SAO <少年が歩く道> (もう何も辛くない)
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剣の世界
プロローグ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

傍から見た辻谷慶介は、どれだけ幸福そうに見えただろうか。だが、彼ほど自分の立場に苦しんだ者はいないかもしれない。

 

物心がついた時から…いや、生まれた時から降り注いでいたのかもしれない周りの大きな期待を背負いながら、一人になるとそれに耐え切れず、まるで逃げるようにゲームをやり込み始めたのはその事を自覚した時、小学五年生の時だ。MMOゲームも、現実でやっている事と同じ競争なのに、何故かそれにどんどんはまっていった。

 

当然、普段の生活にも変化が生じ、学業の成績にも影響が及ぶ。中学一年生の時には勉強に使っていた時間のほとんどがゲームの時間へと変わり、名門校でもトップクラスだった成績は中堅クラスへと落ち込んでいった。

 

さすがにその時は肝が冷えた。これはまずい。親に叱られ、ゲームを取り上げられてしまう。そして何よりも、親をがっかりさせてしまう。悲しませてしまう。

成績の上がり下がりで一喜一憂してくれてた親が、こんな大幅な成績の下降を知ればどんな反応をするだろう。それを考えると怖くなった。

 

だけど…結果的には、そんな心配はいらなかった。

 

父と母に呼ばれ、問われ、自分は正直に理由を話した。自分に向けられる期待がとてもつらかった事、いずれお父さんのような─────と周りの大人に言われるのが煩わしかった事、そんな時、今ではすっかりのめり込んだゲームを見つけた事。ゲームにのめり込んでいく内、勉学の時間は減ってそのせいで成績が下降したのだ、と。

 

言葉を進めていく内に、耳に蘇る大人たちの言葉。『いずれはお父さんの様に─────』、『お父さんの様な立派な─────』、『将来はお父さんと同じ─────』、お父さんお父さんお父さんお父さん。どれだけ頑張っても、周りから聞こえてくるのはその言葉ばかり。ただ唯一、自分の気持ちを露知らない父と母だけが素直に褒めてくれた。だから…、どれだけ言葉が重なり、鬱陶しく感じても、父という存在を嫌う事は出来なかった。

 

ずっと封じ込めてきた思いを全て吐いた。今になって思い返すと、まるで八つ当たりをするガキの様だった気もする。だけど、そんなどうしようもない自分を、両親は抱き締めてくれた。辛かったねと、気づいてあげられなくてゴメンと、優しく抱き締めてくれた。

 

それと父はこうも言ってくれた。『お前がしたい事をすればいい。あまりに度が過ぎない限りは何も言わん』と。『だがさすがに今回の成績に下がりようは見過ごせん。飽くまで今のお前の本分は学業だからな』とも言われたが…。当初心配していた、二人が悲しむ、という事はなかった。少し覚悟していた、ゲームを取り上げられるという事もなかった。

 

今では、勉強の時間とゲームの時間のバランスを取って過ごしている。前の様に成績をトップクラスに戻すこともできたし、試行を繰り返してその成績を維持できる勉強時間を確保している。まぁそれ以外はひたすら遊んでるのだが。

 

周りが何を言おうとも関係ない。ただひたすら父の様にとだけを考えていた自分はもういない。今では将来の目標もできて…、あの時、自分の抱いていた気持ちを曝け出して良かったと本当に感じている。

 

と、色々と吹っ切れて、新しい自分を始めておよそ一年経ったある日、父がある物を持ってきてくれた。

 

<ナーヴギア>

家庭用に作られたVRマシンの第一号で、正式な発売は明日という話だったが…。父曰く、知り合いに頼んだら特別に売ってくれたという。

 

さすがにそれは権力乱用ではと聞いてみたのだが、碌に取り合ってくれなかった。というより、図星過ぎて返事を返すことができなかったといった方が正しいかもしれない。

 

何はともあれ、俺は世界初のVRMMOゲーム、初回販売では一万人しか手に入れることができない、<ソードアート・オンライン>にログインする権利を得たのだ。…少し他の人に罪悪感が湧く方法ではあったが。

 

 

 

 

そして、今日。2022年11月6日、日曜日。俺は、ソードアート・オンライン、通称SAOが正式サービスを開始する時間、午後1時が訪れるのを待っていた。

 

 

 

 

「兄さん、ちょっと宿題で教えてほしい事があるんだけど」

 

 

「悪いが今、俺は忙しい。母さんか斎藤さんにでも聞け」

 

 

部屋の扉がノックされた直後、可愛らしいソプラノボイスが外部から中に届く。この声は、可愛い可愛い我が妹の声だ。いつもなら部屋に入れてその質問に答えているのだが…、今日だけは、この時間だけはダメだ。

 

現在の時間は12時52分。残り8分…正確には7分23秒後にSAOの正式サービスが始まるのだ。妹の…司が質問の答えに満足するまでに要する平均時間はおよそ十分。…ダメだ、ここは心を鬼にして司を追い返そう。それに、司も途中で答えるのを投げ出されるのは嫌だろう。これは司のためでもあるんだ。…え?少しくらい時間過ぎたっていいじゃないか?何を言ってるんだ?サービス開始時間ぴったりにログイン、これ、ゲーマーの基本よ?

 

 

「お母さん、今買い物行ってる。それに斎藤さんは新しく入った人の教育してるし」

 

 

「え、また新しく雇ったのかよ父さん」

 

 

「…私の専属になる人よ」

 

 

「…へー」

 

 

ぶっちゃけどうでもいいや。父さんならそう酷い人を司の専属に選ぶはずないし。

 

 

「ていうことで、あと残ってるのは兄さんしかいないのよ。だから教えて」

 

 

「悪いな司、さっきも言ったが今俺は途轍もなく忙しいんだ」

 

 

「…ゲームにログインしたいだけでしょ?」

 

 

「時間ぴったりにという言葉を付け足せ」

 

 

扉に隔てられわからないが、司が呆れた表情をしているのは聞こえてくる声からよくわかる。聞こえてはこないが、多分大きなため息もついてるだろう。

 

 

「…わかった。でも、後で教えてよね」

 

 

「どうして俺に聞く前提なんでしょうか…」

 

 

自分で解けよ。考える努力しようよ。何で俺に聞くって固く決めてんだよ。

こっそり内心で呟く慶介。

 

でも、司が現在勉強してるのは中学生になってから習う内容だ。司の今の学年は小学五年生。どれだけ自分で考えてもよくわからないのかもしれない。そう考えると、喉の奥まで出かかった言葉を飲み込むことができる。

 

 

「兄さんはいつになったら戻ってくるの?」

 

 

「夕飯までには戻るつもり。大体…六時半くらいかな?」

 

 

「わかった。待ってる」

 

 

とん、とん、とん、と軽い足音が遠ざかっていく。どうやら司を納得させ、追い返すことができたようだ。これで心置きなくサービス開始時間を待つことができる。

 

それから、ベッドの上に寝転がりながら、SAOの開発者<茅場晶彦>に行ったインタビューの内容が書かれた雑誌を読みながらその時を待つ。

 

待つ。待つ。ひたすら、待つ。

 

 

「…よし」

 

 

慶介は横目で見た、時計が示す時刻を確認して雑誌を閉じる。そして無造作に勉強机の上に放り投げて、机のすぐ横にある棚の上に置かれたヘルメットとコードを取る。

 

そのヘルメットこそ、SAOへの招待状─────<ナーヴギア>だ。

 

ナーヴギアにコードを繋げ、そしてもう一方をルーターに繋げる。ベッドに体を横たわらせ、ナーヴギアを被り、安全ベルトもしっかり閉める。

 

仮想世界─────自分はそこで、どんな景色を見ることができるだろう。この手で、どこまで世界を切り開くことができるだろう。胸に思いを抱き、慶介は仮想世界へと誘う鍵となる言葉を口にした。

 

 

「リンク・スタート」

 

 

瞬間、現実の慶介の意識は闇へと落ち…代わりに、仮想世界へと入り込んでいく慶介の意識が目覚めていく。

 

ソードアート・オンライン。

天才学者、茅場晶彦が創り出した剣の世界へ─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第1話 アインクラッドという世界

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開始コマンドを唱えた直後、始まったのは使用言語設定とキャラクターメイク。使用言語は当然日本語。キャラクターメイクは目や鼻の形や位置、瞳の色に肌の色、そして体系に性別を設定できる。目や鼻の形、肌の色に性別は特に変えなかった。瞳の色を少し赤めにしたのと、背の高さを少し…170cmに届かせる程度で終わらせた。残るはアバター名だが…、これはMMOでずっと使っていたものですぐに決定した。

 

 

「ケイ…と」

 

 

タッチパネルでアバター名、<ケイ>と入力する。慶介の介を抜かした程度の安直な決定だが、それなりに良い名前だと思うし、愛着もある。世界初のVRMMOだからといって、アバター名も一新しようとは思わない。

 

ケイと入力し、OKと書かれた枠をタップする。すると、慶介…ケイを囲んでいたパネルが全て消え、代わりに正面に出てきたのは<Welcome to Sword Art Online !>と書かれたパネル。

直後、ケイは虹色のリングに包まれ…光が消えていく。

 

 

「…ここが、仮想世界」

 

 

あまりの眩しさに閉じていた瞼を開けた時、ケイの視界に飛び込んできたのはさっきまでいた無機質な世界とは違っていた。ケイが立っていたのは街路樹に周りを囲まれた大きな広場。さらにその奥では西洋風の建物群が広がり、様々な容姿を持った人達が歩く賑やかな街並み。<はじまりの街 中央広場>ケイは目を輝かせながら、その光景に魅了されていた。

 

 

「…っと」

 

 

「おっ…と、悪ぃな」

 

 

だが、背後からの衝撃でケイは我に返る。手を上げてこちらに謝罪し、去っていくイケメンを見送ってからケイは自分がこれから何をすべきかを思い出す。

 

 

「まずはステータス…それにアイテム欄の開き方とか色々覚えとかないと…」

 

 

ケイは周りを見回し、ベンチを見つけるとそこに近寄って腰を下ろす。

 

 

「確か、こうやって…。お、出た」

 

 

呟きながら右手の人差し指と中指を真っ直ぐ揃えて掲げ、真下に振る。これが、メインメニュー・ウィンドウを呼び出すためのアクションなのだ。ケイが指を振るったと同時、鈴を鳴らすような効果音と共に、半透明なメニュー画面が現れる。

 

ステータス、アイテム、装備に設定。他にもまだあったが、基本的に使うのはこの四つだろう。自分のステータス確認にアイテム、装備変更に後は、ログアウトは設定欄にあるはず。

 

ケイはメインメニューを開くと真っ先にステータスを確認した。Lv、経験値、HP、筋力値、敏捷値が記されている。Lvは当然1。その他の数値も全て低い。

 

 

「レベルを上げてけば当然ステータスも上がる。後はそのステータスの振り方だけど…、まぁそこはレベル上がった時に考えるか。後はアイテム、と」

 

 

ケイはステータスを閉じてアイテム欄を開く。回復アイテム、装備アイテム、素材アイテム、キーアイテムと割り振られている。欄をタップしてアイテムを確認すると、初期に持っているアイテムは回復ポーション5個と装備アイテムのスモールソードと、カトラスいうアイテムだった。

 

 

「回復アイテム…。茅場さん、案外優しいとこあるじゃん」

 

 

回復ポーション×5という文字を見て、おかしそうに吹き出しながらケイは呟く。そしてスモールソードという欄をタップして詳細を見てみる。

 

 

「片手用直剣に、片手用曲刀…。刀、か…」

 

 

カトラスという名称をじぃっと眺める。手を顎に当て、考える素振りを見せて…ケイは決める。

 

 

「よし、この片手用曲刀…のスキルを上げていこう。決めたっ」

 

 

カトラスの欄をタップ、装備の欄をタップ、装備しますか?という問いかけの欄で、yesをタップしてケイはカトラスを装備する。

 

 

「…じゃあ、回復アイテムも支給されてることだし。フィールドに行ってみますかね!」

 

 

本当ならアイテムショップに行って回復アイテムを調達してからの予定だったのだが、何とも親切なお人のおかげでその手間が省けた。ケイは胸を躍らせ、無意識にフンフンと鼻歌を口ずさみながら飛び跳ねて歩き、最初にやって来たこの街、<はじまりの街>を出てフィールドへと足を踏み入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

「よっ…と!」

 

 

曲刀を振るい、斬撃を入れるとイノシシ型のモンスターが輝き、ガラスの破片となって四散する。一時にログインし、十分ほどメインメニューの使い方を確認。それからずっと、ケイはフィールドで戦いまくっていた。

 

 

「おっ、またレベルアップだ」

 

 

現在の時間は5時40分。およそ五時間半全てをモンスターの戦闘に費やしていたケイのレベルは2上がり3となっていた。ひたすら剣を振るい、モンスターを倒し続けていたケイ。そんな事を続けていたケイは、ここであることに気付く。

 

 

「ありゃ…、街からずいぶん離れちまってるな」

 

 

最初はフィールドに出てすぐの所でポップするモンスターと戦っていたのだが、いずれそのポップが少なくなっていく。するとケイはポップが多い所を求めて移動する。そしてその場所のポップも少なくなっていく。するとケイは…の繰り返しの内、はじまりの街からどんどん離れた所まで行ってしまったのだ。

 

 

「…そろそろログアウトするか?いやでもちょっと試したいこともあるしな…」

 

 

今の時刻を確認して、ケイはどうするか考える。妹の司には6時に戻ると言っておいた。だが、今のケイにはどうしても試したいことがある。

 

<ソードスキル>

このSAOの世界には魔法がない代わりにソードスキルという無数の必殺技が設定されている。五時間半近くモンスターと戦闘していたケイだったが、ソードスキルを一度も成功させていなかったのだ。

 

 

「えっと?刀を斜めに振り下ろす…つったってな、そんなの何回もやってるっての…」

 

 

ケイは片手用曲刀の基本スキル、<リーバー>の説明を音読する。だが、斜めに振り下ろすだけならそんなのとっくにできているはず。

 

 

「何だ?何か他に特別な事をしなくちゃならんのか?」

 

 

ケイは思考に耽る。すると、そんなケイの目の前で光が迸る。その光は、モンスターがポップした時に出現する光だ。ケイは思考をやめてポップした三体のイノシシと対峙する。

 

 

「…今回はソードスキルの事も意識しながら戦ってみるか」

 

 

これまで、ただモンスターを倒す事ばかり考えていてソードスキルを成功させようとはほとんど考えていなかった。けど今回は、ソードスキルを発現させることを意識しながら戦ってみる事にする。

 

 

(剣を斜めに振り下ろす…)

 

 

ケイは曲刀を肩に担ぐようにして握り締め、こちらに突っ込んでくるイノシシを見据える。イノシシが突っ込んできたと同時、ケイもまた駆けだし…曲刀を振り下ろす。

 

 

「っ!?」

 

 

途端、これまで剣を振り下ろしてきた感覚とは全く違う何かがケイの全身を包み込む。自分の意志とは関係なく、体がモンスターに向かって動く。腕が、剣が、モンスターに向かって振り下ろされていく。

 

刃がオレンジ色の炎のようなライトエフェクトに包まれ、イノシシに強烈な一撃を与えた。

 

 

「プギぃー!」

 

 

「うおっ、と」

 

 

ケイの斬撃は先頭のイノシシに命中し、その衝撃か攻撃を受けたイノシシが立ち止まる。すると、先頭に続いて走っていたイノシシが立ち止まったイノシシに激突し、つんのめって立ち止まる。

 

ケイはその間に三匹のイノシシから距離を取って思考を整理する。

 

 

「もしかして…、今のがソードスキル?」

 

 

これまでの斬撃とは明らかに違う。あのライトエフェクトに包まれた斬撃が、ソードスキルなのだろうか。

 

 

「…だったら、もう一回」

 

 

ケイはもう一度曲刀を肩に担ぎ、ようやく体勢を立て直したイノシシ達に向かって駆け出していく。先頭のイノシシに向かって刃を振り下ろす。その斬撃は、先程と同じようにオレンジのライトエフェクトに包まれ、イノシシを切り裂く。

 

 

「プギィアァー!」

 

 

イノシシは悲鳴を上げながらその姿をガラスの破片へと変え、四散していく。

 

 

「プギー!」

 

 

「プギャー!」

 

 

「おっ…っ!」

 

 

一匹のイノシシを倒すと、残った二匹のイノシシがこちらにケイに向かって襲い掛かってきた。ケイは横にステップしようと足に力を込めたのだが…、硬直し、動けない。が、すぐにその硬直は解け、回避は間に合ったのだが…。

 

 

(何だ今の…。体が動かなかった?)

 

 

再び突っ込んできたイノシシ達から避け、そのお返しとばかりに一方のイノシシに刃を突き立ててやりながら考える。

 

 

(…まさか、ソードスキルを使った直後、僅かな間動けなくなる、とか?)

 

 

ケイはソードスキルの使用直後、僅かな硬直時間が訪れると仮定する。

 

 

(もう一度試してみるか)

 

 

ケイは再びソードスキル<リーバー>を使い、イノシシに攻撃を仕掛ける。強力な斬撃は確実にイノシシに入り、攻撃を受けたイノシシは先程のものと同じように四散していく。そして残り一体となったイノシシ。

 

 

(…やっぱり動けない)

 

 

こちらに振り返ろうとしているイノシシに向かって駆けだそうとするケイだったが、やはり動けない。先程立てた仮定は、正しかったという事だろうか。

 

が、すぐに動けるようになったケイは残ったイノシシに向かって踏み込み、剣を振るう。今度はソードスキルと使うことなく、鮮やかにイノシシに斬撃を入れていく。

ついに、三体同時にポップしたイノシシを全滅させたケイは、傍にあった岩に腰を下ろして一息入れる。

 

 

「ふぅ…さすがにそろそろログアウトしなきゃ、司に口煩く言われちまう」

 

 

『時間は守りなさいっていつも言ってるでしょ!?』『兄さんはいつもいつも…』

そんな風に世話を焼く微笑ましい司を思い浮かべながら苦笑してしまうケイ。

 

…うん、早く戻ろう。

 

ケイはウィンドウを開き、設定をタップ。指をスライドさせてログアウト欄を探す。

 

 

「…あれ、ない」

 

 

が、ケイの目にはログアウトの五文字が入ってくることはなかった。

 

 

「違うとこか?」

 

 

ケイは他に、今まで触れなかった欄の中も探していく。そのおかげか、色々と後々役立ちそうなものやそうでないものを頭の中で振り分けていく。

 

 

「…ない」

 

 

そんな感じでログアウトの五文字を探していたケイだったが…、結論は、なかった。つまり、ログアウトはできな…

 

 

「いやいやいや、ないって何だ!?ログアウトだぞログアウト!あって当然の項目が何故ない!?帰れへん!帰れへんやないかい!」

 

 

あまりの動揺ぶりに関西弁を口にしてしまうケイ。が、ここで動揺したって一プレイヤーである自分にはどうする事も出来ない。それに、このアクシデントはとっくに他のプレイヤーが気づいて運営コールしているだろう。

 

 

「司にゃ悪いけど…、約束破らせてもらうか…」

 

 

戻ったら両手を腰に当てた司がぷりぷり怒ってくるんだろうなぁ、とか考えながらケイははじまりの街の方へと足を向ける。戦闘を続けすぎたせいで、さすがに疲労感を覚えてきた。

 

 

「街に戻って、休もう…。あ、お金貯まってるしアイテムの相場によっては買い物するかな」

 

 

運営が異常を直すまでの間、したいことを思い上げていくケイ。

ケイは少し早足気味に歩いてはじまりの街を目指す。

 

その時だった。

 

 

「なっ…、なんだ?」

 

 

突然、リンゴーン、リンゴーンという鐘のような音が辺りに鳴り響く。大ボリュームのサウンドに驚いたケイは思わず飛び上がってしまう。だが、驚くべきなのはこれだけではなかった。

 

 

「っ…、光!?」

 

 

未だ音が鳴り響く中、ケイの視界が薄い青色の光に包まれていく。その眩さに、腕で目を覆い、瞼を閉じてしまう。直後、不思議な浮遊感がケイの全身を包む。今まで感じた事のない、不慣れな感覚に包まれて…そのすぐ後には全身を包んでいたその感覚は消えていた。

 

いつの間にやら強烈な光も消えているようで、ケイは恐る恐る目を開ける。

 

 

「…ここは」

 

 

ケイの視界に飛び込んできたのは、周囲を囲む街路樹と西洋の建物群。そう、ログインして初めに立った場所、はじまりの街の中央広場だった。

 

ケイはぽかんとしながらも、見回して周りの様子を窺う冷静さだけは辛うじて保っていた。ケイの視界にはぎっしりとひしめく人波が。色とりどりの装備に髪、容姿が整った男女の群れ。ケイと同じ、SAOプレイヤーで間違いなさそうだ。

 

 

「何だ?どうなってるんだ?」

 

 

「これでログアウトできるのか?」

 

 

「早くしてくれよ」

 

 

一万人と思われる人達がそれぞれが抱く苛立ちを口にしている。

 

さっきの現象は…、強制転移?一体何のために?ログアウトができないという異常についての説明?

 

 

(いや、確かにそれは重要な事だし、俺達全員に説明しなきゃいけない事だ。だが…、どうして全員を一カ所に集めなければならない?)

 

 

ログアウトの異常について、またはログアウトの異常修復の報告ならばわざわざプレイヤーを一カ所に集める必要はないはず。GMが、何らかの方法を用いてプレイヤー達にメッセージでも送れば済むはず。

 

 

(GMは茅場さんだぞ?こんな効率の悪い方法をとるとは思えない…)

 

 

茅場晶彦という男の性格を考え、ただログアウトの異常についての報告の可能性はないと判断するケイ。もしそれだけなのならば、先程考えたメッセージを送るという方法で済ませているはずだから。

 

 

「あっ…、上を見ろ!」

 

 

深く思考に耽っていたケイの耳に、不意に誰かの叫び声が届いた。ケイはその声に釣られて上を見上げる。そして、ケイの目は異様なものを捉えた。

 

二つの英文が表示されている。真っ赤なフォントで、<Warning><System Announcement>と書かれている。

 

その単語を呼んだほとんどの人達が、ようやく運営からのアナウンスがあるのかと思ったのだろう。だが、ケイだけは違った。鋭くした視線を変えず、ただじっと表示された英文を睨む。

 

直後、再び異様な光景が広がった。真っ赤なウィンドウの中心部から、まるで血の雫のような何かが滴り落ちる。その雫は地面に落下…することはなく、空中で落下が止まるとその形を変えていく。その光景を見ていたケイの目が、ゆっくりと見開かれていく。

 

現れたのは、全身をローブで包んだ巨大な人。だがそれもまたあまりに異様だった。ケイ達は下から見上げているからよくわかる。ローブの中…、つまり、その人の顔。それが、ない。ローブの中に広がるのは、闇のみ。

 

 

「あれ、GM?」

 

 

「何で顔ないの?」

 

 

ケイと同じように、周りのプレイヤー達も驚きに包まれていた。そこかしこから不安げなささやきが聞こえてくる。

 

 

『ようこそ、プレイヤーの諸君。私の世界へ』

 

 

その時だった。プレイヤー達の囁きを打ち消し、良く通る男の声が響き渡ったのは。

 

 

「茅場…さん?」

 

 

そして、ケイだけは即座にその声の主を特定する。間違いない、何度もこの声を聞いた事がある。

この声は、茅場晶彦のものだ。

 

 

『私の名は、茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ。プレイヤー諸君は、すでにログアウトボタンが消滅していることに気付いているだろうが…、それはゲームの不具合ではない。繰り返す、ログアウトボタンが消滅しているのは、ゲームの不具合ではない』

 

 

「っ!?」

 

 

『諸君は今後、この城の頂に辿り着くまでゲームから自発的にログアウトする事は出来ない』

 

 

ログアウトボタンがないのは不具合ではない?城の頂に辿り着くまでログアウトする事は出来ない?

 

その二つの言葉が、ケイの頭の中をぐるぐる回り、混乱に陥らせる。

 

つまり、茅場晶彦はこう言っているのだ。

プレイヤー達は、自分からログアウトする事は出来ないと。それは、ゲームの仕様なのだと。

 

だが、一つだけわからない。城、とは何なのだろうか。周りを見る限り、城のようなものは見当たらない。

 

 

『…また、外部の人間の手によるナーヴギアの停止、あるいは解除もあり得ない。しかしもし、それが試みられた場合────』

 

 

ケイの戸惑いを余所に、茅場晶彦は説明を続ける。

 

 

『ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、脳を破壊し生命活動を停止させる』

 

 

僅かな間の後、放たれた言葉。

 

一瞬、息が止まったというのはたとえ言葉ではない。現実に、ケイだけでなくこの場にいる全員がそうだろう。息が止まった。

 

脳を破壊する、それは殺すと同義。つまり、茅場晶彦は人を殺す武器にもなる物を一万人もの人達に与えたという事になる…。

 

 

「バカな!」

 

 

思わずそう叫んでしまったケイ。

頭の中では、茅場晶彦の言葉は嘘ではないとわかっていた。確かにナーヴギアの中には巨大なバッテリセルが内蔵されている。それも、ナーヴギア全体の重さの三割の、だ。高出力のマイクロウェーブで脳を焼くというのは不可能ではない。そして、茅場晶彦ならばそれを実現させることができる。

 

だが…、理由がない。何故そんな事をするのか、わからない。

 

 

「俺が知ってる茅場さんは…!」

 

 

『具体的には、十分間の外部電源切断、二時間のネットワーク回線切断、ナーヴギアのロック又は破壊の試み。このいずれかが行われた場合、脳破壊シークエンスが実行される』

 

 

ケイが戸惑いに叫ぶ中、茅場晶彦は淡々と説明を続ける。

 

 

『この条件はすでに外部、当局やマスコミには通知している。…ちなみに、現時点でプレイヤーの親族や友人が警告を無視し、ナーヴギアの破壊を試みるなどの行為が行われている。その結果…、すでに213名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 

 

「!?」

 

 

思わず、周りを見回してしまうケイ。

この中央広場にいるのは、一万人のプレイヤー全員だと思い込んでいた。だが、それは違ったというのか。

 

すでにこの世界から…、この世から…。200人を超える人達が…、死んだ?

 

それから、ケイはしばらくの間、呆然と茅場晶彦の説明を聞き流していた。何か言っていた気はするが、後になっても思い出すことはできなかった。

 

ただ、この言葉だけはよく耳の中に届いていた。

 

 

『諸君にとって、ソードアート・オンラインはもう一つの現実といっていい。諸君らのHPが0になった時、アバターはこの世界から永久に消滅する。そして…ナーヴギアは諸君らの脳を破壊する』

 

 

俯けていた顔を上げる。そこには、先程と変わらず気味の悪い巨大なローブが浮いている。

 

 

『諸君がこのゲームから解放される条件はただ一つ。このアインクラッドの頂点へ到達する事のみ。アインクラッドの最上部、第百層へと辿り着き、そこで待つ最終ボスを倒しゲームをクリアする事のみ。そうすれば、生き残った全プレイヤーが安全に現実世界へと解放されることを保証しよう』

 

 

「クリア…第百層だとぉ!?で、できるわきゃねぇだろうが!ベータじゃろくに上がれなかったって聞いたぞ!?」

 

 

茅場晶彦が言った、この城の頂に辿り着くまで。その意味がようやく呑みこめた。つまり、このSAOの世界…アインクラッドの頂を極めればそれはゲームクリアという事になるのだろう。

 

だが、その意味を理解した瞬間、どこかから男の叫び声が聞こえてくる。

 

 

(そうなの、か?)

 

 

ケイはベータテスターでもないし、周りにベータテスターだった知り合いがいたわけでもない。そのため知らなかったのだが…、ベータテストではゲームの進行が滞っていたらしい。

 

 

(でも、そんな事言ってられる場合じゃないだろ…!)

 

 

ケイだからこそ分かる。ここで茅場晶彦が言った事はすべて事実だ。HPが0になれば死ぬし、外部でナーヴギアが何らかの障害を受けても死ぬ。さすがに後者はどうにもならないが、前者だけなら…まだ何とかなる。

 

そして、ゲームから解放される条件────ゲームクリア。

 

 

(やってやる…)

 

 

元々、誰よりも先にこのゲームをクリアしてやろうと意気込んで仮想世界にやって来たケイ。その意気込みが、ここで役に立つ。誰よりも早く我を取り戻し、冷静さを取り戻す。

 

 

『それでは最後に、私から諸君らにプレゼントを贈らせてもらおう。それはアイテムストレージにすでに入っている。確認したまえ』

 

 

すっかり茅場晶彦の説明は終わったと思い込んでいたケイは、やや拍子抜けを受けながらもアイテムストレージを開き、中を確認する。

 

そこに入っていたのは、手鏡。

 

ケイは首を傾げながら手鏡をオブジェクト化させて手に乗せる。

掌に現れた手鏡は、本当に何の変哲もない手鏡だ。ケイはその手鏡を色々な角度から覗き込んで…

 

 

「なっ?」

 

 

鏡に映る自身のアバターの姿を目にした時、全身を白い光が包んだ。その光はほんの二、三秒程度ですぐに収まったが…、その短い間にケイの姿に大きな変化があった。

 

 

「…何だったんだ?」

 

 

光が収まったことを確認したケイは再び首を傾げながら手鏡を見る。

 

 

「…は?」

 

 

そして鏡に映った姿を見て、ケイは呆けた声を漏らした。

ケイは一度、鏡から一度視線を外し、もう一度確認する。だが、先程見た結果と変わらない結果がケイを混乱に陥れる。

 

 

「現実の…俺?」

 

 

鏡に映った姿は、何となく作ったあのアバターの姿ではなく、現実で過ごす辻谷慶介の姿があったのだ。

前髪はおとなしいスタイルで、後ろはやや伸ばしヘアゴムで括ってある。丸く、だが僅かに吊り上がった両目に日本人らしい茶色の瞳。それなりにがっしりとした男らしい体格のおかげで間違えられることはないのだが、その線の細い顔だけを見れば女性と思う者もいるかもしれない。

 

そんな、辻谷慶介の姿がそこにはあった。

 

しかし何故、この仮想世界に現実の姿を再現できたのだろうか。周りを見れば自分と同じような現象が起きていた事がよくわかる。あれだけ美男美女が揃っていた人波が、お世辞にも整っていない顔つきの者が増えているのだから。

 

 

(そうか…、あれを見れば…)

 

 

顔を再現できた理由はすぐにわかった。ナーヴギアは顔全体をすっぽりと覆う形で成されていた。ならばプレイヤーの顔をスキャンし、仮想世界に再現することも可能だろう。

そして体格だが…、ケイの頭の中に浮かんだのはケイに対してだけにできる方法だ。他の者がこの方法で再現されたどうかは正直分からないし、むしろ可能性は低い。

 

 

(いや、今大事なのはそれじゃない)

 

 

首を横に振り、思考を切るケイ。その直後、再び茅場晶彦の声が響く。

 

 

『諸君は今、何故、と思っているだろう。だが、その疑問は今では意味を成さない。何故なら、私の目的はすでに達した。この状況こそが…私が創り出したかった世界なのだから』

 

 

彼ならば、とケイが立てていた予想は当たり、茅場晶彦は自分が何故こんな事をしたのかを説明し始めた。だが、その説明は到底普通の人ならば読み取る事は出来ず…、ケイも全くその意味が分からなかった。

 

 

『それでは、以上でソードアート・オンライン、正式サービスのチュートリアルを終了する。諸君らの健闘を祈る────』

 

 

その一言が、最後の一言となった。巨大なローブ姿がゆっくりと上昇していき、フードの先端からシステムアナウンスのメッセージに溶け込んでいくように消えていく。そしてローブ姿が消えた直後、当初現れた時の様にシステムアナウンスのメッセージも唐突に消えていった。

 

広場中に沈黙が流れる。すると、だんだんと…NPCが演奏するはじまりの街のBGMが、まるで遠くから近付いてくるように音量を大きくしながら流れてくる。

 

空中に浮かんでいた異様な光景はすでに消え、見えるのは暗くなり始めた、夕焼けに染まった空。

 

 

「ふ、ふざけるな!何だよコレ!?」

 

 

「嘘だろ!?嘘だって言ってくれよ!ここから出せよぉ!」

 

 

「この後約束があるのよ!こんなの困るわ!」

 

 

「嫌ぁ!返して!返してよぉ!!」

 

 

悲鳴が、怒号が、絶叫が広場中を包み込む。そんな中、ケイは何も言わず歩き始めた。

 

広場を出て、広場から聞こえてくる叫び声が小さくなる所まで来た時、足を止める。

 

 

「…ふざけるな」

 

 

この世界にログインした時、胸に抱いていた高揚感などすでにどこかへ消え去っていた。

ただ感じるのは、この世界を作り出した張本人に対する怒りのみ。

 

 

「ふざけるな!」

 

 

尊敬していた…。それなのに、裏切られた。本人からすれば裏切ったなどという自覚は全くないかもしれない。だが…、ケイは裏切られたという強い憤りを胸に抱いていた。

 

 

「何でこんな事を…!」

 

 

あんな説明ではわかるはずもない。あの人が何を思ってこんな事をしたのか、わかるはずがないじゃないか。

 

 

「…やってやる」

 

 

ぽつりと呟くケイ。

 

 

「ずっとあんたから仕掛けられた勝負に負け続けてきたけど…、これだけは負けられねぇ」

 

 

だらりと下げた両拳を強く握りしめる。

 

 

「たかが百層だ」

 

 

今まで経験してきたMMOの中には三百や四百にも及ぶダンジョンがあったではないか。それに比べれば…たかだか百だ。

 

 

「そうと決まれば…まずは情報収集だ。それに地図とかも手に入れなきゃな」

 

 

燃え上がる怒りを胸に抱いていたケイだったが、何の考えもなしにフィールドに出るという愚行はしなかった。HPが0になると死。その条件が、辛うじてケイに僅かな冷静さを残していた。

 

だが、どれだけ冷静になろうとも目的は絶対に変わらない。この世界の頂へ辿り着く。ゲームをクリアする。

 

 

「クリアして…、現実に帰ってやる」

 

 

小さく、だが強い決意を秘めた呟きは、その場にいるケイだけにしか届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年11月6日 午後6時

それが、アインクラッドという天国と思われた世界が地獄へ変わった瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第2話 邂逅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある一人の少女がいた。親が敷いたレールをひたすらに走り続け、そしてそれが一番の幸せだと信じて止まなかった少女。あれをしなさい、これをこうしなさい。他人の言う通りにして生き続けてきた少女。

 

そんな少女が、初めて自分の意志で道を決め、駆けだしたのが…仮想世界の中でとは、何と皮肉な話だろうか。

 

アインクラッド第一層迷宮区。そこに潜って、もう何日経つだろうか。少女はずっとそこで、街にも戻らず戦い、突き進んでいた。ここはゲームの中だから疲れる事はない、という考えは甘かったようで、肉体の疲れこそないものの、精神の疲弊からは避けられなかった。

 

視界に入った安全地帯で休憩は挟んでいるが、ここに来て時折意識が遠のく感覚も現れる。

 

だが、少女は歩みを止めない。後ろを向くこともしない。ただ、前だけに足を進める。

 

 

「…まず」

 

 

少女が更なるエリアに続くと思われる扉を開け、潜った時だった。彼女の周りに一斉に、大量のコボルド系のMobがポップする。同時に少女の背後の扉は閉じてしまった。

 

 

(…この囲みを抜くのは、さすがに無理かな)

 

 

心の中で諦念が籠った言葉を呟く。が、その足はその言葉とは逆の行動を起こす。襲い掛かるコボルドの剣戟を掻い潜り、流星のごとき剣戟で迎え撃つ。

 

もしかしたら扉は開き、戻ることはできたかもしれない。しかし少女はそれをしなかった。ここで戦う事を…

 

 

「ぁっ」

 

 

死ぬことを選んだ。

 

背後からコボルドの持つ片手棍のソードスキルが炸裂する。単発重攻撃のスキルは少女の背中に命中し、HPをがくりと三割ほど減らす。

 

 

(麻痺…!)

 

 

さらにそれだけではなく、少女の視界の左上、残りHPを示すメーターの横に雷のようなマークが描かれている。これは、プレイヤーが一時行動不能になったという現れ。その証拠に、目の前から迫るコボルドから離れようと力を込める少女の足は、動かない。

 

 

(ここまでか…)

 

 

目の前で斧を振り下ろすコボルドを見上げて…そっと瞼を下ろす。

 

 

(でもまあ…、最後まで頑張れたから…いいや)

 

 

目の前だけでなく、周りを囲むコボルド達が一斉に斧を振り下ろしてくる。これだけの数の攻撃を受ければ、自分のHPは一瞬のうちになくなってしまうだろう。それはすなわち…、死。

 

だけど、少女にとってはそれでよかった。この世界の閉じ込められ、それでも助けが来ると…誰かがクリアしてくれると信じて待った。だけど…少女を絶望に落としたのは、ゲーム開始から一か月後にプレイヤーの千五百人が死んだという報せ。

 

こんなゲーム、クリアできるはずがない。どれだけ待っても、助けが来る様子もない。こんな世界で…、自分は何もせずに死ぬ。それだけは、耐え切れなかったのだ。

 

だから、情報を集めた。武器を買って、スキルも練習して、フィールドに出て迷宮区へと入った。

 

それは、最期まで戦って、そして死ぬため。

 

だからこれで良いのだ。最期まで戦えた。最期まであがくことができた。だから、これで────

 

そう思いながら死の瞬間を待つ少女の瞼の裏で、閃光が走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

罠にかかったと思ってたらとっくに罠が発動してたでござる。

 

開いた扉を潜り、大量のMobが目の前にいた光景を見たケイが思ったのはこの一文。

正直、トラップで大量のMob…ルイン・コボルド・トルーパーがポップしたのかと考えたケイだったが、どうにも様子がおかしかった。その場にいたコボルドは、ここへ来た自分ではなく全く違う方へと注意を向けていたのだ。

 

 

「っ…、プレイヤー?」

 

 

そのコボルド達の視線の先にいたのは、紅のローブに身を包んだ一人のプレイヤー。

 

 

(…すげぇ)

 

 

辛うじて言葉は抑えられたものの、心の中で感嘆の念は抑えられなかった。

 

まるで、流れ星。そんな風に錯覚するほど、そのプレイヤーの動きは速く、綺麗だった。ソードスキルの光が尾を帯び、本当に流星が流れていったような、そんな光景を作り出す。

 

 

(だけど…何でだ…?)

 

 

だがケイは、プレイヤーが創り出す美しい光景を見ながら疑問に思う。

その疑問の原因は、プレイヤーの立ち回り方だった。

 

別に今いる場所は密閉空間ではない。あれだけのスピードを誇っているんだ、やろうと思えばコボルド達を置き去りにしてその場から逃げる事だってできるはずなのだ。なのに、そのプレイヤーはそれをしない。ただ、戦い続けるだけ。

 

 

「て、そんな場合じゃない!」

 

 

ケイの目が見開かれる。突如、鮮やかなステップを披露し続けていたプレイヤーの動きが鈍り、背後からのソードスキルを受けてしまったのだ。

 

それを見たケイはすぐさま駆け出し、少女の前へと躍り出る。

 

左腰の鞘に納めていた曲刀、<フォージブレード>の柄に手をかけて、少女の頭上へと跳躍する。

 

袈裟、逆袈裟気味に剣を振るう事によって発動する範囲型ソードスキル<クロス・ウェーブ>が炸裂し、プレイヤーを囲んでいたコボルド達に命中する。

 

コボルド達が発動していたスキルは強制キャンセルされ、その代償によりスキル使用後に起きるよりも長い硬直が訪れる。

 

ケイはプレイヤーの前で着地すると、振り返って口を開く。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

今ここに、こうしてアバターが残っている事が生きているという何よりの証拠だが、ケイが聞きたいのはそういう事ではない。あの、突然の動きの鈍り。このプレイヤーには、相当疲労が溜まっているのかもしれない。

 

そう思って、問いかけたケイだったが、帰ってきた答えは冷たく鋭いものだった。

 

 

「…余計な事を」

 

 

「…は?」

 

 

「どうせ皆死ぬのに…。今ここで私を助けたって、どうせ無駄になるのに…!」

 

 

プレイヤーの声は、男性のものとは違い高かった。この迷宮区の薄暗さやフードによってその顔は良く見えないが、このプレイヤーは女性とみて間違いない。

 

その女性プレイヤーは…、今、何と言った?

 

 

「お前…、それ、本気で言ってるのか?」

 

 

「っ…」

 

 

ケイ自身、今自分がどんな顔をしているのかわからない。だが、それでも何となくだが、かなり恐ろしい表情をしてるんだろうなとは想像できる。

 

さっき、感情を露わにしながら叫んだ女性プレイヤーが、息を呑んで黙り込んでしまったから。

 

 

「お前はこんな所で死んで満足なのか?誰にも看取られず、一人で寂しく。死んで、満足なのか?」

 

 

「…だけど」

 

 

「…まぁいいや。でも、死ぬなら俺の役に立ってからにしてくれ」

 

 

「…は?」

 

 

女性プレイヤーの短く、呆けた声が耳に届く。

そして、こうして話している間にコボルド達の硬直は解け、自分たちを囲み始めている。

 

クロス・ウェーブの弱点は、威力が低い事にある。こうしてモンスターに囲まれ、咄嗟の場面で使用し、相手の動きを止められるのは物凄く便利なのだが、さっきも言ったが如何せん威力が低い。モンスターの体力を削りたいという時にはどうも使いづらいスキルだ。

 

と、スキルの事はここまででいいだろう。

 

ケイはじり、じり、と近づいてくるコボルド達に体を向け、ちらりと横目で女性プレイヤーを見遣りながら言う。

 

 

「あんた、大分この迷宮区に潜ってるみたいだな。だったら、マップデータもかなりの範囲手に入れてると思う。だから…、そのデータを俺にくれ。そしたら、もう後はあんたの好きにしていい」

 

 

「…勝手な事を」

 

 

「勝手でも何でもいいよ。ともかく、今、俺はあんたを死なせる気ないから」

 

 

恐らく自分を睨んでいるだろう、女性プレイヤーにニヤリと笑みを向けてから剣を構える。

 

 

「来るぞ!背中は任せる!」

 

 

「指図しないで!」

 

 

二人が駆けだしたのは、全く同時だった。

 

煌めく刃を振るい、それぞれの色のライトエフェクトを宿して放つスキルがコボルド達を殲滅していく。

 

 

(…やっぱりすげぇ)

 

 

コボルドのスキルをかわし、逆にソードスキル、リーバーをお見舞いさせながらケイは女性プレイヤーの立ち回りを目に魅了されていた。

 

女性プレイヤーが持つ獲物は、細剣<レイピア>。威力こそ、短剣に次ぐ二番目の低さだが手数と速度が圧倒的のレイピア。その武器を、彼女は美しく操っている。

 

 

(あ、髪の毛)

 

 

次の獲物へと体を向けながらも、視線はそのまま女性プレイヤーへと向けていたケイは、フードから零れ落ちた亜麻色の髪の毛を見る。

 

だがケイはすぐにそこから視線を切り、目の前でこちらに向かってくるコボルドに集中する。

 

結果的には、戦闘は僅かな時間で終わった。およそ二十体くらいいたと思われるコボルド達を、三分もかからず殲滅し終え、一息つく。

 

 

「…さて、と。さっきの話なんだけど」

 

 

あれだけの数を一気に倒したのだ、少しの間はポップはしないと考えたケイが女性プレイヤーに話しかける。

 

 

「マップデータ、ちょーおだい」

 

 

短い間だったが、女性プレイヤーの性格のタイプは大体分かった。

こういうタイプは、あまり人と長い時間、関わりたくないと思っている。だからケイは短く、率直に用事を告げて、それでいてさりげなーく安全地帯へ連れて行こうと考えていたのだが…。

 

 

「て、え?お、おい!」

 

 

突然、女性プレイヤーの体がゆらりと揺れる。そして、まるで操り主を失くしたマリオネットの様に、ぐらりとその体は倒れていく。彼女の手から零れ落ちたレイピアが床に落ち、カランと音を立てる。

 

 

「おい!大丈夫か!?…システムの異常、じゃないな。ただ気を失っただけか…」

 

 

大きな声で呼びかけながら、女性プレイヤーの様子を確認する。

普通に息はしてるし、アバター事態に異常はなさそう。なら、ただ疲れて眠ってしまったと考えるのが妥当だろう。

 

 

「…だけどどうする。このままにしておく訳にもいかないし」

 

 

このまま倒れた彼女を置いていくという非人道的な事はしたくない。だが、迷宮区で気を失った彼女をともなって安全地帯へ行こうというのは少し危険すぎる。

 

なら、どうするか。

 

 

「…仕方ない。ちょいと失礼して」

 

 

ケイはハァ、とため息を吐いてから一度倒れた彼女に向かって合掌、そして一礼。彼女の腕を自分の首に回して抱えて立たせる。女の子特有の柔らかな感触はなるべく感じないように感覚をシャット…なんて事は出来ないが、とにかく早く安全な場所まで運ぶべく早足でその場を去るのだった。

 

 

 

 

じめじめとした薄暗い迷宮区の出入り口を潜った先は、これまた日光が木々に遮られるせいで薄暗い樹海だった。

ケイは辺りを見回し、モンスターがポップしていないことを確認すると、迷宮区付近のフィールドを描いたマップを開く。

そして、安全地帯の場所を記憶するとマップを閉じ、その場所へと足を向ける。

 

幸運にも、誰かがここら一帯で狩り尽くしてくれたのか一度もモンスターがポップすることなく、安全地帯へ辿り着くことができた。

 

ケイは女性プレイヤーをそっと地面に横たえらせ、傍にあった木の幹に乱暴に背を預けてずるずると力を抜く。

 

 

「つ、か、れ、たぁ…」

 

 

天を仰ぎ、大量の吐息と一緒に気の抜けた声が辺りに響き渡った。

 

もしかしたら誰かに聞かれているかもしれない、という注意もすることもできない。

迷宮区を進んだことに疲れたわけじゃない。女性プレイヤーと共闘したことに疲れたわけでもない。ただ、気絶した女性プレイヤーを連れて、周りに注意を払って移動したことがケイの体力をこれでもかと奪っていた。

 

 

「…俺も、ちょっと休むかな」

 

 

こちらの苦労も知らず、心地よさそうに寝息を立てる女性プレイヤーを見て、ケイもまた瞼を閉じる。

 

安全地帯まで来たから、もう女性プレイヤーを置いていってもいいのではとも思ったが…、マップデータを貰うって宣言したし、ここにいる事にする。

 

安全地帯に来て五分くらいだろうか、目を瞑っている内にウトウトと眠気が襲い始めた時、近くからがさっ、と誰かが草を踏む音が耳に届いた。ケイは目を開け、音が聞こえてきた方…女性プレイヤーが寝ている方へと目を向ける。

 

 

「おはよう」

 

 

「…どうして置いてかなかったの」

 

 

「開口一番にそれかよ…」

 

 

ケイが目を向けた先は、案の定、女性プレイヤーが上半身を起き上がらせた体勢でこちらを睨んでいた。そして開口一番、お礼ではなく冷たい言葉を吐いてくる。

 

ケイは苦笑を浮かべながら息を吐く。

 

 

「さっきも言ったけど、あんたからマップデータを貰う。ま、相手が寝ててもできるっちゃできるんだけど────」

 

 

ケイにとって、後半は特に考える事無く無意識に出てきた言葉だった。

そして直後、その言葉は完全に蛇足だったと大きく後悔する事となる。

 

 

「ヒィアっ!?」

 

 

直後、ケイの視界の端で何かが煌めいたと思うと、その煌めきは一瞬にしてケイへと迫ってきた。悲鳴を上げながら頭を下げて、その煌めきが頭上を横切ったことを感じ取る。

 

 

「なななななな何!?何でしょうか!?」

 

 

「あなた…、私の身体に何かしたの…?」

 

 

「え?い、いや!何もしてないですよ!?してません!ご尊顔も拝見しておりませんです、ハイッ!!」

 

 

「嘘おっしゃい!」

 

 

いつも間にやら立ち上がっていた女性プレイヤーがケイの顔面に向けてレイピアの切っ先を向けている。あの煌めきはこのプレイヤーがレイピアを突き出した時の軌跡だったのか…じゃねぇ!

 

ケイは両手を真っ直ぐ上へと掲げ、恐怖にがくがくと体を振るわせながら女性の言葉を必死に否定する。

 

 

「マップデータを探すふりして私の身体を…その…、色々してたんでしょう!!?」

 

 

「してるわけねぇだろーが!完っ然に濡れ衣だぁ!!」

 

 

「問答無用!!!」

 

 

「ふざけんなぁ!!!」

 

 

どれだけ否定の言葉を並べても、届かない。それどころか、彼女の目はハイライトを失くし、唇をわなわな震わせて…、ケイが何かしたと決めつけているようだった。

 

 

(これは…、抜くしかねぇだろ!)

