に手をつくと、その手を始点にふわり…と風と光が生まれ、草の陰に隠れながら大地へと解けてゆく。

 それがすべて消えるのを見届け、水蓮は一つ小さく息を吐く。

 そしてもう一度違う印で同じ動作を繰り返す。

 結界術が地に張り巡らされ、すぅっと消えてゆく。

 

 一定範囲内への他者の侵入を感知する役割に加え、先に敷いた術を隠す効力を持つ術。

 しっかりとその術のかかりを確認し、水蓮は一つうなずいた。

 「よし」

 「なにが?」

 間髪入れずに背中から聞こえた声に、水蓮はびくりと体を揺らして振り返る。

 そこには少し目を細めて自分を見つめる小南の姿があった。

 「び、びっくりした…」

 まったく気配を感じなかった事に、さすがと驚きと関心を覚えつつ水蓮は立ち上がる。

 「おはようございます」

 「あなた、その髪」

 赤く染まった髪が風に揺れる。

 「あ…。うずまき一族の術を使うと、髪の色がなぜかかわるんです。すぐに戻りますが」

 軽くすくい上げた毛先はすでに少し元の色に戻り始めていた。

 「そう。それで、そのうずまき一族の術で何をしていたの?」

 術を施した草むらに小南の視線が向けられる。

 「結界を張ったんです。少し広めに張っておこうかと思って」

 一つ目に施した術については触れずに話す。

 「あと、練習もかねて」

 「練習?」

 「はい。結界の札は高いですし、自分でできるようになった方がいいと思って」

 「そう」

 小南は姿勢を落とし、草をかき分けて地にチャクラを流し術を確かめる。

 浮き上がる結界術の気配。

 小南が小さくうなずく。

 「変わった術ね。でも、よくできているわ」

 見覚えのないうずまき一族の術ではあるが、効力には問題のなさそうなそれに納得し、すっと立ち上がる。

 「これなら札はいらないと思うけど」

 「そうですか?よかったです」

 ほっと胸を撫で下ろす。

 「それにしても、ずいぶん起きるのが早いのね…」

 朝焼けが少し消え始めた空に目を向ける小南に続き、水蓮もそちらを見る。

 「この時期の朝焼け、好きなんです。それに、早い時間に薬草を摘みたくて。

 乾燥させて使うものもありますから、なるべく早くに」

 先ほど摘んだ薬草を入れた袋を見せる。

 小南はしばらくじっとその袋を見ていたが、ややあって「なるほど」とつぶやきアジトへと向かって歩き出した。

 水蓮もそのあとに続く。

 「あの、小南さん。私今日用事があって近くの町に行くんですが…」

 「なら私も行くわ。やることもなく待つよりはいいわ」

 さして考える時間を持たず小南は答える。

 ほんの少し振り向いた動きに柔らかい香りが揺れた。

 昨日アジトで焚いた香の香りではない。

 小南が元々持っている香り。

 優しいその香りは、しなやかな小南の動きに合わせて、水蓮に揺れ届く。

 女性らしさを感じさせるその空気に、水蓮は少しうれしくなり小さく笑った。

 「何?」

 水蓮の笑みを捉えた小南が首をかしげる。

 「あ、すみません。女性同士でこうして過ごすのは久しぶりで」

 普段そばにいるのはイタチと鬼鮫のみ。

 時折来る他のメンバーも、デイダラとサソリ。

 男所帯の暁の中に身を置いてから今日まで、任務でかかわった女性はいたが、同じ衣に身を包む小南とのかかわりはまた別の物に感じていた。

 少し距離が近いような、不思議な感覚。

 それでも小南は暁の中心人物の一人。

 自分やイタチの事が知れぬよう警戒しなければいけない。

 だがそうは思いつつも、やはり口元が少し緩む。

 「なんだかちょっと嬉しいです」

 「…そう」

 短く返された小南の声が、少し柔らかく聞こえた気がした。

 

 

 簡単な朝食を済ませ、水蓮は小南と共に町へと出掛けた。

 幾度か来ているこの町は、水蓮がはじめて訪れた町。

 すっかり歩き慣れた様子で足を進める。

 「この先にある薬屋に行きます」

 「イタチの?」

 「いえ」

 角をまがり、細い路地へと踏入ながら小さく首を降る。

 「イタチの薬を買いに行くこともありますが、今日は私の調合した薬を売りに行くんです」

 その言葉に小南はやや驚いた様子で返す。

 「取り引きをしているの?」

 「はい。半年ほどまえから、買い取ってくれるようになって。あ、あそこです」

 水蓮の視線の先には、いつもイタチと訪れる小さな薬屋が見えた。

 幾度か来る中で、店主が水蓮の調合の腕を見染め、取引きの話を持ちかけてきたのだ。

 「自分で使うお金は、自分で何とかできたらと思って」

 そう言って笑う水蓮の横顔を見ながら、小南の胸中には感心が浮かんでいた。

 主な取り引き先が決まっている薬屋に、新たに入り込むのは難しい。

 まして、薬は命に関わる品物。

 いかにイタチが長く利用しているからといって、そう容易いことではない。

 「余程質が良いのね」

 思わずこぼれた言葉に水蓮が少し照れて返す。

 「薬屋の方にもそう言ってもらえてます。一応」

 惜しげもなく嬉しそうな笑みを浮かべ、水蓮は外套を外して裏向きにたたむ。

 「名は出さないでください」

 イタチの事だろうと察し、小南は小さくうなずき同じように外套をたたんだ。

 薬屋のドアを開けて中に入ると、すぐに店主の声が飛んできた。

 「水蓮さん!お久しぶりです」

 穏やかな気性の初老の男性。

 いつも変わらぬ優しい笑みに、水蓮は会うたびに穏やかな気持ちになる。

 「クヌギさん。ご無沙汰しています」

 前回来たのはいつだっただろう。

 そんなことを思いながら小さく辞儀をする。

 「今日は桔梗さんではないんですね」

 小南にちらりと目を向け、クヌギは同じように微笑みながら会釈する。

 無言で少し頭を下げ、小南は商品の陳列に目を向け「少し見てくるわ」とその場から離れた。

 その様子を見届け、水蓮がカバンをカウンターに置くと、要件を読み取ったクヌギが「ちょうどよかったです」と、後ろの棚から薬箱を取り出した。

 「昨日全部出てしまったんですよ」

 水蓮の薬を入れるために用意されたその箱の中身は空になっていた。

 「最近評判が上がってますよあなたの薬。苦みが少ないので、特に小さな子供さん用に買われる方が増えてきてます」

 「よかったです」

 カウンターの上に薬を出し並べるその表情には、満たされた笑みが浮かんでいた。

 

 自分の作った物が誰かの役に立つのはうれしい。

 

 かつての夢とは形は違うが、それに近い物を感じ、水蓮は喜びを見出していた。

 「前回より少し多めにいただきますね」

 クヌギは水蓮の薬を選び取り、薬箱に並べる。

 「あ、そういえば…」

 一連の取引を終え、棚に薬箱を戻し、振り向きざまに水蓮に言葉を向ける。

 「例の竹藪は見つかりましたか?」

 「いえ、それがまだ…」

 「竹藪?」

 ため息交じりに応えた水蓮の声に、小南が声を重ねた。

 知らぬ間に後ろに来ていた小南に水蓮がうなずく。

 「はい。竹藪の中に生えるちょっと特殊な薬草があって」

 それも嘘ではなかった。

 クヌギから話を聞き、見つけたら持ち込むと言う話をしていたのだ。

 「そう。竹藪…」

 どこか含んだような、何かを思い出しているような口調で小南がつぶやいた。

 「あの…?」

 黙して考え込んだ小南に水蓮が声をかける。

 小南はハッとしたように顔を上げ、窓の向こうに目を向けた。

 「この町のはずれにも、昔竹藪があったわ」

 「え?」

 同じように窓に目を向けた水蓮に、クヌギが続く。

 「そうなんですか?長くここで商いをしていますが、知りませんでした」

 「かなり山奥だから。それに…」

 フッと瞳が切なげに色を変えた。

 「過去の戦の中で、焼き払われてしまったわ」

 「何度か行ったことがあるんですか?」

 「ええ。子供の頃よく修行に使った場所よ」

 竹藪があったのであろう場所を見つめる瞳が、今度は悲しげに揺れる。

 「そうですか…」

 過去を思い出し口を閉ざした小南を、水蓮は静かに見つめた。

 彼女もまた、様々な痛みを背負っているのだろう。

 そんなことを思う。

 「あ、そうそう」

 クヌギが水蓮に向き直る。

 「あの子はずいぶん頑張っていますよ」

 「イナホですか?」

 脳裏に浮かんだ人物の名を返す。

 それは、以前この町で竹トンボを飛ばしていた少女。

 一緒にいた二人とは兄弟で、イナホは年長であった。

 あの後も何度かこの町で顔を合わすうちに水蓮は彼らとすっかり仲良くなっていた。

 幾度目かに会った時に、水蓮はイナホに頼まれて薬草の調合を教えるようになり、自分がいない時はこの薬屋で面倒を見てもらえるように便宜を図っていた。

 少しではあるが体術も手ほどきしており、いつからか自分の事を『先生』と呼ぶようになったイナホの声が思い出される。

 二つに結んだ栗色の髪。それと同じ色の瞳。そして、愛らしい笑顔が次々と脳裏に浮かぶ。

 「あなたの言うとおり覚えが早い。筋もいいですしね。まだ11歳ですが、先が楽しみな逸材です」

 「本当ですか?」

 弟子というほど多くは関われていないものの、教え子をほめられ嬉しさが溢れる。

 「よかったです。今日は?」

 イナホに会うことも目的の一つであったが、どうやら店にはいない様子だった。

 「今日は、母親の誕生日らしくて休みを取ってるんですよ。でも、午前中は来れたら来ると言ってましたから、もしかしたら…」

 その言葉の後を継ぐように、ドアの向こう…路地に声が響いた。

 「オーナー!」

 「おや、噂をすれば」

 「ですね」

 水蓮は久しぶりに聞くその声に、扉を開けて入ってくるイナホの笑顔を想像した。

 「オーナー!」

 しかし再び聞こえたその声は少し慌てた様子を浮かべ、バンッと勢いよく開けられたドアの向こうから文字通り転がるようにイナホが飛び込んできた。

 「危ない!」

 前のめりに倒れそうなその体を水蓮が慌てて受け止める。

 「大丈夫?」

 「た、助けて…」

 必死に言葉を絞り出し、息を切らしながら自分を見上げるイナホの顔を見て、水蓮は息を飲んだ。

 ほほに鋭い切り傷。そう深くはないが血が滴っていた。

 両の目からはぽろぽろと涙があふれている。

 涙でぬれるその瞳が水蓮を捉え、大きく見開かれた。

 「先生!」

 イナホは驚きを交えてそう叫び、さらに涙をあふれさせる。

 「どうしたの!?」

 「何があったんだい」

 クヌギも慌てて走り寄ってくる。

 小南はイナホが何者かに襲われたと読み考え、ドアに鍵をかけ外の気配を探った。

 「小南さん…」

 どうやら外に危険は追い来ていないようで、水蓮のその声に小南は警戒を解いて小さくうなずいた。

 「先生。どうしよう…助けて…」

 途切れ途切れに発せられる言葉…。

 ずいぶん混乱しているその様子に、水蓮は頬の傷に手を当てて治療してから、イナホをぎゅっと抱きしめた。

 「落ち着いて。大丈夫だから。一体なにがあったの?」

 落ち着かせようと柔らかい口調で問いかける水蓮にしがみつきながら、イナホは震えた声で答えた。

 「お母さんが、さらわれた…」

 「………っ!」

 クヌギも交えて小南と顔を見合わせる。

 「ヤツデとナズナもケガをして。私一人じゃどうしようもなくて。頑張ったけど、けど…」

 こらえきれなくなったのか声を上げて泣き出すイナホ。

 母と弟たちを助けようと戦闘になったのだろうとその様子を思い浮かべる。

 

 どれほど恐ろしかっただろう。

 

 水蓮はイナホの胸中に寄り添うようにそっと背を撫でた。

 だが、あまり悠長にしていられる状況でもない。

 「イナホ。詳しく聞かせて」

 いまだ取り乱した空気を拭いきれぬままではあったが、イナホはしっかりと水蓮を見つめてうなずいた。

 

 

 怪我を負ったヤツデとナズナの事も気にかかり、水蓮はクヌギと共にひとまずイナホの家へと向かうことにした。

 小南は少し思案した様子を見せたが、黙って水蓮と行動を共にした。

 

 

 どうやら家にいたところを襲われたらしく、たどり着いた先では、玄関も部屋も随分と荒れていた。

 「二人は奥の部屋です」

 イナホの案内で入った唯一無事であったその部屋で、弟二人は布団に寝かされていた。

 痛みに顔をゆがめている二人に駆け寄り、クヌギが表情を厳しくする。

 「酷い…」

 ケガは思っていたより深刻であった。

 だが、命にかかわるようなものではなく、イナホの手によってしっかりと処置がされていた。

 「よく頑張ったわね」

 あれほど取り乱した様子を見せながらもきちんとしたその処置に、水蓮は感心してイナホの頭を撫でた。

 「…はい…」

 イナホは瞳に浮かんだ涙を拭いながらうなずく。

 「大きな傷はふさいでおくわ」

 水蓮はチャクラをためた手を順に二人にかざし、体力に支障が出ない程度に治癒してゆく。

 気を失っていた二人だったが、治癒が進むに連れて気を取り直し、うっすらと目を開けて水蓮の姿をその目に映した。

 「センセイ…」

 イナホの一つ下の長男ヤツデの声に末っ子のナズナが言葉を重ねる。

 「せんせー。おかあさんが…」

 姉の言葉がうつり、同じように自分をそう呼ぶ二人の頭を撫で、水蓮は「大丈夫だから」と、笑みを向けた。

 二人は安心したように小さくうなずき、そのまま眠った。

 「先生。ありがとう…」

 弟たちの静かな寝息に安堵し、イナホはずいぶんと平静を取り戻したようだった。

 「もう心配ないわ。話を聞かせて」

 イナホはコクリとうなずき、先ほど起こったことを話し出した。

 

 

 

 襲ってきたのは5人。

 額宛をしていたとの事で、その紋様から小南が『天隠(あまがく)れの里の忍』だと水蓮の知らぬ里の名をつぶやいた。

 そして、相手の忍が母親に向けて言った言葉を聞き、目を細めた。

 「鏡写しの術。間違いなくそう言ったの?」

 少し厳しい口調で小南に問われ、イナホは小さな声で「はい」と返す。

 「その力が必要だから一緒に来いと」

 「そう…」

 「知っているんですか?」

 「詳しくは知らない。でも聞いたことがある。血継限界の一つよ」

 

 その力を狙われて…

 

 イナホは母にその力があることを知らなかったようで、血継限界について説明され驚きを現した。

 「それで、どうするの?」

 小南にそう問われ、水蓮は一瞬返答に詰まる。

 暁の中に身を置く自分が人助けなど、イタチや水蓮の行動に慣れている鬼鮫ならまだしも、小南から見ればおかしなことだろう。

 それでもやはりこのままにはしておけない。

 「助けに行きます」

 

 どんな反応をされるだろうか…

 

 『そんな必要はない』と、怪訝な顔で一蹴されるかもしれない。

 不安がよぎる。

 しかしその予想に反して、小南は小さくうなずき驚く言葉を返した。

 「私も行くわ」

 「え…」

 思いもよらぬことに水蓮は小さく声を漏らす。

 「少し、気になることがある」

 つぶやくように言った小南のその言葉に、イナホが声を重ねる。

 「私も行く!」

 「イナホ…」

 「私ちゃんと体術の訓練も続けてきた。だから、お願い。私も連れていって」

 気持ちはわかる。

 末っ子のナズナが生まれてすぐに父親を亡くしたこともあり、イナホは長女として家族を守ろうという気持ちを強く持っていた。

 水蓮に教えを乞うてきたのもその想いがあってのことだ。

 それなのに弟たちを守れず、母親まで。

 黙って待つことなど、自分自身が許せないのだろう。

 だがどんな危険があるのかわからないところに連れて行くわけにはいかない。

 水蓮は首を横に振った。

 「ダメよ。危険すぎる」

 「そうだよイナホ。やめておきなさい」

 クヌギも言葉を続ける。

 しかしイナホはあきらめずに返す。

 「先生。お願い。私自分の手でお母さんを助けたい!」

 強いまなざしで水蓮を見つめる。

 「でも…」

 「連れて行きなさい」

 水蓮の言葉を小南が遮った。

 「相手の目的が母親だったとはいえ、5人の忍相手に頬に傷一つで済むようなら、自分の身を守る程度の力はある」

 視線を向けられ、イナホはうなずく。

 水蓮も無言でそれを肯定する。

 イナホは体術においても才能を発揮していた。

 「血継限界を持つ者なら、今後も狙われる可能性がある。いつも誰かが助けてくれるわけではない。自分の力で家族を守りなさい」

 まっすぐに向けられた小南の瞳に、イナホは強い声で返す。

 「はい!」

 そして「準備をする」と部屋を出て行った。

 その背を見送り水蓮は小南に目を向ける。

 思いもよらなかった小南の言動。そこにどんな心情があるのか、水蓮には読み取れなかった。

 

 

 だがそれは、小南自身も同じであった。

 

 

 なぜあんな事を言ったのか…

 

 小南は自身の感情が見えずにいた。

 「外で待ってるわ」

 向けられた水蓮の視線から逃れるように、小南は外へと出た。

 

 風が吹き、小南の髪を揺らす。

 

 その揺らぎの中に、不意に幼いころの自分たちの姿がよぎり、小南の胸の奥に小さな痛みをもたらした。

 

 『先生』

 水蓮を呼ぶイナホの声が、そしてイナホの弟達の姿が更に小南の遠い記憶を呼び起こす。

 少しかすみのかかったその記憶の中に、自分たちに忍術を享受した人物の姿が揺れた。

 

 感傷的になっているのか…?

 

 自分に問いかけすぐにかき消す。

 「ばかばかしい」

 ただ水蓮の力を見るにはちょうどいいと思っただけだ…

 

 まだ未熟なイナホを連れた状態で、どう立ち回るのかを…

 

 「それだけよ」

 小南は瞳を冷たい色に染め、もう一度「それだけ」と繰り返した。

 



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第五十九章【潜入】

 町から1時間ほど行った場所にある【天隠れの里】

 小南の案内でたどり着いたそこは地下にある忍里であった。

 「地下にあるなんて、本当に隠れ里ですね」

 森に身をひそめ、入口があるというその場所を見ながら水蓮がつぶやく。

 視線の先には色とりどりの花が咲く草原。そして透き通った湖。

 「ずっとそこで暮らしているわけではないわ。本来の里は別のところにある。子供の間はそこで過ごし、忍になった者だけが移り住んでいる。里を失ったはぐれ者も中にはいるらしい」

 「そうなんですか」

 「で?どうするの?」

 小南に問われて水蓮はしばし考える。

 地下にあるがゆえに、裏からまわって侵入という手は使えない。

 入口はおそらく何カ所かにはあるだろうが、探して時間を取るのも得策とは思えない。

 何よりうろついていては見つかる可能性が高い。

 怪しまれ騒ぎになってはイナホの母親を探すどころではなくなる。

 さまざまな考えをめぐらせ、水蓮はちらりとイナホに目を向ける。

 とにかく大事なのは安全を確保することだ。

 水蓮はしばし思案し、考えた案を話す。

 小南は特に何も意見を述べず、ただ「わかった」と短く返した。

 「それじゃぁ、その手はずで」

 二人のうなずきを見届け、水蓮は印を組んだ。

 「解!」

 チャクラの流れが揺れる。それが消えた後には、目の前に広がっていた湖が消え、幻術によって隠されていた鉄の扉が地面に現れた。

 「気づいてたのね」

 小南のつぶやきに水蓮は小さくうなづきを返して、一人その扉へと向かった。

 

 

 扉の前には男が二人。イナホの話にあった額あてをつけている。

 

 見張りは二人か…。

 

 これならいける…。

 

 水蓮は気配を消して近くの木の陰に身をひそめ、手元の木の枝をがさりと揺らす。

 

 「おい。今何か音がしなかったか?」

 手前にいる男がその音を探して視線を動かす。

 「そうか?風だろ?」

 「そうかな…」

 「心配ないさ。どうせここは誰にも見えやしない」

 もう一人の男がそう言って笑う。

 「でもよ、幻術効かないやつもいるだろ?この間も…」

 「ああ。でも、ありゃぁ特別だろ」

 「まぁな…」

 その声に合わせてもう一度枝を音たたせる。

 「おい。やっぱりいるぞ」

 始めに音に気付いた男が再び警戒を現す。

 今度はもう一人も気づいたようで、あたりを探り視線をめぐらせる。

 「確かに聞こえたな」

 「幻術を解いて入ってきたのかもしれない。見てくる」

 「誰かいたら適当に()っとけ」

 足を進ませる男にもう一人が軽い口調で言う。

 それなりに腕に自信はあるのだろう。

 

 慎重にいかなければ…

 

 水蓮は気配をしっかり殺しつつ少し後退し、また枝を鳴らす。

 「こっちか?」

 音に誘われ男が森の深みに足を入れる。

 姿を見られぬ距離を保ちつつ、水蓮は音を立てながら少しずつ下がってゆく。

 

 この辺で…

 

 扉からかなり離れ、もう一人の見張りから完全に見えぬ場所まで来て水蓮は静かに印を組む。

 「誰だ!」

 チャクラの流れに声を上げる男。

 しかし、その忍がクナイを引き抜くより早く、水蓮は静かに風をたたせてそこに白い粉を混ぜる。

 細かいその粉を含んだ風が忍の顔を撫でた。

 

 静かな呼吸の中にその風を吸い込み…

 

 「………っ!」

 

 異変を感じて息を飲む。

 しかし、気づいた次の瞬間。意識は飛び、細身のその体が静かに崩れ落ちた。

 数秒後には静かな寝息。

 「よし…」

 水蓮は男を素早く近くの木に縛り付け、薬の効き具合を確認する。

 どうやらしっかりと吸い込んだらしいその様子に一つうなずき、印を組みその忍の姿に変化する。

 そしてその姿で扉へと向かう。

 「どうだった?」

 先ほど同様軽い口調の男に水蓮は笑って返す。

 「うさぎだった」

 「そうか」

 ハハ…と腰に手を当てて笑い返してくる男の隣に立ち、水蓮は小さな布の袋を取り出して見せる。

 「面白い物を見つけた」

 「なんだ?」

 少しも仲間が別人だとは疑わず、その袋の中を覗き込む。

 しっかりと顔を近づけたことを確認し、水蓮はギュッと袋を握りしめた。

 

 ぶわっ…と白い粉が舞う。

 先ほどと同じ眠り薬。

 「うわ…」

 男は驚きに声を上げ、その反動で一気にその粉を吸い込む。

 「おま…え」

 自身を襲う異常に、目の前にいるのが仲間ではないと気づき、堕ちそうな意識を必死に繋ぎ止め水蓮に手を伸ばす。

 しかし…

 

 ドッ…

 

 背後からの首筋への一突きに、男は追い打ちを受けて倒れこんだ。

 崩れ落ちた男の背後から姿を現したのは二人の水蓮。

 あらかじめ潜ませておいた影分身。

 

 うなずき合って、静かに眠りこんだ男を森の中に運び先ほど同様木に縛り付ける。

 そして影分身の一体がその男に変化して扉の前へと戻る。

 それを確認して、残る一体の影分身が術を解き消えた。

 

 

 

 

 離れた場所で待機していた小南とイナホは、静かに息をひそめて機を待つ。

 「どう?」

 「たぶんそろそろ…」

 小南の小さな呟きに答えたのは水蓮であった。

 その体がピクリと揺れ、しばし黙してから小さくうなずく。

 「きました」

 先ほど場を整えてから消えた影分身からの情報。

 それをしっかりと確認して水蓮は立ち上がった。

 「行きます」

 歩き出す水蓮に小南とイナホが続く。

 小南は前を歩く水蓮の背を見つめながら、その手際に無意識に一つうなずいていた。

 

 影分身を3体。2体を変化させて1体は状況を伝えるために使う。

 

 どちらかに薬が効かなかった場合も考えて、相手を分断させてから一人ずつ拘束。

 

 万が一の失敗に備えて本体は乗り込まずに離れて待機。

 

 そうして少しの騒ぎも起こさず、安全に侵入経路を確保。

 それは同時に退路をも確保したことになる。

 

 影分身を見張りに変化させておくことで、外から里の者が帰っても侵入がばれることはなく、もし合言葉などがあって敵と知られても先ほど同様対処する。

 相手がよほどの大人数でなければ問題ないだろう…。

 たとえ問題が起きても影分身を消せばその状況を本体が知ることができる。

 

 しっかりと組み立てられた策に、小南は少なからず驚いていた。

 

 医療忍者には珍しい…。

 

 戦場において医療忍者は後方支援であり、前線には決して出ない。

 医療忍者が死んでは意味がないからだ。

 それゆえ、こういった戦略はあまり習わない。

 それを習うより、医療の知識と技術を磨くことに時間を使うべきだからだ。

 

 「イタチに教わったの?」

 小南は水蓮の背に思わず問いかけていた。

 しかし、水蓮は小さく首を振って少し振り返る。

 「いえ。鬼鮫です。私の能力を生かすならこれがいいだろうって。と言っても、まさか本当に実践する日が来るとは思ってなかったですけど」

 イタチはもとより、鬼鮫も基本水蓮を前線に出そうとはしない。

 この手法にしても、たまたま話の流れで教わっただけで、鬼鮫自身も「あなたには必要ないでしょうがね」と笑っていたくらいだ。

 「教わっていてよかったです」

 「そう」

 小南は短く答えて、自分と水蓮の間を歩くイナホに目を向ける。

 

 

 ちらりと見えた少女の瞳には、水蓮への尊敬と、学び取ろうとする強い意志が浮かび、輝きを放っていた。

 

 

 ズキ…

 

 小南のこめかみに小さな痛みが走った。

 

 『先生!新しい術覚えたよ!』

 

 『おぉ!すごいのぉ。小南。お前は強くてきれいなえぇ女になるだろうのぉ』

 

 

 かつての師との一場面がよみがえる。

 

 先生…

 

 無意識の中その姿が浮かぶ。

 

 …自分の、自分たちのゆく道はどこにつながっているのだろう…

 

 先生…

 

 記憶の中の師は、ただ笑みを浮かべているだけで答えはしない。

 

 …今更だ…

 

 瞳が陰りを見せる。

 

 …もう、あの人の教えに答えはない…。

 

 「小南さん…」

 自身の思考の中に入り込んでいた小南は、水蓮の声にハッとする。

 「中に入ります」

 見張りに変化した影分身に中の様子を確認させ、水蓮は開かれた扉の先を見つめる。

 地下へと続く階段が日の光に照らされている。

 「階段の先には見張りはいないようです。降りてすぐにいくつか建物があるようなので、その陰に隠れて移動します」

 そうして、途中で遭遇した者を気絶させて変化し、イナホは『近くをうろついていた不審な者』ということで捕えてきたことにする。

 そしてイナホの母を探し出して救出撤退する。

 それが水蓮の案であった。

 「さっき使った薬の効き目は、長くておよそ10時間です」

 もともと眠りの浅いイタチのために調合した薬で、本来の効果は5時間から8時間。

 それを少し強めに調合したものではあるが、人によって効き方が違うためはっきりとは言えない…。

 「確実に効果が得られるのはおそらく8時間だと思います」

 水蓮は階段を下りながら小さな声で話す。

 小南のうなずきを背に感じながら、水蓮はイナホをちらりと見る。

 

 8時間…

 

 小南の話によれば、さほど里は大きくない。

 だが、8時間という時間は短く感じられた。

 上手く事が運べば、救出時の戦闘を入れても、小南の力があれば十分撤退できるかもしれない。

 しかし、問題はそのあとだ。

 無事に町へと逃げ帰っても、見張りの二人が目覚めれば追手がかかるだろう。

 それを考えると、イナホたちは身を隠すために、町を出て別の場所で暮らす必要がある。

 最低限の準備を整えて町を出て、安全な居住地を探す。

 

 その間にまた襲われたら…。

 

 家族4人をかばいながら追っ手を撃退するのは困難だ。

 小南にしても、どこまで手を貸してくれるのかわからない。

 

 イタチと鬼鮫がいれば…

 

 もっと良い策で、後の事にしても何か手を打てたかもしれない。

 

 

 水蓮は二人の存在の大きさを、改めて感じていた。

 

 とにかくやるしかない…

 

 水蓮はグッと拳を握りしめ、階段の最後の一段を下りる。

 身を寄せて、3人は息をひそめて一番近くの建物に隠れてあたりを探る。

 洞窟のような雰囲気を想像していたが、そこにはしっかりとした街並みが作られていた。

 薄暗さは拭えないが、それでもあちらこちらに街灯が立てられており、日の落ちる前の夕方程度の明るさが保たれている。

 忍以外住んでいないこともあって殺伐とした感じはするが、それでもところどころに植物が植えられており、日の光がなくとも順応する種類なのか、花もちらほら咲いている。

 見える限りの範囲内には忍具店や食事処もあった。

 店舗の規模は小さく、本当に必要最低限…といった感じだが、それでも想像していたよりは環境が整っていた。

 幸い人通りは少なく、タイミングよく細い路地の向こうから二人の忍びがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 小南とうなずき合い、機を伺う。

 しかし、突如水蓮の背後に何者かの気配が生まれ、ひゅっ…っと空気が音を鳴らした。

 「………っ!」

 とっさにクナイを引き抜き背後に体を返す。

 

 ガッ!

 

 相手のクナイを受け止めた音が響く。

 「せっ!」

 思わず声を上げそうになったイナホの口を小南が塞ぐ。

 襲い来た人物はその様子にちらりと目をやり、クナイを合わせたまま水蓮を睨み付けて低い声を発した。

 「こんなところで…」

 キッ…と睨み返す水蓮の視線を相手は受け流し、言葉を続ける。

 「何をしているんですか…水蓮」

 あきれを交えたその声と共にクナイを引き、はぁと息を吐き出す。

 同じように息を吐き出し、水蓮が言葉を返す。

 「そっちこそ、なんでここにいるのよ。鬼鮫」

 声をひそめ、クナイをなおしながら向けた水蓮の視線の先には、呆れた顔をした鬼鮫がいた。

 「なんでって。私は任務ですよ。それより、あなたはまた勝手な事を…」

 小南に口をふさがれたままのイナホを見て、また何かに巻き込まれているのだろうと察し、鬼鮫はじろりと水蓮を再び睨み付ける。

 「かすかに気配を感じて、まさかとは思いましたが。いったいなぜここにいるんですか…」

 水蓮は一気に気まずさを感じ、しどろもどろに視線を逸らした。

 「いや、あの、なんていうか……なりゆき?…かな」

 無理やり視線を合わせに来る鬼鮫から必死に顔をそむけながら「はは」とひきつった笑いを浮かべる。

 鬼鮫はもう一度大きく息を吐き出し、今度は小南に目を向けた。

 無言のままの鬼鮫の視線に、小南は無表情のまま「なりゆきよ」と短く答えた。

 「あなたまで…」

 呆れてひきつる鬼鮫。

 「それより、鬼鮫」

 水蓮が鬼鮫に詰め寄る。

 「いきなり何するのよ」

 鬼鮫の手に握られたままのクナイを指さし不機嫌に頬を膨らませる。

 「背中があまりにもがら空きでしたので」

 「それは鬼鮫の気配だってわかったから…」

 「どうだか…」

 「本当だって」

 思わず少し大きくなった水蓮のその声に、大通りから「おい」「誰かいるのか?」と声が投げかけられた。

 先ほどこちらに向かってきていた忍…。

 

 まずい…

 

 身を固くした水蓮を見て、鬼鮫は水蓮の腕を取り小南に「ついてきてください」と声をひそめた。

 小南はイナホを抱き抱え小さくうなずく。

 それを確認し、鬼鮫は水蓮を引き寄せ、さっ…とその場から姿を消した。

 

 

 鬼鮫の気配を追おうと小南も立ち上がる。

 何気なく落とした視線の先、腕の中でイナホの表情が不安に揺れていた。

 「心配ないわ」

 その声は無感情な響き…。

 それでもイナホは少し表情を和らげてうなずいた。

 小南は腕に力を入れなおし、音もなくその場から姿を消した。



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第六十章 【思惑】

 里の一番奥にある小さな建物。

 任務の間イタチと鬼鮫に与えられたその場所は、周りに建物や木々もなく、背面は地下の空間の端に面して建てられたいた。

 「なんか、ぽつんとした感じだね」

 その言葉があまりにもぴったりとあてはまるその様子に、水蓮は妙な違和感を感じた。

 どこからでも二人の行動が見えるその状況。

 

 まるで…

 

 「見張られてるみたい」

 小さなそのつぶやきに、鬼鮫がフッと笑みをこぼす。

 「あなたは相変わらず感がいい」

 「え?」

 「まぁ、色々あるんですよ。今回は」

 今回の任務は、ここ最近によくある「小さな戦への加担」だったはず。と水蓮は任務前に聞いた鬼鮫の言葉を思い返す。

 

 そこになにか裏があるのだろうか…。

 

 「それで、結界と幻術?」

 水蓮はくるりと視線をめぐらせる。

 空気の中にかすかなチャクラの揺れが感じられる。

 それがイタチのチャクラである事を感じ取り、水蓮は一気に安心感をいだき、体の力を抜いた。

 「そうです。見張られていては気が休まりませんからね。今、外から我々の姿は見えていません。

 同じ光景が見えるようにされています」

 「大丈夫なの?これ、結構広範囲」

 術の気配からして、決して小さくない結界。

 イタチの体への負担が気にかかる。

 「まぁ、少し疲れてはいますがね。心配いりませんよ。それより」

 鬼鮫はちらりと水蓮に視線を落としながらドアに手をかけた。

 「なに?」

 「あなたは自分の心配をしたほうがいいんじゃないですか?」

 「…え?」

 一瞬の疑問。しかしそれは、ドアの向こうに揺れた覚え深い気配によってすぐにかき消された。

 つぅっ…と、一粒汗が流れる。

 「お、怒られる?」

 「さぁ?どうでしょうね」

 鬼鮫は面白そうに肩を少し竦め、小南に振り返る。

 「面白い物が見れるかもしれませんよ」

 怪訝そうに表情をゆがませる小南を背後に感じながら、水蓮は開かれたドアの先を気まずく見つめた。

 目の前で黒い美しい髪が揺れる。

 その黒の向こうで輝く赤い瞳が動揺に色づき、見開かれた。

 そしてそのまま固まる。

 思わず鬼鮫の背に隠れようとした水蓮を、しかし鬼鮫が驚き固まるイタチの前に押し進めた。

 「あ…と。イタチ、元気?」

 ひきつった水蓮の笑みに、イタチが声を絞り出す。

 「お……ど……こ…」

 戸惑いと驚きで口を開いたまま再び固まる。

 あまりの気まずさに目をそらした水蓮の背後から鬼鮫の声が飛び来る。

 「お前どうしてここにいるんだ。ですかね」

 クク…と喉を鳴らす鬼鮫の後ろでは、小南が感情をあらわに戸惑うイタチを見て驚いていた。

 「そんな顔できるのね」

 思わずこぼれたその声にイタチはハッとしたように気を取り直し、小南に目を向ける。

 「なぜここにいる」

 言葉半ばに水蓮にも視線を流す。

 一瞬の沈黙ののち、水蓮と小南の声が重なった。

 『なりゆき』

 「…です」

 気まずそうに付け足された水蓮のその一言に、イタチは大きく息を吐き出した。

 

 

 

 「それで、何がどうなってここにいるんだ」

 部屋へ入り、鬼鮫がドアを閉めるのと同時にイタチが言葉にため息を交えた。

 その視線の先にはイナホの姿をとらえている。

 「あの町の子供か」

 見覚えある顔。

 じっと見つめられて、イナホは身を小さくして水蓮の後ろに隠れた。

 「実は…」

 「その前に」

 小南が水蓮の言葉を遮る。

 「そちらの状況を聞かせてちょうだい。今どうなっているの?」

 その視線を受け止めたイタチが鬼鮫に目をやる。

 鬼鮫は一つうなずき、巻物をイタチに差し出した。

 「見つけました」

 中身を確認してイタチは小さく息をつき、小南に差し出す。

 「どうやら組織が危惧していた通りのようだ」

 受け取り内容に目を通す小南の隣で、水蓮が少し視線を外す。

 

 任務内容を聞かされていない自分は見ない方がいいだろう…

 

 そう考えての事だった。

 しかし、小南は読み終えたその巻物を水蓮に差し出した。

 「え?いいんですか?」

 「かまわないわ」

 警戒心の強い小南のその行動に、水蓮だけではなく、イタチと鬼鮫も少し驚いた様子で顔を見合せる。

 二人のその空気を感じながら水蓮は巻物を手に取り、その内容に目を見開いた。 

 

 そこにはイタチと鬼鮫の能力について書かれていた。

 

 

 よく使う術。

 術を発動させるまでの時間。

 それが個々の動きと連携での動きによって変わる事や、攻撃を避ける際にどの方向に動く回数が多いか…というようなことまで書かれている。

 そして、最期には二人の能力に対抗するには何が有効であるかが、幾通りかに分けて記されていた。

 その中の一つに、2重に下線のひかれた言葉があった。

 

 『鏡写しの能力を持つ者』

 

 「これ…」

 戸惑う水蓮の声に鬼鮫が続く。

 「まだありますよ」

 その手には2つの巻物。

 「まさか…」

 「そのまさかですよ。こっちはサソリとデイダラ。これは角都と飛段のものです」

 同じ内容が書かれているのであろうその巻物を確認して、小南が表情を険しくする。

 「間違いなさそうね」

 「ええ」

 「ああ。そうだな」

 顔を見合わせる3人を見つめる水蓮の視線に、イタチがうなづきを返す。

 「組織をつぶす気だ」

 水蓮は一瞬息を飲み、「どうして」と小さく声を漏らした。

 「この里は、いわゆる傭兵組織よ」

 声を上げた小南に水蓮が目を向ける。

 「そう小さくはない国の後ろ盾を受けている。その国からの要請で戦への加担を引き受け、報酬を得、そうして里を維持している」

 「まぁいわゆる、同業者というやつですよ」

 言葉を継いで鬼鮫がこぼしためんどくさそうなため息に小南が声を重ねる。

 「ここ数か月、立て続けにうちに協力を要請してきた。「人員不足」のためという名目で。しかし実際に出向いた先はさして大きな戦でもない。にもかかわらず、うちのメンバーを前線に立たせる。まるで力を試すように。今回で3回目の依頼よ。その都度メンバーを変えるよう要求してきた」

 「全員のデータを取るために」

 小南のうなづきを目に捉えつつ、水蓮は思考をめぐらせる。

 ここ最近、イタチと鬼鮫の任務は増えている。

 それは組織への依頼が増えているということだ。

 その分、同じ事をしているこの里のような傭兵組織への依頼は減る。

 

 如何に屈強な人員がいる組織であっても、暁の顔ぶれと比べられては太刀打ちはできないだろう。

 そこに恨みを抱き、組織をつぶそうと対抗策を探るために暁のメンバーを雇って調べていた。

 イタチと鬼鮫は、その証拠をつかむために潜入捜査として来ていたのだ。

 

 二人の任務内容を悟り、小南の持つ巻物にちらりと視線を向ける。

 

 『鏡写しの能力』

 

 イタチへの対抗手段として記されていたそれはイナホの母の能力。

 

 一体どんな能力なのだろう…

 

 「鏡写しの術は、相手の術をそのまま跳ね返すものだと聞いたことがある。オレも詳しくは知らないがな」

 水蓮の疑問に気づいたのかイタチが説明を入れる。

 「物理攻撃や目に見える術だけではなく、不可視の術に対しても大きな力を発揮する」

 「不可視の術?」

 水蓮が顔をしかめる。

 「風、振動、音、匂い。そして」

 水蓮がハッと息を飲み、小さな声でつぶやくように言葉を継いだ。

 「幻術…」

 「そうだ。しかも術者を中心として、広範囲にその力が張り巡らされる。周りの人間をも守れるというわけだ」

 「なるほど」

 鬼鮫がため息交じりにつぶやいた。

 「イタチさんと戦う隊に編成して、隊を幻術から守るために」

 イタチがうなづきを返す。

 「だがそのしくみや、術の属性については詳しい文献は残されていない。それはその術を受けて生き残った者がいないからだとも言われている」

 

 それほどまでに強力な術…

 その力を持つイナホの母親が、イタチへの対抗手段…

 

 水蓮はイナホに視線を動かし、話についてこれず戸惑うその顔にハッとする。

 

 今までの話を聞かせてよかったのだろうか…。

 

 「問題ない」

 水蓮の不安にイタチが答える。

 後に幻術で記憶を操作するつもりなのか、イタチは鬼鮫と小南にも目配せをした。

 「それで、お前は何があったんだ」

 その声はすでに穏やかな物へと変わっており、そこに咎めはなく、いつもの包み込むような口調。

 水蓮は安堵してイタチに今までの経緯を話した。

 

 

 「なるほどな…」

 事情を聞き終え、イタチは鬼鮫と顔を見合わせてうなづいた。

 「少し前に、一人女性が連れてこられました。おそらくその子の母親でしょう」

 鬼鮫に視線を向けられ、イナホは唇を噛みしめてうつむいた。

 「この里に来てから、他にも何人か連れてこられています。おそらく他のメンバーへの対抗手段としてさらわれてきた血継限界の者かと。

 そして、先ほどの女性が連れてこられた時、この里の者が言っていました。『これで揃った』とね」

 「それって…」

 少しかすれた水蓮の声に小南が答える。

 「仕掛けてくるわね」

 「どうしますか?」

 イナホを見たまま鬼鮫が小南の指示を仰ぐ。

 「組織に害をなすものを見逃すわけにはいかない。制裁を加える」

 

 『制裁』

 

 穏やかならぬその一言にイナホの体が強張った。

 この里が戦場になることを感じている。

 そして、自分の母親がどうなるのかが不安なのだ。

 懇願するようなイナホの視線を受け、小南はしばし黙り込んだ。

 

 組織にとってはこの里への『制裁』が最優先。

 その妨げになるようなことはできない。

 イナホの母親を助けるという『手間』は、そう判断されるかもしれない。

 水蓮はグッと手を固く握りしめて小南の言葉を待った。

 「うちのメンバーに対抗できるような血継限界の持ち主なら…」

 視線をどこへともなく流し、小南は静かな声で言った。

 「恨みを買うよりは恩を売っておいた方が得策ね」

 

 それは問うまでもなく、救出を意味していた。



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第六十一章【力をつなげる】

 「今、里の忍は大半が出払っている」

 「何でも急な仕事が入ったとか…。まぁ、実際は別の場所で作戦会議といったところでしょう」

 連れ去られてきた人たちが幽閉されているという建物までの道すがら、イタチと鬼鮫の話を聞き水蓮はあたりを軽く見まわした。

 建物の陰に隠れて移動してはいるが、先ほど同様人通りはほとんどない。

 

 これなら、案外すんなりとイナホの母親を救出できるかもしれない…

 

 しかし、やはりそう思い通りにはいかなかった。

 暁への対抗手段である血継限界。厳重に警備が固められていた。

 入口には見張りが4人。

 鬼鮫の調べによれば、扉を開けてすぐのところにも4人いるらしく、容易に中に入れそうにない。

 「先生…」

 状況に不安を感じてイナホが水蓮の手を握る。

 水蓮はその手をしっかりと握り返して微笑んだ。

 「大丈夫よ」

 とはいえ、とにかく騒ぎを起こしたくはない。

 捕えられた血継限界の持ち主は、鬼鮫とイタチが把握しているだけでも8人はいるとのこと。

 それより多いかもしれない人数を里から連れ出さねばならない。

 たとえ個々の力が強くとも、その能力もはっきりとわからず、連携が取れるような状況でもない。

 退却の事を考えると、騒ぎにせず、速やかに救出して里から出る必要があるのだ。

 戦闘になれば、イナホを危険にさらす。

 それは何があっても避けたかった。

 幸いにも、すでに出口では水蓮の影分身が退路を確保している。

 

 問題はどうやって中に入るか…。

 

 コクリと小さく水蓮の喉が鳴った。

 「どうするの?」

 小南の問いかけを受け、鬼鮫が水蓮に目を向ける。

 「時間は?」

 「あと7時間くらい」

 「急ぎ目にやりますか」

 鬼鮫の言葉を合図に水蓮がカバンから香炉を取り出す。

 「意識は落とすな」

 静かなイタチの声を聞きつつ、手早く熱を起こして粉末の薬を焚き、煙をたたせる。

 すぐさま印を組んで風を生み、煙を見張りの忍へと向かわせる。

 煙は空気に溶け色を消したが、決して少なくはない異臭が漂い、見張りの4人が異変に気付く。

 「おい」

 「なんか匂いが…」

 あとの二人は言葉を発する間もなかった。

 4人は瞳をうつろに色変え、その場にゆっくりと座り込んだ。

 それを確認し、水蓮は風を強く吹かせて空気中に残る効力を吹き飛ばす。

 「何の薬品?」

 作業を終えて一つ息をつく水蓮を見つめ、小南が目を細めた。

 「麻酔の一種です。調合の加減によって意識の保ち方を調整できるんです。本来は意識をしっかり保ちつつ、痛覚だけをマヒさせるための物です。緊急事態に自分で治療できるように」

 「なるほど」

 「まったく恐ろしいですよ。この人の作る物は」

 冗談交じりに鬼鮫が肩をすくめる。

 「機嫌を損ねたら何を飲まされるかわからない」

 「今度試しにご飯に入れようか?」

 そんなことをするつもりは毛頭ないが、たとえそうしても、鬼鮫や暁にいるメンバーには到底通用しないだろう。

 口にする前に異変に気付くか、デイダラに関して言えば、何の問題も起こらず完食しそうだ。

 「私を怒らせると怖いんだから。ね?イナホ」

 水蓮はイナホに一瞬目配せをし、鬼鮫に香炉を近づけた。

 すでに蓋をし、効力をしっかりとさえぎってはいるが、鬼鮫はわざと体をそらして「遠慮しておきます」と顔をひきつらせた。

 そのやり取りにイナホが「フフ」と小さく笑みをこぼした。

 「確か水蓮に教えを受けていたな」

 イタチの言葉にイナホはコクンと首を振る。

 「こういう恐ろしいところは見習うな」

 一瞬きょとんとしたイナホは、思わずプッ…と吹き出した。

 「ちょっと。イタチまで…」

 ジトリと鬼鮫とイタチをにらむ。

 そんな3人のやりとりにイナホはずいぶんと緊張がほぐれたようだった。

 その様子に水蓮たちはうなづき合う。

 

 強張った状態のイナホを連れて動くにはリスクが大きい。

 3人はそう考えて時間を取ったのだ。

 それを察した小南は意外な心境でイタチと鬼鮫を見つめていた。

 

 いざとなれば捨て置けばいい…

 

 ちらりとイナホを見る。

 

 血継限界の者たちにしてもそうだ。

 確かに恩を売っておくのは組織に損はない。救出までの動きを見ることで水蓮の力も見定められる。

 だが、それは重要事項ではない。

 

 この里は殲滅する。

 

 暁に楯突けば滅びる。

 

 他への見せしめのためにも必要な「裁き」。

 

 それこそが最大の目的。

 その妨げになるようならイナホも、その母も他の者も捨てればいい。

 そう考えれば、あえてイナホの心情などほぐす必要はない。

 それでも、イタチと鬼鮫は水蓮のその意向をくみ取ったのだ。

 イナホのためではない。水蓮のために。

 

 なぜ…

 

 

 「行くぞ」

 イタチの声に小南の意識が思考の中から引き戻された。

 

 

 

 うつろになった見張りにイタチが幻術をかけ、意のままに操り何もなかったかのように見張りに立たせる。

 「行くぞ」

 両開きの扉。

 右にイタチ。左側に水蓮が手をかけた。

 そして鬼鮫が扉の正面に立つ。

 

 扉の向こうにいる見張りには、屋内に薬品が残ってしまうため先ほどの手は使えない。

 

 ここは鬼鮫が先頭。

 

 全員が無言でうなづく。

 鬼鮫の印の組み終わりを合図に、イタチと水蓮が勢いよく扉を開いた。

 「なんだ!」

 「お前…」

 驚き慌てるその声に、鬼鮫の声が重なる。

 「水牢の術!」

 

 ざぁっ!

 

 さだめきが鳴り響き、集まり球体となった水が見張りの忍たちを飲み込んだ。

 すかさずイタチが幻術をかけてゆく。

 水蓮はその背に手を当て、チャクラを流し込んで同時に回復を施す。

 先ほどの建物にかけていた幻術と結界はすでに解いたとはいえ、かなりのチャクラを使っている。

 それに加えて一気に8人への幻術。

 力を加減していたとしても、イタチの体への負担が多きすぎる。

 それでもほとんど表情には出さないイタチの背は、大きく、頼りがいを感じる。

 しかしそれと同時に、すべてを背負っていることを改めて感じさせられ、水蓮は胸の奥が痛んだ。

 こうした回復は初めてだが、一度の幻術でのチャクラ消費は思っていたより大きい。

 自身の手から流れてゆくチャクラの量と勢いに、水蓮はゴクリと喉を鳴らした。

 

 こんなにも消費していたなんて…

 

 想像をはるかに超えるチャクラ消費量。

 こちらから送り込まずとも、まるで吸い取られていくかのようにチャクラが流れ出てゆく。

 「水蓮。もういい」

 「でも…」

 水蓮の手から逃れるようにイタチは体を返して笑った。

 「あまり消費すると、お前の影分身が消える。退路が断たれる」

 確かに、その心配はある。

 水蓮自身もすでにかなりのチャクラを消費している。

 「行くぞ」

 水蓮は何も言えず、ただ小さくうなづいた。

 

 少し足を速めて奥へと進む。

 途中見張りはおらず、いくつ目かのドアの前で鬼鮫が立ちどまった。

 鬼鮫の目配せにうなづき、イタチが瞳を凝らしてチャクラを読みさぐる。

 「ここに間違いなさそうだ。見張りは2人いるな」

 「イタチ。気絶させてどこかに…」

 これ以上の負担は…との言葉に、しかしイタチは首を横に振った。

 「退却している途中に誰かがそれに気づいたら策を練った意味がない」

 「だけど…」

 「心配するな。大丈夫だ」

 ポン…と頭にやさしく手を乗せられ、水蓮は口をつぐんだ。

 ここでこうして話をしている時間すら惜しいのだ。

 「鬼鮫」

 「はいはい」

 先ほどと同じ手順で鬼鮫が水牢の術を発動し、イタチが見張りを幻術に陥れる。

 それは1分足らずの出来事だった。

 事が済んだことを察して水蓮達が中に踏み入る。

 薄暗い部屋の奥に牢があり、何人もの人が同じ場所に閉じ込められていた。

 老若男女。その言葉通りに、様々な年齢の人。

 「お母さん!」

 身を寄せ合うその人影の中に母親の姿を見つけて、イナホが牢に駆け寄った。

 一番手前に座り込んでいた青い髪の女性がイナホの姿を捉えて、少し目じりの下がった優しい印象の目を見開く。

 「イナホ!」

 「お母さん!」

 駆け寄る勢いをそのままに、イナホは牢の中の母親に向かって手を伸ばした。

 しかし、そんなイナホの体をイタチが寸前で抱き上げた。

 「まて。触るな」

 「…え?」

 抱えられた姿勢のままイナホはイタチを見上げ、すぐに母親に視線を戻しハッとする。

 鉄格子が薄く光を帯びていたのだ。

 水蓮と小南も歩み寄りじっと観察する。

 「結界…」

 「そのようね」

 「ずいぶん厳重に張られているようですね」

 「ああ」

 鬼鮫とイタチも術を確認し、一同が横並びに牢の前に立った。

 中に閉じ込められている人たちが状況を把握できずに体を硬くする。

 「あの、あなたたちは…?」

 イナホの母親が不安と期待を入り交えた表情で問う。

 それに小南が静かな声で答えた。

 「私たちは…暁よ」

 小南の衣の上で赤い雲が揺れた。

 「暁…」

 イナホの母に続いて中の数人も同じようにぽつりとその名をつぶやく。

 どうやらその存在を知る者はいないようであったが、それぞれに暁の名を刻み込んだ様子に小南はうなづいた。

 「ここから助ける」

 低く、感情の見えないその言葉。

 それでも牢の中には安堵と歓喜の息が広がった。

 「全部で12人か」

 中の人数を確認してイタチが顔をしかめる。

 「よくまぁこれだけの血継限界を集めたものですね…」

 「どこかに大きな情報網を持っているようね」

 鬼鮫と小南の厳しい目つきが、この里の危険性をあらわしている。

 瞳に浮かべたその厳しさを消さぬまま、小南がすっと手を牢に近づけ、チャクラを流して結界を確かめる。

 その隣で水蓮も浮かんだ術式をじっと見定める。

 「わかる?」

 手元を見つめたままの小南の問いに、水蓮は術式の細部までをしっかりと確かめてからうなづいた。

 「はい」

 水蓮はさっと印を組み、タン…と鉄格子に手をつく。

 「解!」

 

 ぶわぁっ…と風と光が広がり、術が解除されてゆく。

 

 そのおさまりと同時に水蓮は息を一つ吐き出す。

 「もう大丈夫よ」

 イナホに笑顔を向けると、イナホははじかれたように母親に手を伸ばした。

 「お母さん…」

 「イナホ…。こんなところまで…あなたって子は…」

 格子をはさんでギュッと抱き合う。

 その光景に思わず少し顔がほころぶ。

 が、まだまだ油断はできない。ここからが本番なのだ。

 「水蓮。あと何体影分身を出せる」

 イタチの声に水蓮は自身のチャクラを確認する。

 「あと2体なら何とか…」

 「私は5体ですね」

 続いた鬼鮫にイタチが目を細める。

 「お前、もう少し出せるだろう」

 「私は昨日一人で戦闘に参加してるんですよ。わざとデータを取らせるためにかなり派手にやったんで、チャクラの戻りが遅いんですよ」

 肩をすくめる鬼鮫をイタチはジトリとにらみつけた。

 しばしの沈黙ののち、鬼鮫が大きく息を吐き「わかりましたよ。6体出しますよ」と不満げに印を組み影分身を作った。

 その様子にイタチがフッと小さく笑い、影分身を4体生み出す。

 「水蓮」

 意図をくみ取り水蓮が印を組む。

 しかしその手を小南がとめた。

 「私がやるわ」

 「え?」

 「あなたはイタチの回復のためにチャクラを温存しておきなさい。

 敵に遭遇したとき、イタチの幻術が最も有効な手段になる」

 小南は水蓮の返事を聞く間もなく影分身を2体作り出した。

 そしてそれぞれ牢の中にいる人物に変化させ、全てを入れ替える。

 「ありがとうございます」

 イナホの母が水蓮に深く頭を下げた。

 「いえ。無事でよかったです」

 安堵の息を吐き、ふと、イナホの手とつながれた母親の手の甲が目に入る。

 そこには黒い炎のような模様が浮かんでいた。

 「あの…それ」

 水蓮の言葉にイナホの母が手を差し出して模様を見せる。

 「この里の忍につけられたものです。術を使えなくされて…」

 見れば全員同じ模様が手の甲に浮かんでいた。

 

 …なるほど…

 

 これだけの血継限界の持ち主が集まっていて、ここから逃げ出せなかったのはそのため…

 

 水蓮は差し出された手を取り、術を確かめる。

 「解けるか?」

 イタチが水蓮の手元を覗き込む。

 水蓮は厳しい表情で答える。

 「ゆっくり調べない事には何とも…」

 かなり複雑な仕組みを見せるその術は、水蓮の知りえないものであった。

 だが、たとえ知っていたとしても今はどうしようもなかった。

 イタチの回復の事を除いても、チャクラに余裕がないのだ。

 「とりあえずは撤退ですね」

 鬼鮫の言葉にそれぞれうなづき、牢の扉を閉めてイタチが中の一体に「騒ぎが始まったら術を解け」と伝え残した。

 最後に水蓮が再び結界を張り直し、全ての段取りを終える。

 

 あとはここから出るだけ。

 

 しかし、結界のかかりを確認して振り返った水蓮の喉が小さくなった。

 捕われていたのが12人。こちらの人員がイナホを入れて5人。

 17人という人数は、あまりにもその存在が大きすぎる。

 如何に人手が少ないとはいえ忍里。

 うまく出られるのだろうか…。

 「水蓮」

 「行きますよ」

 水蓮の不安を打ち消すようにイタチと鬼鮫が強い声を響かせた。

 顔を上げた先には何の不安も感じさせない心強い二人の笑み。

 そしてまっすぐに自分を見つめる小南の瞳。

 「問題ないわ」

 変わらぬ感情の見えないその声。

 だがそこには自分たちの力への自信。そして、水蓮の能力に対しての確かな評価が感じられた。

 

 水蓮は鬼鮫と小南を順に見つめ、イタチへと視線を向ける。

 

 イタチは柔らかい笑みを浮かべうなづいた。

 

 

 …きっと大丈夫。

 

 

 水蓮は力強いうなづきを返した。




アニナルの【last battle】効果偉大…。
順調に更新です(笑)
このイベントも大筋は書きあがってきました(*^^)v
久しぶりにがっつり入り込んで書けたせいか、うとうととするたびに夢にイタチが出てくる
(#^.^#)
幸せ…。
この勢いで、今日は徹夜だ!
明日は仕事やすみだし\(^o^)/
頑張るぞ~(^○^)

いつも読んでいただき本当にありがとうございます!


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第六十二章【蠢く炎】

 外の気配を探りながらイタチが扉を開け、一同がそれに続く。

 しかし、ほんの数歩進んで先頭のイタチが足を止めた。

 すぐ後ろにいた水蓮。最後尾の鬼鮫と小南も立ち止まり目を細める。

 先ほど通ってきた通路の向こうに、いくつもの気配を感じる。

 見張りの人数よりはるかに多い。

 

 出払っていた人員が戻ってきたのだ。

 騒ぎにはなっていないその様子から、入口においてきた水蓮の影分身はうまくやり過ごしたようだが、里の忍たちはどうやらこちらに向かって入ってきているようであった。

 

 水蓮の体に少し力が入る。

 間に挟まれて移動していた一行もその様子から緊張を高めた。

 

 イタチが無言のままに鬼鮫に目を向ける。

 それを受けて鬼鮫がうなづき、静かに踵を返して逆方向へと歩きだした。

 この大人数を挟んでいてもしっかりと見える大きなその背は、迷いなく歩みを進めていく。

 「すでに調べつくしている」

 耳元で本当に小さな声が揺れた。

 安心させようとするその響き。水蓮は笑みを返した。

 

 

 しばらく進み、鬼鮫は行き止まりとなっている壁の前で立ち止まり静かに印を組み壁に手を付けた。

 数秒後にそこに、小さな扉が現れる。

 大きな鬼鮫の体ではかなり腰を曲げないと通れないサイズ…。

 開かれたその扉の向こうにはさらに地下へと続く階段が見て取れた。

 鬼鮫と小南を先頭に中へと歩みを進める。

 扉は閉まると再び結界が張られる仕組みなのか、閉じると同時にただの壁へと戻った。

 

 中はところどころに小さなランプがついており、歩くには十分な明るさがある。

 階段を降り切ると、そこに広がる空間は初めに水蓮が想像していたような、いわゆる洞窟。

 天井はそう低くはないが、道幅は決して広くなく、この大人数ではかなり窮屈に感じ、まるで閉じ込められたような息苦しい感覚になる。

 そして何より…

 「暑い…」

 一気に噴き出した額の汗を、水蓮がぬぐう。

 先ほどまでと気温が全く違い、まるでサウナのような熱がこもっていた。

 空気中に漂う熱気の出所を探して水蓮があたりを見回す。

 しかし何も見つけられない水蓮に鬼鮫の声が飛び来る。

 「進めばわかりますよ」

 言葉半ばに歩き出す鬼鮫に一同が続く。

 いくつかに分岐のある通路。

 他里からの襲撃の際の逃走経路だろうとイタチが水蓮に話した。

 「何カ所かに作られた出口にながっているんですよ」

 イタチの声が聞こえたのか、鬼鮫が補足する。

 「この通路は、里の正面入り口付近につながっています」

 水蓮は里に入ってすぐに鬼鮫に出会ったことを思いだした。

 あの時、この場所を調べ終えて、こうしてこの通路を通ってきたのだろう。

 

 

 ほどなくして水蓮たちは熱気の答えを目の当たりにした。

 やや開けた場所。

 さらに低い位置に大きな穴が開いていた。

 その穴の底では、あちらこちらから小さな焚火ほどの炎が噴き出している。

 一つ一つはさほど大きくはないが、その数の多さがこの空間の温度を以上に高めている要因であった。

 

 薄暗い穴の底で蠢く炎。

 ここが閉塞された地下空間であるということが、その光景の不気味さをさらに際立たせている。

 「なにこれ…」

 見たことのない奇妙なその光景に、水蓮は言い表せぬ恐怖に襲われる。

 「石炭火(せきたんび)だ」

 聞いたことのない言葉に首をかしげる。

 「森林火災が起こった際に、露出していた石炭層に着火することがある。その着火した石炭層はその後地下で徐々に燃焼してゆく。それを石炭火とよぶ」

 進みを止めぬまま話しながら、イタチは額の汗を軽く拭った。

 「石炭層に火が入ると、地面の下の石炭層の燃焼はたとえ酸欠状態であっても徐々に進む。そして、空気の乾燥によってできた地面のひび割れから酸素を取り込み、一気に火力を増して火を噴く」

 「それが、これ…」

 再び視線を吹き出す火に向ける。

 よく見れば、時間差でいたるところから噴き出している。

 それは、一気に吹き出せば隙間なくそこを埋め尽くしそうな量であった。

 空間の息苦しさも、閉塞感からではなくこの炎が原因なのだろうと水蓮は少し大きく呼吸をした。

 酸素が薄いのだ。

 

 生命に必要不可欠な物の欠乏は、必要以上に恐怖を呼ぶ。

 

 ゴクリと水蓮の喉が鳴った。

 高さもかなりあり、落ちれば助からないであろう穴の底を見ながら、狭い通路を歩く足に力を入れる。

 「…あそこが出口です」

 やや歩いて鬼鮫が指をさした先にはただ壁があるのみ。

 しかし、そこについてすぐに鬼鮫が印を組むと壁に先ほどと同じ大きさの小さな扉が現れた。

 小南がその扉を開き、捕われていた人々に先に出るよう促す。

 「里を出てすぐのところに、仲間が待機している。指示に従って場を離れなさい」

 「いつの間に…」

 手回しの良さに言葉を漏らした水蓮に、イタチが「デイダラとサソリだろう」と、小さくつぶやいた。

 デイダラの粘土製の鳥で脱出させるつもりなのだろう…。

 水蓮はうなずき、一人また一人と、それぞれ礼を述べて扉をくぐって行く背を見つめた。

 順に出てゆき、あとはイナホとその母を残すのみ。

 安堵の表情で顔を見合わせる母と娘の姿を見て、水蓮もほっと胸をなでおろした。

 先ほど鬼鮫に会ったあたりが出口なら、おそらくもう心配はないだろう。

 それに外にはデイダラとサソリがいる。場は整っているはずだ。

 「見つからなくてよかった」

 大きく吐き出された息に、扉の向こうを様子見していた鬼鮫が振り向く。

 「ここはまぁ、この環境ですからね。普段はほとんどだれも来ないようです。ただ…」

 微妙な笑みを浮かべ、言葉を続ける。

 「不定期に見回りは行われているようですがね」

 「不定期にって」

 水蓮は顔をひきつらせた。

 「なんか、嫌な予感しかしないんだけど…」

 その声が先か後か…。

 水蓮たちをすさまじい突風が襲った。

 「…………っ!」

 何の前触れもなく吹き襲った風に、一同は一気に吹き飛ばされた。

 風で扉が音を立てて閉まりただの岩壁へと戻る。

 飛ばされた体は幸いにも穴とは逆の方向に飛ばされたが、水蓮は激しく壁に叩きつけられた。

 「つぅっ!」

 背中を打ち付け、小さくうめきを上げる。

 あまりにも突然の出来事に、イタチと鬼鮫ですらその体をはじかれていた。

 「くっ…」

 「なんですか、いったい」

 それでも二人は壁にぶつかるようなことはなく、鬼鮫は風の力を利用して回転し、手で地をこすりながら。イタチは風に対して体を縦に返し、外套を絞り込んで抵抗を軽減して。それぞれ態勢を立て直して静かに着地した。

 「水蓮!」

 すぐさまイタチが水蓮に駆け寄る。

 二人のその前に鬼鮫が背を向けて立ち、鮫肌を構えて臨戦態勢に入る。

 「大丈夫か」

 座り込む水蓮の肩にイタチが手を置く。

 「だ…大丈夫」

 そう答えたものの、突風の衝撃と壁にぶつかったダメージでめまいがし、水蓮は立ち上がれず顔をしかめた。

 しかし、うっすら開いた瞳にイナホの母がうずくまっているのが見えてハッとする。

 「イタチ、イナホは…」

 視線を走らせたイタチに小南がうなづく。

 「心配ないわ」

 衝撃を受けながらもその身を守っていた小南がさっと外套を開く。

 イナホはその中でしっかりと守られ、無傷であった。

 突然の事にきょとんとしていたが、倒れこむ母の姿を目に留め、慌てて駆け寄る。

 「お母さん!」

 「大丈夫。…大丈夫よ」

 母親はゆっくりと立ち上がった。

 多少のダメージを受けてはいるが、大きなけがはないその様子に水蓮はほっとする。

 「よかった…」

 「立てるか」

 「うん」

 しかし、差し出された手につかまろうとして水蓮はハッと息を飲んだ。

 伸ばした自分の手の甲に黒い炎のような模様が浮かんでいたのだ。

 「これ…」

 イナホの母親達につけられていたものと同じもの。

 イタチはすでに気づいていたようで、うなづき自身の手の甲を水蓮に向けた。

 そこには同じ模様。

 「まさか…」

 水蓮が視線を送った先では、鬼鮫が振り向かぬまま左手の甲をこちらに向けた。

 「お前もか…」

 しっかりと浮かんだ模様にイタチがため息を吐く。

 「私もよ」

 見れば小南も同じであった。

 この中でその模様がついていないのは、小南に守られていたイナホだけであった。

 「油断したな…」

 イタチが目を細める。

 

 違う…。

 

 イタチの額に浮かぶ汗を見て水蓮はその言葉を否定していた。

 この空間の暑さによる汗だけではない。

 イタチはチャクラを使い過ぎている。

 油断ではなく、疲労から反応が遅れたのだ。

 それに加えてここは酸素が薄い。

 軽度の酸欠状態で体の動きと思考が鈍っている。

 それゆえ唯一チャクラ消費がまだ少ない小南ですら、そばにいたイナホを守れたものの自身は避けられなかったのだ。

 「一体どんな…」

 対象者に触れることなく、複数人の術を封じる。

 母から多くの封印術の知識を受け継いだ水蓮にもその術は分からなかった。

 「風遁に封印術を掛け合わせたのか。いや、違うな」

 イタチが術の分析に思考をめぐらせながらゆっくりと水蓮を引き起こす。

 「吹き荒れた風の中に奇妙なチャクラが流れていた」

 厳しい色を浮かべるその瞳。

 水蓮はハッと気づく。

 「イタチ、目」

 小さくうなづいたイタチの目は写輪眼のままであった。

 その写輪眼でも読み切れなかった術。

 「まさか」

 思い当たった水蓮の考えにイタチがうなづく。

 「おそらくこれも血継限界だ」

 「だけど、術を封印する物じゃない」

 もしそうならイタチの写輪眼は消えるはずだ。

 「ああ。どうやらチャクラコントロールを乱す術のようだ。オレは普段からこの目だからな。多少のチャクラの乱れがあっても維持はできる」

 しかしイタチは静かに瞳を黒く戻した。

 それは、維持はできても何かしらのリスクを負うという事。

 水蓮は試しにチャクラを練ろうと印を組む。

 だがその手を小南が制した。

 「やめておきなさい。チャクラを練ろうとすると普段の何倍ものスタミナを削られる。それに…」

 すでに試したのだろう。

 小南はスッと手を水蓮に見せた。

 浮かんだ模様の周りが火傷のように赤く腫れていた。

 「たぶん風の中にチャクラの針のような物を混ぜ込み、経絡系を刺激してチャクラコントロールを乱す術ね」

 「チャクラを練ればスタミナが膨大に消費され…」

 「その上、術を使おうとすれば体が焼けるおまけつき。ということですかね」

 思い思いにため息をつきながら、小南、イタチ、鬼鮫が立ち並び水蓮たちをその背に隠した。

 「やれやれ…。あなたといるとすんなりいきませんね」

 鬼鮫がうんざりした口調でほんの少し視線を水蓮に投げた。

 しかしその声に答えたのは水蓮ではなく、低く太い男の声だった。

 「世の中そうすんなりはいかないもんさ」

 すべての視線が注がれたその先。

 一つの黒い影が、吹きあがった炎の光に妖しく揺れた。




順調で…連続投稿です~(*^。^*)
久しぶり☆
でも、この小南イベント(?)が終わったらそろそろ原作と重なるかと…。
なので、情報を整理しないといけないので、また投稿間隔はまちまちになるかと(~_~;)
書けるときにいっぱい書こうと思います(^○^)

ちなみに私の地域では今日NARUTO放送日。
新聞のTV欄を見て、まだ最終回ではない事にほっとするという(ーー;)。
あー本当に終わってほしくないな…。

でも、アニメは終わっても、【いつの日か…】はまだ続く…多分…

ただ、少しずつ最終地点も見えつつある今日この頃…
アニメの終わりと相成って、ちょっとさみしーくなってます。

最後へと向かってこれからも水蓮、イタチ、鬼鮫と共に頑張ってまいります!

いつも読んで下さり、本当にありがとうございます!!(^v^)


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第六十三章【死への導き】

 ゴォ…ッ!

 

 大きく開いた穴の底で、一つ大きな炎が噴き出した。

 その炎に照らされ、黒く揺らめいていた影が姿をあらわにする。

 他に誰の気配も感じないことから術者が眼前の者であると悟り、水蓮の前に立つ3人の背中が一気に空気を鋭く変えた。

 その背の間から見えた姿は、細身の長身。少し長めに伸ばした黒髪はツンととがり、忍び装束ではないがすっきりとしたその服装と、姿勢よくたたずむ姿はどこかカカシを彷彿させる。

 歳も近しく見えることから余計にそう感じるが、カカシとは似ても似つかぬきつく吊り上った目。

 それがギロリとこちらを睨み付けていた。

 「あなたにこんな力があったとは驚きですね。ただの雑用係かと思ってましたがね」

 鬼鮫が鮫肌を握る手に力を入れる。

 「ザギ…」

 それが男の名前なのだろう。

 「能あるタカは何とやらだ。お前らは油断ならないからな」

 「なるほど…」

 この里で滞在中に面識があったらしいそのやり取りを、水蓮はじっと見据える。

 

 この人、強い…

 

 暑さとはまた違う汗が背筋を走った。

 

 今まで戦闘となる任務への同行は少なく、そう多くの忍びを見てきたわけではない水蓮だが、ザギと呼ばれた男の佇まいと、醸し出される【気】。そこから只者ではないことをひしひしと感じていた。

 本能に訴えかけてくる危機感にあおられ、水蓮は無意識にイナホと母を背に隠す。

 

 「おどけた人格は芝居でしたか…」

 二人の見てきたザギはそう振舞っていたのだろう。

 鬼鮫は小さく笑い、一歩前に出た。

 「そんなあなたは私の知り合いに似ていましたよ。彼もあなたほどの力を隠し持っていれば、もう少し役に立ちそうですがね」

 水蓮の脳裏にトビが思い浮かぶ。

 知らぬうちとはいえ的を得ているその言葉にイタチがほんの少し目を細めた。

 そんなイタチの前に出るように、鬼鮫がまた一歩動きながら話を続ける。

 「そういえば、昨夜あなたとの話に…」

 「時間稼ぎはお勧めしないな」

 ピクリとイタチの肩が揺れた。

 ザギは鼻で小さく笑い無防備なしぐさでゆらりと足を進ませ、扉があったあたりに立ちふさがる。

 「鬼鮫さんよぉ」

 どこかおどけを含めた口調。

 「あんたがしゃべって時間を稼ぎ、その間に策を練る。だろ?イタチさん」

 きつい目を少し下げて、ニコリと笑う。

 浮かべられた愛想の良い笑顔。しかしそれとは裏腹に、体からあふれ出る得体のしれない【気】。

 先ほども感じたそれに、水蓮は鳥肌が立った。

 

 何かが違う…

 

 今まで見てきた忍と、何かが違うのだ。

 術の余韻なのか、ザギを取り巻くその【気】は、重く深く、だがそれでいて研ぎ澄まされた鮮麗さをも感じる。

 色彩でたとえるなら、極度に濃い紫。その中に暖色系の物が絶妙なバランスで入り混じり、そして中心に澄み切った青い筋が入っているような。

 その複雑な構造にもっとも強く感じるのは…

 思考を絡ませ、行き着いた答えに水蓮の心臓が冷たさを感じた。

 

 ザギの持つ【気】の奥。

 そこにある物。

 

 【死】の気配。

 

 確たるものがあるわけではない。

 

 だが、この男の術は死に結びつくものなのだ。

 水蓮はそれを感じ、自分の心臓の冷えに体を小さく震わせた。

 

 それは恐怖…

 

 水蓮の様子に気づき、小南がほんの少し体を寄せた。

 「どうしたの…」

 明らかに怯えている水蓮に聞こえるか聞こえないかの小さな声をかける。

 「だめ…」

 空気に消え入りそうな水蓮の言葉にイタチが一瞬だけ振り返り、様子を確かめてすぐに前に向き直る。

 まるで言葉の先をすでに予想しているかのような落ち着き。

 それが分かりつつも、水蓮は言葉を続ける。

 「イタチ。この人と戦っちゃだめ…」

 かすれたその声にイタチは表情を変えず無言を返し、小南と鬼鮫が顔をしかめた。

 「ほぉ…」

 ザギが関心の息を漏らす。

 「その女、感知タイプか?それも、かなり鋭い」

 「…え?」

 そんな事を今まで考えたこともなかった。

 鬼鮫も、そしてイタチさえも。

 だが、二人には思い当たる節があった。

 

 感知タイプは鋭い。

 頭がいいという事ではない。感がいいのだ。

 チャクラだけではなく、物事を察知する能力が高い。

 

 今までの水蓮を思い返せば、そう言った場面は少なくはなかった。

 

 ほんの小さなことから徐々にその力が芽生え、今目の前にある命の危機に、本能がその力を一気に引き出したのかもしれない。

 イタチのその思考に鬼鮫が視線で同意する。

 「どういうこと?」

 小南の問いにイタチが答えるより早く、ザギが言う。

 「イタチさんよ。もうあんたも感じているだろ?今まで隠すのが大変だったんだぜ」

 浮かべていた愛想笑いが不気味な笑みへと変わった。

 ゾワリと背筋を凍らせた水蓮をかばうように小南が前に立ち、更にその前にイタチと鬼鮫が立つ。

 水蓮を完全に覆い隠し、イタチが静かに声を響かせた。

 「あいつの術は血継限界ではない。いや、それにあることは違いないが通常の物とは違う」

 小南がハッと息を飲み、ザギに目をやる。 

 「まさか、血継淘汰(けっけいとうた)

 鬼鮫が驚いたように体を揺らし、イタチが小さくうなづく。

 聞いたことのないその言葉。

 戸惑う水蓮に小南が説明を入れる。

 「3つの性質変化を合わせることによって新たな性質を生み出す能力よ。現土影オオノキの操る塵遁がそれにあたる」

 「あれは、風遁、土遁、火遁を合わせた物でしたね。ですが血継淘汰は確か先代土影が研究の末開発した独自の物と聞きますがね」

 「先代のゆかりの者か」

 イタチのその疑問にザギはまた鼻で笑う。

 「しらねぇよ。そんなの。まぁ、オレにこれを教えたやつがどうだったかは分からないがな。そんな事より、あんましゆっくりしてると、死ぬぞ。そいつ」

 顎を軽く上げる。

 イタチと鬼鮫の後方。小南と水蓮を通り過ぎてゆくその示し。

 「お母さん!」

 水蓮の背に守られていたイナホが声を上げた。

 見ると、イナホの母が体を抱えてうずくまっていた。

 手のひらにつけられた模様が赤黒く光り、そこを中心にその光が体へと広がりだしている。

 「う…」

 激しい痛みがあるのか、顔をゆがめ呻きを漏らす。

 「どうしたの!」

 イナホが慌てて母の体を支える。

 「あつ…っ!」

 母に触れた小さな手がはじかれたように離れる。

 「イナホ!」

 「先生…」

 イナホの手は少し赤くなり、軽いやけどのような症状を見せた。

 「はなれなさい。イナホ…」

 額に大粒の汗を浮かべ、イナホの母が声を絞り出す。

 その体は徐々に赤い光に浸食されてゆく。

 「うぁ…っ」

 「お母さん!」

 こらえきれぬ呻きに、イナホが再び身を寄せる。

 だが触れることができず、そばでただ涙を流す。

 「先生。助けて…」

 懇願の表情に、水蓮はグッと奥歯を噛んだ。

 

 どうすることもできない…

 

 水蓮だけではない。その場にいる者全員が、術者以外に解きようがないことを感じていた。

 「灼遁(しゃくとん)か?」

 イタチが漏らしたその言葉にザギが大きく息を吐き出す。

 「やだねぇ天才ってやつは。少ない情報ですぐに正解をたたき出す。だが、それだけじゃぁないぜ」

 スッと右手を持ち上げてチャクラを集めてゆく。

 

 ザァッ…と風が集まり手のひらの上で渦を巻く。そこに炎が合わさり一度大きく燃えてギュッと縮まった。

 炎を凝縮した赤黒い球体…。リンゴほどの大きさのその塊には並みならぬ熱が生成されている。

 その熱の塊の上に左手を掲げ、ザギはさらにチャクラを練る。

 生み出されたのは、水。

 同じほどの大きさの球体となって手の中で揺れ、一滴のしずくが高温の塊の上に落ち、音もなく蒸発して白く霧立つ。

 だがそれは水蒸気とは少し違う…。

 「酸?」

 空気中に漂った鼻を突く臭いに、水蓮がつぶやいた。

 「そうだ。オレは体内のチャクラを酸に変換する力を持って生まれた。水遁と火遁を合わせた沸遁と言われるものだ。その力に、風と火を組み合わせた灼遁を融合させる。それが俺の能力。蒸遁(じょうとん)だ」

 「蒸遁…」

 水蓮の声に答えるように、生み出された特別な二つの力がその手の中でシュゥッ…と鋭い音を立てて合わさって行く。

 「酸に変換した俺のチャクラをこの熱塊(ねっかい)と合わせて酸の蒸気を作る。そして…」

 空気中に浮かんだ酸の蒸気が細い針へと姿を変えた。

 「これを風に乗せて相手の体に打ち込み、チャクラコントロールを狂わせ、チャクラ生成のバランスを崩す。その上チャクラを練ると体が焼ける」

 

 ザリッ…と、ザギが足元の土を音立てる。

 

 それに反応して水蓮たちが警戒に体を揺らした。

 だが、ザギは手の中にあるその術をスッと消した。

 「それが一度目の効力」

 「一度目?」

 イタチが警戒を解かぬままほんの少し前に出た。

 「そうだ。そして同じ術を2度受けると…」

 水蓮はハッとしてイナホの母を見る。

 その体は未だ術の浸食を進め、苦しそうに表情をゆがめていた。

 「体内に埋め込んだ蒸気の針を通じて、オレのチャクラが徐々に熱を発する。たとえ本人がチャクラを練らなくともな」

 徐々に高温に犯されてゆくイナホの母を見つめたまま、水蓮の鼓動が高まって行く。

 このままでは…体内からすべて焼かれてしまう…。

 「そして…」

 ザギが静かに声を上げ、一層不気味に笑った。

 「3度受けると、オレのチャクラが対象者のチャクラと混ざり、無制限に練り上げる。一瞬でな。オレが解くか、オレ自身が死なない限りその効力はなくならない」

 さらに水蓮の鼓動が大きく波打つ。

 すでに一度目でチャクラコントロールを乱され、チャクラを練れば普段の何倍ものスタミナを奪われる。

 

 その状態で勝手にチャクラを練り上げられたら…

 

 すべてのスタミナが一瞬でなくなる…

 

 それはすなわち…

 

 水蓮は自身の手に付けられたおぞましい模様に視線を落とし、ごくりと喉を鳴らした。

 

 

 3度目に受けたその先には避けようのない死が待っているのだ。

 そうでなくとも、2度目を受けた時点でカウントダウンが始まる。

 

 相手を倒すには…

 

 「2度目を受ける前に倒さなければならないということですか」

 鬼鮫が、やれやれ…と面倒な息を吐く。

 「もしくは…」

 「そうね…」

 イタチと小南が少しずつ位置をずらして縦に並んだ。

 その様子に、水蓮は無意識に体に力を入れた。

 もう一度受けるのを覚悟で飛び込むつもりなのだ。

 話を聞く限り、チャクラを練れないわけではない。

 3人はスタミナの異常消費とやけどを覚悟の上で決着をつけるつもりだ。

 しかしそれに感づいたのは水蓮だけではなかった。

 「そうだなぁ…」

 ザギが顎に手を当ててわざとらしく考えるそぶりを見せる。

 「そこの女の情報はないが…」

 小南をちらりと見る。 

 「まぁ、搖動か目くらまし…ってとこか。それで隙を作り、水牢の術でオレを捉えて幻術…。もしくはオレを穴に落としてここの炎を利用し、チャクラ消費を抑えた火遁でけりをつける。そんなとこか」

 イタチと鬼鮫の情報はしっかりと調べ上げられているのだ。 

 

 読まれている…

 

 「何にしても、もう一度受けるのを覚悟で突っ込んでくるんだろ?いいのか?それで」

 その視線はイナホの母に向けられていた。

 「さっきは逃さぬために少し慌てて術を放ったからただ風に乗せるだけしかできなかったが、この術は地中からも対象者を狙える。避けられない」

 母親の死を本能に感じてイナホの体が震えだす。

 「たとえ俺を倒せても、そいつは死ぬ。かわいそうに。子供の前で母親を殺すのかよ。残酷だねぇ暁は」

 水蓮の胸がズキリと痛んだ。

 イタチにその言葉を向けられたことに対しての痛み。

 誰も何も言葉を返せぬ沈黙の中、ザギが言葉を続ける。

 「その女を返せば、そいつと娘は助けてやる」

 イナホがはじかれたように顔を上げた。

 「こんな事をしているくらいだ。もう情報はつかんでいるんだろう」

 こちらの無言を肯定ととらえ、ザギは言葉を続ける。

 「事が終わればちゃんと町に返してやる。悪い条件じゃないだろ?まぁ、その二人以外は今ここで始末させてもらうがな」

 ザギは腰に両手を当てて、はぁ…と大げさに息を吐き「オレのノルマはお前たちじゃなかったんだがな」とぼやいた。

 

 体の内側から焼きつくし、絶対的に死に追いやる術。

 水蓮の脳裏には飛段と角都が浮かんでいた。

 実際にザギの術が二人の【死】につながるのかどうかは分からないが、戦えばそれ相応の結果になるのかもしれない。

 「さぁ…その女を返してもらおうか」

 ザギが一歩足を進ませる。

 その足音に、声が重なった。

 「もうやめて。ザギ…」

 消え入りそうなその声…。

 それは水蓮の後方から聞こえた。

 「もうやめて…」

 もう一度聞こえた声に振り向く。

 そこには苦痛に顔をゆがませながらも、立ち上がりザギを見つめるイナホの母の姿があった。

 「お願い…。もうこれ以上その力で命を奪わないで」

 痛みと熱に耐えながら必死に言葉を絞り出し、ゆっくりとした歩みで水蓮の横を通り過ぎ、先頭にいた鬼鮫の前に立つ。

 「こんな事、あなたが望んでいた事じゃないでしょ」

 ザギは答えない。

 「あなたが望んでいたのは、あなたの夢は…」

 「うるさい!」

 荒げたザギの声が響いた。

 「黙れアゲハ」

 低い声でイナホの母を睨み付ける。

 互いを知っていたその様子に、イナホが戸惑いを見せた。

 「お母さん?」

 娘の声に、アゲハは肩を揺らしながら答える。

 「私とザギは…」

 しかし言葉半ばに、苦痛に襲われその場に倒れるようにして座り込む。

 イナホが慌ててそばに駆け寄った。

 そんなイナホと、体の半分が術に侵され言葉が出ないアゲハをじっと見つめたまま、ザギはしばらく黙っていたが、ややあって静かに口を開いた。

 「オレとアゲハは、同じ家で育った」

 

 

 ザギの言葉と同時に、穴の底で炎が大きく吹きあがった。




久しぶりに、筆が進みます(*^_^*)

この話くらいから特に、ちょっと術に関しては勝手な設定と解釈を使わせていただいています。
ご了承いただければと思います(^_^;)

久しぶりに登場人物多く、何度も読み返して確認する私…(-_-;)
人が多いと難しいのは現実も小説も同じですね(苦笑)

でも、順調に書けているので、この調子で進めていければな~と思います☆

いつも読んで下さり、本当にありがとうございます!
お気に入り登録もいつの間にか700を超えて…感動と感謝でいっぱいです(T_T)
これからもなにとぞよろしくお願いいたします(^◇^)

感謝をこめて…(^v^)


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第六十四章【忍の闇。力の目覚め】

サスケ真伝のネタバレがほんの少し含まれています。
(真伝のストーリーに触れてはいませんが、作中に登場する設定を少し引用しています)
ご了承ください。


 「オレ達は戦争孤児だった」

 ザギがうずくまるアゲハを見据えたまま吐き出すように言った。

 「同じ町に同じ頃に生まれ、幼くして戦争にあぶりだされ、あちこちをさまよっていた。他にも何人か一緒にいたが皆死に、最後にオレとアゲハが残った。それでも、もう死ぬ寸前だった」

 当時を思い出すようにザギの目が細められた。

 「だが、オレ達は運よく物好きな金持ちに拾われた。それからの数年は信じられないほど静かな、穏やかな時間を生きた。だけど」

 今度は瞳を憎しみに染める。

 「それは一瞬で終わった」

 グッとこぶしを固く握り、苦悶の表情を浮かべる。

 「オレとアゲハの能力の開花。それがすべてを狂わせた」

 ふぅ…とゆっくり吐き出された息と共に、その表情が切なげなものへと変わって行く。

 「その能力が血継限界だと知るや否や、オレ達はその力を使いこなせるようになるまで厳しい訓練を受けさせられ、力を身につけた途端売られた」

 水蓮がその事実に目を見開く。

 「戦争孤児の中には血継限界を持つ者が多くいる。なぜなら戦火を生き抜くためにその力が無意識に開花し、それによって守られ生き延びるからだ。オレとアゲハは戦争後の開花だったがな。オレ達を拾ったやつもそれを知っていて、何人もの戦争孤児を拾い集めていたんだ。血継限界でなければ、それはそれでいずれ奴隷としてこきつかうために」

 戦争という闇の奥にある痛み。

 それは幼い子供に最も深く刺さるのかもしれない。

 水蓮は息苦しさを感じ胸元を抑えた。

 「お前らは知らないだろう」

 切なげなまなざしでザギは言葉を続ける。

 「売られた血継限界が見世物にされる場があることを」

 「見世物?」

 イタチが顔をしかめた。

 「血継限界コレクター。そう呼ばれる者たちが年に数回集まる場がある」

 ザギは、怒りを交えながらもどこか呆れたような口調で「イベントだよ」と吐き捨てた。

 「場所はどこにあるのかわからないが、どこかの島だ。買い集めた血継限界を持ち寄り、戦わせ、ただ自慢し合う。『どうだ、俺のおもちゃは強いだろう』とな」

 「ひどい…」

 思わず水蓮の口からこぼれたその言葉に、ザギがまた記憶をたどり目を細めた。

 「ひどいなんてもんじゃない。オレ達のような戦争孤児に言葉巧みに近寄り、拾ってすぐに逆らえぬよう術をかけ、血継限界だと分かった途端売り飛ばす。そして、あの場で見世物にされる」

 ギリ…っと、歯をかみしめる音が聞こえたような気がした。

 「血継限界同士の戦いだ。その末は分かるだろう」

 水蓮が目をぎゅっと閉じうつむいた。

 「ほとんどの場合でどちらかは死ぬ」

 イタチの体がピクリと揺れる。

 同じ血継限界の力を持つものとして、他人事ではない。

 その胸の痛みは、表に出さずとも水蓮にはひしひしと伝わり来た。

 鬼鮫も何かを感じたのかイタチにちらりと視線を落とした。

 「もしそうでなくとも、負けた者は【恥】として消される」

 

 ゴォッ…と炎が上がった。

 

 その炎の色が、まるで涙のようにザギのほほに筋を作る。

 「オレとアゲハはそれぞれ別のところに売られ、そしてあの島で再会した。対戦相手としてな」

 苦痛に耐える母の隣で、イナホが息を飲み母とザギを交互に見た。

 今の話を聞き、どちらも生きていることに疑問を浮かべる。

 「オレ達の戦いには途中で邪魔が入った。まぁ、ほぼ決着はついていたがな。その後あの島で会うことはなかった。だから、お前はもう死んだんだろうと思っていた」

 ザギは寂しそうな、苦しそうな複雑な瞳でアゲハを見つめ、イナホにちらりと視線を投げた。

 「まさか子供を産んでいたなんてな。ずいぶんいい人生を送ったようだな」

 皮肉の色。

 それがザギのその後の人生が壮絶だったのであろうことを物語っていた。

 「オレは後にあの島に来ていたこの里の長に拾われた。この里のために生きないかと。縛りの術を解き、自由を与えることを約束してくれた。オレには断る理由はなかった。そしてオレはこの里に忠誠を誓った。オレの夢は何ら変わっちゃいないんだよ。アゲ…」

 名を呼ばれ、アゲハは苦しげに顔を上げた。

 「オレの夢はあの時のままだ。大切な物を守るためにこの力を使う」

 「違う…」

 しかしアゲハはそれを否定する。

 「今のあなたは里の利益のために、里に利用されているだけ」

 ピクリとザギの体が揺れる。

 「本当に里を守るためなら、その力で里を繁栄させるための手段を探すべきよ。里の利益のために他者の命を奪うなんて、そんなのはあなたの描いていた形じゃないはずよ」

 その言葉に今度は水蓮の前で、小南の体が小さく揺れた。

 「あなたはそんな人じゃない。本当のあなたは、誰よりも優しい」

 「うるさい!」

 ザギが怒鳴りでアゲハの言葉を遮った。

 「お前に何が分かる!オレがどんな人生を送ってきたか!どんな地獄を生き抜いてきたか!そこからオレを救ってくれたのは里だ!この里だ!オレは、里のためならなんだってやる!里を守るためなら人をも殺す。たとえ利用されていようとも。それが、忍だ」

  

 

 痛いほどの沈黙が落ちた。

 

 

 何があろうと、人の命を奪うことは許されはしない。

 それでも、大切な物を守るために忍は戦い、時には他者の命を奪い、別の命を守る。

 

 それは断ち切りきれぬ深い闇の連鎖。

 

 そこには本当の意味での悪と正義の区別がつけられるのだろうか…

 

 水蓮はあまりの息苦しさに呼吸を少し荒くした。

 

 「こんな話は無駄だ」

 ザギがひどく冷めた口調で言い放った。

 今この場において、何が正しい答えなのかはここにいる誰にも導き出せないのだ。

 「それに、お前だって今我が子を守りたいがために、オレを殺すつもりだろう」

 アゲハがグッと地面を握りしめて大きく息を吐き、イナホに柔らかく笑みを向けた。

 「イナホ、ヤツデとナズナを頼んだわよ」

 「おかあさ…」

 イナホの言葉を途中に、アゲハはまだ術に侵されていない肩でイナホの体を突き飛ばした。

 はじかれたその体を水蓮が抱きとめる。

 アゲハはそれを見届けて水蓮に懇願の表情を浮かべた。

 「イナホをお願いします」

 

 ドクンッ!

 

 イナホと水蓮の鼓動が大きく音を立てて重なった。

 

 自分はもう術から逃れられないと覚悟を決めた目。

 

 「イナホ。あなたたちは生きて」

 

 柔らかい穏やかなほほえみ。

 ほんの一瞬その温かさを残し、アゲハは立ち上がり背を向けた。

 「お母さん!」

 イナホの叫びと共にアゲハはチャクラを練り上げる。

 体が一気にザギの術に侵されてゆく。

 それでもアゲハはひるまない。

 「アゲハ…」

 ザギの瞳に悲しみが浮かんだ。

 しかしそれをすぐに消し去り、厳しい色でアゲハを睨み付けた。

 「まるであの時の再現だな!」

 同じようにザギの体からすさまじいチャクラが放たれ、空気をビリビリと震わせた。

 「っ!」

 息を飲む水蓮の身をイナホと共にイタチが抱えるように守り、小南の前に鬼鮫が立つ。

 「イタチ!」

 水蓮が見上げた先で、イタチは感情を押し殺したような瞳を浮かべていた。

 

 もうザギとアゲハの衝突を止められない…

 

 イタチは水蓮を守ることを選んだのだ。

 「…………」

 何かを言おうと開きかけた水蓮の口を閉ざすように、イタチはグッと水蓮を抱き寄せた。

 その胸元を、水蓮はギュッと握りしめた。

 

 手が小さく震えた。

 

 「ザギ!あなただけを死なせはしない…」

 アゲハの声にザギが答える。

 「いいぜ!あの時つけられなかった決着をつけてやる!」

 二人のチャクラがぶつかり合う。

 「蒸遁!」

 「晶遁!」

 ザギの声にアゲハの声が重なり、同時に印が組まれた。

 しかし、その声にさらにもう一つの声が重なる。

 「だめぇぇぇっ!!」

 水蓮の腕の中にいたイナホが母の死を拒み叫びをあげた。

 その瞬間、悲痛の叫びと共にその小さな体からまばゆい光が放たれ、硬い金属がぶつかり合うような音が鳴り響いた。

 

 キィィィィィィンッ!

 

 甲高く耳に突き刺さるその音とまぶしさに、水蓮は思わず目を閉じる。

 数秒後に音が消え、開いた水蓮の瞳に映ったのは自分たちを取り囲む透明の壁。

 六角柱のそれはまるで…

 「水晶…」

 小南のつぶやき。そしてその視線の先には、水晶の壁の中心に静かにたたずむイナホの姿があった。

 




順調ではありますが、重いですね…話が(~_~;)
でも、まだ少し先とはいえ、終わりも近づきずつある(と思われる)今日この頃。
どうしても、重いストーリー運びになってきてしまいます…。
どこかでもう少しほっこりした物も入れたいな…とは思うのですが(^v^)
どうなるか…未定。

いつも読んで下さりありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします(*^。^*)


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第六十五章【愛する者。守るべき命】

 「イナホ…」

 水蓮の呼びかけにイナホは応えない。

 自身を、母を、そして水蓮たちをしっかりと包み込む水晶の壁の中、イナホの体を研ぎ澄まされた空気が包み込んでゆく。

 そんなイナホに振り返り、アゲハが目を大きく見開く。

 「まさか…そんな」

 その声と同時に、イナホがまるで何かに操られているかのように無表情のままに右手をスッと持ち上げた。

 「やめなさい!イナホ!」

 アゲハが声を荒げて静止するが、ザギの術によるダメージに倒れこむ。

 イナホはそんな母の前に歩み出て表情を変えぬままザギと対峙する。

 「アゲハの【晶遁】の力を引き継いでいたのか」

 「晶遁…」

 聞き覚えのないその力に水蓮は自分たちを包み込む水晶の壁を見回した。

 「空気中のあらゆるものを水晶へと変換させる力だ。その力は地中にもおよび、あらゆる術をはじき返すと言われている」

 イタチの説明に水蓮はハッとする。

 「鏡写しの術…」

 イタチがうなづく。

 「だが…」

 イタチのその言葉をザギが継ぐ。

 「どうやら開花したばかりのようだな」

 アゲハの様子からそう読み取る。

 「その未熟な力で、はたしてオレの術をはじけるかな。それに…」

 すでに印を組み終わっていたザギが術を放った。

 「熱針(ねつばり)!」

 生み出された酸性の針が風に乗って飛び来る。

 イナホは右手を掲げたまま左手で印を組んだ。

 

 

 カッ!

 

 

 水蓮たちを囲む壁が光る。

 その様子を見ながら鬼鮫が眉をひそめる。

 「はじき返しただけでは…」

 「意味がない」

 小南が続き、水蓮がグッと手を握りしめた。

 たとえ弾き返してそれをザギがその身に受けたとしても、自身の術。簡単に解ける。

 それでは勝てないのだ。

 しかしイタチがそれを否定した。

 「いや。違う」

 水蓮を抱えたまま、イタチは瞳を赤く色変えて上を見上げていた。

 その先。水晶でできた壁に黒い渦が生み出されている。

 「あれは…」

 ザギがその異様な光景に目を細めた。が、構わずにもう一度『熱針』を放った。

 その黒い渦の中にザギの放った針がすべて吸い込まれてゆき、渦の色が白く変わる。

 そしてそこから先ほど吸い込まれた針がすさまじい勢いで放たれた。

 その一連の流れはまったくの無音で、それが酷く恐怖を感じさせた。 

 

 …ドッ

 

 …ドッ

 

 …ドッ

 

 唯一聞こえたその音。

 それは、イナホの作り出した渦から放たれた針がザギの体を捉えた音…。

 3度の術を受けたザギは、瞬時に効力を消そうと印を組んだ。

 だが次の瞬間。

 「ぐあぁぁぁぁぁっ!」

 チャクラを練り上げたザギの叫びが響き渡った。

 体が赤黒く光って腫れあがり、内部から焼かれたザギが無言のままその場にどさりと崩れ落ちた。

 「相手の術を吸収して、己の物へと変換した?」

 小南が即座に分析し、それにイタチがうなづいた。

 そのイタチの手から模様が消えていることに気づき、水蓮は自身の手を見る。

 そこにはすでに何もなく、水蓮は慌ててアゲハに駆け寄り手をかざした。

 アゲハは意識を失っており、全身に酷い火傷の症状が見られた。

 水蓮は症状を見ながら治療を施してゆく。

 しかし残りギリギリのチャクラ。

 とても完治はできない。

 それでも何とか命は取り留め、水蓮はほっと息をつく。

 その視線の端でイナホの体がふらりと揺れ、取り囲んでいた水晶の壁が消える。

 「イナホ…」

 水蓮の声にイナホがゆっくりと振り返る。

 が、うつろなその瞳は水蓮を映すことなくゆっくりと閉じられてゆく。

 そしてそのまま意識を失い、その小さな体を大きく開いた穴へと向かわせた。

 「イナホ!」

 慌ててその手をつかみ取るが、意識を失った体は想像以上に重い。

 水蓮はグッと体に力を入れ、遠心力を利用してイナホの体を押し戻す。

 「小南さん!」

 目にうつった小南にイナホを託す。

 小南は両手を大きく広げてイナホをしっかりと受け止めた。

 しかし今度は水蓮がぽっかりと空いた空間へと投げ出される。

 「水蓮!」

 熱の揺れる空間へと放り出された水蓮に向かってイタチが身を投じた。

 その姿を目に映した水蓮の背に、大きく吹きあがった炎の熱が襲う。

 「……っ!」

 熱さに顔をゆがませた次の瞬間、イタチが水蓮の腕をつかんで引き寄せた。

 

 ボンッ

 

 小さな音が鳴り、二人の下に鬼鮫の影分身が鮫肌を掲げて現れ、イタチがそれを足場に高く跳躍する。

 鬼鮫の影分身が噴きあがる炎に消され、その炎から水蓮を守りながら、イタチはまっすぐに腕を伸ばし上げた。

 その腕を鬼鮫がしっかりとつかみ、二人を一気に引き上げる。

 勢いでやや宙を飛び、イタチは水蓮を抱きかかえたまま静かに着地した。

 「大丈夫か?」

 イタチの問いに、地に下されながら水蓮はうなずき息をついた。

 「あなたは本当に!」

 水蓮の両足がしっかりと地に着くと同時に鬼鮫の声が響いた。

 「後先考えずに!」

 グッと詰め寄る鬼鮫から、水蓮が体をそらせながら「はは」と気まずそうに笑った。

 「まったくだ」

 イタチもジトリと水蓮を見る。

 しかし水蓮は「ちゃんと後先考えてるよ」とニコリと笑った。

 「イタチと鬼鮫がいるから何とかなるってね」

 二人が同時に息を飲む。

 が、ほんの数秒後鬼鮫があきれた顔で息を吐き出した。

 「そういうのは後先考えてとは言わないんじゃないですかね」

 「その通りだ」

 「そうかな?まぁ、信用してるってことよ」

 「いいように言いますね、あなたは」

 「まったくだ」

 そのやり取りを黙って見ていた小南のそばで、アゲハが小さくうめいた。

 そしてうっすらと開いた瞳に、小南の腕の中でぐったりとしているイナホを捉え声を上げる。

 「イナホ!」

 「心配ないわ。気を失っているだけよ」

 小南の言葉にアゲハはほっと息をつき、ゆっくりと体を起こした。

 そしてふらつきながらザギのもとへと歩み寄る。

 頼りないその体を水蓮が支え、アゲハと共にザギのそばに姿勢を落とす。

 ザギはまだ死んではおらず、その気配にほんの少し反応した。

 瀕死の状態でうっすらと目を開ける。

 「アゲハ…」

 「ザギ…」

 互いに名を呼びあい、しばし黙する。

 その沈黙の中には、他者にはわからぬ何かが流れている。

 二人で過ごした幼いころの記憶か、それぞれ生きてきた地獄の日々か…

 どちらにせよ、水蓮の胸には切ない痛みが走った。

 

 もうザギは助からない…

 

 「やはり…」

 ザギがフッと笑った。

 「オレとお前の戦いには邪魔が入るな」

 アゲハは言葉なく複雑な面持ちで小さな笑みを返した。

 ザギの瞳がイナホへと動く。

 「あの男の…」

 「ええ」

 今度はしっかりとした声で答えた。

 「そうか。…過去にあいつに邪魔をされ、今度はその子供に…。何の因果だろうな」

 

 『オレ達の戦いには途中で邪魔が入った』

 

 先ほどのザギの言葉。

 それはどうやらイナホの父親だったようで、アゲハもイナホを見つめてどこか懐かしそうな顔をした。

 「あいつの力も引き継いだようだな…」

 「ええ。私の力と、あの人の力。両方を引き継いでしまったようね」

 「そうか…」

 

 また沈黙が落ちた。

 

 「オレも…」

 

 ザギの声が少し震えた。

 「オレもお前のように愛する者を見つけ、守るべき命をこの手にすることができていたら…」

 ゆっくりと右手を持ち上げ、その指の隙間からアゲハの顔を見つめる。

 が、それはほんの一瞬で、ザギはすぐに視線を天井へと向けた。

 「いや。オレは里のために生きてきたこの人生を誇りに思う」

 きゅっと力なく掲げたままの手を握る。

 「そこに後悔はない」

 しっかりとした口調に水蓮の胸が激しく締め付けられた。

 

 それは本当なのだろう。

 だがその言葉の中に別の想いが聞こえる。

 

 

 後悔するわけにはいかない…

 奪ってきた命のためにも…

 

 だがそれでも、また違う生き方が、そして死にざまがあったのかもしれない…

 

 

 そう思わないわけがない…

 

 忍とて、人なのだ。

 

 「アゲハ、よかったな」

 ザギはもう一度イナホに目を向ける。

 「優しいお母さんになる。それがお前の夢だった。叶ってよかったな…」

 「ザギ…」

 「家族ができてよかったな」

 アゲハはうなづき、そっとザギの手を包み込んだ。

 「ザギ。あなたがどう生きてきたとしても、どんな最期を迎えたとしても…」

 二人の手の上にいくつもの涙が落ちる。

 アゲハはキュッと手に力を入れて優しく、柔らかく微笑んだ。

 「あなたも、私の大切な家族。ずっと、家族」

 ザギはスッと目を細めて、どこか子供っぽい表情で「ヘヘ」と笑った。

 

 きっとそれが彼の本当の顔なのだろう。

 

 ザギは一度大きく深呼吸をし、ゆっくりと体を起こした。

 「ザギ?」

 よろよろと立ち上がるザギを支えようと、アゲハも立ち上がり手をさし出す。

 しかしその手をザギが払った。

 よろよろと足を進め、穴の淵に立つ。

 「イタチさんよ…」

 先ほどまでのきつい表情はすっかり消ええている。

 ザギはイタチを見つめ先ほどと同じように、また笑った。

 それは、すべてを悟ったような笑み。

 

 

 自身も、里も、もう救われないと。

 

 そして…

 

 ならばせめてとの想い。

 

 

 「頼むぜ」

 ほんの一瞬アゲハへと向けた視線を、イタチも水蓮も鬼鮫も、そして小南も見逃さなかった。

 「承知した」

 イタチの返答が先だったのか、それとも後だったのか。

 ザギの体が静かに炎の上がる穴の中へと消えた。

 

 「ザギ!」

 

 とっさに駆けだそうとしたアゲハの体を水蓮が必死に抱きしめて止めた。

 「ザギ…」

 もう一度つぶやかれたその声は、イタチが放った情けを見せぬ火遁の勢いにかき消され、3度目の声は、穴の中で大きく上がった爆発音に紛れた。

 

 ドォッ…ゴゴゴ…

 

 大きく地が揺れる。

 

 「ここは結界で音は外にもれません。ですが今の振動は上にも響いているでしょう」

 「急ぐわよ」

 鬼鮫と小南の冷静な声に、水蓮は黙ったままうなづいた。

 その隣で燃え盛る炎を見ていたアゲハが、心身に受けたダメージで気を失って崩れ落ちた。

 さっと鬼鮫がその体を受け止め抱え上げる。

 後ろにはいつの間にか鬼鮫の影分身がザギの姿で立っていた。

 「これで時間を稼ぎます」

 

 このためにザギはその身を消したのだろう。

 

 水蓮はもう一度うなづき、いまだ炎の収まらぬ場所を振り返った。

 

 ザギは、他の血継限界たちが入れ替わっていることをすでに知っていたのかもしれない。

 

 この結末さえもわかっていたのかもしれない。

 

 この幕引きを望んでいたのかもしれない。

 

 なぜなら…

 

 視線をアゲハに向ける。

 

 彼にとって、彼女が『愛すべき、守るべき命』だったのだ。

 

 何より大切で…

 

 その命は、何よりも大きかった…

 

 その彼女がすでに死んでいると思い、ただひたすら里のために生きてきた。

 その手を血に染めながら。

 

 だけれども、死んだと思っていた大切な人が生きていて、こうして再会して、彼は何を思ったのだろうか…

 

 水蓮はザギの姿が消えた場所をその目に映す。

 

 

 里を裏切るわけにはいかないという想い…

 

 何よりも大切な存在であるアゲハ…

 

 その狭間でどんな想いが生まれたのだろうか…

 

 最後の最後まで、その中心で心を揺れ動かしていたのかもしれない…

 

 

 全ては本人にしかわからない

 

 

 「行くぞ。水蓮」

 イタチの声に振り向くとすでに扉の結界は解かれ、小南と鬼鮫の姿はなかった。

 「行くぞ」

 もう一度そう言いイタチは手を差し出した。

 水蓮はその手をしっかりと握りしめうなづいた。

 そのうなづきに、頬を伝っていた涙が切なく散った。

 

 つながれた手から、イタチの胸の痛みが伝わってくるような気がした。

 

 何よりも大切な命を守るために、すべてを手放したザギ…

 

 似通った状況に身を置くザギのその気持ちが分かるイタチだから、その最期を引き受けたのだ。

 

 容赦はしなかった

 

 

 一歩一歩、階段を上がるたびにしずくが落ちる。

 しっかりとつながれたイタチの手の優しさに答えるように、水蓮は言葉を絞り出した。

 「外に出るまでには、ちゃんと止めるから」

 イタチは返事をする代わりに、キュッと手に力を入れた。

 

 

 ザギを死に追いやったのは、経過や状況はどうあれ【暁】だ。

 

 自分はその暁の一員なのだ。

 

 涙は、彼への冒涜にしかならない。

 

 だが、聞かされた忍世界の闇。

 

 答えの出ぬ血にまみれた負の連鎖。

 

 そして、アゲハを守るために死んでいったザギの想い。

 

 すべてがあまりにも悲しかった。

 

 

 水蓮はグッと唇をかみしめ、痛みに意識を向けた。

 そして涙を抑え込み、最後の一段を強く踏みしめた。




守るために戦い、守るために奪う。NARUTOのテーマの一つですね…。
他サイトで知り合った方の小説にもこのテーマに沿ったNARUTO小説があって、
『やっぱりNARUTO関連の物はこれを避けては語れないんだなぁ…』と、
しみじみ(/_;)
他にも、やっぱりそういう漫画やアニメは多く、永遠のテーマなのかもしれませんね。
イタチはまさにその象徴ともいえるのではないでしょうか。
その痛みと悲しみを背負い、戦う人…。
悲しい…。切ない…。痛いですね…。
イタチをアニメや漫画でほんの少し見るだけでも涙が出てしまいます(T_T)
相変わらず夢にまで見て(~_~;)
本当に影響力の強い漫画であり、存在であるNARUTO&イタチ(>_<)
はぁ…最終回をむかえるのが嫌だな…。

なんて思いつつ書いています。
いつも読んで下さり本当にありがとうございます!
今後ともよろしくお願いいたします(*^_^*)


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第六十六章【収束】

 日の光が、いつもの何倍もまぶしく感じられた。

 

 数時間とはいえ地下に入っていた影響か、それとも深く沈んだ心のせいなのか。

 水蓮は里の出入り口から顔を出して思わず目を細めた。

 あたりを見回すと、そこには先に脱出した血継限界の者たちの姿はもうすでになかった。

 

 

 「あーね!大丈夫だったか?」

 「オレを待たせるんじゃねぇ」

 ほっと息をついた水蓮に飛び来た声。

 イタチの予想通り、外で待機していたのはデイダラとサソリだった。

 明るいデイダラと、サソリの悪態。

 いつもと変わらぬそれが、先ほどまでの事を一気に遠く感じさせる。

 それでもすべては現実のもので、ザギの死もこれから起こる悲惨な出来事も決して消すことはできないのだ。

 「なかなか出てこねぇから、心配したぜ。うん」

 「ぐずぐずしやがって」

 二人が変わらぬ調子でスッと水蓮に歩み寄る。

 涙は止まっているものの、そのあとを見られるのはよくないだろうと、水蓮はほんの少し顔をふせた。

 「ごめんね。待たせちゃって」

 極力いつものようにと返したその声はどこか力が入りきらず、幾度となく顔を合わせてきたサソリとデイダラがその異変に感づく。

 「あーね?」

 「なんだその辛気臭い空気は」

 「旦那がそれを言うのかよ」

 「どういう意味だデイダラ」

 そんなやり取りをしながらもう一歩、歩みよる二人。

 さらに顔を伏せて気まずい空気を漂わせた水蓮の前に、すっとイタチと鬼鮫が入り込んだ。

 「ゆっくりはしていられませんよ」

 「デイダラ、さっさとやれ」

 急かして放つ二人に、デイダラとサソリがいらだつ。

 「命令するんじゃねぇよ。うん」

 「待たせておいてその言いぐさは何だ」

 険悪なムードを漂わせる二人に小南がため息をつく。

 「やめなさい。そんなことをしている場合ではない。早く終わらせなさい」

 デイダラとサソリは不満げな顔で小南に振り返るが、さすがに言い返さない。

 「へいへい」

 「わかっている」

 デイダラがさっと自身の作り出した鳥に飛び乗り、サソリがそれに続く。

 「派手にやっていいんだな?」

 ニッ…と笑みを浮かべてデイダラが腰につけたポーチに手を入れた。

 その様子に水蓮の心臓が音を立てる。

 「待てデイダラ。まだやるな」

 水蓮の様子に気づき、ふわりと羽ばたいた鳥の背に向かってイタチが静止をかけた。

 「なんだよ!やれって言ったり待てって言ったり。ややこしいんだよ!うん!てか、命令するな!」

 デイダラの上げた抗議に応えず、イタチは水蓮に向き直る。

 「無視かよ!」

 その声すら気に留めず、イタチは別の場所に用意されていたデイダラの鳥に目を向けた。

 そこにはすでにアゲハが乗せられていた。

 「お前は西アジトで待て」

 「イタチ…」

 「すぐに戻りますよ」

 「鬼鮫…」

 二人にはまだやることがある。

 

 里の殲滅。

 

 デイダラが爆破し残党を狩る。

 

 イタチも鬼鮫も、またその手を血に染めるのだ。

 この里は地下にあり、地盤は緩い。

 デイダラの爆破でほとんど片がつくだろう。

 だが、たとえ直接手を下さなかったとしても、イタチはその心に大きな痛みを負うのだ。

 自らにそれを課す。そういう人なのだ。

 鬼鮫とて、決して何も感じていないわけではない。

 任務から戻り、暗夜に一人静かに身を浸す鬼鮫を水蓮は幾度となく見てきたのだ。

 そしてそれは水蓮も同じであった。

 たとえイタチと鬼鮫が水蓮を関わらせずにいたとしても、血の色に手を染める二人を送り出すことは、それと同等なのだということを、しっかりと感じ、受け止めていた。

 それでも、自分は進まねばならない。

 立ち止まらず、イタチの歩く道を共に歩み続けると決めたのだ。

 

 痛みにその身が、心が朽ち果てても…

 

 イタチの望む最期のその時まで…

 

 「先に戻っていろ」

 イタチがもう一度促す。

 鬼鮫もその隣で小さくうなづいた。

 それが二人の望むこと。

 「わかった」

 決してうまくはつくろえていない笑みで答える。

 だが鬼鮫とイタチには十分であった。

 「お願いですから今度は大人しく待っていてくださいよ」

 「【なりゆき】には注意しろ」

 皮肉を交えて二人が笑う。

 水蓮は気まずく顔をひきつらせながらうなだれた。

 「善処します…」

 そして、ゆっくりと顔を上げて二人を見つめる。

 「気を付けてね」

 「ああ」

 「心配いりませんよ」

 水蓮は二人のどこか切なさを帯びた笑みを受け止め踵を返した。

 その先では小南がすでにイナホを抱きかかえて鳥の背に乗り、水蓮を待っていた。

 「行くわよ」

 小南がすっと手を差し出した。

 その手につかまり鳥の背に乗ると、かすかに触れ合った小南の体から柔らかい香りがした。

 そっと視線を向けると、藤色の髪が風に揺れ、隙間からオレンジ色の瞳が見えた。

 そこには、イタチと鬼鮫の笑みに浮かんでいたのと同じ切なげな色が揺れていた。

 

 この世界を生きる忍は皆その色を抱き、痛みに耐え忍び、答えの見えぬ道を歩いているのかもしれない。

 

 それでもと、答えを求めて。

 

 深くしみついたその色をすぅっと押さえ込み、小南は厳しい口調で指示を言い渡した。

 

 「一人も逃すな」

 

 「余裕だぜ、うん!」

 「わかっている」

 「了解しました」

 「承知した」

 

 それぞれの返答を聞き、小南はチャクラを流して鳥を操り、空へと羽ばたかせた。

 鳥の羽ばたきは柔らかくしなやかで、水蓮達を優しく持ち上げた。

 

 

 それが小南のチャクラ。

 彼女の持つ本来の姿なのだろうと、水蓮は小南の背を見つめた。

 

 凛とした佇まい。

 

 だがやはり、そこには言い表せぬほどの切なさがあふれていた。

 

 

 

 

 アジトへと向かう途中、アゲハが目をさまし、ポツリポツリと自身の力の事を話し始めた。

 

 【晶遁】

 それはイタチが話したように空気中の全ての物を水晶へと変換する力。

 しかしその属性や力の起源は知られておらず、アゲハも自身の身に危険が迫った時、自然とその力に目覚めたのだという。

 それはイナホと同じ11歳の時であったと、そう話しながらアゲハは未だ気を失い眠ったままの娘の髪を撫でた。

 「私を買った男はこの力について調べていたけれど、やはり詳しくは何もわからなかったようです」

 過去の忌まわしい記憶がよみがえったのか、アゲハは暗く沈んだ表情でそう話した。

 「ただ、この力を使用する者は決まって短命であるとそう言っていました。それでも、あの男はそんなことはお構いなしで私にこの力を操れるようになれと、厳しい訓練を課してきました。そして、あの島に連れてゆかれ、ザギと再会したんです」

 ザギはすでに何度も島には来ていたようで、その圧倒的な強さからかなり有名であったらしく、アゲハを買った男はザギを倒し名を上げようとしていたのだと、アゲハは心底嫌悪の口調で話した。

 「だけど、私はザギと戦うことはできなかった。ザギはただ一人の私の家族だった。泣き虫な私をいつも励まし、守ってくれた。そんなザギと戦うくらいなら、いっそ…」

 小さく震えた体を水蓮はそっと支えた。

 「そんな私の気持ちにザギは気づいたんだと思います。それに、いずれにしても戦わぬ私は【恥】として殺される。それなら、自分の手でと」

 そうしてアゲハはザギの力を受け、先ほどと同じ状況に陥ったのだという。

 「だけど、ザギは3度目をためらった。その一瞬のすきをついて、一人の男性が私とザギの戦いの場に身を投げ入れてきたんです」

 「それが、イナホの父親…」

 水蓮のつぶやきにアゲハはうなづいた。

 「もう決着はついているだろうと。そうして私は助かり、彼の申し出で彼の主人であった人物に引き取られたんです」

 その人物は、自身が血継限界の力を手に入れるための研究をしており、研究材料となる術者を探しにその島に来ていたのだという。

 研究材料と言っても、アゲハに対して何かを施すようなことはなく、術の発動時のチャクラの流れや遺伝子の研究が主であり、穏やかに時を過ごしてきたとアゲハは話した。

 「彼がそうするように進言してくれていたようでした。彼はずいぶん気に入られていましたから、そのおかげで私は何も辛い思いをすることはなかった」

 そして、後に主は独自の力を手に入れ、二人は解放された。

 自由の身となったアゲハとイナホの父は結婚し、あの町で暮らすこととなった。

 「とても幸せでした。だけど、ナズナが生まれてすぐに彼は病で亡くなり、その後を4人で生きてきたんです」

 話を聞き終わり、小南が一つ息を吐く。

 「そんな島の話は聞いたことがない」

 情報には長けている暁。その目すらもかいくぐって存在する島。

 

 一体何者が仕切っているのか…

 

 水蓮は計り知れないこの世界の闇に体が震えた。

 「それで、その子が使っていた父親の能力とはどういったものなの」

 小南の問いにアゲハは再びイナホの髪を撫でた。

 「冥遁と言われるものです。あれは、もともと彼の持っていた力ではなく、実験の際に偶然彼の身についたもののようです」

 「冥遁…」

 つぶやいた小南の隣で水蓮も顔をしかめる。

 「相手の術を吸収し、自分の力として発動するものです。しかも、その力を2倍、3倍にも大きくすることができるんです」

 【晶遁】と【冥遁】その両方を持つイナホは、もはや恐れるものなどないように思える。

 しかしアゲハは沈痛な面持ちで話を続ける。

 「どちらも強力な力です。でも、大きな力にはそれ相応のリスクが伴う」

 先ほどのアゲハの話に合った言葉。

 『短命…』

 小南と水蓮の声が重なり、それぞれの脳裏に大切な存在が浮かぶ。

 「そうです。あの人も力が原因だったかどうかはわかりませんが、その病は原因不明で治療法も見つけられなかった。そして私も、ここ数年は体調が良くなくて…」

 それでイナホは自分に教えを乞うと来たのだろうと、水蓮はイナホを見つめる。

 「でも、もしかしたら力を使わなければ、それは免れるかもしれません」

 祈るようなアゲハの言葉に、イナホがわずかに身じろぎをして、うっすらと目を開いた。

 「イナホ」

 まったく訓練されていない体で強力な力を使ったゆえか、イナホのダメージは大きい。

 母の呼びかけにも、ほんの少し顔を動かすのがやっとという様子。

 それでも、自身の状況が先ほどまでと違うことに気づき「お母さん…」と小さな声でつぶやいた。

 そこには母を心配する気持ちが溢れている。

 「大丈夫。もう大丈夫。全部終わったから」 

 やさしく頬を撫でる手に、イナホはニコリと微笑み、水蓮をその目に映す。

 「先生たちが助けてくれたの?」

 消え入りそうなその声に、水蓮と小南が顔を見合わせた。

 そんな二人にアゲハが目配せをし、イナホにうなづいた。

 「そうよ。水蓮さんたちが助けてくれたのよ」

 「そっか。やっぱり先生はすごい。先生ありがとう」

 とぎれとぎれに言葉を紡ぎ、イナホは安心した笑みで再び眠った。

 「私も同じでした」

 アゲハがイナホの手をキュッと握った。

 「初めて力を使った時、その記憶が失われていたんです。あのまま何も知らず生きて行けていたなら…」

 フッ…と陰りを見せたその瞳が向けられた先では、幾度目かの爆音が鳴り響き、薄黒い煙が上がった。

 その光景を焼き付けるように見つめるアゲハと同じ様に、水蓮と小南もそちらを見つめた。

 「彼の、ザギの夢は、あの力で人の命を救う事でした」

 アゲハのほほを涙が伝った。

 「あの時代、多くの血が大地に流れ、汚れ、様々な病が蔓延していました。多くの命が、特に幼い子供の命がそれによってたくさん失われた。私たちと一緒にいた仲間も」

 

 いわゆる伝染病であろうと、水蓮はその光景を想像して目を伏せた。

 

 「ザギは、そうして死んでいく仲間を見送り、悲しみ、怒り、『自分が変えて見せる』と、そう言っていた」

 

 アゲハの言葉に、小南の瞳がかすかに揺れた。

 「彼は、本当にやさしい人なんです。力に目覚めたのも、私を守るためでした。私はザギのあの力に命を救われたんです」

 戦いの中でだろうと、水蓮と小南は想像する。

 だがそうではなかった。

 「私の体から、病の根源を消してくれたんです」

 思わぬ言葉に、二人の眉がひそめられた。 

 「私も、原因不明の病にかかり、一度死にかけたんです。その時、ザギの力が目覚めて、彼の蒸遁の酸の力で体内の病原を滅してくれたんです」

 「そんなことが…」

 思わず水蓮が言葉をこぼす。

 医療忍術を使うからこそ分かる。

 忍術では病の根源は消せない。

 その病原の強さによるのかもしれないが、命を落とすような病は無理だ。

 だがそれを酸の力で滅した。

 「そんなことが…」

 あまりの事実に再びつぶやかれたその言葉に、アゲハが柔らかく微笑む。

 「あの人の優しい気持ちが、想いが、私を救ってくれたんです。彼はその力を使いこなせるようになって、いつか病に苦しむ人を救いたい。そして、血に汚れた大地を浄化したい。そう言っていた。それが、彼の夢だった」

 

 水蓮はハッと息を飲む。

 

 『この術は地中からも対象者を狙える』

 

 ザギの言葉がよみがえった。

 それは、夢をかなえるため、命を救うために、その身に着けた力だったのだ。

 

 「ザギは本当にやさしい人なんです」

 アゲハはスッと手を持ち上げ、先ほどまで術が刻まれていた個所を見つめて、小さく体を震わせた。

 「私がチャクラを練ってすぐに、彼は術を解いていた…」

 震えが大きくなる。

 「彼は、冥遁の力を知っていた」

 

 水蓮はグッと手を握りしめた。

 

 そのすべてが、やはり彼は自身の手ですべてに幕を引いたのだと悟る。

 

 「本当に優しい人…」

 アゲハの瞳から絶えずこぼれ続ける涙の中に、水蓮と小南はそれぞれ愛する者の姿を映していた。

 

 強い力を持ち、平和を望みそのために戦いながら痛みに耐え続ける。

 争いの絶えぬこの世で争いの終息を心から望み、その身を血に染めてゆく。

 小南の愛する弥彦はそうして死に、水蓮の愛するイタチもまた死に向かって進んでいる。

 

 

 ただ愛するものを守りたいだけなのに…

 

 

 

 なぜ…

 

 

 二人は同じ言葉をこの世界に投げかけた。

 

 

 なぜ…

 

 

 だが、この世界は何も答えてはくれない…

 

 

 「こんな力、目覚めなければよかった…」

 アゲハの声に、いつの間にか眼下の大地に落とされていた二人の視線が引き上げられる。

 「何度もそう思いました」

 

 力がなければ、弥彦は死なずに済んだんだろうか…

 

 胸を刺す痛みを感じながら小南はアゲハに目を向ける。

 その隣で、水蓮も静かにアゲハを見つめる。

 「だけど」

 アゲハがゆっくりと悲しみを笑顔へと変えた。

 「そうではなかったからこそ、私は生き延び、あの人と出会うことができた。この子を、子供たちを生むことができた。それは闇深い私の人生の中で、最も幸福な出来事です」

 

 悲しみと痛み。そして闇の中に見つけた光。

 

 希望

 

 それは誰にも与えられるのだろうか…

 

 見つけることができるのだろうか…

 

 許されるのだろうか…

 

 たとえ血に染まった身だとしても…

 

 

 水蓮と小南は同じ思いを胸中にめぐらせた。

 

 「ザギは、私が死んだと思い孤独に駆られ、心を闇に染め、命を守るための力で命を奪い生きてきた。そしてその罪から目を背けまいと、自身の術で苦しみ死ぬことを選んだ。私がザギを苦しめ、その命を奪った。私もその罪を背負い、目をそむけず生きていきます。どんなに苦しくても、どんなに痛くても。子供たちを守るために…」

 

 アゲハの瞳にもう涙はない。

 

 そこにあるのは深い悲しみと、それでも愛するものを守るためにまっすぐ生きていきたいという、強い光が輝きを放っていた。

 

 

 

 

 

 町の入り口から少し離れた場所に、水蓮たちを乗せた鳥は羽を下ろした。

 いまだイナホは起きぬままではあったが、静かな寝息がその後の良い目覚めを伝えている。

 「ありがとうございました」

 イナホを背に、アゲハは静かに辞儀をした。

 「町はしばらくうちの者に見張らせる」

 小南の視線の先には黒い影が二つ。

 距離がありその姿ははっきりとは見えないが、飛段と角都であろうと、水蓮はかすかに見える赤雲に目を細めた。

 「あの里の者を逃がすわけにはいかないだけよ」

 再び礼を述べようとしたアゲハに、小南はそっけないそぶりで返した。

 「でも、おそらく大丈夫だと思います」

 水蓮が小南の言葉を補足する。

 「つかまっていた人たちが逃げ出したことは知られていませんから」

 たとえ残党が出たとしても、そして小南の言っていた天隠れの里の『本来の里』に住む者たちが恨みを抱いたとしても、その矛先はすべて暁に向けられるだろう。

 アゲハは水蓮の言葉にうなづき、柔らかく微笑みを返した。

 「水蓮さん。あなたが、イナホの【先生】だったんですね」

 その言葉に、ここまでその事を話す間もなかったことに気付く。

 「はい。すみません、一度も挨拶のないままで」

 ようやく交わされた握手に、事態が一応の収束を告げたのだと実感する。

 手を離し際にイナホの体が揺れ、細い腕が母の体をキュッと抱きしめた。

 「お母さん」

 小さな呟き。

 イナホはぬくもりに安堵し、再び深く眠った。

 その様子に水蓮とアゲハはまた笑みを交わした。

 「イナホが何も思い出さぬよう。2度とあの力を使わずに済むように、争いからは身を離し、穏やかに暮らします」

 水蓮はうなづき、イナホの髪を撫でた。

 

 もう会うことはないだろう…

 

 自分との関わりは、イナホを危険に縁させる。

 

 「イナホに…」

 そっと頬に手を当てる。

 ふっくらとした頬が少し脹らみ、可愛らしい笑みが浮かんだ。

 「元気でと、伝えてください」

 「はい」

 アゲハは静かにもう一度頭を下げ、ゆっくりと背を向けた。

 その背を見つめる水蓮と小南の髪を少し冷たい風が揺らした。

 

 その風の中に、もうすぐ町を照らすであろう夕日の気配を感じながら、二人は親子の姿が町の中に消えゆくまで見つめた。



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外伝【暁】~小南の瞳に映るもの~

 大きな満月が夜を静かに照らしていた。

 高い場所に位置するイタチの西アジトは、崖の淵から少し奥まった洞窟。

 ここを目に映せるのは翔をはばたかせて高く飛翔する力を持つ者のみだろう。

 

 それゆえか特に結界を張るでもなく、洞窟の中では水蓮がもうすぐ戻るであろうイタチと鬼鮫のために、鍋から良い香りをたたせている。

 

 さほど煙も湯気も立っていないが、普段野営では避けるものだ。

 このアジトならではの物であろう。

 

 それを背に感じながら、その身を崖の淵ギリギリに置き、小南は夜に穴をあけたような大きな月を見上げていた。

 脳裏には先ほどまでの出来事が繰り返しよみがえり、その隙間を縫うように、自身の過去が割って入ってくる。

 

 

 『この世界から争いをなくして、平和を作るんだ』

 

 弥彦の声が聞こえる。

 

 『誰も悲しむことのない世界を』

 

 どんなに辛くとも、決して希望を失わなかった弥彦の瞳。

 

 『血の雨にぬれるこの里を、世界を照らす希望の光』

 

 いつでも前を向いていた。

 

 『それが【暁】だ』

 

 ぎゅっと固く瞳を閉じる。

 だれもが無理だと笑うであろう大きなその夢を、弥彦は本気で目指した。

 バカがつくほどまじめで、素直で、まっすぐで。

 そして、太陽のように明るくあたたかかった。

 

 だが彼は死に、長門は悲しみに染まり、自分たちは描いていた形とは違う道を歩いている。

 

 

 『そんなのはあなたが描いていた形じゃないはずよ』

 

 

 ザギに向けてアゲハが放った言葉が小南の胸を締め付けた。

 

 弥彦が求めていた形から大きく外れてしまったこの道。

 

 その先には何が待つのだろう…

 そう長くはない長門のその命が消えた後。自分はどこにいるのだろう…

 何を見、何を感じ、何を求めるのだろうか…

 

 一つも答えを見つけられぬままの小南に、冷たい風がまとわりついた。

 「体が冷えますよ」

 背中にかけられた柔らかい声にゆっくりと振り返る。

 ニコリと向けられた笑みは、今日の疲れを残してはいるものの、月の光の中美しく輝いていた。

 その身にまとう血の色をした雲も、別の物に見える。

 

 …やはり染まらぬか…

 

 形を変えた今の暁の闇に、彼女もまた染まって行くのだろうかと、水蓮と出会った時にそんなことを思った。

 だが、先ほどの闇重い戦いを終えた今も、水蓮は自分のように今の暁に色を染めてはいない。

 

 出会ったあの時から、小南にはすでにそれが分かっていたのかもしれない。

 

 【やはり】と感じた自分に、小南は胸の内で小さく笑った。

 そうは思いつつも結局それがなぜなのかは少しも分からない。

 

 この世界には何も答えはないのか…

 

 水蓮を見つめたまま思いにふける小南に、水蓮は何かを感じたのか、改めて静かに微笑んだ。

 その笑みには、やはり弥彦の姿が重なって見える。

 「暁の…」

 「え?」

 弥彦の姿をうっすらと見せる水蓮からその言葉がこぼれ、小南はドキリとした。

 「暁の外套ってすごいですね」

 水蓮は羽織っていた外套を身からはずし、ふわりと広げる。

 「さっき炎に触れたのに、全然焼けてない」

 穴に落ちた時の事を言っているのだろう。

 小南は「ええ」とうなづく。

 「特に火に対しては防御力が強く作られているから」

 「そうなんですか」

 再び袖を通そうとくるりと体を反転させた水蓮に、小南は目を細めた。

 「髪が…」

 「髪?」

 身を包みなおして水蓮は振り向きながら自身の髪を確かめる。

 一つにまとめていた髪の先が、いくばか焼けていた。

 「あ、さっき落ちた時に…。またあとで適当に切ります」

 特に気にした風でもなく笑う。

 「座りなさい」

 小南が目でそばにあった切り株を指した。

 「え?」

 「整えてあげるわ」

 水蓮は一瞬戸惑いを見せるが素直に従った。

 

 シュッ…シュッ…と、クナイで髪をそぐ音が夜の中に鳴る。

 

 「記憶をなくしていたらしいわね」

 手を止めぬままの言葉に水蓮は「はい」と小さく答えた。

 「大体は思い出しましたが、あいまいなところもあります」

 イタチに言われている通りに答える。

 「そう」

 しばしの沈黙が落ち、小南がまた静かな声で問う。

 「過去を失うというのはどんな感じ?忘れてしまうというのは…」

 

 もしそうできたなら、それは心を救うのだろうか…

 

 

 「そうですね…」

 実際に記憶を失っていたわけではなく水蓮は返答に迷ったが、自身の名前を思い出せなかった時の感覚を途切れ途切れに伝える。

 「なんだか、とても寂しくて。悲しくて。まるで自分がそこに存在していないような、ひどく心細い感じでした」

 「そう」

 

 結局は同じなのかと、小南は低い声を落とした。

 

 それでも、また問いかける。

 「過去を変えたいと、思ったことはないの?」

 

 自分は何を聞いているのだろう…

 何を求めているのだろう…

 

 問いかけてすぐに、小南は自嘲の笑みを浮かべた。

 それでも、その問いを取り消せず、水蓮の言葉を待つように黙した。

 「あります」

 先ほどとは違うしっかりとした口調だった。

 「何度もあります」

 ほんの少し覗き込むと、水蓮の瞳の中で寂しげな光が揺れた。

 「だけど、なぜか今にたどり着くんです」

 浮かべられた切ない笑みに、小南の手が止まった。

 「どんなに違う過去を想像してみても、いつもなぜか今いるこの場所にたどり着くんです。だからやめました。過去を想像することを。結局過去は変える事が出来ないから」

 「そう」

 

 確かにそうだ…

 

 小南は胸中でつぶやいた。

 

 力がなければ弥彦は暁を作らなかったのか…

 

 先ほどアゲハの話を聞いてそう思った。

 

 死ななくてすんだのかと…

 

 

 それはどちらも違う。

 

 そうであっても、きっと彼は立ち上がっただろう…

 

 平和のために…

 

 そして自分と長門を命を懸けて守っただろう…

 

 その死を受けて、自分たちは…

 

 

 

 確かにそうだ…

 

 

 

 もう一度心でつぶやく。

 

 なぜかは分からない。

 わからないが、水蓮の言うように今いるこの場所にたどり着く。

 実際には違ったかもしれない。

 だけど、やはりそれも水蓮の言うように、今更過去は変えれないゆえだろう。

 それが分かっているからこそ、今この場所にたどり着いてしまうのだ。

 「そして未来も」

 ぽつりと夜の中に落とされたその言葉に、小南の体がピクリと揺れる。

 「私には、この先に待つ未来を変える事も出来ない」

 

 それは、水蓮自身の事ではなくイタチの事であることを、小南はすぐに悟った。

 

 自身も同じだからだ。

 

 イタチも、長門も、そう遠くはない【死】から逃れることはできない。

 

 「私には、過去も未来も変える力がない」

 先ほど語った過去もイタチの事なのであろうと、小南は水蓮の想いの深さを感じ取る。

 愛する者のそれは、自身の物より大きい。

 「だから」

 少し頼りなかった声に、一気に力が入った。

 「私は今を変えていきたい」

 

 トク…

 

 小南の鼓動が揺れた。

 「今を?」

 「はい」

 水蓮は少しだけ振り向いて微笑んだ。

 「自分がいなかった今とは違う今を作りたい。自分がいるからこそ作れる今を」

 

 トクン…

 

 先ほどより強い波打ち。

 

 『今を変えてゆくんだ。未来のために』

 

 過去に聞いた愛する者の声が響いた。

 「今…」

 「はい」

 うなづいて正面を向いた水蓮の髪をキュッと握り、小南は再びクナイを静かに動かす。

 

 そうか。今…

 

 心の中でつぶやいた小南の目の前には、弥彦の背中が見えていた。

 

 なぜ、水蓮に弥彦が重なるのか…

 

 なぜ、同じ状況にいて同じ衣に身を包む水蓮と自分が違って見えるのか…

 

 その答えは、そこにあったのだ。

 

 平和溢れる未来を目指していた弥彦。

 彼はその未来を見据えながらも、今を大切にしていた。

 水蓮と同じように。

 

 だが自分は、変えられぬ過去に縛られ、どうなるのかわからない未来に怯えていただけだ。

 

 そのどちらにも答えはないというのに。

 

 

 シュッ…

 

 静かなその音の後

 

 ポタ…

 

 小南の持つクナイの上で雫が音を立てた。

 

 自分がいるからこそ作れる今。

 

 それは、具体的には何なのかまだわからない。

 しかし、それを見つけるために生きること。それは十分な支えとなる。

 

 長門のそばで、今を生きてゆこう。

 

 小南はたった一粒落ちた雫に誓った。

 

 「…終わったわ」

 

 気持ちを落ち着かせて、小南はなぜか名残惜しさを感じながら水蓮の髪から手を離した。

 「ありがとうございます」

 振り向き笑った水蓮の髪はずいぶん短くなり、肩の少し下で揺れた。

 そこにやはり重なる姿に目を細め、小南は「似合うわ」と柔らかく言った。

 その小南を見て、水蓮は少し驚いたような顔をした。

 目の前で浮かべられている表情に、小南は思う。

 

 たぶん今自分は、笑っているのだろうと。

 

 それがどういった感覚なのか、思い出せない。

 ゆえに、今自分がどんな表情をしているのかは分からない。

 だが、目の前にいる水蓮の瞳の中に、かつて弥彦の瞳の中にいた自分が見えたような気がした。

 

 「…あ…」

 不意に水蓮が空を見上げ、取り巻く空気が一層柔らかく、穏やかに変わって行く。

 まだ姿は見えないが、イタチと鬼鮫が戻って来たのだろうと小南もそちらを見る。

 「やっぱり」

 水蓮が小さく笑んだ。

 「デイダラとサソリも一緒です」

 先の戦いですっかり目覚めたらしい感知能力が、その二人の存在をもしっかりととらえている。

 その力は組織にとっても十分役に立つだろう。

 しかし小南はそれをまるで記憶から消すように蓋をした。

 「水蓮」

 静かに名を呼ぶ。

 「はい」

 同じように静かに答えた声。

 小南は水蓮を見つめ、ゆっくりとした口調で言った。

 「あなたは本拠地には近寄らない方がいいわ」

 「え?」

 戸惑う水蓮からスッと目をそらし、再び空を見上げて小南はもう一言静かに伝えた。

 「そうしなさい」

 少しの間を置き、水蓮は小南の隣で空を見上げて答えた。

 「はい」

 

 月の明かりが二人を包み込む。

 

 いつもは冷たく感じるその光をなぜかあたたかく感じながら、小南はほんの少しだけ水蓮を見た。

 

 まだ彼女は汚れていない…

 

 イタチと鬼鮫を争いへと送り出すことが、その身を、心を闇に染めることだと受け止めてはいるが、まだその手は血にぬれてはいない。

 

 そんな水蓮を彼らは守ろうとしている。

 水蓮を汚すまいとその方法を探し、選びながら。

 二人の行動はそれを物語っていた。

 

 そして、それは自分も同じだったのだろうと、そう思う。

 

 知らぬうちにイナホを守っていた自分。

 それは二人の弟を守ろうとするイナホに、幼いころの自分を重ねていたからだと思っていた。

 だが、それだけではなかった。

 イナホを守ろうとする水蓮を守っていたのだ。

 

 彼女を闇に染めまいと無意識に。

 そして今も、水蓮をマダラに近寄らせてはならないとそう感じている。

 

 

 それは水蓮が…

 

 

 小南のその思考が、月の中に浮かんだ影に遮られた。

 「戻ってきましたね」

 心底ほっとした表情の水蓮に、小南はうなづきを返した。

 小さく手を振って迎え入れる水蓮の後方に、デイダラの作った鳥が舞い降りる。

 「戻りましたよ」

 軽い口調で地に降り立った鬼鮫のもとへ水蓮が駆けてゆく。

 その隣にイタチも降り立つ。

 「ただいま」

 「お帰りなさい」

 小南はその様子を黙って見つめる。

 

 

 送り出した者が戻り「ただいま」と言う。

 そしてそれを「お帰り」と迎える。

 

 そんな当たり前の光景を、いったいいつから見ていないだろう…

 

 じっと3人を見つめる小南の前で、水蓮の放つ穏やかな空気がイタチと鬼鮫を包み込んでいく。

 

 そこには淡い光が輝いて見える。

 

 そしてその光に二人の瞳が照らされているようにも。

 

 ひとたび血に染まってしまえばあの光は失われるだろう。

 

 イタチと鬼鮫はあの光を守りたいのだ。

 

 血の涙にぬれ、闇の中で生きる二人を照らす光。

 

 それはまるで…

 

 「暁…」

 

 水蓮の存在はイタチと鬼鮫にとって、かつて弥彦が、長門が、自分が胸に掲げた【暁】そのもの。

 

 小さくつぶやかれた小南のその言葉を、イタチと鬼鮫だけが捉えていた。

 

 二人は静かに小南を振り返る。

 それと入れ違いにデイダラとサソリが水蓮のもとへと身を下ろした。

 「あーね。任務終了だぜ!うん」

 「派手にやりすぎだ、デイダラ。うるさくてかなわん」

 水蓮はいつもの二人を同じように迎える。

 「あれ?なんかいい匂いすんな」

 鼻を鳴らしながら匂いをたどり、洞窟の中へと足を進めるデイダラに水蓮が続く。

 「夕飯作ってたの。一緒に戻ってくると思ってたくさん作ってあるから、食べて行って」

 「やったぜ!うん」

 足早に中に入るデイダラの後ろで、サソリが水蓮の隣に並ぶ。

 「オイお前。最近作った薬を出せ」

 「なんで?」

 顔をしかめる水蓮に、サソリではなくデイダラが答える。

 「旦那、この間もらったあーねの薬、勝手に売ってたぜ」

 「ええっ!」

 声を上げる水蓮から目をそらし、サソリは小さく舌を鳴らした。

 「ちょっと!勝手なことしないでよ!」

 「有効に活用してやってるんだ。感謝しろ」

 「なんでそうなるのよ!」

 「いいから出せ」

 「いやよ!」

 二人の言い合いにデイダラが口をはさむ。

 「結構法外な値段で売ってたみたいだぜ」

 「ええっ!やめてよ!」

 「余計なこと言いやがって。後で覚えてろよデイダラ」

 「おーこわ…」

 そんな3人のやり取りにイタチがため息を吐く。

 「鬼鮫。どうにかしろ…」

 見つかりにくい場所にあるとはいえ、ああ騒がれては意味がない。

 その意図をくみ取り鬼鮫が「はいはい」と歩を進め、イタチが続く。

 「鬼鮫。イタチ」

 数歩進ませた足がその呼びかけにとまった。

 振り向いた先では小南が水蓮の背を見つめている。

 「なんだ」

 「なんです?」

 小南は少しの沈黙のあと、やはり水蓮を見つめたまま静かに言った。

 「せいぜい大切にしなさい」

 二人が少し目を見開いた。

 小南はくるりと背を向け、もう一言残した。

 「医療忍者は貴重よ」

 イタチと鬼鮫が顔を見合わせる。

 そしてすぐに小南の背に向き直りうなづいた。

 「わかりました」

 「承知した」

 その答えを聞き、小南は振り返ることなく姿を消した。

 

 

 …もう会うことはないだろう…

 

 

 風の中を駆けながら小南は水蓮の姿を思い出す。

 

 此度はマダラに言われ仕方なく任務に出た。

 おそらく自分の力を、そして裏切らぬかを見定めるために。

 

 

 だが、自分はもう二度と長門のそばを離れない…

 

 そしてイタチと鬼鮫は彼女を、あそこへは近づけさせないだろう…

 

 自分も…

 

 

 いまだこの世に残っていたあの光を汚したくない…

 

 

 小南はグッと足に力を入れてスピードを上げた。

 

 

 戻りついた先で、マダラが「どうだった」と低い声で聞いてきた。

 「別に。何もありはしない」

 「あの女はどうだった」

 もう一度重ねて聞くマダラに、小南は目を向けることなく答える。

 「問題はないわ。でも、前線では使えない。知識も経験も足らず危うい」

 「そうか」

 どこか不服そうにマダラがつぶやいた。

 「懸念することはない」

 小南はようやくマダラをその目に映し、静かな口調で続けた。

 「彼女はイタチが(ここ)にいる限り、決して組織を裏切らない」

 「そうか」

 面白そうな口調にかわる。

 嫌悪で眉を動かした小南に、マダラはまた面白そうに言った。

 「お前と同じだな」

 

 違う…

 

 口には出さず、小南は背を向けた。

 確かに、自分も長門が【暁】でいる限り、ここを離れることも、反することもしないだろう。

 だが、彼女は自分のように汚れてはいない。

 

 自分と水蓮は違う…

 

 だけど、もしこれから【今】を見つめて生きてゆくことができたなら…

 

 ほんの少しだけ同じ色をこの身に彩ることを許されるだろうか…

 

 あの日描いた【暁】の光を…

 

 

 「ご苦労だったな」

 微塵も心にない言葉を吐き出すマダラに、小南はほんの少しも振り返らずその場を去る。

 

 そして自分のいるべき場所へと戻った。

 

 そこで待っていた大切な存在の隣に立ち、いつもと変わらぬ表情で小さな声でつぶやくように言う。

 

 「ただいま」

 

 彼は少し驚いた様子を見せたが、それでも小さな声で小南に応えた。

 

 「おかえり」と。

 

 

 この地に降る血の雨は、今日もすべてを濡らしてゆく。

 

 だが小南の瞳には、ほんの少しだけ今までとは違う色が混じって見えた。




いつもありがとうございます(*^_^*)
小南と水蓮…最期はこのような感じになりました…。
もっと今後も絡ませようか…といろいろ考えたんですが、彼女のイメージや空気を壊さないためには、この辺が限度かと思いこの形に…。
これ以上関わると、のちに原作でナルトに会う前に小南が目を覚ましてしまう…と思って
(~_~;)
マダラに反旗を翻しかねない…(-_-;)
いつか違う形で小南の話とか描けたらいいな(*^_^*)
さて、ここまで【秘伝】【真伝】を交えながらオリジナル展開を中心に書いてきましたが、あと数話で原作の2部と重なる予定です。
あぁ…どうなるのか…。
上手く書いていけるか不安はありますが、妄想膨らませて進んでいきたいと思います!
これからもよろしくお願いいたします!