 

 

とりあえず、彼女を正気に戻さなければ。幸いここは安全圏で、剣を相手にぶつけてもダメージは入らない。ならば、自分の剣で彼女を叩いて落ち着かせてやろうではないか。

 

ケイが剣の柄に手をかけたと同時、女性プレイヤーも動き出していた。レイピアをぐっ、と引いて力を溜め、ケイに向かって突き出す。

 

 

(は、や…)

 

 

閃光。そうとしか形容できない一突きが、ケイを襲う────

 

ぐぅう~~~~~~~~~

 

────事はなかった。

 

その、突然の音の発生源はケイではなく、目の前で動きを止めた女性プレイヤーの方だった。そして、その音の正体は…馴染みのある、あの感覚だった。

 

 

「く、ははははははははっ!ははっ、はっ…はぁ。そろそろ昼飯食わないとだしな、腹ごしらえするか」

 

 

「い、いらないわよっ。お腹減ったって死ぬわけじゃないし…」

 

 

「でも、あんたが倒れた理由。極度の空腹感と関係ないとは言い切れないだろ?」

 

 

「…」

 

 

それは、空腹の音。恥ずかしがっているのか、それとも悔しがっているのかわからないが、顔を背けて震えている女性プレイヤーに向けてケイはストレージを操作しながら声を掛ける。

 

そして、はじまりの街のショップで売っている、一番安い黒パンをオブジェクト化して女性プレイヤーに向けて差し出す。

 

 

「それにこれ、美味いぞ」

 

 

「…あなたの味覚を疑うわ」

 

 

何だかんだ、空腹に勝てないのが人間の性である。女性プレイヤーは不満げな表情を隠しもせず、だが素直にケイが差し出した黒パンを受け取った。

 

 

「なに、そのまま食う訳じゃないさ。ちょっと工夫を加える」

 

 

「工夫…?」

 

 

「これ」

 

 

ケイの口から出た工夫という単語に首を傾げる女性プレイヤーの視線を受けながら、ケイは拳一つ分程度の大きさの壺をオブジェクト化させる。そして、オブジェクト化した壺を差し出す。

 

 

「そのパン、ちょっとこっちに」

 

 

「…」

 

 

女性プレイヤーが差し出した黒パンの上で、ケイは壺の蓋部分を人差し指でちょん、と押す。

すると、女性プレイヤーの掌に載った黒パンに、白くとろりとした液体が塗られる。

 

 

「クリーム…?」

 

 

「騙されたと思って食ってみ」

 

 

現実ではどう見てもクリームにしか見えないそれだが、ゲームでは一体何なのか、初めて見た彼女には分からないだろう。得体のしれない何かを、女性プレイヤーはじっと眺めた後…思い切って黒パンに齧り付いた。

 

 

「…」

 

 

その様子を微笑みながら見ていたケイもまた、あの壺を使って黒パンに白いクリームのようなものを塗り、齧り付く。

 

 

「これ、トールバーナの一つ前の村で受けられる、逆襲の牝牛ってクエストで手に入るんだ。時間がかかるせいか、あんまり人気はないみたいなんだけど」

 

 

「…」

 

 

ケイの話は…聞いていないのだろう。はぐはぐはぐ、と、さっきは恐る恐る齧り付いていた女性プレイヤーは今では勢いよく食を進めている。

 

 

「…もう一ついく?」

 

 

「っ…、いらない。美味しいものを食べるために生き残ってるわけじゃないもの」

 

 

相当、アレンジした黒パンが気に入った様子の女性プレイヤーに声を掛けると、一瞬びくりと体を震わせた後、そう返してきた。

 

 

「なら、何のために?」

 

 

「私が、私でいるため」

 

 

再び問い返す。女性プレイヤーは立ち上がり、ケイの問いかけにそう答えると振り返って続けた。

 

 

「最初の街の宿屋に籠って、腐っていくくらいなら…、最期まで全力で戦い抜いて、そして────」

 

 

「満足して死にたい、か?」

 

 

女性プレイヤーの言葉を途中で遮り、ケイは立ち上がってから言った。すると女性プレイヤーは、一瞬息を呑んでから口を開く。

 

 

「だって…っ、百層なのよ…?二か月もかかってまだ、一層さえ突破できてないじゃない!その間に何人死んだか分かってるでしょ…?二千人よ!」

 

 

「…」

 

 

「無理よ…。このゲームをクリアするなんて、無理なのよ…」

 

 

まるで言い訳するような口調で…、だがその内容は決して言い訳ではないもので。

 

 

「私たちは、帰れない」

 

 

どれだけ葛藤しただろうか。どれだけ、信じていたかったのだろうか。

だが、最後に彼女が出した決断を、震える声で口にした。

 

 

「そう…だな。クリアが絶望的なのは目に見えて明らか。それだけは、俺も同意するよ」

 

 

彼女が言った言葉は全て事実だ。ゲーム開始から二か月経って未だ、一層すら突破できていない。そしてその間、死者が二千人に及んだことも事実。

 

 

「でも、俺は諦めてないから」

 

 

「…どうして」

 

 

どこか悲しそうで、それでいて悔しそうで、苦しそうで…、そんな感情が渦巻く瞳を向けながらぽつりと呟く女性プレイヤー。

 

 

「俺は…」

 

 

ケイが口を開き、何かを言おうとする…その時だった。

 

辺りに響き渡る鐘の音。その音に驚いた女性プレイヤーが、音が聞こえてきた方へと振り返る。

 

 

「なに…?鐘の音?」

 

 

「トールバーナの町の鐘だよ。で、これは三時の鐘の音だ。…そろそろ行くか」

 

 

「…どこに?」

 

 

鐘の音が聞こえてくる方へと足を進めるケイを目で追いながら、女性プレイヤーが問いかける。

 

ケイは女性プレイヤーの方に振り返り、口を開いた。

 

 

「あと一時間で、あのトールバーナの町で第一層のボス戦に向けた会議が行われる」

 

 

「っ!」

 

 

「どうする?あんたも来るか?」

 

 

女性プレイヤーに、イエスかノーか問いかける。

彼女は最期まで戦いたいと言った。だからケイは、彼女も誘うべきかと考え、ボス戦会議に誘ったのだが。

 

 

「…私は」

 

 

女性プレイヤーの口から、答えが出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




名前は出ませんでしたが皆さん。誰だか、わかりましたね?

はい、ヒロインはこの人でーす。


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第3話 ボス攻略会議

ヒロインの名前が明らかになります。いや、もう皆さん分かってるとは思いますが…。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

迷宮区最寄りの町、トールバーナの門をくぐると、<INNER AREA>と記されたフォントが眼前に表示される。これは、安全地帯に、通称圏内に入ったことを報せる表示だ。

 

 

「会議は四時から、場所は劇場。こうしてついてきたからには、会議、行くんだろ?」

 

 

「…」

 

 

ボス攻略会議の開始時刻と場所を伝えてから、ケイは問いかける。女性プレイヤーは何も言わず、だがこくりと頷いて肯定の意を示す。

 

 

「なら、遅れるなよ。あんまり街に入ってなかったみたいだし、あの門の傍にいる男のNPCから街の地図を貰っといた方がいい」

 

 

「…わかった」

 

 

「じゃ、会議でまた」

 

 

迷宮区に長い間籠っていただろう女性プレイヤーに一つアドバイスを残してから、右手を上げてケイはその場から立ち去る。

 

 

「さて、後は残った約四十分をどう過ごすかだけど…」

 

 

女性プレイヤーと別れたケイは、街道を歩きながら会議までの空いた時間を何をして過ごすか考える。食事はもう済ませてしまったし、特に買いたいと思う物もない。会議のためにここに来ているかもしれないという知り合いのプレイヤーもいないし…、ていうかSAOにログインして初めてまともに会話した相手があの女性プレイヤーだったのだが…。

 

 

「適当に散歩でもするか…」

 

 

劇場の場所は覚えてるし、そこからあまりに遠く離れない程度の範囲で散歩をしようと考える。それに特に買いたい物はないといったが、もしかしたら自分が見逃している店があったり、その店で何か知らないアイテムが売られていたりするかもしれない。

 

まぁ、結論から言えばそんな事はなかったのだが。大きな道から外れて裏道に入ってみたりもしたのだが、特に見た事がないショップやアイテムが落ちたりとかも無く。結局本当にただ散歩をしただけで会議までの四十分間が終わってしまった。

 

そして今、ケイは劇場へと続く道を歩いていた。

 

 

「…お」

 

 

すると、ケイが進む道の先にあのローブに身を包んだ女性プレイヤーの姿があった。

 

 

「凄い、こんなに大勢…。全滅するかもしれない…」

 

 

「んー…、いやまぁ、そういう人も少なからずいるんだろうけどな」

 

 

女性プレイヤーのすぐ後ろまで来た時、その呟きが聞こえてきた。ケイは女性プレイヤーのすぐ隣で立ち止まり、思わずその呟きに返事を返していた。

 

ケイが声を出すまで接近に気が付いていなかった女性プレイヤーは、振り返った時その目は見開かれていた。だがすぐにもう馴染んだといっていい冷たい目つきに戻ると、聞き返してきた。

 

 

 

「…どういうこと?」

 

 

「俺には、ここにいる奴全員が純粋な自己犠牲の精神で集まってるとは思えないって事さ」

 

 

この女性プレイヤーが考えているように、はじまりの街に残ったプレイヤー達のために、と思っているプレイヤーもいるとは思う。だけど、ケイにはこの場にいる全員が純粋にそう思ってやって来たとは思えなかった。

 

 

「なら、どうしてこんなにたくさん…」

 

 

「不安なんだよ。最前線から遅れるのがさ」

 

 

ケイもこれまでたくさんのMMORPGをプレイしてきた。だからこそ、その気持ちはよくわかるし、自分だって少なからずその気持ちは抱いている。

 

 

「死ぬのは嫌だ。だけど、自分が知らない所でボスが倒されているのも嫌だ。…どうしようもない矛盾だよな、ホント」

 

 

パーティを組んでいる同士で談話するプレイヤー達を眺めながらケイは言う。

 

 

「それって…、学年十位から落ちたくないとか、偏差値七十キープしたいとか、そういうのと同じモチベーション?」

 

 

「…お前、その不安感が分かるのか」

 

 

首を傾げながら問いかけてくる女性プレイヤーを、丸くなった目で見返しながらケイは口を開く。

 

 

「何か嫌だよなぁ。学年順位も偏差値もさ、十の位が低くなるってのは」

 

 

「うん。実際に順位が十一位になったり偏差値が六十九になったりしたら…、凄く不安になる」

 

 

「あー…、考えたくない」

 

 

げんなりした表情になりながら、女性プレイヤーと談話するケイ。後、何となくだが…女性プレイヤーも自分と同じ顔をしているような気がしてならないケイなのであった。

 

 

「SAOトッププレイヤーのみんな!俺の呼びかけに応じてくれてありがとう!」

 

 

「っと、会議が始まるな…。あそこの空いてるスペースに座ろうか」

 

 

会話を続けていると、劇場から大きく二回、拍手の音が響き渡る。そこに目を向けると、立派な鎧を装備し、水色の髪の爽やかなイケメンプレイヤーが劇場にいるプレイヤー達を見回しながら言った。

 

彼がプレイヤー達に呼びかけ、そして会議を仕切る人なのだと理解したケイは、女性プレイヤーと一緒に空いたスペースに腰を下ろして会議の行く末を見守る。…女性プレイヤーとの距離は少し離れているが。

 

 

「俺の名前はディアベル!気持ち的に、ナイトやってます!」

 

 

(おぉ…、これは何というリーダー気質…)

 

 

微笑みを浮かべ、胸をドン、と叩きながら言うディアベルを見ながら心の中で呟くケイ。

この会議は、第一層のボス部屋を見つけたパーティが主催で行われているものなのだが、もしそのパーティがこう、根暗だったりコミュ障の集まりとかだったらどうしようかと不安に思っていたケイ。

 

だが、劇場のステージの真ん中に立つディアベルは、そんなケイの不安を全て払拭する立ち回りを見せていた。

 

 

「さて、こうして最前線で活動している皆は言わば、SAOのトッププレイヤーだ。そんな皆に集まってもらった理由は言わずもがなだ…。俺達のパーティは今日、第一層のボス部屋に到達した!ついに、俺達の力でボスを倒し、第二層への扉を開く時が来たんだ!」

 

 

ディアベルのコミュニケーション技術のおかげで霧散していった緊張の空気が戻る。

そう、この会議の本題は第一層のボス部屋が見つかったという事。そして、この場にいるプレイヤー達でボスとの戦いに挑み、第二層へと到達する。そのために開かれた会議なのだ。

 

 

「ここまで一か月もかかったけど…、このデスゲームもいつかきっとクリアできるんだってことを、はじまりの街に籠ってしまったみんなに伝えるんだ。それが今この場所にいる、俺達の義務だ!そうだろ!?」

 

 

誰も、何も言わない。だが、決意を秘めたその目と、力強く頷くその姿だけで、この場にいるほぼ全員の想いが一つなのだという事は良く分かった。

 

…そう、この場にいる、ほぼ全員は。

 

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん!」

 

 

気持ちを一つにいざ、会議を始めようか────というところで、どこかから横やりが入っる。その関西弁が混じった声が聞こえてきた方へ視線を向けると、ツンツンと尖った、栗を思い出させる髪形をした男がステージへと繋がる階段を降りて来ていた。

 

 

「仲間ごっこする前に、こいつだけは言わしてもらわんと気がすまん」

 

 

「…積極的な発言は大歓迎さ。でも、まずは名乗るのが先かな?」

 

 

「ふん、ワイはキバオウってもんや」

 

 

ステージに立ち、ディアベルの前で立ち止まると、その男、キバオウはアバター名を名乗って大きく息を吸った。

 

 

「元ベータテスターの卑怯共!出て来い!!」

 

 

キバオウの口から吐き出された叫び声は、劇場中の空気を震わせるほど凄まじいものだった。

 

 

「こん中に五人や十人はおるはずや!正直に名乗りでい!この二か月間、おどれらがなんもかも独り占めしくさったせいで死んでった二千人にワビ入れぇや!そしてずるして貯め込んだアイテムや金全部、この場においてけぇ!!」

 

 

「…」

 

 

もしかしたら、ベータテスター絡みで何か嫌な事でもあったのか…と思ってみたら、そうでもなかったようだ。ただベータテスターに嫉妬して、彼らから物をぶんどりたい。MMOでよくいる嫉妬深いプレイヤーなだけ。

 

だが、このキバオウの叫びは中々効果的だったようだ。劇場にいるほとんどのプレイヤーはまるで嘲るように笑い、「そんな事言って、出てくるわけねぇだろ」などと言い合っている。

しかしそれ以外の…、大きなパーティに入っていない少数のプレイヤーは違った。その叫びに反応したのか、表情が蒼白くなっている者もいる。

 

 

「…なぁ、発言良いか?」

 

 

「なんや!あんさん、ベータテスターか!?」

 

 

「いや、そういう訳じゃないけどさ」

 

 

「…」

 

 

耐えかねたケイは立ち上がり、手を上げて発言する権利を求める。喚いているキバオウは取りあえず置いておき、キバオウの隣に立つディアベルが頷いたのを見て、ケイは口を開いた。

 

 

「キバオウさん。さっき言った、死んでいった二千人に詫びを入れろって言葉だけどさ。…その発言は、その二千人の中にどれだけベータテスターがいたか、分かった上での発言ととっていいんだな?」

 

 

「「「!!?」」」

 

 

「な、何を…」

 

 

ケイが言った瞬間、劇場中が静まり返る。そして、キバオウの表情も激変する。

 

どうやら、キバオウは何も知らなかったようだ。その二千人の中に、どれだけ多くのベータテスターがいたかを。

 

 

「正解は、三百五十七人。これが、二か月間で死んだベータテスターの人達の数」

 

 

「なっ…、そ、そんなの!」

 

 

「あぁ、言っておくけど、ベータテスター千人中じゃないぞ?このSAOにアクセスしたテスターの数は八百七十二人だと」

 

 

静まり返っていた劇場が、ざわめきの声で包まれる。さっきと違い、驚愕と困惑で満ちた声で包まれる。

 

 

「…えっと」

 

 

「あぁ、俺の名前はケイだ」

 

 

「そうか。ケイ君。その情報は、どこから仕入れたものだい?」

 

 

「どこから、か…。ルートはちょっと本人の意向で言えないけど…、けど、ネズミに確認取ったから確かな情報のはずだ」

 

 

ケイが口にしたネズミ。この単語が今、SAOの中でどれだけ影響力があるかは口にしたケイ自身でも正直計り知れない。

 

鼠のアルゴ。その名前を知らないプレイヤーは今、この場にはいないだろう。誰よりも早く情報を仕入れ、その情報はどれも的確でプレイヤー達の信頼を得てきた情報屋。

 

 

「う…ぐっ…」

 

 

その名前を出されたキバオウは何も言い返すことが出きず、忌々し気にケイを睨むことしかできない。

 

 

「俺からも一つ、追加の意見いいか」

 

 

するとそこに、さらにもう一人、大柄で色黒、スキンヘッドで強面な、筋骨隆々の両手用戦斧を装備した男が立ちあがった。

 

それを見たケイはその場で腰を下ろし、ステージへと降りていくスキンヘッドの男を眺める。

 

 

「俺の名はエギルだ。…キバオウさん、このガイドブックはあんたも持っているだろ」

 

 

キバオウの前で立ち止まった、エギルと名乗った男が取り出したのはA4サイズの本。

 

 

「このガイドブックは、ホルンカやメダイの道具屋で無料配布されている。このガイドには、かなり詳しく情報が書かれてた。それに、俺が新しい町や村に行くと、どの道具屋にもかかさず置いてあった。あんたもそうだろ?」

 

 

「せや。けど、それがなんやっちゅうねん!」

 

 

「情報が早すぎると思わなかったか?」

 

 

キバオウの目が大きく見開かれる。

 

 

「俺は、こいつに載ってるモンスターやマップのデータを情報屋に提供したのは、常に俺達の先を行ってたベータテスターたちだと思ってる。彼ら以外には、あり得ないからな」

 

 

キバオウは言葉を続けるエギルを見上げて、ただ震えるだけ。

 

 

「いいか、情報は確かにあったんだ。だが、たくさん人は死んだ。しかしそれは、彼らがSAOを他のMMOと同じだと見誤り引くべきポイントを誤ったからだ。一方で、ガイドで情報を学んだ俺達は、まだ生きている」

 

 

キバオウは何も言い返せない。キバオウと同じように、ベータテスターを恨んでるプレイヤーが他にいたかもしれないが…、それらも何も言えない。

 

 

「キバオウさん、君の気持ちはよくわかる。でも今は、前を見るべき時だろう?それに、元ベータテスターがボス攻略に力を貸してくれるなら、これより頼もしいものはないじゃないか」

 

 

「…ふんっ」

 

 

エギルに続いてディアベルにも諭されたキバオウは結局何も言い返さず、そっぽを向いてこの話題を投げ出す素振りを見せる。

 

 

「じゃあ、この話題はもういいかな。そろそろ本題に────」

 

 

「おーい、ディアベルさーん!」

 

 

キバオウが持ち出したベータテスターとの諍い問題の話題はここでお開きにし、ディアベルは本体のボス攻略の議題を持ち出そうとする。すると、ステージに降りる階段を息を乱しながら駆け下りてくる一人のプレイヤーがいた。

 

そして、そのプレイヤーが手に持って、掲げていた物。

 

 

「これは…、攻略本のボス篇!?」

 

 

「ついさっき、広場のNPC露店に入荷されてて…」

 

 

ディアベルの関係者と思われるプレイヤーから、エギルが出したガイドブックと同じ形をした本を受け取ると、ディアベルは驚愕の声を上げた。

 

攻略本のボス篇。そしてその情報提供者は、鼠のアルゴ。

 

劇場内が三度騒めき立つ。それぞれプレイヤー達は立ち上がり、攻略本を受け取ったディアベルの周りに集まっていく。

 

 

「…」

 

 

ケイもまた、ディアベルの周りに集まっているプレイヤー達の輪に入っていた。といっても、一番端っこでポツンと立っていたのだが。

 

しかし、疑問がある。ボス部屋はディアベルたちが見つけたばかりだ。それなのに、どうして鼠のアルゴはボスの情報を提供することができたのか。

 

 

(…やっぱり)

 

 

どれだけ考えても、ケイの中で導き出される答えは一つ。

そして、ケイ以外にもそれに気づいた者がいた。

 

 

「ちょお待てぇ!これ見てみぃ!」

 

 

突然キバオウが大声をあげ、攻略本の裏側を指さした。そこに書かれた文をディアベルは音読する。

 

 

「データはベータテスト時のものです。現行版では変更されている可能性があります…」

 

 

「やっぱりや!あの情報屋、ベータテスターだったんや!」

 

 

キバオウが言った言葉はケイが導き出した答えと同じものだった。

 

鼠のアルゴは、ベータテスターだった。だからこそ、誰よりも早くこうしてボスの情報を提供できたのだ、と。

 

 

「鼠が…、ベータテスター!?」

 

 

「けどそれはホントなのか…?」

 

 

「でも、だとしたらこの情報の早さも頷けるだろ!」

 

 

戸惑いの騒めきがステージを包む。そして、その騒めきは次第に…

 

 

「そうだ鼠!あいつさっきまでそこにいたよな!」

 

 

「どこだ?どこ行った!?」

 

 

「鼠にしっかり説明してもらわないといけねぇだろこれは!」

 

 

「あぁ!大事な情報だけ省いて俺達を嵌めて、おいしいとこだけ持ってこうとしてるのかもしれねぇ!」

 

 

「いねぇ…、まさかあいつ、逃げたのか!?」

 

 

騒めきは次第に、怒りを含んだものへと変わっていく。

 

 

「…ちっ」

 

 

その騒めきを聞いていたケイは小さく舌打ちする。

 

どうしてこう会議の本題からかけ離れていくんだ。今、大事なのはそれじゃないだろう?少なからず情報は提供されているじゃないか。

 

 

「今は…」

 

 

ケイが口を開こうとした時、背後から澄んだ綺麗な声が聞こえてきた。そしてその声は、騒めきに包まれた劇場でやけに素直に響いた。

 

 

「今は感謝以外の、何をするというの?」

 

 

「…お前」

 

 

ステージに立つプレイヤー達が静まり返る。そして、ケイと女性プレイヤーの周りに立った男達が…、頬を赤らめてケイと女性…いや、女性プレイヤーに色気を含んだ視線を向け始めた。

 

 

「お、女の子だ…」

 

 

「可愛いかな…?」

 

 

「スタイルは良さそうだ…」

 

 

「たかがネトゲ廃人だろ?期待するだけ無駄無駄」

 

 

(こ、こいつら…)

 

 

何と調子の良い事か。ついさっきまで苛立っていた空気はどこへやら、内心の助平心を隠しもせず女性プレイヤーを見つめている。

 

 

「…っ」

 

 

「俺の後ろで隠れてろ…」

 

 

背後に立つ女性プレイヤーの腕を、指でちょんちょんと叩く。途端、ぴくりと体を震わせる女性プレイヤーだったが、呟き通りにケイの背で縮こまって隠れる。

 

 

「その通りだ!」

 

 

女性プレイヤーへと向けていた色めいた視線から、ケイへと向ける嫉妬の籠った視線に替わる前にディアベルが声を上げた。

 

 

「俺達の敵はベータテスターじゃない。フロアボスだ!今はただ、この情報に感謝しよう」

 

 

ディアベルの一言で、ステージに集まったプレイヤーのボルテージが落ち着いていく。

 

 

「…よし、じゃあ早速実務の話を始めよう。まずはレイドの構成からだ」

 

 

「…はぁ」

 

 

ようやく攻略会議が始められる。これまでの横槍のせいで無駄な時間をかけた会議も、ようやく本題に入ることができる。

 

思わずため息を吐いたケイを余所に、ディアベルはその言葉を言い放った。

 

 

「とりあえず、みんな自由にパーティーを組んでくれ」

 

 

「…え」

 

 

少し間を空けてから、呆けた声を漏らすケイ。そしてその時には、どうしてそんなすぐに決められるんだと問いかけたくなるほど鮮やかに、ある程度のグループが出来上がっていた。

 

 

(…まずい、これはまずい)

 

 

内心で焦り、冷や汗を存分に流す。

ケイはこの世界でまだ知り合いと呼べる知り合いは、名前も知らない女性プレイヤー以外にいない。そして、その女性プレイヤーにもし誰かパーティーを組めるような知り合いがいたら…。

 

 

(…て、ことはないみたいだな)

 

 

振り返ってみると、彼女は自分の背後でまだ立ち尽していた。どうやら自分と同じようにあぶれたらしい。

 

けど、ここで率直にあぶれたのかと問いかけると、怒りを誘うのは目に見えているので。

 

 

「パーティー、組む?」

 

 

「…そっちから申請するなら、受けてあげないでもないわ」

 

 

ストレートに問うと、何とまんざらでもない回答が。それを聞いたケイは、僅かな驚きの間の後、早速パーティー申請を送る。直後、女性プレイヤーの目の前にケイが送ったパーティー申請のメッセージフォントが浮かび上がる。

 

少し緊張しながら、女性プレイヤーの指がどこに触れるかを見つめるケイ。

 

 

「…ほ」

 

 

女性プレイヤーの指は、イエスの欄をタップ。つまり、これでケイと女性プレイヤーのパーティーは成立したという事になる。

 

 

(…アスナ?)

 

 

視界の左上にポップした、女性のアバター名と思われる名を心の中で復唱する。

 

アスナ

それは、このプレイヤーの名前。

 

 

「あ、あのぉ~…」

 

 

「ん?」

 

 

ケイとアスナのパーティーが成立し、とりあえず一人ぼっちのレイドでボス戦に臨むという危機を避けられて一息、という場面で二人は背後から声を掛けられた。

 

ケイとアスナが振り返ると、そこには体の線は細く、黒のコートと胸にアーマープレートを装備した、緊張が浮かんだ表情の少年が立っていた。

 

 

「あのさ…、俺、ちょっとあぶれちゃって…。パーティーに入れてほしいなぁ…なんて…」

 

 

「あぁ、俺はいいけど…。アスナは?」

 

 

「…私は別に」

 

 

「あ、ありがとう!」

 

 

承諾を得て、安堵の笑みを浮かべた少年がウィンドウを操作してパーティー申請を送ってくる。

ケイの目の前に現れたパーティー加入許可を求めるウィンドウ。当然、イエスの欄をケイはタップする。同じようにアスナもイエスの欄をタップし、これで三人のパーティーが成立した。

 

 

「キリト…?」

 

 

「あぁ。えっと…、ケイさん?」

 

 

「おう、あと、敬語はやめてくれ。見たところ同じくらいの歳だろうし」

 

 

「そっか、ならケイって呼び捨てにさせてもらうよ」

 

 

新たにパーティーに加入したキリトという少年と親睦を深める中、もう一人のパーティメンバーのアスナはこちらには興味なさげにそっぽを向いている。

 

 

「えっと、君は…アスナ、さん?」

 

 

「…アスナで良いわ。そっちの彼も呼び捨てにしてるし。許可もなしに」

 

 

「…」

 

 

ケイとアバター名を確認し合ったキリトは次にアスナに歩み寄る。どうやら、キリトとアスナはとりあえずは大丈夫のようだ。…アスナの最後の言葉は少し余計だとは思うが。

 

 

「君達は、三人パーティーかい?」

 

 

三人のアバター名の確認が終わった直後、ディアベルがこちらに歩み寄りながら声を掛けてきた。

 

 

「あぁ。他にプレイヤーは余ってなさそうだし…、三人で決まりだな」

 

 

「…申し訳ないっ!君達は取り巻きコボルド専門のサポートで納得いただけないだろうか…?」

 

 

「え?な、納得?」

 

 

彼の問いかけに頷いて返すと、ディアベルは勢いよく腰を折って頭を下げながら懇願するように言ってきた。ケイ達は頭を下げるディアベルを戸惑いを浮かべた目で見下ろす。

 

 

(あー、そうだよな。皆、自分でボスを倒したいって思うに決まってるからな…)

 

 

きっと、ボス戦の役割分担で一悶着あったのだろう。そしてそんな流れの中、一番誰もがやりたがらないだろう役目を、人数が少ないパーティーに頼みに来たということか。

 

 

「いや、フルレイドを組める人数は集まってないんだ。仕方ないさ。それに、取り巻き潰しだって重要な役割だしさ」

 

 

「そう言ってくれると助かるよ…」

 

 

パーティーを代表してキリトが一歩前に出て、ディアベルに了承の返事を返す。その答えを聞いたディアベルは頭を上げて、ホッと息を吐きながらお礼の言葉を口にする。

 

ケイ達のパーティーの役割が決まった所から、会議はさらに本格化していった。

 

ボスの名前から始まり、HP量に使う武器。それによって繰り出されるソードスキル。

ボスだけじゃない、その取り巻きの詳細もしっかり確認しながらパーティーの役割を決めていく。

 

 

「じゃあ、そんなところかな。ボス戦本番は明後日午後からだ。集合はここに朝八時。明日は休養にあてるもよし、各隊で連携の練習をするもよし、親睦を深めるもよしだ。自由にやってくれ。A隊の練習に参加したい隊はこのあと残って相談しよう。では、解散っ!」

 

 

最後にディアベルがボス戦の日時と集合時間、そのボス戦の日までは自由行動だということを報せて二時間にも及んだ攻略会議は終了した。

 

 

「んーっ、はぁっ。どうするキリト?A隊の練習に参加するか?」

 

 

「いや、俺達のパーティーの役割は取り巻き処理だし、他の隊と連携の練習をする必要はないだろ。それよりも、このパーティーの連携を…、あれ?」

 

 

「…あ?」

 

 

ケイとキリトがこの後、どうするかを話し合う中、アスナの姿が忽然と消えていることに気付く。二人が振り返ると、そこにはすでにステージの階段を上って帰路に着くアスナの姿が。

 

 

「待て待て」

 

 

「…なに?」

 

 

慌てて追いかけ、ケイはアスナの肩を掴んで立ち止まらせる。

 

 

「これからちょっと話し合いしよう。ボス戦までそう時間はないし、連携の練習しとかないと…」

 

 

「そんなの必要ないんじゃない?たかが取り巻き潰し。練習しなくても何とかなるでしょ」

 

 

…あれ?拗ねてる?

 

肩を掴むケイの手を外して、すたすた立ち去っていくアスナの後姿を見ながらぽつりと思うケイ。

 

…やっぱり、拗ねてる。何かそんな空気が背中から溢れ出てる。

 

 

「仕方ないよ、三人しかいないんだから。スイッチでPOTローテするにも全然時間が足りないし…」

 

 

「「?」」

 

 

キリトが言葉を言い切る途中。ケイはキリトの方へ振り向き、アスナは立ち止まって振り返った。

 

 

「スイッチ…」

 

 

「ぽっとろーて…」

 

 

「「って、何?」」

 

 

「…えぇ~」

 

 

呆然としたキリトの視線がケイとアスナの間を行き来する。

 

 

「…よし、明日はパーティ戦闘についてレクチャーしよう。明日の…正午で良いか?トールバーナの北門集合で」

 

 

「俺はいいよ」

 

 

「わかった」

 

 

「なら決まりだ。えっと…じゃあ、これで解散…な」

 

 

キリトのその言葉を最後に、ケイ達パーティーは今日の所はここで解散する事になった。三人はそれぞれの帰路に着き、歩き出す。

 

 

「…」

 

 

「……」

 

 

「………」

 

 

「…………ねぇ」

 

 

「なに?」

 

 

「どうしてついてくるの?」

 

 

「いやだって、俺の拠点の方向もこっちだから…」

 

 

キリトは別の方向に歩き出したのだが、ケイとアスナは全く同じ方向、同じ道を歩いていたのだ。

ケイの前を歩くアスナが訝しみ、振り返って問いかけてくる。

 

 

「…まさかあなたもあの宿屋に?」

 

 

「宿屋?いや、俺は宿屋に泊まってないけど?」

 

 

「宿屋に泊まってない?…野宿?」

 

 

「いや、どうしてそうなる」

 

 

アスナの返答に苦笑を浮かべるケイ。そしてそれと同時に、アスナが少し勘違いをしている事もケイは悟る。

 

 

「なぁ。アスナはさ、INNの看板が出てる店しかチェックしなかったんだろ?」

 

 

「何言ってるの。INNは宿屋の意味でしょう?」

 

 

「やっぱり…」

 

 

恐らくアスナはMMORPGはこのSAOが初めてなのだろう。ならば、この勘違いも致し方なし、か。

 

 

「このゲーム、宿屋以外にもかなりいい条件で部屋を貸してくれる所があるみたいなんだ。ちなみに、俺の所は農家の二階で一晩八十コル。二部屋あってミルク飲み放題のおまけつき、ベッドもでかいし眺めも良いし、その上お風呂までついてて…通常の宿屋と比べたら圧倒てきぃ!?」

 

 

宿屋以外にも寝泊まりできる所が、それも通常の宿屋よりもかなり良い条件下で寝泊まりできる所があることを説明していたのだがその際中、突然眼前にアスナの顔がドアップで現れた。

 

ケイは思わず仰け反り、両手を伸ばして万歳の体勢を取る。

だが、そんなおかしな体勢をとるケイを無視して、アスナはケイの胸倉をつかんでグラグラ揺らし始める。

 

 

「あ、ちょ、やめ、あす、なさん」

 

 

「ねぇ!今言った事、本当!?ねぇ!!」

 

 

「なに、がで、しょう。ていう、かあの、ゆらすの、そろそろ、やめて、くれま、せんかね」

 

 

「あぁもう!」

 

 

言葉が途切れ途切れになってしまったが、アスナの耳には届いていたようだ。アスナはケイの胸倉から手を離し…、だが顔は近づけたまま口を開いた。

 

 

「あなたの借りてる部屋!お風呂あるって本当!?」

 

 

「…はい?」

 

 

ケイの口から呆けた声が漏れる。

 

二人の間の距離がかなり近い所為か、フードの中の、端正に整ったアスナの顔が覗く。そんな彼女の目が、輝いていたように見えたのは気のせいではないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第4話 ラッキー?いえ、アンラッキーです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

トールバーナの中心街から外れた、農牧地が広がるのどかな地帯。そこにぽつんと一軒、二階建ての家があった。そこが、ケイが借りていた隠し宿、拠点にしている部屋だ。

 

 

「ふああああぁぁぁぁ…」

 

 

「っ!!!?」

 

 

部屋の中にある椅子に腰を下ろし、ミルクを飲みながら鼠のボスガイドブックに目を通していたケイは、風呂場の方から聞こえてくる蕩けた吐息交じりの声にびくりと体を震わせる。

 

 

(あ、そうか…。俺、今一人じゃないんだっけ)

 

 

アスナを部屋に入れ、風呂場に案内してからケイはいつも通りに部屋で寛いでいたのだが、そのアスナを部屋に入れていた事を失念していたせいで思わず驚いてしまった。

 

 

(ていうか、中の音は外に聞こえないように防音機能がついてるのに…。どうして風呂場には防音機能がついてないんだ…)

 

 

基本、部屋内部の音は外部に聞こえないように防音機能が施されている。それはプレイヤー個人のプライベートを他のプレイヤーに害されないようにという茅場の配慮なのだろうが…。それを配慮できるのだったら、風呂に入る人の事も考えてやることはできなかったのだろうか。

 

あ、鼻歌が聞こえてきた。

 

 

「…ん?」

 

 

現実の世界で聞いた事のあるフレーズを奏でる鼻歌に合わせて、足で床をトントンと叩きリズムを取っていると家の戸がコンココココン、とノックされる音が聞こえてきた。

 

 

(誰か来たのか?…こんな時間に?…あ、キリトか?いやでも誰もこの場所教えてないしな…)

 

 

自分を訪ねてくるような人、キリトくらいしか思いつかないが…、ケイはキリトにこの場所を教えてはいない。

 

…怪しい。居留守を使って相手が帰るまで粘るか?とも考えたが、再びノックの音。どうやら居留守が通用する相手ではないらしい。

 

ケイは一つ息を吐いてからガイドブックをテーブルの上に置き、椅子から立ち上がる。

扉まで歩き、ドアノブを倒し、見知らぬ外の相手を警戒しながらゆっくり扉を開ける。

 

 

「…何か?」

 

 

「あんたがケイ、か?」

 

 

「っ」

 

 

扉の前に立っていたのは、色こそ違うもののデジャブを感じるローブで身を包み、フードで顔を隠したプレイヤー。声からしてどうやら女性らしいが…、そのプレイヤーが自分のアバター名を言い当てた事にケイは警戒心をさらに上げる。目を鋭くさせ、扉の前に立つプレイヤーを睨む。

 

 

「何の用だ」

 

 

「あー、そう警戒するナ。おいらの名前はアルゴダ」

 

 

ケイが問いかけると、プレイヤーはフードを外しながら返事を返し、さらに自己紹介をしてくる。

 

 

「アルゴ…。っ、鼠」

 

 

「そッ。あんたも良く知ってる鼠のアルゴダ」

 

 

アルゴ。そのプレイヤー名は聞き覚えがあった。ていうか、知っていた。

先程まで行われていたボス攻略会議で、ケイ自身がその名前を口にしていた。

 

鼠のアルゴ。正しい情報を誰よりも早くプレイヤーに提供してきた有名な情報屋。

 

 

「で、そのアルゴさんがこんなとこに何の用?てか、どうやってこの場所を知ったんだ」

 

 

「おっと、情報元を聞くのはご法度ダ。で、本題だけど…ここにアーちゃんが来てないカ?」

 

 

この場所を知った方法を問いかけたが、アルゴはまともに取り合ってくれなかった。まぁ情報源を知られたら情報屋の必要性はなくなってしまうし、その対応は当然といえば当然なのだが。

とりあえずこの場所を知った方法は置いておき、ケイはアルゴの問いかけについて聞き返す。

 

 

「アーちゃんて、誰?」

 

 

「あんたとパーティーを組んだあの細剣使いさ」

 

 

「あー、アスナの事。アスナなら…あー…」

 

 

自然な会話の流れに乗り、「アスナなら今、そこの風呂に入ってるぞ」と思わず答えそうになってしまった。それはまずい、さすがにまずい。

 

 

「いや、あの警戒心強いアスナが来るわけないだろ」

 

 

「いや、会議場を二人連れ立って出ていったっテ女日照りのゲームオタク共が恨みがましく教えてくれてネ。もしかしてもう連れ込んだかなト」

 

 

「え、何その噂。てか、そんな事はしてません」

 

 

いつの間にかそんな噂が…。しかも地味に合ってるから質悪い。

 

 

「ふーン…。まあいいカ」

 

 

「…」

 

 

おとなしく引き下がってくれたアルゴに聞こえないように、内心で大きくため息を吐く。何はともあれ、SAOにログインしてからこれまでで最大の危機を乗り越えることができた。

 

 

「…っ!!!?」

 

 

「ン?これは…、鼻歌カ?」

 

 

と、思っていた。風呂場から漏れる、綺麗な声の鼻歌が聞こえて来るまでは。

その声はケイは勿論、アルゴにも聞こえていたようで。

 

 

「…ちょっとお邪魔するヨ」

 

 

「あっ、おい!」

 

 

ケイの脇を通り抜け、アルゴが部屋の中へ入っていく。

 

 

「お、部屋広いナ!賃貸情報も手掛けて一儲けしよっかナー。幾らなんダここ?イベントとか特殊条件はあリ?」

 

 

「え、いや…。と、とりあえずやめろー!」

 

 

部屋を散策するアルゴを追いかけるケイ。そして、彼女の肩を掴んで止めようとしたのだが…遅かった。アルゴは、ついにそれを見つけてしまった────

 

 

「ン?バスルーム…」

 

 

「あっ、そ、そこは!」

 

 

ある部屋の前でアルゴが立ち止まる。その部屋の扉の上に着けられている看板に書かれている文字は、<Bathroom>。バスルーム、つまり風呂。そして風呂には今、アスナが入っている。

 

ケイはしゅばっ、と体をアルゴと風呂の扉の間に割り込ませ、両手を広げる。

 

 

「こ、ここは今故障中なんだ!入るにはちょっと面倒なクエストをこなさなくちゃでな!そのままにしてるんだ!」

 

 

「…そうカー。なら仕方ないナー」

 

 

言いながらさすがに苦しすぎると自分でも感じたケイだったが、何とアルゴは素直に引き下がった。…と、この時のケイは思っていた。

 

 

「なんてネ」

 

 

「なっ…、ちょっ、まっ…」

 

 

振り返り、そのまま部屋の奥に行こうとしたアルゴが突如体をバスルームの方へと向き直して駆けだした。ケイはすぐにそのアルゴの動きの変化に反応し、ローブの裾を掴んで止めようとしたのだが、それではアルゴの勢いを止めることができず、手の拘束から抜け出してアルゴはバスルームの前に立つ。

 

それだけではなく、アルゴのローブを掴んで止めようとしたケイは体勢を崩し床に転んでしまった。

 

 

「さて、ご開帳―」

 

 

「…」

 

 

終わった。完全に終わった。床に臥しながら思う。

 

 

「…こりゃ驚いたナ」

 

 

「…」

 

 

アルゴの驚いている声が聞こえる。そんなアルゴが何を見たのか、もう終わったしどうでもいいやと感じていたケイは恐る恐る見上げ、バスルームの中を、見た。

 

 

「ぇ…」

 

 

「ぁ…」

 

 

中のアスナと目が合う。純白の下着を付けた…、それも装備途中だったようで、所々まだ下着が生成されてない部分があるのがさらにアスナの艶やかさを醸し出す。染み一つない白い肌、メリハリのついたスタイルの良い体つき。…うん、綺麗だ。

 

 

「…」

 

 

「「…っ!!」」

 

 

すっくと立ちあがるケイ。びくりと体を震わせるアスナとアルゴ。

アルゴはまるで立ちはだかる様にアスナの前に立って、ケイと向き合う。

 

 

「…」

 

 

だがケイはそんなアルゴを意に介さない。無言のまま振り返って、そこにあった壁にそっと両手を付ける。

 

 

「な、何ヲ…」

 

 

戸惑いを含んだアルゴの声が聞こえる。アスナとアルゴの視線を背に受けながら、ケイは天を仰いで────思い切り頭を壁に打ち付けた。

 

ガン!ガン!ガンガンガンガンガンガン!!

 

 

「え、あっ、何してるの!?」

 

 

「ちょっ、ケー坊!」

 

 

アスナとアルゴの声は無視。ひたすらに頭を壁に打ち付けるケイ。

 

ここは安全圏内。こんな事をしてもダメージを受ける事はないが、それでも衝撃はしっかりと伝わってくる。その証拠に、未だ頭を打ち続けるケイの意識が少しずつ遠ざかっていく。

そして、ケイの行動の狙いはそこにあった。

 

 

「お、おイ!そこら辺にしとかないト…!」

 

 

慌てた様子のアルゴの声は、ケイの耳には届かなかった。薄れていった意識が途切れ、ケイの身体はふらりと力を失い、床に倒れ込む。

 

 

 

 

「…あれ?」

 

 

次にケイが見た景色は、窓の外に広がる陽の光を受けた草原だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「スイッチ!」

 

 

虫型のMobにソードスキル、リーバーを叩き込んでから口を開いて声を上げるケイ。そしてケイは後方へと下がり、すれ違うように前へと躍り出るのはローブに身を包んだアスナ。

 

レイピアの基本ソードスキル<リニアー>がMobに炸裂し、HPバーが消えるとともにポリゴン片となって四散する。それを見届けたケイとアスナはそれぞれの獲物を鞘へ戻す。

 

すると二人の背後からパチパチパチ、と拍手の音が響いた。

 

 

「お見事。今のがスイッチを使った戦闘の流れだ」

 

 

拍手をして二人を称えながら歩み寄ってくるのは、もう一人のパーティーメンバーキリト。

 

 

「…なんだけどさ。お二人さん、どうかした?」

 

 

「え?…いや、どうもしないけど。そういやアスナ、何か俺と話すときぎこちなくない?」

 

 

「っ…、そんな事ないわ」

 

 

スイッチを取り入れた戦闘を見事にこなしたケイとアスナを称えたキリトだったが、不意にそんな事を問いかけてきた。ケイ自身、特に何とも思わなかったのだがアスナと話すときに感じた違和感を思い出す。

 

ケイが話しかける度、アスナがびくりと体を震わせるのだ。まるで何かに怯えるかのように。今も一瞬、体を震わせたように見えた。

 

 

「んー?…ていうかキリト、聞いてくれよ。俺さ、昨日の夜のこと全く覚えてないんだ」

 

 

「っ…」

 

 

「は?何だよ急に…」

 

 

唐突なケイの問いかけにキリトが訝し気な表情を浮かべる。

 

 

「いや、昨日俺、家に帰ってそれから…何してたんだ?…いや、マジで覚えてないんだ。そんな可哀想な人を見るような目を向けないでくれ」

 

 

「っ!…っ!」

 

 

「いやだってさ…」

 

 

「ホントなんだって…。なぁアスナ、何か知らない?」

 

 

「しししし、知らないわ」

 

 

「…そっかー」

 

 

ケイからすれば本気で悩んでいるのだがキリトはまともに相手してくれない。だからケイはアスナに問いの先を変えたのだが…、どうしてそんなにどもる。ケイは首を傾げながらもとりあえず引き下がる。

 

 

「まぁそんな事より、ドロップアイテムを確認してみな」

 

 

「そんな事…」

 

 

ケイが両腕を組んでうんうん唸る中、キリトがアスナに声を掛ける。アスナは目の前に浮かぶ獲得経験値と金、そしてドロップしたアイテムをキリトの言う通りに確認する。

 

 

「…剣?」

 

 

「そ。<ウィンドフルーレ>。店売りのアイアンレイピアよりも断然、俊敏性や正確さを重視する細剣使いには良い剣だよ」

 

 

「おー…。て、アスナ。お前今までずっと店売りの初期装備使ってたのか!?」

 

 

「そうだけど…」

 

 

アスナが新たな武器を手に入れたことに感心しながら、レイピアなら自分は使えないなと考えていたケイが我に返る。キリトが言った言葉で、アスナがずっと店で売っている初期装備のアイアンレイピアを使っていた事に気づく。

 

 

「そ、そんな装備でよくここまで来れたな…」

 

 

「ま、その初期装備でもプレイヤーの腕さえ良けリャ。ボスにも挑めるけどナー」

 

 

アスナの腕の凄まじさに恐ろしさすら感じながら驚愕するケイ。その時、三人から少し離れた所から声がかかる。

 

この場にいた最後の一人、アルゴだ。スイッチの練習に行くために集まった場所から、いつの間にやらついてきていたのだが…、何か気配遮断のスキルでも使っているのかと問い質したくなるくらい自然な流れでその場にいたことに驚いたものだ。

 

 

「────綺麗…」

 

 

「っ…」

 

 

美しい

その言葉しか頭の中で浮かばなかった。

 

ウィンドフルーレをオブジェクト化し、剣の切っ先を宙に掲げながら刃をそっと撫でるアスナ。その口から漏れた呟きは、アスナの立ち振る舞いに魅了されていたケイの耳には届かなかった。

 

 

「───コホン。後は街で強化だナー」

 

 

「っ」

 

 

呆けていたケイは、すぐ隣から響いたアルゴの咳によって我を取り戻す。アルゴはちらっ、と横目でケイを見遣った後、アスナに歩み寄りながら口を開く。

 

 

「迷宮区であれだけ暴れてたんダ。+4までの素材は十分だロ。腕のいい鍛冶師を紹介するヨ」

 

 

「あっ、ありがとうございます…っ。えっと、お代を…」

 

 

「あー、いらないヨ」

 

 

アルゴから次に何をすべきか、そしてそのすべきことをどこですればいいのかを教えてもらったアスナがお礼と共に情報量を出そうと指を振ろうとする。

 

すると、アルゴはそのアスナの行動を拒否した。

 

ケイとキリトのアルゴを見ていた目が丸くなる。

 

 

「むしろ礼を言うのはこっちの方サ。目立つことは避けたかったろう二…、ありがとウ」

 

 

アルゴがアスナに言った、目立つこと。それがあのボス攻略会議での諍いでアスナが起こした行動だというのはすぐにわかった。

 

確かに、ローブで容姿を覆い隠しているアスナが目立つことをしたがるとは思えない。けど、あそこでは行動を起こしてくれた。その事にアルゴはお礼を言った。

 

 

「…けど、情報料いらないなんて。こいつ、ニセ鼠じゃないか?」

 

 

「あぁ…。あのアルゴが報酬を取らないとは…。誰かの変装か?」

 

 

「お前等覚えてろヨ。明日、二人に関するいろんな情報が跋扈してるだろうからナ」

 

 

「「申し訳ありませんでした」」

 

 

情報料をとらないと言うアルゴを信じることができず思わず本音で語り合ったケイとキリトだが、直後のドスの利いたアルゴの呟きを聞いて即座に掌返し。その場にそれは見事な土下座を披露した。

 

 

「さて、街に行くとなると、ドロップ品で浮いた金で他の装備も充実するべきじゃないかナ?先生?」

 

 

「い、いや。スピード重視の細剣使いには過剰な防具は足枷になるんじゃないか?」

 

 

「ふむふむ、なるほド。だってさ!やったねアーちゃん、お金が余るよ!」

 

 

「おいバカやめろ」

 

 

「…」

 

 

街に戻る道を歩きながら、アルゴがキリトに問いかけその問いにキリトが答える。そして貴重な意見を貰ったアスナは無言のまますたすた歩いていく。

 

アスナに続いて歩く形で街へと戻ってきたケイ達は、アルゴの案内で鍛冶屋に到着する。さっそくアスナは鍛冶師にウィンドフルーレを渡し、要求された素材も預けて強化を開始する。

 

 

「まいどあり!」

 

 

「おっ、成功したな」

 

 

このSAOでの武器強化は必ず成功するわけではなく、それも強化を続けるごとに失敗する確率が高くなっていく。それでも、この一層でできる強化回数のせいぜい四、五回程度ではその確率も八割程度までしか下がらないのだが。

 

 

「ウィンドフルーレ+4ダ。具合はドウ?」

 

 

「はい。だいぶ軽くなったし、ブレも収まりました」

 

 

アルゴの問いかけにアスナが剣を振りながら答える。そのアスナの傍にいた鍛冶師のNPCが『あぶないよ』と警告を続けているのが微妙に笑える。

 

 

「…ねぇ。これ、+5にはできないの?」

 

 

「…できないんですか?キリトさん」

 

 

すると武器の試し振りを終えたアスナがケイの方へと振り返って問いかけてくる。が、レイピアの事をケイが知るはずもなく、ケイはキリトの方へ振り向いて問いかけた。

 

 

「+5以降の素材は第二層でないと手に入らないんだ」

 

 

「…そう。なら、これが現状のベストということね」

 

 

キリトの返答を聞いたアスナはレイピアを鞘へと戻し、鍛冶師にお礼を言ってから振り返る。

 

 

「私、今日はちょっと買いたい物があるから。ここでお暇させてもらうわ」

 

 

「ん、そうか。なら、明日の十時にな」

 

 

「えぇ」

 

 

NPCの『またのおこしをー』というセリフを受けながら、アスナが鍛冶屋を去っていく。ケイ達も別に鍛冶屋に用があるわけでもないため、アスナが去ってからすぐに店を出る。

 

今日の連携の練習はそれまでにして、後は自由行動ということで解散になったのは店を出てからすぐのこと。

 

ケイとキリト、アルゴは互いに挨拶を交わしてからそれぞれ別の方向へと歩き出す。

 

 

 

 

 

 

そして、12月4日 日曜日

それはデスゲームが開始されてから、丁度四週目。初めてのボス戦が決行される日となった。

 

ケイは集合場所の劇場へと入り、レイピアの柄を触ってカチャカチャと音を鳴らすアスナへと歩み寄った。

 

 

「よっ、おはよう」

 

 

「…おはよう」

 

 

ケイは挨拶を交わして、アスナの隣で立ち止まって攻略メンバー全員が揃うのを待つ。

 

 

「…そういえばさ、昨日はあれから何してた?」

 

 

「あなたには関係ない」

 

 

「あ、そうですね。ごめんなさい」

 

 

アスナと挨拶を交わしてからずっと二人の間で流れる沈黙に耐え切れず、昨日解散した時にアスナが言っていた買い物の話題を掘り出すが、彼女はお気に召さなかったようで。間髪入れずに話題をぶった切られてしまった。

 

だがその直後、ふと視線を下ろしたケイの目にアスナのブーツが入った。そのブーツは、昨日まで彼女が履いていたブーツとは明らかにデザインが違っており、昨日アスナが買ったものは明らかだった。

 

 

「へぇ、良いチョイスじゃん」

 

 

「…」

 

 

「…?」

 

 

ケイはアスナが履いているブーツを褒めてから視線を上げて彼女の顔を見ると、何故かアスナの頬が僅かに赤らんでいた。その理由が分からず、首を傾げるケイ。

 

 

「た、ただのボス戦用の勝負装備よ!」

 

 

「…はい?」

 

 

さらにアスナが頬を染めたままスカートを押さえながら、まるで言い訳するようにはなった言葉にケイの疑問は深まっていく。

 

いや確かにそのブーツはボス戦に向けて縁起を担いだ買い物だったんだろうけど…、どうしてスカートを押さえるの?

 

結局、ケイの疑問は晴れる事なく、その前にキリトが劇場に到着。続いて様々なパーティーも到着してボス部屋への大移動が始まった。目的地にたどり着くまでに何度か戦闘があったが、大きなトラブルも無く、アイテムの消費も少なく収めてボス部屋前へ辿り着くことができた。

 

ボス部屋の前で立ち止まると、それぞれのレイドに分かれて集まり、そしてディアベルが先頭に立ってボス戦に挑むプレイヤー達に声を掛ける。

 

 

「────俺からは以上だ。何か質問はあるか?」

 

 

ボスの装備やソードスキルの対処法などを改めて確認した後、ディアベルは何か質問はあるかと問いかけてくる。直後、一本の手があげられた。その手の主は、ケイの隣にいたキリト。

 

 

「どうぞ」

 

 

「一点だけ聞きたいことがある。ベータテスト時の…攻略本の情報と異なる状況が起きた時はどうする?ディアベル。リーダーのあんたから、撤退の指示が出ると考えていいか?」

 

 

ディアベルの許可を得てから質問したキリトに、周りのプレイヤーから視線が注がれる。その視線のほとんどが、キリトを嘲る物だった。

 

彼らはこう言いたいんだろう。この臆病者めと。

 

 

「相手にせんでええで、ディアベルはん。こいつらはあんさんの指揮ぶりを知らんからそんな杞憂が出てくるんや」

 

 

ディアベルがキリトの問いかけに答えようと口を開いた時、その前にキバオウがキリトに向かって言い放った。

 

他のほとんどのプレイヤー達もキバオウと同意見らしい。こくこくと頷く者までいる。

 

 

(これは…まずいかもな)

 

 

その様子を眺めていたケイが内心でぽつりと呟く。

 

彼らが抱いているのは、慢心。自分たちなら勝てるという自信ではない。どうせ何だかんだで勝てるだろうという慢心だ。

 

自信と慢心は違う。自信は勇気を生むが、慢心が生むのは油断だけだ。

 

 

「まぁまぁキバオウさん。人命が最優先なのはもちろんだ。でも事前のシミュレーションは完璧だから、誰も死なせやしないよ」

 

 

「…そうか」

 

 

だが、少なくともリーダーであるディアベルにはそんな慢心を抱いている様子は全くなかった。

 

リーダーの気持ちは周りにも伝染する。今はこんな状態でも、ボス戦が始まれば何かしらプレイヤー達の気持ちの変化もあるだろう。

そう考えたケイは一まず胸にこみ上がった不安を収める事にした。それに、ここで自分がその事を言えばもっとややこしくなり、ボス戦への士気が下がるかもしれない。

 

 

「俺だってこのレイドじゃなかったら不安だった。けど、このレイドだから絶対にボスを倒せるって言う確信がある」

 

 

たった今から、ボス戦が始まるのだとようやく実感が沸いてきたのだろう。誰もが緊張の面持ちを浮かべ始める。

 

そんなプレイヤー達に向かって、ディアベルは最後に短くこう言った。

 

 

「勝とうぜ。俺達で」

 

 

ディアベルが振り返り、ボス部屋の扉と向き合う。それを眺めながらケイは小さく唇を開き、そっ、と頭の中で浮かんだフレーズを口ずさむ。

 

 

「…何、急に」

 

 

「あ、聞こえてたか、ごめん」

 

 

「別にいいけど…、その歌、英語よね。どんな歌なの」

 

 

周りには聞こえないように注意したつもりだったが、すぐ傍らにいたアスナには聞こえていたらしい。小さな声でケイが口ずさんだ歌について問いかけられた。

 

 

「…大切な人の遺志を継いで、懸命に生きる人を描いた歌さ。何となく今の場面にぴったりな気がしない?」

 

 

「…そうね」

 

 

「うわ、どうでもよさそ…」

 

 

「実際、どうでもいいもの」

 

 

「なら何で聞いてきたんだよ…」

 

 

アスナから問いかけて来たのに、返答したらどうでもよさげに前を向いてしまった。しかも最後は無視されてしまった。

 

 

「二人共、もうおしゃべりしてる暇はないぜ」

 

 

「…はい」

 

 

挙句の果てにキリトに注意される始末。ケイは少々悲しさを抱きながら鞘から曲刀を取り出す。

 

 

「さぁ、行こうぜ」

 

 

ディアベルがボス部屋の扉を開く。そこから漏れる光が広がっていき────

 

開かれた扉の向こう、横幅十メートル、奥行きは三十メートルほどはあるだろうか、そんな広い部屋の一番奥に、そいつはいた。

 

立派な王座に腰を下ろした、巨大なコボルド型モンスター────<イルファング・ザ・コボルドロード>。

 

圧倒的な空気を纏ったボスコボルドは、プレイヤー達がボス部屋へと足を踏み入れた直後、ゆっくりと立ち上がったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回からボス戦です。


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第5話 VSイルファング・ザ・コボルドロード前編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開かれた扉の奥に広がるボスの間。視線の先には、周りに取り巻きを従えて玉座に座る巨大なモンスター、<イルファング・ザ・コボルドロード>。

 

 

「あれが…ボス…」

 

 

プレイヤー達が緊張で静まり返る中、一人だけぽつりと呟いたのがやけに耳に残った。

 

 

「主武装は骨斧!腹部層に湾刀!センチネルが三体!全て情報通りだ、いけるぞ!!」

 

 

そんなプレイヤー達を包み込んだ緊張を、先頭に立つディアベルが打ち破る。ディアベルの声に体を震わせながら、緊張に包まれたプレイヤー達は自分たちが何をしにここへ来たのかを思い出す。

 

今、奥の玉座でふんぞり返っているボスを、倒すために来たことを。

 

 

「俺に続け!!!」

 

 

「「「「「おおおおおおおおおおおおぉ!!!!!」」」」」

 

 

先陣を切って駆けだすディアベルに続いて、その他のプレイヤー達もまた駆けだしていく。

 

 

「二人共、俺達も行くぞ!」

 

 

「あぁ!」

 

 

ケイ達もまた、ボスに向かって駆けるプレイヤー達の波と共に駆けだす。

狙うのは、玉座から立ち上がったコボルド王の前に立つ<ルイン・コボルド・センチネル>。

 

先陣がボスへの先制攻撃に成功すると、センチネルは主に攻撃したプレイヤー達の方へ反応する。

 

 

「今だ!二人共、一斉にスキルを叩き込むぞ!」

 

 

センチネル達がボスと交戦を開始したパーティーに向けて移動を始めるその前に、ケイ達はそれぞれのソードスキルをセンチネル達に叩き込んで注意をこちらに向ける。

 

攻撃を受けたセンチネル達のヘイトがケイ達に向けられる。直後、センチネル達は移動方向をケイ達の方へ変え、突っ込んでくる。

 

 

「センチネルの攻撃は強力だがモーションは遅い!落ち着いてよく見ていけば当たる事はない!」

 

 

「わかってる!」

 

 

攻略本に書かれたことを思い出しながら、両手棍を握って向かってくるセンチネルと向かい合うケイ達。

ボスと交戦を開始した本選とはまた違う所で、ケイ達の戦いも始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「よし、Cパターンに入った!壁A隊は下がれ!D隊前進!」

 

 

ボス攻略戦が始まって十五分くらいが経っただろうか。ここまで死者は一人も出さず、さらに予定よりも早いペースでコボルド王のHPを減らすことができていた。その立役者は、言うまでも無くディアベルだろう。彼の指揮はどれも的確で、効率的にボスのHPを削ることができるものだった。

 

そして何よりも、そのディアベルの指揮に従うプレイヤー達の動きもまた見事だった。リーダーのディアベル、そして彼に続くプレイヤー。どちらか一つでも欠けていたら、これほど順調な展開を作る事は出来なかっただろう。

 

 

「スイッチ!」

 

 

そしてもう一方、ケイ達の方だが────それもまた、順調といっていいのだろう。

 

ケイがアスナに合図を出し、彼女の前に躍り出る。ケイは曲刀二連撃スキル<デュアルリーバー>を繰り出し、アスナに向かって棍棒を振り下ろそうとするセンチネルのHPを全損させた。

 

ケイはセンチネルが四散することを確認することも無く、アイテム欄を開いて回復ポーションをオブジェクト化、蓋を開いて瓶の中の液体をがぶがぶと口の中に入れる。

 

 

「…ふぅ、まずい」

 

 

お世辞にもおいしいとは言えない味の液体を飲みこむと、ケイのHPが少しずつ回復していく。

 

 

「凄いなケイは…」

 

 

第一波のセンチネルを片づけたケイ達は、部屋の端っこに集まって回復をしていた。するとキリトが目を丸くしてこちらを見ながら言ってきた。

 

 

「は?いや、凄いのはキリトだろ。あんな上手い立ち回り初めて見たわ」

 

 

「いやいや、初見の相手にあそこまで立ち回れるケイの方がよっぽど────」

 

 

キリトが称えてくるが、正直どれほど凄いのかはケイには計れない。

 

 

「な、君もそう思うよな?」

 

 

「…」

 

 

首を傾げるケイを余所に、キリトに問われたアスナがこくりと頷く。

 

 

「え…、アスナが同意した…だと…」

 

 

「あなた、私のこと何だと思ってるの」

 

 

他人に全く興味なしだと思っていたアスナがキリトの言葉に同意するとは思わなかった。そんな驚愕のせいで思わず口にした言葉が、アスナの頬を僅かに引き攣らせる。

 

 

「まぁまぁお二人さん、仲良いのはわかったからその辺に…」

 

 

「良くないわよ!」

 

 

「…そんなにはっきり言わなくても」

 

 

目を見開くケイと頬を引き攣らせるアスナが見つめ合う中、キリトがニヤついた笑みを浮かべてそんな事を言ってきた。直後、強烈な口調でアスナが否定し、そしてケイはそのあまりの否定様に思わず項垂れてしまう。

 

 

「と、とりあえずそろそろ第二波が来るはずだ。第二波はさっきのよりもレベルが高いから、注意しろよ」

 

 

「…わかりました」

 

 

「…了解」

 

 

ニヤついた笑みから苦笑いへと表情を変えたキリトが注意事項を報せてくれる。その報せにケイは項垂れたまま答え、アスナはいつものように抑揚のない返事を返す。

 

三十秒後、取り巻きセンチネルの第二波がポップ。ケイ達はすぐさまセンチネルのタゲを取って引きつける。ケイ達は勿論、本隊の交戦も順調だ。POTローテも上手くいっているようで、死者どころかまだHPバーが赤<危険域>になった者すらいない。

 

そして、ケイ達がセンチネル第二波を片づけた時だった。本隊の方で突如、歓声が上がる。

目を向けると、コボルド王のHPバーが残り一本となっていた。この戦いもいよいよ大詰めへ来たということを意味する。

 

 

「副武装のタルワールが来るぞ!スキル変化は憶えてるな!?基本は同じ、打ち払って喉元を叩く、だ!!」

 

 

相手のHPが少なくなったからといって、ディアベルに油断をしている様子はない。

 

 

(これは、このままいけるか?…いや、油断はするなよ)

 

 

一瞬しかけた油断をすぐに収めるケイ。そんな彼の目の前で、コボルド王を囲んで武器を構えるディアベル率いるC隊。

 

今、コボルド王は武装を変える演出の途中で、その最中は攻撃してもHPは減らない。だがその間でも、ああしてまわりを包囲して次の展開を優位にすることは勿論できる。ディアベルの指揮は隙がない。

 

 

「…アスナ、タルワールってどんなのだったっけ」

 

 

「え?どんなのって確か────」

 

 

プレイヤー全員の視線が注がれる中、コボルド王の背の鞘に収まっていた副武装が姿を覗かせる。

それを見たケイが、傍らにいたアスナにぼそりと問いかけた。

 

 

「イスラム圏の────」

 

 

アスナの言葉が止まる。どうやら彼女も気づいたらしいが、その間にケイは確信を持っていた。コボルド王の副武装は、タルワールじゃない。

 

 

「ダメだ!退けっ!!」

 

 

「っ、下がっとれ!」

 

 

一番初めに行動を起こしたのは、ケイと同じようにその正体に気が付いたキリトだった。キリとはディアベルの方に向かって駆けだそうとしたが、いつの間にか近くにいたキバオウが立ちはだかり、キリトを立ち止まらせる。

 

 

「聞いた事あるで。ベータテストでボスのLA<ラストアタック>ボーナスを汚い立ち回りで取りまくったっちゅう盾無しソードマンの話。…おどれの事やろ!」

 

 

「ぐっ…」

 

 

キバオウの言葉にキリトが言葉を詰まらせる。連携の練習していた時から何となく予想は出来ていたが、やはりキリトはベータテスターだったらしい。が、今はそんなことどうだっていい。

 

 

「おいそこのおどれも止まれや!」

 

 

「このっ…!」

 

 

キリトにばかり注意を向けていると思っていたが、キバオウは同じように駆けだそうとしたケイも呼び止める。

 

 

「おどれらの役割は取り巻き潰しや!わかったら黙って見とれ!」

 

 

「お前の目は節穴かっ!?よく見ろ!あれはタルワールじゃない!」

 

 

喚くキバオウに、ケイはコボルド王の手に握られているそれを指さしながら言う。

 

 

「あれは日本刀だ!あのコボルド王は、ベータテストとは違うんだ!」

 

 

タルワールは、刀身が反り返った形をした剣だ。だが、今コボルド王が持っている剣はそうじゃない。刀身が真っ直ぐに伸び、刀身の腹の部分が黒く塗られている。

 

 

「おどれっ、まさか…!」

 

 

「ディアベエエエエル!!逃げろおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

キバオウの脇を通り抜けて走りながら、叫ぶ。

 

だが、その叫びもむなしく────コボルド王の刀は、周りを包囲していたディアベル達を薙ぎ払った。

 

 

(っ、スタン!?)

 

 

見たところ、吹っ飛ばされただけで死者はいないようだが、その代償というべきなのか、ほとんどのプレイヤーがスタン状態となって身動きが取れなくなっていた。さらにコボルド王は正面で尻餅をついてスタン状態となっていた一人のプレイヤーに目を付ける。

 

 

(まずい…!)

 

 

ここで死者が出れば、ボス戦に臨んだプレイヤー達がどうなるか。恐らく混乱を起こし、隊列は崩れ、戦況は一気に絶望的になる。そうなれば、たとえこの場から逃げ出すことができたとしても、更なる死者の出現は免れない。

 

ケイはコボルド王に狙いを付けられたプレイヤーの下へ急ぐが、あまりに距離が離れすぎている。どう見ても、間に合うはずがない。

 

 

「くっ…そぉっ!!」

 

 

少し…少しでもいい。コボルド王の動きを止められたら。そう考えたケイは曲刀の柄を握っている方の腕を振り上げて…。

 

 

「でぃ、ディアベルはん!」

 

 

放り投げようとした。少しでも、コボルド王の気が外れるように。

だがそれよりも早く、ディアベルが狙いを付けられたプレイヤーの前に躍り出て、盾でコボルド王の剣戟を弾く。

 

それを見たケイは予定を変更。曲刀を放り投げようと上げていた腕を腰溜めに引く。

そこから繰り出されるのは、曲刀突進ソードスキル<ソニックチャージ>。

 

青色のライトエフェクトの尾を帯びながら突進したケイは、ディアベルに第二撃を放とうとするコボルド王の刀身の腹に向かって剣を突く。それによって剣の軌道はずれ、ディアベルとは見当違いの方へと空振りする事となる。

 

 

「壁隊は続け!ぴよったC隊を頼む!」

 

 

「っ!」

 

 

さらに後方からはアスナとキリトが動き出し、ケイの援護へと向かってくる。

 

その間、ケイは更なるソードスキル、デュアルリーバーを発動してコボルド王へと斬りかかっていった。先程のコボルド王はソードスキルを強制的にキャンセルされた。つまり、通常よりも長い硬直時間に襲われているはずなのだ。

 

 

「ダメだケイ!スキルをキャンセルしろ!」

 

 

「え?」

 

 

だが直後、背後からキリトの叫び声が聞こえてくる。そして同時、ケイはコボルド王の刀が紅く発光するのを見た。それは、次なるソードスキルが発動された証。

 

ケイが発動したデュアルリーバーと、コボルド王が発動したソードスキルがぶつかり合う。

 

デュアルリーバーは二連撃スキル。ケイは二度の打ち合いを終え、硬直時間へと入ってしまう。だが、コボルド王の刀は未だ紅いライトエフェクトを帯びている。つまり、コボルド王が発動したソードスキルは、少なくとも三連撃以上。

 

 

「んなのありかよ…」

 

 

思わず皮肉気味に笑みを浮かべて呟くケイ。硬直時間が訪れた今、ケイにはもう成す術がない。コボルド王の剣が、ケイの首目掛けて振るわれる。

 

 

「ケイ君!」

 

 

聞こえてきた声は、どこかで聞いた事のある美しい声だった。だが、こんなボリュームのある声を聞いた事がなかったため、すぐにケイはその声が誰のものか判断することができなかった。そして、その声の主が誰なのかを判断する前にケイは────横合いからの衝撃を受けて吹っ飛ばされた。

 

 

「っ!?」

 

 

コボルド王から視線が切れる直前、一瞬だけケイは見た。こちらに両手を突き出したディアベルの姿を。

 

 

「なん…で…」

 

 

コボルド王の剣が、ディアベルの顔面に命中する。直後、ディアベルの鼻から上が大きく飛び上がり、そして赤いポリゴン片となって消えていく。

 

その光景を前に、ケイの口から漏れた呟きは誰にも届くことなくコボルド王の雄叫びに打ち消される。

 

 

「でぃ、ディアベルさんがやられたぁ!!」

 

 

「そんな…っ、俺達はどうすりゃいいんだよぉ!」

 

 

「こ、こいつまた出てきやがった!聞いてねぇぞ!?」

 

 

ディアベルという指揮官の死は、レイド全体に衝撃を及ぼした。ディアベルがいれば簡単に処理できた事態にプレイヤー達は驚き、緊張が走り、動きが硬直してしまう。

 

この場にいる全員、楽観から醒めた。死を、現実のものとして認識させられてしまった。

指揮官という、最悪の代償と引き換えに────

 

だが

 

 

「…」

 

 

プレイヤー達が混乱で慄く中、スキルキャンセルの硬直時間が解けたケイは立ち上がった。ケイの前方には、ヘイトを抱くコボルド王の姿。

 

 

『あとは…たのむ…』

 

 

「っ…!」

 

 

歯を食い縛り、ケイは最大の憎しみを込めてコボルド王を睨みつける。ぐっ、と剣の柄を握り締めて切っ先をコボルド王に向ける。

 

 

「あああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

叫び声と共に、ケイはコボルド王に向かって足を踏み出す。それを見たコボルド王もまた、ケイが駆けだした直後に突っ込んでくる。

 

一人のプレイヤーと、巨大な神の僕が切り結ぶ。ガギン、ガギンと剣がぶつかり合うごとに耳障りな音を立てる。

 

 

「っ、同じ手を…」

 

 

その時、コボルド王の刀が緑色のライトエフェクトを帯びる。そしてそれは、スタンしたプレイヤーを狙って放たれたあのソードスキル。

 

理由はわからないが、そのソードスキルには直後の硬直時間がないと考えていい。ならば、ここでケイがすべきことは、回避のみ。

 

膝を折り曲げて屈み、水平に振われた剣戟をかわすと、今度はケイが反撃のソードスキル、デュアルリーバーを発動させる。だが、コボルド王もまた、硬直時間がないのを利用し更なるソードスキルを発動させた。

 

紅いライトエフェクトを帯びた、あのディアベルを葬ったソードスキルを。

 

 

(あのスキルは三連撃…、なら!)

 

 

今、ケイは三連撃以上を放てるソードスキルは持っていない。だから、このまま迎撃を試みた場合、今度こそやられるのは必至。そのまま、迎撃を試みた場合は。

 

ケイはこれまでSAOをプレイしてきた中で、ソードスキルを発動した状態でも強く意識を集中すれば自身の意志で動くことができる事に気付いた。剣の軌道こそ変えられないものの、その剣戟の目標を変更したり、両足を動かすことができる。そして何よりも、剣を振るうタイミングを変えられる。これが一番重要だ。

 

ソードスキルを発動し、そのまま斬りかかるタイミングが強制的ならばそれはプレイヤーにとってかなりの枷になる。そしてその性質が、今のケイにとってアドバンテージになっていた。

 

コボルド王の刀が、逆袈裟気味に振り下ろされる。ケイはその軌道から目を離さず、剣が首元に命中する直前、首を右に傾け、剣戟を回避した。顔面のすぐ横を通り過ぎていく刀がケイの髪の毛を何本か持っていってしまう。しかしそれに構っている場合ではない。コボルド王のソードスキルは、まだ終わっていない。

 

ソードスキルが二撃目を放つと同時、ケイもまたソードスキルを打ち放つ。

一撃、二撃とケイとコボルド王の剣がぶつかり合う。互いに硬直時間が訪れ…解かれたと同時、再びコボルド王へと踏み込もうとしたその時だった。

 

 

「スイッチ!」

 

 

「っ!」

 

 

背後から、あの美しい声が響き渡った。

昨日、何度も練習して慣れ親しんだ感覚に任せ、ケイは後退。直後、ケイとすれ違う形で前へと躍り出て、コボルド王へと斬りかかっていったのは。

 

 

「アスナ…」

 

 

フードが取れ、亜麻色の長い髪を靡かせたアスナの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本当はこの話でボス戦を終わらせるつもりだったのですが、途轍もなく長くなったので二つに分けました。


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第6話 VSイルファング・ザ・コボルドロード後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケイの脇を通り抜けていった閃光が、コボルド王の顎に激突して仰け反らせる。閃光…アスナは着地するとバッ、と後退してケイの傍らで立ち止まる。

 

 

「一人でかっこつけないで。パートナーでしょ」

 

 

そう言うアスナを、目を丸くして呆然と眺めるケイ。だがそれも一瞬、視線をケイからアスナへと移したコボルド王が目を光らせ、雄叫びを上げながら刀を振りかぶる。

 

 

「おいおい、俺を忘れるなよ」

 

 

コボルド王は何かのソードスキルを遣おうとしたのだろう。しかしその前に、ケイの脇を通り抜けていった、もう一人の人影がコボルド王へ剣戟をぶつける。それによって衝撃を受けたコボルド王のソードスキルは発動することなくキャンセルされる。

 

それによってできる硬直時間を、三人は見逃さない。

 

 

「俺だってパーティーの一人だからな!一緒に戦わせてくれよ!」

 

 

「悪ぃ!俺のパートナーはアスナだから!お前のパーティーねぇから!」

 

 

「このやろっ!」

 

 

「無駄口はやめなさい」

 

 

軽口を叩きあうケイとキリトに、二人を諌めるアスナ。三人は一斉にコボルド王へと襲い掛かった。

 

アスナが先陣を切り、リニアーで先制パンチ。さらにスイッチで交代したケイが追撃でコボルド王のHPを減らしていく。そして、キリトはベータテスターの知識を利用してコボルド王のソードスキルをキャンセルしていく。

 

 

「ありえねぇ…。あいつらただもんじゃねぇぞ…」

 

 

「あのお姫様もやべぇけど、曲刀使いの方も立ち回りが早ぇ…」

 

 

「まさかあの黒づくめ、ボスのスキルを全部キャンセルしてるのか…?」

 

 

三人の戦いぶりは逃げ腰だったプレイヤー達の足を止め、ボス部屋の入り口の方に向けていた体をボスの方へと向けさせていく。

 

 

「あれなら、もしかして…」

 

 

「あほっ!たった二人じゃボスのHPをろくに減らせん!」

 

 

三人の立ち回りを見ていたプレイヤーの一人から漏れた呟きに、キバオウが大声で返した。

 

 

「先に限界を迎えるんは…」

 

 

実際、キバオウの言う通りだった。コボルド王のHPはいよいよ注意域<イエローゾーン>を過ぎもうすぐ危険域に辿り着きそうという所まで減らせているが、明らかにHPの減少ペースは遅くなっている。

 

 

「っ!?」

 

 

そして、キバオウが言った限界は突然訪れた。キリトの片手直剣突進スキル<ソニックリープ>が、コボルド王によってキャンセルされてしまった。これまではキリトが相手のスキルをキャンセルする側だったのが、次第に防戦側に追いやられていたその影響を受けタイミングが遅れてしまった。

 

ガギン、という剣がぶつかり合った音と共に、キリトが吹っ飛ばされる。

 

 

「キリト!」

 

 

「つぅっ…、大丈夫だ!HPはそう減ってない!」

 

 

あの一瞬で何とか直撃を避けることができたキリトのHPは未だ安全域を示していた。だが一息を吐く暇もなく、ケイはコボルド王の狙いがアスナに移ったことに気付く。

 

 

「アスナぁ!!」

 

 

「え?」

 

 

アスナは吹っ飛ばされたキリトが気にかかったのか、そっちに目を向けていた。そのため、背後で剣を振りかぶるコボルド王の接近に気付けていなかった。

 

アスナがようやく気付き、振り返った時には紅いライトエフェクトを帯びたコボルド王の刀が迫っていた。アスナはすぐに反応することができず、ただその場で立ち尽すことしかできない。

 

 

「…ぁ」

 

 

だが次の瞬間、アスナは小さく声を漏らす。剣の軌道がこちらに迫るのをただ眺めていた、その時、自分の前に誰かが立ちはだかる。

 

曲刀を構えて、コボルド王と向き合うケイだ。ケイの刃はオレンジのライトエフェクトを帯びていた。

 

 

(あの剣を、叩き落とすつもりで────)

 

 

ケイが放ったのは、リーバー。そのたった一撃のソードスキルを、ケイは迫るコボルド王の刀目掛けて力一杯振り下ろした。

ケイの振り下ろした剣は今も紅いライトエフェクトを放つ刀とぶつかり、そしてコボルド王の剣戟の軌跡を僅かに下へずらす。それだけではなく、ケイのスキルで受けた衝撃でソードスキルはキャンセルされ、剣のスイングスピードも僅かに遅くなる。

 

 

「っ、ごめん!」

 

 

「えっ…、きゃぁ!」

 

 

これを逃すわけにはいかない。ケイは一度謝罪を入れてからアスナの身体を抱えてその場から離脱する。その直後、二人が立っていた場所をコボルド王の刀が横切る。

 

それを見る事無く、ケイはキリトの傍で立ち止まるとアスナを下ろして一息吐く。

 

 

「…ハラハラしたぞ」

 

 

「悪いな。…それでキリト、あともう少しでボスが倒せる。けど、あいつらは逃げる気満々みたいだ。どうする?」

 

 

ケイが周りを見回しながら言う。その視線の先には、我先に逃げ出したいとうずうずしているものの、まだ戦っている者がいることで踏ん切りがつかないプレイヤー達がこちらを見ながら立っていた。

 

正直、撤退するのなら今するべきだ。コボルド王の攻撃範囲から外れた今なら、全速力で走れば余裕を持ってボス部屋から脱出できるはずだ。

 

 

「…俺は、離脱するべきだと思う。俺達三人だけじゃ、ボスのHPを全損させるのは無理だ」

 

 

「…そうか」

 

 

キリトが下した判断は、離脱。確かに彼の言う通り、ここは撤退すべきなのだろう。生きてさえいればまた挑戦できる。ここで逃げたらもう二度とボスに挑めないという訳ではないのだから。

 

だけど…、ケイはその選択肢を選べなかった。

 

 

「なら、二人は行け。俺は…、戦う」

 

 

「っ…」

 

 

「なっ…、ケイ!?どうして…!」

 

 

ケイの背後で目を見開いて驚愕するアスナとキリト。キリトに至っては、慌ててケイを止めようと手を伸ばしている。

 

 

「目の前で死んだディアベルの意志を…、無にさせたくない」

 

 

そしてこのケイの言葉が、キリトの動きを固まらせた。

 

 

『あとは…たのむ…』

 

 

この言葉を聞いたのは恐らく、ケイただ一人。だが、あの時、ディアベルがポリゴン片となった瞬間、彼が何を思っていたかは容易に考えられる。

 

ボスを、倒してほしい。

 

彼はその思い一つでプレイヤーを導き、ボスを追い詰めていった。そんなディアベルの死を、ケイはこんな所で無駄にしたくはなかった。

 

 

「…ケイ君は、諦めたくないの?」

 

 

「あぁ。諦めたくないし…、諦められない」

 

 

一歩ずつコボルド王がケイ達に迫ってくる。ケイはその姿を見て曲刀を構えた直後、背後からアスナが問いかけてきた。その問いに、ケイは頷きながら答える。

 

 

「なら、私も行く」

 

 

「…アスナ」

 

 

「私だって諦めたくないもの。それにさっきも言ったけど、一人でかっこつけないで」

 

 

アスナはケイの隣まで歩み寄る。すると、今までずっとかかさず纏っていたローブを脱ぎ、投げ捨てた。

 

 

「大体、あなた一人でボスを倒せると思ってるの?さっきも一人で突っ込んでって防戦一方だったくせに」

 

 

「うぐっ…」

 

 

微笑みながら言ってくるアスナにケイは言い返すことができなかった。「そ、そんな事ねぇし?ここから未知の能力が覚醒して、圧倒する予定だし?」という強がりは心の中で留め、ケイはコボルド王の方へ向き直る。

 

 

「お前らだけに、任せてられっかよぉ!!」

 

 

「あ…、あの人…」

 

 

ぐっ、と構え、二人がコボルド王に向かって踏み出そうとした時、雄叫びを上げながらドスドスと重そうな足音を立ててコボルド王へと突っ込んでいく大柄の男達がケイとアスナの視界に飛び込んできた。

 

そしてそのグループに立つのは、色黒のスキンヘッドの男。そう、攻略会議でキバオウが起こしたベータテスターに関する諍いを一時解決したプレイヤー、エギルだ。

 

 

「これ以上ダメージディーラーに壁をやらせられるか!俺達がこいつの動きを止めるから、あんたらはボスに止めを刺せ!!」

 

 

ディアベル達を薙ぎ払ったソードスキルに注意を払いながら、エギル達がコボルド王がケイ達の下へ行かないように動きを封じる。

 

 

「…こんだけお膳立てされたら、逃げるに逃げられないな」

 

 

「キリト?」

 

 

「俺も加勢する。なに、壁役がいれば…この人数でだってあいつを倒せる」

 

 

すると、離脱をするべきだと言ってから黙り込んでいたキリトが立ち上がり、ケイの隣に歩み寄ってきた。

 

 

「俺だって今この場でボスを倒したいって思ってる。だから…、絶対に倒そう」

 

 

「…何偉そうに言ってんだ、さっきまで逃げ腰だったくせに」

 

 

「そこは同意するわ」

 

 

「ぐっ…、それは置いておこう…。今はあいつを倒すことをだな…」

 

 

見事な掌返しを披露したキリトをじと目で見遣るケイとアスナ。だがその後のキリトの言う通り、今はこういうやり取りをしている場合ではない。こうしている間も、自分達がボスに止めを刺すと信じてコボルド王の動きを止めてくれている人達がいる。

 

 

「ケイはわかってると思うが、あいつを包囲すると全方位攻撃が来る。それにさえ注意すれば、あのHP残量なら押し切れる!」

 

 

駆けだしたのと同時、キリトが言う。その言葉に対し、ケイとアスナは視線をコボルド王に向けたままこくりと頷いた。

 

 

「エギル!一旦下が…!」

 

 

そして、前方でコボルド王の動きを止めていたエギル達にキリトが指示を出そうとした、その時だった。ついさっき言った、コボルド王の範囲攻撃。そのソードスキル、緑色のライトエフェクトが刀から迸った。

 

エギル達がコボルド王を包囲してしまったのか、いや、理由など今はどうでもいい。問題は、エギル達のHP残量が注意域、または危険域の者もいるということだ。

 

 

「アスナ、来い!」

 

 

ケイは駆けるスピードを上げながらアスナの方に顔を向ける。

 

 

「ど、うする気!?」

 

 

「一瞬で良い!あいつよりも速くソードスキルを叩き込む!キリトぉ!止め頼む!」

 

 

「っ…!」

 

 

キリトが何か言っていたような気がしたが…、再び前を向いたケイの耳には何も聞こえなかった。ケイとアスナが、ソードスキルを繰り出す。ケイはソニックチャージ、アスナはリニアー。二つの剣は全く同じスピードで、平行に並んで突き進み、エギル達の間を通り抜けてコボルド王へと迫る。

 

 

「「いっ────けぇええええええええええええええええええ!!!!!」」

 

 

大きく振われるコボルド王の刀。その剣戟が、命中する────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前に、ケイとアスナの剣はコボルド王へと辿り着き、その腹を抉って貫通していく。

 

 

「グルッ…、っ!」

 

 

二つのソードスキルを受け、がくっとHPが減るコボルド王。しかしそれでも全損までは至らず、さらにスキルキャンセルの硬直も解け、コボルド王は逆にたった今スキル後の硬直時間が訪れたアスナ目掛けて刀を振るう。

 

 

「いや、お前はそこで終わりだよ」

 

 

そんなコボルド王を見ながら、ケイは口を開く。彼の目は、パートナーが危機に陥っているとは思えないほど安らぎを浮かべていた。彼が、何故そこまで落ち着き払っているのか。

 

 

「ぜぇああああああああああああああああ!!」

 

 

アスナの方へと振り返ったコボルド王の背後から、雄叫びが聞こえてくる。直後、アスナに向かって刀を振るったコボルド王の動きがぴたりと止まり、そして────<イルファング・ザ・コボルドロード>は、ポリゴン片となって四散した。

 

 

「…や、た?」

 

 

「…やった」

 

 

「や、やったぞ!」

 

 

コボルド王が四散し、それと同時に現れた<Congratulations!!>というフォントが、ボス戦勝利という証を示す。途端、呆然としていたプレイヤー達が次第に沸き上がっていく。

 

 

「かっ…た?」

 

 

正直この結末を確信していたケイではあったが、こうしてその時が訪れると、どうもその実感が沸いてこなかった。しかしその代わりに、ケイの身体をボス戦による疲労感が一気に襲い掛かる。

 

ケイはどさり、と床に座り込み、両手を後ろ手に突いて天井を仰ぐ。

 

勝った。ボスに、勝った。たった一歩ではあるが、ゲームクリアへと近づくことができた。

 

徐々にケイの中でもボスに勝利したのだという実感が沸き上がってくる。ケイの唇が歪んでいき、笑みの形を描く。

 

直後、ケイの視界に色黒でスキンヘッドの男の顔が飛び込んできた。

 

 

「見事な剣技だった。この勝利は紛れもなく、あんたの手柄だ」

 

 

「…何言ってんだ。あんた達がボスの動きを止めてくれなきゃ、今頃おっ死んでたよ」

 

 

差し出された手を掴み、エギルの力を借りて立ち上がるケイ。エギルが入っていたパーティーメンバーに囲まれていた事に、今になってケイはようやく気付いた。

 

 

「…」

 

 

「アスナ…」

 

 

そしてエギルのパーティーメンバー同士の間から、こちらを見つめて立つアスナの姿を見つける。ケイは彼らの間を通り抜け、アスナの下へ歩み寄る。

 

 

「…お疲れ」

 

 

「…えぇ」

 

 

短く声を掛け合った後、ケイは左手を上げた。それがハイタッチの誘いだと築いたアスナもまた、右手を上げる。

 

 

「何でだよ!!」

 

 

二人の手が合わさる瞬間だった。ボス部屋中に叫び声が響き渡った。

ケイとアスナが声が聞こえてきた方へと視線を向けると、そこには両目に涙を浮かべて二人を…いや、ケイを睨みつけた男性プレイヤーが立っていた。

 

 

(あの人は…、ディアベルの)

 

 

ケイはすぐに、そのプレイヤーがディアベルのパーティーメンバーの一人だと思い出す。

 

 

「何であんたは…、ディアベルさんを見殺しにしたんだ!!」

 

 

男性プレイヤーはケイの方を指さしながら再び叫ぶ。だが、ケイはこの男が言っている意味が分からなかった。

 

ディアベルを見殺しにした、という言葉の意味が。

 

 

「あんたはボスの副武装が何なのかを知ってた!それにあのボスの技も見切ってたじゃないか!…知ってたんだろ?あのボスが使う技を!最初からその事を教えていたら、ディアベルさんが死ぬことはなかったのに!!」

 

 

周りから聞こえてくる声が、称賛の声から疑念の声へと変わっていく。

 

 

「ま、待て!こいつがベータテスターだと決めつけて言ってるみたいだが、こいつは違う!ケイっていう名前のテスターはいなかったはずだ!」

 

 

「何故そんな事を…っ、そうか。あんたもこいつとグルか!?」

 

 

「違う!さっきも言ったが、こいつはベータテスターじゃない!」

 

 

疑念の視線がケイに注がれる中、キリトがケイの前に立ってプレイヤー達の疑念を否定する。だがその言葉は、ケイに叫んだあのプレイヤーのボルテージを更に高めるだけだった。

 

 

「俺…、俺、知ってる!こいつが…、ケイっていう名前のベータテスターがいたって聞いた事ある!」

 

 

「っ!?」

 

 

突然、どこかから聞こえてきた声に、ケイは目を見開く。

 

 

「だからあのボスの攻撃パターンを見切れたんだ!こいつらはボスの攻撃パターンを、知ってて教えなかったんだ!LAボーナスが欲しかったから!」

 

 

ベータテスターではなかったケイだけでなく、キリトにまで矛先が向けられる。

 

 

(…これは)

 

 

このままではまずい。ベータテスターとの溝がさらに深まってしまう。それを予期したケイは…、口を開こうとした。

 

 

「待って。ベータテスターの情報は私達だって得たじゃない」

 

 

だがその前に、ケイの隣に立ったアスナが口を開いた。アスナが一歩前に出て、周りのプレイヤーを見回しながら続ける。

 

 

「あのボスについて、ベータテスターと私達には知識の差はなかった。ただ、このボス戦が過去問通りと思い込んで私たちが窮地に陥った時、彼らはもっと先で得た知識を応用して対処法を示してくれた。そう思うのが自然じゃないかしら?」

 

 

一瞬だが、ベータテスターへの憤りが高まっていたプレイヤー達のボルテージをアスナの言葉が落ち着かせる。…一瞬だけだったが。

 

 

「違うね」

 

 

「っ!」

 

 

声が聞こえてきた方へとアスナが振り向く。そしてその声は、さっきケイが元ベータテスターだと言ったあの声と同じものだった。

 

 

「アルゴとかいう情報屋とそいつらはグルだったんだ。ベータテスター同士で共謀し、俺達を騙してたんだ」

 

 

「なっ…」

 

 

「ベータテスターだけで美味しい所をかすめ取ろうとしたんだろ?まったく、恐ろしい奴らだよ」

 

 

アスナの方から、ぎりっ、と音が鳴る。

 

 

「そんなことっ!」

 

 

「それよりあんた、ずいぶんベータ共の肩を持つな?…あ、もしかして、あんたもそいつらとグルとか?」

 

 

「…」

 

 

さらに、アスナにまで疑念の矛先が向けられようとしている。せっかく、自分たちに向けられた疑念を解こうとしてくれたアスナに。

 

 

(…ごめん)

 

 

ケイは心の中で謝罪する。それは、誰に向けてのものなのか────

 

 

「はははははっ!冗談だろ?そいつは、正真正銘のビギナーさ」

 

 

直後、笑い声が上がり、アスナに向けられた疑念を否定する。

 

 

「…ケイ君」

 

 

「困るな、フェンサーさん。そんなに懐かれたらお仲間だって思われちまう」

 

 

声を上げたのはケイ。振り返るアスナも、隣にいたキリトも、目を見開いて言葉をつづけるケイを見つめる。

 

 

「これだから世間知らずの優等生は、利用されている事にも気づかない」

 

 

…これで、アスナに対する疑念は取りあえずの所は晴れたはずだ。

 

 

「お前らもお前らだ。そこにいるただのベータテスターやあの情報屋と、俺を一緒にしないでほしいね」

 

 

後は、キリトとアルゴと…他のベータテスターと、一番疑念を向けられてる俺と切り離す。

 

 

「たった千人のベータテスターの中でどれだけ本物のMMOプレイヤーがいたと思う?…ほとんどニュービーさ!だがな、俺はそんな初心者共とは違う。誰よりも俺は上の階層に上って、誰も知らない事を知っている」

 

 

…嘘だ。俺は何も知らない。あのコボルド王の攻撃だって、見て、理解して、動いただけだ。

 

だが、そんなケイの気持ちなど誰にもわかりはしない。ケイの言葉を真に受け、プレイヤー達の怒りの矛先はケイへと集中する。

 

 

「ま、今回はこいつにLA掠め取られちまったけどな。…今度からは、ぜぇんぶLAは取らせてもらうぜ?」

 

 

その言葉を言い切ってから、ケイは今は消えたコボルド王の玉座があった方。第二層へ繋がっているはずの扉に向かって歩き出した。

 

 

「何だよ、それ…。チートじゃねぇか…」

 

 

「ふざけんなよ!チーターだろそんなの!」

 

 

「そうだ!ベータとチーターで、ビーターだ!」

 

 

歩くケイの背に罵声がかけられる。

 

 

(…最後に、止め刺しとくか)

 

 

そんな中、ケイは心の中で呟いてから、顔だけ後ろに向けて口を開いた。

 

 

「あのさ、どんな呼び方でもいいけどさ、あんまり趣味の悪い呼び方すんなよ。何だよそのビーターって、ダセェっつうの」

 

 

「こっの…!待てよ!ディアベルさんに謝れよ!」

 

 

「第二層は俺がアクティベートしといてやるから。あんたらは仲良く街に戻って休んでろよ」

 

 

「待てっつってるだろ!おい!」

 

 

曲刀を鞘にしまって、ケイは扉を開ける。

 

 

「ビータァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

扉が閉まる直前、途轍もなく大きくて、そしてどうしようもなく心に刺さる言葉が響き渡った。

 

 

(ディアベルに謝れ…か)

 

 

最期にあんな事を言ったディアベルだったが、もしかしたらあのプレイヤーの言ううように見殺しにされたと思っていたのだろうか。

 

ケイは閉まった扉に寄りかかり、上を見上げる。第二層に上がるには、らせん状の階段を上っていかなければならないらしい。そして天井付近では、あそこが第二層への入り口なのだろう。橙色の小さな光が扉の間から漏れている。

 

ケイは小さく笑みを零してから、寄りかかっていた扉から離れて階段を一歩、上がる。

ケイ以外には誰もいない空間で、ケイが階段を上る足音だけが響き渡る。それが、どうしようもなく虚しく感じてしまうのは自分がおかしくなってしまったからだろうか。

 

ケイは階段を上り切り、第二層の境界を意味する扉を開ける。扉を潜り、風で揺れる草原へと足を踏み入れた。

 

すでに昼時は過ぎ、陽が傾いている。扉から漏れていた橙色の光は、やはりこの夕陽の光だったんだ。

 

 

「…」

 

 

一つため息を吐いてから、ケイは一歩踏み出す。

あんな風に意気込んだはいいが、ベータテスターではないケイはこの第二層の町がどこにあるのかを知らない。まぁけど…、何とかなるだろう。第二層へとつながる階段は開かれたわけだし、自分が死んでも…キリトやアスナ辺りが何とかしてくれる。

 

 

「エギルさんから伝言」

 

 

「えっ…」

 

 

そう、自分を皮肉るように思った時だった。自分しかいないはずの第二層。それなのに、背後から声を掛けられる。

 

 

「次のボス戦を一緒にやろう…て」

 

 

「アスナ…」

 

 

「それとキバオウさんからも」

 

 

振り返ると、扉付近に立っているアスナの姿。アスナはこちらに歩いてきながらさらに続ける。

 

 

「今日は助けられたけど、やっぱジブンの事は認められへん。わいはわいのやり方でクリアを目指す!…ですって」

 

 

「…それ、キバオウの真似か?」

 

 

「そうだけど。…似てなかった?」

 

 

「うん。全く」

 

 

アスナからすればキバオウの声真似をしようとしていたのだろうが、そのおかげで持ち前の美しい声が面白い事になっていた。ケイは思わず吹き出してしまう。

 

 

「それとね…、キリト君があなたに謝ってた。『俺にはもうあいつと合わせる顔がない。けど…、あいつに俺が謝ってたって伝えといてくれ』って」

 

 

「…そうか。別に、あいつが謝る必要はないんだけどなぁ」

 

 

キリトが謝る必要はない。今回の事は、ケイ自身が勝手にやったことだ。だけど、アスナの話を聞く限り、キリトは責任を感じているらしい。

 

 

(…こりゃ、何としてでもアクティベートして、あいつに言ってやんなきゃな。お前が責任を感じる必要何かねえんだよくそが…とか。あ…後…)

 

 

ケイは内心でこれからの方針を決めてから、アスナの方に顔を向ける。

 

 

「あのさ…、さっきはあんなこと言って、ごめん」

 

 

「え?」

 

 

「さっきはあんなこと言ったけど…、そんなこと思ってないから。信じてもらえるかわかんないけど」

 

 

『これだから世間知らずの優等生は、利用されている事にも気づかない』

 

 

アスナを庇うためにとっさに言ってしまった言葉。アスナを傷つけてしまったと思っていたあの言葉。

 

それなのに、そんなケイの心配が余計なものだと言わんばかりに、アスナは微笑んでこう言った。

 

 

「うん、信じてる。ていうか、そんな事くらい気づかないとでも思ってたの?」

 

 

「…さいですか」

 

 

あー…、ダメだ。どうやってもこいつには敵わない気がする。これからも、ずっと。

 

これからアスナと交流する機会があるかどうかもわからないのに、心の中で何故かそんな事を感じるケイ。

 

 

「…あのさ、アスナ。君はこれから攻略組を背負って立つプレイヤーになるって俺は確信してる。だから…、いつか、信用できる人に誘われたら、迷わずその人のギルドに入るんだ」

 

 

「…」

 

 

「俺もSAOをやる前はMMOをやり込んでたからよくわかる。ソロプレイはいつか、絶対に限界が来る」

 

 

普通のMMOなら、自分の意地を張ってソロをやるという道も選べる。だが、これはSAO。ただのゲームではなく、HPの全損が死を意味する世界。そんな下らない意地を持てば、あっという間に消えていくだろう世界。

 

 

「…今はまだ、そういうこと考えられないかな」

 

 

「…そっか」

 

 

まだこのゲームも序盤。それにMMO初心者の彼女にはよくわからなかったようだ。だけど、いつか気付くことになるだろう。ケイの言葉の意味に。

 

しかしまあ、今のところはそれで納得する事にしよう。彼女ならば、まだ一人でもやっていけるだろう。それだけの腕は持っているのだから。

 

 

「でもね、他の目標ができた。いつかじゃない、目の前の目標」

 

 

「…へぇ、何?」

 

 

「内緒」

 

 

アスナが口にした、他の目標。それについて問いかけたが、アスナはつん、とそっぽを向いて教えてくれない。

 

 

「あ、もしかして、あのクリームパn<ジャギン!>ごめんなさい」

 

 

このケイのセリフの間、何が起こったのかは…ご想像にお任せしよう。あまりに下らなさ過ぎて伝える気が失くしてしまった…。

 

 

「でも一方で、大事な事を教えてもらってないんだけど。気づいてる?」

 

 

「え?何?」

 

 

レイピアを鞘に戻しながら、アスナがじと目でこちらを見上げながら問いかけてくる。

 

 

「名前。昨日から気になってたけど、どうしてあなた、私の名前を知ってるの?教えてなかったのに。まぁ、アルゴさんから買ったんでしょうけど」

 

 

「え?え…、気づいてなかったのか?」

 

 

アスナの名前を、アルゴから買ったりなどしていない。というより、こうしている間にもその名前は目の前に表示されているのだから、分かって当然のはずなのだが。

 

 

「ほら、この辺にパーティーメンバーの名前とHPゲージが見えてるはずなんだけど」

 

 

「え?どこ?」

 

 

ケイがアスナの視界の左上辺りで、指で円を描いて示す。

 

 

「あぁ、顔を動かしたらダメだ。そうするとゲージも動いちまう」

 

 

顔を動かして追いかけてるつもりなのだろう。しかし、そうすると一緒に示されてるゲージも動いてしまう。

 

ケイは手をそっとアスナの頬に添えて彼女の動きを固定する。

 

 

「顔は動かさず、視線だけ向けてみて」

 

 

「あ…。なんだ、こんなとこに書いてあったのね」

 

 

アスナがおかし気に噴き出しながら言う。ただ、それだけなのに。それが美しくて、綺麗で。

 

 

「…それで、ケイ君。その…、手、離してほしいんだけど…」

 

 

「…あ、ご、ごめんなさいごめんなさい!レイピアを突きつけないでください許してください!」

 

 

ちょんちょんと、アスナの人差し指が頬に添えられるケイの右手の甲をつつく。そこでケイは、ずっとアスナの顔を触り続けていたことに気付き慌てて離す。そしてシュバッ、とアスナから一歩離れ、ペコペコと頭を下げて謝り始めた。

 

 

「ぷふっ…、ふふ…」

 

 

「…?」

 

 

「ふふ…、ご、ごめんなさい。何でもないわ…ふふっ」

 

 

顔を俯かせ、口元を手で隠しながら何故か笑っているアスナを見て首を傾げるケイ。だがそれもまた笑いを誘ったようで、再び噴き出すアスナ。

 

 

「…ふぅ。さて、言いたい事も言い終えたし…。行きましょうか」

 

 

「え?どこに?」

 

 

笑いを収めたアスナが、ケイの横を通り過ぎて歩き出す。第二層のフィールドが広がる、その先へ。

 

 

「あなたはここから先は初めてなんでしょ?キリト君から最寄りの町の方向を教えてもらったから、案内してあげるわ」

 

 

「…それはありがたい」

 

 

歩きながら振り返って言うアスナに、笑みを浮かべながら礼を言った後、ケイもまたアスナの後を追って駆けだす。

 

 

「…そういえば、ケイ君は私をどういう風に思ってたの?」

 

 

「なにが?」

 

 

「さっき、ずいぶん慌てて謝ってたけど…。まさか、私のことをすぐにレイピアを取り出す暴力女と思ってるとか────」

 

 

「そそそそんな事ないし!アスナさんは綺麗で美しくて優しいお人ですよ!はい!」

 

 

「っ!?そ、そこまで言わなくても…」

 

 

「…?」

 

 

アスナの隣で、彼女の歩くペースに合わせた直後、きらりと冷たい光を放ちながら向けられる瞳。そしてアスナは先程のケイの謝罪ぶりを引き出して問い詰めてきた。

 

慌てて弁明したケイだったが、いきなり頬を染めだしたアスナを見て首を傾げる。

 

 

「ど、どうしたアスナ。俺、また何か言ったか…?」

 

 

「…知らないっ」

 

 

「え?あの…、え?」

 

 

何か気に障る事を言ったのか、問いかけたケイだったが、アスナはそっぽを向いて歩くペースを上げてしまう。アスナが何にへそを曲げてしまったのかわからない。

 

 

「…恥ずかしがってる?」

 

 

「っ!も、もう知らないから!」

 

 

「あっ、ちょっ、アスナ!俺を案内するために来たんだろ!?それなのに、案内される人を置いてくバカがあるか!?おい!ちょっとぉおおおおおおおおお!!」

 

 

ふと思い当った可能性を口にした直後、アスナは駆けだし、あっという間にケイとの距離を離していく。それを見たケイも慌てて駆けだし、アスナを追いかける。

 

SAOというデスゲームが始まってから、二か月。プレイヤーはようやく、第二層へと辿り着いた。

 

そして、第二層の世界に一番初めに足を踏み入れた二人は、雲に阻まれる事なく輝く夕日に照らされながら、街へと向かう道を歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




何か最終回みたいな終わり方してますが、続きますよ?(笑)


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第7話 幸運を共有

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 

視線の先にいる大勢のプレイヤー達が天を仰ぎ、拳を握って雄叫びを上げる。

 

第二層フィールドボス<ブルバス・バウ>攻略戦。戦闘が始まる前こそ、この第二層に到達してから台頭してきた二大勢力パーティー、<アインクラッド解放軍>と<ドラゴンナイツ>のどちらが最前線に立つかで揉めていたが、死者を出すことも無くフィールドボス討伐を達成することができた。

 

 

(ま、結局LAはあいつのものになっちまったけどな…)

 

 

苦笑を浮かべながら、剣を担いで獲得経験値と金、そしてドロップ品を確認する黒いロングコートを身に着けたプレイヤーに目を向ける。さらにその隣には、赤いローブを身に着けた女性プレイヤー。

 

そう、キリトとアスナだ。

 

このフィールドボス攻略戦、ケイは参加せずに近くの草陰で隠れて様子を見ているだけだった。あの第一層のボス戦から、ビーターと呼ばれ蔑まれ始めたケイ。そしてその蔑称はボス戦から一週間経った今でも変わらず、他プレイヤーから仇敵を見るような視線を向けられ続けている。

 

そんな自分が討伐隊に加われば隊全体の空気を悪くするだろうし、それにたかだかフィールドボスだ。キリトとアスナがいるのだから、そうそう変に崩れたりはしないだろうと考え、様子見に徹していたケイ。

 

 

(…にしても、また随分と頼もしい奴らが台頭してきたじゃんか)

 

 

何やら話し合っているキリトとアスナから視線を切って、ディアベルのパーティー<ドラゴンナイツ>のリーダーを引き継いだリンドと話す、どれも現時点では最強クラスだろう装備を揃えたパーティーを眺める。

 

確かなパーティー名は、<レジェンドブレイブス>。

 

 

(…派手な名前だよなぁ。いや、可哀想だから名前負けしてるとは言わんけど…、でもちょっと痛いよなぁ…)

 

 

何とも厨二心溢れるパーティー名に思わず苦笑を浮かべてしまう。

 

しかしまあ、何事も無くフィールドボスを討伐されたことだしケイがここで隠れて様子を見る必要もなくなった。ケイはふぅ、と息を吐いて、音を立てないようにそっとその場から離れようと、回れ右をして────

 

 

「そんなとこで何をしてるの?」

 

 

「ふぉぅっ!?」

 

 

後ろから襟を掴まれ、そのせいで首が締まり、後ろに尻餅をついてしまった。驚き振り返ると…

 

 

(生足!?…いや、そうじゃない!)