いつも本当にありがとうございます(*^。^*)


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第六十七章【闇の極みのその先に】

 夜の闇深まり、一層空気を冷たくしてゆく。

 その分空は澄み渡り、星が美しさを増していた。

 冷えた外気に、水蓮は少し鼻をすすり少し位置を低くし始めた月を見つめていた。

 

 脳裏にはもう会うことのないであろうイナホの姿が浮かぶ。

 自分を無邪気に慕ってきたイナホ。

 

 この先、2度と争いに巻き込まれることなく幸せに過ごしてほしい…。

 

 月に祈りを込めた。

 「眠れませんか?」

 背中にかけられた声に振り向かぬまま、水蓮は「寝てると思った」と返した。

 

 今いる西アジトはいくつかあるそれの中でも位置が分かりにくく、安心できる場所だ。

 それゆえ、ここに滞在するときは見張りを立てることはない。

 

 疲れからか、珍しくしっかりと眠っているイタチのそばで鬼鮫も静かに目を閉じていたためそう思っていた。

 「起きてたんだ」

 水蓮はようやく振り返って小さく笑った。

 「いえ、寝てたんですがね。なんだか目が覚めてしまって。あなたは?」

 水蓮の隣に立ち、空を見上げる。

 「んー。色々」

 今日の事を思い返し、水蓮は小南の見せた驚くほど柔らかい笑顔を脳裏に浮かべた。

 「小南さんに、ちゃんと挨拶できなかったな」

 

 彼女にも、もう会うことはないのかもしれない…。

 

 「気にしませんよ。あの人は」

 うなづいた水蓮の胸には、さみしさが揺れた。

 

 もっといろいろ話したかったな…

 

 そんな思いが湧き上がった。

 

 「ここは星がよく見える」

 降り落ちてきた声に背の高い鬼鮫を見上げると、自然とそのまま星空が目に入る。

 高所で見る星は、大きい物は水蓮の拳ほどの光を見せている。

 決して人には作り出せぬ色を放つ星々は、美しくもあり、どこか恐ろしくもある。

 「落ちてきそう」

 あるはずのない事をつぶやきながら、水蓮は笑う。

 「落ちてきたらどうなるのか…」

 鬼鮫も少し笑う。

 

 しばらく沈黙が流れた。

 

 「どうしてシンとしたって言うんだろうね」

 夜の闇が深まった時の静けさに使われる比喩。

 なぜその言葉が選ばれたのだろう。

 水蓮はふとそんなことを思った。

 「私が聞いてきた話では色々な意味がありますよ。深い、深まる、憂う、悲しむ。表す漢字によって違う」

 「なんだか、どれもちょっとさみしい意味」

 「これだけではありませんよ」

 鬼鮫はそう言って空の遠くの方を見つめた。

 「あした。夜明けという意味合いで使われているという説もある。深まった闇が、次に来る朝を予感させるからではないですかね」

 少し間をおいて、水蓮がクスリと笑った。

 「なんです」

 「鬼鮫って結構ロマンチック」

 こらえきれず声を上げて笑う。

 「聞いておいて…」

 むすっとして顔を背ける鬼鮫が面白くて、水蓮はまた笑った。

 「まったく。失礼な人ですね」

 「あ、増えた」

 「なにが?」

 水蓮はわざとらしく指を折って言葉をつなげてゆく。

 「不思議な人。おかしな人。読めない人。面白い人。失礼な人」

 鬼鮫と会ってから今までに、水蓮が言われてきた言葉。

 「どれも褒め言葉ですよ」

 「最後のは絶対違うでしょ」

 少し口をとがらせる水蓮に、今度は鬼鮫が笑う。

 「いえいえ。私に失礼な事を言えるような人はあなたとイタチさんぐらいですからね。そういう意味では褒め言葉ですよ」

 「それはどーも」

 ジトリとにらみながら頭を下げて見せる。

 そして一瞬間を置き、合わせたように二人で笑う。

 それからはしばらく二人で空を見た。

 どれくらいたってからだろうか、鬼鮫がふいに水蓮に問う。

 「あなたは、どう思いますか?」

 「どうって?」

 「ザギの言葉…」

 

 心に残るザギのいくつもの言葉。

 だが水蓮には鬼鮫の言うものがその中のどれなのか、すぐに分かった。

 

 

 『里のためなら人をも殺す。それが忍びだ』

 

 何かを守るために、命を奪う…

 

 この世界の闇の連鎖。

 鬼鮫はそれを水蓮に問いかけているのだ。

 

 水蓮は少し考えて静かに答えた。

 「わからない」

 意外な言葉を聞いたかのように、鬼鮫が水蓮を見た。

 

 こちらの世界に来たばかりの頃に同じことを聞かれたら「それは違う」と即答していたかもしれない。

 鬼鮫もそう思ったからこそ驚いたのだ。

 

 

 水蓮は、ゆっくりと息を吐き出して空気を白く染めた。

 そしてじっくりと考える。

 

 

 自身が生まれ育った世界でも、過去にはこの世界と同じように争いが繰り返されてきた。

 守るために戦い、生きるために殺す。

 そこには多くの痛みと闇が渦巻いていたであろう。

 言葉では言いあらわせない。語りきれない何かが。

 それを乗り越え、かつて生きていたあの世界では『どんな理由があろうとも』と、それが正しきこととして言える世界になったのだ。

 だが、この世界はまだそこにたどり着いていない。そこへと向かい、痛みに耐え忍び皆生きているのだ。

 その中において『どんな理由があろうとも』と、ただ単純に率直にそう口にしてよいのだろうか。

 水蓮は『わからない』のだ。

 

 「でも…」

 

 それでもと、水蓮は重く感じる口を開いた。

 

 「どんな理由があろうとも、人の命を奪うことは許されない」

 鬼鮫は黙って言葉を聞いている。

 静かに、そしてゆっくりと水蓮は言葉を続ける。

 「そう思える自分でありたい」

 ぐっと両手を握りしめる。

 「たとえ答えが見えなくても、求める事をやめずにいたい」

 この世界の抱える闇の連鎖への答え。

 それを求めることをやめてしまったら、何もかもが報われない。

 奪われた命も。生き残った命も。

 

 

 また一つ、夜が深くなった。

 

 

 その深まりの中、鬼鮫が少し笑う。

 「あなたは(・・・・)それでいい」

 

 人を殺めた自分はもうその言葉を口にはできない。

 その『きれいごと』を。

 

 

 だが、それでもどこかで求めている。

 人は誰しもそうなのかもしれない。

 その身を汚し闇に染まってもなお、どこかでそれを求める。

 『きれいごと』を口に出来る存在を、欲してしまう。

 

 決して自身を許さぬために…

 

 

 二人はまた静かに夜を見つめる。

 ただ黙っているこんな時間も、すっかり違和感なく過ごせるようになっていた。

 「シンとした闇が明日を予感させるっていうのは、確かに分かるような気がする」

 「そうですか」

 「うん。だって夜明け前って、一番闇が深くなるでしょ」

 また少し鬼鮫が驚いた顔をする。

 「時々見張りで深夜から朝にかけて起きてる事があるから、それでその時そう思ったの」

 水蓮の言葉と共に空気が白く染まって行く。

 気温がぐんと下がり始め、星はさらに輝きを研ぎ済ませ、その光の中で水蓮の姿が凛として浮き上がる。

 「どんどん闇が深くなって濃くなっていく。それを見ていると、すごく心細くて、恐ろしくて。寂しくて。春でも夏でもなぜかとても寒くて、泣きたくなる。この世界にただ一人取り残されたようなそんな気分になる」

 短くなった髪が風に揺れて、その隙間から切なげな瞳がちらりと見える。

 「気づくと月も星もなくなっていて、もっと寂しく恐ろしくなって。その感情が極限まで高まって。もうこれ以上は耐えられない。そう思った瞬間に、すぅっ…と地平線が白く線を引くの」

 スッと持ち上げられた指先が、静かに一筋の線を引く。

 「あ、夜明けだ…って。毎回当たり前のことをつぶやいてしまう。涙が出る。キレイで、優しくてでも切なくて。だけどとてもほっとする」

 水蓮に向けられていた鬼鮫の視線が、細い指先が示す地平線へと向けられる。

 そこには世界中のいたるところから黒を集めたような闇が深まり、水蓮の言うような負の感情が胸の中に渦巻く。

 だが、その先には必ず夜明けがあるのだという希望を感じる。

 「闇が深いほど夜明けは近い」

 鬼鮫がまだ深まり続ける闇に向かって言葉を放った。

 「以前イタチさんが言っていた言葉です」

 イタチが言うと、またその重みと切なさは大きい。

 鬼鮫は静かなまなざしで言葉を馳せた。

 「我々は今…夜のどの辺りにいるんでしょうかね」

 

 

 忍世界という夜の闇の…

 

  

 水蓮は「わからない」とかすれた声で返した。

 「でも」

 今度はしっかりとした声。

 祈りを込めて答える。

 

 「きっと夜明けは来る」

 

 鬼鮫は水蓮に視線を戻しドキリとした。

 深みを極めだした闇夜を見つめるその瞳に、見覚えがあった。

 

 切なく悲しげで、深い痛みをたたえ。しかしそれでいて強い光を帯びた瞳。

 それはまるで…

 

 「あなたは似てきましたね…」

 心のうちにとどめようと思った言葉が、思わずこぼれた。

 「え?」

 いつもの瞳に色を戻し、水蓮は首をかしげる。

 鬼鮫はフッと小さく笑って洞窟の中に視線を向けた。

 「あなたの目は…彼の物と似ている」

 

 普通の人であったはずの水蓮…。

 それがいつの間にかイタチと同じほどの痛みをその身に抱え、それに耐え生きる者となっていた。

 

 水蓮の瞳にそのことを悟り、鬼鮫はまた笑った。

 「あなたは一体何者ですか」

 水蓮が息を飲んだ。

 今までこんな風に面と向かって鬼鮫に問われたことはなかった。

 鬼鮫自身も、それを水蓮に問う気はなかった。

 それは鬼鮫にとって重要ではないからだ。

 

 問われた水蓮も、問いかけた鬼鮫自身も、戸惑った。

 

 しばしの沈黙が落ち、鬼鮫が水蓮に背を向けた。

 「まぁ、今更それはどうでもいい事ですね」

 そして「それより」と、少し低い声で言葉を続けた。

 「あなたは、イタチさんのそばに戻ったほうがいい」

 今度は水蓮がドキリとする。

 「聡いあなたなら、もう気づいているでしょう」

 また一つ低くなった声。

 水蓮は少し目を伏せてうつむいた。

 そんな水蓮に、鬼鮫は振り向かぬまま言った。

 「彼は、随分悪い」

 

 ズキン…と、音が聞こえるほどの胸の痛みが襲った。

 

 やはり鬼鮫も気づいていた…

 

 水蓮はきゅっと唇を噛んだ。

 

 天隠れの里での一件。影分身を使う際、イタチは鬼鮫とのやり取りで引かなかった。

 今までなら、ため息をつきながら自分が負担を負っていた場面だ。

 すでにチャクラをかなり消費していたということもある。

 だがそれでも今までのイタチなら鬼鮫にあんな風に強要することはしなかっただろう。

 鬼鮫もそう思い、あの時簡単には聞き入れずイタチの出方を見たのだ。

 そして確信した。

 

 水蓮も。

 

 

 イタチの体は、もうかなり弱っていると。

 

 

 それはイタチ本人が最もわかっている。

 

 だからこそイタチは温存しようとしているのだ。

 

 サスケとの戦いのために。

 

 「あなたは彼から離れない方がいい」

 ゆっくりと振り向いた鬼鮫の表情は感情が見えず、そこにどういう意図があるのか読み切れない。

 

 決して『仲間』ではない関係。

 

 その言葉の奥には、水蓮やイタチにもわからない何かがあるのかもしれないのだ。

 

 だが、それは考えても分かる物ではない。

 水蓮はただ素直に受け止めてうなづいた。

 「わかった」

 ニコリと浮かべた笑顔に鬼鮫も笑って返す。

 「私はもうしばらくここにいます」

 

 鬼鮫はこうして時折一人になろうとする。

 

 闇に身を浸して、何かを刻み込むように。

 

 それは決して邪魔をしてはいけない時間。

 

 水蓮はもう一度うなづいた。

 それを見届け、鬼鮫は背を向けた。

 

 静かで研ぎ澄まされたその背に、水蓮は柔らかい声で「お休み」と言葉を残し、イタチのもとへと戻った。

 眠るイタチのそばに座ると、イタチがうっすらと目を開き、水蓮の手を取った。

 「手が冷えている。外にいたのか?」

 「うん。鬼鮫と話してた」

 「あいつはまだ外か」

  一人になる鬼鮫の姿をイタチも何度も見てきたのだろう。

 心配するわけではないが、どこか複雑な表情を浮かべた。

 「うん。もう少し外にいるって」

 「そうか」

 まだ疲れが抜けきらないその声に、水蓮は手をぎゅっと握りしめてチャクラを流した。

 「水蓮…」

 イタチは何かを言おうとしたが、口を閉ざし黙ってそれを受け入れた。

 体の疲れも、心の痛みもゆっくりとほぐされてゆく。

 「やはりお前はあたたかいな」

 イタチの瞳が一層細められたのを見て、水蓮は微笑んだ。

 「眠って」

 その言葉に導かれるように、イタチが静かに目を閉じた。

 すぐに聞こえた穏やかな寝息。

 水蓮はつないだ手をそっと自分のほほに添えた。

 「ちゃんとそばにいるから」

 

 辺りを包む込む静寂に、今日一日の中で触れた痛みと闇が一気に蘇る。

 

 そして、自分が感じた何倍もの痛みを、イタチはまた背負ったのだと苦しくなった。

 

 

 涙が頬を伝った。



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第六十八章【終わりの始まり】

 本格的な冬が始まり、吹き流れる風は厳しさを増した。

 水蓮がこの世界に来てから二年と数か月。3度目の冬。

 この冬が最も厳しく感じられ、水蓮は空を見上げた。

 まるでそれを待っていたかのように、空から白い雪が舞い降りた。

 「初雪だな」

 隣で同じように空を見上げていたイタチがつぶやいた。

 「うん」

 一年前の初雪は、それぞれ別の場所で見た事を思い出す。

 あの時は、想いを通じ合わせた後に襲い来た不安と恐怖に襲われ、互いに少し距離ができていた。

 思い出を作ることを避け、初雪を一緒に見なくてよかったのだとどちらもそう思っていた。

 だが、今こうして隣に立ち並び、優しく降り落ちる雪を一緒に見ることができて、二人は幸せだとそう感じていた。

 「お前と見れてよかった」

 「私も、イタチと一緒に見れてよかった」

 自然と手をつなぎゆっくりと歩きだす。

 

 

 

 天隠れの里の1件から1か月が過ぎた。

 あの後、変わらずイタチと鬼鮫は幾度かの任務に出向き忙しくしていたが、数日前に組織から1週間の休暇が与えられ、水蓮とイタチは久しぶりにのんびりとした時間を過ごしていた。

 だが鬼鮫は休暇の連絡を受けてからすぐに情報収集に行くと二人のもとから離れた。

 それから一度も戻らないままだ。

 出かける前に、鬼鮫は尾獣について水蓮に説明をしてきた。

 組織がその力を集めている事や、メンバーそれぞれがノルマを課せられて動いていることも。

 自分が出向く情報収集はほとんどがそれのためだと、そう話してアジトを発った。

 「鬼鮫って、案外まじめだよね」

 「そうだな」

 肩に雪を乗せながら二人は足を進ませる。

 向かう先は、ひと月前に水蓮が小南と訪れていたあの町だ。

 あの時薬屋で小南が話していた竹藪があった場所を調べに来たのだ。

 

 町の入り口がかすかに見える場所で立ち止まり、水蓮がじっとそちらを見つめる。

 つい最近の話なのに、なぜか随分と昔の事のように感じる。

 脳裏にイナホの顔が浮かぶが、もう会うことはできない。

 「行くぞ」

 水蓮の胸中に浮かんだ寂しさを察してか、イタチが手をキュッと強く握った。

 「うん」

 二人は町のはずれにある山へと向かって歩き出す。

 30分ほど歩き、小南から聞いていた場所へと向かって山に足を踏み入れると、そこには小南が言っていたように、確かに戦に巻き込まれた跡があった。

 

 焼け焦げて朽ちたのであろう木の残骸。

 草も花も生えずに不規則に土をむき出しにした大地。

 大きく切り崩された不自然な崖。

 

 おそらく10年は経っているであろう過去の惨事が残した爪痕は、いまだに痛みをその場にあらわにしていた。

 小南が「焼き払われてしまった」と話しながら浮かべた寂しげな表情が浮かんだ。

 「一緒に修行してた人が好きな場所だったんだって」

 共に過ごす中で小南が言った言葉。

 「そうか…」

 思うところがあるのか、イタチは何かを含ませた口調で返した。

 

 

 

 奥へと足を進めるにつれて空気は冷え、今はほとんどだれも足を踏み入れてない様子の山は、さみしさを一際大きくする。

 

 サク…サク…と、枯れ葉を踏みしめる音だけが響く中、二人の気配を感じて近くの木から鳥がはばたいた。

 その羽ばたきに視線を向けた水蓮の目に、不思議な光景が映る。

 山道から外れた木々の立ち並ぶその場所…。

 ところどころに石が積み上げられていたのだ。

 それがなんなのか、予想はついた。

 いくつ目かの積み上げの前に、錆びて色をかえたクナイが突き立てられていて、水蓮はやはりそうなのだと自然と足を止めた。

 「この場で散った忍の弔いだ」

 イタチが静かな瞳でじっとクナイを見つめる。

 

 風が吹き、クナイの端に結ばれていたひもが揺れた。

 

 かろうじて残っていた細く短いその紐の揺らぎが、何かを訴えかけてくるようで水蓮は胸が苦しくなった。

 「進むぞ」

 やさしく手を引き、イタチが先へと導く。

 

 どれほど歩いただろうか、山の頂上付近でイタチが足を止めた。

 道の右側。やや傾斜のある山壁の向こう側へと視線を向けている。

 同じように水蓮もそちらを見て息を飲んだ。

 倒れた巨木や大きな岩、ようやく高さを身に着けだした木々の間に、何もない空間が見えていた。

 

 そこには何か不思議な空気が漂っていて、水蓮の鼓動が波打った。

 「イタチ…」

 「ああ」

 イタチも何かを感じているのか、つながれた手に力が入った。

 傾斜を超え、その場所へと道なき足場を進む。

 その足音に、水の流れる音が重なった。

 「小川…」

 水蓮のつぶやきにイタチがうなづく。

 ほんの数分歩き、二人はその場所に足を踏み入れた。

 かなり広い空間。大地には何も生えておらず、むき出しになった地面が楕円形のサークルを作り出していた。

 明らかに不自然なそれは、戦で焼かれたというよりは人為的に作られた感じだ。

 「ここに陣を引くために、薬品で植物を除去したのかもしれないな」

 つないでいた手を離し、イタチはその場に腰をかがめ地面に手を触れた。

 そしてあたりを少し歩いて様子を確かめる。それに水蓮も続く。

 「書かれていた手がかりに合う物は小川以外にはないな…。だが…」

 イタチと水蓮の視線が交わる。

 

 あたりには一本も竹はない。

 小川は流れているが、イタチの言うように他の手がかりに合う物もない。

 

 それでも、二人は感じていた。

 

 「なんだろう。すごく」

 

 「懐かしい…」

 

 二人がそうつぶやいた瞬間。

 強い風が吹き流れた。

 

 ざぁぁぁっ!

 

 周りの木々を揺らす音が響き、砂ぼこりが舞い上がった。

 

 「…っ」

 「水蓮!」

 

 キュッと目を閉じて身を縮めた水蓮をイタチが抱きよせ、自身も目を閉じた。

 

 

 吹き荒れる風…

 

 その中に、ザザザァッ…と細い小さな葉を揺らす音が聞こえ、少し勢いを落とした風に、ふわりと竹の香りが混ざる。

 

 

 「え?」

 「これは…」

 

 

 硬く目を閉じたままの二人の脳裏に緑の景色が広がった。

 

 美しい竹が立ち並ぶ光景が…

 

 それはほんの一瞬だった。

 だが、それがかつてのこの場所の姿なのだと、二人にはわかった。

 

 静かに風が消えてゆき、水蓮とイタチは目を開ける。

 そこには先ほどの光景はなく、たださみしい大地が広がるのみ。

 

 

 言葉が出なかった…

 

 

 水蓮もイタチも先ほどの光景を思い返し、ただ立ち尽くしていた。

 

 初めて見たはずのその光景は、なぜか見覚えがあり、自分たちを待っていたような…不思議な感覚。

 

 

 ポタ…

 

 

 水蓮の瞳から涙がこぼれ、大地に音を立てた。

 「水蓮…」

 名を呼ばれて初めて自分の涙に気づき、水蓮は慌ててぬぐった。

 しかし、次から次へと溢れて止まらない。

 「勝手に…」

 「大丈夫か」

 意思とは関係なくあふれるその涙をイタチがぬぐう。

 「見えたのか?」

 「イタチも?」

 数秒言葉なく見つめ合い、二人はうなづき合う。

 「ここだ」

 「うん」

 二人は確信していた。

 探し求めていた場所がここなのだと…。

 

 十拳剣は…ここにある。

 

 止まらぬ涙を拭いつつ、水蓮はその場に姿勢を落とし地面に手をついた。

 ちょうど空間の中心。

 チャクラを流すと、反応は示さないものの確かに何かを感じる。

 その様子を見つつ、イタチも静かに身をおろし、水蓮の手に自分の手を重ねた。

 大きなその手から大地へとチャクラが流されてゆく。

 二人のチャクラの合わさりを得て、そこにふわりと術式が浮かび上がった。

 「わかるか?」

 やさしいイタチの声に水蓮はうなづく。

 「壁画にかけられていたのと同じ術だ」

 水蓮はもう一度うなづいた。

 「やっと見つけた」

 イタチのその呟きは、ほっとしたような…それでいて悲しげな声だった。

 「水蓮」

 流していたチャクラを止め、イタチがすっと立ち上がった。

 水蓮もそれに続き立ち上がる。

 「十拳剣は3つに分けて封じられている。そのすべてを集めるまでにどれほどの時間を有するのか、まったく見当がつかない」

 「うん」

 「組織の動きが活発な今は、まだ動けない。期を待つ」

 真剣な表情でそう述べたイタチに水蓮は強くうなづいた。

 イタチはようやく止まった水蓮の涙の跡をそっとぬぐって抱き寄せた。

 

 二人の胸中には、言い表せない感情が揺らいでいた。

 

 

 

 うちは一族とうずまき一族が命と共に繋ぎ守り抜いてきたもの。

 

 

 

 そこに二人はたどり着いた。

 

 

 

 細い糸をたどって…

 

 

 

 イタチが探し求めていたものを、ようやく見つけた。

 

 

 

 出会うはずのなかった二人が出会い、継がれることのなかったであろうことが受け継がれ、二人はたどり着いたのだ。

 

 

 喜ぶべき事なのだろう。

 

 

 だが、それは水蓮に悲しみをもたらした…。

 

 

 そしてイタチに、切なさをもたらした…。

 

 

 

 二人は何も言えぬまま互いを強く抱きしめる。

 

 止まったはずの涙が、水蓮の瞳からまたあふれ出した…

 

 

 

 終わりへの道が…始まった…



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第六十九章【抗えぬ運命の轢音】

 歯車は、一つが動き出すとすべてが一気に回りだす。

 

 その一つ一つの大きさや種類がいかに違っていても、ガチリと合わさった歯噛みは決して外れることがなく、ガタリガタリ…規則的な動きで回転してゆく。

 

 運命という名のそれは、止めようと一つを狂わせてみたとしても、その狂いさえも組み込まれているもので、結局はすべてがプログラムされたとおりに動いて行くのかもしれない。

 

 

 

 抗うことはできない。

 

 

 緻密に計算された組み立ては、人知を超えた力によって支配され、ガタリ…ガタリと動いてゆく。

 

 

 止めることはできない。

 

 

 ガタリガタリ…

 

 

 空のかなたか、それとも大地深くか…

 

 

 それは確かな響き

 

 

 さだめを呼ぶ、確かな轢音(れきおん)

 

 

 ガタリガタリ…

 

 

 

 

 「水蓮」

 夢の中にきしむ音を聞いていた水蓮は、名を呼ぶその声にゆっくりと目を開く。

 「鬼鮫…?」

 その姿を目に留めてゆっくりと起き上がる。

 アジトの入り口の向こうでは、すっかり登りきった太陽の気配。

 昨夜は深夜の見張りであったため朝方眠ったのだが、

 「寝すぎちゃった?」 

 軽く目をこする。

 「いえ、そうではなくて」

 そう言う鬼鮫の後方では、イタチがじっと空を見つめている。

 その背からいつもと違う空気を感じ、水蓮の鼓動が音を立てた。

 「どうしたの?」

 何かあったのかと、一気に脳が目を覚ます。

 「結界を頼めますか。できうる限り広範囲で」

 「結界…」

 やはり何かあったのかと立ち上がる。

 「3日ほど警戒を頼みたいんですが」

 「何?どこかの残党?」

 しかし鬼鮫は首を横に振った。

 静かにイタチが中に歩み戻り、低い声で事を告げた。

 「今日から3日ほどかけて尾獣を封印する」

 

 ドクンッ!

 

 鬼鮫にも聞こえてしまうのではないかと思うほどの脈打ち。

 

 しかしそれが表情に出ぬよう、水蓮は必死に繕った。

 「尾獣を見つけたの?」

 「ああ」

 無表情にうなづくイタチに、鬼鮫が言葉を続けた。

 「一尾です」

 

 

 我愛羅の顔がパッと浮かぶ。

 

 

 そして次にナルトの存在。

 

 

 修行が終わり、木の葉に戻っていた…

 

 そして、事態は動き出したのだと、水蓮の心臓はその波打ちを止められずにいた。

 

 「封印を施す場所にチャクラを飛ばす」

 「私もイタチさんもその間はほぼ動けません。終わるまでの間頼みますよ」

 二人の言葉があまりはっきり頭に入ってこない。

 黙ったまま返事を返さない水蓮の顔を鬼鮫が覗き込む。

 「まだ寝ぼけてるんですか?」

 「え?あ…ご、ごめん。うん。わかった」

 なぜかイタチと目を合わせられずうなづくふりをして顔をそらし、外套を羽織りながら二人に背を向ける。

 「もう、すぐに?」

 「ああ」

 「そろそろ。あぁ、きましたね」

 振り返ると、ピクリと二人の体が揺れその連絡が入ったのだと察する。

 「外でやります。その方が飛ばしやすい」

 外へと向かうその背を見送り、イタチが水蓮に向き直る。

 「私たちも行こ」

 イタチが言葉を発する前に、まるでそれを遮るかのように水蓮がそう言って外へと向かう。

 「水蓮…」

 横をすり抜けていく水蓮の手をつかもうと思わず出た手を、イタチはなぜか伸ばしきれなかった。

 ちらりと見えた何かを悟ったような、それでいて悲しげな水蓮の瞳。

 今触れてはいけないような、そんな気がしたのだ。

 水蓮も、イタチのその手から逃れるように少し歩を速めた。

 

 今触れられたら、きっと泣いてしまう。

 

 鬼鮫のいるこの状況でそれは避けねばならなかった。

 「行こ」

 振り向かぬまま立ち止まり、水蓮は短くそう言った。

 「ああ」

 短く返されたその声が、改めて事の始まりを告げた。

 

 

 

 

 我愛羅は尾獣を抜かれて一度は死ぬ。

 だけど、砂のチヨバァの術で生き返る。

 

 

 水蓮は結界を張りおえ、背の高い岩の上で微動だにせず集中しているイタチと鬼鮫のその裾もとで、感知に意識を張り巡らせつつ記憶をたどっていた。

 もう過去にNARUTOを観ていた頃からは随分時間がたってしまっている。

 記憶の薄れはある。それでも、流れが少しずつ脳裏によみがえる。

 その中に浮かんだのはサソリの死。

 イタチや鬼鮫ほど深くは関わっていないものの、やはり知った者の死には恐怖を感じる。

 だがサソリは暁の一員で、多くの罪を犯してきた事に違いはない。

 

 それでもその死に悲しみがないかと言えば嘘になる。

 

 その感情をどう受け止めればよいのかが分からず、水蓮は目を閉じた。

 

 今は集中しよう

 

 全ての感情を感じないように、水蓮は集中を高め感知の範囲を大きく広げた。

 

 時折イタチにチャクラを注ぎ、自身もチャクラを回復させるために影分身に見張りをさせて食事も睡眠もとる。

 そうして過ごし、幸い何者の接近もなく一日目が終わった。

 そして二日目の午後。

 不意に鬼鮫が目を開いた。

 「やっと」

 つぶやかれた声に鬼鮫を見上げる。

 「あの時の蹴りの借りが返せそうですね」

 にやりとゆがめられた口元に水蓮の記憶が手繰り寄せられる。

 

 術で鬼鮫と同一の人物を作り出してのガイ班との戦闘…

 

 「水蓮」

 思いがけず鬼鮫に声をかけられ、びくりと体が揺れる。

 「なに?」

 それでも平静を装い地を蹴って隣に身を下ろす。

 「少し回復してもらえますか。ちょっとチャクラを消費する術を使うのでね」

 鬼鮫がそんな事を言うのは珍しい。

 それほど『あの術』は消費が激しいのだろう。

 水蓮はうなづき鬼鮫の肩に手を置きチャクラを注ぐ。

 少しの回復で鬼鮫は水蓮のその手を止め、再び意識を集中しだした。

 その少し後、今度はイタチが目を開いた。

 水蓮はすでにイタチの背中に手を当てていた。

 

 イタチはカカシ班との戦闘…

 

 その光景を浮かべ、水蓮はわかっていながらも「イタチも?」と尋ねる。

 「ああ。頼む」

 そう言ってほんの少し笑みを浮かべたイタチにうなづきを返し、水蓮はチャクラを注ぐ。

 ほどなくして、イタチは目を閉じ術に意識を向けた。

 水蓮はそんなイタチに絶えずチャクラを送り続けた。

 

 一度回復したイタチのチャクラが術に消費されて一気に失われてゆく。 

 

 それを水蓮が即座に埋めてゆく。

 

 尾獣の封印にはかなりのチャクラが必要であろうということは容易に想像できる。

 その上特別な術の使用。

 今のイタチにはかなりの負荷がかかる。

 

 少しでも和らげば…

 

 水蓮はイタチのそばに寄り添い続けた。

 

 

 30分足らずの時間だっただろうか。

 イタチの口端が少し笑みに持ち上げられた。

 それを合図にしたかのように、鬼鮫が目を開いた。

 「そちらも終わったようですね」

 イタチは口元の笑みをスッと消し去り、ゆっくりと目を開く。

 「ああ…。チャクラ切れだ。だが、足止めももう十分だろう」

 背中合わせに位置している鬼鮫にほんの少し振り返り、イタチは自分の背にもたれて動かない水蓮を目に留めた。

 「寝ているのか…」

 静かな寝息が聞こえる。

 術に入ってからずっと水蓮のチャクラを感じていたイタチは、スッと目を細めた。

 「無理をさせたな…」

 「まぁ、いつもの事ですよ。事あなたに関してはね」

 鬼鮫が背を向けたまま笑う。

 「しかし、それでは見張りの意味がないですね」

 ため息を交えたその声に、今度はイタチが小さく笑む。

 「いや、そうでもないさ」

 向けられた視線の先。やや離れた岩の上には水蓮の影分身が立っていた。

 鬼鮫もそれを目に留め「クク」と面白そうに笑った。

 「ずいぶんと器用になった物だ」

 眠りながら影分身を維持するにはコツがいる。

 知らぬ間にそれを身に着けていた水蓮に、鬼鮫は素直に感心した。

 「そうだな…」

 逆にイタチはどんどん新たな力を身に着ける水蓮に複雑な心境だった。

 そうするたびに、水蓮は深みに入って行く。

 引き返せなくなってゆくのだ。

 

 いや…今更か…

 

 そんなことを思うイタチに、鬼鮫が背を向けたままで問いかけた。

 「あなたは、彼女をどこまで(・・・・)連れてゆくつもりですか」

 何かを含ませたその物言いに、イタチは無言を返して目を閉じた。

 その様子に、何も返ってこぬと悟った鬼鮫もまた、無言で目を閉じる。

 

 背中に水蓮のぬくもりを感じながらイタチは思う。

 

 たとえ水蓮が引き返そうとしても、自分はもうそれを許さないだろう…

 

 何かが水蓮を引き離そうとしたならば、無理やりさらってでも連れてゆくだろう…

 

 最期のあの場所まで…

 

 それに、水蓮は決して引き返そうとはしない。自分のこの手を決して離さない。

 

 それはイタチの中にある確信。

 

 絶えず強く感じる水蓮の想いの確かさ。

 

 

 力を身につければ引き返せなくなるなど…

 

 

 「今更だな」

 

 つぶやかれたその言葉に、鬼鮫の体がピクリと揺れた。

 

 「そうですね」

 

 冷たい風の中に二人のつぶやきが溶けてゆく。

 

 それを最後に、二人は口を閉ざした。




いつもありがとうございます☆

あぁ…。いよいよ重なったしまいました…原作二部と…(^_^;)
書きながらドキドキします。いろんな意味で。
基本的には原作の流れをくみながら進めていきたいと思っていますが、そんな中でも原作に描かれていない場面を想像しながら書きたいなと思っているので、原作のすべてのイベントは深く出てこないかもしれません(>_<)
心配なのは時系列(というのでしょうか)
原作ではstoryからstoryの間が何日間隔なのかが厳密に描かれていないので、多少見解のずれが生じるかと思いますが、何卒ご了承ください(T_T)
今後もオリジナルストーリーを中心に進んでいきそうな感じがしますが、いい具合に原作イベントを何とかクロスさせていきたいと思います!(できるのか…)

いつも本当にありがとうございます!
これからもよろしくお願いいたします(^○^)


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第七十章 【消え逝く…】

 3日3晩。イタチと鬼鮫は尾獣の封印のため不眠不休でチャクラを送り続け、4日目の朝封印を終えた。

 

 

 「少し休む」

 「そうですね」

 すべてを終えてからすぐに食事をとり、さすがの鬼鮫もイタチに続いて横になった。

 「水蓮。もうしばらく頼みますよ」

 ひらひらと手を振り鬼鮫が目を閉じる。

 すぐに聞こえる寝息。チャクラ量の多い鬼鮫ですらこの疲れようだ。

 イタチはさらに疲労しているだろう。

 ちらりと向けた視線の先で、寝入りそうなまなざしを浮かべたイタチの手がほんの少し持ち上げられたように見えた。

 自分を呼ぶようなそのしぐさが気のせいではないと感じ取り、水蓮は目を閉じたイタチのそばに座ってその手をそっと包んだ。

 ピクリとイタチの体が揺れ、薄く瞼が開かれる。

 その奥に見える赤い色に、水蓮は優しい笑みを向けてチャクラを注いだ。

 「私はまだ大丈夫だから」

 何かを言いかけたイタチの言葉をさえぎり、疲労の浮かぶ頬にかかる黒髪をすくい流す。

 頬にかすかに触れた水蓮の指の感触が心地よく、イタチは小さく笑んで目を閉じた。

 すっかり日が昇っているものの、日当たりのよくない位置にある洞窟は少しうす暗く、思わず落ち込みそうになる気持ちを水蓮は必死に持ち上げた。

 

 今頃サソリとデイダラが木の葉のチームと戦っているのだろう…

 

 外へと視線を向ける。

 

 この事態がどう動くかで、その後の事が分かる…。

 

 水蓮はそう感じていた。

 

 すべてが原作通りに動くのか。それとも…

 

 イタチの手を握る手に力が入る。

 

 もしも、違う未来があるのなら…

 別の道があるのなら…

 

 デイダラが怪我を癒しに、サソリと一緒にここへ来るはずだ。

 

 もしくは怪我も何もなく、二人とも来ない。

 

 

 まるで祈るように、水蓮はイタチの手を両手で包み込む。

 だが、その祈りは届かなかった。

 

 

 数時間後、水蓮の感知能力にしっかりととらえられたのは、弱まったデイダラのチャクラと、共にこちらへと向かい来るトビのチャクラであった。

 

 やはり未来は変えられない…

 

 水蓮のほほに一粒の涙が走った。

 その涙がイタチのほほに落ち、静かに赤い瞳が開かれた。

 「水蓮?」

 ゆっくりと体を起こすイタチの気配に鬼鮫も続き「こっちに来ますね」とつぶやいた。

 すでにイタチもその気配を捉え、感づいている。

 デイダラのチャクラの弱まりと、そのそばにいるもう一つのチャクラ。

 珍しいその組み合わせが意味することを。

 「彼は戻りませんでしたか」

 鬼鮫がそれを裏付け、イタチもうなづいた。

 それからほどなくして、デイダラの鳥がアジトの入り口に降り立ち、トビがデイダラを抱えて飛び跳ねながら入ってきた。

 「すいまっせーん!けが人でーす」

 

 ドサッ!

 

 水蓮が準備していた毛布の上に、まるで放り投げるようにトビがデイダラを降ろした。

 「いってー!トビ!何すんだてめぇっ!」

 たまらずデイダラが体を折り曲げて声を荒げた。

 見る限り、原作の通り両腕を負傷している。

 「先輩だぞ!丁重に扱え!ばかやろう!」

 しかし、自分のその声が体に響き、うずくまって体をプルプルと震わせる。

 「あ!すんませーん。そうですよね。木の葉にまんまとやられてボロボロですもんね。痛いっすよね。申し訳ありませんでしたー」

 完全にバカにした態度で頭を下げる。

 「な!誰がぼろぼろだ!こんなのまったく平気だ!うん!」

 あからさまな強がりを放ち、器用に勢いをつけて飛び起きる。

 「…うっ!」

 だが、立ち上がった衝撃に明らか顔をゆがめ、デイダラはぐらりと体を揺らめかせた。

 「あぶない!」

 水蓮が思わず受け止めようと両手を広げて身を寄せる。

 が、その腕の中に倒れこむ寸前でデイダラの体が止まった。

 「え?」

 「ん?」

 中途半端に体を斜めにとどめるデイダラのその後ろ。

 イタチがデイダラの外套を引っ張っていた。

 「大人しくしろ。死にたいのか」

 

 ドサリ…

 

 先ほどよりは若干丁重とは言え、やはり音を立てて毛布に放られ、デイダラはまた体を曲げて呻いた。

 「うっ…くっ。イタチ…てめぇ…覚えてろよ」

 睨みあげるデイダラの視線を軽く受け流し、イタチは冷めた口調で言い放つ。

 「死にたいのか」

 再び言われたその言葉に、デイダラはようやく口をつぐんだ。

 声を荒げる元気があるように見える。

 それでも、荒っぽく止血された腕からはかなりの血がにじみ出て、黒い外套を血の色でさらに黒く染めていた。

 「服、切るね」

 ようやく治療の雰囲気になり、水蓮がクナイでデイダラの外套を切りさく。

 「……っ」

 思わず目をそらしそうになる。

 右腕は肩の少し下から手首までがつぶされており、左腕はひじの少し上から切断されている。

 イタチや鬼鮫がこういった大きなけがを負わないゆえに、ここまでの外傷は初めて見る。

 水蓮の手が少し震えた。

 それでも、痛みに顔をゆがめて冷や汗を浮かべるデイダラの表情に気持ちが引き締まる。

 きっちりと止血し直し、消毒液を手に取る。

 「サソリはどうした」

 水蓮の背後からイタチが確認を兼ねて静かな声で問う。

 デイダラは少し間をおいてからそっけなく「死んだみてぇだな」と一言返した。

 それはひどく他人行儀で冷たい響き。

 しかし水蓮はデイダラのほんの少しの体の震えを捉えていた。

 それは体の痛みからではない。

 「しばらく外に出ててもらってもいいかな」

 デイダラに目を向けたままその場にいる面々に言う。

 「集中したいから」

 それをどうとらえたのかは分からないが、イタチはすぐに「わかった」とうなづいてその場を離れ、鬼鮫も「行きますよ」とトビを促した。

 「えー。消毒やら何やらでもだえるデイダラ先輩を見たかったのに~」

 「いいから早く出て行って」

 「ひどい!ボク先輩なのに」

 ぴしゃりと放たれた水蓮の言葉にトビが大げさに反応する。

 そんなトビの首根っこをつかみ、鬼鮫が外へ足を向けた。

 「行きますよ」

 「ちょっと鬼鮫先輩!く、苦し…」

 そうして場が静かになり、水蓮は顔をそむけたまま黙るデイダラを見つめ、切断された左腕におもむろに消毒液をぶちまけた。

 「いっ!…てぇ…」

 突然の刺激に大声を上げそうになりつつも必死にそれをこらえ、デイダラは少し目を潤ませながら水蓮を見上げた。

 「あ…あーね。荒っぽいな、うん」

 「ごめんごめん。手が滑ったのよ」

 「いや、そんなレベルじゃ…」

 その言葉が途中で消える。

 「あーね。泣いてんのか?」

 水蓮はにじみ出た涙をグイッと拭った。

 

 サソリとのかかわりは多くはなかった。それでも、決して少ないわけでもない。

 だが、彼は暁の一員で仲間ではない。

 かといってやはりまったく何も感じないほど非情にもなれない。

 

 その複雑な心境が涙を呼んだ。

 デイダラのかすかな感情の揺れも、それを誘った。

 

 「この薬しみるでしょ…」

 

 デイダラは無言で水蓮を見つめ、少しの間をおいて「そうだな」と小さく返した。

 「目にもしみるのよ」

 ポロリと水蓮の目から一粒涙が落ちた。

 デイダラは、ゆっくりと目を閉じて本当に一瞬だけ笑った。

 「そうだな、うん」

 また小さくつぶやいて、デイダラがスッと顔をそむける。

 「芸術は永遠の美だってうるさかった」

 「そっか」

 「芸術は一瞬の美だぜ。うん」

 「そう」

 「おいらの勝ちだな。永遠なんてない」

 デイダラの体から力が抜けてゆく。

 

 デイダラの言うように、命に永遠はない。

 命を芸術としてとらえるのなら、確かにデイダラの勝ちだろう。

 だが、サソリは死んでその存在を、魂をデイダラの中に残した。

 永遠に。

 

 「いや…」

 

 小さな小さな声だった。

 

 「旦那の勝ち逃げだな、うん」

 

 デイダラとサソリも、イタチと鬼鮫同様、仲間という言葉ではくくれないだろう。

 特に仲が良かったわけでもない。

 だが水蓮は二人を見て感じていた。

 互いに認め合っている事を。

 

 一瞬と永遠。

 

 二人の求める物は真逆で、少しも交わらない。

 それでも、そこには確かに互いを求めあい、高め合う何かがあった。

 

 「むかつくぜ、うん」

 

 

 ポタ…

 

 

 どちらの瞳からこぼれたものか。

 

 

 冷たい地面に敷かれた毛布に、小さな雫が切なげな模様を広げた。



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第七十一章【救いたい】

 デイダラの治療は困難を極めた。

 左腕は止血と消毒。そして応急処置でひと段落をつけ、後から来るという角都に任せることとした。

 問題はつぶされた右腕だった。

 骨が砕かれ、神経も筋もずたずたでどこから手を付ければよいのかもわからない。

 そんな状態で手首から先が無事なのが不思議であった。

 「ギリギリ粘土で守った」

 水蓮の思考に気付いたのか、デイダラがにっと笑う。

 「こいつをやられたらどうにもなんねぇからな」

 手のひらの方に視線をむける。

 デイダラの術の要であるその手のひらを、彼は必死に守ったのだ。

 「治るか?」

 少し不安げな表情に、水蓮は正直に「わからない」と答えた。

 思い当る術はある。が、使ったことのない物だ。

 それでももうそれを試すほかなかった。

 「今から使う術はちょっと荒っぽい。かなりの痛みがあるかもしれない」

 「わかった」

 「それに、本人の体力もかなり消耗するの。今のデイダラにはかなりきついかもしれない」

 激しい戦闘のあと。そして大量の出血。

 デイダラの体はかなり衰弱している。

 それでもほかに方法はないのだと悟り、デイダラはうなづいた。

 「どうってことねぇよ。うん」

 いつものように、にかっと笑う。

 「じゃぁ、はじめるね」

 水蓮は鬼鮫を中に呼び、デイダラの体を抑えるよう頼みさっと印を組んでデイダラの左腕に手をかざした。

 

 ぶわぁっ…と水蓮の髪が浮き上がり赤く染まって行く。

 「うずまき一族の…」

 いつの間にか後ろに来ていたトビが小さくつぶやいたが、水蓮は何も反応を返さぬまま続ける。

 水蓮のチャクラに包まれた左腕が外傷を癒しながら少しずつ形を整えだす。

 それに伴ってデイダラの顔が歪んでゆく。

 「う…くっ」

 動く体を鬼鮫が抑え、イタチが目を細めてその様子を見つめる。

 「細胞の再生を速めているのか…」

 それにうなづく代わりに、水蓮の額から汗が落ちた。

 早めるだけではない。破壊されほぼ死滅した細胞を無理やり復活させ元に戻す術。

 本人の持つ自己治癒力を強制的に高めるため体力を大きく削り、その負荷による激しい苦痛が伴う。

 水蓮の母が使う最も高度な医療忍術であった。

 回復にそって元に戻ろうとする細胞や神経、そしてつぶされた骨の動きをチャクラで誘導し、治療する術。

 その内容がわからなくとも、水蓮の様子からかなりの集中力とチャクラコントロールが必要である事が感じ取られ、その場にいる誰もが口をつぐみ水蓮に見入っていた。

 呼吸のかすかな空気の揺れさえもが許されぬような雰囲気の中、デイダラのうめき声だけが響く。

 水蓮の放つチャクラはどんどん強さをまし、それと同時に研ぎ澄まされてゆく。

 

 チャクラの圧に揺れる赤い髪。

 かすかな瞬きも見せない真剣な瞳。

 足の先から全身へと張り巡らされた集中と緊張感。

 

 今までに見たことのないその姿に、イタチは息を飲んだ。

 

 ランプの薄明かりの中、普段は見せない赤い髪がふわりふわりと揺れ、淡く光るチャクラをまとい輝くその姿はまるで緻密に描かれた絵画のように美しい。

 

 「赤い髪のあーねも、きれいだな」

 

 苦痛に顔をゆがませながら、デイダラが小さく笑んだ。

 自分が感じていたものを言葉にされ、イタチがドキリとし、言われた水蓮はきょとんとした。

 「な…何言ってるのよこんな時に」

 慌てて集中しなおす水蓮。

 「集中力きれちゃうでしょ」

 再び意識を集め術に集中する。

 細い髪の毛ほどの糸の端と端を、寸分狂わずつなぎ合わせるようなその治療は、膨大なチャクラを消費しながら続けられていく。

 「あーね。もういい。あーねのチャクラが切れる」

 額に汗をびっしりと浮かべ顔色を変え始めた水蓮に、デイダラが言葉を絞り出した。

 しかし水蓮は首を横に振った。

 「大丈夫。私は大丈夫だから」

 ここで手を止めたら、デイダラの腕はおそらく治らない。

 それは後に来るサスケとの戦いの事を考えると、その方がいいとも言えるのだろう。

 暁の戦力をそぐこともできる。

 だが水蓮の頭にはそのどれも浮かばなかった。

 ただ目の前にいる傷ついた一人の人を救いたい。その一点だった。

 「絶対治すから。絶対に…」

 グッと力を入れなおし、チャクラを練る。

 「あーね」

 つぶやくように言ったデイダラの額にも大粒の汗が浮かんでいる。

 その顔色もよくない。

 どちらもギリギリの淵に立っていた。

 それでも、水蓮は手を止めようとはしなかった。

 普通の人相手ならば、ここに来るまでに諦めてしまっていたかもしれない。

 それは術を受けている本人にかかる負荷が大きすぎるからだ。

 逆に命を削りかねない。

 それでも続けたのは、デイダラの自己治癒力の高さを感じての事であった。

 チャクラを使って損傷個所の再生を誘導する中で、驚くことに砕かれたデイダラの骨もつぶされた神経や血管も、まるで意志を持っているかのような速さで繋ぎ合わさり始めたのだ。

 もしかしたらデイダラが手のひらに持つ特殊な能力と関係があるのかもしれない。

 水蓮はその常識から逸した力を感じて『いける』と、そう確信したのだ。

 

 あと少し。もう少し…

 

 最後のギリギリの一滴までチャクラを使い切るつもりで力を注ぐ。

 

 もう少し…

 

 しかし、最後のつもりでチャクラを練ろうとした水蓮の手を、イタチが横からつかんで止めた。

 「よせ。これ以上は危険だ」

 その声にはっとする。

 つかまれた手首にイタチのぬくもりをすぐに感じられなかったことに、水蓮は自分の意識が一瞬飛んでいたことに気付いた。

 「……っ!」

 その気付きと同時に全身に一気に疲労が襲いかかり、その場に崩れるようにうずくまる。

 「水蓮!」

 イタチがその体を支え、荒い呼吸に揺れる背をゆっくりと撫でた。

 「大丈夫か。ゆっくり呼吸をしろ」

 背中に添えられたイタチの手の動きに、呼吸が導かれてゆく。

 そうしてゆっくりと呼吸を整え、水蓮は大きく深呼吸をして体を少し起こした。

 「だ…大丈夫…」

 デイダラに目を向けると、血色の失せた顔で硬く目を閉じていた。

 それでも、水蓮は小さくうなづいた。

 「大きな損傷はなんとか…。あとはデイダラの治癒力にかけるしかない。でも、多分もう大丈夫」

 おそらくデイダラの治癒力なら問題ないだろうと水蓮はほっと息をつく。

 「だけど、このままだと体力が戻らない。どこか病院で点滴とか必要だと思う」

 「それなら、あてがある」

 その声は突然洞窟の入り口から飛び来た。

 一同が視線を向けたその先にいたのは角都。

 その後ろには飛段もいる。

 「古い知り合いに医者がいる。闇だが腕は確かだ」

 淡々と話しながらデイダラのもとにしゃがみ込み、デイダラの左腕の包帯を外して様態をさっと見る。

 「遅かったじゃないですか~。角都先輩」

 トビがその隣にひょいっと近寄る。

 「でかい賞金首を狩ってる最中だったんだぞ…」

 不機嫌なその様子から、水蓮は途中で中断してこちらに来たのであろうと察する。

 そんな水蓮の視線を受けて、角都が口を開いた。

 「おい、これは」

 「おぉぉぉっ!」

 しかし、そんな角都の言葉を飛段の声が遮った。

 「これがイタチのとこに入った子かよ」

 大きな体を折り曲げ、座ったままの水蓮にずいっと顔を近づける。

 「かわいいなー!てか、ちっせー!嬢ちゃん名前は?」

 「じょうちゃんって」

 言いながら少しのけぞった水蓮に向かって、無造作に大きな手が伸びる。

 イタチがピクリと反応し、鬼鮫が飛段のその手を掴み取った。

 「なんだよ」

 「おすすめしませんよ」

 軽く飛段を押し戻し、鬼鮫はいつものように小さく笑った。

 「いらぬ恨みを買いますよ」

 言われた意味が分からず首をかしげる飛段の隣で、角都が水蓮に言葉を向ける。

 「おい女。これはお前がやったのか」

 先ほど止血を施した右腕を視線で指す。

 「お、女って…」

 水蓮は顔をひきつらせながらもうなづく。

 角都はそのうなづきを見て「これなら」と満足げにつぶやき、おもむろに切断されたデイダラの腕を手に取り、乱暴に引っ付けた。

 「すぐにつくだろう」

 その言葉が終わる前に、角都は黒いひもを宙に浮かせてデイダラの腕に突き刺した。

 「あ!ちょっ!麻酔…」

 「いってぇぇぇぇっ!」

 水蓮の静止の声に、気を失っていたデイダラの叫び声が重なり、その声が治まるより早く、腕は縫い付けられていた。

 「…うっ…く…」

 何が起こったのか理解できず、デイダラは体を丸めてうずくまり、自分の左腕を目に留めてようやく事態を理解し、視線をめぐらせた。

 その目が角都を捉え、きつく釣り上る。

 「てめぇ…」

 「礼はいらんぞ。金を払え」

 「んなわけねぇだろうが!うん!…つっ」

 声が体に響き、また呻きを上げる。

 「うう。ひっついてよかったですね~。先輩!」

 うずくまったままのデイダラに歩み寄り、トビがあからさまな芝居で泣きまねをしながらバシィッとデイダラの背中を思いっきりたたいた。

 「いっ…てぇっ!つってんだろうが!」

 震えながら声を荒げるデイダラに、イタチと鬼鮫のため息が降り落ちた。

 「黙れ」

 「アジトで騒がないでください」

 「ちびっこのくせに声でけぇからな。デイダラちゃんはよぉ」

 言葉を連ねた飛段に、デイダラが顔をゆがめながら立ち上がり詰め寄る。

 「てめぇ。誰に言ってんだ…」

 「ちょっとデイダラ…、そんなに騒いだら…」

 水蓮の言葉を途中に、デイダラの体からフッと力が抜けそのまま崩れ落ちた。

 「デイダラ!」

 「あらら。さすがに死にかけですね。血が足りないって感じですかね~」

 地面に落ち行くその体をトビがさっと受け止めて、軽々と担ぎ上げる。

 「んじゃ~、行きましょうか。その闇医者の所に」

 「ああ。ここから割と近い」

 角都が先導し、トビと飛段がそれに続く。

 「やっと静かになりますね」

 ため息をつく鬼鮫の隣でイタチがうなづき、水蓮が小さく笑う。

 そんな水蓮たちにトビがふいに振り返った。

 「水蓮ちゃーん。またね~」

 ぶんぶんと大きく手を振る。

 水蓮は複雑な心境でひきつった笑みを返した。

 そんな水蓮の前にイタチがすっと身をだし「さっさと行け」とトビを追い立てる。

 「はいはい。わかりましたよ。つめたいなぁ…相変わらず」

 ぶつぶつと文句を言いながら出て行くトビの肩の上でデイダラの体が揺れた。

 

 美しい金色の髪の間から見えるその顔は、どことなく寂しげに見えた。



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第七十二章【負、漂う】

 一年の中で最も寒い季節を迎え、日に日に冷え込みはさらに鋭くなり始めた。

 それでも暁の名が表立ってきたこともあって、水蓮たちは宿をとることはなく野営が続いていた。

 この時期夜は特に火を絶やせないため、人目につかない高台にある西アジトでの滞在が多くなった。

 

 「鬼鮫。これは?」

 水蓮が地面から一本の枯枝を拾い鬼鮫に見せる。

 「ああ。大丈夫ですね」

 その枝を受け取り、鬼鮫はうなづいた。

 「これだけあれば、しばらく大丈夫でしょう」

 太い腕の中にはかなりの量の木の枝。

 それを抱えなおし、鬼鮫はアジトへと足を向けた。

 

 人目につかないとはいえ大きく煙を立たせるわけにはいかず、二人は薪に煙の立ちにくい種類の物を探していた。

 「今日はいい天気だね」

 寒さ厳しいこの季節には珍しく、今日は朝からあたたかい日差しが降り注いでいる。

 「小春日和ってやつだね」

 水蓮は腕を頭の上で伸ばして深く空気を吸い込む。

 今日の温かい空気がまだ遠い春を少し感じさせる。

 「気持ちいいね」

 つぶやかれたその言葉に、鬼鮫は苦笑いを返した。

 「そう言う顔には見えませんけどね」

 「え?」

 返した水蓮は不思議そうな表情を浮かべる。

 日差しを浴び、心地よく言ったつもりのその言葉はどこか覇気がなく、浮かべた表情は全く逆に見える。

 しかし本人が全く気付いていない様子に、鬼鮫はもう一度苦笑いを浮かべて何も言わず歩き出した。

 

 

 サソリの死から1週間が過ぎ、日を増すごとに水蓮の気持ちは自身が気づかぬうちに沈み込んでいた。

 

 知る者の死に加え、先を知りながら表には出せないその重々しさ。

 

 いつ何が起こるかわからない不安。

 

 イタチの死が近づく恐怖。

 

 それらが水蓮の心を少しずつ暗く深い水底に連れ去り始めていた。

 

 だが、すべて本人の気付かぬところで進んでおり、それを何とかできるのは自分ではないだろうと、鬼鮫なりに『どうしたものか』と考えをめぐらせていた。

 それはイタチも同じようで、少し曇った瞳で戻ってきた水蓮を見て内心で溜息をついた。

 それでも何か言葉をかけようと口を開いたその時、空から声が落ちてきた。

 「あーね!」

 それぞれが声の主を思い浮かべながらそちらを見上げる。

 「また彼は大きな声で」

 「何度言えば分るんだ」

 「まぁまぁ」

 なだめるように言って水蓮がデイダラを迎え入れる。

 「もうよさそうだね」

 会うのはあの日以来。すっかり調子を取り戻した様子のデイダラに、水蓮はほっとする。

 「おう!もうばっちりだぜ!うん」

 「ばっちりすぎてうるさいくらいですよ」

 大きく腕を振って見せるデイダラの後ろからトビが顔を出す。

 今まではおっていなかった暁の外套をその身にまとい、サソリがつけていた指輪をはめている。

 その事に、口にせずともトビがデイダラのパートナーになったのだとそれぞれが察する。

 それは確実に事態が進んでいる事の証であり、水蓮は知らぬうちに瞳を陰らせる。

 そんな水蓮とは対照的に、トビが明るい声を上げた。

 「まぁ、ばっちり治るまでもうるさかったですけどね。寝言であーね。あーね。って」

 「んなっ!トビてめぇ、作り話してんじゃねぇ!」

 「本当ですよ」

 「言ってねぇ」

 「いやでも、寝言だから本人分からないじゃないですか」

 「……っ」

 自分なら言いかねないと思ったのか、デイダラは言葉に詰まった。

 が、すぐにトビに詰め寄って声を荒げる。

 「だとしてもだ!いちいち言うんじゃねぇよ!空気読め!」

 言ってすぐにバカな事を言ったと思ったのか、デイダラの顔が引きつった。

 「空気読めって…」

 水蓮がつぶやき、鬼鮫が言葉を続けた。

 「無理でしょう」

 ガクリとデイダラが肩を落とす。

 「やだなぁ。ちゃんと空気読めますよ。たとえば、先輩が『あーね、助けて…』って言ってたこととかは言いませんから」

 「なっ!」

 デイダラの顔が一気に赤くなる。

 「てめぇっ!」

 わなわなと体を震わせ、トビに向かってこぶしを振る。

 「うわっ!何するんですか!」

 ひょいっと器用にそれを避ける。

 デイダラかわされてふらつき、怒りに体を震わせた。

 「避けるんじゃねえ!空気読め…って、あぁもう!」

 「デイダラ」

 苛立つデイダラに鬼鮫の手が伸びる。

 「それはあなたもですよ」

 大きなその手でデイダラの外套をつかんで軽く持ち上げ、そのまま水蓮の前に突き出す。

 「アジトで騒がないで」

 「う、すまねぇ…」

 まるで子供を叱るような水蓮のその口調に、気まずそうに顔をそらしながら謝る。

 「怒られた―」

 ひょこっとデイダラのそばに身を寄せ、トビが笑った。

 デイダラはまた体を震わせて目を吊り上げる。

 「誰のせいだと思ってんだ!」

 「デイダラ」

 荒げられたデイダラの声に水蓮が声を重ねて叱咤する。

 「あ、す、すまねぇ」

 「また怒られてる~」

 「うっ!く、トビ、てめぇ後で覚えてろよ…」

 わなわなとしてはいるものの、とびかかる様子は見られず鬼鮫がデイダラを離す。

 「アジトに帰ったら締め上げてやるからな」

 「こわーい」

 大げさなそぶりで鬼鮫の後ろに隠れ、顔だけをデイダラに覗かせる。

 「でも、ぼく~これからリーダーのところに行くんで、一人でやきもきしててください」

 「ああ?なんだよそれ」

 「さっき連絡来たんですよ。用事があるから戻って来いって。ぼくが戻るまでデイダラ先輩は一人寂しく過ごしててください。じゃぁそういうことで」

 言うや否や、トビはさっと姿を消した。

 「戻ったらしめてやる」

 「にぎやかだね。デイダラは」

 グッとこぶしを握り締めるデイダラを見ながら水蓮がクスリと笑う。

 久しぶりに見るその顔に、一瞬鬼鮫とイタチが顔を見合わせた。

 「それで、どうしたの?」

 見る限り腕の具合は良さそうで治療目的ではなさそうだ。

 「ん?ああ、いや、ちゃんと礼言っとこうと思ってよ。うん」

 「え?」

 きょとんとする水蓮にデイダラは向き直りニカッと笑った。

 「ありがとうな、あーね。治してくれて」

 腕を軽く持ち上げて改めてすっかり良いことを見せる。

 「あのまま治らなかったらって考えるとよ、正直恐ろしいぜ。うん」

 素直にほっとした表情で笑う。

 手はデイダラにとっては術の要。心底安堵している事が伝わり来て、水蓮は笑顔でうなづいた。

 結果的に暁の戦力を守ったこととなり胸中は複雑であったが、自分の力が誰かの役に立つというのはやはり嬉しい。

 それでも拭いきれぬマイナスの感情が表情に現れ、デイダラがそれに気づく。

 「あーね。なんか元気ないな?どっか悪いのか?」

 「え?ううん。そんなことないよ」 

 首を振る水蓮にデイダラがグッと顔を寄せる。

 「いや、なんか顔色ちょっと悪くねぇ?」

 「大丈夫だって」 

 「そうか?」

 腑に落ちない声で、デイダラがさらに水蓮に身を寄せる。

 その様子にイタチが目を細め、水蓮の袖口をつかんで引き寄せた。

 「わ…と」

 バランスを崩しながら、水蓮はイタチの背にその身を隠される。

 「デイダラ、用が済んだら早く帰れ」

 「なんだよ。あんたにはかんけーねぇだろうが。うん」

 「アジトに溜まるな…」

 ジトリとにらむイタチにデイダラも睨み返す。

 「一人増えたからってどうってことねぇだろ。うん。小さいこと言ってんじゃねぇよ」

 「ちょっと二人とも」

 どうにも相性が良くない様子の二人に水蓮は苦笑いを浮かべて間を取り持つ。

 「落ち着いてよ」

 デイダラを背にかばう形でイタチに向き合う。

 「少しデイダラの腕の状態も見たいし、もう少しだけ、ね?」

 水蓮の背後でデイダラが勝ち誇った顔で笑みを浮かべ、イタチが不満げな顔で背を向けた。

 「終わったらすぐに帰れ」

 「いえ。少しデイダラにいてもらいましょう」

 思いがけぬ言葉が鬼鮫の口から発せられ、イタチの肩が小さく揺れた。

 「水蓮。診終ったら彼に少し手合わせしてもらうといい」

 「え?デイダラに?」

 「ええ。どうせひまでしょう、デイダラは」

 「なんか癇に障るな。まぁけど、あーねと手合わせってのは面白そうだぜ。うん」

 すっかりやる気のデイダラとは逆に水蓮は少し戸惑っていた。

 

 デイダラはサスケと互角と言える内容で戦ったほどの実力者であり、あのサスケに『思ったより強かった』と言わせた人物。

 

 そんなデイダラと手合わせ…

 

 普段鬼鮫と組み手をしているとはいえ、鬼鮫は十分自分の事をわかった上での相手。

 一度も手合わせしたことのない人物。しかもそれがデイダラとなると思わず尻込みしてしまう

 「なにを気弱な顔してるんですか。普段私が手ほどきしてるんですよ。デイダラくらい相手にできないでどうするんですか」

 「やっぱり癇に障るな。うん」

 ジトリと鬼鮫をにらみ、デイダラは次に水蓮にいつものなつっこい笑顔を向けた。

 「やろうぜ。あーね。オイラもちょっと体動かしてぇしな。リハビリってやつだ、うん」

 そう言われると断りずらい。

 水蓮は少し考えてから小さくうなづいた。



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第七十三章【手合わせ】

某地方の祭りの名前を少し変えて引用しています。
ご了承ください。


 「んじゃぁ行くぜぇ! あーね!」

 「う、うん」

 腕を診終えて、やる気満々のデイダラの言葉に水蓮は緊張の面持ちでうなづいた。

 互いに外套を外しており、縫い付けられたデイダラの腕が痛々しく見える。

 それでもすっかり状態はよく、何の問題もなく動いており改めて彼の治癒力のすごさを実感する。

 水蓮は一つ深呼吸をし、緊張感をかみしめる。

 鬼鮫の時とはまた違うその感覚は、少し怖いような、どこか心地良いような不思議な心触り。

 「よろしくお願いします」

 すっと構える。

 瞬間的に水蓮をまとう空気が鋭く研ぎ澄まされる。

 「へぇ…」

 瞬時に変化した水蓮の【気】にデイダラがニッと口端を上げた。

 「面白そうだぜ」

 その一言が空気に溶けるのとほぼ同時に、デイダラの姿が音も立てずに消える。

 「…っ?」

 普段鬼鮫との組手はどちらかが土を蹴る音から始まる。

 水蓮の中でそれがある意味合図となっていた。

 それを感じられなかったことに動揺が走る。

 それでも集中してデイダラの気配を探る。

 鬼鮫の場合、こういった時はほとんどが上から来る。だがそこにデイダラの気配は感じられない。

 

 後ろ…

 

 そちらに水蓮の意識が集まる。が、それが瞬時に別の場所に向けられた。

 「下!」

 足元の土に一筋の亀裂が走り、それを一気に砕き広げてデイダラの拳が水蓮を狙う。

 水蓮は、思わず地を蹴り飛び上がりそうになった右足で地面を踏み直し体を反転。反動で振り上げた左足でデイダラの腕をはじいて上から手刀を返す。

 が、そうしかけて後ろに跳ねて身を引いた。

 そのすぐ後に上空にデイダラの影分身が現れ地中から飛び出したデイダラの隣に着地した。

 「お、気づいたのか。やるなぁ、あーね」

 印を組むふりを口元で見せて、ニカッと笑う。

 「印を組むのが早い」

 つぅっ…と水蓮の額から汗が走った。

 先ほどはじいたデイダラの腕。

 彼ははじかれたその勢いのまま印を組んでいたのだ。

 ほんの一瞬その動きが見えたため回避できたが、気づかずにあの場にいたら上からの攻撃で終わっていただろう。

 「あーね。さっきなんで上に避けなかったんだ?」

 「え?」

 地を蹴りかけて踏みとどまった理由。

 「上に避けると態勢を崩しやすいし、追撃を受けたときにかわしにくいから」

 イタチや鬼鮫であれば空中に避けたところで支障はないが、まだそれをうまくできない水蓮は飛び上がって避けることを極力せぬよう鬼鮫に指導されていたのだ。

 「それに、まだ動きながらだと印を組むの苦手で…」

 いまだになかなか習得できないその動作。

 鬼鮫の視線が気になりつつ水蓮は答えた。

 「なるほどな。トビよりよっぽど考えてるぜ」

 「え? そ、そうかな」

 返答に迷い苦笑いを返す。

 そんな水蓮にデイダラはまたいつものように笑う。

 「面白くなりそうだぜ。うん!」

 言葉と共に影分身が消える。

 「分身はもう使わねぇ。術もな。腕の調子もみてぇし、久しぶりに体術で行くぜ!あーねは何使ってもいいからな」

 さっと構えて真剣な表情を浮かべるデイダラ。

 水蓮も慌てて構えなおして対峙する。

 「行くぜ!」 

 「うん!」

 

 ザッ…

 

 今度は互いに地を音鳴らせて距離を詰める。

 シュッ…と鋭い音を立ててデイダラの蹴りが風を切る。

 ほんの少し身を引いてやり過ごし、水蓮は身を落として足払いをかける。

 デイダラもほんの少しの浮き上がりでそれをかわし、着地と共に水蓮の背後に回り込み体制を低くしたままの水蓮にこぶしをまっすぐ振り下ろす。

 「…っ」

 速さに息を飲みながら、水蓮は地面を数度転がりその攻撃から身を逃がした。

 

 ドゴォッ…

 

 デイダラの拳が、そう大きくはない、だが決して小さくもない音を立てて地面をくぼませた。

 

 「え? ちょ、デイダラ…?」

 思いのほか重い攻撃を目の当たりにし、水蓮の顔が引きつる。

 もちろん手加減はしているだろう。それでもその威力にたじろぐ。

 「ん? なんだよあーね。これくらいでびびってんのか?」

 右手を軽く腰に当て、少しいじわるに笑う。

 何とはなしにムッとして、水蓮は再び構える。

 「びびってない!」

 デイダラに向かって駆ける水蓮。

 「こい!」

 デイダラはその場で迎え、水蓮の掌底をすり抜けその手首をつかむ。

 自分自身の勢いをデイダラに利用され、水蓮はぶんっと振り回され飛ばされそうになるが、デイダラの手首をつかみ返して回された反動を使いデイダラに蹴りを向ける。

 デイダラの脇腹辺りを狙ったその蹴りは、デイダラが引き上げた足に阻まれ、今度は水蓮に掌底が迫る。

 さっと手を離してかわし、もう一度蹴りを繰り出す。

 それにデイダラも動きを合わせ、互いの蹴りを腕で受け止めあう。

 

 

 バシィッ

 

 

 空気を震わせるその音はどこか心地よく響き、水蓮の汗が数滴日の光に輝いた。

 

 バッと同時に後ろに飛び距離を取る。

 「なかなかやるじゃねぇか!」」

 やや興奮した様子でデイダラが声を上げた。

 その表情はまるで新しいおもちゃを与えられた子供のような無邪気な笑み。

 それを目に留め、今まで黙って見ていた鬼鮫が小さく笑った。

 「ずいぶんはしゃいでますねぇ」

 その隣でイタチが「いつの間に…」と小さな声でつぶやいた。

 水蓮と鬼鮫の修行は普段イタチが単独で出ている時がほとんどで、共に過ごしている間でも水蓮が恥ずかしさから見られるのを嫌がったため、その力を目の当たりにするのは初めての事。

 驚きを隠せぬ瞳で水蓮を見つめる。

 「ああ。あなたはあまり見る機会がありませんでしたからね。なかなかの物でしょう」

 どこか誇らしげに言う鬼鮫にイタチはため息を返した。

 「鍛えすぎだ」

 「でもまぁ、少しは気晴らしになったんじゃないですかね」

 鬼鮫の視線の先をイタチも目で追う。

 確かに、ここ最近見せなかった笑顔が少し戻ったようだった。

 「面白れぇ! うん!」

 改めて構え直すデイダラに続き、水蓮も足に力を入れ構えを取る。

 正面に立つデイダラは真剣ながらも楽しそうな表情。

 それは水蓮も同じであった。

 打ち合うたびに少しずつ楽しいという感情が湧き上がっていた。

 鬼鮫の時とは違う緊張感。そして体と心の躍動。

 いつもとは違う空気を全身に感じていた。

 

 

 打ち込みやすい…

 

 

 ずっと感じていた事を改めて実感しながら水蓮はデイダラを見据える。

 もちろんデイダラが加減していることもあるが、鬼鮫と比べて身長差が少ない分、打ち込みも受けも無理がなく要領を得やすいうえに手ごたえも感じやすい。

 それゆえにいつもより体も動き、充実感があるのだ。

 

 もっとやれる…

 

 大きく呼吸をして【気】を整える。

 水蓮をまとう空気がさらに鋭く、そして【静】を交えてゆく。

 その様子にデイダラが一層楽しそうに笑みを浮かべる。

 「やる気だな、あーね。んじゃ、オイラももうちょい本気で行くぜ! うん!」

 デイダラの言葉の終わりを合図に同時に地を蹴りぶつかり合う。

 重ねた腕をはじき合って少し距離を開け、水蓮は印を組む。

 しかし一瞬で距離を詰めてきたデイダラが下からその手をすくい上げ印を外す。

 「くっ…」

 体制を崩しながらも水蓮は回し蹴りを放つが、デイダラは姿勢を低く落としてうまく避け、立ち上がる勢いを使って当て身で水蓮の体をはじいた。

 接触部にチャクラを集めて守ったものの、かなりの強さではじかれ体が宙を舞う。

 しかしそこにできた距離と時間。

 飛ばされながらもすかさず印を組む。

 

 ボンッ!ボンッ!

 

 何とかうまく組めた印に2体の影分身が宙に生まれ、デイダラに向かう。

 「陽動だな。うん」

 基本的な動きにどこか満足げにうなづき、デイダラが影分身に向かって地を蹴り飛びあがった。

 影分身は手にクナイを握り飛び来るデイダラに攻撃を向ける。

 しかし、デイダラはさっと影分身の攻撃をかわしてそのまま素通りし、その奥にいる水蓮に向かった。

 だがそれは水蓮の読みに入っていた。

 

 スピードがあり回避能力の高いデイダラなら陽動を無視して本体に突っ込んでくるはず。

 

 そう考えて練った策。

 

 それは、陽動の中に本体を入れる事であった。

 

 本体と見せかけた影分身へ向かってゆくデイダラの背中をその目に捉え、水蓮はクナイを握りしめた。

 

 ここだ!

 

 

 シュッ!

 

 

 切れの良い音が空気を切った。

 

 しかしそれは水蓮の放ったものではなかった。

 

 キィンッ!

 

 甲高い音を立てて水蓮の手からクナイが弾き飛ばされた。

 

 ガッ…ガッ!

 

 鈍い音を立てて、デイダラの放ったクナイとはじかれた水蓮のクナイが地面に突き刺さる。

 

 「つっ!」

 衝撃が手にしびれをもたらし、水蓮は顔をゆがめながら着地した。

 その正面にデイダラが降り立ちニッと笑う。

 「惜しいな、あーね!」

 その言葉に水蓮は額に汗を一粒走らせた。

 

 惜しくなどない…。

 

 デイダラは初めから影分身と本体を見分けていたのだ。

 わかりながらわざと影分身に向かい、わざと攻撃させた。

 

 安心させて隙をつくためか…

 

 それともただ余裕を持って楽しんでいるのか…

 

 どちらにしても、下手な小細工は効かない。

 経験も実力も足りない自分が策を練ったところで通用しないのだ。

 それを悟り、水蓮は影分身を解いた。

 

 

 体術で勝負する!

 

 

 水蓮はしっかりと構え直し、デイダラに向かって打ち込んだ。

 「こい! あーね!」

 すっかり高揚しきった顔でデイダラは水蓮を迎え撃つべく地を蹴り土をはじきあげた。

 

 

 

 そうしてしばらくの間二人の打ち合いは続き、最後はデイダラの不意を突いた足元への攻撃に水蓮が倒れこみ、手刀を突き付けられて終了した。

 それは本当に簡単な、軽い足払いだった。

 それを受けた瞬間に、今までの流れの中でデイダラはいつでも自分をそうして負かすことができたのであろうと、水蓮はデイダラの強さをその身に感じていた。

 「参りました」

 上がる息をおさえながら終わりを受け止め、軽くおでこにあてられたデイダラの手刀越しにデイダラを見上げる。

 「つえーな。あーね」

 すっと引かれた手が形を変えて水蓮に差し出される。

 「全然だよ。やっぱりデイダラすごいね」

 その手につかまり立ちあがる。

 「さすがだね」

 重ねて向けた賛嘆の言葉に、デイダラは素直に喜んで「ヘヘ」と目を細めた。

 「あーねだって、十分つえーぜ。うん」

 いつものひとなつっこい笑顔の中、雄大に広がる青空と同じ色をした瞳が輝き、柔らかく揺れた。

 「まぁ、まずまずですかね」

 終わりを見届け、鬼鮫が二人に歩み寄る。

 「怪我はないか?」

 「うん。大丈夫」

 大きな鬼鮫の背から顔を出したイタチに水蓮はうなづきを返した。

 「デイダラももう問題なさそうですね。腕は」

 「ああ。ばっちりだぜ! と言ってもトビがいねぇんじゃぁしばらくやることねぇけどな」

 軽く伸びをしながら、デイダラは「久しぶりに作品づくりに打ち込むか」とニカッと笑った。

 そんなデイダラから鬼鮫は水蓮に視線を映し、小さく息をついた。

 「反省点はいろいろありますが、まずは他の事で反省してもらいましょうかね」

 「え? ほかのことって?」

 一瞬首を傾げた後、水蓮は思い当ることがあり「あ」と小さく声を漏らした。

 その声にデイダラが「そういえば」と言葉を重ねる。

 「鬼鮫の旦那、任務行ってんのか?」

 鬼鮫が小さく笑い、水蓮がうなだれ、デイダラが鬼鮫を指さした。

 「影分身だろ?これ」

 一連の流れを見守っていたイタチの横で、鬼鮫の体がボンッと音を立てて消える。

 「ダメですねぇ。全く気付かないとは」

 鬼鮫のその声はアジトの洞窟の中から聞こえ来た。

 一同が視線を向ける中、鬼鮫はジトリと水蓮を睨みながら先ほど影分身がいた場所に立つ。

 「い、いつから」

 気まずく目をそらした水蓮にイタチが小さく笑って答えた。

 「朝からずっとだ」

 「うぅ…」

 再びうなだれる水蓮にデイダラが首をかしげる。

 「なんだ?」

 水蓮が少し顔を上げて答える。

 「今、影分身の見分けの修行してるの」

 「今のところ正解率は7割くらいですかね」

 「そのうち身につくさ」

 イタチの慰めに水蓮は大きくため息を吐き出した。

 せっかく目覚めた感知能力を生かせるように。そして後々役に立つようにと始めた修行だが、なかなか思うようにはいかなかった。

 調子のよいときは少し時間をかければ見破る事ができる。

 が、ここ数日は気が沈みがちで上手く力をコントロールできずにいた。

 「朝から…」

 ずっと気づかなかったことがせっかく持ち上がった気持ちを一気に沈ませた。

 「デイダラ、どうしてわかったの?」

 先ほども今も、デイダラは特に感知しようと意識したわけでもなく、初めから分かっていたような雰囲気だ。

 「なんでって言われてもなぁ。オイラは感知タイプじゃねぇけど、なんかわかるんだよな、うん。まぁ、戦闘中はそっちに意識が行くからすぐには分からないけどよ。なんつーか、色が違うっていうか、匂いが違うっていうか…」

 今ひとつ要領を得ない返答に水蓮が顔をしかめ、鬼鮫が笑った。

 「まぁ、彼は野生みたいなものですからね」

 「だから癇に障るって言ってんだろ…うん」

 「事実だ」

 つぶやいたイタチにデイダラが顔を引きつらせる。

 「扱いが悪すぎるだろ…」

 それでももう騒ぎ立てることはせず、フイッと顔をそむけ水蓮に向き直る。

 「なぁ。あーね、もう一回やろうぜ」

 「え? もう一回?」

 今の組手で少し体は疲れている。だが、それでも先ほどの充実感を思い出し水蓮はうなづいた。

 だが場所を取ろうと歩き出す二人を鬼鮫がとめた。

 「水蓮。何か忘れてませんか?」

 「へ?…あ…」

 鬼鮫の厳しい視線に水蓮は再びうなだれた。

 「ん?どうしたんだ?あーね」

 その問いに鬼鮫が答える。

 「気づけなければクナイ投げ100本です」

 「はは。なんだよそれ、罰ゲームかよ」

 笑うデイダラの隣で水蓮がため息をつく。

 「ごめんねデイダラ。また今度…」

 「いいぜ。オイラも一緒にやってやるよ」

 「え?」

 「一人でするよりやる気出るだろ?いつもどこでやってんだ?」

 「あ、あそこ」

 洞窟横の大きな岩を指さす。

 「ささっと終わらせようぜ。うん」

 有無も言わせず水蓮の手を取りそちらに向かう。

 その様子にイタチが目を厳しくする。

 「おい待てデイダラ。さっさと帰れ」

 しかしデイダラは立ち止まらぬままほんの少しだけ振り向いて、不機嫌に返した。

 「オイラはどうせ暇だからな、うん」

 皮肉を交えた言葉を残し、デイダラは水蓮を連れて場を離れた。

 

 器用なデイダラはクナイの扱いもうまく、水蓮は時折デイダラに教わりながら本数を重ねていく。

 デイダラが見せる手本も、やはり背が近い分握り方や投げ方が見やすく、水蓮は思いがけずいい機会を得たことに訓練に身が入った。

 「…中に戻る」

 そんな二人の様子から目をそむけ、イタチが短く言い放って歩き出す。

 鬼鮫もそれに続き「クク…」と小さく笑った。

 「機嫌悪いですね」

 イタチはただ無言を返した。

 

 

 結局この日、イタチに「帰れ」と言われながらもデイダラは夕飯を共にし、すっかり夜が深まってからの帰りとなった。

 

 「気を付けてね」

 アジトの入り口で鳥の背に乗るデイダラに水蓮が笑みを向ける。

 「また来るぜ」

 「うん。今日はありがとう」

 デイダラは嬉しそうに「へへ」と返す。

 そして何かを思い出したように腰のポーチに手を入れた。

 「あーね。これいるか?」

 その手には適当に丸めて入れられていたのであろうシワの寄った紙があった。

 受け取って広げると何かのチラシらしく、後ろから覗き込んできたイタチがそこに書かれている内容を言葉にした。

 「吊りもん祭り…」

 「祭りですか」

 鬼鮫も上から覗き込む。

 「ああ。ここに来る途中に寄った町で配ってたんだ」

 「明日ですね、これ」

 「おいら明日は粘土の調達があるしあんま興味ねぇから行く気はねぇけど、そう言うの好きなんだろ?」

 女性はという意味でデイダラが水蓮を見る。

 「奥まったところにある小さい町だし、出入りは問題ないと思うぜ」

 そう言い終ると、デイダラは「じゃぁな」と元気のいい声と笑顔を残して鳥をはばたかせ夜の空へと消えた。

 「祭りかぁ…」

 デイダラの姿を見送り、再び手の中のチラシを見る。

 祭りの名前と日付以外は特に詳しく書かれていないが、団子や金魚の絵が描かれており、多少の出店があるのであろうことが伺える。

 

 最後に行ったのはいつだっただろうか…

 

 記憶を探しながらじっとチラシを見つめる。

 

 「行きますか?」

 「へ?」

 思いもかけない鬼鮫の言葉に、とぼけた声でそちらを見上げる。

 いかに小さい町とは言え不用意にうろつく事は避けた方が良い。そう考えて寒いこの時期でも宿を取らずアジトでの滞在を選んでいるのだ。

 それに、のんきに祭りを楽しめる立場でもない。

 水蓮は鬼鮫の言動に驚きながらも首を横に振る。

 「何かあったらいけないし。いいよ」

 「別に何も起こりはしないでしょう」

 さっとチラシを水蓮の手から取り、じっと見る。

 「さっき実際に町に行ったデイダラが大丈夫だと言っているんですし。我々もいい気分転換になる」

 言いながらちらりと視線をイタチに向ける。

 イタチはフイッと顔をそむけ「オレはいい」とアジトの中に戻って行く。

 「人ごみは苦手だからな」

 「そうですか。では二人で行きますか」

 「ええ?! 鬼鮫と?」

 思わず声を上げる水蓮に鬼鮫が顔を引きつらせる。

 「そんなに嫌がらなくても」

 「え? いや、びっくりして…」

 どちらかというとイタチの方が甘い物ほしさに行きそうなところだ。

 そんなことを考えながら水蓮はイタチの背を見つめる。

 「彼は機嫌が悪いんですよ」

 「なんで?」

 「さぁなんででしょうかね」

 鬼鮫はどこか面白そうに返して、水蓮にチラシを向けた。

 「で? どうしますか?」

 水蓮はしばらく考えてから小さくうなづいた。

 「行こうかな…」

 

 

 久しぶりに祭りが見れると思うと、水蓮の気持ちは少し明るさを帯びた。

 それに呼応するように、夜空で星が瞬いた。




いつもありがとうございます。
デイダラがどうもお気に入りな私です。
暁の元気印。最も感情の起伏が分かりやすいキャラですよね☆
もう少し出番を作りたいな…とか思ってます(*^_^*)
上手く描ければいいのですが…。

ちなみにここ最近は筆が進み順調な更新となっていますが、ある日突然遅くなったりします…。すみません(~_~;)ムラがあって(>_<)

このまま順調に進めていければいいな…と思います(^v^)
これからもよろしくお願いいたします(*^^)v


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第七十四章【祭りの夜の出会い】

某地方の祭りの内容を少し変えて引用しています。
ご了承ください。


 「どこが大丈夫なの?」

 「ですね」

 デイダラに進められて鬼鮫と共に祭りに来た水蓮が顔をひきつらせ、隣で鬼鮫がため息をついた。

 

 

 奥まった場所にある小さな町。それゆえにそう目立たず出入りは問題ないだろうと、そう言われ来た二人であったが、街の中は想像以上に人であふれかえっていた。

 確かに小さな町ではあったが、祭りは町全体を上げて行われているようで、出店も一部にではなく町中のいたるところに軒を出している。

 「どうやらそこそこ有名な祭りのようですね」  

 「これ、ちょっとよくないんじゃないの?」

 ほほをひきつらせたまま水蓮は町を見回す。

 歩けるほどの余裕はあるが、ひしめき合う人ごみ。よくよく見れば額あてを付けた忍の姿もそう少なくはない。

 その種類は様々で、今のところ木の葉の物は見当たらないが、これだけの人。いないとは限らない。

 それに、すでに夜の暗がりが下りているとはいえ、祭りの明かりが煌々と街を照らしており、一人一人の姿はよく見える。

 とても落ち着いて楽しめる雰囲気ではない。

 「か、帰ろうか…」

 しかし鬼鮫はフッと小さく笑みを浮かべた。

 「大丈夫でしょう。私は姿を変えていますし、あなたはそう知られていない。それにこれだけ人がいれば逆に目立たないでしょう」

 そう言う鬼鮫は今日は女性の姿に変化している。

 黒い髪の少し上品な感じの姿。

 それは以前【竜の心】と呼ばれる水晶を探しに行った、花橘町の旅館の若女将にどこか似ていた。

名前は以前イタチが「緋月(ひづき)」とつけたらしく、水蓮も今日は名前だけでも、と香音を名乗る事にした。

 「いきますよ、香音」

 「あ、うん」

 歩き出す鬼鮫に慌ててついてゆく。

 「せっかく来たんですから。それに彼に団子くらい買って帰った方がいい。機嫌取りに」

 「機嫌取り…」

 昨日からどこか機嫌のよくないイタチを思い出す。

 「そんなに嫌いなの?」

 デイダラの名は伏せて小さな声で問う。

 「さぁ、どうでしょうね。それより…」

 鬼鮫は小さく笑いながらあたりを少し見回し、人ごみをうまく避けて近くにあった店を覗き込んだ。

 「一体何の祭りでしょうね?」

 店は小物屋のようで、和柄の布で作った金魚、鶏、貝、子供の形をした人形などが多く並べられていた。

 「よくできていますね」

 鬼鮫が小さな蝶の小物を手に取る。

 「かわいいね」

 鳥の形の物を手に取り隣で水蓮がうなづく。

 「あんたたち、何の祭りか知らずに来たのかい?」

 店員が「ハハ」と笑い、小さな金魚の人形をつまみ上げた。

 50代ほどの細身の男性。前合わせの作務衣のような服を着ていることから、職人なのだろうとそんなことを思いながら二人はうなづきを返す。

 「ここに並んでるのは全部吊るし人形さ」

 「吊るし人形」

 「ほら、あれだよ」

 指さした後方にはきちんとした門構えの店舗があり、硝子戸の向こうに小さな小物がいくつも連なっている飾りが見えた。

 それはまるでベビーベッドの上に吊るす赤ん坊用のおもちゃのような形をしている。

 「この吊るし人形はこの町では吊り下げて使うことから【吊りもん】って呼ばれている。全部で25種類あって、一つ一つ意味があるんだよ。あそこに書いてある」

 男の視線の先を追うと、出店の壁に貼られた紙に一つ一つ意味が書かれていた。

 「金魚は緩やかに泳いで人の目を楽しませる。鼠は子だくさん…とかね。それぞれ自分の願いにあった物を選んで、木の椀に入れて川に流すんだよ。祈りを込めてな。そして最後に下流で集めて火にくべる。願いが天に届くように。この【吊りもん】を使う祭りだから【吊りもん祭り】といわれてるんだ」

 「うちの七夕祭りに似てる」

 水蓮は自身の地元での七夕祭りを思い出す。

 七夕の夜、短冊を付けた笹を川に流し、願いが天に届くようにと祭りの最後に火に焚く。

 その川には大きな橋が架かっており、流した笹が無事に流れていくかを見るためにその橋を右から左へと走った。

 そして川を流れる笹を見ながら、願いがかなうように橋の上で祈った。

 あの時の短冊に、自分はいったい何と書いたのだろう…。

 記憶をたどってはみるものの、もう10年ほど前の事。思い出すことができず何とはなしにさみしくなり、水蓮は手にした小物をじっと見つめた。

 「買いますか?」

 いつもより近い位置から聞こえる声に、水蓮は首を横に降る。

 「川辺は人が多そうだから…」

 おそらく祭りのメインイベント。

 さすがに行かない方がよいだろうと、手に持っていた鳥の吊り下げ人形を元に戻す。

 「そうですか」

 鬼鮫も人形を手放し、二人は店をあとにした。

 行き交う人の合間から見える出店は、先ほどと同じように吊り下げ人形を売っているところがほとんどで、親子、兄弟、恋人、友人同士。様々な人々が楽しげな表情でどの人形にするかを話している。

 そこには幸せそうな笑顔があふれていて、その温かい雰囲気を目に映すたびに水蓮の気持ちは逆に沈んでいった。

 それはやはり本人の無意識下に起こっているようで、時折「にぎやかでいいね」「きてよかった」と発せられる言葉はどこかとってつけたような響きがあった。

 笑顔を見せるもののどうしても翳りを消せない水蓮のそんな様子に、鬼鮫は早々に切り上げた方が良いかと少し背伸びをして辺りを見回す。

 「彼への土産を見つけて帰りましょう」

 いつもより背の低い姿。やはり不便だと思いながらもうまく人の波の合間に団子屋を見つける。

 「ありましたよ。売切れる前に早く行きましょう」

 人形屋程ではないが列のできている様に、鬼鮫は少し足を速めて歩き出した。

 いくばか歩いてようやく目当ての店の前にたどり着き、鬼鮫が一つ息をはく。

 「彼は来なくて正解でしたね。この人込みでは余計に機嫌が悪くなっていたかもしれない」

 言いながら振り向き、鬼鮫は小さく息を飲んだ。

 そこには時折詰まりながら流れゆく人ごみがあるのみ。

 すぐ後ろにいたはずの水蓮の姿はなかった。

 「見事にはぐれましたね…」

 のんびりした口調ではある物の、鬼鮫は慌てて水蓮を探そうと足を踏み出した。

 しかし、すぐに止まり小さく笑う。

 「子供じゃあるまいし」

 それに互いにチャクラを感知すればすぐに見つけられる。

 まずはイタチへの献上物を手に入れようと、団子屋の列に並ぶことにした。

 しかし、一つトラブルが起こると物事はうまくゆかないのか、鬼鮫の数人前で団子は見事に売り切れとなった。

 「困りましたねぇ…」

 今から別の店を探していては水蓮を探すのが遅くなる。

 数分たった今になっても水蓮がこちらに来ないということは、自分のチャクラを感知できていないという事。

 何かあったのか、それともチャクラを感知すればいいということに頭が回っていないのか。

 どちらにしてもすぐに探しに行ったほうがよさそうだと深くため息を吐く。

 「彼の機嫌を取り損ねそうだ…」

 もう一度吐き出されたそのため息に、どこかで聞いたような声が重なり聞こえた。

 「どうされた、御嬢さん。そんな深いため息、美人が台無しだ」

 柄にもなく、心臓がドキリと小さく鳴った。

 顔をそちらに向けながら、鬼鮫は心の中で何度目かのため息を吐き出す。

 

 どうも彼女といるとトラブルが寄ってくるようだ…

 

 鬼鮫はそんな胸中を完璧に隠し、声の主を見つめてニコリと上品な笑みを浮かべた。

 「いえ、何でもありません」

 「何でもない事はなかろう。こんな老いぼれでよければ力になるぞ」

 白銀の長い髪を揺らめかせ、その人物はニカッと笑い名乗りを上げた。

 「こう見えて伝説と名のつく者。3忍の一人、この自来也様に解決できぬことはなし!だ」

 胸を張ってそこにたたずむのは、以前相まみえ深手を負わされた自来也。

 

 まさかこんなところで鉢合わせるとは…

 

 眼前の者を見つめ、鬼鮫は心うちに生まれたすこしの動揺を抑え込み、もう一度笑みを浮かべ直して小さく会釈する。

 「いえ、本当に何でもありませんので」

 一般人の多いこの場所。いざ戦いとなれば、それを傷つけまいとする自来也相手に有利なのは鬼鮫だろう。

 それでも、鬼鮫はこの場をうまく去ることを選ぶ。

 水蓮を巻き込まぬために。

 「失礼します」

 スッと踵を返し人ごみに身を投じる。

 しかしその鬼鮫の手を器用に選び取り、自来也が引き寄せた。

 「まぁ、そうつれなくするな」

 「…っ!いえ、本当に」

 思わず本気で振り払いそうになり、慌てて取り繕う。

 そんな鬼鮫の前に竹の皮の包みが差し出された。

 「ほれ」 

 「え?」

 「団子を買いそびれたのだろう。一つ持って行け」

 よくよく見れば腕にかけられた紙袋の中に同じものがいくつか入っているようだった。

 

 売り切れの原因はこれか…

 

 ひきつりそうな顔をしっかり整えて、鬼鮫は手を伸ばした。

 素直に受け取り早々に立ち去ろう。そう思っての事であった。

 「すみません。助かります」

 しかし、その手が包みに触れそうになった瞬間。スッとそれが引かれた。

 「……………」

 

 気取られたか…

 

 一瞬緊張が走った。

 しかし自来也は変わらず無警戒な笑顔を浮かべ、機嫌のよい声で言った。

 「その代わり、ちと付き合ってくれんかのぉ」

 グイッと上げられたその手の中で、酒の瓶が祭りの光を受けて鬼鮫のほほに反射を映した。 



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第七十五章【巡り会わせ】イタチの章

 「一体どこが大丈夫なんだ」

 先日デイダラが残した祭りのチラシにあった町。

 行かないと言ってアジトに一人残ったイタチであったが、結局は水蓮が気にかかり二人から少し遅れて町を訪れていた。

 祭りには様々な場所から人が集まる。中には木の葉の関係者もいるかもしれないとの考えから、桔梗の姿ではなく、20歳ほどの青年の姿に変化している。

 「あいつ…」

 祭りの明かりの中、所狭しと行きかう人の多さに目を細めながらため息をつく。

 「適当な事を」

 脳裏にデイダラを思い浮かべると、なぜかその隣で笑う昨日の水蓮を思い出しもやもやとする。

 サソリの死という、今までにない近しい者の命の終わりに触れ、本人の気付かぬところで沈み続ける水蓮の心。

 比例して陰りゆくその表情を、自分ではない誰かが笑顔に戻したという事に対しての苛立ち。

 それは自分の無力さへの怒り…。

 「いや、違うな…」

 その考えを否定し、イタチは再び心のもやの正体を探る。

 それはすでにわかりきっていた。

 

 

 嫉妬

 

 

 自分以外の異性の隣で笑う水蓮を見て嫉妬したのだ。

 ましてデイダラは水蓮に好意を持っている。

 そうではない鬼鮫にすら実のところ時折感じていたそれは、デイダラであればなおさらであった。

 気づかぬふりで色々な理由をつけていたその感情は認めてしまえばひどくちっぽけなもので、そんな感情を抱いてしまう事と、それを隠そうと必死に理由を探してたことの両方に情けなくなる。

 水蓮の心が自分以外に向けられる事はないと、そう確信を持っているにもかかわらず自分は何をしているのだろうか…。

 「参ったな…」

 子供じみた自分。そしてそうさせる水蓮に対して。

 二つの意味合いを持ったその一言に、可愛らしい女性の声が重なった。

 「どうかしましたか?」

 聞き覚えのある声…。

 「何か困りごとですか?」

 イタチの脳裏に記憶がよみがえる。

 風に揺れるサクラ色の髪。キラキラと光る翡翠色の大きな瞳。

 サスケに好意を抱きその姿を美しい瞳に映しては顔を赤くしていた可愛らしい少女。

 そしてついこの間一尾の封印の最中に相まみえたカカシと共にいた、サソリを倒したくノ一。

 確か名は…

 サスケがその少女を呼ぶ光景と共にそれを思い出す。

 

 

 サクラ…

 

 

 ゆっくりとそちらに目を向けて、その姿を映す。

 

 まさかここで会うとは…

 

 「大丈夫ですか?」

 思いがけないことに言葉が出なかったイタチにサクラがニコリと笑う。

 「…あ、ああ」

 何と返そうかと一瞬思案し、イタチは「連れを探している」と短く返しほんの少し辞儀をして町へと足を踏み入れた。

 このまま場を離れよう。そう思った。

 しかし、すぐにサクラがそのあとをついてきた。

 「私もなんです。人が多くてはぐれちゃって」

 「そうか」

 「というか、いつも勝手な行動するやつで、気づくとどこかに行ってるんですよ。本当に困ったやつで」

 その言葉に『まさか』とドキリとする。

 「まぁでも、声が大きくてうるさいし、髪の毛が金髪で目立つからすぐに見つかるとは思うんですけど」

 嫌な予感が的中し、イタチは内心で溜息をつく。

 

 

 うずまきナルト

 

 

 この間もサクラはナルトと共にいた。

 その事からも、そして今サクラが言った特徴からも間違いなくナルトの事であろう。

 

 鬼鮫がいるこの場所に居合わせるとは、タイミングが悪い…。

 

 

 あいつは本当にトラブルを寄ぶな…

 

 

 水蓮を思い描き、呆れつつもなぜかそれがおかしくなり小さく笑う。

 が、すぐにそれを収め、ちらりとサクラを見る。

 任務か…

 暁が動きだしたことを知ってナルトを祭りに遊びに行かせるほど里は緩くないだろう。

 それでも、そう聞いては察しが良すぎる。情報を聞くためにも、イタチは歩みを少し遅めた。

 「祭りを見に?」

 「はい。今日ここであると聞いて」

 ニコリと可愛らしく笑う。

 

 なるほど。情報は漏らさない、か。

 

 おそらく任務である事に違いない。

 それでも、内容を明かさぬように答えるサクラにイタチほっとする。

 当たり前の対処だが、それをきちんとこなす里の若い忍に安堵したのだ。

 「そうか」

 答えてしばし考える。

 

 カカシはおそらく来ていないだろう…。

 

 この間のデイダラの話を聞く限り、カカシが使った術がカムイであろうと想定でき、うちはではないカカシが写輪眼でその術を使えば、それ相応のダメージを受けているはずだ。

 そうすぐには動けないだろう。

 

 となると、誰か他の上忍が同行していて落ち合う場所を決めているのか…。

 それとも任務先で合流することになっているのか。

 どちらにしても、暁から狙われているナルトを里からだし任務につかせるとは。

 

 綱手様らしいな…。

 

 イタチは幾度か会った事のある綱手の快活な笑い声を思い出す。

 ナルトの事を人柱力としてではなく、木の葉の一戦力として信頼しているのだろう。

 そして同行させる彼女の事も。

 

 ちらりとサクラを見て考えを戻す。

 とにかくナルトと鬼鮫が接触することは避けたい。

 今の状況から考えれば、ナルトのそばには自来也がいることも十分に考えられる。

 もし戦闘になればただ事では済まない…。

 水蓮の事が気にはかかるが、そちらには鬼鮫がついている。

 ここはサクラと行動を共にしてナルトを見つけ、早々に木の葉に帰した方がよさそうだ。

  

 「オレが探しているのは黒い髪の女性だ。髪は一つに束ねている。背はこれくらいでグレーの外套を羽織っている」

 水蓮の特徴をサクラに伝え視線を合わせる。

 「一緒に探してもらえるか?二人の方が効率がいい。オレも君の探している人物を探すよ」

 弟に好意を持っていた人物。そしてサスケも気にはなっていたようだった。

 そんなサクラに対しての口調と表情は自然と柔らかくなる。

 「頼めるか?」

 意識せずとも浮かんだ笑みに、サクラが少しドキリとする。

 変化している姿ではあるが整った顔立ち。

 そして内面から出る優しい雰囲気に思わず頬が髪と同じ色を帯びた。

 その頬が緩んで笑みがこぼれ、そのすぐ後にほんの少しのさみしさを浮かべた。

 「似てる…」

 サクラの口から呟きが漏れた。

 「え?」

 イタチが首をかしげる。

 「あ、すみません。知り合いに少し似ているような気がして」

 「知り合い…」

 「はい」

 うなづきサクラは歩き出した。

 「一緒に探していただけると私も助かります。お願いします」

 「ああ」

 人ごみに紛れそうになるサクラの一歩前に出てイタチは上手く道を作る。

 「あの、私サクラと言います。よろしくお願いします」

 少し振り向くとサクラは小さく頭を下げた。

 「オレはハルトだ」

 軽く微笑んだその表情にサクラはまた頬を染めた。

 「やっぱり似てる」

 「知り合いに?」

 視線を前方に戻しながら問うイタチの背中に、ひどく切ない声が響いた。

 「はい。というか、好きな人に」

 ほんの少しイタチの肩が揺れた。

 「それで思わず声をかけてしまったんです。すみません…」

 幾秒かの間を置き、サクラは言葉を続ける。

 「今ちょっと事情があって離れてしまっているんですけど、大切な仲間で、私の大好きな人です」

 「どんな人なんだ?」

 「とても強くてクールで、何でもさっとこなしてしまう人で、すごく人気があって。とても私なんか釣り合わないような素敵な人です。自分にも周りにも厳しくて、妥協を許さない。すごい人です」

 考えるまでもなくサスケの事だとイタチは悟る。

 自分がいなくなった後、サスケは周りからそう見られるような優秀な実績を里で築いていたのだろうと嬉しくなる。

 だが、今そのサスケが大蛇丸のもとにいるのかと思うと悔しく、心配でならなかった。

 その身。そして何よりその心が。

 

 なぜなら、サスケは…

 

 「でも」

 サクラの声に思考が引き戻される。

 「本当はその人、すごく優しいんです」

 思わず振り返る。

 少し伏せられたサクラの瞳には柔らかく穏やかな光が揺れている。

 「優しくて、それから少し弱いところがあって、そのくせ意地っ張りで周りにそれを見せないで一人で悩むんです。寂しがり屋なくせに」

 サクラは「フフ」と小さく笑った。

 「それに、なんでも軽くできるように見せてたけど、本当は誰よりも練習してた。みんなが見てないところで必死に練習して、何でもないふりしてやって見せるんです。かっこつけて。頑張ってるところを見られたり言われたりすると嫌がるんですよ。もう、プライド高くて。でも本当に、本当に優しいんです。いつも私を、私たちを守ってくれていた」

 笑んで細められた瞳がなお光を帯びてキラキラと輝いた。

 

 この子は本当のサスケを見てくれている。

 その上で、本気で好いてくれているのだ。

 

 「とても好きなんだな。その彼の事が」

 サクラはこれでもかと顔を染めて、強くうなづいた。

 「はい」

 「そうか」

 イタチはあまりにもうれしく、そしてありがたい気持ちが溢れすぎて、それを隠すために顔をそむけた。

 「あっちを歩こう」

 出店の裏手を指さし、道を作りながらサクラを導く。

 メインの通りに比べて人が少なく、イタチとサクラは並んで歩きながら人ごみの中に視線を流す。

 「目が、少し似てるんです」

 サクラがひしめき合う人の中に目を向けたままつぶやいた。

 「彼に、なんとなく」

 イタチは無言を返し、同じく人の波を見つめながら歩く。

 

 特に何も意識せず変化したつもりだったが、それゆえにどこかでサスケを思い浮かべてしまったのかもしれない。

 そんなことを思う。

 「君は、その彼に想いを伝えたのか?」

 つい気になって尋ねる。 

 サクラは少し気まずそうに笑って答えた。

 「はい。まぁでも、見事な玉砕でしたけど。うざいって言われちゃいました」

 「ひどいな…」

 思わず本音がこぼれる。

 記憶をたどれば、サスケは自分を追ってくるサクラの事を「うざいんだよ。あいつ」と言っていた事はある。

 でもそれはただの照れ隠しで、いつもそう言うたびに頬を赤く染めていた。

 幼いながらに好意を抱いていた事は間違いない。

 そんなサクラに直接「うざい」と言っていたとは我が弟ながら申し訳なくなる。

 しかし、裏を返せばそれはきっと…

 「でもそれはきっと君だからなんだろうな」

 「え?」

 「君相手だから言えたんだ」

 その言葉にサクラは肩を大きく落とす。

 「そうですよね。本当にうざかったんでしょうね」

 ハハ…と力なく笑うサクラにイタチは慌てて言葉をかける。

 「いや、違う。そういう意味じゃない。君を信頼しているからだ」

 「いいんです。慰めていただかなくても。大丈夫です」

 すっかり気落ちさせてしまったなと、イタチは少し慌ててサクラの正面に立ちその歩みを止めた。

 「違うよ。本当にそう思っている相手にはそんなことはなかなか言えない。まして自分を想ってくれている人にならなおさらだ」

 「そうでしょうか。一度じゃないですよ」

 不安げな瞳がイタチを捉える。

 「なら余計だな。彼が君にそう言えるのは、君を信じているからだ。何度そう言っても自分を好いていてくれる。君ならきっと自分を受け止めてくれると、そう信じているんだ。究極の甘えとうぬぼれの現れだな。その言葉は」

 誰よりもそばでサスケを見てきたイタチにはわかる。

 サスケのその気持ちが。

 もしかしたらそれは無意識かもしれない。

 だがそうであることに確信があった。兄として。

 「間違いないよ」

 「そうだとうれしいんですけど」

 「そうだよ。もっと自信を持つといい。君はとてもかわいらしい人だ」

 「え?」

 はじかれたようにあげられた顔が一気に赤く染まる。

 イタチは柔らかく笑みを返してうなづいた。

 更に染まった顔は湯気が出そうなほど赤くなってゆく。

 

 里を抜けたサスケをいまだに心から想ってくれている人がいる。

 

 イタチは心底嬉しかった。と同時に、胸が痛んだ。

 里抜けの原因を作ったのは結果的には自分であり、それが二人の間を裂いたのだ。

 どれほどこの少女に辛い思いをさせただろうか。 

 「すまない」

 本当に小さな声ではあったが、思わずこぼれたその言葉をサクラはしっかりととらえ、顔を染めたまま首をかしげた。

 聞きとられていた事にイタチは少し慌てて言葉を続ける。

 「いや、その彼の事を知っているわけでもないのに、勝手な事を言ってしまった。申し訳ない」

 しかしサクラは笑顔で首を横にふった。

 「いえ。私こそ、初めて会った方にこんな話。すみません。なんだかハルトさん話やすくて。それに、うれしかったです。そんな風に言っていただけると、元気出てきました」

 グッと両手を胸の前で強く握る。

 「彼は今、一人でとても暗い場所にいるんです。きっとすごく苦しんでいる」

 瞳が強く色づいてゆく。

 「助けたい。そのために修行して、強くなった。あの人に比べたらまだまだかもしれないけど、それでも守られていただけの自分とは違う。絶対に助けだしてみせる」

 握りしめた手が少し緩み、視線がイタチに戻される。

 「でも、ちょっと気持ちが沈んでたんです。どんなに強くそう思っていても、時々落ち込んでしまって。だけど、すっごく元気が出ました。ありがとうございます」

 「いや。それならよかった」

 サクラは「はい」と元気に返して再び歩き出した。

 その背に、イタチはまた思わず言葉を投げた。

 「どうして」

 「え?」

 振り返るサクラに、イタチは続ける。

 「どうして君はそこまで彼を好きでいられるんだ?強くいられるんだ?」

 サクラは少しも考えずに笑顔で答えた。

 「信じているんです。自分を」

 「自分を…」

 「はい。彼を支えられるのは私しかいない。たとえ求められなくても、そばにいられるのは私しかいないって、勝手にそう信じているんです。気持ちが弱くなったり、不安にあったりすることもあります。でも、そんなときはそれより大きな気持ちで、今までよりもっと大きな気持ちで全部吹き消すんです。あの人の事が誰よりも好きだから」

 

 その言葉に。笑顔に。強さに。

 

 イタチはつい先ほどまで自分がくだらない感情に振り回されていたことが恥ずかしくなった。

 そして目の前にいるサクラに尊敬を念を抱いた。

 サスケより、自分より、彼女は強い。

 

 目の前で恥ずかしそうに、それでもサスケへの気持ち溢れる笑顔を浮かべるサクラに、ふと水蓮の姿が重なった。

 

 女性とは強いな…

 

 ここ数日の辛そうな水蓮の顔が浮かび、次に明るく強い笑顔が思い出される。

 

 そして自分に何が足りなかったのかに気付いた。

 

 

 信じる事

 

 

 何とかしてやらねばと、そればかりを考えていた。

 今まで人の死とは無縁であった世界で暮らしてきた水蓮を、その沈みから救い出すことばかりを考えていた。

 まるで割れ物を扱うように気を配り、道を探してやろうとしていた。

 だがそれは違ったのかもしれない。それはほんの少しでよかったのかもしれない。

 なぜなら、水蓮がそれを求めてはいないからだ。

 いつの時もそうであった。辛くても、寂しくても、水蓮は自分で道を探し、切り開き、答えを見つけてきた。

 そんな水蓮が最も自分に求めていたのは…

 

 

 信じる事

 

 

 それだったのだ。

 

 イタチはもう一度水蓮の笑顔を思い出し、うなづいた。

 

 あいつはそんなに弱くはない。

 

 信じる心が足りなかった自分こそが弱かったのだ。

 

 

 そう気づかせてくれたサクラに、イタチは笑みを浮かべた。

 「強い人だな」

 サクラは嬉しそうに「ありがとうございます」と答えて「ふふ」と笑った。

 「やっぱり似てる」

 イタチの瞳を見て、うんうんと確認するようにうなづく。

 「時々そうやって優しい目をする人なんですよ。だから、嫌いになれない。うざいって言われても」

 そう言ってわざと怒った風に見せて腕を組む。

 「ずるい人なんですよ」

 「そうか」

 

 ナルトだけではなかった。

 

 イタチはサクラを見つめながら思う。

 

 サスケを想い、信じ、救おうとしてくれている人物がここにもいた。

 

 それが嬉しかった。

 この二人がいてくれるなら、サスケはきっと大丈夫だろう。

 

 イタチはそう確信した。

 「その人が、早く戻ってくるといいな」

 「はい」

 力強く答えたサクラの声に、イタチの心は今までにも増して強く固まった。

 彼らにサスケを任せよう…と。

 その想いで見つめるイタチに、サクラが「あ」と声を上げる。

 「これ、よかったらもらってください」

 差し出された手の中には小さな貝の形をした小物があった。

 和柄の布で作られており、吊り下げて使うのか紐がつけられている。

 「これは?」

 紐を持ってつまみ上げる。

 「ハマグリの吊り下げ人形です。他にもいろんな種類があって、今日はその吊り下げ人形をおわんに入れて川に流す祭りなんです。それぞれの小物には意味があって、自分の願いに合ったものを選んで流す。そして、最期に願いが天に届くように火に焚くんです」

 イタチは少しその小物を揺らして見つめ、サクラに返す。

 「これは君のだろう」

 「いいんです。かわいいなと思って買ったんですけど、連れを見つけたらすぐに帰らないといけなくなってしまって。だから、もしよかったらどうぞ」

 「そうか」

 むげに気持ちを断ることもないだろうと受け取る。

 「ハルトさんが探している人って、恋人ですか?」

 「え?」

 突然の質問。しかも今までに聞かれたことのないその内容に、思わず戸惑う。

 「さっき、その人の特徴話している時の目が、すごく優しかったから」

 「そう…だろうか…」

 全く意識していなかったことに、恥ずかしくなる。

 「やっぱりそうなんですね」

 誰かにそんな事を聞かれたことも言われたこともなく、改めてその言葉を当てはめられると妙に落ち着かない。

 だがほかに表す言葉も見当たらず、イタチは「ああ」と目をそらしながら答えた。

 サクラはその様子に柔らかく微笑んだ。

 「じゃぁ、ちょうどよかったです。そのハマグリの小物」

 イタチの手の中を指さす。

 「二夫にまみえず。っていう意味らしいんです。生涯ただ一人の夫に身をささげるという誓い。男性の場合は相手にそれを望むってことらしいですよ」

 「二夫にまみえず…」

 手の中の小物をじっと見つめる。

 死にゆく自分がそれを求めることは許されるのか…。

 

 未だにすべてがぬぐえぬそんな思いにふと考える。

 

 受け取ったものの、流さぬ方が良いか…

 

 だが、もし許されるなら…

 

 イタチはきゅっと一度握りしめてからそれをポケットにしまった。

 「ありがとう」

 サクラは「はい」と柔らかく返し、歩き出した。

 「それにしても、一体どこに行ったんだろ」

 「そうだな」

 イタチもそれに続き足を進ませる。

 「いっつも勝手な事ばかりで本当に困ったやつなんですよ」

 「そうか」

 「いつまでたっても子供っていうか、世話が焼けます」

 「大変だな」

 コロコロと表情を変えながら楽しそうに話すサクラに、イタチは一つ一つ短いながらも言葉を返してゆく。

 

 

 そんな二人の姿が祭りの光に照らされて、その影を大地に並べた。



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第七十六章【二人、出会う】

 人ごみから少し離れた場所に大きな木が数本立ち並んでいた。

 そこは祭りの明かりがほんの少し届く程度で薄暗く、その喧騒も程よい心地で耳を触って行く。

 並ぶ木の中から一つを選び、自分の体の3倍はあるであろう太い幹に背を預け、水蓮はため息をついた。

 「見事にはぐれちゃったな…」

 いつもは見失うことのない鬼鮫の大きな背中。その感覚が抜けず、油断して目をそらした瞬間にはぐれてしまったのだ。

 「絶対怒ってるよね…」

 見つけた瞬間に『あなたはまた勝手に!』と詰め寄ってくる鬼鮫が目に浮かぶ。

 その気になればどちらともなく見つけられるだろう。

 それでも、水蓮は少しほとぼりをさまそうと祭りの賑わいから身を離し今に至っている。

 少し灯りが少なくなったからか、先ほどまで気づかなかった星の輝きに目を奪われる。

 「こんなに星出てたんだ」

 最近滞在の多い西アジトでは高さゆえに見える星は一つ一つが大きい。

 それに比べるとずいぶん小さい光ではあるが、いくつか星座の形が見て取れ、水蓮は不思議な感覚に陥る。

 「星の形。やっぱり同じ…」

 すべてがそうなのかはわからない。それでも、あちらの世界で見たものと同じ並びが見える。

 幾度となく見上げてきたこの世界の空。

 特に星空を見ると、いつも今までの事を思い出す。

 事故にあう直前まで、こんな事が起こるとは何一つ考えもせず過ごしていた。

 寝て起きて食事をし、学校に行き勉強。友達とたわいのない話をしたり将来の事を話したり。

 まだ叶うかどうかも分からない夢を語り合って、いつか自分の店を持てた時の事を想像したりもした。

 内装はどうするか。店内で食べれるカフェのようにするのなら、テーブルはどんなものがいいか、どこから仕入れようか。

 いつの事になるか、実現するかどうかも分からないのに、ネットでいろいろと調べて、絶対にここのショップのこのカップを置こうと、勝手に決めたり。

 そう簡単ではない事を簡単にできると思っていた。今思えば、ばかげていた。それでも真剣だった。

 しかし、この世界に来てそれは完全に叶わなくなった。

 だが、それより大事だと思える物を見つけた。

 何よりも大切だと思える人を見つけた。

 愛する人と生きることの幸せを知った。

 そして、切なさと苦しさも知った。

 失うことの恐怖も。

 この世界に来なければ知ることはなかったのかもしれない。

 たとえ知ったとしてもこれほどまでに深い物ではなかっただろう。

 この世界ほどの闇や痛みは、あちらの世界にはない。少なくとも自分が暮らしていた場所にはない。

 

 

 「命は生まれ、命は死ぬ…」

 

 

 いつかイタチが言っていた言葉。

 それはごくごく自然に起こること。

 だけどこの世界ではそれが不自然に行われてゆく。

 奪われてゆく。

 消えてゆくのだ。

 

 望まずに、望まれずに。

 

 望まれて生まれてきた命が望まれず消えてゆく。

 

 

 そして、イタチも…

 

 

 「どうして…」

 誰よりも平和を愛し守ろうとする彼が、なぜ死ななければいけないのか…

 いや、イタチだけではない。

 本当はきっと誰も皆願っているはずなのだ。

 心の奥底で、気づかぬうちに。気づかぬ場所で。

 きっとそれを願っている。

 それでもこの世界は、いまだ奪い合うことを止められない…

 「どうして…」

 決して見えぬその答え。覚悟していたはずのこの先。

 今を必死に生きると決めたその決意。

 すべてが得体のしれないものに覆われ始めていた。

 

 目を閉じると真っ暗で、心が深い闇に落ちていく。

 吸い込まれそうな自分にハッとして水蓮は目を開き首を大きく横に振る。

 「だめだだめだ。こんなこと考えてちゃ進めない」

 グッとこぶしを握りしめて目に力を入れる。

 こんな事ではイタチを支えられない。沈んだ顔をしていても何もいい方向にはいかない。

 「そうだよ。笑っていたい。笑顔でいたい」

 一日でも、一秒でも多くイタチと一緒に笑っていたい。

 イタチの柔らかい笑みを思い出して自然と笑顔になる。

 が、やはりすぐにその表情が陰る。それに気づき、また慌てて首を振る。

 「だめだって! もうっ!」

 「ぶはっ!」

 自分に向けた叱咤の言葉に、別の声が重なった。

 噴き出されたその声は水蓮の頭上から。

 慌ててそちらを見上げると、長く伸びた枝に人がさかさまにぶら下がっていた。

 「何やってんだ?変な顔して」

 「っ!」

 水蓮の思考が一瞬で真っ白になった。

 思いのほか近くにいたその存在。

 うす暗闇でもはっきりと見える美しい青い瞳。ほんの少しの光に照らされ輝く金色の髪。

 ほほに入った髭のような筋…

 「きっ!」

 叫びそうになって慌てて口を抑える。

 人の多い祭りのさなかに叫び声など。騒ぎを呼んでしまう。

 かろうじて理性が働いた。

 それでも口から声が飛び出しそうで、水蓮は息を止めた。

 

 ナ…ナ…

 

 「な…」

 こらえきれずその一言がこぼれる。

 「な?」

 木の枝からひょいっと飛び降り、その人物が水蓮の前に着地した。

 「な…な…な」

 「な…?」

 顔を引きつらせる水蓮を覗き込み不思議そうに首をかしげる。

 それを見つめながら、必死に言葉をこらえて飲み込み、水蓮は胸の中でその名を呼んだ。

 

 

 ナルト

 

 

 「どうしたんだってばよ」

 固まって動かない水蓮に、ナルトはニッと笑顔を見せた。

 

 

 ど、どど、どうしよう…

 

 ナルトだ…

 うずまきナルト…

 

 本物だ…

 

 どうしよう…

 

 水蓮の頭の中を同じことがぐるぐるとまわる。

 「大丈夫か? ねぇちゃん」

 グッと近寄り顔を覗き込んでくるナルト。

 ハッとして身を引き、急に息苦しさに襲われその場に崩れ落ちて咳き込む。

 「うわ! どっか悪いのか?」

 「だ…大丈夫」

 大きく息を吸い込んで呼吸をする。

 あまりの事に息を吸うのを忘れていたのだ。

 「なんでもないから」

 呼吸を整えながら気持ちも何とか落ち着かせる。

 「本当に大丈夫かよ」

 正面に腰を落とし、ナルトは水蓮の背を撫でた。

 「大丈夫」

 いや、大丈夫じゃないか、この状況…

 

 水蓮は顔をひきつらせて考えをめぐらせる。

 

 もし今鬼鮫がここに来たりしたら大変なことになる…

 人の多いこの町で派手な戦闘…

 アジトからそう遠くないこの場所なら、イタチも騒ぎに気付いてこちらに来るだろう…

 そうなってしまっては鬼鮫の手前ナルトを逃がすことはできない…

 今のうちに何とかうまく町を離れるか、ナルトを離さないと…

 というか、どうしてこんなところに一人で…

 違う。きっとサクラは一緒だろう。ということはカカシも?

 

 パッと原作の流れがよみがえる。

 

 デイダラとの戦闘でカカシはカムイを使っている。

 確かそのあとは寝込んでいたはず。

 ヤマト隊長との出会いはサスケ奪還に行く直前。

 

 様々な場面が浮かび、今までにない速さで脳が回転する。

 

 まさかサスケ奪還に向かう途中?

 いや、でもそんな大切な時に祭に来るだろうか…

 原作と少し時間にずれがあるんだろうか…

 というか、ヤマト隊長が一緒ならサイもいる?

 

 新生7班と戦う…

 

 鬼鮫と自分が彼らと対峙しているところを想像して血の気が引く。

 

 イタチのいない状況でそんなことになったら…

 大変な騒ぎになる上に収拾がつかない…

 

 ど、どうしよう…

 

 「ぶはぁっ!」

 先ほどよりも豪快に吹き出された声は、次に笑い声になった。

 「だはは! おもしれぇーな。ねぇちゃん!」

 「え?! なにが!」

 「何って、顔、顔が…ぷはっ!」

 コロコロと変わる水蓮の表情が面白かったらしく、ナルトは腹を抱えて涙まで浮かべながら大きな声で笑い出した。

 「ちょ! ちょっと! そんな大きな声出さないでよ!」

 「ぬぐっ!」

 ナルトの口を慌てて押えるが、勢い余って二人一緒にバランスを崩す。

 「うわっ!」

 「きゃっ…」

 

 

 ドサッ

 

 音を立ててナルトが地面に背を打ち付け、その上に水蓮が覆いかぶさる。

 「いたた。ねぇちゃん大丈夫か?」

 反射的に水蓮を守ろうとしてか、ナルトの手が水蓮の背に回された。

 「大丈夫、ごめん」

 慌てて起き上がろうとしてハッとする。

 背に添えられた手から、ナルトの持つチャクラがほんの少し水蓮の感知の力に触れた。

 

 

 あたたかい…

 

 

 ふわりとした温かいチャクラ。

 それは光をも感じさせ、夜なのに視界が一気に明るくなったように感じる。

 

 とても優しく、柔らかく、まるで春の日差しのような穏やかさ…

 

 そのチャクラが寄り添うように水蓮の心を包み込んだ。

 

 ポタ…

 

 

 知らぬ間に、水蓮の目から涙がこぼれた。

 それはナルトのほほに落ち、地面へと流れ落ちる。

 雫は一つにとどまらず、次から次へとこぼれてゆく。

 「どうしたんだってばよ。どっかけがしたのか?」

 ナルトはゆっくりと水蓮を起こしながら自身も体を起こす。

 「大丈夫か?」

 そっと肩に触れた手からまたぬくもりが注ぎ込まれ、さらに水蓮の涙を誘った。

 水蓮自身も分からなかった。なぜ涙が出るのか。

 ただあまりの優しさに、胸がどうしようもなく苦しくなった。

 今まで抱えていたものが、急にあふれ出したような感覚に陥った。

 「ごめ、大丈夫。だいじょうぶ…」

 とはいうものの、時折しゃくりあげて泣く水蓮に、ナルトはおろおろしとしだした。

 「な、なんかあったのか? 辛い事とか、悲しい事とか…」

 肩に置かれた手が、何とか慰めようとぎこちなく動く。

 

 辛い事。悲しい事?

 

 「いっぱいある…」

 

 か細い声で言葉が落ちる。

 「何があったんだってばよ」

 軽く覗き込まれた青い瞳の美しさがまた水蓮の胸の苦しさを膨らませた。

 「わからない」

 今までのどれが辛くて、何が悲しかったのか。

 「わからない…」

 何を言っているのだろう。と水蓮はそう思った。

 あると言っておいて、それが分からない。そんな事を言われても困るだけだ。

 「ごめ…」

 「わかるってばよ」

 「え?」

 思わず顔を上げる。

 「なんかそれ、わかるってばよ」

 見つめた先でナルトの笑顔が少し変化する。

 先ほどまでの無邪気な物ではなく、少し大人びた、切なさを交えた笑顔。

 「オレもいっぱい辛いことも悲しいこともあった。けど、どれがって聞かれたらどれを答えたらいいのかわからねぇ。いや、わかってるんだけどなんか分からないんだってばよ。全部言えばいいって言われたら言えるかもしんねぇけど、どう言えばいいかわかんねぇ」

 「そう。そうなの。わからないのよ」

 言うとまた涙があふれた。

 ナルトはもう慌てることはなく、静かな声で話を続けた。

 「この話をエロ仙人…あ、オレの師匠にしたらさ、そういう時は一番初めに辛かった事を思い出せって言われた」

 「一番初め…」

 「それが分からなければわかるまで考えろって。そうでないと他の事も分からねぇんだってよ」

 

 いちばんはじめ…

 

 「オレはまだそれがなんなのかわからねぇ。ねぇちゃんは?」

 「私の一番初めは…」

 ぱっと、この世界に来た時の事を思い出す。

 

 突然考えられないことが起こって…

 ありえない事態にただただ驚いて…

 イタチに会って。支えたいと思った。そばにいて力になりたいと思った…

 自分の事なんて考える余裕がなかった…

 

 だけど本当は…

 

 「辛かった…」

 

 言葉と共に、一度止まった涙がまたこぼれた。

 「突然知らないところに来て。わけがわからなくて、怖かった」

 「そっか」

 やさしい声でナルトが相槌を返した。

 「大変だったんだな…」

 まっすぐに水蓮を見つめる青い瞳が柔らかく揺れる。

 その瞳を見つめながら水蓮は小さくうなづいた。

 「大変だった…」

 もう帰らないと決めたあの世界。帰りたいという想いよりもイタチへの想いが勝っている。

 それでも帰りたくない世界ではないのだ。

 こちらの世界よりはるかに長く生きた世界。自分が生まれた場所。

 それはやはり大切な物に違いはない。

 だがそれでもと、心を奮い立たせ進んできたのだ。

 「すっげー頑張ってきたんだろうな」

 ナルトの瞳がさらに優しさを増した。

 

 気持ち良く晴れた日の青空のように…

 

 「なんかわかんねぇけど、分かるってばよ」

 

 春の日の、太陽の光のように…

 

 「ってか、さっきから分からないのか分かるのか、よくわかんねぇな」

 

 へへ…ッと笑うナルトにつられて、水蓮も少し笑う。

 だが次の瞬間隻を切ったように涙があふれ出した。

 かろうじて声はこらえたものの、涙は止まることなく零れ落ちる。

 

 その涙を手で受け止めながら、水蓮は自身の感情をかみしめていた。

 

 ずっと辛かったのだと。

 

 今まで、出会った人たちのために、そしてイタチのために幾度もつらく苦しくなり涙を流してきた。

 だが、自分のために涙を流すことを忘れていた。いや、避けていたのだ。

 自分が辛いということを受け止める勇気がなかったのだ。

 それに気づいたら壊れてしまう。本能でそれを察知していたのかもしれない。

 それでも今、きっかけがあったとはいえこうして受け止められたということは、あの時より自分は強くなったのだろうとそう思う。

 それと同時に分かったことがあった。

 なぜ何が辛いのかがわからなかった理由が。

 それはきっと、今までのその出来事がただ辛いだけではなかったからなのだ。

 悲しいだけの出来事ではなかった。

 すべてが今の自分の糧になっているからなのだ。

 

 乗り越えられたわけではない。

 それでも、今を生きる力になっている。

 辛く悲しいだけで終わっていない。

 

 そういう事なのだ… 

 

 「なぁなぁ。他の事もわかったか?」

 涙がおさまりだした頃合を見計らい、ナルトがそう尋ねる。

 その瞳には先ほどまでとは違う、好奇心の色が溢れていた。答えを聞きたいという気持ちが。

 水蓮はまだ少しにじむ涙を拭い取りナルトに返す。

 「内緒」

 「えー! なんだよそれ、ずるいってばよ」

 ガクリとうなだれる。

 が、すぐに顔を上げてニカッと笑った。

 「でもまぁ、そういうのは自分で見つけなきゃ意味ないんだろうな」

 目の前の笑顔に水蓮は大きくうなづいた。

 そう。自分で見つけなければいけないのだ。

 人に聞いたところで理解できない。

 そして、彼なら必ず見つけるのだろう。

 水蓮はやはりまだ少し涙をにじませながら、それでもナルトに笑顔を向けた。

 「ありがとう。なんかすっきりした」

 自身の気持ちを受け止めた事で強さを見つけられたのか、その心は霧が晴れたようにすっきりとしていた。

 「そっか」

 満面の笑みでそう返し、ナルトは何か思い立ったように右足のポーチに手を入れた。

 「これ、ねぇちゃんにやるよ。今日はこれを川に流す祭りなんだろ?」

 差し出された手の中にあったのは鳥の形の吊り下げ人形。

 それを「ん」と、水蓮に突き出す。

 「でも、これはあなたが買ったんでしょ?」

 「あ~なんつぅか、さっき店のおばちゃんの押しに負けて買ったんだ。でも、オレもう帰んなきゃいけねぇから」

 吊り下げ用のひもをつまんで持ち上げ、水蓮に改めて差し出す。

 「代わりにねぇちゃんが流してくれってばよ。あ、もう買っちまったか? てか、ねぇちゃんの願い事がこれと違ってたら意味ないか」

 目の位置まで上げて揺らす。

 「それ、どういう意味なの?」

 揺れる鳥の人形の向こうで、ナルトがまぶしいほどの笑顔を浮かべてそれに答えた。

 

 「平和」

 

 とくん。と水蓮の胸が鳴り、イタチの顔が浮かんだ。

 

 「平和…」

 「カナリヤの人形らしいんだけど、平和をあらわしてるんだってよ」

 しばし無言でそれを見つめ、水蓮は静かに両手を差し出した。

 その手にナルトがゆっくりと人形を乗せる。

 小さく軽いはずのその人形は、なぜかとても重く感じた。

 「本当に…」

 ぽつりと水蓮の口から言葉が零れ落ちた。

 「ん?」

 ナルトが首をかしげる。

 「本当に来ると思う? この世界に平和が」

 手の中の鳥からナルトに視線を動かし、じっと見つめる。

 

 「絶えず争いの続くこの世界に…」

 

 静かな風が二人を撫でて流れてゆく。

 

 「絶えず命が消えて行くこの世界に…」

 

 自分のそばで消えて行った命が脳裏をかすめる。

 

 「みんな死んでゆくのよ。どんどんいなくなっていく…」

 

 これから消えてゆく命…

 

 「心から平和を願って戦っているのに…」

 

 イタチの笑顔が浮かんだ…

 

 「死んでしまう」

 

 ポタリと、大きな粒が水蓮の瞳から大地に落ちた。

 「こんなにも悲しいこの世界に、本当に平和は来るの?」

 先ほど収まったはずの涙が、再びで視界を滲ませる。

 その滲みの向こうにナルトを映し、水蓮は答えを待った。

 目の前にいるのは自分よりも若く、小さな青年。

 それでも聞かずにはいられなかった。

 彼から答えがほしかった。

 そして彼なら答えてくれると、そう信じていた。

 

 うずまきナルトならと。

 

 黙ったままじっと自分を見つめる水蓮に、ナルトは少しも目をそらさず、瞬きもせず答えた。

 

 「くる」

 

 その言葉が発せられた瞬間。ナルトの背後から急に光がさしたように感じた。

 今まで感じていた輝きの何倍もの光。暖かさ。優しさ。そして、強さ。

 

 「絶対に来る。いや、オレが絶対にそうしてみせるってばよ」

 

 決して大きな声ではない。強い口調でもない。

 静かな、穏やかな言葉の流れ。

 だがそれがなぜか、とても心の深くに響いた。

 ナルトは水蓮の視線を受け止めてうなづき、もう一度言った。

 「オレが絶対にこの世界を平和にしてみせる」

 かつて映像を通して観たあの笑顔が目の前にあった。

 幼さをまだ拭いきれていないその笑顔は、それでも何者よりも心強く感じる。

 これからナルトはサスケに再会して、連れ戻せなかったことに落胆し、それでもとカカシとの修行に入る。

 また強くなるのだ。

 だが、イタチとサスケの戦いの後の彼がどうなるのか、物語がどう進むのかを水蓮はまだ知らない。

 それでも、水蓮の中には確信があった。

 

 出会った瞬間から今まで、そして今も。ひしひしと感じる。

 

 

 必ず何とかしてくれる

 

 必ず何事も成し遂げてくれる

 

 必ずこの世界を平和に導いてくれる

 

 

 【ナルト】という存在からそれを感じるのだ。

 

 

 これが物語の主人公

 

 

 改めてその存在を実感した。

 

 水蓮は手の中の人形を胸元で握りしめ、涙を止められぬままナルトを見つめた。

 「お願い」

 この世界を救ってほしい。

 「お願い」

 今まで出会ってきた人たちの涙を無駄にしないでほしい

 「お願い」

 イタチの願いを、夢を、想いをつないでほしい

 

 全てを言葉に込めた。

 ナルトはまるでそのすべてが分かったかのように笑顔で強くうなづいた。

 

 「オレに任せろってばよ」

 

 太陽にも負けぬほどの輝きをたたえたその笑顔に、水蓮の胸の中にあたたかい希望の光が溢れた。

 

 もっと強くなろう。強くなりたい。彼のように…

 

 水蓮はグイッと力強く涙を拭った。

 そんな水蓮をじっと見つめ、ナルトは少し不思議そうな顔をした。

 「なんか、変な感じがするってばよ」

 「変?」

 突然の言葉に水蓮が首をかしげる。

 「ねぇちゃんと喋ってると、何かがこうつながるっていうか、重なるっていうか。なんでかすんげぇ考えてることが分かるっていうか。そんな感じがするんだってばよ」

 

 ドキリと胸が鳴った。

 

 それは水蓮も感じていた事だった。

 何かが自分とナルトをつなげている。

 二人の間に働くほんのかすかな力の作用。

 

 

 共鳴

 

 

 互いの中にある九尾のチャクラが呼応しているのだ。

 水蓮は自分にもナルトにも九尾のチャクラが流れていることを知っている。

 それゆえにナルトの感じている「不思議」がそれだと分かるのだ。

 

 「それに、ちょっと懐かしい感じがするんだってばよ」

 ナルトは少しさみしげな笑顔で自分の胸元をつかんだ。

 合わせて水蓮も同じように自身の胸元にそっと触れ、考えをめぐらせる。

 

 一度はナルトの母であるクシナの中に取り込まれたチャクラ。

 もしかしたら何らかの形でクシナの気配を帯びているのかもしれない。

 ナルトはそれを感じ取っているのかもしれない。

 本当なら今ここでナルトに自分の持つ九尾のチャクラを渡すべきなのだろう。

 それが自分が引き継いだ役目なのだ。

 だが、今それを行ってもし暁に知られたら、全てがダメになってしまう。

 

 今はまだできない…

 

 水蓮は様々な物を押し込めてナルトに笑顔を向けた。

 「なんでだろうね」

 「なんでだろうな」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 「あ、そういえばまだ名前言ってなかったな」

 笑顔を浮かべたままそう言ったナルトの髪を風が揺らした。

 

 「オレは、うずまきナルトだってばよ」

 

 やはり光とぬくもりを感じさせるその笑顔に、水蓮も負けじと微笑みスッと手を差し出した。

 

 「私は…」

 

 ほんの一瞬の間を置き、水蓮は名乗った。

 

 「水蓮」

 

 なぜかは分からない。

 だがナルトにはその名を伝えたかった。

 こちらの世界で生きるために与えられたその名前。

 それを知っていてほしかった。

 

 「よろしくだってばよ」

 「よろしく」

 

 

 二人の手がゆっくりと、そしてしっかりと重なった。




いつもありがとうございます(*^_^*)
ようやく出会った二人の主人公ですが、やはり原作主人公ナルトの方が力強さを感じますかね…。
どういう風に二人を描こうかずっと悩んでいたんですが、水蓮が本当のところをさらけ出せるのはもしかしたらナルトしかいないのかもしれない…と思い、こういう形になりました。

この先二人がまた再会するのはいつになるのか…。
どうなるのか…
ん~…どうなるのかな(~_~;)

何にせよ、二人の出会いは大きな節目ですね…
描き始めた当初は、実は最後までナルトは出さずにおこうか…とか考えてもいました。
NARUTOなのに、ナルトが出てこない…みたいなwww
今までもまぁ、十分そんな感じでしたが(^_^;)
さて、次は鬼鮫&自来也です。

実は今回の【祭りイベント】ではナルト&水蓮と同じくらい書きたかったパートかもしれません…。
イタチ&サクラもですが…って、結局どれもすんごい書きたかったパートですね(笑)

内容途切れないようにしたいので、なるべく早く投稿できるようにしたいと思います
(*^_^*)

これからもなにとぞよろしくお願いいたします!


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第七十七章【師の語らい】鬼鮫の憂い

 祭りの喧騒を少し離れた小さな神社の中。

 本殿の両脇で煌々と燃える松明の明かりに照らされ、社に続く階段の中腹辺りに二つの影が映し出されていた。

 

 

 

 「それでのぉ、わしのその活躍で事はすべて丸く収まったというわけだ。どうだ、なかなかに面白い話であろう」

 ガハハと豪快に笑って酒をあおったのは3忍の一人と謳われる自来也。

 その隣で女性の姿に変化した鬼鮫が、頬の引きつりを必死に抑えて「そうですね」と愛想笑いを返した。

 「んーんー。そうだろう。すごいだろう」

 

 すごいとは言ってませんがね…

 

 思わず胸中で一言突込み、鬼鮫は顔をそらして先ほどから絶え間なく注がれ続ける酒にちびりと口をつけた。

 

 いつになったら解放されるのか…

 

 先ほど自来也に半ば無理やり連れてこられ、酒の相手をすることおよそ15分。

 まださほど時間を取られてはいないものの、すでに一升瓶の中身は半分を切っており、そのペースの速さと自来也の旅の自慢話に鬼鮫はうんざりしていた。

 

 一体なぜこんなことになってしまったのか…

 

 ふと水蓮の顔が浮かび、もともとの元凶はそこにあると少し苛立ち、酒を一気に流し込んで思わずため息を漏らした。

 

 本当にトラブルを呼ぶ弟子だ…

 

 もう一度、先ほどより深いため息をこぼす。

 

 「ん?どうした。何か悩みでもあるのか?」

 空になった器に再び酒が注がれ、鬼鮫は反射的にそれを受けて一口含む。

 「いえね、弟子が…」

 酒にぬれた口から思わず零れ落ちた言葉にハッとして顔をそむける。

 しかしそれをしっかりととらえた自来也は「ほぉ」と興味深げに笑みを浮かべて自身の酒を飲み干した。

 「お主、弟子がおるのか」

 手酌で継ぐ酒がトクトクと良い音を立てる。

 「ええ。まぁ」

 今更ごまかせまいと鬼鮫はうなづいた。

 「そうか。わしも弟子がおるんだがのぉ」

 クイッと酒を喉に流し、自来也は長い息を吐き出した。

 「どうにも手のかかるやつでなぁ。今まで何人か弟子を持ったがあいつが一番世話が焼ける。ここ最近まで一緒に旅をしながら修行を付けたがまぁ大変だった…」

 鬼鮫の脳裏にナルトが浮かぶ。

 初めて木の葉でナルトを見て以降、そのそばに自来也がずっとついているらしいことをイタチから聞いていた。

 「どんなお弟子さんですか?」

 情報を探ろうと問いかける。

 自来也は、ハハと笑って器の中で揺れる酒を見つめた。

 「猪突猛進。怖い物知らず。そしてうるさい」

 その答えに、自来也の言う弟子はやはりナルトであろうと鬼鮫は確信する。

 「大変そうですね…」

 そう返して酒を飲み、新たに注がれる酒を自然と受ける。

 「まったくだ。わがままで、自分勝手で、未熟なくせに一人前の口をたたきよる」

 どれも水蓮に当てはまるような気がして、鬼鮫は知らぬうちにうなづきを重ねる。

 「その上頑固で、こうと決めたら譲らない。危ないことも平気でやりよる」

 鬼鮫のうなづきは増えてゆく。

 「しかも、なぜかいつもトラブルを呼び込む。難儀な奴だ」

 「全くです」

 完全に水蓮に重なるその言葉の数々に、鬼鮫は思わず感情のこもった強い声とため息を吐き出した。

 それに自来也が一瞬「ん?」と首をかしげたが、鬼鮫の心情を悟ったのかがハハと笑った。

 「なんだ。お主の弟子もそう言う感じか」

 「ええ。そう言う感じです。今もいつの間にかはぐれてしまって…」

 もう一つ息を吐き出した鬼鮫に自来也は「まぁ呑め」と酒をすすめ、空になった器にすぐにまた注ぎ入れ、自身も新たに注ぎ直し、口をつけてフッと笑う。

 「小さい町だ。すぐに見つかるだろう。しかし、弟子はどこでも世話の焼ける物らしいな」

 「そのようですね」

 「だがのぉ…」

 空に輝く星を見上げ自来也は目を細めた。

 「よいところもある。まっすぐで、純粋で、負けず嫌い。自分の大切なものを守るためならどんなに辛いことでもやり遂げる」

 同じように空を見上げ、鬼鮫はそこに水蓮を思い出す。

 「そして、何よりも大切な物をちゃんと持っておる」

 「何よりも大切な物、ですか」

 「うむ。それは」

 グイッと勢いよく酒でのどを潤し、自来也はにっと笑って答えた。

 「何事も決してあきらめないど根性だ」

 「ど根性…」

 「それを持っとるやつは、強い。そう簡単に折れはせん」

 

 術でも実力でもなく根性…

 なんとも不確かな…

 

 鬼鮫はそう思いながらも水蓮が幾度も見せてきたその場面を思い返す。

 

 自身との修行で

 

 任務先で

 

 今までの様々な事を思い出し、始めに自分に向かって修行をつけてほしいと言ってきた時に記憶が遡る。

 

 異端な外見。霧隠れの怪人、尾のない尾獣と言われてきた自分に向かってそんな事を言ってくる人間は今までに一人もいなかった。まして、水蓮はあの時両親を失ってからまだそう経っていなかった。

 そんな状況で指南を受けたいと申し出てきた。しかも、それを拒んでも凄んで見せても、それでも決してひかなかった。

 

 「ど根性、ね」

 

 思わずこぼれた言葉に自来也がフフンと鼻を鳴らした。

 「お主の弟子も持っておるか」

 鬼鮫はほんの少し間を置き「そうですね」と短く答えた。

 自来也は最後の酒を互いの器に少しずつ注ぎ空になった瓶をトン…と小さく音ならして置いた。

 「それで、その弟子がどうかしたのか」

 問われて鬼鮫は酒に口をつける。

 長らく口にしていなかったその味に少し気分が緩んできたのか、言葉が自然と零れ落ちる。

 「どうにも行き詰っているようでしてね。精神的に」 

 ここ最近の水蓮の陰った表情が浮かぶ。

 「その根本に何があるのか、何で解消できるのか…」

 鬼鮫は「厄介ですよ、本当に」と愚痴をこぼした。 

 自来也は顎を軽くなでてしばし思案し「なるほどな」と小さく笑う。

 「それで祭りに来たのか」

 「まぁ、そんなところです」

 「そうか…」

 低い声で答えて、揺れる酒を見つめる鬼鮫の横顔をじっと見る。

 少し鋭さをたたえた真剣な瞳。

 そこに映る、弟子の心鬱に心を砕く鬼鮫の様子にフッと笑みを浮かべる。

 「弟子を持つうえで最も難しいのは、見極めだとワシは思っておる」

 「見極めですか」

 「そうだ」

 うなづいて自来也は再び星を見た。

 「師弟というのは難しい関係だ。親子のようで親子ではない。それ故にどう立ち回り、どう受け止めてやるべきなのか。【時】の見極めが難しい」

 これまでの事を思い出しているのか、自来也は星を見つめながら少し遠い目をする。

 「親、特に母親は子が悩み迷った時、今関わるべきかそれとも突き放す時なのか、それが本能で分かるようだ。まぁ、皆が皆そうではないがの。多くの場合でそうだ。だが、師と弟子はまた別だ。親と子のようにはいかぬ。やはり血のつながり、その身から生んだというのは特別なのであろうな」

 自分の親の事もよく知らぬ鬼鮫には理解のできぬことだが、それでもなぜかそうなのかもしれないと、小さくうなづく。

 「それでも見極めねばならない時が来る。だがそれを間違えると取り返しのつかぬことになる場合もある。こちらとしては慎重にじっくり見極めたいところだが、あちらはそうはいかん。焦り、苛立ち、慢心。そのさまざまな物に追い立てられ、手を離れようとする。なかなかゆっくり考えさせてはくれぬ」

 「あなたはどう見極めるのですか?」

 すでに問うことに何の抵抗もなくなってきた鬼鮫の声が夜の中静かに響く。

 自来也はその言葉を受けてニカッと笑って答えた。

 「勘だ」

 「は?」

 思わず素の感情がそのまま出る。

 「結構重要な判断だと思うんですがね。勘ですか…」

 「考えたところで分からぬ上に、時間も与えてはもらえない。もう勘以外にあるまい」

 豪快な笑いと共に酒を飲み干す。

 「あとは、そうだな。信じる事かのぉ」

 

 根性。勘。信じる。

 

 どうにも自分には縁のない言葉が多く、鬼鮫は奇妙なむずがゆさを感じる。

 「弟子が強さを求め手元を離れようとしたとき、己の勘がそうするべきだと示したのなら、自分と弟子を信じることだ。こいつなら乗り越えて戻ってくるとな」

 「それがもし間違えていたら?」

 自来也はスッと瞳を厳しく色づけ、鬼鮫の目を見つめた。

 「この手で始末をつける」

 グッと握られたこぶしにその意志と覚悟の強さが見え、鬼鮫は喉をごくりと鳴らした。

 その音を隠すように最後の酒を飲み干し、一つ息を吐く。

 「厄介ですね、本当に」

 浮かべた苦笑いに、自来也は何かを思い立ったかのように懐に手を入れた。

 「お主にこれをやる」

 差し出された手の中には蝶の形をした吊り下げ人形。

 「ほれ。受け取れ」

 ポンッと軽く投げられたそれを反射的に受け取る。

 「あなたが流すつもりで買ったんじゃないんですか?」

 紐をつまみ小さく揺らめかせる。

 自来也はその揺れを見ながら「いらなくなった」と笑う。

 「その吊り下げ人形の意味は【蛹から蝶へ。キレイに着飾らせて嫁に出したい親心】だ。弟子が早く独り立ちできるようにと思って買ったんだがな。いらなくなっとった」

 「と言いますと」

 「知らぬ間にしっかり成長しておった」

 嬉しそうに目を細める自来也。鬼鮫も同じように目を細めるがそこには鋭い光が射す。

 

 かなり強くなったという事ですか…

 

 九尾…。ナルトの確保にあまり悠長に構えてはいられない。と、そう考える。

 

 「だからもういらなくなった」

 嬉しさを交えた自来也の声に鬼鮫は思考を切り「そうですか」と笑みを返す。

 「今のお主にはちょうどよいだろう。まだ何も買っておらんのなら受け取れ」

 下手にことわって長引かせたくないと、鬼鮫はうなづき腰につけたポーチにそれをしまった。

 「ありがとうございます」

 「うむ」

 と、まるで自来也のその一言を合図にしたかのように、一匹の蛙がひょこっと姿を現した。

 「おい。見つけたぞ」

 カエルが言葉を発するのを見て、鬼鮫はそれが自来也の口寄せと察する。

 「おお、そうか。やれやれだな」

 自来也が大きくため息を吐きながら立ち上がり「ちと飲みすぎたかのぉ」とつぶやきながら竹水筒を取出し水を飲む。

 「こちらも連れとはぐれていてな。探していたのだ」

 「オレがな」

 自来也のてのひらほどの大きさのガマガエルが跳ねあがり、自来也の肩に乗る。

 「ではいくかのぉ」

 体を一伸びさせる自来也。

 

 どうやらこれで解放されそうだと、鬼鮫は胸中でほっと息をつき借りていた器を自来也に返す。

 

 それが自来也の手におさまったと同時にガマガエルが今度は自来也の頭に飛び乗る。

 「ナルトのやつ、なんかえらい別嬪さんと一緒だったぞ」

 なぜか鬼鮫の胸がぎくりと嫌な音を立てる。

 ナルトの名が出たこと、そして一緒にいるというその存在。

 

 嫌な予感がしますね…

 

 その胸の音と予感を決定づけるようにガマガエルが言葉を続けた。

 「水蓮とか言っとったな」

 「…………」

 思わず声を上げそうになって必死に口をつぐむ。

 

 一緒にいるだけではなく、水蓮と名乗ったとは…。

 うっかりにもほどがある…。

 

 ふつふつと怒りが湧き上がり、目が厳しさを帯びる。

 その様子に自来也が気づき鬼鮫の顔を覗き込む。

 「ん?どうした」

 その問いに鬼鮫はハッと気を取り直して返す。

 「どうやらあなたの連れは私の連れと一緒いるらしい」

 自来也は一瞬きょとんとしたように目を丸め、ハハと笑った。

 「そうか。では一緒に行くか。あぁそうだ、ガマ吉さんサクラに…」

 「あいつにはさっき会うて伝えた。もう向かっとるじゃろうて。なんや、サクラはえらい男前つれとったぞ」

 「あいつら、何をやっとるんだ」

 呆れた口調の自来也に、ガマ吉と呼ばれたカエルは容姿端麗な姿をした鬼鮫をちらりと見て「お主もな」とあきれを返し言葉を続けた。

 「サクラと一緒におった男は確か【ハルト】という名じゃったかな」

 鬼鮫の体がピクリと揺れ、その顔が引きつった。

 それはイタチが若い男性に変化したときの名前。

 同じ名をした他人ならよいが、と空を仰いだその動きの中。ほんの一瞬社の屋根に見えたカラスの姿。

 

 間違いない…。

 

 水蓮が気になり後を追いかけてきたのか…

 

 どちらも世話の焼ける人だ…

 

 肩をも揺らして息を吐き出す。

 「ん?なんだ?」

 再びの自来也の問いに、鬼鮫は苦笑で返した。

 「それもおそらく私の連れです…」

 自来也はまた眼を丸め、同じく苦笑いを返す。 

 「こうも偶然が重なることがあるとはな。不思議な夜だのぉ」

 ガマガエルを頭に乗せたまま自来也は歩き出す。

 「本当に…」

 鬼鮫はもう一度息を吐き出してから続いた。

 

 久方ぶりに飲んだ酒のせいか、それともこの事態のせいか、鬼鮫の足元が少しふらついた。




いつもありがとうございます。

完全に鬼鮫目線は初めてですね~(*^_^*)
今までに【一部だけ】というのはありましたが。
そう言った意味でも、そしてこの組み合わせということも、書いてみたかった部分ではあります。
原作ではほぼ心根を語らなかった鬼鮫…。
どこかでそういう場面を持ちたいな…と考えていたのですが、こういった形で投入させていただきました(*^。^*)

お祭りイベントはあと一話の予定です。
その後はまた少し新たな展開に…なるかな(^v^)

今後もよろしくお願いいたします☆

いつも本当にありがとうございます
(●^o^●)


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第七十八章【願いを乗せて】

 少しずつ夜が進み、祭りを楽しむ人の波が徐々に同じ方向へと流れだした。

 皆それぞれに自身の望みに合う吊り下げ人形を手にし、願いを託して川へと流すために向かっていく。

 水蓮と手を重ねていたナルトがその気配に気づき、ゆっくりと手を離した。

 「オレ、そろそろ行くってばよ。仲間とはぐれて探してたんだ。早く見つけて戻らねぇと」

 「うん」

 まだ少し話していたい気持ちはあった。

 しかし、鬼鮫に気づかれないうちに彼をここから離さなければ。

 「気を付けてね」

 「ああ。じゃぁな。水蓮のねぇちゃん」

 笑顔を残してさっと背を向ける。

 しかし、ナルトが地を蹴ろうとした瞬間。並ぶ木々の向こうから声が飛んできた。

 「ナルト~。いるの?」

 聞いたことのある女性の声に、水蓮がドキリと胸を鳴らす。

 「ナルト~」

 再び聞こえた声。水蓮の脳裏に桜色の髪が揺れた。

 

 まさか…

 

 声が聞こえ来た方向を見つめる水蓮。

 そのそばでナルトが大きな声を上げた。

 「こっちだってばよ! サクラちゃん!」

 ナルトのその声に導かれ、ほどなくして木の陰からサクラが顔を出した。

 「やっと見つけた! なにやってんのよもう!」

 「わりぃ」

 気まずそうに頭をかくナルトの背中越しにキレイなピンク色の髪が揺れ、ヒスイ色の瞳が輝く。

 その美しさに思わず見とれた水蓮は、次に息を飲んだ。

 ナルトをジトリとにらむサクラのその隣。静かにたたずみこちらを見つめる一人の男性。

 見たことのない顔。それでもすぐにそれが誰なのかが分かった。

 チャクラを感知したのではない。

 何もしなくても、なぜかわかるのだ。

 

 それがイタチであると…

 

 「サクラちゃん。その人だれだってばよ」

 ナルトが顔をひきつらせながらサクラの隣に立つイタチを指さす。

 「え?あ、ハルトさんって言って、一緒にあんたを探してもらってたのよ」

 「オレも連れを一緒に探してもらっていた」

 イタチはそう言って水蓮に歩み寄る。

 「ここにいたのか」

 「あ…うん」

 戸惑いながらうなづく水蓮を見てナルトがニッと笑った。

 「なんだ。水蓮のねぇちゃんの知り合いかよ」

 イタチの体がピクリと揺れる。

 それがその名を名乗っていた事に対しての物だと悟り、水蓮は少し気まずくなる。

 それでもイタチは柔らかく笑って水蓮の頭に手を置いた。

 「水蓮、緋月はどうした」

 「途中ではぐれちゃって…」

 「そうか」

 穏やかなイタチのその声に、また新たな声が聞こえて重なる。

 「ナルト、こんなところにおったのか」

 それもまた聞き覚えのある物で、水蓮の鼓動が再び大きく跳ね上がる。

 イタチもさすがに少し表情を変えてそちらに振り向いた。

 二人同時にその身を固くする。

 大きな木の陰から現れたのは自来也。そしてその少し後ろに、こちらを見据える緋月の姿をした鬼鮫。

 一気に水蓮とイタチの中に緊張が走った。

 「自来也様。その人は?」

 また女性に声をかけて遊んでいたのかと、サクラがきつい視線で自来也をにらみグッとこぶしを握りしめた。

 「いや、違う!違うぞサクラ!」

 慌てて弁解しようとする自来也の声にイタチが声を重ねた。

 「緋月…」

 「ハルトさん。あなたも来ていたんですか」

 「ああ」

 そのやり取りにサクラが「その方もハルトさんのお知り合いだったんですか」と、こぶしを収める。

 イタチがうなづき、鬼鮫が水蓮をジトリとにらむ。

 「あなたは本当に。毎度毎度…」

 さらに細められた瞳に、そしてこの状況に、水蓮は言葉を返せず混乱する。

 

 

 なぜイタチがサクラと共にここにいるのか…

 

 

 なぜ自来也と一緒に鬼鮫がいるのか…

 

 

 なぜこの場にナルトが居合わせてしまったのか…

 

 

 どうしよう…

 

 

 このままこの場でナルトをめぐって戦闘になったら…

 

 ただ事では済まないその状況を想像して、水蓮の表情が強張る。

 それに気づいたイタチがさりげなく水蓮を背に隠す。

 「緋月、どこに行っていたんだ」

 イタチの静かな声に、鬼鮫が答える。

 「水蓮とはぐれた後この方と知り合いましてね。少し話をしていたんですよ」

 「で、わしの連れを探していたら、どうやら一緒にいるようだったんでな。共に来た」

 「探したのはワシじゃ」

 自来也の頭の上でガマガエルが一跳ねし、自来也がニカッと笑う。

 そしてナルトに目を向け、手招きをした。

 「ナルト、早くこっちにこい。すぐに戻れと伝令があったであろう」

 「わかってるってばよ」

 すっと足を踏み出すナルト。

 それに合わせて鬼鮫も自来也の後ろから歩み出た。

 

 

 ドクンッ!

 

 

 大きく水蓮の鼓動が波打つ。

 

 

 ドクンッ!

 

 

 二人の歩みに合わせて脈が震える。

 

 

 ドクンッ!

 

 

 ドクンッ!

 

 

 ドクンッ!

 

 

 幾度目かの胸の音鳴りに、鬼鮫とナルトがその身を重ねる。

 じっと鬼鮫を見つめる水蓮の瞳が怯えをたたえ、不安に揺れる。

 その色を捉え鬼鮫は誰にも気取られぬほど小さく息を吐いた。

 

 

 水蓮が無言で見つめる中、鬼鮫とナルトは目を合わせることもなくそのまま静かにすれ違った。

 

 

 何とも言えぬ表情を浮かべる水蓮に一瞬目をやり、鬼鮫は水蓮を背に隠すようにイタチの隣に並んで立つ。

 水蓮は思わず二人の服をキュッとつかんだ。

 その手の感触に、イタチと鬼鮫は無言であったがほんの少しだけ水蓮に笑みを向け、すぐに前方へと視線を戻す。

 その先で、自来也がナルトの頭にポンッと手を置いた。

 「ナルト、サクラ。お前らは先に戻っておれ。ワシもすぐに行く」

 「んなこと言って、ゆっくり遊ぶつもりじゃねぇだろうな」

 「そうですよ。困ります」

 「エロ仙人を連れて戻らないと綱手のばぁちゃんに殺されるってばよ。オレらだけ先に戻ったら意味ねぇだろ」

 ナルトのその言葉に、彼らは綱手に言われて自来也をこの町に迎えに来たのだと察する。

 「いいから先に帰っておれ。すまんが、ガマ吉さんも一緒に行ってくれ」

 「ん?おう。ええじゃろ。今日はちと時間があるからな」

 ぴょんと跳ねてナルトの頭に乗る。

 それを確認して自来也はガマ吉に一つうなづきサクラに視線を投げる。

 「サクラ、戻ったら渋い茶を用意して待っておれ。とびきり熱いのをな」

 にっと笑った自来也にサクラは何かを言いかけたが、諦めたように息を吐きすぐに「わかりました」と返しナルトの襟首をつかんだ。

 「行くわよ。ナルト」

 「うわっ。サ、サクラちゃん?!」

 サクラに引っ張られふらつくナルト。

 「え?でも…」

 戸惑いながら自来也を見るが、サクラは更にナルトをグイッと引っ張りイタチに笑顔を向けた。

 「ハルトさん。ありがとうございました。失礼します」

 「ああ。オレの方こそありがとう」

 柔らかい笑みを返すイタチにサクラが会釈して地を蹴ろうと力を入れる。

 そんなサクラに引っ張られながらナルトが慌てて水蓮に手を振った。

 「水蓮のねぇちゃん、またな」

 「あ、うん」

 ほんの少し体を開いたイタチと鬼鮫の間から顔をだし、水蓮がナルトに返す。

 「またいつか」

 その一言に色々な思いを込めた。

 それをすべて受け止めたような笑顔で、ナルトは「約束だってばよ!」と一言残し、サクラとともに姿を消した。

 二人が消えたその場所を見つめながら鬼鮫はしばし黙して思案する。

 今後の事を考えれば、ここで自来也を消しておきたい。

 しかし、力をつけたとはいえ自来也相手にまともに動けるとは思えない水蓮を連れての戦闘はリスクが高い。

 

 ここはひいた方が身のためか…

 

 イタチも水蓮も何も言わぬ静寂の中、鬼鮫は静かに言葉を馳せた。

 「我々も行きましょうか」

 その言葉に、ここで争う気はないのだと水蓮がほっと胸をなでおろす。

 「そうだな」

 イタチが続き、鬼鮫が自来也に「では」と小さく会釈した。

 水蓮たちはゆっくりと自来也に背を向け歩き出す。

 

 

 「待て」

 

 

 一歩目が地面につくのと同時に自来也が水蓮たちの歩みを止めた。

 

 寒い季節だというのに、気味の悪い生暖かい風が吹いた。

 

 草木が揺れ、枯れ葉が舞う。

 

 風が流れ消え、シンと痛いほどの静けさが落ちた。

 

 その中に、自来也の声が響く。

 

 「まぁそう急ぐこともなかろう」

 

 明るく陽気な口調。

 

 「こうして会ったのも何かの縁だ」

 

 笑いをも含んだその声が、なぜか空気を緊張させてゆく。

 

 また生ぬるい風が吹いた。

 

 いや、風が生ぬるいのではない。

 

 水蓮は自分の指先が恐ろしく冷たくなっていることに気付いた。

 冬の気温より。夜の風より。体が冷たい。

 実際にはそんなことはないだろう。だが、脳がそう勘違いさせられている。     

 

 恐怖に…

 

 

 「少し話をしようではないか…」

 

 カサリ…

 

 枯れ葉が一枚、地面に乾いた音を立てる。

 

 「のう…」

 

 自来也の声がすっと低く変化した。

 

 「鬼鮫。イタチよ」

 

 

 …キィ…ィン…

 

 

 耳の奥で硬い音が鳴った。

 水蓮以外の3人の身から放たれた殺気がビリビリと空気を震わせ、地に足がついていないような不安定な感覚に襲われる。

 そんな水蓮とは対照的に、しっかりとした動きで鬼鮫とイタチが自来也にゆっくりと振り向いた。

 少し遅れて水蓮も何とか振り返り、二人の服を再びギュッと握りしめる。

 震える水蓮の手の中にしわを寄せるその服は、いつの間にか赤雲ゆれる暁の衣へと戻っていた。

 

 本来の姿に戻ったイタチと鬼鮫に、自来也は笑みを浮かべたまま言葉を向ける。

 「前にも言ったがのぉ。お前らちとワシをなめすぎとらんか?いかに姿を変え気配を殺しても、このワシからはその身を隠せはせんぞ」

 ザッと土を音ならす。

 二人がピクリと肩を揺らし…

 

 キキンッ!

 

 金属音が響いた。

 

 ガガガガッ!

 

 音をたてて数本のクナイが地面に刺さり、イタチがサッと印を組む。

 

 「まぁ待て」

 

 静かな、しかし何者をも従わせるような力ある声。

 イタチは手を止めじっと自来也を見据える。

 「今宵は愛と平和を願い祈る祭りの日だ。無粋な真似はするな」

 ダラリと両手を無警戒にたらし、戦う意思がないことを示す。

 それでも溢れ出る殺気はおさめておらず、水蓮の足が震える。

 「お主らも祭りを楽しみに来たのであろう」

 自来也は「のぉ、鬼鮫」と笑って鬼鮫を見た。

 「ナルトの事を嗅ぎ付けてきたのかと思って探ってみたが、どうやらただ祭りに来ただけのようだ。ならば、ここで無理に争うこともなかろう」

 

 鬼鮫は何も返さず考えをめぐらせる。

 

 こちらの事を探るために酒に誘い、こちらの興味ある話題を引きだして会話で引きつけ、その間にナルトを口寄せ蛙に探させていたということか…

 

 すっかり策にはまってしまった自分に腹が立つと同時に、自来也の考え深い立ち回りに思わず感心する。

 

 おそらく先ほどナルトを連れ帰ったくノ一への言葉も、場を離れさせるための合図であったのだろう。

 そして今あえてこちらの正体を暴き、この手段ではナルトは狙えぬと思い知らせ、それと同時にこちらの足止めをしてあの二人がここから離れるための時間稼ぎをする。

 

 確かに、少しなめていたかもしれない…

 

 思わず感心を重ねてしまい、鬼鮫はそんな自分にやはり腹が立つ。

 

 そしてさらなる事態に気づき、その感情を上乗せする羽目となった。

 

 どうやら本当になめすぎていたようだ…

 

 ため息と共にかすかに戸惑いを見せた鬼鮫に、自来也がニッと笑う。

 「お前たちからすればここでワシを消しておきたい所だろうが、まぁできまい」

 「…………」

 黙ったままの鬼鮫の一歩前に足を歩ませ、イタチが言葉を返す。

 「それはやってみなければ分かりませんよ」

 しかし自来也は余裕ある笑みを浮かべる。

 「やめておけ。そいつはまともに動けん」

 それは『水蓮の事であろう』とイタチは思う。しかしその予想を裏切り、自来也の目は鬼鮫に向けられていた。

 水蓮もそれに気づき鬼鮫に目を向ける。

 鬼鮫は苦笑いを浮かべながらほんの少し手を持ち上げた。

 「面目ない。やられました」

 「やられたって…」

 水蓮が鬼鮫の背から少し顔を出す。

 

 見せられた鬼鮫の手が、かすかに震えていた。

 

 機能を確かめるように握りしめるその動きはぎこちなく、とても印を組めそうにない。

 だが外傷は見当たらない。

 自来也が何か術を放った気配もない。

 「まさか…」

 思い当り水蓮が声を上げた。

 「痺れ薬」

 それに鬼鮫がうなづき、自来也が「ご名答」と笑った。

 「先ほどの…」

 飲み交わした酒に入れられていたのだと気づき、鬼鮫は今日幾度目かのため息を重ねた。

 しかし自来也も同じ酒を飲んでいたにもかかわらず、その症状は見られない。

 

 なぜ…

 

 じっと自来也を見据えて、鬼鮫は自来也が水を飲んでいた光景を思い出す。

 「あれは中和薬でしたか」

 「そういう事だ」

 勝ち誇った声を上げ、自来也は言葉を続ける。

 「本当は毒を入れてやりたかったが、さすがにそれは気づくだろうからな。しかし、ただの痺れ薬ではないぞ。綱手特製の物だ。そう簡単には抜けぬ」

 自来也はほんの少しだけ地面を足の裏でこすり、イタチと視線を交える。

 「さぁどうするイタチ。まともに動けぬ鬼鮫と、経験が足りなさそうなその子を抱えてワシとやるか?」

 ほんの一瞬自来也と目が合い、水蓮が体をびくりと揺らす。

 「暁の一員とあらば、女子供は関係ない。ワシはまずそいつをやるぞ」 

 顎で水蓮を指す。

 すかさず鬼鮫とイタチが体を寄せて改めて水蓮を背で覆い隠す。 

 その動きに自来也はフン…と面白そうに鼻を鳴らした。

 「本当なら、ワシとてお前らをここで消しておきたい。だが、この小さな町でお前らと戦えばいかにこちらが有利とはいえ無害ではすむまい。今ここには他里の忍も数多く来とる。巻き込んで命を奪うようなことがあれば里同士の問題にもなりかねん」

 「だから引けとおっしゃりたいのですか?」

 イタチが静かに問う。

 自来也は無言を返し、鬼鮫とイタチも黙してたたずむ。

 

 しばし3人のにらみ合いが続いた。

 

 それはほんの数秒だったのかもしれない。それでも、水蓮には何時間もの長い時間に感じられた。

 その場を取り巻く緊張がますます高まり行く中、静かなイタチの声が流れた。

 

 「いずれ…」

 

 イタチの体から力が抜け、空気が少しずつ柔らかさを取り戻し始める。

 「いずれナルト君を頂きます」

 その言葉の終わりには、今まであふれかえっていた重い空気がすっかり消え失せていた。

 それと入れ替わりに、恐怖ゆえに今まで聞こえなくなっていた祭りの喧騒が水蓮の耳に突然聞こえ戻った。

 楽しそうな賑わいの音の中、自来也が「お前らにあいつはやらん」と笑い「あいつは強いぞ」と、誇らしげに言った。

 イタチは少し間を置き、目を細めた。

 「彼を手中におさめる事で、我々暁の目的は成される」

 その言葉に、水蓮はどきりとした。

 鬼鮫は気づいていない。だが、おそらく自来也は気づいている。

 イタチの言わんとすること。

 

 

 ナルトを狙うのは、一番最後

 

 

 細い糸を絡ませたその言動をどうとらえたのかは分からないが、自来也は「そうはさせん」とまた笑った。

 

 

 その笑いが風の中に消え、自来也の姿もいつの間にか消えていた。

 

 

 少しの静寂が流れ、始めに声を上げたのは鬼鮫であった。

 「やれやれ…」

 大きく息をひとつ吐く。

 そこに水蓮が言葉をかぶせた。

 「やれやれじゃないでしょ!」

 荒げられた声で詰め寄られ、鬼鮫は少し体を引いた。

 先ほどまでの混乱が収まらず、神経がやや高ぶっているのか水蓮のその声は興奮している。

 「痺れ薬盛られるなんて! バカじゃないの?!」

 「なっ! もとはと言えばあなたが祭りに行きたいと言ったことが事の始まりでしょう!」

 「すすめたのは鬼鮫じゃない!」

 「はぐれたあなたの責任ですよ」

 「さっさと一人で行った鬼鮫が悪いんでしょ!」

 互いにむすっとした顔でにらみ合う。

 と、不意に流れた風の中に酒の香りを感じて水蓮がハッとする。

 「まさか、お酒飲んだの? 自来也と一緒に?」

 「…………」

 さすがに気まずさを感じ、鬼鮫が水蓮に背を向ける。

 その動きに顔をひきつらせ、水蓮は鬼鮫の正面に回り込んだ。

 「そのお酒に薬入れられたの?」

 鬼鮫は無言で顔をそむける。

 「信じられない。相手が誰だかわかってて無防備にお酒飲むなんて。しかも薬まで盛られて…」

 体をわなわなさせて、水蓮はもう一度声を荒げた。

 「バカじゃないの?!」

 「誰に向かって!」

 「騒ぐな」

 言い返そうとした声にイタチが言葉をかぶせた。

 「大きな声を出すな」

 ぴしゃりと放たれたその声に、今度は町の方角から声が聞こえ重なる。

 

 「なんだ?喧嘩か?」

 「面白そうだな」

 

 気配が二つ。こちらに向かってくる。

 水蓮たちは無言で顔を見合わせ、同時に地を蹴った。

 

 

 数分後身を降ろしたのは町へと続く川のかなり上流。

 さすがに人の気配はなく、すでに祭りの賑わいも届かずシンと静まり返っている。

 

 鬼鮫が川の水をすくい上げて口に含み、息をつく。

 「どうだ?」

 「確かに、簡単に抜けそうにはありませんね。でもまぁ、明日の朝には抜けるでしょう」

 「ま、アジトに戻れば薬もあるしね」 

 ようやく気持ちが落ち着いたのか、水蓮はそう言って笑った。

 久しぶりのその笑顔に、イタチと鬼鮫も小さく笑んだ。

 「では戻りますか」

 「そうだな」

 「あ、ちょっと待って」

 帰路につこうとする二人を、しかし水蓮が引きとめた。

 「これ…」

 二人に向かって差し出した手には、先ほどナルトからもらった吊り下げ人形が乗せられていた。

 「買ったんですか?」

 「ううん。もらったの」

 「オレもだ」

 隣でイタチがサクラから受け取った人形を揺らし、鬼鮫が「私もです」と自来也に投げ渡されたそれを取り出した。

 「せっかくだから、ここから流そうよ」

 「そうですね。持っていても仕方ありませんしね」

 水蓮がカバンの中から薬の調合に使っている小さな木の器を取り出した。

 そこに鬼鮫が蝶の形をした人形を入れ、水蓮が鳥の吊り下げ人形を入れる。

 が、イタチは人形を手にしたままなかなか動かなかった。

 「イタチ?」

 名を呼ばれ、イタチは手にした人形からゆっくりと水蓮に視線を動かした。

 そしてしばし見つめてからそっと人形を器に入れた。

 「じゃぁ、流すね」

 川の淵に腰を落とし、水蓮が器の底を水にぬらす。

 そしてそっと鳥の人形を指先で撫で、叶うことを祈り手を離した。

 

 穏やかな川の流れに、木の器がやさしい揺れを見せながら流れてゆく…

 

 

 ゆらり

 

 ゆらり

 

 

 

 蝶には【弟子の独り立ち】

 

 

 ハマグリには【自分だけを愛してほしい】

 

 

 カナリヤには【この世界の平和】

 

 

 

 3つの願いを乗せた小さな器が水面を進む…

 

 

 

 ゆらり

 

 ゆらり

 

 

 ゆらり

 

 ゆらり

 

 

 月の光の中をゆっくりと…



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第七十九章【強さを求めて】

 祭りの夜から一夜が明け、水蓮は一人アジトの外で空を見つめていた。

 まだ時間は早く、東の空がほんの少し明るくなったばかり。

 吐く息は白く、崖の淵に揺れる小さな葉には細かい霜が立ち、それが細く差し込みだした日の光を受けてきらりと輝いた。

 

 「強くなりたい」

 

 ぽつりと言葉が空気に流れる。

 

 これから先に待ち受ける様々な事を受け止め、乗り越えていけるよう

 

 目をそらさぬよう…

 

 「強くなりたい」

 

 脳裏にはナルトの笑顔が浮かんでいた。

 何ものにも負けない。全てを乗り越えてゆける強さをたたえた笑顔。

 自分もナルトのように強くなりたい…。

 水蓮はその想いをめぐらせていた。

 そして、強い光を放ちながら登り始めた太陽に、決意を固めた。

 

 

 

 朝の位置へと登った太陽を背に水蓮が洞窟の中に戻ると、イタチも鬼鮫も目を覚ましていた。

 「早いですね」

 「眠れなかったのか?」

 優しく声をかけてくる二人を見つめ、水蓮は静かに言葉を発する。

 「二人に話があるの」

 真剣な声と表情に、イタチと鬼鮫が一瞬顔を見合わせる。

 「どうした?」

 イタチが問いかけ、鬼鮫は黙って水蓮の言葉を待つ。

 

 ひゅぅと、外から流れ込んできた冷たい風が水蓮の髪をなびかせた。

 

 そのなびきがおさまると同時に、水蓮が口を開いた。

 

 「しばらくデイダラのところに行かせてほしいの」

 

 「なっ…!」

 思わずイタチが声を上げる。

 しかし鬼鮫はやはり沈黙を返す。

 「何のためにだ」

 イタチの口調は珍しく厳しい。

 それでも水蓮はひるまず言葉を続ける。

 「デイダラのところで少し修行したいの。体術と、それから影分身の見分けも」

 「それはここでもできる。鬼鮫とオレで十分だろう」

 「そうなんだけど。でも、ここじゃだめなの」

 「なにがだめなんだ」

 水蓮に歩み寄り、イタチは鋭い目で水蓮を見つめる。

 「なぜデイダラのところへ行く必要がある」

 「それは…」

 あまり自分には見せない厳しい視線に、水蓮は思わず言葉に詰まる。

 それでも、目をそらさずに返す。

 「ここにいると、甘えてしまうから」

 今度はイタチが言葉を詰まらせた。

 「二人と一緒だと、どんなに修行に力を入れても、どこかで甘えてしまう。これくらいで大丈夫だろう。許してくれるだろうって。無意識に甘えてしまう。二人もそうでしょ?」

 イタチも鬼鮫も答えない。

 それは肯定を意味していた。

 

 もとより水蓮を前線に出す気のない二人にとって、本腰を入れて水蓮を鍛えるつもりはない。

 それゆえどこかで力を加減し、無理をさせてまで何かを教えるまでには至っていなかった。

 

 「だが、それなら鬼鮫にもう少し厳しく教わればいい」

 「違うの。そうじゃなくて、デイダラに少し教わりたいの」

 引く気のない水蓮の言葉に、イタチの表情がさらに厳しくなる。

 しかしそれでも水蓮の気持ちは固まっていた。

 

 先日デイダラと手合わせしたときの感覚は、鬼鮫では得られない。

 ましてイタチでは互いに力を出し切れない。

 

 「なら…」

 イタチが小さく息を吐く。

 「デイダラにここに来てもらえばいい」

 しかしその言葉に水蓮は複雑な顔をする。

 「ちがう、ちがうの。なんていうか、それじゃぁダメなの」

 「何がダメなんだ」

 「何が…」

 そう聞かれるとどう答えてよいのかが分からず水蓮は口を閉ざす。

 自身でもはっきりとは言葉にできない。

 それでも、今ここを離れて修行をしたいとそう感じている。

 だがどう言えばいいのかわからず、水蓮は考えた末小さな声で「少しここを離れたいの」と返した。

 その言葉にイタチが戸惑いを見せる。

 今までずっと自分から離れまいとしてきた水蓮がそんな事を言うとは思いもよらず、何も返せぬまま沈黙が流れた。

 

 

 「行ってくるといい」

 

 静まり返ったアジトの中、鬼鮫の声が静かに響いた。

 背後から聞こえたその声に、イタチは視線だけをそちらに向ける。

 そんなイタチの隣にゆっくりと鬼鮫が歩み来て「行ってくるといい」ともう一度言った。

 「だめだ」

 イタチがすぐに言葉をかぶせる。

 「デイダラもそう暇なわけではない。あいつにはあいつのやることがあるだろう」

 「おいらは別に構わないぜ」

 突然飛んできたその声に水蓮たちが視線を向ける。

 いつの間にそこにいたのか、アジトの入り口にデイダラが立っていた。

 「トビもしばらく戻らねぇみたいだし。オイラは問題ねぇぜ。うん」

 水蓮の隣に歩み寄り、にっと笑みを向ける。

 しかしイタチがまた「だめだ」と瞳を厳しく色づけた。

 「お前がデイダラのところへ行けば、実質ツーマンセルになる。任務を振られるかもしれない」

 さすがにそれは考えていなかった水蓮が小さく息を飲んでうつむく。

 が、デイダラが軽い口調で言葉を返した。

 「何言ってんだよ、んな事あるわけねぇだろ?医療忍者とツーマンセルで任務なんてねぇだろ、ふつう。あっても簡単な調査くらいだろ。うん」

 確かに、鬼鮫と二人で任務に就いた時もそう危険な物はなかった。

 それを思い出し、水蓮は再びイタチを見つめる。

 イタチはその視線にため息をつく。

 「それでも、可能性は皆無ではない」

 「いや、おいらがさせねぇ」

 言葉を返せない水蓮に代わってデイダラがきっぱりと言い放った。

 「あーねは貴重な医療忍者だからな。危険な任務になんていかせねぇ。組織が言ってきてもおいらが断る」

 「デイダラ…」

 自分を守ろうとする意思を見せるデイダラに、水蓮がほっとした表情で笑みを向ける。

 デイダラはその笑みにニカッと笑って返した。

 「あーね。強くなりてぇんだろ?」

 「え?う、うん」

 核心をついた言葉に戸惑いながらもうなづく。

 「この間手合わせした時にガンガン伝わってきたからな」

 自分自身も明確になっていなかったそれを感じ取っていたデイダラに水蓮は驚き、やはり彼も一流の忍なのだと実感する。

 とともに、やはりデイダラに教わりたいとの気持ちを大きくした。

 「お願いイタチ。少しの間でいいの」

 「しかし…」

 言いよどむイタチの隣で鬼鮫が小さく笑った。

 「言い出したら聞きませんよ。それはあなたもよく知っているでしょう。イタチさん」

 「鬼鮫…」

 鬼鮫はイタチの視線を受け流し、水蓮に目を向ける。

 「行ってくるといい。ただし3日間だけだ。彼の事もある」

 ちらりとイタチに視線を落とす。

 それはイタチの体調を気にかけての言葉。

 水蓮は「わかった」とうなづきもう一度イタチに「お願い」と強く言った。

 イタチは黙して水蓮を見つめる。

 

 水蓮を信じるとは決めたものの、一人でデイダラのもとへ行かせるのはあまりにも危険が大きい。

 トビもいつ戻るかわからない。

 何かあった時にデイダラが本当に水蓮を守り抜く姿勢を見せるかどうかも分からない。

 それでも、自分がついて行くことも拒むだろう。

 かといって、引きそうにもない。

 鬼鮫の言うように、言い出したら聞かないのだ。水蓮は。

 それに、今水蓮が感じているものが分からないわけではなかった。

 強さを、そして強くなれる場所を求める。

 それは肉体的な事だけではなく、それを鍛えることで精神的な鍛練にもなる。

 水蓮は今それを欲しているのだろう。

 その気持ちは自分自身も感じたことのある物だ。

 もちろん鬼鮫もデイダラも同じだろう。

 それゆえ水蓮の背を押そうとしているのだ。

 そしてそれは、間違ってはいないのだろう。

 

 

 イタチは考えをめぐらせ、大きく息を吐き出した。

 「3日だけだ。それまでにもしトビが戻ったらすぐに帰ってこい。いいな」

 苦渋の表情でそう言ったイタチに水蓮は強い瞳で大きくうなづいた。

 「ありがとう。イタチ」

 「だが、あまり無茶はするなよ」

 まだやや不服ではあるが、それでも優しい笑顔を向けて水蓮の頭にポンッと手を置く。

 そしてデイダラをジトリとにらむ。

 「危険な事はさせるな」

 「しつけぇな、うん。心配しすぎだろ」

 顔を引きつらせるデイダラの横で水蓮が笑った。

 「大丈夫だって。イタチこそ、私がいない間にあまり無理しないでね」 

 「ああ」

 「ちゃんと見張っておきますよ」

 ククと笑った鬼鮫にイタチが不満げな顔を向ける。

 「で、あーねすぐに来るか?」

 「うん。その方が早く戻れるしね。すぐ用意する」

 突然の出立にイタチは少し戸惑ったようであったが、確かにすぐに行って早く戻る方がいいだろうと、視線を合わせてきた水蓮にうなづいた。

 

 

 それから10分も経たぬうちに準備を終わらせ、水蓮はデイダラの鳥の背に飛び乗った。

 そのそばにはイタチのカラスが寄り添う。

 「なにかあれば連絡を入れろ」

 「わかった。じゃぁ、行ってきます」 

 ずいぶんとすっきりした顔で笑む水蓮に、イタチは複雑ながら「気を付けてな」と言葉をかけ、その隣で鬼鮫が「行ってらっしゃい」と軽く手を上げた。

 

 

 ふわりと羽ばたく白い鳥。

 青い空の中にその姿が消えてゆく。

 じっとそれを見つめるイタチに鬼鮫が小さく笑った。

 「案外あの祭りも迷心ではなかったようですね」

 「なんだそれは」

 少しきょとんとしたような表情のイタチに鬼鮫は「いえ別に」とまた少し笑ってアジトの中へと戻って行った。

 イタチは再び空へと視線を戻しつぶやいた。

 

 「強くなりたい、か」

 

 冬の冷たい空気の中に、イタチの言葉が白く模様を付けた。



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第八十章 【芸術家】

 人気のない深い森の奥にひっそりとたたずむ小さな小屋の前。

 水蓮とデイダラの打ち合う音が冷たい空気の中に響いていた。

 

 

 イタチのアジトからそう離れてはいないこの場所。

 たどり着いてすぐに二人は組手をはじめ、幾度かの休憩をはさんで繰り返すうちに、日はすっかり真上に上り詰めていた。

 

 

 「はっ!」

 短い気合いと共にデイダラが蹴りを放つ。

 水蓮はそれを両腕でガードするが、威力の強さに飛ばされ後方にあった木に叩きつけられた。

 

 

 ダンッ!

 

 

 鈍い音が立ち、決して細くはない木が揺れ、葉がいく枚も降り落ちる。

 「つっ…」

 チャクラのガードも疲労と共に強度が落ち、背中に襲う痛みに水蓮が顔をしかめた。

 すぐには立ち上がれず、木に背を付けたまま肩で呼吸をする。

 「どうしたあーね。もう終わりかよ」

 対するデイダラは全く疲れを見せておらず、余裕の表情で水蓮が立ち上がるのを待っている。

 「まだまだ…」

 グッと足に力を入れて立ち上がり、水蓮はすぐに地を蹴り駆けた。

 「そうこなくっちゃな。うん!」

 構えて迎え撃つデイダラの一撃一撃は先日の時の数倍強く、打ち込みのスピードも比べ物にならなかった。

 それは組手を始める前に彼が言った「本気で強くなりたいやつには容赦はしねぇ」との言葉を違えぬ物で、水蓮は未だにデイダラにまともな一撃を当てられずにいた。

 それでも必死に食らいつき、がむしゃらに体を動かした。

 今は少しも止まっていたくないという気持ちがそこにあふれて見え、相手をするデイダラも自然と熱が入った。

 

 とにかく少しでも強くなりたい

 

 一つ一つの動きにその想いを込める。

 

 この先に待つ様々な事に今よりも覚悟を持てるように…

 耐え抜けるように…

 

 壊れてしまうのではないかという不安を打ち消せるように…

 

 イタチの隣で笑っていられるように…

 

 「はぁっ!」

 

 疲労を振り払い、気を入れなおした一撃の重さにデイダラがにっと口端を持ち上げた。

 

 「オイラも気合入れなおすぜ! うん!」

 

 そうしてしばらく打ち合いを続け、何とかデイダラの動きについて行こうと食らいついていた水蓮であったが、ややあって思いのほか強いデイダラの蹴りを受けて地面にたたきつけられた。

 

 ずざぁぁぁぁっ!

 

 枯れ葉を巻き上げながら地を滑り、再び音を立てて木にぶつかる。

 

 疲れた体と思考でチャクラの防御は間に合わず、まともにダメージを受けてせき込みその場にうずくまった。

 「あーね! 大丈夫か?」

 デイダラが慌てて駆け寄る。

 「すまねぇ。ちょっと気合入れすぎたな」

 そばに座り顔を覗き込む。

 水蓮は幾度かせき込みながら首を横に振った。

 「大丈夫。これくらいしないと…」

 息を整えて立ち上がる。

 デイダラもそれに続き「そうだな」と笑みを向ける。

 「なんせ3日しかねぇからな。うん」

 「だから、気にしないで」

 そう言って水蓮が再び気合を入れるが、それとは逆にデイダラが空気を和らげた。

 「でも、今日は組手はもう終わりにしようぜ。腹も減ったし、飯にしようぜ。うん」

 その言葉を聞くと急に空腹を感じ、水蓮はもう少し続けたいという気持ちを片付けて頷いた。

 小屋に入るとデイダラが昼食は自分が用意すると準備にかかり、10分ほどしてから水蓮のもとへ戻ってきた。

 「大体いつもこれなんだ」

 小さな二人用のテーブル。質素な椅子に向き合って座り、デイダラから差し出されたのはバケットにチーズとハムを乗せたもの。

 チーズは火であぶってあるのか少しとろけており、端の方にはいい色の焦げがついていた。

 「いつもはチーズだけなんだけどよ、昨日行った町でうまそうなハム見つけて買ってきてたんだ」

 「美味しそう」

 受け取るとパンは少し柔らかめでフライパンで焼いたのか、ほんのりあたたかく底がかりっとした手触り。  

 「シンプルだけど、うまいぜ。うん」

 言葉の終わりにはすでにパンをかじっていたデイダラに水蓮も続く。

 「いただきます」

 一口かじると焼かれたパンの香ばしさが鼻を撫でた。

 ハムとチーズの間には軽く粗塩をがふられており、ハムにはほんの少し柑橘の香りがつけられているようで分厚いチーズの味の濃さをすっきり爽やかに整えてくれている。

 シンプルと言ってはいたが、細かく手が加えられているその食事に水蓮のほほが緩んだ。

 「おいしい…。すごいおいしい」

 「だろ?」

 「デイダラ料理できるんだ」

 デイダラはハハと笑い牛乳を飲む。

 「料理ってほどのもんじゃねぇけどな」

 「十分だよ。細かいところにちゃんと手間かけてるし」

 そう言ってパンを口にする水蓮に、デイダラがニッと笑みを向けた。

 「サソリの旦那がよ、うるさかったんだよ」

 「サソリが?」

 サソリは傀儡であったため食事をとらなかったはずだ。

 水蓮は小さく首をかしげる。

 「旦那は食べなかったけど、おいらの食べるもんにうるさくてさ。なんか、芸術家の端くれならちゃんとしたもの食えって」

 「へぇ…」

 正直、意外だと水蓮は感じていた。

 他人には干渉しなさそうな印象のサソリがそんな事を言うとは思いもよらなかった。

 まして自分には関係のない食べ物の事となればなおさらだ。

 「ちょっと意外」

 心打ちにとどめきれぬ気持がポツリとこぼれた。

 「だろ?」

 笑ってパンをかじり、喉を通してから話を続ける。

 「作り方もだけど、材料も割とうるさくてよ。自分は食べねぇのにいい物の話聞くとわざわざそこに買いに出向いたりしてたんだぜ。このチーズと牛乳も旦那が見つけてきたやつで、定期的に買いに行ってんだ。まぁ旦那の考えとしちゃ、いい食べ物がある場所はほかの物の質もいいって感じだったけどな」

 「なるほど」

 それは何となく納得できるような気がした。

 「とにかく、いいものに触れろってうるさかったな。うん」

 パクパクっとパンを平らげ、デイダラはまた笑った。

 そこにはサソリの死への悲しみはすでになく、ただ単純に良い思い出を楽しんでいるようだった。

 「いいものに触れろ…か」

 それも分かるような気がした。

 過去に父とかわした会話の中に「上を目指すなら一流の物に触れろ」という言葉があった事を思い出す。

 もちろんそれがすべてではないが、そうすることで見る目が養われ、精神的にも洗練されてゆくのだとそう言いながら優しく笑っていた。

 その笑顔とともに父の想いを感じる。

 父親としてだけではなく、武術家として大切な物を伝え残そうとしてくれていたのだ。

 それはもしかしたらサソリも同じだったのかもしれない。

 仲間としてではなく、同じ芸術家としてデイダラに関わっていたのではないだろうか。

 自分より若い芸術家であるデイダラに、自分の持つ何かを伝え残そうというそんな思いがあったのかもしれない。

 本人亡き今それは自分の想像でしかないが、もしそうならその何かはデイダラの中に残っているのだろう。

 サソリがいなくてもこうしてこの昼食が出てきたという事は、きっとそういう事なのだと水蓮は思う。

 「本当に、おいしいよ」

 切ないような、温かいような、不思議な物を感じながらパンをかじり、水蓮はデイダラに笑みを向けた。

 「また作ってやるよ。それより、あーね。1時間くらい休んだら影分身の見分けの訓練しようぜ。チャクラいけるか?」

 「うん。大丈夫」

 午前の疲れを感じてはいるものの、水蓮にとってはそちらの訓練が本命であり、気合を入れて力強くうなづいた。

 

 

 

 「おいらは感知タイプじゃねぇから本格的な事は教えられねぇけど、この間あーねになんで影分身が分かるのかって聞かれてからちょっと考えてたんだ」

 小屋から少し離れたところにある見晴らしのいい崖の淵にデイダラが座る。

 「まぁそれでもはっきりとは分からねぇけど、今までの事思い出すとよ、なんかこっから感じてたような気がするんだよな。うん」

 そう言ってデイダラは地面をポンポンと軽くたたく。

 「地面?」

 「ああ。というか、多分土だな」

 「土…」

 隣に座り、水蓮も地面を触る。

 「おいらの属性は土だ。だからオイラのチャクラは土と相性がいい。それでチャクラを練った時に、土を通じて何かを感じてるんだと思う。多分な」

 デイダラは土を握り、崖からぱらぱらとそれを風に流した。

 「この間あーねと組手した時は、たぶんあーねの服とか靴についてた土から感じたんだろうな」

 「なるほど」

 「まぁあくまでもおいらの仮説だけど、結構自信あるぜ。うん。昨日色々試したからな」

 ニカッと笑うその横顔に、水蓮は思わず「案外まじめ」とつぶやいた。

 「案外って、おいらはもともとまじめだぜ。うん。それに、芸術家にとって研究心は大事だからな」

 それもまた意外な言葉であった。

 

 芸術は一瞬の美

 

 それがデイダラのモットウであり、そこに時間をかけるイメージがなかった。

 そんな水蓮の考えが分かるのか、デイダラは少し苦笑いで言葉を続ける。

 「爆破は一瞬でも、製作には研究が必要なんだぜ。もちろん瞬間のひらめきも大事だけどよ、研究の末の計算しつくされたデザイン。そこに生まれる狂いのない美しい造形。それが芸術だ。うん」

 「一瞬で壊すのに…」

 また思わずこぼれた言葉に、デイダラが顔を引きつらせる。

 「旦那とおんなじことゆーなよ。てか、究極に美しい作品を一瞬で爆破することに意味があるんだって。最高の作品の爆発は最高にきれいなんだぜ。美しければ美しいほど、美しく散る。そこに見えるはかなさと切なさがオイラの芸術だ。うん!」

 力説するデイダラに水蓮は何と返せばいいかわからず複雑な表情を浮かべた。

 それを見てデイダラがまた顔を引きつらせる。

 「旦那と同じ顔すんな…」

 「ごめんごめん。それで、感知の話だけど」

 「あぁそうだったな」

 いつの間にかそれた話を元に戻す。

 「あーねの属性は風だろ?だからなんていうか、風にチャクラを乗せるイメージとかでいいんじゃねぇか?」

 「風に乗せる…」

 「もしくは混ぜるというか、同化させるというか。まぁ、あくまでもイメージだ。うん。感知の力はセンスだとオイラは思ってる。センスのある奴は感知能力が高い。んで、センスにはイメージする力が重要だ。芸術と一緒だぜ。うん」

 「なるほど」

 抽象的ではあるがどこか納得ができる。

 「まぁそれは明日からやるとして、とりあえずは感知能力であたりを広く探るってのをやってみてくれ」

 「わかった」

 水蓮は目を閉じてゆるく開いた手のひらの指先だけを口元で柔らかく合わせた。

 印というわけではなく、集中する際に自然と形づいた物。

 そうして集中を深めるとともに水蓮を取り巻く空気はどんどん静かになってゆく。

 研ぎ澄まされてゆくその様子に、デイダラが小さな声で「祈ってるみたいだな」とつぶやいた。

 だが、そばにいるデイダラのその声も聞こえないほどの集中で水蓮は徐々に感知の幅を広げてゆく。

 そして数分後。ピクリと水蓮が肩を揺らし、隣に座るデイダラを見た。

 「デイダラの影分身がいる…」

 「お、もう見つけたのか?」

 ニッと笑うデイダラに水蓮はうなづいて西の方角を指さした。

 「この方角に一人と、反対側にも一人。でも、距離がはっきりとわからないかな」

 「あっちがここからちょうど300メートル。こっちが400メートルだ。今の感知を広げるスピードと影分身を見つけるまでの時間で、距離を体に覚えこませるといいぜ。自分の一番やりやすいスピードを基準にすれば、距離との関係性を身に着けやすいやすいだろ?」

 「なるほど」

 「大事なのは、360度ぶれなく円形に力を広げることだ。そうでないと方角によって時間と距離の関係に差が出るからな。今日はそれを意識しながら、どこにおいらの影分身が何体いるかと、ここからの距離を測る練習だ。うん」

 「わかった」

 再び集中しようと目を閉じ、ふと思う。

 この間の手合わせも、今朝の組手も、そして今のこの訓練も。

 デイダラは相手の力を見ながら教えるのがうまい。

 もちろん鬼鮫とイタチもそうだが、デイダラの教え方は二人とは少し違う…。

 何が違うのかと問われたらはっきりとは答えられない。

 だがしいて言うならば…

 

 

 センスがいいのだ

 

 

 それこそ、鬼鮫もイタチもそうだが、二人にはない何かがある。

 それは、自身の求める芸術を研究し、追求し続ける中で養った彼だけの物。

 

 

 きっと、いい教師かもしくは担当上忍になれただろう。

 

 だがそれは口には出せなかった。

 

 もしもこうだったら、という言葉は彼らの中にはないのだ。

 

 水蓮は小さく深呼吸をして思考を断ち切り、指先を合わせた。



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第八十一章【ハーブの香り】

 デイダラとの修行は順調に進み、水蓮は確かな手ごたえを感じてイタチと鬼鮫の元へと戻る日を迎えた。

 途中トビが戻ってくることもなく予定通りの3日間を充実して過ごし、4日目の今朝、水蓮は帰り支度を進めていた。

 「これでいいかな」

 修行中過ごした部屋をきれいに整理し、一つ息を吐く。

 ふと視線を向けた窓際にはイタチから預けられたカラスがこちらを見てたたずんでおり、小さく首をかしげるような動きを見せた。

 下手に行き来をさせて誰かに見られてはまずいと思い一度もイタチのもとへは飛ばさなかったが、このカラスがいるだけでもずいぶんと心強かった。

 「今日帰るよ」

 笑いかけてそっと手をのばすと、馴染んだ様子でその手に頭を摺り寄せてくる。

 そのしぐさがほんの数回見せたことのあるイタチの甘える仕草と似ていて可愛らしく、愛おしくなる。

 「やっと会えるね」

 イタチや鬼鮫からの連絡も特になく、体調に変わりはないのだろうと思いつつも心配の絶えぬ3日間であり、修行中は早く過ぎた時間も夜はひどく長く感じられた。

 いつものように帰りを待つ時間も長く寂しいが、帰れぬその時間はまた別のさみしさがあった。

 任務中、イタチもこんな気持ちだったのだろうかと、そんなことを思う。

 「あーね。準備できたか?」

 軽くドアをノックする音に、水蓮はまとめた荷物を手に持ち扉を開けた。

 「おはよ。いつでも出れるよ」

 「んじゃ、ちょっと早いけど行くか。あっちに戻る前に寄りたい所もあるんだ。いいか?」

 「うん。どこに行くの?」

 「これなんだけどよ」

 デイダラが差し出した手には一枚のメモ用紙。

 受け取り目を通すと【エシロ。悠久堂】と書かれていた。

 「なにこれ?」

 「旦那の部屋から出てきたんだ。この近くにある町と、多分そこにある薬屋の名前だ。はっきりとは覚えてないけど、見覚えある名前だからおいらも行ったことがあるはずだ」

 紙を返すと、デイダラは少し懐かしそうな目でそれを見つめた。

 「前に旦那があーねの薬勝手に売ってるって話しただろ?たぶんそのうちの一つだな。うん。他にも何件か旦那が出入りしてる店はあったけど、これだけ残されてたんだ。もしかしたらなんかあるのかもと思ってよ」

 無造作にポーチの中にその紙をしまいこみ、デイダラはにっと笑った。

 「うまくいけばあーねの薬取引できるかもしれねぇしな」

 その言葉に、水蓮の表情が明るくなる。

 以前取引をしていた店がある街は、天隠れの里の一件以来イナホに会わぬよう立ち入ることができなくなり、彼女が働いているその店にももちろん行けなくなっていた。

 水蓮にとっては自身の物を買うための貴重な収入源であったため、それを失った事は痛手であった。

 デイダラの言うように新たに取引できる店が見つかれば、そんなありがたい話はない。

 「そうなれば助かる」

 「だろ?朝飯はその町で食おうぜ。うまいパン屋があるんだ」

 それもきっとサソリから教わったのだろう。

 デイダラは懐かしそうに、そして嬉しそうに笑った。

 

 

 この時期の早朝の上空はかなり寒く、水蓮はデイダラから渡された毛布で体を包み身を小さくした。

 「ちょっと高く飛んでるから余計寒いだろ?すまねぇな」

 申し訳なさそうなデイダラに水蓮は首を横に振る。

 幾度か行く可能性のある町への出入りは慎重に行われる。

 それゆえデイダラも周りから見えぬよう十分高度を取っているのだ。

 「大丈夫」

 その返事に笑顔を返し、デイダラは地上を指さした。

 「町はこの真下だ」

 うなづきで答えると、デイダラは高度を下げてゆく。

 いつも降りる場所が決まっているのかその動きに迷いはなく、ほどなくして水蓮たちは町の中にある小さな林の中に降り立った。

 林から出ると、そこはそう大きくはない町で、まだ時間が早いためかまだ人通りも少ない。

 「この町は結構薬屋が多くて、まぁ、どちらかというとおいらたちみたいなのが使う店がほとんどって感じだ。もちろんそんな事は表立っては知られてねぇけど、普通のやつじゃ買えないようなものが裏で取引されてる。値段も売る相手によって違うんだ。もちろん店側の買値もな」

 小さな声でそう話し、デイダラは「まず朝飯だ」と、目当てのパン屋を見つけ指をさした。

 「あの店、パン生地がめちゃくちゃうめぇんだ。もちもちしててよ」

 「へぇ」

 すぅっと吸い込んだ空気にパンの焼けるいい匂いが混じり、一気におなかがすいてくる。

 「いい匂い」

 「だな」

 どちらともなく少し歩く速度が上がった。

 

 

 パン屋でそれぞれ品を選び、少し人気が増え始めた道を歩きながら食べる。

 イタチや鬼鮫はこういった事をしない分、水蓮はどこか新鮮な、懐かしいような感覚になる。

 学生の頃はこんな風に部活の帰りにパンやおにぎりを食べながら帰ったりしたなと、不意に思い出す。

 このくらいの時期になると、高校の近くにある駄菓子屋でたい焼きが期間限定で売られていた。

 

 皮が薄くて、少し甘さ控えめなアンコが尻尾の部分までしっかり詰まっていて…

 

 薄い皮から少し浮き出そうになったアンコがいい具合にコゲを作って香ばしく、あまりの人気に予約が必要なほどであった。

 

 脳裏にその味がよみがえり、思い出の中に思考が入り込んでゆく…

 

 あの店のおばちゃんは、どうしているのだろう…

 まだあのたい焼きはあるんだろうか…

 たしか、夏はかき氷が売られていて、その中にソフトクリームを入れたものが人気だった…

 学校から駅までの途中には小さなお好み焼き屋さんもあって、なぜか入口にプリクラが置いてあったな…

 あぁ、そういえばうちの高校はブレザーだった…

 学年によってリボンの色が違ってたっけ…

 

 とりとめのないことが次々と浮かび上がってくる。

 それは今までにない事であった。

 

 ナルトと出会い、自身の気持ちを受け止めたことで心境に変化があったからなのだろうか…

 

 そんなことを思い、再び記憶を手繰ろうとしたとき、デイダラが足を止めて前方を指さした。

 「あそこだ」

 その先にある目的の薬屋を目に留め、水蓮はうなづいてパンの残りを慌てて食べた。

 

 

 店の中に入ると薬草の匂いがまず鼻を撫で、そのすぐ後に何か優しい香りを感じて水蓮が店内を見回した。

 その香りのもとは店のカウンター横にある大きな棚に並べられたハーブ。

 わざわざハーブを並べるためだけに用意されたその棚の前に立ち、水蓮はなんとはなしにラベンダーを手に取った。

 「めずらしいね」

 こちらの世界ではハーブはあまり需要がないのか、こうして一つの棚を専用に用意している店は今までになかった。

 「サソリがそうしろと言ったんですよ」

 突然聞こえきたその声に、水蓮とデイダラがそちらに目を向ける。

 艶のある長い栗色の髪。同じ色の瞳。チョゴリのような服を着た可愛らしい女性がそこにいた。

 水蓮とそう歳の変わらなさそうなその女性は「いらっしゃいませ。店主のハルカです」と頭を下げた。

 「私、ハーブがすごく好きで昔から取り扱ってはいたんですが、あまり需要がないので隅の方に少しだけ置いていたんです」

 ハルカは水蓮にニコリと微笑みかけ、ハーブを一つ手に取って言葉を続ける。

 「でもサソリが、自分が好きでこだわっている物なら堂々と表に出せ。遠慮するぐらいなら出すなって」

 懐かしむようなまなざしで手に持ったハーブを見つめ、ひどく悲しげなまなざしを見せる。

 「デイダラさんですよね?」

 「ん?あ、ああ」

 「以前一度だけサソリと一緒に来ていただいきましたよね」

 来たことはあるものの彼女の事は覚えていないようで、デイダラは少し気まずそうに「おう」と返した。

 ハルカは「あなたは水蓮さんですね」と次に水蓮を見た。

 「え?あ、はい」

 戸惑いを交えたその返答に、ハルカの表情はまたひとつ悲しみを重ねる。

 そして、ほんの少しの間をおいて、小さな声でつぶやくように言葉を発した。

 「サソリはもういないんですね」

 それは問いかけではなく、確認するような口調。

 水蓮とデイダラは思わず顔を見合わせた。

 ハルカは「こちらへどうぞ」と、店をしまい二人を奥の部屋へと案内した。

 

 

 「熱いので気を付けてください」

 ことりと小さな音を立てて水蓮とデイダラの前にマグカップが置かれた。

 ふわりとたつ湯気からはハーブの良い香がただよい、水蓮はカップを両手で包んでその香りをゆっくりと吸い込んだ。

 「いい香り」

 「カモミールです」

 息を吹きかけるとさらに香りが立ち、一口含むと心身がリラックスしてゆくのを感じる。

 「うまいな。うん」

 隣で同じようにカップに口をつけたデイダラがその味に目を丸くした。

 「サソリも好きだったんです」

 「え?」

 「旦那が?」

 思わずあげた二人のその声に、ハルカはニコリと笑った。

 「彼はもちろん飲みませんでしたよ」

 その言葉から、サソリが傀儡であることを知っていたのだと、その事にも驚く。

 「彼は今の体になってから、味も香りも自分にとってはすべて同じで善し悪しが無くなったと言っていました。でも、なぜかこのカモミールティは良い香を感じるとそう言っていました。もうなにも感じるはずはないのに、そう感じると…自分でも驚いているようでした。でも、すごく気に入ってくれて。だから彼が来た時はこの部屋でカモミールティを入れて、香りを楽しみながらいろいろと話をしました」

 切なげなまなざしで、ハルカは自身の手の中にあるカップを見つめた。

 サソリの意外なその一面に驚いたのは水蓮だけではなく、デイダラが「知らなかった」とつぶやいた。

 「時々ふらっと出かけることはあったけど、ここに来てたのか旦那…」

 ハルカは切なさをたたえたまま小さく笑みを返した。

 「この店は私の祖母が始めた店で、母が引き継いだころからサソリが良く来るようになったんです。私が1歳になるかならないか、20年ほど前です」

 「ちょうど旦那が里を抜けた頃だな、うん」

 「あとから私もその話を聞きました」

 ハルカは静かな声で話を続ける。

 「月に一度は店に来ていて、来るたびに私はよく遊んでもらっていました。サソリはほとんどしゃべらなくて、笑ったりもしなかったけど赤ん坊の時からちょくちょく来ていた彼に私は自然になついていて。彼も買いに来た品物の用意ができるのを待つ間、めんどくさそうにしながらも傀儡で私の相手をしてくれていました」

 おもいもかけないサソリの姿に水蓮は言葉が出ず、デイダラはかすれた声で「信じられねぇ」とこぼした。

 そんな二人に笑みを返してハルカは静かに立ち上がり、棚の引き出しから布の包みを取りテーブルの上に置いた。

 開かれた包みの中から出てきたのは額あてであった。

 「サソリの物です」

 里を示す紋様には深く一筋の傷が引かれており、ハルカの細くきれいな指がそっとそれをなぞった。

 「何年か前に、これからはいつ自分がいなくなるかわからないから、そのつもりでいろと、そう言ってこれをここに置いて行ったんです。そして次に現れたとき、彼はその衣を身に着けていました」

 ハルカは水蓮とデイダラの外套に目を向けた。

 

 サソリは暁の最終的な目的を知らなかった。

 それでも普通ではない危険性を十分に察知していたのだ。

 そんな暁に入るにあたって、彼なりに様々な物との決別を意味していたのだろうか。

 

 サソリにとって額あてがどういった意味を持つのかは分からないが、理由は何にしろここに自分の何かを残したというのは、彼にとってハルカは特別な存在だったのであろう。

 

 デイダラもそう思ってか、額あてとハルカを幾度か交互に見た。

 「それからも時折ここには来ていたんですが、しばらく前に彼が言ったんです」

 額あてに触れたままの手が少し震えた。

 「デイダラさんが一人、もしくは水蓮さんときたら、自分はもうこの世にはいないと思えって」

 水蓮とデイダラは言葉を返せず、ただハルカを見つめた。

 「その時は、水蓮さんの薬を取引するようにと」

 グッと、水蓮の胸が締まった。

 「それから、デイダラさんにはこれを渡すようにと」

 別の棚から30センチ四方程の木の箱を取出し、デイダラの前に置く。

 無言でその箱を開けたデイダラは、やはり無言のまま中身を取り出した。

 それは艶のある白い土の塊…

 「粘土」

 小さく発せられた水蓮の声にデイダラはうなづき、その粘土にグシャリと指を沈ませた。

 「なんなんだよ。…ったく」

 心根が読み切れない口調と表情。

 デイダラは無造作にそれを箱に直し蓋をした。

 「その粘土は、あと幾度かうちに届くようになっているそうです。時々見に来てください」

 「わかった…」

 デイダラは何かの感情を抑えるように、息を吐き出しながらそう答えた。

 「ずるいですよね」

 ハルカはカモミールティを一口含み、フフ…っと小さく笑った。

 「こんな風に後の事頼まれたら、追いかけていけない」

 

 水蓮とデイダラの視線の先で、ハルカは笑いながら泣いていた。

 

 その涙が、彼女のサソリへの想いを痛いほどあらわしていた。

 

 

 

 数分後。店を後にした二人は無言で空を移動していた。

 先ほどよりは風も冷たさをやや抑え、白く靄のかかっていた空もはっきりとした青を輝かせている。

 ところどころに薄くベールのように広がる白い雲がなぜか切なくて、二人の中の名前のわからない感情を膨らませてゆく。

 「あの粘土…」

 ぽつりとデイダラが言葉を風に流す。

 「めちゃくちゃ質のいいやつだ。きめが細かくて、密度が高くてチャクラの吸収もいい。めちゃくちゃ軽いし…」

 そう言ってからしばらく黙りこむ。

 水蓮は何も言わず言葉を待った。

 どれくらいしてからだろうか、デイダラが再び口を開いた。

 「あの時。一尾のやつに腕つぶされた時」

 すっとその腕を持ち上げる。

 「砂が腕に絡まりついてきて、やばいって本能で感じた。諦めたんだ。守りきれねぇってよ。もう粘土も残ってなかったからな」

 デイダラは「でもよ」と、外套の袖口を水蓮に見せる。

 「中がちょっとだけ脹らんでたんだ。とっさに破いてた。なんとなくわかったんだ」

 水蓮は知らぬ間にギュッと手を握りしめていた。

 デイダラはにっと笑って言った。

 「粘土が仕込まれてた」

 「そう…」

 「さっきのと同じやつだ」

 「そう…」

 「おいらの持ち物触れるのは…旦那だけだ」

 「そう…」

 「物を仕込むのは得意だったからな。旦那は…。うん」

 

 びゅぅ…と風が強く音を立て、なびいたデイダラの金色の髪が日の光にキラキラと輝いた。

 

 

 水蓮はうなづきを返して先ほどの町の方角を見つめ、サソリを思い出す。

 

 自分に、デイダラに、そしてハルカに。

 こうして何かを残すことに彼は何を求めたのだろうか…。

 

 人であることをすてて傀儡へとなった彼がみせた、ひどく人間くさいその行動は何を意味していたのか…。

 

 それはきっと誰にもわからない。わかってあげることはできない。

 

 

 水蓮は次にサソリを思って見せた寂しげな、そして優しいハルカの笑顔を思い浮かべる。

 

 サソリがカモミールティの香りをいい香りだと感じたのは、嗅覚によるものではないように水蓮は思えた。

 

 それは、ハルカにハーブの効能のような安らぎを見出していたからなのではないだろうか。

 その心情が彼の『良い香り』という感性を呼び戻したのではないだろうか。

 あくまでも想像でしかないが、それでも、そうならいいと水蓮は思った。

 

 闇に生き、血に染まり、そして死んでいったサソリに、ほんの少しでも心を休める場所があったとしたなら、それは彼にとっての唯一の救いになるだろう。

 

 水蓮はやるせなさの溢れた胸をグッとつかんだ。

 それでも、もう涙は流さなかった。

 彼のための涙はもう流した。

 

 同じ涙は流さない…

 

 それはデイダラも同じなのだろう。

 「もうすぐつくぜ」

 そう言って振り返った彼は、飛び切りいい笑顔を浮かべていた。




いつもありがとうございます(*^_^*)
今回はサソリの過去捏造ですね(^_^;)すみません…
でも、どこかで彼の話は何か入れたかったんですよね…。
原作でも最後には人間の部分を見せたサソリ…
きっとすべてを捨ててはいなかったであろうと思うので…

最近すっかりはまっている芸コンへの想いをこめて…ということで…(^○^)

今回も読んでいただき本当にありがとうございます☆
これからもよろしくお願い致します!(^◇^)


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第八十二章【離れるな】

 アジトへと帰り着くと、イタチと鬼鮫が外まで水蓮をむかえに姿を見せた。

 「収穫はありましたか?」

 問う鬼鮫に、水蓮は自信ありげに「もちろん」と答えて笑顔を向けた。

 「二人とも、影分身」

 寸分の迷いないその言葉に、ボンッと音を立ててイタチと鬼鮫の姿が消えた。

 「どうやら行かせた甲斐はあったようですね」

 「そうだな」

 アジトの洞窟の中から声とともに二人が姿を現す。

 「当たり前だろ。オイラが教えたんだからな」

 デイダラは胸を張って言い放ち、にっと笑う。

 「言っとくけど、百発百中だぜ。うん」

 「それは頼もしいですね」

 「ああ」

 イタチは小さく笑って水蓮の頭に手を置いた。

 「おかえり」

 「うん。ただいま」

 離れていたのはたった3日だけだというのに、やっと会えたような感覚になり水蓮は惜しみない笑顔で答えた。

 イタチもほっとしたように小さくうなづき、デイダラに「世話になったな」とただ素直にそう伝えた。

 「べ、別にあんたのためじゃねぇ」

 戸惑いとほんの少しの照れを交えてそっぽを向く。

 そのデイダラの視線の先に、トビが姿を現した。

 「やっぱりここにいた!」

 トビが不満げな雰囲気でこちらに歩み寄ってくる。

 「もう! ちゃんとアジトで待っててくださいよ! 僕がいない間に木の葉の連中にさくっとやられちゃったのかと思いましたよ」

 と、そう言い切る前にデイダラがトビを後ろから羽交い絞めにして首を締め上げた。

 「てめぇは一言多いんだよ! 一回死ね!」

 「一回死んだら終わりじゃないですか…っ! く…くるし…」

 じたばた騒ぎ立てるトビを、デイダラがさらにきつく締め上げる。

 「心配すんな。ちゃんと埋めてやる」

 「そういう事じゃ…。や、やめて先輩。に、任務。任務の話が…」

 必死に絞り出されたその言葉に、デイダラが腕を緩めて拘束を解いた。

 「任務? なんだよ、ゆっくりできねぇなぁ…うん」

 めんどくさそうなデイダラの隣でトビは大げさにせき込み、深呼吸をして息を整えた。

 「なんか急ぎらしいっす」

 デイダラは小さく舌打ちをして「めんどくせぇな」とぼやく。

 「なんかお前と組んでからちょこちょこした任務が多いんだよ…。うん」

 にらむデイダラをトビが「まぁまぁ」と適当になだめてうながした。

 

 トビと組んでから細かいことが増えたのは、おそらくマダラの画策の下準備のようなものなのだろう…。

 水蓮はぶつぶつと文句を言うデイダラを見ながらそんな事を思う。

 彼らが動けば動くほどに事は進み、来るべき時はどんどん近づいてくる。

 胸中には不安が広がるが、その時のために自分が出来ることをするほかにないのだと、水蓮はグッと手を握りしめた。

 

 「じゃぁな。あーね」

 さっと鳥に飛び乗りデイダラが手を上げた。

 トビもそれに続き、ふわりと二人が舞い上がる。

 「デイダラ、ありがとう」

 「おう。また手合わせしようぜ」

 デイダラは気持ちのいい笑顔を浮かべ、軽く右手を上げて青い空の中へと溶け込んでいった。

 

 

 

 デイダラが任務へとたってすぐに水蓮たちは久しぶりにアジトを移動し、以前イタチと蛍を見た時に滞在した洞窟で夜を過ごした。

 ここ最近使っていた西アジトは高台にあり人目につかないとはいえ、あまり長く続けて使うわけにもいかず、そのための移動ではあったがほかのアジトではあまり火を焚けず夜の冷え込みに水蓮は体を小さくした。

 「さむ…」

 もう暖かい季節までそう遠くないとは言え、昨日までデイダラの小屋で過ごしていた事もあり寒さを強く感じる。

 外套の上からさらに毛布をかぶってはいるものの、見張りを申し出たことにほんの少し後悔を感じていた。

 それでも鍛えた力で役に立ちたいという想いが気持ちを持ち上げ、自然と姿勢が伸びる。

 目の前にはただ暗闇が広がっていて、ランプがなければほんのすぐ先も見えない。

 それでも格段に上がった感知の力が危険のないことを示しているため、不安や恐怖はなかった。

 

 ゆっくりと息を吐き、白く染まり消えてゆく様子を見ながら水蓮はあの日の事を思い出す…

 

 「きれいだったな…」

 

 闇の中に無数に輝く蛍の光…

 

 それを受けてキラキラと輝く川…

 

 咲き乱れる紫陽花…

 

 目を閉じるとその情景が鮮やかによみがえる。

 

 そしてあの時聞いたイタチの全て…

 

 忘れないでいてくれと、抱きしめた腕の温もり

 

 共に背負ってくれるかと、零れ落ちたイタチの涙…

 

 「きれいだった」

 

 きっとイタチほど美しい涙を流せる人はいないだろう…

 

 そんな想いが胸を締め付け苦しくなる。

 だがすぐにその心がほぐれた。

 張り巡らせていた感知能力にあたたかく柔らかいチャクラが触れたのだ。

 

 いつからだろうか…

 

 このチャクラが自分のそばにあることを、こんなにも自然に感じるようになったのは…。

 

 本当なら出会うはずのなかったその存在が、自分と共にあることを当たり前の事に感じるようになったのは…

 

 

 それはきっと、初めからなのだろう…

 

 問うてすぐに答えを導きだす。

 ほんの数秒後、振り向いた水蓮の瞳に柔らかく笑むイタチの姿が映った。

 「大丈夫か?」

 イタチは「寒いだろう」と、気遣う口調で隣に座った。

 ふわりと空気が揺らぎ、そこに立った冷たいはずの空気がなぜかあたたかく感じる。

 「大丈夫だよ。もう交代の時間?」

 「いや、まだ少し早いが目が覚めた」

 自然に互いの体を少し寄せ合う。

 厚みのある外套と毛布を挟んでいてもぬくもりを感じる。

 かわす笑みに誘われて柔らかい空気がそこにあふれ、二つのチャクラがゆっくりと溶け合ってゆく。

 まるでもとは一つであったかのように。

 

 チャクラとチャクラの間にその言葉があるのかどうかは分からないが、水蓮は自分たちのチャクラはきっと相性がいいのだと、そう思った。

 

 離れていた時のさみしさが一気に埋まり心が満たされる。

 だがそれと同時に、ただ隣にいるだけでそんな気持ちになる自分の単純さに気恥ずかしくなった。

 思わず照れた笑みがこぼれて、水蓮は不自然に顔をそむける。

 「どうした?」

 不思議に思ったイタチが、そらした視線を追って水蓮の顔を覗き込む。

 「なんでもない」

 水蓮は短く答えて、抱えた膝に隠しきれない表情をうずめる。

 「なんだ?」

 「なんでもないってば」

 追って問いかけてくるイタチに返しながら水蓮は自分の耳に熱を感じ、きっと顔も赤いのだろうとそう思いながらも少し顔を上げてイタチを見る。

 イタチは「ん?」と、不思議そうな顔をしながらも優しい空気で水蓮の言葉を待っていた。

 整った顔立ちが柔らかく笑みを見せ、余計に水蓮の顔を熱く色づける。

 水蓮は再び顔を自分の膝にうずめて「なんでもない」と三度そう言葉を返した。

 無自覚に、そして無防備に表情を和らげるイタチに、水蓮はうれしくも心うちを落ち着かず揺らす。 

 そんな心情にイタチは気づいているのかいないのか、ただ優しく「そうか」と笑った。

 

 

 そのまま静かに時間が流れ、ややあってからイタチが口を開いた。

 「もうすぐ3年ほどたつか…」

 ドキリと水蓮の鼓動が音を立てる。

 時間の経過を知らされると、どうしても心が動揺に波立つ。

 次の夏が来たら…丸3年…

 その季節をむかえられるのかどうかも分からない不安が襲う。

 「そうだね…」

 それでも平静を装ってそう答えると、イタチはゆっくりと空を見上げた。

 瞬く星の光を見つめ、これまでの事を思い返したのか「あの時」とイタチが小さくつぶやき、水蓮に視線を向けた。   

 「あの時…。渦潮の里で初めてお前の体術を見たときに思った」

 その言葉に水蓮も記憶をさかのぼる。

 思えばあれがこちらの世界での初めての戦闘だった。

 血継限界の力を使う大蛇丸の手下【榴輝】の能力を見極めようと、到底かなわぬと分かりながらもただただ必死に立ち向かった。

 

 二人は同じ光景を思い出して記憶を重ねる。

 

 「荒々しくて、隙が多くて、とんでもなく危なっかしいと」

 

 あの時イタチは榴輝の口寄せしたチータと戦いながら水蓮の戦況を見ていた。

 その体さばきに感心したのも事実ではあったが、足りぬ要素が多かったのもまた事実であった。

 

 水蓮が「はは…」と気まずく顔をそむける。

 「それでもお前は今やるべき事、自分ができることをやろうと必死に相手に立ち向かって行った。恐れずに」

 「それは、イタチがきっと何とかしてくれるって思ったから」

 目を合わせて笑みを交わす。

 「オレは、そんなお前を見て励まされたような気持ちになった。そして、自分も恐れまい。決して立ち止まるまいと、そう思った」

 そんな事を感じていたのかと、水蓮は少し驚いた。

 イタチは笑みを重ねてそっと水蓮の肩を抱き寄せた。

 今更とはいえ、鬼鮫もいるこの状況でのその行為に水蓮はどきりとするが、洞窟内の気配は変わらず静かなまま。起きてくる様子はない。

 イタチもそれが分かっているのだろう。

 肩に置かれた右手にグッと力が入った。

 「お前は初めからずっと強い心を持っていた」

 「そうかな」

 フフ…と照れを交えて小さく笑い、その身をイタチに預ける。

 「それに、この間のデイダラとの手合わせでは随分体術も上達していたしな」

 「ほんと?」

 「ああ」

 「またちょっと強くなったと思うよ」

 デイダラとの修行でしっかりと手ごたえを感じた水蓮は自信ありげにグッとこぶしを握って見せる。

 イタチは水蓮のその手に左手を重ね「もうそれでいい」と小さく笑った。

 「え?」

 「もうそれ以上強くならなくてもいい」

 その言葉の意図が読み切れず、水蓮は少し首をかしげた。

 イタチは少しの間をおき水蓮を見つめて言った。

 「だから、あまり遠くに行くな」

 

 トクン…

 

 あまりにまっすぐなまなざしと言葉に水蓮は胸を鳴らした。

 

 「オレから離れるな」

 

 少し不安げなイタチの表情に切なさが混じり、胸の音鳴りが重なってゆく。

 

 「…………」

 

 何も言葉を返せない水蓮を見つめながら、イタチはそのあとの言葉をしばらく迷っているような様子を見せたが、ゆっくりとそれを伝えた。

 「デイダラのところへ行かせた時もだが、任務に出てお前と離れている時も、恐ろしくなる。知らぬ間にお前が元の世界に戻って消えてしまうのではないかと…」

 「イタチ…」

 水蓮は今までほんの少しも感じることのなかったイタチの不安を知り、戸惑った。

 そんなことを思っているとは考えもしなかった。

 自分自身も思ってもいなかった。

 こちらに来たばかりの頃はそう考え不安になったこともあった。

 だがそれは本当に数回で、今ではほんの少しもそれを考えることはなくなっていた。

 しかしイタチは常にそれを恐れていたのだ…

 「私は消えないよ」

 柔らかく、それでいて強さを感じさせる口調で水蓮はそう返した。

 「わかるの。私はあなたが目的を遂げるまでは絶対にいなくならない。消えたりしない」

 イタチの手を握り返し、じっと見つめる。

 

 この世界に来た意味。それはきっとイタチのためなのだと水蓮は確信していた。

 それゆえに、自分がイタチの知らぬところで消えたりはしないと、それもまた水蓮の中にある確信だった。

 

 いまだ不安げな色のイタチの瞳に、水蓮は優しく笑んだ。

 「わかるの」

 ギュッと手に力を入れる。

 その手をイタチも強く握り返し、うなづいた。

 「それに」

 水蓮はさらに言葉を重ねる。

 「もう離れない」

 確実に時が進む中で、イタチから離れるのはこれが最後だと決めてデイダラのもとへ行ったのだ。

 もう決してイタチから離れまいと、そう決めていた。

 たとえ危険な任務であっても…

 「もう絶対離れない」

 水蓮は繋がれたイタチの手を抱きしめた。

 

 心の不安が少しでも和らぐように…

 

 私はここにいると、存在を感じてもらえるように…

 

 イタチは水蓮をさらに引き寄せ「離れるな」と、ただ一言だけ言った。

 

 そこに込められた強い想いが、水蓮の心に深く染み入った。




いつもありがとうございます(^◇^)
なんだかちょっと久しぶりの二人の話ですかね…
ここ最近二人っきりのこういう話なかったかな…とか思いながら書いていました☆

イタチに水蓮との時間を…と思って書くんですけどね…
結局やっぱり切なくなるという…
イタチはそういう人なんですよね。もうしょうがない(-_-;)
どうしても泣けてしまいます…。

こんな感じで二人の時間を織り交ぜながらまたすすんでいけたらと思います(^◇^)
これからもよろしくお願いいたします(^v^)


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第八十三章【あと何度…】

 季節が移り動くその中で、春の花が咲き、散り、世界は景色をめまぐるしく変えていった。

 

 

 デイダラとの修行から数か月が過ぎ、そろそろ雨季への突入を感じさせ始め、気温も湿度も上がり始めていた。

 

 あれからの日々は比較的静かで表立った任務もなく、鬼鮫のノルマである4尾の情報収集にうごく事がほとんどであった。

 だが、なかなか有力な情報が得られず、鬼鮫にほんの少しの焦りと苛立ちが見え始めていた。

 季節の変わり目にイタチの体調が少し崩れる事があり、思うように動けないことも調べきれぬ要因ではあった。

 それでも鬼鮫はそのことに関しては感情を揺らすことはなく、相変わらずイタチを気遣い、優先して行動を制限する姿を見せた。

 イタチに無理をさせずに済むことは水蓮にとっても安心できることではあったが、それだけイタチの体が弱りつつある事の証でもあり、その胸中は穏やかではなかった。

 

 

 そうして過ごす間、デイダラは幾度か手合わせをしに水蓮のもとを訪れていた。

 間を開けることなく鍛錬できることは水蓮にとってはありがたい事ではあったが、デイダラが来ればトビも来る。

 その事にも不安をあおられていた。

 自分のもとにデイダラが来る。というよりは、トビがイタチの様子を伺いに来ているように感じていたからだ。

 

 彼もまたイタチの弱まりを懸念しているのだろう。

 

 サスケとの対戦まで命が持つのかどうかを…

 

 あくまでもサスケにイタチを討たせることが目的なのだ。

 そしてイタチの真実を明かし、サスケを絶望に突き落とし、木の葉を憎ませる…

 

 イタチと彼の最終的な目的は真逆であるのに、そのプロセスは完全に一致している。

 

 その事に水蓮は言い表せぬ怒りと悲しみを渦まかせていた。

 だがそれは決して表には出せず、トビへの態度にはストレスがたまる。

 それゆえトビが来たときには、デイダラとの手合わせの後薬草を摘みに行くか食料の調達との理由をつけて場を離れることが多かった。

 

 しかし今日。

 久しぶりにデイダラと共に来たトビがペインとの通信を終えて発した言葉に、水蓮は場を離れようとした足を止めた。

 

 

 「なんかぁ、ここから東に行ったところにある島に、尻尾がっいっぱい生えた生き物がいるらしいですよ」

 

 

 水蓮の鼓動がドキリと波打ち、イタチと鬼鮫の表情が厳しく色づく。

 「ああ? なんだよ尾獣か?」

 顔をしかめたデイダラに、トビが少し首をかしげて見せる。

 「んー。はっきりとはわからないけど、調べて来いって。情報は少ないけど、噂ではかなり強いらしいっすよ」

 「へぇ…って、なんでお前に連絡はいるんだよ」

 表向きの立場はデイダラが上だ。

 自分ではなくトビに伝達がいった事が気に入らないのかジトリとトビを睨み付けた。

 「しかも、それこっちには関係ないだろうが。おいらたちのノルマは済みだ」

 デイダラが言うように、任務はイタチと鬼鮫への物だろう。

 「おかしいだろう。うん」

 グッと詰め寄られて、トビが体をそらしつつ言葉を返す。

 「いやぁ、別の事で話してたんですよ。ちょっとした雑用頼まれて、で、ここにいるなら二人に伝えとけって」

 ちらりとイタチと鬼鮫を見る。

 二人は任務を受けた意思を現してうなづきを返した。

 「ついでに言われたんですよ。ついでに」

 デイダラの機嫌を取りながらトビがわざとらしい笑い声をあげた。

 そんなトビをデイダラはしばらく睨んでいたが、何を言ってもまともな言葉は返ってこないだろうとあきらめて息を吐き出した。

 「まぁいい。んじゃぁおいらたちは帰るか」

 不機嫌にそう言って歩き出す。

 しかしトビが「いえ」と首を横に振ってそれを止めた。

 「ああ?なんだよ」

 機嫌の悪い声のまま振り返ったデイダラに、トビが人差し指をピッと立てていつものおどけた口調で答えた。

 「合同任務で~す」

 「はぁ?」

 「合同任務って…」

 デイダラが顔をさらにしかめ、今までいないその状況に水蓮が思わず言葉をこぼす。

 「我々と、あなた達で?」

 鬼鮫も意外な展開に少し戸惑う。

 

 暁のツーマンセルは二人いれば尾獣、もしくは人柱力一人に十分匹敵するとの考えで構成されている。

 ましてイタチと鬼鮫で足りないなどということは考えられない。

 何か別の思惑が…

 「暇なんで」

 水蓮の思考を切り、トビがさらりと言ってのけた。

 「え?」

 「いやだから、僕たち暇なんで、リーダーに一緒に行きたいって言ったんです」

 あははーと笑って頭を掻いたトビを、デイダラが背後から締め上げる。

 「てめぇ! 勝手なことすんじゃねぇ!」

 「や、やめて。死ぬ…ホントに…」

 「ホントに死ね! うん!」

 ギャーギャー騒ぎ立てる二人に鬼鮫がため息をつく。

 「なんだかにぎやかな感じになりそうですね」

 「そうだね…」

 さぞイタチは嫌な顔をしているだろうとちらりと目を向ける。

 だがイタチはじっと地面を見つめて何かを考え込んでいるようだった。

 「イタチ?」

 あまりに難しそうな表情に、水蓮が少し不安をよぎらせる。

 イタチはゆっくりと視線を上げ、その表情のまま水蓮に言った。

 「水蓮。お前も一緒にこい」

 「え?」

 どんな任務にもついて行こうと決めてはいたものの、さすがに尾獣が絡む物はイタチがすぐに受け入れないだろうと、説得を覚悟していた水蓮は思わず声をこぼした。

 「連れて行くんですか?」

 鬼鮫も驚き声を重ね、デイダラとトビさえもがイタチを見た。

 一同の視線を受けてもイタチは表情を変えず「ああ」とこともなげに答えた。

 「尾獣かどうかも分からない得体のしれないものが相手なら、感知力の高い要員がいた方がいいだろう」

 「まぁ、それは、そうですけど…」

 戸惑いを拭いきれない鬼鮫の言葉を受け流し、イタチは「すぐに出る」と、厳しい表情のまま言い放った。

 

 

 

 数時間後、水蓮たちはデイダラの鳥で難なく目的地へとたどり着いていた。

 「便利ですね。船だとまだもう少しかかる」

 「そうだね」

 鳥の背から大地へと降り立ち、水蓮と鬼鮫がデイダラに振り返ると、デイダラは未だにトビが勝手に任務を受けてきたことに不満を漏らしながら水蓮のもとへと歩み来た。

 「ったく、2度と勝手なことすんなよな」

 「はいはい。了解しました~」

 まったくその気のない返事にデイダラがうんざりとした顔を浮かべ、大きく息を吐き出す。

 「全然わかってねぇ。つぅか、どうすんだ?分かれて探すか?」

 その視線の先にはイタチ。

 自然と全員の目がそちらに向く。

 イタチはほんの少し考えてから「いや」と小さく返した。

 「もうすぐ日が落ちる」

 その言葉に水蓮が空を見上げる。

 まだ青い空が広がっているとはいえ、東の方はすでにほの暗さを感じさせている。

 「先に身を置く場所を確保する」

 「そうですね。全く情報のない場所ですから、暗くなってからでは動きにくい」

 「ああ」

 「それなら、さっきあの方角に洞窟が見えたぜ。結構高い位置にあったしちょうどいいんじゃねぇか?うん」

 デイダラが森の先を指さす。

 「そんなのあった?」

 水蓮もどこかそういう場所がないかを上空から見てはいたが、デイダラの言うような場所は見受けられなかった。

 「すごいね」

 優れた洞察力に思わずこぼれた言葉。デイダラがにっと得意げに笑って返すが、隣からトビが手を伸ばしデイダラの前髪を持ち上げた。

 「先輩の力というよりは、これのおかげですけどね」

 あらわになった左目には小さなスコープがつけられており、トビが「コレコレ」と指さした。

 「うっせぇな! さわんな!」

 バシッとトビの手を振りほどきながら声を荒げたデイダラに鬼鮫が小さく息を吐く。

 「やはりにぎやかですね」

 「…うん…」

 「落ち着かないな…」

 イタチもため息を重ね、「行くぞ」と歩き出した。

 

 

 デイダラのみつけた洞窟は切り立った崖の上にあり、そう深い物ではなかったが十分に雨風をしのげるもので、任務の滞在には支障がなさそうであった。

 場所柄、上空からの出入りのみを可能とし、そう警戒なく過ごせそうな雰囲気に水蓮は少しホッとしていた。

 3年ほど共に過ごしてきたが、尾獣がかかわっているかもしれないような危険な任務は初めてだ。

 どうしても緊張が抑えきれない。

 ましてもしもこれが本当に4尾なら、また更に事態は進む。

 そう言った意味でも、気持ちが落ち着かなかった。

 だが、確か4尾の捕獲は鬼鮫が一人で行ったはずだ…と、水蓮は記憶を呼び起こす。

 だとしたら、今回は尾獣ではなく何かほかの生き物…。

 それはそれで、不気味でやはり不安だ…と、水蓮は大きく息を吐きだした。

 

 すっかり日は沈み、辺りは静かな闇が広がっており、時折波の音に混じって鳥の鳴き声のようなものが聞こえる。

 洞窟の中ではほかの面々がすでに休んでおり、水蓮は見張りのため一人外に身を置いていた。

 島ついてからずっと気配を探っているものの、どうやら人はおらず、今のところおかしなものの存在も感じない。

 そのためいつもとは違い堂々と火をたくことができ、深夜はまだ少し空気が冷たいこの時期の見張りにはありがたかった。

 

 

 ざざぁ…と、幾度かに一度大きくなる波の音に目を閉じる。

 同じ音が響いていた渦の国が自然と思い出された。

 「なんだか…」

 「懐かしいな」

 背中に感じた気配と声。

 水蓮はゆっくりと振り返る。

 頬に焚火の明かりを映し揺らせて、イタチが小さく笑みを浮かべてそこにいた。

 「もう随分経つな」

 同じことを思っていたのか、イタチはそう言って静かに水蓮の隣に座り波の音に耳を澄ませた。

 

 ざざぁ…

 

 夜の静けさの中に聞こえるその音と、かすかに触れ合った体から伝わるぬくもりに、水蓮の心が少しずつ落ち着いてゆく。

 

 「オレも一緒に見張る」

 「うん」

 顔を見合わせて二人は笑みを交わした。

 

 ここ最近、水蓮が見張りに立つときはイタチもこうしてともに過ごすことが多くなっていた。

 進んでそばにいようとするイタチに、水蓮はうれしさと不安を入り交える。

 

 イタチもまた、どこかで時が近いことを感じているのかもしれない。

 

 そう思うと胸が苦しくなる。

 

 それでもやはり共に過ごせる時間は幸せで、それを大切にしたいと、そう思う…

 

 水蓮はほんの少しだけ体をイタチに寄せた。

 遠慮がちに触れてきた水蓮のその体をイタチはグッと引き寄せ柔らかく笑んだ。

 「明日は早くから動く。少し休んでおけ」

 

 その身に触れるイタチのぬくもり…

 

 あと何度こうしてこのぬくもりを感じることができるのだろう…

 

 あとどれくらいの時間を、共に過ごせるのだろう…

 

 考え出すと止まらなくなる不安と恐怖。

 

 水蓮はそれから逃れるように、イタチにギュッとしがみつき目を閉じた。

 

 互いの体温が一つになって行く中、イタチの穏やかな鼓動が心地よく響く。

 その一つ一つの振動を、水蓮は自身の中に刻み込んだ。



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第八十四章【調査】

 翌朝、日が昇りだしてすぐに皆目をさまし、軽く食事を済ませてすぐに島の調査に動き出した。

 

 

 「どうです~?せんぱ~い」

 上空であたりを探るデイダラにトビが声を上げた。

 デイダラはあたりを数回見回してから水蓮たちのもとへと戻り降りる。

 「何カ所か建物があるな、うん。そうでかくはないけどな」

 「建物…」

 つぶやいた水蓮に一同が視線を向ける。

 それを受けて、水蓮は首を横に振った。

 「人はいない。よっぽど警戒して気配を消してたらわからないけど…」

 それでものちの訓練で水蓮の感知能力は、時にイタチや鬼鮫が気配を殺していても、かすかにではあるがそれを捉えられるようになってきていた。

 それを知る二人はおそらく人はいないだろうと読み考える。

 「ああ。確かに人の気配はしなかったぜ。うん」

 昨夜水蓮と共に空から島を一回りして確認したデイダラも強くうなづいた。

 昨日は雲が出て月の光がなかったため先ほど見えた建物に気付かなかったが、それでも怪しい気配がなかった事には間違いはない。

 「では、以前は誰かいたという事ですかね」

 「そうだな」

 鬼鮫とイタチがうなづき、トビが「幽霊屋敷とか…」と、おどけてデイダラにまとわりつく。

 「やめろ!ひっつくな!」

 力任せにトビを突き飛ばし、デイダラは「どうすんだ? 行くか?」とイタチに問う。

 「そうだな。建物に結界が張られているようなら可能性はあるな」

 「地下というのも考えられますしね」

 「確かに、何か強力な結界が張ってあれば、感知には触れない可能性もあるよね」

 水蓮たちのその会話にトビがうんうんとうなづき「じゃぁ、しゅっぱーつ!」と右手を高くつきあげた。

 

 

 島の中は本当にただ自然のままに木々が生い茂り、道という道もなく、渦の国のような美しさというよりは猛々しく、野性味にあふれている雰囲気。

 鬱蒼とした枝や葉を切り落としながら、鬼鮫とデイダラを先頭に道を開いて歩みを進める。

 デイダラの言う建物に近づくと、人工的に作られた道のようなものがかすかに形を残しており、過去に人が出入りしていた形跡を感じる。

 「一年は経っていないか…」

 道の状態を見定めつぶやいたイタチの言葉に前を歩いていた鬼鮫がうなづきを返した。

 目的の建物は横に大きく作られたコンクリート製の一階建て。

 入口は特に隠されているでもなく、鬼鮫の調べる限りトラップもないようであった。

 「中はどうだ?」

 イタチに言われ、水蓮は中の様子をじっくりとさぐり答える。

 「特に何も感じない」

 「そうか」

 「まぁでも、一応調べますか」

 先ほどの話の可能性もある。それに『尻尾のいっぱいある生き物』がなんなのか、本当にいるのか、それを調べなければ任務は終わらないのだ。

 水蓮はうなづいて扉に手をかけた。

 が、デイダラがそれを止めた。

 「あーね。まて」

 短くそう言ってトビに向き直る。

 「おいトビ、お前がはじめに行け」

 デイダラに背中をポンッと押されたトビがドアの前によろけ出る。

 「えー! なんで? こういうのは先輩が『よしおれが行く。ついて来い』って言うもんでしょ?」

 トビの不満の声にデイダラが顔をゆがめて詰め寄る。

 「こういうのは一番下っ端がやるもんだ。先輩を危険にさらすんじゃねぇよ。うん」

 「一番下っ端はぼくじゃありませんから」

 トビはひょこっと水蓮に跳ね寄り「ほら、ここ」と指をさした。

 思わず身を引いた水蓮をイタチが引き寄せ、デイダラがトビの手を軽くたたく。

 「指さすんじゃねぇ。訂正だ、一番役に立ってねぇやつが行け」

 「ひど…」

 「事実だろうが。うん。とにかくなんでもいいからさっさと行け!」

 声を荒げてデイダラがトビを蹴り飛ばす。

 「うわぁっ!」

 飛ばされた先で鬼鮫がタイミングよく扉を開き、その向こうに広がる薄暗い空間にトビの姿が溶け消えたのを確認して、デイダラが「先に調べろ」と再び扉を閉めた。

 「ちょ! 先輩! 開けて下さいよ! ぼく暗いの駄目なんですって。…え? あれなんだ?」

 急にトビの様子が変わり、慌てふためく空気が漂う。

 「ん?」

 デイダラが顔をしかめて扉に近寄る。

 「おいトビ、どうした?」

 「ひ、やめて…」

 かすれた声が聞こえ、次に「ぎゃぁぁぁぁ!」と大きな叫び声が響いた。

 「おい! トビ!」

 慌ててデイダラが扉を開ける。

 「大丈夫か!」

 しかし声は返ってこず、薄い闇に静けさが流れるばかり…

 「トビ…」

 デイダラが緊張しながら中に一歩踏み入れたその瞬間…

 

 「わぁぁぁぁぁ!」

 

 扉のわきに隠れていたトビが大きな声を出してデイダラの前に飛び出した。

 

 「どわぁぁぁっ!」

 

 虚を突かれて思わず声を上げるデイダラ。

 その様子にトビが「ひっかかったぁ!」と、声を上げて笑いあちこちを飛び跳ねた。

 「てめぇ…」

 デイダラは体をわなわなとふるわせ、素早くトビを捕まえて締め上げる。

 「ふざけやがって! やっぱ一回死ね!」

 「うぐ。く、苦しい…。ギブ。センパイ、ギブ…」

 声をくぐもらせながらトビがバシバシとデイダラの腕をたたき、じたばたともがく。

 それでもデイダラは怒りが極まったのかさらに腕に力を入れた。

 「や、やめて…」

 「うっせぇ! 下らねぇことしやがって!」

 「でも先輩だけですよ」

 「ああ?」

 ひきつったままの顔でデイダラが水蓮たちに目を向ける。

 そこには全く動じた様子のない3人。

 「ほらね…」

 「…う…」

 動揺したのが自分だけだったことを知り、気まずさから腕の力が緩む。

 その隙にトビがさっと身を離した。

 「感知要員が何もないって言った後に何か起こるわけないじゃないですか。先輩怖がり」

 ププ…と笑いをこぼしたトビにデイダラが顔を赤くして詰め寄る。

 「てめぇっ! 心配してやったってのに、なんだそれは!」

 胸ぐらに掴みかかろうとトビに向かってデイダラの腕がのばされる。

 しかしそれを鬼鮫が掴んで止めた。

 「いい加減にしてください」

 そこに生まれた間に、トビがさっとイタチの背に隠れる。

 「離せ鬼鮫の旦那!」

 怒りおさまらぬ様子のデイダラに鬼鮫がため息を返し、イタチがひどく冷たい声で「黙れ」と言い放った。

 「何も気配がしないからと言って油断はできない。騒ぎ立てるな」

 「…う…」

 イタチの冷たい視線にデイダラが言葉を詰まらせた。

 「やれやれ。あなたたちはいつもこう騒がしいんですか?」

 あきれた様子でデイダラの腕を離し、鬼鮫がため息をつく。

 デイダラはフンッと息を荒げてむすっとした表情で歩き出した。

 「おいトビ」

 「はいはい」

 トビがさっと懐中電灯を出してそのあとに続く。

 その様子に鬼鮫が苦笑いを浮かべた。

 「仲が悪いのかいいのか…」

 その言葉に水蓮は複雑な気持ちだった。

 トビ…マダラは、『暁の底辺にいるトビ』としての存在に徹底している。

 こうしてそばで見ていると本当は別人なのではないかと勘違いするほどだ。

 それでも彼は『トビ』ではない。とはいえ、イタチからその事実を聞いたわけでもない水蓮にとってその事を分かち合える存在はおらず、おどけたトビを見るたびに奇妙な気持ちになる。

 だがそれは決して表には出せない。

 水蓮は自分自身にあれは『トビなのだ』と思い込ませ、彼と同じように徹しようときめ、鬼鮫に「そうだね」と笑って返した。

 

 建物内は随分と殺伐としており、暮らしていたという感じは見受けられない。

 ところどころに長机が置かれており、大きな身振りで動くトビがそばを通ると埃が舞い小さな窓から差し込む細い日の光に染まった。

 「なんでしょうね、ここは…」

 鬼鮫が壁に並ぶ棚の扉を開けて中を覗き込む。

 「何か入ってる?」

 後ろから同じく覗き込んだ水蓮の目に映ったのは大小様々な瓶。

 その中の一つを鬼鮫が手に取りふたを開けた。

 空気にかすかに漂う匂い。

 覚えのあるその匂いに水蓮がつぶやきを漏らす。

 「麻酔薬…」

 水蓮は別の瓶を手に取り中身を確かめる。

 そちらはアルコールの香り。

 「消毒液みたい」

 ふたを閉めて元に戻し、建物内を改めて見回す。

 「こんな無人島で医療機関というわけでもないだろうし」

 再び棚の中に視線を戻し「それに」と顔をしかめる。

 「どれもほとんど使われていない」

 その言葉に鬼鮫もうなづく。

 「あまり必要ないけど念のために置いてあったのか、それとも」

 「カモフラージュか…」

 後ろにいたイタチが低い声で目を細めた。

 「もしくは薬を作っていたか」

 その視線の先には瓶の隣に並ぶビーカーや試験管。

 長机の上にもいくつか置かれたままになっていた。

 

 忍び里や国が秘密裏に薬の開発を行うこともあるのだとイタチはそう言って棚の扉を閉めた。

 それと同時に「おい、イタチ」と、少し離れたところにいたデイダラの声が壁に反響して響いた。

 見ると、デイダラは壁につけられていた掛け時計をはずし、壁に手を当てて何かを探っている様子だった。

 「何か見つけたようですね」

 鬼鮫の言葉に水蓮とイタチがうなづき、そちらへ向かう。

 「どうした」

 イタチがデイダラの後ろから様子を覗き込む。

 デイダラは「ここだけ手触りが違う」と壁の一カ所を指さした。

 その場所をイタチがすっと撫で、目を少し細めた。

 それは何かを感じているのではなく、デイダラの言う違いが分からない様子であった。

 鬼鮫も同じく手を伸ばし、首を少し傾げた。

 「特に違うようには思いませんが…」

 つぶやきながら鬼鮫はイタチを見た。

 イタチは「だが…」と壁を見つめたまま言葉を続けた。

 「デイダラが言うならそうなんだろう」 

 さらりと流れたその言葉。

 ほんの一瞬デイダラが息を飲んだのが分かった。

 「お、おう…。当たり前だろ」

 フンッと顔を背けたデイダラのその声には、決して少なくはない照れと嬉しさが混じっていた。

 属性が土であるという事もあるが普段から粘土に触れているデイダラは、そういった類の物に関しては今ここにいる誰よりも優れているのだ。

 それに加えて洞察力も鋭い。

 イタチはそれを認めてそう言ったのだ。

 何かにつけてイタチをライバル視して毛嫌いした様子を見せるデイダラだが、彼もまたイタチを心のどこかで認めている。

 それゆえ、その言葉は思いのほか嬉しかったのだろう。

 しばらくの間背を向けたまま振り向かなかった。

 そんなデイダラに水蓮は小さく笑みを浮かべ、今声をかけてはデイダラが必死に抑えてるものがあらわになるだろうと視線を外した。

 だが、そこに軽い口調の軽い声が響いた。

 「あれ~? 先輩照れてるんっすか? 良かったですね。イタチ先輩に褒められて」

 バシバシとトビがデイダラの背を叩く音が室内に響く。

 

 「はぁ…」

 水蓮があきれた息を吐き出し。

 「彼は本当に…」

 鬼鮫が頬をひきつらせる。

 そんな二人に気付かぬまま背を叩き続けるトビ。

 その腕をデイダラがガシッ…とつかみ、ひねりあげて羽交い絞めにし、一気に締め上げた。

 「やっぱ死ね!うん!」

 「うぐっ…なんで…」

 「なんでじゃねぇ!」

 力いっぱい叫んだその声に、イタチが静かに…冷たく言葉を響かせた。

 

 「黙れ」

 

 「う…」

 鋭く刺さったその一言に、デイダラは口をつぐんで腹立たしげにトビを突き飛ばす。

 「わわっ…」

 トビは大げさによろめいて見せ、イタチのそばにひょいっと身を寄せた。

 「もう、本当に暴力的なんだから。イタチ先輩からも何か言ってやってくださいよ~」

 しかしイタチはまったくトビに目をくれず、壁をじっと見つめていた。

 どうやら写輪眼で調べているようだ。

 その瞳に力がこもり、模様を万華鏡へと変えてゆく。

 「イタチ、私が…」

 イタチの体への負担を心配して水蓮が声を上げた。

 何か術がかかっているのなら、チャクラを流せば分かるかもしれない。

 それが結界や封印術なら水蓮も多少の自信があった。

 しかしイタチはまるでその声が聞こえていないかのようにまったく反応を示さず、そのまま壁を調べややあってから瞳をいつもの写輪眼に戻して一つ息をついた。

 「結界だな。かなり高度だ」

 「じゃぁ、私が…」

 しかし、水蓮のその言葉の途中でイタチはすでに印を組み始めていた。

 それは止めようのないスピード。

 どうすることもできず、水蓮はただその様子を見守るほかなかった。

 

 タン…と、イタチの両手が壁につけられ術が解かれてゆき、壁に走った淡い光が消えた後には、人が一人通れるほどの穴が現れていた。

 その先には階段が見て取れる。

 「地下…」

 つぶやいてすぐ、水蓮は今度は先に…と感知の力でその奥を探った。

 「どうだ?あーね」

 調べ終えた頃合を計りデイダラが問う。

 水蓮は集中を解き「特に何もいないみたい」と、階段の先を見つめた。

 「んじゃぁ、べつにいいか…」

 「いや…」

 調べる必要はないだろうとの意を述べたデイダラの隣をすり抜けてイタチが階段へと足を進ませた。

 「念のため調べる」

 有無を言わせぬ口調であっという間に地下の暗闇の中に姿を消す。

 一瞬で見えなくなったその背を追うように鬼鮫が続き、水蓮も慌てて足を踏み入れる。

 「トビ」

 デイダラの一言にトビが後ろから懐中電灯で足元をてらし、階段を下りながらつぶやくように言った。

 「なんかイタチ先輩やる気満々ですね」

 その言葉に、水蓮は何か正体のわからない不安が胸中に広がるのを感じていた。



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第八十五章【異形のもの】

 地下へと続く階段はかなり長く、降り切った先に作られていた空間もかなりの広さであった。

 トビの懐中電灯だけではとても足りず、それぞれ灯りを手に空間内を照らして歩く。

 暗闇の中、手にした小さな懐中電灯の光に浮かび上がる光景を見て水蓮は息を飲んだ。

 「なにこれ…」

 小さな声をこぼし、そっと手を伸ばす。

 その指先に触れたのはガラスの筒。

 「かなりの大きさだな」

 隣でイタチがそうつぶやき辺りを見回す。

 「数もかなりある」

 広い空間の中に並べられたガラスの筒は、大きなクマが余裕で入るであろうサイズ。

 数はざっと見ただけでも20はある。

 「何かの実験施設ですかね」

 壁際に置かれた机の上に残された書類の束を鬼鮫がぱらぱらとめくる。

 「暗号で書かれているようですね」

 ため息交じりにそう言って書類をイタチに手渡す。

 イタチはそれを見て少し目を細めた。

 「わかるの?」

 横から水蓮も覗き込むが、書かれている内容は全く読み解けない。

 が、イタチは思うところがあるのかじっと見ながら数枚めくって考え込んだ。

 「これは…」

 「イタチ」

 小さなそのつぶやきにデイダラの声が重なった。

 「これ見ろよ」

 その手にあったのは黒い表紙のファイル。

 イタチはそれを受け取りめくってゆく。

 そこに描かれていたのは、動物の絵。

 だが普通の動物ではない。

 首が二つあったり、馬に翔が生えていたり。どれも神話に出てくるような姿。

 「なんなのこれ」

 水蓮のつぶやきにイタチはさらにページをめくり、その手がふいにとまった。

 「イタチ、これ」

 開かれたページに水蓮が息を飲む。

 そこに描かれていたのは黄金の毛並みに黒い模様のあるチータ。

 瞳の色が赤と緑、左右違っている。

 その絵の下には【エクロ】と書かれていた。

 「あーね。知ってるのか?」

 「うん。これ…」

 「大蛇丸の手下が使っていた口寄せ獣だ」 

 水蓮の言葉をイタチが継ぐ。

 水蓮はもう一度改めて絵を見た。

 それはやはり、以前渦潮の里で戦った榴輝が呼び出した口寄せ獣に間違いなかった。

 「こっちの書類に使われていた暗号も大蛇丸が使っていたものだ。以前見たことがある」

 「じゃぁ、ここは…」

 トビがくるりと地下空間を見回し、鬼鮫が静かな声で言った。

 「大蛇丸の研究施設ですか」

 「そうのようだな」

 「研究施設って…」

 「人口の召喚獣って感じですかね~」

 「どれもセンスねぇな、うん」

 それぞれの言葉を聞きながらイタチがファイルをめくってゆく。

 中には失敗を意味するのか大きくバツのつけられたものもあるが、ついていない物の方が圧倒的に多い。

 「20以上はありますね」

 「ああ。そうだな」

 鬼鮫とイタチのつぶやきが静かな地下に響き、ややあって幾枚目かをめくったイタチの手がふと止まった。

 そこに描かれていた絵に全員が見入いる。

 

 描かれていたのは鷹。

 その尾の部分が細くいくつにも枝分かれしていた。

 

 「わぁ。尻尾がいっぱ~い」

 「っていうか」

 トビの声にデイダラが言葉を続けた。

 「これ、蛇だろ。うん」

 

 ゾワリと、水蓮の腕に鳥肌が立った。

 一見尾長鶏の尾のように見えたそれは、よくよく見るとすべて細長い蛇。

 数える気にならないほどの本数が描かれている。

 「噂の正体はこれですか」

 「断定はできないが、まぁそうだろうな」

 尾獣でなかったことへの安堵の意味もかねてか、イタチが息を吐き出す。

 「ねぇ、これって全部まだこの島にいたりするのかな」

 素朴な疑問が水蓮の口から突いて出た。

 噂が立ったということは、この尻尾が蛇の鷹がいる可能性は高い。

 もしそれがいるのなら、ほかの人口獣も存在しているかもしれないのだ。

 島の中に妖しげな気配は感じられなかったが、この地下への入口には高度な結界が張られていた。

 「もしほかの建物にもここと同じように結界が張られていたら」

 「その中にいるやつの気配は感知できないかもしれないな、うん」

 一瞬水蓮に向いた全員の視線がファイルに描かれた人口獣に戻される。

 何度見てもおぞましいその姿。水蓮が再び体に走った寒気に体を震わせた。

 それに気づいたイタチがファイルを閉じて無造作にそばにあった机に置く。

 「どうしますか?イタチさん」

 どうやら目的の物ではなさそうな事態にどう動くのか、皆がイタチの意見を乞う。

 イタチは少しも考えることなく「このまま調べる」と即答した。

 「まだ尾獣ではないと決まったわけではないからな。それに」

 「大蛇丸が絡んでるなら、組織としてはほおっておけませんよね~」

 のんびりとしたトビの声。

 イタチは「そういうことだ」と短く言い放ってさっと踵を返した。

 「おいイタチ。ここはどうすんだ?」

 デイダラが先ほどのファイルを手に問う。

 「もっと調べた方がよくねぇか?」

 しかしイタチは「いや」とデイダラに振り向く。

 「結界を張っていたとはいえ、自分の居場所につながるような情報は残さない男だ。ここにある物はそう役に立たないだろう」

 「ま、情報を探るというよりは、妙な連中に中途半端に悪用されないように始末するって感じですかね」

 鬼鮫が続けたその言葉にデイダラは小さく舌打ちをした。

 

 暁に恨みを持っている誰かがここにある物を利用し、何か事を起こしては面倒だという事なのだろう。

 

 今までにも水蓮の知らないところでそう言った事があったのか、二人はずいぶん慣れた様子を見せた。

 

 「なんでオイラたちがあのやろうの後始末つけなきゃなんねぇんだよ…ったく」

 ファイルを投げ捨て、デイダラはおもむろに粘土を取り出して空間の中心辺りに大きめの爆弾を作った。

 「ぜってぇオイラがぶっ殺してやる。うん」

 低い声でそう言ってデイダラはあといくつかの大小さまざまな爆弾をあちこちに投げた。

 その目には深い何かが揺れていて、大蛇丸への執着が見て取れた。

 イタチはその様子に何も言わず、再び背を向けて外へと向かって歩き出す。

 デイダラはそのあとに続き、機嫌悪そうにフンっと鼻を鳴らした。

 

 

 

 外へ出るとデイダラがすぐに鳥を二つ用意し、全員が空へと身を置いたのを確認して声を上げた。

 

 「喝!」

 

 その一言で地下に置かれた爆弾が爆発を起こし、すさまじい音を響かせた。

 広く作られた地下は一瞬で破壊され、土台を失った建物が吸い込まれるように沈み堕ちる。

 その沈みが治まる前にデイダラは小さな蜘蛛の形をした爆弾と鳥型の物をいくつも作り上げて放り投げ、タイミングを見計らってもう一度爆破を起こした。

 

 再び爆音が響き、コンクリート製の建物が文字通り木端微塵に砕けた。

 

 しかしその様子は、爆破とはいっても吹き飛ばすような豪快なものではない。

 あちらこちらに破片が散らばるでもなく、そのすべてがまるでブラックホールに吸い込まれていくような光景…

 

 無造作に放り投げたように見えた爆弾の一つ一つが実は緻密に計算された配置にあり、大きさや種類…様々な物がそうなるように組み立てられていたのだ。

 

 「すごい…」

 

 水蓮の口から思わず言葉がこぼれた。

 実際にデイダラの爆破を見たのはこれが初めて。

 驚きはもちろん、それ以上の何かをひしひしと感じていた。

 

 

 芸術…

 

 

 さんざんデイダラが口にしていたその言葉の意味が、今この場面を見てようやく納得できたような気がした。

 

 目の前で行われた彼の仕業は、不思議な意味合いで美しかった。

 

 

 「すごい…」

 

 もう一度つぶやかれたその言葉に鬼鮫が「見るのは初めてでしたか」と、小さく笑った。

 「彼はああ見えてなかなかやりますからね」

 包み隠さぬ鬼鮫の褒誉(ほうよ)にデイダラは背を向けたままであったが、聞こえていたらしくほんの一瞬見えた耳の端が赤く染まっていた。

 見えぬふりで顔を背けた水蓮の動きに、しかしトビが声を上げた。

 「先輩顔赤いっすよ! 良かったですね、鬼鮫先輩にも褒められて! 嬉しいっすね!」

 背中をたたこうと振り上げた手を、その前にデイダラが掴んで組み伏せた。

 「てめぇはほんとに!」

 グッと力を入れて鳥の背の淵に押しやる。

 「あ、先輩やめて!落ちる! 落ちる!」

 「落ちろ! 心配すんな、爆弾つけてやるから。せめて痛み感じる前に死なせてやる」

 「いや、その心配じゃないっす!」

 「遠慮すんな」

 さらに力を込めてトビを押し出すデイダラ。

 ギャーギャーと騒ぎ立てるそんな二人にイタチと鬼鮫が大きくため息を吐き出した。

 「あの二人、潜入捜査はできそうにありませんね」

 「そうだな」

 水蓮も「ハハ…」と苦笑いで続く。

 しかしその苦い笑いが一瞬でかき消えた。

 消さぬまま張り巡らせていた感知の力に何かが触れたのだ。

 その何かは間違いなくこちらに向かってきている。

 

 「イタチ!何か来る!」

 

 とっさにあげたその声に全員が身構える。

 「水蓮。どの方角だ」

 あくまで冷静なイタチの声にデイダラが続く。

 「距離は?」

 水蓮は集中して細かく分析に入る。

 が、すぐに額に汗を浮かべてやや動揺を現した。

 「なにこれ…」

 「どうした?」

 「何かわからない。でもすごい大きいチャクラ」

 水蓮以外はまだ捉えられないその気配。全員の緊張と警戒が高まった。

 先ほど見たばかりの人口獣が全員の頭をよぎる。

 「やっぱりいたのか、うん」

 「ここを囲む形で向かってきてる。数は20…ううん、30はいるかも。

 スピードも速い! 今800。でも、すごい速さで詰めてくる!」

 その言葉の終わりにはほかの面々も気配を捉え、改めて構えを取った。

 「いったん離れるか?」

 デイダラが声を上げる。

 しかしそれに水蓮が言葉をかぶせた。

 「一つ来る! 上!」

 見上げるより早く、鬼鮫が鮫肌を一閃して襲い来た何かをはじいた。

 

 

 どがぁぁっ!

 

 

 激しい音が鳴り響き、ぶつかり合った反動で水蓮たちの乗った鳥がバランスを崩して落下する。

 

 傾いた背から3人が滑り落ち、イタチが素早く水蓮を引き寄せて抱きかかえた。

 その隣では鬼鮫がしっかりと態勢を整えて上を見上げている。

 水蓮とイタチも同じく見上げると、そこにいたのは先ほどの黒いファイルに描かれていた鷹。

 その異様な風貌に、そして何よりその大きさに全員が息を飲んだ。

 それは水蓮が過去に博物館で見た、翼をもつ恐竜ほどの大きさであった。

 「大きすぎるでしょ…」

 「まったくですね」

 桁外れの大きさに水蓮と鬼鮫の口元にひきつった笑みが浮かぶ。

 「手に負えなくなって放置したか…」

 ため息交じりのイタチの言葉に水蓮は思わず「そんな無責任な…」とこぼしたが、大蛇丸相手にそんな言葉は通用しない。とすぐにそれを打ち消し改めて鷹を見た。

 作られたその生物は翼を大きく広げてこちらを野性味あふれる瞳でじっと見据えている。

 尾の部分は、絵の通り無数の蛇。

 その一つ一つがあちらこちらにうねりを上げ、青い空に奇妙な模様を作り上げていた。

 「気持ち悪い」

 全身に寒気を走らせながらも、水蓮はイタチの腕の中で印を組み術を放つ。

 「風遁!大突破!」

 生まれた風が先ほどまで乗っていたデイダラの鳥を弾き飛ばし、鷹へと向かわせる。

 「デイダラ!」

 「おう!」

 水蓮の声に反応してデイダラが場を離れつつ印を組む。

 「喝!」

 タイミングを合わせて起こした爆発が鷹を襲い、大きな体を弾き飛ばす。

 デイダラは次いで自分が乗っていた鳥からトビと共に離れ、それも鷹へとぶつけた。

 再び起こった爆音と同時に水蓮たちが地に降り立ち、その隣にデイダラとトビが身を下ろす。

 「いきなりあらわれやがったぞあの鳥!」

 デイダラの言葉に水蓮がうなづく。

 読み計っていた距離を無視して突然頭上に現れたのだ。

 「時空を移動してきたとかですかねぇ?」

 相変わらず空気を読まぬ口調でトビが言う。

 「そんなことできたら反則だろうが! うん!」

 

 全員が頭上を見上げると、薄れだした爆炎の中で「キィィィィィィ!」と甲高い鳴き声が鳴り響いた。

 

 こちらに向けられた殺気がびりびりと空気を震わせる。

 そして膨れ上がって行くチャクラの塊。

 

 「離れろ!」

 

 襲い来るであろう攻撃を予期して上げられたイタチの声に、それぞれが足に力を入れる。

 しかし、その動きが止まった。

 「だめ!もう来る!」

 水蓮の言葉の前に皆感じていた。

 こちらに向かっていた他の気配がもうすぐそこまで来ていることに。

 そして数秒後、その姿を捉えた。

 それらもまた、先ほどのファイルに描かれていた人口獣であった。

 水蓮の言ったように30はいるであろうその人口獣たちがすさまじいスピードでこちらに向かってくる。

 「わぁぁぁ! これ逃げらんないですよ!」

 トビがワタワタと騒ぎ立てるのを見てデイダラがポーチに手を入れた。

 「吹き飛ばして隙を見て逃げるぞ!」

 しかしその手がポーチから出る前にイタチが声を上げた。

 

 「動くな」

 

 静かなその声に、一瞬で今までの荒れた空気が消え去った。

 

 

 少しも慌てずにたたずむイタチの姿

 

 体から発せられる研ぎ澄まされたチャクラ

 

 

 イタチのただならぬ雰囲気に、意識せずとも全員おのずと体が動かなかった

 

 

 「オレがやる」

 

 

 今までに聞いたことのない低い声だった。

 

 水蓮の胸中に一気に言い表せぬ何かが広がる。

 

 「待って!」

 

 無意識に声を上げていた。

 なぜかは分からない。

 だが止めなければいけないと、心が何かに駆り立てられた。

 

 「イタチ!」

 

 だがその言葉はイタチの体からあふれ出た膨大なチャクラの圧が生んだ風にかき消された。

 

 「…………っ!」

 

 大地から湧き出でるようなその風に、そして目の前の光景にそれぞれが息を飲む。

 

 

 恐ろしいほどの静けさをまとったイタチを中心に大きなチャクラが張り巡らされていき、まるで鎧のように水蓮たちを包み守って行く。

 

 

 見たことのあるそのチャクラの形、姿に、水蓮は思わずこぼれそうになった言葉を飲み込んだ。

 

 

 「なんだよ…これ」

 

 

 デイダラが声を震わせ、イタチが静かな声でそれに答えた。

 

 

 「スサノオだ」



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第八十六章【死の気配】

 「スサノオ…」

 

 イタチの生み出したチャクラの鎧。その正体をデイダラが言葉にした次の瞬間。

 

 ドォォォォォォォッ!

 

 鷹の放ったチャクラの塊が頭上からスサノオに直撃した。

 

 反射的に全員が身構えて上をふり仰ぐ。

 しかし術によるダメージは全く感じず、受け流された威力がバチバチと音を立てながらスサノオの体を滑るように霧散してゆく。

 その余韻が空気に溶け、鷹の放ったチャクラが消え去ってすぐ、今度は四方から迫ってきていた他の人口獣たちが一斉にスサノオに突進してきた。

 

 再び激しい音が鳴り、地響きに大地も音を立てる。

 それでもスサノオの中にいる水蓮たちには全く衝撃はなく、完全に守られていた。

 その完璧な防御に一種異様な物を感じ、誰も声を発することができなかった。

 

 大地を震わせた音が静まり、今度はガガ…っという鈍い音が聞こえた。

 周りを囲んだ人口獣たちがスサノオを外側から押し始めたのだ。

 もちろんびくともしないが、押し返すにもイタチのチャクラコントロールがいるはずだ。

 ハッとして視線を向けた先で、イタチはほんの少し顔をしかめていた。

 「イタチ…」

 身を案じてあげた水蓮のその声にイタチは反応を示さない。

 その代わりに素早い動きで印を組み、大地に手をついた。

 

 「土遁!土流壁!」

 

 

 ゴゴゴゴゴゴ…

 

 再び大地が音をたて、すさまじい勢いで壁が作り上げられてゆく。

 それは人口獣ごと巨大なスサノオを包み込み、異変を感じて身をかわそうとした上空の鷹をも一気に包み込んだ。

 その頂が閉じられ、あたりがうす暗くなる。

 それでもスサノオの放つチャクラの淡い光が視界を守る。

 「鬼鮫!」

 たったその一言で意をくみ取り、鬼鮫が印を組み水蓮に目を向ける。

 「水蓮!」

 水蓮はハッとして鬼鮫の声にうなづきイタチの背に手をついてチャクラを送りこむ。

 が、その手が驚きを交えて背中から離れる。

 驚くほどの勢いで水蓮の手からチャクラがイタチに吸い込まれたのだ。

 以前月読を使った時も同じような事が起こり、そのチャクラ消費に驚いたが、まるで比にならない。

 意識してこちらがコントロールしなければ、一瞬で全て吸い取られてしまいそうなほどであった。

 水蓮は集中を深めて再びイタチの背に手をつく。

 だが、どうやっても送り込む量より消費される量の方が明らかに大きい。

 

 まるで足しにならない…

 

 まさに焼け石に水であった。

 

 このままでは…

 

 イタチの体にかかる負荷に恐ろしくなり、水蓮はイタチの表情を伺い見る。

 その視線の先でイタチの瞳が万華鏡へと変わって行く。

 「イタチ!だめ!」

 しかしその声は鬼鮫の声にかき消された。

 「水遁!爆水衝波」

 スサノオの壁際に立ち外へと向けて水に変換したチャクラを吐き出してゆく。

 スサノオはその水の放出のみを許可し、中への侵入を遮断する。

 それによって大量の水が土の壁とスサノオの間にどんどんたまって行き、あっという間に隙間を埋め尽くした。

 水に飲まれた人口獣たちが空気を求めてもがく中、イタチの瞳に力が込められたことに水蓮が気づく。

 背にあてた手からさらにチャクラが流れ出てゆき、うっすらと水蓮の額に汗が浮かんだ。

 

 このチャクラの感じ…

 

 水蓮の思考とイタチの術の発動が重なる…

 

 

 ― 月読 ―

 

 

 その術の流れは目には見えない。

 それでも、人口獣を飲み込んでいる水のなかをチャクラが走り広がる気配を感じる。

 

 不可視の気配に水蓮は目を見張った。

 その視線の先で、イタチに近い人口獣から順に幻術へと墜ちてゆくのが見て取れる。

 

 「水を媒体にして一気に…」

 

 いつもよりほんの少し低い声でトビがつぶやき

 

 「すげぇ…」

 

 デイダラがかすれた声を絞り出した。

 未だかつて見たことのない光景に水蓮も見入る。

 あまりにも圧倒的なその力に、チャクラを注ぐ手がほんの少し震えた。

 「水蓮、離れろ」

 術に集中しながらイタチが小さな声でそう言った。

 「残しておけ」

 あとの回復にチャクラを残せという意味だろう。

 確かにこのまま続ければ戦闘後にイタチの回復に使うチャクラが残らない。

 悩んだ末水蓮はイタチの背から手を離した。

 ほんの少しの足しとは言え、やはりそれを失ったことで負荷が増えたのかイタチの額に一気に汗が浮かんだ。

 

 ほどなくしてすべての人口獣が幻術に堕ち、その動きをイタチが手中に収めた。

 同時にイタチがその場に膝をつく。

 「イタチ!」

 慌てて体を支える。

 「大丈夫だ…」

 とはいうものの、イタチの顔のゆがみに合わせてスサノオの光が薄くなる。

 それを目に留め鬼鮫が水遁の水をかき消した。

 水中に浮かんでいた人口獣たちが音を立てて地面に落ちる。

 鷹はイタチが操っているのかいまだ空中にその身をとどめている。

 水がすべて消えたのを確認し、イタチが「耳を塞いでいろ」と水蓮を外套ですっぽりと包み込んで声を上げた。

 「デイダラ! 一発で決めろ!」

 「おぉ…? っ! おお!」

 一瞬の戸惑いののち、意を解したデイダラが粘土を取出し5つの鳥型の爆弾を作り出した。

 「いけ!」

 一つは上空にいる鷹に向かって、ほかの物は四方に分かれてスサノオから飛び出し人口獣に向かう。

 それが獣たちにぶつかる寸前、デイダラの声が響き渡った。

 

 「喝!」

 

 …ドォッ…!

 

 聞こえたのは初めのその一音だけだった。

 土の壁に覆われた密閉空間での爆発はすさまじく、耳をふさぐ手は全く意味をなさなかった。

 あまりの爆音に一瞬耳が機能を失い、イタチのチャクラの弱まりもあってか爆破の振動がビリビリと空気を震わせてスサノオをすり抜けた。

 

 「…っ!」

 

 襲い来る衝撃。それは重力が集まりきたかのようにあらゆる方向から水蓮達を押さえつける。

 

 「う…」

 

 こらえきれずこぼれた水蓮の呻きに、イタチがグッとチャクラを絞り上げた。

 「ダメ、イタチ…」

 重苦しさに耐えながら水蓮がイタチの服をぎゅっとつかむ。

 しかし力を止めぬまま練り上げたイタチのチャクラがスサノオに再び光をもたらし、爆破の衝撃を押しのけた。

 

 どれくらいそうしていただろうか…

 十分に爆破の余韻が消え去ってからイタチがスサノオを解いた。

 「大丈夫か?」

 外套を開き水蓮の顔を覗き込むイタチ。

 水蓮はその顔色の悪さに背筋が冷たくなった。

 「私よりイタチの方が…」

 震えたその声にデイダラが声を重ねる。

 「突然来やがったな…」

 その視線の先では土遁の壁はすでに吹き飛び、人口獣の姿も微塵も残されていなかった。

 「何だったんでしょうね~」

 相変わらずのトビの口調。それにイタチがその場に膝をついたままの姿勢で返す。

 「さっきの建物で生まれたのなら、そこはあいつらにとっては巣のような物だろう」

 「それを壊されて腹を立てた。というところですかね」

 そんな感情があるのだろうかと疑問を抱いた水蓮に鬼鮫が「案外人間以外の生き物の方がそう言うのは強いんですよ」と小さく笑った。

 「そうだね」 

 縄張り意識のような物だろうか。

 

 それにしても…

 

 と疑問を重ねるが、急にイタチがせき込みその思考を奪った。

 「イタチ!」

 とっさに支えたその体が脱力し、重みを受け止めきれず共に地面に身を崩す。

 「イタチさん!」

 鬼鮫が慌ててイタチの体を起こす。

 と同時に激しい咳が出て、その口から血が噴きこぼれた。

 今までに見たことのないその量と、血の気のひいた顔。

 イタチはすでに気を失ってぐったりと動かなくなっていた。

 「イタチさん!」

 「おい!イタチ!」

 鬼鮫とデイダラの慌てた声が一気に水蓮を恐怖に陥れた。

 「いや…イタチ…」

 それはほとんど言葉になっていなかった。

 幾度か弱ったイタチを見てきてはいたが、明らかにこれまでとは違う。

 浅い呼吸でピクリとも動かないイタチを見て水蓮の体が震えだす。

 

 感知能力ではない。本能がそれを伝えてくる。

 

 

 イタチを取り巻くその空気。

 

 それは死の気配だった…

 

 「いや…うそ…」

 

 突然その場を取り巻いたおぞましい空気。

 

 まるで術にかかったかのように体が動かない。

 

 

 イタチが死ぬ?

 

 

 「水蓮!」

 

 最悪のイメージを鬼鮫の荒い声が断ち切った。

 「鬼鮫…」

 ゆっくりと鬼鮫に視線を向ける。

 鬼鮫はこれまでになく厳しい顔をしてた。

 「あなたがしっかりしないでどうするんです」

 静かなその口調が少しずつ水蓮の気持ちを落ち着かせる。

 鬼鮫は真剣なまなざしのまま言葉を続けた。

 

 「イタチさんを救えるのはあなたしかいない」

 

 「…っ!」

 

 パッと脳が鮮明になった。

 

 そうだ…。イタチを救えるのは私しかいない! 

 

 水蓮の目に力が戻り、体が動きを取り戻した。

 イタチの体に手をかざしチャクラを流し込む。

 しかし、その手が一瞬止まった。

 「どうしたんだ?あーね」

 水蓮は再びチャクラを流し込みながら顔をゆがめた。

 「追いつかない…」

 まるでスサノオを使っていた時のように、チャクラが失われてゆく。

 「チャクラが、ううん、違うこれは…」

 震えたその声にその場にいた全員の背筋が凍った。

 失われているのはチャクラではない。

 

 生命力…

 

 

 術を、瞳力を酷使しすぎたことが原因でチャクラが枯渇し、生命力そのものが削り取られているのだ。

 ましてイタチの体はかなり弱り始めていた。

 

 その事もこの状況に拍車をかけていた。

 

 このままじゃ…

 

 再び最悪の事態が水蓮の脳裏を駆ける。

 思わず手が止まりそうになった瞬間、イタチが再び血をまじえた咳をした。

 ハッとして意識を集中する。

 イタチの体で最も重症なのは肺であった。

 こうして咳込み血を吐くときは酷く炎症を起こしている時で、その治療を中心に行ってきた。

 だがその治療には本人の体力も必要であるため、今この状態では使えない。

 誰かに体力の回復を同時にしてもらう必要がある。

 「もう一人医療忍者がいないと。それか、何か体力を回復させる手段があれば…」

 「あ!ありますあります!」

 今まで黙り込んでいたトビが声を上げた。

 「なんか方法があんのか?トビ」

 「ほら、この間先輩がお世話になった闇医者。角都先輩の知り合いの」

 その言葉にデイダラが「あ…」と目を見開いた。

 「そうだ、あの時おいらの体力を回復させるのに使った薬」

 「そうそう。あれよく効きましたからね」

 「場所は?」

 そう聞いた鬼鮫にデイダラは少し渋い顔を返す。

 「ちょっと遠い。つくのは夜になる…」

 全員の視線がイタチに向く。

 

 それまでもつだろうか…

 

 誰もがそんな不吉な事を考えた。

 

 「でも行くしかない」

 水蓮のその言葉に皆うなづく。

 しかしそのうなづきを打ち消すように、空から雨の雫が降り落ちてきた。

 「うそ…」

 「こんな時に…」

 水蓮と鬼鮫の声をまるで合図にしたかのように、細かい五月雨がさぁっ…と音を立て始めた。

 鬼鮫が慌てて自分の外套でイタチの体を隠す。

 しかしいかに大きな鬼鮫の外套とはいえすべての雫は防げない。

 少しずつイタチの体が雨に濡れてゆく。

 「どこかで雨をしのがないと」

 この季節の雨はまだ少し冷たい。

 この状態で体が冷えれば、事態は悪化の一途。

 数秒考え、とりあえずは洞窟に戻ろうと提案しかけた水蓮の言葉を、今度は強い風がさらった。

 「やべぇな…」

 デイダラがつぶやき、トビが言葉を継ぐ。

 「これ、台風じゃないっすかね」 

 「そんな…」

 

 この風は洞窟ではしのげない…

 

 強まりゆく自然の猛威に水蓮の心に焦りが広がった。

 

 こうしている間にもイタチの顔色はどんどん青ざめてゆく。

 

 

 ここで死ぬはずはない…

 

 

 水蓮は必死に冷静を保とうと考えをめぐらせる。

 

 サスケとの戦いまでは死ぬはずがない…

 

 だが今目の前でイタチの命は薄れている。

 その事実が、冷静でいようとする水蓮の心からそれを奪ってゆく。

 それでも、今できることを必死に考える。

 「とにかく、どこでもいいからいちばん近い町へ…」

 「そうですね」

 鬼鮫がうなづく。

 その隣でデイダラがハッとしたように声を上げた。

 「あーね!エシロだ!こっからならエシロの悠久堂が近い!」

 水蓮もハッとしてデイダラを見る。

 

 二人の脳裏には、数か月前に会った薬屋のハルカの顔が浮かんでいた。

 

 「あそこなら、なんかいい薬があるかもしれねぇ」

 サソリが信用して使っていたくらいだ。

 その可能性は高い。

 「うん!」

 一気に希望が見えた気がし、水蓮の声に力がこもる。

 デイダラはさっと鳥を作り出し、イタチを抱え上げて飛び乗り寝かせた。

 すぐに水蓮がそばにつき、イタチの手を握りしめて体力の回復を優先にチャクラを注ぐ。

 「飛ばすぜ」

 デイダラの言葉と同時に鳥の背から粘土が伸びあがり、水蓮とイタチの体に巻きついてその身を固定した。

 「鬼鮫の旦那はこっちに乗ってくれ」

 重量を減らしてスピードを出すためだろう。

 デイダラは鬼鮫の前にも鳥を作り、最後にトビの前にもう一つ作り上げた。

 「トビ、お前はあの医者連れてこい」

 「了解っす!」

 身軽な動きで鳥の背に乗りそのまま浮かび上がる。

 「わかってんな?エシロだぞ」

 デイダラも空へと舞いあがる。

 「ばっちり覚えてますって」

 相変わらずの軽い口調。しかし、内心は揺れているのかいつものようにふざけて時間を取ろうとはしない。

 そんなトビに鬼鮫が「頼みますよ」と念を押し、それぞれが鳥をはばたかせた。

 

 

 雨と風は少しずつその音を強め、イタチの体を濡らしてゆく。

 水蓮は細いその体で精一杯イタチを風雨から守りながらチャクラを注ぎ続けた。

 

 ぎゅっと握った手の冷たさに不安が上乗せされ、体が少し震える。

 

 「イタチ…」

 か細いその声に合わせるように、イタチの呼吸がさらに浅く小さくなってゆく。

 「だめ!イタチ!」

 慌ててチャクラをさらに強く練り上げる。

 しかし水蓮もまた先ほどチャクラを酷使している。

 そう強くは注ぎきれない。

 町へ着くまでの配分も必要なのだ。

 チャクラをもたせ、無事に町へとつくにはイタチ自身の生命力が、生きようとする精神力が必要なのだ。

 「イタチ!しっかりして!イタチ!」

 それを促すべく水蓮が声を張り上げる。

 しかし反応しないイタチに、今度はデイダラが声を荒げた。

 「おいこらイタチ!」

 ガッとイタチの胸ぐらをつかんでグイッと持ち上げる。

 「てめぇを殺すのはおいらだ!こんなとこでくたばったらゆるさねぇ!」

 だがやはりイタチは動かない。

 その様子にデイダラは目を吊り上げてイタチの服をつかんだ手にさらに力を入れ、もう一言怒鳴りつけた。

 

 「あーねを泣かすんじゃねぇ!」 

 

 その言葉に、雨の粒とは明らかに大きさの違う雫が水蓮のほほを流れて落ち、風の中に消えた。

 

 「おいイタチ!聞いてんのか!」

 

 さらに重ねあげたその声に、イタチの瞳が一瞬動いた。

 「イタチ!」

 その瞳が水蓮の声に反応し、本当に少しだけ開かれる。

 「イタチ、しっかりして。お願い…」

 痛いほどに手を握りしめる。

 イタチはすぐに目を閉じたが、先ほどよりは呼吸が力を取り戻していた。

 

 それを確認してデイダラがゆっくりとイタチの体を元に戻し、さっと前方へと向きなおった。

 「あと少しだ」

 静かなその声に水蓮は無言でうなづく。

 

 

 空はさらに荒れ狂い、水蓮の胸中に計り知れぬ程の不安と恐怖を渦巻かせた。



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第八十七章【命をかけて】

 エシロの町へとたどり着きハルカのもとを訪ねると、彼女は驚きながらも素早く状況を察し、すぐに部屋が用意された。

 通された部屋は過去に診療所として使っていたらしく、今は使われていないにも関わらず随分とキレイに保たれていた。

 何かの役に立てばと、常日頃から気を付けて整理していたのだという。

 

 

 「先に体をふかねぇと」

 デイダラの言葉にハルカがさっとタオルを差し出す。

 それを受け取り、鬼鮫とデイダラが素早くイタチをベッドに寝かせて身なりを整え、すぐに水蓮がチャクラを送り込んだ。

 今はとにかく体力の低下を抑えることが優先。

 それでも時折血の混じる咳を繰り返すイタチに水蓮の心に焦りが溢れる。

 「ハルカさん、何か体力を回復させるようなものはありませんか?」 

 イタチの肺の症状はひどく、炎症止めなどの薬はもう効かない。

 薬で体力を戻し、水蓮の医療忍術で炎症を抑えなければならなかった。

 水蓮から説明を聞き、ハルカは「それなら」と手早く薬を用意し、慣れた手つきで注射でイタチに処置を行った。

 「母が診療所をしていた時に手伝っていたんです。そう強い薬ではありませんが多少の効果はあると思います。あとは…」

 そう言ってハルカはイタチの体に手をかざした。

 その両手から淡い光が生まれる。

 「医療忍術使えんのか?」

 デイダラの驚きにハルカがうなづく。

 「本当に少しですが。水蓮さん治療にはどれくらいの時間が必要ですか?」

 「少なくても一時間は…」

 「一時間…」

 かなりのスピードで回復のチャクラを奪われるほどのイタチの症状に不安を感じたのか、少し難しい顔を浮かべる。

 それでもしっかりと集中してうなづいた。

 「私のチャクラが一時間もつようになんとか調整してみます…」

 「お願いします」

 自分の隣でイタチにチャクラを送り込むハルカの姿に、水蓮は思わず目を潤ませた。

 これまで自分一人で担ってきたイタチの治療に誰かが一緒に携わってくれる。

 それは今までにない安心感だった。

 しかしチャクラコントロールに優れた水蓮ですら、今のイタチの体力の回復はかなり難しい。

 少ししか使えないと言うハルカが一時間もつかどうかわからない。

 かといって治療の速度を上げれば、比例して体力も削る。

 調整しながら少しずつ進めるしかないのだ。

 

 水蓮は不安をグッと押し込んでイタチの胸元に手をかざした。

 

 チャクラを通じて感じたイタチの症状はかなりひどい物であった。

 ここへ来るまでに手を付けられなかったことが大きな要因であろうと考えながら、集中を深める。

 

 しかし治る速度より悪化へと進む速度の方が幾分か早い。

 治っては悪くなるその状況にイタチの顔が痛みに歪んだ。

 

 「痛みがひどいようですね」

 ハルカはそう言うとデイダラに棚から薬を出すように伝えた。

 「鎮痛剤です。水で薄めて飲ませてください」

 「わかった」

 デイダラがハルカの指示で薬を用意してイタチに飲ませようとする。

 が、水蓮がそれを手に取った。

 「あーね?」

 「私がやる。鎮痛剤は苦みがあるから、そのままじゃ飲まない」

 それにとても自分で何かを飲める状態ではない。

 水蓮は薬を口に含んで治療を続けながらイタチに唇を合わせて薬を流し込んだ。

 「………う…」

 苦味に顔をゆがませ、薬をおしだそうとするイタチの口元を水蓮が手でグッと押さえこむ。

 「飲んで!飲み込んで!」

 聞こえているのかいないのかわからない。

 それでもイタチはなんとか薬を喉に通した。

 水蓮は同じように数度水を飲ませ、再び集中する。

 そうして数十分が過ぎた頃、水蓮の隣でハルカの体が崩れ落ちた。

 「ハルカさん!」

 「ハルカ!」

 デイダラが慌ててその体を受け止める。

 「ごめんなさい。もう…チャクラが…」

 ハルカはそう言って目を閉じる。

 気を失ってはいないがその疲労は極まっていた。

 

 やはりハルカの力ではイタチの失われ行く生命力には追いつけなかった。

 ハルカのチャクラを失い、かろうじて繋ぎ止められていたイタチの灯火が一気に小さくなる。

 それを感じ、水蓮があわてて回復に切り替える。

 しかし、そうなると治療を止めざるを得ない。

 ようやくほんの少し追い付いた治癒が再びかき消されて行く。

 

 先ほどの鎮痛剤もほぼ効果を見せず、今までの吐血量の多さからもイタチの顔色はすっかり血の気をうしなっていた。

 

 どれだけ必死にチャクラを送り込んでも次から次へと奪われて行き、次第に表情の歪みさえも見せなくなってゆく。

 

 「だめ。イタチ、お願い…」

 

 水蓮の体が震え出す。

 

 「そんな…」

 

 そんなはずはないと何度も繰り返す。

 

 イタチが死ぬはずはないのだ…

 

 だが自分がこの世界に来たことで、何かのバランスが崩れているのだとしたら…

 

 そう考えると、何が起こってもおかしくない。

 

 自分の知らない、思いもよらぬことが起きるかもしれないのだ…

 

 

 その不安を後押しするかのようにデイダラが小さな声で言った。

 

 「嘘だろ…」

 

 その隣で鬼鮫はただ黙って立ち尽くしている。

 

 

 誰もが感じていた。

 

 

 イタチに迫る死を。

 

 

 「お願い…」

 それでも水蓮は必死にチャクラを送る。

 だが、そこには僅かな力しか動かなかった…

 「もうチャクラが…」

 

 切れる…

 

 どうしようもないその状況に水蓮の瞳から涙があふれでた。

 

 滲む視界にさらに色を失っていくイタチが映る。

 

 「いや!だめ!」

 水蓮はイタチに抱きつき、必死にチャクラを練る。

 

 

 誰か…

 助けて…

 

 

 心の底から願った

 

 

 自分の力では助けられない。

 

 

 消え行く自身のチャクラ。

 

 イタチの命。

 

 

 そのどちらも、自分では繋ぎ止められない…

 

 それを感じ、水蓮は救いを求めた。

 だがそれに応えるものはなく、水の流れのごとく進むこの事態を止める術はなかった。

 

 

 「イタチ…」

 送り込むチャクラが薄れ行くのを感じながら水蓮はイタチの体を強く抱き締める。

 

 何のためにイタチはここまで耐えてきたのか…

 

 里の闇を背負い…

 

 一族を手にかけ…

 

 罪を、痛みを抱えながら、何のために耐え忍び生きてきたのか…

 

 

 ここで死ぬためではない…

 

 ここで死んではならない人なのだ…

 

 今死んでしまったら、すべてが無駄になってしまう…

 

 「……せない…」

 

 「水蓮?」

 

 じっと状況を見守っていた気鮫が水蓮の漏らした呟きに、顔をのぞきこむ。

 水蓮はほんの少し持ち上げた顔でイタチを見つめ、その瞳に強い光を宿していた。

 「死なせない」

 今度ははっきりとした言葉だった。

 グッと力を入れ直し、体の奥深くからチャクラを練り上げる。

 それは別の何かと混ざりあい、イタチの体に注がれて行く。

 

 そこにあったのは、水蓮の生命力そのものだった。

 

 限界を超えて練られたチャクラは、どんどん水蓮の命を力に変換してゆく。

 それに気づいたデイダラが声をあげた。

 「やめろ!あーね!」

 慌てて水蓮の体に手を伸ばす。

 しかし、それを気鮫がつかんで止めた。

 「何すんだ鬼鮫の旦那!」

 振り払おうとするデイダラの腕をグッと押さえ、鬼鮫は黙り込んだ。

 「あーねよりイタチの命を取るのかよ!助かるかどうかも分からねぇのに!」

 しかし鬼鮫は言葉を返さない。

 「二人とも死んだらどうすんだ!」

 

 二人とも…

 

 その言葉が水蓮の胸に響いた。

 

 それでもいい…

 

 ぎゅっとイタチの服を握りしめる。

 

 もしイタチがどうしても助からないなら、それでもいい…

 

 そう思った。

 

 

 だけど…

 

 「死なせない…」

 

 やはりイタチは死んではいけないのだ。

 たとえ自分が死んでも、イタチは死んではいけない。

 

 彼は生きてサスケと戦わなければいけないのだ。

 サスケに力を託し、その力でいつかこの世界を平和に導いてほしいとそう願っているのだ。

 

 それが、イタチがこの世に残そうとしている想い…

 

 

 「私が絶対に死なせない!」

 

 イタチをあの場所まで連れて行く!