 

 

赤いスカートから覗く絶対領域…から視線を上げると、そこにはフードの中からこちらを見下ろすアスナの顔。

 

 

「え…え?何で?隠蔽スキル使ってたのに、何で?」

 

 

「そんなのはどうだっていいわ」

 

 

「どうでもいいって…。あ、ちょっ、引っ張らないでください」

 

 

ただ何もせず草陰に隠れただけなら、ケイは恐らくとっくの昔に他のプレイヤーに見つかっていただろう。ならば、どうしてフィールドボス討伐終了まで誰にも気づかれなかったのか。それは、ケイが言った<隠蔽スキル>にある。

 

この<隠蔽スキル>は、それとは対極に位置する<索敵スキル>という周りのプレイヤーやモンスターなどを識別することができるスキルを欺くことができる。相手の視界に入ってしまえばそれまでなのだが、そうでない限りは、そして熟練度が高い場合かなりの確率で相手に感知されなくなるという便利なスキルのはず、なのだが。

 

 

「っ、あいつ…」

 

 

「ビーターだぜ…。フィールドボス攻略には参加してなかったはずだけど…」

 

 

「まさかあいつ…、LA横取りしようとタイミングを窺ってたんじゃ…」

 

 

「…あの、アスナさん。どうして俺があそこにいるって分かったんでしょう?」

 

 

「知らないわよ。ただ何となく、あなたがあそこにいるって分かっただけ」

 

 

草陰から引っ張り出されたケイに、容赦なく蔑みの視線と言葉を向ける他プレイヤー達。そんな彼らにちらりと視線を向けた後、ケイはアスナに問いかける。

 

どうして隠蔽スキルを使った自分を、索敵スキルを持っていないアスナに見つけることができたのか。ケイの隠蔽スキル熟練度よりも索敵スキルの熟練度が高ければ見つかったことも頷けるのだが…、返ってきた答えは何だかよくわからない、ただの勘だったようだ。

 

 

「ケイ…」

 

 

「お、キリト」

 

 

ここまで座りっぱなしだったケイがよっこらせ、と立ち上がった時、暗い面持ちを浮かべたキリトがケイの前に立ち、話しかけてきた。

 

 

「ケイ…、俺は…っ」

 

 

「キリト」

 

 

「っ…」

 

 

キリトが何を言おうとしたのかは、容易に想像できる。だがここでその言葉を口にさせるわけにはいかなかった。

 

 

「あんま、俺をみじめにさせないでくれよ」

 

 

「…くっ」

 

 

ぎり、と歯を食い縛るキリトの肩をぽんぽんと叩いてから彼の横を通り過ぎる。

 

 

「いやー、LAだけ取ってさっさと帰ろうかと思ったんだけどさー。あんたらがあまりにもたもたしてたせいで思わずぼけーっとしちまって。LA取り逃しちまった」

 

 

「な…、なんだとぉっ!?」

 

 

「落ち着けやリンド。言わせとけぇ」

 

 

一歩前に出ながら、リンドに向かって思い切り嘲笑を浮かべて言い放つ。するとリンドは激昂し、こちらに足を踏み出そうとする。だがそこに、リンドの背後からキバオウが肩を掴んで止める。

 

 

「離せキバオウ!もう我慢できん!」

 

 

「ええから落ち着けや!こいつがどんなにいけ好かなくても今のところは攻略組の中でトップクラスの実力者や!ここでこいつをどうかする方が後になってワイらに被害が及ぶことくらいわかるやろ!」

 

 

(おぉ…)

 

 

第一層攻略会議の時からは想像がつかないほど、今のキバオウは冷静に状況を整理できていた。アインクラッド解放軍という大型パーティーをまとめるようになってからリーダーという自覚が出てきたのか、はたまた何か別の理由か。それはわからないが、取りあえずの所は助かったと口には出さないが内心で礼を言っておく。

 

 

「ま、フィールドボス討伐おめでとうって言っとくよ。…見事な戦いぶりだった」

 

 

「くっ…!」

 

 

最後に皮肉を残していって、ケイは次の街へ続く橋を渡っていく。一応、背後から襲われる可能性もあるため警戒は怠らない。

 

 

「ま、待て!ボス討伐に参加しなかったお前が、何で一番先に…」

 

 

「は?俺が何をしようとお前らにどうこう言われる筋合いはないはずだが?それに、お前らはどうせ前の街に戻って体勢を整えるんだろ?」

 

 

内心、まーた余計な事を言ってしまった。ヘイトが増えるなー。とか軽く後悔しながら橋を渡っていると、背後からこちらに近づいてくる足音が聞こえてくる。

 

その誰かの接近を無視して、ケイは足を止めないでいたのだが。

 

 

「ねぇ、次の街に美味しいケーキを出すレストランがあるらしいの」

 

 

背後からかけられた声を聞いて、ケイは足を止める。

 

 

「だから?」

 

 

「そこに行かない?ケーキを食べながら、あなたが第二層をアクティベートしてからずっと、私やキリト君に姿も見せないで何をしてたのか聞かせてもらうから」

 

 

「…」

 

 

たらり、と冷や汗が流れる。ここはゲームだからそんな汗とか流れたりするのかはわからないが、確かにケイの皮膚には汗が流れた感触があった。

 

周りからどれだけヘイトを集めても、決して外面には動揺を出さなかったケイでもそれくらいの反応を起こしてしまう。それほど、後ろからかけられた声…アスナの声が据わっていた事は言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

<レストラン June Heifer>と書か荒れた看板が下げられた店の中にケイとアスナはいた。一番奥の二人席に向かい合う形で腰を下ろして…、じーっとこちらを見つめてくるアスナから逃げるようにケイは視線を外す。

 

 

「…それで?」

 

 

「それで…とは…」

 

 

「さっきも言ったでしょう?あなたずっと、どこで何をしてたの」

 

 

何の誤魔化しも効かない、直球で問いかけてくるアスナ。その間もずっとケイの目を見つめ続けているアスナ。…あの、ずっと目開けたままですけど乾きません?あ、ゲームの中だから関係ないか。

 

 

「誤魔化さないで」

 

 

「え、口に出してた?」

 

 

心の中でと思っていた言葉を口に出してたらしく、アスナが不機嫌そうに視線を鋭くさせてこちらを睨んでくる。ケイはギョッ、と体を震わせた後、両手をあわあわと振りながら口を開く。

 

 

「い、いや…。ともかくさ、何か頼まないか?俺、昼食べてないから腹減って腹減って…」

 

 

「…あなたの奢りね」

 

 

「…へ?」

 

 

「さ、何を頼もうかしら」

 

 

女性とは、いつ何時も、残酷である。それを、好き放題NPCの店員に注文するアスナを見ながら改めて実感するのだった。

 

 

「…うん。ここにログインしてから食べた中では一番おいしかったわ」

 

 

「だな。露店なんかで売ってるのよりも断然旨かった」

 

 

注文し、店員が出してきた料理を平らげ、口直しに水を飲みながら料理の感想を言い合う。街道の脇にあるNPCの露店で出される料理より断然美味だった。まあ露店で出してあるのは食べ歩きを目的にした物だから比べるのもどうかと思うが。

 

 

「で?まだ聞かせてもらってないけど。それとも、料理に夢中になって私が利くのを忘れてることを期待してたのかしら?」

 

 

「いや、そういう訳じゃないけど…。そんな気にするような事はしてなかったんだけどなぁ…」

 

 

アスナの言葉を否定したケイだったが、それは嘘だ。アスナの言う通り、料理に夢中になって自分を問い質すことを忘れてくれと期待していたのは事実。だがどうせその期待は無駄だろうなと達観していた自分がいたのも事実。

 

アスナに問われたケイは口に着けていたグラスをテーブルに置いて、特に抵抗も無く話し始めた。

 

第二層をアクティベートしてすぐ、ケイはアスナと分かれて第一層の拠点に戻った。そして次の日からは早速第二層の攻略を始めようとしたのだが、ケイと同じように攻略を始めたプレイヤーはたくさんいた。

 

他の攻略組に見つかって厄介ごとになるのは御免だった。そのため、ケイは攻略に向かう前に隠蔽スキルの熟練度を上げる事から始めた。アルゴから情報を買い、どれくらい熟練度を上げれば誰にも見つからなくなるかの基準を覚え、その基準を熟練度が越えてからようやくケイの攻略が始まった。

 

といっても、迷宮区への道は他の攻略組が突き進んでいる。ケイがしていたのは、その迷宮区への道以外のマッピングだった。

 

 

「え…、じゃあ…。ウルバスの掲示板に載ってたマップデータは、あなたが?」

 

 

「どのマッピングデータかは知らないけど、迷宮区への道以外のデータだったら多分それは俺が載せたものだな」

 

 

「ちょっと!あれ随分街から離れた奥の方まで載ってたわよ!?あなた、そんな所まで…!」

 

 

テーブルを両手で叩き、がたん、と音を当てて立ち上がるアスナ。

 

 

「いやいやいやいや!そりゃ一人だったけど忘れてない!?俺には高い隠蔽スキルがあってだな…」

 

 

「そんなの確実に効くってわけじゃないでしょ!?なに一人で危ないことしてるのよ!」

 

 

アスナの言う通り、ケイの隠蔽スキルが通用しないモンスターもいた。だが一、二層とずっとソロで戦い続けてきたケイのレベルは攻略組でも頭一つ飛びぬけており、HPが注意域にまで減ることも無く切り抜けてきた。

 

ケイはそれをアスナにしっかり説明したのだが、アスナはまだ納得し切れてない様子。とりあえず椅子に座って落ち着きはしたようだが、じっ、と冷たい視線をケイに投げかけている。

 

 

「あ、あの…」

 

 

「ケイ君は、私のことパートナーって言った」

 

 

「あ…」

 

 

アスナの目がケイの目を真っ直ぐ見据える。

 

 

「私もあなたをパートナーって言った。…あなたが言ってくれたら、私は協力した」

 

 

「い、いや…。そんな事したらお前まで…」

 

 

アスナがそう思ってくれてるように、ケイはアスナを仲間だと思ってる。パートナーだと思ってる。

 

だが、自分がアスナと行動すればどうなるか。自分に対する悪評がアスナに飛び火するのは目に見えている。何の関係もないアスナにまで、そんな重荷を背負わせたくない。

 

ケイは視線を下げて俯いてしまう。

 

 

「私は、周りに何て言われようとも別に構わないわ。どうでもいいもの」

 

 

ケイは視線を上げてアスナの顔を見た。ついさっきまで厳しい顔をしていたアスナの顔は、今は綺麗に微笑んでいた。

 

 

「…お見通しか」

 

 

「ずっと女子校に通ってたから、心理戦には自信あるわよ」

 

 

ふふん、と自慢げに笑みを零すアスナ。そんなアスナを見て、ケイもまたおかしくなって噴き出してしまう。

 

 

「あ…」

 

 

「?」

 

 

二人で笑っていると、突然アスナの顔が恍惚としたものとなった。そのいきなりの変化に首を傾げていたケイだったが、次の瞬間その理由が分かる。

 

 

『ケーキになります』

 

 

その言葉と共にNPCがケイとアスナが着いているテーブルに巨大な皿に載った巨大なケーキを置く。どうやらアスナはこのケーキを見て、どんな味がするのか楽しみになってたらしい。

 

いやそれにしてもしかし────

 

 

「ずいぶんでかいな、このケーキ…」

 

 

「いいじゃない。大きければそれだけこの味を楽しめるんだから」

 

 

直径五十センチくらいあるか、円形のケーキに圧倒されるケイを余所に、アスナは皿に添えられたナイフでケーキを切って取り皿に置き、ケイに差し出す。

 

 

「さんきゅ。…あの、アスナ」

 

 

「なに?」

 

 

「…まさか、俺の分これだけとか言わないよな?」

 

 

ケーキを切り分けてくれたアスナにお礼を言ってから、ケイは気づく。フォークを持ったアスナが、未だ九割以上は残しているケーキの乗った皿をまるで自分のものと主張するように引き寄せている。

 

 

「え?まさか。あなたの分はまだあるわよ」

 

 

「…だよな。そうだよな」

 

 

「9:1で私が多くもらうけど」

 

 

「待て待て待て待て待てぇ!!」

 

 

しれっ、と信じられない事を口にし、フォークをケーキに刺そうとしたアスナの腕を掴んで止める。

 

 

「なに?」

 

 

「なに?じゃねぇ!首傾げてキョトンとしてるんじゃねぇ!普通こういうのは半分ずつ分けるもん…蹴った!?今俺の脛蹴ったな!?」

 

 

「蹴ってない」

 

 

「嘘つけ!」

 

 

何とも圧倒的な理不尽に立ち向かうケイ。その結果────

 

3:1の割合でアスナは妥協してくれた。9:1よりは断然マシだが…、それでもどことなく虚しく感じたのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

「…おいしかったぁ」

 

 

「あぁ…。あの柔らかなスポンジの感触と心地よい甘味…。よく味覚エンジンであれだけの味を再現したな…」

 

 

今のケイは、とんでもない理不尽に襲われた時の憂鬱さなど感じていなかった。そんな感情、あのケーキを口にした途端、どこかへ飛んでいってしまった。それほど、あのケーキの味は見事なものだった。

 

 

「それに…、この幸運判定ボーナス。キリトはそんな事言ってなかったんだよな?」

 

 

ケイの問いかけにアスナが頷いて答える。ケーキを食べながらアスナが言っていたのだが、この店はキリトに紹介されたものだったらしい。

 

ホント、キリト君の知識は天井知らずやでぇ。

 

 

「でも持続時間十五分か…。今から狩りに行くわけにもいかないし…」

 

 

ケーキを食べ終えてから、HPバーの横に表示された<幸運判定ボーナス>。この文字から察するに、攻撃のクリティカル判定の確立など、運の要素を押し上げる効果を持っているのだろう。だが、その持続時間はたった十五分。

 

 

(何かできる事ないか?…狩り、はさっき除外した。…ていうか、他に運要素が出る何かってあるか?)

 

 

こういう時、キリトがいれば色々と案が出てくるんだろうけど。今から連絡とって呼び出すか?

 

 

「…この音」

 

 

「ん…。そういえば、最近、このゲーム初のプレイヤーの鍛冶師が現れたって…。まさか、もうこの街に来たのか?」

 

 

つい最近まで、鍛冶師はNPCのものしかなかった。だが、プレイヤーが鍛冶を行うと、その腕にもよるが基本的にNPCよりも強化の成功確率や武器生成の成功確率が上がる。

 

 

「確率…。そうだ、そのウィンドフルーレの強化に行くっていうのはどうだ?」

 

 

「強化…。そうね、行きましょう。早くしないと間に合わなくなるわ」

 

 

別に幸運ボーナスのアシストがなくても十分成功する確率は高いのだが、万が一がある。ケイはこの機会を使って、武器強化成功の確率を跳ね上げてやろうとアイディアを出したのだ。

 

そしてそのアイディアはアスナのお気に召したらしく、アスナはケイの手首を掴み、鍛冶の音が聞こえてくる方向へと駆け出した。

 

 

「ま、待って。引っ張らないで。走らなくても十分間に合うから」

 

 

アスナに引っ張られるケイ。何故だろう、何となくデジャブを感じる。

 

街道を通り抜け、少し開けた広場へと来た時、地面にシートを敷いて鍛冶屋を開いているプレイヤーを見つけた。NPCではない、間違いなくプレイヤー。

 

 

「こんばんは!」

 

 

「!?こ…こんばんは…」

 

 

アスナはその鍛冶師の前で急ブレーキをかけて立ち止まり、ここまで引っ張られて来たケイもようやく一息入れる。

 

 

「あ…あなたは…!」

 

 

「私が何か!?」

 

 

「あ、い、いえ…、何も…」

 

 

どこか気の弱そうな面持ちをしているプレイヤーは、アスナの顔を見上げると目を丸くした。まるで、アスナの事を知っていたかのように。

 

 

(いやまあ…、有名人ですよこいつは)

 

 

アスナは現在、攻略組の最前線を走る唯一の女性プレイヤーとして有名になっている。第一層のボス戦でも、総崩れとなった戦線の中、勇気を持ってボスに立ち向かった女神と騒がれている。

 

…本人はその事を知らないようだが。

 

 

「いらっしゃいませ。お買い物ですか?それともメンテですか?」

 

 

「武器の強化をお願いします!五分以内に!ウィンドフルーレ+4を+5に!種類は<正確さ>で!」

 

 

「お、落ち着けアスナ。全然間に合うから」

 

 

強化は準備を含めても三分程度で終わる。だから、残り五分という持続時間には十分余裕があるのだが、アスナはそうもいかないようで。急かしながらウィンドフルーレを鍛冶師に差し出す。

 

 

「…はい。確かに」

 

 

鍛冶師はアスナからウィンドフルーレを受け取り、木材を燃やしてその炎で剣を熱くする。

 

カーン────カーン────

 

鍛冶師のハンマーがウィンドフルーレを叩く、正直、ほとんど強化成功するといっていいはずなのだが、この音を聞くたび何故か緊張が奔ってしまう。

 

 

「…大丈夫だって。やれることは全部やったんだ」

 

 

「…全部」

 

 

必要な分だけでなく、確率を最大値にまで上げる分まで素材を鍛冶師に渡し、さらに幸運ボーナスまで味方に付いている。実際、これ以上何をやればいいのかと問われれば、キリトでも答える事は出来ないだろう。

 

と、ケイは思っていた。アスナが、自分の小指をキュッ、と握りめてくるまで。

 

 

「!…!?あ、アスナさん…?」

 

 

「…あなたの幸運も、ちょっと貸して?」

 

 

内心で大きく狼狽しながら、アスナの顔を横目で見遣る。アスナはじっ、と今も鍛冶師のハンマーで叩かれるウィンドフルーレを見つめていた。

 

 

「…いや、そりゃ失敗して+3になるのは痛いけど。別に失敗したって壊れる訳じゃないんだからさ」

 

 

必要以上に緊張するアスナに、苦笑を浮かべながら声を掛けるケイ。

 

 

「だから、そんなに緊張しなくても…」

 

 

ケイは、そんな事あるわけがないと思っていた。

 

鍛冶師のハンマーに叩かれたウィンドフルーレが、ポキン、と音を立てて折れる所を見るまでは。

 

 

「…ポキン?」

 

 

この、呆然としたアスナの声が、やけに耳に残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ポキーーーーン












…何も書く事がなかったんです。馬鹿なことしてすいませんでした。


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第8話 初めて見た涙と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「す、すみません!手数料は全部返金しますので…!本当に…本当にすみません…っ!」

 

 

目の前の鍛冶師が地に手を付けて頭を下げる。それを見た、先程のあり得ない光景を見て呆然としていたケイは我に返り、しゃがんで鍛冶師に近づいて口を開く。

 

 

「待ってくれ!強化失敗のペナルティは最悪でも数値が1引かれるだけのはずだ!ウィンドフルーレ+4が+3になるだけなのに、どうしてこんな事が起こる!?説明してくれ!」

 

 

ケイを見上げる鍛冶師の目が恐怖に揺れている。だが、そんな事に構っていられない。

あのウィンドフルーレを手に入れた時のアスナの顔。それを知っているからこそ、どうしてもこの出来事を受け入れられなかった。もっとショックを受けて、泣きたくなるくらい混乱している存在に、この時のケイは気が付いていなかった。

 

 

「せ、正式サービスで、新しいペナルティが追加されたのかもしれません…。前に一度だけ、同じ事があって…、物凄く確率が低いんでしょうけど…」

 

 

「…っ、お前…っ」

 

 

そんな事をしてもどうにもならないのに、ケイは理由が分からずおどおどする鍛冶師の胸倉を掴んで引き上げようとする。

 

だが、ふと後ろから誰かに上着の裾を掴まれる。

 

アスナだ。顔を俯かせたアスナが、ケイの上着を裾を掴んで体を震わせていた。

 

 

「…わかった。だが、手数料は全額返せ。一コルたりとも誤魔化すな」

 

 

「は、はいっ」

 

 

アスナの目の前にウィンドウが現れる。それはこの鍛冶師にアスナが払った手数料が返還された事を示す証。だが、アスナはそのウィンドウに目もくれず、可視時間を過ぎたウィンドウは音も無く消える。

 

 

「さっきは怒鳴って悪かった」

 

 

「い、いえ…。こちらこそ、本当にすみませんでした…」

 

 

ケイは今も上着の裾を掴むアスナの手を握り、鍛冶師に怒鳴り散らしたことを謝ってから歩き出す。

 

鍛冶屋があった裏道を抜け、大きな街道を出る。ケイはアスナの手を握ったまま、NPCにぶつからないよう配慮しながら上にかけられている看板を見回していた。そして、INNと書かれた看板を見つけると、迷わずアスナを連れてその宿屋へと入っていった。

 

 

『お部屋をお選びください』

 

 

受付の女性NPCに話しかけると、ケイの眼前に部屋設定のウィンドウが浮かぶ。宿泊客は一人、シングルルームを選択。その後、割り当てられた部屋の階層と番号を確認し、階段を上ってその部屋を目指す。

 

203号室。その扉を受け付けNPCから受け取った鍵を使って開けてアスナの方に振る変える。

 

 

「武器を失った状態で圏外に出るのは危険だ。今夜はここで休むんだ。…剣は明日、また探せばいい」

 

 

鍛冶屋からずっと茫然自失の状態のアスナが、とぼとぼと部屋の中へと入り、ケイとつないでいた手がするりと離れる。

 

 

「…っ」

 

 

その直後、ケイは腕を伸ばして再びアスナの手を掴んだ。驚いた様子のアスナが、目を丸くして振り返ってくる。

 

 

「自意識過剰かもしれないけど…。置いてったりしないからな」

 

 

「っ…」

 

 

アスナの瞳が揺れ、唇がピクリと震える。

 

アスナの身体がゆっくりとケイの方へと向き、ケイとつないでいた方の手をそっと上げる。アスナはその手にもう一方の手を乗せると、さらに上へと持っていき、額に当てた。

 

 

「っ…ぅぁっ…」

 

 

「…」

 

 

アスナの身体の震えがケイにも伝わってくる。アスナの目から零れる涙の冷たさが、ケイの手から伝わってくる。

 

それは、アスナと出会ってからケイが初めて見た、彼女の涙だった。

 

 

 

 

 

 

あの後、アスナをベッドに寝かせて落ち着かせた後、ケイはすぐに宿屋を出てある人と連絡を取った。その返事のメッセージに記された場所と時間を確認し、ケイはその場所へと急ぐ。

 

とある酒場の表口の裏側。本当なら約束の時間はもっと先なのだが、どうしてもじっとしていられず指定された場所へと来てしまった。じっとしていられないのなら、圏外に出て狩りでもすれば良かったのに。約束の時間まで、じっと待たなければいけない事はわかってたはずなのに。

 

 

「オーオー、早いネー。そんなにケイ坊が急いでるとこは初めて見るナー」

 

 

「…さすが鼠。隠蔽スキルが高いな」

 

 

「ニハハ。そりゃあこちとら隠蔽も大事な商売道具だからネ。片手間のスキルで見破ろうなんて十年早いサ」

 

 

あそこまでの情報を素早く集めるアルゴだ。隠蔽スキルもそうだが、看破スキルに索敵スキルもアルゴの右を出る者はもういないだろう。

 

 

「それより、ずいぶん早く来たけど…。頼んどいた件は大丈夫なんだろうな?」

 

 

「…そんなに熱くなるなヨ。これでもかなり急いで情報集めて「熱くなんかなってない!」…ハイハイ」

 

 

そうだ。熱くなんかなってないぞ。確かにアスナのウィンドフルーレが壊れた時は冷静さを欠いたけど…、今は大丈夫だ。俺は冷静だ。クールだ。koolだ。

 

 

「…まぁいいヤ。商売人がこんな短納期に応えちゃうのは考え物だけど…、今回は特別だヨ?」

 

 

アルゴは一度呆れたようにため息を吐いてから、壁に背を預けてしゃがみ込みながら口を開く。

 

 

「結果で言うヨ。ケイ坊から連絡を貰ってからの短時間、その間で受け取った返事の中だけでも、七件。攻略組を中心に先駆者が主武装を失ってル。それも、鍛え上げられたレア装備ばかりダ」

 

 

「っ!」

 

 

「多分、ケイ坊の予想は正しいヨ。これは偶然じゃない」

 

 

ケイが何となく違和感を感じ始めたのは、あの第二層フィールドボス攻略の様子を窺っている時からだった。あのフィールドボス攻略の参加者の中で、第一層のボス攻略に参加していたメンツがやけに少なかったのだ。その代わりに、新参者が多くいたおかげでレイドは汲めたようだが…。

 

それに気付けた理由は、そのフィールドボス戦に参加しなかった古参者の中にエギルのパーティーがなかったのが切欠になった。

 

そして、アルゴからの情報と照らし合わせて、確信する。誰かが故意で、この状況を作り出しているのだという事を。

 

 

「だが、一体何の意図で…。最前線の戦力を削いでどんな得がある?そんな事をすれば、ゲームクリアがさらに遠のくだけなはずだが…」

 

 

しかし、理由が分からない。そんな事をして何の得があるか。そして、何よりも誰が得をするのか。

 

 

「削ぐ…意外に目的があるのかもしれなイ。そもそも<武器破壊>なんていうペナルティは<武器強化>には存在しなイ。これはベータテストだけでなく正式サービスでも実証済みなんダ」

 

 

「は…?だけど、俺の目の前で確かに、アスナの武器は…!」

 

 

すっくと立ちあがりながら言うアルゴに疑問をぶつけるケイ。そんなケイを、アルゴはにやりとした笑みを向けて、さらに続けた。

 

 

「そウ。確かに武器破壊は起こっタ。けどそれは、強化失敗のペナルティなんかじゃなかったんダ」

 

 

「なに…?」

 

 

ケイに歩み寄り、その肩をぽんと叩いて言ったアルゴの言葉にケイは目を見開く。

 

 

「武器強化の中で武器破壊が起こる条件はただ一ツ。<強化対象の武器がすでに強化上限回数に達していること>。つまり、エンド品の強化を施行した場合のみなんだヨ」

 

 

まるで鳥肌が立ったような感覚、ケイの全身がぶるりと震える。

 

 

「まさか…、アスナのウィンドフルーレが、そのエンド品とすり替えられた…?」

 

 

「そう考えるのが妥当だネ」

 

 

確かにアルゴの言う通りに考えを組み立てると辻褄が合う。だが…、わからないのはどうやってすり替えたかだ。それに…

 

 

「あの状況で…一体どうやって…?」

 

 

ケイもアスナも、あの鍛冶師が強化作業をしている最中はずっとウィンドフルーレから目を離さなかった。そんな状況の中で、どうやってウィンドフルーレ+4とエンド品をすり替えたというのか。

 

 

「思い出せケイ坊!強化の最中にすり替えられるタイミングはなかったカ?」

 

 

「…」

 

 

アルゴが問いかけてくる。ケイは右拳を顎に当て、左手を右腕の腋で挟む体勢で考え込み、あの時の様子を思い浮かべる。

 

 

「剣を手渡してかラ」

 

 

「…」

 

 

「最後の一打ちまでの間ニ」

 

 

「…」

 

 

「誰もが目を離すようなタイミングが…」

 

 

「…!?」

 

 

アルゴの言葉通りに、順序立てて強化を依頼した時の光景を思い浮かべる。まずアスナが話しかけて、強化を依頼し、料金を渡してから武器を手渡した。そして────見つけた、ケイもアスナも、僅かな間ではあったが手渡したウィンドフルーレから目を離した瞬間が。

 

鍛冶師が薪を焚き、火が燃え上がった時。あの時、ケイ達は確かに武器から目を離した。

 

 

「あった…。タイミングがあった!」

 

 

「ほ、本当カ!?一体どんな…」

 

 

「それは後だ!まずは俺に教えてくれ!」

 

 

アルゴが、ケイが思い出した武器をすり替えられるタイミングを聞いてくるが、そんな暇はない。

 

 

「何か方法があるんだろ!?一旦相手の手に渡った武器を、取り戻す方法が!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

ベッドの上で寝転がり、仰向けの状態で月の光が射し込んでくる窓を見上げる。ケイが部屋を出ていってから、アスナは眠ることもなく、ただずっとベッドの上で寝転がったままの体勢でいた。

 

 

「…涙、見せちゃった」

 

 

最後に泣いたのは、もういつだったか忘れてしまった。だけど、もう二度と泣くもんかと決意したのだけは覚えてる。

 

 

「…ひどい顔、見せちゃったな」

 

 

第一層の迷宮区で初めて出会って。攻略会議も一緒に参加して。ボス戦で、互いにパートナーだって認め合って。第二層に着いてから少しの間、顔を合わせる事はなかったけれど、今日また再会できて、一緒にご飯食べて。

 

何だかんだ、自分は彼の事を気に入ってたりしてるのだろうか────

 

 

「~~~~…っ!

 

 

ダメだ、涙を堪えろ。気持ちを切り替えろ。悲しい出来事で萎えた心は新たな不幸を呼び寄せる。立て直さなければダメだ。次の不幸が来る前に。

 

今は寝なければ。瞼を閉じて、眠りに着こうとする。

 

けたたましい轟音が響いたのは、その時だった。

 

アスナはびくりと体を震わせながら目を開けて起き上がる。視界に飛び込んできたのは、何故か開いた部屋の扉から漏れる光と、そこで立つ何者かの人影。その人の息は、荒く、どこか体がふらついているように見えるのは気のせいか。

 

 

「っ!?」

 

 

扉がぱたん、と閉められる。人影は…、部屋の中に入っている。

 

心臓がどくん、どくんと緊迫で高鳴る。

 

ぎしっ、ぎしっ、と床を踏みしめる音が近づいてくる。

 

 

「ウィンドウ、出せ」

 

 

「────」

 

 

男の声だ。その声を聞いた瞬間、アスナは左手を伸ばした。いつもならば剣が置かれているその場所に。しかし、アスナの手は空を切る。

 

 

(そうだ…っ、剣は…!)

 

 

相棒は、すでに失われている事を思い出す。目の前で、ポリゴン片となって四散したあの光景が蘇る。

 

恐怖でアスナが動きが固まる、その間に謎の人影はアスナが座るベッドに上がってきた。そしてその人影の手が、アスナの肩を叩く。

 

 

「ひっ…!」

 

 

小さく悲鳴を上げて、両目を瞑る。

 

どうしてこんな事になったのか。何で自分がこんな目に遭うのか。

 

 

「…な!あ…!」

 

 

自分はもう、現実世界に戻るどころか…彼と顔を遭わせる事すらできなくなるのか。

 

 

「アスナ!」

 

 

「っ!…ケイ…君?」

 

 

自分の名前を呼ぶ、慣れ親しんだ声がすぐ傍から聞こえてくる。驚きと共に瞼を開けたアスナの目に飛び込んできたのは、かなり焦った様子でこちらの顔を見下ろすケイ。

 

 

「え…え?わたし、かぎ…」

 

 

「宿屋のドアはデフォルト設定ならパーティーメンバーは解除できるんだと!でもそれよりも急いでくれ!時間がない!」

 

 

ケイに急かされたアスナは訳も分からず、だがケイならば…という気持ちが働き、言う通りにウィンドウを開いて可視モードにする。

 

 

「よし!後一分しか残ってない!急ぐぞ!」

 

 

「は、はいっ」

 

 

「まずはストレージ・タブに移動!それからセッティングボタンをタップ!」

 

 

ケイの言う通りにウィンドウを操作していくアスナ。

 

 

「サーチボタン!そこの下から三番目にあるマニュピレート・ストレージボタンをタップ!」

 

 

早口のケイの指示を聞きとって、指示通りのボタンをタップしていくアスナ。さっきまでの緊迫や驚きも忘れ、ずいぶん複雑な操作をしてきたなぁと呑気な事を考え始めたその時、この操作の最後は訪れる。

 

 

「何か出た…」

 

 

「イエスをタップ!!!」

 

 

アスナの眼前にイエスかノーかを問いかけるウィンドウが表示され…、そしてケイの言う通りにアスナはイエスをタップした。それが、どんな事態を引き起こすかも知らずに。

 

 

「…ん?」

 

 

アスナはウィンドウの上部分に書かれた英文を見た。そして目を丸くし、呆然と声を漏らす。

 

 

「<コンプリートリィ・オール・アイテム・オブジェクタイムズ>…?」

 

 

コンプリートリィ、オールアイテム。そして、オブジェクト。

 

 

「あ、あの…オールアイテムって、どこまで…」

 

 

「全部、ありとあらゆる何もかも」

 

 

見上げたケイの顔は、まるで自分がやるべきことはすべてやり切ったと言わんばかりにすっきりした表情を浮かべていた。その直後────

 

ベッドの脇の空中で光が灯る。そこから、アイテムが…、アスナがこれまで手に入れた全てのアイテムが一気にオブジェクト化された。

 

ガシャン、ガコン、バサッ、ファサッ、と順番に響き渡る重い音から軽い音。

それを耳にしていたケイが、ふと口を開いた。

 

 

「さてアスナ。ここからは自分で探し当てた方がいい。今そこに出来上がったアイテムの山の一番下を探してみてくれ」

 

 

本人はそれで免罪符のつもりなのだろうか。アイテムの山ができた方とは逆の方向に顔を向けて、さらに目を瞑っているケイに向かって、アスナは凍り付くような視線を射す。

 

 

「ねぇ…。もしかして死にたいの…?君って、殺されたいヒトなの…?」

 

 

「まさか!…後でどんな罰でも受けるから、今は俺の言う通りにあのアイテムの山を漁れ」

 

 

「…」

 

 

ふざけているようには聞こえない。それに、ケイが自分に対して疑われるような行為をするとも思えない。アスナは渋々ベッドから降り、ケイの言う通りにオブジェクト化されたアイテムの山を漁り始める。

 

そして、アスナの手がアイテムの山の一番下層辺りに差し掛かった時だった。

 

 

「────っ!」

 

 

その手に、慣れ親しんだ、もう二度と触る事がないはずだった感触が伝わってくる。アスナは急いでその何かを掴み、アイテムの山から力一杯引き抜く。

 

 

「…うそ」

 

 

目を見開いて、呆然と呟く。彼女の手には、確かにあった。

 

アスナの目がジワリと涙で潤む。もう二度と泣くまいと決意したのに、まさか一日で二度も涙を流すことになるとは。

 

アスナの手には、羽のように軽く、手に馴染む感触を齎す剣、ウィンドフルーレが存在していた。

 

アスナは涙で濡れた目をケイの方へと向ける。ケイはこちらに背を向けてベッドに座っていた。だが右腕だけをアスナに向かって伸ばし、そして右手の親指が上げて何かを伝えてくるケイ。

 

 

「なんなのよ…もう…」

 

 

結局、この部屋にケイが来襲してから訳の分からない事の連続だった。このアスナのウィンドフルーレだって、正直何が起きてるかわからない。

 

だけど、これだけは。今までで一番愛した手放したくないと思った物が、再び自分の手に戻ってきたことだけは、呆然とする頭の中で理解できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




寝る前にもう一話投稿します。<宣言>

(…よし、投稿しろよ俺。宣言したからな?これで投稿しなかったら読者たちにぶっ叩かれるぞ?)み


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第9話 真相に向けて

宣言通りの投稿(どやぁ










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すぅ…ふぅ~…」

 

 

203と書かれた扉の前で、紙袋を抱えたケイが大きく深呼吸をする。そして、何かの決意を秘めたような、そんな眼で目の前の扉を見据えて…コンコンと二回、扉をノックした。

 

 

「…誰?」

 

 

「お、俺です…。は…入ってよろしいでしょうか…?」

 

 

アスナがウィンドフルーレとの再会を果たした後、ケイは振り向かずにずっとアスナが落ち着くのを待っていた。そして、アイテムがストレージにしまわれていく音を聞きながら待っていた時だった。

 

『出てって』

 

ケイはその言葉に何も返さず、言う通りに部屋を出ていった。さすがにアスナの中でも複雑な気持ちだろう。愛する武器との再会の感動と、男に自身のアイテム全てをオブジェクト化された怨み。まあ、ケイはオブジェクト化されたアスナのアイテムをこれっぽっちも見てはいないのだが。

 

 

「…」

 

 

「あの、お夜食を買ってきましたので…、冷める前にいかがでしょうか?」

 

 

部屋の中から何の返事も返って来なかったため、今度は食べ物で釣ってみる。いや、さすがにこの言い方はどうかと思うが…、とりあえずアスナと話がしたかったため、どんな方法でもいいから部屋の中に入りたかったのだ。

 

 

「…入って」

 

 

「…ど、どうも」

 

 

部屋の中から許可を与える言葉が聞こえてくる。ケイは少し間を置いてからドアノブを捻り、扉を引いて開けて顔を覗かせる。

 

アスナは身を布団で包み、ベッドの縁から足を投げ出した体勢で座っていた。布団の中に見えるアスナの冷たい目がケイを射抜く。

 

 

「これ、この街の名物らしいぞ。名前はさしずめ、<タラン饅頭>といったところかな?」

 

 

部屋のテーブルに紙袋を置いて椅子に腰を下ろす。そして紙袋から饅頭を一つ取り出し、アスナの方に差し出すと、アスナはシュバッ、と素早くケイから饅頭をぶんどって包みを開けていく。

 

 

「…」

 

 

自業自得とはいえ、警戒されている事が微妙に胸に刺さる。まるで、出会ったばかりの時に逆戻りしたみたいだ。

 

 

(…ま、今は俺も食うとするかな。第二層は牛のモンスターが多いし、肉まんかな?)

 

 

ケイの分の饅頭を紙袋から取り出して包みを開ける。中から姿を現した熱々の饅頭を手に取り、すんすんと匂いを嗅ぐ。

 

 

「ひゃぁっ!!」

 

 

直後だった。ベッドに座っていたアスナが叫び声を上げた。ケイは驚き、アスナの方に振り向いて…僅かに頬を染めた。

 

 

「んんっ…」

 

 

「…」

 

 

アスナの顔に、何やら白くドロドロした液体がかかっている。さらにその液体はアスナの首元へ、そこから胸元へと流れ落ちており…、ぶっちゃけて色々とまずい絵面となっていた。

 

 

(く、クリームか!?何で肉まんじゃねぇんだ!ふざけんな運営!)

 

 

肉まんだと思っていたそれはまさかのクリームまんという。まるで詐欺の被害者にでもなったような気に陥るケイは、自分の手にある饅頭を見てからもう一度アスナの方を見る。

 

 

「んん~っ…」

 

 

「と、とにかく拭く物!拭く物…」

 

 

アスナはこれ以上クリームが垂れないようにするのに精いっぱいのようで、身動きが取れていない。ともかく、アスナの顔から流れ落ちているクリームを拭きとらなければ。ケイはウィンドウを呼び出し、ストレージの中にあるはずの<ハンカチ>を探す。

 

 

「んんっ…」

 

 

「…」

 

 

「んっ…」

 

 

「……」

 

 

「ん…」

 

 

(だぁあああああああああああああああああああ!!!!)

 

 

ストレージを操作する中、時折聞こえてくるアスナのどこか色っぽい声。さらに追撃といわんばかりにごっくんと何かを呑みこむ音まで聞こえてくる始末。

 

これでは全く探し物に集中できないではないか。内心で絶叫するケイ。

いや、探すというか、持っているハンカチを取り出そうとしているだけなのだが。

 

 

「…」

 

 

ケイはちらりと横目でアスナの様子を見る。

 

アスナの顔にかかったクリームはさらに流れ落ちていた。アスナは天井を仰ぎ、手を顎の下に置くことでクリームが床に落ちないようにしている。そしてその手にもクリームがぽたり、ぽたりと落ちていて…。

 

思わずケイまで喉を鳴らしてしまう。

 

 

(いやいや、何やってんの俺。早くハンカチ探せよ)

 

 

心の中ではそう思っている。脳もそうしろと命令している。

だが…、体が動かない。そんな心とか脳でさえも超越する何かが、ケイを縛りつける。

 

ケイは開いたウィンドウの事を忘れ去ってしまったかのように、足を一歩二歩とアスナの方に踏み出す。別にどうこうしようという訳じゃない。ただ…これをハンカチで拭きとるというのがどうにも勿体ない気がしてならなかったのだ。

 

 

(…拭くだけだから。手で拭くだけだから。何もやらしいことをするつもりじゃないから)

 

 

まるで言い訳の様に心の中で並べる言葉の羅列。ケイ自身気付いていないが、彼の瞳孔は現実ではあり得ないほどグルグルと回っていた。

 

そしてそんな彼を引き戻したのは────部屋の外から聞こえてきたガタッ、という何かの物音だった。直後、ケイの索敵スキルが、この部屋の真ん前にプレイヤーがいることを報せる。

 

 

「は…、はわワ…」

 

 

扉を隔てて向こう側。そこには、<透視>スキルを使って部屋の中を覗く、アルゴが立っていた。

 

それに気づいたのは、今の様子を見られていたことに気付いて慌てて体をよろけさせ、がったんがったんと物音を立てながらテーブルや椅子を倒しているケイが扉を開けた後のことだった。

 

 

 

 

 

 

「そっカー。今日は災難だったネアーちゃん。おネーサンが来たからもう安心だヨー」

 

 

アスナが寝そべるベッドに腰を下ろしたアルゴが、アスナの頭をそっと撫でながらまるで拗ねる事もに言い聞かせるように言う。

 

ケイはアスナにオブジェクト化したハンカチを渡した後、アルゴを部屋に入れた。そして色々と危ない想像をしていたアルゴの誤解を解いた。解いたのは、いいんだが。またケイはアスナの心を傷つけてしまったようで、今、アスナはアルゴの傍らでケイに背中を向ける形で寝そべっている。

 

さらに、アスナはもぞもぞと体を寝かせたまま動かすと、アルゴの腰にしがみつく。直後、その様子を目を丸くしながら見ていたアルゴが、ケイに悪戯っぽい笑みを浮かべながら両手でVサインを送ってくる。

 

 

(…UZEEEEEEEEEEE)

 

 

いや、何度も言うが、完全に自業自得なのだが。…どうもこの光景を見てるとイライラしてならない。ケイはダムダムと右足で床を叩きながら不機嫌そうな表情を隠しもせず口を開いた。

 

 

「まぁいい。首尾はどうだった?」

 

 

「ン?何ガ?」

 

 

「ご自慢の隠蔽スキルで!尾行して来たんだろ!?」

 

 

「ははははハ!わかってるかラ、そんな怒るなっテ!」

 

 

怒ってなんかないし。

 

ぽつりと心の中で呟くケイは、今もムスッとした表情を浮かべていることを自覚していなかった。

 

 

「あの後、鍛冶師はすぐに店じまいしてこそこそ誰かと会ってたヨ」

 

 

「っ!相手は?」

 

 

アルゴの返答を聞き、ケイの顔が引き締まる。

 

 

「全身フーデッドマントに身を隠した四人組ダ」

 

 

「四人組…。本当に四人だったか?」

 

 

「間違いなく四人だったけど…、何か気になるのカ?」

 

 

「…いや、ただ予想が外れただけだ」

 

 

ケイは、頭の中で浮かべていた予想を一つ打ち消す。アルゴが見た人影の人数が四人なら、その可能性はあり得ない事になる。

 

 

「で、その後だけド…。何か受け渡そうとしてたみたいだったナ。ま、何かトラブルがあって慌ててタ」

 

 

「…その慌ててたってのは、八時の鐘の後じゃなかったか?」

 

 

「…あァ。その通りダ」

 

 

やはり…。ともかく、あの鍛冶師がどんな理由があってそんな事をしているかはわからないが、ある程度のからくりは読めた。後は…その手口の詳細だが。

 

 

「で、その後は三々五々。鍛冶屋君は安宿に直行。その後の収穫はなしダ」

 

 

どうやらアルゴでもそこからの情報は掴めなかったらしい。ともかく、ケイがある後に頼んだ依頼は一応の所はこれまでだ。

 

 

「ありがとう。報酬はそっちの言い値で構わない」

 

 

「いやいや、オイラだってここで引き下がるつもりはないよ。ケイ坊が頼んできた分の報酬は勿論もらうけど、こっからはオイラの意志で協力させてもらウ」

 

 

報酬を払い、これでアルゴの手は離れる…と考えていたケイだったが、アルゴは引き下がらないと口にする。一瞬、意外そうに目を丸くしたケイだったが今は心強い味方を得ることができたと一つ息を吐く。

 

 

「ただ、どうすル?」

 

 

いつもの、まるで面白いものを見れたと言わんばかりの光を浮かべた目ではない。もっと、何か、執念にも似た決意を浮かべた目でケイを見据えたアルゴが言う。

 

 

「一時的とはいえ、アーちゃんの武器が奪われたのは事実ダ。これ以上被害が大きくなる前に公表するべきじゃないカ?」

 

 

「…いや、ここは慎重にいこう。向こうもアスナの武器が取り返されてることに気が付いてるはず。もしかしたらここで大人しくなるかもしれない。…とりあえず、キリトにも協力を仰ごう。それで、あいつと一緒に話し合って方針を決める」

 

 

アルゴの問いかけに答えながらケイはウィンドウを開き、宛先をキリトに指定してメッセージを打つ。

 

 

「だけど、もしその武器を騙し取った奴らが…。その武器を永久に取り返すことのできない、例えば換金をしてたりしたら?そんな事をしていたら、プレイヤー達の怒りは頂点に達するナ」

 

 

「…そうなった場合、SAOには懲罰システムがない、か」

 

 

状況を整理するごとに、この事態がどれだけ大きなものなのかを思い知らされる。

しかし、ケイはこの事態の大きさをまだ計り切れていなかったことを直後に突きつけられる。

 

 

「いや…、あるんだヨ。一つだけ、懲罰システムとは到底呼べないが…、プレイヤー達の怒りを鎮めることができる唯一の手段ガ」

 

 

「そんなのがあるのか?このSAOには」

 

 

「…SAOだけじゃない。他のMMOにも普通にあるシステムさ」

 

 

アルゴの言葉を読み取ることができず、首を傾げるケイ。そして、ケイがメッセージの送信ボタンをタップした後、アルゴは言う。

 

 

「PK」

 

 

「っ!?」

 

 

「誰だって思い付く、唯一にして最大の処罰の方法サ。…そしてそれは、どれだけ大きな怒りもあっという間に鎮めてしまう…」

 

 

「バカなっ!」

 

 

アルゴの言葉が信じられず、ケイは椅子を倒して立ち上がってアルゴに詰め寄る。

 

 

「このSAOはただのゲームじゃないんだぞ!?それを知っていて、そんな事をする奴が…」

 

 

「いない…とも言えないだロ?」

 

 

「っ…」

 

 

容赦のない、アルゴの短い問いかけにケイの勢いは失われる。ケイは何かを言いかえそうと口を開くが、言い返す言葉が浮かばず口を閉じ、顔を俯かせてしまう。

 

 

「…何の話をしているの?」

 

 

その時、ベッド、アルゴの膝元で横たわっていたアスナが起き上がり、ケイとアルゴを見回しながら口を開いた。

 

 

「PK…て、何?」

 

 

「…プレイヤーキル。プレイヤーが他のプレイヤーを殺すことだ」

 

 

MMOプレイヤー同士の会話に着いていけなかったようで、アスナは一つの疑問を投げかけてきた。ケイは一つ、短く息を吐いてからそのアスナの問いかけに答える。

 

 

「そ…、それを…」

 

 

「あぁ…。もしかしたら、あの鍛冶屋が受けるかもしれない。その事を話してたんだ」

 

 

「っ…、でも、そんな事をしたらっ!」

 

 

アスナが再び口を開き、そして自身が口にしようとした言葉の恐ろしさを実感したかのように、ぶるりと体を震わせる。

 

 

「ひと…ごろし…」

 

 

SAOの中では、HP0になるという事は、この世界での死。そして現実での死を意味する。たとえゲームの中とはいえ、もしPKが起きればそれは、殺人と同義なのだ。

 

 

「だから、絶対に避けなきゃいけなイ。そのためにも、まずは真相を知らなくちゃナ」

 

 

「あぁ。強化詐欺の手口とその動機。盗られた武器の行方も…ん、キリトから返信だ」

 

 

アルゴと、それに続いてケイが続いて言う。すると、ケイの眼前でメッセージが着たことを報せるウィンドウが開く。

 

ケイはウィンドウを操作し、キリトからのメッセージを開いてその内容を確認する。

 

 

「…今日の所は何もできないだろうから、明日合流しよう、だと。後、俺から聞いた状況を整理して他にも何かヒントはないか考えてみるって」

 

 

「そうカ。キー坊がいれば百人力だナ」

 

 

アルゴに引き続き、キリトという強力な助っ人が加わる。ある程度の手掛かりは揃っている。あと一ピース。一ピースさえ残れば、真相が明らかになる。ケイは、そんな気がしていた。

 

 

「…私、あの人が好き好んで他の人の大事なものを盗むなんて、どうしても思えない」

 

 

すると、体を起き上がらせてベッドの上に座っていたアスナが顔を俯かせながらそう口にした。アルゴと一度目を合わせた後、ケイは口を開く。

 

 

「確かに気弱そうだったし、俺だってそういう奴には見えなかったけど。でも、あいつの罪だっていう事は動かしがたい事実だと思う」

 

 

ケイの言う通り、最早あの鍛冶師以外の仕業だというにはあまりにも状況証拠が残りすぎている。そしてそれは、アスナにだってわかってることだろう。

 

 

「それとも、何か情状酌量の余地があるって思うのか?」

 

 

「…うん」

 

 

ならば、と考えて口にした問いかけにアスナは頷く。

 

 

「私…、前に会ったことがある気がするの。もしかしたらだけど…、でも、あれは多分…」

 

 

どうも確信が持てていない様子のアスナだが、ふと顔をアルゴの方に向けたと思うとウィンドウを操作し始めた。

 

 

「アルゴさん、調査のついででいいの。これを調べてもらえないかしら」

 

 

そう言うアスナの掌にオブジェクト化されたのは、手のひらサイズの投擲用ナイフ。

 

 

「これが…どうかしたのか?」

 

 

ケイがアスナに問いかけるが、アスナは掌に載るナイフをじっと見つめたまま動かない。

 

この時、彼らは考えもしなかった。…いや、もしかしたらアスナだけは何となくその事を予期していたのかもしれない。だが、アスナを除くケイ達は全く考えていなかった。

このナイフが、思いも寄らない真相を導き出すことを、ケイ達は考えもしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第10話 情報と確信

何か考えてた以上にレポート作成が楽です。嬉しい誤算だ。ww








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ン゛モオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

全長三メートルはあろうかという巨大なウシ型のモンスターが、足元で決して足を止める事無く動き続ける影を目で追おうとする。だがそのスピードはあまりにも速く、モンスターの視界から不意にその姿が消える。

 

直後、背中から感じる衝撃。振り向いてみれば、足元をうろちょろしていたあの人影が剣を振り切った体勢でこちらを睨みつけていた。

 

 

「スイッチ!」

 

 

その人影の主…、キリトは自身のソードスキルを受けて仰け反るウシ型モンスターのHPバーが危険域となった事を確認してから、背後で待機していたアスナにスイッチの合図を出す。キリトは後方にステップしてモンスターと距離を取り、アスナはキリトの前に躍り出て、鞘から剣を抜きながらモンスターへと迫る。

 

 

「さっき説明した通りだ!阻害効果に気を付けろっ!」

 

 

「わ、わかってる!」

 

 

すれ違いざまにキリトは忠告し、モンスターへと突っ込んでいくアスナの背中を眺める。

そして…、仰け反り状態から立ち直り、目の前へと迫ってきた存在を見据えるモンスターの目が光った途端、動きを止めたアスナを見てキリトは目を見開いた。

 

 

「アスナ!?」

 

 

モンスターはその手に持つ巨大なハンマーを振り回してアスナを叩こうとする。だが、アスナもさすがの身のこなしでひらりひらりと舞うようにしてモンスターのスイングを統べて回避していく。

 

 

「っ!アスナ、モンスターを見ろ!」

 

 

一度距離をとって安心したのか、はたまた別の理由か。アスナはちらっ、とキリトの方を向いた。しかしそれは一瞬で、すぐにアスナは顔を前へと戻し、ぶんぶんと頭を振るう。

 

その間に、モンスターが厄介なスキルの予備動作を行っている事に気が付かずに。

 

 

「<ナミング>だ!とにかく距離をとれ!!」

 

 

キリトは省略してそのスキルを口にしたが、正しい名称は<ナミング・インパクト>。雷を纏わせたハンマーを地面に叩きつけて攻撃をする範囲技。インパクトの際に周囲に雷を迸らせ、命中した相手をスタン状態にさせる。

 

何故か茫然としたままのアスナの眼前に、モンスターのハンマーが叩きつけられる。瞬間、ハンマーの着弾点を中心に、アスナが立っている場所を含んだおよそ直径三メートルほどの雷のドームが出来上がる。

 

 

「アスナ!」

 

 

技を喰らったアスナはその場で尻餅を突き、さらにキリトの視界の左上に映されているアスナのHPバーの左側にはスタン状態を表すアイコンが浮かび上がる。

 

 

「う…、ぐ…っ」

 

 

アスナは、地面に座り込んだまま力の入らない足に鞭打って立ち上がろうともがいていた。しかしどれだけもがけどアスナの意志通りに足は動かず、さらにはアスナの眼前にモンスターが迫る。

 

 

「っ…」

 

 

その光景を見たアスナの胸の中で恐怖が過る。

 

────何が怖い?死ぬことが?

 

モンスターの動きがスローモーションに見える。そんな中、アスナは自分の心に問いかけていた。

 

────違う。

 

アスナの脳裏に浮かんだのは、先程キリトとスイッチした直後に見た光景。自分の背後に、キリト一人だけがいた、何故か空虚に見えた光景。

 

まだ出会った日からそんなに経っていないのに、それどころか一緒に行動した時間を考えればそんな事を考えるなんてあり得ないのに。隣にいる事が、まるで当たり前のように思えた人。その人は、今はいない。

 

 

(たすけて、ケイく────)

 

 

モンスターのハンマーが振り下ろされた瞬間、目の前で黒い影が現れ、それとほぼ同時にアスナに向かってハンマーを振り下ろそうとしていたモンスターがポリゴン片となって四散する。

 

だが、そんな事よりも。

 

アスナにとって衝撃だったのは、あのモンスターが四散する直前、心の中で叫ぼうとした内容の方だった。

 

 

「どうしたんだアスナ。今日は何だか、らしくないな」

 

 

「…別に、いつも通りよ」

 

 

剣を背の鞘にしまいながら気遣わし気に問いかけてくるキリトに、アスナは立ち上がり、剣を腰の鞘にしまいながら答える。

 

 

「それよりも、先に進みましょう。今の私たちの役目は、迷宮区の攻略なんだから」

 

 

キリトに背を向けて、未だ誰も立ち入っていない区域へと足を向けるアスナ。

 

 

「…アスナ、見ろ」

 

 

「?」

 

 

モンスターとの戦闘を終えて、歩き出してから少し経った時だった。キリトがアスナを呼び止める。振り返ったアスナの目には、吹き抜けとなり下の階層を見ることができる穴を覗いているキリトの姿。

 

 

「…レジェンドブレイブス」

 

 

キリトの横まで来て、同じように下の階層を覗いたアスナの口から出てきたのは、第二層フィールドボス戦から台頭してきたパーティーの名前。

 

 

「いくぞ!フォーメーションZだぁ!!」

 

 

レジェンドブレイブスのリーダーと思われる男性プレイヤーが叫んだ直後、後方にいたレジェンドブレイブスのパーティーメンバーが先程までアスナとキリトが戦っていたのと同じモンスターに向かって踏み込んでいく。

 

 

「…へぇ。良い連携してるわね」

 

 

「あぁ。…だけど、ちょっと妙だと思わないか?」

 

 

レジェンドブレイブスの戦いぶりを見たアスナが感心したように呟くと、その直後キリトもまたぼそりと呟いた。アスナはキリトの方に顔を向けて首を傾げ、言葉の意味が分からないとキリトに伝える。

 

 

「普通、装備の質っていうのはレベルと比例するものなんだ。SAOに限らず、RPGっていうのはそういうものなんだ。強ければ効率よくお金や経験値を稼げるからな。だけど、見たところ…彼らはレベルもスキルの熟練度も中の上ってところだ」

 

 

「なのに、装備だけは…っ!まさか…!」

 

 

アスナはここでようやく、キリトが言おうとしている事を悟る。

 

 

「彼らが、強化詐欺に関与してるというの…!?」

 

 

「…さすがに短絡すぎるかもしれないけど、アルゴが調べてくれたところ、強化詐欺が始まったと思われる時期と彼らが前線に出てきた時期は、ぴったり一致するんだ」

 

 

キリトの口から次々と出てくる、レジェンドブレイブスが強化詐欺に関与していると裏付けるのに近づいていく状況の数々。

 

アスナはキリトから視線を外し、もう一度下の階層で戦うレジェンドブレイブスを見る。そして同時に、気が付いた。その上でその違和感は、大きな疑問としてアスナの中で居座る。

 

 

「…ねぇ、キリト君。あの人達、本当に良い連携してるわね」

 

 

「あぁ…」

 

 

「なのに…。どうしてあそこまでの腕と装備を持ってるのに、今まで最前線まで来れなかったんだと思う?」

 

 

「っ…そうか」

 

 

アスナの問いかけを聞き、キリトもまたアスナと同じ疑問へと辿り着く。

 

 

「レベルと不釣り合いに装備はいいんじゃない。腕も装備もいいのにレベルが低いんだ」

 

 

「そう。そして…、本質はきっと、そこにある」

 

 

アスナとキリトが見下ろす中、レジェンドブレイブスはモンスターを討伐し終える。今、レジェンドブレイブスがいるエリアは確か、次の階層へ上る階段が近かった。

 

 

「そろそろ追いつかれる。俺達も行こう。今日はもう一フロア付き合ってもらいたいんだ」

 

 

「…いいけど、どうして?」

 

 

「実はさ、<片手直剣>スキルの熟練度がもうすぐ百になるんだ」

 

 

「…」

 

 

「それに、ケイの奴も<片手曲刀>スキルの熟練度がもうすぐ百だって言ってたし…。一プレイヤーとして、ちょっと負けたくなくてな」

 

 

「っ…」

 

 

キリトのスキル熟練度の事を聞いた時は特に何も思わなかったのに、ケイのスキル熟練度の事を耳にした途端、アスナの唇の端がピクリと引き攣る。

 

 

「…おめでとう。強化オプションは何にするの?」

 

 

「んー、<クリティカル上昇>かなー。熟練度五十の時は<ソードスキル冷却タイム短縮>で取れなかったし…」

 

 

スキル熟練度が五十上がるごとにその褒美というべきか、強化オプションと呼ばれる分類に位置するスキルをとることができる。

 

アスナは胸に湧いて出た苛立ちを抑えてからキリトに称賛を送り、強化オプションを何にするのか問いかけた。

 

 

「後は、<クイックチェンジ>なんかもありかなぁ…」

 

 

「なに、それ?」

 

 

「えっと…、例えば武器を落としたり一時的に取られたりした時なんかに呼び武器を指定しておけばワンタッチで装備できるし、同じ種類の武器を複数持っていれば直前に装備していたものと同じものを再装備できたり…。まぁいろいろと便利なスキ…る…」

 

 

「へぇ…あ」

 

 

強化オプションに着ける一つの候補として出てきたクイックチェンジについての説明を聞いていたアスナ。そしてアスナに説明していたキリト。二人の頭で、電球がぴかっ、と光ったような、そんなひらめきが訪れたのは全くの同時だった。

 

 

「「ああああああああああああああああああ!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ、本当によかったのカ?」

 

 

「…何が?」

 

 

「アーちゃん達と一緒に攻略行かないことだヨ。元々、この調査はオイラだけで十分だったのニ…。それを強引についてきテ…」

 

 

「…あいつらと一緒に行くわけにはいかないだろ。それに、アルゴの大事な情報ルートだって俺の知っている人だったんだからさ。アルゴの情報屋業に支障はないだろ?」

 

 

「…まあナ。それにしても、ケイ坊があの人の知り合いだったとは、オイラも驚いたヨ」

 

 

ケイとアルゴがいるのは、第一層、はじまりの街にある知る人ぞ知る酒場の一席。ちなみに恐らく、この酒場を知っているのはケイとアルゴ、そして二人が話していたもう一人のプレイヤー程度しかいないだろう。

 

なにせここまで来るには町の裏道と言う裏道を通り抜け、道一本でも間違えれば決して辿りつけないという複雑な道を通っていかなければならないのだから。その上、ベータテストにはこの酒場はなく、正式サービスからの新店舗なのだ。

 

どれだけベータテストでSAOの事前情報を掴んでいたとしても、この酒場の存在を知るのは至難の業だ。

 

 

「…だけど。大体読めたな、あの鍛冶師のトリックも。それに、奪われた武器の行方も。まぁ、武器の行方に関しては本人に聞かない限り確かめようがないがな」

 

 

「そうだナー。ま、そこら辺はキー坊とアーちゃんと集まって話し合わないと…っと、噂をすればそのアーちゃんからメッセージダ」

 

 

そして、この酒場に二人が来た目的は、あるプレイヤーを交えてあの鍛冶師による武器盗難事件の考察を整理するためだった。

 

ケイはテーブルの上に置かれたジョッキ(中身は水)を持ち、中身を口に含む。

 

 

「…どうやら、向こうもこっちと同じ結論に至ったようダ」

 

 

「…そうか。なら、後は確認だけ、か」

 

 

ケイは一度口から離したジョッキを再び口に付け、呷りながら頭の中にずっと残っている、今はもう帰っていったもう一人のプレイヤーが最後に言った言葉を思い返した。

 

 

『少なくとも…、そうありたいと願ったのだ。このプレイヤーは』

 

 

「…皮肉だな」

 

 

ケイは中の水を飲み干し、テーブルの上に置いてから立ち上がる。立ち上がったケイを見上げるアルゴの視線を受けながら、ケイは続けて口を開いた。

 

 

「勇者でありたいと願った人が…、悪魔の行為に手を出すなんて」

 

 

顔を俯かせながらケイの口から漏れた呟きに、アルゴもまた沈んだ表情を浮かべて顔を俯かせる。

 

 

「…けど、これでもう確定的だヨ」

 

 

「あぁ、わかってる」

 

 

アルゴもまた、ジョッキの中身を飲み干し、ケイに続いて席から立ち上がった。

 

 

「さて、真相を暴きに行こうか」

 

 

会計を済ませ、酒場を出た二人の行先は、第二層の街…タラン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう店じまいか?」

 

 

傍の道の人通りが少ない。今日は誰も来なさそうだ、と考えたその時。ガシャン、ガシャンと重そうな鎧が揺れる音を響かせながらこちらに近づいてくる一人のプレイヤーが声を掛けてきた。

 

全身を鎧で覆い、さらに顔全体を覆う鉄仮面を装備したプレイヤー。顔どころか、素肌すら見えないそのプレイヤーに不気味さを感じながら口を開く。

 

 

「い、いえ!大丈夫ですっ。メンテナンスですか?」

 

 

「いや、強化を頼む」

 

 

鉄仮面の中からくぐもった声が聞こえてくる。

 

強化

この単語を聞いた途端、心の中で何かがずしりとのしかかったような、そんな感覚が襲われる。

 

 

「強化…ですか…」

 

 

「問題か?」

 

 

「っ、いえ!大丈夫です!」

 

 

自分の中の葛藤を無意識に口にしていたのか、表情は見えないが…こちらを見つめてるプレイヤーが問いかけてきた。すぐに取り繕い、武器を受け取って強化作業の準備を…それと共に、武器を立てかけてある板の後ろでウィンドウを開いておく。

 

 

「種類は<速さ>。素材は料金込みで九十パーセントで頼む」

 

 

「それだと…、二千七百コルですね」

 

 

プレイヤーから料金を受け取ってから、手渡された武器をまじまじと眺める。

 

 

「アニールブレードの+6…、試行二回残しですか。内訳は<鋭さ>+3に<丈夫さ>+3。使い手は選びますが、とてもいい剣ですね。…これに、速さが加われば」

 

 

このプレイヤーの要求通りに強化して返せば、どれだけ戦力が増強されるだろうか。

 

ちくり、と胸に何かが刺さるような感覚が奔る。

 

 

「…では、始めます」

 

 

胸の痛みを抑え、炉を燃やす。それと同時にウィンドウを操作して…、手渡されたアニールブレードと登録していたアニールブレードをすり替える。そして炉の中で燃える炎でそのアニールブレードを熱くし、ハンマーを振るって強化作業を行う。

 

十回ハンマーで叩いた、その時だった。強化終了を報せる光が剣から発せられ…、直後、ポリゴン片となって四散した。

 

 

「す、すみません!本当に…すみません!!!」

 

 

これから自分に向けられるだろう怒りを予期して怯えながらも、膝を曲げて座り、何度も頭を下げる。これで相手の怒りが鎮まるとも思えないが、こうしなければ自分の気もすまなかった。

 

しかし、何度謝罪しても相手は何も言わない。暴言を吐くわけでも、悲しみに嗚咽するわけでもない。

 

 

「謝る必要はないよ」

 

 

「は…、え…!?」

 

 

土下座をしたまま震えていると、不意に、どこか憐れんでいるような、そんな声がかけられた。呆然としながら顔を上げると、その直後にプレイヤーが装備していたフルアーマーが外され、代わりに黒のロングコートがプレイヤーの身を包んでいく。

 

 

「あ…え?」

 

 

「わかってみると、案外簡単なトリックだ。だが…、そのスキルをこんな早い段階で取るプレイヤーがいるとは思っていなかったからその発想に至るまでずいぶん時間がかかったよ」

 

 

こちらを見下ろすプレイヤーは、見覚えはあった。最前線で戦う、黒づくめのプレイヤー。いずれ、この人の武器も…と、憂鬱に思ったことを今でも覚えている。

 

だが彼と顔を遭わせるのはこれが初めてだった。それなのに、どうして彼は自分の事を…。

 

 

「こいつ、俺の知り合いなんだ」

 

 

「…っ!?あ、あなたは…!?」

 

 

突然聞こえてくる、目の前のプレイヤーのものとは違う声。すると、その声の主は黒づくめのプレイヤーの背後から現れた。

 

 

「あの時の…!」

 

 

「悪かったな、騙すような真似して」

 

 

それは、今でも鮮明に頭の中で浮かんでいる。これまでで一番、武器を失ってショックを受けていた女性プレイヤーと一緒にいた、あのプレイヤー。

 

 

(そうか…。隠蔽スキルを使って…)

 

 

「クイックチェンジ」

 

 

「!?」

 

 

ここまで姿が見えなかったからくりを見抜いたのも束の間、黒づくめのプレイヤーが口にした言葉、そしてその手に現れた<アニールブレード>を見て、全身が凍り付く。

 

 

「あんたはこの強化オプションを使って預かった武器をストレージにストックしていた同種のエンド品とすり替えた。強化オプションを使うために必要なウィンドウは、その商品の隙間に隠蔽し、Modのエフェクトは炉の光と音でかき消す」

 

 

「それで、俺はあんたと同じ手口を使って武器を取り返した」

 

 

体から力が抜ける。ばれたことに対する恐怖もあるが…、それだけでなく、もう、あんな…プレイヤーの怒りを向けられたり、苦労して手に入れた武器を失うショックを浮かべた表情を見る事はないと思うと、そんなことを思う資格はないのに。ほっと、安堵の念が胸の中で沸いてきた。

 

もう逃げられない。彼らは…多分、この二人だけではない。自分は…もう。

 

だが、追及されるのは自分だけだ。そしてその追及の手を、自分の後ろへはいかせない。自分を見捨てなかったあの人達だけは…、絶対に。

 

 

「署までご同行願おうか」

 

 

こちらを見下ろす二人のプレイヤーを見上げながら、胸に刻み、固く決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第11話 勇者になれなかった者

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…要するに、騙し取った武器は全部換金して、飲み食いやら宿代やらで豪遊し、ほとんど残ってないと。そう言うんだな?<ネズハ>」

 

 

「…」

 

 

両腕を組んで壁に寄りかかるケイの目の前で、椅子に座っているキリトが机を挟んで向こう側に座る鍛冶プレイヤー、ネズハに問いかける。ネズハは顔を俯かせ、キリトと視線を合わさないまま小さく一度だけ頷く。

 

 

「…攻略組の面々が命をかけて、死に物狂いで育て上げた武器を。私利私欲で浪費したと」

 

 

「っ…、なんと…お詫びしてよいか…」

 

 

俯いたままのネズハに今度はケイが口を開く。ケイの口から出た言葉に、ネズハは一瞬だけ目線を上げたが、すぐに俯いてしまい、震える声を漏らす。

 

その声を聞いていた、ケイの隣で同じように壁に寄りかかって立っていたアスナが壁から離れ、キリト達が座る席に向かって歩き出した。

 

 

「やっぱりおかしいわよ」

 

 

アスナはキリトの隣で座っていたアルゴの背後で立ち止まり、声を上げる。アスナの言葉に疑問を持ったのか、ネズハは顔を上げて丸くなった目でアスナを見上げる。

 

アスナはネズハが見上げる中、あるアイテムをオブジェクト化し、ネズハの目の前にそれを突き出した。

 

 

「これ、フィールドエリアで出会ったソードマンの忘れ物」

 

 

「っ!」

 

 

これまで見せてきたこれまで以上に大きく体を震わせたネズハの手元に、アスナはオブジェクト化したアイテム、投剣を突き立てる。勢いよく突き立てられ、ビィーン、と音を立てて小刻みに震える投剣をネズハは瞳を震わせながら見つめる。

 

 

「アルゴさんに調べてもらったのだけど、これはプレイヤーメイドの特注品で、どこのお店にも並んだ形跡がない。つまり、これの作成者は持ち主自身」

 

 

「…」

 

 

「…ネズハさん、あなたよね。これを作れるのは、アインクラッド唯一の鍛冶師であるあなたしかいないのだから」

 

 

ネズハの顔色が、みるみるうちに青白く変わっていく。ここはゲームの中だから感情を隠すことができないのが、ネズハにとって裏目に出ている。

 

 

「そして、前にあった時に見たあなたの装備。あれも凄く効果そうではあったけど、被害額と比べたら桁が違うわ」

 

 

「で、ですからそれは、飲食や宿代に…」

 

 

「いや、それはないナ。ここ数日は見張らせてもらったから、君の質素な生活ぶりは確認させてもらってるヨ」

 

 

次にアスナの口から出てきた話題は、ネズハが騙し取った武器の行先。恐らく換金したというネズハの言葉は本当だ、という認識はケイ達全員が共有している。しかし、アルゴが言った通り、それを豪遊に使ったというのは明らかに嘘だ。

 

それは、アルゴの周辺調査を行った結果で確かに明かされている。

 

 

「ネズハ。現在君はただ一人のプレイヤー鍛冶師として市場を独占している。その上での強化詐欺だ。計算が全く合わない」

 

 

机の上に両肘を立てていたキリトは、机から肘を離して両手を膝に付けてネズハを見つめる。

 

 

「俺達はな、君は荒稼ぎした金を、誰かに貢いでると疑ってるんだ」

 

 

「は…、ははっ!そ、そんなわけないじゃないですか!一体、何を根拠に!」

 

 

キリトが言った俺達の疑いを笑い飛ばしながら否定するアルゴ。その直後、ケイもまた壁から離れてキリトの背後に立って口を開いた。

 

 

「根拠なら、ある」

 

 

「っ!?」

 

 

ネズハのみ開かれた目がケイの姿を捉える。

 

 

「そして、俺達は知ってるんだ、ネズハ。…お前が、勇者としてこのアインクラッドを切り開いていきたいと、誰よりも願っている事を」

 

 

「!!?」

 

 

見開かれたネズハの瞳が揺れる。それを、ケイは憐れみの念を抱きながら見て、それでも城を捨てて真実を告げる。

 

 

「ネズハの綴りは<Nezha>。だけど、このスペルは本来違う読み方をする」

 

 

「…」

 

 

「そうだろ?<ナーザ>」

 

 

彼を連れてきてから、ネズハは一番大きく体を震わせる。

 

 

「ナタクっていう呼び方が主流だが、本来の読み方はナーザ」

 

 

「中国の小説に出てくる少年の神の名前ね」

 

 

「そうだナ…。シャルルマーニュ伝説のオルランドや現代の西洋風ファンタジーの源流ともいえるベオウルフにも劣らなイ…」

 

 

伝説の勇者<レジェンドブレイブ>

 

 

「ぅ…ぁっ…」

 

 

両手を膝に突き、ぐったりと背を折って項垂れるネズハを見て、ケイ達は自分たちの推理が正しかったことを悟る。

 

 

「…やっぱり、お前はレジェンドブレイブスのために装備の調達資金を稼いでいたのか」

 

 

「だからこそ、彼らはあんなにも早く台頭することができた」

 

 

レジェンドブレイブスの台頭の早さはあまりにも不自然すぎた。ケイもキリトから聞いて初めて気づいたのだが、レジェンドブレイブスの面々の装備や腕から考えて、あまりにもレベルが低すぎる。

 

その違和感は、レベルから考えてレジェンドブレイブスがどうしてここまで台頭で来たのかというものにも捉えられるが、ケイが考えていたのは、もう一つの可能性────

 

 

「教えてくれネズハ!どうしてパーティーの中で君だけが、こんな不正を働くリスクを負ったんだ!?」

 

 

「おい、キリト…」

 

 

「何か見返りを約束されてるのか?いや、それよりも俺が聞きたいのは、どうして君たちはこんな事ができたのかだ!」

 

 

こんな事、それはすなわち、ネズハ達が行った強化詐欺。

 

 

「キー坊?今重要なのはそれじゃァ…」

 

 

「いや、大問題だ!」

 

 

キリトのあまりの剣幕に戸惑うアルゴがキリトを諌めようとするが、キリトは止まらない。

 

 

「アルゴ。キリトももっと冷静になるべきだとは思うけど、これは今すぐにでも聞くべき問題だ」

 

 

キリトの肩を叩いて、とりあえず諌めておいてからケイはこちらに顔を向けるアルゴと同じように理解できていない様子のアスナに説明する。

 

 

「今のペースでいけば、レジェンドブレイブスは近い内に攻略組の中でもぶっちぎりのトップに躍り出る。…悪事を行って、台頭してきた集団が、だ」

 

 

「ア…」

 

 

「…」

 

 

目を丸くして声を漏らすアルゴ。どうやら、アルゴは…アスナも目を見る限り悟ったらしい。

 

 

「MMOじゃいきなり急ペースで上り詰めたプレイヤーが嫉妬を集めるなんて日常茶飯事だ。…もし彼らが同じプレイヤーに襲われたとしよう。でも、それでも返り討ちにすればいいと開き直ってしまったら?…それが、キリトが危惧してることだよ」

 

 

説明を終えてから、ケイは横目でネズハを見遣った。ネズハは俯き、下唇を噛み締め、ズボンを両手で握り締めながら震えていた。まるで、何かに怒りを抱いているかのように。

 

 

「…まっ、俺はそんな心配はないと思うんだけどな。…お前もそう思うだろ、アスナ?」

 

 

「え?」

 

 

「…」

 

 

引き締めていたケイの表情が急にふっ、と緩む、その突然の変化に戸惑いを見せるキリトと、ケイに言葉を振られたアスナ。アスナはケイに向かって一度だけ頷いた後、ネズハの目の前に突き刺した投剣を抜き、掌に置いてネズハに向かって差し出した。

 

 

「取って」

 

 

そして、たった一言ネズハに告げた。ネズハは一瞬表情を歪ませた後、ゆっくりと右手をアスナの掌に乗る投剣に向かって伸ばす。

 

右手が投剣に近づくごとに、ネズハの両目がだんだん細ばっていく。そして…、ネズハの手は投剣を掴むことはできず、一瞬触れる事だけしかできなかった、

 

 

「やっぱりあなた…、片目が」

 

 

「…見えないわけじゃないんですよ。ただ、ナーヴギアを介してしまうと…遠近感がわからなくなってしまうんです」

 

 

「まさか…、FNC」

 

 

FNC、フルダイブ・ノン・コンフォーミング。脳とフルダイブの間に生じる接続障害で、最悪の場合はフルダイブ不可能という事態に陥る危険性さえある症状。

 

そして、ネズハを襲った症状は恐らく両眼視機能不全。要するに、景色は問題なく見えているにも関わらず、奥行きを判別できないという、このSAOでは致命的疾患。

 

 

「キリト、多分だけどな…。レジェンドブレイブスはネズハを見捨てなかったんだ。SAO開始当初、先駆者がリソースを奪い合ってた頃、レジェンドブレイブスはハンデを抱えた仲間のサポートを優先して行動していたんだ」

 

 

「これは勝手な想像だけど、あなたの投剣スキル。第二層で通用するまで熟練度を上げるのはすごく大変だったんじゃないかしら」

 

 

キリトの危惧を杞憂だとケイが悟らせた後、続けて口を開いたのはアスナ。

 

 

「第一層前半の非効率な足場で足止めを喰らえば、当然最前線には出遅れる」

 

 

「…それが本当なら、俺には絶対真似できないよ」

 

 

アスナに続いて、ケイが、キリトが、両手で顔を覆って震えるネズハを見つめながら言う。

 

それから、しばらくの間沈黙が流れ、ケイ達の視線が向けられる中ネズハは立ち上がった。

 

 

「…おっしゃる通りです。僕は、仲間の情けに縋りついて…皆の夢を台無しにしてしまった!!」

 

 

ネズハは、自分への苛立ちと両目から流れ落ちる涙を隠そうともせず、語る。

 

 

「レジェンドブレイブスは、もう何年も前から活動してきたチームです。色んなゲームでランカー常連を続けてきた、それなりに有名なチームでもありました。だけど…、本当に最高だったのは、チームの誰もが仲間を見捨てない、そんな優しさを持ってる所でした」

 

 

MMOでランキング上位を取ってきた彼らが、SAOというゲームを逃すはずはない、

 

 

「SAOの発売決定を知ってからは大はしゃぎでした。アインクラッドで天辺をとるって、英雄になるんだって。皆で意気込んでました。だけど…」

 

 

ネズハのFNC判定で、その野望は潰え、全てが狂いだした。

 

 

「FNC判定のことが判明してから、散々皆を修行に付き合わせてしまいました。中には不満を漏らす人もいましたが…、リーダーの…オルランドさんは、決して僕を見捨てようとはしなかった…!」

 

 

語りながら、ネズハは席から離れ、両開きの窓を開けてウッドデッキへと出ると振り返ってこちらに体を向ける。

 

 

「結局、どんなに投剣スキルを極めても使い物にならないと気づいて、戦闘職を諦めた時には…最前線からの遅れは取り返しのつかないものになっていました」

 

 

MMOで最前線に出るためには、サービスSAOはHPが0になれば永遠に復帰できないデスゲーム。リソースの奪い合いは、通常のMMOとは比べ物にならない。

 

彼らも、まだまだ遅れは取り返せると高々に言っていたものの、心のどこかでは諦めの念を抱いていたらしい。

 

 

「そんな時でした…。あいつが声を掛けてきたのは…!」

 

 

第一層の酒場で飲んでいた時のことだったという。ネズハはここまで最前線から遅れたのは自分のせいだと責任を感じ、そんなネズハをオルランドが慰めていた時。後ろの席に座っていたプレイヤーが声を掛けてきたという。

 

 

『OK、話は聞かせてもらったァ』

 

 

その男は、口元をニヤリと歪ませながらこう言ったという。

 

 

『あんたが戦闘スキル持ちの鍛冶師になるんだったら…、すげぇクールな稼ぎ方があるぜぇ?』

 

 

まるで、麻薬のような。頭の中では誘われては駄目だとわかっていても、心がついていってしまう。レジェンドブレイブスは、その男…黒ポンチョを身に着けていたというプレイヤーから聞いた強化詐欺の手段を、実行してしまった。

 

 

「でもっ、勘違いしないでください!これは全部僕が、僕のために勝手にやったことです!だからっ…!」

 

 

「っ、お前…」

 

 

頭を振りながら叫ぶネズハを見て、ケイはネズハが次の瞬間に起こす行動が頭の中で浮かんできた。だが、そんなことはあり得ないと勝手にその可能性を打ち消してしまった。

 

 

「だからどうか…これで…」

 

 

それでも、完全に打ち消せていなかった可能性が、頭の中にあったから。

 

ネズハが後ろへと倒れ、ウッドデッキから体を宙へと放り出してから、すぐに動き出すことができた。

 

今いるこの部屋は宿の一室を借りているのだが、その宿屋は崖に面して建てられていた。そしてこの部屋の窓の外に広がるのは、そこが見えない深く暗い谷間。

 

SAO開始直後、プレイヤーの自殺が続出した。いや、そのプレイヤー達には自殺をしたという自覚はなかったのかもしれない。このデスゲームが信じられず、HPが0になれば、きっとこの世界から出られると妄信したプレイヤーが多く現れたのだ。

 

そしてその自殺で多く使われた手段が、飛び降り。そこが見えない深い谷に体を投げ出して落ちていく。実際、そのプレイヤーが四散した所を見た者はいないのだが、第一層の中央広場にある、SAOにログインした全てのプレイヤー名がアルファベット順で刻まれている黒鉄宮。飛び降りた全てのプレイヤーの綴りの上に、二本の横線が刻まれていた。

 

この世界での死の証明を現す、横線が。

 

ネズハも当然、その事を知っていた。だから、彼は身を投げ出した。

大きすぎる罪に耐え切れず、世界から、自分が罪を背負って生きるという事から逃げ出そうとした。

 

 

「…え?」

 

 

「この、バカ野郎が…!」

 

 

だが、ネズハの逃亡は認められなかった。彼の手は、しっかりと掴み取られ、落下は空中で停止している。

 

 

「どうして…、離してください!僕は…!」

 

 

「…うるせぇ!死んで逃げようとしてる奴の言う事なんか、聞いてやるか!」

 

 

掴まれた手を開き、さらに空中で体を暴れさせるネズハに、彼の手を掴んだケイは心の中で沸いた怒りをそのまま口へと運び、叫ぶ。

 

 

「ネズハ!お前にゃ悪いが俺はな、ナーザっつう奴が大嫌いなんだ。何でだと思う?」

 

 

「え…」

 

 

「一度、そいつは自害したから、だ!!お前の様に、自分の恐怖の対象から逃げる形でな!!」

 

 

ナーザは最初から英雄として扱われてはいなかった。まだ人間だったとき彼は罪を犯し、そして罪をあがなうために自害した。だが、それがケイにとって気に食わなかった。どうして、もっと違う形で罪をあがなおうとはしなかったのだろうと。生きて、誰かに貢献して罪をあがなおうと、そういう発想は浮かばなかったのだろうと。

 

ケイはネズハが目を丸くして動きを止めた瞬間を見逃さず、筋力パラメータをフルに使って一気にネズハの身体を引き上げる。ネズハがウッドデッキに倒れ込んだところを確認してから、ケイは全身の力を抜いて座り込み、荒くなった息を整える。

 

 

「ケイ君!」

 

 

「はぁ…、大丈夫だ」

 

 

座り込んだケイに、慌ててアスナが駆け寄ってくる。アスナに続いて、キリトとアルゴもまた駆け寄ってきて、ケイは三人の顔を見回しながら声を掛けた。

 

 

「…どうして」

 

 

「…お前は本当にこのままでいいのか?誰も見返すことができずに、悔しくないのか?」

 

 

「っ…」

 

 

両手を背後に突いた体勢のまま、ケイは横目でネズハを見遣りながら言う。ネズハは一度びくりと体を震わせると、ゆっくりと視線をケイの方に向けてきた。

 

 

「だけど、僕はもう…。誰にも迷惑をかけたくないんです!」

 

 

「ほぉ。つまり、お前の仲間はたった一人の迷惑も背負えない器の小さい奴らばかりだと。お前はそう言うんだな?」

 

 

「っ!な、何なんですかあなたは!僕が何をしようとも…、あなたには関係ないじゃないですか!!」

 

 

仲間を馬鹿にされた怒りからか、ネズハは先程からは信じられないほど瞳に怒りを浮かべ、起き上がってケイに向かって怒鳴る。

 

 

「そうだな…、確かにお前が何をしても俺には関係ない。お前を助けたのだって、ただ俺が気に入らないっていう勝手な理由だからな」

 

 

「…やっぱり、ビーターに僕の気持ちなんてわからないんだ」

 

 

表情を変えずに言い放つケイに、忌々しそうに視線を向けながら言うネズハ。そんなネズハに、アスナがピクリと反応し、詰め寄ろうとする。

 

 

「あなたね…」

 

 

「アスナ。いい、やめろ」

 

 

ケイは立ち上がり、ネズハに詰め寄るアスナの肩を掴んで止める。振り返るアスナの顔は全然納得できていないものだったが、ケイはアスナと目を合わせたまま首を横に振ってやめるように伝える。

 

 

「…」

 

 

「ネズハ。確かに俺にはお前の気持ちなんてわかんない。想像は出来るが、実際に他人の心を本当に理解できる人間なんていないからな」

 

 

一度息を吐いてから下がるアスナとすれ違う形でケイはネズハへと歩み寄りながら口を開く。

 

 

「だけどな…、お前は本当にここで死んでいいのか?ヒーローになれず、ただ逃げるような形で死んで、本当にいいのか?」

 

 

「っ!」

 

 

先程から決してケイと視線を合わせようとしなかったネズハが、ケイが問いかけた直後、体の震えと共に顔を上げる。

 

 

「本当にお前はそれでいいって思ってるんなら…、勝手にすればいい」

 

 

「ケイ君!?」

 

 

そう言い放ったケイに、アスナが目を見開いて詰め寄ってくる。だがケイは詰め寄るアスナには目を向けず、柵に手をかけるネズハを見つめるのみ。

 

 

「…なら、どうすればいいんですか」

 

 

「…」

 

 

「僕のこんな目じゃ誰の役にも立つことはできない!そんな僕が…、どうすればヒーローになれるっていうんですか!!!」

 

 

ネズハは、両拳を柵に叩きつけながら嗚咽を漏らす。彼の膝は折れ、ゆっくりと体が崩れ落ちて、最後にはウッドデッキの上に座り込んでしまった。

 

 

「…わからん。俺にはお前にその方法を与えられるほどの知識はないからな」

 

 

「っ、なら!」

 

 

「だけど!…俺の他に、その可能性を持ってる奴なら、知ってる」

 

 

こちらを見上げるネズハにあっちを見ろと報せるように、ケイは視線をこの状況を見守っているだけだったプレイヤー。黒のロングコートを身に着けたプレイヤー、キリトに向ける。

 

 

「てことだ、キリト。…何かない?」

 

 

「お前な…、色々と台無しだぞ…?」

 

 

「だってホントに何も知らねえし。お前なら絶対、どうにかできる知識持ってるって思って」

 

 

「…はぁ」

 

 

陽気に言うケイを見て、呆れたようにため息を吐いてから、キリトは彼を見上げて視線を送るネズハに歩み寄る。

 

 

「ネズハ。君の投剣スキルはなかなかのものだと聞いている。たとえ遠近感がとれなくても、システムアシストが効く投擲武器なら…」

 

 

「そんなことわかってます!だから僕は藁にも縋る気持ちで投剣スキルを上げたんですから…!でも、あんなもの役に立ちませんよ!それこそ、弾数無制限の武器でもない限りは…!」

 

 

キリトの言葉を聞いて、やはりダメなのかと再び瞳が絶望の色に染まっていくネズハ。だが、キリトの言葉はそこで終わりではなかった。

 

 

「確かに、無制限なんて、そんなチート武器は存在しない。…だが」

 

 

キリトは言いながら、あるアイテムをオブジェクト化する。それは、初めて見る者にはとてもそうは見えないだろうが、確かな武器。

 

 

「<戻ってくる>ものなら、ある。これは、第二層のフィールドボスのLAボーナス…<チャクラム>だ」

 

 

直径二十センチほどだろうか、外側に刃が付けられた金属製の円盤<チャクラム>。古代インド発祥の投擲武器で、このSAOではシステムアシストにより、ソードスキルが成功すれば持ち主の下へと戻ってくるという機能がついている。

 

その詳細を知ったのはこの話し合いが終わった後のことだったのだが、確かに、これならば弾数制限という縛りに囚われることなく、遠近感がつかめないネズハでも戦うことができる。

 

だが、このチャクラムを使うには…それなりの条件があった。

 

 

「ただし、これを扱うにはあるエクストラスキルが必要となる」

 

 

エクストラスキル。初めからそれぞれのプレイヤーのスキル詳細メニューに載っている<片手直剣>や<片手用曲刀>、<細剣>とは違う、詳細メニューに載る事はない武器スキル。

 

 

「ナーザ。スキルスロットには空はあるか?」

 

 

「あ、ありません…」

 

 

「…そうか、なら質問を変えよう」

 

 

キリトは、ある意味残酷な事を言っている。ネズハに、彼自身を見捨てることなく連れて行ってくれた仲間を、見捨てるかと、それと同義の質問をネズハに投げかけているのだから。

 

 

「鍛冶スキルを捨てる、覚悟はあるか?」

 

 

ネズハの表情が凍り付き、そして、彼の両拳は力強く握りしめられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回からボス戦に入ります。


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第12話 直前会議

ボス戦に入れませんでした。(汗)










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二層到達から六日。第一層突破にかかった二週間という期間に比べると、異様にすら思えるほどのスピード。だがキリト曰くベータテストでは三日で突破したというのだからこれでも遅いのだろう。

 

ケイのパーティーを含めて四十六人。フルレイドには二人達していないが、これまた第一層と比べると十分マシな数字といえるのではないだろうか。今、彼らは第二層のボス部屋の前にいる。そう、今日は第二層フロアボス討伐戦が行われる日なのだ。

 

 

「皆、注目してくれ!ギルド<ドラゴンナイツ>リーダーのリンドだ!一番最初にボス部屋に到達したパーティーの代表として、俺が第二層フロアボス討伐レイドのリーダーを務める事になった!よろしくな!」

 

 

ドラゴンナイツのリーダー、リンドがボス部屋の扉前に立ち、爽やかなポーズをとりながら演説をしている。している、のだが…、如何せんディアベルの時のような爽やかさが感じられない。本人はディアベルの様にと努力しているのだろうが、ドラゴンナイツと並ぶ勢力を持つアインクラッド解放軍との争い様と普段の戦闘指揮を見ていると、どうもディアベルには及んでいないように感じる。

 

指揮官の能力というのは、多かれ少なかれ他プレイヤーにも影響する。そして、懸念はそれだけではなかった。

 

 

「なーにがギルド<ドラゴンナイツ>や。ギルドなんてまだ結成できひんやろ。それもたかだか三時間早く着いただけで偉そうに…」

 

 

「先に着いた方が討伐戦の指揮を執る。そういう約束だったろ?」

 

 

リンドに眼を飛ばしながら詰め寄るキバオウ。そしてそんなキバオウを見下ろし、どや顔を披露しながら言い返すリンド。もう一つの懸念というのは、二大勢力の代表であるこの二人の不仲だ。

 

討伐戦の最中、何らかの方針の違いで二人がすれ違わなければいいが、という懸念をケイは持っていた。

 

それと…、本当に、本当に下らない事ではあるのだが…もう一つ、小さな懸念がある。

 

 

「よぉ、やはりあんた達も来ていたんだな」

 

 

「あ…、エギルさん、だっけか。第一層のボス戦以来だな」

 

 

「あーさんなんて付けなくていいさ。エギルって呼び捨てにしてやってくれ」

 

 

ケイが隣に立つ懸念の正体を横目で見遣った直後、背後から話しかけてくる人影が覗く。振り返ると、そこには笑みを浮かべた巨大な背丈を誇る人物。そう、エギルが声を掛けてきた。

ケイ達を代表して、キリトが一歩前に出てエギルと会話を始める。

 

 

「…おい、何かあそこの二人、ぎすぎすしてないカ?」

 

 

「…まぁ、ちょっと…色々あってな」

 

 

キリトとエギルが、こちらを…アスナを横目で見るケイとケイからそっぽを向いて拗ねているように見えるアスナの二人を見遣って苦笑を浮かべる。

 

そう、このケイとアスナの状態が、ケイの最後の懸念だ。ケイとアスナがこんな風になってしまったのは、理由がある。

 

 

「えっと…、お二人さん、そろそろ仲直りしたら…」

 

 

「仲直り?別に喧嘩なんてしてないわよ。『たまたま』、『一時的に』、『仕方なく』組んでるコンビが喧嘩なんてできるほど仲良いはずがないでしょ?」

 

 

「…」

 

 

ケイとアスナの仲を取り成そうとするキリトの言葉に、アスナがそっぽを向いたまま、冷たい声質で返事を返す。そしてそんなアスナの声を聞いて、ケイは両目を閉じ、口を半開きにさせて苦笑を浮かべる。

 

そして、ケイは一昨日…強化詐欺の真相を暴いた次の日の事を思い返す。

 

あれは、ケイのパーティーとアルゴ、そしてネズハと一緒にある場所へと向かっていた時のことだった。そのある場所とは、とあるエクストラスキルを入手するためのクエストを受けられる場所。

 

そう、その場所にネズハを連れて行ったということは、ネズハは鍛冶スキルを捨てる覚悟を決め、チャクラムを使って勇者として戦う決意を固めたのだ。

 

そのネズハが習得しなければならないエクストラスキルを得るために必要なクエストを受けに、ケイ達は移動していたのだが…その最中、ネズハの口から出てきた問いかけが、ケイとアスナの間に微妙な空気が流れるきっかけとなってしまった。

 

 

『ケイさん、アスナさんとはいつからお付き合いされているのですか?』

 

 

目を丸くしてケイはネズハへと振り返り、アスナは顔を真っ赤にして振り返ったと同時に、『付き合ってませんっ!』と即座に否定する。キリトは苦笑を浮かべ、アルゴがニハハハと爆笑する中、ネズハはさらにこう言い放った。

 

 

『え、でも…。お二人はよく一緒に行動されてる場が目撃されてますし、攻略組の中ではお二人が付き合っているというのは常識になってるんですけど…』

 

 

アスナは色々と驚きすぎたのか、何も言うことができず。しかしここで何も言い返さないというのはそれが事実だと認めるという事になってしまう。ケイは慌てて口を開き、こう言って否定したのだ。

 

 

『それは…、えと、あれだ!たまたま!一時的に!仕方なく組んでるだけであって…』

 

 

この言葉が、微妙な空気を流す決定的な分岐となるものとなってしまった。

 

 

『へぇ』

 

 

『!?』

 

 

言い訳にも似た言葉をネズハに言った直後。ケイの隣にいたアスナから絶対零度の視線が射し込んでくる。この瞬間からここまで、ケイとアスナは会話という会話もすることなく、今日という日を迎える事になったのだ。

 

 

「…そりゃぁまあ、何というか」

 

 

「ま、よくある痴話げんか?みたいなもんだと考えてくれ」

 

 

「…」

 

 

ケイが回想している中、こちらが反応しないことをいいことにキリトとエギルが好きかって話している。

 

おい、そろそろ止めといた方がいいぞ。アスナのレイピアがお前らに向けられる前に止めておけ。ま、口に出して忠告はしてやらないがな!