 

 

 最期のあの場所まで!

 

 

 体の底から力を練り上げる。

 

 その力の源の最期の一滴が水蓮の体の中で揺らいだ。

 

 

 そしてそれが消えるとほぼ同時に

 

 …ポッ…

 

 小さな音を立てて水蓮の中で光が生まれた。

 

 それは今までに感じたことのないほどの温かさとやさしさに満ち溢れた光。

 

 それが一気に大きく膨れ上がり、水蓮の体を瞬時に癒した。

 

 光は体内に収まりきらず、赤みを帯びたオレンジ色の輝きとなって水蓮の体からあふれ広がる。

 

 部屋中に広がったその光を見て、鬼鮫がつぶやくように言葉を発した。

 

 「九尾のチャクラ」

 

 「すげぇ。おいらたちまで…」

 

 その光に触れた鬼鮫とデイダラ、そして倒れこんでいたハルカの疲労さえも回復してゆく。

 

 水蓮は自身の変化に気づき、体を起こして両てのひらを見つめた。

 

 とめどなく溢れる光。その力の大きさに目を見張る。

 

 「これが九尾の…」

 

 自分の中にあるそれは、微量であると母が言っていた。

 それでもこれほどまでにすさまじい力があることに驚きが隠せない。

 

 それに何より、温かい…

 

 九尾のチャクラは冷たい物かと思っていた水蓮にとって、それも驚きであった。

 

 グッと手を握りしめ、コントロールするために目を閉じてその力を体になじませてゆく。

 

 

 感じる…

 

 

 このチャクラは、九尾の中にある【優しさ】

 その感情の部分

 

 

 大切な者を慈しみ、守ろうとするその力。

 

 それを自身の中に引き継いでいたのだ。

 

 「これなら…」

 

 水蓮は再びイタチの体を抱きしめ、全身からチャクラを注ぎ込んでゆく。

 

 「お願いイタチ…」

 

 ポタポタと涙が落ちる。

 

 水蓮は自身からあふれ出る力に、強く…強く祈りを込めた。

 

 

 「死なないで!」

 

 

 二人の体をまばゆいほどの光が包み込んでいった… 

 

 

 

 窓の外に夜の闇が深まり始める…

 エシロの町は台風の影響を受けなかったのか、空に雲はかかっておらず三日月が光っていた。

 その月から視線を外し、水蓮はイタチの手を握りしめその顔を見つめた。

 

 目を閉じたままのイタチは、それでも少し顔色が戻り、ようやく呼吸を落ち着かせていた。

 

 

 九尾のチャクラは一度使い果たして消えはしたもののその回復は早く、水蓮は力が戻るたびにイタチに注ぎ続けた。

 そうして数時間が過ぎ、イタチは一命を取り留め夜を静かに過ごしていた。

 その表情から苦痛は消え、肺の炎症もおさまりを見せ、一応は危機から脱したと言える状況。

 だが水蓮の手に包まれているイタチの手は、今日一日で随分痩せたように感じられた。

 同じように細くなったように見える腕には点滴が施され、ポタ…ポタ…とそのほんの小さな音のみが部屋の中に響いていた。

 その点滴薬は闇医者をむかえに行ったトビが持ち帰った物で、デイダラの言うように効果は高く、それによる体力の回復も治療の助けになった。

 彼らの言う闇医者は手が離せないとの事で同行はできなかったものの、かなりの量の薬をトビに持たせてくれていた。

 その十分な量に、水蓮は炎症への対処と痛みを抑えることに集中でき、少なからず安心していた。

 しかし、少しも目を覚ます様子を見せないイタチに、涙が止まらないままであった。

 

 「飲み物をもらってきましたよ」

 鬼鮫がスッと水蓮にカップを差し出す。

 柔らかい湯気がたち、カモミールの香りが水蓮の心を少し癒す。

 「ありがとう」

 離しがたい気持ちを感じながらも、ずっとつないだままだったイタチの手をゆっくりと離しカップを受け取る。

 「おいしい紅茶ですね。私も先ほどいただきました」

 「そう…」

 「デイダラとトビは今おかわりを楽しんでますよ」

 「そう…」

 力ない返事を繰り返し、一口含む。

 その香りと味の優しさに一気に何かがはじけ、止まらぬままであった涙がさらに量を増やした。

 「…う…」

 カップを握りしめて息を詰まらせる。

 「水蓮…」

 鬼鮫の声が驚く程に優しく、それもさらに涙を誘った。

 「鬼鮫。どうしよう。もし、もしもこのまま…」

 

 イタチが目を覚まさなかったら…

 

 ずっと渦巻いていた不安が心うちからあふれ出す。

 

 「どうしよう…」

 

 

 今までの事を考えれば、原作通りに動くはず…

 

 ここでイタチが死ぬはずはない…

 

 

 何度そう言い聞かせても、目の前で細い息で眠るイタチにその恐怖がぬぐいきれない。

 

 「どうしよう…」

 

 ポタポタとこぼれる涙を拭う力もなく、水蓮は体を小さく震わせながら鬼鮫を見つめてそう繰り返す。

 

 次第にその言葉すら口に出せなくなり、部屋の中には水蓮の涙声だけが響いた。

 「水蓮…」

 鬼鮫が再び柔らかく名を呼び、水蓮の頭に手を置いた。

 「大丈夫」

 ほんの少し髪を撫でるように手のひらが動き、そのぬくもりが水蓮の胸にしみ入る。

 鬼鮫は水蓮の隣に座り、もう一度「大丈夫」と言った。

 そして、力強く言葉を続けた。

 「彼はまだ死なない」

 

 …まだ…

 

 その言葉に水蓮はほんの少しドキリとする。

  

 鬼鮫はイタチの目的を知らない。

 だが、水蓮と出会ったころにはイタチに何かの目的があることを感じ取っていた。

 

 その事を踏まえて言っているのだ。

 

 「彼はそういう人だ」

 

 何があっても自身の目的を必ず成し遂げる…

 

 「そういう人ですよ。違いますか?」

 

 水蓮はイタチに視線を映し、じっと見つめた。

 そして今までの事を思い返す。

 

 いつでもどんなときでも。辛くても苦しくても、すべてを超えてきたイタチの姿が思い浮かぶ。

 

 あらゆる痛みを背負いながらも、強く歩みを進める背中…

 

 必ずやり遂げてみせるという強い心…

 

 

 彼はどんな事も乗り越える力を持っている…

 

 【そういう人】なのだ

 

 

 水蓮は涙を止められぬままではあったが、鬼鮫に強くうなづきを返した。

 

 

 その日、イタチは目を覚ますことなくひたすら眠り続けた。

 苦痛に表情を揺らすこともなかったが、ほんの少しの身じろぎも見せずに眠るイタチから目を離せず、水蓮は眠ることなくチャクラを注ぎ続けた。

 

 そして翌朝。

 やはり様子の変わらないイタチのそばで、水蓮はつないだ手からチャクラを流し込んでいた。

 疲労はたまっていたが、九尾チャクラの力なのか今までに比べるとその度合いはかなり軽かった。

 

 「変わりなしですか…」

 日が昇ってすぐに、鬼鮫が様子を伺いに部屋へと来た。

 後ろからデイダラも顔をだし、水蓮を見て「寝なかったのか?」と気遣った。

 水蓮は少し苦笑いを返し、トビの姿がないことに気付く。

 「トビは?」

 近くにいてもいなくても、その動向が気にかかる。

 怪訝な表情を浮かべた水蓮にデイダラが答えた。

 「ああ。昨日の島へ行かせてる」

 「我々ももう一度行ってきます」

 「そう…」

 「まだほかの建物ぶっ壊してねぇからな。うん」

 デイダラはグッとこぶしを握りしめて厳しい表情を見せた。

 

 大蛇丸の後始末もあるが、まだ尾獣ではないと調べきれてはいない。

 任務は終わっていないのだ。

 

 「気を付けてね」

 「おう!あーねも、あんま無理すんなよ」

 「うん」

 そのうなづきに鬼鮫が言葉をかける。

 「とりあえず、きちんと食べて少し眠ったほうがいい。我々が戻るまでの間も、食事と睡眠は必ずとるように」

 言い聞かせるようなその口調。

 それにデイダラが笑いをこぼした。

 「何か鬼鮫の旦那、母親みてぇだな」

 「は?」

 とぼけた声で鬼鮫が返し、すぐ後に水蓮が小さく噴き出した。

 そしてこらえきれず「ククク」と喉を鳴らす。

 鬼鮫は「笑いすぎだ」とジトリと水蓮をにらんだが、そうして笑みを見せた事に安堵して表情を緩めた。

 「イタチさんを頼みますよ」

 その言葉に水蓮は表情を引き締めた。

 「うん。行ってらっしゃい」

 「行ってくるぜ。うん」

 「行ってきます」

 

 二人も瞳を厳しく色づけて返し、そのまますぐに出立した。



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第八十八章【振り返る】イタチの章

 ずいぶんと冷たい場所だった。

 吐く息が白く染まる様を見ながらイタチは「寒いな」とつぶやいた。

 そんな事を口にしたのはどれくらいぶりだろうか。

 いや、言葉にしたことはあったのかもしれない、だがこんな風に心底そう思ったのはいつぶりか、わからなかった。

 

 冬になれば気温は下がり、確かに寒いと感じてはいたがそれでも体を縮めるような感覚はなかった。

 それは体調が大きく弱り始めた最近でも変わらない。

 そう訓練されてきたからでもあり、自分は何かを感じる感覚を失ってしまったのだとそう受け止めていた。

 だがいま、この場所の寒さは体の芯を突き、肩が知らぬうちに少し上がっていた。

 

 「ここは…」

 

 あたりを見回す動きに、足元でパシャリと音が鳴り視線を落とす。

 浅く水が張り巡らされている。

 その水の冷たさを足の裏に感じ、自分が裸足であることに気付いた。

 

 周りは暗いが闇というほどではなく視界は保たれたいる。

 

 「何もないな」

 

 ただ広い空間が広がっているだけのその場所は、知らぬようで見覚えがあり、今ここに立つ自分はいるようでいないような不思議な感覚だった。

 

 静かに目を閉じてしばしたたずみ、ゆっくりと目を開く。

 その視線の先には、懐かしい場面が広がっていた。

 それは思いもしなかった光景で、イタチは驚きに目を見開いた。

 

 「水無月先生…」

 

 記憶を必死に手繰り寄せずともその名がすんなりと出たことにまた少し驚いた。

 下忍になった時の担当上忍。その人物がそこにいたのだ。

 流麗な名前とは反対に、どこか暑苦しい風貌を持っていた。

 黒い短髪。ぼさぼさの眉。丸い目。

 特にこれと言って特徴のある人物ではなかったが、やはり自身にとっての初めての担当上忍。

 無意識にしっかりと覚えていた。

 

 確か温和でのんびりとした空気の人だったな…

 

 その性格までもがよみがえり、少し笑みが浮かぶ。

 が、その表情が少し陰った。

 

 水無月の左には幼き頃の自分。そして右隣りには、その時のスリーマンセルの班員であった【シンコ】と【テンマ】の姿があった。

 

 シンコはどこの言葉なのかひどくきつい方言を使うくのいちであった。

 後に自分に忍びは向かないと、別の道を選んだ。

 そして、テンマは…

 

 イタチはそちらに視線を向けかけてパッと目をそらした。

 

 テンマはアカデミー時代イタチに絡んできたことのある人物であった。

 だが、共に任務をこなす中で次第に打ちとけることができ、シンコと共に、イタチに【仲間】という言葉を感じさせる場面もあった。

 

 彼は、後に死んだ。

 

 自分の目の前で殺されたのだ。

 

 うちはマダラに。

 

 そしてその出来事はイタチに写輪眼を開眼させるきっかけとなった。

 

 仲間を守れなかったという自責の念と、仲間を失った悲しみによってイタチは写輪眼を手に入れたのだ。

 

 その事について父が『同志が増えたことは喜ばしいことだ』と言った事に、何とも言い難い感情を渦任せた事を思い出す。

 

 写輪眼を使える同志。うちはの戦力。一族の未来を担う一人。

 

 父がそう言う意味で、うちはを想い言った事は分かる。

 だがあの時、イタチは心の中で叫んでいた。

 

 仲間が死んだんだ…と。

 

 写輪眼の開眼条件はもちろん父も知っている。

 任務での事も、聞き及んでいるはずだった。

 

 違う言葉がほしかった…。

 

 その時の感情がよみがえり、グッと手を握りしめてイタチは顔を見ぬようにして再びあの頃の自分たちへと目を向けた。

 

 だがそこにはもうその姿はなかった。

 次にそこにいたのは

 

 「シスイ…」

 

 まだ幼いころのシスイと、そして自分。

 

 目の前に広がった場面は、シスイの演習に同行したときの物だった。

 この時の演習は逃亡者の追跡。

 シスイはそれに必要な知識を時に教え、時には何も言わずにうまく導き、自分に様々な知識を残してくれた。

 夜には思いがけず暗部の戦闘に巻き込まれ、彼らの担う…里の闇を垣間見た。

 

 そういえば…

 

 その戦闘で足をくじいた自分をシスイが背におぶって連れ帰ってくれたんだったな…

 

 イタチの記憶に合わせたように場面がその光景に変わる。

 

 シスイの背にいる【イタチ】は驚くほどに安心した表情で、それをどこかで見たことがあるとイタチは感じた。

 

 そして思い当たる。

 自分といるときのサスケの表情と同じだと。

 

 シスイが言った。

 

 『オレはお前を本当の弟のように思ってるんだ。お前も、オレを兄だと思って何でも頼ってほしい』

 

 【イタチ】はすぐに『うん』と答えた。

 

 またシスイが言う。

 

 『忍の世界に正義と呼べるものがあるのかどうか分からない。

 オレ達は自分を正義と信じて戦う。が、敵も同じだとしたら、どちらに真の正義がある?』

 

 あの時自分が答えられなかった事を思い出す。

 

 『物事の捉え方は一様じゃない。様々な視点から考えてみることだ』 

 『様々な視点』

 

 どれが確かなのか…

 

 どれを確かとして選ぶのか…

 

 その目を養わねばならないと思った。

 

 もっと強くならねば、今の自分では何が確かなのかは分からないのだと、未熟さが悔しかった。

 

 そんな【イタチ】にシスイは『だが一つだけ確かな事もある』と、言った。

 

 『オレはお前を絶対に裏切らない。それだけは確かだ』

 

 優しく胸にしみこんだその言葉は、本当にその通りだった。

 シスイは決して自分を裏切らなかった。

 いつでも、親友として、兄として自分を守り、信じ、家族のごとく愛してくれた。

 

 イタチも同じ気持ちだった。

 

 そんなシスイを…

 

 「オレは…」

 

 シスイの命の灯を吹き消したあの瞬間が脳裏に浮かぶ。

 

 そしてそれもまたイタチの記憶に沿って再現され、消えた。

 

 

 次に見えたのは、暗部服に身を包む自分の姿であった。

 暗部での任務は、そのほとんどが暗殺であった。

 今思えば、任務を命じていたダンゾウは、自分が躊躇なく人を殺せるかどうかを試していたのかもしれない。

 そして、その事に慣れさせるための物でもあったのかもしれない。

 

 目の前で暗部の面を身に着けた自分が人の命を奪う光景に、そんなことを思う。

 

 暗部のイタチはうちはの内情を隠さず里へと報告してゆく。

 だがうちはには、里の情報は流さない。

 流したとしても、さして意味を持たぬことばかり。

 

 そして事は進み、ダンゾウがうちはの全滅を言い渡した。

 

 …この時オレは…

 

 自分がそれを受け入れる光景を目の当たりにし、イタチはグッと唇を噛んだ。

 

 

 こんなことは初めてだった。

 これは夢なのだと、それは分かる。

 だが、こんな風に今までの事を追って見ることはなかった。

 しかも、客観的に自分を見るという夢は初めてであった。

 

 一体これは何なのか…。

 唯一当てはまる言葉と言えば「走馬灯のように」というものか。

 

 「オレは死ぬのか…」

 

 ここへきてようやく自分が暁の任務で力を酷使して倒れた事を思い出した。

 そして、胸中でもう一度『オレは死ぬのか』と繰り返した。

 だがすぐにそれを否定する。

 「いや、オレは死なない」

 

 それは目的があるからという意味ではなかった。

 今のこの状況は、おそらく自分が死に直面している事には違いないのだろう…。

 それでもイタチは自分は死なないと確信していた。

 

 「なぜなら、オレにはあいつが」

 

 その言葉の先を口にする前に、場面が切り替わった。

 それから目をそむけそうになって、イタチは踏みとどまった。

 

 じっと見つめるその先には、静かに座りたたずむ父と母の姿があった。

 

 ここから先は見なくとも分かった。

 それでも、決して目をそらしてはならないのだ…

 

 この時奪った両親の命。そして一族の命から、決して目を反らしてはならない。

 イタチの目の前で、今よりずいぶん幼い自分が両親の死を前に震えていた。

 その背中は自分が思っていたよりも小さく、こうして客観的に見て初めて、この時の自分はまだ子供だったのだと、初めて気づいた。

 

 そうだ。まだオレは子供だったんだ…

 

 小さな手に握られた刀が怪しく光り、母の背に突きつけられる。

 

 目をそらさぬようにするのが必死だった。

 

 

 耐えろ…

 

 

 母の体が静かに崩れ落ち、次に血の付いた切っ先が父を貫く。

 

 耐えろ。耐えるんだ。

 

 

 それは、子供の自分に向けての言葉だった。

 

 もうすぐこの夢は覚める…

 

 あと少しだ。

 

 もう少ししたら、夢の中に花が咲く。

 その花が咲いたら目が覚める。

 

 あと少しだ…

 

 

 夢の中に咲くスイレンの花。

 それが目覚めの合図となっていた。

 

 泣き崩れる自分を見ながらイタチは自身もその花の現れを痛みに耐えながら待つ。

 

 ほどなくして、美しい光が灯った。

 ほっと息をつくイタチの目の前でその光が静かに消え、そこからイタチの待ち望むものが現れた。

 

 しかしそれを目に留め、イタチの安堵が驚きに変わった。

 

 光が消えたあとに現れたのはスイレンの花ではなく、水蓮だったのだ。

 

 「水蓮」

 

 自分と闇しかないはずのこの場所に、水蓮が現れた事に目を見開く。

 こんなことも初めてであった。

 この夢の中に、当事者以外何者も現れたことはなかった。

 

 驚き声の出ないイタチの視線の先で、水蓮が声を上げた。

 

 

 「イタチ!」

 

 両親の屍に縋り付く幼い自分に向けられた声。

 

 それに気づいて震えながら振り向く小さな【イタチ】を水蓮が抱きしめた。

 

 強く、強く抱きしめた。

 

 その腕の中、【イタチ】はギュッとしがみつき大きな声で泣き、光を放ちながら消えて行った。

 

 その光景を見ながらイタチは胸元をグッと握った。

 

 心の奥深くから何かがこみ上げてくる。

 ずっと感じぬように、気づかぬようにしてきたなにかが…

 

 イタチはそれを抑え込もうとさらに力を入れる。

 「だめだ…」

 

 小さくこぼれたその言葉に水蓮の声が重なった。

 

 「イタチ」

 

 ハッとして顔を上げると、すぐ目の前に水蓮がいた。

 「水蓮、なぜ」

 

 水蓮はギュッと胸元を握ったままのイタチの手を取り包み込んだ。

 

 「やっと届いた」

 

 優しく笑んだ水蓮の瞳から涙がこぼれた。

 

 「やっとあなたに届いた」

 

 水蓮が夢に入り込む能力を持っていることを知らないイタチには、それがどういう意味なのかわからなかった。

 だが、ひどくイタチの心を深くついた。

 「イタチ。遅くなってごめんね。待たせてごめん」

 「何を…」

 謝ることがあるのか…

 その問いかけは水蓮の言葉に遮られた。

 「一人で辛い思いさせてごめん」

 「………っ」

 水蓮の両手の中で包み込まれたイタチの手がピクリと揺れた。

 「オレは別に」

 何も辛くなどない。

 

 最期の言葉が出なかった。

 

 水蓮はイタチの手を引き寄せて抱きしめた。

 

 「イタチ。私もそうだった。ずっとそれに気付かないふりをしてきた。でも、それじゃぁダメなのよ。その気持ちも自分の一部だから。だからそれでいいのよ」

 「だめだ。オレにはそんな資格はない」

 それを感じることは許されない。

 「資格なんていらない。許しなんていらない」

 じっとイタチを見つめて水蓮は言葉を続ける。

 「辛いことを辛いって思うことに、資格も許しもいらない。あなたはずっと一人で辛い思いをしてきた。恐ろしい思いをしてきた。それをそう思うことにどうしても許しがいるというのなら、私が許すから」

 

 「水蓮…」

 

 「だからお願い。私が許してあげるから…」

 

 水蓮は強くイタチを抱きしめた。

 自分を包み込むぬくもりにイタチはゆっくりと目を閉じる。

 静かに呼吸をするたびに、いつの間にか力の入っていた体がほぐれてゆく。

 空間を支配していた寒さも、知らぬ間に消え去っていた。

 「私たちはもうそれでも大丈夫でしょ?」

 たとえそれを認めたとしても、もう壊れてしまうことはない。

 

 孤独ではないのだから…

 

 水蓮はイタチの背をぎゅっと握りしめた。

 少しの間をおいて、イタチもゆっくりと水蓮を抱きしめ返した。

 「そうだな」

 

 つぶやきのような言葉に、この場で見た光景が、そして今までの様々な事がイタチの脳裏を駆け廻った。

 

 あの時も…

 

 あの時も…

 

 あの時も…

 

 「オレはそうだったんだな…」

 

 自分はいつも辛く恐ろしかったのだと、イタチは体の奥深くから息を吐き出した。

 

 何かを解放するように。

 

 それでもそこに涙はなかった。

 あったのは、心の底から安堵した笑みだった。

 

 それを目に留め、水蓮もまた笑顔を返す。

 「戻ろう」

 イタチを抱きしめる水蓮の体から暖かい光があふれ広がる。

 それは今までに感じてきた水蓮の温かさとはまた違う…さらに大きく強く、優しいぬくもりだった。

 

 その光があたり一面を白く染め、まぶしさにイタチは目を閉じた。

 

 

 

 夢の中でゆっくりと閉じた瞳を、少しずつ開くと見覚えのない天井がそこにあった。

 そして、体が…

 

 「重い…」

 

 ずっしりとした重みを体に感じ、イタチが視線を動かすと、自分の上に覆いかぶさっている水蓮が目に留まった。

 その力の抜け具合にドキリとし、慌てて水蓮のほほに手を当てる。

 

 暖かい…

 

 「生きている」

 

 水蓮も、自分も…

 

 大きく息を吐き出しゆっくりと体を起こす。

 自分はいったいどれほど眠っていたのか…。

 任務での自分の行いを思い返せば、それが一日二日ではないであろうと考える。

 

 その間ずっとチャクラを注ぎ込んでいたのだろう…

 疲労の深まった水蓮の顔に目を細め、次に自分のてのひらを見つめて確かめるようにぎゅっと握りしめる。

 「やはり死ななかったな」

 小さく笑みを浮かべながら夢の最後に感じたぬくもりを思い出す。

 今までの水蓮の力とは違うその光。

 「九尾か…」

 とうとうその力にさえも目覚めたかと、イタチは「恐ろしいやつだな」と、やはり笑みを浮かべながら水蓮の髪を撫でた。

 その髪を一すくいしてぎゅっと握りしめる。

 先ほどの夢の内容を思い出し、胸の奥が少ししまった。

 

 自分の都合の良い夢だ…

 許される事を望むなど…

 

 「ただの夢だ…」

 

 許されたわけではない…

 

 しかし、イタチの心は今までとは違う何かを感じていた。

 

 それは、夢の中で与えられた安堵感。

 

 目覚めた今も消えぬままのそれに驚きながらも、その心地よさを身にしみこませてゆく。

 

 「それにしても…」

 

 つぶやき、水蓮を見つめる。

 今まで一人で耐えてきたあの夢。

 

 「お前が現れるとはな」

 

 すくい上げた水蓮の髪をそっと口元に引き寄せる。

 

 そこには夢の中と同じ、安心しきった穏やかな笑みがあった。




いつもありがとうございます。
久しぶりのイタチの章ですね…。
今回深く思いを込めたところは、イタチが【あの時】まだ自分は子供だったんだ…と気づくカ所でしょうか…。
イタチはいつも自分の事より、家族や里の事を優先に考えてきたから、客観的に自分を見るようなことはなかったんじゃないかな…と思ったりします。
状況を冷静に判断することはあっても、自分の事を自分中心に考えない。
だから、あんな辛い状況に置かれている自分がまだ子供で、それは普通ではありえない苦しく辛い状況なんだと考えもしなかった。
だけど、それっておかしいんだよ!
子供のやることじゃないんだよ!
そんな当たり前のことを訴えたっかった感じです…。
そして、そこからの解放と、やっと水蓮の手が届いたということで、今回はイタチと水蓮二人ともにひと段落というか、一つ乗り越えたという感じでしょうか…。

年内の投稿はこの話が最後です(*^_^*)
次は年明けに、なるべく早めに更新させていただきたいと思います☆

今年一年、皆様に支えられて頑張れた日々でした。
本当にありがとうございました!
来年も、何卒よろしくお願いいたします(^◇^)

良いお年を…(^○^)


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第八十九章【お前はオレを…】

 久しぶりの事であった。

 水蓮がイタチの夢の中に入ったのは…。

 その夢の中で見たのは、イタチの安心した笑み。

 

 自分の手が過去のイタチに届き、そして今のイタチのその笑顔を見ることができ、水蓮は心の底から安堵してそのまましばし眠った。

 どれほど経ったのか、ふと髪に何かが触れるのを感じゆっくりと目を覚ます。

 その視線の先には自分の髪をすくい上げ、身を起こしているイタチの姿があった。

 

 「水蓮…」

 

 目覚めに気づきイタチが名を呼ぶ。

 水蓮は何も言わぬまましずかに起き上がり、ゆっくりと…確かめるようにイタチを抱きしめた。

 体が少し震えていた…

 

 「…う…」

 

 くぐもった声がこぼれ、涙がハラハラとイタチの肩に落ちてゆく。

 

 イタチ…と、その名を呼びたいのに、喉の奥が締まって言葉が出ない。

 

 代わりにギュッとイタチを抱きしめた。

 まだ小刻みに震えるその体をイタチがしっかりと抱きしめ返す。

 「もう大丈夫だ」

 言葉で返せず、水蓮は何度もうなづく。

 イタチは水蓮の背を撫でながら、いくども「大丈夫」と、そう繰り返した。

 徐々に互いの体温が互いを温め、生きていることを少しずつ感じ合う。

 「お前は大丈夫か?」

 すっかり疲れ切った水蓮のほほをイタチの指がそっと撫でた。

 「うん」

 返したうなづきに涙が頬を伝い、それをイタチが掬い取る。

 「また無理をさせたな」

 「大丈夫。ちゃんと鍛えてるから」

 イタチの声がずいぶんとしっかりとしていることに安心して、水蓮はようやく笑みをこぼした。

 イタチも柔らかい表情を返し、部屋を軽く見まわす。

 「水蓮…ここは」

 「今私の薬を取引してもらってる薬屋。ほら、前に話した…」

 イタチはその言葉に思い当たった顔をする。

 「サソリの残した店か」

 「うん」

 イタチは「そうか」と短く返してもう一度視線をめぐらせた。

 「あいつらはどうした」

 鬼鮫たちの姿も気配もないことに気づき、目を細める。

 「みんな島に…。後始末をしてくるって。でも、そろそろ帰ってくるんじゃないかな…。もう5日経つから」

 「5日…」

 そんなにも眠っていたのかという驚きのすぐ後に、その間ずっと水蓮に無理をさせ、不安にさらしたのかと申し訳なさを感じ、イタチは「すまなかった」と水蓮の手をキュッと握った。

 水蓮はその手を握り返し、ニコリと笑った。

 「私の力はあなたのためにあるって言ったでしょ。私は全然平気だから」

 「水蓮…」

 

 「死にかけてましたがね」

 

 言葉を返そうとしたイタチの声に、別の声が重なった。

 

 同時に視線を向けた水蓮とイタチの目にうつったのは鬼鮫であった。

 「鬼鮫…おかえり」

 その気配に気づかなかったことに、水蓮は自分が思った以上に疲労がたまっていたのだと気づく。

 そんな様子をくみ取り、鬼鮫は水蓮をジトリとした目で見ながら部屋に入ってきた。

 「ちゃんと食べて寝るように言ったはずですがね」

 そうしていなかったのだろうと呆れながら、今度は苦笑いを浮かべて水蓮の頭に手を乗せた。

 「でもまぁご苦労でしたね」 

 鬼鮫は次にイタチに目を向けて、息をひとつ吐く。

 「あなたもですが、あの時九尾の力が発動しなければ、彼女も死んでいた」

 その言葉に水蓮が気まずそうに「はは…」と顔をそむけ、イタチが表情を硬くして「そうか」と短くつぶやいた。

 「まぁ、なにはともあれよかったですよ」

 再び吐き出された鬼鮫のため息に、イタチが言葉を返す。

 「デイダラとトビはどうした?」

 その姿が見えぬことに水蓮も鬼鮫を見る。

 「あの二人はまた別の任務に行きましたよ。あなたに、また手合わせしようと言っていた」

 言葉を向けられて水蓮がうなづく。

 「イタチさんには『勝手に死ぬな』と言ってましたよ」

 イタチは「そうか」とまた短く答えて、小さく笑った。

 それに水蓮が続き、鬼鮫も少し笑った。

 いつもの空気を感じ、改めてイタチが生きていることをそれぞれが実感した。

 「それから」

 鬼鮫が少し表情を硬くして言う。

 「あなたはしばらく休むようにと組織から伝令がありましたよ」

 「…わかった」

 「復帰のめどは、あなたに任せるとの事です。水蓮」

 「え? 私?」

 思わず声を上げる。

 「まぁ彼の治療をしたのはあなたですからね」

 だがそれだけではないのだろうと、鬼鮫もイタチも感じていた。

 しばらく前のデイダラの治療、そして今回のイタチの事。

 献身的なその態度に、ようやく組織からの信頼を得たのだろうとそう読み考える。

 「とにかく、しっかりと休ませてください。肝心な時に動けないようでは困りますからね」

 「わかった」

 水蓮はしっかりとうなづきを返し、内心で安堵の息をついていた。

 自分が判断を下すまでイタチは任務に就かなくていいのだ。

 しばらくは無理をさせずに済む。

 それでも、何かあればやはりそう休ませてはくれないのだろうが、何とかうまくやりすごせばもしかしたら原作の時間を少しずらすようなこともできるかもしれない…。

 

 ほんの少しでも…

 

 一緒にいられる時間を作れたら…

 

 そんな事を考える水蓮の思考をイタチの言葉が遮った。

 

 「お前はどうする。鬼鮫」

 

 ドキリ…と、なぜか水蓮の鼓動が音を立てた。

 その音の奥には重い何かが含まれていた。

 

 「私はもう一度あの島に行きます。少し気になることがある」

 「そうか」

 答えたイタチの声を消すように水蓮が言葉を投げる。

 「だめだよ」

 焦りを隠して静かな声で言ったつもりだった。

 それでもやや強い口調となった言葉にイタチと鬼鮫が顔をしかめる。

 「イタチが回復してから3人で行けばいいじゃない。一人で行くことないよ。危険だよ…」

 最後のその言葉に、鬼鮫が小さく笑みを浮かべた。

 「やはりあなたも感づいていましたか」

 水蓮は無言を返した。

 イタチも何も返さないところを見ると、同じなのだろうと水蓮はグッと手を固く握った。

 

 鬼鮫の気がかりは、あの島の人口獣の動きであった。

 一見やみくもに見えたあの動き。

 それでも地を駆け走ってきた人口獣たちは、上空の鷹の攻撃の余波が消えるのをきちんと読み計っていた。

 そして何より気になったのは鷹が突然現れたことであった。

 

 あの瞬間、イタチと鬼鮫は同じ思考をめぐらせていた。

 

 誰かがあの場に口寄せしたのではないかと…

 

 そして水蓮はしっかりと感じ取っていた。

 

 かすかに何者かの気配が一瞬揺らいだのを…

 

 それらが導き出すのは、あの場に自分たち以外の何者かがいたという事。

 そしてその人物はあの人口獣たちを統率するほどの力の持ち主であるということ…。

 

 あの場ではイタチも鬼鮫も確証がなかったため深く触れはしなかったが、それを調べるために鬼鮫は『一人で行く』と言っているのだ。

 

 「あれだけの数の人口獣が普段おとなしく結界の中に身をひそめ、何事かが起こった際に一気に動く。

 どうにも怪しい…。あの島には何かいる」

 

 鬼鮫はそういって「いや…」と言葉を続けた。

 

 「誰かいる」

 

 イタチがうなづき、水蓮は何かをあきらめたように目を閉じた。

 

 「まぁそれが目的のものかどうかは別としても、調べ上げた方がいいでしょうしね」

 

 鬼鮫の中でまだ任務は終わっていない…。

 

 そして、彼は任務を遂げて戻るのだろう…。

 

 ほんの少しの沈黙が落ち、イタチが「大丈夫なのか?」と鬼鮫に問う。

 鬼鮫はニッと笑みを浮かべて返す。

 

 「どうも最近暴れ足りませんからね」

 

 そして背を向け際に言った。

 

 「一人で行かせて下さい」

 

 それにイタチが「無理はするな」と返し、鬼鮫がうなづいて姿を消した。

 

 

 その際に鬼鮫が残した自信ある表情に、水蓮は確信を重ねた。

 

 

 

 鬼鮫は…4尾を捕獲して戻る…

 

 

 

 ほんの少しだけ開けていた窓から緩い風が入り込み、水蓮の髪を重々しく揺らした。

 

 その揺らぎの隙間から見えた水蓮の浮かぬ表情に、イタチが「心配ない」と静かに言い「鬼鮫なら大丈夫だろう」と言葉を続けた。

 4尾を手中に収められることは決して喜べる事ではないが、イタチはただ鬼鮫の無事についてそう言った。

 水蓮はゆっくりとうなづき、なんとか笑みを浮かべ「そうだね」と返した。

 イタチはしばらく黙り、鬼鮫の気配が完全に離れてから再び口を開いた。

 「水蓮。明日ここを出る」

 「へ?」

 いま目が覚めたばかりだというのにそんな事を言うイタチに、水蓮は思わずとぼけた声で返した。

 「いけるか?」

 水蓮の体調を心配しての言葉だが、水蓮は逆に「大丈夫なの?」と返した。

 「私は大丈夫だけど…今目が覚めたばかりなのに」

 「問題ない。驚くほど体が軽い。九尾の力だろう」

 「そう…。でも、ここを出てどこへ…」

 その問いかけに、イタチは水蓮をじっと見て黙った。

 いつもと違う漆黒の瞳の中に何か強い光が見えて水蓮はどきりとする。

 そこに揺れる決意の色。

 水蓮の脳裏に、風に揺れる竹の葉がよぎった。

 イタチと共に見た幻の様なあの光景…。

 

 ハッと息を飲んでイタチを見つめ返す。

 その視線を受けてイタチはうなづいた。

 「封印を解く」

 「……っ」

 知らず水蓮の体が強張り、力の入ったその手にイタチが手を重ねた。

 

 剣の封印にはどれほどの時間がかかるのかわからない。

 イタチは以前そう言っていた。

 だが今、水蓮が『よし』としない限りイタチは組織から離れられる。

 いわば無期限の休暇のようなものだ。

 しかも鬼鮫も離れている。

 こんな絶好のチャンスはない。

 

 と、そこまで考えて水蓮はまたハッと息を飲んだ。

 

 「まさか…」

 

 目を見開いてイタチを見る。

 そこに何かを感じたのか、イタチはほんの少し視線を外した。

 その動きに水蓮はやはりそうなのだと言葉を続けた。

 

 「まさか、わざと…」

 

 今度こそイタチは完全に水蓮から目をそらした。

 それは水蓮の考えを完全に肯定していた。

 

 今回の任務での事がすべてイタチの策であったということを…

 

 「信じられない…」

 

 水蓮の体がわなわなと震えだし、任務でのイタチの行動が一気に蘇る。

 

 率先して調査に取り組む姿。必要以上にチャクラを使うあの動き。そして人口獣たちとの無茶な戦闘。

 

 それらはすべて、トビへの…マダラへのアピールだろうかと水蓮は考えていた。

 自分の様子を見に来るその動きに対して、『大丈夫だ』と力を見せつけているのかと思っていたのだ。

 だが実際にはそうではなく、この時間を得るための策だったのだ。

 自分が動けぬ間鬼鮫が一人組織のために動こうとするのも計算のうち…。

 すべてを読み考えていたのだ。

 

 「信じられない」

 水蓮はもう一度先ほどより強い声で言った。

 そのまま黙ってじっと自分を見つめる水蓮のその視線にイタチは耐えきれなくなり「すまない」と小さな声で言った。

 「ばか!」

 まるで小さな爆弾が爆発したように水蓮の口から言葉が返された。

 「ばか!」

 繰り返してギュッと布団の端を握りしめ、次に急に力の抜けた声で「ひどい」とこぼした。

 それとは逆に手にはどんどん力が入ってゆき、硬く握られたそのこぶしの上にポタポタと涙が落ちた。

 「水蓮…」

 「ひどい!」

 再び力の入った声でイタチの声を遮り、水蓮は一気にまくしたてた。

 「どれだけ心配したと思ってるのよ!何も言わずにこんなことするなんて何考えてるの!バカじゃないの!信じられない!どういうつもりよ!」

 「お…おい、落ち着け…」

 あまりにも興奮したその様子にイタチが水蓮に手を伸ばす。

 が、その手を水蓮が払いのけた。

 「触らないで!許さないから!絶対許さない!」

 涙でぐちゃぐちゃになった顔でキッとイタチを睨み付け「許さない!」と、もう一度そう言いながら水蓮はイタチに抱き着いた。

 ギュッと力いっぱい抱きしめ、肩を大きく震わせる。

 「ホントに怖かったんだから…」

 「すまない」

 「ホントに死んじゃったらどうするつもりだったのよ…」

 改めてイタチの体温を確かめるように、水蓮はイタチの首筋に顔を摺り寄せてうずめた。

 イタチはやはり「すまない」と返し、「だが」と言葉を続けた。

 「オレは死なない」

 ピクリと水蓮の体が揺れる。

 「なんでそんなこと言えるの」

 実際には死にかけていたのだ。

 水蓮は怒りをまじえてそう返した。

 だがイタチはフッと笑って答えた。

 「お前がいるからな」

 再び水蓮の体が揺れた。

 イタチはゆっくりと体を少し離し、水蓮を見つめて言った。

 「お前はオレを死なせない」

 「イタチ…」

 「そうだろ?」

 じっと見つめられ、水蓮は涙をあふれさせながら黙り込んだ。

 

 イタチは何があっても必ず水蓮が自分を救うと信じて事に及んだのだ。

 

 すべてを…自分の命を託して。

 

 「お前はオレを死なせない」

 

 もう一度繰り返し伝えられた言葉に、想いに、水蓮は「ずるい」と小さな声で言った。

 そんな風に言われては、怒りやそのほかの全てのものをぶつけられなくなる。

 それどころか消えてしまう。

 残るのは…あふれるのは、ただただ愛おしい気持ちだけだった。

 それを確信してイタチは柔らかく笑み、額を合わせて言った。

 「許せ。水蓮」

 「………っ」

 

 ずるい…

 

 それは言葉に出なかった。

 

 水蓮の心うちを見透かしたその笑みは、優しく、温かく、そしてあまりにも幸せにあふれていた。

 それがなぜか悔しくて、それでも表情にはうれしさがにじみそうで、水蓮はそれを隠すように再びイタチに抱きついた。

 「許さない」

 ぽつりとこぼしてギュッと腕に力を入れる。

 「今度やったら絶対許さないから」

 「ああ」

 イタチはまた笑みをこぼして水蓮を抱きしめ返す。

 「もうしない。約束する」

 「約束して」

 

 

 その言葉。耳元で揺れる息。腕の力。そして互いの体温。

 

 

 その一つ一つに、ようやく心の底から安堵が湧き上がり、二人は静かに唇を合わせた。

 

 それでも水蓮の心の中には刻一刻と事態が進んでゆくことへの陰りが射したが、今はただお互いの鼓動を感じ合おうと、イタチの手をぎゅっと握りしめた。




明けましておめでとうございます!
昨年は当作品を支えていただき誠にありがとうございました。
本年も水蓮たちと共に頑張って進んでまいりますので、何卒よろしくお願いいたします
(^v^)
皆様にとって良い一年となりますように
(^○^)


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第九十章 【必要な物】

 翌朝、水蓮とイタチは知り合いのもとで療養するとはるかに告げ、エシロの町を後にした。

 この日は鬱蒼としたこの雨季には珍しく空気はさらっとしており、驚くほどの快晴でそれが逆に切なさを感じさせた。

 

 十拳剣が眠る場所を目指しながら水蓮は知らず知らず色々な事を考え込み、無言のままに足を進めていた。

 

 期限に猶予はあるとはいえいつ組織から何かを言い渡されるかわからない。

 鬼鮫に何かあればそちらも無視はできない。

 様子を見るために誰かがイタチを探すかもしれない。

 封印場所に行くのは人目のない夜の方が良いだろうか。

 あの場所。大地に施されていた封印を解くとどうなるのだろうか。

 うずしおの里の時のように何か入口が現れるのだろうか。

 

 そんな事を次々にめぐらせ、無意識のうちに足取りが早くなってゆく。

 

 「…水蓮」

 

 「…………」

 

 すぐそばでイタチが名を呼ぶが、無言が返される。

 

 「水蓮」

 

 「…………」

 

 やはり何も返さない水蓮にイタチは苦笑いを浮かべた。

 

 「水蓮。待て」

 

 肩に手を置いて歩みを止めると、水蓮は驚き肩を揺らして立ち止まりイタチを見上げた。

 「なに!」

 

 本当に全く聞こえていなかったようで、何事か起こったかのような驚き様。

 イタチはまた苦い笑いをこぼした。

 「いや、大丈夫だ。何かあったわけじゃない」

 「そう。じゃぁ、いこ。急いだ方がいいでしょ」

 途中何があるかわからない。

 水蓮は再び歩き出す。

 そのどこか落ち着かない様子の歩みを、またイタチが止めた。

 「待て。そう急がなくていい」

 「え?でも…」

 「ここからあの場所までは2日あればつく」

 イタチはそっと水蓮の手を取る。

 「ゆっくりでいいんだ。ゆっくり行こう」

 そこには穏やかな笑みがあった。

 「イタチ…」

 「天気もいい。急がず、ゆっくり行こう。景色を見ながら、風に触れながら、途中何かうまい物でも食べて」

 つないだ手をキュッと握りしめて、イタチはやはり穏やかに笑みを浮かべながら続けた。

 「ゆっくり行こう」

 

 なぜかわからない…。

 

 水蓮の目の奥がギュッと熱をこもらせた。

 

 いや、なぜなのかは分かっていた。

 

 こうした時間はもう今よりほかにはないのだ。

 

 里や組織に縛られず、ただただイタチの欲する物を目指すこの時間。

 

 それは本当に、ただの二人旅。

 

 イタチはこの時間を大切にしようとしているのだ。

 

 水蓮は滲みそうな涙を必死に抑えてイタチの手を握り返しゆっくりとうなづいた。

 「そうだね」

 精一杯の笑みを見せた。

 

 最初で最後のこの時間を、大切にしようと思った。

 

 

 始めに立ち寄った町は、初めて行く場所であった。

 町屋風の家が並ぶ上品な雰囲気で、食事処や菓子屋、呉服屋も多くみられそのどれも立派な門構えでいかにも老舗の佇まい。

 着物を着ている人も多く、歴史の深そうな印象に水蓮は思わずあたりをきょろきょろと見まわした。

 「気になる店があったら寄るといい。この町は小物屋なんかも多いからな」

 少し面白そうに笑うその顔に、物珍しげな顔をしすぎただろうかと恥ずかしくなる。

 それでも最近こうして街の中をゆっくりと歩くことが少なくなった為、目移りは止められない。

 「なんか、落ち着いた雰囲気だけどおしゃれだね」

 シンプルな門や戸にも一輪挿しがかけられ花が飾られていたり、繊細な彫が施されそこに少し色が入れられていたり。

 静かな中にもセンスの良い華やかさが見えた。

 「この町は争いには巻き込まれにくいところだからな。ああいったところに気を回せるいいゆとりがあるんだろう」

 イタチはどこか嬉しそうにそう言って話を続ける。

 「ここは3方を山に囲まれていて、残る1方は海だ。それゆえこの町に入るには細い山道を抜けるしか方法がない。防御のしやすい場所なんだ」

 「なるほど」

 確かにここまでの道中、狭くはないが戦闘などで立ち回るには動きにくい山道であった事を思い出し、水蓮はうなづきを返した。

 「比較的安心して暮らせる町だ。なにかを奪われることもそうないから、過去からの物を守りながら新しい物を築いても行ける。つなげてゆける…」

 「つなげていける」

 繰り返したその言葉に、イタチはうなづく。

 「それこそが大切なのだと、オレはそう思っている」

 風がイタチの髪を揺らし、その隙間に柔らかいまなざしが見えた。

 「歴史、文化、教育。先人の教え。そして、想い。それらを守り、発展させ、未来へとつないでいく。そのつながりがいつか平和を作る。そのためにはこの町のような安心して暮らせる場所が多く必要だ」

 「そうだね」

 安心できる場所があるからこそ、人は夢を見、希望を見出し、頑張れるのだ。

 「そのために里は作られたんだろうとオレは思っている」

 ひらりと目の前に舞い落ちてきた木の葉を静かに手のひらに受け止め、イタチは微笑んだ。

 「忍びを育てるための里ではない。こんな時代だから育てざるを得ないが、それだけではない。きっと初代火影は子供が、人々が、安心して夢を抱けるそんな場所を作りたかったんだろうと、そう思うんだ」

 里への想いを馳せるように、イタチはそっと木の葉を風に乗せる。

 「そんな場所が増えれば争いはなくなってゆく。人は不安だから争うんだ。奪われるのではないかという不安が、奪おうとする心を生み、その連鎖が争いとなる。柱間様は、きっとそれを止めようと里を作った。そのために、うちはと千手は手を取り合った」

 

 ぶわぁっ…と強い風が吹き、木の葉を連れて吹き流れてゆく。

 

 「木の葉隠れの里の名は、その時のうちはの族長であった人物が付けた名だ。木の葉の里は、確かに千手とうちは両族の手によって作り上げられた。守られてきた。だがそこにあったのは、一族の名ではない。幼い子供や家族、友人、里の人々の幸せと平和…そして希望溢れる未来を願う想いだ。今はこんな形となってしまったが、その想いは決して消えない。オレはそれを守りたい。平和への想いのもとに作られた里に生まれ、生きる。それが俺の誇りなんだ」

 

 静かに語られたその想いには、深く熱いものが溢れていた。

 

 水蓮はこぼれそうな涙をこらえて、イタチの手を握りしめた。

 その手をキュッと握りかえし、イタチは少し照れたように笑った。

 「まぁ、オレの勝手な考えだけどな。初代様には会った事もないし、全然違うかもしれない」

 そのはにかんだ笑みに、水蓮は小さく首を横に振る。

 「きっとそうだと思う」

 自分はこの世界に生きてきたわけではない。

 祖父である初代火影の話も聞かされたことがない。

 それでも、そう思えた。

 「きっとそうだよ」

 繰り返されたその言葉にイタチは安心したようにうなづいた。

 「お前にそう言われると、自信がつくな」

 「そうでしょ。私は孫ですから」

 水蓮はわざと少しおどけて胸を張った。

 そうして上を向かないと、涙がこぼれそうだった。

 

 それからイタチは歩きながら里や歴代の火影の事を水蓮に話し続けた。

 まるで自分の知識や想いを水蓮の中に残すように。預けるように。

 水蓮はその一つ一つを丁寧に刻み込んだ。

 

 

 しばらく歩き、イタチは裏路地へと足を入れた。

 「ここへきたら必ず行く場所があるんだ」

 一つ道を曲がっただけで景色は大きく変わり、落ち着いた雰囲気はそのままだがずいぶんと簡素な空気を感じさせた。

 人の声はほとんどなく、時折鳥の小さなさえずりが聞こえる。

 日の光が柔らかく降り注ぎ、垣根から枝をのぞかせた木々がゆっくりと吹き流れる風に優しい音を鳴らす。

 そこにはこの世界の争いは一切感じられず、あたたかな穏やかさが二人を包み込んでいく。

 先ほどまで話していたイタチもその空気に身を浸すように言葉を収めて、静かに歩みを進める。

 その隣で水蓮もまた何も話さず歩を合わせ、二人の存在が静けさに溶け込んでゆく。

 ここのような穏やかな場所が一つ一つ増えてゆけば、いつかこの世界からも争いはなくなるだろうか。

 幼い子供が争いに立つことなく、子供らしく生きてゆける。そんな世界になるだろうか。

 過去の悲惨な出来事や、今の忍世界の痛みがまるで物語の中の事のように感じる日が来るのだろうか。

 

 そうなってほしい…。

 

 そうしていかなければならない…。

 

 そのためにイタチは戦っているのだ。

 

 そう考えながら水蓮は空を仰ぎ見た。

 そこには今まで出会ってきた人や、戦ってきた忍。そして命を落とした近しい者の存在が浮かぶ。

 

 きっと、そのすべての人たちが心の奥深くでそれを願って生き、そして死んでいく。

 のちに生きる者に、その想いを託し、繋げて。

 

 それを受け取った人間はどう生きるのか…。

 どう生きるべきなのか…。

 さがし、見つけ、選び。そしてまた繋げてゆく…。

 

 途切れないよう。消えてしまわないよう。

 

 そのためには覚悟が必要なのだ。

 

 水蓮はきゅっと唇を小さくかみしめた。

 

 どんなに辛くても、苦しくても、その痛みに耐え忍び生きてゆく【覚悟】が。

 そして、まだ見ぬ未来に希望を託し、そのために命をも投げ出す【覚悟】が。

 

 

 それが忍なのだ…

 

 

 「ここだ」

 しばらく歩き、イタチが足を止めたのは長い石階段の前だった。

 

 階段の一つ一つに美しい緑色の苔が敷き詰められるように生え、その両脇も緑の草木が空間を埋めており、それらが薄く差す日の光に輝いている。

 時折静かに吹く風が草木を揺らす音以外は何もなく、まるでそこだけ時間が止まっているような…そんな光景。

 神聖さを感じさせるその緑の空間に、水蓮は言葉なく見入った。

 「行こう」

 つい先ほど細い路地を通る際に一度離れた手をイタチが改めて差し出す。

 出会ったころより少し細くなった手には深い傷はないものの消えずにうっすらと残っているものがいくつかある。

 一見柔らかそうに見えて案外固く、そこにはしっかりと鍛え抜かれてきた事と今までの戦いの厳しさが見える。

 だがこうして手をつなぐとき、イタチはその力強さを抑え込み、大げさなほどに力を加減する。

 どこか遠慮しているように。そして壊すまいとするように。

 だけど少しするとその手に力が込められてゆく。

 離れぬように。確かめるように。

 

 そばにいてくれと願い乞うように…

 

 水蓮は差し出されたイタチの手をじっと見つめる。

 

 以前は、この手は血に染まり汚れていると自分に触れようとしなかったイタチが、こうして手を差し出してくれる。

 それが嬉しかった。

 だけどそこには時折、共に染まってくれるか。との問いかけにも似た何かを感じることがある。

 そんな時はいつもより強くうなづきを返す。

 「うん」

 いつもより笑顔で答える。

 「行こう」

 いつもより、強く繋ぎ合う。お互いに。

 

 

 そうして歩き出すと、イタチは安心した笑みを浮かべる。

 

 その笑みも、痛みを刻み込んできたその手も、愛おしくてたまらなくなる。

 

 そしてお互いに【やはりこの人が好きだ】と、実感し合う。

 それを確かめ合うように、二人は時折視線を合わせて笑みを交わしながら、緑の階段をゆっくりと進んでいった。



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第九十一章【痛み合う】

 緑の階段をのぼりきった先に見えたのは神社であった。

 数人の参拝者の姿があり、歩を進める水蓮たちと参拝を終えた年配の夫婦が参道のちょうど中心辺りですれ違う。

 ほんの一瞬目が合い、何とはなしに互いに小さく会釈を交わし、水蓮はその背を見送った。

 その夫婦は仲睦まじく手をつなぎ、特に何かを話すでもなく時折笑みを交わしながらゆっくりと階段を下りて行った。

 

そこには長い時間を共に生きたからこその空気が流れていて、それは自分たちには決して手に入れられない物なのだと…ついそんな事を考えてしまう。

 「行くぞ」

 軽く手を引かれ、再び歩き出す。 

 「ここは、うちはの集落にあった神社とよく似ているんだ」

 「南賀ノ神社だったっけ?」

 以前聞いた名を思い返す。

 「ああ。造りや配置が少し似ていて、つい来てしまう。色々と思い出すこともあるがな…」

 あの夜の事を言っているのだろう。

 それでも来てしまうのは、やはり故郷を求める心があるから。

 「静かできれいな神社だね」

 イタチは少しうれしそうにうなづいた。

 賽銭を用意し、二人並んで手を合わせる。

 そこにある祈りは同じ。

 

 この世界の平和

 

 同じ強さで願われたそれは、祈りというよりは決意にも似た物であった。

 水蓮が想いを込めた瞳を開くと、イタチは静かなまなざしでまっすぐ前を見つめたまま佇んでいた。

 無意識につなぎ合わせた手にほんの少し力が入り、イタチの心にある緊張が伝わってきた。

 

 自分が死ぬことに対してではない。

 

 自分の命が持つかどうか。その不安を感じているのだ。

 

 「大丈夫だよ」

 イタチと同じように前を見つめたまま水蓮がそう言った。

 「私がいるから。大丈夫」

 力強いその言葉にイタチはうなづきを返して「行こう」と水蓮の手を引いた。

 「この先にある街まで行って、今日はそこで宿を取ろう。そこも争いからは少し離れた場所だ」

 だから宿での宿泊は問題ないと、イタチは笑った。

 その街には豆腐と魚料理で有名な宿があるらしく、そこが空いていたらそこにしようという話になり、複雑な状況ながらに水蓮は少し楽しみを感じた。

 「南賀ノ神社は子供たちのいい遊び場だった」

 まだ時間が早いこともあり、イタチは少しだけ神社を見て回ろうと歩きながら思い出をよみがえらせた。

 「小さな森につながっていてな、春はつくしを取って、夏は蝉やクワガタを捕まえて、秋には木の実を拾って、冬には集めた落ち葉で焚き火をして芋を焼いて。うちはの人間の思い出には必ずあの神社があった」

 イタチが思い出を語る時には、必ず痛みが伴う。

 それを聞く水蓮の胸にも。

 それでもイタチは誰かに話せることを、水蓮はそれを受け止められる事を、二人は確かに喜びとして感じていた。

 「祭りもいくつかあった。新しく年を迎えるときには甘酒がやぜんざいが配られて賑わうんだが、一番盛り上がるのは神楽殿(かぐらでん)での組手の模擬だ。普段は巫女の舞や神楽を奏でるために使われる場所なんだが、年に一度その場所で組手が行われる。そこに立てるのは十歳から一八歳の者の中から二人。族長が選ぶ。一族の繁栄を祈り、皆が強い心で、強い力で進んでいけるように戦う。最後は年が上の者と族長が手合わせをできるんだ。そこに立つことが子供たちの夢だった…」

 イタチは「オレも」とつぶやき、神社の中ほどにある神楽殿の前で立ち止まった。

 やはりこれも似ているのか、じっと見つめるその目には懐かしさや切なさ、痛みが浮かんでいた。

 

 思い出すことは辛いだろう。

 それでもその痛みを受け止め感じることで、イタチは自分がまだ生きていることを実感しているのかもしれない。

 この痛みがある限り、自分がまだ死なずにちゃんと生きていると。

 そうして安心を得ているのかもしれない。

 サスケと戦えると。

 

 水蓮はつないでいた手を少し緩めて指を絡め合わせてギュッとつなぎ直した。

 

 イタチが感じる痛みごと、それを受け止め感じようと…そう思った。

 

 それが、自分がイタチと共に、今ここに生きている証なのだと。

 

 そしてイタチもまた水蓮の手を握り返して思う。

 

 自分の痛みを水蓮に背負わせることで感じる痛み。

 それが二人で生きている事の証明なのだと。

 

 共に痛みを分かち合える事こそが、本当の強さなのかもしれない。

 

 それを見つけたとき、その痛みすらも愛おしいのだという事を、二人はともに感じ合っていた。

 

 

 少し湿り気のある風が神楽殿の中を吹き抜け、長い年月の中で色褪せはじめた床を柔らかいながらにも重さを含んだ日の光が照らした。

 

 そこに揺れ広がる切なさの中に、技を合わせる嬉々としたイタチとサスケの姿が見えたような気がした。

 

 

 

 それからは静かな空気を感じながら神社の中をゆっくりと一回りし、二人はもと来た道へと足を向けた。

 「くだりは少し滑りやすいから気をつけろ」

 先ほど上ってきた緑の階段。

 一歩降りようとして二人はふと何かの気配を感じ足を止めた。

 それとほぼ同時に、シュッと鋭い音を立てて水蓮とイタチの足元を何か小さなものがすさまじいスピードで横切った。

 「……ネコ?」

 ほんの一瞬見えたシルエット。

 おそらくネコだろうと思った水蓮にイタチがうなづく。

 「だが今のは…」

 「ひよ丸~!」

 何か言いかけたイタチの声に幼い少女の声が重なり、ほどなくして水蓮たちの前に姿を見せた。

 少し背の高い垣根を音たたせながら現れたのは、7歳ほどの可愛らしい少女。

 「あ、あの…」

 くりっとした大きな瞳で水蓮とイタチを捉え、タタタ…っと小走りに駆け寄ってきた。

 「ネコを見かけませんでしたか? 茶色のしましまの、これくらいの」

 両手で大きさを示し、すがるように水蓮を見つめる。

 「たぶん今あっちに走って行ったのがそうかな…」

 「だが、かなりのスピードだったからな。追いつくのは無理かもしれない」

 二人がネコの消えた方に視線を流し、少女もそれに続いて大きくため息をついた。

 「また逃げられた…」

 「また?」

 思わず言葉を返した水蓮に少女がうなづいた。

 そのうなづきに、きれいな白銀の髪がさらりと肩の上で揺れた。

 「六花のこと嫌いなのかなぁ」

 たびたび逃げられてかなり落ち込んでいるのか、大きな目を潤ませる。

 今にも声を上げて泣きそうで、あわてて水蓮が姿勢を落として声をかけた。

 「六花ちゃんっていうのかな?」

 「うん」

 水蓮は六花の頭をそっと撫でてニコリと笑った。

 「私も一緒に探してあげる」

 「ほんと?」

 パッと嬉しそうな表情を見せる六花にうなづきを返し、水蓮はイタチを見上げた。

 イタチはどこか少し呆れたような、諦めたような、それでいて優しい笑みでうなづきを返した。

 「なにか、その猫が普段身に着けているものはあるか?」

 水蓮の隣にしゃがみ、視線の位置を六花に合わせてイタチがそう問うと、六花はポケットから「これ」と小さな鈴を取り出した。

 「さっきひよ丸の服からはずれたの」

 「服着せてるの?どんな?」

 それなら案外すぐに見つかるかもしれないと、水蓮はその特徴を聞き出す。

 「赤いちゃんちゃんこだよ。背中に黄色い丸の模様が入ってるの」

 「わかった」

 「鈴を借りるぞ」

 鈴を受け取りイタチが立ち上がる。

 続いて立ち上がった水蓮にイタチはその鈴を手渡した。

 「水蓮。感知の力でこの鈴からネコの場所を割り出すんだ」

 「え?」

 鈴とイタチの顔を交互に見て水蓮は戸惑った。

 今までに水蓮が行った感知では、特定の人物を割り出すには相手のチャクラを事前に知っている必要があった。

 知りえぬものに関しては、対象物のチャクラの大きさや距離は計れてもその実態までは調べきれない。

 「どうやって?」

 首を傾げる水蓮にイタチは「探るんだ」と、水蓮の手を包んで鈴を握らせた。

 「感知の力で割り出せるのはチャクラだけではない。この鈴に残るネコの気配を感知するんだ」

 「気配…」

 「チャクラを探るより少し高度で難しいが、お前の力なら可能だろう。集中しろ」

 水蓮は小さくうなづいて目を閉じ、チャクラをコントロールし手のひらに集中させる。

 

 気配を探る…

 

 少しずつ水蓮の感知の力が一点に集まって行き、小さな渦を描くようにして鈴を包み込んでゆく。

 何も感じなかったその鈴から、少しずつ。しかし確かに何かがわき出ではじめる。

 薄い煙のような、光のような何か。

 「これが…」

 小さな水蓮のつぶやきにイタチが「そのまま続けろ」と声をかける。

 開きそうになった目をグッと閉じ直し、水蓮はそのまま集中を深める。

 鈴からあふれた光はしだいに細い糸のようなものとなり、すぅっと伸び進みだした。

 それに反応して水蓮の体がピクリと揺れ、状況を把握したイタチが「たどれ」と言った。

 言われたままに気配の糸をたどり、水蓮はパッと目を開いた。

 「見つけたか?」

 「うん」

 しっかりと糸の先に探しネコの気配を捉えきり、水蓮はうなづいた。

 「割と近い。少し先にある大きな木の上」

 「こちらの動きに気付いているか?」

 「ううん。なんか…くつろいでるっぽいけど…」

 感知したネコから感じる空気は随分とのんびりとしている様子で、こちらが感知していることを感じてはいないようであった。

 「よし」

 イタチはすっと腰を落とし、落ちていた木の枝で地面に何かを書き出した。

 「作戦だ」

 それぞれの動きを説明しながら書き進めるイタチの顔は、どこか楽しそうな色を浮かべていた。



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第九十二章【ネコ探し】

 先ほどの神社を一度出て、水蓮たちは六花を残し、迂回してネコのいる場所へと向かっていた。

 目的の猫はすっかり油断しているらしく、移動することもなくその場でくつろいだ空気のままであった。

 

 「アカデミーを卒業した後、下忍になってすぐにネコ探しの任務が来るんだ」

 立ち並ぶ木々の間を歩きながらイタチはそう話し出した。

 確かナルトの班もネコ探しをしていたなと、水蓮は思い出す。

 どんな猫だったかはっきりと思い出せないが、飼い主が派手な太った女性だったことだけは覚えていた。

 「実はその猫忍猫なんだ」

 「え?そうなの?」

 「ああ。飼い主は里の上忍だ。前線からはもう離れているがな」

 「え…っ」

 思わず大きな声を上げそうになり、水蓮は慌てて口を押えた。

 

 あのおばちゃんが上忍…

 

 とてもそうは思えないが、イタチが言うならそうなのだろう。

 変化している可能性もある。

 

 となると…

 

 「じゃぁ、ネコ探しの任務は…」

 「里のテストのようなものだ」

 「そうなんだ…」

 「他にも色々ある。犬の散歩、迷子さがし、畑仕事や、留守番。それらはDランク任務とされているが、半分以上が里からの、いわゆる新人の力試しだ。単純な内容だからこそ、重要な事柄が見える。誰が作戦を立て、誰がどう動き、誰がまとめあげるのか」

 イタチはそう言って少し懐かしそうに笑った。

 「この事を知ったのは暗部に入ってからしばらくたっての事だ。知っているのは里の上層部と暗部のごく一部。だから、秘密だぞ」

 「わかった」

 そう返したものの、自分が木の葉の下忍や誰かとそんな話をすることはない。

 それでも水蓮は「誰にも言わない」とうなづき、少しうれしくなった。

 イタチとの共有の秘密は多くある。

 だが、どれも辛く痛みを伴う物ばかりだ。

 そのなかで、里の若葉を育てるための秘密の共有は、どこか希望の光を感じる。

 「その任務のこなし具合を観察し報告するのも、暗部の仕事の一つだった。その内容を見て、班に見合った進め具合でランクを上げていく期間を決めるんだ。もちろん、状況によってはその通りに行かないことも多々あるがな」

 「結構ちゃんとしたシステムだね」

 若い忍の育成に力を入れていることが伺え、水蓮は関心の息をついた。

 「ああ。驚くべきは、この流れは初代火影の柱間様が考え、今まで引き継がれ続けてきたということだ」

 「そんな昔から…」

 「そうだ。里が創設されたころ、いや、その随分前からこの世界は今よりも大きな戦が数多くあった。今のように忍び里がきちんとあったわけではなく、統率と言えるようなものではない集まりがそれぞれに権力を欲して争い続けた。多くの命が奪われ、どこにおいても人材が不足してゆき、幼い子供が戦場に送り出された。10歳にも満たないような子供までな…」

 イタチはグッととこぶしを握りしめ、話を続ける。

 「未熟なまま戦に立ち、なぜ戦うのか、なぜ殺すのか、なぜ殺されるのか。何一つわからぬまま消えた命は数え切れないだろう」

 知らぬ間に、水蓮も固く手を握りしめていた。

 「その悲惨な状況を打破するために、柱間様はこのシステムを考え出した。まだまだ子供が戦場に立つことは避けられない。だけど、せめて己の命を守れる力を身につけさせてからと、そのためのはじめの一歩を踏み出したんだ。そこには、想像を絶する苦労と苦心があったに違いない。何事においても、始めに踏み出す一歩はそれを担う人の背に、計り知れない痛みが課せられるものだ」

 水蓮は無言でうなづいた。

 目的の場所に近づいたこともあり、二人はそれから無言で進み、ふと水蓮が足を止めた。

 「気づいたみたい」

 こちらの気配に気づき、ネコが警戒の色を発しているのを感じ取る。

 「そのようだな」

 イタチも感じたのか、うなづきを返した。

 そしておもむろに声を上げた。

 「ひよ丸。出てこい」

 「…え?」

 思いがけないイタチの行動に水蓮は戸惑った。

 作戦の一つ目はイタチがネコの気を引くという物だった。

 どうするのかと思ってはいたが、まさかいきなり呼びかけるとは思っておらず水蓮は動揺した。

 「ちょっと…イタチ…」

 驚く水蓮にイタチは「任せておけ」と返してまたネコに呼びかけた。

 「早く出てこい」

 飼い主の六花から逃げてきたような猫が、飼い主でもないイタチの呼びかけに答えるとは思えない。

 水蓮はそれでもただ黙ってイタチに従った。

 イタチはそれ以上何も言わず、静かにネコを待つ。

 そんなイタチの前に、ネコは素直にその身を現した。

 「…え?なんで…って、このネコ!」

 水蓮の戸惑いのつぶやきは、一瞬で納得へと変わった。

 二人の前に現れたネコは、六花の話にあった風貌で、身に着けた赤いちゃんちゃんこには黄色い丸の模様。

 そのちゃんちゃんこを風に揺らしながら、その猫は二本足で立ってこちらを見ていた。

 「忍猫?」

 イタチは「ああ」と短く答えて、忍猫に語りかけた。

 「やはりお前か。ひよ丸」

 「イタチか?ずいぶんと久しぶりやな」

 少し関西弁に近い訛りのある口調で返し、ひよ丸はちょこんとその場に座った。

 「なんでお前がここにおるんや?」

 「成り行きでな。お前を捕まえるのを手伝うことになった」

 ひよ丸は「はは」と軽く笑った。

 「六花におうたんか?」

 「ああ。お前あの子に飼われてるのか?」

 「まさか…」

 嫌そうな顔で溜息をつき、ひよ丸が一つ伸びをする。

 「そんなわけあるかいな」

 「じゃぁなんであの子はお前を捕まえようとしてるんだ」

 ひよ丸はその問いかけに、にっと笑いを返した。

 「それは、ワイを捕まえたら教えたる」

 言葉の終わりと同時にひよ丸が飛びあがり、隙を見て伸ばしたつもりの水蓮の手が空をきった。

 「あ!」

 

 …早い…

 

 「残念やったなねぇちゃん。なかなかええ動きやったけどな」

 頭上から落ちてきた声に顔を上げると、ひよ丸は元いた木の上から水蓮たちを見下ろし、ニシシと笑った。

 「ほなな」

 ザッと枝を蹴り宙を飛ぶ。

 その動きは素早く、とても追いつけそうにはない。

 それでもイタチは慌てずフッと小さく笑った。

 「次の作戦だ」

 水蓮はうなづき、影分身3体を作り地を蹴り駆けだした。

 四方に展開して感知を張り巡らせる。

 触れた気配は3つ。あちらも分身を作り攪乱してきている。

 それでも、本体を見分ける力はすでに完璧に出来上がっている。

 「本体はこっち」

 「わかった」

 イタチと共にひよ丸の本体を追う。

 二人の気配に気づき、ひよ丸は分身は通用しないと悟ったのかそれらを消し、スピードを上げて木々の間を移動し始めた。

 それに合わせて水蓮の影分身もスピードを上げ、ひよ丸の進行方向に回り込む。

 感づいたひよ丸は逃げることをやめて地面に降り立った。

 「ふむ。なかなか早いがな」

 にやっと笑うひよ丸の周りを水蓮の影分身が囲みこむ。

 「大人しくつかまってもらうわよ」

 本体とイタチも合流し、ジリッと距離を詰める。

 「そう簡単にはいかへんで」

 ザッと土を音鳴らせてひよ丸が後ずさり方向を変えようとしたとき、右手の木の陰から六花が姿を現した。

 「ひよ丸!」

 ぐるりとその身を囲まれて、ひよ丸は一瞬足を止めたがグッと足に力を入れて六花の方へと跳躍した。

 「…っ!」

 慌てて六花が手を伸ばす。

 が、それをひらりとかわしてひよ丸が六花の体を超えてゆく。

 「残念!ほな、またな」

 勝ち誇った声と笑みでこちらを少し振り向く。

 しかしその笑いに、ヒュッ…ヒュッ…と何かが風を切る音が重なり、異変に気付いてそちら…進行方向を見たひよ丸の目の前でパン…っと何かが小さな音を立ててはじけ、粉が巻き広がった。

 「…っ!」

 驚きの息でその粉を一気に吸い込み、ひよ丸の体が失速してふらりと落下する。

 「これは、またた…びぃぃぃぃ…」

 だらしのない声を上げながら落ち行くその体は、落下地点に向かって走っていた六花の腕の中にすっぽりと収まった。

 「捕まえた!」

 ひよ丸をぎゅっと抱きしめて嬉しそうに笑う六花のもとへ水蓮とイタチが歩み寄る。

 「イタチ。おまえ、マタタビもっとったんか…」

 必死に恨めしそうに言おうとするものの、マタタビの効果で何とも幸せそうな声と顔。

 イタチは「ハハ」と面白そうに笑ってひよ丸の頭を撫でた。

 「あの状況でお前が突破できる可能性が一番高い逃走経路はこの子だ。向かう先が決まっていればあとは簡単さ」

 「…くっ…」

 ひよ丸は悔しさで顔をそむけた。

 

 わざと六花という逃走経路を作りそこに向かわせ、イタチがひよ丸の前にマタタビを包んだ布袋を投げ、それを水蓮がクナイで砕く。

 

 それがイタチの立てた作戦であった。

 イタチの言うように相手の行き先が分かっていれば容易な動きであった。

 それでもイタチの投げた布袋をうまくクナイで狙えるかどうか心配であった水蓮は、成功したことにホッと息をついた。

 そんな水蓮にひよ丸は目を向けぬままではあったが、小さな声で「ねぇちゃん、ええ腕しとるわ」とため息をこぼし、マタタビの効果を受け入れて完全に脱力し、六花にその身を預けた。

 水蓮が「どうも」と一言お礼を返して影分身を解き消し、イタチがひよ丸の頭を再び撫でて言った。

 

 「任務完了だな」

 

 柔らかい風が吹き、ふわりとなびいたイタチの髪の合間に、楽しそうな笑顔が見えた。



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第九十三章【額あて】

 無事にひよ丸を捕まえた水蓮たちは、お礼にと食堂をしている六花の実家へと招かれ昼食をごちそうになっていた。

 六花のおすすめだという生姜焼き定食を満足げに食べる二人の向かいには、むすっとしたひよ丸。

 マタタビの効果もすっかり消え、恨めし気にイタチをにらんでいる。

 「そう睨むな。お前の油断だろ」

 イタチが笑い交じりにそう言ってご飯を口に入れる。

 ひよ丸もデンカやヒナと同じようにネコ婆のところに出入りしている忍猫らしく、子供のころからの顔見知りという事もあり、イタチの口調は随分砕けている。

 「ほんま余計なことしてくれたな。イタチ…」

 深く吐き出したため息の先には、店の手伝いをする六花の姿。

 「それで、お前どうしてあの子に追いかけられてたんだ?」

 食事を終えて、イタチは改めてひよ丸に聞く。

 ひよ丸は目を細めて再び深い息を吐き出した。

 「サスケのせいや」

 「……っ?」

 思いがけないその名前に、イタチと水蓮は息を飲んで顔を見合わせた。

 「一年位前の話や。六花は妙な連中に狙われとったんや」

 「なぜあの子が?」

 イタチの問いかけにひよ丸は声を極限まで抑えてひそめた。

 「あいつは氷遁の能力者や」

 「あの子が…」

 ピクリとイタチの眉が跳ね上がる。 

 「まぁまだ自分で力を操られへんけどな。どうも偶然発動したんを厄介な連中に見られとったみたいでな。六花をさらいに来たんや。それを、たまたまこの町に来とったサスケが助けた」

 「あいつが…」

 イタチのつぶやきにひよ丸がうなづく。

 「で、その時に、これまたたまたまこの町に来てたワイに、無理やり口寄せの契約させよったんや。六花とな」

 「口寄せの契約を? サスケがおまえに?」

 「そうや。六花と慣れ合う必要はない。せやけど、あの子の呼びかけには必ず応えて、命に危機が迫った際には守れってな」

 「そうか…」

 口元に少しだけ笑みを浮かべてイタチは六花を瞳に映す。

 「まぁ、血継限界同士やしな。気になったんやろ。ワイはめちゃくちゃ嫌やったけどな。口寄せの契約はこっちが認めた奴としかホンマやったらせぇへん。せやけど、あの時サスケにちょっと借りを作ってしもてな。しゃぁなしや」

 ぷいっとそっぽを向いた先に六花の姿が入り込み、それに気づいた六花がひよ丸にひらひらと手を振った。

 ひよ丸はげんなりした表情で「友達か」と突っ込んで頬をひきつらせ、さらにそっぽを向いて顔をそむけた。

 「いいコンビに見えるけど」

 水蓮の言葉にひよ丸がいら立ちを見せたが、イタチが「そうだな」と言葉を重ねた。

 「おまえ、案外あの子のこと気に入ってるんだろ?」

 「はぁ? んなわけあるか!」

 図星なのがまるバレの様子で、ひよ丸はあたふたと返す。

 「あ、あんななんもできへんがきんちょ、だれが! しかもあいつ、ワイと仲良くなりたいとか言うてしょっちゅうなんもないのに呼び出しよるんや! ええ迷惑や」

 「だが、呼ばれたからと言ってずっとそばにいる必要もないだろう。お前らはいつでも帰れるんだからな。己の意思で」

 それでもそれをしないということは、ひよ丸は自分の意思でそばにいるという事なのだ。

 そう指摘されてひよ丸は動揺しながらも目を吊り上げ必死に取り繕う。

 「ちがう! そ、それはあれや! あいつに条件だしとるからや! どんな手を使ってもええから、ワイを捕まえられたら仲良くしたるってな」

 釣り上げたままの目でひよ丸は水蓮とイタチをにらみ「お前らのせいやぞ」と恨みがましくこぼした。

 「どんな手を使ってもか」

 「じゃぁ、今回私たちが手伝ったことも条件内ってことだよね」

 二人の視線を受けてひよ丸はがっくりと肩を落としてため息をついた。

 「まさかイタチが絡んでくるとは思いもせんかったからな…」

 だがひよ丸はその愚痴を「いや…」とすぐに否定した。

 「もともとはサスケが原因や。イタチが絡んでくることは頭に入れとくべきやったんかもしれへんな」

 その言葉にイタチがほんの少し首をかしげる。

 ひよ丸はあきらめたような、そして、どこか懐かしげな笑みでイタチを見つめて言った。

 「兄弟ってのは、そういうもんやろ。それはお前らの世界でも、ワイらの世界でも同じや。切っても切れへんもんがある。どうやっても、どっかで繋がるもんや。違うか?」

 イタチはその言葉をかみしめるように少し間を置き、嬉しそうに、少しさみしそうに微笑んでうなづいた。

 「そうだな…」

 

 切っても切れない…

 

 その太く硬い糸を、イタチは切るための戦いをしているのだ。

 誰にもわからぬ場所で、誰にも知られることなく…

 

 水蓮は手元にあった湯呑をぎゅっと握りしめた。

 中の茶はすっかり空で、湯呑の冷たい感触が手のひらに広がった。

 

 「せやけど、あれやなイタチ。なんやお前らややこしいことになっとるみたいやな」

 サスケから何か聞いたのか、イタチを見る目は複雑な色を浮かべている。

 「まぁ、わいらにはお前らの世界の事は関係ないけど…」

 さも興味なさそうな口調。

 だが、それとは逆に瞳に浮かぶ色が何か強さを増してゆく。

 「お前がなんも考えなしに動くやつやないっちゅうのんはわかってるつもりや。お前が家族をどんだけ大事にしとったかもな。ネコ婆んとこにおる忍猫はみんなそうや」

 ピクリ…とほんの少しイタチの体が揺れた。

 「お前のやった事やる事が何であれ、お前を見る目は一つやない。まぁ、それは忘れんな」

 

 すべての目がイタチを否定する物ばかりではない…

 

 許されぬイタチの罪の中に、かすかにでも別の何かを見出そうとしてくれる存在がいる…

 

 それがどんなに小さな物でもこの世にその想いがあるという事が、イタチの心をどれほど救うか…

 

 グッとテーブルの下でイタチがこぶしを握りしめるのが見え、水蓮はそこに自分の手を重ねた。

 そしてひよ丸に向けて、声を合わせた。

 

 『ありがとう』

 

 ひよ丸は「はは」と小さく笑ってすっと立ち上がった。

 「なんや、心配いらなさそうやな」

 ちらりと水蓮を見たひよ丸にイタチが「ああ」と笑い、ひよ丸もニッと笑った。

 「ほな、ワイは帰るわ。そろそろ時間切れや」

 「あ、待って!」

 背を向けようとしたひよ丸を水蓮が慌てて止める。

 「ネコ婆様とヒナとデンカに伝えて。私たちは元気だって。大丈夫だからって」

 「ああ分かった。会うたら伝えるわ」

 そして今度こそ背を向ける。

 その気配に六花が気づき、走り寄ってくる。

 「ひよ丸、もう帰るの?」

 「お前の少ないチャクラではもう限界や。まぁ、次はちょっとくらいしゃべったる。一応約束やからな」

 フイッとまたそっぽを向くが頬が少し赤く見え、これから更にいいコンビになっていくのであろう事が感じられた。

 「ほな、またな」

 ひよ丸は少しも振り返らず、ボンッと小さな音を立てて消えた。

 「つまんない…」

 六花は小さな頬をプクリと膨らませたが、水蓮たちの湯飲みが空になっていることに気づき、「どうぞ」と手に持っていた急須からお茶を注いだ。

 水蓮とイタチはまた『ありがとう』と声を重ね、湯呑を両手で包み込む。

 

 二人のてのひらにあたたかいぬくもりが広がり、そのぬくもりが心にも静かに染み入った。

 

 

 

 その後二人は食後の甘味もごちそうになり、六花と別れ次の町を目指した。

 夜は予定していた宿に泊まり、イタチお勧めの豆腐と魚を使った創作料理を食べ、これまでになくゆっくりとした時間を過ごした。

 昼間にサスケの話が出たこともあり、イタチはサスケとの思い出をいくつか語った。

 

 修行の話や、くだらない理由で喧嘩したこと。

 サスケの好きな食べ物や、嫌いな物。

 じゃんけんをするときは必ず初めにチョキを出すこと。

 どうしてもとせがまれて、家の庭でテントを張って野営の真似事をしたこと。

 その時は親友のシスイも混じり、本当に楽しかったと、イタチは笑った。

 

 どれも他愛のない話であった。

 それでも、そのすべてには愛おしさが溢れていた。

 

 

 最後に話したのはイタチの額あての話だった。

 金属部分のちょうど裏側に、フェルト生地のようなもので作られた赤い丸と緑の丸い布が縫い付けられていた。

 作ったと言っても丸く切っただけで形もかなりいびつ。

 それは幼いサスケが自分の好きなトマトとイタチの好きなキャベツに見立てて作った物で、母親がお守りにと縫い付け、翌日の任務に行く際には父親が額あてを結んでくれたのだと嬉しそうに話した。

 イタチにとって、額あては家族を結ぶものであり、自分と里を結ぶもの。

 そしてそこにつけられた傷は、決して痛みから逃げないとの誓いと、何があっても里を守って見せるという決意の証。

 いつの時もその額あてが…。そこに刻まれた思い出が自分を支えてくれたのだと語った。

 

 長く使いこまれたその額あてはところどころ布が擦り切れ、サスケの作った二つの丸も頼りなさげになっていた。

 水蓮はほころびを繕い、赤と緑の丸をしっかりと付け直した。

 けっして離れぬよう、丁寧に糸を通した。

 きれいに直し終えた額あてを受け取り、イタチは嬉しそうに笑って言った。

 

 「お前も仲間入りだな」 

 

 その笑顔の後ろでは夜が深まり、沈まなければいいのにと思った月が沈みを見せ始めていた。

 

 そして次には、昇らなければいいと願った日が昇り、朝が来るのだ。

 

 その進みを止められないように、自分たちも歩みを止めてはならない。

 イタチの描く、まだ見ぬ未来へと向かって。それを信じて、しっかりと歩いてゆかねばならない。

 

 どんなに辛くとも、どんなに苦しくとも。

 

 水蓮はイタチの手から再び額あてを取り、それを自分の額につけた。

 なぜかは分からない。

 それでも、自然とそうしたいと思ったのだ。

 戸惑いながらその様子を見つめるイタチに、水蓮は「似合う?」と少しだけおどけて見せた。

 イタチはどこか複雑な笑みを浮かべたが、それでも最後には少しうれしそうな顔を見せた。

 「ああ。よく似合う」

 すっと手を伸ばし、木の葉の証につけた傷をなぞる。

 その指で水蓮のほほを撫で、イタチは口づけを落とした。

 

 

 

 …二人を見守るように、月がゆっくりと沈んでいった…



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第九十四章【たった一人の…】

 清らかに流れる小川のせせらぎが、柔らかく吹く風の中に心地よく溶け込んでゆく。

 昨日にもまして天気は良く清々しさ溢れる朝だが、やはりどこかに切なさを感じさせる。

 それでも耳に触れる水の音に確かな安らぎを感じながら水蓮とイタチは川沿いの道を並んで歩いていた。

 

 川幅はさほど広くはないが、水面から1メートルほどの高さにある沿道に沿って立つ樹木の緑を、美しい水がくっきりと映し出し雄大さを醸し出している。

 

 桜…柳…楓…椿。

 

 どの季節にも美しい光景を織りなすのであろうと、水蓮は目にうつる木々の四季の姿を想像しながら歩みを進める。

 少し先に白い鳥が静かに降り立った。

 控えめで上品な音を奏でる水流の中で、羽を一度大きく伸ばしてからたたみ、水を一すくい口に含んでその疲れを癒す。

 和やかなその光景に思わず表情がほころぶ。

 しかし、次に目に入った光景に、瞳に少し影が差した。

 

 美しさを競うように咲き並ぶ、色とりどりの紫陽花…

 

 

 3度目の紫陽花…

 

 

 「満開だな」

 歩みを止めてイタチが紫陽花を見つめる。

 「そうだね」

 再び足を進め、イタチは「少し休むか」と近くにあったベンチに目を向けた。

 ちょうど先ほどの鳥の前。

 二人の気配を感じその鳥が飛び立つ。

 はばたきに、紫陽花が揺れた。

 「一番好きな花だ」

 座りながらイタチがつぶやくように言った。

 「いくつもの小さなものが集まり、美しさを作り上げる。力を合わせて形を成し、人の心を和ませる。そういった花は他にもあるが、気分が沈みがちな雨季に様々な彩で咲く紫陽花が、いちばん好きだ」

 本当ならイタチもこの紫陽花のように、たくさんの人に囲まれ、包まれて生きるべき人なのに…

 そんな想いと共にイタチにそっと体を寄せる。

 「平和…」

 ぽつりと水蓮の口から言葉がこぼれた。

 「ん?」

 首を傾げたイタチのしぐさが少しかわいく見えて、水蓮は小さく笑う。

 「紫陽花の花言葉」

 以前読んだ本から思い出す。

 「団結とか強い愛情とか色々あるんだけど。平和。それがいちばん合うかなって…」

 「平和か…」

 「うん」

 イタチが最も望むもの。

 「ますます好きになった」

 嬉しそうに笑うその顔を、水蓮は瞳に焼き付けた。

 

 二人で静かに川面を見つめる。

 時折流れてゆく小さな紫陽花の色。それに驚き泳ぎ隠れる小さな魚。石垣の隙間から咲き出でる花。

 

 静かな風が吹き流れる…

 

 その風の行方を目で追いながら、水蓮は思う。

 

 ずっとこのままここにいたい。二人で…

 

 

 春には桜を見ながら甘いものを食べて

 

 紫陽花を飽きるほど見て、揺れる柳の下で夏の暑さをしのぐ

 

 秋は、川面を流れる紅葉をこうして二人でゆっくり眺めて

 

 冬、真っ白に染まった雪景色を、手をつないで体を寄せ合って、互いのぬくもりを感じながら歩く…

 

 そんな風に過ごせたら…

 

 

 叶わぬと分かりながら、つい物思いにふける。

 

 「思索の道」

 「え?」

 先ほどとは逆に、イタチのつぶやきに水蓮が首をかしげた。

 「この道は、ある哲学者が思索を巡らせながら歩いたことから【思索の道】とも呼ばれているらしい。まぁ、この情景だからな。物思いにふけたくなるのは哲学者ばかりではないだろうがな。今のお前とオレのように…」

 ぽん…と、水蓮の頭に手を乗せて微笑む。

 イタチも同じように考えていたのだとその笑顔から想いが伝わり、水蓮は笑みを返した。

 

 自分たちの中に同じ熱量で流れる想い…

 

 それが互いを強く結び付けてくれている…

 

 そう感じた。

 

 

 「この道を抜けて1時間ほど歩くと大きな川に出る」

 イタチの視線が川の流れの向こうへと向けられる。 

 「そこを超えたら、もうすぐだ」

 「わかった…」

 

 答えたものの、水蓮はなかなか立ち上がれずにいた。

 イタチも先を促すことなく、しばらく二人はその場で時間を過ごした。

 

 「昔ね…」

 静かに時間を過ごす中、水蓮がふいに口を開いた。

 「ここに似た場所に旅行で行ったことがあるの」

 高校2年の夏だった。

 これだ…という進路を見つけられず、部活もうまくいかず、もやもやとした気分を晴らそうと両親を説得して一人で2泊の旅行に出たことがあった。

 「何をやってもうまくいかなくて、自分に自信がなくて。だからといって何も行動を起こせない自分が本当に嫌いで…」

 「お前がか?」

 これまでの水蓮を思い起こせば、すべて逆のように思える。

 目を丸くするイタチに水蓮はうなづいた。

 「それで、なんだか急に一人になりたくなって旅行に行ったの。宿だけ決めて、ほかには何も決めずにただあちこちを歩き回った。思い向くままに歩いて、思いつくままに店やたまたま通りかかった神社とかに入って。でも、別に気分はすっきりしなくて。私何やってるんだろって、余計に落ち込んじゃって」

 水蓮はそのころの自分を思い返して小さく笑った。

 「結局何も変わらないまま帰ったんだけど、その時家の前で真波が…親友が私を待ってて、帰ってきた私を見て急に泣き出したの…」

 その時の光景がよみがえる。

 姿を見つけるなり飛び付いてきて、すすり泣いた親友は何度も何度も言った。

「帰ってきて良かったって。泣きながらそう言ったの。私が悩んでることに気づいてたみたいで、帰って来なかったらどうしようって思ってたみたい…」

水蓮は小さく笑いをこぼした。

 「私はそんな大げさに考えてなかった。ただもやもやするから、ちょっと一人になりたいだけだった。でも、そんな風に自分の事心配して、家に帰ってきただけで喜んでくれる人がいるんだと思ったら、うれしくて一緒に泣いた」

 思い出したその場面に思わず目の奥が熱くなる。 

 「その時思った。頑張ろうって。頑張れるって。何があっても自分の味方でいてくれる人がそばにいれば、人って頑張れるんだなって。そう安心したら、急にいろんな事がすっきりして、いろいろうまくいくようになって…。目標も見つけることができた」

 翌日にお詫びもかねて作ったクッキーを親友が喜んで食べる姿を見て、水蓮は夢を…将来の目標を得たのだ。

 「たった一人でもいい。自分の味方がいればいい。そんな存在がいれば人は強くなれる」

 水蓮はじっとイタチを見つめて笑った。

 「今の私にはイタチがそのたった一人の人。何があっても私を守ってくれる。信じてくれる。愛してくれる。だから、強くいられる」

 何もわからないこの世界にいきなり飛ばされ、いくつもの大変な出来事があった。

 それでも負けずにここまで歩いてこれたのは、いつもイタチがそばにいたからなのだと水蓮は改めて思った。

 自分を知る者が一人もいないこの世界で、自分の素性を知りながらイタチはそばに居続けてくれた。

 それを誰にも漏らさず、自分の危険を顧みず、守り続けてくれた。

 この人は何があっても自分を裏切らないという安心が、水蓮を今日まで支えたのだ。

 「イタチが私のたった一人の人であるように、私がイタチのたった一人の人であり続ける」

 「水蓮」

 つぶやくように名を呼ぶイタチの表情は、ほんの少し泣きそうに見えた。

 水蓮は少し照れたように、それでも強い笑みを返した。

 「私は何があってもあなたを裏切らない。世界中のすべてを敵に回しても、あなたの味方であり続ける」

 静かに立ちあがって水蓮は手を差し伸べた。

 「行こう」

 いつもイタチが導いたその歩みを、今度は自分が導こう…。

 その想いで水蓮はイタチの手を取った。

 今この場所で、この時間を惜しみ進みかねているイタチを、自分が引っ張ってゆかねばならない。

 このままここに居続けたら、二人とも進めなくなる。

 この人の歩みを止めてはならない。その思いで水蓮は自分を奮い立たせた。

 「行こう」

 グイッと力を入れてイタチを引き起こす。

 イタチは少し戸惑いながら、名残惜しげに立ち上がりゆっくりとうなづいた。

 「ああ。そうだな。…行こう」

 

 ゆっくりと歩き出した二人の背を柔らかな風がそっと押すように吹き、導くように流れて行った。

 

 その導きを目指して進めるその一歩一歩を、この地に刻み込むように丁寧に踏みしめる。

 

 自分たちが確かにここにいた事を…その証を残すように…



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第九十五章【再会】

 「すごい。本当に大きいね」

 目の前に広がる雄大な川の姿に水蓮は思わず足を止めた。

 幅100メートルをゆうに超えているであろうその川は、澄んだ水が静かに流れ先ほどと同様に紫陽花が咲き乱れていた。

 計り読めない川の長さに沿って咲くそれは色とりどりで、地平線へと向かって緩く丸みを帯びて色彩を広げている。

 それはまるで大地に描かれた虹のように見えた。

 「今日は川を超える前に宿をとる。超えてしまうと目的の町までは何もないからな。この先にある森へは明日の朝踏み入ったほうが安全だ」

 「わかった」

 二人は川の流れに沿って歩き出す。

 このあたりは観光地なのか宿が軒を並べていて、いくつ目かにようやく空きを見つけ、イタチと水蓮はひとまず荷を置いてから昼食のため外へと出た。

 食事処も多くどれもおいしそうで目を奪われる。

 「何を食べる?」

 「んー。いっぱいありすぎて何か迷うね」

 うどん。定食屋。揚げ物、どんぶり。

 そこかしこからいい匂いが漂い、二人ともなかなか決められぬまま歩き続ける。

 甘味どころも数多くあり、甘い和菓子と抹茶の香りも二人を誘う。

 「あんまりお腹いっぱい食べたらこういうの入らなくなっちゃいそうだよね」

 甘いものに目がないイタチなら昼食後必ず立ち寄るだろうと、水蓮は甘味屋の前で軒先に並べられているまんじゅうを見つめた。

 白いシンプルな物もあれば、季節の花に見立てて作られた創作物もあり、あまりに美味しそうなその見目に、もういっそ昼食代わりに甘味をいくつか食べようか…との考えが水蓮の脳裏に浮かぶ。

 それに感づいたのかイタチは小さく笑って水蓮の手を引いた。

 「そういうのは別腹だろ。ちゃんとした食事をとれ」

 「はぁい」

 甘味を横目に映しながら水蓮は名残惜しげな返事を返した。

 「で?どうする。何が食べたいのか決まったのか?」

 「どうしようかな…」

 くるりと見回し目に留まった店にしようかと思ったその時、少し先に見える店から可愛らしい女性の声が聞こえ来た。

 

 「お弁当はいかがですかー」

 「河原でどうぞー」

 

 その言葉に水蓮とイタチは顔を見合わせてうなづいた。

 

 

 「しかし何だな。言われたとおりにしてしまうというのが」

 「単純だよね。人って…」

 

 

 先ほどの弁当屋で弁当を買い、水蓮とイタチは河原に降りて柔らかい草の上に並んで座った。

 土手の上を見上げると、同じ店で弁当を買った人がちらほらと同じように河原に降りてくるのが見える。

 「みんな一緒だね」

 「ああ。そうだな」

 笑いながら弁当を開くと思いのほか豪華で、野菜のてんぷらや卵焼き。煮物、焼き魚がバランスよく詰められており、俵型のおにぎりは上に具材が乗せられている。

 「あ、昆布のおにぎり」

 「と、オカカだな」

 イタチの好きな昆布とサスケの好きなオカカが偶然にも並んでいて、少しおかしく感じた。

 小さく笑みを浮かべながら二人は『いただきます』と声をそろえる。

 

 湿度を含んだ空気が少し熱さを感じさせるが、川の水を撫でて吹き流れる風がその熱を消してゆく。

 

 水の流れる音

 

 さわわと風に揺れる草木の奏

 

 程よくたなびく雲の隙間からこぼれる日の光

 

 穏やかな時間の中、こうして食べる食事はことのほかおいしく感じられた。

 

 「食べ終わったら少し見て回るか」

 イタチが向けた視線の先には、川沿いに並ぶ出店。

 今夜精霊流しが行われるらしく、昨日から店が出ているのだと先ほどの弁当屋の店員が言っていた。

 「こういったところにはたまに忍具も売りに出されていて、結構掘り出し物があるんだ」

 「そうなんだ」

 ここから見た感じでは食べ物屋が多い感じではあるが、合間に小物屋もあるようで見て回るだけでも楽しめそうであった。

 

 

 ほどなくして二人は食事を終え、川の流れに合わせるようにゆっくりと下流へと歩きながら出店を見て回った。

 様々な場所から来ているようで雑多な民芸品が並びを見せ、彩、形、用途の違うそれについ目を奪われた。

 それでも何かを買うことはなかった。

 普段持たぬものはどこで自分たちを特定する要因となるかわからない。

 まして今イタチは療養中という建前だ。

 見慣れぬものが手元に増えていては鬼鮫の疑心を呼びかねない。

 それは言わずとも水蓮にもわかっていた。

 お互いに買う姿勢は見せず、祭りのようなその雰囲気と鮮やかな品並びを目で楽しんで歩いた。

 いくばか下ったころ、イタチがふいに足を止めた。

 向けた視線の先には【忍具】の文字が書かれたのぼりがはためいていた。

 それならば大きく問題はないだろうとイタチはそちらに足を向けた。

 店にはそれなりの人だかりができていて、品が良いのであろうことが見て取れた。

 どこかの忍か、4人組の客が何かを買いその場を離れてゆく。

 それに続いて徐々に客が買い物を済ませて去って行き、しばしの落ち着きか誰もいなくなり、今まで見えなかった品がいくつか目に留まる。

 

 クナイ・手裏剣・札。他にもいくつかが並べられていて、それを丁寧に整理する商売人の姿が見えた。

 さぁっと吹き流れた風がその商売人の髪を揺らし、その光景に水蓮とイタチは息を飲んで店の少し手前で足を止めた。

 

 晴れた青い空、白い雲。そしてこの場を包む自然の織り成す景色の中に、その髪の色は溶け込みながらも美しく映えを見せる。

 

 赤と緑のコントラスト…

 

 風になびくその髪の動きに二人の記憶が呼び寄せられていく。

 

 水蓮の持つ運命が明らかにされた場所…【渦潮の里】

 

 そこで相まみえた血継限界の持ち主。

 今水蓮たちの目の前にいるのは間違いなく彼であった。

 幼さの残る容姿であった彼は、3年の時を経て大人の色を帯び始めてはいたが、命を懸けて戦ったその存在は間違えようもない。

 

 その名が二人の脳裏に同時に浮かぶ。

 

 『つむぎ榴輝』

 

 重なったその声に商売人…榴輝は顔を上げ、自身の瞳に映り込んだ水蓮とイタチの姿に顔をひきつらせながらその身を固めた。

 

 

 しばし黙ったまま対峙する。

 その沈黙に耐えきれず、先に口を開いたのは榴輝であった。

 

 「何だよ」

 

 仏頂面でフイッと目をそらしながら言葉を投げる。

 「なにって…」

 何と言えばいいのかわからず、水蓮は戸惑いながら近寄った。

 「何をしてる」

 スッと水蓮の前に身を割り入れてイタチが警戒の色を見せる。

 「大蛇丸の企みか?」

 その言葉に水蓮は思わず体に力が入った。

 大蛇丸の配下である榴輝の動きには、必ずその存在がいるはずなのだ。

 警戒を深めるイタチの後ろで水蓮は少し身構えた。

 しかし、榴輝はそんな二人に目を向けぬまま少しも警戒のそぶりを見せずに返す。

 「違う」

 「ならなぜここでこんなことをしている」

 間髪入れず問いを重ねる。

 「音忍のお前がここにいるという事は、大蛇丸が絡んでいるに違いないだろう」

 イタチの空気は静かながらピリピリとわずかな振動を感じさせるほど鋭い。

 だがそれを正面から受けても榴輝は気を荒立てることなく、少し面倒そうに息を吐き出して告げた。

 「あのさぁ。ボクもう音忍じゃないんだよね」

 

 思いがけぬ言葉に、水蓮だけではなくイタチも珍しく驚いた表情を浮かべた。

 

 

 「音忍じゃないって、まさか里抜けたの?」

 イタチの背中から顔を出し、水蓮が問う。

 榴輝はまた「違う」と否定を繰り返し、気だるげに水蓮をにらんだ。

 「お前らには関係ないだろ?」

 その睨みは以前のように背筋を凍らせるものではなく、きついながらもどこかとげが薄くなったような印象を感じる。

 「関係なくはない。お前の言動が真実であるという証拠は何もない。我々が調べを入れることもできるんだぞ」

 詳しく話さないのであれば組織が動く。だが話すのであれば免れる。

 イタチのその提示に榴輝はしばらく黙していたが、ややあって大きく深くため息を吐き出した。

 「里から出ることを大蛇丸様に許された。今は商売をしてる。以上だ」

 愛想も素っ気も説得力もないその言葉。

 だが飾らぬからこそ、それは本当なのだろうとも思う。

 それでもイタチはじっとその言葉を吟味しているようだった。

 静かに榴輝を見据えていた視線をスッと落とし、並べられた忍具を見定める。

 特に変わった形状の物や特殊な物は見受けられなかったが、忍具のどこかしらに緑と赤の混じった小さな石が埋め込まれているのが見えた。

 「これ…」

 「榴輝岩か」

 彼の故郷である五良町(いつらまち)でのみ取れると言われている鉱物。空気中の水分を使ってこの榴輝岩を作り出すのが彼の血継限界の能力でもあった。

 だが彼の作り出す榴輝岩は時間がたつと水に戻る。と言う事はこれは榴輝が作った物ではなく本物。

 「町に戻ったのか?」

 異端な力のせいで母親と絆を違い街を出、彼は大蛇丸のもとへ行った。

 その後町は榴輝岩を狙う者に乗っ取られ、榴輝の母や住民は殺されたのだと過去にイタチがそう語った。

 だが今こうして榴輝がこの岩を取り扱っているという事はそういう事になるのだろう。

 だが、榴輝はまたため息を交えて「違う」と答えた。

 しばし沈黙し、話さなければイタチが去らないと悟ったのか、榴輝は静かに口を開いた。

 「あの町の榴輝岩はもう尽きかけていたんだそうだ。町の人間は新たな発掘場所を発見してそこに移り住む計画を立てていたらしい」

 一度言葉を切ってイタチをほんの一瞬だけちらりと見る。

 「あの手紙にはその事と、新たな地の場所が記されていたんだ。今はそこで暮らしてる。何とか逃げて生き残った町の住民たちも少しずつ集まってきている」

 

 イタチが榴輝の母から偶然預かった手紙。

 

 そこにはまたいつか一緒に…との思いが込められていたのだ。

 

 会いたいという母の想いが…

 

 

 それなのに、それが叶う前に町は襲われた…

 幾人かが生き残り集まっているとはいえ、もう尽きかけていた榴輝岩のために、多くの命が奪われた…

 

 それはあまりにもむごく、何の言葉も出てこなかった。

 

 「もとの町はすでに資源が尽きて今や無人。廃墟さ。他の奴らは無駄死にもいいところだ…」

 

 嘲笑を交えたそれは、必死にそう取り繕っているようにも見え、水蓮は思わず「違う」と返した。

 

 「そんな事ない。あなたが生きて、その町に暮し守っていることで、亡くなった人たちはきっと報われてる。そして今一緒に生きる人たちの希望になってる」

 なぜなら、今その事は水蓮とイタチにも言えることだからだ。

 あの日イタチが奪わずに生かしたその命が、今こうして新たな道を得て前へ向かって歩き出している。

 未来の希望を見据えて、そこへ向かって生きている。

 痛み、罪、闇。様々な物を背負いながらも、それでも進もうとしている。

 

 それが嬉しかった。

 

 イタチの選択が、行いが、どういった形であれ未来へとつながる物になるのなら、彼の痛みが報われるような気がした。

 

 この世界には、榴輝のように【もう一度】と歩みを選び直せる忍が他にもいるはずだ。

 そうした希望の連鎖が、いつかこの世界を変えるはず。

 一つ一つの歩みの積み重ねが、きっとこの世界を平和に導いてくれるはず。

 

 水蓮はその願いを込めて榴輝を見つめた。

 

 「きっとそう」

 

 榴輝はほんの少し唇をキュッと噛み、フイッとまたそっぽを向いた。

 「もういいだろ!話したんだから。何も買う気がないならどっか行けよ。邪魔だ」

 不愛想なその言葉にイタチがすっと腰を落とした。

 「いや。買う」

 水蓮も続いてしゃがみこみ、品を見てゆく。

 イタチがいくつか手に取って見定め「これをもらおう」とクナイを選んだ。

 持ち手の部分がすべて榴輝岩になっていて、刃の部分がずいぶんと細い。

 「それはかなりいい品だよ。持ち手の榴輝岩は一つ物で継ぎ目がないから握りやすいし、刃が細いから飛距離もスピードもある」

 「削りもずいぶん丁寧だ。これなら命中率も高そうだな」

 「ああ。空中でのぶれも少ない。遠い場所にある物や動いているものを狙うのにはもってこいだ」

 先ほどよりは少しとげをなくした言葉づかいと、丁寧に説明をするその姿にイタチが「すっかり板についてるな」と、ほんの少しだけ笑みを見せた。

 榴輝は顔をしかめてジトリとイタチをにらみ、どこか気まずそうに「うるさい」と小さな声で返した。

 その表情は不機嫌なものの、話を続ける。

 「それに使われてる榴輝岩はかなり大きいものだ。岩の加工も刃の削りもかなりの時間と技術を要した。

 …値が張るよ」

 イタチが普段使う物もそこそこの値がするが、値札に書かれている金額はその3倍ほどする。

 それでもイタチは「構わない」と、代金を払い、クナイを懐にしまって静かに立ち上がった。

 水蓮もそれに続き「じゃぁね」と、榴輝に言葉をかけ、二人は背を向けた。

 「ありがとうな」

 歩きした水蓮とイタチの背に、本当に小さな声が聞こえた。

 驚き振り返ると、榴輝はふてくされたような、照れたような、苛立っているような…。複雑な表情で二人を見ていた。

 品を買った客に対しての礼儀としての言葉なのだろう。

 だがその表情と言葉の中には、それ以外のものが十分に感じられた。

 「ああ」

 「うん」

 返されたイタチと水蓮の笑みに、榴輝は顔をそむけて「さっさと行けよ」と投げつけるように言った。

 二人は顔を見合わせて笑い、静かにその場を後にした。



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第九十六章【幸せ】

 「でも、よく大蛇丸が許したよね」

 榴輝のいた場所からいくらか離れて、水蓮がポツリとつぶやきをこぼした。

 イタチは複雑な表情でそれに答える。

 「あの男は妙な気まぐれがあるからな。だが、完全に手を離したという事でもないだろう」

 懐から先ほど買ったクナイを取り出して見つめる。

 「榴輝岩が忍具に使われるのは、軽く強度が高いという事だけではない。なぜかなじむんだ」

 「なじむ?」

 「ああ。どういった作用があるのかは解明されていないが、おそらくチャクラとの相性が良いのだろうと言われている。使い手のチャクラを覚え、共鳴というか同調するというか、そういう力があるのではないかとな」

 クナイを一度ぎゅっと握って再びしまう。

 「おそらく大蛇丸はいつか研究しようと思っているのだろう。そのために、榴輝を自由にしたという恩を売っておいて、必要になれば利用する。そういう算段だろう。手に入れたものをそうそう簡単に手放すやつではないさ」

 「なるほど」

 

 「その通りだ」

 

 水蓮の返答に重なった声はイタチの物ではなかった。

 川とは反対側の深い茂みの向こう。

 ゆらりと何かの気配が揺れ、水蓮とイタチは身構えた。

 向けた視線のその先にいたのは黄金の毛並みを輝かせるチータ。

 榴輝の口寄せ獣であった。

 「エクロ、だったか」

 イタチは目を細めてエクロを見据え、どうやら敵意はないと見たのか茂みの中に踏み入り近づいてゆく。

 水蓮も続き、エクロに導かれて人の目から見えぬ場所へと進む。

 しばらくしてエクロが立ち止まり、ゆっくりと二人に振り返った。

 「先ほどお前が言ったように、大蛇丸様は必要となれば榴輝に声をかけるつもりでいる」

 「お前は監視役というわけか」

 エクロはその言葉に小さくかぶりを振るように首を動かした。

 「いや。オレはそれこそ自由を与えられた身だ。大蛇丸様からも、榴輝からも好きにすればいいと言われた」

 すっと腰を落として姿勢よく座り、エクロは言葉を続ける。

 「だがオレは榴輝から離れるつもりはない。元々榴輝のために生み出された命だ。それに、好きにすればいいと言いながらも、そういう目ではなかったしな。オレと榴輝は兄弟のように育ってきたからな」

 榴輝がいる辺りに目を向け、エクロは目を細めた。

 「まぁ、これも大蛇丸様の計算のうちだろう」

 「ああ。そうだろうな」

 言わずともエクロが榴輝から離れず守ると大蛇丸は読んでいたのだろう。

 「とにかく…」

 エクロはすっと立ち上がり、赤と緑…左右違う瞳を厳しく色づけて水蓮とイタチを見据えた。

 「榴輝のそばには必ずオレがいる。…手を出すな」

 最後の言葉に力を込めて、エクロは静かに姿を消した。

 「榴輝も、新しい町も大丈夫そうだね」

 エクロが榴輝を守り、榴輝が町を守る。

 完全な自由を手に入れたわけではないが、それでも彼らならば強く生きてゆくだろうと、水蓮はそう思った。

 後には、大蛇丸はサスケに討たれ、呪印に潜んでいたその存在もイタチによって封印されるのだ。将来自由になれることは知り得ている。

 「そうだな」

 それを知らぬイタチもそううなづき、二人はしばらくエクロがいた場所を見つめ、再び歩き出した。

 

 

 少し下ると出店がなくなり、二人はそろそろ戻ろうと河原から沿道へと上がった。

 

 「あれで戻るか」

 イタチの視線の先にあったのは人力車。

 客を待ちいくつか並んでいるのが見えた。

 「いいの?」

 あちらの世界でも乗ったことのないそれに水蓮の表情がぱぁっと明るくなる。

 「ああ。オレも少し疲れた。たまには楽をするのもいいだろう」

 少し表情に疲労が見えてハッとする。

 イタチはいわば病み上がり。

 歩きづめでいつの間にか疲れがたまっていたのだろう。

 「宿に戻ったら、ゆっくりしようね」

 「ああ」

 

 

 初めて乗る人力車は思いのほか乗り心地が良く、水蓮は機嫌よく表情を緩める。

 「全然ガタガタしないね」

 道はそう平らではないが衝撃をうまく吸収する造りになっているのか、静かな心地。

 ふわふわとした感覚が気持ちをゆったりとさせてくれる。

 だが、その反面少しの緊張をももたらす。

 想像したよりも座席の幅が狭く互いの体がぴたりと寄り合い、日よけに降ろされた屋根が更に空間の限りを感じさせる。 

 正面には十分な視界があり、引き手や道行く人の姿がみえているというのにまるで二人きりの世界にいるような感覚。

 他には身の持っていきようがないその空間での二人の距離が、いつもとは違う緊張感を感じさせていた。

 イタチもそれを感じているのか、いつもなら自然とつなぎ合う手がぎこちなく触れるか触れないかの場所で行き場を失っていた。

 表情にも少し落ち着かない物が見え、水蓮はイタチでも照れることがあるのかとうれしくなる。

 ガタリ…とほんの少しの揺れに互いの手が触れ合い、そのきっかけにイタチが水蓮の指先を少しだけ握った。

 強く繋ぎ合う時とはまた違った深い想いが伝わりくる。

 水蓮はイタチの体にそっと頬を寄せて身を預けた。

 

 人力車はただ一本道をゆくのではなく、いくつかの名所を回るコースになっており、二人は引手の説明を聞きながら景色を楽しんだ。

 紫陽花はもちろん季節の花が咲き乱れ、竹や柳も美しい緑を輝かせている。

 レンガ造りの建物や、大きく枝を伸ばした松の木のアーチ。

 どれも心を和ませ、何もかもをほんの少し忘れることができたような気がした。

 途中で買った団子とお茶でおやつも楽しみ、元の川に戻ってきた時にはすでに夕陽があたりを赤く染めはじめていた。

 

 

 

 「きれいだね」

 「きれいだな」

 人力車から降り、二人は川の向こうへと沈んでゆく夕日を橋の上から見つめていた。

 地平線の向こうへと消えゆく夕陽が川にオレンジ色の光を伸ばし、まるで空へと続く道のようであった。

 その光の向こうに、何か不思議な世界があるような気にさせられる。

 何もかもをなかったことにできるような世界が…

 

 だが実際にはそんな世界はないのだ。

 

 二人はただ黙って夕陽の沈みを見送り。

 すっかり日が落ちてから宿へと戻った。

 

 

 夜には精霊流しのために大勢の人が河原に集まり、いくつもの光が川を流れてゆくさまが宿の窓から見えた。

 よく見るろうそくを使ったものではなく、丸い透明の容器にヒカリゴケをつけた石を入れて流すのだと人力車の引き手が話していた。

 その容器には様々な色が塗られていて、川の上は華やかに色づいている。

 時折その光がふわりと浮きあがりまたゆっくりと川に降りてゆく。

 風遁を使える忍が、誰に言われたでもなくそうして夜の闇に美しく幻想的な光景を作り出しているらしい。

 水蓮とイタチは窓からその光景を静かに見つめ、最後の一つが完全に見えなくなるまで身を寄せ合って時間を過ごした。

 その後もしばらくは話をしていたが、イタチの体調も考え早めに眠った。

 

 

 

 深夜を回ったころ。水蓮は不意に目が覚め身を起こした。

 イタチはやはり疲れがたまっているのか気づく様子なくよく眠っている。

 何とはなしに窓辺により川を見つめる。

 先ほどまで彩りを見せていた川は真っ暗で、せせらぎだけが聞こえてくる。

 暗い川面を見ながら、水蓮はこの二日間を思い起こす。

 

 二人で歩いた道。目にした光景。食べたもの。話したこと。感じたこと。つないだ手のぬくもり。

 

 そのすべては本当に穏やかで、温かくて、優しくて…

 

 だけれでも、幸せと呼ぶにはあまりにも切なく、胸の奥がちくりと痛んだ。

 

 この時間を、感情を、何と呼べばいいのだろう…

 

 水の流れる音を聞きながら水蓮はその答えを探す。

 

 だが、何も当てはまる言葉がなく、やはりこれは幸せなのだろうと、そう思う。

 

 思うと同時に、涙がポタリと落ちた。

 

 無意識に流れ落ちたその涙はどんどん数を増やし、ポタポタと小さな音を響かせてゆく。

 

 ぬぐう事が出来ずに次々とあふれ出る涙…

 

 そのいくつ目かを、背中から包み込んだぬくもりが掬い取り水蓮を強く抱きしめた。

 

 耳元で柔らかい声が揺れる。

 

 「一人で泣くな」

 

 さらに力が込められたその腕を水蓮がぎゅっと握り返す。

 

 「イタチ」

 

 愛おしげに名を呼ぶ。

 

 窓に映る水蓮の瞳からは涙が止まらず溢れている。

 それでも、その表情は柔らかく笑んでいた。

 

 「私幸せよ。すごく」

 

 もう一度イタチの腕に力が込められた。

 

 「ああ。オレもだ」

 

 

 もしかしたら、イタチも泣いているのかもしれない…

 

 自分を抱きしめるイタチの腕のかすかな震えに水蓮はそう思った。

 だが、自分の涙で視界がにじみ、窓に映るイタチの表情は見えなかった。

 

 ゆっくりと指を絡めてつなぎ合わせたその手に水蓮が口づけると、イタチは水蓮の首筋に頬を摺り寄せて静かに言った。

 

 「オレも幸せだ」

 

 

 イタチの心からあふれたその言葉を水蓮は深く深くしみこませた。

 

 

 この時間を…

 

 その言葉を…

 

 その想いを…

 

 今ここにあるぬくもりを…

 

 

 

 決して忘れない

 

 

 

 二人は互いに心に誓った…




こんばんは(*^。^*)
え~…と。インフルで死んでました(^_^;)
この話は大方書けていたのでなんとか投稿ですが、いつもより遅れてすみません(>_<)

相変わらず切ない二人ですが、お互いに【幸せ】と口にできる時間…。
特にイタチには感じてほしい物ですよね…。
このシーンはこの小説を書きはじめてすぐくらいに頭の中にはあった物で、ようやくのお披露目です…。
ちょっと嬉しい反面、あぁとうとうこのあたりまで来たかぁ…という気持ちも…。です。
二人の二日間に関しても昨年のGWに京都に行って材料集めした情景が結構使われていて、それもやっと使えたな…という感じです☆

次回はいよいよ二人があの場所に…です。

ちょっと病み上がりで頭が働かないので、少しお待たせするかもしれませんが、あまり間を開けずにお届けできるよう頑張ります~(*^。^*)

いつも読んでいただきありがとうございます。
今後もなにとぞよろしくお願いいたします(^○^)


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第九十七章【封印の地へ】

 翌朝。

 しっかりと日が昇ってから二人は出立した。

 先の二日間と同じく良い天気で心境は複雑な物の、森を抜けるには問題のない気候。そう言う意味では安心感があった。

 合間に幾度か休憩をはさみ、2時間ほどで森を抜けた。

 イタチの言うように辺りには何もなく、ただ長い道が続いている。

 その道を二人は静かに歩き続けた。

 

 

 そして、日が真上に上る頃。

 水蓮とイタチはその地にたどり着いた。

 

 

 

 封印場所となっている平地の真ん中に立ち、二人は顔を見合わせてうなづき合い、静かに姿勢を落として地面にチャクラを流して術式を確かめる。

 「行くぞ」

 「うん」

 少し緊張した面持ちのイタチに水蓮が強くうなづきを返す。

 ゆっくりと深呼吸をし、同時に印を組む。

 

 少しのずれもなく組まれてゆく印

 

 それに伴って二人の体の周りに淡い光がふわふわと漂い始める。

 横目にその光を見ながら水蓮とイタチは印を組み続け、最期の結びを行い地に手をついた。

 目を合わせて同時に術を解く。

 

 『解!』

 

 

 ぶわぁっ!

 

 一気に周りを漂っていた光が膨れ上がり、視界が真っ白になる。

 思わず目をつぶった瞬間。二人を浮遊感が襲った。

 それは、過去に水蓮がこの世界に飛ばされた時のものと酷似していた。

 「これは!」

 覚えのあるその感覚に、水蓮は慌ててイタチに手を伸ばした。

 「イタチ!」

 「水蓮!」

 イタチも水蓮を手繰り寄せようと手を伸ばし、その手が繋がれた瞬間。光と共に二人の姿がその場から消えた。

 

 

 

 ほんの数秒後。

 一瞬失った足場が急に与えられ、水蓮とイタチは数歩よろめき身を支え合った。

 「大丈夫か?」

 「う、うん。大丈夫」

 互いの無事を確かめ合い、一つ息をつく。

 「今のは…」

 「時空間移動だと思う。私がこっちに来た時と同じような感覚だったから」

 「あれが。時空を飛ぶのは初めてだ」

 体に感じた不思議な感覚を思い出し、イタチは自分の両手を見つめて何度か握った。

 「一瞬煙になったような…変な感覚だな…」

 瞬身とはまた違うその不安定な感覚にイタチは顔をしかめ、あたりを見回した。

 「ここに封印されてるのか…」

 そこは何かの建物のようで、あたり一面白い壁で囲まれており、部屋の奥には祭壇のようなものが見える。神話に出てくる神殿のような感じだ。

 ふと足元に目を向けると術式の書かれた円陣があり、イタチが興味深げに手でなぞって確かめる。

 「見たことのない文字が使われているな…」

 足場は1メートル程地面から高い位置にあり、備え付けられた小さな階段を二人はゆっくりと降りた。

 その最後の一段を下りるのとほぼ同時に、部屋の中に大きな声が響いた。

 

 「遅い!」

 

 イタチが珍しく体をびくりと揺らし、隣で水蓮が「わぁっ!」と声を上げた。

 反射的にイタチが水蓮を背にかばい、声の飛来た方向に警戒の視線を向ける。

 水蓮もイタチの背から少し顔を出した。

 

 そこにいたのは12歳ほどの少女であった。

 美しく結いあげられた黒く長い髪。花と絹糸で作った水色の髪飾りが良く映える美しい顔立ち。

 白と水色を基調とした着物のような…巫女服のようないでたちで、小さな手には自身の身の丈の半分ほどありそうな黒く細長い笛のようなものを持っている。

 「何者だ…」

 封印に関しても、この場所に関しても何も情報がないイタチは強い警戒をあらわにしている。

 その理由は水蓮にもわかった。

 

 まったく気配を感じなかったのだ。

 

 時空間で飛ぶ瞬間。水蓮は危険がないかを感知するためチャクラを練っていた。

 もちろんこの場所についてからもそれを解いてはいない。

 にもかかわらず、まったく気配を捉えられなかったのだ。

 

 只者ではない…

 

 

 イタチ同様警戒のまなざしで少女を見つめる。

 しかし、その少女は全くお構いなしでこちらにずかずかと大きな歩幅で歩み寄り、すぐそばで立ち止まって再び声を上げた。

 

 

 「遅すぎるぞ!ワシをどれだけ待たせるつもりだ!」

 

 「……?」

 「え…えと…」

 無警戒に詰め寄られてイタチと水蓮が戸惑い顔をしかめる。

 そんな二人の腕を少女は乱暴につかみとり、グイッと引っ張った。

 「さっさと来い!間に合わん所だったぞ!」

 「ちょ…ちょっと待って」

 「お…おい。放せ…」

 二人が腕を引くがまったくびくともせず、驚くべき力でぐいぐい引きずられてゆく。

 「つべこべ言わずについて来い!もう時間がない。さっさと剣の封印を解くのだ!」

 厳しい口調で言われ、切羽詰まった状況を感じ取り二人はとりあえず少女に従った。

 「こっちだ」

 先ほどの部屋を出ると大きな庭が広がっており、美しい光景につい目を奪われる。

 色とりどりの花が地面を埋め尽くし、庭というよりは花畑のようだ。

 「すごい」

 その広さと花の量に水蓮が感嘆の息を漏らす。

 「景色を楽しんでいる場合か。急げ」

 更にグイッとひっぱられて水蓮は足を速めながらも戸惑いの声を上げた。

 「あ、あの。ちょっと待って」

 「時間がないとはどういう事だ」

 「それを説明している時間も惜しい! あとだ! 封印をすべて解いてから姉者に聞け」

 投げつけるような口調に水蓮とイタチは顔を見合わせて小さくため息を吐き出した。

 

 

 しばらく長い廊下を進み、水蓮たちは大きな崖に囲まれた場所へとたどり着いた。

 少女は水蓮たちの腕を離して二人の前に立ち、立ち姿を整えて一つ深呼吸をした。

 「はじめるぞ」

 その言葉に呼ばれたように、一人の男性が少女の隣にさっと姿を現し水蓮たちに辞儀をした。

 

 「市杵(いつき)すぐに執り行う」

 「かしこまりました。サヨリ様」

 市杵と呼ばれた男性は少女…サヨリの隣に立ち、声を上げた。

 「三光(みひかり)のかけらを預かりし我らの生きるこの地の神。サヨリ姫の(みこと)の名のもとに、長き眠りより守り主を呼び起こす」

 言葉の終わりに強い風が吹きサヨリの衣が美しく揺らめいた。

 市杵が自身の胸の前で手を組み合わせ、力を練りあげる。

 そこに淡い光が生まれ、市杵はその光をサヨリの笛に注ぎ込んだ。

 サヨリは洗練されたしなやかな動きで手に持っていた長い笛を横に構え、水蓮たちに背を向けて言葉を放つ。

 「目覚めるのだ!八雲」

 その声は崖に反響して広がり、それがおさまるより早くサヨリが笛を吹く。

 美しい音色が風に溶け、吹き止むと同時に崖に向こうに大きな光が生まれ、何かがこちらに近づいてくる気配がした。

 大きなチャクラの塊を水蓮もイタチも捉え、警戒に身構える。

 緊張を高める二人の前に現れた存在にイタチが顔をしかめた。

 「(きじ)か?」

 「あれが、雉…」

 実物を見るのは初めてであった水蓮がつぶやきを漏らした。

 しかしその声に交じった驚きは、初めて見たことに対してではなく雉の大きさに向けての物であった。

 しばらく前に見た大蛇丸の人口獣の鷹と同じほどの大きさ。

 その巨体から豪快に広げられた翼の羽ばたきの音が、崖にこだまして重く辺りに響きわたる。

 近づくにつれて大きく太い爪がはっきりと見え、雉はその爪を光らせながら切り立った崖に食い込ませて貼りつくように降り立った。

 その最後の翼のはばたきに強い風がうまれ、水蓮たちに吹き付けた。

 「…っ!」

 「すごい…」

 踏ん張ったものの数歩後ろに押しやられる。

 倒れぬよう力を入れて風の収まりを待ち、二人は改めて雉の姿を目に映して喉を鳴らした。

 小ぶりな恐竜ほどの大きさ。長い尾。体を彩る赤、青、緑のいくつかの色が日の光にまぶしいほど輝いている。

 大きな翼がゆっくりとたたまれるが、警戒を現すようにほんの少し膨れ上がった。

 そして黒い瞳がこちらにギロリと向き、妖しげな眼光がきらめいた。

 

 ケェェェェェェンッ!

 

 くちばしが大きく開かれ、甲高い声があたりに響く。

 嘶きはあたりの空気をびりびりと音鳴らせ、その場に電気が走ったような衝撃をもたらす。

 空気の震えに耐えながら水蓮が雉を見ると、雉は目が合った瞬間大きな翼を再びふり広げてすさまじい風を起こしながら飛び立ち、別の崖に飛び移った。

 

 ドォンッ!

 

 着地の大きな地響きが鳴り、雉が変わらず警戒をあらわにして水蓮とイタチを見据えた。

 

 

 「なんか…すごい荒れてるんですけど…」

 「あの雉が剣を守っているのか?」

 

 「そうだ」

 サヨリが二人に振り向く。

 「あの八雲の中に剣のかけら…ワシらは三光のかけらと呼んでいるが、それを封印し守っている。

 そしてワシは、八雲を守るために神の力を引き継ぎし者だ」

 「神の力…」

 現実味を感じがたいその言葉に水蓮が目を細める。

 「巫女のようなものか?」

 疑問を重ねたイタチがそう問うが、市杵が「またそれとは違う存在だ」と返した。

 その隣でサヨリが雉を見据える。

 「今それは重要ではない。とにかく早く封印を解かねばならぬ」

 厳しいまなざしでサヨリは精悍な声を響かせた。

 「さぁ!やれ!」

 

 ・・・・・・・・・・・

 

 数秒の沈黙が落ちた。

 

 サヨリは顔をしかめながら二人に振り返り「どうした、早くやれ」と、短く言って再び雉に向き直る。

 

 ・・・・・・・・・・・

 

 再び訪れた沈黙にサヨリと市杵が「ん?」と疑問を浮かべて水蓮とイタチをみつめ、水蓮とイタチが同じく「ん?」というような表情を返す。

 

 そこに流れた三度目の沈黙を水蓮が遠慮がちに終わらせた。

 

 「やれって、何を?」

 

 隣でイタチが顔をしかめ、水蓮が困ったようにサヨリを見つめた。

 そんな二人の様子に市杵が「まさか…」と言葉を漏らし、サヨリが体を震わせた。

 「お前ら、まさか封印の解き方を受け継いでおらんのか?」

 ひきつった笑みを向けられて、イタチと水蓮が言葉を並べた。

 

 

 「ここに来れば…」

 「わかるのかと思って…」

 

 

 その返答に市杵が顔を青ざめ、サヨリがさらに体をわなわなと震わせた。

 

 「なんだとぉぉぉぉぉ!」

 

 サヨリの大きな声が崖に響き、こだました。



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第九十八章【壱のかけら】

 崖の中をこだまして広がったサヨリの声が消えてゆき、八雲がそれを引き継ぐように大きく嘶いた。

 その声がおさまってからサヨリが引きつった顔のまま口を開いた。

 「何も、何も知らんのか?」

 水蓮とイタチがうなづく。

 「何も知らずにここにたどり着いたのか?」

 揃えてコクリと首を縦に振る二人にサヨリと市杵が顔を見合わせた。

 「どういたしますか、サヨリ様…」

 「どうするも何も…」

 大きく息を吐き出してサヨリが水蓮たちに向き直る。

 「長きにわたって引き継がれる間に薄れて行ったというのか」

 「薄れたというよりは…」

 母がその事を引き継ぐ間がなかったのであろうことや、自分の事を話そうとしたが、それをサヨリが止めた。

 「よい。それを聞いたところで事は解決するまい。時間が惜しい」

 サヨリは八雲をちらりと瞳に映した。

 「あの八雲の中にかつて剣のかけらが封印された。あやつはそれを守るために人を近づけまいとする。それはあ奴の守り手であるワシやワシ付きの市杵も同じくだ。そして、お前たちもだ」

 少し切れ長な瞳が水蓮とイタチを捉え細められた。

 「たとえこの地にたどり着いたからと言ってそう簡単にはその手に渡らぬようになっておる。剣のかけらを手にするには、あ奴が持つ術式を読み取り受け取らねばならぬ。その際、一切八雲に傷をつけてはならない。ワシが知っているのはそれだけだ。封印に関しては何も知らされてはいないのだ」

 言葉を聞き終わり水蓮とイタチが顔を見合わせた。

 「おそらく術式を読み取り受け取るのはオレの月読だろう…」

 「そうだね。でも…」

 顔をしかめた水蓮にイタチがうなづく。

 「ああ。あいつ、オレの月読を知っている」

 先ほどから八雲はイタチと視点を合わせない。

 姿をその瞳にうつしはしても、目を合わせようとはしないのだ。

 「この状態では無理だな」

 ため息交じりのイタチの言葉に水蓮も息を吐く。

 イタチがそう言うという事は、ほかのどの手段を使ってしても月読にははめられないと判断したという事だ。

 「まずは動きを封じる必要があるな…」

 「でも、あの大きな雉の動きを止めるって」

 「かなり至難の業だ」

 「スサノオは?」

 水蓮の問いかけにイタチは首を横に振る。

 「傷をつけてはいけないとなれば、スサノオは使えない」

 あれだけの大きさ、そして荒れ狂った様子。

 スサノオで近づけば間違いなく攻撃を仕掛けてくるであろう。

 それを防ぎながら傷をつけずに押さえつけるというのは不可能。

 「それに…」

 イタチのつぶやきに水蓮が言葉を続ける。

 「それじゃぁ意味がない…」

 イタチはうなづいて八雲を見つめた。

 

 剣の封印の事が書かれていた渦潮の里の壁画。

 あそこにたどり着くために必要であったもの。

 そして記されていた事。

 もっとも強くそこに刻まれていた願い。

 

 それは…

 

 両族の協力

 

 

 それこそが後世に残された何よりも大切な思いなのだ。

 今ここでイタチのスサノオと月読で事がなされてしまうのは、【違う】ということが二人には分かっていた。

 

 「とにかく」

 サヨリが厳しい声を響かせた。

 「考えろ。何かしらのヒントはお前たちに残され、託されているはずだ」

 じっと見つめられ、二人は強くうなづきを返した。

 とにかくやるしかないのだ。

 「とりあえず…」

 イタチがあたりを見回した。

 「感知で辺りを探ってみろ。なにか反応があるかもしれない」

 「わかった」

 両手の指先を口元で合わせて目を閉じ、水蓮は集中する。

 少しの見落としもないよう細かく広く力を広げてゆき、しばらくしてからピクリと体を揺らした。

 「何か見つけたか?」

 「うん。なんだろう、何かの術の気配がする」

 もう一度集中して探り直す。

 「あちこちに散らばってる。地面とか、崖の中腹とかに。同じ術というか、連動してるような感じ」

 「数は?」

 イタチの問いに水蓮はその数を確認する。

 「4…ううん。5つかな。もしもっと広範囲に散らばってたらわからないけど。今感じるのは5つ」

 集中を解き、目を開いた水蓮にイタチは「そうか」と返して少し考え込む様子を見せた。

 しばらくの沈黙を置き、イタチが懐から巻物を取り出す。

 「もしかしたらこれかもしれない」

 巻物を地面に置き、広げる。

 軽く手をついた後に現れたのはクナイであった。

 数は5つ。

 

 「これは?」

 「シスイから渡されたものだ。最期の時に。必ず必要となる時が来ると、それだけを言い残した」

 

 最後のギリギリの状態で、ただ渡すのが精いっぱいだったのだろうと水蓮はギュッと手を固く握った。

 そのクナイは先端にクリスタルが埋め込まれていて、それが優しげに光りイタチの頬を照らした。

 「一番近い反応はどこだ?」

 一度クナイを巻物に戻し、イタチが立ち上がる。

 「こっち」

 さっと地を蹴り、二人は最も近い反応へと身を寄せる。

 そこにあったのは水蓮の拳ほどの水晶の結晶であった。

 「これは…」

 地面に膝をついて中を覗き込むイタチに水蓮も続く。

 「この中に術が封じられてるみたい」

 手をかざしてチャクラを流し術を確かめる。

 「わかる。これ、封縛の術だ。一定時間相手の動きと術の全てを封じる物よ」

 「使えるか?」

 「うん」

 イタチは「なるほどな」とつぶやきながら立ち上がり少し考え込んだ。

 「おそらく、シスイから譲り受けたクナイでこの水晶を砕くと術式が広がりつながる仕組みだろう」

 「それを私が発動する」

 「ああ。そして雉の動きを封じ、オレが月読…」

 「じゃぁ、近いところから一つずつ順番に…」

 その言葉をイタチが遮った。

 「いや、おそらく同時にだ」

 「同時に?」

 イタチはうなづきクナイを封じた巻物を取り出して握りしめた。

 「何かに封じられた術式は、解放してからすぐに発動しなければ効力が消えてしまうものが多い。それに、シスイは何カ所かにある的を同時に射抜く訓練を特に行っていた。そしてそれをオレにも教えた。必ずできるようになれと…」

 「それじゃぁシスイさんは…」

 「ああ。あいつ、もとからオレにこれを引き継ぐつもりだったんだ。いつ自分が死ぬかわからないと、早くから覚悟を決めていたんだろう。あいつはずっと、オレよりも長く苦しんでいたんだろうな…」

イタチの瞳が切なく揺れ、ギュッと手に力が入る。

 その手に水蓮が手を重ねて優しく微笑んだ。

 「イタチ。やろう」

 「ああ。あいつの想いを無駄にはしない」

 二人はうなづき合い、こちらを警戒して睨みつけている八雲を見つめた。

  

 

 その後、二人は八雲を刺激せぬよう静かに術式の場所をすべて確認してまわった。

 「どうやら見つけたようだな」

 もとの場所に戻ってきた二人にサヨリが歩み寄りニッと笑う。

 「どうなることかと思いましたよ…」

 市杵が大げさなほど大きなため息を吐き出し、急ぎ行うように二人をうながした。

 

 イタチはそれに答える代わりに目を閉じて黙し、クナイの投げる位置とタイミングを幾通りもシミュレーションする。

 静かに集中を続け、ややあって開かれた眼には少し苦い色が見えた。

 「一つかなり難しい角度にあるな」

 放った後で別のクナイを当てて角度を変えなければならない物が3つあり、そのうちの一つがかなり厳しいのだとイタチは顔をしかめた。

 それでもやるしかないのだ。

 イタチはもう一度目を閉じて深くイメージを固め、開いた瞳に水蓮を映した。

 水蓮はコクリとうなづきを返した。

 

 きっと大丈夫。

 

 言葉にせずとも伝わるその気持ちにイタチもうなづいて返す。

 

 「いくぞ」

 「うん!」

 

 クナイを構えるイタチの隣で水蓮も印を組むために身構える。

 イタチの右手には受け継いだクナイが4本。左手にもう1本と当て打つためのクナイが3本。そのうちの一つは先日榴輝から買ったクナイであった。

 「これなら狙える」

 口元に笑みを浮かべ、イタチは一つ息を吸い込み地を蹴り飛びあがった。

 

 遠くにある水晶に向けてまず二つ。

 

 シュツ!シュッ!

 

 鋭く響く音を聞きながら、次にイタチは姿勢を逆さまにし、残る3つを一気に放った。

 

 ザッ…と音を立てて着地し、すぐさま二つクナイを投げ、先に投げたクナイにあてて角度を変える。

 そして最後の一本。

 榴輝岩で作られたクナイをしっかりと構え、迷いなく放った。

 

 それぞれが空中でぶつかり合い、角度を変えて空気を切り裂いてゆく。

 

 それはほんの十数秒。

 

 その短い時間の中で行われたイタチの仕業は、恐ろしく静かで美しかった。

 着地の姿でさえまるで舞のように感じられた。

 

 「よし」

 

 珍しくイタチが声を上げた。

 その脳裏にシスイとの日々がよみがえったのか、まるで子供のような無邪気な表情。

 それを横目に捉えながら、水蓮は意識を集中する。

 

 地面に、そして岩の陰にある五つの水晶。

 

 それらを、イタチの放ったクナイが見事に同時に貫いた。

 

 カッ!

 

 小さな音が鳴り、砕かれた水晶の中から光の柱が立ち上る。

 それを目に留め水蓮が印を組み始めた。

 髪が赤く染まり、ふわりと静かに揺らめく。

 

 隣で集中を高める水蓮のその動きにイタチが目を見張った。

 

 見たことのない印。

 それは今までイタチが水蓮から教わったどの術よりも複雑な印であった。

 だが水蓮は少しも手を詰まらせることなく、素早く滑らかな動きで進めてゆく。

 もとより器用ではあったが、いつの間にか複雑な印までも難なくこなせるようになっていた水蓮に、イタチは驚きを隠せなかった。

 

 水蓮の手の動きに呼び寄せられるように、光の柱から文字が集まり八雲へと向かって伸びあがる。

 その誘導には緻密なチャクラコントロールを必要とし、水蓮の額に汗が浮かんだ。

 だが、すでに八雲は抵抗を見せず術を静かに受け入れている。

 その様子に、イタチは術の発動自体がすでに鍵なのであろうと読み考える。

 

 徐々に水蓮の術が八雲を捉え、ほどなくしてその動きを封じた。

 術をコントロールしながら水蓮がイタチに一つうなづきを投げる。

 それを受けてイタチが月読を発動させ、八雲の精神へと入り込んでゆく。

 

 それはほんの数秒。

 

 イタチはすぐに術を解き、水蓮に笑みを向けた。

 ほっとして水蓮も術を解く。

 

 「…………っ!」

 

 一気に襲う疲労感に、その場に膝をつく。

 「水蓮!大丈夫か?」

 慌てて体を支えたイタチに、水蓮は何度かうなづいてゆっくり立ち上がった。

 「大丈夫…。思ったよりチャクラ消費が大きかったけど、大丈夫」

 数回大きく深呼吸し息を整える。

 すでに九尾のチャクラが水蓮の体の回復に動きはじめており、ほどなくして落ち着きを取り戻す。

 「もう行ける。封印を…」

 「いや、お前は休んでいろ」

 八雲をじっと見つめ、イタチが言う。

 「こいつから読み取った術はうちはの封印術だ。ここはどうやらオレの出番らしい」

 視線の先では八雲が静かにたたずんでおり、瞳も穏やか。

 荒れた様子は消え去っていた。

 纏う空気はどこかイタチを待っているような、そんな雰囲気だ。

 一歩イタチが歩み寄ると、八雲は改めてイタチに向き直り、一度ゆっくりと羽を広げて静かにたたんだ。

 「待たせたな」

 自然と零れ落ちた言葉だった。

 「イタチ」

 八雲を見つめるイタチの隣にサヨリが身を並べた。

 「封印から解かれた三光のかけらは、かなり不安定な状態でお前たちには扱えぬ。いったんワシが預かる」

 「わかった」

 答えてすぐにイタチは印を組む。

 瞳は万華鏡を開いていた。

 

 

 イタチの体から薄紅色の光が溢れ、八雲を包み込む。

 その光は柔らかく、温かく、穏やか。

 知らぬ間に水蓮の瞳からは涙がこぼれていた。

 

 何に対しての涙なのかは分からない。

 

 寂しいような、悲しいような、そして嬉しいような。複雑な涙であった。

 その中に最も色濃く感じられたのは、懐かしさであった。

  

 それはイタチも同じで、目じりに浮かんだ雫をグッとこらえるように瞳に力を入れた。

 

 やがて印が組み終わり、イタチは静かに封印を解いた。

 

 「解!」

 

 ざぁっ…

 

 地中から湧き出でるような風がイタチを中心に吹き上がり、八雲の体からまばゆい光が放たれた。

 その光は辺り一面を白く染め、徐々に小さくなり、最後には本当に小さな光の粒となってイタチの目の前にとどまった。

 それは、いつか見た蛍の光と同じほどの小さな粒だった。

 「これが…」

 「剣のかけら…」

 イタチの隣に立ち、水蓮もその光を見つめる。

 思いのほか小さかったそれは、二人の視線の先で赤や白様々な色に輝き、やがて薄い緑色の光を放ってとどまった。

 「触るなよ」

 「危ないですよ」

 サヨリと市杵の言葉に、水蓮が思わず伸ばした手を引いた。

 「もともと強大な力の物を無理やり三つに分かったのだ。不安定すぎてお前たち人に扱えるものではない。三つ揃って初めて安定するのだ」

 サヨリは長笛を市杵に渡し、かけらを両手で包み込んでその手を自身の胸にあてた。

 大きく息を吸い込むと同時にかけらがサヨリの中へと吸い込まれる。

 「……っ…」

 サヨリの眉間にしわがより、額に汗が浮かぶ。

 「これほどまでとはな…」

 「サヨリ様…」

 不安定な力が体の中を荒らすのか、サヨリは市杵に支えられながら目を閉じてそれに耐えているようであった。

 それでもそれは数秒の事で、すぐに息を整えて目を開いた。

 「もう大丈夫だ」

 その言葉を待っていたかのように八雲の体が再び光り、そのおさまりと同時に姿が縮みだした。

 イタチと背丈をおなじほどにとどめ、八雲はイタチのほほにくちばしを摺り寄せる。

 「おい。くすぐったい…」

 身をかわそうとするイタチをなおも追いかけ、八雲がすり寄る。

 その動きに何か思い当ったのか、イタチがじっと八雲を見つめた。

 「お前、そうか」

 ハッとしたように親指を噛み、そこからこぼれた血を八雲に見せる。

 

 ケェェェェン

 

 静かな嘶きに、八雲の前に巻物が現れ開かれた。

 イタチはそこに己の血で名を書き記し、最後に血判を押した。

 巻物が淡く光って消え、八雲もまたイタチにもう一度くちばしを摺り寄せてからボン…っ音を立てて消えた。

 

 「イタチ。あの子…」

 

 八雲がいた場所を見つめてつぶやかれた水蓮の言葉。

 その先をイタチも同じく感じていた。

 

 先ほど自然とこぼれた言葉の通り。

 

 八雲はこの場所で、この時を、イタチを…

 

 

 待っていたのだ…

 

 

 『八雲…』

 

 イタチと水蓮がその名を懐かしそうに呼んだ。

 

 「懐かしいか」

 

 サヨリがイタチと水蓮を見つめてそう言った。

 何と返せばいいのかわからず黙り込んだ二人にサヨリはフッと小さく笑みを投げ、すぐに背を向けた。

 

 「行くぞ。時間がない」

 

 サヨリの言葉が気にはなるものの、今はそれよりも剣の封印を解くことが最優先。

 

 「急いでください」

 

 たびたび聞かされる時間の猶予に気持ちが焦り、二人はサヨリと市杵に続いて歩みを速めた。 



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第九十九章【長き守り】

 「遅い!」

 サヨリの時空間移動の術により、次なるかけらが封印されている場所へとたどり着いた水蓮とイタチに浴びせられた言葉はそれだった。

 移動が終わり目を開けた瞬間であった。

 「お前ら、いったいどれだけボクを待たせるつもりだ!」

 ボク…とは言うものの、二人の目の前にいるのはサヨリとさほど変わらぬ歳の少女。

 服装はサヨリと同じ巫女服のようなデザインでオレンジを基調としている。

 髪型は正面から見るとショートに見えるが、長く黒い髪が後ろで一つに束ねられていた。

 手にはやはり黒い長笛。

 「一体何をやってたんだ!」

 くりっとした瞳に怒りを浮かべながら少女が水蓮とイタチに詰め寄る。

 「まぁまぁ、落ち着けタギツ」

 サヨリが間に割って入り、少女…タギツをなだめる。

 「何が落ち着けだ姉上!間に合わないところだよ!」

 「わかっておる。だがな、タギツ。こいつらもっと大変な問題を抱えておるぞ」

 「解術に間に合わない事より大変な事なんてないだろ」

 顔をしかめるタギツにサヨリはニコリと笑って答えた。

 「こいつら、封印の解き方を知らん」

 「………は?」

 文字通り目を点にしてタギツは水蓮とイタチを見た。

 額にいく粒か汗が浮かぶ。

 「いやいやいやいや。ハハ…そんなバカな。また妙な冗談を…」

 「本当だ。何も知らんのだ」

 「本当に?」

 「ああ。本当だ」

 サヨリの後ろで水蓮とイタチも申し訳なさそうにうなづいた。

 タギツは数秒黙り込み、自身を落ち着かせるように大きく息を吐き出した。

 「それでよく一つ目を手に入れたな…」

 感心とあきれを交えたその言葉に水蓮とイタチが「なんとか…」と声を重ねた。

 タギツはもう一度深呼吸をしてくるりと背を向けて歩き出した。

 「とにかく、来い。急がねばならない」

 水蓮、イタチ。そしてサヨリは顔を合わせてうなづき合い、後に続いた。

 「ボクが知っているのはただ封印を解く際に守り主をけっして傷つけてはならないという事だけだ」

 サヨリと同じその事を話し、タギツは歩みを進める。

 先ほどと似たつくりの部屋を出るとやはり大きな庭があり、美しい花や木が並ぶその中心を激しい流れの川が走っていた。

 「こっちだ」

 つい景色に目を奪われた水蓮とイタチを導くように声をかけ、タギツは川の流れに沿って進む。

 そしてほどなくして、一同は目的の場所にたどり着いた。

 「すごい…」 

 思わず言葉をこぼした水蓮の目の前には、大きな海が広がっていた。

 「きれいな海だな」

 イタチのつぶやきが潮の香りのする風に溶けてゆく。

 

 足元の地面から海面までは1メートルほどの高さで、時折打ち付けた波にしぶきがたち肌に冷たさを感じる。

 海水は今までに見たことがないほど美しく透き通ったエメラルドグリーン。

 はるか先の地平線で、その緑と空の青が絶妙なグラデーションを描いて交わっている。

 

 「とにかく、ボクはボクの役目を果たす。あとはお前たちがやれ。必ず何かが残されているはずだ」

 

 タギツがそう言うとその隣に一人の男性がさっと姿を現した。

 年はイタチと変わらぬように見え、少し目じりの下がった眼が柔らかい雰囲気を感じさせる。

 髪はまるで目の前の海の色を取り込んだような美しいエメラルドグリーン。

 少し長く伸ばされたその襟足が風にふわりと揺れた。

 「ハヤセ。すぐにとり行う」

 「承知しました」

 ハヤセと呼ばれた男性は胸元で手を合わせて力を練り、そこに生まれた光をタギツの笛に注ぎ込んだ。

 そして精悍な声を響かせた。

 「三光のかけらを預かりし我らの生きるこの地の神。タギツ姫の(みこと)の名のもとに、長き眠りより守り主を呼び起こす」

 タギツが笛を美しく奏で、言葉に力を込めた。

 「目覚めるのだ!出雲!」

 

 カッ!

 

 海の中で大きな光がはじけた。

 数秒後光の中心に大きなチャクラを感じイタチと水蓮が目を凝らす。

 その光を切り裂き、激しいしぶきを上げてそれは姿を現した。

 

 ザバァァァァ!

 

 大きな音を立てて海中から飛び出した存在に、イタチと水蓮が言葉をなくす。

 二人とも見たことのある生き物であった。

 だがこれほどまでに近くで見たことはなく、その大きさと存在感に体が凍りついたように固まり動けなかった。

 

 

 ドォォォン!

 

 

 黒い巨体がすさまじい音を立てて再び海中へと戻り、先ほどよりも大きく上がったしぶきが水蓮たちを濡らした。

 しかし二人は濡れたことなど気にならぬほどの驚きで、呆然とただ海面を見つめた。

 ややあって海が静けさを取り戻し、イタチと水蓮がかすれた声でつぶやくように言った。

 

 「クジラ…」

 「…だね」

 

 二人が見つめるその先で、かけらの守り主であるクジラが激しくしぶきを噴き上げた。

 

 

 「あれが三光のかけらを持つ守り主、出雲だ。あ奴を決して傷つけず封印を解け」

 

 「………」

 

 その方法が分からない二人は言葉を返せなかった。

 それでもやはりやる以外にない。

 神妙な面持ちでうなづきを返し、とりあえず先ほどと同様に水蓮が感知であたりをさぐる。

 「どうだ?」

 少しの時間を置きイタチが問う。

 水蓮はそれに首を横に振った。

 「何も感じない。さっきみたいに術の気配はしない」

 「そうか」

 イタチは短くそう返すと自分も調べてみると、万華鏡を開き辺りを見回す。

 しかし何も見つけられず「ダメだな」と小さく息を吐き、難しい顔で考え込んだ。

 その様子に、ハヤセが「あのぉ」と声を上げた。

 「もしかして、解術の仕方知らないんですか?」

 気まずく顔を反らした水蓮の隣でタギツがため息をつく。

 「そうらしい」

 「えー!ほんとに?ホントに何も知らないんですか?」

 ハヤセのその声は焦りや驚きというよりは、どこか少しからかったような色が見える。

 「いやいや。そんなことあります?ちょっとびっくりなんですけど」

 びっくりという割にはそんな様子はなく、口元には笑みすら浮かんでいる。

 「おいハヤセ。面白がるな」

 「だって、タギツ様。ありえなくないですか?一三〇年間我々が待ち続けたこの瞬間に、ようやくやってきた二人が方法を知らないなんて。もうありえなさすぎて笑えますよ」

 ハヤセは「アハハ」とついには声を上げて笑い出した。

 それをイタチと水蓮はどこかいたたまれない気持ちで見つめる。

 剣の封印に関しての経緯は詳しくわからないが、今のハヤセの言葉を聞く限り彼らは一三〇年の間封印が解かれる日を待ち続けてきたようだ。

 その待ち望んだ瞬間にやってきた自分たちが何も知らない。

 もし逆の立場であったら、自分もあり得ないと驚愕したかもしれない。

 それでも、あまりに笑い続けるハヤセに水蓮は少しむっとした顔を向けた。

 「そんなに笑う事ないでしょ…」

 知らぬことは自分たちのせいではないのだ。

 それぞれに仕方のない状況があっての事。

 戸惑っているのは自分たちも同じなのだ。

 「悪いね。あいつはまぁ何というか…ああいうやつなんだよ」

 タギツは水蓮にそう言ってからハヤセの頭を軽くたたいた。

 「何でもかんでも面白がるな」

 「だってタギツ様」

 「まぁ、確かにありえない…というのはボクも同意見だけどさ」

 「ワシもそう思ったがな」

 ハヤセ、タギツ。そしてサヨリの視線に、水蓮とイタチは無言を返す。

 「兄さんはさぞ驚いていたでしょうね」

 ハヤセの言葉にサヨリが小さく笑う。

 「ああ。真っ青になっておったぞ。お前と違って市杵はばかまじめだからな」

 「兄弟なのか」

 イタチに問われハヤセがうなづき、サヨリが答えた。

 「そうだ。三光りのかけらをワシら三姉妹が一三〇年の間守り続け、そのワシらをこいつら三兄弟が守ってきた」

 「最後のかけらはボクたちの長姉が守っているんだ」

 「その姫神を守っているのが、私たちの長兄です」

 「へぇ…って。一三〇年…ずっと?」

 目の前にいる三人も先ほどの場所に残った市杵も若く、水蓮は首をかしげた。

 「ワシらはこう見えても神の力を持つ者だ。お前たち人とは違う」

 「ボクたちはもう一三〇年以上生きてるんだよ」

 自分たちの知識と常識では計れないその内容に水蓮とイタチは顔を見合わせた。

 「まぁ、もともとは人間でしたけどね」

 「え?」

 「どういうことだ…」

 ハヤセの言葉にさらに混乱が深まり二人は顔をしかめた。

 だがサヨリから返されたのはその答えではなかった。

 「今ここでこの話をしている時間はない」

 タギツも「そうだ」と言葉を続ける。

 「とにかくお前たちはなんとしても解術の方法を見つけて封印を解くんだ。早くしないと大変なことになるよ」

 幾度か聞かされるその事が気にはなる物の、それを聞く時間はないのだろう。

 水蓮とイタチはうなづき海へと視線を向けた。

 見つめる先では出雲が少しだけ鼻先を海面にだし、こちらをじっと見ているようだった。

 醸し出される雰囲気はほんの少しの穏やかさもなく、警戒と攻撃的な気配。

 その色をそのままに海中に一度身を沈め、勢い良く跳ね上がった。

 

 

 ドォォッ!

 

 

 激しい音を立てて海面を巨体でたたきつける。

 

 出雲はそれを数回見せて、離れはしないもののせわしなく泳ぎだした。

 「やはりまずは動きを完全に止める必要があるな」

 「そうだよね」

 八雲の時と同じくあの巨体にスサノオで近づけば戦闘になりかねない。

 「何かそう言う術はあるか?」

 問われて水蓮はかぶりを振った。

 いくつかの封縛の術はある。

 だが、感知が捉える出雲の力を抑えられるほどの封縛の術となると、それなりの術式を敷く必要がある。

 しかし、あたり一面海であるこの場所では術が敷けない。

 水には術をかけないのだ。

 その説明にイタチは「そうか」とつぶやき、その場に腰を下ろした。

 「とりあえず考えよう。落ち着いて色々と思い出してみよう。今までの事を」

 先ほどイタチがシスイとのかかわりの中にヒントを見つけたように、今までの人生の中に答えがあるのかもしれない。

 水蓮もうなづいて隣に座った。

 「何かわかったら声をかけてくれ」

 タギツはサヨリとハヤセと共に少し離れた場所にある岩に座りひらひらと手を振った。

 それを横目に流し、二人は海を見つめてこれまでの時間をさかのぼって行った。



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第百章  【弐のかけら】

 どれほどの時間が経ったか…

 

 イタチと水蓮はこれといったヒントを見つけられずため息をこぼした。

 

 海…空…クジラ…

 

 それらに関する知識や思い出をたどっては見るが、どれも手掛かりになるようには思えない。

 

 水蓮は焦っていた。

 

 サヨリとタギツの時を急く言葉。

 ゆっくりしている時間はない。

 

 それに、まずは出雲の動きを止めなければならないということは…先ほどと同じくまず必要なのはおそらく自分の力だろう。

 だが何も思い浮かばない。

 どれほど考えても、水中にいる出雲に使えるような有効な術が思い浮かばなかった。

 

 イタチはどうなのだろうかとちらりと見ると、目を閉じて静かに考えをめぐらせているようだった。

 相変わらず落ち着いたその空気に、自分もとにかく落ち着こうと目を閉じた。

 

 視界を閉ざすと、周りの空気が先ほどまでと違うように感じ、色々な物を目に映して考えるより集中することができた。

 

 目ではなく体に感じる日の光、潮の香り、そして風の音。

 

 それらが少しずつ水蓮の心を落ち着かせていった。

 

 しばらく時間がたち、海面を吹き流れる風の音に身を浸していた水蓮とイタチがなにかに気づいたように同時に目を開いた。

 

 自然と顔を見合わせた二人は「風が…」とつぶやいた。

 

 

 やはり…

 

 

 お互いに同じことを感じたのだと確信し、二人は再び目を閉じる。

 

 海から流れてくる風が二人の耳にかすかな音を残す。

 そこには何かの法則的な物を感じる。

 

 風の強弱が一定のリズムを感じさせ、耳に届く音はまるで…

 

 

 「歌…」

 

 

 水蓮が立ち上がってポツリとつぶやいた。

 

 

 二人を包むように流れるその風の中に、メロディを感じたのだ。

 

 そしてそれは、水蓮の知る物であった。

 

 幼いころに母がよく歌って聞かせてくれたものだった。

 

 

 自然とその歌が水蓮の口から紡ぎだされた。

 

 優しくやわらかなその歌を、沖の方にいる出雲が聞きとめほんの少しこちらに近づいてきた。

 そしてあたりに響き渡る声で一つ鳴き声を上げた。

 

 それと同時に水蓮の体が薄赤く光り、溢れたその光が出雲に向かって伸びだした。

 

 「歌に術が組み込まれているのか…」

 イタチが立ち上がり水蓮を見つめる。

 その視線の先で水蓮の髪が赤く染まり始めた。

 歌いながら戸惑う水蓮に、イタチが「続けろ」と安心させるように優しく言う。

 

 水蓮がうなづくとそばにタギツが走り寄ってきた。

 「見つけたか!」

 「そのようだな」

 三人は並んで出雲に目を向ける。

 だが水蓮の体からあふれた光は、出雲までは届かずその中腹辺りで止まっていた。

 「ここからでは届かないみたいだな。イタチ…」

 「ああ」

 イタチはすぐに意を解してスサノオを発動させた。

 「これがオレの役割りか」

 「……っ」

 水蓮がイタチの身を案じて目を向ける。

 先ほど封印を解くのにチャクラを使ったばかりだ。

 どれほどのチャクラを要したのかは分からないが、剣を封印していた術。消費が少ないわけがない。

 だがイタチは「これくらいは大丈夫だ」と笑った。

 確かに以前見たものよりかなり小さい。

 それでも体への負担はあるはず。

 水蓮は不安の色を見せた。

 「お前は歌に集中しろ。オレが連れて行ってやる」

 柔らかいその笑みに、イタチの体が気がかりなものの水蓮はうなづいた。

 

 「イタチ。かけらはいったんボクが預かる」

 「わかった」

 グッ…とイタチがチャクラを練ると、3人の体がスサノオの中でふわりと持ち上げられた。

 スサノオが静かに足を踏み出し、体を海の中へと沈めて行った。

 

 

 海中を進み出雲に近づくとその巨体がゆらりと動き、歌う水蓮に正面を向けた。

 水蓮は一度歌い終えたそれをもう一度始めから紡いだ。

 

 次第に母の事を思い出し切なくなる。

 そしてその歌詞に、涙がこぼれた。

 

 

 【あなたは元気でいるのかな

 

 大切な人と出会えたかな

 

 描いた夢は叶えたかな この青い空の下】

 

 

 それはまるで親から子への手紙のよう…

 

 

 【記憶の中決して消えない

 

 輝くいく千の光の粒

 

 つないだこの手のぬくもり 溢れる愛しさも】

 

 

 水蓮の大切な思い出のよう…

 

 

 【どうか泣かないで 一人で泣かないで

 

 あなたを襲う雨の夜も 凍えるような息白い朝も

 

 

 そばにいるよ たとえ見えなくても

 

 孤独になる事はもうない

 

 あなたの帰る場所はここにある】

 

 

 そしてイタチを包み込むような優しさ…

 

 

 【ずっと この故郷で あなたを待っている】

 

 

 

 そのすべてがあまりに優しく、そして温かく…

 水蓮は涙を止めることができなかった。

 

 イタチもまた水蓮の隣で瞳を揺らした。

 

 歌に合わせるように出雲も柔らかい鳴き声を重ね、その何とも言えない優しさが余計に涙を誘った。

 

 

 やがて、出雲は水蓮の放つ光にすっぽりと包み込まれ、荒れた様子をすっかり消してスサノオにそっと頭をつけた。

 

 「待っていてくれたの?」

 

 ここで自分を待ち続けていた出雲に、水蓮は笑みを向けた。

 

 スッと近づき、スサノオの光越しに出雲の頭に額をつけた。

 

 光りは徐々に薄れて消えたが、そこに何か特別な力が働いている様子が感じられた。

 

 イタチが不思議そうに見つめる先で、水蓮は瞳を閉じて出雲の存在に意識を集中させてゆく。

 そこに生まれた感覚。それはイタチの夢の中へ入り込む時と同じ物であった。

 

 「出雲の意識の中に入っている」

 

 タギツの言葉にイタチが目を細めた。

 

 「そんな力が…」

 

 驚きの声をこぼしたイタチが見つめる中、水蓮はややあって静かに出雲から離れて目を開いた。

 

 出雲から受け取った術式は、うずまき一族の封印術であった。

 すぐさま印を組んで出雲に手を当てる。

 

 「解!」

 

 イタチの時同様水蓮を中心に風が吹きあがり、赤い髪を揺らした。

 出雲の体がまばゆい光を放ち、そのおさまりの中に小さな光の粒が残された。

 

 「よし」

 

 タギツがそっと両手でそれを包み込み、胸元にあてて吸い込んでゆく。

 

 「………っ」

 

 やはり強い力が体内を荒らすのか、タギツはしばらく顔をゆがめてそれに耐え、ややあって大きく息をついた。

 

 「確かに預かった」

 

 イタチと水蓮がうなづく。

 と、出雲の体が再び光り、その光と共に徐々に小さく縮んでゆく。

 シャチほどの大きさにとどまり、出雲はその場で軽く一回りしてから再び水蓮の正面に身をとどめた。

 ふわりと出雲の放つ光が揺れて、スサノオの中に入り込み水蓮を包み込んだ。

 「…え?」

 戸惑う水蓮の体が出雲に引き寄せられ、スサノオの外へと連れ出された。

 出雲の光りのおかげか海水にぬれることはなく、呼吸もできる。

 水蓮は不思議な感覚で海中にふわふわと身を浮かべていた。

 

 不意に出雲が水蓮に体を摺り寄せた。

 

 「わわ…」

 

 体を軽く押し上げられ戸惑う。

 出雲はまるで水蓮と遊んでいるように楽しげに数回繰り返した。

 何度目かに水蓮は出雲に向かって両手を広げた。

 

 「おいで…」

 

 出雲はその腕の中に身を寄せ柔らかい声で一鳴きした。

 

 

 フォォ…ォォン

 

 

 その声が海に溶けて消え、水蓮の体がスサノオの中に戻される。

 

 もう一度出雲が鳴いた。

 その声に応じて水蓮の目の前に巻物が現れ開かれた。

 

 「自分の血で名を記すんだ」

 イタチの言葉にうなづき、水蓮はクナイで親指を斬り、こぼれた血で巻物に名を記した。

 

 「待たせてごめんね」

 

 自分をじっと見る出雲に微笑みかけ、水蓮は最期に血判を押した。

 

 巻物がすぅっ…と消え、出雲もまた穏やかな鳴き声を一つ残してその姿を消した。

 

 

 『出雲』

 

 イタチと水蓮の声が重なる。

 二人の胸中には何か不思議な感覚が広がっていた。

 

 

 

 「やれやれだな…」

 

 岸に戻ってきた水蓮たちにサヨリがふぅ…と息をついた。

 「どうなることかと思ったが…」

 「何とかなったね」

 同じようにため息をつくタギツ。

 二人は水蓮とイタチに目を向け、表情を和らげた。

 「何とか間に合ったな」

 サヨリがそう言い、タギツがうなづく。

 「ねぇ、何に間に合ったの?」

 こらえきれず水蓮が問う。

 しかし、やはり二人はそれには答えなかった。

 「話すと長くなるのだ」

 「全部終わってから姉者に聞いて」

 

 二人はうなづくほかなかった。

 

 

 「すぐに姉者のもとへ飛びたい所だけど、まずは着替えだね」

 「え?」

 「着替え?」

 タギツにそう言われ二人は一瞬首をかしげたが、出雲が始めに上げたしぶきで濡れたままであった事を思い出した。

 「最後のかけらが封印されているところは、少し特別な神聖な場所なんだ」

 ずぶ濡れとまではいかないが、これではまずいという事なのだろう。

 「こちらへどうぞ」

 ハヤセの案内にうなづき、水蓮とイタチはタギツ達の後に続いた。

 

 用意された服はタギツとサヨリの着ているものと同じ様なデザイン。

 どこかで見たことがある様な気がして、水蓮は記憶をたどった。

 「アオザイ…だったかな」

 以前ネットで見たことがあったなと思い出す。

 白い生地に薄い紅色の花の刺繍が施されており、裾がひらりと揺れ広がるものの軽くて動きやすかった。

 黒く戻った水蓮の髪の色が良く映え、何より…

 「かわいい…」

 こちらに来てからそういう物とほぼ無縁だったためか、少しうれしくなる。

 イタチはハヤセの服を借りたらしく、スーツのような服だった。

 細身のデザイン。グレーの生地に白とオレンジの糸で刺繍が施されていて、シンプルだが上品な貴族服のようであった。

 

 「イタチ、スゴイにあってる…」

 

 見慣れない姿だが整った顔立ちによく似合い、違和感がなくイタチの美しさが際立っていた。

 

 「なんだか落ち着かないがな…」

 イタチは苦い笑いを浮かべて、次に水蓮の姿に顔をほころばせた。

 「お前もよく似合ってる…。その…きれいだ」

 「……っ」

 

 水蓮の顔が一瞬で赤く染まり、イタチも気恥ずかしそうに顔をそむけた。

 

 二人の間に落ちた沈黙。

 

 サヨリとタギツの呆れた声がそれを打ち消した。

 

 「オイお前ら」

 「いちゃついてないで早くしろよ」

 

 水蓮とイタチははじかれたように顔を上げ、気まずく笑った。

 「ごめん…」

 「すまん…」

 

 

 

 一同はこちらへ来た時とは反対側にある建物へと向かった。

 中は何の仕切りもない広い空間で、中央に円柱型の柱が立っている。

 1メートルほどのその柱の上には丸い石が乗っており、サヨリとタギツがそこに手を重ねて置いた。

 「ハヤセ、留守を頼んだぞ」

 タギツの言葉にハヤセがうなづきかなりの距離を取って離れた。

 

 「行くぞ」

 「最後のかけらのもとへ」

 サヨリとタギツが神妙な面持ちでそう告げた。

 

 二人はうなづき返し、無意識のうちに手をつなぎ合わせた。

 

 

 

 …これですべてが揃う…

 

 

 

 そして終わりへと近づく…

 

 

 

 互いの手にギュッと力が込められた。

 

 その瞬間。

 

 サヨリとタギツの体から光が放たれ、足元にすさまじい速さで術式が広がった。

 

 

 

 音もなく、4人の姿がその場から消えた。



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第百一章 【最も重要な事】

 時空を渡る時間はほんの一瞬。

 瞬きほどのかすかな時間。

 その一瞬のはずの時間の中で、水蓮とイタチはここに来るまでの事をそれぞれに思い出していた。

 いや、正確には見ていた。

 自分たちが渡りゆく時空の中。

 周りの空間にこれまでの事が映像のごとく浮かび上がっていた。

 初めて出会った日。初めて行った町。暁からの初めての任務。

 これまでに出会った人。離れ、別れた人、命。

 

 イタチと共に歩んだこれまでの全てがそこに流れた。

 

 闇、痛み。悲しみ、苦しみ。

 

 様々な物が渦巻き、その中を必死に進んできた。

 いくつもの涙を流してきた。

 だけど、そこには確かに存在していた。

 

 確かに溢れていた。

 

 

 一緒に見た美しい景色。

 優しい時間。

 

 そして、笑顔と幸せが…

 

 

 

 互いの柔らかいその笑顔を見た瞬間。まばゆい光が視界を消した。

 

 

 そして二人は最後の地へとたどり着いた。

 

 

 

 「来たか」

 目を開くと同時に声がした。

 静かな声の主は長い黒髪の女性。

 水蓮と同じ年頃の見目。グリーンを基調にしたやはりアオザイのような服。

 サヨリとタギツが持つ笛と同じものを帯にさして携えている。

 「待っていたぞ」

 美しい顔立ちで、柔らかいまなざしを浮かべて水蓮とイタチを見つめる。

 「ようやくだな」

 ふわりと笑みを浮かべたその女性にサヨリとタギツが歩み寄る。

 「姉者。久しいな」

 「元気だった?」

 3人はよく似た顔立ちで笑みを並べる。

 「この前会ってからは30年ぶりか。二人とも変わりなく過ごしていたか?」

 色白な手を妹たちの頭に乗せる。

 そして水蓮とイタチにスッと身を寄せた。

 「わらわの名はタゴリ。よく来たな。イタチ。水蓮」

 「なぜ…」

 「私たちの名前を…」

 タゴリは柔らかく笑んで返す。

 「折々のお前たちの姿は見てきた。夢の中でな。お前たちの事は大体知っている」

 「姉者は夢の中で人の世の、重要と思われる出来事を見る力があるのだ」

 サヨリの言葉にタゴリが小さくうなづき、スッと水蓮に手を伸ばした。

 「辛きを乗り越え、よくここへたどり着いたな。水蓮」

 美しい指がそっと水蓮の髪を撫でる。

 そのしぐさがあまりにやさしく、思わず涙がこぼれた。

 その涙をそっとぬぐい、タゴリはイタチに言葉を向ける。

 「痛みに耐え、良くここまで来たな。イタチ」

 イタチはただ静かにうなづいた。

 タゴリは二人を改めて見つめ、フッと笑みをこぼした。

 「とまぁ、堅苦しいのはここまでだ」

 「え?」

 「ん?」

 突然空気を軽くしてあげられた明るく大きな声に水蓮とイタチが戸惑う。

 「いやぁしかし、お前たちがここへたどり着けてよかった」

 ガハハ…と見た目に似合わぬ豪快な笑いでタゴリは水蓮とイタチの背をバシバシとたたいた。

 「お…おい」

 「ちょ…い…痛い」

 そこそこな力でたたかれ、二人は軽く咳き込む。

 「ん?いやぁ、すまんすまん。嬉しくてついな」

 「変わらんな姉者」

 「二人とも大丈夫?姉者はバカ力だから」

 なおも背を叩こうとしたタゴリをサヨリが止め、タギツが水蓮とイタチを少し引き離した。

 「でもさ」とタギツがため息交じりに言う。

 「本当によくここまで来れたものだよ」

 「ワシも同意見だ」 

 腕を組んでサヨリも同じく息を吐き出す。

 しかしタゴリは一人落ち着いた様子で笑っていた。

 「何事もなるようにしかならず、なるようになるのだ。そう言うものぞ。心揺らすことはない」

 また、ガハハと笑う。

 「そうやって姉者は何でも楽観的に」

 「姉上、言うだけ無駄だって。前に100年ぶりに会った時も変わってなかった性格だよ。そこからたった30年。変わるわけないだろ。ボクはもうあきらめたよ」

 「しかしだなタギツ、ワシは」

 「そうやってしつこく追及するのが姉上の悪いところだよ」

 「なんだと、お前のそういうすぐあきらめる所の方がもっと悪いだろう」

 「ほっといてよ」

 「お前の方こそ」

 グッと顔を突き合わせ、今にも掴み合いをはじめそうな二人の間に、タゴリがすっと身を挟みいれた。

 「まぁまぁまぁ。お前ら、今は時間がない。下らん言い合いをしとる場合ではないぞ」 

 

 二人の妹をなだめた姉は「誰のせいだ!」との叱咤に肩を少し竦めた。

 「相変わらず怖いのぉ、お前らは」

 タゴリは二人の視線から逃れるように水蓮の肩を抱いて歩き出す。

 「これ以上あいつらを怒らせては厄介ぞ。早々にはじめるとしよう」

 「あ…う、うん…」

 

 

 長い廊下を静かに進む。

 広がる景色は何とも不思議な光景であった。

 

 

 立ち並ぶ木々は美しく紅葉しているが、ある個所を境に雪景色へと変わっている。

 そしてまた少し進むと赤や黄色の木々が並び、また白い景色に変わる。

 その境目はきっちりとまっすぐ、定規で線を引いたように区切られていた。

 「ここには秋と冬が同時に存在している。サヨリの空間は春。タギツの場所は夏だ」

 庭を見回してタゴリは「面白いだろう」と小さく笑う。

 「気温は特に差がない。過ごし良い状態が保たれている。まぁ、少し飽きるがな。ずっとこうだから」

 浮かべたままの笑みが少し切なげに見えた。

 だがすぐにその色を消して、タゴリは水蓮の周りをくるりと楽しそうに回って目を細めた。

 「しかし良く似合っておるのぉ」

 「え?あ、さっき借りて…」

 少し身を揺らした水蓮の動きに、ふわりと裾が揺れる。

 タゴリはうんうんと満足そうにうなづいて「かわいいのぉ」と、うれしそうに笑った。

 「姉者がこの間ボクのところに置き忘れていったのを使わせてもらったよ」

 「二人とも出雲のしぶきでぬれてしまったからな」 

 タギツとサヨリの言葉にタゴリはまた大きく笑う。

 「そうか。出雲め、わざとやりおったな」

 「わざと?」

 水蓮が首をかしげる。

 「あいつも随分お前を待っておったからな。いじけていたのだろう。まぁ、八雲はそんな事はないだろうがのぉ」 

 「ああ。とくに、そう言った事はなかった」

 荒れた様子を見せはしたものの、結局は何も攻撃して来なかった。

 イタチがそれを伝えると、タゴリは「そうだろうな」と答えた。

 「八雲は冷静にやるべきことをこなすタイプだが少し固い。出雲はまっすぐで純粋だがどうにも感情的だ。お前たちそのものだろう」

 図星を突かれたような気になり二人は言葉に詰まる。

 そんな二人の後ろからサヨリとタギツが『確かに』と声をそろえた。

 「この度のお前たちを見てもそうだったが」

 「変わらないよね。そう言うところ」

 

 …変わらない…?

 

 その問いを水蓮が口にするより早く、タゴリが静かに告げた。

 

 「ここだ」

 

 一同の目の前には、大きな白い開き扉がそびえていた。

 

 タゴリが右手をかざすと静かに扉が押し開かれた。

 中はこれまでと同じように特に何もない広い空間。

 

 その中心に一人の男性が立っていた。

 「市杵とハヤセの兄、八尋(やひろ)だ」

 サヨリの言葉に、八尋が美しく辞儀をした。

 ダークブラウンの短い髪。少し細い目の奥に見える瞳は赤く、黒一色のシンプルな着物姿。

 見た目にイタチよりいくつか年が上に見える。

 「お久しぶりでございます。サヨリ様。タギツ様」

 「うむ」

 「久しぶりだね八尋」

 八尋は再び二人に頭を下げた。

 「市杵とハヤセはご迷惑をおかけしておりませんか?」

 「よくやってくれている。市杵はまぁ、相変わらずバカまじめだがな」

 「ハヤセもちゃんとやってるよ。こっちもまぁ相変わらず…なんでも楽しんでる過ごしてるよ」

 苦笑いを浮かべた二人に八尋は「そうですか」と静かに笑みを浮かべた。

 「何かありましたらいつでもワタクシをお呼びつけください。お二人にご迷惑をおかけするようなことがあってはいけませんから」

 ニコリと笑みを重ねる。

 だがその笑みが何か凍りつくような気配をまとっていて、思わず水蓮が喉を鳴らした。

 「あ、わかる?」

 タギツが少しいたずらな笑みを浮かべた。

 「八尋は怒るとめちゃくちゃ怖いんだ」

 「前にワシのところで市杵に切れたときは、崖が何個か消えた」

 「それでもほんのちょっとの力だよ。本気出したらボクたちのいる空間だって消し飛んじゃうかも」

 軽い口調の二人に水蓮とイタチは小さくつぶやく。

 

 「空間が…」

 「消し飛ぶ…」

 

 

 それはいったいどういう物なのか…

 そもそもここはどういう場所なのか…

 

 水蓮は、はたと思う。

 

 自分達はいったいどこにいるのだろうかと。

 

 

 そんな根本的な事を今の今まで考えずにいた。

 必死で考える間がなかった。

 

 だがよくよく考えてみれば、時空間移動し、不可思議な景色溢れる空間にたどり着き、神の力を受け継いでいるという人物に出会う…。

 

 あまりにも…

 

 「現実離れしている…か?」

 

 水蓮の表情に心を読み取ったのかタゴリがフッと小さく笑った。

 うなづきを返した水蓮の隣でイタチも同じようにうなづく。

 「そうだな。今まで目を背けたくなるような厳しい現実を生きてきたお前たちには、ひどく非現実な事であろうな」

 「だがワシらは現実にここにこうしている」

 「それ以外の事なんてそう気にする事じゃないよ。ボクたちがこうして出会えたことが最も重要な事なんだからさ」

 タギツはそう言って「というか…」とくすくす笑ってイタチを見た。。

 「非現実的の塊みたいな剣を手に入れようとしているお前が、何をいまさら」

 「その通りだ。いかなるものをも永久に幻術世界に閉じ込める最強の剣なのだからな。ワシらのその度合いなど可愛らしい物だ」

 

 確かにそうかもしれない…

 

 水蓮とイタチは顔を見合わせた。

 

 「ところでお前たち。無駄話が過ぎるぞ。そろそろ始めんと間に合わんぞ」

 「そうだな」

 「うん」

 

 3姉妹は強くうなづき合って水蓮たちの前に歩み出て背を向けた。

 タゴリを中心に横一列に並び、静かに一つ呼吸をする。

 

 「飛ぶぞ」

 

 タゴリの一言に水蓮とイタチはとっさに手をつなぎ合わせた。

 

 すっ…と掲げられたタゴリの右手からまばゆい光が放たれ、全員の姿が一瞬でその場から消えた。



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第百二章 【参のかけら】

 全身を襲った浮遊感。

 そのおさまりと共に目を開く。

 

 そこには限りなく黒に近い濃紺に染まる空間があるのみで、その中に自分たちが浮いているのだと気づく。

 

 「わ…」

 

 落ちたりはしない。

 だが思わずイタチの腕にしがみついた。

 「大丈夫だ。足元はしっかりしている」

 イタチの言うように、見えはしないが足場はしっかりとしていて、透明な床の上にいるような感じであった。

 

 「ここはわらわの作り上げた空間だ」

 タゴリが黒い長笛を手に取り八尋に差し出す。

 そこに八尋が練り上げた力を注ぐ。

 「この中にさらにもう一つ時空間を作ってある。その空間ごと最後のかけらを封印しているのだ。まずその空間の封印を解く」

 「そしてその空間の封印は」

 「ボクたち3人が揃わなければ解けない」

 それぞれに笛を構え、何もない空間の中に見事な奏でを響かせてゆく。

 その音を受けて空間の中に小さな光が生まれ、濃紺一色であった空間に広がりゆき、それに導かれて描かれていくかのように景色が生まれた。

 

 しばらくして空間の全てが彩られ、そこに現れたのは深く美しい森であった。

 その中の開かれた場所には小さな泉があり、タゴリ、サヨリ、タギツがそこへと向かって歩き出す。

 

 「あなた方も」

 八尋がそう言って水蓮とイタチを促した。

 「行こう。イタチ」

 水蓮が手を差し出す。

 「ああ。行こう」

 イタチが強くその手を握りしめた。

 

 泉の前で姉妹が水蓮とイタチを見つめる。

 「かけらはこの泉の中に封印されている」

 タゴリの言葉を受け、水蓮は不安げな表情を浮かべた。

 今度はどうすればよいのか…。

 またその方法を探さなければならないのだ…。

 

 「心配するな」

 

 その思考を読み取ったのかタゴリがフッと笑った。

 

 「ここにおいて、お前たちがしなければならないことは何もない」

 「え?」

 うつむいていた視線を上げた水蓮に、サヨリが笑みを向ける。

 「ワシとタギツがかけらを持ちここに来ること。それが最後の封印を解くカギだ。あとは姉者の術で最後のかけらを封印から解き放ち、再生する」

 「まぁ…やることがあるとすれば、祈るくらいかな」

 そう言ってニッと笑ったタギツにイタチが首をかしげた。

 「祈る?」

 水蓮の問いかけに3姉妹は低く鋭い声で答えた。

 「そうだ。この剣を欲するその理由を。お前たちの願いを」

 「それがボクらの力にもなり…」

 「剣の力にもなるのだ」

 最後にタゴリが力強く声を響かせ泉に身を向け印を組む。

 合わせてサヨリとタギツがかけらをその身より取り出した。

 かけらは泉の水の少し上に漂いふわりと浮かびとどまった。

 

 「ワタクシの後ろにいてください」

 八尋が水蓮とイタチをかばうように前に立ち、スッと右手を体の前に持ち上げた。

 その手のひらから薄い紫の光があふれ出て、八尋と水蓮たちを包み込む。

 「結界か…」

 「かなりの衝撃が予想されます。備えてください」

 イタチにほんの少しだけ振り向いて笑みを見せ、八尋はすぐに前に向き直る。

 水蓮とイタチは身構えながらも手をつなぎ目を閉じて祈る。

 

 その祈りは、口に出さずとも同じであった。

 

 

 サスケを救いたい…

 

 サスケの力がいつかこの世界を救えるよう…

 

 導けるように…

 

 

 この世界に生きた人々…

 今を生きる人々…

 そして、未来を生きる子供たちのために…

 

 

 

 この世界の平和のために

 

 

 

 

 強く、強く祈られたその想い。

 

 まるでその想いの強さを受け取ったかのように、タゴリの体から何か大きな力があふれ出るのを感じた。

 

 

 閉じた瞼の向こうにその存在を感じ、水蓮とイタチが目を開き息を飲んだ。

 

 印を組み続けるタゴリの体が黄金に光り輝いていたのだ。

 

 チャクラではない何か別の力がそこに感じられる。

 

 タゴリはその光をまとい最後の印を組み、泉に手をついた。

 

 「解!」

 

 

 その瞬間。

 

 

 どうんっ!

 

 

 深く重い音がすさまじい音量で響き。

 まるで爆発を起こしたかのように泉から光が広がり、走り、空間の中を白く染めた。

 連動して嵐のごとき風が吹き荒れ、タゴリ達の衣を激しく揺らす。

 激風は八尋の結界をもすり抜け、飛ばされるほどではないにしても水蓮とイタチに強く吹きつけた。

 「……っ」

 「…く…」

 すさまじい勢いに一瞬呼吸を止められる。

 イタチがすかさず水蓮を抱きしめて風から守った。

 

 目を開けていられないほどのまばゆい光。

 それは極限まで広がり輝き、少しずつおさまりを見せ、最後には小さな粒となって形をとどめた。

 

 事の収まりを十分に確認して八尋が結界を解く。

 水蓮とイタチは泉の上に浮かぶ3つのかけらに近寄った。

 

 先の二つの緑色のかけらの中心にふわりと浮かぶそれは濃い赤色。

 

 大きさはやはり蛍の光ほどの粒…

 

 こんなにも小さなかけらにあれほどまでにすさまじい力が…

 

 思わず水蓮の喉がごくりとなった。

 「一番強い力を持つかけらをここで封印していたのだ」

 タゴリの言葉にイタチがうなづく。

 その瞳にはすべての感情を読み切れない複雑な色が浮かんでいた。

 隣では水蓮もまた言葉に表せない気持ちで佇んでいた。

 

 

 かつてイタチから聞いた過去の話が順を追ってよみがえる。

 

 

 

 幼いころに戦場を目の当たりにし、争いをなくしたいと願った。

 その人生の中で、悩み、迷い、苦しみ…失い…それでもと進んできたイタチの最後の望みを叶える物…

 

 それが十拳剣。

 

 やっと手に入れることができる。

 

 探し続けてきた剣がここにある…

 

 

 すっ…と、水蓮の視線が落ちた。

 イタチの望みが叶う事を願ってきた。

 うずまき一族が…母が受け継いだものを自分が形にし、たどり着いたことも喜ぶべきことだ。

 

 よかった…

 

 

 その気持ちは嘘ではなかった。

 それでも、本当は心の奥底にずっとあった…

 

 

 

 

 見つからなければいい…

 

 

 

 

 そうすれば、もしかしたら別の道があるかもしれない。

 そうでなくとも、見つかるまで…それまでは一緒にいられるかもしれない。

 

 

 それはどうしても消しきれなかった想いであった。

 だがもし剣が見つからなくても、近くイタチはきっとサスケと戦っただろう。

 なんとかしてサスケを救い、そしてサスケに討たれる。

 

 その事はきっと変わらない…

 

 だから剣が見つかってよかったのだ

 

 イタチの望む最高の形で、イタチの望みが叶うのなら、これでよかったのだ…

 

 「よかったね。イタチ」

 

 笑顔でイタチにそう言った。

 それでも、瞳からは大粒の涙が次々と溢れていた。

 イタチは無言で水蓮を抱きしめた。

 水蓮の体が小さく震え、その体を支えるイタチの腕も同じように震えた。

 

 

 そこに水蓮は感じ取っていた。

 

 

 イタチも同じだったのだと…

 

 深い決意を持ちながら、同じように葛藤と結論を繰り返し、切なさの中を歩んできたのだ。

 

 

 

 タゴリ達は静かに二人を見守っていたが、ややあって水蓮とイタチの前に並んだ。

 

 「剣を再生する」

 タゴリの声が低く響き、水蓮とイタチがゆっくりとうなづく。

 「では、ワタクシは先に戻ります」

 八尋が静かに頭を下げた。

 「うむ。あちらを頼むぞ」

 「はい。お戻りをお待ちしています」

 ゆっくりとした動きで美しく辞儀をし、八尋は穏やかに笑んで姿を消した。 

 「元いた空間は八尋の力で安定しているのだ。あ奴が長時間離れるとうまく保てない」

 タゴリの言葉に、他の二つの空間もそうなのだろうと、市杵とハヤセがその役張りを果たすために残ったのだと知る。

 「始めるぞ」

 鋭く放たれたタゴリの一言に一気に緊張が走り、水蓮は胸元をキュッと握りしめた。

 

 

 

 それは本当に静かな執り行いであった。

 

 

 泉の上に浮かぶ3つのかけらをタゴリが両手で包み込んで一つにし、そっと泉に沈める。

 

 

 ただそれだけ…

 

 

 タゴリが泉から手を出すと、泉の水が静かに空へと舞いあがり、直径1メートルほどの球形となって空中にとどまった。

 時折ゆら…と揺れるその中には、小さな光。

 

 「イタチ。スサノオだ。ありったけの力でやれ」

 

 タゴリの言葉にイタチはほんの少し間をおいてうなづいた。

 その一瞬の間…。その意味を感じ取り、水蓮はイタチの背に手をついた。

 

 「水蓮」

 

 肩越しに振り返るイタチに答える代わりに、水蓮はイタチにチャクラを注いだ。

 

 

 これまでの出来事でイタチのチャクラはかなり消費されている。

 しかも先ほど一度スサノオを使ったばかり…

 

 

 【ありったけ】と言えるほどのチャクラがもう残っていないのだ…

 

 

 ぐっと力を入れてチャクラを練り上げる。

 そこにあふれた自身のチャクラに、水蓮は九尾のチャクラを合わせてゆく。 

 赤みを帯びたオレンジ色のチャクラに二人がつつまれてゆく。

 

 「任せて」

 

 力強いその言葉にイタチは「頼む」と笑みを見せ、回復した力で極限までチャクラを練り上げた。

 

 

 …ざぁ…っ…

 

 

 地面から風が巻き上がり、スサノオが存在を現す。

 先ほどの物とは比べ物にならない。

 大きさも、その身に帯びるチャクラの強さも、放たれる力の質量も…

 

 ゴゴ…と、地響きが鳴り、風を音たたせながらスサノオはさらに大きくなる。

 その風の音が、オォォォォォッ…と、まるで雄叫びのように辺りに響いた。

 

 

 「……っ!」

 

 あまりのすさまじさに、水蓮のチャクラが少しの遠慮もなく吸い取られてゆく。

 額に大粒の汗が浮かび、一瞬めまいを起こす。

 その揺らぎに離れかけた水蓮の手をイタチが掴み取った。

 

 見上げるとイタチの額にも汗が浮かび、そのいくつかが流れ落ちた。

 

 

 水蓮はギュッとイタチの手を握りしめさらにチャクラを練り上げた。

 同時にイタチもスサノオに力を注ぐ。

 

 

 二人の間には何の迷いもひるみもなかった。

 

 

 互いを信じる想いだけがそこにあった…

 

 

 

 二人の体が浮かび上がり、スサノオの額辺りで止まる。

 ちょうどその正面に、泉の水の球があった。

 

 イタチが力を操り、スサノオの手が光りに伸ばされた…



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第百三章 【その両の手に】

 泉の水に包まれた光はすぐそこにある…

 

 だが、伸ばしたスサノオの手が見えない力に押し戻される。

 「……くっ!」

 その力はスサノオの体をも押しのけようとし、イタチが表情を厳しくした。

 

 「押し負けるな!」

 

 タゴリの声が聞こえ、イタチがさらにチャクラを練る。

 水蓮もそれに合わせイタチの手をギュッと強く握った。

 

 

 剣の押し返そうとする力、それはまるで磁石が反発し合うようなつかみどころのない力で、隣にいる水蓮にも襲う。

 「離すな」

 絞り出すようにそう言ってイタチが水蓮を抱き寄せる。

 「うん」

 うなづいてイタチの体に抱き着く。

 その体は出会ったころに比べるとずいぶんと細くなっていて、思わず涙がこぼれた。

 

 「負けないで」

 

 溢れる涙と共に言葉がこぼれた。

 

 言い表しきれない色々な思いが込められていた。

 

 「負けないで」

 

 イタチの腕にグッと力が込められた。

 

 見上げると、イタチは強いまなざしで正面を見据えていた。

 きつく結ばれていた口端が笑み…一言…

 

 「負けはしない」

 

 それが放たれた瞬間。まるでその想いを跳ね除けようとするがごとく、剣の発する力が強まった。

 先ほどよりも強い力が水蓮とイタチを押し飛ばそうとする。

 

 スサノオの足がズズ…と地面を後ずさった。

 その足を何とか地面に縫い付けようとイタチの意識とチャクラががそちらに向く。

 イタチのチャクラが削られ、水蓮が注ぐ。しかしすぐに描き消えてゆく。

 

  

 このままじゃ…

 

 

 

 

 水蓮はグッと奥歯をかみしめた。

 イタチのチャクラも自分のチャクラももう限界が近い。

 今よりスサノオがほんの少しでも小さくなれば飛ばされてしまう。

 

 

 でもイタチの言うように…ここで負けたりはしない…

 

 

 諦めるわけにはいかない…

 

 

 水蓮は意を決したようにイタチの前に立ち、見えない力をその身一つに受け止める。

 限界を感じながらも必死に練り上げた九尾のチャクラが二つに分かれ、一つはイタチの回復に。そしてもう一つは何とかスサノオを守ろうとその前に壁となっては消え、また壁になろうとする。

 その繰り返しの中、水蓮はあきらめずにチャクラを練り続ける。

 「よせ!水蓮!」

 イタチの制止の声を受けてもそれをやめず、グッと体に力を入れて細く小さな体で必死にイタチをかばう。

 

 

 自分にはこの力を跳ね返すような術がない…

 

 それでも何者にも負けない物がある…

 

 水蓮はキッ…と強いまなざしで光を見据えた。

 

 

 イタチの望みを叶えたい…

 

 命を懸けたその望みを…

 

 

 そのためにイタチを守りたい…

 

 

 その想いは誰にも、何にも負けない!

 

 たとえそれがほんの少しだとしても、自分のできうる力全てをかけて…

 

 

 イタチを守りたい!

 

 

 深くその想いが胸に祈りこまれた瞬間…

 

 

 水蓮の目の前…スサノオの壁の向こうに何かが現れた。

 

 それは細かい砂の様な物で、次から次へとどこからともなく集まり来て、少しずつ形を成してゆく。

 

 

 「なんだ?」

 

 イタチがつぶやく。

 その声を聞きながら、水蓮はその正体を捉えていた。

 

 どんどん形を成してゆくそれは最後には大きな円盤型の壁となり、スサノオと剣の間にたちこめていた力を断ち切った。

 

 先ほどまで自分たちを押し飛ばそうとしていたその力を今は少しも感じない…。

 踏ん張っていた体から力を抜く。

 少しふらついた水蓮をイタチが抱き支え、二人は目の前に現れたそれを見つめた。

 

 イタチはその正体が分からず顔をしかめている。

 だが水蓮にとっては見覚えのある物であった。

 

 サスケとの最後の戦いのとき、イタチが十拳剣と対なして持っていたもの…

 

 その名が水蓮の口から零れ落ちた。

 

 「八咫の鏡…」

 「……?」

 

 イタチがさらに顔をしかめた。

 

 「イタチ!取って!」

 

 水蓮の声にイタチは戸惑いながらもスサノオの左手を伸ばし、それを…八咫の鏡をしっかりと掴み取った。

 

 ざぁっ…と、さざめきのような音が鳴り淡い光がスサノオを包み込んだ。

 「スサノオが…」

 水蓮のつぶやきにイタチが小さくうなづく。

 

 スサノオの姿が少しずつ変化し、骨にチャクラをまとっただけの姿から髪の長い女性のような姿へと変わった。

 その変化はスサノオの中からもはっきりと見えた。

 「これ…」

 サスケとの戦いの中で見たその姿を、水蓮は女神のようだと感じた事を思い出していた。

 

 左手に携えた八咫の鏡は未だおさまらぬ剣からの力をすべてはじき返し、スサノオを…イタチを守る。

 「イタチ!」

 「今だ!」

 「剣をとれ!」

 

 タゴリ達の声にイタチはハッとしてスサノオの手を伸ばした。

 

 水蓮の体が緊張で少し強張る。

 イタチはその体をぎゅっと強く抱き寄せた。

 

 身を寄せ合い、支え合いながら二人は十拳剣の光をまっすぐに見つめる。

 

 

 -------。

 

 

 すべての音が一瞬消えたような気がした…

 

 その静寂の中、かすかにイタチの声がした。

 

 

 

 「サスケ…」

 

 

 知らず二人の手が固く握りあう。

 

 

 …そして…

 

 

 八咫の鏡の力に守られ、スサノオが…イタチがゆっくりと光りをつかんだ。

 

 

 

 …カッ!

 

 

 

 硬い音が響き光りを包んでいた泉の水が霧散して消え、幾色もの閃光がほとばしった。

 

 それは幾何学的な線を大きく描きながら宙を彩り、次々にスサノオの手の中に集約されていく。

 

 

 今までに見たことのない、恐ろしいほどに美しい光景がそこにあった。

 

 

 そのすべての収まりの後…

 

 

 スサノオは重厚な鎧をまとったような姿へとさらに変化を見せ、その手にはひょうたん型の柄から光り伸びる剣…十拳剣が握りしめられていた。

 

 

 「これが…十拳剣」

 

 スサノオの手を少し掲げ、イタチはじっとそれを見つめた。

 

 

 

 如何なるものをも永遠に封じ込める十拳剣。

 

 そして、すべての攻撃をはじき返す無敵の盾…八咫の鏡。

 

 

 その二つが、今スサノオの両の手に…イタチの手中におさまった…

 

 

 ゆっくりと水蓮とイタチが顔を見合わせる。

 

 何を言えばいいのか分からなかった…

 

 達成感がないわけではない。

 それでも胸の中には、やはり何とも言えない切なさが広がっていた。

 

 

 無言のままで少し見つめ合う。

 不意にイタチが口を開いた。

 

 「水蓮…すまない…」

 

 消え入りそうな声。

 

 「…?」

 水蓮が首を傾げるより早く、イタチの体が崩れ落ちた。

 「イタチ!」

 慌てて体を抱きとめると、スサノオが一瞬で姿を消した。

 

 「…わっ!」

 

 一瞬で足場を失い、水蓮とイタチの体が宙に放り出され…落ちた。

 「……っ!」

 風遁で何とかしのごう…と印を組むがチャクラが足りず、水蓮はイタチをぎゅっと抱きしめてなけなしのチャクラで体を覆った。

 衝撃を覚悟して目を閉じる。

 しかしその体がふわりと浮き、静かに地面におろされた。

 「え?」

 拍子の抜けた声で目を開くと、タゴリがほっとした表情で二人を見ていた。

 「ギリギリだったのぉ」

 どうやらタゴリの力で無事に降ろされたらしいと悟り、水蓮はほっと息をつきイタチに目を向ける。

 「イタチ…」

 その呼びかけに、イタチは少しだけ目を開いた。

 「無事か…水蓮」

 「大丈夫。少し待って、すぐに回復を…」

 水蓮は目を閉じて自身のチャクラの回復を待つ。

 しかし、それをサヨリが止めた。

 「その必要はない」

 「そうそう。大丈夫だよ」

 タギツが続き、水蓮が疑問に目を開いた。

 タゴリがその視線を受けてにっと笑い「すぐに回復できる」と、おもむろに水蓮とイタチの体に手をかけ、その細い肩に二人を軽々と担ぎ上げた。

 「え…?ちょ、ちょっと!」

 「お…おい…」

 突然の事に驚き、二人が戸惑い体をよじる。

 だがタゴリはびくともせずそのまま泉に入り二人をその中に放り投げた。

 「そら、しっかり浸かれ」

 「わぁっ!」

 「…っ!」

 水底にぶつかることを想像し、二人は目をつぶる。

 だがそこに痛みはなく、柔らかいクッションの上に落ちたような感覚であった。

 「あれ?痛くない…。それに」

 不思議そうな水蓮の声にイタチが言葉を続けた。

 「濡れない…」

 泉の深さはそこに座る二人の腰の高さほどある。

 だが不思議と衣も体も少しも濡れていなかった。

 「すごい…」

 水蓮が自身の両手を持ち上げて見つめた。

 「力がもう戻ってる」

 「オレもだ」

 先ほどまで少しも動けなかったイタチがスッと立ち上がり、水蓮の手を取り引き起こした。

 二人のチャクラと体力はすっかり元通りになっていた。

 「泉の再生の力ぞ」

 「再生の力…」

 タゴリの言葉にイタチが目を凝らして泉を見つめる。

 「チャクラ…いや、違うな…」

 水のように見えたそれは水ではなく、何か不思議な力が集まり漂っているように感じられた。

 だが、チャクラではないことをイタチの写輪眼が捉えていた。

 「ワシらは神力と呼んでいる」

 サヨリが少し姿勢を落としてすくい上げる仕草をした。

 泉に漂う【神力】がその手のひらにすくわれて水のごとく流れ落ちた。

 「自然エネルギーに近いかな」

 タギツも同じようにそれをすくい上げた。

 タゴリもそれに続き、流れ落ちる様を見つめながら言った。

 「この泉は【ナキサワメの泉】と呼ばれるもので、名にある【ナキサワメ】という女神の力が備わっている」

 「ナキサワメ」

 水蓮のつぶやきにうなづきタゴリは話を続ける。

 「ナキサワメの力は封印と再生。その力は交互に行われることによって継続される」

 「交互に…」

 イタチが少し目を細めた。

 その視線をうけてサヨリが返す。

 「そうだ。封印を行ったらその次は再生。そして次は封印。それを繰り返さなければ泉の効力は消えるのだ」

 「それを行い管理することもボクたちの役目なんだよ」

 タギツはそう言って少し苦い笑いをこぼした。

 「その期間は100年以上、130年以内と定められていて、それを超えてしまうと、泉は2度と効力を現さないんだよ。泉に封印されていた剣も2度と解き放てない」

 「130年って」

 水蓮のつぶやきにタゴリが笑みにため息を交えながら答えた。

 「今日だ」

 水蓮とイタチが声をなくして顔を見合わせた。

 「だからワシとタギツは急いでいたのだ」

 サヨリの言葉にタギツもうんうんと大きくうなづく。

 「大体さ、イタチがスサノオの能力を身に着けた時点でかけらが反応して、八雲と出雲がそれをボクたちに知らせていたんだ。それなのに、お前たちは一向にやってこないし…」

 ジトリとにらむタギツにサヨリが続く。

 「しばらく前にやっとワシのところへの入り口の封印術が反応したかと思ったら…入ってこないし…」 

 「そしてわらわのもとへ現れたのが期限ぎりぎりの今日とはな」

 最後にタゴリがそう言って豪快な笑いを響かせた。

 「…なんか…」

 「すまん…」

 居心地悪く二人は顔を反らしたが、イタチがすぐに問いを向けた。

 「だが、かけらがなぜオレのスサノオに反応するんだ?」

 イタチのその言葉に、姉妹はなぜか少し神妙な表情に変わった。

 「そうだな…」

 長姉であるタゴリが静かに口を開き、柔らかく微笑んだ。

 「少し、昔話を聞かせてやろう」

 「うむ。それがよい」

 「うん。せっかくこうして再会できたんだしね」

 サヨリとタギツも泉に入り、タゴリと共に静かにその場に座る。

 水蓮とイタチは一度顔を見合わせて、同じように静かに身を下ろした。



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第百四章 【繋がり…】

「今から130年と数年前。世界に大きな災いが訪れた」

 

 タゴリは静かな声でそう話し始めた。

 その災いとなる存在は月より到来し、世界を次々と破壊していったのだという。

 見た目は人と大きく変わらぬ姿であったがその力は絶大で、数も多く、人々は抵抗する手段を持てず、恐れ慄き隠れ…ただ滅びを待つのみであったと。

 

 「その者達の目的は分からん。破壊が目的だったのか、侵略でもするつもりだったのか。ただひたすらに奪った。多くの者が、いや、すべてと言ってもよいかもしれない…。皆絶望し、このまま滅びるしかないのだとあきらめた」

 

 世界には闇が深く根付き、まるでその闇を力にするかのようにその者たちは力を増していったと、サヨリが苦しげな表情を浮かべた。

 「それに加え、原因のわからぬ病も発生し広がった。悲惨な状況であった」

 その時の事が脳裏に浮かんだのか、タギツも眉間にしわを寄せて顔を少し伏せた。

 「ボクたちも、その時家族を失ったんだ…」

 「もともとわらわ達の家系は巫女として神からの啓示を受け取る役割を担っていた。時にはその力を借り受け強い封印術を使うこともあった。だがあの時、わらわ達の力はほとんど役に立たなかった。しかしそれは相手が強すぎたからというだけではない」

 「じゃぁ、どうして…」

 水蓮の言葉にサヨリが答える。

 「ワシらの力は神からの恩恵によるものがほとんどだ。しかしあの時、神々の力はほとんど効力を発揮しなかった」

 「というか、発揮できなかったんだ」

 タギツがそう続けてため息をついた。

 「なぜ発揮できなかったんだ?」

 目を細めて問うイタチにタゴリもため息をこぼした。

 「神の力は、いつでもどんな時でも与えられるものではない。それが有効に作用するために必要な条件がある。それは神の力を乞うために人が行う事…。わかるか?水蓮」

 タゴリの問いに、水蓮はしばし考える。

 

 神…巫女…力を乞う…

 

 今聞いた事をつなげた先にあるのは…

 

 「祈り?」

 

 タゴリ達が大きくうなづいた。

 

 「そうだ」

 

 タゴリが話を続ける。

 

 「遠い遠い過去には人と神が共に暮らしていた時代があった。だが、少しずつ…少しずつ神々は姿を消していった。それは、人々の中から祈りの心が薄れていったからだ。神と呼ばれる存在の力の源は人の祈りであり、それがなくなるにつれて神々はいなくなっていった。いや、正しくは見えなくなったのだ。姿はなくともその力は常に人のそばにあり、それをわらわ達は祈りの力で引き出す役割を持っていたのだ」

 

 そしてその祈りとは、救われたいという類の物ではなく、自分ではない誰かの幸せを強く願う、そのための祈りでなければならないとサヨリが言葉をつなげた。

 「そしてもう一つ。神の力に影響を与える物があるんだ」

 タギツがそう言ってイタチと水蓮を見つめた。

 「それは、決して希望を捨てない、諦めない強い想い」

 

 「希望を捨てない」

 「諦めない強い想い」

 

 水蓮とイタチのつぶやきにタゴリが「うむ」と大きくうなづいた。

 「他人を想いやる祈り。そしてどんなに苦しくとも希望を捨てず諦めない想い。それこそが神々の力を引き出すために必要な物。それが強く人の中にあった時代こそが、神と人が共存していた時代だ。まぁいわゆる古き良き時代と言うものぞ。それが失われるにつれて神の力は弱まり、その関係性が薄くなって、人の目に神の姿は見えなくなった」

 

 神という存在がどういったものなのか、そのすべては分からないとタゴリは難しい顔をした。

 それでも、世界に存在している自然エネルギーのような力が他にもあり、それが人の祈りや想いを受けて人のような姿で具現していたのではないかと話した。

 「小さなものを言えば、もしかしたら風とてそうかもしれない」

 サヨリがそう言うと、柔らかい風がその場に流れた。

 「悲しいときの風はなぜか物悲しく、嬉しいときの風は逆に心地よく感じる。そして大きなもので言えば地震などの天災は、何か大きな邪な思いがそれに影響を与えているのかもしれないという事だ」

 「いい影響を与える物をボクたちは神と呼び、悪い影響を与えるものを悪と呼ぶ。だけど、それを引き起こす力は本当は一つなのかもしれない。人の心の善と悪がただその力を違う物として具現しているだけなのかもしれない」

 

 話の大きさに水蓮とイタチは黙した。

 だが、その意味は分かったような気がした。

 

 黙り込んだ二人にタゴリが「少し話がそれたかのぉ」と笑って場を和ませた。

 「とにもかくにも、あの時世界は絶望に覆われ、わらわたちの祈りだけでは神の力…神力を引き出すことができなかった。その事にわらわ達の心も危うく希望を失うところであった。諦める所であった」

 その当時、いかに3人が人々に呼びかけてもそれに応える者はおらず、タゴリ達も家族を失い絶望に心が堕ちそうになったのだと苦しげに複雑な笑みを浮かべた。

 「だが、その時わらわ達の前に現れたのだ」

 「ワシらの闇堕ちしそうな心をすくい上げる者が…」

 「ボク達に再び力を与える…希望をあきらめない心を持つ者が…」

 タゴリがどこか嬉しそうな顔で水蓮とイタチを見つめて言った。

 

 「それが、お前たちだ」

 

 

 「え?」

 「…?」

 言われた意味が分からず、二人は言葉を詰まらせた。

 

 「本当に少しも覚えておらんのだな…」

 サヨリが目を細めて少し呆れたように息を吐く。

 「しょうがないよ。そういう物なんだから」

 タギツが「ハハ」と軽く笑い、タゴリが「少しさみしいがのぉ」と腕を組んで首をもたげて言葉を続けた。

 「まぁわかりやすく言うならば、お前たちの前世と言うやつぞ」

 

 『前世…』

 

 水蓮とイタチのつぶやきが重なり、二人は顔を見合わせた。

 「そうぞ。お前たちは遠い過去に一度出会っているのだ」

 「………」

 

 こうして今生まれて出会う前に、自分たちは過去世で出会っていた…?

 

 前世という言葉は聞いたことがあった。

 だがそれが自分たちに当てはまるという事が不思議であり、すぐには受け入れられない。

 それでも、もしそうなのだとしたら…

 

 

 二人の胸の奥が熱を帯びて締まった。

 

 

 自分たちはずっと昔から繋がっていた…

 

 

 見合わせたままの二人の顔が切なく揺れ、水蓮の目から涙がこぼれた。

 無意識だった。

 その涙には、様々な感情が複雑に絡み入り、理解しきれないそれが水蓮の脳を混乱させた。

 それに気づきイタチが髪をそっと撫で、涙を拭い頬を包んだ

 「大丈夫か?」

 「…あ…」

 イタチの体温にハッとし、水蓮は呼吸が乱れそうになっていた事に気付く。

 少し深く呼吸をして気持ちを落ち着かせ、もう一度「大丈夫か?」と聞くイタチにコクリと小さくうなづいた。

 イタチは水蓮に笑みを見せていたが、さすがに少し動揺の色が見えた。

 「信じがたいかもしれんが…」

 タゴリは「だが事実ぞ」と話を続けた。

 「過去の時間においてお前たちはそれぞれ別の場所で生まれ育った。【うちは一族】と【うずまき一族】として。だが互いにあきらめない心を持ち、災いに立ち向かい進み、出会い共に戦った。そしてわらわ達のもとに現れた」

 「ワシらが月より現れた悪しき存在達と戦い、追い詰められ、もはやこれまでかとそう思った時だった」

 「ボクたちの前に立ってまっすぐに奴らを見据えて言ったんだ。『あきらめるな!』ってね」

 

 二人の脳裏にほんの一瞬その光景が浮かんだ気がしたがそれをはっきりととらえることはできなかった。

 それでも、なぜか心におさまるものがあった。

 

 「でもさ、あの時は別の意味で驚いたというか…」

 「うむ。別の意味で言葉が出なかったな」

 「今思い出しても大爆笑ぞ」

 神妙な面持ちになった二人とは対照的に3姉妹は声を上げて笑った。

 「大爆笑?」

 「どういうことだ」

 状況を想像する限り、過去の自分たちが現れたタイミングはかなり緊迫した状況。

 とても爆笑するシーンではないように思える。

 それでもタゴリ達はそれぞれ思い思いの事を言いながら笑っていた。

 「なんというか、わらわ達の前に現れたお前たちは」

 タゴリが笑いをこらえながら言う。

 「わらわ達よりぼろぼろだった」

 「ぼろぼろ?」

 顔をしかめた水蓮にタゴリがうなづきを返す。

 「そうだ。お前たちはすでに別の場所で必死の戦いを終えたところで、そのすぐ後にわらわ達のところに来た」

 「イタチなんぞ…あぁ名はもちろん違うがな、とにかくお前は写輪眼の使い過ぎで顔色真っ青であったし」

 「水蓮なんて、もうチャクラほとんどないのにボクの傷直そうとするしさ」

 3人はそう言ってまた笑った。

 「ぼろぼろでわらわ達に『あきらめるな』と何度も言った」

 「だが、どう見ても戦える状態ではない」

 「いやいや無理でしょ、お前達…って、口には出さなかったけど、心の中で突っ込んだよ」

 タゴリ達はそう言って少し笑い続け、しばらくしてからようやく息を整えたタゴリが水蓮たちを見つめて笑んだ。

 「だが、お前達はそれでもあきらめなかった。そのぼろぼろの体でわらわ達を守り続けた。初めて会ったわらわ達を、そしてわらわ達が守ろうとしていた同郷の民をも守ろうと戦ってくれた。そんなお前たちを見て思った。決して希望を捨てまいと」

 「ワシらも諦めないと」

 「ボクたちも、お前たち二人を守りたいと思ったんだ」

 「そのわらわ達の祈りに民も続き、強い祈りの力が働いた。その祈りと想いにより現れたのが、女神ナキサワメだ」

 

 元来タゴリ達の家系で祈りの対象とされてきたのがナキサワメであったことをタゴリは語った。

 そうして長きにわたってタゴリ達が送り続けた祈りと、その時の強い祈りによってナキサワメが具現化したのだろうと…。

 「それでも長くとどまることはできず、ナキサワメはわらわにその力の一端を分け与えて姿を消した」

 「再生と封印」

 イタチのつぶやきにタゴリが「そうだ」と返した。

 「ただし、そのどちらも使えるのは一度きりであったがな。それでもその再生の力のおかげでお前たちの力を回復することができた」

 「そうして傷を癒し、チャクラを取り戻したお前たちの戦いはすさまじかった」

 サヨリが感心した笑みを浮かべた。

 「ボクたちも負けるものかと戦った」

 「そんなわらわ達とお前たちの姿を見て、民は希望を取り戻した。勝てるかもしれない、いや…勝てると。そこに希望をあきらめない思いが生まれ、わらわ達の勝利を信じ、無事を祈る力が生まれた」

 

 それによってタゴリ達は本来の力を取り戻し、その場を勝利でおさめたのだと聞き、水蓮の肌があわ立った。

 イタチも同じように感動に少し身を震わせた。

 

 「そうして各地でわらわ達とお前たちは共に戦いを展開した。月より現れた者たちは、空海陸とさまざまな戦闘能力を持っていたが、わらわ達が大地で、イタチはすでに口寄せ獣であった八雲と共に空で、そして水蓮。お前は同じく口寄せ獣であった出雲と共に海で戦った」

 「そうか、だから」

 「八雲と出雲が」

 

 懐かしいと感じたのだと、二人は顔を見合わせた。

 

 「そうだ。もとよりあいつらはお前たちの口寄せ獣ぞ。ずっとお前たちの戻りを待っていたのだ」

 

 思わず二人は胸元を握りしめた。

 

 「その後戦いは数年続いた。それでもその間にワシら以外にも立ち上がる者が現れ、少しずつ勝利をおさめだした」

 「そして、ボクたちは最期の戦いへと挑んだ」

 サヨリとタギツが厳しく目を光らせ、タゴリが言葉を継いだ。

 

 「災いの中で最も強い力を持つ存在…【オロチ】との戦いに」

 

 

 少し硬い風が森を彩る緑を音たたせながら吹き流れた…



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第百五章 【未来への希望】

 オロチは8つの尾をもつ巨人で、その戦いは死闘との言葉通り諦めぬ心と死の気配のぶつかり合い。その2つの間には本当に薄い紙1枚しかないように思えたとタゴリが言った。

 「追い詰められ、やはり勝てぬのかとわらわ達は思った。だがそれでもお前たちは諦めなかった。自分たちを、わらわ達を、世界を。そして信じて祈る人々を諦めなかった。決して希望を捨てなかった」

 タゴリが水蓮に視線を向けてフッと笑みを見せた。

 「先頭に立ち写輪眼の力を酷使して戦うイタチを支えたいとのお前の祈りが、回復の効力を持つ神力を引き寄せ、お前には驚くべき回復術が与えられた」

 視線がイタチに向けられる。

 「そして、守るために勝ちたい。そのための力がほしいと願ったイタチは万華鏡写輪眼を開眼し、スサノオの能力を目覚めさせた。そこにさらに強い封印の力を持つ神力が呼応して具現化し、スサノオに与えられた。それが十拳剣だ」

 

 それを聞き、なぜイタチのスサノオにかけらが反応したのかが分かった。

 

 「もともと十拳剣は、イタチ…お前の祈りから生まれたお前のための物ぞ」

 

 イタチはグッと右手を握りしめて見つめ、小さくうなづいた。

 

 先ほど剣を手にした時に何かを感じていたのか、その瞳には納得したような落ち着いた色が浮かんでいた。

 

 「そうして得た力でお前たちはオロチに挑んだ」

 

 それでもその戦いは苦闘を極めたのだという。

 

 だが逆転の機が訪れたとタゴリはニッと笑った。

 「先ほどサヨリが言ったように、あの当時わらわ達以外にも立ち上がった者が多くいた。その者達が援軍として駆けつけたのだ」

 

 その事で事態は一気に好機を逸した。

 集まり来た者たちがオロチの周りを固めていた敵を引き付け倒し、戦力を削いだ。

 「そのおかげでわらわ達はオロチに集中することができた」

 「その機にワシとタギツが元来からの力であった封印術で…」

 「そしてわらわがナキサワメから授かった封印術を使い、オロチの8つの尾を封じて動きを止めた」

 「その術でボクたちが動きを封じている隙に、イタチが十拳剣でオロチを封印したんだ」

 

 水蓮とイタチはまるで本に描かれた物語を聞いているような気持であった。

 それでも、そうありながら自分たちの中にしっくりと来るような感覚も感じていた。

 

 「そのオロチの消滅と共に、残っていた敵は全て霧のように消え、世界は勝利で終戦を迎えた」

 タゴリの言葉にその時の気持ちがこみ上げたのか、3姉妹のほほが少し紅潮した。

 その頬を柔らかく緩ませタゴリが水蓮に言った。

 「お前はその時、ずっとイタチのそばでイタチを回復し続けていた。先ほどのようにな」

 「自分の事はお構いなしに、ありったけのチャクラを注いでたよ」

 「そしてこの度は回復だけでは気がすまず、身を挺して守ろうとするとはな」

 サヨリのその言葉にタゴリが「むちゃくちゃぞ」と笑った。

 「だが、その強い想いに此度また神力が呼応し、新たな力…八咫の鏡をイタチに与えたのだ」

 「八咫の鏡」

 イタチが今度は左手を握りしめた。

 「この空間にはナキサワメを慕う神が多くいるからな。水蓮の祈りでイタチにとって最も必要であろう神力が呼応したのだろう。…あれは如何なる物をも跳ね除ける最強の盾ぞ。よかったなイタチ」

 「全てをはじく盾と全てを封じる十拳剣。もう無敵だな」

 「怖い物なしだね」

 

 イタチは何と返せばいのかわからず、複雑な表情で小さく笑み、すぐに難しい顔をした。

 「だが、なぜそれほどの戦いが歴史上に残っていないんだ?そんな話今まで聞いたこともない…」

 タゴリが同じように難しい顔でそれに答える。

 「この戦いの事は後に人々の胸の内にしまわれた…。まぁ、順を追って話してやろう」

 

 

 タゴリは水蓮とイタチを交互に見つめ再び語りだした。

 「お前たちはあの戦いの後わらわ達の故郷へと共に戻った。そして勝利の報告と感謝の祈りをナキサワメに捧げた。そこに再びナキサワメが現れた」

 

 「ナキサワメは、戦いで多くの命が失われたことに悲しみの涙を流した。そして次に、自分たちの存在が人の目に見えなくなったこの時代に、自分をこうして具現させるだけの祈りがあること、そして多くの神力を引き寄せた想いがあった事への喜びの涙を流した。その涙が落ちた先に泉がわき出でた。それがこのナキサワメの泉だ」

 タゴリは両手で泉に漂う神力をすくい上げ、抱きしめるように胸元に引き寄せた。

 「強い再生と封印の力を持つこの泉を、ナキサワメは勝利への功績として人の世界に与えた。だがこの泉の力を使うにはある条件があった」

 「この泉の力を人の世界に影響させるためには、人間が行使せねばならない」

 サヨリも同じように泉の神力をすくい寄せ、タギツも続いた。

 「だけど、その力を扱えるのは神のみ。すなわち、人でありながら神の力をも持つ者でなければならなかったんだ」

 「人でありながら」

 「神の力を持つ」

 水蓮とイタチはその意味をつかみきれない表情を浮かべた。

 そんな二人にタゴリはゆっくりとうなづいた。

 「そのために、この泉の管理者となる者に自身の神力を譲るとナキサワメは話した。貸し与えるのではなく、同化し、ひとつになると」

 水蓮とイタチがハッとしたようにタゴリを見つめた。

 「そうぞ。わらわが志願した。それが自分の役目だと思った。いや、使命なのだと感じたからだ。そしてわらわはナキサワメと同化し、この泉の管理者となった。わらわは人でありながら神であり、タゴリでありナキサワメなのだ。そして泉が消えぬ限り、この存在が消えることもない」

 

 タゴリはその時にナキサワメの持つ知識の一端を得、また人の世に起こることの一部を夢に見る能力を身に着けたのだという。

 

 「泉の力を使うためにはそれだけではなくもう一つ条件があった。それは、まず泉に大きなエネルギーを与える事であった。いかにナキサワメから生まれたとはいえ、いきなり何でもできるような都合の良いものではない。その力の使用のためにはそれ相応のエネルギーを持つ物を封印する必要があったのだ」

 「エネルギー」

 水蓮がつぶやき、イタチが自身の右手を見た。

 「そうぞ。十拳剣ぞ。あの時イタチがそれを申し出た。この剣は人が持つにはあまりにも強すぎる。これ以上人の世界に…自分の手に置くのは危険すぎるとな」

 

 そこにはイタチがうちは一族であるという事も大きな要因としてあったとタゴリがそう言った。

 

 「うちは一族は愛情深い一族ではあるが、それを失った時、大きな悲しみと憎しみにさいなまれる。そこに現れる闇の深さは計り知れず、それが精神にどういう影響を与えるか分からない。イタチはその事を十分に理解し受け止めていた。それに自分が誰かに幻術で操られるようなことがあってはいけないとも考えた。それ故に剣を手放すことを決断したのだ」

 

 そうしてまず十拳剣を封印することで、その力をエネルギーに変える事となった。

 

 「封印が終わってすぐに、共にオロチと戦った他の4人の記憶をイタチが幻術ですり替えた。月から来たという事と、十拳剣に関しての事を消したのだ」

 「そんな存在がいるという情報は後の世に不安と混乱を生みかねないと考えたんだ。そして、剣を守るためにもね」

 「ワシらが知る限り、オロチ達が月から来たという事を知っているのは直接オロチとの戦いに関わり、その時奴からその話を聞いた者のみ。他の地での戦いにおいてそのような事は聞かなかったからな。それに、のちにその話が世に残っていないのならやはりそうであったという事だ」

 「うむ。そうして、月から襲い来たという事と、十拳剣の事を知る者はわらわ達以外にいなくなった」

 

 タゴリは一区切りつけるように、大きく息を吐き出しイタチを見つめた。

 

 「だがあの戦いの記憶は誰の中にも残った。それでもなお歴史にそれが詳しく残っていないのは、当時を生きた人々が、あの戦いの事に関して揃って口をつぐんだからぞ」

 「ワシらはあ奴らが月から来たという事を知っており、故に人外の力を持っていたと納得はできた。だが他の者たちにしてみれば、得体のしれない脅威。そこには計り知れない恐怖が残された」

 

 正体のわからぬ何者かに突然襲われ、奪われ、滅ぼされていく…

 

 水蓮はほんの少しの想像でもその恐怖の一端を感じ、身を縮めた。

 「あの時、戦う力を持たぬ者たちの多くが死に、残った者たちはあまりにも壮絶で残酷なあの戦いを必死に忘れようとした。まぁ、忘れられるようなものではないが、それでも皆口に出すことを拒んだ。後に語り残すようなことではない…と」

 タゴリは家族を失った時の事を思い出したのか眉間を苦しげに揺らした。

 「そして、戦う力を持ちながらに敵わず圧倒された者たちは、その事を【恥】ととらえ沈黙した。何もできなかった己らの無力さ…。それを歴史に残すことを拒んだ。その両方を責め、問いただす者などいなかった。口にし、思い出すにはあまりにも悲惨な出来事であり、歴史に残すにはあまりにも惨烈であった」

 「だがそうしてすべてに蓋をしながらにでもようやく訪れた安穏は、もろくも崩れ去った」

 サヨリの重々しい言葉にタギツが続く。

 「人の手によってこわされたんだ」

 タゴリが表情を厳しくして静かに言った。

 「それは、種族同士の争いぞ」

 

 「種族同士の争い…」

 

 イタチが低い声でつぶやき、タゴリがうなづく。

 「先の戦いで敵わぬとも戦った一族は多かった。特に力の強い一族はな。そして、その多くが命を落とした。そこに生まれたのが権力争いぞ」

 

 ようやく手にした戦いの終わりを喜んだのも束の間に、今度はそれを機にかねてから続けられてきた一族と一族の戦いが熱を増したのだと姉妹たちは話した。

 

 「戦力の低下を見て今こそ好機と、いくつもの種族が戦いを白熱させ、奪い合い、滅ぼし合った。その中で先の戦いを知る者の多くがまた命を消し、生きる者たちは目の前の戦いに向き合う事に必死となり、過去の事を語る者はいなくなった。そしてその争いで名を上げ、存在を大きくしたのがうちはと千手。そこからは、イタチ。お前の知る歴史へとつながってゆく」

 

 長く続けられたうちはと千手の戦い。木の葉創設。そして第一次忍界大戦。

 

 「めまぐるしく変化を続ける世界で、もうはやあの時の事を口にする者はいなくなり、それを知る者達は皆命を終えて行った」

 

 

 

 そうして月からの襲来者との戦いは歴史から消えた…

 

 

 「………」

 

 水蓮もイタチも事の大きさに言葉が出なかった。

 それでも、少ししてからイタチが絞り出すように言った。

 

 「そんな事がこの世界の歴史にあったのか」

 

 驚きというよりも、そこには怒りを感じた。

 

 「せっかく手にした安穏を、種族同士の勝手な戦いでまた…」

 

 そこには多くの死があったであろう…

 

 水蓮はイタチのその想いを感じ、ギュッと固く握りしめられたイタチのこぶしにそっと手を重ねた。

 

 イタチはその体温にハッとしたように顔を上げ「すまない」と一つ息を吐き気持ちを落ち着かせた。

 

 「種族同士の争いの中には、おそらく先の戦いで力及ばなかったことへの念晴らしもあったのだろう。意地とプライドのぶつかり合いが大きかったのは確かぞ」

 

 イタチの怒りをタゴリも感じ、切なく悲しげな表情を浮かべた。

 

 「まぁそういう流れで月から来た者たちとの戦いは歴史から薄れ消えて行った。それでもやはり何も残っていないわけではない。各地には何かしらの名でその闘いの記録は少なからず残っている。だが、十拳剣の事は今ここにいるわらわ達以外の記憶の中から完全に消された。…はずだった。しかし、消したはずの記憶が何らかの原因でかすかによみがえったのか、十拳剣の事を書き記した文献がいくつか人の世に残ったようだ…」

 その言葉に水蓮の脳裏にはゼツや大蛇丸が十拳剣を探していた事が思い出されていた。

 その隣で、古い文献を見て剣の事を知ったイタチも小さくうなづく。

 「だがお前の見た物は誰かが残した物ではないぞ」

 タゴリがイタチにそう言った。

 「うちはシスイから受け取った物であろう」

 イタチは静かにうなづいた。

 「シスイから巻物を受け取った。【この巻物が開けるか?】と。そこに十拳剣の事が書かれていた。読み終わった後に燃えて消えた…」

 「うむ。あれはお前にしか開けぬ巻物ぞ。お前が書き記し、そのように八尋が術をかけた。そして、もう一つお前たちが残した物があった…」

 「壁画…」

 水蓮の脳裏にはうずしおの里で見たあの壁画が浮かんでいた。

 

 

 【うちは一族とうずまき一族の者が悪しき存在を倒し、剣を3つにわかって封印した】

 

 

 「そうぞ。あの壁画に描かれていたうちはとうずまき一族の者とはお前たちの事ぞ。そしてあの壁画をあそこに残したのもお前達ぞ」

 

 タゴリはちらりとイタチを見て少し目を細めた。

 「あの壁画に情報を残すため万華鏡写輪眼の力を使ったイタチは、その時光を失った」

 

 「…っ」

 

 息を飲んだ水蓮の隣で、イタチは落ち着いた声で「失明か」とつぶやいた。

 

 「そうぞ。それまでにもかなり力を酷使していたからな。限界が来たのだ」

 

 イタチは「そうか…」と小さく返して黙した。

 

 じっと静かに泉を見つめるその姿は、今の自分の視力を確かめているようにも見えて、水蓮は思わず息苦しくなり胸元を握りしめた。

 「そのせいで100年以上130年以内という期間について壁画に記せなかった。故にその事はうずまき一族が口頭で語り継いできた。こちらの空間につながる道を開くための術を知るうちはの者と共に、扉は100年後に必ず開かなければならない…と」

 「だけど、それが途切れた…」

 自分の母がそれを引き継げずに途切れ、間に会ったとは言え期間ギリギリとなったのだと、水蓮は重く息を吐き出した。

 

 …命と共に引き継がれてきた物は正しく受け継がれなければならない…

 

 以前イタチが言った言葉が脳裏によみがえった。

 

 命と共に継がれてきた物は、それと同等ともいえる価値と責任があるのだ…。

 

 水蓮はそれをひしひしと感じ、今ここにたどり着けていなかったら…と、恐ろしさを感じていた。

 その様子に、タゴリが空気を変えようと少し声を明るくした。

 

 「まぁ、そうしてお前たちはあの壁画を残し、入口を封印したのだ」

 「そしてギリギリではあったがワシのところへとたどり着き」

 「130年という時を経てボクたちと共にここにこうしているってわけさ」

 

 水蓮とイタチは姉妹の顔を見回してから視線を合わせた。

 

 

 今までに聞いた話の事の大きさに胸中は戸惑い揺れていたが、遠い過去にかわした約束で生まれ変わってもなお自分たちが出会えたのだという事に、不思議な穏やかさが溢れた。

 

 

 「もう少し話をつづけるぞ」

 タゴリは小さく咳払いをしてから泉の事を語りだした。

 「過去に剣を封印した時、泉から封印の力を帯びた神力が湧き溢れ、雨のごとく人の世に降り注いだ。神力の持つ力はおもに自然界に対しての物であり、そこに働く封印の効力は大気中に潜む病の根源や、毒性の強い植物の繁殖を抑えたりというような類の物だ。そして時には人の邪な心をも抑制する。その力を100年かけて人の世に与え続けた」

 

 すべてを抑える事は出来ないが、それでも世界はその力に守られてきたのだとタゴリは話した。

 

 「それがなければ、もっとひどかったという事か…」

 イタチが苦しげな表情でつぶやいた。

 「うむ。お前が知る歴史以上の事が世界には起こっていた」

 ぐっと唇をかみしめるイタチの様子に、忍世界の抱える闇の深さを水蓮は改めて感じていた。

 「泉の効力は100年で一度切れ、次に再生の力へと移行するため30年の間停止期間に入る。その間は力は使えない。それゆえここ30年は特に世が荒れた…」

 イタチの視線がフッと落ち、手がギュッと握りこまれた。

 その手に水蓮がそっと手を重ねた。

 イタチはその30年間の真っただ中を生きてきたのだ…。

 その身に受けた痛みの一つ一つを思い出し、また痛みを感じている。

 

 重ねた手からその痛みの少しでも、取り除ければとそう思った。

 

 「先ほども言ったが、その停止期間の間に剣を再生せねば泉の力を継続できない。すなわち、封印も再生も同じものをきっかけに発動する仕組みというわけぞ」

 「それをきっかけに、今まで封印してきた物のエネルギーが再生の力へと変換される」

 サヨリが泉を指でなぞって少し波立たせた。

 「だが、それがなされなければそのエネルギーは消えてしまう」

 「泉もろともね。だから本当にギリギリだったってことさ」

 タギツが、やれやれと言った様子で両手を持ち上げてため息をついた。

 「まぁしかし」

 タゴリが柔らかく笑んで静かに立ち上がった。

 「こうして間にあった。それはこうなることが決まっていたという事ぞ。何事もなるようになり、なるようにしかならん。偶然のようですべては必然」

 ゆっくりと掲げられた右手の動きに泉の中の神力が揺れて反応を示した。

 「これから100年。世界は再生の時へと入る。その効力の対象は、封印の時と同じく自然界に主に作用する。失われた貴重な植物、枯れた泉や滅びた生物を蘇らせるのだ。そして、幼い子供の命にも効力を発揮する」

 「子供の命?」

 思わず問いかけた水蓮にタゴリが一層優しく微笑み、力強い口調で言葉を馳せた。

 「すべてではないが一度命を落とした子が再び息を吹き返す。いわゆる【奇跡】と呼ばれるものを多く起こす。生まれ落ちるとき、育ちゆく過程。様々な場面で奪われた命を再び呼び戻すのだ。これから降り注ぐナキサワメのしずくを受け取った者がそうして救われてゆく。そして救われた子らはその事に感謝し、恩を返すための想いが生まれる。その想いが世界を救うための力となるであろう。その子らが平和への架け橋となるのだ。それこそがナキサワメが人々に与えた物。未来への希望ぞ」

 

 その言葉と共にタゴリの体が黄金の輝きを放った。

 

 その光は泉にもあふれ、水蓮とイタチが戸惑い立ち上がる。

 

 サヨリとタギツも立ち上がり、姉妹は顔を見合わせてうなづいた。

 

 それぞれの両手が泉の神力をすくい上げるようなしぐさで空へと掲げられた。

 その動きに誘われるように、金色に輝く泉の神力が空へと舞いあがる。

 空にはいつの間にか大きな穴が開いており、そこへと神力が吸い込まれてゆく。

 

 「時空の穴か…」

 

 つぶやくように言ったイタチの瞳はどこか嬉しそうな…安心したような色を浮かべていた。

 

 大きく開かれた時空の穴に、神力はどんどん吸い込まれてゆく。

 そこから時空を渡り、世界に降り注ぐ。

 

 

 水蓮とイタチは身を寄せ合い、強く手をつなぎ合わせた。

 

 

 これからの世界がどうなってゆくのかは分からない。

 でもその中で、幼い子供たちの命が救われる。

 その光景を想像すると水蓮も同じように嬉しく、安堵の想いが溢れた。

 

 そしてその先に未来への希望があることに、二人の瞳から涙がこぼれ、泉に溶けた…



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第百六章 【あの日残した想い】

 泉から湧き上がった神力の全てを吸い込み、時空の穴は静かに閉じた。

 「次の停止期間。つまり100年後でなければ封印の効力への切り替えはできない。その100年の間、ナキサワメのしずくが起こす奇跡をわらわ達は泉の神力を通じてそれぞれの空間で見守り、必要とあればサヨリとタギツがこの泉のしずくを携えて出向き、その力を行使する。剣が空間を離れた今ならあちらの世界に行けるからな」

 「まぁ、それでもワシらが出向くためにはそれ相応の強い祈りが必要ではあるがな」

 「ボクたちを呼び出せるほどの強い想いが、世界にあることを祈るよ」

 二人はどこからともなく手のひらに収まるほどの瓶を取出し、そこに泉の神力を入れて袂に収めた。

 「あなたはどうするの?」

 水蓮がタゴリに問いかけた。

 「わらわは泉を守らねばならんからな。泉のそばを離れることはできない。そういう制約だ」

 それはすなわち永遠にこの空間から出ることができないという事。

 その事に水蓮はどこか胸が苦しくなった。

 もとは人であったのに、世界のために…泉を管理するためにその道を選んだ。

 それはとても覚悟のいる決断に思えた。

 「そう悪いものではない」

 タゴリの手が水蓮の肩をそっと撫でた。

 「一人ではない。妹たちがいる。そして八尋たちもな」

 「そうだ。ワシらはそれぞれの空間で孤独になることはない」

 「あいつらは結構面白いから退屈しないよ」

 そう言った3人の笑顔に嘘はなく、水蓮もイタチも少し心が軽くなったように感じた。

 「ちなみに、あいつらは十拳剣の化身のようなものぞ」

 「化身?」

 イタチが眉をひそめた。

 「そうだ。あの時…剣を封印するときに現れたのだ」

 タゴリは再びその場に腰をおろし、皆が座ったの確認してからその時の様子を語り始めた。

 

 「剣の力があまりにも大きすぎて、泉の許容を超えかねなかった。大きすぎては泉を保てないのだ。空気を入れすぎた風船が割れるようにな。そこで剣を3つにわかち封印することとなった。その時に八尋たちはかけらより現れ、それぞれ封印するための空間を作り上げた。そうして最も大きい力を持つかけらを泉に、あとの二つをお前たちの術で八雲と出雲の中に封印した。そこに後世への想いを託して…」

 

 「両族の…」

 「協力」

 

 水蓮とイタチが声を並べた。

 「そうぞ。剣はイタチの魂に与えられた者であり、使えるのはお前だけだ。だが100年の後に、生まれ変わり剣を手にするイタチが、いわゆる【いい人間】かどうかはわからない。本質は変わらなくとも、生まれ落ちる環境、状況、それらが良い物かどうは分からないのだ。その証拠にかつて共に戦った者たちも生まれ変わった先で様々な人生を歩んでいる。決して良いといえる人生でない者もいる。それにかつてのイタチが危惧したように幻術で操られたり、たとえ良い人間として育っても誰かに騙されて、うまく利用され剣を悪用される可能性もある。だからこそお前たちは封印の際に工夫を施した」

 

 「両族の力がなければ解けないように…」

 水蓮はこれまでの事を思い出していた。

 

 入口の封印からタゴリのもとへたどり着くまで、そのすべてにうちはとうずまき一族のそれぞれに引き継がれた手法が絶対不可欠であった。

 「そうすることで、容易には手に入れられぬよう、幾重にも剣を守るための壁を作った。もしどちらかに悪意があればその中で気づけるように。だがもしそれに気付けなくとも、悪用されるようなことがないようにお前たちは他にも色々と施していたようだったが…それは必要なかったな」

 タゴリは嬉しそうに笑った。

 「お前たちはこうしてたどり着いた。かつてのお前たちが願った通りのよき心を持って」

 

 

 

 【己の力を 大切な者のために使える人物に引き継ぐべし】

 

 

 

 壁画に描かれていた剣の封印を解くための術を受け継ぐ条件。

 

 その場にいる全員の脳裏にそれが浮かんだ。

 「剣を悪用されないように、そう書き残したのか」

 「そうぞ。だがそれだけではない。お前たちがそう書き残したのには、もう一つ大きな目的があった。大切な者のために…という想いをつなげるという目的がな」

 「つなげる?」

 そう問いかけた水蓮の隣でイタチが「そういうことか」と目を閉じて大きく息を吐き出した。

 イタチにはその目的が分かったようであった。

 「どういうこと?」

 問いを重ねた水蓮にイタチが柔らかく笑みを向けた。

 「シスイは優しかった。誰に対してもそうだった。皆シスイから受けた優しさに感謝し、それをシスイに返そうとした。だがあいつはいつもこう言っていた」

 

 『オレにではなく、お前のそばにいる大切な人にその想いを向けてくれ』

 

 「そう言っていたんだ」

 

 「そうだ。そういうことぞ」

 

 タゴリのうなづきに水蓮がハッとしたように「それ…」とつぶやいた。

 

 「私のお母さんもよく言ってた。誰かに優しくされたら、その人にはもちろんだけど、また別の誰かに同じだけの優しさを向けなさい…って。そしてその人がまた誰かにやさしくして、またその人が誰かに優しさを持てれば、いつかすべての人が繋がる…」

 

 再びタゴリがうなづく。

 

 「己の力を大切な誰かのために使える者に術は引き継がれる。術を引き継いだ者はその事の大切さを学ぶとともに、次に引き継ぐために同じ心を持つ者を育てようとする。そこに生まれる連鎖こそ、お前たちが望んだことぞ」

 「連鎖…」

 水蓮の言葉にタゴリが少し表情を重くした。

 「あの時代、うちはとうずまき一族は敵対していた。なぜなら、うずまき一族は千手と祖先を同じくしていたからだ」

 「うちはと千手は、昔からずっと戦ってきたからね。うずまき一族もうちはにとっては同じ括りだったんだよ」

 タギツも同じく目を細めて低い声でそう言った。

 「それに、うずまき一族は封印術だけではなく幻術にも強かった。その力は千手優勢の運びに大きく貢献していた。うちはにとっては、ある意味では千手よりも倒すべき存在だったんだ」

 「ワシらが死闘を繰り広げたあの時ですら、決して共に戦う事はなかったほどだ」

 「お前たちは一族間の争いを嘆き、そこに多くの命が奪われていくことに深い悲しみを抱いていた。奪い合うのではなく、共に生きる事こそが明るい未来を作るために必要な事なのだと強くそう信じていた。だが、そう簡単ではない。一朝一夕にはなしえないことぞ。お前たちもそれは痛いほどにわかっていた。だからこそ、少しずつでもいい。一人からでもいい。いつかうちはと千手が手を取り合えるように、まずうちはとうずまき一族をつなげようとした。その架け橋となれるように…。誰かのためにという優しさの連鎖でそれを目指そうとした。その想いを後世に残したのだ」

 

 優しさの連鎖をうちはとうずまき一族に生み出すことで、いつかその二つが繋がることを願って、過去の自分たちは封印の方法を考えた…

 

 そしてそれが長い時を経て自分たちのもとに…

 水蓮とイタチは視線を合わせたまましばらく無言のままであった。

 

 「その後うちはと千手の長であったうちはマダラと千手柱間が手を取り木の葉の里が創設された」

 

 タゴリが時代を追って話を続ける。

 「その中にはお前たちの残した想いが大きく働いたのだろうとわらわは思っている。その証と言えるかどうかはわからんが、剣の封印に関する術は一度うちはマダラに引き継がれる流れとなったことがある」

 「…っ!」

 「えぇっ!」

 イタチと水蓮が顔をはじきあげた。

 「あの男は十分その質を持っていたという事ぞ。だが、ある意味ありすぎたのだ。あの男は優しすぎた。それゆえにうちはの持つ【危うさ】も大きい。術の継承者はその事を見抜き、マダラには引き継がれなかった。まぁ、わらわもその流れの一端を夢に見ただけであるから、すべては分からんがな」

 「それに、そう言った事を知ったからと言ってワシらには何もできん。剣がそれぞれの空間にある間はそこからは離れられない制約だったからな」

 「30年前に一度だけ、時を告げるためか空間同士が繋がってそこを行き来できたけど、それもその時だけ。そこで木の葉の事やうちはマダラの話を姉者から聞いたけど、ボク達は人の世界に自由に行けるわけではないからね。どうすることもできなかったってわけさ」

 3人は神妙な顔で水蓮たちを見つめた。

 「うちはマダラが後に起こしたこともある程度は知っている。まぁしかし、何をどこまで…というような話は今ここでは意味を持たないな…。わらわ達に何かをどうにかできるわけではない。剣の制約がなくなった今もなお、わらわ達からお前達の世界に自由に行けるわけではないからな」

 タゴリは一つため息をつき「ただ一つ言えることは」と表情を厳しくした。

 「うちはマダラに継承される事が無くてよかったということぞ」

 イタチが重々しくうなづき、水蓮もそれに続いた。

 木の葉の歴史をイタチから聞いた際にマダラに関することと、その力のすさまじさも知った。

 もしも術がマダラに継承されていたら…。

 そう考えて水蓮は少し首をかしげた。

 「でも、もしマダラに継承されていても剣を使えるのがイタチだけなら、問題なかったんじゃないの?」

 

 それは、マダラに関してだけではなく、誰にでも言える事であった。

 剣が自分に使えないと分かったとしても、それを使えるのがイタチだけだという事にたどり着くのは不可能に思えた。

 「いや。そうでもない」

 水蓮の疑問にイタチが答えた。

 「壁画に記されていた事をすべて読み解くには万華鏡写輪眼が絶対不可欠だった。その時点でもずいぶん絞り込まれる。万華鏡の開眼はうちはのなかでもごくまれだからな。それに壁画には【実態を持たぬ霊器】とはっきりと記されていたし、術を継承する条件の中には【その能力を使える者に引き継ぐべし】とあった。そこから、剣は人の手には扱えないのかもしれないという事が予測され、スサノオが必要なのだろうと想定できる。そうなればもっと絞り込まれる」

 

 万華鏡を開眼し、スサノオの能力を持つ者…

 

 「剣の封印後に関していえば、うちはにおいて知られているのはうちはマダラ一人。それほどに稀な存在だ。同じうちはなら見つけられる」

 「そういうことぞ」

 タゴリが重々しくうなづいた。

 「うちはにおいて術の継承は、スサノオの能力を身に着けうる者になされてきた。その中で実際にスサノオを身に着けたのはうちはマダラと…イタチ。お前だけであろう」

 「おそらく…」

 イタチはうなづきを返す。

 「マダラがもし剣の情報を手に入れ、それを欲してあの壁画を探し当てたなら、おそらく他にスサノオを使える者がいないかを調べ、いたならともに来ようとするだろうな」

 「そうだな…」

 タゴリが低い声で続く。

 「あの男は念には念を入れる性格のようだからな…」

 

 水蓮は一瞬背筋が凍る思いであった。

 

 もしもマダラが術を継承しイタチと共にここへとたどり着き、剣を使えるのが自分ではなくイタチだと気づいたら…

 

 「イタチを操り剣を手に入れ、何やらとんでもない事をしでかしていたかもしれないという事ぞ」

 「そうならぬよう術の継承に条件を付けたのだ」

 「悪しき心の持ち主に引き継がれないようにね」

 タゴリ達の言葉にイタチは神妙な表情を浮かべたが「オレとマダラが同じ時代に生まれていればな」とそう言って小さく笑った。

 

 マダラが生きていることを水蓮は知らないことになったまま…

 イタチももちろん暁にマダラがかかわっていることを水蓮に話しておらず、それゆえの言葉であった。

 

 それが自分の身を守るための物だと分かっている水蓮は口をキュッと結び、タゴリ達もどこまでの事を知っているのかは分からないが、何も返さなかった。

 少し落ちた沈黙の中イタチが静かに言葉を発した。

 「だが100年以上130年以内という決められた期間内に、オレがうまく生まれかわりたどりつくかどうかなど、何の確信もない…」

 「そうだよね」

 もし今この時に、ここに現れたのがイタチでなかったら、剣は泉もろとも消滅していた…。

 

 イタチがそう言うとタゴリ達姉妹は、小さく笑みを浮かべた。

 「だからさっきボクが言っただろ?ボクたちがこうして出会えたことこそが重要なんだって」

 タギツがにっと笑い、サヨリも「そうだ」と笑みを見せた。

 「ワシらとお前たちがこうしてここで再会できたこと。それはこれより100年の後に、必ずこうしてまた会えるという証明にもなったのだ」

 「そういうことぞ」

 「そういうことって…」

 要領を得られず水蓮が顔をしかめた。

 「100年後、泉に再び剣を封印せねば泉の効力は継続できない。それまで剣はイタチの魂に宿り続ける。たとえイタチが死んでもな…」

 

 水蓮の胸がドキリと波打った…

 

 「故に、100年後にイタチが再び剣を持ってここに来なければならない。もちろんお前もぞ」

 タゴリは水蓮を見てにっと笑った。

 「出雲はお前の言う事しか聞かんからな。100年後またお前たちが生まれ変わってここを訪れ、今度は逆の流れで剣を封印する。ここで剣を3つにわかち、それぞれの空間にな。そのための事をお前たちは後世に伝え継がねばならない」

 「後世に伝え継ぐ…」

 イタチの瞳が少し陰りを見せた。

 それを視線に捉えつつ、タゴリは言葉を続けた。

 「いつかお前たちのもとへと術が帰るまでな」

 水蓮とイタチは無意識に顔を見合わせていた。

 

 今のこの命を終え、100年後にまた出会う…

 

 「そのために」

 タゴリが柔らかい笑みを浮かべて静かに立ち上がった。

 

 

 「あの時と同じ方法でこの場を締めくくる」

 「あの時と同じ方法?」

 水蓮の問いかけにタゴリは「うむ」と大きくうなづく。

 

 「そうすれば、必ずわらわ達はまたこうして出会える」

 「次の封印の時に」

 「この場所でね」

 サヨリとタギツが立ちあがり、戸惑いながら水蓮たちもそれに続いた。

 「その方法というのは、何かの術か?」

 「いや」

 タゴリがイタチにそう返して柔らかい声で答えた。

 「約束ぞ」

 

 「…え?」

 「約束?」

 

 「そう。約束ぞ。あの時わらわ達がここでかわした約束…それは、【世界の平和を願う美しい心を持ち、ここでまた再び出会う事】。それを皆で誓ったのだ」

 

 「それだけか?」

 「本当にただの約束?言葉の?」

 

 拍子抜けしたような二人の口調にサヨリが眉をひそめて詰め寄った。

 「お前ら、言葉をバカにしとるな。言葉とは時に如何なる術よりも強い力を発揮するのだ」

 「そう。そのために強い強い想いを込めた言葉で」

 「魂に誓いを立てるのだ。その誓いが互いの魂を呼びあい、必ず出会える」

 タゴリが水蓮とイタチを見て目じりを下げて微笑んだ。

 「お前たち二人が大きな運命の壁に隔たれてもなお出会い、ここに集った事がその証ぞ」

 

 二人の胸がトクン…と波打った。

 

 「この130年の間、お前達以外にここへと来た者はいない。それもまた証。時が訪れ、ここへと来るのは必ずお前たちなのだ。その間に術を継承する者はいわば術の預かり手ぞ。いつか再びお前たちのもとに術が帰るまでのな」

 「ゆえにその者達は書き残されたとおりの者でなくてはならない。壁画に残された言葉はいわば誓約の様な物だ」

 「途中で悪しき心を持つ物に引き継がれてしまったら、お前たちのもとに術は帰らないかもしれないし、もし戻ったとしてもろくなことにはならないだろうからね」

 

 術が悪しき心の持ち主に渡り、生まれ変わったイタチが十拳剣を持っている事が知れたら…

 

 それを利用されて剣が泉に封印されなければ、泉は消える…

 そうなれば世界に起こるべきであった奇跡が失われる。

 

 「たしかに、いい結果にはならないだろうな」

 

 イタチは右手をぎゅっと握って見つめた。

 その手に水蓮がそっと手を重ねる。

 

 「大丈夫。大丈夫だから」

 

 何も不安を感じさせたくなかった。

 ようやく求めていた十拳剣を手に入れた今、本来の目的以外何も考えさせたくなかった。

 「私に任せて」

 それ以外の物はすべて自分が引き受けよう。

 

 そう思った…。

 

 

 死にゆくイタチが無しえないうちはへの術の継承も、その行く末を見守る役目も責任も…

 今イタチが抱いているその不安の何もかもをこの身に受けようと…。

 

 

 イタチが今までにしてきた事に比べれば…

 耐えてきたことに比べれば…

 乗り越えてきたことに比べれば…

 

 「それくらい、どうってことない」

 

 …つ…と、水蓮のほほを一筋の涙が走った。

 

 「それくらい、私にかかれば余裕なんだから」

 「…っ」

 

 柔らかく浮かべられた笑みに、イタチの表情が揺れた。

 「水蓮…」

 イタチは優しく添えられたままの水蓮の手を強く握りしめ、水蓮もぎゅっと握り返す。

 固く繋がれた二人の手を見てタゴリが一つうなづいた。

 

 「さぁ、皆で約束を交わそうぞ」

 

 姉妹が手をつなぎ、そこに水蓮とイタチも続いて輪を作る。

 

 タゴリが穏やかに笑み、ゆっくりと言葉を馳せる。

 

 「百年の後、美しき心を持ってまた集おう。この場所で、またこうして手を取り合おう。必ず、また出会おうぞ」

 

 「うむ。必ずこの場所で」

 「うん。必ず集おう」

 

 サヨリとタギツがうなづき笑う。

 

 ふわり…と静かな風が凪いだ。

 その風に包まれながら、水蓮とイタチが言葉を重ねた。

 

 

 『必ず』

 

 

 …ぽ…ぉ…

 

 

 胸の奥深くで、温かい光りが揺れたような気がした…




少し遅くなりスミマセン…(-_-;)身内のトラブルに対応中で身辺バタバタしまくっていまして(~_~;)ようやく少し落ち着いたので書くことができました(*^。^*)
十拳剣イベントはあと二話ほど続きます。この後はまた二人の切なさが溢れる感じになるかな…。少しずつ進めてはいますが、いつものごとく泣きながら書いておりますwww
ここを終えたらまた鬼鮫やデイダラも出てきます☆
まだトラブルも完全に片付いてはいないので少し投稿お待たせするかもしれませんが、何卒よろしくお願いいたします(*^_^*)

いつも本当にありがとうございます!!(^v^)


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第百七章 【今日という日】

 「この部屋を使うといい」

 タゴリが静かに開いたふすまの向こう。落ち着いた雰囲気の和室が目に入り、水蓮は今までの疲れが癒された気がした。

 

 

 

 泉の中で【約束】を交わし、一同はタゴリがもといた空間へと戻った。

 イタチはすぐに帰ろうとしたが、剣の扱いを八尋に聞いておけとのタゴリの言葉に、今しばらくとどまることとなった。

 イタチが剣をふるう様子を見たいとサヨリとタギツもそちらに付き添い、水蓮は体を休めるようイタチに言われ、タゴリの案内でこの部屋へと通された。

 「いい香りがする」

 ゆっくりとした呼吸で部屋の中に漂う柔らかい香りを体にしみこませる。

 「白檀だ。お前が好んで使っていた物だ。少し残していた物を八尋が焚いておいてくれたのだ」

 「残していた?」

 「うむ」

 タゴリは香炉の近くにある飾り棚を開けた。

 中には小さな白い紙の包みがいくつか保管されていた。

 「これはお前がこの部屋で使っていたものだ」

 「私が…」

 「そうぞ」

 そっと棚を閉め、タゴリは窓辺に歩み寄り静かに障子窓を開ける。

 「過去のお前たちは剣を封印したのち、ここで幾年かを過ごした。これを育てたのもお前たちぞ」

 タゴリが体を少し開き、窓の外を見るよう促す。

 そこに広がる光景に、水蓮は息を飲んだ。

 窓の向こうには大きな池があり、その一面にスイレンの花が咲き乱れていた。

 「このスイレンはお前とイタチが育て、咲かせ、それから一度も枯れてはいない。130年の間ずっと咲き続けている」

 「ずっと…」

 「うむ。あの時のままぞ」

 色とりどりに咲くスイレンを見つめ、その先に同じくさまざまな彩を見せる紫陽花を見つける。

 「あれもお前たちが咲かせた。スイレンはお前の好きな花であり、紫陽花はイタチの好きな花であった。ここは季節にとらわれない空間だからな。こうしてどちらも同時に花を咲かせた」

 「そう…」

 窓の外に広がる景色を見つめてスイレンは黙した。

 「あとでイタチとゆっくり見るといい。あいつは花が咲いた時にはすでに見えていなかったからな」

 ギュッと水蓮の胸の奥が締め付けられた。

 「今ならまだ見えるだろう…」

 

 それでも、鮮やかなこの色の全てをはっきりとはとらえられないかもしれない…。

 

 水蓮はスッ…と視線を落とした。

 

 イタチは何も言わないが、もしかしたら見えにくいのではと思う事がここ最近幾度かあった。

 原作の中ではサスケとの戦いの最後まで視力はギリギリ保たれていた。

 しかし、少しずつにでも確実に弱っていく視力。その瞳に映る自分の姿がぼやけていくのかと思うと、恐ろしかった。

 

 じわり…と、思わず涙がにじんだ。

 

 それを堪えようとグッと体に力を入れ、涙がこぼれぬよう少し上を向いた。

 

 「無理をするな」

 

 ぽん…と頭にタゴリの手が乗せられた。

 その手に少し力が入り、上を向こうとした水蓮の顔をうつむかせる。

 

 「堪えるな」

 「…っ」

 

 ぶわ…と大きな粒が溢れた。

 

 

 過去に自分たちが過ごしたという場所にいるからなのか、出会ってからの事が急に思い出されてゆく。

 

 戸惑いながらもイタチのためにと生きた日々。

 

 その中で感じた切なさ、痛み、悲しみ。そして二人で見つけた穏やかな時間と幸せ。

 

 すべてが涙となってあふれ出た。

 

 その中で最も大きい物

 

 「…怖い…」

 

 震える声で水蓮が言った。

 

 「あの人を失うのが怖い…」

 

 十拳剣と八咫の鏡。

 イタチが最期へと向かう条件は整った。整ってしまったのだ。

 

 わかっていた事ではあった。

 それでもイタチを失うという恐怖が、覚悟のその上を超えて襲い来る。

 抑えきれずに震える体をタゴリがグッと抱き寄せた。

 「…う…っ」

 水蓮は身を預け、ただただ涙を流した。

 揺れる小さな肩を優しくなで、タゴリは一瞬の迷いを見せた後静かに言った。

 

 「イタチと共にここに残るか?」

 

 ピクリと水蓮の体が揺れた。

 「…………」

 顔を上げぬまま黙り込む水蓮にタゴリは言葉を続ける。

 「ここは外からの干渉を決して受けつけない場所だ。お前にとっても、イタチにとってもこれ以上にない安穏の場所ぞ。故に過去のお前たちもここで暮らしたのだ。ここに残れば、静かに時を過ごせる」

 

 イタチが命を終えるその時まで…

 

 言わずとも聞こえたその言葉に、何をどこまでかは分からぬが、タゴリはイタチの向かう先を知っているのだと水蓮は悟った。

 

 「もし、どうしてもイタチが行くと言うのなら、お前だけ残っても構わぬ。イタチもそう言うかもしれん」

 

 ― お前はここに残れ ―

 

 いつだったかイタチに言われた言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 確かにここほど安全な場所はないだろう。

 これから起こる危険な物をすべて回避し、時を見計らって戻り、術を継承するという事も出来る。

 それを考え、イタチは独りでここを出ると決断し、自分には残れと言うかもしれない…

 

 「そうかもしれない…」

 

 スッとタゴリから体を離し、窓の外に目を向ける。

 「昔のイタチなら、出会った頃のイタチならそう言ったかもしれない」

 視線をタゴリに向け、水蓮は「だけど…」とまだ止まらぬままであった涙を拭って笑った。

 「イタチは私を離さない」

 共に生きる中で見つけたその確信。

 「必ず私を連れて行く」

 

 

 どんなに強くなろうとも、先ほど襲った恐怖は消えない。

 それでも、一人では超えられない恐怖も、二人なら超えてゆけることを自分たちはもう知っている。

 

 

 「私たちは、二人で一つだから」

 

 「………」

 力のこもったその言葉に、タゴリの目が細められた。

 「まったく…」

 呆れたようなため息と笑み。

 だがその目じりには小さく涙が光っていた。

 「やはりお前は変わらんな。頑固で、こうと決めたら譲らない。おそらくイタチもそうだろう。聞いたところで答えは同じなのだろうな」

 「うん」

 水蓮が強くうなづくと、タゴリが再びその体を抱きしめた。

 「水蓮。どうか無茶はしてくれるな。生まれ変わった姿とは言え、お前もイタチもかつて共に戦った大切な仲間ぞ。わらわ達がいつでもお前たちの事を思っている事を忘れないでいてくれ」

 タゴリの腕に力がこもる。

 その腕の中水蓮がうなづくと、さらに強く抱きしめられ、水蓮が小さく身じろぎした。

 「タゴリ…く、苦しい…」

 徐々にきつく抱きしめられ、そこにタゴリの怪力がちらつき始め、水蓮はグッと必死に体を押し返した。

 「ん?…ああ!」

 ハッとしてタゴリが体を離す。

 「いやぁ、すまんすまん。つい」

 ガハハ…と豪快な笑いが部屋に響き、空気が一気に明るくなる。

 水蓮はそんなタゴリの姿を見て、きっと過去の自分たちもタゴリの明るさに救われてきたのだろうと、ふとそんなことを思った。

 「しかしあれだな」

 タゴリが腕を組み再び窓の外を眺める。

 「今日という日にイタチに剣と八咫の鏡。ちょうど良い贈り物になったな」

 「ちょうどいい?」

 何かを含んだ言葉に首をかしげると、タゴリが顔をしかめた。

 「なんだ、お前知らんのか?今日はイタチの誕生日だぞ」

 「え!」

 その言葉に、今までの現実離れした時間から急に連れ戻された気分になる。

 「そうなんだ…」

 ふいに自身の誕生日を家族と過ごした光景が思い浮かぶ。

 イタチの中にもその記憶はきっと残っているだろう。

 今の状況がそんなことを気にしている場合ではないというのもあるが、やはりその事を思い出すのが辛いのだろうか。

 そんな話を今までしたことがなかったと、水蓮はうつむいた。

 それに、その日を重ねることは時の経過をいやがおうにも実感することになる。

 自分たちにとっては手放しで祝えるものではないのかもしれない…

 

 それでも…

 

 「祝ってやれ」

 タゴリがまた水蓮の頭に手を置いた。

 「あいつがこの世に生まれた日だ。お前にとっても特別な日であろう。いかに今がどんな時でも、この先がどんな未来であろうと、その日は祝われ感謝するべき時ぞ」

 穏やかに浮かべられたタゴリの笑みをしばし見つめ、水蓮は強くうなづいた。

 「うん」

 「うむ」

 タゴリはニッと笑い、くしゃりとスイレンの髪を指に絡ませて頭を撫でた。

 「さぁ、少し食べて休め。お前ら気づいてないだろうが、サヨリの所に来てからとっくに24時間は過ぎとる」

 「え?」

 「丸一日以上寝てない状態ぞ。いかに泉の力でチャクラが回復したとはいえ、睡眠をとってないことの疲労は取りきれん。空腹もな」

 笑いながらタゴリが向けた視線の先。テーブルの上にパンと果物が並べられていた。

 「イタチの分は八尋が向こうで用意している。食べて眠れ」

 ポンポン…っとあやすように頭をなで、タゴリは部屋を出て行った。

 

 静かになった部屋の中。水蓮は再び窓の外に咲き乱れるスイレンと紫陽花へと目を向けた。

 水面に、大地にと彩りを見せるこの花を、過去の自分たちはどんな想いで育て、何を想いながら咲かせたのだろうか…。

 どんなに見つめていても、そこには不思議な感覚があるのみで確かな答えは見つからない。

 それでも一つ。分かることがあった。

 それは、きっと過去の自分たちも互いを愛していたのだろうという事。

 

 少しの違和感もなく共に咲くスイレンと紫陽花を見て、それを感じていた。

 

 ふわり…と凪いだ風の中。白檀の香りが揺れた。

 自然と水蓮の口から歌がこぼれた。

 かけらの封印を解く際に歌われた歌。

 

 それを終え、もう一つ分かったことがあった。

 

 自分たちはここで過ごした後離れて生きたのであろうという事。

 

 歌の中にある言葉。

 

 【たとえ離れていても】

 

 【ずっとこの故郷で あなたを待っている】

 

 そこにその事を感じいていた。

 

 うちはとうずまき。その両方に術を継承するためにはそれぞれの故郷に帰らなければならない。

 しかし、過去の両族の関係を考えればともにどちらかの土地で暮らすことはできないだろう。

 そこには命の危機がある。

 それになにより、自分たちにはそれぞれの場所でするべきことがあった。

 

 一族の中で生き、優しさをつなげてゆくという使命があったのだ。

 

 二つが一つになる日まで…

 

 

 過去を思い出したわけではない。

 

 それでもきっと自分たちならその道をゆくだろう…

 

 ポタリ…

 

 スイレンのほほを涙が伝って落ちた。

 

 柔らかい風の中にまた白檀の香りが揺れ、過去の自分が感じていたのであろう切なさと、二人で感じていたのであろう温かい気持ちが胸の中にあふれた。




いつもありがとうございます(*^_^*)
最近子供が小学校になって、朝が早く…なかなか夜更かしできない感じで…
若干ペース落ち気味ですが、更新頑張りますwww!
長くなってしまった十拳剣イベント…。次回で終了予定です(*^。^*)
この先をどうするか…大体の構成はありますが、原作との兼ね合いを間違えないように今原作見直し中です(~_~;)
確認しながらなのでまた投稿にムラが出るかもしれませんが、何卒よろしくお願いいたします(*^_^*)


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第百八章 【約束】

 1時間ほどが経ち、八尋との話を終えたイタチが水蓮の元へと戻りきた。

 眠っているかもしれないと、声をかけずに部屋のふすま戸を静かに開け…その手が止まった。

 

 ふわりと揺れる白檀の香り。

 

 懐かしい…

 

 そう感じた。

 自分がすごした故郷での記憶ではない。

 

 ここで過ごした遠い日の記憶が魂に刻み込まれているのだろう…。

 この香りを覚えているのだろう…。

 

 そう思った。

 

 それを運ぶ窓から流れ込む柔らかい風。

 その風に髪をなびかせ、窓の外を見ていた水蓮がゆっくりと振り返る。

 

 つぼみががほころび、花が開いたような美しく穏やかな笑み。

 

 嬉しそうに細められた目の奥で優しい輝きを見せる黒い瞳。

 

 そこには春の暖かい日差しのような光りが溢れていた。

 

 本来の色に戻されているイタチの漆黒の瞳がそのまばゆさに釘づけられ、言葉なく立ち尽くす。

 

 

 「お帰り。イタチ」

 

 

 何か懐かしい光景が脳裏をかすめる。

 

 今度は魂の中の記憶ではない。

 

 

 それは、子供のころ当たり前に聞いていた言葉…

 

 

 「お帰り」

 

 そばまで来た水蓮の動きに合わせて空気が揺れ、そこに生まれたぬくもりがイタチを包み込んでゆく。

 

 

 あの頃当たり前にそばにあった温かさ…

 

 

 里を出たあの日、もう2度と自分には与えられない物だと思っていた。

 

 だがそれが今ここにあることを、イタチは実感していた。

 

 

 「イタチ…」

 

 

 そっと水蓮の手が伸びイタチのほほに触れる。

 その手に自身の手を重ね、イタチはやっと気づいた。

 

 

 両の目から涙があふれていた事に…

 

 

 目の前にいる大切な人の名を呼ぼうと少しだけ動いた唇は、それができずに小さく震え、喉の奥からせまる息の詰まった声を抑えようとキュッと固く結ばれた。

 

 その様子にスイレンが戸惑いを浮かべる。

 

 

 今までに見たことのないその顔は、ひどく幼く見えた…

 

 

 止まらぬ涙と制御できないその感情を抑えようとイタチは表情をゆがめる。

 

 「フフ」

 

 小さく水蓮が笑った。

 

 「変な顔」

 

 イタチはほんの一瞬の間を置き、少しいじけたような顔をした。

 

 「笑うな」

 

 「だって、すごい顔してる」

 

 「お前だって、変な顔してるぞ」

 

 同じように涙を流しながら複雑な表情で笑う水蓮に、イタチもようやく少し笑った。

 

 互いに相手の涙を拭い、改めて静かに笑みを交わす。

 

 だがその笑顔の中に、イタチはどこか不安げな色を見せた。

 「イタチ。今何を考えているの?」

 イタチは少し驚いたように小さく息を飲み、フッと笑った。

 「お前には適わないな…」

 水蓮は何も返さずイタチの言葉を待つ。

 

 「剣は…」

 

 短くない沈黙を終えて、イタチは口を開いた。だが言いかけてすぐに口を閉ざす。

 その先を水蓮はやはり何も言わずに待つ。

 また沈黙が落ち、少し視線を落としてイタチが途切れ途切れに胸の内を明かしだした。

 

 「十拳剣は、かつて世界を救うために振るわれた。それなのに、オレは…オレは…」

 

 ただサスケのために…

 

 そんな利己的な事を理由に剣を使っていいのか。

 

 そんな事が許されるのだろうか…

 

 「この剣で封印するべきものは、別の物かもしれない」

 

 うちはマダラ

 

 その存在が二人の中に浮かぶ。

 

 「だが今のオレの体では…」

 

 封印の力を2度は使えない。

 

 封印術を扱う水蓮にはその事が分かっていた。

 現実にそこにある存在を封印するには莫大なチャクラが必要なのだ。

 風遁を使う時とのその差は歴然であった。

 

 ましていかなる存在をも永久に閉じ込めるほどの封印術。

 それは剣の力だけで発動できるものではない。

 泉がそうであったように、その力を使うためにはそれ相応のエネルギーが必要なはず。

 

 おそらくそれは、使う者の生命力…

 

 そうなれば、かなり体が弱っているイタチには、剣の封印術は2度使えない。

 

 だからこそイタチは悩んでいるのだろう。

 本当なら、大蛇丸の呪印とマダラ。その両方を封印したかったはずなのだ。

 イタチがそれを考えないはずがない…。

 だが、そのイタチがこうして悩む姿を見せるという事は、両方は不可能なのだ…

 

 

 「オレは…」

 

 イタチの心に重い何かが覆いかぶさっていた。

 

 「オレは…」

 

 言葉が続かず黙り込む。

 

 部屋が静けさに包まれ、その静寂の中に水蓮の声が響いた。

 

 

 「あなたは間違えていない」

 

 

 伏せられていたイタチの目が静かに水蓮へと向けられる。

 「だが…」

 「剣は…神力は人の想いに呼応するって言ってたでしょ?それは神力に意思があるからなんだと思う」

 イタチの手がぬくもりに包まれる。

 「剣が今イタチの中にあるのは、剣がイタチの願いを認めたっていう事だと思う」

 「オレの願い…」

 「そう。サスケを救う事がきっといつか世界を救うことになる。剣はあなたの目的の奥にある、本当の願いをちゃんとわかってる」

 

 確信にあふれる瞳がイタチの心を光で照らす。

 

 

 「私もちゃんとわかってる」

 

 

 悩みにぼやけた道を照らしてゆく。

 

  

 「迷わないで」

 

 

 行くべき道はこちらだと、指し示す。

 

 

 「あなたは間違えていない」

 

 

 そこへとまっすぐに導く。

 

 

 自分を見つめる心強い笑みに、イタチの体からふっと力が抜ける。

 そこに見えた安堵に水蓮が一つうなづき、イタチも同じようにうなづきを返した。

 

 共に進むべき道は一つ。

 

 二人は合わせた笑みにそれを確認し合った。

 

 

 「ねぇイタチ。見て」

 

 手を引き水蓮がイタチを窓際へと誘う。

 「私たちが育てたんだって」

 そこに広がる美しい光景にイタチは一瞬息を飲み、小さく「そうか」とつぶやいた。

 「そうだったのか」

 重なる言葉に水蓮が首をかしげる。

 イタチは繋がれた手をぎゅっと握り、咲き乱れるスイレンを見つめて何か納得したような息をついた。

 「ここに…いや、ここから繋がっていたんだな」

 何かを体の中にしみこませるようなゆっくりと大きな呼吸をひとつ。

 

 イタチは色鮮やかな光景を見つめて黙した。

 

 

 「きれいだな」

 

 どれほど静かにたたずんだだろう。

 ぽつり…とイタチはそうこぼした。

 

 「そうだね…」

 

 どこまで正確にこの色を捉えられているのかは分からない。

 先ほど不安を感じたその事。だが今それは自分たちにとっては重要でないように思えた。

 

 こうしてここに並んで美しい景色を見て、共に「きれいだ」と感じることができる。

 その事が重要なのだ。

 美しい物を美しいと感じる事が出来るこの心が、この瞬間が大切なのだ。

 

 「オレは…」

 

 スイレンを見つめたままのイタチの瞳が少し悲しい色を見せた。

 

 「あの日の事を時折夢に見る」

 

 血に染まったあの夜の光景…

 

 「その夢の中、望んではならない救いを求め、救われることなく目が覚める。だがそれはオレにとっては覚悟の上だ。それよりもオレが恐ろしかったのは、いつその夢が終わるのかが分からない事だった。何度繰り返すのか、目覚めることができないのではないか。それが恐ろしかったんだ」

 水蓮はイタチの夢に入り込んだ時に感じた痛みを思い出し、胸元を握りしめた。

 「だがいつの頃からか、夢の中に小さな光が現れるようになった。そしてその光の中から花が咲くんだ。…スイレンの花が」

 ギュッとつないだ手に力が入る。

 「その花が咲くと目が覚める。スイレンはオレに目覚めの合図を与えてくれるものとなった。その存在がオレにとっての救いだったんだ」

 ゆっくりと視線が水蓮に向けられる。

 「あの時…。初めて出会った時、お前はそのスイレンのごとくオレの前に現れた。美しい光りの中から、お前が現れたんだ…」

 イタチの手がそっと水蓮のほほに触れ、知らず溢れていた涙を拭う。

 「オレは心のどこかで覚えていたのかもしれないな…。お前の事を」

 「……っ」

 「お前と共に咲かせたこのスイレンの花を、覚えていたのかもしれない」

 ぬぐいきれない水蓮の涙をそれでも優しく拭い続け、イタチは笑みを浮かべた。

 「オレ達はやっと出会えたんだな」

 その笑顔は今までに見せたことのない物で、そこにはいつも消しきることのできなかった警戒が一かけらもなく、ただただ嬉しいという感情だけが見えていた。

 「私は…」

 涙止まらぬまま水蓮が声を絞り出す。

 「私はもっと早くあなたと出会いたかった。あなたのそばにいたかった。始めから…生まれたときからあなたのそばにいる事が出来ていたら、もっとあなたのために…あなたと一緒に…」

 ぎゅっとイタチの体を抱き締める。

 イタチはそっと水蓮の背を撫でながら「いや」と小さく首を横に降った。

 「お前は、あの時でなければならかったんだ」

 イタチは少し言葉を収め、ゆっくりと話し出した。

 「オレは今までに二度、一族も里も何もかもを捨てて遠くに行ければと思った事がある。一度目は、暗部に入る前の任務で同郷の忍を殺したとき。だがその時はシスイがそばにいてくれたおかげで、強さを取り戻せた。二度目はお前と出会ったあの日だ。あの日、オレはサスケに会い、オレへの憎しみを目の当たりにした。それを望み、与え、この身に受けることを覚悟していたはずだった…」

 抱き締める腕に少し力が入る。

 「だが実際には驚くほどショックだった。ずっとオレを慕い、頼り求めてきたまなざしが憎しみに溢れ、怒りに染まる。それは想像と覚悟をはるかに越えた苦しみだった。それでもあいつを強くするために、さらに憎しみを植え付けた」

 さらに腕に力がこめられる。

 「サスケを傷つけ苦しめ、心が何かに握りつぶされそうだった。自分とはこんなに弱い生き物だったのかと、落胆した。この程度の覚悟で一族を殺したのかと。自分が嫌になった。そして思った。いっそこのまま遠くへ…とな」

 イタチは自分にあきれたように小さく笑いをこぼした。

 「もう今更できるはずもないことを思った。そんな時だ、お前が現れたのは…」

 少し体を離し見つめ合う。

 「シスイもいない。サスケも今やオレを恨み憎み、もう自分は一人だと思っていた。『誰もオレを知る者はいない』と、あの時漠然とそんなことを考えていた。だがお前はオレを知っていた。額宛を見て、目を見て言った『うちはイタチ』と。お前は『木の葉のうちはイタチ』を知っていた」

 涙でぬれる水蓮のほほをイタチの指がやさしくなでる。

 「なぜかその事がオレの心を深くついた。お前を死なせてはならないと、そう思った」

 イタチはスイレンの花へと視線を移し柔らかく笑んだ。

 「なぜそう思ったのか、そもそもなぜお前があの場所に現れたのか。そして、なぜお前に水蓮と名をつけたのか。何一つとしてその答えは分からなかった。だが、全てはここへ繋がっていたんだな。遠い過去から今へと繋がっていたんだ」

 イタチはフッと笑い水蓮のほほを撫でた。

 「命とは不思議だな。生まれ変わりという物が本当にあるとは思わなかった。過去の魂が再び出会うためにまた生まれるとは…」

 「そうだね…」

 イタチの手に自分の手を重ね、水蓮も笑う。

 「水蓮。お前がいなければ、オレは、オレの心はとっくに砕け散っていただろう。あの時出会わなければ、あのままオレはどこかに身をくらませ、誰に知られることもなく病に蝕まれこの命を終えていたかもしれない」

 

 そんな事はない…。

 

 水蓮はそう思った。

 それでも、イタチはきっと進んだだろう。

 痛みと悲しみに耐え、一人戦っただろう。

 

 だけれども、そう思えるほどに辛かったのだ。

 

 「お前がいたからオレは進むことができた。迷いを打ち消すことができた。今も…」

 

 グッと水蓮を抱き寄せる。

 

 「ありがとう。オレのもとへ来てくれて」

 

 イタチはもう一度「ありがとう」と優しい声でそう言って水蓮の髪を撫でた。

 

 

 その言葉は、想いは自分も同じだと、水蓮はそう言おうと口を開いたが、喉の奥が詰まって声が出なかった。

 それでもどうしても伝えたかった。伝えなければならない。

 

 大きく息を吸い込んでゆっくりと吐き出して整える。

 

 今伝えなければもう言葉にすることはできない。

 

 イタチにとって最後なのだ。

 

 自分にとっても最後なのだ。

 

 二人でこの日を過ごすことはもうない。

 

 「イタチ」

 

 ありったけの愛しさを込めてその名を呼ぶ。

 

 イタチが「ん?」と同じ温度でそれを受け止める。

 

 …笑顔で言おう。

 

 涙は止められないままだったが、水蓮は笑みを浮かべた。

 

 「誕生日おめでとう」

 

 イタチは一瞬きょとんとした顔を浮かべ、小さく笑った。

 

 「そうなのか…」

 「うん。そうだよ」

 「そうか」

 

 スッと伏せられた瞳には、やはり悲しげな色が浮かんだ。

 

 「そんな事、もう何年も忘れていたな…」

 

 再び水蓮を捉えた瞳は、少し穏やかな色に変わった。

 「ありがとう」

 イタチが言おうとしたその言葉を、水蓮が先に口にした。

 またイタチがきょとんとする。

 構わず水蓮は「ありがとう」と言葉を重ねてイタチを抱きしめた。

 

 「生まれてきてくれてありがとう」

 

 ピクリ…とイタチの体が揺れた。

 

 「ありがとう」

 

 無言のままのイタチを抱きしめ、水蓮は幾度もそう繰り返した。

 

 

 うちはイタチという人物は、その言葉を、その想いを多く受け取るべき人なのだ…

 

 誰よりも人を愛し、里を愛し、平和を愛し戦っているのだから…。

 

 誰よりも傷つき痛みに耐えながら、それでもと、未来の希望のために戦っているのだから…。

 

 受け取るべきそのすべてを、自分が与えてあげよう。

 

 

 「ありがとう」

 

 

 誰からも与えられることのないその言葉を…

 

 

 「ありがとう」

 

 

 ありったけの想いをこめて何度も何度も繰り返す。

 

 

 「ありがとう」

 

 

 だがそれがふいに途切れた。

 

 イタチの口づけがそれを塞いでいた…

 

 

 「もういい」

 

 返そうとした水蓮の言葉を、再びふさぐ…

 

 「もうわかった」

 

 口づけの合間を縫ってイタチの柔らかい声が響く。

 

 「水蓮。ありがとう…」

 

 イタチが水蓮の手を取り、口元に引き寄せた。

 

 まるで誓いを刻むように…

 

 じっと水蓮を見つめ、静かに伝える。

 

 

 「必ず。必ずお前を見つける」

 「………っ」

 

 水蓮の瞳が揺らいだ。

 

 「お前がオレを見つけてくれたように、今度はオレがお前を見つける。必ずむかえに行く」

 

 声を出せずに水蓮はただうなづいた。

 

 「約束する。100年の後、必ずお前をむかえに行く」

 

 ギュッと指を絡み合わせ互いを深く繋ぎとめる。

 

 「待っていろ」

 

 まっすぐな視線を受け止め、水蓮は何度もうなづきを返す。

 口を開けば声を上げて泣きそうだった。

 それでもそれを必死に飲み込んで想いを言葉にする。

 

 「待ってる」

 

 震えたその声がイタチの心の深くに刻まれてゆく。

 

 「必ずむかえに来て」

 

 「ああ。必ずむかえに行く」

 

 どちらともなく唇を合わせる…

 

 その幾度目かの重ねの中、二人の間に今までにない熱が生まれ、イタチが一瞬の戸惑いを見せほんの少し身を引く。

 だが、イタチが逃がそうとしたその熱を、引き留めるように水蓮がその体を抱きしめた。

 「離さないで」

 「………」

 消え入りそうな声にイタチはやはり戸惑った。

 「お願い…」

 キュッ…と、イタチの衣をつかむ指に力が入る。

 

 小さな震えを抑え込むように、水蓮は言葉に少し力を入れた。

 

 「私を離さないで」

 

 もうすぐそこに迫る最期の時…

 

 長さの読めぬそこまでの道のり…

 

 ほんの一瞬でも離れずにいたい…

 

 終わりのその瞬間まで…

 

 

 想いは同じであった。

 

 

 離れたくない…

 

 

 「水蓮」

 

 

 イタチがグッと強く水蓮を抱きしめる。

 

 

 「離さない」

 

 

 互いの身を…心を締め付ける苦しさは、まだ命がある事の証…

 

 

 それを確かめ合うように、二人は強く抱き寄せあった。

 

 「離さないで」

 

 「ああ」

 

 イタチが深く口づけを落とす。

 

 

 「お前を離しはしない」

 

 

 高まる熱の中、言葉を…唇を…涙を…想いを…

 

 

 二人は静かに重ね合わせる…

 

 

 

 窓の外に咲くスイレンと紫陽花が風に揺れ、柔らかい白檀の香りが二人を包み込んでいった…



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第百九章 【うつわ】

 タゴリか八尋の意思によるものなのか、それとも自然の物か、窓の外には夜の静けさが落ちていた。

 不意に眠りから覚め、目を開くとすぐそばにイタチの寝顔がある。

 ほほにかかった黒い髪を指ですくって流し整え、その手をそっとイタチのほほに添える。

 

 「起きない…」

 

 普段ならよく眠っていても少し目を開く。

 だが今はただ静かな寝息が聞こえるのみで、ピクリとも動かない。

 

 少しの警戒も不安もない眠り…

 

 こんな風に眠るのはどれくらいぶりなのだろう…

 

 想像の範疇でしかないが、それは幼い子供の頃にしかない事なのではないだろうか…

 

 自分ですら、いかにイタチや鬼鮫がいても、この世界では本当の意味で眠ったことがないような気がして、水蓮は胸の奥が切なく痛んだ。

 

 今更ながらにこの世界の厳しさが身に染みる。

 

 「イタチ」

 

 ひそめた声で名前を呼ぶ。

 

 それでもイタチは起きる気配を見せない。

 

 なぜだか嬉しかった。

 たとえこれが最後だとしても、こうしてぐっすり眠ることができてよかったと…そう思った。

 

 静かに身を寄せてイタチの胸元に頬を寄せる。

 確かに聞こえる鼓動。

 髪にかかる息。

 今はまだここにあるその命をより強く感じようとさらに身を寄せると、目を覚まさぬままイタチが水蓮を抱きしめた。

 

 幸せだ…

 

 それは確かな想い

 

 だけれども、やはり涙がこぼれる。

 

 水蓮はギュッとイタチの服を握りしめた。

 

 今はただ静かに眠ろう…

 

 何も考えず、ただここにあるぬくもりと幸せに…そばにいる存在に身をゆだねて眠ろう…

 

 

 静かに目を閉じると、起きているのかいないのか。イタチの大きな手が水蓮の髪を撫でた。

 

 

 

 

 翌朝。

 タゴリ達との別れの時を迎えた。

 

 

 「元気でね」

 タギツがにっと笑う。

 「達者でな」

 その隣でサヨリも笑みを浮かべ、タゴリが続く。

 「また会えるのを楽しみにしているぞ」

 「うん」

 「ああ」

 それぞれしっかりと手を握り合う。

 「水蓮。イタチ」

 タゴリが二人の肩に手を置いた。

 「己の信じた道を進み、悔いなく生きろ」

 

 グッと二人の目の奥が熱くなる。

 それでも水蓮もイタチも笑みを返してうなづいた。

 その強いうなづきにタゴリも笑顔を返し、ほんの少し強く肩を握ってから離れた。

 サヨリとタギツも距離を取り、タゴリの後ろに立つ。

 そのさらに後ろには八尋が控えており、その隣には市杵とハヤセが並び立っていた。

 

 「飛ばすぞ」

 

 タゴリが印を組むために静かに構える。

 

 その手の動きに優しく風が立ち、吹き流れる。

 

 柔らかく揺れる風が水蓮とイタチを包み込み、その様子をタゴリ達が穏やかな…そして少しさみしげな瞳で見守る。

 

 130年前もこうして見守られ、自分たちは未来へと向かって歩き出したのだろう…

 

 水蓮とイタチはそんなことを思いながら手をつなぎ合わせた。

 

 

 ふわ…と淡い光が生まれ視界が薄れる…

 

 

 「ではな」

 サヨリが軽く手を上げる。

 「今度はギリギリに来ないでよね」

 ひらひらと手を振るタギツの姿が一層薄れ…

 「また会おうぞ」

 タゴリが明るく声を響かせた。

 

 

 『また必ず』

 

 

 水蓮とイタチのその言葉を聞き、タゴリは一つうなづきを返し…

 

 

 …タンッ…

 

 

 大地に静かに手をついた。

 

 次の瞬間には、二人は初めに封印を解いた入口へと戻っていた。

 

 「戻って…」

 「きたな…」

 

 足元を見つめてしばし佇む。

 先ほどまでの事が思い出されるが、まるで夢でも見ていたかのような不思議な感覚だった。

 

 二人は無言で顔を見合わせて、その場に再び封印を施す。

 ふわりと術の光が浮かび、静かに消えていった。

 

 何か切ない物が胸の中に走り、やはり二人は無言のまま見つめ合った。

 

 チチチ…

 

 鳥の鳴き声がその静寂を終わらせ、あの空間にはなかったその自然の生き物の音が、二人を一気に現実へと引き戻す。

 

 「水蓮…」

 ほんの少し遠慮がちな詰まった声…

 水蓮は小さくうなづいて笑みを向けた。

 

 ほんの少しも離れたくはない。

 だけど…

 

 「行ってらっしゃい」

 

 脳裏に鬼鮫の顔が浮かぶ。

 

 心配しているわけではない。

 水蓮は鬼鮫が問題なく4尾を捕獲することを知っており、イタチは鬼鮫の力を認めている。

 それでも行くのは…行かせるのは、組織に従順な態度を示すため。

 そこにある痛みに身を浸してでも耐えて忍び、先へと進むため。

 

 「待ってるから」

 

 泉の力で回復した今、イタチは無理に自分を尾獣狩りに連れてはいかない。

 それに何より、イタチは今共に行くことより『待っていてほしい』と、そう思っている。

 自分を待つ存在がいる事で、より強い心で戦えるとそう感じている。

 聞かずともそれが分かり、水蓮はイタチを送り出そうともう一度うなづいた。

 

 「ちゃんと待ってるから」

 「ああ。待っていてくれ」

 

 イタチは嬉しそうに笑んでうなづきを返し、静かな動作で八雲を口寄せした。

 「戻るまでそばにつける」

 現れた八雲は手のひらに載るほどのサイズで、ふわりと身を浮かべて水蓮の肩にとまった。

 「頼んだぞ。八雲」

 スッと伸ばしたイタチの手に身を摺り寄せて八雲が小さく喉を鳴らす。

 イタチは空いた手で水蓮の髪を撫でた。

 「行ってくる」

 「うん。行ってらっしゃい」

 もう一度うなづきを返し、イタチは静かに姿を消した。

 そこに生まれた風が水蓮の髪を揺らし、青く晴れた空へと吹き流れて行った…

  

 その風を追うように、水蓮は空を見上げる。

 

 「生まれ変わり…か」

 

 130年前に今と同じくイタチと共にこの地に封印を施し、自分たちは別れた…

 

 そしてまたこうして出会った…

 

 

 不思議でたまらなかった。

 まして自分は違う世界で生まれて育ったのだ。

 それが約束されたこの時に、こうしてイタチとこの地にたどり着いた。

 

 

 『偶然のようですべては必然』

 

 タゴリの言葉がふと思い出された。

 

 「必然…」

 

 もしそうならば、何をどうしたとしても、イタチの現実は変えられなかったのだろうか。

 一族を手にかけなければならなかったその事は、変えられなかったのだろうか。

 イタチは親友のうちはシスイと共に必死に戦った。

 それなのに、すべてが必然であるならばそれらはすべて無駄だったのだろうか…

 

 

 あちらを発つ前、タゴリと二人になる時間があり、水蓮はそう問いかけた。

 

 タゴリは少し考えてから静かに答えた。

 

 「そうかもしれん」

 

 …と。

 

 だがこう続けた。

 

 「しかし、決して無駄な事は一つもない」

 

 そして近くにあった木の実を指さした。

 

 「あの木の実は、恐ろしく苦い。噛まずとも口に入れただけでのた打ち回るほど苦い」

 

 タゴリはその木の実を、それで作ったジュースに入れて飲み干せと言われたらどうする。と、水蓮に問うた。

 突然の話に水蓮は戸惑ったが、とても飲めないと返した。

 次にタゴリはその木の実を、とんでもなく美味しいジュースに入れて飲み干せと言われたらどうだ。と聞いた。

 

 「それなら…。何とか飲めるかも」

 

 そう答えた水蓮にタゴリは「そういうことぞ」と、大きくうなづいた。

 

 「木の実をイタチの受けた結果とたとえ、ジュースをイタチの器と考える。木の実の苦さは何をどうしても変わらん。だが、己の器が変わっていれば、感じる苦さは違う。大切なのは器だ。来たるべき結果を受くる時までに、鍛え、磨き続けることが大切なのだ。イタチはそうしてきたからこそ、戦えた。その心が砕けて壊れることなく今日まで歩き続けてこれたのだ。これまでの日々。そして全ての出来事。それらなくして今のイタチはなかった」

 

 タゴリは「わかるか?」と柔らかく包み込むような表情で水蓮を見た。

 