 

 

「ところで、これが本題なんだが…。お前ら三人、俺のとこのH隊に入ってくれないか?ちょっとトラブルがあって、三人しかいないんだ」

 

 

「え…、何かあったのか?」

 

 

エギルのパーティーは、ちょうど一レイド上限の六人で組まれていたはずだ。それなのに、半分の三人しかボス戦に参加することができない。

 

 

「…」

 

 

理由は、大体予想ができた。それを、ケイが口にすることはなかったが。

 

 

「じゃあ、お言葉に甘えて…。二人もいいよな?」

 

 

「…」

 

 

キリトがこちらに視線を向けながら聞いてくる。アスナは無言で頷き、ケイは悩むような素振りを見せてから口を開いた。

 

 

「二人はエギルのパーティーに入っててくれ。悪いけど、俺は…」

 

 

「<ビーター>。…だからか?」

 

 

「っ…、そうだ」

 

 

キリトとアスナにエギルのパーティーに加わるように言ってから、ケイは断りの返事を入れようとする。だが、ケイの言葉は途中で遮られ、さらに遮ったエギルにケイが言おうとした言葉を言われてしまう。

 

ケイはエギルの問いかけに、こくりと頷いて答えた。すると、エギルは笑みを浮かべて頭を振りながら口を開く。

 

 

「そんな風に呼んで非難してる奴らはごく一部さ」

 

 

「…そうなのか?」

 

 

「あぁ。あんたは表に中々顔出してこなかったから知らないだろうけど、ほとんどの奴らはあんたのおかげで助けられたって感謝している。…俺だってその一人だ。あんたがいたら、百人力だ」

 

 

ケイに歩み寄り、手を差し出しながら言うエギル。ケイは一度視線を床に落として…、すぐにエギルの顔を見上げる。手を伸ばし、エギルの手を握り返しながらケイは言った。

 

 

「じゃあ…、俺も、よろしく頼んますわ」

 

 

「あぁ。期待してるぜ」

 

 

ニヤリと笑みを浮かべながらプレッシャーをかけてくるエギルに、ケイもまたにやりとした笑みを返す。

 

 

「それで、H隊の役回りは?」

 

 

そんな二人のやり取りを見守っていたキリトが、エギルに問いかける。

 

 

「取り巻きMobの掃討だとさ。ボス担当はA~F隊で、リンド派とキバオウ派で独占されてる」

 

 

「取り巻きってまさか…、<ナト・ザ・カーネルトーラス>か!?あれは中ボスクラスだぞ!?それをたった二隊だけで…」

 

 

第二層のフロアボスの名前は、<バラン・ザ・ジェネラルトーラス>。だがその本ボスと一緒に出てくる取り巻きが、中ボスクラスの強さを持つ<ナト・ザ・カーネルトーラス>だ。

 

本来、中ボスクラスのモンスターは最低でも三レイド分の人数で臨むのが通常の討伐方法なのだが…。

 

 

「で、もう一隊は?」

 

 

「あぁ、それなら…」

 

 

「ナト大佐担当のH隊は、卿らか?」

 

 

ケイが、取り巻きのナト…省略して、ナト大佐を担当するもう一レイドを問いかけ、エギルが答えようとする。その直後、すぐ近くからかかる声が聞こえてきた。

 

振り向くと、そこには立派な装備とマントを身に着けた集団と、その先頭に立つプレイヤーが。

 

 

(レジェンドブレイブス…)

 

 

彼らを見て、ケイは内心でぽつりと呟く。ケイ達に話しかけてきたのは、紛れもないレジェンドブレイブスのリーダー、オルランドだった。そして、このタイミングで話しかけて、それも先程の問いかけ方から察するに…、恐らくナト大佐担当のもう一隊は、このレジェンドブレイブスなのだろう。

 

 

「卿らとナト大佐を担当するG隊、レジェンドブレイブスだ。エギル殿…でよかったかな?よろしく頼む」

 

 

「あぁ、こちらこそよろしく」

 

 

笑みを浮かべて協力を仰ぐその姿は、どうしても悪事を働くような性根を持った人には見えない。

すると、オルランドは笑みを浮かべたままケイの方に振り向き、続けて口を開いた。

 

 

「卿も、フィールドボス戦には参加していなかったようだが、見事な腕と聞く。それもすでに二つ名をもらうほどの。確か、ビー…」

 

 

「<幻影>」

 

 

第二層に入ってから最前線に台頭してきたレジェンドブレイブスは、ビーターという名の由来をあまり知らないのだろう。そのため、この往来の中で無遠慮にそれを口にしようとしたが、エギルがそれを遮り、何やら不穏に感じる単語を口にした。

 

 

「俺達は、そう呼んでいる」

 

 

「え」

 

 

「…ふむ、なるほど。ファントム殿、我らも卿に負けぬよう尽力致そう」

 

 

「…え」

 

 

何か勝手に呼び名が決められている事に呆然とするケイ。そんなケイの見ている中、オルランドはパーティーメンバーの元へと戻っていく。

 

ケイはオルランドからエギルの方へ視線を向ける。エギルは微笑んでいる。

ケイはエギルからキリトの方へ視線を向ける。苦笑を浮かべている。

ケイはキリトからアスナの方へ視線を向ける。さっきまで話しかけてくんな空気を発してたくせに、こちらから顔を背け、口を手で覆い、ぷるぷる震えている。あれは間違いない、笑いを堪えようと頑張ってる。

 

 

「お前ら…」

 

 

エギルはまだいい。だがアスナとキリト、二人は駄目だ。こいつらは、知っていて黙っていたんだ。どういう理由でかは知らないが…、だが、よくわからない他の人から呼ばれて初めて知るよりも、知ってる人から報される方がまだマシだった。

 

 

「キリト。…後で覚えてろよ」

 

 

「お、俺だけかよ!?アスナだって…」

 

 

「残念だったな。俺の怒りの矛先はお前にしか向いてないんだ」

 

 

「理不尽だぁああああああああ!!!」

 

 

キリトの叫び声が響き渡る中、リンド達、討伐隊の重臣を務めるプレイヤー達が最後の担当調整とボスのスキル確認を行う。そして、綿密な確認を終えると、リンドは扉の方を向き、口を開く。

 

 

「ではっ、今こそ開けよう!俺達の勝利の扉を!」

 

 

リンドの手が扉にかかり、そして今、開けようとする。

 

 

「待ってくれ」

 

 

「…なんだ?」

 

 

その時、扉を開けようとするリンドをエギルが呼び止める。リンドが振り返り、エギルに続きを促す。

 

 

「今回の作戦も、攻略本の内容を前提にし過ぎてないか?第一層の時と同じく、ベータテスト時からの変更点があると、覚悟しておく必要があるんじゃないか?」

 

 

「…もちろんだ。あの過ちを、繰り返すつもりはない」

 

 

確かに、第一層ボス戦の時と同じように、ベータテストからの変更がある可能性はある。…いや、あると考えて間違いない。エギルの問いかけに、リンドは頷きながら答える。

 

 

「なら、撤退の基準を決めておくべきだろう。初回の挑戦で事前情報との相違点が確認できた時点で即時撤退。戦術を練り直してから、再度挑戦。それでいいな?」

 

 

「あぁ…。それでいこう。では…」

 

 

「ちょぉ待ってんか!」

 

 

エギルの撤退基準の案をリンドが受け入れ、改めてボス戦へと望む────ことはなく、今度はキバオウがリンドを止める。

 

 

「今度は何だ!」

 

 

再度ボス挑戦を遮られたリンドは、苛立ちを浮かべながら振り返り、キバオウに詰め寄る、

 

 

「エギルの言う通り、攻略本だよりは確かに危険や。ゆうたら悪いが、あれはボス部屋にも入ったことのない情報屋が書いたものなんやからな。せやから…」

 

 

キバオウはエギルの意見を肯定しながらさらに言葉をつづけ、そして振り返る。

 

 

「一度このボスと戦った事のある奴から、話を聞かん手はないやろ。百聞は、一見に如かずとゆうしな」

 

 

「…」

 

 

横目でケイを見ながら言うキバオウ。キバオウを、目を細めて、内心を見定めようと目を見据え返すケイ。

 

正直キバオウがどういうつもりなのかさっぱりわからない。エギルの言う通り、ケイをビーターと蔑んでいるプレイヤーが少なかったとしても、少ないながらもそういう者は存在している。

 

たとえば、このボス討伐レイドのリーダー、リンド等が。

 

 

「キバオウ!あいつは…」

 

 

「少なくともワイらよりボスに詳しいのは確かやろうが。それとも何や?ジブンの下らん意地でまたディアベルはんのような犠牲を出したいんか?」

 

 

「っ…」

 

 

キバオウの言い方はどうも挑発染みていてどうかとは思うが、言っている内容は的を射ている。犠牲者を0にするためには、手段を選んでいられないのはプレイヤー全員の共通の想いのはずだ。

 

 

「…」

 

 

「…少なくともベータでは、雑魚トーラスと行動パターンは大差なかった」

 

 

しかし、ケイはベータテスターではない。事前で攻略本の情報は得ているものの、ボスと対峙するのは今回が初めてだ。ここで攻略本に書かれた通りだと言えば手早くこの状況から逃れられるのだろうが…、ケイはキリトに目配せをする。

 

やはり、実際にボスを見た事のある者が説明した方がいいだろう。ケイは説明するのが面倒くさいという風を装いながら、頭を振ってキリトに説明してやれと指示を出した、そういう仕草を見せる。

 

キリトはこくりと頷いてから口を開き、説明を始めた。

 

 

「奴のソードスキルもその延長線上を前提として大丈夫だとは思う。ただ、デバフ攻撃を二重に喰らうのだけは避けてくれ。スタンが二重掛けでマヒ状態になる。ベータでそうなったプレイヤーは…」

 

 

あえて、キリトはその続きを口にしなかった。だがそこから続く言葉は容易に想像できる。キリトの説明を聞いていたプレイヤー達は息を呑み、表情を緊張で染める。

 

 

「二発目は絶対回避やな…。それを最優先にすればええっちゅうことやな」

 

 

キバオウがキリトの説明をまとめて改めて確認する。直後、キバオウは体を翻し、リンドの横を通り過ぎてボス部屋の扉に手をかけた。

 

 

「ほんなら、行こか」

 

 

「あっ、おい!リーダーは俺だぞ!?」

 

 

勝手に扉を開けるキバオウの横にリンドが駆け寄り、キバオウの前へと割り込もうとする。

 

 

「そそ、それでは行くぞっ!えいえい、おー!おー…、お…」

 

 

ボス戦を始める直前に、皆に気合を入れようとしたのだろう。掛け声をかけようとしているリンドだったが、プレイヤー達は反応しない。リンドの方を…、リンドの背後にいる何かを見上げて、口を半開きにさせたまま動かない。

 

リンドはプレイヤー達の状態を怪訝に思い、恐る恐る振り返る。

 

プレイヤー達の見上げる先にいるのは、巨大な槌を握る、二体のウシ型モンスター。

 

 

「でっ…、でかっ…」

 

 

第一層のボス、イルファング・ザ・コボルドロードとは比べ物にならないサイズ。それも、片方はただの取り巻きMobという。

 

 

「…怖い?」

 

 

「…そう見える?」

 

 

いつの間にか傍らに来ていたアスナが問いかけてくる。ケイが笑みを浮かべながらアスナの方を見ながら返事を返すと、アスナはケイの目を真っ直ぐに見て口を開いた。

 

 

「ボス戦の間は忘れておいてあげる。でも、ボス戦の後で色々と話を聞きたいからよろしくね。…<幻影>さん」

 

 

「…そういや俺も色々と聞きたい話があるんだよ。<閃光>さん」

 

 

「…何それ」

 

 

「知らぬは本人ばかり…てか?」

 

 

「ちょっと…まさかそれ、私のことを言ってるんじゃないでしょうね」

 

 

傍らのアスナが言うと、ケイもまた反撃といわんばかりに言い返す。そしてケイの言葉に食い付いてきたアスナから、ケイはくつくつと笑いながら視線を外す。

 

 

「突撃ぃー!」

 

 

「遅れるなよ、アスナ!」

 

 

「あなたこそ、足を引っ張らないでね!」

 

 

リンドが号令を出すと同時に、プレイヤー達が一気にボス部屋へとなだれ込んでいく。それに対し、二体のウシ型モンスター、<バラン・ザ・ジェネラルトーラス>と<ナト・ザ・カーネルトーラス>が雄叫びを上げてプレイヤーを迎える。

 

 

 

 

第二層フロアボス攻略戦、開始──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第13話 VSバラン・ザ・ジェネラルトーラス&ナト・ザ・カーネルトーラス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当初は二本あったHPバーは、すでに一本が完全に削り取られ、残りは半分の一本となった。目の前の巨大なモンスター、ナト大佐が槌を振りかぶり、その手に握られている槌が黄色いライトエフェクトが迸る。

 

 

「パターンBだ!三連撃来るぞ!」

 

 

その予備動作を目にしたキリトが口を開き、大声を上げて指示を出す。ナト大佐はタゲを向けているエギルのパーティーにソードスキルを放つ。

 

しかし、ソードスキルはエギル達に全て凌がれ、ナト大佐はスキル後の硬直時間が訪れる。

 

 

「今だ!」

 

 

エギル達の間を縫い、キリトが、ケイとアスナがナト大佐の懐へと潜り込む。

 

ケイの二連撃ソードスキル<デュアルリーバー>、アスナの三連撃ソードスキル<トライリニア―>、キリトの二連撃ソードスキル<バーチカルアーク>がナト大佐の身体を切り裂く。

 

三人が放ったスキルが、ナト大佐の身体に赤い傷跡を残す。HPバーも三人のスキルによってがくんとイエローゾーンに達するほど減らす。

 

 

「…暴走モード突入、ケイ!アスナ!」

 

 

「わかってる!」

 

 

「っ…」

 

 

演出が入ったナト大佐を見たキリトがケイとアスナを見回して呼びかける。ケイとアスナはナト大佐に視線を向けたまま頷き、三人同時にナト大佐から距離をとる。

 

 

「スイッチ!」

 

 

「おぉ!」

 

 

キリトの合図と同時に前へと飛び出してきたのは、オルランド率いるレジェンドブレイブス。暴走モードに入ったナト大佐が振り下ろす槌を彼らは受け止め切り、命中すると起こるスタンを打ち消してしまう。

 

 

「あいつら…、形だけじゃないな。こりゃ負けてられないぞ、ファントム殿?」

 

 

「その呼び方やめて…。いやまぁ、こっちは全く問題はないな」

 

 

レジェンドブレイブスに押さえられているナト大佐を眺めていると、エギルが傍まで歩み寄り、話しかけてくる。ケイはそのエギルをじと目で見遣ってから、ため息を吐きながらナト大佐から視線を外す。

 

 

「あぁ。…問題は」

 

 

「…本隊の方ね」

 

 

ケイとエギルが視線を向けた先に、アスナとキリトもまた目を向けて、ケイの言葉を引き継ぐ。

 

彼らの視線を向けていたのは、バラン将軍と交戦する本隊が散らばっていた。

 

 

「か、回避ぃーっ!!」

 

 

リンドが指示を出す叫び声がこちらにまで届く。しかし彼の指示もむなしく、バラン将軍が繰り出す範囲ディレイ攻撃がバラン将軍を取り囲んでいたプレイヤー達を襲う。

ディレイ攻撃を受けたプレイヤー達はスタン状態となり、動けなくなる。

 

 

「お、おい!大丈夫か!?」

 

 

「す、すまねー…」

 

 

スタン状態で動けないプレイヤーを、攻撃を回避した、または範囲外にいたプレイヤー達がフォローする。

 

どうやら、ボス戦前にキリトが口にした最悪の事態、スタンの二重掛けという事態には陥っていないようだが、犠牲者が出ていないだけ。バラン将軍のHPはまだたった一本を減らしただけ。まだ二本目の大半を残している。

 

 

「くっ…、ちょっと行ってくる!撤退も頭に入れておいてくれって忠告出す!」

 

 

「あぁ…!」

 

 

キリトが、本隊の後方で指揮をしているリンドとキバオウに駆け寄っていく。ケイは走るキリトの背中を見送ってから、未だナト大佐と交戦するレジェンドブレイブスに目を向ける。

 

彼らはディレイ攻撃を喰らうことなく、順調にナト大佐のHPを減らしていく。HPは注意域へと至り、さらに勢いよく危険域へとがくりがくりとHPが減っていく。

 

 

「キリト君…。どうなったの?」

 

 

「あぁ…。後一度、ディレイ攻撃を受けてスタン状態に誰か一人でも陥れば撤退する。この基準で確定したよ」

 

 

「…そうか」

 

 

レジェンドブレイブスの戦いぶりを見守っていたケイ達に、戻ってきたキリトが近寄る。それに最初に気づいたアスナが問いかけ、キリトは話し合いで決まった撤退基準について説明する。

 

やはり、何だかんだであの二人は状況が見えていたのだろう。このまま戦闘を続けると恐らく犠牲者が出る可能性は高い。しかし、この戦いの間で使ったアイテムの損失も大きい。だがプレイヤーの命には代えられない。

 

プレイヤー達もタイミングは掴めてきているはず。本隊を見ているとわかるが、集中もできている。士気も高い。だから…、今すぐ撤退しないという二人の案をキリトは納得した。

 

 

「ともかく…、こっちはこっちのやることをやろう。向こうはあの二人に任せて大丈夫だ」

 

 

キリトのその言葉を皮切りに、ケイ達の意識はナト大佐に集中する。暴走モードのナト大佐の攻撃をレジェンドブレイブスが、エギル達が受け止め、スキル硬直時間が訪れたナト大佐にケイ達が攻撃を仕掛ける。

 

暴走モードに突入すると、ナト大佐の防御力は上がるようで、先程の様なペースでHPを削ることは出来なくなったが、それでもいよいよナト大佐のHPバーは危険域へ突入する。

 

 

「よーし、あと一息であるッ!必殺の…フォーメーションXだ!」

 

 

ナト大佐のHP残量を見たオルランドが指示を出すと、レジェンドブレイブスの面々がオルランドを中心に、X字の隊形をとる。

 

 

「…なぁアスナ。オルランドさん以外が、ただ何となくって感じでやってるように見えるのは俺だけ?」

 

 

「…安心して。私もだから」

 

 

やはりあの隊形にグダグダ感を覚えてるのはケイだけではなかったようだ。アスナが小さくため息を吐いたのが分かる。

 

 

「向こうも…残り一本。暴走モードに入った」

 

 

ナト大佐との戦いが大詰めとなった時、本隊の方の戦闘に動きがあった。バラン将軍のHPバーの二本目が消滅し、残り一本となった時。バラン将軍がナト大佐と同じように暴走モードへと突入したのだ。

 

バラン将軍がハンマーを折り、投げ捨てる。これは、攻略本に書かれた通りのバラン将軍の行動だった。

 

 

「どっちもベータの時と同じだ…。どうやらこの層では、ベータとの変更点はないらしいな」

 

 

キリトがほっ、と安堵の笑みを浮かべながら口にする。確かに、ここまで攻略本の情報との相違点は全くない。だから、キリトが安心する気持ちはよくわかるのだが…。

 

 

「なぁ、ブラッキーさんよ。俺には、どうも腑に落ちない点があるんだが…」

 

 

「ん?どうした、エギル?」

 

 

キリトの背後から声をかけるエギル。キリトは振り返り、ケイとアスナもエギルの方へと視線を向ける。

 

 

「第一層のボスは、<ロード>、だったよな?」

 

 

「?」

 

 

エギルの言葉を聞いて、キリトとアスナは首を傾げる。だが、ケイは…体をびくりと震わせ、目を見開いてエギルを見る。

 

 

「おいエギル…。まさか…」

 

 

ケイがそう、口にした瞬間だった。

 

バラン将軍とナト大佐、それぞれに注意を向けていたプレイヤー達が、全く目を向けていない場所。ボス部屋の中央が突如、円形に開かれていき、さらに空いた穴から何かがゆっくりと上がってくる。

 

中央から発せられる機械音にも似た震動音が響き、モンスターと交戦しているプレイヤー以外はその方向へと視線を向け…呆然と武器を落とす者まで現れる。

 

 

「どうして、<将軍>に格下げされたのか…。そう思ったんだが…」

 

 

「マジかよ…。こんなの…」

 

 

ケイは一筋の汗を垂らしながら、中央からせり上がってきた存在を睨み付け、唇を歪ませて笑みを浮かべる。

 

もう、笑うしかなかった。どこかで情報との相違点があるだろうと覚悟はしていたが…、まさか、新たな本ボスが現れるとは想像もしていなかった。

 

 

「マジで…。性格悪ぃよ、あんた…」

 

 

「<アステリオス・ザ・トーラスキング>…!?」

 

 

左手を胸に当て、右腕を広げて、まるで誰かが演出をしているような体勢で登場してきた、ナト大佐やバラン将軍をも超える背丈を誇るモンスター、<アステリオス・ザ・トーラスキング>。

 

ナト大佐やバラン将軍とは違い、肋骨が皮膚から浮き出ている所を見ると、恐らくそう硬くはないはず。だがその代わりというべきか、目を引くのは六本のHPバー。

 

 

「っ、まずい!本隊の退路が塞がれた!」

 

 

「ジーザス!挟み撃ちだ!」

 

 

ケイ達は、本ボスと思われたバラン将軍と交戦を行う本体からナト大佐の意識を外し、ナト大佐をボス部屋の端へと誘い込んでいたため影響はない。だが、バラン将軍が現れた場所でそのまま交戦していた本隊はそうはいかなかった。

 

中央に現れたアステリオス王とバラン将軍が二方向から本体を囲む。これで、撤退したくても彼らはできなくなってしまったのだ。

 

 

「私達で、あれの足止めを…!」

 

 

「いや!奴と本体との距離はまだある!まずは…取り巻きだ!」

 

 

アスナがレイピアを構え、ゆっくりと本体に近づいていくアステリオス王へと駆けだそうとするのをキリトが止める。キリトは振り返り、ナト大佐の方に視線を向けて大きく口を開く。

 

 

「G、H隊!総攻撃だ!防御不要!回避不要!攻撃あるのみ、ごり押しだ!」

 

 

駆けだしたキリトに続いて、ケイがアスナが、エギル達も続き、ナト大佐を囲んでいたレジェンドブレイブスと共に総攻撃を仕掛ける。

 

十二人それぞれのソードスキルがナト大佐に命中し、すでにほとんど減っていたHPはあっという間に尽き、最後のHPバーは消滅する。ケイ達はナト大佐がポリゴン片となり、四散していくところを見ることなく、驚愕に固まる本体との合流を図る。

 

 

「次っ、将軍を…!あれは!」

 

 

ケイ達が次に目指すのは、半分以上はHPが減っているバラン将軍の下。まずは、敵の数を減らすべきだ。バラン将軍を倒し、アステリオス王に集中しながら撤退を視野に入れて考慮すべきだ。

 

しかし、ケイ達が本体に向かって駆けだした瞬間、アステリオス王は奇妙な動作を始めた。大きく息を吸い込み、骨が浮き出るほど細い胸が膨らむ。

 

 

「まさか…!」

 

 

歯を食い縛り、目を見開くキリトが信じられない様子で口を開く。だが次の瞬間、アステリオス王の口から直線状の何かが吐き出された。

 

<遠隔攻撃>、通称ブレス。この攻撃は威力こそ打撃攻撃より小さいものの、大抵何らかの追加効果が加えられている。

 

このボス戦で、バラン将軍もナト大佐もスタン効果が加えられた攻撃を繰り出してきた。そこから、このブレス攻撃に加えられた効果は容易に想像できる。

 

 

「─────…!」

 

 

「止まるな!エギル達は麻痺者を安全圏に!」

 

 

ブレス攻撃を受けた大勢のプレイヤーがスタン状態になり倒れるという燦々たる光景を前に、立ち止まるエギル達とレジェンドブレイブスを鼓舞し、キリトはケイとアスナを伴ってなおも駆ける。

 

 

「ケイとアスナ、ブレイブスはこっちだ!俺達で、バラン将軍を討ち取る!」

 

 

キリトの指示を受けたエギル達は麻痺状態となったプレイヤーのフォローを行い、キリトとアスナ、レジェンドブレイブスはキリトと共にバラン将軍への一斉攻撃を行う。

 

多少のダメージは気にも留めず、ただバラン将軍のHPを早く削るためだけに動き続ける。

 

 

(だが、これじゃ…!)

 

 

バラン将軍のHPは、本隊と交戦していた時以上のペースで減り続けていた。だが、ケイは悟る。これでは、間に合わない。アステリオス王も混じり、大混戦となってしまう。

 

 

「っ!」

 

 

バラン将軍が大きく拳を振り下ろす。この動作は、暴走状態となった将軍がディレイ攻撃を行う合図。キリトとレジェンドブレイブスが駆けだし、バラン将軍が振り下ろす拳を受け止めてディレイ攻撃の妨害に成功。

 

だが、ケイは横目で見たアステリオス王の動作を見て大きく目を見開く。

 

それは、つい先程見たアステリオス王のブレス攻撃の予備動作。それを悟ったケイは、何かを考える前にアステリオス王に向かって駆けだした。

 

 

「ケイ君!?」

 

 

背後からアスナの戸惑いの声が聞こえてくるが、構わない。ケイは大きく息を吸い込むアステリオス王の足下へ着くと、すぐさま王の背後へと回り込む。

 

ケイはアステリオス王の動作をよく見ていた。ブレス攻撃を行う直前、アステリオス王は大きく体を前に倒す習性がある。その時の体勢ならば、背後からアステリオス王の足から上ることができる。

 

アステリオス王がブレスを吐き出そうと体を倒す。それによってできた、駆け上るための道に、ケイは足を踏み入れる。

 

 

(間に合え────)

 

 

踵、ひざ裏、腰から背中、そして…頭へと辿り着いた時、ケイはアステリオス王が被る冠に向けて渾身の単発ソードスキル<リーバー>を叩き込んだ。

 

 

「ン゛モオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!?」

 

 

頭上から受けた衝撃に寄り、アステリオス王の身体が大きく沈み込む。ケイはアステリオス王の頭から跳躍し、倒れ込む身体を両手を床について支える無様な王の前で着地した。

 

 

「ケイ君!何を…」

 

 

「アスナはキリト達と一緒にバラン将軍に集中しろ!」

 

 

ゆっくりと体を起こし、ギラギラと怒りに満ちた目でこちらを睨むアステリオス王を見据えながら、アスナに声を返す。

 

 

「…ずいぶんだらしねぇ王だな。だらだら涎流しやがって」

 

 

曲刀を構えながら、口から涎を流しながら雄叫びを上げるアステリオス王に冷ややかな視線を送りながら呟くケイ。直後、ケイにタゲを向けたアステリオス王が駆けだし、振りかぶった右腕をケイに向かって振り下ろす。

 

ケイはその場から左にステップして回避し、スキルを使うことはせず、素のままの刃でアステリオス王が振り下ろした右腕を切りつける。

 

 

「ンモ…」

 

 

「…HP自体は減ってるが」

 

 

まるで効かないよと言わんばかりに微笑むアステリオス王の顔は見ず、六本のHPバーを見上げるケイ。一本目のHPバーは減った様子は見られるのだが、何しろ六本分という多大なHPをアステリオス王は持っている。

 

 

(これは変に欲は持たないで、時間稼ぎだけに徹した方がいいな)

 

 

この直前まで、あわよくばと欲を持っていたケイだったが、そんな下らない欲は頭を振って打ち消す。だが、一人でボスを倒すことはできないが…、時間は稼いでやる。アスナ達がバラン将軍を倒し、こちらに来るまで、何としても耐えきってやる。

 

アステリオス王が、本当にこちらに狙いを付けているのか疑いたくなるほど我武者羅に両腕を振り下ろしてくる。その軌道をしっかり目で見て、着弾点を見極めながらケイは足を動かし、体を翻してアステリオス王の猛攻を回避し続ける。

 

 

(今度は…、同じ過ちを犯すものか…!)

 

 

脳裏に浮かぶのは、自分を庇って死んでいった騎士の顔。今度はもう、あんな犠牲者は出してなるものか。

 

ケイは胸に決意を刻みながら、アステリオス王から決して目を離さない──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




自分にとっての理想の文字数、5000~6000文字に収めることができました。次回も継続していきたいですね。


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第14話 VSアステリオス・ザ・トーラスキング前編

ケイ君ヒロイン化ww








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無茶だ!あんな化け物を一人でなんて!」

 

 

レイドリーダー、リンドの叫び声がボス部屋中に響き渡る。

 

そしてアスナもまた、正直な所リンドと同じ心境だった。だから、今もアステリオス王のタゲを取り続けるケイの姿に耐え切れず、駆けだそうとした。

 

 

「っ…!」

 

 

「ダメだアスナ!今はこっちを倒すことに集中しろ!」

 

 

アステリオス王の周りを、タゲが移動しないように立ち回りながら時間を稼ぐケイの元へと向かおうとするアスナを、キリトが呼び止める。

 

 

「でも!」

 

 

「どちらにしても、この状況じゃ誰かが通らなければならない路だ…」

 

 

キリトの言い草に、アスナは目を見開く。確かに、あの状況では誰かが時間を稼がなければどうなっていたことか。ケイが飛び出していかなければ、どれだけのプレイヤーが犠牲になっていただろうか。

 

それは、わかる。

 

 

(何で…、何でそんな言い方するのよ…。それじゃまるで…!)

 

 

理解は、できる。だが…、それではまるで、ケイを捨て駒に使っているようではないか。

 

 

「ともかく今はバラン将軍だ!あいつを倒したら、すぐにケイの援護に行くぞ!」

 

 

キリトはそう言うと、バラン将軍を押さえているレジェンドブレイブスに加勢しに行く。アスナは走るキリトの背中から、アステリオス王の猛攻を凌ぎ続けるケイに視線を向ける。

 

アステリオス王の攻撃は、全くケイに命中していない。ケイはアステリオス王の動きから目を逸らすことなく、最小限の動きで、攻撃のギリギリを立ち回って回避し続けている。

 

 

「…っ」

 

 

ケイは自分に言った。キリトとレジェンドブレイブスと一緒に、バラン将軍を倒せと。そうだ、ケイはその時間を稼ぐためにああして一人で戦っている。

 

それなのに…、パートナーである自分が、こんなとこで燻っていていいのだろうか。

 

答えは、否だ。

 

アスナはレイピアを構え、キリトに続いて駆けだしていく。

早く、こいつを倒そう。こいつを倒して…、ケイを─────

 

 

 

 

 

 

 

 

両腕の振り下ろしをバックステップでかわし、足が床に着いた直後に再度ステップで距離をとる。だが、あまり離れないように気は使う。

 

ここまでの戦いで、アステリオス王はブレス攻撃は繰り出してこなかった。つまり、ある程度クロスレンジを保っていれば遠距離攻撃は使ってこないと考えて間違いはないだろう。

 

しかし、距離を詰めすぎるのも危険だ。アステリオス王はバラン将軍やナト大佐と違って細身のせいか、かなり軽い身のこなしを披露してくる。その上で、バラン将軍を越える破壊力を誇る攻撃。一発でもまともに受ければ、HPはどれだけ削られるだろうか。正直、想像もつかない。

 

 

「っつ…!考えてる暇なんてねぇ!」

 

 

頭の中でダメージを予想し、どれだけ耐えられるかを計算していると、移動を続けるケイの頬をアステリオス王の拳が掠る。直後、ケイのHPが二割ほど持っていかれた。掠っただけで、だ。

 

ケイは頭を振って思考を放棄。ただアステリオス王の動きにだけ意識を集中させる。

 

右手の振り下ろしを、前方へとステップし開きすぎていた距離を縮めながら回避。左腕での薙ぎ払いを跳躍して回避、着地したと同時に左へとステップ。今度はアステリオス王の両腕の振り下ろしが先程までケイが立っていた場所を大きく抉る。

 

 

(アスナ達は…)

 

 

ケイは床に突き刺さった両腕をアステリオス王が抜こうとあがいてる隙に、バラン将軍との交戦するアスナ達の方へ視線を向ける。バラン将軍のHPバーは残り三分の二といったところだろうか。もうそろそろ注意域に達するだろう。

 

 

(これなら…、もう少しで援護が期待できるかな)

 

 

ケイは険しい表情を浮かべながらも唇を小さく笑みの形に歪める。

たった一人でボスの周りを立ち回り、さらに一撃愛ければHPのほとんどを持っていかれそうな破壊力を持つ攻撃。そんな化け物を相手にしているというのに、恐怖を全く感じない自分に驚き、思わず笑ってしまった。

 

 

(ま、どうせすぐ来るだろ。あいつらなら)

 

 

これまでMMOをプレイして来たケイだが、こんな感覚は初めてだった。やられるはずがない、すぐに仲間が駆けつけてくれる。何故自分は、こんなに安心感を抱いているのだろう。アステリオス王の背後に回り込みながら、小さく疑問に思った。

 

そしてその感情が、ケイが引き起こす最大のミスへと導く事となる。

 

 

(あいつ…、俺を見失ってる?)

 

 

背後に回り込むと、アステリオス王がきょろきょろと見回してケイの姿を探している様子がわかる。

 

ケイはその様子を見て、足をアステリオス王へと向けて踏み出してしまった。

 

ソードスキルは使わない。それでも、少しでも相手にダメージを与えようという、欲を出してしまった。アステリオス王と向き合った直後、絶対に出さないように胸に刻んだはずの欲が、出てしまった。

 

ケイは跳躍し、アステリオス王に背中に刃を突き立てようと腕を引き絞る。アステリオス王は未だ、ケイの姿を見つけた様子は見られない。

 

 

(もらった…っ!?)

 

 

もうすぐ、剣の攻撃範囲に入ろうとした、その時だった。ケイの視界の端で何かが動き、迫る。

 

 

「なっ…?」

 

 

何が起こったのか、すぐにはわからなかった。だが、ケイは横合いから受けた衝撃で体勢を崩し、床へと落下していく。

 

ケイの視界に入ったのは、ゆらゆらと動くアステリオス王の尾。

 

 

「しまっ…!」

 

 

あの尾にやられたのだと悟ったその時には、アステリオス王はこちらに体を向け、右腕を大きく振りかぶって振り下ろそうとしている。

 

ケイは未だ空中におり、体を自由に動かすことができない。回避は、不可能。

 

 

「ぐぅっ…!」

 

 

アステリオス王の張り手の衝撃がケイの全身を襲い、システムの恩恵で痛みこそ感じないものの、思わず顔を歪めてしまうほどの不快感が全身を奔る。

 

ケイの身体はアステリオス王の張り手によって一気に加速し、床へと叩きつけられる。転がりながら床で何度もバウンドし、ようやく止まった時にはアステリオス王とのクロスレンジからはかなり離れてしまっていた。

 

 

(まず…っ、スタン!?)

 

 

HPはまだ注意域を保っていた。空中で体を翻したことが功を奏したか、クリティカルを避ける事は出来た様だ。だがポーションを飲んでいる暇はない。すぐにアステリオス王との距離を詰めて、ブレス攻撃を防がなければならない。

 

ケイは起き上がろうと両腕両足に力を込めようとするが…、力が入らない。さらにケイの視界の左上には、スタン状態を示すアイコンが浮かんでいた。

 

 

「く…、そっ…」

 

 

ケイは背後に目を向ける。そこには、エギル達が運んでアステリオス王とバラン将軍から距離をとって待機していたプレイヤー達がいた。麻痺からは回復しているものの、まだHPが回復し切っていない。それも、こちらを呆然と見て何が起こったのか飲み込めていない様子だ。

 

 

「すぐにそこから離れろ!ブレスが来るぞぉおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

ケイは背後で腰を下ろすプレイヤー達に向かって叫ぶ。

 

アステリオス王のブレスは貫通型だった。正面にいるプレイヤー達を貫き、その後ろにまで攻撃が及ぶ貫通型。つまり、たとえここでケイがブレスを防ごうとしても、その行為は無駄になる。

 

ケイの叫びを受けて、背後のプレイヤー達が移動を始めるが…遅い。ダメだ。もうアステリオス王はブレスの予備動作を取っている。

 

 

(ここで…、こんな所で終わりかよ…!)

 

 

アステリオス王の胸が大きく膨らみ、次の瞬間、こちらにブレスを吐き出そうと体を前方に倒す。直後、ブレスは自分に命中し、そしてHPは失われ命を散らすことになるだろう。

 

たった二層で、死ぬことになるとは…。絶対にゲームをクリアしてやると意気込んでいたあの時の自分が、まるで道化のように感じて情けない。

 

そして、何よりも…

 

 

(お前と一緒に、クリアしたかったなぁ…)

 

 

この世界に来て、初めて知り合い、会話した人。その人と一緒にこの世界の頂に辿り着けなかったことが、どうしても悔しかった。

 

だが、そんな感情はもう無駄だ。もうすぐ、自分は死ぬ。きっとアスナが、キリトやエギル達がこの世界を打ち破り、現実世界への道を切り開くだろう。

 

 

(だから…、もう、良い)

 

 

うつ伏せで倒れ、それでもなおアステリオス王を睨み付けていたケイの目が、ゆっくりと閉じられる。耳には、キリトやエギルが自分を呼ぶ声が聞こえてくる。だけど…、アスナの声だけは聞こえてこなかった。

 

だが、それでよかった。こうして死ぬことに対して納得できたのに、アスナの声を聞いたら揺らぎそうだったから。こんな情けない自分に、もう構ってほしくなかったから─────

 

アステリオス王の口から、ブレスが吐き出される…

 

 

「はぁあああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

「!?」

 

 

と思われた瞬間、聞こえてきた雄叫びにケイは目を開いた。その声は、まだそう長く付き合ってもいないのに、隣にいるのが当たり前のように錯覚してしまうほど濃い時間を過ごしてきた、相棒の声。

 

 

「あす…な?」

 

 

アスナのリニア―が、アステリオス王の顔面を捉える。アステリオス王の顔は大きく横へと動かされ、それによって吐き出されたブレスは狙いから大きく逸れ、誰一人に命中することなく終わる。

 

 

「…ンモ」

 

 

「っ」

 

 

小さく声を漏らしたアステリオス王が、自身の攻撃の邪魔をしたアスナの姿を捉える。

アスナもまた、レイピアの切っ先をアステリオス王に向けて構える。

 

 

「アスナ!」

 

 

ケイが叫んだと同時、アスナは駆けだした。アステリオス王が交互に振り下ろす腕を掻い潜り、的確にアステリオス王にダメージを与えていく。

 

 

「バカ!すぐ戻れ、アスナ!!」

 

 

まだか…、まだ動かないのか!?

 

未だ自由に動かない体に鞭打って立ち上がろうとするケイ。しかし、スタンは長引き、ケイの身体はまだ動かない。

 

 

「ダメだ!お前のパラメーターじゃ、そいつの攻撃が掠っただけで半分くらい持ってかれちまう!…くそっ、キリト!」

 

 

「わかってる!だが…!」

 

 

何を呼びかけても、アスナは返事を返さない。こちらに目も向けない。堪らず、ケイはキリトに呼びかけるが、キリトはたった今、バラン将軍のディレイ攻撃を受け止めている最中でアスナの援護には向かえない。

 

ケイはその状況に苛立ちを抱く。どうして…、どうして自分は何もできない?

 

 

「リンド!すぐに撤退しろ!」

 

 

「え…あっ…」

 

 

「このままじゃもう無理だ!それにアステリオス王の攻撃パターンも十分見れたはずだ!対策を立てて、もう一度挑戦すればいい!アスナもだ!すぐにそこから離れろ!」

 

 

嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。死なせたくない。傷つかせたくない。傷つくところを、見たくない。

 

ただ、アスナのために────ケイはリンドの方へと振り向いて指示を出す。普段の冷静なケイならば、リンドが自分の言葉を聞くはずがないと考え直した行動を、今のケイはすぐに実行する。

 

リンドは両目を恐怖に染め、震えながらただこの状況を眺めているだけだった。だが、ケイの言葉が耳に入った途端、びくりと体を震わせてこちらに目を向ける。…それしか、しない。

 

リンドは駄目だ。キバオウもリンドと同じだ。あれじゃ碌に状況を判断できない。

 

 

「止めろ…!アスナ、やめ…」

 

 

「私は!」

 

 

ケイが再び叫ぼうとすると、これまで何も言葉を返さなかったアスナが口を開いた。アステリオス王の攻撃を掻い潜りながら、アスナはケイに言葉を向ける。

 

 

「私はあなたのパートナーだから!」

 

 

アスナが口にしてから始まり、何度も言いあった言葉。

 

 

「だから私はあなたを見捨てない!絶対に死なせない!ここに置いて行ったりもしない!」

 

 

「っ…」

 

 

ぶるり、と体が震える。悲しみにも、苦しみにも、それでいて感動にも似た複雑な感情が全身を奔る。自分は…、こんなにも相棒から思われていたのか。

 

しかし、その感情に浸る暇もなかった。ケイはアスナが起こそうとした行動を見て目を見開き、慌てて口を開く。

 

 

「…っ!ダメだアスナ!背後からは攻めるなぁ!!!」

 

 

「え…」

 

 

背後からアステリオス王に迫ろうとするアスナの、呆然とした目がケイの姿を捉える。だが、すでにアスナは跳躍し、アステリオス王の背中に向けてリニア―を放とうとしていた。

 

そのアスナを、アステリオス王の尾が弾き飛ばす。その姿は、つい先程同じ目に遭った自分と重なる。

 

だが、ケイの時とは違った行動を、次の瞬間アステリオス王は見せる。ケイにはその後、空中に浮いている間に追撃を仕掛けていたアステリオス王。だが、アスナの身体はアステリオス王の追撃を受けることなく床に叩き付けられた。

 

その瞬間、アステリオス王が動き出す。まだ立ち上がっていないアスナに迫り、長い腕を振り下ろそうと振りかぶる。

 

 

「っ!!」

 

 

歯を食い縛る。身を挺して自分を助けてくれたアスナを、自分だって見捨てるわけにはいかない。見捨てられない。見捨てたくない。

 

ケイが再び起き上がろうと力を込めた瞬間…、スタンの縛りから解き放たれる。

 

ケイは弾丸のごとく飛び出していく。行先はもちろん、アステリオス王に狙われるアスナ。

 

 

「けいく…」

 

 

自身の前に躍り出たケイの背中を、呆然と見上げるアスナ。その目の前で、ケイは腰を下ろし、曲刀を横に倒して両手で支える。次の瞬間、鞭の様にしなりながら振り下ろされたアステリオス王の腕がケイの曲刀に激突する。

 

 

「ぐっ!?がぁっ…!!」

 

 

両腕だけじゃアステリオス王の力は押さえられない。ケイは刀身の腹に頭を添え、頂点の一点に全身の力を込める。アステリオス王の力に、両腕の力と頭頂部に込めた全身の力で対抗する。

 

 

「ケイ君!ダメよ、そこから離れて!今のあなたのHPじゃ…!」

 

 

背後からかけられるアスナの言葉は、先程ケイがアスナにかけた言葉と全く同じものだった。

 

…そうか。あの時のアスナは、こんな気持ちだったのか。

パートナーを見捨てろ?ふざけるな、そんなの御免だ。見捨ててなるものか。

 

 

「おれは…、おまえの、ぱーと…なーなんだろ?だから…おれは、おまえをみすてないし…、しなせない…。ここにお前を置いて行ったりもしない!」

 

 

途切れ途切れに言いながら、それでも最後はしっかりと言い切ってやる。

 

しかし、このままではまずいのも事実。どれだけ今拮抗しているとしても、まだアステリオス王は────

 

 

「っ!」

 

 

もう一方の腕を残している。

アステリオス王はだらりと下げていたもう片方の腕を振りかぶる。こちらに向かって、振り下ろそうとしているのだ。

 

 

「くっ…そが…!」

 

 

ケイは目だけをアスナの方に向けて、口を開こうとした。

 

アスナに、お前だけでも逃げろと、言おうとした。

 

だが、その言葉は喉奥へと仕舞い込まれることになる。

 

 

「アスナ…?」

 

 

「逃げない。あなたを、一人にさせない」

 

 

アスナが、両手をケイの背に添え、さらにこつんと頭を当ててきた。そのまま密着したまま、アスナはその場から動かない。

 

 

「…バカじゃねぇの」

 

 

「…何とでも言いなさい」

 

 

こちらを見上げながら悪戯っぽく浮かぶアスナの笑顔が目に入る。それを見た瞬間…、アスナと一緒に死ぬのも悪くない、と心の奥で感じてしまう。

 

 

「ホントにいいのか?」

 

 

「あなたこそ、私を置いて逃げなくてもいいの?」

 

 

「そんなことするくらいなら、死んだ方がマシだ」

 

 

「…同感」

 

 

もうすぐ、死神の一撃がやってくるというのに、何も怖くない。さっきも怖かったと言えば嘘だったが…、何でだろう、どうしてこんなに安らかな気持ちになるのだろう。誰かが一緒にいるというのは、こんなに安心するものなのだろうか。

 

 

「ケイぃ!!アスナぁ!!」

 

 

────あぁ…、でも、もし一緒に死んだらキリトを一人残すことになるんだよな…。

 

────そうね…。けど、キリト君なら大丈夫でしょ?エギルさんたちもいるんだし。

 

────…そうだな。

 

 

言葉にすることはなかった。だが、何となく相手の思ってる気持ちがわかる。

互いの気持ちを感じながら、心の中で対話をする。これは、ゲームのシステムでできる何かのスキル?それとも────

 

アステリオス王のもう一方の腕がケイとアスナの横合いから迫る。二人はその場から動くことなく、ただ命が尽きるのを待つのみ。

 

 

「やめろ!もう遅い!」

 

 

「ふざけるな!認めるか!こんなの…、認められるかぁ!」

 

 

二人を助けようと駆けだそうとするキリトの肩を掴んで、エギルが止めている。

 

 

「止めてくださいオルランドさん!もう手遅れです!」

 

 

「離せ!戦友や姫君の盾になって斃れるは騎士の本懐…!」

 

 

レジェンドブレイブスの面々が、ケイとアスナの元へ飛び出そうとするオルランドを押さえている。

 

それでも、キリトとオルランドは拘束を抜け出そうとする。仲間を、戦友を、助けたい一心で駆けだそうとする。

 

 

「俺は、あいつらのパーティーの一員なんだ!!!」

 

 

「真の勇者であるならば!ここで征かんでなんとする!!!」

 

 

エギルの拘束を剥がして、仲間を押し退けて、二人が駆けだしていく。しかし、誰からどう見ても間に合うとは思えない。

 

それでも、仲間の死を認められず、真の勇者でありたい一心で、諦められなかった。

 

 

「キリトさん、オルランドさん。二人は、僕が助けます!」

 

 

だから、この言葉が聞こえてきた時、二人はただただ驚愕で目を見開いた。

二人の視線の先には、ボス部屋の照明に反射して輝く何かがアステリオス王の冠に向かって飛んでいく。

 

そして、光る何かがアステリオス王の冠に当たると…、アステリオス王は大きく怯み、ケイとアスナに向かって繰り出した攻撃を中断させる。さらにケイを襲い、込めていた力を収め、一歩二歩後退していく。

 

 

「え?」

 

 

「何が起こった…?」

 

 

突然止められた攻撃に、ケイもアスナも呆然としていた。死を確信していたのだが…、まだ、生きている事に驚いている様子だった。

 

そんな中、アステリオス王を怯ませた何かは急転換してどこかへと向かっていき…、それは持ち主の手へと戻っていった。

 

 

「あれは…、チャクラム!?」

 

 

アステリオス王を襲い、持ち主の手に戻っていったそれは、円形の刃、チャクラム。つまり…そう、その持ち主は。

 

 

「遅くなりました!討伐隊の最後の一人として…、参戦いたします!」

 

 

人差し指でチャクラムを回しながら、アステリオス王を見据え、ネズハ…いや、ナーザがボス討伐戦、参戦を宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ケイ君から湧き出るヒロイン感と、アスナとネズハから出る主人公感ww

…どうしてこうなった?(お前のせいだ)


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第15話 VSアステリオス・ザ・トーラスキング後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チャクラムを人差し指で弄りながら、アステリオス王に視線を向けたままナーザがケイとアスナの立っている所に歩み寄ってくる。

 

アステリオス王から全く動く気配が感じられない中、ナーザは視線をケイとアスナに向け、ほっ、と安堵の笑みを漏らす。

 

 

「お二人が無事で、よかった…」

 

 

「ナーザ、お前…。あのクエストをクリアしたのか…」

 

 

「はい。…クエストをクリアしてから、アルゴさんと一緒に超特急で来ました」

 

 

「え、アルゴさんも来てるの?」

 

 

声を掛けてくるナーザと、ケイとアスナが言葉を交わす。最後にアスナがナーザに問いかける。だがその時、三人の前方で立ち止まっていたアステリオス王が雄叫びを上げる。

 

 

「ンモォオオオオオアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

「っ、お二人は安全圏に!それ以外の皆さんは全力でバラン将軍をお願いします!!」

 

 

こちらに突っ込んでくるアステリオス王に向かって、再びナーザがチャクラムを放る。青いライトエフェクトを帯びながら、システムアシストにも導かれチャクラムはアステリオス王の冠に命中する。

 

直後、アステリオス王は先程と同じように動きを止めて、さらにHPを見てみるとケイやアスナの攻撃やソードスキルを喰らった時と比べて明らかに、大きくHPが減っている。

 

 

(アステリオス王の弱点は…、あの冠か!)

 

 

「王は…、俺が引き受けます!」

 

 

アステリオス王の弱点が冠だとしたら、ナーザが奴を引き受けるのがこれ以上ない程適任だ。さらに冠に命中すると、僅かながらアステリオス王に硬直時間が訪れている。

 

 

「アスナ、ここは一旦下がろう」

 

 

「…」

 

 

アスナもアステリオス王の弱点に気付いていたようだ。ケイの言葉に頷いて返し、ナーザを置いてアステリオス王から距離をとる。

 

 

「ンモ!」

 

 

「行かせませんよ!」

 

 

背中を向けて逃げるケイとアスナを目で追うアステリオス王。それに気付いたナーザがチャクラムで冠を攻め、再び動きを止める。アステリオス王は、ヘイトをケイ達から正面に立つナーザへと移行する。

 

 

「…大丈夫」

 

 

ボスの視線を受けたナーザが、一瞬体をびくりと震わせる。だが頭を振るい、一瞬過った恐怖を払ってアステリオス王を見据える。

 

 

「今の僕なら…!」

 

 

ケイとアスナはボス部屋の端で立ち止まり、互いのストレージからポーションを取り出し、口に含んでHPの回復を図っていた。

 

 

「!」

 

 

「きゃぁっ!…あ、アルゴさん!?」

 

 

アスナが口に含んだポーションを飲みこんだ直後だった。いつの間に近づいていたのか、一人のプレイヤーがアスナの背後から声を掛けてきた。ケイも気付いておらず、口に含んだポーションを飲みこみながら目を見開いて驚きを浮かべる。

 

声を掛けてきたのは、フードが取れてお髭の付いた顔が丸見えとなったアルゴだった。アルゴはアスナの肩に肘を乗せて、にししと悪戯っぽい笑みを浮かべながらケイとアスナを見回している。

 

 

「いやぁ、二人が無事で良かったヨ。…ボス部屋に入っていきなり、ピンチになってたのには焦ったけどサ」

 

 

疲労を隠しもせず、息を荒げながら壁に寄りかかるケイとアスナに苦笑を浮かべながらアルゴは言う。

 

 

「あー…、見られてたのか」

 

 

「あァ。オイラだけ先に来ちまってな…。どんだけナーザの到着が待ち遠しかった事カ…。まっ、面白いのも見えたけド」

 

 

どうやらあの場面を見られていたらしい。…こうして無事に済んで、後になって思い返すと恥ずかしい以外の何物でもないあの場面を。

 

 

「っ!」

 

 

「それにしても、アーちゃんがケイ坊に抱き付くなんてナー。…良い情報が手に入っタ」

 

 

「抱き付いてません!」

 

 

「やめれ」

 

 

アルゴの言葉にびくりと体を震わせ、頬を染めたアスナがさらに続いたアルゴの言葉に喰い付く。ケイもまた、苦笑を浮かべながらアルゴに止めるよう口にする。

 

 

(ああああああああああああ、もう!私、何であんなことしたの!?あの時わたし、どんな顔してたっけ!?)

 

 

ずるずると座り込んで頭を抱えるアスナ。その光景を見ていたケイが疑問符を浮かべながら首を傾げ、アルゴが本当に面白そうに爆笑する。

 

 

「おい二人共!回復済んだらこっちに来てくれ!」

 

 

「おっと…、そうだな。アスナ、そろそろ…」

 

 

キリトに声を掛けられ戦況を見ると、すでにバラン将軍の姿はなく…どうやらとっくに倒していたらしい。本隊はアステリオス王を囲み、後方からナーザがチャクラムでブレス攻撃を妨害している。理想的な戦況を展開していた。

 

HPもほとんど回復が済んでおり、ケイはアスナに戦場へ戻ろうと声を掛ける。

 

 

「やだっ!」

 

 

「え」

 

 

だが、アスナは座ったまま動かない。ケイから視線を外し、そっぽを向いたまま立とうとしない。

 

 

「あの、アスナ?いやさ、別に俺達が動かなくてもボスは倒せると思うけど…、このままじゃ危なそうな人もいるし…」

 

 

「…」

 

 

ケイはアスナの傍まで歩み寄ると、しゃがんでアスナと視線を合わせようとする。が、アスナはふいっ、と顔を動かして断じてケイと視線を合わせようとしない。

 

しかし、目こそ見えないもののアスナの頬は見える。その頬は、ケイから見ても明らかに…。

 

 

「なぁアスナ。何か顔赤くない?」

 

 

「っ!!?ふんっ!」

 

 

「ちょぉ!?何レイピア突き出してんですかぁ!?」

 

 

アスナの頬が染まっている事が気になり、声を掛けた直後、アスナのレイピアがケイの肩に向かって突き出される。何とか体を傾けて回避したが…、殺気の籠ったアスナの目がケイを射続ける。

 

 

「モオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

「最後の一段も赤くなったぞ!前の二匹同様、猛攻に警戒しろ!」

 

 

アスナが一歩ずつこちらに歩み寄ってくる中、アステリオス王との交戦状況に大きな動きがあった。ナーザによってブレス攻撃という大きな武器を失ったアステリオス王は、最早バラン将軍にも劣る。クリティカルを受けてしまえばスタンするが、バラン将軍やナト大佐との行動パターンによく似ており、クリティカルを受けるプレイヤーはいない。

 

つまり、アステリオス王に対して警戒すべきなのは、HPが減ったことによって陥る暴走状態のみ。

 

 

「おいお二人さん!いつまでものんびりしてねぇで、そろそろ手ぇ貸してくれ!!」

 

 

「悪い、すぐ行く!ほら、アスナも」

 

 

「…」

 

 

アステリオス王の暴走によって起こる轟音の中から、エギルがケイとアスナを呼ぶ声が聞こえてくる。さすがにこれ以上はのんびりしてられないと、先程と違って迫真を込めた声でケイはアスナを呼ぶ。

 

まだ微妙に納得し切れていないようだが、アスナも頷いて立ち上がり、ケイに続いてアステリオス王との交戦地帯へと向かう。

 

 

「っ、ナーザさん!」

 

 

「ナーザ!そこから離れろ!」

 

 

ケイとアスナがアステリオス王に向かって駆けだした直後だった。アステリオス王が、何度もブレス攻撃を妨害したナーザに向かって突進を始めたのだ。壁隊の包囲を物ともしない。ダメージディーラーの攻撃に見向きもせず、ただナーザに向かっていく。

 

ナーザも、それ自体には気づいているのだろう。だが、動けない。ナーザはNFCで距離感が掴めない上に、恐らく今から逃げようとしてもレベルの関係上不可能だろう。

 

 

「ちっ!アスナ、まずはナーザを…」

 

 

ケイがアスナを連れてナーザを助けに行こうとした、その時だった。アステリオス王がナーザに向かって拳を振り下ろした、その時だった。ナーザの前に、五人の人影が躍り出る。ナーザの前に立った五人は、大きな盾を掲げ、ナーザに向かって振り下ろされるアステリオス王の拳を押さえ、受け止める。

 

 

「レジェンドブレイブス…!」

 

 

その人影が誰かを悟った瞬間、アスナが小声で呟いた。ナーザを守ったのは、同じ英雄の名を持つ集団、レジェンドブレイブスだった。

 

ずがん、と耳障りな轟音が響き渡り、レジェンドブレイブスとアステリオス王との力比べが始まる。

 

 

「っ、まずい!アスナ、急ぐぞ!」

 

 

「えぇ!」

 

 

アスナもどうやら気付いていたらしい。アステリオス王の攻撃を受け止めたオルランドの盾に、ひびが入っていた事に。

 

ケイとアスナはナーザを守り、アステリオス王の拳の連打を防ぎ続けるレジェンドブレイブスに向かって駆けだそうとした。だがその瞬間、レジェンドブレイブスのさらに前に立ちはだかる三人のプレイヤーが現れる。

 

 

「き、貴卿ら…!まだ回復が…」

 

 

「へっ、あんたらのガッツに当てられちまってな…。いいから手伝わせろよ!」

 

 

レジェンドブレイブスの前で、同じようにアステリオス王の攻撃を押さえるのはキリトを除いたH隊、エギル達。レジェンドブレイブスとエギル達の力が合わさり、アステリオス王の攻撃は全て完全に防がれる。

 

 

「ぬ、ははっ!ここにいるのは本当の勇者ばかりだな…!ならば…、押し返すぞっ!」

 

 

「「「「「おぉっっっ!!!」」」」」

 

 

さらに、オルランドの声を合図に一斉にアステリオス王の拳を押し返す。

 

 

「モ!!?」

 

 

アステリオス王の身体は一斉に加えられた力によって大きく仰け反り、体勢が崩れる。それを確認したオルランドが、ケイとアスナの方に振り向いて口を開く。

 

 

「ファントム殿!」

 

 

オルランドに言われなくとも、わかってる。ケイとアスナが、体勢を崩したアステリオス王に向かって疾駆する。

 

 

「遅れるなよ!」

 

 

「あなたこそね!」

 

 

互いに憎まれ口を叩きながら、互いの獲物を握り締め、ライトエフェクトを灯らせる。アステリオス王の足下から、二人が同時に跳躍する。そこから、二人は空中で、全く同じタイミングで加速する。

 

ケイの放ったスキルは、曲刀単発突進スキル<フェル・クレセント>、アスナが放ったスキルは、細剣単発突進スキル<シューティングスター>。

 

空中で突進スキルを放った二人は、こちらを見下ろすアステリオス王の冠に向かって一直線に突っ込んでいく。

 

 

「モオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」

 

 

二つのソードスキルが同時に命中した直後、アステリオス王の苦悶の叫びが響き渡る。ケイとアスナはアステリオス王のすぐ横を通り過ぎると、背後で着地する。

 

 

「おっしゃ!一斉攻撃で止め刺すでぇ!!」

 

 

アステリオス王のHPは残り僅か。それを見たキバオウが、リンドもまたパーティーメンバーに一斉攻撃の指示を出す。しかし、ケイとアスナはそれよりも早く動き出す影を見て…苦笑を浮かべた。

 

 

「まーたお前が掻っ攫ってくのかよ…」

 

 

プレイヤー達の間を縫って行き、アステリオス王へと迫る影、キリトが放つ。<ソニックリープ>がアステリオス王へと命中し、残り僅かだったHPを完全に消滅させる。

 

直後、アステリオス王の動きはぴたりと止まり、ポリゴン片となって散らばり、消えていく。

 

プレイヤー達の視線の先には、<Congratulations!>と書かれたフォント。

 

ある者はそのフォントを呆然と見つめ、ある者は俯いて拳を握りしめる。

 

それぞれ違った仕草を見せるものの、両腕を振るい、喜びの雄叫びを上げたタイミングだけは同じだった。

 

 

「「…」」

 

 

ボス部屋にいるプレイヤー達が雄叫びを上げる中、ケイとアスナは互いの目を見合わせる。そして同時に、笑みを浮かべると、口を開いた。

 

 

「「お疲れ(さま)」」

 

 

獲物を鞘へとしまい、掌をぱちん、と合わせる。

それは、第一層のボス戦ではできなかった、ボス討伐を称え合うハイタッチだった。

 

 

 

 

 

 

「勝った…、犠牲者もゼロ…。っ、完全勝利だぁーっ!!」

 

 

両拳を振り上げて喜びを露わにするリンド。リンドと共に討伐隊をまとめ続けたキバオウもまた、同じパーティーメンバーと喜びを分かち合う。

 

共に戦ったエギル達やレジェンドブレイブスの面々からも笑みが零れている。

 

そして、ラストアタックを掠め取っていったキリトはというと…。

 

 

「お前は!また!LAをとっていきやがって!」

 

 

「ちょっ、ちょっ、やめろ!HPが減る!減っちゃうって!」

 

 

「…そういえばあなた、ナト大佐のLAもとってなかった?まさかバラン将軍のLAも…」

 

 

「びくっ」

 

 

「びくって自分でいう奴初めて見たぞ…。てかお前ぇ!」

 

 

「ひぃっ!?お、落ち着いてくれ!落ち着いてください!」

 

 

ケイの腕で首を絞められているキリトと、そんなキリトを冷ややかな目で見るアスナ。

それもこれも、キリトがLAを、ボス戦で出てきた三体とも全てを取っていったからだ。

 

勿論、本気で怒っているわけではないが…悔しさは誤魔化せなかった。ケイは後に語る。「反省はしてた。でも後悔はしなかった」と。

 

 

「皆さん…」

 

 

「…ナーザ」

 

 

戯れるケイ達に歩み寄り、声を掛けてきたのは、どこか儚げな笑みを浮かべたナーザ。ナーザは一度、ケイ達から大勢のプレイヤーに称賛されるレジェンドブレイブスを一瞥し…すぐに視線を切って拳を握った。

 

 

「皆さんのおかげで僕は…、やっと、なりたかったものになれました…。ありがとうございました!」

 

 

ナーザが腰を折って頭を下げ、お礼を言ってくる。

 

 

「や、やめろよ仰々しい」

 

 

ケイとアスナは目を丸くして頭を下げるナーザを見下ろし、ケイの拘束から抜け出たキリトがどこか照れくさそうに手をヒラヒラと振る。

 

 

「コングラチュレーション。また今回も、見事な働きだったな」

 

 

「エギル…。いや、お前らこそ、いなかったらこの戦いでボスを討伐するのは不可能だったよ」

 

 

頭を下げ続けるナーザを宥めていると、こちらに歩み寄ってきたエギルが称賛の声を掛けてきた。ケイはナーザから視線をエギルへと向けて、称賛の言葉を返す。

 

 

「…だけで、済ませたかったんだけどな」

 

 

「?」

 

 

だが次の瞬間、エギルの表情と声質が変わる。それによく見ると、エギルの背後には表情を険しくしてこちらを…ナーザを睨むプレイヤー達が立っていた。エギルはそんなプレイヤー達を連れてナーザの背後へと立ち、口を開く。

 

 

「あんた」

 

 

「っ…」

 

 

ナーザが頭を上げて、振り返ってエギルを見上げる。

 

 

「あんた、少し前まで鍛冶師だったな」

 

 

「…はい」

 

 

「何で戦闘職に転職した?そんなレア武器まで手に入れて…、鍛冶屋というのはどこまで儲かるのか?」

 

 

「っ!」

 

 

この会話でケイは悟った。戦闘中も疑問に思っていた、エギルのパーティーメンバーの欠員。そして、エギル達の装備の弱体化。それは、強化詐欺の被害に遭ったからなのだと。ようやく気付いた。

 

 

「あんた知らないだろ。あんたに強化を頼んだ剣が破壊されてから、俺達がどれだけ苦労したか…」

 

 

「やめろ。…別に恨み言を言いたいわけじゃないんだ。ただどうも、皆、俺と同じ経験をしているようなんでな」

 

 

ナーザに詰め寄ろうとするプレイヤーを宥めてから、エギルは続けた。

 

 

「そして、俺と同じ懸念を持っているようでな」

 

 

(まずい…)

 

 

ボス討伐に沸いていた空気が一気に冷えていき、そして懸念の矛先は全てボス討伐の立役者であるナーザに向けられる。

 

 

「き、聞いてくれ!このチャクラムは俺が────」

 

 

キリトもケイと同じ懸念に行きついたのだろう。

 

このままでは、ナーザの公開裁判が始まると。そして、もし死刑という事になれば…、と。

 

すぐにキリトはナーザを庇おうと行動した。だが…、ナーザ自身が、キリトの前に腕を伸ばしてその行動を止めた。

 

 

「いいんです、キリトさん。皆さんの、お察しの通りなんですから」

 

 

「っ!?」

 

 

キリトも、ケイも、ナーザが口にした言葉を耳にして目を見開く。

ナーザは顔を俯かせたかと思うと、膝を折って地面に着き、両掌を床に着いて頭を下げる。

 

 

「皆さんの武器をエンド品とすり替えて、騙し取りました」

 

 

「…それは金に換えたのか?」

 

 

「はい、全て。それに、換金した金は全て高級レストランの飲み食いとか、高級宿屋とかで残らず使ってしまいました」

 

 

「っ、ナーザ、何を…っ」

 

 

ナーザの謝罪を聞いた直後、ケイの内心で浮かんだのはバカなの一言だけだった。

 

高級レストランで使った?違うだろ。本当はお前は…、お前には、一緒に罪を背負わなければいけない人達がいるのに!

 

その憤りを言葉に乗せて吐こうとした時、アスナがケイの腕を掴む。

 

 

「アスナ…!?」

 

 

「…」

 

 

きっと、自分の目には何故!?という疑問がありありと浮かんでいただろう。だが、アスナは表情を変えず、エギル達に見下ろされるナーザに目を向けたままただ、頭を振るだけ。

 

 

「お…、お前ぇええええええええええええ!!!わかってんのか!?大事に育てた剣失くして、俺達がどんな思いしたのか!」

 

 

「俺だって…、もう前線に出られないと思って…。でも、仲間が必死にフォローしてくれて…迷惑かけまくってよ…!」

 

 

「それをお前!その金で飲み食いに使っただぁ!?宿屋で使っただぁ!?挙句に自分はレア武器使って、ボス戦でヒーロー気取りかよ!えぇ!?」

 

 

武器を失ったプレイヤー達の容赦ない罵声がナーザにかけられる。すると、ある一人のプレイヤーがナーザの胸倉を掴んで立ち上がらせ、両目から涙を流して口を開いた。

 

 

「俺はな…やっちゃだめだけどよぉ…!今すぐあんたをたたっ斬りたくてしょうがねぇんだ!」

 

 

「…わかります」

 

 

胸倉から片手を離し、腰の鞘の剣の柄に手をかけるプレイヤー。だが、そんなプレイヤーの前でナーザは言い放つ。

 

 

「覚悟の上です。怨みもしません。…どうか、お気の済むように」

 

 

ナーザが言った直後、プレイヤー達の怒りが爆発する。ナーザの胸倉を掴んでいたプレイヤーが、ナーザの身体を床へと叩き付ける。さらに、他のプレイヤー達も床に倒れたナーザを囲んでそれぞれの怒りの思いの丈をナーザにぶちまける。

 

そして、一人のプレイヤーが手にかけた鞘を掴み、剣を引き抜こうとして…。

 

 

「っ!」

 

 

さすがに限界だと察したケイが動き出そうとした、その時だった。

 

 

「待たれよ」

 

 

声が聞こえてきた方からは、何人かの足音が混ざって聞こえてくる。

 

 

(こ、こいつら…、何を…!)

 

 

ケイが視線を向けた先には、レジェンドブレイブスの面々が剣を抜いて、床に崩れるナーザに歩み寄っていた。

 

ケイには、彼らの真意が分からない。彼らはナーザを見捨てなかったのではないのか?ナーザの仲間ではなかったのか?

 

何故…、彼らは剣を抜いている?

 

 

「貴卿らが手を汚すには及ばん」

 

 

オルランドが告げる。

 

 

(まさか…、俺達の推理が間違ってたのか?こいつらは、本当は…!)

 

 

ケイの頭をよぎる。もしかしたら、レジェンドブレイブスは、ナーザを捨てごまにしか思っていなかったという可能性が。

 

 

「この者は我らの…いや」

 

 

「くっ…、何でだアスナ…!」

 

 

ちゃきっ、と剣を握り締めるオルランドに向かって駆けだそうとするケイ。だが、再びアスナがケイの腕を掴んで止める。

 

何でアスナはここまで頑なに介入を拒む?このままではまずい事になるのはわかるはずだ。

キリトもまた、エギルに止められている様だ。他の者も誰も止める様子は見られない。

 

リンドもキバオウも、ただ見ているだけしかしていない。

 

 

(これじゃあ────)

 

 

ケイが最悪の可能性を想像した、その時だった。

 

 

「こいつは、俺達の仲間です」

 

 

レジェンドブレイブスの面々が床に剣を、脱いだ兜を置いて、床で崩れるナーザの隣で一列に並び、膝を床に着け、ナーザと同じように手を付けて頭を下げた。

 

 

「こいつに強化詐欺をさせてたのは、俺達です」

 

 

そして、オルランドはそう口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回で第二層は終了です。

感想待ってますよー。


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第16話 贖罪と決別

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レジェンドブレイブスの面々が、ナーザと一緒に地に膝を着けている光景を、プレイヤー達は呆然と眺めていた。状況を呑みこめずにいた。

 

鍛冶師だったはずのナーザが、レア武器を持ってボス攻略戦に現れた。そしてそのナーザは、ここ最近攻略組を苦しめていた強化詐欺の主犯だった。だが…、そのナーザに攻略詐欺をやらせたのは、ボス討伐の立役者と言っていいレジェンドブレイブスだった。

 

衝撃的な出来事の連続で、プレイヤー達の頭もこれらを受け止めるのに苦労しているのかもしれない。だが、一つだけ…レジェンドブレイブスがナーザの仲間であるという事だけは、この場にいる誰もがすぐにわかったのは言うまでもあるまい。

 

 

「そんな事で許されるわけねぇだろ!!?」

 

 

驚愕で静まり返ったボス部屋の中に、一人のプレイヤーの怒声が響き渡る。他の呆然としていたプレイヤー達は体をびくりと震わせながら、怒声を放ったプレイヤーを見る。

 

 

(…あいつ)

 

 

「金銭的な損害は、そいつらのご立派な装備を売り払えば弁償できるだろうよ!けどなぁ!!」

 

 

続けて怒鳴る、ローブを被ったプレイヤーを見てケイは目を細めた。

 

あのプレイヤーは、第一層で自分がベータテスターだと知っていると叫んだ男だった。事実では自分はベータテスターではないため、ただ流れに乗ってでたらめを言っただけなのだろうが…、ここでも何か余計な事を言うつもりなのかもしれない。

 

ここで止めるのは簡単だ。今すぐあいつの口を塞いで黙らせることは容易にできる。だが、それをしてしまえば、ナーザやレジェンドブレイブスの立場はもっと悪くなる。だからケイは、ここはじっとこらえて見守ることに徹した。

 

 

「死んだ人間は、帰ってこねぇんだよ!!!」

 

 

「っ!?」

 

 

その行動を、ケイはすぐに後悔する事になるとは知らずに。

 

ケイはプレイヤーが言い放った言葉を聞いて、大きく目を見開く。横目で一瞥すれば、これまでほとんど表情を動かさなかったアスナも、目を見開いて驚愕の色を浮かべている。

 

 

「死んだ…って、どういう…」

 

 

「俺ぁ知ってるんだ!そいつに騙し取られたプレイヤーは他にもたくさんいる!」

 

 

茫然と開かれたアスナの口から問いかけの言葉が出た直後、プレイヤーはさらに続けた。

 

事実だ。まだ被害者全員の詳細は知らないが、恐らく強化詐欺によって武器を奪われたプレイヤーはいる。このボス戦に来ていないプレイヤーの中にも、被害に遭った者はいるだろう。

 

 

「その中の一人が、店売りの安物で狩りに出て…、今まで倒せてた雑魚Mobに殺されちまったんだ!!!」

 

 

頭を下げていたナーザとレジェンドブレイブスの面々が、呆然と目を見開いて怒鳴るプレイヤーを見上げる。ケイやアスナ、キリトにエギル、他のプレイヤー達も怒鳴り続けるプレイヤーを呆然と見つめる事しかできない。

 

 

「それが!金で償えるわけねぇよなぁ!?」

 

 

そんなプレイヤー達に、まるで止めを刺すかのように言い放つ。途端、周りから騒めきの声が立ち始める。

 

 

「ひ、人が、死んだ…?」

 

 

「な、なんてこった…。まるで、それじゃ…」

 

 

プレイヤー達の騒めきは次第に大きくなっていき、やがて一つの結論を導き出す。

 

 

「間接的な…PK…?」

 

 

その結論が出てきてから、流れはあっという間だった。

 

 

「おい!さすがにその論理はやべぇだろ!第一層のベータテスターの時とはワケが違うんだぞ!?」

 

 

一人のプレイヤーが、目を見開いて口を開く。

 

 

「今回は犯人が分かっていて、罪も認めてるって事は…」

 

 

「おい馬鹿!何言ってんだ…」

 

 

直接手を下した者はいない。だが、それを引き起こしたのが誰なのかは目に見えて明らか。強化詐欺を行ったナーザと、それをやらせたと言うレジェンドブレイブス。彼らが間接的なPKを行ったのは、この場にいる誰もが行きつく結論だった。

 

 

「命で償えよ、人殺し」

 

 

あのプレイヤーがナーザとレジェンドブレイブスに言い放ったのは、詐欺師ではなく人殺し。それによって、プレイヤー達の怒りを収めていた最後の枷が解かれてしまった。

 

こいつらは人を殺した、ならばそれに見合う罰を与えてやらねばなるまい。そんな妄想にも似た激情を抱いたプレイヤー達が、ゆっくりと、だが次第に速さを上げながらナーザとレジェンドブレイブスに向かって歩み寄っていく。

 

 

そうだ────

 

 

死んだ奴に謝って来い────

 

 

このクソ詐欺師共が────

 

 

殺せ────

 

 

殺せ────

 

 

殺せ!

 

大勢のプレイヤー達がナーザとレジェンドブレイブスの面々を囲み、手を引いてボス部屋の中央へと連行していく。その光景を、ケイは見る事しかできなかった。

 

見たところ、中にはその行動に踏み出せない者も多々いた。顔に戸惑いや恐怖を浮かべて、ナーザ達を処刑してやろうと意気込むプレイヤー達を眺めていた。

 

それはいい。だが…、もし怒りに包まれたプレイヤー達にその姿を見られたら?そしてもし、そのプレイヤー達が、こいつは詐欺師の一味だと結論付けたら?

 

そうなれば、もう止められる者はいないだろう下手したら、真っ二つに分かれた攻略組の間で戦争が起こる事だって、あり得る。決して、ない話では────

 

 

(っ!?)

 

 

少々飛躍しすぎではと感じながらもその可能性に行きついた瞬間、ケイの脳裏でナーザが口にした言葉を思い出す。

 

ナーザは、この強化詐欺の方法を黒ポンチョの男から聞いたと言っていた。なら、その黒ポンチョの男はこの強化詐欺の果てにこうなるという事が想定できなかったのだろうか?あれだけの天才的な手口を考え出す人物だ、どれだけ最初は順調に稼げても、遠からずこういう騒動が起こることを予想できなかったとは思えないが…。

 

 

(…まさか、むしろそれが狙い?)

 

 

強烈な寒気がケイの背中を奔り、ぞくりと震える。

 

プレイヤー同士の殺し合いを望んでいる?その果てで、プレイヤーの集団同士の戦争を望んでいる?

 

バカな!

ケイは頭を振ってその考えを打ち消す。

そんな事をしてどうなる?現実世界に帰る可能性が一気に失われていくだけだ。そんな事を望む人間など…、いるはずがない。

 

 

「…」

 

 

そんな事、あるはずがないと結論付けようとしても、心のどこかでその可能性が正しいという自分がいる。懸念を振り切ることができない。

 

 

「待てっ!!」

 

 

リンドの声が大きく響き渡ったのは、そんな時だった。ナーザ達を部屋の中央に集めてからずっと、怒声を浴びせ続けていたプレイヤー達の動きが止まり、リンドに視線が集まる。

 

 

「裁定は、リーダーの俺が下す!異存はないな!?」

 

 

「…ま、ええんやないか?」

 

 

中央に連行されたナーザ達に歩み寄り、彼らを囲むプレイヤー達を見回しながら問いかけるリンド。ほとんどのプレイヤーは、リンドの言う通りにしようと納得を見せる。だが、そうでない者も中にはいた。

 

その全てが、リンドのパーティーと対立していたキバオウ派のプレイヤー達だったが、それらはキバオウの口から漏れた呟きによって開きかけた口を閉ざすことになる。

 

 

「…オルランドさん」

 

 

リンドが立ち止まったのは、レジェンドブレイブスリーダーであるオルランドの前だった。リンドはその手に一本の剣をオブジェクト化させると、オルランドの眼前の床に突き刺して言う。

 

 

「リーダーならば、自らの刃でけじめをつけろ」

 

 

「っ!?」

 

 

静まるボス部屋に、誰かが息を呑んだ音が聞こえてきた。

そんな中、オルランドはリンドが床に刺して置いた剣の柄を掴んで…、ここでケイはリンドに詰め寄ろうとプレイヤー達の間を潜り抜けようとした。

 

だが、またアスナがケイの袖を掴んで来る。

 

 

「アスナ…!」

 

 

「っ…」

 

 

さすがにこれは看過できない。ケイは腕を振ってアスナの手を剥がすが、アスナは再びケイの裾を掴み、無言で頭を振るう。

 

 

(何を考えてるんだ…!)

 

 

わからないはずがない。皆の目の前で公開処刑が行われているのだ。このままでは、SAOがPKありの殺し合いのゲームになってしまう事がわからないアスナではないはずだ。

 

それなのに、何故アスナはこうも頑なに自分を止める?

 

 

「お、オルランドさん!やめてっ!やめてくださいっ!」

 

 

慌てふためく声が聞こえてきた方へ視線を向けると、剣を握るオルランドを止めようとしているのだろう、ナーザがオルランドの腕を掴んでいた。

 

だが、オルランドはナーザの手をそっと剥がし、ゆっくり鞘から刃を抜いていく。そして────

 

 

「っ…!」

 

 

微笑んでナーザを一瞥した直後、オルランドは身に着けていた鎧をすべて外した後、剣を逆手に持ち、自身の腹に刃を突き立てた。

 

 

「お、オルランドさん!」

 

 

オルランドのHPが、刃が突き立てられたことによってがくりと減る。鎧がない今、他プレイヤーよりもレベルが低いオルランドの防御力は言わずもがな。さらに腹に刃が刺さったままに寄り、<貫通継続ダメージ>が発生し、オルランドのHPは減り続けている。

 

もうこれ以上は、ダメだ。

 

ケイはアスナを振り切り、人を掻き分けて未だ剣を刺し続けるオルランドに駆け寄ろうとする。だが、人の多さが邪魔をして中々進むことができない。

 

 

「あ…」

 

 

人を掻き分けて、ようやく集団から抜け出した時には、オルランドのHPはもう危険域も超えて残りわずかとなっていた。今からオルランドから剣を奪おうとしても…、間に合わない。

 

そう悟った時だった。何かがぶつかり合う、金属音が高く響き渡ったのは。

 

 

「…覚悟は伝わった」

 

 

剣を振り切った体勢で立つリンドが言う。宙へと飛び上がった剣が、床に落ちる。その剣は、オルランドが自身の腹に突き立てた物。

 

オルランドのHPは、残り一メモリの所で保っていた。慌ててレジェンドブレイブスの仲間が回復ポーションを飲ませようとする。そのオルランドの腹には、剣が刺さっていた事を示す傷痕が残されていた。

 

そう、リンドが、オルランドの腹に刺さった剣を弾き飛ばしたのだ。

 

 

「お、おいおい…。何やってんだよあんた…」

 

 

呆然と、それでいてどこかほっ、と安堵にも似た空気が流れる中、リンドに向かって口を開くプレイヤーがいた。あの、強化詐欺によって人が死んだと口にしたプレイヤーである。

 

 

「いいのかよ!?そんなんじゃあ、死んだ奴が浮かばれな────」

 

 

「何を言う」

 

 

浮かばれない、と言おうとしたのだろう、そのプレイヤーは。だがリンドはそのプレイヤーの言葉を遮って、笑みを浮かべながら振り返る。

 

 

「強化詐欺の首魁、オルランドはたった今、死んだ!」

 

 

そして、剣を鞘に収めると、片手を腰に当ててもう一方の手を前へと突き出すポーズをとりながらそう言い放った。突き出される手の先にいるのは、オルランドと彼を囲むレジェンドブレイブス。

 

 

「生まれ変わって一からやり直すなら、死ぬ気でついてこい!…待ってはやらないが、攻略組は勇者を歓迎するだろう」

 

 

さらに伸ばしていた手をリンドは顔へと持っていく。ふっ、と、笑みを浮かべながら。

 

何というか、もう…、うん。訳が分からない。

 

 

「ぶふぉっ!なーにかっこつけてるんやあんさん!ぎゃはははははは!!!」

 

 

また違った意味で凍り付いた空気を溶かしたのは、不意に爆笑を始めたキバオウだった。自身の武器を奪った、人の命を奪ったと思われていた彼らに向けられた憎しみに満ちた空気が、霧散していく。

 

 

「はっ…ははっ…」

 

 

「はは…、はははっ」

 

 

「あははははははは」

 

 

キバオウにつられて笑みを零すプレイヤーが現れ、そしてその場にいるほとんどの者が腹を抱えて笑いだす。…リンドは微妙な顔をしていたが。

 

 

「な、何笑ってんだよお前ら…」

 

 

「いやいやジョー!ちゃんと見てたんかお前!?あんなん笑わずにいられるかいな!」

 

 

そしてもう一人、複雑な顔を浮かべるのは、キバオウにジョーと呼ばれたプレイヤー。あの、プレイヤーの怒りを増長させたプレイヤー。

 

そのジョーにキバオウは爆笑したまま歩み寄ると、彼の首に腕を回して肩をバンバンと叩く。

 

 

「まぁそれはそうと…、ジョー」

 

 

直後、キバオウは声を据わらせてジョーに問いかけ始めた。

 

 

「剣盗られた奴が死んだっちゅうのはどこのパーティーの誰や?あいつらが狙うレベルなんや、ワイらが知ってて当然やろうなぁ?」

 

 

「え?えっと…、俺も人から聞いただけなんで、どこのだれかっていうのは…」

 

 

「おどれ!その程度の事であんな騒いだんか!このっ!」

 

 

どうやらジョーというプレイヤーも詳しくは知らないらしい。まぁ、あのプレイヤーの事はキバオウに任せておいて大丈夫だろう。それと────

 

 

「じゃ、おれッちが調べといてやるヨ。死亡者の名前に死因、所属してたパーティー。そして強化詐欺との関連性まで、調査経過も全部オープンにして報告するヨ。…ま、いればの話だけどネ」

 

 

キバオウに蟀谷をぐりぐりされてるジョーというプレイヤーの顔が青ざめていく。その反応を見て悟る。どうやら詳しく知らないのではなく、本当はそんな話は聞いた事もないのだろう。

 

だが、その事にケイは関わらない。キバオウに任せると決めたし、彼ならばしっかり後始末をしてくれるだろう。

 

 

「こほん!あー…、ともかく!死亡者の有無と、強化詐欺との因果関係が判明するまで俺がこの問題を預かる。それでいいな!?」

 

 

リンドの言葉に、首を横に振る者はいなかった。誰もが頷き、リンドに残りの始末を任せると意見が一致する。

 

その後、強化詐欺で稼いだ金で買ったレジェンドブレイブスの装備は取り上げられた。そして行われるのはオークション。アルゴとキバオウが主催となって仕切る中、オークションは盛り上がりを見せる。

 

…そんな盛り上がるイベントが行われる中、ケイはというと。

 

 

「…ねぇ、そんなに拗ねないで」

 

 

「拗ねてない」

 

 

むすっ、と不機嫌さを隠しもせずに表情を歪ませながら、第三層へと繋がるらせん階段を上っていた。そんなケイの後に続くのは、不機嫌なケイの背中を苦笑を浮かべて眺めるアスナ。

 

 

「だってあなた、すぐ顔に出そうだったし。その点、キバオウさんもリンドさんも悪くなかったわよ?」

 

 

「ほぉ~。アスナに見せてやりたかったよ。小学中学と劇で見せた、俺のアカデミー賞ものの演技を」

 

 

「…へぇ」

 

 

「…嘘です。小学も中学もそんなに演技してませんでした。町の人とか木の役とかやってました」

 

 

馬鹿にしているように言うアスナにちょっとイラッと来たケイが見栄を張るが、あっさり見破られてしまう。

 

な、何でこうもアスナには嘘が見破られてしまうのか…。

 

 

「ま、何だかんだいっても二人共、リーダー向きよね」

 

 

「…そうだな」

 

 

思い返すのはナーザに対して声を掛けたエギル。そして騒動を収めたリンドとキバオウ。…この三人には、アスナとアルゴから強化詐欺の真相を話していたそうだ。ケイとキリトには黙って。

 

だがそう考えると、やけにすんなりとリンドが騒動を収めたのも納得がいく。あそこまで咄嗟にプレイヤーの前に飛び出し、纏め上げる事は…、正直リンド一人では難しいだろうから。

 

 

「けど、あれはさすがに予想外だったろ」

 

 

「っ…」

 

 

アスナが息を呑む。

ケイが言ったあれとは、あのジョーというプレイヤーがプレイヤーの怒りを燃え上がらせた言葉だ。さすがにそこまでは、アスナとアルゴでも想定できなかったらしい。

 

 

「…黒ポンチョの男、か」

 

 

「何か言った?」

 

 

「いや、何も」

 

 

ぽつりと呟いたケイにアスナが聞き返す。どうやら呟きの内容は聞き取れなかったようで、ならば特に詳しく話す必要はない。飽くまでケイが思い浮かべているのは低い可能性。そうでない可能性の方が高いのだから。

 

 

(だけど…、調べてみるか)

 

 

「あ。あれ、扉じゃない?」

 

 

ケイが内心で呟いていると、アスナが前方を指さしながら言う。振り返り、その向けられる指の先を見上げると、そこには第三層の境目である扉があった。

 

ケイは扉の前に立つと、掌で押し、扉を開ける。

 

視界に広がるのは、第一層や二層とは打って変わって、広く茂る大森林だった。

 

 

「…アスナ。どうせまた、キリトから街の方角を聞いてるんだろ?」

 

 

「え?えぇ…。ここから北西に歩いていけば、道が見えてくるから、それに従って歩けば着くって」

 

 

広がる森林から視線を外し、振り返ってアスナに問いかける。アスナは、ケイの予想通りキリトから第三層の初めの街の場所を聞いていたらしく、ケイにどの方角に行けば街に着くのか説明してくれる。

 

 

「…そうか」

 

 

「ほら、早く行きましょう?第三層をアクティベートしたら、またあのケーキ食べたいなー」

 

 

どこかうきうきとしながら、ケイを追い越して前を歩くアスナ。

 

 

「アスナ」

 

 

そのアスナの肩を掴んで、ケイは呼び止めた。

 

 

「…ケイ君?」

 

 

目を丸くして、アスナが振り返る。ケイは、アスナの目をじっと見つめて口を開く。

 

 

「お前は戻れ。それと…、ここで俺は、パーティーを抜ける」

 

 

「…え?」

 

 

見開かれたアスナの瞳が動揺で揺れる。ケイはアスナの目から視線を外し、ウィンドウを操作してパーティー脱退の手続きを済ませる。

 

 

「いきなりで悪い。だけど…、お前はこれから攻略組を背負って立つことができる。それには…、俺は邪魔だ」

 

 

第一層のボス戦後にも言った。アスナはいずれ、攻略組を背負って立つプレイヤーになる、と。そしてそれは、必ずゲームクリアの近道になるとケイは確信していた。

 

そのためには…、これ以上アスナが自分と行動するのは枷でしかないと感じていた。

 

アスナは何も言い返さない。さすがにいきなりすぎたのかもしれない。だが、これは後々アスナのために、全プレイヤーのためになるはずだ。今回の騒動の裏の話を聞いて、ケイはさらに確信を強めた。アスナは、攻略組を導くことができる数少ないプレイヤーの一人だと。

 

 

「じゃあ、俺はアクティベート行くわ。お前は、さっさと戻って体休めとけよ」

 

 

「…」

 

 

ケイは呆然とこちらを見つめるアスナの横を通り過ぎ、アスナが言った北西の方向へと歩き出す。

 

アスナはケイの背中を見つめ続け、ケイは振り返ることなく歩き続ける。

 

それは、一層二層と共に戦い続けてきたケイとアスナの、決別の瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は一気に時間が飛びます。


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第17話 ヒースクリフ

一気に時間が飛んで、第五十層です。











 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────シッ」

 

 

目の前の骸骨型Mob<スケルトンナイト>が一文字に振るう剣をしゃがみ込み、潜り抜けるようにして回避しながら相手の懐へ飛び込む。そして、両手で握る刃、曲刀スキルをMAXまで貯める事によって使用解禁される武器、カタナ。その刀身から放たれるのは赤いライトエフェクト。三連撃ソードスキル<緋扇>を放ち、スケルトンナイトの胴体部の骨に容赦なく打ち込む。

 

ケイがいる場所は、第五十層にある深い森。そのままの意味で、<ディープフォレスト>と名付けられた森の中にいるのだが、そこでケイは現在絶賛交戦中のスケルトンナイトを駆り続けていた。

 

昨日、ケイはあるクエストを受けた。その達成条件がスケルトンナイトを狩り尽くしてほしいというものだったのだが…、はっきり言おう。ケイは今、そのクエストを受けたことを後悔している。

 

実は明日、攻略組は第五十層のフロアボス攻略戦に挑むことになっているのだ。このクエストも、今日が自由行動という事でヒマつぶしのために受けたものだったのだが…、うん、どうして朝からやってるというのにいつまで経ってもクエストクリアのフォントが出てこないんだ。

 

恐らくそろそろスケルトンナイトの討伐数は百を超える。…超える、よな?数えていないから詳しい数字はわからないが、体感的にはそのくらいの数字だと思われる。

 

 

「…正確な数字は書いてねえんだもんなぁ」

 

 

スケルトンナイトに、止めの単発スキル<辻風>をぶつけて倒した後、ケイはウィンドウを開いてスキル達成条件を確認する。そこには、<スケルトンナイトを狩り尽くす>と一字一句違わず書かれている。…狩り尽くすって、何体倒せばいいんだよ。

 

 

「…今日だけでレベル二も上がりやがったし」

 

 

クエスト達成条件を確認する最中、レベルアップのファンファーレが鳴り響く。これでケイのレベルは今日一日だけで二、上がったことになった。ケイの現在のレベルは73。ハッキリ言おう。一人を除けば、攻略組の中でもぶっちぎりのトップである。キリトでも昨日聞いたところ、68と言っていたからケイの方が明らかにレベルは高い。

 

 

「…さてと、骸骨狩りに戻りますかね」

 

 

こうして考え続けても仕方ない。ともかくさっさとクエストをクリアしてしまおうと考え、ケイは森の奥へと歩き出す。ここら一帯のポップが止まってしまったため、また違うエリアでスケルトンナイトのポップを待たなければならない。

 

ケイは刀…<村正>を鞘へとしまい、木の根がむき出しになり、凸凹とする道を歩く。

 

 

 

 

 

「で、結局何体倒したかわかんなかったし…。町に戻るの夜になっちまったし…」

 

 

ケイがクエストクリアのフォントを見て、クエストを達成したことに気付き、五十層の主街区<アルゲート>へ戻ってきた時には、当たりはすっかり暗くなり時刻も七時を越していた。

 

ケイは顔に疲労の色を隠しもせず、ぐったりとしながらアルゲートの道を歩いていた。

 

ここアルゲートには雑然とした作りの建物が多く、さらに道が入り組んでいてまるで迷路のようになっている。ケイは街に辿り着くと一日二日で街の全容を暗記するのだが、このアルゲートに着いてから一週間。ケイは未だ街の全容を覚えきれていない。

 

さらにこのアルゲートには怪しげな雰囲気を醸し出す店も多い。それでも、とてもお得な価格でアイテムを売る店もあるのだが、中にはかなりぼったくる値段でアイテムを売りつける店もある。それも、どれか一つでも買わない限り店から出られないというふざけた設定がされている店もあったり…。

 

と、これまでの層とは違った雰囲気の街であるアルゲートだが…、身を隠すにはもってこいの街である。先程も言ったが、この街は道が迷路の様に入り組んでいる。あまりプライベートを見られたくない人にとっては持って来いだ。

 

ケイも、このアルゲートで、入り組んだ道の先にあったプレイヤーホームをすでに購入している。これまで、キリトや…アスナにもその場所はばれていない。まあたった一週間でばれるような場所じゃあないのだが…。

 

 

「ないはず…なんだけど」

 

 

「ふむ…。待っていたよ、ケイ君」

 

 

辿り着いた家の前で立つ、全身を真っ赤な軽装の鎧に包んだ、背には白いマントが垂れ下がる人物を見た瞬間、ただでさえぐったりとしていた体をさらにげんなりと、両腕を前方でだらりと下げるというどこからどう見ても疲れた中年にしか見えない体勢になるケイ。

 

ケイの姿を見つけた人物は、ケイに涼しい笑みを向けながら歩み寄ってくる。

 

 

「あと十分ほど待っても来なければ、諦めていた所だった。助かったよ」

 

 

「うわぁ…、そこらの店でアイテム補充しとけばよかったなぁ…」

 

 

そうしておけば、すんなり家に入ってゆっくり休むことができたというのに。さっさと家に帰りたいから、アイテム補充は明日にしようと考えた五分前の自分をぶん殴ってやりたい。

 

 

「それで?どうしてあんたがここにいるんです?」

 

 

「…まるで私がここにいるのがおかしいみたいに言うね」

 

 

「いやいやおかしいでしょ。今じゃ攻略組の中で最大勢力を誇るギルド、<血盟騎士団>のトッププレイヤー…。攻略組の中でもトッププレイヤーと呼ばれるヒースクリフ殿が、どうしてこんな薄汚い街の、こんな薄汚い家の前で立ってるんですかねぇ」

 

 

「買い被りすぎだ。君には敵わないよ」

 

 

「いやいやご謙遜を。僕だってヒースクリフさんには到底敵いませんよ」

 

 

言葉はどちらも丁寧なのに…、声質が剣呑と感じるのは気のせいだろうか。いや、気のせいではない。

 

 

「いや、それよりも今時間あるかね?近くの酒場で少し話したいのだが」

 

 

「…奢りなら考えないこともありませんが」

 

 

「君の夕食の分も出してあげよう」

 

 

「行きましょう」

 

 

さっきの殺伐とした空気はどこへやら。食べ物に釣られたケイはほいほいヒースクリフの後をついていってしまう。この時、少しでも何の用かを確認しておけば、後に恐怖を感じることも無かったというのに。

 

 

「…うめぇ。こんな店があったなんて」

 

 

「アルゲートの中で私が一押しする店だ。満足してるようで、こちらも安心してるよ」

 

 

ハッキリ言おう。ヒースクリフが紹介してくれた店、そしてヒースクリフがお勧めした焼き鳥に似た肉はかーなーり旨かった。

 

 

「ていうか、この五十層はアストラル系のモンスターが主だろ?何でこんな上手い肉が…」

 

 

「これに使われている肉は、<ペリュトン>のものだ」

 

 

「はぁ!?ぺ、ペリュトン!?」

 

 

「S級の食材だ。君が手に入れてなくても不思議ではない」

 

 

「え、S級!?何でNPCの店でそんなレア食材が…」

 

 

ヒースクリフの口から次々と飛び出してくる驚愕の言葉。ペリュトンというのは、この五十層に出てくる、あるクエストを受けた時だけに出現する特別なモンスターで、鳥の胴体と翼、オスのしかの頭と脚を持つ。そのクエストは、達成するのに少々時間が必要で、受けるプレイヤーは少ないのだがケイは一動受け、クリアしたことがあった。

 

厄介な連続攻撃とブレス攻撃に、何度焦らされたことか…。ペリュトンと戦闘した時の事を思い出し、一筋の汗を垂らす。

 

 

「んぐ…。それで?団長殿は俺に何の用が?」

 

 

「…そうだな。そろそろ本題に入らせてもらおう」

 

 

口に含んだ肉を飲み込んでからケイがヒースクリフに問いかける。ヒースクリフは手に握ってたジョッキをテーブルに置いてから、両肘を突き、組んだ指で口元を隠し、ケイの目を真っ直ぐ見据えながら言った。

 

 

「単刀直入に言おう。…我が血盟騎士団に加入しないか?」

 

 

「単刀直入に言いましょう。…お断りします」

 

 

ヒースクリフの問いかけに即座に、さらにまた新たな肉を口に含みながらケイは答える。

 

 

「…てか、その問いは前も断ったじゃないすか。何でまた」

 

 

肉を噛みながらケイがヒースクリフに問いかける。

 

このヒースクリフがリーダーとなり結成されたギルド、それが<血盟騎士団>通称KoBだ。今では攻略組の中でもトップの勢力を誇り、今回のフロアボス討伐戦でもこのヒースクリフがレイドリーダーを務めることになっている。

 

そしてケイは、前にも一度ヒースクリフから血盟騎士団に入らないかと勧誘を受けていた。その時も今の様に即座に断り、それでこの話は終わったとばかり思っていたのだが…。

 

 

「私としても、君という戦力を手元に起きたいという望みがあるのでね。…それに」

 

 

「それに?」

 

 

「アスナ君立っての希望でもあってね」

 

 

「げっ…。あ、あいつ、まだ諦めてないのか…?」

 

 

脳裏に浮かぶのは、第三層到達直後の決別の会話。その時から、ケイとアスナはボス戦時に一時的にパーティーを組むことはあったが、それ以外はパーティーどころか連絡も碌に取っていない。…というより、アスナからくる連絡をケイが返さないだけなのだが。

 

 

「いや…、アスナだけじゃ足りないな。血盟騎士団の過半数は俺を入れる事に賛成じゃなきゃ…」

 

 

「私とアスナ君含め、重臣のほとんどが君をギルドに入れる事に賛成しているが?団員たちにも君を評価しているものは多くいる」

 

 

「…ダメダメ。ギルド員全員が満場一致でないと俺は入らんぞ」

 

 

思わぬヒースクリフの返答に、冷や汗を掻きながら震える声で返すケイ。

 

 

「…何か、ギルドに入りたくない理由でもあるのかね?」

 

 

「え?えぇ…、うん、まぁ…。あるっちゃある…かな」

 

 

まるで探りを入れてるように、こちらを覗き込むような視線を向けながらヒースクリフが再び問いかけてくる。じっ、と視線をこちらから外さないヒースクリフから視線を外すケイ。

 

そして蟀谷を人差し指で掻きながらケイは口を開く・

 

 

「えっと…、何ていうかさ。SAO開始初期から俺はアスナとパーティー組んでたんだよ」

 

 

「ふむ。アスナ君から聞いた事はある」

 

 

「それでさ…、その…。パーティー解消するとき、結構ひどいやり方だったから…」

 

 

あれ?俺、何でこんな事言ってるんだろ。そんな疑問が浮かぶも遅し、すでにケイの本音をヒースクリフは耳にしていた。

 

 

「…なるほど。つまり、今更アスナ君に合わせる顔がないと。そう言いたいのだね?」

 

 

「は?あ、えと、その…」

 

 

な、何で俺はまるでヒースクリフに恋愛相談を持ち掛けたみたいになってるんだ?それも、実際悩みの対象が異性だからなお質が悪い。

 

 

「だがそれは血盟騎士団に入るのが戸惑われる理由。わからないな。君ほどの実力なら、<聖竜連合>や<アインクラッド解放軍>。それに<風林火山>などの小型のギルドからも引く手数多だろう?」

 

 

「んー…。まず大手二つのギルドからは何かと疎まれてるからな。あと、他のギルドは…。うん、あれはあれでバランスが取れてるからな。俺が入ることでそのバランスを崩すのもどうかと思うし」

 

 

ここまで頑なにギルドに入ってこなかったケイにも、それを思う理由はある。自分を毛嫌いして入団できそうにない所は当然除外しているが、それ以外の…、自分を歓迎してくれる所もある。

 

特に、ヒースクリフが口にした風林火山はリーダーの野武士男、クライン派会うごとにギルドに入れよー、と声を掛けてくる。だが風林火山のような小型ギルドは今の時点で繊細なバランスが取れている。

 

同じ事を繰り返すが、大型ギルドには入る気になれない。入ったら胃に穴が空いてしまう。そして血盟騎士団は…、うん、無理。

 

 

「やっぱダメだ。ギルドにゃ入れねぇわ」

 

 

「…しかし、最近ではキリト君もギルドに入ったという噂がある。中階層を活動点としているギルドらしいが」

 

 

「あー…、ま、あんたの口の堅さを信用して言うけど。その噂は本当だよ。それにギルドのメンバーも最前線に加わってやるって意気込んでる。近い内に攻略組に入り込むかもな」

 

 

「そうか…。それは楽しみだな」

 

 

キリトが入っているギルドの名は、<月夜の黒猫団>。…ちょっとネタ感が大きいギルド名ではあるが、キリトが加入してからめきめき力を付けているという話は攻略組の中でも広まり始めている。まあ、キリトが加入したという話自体はあまり知られてはいないが。

 

 

「…結論を言おう。君は、ギルドに入る気はないのだな?」

 

 

「ん?あぁ。誰に何と言われようと、ギルドに入る気はねぇよ」

 

 

不意に、ヒースクリフがこれまでの話題をまとめてケイに問いかけてきた。ケイはいきなりの話題転換に目を丸くしながらも、すぐに頷いてギルドに入らない意を伝える。

 

 

「…そうか。ならばいい。もし君が他のギルドに入りたいと言い出したら、アスナ君が何をするかわからないからな」

 

 

「え…。まさかあんた、アスナにこの会話の内容を…」

 

 

「では、私はこれでお暇させてもらおう。なに、<ペリュトンの串肉>もう一皿分を含めて代金は君に渡して置く。安心したまえ」

 

 

「いや、そういう訳じゃなくて…」

 

 

「…さて、私の用事はこれで終わりだ。では、明日の君の働きに期待しているよ」

 

 

「お、おい!」

 

 

ヒースクリフが席から立ち上がり、店を去っていく。彼は忘れずにケイとヒースクリフも頼んだ品物のお代分の金を置いていったが…、問題はそれではない。

 

ヒースクリフは、ここで話したことをアスナに報告する気だ。いや、もしかしたらそれだけではなく、自分の家の場所も…。

 

 

「ちょっ、待てぇ!」

 

 

ケイもまた、席から立ち上がってヒースクリフを追いかける。店の扉を開けて外を見る、が、すでにそこにはヒースクリフの姿はなかった。転移結晶を使ってギルド本部に戻ったのだろう。…自分の追跡から逃れるために。

 

 

「あ、あの野郎…」

 

 

このまま外に出るわけにはいかない。そうなれば、食い逃げと判断したNPCから、恐らくここでは強制的に皿洗いをさせられるだろうから。

 

ケイはおとなしく席に戻り、店員が持ってきた<ペリュトンの串肉>を平らげる。

 

満腹、満足して食事を済ませたケイはヒースクリフから受け取った金で会計を済ませ、改めて帰宅の路に着く。

 

 

「…あれ、迷った?」

 

 

ケイが家に辿り着いたのは、店から出て三十分後の事だった。

 

そして明日は、いよいよアインクラッドの半分。第五十層のフロアボス討伐戦が行われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回…ようやくSAOの兄貴分が登場します。


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第18話 思わぬ再会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウィンドウを操作し、装備を変更する。上下グレーの部屋着から、真っ黒な浴衣へと、その上には紺色の羽織を纏い、今ではすっかり攻略組の中ではお馴染みとなった<幻影>の格好が完成する。

 

 

「やっぱり…、この格好が動きやすいんだよなぁ。キリトには少しくらいアーマー装備付けたらどうだって言われるけど…」

 

 

昨日はそのキリトの言う通り、今の浴衣は装備せずに白を基調とし、黒のラインが入ったコートを着て、胸にはアーマープレートを装備してクエストに出たのだが…、如何せん今の装備の動きやすさが凄まじい。ん?ダメージ?当たらなければどうという事はないのだろう?

 

 

「…七時半か。そろそろ行かなきゃ置いてかれるな」

 

 

アルゲートの転移門前に八時に集合。これが先日の攻略会議で取り決められた集合時間だ。時間厳守、遅刻者は置いていく。ちなみにこれはアスナが言ったことだ。

 

 

ケイは家の扉を開けて外へと出て、ロックされたことを確認してから入り組んだ道を進み始める。ふいに昨日の事を思い出し、まさか誰か来ていないよな?と警戒していたのだがそんな事はなく、やはりヒースクリフの口の堅さは信用できると思い直したのはちょっとした一興。

 

迷路のような道を抜け、街道を歩き、家から出て十分後には転移門前に着く。

まだ集合時間の二十分も前という事で、ケイ以外には誰も来ていない。

 

ケイは傍にあったベンチにどっかと腰を下ろし、アイテムの確認をしたり装備の耐久値の確認を始める。

 

だがそれは昨日寝る前にも確認したこと。結局すぐに問題はないとわかり、ケイは座った体勢からベンチに寝そべり、空をぼけーっと見上げ、流れる雲を目で追いかけだす。

 

そんな風にケイがのんびりと過ごしていると、次第に転移門が作動する音が響き始める。ずっと空を見上げたまま動かないケイは目にしていないが、集合時間も迫り、この場にボス戦に参加するプレイヤーが来始めたのだ。

 

 

「…もうすぐボス戦だっていうのに、ずいぶんリラックスしてるんだな」

 

 

「お、キリト。来たのか」

 

 

青く広がる大空が映るケイの視界に、キリトの顔が横から飛び込んできた。そこでようやく、ケイは集合時間が迫っているのだと気づいて起き上がる。顔を引っ込めてこちらを見るキリトは、右手を腰に当てて何やら呆れたような視線を向けている。

 

 

「…?」

 

 

「いや、首傾げんなよ…。今回のボス戦はクォーターポイントなんだぜ?緊張とかないのかよ…」

 

 

「あぁ…。いやけど、こんな時から緊張してたら心臓持たねぇだろ」

 

 

クォーターポイント。そのままの意味で、四分の一の区切りの階層はそう呼ばれている。この五十層も、クォーターポイントの一つだ。

 

そしてこのクォーターポイントである階層のボスは、おかしなくらい強く設定されているというのが攻略組の中で常識となっている。最初のクォーターポイントである二十五層のボスでも、六人が死ぬという大打撃を受けたのは今も記憶に新しい。

 

 

「おーい!キリトー、ケーイ!!」

 

 

起き上がったケイが大きく伸びをした時だった。転移門が作動した音が響いた直後、ケイとキリトを呼ぶ男の声が聞こえてきたのは。ケイとキリトが声が聞こえてきた方へと目を向けると、額にバンダナを巻いて胸と左肩にプレートアーマー、腰に刀を差したプレイヤーが駆け寄ってきた。

 

 

「クライン…、お前、ボス戦に参加するのか!?」

 

 

「いや何で驚いてんだよ!昨日の会議も俺参加したし、おめぇと話しもしただろーが!」

 

 

やって来たクラインに見開いた目を向け、馬鹿な!?と言わんばかりの雰囲気で言うケイに即座にクラインがツッコミを入れる。ちなみにケイにとってのクラインはこういうキャラだ。いじるとすぐツッコミを入れてくれる。だからこそ、安心してボケることができる。

 

…良いキャラだ、クライン。

 

クラインとは、ギルド風林火山のボス戦デビューの第八層で初めて対面し、キリトに紹介されて良く話すようになったが、それからここまで中々に良い友人付き合いを続けている。

 

クラインの気さくな性格はケイの中で好感を持てている。

 

 

「というかケイ。お前はやっぱりその装備なんだな…」

 

 

「ん、あぁ…。だって、この装備の動きやすさ半端ないぞ?お前も装備してみたらわかるって」

 

 

「いや、遠慮しとく…」

 

 

ケイの装備に苦言を漏らしたキリトに浴衣装備を勧める。まああまりいい反応はしないよなというケイの予想通り、キリトは苦笑を浮かべながら手を振って断ってくる。

 

 

「てかキリの字よう。装備に関してはおめぇは人のこと言えねえんじゃねぇの?相変わらず黒づくめだし…」

 

 

「う、うるさいな。黒は落ち着くんだよ…」

 

 

「…そんな黒づくめの格好してるから友達少ねぇんだよ」

 

 

「うるさい!てか、ケイには言われたくない!」

 

 

「はっ、よく見ろキリト!この羽織は黒じゃない!紺だ!」

 

 

「…ドングリの背比べ?」

 

 

「「黙れクライン」」

 

 

意地を張り合うケイとキリト、最終的には息を合わせてクラインを撃退。クラインは「何でそんなに息ぴったり…」と、がっくり項垂れている。

 

 

「と、そうだキリト。ギルドの仲間の様子はどうだ?ここ最近では力付けてるって噂になってるぞ?」

 

 

黒を好むから友達云々の会話でふと頭に浮かんできた疑問をキリトにぶつける。

キリトはクラインに向けていた視線をケイに向けてから口を開く。

 

 

「あぁ、みんな頑張ってるよ。そろそろレベルも五十を超える」

 

 

「…なぁキリト、いくら何でもペースおかしすぎね?チートでも使ってんの?」

 

 

「使ってねぇ!」

 

 

一週間前はキリトを除いた平均レベルは三十五とか言ってなかったっけ?何だその異常なペースは。

 

ちょっとした本音が口から漏れると、キリトが憤慨しながらツッコんでくる。いやまぁ、さすがにチートなんてこのゲームにはないのは良くわかってるが。

 

…チートだと言いたいくらいのスキルは存在するが。

 

 

「だけど…、良かったな。あいつらがお前を受け入れてくれて」

 

 

「…あぁ」

 

 

ケイの言葉にキリトが感慨深そうにゆっくりと頷く。

 

それは、キリトがベータテスターだということを月夜の黒猫団の面々が受け入れたという事だ。きっかけは、ギルドの仲間の一人、サチというプレイヤーがキリトのレベルが非常に高い事に気が付いた事だった。

 

一度、サチは戦う事に、死ぬことに恐怖してギルドから、この世界から逃げ出そうとしたという。その時、行方不明になったサチを一番初めに見つけたのはキリトで、説得をして連れ戻したのもキリトだったのだが、サチはその時点でキリトのレベルに気付いていたようで。その次の日に、キリトは自分がベータテスターなのだとギルドの仲間たちに打ち明けたという。

 

結果は、先程も言った通り。キリトはギルドメンバーに受け入れられ、本当の意味でギルドの一員になれたのだ。

 

 

「本当に…、良かったよ」

 

 

キリトがどれだけギルドの仲間を大切に思っているか、その一言に全て集約されている。

 

キリトにとっては無意識だったのだろう、無垢な笑みを漏らしながら呟いたキリトを、ケイとクラインが暖かな笑みを浮かべながら眺める。

 

 

「…っ」

 

 

だが、そんな和やかな時間は終わりを迎える。それは、転移門の作動音と光と共に現れた集団によって。

 

ある者は赤を基調とした白のラインが入った、またある者はその逆の色合いがプリントされたユニフォームを。この五十層フロアボス討伐戦をまとめる、ギルド血盟騎士団だ。

 

 

「来たか」

 

 

「いよいよ、だな…」

 

 

先頭に立つのはヒースクリフ、そして傍らにいるのは副団長のアスナ。見渡せば、すでに広場にはフルレイド分と思われる人数のプレイヤーが集まっていた。

 

転移門の上でヒースクリフは立ったまま、他のアスナを含めた団員たちは転移門から降りて広場からヒースクリフを見上げる。

 

 

「よくぞ集まってくれた。諸君らも知っての通りだが、この五十層を突破するという事は、アインクラッドの半分を踏破したという事になる」

 

 

ボス戦前最後の、リーダーからの言葉。

 

 

「コリドーオープン」

 

 

「は?」

 

 

不意にヒースクリフがこちらに背を向けると、あるアイテムを使用する。そのアイテムの名前は、<回廊結晶>。使用者が今いる場所から、使用者が望む場所へと道を繋げるアイテム。

 

かなり便利なアイテムではあるが、価値が高い。値段が高い。フィールドに出る時は必ず一つ回廊結晶を持っていくのが理想的ではあるが、ぶっちゃけると無理だ。金が辛い。

 

 

「さぁ、行こうか。今日で、アインクラッドの半分を制覇する」

 

 

ヒースクリフが広場にいるプレイヤー達を一瞥してから、回廊結晶への道を開けてプレイヤー達を誘導する。

 

回廊結晶を通り抜けると、そこは当然の事ながら閉じられた巨大な扉の前。ボス部屋の前で、いつもの通りレイドごとに分かれてプレイヤー達が集まる。

 

 

「ん、何だ?俺達のレイド、あと一人足りないぞ」

 

 

と、ここで小さなアクシデントが起きた。ボス討伐戦はフルレイドを満たす人数が集まったはずなのだが、ケイのレイドのメンバーが一人足りないのだ。

 

ケイ、キリト、そして壁役を除いたクラインたち風林火山のメンバー。これで、五人。もう一人は、血盟騎士団の片手剣使いのメンバーが加わるはずだったのだが、そのメンバーだけが見当たらない。

 

 

「おい、こっちに来るあの人って…」

 

 

「…っ!!!!?」

 

 

最後の一人を探していると、不意にクラインが目を丸くしながらどこかを指さした。ケイはクラインが指を差した方に目を向けて…、すぐさまキリトの背後に隠れた。

 

キリトは突然のケイの奇行に目を丸くして驚いたが、クラインが指を差す方向に目を向け、ケイの奇行の理由を察すると一転。あっ、察し、と言わんばかりの苦笑を浮かべて背後に隠れるケイに視線を送る。

 

 

「お前、まだ…」

 

 

「決まってんだろうが…!あれから連絡一つも取ってねぇよ…!」

 

 

小声で話し合うケイとキリト。そんな二人の…いや、二人を含めたレイドのメンバーたちの視線の先。こちらに歩み寄ってくる、そのプレイヤーの正体。

 

 

「ボスのダメージディーラーを担うD隊の方々ですね?」

 

 

「は、はい!その通りであります!」

 

 

歩み寄ってきたプレイヤーは、クラインの前で立ち止まるとにこやかな笑顔を浮かべて話しかけてきた。クラインはその笑顔を見て、頬を染めてにやけた笑みを浮かべながら返事を返す。

 

すると、そのプレイヤーはクラインから視線を外し、レイドのメンバーを…特にキリトの背後に隠れて様子を窺うケイに力を込めた視線を送ってから、再び口を開いた。

 

 

「血盟騎士団副団長のアスナです。団長の指示により、急遽D隊のメンバーに加わることになりました。よろしくお願いします」

 

 

「は…っ」(はぁああああああああああああああああああ!!!!!?)