 水蓮はただ黙ってうなづいた。

 

 自分も同じだとそう思った。

 今までに経験してきた様々なことが、自分を支えてくれた。

 それらがなければ、ここにたどり着く前に自分の心は壊れていたかもしれない。

 

 何一つとして、無駄な事はないのだ。

 

 たとえ行き着く結果を変えられなくとも、自身の器を鍛え磨き続けたならば、その先に見えるものは違う。

 

 そう言ったタゴリの穏やかな笑みを思い出し、水蓮はグッと強く手を握りしめた。

 

 「強くなりたい」

 

 見上げた空につぶやくと、肩に身を乗せていた八雲が水蓮の頬にくちばしを摺り寄せた。

 まるで身を案じるようなそのしぐさに、水蓮は笑みを向けてそっと体を撫でた。

 

 「大丈夫。一人で無理をしたりしない」

 

 強くならなければと、言い聞かせていた過去の自分とは違う。

 イタチと共に、泣きながら…くじけながら。それを隠さず共に歩いて行きたい。

 それがきっと自分を、自分たちを強くする。

 

 「二人で一緒に強くなる」

 

 この先にある結末への恐怖は消えない。

 

 それでも、その先に何かを見つけられるように

 

 「強くなる」

 

 水蓮は力強い足取りで歩き出した。



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第百十章 【掴み取る手。送り出す声】イタチの章

 

 雷鳴が少し遠くで響く…

 

 雨季の最中ではあるが、この場所は特に気候が荒れやすいのかもしれないと、イタチは空を見上げた。

 しばらく前にトビとデイダラのチームとの合同任務で訪れた島。

 そこには雨の気配が近づいていた。

 湿り気を帯び始めた空気の中を歩きながら、つい先日の時空間での不思議な時間を思い出す。

 

 「生まれ変わりか」

 

 何とはなしにギュッと手のひらを握りしめて見つめる。

 過去に縁した魂が再び出会う。

 それがタゴリの言うように『偶然のようですべては必然』であるならば、今まで自分が出会ってきた人たちもまた、過去にかかわりのあった人物なのだろうか…

 

 今近くかかわっている存在も…

 

 そしてそうして関わりを持った魂は、また未来に出会う…

 

 もしそれが続いて行くのなら、自分とサスケは遠い未来にまた兄弟として生まれ、今度は共に生きることが出来るだろうか。

 父や母も、そばにいてくれるだろうか…

 

 それが許されるだろうか…

 

 「いや…」

 

 視線を落とし、イタチは握りしめていた手を力なく落とした。

 

 それは望んではいけない事だ。

 自分が奪った命…

 そしてキズつけ苦しめた存在…

 

 そこにまたいつか一緒にという願いは馳せるべきではない。

 

 フッ…と、小さな笑みが口元に浮かべられた。

 だがそれは悲しみでも寂しさでもなく、安堵の色を浮かべたものであった。

 

 もしサスケや両親がそばにいない環境で生まれ変わったとしたら、それはひどく寂しく悲しい物だ。だが自分は決して孤独になることはない。

 

 立ち止まり目を閉じる。

 

 閉ざしたその瞳の向こうに、確かに感じる光、存在。

 

 「一人ではない」

 

 まだ見ぬ未来には、必ず水蓮の存在がある。

 

 その事が、イタチにとって何物にも代えがたい希望となっていた。

 

 もう、何も恐れることはない。

 

 孤独に生き、孤独に戦ってきた自分の終わりの後に待つはるか未来には、間違いなく希望がある。

 

 イタチは自身の魂が孤独という恐怖から解放されたのだと、その事をかみしめていた…

 

 

 『孤独が一番怖いかな』

 

 

 ふいに記憶の中の声が蘇った。

 

 その声の主の顔が同時に浮かぶ。

 

 

 ふわりと銀色の髪が脳裏に揺れた。

 

 

 はたけカカシ

 

 

 暗部に入り配属された部の隊長であったカカシは、イタチにとってただの上司というだけの存在ではなかった。

 自分と同じような『異例の経歴』を持つその存在は、イタチの興味を引いた。

 強さを求めて生きる自分にとって、強い忍のそばにいられることが単純に喜ばしい環境であり、カカシの持つ強さをこの目で見たいと、そう思ったのだ。

 共に任務につき、そばで過ごし、はたけカカシという人物を観察した。

 

 戦闘能力はもちろん、統率力、判断力、作戦の組み立てや場に応じてそれを組み直す力。

 すべてにおいて長けていた。

 今思えば彼は今の自分より若かった。

 それでも他を寄せ付けぬ強さを持ち合わせていた。

 任務の時の研ぎ澄まされたカカシの空気と、恐ろしいほどに冷静で冷淡なその戦いぶりを思い出す。

 どれほど危険な任務でも、少しもひるまず先頭で戦い、殲滅せよとの命を受ければ刃向う者もそうでない者も必ず殺す。

 暗部の面のその向こうで、いったいどんな表情で任務を遂行しているのだろうか…

 

 そばでカカシを見ているうちに、イタチは彼の持つ【力】よりもその事に興味を寄せた。

 

 何を想い、何を感じ、息も絶え絶えな相手の心臓に刃を突き刺すのか…

 

 そこに恐怖はないのだろうか…

 

 

 『怖い物はありますか?』

 

 

 いつだったか唐突にカカシにそう投げかけたことがあった。

 

 

 『怖い物なんてない』

 

 

 暗部の面の奥から聞こえた声は、無色だった。

 

 『そうですか』

 

 同じく色を付けずに返したつもりの声は、どこか落胆の響きを含み、視線まで落としてしまった。

 

 その声に、カカシの小さな笑い声が重なった。

 

 『…って言うのが、世間で言う所の一流の忍びなんだろうね』

 『え?』

 

 上げた視線に映ったのは、面を外したカカシの素顔だった…。

 

 『いつだって怖いさ。色んな事がね』

 

 フッ…とまた一つ笑う。

 

 そして言ったのだ…

 

 『でも、孤独が一番怖いかな』と。

 

 悲しみも、苦しみも、この身に受けるのは怖いものだ。

 

 カカシはそう言ってどこか遠くを見つめながら言葉を続けた。

 

 『だけど、それは一人でも乗り越えうる事だ』

 

 そうだろ?と聞かれ、イタチはうなづいた。

 

 『でも、孤独は違う。それは一人では超えられない。どんなに力を手に入れて強くなっても、一人でいる限り人は孤独だ。ずっとね…』

 

 そう言ったカカシの瞳はひどく切なげだった。

 

 孤独を知る者の目…

 

 だがそこにふわりと温かい光が射した。

 

 『だけど、人は孤独にはならない。いや、なれないんだ』

 『なれない?』

 

 『ああ』とうなづくカカシの瞳の中の光が強さを増した。

 

 『孤独になろうとすると、そうさせまいという力が働く。誰かが必ずこの手を引こうとする』

 

 持ち上げた手をグッと握る。

 

 『こちらへ来いと、強く強く引き寄せようとする。どんなに拒んでもね。そういう物なんだよ』

 

 不思議に思った。

 当時のはたけカカシという人物は、いわゆる【浮いた存在】だった。

 それは彼の左目の写輪眼に事を発していた。

 

 友であったうちはオビトから奪ったのではないか…

 

 そのために殺したのではないかと、そうまことしやかにささやく声を、子供であったイタチですら聞いた事があった。

 

 それはうちはの中だけではなく、暗部内に置いても同じ事であった。

 

 『はたけカカシは任務や目的のためなら仲間をも殺す』

 

 そう噂されていた。 

 そのため、部下は確かにカカシの力を認め従ってはいたが、そこには上下関係以外の物は何もなかった。

 唯一暗部の中に一人だけ、カカシを「先輩」と呼び慕う者がいたが、彼はカカシを引っ張るというよりはそばで成り行きを見守っている様な感じであった。

 カカシにしても、その人物には他にはない接し方をしていたが、それでも【孤独】を打ち消す存在という捉え方ではない事は何となく分かった。

 

 他に里の中にそういう人物がいるのだろうか…

 

 

 そんな疑問に気づいたかのようにカカシは笑った。

 

 『うるさいのがいるんだよ。諦めるってことを知らない最強のおせっかいやろうがね』

 

 その人物を思い出したのか、呆れたような少しうれしそうな表情を見せた。

 『でもまぁ、まだうまくそれを受け入れられないでいるんだけどね』

 笑みが自嘲を含む。それでもやはりどこか嬉しそうだった。

 『それでも守りたいと思うよ。そのためにオレは戦う。この身にどんな痛みを背負うともね』

 

 様々な思いを感じさせるその言葉と同時に、カカシは再び面をつけた。

 

 

 この人は自分と同じだと思った。

 

 大切な者を守るために何かを犠牲にし、そこに生まれる痛みを背負う覚悟を持つ者…

 

 

 『そしていつか変えてみせる。この世界を』

 

 

 そのために里を守る覚悟を決めた者…

 

 

 …この人は火影になる…

 

 

 そう確信した。

 

 『イタチ』

 

 名を呼ばれ、なぜか身が引き締まった。

 カカシは強く、そして温かさを帯びた声で言った。

 

 『お前がいつか孤独に飲み込まれそうになったとしても、必ずそうさせまいと誰かが手を差し伸べる。それがお前の希望になる。道しるべとなる。その手を決して見失うな。拒むな。しっかりと掴み取れ。そして、守れ』

 

 顔は見えないはずだった。

 それでも、穏やかな笑みがイタチには見えた気がした。

 

 『はい』

 

 グッと握りしめたあの日の小さなこぶしが、大きくなった今のこぶしにゆっくりと重なる。

 

 

 「あなたはやはりすごい忍だ」

 

 

 数年前に木の葉の里で対峙したカカシを思い出す。

 里を、ナルトを、そしてサスケを守ろうと自分と鬼鮫の前に現れた。

 そしてそんな彼の周りには仲間がいた。

 

 

 ああ…。彼はその手を掴み取ったのか…。

 

 

 そう思った。

 そして自身が語ったように守ろうとしている。

 手を差し伸べた者もまた、彼を守ろうとしている。

 

 

 命を懸けて。

 

 

 自分にはそんなものはありはしないと思った。

 だがそのすぐ後に水蓮と出会ったのだ。

 そしてその存在がカカシの言った、自分にとっての希望となった。

 

 

 守れ

 

 

 カカシの声が再び脳裏に響いた。

 

 

 「守りますよ。そのために、オレは強くなる」

 

 今よりもっと…。

 

 

 だがそれは今までのように一人で成し遂げるのではなく、水蓮と共にという思いであった。

 

 

 「守ります。最後まで。だからどうか…」

 

 後をお願いします…

 

 見上げた空にその言葉を託すように、イタチは瞳に力を入れた。

 

 

 「どうか…」

 

 

 もう一度つぶやかれたその言葉に、バサリと空から舞い降りてくる羽音が重なった。

 

 漆黒の鳥が、スッと持ち上げられたイタチの腕に静かな動きで身を収める。

 イタチは伝わり来た情報に小さくうなづく。

 

 鬼鮫に動きがあったとの知らせ…

 

 もし鬼鮫の追う者が4尾なら、またマダラの目論見が一つ進む…

 

 

 『すべてが叶う月の世界』

 

 

 いつだったか、マダラはそう言った。

 内容までは話さなかったが、イタチには思い当たる物があった。

 

 

 一族を手にかけたあの夜の数日前、イタチは父に呼ばれ南賀ノ神社の地下にある石碑の前で話をした。

 その中で父はある術の事を語った。

 

 『無限月読』

 

 輪廻眼を用いて発動される幻術。

 

 それは月を媒体にした、この世においてもっとも強大な幻術だと。

 

 あの時、なぜ父がそんな話を自分にしたのかが分からなかった。

 もしかしたら輪廻眼を手に入れ、利用するつもりなのかとも危惧した。

 

 だが、マダラから『月の世界』との言葉を聞いたときに分かった。

 

 父がうちはマダラと接触していたのであろう事が…。

 

 それは想像でしかなく、そうであったとしても父とマダラの間にどんな関係があったのか、何を話したのかは分からない。

 

 それでも二人には何らかのかかわりがあり、父はマダラからその術の事を聞かされていたのであろうとイタチは推測していた。

 もしそうなら、うちはのクーデターと里との間でマダラが暗躍していた事に父は気づいていたかもしれない。

 その口止めとして、自分とサスケの命を盾に、マダラから脅されていたかもしれない。

 そして、自分とマダラが接触していたことも知っていたかもしれない。いや、きっと知っていた。

 そうであれば納得のいくこともある。

 

 

 『お前はむこうへついたか』

 

 

 父の言葉…。

 

 

 それは里を指すものだと思っていた。

 だがなぜか違和感を感じていた。

 『むこう』と、父はなぜそんな言い方をしたのか。

 なぜ『里』と言わなかったのかとの違和感…。

 

 もし『むこう』が里を指したのではなく『マダラ』を指した物ならば、納得もいく。そしてもう一つの違和感も消える。

 

 

 『サスケのことは頼んだぞ』

 

 

 ずっとその言葉が引っかかっていた。

 

 なぜ父はサスケが助かることを知っていたのか。

 自分が兄としてサスケを殺すことはできないと、そう考えたのだろうかとそう思った。

 だが違ったのだ。

 父にはわかっていたのだ。

 『里とサスケに手を出すな』と、その条件のもと自分がマダラのもとへと行くことが。

 

 すべての痛みを受け、闇に染まることを覚悟の上で、自分がそう決断するであろうことが。

 

 

 『お前は本当に優しい子だ』

 

 

 そうならばその言葉の意味も更に深くなる。

 

 

 

 すべては『想像』でしかない。

 だがイタチにはそうなのだと思えてならなかった。

 

 わかるのだ…

 

 親子であるから。

 

 

 父は全てを知ったうえであの夜を受け入れた。

 

 

 息子に殺されるという最期を。

 

 

 息子に親を殺させるという罪を、痛みを、その身に受けることを選んだ。

 

 

 一族の闇に幕を下ろすために。

 一族を導けなかったという責任を一身に背負うために。

 すべてを胸の内にしまい、すべてを自分の責任とし、死んだのだ。

 

 

 人から見ればひどい親だろう。

 だが、父にはわかっていたのだ。

 それが我が子を守る最後の手段だという事が。

 

 そして、母も。

 

 

 不器用な父ではあったが、母を心から愛し、同志として信頼し尊敬していた。

 そんな父はきっと母にもすべてを話したであろう。

 

 あの時の一族、そして父や母には自分の知らない姿が多くあっただろうとイタチは過去を思い出す。

 今よりもはるかに幼かった自分には想像もつかぬ何事かが多くあっただろう。

 マダラと父の間にあった事も、自分の想像では足りない複雑な物がいくつにも絡み合っていたのだろう…。

 

 すべては分からない。

 

 それでも、父と母が自分とサスケを心から愛してくれていた事は分かる。

 信じてくれていた事は分かる。

 

 だからこそ託したのだ。

 

 一族の新たな未来を。

 

 その未来への希望のために望み、願ったのだ。

 

 

 生きろと。

 

 

 父さん、母さん。オレは進むよ。この道を…

 

 

 血で赤く染まるこの道を…

 

 

 「だけど」

 

 

 漆黒の鳥を空へと放ち、イタチはその姿を見送り笑んだ。

 

 

 「一人じゃないんだ」

 

 

 どこへともなく伝えたその言葉を風が包み、運んでゆく。

 そこに再び流れた風に、イタチはまた言葉を乗せる。

 

 「行ってくるよ」

 

 微笑みを浮かべたままイタチは静かに姿を消した。

 

 その一瞬に、懐かしい声が聞こえた気がした…

 

 

 『行ってらっしゃい。イタチ』

 

 『しっかりな』

 

 その声が消えた後にはどこから来たのか、小さな花弁が二つ、舞い揺れた…



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第百十一章【空を彩る芸術】

 崖の上にあるイタチの西アジト。

 二人の帰りを一人で待つときは決まってこの場所であった。

 イタチと離れてからすでに1週間以上がたつが、その間これと言った変わり事はなく静かに過ごしていた。

 3人でいてもここで過ごすことが多く、今思えば自分のために最も安全なこの場所を選んでくれていたのかもしれないと、水蓮は今更ながらに二人の気遣いをありがたく思う。

 この辺りは毎年雨季の明けが早いらしく、イタチと別れてここへ来たときにはすでにその気配を遠ざけていた。

 

 湿り気を消した風が時折洞窟の中にも吹き込み、水蓮の髪をふわりと揺らす。

 その乾きが先にある夏の気配を感じさせ、水蓮は日に日に胸の奥が重くなっていくのを感じていた。

 

 「これでいいかな」

 

 増えていく重い何かを吐き出すように、ふぅ…と一つ息をつく。

 その手には小さな透明の容器。

 薄い緑色の液体が中で揺れていた。

 それはサソリが残した店のハルカから教わった目薬であった。

 イタチの視力の低下がどういう仕組みなのかは分からない。

 それでも少しでも和らげばと、炎症を抑え清涼感を感じる物を、少しずつ配合を変えていくつか作りだめておこうとの想いだった。

 そのいくつ目かを作り終えてふと気配を感じ取る。

 よく知るそのチャクラに外へと足を向ける。

 

 無事であることに安堵するとともに、その存在をきちんと確認したいという気持ちから、無意識に少し小走りになる。

 洞から出ると、快晴の光に一瞬目が細まり…

 

 

 「あーね!」

 

 

 変わらぬ明るい元気な声が、普段静かなアジトに響いた。

 「元気にしてたか?」

 見上げるより早く、デイダラを乗せた鳥が水蓮のそばに舞い降りる。

 トビは別行動中なのかそばに姿はない。

 「デイダラ。声が大きい」

 鳥の背から飛び降りたデイダラをジトリと少し睨み付けると、デイダラは「あ」と気まずそうに口元を抑えた。

 「すまねぇ」

 へへ…と笑うその笑顔に陰りはない。

 「相変わらず元気だね」

 どうやら怪我ではなさそうだとホッとして見つめる。

 

 問題なく動いている様子の腕。

 

 どことなくたくましくなったように感じる体つき。

 

 日の光に揺れる金色の髪。

 

 その揺らぎの合間に見える生き生きとした瞳。

 

 すべてに感じる…

 

 

 

 デイダラはまだ生きている…

 

 

 

 そうある限り、イタチの時は確実に続く。

 今までが原作の流れに沿っていた事を考えれば、まずそれは間違いないであろうと、幾度目かの安堵を感じる。

 だがその事を考えなくとも、多く深く関わってきたデイダラがこうして生きていることは、ただ単純に嬉しかった。

 

 「なんか久しぶりだね」

  

 「そうだな」

 ニッと浮かべた笑顔が少し大人びてきたように見え…

 「あれ?」

 距離が近づきふと気づく。

 「うん?」

 「デイダラ、背伸びたね」

 出会ったころはさほど感じなかった背の差が、いつの間にか開いていた。

 「そうかな…」

 「そうだよ、前はこんな感じだった」

 水蓮は少し背伸びして、自分が覚えている高さまで顔を上げる。

 不意に近づいた距離に、デイダラが息を飲む。

 「あーね…」

 「ん?」

 「ん?じゃなくて…」

 無防備に身を寄せ首を傾げる水蓮に、デイダラはどこかがっくりした様子で息をついた。

 「どうしたの?」

 「いや、まぁ、いいんだけどな…うん」

 ハハ…と顔を背けて小さく笑う。

 「それより、オイラこれからちょっと任務なんだけどよ…」

 水蓮の胸がぎくりと音を立てた。

 「難しい任務?」

 思わず強張った表情になる。

 それを見てデイダラは少し驚いたような顔をしたが、すぐにフッと笑って水蓮の鼻先をつまんだ。

 「なんだよそれ。変な顔」

 「ちょっと、やめてよ…」

 水蓮は吹き出して笑うデイダラの手を軽く払いのけて鼻をさする。

 「あまりにも変な顔してたからよ」

 デイダラがクク…と笑いを重ねて再び手を伸ばす。

 それをさっとかわす水蓮。だがさらにデイダラがそれを追い、水蓮がまた身をかわす。

 幾度かの繰り返しにいつの間にか軽い手合わせのようになり、久しぶりの感覚に心地よさを感じてしばらく二人は体を動かした。

 

 

 幾度かの打ち合いを重ね、デイダラが水蓮のこぶしを受け止めた。

 

 パシィッ…と心地の良い音が響き、デイダラがにっと笑う。

 「なまってねぇな。うん」

 「当たり前でしょ。ちゃんとやってるよ」

 息を整えながら水蓮も笑みを返す。

 デイダラは嬉しそうに笑いを重ねてググ…と体を伸ばした。

 「任務終わったら、またこっちも見てやるよ」

 クナイを取り出してくるくると回すその姿には少しの不安の色もなく、いつもと変わらぬ明るい笑顔。

 だが水蓮は逆に表情を沈ませた。

 「どんな任務?」

 不安げな顔で問う水蓮にデイダラは一瞬笑みを消したが、すぐに笑ってクナイを収めた。

 「大した事ない。簡単な探し物だ。うん」

 「ホントに?」

 「本当だって。何かトビと組んでからはそういうの多くてよ。もう見当もついてんだ。トビは先にそっちに行ってる」

 デイダラは「すぐに終わる」と、行き先なのであろう方角を見つめた。

 「デイダラ…」

 不安を拭いきれていない声。

 デイダラは少し心配そうな表情を浮かべた。

 「どうしたんだ?あーね。なんかあったのか?」

 

 何かが起こるからこそ怖いのだ…。

 

 「危険な任務の時は私も連れて行って」

 

 真剣なその表情と言葉に、デイダラはきょとんとした顔を返した。

 

 「なんで?」

 「なんでって…」

 

 今まで原作の通りに進んでいる。

 だが水蓮はデイダラの死を何とか防げないだろうかと考えていた。

 

 鬼鮫ほどではないにしても、手ほどきを受けた相手。

 その上まだ自分より若い。

 そして何より、自分を「あーね」と呼び慕ってくるデイダラを死なせたくなかった。

 

 その流れを何とか阻止したいと、ずっとそう思っていた。

 

 「ほら…回復役に」

 

 どこか取り繕ったような口調で水蓮は必死に言葉を並べる。

 「デイダラには修行もつけてもらったし、その時にたくさん手合わせしたし、デイダラの動きにも必死で頑張れば少しはついて行けると思う。戦闘でも何か役に立てるよ多分。囮とか、陽動とか、それから…」

 詰まりながらも、それでもなお言葉を続けようとする水蓮。

 その様子にデイダラがプッ…と吹き出した。

 「なんだよ。どうしたんだよあーね。なんでそんな必死」

 デイダラはククク…と肩を震わせた。

 「心配すんなって。オイラにかかればどんな任務も余裕だぜ。うん」

 腰に手を当てて胸を張り、ニッと無邪気に笑う。

 幾度となく見てきた明るい笑顔に、やはり何とかこのままデイダラの時を止めずにいたいと、水蓮はグッと手を握りしめた。

 「デイダラが強いのは知ってる。それでも、絶対に連れて行って。お願い」

 水蓮は「お願い」と重ねてデイダラを見つめる。

 「あーね…」

 あまりに必死な様子にデイダラは少し戸惑いを見せたが、すぐに笑みを戻してうなづいた。

 「わかった。ちゃんと連れて行く」

 「絶対だからね」

 「ああ。約束だ。うん」

 デイダラが水蓮の前に小指を出す。

 水蓮は想いをこめて強く小指を合わせた。

 「約束だからね」

 「おう」

 目の前にある満面の笑み。

 水蓮は少し安堵して笑みを返した。

 その笑顔にデイダラが「へへ」と嬉しそうに頬を赤くした。

 「あーねはそうやって笑っててくれよ」

 「え?」

 デイダラは静かに指を外して照れ隠しに視線を逸らした。

 「なんていうか、あーねの笑顔は落ち着くんだよ、うん」

 「そう?」

 「ああ。すっげーほっとする…」

 つぶやくようにそう言って、デイダラはゆっくりとした足取りで歩き出した。

 水蓮もそれに続き、そのまま自然と歩きながらの会話になる。

 「でもイタチと鬼鮫には、荒っぽいとか危なっかしいとかよく言われてたけど…」

 暁に入って間もないころ、そんな事を言われていたな…と懐かしくなる。

 「あーねが?」

 意外そうなデイダラに「うん」と水蓮がうなずいたとき、岩の間から突風が吹き、水蓮の体が押し浮かされた。

 「わっ…!」

 「あーね!」

 そのまま流されて地面にできた段差から落ちそうになり、デイダラが慌てて後ろから抱き寄せた。

 「あぶねぇ…」

 「びっくりした…」

 さほど高くはないが、落ちずに済んで水蓮はほっと息をつく。

 同じくデイダラも息を吐きながら「確かに危なっかしいな。うん」と、つぶやく。

 「ごめんね…」

 気まずく笑いながら振り向こうとするが、デイダラが腕にぐっと力を入れてそれを止めた。

 「デイダラ?」

 デイダラはしばしそのまま黙っていたが、ややあって静かに口を開いた。

 「あーね。ありがとうな」

 「え?」

 「心配してくれて、ありがとうな」

 まるで子供が親に甘えるようなしぐさを見せ、デイダラは黙り込んだ。

 「デイダラ…」

 

 確かデイダラが里を出たのはかなり幼かったはずだと水蓮は思う。

 原作では両親の描写もなく、どんな環境で生きてきたのか分からないが、幼くして里を出た背景にはやはりさまざまなことがあっただろう。

 こうして誰かに甘えたり、安心して過ごせる場を見つけられなかったのかもしれない。

 

 当たり前にあるはずの物がない場所で、一人で生きてきたのかもしれない…

 

 何をしてあげられるのだろう…

 

 

 「ご飯…」

 

 ポツリとこぼれた言葉。

 デイダラが「ん?」と戸惑い首をかしげた。

 「ご飯食べに来て。任務が終わったら」 

 

 今はまだ他には思いつかない。

 それでも、今できることをしてあげたいと、そう思った。

 デイダラは少し黙った後「ああ」と答えて水蓮からぱっと身を離し、へへ…と嬉しそうに笑った。

 「ささっと終わらせてくるぜ!うん!」

 大きな声でそう言い、何かを吹っ切るかのように白い鳥に飛び乗る。

 ふわりと風を起こしながら青い空に溶け込む白。その中に揺れる金色の髪がまぶしく光った。

 それは本当に美しい構図で、まさしく、彼の言う【芸術】だった。

 水蓮はそのまぶしさに少し目を細めて手を振った。

 「行ってらっしゃい!」

 デイダラは水蓮の頭上を大きく旋回し、手を振りかえした。

 「行ってくるぜ!あーね!待っててくれよな!うん!」

 「まってるから!」

 「おう!」

 グッと握りしめた手を突き上げて返し、デイダラは「空を見ててくれ!」と言い残してあっという間に飛び行き、その姿を見えなくした。

 水蓮はその背を追って、言われたように空を見つめる。

 

 ポッ…

 

 一瞬小さな光が合図のように浮かんだ。

 その数秒後に、突然パッ…といくつもの小さな光が爆発音とともに散らばり、色とりどりに輝きながら空に広がった。

 

 「きれい…」

 

 デイダラのはなったいくつもの小型爆弾のその光は、まるで花火のように空に花を咲かせた。

 

  

 「行ってらっしゃい」

 

 もう一度繰り返したその言葉が、色鮮やかな光とともに空の中に溶けて行った。



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第百十二章【呼ぶ声】

 デイダラを任務へと見送ったその日。午後から久しぶりの雨となり、イタチと鬼鮫が少し濡れながら戻ってきた。

 状況はどうなったのかと、ドキドキと胸を鳴らしながら二人をむかえる。

 「お帰り」

 少し薄暗くなったアジトの中。目を凝らすがそこには二人の姿しかなく少しホッとする。

 

 もしかしたら鬼鮫が追ったのは4尾ではなかったのかもしれない。

 もしくはそうであったが、捕獲の前に一度作戦を立てるために戻ったのかもしれない。

 

 どちらにしても、幾日も要する尾獣の封印。

 イタチならその前に必ず自分に連絡を入れてくるであろうとそう考えていた水蓮はもう一度安堵を重ねた。

 それになにより、まだ飛段と角都の死を聞かされていない。

 

 

 まだ事態は変わっていない…。

 

 大丈夫…

 

 

 言い聞かせるように心の中でそう繰り返しながら、水蓮は笑みを向けた。

 「体拭く?」

 二人にタオルを手渡す。

 「ああ…」

 「そうですね…」

 しかし、そう答えたもののイタチと鬼鮫は軽く顔を拭いただけで、その場に立ったまま黙り込んで水蓮をじっと見た。

 「なに?どうかした?」

 問う水連をそのまましばらく見つめ、鬼鮫が口を開いた。

 静かな声が、雨音の中に響く。

 

 

 「デイダラが死にました」

 

 

 音が消えた

 

 

 先ほどまでうるさく降っていた雨の音も、吹きつけていた風の音も…

 全てが無の中に消えた…

 

 

 「相手はうちはサスケです」

 

 

 耳の奥でキィン…と、何か固い音がした。

 それが静かに消えてゆき…

 

 

 少し遠くで「あーね」と呼ぶ声が聞こえた…。

 

 

 …どうして…

 

 「今日…来てたの…」

 

 ポツリと、静寂の中に水蓮の声が浮かんだ。

 

 「ここに来てたの…」

 

 …どうして気づかなかったのだろう…

 

 

 ポタ

 

 

 地面に雫が落ちた…

 

 「来てたのに…」

 

 …今日が彼にとっての『その日』だった事に…

 

 …なぜ気づいてあげれなかったのだろう…

 

 「そうですか…」

 

 鬼鮫の声に誘われるように、またポタリと地面に涙が落ちた…

 

 ジワリと広がったその模様を見ながら、水蓮は唇をかんだ。

 

 

 私はバカだ…

 

 知っていたはずなのに…

 

 ずっとそばで見てきたはずだったのに…

 

 【忍】という存在を…

 

 その生き様を…

 

 

 彼らは大変であればあるほどに「大したことはない」と言う。

 

 難しければ難しいほどに「簡単だ」と言う。

 

 危険であればあるほどに「心配ない」と言う。「大丈夫だ」と言う。

 

 そして笑う…

 

 

 そういう生き物なのだ。

 それを嫌と言うほど見てきたのに。分かっていたはずなのに…

 

 

 気づけなかった…

 

 「バカだ…私」

 

 ポタリ

 

 雫が大地に音を立てる。

 

 なぜ気づけなかったのかと、その言葉が頭の中をぐるぐるとまわる。

 だが、気づいたからと言って、自分に何か出来ただろうか…

 

 答えは分かっていた…

 

 「何もできなかった…」

 

 何も…

 

 出会った頃のあどけない笑顔と、先程の少し大人びた笑顔を思い出す。

 

 「待っててくれって言ってた…」

 

 「そうですか…」

 

 「だから待ってるって言ったの…」

 

 ゆっくりと上げた視線の先で、イタチが静かに言った。

 

 「十分だっただろう。あいつにとっては」

 

 デイダラのホッとしたような笑顔を思い出す。

 

 

 暁は、この世界では『悪』の位置付けだ…

 

 だがそれでもやはり、近くにいた者の死は…

 

 辛い…

 

 「彼はあなたになついていましたからねぇ…」

 

 そう言われて、またあの笑顔が浮かんだ…

 

 今度はすぐ近くで「あーね」と、嬉しそうに自分を呼ぶ声が聞こえた…

 

 「……う……」

 

 うつむいた水蓮の額を、鬼鮫の大きな体が支える。

 

 「……っ……」

 

 デイダラが死んだ悲しみのすぐ後を追って、今度は水蓮に恐怖が襲い来た。

 

 

 デイダラの死が意味する物…

 

 

 すぐそばまでイタチの終焉が迫っている…。

 

 

 悲しみと恐怖。

 

 整理のつかぬ心…

 

 止まらぬ涙…

 

 

 体の震えは知らず大きくなっていた。

 

 

 イタチはそんな水蓮の髪をそっと撫で、「頼む」と一言鬼鮫に言い外へ出た。

 

 

 雨はまだ止む気配を見せない…

 

 

 背中に水蓮の哀しみを感じながら、イタチは空を見上げた…

 

 「あの日も雨だったな…」

 

 呼び起こす記憶。それは、初めて戦場を目の当たりにしたあの日…

 

 

 

 『覚えておけ、これが戦場だ』

 

 

 自分を地獄絵図の中に連れ出した、父の声が脳裏によみがえる。

 

 あたりにはおびただしい数の屍。

 

 まだ4歳だった。

 

 あの時の感情は、今でも言葉では表しきれない。

 悲しみとも恐怖とも、怒りともいえない。

 ただ苦しかった。

 

 命は生まれ…

 

 命は死ぬ…

 

 

 戦場での命は望まず奪われ消える。

 

 争いで物事を解決しようとするこの世界が許せなかった。

 

 変えねばならないと、強く思った。

 

 変えてみせる。そう決意した。

 

 

 だが、今日また命は消えた。

 

 争いをなくすため、そして里を守るためには、暁の一員であるデイダラを庇護する気持ちはない。

 だがそれでも、彼はまだ若かった…

 

 違う時代に生まれていたら…

 違う場所に求められていれば…

 違う出会いをしていれば…

 

 しかし、忍の世界に『…たら』『…れば』などという言葉はない。

 それはひどく残酷な言葉だ。

 自身の存在を否定し、積み上げてきたものをすべて【無】に帰す恐ろしい言葉…

 

 デイダラ自身、そんな言葉は望んではいないだろう…

 

 だが彼もまた、時代の犠牲者だったのだ…

 

 戦いの絶えぬ、この恐ろしく悲しい現実を生きた、犠牲者…

 

 

 …死ぬには若すぎた…

 

 

 ただその一点だけを考えるならば、水蓮の涙で弔われる事を許されてよいのではないか…

 

 それは、闇渦巻くこの現実を生き、散っていった彼にとっての唯一の救い…

 

 

 「この現実か…」

 

 

 『お前は聡い子だ。だからこの現実を見せておきたかった』

 

 その言葉で、父は何を伝えたかったのだろうか…

 

 『忍とは戦う生き物だ』

 

 そう言った父の顔に浮かんでいたあの色は、もしかしたら悲しみだったのかもしれない…。

 

 あの時、父はすでに一族の結末を見ていたのかもしれない…

 

 自分にすべての幕引きをあの場で託したのかもしれない…

 

 …かもしれない…

 

 

 それもまた、忍には不要のものだ…

 

 

 

 

 「まだ止みませんね」

 背後からの鬼鮫の声に振り向く。

 そのさらに後ろには、少し落ち着いた様子の水蓮もいた。

 「この時期に、この地域でこうも降るのはおかしいんですが…」

 イタチは再び空を見上げた。

 

 …呼んでいるのか、オレを…

 

 何かに引き寄せられるようにイタチは雨の中へと足を進ませる。

 

 「お体にさわりますよ」

 鬼鮫の言葉が雨音に混じる。

 イタチは動かず、打ち付ける雨をその身に受け止めてゆく。

 「…冷酷なあなたが、今何を考えているのか…それは分かりませんが…。 ここからだと泣いているように見えますよ」

 答えぬ背中に、鬼鮫は言葉を続ける。

 「弟さんのことなら残念でしたね…。これでうちは一族はアナタ一人になってしまった…」

 「いや…」

 低く、確信にあふれたその言葉。

 ゆっくりと振り向くイタチを見ながら、水蓮もまたこの雨に感じていた。

 

 

 …イタチを呼んでいる…

 

 

 二人の中にその名が浮かぶ…

 

 

 

 ― サスケ ―

 

 

 

 「あいつは死んでいない…それに…」

 「…どういうことです?」

 重ねた鬼鮫の問いに答えるように、雨がぴたりと止んだ…

 

 

 「雨が…止んだな」

 

 

 イタチの研ぎ澄まされた声に水蓮の体が小さく震えた。

 

 

 

 …サスケが来る…

 

 

 

 時を告げるかのように、雲の切れ間から日の光がさした。




少し間が空いてスミマセン(^_^;)
忙しかったのもあるんですが、ここを投稿するのになかなか踏ん切りがつかなくて(~_~;)
デイダラの死は大きなポイントとなる箇所ですから、もう何も思い残したstoryがないかをずっと考えていました(-_-;)
たぶん…大丈夫…という事で更新☆

随分と前にこの話の大筋は書きあがっていたんですが、投稿したいようなしたくないような複雑な心境でした。
デイダラが好きだから!(T_T)
それにここを描いたらもうイタチの最期が近いから!

でもとうとうここまで来てしまいましたね…。
なんだか恐ろしいです。

今までの話を読み返しては『終わりたくない』との気持ちが湧き上がってきます。
でもそうもいきませんね(~_~;)
とはいえ、まだあと何話続くかはまったく読めません(・・;)
長いのか短いのか分かりませんが、これからもなにとぞよろしくお願いいたします☆

いつも本当にありがとうyございます!


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第百十三章【目指す場所は…】

注)ここからの話の流れは多少原作とのずれが出てくるかと思います。

原作では同時進行のように進んでいた話が、順序立てて一つずつ始まって終わったりするかと…。
作品の流れ、効果、演出のためご了承ください(>_<)

よろしくお願いいたします(*^_^*)



 デイダラの死から数日が過ぎた。

 それでもいまだにその事を受け止めきれず、見上げた空にあの白い鳥が舞い飛んでいるのではないかと、ふとそんな事を考えてしまう。

 

 夜の闇に知らずこぼれた水蓮のため息が溶ける。

 今事態はどのあたりに来ているのだろうか…。

 

 この世界に来て約3年。すっかり記憶の薄れた原作の流れを思い出そうと思考をめぐらせる。

 飛段と角都の死がどのタイミングで起こったのかも分からない。

 自分たちが十拳剣の封印を解いている間だったのか、それともイタチと鬼鮫を待っている間だったのか。

 

 ただわかるのは、イタチは事の起こりを自分には伝えずにいるつもりだという事。

 

 再び水蓮の口からため息が落ちた。

 

 イタチは水蓮がこちらの世界の事をどこまで知っているのかを知らない。

 だが何かを伝えることで事の成り行きを計っている様子を、どこかで感じていたのかもしれない。

 知ることで不安と恐怖を脹れあがらせるのではないかと、そう考えているのだろうと水蓮はそう感じていた。

 

 そう感じたのは水蓮自身も同じことを考えていたからであった。

 

 自分がうちはマダラの存在を知っている事を話さないのは、それをイタチが知れば自分の身を心配して動きにくくなるだろうと考えての事だった。

 

 ましてマダラに知れれば確実に殺される。

 そうなればイタチは自分を守るために何もかもを捨てようとするだろう。

 だけどサスケを想い、悩み、その間で苦しむ事になる。

 

 だからこそ、それは口には出せない。

 

 知ることで相手を苦しませたくない。

 イタチもきっと同じように考えているのだろう。

 だから何も聞かされなかったのだ。

 

 そしてこれからも…

 

 だけど知らなければ何もできない。

 ただ時を待つだけでは、後悔が残るばかりなのだ。

 知っているからこそできることはある…

 

 いつまでも落ち込んで立ち止まっているわけにはいかない。

 

 急がなければ…

 

 

 「眠れませんか…」

 不意に背中にかけられた鬼鮫の声に、水蓮の思考が断ち切られた。

 「少しでも眠ったほうがいい」

 振り向かぬまま水蓮は首を小さく振る。

 「もう少し起きてる」

 はぁ…。と、今度は鬼鮫のため息が空気を揺らした。

 

 季節はすっかり梅雨の気配を遠ざけ、乾いた外気が広がりを見せ、その固さが余計に痛みを増長させているように感じた。

 「イタチは?」

 「今日はよく眠っていますよ」

 フッと笑って、鬼鮫は水蓮の隣に腰を下ろした。

 「あなたの薬がよく効いているようだ」

 「そう」

 良かった…と、水蓮は短く返してまた空を見上げた。

 

 ナキサワメの泉の効力なのか、体の弱まりは隠せないもののイタチはあれから激しい痛みを訴える事はなく、血を吐くようなこともしなくなった。

 それでもサスケとの対戦が近いことを本能に感じるのか、今までにもまして眠りが浅くなっていた。

 ここ数日もほとんど眠れていなかったため、今夜は水蓮が調合した誘眠剤を飲んで眠った。

 「あなたも飲めばいい」

 イタチ同様最近ほとんどまともに眠れていない水蓮に、鬼鮫が笑い交じりに言う。

 「大丈夫だって」

 笑って返し、また空を見る。

 高い場所にあるこの西アジトから見える空。

 いつだったか、前にもこうして鬼鮫と二人で眺めたなと、その記憶をたどる。

 確かあれは小南と共に、天隠の里の一件を終えたときだった。

 あの時は、事の収めにサソリとデイダラも合流し、夕飯をここで一緒に食べた。

 あれからそう時は経っていないのに、もうずいぶんと昔の事のように感じる。

 それでいて二人の存在は未だ遠くならず、やはり不意に現れるのではないかと思ってしまう。

 「帰ってきませんよ」

 いつまでも空を見上げたままの水蓮に鬼鮫が感情のない声で言った。

 「わかってる」

 もうデイダラは帰らない。

 それでもこうして空を見上げてしまうのは…

 戻ってくるような気がしてしまうのは…

 

 自分が何もできなかったからなのだろう。

 

 「わかってる」

 

 グッとこぶしを握りしめる。

 夜を見つめる瞳には、何か強い光がさしていた。

 それを見て鬼鮫が目を細める。

 「あまり無茶な事はしないでくださいよ」

 「え?」

 「何かよからぬことを考えている時の目だ」 

 ピッと指で目元を指されて水蓮は少し身を引いた。

 「別にそんなんじゃぁ」

 「ないと言い切れますか」

 「う…」

 追って身を寄せ、ジトリとにらむ鬼鮫に水蓮は言葉を返せず目を反らした。

 「何をするつもりです」

 問い詰める鬼鮫。水蓮はしばし黙り、静かに立ち上がった。

 「何もしないったら」

 「私の目はごまかせませんよ」

 続いて立ち上がり鬼鮫はなおも問い詰める。

 「ごまかしてない」

 「嘘だ。一応あなたの師匠ですからね。それくらいはわかる」

 「一応って何よ。鬼鮫はれっきとしたお師匠様でしょ」

 小さな笑いと共に発せられた言葉に鬼鮫は一瞬言葉を詰まらせる。

 が、歩き出した水蓮を少し慌てて追いかけ顔をしかめた。

 「話をそらそうとしても無駄ですよ」

 「そんなんじゃないったら」

 「どうだか」

 頭上から振るため息とあきれた声。

 水蓮はそれ以上何も返さずアジトの中に入り、一言二言鬼鮫の尋問をあしらって横になった。

 鬼鮫はしばらく水蓮の背を見つめていたが、ややあって諦めたようにため息をつき壁にもたれて目を閉じた。

 中心ではイタチが静かに寝入っており、久しぶりに聞くその柔らかな寝息が二人を眠りに誘った。

 

 何も特別な夜ではない。

 幾度となくこんな夜を過ごしてきた。

 自分たちにとっては『日常』と呼べる光景。

 それでもその時の流れのなかに、水蓮も鬼鮫も何か粛々としたものを感じ取っていた。

 

 

 翌朝、鬼鮫は単身で外へと出ることになった。

 

 イタチに言われ、大蛇丸の死の確認とサスケの動向を調査するためだ。

 「2日後に一度戻りますが…」

 ジトリと水蓮に視線を向ける。

 「くれぐれも勝手なことはしないでくださいよ」

 「わかってるって。しつこいなぁ」

 「しつこいくらいに言っても聞きませんからね。あなたは」

 鮫肌を背に携え、鬼鮫はイタチに向き直る。

 「よく見張っておいた方がいい」

 鬼鮫の指が水蓮を指す。

 水蓮はその指をムッとした顔で押し返した。

 「ちょっと、指ささないでよ」

 グッと力を入れるが鬼鮫の腕はびくともしない。

 それに余計に腹が立ったが、水蓮は諦めて手を離した。

 「もう早く行ってよ。ほら。行ってらっしゃい!」

 苛立たしげな水蓮に鬼鮫はもう一度大人しくしているように釘を差し、静かに姿を消した。

 「口うるさいんだから」

 鬼鮫がいた場所にため息を投げる。

 そこにイタチが声を重ねた。

 「で?お前は何をするつもりなんだ?」

 「え?」

 振り向いた先ではイタチが答えを待って小さく笑んでいた。

 「何かを考え込んでいただろう」

 「………」

 水蓮は言葉に詰まってイタチを見つめた。

 

 この数日デイダラの事でずっと気落ちしていた。

 何もできなかった自分を責め、後悔の念に襲われていた。

 だがそれではいけない。自分にできることが何かないかとそうも考えていた。

 見せぬよう、分からぬようにしていたつもりであった。

 しかしそれは鬼鮫やイタチには通用しなかったようであった。

 「あいつも案外お前の事をちゃんと見ていたようだな」

 イタチのその言葉がその事を肯定する。

 「だが、あいつがいては動きにくい。違うか?」

 「イタチ…」

 思っていた事を見透かされていた事に驚きつつ、だからこそイタチは鬼鮫を離すために用を命じたのだと、水蓮はしばしの沈黙の後小さくうなづいた。

 そして意を決して静かに告げた。

 

 

 「暁の本拠地に行きたい」

 

 

 思いもよらぬその言葉にイタチが眉根をゆがませた。

 「お願い」 

 イタチに「ダメだ」との言葉を発せさせまいと水蓮は強い口調で言う。

 「お願い」

 重ねられた懇願にイタチはしばし黙し、厳しい表情を浮かべた。

 「何をするつもりだ」

 飛段と角都が死に、サソリやデイダラもいない。

 大きな戦力を立て続けに失った組織は、今警戒が深まっている。

 その警戒を見て、それぞれの下で動いていた部下や、組織に関係している者の間にも不安や疑心が広がり始めているだろう。

 きわめて不安定であると考えられる組織の中心部に、あえて行くほどの理由があるのか。

 イタチはその真意を確かめようと水蓮を見つめた。

 その厳しい視線を受け、水蓮は「ごめん」と返した。

 「今はまだ言えない。でも、終わったらちゃんと話す。ちゃんと話すから」

 最後に「お願い」ともう一度繰り返し、水蓮は黙ってイタチの返答を待った。

 少し動いたイタチの唇。「ダメだ」との言葉はなぜか無意識に飲み込まれた。

 

 イタチを見つめる強い光をたたえた水蓮の瞳がそうさせていた。

 

 そのまなざし…

 

 イタチには見覚えが…いや、身に覚えがあった。

 かつて決断を下した自分の姿がそこに重なって見えた。

 

 それに気づいてしまえば、もう止めることなどできなかった。

 

 

 「わかった」

 

 

 水蓮の瞳の中の光がさらに大きくなる。

 何かの決意を深くする水蓮に、イタチも表情に厳しさを増した。

 「ただし、二日間だけだ。鬼鮫が戻るまでに終わらせろ」

 水蓮は強くうなづきを返した。



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第百十四章【一人…行く】

 他里に比べて厳戒な警備体制にある雨隠れの里。

 入国の際には厳しい審査があり、滞在期間中は徹底した監視下に置かれる。

 「合同中忍試験の際にもその手続きは困難を極める。他になく厳格で閉鎖的な場所だ」

 その一角に暁の本拠地があるとイタチは深い森の中を歩きながらそう話した。

 歩みを進めるにつれて空は暗くなり、森を抜ける頃には細かい霧雨が降り始めていた。

 「いつも決まった時にペインが雨を降らせている」

 イタチはそう言って空を見上げ、いぶかしげな顔をした。

 「今日は違うんだがな…」

 「そう…」

 小さく答えた水蓮にイタチは笠帽子をかぶせて、高台から眼下を見下ろした。

 その背から覗き込んだ水蓮の瞳に雨隠れの里が、細かい雨の中に霞ながらもはっきりと映し出された。

 

 静まり返ったその里は、寂しく悲しげ…。

 だがそれにも増して、鋭い恐怖を滲み広げているように感じられた。

 「ここでは長い間内戦が繰り広げられている。二つの勢力がその力をぶつけ合い、そのうちの一つを暁が取りまとめている。内部はかなり不安定な状態で、それゆえ入出に関して厳しい。というのが表向きだ」

 「表向き…」

 「ああ。実際には内戦はすでに終結している。この里を収めていた服部半蔵と言う男をペインが倒し、今や里は暁が取りまとめている」

 低く落とした声でそう言い、イタチは角度のある傾斜に足を踏み出し、水蓮に「飛べるか?」と聞いた。

 「うん。大丈夫」

 「離れずについて来い」

 さっと地を蹴り木々を伝って里へと向かうイタチに水蓮も続く。

 ややあって、二人は里の裏手に着地した。

 「暁の一部の人間だけが使う入口がある」

 イタチが目の前にある崖にチャクラを少しだけ流し、淡く光るそこに指輪をコツリと当てた。

 音もなく壁の一部が消え、何もなかったそこにぽっかりと穴が開く。

 「強い結界がはられている。いかに気配を殺しても内部への侵入はペインに伝わる」

 

 進んだ先にはペインがいるかもしれない…

 

 以前ペインに記憶を探られそうになった時の恐怖が鮮明によみがえり、水蓮は少し体を固くした。

 

 それでも行かなければならない。

 自分で決めたことは、なにがあってもやり遂げる。

 

 水蓮はグッと手を握りしめてうなづいた。

 

 「大丈夫。行こう」

 

 イタチは小さくうなづきを返して長く伸びる通路へと足を踏み入れた。

 中は気温がやや低く、肌に感じるその冷たい空気がまるで緊張を呼び集めてくるようだった…。

 しばらく進むと薄暗さが取り払われ、明るく視野が開けた。

 とは言っても広い場所に出たわけではなく、そこは建物の廊下。

 窓はあるものの雨が降り続ける外から光はなく、灯されている明かりも必要最低限。

 外から繋がる通路に比べれば明るいが、薄暗い事に変わりはなかった。

 以前はゼツに連れ去られて直接どこかの部屋に出たためここがすでに本拠地なのかどうか分からない。

 それを問おうと口を開き、水蓮は息を飲んだ。

 廊下の向こう。姿は見えないが気配を捕えていた。

 静かな動きでイタチが水蓮を背に隠す。

 現れたのはペイン。その後ろには小南の姿もあった。

 水蓮の姿を捉えて小南の目がほんの少し見開かれた。

 「なぜ…」

 「イタチ。何の用だ」

 小南の声にペインの低い声が覆いかぶさった。

 呼び起こされた嫌な記憶に水蓮の肩が揺れる。

 あの時のように殺気を向けられているわけではない。

 それでもペインからは冷たい何かが放たれているようで、体が強張る。

 「部屋に置いたままの薬を取りに来た」

 イタチは部屋があるのであろう方角をちらりと見る。

 そんなイタチをペインはじっと見据え、言葉のないまま数秒が過ぎた。

 「何か変わりはあったか?」

 返答を返さないペインにイタチが問う。

 ペインは「いや」と短く答えて背を向け、もう一度「いや」と繰り返して振り向いた。

 「一つ、言っておくことがある。九尾はオレが狩る。お前は…わかっているな」

 イタチはしばし黙して静かな声で「わかっている」と答えた。

 「しくじるな」

 冷たい声でペインはそう言い残し、場を去って行った。

 「用が済んだらすぐに出なさい」

 小南の声が冷たく響く。

 視線はイタチに向けられている。

 だがその言葉は水蓮に向けられているように感じられた。

 小南はイタチの「承知した」との返答を聞き、静かにペインの後に続いた。

 

 ふぅ…と知らず深い息が水蓮の口からこぼれた。

 強張っていた体から力が抜けてゆく。

 「大丈夫か?」

 「うん」

 笠帽子をはずし、水蓮は笑みを向けた。

 「それで…どうするんだ?」

 何も聞かされぬままのイタチが問う。

 水蓮は近くの窓から空を見上げて答えた。

 

 「イタチの部屋に行こう」

 

 

 『変わりはない』

 

 ペインの伝えたその事を思い返し、水蓮の瞳に力がこもった。

 

 

 まだ何も起こってはいない…

 

 

 空から落ちる雫が窓に当たりコツコツと固い音を響かせる。

 

 

 「そこで待つ」

 

 

 雨が激しさを増し始めていた…

 

 

 

 

 

 本拠地には多くの部屋があり、それぞれに個室が与えられていた。

 それでも皆滅多な事では来ず、忍具の予備を置いておく倉庫のような用途で、尾獣の封印の前後に1日2日寝泊まりしていただけなのだとイタチはそう話した。

 「一番よく来ていたのはサソリだろう。傀儡関連の物を良く保管しに来ていたようだからな」

 「そうなんだ…」 

 通り過ぎるいくつものドア。その中にサソリやデイダラ達の…もう使われることのない部屋があるのだろうと思うとどれもひどく寂しげに見えた。

 「ここだ」

 イタチが自身に与えられた部屋を開け中に入る。

 鍵は取り付けられておらず、扉は必要以上に大きい。

 入ってすぐ正面には大きな窓がありカーテンも何もつけられていない。

 どの部屋も同じなのだとしたら、メンバーがめったに来なかった理由が分かるような気がした。

 「すごく落ち着かない…」

 イタチが思わず小さく噴き出した。

 「ああ。オレも初めてこの部屋を見たとき同じことを思った」

 窓際に置かれたベッドに腰を掛けてイタチは少し濡れた外套を外した。

 「掛けておくね」

 「すまない」

 イタチから外套を受け取り、部屋の隅にある衣文かけにそれをかけ、水蓮も自身の外套と笠帽子をかけた。

 その様子にイタチが少し目を細めた。

 「どうかした?」

 気づいた水蓮が首をかしげる。

 イタチは一瞬言いよどんで小さく笑った。

 「思い出した」

 「何を?」

 そう聞いてすぐに水蓮は思い当たったように「あ」と小さくつぶやいた。

 水蓮も思い出していた。

 

 母親の事を…

 

 そして父親の事を…

 

 日常の中にあった二人の光景。

 今の自分たちの行動に重なってそれが思い出されたのだ。

 

 「そうだね」

 

 「ああ」

 

 どこか寂しげで、それでも穏やかな表情でイタチはうなづいた。

 だがその顔色が少し陰って見え、水蓮はハッとしてイタチのほほに手を添えた。

 

 雨に濡れたというのに少し火照りがあった。

 

 目に見えた症状はここ最近なくなっていたが、こうした微熱が続いていた。

 一日の中でも上がり下がりがあり、それがかえって高熱を出すよりも体力を奪っているようであった。

 「どこか痛む?」

 心配そうにのぞきこむ水蓮にイタチは「いや」と笑みで返した。

 「今日は痛みはない。少しだるいがな」

 ポタ…と濡れた髪から雫が落ち、水蓮はカバンからタオルを出してイタチの背に回って座った。

 「拭くね」

 髪をほどきタオルをかける。

 イタチは「すまない」と短く言い、少し深く息をついた。

 やはり体が辛いのか、普段あまり警戒を解かないイタチには珍しく、肩から力が抜けてゆく。

 はらりと流れた黒い髪の隙間から見えたその肩は、鍛え上げられてはいるがずいぶんと細くなり、骨ばったところもある。

 この半年ほどで食欲が落ちたことから、それは肩だけではなく全身に見て取れることであった。

 胸の奥が切なく締まる感覚を必死に抑え、水蓮はイタチの髪を束ねてタオルで包み込んだ。

 「髪、伸びたね」

 「そうか?」

 「また今度少し切ってあげる」

 「ああ。頼む」

 水蓮は「うん」と答えて髪を乾かし、丁寧に結った。

 「不思議なもんだな」

 不意にイタチが小さく笑った。

 「なにが?」

 イタチは部屋を見回してから水蓮を見つめてまた笑った。

 「お前がいるとこの部屋でも落ち着く。ここでそんな事を感じるとは思わなかった」

 その言葉と柔らかい表情に水蓮は少し恥ずかしくなりながらも笑みを返した。

 

 部屋の中の空気が温かく揺らぎ、確かにこの場所でこんな空気を感じられる事が不思議だと思った。

 

 自分たちにとっては場所は関係ないのかもしれないと二人はそう思った。

 

 共にいる事が重要なのだと。

 

 「そうだね。不思議だね」

 

 フフ…と水蓮がこぼした笑い。

 

 だが次の瞬間、笑みが消え水蓮の肩がピクリと揺れた。

 同時にイタチも体に緊張を走らせる。

 

 二人とも誰かの気配を感じていた。

 

 それは外部からの侵入の気配…

 

 「誰か…」

 

 「来た」

 

 ベッドから降りて水蓮はチャクラを練って集中し、その気配を追う。

 

 かなり巧妙に気配を隠してはいるが、鍛えた水蓮の能力がそれを捉える。

 

 

 知る者のチャクラであった…

 

 

 そして、それは水蓮が待っていた人物…

 

 「水蓮。少し様子を見てくる」

 

 イタチもゆっくりと立ち上がる。

 

 「お前はここで…」

 

 待て…とのイタチのその言葉を、突然水蓮の唇が遮った。

 

 「…っ?」

 

 イタチの表情が戸惑いに揺れ、次にハッとしたように目を見開いた。

 

 何か冷たい液体が注ぎ込まれる感覚。

 

 それは不意を突かれたイタチの喉を静かに通ってゆく。

 

 コクリ…となった小さな音を確認して水蓮が体を離す。

 

 「水蓮…何を…」

 

 言葉半ばにイタチの視界が揺らぐ。

 「…う」

 目元を抑えると一気に眠気に襲われた。

 イタチの舌に残る味は昨晩飲んだ誘眠剤と同じ物。

 だが効き目は幾分か強いように思われた。

 「ごめんね」

 水蓮はそうつぶやきイタチの体をそっと押してベッドに座らせた。

 「ここで待ってて」

 ほんの少し肩を押されただけでイタチの体がベッドに沈む。

 「待て…」

 イタチは内心でしまった…と自責した。

 水蓮の作り出す穏やかさに油断してしまっていた事に…。

 

 「待て…」

 

 何か危険を冒そうとしていることを察知して必死に引き留める。

 

 「ごめん。ちゃんと戻ってくるから。そしたら、話すから」

 

 イタチの制止を受け止めることなく、水蓮はほとんど閉じてしまった瞼にそっと口づけもう一度「ごめんね」とそう言って背を向けた。

 

 「待て…行くな」

 

 その言葉が口から出たのか出なかったのか…

 

 イタチの意識は眠りの中に落ちた。

 

 水蓮はイタチの静かな寝息を確認し、ほんの少しうつった眠気を薬で飛ばして影分身を作り出す。

 「お願い」

 この場を預け、外套をまといドアに手をかけた。

 

 部屋から出て改めて感知の力で相手の場所を探る。

 かろうじてとらえることができる程度のかすかな物。

 それでも今の水蓮にはそれを追うだけの力がついていた。

 

 うまくいくだろうか…

 

 不安がよぎる。

 だがそれを払いのけ、水蓮は一度深呼吸をしてからグッと両手を握りしめ駆け出した。



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第百十五章【成すべき事】

 タイミングが合うかどうかは賭けだった。

 それでも世界の理が必然であるならば、もしそこに自分が必要とされるのならば、重なると信じていた。

 そして今、それがその通りになった…

 

 

 ここで、この時に、自分にやるべきことがある

 

 自分にしかできないことがあるはず

 

 

 

 そのために原作の流れを必死に思い出して、組織から知らせが来る前に…事が起こる前にと、決意したのだ。

 

 「もう何もできないままで終わりたくない」

 

 

 水蓮は気配を探りながらスピードを上げた。

 

 拠点である塔を出ると、雨は止んでいた。

 「急がないと…」

 急く気持ちを抑えて集中し、感知をめぐらせる。

 だが…

 「遠い…」

 目指す場所までは思ったよりも距離がある。

 水蓮はあたりを見回し、水の流れる音を捉えてそちらに足を向けた。

 地層の高い今の場所からいくばか下ると、激しく水が流れる幅広い水場へとたどり着いた。

 水際に腰を下ろしてカバンから付箋ほどの紙を取り出す。

 流れる水につけると濡れた部分がくっきりと変色した。

 「ここ…」

 色の変わった紙を見つめ、水蓮はひとつうなづく。

 塩分に反応するその紙の表す事。

 「海とつながってる」

 これならと、水蓮は流れの弱い場所を選んで水の上に立ち印を組んだ。

 ポン…っと小さな音を立てて巻物が現れる。

 それを開き水面に浮かべ、親指を噛み切って血をしたらせた。

 

 タン…と手をつき…

 

 

 「口寄せの術!」

 

 

 ドウッ!

 

 

 軽く煙を立たせて水中にイルカほどに大きさを抑えた出雲が姿を現した。

 

 「出雲、いける?」

 海に比べるとやや塩分が低い。

 口寄せ獣とは言え大丈夫だろうかと、心配になる。

 だが出雲は平気な様子でくるりとまわり、まるでうなづくかのように体を揺らした。

 揺れた体から光が放たれ水蓮を包み込む。

 その光によって呼吸を守られながら、水蓮は出雲と共に水中へと身を沈めた。

 目的の場所は広い水場。

 うまくつながっていることを祈りながら水蓮は気配を追って水中を猛スピードで進む。

 思いのほか深さがあり、そう難なく移動を許され、まるで導かれるかのように水蓮は目的の場所へとたどり着いた。

 

 

 水中から大きく伸びる岩陰に身を隠し、ほんの少しだけ顔を出す。

 

 

 ドォォッ!

 

 

 突如大きな爆音が鳴り響き、いくつもの瓦礫が水中に飛び込んできた。

 

 「…っ!」

 気配をこぼさぬよう意識しながら襲い来た風圧に耐え、そのおさまりを見て再び辺りを伺い見る。

 

 いた…

 

 幾度か見まわし、目指した気配の主を目に捉える。

 

 そこにいたのは2匹の妙朴山のガマを肩に乗せた、自来也であった。

 

 「小僧!お前左腕が!」

 

 左肩に乗ったガマが声を上げた。

 「わかっとります…」

 表情をゆがませて返す自来也。

 

 それは原作で見た光景そのままであった。

 

 記憶の中にあるままの仙人モードの自来也。

 ペインの攻撃で左腕を奪われ、厳しい表情で水面に立っている。

 「どういうことじゃ!」

 右肩に乗ったガマ…フカサクが声を上げた。

 「さっきまでの3人とは顔が違う」

 自来也が神妙な面持ちで、ペインがいるのであろう方を睨み付ける。

 「おそらく前もって口寄せしておいたんでしょうのぉ」

 「そうか…ワシらの幻術にかかりきる前に…!」

 フカサクの言葉の終わりに合わせるように、重々しい声があたりに響いた。

 

 「さてと」

 

 ゾワリ…

 

 水蓮の体があわ立った。

 覚えのあるおぞましい空気が全身を一気に包み込み、生きた心地を一瞬にして奪う。

 指の先から冷たさが広がり心臓が凍りつくような感覚に陥った。

 

 静かに吐き出した息が、白く染まったような気がした…

 

 ザ…ッ!ザザンッ!

 

 いくつもの地を蹴る音。

 最後の一音が鳴り終わった後には、恐ろしいほどの静けさがあたりを支配していた。

 その中心に自来也達の目が向けられる。

 次いで水蓮もそちらに目を向ける。

 

 体が小さく震えた…

 

 極限まで研ぎ澄まされた空気の中に、声が響き渡った。

 

 「ペイン六道…。ここに見参」

 

 

 集まる視線のその先に、6人のペインの姿があった。

 

 圧倒的な存在感と威圧感。

 ほんの少し動いただけで気取られてしまいそうな緊張。

 呼吸をする事さえもひどく恐ろしく感じられた。

 

 息をひそめて様子を伺い見る。

 自来也は分析のためペインにいくつもの言葉を投げかけていた。

 

 この状況。もう近い…

 

 水蓮は原作を思い返して機を計る。

 ほどなくして自来也はフカサクに暗号を託して水中に沈むはず。

 

 その時を待つ…

 

 出雲に目で合図を出し、静かに水中深くへと入り込んで水面を見上げる。

 その瞳に強い決意の色が溢れた。

 そこに秘められた、危険を冒してまでも成し遂げたかった事。

 

 それは、自来也を助ける事であった。

 

 もう誰も救えないままで終わりたくない。

 知っている自分だからこそできる事。

 それを見過ごしたくない。

 

 その想いでここまで来たのだ。

 

 必ず助ける

 

 だが戦いに割って入るわけにはいかない。

 イタチの事、イタチを守るために自分の身を守る事。

 それは絶対的に崩してはならない。

 身を出して自来也を助けることはできなかった。

 

 しかしそうでなくとも、とても自分が入れる戦いではないことを、ひしひしと感じていた。

 随分と深く潜ったこの場所ですら、戦いに渦巻く【気】は今までに感じたことのないすさまじさ。

 

 チャクラと殺気の重量…質量。

 それがぶつかり合う振動と衝撃。

 

 それらが水を伝ってびりびりと肌を刺す。

 

 この世界で自分が見てきた戦いとはまるで次元が違っていた。

 

 これが3忍と言われる者の戦い。

 隙を見てなどと言う言葉はまったく通用しない世界。

 気づかれぬよう自身の身を隠すとこが精いっぱいであった。

 それも出雲の光の力が大きいようで、自分の力だけでは容易にペインに見つかっていたであろうと、水蓮は小さく喉を鳴らした。

 

 ほどなくして、水面に大きなしぶきが上がった。

 水中も激しく荒れ、白い水泡が水蓮の視線の先にあふれ広がる。

 その泡の中にほんの一瞬フカサクの姿が見え、消えた…

 

 来る…

 

 

 その思考に答えるように消えゆく泡の中から自来也が現れた。

 力なくただただなされるがままに水中へと沈んでくる。

 水蓮はすぐにでも引き寄せたい気持ちを抑え、じっと待つ。

 

 まだ上にはペインの気配がある。

 そしてそのそばに別の気配が一つ…。

 

 ゼツの物であった。

 

 感知の力が強いゼツがいる状態で動けば、気取られる危険がある。

 

 まだ動けない…

 

 グッとこらえる水蓮のそばまで自来也の体が漂い来る。

 感じ取れるその命の力は今にも消えそうなほど小さい。

 それでも、まだ動けない。

 

 早く行って…

 

 両手を強く握りしめ、水面と自来也を交互に見つめる。

 息を飲んで機を待つ水蓮と自来也の体が交差し、それをまるで合図にしたかのようにペインとゼツの気配が消えた。

 それでも完全にそれが遠ざかるまで数秒待ち、水蓮はようやく動くことを許された。

 

 「出雲お願い」

 急いた声に答えて出雲が光りを伸ばし、自来也の体を包み込んで引き寄せる。

 そのタイミングを見て水蓮は結界を張り巡らせ外から自分たちを切り離した。

 出雲の力でそばまで来た自来也の体を抱きとめそばに寝かせる。

 「まずはこれを…」

 ペインの攻撃で受けた黒い棒を抜き取ろうと手をかける。

 「……っつぅ!」

 ジュゥッと嫌な音を立てて、てのひらから一瞬煙が立った。

 慌てて離した手は赤く焼けていた。

 「なにこれ…」

 慌てて手のひらに治癒を施す。だがいつもより治りが悪く、びりびりとした痺れがなかなか薄れない。

 「チャクラが…乱される」

 ほんの少し触れただけでこの有様。

 

 何本も体に刺し込まれた自来也は…

 

 水蓮は自身の治癒をそこそこに、手に九尾のチャクラをめぐらせた。

 

 早く取り除かなければ

 

 ゴクリと喉を鳴らしながら慎重に手をかける。

 先ほどよりはましなものの、熱湯を触っているような熱さを感じ、額に汗が浮かんだ。

 それでも何とかそのすべてを抜き去り、出雲の放つ光の外へと放り出した。

 すぐさま自来也の体に手をかざし、ありったけのチャクラを流し込む。

 本来急激な回復は本人の体力を奪う。

 だが今の自来也はそれを気にしている場合ではなかった。

 とにかくチャクラを注ぎ込んでほとんど消えた命を無理やりにでも呼び戻さねばならない。

 その体にとどまることをあきらめた生命力に呼びかけねばならないのだ。

 

 「絶対に死なせない!」

 

 水蓮は自身のチャクラに九尾のチャクラを織り交ぜて力の限り自来也に注ぎ込んだ。

 

 原作で自来也の死を見たとき『よりによってどうしてこの人物が死ぬのか』と、そう思ったことを思い出した。

 自来也が死んだら、誰がナルトを導くのか。誰がナルトを支えるのか。誰がナルトを守るのか。

 誰がナルトと共に生きるのか。

 

 自来也以外に本当の意味でナルトの心を救える人はいないのに…とそう思った。

 あまりにショックで、夜なかなか寝付けなかった。

 

 誰か何とかして救えなかったのかと、悔しくなった。

 

 その場面に自分がこうして居合わせることができたのだ。

 きっと自来也を救えるはず。

 

 「死なせない」

 

 グッと体に力を込めて、チャクラを注ぐ。

 

 必ず…必ず自来也をナルトの元に帰して見せる!

 

 この人は死んではいけない。

 

 「死なせない」

 

 ナルトにとって、必要不可欠な人なのだ。

 

 「死なせない」

 

 チャクラの圧に水蓮の髪が浮き上がり、静かに赤く染まりだす。

 

 なにがなんでも…。その想いでひたすらにチャクラを注ぎ続ける。

 

 「絶対助ける。死なせない。死なせない」

 

 そう決めてここまで来た。

 

 自分の身を案じ『ここへは近寄るな』と言った小南の言葉に反してでも…

 

 何も話さず、イタチを欺くような事をしてでも…

 

 失敗すれば死ぬかもしれないという危険を冒してでも…

 

 やり遂げるとそう決めてここへ来た…

 

 何があっても救ってみせると、そう決意してここへ来たのだ。

 

 

 

 それなのに…

 

 

 

 「どうして…」

 

 ポタリ…と、大粒の涙が水蓮の瞳から自来也のほほに落ちた。

 

 「どうして…」

 

 次々と涙が数を増やして溢れ落ちる…

 

 その雫で濡れてゆく自来也の頬は、少しの色も取り戻さない…

 

 水蓮の送り込むチャクラに、自来也の命は少しの応えも見せようとはしなかった…

 

 「どうして…。どうしてなの」

 

 そんなはずはないと、水蓮は必死にチャクラを送り込む。

 

 だがやはりその呼びかけに、自来也の命は応じなかった。

 

 左腕と、ペインの攻撃によって負った傷も、出血も、無理やりではあったがふさいで止めた。

 

 内臓の損傷はすべてではないが、致命傷をなんとかぎりぎり免れる程度まで治癒した。

 

 だがそれでも、自来也の中に生気は戻ってこなかった。

 

 その原因はおそらくペインのあの黒い棒なのだろう。

 水蓮は先ほどそれを投げ捨てた方を見て、ギュッと唇を噛んだ。

 口の中に、血の味が広がった。

 

 色の戻らない自来也の顔を見て、少しずつ体から力が抜けてゆく。

 完全に消えはしないものの、注ぐチャクラも弱くなる。

 

 瞳からは、止まることなく涙があふれたまま…

 

 「またなの…?」

 

 ポツリ…と、静かな空間の中に水蓮の言葉が落ちた。

 

 「またなにもできないの?」

 

 今までの事が脳裏を駆け廻る。

 

 知りながらに救えなかった命が、次々と浮かんでは消えてゆく。

 

 「私には何もできない…」

 

 悔しかった…。

 目に前にある大切な命を救えない無力さ。

 知っていたのに、ただ見ているだけしかできない情けなさ。

 救えないのに救えると思い込んでいた愚かさ。

 

 すべてが胸の中に激しい痛みをもたらした。

 

 何のためにここに来たのだろうか

 何のために居合わせたのだろうか

 何のために間に会ったのだろうか

 

 その想いが頭の中を幾度もめぐる

 

 

 幾度それが渦を巻いただろうか…

 不意に、懐かしい声が響いた。

 

 

 『すべての事に意味がある』

 

 

 ハッとして顔を上げる。

 どこからともなく聞こえたそれは、懐かしい両親の声だった。

 

 そして次に、タゴリの声が聞こえた。

 

 『すべては必然なのだ』

 

 

 「意味…。必然…」

 

 つぶやきと同時に思考が変わる。

 

 なぜ自分はここにいるのか

 なぜここに居合わせたのか

 なぜ間に合ったのか

 

 数度心の中に問いかけ、水蓮は再びチャクラを練り上げた。

 自来也の命はかろうじてまだここにある。

 

 「まだできることはある!」

 

 水蓮は冷たくなり始めた自来也の手を取り、チャクラを注ぎながらその手を自分の額に引き寄せた。

 「出雲、力を貸して」 

 言葉に応じて出雲が小さく鳴いた。

 新たな光が現れて水蓮と自来也を包み込んでゆく。

 その光が、少しずつ水蓮と自来也の意識をつなぎ合わせていった。

 

 今までに水蓮はイタチ以外の人物の意識に入ったことはない。

 つい先ほども自来也の意識に集中してみたものの、入れなかった。

 だが出雲の力があればできるとそう思った。

 剣のカケラを解き放つための術式を受け取る際、出雲の意識へと入る事が出来たのは出雲の導きがあったからであった。

 それが出雲の能力であったのだ。

 水蓮が持つその力も、もともとは出雲から授かった物なのかもしれないと、あの時そんなことを思った。

 

 フォオォン…

 

 出雲が小さく嘶いた。

 

 その優しい奏から生まれた力が、自来也の意識へと水蓮を静かに導いた。



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第百十六章【問いかけ】

 驚くほどにあたたかく優しい空間であった。

 吹くはずのない風がそよいでいるような、そんな心地よさ。

 

 だがその心地よさの中にまざまざと感じる…。

 

 もうこの命を引きとめることはできない。

 

 死へと向かう流れが止めようのない物だというその事が、自来也の意識下にいるからこそ、わかる。

 嫌と言うほどにひしひしとそれが伝わってくる…

 

 「……っ」

 胸を締め付ける痛み。 

 それを和らげようとするように春の木漏れ日のごとく光が溢れ、立ち尽くす水蓮を柔らかく包み込んでいく。

 

 その光の中、水蓮はゆっくりと歩き出した。

 

 出雲の導きによって入り込んだ自来也の意識の中。

 そこはその人柄を表す様な優しい居心地。

 死に直面してもなおこの穏やかさを保てるその人格に触れ、これほどまでの人を救えなかった悔しさと、死を静かに受け入れている自来也の強さに何かが救われたような、複雑な心境になった。

 しばらく歩くと、より明るくあたたかい光が溢れる場所が見えた。

 その中心に、静かにたたずむ自来也の大きな背中。

 

 「自来也様」

 

 限られた時間。

 ためらわずに声をかける。

 出雲の力が強いのか、自来也の生命力が弱っているからなのか、その呼びかけはすんなりと届き、自来也の肩がピクリと揺れた。

 ゆっくりと振り返り、水蓮を捉えて目を見開く。

 「クシナ…?」

 赤く染まる水蓮の髪を見てそう勘違いし、すぐに「いや、違うな」と水蓮の纏う暁の衣を見て瞳を厳しく色づけた。

 「…見た顔だな」

 数秒考え、記憶の中にその姿を見つける。

 「イタチと鬼鮫と共にいたおなごだな。髪の色は違うが。確か…水蓮」

 確かめるような物言いに、水蓮はうなづいた。

 「はい」

 自来也は大きく息を吐き出し、距離を保ったままで水蓮を見つめた。

 「ワシの意識の中に入り込んでくるとはな。暁には厄介な能力を持つ者が多いな」

 ハハ…と笑いを交える。

 だが決して警戒を解かぬ佇まい。

 死に際とは言え、意識の中から追い出すくらいの事は出来るのかもしれない…と、水蓮も自来也の様子を注意深く見つめる。

 「で?こんなところまで何の用だ。悪いがくれてやる情報はない」

 はき捨てて背を向けようとする。

 その動きは自分からわずかに残った時間を捨てる物。

 「待ってください!」 

 水蓮は慌てて呼び止めた。

 ここは自来也の意識の中。本人が生きることを手放せば、それは一瞬で消える。

 「お願いします!少しだけ時間を下さい!」

 切羽詰まったその様子に、自来也は今一度水蓮に向き直った。

 「なんだ?わざわざこんなところまで来てとどめを刺さんでも、ワシはもう死ぬ」

 「違うんです。そうじゃないんです」

 他にどんな理由があるのかと、自来也が顔をしかめる。

 水蓮はまっすぐに自来也を見つめて言った。

 

 「あなたの想いを預からせてください」

 

 静かに発せられたその言葉に、自来也は「ん?」とさらに顔をしかめた。

 

 「なんだそれは…」

 真意をつかめない自来也に、水蓮は言葉を重ねた。

 「あなたの中にある、ナルトへの言葉を、想いを。私を信じて私に預けてください」

 「………」

 自来也の表情がすっ…と静寂に染まった…。

 何もかもを見抜くような鋭い眼光が水蓮を捉えて見定める。

 

 何も後ろめたいことなどない。

 それでもなぜか恐怖を感じ、水蓮はごくりと喉を鳴らした。

 だが目をそらすことはしない。

 何が何でもこれだけは成し遂げたい。

 

 これが自分にできる最後の事であり、自分にしかできない事なのだと、水蓮はその想いで自来也をまっすぐに見つめた。

 

 「どういうつもりかわからんが…」

 

 いくばかの沈黙を自来也が終わらせた。

 「それはできん」

 グッと水蓮がこぶしを握りしめる。

 「ナルトに近付けるわけにはいかん」

 頑として受け入れる気配を見せない自来也に、水蓮は一歩足を進ませた。

 

 ほんの少しの進み。

 

 だがその数センチで、水蓮は自来也の間合いに入る。

 自分の間合いには数歩足りないその距離。

 それは、もしも自来也が水蓮をはじき出す何らかの手段を持っていたとしたら、十分にそれを成し得るもの。

 そこに、この身をなげうってでも…というせめてもの誠意を込めた。

 

 「お願いします」

 「無理な願いだ」

 

 即座に返される拒絶の色。

 水蓮はもう一歩だけ近づき頭を下げた。

 「お願いします」

 言葉の終わりと同時に水蓮の髪が黒く戻りだす。

 自来也の命を何とかつなぎとめている水蓮のチャクラが尽きはじめていた…

 「お願いします。もう時間が…。私のチャクラが、もう…」

 必死の表情に自来也の表情も揺れる。

 「お前…。ワシの体を治癒しておるのか?」

 ほんの少し集中するそぶりで自身の本体の様子を感じたのか、自来也は目を細めて思案した。

 「その髪の質…。以前にも見たことがある。うずまき一族と他族の血を持つ者が術の発動時にそうなるのをな」

 お前もうずまき一族か…との自来也の問いに水蓮はうなづきを返した。

 自来也は「それに…」と続けて目を閉じて集中し、水蓮のチャクラを探って鋭い眼光を発した。

 「お前、九尾のチャクラをもっておるな」

 

 自身の体を回復する水蓮のチャクラの中にその存在を捉えて、自来也は警戒を強めた。

 「何者だ…」

 死に際だというのに自来也の体からはびりびりと体がしびれるほどの気が発せられている。

 水蓮は思わず後ずさりろうになる足を必死にとどめて返した。

 「今はそれを話している時間はありません」

 自身の生い立ちを話したところでかえって怪しまれる。

 それにそれを信じてもらえたとしても、【想い】を預けられる人間としての信頼を得られるわけではないのだ。

 ただただ頭を下げるほかなかった。

 「お願いします。私を信じてナルトへの想いを預からせてください!」

 改めて必死に願う。

 その様子に自来也は再び考えをめぐらせる。

 

 うずまきの血を持ち、自分に接触しナルトへの想いを預かりたいと言う…

 しかもその身に九尾のチャクラを宿している…

 

 目的は何か…

 

 ふむ…と一つ息をつく。

 「ナルトに近づくための口実にするつもりか」

 「違います!そうじゃないんです!」

 「だがお前の持つ物はどれもナルトが接触せざるを得ない物ばかりだ。あいつをおびき出すための材料がこれ以上ないほど集まっとる。暁にこんな隠し玉があったとはな…」

 「違うんです!そうじゃないんです!」

 必死に反論して、水蓮は「信じてください」となおも頭を下げた。

 「ならなぜ…」

 自来也の低い声が響いた。

 「なぜわざわざその衣をまとってここへ来た」

 見上げた自来也の瞳には赤雲が揺れ映っていた。

 「あの二人に捕われていた…。この組織の事を知らなかった。色々と取り繕う事は出来たであろう。なのになぜ言い逃れのできないそれを身に着けてここへ来た」

 

 確かにそうであった。

 

 結果的には自来也をそんな言葉でだますことはできないであろう。

 それでも言われたようにすることはできた。

 それでもそうしなかったのは…

 

 「それは、卑怯だと思ったからです」

 

 自来也は何も返さず水蓮の言葉を聞く。

 

 「この衣を脱いで。隠して。何もしていない、知らないふりをして何かをしようとするのは、卑怯だとそう思ったからです」

 

 これまで、イタチがよほどの事がない限りこの衣を脱がずに過ごしてきたのも、きっとそうなのだと水蓮は自分の想いを口にしながらそう思った。

 どんな目的があったとしても、自身の犯した罪を隠さず背負いゆく、覚悟の現れなのだと。

 

 「お願いします」

 

 こぼれそうな涙をグッとこらえ、水蓮は静かにその場に膝をついて深く頭を下げた。

 

 「私を信じてください」

 

 もう何もできないままで終わりたくない。

 

 「お願いします」

 

 ギュッと両手を強く握りしめる。

 いつの間にか髪は全て黒く染まり、その先が薄れ始めていた。

 

 水蓮と自来也をつなぐ出雲の力も限界が近かった…

 

 「お願いします!」

 

 強いその懇願に、自来也は「よせ」と大きく息を吐き出した。

 「女に土下座させるなど男の死に際として最低だ。死んでも死にきれん」

 だが水蓮は身を起こさない。

 その様子に自来也はもう一度深く息を吐き、水蓮のそばに姿勢を落とした。

 「ひとつ聞かせてくれ」

 ピクリと水蓮の肩が揺れる。

 それでも顔を上げないままの水蓮に自来也は言葉を続ける。

 「その返答で決める」

 

 何を聞かれるのか…

 

 少しも予想がつかない。

 それでも、何事にも真実を語ろうと水蓮はうなづきを返した。

 

 これが、最後のチャンス…

 

 緊張で体を固くする水蓮に、自来也が静かに言葉を投げかけた…

 

 「あいつは…。イタチは何をしようとしている」

 

 「……っ!」

 

 はじかれたように水蓮の顔が自来也に向けられた。

 



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第百十七章【託されしもの】

 「なぜそんなことを…」

 イタチが何をしようとしているか。

 思いもよらぬことを聞かれ、水蓮は動揺をあらわにした。

 「何か知っておるようだな」

 「どうして…」

 自来也は「質問しているのはワシだ」と返したが、フッと小さく笑った。

 「まぁいい。ひとまず答えてやろう」

 水蓮のそばに身を下ろしたまま自来也は続ける。

 「ワシがここに忍び込めたのは、ワシが優れた忍びだったから…と言うだけではない。この里へと入り込むための道が用意されていた」

 「道…?」

 「そうだ。その道は特殊な結界によって隠されていた。その術は木の葉独特の物で、極めて火影に近しい人物だけが知る物。その目印もまた然りだ」

 「イタチが…」との水蓮のつぶやきに、自来也はうなづいた。

 「他にここでそんな事を出きる奴が思い当たらん。扱いも難しい物だからのぉ」

 3忍と謳われる自来也がそう言うのだから、よほど高度な物なのであろう。

 ましてペインに気づかれていないとなれば、その程度の高さは考えるまでもなかった。

 「見つけたときは罠かとも思ったが、それにしては絶妙な場所に出た。こちらにとってな」

 

 それはイタチによるものだと水蓮は確信していた。

 

 自来也が里に侵入した時、水蓮とほぼ同時にイタチはその気配を感じ取っていた。

 だがあの時の様子から見て、特にあたりを感知していたわけではない。

 それでも、感知を張り巡らせていた水蓮と同じくその気配を捉える事が出来たのは、イタチ自身が仕掛けていた結界を自来也がすり抜けたからだったのだ。

 

 「イタチ…」

 

 固く握りしめられていた水蓮の両手がさらにぎゅっと握りこまれた。

 

 

 イタチは、いつか木の葉の誰かがここにたどり着くと信じていた…

 その時のための道しるべを、危険を承知で用意していた…

 里の未来のために…

 

 自分には出来ない事を託すために…

 

 見ようによれば人任せに取られるのかもしれない。

 だけどそこに、里の仲間への熱く深い想いがあることを水蓮は感じていた。

 

 必ず何かを先へとつなげてくれるという信頼と、どうか…どうか…という祈り。

 

 今となっては表に出すことができない絆を、イタチはずっとなくすことなく持ち続けていたのだ。

 

 「……っ…」

 

 イタチの深い想いに胸の奥が苦しく、熱くなる。

 決して泣くまいと思っていた水蓮の瞳から、ポタリとしずくが落ちた。

 それはどんどん数を増やして空間の中に落ちては消えてゆく。

 「ここはワシの意識の中だ」

 自来也の声は先ほどまでとは違い、ひどく優しい物だった。

 「その涙からお前自身が伝わってくる」

 スッと指で水蓮の涙を拭い、自来也は改めて聞いた。

 「イタチは何をしようとしている」

 水蓮は必死に息を整えて、それでも涙を消すことができぬまま答えた。

 「あの人は…。イタチは、里を救おうとしています。忍の世界を救おうとしています」

 

 誰にも言う事の出来なかった真実を初めて口にして、水蓮の中で何かがはじけた。

 

 「誰にも言えず、誰にも見せず、ずっと戦ってきた。ずっと…ずっと耐え忍んで、戦ってきた」

 

 悪夢にうなされながら、闇に押しつぶされそうになりながら、それでも戦い続けてきたイタチの姿が浮かぶ。

 あれほどまでに重い物を背負いながらも、里を想い穏やかに笑うその笑顔が…

 

 「あの人は、ずっと里を守ってきた。今までずっと。今も守り続けている。これからも」

 

 ずっと…ずっと…

 

 水蓮はそう繰り返して、自来也を見つめた。

 

 「あの人は、誰よりも里を愛してる」

 

 まっすぐなまなざしを受け、自来也は静かに立ち上がって目を閉じ黙した。

 

 数秒…

 

 静寂が流れ、ぽつりと自来也がこぼした。

 「まさか…」

 深く…深く息が吐き出された。

 ゆっくりと開いた瞳には苦しそうな切ない色が浮かんでいた。

 「イタチの事を深く知っているわけではない。それでも幾度かは会った事も話したこともある。火影からあいつの事も聞いていた」

 一度言葉を切り、自来也は「解せなんだ」とつぶやいた。

 「なぜあいつが…。何度もそう思った。そんなはずがないとな。そして後に、あの頃うちはの中に不穏な動きがあったという話を聞いて、まさか…と、ある考えが浮かんだ」

 「自来也様」

 水蓮の震えた声と同じように、自来也の手が小さく震えていた。

 

 その震えをそのままに、大きな掌がギュッと強く握りしめられた。

 

 水蓮の瞳からあふれたままの涙が、粒を大きくした…

 

 

 この人は気づいている…

 

 

 イタチの真実に…

 

 

 涙止まらぬ水蓮に、自来也は静かに問いかけた。

 

 「そうなのか?」

 聞いてすぐに「いや」と打ち消す。

 そして強い口調で「そうなのだな」と確認の言葉に変えた。

 水蓮はじっと自来也を見つめたままで「はい」と力のこもった声で答えた。

 「そうか…」

 深く大きく息を吐き出してまた少し口を閉ざし、自来也はハッとしたように水蓮を見た。

 「まさか…」

 再びそうつぶやいて言葉を続ける。

 「桔梗はイタチか?」

 思わぬ名前が出て水蓮が顔をはじきあげる。

 イタチが使うその名…

 「どうしてそれを…」

 「やはりそうなのか」

 もはや何も隠すまいと、水蓮はうなづく。

 「そうであったか…。なるほどな。そうか…そういうことか」

 自来也は一人納得を重ねて小さくうなだれた。

 「火影の命を受けて里外で動く諜報員がいると聞いていた。その者とやり取りをしている里の情報屋からワシも情報を受け取っていた。この場所のてがかりもな…」

 「…そうですか…」

 「どうりできわどい情報を持っておるわけだ」

 自来也はどこか少し悔しそうな表情を浮かべて片手で顔を覆った。

 「あいつはずっと一人で…」

 これまでのイタチを想像したのか、自来也の体から怒りとも悲しみともつかない複雑な空気が溢れた。

 それが少しずつおさまりを見せ、自来也が水蓮に視線を向けた。

 「だが今は、お前がそばにいてくれるのだな」

 水蓮は静かに笑んで「はい」と答えた。

 

 それと同時に水蓮の体が色を薄くした。

 自来也の体も同じく薄くなる。

 

 

 もう時間がない…

 

 

 「わかった」

 

 自来也が水蓮に手を差し出した。

 大きなその手を取ると、とても暖かかった…

 

 

 「お前が何者なのか気になるところではあるが、どうやらそれを聞いている程の猶予はもうなさそうだ」

 薄れゆく自身の体を見て小さく笑いながら、自来也は水蓮をゆっくりと引き起こした。

 その表情は驚くほど優しかった。

 「信じよう」

 

 そっと水蓮の両手が包み込まれ、そこに淡い光が溢れた。

 

 柔らかく、あたたかく、穏やかで優しい光…

 

 自来也の心の中にある、ナルトへの想いがその光の中に込められていた。

 

 小さな水晶のようなその光を、水蓮は一度抱きしめて広げた手のひらに乗せて掲げた。

 

 「私の口寄せ獣に守らせます」

 自来也は「それなら安心だのぉ」と笑った。

 

 出雲の小さな嘶きが聞こえ、すぅっ…と自来也から受け取った想いが薄れて消えた。

 

 「頼んだぞ」

 「はい。必ず…必ずナルトに渡します」 

 「ああ」

 嬉しそうにうなづき、しかし自来也は、すぐには渡さぬよう水蓮に言った。

 「なぜですか?」

 機をうかがってなるべく早くと考えていた水蓮は即座に聞き返した。

 自来也は少し遠くを見るようなまなざしを浮かべていた。

 「ワシの死を受けて、あいつは悲しみ、絶望し、ワシを殺した相手を恨み憎み、暗い闇の中に沈み込むだろう」

 「だから…」

 「だからこそだ」

 重ねてすぐに渡さぬようにと言う自来也に、水蓮もまた「なぜです」と繰り返した。

 自来也は少し辺りを見回し、一点を見つめて口を開いた。

 「死によってもたらされた闇は、死にゆく者の力で乗り越えるものではない」

 穏やかな表情で見つめるその先には、きっとナルトの姿が見えているのだろうと、水蓮もそちらを見つめて自来也の言葉を聞く。

 「これからを共に戦い、共に泣き、笑い、共に進んでゆく者の力によってなされなければならん。それを求めねばならん。それが【これからを生きる】という事であり、未来を作る力となるのだ」

 「これからを生きる…」

 「そうだ」

 答えた自来也の表情には、少しの不安も心配の色もなかった。

 「あいつは大丈夫だ。大切な事はもうちゃんと教えてある」

 「…何事も諦めないど根性…」

 思わずこぼれたその言葉に、自来也は「おお?!」と目を見開いて驚いたが「そうだ」とすぐに笑って返した。

 「これからいったい何が起こるのか、それは分からん。だが、必ずあいつが世界を救う。それからでいい。すべてが終わったその時に、あいつに渡してくれ」

 ニッ…と笑い、自来也の体がさらに薄れはじめた。

 「もう限界のようだな」

 「あの!」

 水蓮が慌てて声を上げる。

 「あなたの体をどうしたら…」

 できる事なら何とかして木の葉に…と思っていたが、自来也は「心配ない」と返した。

 「お主のおかげで何とか最後に術が使えそうだ。ワシの体は誰の目にも触れぬところに飛ばす。万が一にでも何事かに利用されてはたまらんからな」

 右手だけでゆっくりと印を組み、自来也は水蓮に「ありがとう」とそう言って笑った。

 だが水蓮はうなづくことができず、涙を流した。

 

 「ごめんなさい」

 

 口からこぼれた言葉はそれだった。

 

 何としても救いたいと思ってここまで来たのに、結局は救えなかった。

 その事が重く心にのしかかっていた。

 「ごめんなさい…」

 そう繰り返す。

 不意に自来也の大きな手が水蓮の髪を撫でた。

 「謝ることはない。お主のおかげでナルトに残すことができた。それで十分だ」

 「でも…」

 「だがそれでも納得がいかんのなら、もう一つ頼まれてくれ」

 お互いの姿が薄れを極める中、自来也の言葉が静かに響く。

 「あいつに…。イタチに伝えてくれ」

 

 自来也の体からまばゆい光が溢れ、あたりを白く染め上げてゆく。

 その光の中に溶け込みながら、自来也の最期の言葉を水蓮はしっかりと受け取った。

 

 

 「里を頼む」

 

 

 

 …まるでその言葉を合図にしたかのように、光が一気に膨れて広がった。

 

 「……っ」

 まぶしさに瞳を閉じる。

 次に目を開くと、そこにはもう自来也の空間はなく、出雲の背に戻っていた。

 ハッとして視線を落とすと、自来也の体はほとんど見えなくなっていたが、かろうじてまだそこにとどまっていた。

 水蓮は薄れゆく自来也の手を強く握りしめ「必ず!」と伝えた。

 

 

 消える寸前…

 

 

 自来也が小さく微笑んだような気がした…



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第百十八章【木の葉の忍】

 一度止んだ雨がポツリ…と、再び地面に音をたてはじめた。

 雫はしだいに量を増やし、水蓮の髪を濡らして頬を流れる涙と交わり大地へと消えた…

 

 

 自来也の最期を看取り、水蓮はイタチのもとへと急いでいた。

 ペインや小南が状況を伝えにイタチのもとへ行くかもしれない。

 影分身を置いてきたとはいえ、チャクラを酷使した今、いつ消えるかわからない。

 何より薬で眠らせたことを知られては怪しまれる。

 

 急がなければ…

 

 しかしそうは思う物の、思ったように足が動かなかった。

 ナルトへの想いを受け取れたとは言え、救えなかったというその事が水蓮の心に重くのしかかり、体の動きを鈍らせていた。

 それでも必死に気力を振り絞り、雨の中を駆けた…

 

 

 

 しばらくして、うまく誰の目にも触れず部屋の前へとたどり着き、中の気配を探る。

 そこにはイタチと自分の影分身の気配のみ。

 小さく息を付いて中に入る。

 同時に解いた影分身からの情報で、誰も部屋に来ていない事と、イタチがずっと眠ったままであったことを知り、改めて安堵する。

 枕元に座りイタチの頬に手を添えると、やはり少し熱がある。

 「…う」

 雨に濡れた手の冷たさか…。イタチの瞼が揺れ、うっすらと開かれた。

 「水蓮!」

 細い視界に水蓮の姿を捉えてハッとしたように目を見開き、残る眠気に逆らって身を起こす。

 「無事か!」

 細い両肩にイタチの手が置かれた。

 微熱を含んだその手のぬくもり。

 

 自来也の手の温かさが思い出された…

 

 

 ポタ…

 

 

 水蓮の瞳から涙が落ち、一つ目のその音をきっかけに両の目から、ぶわ…とまるで音を立てるがごとく一気にあふれ出た。

 

 「お、おい。どうした」

 尋常ではないその涙にイタチは戸惑いハッとする。

 

 髪も服も濡れているその様子…

 「お前、外に出ていたのか?」

 うなづく代わりに涙がさらに増え、その粒が大きくなる。

 「何があった?」

 幾度もそう聞くイタチに水蓮は答えられなかった。

 口を開くと、声を上げて泣いてしまう…

 それを必死にこらえた。

 それでも話さなければと、ほんの少し唇が動いた。

 が、ドアの向こうに気配が生まれた。

 「イタチ…入るぞ」

 「ペイン…」

 声の主を悟りイタチはシーツを水蓮にかけて頭から包み込んだ。

 横になっているよう小声で言い、ベッドに寝かせて静かにドアを開ける。

 「なんだ」

 相変わらず表情のないペインの後ろには小南の姿もあり、イタチは二人の視線から水蓮を隠すように位置取った。

 「……」

 対峙したペインの衣から血の匂いを感じ、イタチの目が細まる。

 「何かあったのか…」

 小南がそれに答える。

 「自来也が来た」

 ピクリ…とイタチの肩が揺れた。

 「それで?」

 「始末した」

 こともなげに言うペインに、イタチは表情を変えず「そうか」と低い声で言った。

 「だが、何かしらの情報をガマに持ち帰られた」

 「暗号化されていて内容は分からなかったそうよ」

 二人のその言葉にイタチはまた「そうか」とだけ返す。

 「警戒しておけ。木の葉が動くかもしれない」

 「承知した」

 返答を聞きペインは静かに背を向け去って行った。

 小南もそれに続こうとして、ふいに足を止めた。

 「眠っているの?」

 部屋の中にほんの一瞬視線を投げて問う。

 「ああ」

 イタチが改めて水蓮を隠すように移動した。

 「オレの治癒にチャクラを使いすぎた」

 そう聞いて小南は何か思い当ったように「なるほど」とつぶやいた。

 「なにがだ?」

 「さっきゼツが近くで九尾のチャクラを感じたと言っていたらしいから」

 「…そうか」

 

 水蓮の行動に思考をめぐらせる…

 

 九尾のチャクラを使って何事かをしたのだろう…と。

 

 結界を張らないはずはないが、さすがに九尾のチャクラは隠しきれなかったか…と、ちらりと水蓮に視線を向ける。

 「水蓮の治療のチャクラだろう」

 「…そうね…」

 小南も同じくシーツにその身を隠したままの水蓮に目を向け「そう伝えておくわ」と、その場を去って行った。

 二人の気配が十分に遠ざかってから扉を閉め、イタチはベッドのわきに座ってシーツを少し持ち上げた。

 こちらを向いていた水蓮はまだ涙がおさまらぬまま。

 「お前…」

 そっとイタチの手が頬に触れる。

 「見たのか?」

 

 自来也が死ぬ所を…

 

 「知っていたのか?」

 

 自来也が死ぬことを…

 

 

 そのどちらにもこたえられず、うなづくこともできず、水蓮はただただ声を殺して泣いた…。

 

 「どこまで…」

 何を知っているのか…

 イタチはそう聞こうとしたがその言葉を飲み込んだ。

 

 水蓮が何をどこまで知っているのか…

 

 それを聞いてしまうのがなぜかひどく怖かった。

 

 「水蓮…」

 イタチが髪を撫で、腕を広げる。

 「イタチ…」

 ようやく発したその言葉は、かすれ、震えていた。

 縋り付くように身を寄せる水蓮をイタチは柔らかく包み込んだ。

 

 イタチの温かさと鼓動…そしてふわりとたつ香り…

 

 水蓮の心がほんの少し落ち着く。

 

 だがその少しの隙間に、一瞬のうちに痛みが入り込んできた。

 「……う……」

 こらえきれない声がこぼれる。

 

 必ず救えると思っていた…

 

 

 

 自来也が生きて木の葉に帰る…

 

 綱手が喜びにこぼれる涙を必死に隠す…

 

 それをちゃかしたナルトにげんこつが落ちて…

 

 カカシやサクラがそれを見て笑って…

 

 それを見ながら自来也も笑う…

 

 ナルトが自来也と一緒に仙術の修行して、強くなって、戦いを終わらせて、自来也と一緒に暮らす…

 

 

 

 そうなると思っていた。

 

 そうなってほしいと、そう思っていたのに…

 

 

 「ダメだった…」

 

 か細い声がこぼれた。

 「だめだった…」

 繰り返してイタチの体にぎゅっと抱きつく。

 「私じゃだめだった…」

 「水蓮」

 事を読み取り、イタチも強く水蓮を抱きしめた。

 溢れる涙も、体の震えも止められぬまま水蓮は自来也の最期を思い出していた。

 

 

 柔らかく穏やかな笑顔…

 

 

 すべてを包み込むような寛容の光…

 

 

 あれほどまでに大きくあたたかい光を見たことがなかった…

 

 

 この世界は、重要な人物を失ったのだ…

 

 「ごめんなさい…」

 

 誰にともなくその言葉が溢れた。

 

 「ごめんなさい…」

 

 そんな言葉では収められない…。

 だが他に言うべき言葉が見つけられなかった。

 

 「大丈夫だ」

 イタチがそっと水蓮の髪を撫でた。

 「…大丈夫」

 そう繰り返される言葉。

 水蓮もまた「ごめんなさい」とひたすらに繰り返した。

 

 まるで叱られた子供のように泣きじゃくりながら、ただただ、そう繰り返した。

 

 

 必死にこらえてもこぼれる悲涙の声を、激しい雨の音がかき消していった…

 

 

 

 

 その後涙の収まりを待ち、二人はアジトへと場所を移した。

 晴れた夜空をちりばめる星を見ながら、水蓮はイタチに話した。

 

 ナルトへの想いを預かったことを…

 

 イタチは静かに「そうか」と、安心したように笑んだ。

 

 そして「里を頼む」とのイタチへの言葉を伝えると、その表情は驚きに揺れ、次に少しうれしそうに笑い、最後に真剣なまなざしへと変わった。

 

 静かに立ち上がりそのまなざしを木の葉の里に向けて、やはり「そうか」と答え、次いで立ち上がった水蓮に向き直り、引き締めた表情のままで言った。

 

 「承知した」

 

 凛としたその姿は、任務を受ける忍のたたずまい。

 

 

 月の光に照らされて輝く額あてと赤い瞳…

 

 

 そこにいるのはまぎれもなく…

 

 

 木の葉の忍。うちはイタチであった。



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第百十九章【原点】

 日々は恐ろしく静かに過ぎていった。

 自来也の死から後は思いのほか期間があり、あれから幾数回の日の沈みとのぼりを見送った。

 原作にはあまり描かれない『移動』がタイムラグとしてあるからなのか、すぐに事が動くと思っていた分、イタチと長く過ごせている事に水蓮はほっとしていた。

 だがその反面事態の起こりが少しも読めず、一日一日が緊張の中過ぎて行く。

 

 初めの数日は日の昇りを数えていたが、意識してそれをやめた。

 

 何日目にそれが来るのか。数えたところで分からない。

 

 それまでをどう過ごすか。それが重要なのだから…

 

 とはいえ、イタチの体調を考慮しなければいけないこともあり、何をどうすることもなく日々ただ静かに時を刻んでいた。

 

 

 鬼鮫が持ち帰った情報によれば大蛇丸の死は間違いなく、組織から前もって聞かされていたサスケの情報も間違いないとの事であった。

 

 サスケは香燐、水月、重吾を仲間とした小隊を編成し動いている。

 

 だがデイダラとの戦いで無傷ではないはずだとイタチも鬼鮫も推察しており、すぐには目立った動きはないだろうとこちらも大きく動かず戦いに備えていた。

 

 

 サスケとの戦いに…

 

 

 イタチはその事について鬼鮫に初めて自分から語った。

 

 自身の持つ万華鏡写輪眼がいつかは光を失う事。

 それを免れるためにはサスケの目が必要であること。

 それによって万華鏡写輪眼が永遠の物になる事…

 

 鬼鮫はただ静かに聞き、イタチが話し終えて黙したのをじっと見つめ、同じように黙り込んだ。

 

 ぶつかり合う視線。

 

 そこに互いに何を含ませているのか。水蓮はその様子をイタチの少し後ろに控えて見つめていた。

 

 

 一族を皆殺しにしたにもかかわらず弟だけは生かし、のちに名を馳せるであろうと予測されていた暁に身を置く。

 

 

 それは自分を討つためにサスケが己を磨き、強い力を宿した写輪眼を持って挑んでくることを見越して…

 

 すべては永遠の万華鏡写輪眼を手に入れるため…

 

 それこそが自身の最大の【目的】であるとのイタチの主張。

 

 

 それを受けた鬼鮫の眼差し。

 

 

 

 強い力を持ちながらにこの組織に従順に動くその意味。

 

 出会った頃から感じていたイタチの中に秘められた【目的】

 

 それを成し遂げるためのイタチの生きざまへの興味。

 

 鬼鮫がこの組織に身を置く理由の一つが今明かされた。

 

 それが真実であるかどうか…

 

 鬼鮫はそれをじっくりと吟味している。

 

 

 微動だにせず視線をぶつかり合わせる二人に水蓮は固唾をのんだ。

 

 

 「なるほど」

 

 どれほどの沈黙が流れただろう。

 鬼鮫はそうこぼしてちらりと水蓮を見た。

 真意を問われているような気がして、水蓮は小さくうなづいた。

 鬼鮫は「なるほど」ともう一度つぶやいて一つ息をついた。

 「それがあなたの目的…ですか」

 イタチは何も返さない。

 

 自身の語ったことにもう一つ考えがあるとき、イタチは答えを返すことが多い。

 『そうだ』『そういう事だ』と…。

 それが任務の際であれば後に別の作戦や目論見が明らかとなる。

 

 だが逆に何も返さないときは、何もないのだ。

 裏も表も…

 

 だから今イタチは何も返さない。

 

 自身のそんな事ですらコントロールしているのだ。

 

 

 無意識に…

 

 

 極限まで研ぎ澄まされた集中力が、本能がそうさせている。

 

 

 そんなイタチの振る舞いは、どこか人知を超えたもののようにも感じられた。

 

 すぐそばにあるはずのイタチの背が遠く感じる。

 何があっても離れない。この手を離さないと誓ったはずなのに、それがひどく薄く細い糸のように思える。

 

 

 だけどそれはイタチの醸し出す空気のせいではない。

 

 イタチの【覚悟】に自分自身のそれがまだ追いついていないのだと、水蓮は自身を叱咤した。

 

 足りない。まだ足りない。この人の持つ覚悟に。

 だけどそれはきっとずっとそうなのだろう。

 どれほど奮い立たせても、自分自身を叱咤しても、追い詰めても、きっとそこへはたどり着けないのだ。

 

 その覚悟は、イタチだけの物。

 

 自分には自分だけの覚悟が必要なのだ。

 

 それは今まで自分の中にあった物とは違う。

 

 【イタチの死に対しての覚悟】

 

 それだけではいけないのだと水蓮は感じていた。

 

 だがその答えは見つからない。

 

 ここへきて、それを見つけられない…。

 

 

 「わかりました」

 

 再び落ちていた沈黙を、鬼鮫が終わらせた。

 「そういうことですか」

 本当にそう納得したのかどうかは分からない。

 それでも鬼鮫はそう言葉を返してまた水蓮を見た。

 その瞳が何かを求めていることは分かる。だが何を求めているのか…。奥の奥にある本当の事が読み取れない。

 だけれども、その求めの中にこの場の終わりが含まれている事を感じ取り、水蓮はただ静かにうなづいた。

 

 

 鬼鮫はまた「わかりました」と低い声で答えた。

 

 

 

 

 季節は夏の存在を主張していた。

 過ごしやすいのは夕刻のほんの数時間で、風のある今夜でさえ気休めの涼しさのみ。

 そのはずが、ひどく冷えた感覚に鬼鮫は今までにないゾクリ…とした身の震えを感じていた。

 思い出されるのは先ほどのイタチ…。そして、その後ろに控えていた水蓮の姿。

 鬼鮫が感じた背筋の冷たさは後者にであった。

 

 たった数日。

 

 離れていたその短い期間で、何かが変わった。

 出会った経緯から奇妙な物で、もとより読み計れない存在ではあったが、明らかに今までとは違う物を水蓮に感じていた。

 だがそれでいて知った感覚。

 

 それは他者を殺した者の気配…

 

 「いや」

 

 そんなはずはない。と心うちにつぶやく。 

 それに、そうは感じたものの完全に【それ】とは呼べない気配。

 はっきりとは分からないが、わかるのだ。

 確かに命をその手にかけた者の空気を感じるが、それにまとわりつく血の匂いがしない。

 忍の感がそれを己に伝えてくる。

 

 そうでなくともたった数日の間にそのような事態になることも考えられず、あったのならさすがに聞かされるだろう。

 「いや…」

 再びつぶやかれる。

 

 イタチがそれを許すはずはない。

 

 水蓮がその手を血に染めるような事を彼は許さない。

 

 それは鬼鮫の中の確信であった。

 

 自分もそうであるのだから…

 

 ばかばかしい…。

 そうは思う物の、それはもはや否定することのできない事実。

 今までに幾度か自分の中で繰り返された否定と肯定。

 

 水蓮の手を汚したくない。

 

 存外早いころからそれは鬼鮫の中にもあった。

 心を寄せているイタチならなおのことだ。

 水蓮が誰かを殺すなどありえない。

 だがそれに近しいことがあったのだろうと読む。

 何事かに触れ、何事かを背負い、何事かを求めさまよう心の動き。

 不確かでひどく危うい。それでいて研ぎ澄まされた何か。

 それらが水蓮の体からあふれ出ている。

 一見アンバランスに見える不安定な一つ一つ。

 だがすべてが緻密な計算のもとにあるような配列を感じる。

 

 未完成の物が完成へと向かう、途…

 

 一体なんなのか…

 

 考えをめぐらせる。

 

 さぁっ…と、風が流れた。

 その消え際に静かな気配が生まれ、鬼鮫はそちらに振り返った。

 

 ゾクリ…

 

 やはり肌が震えた。

 「水蓮」

 こちらをひたと見つめるその存在。深く熱く…それでいて冷光なる瞳。

 

 

 ああ、そうか…

 

 

 鬼鮫は一人腑に落ちた。

 

 彼女は探しているのだ…

 

 自分の【覚悟】を…

 

 

 静かにたたずみ何かを待つ水蓮に、鬼鮫はゆっくりと向き合う。

 鮫肌をそばの木に立てかけ、静かな呼吸で空気を揺らした。

 

 「どうぞ」

 

 水蓮の地を蹴る音とその声が重なった。

 

 何かを振り払うように、決意するように、水蓮は一つまた一つと鬼鮫に打ち込んでゆく。

 息の乱れも、気を入れる声もない。

 探るように、確かめるように、そして縋るように。

 

 そのすべてを鬼鮫はただ受け止めた。

 

 激しく打ち合う物ではないそれは、まるで言葉のない会話のようであった。

 

 

 それでいい…。

 

 

 鬼鮫の受けが無言でそれを伝える。

 

 

 

 必死に振り払えばいい…迷いを

 

 深く決意すればいい…想いを

 

 探ればいい…道を

 

 確かめればいい…強さを、弱さを

 

 そしてそのために縋ればいい…この自分に

 

 

 何を手段としてでも、必ず見つけなければならないのだ…

 

 

 鬼鮫は水蓮に厳しいまなざしを向けた。

 見つけなければ、見つけられなければ生きてはいけない。

 たとえ身が亡びなくとも、心が死んでしまう。

 

 そうならぬためには、忍の世界で生きていくためには、自分で見つけるしかない。

 

 生きる覚悟も。死ぬ覚悟も。

 

 そしてその先にある目的を。

 

 水蓮はすでにそれを持っているはずなのだ。

 かつて自分にそれをぶつけてきた。

 

 その時の事が鬼鮫の脳裏に浮かぶ。

 

 『何か目的があって我々と共にいるような感じだ』

 

 過去に鬼鮫は水蓮にそう投げかけた。

 そしてそれが何かを問うた。

 その時水蓮は迷わず、ためらわず、疑わず。そして恐れずに答えた。

 

 それこそが最も必要で重要な事。

 

 変わらず自分の中にあるものの、それを【目的】とすることを見失っている。

 

 その一歩手前にある何かに意識を持っていかれている。

 

 あの時は何も知らなかったがゆえに答えられたそれが、様々な物を見、幾多の事を経験し、知りすぎた今、見えなくなっている。

 

 だからこそ、水蓮はそこに立ち返ろうとしているのだ。

 おそらく無意識だろう。

 それでもそれが必要だと本能に感じ自分のもとへ来たのだ。

 

 あの時こそが水蓮にとっての始まりであったから…

 

 

 しかし鬼鮫はそこまで考えてハッとした。

 この世界の行く末を考えれば、どんなものも無意味。

 それを望み、そこへと向かう自分が何を考えているのだろうかと。

 水蓮が今ここで答えにたどり着いても、暁の…マダラの目的が成されれば何の意味もない。

 だがそれでもやはり、答えを見つけてほしいと思ってしまう。

 

 自身の生き死にも、他人の生き死にも興味のなかった自分。

 ましてそれが意味をなさない世界を求め進んでいるというのに、水蓮に生きるすべを見つけてほしいと願う。

 

 

 ひどい矛盾だ…

 

 

 嘲笑に表情が揺れた。

 それでも、それでいいと鬼鮫は静かに水蓮の打ち込みを受け止め続けた。

 

 この世界は所詮矛盾だらけ。

 

 その深い泥の中に咲くこの花を、やはり汚したくない。

 

 全ての矛盾は自分の胸の内にしまおう。

 

 

 

 

 それでいい…

 

 

 

 

 迷いを持ちながらもまっすぐに、ひたすらに、ひたむきに打ち込んでくる水蓮。

 

 

 

 あなたはそれでいい…

 

 そのまま変わらずまっすぐでいい…

 

 そこに生まれる光を汚す物は、この身にすべて引き受けよう…

 

 あらゆるものが無に帰すその時まで…



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第百二十章【諸刃のごとく】

 さらに数日が過ぎた。

 最も多くを過ごしてきた高台のアジトに身を置き、水蓮たちはただイタチが動くのを待っていた。

 鬼鮫は時折外へと出かけることがあったが、イタチが欲しないこともありこれといった情報を持ち帰るようなことはなかった。

 今日も朝から食料を買いに行くと出て行ったが、本当にそれだけで何かを調べてくるつもりはないようであった。

 イタチが動かないゆえの時間つぶしなのだろうと、水蓮はほしい物をいくつか言づけて送り出した。

 

 

 ジャァジャァジャァ…

 

 

 アジトの周りには激しい蝉の声が鳴り響いている。

 木々から聞こえるその鳴き声はいつからか種類が変わっており、日の経過をぼんやりと感じながら水蓮は空を見上げた。

 

 今この世界はどの局面を迎えているのだろう…

 イタチの死はどこまで迫っているのだろう…

 

 サスケは、そしてナルトは…

 

 二人の顔が浮かぶ。

 

 と、同時に背中に視線を感じてゆっくりと振り返る。

 アジトの奥。

 壁に背をつけて座るイタチがこちらを見ていた。

 

 ドキリとする。

 

 何かを言うでもなく、ただこちらをじっと見つめるその佇まい。

 それはここ数日よく見る姿であった。

 

 静かに、鋭く、深く

 

 薄く、細く、冷たく

 

 それでいて重厚な存在感。

 

 

 …諸刃の剣…

 

 

 鬼鮫はその言葉を当てはめた。

 

 両刃のその剣は、相手を切ろうと振り上げると自身も傷つく恐れがある。

 

 そのようだと。

 そして、それよりも強い危うさを感じると。

 

 触れた側も、触れられた側も意図せず傷つき血を流すのではないか…

 まるで全身が鋭利な刃物のようだと。

 それでいて脆く、一度傷つき傷つけたなら砕けて壊れてしまうのではないかと。

 

 危険で、脆い。

 

 今までになく近寄りがたいと。恐ろしいと、そう言った。

 

 だからと言って本当に近寄らないわけではない。

 今までと変わった様子を見せず話しかけている。

 それでも時折、声をかけようとして言葉を収める鬼鮫の姿を水蓮は見ていた。

 

 水蓮はそんな鬼鮫に言った。

 

 自分も同じだと。

 

 鬼鮫は見せたことのない表情で驚きを表した。

 

 これまでにどんなイタチを見ても、聞いても、怖いと感じたことはなかった。

 

 それでも今のイタチを取り巻く空気に、水蓮もまた何か恐ろしい物を感じていた。

 ほんの少し視線をはずしてイタチに戻すと、そのほんの数秒で鋭さを増す。

 それは寝て起きればなおのことで、日一日とイタチを取り巻く空気は変化していた。

 水蓮ですら時に近寄りがたいと思うほどに。

 

 そして今も…

 

 だが、そうである時ほど水蓮はイタチに身を寄せた。

 

 もしも鬼鮫の言うようにイタチが諸刃の剣でも。

 触れるだけで傷つき傷つけるのだとしても。

 そんなイタチのそばにいられるのは自分しかいないのだ。

 

 

 水蓮はイタチのもとへと歩み寄り、静かに手を差し出した。

 

 

 その手をつかもうとしたイタチの手が水蓮の指先をかすめる。

 

 どこかうつろなその動き。

 

 「見えない?」

 

 イタチは「いや」と答えて水蓮を見上げた。

 「少しかすむ」

 それでも赤い光を決して収めない。

 「痛む?」

 今度は「ああ」と答えた。

 水蓮は宙に置かれたままのイタチの手に自身の手を重ねて指を絡め、もう片方の手をイタチの目に当てた。

 

 ぽぉ…

 

 両手からあたたかい光が溢れ、アジトの中を穏やかなオレンジ色に染めてゆく。

 

 もう気休め程度にしかならない。

 

 瞳に、体に巣食う痛みには。

 

 それでももう他にできることがない。

 

 瞳にこもる熱が少し引いたのを感じ、水蓮は一度手を離してギュッとイタチを抱きしめた。

 イタチもまた強く水蓮を抱き寄せた。

 

 

 愛おしくてたまらない。

 

 

 「大丈夫」

 

 

 水蓮が静かにささやいた。

 

 

 「大丈夫」

 

 

 まるで子供をあやすように。

 

 

 「大丈夫」

 

 

 繰り返されるその言葉に、イタチはただ小さくうなづいた。

 

 

 絶えずあふれる光りが、二人を包み込んでいった。

 

 

 

 

 

 日が少し沈み始めた頃、鬼鮫がアジトへと戻った。

 変わらず鋭い空気をまとうイタチに小さく息をつき、目を細める。

 

 「眠ってるんですか?」

 身をかがめて覗き込む。

 「ああ」

 答えたイタチの腕の中で水蓮が小さな寝息を立てていた。

 「ここ最近よく居眠りしますね」

 「そうだな…」

 二人の言うように、この数日水蓮は中途半端な時間にもかかわらず、こうしてよく眠っていた。

 「九尾チャクラの扱いに慣れないんだろう」

 そのための疲労だろうとそう言うイタチに、鬼鮫もうなづいて同意を示した。

 「それで…」

 一体これからどうするのかと鬼鮫が問うとしたとき、イタチの肩がピクリと揺れた。

 「どうかしましたか?」

 「影分身から情報が来た…」

 少し前にここを発たせた影分身。

 桔梗の姿で薬屋へと向かわせていたその存在が、情報を得て姿を消した事で内容が伝わり来た。

 

 イタチは受け取った情報を噛みしめるように目を閉じて黙し、静かに告げた。

 

 「木の葉が動いたようだな」

 

 誰がいつどんな目的でどこへと言うような細かな事は、万が一のことを考えていつも伝えられない。

 

 ただ特設の隊が里を出たことが伝えられただけ。

 だがその最後に、事がサスケに関係しているとの情報が暗号化されて記されていた。

 

 サスケを連れ去った大蛇丸が死んだ今、木の葉がサスケの事で動くという事は…

 

 サスケの奪還。

 

 イタチは口元に手を当てて考えをめぐらせる。

 

 サスケを里に連れ戻す気か…

 

 里としては、里を裏切った自分をサスケが討つことを反対はしないだろう。

 だがそれをサスケが成し遂げる前に動いたとなると、サスケに自分を殺させまいとしているという事…

 

 ふとはたけカカシの顔が浮かぶ。

 

 任務のためなら仲間をも殺すと言われていた人物だが、実際には違っていた。

 仲間を守り、命を救う事に深く心を向けていた。

 

 復讐などと言う闇にサスケを渡しはしない。

 

 彼ならそう考えそうだ。

 なにより、カカシや周りがそれに反対の意を見せたからこそサスケは里を出たのだろう。

 

 イタチは様々な考えをめぐらせ、まとめてゆく。

 

 

 自分を殺そうとするサスケ…

 

 それをさせまいとする木の葉…

 

 導き出されたのは…

 

 

 どちらもこちらに向かってくる。

 

 

 その結論であった。

 

 

 「やりますか?」

 

 どこか高揚した様子でそういう鬼鮫にイタチは少し思案して返す。

 

 「木の葉が動けば、おそらくサスケも動き出す」

 

 

 サスケを追う木の葉にはナルトがいるであろう…

 ナルトがいるのであればカカシがいる。

 カカシの使う忍犬はかなり厄介だ。

 水蓮の感知であちらの動きを読みながら動いたとしても、忍犬の足にいずれ追いつかれる。

 サスケとの戦いに木の葉がなだれ込んでくるのは避けたい。

 ましてそこにナルトを狙ったペインが来れば事態は最悪だ…

 

 どちらをどうしたものか…

 

 イタチは決めかねていた。

 

 

 「木の葉…」

 

 イタチの腕の中から声が上がった。

 

 「水蓮?」

 

 顔をしかめたイタチから視線をはずし、鬼鮫とも目を合わせぬまま水蓮は身を起こした。

 

 「起きていたのか…」

 「木の葉…」

 イタチの声に言葉をかぶせて、水蓮は言葉を続ける。

 「木の葉は放っておけばいいよ」

 

 鬼鮫とイタチが顔を見合わせた。

 

 「だが、木の葉は追跡力が高い」

 「大丈夫」

 「動いているのがはたけカカシの小隊だとしたら厄介ですよ」

 「大丈夫」

 

 二人を見ぬまま水蓮はそう断言した。

 

 大丈夫な事を自分は知っているのだ…

 

 「木の葉は構う必要ない」

 

 イタチも鬼鮫も水蓮の有無を言わさぬ雰囲気に息を飲んだ。

 

 「だけど、もし木の葉がイタチの邪魔をするようなら…」

 

 静かに立ち上がりようやく二人に視線を向ける。

 「邪魔をするようなら?」

 鬼鮫が問いかける。

 水蓮は低い声でそれに答えた。

 

 「私が止める」

 

 来ないことが分かっているから言えた言葉でもある。

 だがもし原作と内容を違えてカカシの隊が接触してきたら、自分が止めてみせるとそう思った。

 

 方法など分からない。

 それでも、この身を賭してイタチを守って見せる。そう思った。

 

 流れる沈黙。

 

 しばしの後、「ククク」と鬼鮫がこぼした笑いがそれを終わらせた。

 

 「面白い」

 

 鬼鮫は笑いを含めたまま水蓮を見つめた。

 「あなたは本当に面白い人だ」

 そう言いながら鬼鮫は思った。

 

 目的を取り戻し、覚悟を見つけたのだろうと…

 

 そして、諸刃の剣はもう一つあったらしい…と。

 

 

 笑いおさまらぬ鬼鮫に水蓮もイタチも何も返さない。

 鬼鮫は一つ息を吐き出して、やはりどこか高揚した様子で水蓮に言った。

 「その時はあなたに任せるとしましょう。それで構いませんね?」

 ちらりとイタチを見る。

 イタチは水蓮に視線を向け、しばし見つめた後ゆっくりとうなづき立ち上がった。

 

 「行くぞ」

 

 アジトの外へと足を進ませ、沈み始めた夕日を背負い振り返る。

 

 強い風が吹き、イタチの髪を、身にまとう赤雲を大きく揺らした。

 その風が水蓮と鬼鮫に吹き付け、壁にぶつかり外へと押し戻されてゆく。

 

 再びイタチのその身を風が包み、空へとふき流れ消えて行った。

 

 

 イタチが静かな声を響かせた。

 

 

 「サスケを迎え撃つ」

 

 

 燃えるような逆光にその表情は隠されたが、それにも負けぬ瞳の赤が強い光を放っていた。



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第百二一章【里のために…】

 深い森の中。3人は木を伝い駆けていた。

 日はすっかり沈み、あたりには闇が落ちていたが、大きな満月の光が木々の隙間から差し込み足場を守っていた。

 急ぎ移動する場合は鬼鮫の背に乗っていた水蓮も、今となっては自身の足でそれなりに二人の速度に並べるまでになり、少し息が上がってはいるものの月の光を選び進む。

 が、不意に後方を守っていたイタチのペースが落ちたことに気付く。

 何か意図があるのかと速度を落とすと、先頭の鬼鮫がちらりと振り返り…

 「イタチさん!」

 着地した枝を蹴り水蓮の脇を猛スピードで横切った。

 ギクリと胸を鳴らして水蓮が振り返ると、イタチの体が大地へと向かって落下していた。

 「イタチ!」

 慌てて踵を返す。

 鬼鮫がさっとイタチの体を抱きとめ地に降りる。

 次いで着地した水蓮が駆け寄った。

 イタチの顔を覗き込むが暗くてよく見えず、そっと頬に手を当て、息を飲んだ。

 「すごい熱…」

 ここ最近続いていた微熱がここへきて一気に高まったのか、かなりの熱さであった。

 「移動を急ぎすぎましたかね」

 暗いうちにと思ってのことであったが、負担になったのかもしれないと鬼鮫は息を吐き出した。

 とはいえ、ただ移動しただけで熱が上がるような事態になるとは考えていなかった。

 

 イタチの体は、水蓮や鬼鮫が思う以上に重い症状を抱えていた。

 

 

 「…大丈夫だ」

 黙り込んだ二人に代わって、イタチはつぶやくようにそう言い鬼鮫の腕を払おうとしたが鬼鮫がそれを許さなかった。

 「ここで無理をして後に響くと困る。一度どこかで休むべきだ」

 「そのほうがいい」

 イタチは何かを言い返そうとしたが、二人のきつい口調に諦めたように息を吐き「わかった」と答え、次の瞬間には意識を眠りに沈めていた。

 

 ふる…と、水蓮の体が小さく震えた。

 

 こんな状態であの戦いをしていたのかと。

 

 サスケとの戦いを思い返して恐ろしくなった。

 ほんの少しの気の緩みで意識を失うような体の弱まり。

 とてもまともに戦えるとは思えない。

 それでもイタチはサスケとあのすさまじい戦いをやり遂げたのだ…

 

 「水蓮」

 

 鬼鮫が闇に声を発した。

 「大丈夫…」

 そう返したがその声は今までになくか細く、体の震えが止まらない。

 

 「大丈夫」

 そう。大丈夫なのは分かっている。

 無事にイタチがやり遂げることを知っている。

 それでも…

 

 あまりにも辛い…

 

 「水蓮」

 

 顔を上げない水蓮に、鬼鮫が再び声をかけた。

 「なに…」

 

 視線を上げぬまま答えた水蓮に、鬼鮫は静かな声で言う。

 

 「泣いても何も変わらない」

 ポタ…と、夜の中に涙が落ちた。

 「わかってる」

 ギュッとイタチの衣を握りしめた手が震える。

 「わかってる」

 「分かっているなら泣くな」

 今までにない厳しい口調だった。

 水蓮は少し荒い動きで涙を拭い顔を上げた。

 鬼鮫は強い眼光でしばし水蓮を見つめ、落ち着いたのを見計らって背を向けた。

 「どこか使っていない小屋を探しましょう」

 「うん」

 うなづきふと思い当たる。

 「ある」

 鬼鮫が顔だけで振り返る。

 「なにが?」

 「身を置ける場所がある」

 

 

 

 夜が静かに更けてゆく。

 日中景色に色を添える鳥のさえずりもはばたきも、騒がしい蝉の声も存在をひそめ、静寂が広がっていた。

 その静けさの中に、しとしと…と、少しずつ音が聞こえだす。

 「雨…」

 「そのようですね」

 小さな灯りをともしたのみの薄暗い空間で、水蓮と鬼鮫は上を仰ぎ見た。

 そこにあるのはコンクリート製の無機質な天井…

 「ここに来て正解でしたね」

 「うん」

 うなづきを返したものの、水蓮は不安を表す。

 「でも、本当に大丈夫かな…。ここで」

 見回すその光景は見覚えのある物。

 そして脳裏には見覚えある顔が浮かんでいた。

 

 サスケの顔が…

 

 

 今いる場所は森の中の地下に造られた空間。

 以前サスケと共に過ごした大蛇丸のアジトであった。

 「大丈夫でしょう」

 鉢合わせの危険を懸念した水蓮に鬼鮫は小さく笑みを向けた。

 「うちはサスケはおそらく今イタチさんのアジトを探し回っているはずだ。それに今や消えた大蛇丸の事を気にする理由も必要性もない。彼がここに立ち寄る確率は極めて低い」

 加えて過去に目的を持ってこの場所を訪れ、それを果たしているならなおのことだと鬼鮫は付け足した。

 「そうだよね」

 自分もそう思いここを選んだ。

 それを改めて鬼鮫が口にした事で、水蓮は安堵した。

 「それより、どうですか?彼は」

 過去にサスケが眠っていた場所で眠るイタチ。

 その表情が時折痛みに揺れていた。

 「よくない…ね」

 力ない声で水蓮はそう答えて額あてを外し、濡らした手ぬぐいを載せた。

 「そうですか」

 「でも」

 今度は力のある声だった。

 「でも大丈夫」

 グッと体に力を入れてチャクラを練り上げる。

 溢れたオレンジ色の光の中で、水蓮はイタチの手を握りしめた。

 「大丈夫」

 

 もうイタチに施せる治療はそう多くない。

 炎症を抑えても、すぐにまた炎症が起こる。

 下手に抑えようとすればその繰り返しに苦痛が生じ、体力を削る。

 できることは痛みの緩和と、症状を遅らせるために免疫細胞の働きを助ける事。

 そのためには痛み止めで痛覚を意図的に鈍らせ、チャクラを流し込んで体内温度を加減良く保つ。

 

 そうしてその時々に応じて調整する。

 それが今できる最善だった。

 

 「大丈夫。イタチはちゃんと戦えるから」

 

 鬼鮫に言ったのか、イタチに言ったのか。それとも自分への確認なのか。

 水蓮はそう言ってさらにチャクラを練り上げた。

 しかし、結界を張ってはいるものの強い九尾のチャクラ。

 サスケやナルト。もしくはカカシに気づかれる危険性がある。

 抑えざるを得ない。

 もどかしさが水蓮を襲った。

 

 ぽん…と、不意に水蓮の頭に大きな手が置かれた。

 「彼はそういう人ですからね」

 以前にも聞いたことのある鬼鮫のその言葉。

 水蓮は黙ってうなづきを返した。

 少しの沈黙が落ち、鬼鮫が身をひるがえした。

 「私は先に行って様子を伺ってきます」

 目指していたのは、かつて使われていた【うちはのアジト】の近くにあるイタチのアジト。

一旦そこで態勢を整えようというのがイタチの考えだった。

 見つかりにくい場所にあるとはいえ、サスケや木の葉が見つけて待ち伏せしていては厄介。

 いずれ相まみえるとはいえ、今のイタチの状態では避けたい。

 鬼鮫はそれゆえ先に行って確かめておくと言っているのだ。

 「大丈夫だと思いますが…」

 「わかってる。感知は怠らない」

 きびとしたその口調に鬼鮫は満足げにうなづく。

 「48時間以内に合流できなければここへ戻る。もし行き先が変わるようなら」

 「合図を残す」

 鬼鮫は再びうなづき、さっと姿を消した。

 「すっかり板についてきたな」

 鬼鮫の姿が消えてすぐ、イタチが小さく笑った。

 「起きてたの?」

 イタチは「ああ。今な…」と答えてゆっくりと体を起こした。

 背に手を添えて支え、水蓮はイタチに水を渡した。

 一口含んで息をつき、イタチはあたりを見回す。

 「ここは…」

 「大蛇丸のアジト。前にサスケと一緒に」

 言葉半ばにイタチは「あの時の」と思い当たる。

 「そうか」

 つぶやくその顔色は白く、熱のせいか頬だけが薄赤く染まっている。

 水蓮はそっと手を取りチャクラを流し込んだ。

 熱が下げられるわけではない。

 それでも体力だけでもと、回復の力を注ぐ。

 が、イタチがその手を外して小さく笑んだ。

 「いい。チャクラを残しておいてくれ」

 気になる言い回しだった。

 「何をするつもりなの?」

 策を含ませた言葉に水蓮は思わず問う。

 イタチはじっと水蓮を見つめて口を開いた。

 「うずまきナルトに接触したい」

 「え?」

 

 ドクン…と鼓動が大きく波打った。

 

 

 そうか。ここでナルトに…。

 

 思い出されたのは、サスケとの戦いの前にイタチがナルトに接触していた場面。

 それは水蓮が待っていた機でもあった。

 

 なかなかその場面に触れられず、知らぬ間に過ぎていたのだろうかとも思っていた。

 だがそれが今なのだと知り、水蓮は安堵した。

 「会ってどうするの?」

 自分の知る記憶の中でもその内容は明確にはなっていないため、水蓮はイタチに尋ねた。

 「これだ…」

 イタチは静かに集中して瞳の模様を変えた。

 チャクラが蠢き、すっと掲げたイタチの手に一羽のカラスが姿を現す。

 その目を見て水蓮が息を飲んだ。

 イタチとは少し違う赤に映える黒い手裏剣のような模様。

 「この目…」

 「シスイの瞳だ」

 言葉に合わせてカラスがすうぅ…ッと消える。

 「この瞳をナルトに託す」

 「ナルトに?」

 イタチはゆっくりとうなづいた。

 「この瞳には強力な幻術が宿っている。以前お前にも話しただろう?」

 うちはのクーデターを止めるために使われるはずであった幻術。

 【別天神】(ことあまつかみ)

 水蓮はうなづきで答える。

 「この術を、シスイの瞳をどう使うべきか、オレはずっと悩んできた。どうすればあいつの想いに報いることができるのかと。だが、やっとわかった。自来也様の言葉で答えを見つけた」

 

 『里を頼む』

 

 イタチに残された言葉が優しい声と共に脳裏によみがえる。

 

 「里のために、ナルトに託す」

 

 穏やかな笑みが浮かんでいた。

 そこから里を想う気持ちがあふれ伝わってくる…。

 

 

 この人は、どこまでも、どこまでも里のために。

 

 

 つ…と、涙が零れ落ちた。

 水蓮の瞳から。そしてイタチの瞳から。

 

 

 「オレが里のためにできる最後の事だ」

 

 「…………」

 

 何を言えばいいのか分からなかった。

 だけど何をすればいいのかは分かる。

 水蓮は静かにうなづいてイタチの涙を拭った。

 

 「任せて」

 

 強い瞳でそう伝えた。



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第百二二章【言わずとも。聞かずとも】

 「おそらく夜は動かないだろう」

 イタチは静かにそう言った。

 「オレや鬼鮫との戦闘も視野に入れて、隊は1小隊ではないはずだ」

 チームワークの良いスリーマンセルが2チーム。

 それぞれにつく上忍が二人。

 多少編成の違いがあっても、最低でも8人だと。

 

 頭の中でメンバーを思い出してその数がぴたりとはまることに水蓮は驚きながらもうなづいた。

 

 「その人数だと闇の中で攻撃を受けたとき全員の位置を把握しずらい。動くのはおそらく夜明け前だ」

 それに合わせてこちらも動くと、イタチはそう言って深い息を吐き出した。

 まだ下がらぬ熱が、負担を与えているようであった。

 「ナルトは多重影分身の術を使える。おそらくそれでオレとサスケを探すだろう。だがナルトにあれを託すには、本体に接触する必要がある」

 イタチは「できるな?」と、熱に揺れる瞳でまっすぐに水蓮を見つめて言った。

 「大丈夫」

 その力は十分につけた。

 それはもとよりこの時の為にと身に着けた力。

 

 サスケとの終焉間近、イタチがナルトと接触していた事を水蓮は覚えていた。

 タイミングから見てかなり重要な内容。

 それならばイタチは影分身よりも本体に接触しようとするはず…。

 そう考えて、そのために力になりたいと水蓮はその力を磨いてきたのだ。

 少しでもイタチの負担を減らせるように。

 

 それがようやく発揮できることに、緊張と士気が混じりながら高まって行く。

 「本体を見つけたら足止めして、この巻物を開け」

 手渡された巻物には複雑なチャクラの流れを感じる。

 「これは?」

 「開くと同時にオレがそこへ飛べる仕組みになっている」

 「わかった」

 うなづき、中忍試験の様子が思い出された。

 2次試験に合格したナルトたちの巻物からイルカが現れた光景。

 あれと同じ仕組みなのだろう。

 

 イタチにしては回りくどいやり方だと思った。

 行動を共にし、ナルトに接触すればいい。

 だがそれができないのだ。

 必要最低限の動きしか、もう…。

 

 水蓮は巻物をぎゅっと握りしめて強くうなづいた。

 

 「私に任せて。イタチはもう横になって休んで。何か動きがあったら起こすから」

 イタチは素直にそれに従い目を閉じた。

 すぐに寝息が聞こえてきた。

 少し苦しそうな呼吸。

 和らぐようにと、水蓮はゆっくりとしたしぐさでイタチの髪を撫でた。

 ふと、枕元に置いたイタチの額あてが目に入る。

 

 里のために…

 

 イタチはその想いでずっと戦ってきた。

 里を守り、変えてゆくことが平和につながると。

 

 「里…」

 

 それはいったい何なのだろうか。

 生まれた場所。過ごした場所。生きた場所。守るべき場所。

 

 水蓮は自身が生まれ育った世界を、町を思い出す。

 自分にとってのその場所は、確かに大切な物で思い出もたくさんある。

 その場所がこの世界のように争い耐えない環境であったなら、自分はどうするだろうか。

 イタチと同じように生きることができるだろうか。

 そこにどんな信念を持って、誰のために戦うだろうか。

 その町を救うために、守るために、家族や友達を殺せるだろうか。

 

 

 できない…

 

 

 平和と呼べる世界に生まれ育った自分には、きっとできないだろう…

 

 

 その上たった一人残った身内に恨まれ、憎まれ、殺される。

 そんな事に耐えられるはずもない。

 

 

 だけど、もしそれがイタチの為だったら…

 

 イタチが生きるために、幸せになるためになら…

 

 イタチのした全てを同じようにはできなくとも、そのためならイタチに恨まれても憎まれても構わないと、そう思える。

 

 この世のすべての闇を引き受けても、この人が生きていてくれるのなら耐えられる。

 そのために自分が死ぬことなどたやすいことだと、そう思える。

 

 守りたいと、そう思える。

 

 イタチもきっとそうなのだ。

 だからそうしたのだ。

 

 自分がイタチを想う気持ちと同じ…。いやそれ以上の気持ちでサスケを愛しているからできたのだ。

 

 

 どんなに苦しくても、その身が、心がぼろぼろになっても、それでも愛する者のために生きて、死ぬ。

 

 きっとイタチの中でそれが自分の人生の完成なのだろう。

 それを目前にして、恐れよりも安堵を感じているかもしれない。

 

 ようやく…と。

 

 

 イタチにとって、最期のあの瞬間が最も幸せな瞬間なのだろう。

 

 『これで最後だ』と伝えたときの笑顔。

 それこそがその証拠。

 あの笑顔にそれを感じたからこそ水蓮は支えようと決めたのだ。

 イタチの幸せのためにと。

 

 「でも…」

 

 眠るイタチの衣をぎゅっと握りしめ、顔をうずめる。

 

 こんなにもそばでこぼれた言葉に、イタチは少しも気づかない。

 

 静かな空間にイタチの苦しげな呼吸が響く。

 

 「イタチ…」

 

 名を呼ぶ声にも、気づかない。

 

 状況も、イタチの命ももう最期へと向かって動き出している。

 

 

 そのためにここまで来たのだと、どんなに自分に言い聞かせても…

 

 それがイタチの望む幸せなのだと、どんなにそう繰り返しても…

 

 幾重に覚悟を重ねても…

 

 

 

 …やだよ…

 

 

 

 その言葉を必死の想いで飲み込んだ。

 

 「…っ…」

 

 それが零れ落ちないように手で口元を抑え込む。

 あふれ出る涙。手の震え。こらえきれない嗚咽…

 

 

 だがやはりそのどれにも、イタチは気づかず眠り続けた…

 

 

 

 翌朝。

 日が昇る少し前から水蓮は地下から出て、広い範囲に感知をめぐらせナルトの気配を探っていた。

 しかし昼を前にしても感知できず、それを聞いたイタチはしばし考え込んで八雲を口寄せした。

 現れた八雲はいつもイタチが使うカラスよりもずいぶん小さく、遠目に見れば色の良いインコのようであった。

 「これでもやはり目立つか…」

 小さいものの派手な色合い。

 使うには目立ちそうだと思案したイタチの様子に、八雲は小さく鳴いた。

 その声と共に八雲の体の色が変わりだし、ふるり…と体を振ったのを終わりに、薄い緑色の鳥へと姿を移した。

 「便利だな。お前」

 イタチが小さく笑いながら八雲を撫でると、八雲は嬉しそうにその指に体を摺り寄せた。

 「八雲、鳥やほかの動物から情報を収集してきてくれ」

 八雲はイタチの命を聞き、すぐに外へと向かって羽ばたいて行った。

 「この辺りはカラスが少ないからな…。もし隊にカカシさんがいたら感づかれるかもしれない。あいつがいてよかった」

 イタチは八雲の飛び去ったほうを見つめて少し深い息をついた。

 

 熱はまだ下がらない…

 

 

 体調が不安なうえに、早くしなければ鬼鮫が戻ってきてしまう。

 

 早く見つけないと…

 

 水蓮の胸中には焦りが渦巻いていた。

 「焦るな」

 イタチの手が水蓮の髪を撫でた。

 「焦らなくていい。もしこれが成すべき事なら、必ず成せる」

 イタチは「そうだろ?」と柔らかく笑った。

 水蓮はただ黙ってうなづいた。

 

 地下に戻るとイタチはまたすぐに眠った。

 ほんの少しでもと体力を温存しようとする今までにない行動。

 それは水蓮に言いしれぬ恐怖を与えた。

 「大丈夫…」

 何に対してなのか。自分に必死にそう言い聞かせる。

 「大丈夫」

 繰り返しつぶやきながらイタチの額に濡らしたタオルを乗せる。

 

 

 その手は昨夜からずっと震えが止まらぬままであった…

 

 

 この日、結局ナルトの気配を感知することはできず、夕方になって戻った八雲から受け取った情報によると、木の葉の隊はまだ少し離れた場所にいるようであった。

 隊の編成はやはり原作の通りで、八雲の見た物をそのまま受け取ったイタチはその動きを分析するためにしばらく考え込んだ。

 割り出された予測は、明日の午前中には近くに来るだろうという物だった。

 「まぁそれでも、こちらに向かって真っすぐにくれば、だがな」

 苦い笑いを浮かべたイタチの言葉に水蓮は考え込む。

 

 原作でナルトとイタチが無事に接触できているものの、間違いなくそうなるかどうかはやはり不安がある。

 確実に、最短距離でナルトをここまで導くことができれば…

 

 そこまで考えて水蓮はハッとする。

 「そうか…忍犬」

 つぶやかれた言葉に今度はイタチがハッとする。

 「そうか」

 顔を合わせてうなづき合う。

 それに隊にはキバがいたはずだ。

 それをうまく利用すれば…

 

 水蓮はクナイを取り出し、イタチが寝ていたソファの生地を切り取った。

 このソファは以前サスケが寝ていたもの…。

 これに残るサスケの匂いを感じ取ってくれれば、ナルトたちの動きを誘導できるかもしれない…。

 

 水蓮は切り取った生地を八雲の足にくくりつけた。

 「八雲、木の葉の隊を、ナルトをこっちの方角に導いて。影分身でも構わないから」

 もしも八雲が導いたナルトが影分身なら、イタチかサスケの名を出してうまく本体を誘い出せばいい。

 同じように考えたのか、イタチも八雲にうなづきを見せる。

 その姿を目に留めて、八雲は小さく鳴いて外へと向かって羽ばたいた。

 

 見送るイタチの瞳には、少しの不安も見えなかった。

 まるでこの先を知っているかのように、落ち着いた空気を身にまとっている。

 

 

 聞かないの?

 

 

 口にしかけてその言葉を飲み込んだ。

 

 この先を知っているのかどうか…

 

 イタチは何も聞かない。

 今までもそうであった。

 

 それは、自分自身を信じているから…

 

 何があってもやり遂げてみせると、深く心に誓っているから…

 

 

 そう。

 イタチならきっと何も聞かずとも、何も知らずとも必ず…

 

 

 水蓮はただ静かにイタチを見つめた。

 その視線に気づき、イタチも水蓮を見つめ返し…

 

 

 聞かないのか?

 

 

 その言葉を同じように飲み込んだ。

 

 この先を知りたくないのかと、そう聞かないのかと、心で問いかける。

 

 

 

 水蓮はおそらく自分が考える以上の事を知っているのだろう…

 おそらく今回の木の葉の隊の編成も。

 その態度からイタチは間違いなくナルトがいることを知り、自分の策が間違えていないと確信することができたのだ。

 

 だが水蓮は決して言葉にはしない。

 今も、そして今までも…

 

 

 それは自分の事を信じてくれているから…

 

 

 合わせた視線がそれを伝えてくる。

 

 あなたならできると。

 

 

 知らず手をつなぎ合わせていた。

 

 

 …信じているから…

 

 

 何も言わない…

 

 何も聞かない…

 

 

 ただ前に進もう…

 

 

 一緒に

 

 

 

 止まらぬままであった水蓮の手の震えが、静かな波の引きのように消えて行った。



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第百二三章【信じて】

 翌朝。日が少し上った頃合を見て水蓮は行動を起こした。

 影分身を3体作り、それぞれを別の方角へと散らす。

 同時に心の中で数を数え、打ち合わせただけの数を読み、静かに立ち上がった。

 

 スッ…と、口元で指先を合わせて集中を高め、散らばった影分身と同じタイミングで感知の力を張り巡らせる。

 

 より広範囲で感知できるようにと考えた手法であった。

 

 一連の流れをイタチはただ静かに見守り、時を待った…

 

 

 それからほどなくして、水蓮の体がピクリと揺れた。

 「来た!」

 八雲がうまく導いたのか、木の葉の隊であろう気配とナルトのチャクラを感じ取る。

 まだ距離は離れている。だが…

 「すごい数…」

 すさまじい数の同質のチャクラ。

 「それに早い」

 それぞれが驚異的なスピードであちらこちらへと駆けている。

 ナルトのサスケへの執心が感じられ、水蓮は小さく身震いした。

 「見つけられるか?」

 イタチの問いかけに、水蓮は再び意識を集中する。

 数十秒感知し首を横に振る。

 「今のところここから感知できる中に本体はいない。もうしばらく様子を…」

 言葉半ばに水蓮の体が再び揺れる。

 「いた!東!」

 その方角で感知をめぐらせていた影分身が姿を消し、ナルトの本体を捉えた情報を伝え来た。

 「行ってくる」

 見つけたとは言えすさまじいスピード。

 急がなければ見失う。

 水蓮はさっと踵を返した。

 「待て」

 身をひるがえした水蓮の腕をイタチが掴んで止めた。

 「え?」と小さく声をこぼした時には、すでに水蓮はイタチに抱きすくめられていた。

 「イタチ…」

 「………」

 イタチは無言のままグッと腕に力を入れた。

 「大丈夫」

 静かな声でそう言って水蓮がイタチの背を撫でる。

 「心配しないで。大丈夫だから」

 「ああ」

 うなづきと共に力の抜けたイタチの体を水蓮がそっと押し離す。

 「行ってくる」

 もう一度そう伝えて笑みを見せ、水蓮は背を向けた。

 他の方角にいた影分身を一気に解き、新たに一体作り出す。

 それをイタチのそばに置き、地を蹴り駆けだした。

 

 ナルトの本体を見つけた影分身からの情報によれば、八雲がうまく接近でき後を追っているようであった。

 水蓮は必死のスピードでそちらに向かう。

 ナルトもどうにかこちらに向かって走ってくれば良いが、今森の中には香燐と重吾が放った鳥が、サスケの服の切れ端を身にまとってあちらこちらを飛んでいるはずだ。

 八雲はその中の一羽にすぎない。

 原作ではナルトは手あたりしだいサスケを探して森の中を駆けていたようではあったが、勘の鋭いナルトの事だ…。

 おそらく本能でサスケの気配を捉えているはず。

 その気配があちらこちらに散らばっている今、ナルトの向かう先は読めない。

 その上ナルトの影分身の数はすさまじい。そのすべてが変わらぬ速さでいたるところを駆けている。

 せわしなく動くそのチャクラに、水蓮の感知が乱される。

 まるでいくつもの音が、求める一つの音を隠すように…。

 早く本体と接触しなければその混乱に飲み込まれてしまいそうであった。

 

 しばらく駆けて、水蓮は先に八雲の気配を感じ取った。

 その少し前方にナルトの本体の気配。

 このまま行けば走るナルトの左手から接触できる位置。

 

 …よし…

 

 口元に小さく安堵の笑みが浮かぶと同時に緊張が走る。

 

 失敗はできない…。

 

 原作通りに事が運ぶなか、少しでもイタチの負担を減らしたいと今まで動いてきた。

 サスケとの戦いを、イタチにとっての【万全】の状態で向かえられるように。

 その為には、ここでの成功は必須。

 しくじってイタチに余計な手間を取らせるわけにはいかない。

 何がなんでもと、グッと手を握りしめたその時。

 ナルトがふいに進む方向を変えた。

 スピードをそのままに右へと大きく進路をとる。

 その進行方向は水蓮と同じ。

 「え?うそ…。ちょっと待って…」

 今度はナルトの後を追う位置。

 水蓮の中に焦りが広がる。

 

 ナルトのスピードは速い。

 

 「追いつけない!」

 

 あまりの速さに水蓮は唖然とする。

 こちらのスピードを必死にあげているのに距離が離れてゆく。

 木の葉の隊ともすでに大きく離れているが、それをいとわぬ様子。

 「待って!」

 思わず声を上げるがとても届く距離ではない。

 

 このままじゃ見失う…

 

 水蓮は思考をめぐらせて急ぎ印を組んだ。

 ボンッと音を立てて影分身が現れ、水蓮の背後から風を起こす。

 それを追い風にスピードを上げ、影分身を消す。

 そして風が絶える寸前に再び影分身を作り出し同じように追い風を作り出す。

 幾度繰り返しただろうか。ほんの少しずつではあったが水蓮となるとの距離が詰まり始めた。

 その近づきに、水蓮は体の奥深くから声を張り上げた。

 

 「ナルト!」

 

 森の中に必死の声が飛んだ。

 

 突き刺さるようなその声。

 

 それはひた走るナルトに…

 

 「届いた!」

 

 いくらか先でナルトが立ち止まった気配をとらえ、急ぎそこへと駆ける。

 

 たどり着いたのはほんの少し開けた場所。

 空からの光を浴び、ナルトは不思議そうな顔であたりを見回していた。

 それでも何かを見つけることができず、再び地を蹴ろうと動きを見せる。

 

 「待って!」

 

 上がりきった息を必死に整え、水蓮はナルトを呼び止めた。

 

 驚いた様子で振り向いたナルトは、木の陰から顔を出した水蓮を見てさらに動揺を見せた。

 「あれ…?どっかで…」

 記憶を手繰りハッとする。

 「あ!祭りの時の…。水蓮のねぇちゃん!なんでここに…」

 そこまで言って水蓮の纏う赤雲揺れる衣を目に捉えて再びハッと息を飲む。

 「その服…」

 イタチと同じ服だと、目が見開く。

 「なんでねぇちゃんがその服着てるんだってばよ」

 「ナルト…」

 ゆっくりと一歩近づく。

 ナルトは同じ速度で一歩後ろに下がった。

 

 互いに動きを止め無言で見つめ合う。

 

 沈黙を破ったのはナルトであった。

 「ねぇちゃん…。オレ今ちょっと大事な用で忙しいんだ」

 表情が不器用な作り笑いを見せる。

 「もし…。もしねぇちゃんがオレの敵じゃないなら…」

 紡ぎだす言葉はナルトらしからず、異常なまでにゆっくりとした慎重な口ぶり。

 「オレと戦う気がないなら、ここから今すぐ立ち去ってくれ」

 青くきれいな瞳が探るように揺れる。

 

 イタチと同じ衣をまとっている限り無関係ではない。

 それでも、以前会って話した水蓮の人間性を思い出し、ナルトは敵対したくないと感じていた。

 それに、サスケを追う今。ここで戦闘になって時間を取られることは避けたい。

 「頼む…」

 「ナルト…」

 それでもなお水蓮は無言のままにもう一歩足を進めた。

 「少しだけ時間を頂戴」

 「ダメだってばよ」

 一歩下がるナルト。

 このままここにいてはカカシ達が合流してくる可能性もある。

 「ダメだ」

 水蓮が何者なのかわからない。それでも戦いたくはない…。

 その感情がナルトの中に湧き上がる。

 「ねぇちゃんが行かないならオレが行く」

 さっと背を向けるナルト。

 水蓮は慌ててその動きを止めた。

 「待って!お願い!」

 懇願の様子にナルトは戸惑いながらも振り返る。

 その視線の先にいた水蓮は手に巻物を持っていた。

 「…っ!」

 反射的に構えるナルト。

 水蓮は静かに巻物を解きながらナルトを見つめた。

 「ナルト。お願い」

 

 脳裏に思い浮かぶ…

 

 

 『里のためにナルトに託す』

 

 

 イタチの穏やかな笑みが…

 

 「信じて」

 

 

 『オレが里のためにできる最後の事だ』

 

 

 流れ落ちたイタチの涙が…

 

 

 「私たちを信じて」

 

 

 今は何も語れない。

 だけれども、もしもいつかこの世界の歴史がイタチの真実にたどり着いたら…。

 その時はどうか信じてほしい。

 イタチの想いを…

 平和のために生きたイタチの生き様を…

 

 

 「お願い…」

 

 ふわり…と開かれた巻物。

 

 

 淡い光をまといイタチが現れ、驚きに見開かれたナルトの瞳が一瞬曇り…静かな風がその場を包み込んだ。

 

 まるでイタチの心の様な穏やかな風の中、二人のうちはの者が守ってきた大切な物が、この世界の中心に立つ者に託された…



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第百二四章【暴走】

 ナルトにシスイの眼を託し終え、イタチと水蓮はひとまず大蛇丸のアジトであった地下へと戻った。

 完全に身を中へと入れて、無事に済んだことに水蓮は安堵の息をこぼす。

 だがそのため息の途中に、背後でガタリと物音がした。

 ドキリとして振り向けば、そこには床にうずくまるイタチの姿があった。

 「イタチ!」

 駆け寄り肩に手を添える。

 厚みのある暁の外套の上からでもかなりの熱を感じた。

 

 ナルトへの受け渡しは幻術を通じて行われた。それがどういった仕組みかは分からないが、強い力を帯びた瞳を託す流れには、やはりそれ相応のチャクラ消費と負担があったのだろう。

 ましてもともと熱のあった状態。

 心配はしていたが、水蓮の想定していた物よりもイタチを襲う物は大きく、また今までとは違う様に見えた。

 

 イタチはギュッと自身の両手で押さえ込むようにして身を縮めていた。

 痛みに体が小刻みに震え、時折びくりと大きく揺れる。

 「痛み止めを」

 気休めだとしてもとにかく薬をと、水蓮はカバンに手をかける。

 「無駄だ…」

 絞り出したような声でイタチがそう言った。

 「で、でも…」

 「ちがう…これは…」

 何かを言いかけたイタチの体が大きく跳ねるようにビクつき、その口から今までにない大きな叫びが放たれた。

 「イタチ!」

 ドサリと床に倒れ込んだ体に水蓮が手を伸ばす。

 しかし、体に触れようとしたその手が寸前で止まった。

 「なに?」

 イタチの体の周りに光が見えた。

 それは細い糸のように形を変え、次第にバチバチッと音をたたせ始める。

 「これ…チャクラ?」

 感知の力が良く知るそれだと伝え来る。

 そのチャクラはどんどん音を大きくしながら量を増やし、次第に地下の空間を照らしはじめる。

 同時に痛みも強くなっているのかイタチがくぐもった呻きを漏らす。

 

 どうすれば…

 

 触れることもできず水蓮はただ戸惑った。

 

 見たことも聞いたこともない症状。

 何をどうすればいいのかわからない。

 

 「チャクラが…」

 痛みに耐えながらイタチが言葉を絞り出した。

 「暴走している。抑えられない…」

 

 かすれた声でそう伝えると、再び大きく体を揺らして声を上げた。

 「うあぁっ!」

 叫びと共にイタチの体にまとわりついていたチャクラが赤く発行して膨れ上がった。

 

 ドウンッ!

 

 破裂音が響き、風が吹き荒れ狭い空間の中を暴れまわる。

 その勢いに水蓮の体がはじかれ、壁に叩きつけられた。

 「…っ!」

 突然の事に防御が取れず、まともに背を打ち付けて一瞬息が止まる。

 だがそれは衝撃によるものだけではなかった。

 イタチの発するチャクラが、熱い…

 もとより火の属性だからなのか、空間の中で暴れまわるチャクラはまさしく灼熱。

 

 肌が…器官が…焼ける…

 

 水蓮はとっさに外套で身をくるんで守った。

 同じようにイタチを守ろうとするが、吹き荒れるチャクラの圧で近寄れない。

 身を包む外套の隙間から見えるイタチは、必死にチャクラを抑えようとしているようだった。

 それでもやはりコントロールが効かないのか、暴れはおさまらない。

 苦しみ喘ぐイタチの姿に水蓮の体が震えた。

 だが、しっかりしろ!と、グッと手を握りしめて自信を叱咤する。

 

 チャクラは生命力と繋がっている。

 このまま暴走をつづけたら命に関わる。

 

 何とかしてイタチの体の中にとどめなければ…

 

 必死に冷静を引き寄せて水蓮は思考をめぐらせる。

 

 ふと、荒れ狂っていたチャクラが少しおさまりを見せた。

 それを機ととらえ、水蓮は意を決して外套から身をだす。

 「つぅ…」

 やや収まったとはいえやはりかなりの熱。

 その中を、水蓮は半ば這いずるようにイタチに近寄った。

 「離れろ…」

 イタチが苦しげに言う。

 水蓮は「大丈夫」と乾ききった喉でそう答えた。

 カバンから札を一枚取出してチャクラを流し、イタチの体に向かってゆっくりと手を伸ばす。

 「よせ…」

 イタチが制止をかける。

 だが水蓮はグッと体に力を入れて動きを続けた。

 九尾のチャクラで手を覆い守る。

 だが…

 

 バヂッ…

 

 ジュッ…

 

 イタチのチャクラの熱がその守りをすり抜けて水蓮の肌に嫌な音を立てた。

 「う…っ」

 激しい痛みが襲い水蓮の顔が歪む。

 それでもその手を引かず、水蓮はイタチの腹部に札を張り付けた。

 術者でなければ外せない特殊なその札は、暴れ狂うチャクラに押されてもびくともしない。

 それを確認して水蓮は手を離し、すぐさま印を組んだ。

 

 

 シュゥッ…

 

 

 鋭い風が吹いたような音が鳴り、空間の中を暴れまわっていたチャクラが札の中に吸い込まれてゆく。

 その刺激にイタチの顔がさらに苦痛に揺れた。

 苦しそうなイタチの姿に一瞬戸惑う。

 だがとにかく暴れるイタチのチャクラを抑え込まなければならない。

 未だ部屋の中で荒れ狂うそれを、水蓮は術でイタチの体へと導く。

 

 本来は札を張り付けた容器や石などに、対象の物を封印する術。

 だがそれを応用して、イタチの体を器とし、あふれ出たチャクラをその中にとどめ抑えるように加減した物。

 

 うまくいくかどうかは分からなかったが、どうやら成功したようであった。

 徐々に吹き荒れていたチャクラがイタチの体へと戻り、ほどなくして部屋の中が静かになった。

 札の効果か、今のところチャクラがあふれ出てくる様子はない。

 それでも油断ならない様子を感じ、水蓮は部屋の中央に布を敷き、イタチの腕を取った。

 その腕は火傷のようにところどころが赤くなっていた。

 顔や首、目に見えるカ所のあちこちにそれが見て取れる。

 「イタチ、動ける?」

 かろうじて意識を保っていたイタチは、水蓮の肩に寄りかかりながら何とか立ち上がり、敷かれた布の上に身を横たえた。

 「…う…」

 床に体が触れるだけで痛むのか、イタチが顔をしかめる。

 「どこが一番痛む?」

 声をかけながら焼けた皮膚を治癒する。

 イタチはうっすらと少しだけ目を開き消え入りそうな声で答えた。

 「さぁな…。どこもかしこも痛くて、よくわからない…」

 こんな状況だというのにイタチは小さく笑った。

 呆れたような、自嘲するような、自棄になったような笑い。

 だがその笑みが一瞬で消えた。

 「う…っ」

 くぐもった声で呻き胸元をつかむ。

 その手の下に握りこまれた札からバチバチと音が鳴り始めた。

 「また…」

 抑えたチャクラが暴れだそうとしている。

 水蓮は慌ててカバンからクナイを4つ取出し、それぞれに札をまきつけてイタチを囲むように床の4方に突き刺した。

 印を組みタンっと地面に手をつく。

 スッとクナイから藤色の光の柱が立ち、イタチを包み込むように壁を作り出した。

 数秒で術が完成し、イタチは長方形の光の箱の中で横たわっている状態となった。

 結界でチャクラの暴走範囲を抑えて自分自身を守れれば、集中してイタチに施せると思ってのことであった。

 その結界が完成すると同時にチャクラがまたイタチの体から音を立てて暴れはじめた。

 印を組み再びチャクラを抑え込む。

 イタチのチャクラの強さに対抗するために九尾のチャクラをも練り込む。

 それでも圧力が結界をすり抜けて水蓮の体を押す。

 「…強い…」

 攻撃の意思を持ったイタチのチャクラを身に受けるのは初めて…。

 そのあまりの強さに額に汗が浮かんだ。

 これほどまでに強大なチャクラをその身に収めていたのかと、今更ながらにイタチの、血継限界の力を思い知らされたような気持ちになった。

 それに加えて今イタチの中には十拳剣と八咫の鏡という神力が二つも備わっている。

 それも大きく関係しているのだろうと水蓮はそう考えた。

 大きな力を得るには、やはりそれ相応のリスクがあるのだと…。

 「………っ」

 水蓮は気を抜けば飛ばされそうな圧力に、グッと体に力を入れて耐える。

 イタチは固く目を閉じて体を縮め、必死に痛みに耐え声を堪えている。

 目の端には涙がにじんでいた。

 

 なぜ…

 

 水蓮の目にも涙が浮かんだ。

 

 もうすぐそこまでイタチの最期は迫っているのに、それを目前になぜこれほどまでに苦しまなければならないのか…。

 やるせなさと悔しさに胸が苦しくなった。

 

 ほどなくして、イタチのチャクラはまたおさまりを見せ、イタチはほんの一瞬だけ水蓮を瞳に映して意識を手放した。

 まだ熱があるのか、それとも自身のチャクラの熱のせいか頬が赤い。

 水蓮は一度結界を解き、その頬に手を当てた。

 意識はないもののその感触にイタチの表情が少し和らいだ。

 それでもやはり荒い呼吸に水蓮の呼吸も誘われていく。

 「……っ…」

 

 ポタ…

 

 イタチの頬に水蓮の涙が落ちた。

 その冷たさにイタチの瞼が小さく揺れ、うっすらと目を開いた。

 「水蓮…」

 力なさげにイタチの手が水蓮の頬に触れ涙を拭った。

 「泣くな…」

 言葉を返せずに水蓮はただ手を重ねて握りしめる。

 「笑ってくれ…」

 イタチはそう言ってまた眼を閉じた。

 

 熱のこもる顔で眠るイタチを見つめていると、今までの事が脳裏を廻った。

 

 イタチが耐えてきた全ての物…

 

 誰よりもそれを近くで見てきた。

 

 決して弱音を吐かぬイタチの姿…

 

 誰よりもそばで支えてきた。

 

 未来を信じて歩むその足取り…

 

 共に歩んできた。

 

 

 「もうやめて…」

 

 静けさの中に言葉が落ちた。

 

 

 「もう苦しめないで…」

 

 

 祈るようにイタチの手を両手で包み込んだ。




いつも当小説を読んでいただきありがとうございます。
活動報告でもお伝えいたしますが、ワタクシちょっと体調を崩しまして…
強いめまいが起こるメニエールというものにかかってしまいました(-_-;)
すぐに治る人、長引く人、すぐに再発する人…色々のようです。
今は薬で目眩はおさまっていますが、体調を整えるため、申し訳ありませんがしばらく執筆を休ませていただきたいと思います。
次の投稿は十月半ばをめどにと思っています。
ご迷惑おかけしてスミマセンが、何卒よろしくお願いいたします(>_<)
回復早ければ、それまでに投稿したいと思います。

お待たせしてしまいますが、今後ともよろしくお願いいたします…。


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第百二五章【愛しき人よ…】鬼鮫の誓い

 夜が更け、森の中には静けさが広がっていた。

 空は雲無く晴れ渡り、星が闇に映え月光が煌々と輝いている。

 その月の光が、あたりを警戒しながら駆ける鬼鮫の姿を照らし出した。

 

 目的地であるイタチのアジトは特に問題はなかった。

 近くに何者かの気配があるわけでもなく、罠が仕掛けられている様子もない。

 それらを確認し、後から来るであろう二人をしばらく待っていたが妙な胸騒ぎを感じた。

 自分の嫌な予感はよく当たる。

 考えた末鬼鮫は引き返すことを決め、夜の中を駆けていた。

 

 「何もなければいいですがね…」

 

 つぶやくと余計に嫌な空気が増した。

 

 イタチと水蓮が身を置いている場所に近づくと、いくつかの気配を捉えた。

 木の葉か、それともうちはサスケか。もしくはまったく関係のない輩か…

 いずれにせよ接触は避けたい。

 鬼鮫は少し迂回して二人のもとへと向かった。

 結界に隠された地下への入り口に近づくと、そこには水蓮の姿があった。

 が、水蓮は鬼鮫の姿をその目に捉え…

 

 ボン…

 

 と小さく音を立てて消えた。

 

 何かを告げることもなく消えた影分身の様子に、限界ギリギリの状態でとどまっていたのであろうと思う。

 すなわち、今チャクラが足りない状態。

 だが外に荒れた様子はなく、地下で何か争っているような気配もしない。

 

 チャクラを酷使せねばならないほどにイタチの体調が悪化したのだろうかと、その考えにたどり着く。

 鬼鮫は代わりに見張りの影分身を作り出して置き、辺りを警戒しつつ少し急いだ足取りで中へと入った。

 「………?」

 部屋の中がずいぶんと荒れた様子に顔をしかめる。

 まるで嵐にでも襲われたように物が散乱している。

 「一体何が…」

 つぶやきハッとする。

 荒れ果てた部屋の中央に横たわり眠るイタチ。そしてその身に寄りかかるようにして伏せている水蓮。

 「水蓮」

 肩に手を置き少し揺する。

 水蓮はすぐに目を覚まして勢いよく身を起こした。

 「鬼鮫!」

 まったく気配を感じていなかったのか、驚きに目を見開く。そして鬼鮫の姿をしっかりととらえ…

 

 ぽた…

 

 大粒の涙が零れ落ちた。

 

 「なにがあったんです」

 肩に手を置いたまま鬼鮫が問う。

 だが水蓮は答えられぬままただ涙を流した。

 次第に涙が増え、大きく肩が揺れ、くぐもった声がこぼれた。

 「お、落ち着いて…」

 呼吸困難を起こすのではないかと思うほどの体の震え。

 今までにないその様子に、鬼鮫はなんとか呼吸を落ち着かせようと戸惑いながらも肩を撫でた。

 だがあまり効果がないように思われ、小さく息を吐き出した。

 

 こんな時どうすればいいのかを自分は知らない。

 

 どうしたものかと、ちらりと床に横たわったままのイタチを見る。

 

 彼ならどうするのだろうかと…

 

 「水蓮…」

 一、二度ためらった後、鬼鮫の大きな手が水蓮の髪を撫で、ゆっくりとその身を引き寄せた。

 ぽす…っと小さな音を立てて水蓮の額が鬼鮫の胸元に沈む。

 「……」

 しかしこの先どうしたものかと悩む。

 とりあえず背を軽くたたくと、水蓮が震えた手で鬼鮫の衣を握りしめた。

 「…う…」

 必死にこらえた声が水蓮の口から幾度もこぼれた。

 それでも次第に落ち着きを見せ始めた水蓮の様子に、この行為が間違いではないのだろうとただ背を撫で続けた。

 

 「それで、これは何事ですか」

 ようやく落ち着いた水蓮にそう問う。

 荒れた部屋。床に横たわるイタチ。心を乱し、疲れきった水蓮。

 ただ事ではない様子に鬼鮫は答えを待った。

 「それが…」

 「…う…」

 口を開いた水蓮の言葉に、イタチの呻きが重なった。

 ハッとして水蓮が印を組む。

 イタチの周りに配置されたクナイから光が上がり、結界が張り巡らされた。

 その完成に次いで別の印を組む水蓮の姿に鬼鮫は目を見張った。

 どちらも見たことのない術。

 その発動と共に水蓮の髪の色が赤く染まりだす。

 

 うずまき一族の…

 

 鬼鮫が見つめる先で水蓮が術をイタチに施す。

 その流れを追うようにイタチに目を向ける。

 顔をゆがませ、体を少し丸めて苦しそうに声をくぐもらせる姿は、今まで見てきたものと様子が違っていた。

 小刻みに震える体の表面を、電気がはじけるような音を立てて光の筋が走っている。

 どうやら水蓮の術がそれをイタチの体の中に押し戻しているようであった。

 「これは…」

 結界の中で走り回る光の筋。

 その正体を鬼鮫が読みとらえると同時に、すべてがイタチの体の中におさまり、苦しげな声も消えた。

 

 はぁ…と、深く大きな呼吸が水蓮の口からこぼれ、細い肩がガクリと落ちた。

 その肩を支えるとイタチを包み込んでいた結界が消え、水蓮の髪の色が黒く戻る。

 イタチに視線を戻すと、静かな寝息を立てていた。

 

 「チャクラの暴走…」

 

 ぽつりと鬼鮫がつぶやいた。

 「見たことあるの?」

 荒い息で体を揺らしながら問う水蓮に、鬼鮫は首を横に振った。

 「聞いたことはある。チャクラを体内でコントロールできない状態で起こると。血継限界などの強い力を持つ幼い子供にそう言ったことがあるようだ…」

 鬼鮫は天隠れの一件で見たイナホの晶遁もそれだろうと付け加えた。

 「あの時はうまく術として発動したが、自身のコントロール下でない以上暴走に等しい」

 ただ運が良かっただけだとそう言って鬼鮫は大きな手をイタチの額に当てた。

 ジワリと滲んだ汗の向こう。やはりまだ熱い。

 「体の弱まりが原因でしょう。ここ最近の微熱は前兆だったのかもしれない」

 「そうだね…」

 「もしくは…」

 途切れたその言葉に水蓮はどきりとした。

 同じことを考えていると思ったからだ。

 

 

 まるで最後の膿みが出ているようだ…と

 

 旅をする中で、どこかの書物で読んだことがあった。

 

 病に侵された者が死を目前にこれまでにない重く激しい症状を見せ、そのおさまりの後すべての不調がなりを潜め、驚くほど体が良くなることがあると。

 

 繰り返し術を施す中で何度も水蓮の脳裏をその事が駆け巡った。

 鬼鮫にしてみても、そういった話をこれまでに聞いたことがあった。

 

 良くない流れだ…

 

 眠るイタチを見つめ、鬼鮫は少し唇を固く結んだ。

 

 「だいぶおさまったのよ」

 力の入らない様子で、水蓮は鬼鮫に寄りかかった。

 「でしょうね」

 部屋の荒れ具合や水蓮の様子を見れば、今見た程度の物ではなかったのであろうことは容易に読み取れた。

 その回数も…

 「たぶん…もう…」

 大丈夫…。との最後の言葉は何とか聞き取れる程度の小さい声であった。

 水蓮は一つゆっくりとした息を吐き出し、鬼鮫に身を預けたまま眠りに落ちた。

 

 一体どれほどのチャクラを消費したのか。

 回復力の強い九尾のチャクラをコントロールし始めた水蓮がこれほどまでに疲労する術。

 かなり難度の高い術であろう。

 ましてうちはの血継限界のチャクラを抑え込むもの。

 ただならぬ力と技術が必要なはず。

 それをやってのけた水蓮に素直に感心する。

 だがそれと同時に疑問がわく。

 

 一体それをどこで身に着けたのかと言う疑問が…

 

 今回の事だけではない。

 共に行動する中で水蓮が見せた術。

 

 以前鬼鮫自身が水蓮から受けた解毒。

 アジトに張り巡らせる結界。

 デイダラの重傷を救った技術。

 イタチに施す治癒。

 そして今回のこの仕業。

 

 それらは決して誰にでもできる事ではない。

 まして忍術を習い始めて3年ほどの人間には到底できない物だ。

 水蓮は確かに頭もよくセンスもよい。

 だがそんな物だけではこの短い期間でここまではたどり着けない。

 医療忍術ともなればなおさらだと鬼鮫は眠る水蓮に視線を向ける。

 

 誰かにつきっきりで教えを乞うているわけではない。

 数年前に空区で習ったにしてはレベルが高すぎる。

 何より、ここ最近使う水蓮の術はうずまき一族の物が多い。

 「一体どうやって」

 まるで目に見えない誰かがそばにいて水蓮に教えているかのようだ…

 そんな非現実的な事を考えてしまう。

 

 一体何者なのか…

 

 そこまで考えて鬼鮫は、ふぅ…と一つ息をついた。

 その呼吸が水蓮の前髪をほんの少し揺らす。

 さらりと額を流れた髪の隙間から眠る水蓮が見えた。

 静かな寝息を立てるその表情は安心しきった顔。

 それを見ているうちに、先ほどまでの思考がまたよぎり、そして小さく笑う。

 

 なぜなのかはわからない。分からないが、そんなことはどうでもいいような気持ちになった。

 

 「今更ですね」

 

 ひとり呟いた。

 

 

 

 

 夜が進み、朝焼けの気配を感じる森の中には平穏な静けさが広がってた。

 鬼鮫が先ほど感じたいくつかの気配も今は遠のき、木の葉の隊も、うちはサスケも近くにはいないであろうことが読み取れた。

 イタチを苦しめたチャクラの暴走も、水蓮の言ったようにあれきり起こらず、今は落ち着いた様子で静かに眠っている。

 

 「どこへ向かっているのか…」

 

 治療につかれた水蓮をソファに寝かせ、鬼鮫は地下への入り口に身を置き、まだ薄暗い森を見ながらつぶやいた。

 血継限界の強いチャクラとは言え、今まで宿してきた自分のチャクラを制御しきれないほどの体の弱まり。

 知る限り何のリスクも負っていないうちはサスケに対抗できるのだろうか。

 だが水蓮は随分とはっきり「イタチは戦える」と言った。

 彼の治療に携わってきた水蓮が言うのなら、そうなのだろうとも思う。

 しかしそれはあまりにも不確かな事。

 

 自分にとっては…

 

 それなのに…

 

 「あの二人はどうして」

 

 ああも確かな足取りで歩めるのか…。

 一体どこへと向かって進んでいるのか…。

 分からないことだらけだ。と、鬼鮫は息を吐き出した。

 「鬼鮫…」

 不意に背中に水蓮の声がかかった。

 「もう起きたんですか?」

 疲労が深いはずなのに、まださほど眠っていない。

 「なんか、目が冴えちゃって」

 「嫌な夢でも?」

 「…え?」

 どこか心配そうな色を交えた鬼鮫の声に、水蓮は思わず少し目を見開いた。

 その驚きは鬼鮫も同じであった。

 まるで親が子に言うような、そんな口調であったから…

 

 自分は何を…

 

 どうにもこの人物には調子を狂わされる。と、鬼鮫はそんなことを思った。

 「イタチさんはどうですか?」

 慌てて話を変えるように鬼鮫はそう言って目を反らした。

 「もう大丈夫みたい。今はよく眠ってる」

 「そうですか」

 「うん」

 何とはなしに隣に並んで立ち、二人で森を見つめる。

 「そういえば…」

 鬼鮫が思い出したように口を開いた。

 「うちはサスケは、どういう人物でしたか?」

 「え?」

 唐突に聞かれて、水蓮は戸惑った。

 組織からうちはサスケの事はある程度聞かされているはず。

 それでもこうして聞いてきたという事は、それ以外の事を聞きたいのだろうと思った。

 「んー」

 水蓮はこの場所で共に過ごしたサスケを思い出す。

 「とにかく口が悪くて、自分勝手で、傲慢で、わがまま…」

 鬼鮫が「ハハ」と笑った。

 「イタチさんとは真逆のような、そうでないような」

 「そうだね」

 小さく笑って返し、水蓮は続ける。

 「こうと決めたら譲らない頑固者で、意地っ張り。だけど、不意に素直なところがあって、優しい面もある」

 率直に、ただ感じた事を隠さずに述べてゆく。

 「それから、笑うとイタチに似てる」

 「まぁ、兄弟ですからね」

 「うん。一見似てないようで、やっぱり似てる。言葉とか、考え方とか」

 「そうですか」

 

 自分は何を聞いているのだろう…

 

 これと言った着地点もない話に、鬼鮫は黙り込んだ。

 が、しばらくしてまた問いかける。

 「弟と言うのは、どういう物なんですかね」

 水蓮は「んー」と、また少し考えてから言葉を返す。

 「どうなんだろう。私は兄弟いないからよくわからないけど、すごく大切な存在だと思う」

 

 そんな存在を殺して、彼は永遠に光を失わない目を手に入れようとしているのか…

 

 イタチにとって弟であるうちはサスケは、水蓮が言うような大切な存在ではないのだろうか…

 

 「きっと、切っても切れない絆があって、駆け引きも損得も、見返りを求める心も何もなく、ただ愛おしくって、守りたいってそう思う存在じゃないかな」

 

 そうならなおの事イタチのやろうとしている事が信じられない事だ。

 もはや人としての心を失ってしまっているのだろうか。

 いや、水蓮への態度を見ていればそうでないことが分かる。

 もし、弟への気持ちとして水蓮が言ったような事をまだ持っているなら、それ以上にイタチにとって眼が大切なのか。

 弟の命より大切な目的があると言うのだろうか。

 それとも、もしかしたら別の目的が…

 

 「あなたはどう思いますか?」

 問われて水蓮は黙り込んだ。

 鬼鮫の聞きたいことがなんなのかが分かっていたから。

 

 永遠の万華鏡写輪眼を手に入れるために弟を殺す

 

 それがイタチの本当の目的であるかどうか。疑っているのだ。

 

 「私は…」

 慎重に言葉がつむぎだされた。

 「イタチの言った事が本当かどうかなんてどうでもいい」

 水蓮自身、本当の事を知ってはいる。だが、もし知らなかったとしても、自分のとる行動は同じであっただろうと、そう思っての答えだった。

 「あの時聞いたイタチの目的が本当であろうと、そうでなかろうと私のやるべき事は変わらない。私はイタチを守る」

 まっすぐに見つめるその瞳に、鬼鮫の胸の奥がトクリ…と音を立てた。

 「何があっても、私がイタチを守る」

 決意にあふれた言葉は力強い。

 イタチのチャクラの暴走を抑えるための必死の対処で服も髪も乱れ、目の下には隈を作り、顔には疲労の色が溢れんばかりに濃くにじみ出ていると言うのに…

 

 鬼鮫はグッと胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

 今までにも幾度かこういう事があった。

 守るべき誰かのために、自分をなげうって戦う水蓮の姿に、何度も胸の奥が熱くなった。

 それが何なのか、鬼鮫にはわからなかった。

 初めてとった弟子だからと言うのもあるのだろうが、それだけではない。

 イタチが水蓮に向ける物と似ているような気もしたがそれも違う。

 もっと違う何か…

 

 その正体が、今分かったような気がした。

 

 「あなたは、やはり私と同じだ」

 

 修行をつけてほしいと言ってきた水蓮とあの時交わした言葉…

 

 『何か別の目的があって我々と共にいるようだ』

 

 その答えを求めたとき、水蓮はこう言った。

 

 『私はただイタチの目的を遂げさせてあげたい』と。

 

 鬼鮫はどうやら自分たちは同じようだと言った。

 もちろんその根底にある考えは違うであろうし、まして自分は水蓮のようにイタチのために、などと言う気持ちではない。

 それでも、イタチの目的を遂げさせることが自分の目的であって、そのために自分のやるべき事をやる。そう言った点では同じだと思った。

 

 どこか似ていると…

 

 「私にとっても彼の目的の真意は重要ではない」

 「……?」

 真意を問われていたと考え答えた水蓮は少し顔をしかめた。

 「私にとって重要なのは組織であって、組織の目的だ。そのためにイタチさんを守ってきた」

 誰にも言わないであろうと思っていた事が自分の口からこぼれていくことに、鬼鮫は正直驚いていた。

 だけれども、今目の前にいる人物はそう言った事をさせるのだという事は、もう嫌というほどわかっていた。

 諦めるほかない。

 

 そう思うと何かおかしくなって、笑いがこぼれた。

 それに水蓮はさらにいぶかしげな顔をした。

 「私は組織からいくつかの制約と、大きな任務を受けている」

 「制約と任務…?」

 少しも想像のつかない内容に、不思議そうな表情を浮かべる水蓮。

 鬼鮫は小さく笑んだまま答えた。

 

 「うちはイタチのやる事に決して口を出さぬこと」

 

 「………」

 

 「うちはイタチの行動を決して問いたださない事」

 

 「………」

 

 「そして時が来るまで、うちはイタチを決して死なせない事」

 

 「……っ」

 

 鬼鮫は自分にとってそれは最も難しい任務だったとそう言った。

 「時とは彼が自身の目的を遂げる事。そしてその時まで彼を死なせてはならない。それがどれ程困難を極めるか、イタチさんと組んでしばらくしてから分かった。彼の病の症状は日に日に悪化していきましたからね。だけど私にできる事はそうなかった。戦いの負担を減らし、代わりに薬を取りに行くような事しか。だけど、あなたが現れた」

 鬼鮫は水蓮を見つめて、どこかほっとしたような表情で話を続けた。

 「初めは訳の分からない危険分子だと思った。死なせてはならない彼のそばに得体のしれないあなたを置くなどとんでもないと。だけど私にはイタチさんの決定にそむくことはできない。もちろん臨機応変、必要とあれば意見し、止めなければならないとは思っていましたが、あろうことかあなたは医療忍術を使えた。仕方ないと思った」

 思いがけず聞くこととなったあの頃の鬼鮫の心情に、水蓮は黙って耳を傾けた。

 「イタチさんの命を守るために、彼の目的を遂げさせるためにあなたを利用した。彼の命こそ私にとって最大の存在意義であり、この組織においてやるべき事だったからだ。それ以上に重要な事はない。彼の話が真実であれどうであれ、組織の言うとおりに、私は彼の目的を達成させればいい」

 

 そのために水蓮を利用すればいいと、ずっとそう思ってきた。

 

 いらなくなれば捨てればいい。死なぬとは言えそれはイタチの見解であって、実際にはどうにでもできるだろうと思っていた。

 首を落とし、それでも死なぬなら地中に埋めればいい。そんな残酷なこと思っていた。

 だけどそれはいつの頃からか考えなくなり、それどころか手放せない存在となっていた。

 イタチの為だけではない。

 水蓮と言う存在に、自分が欲していた何かを見つけてしまっていた。

 

 何事に関しても必死にひたむきに生きるその姿。

 イタチだけではなく、自分の傷をも癒し労ってくれた優しさ。

 

 与えられることのなかったであろう穏やかな時間を与えてくれた。

 

 いつの頃からか、その存在を愛おしいと思うようになった。

 

 何があっても守ってやりたいと、そう思うようになった…。

 

 だがそれはやはりイタチとは違う感情で、それが何なのかと問い続けてきた。

 それがやっと鬼鮫の中に確かな形を成した。

 

 すっ…と鬼鮫が静かに腕を上げ、額あてに触れる。

 

 忍は皆、里の名のもとこの額あてに誓いを立てる。

 

 誰が決めたことでもなくそんな事があったと鬼鮫は思い出した。

 

 里を捨てた自分がこんなにも穏やかな気持ちで、そんな気になろうとは…。

 

 馬鹿馬鹿しいと思った。

 それでもどこか心地よいとも思った。

 

 「水蓮」

 

 静かな呼びかけに、水蓮は鬼鮫に向き直った。

 

 「あなたはあなたのやるべき事として、今までどおり命がけで彼を守るといい」

 

 …もし…

 

 水蓮への想いが鬼鮫の胸に込み上げる。

 

 

 …もしも自分に家族がいたら、こんな感じだったのだろう…

 

 

 

 …もしも自分に妹がいたら、きっとこんな感じだったのだろう…

 

 

 今まで不確かに漂っていた物が、鬼鮫の中にストンと、静かに落ちておさまった…

 

 

 愛しき人よ…

 忍の名のもとこの額あてに誓う…

 

 

 「そのあなたを、私が命を懸けて守る」

 

 まっすぐに向けられたその言葉に、水蓮が静かにうなづく。

 その揺れに頬を伝った涙を、鬼鮫の大きな手が拭い取った。




しばらく苦しんだメニエールでしたが、思ったより早く回復できました(*^。^*)
ご心配おかけしてスミマセンでした…
コメントありがとうございました(*^_^*)
これからもよろしくお願いいたします(*^^)v


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第百二六章【水蓮と鬼鮫】

 夏の一日にしては、風が妙に冷たかった。

 昼を過ぎてもそれは変わらず、その風を身に浴びて、あぁそうか。きっとそうなんだ…。と、水蓮はおぼろげにそんなことを思った。

 

 

 大蛇丸のアジトを発ってから二日が経った。

 今身を置いているのはかつてのうちはのアジトに一番近い位置にあるイタチのアジト。

 最終決戦の場であるあの場所までは30分もあればつく距離。

 水蓮たちはそこで待っていた。

 

 サスケが来るのを…

 

 あれからイタチのチャクラの暴走は見られず、むしろ体調は今までになく良かった。

 熱はおさまり、続いていた胸や眼の痛みも引き、時折見られた吐血もない。

 全ての物が嘘のようにその存在を潜めていた。

 

 それは表情にも表れており、イタチは何かスッキリとした、落ち着いた顔をしている。

 

 そんなイタチを見て、水蓮は時が来たのだと息の詰まる時間を過ごしていた。

 

 時間を止めることが出来たなら…

 そんな術があったなら…

 

 思わずにはいられない。

 だがそんな事はできず、たとえできたとしても、それはイタチの望む事ではない。

 自分たちが目指した物ではない。

 

 進むべき場所

 目指すべきもの

 それは…

 

 イタチの目的を成し遂げる

 

 始めにたてたその指標

 

 その為に命を懸けてイタチを守る

 

 心に刻んだ覚悟

 

 それが全てなのだ。

 一時期はイタチの死を乗り越えられるか。受け入れられるか。

 その事ばかりを考え、原点となるそれを見失った。

 だけど、もう見失わない。

 水蓮はぐっと手を握りしめ空を見上げた。

 

 恐ろしい程に晴れ渡り、全てを吸い込むかのような青。

 

 自分たちに迫る何かを感じ、来るなら来いと水蓮は強く空を睨み付けた。

 

 

 何があってもイタチを守る!

 

 

 ビュウッと、強い風が水蓮の髪をなびかせた。

 

 そのなびきに、静かな声が重なった。

 落ち着いた、イタチの声が…

 

 「サスケが来た」

 

 水蓮の鼓動は静かだった。

 もっと動揺するだろうと思っていた心が、案外騒がない。

 その事に驚いた。

  

 「明日にはうちはのアジトに着くだろう」

 イタチは呟きながらゆっくりと立ち上がり、水蓮の隣に並んだ。

 「そう…」

 空に視線を向けたまま水蓮は一言だけ返す。

 どうやらいく箇所かに配置したイタチの影分身の一つがサスケと接触したようだ。

 「来ましたか」

 鬼鮫もゆっくりと立ち上がり、並び立った。

 三人の衣が風に揺れ、赤い雲がはためく。

 「うちはのアジトへ行く」

 イタチはそう言って鬼鮫を見た。

 「分かっていますよ。先に行って様子を見ておきましょう。邪魔の入らないように手を打ちます」

 小さく笑う鬼鮫に、イタチは同じように少し笑って返し「すまない」と、その一言を残しアジトの中へと戻って行った。

 「イタチさんを頼みますよ」

 鬼鮫が静かに足を踏み出す。

 その歩みを水蓮が慌てて止めた。

 「待って!」

 背を向けたまま鬼鮫が立ち止まり、風に揺れた衣の袖先を水蓮が掴んだ。

 「待って…」

 ギュッと握りしめた手が小さく震えた。

 

 この後に起こるであろう事を脳裏にめぐらせ、水蓮は言葉を詰まらせた。

 

 もう会えないかもしれない…

 

 鬼鮫の背を見て、そう思った。

 もしそうなのだとしたら、自分はあまりにも鬼鮫に何も話していない。

 自分の事も、自分が知っているイタチの事も。

 鬼鮫が暁の一員だとしても、自分の師であることに違いはない。

 共に過ごしてきた仲間だという事に違いはない。

 それなのに、何も話せていない。

 

 このままでいいのだろうか…

 

 急にそんな思いに駆られた。

 「鬼鮫…」

 「わかっていますよ」

 先ほどと同じセリフに、水蓮は無言のまま鬼鮫の背を見つめた。

 鬼鮫は水蓮の手をそっと外し、ゆっくり振り返った。

 なぜか少し呆れたような笑顔を浮かべた。

 「彼はもう戻らない」

 「…え?」

 思いもよらぬ言葉。それでいてそれはあまりにも確信をついていて鼓動が大きく波打った。

 鬼鮫はやはり小さく笑みを浮かべたまま続ける。

 「忍びなんて物を長くやっていると、そういう事が分かってしまうんですよ。彼はおそらくもう戻らない。それが生きて戻らぬという事なのか、この組織に戻らぬという事なのか、そこまでは分からない。だが彼は戻らない。それは分かる。だけどそれはおそらく組織も分かっている。あの人も…」

 マダラの名が二人の脳裏に浮かぶ。

 「組織がそれを良しとするなら、私は何もいう事はない。もちろん追えと言われれば追いますがね」

 その時はやっと本気で彼とやり合える。と、鬼鮫は心底嬉しそうに笑った。

 そしてひとつ息を吐き、水蓮の頭にポン…と、手を乗せた。

 「もう一つ分かっていることがある」

 

 ポタリ…と、水蓮の目から涙が落ちた。

 

 「あなたも戻らない」

 「…っ」

 声にならない声がこぼれた。

 「あなたも彼と共に行くつもりだ」

 「…うん」

 頷き、水蓮は涙を拭った。

 イタチの戦いを見守り、終えた後自分がどうなっているかはまだわからない。

 

 生きているのか死んでいるのか。

 だがもし生きてイタチのそばにいる事が出来たなら、ももうここには、暁には、鬼鮫の元には戻れない。戻らないとそう決めていた。

 「それがイタチさんの意思であるなら、私は口を出すことはできない。ただ、それを組織がどうとるかは分からない。あなたの中には僅かと言えど、九尾のチャクラがある」

 イタチはどうあれ、おそらく追う事になると、鬼鮫は厳しい目でそう言った。

 「わかってる…」

 「まぁ、できれば穏便に済ませたいですがね」

 強い視線をフッとゆるめて、やれやれと言った様子で鬼鮫は笑った。

 「まったく、あなたは本当にトラブルを呼ぶ」

 「ごめん…」

 「謝る必要はない。元々あなたは彼のためにここにいたようなものだ」

 「何もできなかったけどね。鬼鮫にも…」

 最後の時をむかえて、水蓮は自分が二人にしてあげられた事がなかったような…そんな気持ちでいっぱいだった。

 しかし鬼鮫は「十分だ」と笑った。

 「あなたは私たちを任務に送り出し、戻るのを待ち、むかえいれてくれた。それで十分だ」

 「鬼鮫…」

 「我々はきっとそれを最も求めていた」

 「…………っ!」

 優しい風が吹き抜け、一度拭い去った涙がまた溢れた。

 「あなたはそれを与えてくれた。これ以上の物はない」

 大きな手のひらが水蓮の髪を撫でる。

 「水蓮。あなたは私の唯一の弟子だ。それも優秀な弟子だ。人はすぐれた弟子を持つと人生が大きく変わる。あなたに会ってそれがわかった。感謝してるんですよ。あなたには」

 鬼鮫の手がポンポン…と髪の上で数回優しく動き、水蓮は思わず鬼鮫に抱きついた。

 「ありがとう。ほんとに…ほんとに…。ありがとうございました…」

 鬼鮫は少し戸惑ったように水蓮を抱き寄せた。

 「イタチさんに見られたら、殺されそうだ」 

 思わず二人に笑いがこぼれた。

 「では、私は行きます」

 「うん」

 鬼鮫は背を向けようとして思いとどまり、水蓮を見つめて笑った。

 「もしもまた会うことがあったなら、その時は敵でないことを祈りますよ。…あなたは案外厄介だ」

 「…うん…」

 涙にくぐもった声に、鬼鮫は思わずもう一度水蓮を抱きしめた。

 「それでもあなたとの約束は違えない」

 

 命を懸けて守る…

 

 もしも戦うことになっても、その約束を守ろう。

 

 それはひどい矛盾であった。

 それでも、そこに込められた鬼鮫の精一杯の想いを水蓮はひしひしと感じ取っていた。

 

 

 「うん」

 

 水蓮は何度も何度もうなづいて返した。

 だがそこには感謝の気持ちよりも、罪悪感の様なものが勝って溢れていた。

 

 組織に従順でありながら、組織を去ろうとしている自分を引きとめず、もう十分だと、感謝していると言う。

 

 何があっても守るとそう言う。

 

 ここまでの想いを与えてくれた鬼鮫に、自分は何も真実を伝えていはいない。

 その事が胸につかえて苦しかった。

 

 「鬼鮫…私。私ホントは…本当は…」

 「それも分かっています」

 「え?」

 ドキリとして顔をはじきあげる。

 鬼鮫は落ち着いた表情で小さくうなづいた。

 「あなたの本当の事はちゃんと知っている」

 「本当の事って…」

 

 自分が別の世界から来たことを知っているというのだろうか…

 もしそうならどうして…

 

 と、水蓮の鼓動がどくどくと波打つ。

 だが鬼鮫の応えは違っていた。

 

 「あなたは、おかしくて不思議で読めなくて、おもしろくて馬鹿で、向こう見ずで怖い物知らずで、それなのに雷が怖い」

 鬼鮫は淡々とした口調で続けてゆく。

 「それから単純ですぐに突っ走る。頑固で意地っ張りでこうと決めたら譲らない。だけど、無茶苦茶な性格の割には鋭くて頭がいい。覚えもいい。根性もあるし、強い」

 「鬼鮫…」

 水蓮の目にうつる鬼鮫の顔がほんの少し赤く見えた。

 鬼鮫はそれを隠すように水蓮の顔をグッと引き寄せて胸元に沈めた。

 「それがあなたの真実だ。あなたの本当だ。それだけでいい。それで充分だ」

 「………」

 

 どこからきたのか、何者なのか。それを問うことなくずっとそばに居続けてくれた。

 

 守り続けてくれた。

 

 そんな鬼鮫の想いがまっすぐに伝わってきた。

 

 この人は自分を愛してくれていたのだと。

 

 水蓮は鬼鮫の背に手をまわしてギュッと抱きしめた。

 

 

 …いつかまた同じときに生まれる事が出来たなら、その時は必ずまた出会おう…

 

 

 

 それは二人の心に描かれた、言葉なき約束。

 

 その未来をしっかりと胸に刻み、鬼鮫は今度こそ背を向けて足を踏み出し、水蓮はその背を静かに見つめた。

 

 自分をいつも守ってくれた大きな背中。

 

 きっとこれが最後になる…

 

 水蓮は刻み込む思いで静かに言葉を紡いだ。

 「行ってらっしゃい」

 鬼鮫はほんの少しだけ振り向き、答えた。

 「行ってきます」

 今までで一番優しい笑顔を残して、鬼鮫は姿を消した。




いつも読んでいただきありがとうございます(*^^)
前回に続き鬼鮫重視の回だったので、なるべく間を開けずに行きたいと思いちょっと早い更新となりました。
もうほんとに、鬼鮫への妄想と願望が尽きず…。私の中でとんでもなくかっこいいキャラになってしまった(~_~;)
アニメBORUTOで今霧隠れのstoryをしているという事もあって、かなりの鬼鮫ブームですwww
今後鬼鮫が登場するかどうか、ちょっと自分の中でも未定ですが…。もしかしたらこれが最後かも…と思いガッツリ入れ込みました!www

次からはまたいつものペースで更新していきます♪
今後ともよろしくお願いいたします☆


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第百二七章【最後の任務】

 ザッ…ザザッ…

 水蓮とイタチは、木々を音たたせながら駆ける。

 ひたすらに目的地へと意識を向けるイタチの隣で、水蓮は注意深くあたりの気配を探っていた。

 

 

 鬼鮫が先行したあと、アジトの中でイタチは体力を温存するためか深い眠りに入っており、そのそばに身を置き水蓮は静かに考えをめぐらせて時間を過ごした。

 

 この世界に来てから今までの事。その流れ。

 

 考えが当たっていれば、おそらく…

 

 そう考えたとき。通り過ぎた木の陰に、細く鋭い気配が生まれた。

 

 やっぱりきた…

 

 イタチが手で合図を送り、それにしたがって少し開けた場所に足を止める。

 「出てこい」

 響かせたイタチの声に姿を現したのは…

 「トビ。何の用だ」

 木の陰からひょこっと顔をだし、トビは「どーもー」といつもの調子で笑う。

 「デイダラさんと一緒に死んだと思ってましたか~?一応生きてました!」

 おどけた様子でぴょんぴょん跳ねる。

 しかし、醸し出される空気がいつもと違い重い…

 ジリッと音を立ててすすめられた一歩に、イタチが警戒の色を示す。

 「水蓮、下がれ…」

 うなずき、少し離れた場所にとびすさる。

 「いやぁ、サスケ君と対戦するって聞いたんで、その前にイタチさんにエールを送ろうと思いましてー」

 ひらひらと手を振り回しながら、少しずつイタチに歩み寄る。

 二人の間に緊張が張り巡らされていく。

 

 ひゅぅっ!

 

 トビが動いた。

 一瞬でイタチの眼前に迫り、その手にはクナイ…

 しかし、それがイタチに届くより早く、水蓮が動いた。

 

 シュッ…と鋭い音を立てて4本のクナイがイタチの足元に向かい深く突き刺さり…

 

 

 「四神防封壁!」

 

 

 印を組んだ水蓮の声とともに、イタチの周りに壁が張り巡らされ、阻まれたクナイが、ガリッ…と鈍い音を立てた。

 「うわっ…と」

 反動でよろめき後ずさるトビ。

 イタチが中から壁に手を当てて顔をしかめた。

 「これは…」

 赤い光を放つその壁。先日チャクラの暴走を抑えるために使ったものとはまた違う。

 イタチの赤い瞳が術のチャクラを捉え、その質からかなりの強度であることを感じとる。

 「いつの間にこんな…」

 その呟きを捉えつつ、トビが水蓮に目を向ける。

 「さすがうずまき一族ですねー」

 「………」

 水蓮は地を蹴りイタチの前に身を降ろして無言のままトビをにらみつける。風に揺れる髪は赤く染まっていた。

 その視線を受け、トビは距離をとるように後ろに跳ねていつもの軽い口調で言葉を投げる。

 「やだなぁ、怖い顔しちゃって。ちょっとした冗談ですよ~。冗談。イタチさんのいい準備運動になるかなぁ…なんて」

 くねくねと体を揺らしておどけるトビに、水蓮は静かな声で言う。

 

 「下手な芝居はもういらない。うちはマダラ」

 

 ピクリとトビ…マダラの体が揺れ、後ろでイタチが息をのんだ。

 「水蓮、お前…」

 「ほぉ…」

 イタチの声を遮る低い声。

 マダラが一気に発する気を変えた。

 

 ビリッ…と空気が震える。

 

 「イタチから聞いたのではないようだな…」

 イタチの様子からそう読み取り、マダラは少し面白そうにそう言った。

 「…っ」

 しかしその口ぶりとは逆に体から放たれる気迫はすさまじく、水蓮の額に汗が浮かぶ。

 「やはりあの時殺しておくべきだったか…」

 ゼツに連れ去られた時のことが脳裏に浮かび、あの恐怖が一瞬蘇った。

 だが、水蓮はその恐怖を振り払い、一歩足を進めた。

 「イタチに手は出させない」

 その言葉に、マダラは感心したような口調で返す。

 「オレの行動を読んでいたとはな」

 

 水蓮は黙して肯定した。

 

 

 この世界の流れは、自分が関与したにも関わらず原作に沿って動いてゆく。

 どうあがいても、どうかかわってもそれは変えられなかった。

 何をどうしてもそちらへ向かって進んだ。

 それならば…とこの事態を読み考えていたのだ。

 

 

 自分がいる事で今のイタチは原作よりはるかに余力を残しているはずで、それを原作に近づけようと何かが動くのではないかと…

 

 そしてイタチに何かをできるとしたら、仕掛けてくるとしたら、それはうちはマダラしかいないと…

 

 

 マダラはイタチがサスケとの戦いを自身の終焉にしようとしていることを、もちろん承知しているが、今サスケとイタチを追って木の葉が…ナルトたちが動いている。

 そんな状況で事が順調に進むよう、短時間でより確実にサスケを勝利に導くために、イタチに手傷を負わせに来るかもしれない…

 そう読んでいたのだ。 

 

 「させない」

 足が少し震えていた。

 それでも、水蓮は気圧されまいとチャクラを練り上げ、全身にたぎらせる。

 赤い髪が大きく波のようにうねり舞う。

 「よせ水蓮!お前では無理だ!」

 イタチの声を背に聞きながら、水蓮はマダラをにらみつける。

 「オレを倒してイタチを守るか?」

 あざけるような物言いに、水蓮はグッと奥歯を噛んだ。

 「私には倒せない。でも!」

 

 ほんの数分あれば…

 

 バッと構えて素早い動きで印を組む。

 

 

 同時にマダラが水蓮に向かって飛んだ。

 一瞬で詰まる距離。

 

 ドッ…

 

 鈍い音が響き、水蓮の胸に激痛が走った。

 「…っ…」

 

 「水蓮!」

 

 イタチの悲痛の叫び…

 

 ポタリ…と、赤い血が地面に音を立てた。

 

 「…残念…」

 

 つぶやいたマダラの手に握られたクナイが水蓮の左胸に深く刺さっていた。

 

 激痛が水蓮を襲い、傷口を中心に全身にしびれが走る。

 

 …毒…

 

 「遅かったな…」

 勝ち誇ったマダラの声。

 しかし水蓮は痛みと毒の痺れに顔をゆがめながら、間近にいるマダラをにらみつけ、ほんの少し…笑った。

 「どっちが…」

 「なに?」

 すっと落とした水蓮の視線の先。

 それを目で追ったマダラが息をのんだ。

 足元…地面に術式が敷き詰められていたのだ。

 見たことのない羅列。その始点はあたりを取り囲む木々。

 「いつの間に!」

 マダラの驚愕に生まれた一緒の隙…

 水蓮はチャクラを体内に走らせ一気に解毒する。

 「この毒を…!」

 たじろぎながらも、息の根を止めようと、マダラがクナイをぐっと押し込む。

 しかし、何かに阻まれクナイはピクリとも動かない。

 「貴様…心臓にチャクラの膜を…」

 忌々しそうに吐き捨て、マダラは体を引こうとする。が…

 「逃がさない」

 水蓮は痛みに耐えながら九尾のチャクラを体内から放出し、そのチャクラで胸に刺さったクナイごとマダラの腕を絡め取る。

 「離さない!」

 しっかりとマダラを捉えたことを確認し、水蓮は少しだけ体を引いてクナイを引き抜く。

 「…う…っ」

 ジュゥ…と傷口が音を立て、間髪入れず治癒されてゆく。

 その様子にマダラが息を飲んだ。

 「貴様その力は…まさか…!」

 千手柱間の…との言葉が発せられるより早く、印を組む水蓮の手が淡く光った。

 

 ザァ…ッ!

 

 風が吹き流れ、生い茂る草花の下からも術式が集まり来る。

 その様子にイタチが目を見張った。

 「あらかじめ敷いていたのか…」

 イタチの言葉に答える時間はない。

 水蓮は辺りに張り巡らせたそのすべてを一気に引き寄せる。

 マダラは慌ててその場を離れようとするが腕に絡みついた九尾のチャクラがそれを許さず、地面に敷き広げられた術が足を縫い取ったかのように離さない。

 「封印術の一種か…」

 忌々しげに言葉を吐き捨て、それらを解こうと体をよじる。

 だが今度はその体に水蓮が引き寄せた術式の文字が這い登り、マダラの動きを拘束する。

 それを振りほどこうと、マダラが何らかの術を使おうとチャクラを練る様子を見せる。

 が、ピクリと体を揺らし、動きを止めた。

 チャクラが練りあがってこなかったのだ。

 「なんだと!」

 驚疑怖畏の声に水蓮が答える。

 「この術は、一定時間捕捉者の動きを拘束し、すべての術を封印する!」

 剣の封印を解く際に八雲につかった術。

 強い封印術ではあるが、マダラ相手ではほんの数分…

 

 時間との勝負!

 

 水蓮は続けて印を組む。

 「あなたの思惑通りにはさせない!」

 トン…とマダラの仮面の上に、手をつく。

 「万象封縛!」

 水蓮の手から発せられたチャクラが恐ろしいほど冷たく温度を下げてゆく。

 それは水蓮の手をも凍らせ、低温で焼きつける。

 「つぅっ…!」

 「ぐあぁぁぁっ!」

 水蓮のうめく声に続き、マダラが叫びをあげた。

 そしてやや束縛を逃れだした左手で顔を抑え込む。

 「貴様ぁ!オレの目を!」

 仮面の下で、マダラの写輪眼が眼底から凍りついていた。

 痛みと怒りにまかせ、水蓮の呪縛を解こうともがく。

 

 マダラの力に押し負けそうになる封印術にチャクラを流しながら、水蓮は止まらず印を組む。

 しかし、その動きを遮るようにマダラが咆哮を上げた。

 

 「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 ぶわぁっ…と、強い風が吹き荒れ水蓮の体を弾き飛ばす。

 「…っ!」

 かろうじて転倒を免れてうまく着地したものの、態勢を崩し術の縛りが浅くなる。

 「どうして!」

 

 術は使えないはず…

 

 向けた視線の先。マダラの体から殺気が溢れだしていた。

 

 …殺気と気迫だけで…

 

 自身を吹き飛ばした物の正体を見つけ、そのおぞましさと恐怖に足がすくむ。

 

 「水蓮!封壁を解け!」

  

 飛び来たイタチの声にハッとする。

 

 …恐れるな!

 

 自分を叱咤し、グッと足に力を入れてマダラに向かって駆け出す。

 

 マダラは術の半分をすでにほどいている。

 

 …間に合って!

 

 ありったけのチャクラを練り上げる。

 

 「やめろ水蓮!チャクラを練りすぎだ!」

 水蓮からあふれる莫大なチャクラに、イタチが静止の声を上げた。

 体のきしむ音を感じ、苦痛に水蓮の顔がどんどん歪んでゆく。

 しかし、チャクラの流れを止めず駆ける!

 

 イタチは私が守る!

 

 強い想いと共にスピードを上げ、練り上げたチャクラを手に集める。

 己の術で焼けた箇所に痛みが走る。それでもその手で、驚くほど滑らかな動きで印を結んでゆく。

 

 

 体を少し前に倒して屈める…

 

 脇を閉めて、臍の前あたりで印を組む…

 

 

 不安定な状態で印を組む水蓮の脳裏には、鬼鮫からの享受が…師の顔が浮かんでいた。

 

 誰にも道を拒ませはしない。

 自分たちの進むこの道を…

 

 イタチと自分だけではない。思い浮かべるその場所には鬼鮫の姿もあった。

 目指す先は違えども、歩む道は同じ。

 

 今この時の為にとの思いは、ずっと自分たちの中にあった。

 

 想いは同じだった。

 

 これは自分たち3人の、最後の任務…

 

 「絶対に…」

 

 

 駆ける水蓮の胸の中に、この世界に来てからの様々な思い出が駆け巡る。

 

 

 そのすべてを、想いを力に変えて最後の印を組む。

 

 「邪魔はさせない!」

 

 水蓮の印に誘われて空気中に文字が浮かび、螺旋状にマダラを包み込んだ。

 

 「これは…まさか!」

 

 空気中に時空のゆがみを感じ、マダラが声を荒げてさらに体をもがく。

 

 しかし、呪縛を解ききる寸前。

 水蓮の細い指がマダラの肩に触れ、透き通った声が響き渡った。

 

 

 「飛翔蓮舞!(ひしょうれんぶ)

 

 

 ぶわりと、光が広がり、一瞬にしてマダラの姿がその場から消えた…



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第百二八章【立ち上がる】

 空気中に巻き上がっていた文字が、静かに光と共に溶けてゆき、フッ…と小さな音を残して最後の一文字が消え静寂が広がった。

 

 数秒の沈黙…

 

 水蓮はこの場の終結を確信してその場に崩れるように座り込んだ。

 

 同時にイタチを囲んでいた封壁が消える。

 「水蓮!」

 ふらりと揺れた水蓮の体を、倒れこむ前にイタチが抱き支える。

 「しっかりしろ!」

 限界を超えてチャクラを使いきり、声も出ない水蓮の手を握り、イタチは自身のチャクラを送り込む。

 

 …どうして…

 

 イタチは医療忍術は使えないはず…

 

その疑問に気づいたのか、イタチは安心させるように笑みを見せた。

 「チャクラの形状が把握できていれば、多少の受け渡しはできる。相性にもよるがな。…お前のチャクラはよく知っている」

 「そっか…」

 「怪我はないか?」

  弱々しく笑う水蓮の頬を撫で、外傷がないかと赤い瞳にその身を映し、イタチは一瞬何かに気づいたように息を飲んだ。

 「お前…」

 「え?なに?」

 どこかけがをしているわけではなく、チャクラの枯渇に息苦しさはあるものの痛みはない。

 水蓮はイタチの呼びかけに首をかしげた。

 イタチはほんの少し考えるそぶりを見せ「いや…よく怪我もなく…」と小さく返した。

 「お前、死ぬ気だったのか?」

 先ほどの無茶な戦いぶりに改めて呆れたような息を吐き出す。

 「あー…えーと…」

 水蓮は言葉を濁しながら少し気まずそうな笑みを浮かべた。

 「うまく行けば、少しは残せるかなと思ったんだけど…」

 やはりマダラ相手に、ゆとりある戦いは出来なかった。

 イタチのチャクラがなければ死んでいた。

 だがそれでもいいと、水蓮はその覚悟だった。

 「相変わらず無茶な事をするな。お前は」

 「ごめん」

 「さっきのは時空間忍術か?いったいどこへ…」

 マダラが消えた辺りを見つめるイタチ。それに続きそちらを見ながら水蓮が答える。

 「成功してれば、霞峠のアジトに…」

 「………」

 イタチはしばし沈黙して、プハッと豪快に吹き出した。

 「お前…またえらく遠くに飛ばしたな」

 普通に移動すればここから3日はかかる距離。

 マダラならばもっと早くに移動できるであろうが、そんなところまで飛ばされた事に気づいたらさぞかし悔しがるだろうと笑いがおさまらなかった。

 ましてチャクラ不足でもしそこまで届かなかったら、間にある大きな泉に落ちるかもしれないと、そんな事を想像して笑いが重なった。

 「眼も封印術で押さえたから、多分少しの間写輪眼も使えないと思う」

 「そうか。お前は本当に…」

 思いもよらない事をする…

 

 いつもこちらの想定を超えて…

 

 マダラと戦う水蓮の姿が蘇り、笑いが静かにおさまってゆく。

 「一体いつの間に術を敷いていたんだ」

 ぐるりと辺りを見回すその眼には、地面や木々にまだかすかに残っている術の気配が映っていた。

 水蓮は繋がれたイタチの手をぎゅっと握りしめて笑んだ。

 「言ったでしょ?二人がいない間ただぼうっとしてたわけじゃないって」

 「そうか…」

 

 イタチと鬼鮫が任務に出ている間。水蓮は滞在先や移動の途中様々な場所にいくつもの術を敷き詰めてきたのだ。

 何かのために。いつか役に立てばと。

 母の記憶の中にある強い術を選び訓練し、大地に…木々に。そして八雲と出雲に出会ってからはその存在に術を預け、高い場所や海底。あまり近寄る機会のなかったこの場所にも。

 人目につきそうな場所ではその上から結界を張り、組織の目から隠してきた。

 過去には小南にその場を見られた事があり肝を冷やしたが、無事に知られることなく今日まで来た。

 

 そうしてきたからこそ、剣の封印を解く際に、その術の複雑な印を迷うことなく組み進める事が出来たのだ。

 

 やはり何も無駄な事は一つもなく、すべてに意味はあるのだと、あの時も、今も、水蓮は強くそう思った。

 

 

 「私もなかなかやるでしょ?」

 少しずつ体に力が戻り、声もはっきりとし始める。

 体の奥の方で九尾のチャクラが回復に動き出した様子も感じ、水蓮はイタチのチャクラの受け取りを止めて、ゆっくりと体を起こした。

 「でも…」

 自身の術で焼けた手のひらを治癒し、その手を見つめながら息を吐き出した。 

 「思ってたよりやっぱり強かった」

 先ほどの事を思い出し、肌がゾクリと揺れる。

 原作でのうちはマダラの本気の戦いを見たことはなかったが、イタチに聞かされていた以上の物を感じた。

 よく死ななかったものだと、今更ながら自分の無謀さを思い知る。

 「しかしお前、あいつのことまで知っていたとはな」

 さすがにそれは考えてもみなかったと、イタチは笑った。

 「隠すのうまいでしょ」

 冗談めかしてそう返したものの、水蓮の体は震えていた。

 イタチは肩を数度優しくなで、その身を引き寄せ抱きしめた。

 

 先ほどの光景が、そしてあの仮面が浮かぶ…

 

 イタチ自身どこまで戦い合えるかわからない相手に、たった3年修行しただけの人間が挑むなど、どれほど恐ろしい事かと、胸の奥が苦しくなった。

 その恐怖と向き合いながら、確実にマダラを捉えるために正体を暴き、自分のその身を…命を狙わせたのだ。

 

 死を覚悟して…

 

 「水蓮…」

 

 抱きしめた腕にグッと力がこもる。

 

 こんなにも誰かを愛おしいと思える生き方が自分にあるなどと思いもしなかった…。

 

 この出会いが、自分が誰かをこんなにも深く愛せるのだという事に気づかせてくれた。

 愛されることができるのだと…

 

 それが許されるのだと…

 

 

 「イタチ…」

 

 ぎゅっと抱きしめて返す水蓮もまた、同じようにそう感じていた。

 

 

 緑の森の中、二人だけの時間が切なくも優しく流れてゆく。

 だけれども、こうしてここで止まっているわけにはいかない。

水蓮は回復を早めるため九尾のチャクラに集中する。

 

 小さくなっていた体の中の灯火が少しずつ大きくなってゆく。

そうしてしばしの時間を経て力の戻りを確認し、数度イタチの背を撫でて水蓮は体を…心を整えるため一つ深い呼吸をした。

 

 自分が立ち上がらなければならない。

 自分が踏み出さねばならない。

 自分が導かねばならない。

 

 

 「行こう」

 

 「…ああ。行こう」

 

 共に立ち上がり二人で先を見据える。

 その目にうつる森は、先ほどの戦いを少しも感じさせないほど透き通った静けさを溢れさせている。

 その清廉さに背を押されるように、水蓮は一歩踏み出した。

 が、不意にイタチがその手を取り水蓮を抱き上げた。

 「え?ちょ…イタチ?」

 急に抱え上げられ戸惑う水蓮に、イタチは静かな笑みを向け地を蹴った。

 「つかまってろ」

 「だ、大丈夫だって。ゆっくりならもう自分でなんとか…」

 あまりにも間近にイタチの顔があり、恥ずかしさにグイッと胸元を押し返す。

 しかしそれを拒むようにイタチはギュッと水蓮の体を抱き寄せた。

 「じっとしてろ。落ちるぞ」

 「でも…」

 確かにまだ回復は不完全で、いつものようには走れない。

 疲労感やチャクラを酷使したことによる倦怠感も大きかった。

 正直体は辛かった。

 それでもこの後の事を考えればイタチの体に負担をかけたくない。

 困ったように顔をしかめた水蓮に、イタチはまた笑みを向けて言った。

 「離すな」

 「………っ」

 

 目の奥が熱くなった…

 

 思わずこぼれそうになった涙を隠すように、水蓮はイタチの胸元に顔をうずめて小さくうなづいた。

 夏に似合わぬ温度の低い今日の風から水蓮を守るようにイタチはしっかりと包み込む。

 その腕は優しくあたたかい。

 ほほを寄せた体からは強く確かな命の脈打ちが聞こえ、その揺れに合わせて柔らかい香りがたつ。

 

 水蓮はそのすべてを刻み込むように目を閉じて自身の中に染み込ませた。

 

 いつか離れる事は分かっていた。

 それでもけっして離れないと誓い寄り添ってきた。

 

 だけれども、離れるときはすぐそこまで来ている。

 

 

 イタチの衣を握る手に力が入る。

 

 

 離したくない…

 

 

 決して口には出せぬその言葉を、必死に押さえ込んだ…



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第百二九章【ワガママ】

 ただ一緒に歩ければそれでよかった…

 

 特別な物なんて何もいらなかった。

 

 いい天気だね。花がきれいだね。今日は何をしようか。

 

 そんなありふれた時間でよかったのに。

 

 

 

 ただ一緒に歩ければそれでよかった…。

 

 特別な物など何もいらなかった。

 

 いい天気だな。花がきれいだな。今日は何をしようか。

 

 そんなありふれた時間でよかったんだ。

 

 

 それが自分たちにとって、最も大切で、何よりも特別な時間だった。

 

 それがほしかった。その時間が長く続けばいいと思った。

 

 だけれども、それはひどく贅沢な望みで、決して叶えられはしない。

 

 だけれども、今日というこの日まで共に歩めたことは決して消えはしない。

 

 それをしっかりと抱きしめて行こう…

 

 

 最期と言う名の明日へ…

 

 その先にある未来へ…

 

 

 

 いつの間に眠ってしまったのか。

 ゆっくりと開いた目に夜の空が映り込み、水蓮はドキリとして身を起こした。

 が、自分の体をしっかりとイタチの腕が包み込んでいて少し態勢を崩す。

 見ればイタチも眠っており、静かな寝息が聞こえた。

 

 まだここにいる…

 

 ほっとすると同時に、知らぬ間に時間が経っていた事への恐怖が湧き上がった。

 「イタチ…」

 静かに呼びかけたその声は、自分でも驚くほど震えていた…

 そっと頬に触れるとイタチの瞼が揺れ、ゆっくりと開かれる。

 「体は大丈夫か?」

 イタチの声は落ち着いていた。

 静かで、穏やかで、少しの揺れもない。

 

 ああ…この人はもう、覚悟を決めたのだ。

 

 そう思うと、どうしても涙がこぼれた。

 泣くまいと思っていたが、それは到底無理な話なのだ。

 我慢できるはずがなかった。

 そう認めてしまえばもう止める事はできず、涙の粒は大きさと量を増してゆくばかりだった。

 イタチは無言のままその涙を拭い続けた。

 ただ静かに涙を掬い取り、触れるだけの口づけを幾度も落としてゆく。

 

 「大丈夫…」

 震えたままの声で、ようやく水蓮はその一言を口にした。

 「大丈夫…」

 そんなはずはない。少しも大丈夫なはずはない。

 それでもそう言わなければ、この場に崩れ落ちそうだった。

 後どれだけの時間が残されているのか分からないが、一分一秒を大切にしなければならない。

 大きく深呼吸をして何とか気持ちを落ち着かせる。

 「ここは?」

 どこかの洞窟のようであったが、見覚えがない。

 「ここは組織の誰にも知られていない場所だ。今夜はここで過ごす」

 「そう…」

 「鬼鮫には明日合流すると式を飛ばした」

 「そう」

 

 明日…

 

 日が昇れば、サスケがあの場所にたどり着く…

 

 「水蓮」

 変わらず落ち着いたその声に、水蓮の体がビクリ…と揺れた。

 小さく震える細い肩にイタチの手が触れ、キュッと力がこもる。

 

 聞きたくない…

 

 そう思うのに体は動かず、自分を見つめるイタチの視線から目を離せない。

 そこに流れた時間はほんの数秒だったのかもしれない。

 それでも長く感じられた沈黙を経て、イタチの口から言葉が零れ落ちた。

 

 「これが最後だ」

 「………っ…!」

 ようやく止まった涙がまたあふれ、喉元まで言葉が込み上げる。

 

 …行かないで…

 

 しかし、その言葉は決して口にしてはならない。

 思わず両手で顔を覆うが、震えるその手をイタチがギュッと握って引き寄せ、顔を覗き込んでくる。

 「水蓮」

 「分かってる…分かってる…」

 覚悟してきたことだ。

 イタチが望み、共に目指してきた物。

 この日は避けられない。

 「分かってる…」

 

 でも、苦しい…

 

 …怖い…

 

 イタチの命が終わる。

 

 それは、想像を、覚悟をはるかに超えた恐怖。

 

 泣かずに送り出そうと決めていた心は、やはりほんの少しも平静を保てなかった。

 「ごめん…ごめん」

 両手でイタチの衣をギュッと握りしめる。

 「謝るのはオレの方だ。やはりお前を苦しめることになったな」

 水蓮は首を横に振る。

 イタチは優しく涙をぬぐいその両手で頬を包み込む。

 「お前に会えたことに感謝している」

 「…私も…私も…っ」

 息を詰まらせる水蓮の頬を、イタチの繊細な指が愛おしげに撫でる。

 「かつて愛する者の命を奪い、もう誰かを愛し愛されることは許されないとそう思った。だがお前がそれを許してくれた。オレを愛してくれた」

 水蓮の額に口づけを落とす。

 「お前は天がオレに与えてくれた奇跡だ…」

 「イタチ…」

 溢れる涙が止まらない…

 

 …行かないで…

 

 水蓮はその言葉がこぼれてしまいそうで、イタチに口づけた。

 

 抱きしめればその体は温かい。

 ほほに触れればとても柔らかい。

 指を絡めれば握り返すその手は力強い。

 見つめる瞳は美しく輝いている。

 

 それなのに、明日にはそのすべてが失われるのだ。

 

 信じられず、どこか非現実的。

 それでもそれが真実であり、現実なのだ。

 それなのに、これが最後だというのに、何を話せばいいのかわからない。

 何を伝えればいいのかわからない。

 水蓮の口が言葉を発しようとしては閉ざされ、何も見つけられない事が悔しくなりうつむく。

 「水蓮」

 しばらくの沈黙の後、イタチが静かに名を呼び、柔らかい声で言葉をつむぎ出した。

 

 

 「愛してる」

 

 「……っ」

 それは水蓮の心の中にまっすぐに染み込んできた。

 その言葉は、想いをつなげたあの日から、互いに口にしなかった言葉。

 それを言ってしまったら、最期の時に手を離せなくなると、そう思い口にできなかった。

 「水蓮。お前を愛してる」

 どちらともなく閉じ込めてきたその言葉が繰り返されてゆく。

 「イタチ…」

 ゆっくりとあげた水蓮の視線の先。

 イタチは微笑みながら泣いていた。

 「イタチ。私も愛してる…」

 想いを重ねる。

 「愛してる」

 そっとイタチの両手が水蓮の手を取る。

 合わせた瞳は何かを迷っているような、苦しげな色を浮かべていた。

 イタチはそれを押し込むように一度目を閉じ、ゆっくりと開いて言った。

 「お前にはこの先希望に満ちた未来がある。オレへの想いにとらわれ、いなくなったオレの存在に縛られて生きてほしくはない」

 水蓮の目が見開かれた。

 

 何を言おうとしているのか…

 

 何を自分に言うつもりなのか…

 

 心を寄せる人が現れたら自分に気兼ねなどするなと、そんな月並みの事を聞かされるのだろうか…

 

 優しすぎるイタチならそんな言葉を選びかねない。

 

 聞きたくない…

 

 「イタチ…私は」

 「だけど」

 イタチは痛いほどの力で水蓮の手を握りしめて、言葉を、想いを伝えた。

 

 「お前は誰のものにもなるな」

 「…っ…」

 

 息を飲み、見つめたイタチの顔はどこか苦しそうで、悲しげで、寂しげで、必死に懇願するような…

 ひどく幼げな泣き顔だった。

 「お前を誰にも渡したくない。誰にも触れさせたくない。だから…だから…」

 「ばか!」

 イタチの言葉を半ばに、水蓮はイタチを抱きしめた。

 「なるはずない!」

 強く強く抱きしめる。

 「あなた以外の誰かを好きになったりしない。私があなた以外の誰かを愛するはずがない!そんなはずない」

 互いの存在を確かめるように、しっかりと抱き合う。

 「私にはあなたしかいない…」

 

 …思えば、これが初めてかもしれない…

 

 いつも誰かのために戦い生きてきたイタチの、自分のためのわがままは…

 

 そしてこれが最初で最後

 

 「あなたしかいない」

 抱きしめるイタチはとても小さく感じた。

 互いの背を撫で、髪に触れ、唇を合わせる。

 イタチは心底安心したように笑み、瞳に強い光を宿した。

 それは、すべてを受け止め進む決意の色。

 これまでにも増して強くなったその光に、水蓮の心にも覚悟が下りてゆく。

 

 もう今日が本当に最後…

 

 もう自分がしてあげられる事はない…

 

 役目は終わったのだ…

 

 誰に告げられたでもなく、その事をかみしめる。

 

 でも一つだけ…。最後に一つだけ…

 

 水蓮は再びイタチを抱き締め、震える声で伝える。

 「イタチ、雷に気を付けて…」

 イタチの体がピクリと揺れた…

 それが終焉の合図…

 「私が絶対守るから。忘れないで。私を思い出して」

 

 ぽぅ…

 

 柔らかい光が水蓮からあふれ、イタチを包み込む。

 「あなたは大丈夫」

 コツリと額を合わせて水蓮は微笑む。

 「大丈夫」

 必ずやり遂げられる。

 「大丈夫」

 繰り返された言葉にイタチが小さくうなづいた。

 

 すぅ…と、合わせたままの額に光が集まり、静かに消えてゆく。

 

 そこに生まれたぬくもりを染み込ませるように二人は目を閉じた。

 

 ここまでの道のりが駆け巡って行く。

 

 出会い、ともに歩き、戦い…

 迷い、悩み、苦しんだ。

 

 大変な道のりだった

 

 互いに思いもよらない不思議と驚きの連続だった。

 

 そして、これ以上ないほどに幸せだった。

 

 2度と手にすることはないと思っていた、優しくて穏やかな時間を過ごすことができた。

 

 愛に溢れた時間を生きる事が出来た。

 

 『ありがとう』

 

 二人の声が重なり、静かな夜の中へと溶けてゆく。

 

 そっとイタチが水蓮に口づけ、促すように名を呼んだ。

 「水蓮…」

 「なに?」

 ゆっくりと目を開き、水蓮はハッと息を飲んだ。

 涙に濡れた水蓮の漆黒の目にうつったのは、赤く美しい…

 

 

 万華鏡



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第百三十章【生きろ】

 ほんの数秒だった。

 だがイタチの持つ万華鏡にはその数秒で十分であった。

 

 「どうして…」

 意識を奪われてはいない。

 「なんで…」

 言葉を紡ぐこともできる。

 「イタチ…」

 だが、体が自分の意思を受け取らない。

 腕が、指が、勝手に動きを作り出してゆく。

 

 イタチの意思に導かれて…

 

 ゆっくりとではあるが滑らかな動きで形作られてゆくのは印。

 それは水蓮がこの世界へと渡り来た時に使われた術。

 

 「どうして」

 この術を知っているのか…

 見せたことはない。見られたことはない。

 なのに…

 「どうして」

 イタチはその問いかけを読み取りフッと小さく笑った。

 「秘密だ」

 その笑みは少し得意げな色を見せた。

 「オレも隠すのは得意だからな」

 笑んだままの赤い瞳から涙がこぼれ、イタチの手の上に落ちた。

 「うまくなっただろ?」

 涙にぬれたその手が一つ一つ丁寧に印を組み、水蓮の動きを導いてゆく。

 「ひどい…」

 

 この時の為に…

 

 水蓮はグッと唇を噛んだ。

 

 イタチが自分からうずまき一族の術を教わってきたのは、この時の為だったのだ。

 複雑で独特な印の形に慣れるために。

 今というこの時に備えていたのだと、そう気づかされた。

 いつどうやって術の事を知ったのかは分からないが、イタチは最後のこの日に自分を帰すつもりだったのだと。

 

 「いや…やめて」

 

 そうして拒んでも印を組む手は止まらない。

 イタチが止めぬ限り。

 「もし時空が繋がらなくても、この術はお前を木の葉に導く」

 優しいまなざしで里を想いながらイタチは言葉を続ける。

 「そうなったらカカシさんを、はたけカカシと言う人物を頼れ」

 イタチは「知っているな?」と静かな口調でそう言った。

 水蓮はうなづくことも、言葉を返すこともしなかったが、イタチにはもう分かっているようであった。

 「カカシさんに会ったらお前の事をすべて話せ。必要ならオレの事も。あの人なら信じてくれる。うまくやってくれる」

 「いや!離れたくない!」

 言わずにいようと思っていた言葉があふれ出た。

 「お願い!私もつれて行って!一緒に行かせて!」

 「だめだ」

 「大丈夫だから。私ちゃんと残してきたから。伝える事はちゃんと…」

 それが剣の事であろうとイタチは「やはりな」と、少し呆れたように息をついた。

 万が一のことを考え、水蓮は剣の封印についての事をチャクラと思念と言う形で残してきたのだ。 

 水蓮の母親がそうしたのならば、その方法は記憶を通じて水蓮に引き継がれている。

 そう考えたイタチは水蓮がそうするかもしれないと読んでいた。

 最後の時に、自分と共に死ぬ気かもしれないと…

 「だめだ。お前はオレについてくるな。…サスケにも」

 水蓮は小さく息を飲み黙り込んだ。

 

 イタチとサスケの戦いの後、水蓮は自分はどうするべきなのかをずっと考えてきた。

 だが答えは明確にはならず、いくつもの選択肢が残った。

 

 その中でも強く心を占めたのは、イタチと共に逝くか、もしくはマダラより早くサスケとイタチのもとへ行き、二人を連れて時空間移動の術でとぶか。

 この二つであった。

 

 イタチはその考えさえも読んでいた。

 

 「マダラはおそらくサスケの力を狙っている。あいつのそばにいるのは危険だ。お前はマダラの正体を知っているからな。間違いなく殺される」

 「でも…一緒に木の葉へ飛べば」

 「だめだ。マダラはそんな隙を与えはしない。おそらくオレとサスケが戦っている間に狙ってくるだろう。お前では2度はあいつと戦えない」

 「だけど…」

 「水蓮」

 なおも抵抗しようとする水蓮の言葉を、イタチは少し強い口調で遮った。

 「だめだ」

 子供を諭すようなその言葉は、静かで優しい響きであると同時に、何物をも受け付けない強さを感じさせた。

 「もういい。もう十分だ」

 「そんな…」

 涙溢れて止まらぬ水蓮に、イタチは柔らかく微笑んだ。

 「お前はもう十分耐え忍んだ。もう離れろ」

 その言葉と同時に最後の印が組み込まれた。

 「……っ!」

 イタチの手が肩に置かれ、水蓮は思わずギュッと目を閉じる。

 …が、操られて練り込まれるはずだったチャクラの動きを感じられず、ゆっくりと目を開く。

 瞳に苦しげな表情のイタチが映る。

 無言の見つめ合いの中、肩に置かれたイタチの手に力が入り…

 

 「…くそっ…」

 

 言葉が吐き出された。

 体が小さく震えていた。

 「イタチ、お願い」

 「だめだ。…だめだ」

 細い肩を握りしめたままそう繰り返すイタチ。

 「なによ…」

 水蓮は自由を取り戻した自身の手をイタチの手に重ねて握りしめた。

 「この手を離せないくせに!」

 求めてやまぬ想いがあるというのに、自分を離そうとする。離れろと言う。

 「できないくせに!」

 「それでもだ」

 「やだ…。いや。お願い。一人にしないで」

 縋りつくようにイタチを抱きしめる。

 「だめだ」

 イタチは抱きしめそうになる感情を必死に押さえ込み、水蓮を引き離す。

 「大丈夫だ。お前は一人にはならない」

 「あなたがいなければ、誰がそばにいても私は孤独になる」

 「ならない。きっとすぐにわかる。だから心配するな。それに、オレ達はまた出会える」

 

 約束した100年の後に。

 

 「わかってる。でも私は」

 

 心の底に押し込めてきた物が、こらえきれずにあふれ出た。

 

 「今がほしかった」

 

 遠い未来に再び出会えることは確かに生きる希望となった。

 戦うための力となった。

 この魂は決して孤独にはならないという支えになった。

 それでも、ずっとその想いは拭えなかった。

 「あなたと生きる今がほしかった」

 震えるその声に、イタチは「そうだな」と小さな声で返した。

 「オレもだ。オレもお前と生きる今がほしかった。共に長く生きてゆきたいと、そう思った」

 その言葉は、水蓮の胸に痛みと悲しみ。そして切なさを刻み込んでゆく。

 だがその中には喜びに似た色がにじみを見せた。

 

 サスケのために生き、サスケのために死のうと決意したその生き様の中で、自分と生きる道を望んでくれていたのだと。

 

 たとえ叶わなくとも、自分との今を求める心を持っていてくれたのだと。

 

 それでも、ダメなのだ。

 自分と同じほどの深い想いを持ちながら、それでも離れろと言う。

 離すと決めたのだ。

 

 想いの深さが分かるがゆえに、その決意への苦しみもわかる。

 分かりたくなくても分かってしまう。

 

 分かってしまってはどう拒めばいいのか分からない。

 それはイタチを苦しめる事になってしまう。

 

 「水蓮…」

 言葉の出ない水蓮の髪を優しくなで、引き寄せそっと口づけてイタチは微笑んだ。

 「お前は生きろ」

 その言葉と同時に、水蓮の体が淡く光を放った。

 「…え…?」

 「なんだ?」

 水蓮がつぶやき、イタチが顔をしかめる。

 印を組み終わった術は発動を待ってはいたが、まだイタチは水蓮のチャクラを導いてはいない。

 「なに?」

 戸惑う水蓮の体が、ふわ…と僅かに浮き上がる。

 「水蓮!」

 思わずイタチが水蓮の手を取りグッと引っ張る。

 が、水蓮の体から放たれた光は徐々に強さを増し…

 

 「……やっ!」

 

 ふいに、グイッと体が強く引き寄せられる感覚…

 

 そして、

 

 ドクンッ…

 

 大きな鼓動が水蓮の体に響き…

 「……っ!」

 

 脳内に不可思議な感覚が走りぬけた。

 

 ドクンッ…

 

 繰り返される強い鼓動。

 

 ドクンッ!

 

 痛いほどの波打ちが起こるたびに同じ感覚が流れ込んでくる。

 

 「うそ…」

 

 恐怖にも似た感情が水蓮の瞳に映る。

 「どうして急に…」

 

 驚きに止まっていた涙が再びあふれ出した。

 水蓮が感じる感覚。それは、本体の目覚めの気配であった。

 

 「いや!戻りたくない!」

 イタチは事の起こりを悟り「そうか」と笑みを向けた。

 「それでいいんだ。お前は戻れ」

 水蓮は何度も首を横に振る。

 

 最期を見守ることも寄り添う事も許されず、この世界にとどまる事さえも叶わない。

 

 それは水蓮にとってはあまりにも辛かった。

 

 「いや…」

 

 必死に縋りつく水蓮をイタチはまるでこれが最後と言わんばかりに強く抱きしめ、そっと離した。

 「水蓮。今夜は星が降る…」

 イタチは本当に柔らかく優しい笑顔を浮かべている。

 「美しい星と共にゆけ」

 ふわり…とイタチからあふれ出たチャクラが水蓮を守るように包み込んだ。

 それは優しさと温かさを帯びながら、水蓮の中に入っていく…

 その様を見届け、イタチはそっと口づけて、ゆっくりと水蓮の肩を押した。

 「愛してる。水蓮…」

 イタチの手に押され水蓮の体がさらに浮き上がる。

 「イタチ。私も愛してる…」

 抗えない力に引き寄せられ、水蓮の姿が少しずつ薄れていく…

 「イタチ…」

 伸ばした手は、もう届かない…

 「水蓮。ありがとう」

 その笑顔は、今までで一番穏やかな、愛に満ちた優しい笑顔。

 「イタチ…」

 涙と自分を取り巻く光のまぶしさで視界がにじんでゆく…

 

 

 もうとどまれない…

 

 

 そう悟り、水蓮は涙を止められぬままイタチに笑顔を向けた。

 「待ってるから!」

 

 少しもうまく笑えてはいないだろう。

 

 それでも

 

 最後は笑顔を覚えていて欲しかった。

 

 視界が薄れ、イタチの姿が揺らぐ…

 

 「…これでやっと………」

 

 互いの姿が消えゆく中。水蓮はイタチの想いをその耳にとらえた。

 

 「…………」

 

 しかし最後に紡がれたその言葉は、はっきりとは聞こえなかった。

 

 

 目の前がまばゆく光り、何もかもを白く染め上げてゆく。

 

 

 

 その光の中に水蓮の意識が溶けてゆく…

 

 「イタチ」

 

 「水蓮」

 

 まどろみゆく景色の中、互いを呼び合う二人の声が静かに響いた…

 

 

 

 忘れない

 

 愛し愛されたあの日々を

 

 忘れない

 

 共に生きた光あふれるあの日々を…




いつも読んでいただきありがとうございます。
この回を書きあがってから、葛藤しておりました…。
投稿するかしないかwww(~_~;)
二人を離したくないな…と。自分で離しておいてなんですが
(>_<)
「どうしよう」って、投稿ボタンなかなか押せなかった(笑)

あ、あの、最終回ではないです!続きます(^_^;)
でも、この先はまだちょっと悩んでるところもあるので、いつものペースで書けるかどうか不安です(-_-;)
頑張ります☆

あぁ…しかし、とうとう二人を離してしまいました。(しつこいw)

なんか今日眠れそうにないな…

まぁ、とにもかくにも進むしかない!
これからもよろしくお願いいたします(*^_^*)


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第百三一章【イタチと鬼鮫】

注:ナルティメットでの場面が一部引用されております。
ご了承のほどよろしくお願いいたします(*^_^*)


 過去に一度だけ父とこの場所に来たことがあった。

 

 時間をさかのぼり、イタチは記憶をたどった。

 

 木の葉の里が創設される前、うちは一族が拠点として使っていたと、それを口火に父は一族の事を語った。

 

 

 父の声を思い出しながらイタチはアジトの中心部へと続く道を進む。

 

 

 

 『この場所の事は、祖父から教わった』

 懐かしげに眼を細めていた父の顔が浮かぶ。

 普段堅苦しい人物だったが、なぜだかその時は随分と柔らかく感じられた。

 

 珍しく隣を歩くように言われ、横に並んだあの時の感覚は今でも忘れられない。

 

 気恥ずかしいような、嬉しいような。

 胸の奥がくすぐられるような、あの時イタチはそんな心情だった。

 それは父も同じだったのか、しばらく無言で歩き、「あー。その…なんだ」ともごもごと口を開き「天気がいいな」と、どこかそわそわとした様子で空を見上げた。

 

 あの日は曇りだった。

 

 何と返せばいいのか。

 気まずい息子。

 

 しまった。

 と固まった父。

 

 顔を見合わせて、二人苦い笑いを交わした。

 

 それから父はうちはの歴史を語った。

 戦に明け暮れた過去。千手との因縁。里の創設。

 そして一族の血統の大切さと、それを守ることの重要さ。

 うちはは代々血を守り生きてきたと。

 その大切さを幼いころから身に染み込ませて生きるのだと。

 だからこそ一族間の結束が強く、決して身内を裏切ることはしない。

 愛の深い一族なのだと。そう話した。

 だがそれゆえに視野が狭くなることもある。と、父は言った。

 外に目を向け、外を知ることに、無意識に恐怖を抱くのだと。

 これが正しい。これこそが自分たちの生きる唯一の道なのだと、そう信じて生きてきた者にとって、異なる道は恐ろしい。

 目を背けたくなるものなのだと。

 

 『イタチ。お前は他の誰にもない物を持っている』

 父はあの日の最後にそんな話をした。

 『誰にもない物?』

 回りとは少しかけ離れた力の事を言っているのだろうかと、イタチはそう思った。

 だが父の答えは違っていた。

 『その眼だ』

 ドキリとした。

 しばらく前に開眼したうちはの眼。

 そのきっかけとなったのは同じ班の仲間の死と、それを防げなかった自分の無力さへの落胆。

 イタチの脳裏にそれが蘇った。

 だが「違う」と言葉をかけられた。

 向き合い、静かな声で。

 『写輪眼の事を言っているのではない。お前の持つ本来のお前の瞳だ』

 どういう事だろうかと顔をしかめると、父は少しだけ笑ってイタチの頭に手を乗せた。

 驚きにイタチは体を固めた。

 こんな事はいつぶりだろうか。

 思い返してみてもその光景は浮かばない。

 『お前の瞳は物事の本質を見抜く。本当に大切な物が何なのかを。だがそれ故に辛い思いをすることも少なくはないだろう。真実はいつも自分の味方とは限らない。自分を守ってくれるとは限らない物だ』

 自分にそんな力があるとは思ってはいなかったが、父の言っている事は理解できた。

 イタチは「はい」としっかりとした口調で返した。

 その時の父の表情は、ひどく複雑な物だった。

 嬉しいのか悲しいのか。苦しいのか。

 心の読み取れないその表情のまま、空を見上げて小さな声でつぶやいた。

 いつの間にか晴れ渡っていた青い空に向かって放たれた言葉。

 あの時ははっきりと聞こえなかった。

 だけれでも、不思議と今その声がはっきりと聞こえる。

 父はただ一言…

 

 『すまない』

 

 そう言ったのだ。

 

 その後も幾度かは二人で話すこともあった。

 ほとんどは里とうちはについての事であったが、ごく稀にこうした親子の時間を過ごした。

 本当にほんの少しだけ。

 その時の父と、そうでないときの父の違いに、イタチは困惑した。

 

 父親としての穏やかな空気。

 

 長としての厳格で、狂気にも似た恐ろしい空気。

 

 どちらが本当なのか。

 自分には父の言ったような力はない。

 どれが父の真実なのか、結局わからなかった。

 だが今こうも思う。

 

 あの時の父は今の自分と同じだったのではないかと。

 

 サスケへの自分の生き方と、父の自分への生き方。

 

 それはひどく似ている。

 

 父である自分に、そして一族に落胆させ、離そうとしたのではないか。

 

 守るために…

 

 

 すべては想像でしかない。

 父や母の事を考えると、結局は何もかもが自分の想像。

 

 それでも…

 

 イタチはあの日の記憶から心を戻し、空を仰ぎ見た。

 

 まぶしいほどの青が、大きく、深く広がっていた。

 

 

 

 

 「お一人ですか」

 背中にかけられた声に振り返らぬままイタチは立ち止まった。

 その行為にどこか嬉しそうな空気を漂わせながら、隣に並び立った男は小さく一つ息を吐き出した。

 

 背後から声をかけられるのは嫌いだ。

 忍びなら誰しもそうだろう。

 場合によっては瞬時に切り捨てる。

 それをしないのは、振り向かぬのは信頼がある証。

 隣に立つ男は仲間ではない。信頼などしていない。

 だがそれにも似た感情はもはや隠す必要もない。

 イタチはフッと小さな笑いを落とした。

 

 あえて背後から声をかけてきたこの男の行為がどこかおかしかった。

 

 何かを確かめようとするようなその動きが。

 そして少し喜びの気を見せたことが。

 

 いつからこの男はこんな人間臭い一面を見せるようになったのか。

 いや、もともと持ってはいたがこうも分かりやすくはなかった。

 

 それはきっと水蓮に出会ってからなのだろう…

 

 「どこに置いてきたんですか?」

 その存在を探す鬼鮫に、イタチは目を向けぬまま答える。

 「あいつは帰るべき場所に帰った。もう会う事はないだろう。お前も、オレも」

 「組織が黙っていないですよ」

 当然の言葉だった。

 だがそこには咎めではなく、また何かを確かめるような不安げな色が見えた。

 イタチはゆっくりと空を見上げて笑んだ。

 穏やかに、柔らかく。

 「届かないさ」

 それは声にさえ現れて、鬼鮫はその空気に驚いていた。

 水蓮がいない場所で自分にイタチがこんな姿を見せたことがなかったからだ。

 二人の時は決して緊張と警戒のすべてを解くことはなかった。

 自分も…。

 その空気に誘われて、鬼鮫の体からも今までになく力が抜けた。

 「届きませんか」

 同じように空を見上げる。

 「ああ。誰にも届きはしない」

 それがどういう事なのか鬼鮫にはわからない。

 それでも、イタチが言うのならそうなのだろうと…

 

 安堵した

 

 

 「そうですか」

 イタチはうなづきようやく鬼鮫に眼を向けた。

 「すまないな」

 勝手な事をしたと、そう言うイタチに鬼鮫は笑って返した。

 穏やかなままのイタチの表情がおかしかった。

 「すまないという顔ではありませんけど」

 「そうか」

 「そうですよ。でもまぁ、構いませんよ」

 肩を無防備に落として、鬼鮫はもう一度空を見上げた。

 「あなたのやりたいようにすればいい。それに、もう別れは済ませてある」

 小さな薄い雲に一瞬隠れた太陽が顔を出し、まぶしい光が溢れ漏れた。

 その光に目を細める鬼鮫を見てイタチは思う。

 

 人生において最も長く組んだのはこの男だったなと。

 

 いわば監視の対象であった干柿鬼鮫と言う忍は、従ずることに純粋で、ある意味まっすぐで真面目で、頭が良かった。

 こちらのいう事やる事に口を出さず、得体のしれない水蓮を受け入れ面倒を見て、組織を抜けたと知っても追おうとしない。

 組織の指示を待つつもりなのかもしれない。

 それでも今のこの男はおそらく水蓮を殺せない。

 捨てたと思っていた【人】としての部分を思い出してしまったのだ。

 自分と同じく。

 【忍】として生きる道を選んだはずでありがなら、【人】としての生命を捨てきれなかった。

 いや。捨てられないのだと気づいた。

 

 自分たちは、結局所詮は【人】なのだ。

 

 それを認めているのかいないのか分からないが、どうやらその事を干柿鬼鮫と言う男はそう悪くないと感じているようだ。

 

 

 そこに生まれる様々な矛盾は、自身を苦しめかねないというのに。

 

 

 イタチは鬼鮫と同じように空を見上げて言った。

 

 「お前は案外バカだな」

 

 何が…と一瞬いぶかしげな顔を向けた鬼鮫であったが、すぐに何か腑に落ちたように笑い、また空を見上げて返した。

 

 「あなたも結構な馬鹿ですよ」

 

 

 「そうか」

 

 「そうですよ」

 

 

 忍は「もし…」という考えはしない。

 だが人として考えるならば、もし違う出会いができていたならと思う。

 

 

 互いに…

 

 

 「そうだな」

 

 「そうですよ」

 

 

 凪いだ風は清々しく

 

 揚々と森を埋め尽くす緑の葉が静かにさざめいた…

 

 「さて、と」

 鬼鮫のその声は、まるで茶屋から出るような気軽さであった。

 「ああ」

 答えたイタチもまた、同様に…。

 だが次の瞬間。

 

 ヒュゥッ

 

 短く切れの良い音が空気を裂き、鬼鮫の持つ鮫肌とイタチの手にあるクナイが二人の間で重なった。

 

 ガッ!と、鈍い音が立ち細かい火花が光る。

 「それでこの鮫肌を受け止めるのはやめてほしいですね」

 重い一撃を小さなそれで受け止められると、さすがに気が悪い。

 鬼鮫はそう言って苦い笑いをこぼした。

 「そう言われても…な」

 重なる刃の支点をずらし、鮫肌をはじいてイタチが鬼鮫の脇腹を蹴りで狙う。

 その足を手のひらで受け止めてイタチを押し飛ばし、鬼鮫は鮫肌を地に突き立て印を組んだ。

 「水遁!雨刺鮫(あめしこう)!」

 足元にある水の溜まりに手をつきチャクラを流し込む。

 ばしゃり…と水が跳ね、宙に舞い上がった。

 それは鮫の姿となりイタチに襲う。

 

 しゅっ!

 

 イタチのクナイが空気を裂きその水の塊の中に沈み…

 

 どぅんっ!

 

 仕込まれた起爆札が大きく爆発を起こした。

 

 裂かれはじかれた水の鮫は霧散したが、しずくの全てがが再び凶暴な鮫の姿へと成り替わり執拗にイタチに迫る。

 

 イタチが目を細め、鬼鮫が不敵に一つ笑った。

 

 「これを全てかわすのは、さすがのあなたでも不可能」

 「………」

 鬼鮫は無言を返すイタチに向かい鮫肌を振りかざし駆ける。

 かわしきれぬと悟ったのかイタチはその場を動かず、鮫肌をその身に受けた。

 が、攻撃を受けたイタチの姿が揺らぎ、黒いカラスの群れが舞い広がった。

 

 「まぁ、そうでしょうね」

 無表情な鬼鮫の声が静かに空気に染み入り、その背後に気配が一つ生まれた。

 ザァッ!と空気をなぎながら鮫肌が一閃され、鬼鮫の怒号と共に繰り出されたその一撃をイタチがまたもクナイひとつで受け止める。

 互いの刃が…体術が、激しくぶつかり合い森を騒がせて行く。

 幾度かの衝突を経て二人は鮫肌とクナイを重ねて対峙し合った。

 ギリギリと鈍い音を立てて押し合う中。鬼鮫は瞳に厳しい色を浮かべて言った。

 「試させていただきますよ。あなたが本当にうちはサスケと戦えるのかどうか」

 「ずいぶん慎重だな」

 「どうにもこれは組織にとっては重要な物のようですからね。しっかりとやり遂げていただかないと困るんですよ」

 ぐっ…と鬼鮫の腕に力がこもる。

 その重い押しを受けながら、イタチが小さな笑いを浮かべた。

 「余裕ですか」

 「いや…」

 違うとそう言い、イタチはぐいっと鮫肌を押し鬼鮫に身を近づけた。

 「お前、嘘が下手になったな」

 「……?」

 鬼鮫が虚を突かれたように気の抜けた表情を見せ、イタチがさらに身を近づけた。

 「くだらない理由付けだ」

 

 ぶつかり合う視線。

 鬼鮫はクツクツと喉を鳴らして笑いをこぼした。

 「そうですね。そういうのはもういりませんね」

 押し合う力を互いに強める。

 心底面白そうに笑う鬼鮫の顔が鮫肌の向こうにのぞき見えた。

 

 「あなたとはこうして本気でやり合ってみたかったのですよ」

 

 ざわっ!

 

 鮫肌が音を立てて震え、鱗のごとき刃を波立てイタチの頬をかすめた。

 地を蹴り飛びすさり互いに距離を取る。

 「鮫肌もいつになく喜んでいますねえ」

 鬼鮫の感情に同調するかのごとく鮫肌が身を震わせた。

 その鮫肌を大地に突き刺し、鬼鮫は印を組む。

 素早いその動きをイタチは写輪眼でしっかりととらえ、対抗する。

 

 「水遁!水鮫弾の術!」

 

 「火遁!豪火球の術!」

 

 両者の力がその中心でぶつかり合う。

 

 ゴォゥッ!

 

 激しい衝突に蒸気が生まれる。

 それはぶわりと広がって視界を埋め尽くし、森の広範囲に向けてはじけた。

 

 が、その霧むせぶ白の中。

 本の刹那。赤が光った…

 

 何者にも気づかれぬほどの景色の揺れ。

 

 「…………」

 追撃に備えて鬼鮫が無言のままに鮫肌を手に取る。

 

 カチリ…

 

 硬い音。

 

 そこに向けて鬼鮫が視線を落とせば、自身の首元でクナイが光っていた。

 

 「終わりだ」

 

 ほんの少しも気配を立てず、鬼鮫の背を取ったイタチが低い声を響かせた。

 その声に鬼鮫は軽い口調で返す。

 「写輪眼ならこの霧の中でもわずかな影を捉え背後から抑える事が出来る」

 

 ふぁさり…

 

 二人の頭上を一羽のカラスが静かに舞う。

 

 その瞳は紋様を浮かべた赤…

 

 その瞳に映る鬼鮫が一つ笑みを落とした。

 

 「お見事…と言いたい所ですが」

 

 ぱしゃんっ!

 

 言葉の終わりと共に機鮫の体が水となりはじけて大地に落ち、イタチの足元に小さな水たまりを作った。

 その水の揺れをほんの少し目に映し、イタチは見つけた気配に視線を流した。

 「それを読んだ上の水分身というわけか」

 赤い視線の先。イタチの背後には鬼鮫の姿があった。

 

 喉を鳴らして鬼鮫が嬉しそうに笑い、鮫肌をイタチの肩へとかざして見せた。

 「相手の背後を取るのにここまで苦戦したのは久しぶりです」

 「…………」

 

 すぅっ。と、イタチの瞳が紋様を変えてゆく。

 

 万華鏡へと…

 

 そこに練り込まれたチャクラを感じ取り、鬼鮫はさらに嬉しそうに笑った。

 

 「嬉しいですねえ。あなたがその瞳術、天照を繰り出そうとするほど本気とは。ですがその瞳術はチャクラを消費しすぎる」

 

 述べられてゆく鬼鮫の言葉の合間に、空から一枚。黒い羽根が舞い落ち地面の水面を揺らした。

 

 「この後のサスケ君との戦いに響くのでは?」

 

 どこか優越を含んだその声の響きに、一枚また一枚と黒い羽が揺れた…

 

 

 言葉を発せぬままイタチはその黒を見つめる。

 

 そうして話さず動かずのイタチに鬼鮫はフッ…と、ひとつ最後に小さく笑い鮫肌を静かに引き上げた。

 

 「やれやれここまでにしましょう。私もあなたのその覚悟で満足することができましたからねえ」

 

 静かに鮫肌が引かれる。

 

 その様子を微動だにせず佇むイタチの声が森に浮かんだ。

 

 「元よりオレの望んだ戦いではない」

 

 しかしそれは鬼鮫の目の前にいるイタチから発せられた声ではなかった。

 

 

 キィィィィィィィンッ!

 

 

 硬い金属音が鬼鮫の耳の奥に直接響いた。

 

 

 景色が赤く染まり、すぅ…と元の色を取り戻してゆく。

 

 すべてが本来の色に染まりきった後には、鬼鮫の目の前にいたはずのイタチの姿はなく、その背後。少し離れた場所にイタチの存在があった。

 

 …つ…

 

 鬼鮫の額から汗が流れた。

 「さすがですねぇ。この私に冷や汗をかかせるとは…」

 

 いつから…

 

 ゴクリと喉を鳴らし、鬼鮫は思い返す。

 だが読み取れなかった。

 自身がイタチの幻術にはまった瞬間を…

 

 一体どこから自分は幻術の中で戦わされていたのか。

 少しも見当がつかぬ事ではあったが、ただ一つ分かったことがあった。

 

 

 勝てない…

 

 

 面白くないような、おもしろい事の様な。

 奇妙な感覚に鬼鮫は困惑した。

 それでもこの様子ならうちはサスケとの戦いにそう支障はないのであろうと、安堵する気持ちもあった。

 そして、二度とこうして戦う事はないのであろうと、心のどこかに風が吹くような感覚も…

 

 複雑な心境の鬼鮫に、イタチは特に感情を浮かべぬ顔で静かに言葉を放つ。

 「サスケとは二人で戦いたい。ほかの者の足止めを頼む」

 

 鬼鮫は一瞬虚を突かれたような顔をした。

 そこにいるイタチの表情が、これまでになく無表情でありながら、これまでになく自然であったから。

 

 

 「いいでしょう」

 

 鬼鮫もまた知らず素のままの表情で返す。

 今度はイタチが一瞬戸惑い、ほんの一瞬笑んで鬼鮫に背を向けた。

 その背に鬼鮫の声が飛ぶ。

 

 「しかし、ずっと行動を共にしてきたあなたとここで別れるのは寂しいですねえ」

 

 取り繕ったようなその口調。しかし実のところは案外本心でもあった。

 イタチは何かを返そうとほんの少し口元を動かしたが、何も言わぬことを選んだ。

 

 自分たちには、それがいいように思えた。

 

 ただ静かにその場から歩み去って行く。

 

 

 自分を待つサスケ

 

 

 自身の最期

 

 

 そして、希望ある未来を見つめて



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第百三二章【兄と弟。戦いの幕開け】

原作の描写を引用しております。
ご了承のほどお願いいたします。


 小さな命が生まれたあの日の事を、今でも覚えている。

 父も、母も、今まで見てきた中で一番幸せそうな笑顔だった。

 二人の目からぽろぽろとこぼれる涙の一つ一つにさえも、幸せが溢れていた。

 だから、オレも泣いた。

 悲しくなくても、人は泣くのだと初めて知った。

 嬉しくて流す涙もあるのだと。

 

 

 小さな小さなその命は、本当に小さいくせに、泣く声は大きかった。

 計ったように3時間に一度起きてきては泣き声を上げ、母を求めた。

 朝でも昼でも、夜中でも。

 おなかがすいたと泣くその声は、少しも嫌に思う事はなく、かわいくて仕方がなかった。

 オレの顔を見て泣きやむお前を見たときは、大きな安心感に包まれた。

 自分はお前にとって必要な存在なのだと…

 自分はここにいてもいいのだと…

 いつも居場所を与えられているようで心地よかった。

 自分はこの世に生まれてきてよかったのだと、そう思わせてくれた。

 

 

 大きくなってゆくお前に、オレ達はいつも振り回されていた。

 何でも口に入れる時期には、せわしなく動くお前の後をついて周り、手にした物を取り上げては泣かれ、なだめてと、そんなことの繰り返しだった。

 つかまり立ちを始めると、さらに目が離せなくなり、物を置く位置がどんどん高くなっていった。

 高くなると今度は物が落ちては危ないと、棚には父の手によって扉がつけられていった。

 ずいぶん手際がいい父を不思議に思っていると、母が笑って言った。

 「あなたの時もお父さんがつけてくれたのよ」と。

 オレが大きくなり一度外したそれを、父さんはどこか嬉しそうに取り付けていた。

 オレの時も、あんな顔をしていたのだろうか…。

 想像して、そうだといいなと思い、そしてもしそうなら嬉しいと思った。

 オレは案外気難しくて頑固な父さんの事が好きだったのだと、気づかされた。

 

 

 歩き出すといよいよ本格的に目が離せなくなって、眠っている間も誰かが必ずそばについていなければならなくなった。

 目を覚ましたら勝手に歩いて家の中をうろうろしてしまうから。

 一度そうして縁側から落ちそうになって、母さんが瞬身で助けたことがあった。

 初めて見たそれは見事なもので、母さんが忍だったという事を思い出した。

 改めて、そうだったと思った。

 

 お前は見たことがないだろ?

 母さんの瞬身は、本当に早かったんだぞ。

 

 きっと、すごい忍だったに違いない。

 

 

 歩き方がしっかりしてくると、今度は走り出す。

 その頃のお前は何が面白かったのか、オレと目が合うと「きゃー!」と叫んで走って逃げる事にはまっていた。

 始めはオレも面白くてそうやって遊んだりもしたが、危ないと思い目を合わせないようにしていると、お前は大泣きした。

 急に「ごめんなさいー」って、そう言って大泣きした。

 オレが何か怒っていると、そう勘違いして。

 なんだか申し訳なくて、泣き止まないお前を見ているうちにオレも悲しくなって、一緒に泣いた。

 何事かと駆けつけた父さんが事情を知って、大きな声で笑ったのを覚えている。

 そんな父さんを見たことがなかったから、オレもお前も驚いて泣き止んだ。

 あの時父さんはオレ達を抱きしめてくれたんだったな。

 

 いつまでも笑いがおさまらず揺れていた背中に手をまわした時、父さんの背中がすごく大きくて広くて、あたたかい事を知ったんだ。

 

 

 家族の絆

 

 ぬくもり

 

 大切さ

 

 そして自分が生まれてきたことの意味を、お前はオレに教えてくれた。

 

 オレはいつもお前に支えられ、生きる力を与えられてきた。

 お前からもらってばかりだった。

 そうして大切な物をもらったというのに、オレがお前に与えた物は

 

 恨み

 

 憎しみ

 

 悲しみ

 

 そして孤独

 

 ひどい兄だな。

 

 だけど、オレ達は唯一無二の兄弟だ。

 

 オレはお前の兄だ。

 

 だから、最後にお前に残していくよ。

 オレの力を。この眼を。

 

 どうか受け取ってくれ。

 そしてこの辛く悲しい現実を、生き抜いてくれ。

 

 そのために

 

 

 オレを

 

 

 オレの命を

 

 

 超えて行け

 

 

 「サスケ」

 

 

 うす暗闇の中、イタチの低い声が響いた。

 その響きの向かう先には、兄を睨み付ける弟の赤い瞳が光っていた。

 そこに浮かぶ紋様は基本巴の写輪眼。

 同じ色を浮かべた目でその深い光を見つめ返し、力を探る。

 どうやら流れるチャクラを見る限り、サスケは万華鏡を開眼してはいないようであった。

 「その写輪眼」

 イタチは静かに言葉を発した。

 「お前はどこまで見えている」

 兄の問いかけに弟は答えた。

 見ているのはあんたの死にざまだと。

 憎い仇を目の前にして、やはり頭にのぼった血は熱いらしく、イタチは少し眼を細めてサスケを見据えた。

 目的を前に熱を上げ冷静さを失うようでは、甘いのだ。

 感情をどのようにコントロールするのか。

 それができるのか。

 

 まずは試させてもらう…

 

 「では…」

 

 イタチの瞳の赤が光りを放った

 

 「再現してみろ」

 

 

 長い年月を経てようやくたどり着いた兄と弟の戦いは静かに始まった。

 お互いに一歩も動かぬままに…

 

 始めに仕掛けたのはどちらだったのか。二人はそれぞれに作り上げた幻術の中を渡りながら、力をぶつけ合ってゆく。

 その力は拮抗しているようにも見えたが、うちはの血を持つ者とそうでない者の教えの差か、やはりイタチの力が幾分か上回っていた。

 だがそれはさほど問題ではなかった。

 重要なのは感情のコントロールなのだ。

 それができなければその隙に入り込んだ相手の感情の力に圧倒され、抜ける事の出来ない幻の奥深くへと落ち入ってしまう。

 しかしコントロールすることができたなら、必ずどこかに出口を見つける事が出来る。

 精神力の強さが重要なのだ。

 うちはの強さは幻術をかける強さではない。

 幻術を見抜く力こそが真意なのだ。

 それを見つける事が、幻術の強さにもつながる。

 

 怒りと憎しみに染まり生きてきたサスケがその事に気付いているのかどうか…。

 

 もっとも重要な根本となるその事を確かめたかった。

 

 そのためにイタチはサスケが仕掛けてくる幻術を受け止めながら自身の術を絡ませてゆく。

 徐々に強さを増し、サスケのそれを導き高めてゆくように。

 

 そうして幾度かの幻術を重ね、イタチは安堵の色をにじませた。

 小さかった弟は、恨むべき兄を目の前にしっかりと冷静な心を持ち挑んできていた。

 感情に飲まれる事なく、幻術に心をとらわれることなく。

 その冷静さを確認し、イタチはサスケにうちはマダラの存在を語り、次なる段階へと進めるためにグッと目に力を込めた。

 しかしその視界がうっすらと滲む。

 

 あまり時間はない。

 

 それでも見せておかねばならない物がイタチにはあった。

 

 「少し昔話をしてやろう。うちはの歴史にまつわる話だ」

 

 そう切り出し、イタチはゆっくりと瞳にチャクラを集めてゆく。

 「かつてマダラには兄弟がいた。…弟だ」

 (いざな)った幻術の中で、イタチはマダラとその弟の姿をサスケに見せてゆく。

 

 写輪眼を…万華鏡を開眼した二人の運命。一族の闇深い歴史と狂気。

 そして万華鏡写輪眼の力と光を失わぬためのその仕組みを。

 

 いつかサスケの目が光りを失い始めたときに、どうすればよいのかを伝え残すために。

 

 自分のこの眼を必ず受け取るように。

 

 

 たった一つ。弟に残すことが許されたこの眼を…

 

 

 その想いをこめてイタチはさらに自分の心の中へとサスケを引きこんでゆく。

 その先にはイタチが作り上げた偽りの深層心理。

 

 光を失いゆく万華鏡を永遠の物とするために、弟の目を奪おうとする狂気に狂った兄の姿。

 お前はスペアなのだと。それこそがお前を生かしておいた理由なのだと、激しくサスケにぶつけて放った。

 

 作り上げたその存在は、怪しまれぬよう、見抜かれぬよう、本当の自分の居場所のぎりぎりに仕掛けた。

 自分の手助けがあるとはいえ、その深い場所にたどり着けぬようでは弱い。

 

 しかし兄の心配をよそに、弟はしっかりとたどり着いた。

 

 「すべてはこのためか」

 

 兄の見せたかったものをしかと受け止め、サスケは静かに呟いた。

 

 その体から醸し出される空気は冷たく、悲しげな揺らぎ。

 だがその奥からふつふつと熱く激しい憤りの湧き上がりを感じさせる。

 

 「やっとたどり着いた」

 

 きついまなざしでイタチを睨み付け、サスケは自身の気を研ぎ澄ませて行く。

 

 「目的を果たす時が来た」

 ぶつかりくるその気を身に受け止めながら、イタチもまた気を研ぐ。

 「お前にはオレの死にざまが見えているらしいが、万華鏡写輪眼を持つオレには勝てはしない。お前の目的は残念だが幻に終わる」

 なぜならば、万華鏡を持っていないからだと、イタチは念を押すように言葉を重ねた。

 だがサスケはひるむことなく言葉を返してきた。

 「あんたがいくらその眼を使おうが、このオレの憎しみで幻は現実になる」

 強い意志を秘めた赤い瞳が兄の万華鏡を睨み付ける。

 

 「あんたの現実は、死だ」

 

 …それでいい…

 

 深く光るサスケの瞳に、イタチは胸中で返す。

 

 何者をも寄せ付けぬ怒りと憎しみ。

 家族を、一族を奪ったオレへの恨みを忘れるな。

 それこそがお前の生きる力になるのだから…。

 

 これからも…

 

 

 互いの間に存在している空気が徐々に冷たさを帯びて一点に集約されてゆく。

 そしてその冷たさが極限をむかえ…

 

 

 …ボッ!

 

 

 サスケの腕につけた忍具から手裏剣が現れた音を合図に、二人の本当の戦いが始まった。

 

 

 無数の手裏剣が飛び交いぶつかり合う。

 

 硬い金属音のその中で、イタチは思い出していた。

 

 『新しい手裏剣術を教えてくれるって言っただろ』

 

 幼いころの弟の声が耳の奥を走り、頬を膨らませていた顔が浮かぶ。

 

 …そうだったな…

 

 イタチはほんの一瞬口元をゆるませて、手裏剣を投げ放った勢いのままに印を組み込む。

 

 やがてすべての手裏剣が放たれ、二人は瞬時に距離を詰めてその中心で互いの手をつかみ合った。

 

 押し合い、にらみ合い、次の一手を読み計る。

 

 先に仕掛けたのイタチであった。

 サスケと組みあうイタチの背後から、さっとイタチの影分身が飛び出でてクナイでサスケを狙う。

 

 サスケは動揺はせぬものの、いつの間に組まれていたのか分からぬ印に目を細めた。

 

 

 そうだサスケ。これも一つの手裏剣術だ。

 

 覚えておけ。

 

 

 シュッと影分身の放ったクナイが空気を斬った。

 

 それを防ぐべくサスケは埋め込まれた呪印の力を練り上げる。

 ボコリと肩が盛り上がり、そこから生み出された大きな白い蛇がサスケの体を包み守った。

 

 なるほど…。これが呪印の力か。

 

 もとは大蛇丸の術であるそれは、長い期間を経てすっかりサスケのチャクラになじみ巣食っているようであった。

 

 サスケの体から引きはがすには、まず本人のチャクラを限りなく空に近づけねばならない。

 そうなれば自由になった大蛇丸の力がサスケを取り込もうと表に出てくるだろうと、イタチはそう考える。

 

 もっともチャクラを多く消費させるには…

 

 やはり幻術での戦い。

 

 長引かせるわけにはいかないこの戦いで、イタチは自身の消費も覚悟の上で高密度の幻術をサスケに仕掛けた。

 

 

 見抜けよ。サスケ。

 

 

 これを見抜くことができたなら…。

 

 イタチの脳裏にマダラの姿が浮かぶ。

 共に過ごす中で、唯一イタチの力がわずかに勝っていたのが幻術であった。

 それでもその力で全てに対抗できるわけではなかったが、サスケが自分の月読を返せたのなら、その力はいざという時の救いになるだろう。

 なによりその場面を今ここでみせしめる必要があった。

 

 暁に。ゼツに。マダラに。

 

 見張られているこの戦いの場で、サスケのその力を見せねばならない。

 

 体の弱り始めた自分に勝てぬようでは…。その幻術を返せぬようでは弱い。

 

 そう認識されては困るのだ。

 

 

 この戦いの後おそらくサスケは動けぬ状態になるだろう。

 その時写輪眼を持つサスケをマダラが放っておくとは思えない。

 木の葉に渡り敵に回す様な事はしないはずだ。

 

 そうなれば、マダラの選択肢はサスケを仲間に引き入れるか、殺すか。だ。

 

 マダラの手の内に引き込まれてはならない。だがマダラが手駒に…と思えるほどの力がなければサスケは殺されてしまう。

 そうならぬために全力でかからなければならない。

 全力の自分に勝つサスケの姿を見せつけねばならない。

 うちはサスケは利用価値があると感じさせなければ。

 

 もしもそれでマダラに引き込まれても、サスケにはナルトがいる。

 里の仲間がいる。

 必ず救い出してくれるはずだ。

 それを信じて自分の成すべきことをする。

 

 

 グッと体に力を込めて、イタチは深く厚くチャクラを練り込み術をかけ、サスケの目を奪うその光景を作り上げた。

 

 現実として見せられたその光景の中、サスケは片目を奪われ恐怖と痛みに苦しみもだえた。

 そのサスケにイタチは執拗に万華鏡写輪眼と、ただの写輪眼の力の差を誇示した。

 その力を欲するように。

 

 「もう片方ももらうぞ」

 

 ここが最も大きな分かれ道になるだろう…。

 

 

 どうか弟が自分の力を超えてくれるようにと、イタチは祈りにも似た想いで手を伸ばした。

 

 血に濡れた細い指。それが赤い瞳に届く寸前。

 

 ピシィッ!

 

 硬い音が耳に響き、イタチの作り上げた世界が音を立てて崩れ落ちた。

 

 万華鏡の持つ強い力を、万華鏡を持たぬ瞳が上回った瞬間であった。




いつも読んでいただきありがとうございます。
更新遅くなりスミマセン(-_-;)
いつもの倍近い時間がかかりました…。
流れと描写が難しくておろおろしていたのもありますが、やっぱりこの箇所はイタチが辛すぎてなかなかうまく書き進められませんでした。
しかも長くなってしまって一話で終わらすことができなかった(>_<)
書いていたら知らない間に8000字超えていて。
二つに分けました(^_^;)

原作にとっても大きな起点となった兄弟の戦い。
うまく描けているのかどうかわかりませんが、自分なりの想いはいっぱい込めました!
次回、またちょっと時間かかるかもしれませんが頑張って書きますので、何卒よろしくお願いいたします(*^_^*)

いつも本当にありがとうございます☆


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第百三三章【兄として】

原作の描写を引用させていただいています。
ご了承の程お願いいたします。


 先に崩れ落ちたのはサスケであった。

 月読を返したことでかなりのチャクラを消耗し、それが体への負担となってサスケを襲う。

 荒い息で肩が大きく揺れる。

 その揺れがイタチの目にうつり、かすみ…うすれ…

 ガクリとイタチの体も膝から崩れ落ちた。

 「…っ!お前…」

 術を返された反動でイタチの全身を激しい痛みが走った。

 特に月読を繰り出した左目の痛みは強く、体が小さく震えた。

 「…オレの月読を」

 きちんと返したことに安堵しながら、手で瞳を抑え込む。

 「言ったはずだ。あんたがいくらその眼を使おうと、このオレの憎しみで幻は現実となると」

 言い放ったサスケの言葉を聞きながら、イタチはゆっくりと立ち上がる。

 

 幻は現実に…

 

 

 イタチの脳裏にはごくまれに自分の夢に現れる、幸せな家族の場面が浮かんでいた。

 自分自身で作り出した幻術の様な…あの幻。

 

 そして、心に描いた大切な人との温かい未来。

 

 

 お前は現実にしろよ…。

 

 「それこそ、そのセリフそのまま返しておこう」

 すぅっ…と、イタチの体から醸し出される空気が変化してゆく。

 さらに鋭く。さらに厳しく。恐ろしいほど静かな物に。

 

 終わりは近い。

 

 研ぎ澄まされたイタチの感受の力がそう告げている。

 

 本気で行くぞ。

 

 力を込めて印を結ぶ。

 閉じた右目に徐々に熱い熱が集まりくる。

 

 ついて来いよ。サスケ。

 

 最後が近いというこの状況。

 されどイタチの心は場違いなほどに躍動していた。

 

 

 ようやくだな。

 

 

 『修行つけてよ』

 

 

 懐かしい光景が浮かぶ。

 純粋に自分の背を追ってきた弟の姿。

 遠ざけるためにいつも「また今度だ」と、突き放してきた。

 だけどやっとこうして向き合えた。

 

 ずっとこうしてお前と戦いたいと思っていたんだ。

 力をぶつけ合い、共に高め合って行きたいと。

 

 あの時お前の想いには応えてやれなかったが、今やっと…

 

 胸の内でイタチは笑みを浮かべた。

 

 待たせたな。サスケ。

 

 ようやくのお前との時間だ。

 

 イタチにとってのこの時間はまるで兄弟での修行の様に感じられた。

 とはいえ、やはり力をつけたサスケとのそれは簡単な物ではない。

 印を組ませぬスピードで放たれた大型の手裏剣。

 かわそうと身をかがめて気づく。

 一枚ではなく二枚の手裏剣が風を切り向かってくる。

 

 影手裏剣の術か…

 

 大ぶりな手裏剣で行うのはコントロールが特に難しいその術。

 サスケはそこにさらに千鳥を組み込みイタチを狙う。

 イタチは赤い瞳を光らせ、動きを見切り二枚の手裏剣の間をすり抜けた。

 

 が、刹那に手裏剣の刃が外れてはじけ、そのうちの一つがイタチの足に深く突き刺さった。

 ドサリと体が床に落ちる。

 見ればサスケが腕につけたワイヤーを引きちぎり、口角を上げていた。

 

 仕込み手裏剣…。

 

 実にうまく仕込まれていたそれにイタチはただ素直に感心した。

 が足から伝わる重い痛みに顔が歪む。

 

 決して避けられぬものではなかったが、月読を返されたことによるダメージと、これまでに積み重なった瞳への負担。それらによる目のかすみがイタチの動きを鈍らせた。

 「くっ…」

 

 体を起こして刺さった刃を抜き捨てる。

 ズキリとしたその痛みは足だけではない。先ほどから瞳の痛みも増すばかり。

 赤い瞳に映るサスケの姿がにじんで揺れた。

 

 

 やはりあまり時間はないか…。

 

 

 惜しむ気持ちは抑えきれない。

 もっと長くサスケと共にいたいというその気持ちは。

 

 たとえそれが恨まれ憎まれての物だとしても、共にいたいと、やはりそう思わずにはいられなかった。

 

 だけど、これがもう最後だから。

 もう二度とお前とこうして手を合わせる事はないから。

 

 だから…サスケ。

 

 オレの力を思い知れ。

 この眼の力を思い知れ。

 

 そして必ず欲しろ。

 手に入れろ。

 

 そしたら、オレがお前の目となり力となりお前を守るから。

 

 どんなことがあっても、オレがお前を守るから。

 

 

 

 二人の戦いは火遁のぶつけ合いへと展開していた。

 場所をアジトの屋根の上…屋外へと移す。

 

 飛びあがりざまにイタチが印を組み火を放った。

 サスケはその炎から身を守るために呪印の力で姿を変化させ応戦する。

 

 静かにイタチが着地し、双方同時に印を組んだ。

 

 『火遁!豪火球!』

 

 ゴウッ!

 

 互いの炎が燃え揺れ轟く。

 

 サスケの炎はこれまでにチャクラを消費したにもかかわらず、しっかりとした手ごたえ。

 自分の炎を押してくるその威力に、たゆまず必死に力を磨いてきたのであろうことが読み取れる。

 一人でよくここまでと、嬉しくもあり、その場に自分がいられなかったことがやはり寂しくあった。

 

 ぶつかり合う炎はやがてイタチの力を押し始めた。

 だが炎で負けるわけにはいかない。

 

 よく見ておけよ…

 

 イタチの右目に力が集まって行く。

 深く熱く集約されたそれは解放を求めて大きく膨れ上がり…

 

 赤い雫が瞳から流れ落ちた。

 

 

 ― 天照 ―

 

 

 イタチの導きによって漆黒の炎が解き放たれた。

 それはサスケの赤い炎を食らうように広がり覆い、サスケの眼前に迫った。

 

 初めて見る黒い炎。

 

 ジリ…と、サスケの足が無意識に下がった。

 

 己の強いうちはの火を食い尽くした黒炎。

 サスケの心には知らず恐怖が生まれていた。

 だが次の瞬間。サスケの瞳が少し揺らいだことをイタチは見逃さなかった。

 何かを狙っているようなそんな揺らぎ。

 

 それが何か、イタチがその答えに至らぬままに、サスケが駆けだした。

 しかりとイタチを見据えたままで、円を描くように。

 

 …オレの炎を誘っているのか…

 

 どこかにそんなことを感じて、イタチは走るサスケを追うように天照を繰り出した。

 

 ほとばしる黒い炎はサスケの背をすり抜けてあたりの木々へと飛び散り、黒い焔を上げてゆく。

 それをちらりと目に映すサスケ。

 やはりこれを狙っているらしいとイタチは思い至るが、もうあまり時間がない。

 すでにチャクラの消費も激しい。

 そろそろ次の段階へ進めなければこちらのチャクラが先に尽きてしまう。

 イタチは抑えていた天照の速度を上げ、呪印の力で作り出されたサスケの翼へと黒い炎を焼き付けた。

 「ぐあぁぁぁぁっ!」

 熱に苦しみ地に伏せるサスケ。

 その様子をじっと見つめるイタチ。

 息が乱れ、疲労に肩が大きく揺れる。

 

 もう少し…。

 あと少しだ。

 

 スタミナもチャクラもゆとりある状態ではない。

 だがそれはサスケも同じであろうとイタチは一つ深い呼吸をした。

 自分の予想通りなら、天照を回避するためにサスケは変わり身を使うはずだ。

 それも気づかれぬよう高度な物を。

 

 それを確かめるべくイタチは静かにサスケに近寄る。

 ゆっくりと身をかがめ、倒れ込むサスケに手を伸ばす。

 が、指先が触れるその寸前。サスケの体が溶けて地面へと吸い込まれた。

 地面には亀裂が入っており、その割れの向こうにサスケの気配が感じ取れた。

 

 これは、大蛇丸の変わり身。

 

 以前見たことのあるその術。

 この術は他の術とは比にならないほどチャクラを消費する。

 

 これまでの流れを考えれば、もうサスケのチャクラは…

 

 イタチがそう考えた瞬間。ほとんど尽きているであろうサスケのチャクラが動き、足元から術の気配がした。

 

 何か仕掛けてくる…

 

 それを避けるべくイタチはその場を退こうとする。

 が、今の今まで成りを潜めていた胸の痛みが急にその身を襲った。

 「…っ!」

 激痛に続き咳がこぼれ、体の奥から血の匂いがこみ上げる。

 

 ここまで来て急に…

 いや、ここまでもったことに感謝すべきか…

 

 思えば長く付き合ってきたこの病。

 イタチはそれに幾度となく感謝してきた。

 

 もしも自分が先短い命でなければ、覚悟を仕切れずにいただろう

 

 何とかしてサスケと生きる道を探そうとしていたかもしれない

 

 その道を探し、あがき、もがき苦しんだかもしれない

 

 

 そうならずにいられたのは、自分は長く生きられないというこの病のおかげであったのだ。

 

 そんな事を言ったら、きっとあいつは怒るだろうな…

 そして困ったような顔をして、泣きそうな顔をして、それでも優しく笑って抱きしめてくれただろう…

 

 ふわりと愛した人の香りが揺れた。

 

 その香りに目を閉じた瞬間。

 サスケのチャクラが解き放たれた。

 

 「火遁!豪龍火の術!」

 

 「っ!」

 

 ゴォッ!

 

 激しい音を立てて足元が割れ、龍と化した強烈な炎が空へと舞いあがった。

 術をくらいはしなかったものの、その衝撃にイタチの体が弾き飛ばされる。

 「くっ!」

 何とか態勢を取り戻したイタチだが、すぐに追撃の火龍が襲い来た。

 幾発目かの龍がイタチを上空へと弾き上げ、細くなった右腕を焼く。

 龍はその勢いのまま雲をも焼く威力で空へと昇って行った。

 

 辺りに広がる熱と土埃。

 舞い上がった塵が視界を埋め尽くし、徐々に風にさらわれ景色をあらわにしてゆく。

 

 払われた砂塵の後には、力なく地に膝をつけるイタチの姿があった。

 体が荒れた呼吸と共に大きく揺れている。

 

 直撃は免れたものの、体をむしばむ病の痛み、チャクラの消耗、眼の痛み。

 様々な苦痛がイタチを襲っていた。

 だが疲労とチャクラの枯渇はサスケも同じ。

 

 おそらくもう術を使えないはず…

 

 イタチの考えを肯定するかのように、サスケもまた地に膝をつけて体を崩した。

 体から呪印の模様が消え。瞳が黒く染まってゆく。

 

 大蛇丸の呪印を引きずり出す時か…

 

 ようやくその時が来たかとイタチは目を細めた。

 が、サスケが小さくほくそ笑んだ。

 「これがオレの最後の術になるだろう」

 上空で小さく雷鳴が響いた。

 

 「…写輪眼はチャクラを見る眼だ」

 サスケを見下ろし、イタチは言葉を発する。

 「強がりはよせ。もうお前にチャクラが残っていないのは分かる」

 一層強い雷鳴が雲を光らせる。

 その光を背負う兄を見上げ、弟は言葉を返す。

 「確かに今のオレにはチャクラはない。さっきの火遁ですべてを使い切ったからな」

 

 ポタ…

 

 空から雫が降り落ちた。

 それは徐々に数を増やし、大地を…兄弟を濡らしてゆく。

 その水滴を受けながらサスケは笑みを浮かべていた。

 「だが、あんたを殺すのにオレが何もせずここへ来たと思うか?」

 強く、それでいて冷静な口調でサスケは言う。

 「一瞬だ。この術は天照と同じだ。絶対にかわす事はできない」

 瞳が赤を取り戻し、自信を溢れさせて兄をじっと見据えた。

 

 

 「さて。ご希望通り再現しよう。あんたの死にざまを!」

 

 ゴァッ!

 

 空で雷が轟き、サスケの赤が光りを帯びて揺れた。

 




遅くなりすみません(ーー;)
苦しみながら書いておりました。こんなにも筆が重いのは初めてじゃないかと思うほどに難しいです。
故に長くなってしまって…。この一話にまとめたかったのですが、8000字超えそうだったので切りました(>人<;)
くどくないか…心配ですが、どうせならガッツリ二人の戦いを書こうと思います。
次回はもう少し早く更新できればなぁ…と思いますので、またよろしくお願いいたします。
いつも読んでいただきありがとうございます☆


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第百三四章【うちはイタチ】

原作の描写を引用させていただいております。
ご了承のほどよろしくお願いいたします。


 雨が激しさを増し、サスケは何かを確かめるように一度空を見上げて、笑んだ。

 

 バチィッ…と、サスケの左手で光りがはじけて輝く。

 

 雷遁。と考え否定する。

 もうサスケにチャクラはない。それは間違いない。

 だがサスケの手の中には確かに雷撃の光が生み出されている。

 その光に共鳴するように、空が嘶いた。

 

 響く雷鳴…

 

 

 - 雷に気をつけて -

 

 

 耳の奥に声が蘇った。

 

 

 そうか。そういうことか…。

 

 目を細めて空を見上げる。

 雲の合間で光る雷は徐々にサスケの頭上へと集約されている。

 その様子に、イタチはサスケの考えにたどり着く。

 

 雷の力を使って雷遁を…

 

 先程の火遁も狙いは自分ではなく、空へと放ち大気に熱を与え積乱雲を作りだすため。

 恐らく天照の熱をも利用するために術を誘ったのだろう…

 

 「そうか…」

 

 この事を言っていたのかと、イタチは水蓮の言葉を思い返す。

 そして今ようやく分かった。

 

 彼女はすべてを知っていたのだと。

 

 「…っ」

 

 意図せず滲んだ涙が視界を揺らした。

  

 この最期を知りながら、何も言わず自分を導き見守り続けてくれていた。

 その温かさが一気に体の中を…心の中を駆け抜けた。

 

 が、そのぬくもりを奪うように空が嘶く。

 イタチはグッと手を握りしめ自身の中のチャクラを確認する。

 

 足りないか…

 

 スサノオを使うだけのチャクラは残してある。

 だがそれは十拳剣を振るうための物。

 この攻撃を防ぐために使えば後に残らない。

 

 それでも…

 

 やるしかない。

 今ここには自分しかいないのだ。

 いつも自分を助けたその存在は今はもう…

 

 

 - イタチ -

 

 姿を思い浮かべると声が聞こえた。

 

 - 私が絶対守るから。忘れないで…。私を思い出して -

 

 あの時瞳に映した優しい笑みが蘇る。

 

 

 そうか…

 

 そういうことかと、再びイタチは思い当たる。

 

 お前はいつもオレと共に在った…

 最期を迎えるその時まで決して孤独にはしないと、その想いでそばにいてくれた…

 

 今も…

 

 ゆっくりと細い指を持ち上げ、額あてに触れる。

 

 

 共に行こう。最期の時まで…

 

 

 指の先でチャクラが揺れた。

 

 瞬間。

 

 額あてが淡く光り、放たれたそれがイタチの体を包み込んだ。

 

 赤みを帯びた柔らかい光。

 

 今まで幾度となく自分を救い、そばに寄り添い続けてくれた物。

 

 

 …水蓮…

 

 

 力を残し与えてくれたその存在を想い空を見上げる。

 

 キィィィィッ!

 

 空が甲高く鳴き、サスケが声を響かせた。

 

 「雷鳴と共に散れ!」

 

 

 ドッ……!

 

 聞こえたのは初めの一音だけだった。

 サスケの導きによって降り落ちた雷はチャクラによって人が作り出す雷遁とは比べ物にならない威力。

 その衝撃に、寸前で繰り出したイタチのスサノオはかろうじて絶えていた。

 だが轟音が耳の機能を奪い、防ぎきれぬ威力が暁の衣を吹き飛ばし、イタチの体を押さえつける。

 「…く…っ」

 膝を地に着き襲う雷を見上げる。

 

 防ぎきれないか…

 

 そんな事がよぎった瞬間。一筋の太い雷撃がスサノオの壁を破ろうと強く光った。

 

 まずい…

 

 破られる。と思わず目をつぶった。

 が、襲い来るであろうと予想した衝撃がこず、眼を開く。

 ドキリとした。

 サスケの術を防ぐ八咫の鏡と自身の間に、いるはずのない姿があった。

 

 まるで守るように、そこに…

 

 長く黒い髪が、赤く染まりながら揺れた。

 

 「水蓮…」

 

 呼びかけに振り向いたその存在はほんの一瞬の笑みを見せ光へと変わりイタチを包み込む。

 その輝きはスサノオにさえも広がり、八咫の鏡の力を増した。

 

 

 ゴガァァァァッ!

 

 

 大きな爆音が響き渡り空気を震わせた。

 

 雷撃による地面の揺れ。捲き上る爆煙。

 人には作り出せぬ雷は容赦なく威力を振るった。

 が、水蓮の想いから生まれた八咫の鏡は、イタチのその身をしっかりと守りきっていた。

 それでもダメージは皆無ではない。

 地面に倒れ伏したその体に、激しい痛みと痺れが襲う。

 「…っ」

 痺れを払おうとするようにイタチはグッと手を握りしめた。

 手のひらに爪が食い込む。

 わずかではあったがピリッとした痛みが走り、どうやら生きているらしいと一つ息を吐いた。

 そうして小さくうめき顔をしかめる。

 ほんの少しの呼吸にさえも体は痛みを感じる。

 それなのに、少しも重さを感じない。

 まるで宙に浮いているようだった。

 漂うような感覚に意識も誘われ、一瞬薄れを見せる。

 だが、それを引き留めようとするかのごとく、再びイタチの額当てが淡く輝き、小さな光の粒が現れた。

 いつか見た蛍の輝きに似た小さな光。

 それはイタチの目の前に漂い止まり、チカチカと光った。

 行こう…

 まるでそう言っているようであった。

 

 「ああ。そうだな」

 

 渾身の力を込めてイタチは体を起こす。

 硬く冷たい大地に膝をつき、体を持ち上げ、小さく笑む。

 つ…。と、一粒の涙が頬を伝った。

 半身を起こすと、その目の高さに合わせて光の粒も浮き上がる。

 イタチはゆっくりと手を伸ばして光をそっと握りしめた。

 何かにチャクラを残すのはひどく難しく、そう多くの力を潜ませることはできない。

 故に、一気に癒すような力ではない。

 十分と言えるほどの回復ではない。

 それでもそれはじんわりと、優しく、暖かく、穏やかに、イタチの中に染み込んでいった。

 その温もりはチャクラや力を回復するよりも、痛みを取り除くことよりも、イタチを救うものであった。

 「行こう」

 最後の仕上げだ。

 イタチは静かにいくつか呼吸し、喉に力を入れた。

 「これがお前の再現したかった…死にざまか…」

 「…っ!」

 サスケが息を飲むのが分かった。

 「くそがぁっ!」

 起き上がる兄を見て、あり得はしないと慌てた様子で呪印の力を練り上げる。

 サスケの肌の色がくすんだ色に染まり、目の周りに暗い藤色の筋が入った。

 

 大蛇丸のそれと同じ物。

 イタチは薄れる視界にそれを捉えて、チャクラを練った。

 赤く揺れながら膨れ上がるそのチャクラは、イタチの周りに骨を形どってゆく。

 

 その力の流れの中に、確かに感じる水蓮のチャクラ。 

 イタチはフッ…と笑みをこぼした。

 「これがなければやられていたな」

 自分の力だけでは先ほどのサスケの攻撃で終わっていたかもしれない。

 

 小さかった弟は、幾多の困難を乗り越え、孤独に耐えながら成長した。

 

 自分を超えてゆけるほどに。

 

 経験の差による未熟さはあるが、それでも…

 

 「本当に強くなったな…サスケ」

 

 思わずこぼれたその言葉。

 つい柔らかい口調になってはいなかっただろうか…

 そんな事を考えた。

 見据えたサスケはどこか怯えたような顔をしていた。

 切り札を破られ、手をなくし、困惑しているようであった。

 

 もう少し…。もう少しだからな。

 

 「今度はオレの最後の切り札を見せてやろう。スサノオだ」

 

 それは月読と天照を開眼した時に宿ったもう一つの能力だと話し、イタチは言葉を続ける。

 

 「サスケ。お前の術はこれで終わりか?隠している力があるなら、出し惜しみはしなくていいぞ」

 

 …いつの間にか、雨は止んでいた…

 

 「ここからが本番だ」

 

 低く響いたイタチの声と共に雲が切れ、隙間から日の光が差しこみはじめた。

 どうやら先ほどの術は一度が限界らしいと、イタチは最期の時を確信した。

 

 力を振り絞ってチャクラを練り上げる。

 スサノオの姿が女神の様な形に変わり、最後にその上から鎧が覆いかぶさった。

 ただ事ではない術。

 その光景にサスケはジリ…と、後ずさった。

 「どうした?チャクラが切れ、万策尽きたか」

 追い詰めて呪印の力を使うよう誘導する。

 無理に引き出されたそれは、弱ったサスケの抑えを振りほどくだろう。

 そしてそれに伴い取り込んでいる大蛇丸が出てくるはず。

 

 その考えにそう間を空けず、サスケの体から大蛇丸の力が零れ出し術となり現れた。

 八つの頭と尾を持つヤマタノオロチ。

 「この感じ…」

 蠢く大蛇の中にかんじるチャクラには確かに覚えがあった。

 「大蛇丸の八岐の術か」

 これこそが待っていた機。

 グッとこぶしを握ると、スサノオもまた剣を握る手に力を入れる。

 その様子に八岐の大蛇がうなりを上げてスサノオに襲い来た。

 が、そのすべてを剣が次々と切り裂き、最後に残った一本の(こうべ)から大蛇丸がその身を現した。

 「出る物が出てきたな」

 しかしイタチが姿を見たのはほんの一瞬。

 距離と位置を確認したのみ。

 何か言葉を発していたようであったが、イタチの耳には届いていなかった。

 

 先ほどのサスケの術の爆音でほとんど音が聞こえない。

 だがそうでなくとも、何も聞く気はなかった…。

 

 

 ドッ…

 

 

 イタチが目を向けずとも、スサノオが狂いなく大蛇丸の体を十拳剣で捕えて仕留める。

 

  

 こういう物か…

 

 

 あまりにもあっけない事の成り行きにイタチは小さく笑んだ。

 剣を手に入れるまでああも苦労したというのに、と。

 だけれども、それでいいのだ。とも思った。

 長くサスケを苦しめてきた物を一瞬で取り除けたのなら、それでいい。

 物事と言うのはそういう物なのかもしれない。

 苦しめば苦しむほどに、それが消えるときはパッと一瞬でなくなるのかもしれないと…。

 そして己が死ぬことで、サスケの中のもう一つの苦しみも…

 

 「さてサスケ。次はどうする気だ」

 

 もはや大蛇丸を気に留める事もなく、イタチはサスケへと目を向ける。

 サスケは力なく地面に膝をつきうつむいている。

 そんな弟の体から完全に大蛇丸の力が引きはがされ、剣の中へと封じ込まれた。

 

 「仕上げだ…サスケ」

 

 これで終わる…

 

 ようやく訪れた時。

 サスケの中に力の一部を残す。

 

 イタチはマダラがサスケを狙うという万が一に備えて、自身の持つ力、天照をサスケの目に仕込もうと以前から考えていた。

 だがそのためにチャクラを練り…

 「…っ!ぐ…」

 胸に痛みが走った。

 激しい咳が幾度も襲う。

 息は荒く。肩が大きく上下に揺れる。

 だが、倒れるわけにはいかない。まだ…

 

 あともう少し…

 

 「これで…お前の眼はオレの物だ」

 

 最後まで嘘をつく…

 

 「ゆっくりいただくとしよう」

 

 念を押すように。

 

 一歩足を踏み出す。

 だが今までにない激痛がイタチの胸の奥ではじけた。

 まるで骨をも砕くような…。爆発を起こしたような痛み。

 「ぐあ…っ…」

 ゴポリ…と、口から大量の血があふれ出た。

 ドサリと音を立てて地に膝をつく。

 痛みは増すばかりで、咳き込むたびに溢れる血が大地を染めてゆく。

 集中もチャクラも途切れ、スサノオが姿を収めてゆく。

 それを目に留めサスケが起爆札をつけたクナイで攻撃を仕掛ける。

 が、一度消えかけたスサノオを何とかつなぎ止めたイタチが防ぐ。

 もう一つのチャクラを帯びた八咫の鏡で…。

 それはしっかりとイタチの身を守り、そこに在る…。

 

 一人ではない…

 

 イタチは今度こそ足を踏み出した。

 

 サスケが後ずさる。

 その瞳は恐怖と怯えに染まっていた。

 

 そうだ…

 

 少しずつ。ゆっくりと距離を詰める。

 「くそぉっ!」

 恐怖にあおられ、サスケは自棄に攻撃を仕掛ける。

 何枚もの起爆札を連ねてつなげたクナイがイタチに向かう。

 だがそれは少しも兄には響かない。

 「…っ」

 サスケの恐怖が増した。

 

 それでいい…

 

 「オレの眼だ…オレの…」

 

 さらに狂気を演じる

 

 にじみ出た偽りのそれは、しかしサスケにとっては真実であり、その恐ろしさにサスケはまたも自棄に攻撃を仕掛ける。

 刀を握りしめ飛びかかり、イタチを守る八咫の鏡に突きつける。

 もちろんイタチに届きはしない。

 サスケは鏡によってはじかれ地面に転がり落ちる。

 「く…っ」

 何とか身を起こし兄を見る。

 ゆらりとイタチの右手が揺れて持ち上げられた。

 血に濡れた指先がサスケに向かう。

 

 ジリっと下がったサスケの背が、壁にぶつかり退路が断たれた。

 

 過度の疲労と恐怖でサスケの膝は震えていた…

 

 …サスケ…

 

 その名を呼ぼうとしてやめた。

 もはや多くを残すべきではない。

 それらは全てこの胸の内に…。

 

 だけど、少しだけ…

 

 イタチはゆっくりと足を進める。

 

 先ほどとは違い、体は重くもはや鉛のようであった。

 それでも一歩一歩、弟に近づく。

 

 …なぁサスケ…

 

 弟への想いがまるでふわふわと舞う雪のように静かにイタチの心の中に降る。

 

 

 聡いお前の事だ。いつかオレの真実にたどり着く日が来るかもしれない。

 

 その時はどうか里を憎むな。仲間を恨むな。うちはに絶望するな。

 

 大きな嘘をついたオレを恨め。兄を憎め。

 

 お前はあの美しい里でお前を愛してくれる人たちと共に生きろ。

 

 そして、お前はお前自身を…

 

 「許せ、サスケ」

 

 お前に伝える言葉は…

 

 「これで最後だ」

 

 そこに浮かんだ笑みは無意識だった。

 止めることはできなかった。

 

 

 それがサスケにどう映ったのかわからない。

 

 嘘をつき通してきた自分の最後のミスだと思った。

 

 だけれども、きっとあいつが許してくれるだろう…

 

 

 ― イタチ ―

 

 

 声が聞こえた。

 

 

 ― 兄さん ―

 

 

 声が聞こえた。

 

 

 この世で最も愛おしい声が聞こえた。

 

 

 オレは幸せだ。

 

 

 最期の時に、その声が聞こえるなんて…

 

 

 オレは誰かを愛し、愛された時間を生きた。

 

 

 もういいんだ…

 

 もう大丈夫だから…

 

 

 

 

 コツン…

 

 

 

 

 小さな音を立ててイタチの指先がサスケの額に触れた。

 もはや何も感じなくなっていたはずの指先に、あたたかいぬくもりを感じた。

 変わらぬぬくもりを。

 

 

 溢れるのは愛おしさばかりだった。

 

  

 

 ゆらり…とイタチの体がゆっくりと崩れ落ちてゆく

 

 

 

 …どうかお前たちも幸せに生きてくれ…

 

 

 

 愛する存在がイタチの胸の中に浮かび…

 

 

 意識と共に

 

 

 命の灯と共に

 

 

 薄れて消えて行った…




いつも読んでいただきありがとうございます。
更新したくてしたくないような…そんな回でした。
ずっとどう描くか悩んできたカ所でもありました。
何度も原作を見返しては、イタチの最期の時がどうか孤独ではありませんようにと、そんな想いを持ちながら練り上げ書き上げました。
大好きなイタチへ…。想いをこめて捧げるストーリーです。
皆様読んでいただき本当に感謝です。

最終話までどんどん近づく今日この頃。
最後の最後まで頑張りますので、何卒よろしくお願いいたします!
年内…もしくは新年早々に更新したいなと思っております☆


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第百三五章【目覚め。息吹】

 体の痛みで目が覚めた。

 全身を襲う痛みは今までにない激痛で、小さな呼吸でさえも響くほどだった。

 

 …な…なに?

 

 覚えているのは最後に見たイタチの笑顔。

 そうだ。自分は時空間移動の術で飛んだのだと思い出す。

 あの時の状況から考えて恐らく元の世界に戻ったはずだと思考を巡らせるが、痛みが酷過ぎて頭がうまく回らない。

 それでも身に受けている物が命を危機に陥れるほどの物だという事は分かった。

 全身に深い傷を受けている。体内にも…

 「……っ!」

 反射的にチャクラを練る。

 体の奥でわずかにその力が揺れた。

 全ては癒せないとの判断を本能がはじき出し、致命傷となりうる物に力が働く。

 だがそれはほんの小さな力で、わずかな癒しを施して、薄れて消えた。

 「大丈夫か!」

 チャクラの消失と共に聞きなれない声が響いた。

 「聞こえるか?」

 「しっかりしろ!」

 大きな声がいくつも聞こえた。

 「…………」

 答えようとして動いたのは指先のみ。だけれどもそのピクリとした小さな動きを誰かがうまく捉えてくれたらしく、反応が返ってきた。

 「大丈夫」

 優しい声。

 「大丈夫よ」

 そっと手が包み込まれた感触がした。

 「死なせない。絶対に」

 冷たかった指先にぬくもりが生まれた。

 「あなたを必ず助ける!」

 力強いその声の向こう側、音が聞こえた。

 聞き慣れた音。

 

 それは救急車のサイレンの音であった。

 

 そう認識した途端に意識が暗い闇の中へと沈んだ。

 

 

 随分といくつもの夢を見たような気がした。

 内容は一つも覚えていない。

 だけれども、鬼鮫とイタチが常にいたことは覚えていた。

 共に歩く場所がどこなのか、どこへ向かっているのか、何をしようとしているのか。

 何も分からなかった。

 それでも心は満たされていて、夢の中で三人はいつも笑っていた。

 だけど一つだけ悲しく寂しいことがあった。

 思い出せなかったのだ。

 なんという名で呼ばれていたのかを。

 どうやら自分は時空間移動で飛ぶと名前を忘れるらしいと理解した。

 元の名前も思い出せない。

 でももうそれでいいと思った。

 大切な存在を失って、今はもう一人。

 目を覚ます必要もない。

 夢の中にいればいい。

 そうすればそこには鬼鮫もイタチもいるのだから。

 だがそんな考えをするようになってから、夢の中の二人は必死に目覚めさせようとする。

 【あちらだ】と、どこかしらを指差して笑うのだ。

 生きろと無言でそう伝えてくる。

 生きる意味があるのだろうか。父も母も失い。鬼鮫もイタチもいない。

 この存在を必要としてくれる人も、肯定するものもどこにもない。

 

 名も思い出せない…

 

 「………」

 

 ふと何かが聞こえたような気がした。

 か細い女性の声だった。

 一瞬母の声かとも思ったがそうではない。

 だが知っている声だ。

 

 「目を覚まして…」

 

 あぁ…誰の声だったかな…

 

 「お願い」

 

 ひどく安心する…

 

 「死なないで…」

 

 涙で震えるその声が、静かに。だけれどもはっきりとつむぎ出す。

 

 忘れていた大切な物を…

 

 

 「香音」

 

 

 ――――!

 

 

 呼ばれた瞬間。一気に脳が覚醒を起こした。

 息苦しさに慌てて大きく呼吸する。

 

 ひゅぅっ…っと、空気が音を立てた。

 

 同時に指先がほんの少しピクリと動く。

 「香音?」

 

 そうだ…

 

 「香音…」

 

 それが私の名前…

 

 「香音!」

 

 三度呼ばれたその名に、香音の目から涙が落ちた。

 ゆっくりと目を開く。

 少しずつ焦点が合ってゆく視界の中に映ったのは、幼いころから共に過ごしてきた親友の姿。

 いつも艶やかに光っていた短い黒髪がどこかくすんでおり、くっきりとした二重の瞳は瞼の腫れで一重になっていた。

 眠れていないのか目の下には隈ができていて、ずいぶんと心配をかけたのだろうと、涙があふれて視界がぼやけた。

 「ま…なみ…」

 かすれた声に親友はこれ以上ないほどに顔をゆがませ、香音の手をぎゅっと握り、あいた手でナースコールを押した。

 枕元のスピーカーから聞こえた声に、真波は必死に目を覚ましたことを伝える。幾度も…。

 

 ほどなくして看護師と主治医であろう女性の医師が部屋へと入ってきた。

 熱を測り、脈や血圧を調べ、医師が全身の状態を確認する。

 一通りの事が終わると医師が香音の口元に水を運んだ。

 少しずつ注がれたそれがゆっくりと喉を潤してゆく。

 「私はあなたの担当医の青葉よ」

 外にはねた癖のあるブラウンの前髪を揺らし、医師…青葉は香音に笑みを向けた。

 少し青味のある瞳が柔らかく光り、やや下がった目じりがさらに柔らかさを感じさせる。

 「自分の名前…分かる?」

 問われて一瞬戸惑い、香音はそれでも小さくうなづいた。

 「香音…。山本香音です」

 体に力が入らず、気の抜けた声ではあったが思い出した名を答える。

 「何があったか覚えている?」

 続けて問う青葉に、香音は黙り込んだ。

 覚えている。自分は忍の世界からこちらに飛んで戻ったのだと。

 その際に何かしらの原因でけがを負ったのだろうと考えられた。

 だがとても言えるような事ではない。

 「思い出せない?」

 沈黙をそうとらえたのか青葉は静かに言葉を馳せた。

 「あなたは事故にあって五日間眠っていたのよ」

 「…え?」

 

 事故…

 

 ドキリと心臓が音を立てた。

 

 「ご家族の運転する車が、トラックと衝突事故を起こしたの」

 

 ドクリ…

 

 今度は重い音が鳴った。

 

 潤ったはずの喉が再び乾く。

 

 まさか…との言葉が脳裏に浮かんだ。

 「何年?」

 「え?」

 つぶやきに親友が首をかしげた。

 「今何年?」

 どこか切羽詰まったような口調に真波が戸惑いながらも答える。

 「2017年だよ。2017年の8月」

 「うそ…」

 血の気が引いた。

 今が2017年なら計算上自分は21歳だとはじき出された。

 

 

 NARUTOの世界に飛んだその年だった。

 

 

 ちがう。3年たっているはずだ。

 それなら自分は24歳のはず。

 

 「そんな…」

 

 まさかすべては夢だったというのだろうか…

 一瞬そんな恐ろしい事がよぎった。

 だがそんなはずはない。

 共に過ごした日々も、声も、ぬくもりも覚えている。

 つなぎ合わせた手の感触も消えずここにある。

 

 必死に持ち上げた手を見つめる。

 

 夢であるはずがない。

 

 「香音さん」

 呆然とする香音の手を青葉がそっと包み込んだ。

 「あなたは8月12日に事故に遭って…。今は8月17日よ」

 その声をどこか遠くに聞きながら香音は思考をめぐらせる。

 時空を渡るときに時間にずれが生じたのかもしれない。と。

 自分はNARUTOの世界に飛んだあの時に戻ったのだと…。

 そうしてそこまで考えてハッとする。

 「真波!お父さんとお母さんは?」

 

 

 少し力の戻ったその声に返答はなく、沈黙が流れた。

 

 

 それが答えだった。

 

 「なんで…」

 

 自分だけが助かってしまったのだろう。

 

 「どうして…」

 

 ここには自分の家族がいないのだろう。

 愛するべき人がいないのだろう。

 

 そんな場所で一人生きるくらいならいっそ…

 

 「私も一緒に…死ねばよかった」

 

 イタチと共に…

 

 その覚悟はあった。

 怖くなどなかった。

 孤独になるくらいなら。孤独にするくらいなら。共に逝こうとこの心はそう叫んでいた。

 

 「私も一緒に…」

 

 死にたかった…

 

 「ばか!」

 

 吐き出されるはずだった言葉が大きな声にかき消された。

 そちらを見れば、親友が大粒の涙を瞳からぼたぼたと溢れさせていた。

 「ばかじゃないの!何言ってんのよ!ばか!」

 「だって…」

 「だってじゃない!」

 怒りをも溢れさせながら真波が香音に詰め寄る。

 「だってじゃないよ…」

 真波は身を起こせぬままの香音に手を伸ばし、涙を拭った。

 「バカなこと言わないで」

 「でも、もう私。私…一人」

 「一人じゃない」

 

 一人だよ…

 

 「そうよ」

 言おうとした言葉を別の声がまた遮った。

 「あなたは一人じゃない」

 そっと手が包み込まれ、青葉の笑みが瞳に映った。

 柔らかく、穏やかなほほえみ。

 「一人じゃないわ。助かったのよ」

 離れた手が今度はそっと体の上に置かれ、優しくさすられた。

 「無事だったのよ」

 「………?」

 意味が分からず首をかしげた。

 だけれどもすぐにハッとした。

 自分に向けられた言葉ではない。

 医師の手が置かれた場所。その先。

 

 

 そこにあったのは…

 

 感じたのは…

 

 

 命の息吹

 

 

 瞳の奥から涙があふれ出た。

 

 この事を言っていたのだ…。と、思い出したのは母の言葉だった。

 

 『精神体に起こった重要な出来事は本体に影響する』

 

 だからよく考えて行動をしなさいと母はあの時そう言った。

 そしてこうも言っていたのだ。

 父と一緒に精神体で飛んだことがあると…

 

 もしかしたら母もそうだったのかもしれない。

 同じように自分を身ごもったのかもしれない。

 

 父の…。愛する人の子供を…

 

 今度はイタチの声が思い出された。

 

 『お前は一人にはならない。きっとすぐにわかる』

 

 あの人は気づいていたのだと、さらに涙があふれ出た。

 

 赤い瞳が新しいチャクラの流れを、命の芽生えを捉えていたのだ。

 

 …イタチ…

 

 その名を呼びたくても涙で声が詰まる。

 

 「香音。相手は誰なの?連絡取れる?」

 真波の言葉に涙が増した。

 

 「いない…」

 

 震える声が流れて落ちた。

 

 「もういない」

 

 声を上げて泣きたかった。

 それでも力の入らぬ体がそれを許してはくれず、情けない声がこぼれるばかりで、それがより悲しみと切なさを増した。

 

 

 愛した大切な人はもういない…

 

 

 

 何もせずとも時間は当たり前に進み…

 

 目覚めてから早くもひと月が経とうとしていた。

 

 体の回復は順調であった。

 少しとは言え医療忍術で内臓の損傷を治癒したことが助けとなったのだろうと思われた。

 それに加え、よくよく考えてみれば昔から傷の治りは早かった。

 病にもかかりにくく、熱もあまり出ない。

 千手の血がそうして自分を守ってくれていたのだろうと、香音はベッドの上で日々そんな事を考えていた。

 

 

 両親の葬儀は真波の家族が取り仕切り、つつがなくとりおこなわれたとの事であった。

 大変な事であったはずの全てを、親同士も親友であったことから、快く引き受けてくれたことへの感謝は尽きない。

 

 だけれども、父と母を見送ることはできなかった。

 それでもあちらの世界で十分な別れを済ませていた事が少なからず心を救った。

 

 

 葬儀の話を聞いた後、思いもよらぬ事を伝えられた。

 香音の知らぬ間に両親は弁護士を通して正式な遺言状を残していたのだと。

 そこに記されていた内容と親友家族の助けもあり、様々な事柄はこれといった問題もなく進められていった。

 

 母はいつかこのような事態になるかもしれないと、そう思っていたのだろう…

 

 こちらの世界の人間ではない自分が、いつかここを離れ娘を一人にするかもしれないと、そんな事を考えていたのかもしれない。

 父もまた同じだったのだろう。

 その時の為に二人は手を打っていたのだ。

  

 両親の想いをひしひしと感じ、香音は胸の苦しさをため息にこぼし、視線を窓の向こうへと向けた。

 良く晴れ、夏の日に照らされた緑が風に揺れている。

 あちらの世界で見た良く似た光景が脳裏をかすめ、また一つため息がこぼれた。

 

 

 あれからイタチと鬼鮫の夢を見なくなった。

 あの世界の一片も見ない…。

 まるで記憶の中からすべてを奪われていくような気がして恐ろしかった。

 それでも実際には何かを忘れる事はなく、ただただ日々が過ぎていった。

 

 

 小さな命と共に…

 

 

 

 退院できぬままさらに幾日かの時間を経て、ずいぶんと久しぶりにイタチの夢を見た。

 他愛もない日常だった。

 任務もなく、滞在した街を歩く。そんな光景だった。

 隣から降り下りてくる優しい声が心地よかった。

 

 うっすらと目を開くと、夢の名残りかイタチの声が聞こえたような気がした。

 

 まるですぐそばにいるような感覚がして、そんなはずはないと苦い笑いをこぼした。

 

 頭をすっきりさせようと、ゆっくりと身を起こして顔を洗うように両手で覆って深い息を吐く。

 そうしてしっかりと目をさまし、ドキリとした。

 

 夢の中で聞いたイタチの声がまた聞こえたのだ。

 

 すぐ近くで。

 

 ハッとして声の方を見れば、そこには小さなポータブルのDVDプレイヤーが置かれており、画面にイタチの姿が映し出されたいた。

 瞬間的に顔を背けていた。

 ドクドクと心臓が痛いほどに脈を打つ。

 息が苦しくなり胸元をギュッと握りしめる。

 その間もイタチの声は病室の中で揺れた…。

 

 どうして…

 

 額に汗が浮かぶと同時にドアが開き、真波が病室へと入ってきた。

 「あ、起きた?」

 自営でその手伝いとして働いていることもあり、時間に都合をつけて毎日見舞いに来る真波は、慣れた様子で備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取出し香音に差し出す。

 が、受け取ろうとせずに下を向いたままの香音に首をかしげた。

 「どうしたの?」

 「それ…」

 ほんの少し持ち上げた指先でDVDプレイヤーを指さす。

 「あ、ごめんごめんうるさかった?お手洗い行ってたんだけど、止めるの忘れてた」

 「なんで」

 「え?なんでって、香音これ好きだったでしょ?暇つぶしになるかなぁと思って、借りてきたの」

 ほら。と、枕元のテーブルを指さす。

 そこにはレンタルされたNARUTOのDVDが山積みになっていた。

 香音はまたすぐさま視線を外し「ごめん」と、返した。

 「今見たくない…」

 イタチを失った傷は深く、とても見る気にはなれなかった。

 「そう?」

 あんなにはまっていたのに…と、真波は不思議そうに返して、DVDを止めようとリモコンに手を伸ばした。

「適当に借りてきたから見たのは途中からだけど、なんか結構おもしろいね。帰りに自分用にレンタルしようかな。今ちょうどいいとこだったのよ」

 「そう…」

 空返事をする香音に真波が言葉を続けた。

 「イタチが生き返ってサスケと一緒に戦ってるところ」

 「…え?」

 

 ドクリ…と、また心臓が波打った。

 

 知らず真波の腕をつかんで、リモコンを操作する手を止めていた。

 「今なんて?」

 「だから…」

 真波はプレイヤーに手を伸ばし、画面を香音に向けた。

 「イタチが生き返ってサスケと一緒に戦ってるんだって」

 恐る恐る見つめた画面の中。

 何かを話すイタチのすぐ近くにサスケがいた。

 「なにこれ」

 思わずプレイヤーを手に取り凝視する。

 見たことのない外套を着ているイタチ。

 よくよく見れば肌にヒビの様な物が入っていた。

 

 見たことがあった。

 

 その記憶をたどりよせる。

 

 「…穢土転生」

 

 木の葉襲撃の際に大蛇丸が使った術。

 だが状況から考えれば大蛇丸は封印されもうあの世界にはいないはず。

 「一体誰が…」

 あまりにも驚くその様子に、真波は少し戸惑いながらも答えた。

 「大蛇丸の部下だったカブトが」

 「えぇっ?」

 思いがけない名前に香音は声を上げ、画面を再び凝視する。

 そこには確かにカブトの姿が映っており、どうやらイタチはそのカブトと戦っているようであった。

 サスケを守るそぶりも見える。

 

 「どうなってるの…」

 

 少しもこの状況がどういったものなのか分からない。

 それでも、画面の中にいるイタチの姿に思わず涙が出そうになった。

 「やっぱり見るでしょ?」

 食い入るように画面を見つめる香音に真波は少し苦笑いを見せて、リモコンを香音に手渡した。

 「私そろそろ仕事に戻らないといけないから行くね。疲れない程度に見なね」

 軽く手を振り背を向ける真波に、香音は心ここに非ずな様子で「うん」と一つ返事を返した。

 真波が部屋を出て扉が閉まる。

 香音は慌てて積まれたDVDを手に取り確認する。

 

 

 最後に見た【終焉】

 

 

 その続きのストーリーを、震える手で再生した…



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第百三六章【ふたつの命】

 町の中を吹き流れてゆく風はすっかり冷たくなり、街路樹や並ぶ建物はクリスマス用に飾り付けられ、夜にはあちらこちらでライトアップが始まっていた。

 ゆっくりと息を吐き出せば空気が白く染まり消えてゆく。

 それを見つめれば、さらに追ってため息がこぼれた。

 

 「寒い」

 

 カバンからマフラーを取出して首に巻き、香音はゆっくりと歩き出した。

 

 

 事故によって受けた怪我はやはり治りが早く、これといった後遺症も残らなかった。

 それでも妊娠中であるという事を考慮し、安定期に入り様子を見てからと、数週間前にようやく退院となった。

 入院中の時間を使い、香音はNARUTOのDVDを少しずつ見進めた。

 気になる気持ちが大きくあったもののやはり辛く、少しずつにしか見る事が出来なかった。

 

 それでも何とかすべてを見終り、心に残っているのは鬼鮫の最期のシーンであった。

 

 鬼鮫らしい…。そう思った。

 忍としての死にざまをそこに見た。

 

 だけれでもそれだけではない事を香音は感じていた。

 

 鬼鮫があの最期を選んだのは、自分を守るためでもあったのだろうと。

 

 うちはイタチ。そして干柿鬼鮫と共に暁の中で生きたもう一人の存在を隠すためだったのではないかと。

 

 『私が命を懸けてあなたを守る』

 

 彼はその約束を果たしてくれたのだ。

 

 半年の時を経ても思い出せば涙がこぼれる。

 その雫を拭い取って香音は少し歩調を速めた。

 

 驚いたのは、トビがうちはマダラではなく、うちはオビトという人物であった事だった。

 あれほどまでに警戒していたというのに…。と、そうは思ったものの、今となってはそれを知ったからと言って自分には何もできず、むなしさが滲んだだけであった。

 

 はぁ…と、あちらの世界に想いをめぐらせ白い息を吐く。

 

 今年はホワイトクリスマスになるかもしれない…

 

 寒さを増した風にそんなことを思うと、やはりイタチの事を思い出した。

 

 花や月、夕暮れ、夜更け、夜明けの空の色。

 あの世界で初めに食べた味噌汁とおにぎり。

 分け合って食べた果物や、自分たちで釣った魚。

 

 まったく同じ物や味ではなくても、この世界にある普通の物ばかり。

 

 そんな生活の中にある『当たり前』のすべてに、イタチの存在が浮かぶ。

 

 そして決まって最後に見たあの微笑みが脳裏によみがえる。

 

 ジワリとまた浮かんだ涙を再び拭って大きく息を吐き出し、香音は映像の中のイタチを思い出した。

 

 もしもアニメの通りに事が進んだのであれば、イタチはきっと救われた思いで最期の瞬間をむかえただろう。

 サスケに伝える事が出来ないと思っていた言葉を…想いを伝える事が出来たのだから。

 

 『お前をずっと愛している』

 

 その一言にどれほどの想いが込められていたか。

 病に苦しみながら戦い抜いたイタチを、誰よりもそばで支えた香音には痛いほどにわかった。

 だからどうかあの通りであってほしいと思った。

 

 

 そして、どうしても思ってしまう事がもう一つ。

 

 叶う事のない想いが心から消えない。

 

 立ち止まり空を見上げる。

 

 

 

 「会いたい」

 

 

 

 そっと手を添えた小さな命は、少しずつ、それでも確かに大きく成長していた。

 

 立ち止まりふと視線を横に向ければ、大きなガラスに姿が映った。

 スイカ一つ分ほどに脹らんだお腹に手を添える自分の姿。

 隣にイタチがいれば…と、そう思わずにはいられない。

 その光景が脳裏をかすめ、眼の奥がまた熱くなる。

 

 それとほぼ同時に、ドンッ!ドンッ!と突然衝撃を受けた。

 

 「わかってる」

 

 静かにそうつぶやいて香音はお腹をさする。

 

 「わかってるよ」

 

 イタチがここにいたならばと、そう考えると決まってこの小さな命が強い力で存在を主張してくるのだ。

 自分がいる。泣かないで。そう言わんばかりに。

 

 香音はもう一度「わかってる」と言葉を返し、歩き出した。

 

 

 ここまでに、色々なことがあった。

 妊娠という体の変化も相まってか、気分の浮き沈みが激しく人に会う事が嫌になり、親友の顔さえもまともに見る事が出来ない時期もあった。

 自分だけが生きている事にひどく苛立ち、苦しくなり一日中泣いて過ごすこともあった。

 感情を抑えられない子供のように、周りにあたることもあった。

 何度寝ても、何度目を覚ましても、自分のいる場所があの世界でないことが悔しくて、悲しくて、力なく一日を終えることもあった。

 

 なぜイタチがここにいないのかと、考えたところでどうしようもないその問いを、自分に投げかけ続ける日々が続いた。

 

 そんな自暴自棄な毎日を過ごす中で、香音を支えたのは親友と担当医の青葉であった。

 どんなにつらく当たろうとも、崩れた姿を見ようとも、2人はそばに寄り添い励まし続けた。

 

 どれほどの感謝を重ねても足りぬほどの想いであった。

 

 そしてなにより心を支えたのは、やはりイタチが残したこの小さな命であった。

 

 日々絶望の淵に立ち、生きる気力を失いそうになる中で、いつも心を支えてくれた。

 ギリギリの所ですくい上げてくれた。

 

 生きようと、そう思わせてくれた。

 

  

 『お前は生きろ』

 

 との、イタチの想いを伝えてくれた。

 

 生きて、生きて、生き抜いて、未来へと繋げなければならない…

 

 そう思わせてくれた…

 

 「大丈夫」

 

 そっと撫でると、今度は柔らかい力で存在を示してきた。

 

 嬉しそうに揺れるその命は、この世に生まれ来る時の近さを伝えているようであった…

 

 

 

 季節は静かに流れて行き、冬を超え、春を迎え、揚々と緑あふれる夏へと時間を進めた。

 

 「なんかやっぱり変な感じ」

 エアコンのリモコンを手に取り、温度を調節しながら香音はポツリとつぶやいた。

 あの世界ではそう必要としなかった冷房器具がなければ過ごせない事に感じる違和感。

 それだけではない。

 電車や車。飛行機。携帯電話。元々は当たり前であったもの全てが不思議な感覚。

 だけれども、こうしてこちらの世界で暮らすには結局は必要不可欠で、それを使う自分の存在に一番違和感を感じる。

 こちらに戻って一年が経った今でもそれは拭いきれないままであった。

 思わずこぼれたため息。

 そこに短い携帯の着信音が重なった。

 『あけて~』との親友からの文字に、窓から外を見れば玄関にその姿が見えた。

 

 「どうしたの?真波」

 玄関を開けて中へと招き入れる。

 真波は軽く汗をぬぐいながら柔らかく笑った。

 「今日確か6か月検診でしょ?仕事休みだから一緒に行こうと思って」

 「いいの?助かる」

 答えた香音に真波はうなづいた。

 「一人じゃ大変でしょ。二人連れてくの」

 向けた視線の先には、気持ち良さ気に眠る小さな姿が二つ並んでいた。

 「でもさ、香音が双子のお母さんだなんて、いまだに不思議な感じ」

 そっとベビーベッドに近寄って眠る顔を覗き込みながら真波はフフ…と優しく笑みを浮かべる。

 「しかも男の子と女の子って、かわいすぎるでしょ」

 「また言ってる」

 子供たちを見るたびにそう言う真波に、香音は苦笑いを返した。

 

 

 イタチが残した小さな命は双子であった。

それを知った時。香音の胸中には驚きと喜び。そして不安が入り混じった。

 一人で二人の子供を育てて行けるのかと。

 だけれども、画像に映し出された二つの小さな姿を見た時、そんな不安は一気に消し飛んだ。

 強く生きようと思えた。

 何があってもこの子たちを守ってゆこうと、そう決意した。

 自分は母親なのだと、深く自覚した。

 それでも出産も、その後の生活も慣れぬ事ばかりで大変であった。

 その毎日を支えてくれたのは、やはり親友とその家族であった。

 

 「真波。ありがとね」

 その存在がなければ、日々は何十倍も大変であっただろうと香音は親友に笑みを向けた。

 「ほんとありがと」

 「何よ急に改まって。当たり前でしょ、親友なんだから」

 ふわりと浮かぶその笑顔。

 子供の時からずっとこの穏やかさに救われてきた事が改めて染み入った。

 

 

 検診は入院していた病院の中にある小児科で受け、その結果を担当医であった青葉に毎回報告に行くこととなっていた。

 青葉は元は産婦人科医であったことから香音の出産をも受けもち、子供たちのその後にも気をかけ深く関わることとなった。

 

 「今日も真波ちゃんいっしょ?」

 「あ、はい。外で待ってくれてます」

 共に来ることが多いその存在に、青葉は「そう」と笑みを返し双子用のベビーカーを覗き込んでさらに柔らかく笑んだ。

 「元気そうね」

 不思議そうに青葉の顔を見つめ、双子は澄んだ瞳を輝かせる。

 「成長過程は…。うん。問題なさそう」

 検診結果の書かれた母子手帳を見て、青葉は一つうなづいた。

 「双子は少し成長がゆっくりなところがあったりするんだけど、この子たちは順調ね」

 その言葉にホッと胸をなでおろし、香音は2人の頬を撫でた。

 ここ最近はそうして触れると、子供たちが小さな手を重ねてくる。

 そのぬくもりにやはりイタチの温かさが思い出され、切なさはどうしても消せないままであった。

 「あなたはどう?子供たちのことや、自分の体に不安なところはない?」

 問われて香音はうなづきを返す。

 「はい。最近は2人ともまとまった時間眠るようになったから、私も睡眠は取れてますし、特に心配なことはないです」

 「そう」

 青葉は安心したように答えて母子手帳を香音に手渡した。

 「次はまた三ヶ月後ね」

 「はい。またこちらにも伺います」

 丁寧に頭を下げ背を向ける。

 が、青葉がそれを引きとめた。

 「香音さん」

 その声は少し低く、どこか慎重な色。

 不思議そうに振り向いた香音の瞳に映った青葉の表情は、笑んではいるものの神妙さを感じさせた。

 「どうしたんですか?」

 何か深い気配を感じ香音が不安げに問う。

 青葉はしばし沈黙し、静かな声で言った。

 「今夜少し時間ある?」

 「え?夜ですか?」

 

 今まで、昼間に院内の飲食スペースでお茶をする事はあった。

 だが、夜病院が終わってから会うような事はなかったため、香音は首をかしげた。

 その様子に青葉は少し困ったような、申し訳なさそうな色で微笑んだ。

 

 「あなたに話しておきたいことがあるの」

 

 

 窓の外で緑の葉が風にそよぎ、その音に喜ぶように子供たちが小さく可愛らしい声を上げた。



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第百三七章【運命。動く】

 細く美しい三日月が光っていた。

 夜の中で輝くそれを見つめて窓を開けると、この時期には珍しく涼しい風が吹き流れた。

 まだ遅い時間でもないのに妙に肌寒い。

 ゾクリと、一瞬肌があわ立った。

 

 「風邪ひいたかな…」

 

 それでも空気の入れ替えにと窓をあけたままにし、壁にかけていた薄い羽織を手に取り袖を通す。

 と、小さな声が二つ上がった。

 「あー」「うー」と、はっきりとし出した声に目を向ければ、二人はベッドの上で両手を上げてパタパタと揺らしていた。

 「今日も寝ないの?」

 まだ時間は7時前。

 それでも、いつもなら少し眠っている時間。

 成長に伴い寝る時間に変化があるのか、昨日今日と、二人は少しも眠る気配を見せなかった。

 それどころか元気あふれる様子でバタバタと体を動かしている。

 「なんか楽しそうだね」

 香音は何かを求めるように高く上げられた二人の手をキュッと握り、ふと思い当たる。

 「そういえば…昨日も」

 こうしてこの時間に手を上げて遊んでいた。

 そんなことを思う。

 だがそうした動きは別段珍しい事でもなく、思考から流れてゆく。

 「そろそろお茶の準備しようかな」

 青葉との約束の時間が近づき、香音はキッチンに向かう。が、その足が止まった。

 先ほどの風にあおられて落ちてきたのか、足元に一枚の写真。

 拾い上げればそこに映っていたのは若い頃の両親。

 風景はどこか山の中のようだが、辺りは薄暗く、夕方なのか朝方なのかどちらともつかない。

 並んで映る二人は幸せそうな笑顔で、香音は寂しくも温かい気持ちになる。

 「いつごろの写真だろ…」

 何気なく裏を見ると日付が書かれていた。

 

 1994年8月12日

 

 その下には、山の名前とカシオペア座流星群との文字。

 

 その文字と日付に、香音の鼓動がドクリと音を立てた。

 8月12日は母楓の誕生日であり、それと共に思い出された言葉に今度はズキリと頭が痛んだ。

 

 あの時、あちらの世界で再会した母は言っていた。

 

 『誕生日の日に飛んだ』と。

 

 痛む頭を押さえて考える。

 自分が生まれた年と母の年齢。そして聞かされた話を照らし合わせ、手が小さく震えた。

 

 母がNARUTOの世界に戻ったのはおそらくこの写真を撮った時だとはじき出された。

 

 「流星を見に行って飛んだ…」

 

 そのつぶやきに急に脳がパッ…と明るくなり、鮮明に事故にあった日の記憶を甦らせる。

 

 「そんな…まさか」

 

 慌てて昨年の手帳を引っ張りだし、あの事故の日付を探す。

 そこに書かれていた文字を見て香音は手帳をポトリと落とした。

 

 事故に遭った8月12日。

 その日付の欄にははっきりと『カシオペア座流星群』と記されていたのだ。

 

 

 手だけではなく体も小さく震えた…

 「そうだ。あの日私たちは流星群を見に…」

 

 毎年この日に現れる流星群。

 自分たちはあの日それを見に行って事故に遭ったのだと思い出した。

 

 だが思い出したのはそれだけではなかった。

 懐かしく、愛おしい声が聞こえた。

 

 

 『今夜は星が降る』

 

 

 最後のあの日。

 イタチは確かにそう言った。

 

 あの日流星が降ることを知っていたのだ。

 

 そしてそれには意味が込められていたのだと気づいた。

 

 

 母の話。写真の日付。事故に遭い自分が飛んだ日。そしてイタチの言葉。

 

 

 香音の鼓動が大きく高鳴った。

 

 「間違いない」

 

 そう確信した。

 イタチは意味のない事を残したりはしない。

 

 

 カシオペア座流星群が現れるとき…

 

 「飛べる!」

 

 だがなぜ…との考えがすぐに湧き上がる。

 

 あの時もなぜイタチが術の印を知っているのかとそう思った。

 だが知っていたのはそれだけではなく、星が流れるときに術が発動することをも知っていたのだ。

 

 「どうして…」

 

 香音は無意識に空を見上げた。

 そこに輝く星。それを見てまたイタチの言葉が蘇った。

 

 

 『もしも時空が繋がらなくても、この術はお前を木の葉に導く』

 

  

 「時空が繋がらないこともある…」

 

 そしてそればかりはイタチにもわからなかったという事だ。

 

 

 『大きな力が働くには、必ず何か必要不可欠な条件があるはずだ』

 

 かつてイタチが口にした言葉が浮かんだ。

 

 「流星…。条件…」

 

 つぶやいてみたものの、何も思いつかない。

 星や宇宙の事が好きだった父の話をもっと聞いておけばよかったと、今更ながらに悔やんだ。

 ぐっと手に力が入り、焦りが生まれる。

 向けた視線の先にはカレンダー。

 今日の日付は8月10日。

 「もう明後日」

 おそらくその日に飛べるのであろう。だけれども確実に飛べる確証がなければリスクが高い。

 行くのなら、あの世界に帰るのなら、子供たちももちろん一緒。

 だからこそ確実な物がなければ飛べない。

 時空が繋がらなければどこに飛ばされるかわからないのだ。

 自分だけならまだしも、子供たちを連れて一か八かの事はできない。

 「あ、でも…」

 そこまで考えて香音はハッとする。

 「チャクラが…」

 香音は自身の両手を見つめてつぶやく。

 こちらの世界で過ごす中で幾度もチャクラを練ろうと試みた。

 だがほんの少しもその力は現れなかった。

 自身の中にあるはずの九尾のチャクラさえも。

 それがなければ術は発動しない。

 時空が繋がるかどうか以前の問題だ。

 

 でも、確か…

 

 焦る心の中で母を思い出す。

 事故にあったあの時チャクラが戻ったのなら、星の流れによってチャクラが戻るのかもしれない。

 流星群は肉眼で捕えられるようになる以前にすでに動き始めていると父が言っていた事も合わせて思い出す。

 

 もしかしたら…と、香音はしばし考え、そっと両手の指先を合わせた。

 重ねた人差し指を口元に当て、眼を閉じて集中する。

 

 

 母の不思議な行動に、子供たちは声を収めてじっとその姿を見つめる。

 

 部屋の中に静寂が落ち…

 

 

 ふわ…

 

 

 ほんの少し香音の髪が浮き上がった。

 

 「…っ!」

 

 慌てて目を開き両手を見つめる。

 「今…」

 

 ざわざわと鼓動が騒ぐ。

 

 体の奥深くで揺らいだ力。

 

 それは紛れもなくチャクラの気配であった。

 

 「戻ってる!」

 再び集中してチャクラを練り上げる。

 1年という時を経て感覚は少し薄れてはいたが、それでもしっかりとチャクラの動きを感じる事が出来た。

 が、数秒。ゆっくりと湧き上がっていたはずのチャクラが急に膨れ上がった。

 「っ!」 

 驚いて力を収めようとチャクラを動かす。

 だが少しも思うように動いてはくれなかった。

 「制御がきかない!」

 慌てて立ち上がる香音の体からチャクラが次々と溢れだし、部屋の中に風が吹き荒れた。

 棚から物が落ち、カーテンが舞い、窓がガタガタと音を立てる。

 

 このままでは子供に危険が及ぶ。

 

 そう考えて香音はチャクラの圧に抗いながら、あけたままになっていたリビングの窓から庭へと転がり出た。

 

 瞬間。ぶわぁっ!と、音を立ててチャクラがあふれ広がり暴れ出す。

 庭の木々が揺れてしなり、ちぎりとられた葉が舞い上がる。

 まるで自分を中心に小さな台風が生み出されているかのようであった。

 

 何とか押さえ込まなければ。と、必死にコントロールを試みるが少しもうまくは行かず、香音はチャクラに抑え込まれるように地面に倒れ伏した。

 

 「……っ!」

 

 すさまじい力で自分を押さえつけるチャクラ。

 息が苦しくなり顔をしかめた。

 襲いくるずしりとした重さに涙が滲み、視界が歪む。

 

 その視界に映るのは風に吹かれて音を立てる窓。

 このままでは割れて子供たちが危ない…

 

 「だれか…」

 

 かすれたその声がチャクラの風にかき消される。

 だがそのすぐ後に、香音の瞳に人影が映し出された。

 

 「香音さん!」

 

 声を上げて走り来たのは青葉であった。

 「せ…先生…。きちゃダメ。子供たちを!」

 とにかく子供を…とそう思いこちらに来る青葉を止めようとして香音は息を飲んだ。

 

 「大丈夫!今助けるから!」

 

 そう叫んで駆けてくる青葉の手には一枚の札。

 それを口にくわえてはさみ、美しい流れで印を組んでいたのだ。

 

 「先生…どうして…」

 

 驚愕する香音に青葉は一つ笑みを返し、吹き荒れるチャクラの風を受けながらも何とか香音のそばにたどり着いた。

 

 「もう大丈夫。まかせて」

 

 香音の背に札を張り、タン…っとその上に右手を置き、左手で締めの印を組む。

 そこに生み出された力に導かれるように、荒れ狂っていたチャクラが静かに香音の中に収められていった。

 

 

 ふぅ…と、青葉が息をつき額に浮かんだ汗をぬぐう。

 同じように香音も息をつきハッと顔をはじきあげた。

 「子供たちは!」

 立ち上がろうとするが体にうまく力が入らずふらつく。

 「私が」

 そんな香音の代わりに、青葉が子供たちの様子を見に行き、香音に笑みを見せてうなづいた。

 どうやら無事であった様子にほっと胸をなでおろす。

 「大丈夫?」

 再びそばに来た青葉が香音に手を差し出した。

 香音はその手を見つめ、取れぬまま青葉を見上げた。

 その表情に浮かぶ疑問に、青葉は少し困ったような笑みを浮かべて答えた。

 「私はあなたに会うためにこの世界に来たの」

 

 夜の空で、星が強く光った。



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第百三八章【決断】

 「正確には、あなたのお母様と会うためにこの世界にきたの」

 青葉はそう言って出されたアイスコーヒーを一口飲み、ニコリと笑った。

 

 

 チャクラの暴走で荒れた部屋を簡単に片づけ、リビングで向い合せに座りひとまずは落ち着いた。

 だが香音はいまだ戸惑いが抜けぬ瞳で青葉を見つめて返す。

 「この世界って、先生…」

 「そう。私はあなたのお母様と同じ世界の人間よ」

 突然の事に香音は信じられない気持ちで青葉を見つめた。

 それでも先ほどの印を組む動きを見れば疑いの余地はない。

 今目の前にいる人物は紛れもなくあの世界から来たのだ。

 「今日はあなたにその話をしにきたの」

 ドクドクと香音の鼓動が急に音を立て始めた。

 「私の考えが合っていれば、あなたは一度あちらに飛んで戻ってきた…。違う?」

 言葉を返せぬままうなづく。

 青葉は「やっぱりそうだったのね」と小さく笑って続けた。

 「あなたが事故にあったあの時、たまたまその場に居合わせたんだけど…」

 その言葉に「…あ」と、香音が声をこぼす。

 「あの時の声…」

 

 『あなたを必ず助ける!』

 

 意識を失う寸前に聞いたその声が、先ほどの青葉の声と重なった。

 青葉がうなづきを返す。

 「あの時、かすかにあなたの体からチャクラを感じたの。だから、もしかしたらってそう思ったの。あなたのお母様がこちらの世界に来た時期から考えてあなたはこの世界で生まれ育ったはず。それなのにチャクラを操れるという事はって」

 「そうですか」

 何と返してよいのかわからず、そんな言葉しか出てこない。

 それでも聞かねばならない事はある。

 香音は自分の前に置いたカフェオレを一口だけ飲み、気持ちを落ち着かせて口を開いた。

 「お母さんに会いに来たとは、どういう事ですか?」

 その問いに「まずは私の事を話すわね」と、青葉は静かに話を始めた。

 「私は少し特殊な能力を持っていて、あの世界でその力を利用しようとする人物に狙われていたの。それをある忍びに助けられてなんとか生き延びることができた」

 それでもその時に親しい者を全て殺され、一人生きて来たのだと青葉はそう言った。

 そしてある人物に出会ったのだと香音を見つめた。

 「楓様のお婆様に出会ったの」

 「お母さんのおばあさん。でも確かその人はお母さんを逃がすために…」

 命を落としたはずだと、思い当たる。

 「話を聞いたことがあるの?」

 驚いた様子の青葉に香音はあちらの世界でチャクラと思念から具現化した母に会った事を話した。

 その時母から話を聞いた限りでは、うずまき一族が滅ぼされそうにうなった際に、母を時空間忍術で飛ばした状況は命の(きわ)だったように思えた。

 それに加えて、その後十拳の剣の封印が記されたあの部屋の事が誰にも引き継がれなかった事を考えると、その人物はその時に命を落としたのだろうと思っていた。

 だがそうではなかったようであった。

 「あなたのお母様を逃した後、あなたのひいお婆様にあたる初音様は、なんとか生き延びて小さな村でひっそりと過ごしていらしたの」

 「そうだったんですか…」

 「初音様はそこで暮らしながら何とかして楓様を探し出そうとしておられた。だけどどうすることもできず、心を悩ませていたわ。かなりお年を召していらしたし、自分の命がいつまで持つかわからないと。そんな時に初音様と私は出会った」

 高齢の身で一人生きる初音。当時まだ10代であった身寄りのない青葉。二人は出会い話をする中で共に過ごすようになったとの事であった。

 青葉は献身的に初音に寄り添い、信頼を得て楓の事を聞くこととなった。

 「全てを聞かされたわけではないと思う。それでも楓様を見つけて、しかるべきことを伝えねばならないのだということは十分に理解できたわ。うずまき一族のみが引き継ぐべき何かがあるのだと。そして私は初音様から楓様を見つけ出すという使命を受けた。自分にはもうその力がないからと…」

 初音は先の争いで無理のある戦いをした事が原因か、チャクラを練れなくなっており、自身では追えず信頼を置く自分に術を授けたのだと青葉はそう話した。

 

 「訓練を積んで術を会得して飛んだ先が、この世界だった」

 たどり着いたその時に出会った人に救われ支えられ、後に結婚したのだとの話に、香音は自分とイタチを重ね、父と母もそうだったのかもしれないとそんなことを思った。

 「必死に楓様を探した。でもなかなか見つけ出すことができなかった。そして、ようやく出会えたのがあの日だった。だけど、私が駆け付けた時もう楓様は…」

 

 命途絶えていたのだろう。と、その沈黙に香音はそう捉え、「でも…」と疑問を投げた。

 「どうして母だと分かったんですか?」

 母親はこの世界に来てからもうずいぶんと歳を重ねていた。青葉が聞かされていた風貌とはずいぶん変わっていたはずだった。

 その問いに青葉は胸元からペンダントを取り出して見せた。

 「これよ」

 青い小さな石がきらりと光った。

 「それは…」

 目の前で揺れているそれを見て、香音はハッとして自身の胸元に手を当てる。

 そこには同じ青い石のついたペンダント。

 

 母の形見であった。

 

 いつも肌身離さず持っていた物であり、事故の当日も身に着けていた。

 

 「これは初音様から預かった物で、一つの石を二つに分けた物なの。そのもう一つがあなたの持っている物…もとは楓様の物だったその石よ。私はこの石を目印に飛んで来たの」

 「石を目印に…」

 青葉はうなづき、真剣なまなざしを浮かべた。

 「私が初音様から授かった物は3つ。時空間忍術。この石。そして…」

 青葉はカバンから一つの巻物を取出し、香音の前に差し出した。

 「私には開くことができない。でもきっとあなたなら…」

 言われて香音は巻物を手に取る。

 懐かしいその手ざわりにも涙が一瞬滲んだ。

 先ほどのように暴走しないよう、集中して慎重にチャクラを練る。

 浮かんだ術式は母から受け継いだ封印術の一つであった。

 

 だが印を組もうとして戸惑う。

 さすがに術を使う程のチャクラを練るには不安があった。

 「大丈夫」

 青葉が一つうなづき笑った。

 「また同じような事が起こったら、私がすぐに抑える。それにさっきよりはチャクラの動きが落ち着いてきてるから、大丈夫よ」

 促されて香音はより慎重にチャクラを練りあげ印を組む。

 「解!」

 暴走することなく発動した術により巻物の封印が解かれ、淡い光が香音の顔を照らした。

 緊張の面持ちで巻物を開く。だが、何が記されているのかは分かっていた。

 

 十拳剣の封印についての記述であった。

 

 イタチと共に歩んだその軌跡が思い浮かんで涙がこぼれた。

 

 拭っても溢れる涙に青葉がハンカチを差し出した。

 「それが最も重要な事なのだと初音様はそう言っていたわ。内容は聞かされていないけれど、間に合わなければ世界には多くの悲しみと闇が訪れると」

 香音は受け取ったハンカチで涙を拭い、うなづいて返した。

 「大丈夫です。ここに記されている事柄は、無事に成されました」

 その言葉に青葉は深く安堵の息をついた。

 「よかった…。本当に」

 その事が今までずっと青葉の背に重くのしかかっていたのだろう。

 青葉の目にもうっすらと目に涙がにじんでいた。

 

 剣の解術での事を思い出しながら香音は再び巻物に視線を落とし、後に記されている文字にドキリとした。

 内容は時空間忍術についての事であった。

 「これは…」

 その記述に読み入る。

 

 鼓動が鳴ったのは、そこに知った名前が記されていたからであった。

 

 この術をうずまき一族に授けたのは過去の歴史に神と呼ばれた存在。

 

 【女神ナキサワメである】

 

 そう記されていたのだ。

 「ナキサワメ…」

 「時空間忍術についてのことも書かれているのね?」

 「はい」

 「ナキサワメの事は知っている?」

 聞かれて香音はあの世界で会ったことがあると話した。

 その事に驚きつつも、青葉はそれならば話しやすいと笑った。

 「多分そこにも書かれているとは思うんだけど、遠い昔、ある兄妹と出会ったナキサワメが、二人に力を授けたという説話があるの」

 ナキサワメの能力である再生の力を兄に、封印の力を妹に。それぞれ分けて授けたのだとのその話に、香音はふと思い当たる。

 「再生と…封印の力を分けて…」

 そこに二つの種族を思い浮かべる。

 青葉が静かに言葉を紡いだ。

 「封印の力を継いだ者の末裔がうずまき一族を築き上げ。そして、再生の力を継いだ者の末裔が…」

 「千手一族を…」

 「ええそうよ。それによってそれぞれの一族の者に力は広く引き継がれ、栄えて行った。そしてその中でも両族の宗家の中で、最も強いチャクラを秘めて生まれた子に、より強い力が引き継がれていった」

 青葉の言葉に香音は考えをめぐらせる。

 

 後のNARUTOを見た限り、千手柱間の再生能力は六道仙人の子であるアシュラの力を引き継いだからであった。

 その力と、ナキサワメから授かった力が合わさって、木遁という術が生まれたのかもしれない。

 

 「そして、もう一つナキサワメが兄妹に授けた物がある。それが時空間移動の術よ。あの術は、ナキサワメが自分が授けた力を長く守り抜いてほしいという想いから二人に授けた物なの」

 「守り抜くために」

 「そう。もしも宗家の血が途絶えかねない危機が訪れたならば、この術をもってしてその血を別の世界へ逃れさせよと」

 「別の世界へ…」

 青葉がうなづく。

 「危険が決して届かぬ世界へと逃れ生き延び、その血と力を絶やすことなく守り引き継ぎ、いつの日か元の世界へ帰るように。そしてその力を、また世界を守るために使ってほしいと。そうして力を守るために、時空間忍術には再生の力も組み込まれた。もし深い傷を負っていても、術で飛ぶときに治癒するように」

 「だから…」

 母は飛んだ際にその身に負っていた怪我が治ったのだ…

 

 そう話した母の言葉を思い出し、腑に落ちる。

 

 

 曾祖母である初音が母を術で飛ばしたのは、ただ孫を救いたいという事だけではなかったのだ。

 

 母楓が、ナキサワメの力を繋ぐ者であったから…。宗家の血をひいていたから…。

 

 伝承の通りにその存在を、うずまきの血を、ナキサワメの力を後世に残すためにそうしたのだ。

 

 

 そしてこの事を知らずして、母もまた自分を…。

 血を、力をつなぐ役割を持つ自分を…

 

 『偶然のようですべては必然』

 

 ナキサワメの言葉が思い出された。

 

 

 いくつもの物が腑に落ちてゆく。

 そして、どうしても分からなかったことが今分かった。

 

 なぜイタチが術の印を知っていたのかという疑問。

 

 イタチはそれをあの時ナキサワメから…。タゴリから聞いたのだ。

 自分を命の危機から守るために。この世界に逃がすために。

 「………っ…」

 

 どうしてあの人はそうやってすべてを背負ってしまうのか…

 

 悔しかった。

 あの時術をためらい、手を離せなかったイタチの顔が浮かぶ。

 

 離れたくない

 

 イタチも強くそう思っていたのだ。

 それなのに、それでもと自分を守ろうとしてくれた。

 あの世界にとって大切な力を守るために、血を守るために決断した。

 

 大切な物を手放し、そうすることで守る。

 

 うちはイタチという人間の人生は、常にそうであった。

 最後の最後まで。

 

 涙が止まらなかった。

 

 その涙に深い物を感じ、青葉は香音の手をそっと握りしめて微笑んだ。

 「今度はあなたの話を聞かせてくれる?」

 香音は止まらぬ涙を拭いながらうなづいた。

 

 「はい」

 

 震える声でそう答え、あの世界での3年間をゆっくりと静かに語った。

 

 

 時間をかけて語り終わったその話を聞き、青葉は再び香音の手を包み込んだ。

 「本当に大変な時間を生きてきたのね」

 「いえ…。私なんて何も」

 本当に大変で辛かったのはイタチなのだ。

 またこぼれた涙を拭うと、視界に子供たちの眠るベッドが映った。

 

 子供たちを一目見たかっただろう。

 抱きしめたかっただろう。

 成長を見たかっただろう。

 

 そのすべてを捨てて、彼は守ってくれたのだ。

 そうして守られ、未来へと力を、血を、命をつなげる事が出来たのだ。

 

 「あの時空間忍術はね、過去に術を授かった二人の血を継いでいる必要があるの。つまり、宗家の血が必要不可欠なのよ」

 

 イタチを思い出し、考えをめぐらせる香音に青葉がそう言った。

 

 だからイタチはあの方法を取ったのだろうと、また一つ腑に落ちる。

 その血を持たぬイタチには使えなかったのだ。

 そう考えて、香音はハッとして顔を上げた。

 「それじゃぁ…先生…」

 「祖先にうずまき一族、もしくは千手一族どちらかの宗家の血があるのだろうと、初音様はおっしゃっていたわ」

 その言葉に香音の胸が締まった。

 はるか遠くではあるが、同じ祖先をもつ人物が目の前にいるのだと思うと、胸の奥が熱くなった。

 ともに大きな運命を背負い生きてくれる存在がいるのだという事が、これからの支えになるように感じた。

 その心強さに、香音の表情が少しほころびを見せた。

 心の落ち着きを感じ取り、青葉は再び話を始めた。

 

 「あの術には時空を渡る力がある。だけどたとえ術を使えたとしても、異なる世界を必ずしも繋ぐわけではないの。そのためにはある条件が必要とされた」

 

 

 『今夜は星が降る』

 

 

 イタチの言葉が再びよみがえり、香音はうなづいた。

 

 「流星群…。カシオペア座流星群」

 「その話は楓様から?」

 少し驚いた様子の青葉に、香音は小さく首を横に振る。

 「いえ。でも、母から聞かされた話や、他にも色々あってさっき気づいたんです」

 「そう」

 青葉は窓から見える星空を静かに見上げた。

 「いくら神と呼ばれる存在とは言え、どんなことでもできるわけではない。だから、術の発動には条件が課せられているの。異なる世界をつなぐのは夏に流れる流星群。それがカシオペア座流星群にあたる。それと他にもまだ条件がある」

 「他の条件…」

 「ただ流星群が現れればいいわけじゃない。時空を渡り異なる世界へ飛ぶには、ある一定量以上の流星の数がなければならないの」

 青葉はカバンから新聞の切り抜きを二枚取り出してテーブルの上に広げた。

 「カシオペア座流星群は毎年出現する。だけど、流れる星の量が毎年違う。これが去年あなたが飛んだ時の流星の数」

 指さした先には流れた星の量を表しているのであろう数値が書かれていた。

 「そして、これが今年の流星の数よ」

 示された数値を見て、一度止まっていた涙が香音の瞳からまたあふれ出た。

 

 昨年の数値を大きく上回っていた。

 

 「去年は数十年ぶりの大突出と言われていたの。それでも星の量が足りず、あなたは本体で飛べなかったのだと思う。だけど、その数値を今年は大きく上回っている。この数値はあくまでも予測だけど、分かるのよ。チャクラの戻り方が今までと違う。この世界に来て一番強く戻ってる。だから…」

 

 青葉は一度言葉を切り、いつの間にか両手で顔を覆い、子供の様にしゃくりあげて泣き出していた香音を見つめた。

 

 

 「だから…」

 

 柔らかい笑みで優しく伝える。

 

 「確実に飛べるわ」

 

 

 静かな声が香音の心の中に染み込んだ。

 

 「だけど、時空を渡れたとしてもどんな世界にたどり着くかは分からない。確実にあの世界に戻るためにはもう一つ条件が必要なの。迷うことなく飛ぶための目印が」

 青葉は初音から譲り受けた石のついたペンダントを香音の前に置いた。

 「私がこの石を目指して飛んだように、あなたが持つ何かと同じ物があの世界にもなくてはならないの」

 そう言った物が何かないかと問われ、香音は胸元を握りしめてうなづいた。

 「あります…」

 震える声で答える。

 香音はあの世界に自分のチャクラをある物の中に残していた。

 剣の事を伝え残すために。

 だがそれはあの忍界大戦での被害に壊れてしまっているかもしれない。

 それでも、もう一つ。香音の中には確かな物があった。

 「一つの物を、二つに分けた物が私の中にはあります」

 

 胸の奥深くで、ぽう…と温かい力が揺れた。

 

 

 そこに存在しているのは、九尾のチャクラ。

 

 ナルトの中にあるそれと、間違いなくひとつであった物。

 

 この力が自分をあの世界に導いてくれる。

 

 「あります」

 

 もう一度答えると、さらに涙があふれた。

 

 あの世界で触れたナルトの温かいチャクラが思い出された。

 優しく包み込むようなあの光。

 そのぬくもりが涙を誘った。

 

 「その様子だと聞くまでもないとは思うんだけど、それでもよく考えて答えて頂戴。子供たちの為には、この世界で生きる事の方が安全で、環境は整ってる。巻物に書かれていた事が無事に成されたのなら、私はその選択も許されるのではないかと思う」

 「はい」

 涙でかすれた声。

 青葉はゆっくりと一つ呼吸をし、問いかけた。

 

 「香音さん。あなた、あの世界に戻りたい?」

 

 問われるまでもなかった。

 他に答えなどなかった。

 子供たちはきっとわかってくれるだろう。

 

 あの人の…

 

 うちはイタチの想いを継ぐ子供たちなのだから。

 

 

 香音は涙を拭い、まっすぐに青葉を見つめて答えた。

 

 

 「帰ります。あの世界に」




お待たせしてしまってすみません(~_~;)
しばらくこんな感じで間が空くかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
今回の内容に関してはまだ次の話にも色々続いて行くかも…と思いますので、ちょっと説明カ所が続く感じになるかもしれません(^_^;)
なるべく読み良いように書けるよう頑張ります!

いつも読んでいただき本当にありがとうございます(*^。^*)


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第百三九章【星、流るる】

 カシオペア座流星群は、毎年8月12日.13日をピークに流れる。

 それでもはっきりとした星の数は確定できない。

 宇宙での出来事は未だに予想でしかない。

 そうであるからギリギリになるまで話をできなかったのだと青葉は香音にそう話した。

 確実に飛べるかどうかわからない状態で話をして、心を悩ませたくなかったと。

 初めての妊娠、出産、育児。

 ただでさえ心身ともに不安定でストレスのたまる状況。

 医師としても、同じ女性としても、子供たちの事を最優先に考えてのことであったとそう言いながらも、なかなか話せなかったことを詫びて帰って行った。 

 しかし香音は聞かずにいてよかったのだろうと思った。

 もしも確証のない状態で話を聞かされていたら、青葉が危惧したように心への負担は大きかったであろう。

 帰ると決めた今でさえ、眠る子供たちの顔を見ると少しの不安もないとは言い切れない感情が湧き上がる。

 それでも、帰りたい。

 帰らなければならない。

 受け継いだ力を、その血を、あの世界に戻さねばならない。

 だからこそ星は流れるのだろう。

 時空を渡るべき時だからこそ、その条件を満たすだけの星が流れるのだ。

 すべては必然。

 それに何より、そうすることをイタチはきっと望んでいる。

 だからこそあの時言ったのだ。

 『今夜は星が降る』と。

 できうる事なら、安全で平和な世界で生きてほしい。

 だけれども、自分の血を継ぐ子供たちと、愛したその存在に木の葉の里で生きてほしい。

 そのふたつの想いの間で揺れる葛藤から出た言葉であったのだろうと香音はそう感じていた。

 

 細い細い糸。

 

 もしもそのせめてもの手がかりに、答えを見つけてくれたならばと。

 

 思わずこぼれた言葉だったのだろう。

 

 ポタリと涙が子供たちの枕元に落ちて小さなシミを作る。

 

 「帰るよイタチ。あの世界に。木の葉の里に」

 

 あの世界の情景が一気に蘇る。

 どうしようもない切なさが溢れて、ただただ涙がこぼれた。

 

 

 夜は静かに更けて行った。

 

 

 

 

 「ごめん。もう一回話してくれる?」

 そう言って混乱を浮かべたのは、親友の真波であった。

 

 

 翌朝真波を家に呼び、香音は全てを打ち明けた。

 その結果、返ってきたのはその言葉と戸惑いの表情であった。

 「真波、あのね…」

 「待って!ちょっと待って。やっぱりいい」

 真波は香音の言葉を遮り、今度は心配そうな表情で香音の肩にそっと手を乗せた。

 「香音。病院行こう」

 「真波。違うの。本当に…」

 「本当なわけない。そんなのあるわけないよ。事故に遭って眠ってる間にNARUTOの世界に行って三年過ごしたなんて。しかも、子供達があのうちはイタチの子供なんて…。ありえないでしょ」

 バカにしているわけではない。

 心底心配しているその様子に、香音は言葉を返せなかった。

 「きっと事故の後遺症だよ。頭も打ってたし、夢と現実がごっちゃになってるんだって。脳は時間が経ってから色々症状出る事もあるって言うし。そうだ、青葉先生に聞いてもらおう。うん。それがいいよ。すぐ行こう。私ついて行くから」

 早口でそうまくしたてる親友に、香音はやはり何も答えられずに目を伏せた。

 

 信じてもらえるはずがない

 どう考えてもあり得ないのだ

 

 自分も、もし子供たちの存在がなければ、時が経つ中でそう思っていたかもしれない。

 

 「ごめんね」

 

 ぽつりと言葉がこぼれた。

 

 顔を上げて笑った。

 

 「そうだよね。あり得ないよね。何言ってんだろ私。疲れてるのかな」

 「香音…」

 

 無理に笑うその様子に真波がさらに不安げな顔をする。

 「大丈夫。大丈夫だから」

 「でも…」

 「今日ね。青葉先生と会う約束してるの。ちゃんと話しておくから。相談するから」

 だから心配しないでと、そう言う香音に真波は不安げではあったが納得してうなづいた。

 

 「絶対だからね」

 「うん」

 「何かあったらすぐに電話してきて」

 「うん」

 「飛んでくるから」

 「うん」

 「本当に絶対だからね」

 

 肩に乗せられたままの手が、香音の腕を優しくさする。

 暖かさに涙が出そうであった。

 

 「ごめんね」

 

 心配かけて…

 

 「ありがとう」

 

 出会ってくれて…

 

 「ごめんね」

 

 もう会えなくなる…

 

 「ありがとう」

 

 親友でいてくれて…

 

 

 さようなら…

 

 

 これが最後になるだろう。

 

 香音は真波をぎゅっと抱きしめて「ありがとう」と、もう一度繰り返した。

 「いつもありがとう」

 「なによ、改まって。親友なんだからあたりまえでしょ」

 真波は笑いながら今度は香音の背をなでた。

 

 

 「夜電話するね」

 

 そう言って友は立ち上がり背を向けた。

 優しい笑みを浮かべて「じゃぁまたね」と、振り返った。

 

 「うん。またね」

 

 

 いつかまた会えるだろうか…

 

 たとえ世界が離れていても…

 

 

 玄関まで見送る。

 

 その姿が扉の向こうに消えてゆく。

 

 パタンと静かな音を立ててドアが閉まる頃には、止まらぬ涙が頬を伝っては足元に落ちていった。

 

 「………っ」

 

 あふれ出そうな声を必死にこらえようと体に力を入れると、胸が痛んだ。

 ちくりとした痛みに手を当てる。

 そこには事故で負った傷跡が残っている。

 割れた窓ガラスの破片が刺さっていたのだと青葉から聞かされた。

 あと数ミリ深く刺さっていたなら、心臓に達していたであろうと。

 

 

 自分は生かされた。

 

 

 父に、母に。そしてあの世界で出会った全ての人の想いによって。

 

 

 その想いに応えるために、寂しくとも、辛くとも、生きねばならない。

 

 そうして全てに耐え忍び生きるその場所は、あの世界なのだ。

 自分にとっての生きる場所は、イタチと共に生きたあの場所なのだ。

 

 

 たとえ最も大切な友と別れる事になっても

 

 それでも帰りたい場所

 

 

 愛する人の香りがする世界

 

 

 「イタチ…」

 

 名を呼ぶと、涙が静かにひいていった。

 

 大きくゆっくりとした呼吸を一つすると、心が決意を深くした。

 

 

 

 数時間後、星の流れを2日前にして、香音は家を出る事となった。

 青葉の長年の調べによってはじき出された、最もチャクラを強く感じる場所へと移動するためであった。

 車で約3時間。当日の朝に出発しても十分間に合う場所ではあったが、近くに宿をとり、チャクラを練る訓練をしたほうが良いだろうとの青葉の案であった。

 それに加え、幼い子供たちの体への負担も考えての事であった。

 早めに到着し、体をゆっくりと休め、十分に態勢を整えようと。

 

 「それじゃぁ、行きましょうか」

 

 1日分とあとほんの少しの荷物を車に積み込み、子供たちをチャイルドシートに座らせて、青葉は香音に微笑んだ。

 「はい」

 

 答えて一度家を振り返る。

 

 生まれ育った家。

 父と母と共に暮らした家。

 

 そこにはしまい切れないほどの思い出がある。

 

 もうここには戻ってこれない。

 

 やはり涙がこぼれた。

 

 「さようなら」

 

 風が吹いた。

 

 「ありがとうございました」

 

 ゆっくりと頭を下げる。

 

 両親への感謝がただただ溢れた。

 

 

 子供たちが可愛らしい笑い声を響かせた。

 

 

 

 

 静かに降りた夜の闇

 

 柔らかく揺れる月の光が照らすのは、高い山の森の中

 

 円を描くように木々が立ち並ぶ大きく開けた場所

 

 その中心に立ち、香音は空を見上げていた。

 

 

 星が一つ。流れた

 

 

 時が満ちた

 

 

 「始まるわ」

 

 青葉の言葉を合図にしたように、流れる星の数が少しずつ増えてゆく。

 同時に、どんどん感じるチャクラが強まって行く。

 

 香音は緊張の面持ちでうなづいた。

 

 チャンスは一度。

 もっとも多く星が流れる数分。

 

 その時を読み計るため、香音は神経を集中させる。

 

 失敗はできない。

 

 ぐっとこぶしを握りしめる。

 と、固く握りしめたその手を青葉がそっと包み込んだ。

 

 「大丈夫。必ずうまくいく」

 柔らかい笑みに、香音はもう一度うなづく。

 「自信を持って。落ち着いて」

 「はい」

 緊張ほぐれぬままの香音に、青葉はもう一度「大丈夫」とそう言い、ペンを取り出した。

 「手を開いて」

 言われたままに右手を開く。

 青葉はその手のひらに香音の名を書き記した。

 「飛ぶと名前を忘れると言っていたでしょ?だから、これで大丈夫」

 香音は書かれた文字を見つめて三度(みたび)うなづき、青葉を見つめた。

 「あの、先生。先生は本当に戻らなくていいんですか?」

 

 青葉の口から「自分は戻らない」と聞き、幾度か訪ねたその事。

 その度に青葉は笑って答えた。

 

 「私は戻らない。ここが私の生きる場所だから」

 

 その笑顔に曇りはなく。迷いもない。

 かつて自分の母がそう決めて生きたように、彼女もまたそうなのだろうと、香音は笑みを返した。

 

 

 

 と、その時…

 

 カッ…!

 

 短い音を立てて、急に空が眩しいほどに光りを放った。

 見上げると、驚くほどの数の星が流れて、空を明るく染めていた。

 

 その光に共鳴するように、体の奥深くで熱いほどに九尾のチャクラが揺らいだ。

 

 「香音さん」

 「はい!」

 

 今こそその時。

 香音はゆっくりと慎重に印を組み始めた。

 一つ一つの動きに呼び寄せられるかのようにチャクラが強まっていく。

 

 それを感じるのか、そばに置いたベビーカーの中で眠っていた子供たちが目を覚まし、小さな声を上げた。

 

 香音は二人の子供に笑みを向け、最後の印を組み込んだ。

 

 後は強くチャクラを練り込むだけ。

 

 体に力を入れる。

 

 ふわりと香音の体から光が溢れて、香音と子供たちを包み込んだ。

 その光に、香音は一瞬戸惑った。

 

 「これは…」

 

 自分が発したチャクラではない。

 だけどよく知っている物。

 

 

 ひどく懐かしい香りがした…

 

 

 「イタチ…」

 

 

 大粒の涙が次々に溢れてこぼれた。

 

 この時の為に、最後のあの時イタチが自分の中にチャクラを残してくれていたのだと知った。

 

 その力は、守るようにしっかりと母と子供たちを包み繋いでいた。

 

 「はぐれる事はなさそうね」

 その様子に青葉が微笑んだ。

 香音は涙おさまらぬまま大きくうなづいた。

 

 「先生。私、行きます」

 

 空を見上げてチャクラを練り込む。が、その時森の中に声が響いた。

 

 「待って!」

 

 ドキリとしてそちらに目を向ける。

 薄暗い夜の中。こちらに向かって走りくる人影を捉えて、香音は眼を見開いた。

 

 「真波!」

 「香音!」

 

 息を切らしながら駆け寄ってきた真波は、勢いをそのままに香音に抱き着いた。

 「真波…どうして」

 「お母さんに話したの。香音から聞いた話。そしたら…」

 乱れた呼吸で言葉を紡ぎながら、真波は香音をぎゅっと抱きしめた。

 「聞いたことあるって…。お母さんも、香音のお母さんから同じような話を聞いたことがあるって」

 「…………」

 香音は言葉に詰まり、ただ親友を抱きしめ返した。

 「そんなわけないけど、でも、もしかしたらって…。まさかって思って家に行ったら香音いないし。こんな時間にいないなんておかしいって思って、そんなことあるわけないって思ったけど、やっぱりもしかしたらって思って」

 混乱気味に真波は言葉を続ける。

 「この場所もうちのお母さんが香音のお母さんから聞いてて、でも、お母さんその話信じてなかったから、なかなか思い出さなくて時間かかって。って…。違う。そんなのどうでもいいよね。そんな話どうでもよくて…」

 まくしたてるような言葉を切り、真波が体を少し離して香音を見つめる。

 その体からあふれる不可思議な光。

 ぶわりと涙をあふれさせて、顔をゆがめた。

 「本当なのね…」

 かすれた声に、香音の瞳からも涙がこぼれた。

 「…うん」

 「行くのね」

 「うん」

 再び強く抱き合う。

 「香音はそれで幸せになれるの?一人で生きて行けるの?」

 「大丈夫。一人じゃない。一人じゃないから」

 

 子供たちがいる。

 

 イタチと共に生きた多くの思い出があの世界にはある。

 

 「ちゃんと幸せになれるから」

 

 さらに強く抱きしめあう。

 その肩を青葉がやさしくさすった。

 

 「香音さん。時間がないわ」

 

 その言葉に、香音はうなづきゆっくりと真波の体を押し離す。

 

 どうしようもない寂しさがこみ上げた。

 それでも、離れがたい友から離れた。

 

 「行くね。真波」

 「香音…」

 真波は何かを言おうとして一度飲み込み、小さくうなづいた。

 

 「幸せになって。元気でいて。子供たちも」

 そっと二人の小さな子供たちの髪を撫で、真波は青葉に促されて少し距離を取った。

 

 『さようなら』との言葉は互いに言えなかった。

 

 『ありがとう』との言葉は口に出さずとも互いに伝わった。

 

 最後にうなづき合い、香音は青葉に頭を下げた。

 「先生。本当にありがとうございました」

 「後の事は任せて頂戴。元気で暮らしてね。それから…」

 一瞬言いよどみ、青葉は香音に言葉を伝えた。

 「もしも向こうで会う事が出来たら…。テンゾウと言う人に会えたなら、伝えてほしいの。私は幸せに暮らしていると」

 その言葉に香音はハッとする。

 「先生…」

 青葉は涙の滲んだ瞳で柔らかく微笑んでいた。

 「私の名前はユキミ。ユキミよ」

 

 聞かされたその名に思い当り、香音は強くうなづいた。

 「伝えます。必ず伝えます」

 

 香音は最後にもう一度親友に笑みを見せ、青葉に頭を下げ力を練り上げた。

 

 絶えず流れる星の光。

 

 その中に吸い込まれるように香音と子供たちが浮き上がり、強く輝きを放った。

 

 

 森を照らすほどの輝き。

 

 その光と共に、3つの存在は音もなく消えた。




お待たせしてスミマセン(^_^;)
やっと星が流れました!www
今回NARUTO世界に戻ったところまで書きたかったのですが、かなり長くなりそうだったので、切りの良いところで…という感じでここまでにしました。

 でも、次回!ようやく!

次はたぶんあまり期間開けずに更新できると思います!

いつも読んでいただき本当にありがとうございます☆
今後ともよろしくお願いいたします(*^_^*)


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第百四十章【名前】

 ほんの一瞬の浮遊感。

 その一瞬に多くの景色を見たような気がした。

 

 出会い

 

 歩み

 

 軌跡

 

 別れ

 

 共に生きたあの日々の全てが鮮明に脳裏によみがえっていく

 

 

 そして…

 

 

 白い光が溢れ、まぶしさに視界が埋め尽くされ……

 

 

 ひらけた

 

 

 眼下に見えたのは子供たちのベビーカー

 

 自分を見上げるその瞳は穏やかな色で、子供たちの無事を感じてほっとする。

 

 「ん?」

 

 ほっとして、ハッとする。

 

 

 子供たちが下にいる?

 

 という事は自分は上にいる…

 

 

 状況にドキリとして反射的に力を入れた。

 

 

 体を支えるものはどこにもない。

 

 

 

 …落ちる!

 

 

 そう思う間もなく体が落下する。

 

 「わぁっ!」

 

 固く目を閉じ体を襲う痛みを覚悟する。

 

 だがその身に起こったのは違う感覚だった。

 

 ドサリとした音と、多少の衝撃はあった。

 

 しかしそれよりも大きかったのは、ふわりとした優しいぬくもりだった。

 

 どうやら誰かに受け止められたらしい感触にゆっくりと目を開く。

 「あ、すみませ…」

 言葉半ばに息を飲んだ。

 開いた目にうつったのは、艶のある美しい黒い髪。そして、赤い写輪眼と、長い前髪の隙間から藤色の光を放つ瞳。

 見覚えのあるそれは…

 「輪廻眼!」

 

 という事は…

 

 「サスケ!」

 

 ドサッ!

 

 声を上げたとたんに鈍い音とお尻への衝撃。

 「いった!…ちょっと!もう少し丁寧に扱いなさいよ!」

 無造作に落とされ、声を荒げる。

 が、次の瞬間。右腕を後ろに捻りあげられ、さらなる痛みが襲いきた。

 「つぅっ!」

 激しい痛みに顔をゆがめると、背後からサスケの低い声。

 「何者だ」

 サスケはグイッと容赦なく更に手を捻った。

 「答えろ」

 ぐっと体を押さえつけられ、膝をついた前かがみの姿勢となる。

 「ちょ!痛い!」

 なんとか振りほどこうと体を揺らす。と、今度は首筋に冷たい何かが突き付けられた。

 

 「動くな」

 

 正面から聞こえた低く鋭い声に視線を上げると、そこには面をかぶった人物が数人。

 そのうちの一人が、喉元にクナイを突き付けていた。

 

 …暗部…

 

 ごくりと喉がなり、冷たい汗が額から流れ落ちた。

 

 「どこからきた。いや、どうやってここへ入った」

 今度は再びサスケの声。

 

 どうやら自分を覚えていないその様子に、何をどこから話せばよいのか戸惑う。

 だがその黙り込みを怪しく捉えたのか、暗部がグッとクナイを押し付けてきた。

 「話せ。さもなくば命はない」

 その言葉と同時に、他の暗部が静かに動き子供たちにクナイを向ける。

 「やめて!」

 「やめろ!」

 声が重なった。

 聞き覚えのあるその声に視線を向ける。

 そこにいたのはナルトであった。

 「子供に物騒な物向けんなってばよ!」

 暗部のクナイを押し下げ、ナルトはベビーカーを引き寄せ背後に隠す。

 「しかし…」

 「いいから。やめろ」

 制する静かな声に、暗部はクナイを収め少し下がった。

 と、不意にサスケが声をこぼした。

 

 「香音?」

 

 どうや右手に書かれた文字を読んだらしく、その言葉にハッとして自身の名を思い出し、香音はうなづいた。

 「その名前どこかで…」

 つぶやき、サスケはハッとしたように右手をつかんだまま香音を立ち上がらせて振り向かせた。

 顔を覗き込み、静かに目を細める。

 「お前あの時の医療忍者か?」

 コクコクとうなづくと、今度はナルトがその隣から香音の顔を覗き込む。

 「なんだ、サスケの知り合いか?…って、あれ?この人オレもどこかで見たこと…」

 同じように目を細めてつぶやき、ナルトはハッとして戸惑いの表情を浮かべた。

 「あんたあの時の」

 ナルトが最後に見た自分の姿は暁の衣を身につけた姿。

 「ナルト、話を…」

 「なんでここに…。どうやって」

 警戒を見せるナルト。その様子にサスケも警戒を深める。

 「ナルト、お前も知ってるのか」

 「ああ。けど、名前が違うってばよ」

 

 少し考え、ナルトは香音の顔をもう一度見つめて口を開いた。

 

 「確か…水蓮」

 

 

 「…っ!」

 

 

 ぶわり…と。一瞬で涙があふれ出た。

 

 

 ― 水蓮 ―

 

 

 優しい声が蘇った。

 

 

 ― 水蓮 ―

 

 

 その名を呼ぶイタチの声が聞こえた。

 

 

 「…っ…う…」

 

 こらえきれず声がこぼれた。

 力なくその場にうなだれ、ただただ涙を流した。

 

 

 思い出したくても思い出せなかったその名。

 

 

 幾度も幾度も脳裏に声が響く。

 

 『水蓮』

 

 そう呼ぶイタチの声が繰り返し聞こえる。

 

 涙が増えるばかりであった。

 

 

 「な、なぁ。どうしたんだってばよ姉ちゃん。またなんかあったのか?っていうか、本当になんでここにいるんだってばよ」

 戸惑い、警戒しながらも心配そうにナルトが肩に手を置いた。

 その手から伝わるぬくもりに、さらに涙があふれた。

 

 きちんと話したいのに言葉が出ない。

 それでも話さなければと、口を開く。

 だがやはり涙が邪魔をして言葉を紡げない。

 「あぁ…えっと…。とにかく落ち着いて」

 「おいナルト。安易に近づくな」

 あたふたとした様子のナルトにサスケが苛立ちを見せる。

 「いやでもよ、つうかサスケ。ちょっと力入れすぎだろ」

 水蓮の手首の色の代わりを目に捉えて、ナルトがサスケの手をつかむ。

 「ちょっと緩めろってばよ」

 「何を言ってるんだ。里の結界を抜けていきなり火影室に現れたんだぞ。怪しい以外の何者でもない」

 

 「…え?」

 

 思わず声が漏れた。

 

 「火影室?」

 

 思いがけない言葉に涙が止まる。

 ほほに残る雫を拭うと、また新たな声が聞こえた。

 

 「そ。ここ、火影室なんだよね」

 

 場にそぐわないのんびりとした声。

 そちらに視線を向けて、水蓮は息を飲んだ。

 窓から差し込む日の光を受けて、銀色の髪がふわりと揺れた。

 

 「は…は…」

 

 はたけ カカシ

 

 思わず呼びそうになったその名前を、左手で口を押えてこらえる。

 その様子に、カカシはやはりこの場にそぐわぬ空気でやんわりと笑った。

 「どうやらオレの事は知っているようだね」

 静かに立ち上がる。

 

 白い火影の装束が美しく揺れた。

 

 「手荒な真似をしてすまないね。なにせここに突然、誰の感知にも触れず現れたものだからね」

 

 カカシが一歩足を進める。

 「六代目!」

 「ダメです!」

 その動きを慌てて止めたのは、また知った人物であった。

 

 シカマル。そして、サクラ。

 

 これだけの面子が揃う火影室に自分は飛んだのかと、ようやく落ち着いて状況を把握する。

 

 それは確かにこうなるだろうと、汗が浮かんだ。

 しかしそれと同時に、無事に木の葉の里にたどり着いたことに安堵も生まれた。

 

 「近づいては危険です」

 「下がってください」

 過去に自来也から何かを聞いているのか、サクラはシカマルよりも強い警戒でカカシの前に身を置いた。

 が、カカシは気にせず笑って答えた。

 「いいからいいから」

 

 柔らかい口調で二人を軽く制し、水蓮のそばに身をかがめて顔を見つめる。

 笑みを浮かべてはいるが、瞳には厳しい色。

 自分など簡単に殺される。そんな空気に水蓮は緊張に体を強張らせた。

 それでも、決して目をそらさない。

 自分はイタチの想いと共にこの里に来たのだから。

 

 話さなければならない事が。伝えなければならない事がたくさんあるのだ。

 果たさねばならないことがたくさんあるのだ。

 

 何があっても、ここで生きて行かなければならない。

 

 ここで生きていきたい。

 

 

 強いその心を感じたのか、カカシは一つ小さくうなづき口を開いた。

 

 「下がれ」

 

 その言葉に場にいた暗部たちが動揺する。

 「し、しかし」

 「いいから下がれ。しばらく誰もこの部屋に近づけるな。お前達もだ」

 有無を言わさぬその口調に、暗部たちは切れの良い返事を残し姿を消した。

 カカシは次にサスケに手を離すよう言葉を向けた。

 サスケは怪訝な表情を浮かべたものの「妙な真似をすれば斬る」と一言述べて手を離した。

 

 「大丈夫かい?」

 カカシの言葉に、水蓮は腫れてジンと痛む手首をさすりながら小さくうなづいた。

 「君は確か医療忍者なんだったね」

 「はい」

 「少し力を見せてくれるかな」

 その言葉にサスケが「おい!」と、声を上げた。

 何者かもわからない状態でチャクラを練る許可を与えるなど、何を考えているのか。

 そう思っての事であったが、カカシはやはり「いいから」と、軽い口調で笑った。

 それでも気が引け、水蓮はちらりとナルトに目を向けた。

 ナルトは小さくうなづき「カカシ先生が言うなら、大丈夫だってばよ」と、複雑ながらも笑みを浮かべた。

 水蓮は自身の右手に左手をかざし、チャクラを練る。

 淡い光が生まれ、治癒の力によって腫れが引き、色の変わりが消えてゆく。

 術の収まりと共に、痛みもすっかり治まりを見せた。

 

 「なるほどね。いい腕をしているようだ」

 

 「あ、ありがとうございます」

 

 そう難しい程度の物ではない。

 それでも、その術の中に見えるチャクラコントロールの質の良さに、カカシは一つうなづき、言葉を続けた。

 

 「君は本当に香音と水蓮、二つの名前を持っているのかな?」

 「え?あ…はい。」

 

 ここにいる理由や目的ではなく名を聞かれたことに戸惑いながらも、水蓮はうなづいた。

 

 「香音は私が生まれ持つ名であり、水蓮は…」

 

 おさまっていた涙が、再び溢れた。

 

 「水蓮という名は…」

 

 ほんの少し開かれていた窓から風が吹き込んだ。

 

 柔らかいその風に、優しい香りが混じった。

 

 愛した人の香りがした…

 

 「水蓮という名は、うちはイタチからもらった名前です」

 

 「なっ!」

 

 サスケが思わず声を上げる。

 

 その場にいる他の面々も息を飲んで動揺を見せる。

 だがそんな中、カカシは「そうか」と、一人落ち着いた様子でうなづき微笑んだ。

 

 「話しを聞かせてくれるかな」

 

 再び入り込んだ風が、水蓮の髪を静かになびかせた。



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第百四一章【想い。役目】

 静かに、ゆっくりと、水蓮はイタチとの出会い、そして共に過ごした3年間を伝えた、

 

 

 それらを話し終えた後には長い沈黙が落ちた。

 その静けさの中には、異なる世界から来たという事への戸惑いがもっとも色濃く感じられた。

 

 「別の世界か」

 

 沈黙を破ったのはカカシであった。

 「流星群が時空をつなぎ、ここへ来た」

 水蓮はうなづきで答える。

 「確かに、年に一度多くの星が流れる」

 今日はそれを見ようとこの面子を呼び出したのだとカカシはそう言った。

 

 「どう思う?サスケ」

 問われてサスケは一度水蓮に視線を向け、静かにカカシに答えた。

 「ありえない事ではないだろうな。今夜のように空に変化があるときは時空にゆがみが生じやすいし、そうでなくとも世界にはオレが行き来するような異空間がいくつもある。中には人が存在しているような空間があるかもしれない。それに…」

 サスケは今度はナルトとサクラに目を向けた。

 視線を受け二人がうなづく。

 「マダラによるものであったとは言え、私とナルトは一度別の世界へ行ったことがあります」

 「あれがどういう物だったのかわかんねぇけど、皆本当に普通に過ごしてた。全く違う世界だけど、オレ達と同じように生きてたんだってばよ」

 カカシはそれぞれの言葉を聞き、一つ息を吐いて考え込んだ。

 そんなカカシにサスケが言葉を投げた。

 「カカシ…。あんた知っていたのか?」

 

 水蓮が二つの名を持っている事。そのうちの一つをイタチから授かった事。

 先ほどの水蓮とのやり取りを見るに、カカシはその事を知っていた様子であった。

 サスケと同様にそう感じていた水蓮も、カカシを無言のまま見つめて答えを待った。

 カカシはそんな二人に小さく笑った。

 「んー。知っていたと言うか。しらされていたと言うべきか…。まぁ、見てみろ」

 懐から巻物を取り出し、カカシがサスケに手渡す。

 「これは…」

 静かに巻物を開き、サスケが息を飲んだ。

 「イタチの字」

 グッと巻物を持つ手に力が入った。

 「それに、ここに書かれているのは…」

 「そ。お前の任務に関係している事だ」

 カカシのその言葉に、サスケは無言を返してただ巻物を、イタチの字を見つめた。

 

 火影室に再び沈黙が落ちる。

 

 その静けさに耐えかねて、ナルトが声を上げた。

 

 「どういう事だってばよ」

 

 首を傾げたその動きに、金色の髪が揺れた。

 

 

 

 忍界大戦が終わり、カカシが六代目火影に就任して数日後、その巻物が届いたのだとカカシは語った。

 

 差出人が記されておらず、怪しまれた。それでも自分にはすぐに分かったのだという。

 巻物がイタチからの物だと。

 

 「その巻物には封印が施されていた。少し珍しい種類の物でね、かつてオレがイタチに教えたものだ」

 火影の椅子に座り、カカシは巻物を懐かしげなまなざしで見つめた。

 「暗部時代、決してほかの者に知られてはならない情報のやり取りの為、オレが教えた。イタチ以外に教えたことはない」

 だから分かったのだとカカシはそう言ってサスケから巻物を受け取った。

 「これには幾人もの名前が記されている」

 「名前?」

 水蓮のつぶやきにカカシはうなづく。

 「ここに書かれている人物が木の葉に救いを求めてきた際には、協力を願うとの言葉を添えてね」

 「…っ!」

 息を飲んだのは水蓮だけではなかった。サスケもまた驚きカカシを見た。

 カカシは二人にうなづいて答え、言葉を続けた。

 「これは、イタチの嘆願書だ。オレはそれを叶えるために、ここに書かれている人物をサスケに探させていたんだ。内容は伝えてはいなかったけどね」

 「なぜ言わなかったんだ」

 少し声を荒げたサスケに、カカシは静かに返した。

 「イタチという先入観を持たず、お前自身の眼で見たその人物を知りたかった。木の葉にとって害を成さぬか。不安要素がないか。それを見極めるためだ」

 イタチの真実を知っているとはいえ、イタチの嘆願を無条件に受ける事はできない。

 里を守るためであったとカカシはそう言った。

 サスケはどこか不満げではあったが、それでも納得したのか何も返さなかった。

 その様子にカカシは小さく笑い、水蓮に目を向けた。

 「君の知る名もあるんじゃないかな」

 差し出されて、水蓮は少し戸惑いながらも巻物を手に取り広げる。

 「…………」

 懐かしいイタチの字に、手が震えた。

 書かれていたのは…

 

 【つむぎ榴輝】五良町

 【天羽弓月】夢隠の里

 【カロン】花橘町

 

 「…っ」

 

 涙がこぼれた。

 

 良く知る名はそれだけではなかった。

 かつて自分が薬草について教えた【イナホ】

 サソリが残した薬屋の【ハルカ】

 

 他にも共に過ごした中で関わった人物の名がいくつも記されていた。

 

 「オレにこれが送られてきたという事は、オレがイタチの真実を知っているという事を知っていたという事だ」

 「という事は、イタチが穢土転生されて昇華するまでの間か」

 カカシとサスケの話に、水蓮はその流れを思い出す。

 

 おそらくカブトとの戦いの前。

 

 あの緊迫した状況で、イタチはこれを書き残したのだ。

 

 「イタチ…」

 

 どこまでも、誰かのために生きるその想いに、水蓮の胸の奥が切なさに締め付けられた。

 

 優しく微笑むイタチを思い出しながら、再び巻物に視線を落とす。

 ゆっくりと懐かしい文字に目を通し、読み終え、瞳が疑問に揺れた。

 

 どこにも自分の名は記されていなかったのだ。

 

 「どうして…」

 カカシは自分の事を知っていたのだろうか。

 水蓮はその問いを浮かべてカカシを見つめた。

 「君の事に関しては別の巻物に書かれていたんだ。確認したのち、すぐに処分してほしいとの記述があってね…」

 読み終えてすぐに燃やしたのだとカカシはそう言った。

 「そこに書かれていたんだよ。香音と水蓮。二つの名を持つ者がいずれ木の葉を訪れ来たなら、里に受け入れてほしいと」

 「………」

 「君と、その子供を守ってほしいと」

 「………っ」

 傍らに置いたベビーカーで静かな寝息を立てる子供たちに目を向ける。

 涙で滲んだ視界の先。

 イタチによく似た二人がどこか嬉しそうに笑った。

 

 何を想い、どんな気持ちでイタチはそれをしたためたのか。

 

 あまりにも、悲しかった…

 

 流しても流しても絶えぬ涙が、はらはらと落ちた。

 

 「姉ちゃん大丈夫か…」

 「あの、これを…」

 肩にナルトの手が置かれ、サクラがハンカチを差し出す。

 その様子を見て、声が一つ上がった。

 

 「ちょっといいっすか…」

 

 今までただ黙って話を聞いていたシカマルであった。

 皆の視線がそちらに向けられる。

 シカマルは頭をかきながら息を吐き出した。

 

 「うちはイタチが『そういう事であった』という事も今の今まで知らなかったし、他の世界から来た人間なんて言う話もそうそう信じられる事じゃない。だけど…」

 カカシに向き直り、シカマルは厳しい表情で言葉を続けた。

 「今重要なのはうちはイタチのその事でもなければ、この人物がどこから来たのか…でもない」

 シカマルは水蓮をちらりと見やり、再びカカシに向き直った。

 「今ここにいる水蓮と名乗るこの人物が、うちはイタチの言う水蓮と本当に同一人物なのかどうか。それが重要事項ではないかと思います」

 その言葉にカカシは「そうだな」と、うなづいた。

 「いや、でもよ。確かにこの人は前にイタチと一緒にいた人だってばよ」

 「変化している可能性もある」

 ぴしゃりと言い放ったシカマルの言葉に、ナルトは何かを言い返そうとしたが、カカシの言葉に遮られた。

 「確かにその通りだ。イタチの言う『水蓮』の記憶を幻術で読み取り、変化してここにいる可能性もある。そうそう簡単に信じる事はできない。まぁ、君の様子を見ていると、疑いたくはないんだけどね。確たる証拠が必要だ。我々は里を守らねばならないからね」

 「はい」

 水蓮はそう答えて涙を拭った。

 巻物をカカシに返し、一つ静かに呼吸をする。

 何をすればいいのかは分かっている。

 その様子にカカシはうなづいた。

 「君が本当にイタチの言う水蓮ならば、君は持っているはずだ。ナルト以外に持ちえない物を」

 「へ?」

 突然名が上がり、ナルトが気の抜けた声を上げた。

 水蓮は戸惑うナルトに笑みを向けてカカシに向き直る。

 「今ここで見せてもらえるかな」

 佇まいを直し、カカシが水蓮を見つめる。

 「はい」

 キレよくそう返し、水蓮は目を閉じて力を練り上げた。

 体の奥深くに揺らぐ大きな力。

 それはオレンジ色の光を放ち、水蓮の体からあふれ出た。

 「な!」

 「これってば!」

 シカマルとナルトが声を上げ、サスケとサクラが目を見開いて息を飲んだ。

 戸惑いと驚きが入り混じる火影室の中、カカシだけが落ち着いた様子で静かに微笑んだ。

 その表情に、水蓮は力を収める。

 「ナルト。どうだ?」

 「どうって…」

 カカシに問われ、ナルトは戸惑いおさまらぬまま水蓮を見つめて答えた。

 「今のは九喇嘛のチャクラだってばよ」

 「そうか」

 大きく一つうなづき、カカシは水蓮に視線を向けた。

 「どうやら、君は間違いなく水蓮のようだね」

 「はい」

 そう答えた水蓮の隣で、ナルトが声を上げた。

 「一体どういう事だってばよ」

 困惑の言葉に、水蓮は静かに答える。

 「ナルト。あなたにこの力を渡すのが、私の受けた役目なの」

 

 

 胸の奥で、九尾のチャクラがふわりと静かに揺れた。

 

 「役目って…」

 困惑した表情のナルトに、水蓮は母が九喇嘛のチャクラをその身に封印し、それを自分が受け継いだ流れを説明した。

 「母ちゃん以外に九喇嘛のチャクラを封印できる人がいたなんて」

 驚きの色を交えてそう言ったナルトの言葉をカカシが引き継ぐ。

 「かなりの実力者。それに、血筋もそれ相応の物だろう」

 カカシの言葉に水蓮は一瞬戸惑ったが、それに答えた。

 「私の祖母はうずまきミト。祖父は千手柱間です」

 「なっ!」

 その場にいる皆の声が重なる。

 さすがのカカシも同じく声を上げて固まった。

 

 

 

 千手柱間とうずまきミトの間に生まれた母【楓】が九喇嘛のチャクラをその身に封印し、後に自身がそれを引き継ぎ今この場にいる。

 

 その流れを改めて話し終え、驚き戸惑いながらも皆がその話を受け止めた頃。

 空は静かに白みはじめていた。

 

 「ナルト。あなたに九喇嘛のチャクラを返します」

 

 静かに差し出した水蓮の手を、ナルトは取ることができず戸惑う。

 「でも、そんなことしたら姉ちゃんが…」

 「大丈夫」

 ニコリと笑い、水蓮はナルトに歩み寄る。

 「私は人柱力なわけではないから、それで死んだりはしない」

 戸惑ったままのナルトの手を取り、水蓮は優しく包み込む。

 「だから、心配しないで」

 ナルトはしばし考え、「わかった」と一言そう答えた。

 

 母から伝え残された印を組み、自身の中にとどめていた九尾のチャクラを解放する。

 再びナルトの手を取ると、水蓮の体からオレンジ色の光が溢れ、それはまるで吸い寄せられるかのように、ナルトの中へと導かれていった。

 

 



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第百四二章【帰郷】

 その身に預かり受けた九尾のチャクラをナルトにすべて渡し終え、水蓮は一つ息をついた。

 

 

 長い年月を経て、母が、一族が守り抜いてきた役目を果たせたことに、心が安堵に満ちていく。

 

 

 「なんか、すげぇあったかいってばよ」

 

 すべての光をその身に収め、ナルトがつぶやいた。

 「すげぇ優しいチャクラだ」

 「そのチャクラはイタチを何度も救ってくれた。あの人の命を…心を救ってくれた」

 水蓮はナルトの手をぎゅっと握りしめて微笑んだ。

 「ありがとう。本当にありがとう」

 ナルトが強く手を握り返し、太陽のように眩しい笑顔を浮かべてうなづいた。

 「ちゃんと九喇嘛に届いたってばよ」

 「うん」

 ナルトは「おう」と一層明るく笑って返し、カカシに向き直った。

 「カカシ先生。水蓮の姉ちゃんの話は全部本当だってばよ。姉ちゃんからもらったチャクラが、九喇嘛のチャクラが全部教えてくれた。見せてくれたってばよ」

 「そうか」

 カカシは大きく一つ呼吸をし、「わかった」と笑みを見せ、すぐに真剣なまなざしを浮かべた。

 「今後の君たちの事を考えねばならないね」

 ドクン…と、水蓮の鼓動が波打った。

 その音鳴りをなんとか必死におさえようと胸元を強く握りしめる。

 

 大きな脈打ちが手を震えさせた…

 

 「火影様…」

 

 声さえも震える

 

 「お願いがあります」

 

 静かにそう言い、水蓮はその場に膝をついて頭を下げた。

 

 「いかなる理由があったとしても、私は暁に身を置き、その活動の中で動いた人間です。どんな処罰も覚悟しています」

 

 その手で人を殺めた事はなくとも、関わってきた事実は消せない。

 

 消えない…

 

 償うなどと言う言葉ではおさまらないだろう。

 それでも償わなければならない。

 

 そう思っての言葉であった。

 

 「ちょ!ちょっと待ってくれってばよ!」

 

 ナルトが真っ先に声を上げた。

 「水蓮の姉ちゃんはイタチのために暁にいたんだろ?それに、イタチは里のために…」

 「それでも」

 

 擁護するナルトを遮り、水蓮は声を上げた。

 

 「それでも、私が許されるわけにはいかない」

 

 「でも…」

 

 「だけど…」

 

 ギュッとこぶしを握りしめる。

 

 「だけど、どうかお願いします。子供たちは…子供たちだけは、この里で健やかに暮らすことを、木の葉の里で生きてゆく事をお許しください。そしてもし、もしも許されるなら、子供たちが大きくなるまでは、そばにいさせてください。その後の処罰は如何なる物をも受ける覚悟です。だから、どうか…どうか…」

 

 さらに深く頭を下げ、水蓮は「お願いします」と、声を震わせた。

 

 そこには幾度目かの沈黙が落ち、その静寂の中にカカシの深いため息が流れた。

 

 「困ったな…」

 

 ビクリ…と水蓮の体が揺れた。

 

 「カカシ先生!」

 やはりナルトが非難の声を上げ、カカシに詰め寄る。

 「ナルト!落ち着きなさい」

 「判断するのは六代目だ」

 サクラとシカマルが興奮するナルトを抑えて止めた。

 「でもよ!そんなのおかしいってばよ!」

 「いいの…」

 シカマルの腕を押しのけ、なおもカカシに詰め寄ろうとするナルトを水蓮が止めた。

 「私はいいの」

 「いいわけないってばよ!」

 「そうだな」

 ナルトの声に言葉を重ねたのは、カカシであった。

 「カカシ先生?」

 「ナルト。お前の言うとおりだ。それでいいわけがない」

 全ての視線がカカシに集まる中、カカシは静かな声を水蓮に向けた。

 「君を処罰するわけにはいかない」

 「でも…」

 「なぜなら」

 水蓮の言葉を遮り、カカシがフッと笑う。

 「君を罰してしまうと、もう一人処罰しなければならない人物が出てくるんだよ」 

 カカシが視線を向けた先…

 サスケが気まずそうに顔をそむけた。

 「そいつは明確な悪意を持って暁に身を置いたやつでね。それでも何とかして恩赦を取りつけたんだ。だから、すまないけど君への処罰は諦めてくれないかな」

 カカシは「ようやく落ち着きだしたところなんだよ」と、さらに笑みを重ねて言葉を続けた。

 「それに君はナルトの言うように、里のために戦ったイタチを支えた。共に歩み、共に耐え忍び生きた。君はもう立派な木の葉の忍だ」

 「……っ」

 

 木の葉の額あてをつけたイタチの姿が脳裏に浮かんだ。

 

 優しく笑うイタチの顔が…。

 

 

 水蓮はこぼれそうな涙を必死にこらえて、ゆっくりと頭を下げた。

 

 「ありがとうございます」

 

 

 ぽん。と、カカシの大きな手が水蓮の頭に乗せられ、その温かさに心がつつまれていくようであった。

 

 

 「まぁ、これからの事はいろいろ大変だろうけど、できうる限り力にならせてもらうよ。まずは、暮らせる場所を用意しよう」

 カカシはそう言って立ち上がり、シカマルに手配を言い渡す。

 一言二言の交わしで内容を取り決め、シカマルが姿を消すと、カカシが今度は子供たちに歩み寄った。

 

 「双子かな」

 「はい」

 

 差し込み始めた朝の光が子供たちを優しく照らし、風が小さな命を愛でるように吹き流れた。

 

 「この子たちは、イタチの子です」

 

 もうだれも驚かなかった。

 

 

 「名前は…」

 

 

 サスケが静かに問いかけた。

 

 水蓮はサスケに笑顔を向けて答えた。

 

 

 「ナギと、ナミ」

 

 

 心の中に、優しく穏やかに微笑むイタチの姿が再び浮かんだ…

 

 

 

 

 

 夜が明けて、木の葉の里は朝を迎えた。

 地平線から日の光が広がり、里を照らしてゆく。

 揚々と伸びた緑の葉が光りに輝き、まばゆく。そして優しく。

 

 「きれい…」

 

 その光景に水蓮はつぶやき、涙をこぼした。

 

 「ここからが一番よく見えるんだってばよ」

 

 隣に並び立ち、ナルトが笑った。

 

 「うん。よく見える」

 

 かつてイタチの夢の中で見た場所。

 

 イタチが火影の姿で立っていたそこに、水蓮は子供たちと共にいた。

 

 木の葉の里にたどり着くことができたら、必ず来たいと思っていた場所であった。

 イタチはきっとここからの景色が一番好きだったのだろうと、そう思えた。

 この場所に吹く風の中に、イタチの存在を強く感じる。

 里を愛したイタチの想いが、ひしひしと伝わってくる。

 

 「もう一度見せてやりたかった…」

 

 カカシが子供たちの隣に立ち、日の光を受けて輝く里を悲しげな瞳で見つめた。

 

 その隣にサスケが無言で並び立ち、寄り添うようにサクラが身を寄せた。

 

 

 …今ここにイタチがいたら…

 

 誰もがそう思っているだろう。

 

 

 この美しい里をこの場所から見る事が出来たらと。

 

 

 もしそうできたなら、イタチは何を思うだろう。

 

 子供の頃の思い出だろうか

 

 サスケやシスイとの日々だろうか

 

 家族の事だろうか

 

 それらを思い出して、一族を殺めた罪に苦しむだろうか…

 

 

 そう考えて水蓮は思う。

 

 

 そのすべてを受け止め、向き合い、苦しみ、悲しみ、涙を流すだろう。

 

 だけれども、最もイタチの心の中にあるのは、里への愛だろう。

 

 里への想い溢れる優しい瞳で、この景色を見つめるだろう。

 

 

 もしもここにいたなら…

 

 

 ……違う……

 

 

 考えて思う。

 

 「イタチは…」

 

 絶えず吹き流れる優しい風に、水蓮が言葉を乗せた。

 

 「イタチは今この景色を見ています。この里をここから見ている」

 

 皆が水蓮を見つめた。

 

 より強くなった日の光のまぶしさに子供たちが目を覚まし、その目に木の葉の里を映し見た。

 

 「あの人は。イタチは私たちの中にいます」

 

 たとえ姿はなくとも、その存在は、想いはここにある。

 いつでも離れずそばにいる。

 自分と子供たちの命と共に生きているのだ。

 

 これからもずっと、イタチは里と共に在る…

 

 「ちゃんとここにいます」

 

 これからもずっと、共に生きてゆく…

 

 

 未来を描き、水蓮は子供たちを見つめて笑んだ。

 母の笑顔に子供たちも笑った。

 

 「そうか。そうだな」

 

 カカシが身をかがめ、子供たちの髪を撫でた。

 「よく戻ってきてくれた」

 その言葉に答えるように、ナギとナミが嬉しそうな声を上げた。

 「ありがとう」

 カカシはそっと二人の頬を撫でて静かに立ち上がり、少し距離を取り姿勢を正して水蓮たちを見つめた。

 「…?」

 突然のカカシの行動に水蓮が少し首をかしげると、サスケが静かにベビーカーをカカシに向けた。

 「…え?」

 疑問に声を上げると、サスケもまたカカシに並び、ナルトとサクラも同じく身を並べた。

 

 朝の静けさの中に、カカシが声を響かせた。

 

 「うちはイタチ」

 

 トクン。と、胸の中で鼓動が揺れ、その波打ちにカカシの声が重なった。

 

 

 「任務ご苦労であった」

 

 

 静かな言葉と共に、カカシが目を閉じて頭を下げた。

 続いてナルト、サクラ、そしてサスケが同じく頭を下げる。

 

 「……っ」

 

 溢れた涙が風に舞う。

 

 それは光りながら里の景色の中に溶けた。

 

 

 「…はい…」

 

 涙にとぎれる声を必死に繋ぎ止め、水蓮は答えた。

 まっすぐに前を見つめ、しっかりとした声で。

 

 「ただいま帰りました」

 

 静かに頭を下げる。

 

 やはり優しい風が吹いた。

 すぐ隣にイタチの存在を感じた。

 

 

 

 今この時、この瞬間。

 

 

 うちはイタチは、木の葉の里に帰りついた… 



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最終章  【忘れない】

 木の葉の里は今日も美しく、静かに時間を刻んでゆく。

 朝の光が里を照らし、輝かせ。一人、また一人と一日の始まりに目を覚ます。

 

 幾度この朝をこの里で迎えただろう。

 

 窓から差し込む日の光に目を細め、水蓮は里の景色を見つめた。

 

 幾年かを過ごした今も、当たり前のようにこの場所で目覚めをむかえる事への幸せは尽きない。

 

 イタチが生まれ、育ち、守り抜いたこの里で生きる。

 その事が消える事のない寂しさに負けそうな心を支えた。

 

 

 子供たちは健やかに育ち、その存在ももちろん大きな支えとなった。

 

 だがこの里で暮らすにあたって、最も大きな問題はその子供たちでもあった。

 

 将来写輪眼を開眼するかどうかは分からない。

 それでも、イタチの子であるならばその可能性は決して低い物ではない。

 そうなった時に、いったい誰の子とするのか。

 サスケ以外に生き残りはいないと思われているうちは一族の血を持つ子供。

 いまだ五影会談を襲撃したサスケへの警戒解けきらぬ者もいる中、サスケの子と思われては、子供たちが生きづらいであろうとの意見が出された。

 他にも、イタチの面影を見つけ、詮索し、動揺する者が現れるかもしれないとの声も上がり、様々な事を懸念した結果、誰の子とするかを取り決めておいた方が良いであろうというのが里の上層部の考えであった。

 

 

 話し合いの末里が下した答え。

 

 

 それは、うちはシスイの子として育てる。という物であった。

 

 命途絶えたと思われていたうちはシスイ。

 だが一命を取り留め、水蓮と出会い子をなした。

 そのようにして生き、子供たちを育てる。

 

 それがこの里で生きる条件とされた。

 

 

 話し合いの場にはもちろん水蓮も同席し、その言い渡しをただ静かに受け入れた。

 

 子供たちにイタチの事を話すことはできないであろう。

 もしかしたら遠い未来に話せる時が来るかもしれない。だが確かではない。

 それにイタチはそれを望んではいないであろう。

 

 ただ静かに幸せに、子供たちが生きてゆく事を望んでいるはずなのだ。

 

 この里で。

 

 そのために必要なのであれば如何なる物をも受け入れる。

 

 それが水蓮の覚悟であった。

 

 

 『うちはシスイは、里のために尽くし生きた人物として周知されている』

 

 決定が下された時にカカシがそう言った。

 

 『その子供であるならば、皆に受け入れられる。里で静かに生きてゆけるだろう』

 

 優しい声でそう言った。

 

 それでも最後にどこか悔しそうに『すまない』と、そう言った。

 

 

 ナルトはこの事を聞き、納得いかぬ様子でカカシに詰め寄っていた。

 それでもイタチの真実を話す訳にはいかないという事も、イタチがそれを望んでいないことも、イタチの子と知れれば子供たちが生きにくいという事も分かるがゆえに、最後には何も言えず口をつぐんだ。

 

 サスケはただ一言「それがいいだろう」と、そう言ったのみであった。

 

 

 子供たちの事だけではなく、水蓮にはいくつかの条件が課せられた。

 イタチを支えたとはいえ、暁に身を置き生きた事実を里の上層部が危険視したためであった。

 

 うちはイタチは木の葉の忍び。

 だが水蓮は、里にとっては【暁】の水蓮なのだ。

 

 出された条件の中でも重要とされたのは、暗部による生活の監視と忍術の禁止。

 

 『よし』との判断が下されるまでそれは続くこととなった。

 

 その二つが解かれたのは、つい先日の事であった。

 それゆえ、今朝は里に来て初めて監視のない朝。

 

 殊更清々しく感じられた。

 

 「おはよう」

 

 呼ぶことのできない名を心でつぶやき、その存在に笑顔を向ける。

 そうして水蓮の一日が始まった。

 

 

 「よし!」と一つ気合を入れて、壁にかけたエプロンを取り身に着ける。

 その布からふわりと優しい香りがたった。

 

 砂糖とバターの甘い香り。

 

 水蓮の生活に染みついたそれは、焼き菓子の香りであった。

 

 いつか里で自分の作ったケーキやお菓子を売る店が持てれば…と、そう思い常に作り続けてきたが故の物であった。

 感覚が鈍らぬよう毎朝作る焼き菓子。

 その匂いが家の中に立ち込める頃には、子供たちがつられるように起きてくる。

 そしてもう一人。甘い菓子を目当てによく訪れてくる人物がいた。

 今日はその人物の好きな菓子にしようか…。そんな事を考えながら準備を進める。

 だがその手がふいに止まった。

 こちらに向かってくる気配をひとつ捕えたのだ。

 それは今まさに脳裏に浮かんでいた人物ではあるが、いつもの時間よりもずいぶんと早い。

 一瞬の疑問。しかしすぐに思い当り、慌ててドアを開けるとそこには息を切らし、肩を揺らすナルトがいた。

 「おはようナルト」

 「おはようだってばよ」

 返して大きく息を吐き出し、乱れた呼吸をゆっくりと整え、ナルトは「へへ」と嬉しそうに、恥ずかしそうに笑みを浮かべた。

 幸せが溢れて零れ落ちてきそうな笑顔。

 ナルトはもう一度大きく呼吸をしてから水蓮に言った。

 

 「生まれたってばよ」

 

 目じりには涙が少しにじんでいた。

 

 「元気な男の子だ」

 

 美しい金色の髪が朝日を受けて輝いた。

 

 「名前はボルト。うずまきボルトだってばよ」

 

 この世界は、また一つ新たな未来への始まりを見つけた。

 

 その事に、ナルトだけではなく水蓮の心も喜びに満ちた。

 「おめでとう。本当におめでとう」

 ナルトはまた照れた笑いをこぼした。

 

 新しい命の誕生。この時に、水蓮は一つ心に決めた。

 

 きっと今がその時なのだろうと、そう思った。

 

 

 

 

 あれからしばらく後にヒナタがボルトを連れて退院し、生活が落ち着くのを待って水蓮はとある場所を訪れた。

 

 里の少し外れに建てられた木造の屋敷。

 そう大きくはないものの一人で暮らすにはやや広く、造りが少し古めかしい。

 様々な物が発達し始めた里の中で、どこか色の違うその場所は、水蓮の生まれた世界で言う所の【昭和感】が漂っている。

 里がどれほどの発展を見せてもこの場所は変わらず、何か不思議な安心感を覚える。

 

 家主曰く。

 

 「ここはおじい様の住んでた家に似てるのさ」と。

 

 里にたどり着いてしばらく後にこの家に招かれた時、彼女はそう言って笑った。

 あの時と変わらぬ姿と笑みで、その人物は今日も水蓮を快く出迎えてくれた。

 

 「久しぶりだね水蓮」

 「はい。ご無沙汰しています5代目」

 礼儀正しく頭を上げる水蓮にその人物、綱手はやはり変わらぬ明るい笑顔を見せた。

 「相変わらず固いねぇ。私の事は綱と呼んで構わないと言っているだろう。あんたと私は従弟なんだから」

 まぁ上がりなよとそう続け、綱手は水蓮を呼び入れ歩き出した。

 廊下を進むと畳の良い香りが鼻を撫で、水蓮はゆっくりと大きく息を吸い込んだ。

 「いい香りですね」

 心地よさに表情がほころぶ。

 「昨日新しいのに入れ替えた所さ。シズネがどうせやるなら一気にやりましょうなんて張り切って、どこもかしこも新しくしたもんだから家じゅうに香りがたってしまってね。悪くはないが、年寄りには少しばかり強すぎる」

 変わらぬ若い姿でそう笑い、綱手はふすま戸の前で足を止めた。

 「もうみんな来てる」

 静かに開かれたふすまの向こう。

 そこには今でも綱手のそばに仕えているシズネと、ナルト、ヒナタ、そして6代目火影であるカカシが水蓮を待っていた。

 「お忙しいところお呼び立てしてすみません」

 特に火影であるカカシに向けてそう伝え、水蓮は頭を下げた。

 「全然大丈夫だってばよ。な、ヒナタ」

 ニッと笑うナルトの隣でヒナタがうなづく。

 「こうして時々は外に出た方が私も気分転換になるし、ボルトも喜びますから」

 柔らかく微笑むヒナタの腕の中でボルトが大きな目を瞬かせる。

 「そうそう。ボルトはお出かけが好きなんだってばよ」

 ツンとボルトの頬をつつくナルトはすっかり父親の顔をしていた。

 その様子にシズネが笑う。

 「しかしあのナルト君が父親なんていまだに不思議な感覚ですね、綱手様」

 「まったくだね」

 「本当に。今一つ現実味にかける」

 続いたカカシにナルトがジトリとした視線を投げる。

 「カカシ先生までひどいってばよ」

 「ま、お前には苦労させられたからねぇ。そういう所は父親に似るんじゃないよ、ボルト」

 「ひっでー…」

 ニコリと笑ってボルトの髪を撫でるカカシに、ナルトはムッと口をとがらせた。

 「カカシ先生自分がいまだに結婚できないからってひがむことないだろ」

 「あのね、オレは結婚できないんじゃなくてしないだけなの」

 「できない人はみんなそう言うんだってばよ。その年になってまだ独り身なんてかわいそうだってばよ」

 「オレはまだかわいそうな部類には入らない」

 「じゃぁどういう人がかわいそうなんだってばよ」

 「どういう人って…」

  

 おそらく悪気はなかったのだろうと思われた。

 

 「あ…だめ…」

 「ナルトく…」

 

 それでも水蓮とヒナタが止めに入るより早く、カカシとナルトの視線は無意識にとらえていた。

 

 

 その二人を…

 

 

 「あなた達…」

 

 

 シズネが低い声を響かせ、綱手がニコリと笑って言った。

 

 

 「殺す」

 

 

 ごんっ!

 

 と、鈍い音が二つ部屋に落ちた。

 

 それでもボルトの事を考えてか、怒りの表れはただのげんこつにとどまった。

 

 頭を抱えて座り込む二人の姿に、水蓮とヒナタは申し訳ないとは思いながらも顔を見合わせて笑いをこぼした。

 

 

 

 平和だなぁ…と、そう思った。

 

 

 

 「それにしても…」

 頭を撫でつつナルトが立ち上がりカカシを見た。

 「カカシ先生よく時間作れたって言うか、大丈夫なのか?今日休みじゃないはずだろ?」

 「ん?ああ。休みではないけどね」

 同じく頭を撫でて立ち上がり、カカシは水蓮に視線を向けた。

 「ま、内容が内容だからね」

 唯一今日何が行われるのかを知らされていたカカシは次にナルトを見て笑った。

 「驚くよ。お前」

 それから、あなたも。と、カカシはそう続けて綱手にも笑みを向け、最後にもう一度水蓮を見た。

 

 自分に戻されたカカシのその視線にうなづき、水蓮は静かに言った。

 

 「ナルトに…。皆さんに会わせたい人がいます」

 

 ふわりと部屋の中に風が凪いだ。

 

 

 裏庭へと移動すると、そこにはコンクリート製の別の建物があり、一同はその中へと足を進めた。

 先ほどの母屋よりも3倍ほど広い面積。

 その広い床一面には水が張り巡らされており、まるで大きな湖のようであった。

 「中はこうなってたのか」

 初めてこの場所を訪れたナルトが静かな水面に顔を映してつぶやく。

 「ここでは術の研究に使う魚の飼育をしているのさ」

 綱手の言葉に答えるように、パシャリ…と魚が跳ねて音を立てる。

 「医療忍術の練習に使ったり、生態を調べたりね。他にもいくつかあるが、ここは海の生物を飼育している場所で、水は海水さ」

 へぇ…と返し、ナルトは水蓮を見た。

 「姉ちゃんの言うオレらに会わせたい人って、ここにいんのか?」

 水蓮はうなづき巻物を取り出した。

 「始めます」

 確認の意を込めてカカシにそう伝え、静かに巻物を開いて水面に浮かべる。

 クナイを取出し親指に傷を入れ、巻物に血を滴らせて手を突き、ゆっくりと息を吸い込んだ。

 

 「口寄せの術!」

 

 ドゥンッ!

 

 煙を立てて現れた存在に皆が視線を向ける。

 「これってば…」

 「イルカかな?」

 つぶやくナルトとヒナタの背後からカカシとシズネが覗き込みその姿を確認する。

 「いや、違うな」

 「これは…」

 「クジラだな」

 言葉を続けた綱手にうなづいて返し、水蓮は姿を小さくして現れたクジラに手を伸ばした。

 「待たせてごめんね。出雲」

 名を呼ばれて、出雲は嬉しそうに鳴き声を上げて水蓮の手に頭を摺り寄せた。

 久しぶりの再会を喜ぶ出雲の頭を数度撫で、水蓮は出雲と額を合わせる。

 「出雲。お願い」

 

 ふぉぉぉぉぉぉぉぉん…

 

 柔らかい嘶きと共に空間に光が広がり、一同を包み込んだ。

 

 まばゆさに皆が一度目を閉じた。

 そして瞼を開き、言葉をなくして立ち尽くした。

 

 そこにいるはずのない人物を瞳に映して…

 

 

 いくばかの沈黙。

 

 初めに声を発したのは綱手であった。

 

 震えた声でその名を口にする。

 

 

 「自来也…」

 

 

 大きく見開かれた瞳が静かに揺れた。

 

 「どうして…。いや、そうか。チャクラの残存か…」

 

 混乱を一瞬でおさめてそうつぶやくと、自来也がうなづいてニッと笑った。

 

 チャクラの質の強さゆえか、水蓮の母の時とは違い実体のような存在。

 そのしっかりとした体で自来也が一同に歩み寄る。

 

 「まぁそういう事だ。皆久しぶりだのう。と言っても、一体あれからどれくらいたっとるのかまったく分からんのだがな」

 ガハハと笑い、自来也は水蓮の姿を捉えて柔らかい表情を浮かべた。

 「どうやらすべて終わったようだな」

 「はい」

 「そうか…。あいつはどうした」

 

 イタチの事であると捉え、水蓮は答えた。

 

 「あの人は、もういません」

 

 「そうか」

 

 「だけど、あの人の火の意思を継ぐ子供たちが、木の葉の里で生きています」

 

 その言葉に自来也は驚いたように息を飲み、「そうか」と嬉しそうに笑った。

 「しかしあれだな。皆ちと老けたな」

 自来也は驚きで声が出ない様子の一同を見回し、軽い口調でそう言うと、綱手に視線を向けて目を細める。

 「それに比べてお前は、相変わらずまだその姿でやっとるのか」

 どこか呆れた口調。

 綱手はそれに「うるさい」とそっけなく返した。

 その背後からカカシが歩み出てゆくりと頭を下げる。

 

 「自来也先生。お久しぶりです」

 

 動きに合わせてふわりと揺れる装束。

 

 「カカシ…。そうか。お前火影になったのか」

 「はい」

 

 自来也は嬉しそうに幾度も「そうか」と繰り返して笑い、さらにその背後にいる人物に目を止めた。

 

 「ん?」

 

 身を乗り出して目を細める。

 

 「んんっ?」

 

 数秒見つめ…

 

 「お前…」

 

 指を指したその先。金色の髪が揺れ、その色の隙間から小さな声が零れ落ちた。

 

 「エロ仙人…」

 

 その名で己を呼ぶのはただ一人。

 自来也は細めた目を見開いた。

 

 「お前ナルトか?」

 ゆっくりと歩み寄り、大きな声で笑いを上げる。

 「ずいぶんおっさんになっとるではないか!」

 

 そう言うにはまだ若い。

 それでも10代のナルトしか見たことのない自来也には、今のナルトはそう映るのだろう。

 「一番老けたな」と、少し冗談めかして笑った。

 

 「うっせぇ」

 

 うつむいたままの一言。

 

 自来也は大きく息を吐き出して手を伸ばした。

 

 「それでも中身はあんまりかわっとらんの」

 

 ポン…と、ナルトの頭にその大きな手が乗せられた。

 

 「ガキンチョのままか」

 

 ナルトの肩が震え、足もとにポタポタといくつもの大きな雫が音を立てた。

 

 

 「うっせぇ…」

 

 

 ずず…と鼻をすする音。

 

 自来也の指が、くしゃりと金色の髪を撫でた。

 「うまくやったようだな」

 「あたりまえだってばよ」

 グイッと涙を拭い、ナルトは一つ大きな深呼吸をして顔を上げた。

 「サスケもちゃんと帰ってきた」

 「そうか」

 「本当に色々あって里も大変だったけど、今は随分落ち着いてすんげぇ発展してきてるし、オレってば火影になるためにいっぱい勉強もしてるし、任務もバンバンこなしてるし、飯もちゃんと食べてるし、修行もしてるし、あぁそうだ、螺旋丸を使った新しい技も身に着けたし、それから…それから」

 

 矢継ぎ早にまくしたて呼吸が少し乱れる。

 ナルトはその呼吸を整え、静かな口調で言った。

 

 「オレ、結婚したんだ」

 

 少し後ろに控えていたヒナタの肩を抱き寄せる。

 

 「子供生まれたんだってばよ」

 

 ヒナタの腕に抱かれたボルトが自来也を見つめた。

 その瞳を覗き込み、自来也は嬉しそうに笑んだ。

 

 「そうか」

 

 「名前、ボルトって言うんだ」

 

 「ボルト。いい名だ。それに、きれいな目をしとる」

 

 目じりが柔らかく下がった。

 

 「しかしお前が結婚できるとはな」

 自来也はナルトの隣に佇むヒナタに目を向けた。

 「お主は日向の者か」

 「はい。ヒナタです」

 まっすぐに自来也を見つめるヒナタ。

 その瞳に溢れるのはナルトへの揺らぎない愛と優しさ。そして強さ。

 しかとそれを感じ取り、自来也は「うむ」と一つ強くうなづいた。

 それが合図になったかのように、自来也の体が薄れ始めた。

 「エロ仙人!」

 慌てるナルトに自来也が笑う。

 「もう時間か…」

 死の間際に残したチャクラでは長くは引きとめられないのか…。それでもあまりにも短すぎるリミット。

 しかしそれは誰に止められるものでもなく、自来也の姿がさらに薄れる。

 「待ってくれ!」

 ナルトの瞳が揺れた。

 「あのよ…オレ…オレ…」

 何かを言いかけて口を閉ざし、ナルトはうつむき黙り込んだ。

 ぎゅっと強く拳が握り込まれていく。

 

 沈黙が落ちた。

 

 

 父親になる事への不安。火影を目指しての修行や学びの様々。

 

 ナルトはそれらに頭を悩ませ、うまくいかない事に少し自信を無くしているのだとカカシが少し前に話していた事を水蓮は思い出した。

 それが今師の前であふれ出そうになっているのだろう。

 それでも弱い自分を見せたくない。

 成長した姿を見せたい。

 その葛藤がナルトから見て取れた。

 

 だが、聞かずともそのすべてが師である自来也にはわかっているようであった。

 

 「まだまだだのぉ」

 

 呆れたように笑い、息を吐き出し…

 

 

 トン…

 

 小さな音がした。

 自来也のこぶしがナルトの胸元に当てられていた。

 

 「何事も諦めないど根性」

 

 力強くも優しい自来也の声。

 

 「まっすぐ自分の言葉は曲げない」

 

 まるで織り込むようにナルトへと向けられていく。

 

 「それがお前だろう。ナルト」

 

 ゆっくりとナルトが顔を上げる。

 

 それでも力の戻らぬ瞳に、自来也は今度はドンッと強く胸を押した。

 

 「火影になれ」

 「…っ!」

 

 無言で見つめ合う。

 ほんの数秒のその間に、ナルトの瞳には力が戻っていた。

 「エロ仙人」

 もう一度強く拳を握りしめ、ナルトはグイッと力いっぱい目元をぬぐい、いつもの明るい笑顔で返した。

 「当たり前だってばよ!」

 ナルトが見つめるその先には、優しくも力強い自来也の笑みがあった。

 「しっかりやれ」

 自来也はそう言葉をかけ、最後に綱手に歩み寄った。

 「綱手。向こうで待ってるぞ」

 ふん。と、綱手が鼻を鳴らして笑う。

 「もうそう長くは待たせないさ」

 「そうだの。お前ももうずいぶん生きた」

 「…そうだな」

 ゆっくりと、自来也の手が綱手の頬に触れた。

 

 太くしっかりとした指が褐色の瞳からこぼれた雫を掬い取った。

 

 

 別れの時が色を濃くしてゆく…

 

 

 「ナルトを頼む」

 ヒナタに向けて自来也が言う。

 「はい」

 ナルトに寄り添うヒナタがうなづく。

 「シズネ。今しばらくこいつを頼むぞ」

 「はい」

 涙を拭い、シズネが笑う。

 安心したようにうなづき、自来也は視線をカカシに向けた。

 「カカシ。里を頼んだぞ」

 「はい」

 力強く答えて頭を下げるカカシ。

 「それから」

 自来也はニカリと笑って水蓮を見た。

 「礼を言う。よく約束を守ってくれた」

 「はい」

 水蓮の返した言葉に、より一層薄れる姿。

 

 

 「皆…後を頼んだぞ」

 

 柔らかい声が響いた。

 

 

 - さらばだ -

 

 

 消えゆく姿と声。

 

 

 刹那…

 

 

 皆が一瞬息を飲んだ。

 

 集まるその視線の先には、自来也の肩に手を乗せ踵を上げて背を伸ばす綱手の姿。

 

 

 甘い花の香りが満ちた。

 

 

 静かに、優しく、時が流れた。

 

 

 

 フッ…と小さく綱手が笑う。

 

 

 引き上げられていた踵が地に着いたその頃には、自来也の姿はもうなかった…

 

 

 

 

 

 その日の夜は綱手の屋敷で宴会騒ぎとなった。

 ヒナタと、執務に追われるカカシを除いた先ほどの面々が集まり、皆それぞれに自来也との思い出を語った。

 

 これまでどうしても皆口に出せなかった自来也の話。

 

 隻を切ったように語り合い、酒を飲みかわし、笑い泣き。

 深夜を超えた頃に満足したかのように飲みつぶれて眠りについた。

 

 「やっと静かになった」

 

 酒やつまみの世話をし続けていた水蓮が大きく息を吐き出し、眠りこけるナルトたちを見て呆れた笑いをこぼす。

 掛け布団をと思い隣の部屋へと取りに行けば、そこには二人の子供が静かに寝入っていた。

 あの大騒ぎの中よく眠れたものだとこちらにも笑いを向ける。

 随分と大きく成長した二人。その寝顔はやはりイタチの面影が濃く、いつもどうしようもない寂しさがこみ上げる。

 だがそれと同じように、どうしようもないほどに幸せを感じる。

 穏やかな気持ちが心の奥深くからこみ上げてくるのだ。

 

 子は鎹とはまさにその通りだとそう感じさせられた。

 

 たとえここにイタチがいなくとも、自分とイタチは確かに繋がっているのだと。

 けっして離れる事のない存在なのだと思い知らせてくれる。

 

 

 「イタチ…」

 

 

 窓を開け、小さな声でその名を呼ぶ。

 

 静かに優しい風が吹き込み、水蓮をそっと包み込んだ。

 

 

 

 

 数日後。

 里にまた一つ新しい命の訪れがあった。

 数年前に里を離れて旅に出たサスケとサクラが、小さな赤ん坊を連れて戻ったのだ。

 

 うちはサラダと名付けられたその命の帰郷を、水蓮は心から喜んだ。

 

 自身の子供たちと共に、木の葉の里に新たなうちはの未来を築きゆく子。

 その存在はあまりにもうれしかった。

 

 

 

 その日の夜。

 水蓮はサスケに誘われて子供たちと共にアカデミーの裏山へと来ていた。

 「もう少しだ」

 先を歩くサスケが少し振り向きそう言った。

 相変わらず口数は少ないが、物腰はかなり柔らかくなり、ナルト同様に父親としての空気を感じられる。

 その穏やかさゆえか、ナギとナミはすぐにサスケに懐き、あれこれと話しかけながらその隣を歩いている。

 サスケはそれに時折小さく笑いながら答え、時に寂しげな表情を見せた。

 それでも、どこか嬉しそうに二人を見つめていた。

 

 「着いた」

 

 静かな声でサスケが言った。

 見つめるその先にある光景。

 

 隣に身を並べた水蓮が息を飲み…

 

 「すごい!」

 「きれい!」

 

 ナギとナミが感動の声を上げて走り出した。

 

  

 小さな小川が流れるその場所。

 

 美しい水の上を小さな無数の光が飛び交い、夜の闇を照らしていた。

 

 「蛍…」

 

 

 水蓮のつぶやきにサスケがうなづいた。

 

 

 かつてイタチが話していた。

 アカデミーの裏山にある小川。

 そこで見る蛍が一番きれいなのだと。

 だが大戦で様々な場所が被害を受け、地形が大きく変わり、この地に蛍は飛ばなくなった。

 それでも時が流れ、復興が進み、今この場所で蛍が輝いている。

 

 「戻ってきたんだ」

 

 つ…と、水蓮の頬に涙が伝った。

 「昔…」

 蛍を追いかけ走り回るナギとナミの姿を見つめながらサスケが口を開いた。

 「イタチとよくここの蛍を見た。必死で追いかけて、捕まえようとして…」

 「川に落ちた」

 イタチから聞いた話を思い出す。

 「ああ。その俺を引き上げようとして…」

 「イタチも落ちた」

 サスケがフッと笑ってうなづく。

 つられて水蓮も小さく笑う。

 二人はしばらく黙って蛍を見つめた。

 「イタチは」

 不意にサスケが言う。

 少し言葉に詰まりながら。

 「イタチは、笑っていたか?」

 見ればひどく不安げな顔をしていた。

 水蓮は笑顔でうなづいて返した。

 「あの人はよく笑ってた。優しい顔で、幸せそうに笑っていたわ」

 どんなに時が流れても決して忘れる事はないあの笑顔。

 「辛くて、苦しくて、大変な事はたくさんあった。だけどイタチはちゃんと笑ってた。幸せだと、そう言っていた。それは私も同じ」

 

 

 思い出せば本当に辛く厳しく険しい道のりだった。

 たくさんの痛み、悲しみ、寂しさが渦を巻いて自分たちを襲ってきた。

 いつ別れの時が来るのかと、朝も昼も夜も、恐ろしかった。

 

 だけれども…

 

 「私達は穏やかで優しい時間を共に生きた。一緒に泣いて、一緒に笑って、未来を信じて一緒に歩んできた」

 

 あの日々が鮮明によみがえり脳裏を駆けてゆく。

 

 「イタチと共に生きた時間は人生で最もつらく苦しい物だった。だけど、それ以上に幸せな日々だった。誰にも負けない。何ものにも負けない。二人で生きたあの時間を私は忘れない」

 

 蛍の光が水蓮の瞳を揺らした。

 

 「あの人を愛し、あの人に愛された日々は私の誇り」

 

 振り返れば今でもやはり涙がこぼれる。

 寂しくないわけがない。

 会いたいと思わないはずがない。

 それでも前を向いて歩いて行けるのは、あの日々が愛と幸せに溢れていたからなのだ。

 

 「それはきっとイタチも同じ」

 

 その言葉にサスケはほんの一瞬泣きそうな表情を浮かべて目を閉じた。

 少しの沈黙。

 サスケは小さく呼吸をし、目を開いた。

 「よかったと、そう思う」

 「え?」

 水蓮を見つめ、サスケは柔らかく笑った。

 「イタチの…。兄さんのそばにいたのがあんたでよかったと、そう思う」

 

 夜を飛び交う蛍の光が強さを増した。

 

 その一つがふわりとサスケの肩に舞い降りた。

 

 

 「ありがとう」

 

 

 ほんの一瞬。

  

 サスケの姿にイタチの声と姿が重なった。

 それはサスケの肩から飛び立ったホタルの光と共に消えてゆく。

 

 「ありがとう」

 

 今度はもうサスケの声ただ一つだった。

 柔らかく穏やかな響きが夜の中に揺れる。

 

 まっすぐに、水蓮に向けて…

 

 

 「姉さん」

 

 

 水蓮の胸に静かに染み込んできたその言葉は、これから歩いてゆくその道を照らし導く光となった。

 

 

 あの日イタチと共に見た蛍の光のように。

 

 

 美しく。強く。



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エピローグ【紫陽花の色に染まる風】

 あれから、本当に長い長い時間が流れた…

 

 木の葉の里は新しい世代と共に大きく発展し、さらに忍世界を導く存在となった。

 

 その時の中で多くの命が生まれ、多くの命が旅立った。

 

 名を馳せたかつての英雄たちも新たな若葉へと火の意思を託し、幕を下ろしていった…

 

 「命は生まれ…命は死ぬ…」

 

 ポツリと、水蓮の口からこぼれた言葉。

 それは、イタチが寂しげな表情と共に水蓮の記憶に残したもの。

 

 水蓮は大きな椅子にすっぽりと体を預け、窓の外に咲き乱れる紫陽花を眺めていた。

 

 キィッ…

 

 と、静かな音をならして椅子が揺れる。

 肘掛けに置かれた手には、長い年月を生きたその想いの数ほどのシワが刻まれ、それを視線の端にとらえて水蓮は小さく笑んだ。

 

 「随分年を重ねたわね…」

 

 浮かべた笑みの様に優しい風が、ふわりと凪いだ。

 

 その風の中に懐かしい香りを見つけ、水蓮はゆっくりと窓の向こうに目を向ける。

 

 色とりどりに景色を染める紫陽花の中…

 

 一日たりとも忘れる事のなかった姿が浮かんでいた。

 

 

 柔らかいほほえみ

 

 懐かしい声がした

 

 

 「水蓮」

 

 水蓮も、その名を呼んで答える。

 

 「イタチ」

 いつの間にか、水蓮も紫陽花の色の中にいた。

 

 手に刻まれたシワは消え、その姿はこの世界に来たときの容姿へと戻っていた。

 

 「迎えに来てくれたの?」

 

 少しずつ距離が縮まる…

 

 「ああ」

 

 風が流れる…

 

 「随分早いわね」

 

 クスリと水蓮が笑う。

 

 「ああ」

 

 照れたようにイタチが笑う。

 

 「生まれ変わるまで待てなかった」

 

 そっと、大きな手が水蓮にさしのべられた。

 

 水蓮はもう一度小さく笑い手を重ねた。

 

 ずっと触れることができなかった。

 

 それでも、ずっと忘れる事はなかった。

 

 柔らかく優しいぬくもりが二人をつなぐ。

 

 「でも、それでも長く待たせちゃったね」

 

 「ずっとそばにいた」

 

 「うん。いつでも感じてた」

 

 「そうか…」

 

 ゆっくり。そっと、互いを抱き締める。

 

 懐かしいぬくもりが、離れていた時間を一気に埋めていく。

 

 「水蓮…」

 

 いとおしげな声と共に、優しい口づけが降り落ちる…

 

 「イタチ…」

 

 涙が一粒落ちた…

 

 「行こう」

 

 「うん」

 

 繋がれた手をもう一度強く握り直す。

 イタチがその手を持ち上げ、そっと口を寄せた。

 「今度こそ同じ時を生きよう。一緒に、長く」

 

 「うん。ずっと一緒に」

 

 ゆっくりと二人は歩き出す。

 

 辺り一面に咲き乱れる紫陽花が、その道を導く。

 

 歩みを進めながら、二人は笑みを交わす。

 

 まるで二人のその微笑みのような穏やかな風が、さぁっ…と吹き流れた。

 

 その風は、紫陽花の色に染まりながら二人を包み込み、共に空へと舞い上がった…

 

 優しい風の中に二人の声が揺れる…

 

 

 「水蓮」

 

 「何?」

 

 「愛してる。お前を愛しているんだ…水蓮」

 

 「私も。あなたを愛しているわ…イタチ」

 

 

 

 

 この日、木の葉の里には今までにない穏やかな風が吹いた

 

 その風は、守るように、いとおしむように。里を包み込み未来へと向かって流れていった…

 

 

 

 

 命は生まれ…

 

 命は死ぬ…

 

 そしてまた生まれる

 

 

 

 いつの日か…

 

 

 

 

 

                         完




長く続いたこの作品。
ようやくの完結となりました。

これまで読んで下さった皆様には感謝が尽きません。

水蓮とイタチの長い旅路を見守って下さり、そして応援して下さり
本当に、本当にありがとうございました。
皆様からのコメント、ものすごく支えとなりました。

二人の物語は終わりましたが、製作に関してのちょっとした話や、ボツになったstory、
その後の水蓮と子供たちの事をピクシブで時々描こうかな…と思っておりますので、もしよかったらのぞいてやってください☆

それでは…

これまで本当にありがとうございました!


【いつの日か…】これにて完結です☆


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