 

 

絵にしたくなるような、綺麗な動作でお辞儀をするプレイヤー…、アスナの言葉にケイは限界まで目を見開き、あんぐりと開いた口から僅かに声が漏れる。内心ではこれでもかと絶叫していたが。

 

いやいやいやあり得ないあり得ないあり得ないあり得ない。何を考えてるんだあのアホ団長は。何で血盟騎士団の副団長様をこんな変哲もないプレイヤーの集団の中に加えさせてんだコラァ。

 

 

「や、やぁアスナ…。ひ、久しぶり…」

 

 

「キリト君。えぇ、こちらこそ久しぶりね」

 

 

ケイの様子を見かねたキリトがアスナに声を掛ける。アスナも、声を掛けたキリトに返事を返し、二人の空気はそこまで悪くない。

 

 

「あ?おいキリト、アスナさんと知り合いなのか?」

 

 

「あ、あぁ…。一時期パーティーを組んでてな…」

 

 

「はぁ!?てめぇ…、なんて羨ましい…!」

 

 

一時期アスナとパーティーを組んでたと口にしたキリトを睨み付け、ハンカチを噛み千切りそうな勢いで羨むクライン。そんなクラインに、いつものケイならば変態等々一言辛辣なツッコミを入れていた所…、今はあまりの動揺で口が震え、言葉を発することができない。

 

 

「そこのキリト君の背後に隠れてる人も。よろしくね?」

 

 

「…」

 

 

最早震える事すらできなかった。何も知らない人が聞けば、それはそれは優し気に聞こえる声は…ケイにとっては悪魔の囁きにしか聞こえなかった。言葉の対象ではないキリトすらも、小さく震えるほど。

 

 

「ん?何だ?ケイもアスナさんと知り合いなのか?」

 

 

「…まぁ、うん。クライン、今はそこに触れてやらないでくれ」

 

 

「?」

 

 

キリトの言葉の意味を読み取れず、クラインや他のレイドにいる風林火山のメンバーは首を傾げる。

 

そして、事情を知ってるキリトは苦笑い。当事者であるケイはがくぶる、アスナはにこにこ。

 

後に、キリトは語った。こんなんで、ボス戦を乗り切れるのかとても不安になった、と。

 

ヒースクリフが何か一言、言っていた気がするがケイの耳は全く入ってこなかった。だがすぐに、ケイの意識は無理やり引き戻される事となる。

 

ヒースクリフが、戦闘でボス部屋の扉を開けていく。開いた扉の間から漏れる光と、扉が開いていく音がケイの意識を戻していく。

 

 

「な、何だありゃ…」

 

 

これまでのボスは、部屋の最奥部に立っていたり、座っていたりした。だがこの層はこれまでのボスとは違った。

 

まず、立っている…と言えばいいのかはわからないが、ボスが存在している場所は部屋の中央部だった。足はなく、部屋の中央で配置されていると言った方が正しいか。

 

そして、何よりもボスの姿だった。

 

 

「ぶ、仏像か?ありゃ…」

 

 

金色に輝くボスは、まさに神仏。足はなく、だが胴体から生える腕の本数が明らかに異常。十はゆうに越え、百ほどの伸ばした腕が円形に広がっている。

 

<limitless budhha’s evil influence>

 

 

「神仏の…、無限魔手?」

 

 

ボスの頭上に浮かぶ名称と、六本のHPバー。

 

呆然とケイがボスの名前を直訳し、呟いた直後。神仏の閉じていた両目が見開かれ、ボス部屋に入ったプレイヤーを捉える。

 

 

「突撃開始!A、B隊はボスの攻撃を押さえ、D、E隊は脇からボスを攻撃!C、F、G、H隊はスイッチに備えて待機!」

 

 

直後、ヒースクリフの指示の声が部屋中に響き渡る。ボスの不気味な姿に呆然としていたプレイヤー達は我に返り、ヒースクリフの指示の通りに突撃し、または後退する。

 

 

 

 

 

 

アインクラッドのハーフポイント。そして、SAO史上最大の混乱を引き起きしたと後に語られるボス戦が、今ここに開戦した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回からボス戦です。


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第19話 VS神仏の無限魔手前編

ルーキーランキング27位に入ってました。読者の皆様、ありがとうございます。











 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「B隊は一旦下がって回復だ!A隊はB隊とスイッチしろ!」

 

 

第五十層フロアボス討伐戦は進んでいた。ヒースクリフの的確な指示と、ダメージディーラーを担ったケイ達の働きも大きく、すでにボスのHPバーは二本削れ、三本目も注意域へと到達している。

 

 

「D隊、前へ!」

 

 

「了解!行くわよ、ケイ君!」

 

 

「何故俺だけ名指しなんですかねぇ?」

 

 

ヒースクリフの指示がケイ達D隊にも飛び、アスナを先頭にボスに向かって飛び出していく。

 

 

「…なぁキリトよぉ。あの二人ってどういった関係…」

 

 

「あとでゆっくり教えてやるから。今はボスに集中しろよ」

 

 

アスナと、その隣でボスに向かって駆けるケイの背中を眺めながら、二人に続いてボスに向かうクラインが同じようにボスに向かって駆けるキリトに問いかけた。キリトは苦笑と共にボスに集中しろと注意を飛ばす。

 

だが、今の彼らにはこんなボスに関係ない会話をするほどの余裕があった。

 

ボス<limitless budhha’s evil influence>には、まともに喰らえばHPの大半を奪っていくものの、何しろモーションが大きい。さらに、時折攻撃を繰り出す腕が光を帯び、それにあたってしまうとスタン状態となってしまう厄介な攻撃もあるが、先程も言ったがモーションが大きく、フォローも容易い。

 

 

(クォーターポイントのボスで、こんな容易くいけるのか?)

 

 

ほとんどのプレイヤーは、このまま押し切れると確信した表情でボスに挑みかかっている。そんな姿を見ると、どうも胸の中で嫌な予感が過る。

 

思い出すのは二十五層のボス戦。クォーターポイントのボスは途轍もなく強いという説をプレイヤー達に植え付けた、あのボス戦。

 

 

(このまま終わるはずがない…)

 

 

ケイの中で沸く、確信めいた予想を抑えながらアスナと共に巨大な神仏の懐に潜り込み、ソードスキルを打ちこむ。

 

ソードスキル<豪嵐>。今、ケイが持つソードスキルの中で最大の火力を持つ五連撃技。袈裟気味の振り下ろしから始まり、左切り上げに右切り上げ、そして逆袈裟気味に振り下ろしてから最後に渾身の突きを放つ。

 

アスナもまた、細剣五連撃スキル、攻撃の出が最速の<ニュートロン>を神仏に打ち込む。

 

 

「スイッチ!」

 

 

二人のソードスキルを受けた神仏は、傍から見れば何の変化も起こっていないように見える。だが、近くにいたケイ達だからこそほんのわずかな変化に気づくことができた。

 

神仏の目が細まり、僅かに重心が後ろに傾いている。ボス戦前の情報にもあった、これは怯み、硬直しているというサイン。

 

キリトの声に従い、ケイとアスナはスキルの硬直時間が解けた直後に後退。二人とすれ違う形で、キリトを先頭にクライン率いる風林火山のダメージディーラーたちが神仏に向かってソードスキルを放っていく。

 

神仏の三本目のHPバーが、注意域辺りを過ぎて危険域辺りへと到達する。

 

 

「よっしゃぁ!」

 

 

「このままなら…いける!」

 

 

(バカ野郎!)

 

 

確かにそう思ってしまうのは無理はないが…、どうしてそうあからさまなフラグを建ててしまうのだろう。ボスのHPの減り様を見て声を出したプレイヤーに内心で悪態をつく。

 

しかし、ケイはここでふとあることに気付いた。それは、神仏の…恐らく胸、だろうかそのあたりで見られる二本の腕だ。

 

二つの掌が合わさったまま離れない。思い返せば、ボス戦に入ってからずっとあの二つの掌が離れた様子はなかった。

 

 

(…だよな、どう考えてもそうだよな。それに、部屋の中央でまったく動かないってのも気になる)

 

 

ボス戦前に皆で確認した情報は、飽くまで初期段階でのボスの状態だ。ここまでのボス戦では、HPが半分を切ったり少なくなったりすると、必ず何かしらの変化があった。それも、とてつもなく厄介な状態へと。

 

そして、この五十層の戦闘で起こるボスの変化…、ケイの中で大体の予想がついた。ついてしまった。

 

 

「っ」

 

 

他の隊とスイッチし、D隊は後退して回復を行っていた。その最中で考え事をしていたケイだったが、突如耳に入った歓声に目を見開く。

 

目を向ければ、ボスを囲んでいたプレイヤー達の中でガッツポーズを取っている人が多くいた。まさかと思い、上を見上げると、ボスのHPの三本目が消滅していた。つまり、ボスに変化が起こるだろうHPの半分を切ったという事になる。

 

ボスの状態変化の演出が始まる。この間はどれだけ攻撃を仕掛けてもダメージは入らないし、ボスも攻撃をしてこない。この間を狙い、ヒースクリフの指示に従ってボスの周りを包囲していく。

 

 

「グ…ギ…」

 

 

これまで、神仏が声を発する事はなかった。しかし、この演出の中で初めて、機械音染みた低い声が神仏の喉から発せられる。

 

 

「GUGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」

 

 

その変化は突如、そして凄まじい轟音と共に起こった。神仏は多数の手を全て床へと突いて、力を込める。何秒か経った後だった、そのボスが浮き上がったのは。

 

 

「…は?」

 

 

誰も呆然とする中、どこかに立っているプレイヤーの一人が声を漏らした。

誰もが、ボスが浮かび上がったと思い込んでいた。だが、それは間違いだった。

 

ただ、立ち上がっただけなのだ。両足を地に着け、両足分の長さが加わった高さから神仏が周りを包囲するプレイヤーを見下ろす。

 

 

(足はなかったんじゃなく、地面に埋まってたって事か…)

 

 

この変化はケイの中で予想できていた。ただ中央に座しているだけではないだろうというケイの予想は当たっていた。そしてまた、もう一つの予想も当たっていた事に、この時ケイは気づいていなかった。

 

 

「うわあああああああああああ!」

 

 

「な、なんだこいつ!?」

 

 

地面から足を掘り起こした神仏は、巨大な足音と共に、壮絶なスピードで包囲していた壁プレイヤーではなく、後方で待機していたダメージディーラー達に向かって駆けだしていった。

 

初めにボスのヘイトを受けるのは、包囲をする壁隊だと考えていたダメージディーラー達が、突っ込んでくる神仏の姿に恐怖を覚え、硬直してしまう。

 

 

「ちっ!」

 

 

神仏に狙いを付けられたのは、ボス戦に参加していたアインクラッド解放軍に属す一人のプレイヤー。ケイがすぐにそのプレイヤーに向かって駆けだしたが、ケイよりも先に動き出したプレイヤーがいた。

 

神仏はプレイヤーに向けて腕を…、あの両掌を合わせたまま離すことはなかったあの腕を突き出す。狙われたプレイヤーは、あまりの事態を飲みこむことができず震えるのみ。

 

周りのプレイヤーも、動くことができない。だが、ケイともう一人。

 

 

「…あ」

 

 

がきぃっ、と鈍い金属音が響き渡る。それは、神仏が突き出した拳と、プレイヤーとの間に割り込んだある人が握る、中心に赤い十字が刷り込まれた純白な盾がぶつかり合った音。

 

 

「はぁっ!」

 

 

純白の盾の持ち主、ヒースクリフが神仏の攻撃を妨害し、直後にケイが突進しながら行う居合スキル<辻風>で神仏を無理やり怯ませ後退させる。

 

 

「助かったよ、ケイ君」

 

 

「はっ、何言ってんだ。あんたのそのスキルなら俺が割り込まなくてもどうにかなっただろ」

 

 

辻風を使用した後、ケイはヒースクリフの隣に着地する。するとヒースクリフがいつもの涼しい笑みを浮かべてお礼を言ってくるので、何を心にもない事をと言葉を返してやる。

 

ヒースクリフは笑みを浮かべて無言のまま。無言は、肯定の証と取っていいだろう。

 

ヒースクリフには、<神聖剣>というエクストラスキルがある。さらに、普通ならばエクストラスキルは最初に誰かが取った時点でその取得条件を公開するのが暗黙の領海なのだが、ヒースクリフはその条件を公開できなかった。

 

<神聖剣>のスキル条件が、わからないのだという。さらにどんな情報屋でも<神聖剣>についての詳細が全く掴めなかった。

 

ある人は言った。<神聖剣>はその人の専用スキル…ユニークスキルだ、と。

 

<神聖剣>は絶対的な防御を誇る。どんな強大な攻撃でも、その盾で防ぎ、的確な反撃を入れる。それが、ヒースクリフの戦闘スタイルだ。

 

 

「GAAAAAAAAAAAAAAAAA」

 

 

「!?」

 

 

ケイの攻撃を受けて仰け反った神仏が突如雄叫びを上げる。そしてそこで、ようやくケイは神仏が胸の前で合わせていた両手が離れていることに気付いた。そして、ヒースクリフに防がれ、弾かれた腕とは違う、もう一方の腕を、神仏は横目でまた違うプレイヤーを捉えて、そのプレイヤーに向かって振るう。

 

 

「え?」

 

 

神仏に狙われたプレイヤーは、先程狙われたプレイヤーと同じように動けないでいた。先程はヒースクリフのフォローが間に合ったが…、今回は間に合いそうな距離ではない。

 

 

「バカ!その場から早く離れろ!」

 

 

キリトが神仏に狙われたプレイヤーに向かって言葉を投げかける。だが、プレイヤーは神仏を見上げたまま動かず…、震えて固まるだけ。

 

 

「…あ」

 

 

神仏の腕が大きく振われた。開かれた神仏の掌に腹を薙がれ、吹き飛んだプレイヤーのHPがみるみるうちに減っていく。そして…

 

ほぼ満タンだったそのプレイヤーのHPは、ゼロになった。

 

 

「…は?」

 

 

ポリゴン片となって消えていくプレイヤー。その光景は、この場にいる全てのプレイヤーに衝撃を与えた。最前線を駆けるトッププレイヤーが、たった一撃で死に至らしめられた。

 

その事実は、たとえどれだけ信じられなくても、周りのプレイヤーの胸に刻まれる。

 

 

「う、うわあああああああああああああああああ!!なんだよ…、なんだよそれぇ!?」

 

 

「一撃…?は?訳分かんねぇよ…」

 

 

「やべぇ…、やべぇよこんなの!」

 

 

たった数秒の光景で、一気にプレイヤー達が混乱する。ある者は逃げ出そうとし、またある者は恐怖でその場から動けなくなる。

 

 

「…」

 

 

そんな中、ケイはその場で動かず先程の光景を思い返しながら考察していた。

 

一方は生き残り、一方はHPが尽きてしまったが、どちらも一つ共通点がある。

神仏に狙いを付けられた途端、全く動かなくなったという点だ。

 

 

(…奴に狙いを付けられたら、何かしらの状態異常で動けなくなる?)

 

 

頭の中で浮かんだ可能性を、ケイはすぐに打ち消した。

そんな馬鹿な事があるはずがない。もしその予想が当たっていたとすれば…、このボス突破は完全に不可能だ。どれだけ数を揃えても、全滅という結果が目に見えている。

 

 

「ケイ君!団長!」

 

 

ケイが思考を働かせていると、ケイとヒースクリフを呼ぶ声が聞こえてき、さらにボスの暴虐を尽くす轟音にかき消されそうになりながらも耳に届く足音が近づいてくる。

 

 

「アスナ」

 

 

「ケイ君…、これ…」

 

 

ケイとヒースクリフに駆け寄ってきたのは、アスナ。そしてアスナの後ろには同じように駆け寄ってきた、キリトとクライン、風林火山のメンバー達。その誰もが、戸惑いと恐怖が混ざった表情を浮かべ、今も暴れ続ける神仏に目を向ける。

 

 

「撤退したいのならば、止めはしない」

 

 

「え…、団長…?」

 

 

その呟きは、不意に聞こえてきた。ケイが、アスナが、キリト達が呟いた人物。神仏の方から視線を離さないヒースクリフへと目を向ける。

 

 

「隊列は崩壊した、一時撤退もやむを得ないだろう。だが…、それをするには殿が必要だ」

 

 

「団長、まさか…」

 

 

ヒースクリフの言葉を聞き、声を漏らしたアスナだけではなく、ケイ達もまたヒースクリフがしようとしている事を悟る。

 

 

「私があのボスを引き付けよう。その間にアスナ君、君は攻略隊をまとめて撤退を始めたまえ」

 

 

「そんな!いくら隊長でも、一人では…!」

 

 

そう、絶対防御の<神聖剣>を持つヒースクリフでも、まさに無限の腕を持つあのボスを一人で押さえ込むことは難しい。…一人ならば。

 

 

「一人じゃないさ」

 

 

「え…」

 

 

ヒースクリフの言葉に呆然としていたアスナの声が、再び口から漏れる。次に、アスナ達が視線を向けたのは、ヒースクリフの隣で、同じように神仏から視線を離さないケイ。

 

 

「…やられるかもしれんが?」

 

 

「一人ならそれも覚悟してたかもな。けど…、あんたほど心強い壁役はいねぇよ」

 

 

相変わらずの涼しい笑みを向けながら問いかけてくるヒースクリフに、不敵な笑みを浮かべながら返すケイ。

 

 

「…聞いての通りだアスナ君。私とケイ君の二人で殿を務めよう」

 

 

「そ、そんな!それなら私も…」

 

 

「ダメだ。お前は他のプレイヤー達をまとめる役目がある」

 

 

リーダーであるヒースクリフが殿を務める。ならば、誰が他のプレイヤー達をまとめる?

答えはたった一人しかいない。アスナしか、それを成せるプレイヤーはいない。

 

 

「ケイ君…!」

 

 

「キリト、クライン。お前らもアスナを手伝ってやれ」

 

 

「ケイ…」

 

 

「けどよ…、あんな化け物相手にたった二人で…」

 

 

アスナとキリトが、ケイに心配そうな視線を向け、クラインもまたケイを気遣って言葉をかけてくるが…。もうここでゆっくりしていられる時間もなかった。

 

 

「ヒースクリフ!」

 

 

「わかっている」

 

 

神仏が、再びプレイヤーに狙いを定めて攻撃を仕掛けていた。先程までは壁隊が神仏を囲み、あの攻撃も、がちがちに装備を固めたプレイヤーならば一撃で死に至るという事はなかった。

 

だが今度狙ったのは、先程と同じ軽装のプレイヤー。それも、また動けなくなっているようで回避をしようとする様子が見られない。

 

ケイとヒースクリフが駆けだす。先にヒースクリフが、狙われたプレイヤーの前へと躍り出て神仏の拳を防ぎ、先程と同じようにケイが<辻風>を神仏に打ち込む。

 

だが、先程と違ったのは、辻風を喰らった神仏が怯まなかったこと。ケイに訪れるのはスキル使用後の硬直時間。その間に神仏は、胴体から生やす無数の腕をケイに向かって振り下ろす。

 

 

「っ!」

 

 

その時、ケイは神仏と目が合い…、HPバーの横に浮かぶ謎のアイコンの存在に気付く。

 

しかし、そのアイコンの正体が何なのかを考える暇も無く。振り下ろされた無数の腕が、ケイの立っている場所へと突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第20話 VS神仏の無限魔手中編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

詰んだ。

 

ただ一言、心の中でそう思った。自分の名前を叫ぶ、アスナやキリト、クラインの声も遠く感じる。この感覚、覚えがある。

 

 

(そうだ…。第二層のボス戦…、あの時もこんな感じで、やられそうになったんだっけ)

 

 

神仏の腕の動きがスローモーションに感じる。そしてそれが、第二層で自分がやられかけたあの時と感覚が重なる。あの時は、アスナがボスの注意を引き付けてくれたおかげで助かったが、今のアスナは自分から遠く離れた場所でプレイヤー達をまとめている。距離的に考えても、ここまで駆けつける事は出来ないだろう。

 

それは、アスナの傍にいるキリトやクラインもそうだし、ヒースクリフもこちらに無会ってきてはいるが、どう考えても間に合いそうにない。

 

詰んだ。再び、あの一言が心の中で浮かぶ。

 

 

(やべ…、もう無理だわ)

 

 

ケイはそっと瞼を閉じる。こちらを睨む神仏の目が消えていき、瞼の裏側で真っ黒く視界が覆われる。

 

その瞬間だった。

 

 

「っ!?」

 

 

ケイは目を見開き、驚愕に目を染める。伸びた膝が突如崩れ、ケイの身体がぐらりと後ろへと傾く。慌てて足に力を込めて体勢を立て直したケイは、先程まで全く力が入らなかった足の異変に気付き、すぐさまその場から後退して離れた。

 

ついさっきまでケイが立っていた場所に神仏の無数の腕が叩き付けられ、煙が上がる。

ケイはその光景を眺めながらさらに神仏から距離を取り、さらにヒースクリフがいる方へと駆けていく。

 

 

「ケイ君!」

 

 

「…くそっ」

 

 

アスナの声がケイにかかる。その意味を察したケイが振り返ると、駆けるケイを神仏が追いかける姿が視界に入る。ケイはさらにスピードを上げ、不意に跳躍。そして同じようにケイに向かって駆けていたヒースクリフの背後で着地し、しゃがんでヒースクリフの背に隠れる。

 

その瞬間、神仏がケイに向かって二本の両腕を突き出す。だがその時にはケイはヒースクリフの背でしゃがんでおり、代わりにヒースクリフが純白の盾で神仏の突きを防ぎ切る。

 

 

「さすが、神聖剣といったところか。あの攻撃を物ともしない」

 

 

「…分かったようだな、あの現象のカラクリが」

 

 

ヒースクリフも気付いていたらしい。神仏に狙われたプレイヤーが動けなくなった、あの奇妙な現象に。そして、その現象のカラクリにケイが気づいた事もまた、ヒースクリフは悟っていたようだ。

 

 

「…あのボスと目を合わせるな。その瞬間、状態異常で動けなくなる」

 

 

ケイの脳裏に思い浮かぶのは、スタンとは違う絵が描かれたアイコン。紫色に塗りつぶされた、魔方陣のような形をしたアイコン。あの状態異常が何というのかはわからないが、あれに陥ると動けなくなると考えるのが自然だ。

 

 

「もし、魔方陣のような形のアイコンが出て動けなくなったら目を瞑れ。そうすれば状態異常は解ける」

 

 

ケイは、状態異常の解除方法にも辿り着いていた。思い出すのは、ボスにやられたと勝手に思い込み、目を瞑ったあの時。あの瞬間から、ケイは解き放たれるように体の自由を取り戻した。

 

つまり、謎の状態異常で動けなくなるのは、ボスと目を合わせている間のみ。その間、体も視線も動かすことはできないがただ一つ、瞼だけは動かすことができ、そして瞼を閉じれば状態異常も解ける。

 

 

「まだ体力は半分だし、また何らかの変化があるとも限らないが…、あの状態異常さえ何とかしさえすれば」

 

 

「うむ。…ならば、私は少しの間あのボスの気を引き付けよう。その間に君は、アスナ君にその事を伝えてきてくれ給え。その情報があるかないかだけでも、かなり違うはずだ」

 

 

「わかってる」

 

 

言葉を交わした直後、ケイとヒースクリフは同時に動き出した。ケイはアスナがいる方へと、ヒースクリフは神仏の懐へと。ヒースクリフの剣が赤いライトエフェクトを帯びる。瞬間、放たれるのは瞬く間に繰り出される四連撃ソードスキル。

 

ヒースクリフのソードスキルを受け、神仏のHPが一気にバーの三分の一ほど減らされる。それを受け、ケイに狙いを付けていた神仏の視線が、懐から距離を取るヒースクリフへと移る。

 

 

「GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO」

 

 

神仏が雄叫びを上げ、部屋中の空気がビリビリと震える。それすら物ともせず、ケイは振り返ることなくアスナの傍で立ち止まり、口を開く。

 

 

「アスナ、よく聞け。ボスの情報を一つ持ってきた」

 

 

「け、ケイ君…」

 

 

アスナもケイの九死に一生を得たあの光景を見ていたのだろう、ケイの顔を呆然と見つめ、信じられないような、そんな表情でケイの名前を呼ぶ。

 

 

「俺は生きてる。生きてるから、まずはボスの情報を聞け。この情報一つだけで、生き残る確率はかなり上がるはずだ」

 

 

「っ…、わかった。話して」

 

 

アスナも攻略組のトップを張ってきたプレイヤーだ。すぐに動揺を抑え、次にケイの口から発せられる言葉に耳を傾ける。

 

 

「あの神仏の両目と目を合わせるな。詳細はわからないが、ある状態異常で体を動かせなくなる」

 

 

「動かなくなる…。それって、スタンじゃないのか?」

 

 

「違う。俺もその状態異常になってな、アイコンを見たがあれはスタンのアイコンじゃなかった」

 

 

ケイが、ヒースクリフに伝えた情報そのままを口にすると、その言葉を聞いていたキリトが問い返してくる。その問いかけに、ケイは否の答えを返しながらさらに説明を続ける。

 

 

「その状態異常のアイコンは魔方陣の形をしている。もしそのアイコンが出たら目を瞑れ。あの状態異常はボスと視線があった間だけかかる。だから目を瞑れば…」

 

 

「ボスとの視線が切れて、状態異常が解ける…というわけね」

 

 

アスナとキリト、そして同じD隊のクライン達もまた、ケイの説明を整理して謎の状態異常の対策について頭に叩き込む。

 

 

「…それらを整理して、ここからどうする?」

 

 

「え?」

 

 

「ここで撤退するか、それともボス戦を続けるか。どちらにしても、俺とヒースクリフはまだここにいるつもりだが」

 

 

ボスの情報が整理できたであろうアスナにケイが問いかける。ボス戦を続けるのかそれとも否か。

 

 

「そんな!ボスの攻撃は団長が防いでる!その間に、皆で撤退を…」

 

 

「撤退するんなら、尚更だ。殿をヒースクリフだけにさせるわけにはいかないだろ。自分一人ならともかく、後ろに攻撃が行かないようにカバーするのはヒースクリフでも難しい」

 

 

神聖剣は、絶対防御を誇る。だが、それは飽くまでも自分に対しての効力だ。使用者によっては他者を庇い、フォローをする事は出来るだろうがこの場にいるのはヒースクリフを含めて四十八人。いくら何でも、全員をヒースクリフ一人で庇う事などできるはずもない。

 

 

「二人でも難しいかもしれないが、一人よりはずっとましだろう。一人より二人だ」

 

 

ケイはヒースクリフに猛攻を仕掛ける神仏に視線を向ける。ヒースクリフは神仏の猛攻を凌いではいるが、どうしても他人を気にする余裕があるようには見えない。

 

 

「で、でも…」

 

 

「ともかく、俺はヒースクリフを援護してくる。アスナも、撤退するんならすぐに退け」

 

 

あまり喋ってもいられない。ケイは最後にそう言い残し、ヒースクリフの援護へと向かう。

 

 

「ケイ君!」

 

 

「ケイ!」

 

 

背後からアスナとキリトの呼びかける声が聞こえてくるが、振り向くことなくケイはボスの一挙一動にだけ集中する。神仏の目だけは見上げないように注意し、ヒースクリフに向けて神仏が腕を翳した瞬間、ケイはさらにスピードを上げて神仏の懐へと飛び込んでいく。

 

ケイは跳躍すると、神仏の丁度腹の部分に向けてスキルを打ちこむ。刀ソードスキル<雷鳴>。袈裟、または逆袈裟からの振り下ろしで放たれる高威力重単発スキルが、神仏のHPを大きく奪う。

 

ヒースクリフへ攻撃を仕掛けようとした神仏の身体がぐらりと揺れ、大きく崩れる。神仏は無数の腕のうち一本を床へ着け、怯んだ様子を見せる。

 

 

「私一人でも、殿は出来たのだがね」

 

 

「強がりはやめろよ。あんただけじゃ、他のプレイヤーのフォローまでは手が回らねぇだろうが」

 

 

「…できる」

 

 

「…珍しく意地張るなおい」

 

 

表情に変化は全くないが、声の質からわかる。ヒースクリフは、自分に対抗している。

 

…何をそんなにムキになっているかは知らないが、その程度の事でペースを崩すような奴じゃないことは知っているので、取りあえず無視しておく。

 

 

「私が引き付け、君が攻める。一まずの方針はそれでいこう」

 

 

「おいおい、殿じゃねぇのか?攻めるって…」

 

 

「ふっ、何を言う」

 

 

攻めると言ったヒースクリフを一瞥する。ヒースクリフは涼しい笑みを浮かべながら続ける。

 

 

「ボスを倒したい。君の顔には、はっきりそう書いている」

 

 

「…マジか」

 

 

ケイとヒースクリフは、同時に、別々の方向にステップをとってこちらに振り下ろされる神仏の腕を回避する。最中、ケイは苦い笑みを浮かべながらぽつりと呟いた。

 

確かに、内心ではたとえ一人になってもボスを倒してやると意気込んではいるが…、まさか顔にまで出ているとは。そして、それをヒースクリフに読み取られてしまうとは。

 

 

「いやまぁ、リーダーのあんたが言うんなら従うぞ?撤退」

 

 

「…まさか。私とて、一人だけでもボスを倒すつもりでいたよ」

 

 

ケイの剣がライトエフェクトを帯びた瞬間、神仏の腕がケイに向かって突き出される。だがその直前、ヒースクリフが立ちはだかり、盾を構えて神仏の腕を防ぎ切る。

 

今度はケイがヒースクリフの前へと躍り出、ソードスキル<豪嵐>を神仏に向かって放つ。

 

だがその瞬間、ヒースクリフが防いだ腕とは違う、残った神仏の腕がケイに向かって振るわれる。それを目にしたケイは、狙いを神仏の胴体からこちらに振るわれる腕へと変更。

 

 

「はぁっ!」

 

 

ケイのソードスキルが振るわれる神仏の腕に命中すると、突如神仏の腕が<部位破損>を起こす。斬り落とされた何本かの腕が床へと落ちる前に、ポリゴン片となって四散する。

 

 

(腕が多いとは思ってたけど、部位破損の対象になってたか…。気付けて良かった)

 

 

攻撃を終え、ケイは再びヒースクリフの防御範囲内に退避。

 

二人が取っている作戦は、まさにシンプルで、それでいてこの二人にとって最適であり、最強の矛と盾となっていた。ヒースクリフが神仏の攻撃を防ぎ、ケイは基本その防御範囲内から離れないように立ち回る。そして、攻撃の隙ができた時のみ飛び出し、神仏にダメージを与えてから再びヒースクリフの防御範囲内へと戻る。

 

ただ、これの繰り返しだが、それが今の二人にとって取れる最善の作戦。現に、神仏のHPは確実に削れていた。

 

 

(アスナ達の撤退は上手くいってるのか…?)

 

 

ケイが何度目か、神仏にソードスキルを打ちこんで戻り、遂に神仏の四本目のHPバーが消滅した時だった。ふと心の中で今頃撤退しているだろうアスナ達が気にかかったのは。

 

すでに撤退が終わっただろうか、それともまだ途中だろうか。目の前の相手にのみ視線を向けているケイにもヒースクリフにも分からないことだが、すぐにケイはその思考を打ち消す。

 

 

ヒースクリフの純白な盾が青いライトエフェクトを帯びた。これも、神聖剣のソードスキルなのだろうか。ヒースクリフが盾で攻撃を防いだ瞬間、不自然なほどに腕が大きく弾かれ、さらに神仏の身体が大きく仰け反る。

 

 

「っ!」

 

 

そのスキルの正体が何なのかを考えることなく、ケイはそれを攻撃の隙と見て一気に突っ込んでいく。

 

ケイは刀三百六十度を攻撃範囲にするスキル<旋車>を放つ。さらにこのスキルには硬直時間が非常に短く、さらにケイのスキルによって<旋車>使用後の硬直時間は実質ゼロといっていい。

 

円の軌跡が描かれた直後、ケイは<豪嵐>を放つ。<旋車>と合わせ、実質六連撃のケイの攻撃が全てクリティカルで神仏にヒットし、遂に神仏のHPバーが残り一本となる。

 

 

「油断はしないよう」

 

 

「俺のセリフだ」

 

 

ケイは攻撃終了後、すぐにヒースクリフの防御範囲内へと退避。そして、神仏から襲い来るであろう魔の腕を防ぐべく、ヒースクリフが腰を低くして盾を構えた、その時だった。

 

神仏が、全ての拳を握り、同時に床へと叩き付けた。空気が震えるほどの轟音が鳴り響き、ケイとヒースクリフの肌にもその空気の震えは感じ取れた。

 

だが視線を離さず、神仏の行動に注意を向けていた、その時だった。

 

 

「っ!?」

 

 

ケイは、自分とヒースクリフの周りで突如ポップした骸骨型Mobを目にして驚愕する。

 

もろに喰らえば一気にHPを持ってかれるボスだけでも厄介だというのに、そこで今度は取り巻きMobのポップ。

 

 

(まずい、これじゃあ…!)

 

 

ケイの内心では焦りが募っていた。これでは、ケイが攻め、ヒースクリフが防御という役割分担ができない。あの作戦は、神仏単体だからこそ成立した作戦だ。

 

それが、相手が複数になれば、ケイとヒースクリフが分断される場合を考えなければならなくなる。

 

 

「くっ!」

 

 

周囲から一斉に襲い掛かってくる骸骨型Mobに対して応戦するケイとヒースクリフ。だがそれと同時に、二人に向かって神仏もまた動き出していた。

 

 

「ヒースクリフ!」

 

 

「わかっている!」

 

 

ケイが声を掛けると同時に、ヒースクリフは行動を開始した。彼は跳躍すると取り巻きMobの包囲を飛び越え、こちらに腕を振り下ろす神仏に対して盾を構える。

 

そして、ケイはヒースクリフを背後から襲おうとする取り巻きを斬り、背中を守る。

 

 

「くっ!?」

 

 

だが、ケイが斬った取り巻きがポリゴン片となり四散した直後、新たな取り巻きが床からポップする。

 

それを見て、ケイは取り巻きを倒すごとに新たな取り巻きがポップするというループになっているのだとすぐに悟る。どれだけ取り巻きを倒しても意味はない。意味を成す行為は、あの神仏のHPをゼロにすることのみ。

 

 

(だが、それじゃキリがない!)

 

 

神仏の猛攻を防ぐので精いっぱいのヒースクリフはそこから攻めに転じることができない。だが、ケイは無限にポップする取り巻きからヒースクリフを守るので精一杯だ。

 

どちらも守りに転じざるを得ない状況となってしまった今、責めることができなくなってしまった。これでは────

 

 

(ボスのHPを減らすことができない…!)

 

 

それだけではない。相手はただのAIだから無限に動き続けることができるが、こちらは人間。HPという数値ではなく、自分自身の体力という弊害がある。

 

このままでは、いずれ集中力が尽き、動きが鈍くなったところで一気に崩されてしまう。

 

 

「くっそ…!」

 

 

ケイが、ヒースクリフに狙いを付けた取り巻きを見つけ、駆けだそうとする。

 

 

「…え?」

 

 

…駆けだそうとした、その時だった。ケイのすぐ横を追い越していき、尾の様に流れる光の帯と共にケイが狙いを定めたMobに向かって突っ込んでいった何かが衝突した途端、MobのHPは尽き、四散する。

 

あまりに突然の事態に戸惑い、一瞬動きを止めてしまったが、すぐに気を取り直してこちらに襲い掛かってくるMobに<緋扇>を打ちこんで相手を死に追いやる。

 

そして、ケイは先程自分を追い越していった者の正体を見て、大きく目を見開いた。

 

 

「アスナ…」

 

 

「…一人でかっこつけないで。パートナーでしょ?」

 

 

そのセリフは、どこかで聞いた事のある物だった。

 

その人は、さらに襲い掛かるMobを手に握るレイピアで打ち倒しながらケイに向かって笑いかける。

 

かつて決別し、それでも今、パートナーと口にした。アスナの姿が、ケイの目の前で立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回で決着!に、しないといけません!(使命)


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第21話 VS神仏の無限魔手後編

戦闘自体はすぐに終わります。本題はその後…。










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アスナ…、お前…」

 

 

「何をボーっとしてるの!早く、ケイ君は団長と一緒にボスを!」

 

 

背中越しに立つアスナに、ぽつりと呟くケイ。だが、すぐにアスナはケイに向かって一喝する。

 

 

「なっ…、ダメだ!こいつら、倒すごとにまた新しくポップする!一人じゃ…」

 

 

「一人じゃねぇよ!!」

 

 

突然沸いてきた取り巻きは、倒すごとに新たな取り巻きがポップする。ただでさえ同時にポップしてきた数が一人で相手にするのは辛く感じるほどだ。アスナ一人をその場に残すわけにはいかない、と考えていた。

 

その時、後方からまた新たなプレイヤーの声がケイの耳に届く。直後、黒の軌跡がケイの前を横切っていき、さらに続いて七人のプレイヤーがまるでケイを守る様に、周りを取り囲んで取り巻きと対峙する。

 

 

「お前ら…、何で…」

 

 

「へっ、お前ら二人だけに任せてられっかよ!」

 

 

「他の奴らは、みんな逃げちまったけどな」

 

 

呆然と目を見開き、問いかけるケイに視線を送りながら、こちらに駆け付けたプレイヤーの一人であるクラインとエギルが返す。

 

風林火山の面々とエギル。では、先程のあの黒い影は────

 

 

「俺達で取り巻きは喰い止める!だからお前は、ヒースクリフとボスを倒せ!」

 

 

取り巻きを打ち倒しながら、キリトがケイに呼びかけてくる。

 

ケイは呆然と目を見開いたまま、一度周りにいる全員を見回す。クラインに、風林火山のメンバー達。エギルに、キリト。そして背中越しにいるアスナ。自分たちを置いていかず、戻って来てくれた、この世界で一番大切な仲間たち。

 

 

「…すぐ終わらせてくる」

 

 

「…うん」

 

 

独り言のつもりで呟いたのだが、背中越しにいたアスナには聞こえてしまったようだ。呟いた直後、ボスの元へとかけるケイの耳に、小さく返事を返すアスナの声が聞こえてきた。

 

 

「…っ」

 

 

ヒースクリフは体勢を崩すことなく神仏の攻撃を防ぎ続けていた。しかし、取り巻きポップ以前の時と比べると神仏の攻撃は、明らかに熾烈さを増している。

 

 

「ヒースクリフ、しゃがめ!」

 

 

ケイは刀を鞘へしまうと、ヒースクリフに向かって叫ぶ。咄嗟の事にも関わらずケイの声に反応し、ヒースクリフはケイの言う通りにしゃがんで見せた。

 

彼の頭上を通り過ぎるは、神仏の片腕。その腕に向かって、ケイは鞘に収めていた刃を、抜き放つ。

 

抜き放たれた刃は、通常とは比べ物にならないほどの速さを以て突き出された神仏の腕を斬り落とす。放たれたスキルは、重単発スキル<雷鳴>。だが、その速さは先程ケイが放ったものよりも桁違いだった。

 

抜刀術。もしくは居合、居合術と呼ばれるそれは、刀を鞘に収めた状態から抜き放つ動作。抜刀術は、神速の一撃で相手を打ち倒すという働きもできるが、本来は相手の攻撃を受け流し、二の太刀で相手に止めを刺すという飽くまで繋ぎの剣術として使う者が多い。

 

だが、このソードアート・オンラインの世界での抜刀術は違った。

 

ケイがそのスキルを見つけたのは、第四十六層でのことだった。自分で決めた狩りのノルマを終え、安全圏でスキル熟練度の確認を行っていた時、それを見つけた。

 

<抜刀術>

何かから派生する、恐らく刀なのだろうが、そのエクストラスキルだと思われる。当初、刀のスキル熟練度をMAXに上げるのが解放条件では、と考えた。だが、クラインが刀の熟練度をMAXまで貯めたと聞いた時、それと同時に抜刀術の名前が出ない時点でそれはないと確定した。

 

ならば、何なのか。

 

ケイはこう考えている。

何故自分にそれが与えられたのかはわからないが、ヒースクリフの<神聖剣>と同じようにその人専用、解放条件不明の、ユニークスキルと呼ばれるものなのではないかと。

 

<抜刀術>の恩恵は、ソードスキルのスピードアップ。ソードスキルの初撃を納刀状態から行うと、自身が放ったスキルはシステムアシストを受けて通常よりも格段に速さが上がる。

 

 

「…今のは」

 

 

着地したケイの背後で、ぽつりとヒースクリフの呟きが聞こえてくる。その声には、珍しく驚愕が込められていた。

 

 

「俺は、あんたの<神聖剣>と同じ、ユニークスキルだと思っている。<抜刀術>、スキルの解放条件はわからん」

 

 

「…<抜刀術>、か。ふっ、君はまた、とんでもない物を隠し持っていたようだ」

 

 

笑みを浮かべながら、ヒースクリフがケイの隣に立つ。二人の視線の先には、所々ケイによって斬りおとされた分の腕が抜けながらも、それでも未だ無数ともいえる腕を広げる神仏の姿。

 

だがそのHPは、一本のバーのうち残り半分。

 

 

「次で決めよう」

 

 

「あぁ」

 

 

一言だけ。

 

ケイとヒースクリフは同時に神仏に向かって駆けだしていく。神仏は、全ての腕を同時に豚理に向かって突き出してくるが、ケイとヒースクリフには当たらない。

 

ヒースクリフはその絶対防御の盾で全てを受け流し。ケイは<抜刀術>の恩恵を受けた、なおかつスキル使用後の硬直時間が短いソードスキルを連続で使用して突き出される腕を切り裂いていく。

 

 

「GUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」

 

 

あっという間に懐への侵入を許した神仏が、一人のプレイヤーを奪ったあの片腕をケイに向かって振り下ろす。

 

<抜刀術>というスキルは本来、技という物は存在しない。<抜刀術>というスキルは、飽くまでソードスキルの初撃に反応し、そこからスキル全体にシステムアシストによるスピードアップの恩恵を与えるのみなのだから。

 

だが、一つだけ。<抜刀術>には一つだけ、技が存在した。

 

 

「<瞬光>」

 

 

ケイの握る刀が、納刀する鞘を巻き込んで白く輝く。直後、神速と言う他表現しがたい斬撃が、ケイに向かって振り下ろされる破壊の鉄槌を切り裂いた。

 

 

「GI…GA…」

 

 

この時、状態異常を警戒して目だけは決して見上げなかったケイには分からなかったが、神仏の目は何かに驚愕するように大きく見開かれていた。

 

 

「はぁああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

「ぬぅん!」

 

 

ケイが放つは、<抜刀術>から繋いだ刀最強の九連撃ソードスキル<獄炎>。

ヒースクリフが放つは、<神聖剣>八連撃スキル<インヴィテーション>。

 

地獄の業火が神仏を焼き、死への誘いが神仏を襲う。

 

傍から見ればオーバーキル以外の何物でもない二人の攻撃は、当然神仏のHPを余すことなく減らす。

 

二人の頭上に浮かぶのは<Congratulation!!>と書かれたフォント。ほとんどのプレイヤーが逃げ出してしまった第五十層のボス戦は、最早たった二人によって倒されたと言って差し支えない展開で幕を閉じる事となった。

 

 

 

 

 

 

「で?何だよあのスキルはよ」

 

 

「…近い。離れろクライン」

 

 

剣を鞘へと戻し、ボスを倒すまで取り巻きを相手にしていたアスナ達の元へ戻っていったケイとヒースクリフだったが…。突然クラインがケイへと詰め寄り問いかけてきた。

 

いや近い、近すぎる。鼻と鼻がくっつきそうだ。ケイにそんな趣味はない。

 

 

「いや、だってよぉ!俺ぁあんなスキル見た事ねぇぞ!?」

 

 

ケイの言う通りに離れたクラインだったが、再び質問が投げかけられる。どうやら逃れる事は出来ないらしい。ケイは諦めを込めたため息を吐き出してから、そっと口を開く。

 

 

「エクストラスキル、<抜刀術>。効果は、ソードスキル全体の速度アップだ」

 

 

「「「「「おぉ~…」」」」」

 

 

スキルの名前と効果を説明すると、この場にいるプレイヤー達の歓声が漏れる。

 

 

「で、解放条件は!?」

 

 

「すまん、それがわからないんだ。ヒースクリフの<神聖剣>と同じだ」

 

 

「…ユニークスキルって事か。ちくしょー!俺も使ってみたかったぜ!こう、鞘からスパァーンと!」

 

 

クラインが<抜刀術>の解放条件を問いかけてきたが、ケイはそれについては全く分からない。その事を伝えると、クラインは本当に悔しそうに頭を掻いてから、先程のケイの真似をして、鞘から刀を抜き放つ仕草を何度も始める。

 

 

「けど…、良かった」

 

 

「ん?あぁ、そうだな。俺もボスを倒せて良かったよ」

 

 

「ううん、そうじゃなくて」

 

 

クラインが何度も<抜刀術>の真似をしている姿を眺めていると、アスナが歩み寄って声を掛けてくる。しかし、アスナの言葉の意味を勘違いしていたようで、ケイが言葉を返すとアスナはそっと頭を振る。

 

そして、花が咲かんばかりの笑顔を浮かべて、こう言った。

 

 

「ケイ君が無事で、本当に良かった」

 

 

「っっっっ!!!?」

 

 

現実で関わりがあった女の子など、妹の司くらいのもの。後は親の付き合いで少し紹介されてちょっと世間話をした程度。それくらいしか現実で女子との付き合いがなかったケイは、アスナが向けてくる笑顔を見て一気に顔を真っ赤にさせる。

 

 

「あぁそうだ!おいケイ!おめぇ、アスナさんとどういう関係なんだ!?見たところ、ただの知り合いじゃねぇだろ!」

 

 

「なっ、いや、知り合いだ!ただの知り合いだから!」

 

 

アスナの笑顔から目が離せないでいると、突然ケイの視界にクラインの顔が飛び出してくる。直後、顔の熱は一気に引く。だが、クラインの口から出てきた問いかけにケイの内心で僅かに焦りが奔る。

 

…アスナとのやり取りを話したら、クラインが発狂しそうだ。怖い。

 

 

「いや、ただの知り合いじゃ…」

 

 

「ねぇだろ」

 

 

「キリトォ!エギルゥ!貴様らぁ!!」

 

 

何とか誤魔化そうとする矢先、突然の裏切り。二人に一喝するも時すでに遅し。ふと気付けば、何かに飢えた様な、恐怖さえ感じさせる空気を醸し出す風林火山の面々にケイは囲まれていた。

 

 

「さぁ答えろケイ…。さっさと吐いた方が楽になるぞぉ?」

 

 

「え…、いや、ホントに何もないぞ?ほ、ホントだぞ?」

 

 

「何もねぇならなおさら話せるよなぁ?…ナァ?」

 

 

怖い。怖すぎる。クラインに…、いや、人間からここまで恐怖を感じたのがこれが初めてだ。

ケイは身震いする。これが…、これが、本当のクラインの力なのか…?

 

 

「いや、ただ出会いに飢えてる中年男の執念だろ」

 

 

「エギル、しぃーっ」

 

 

エギルとキリトが何か言っているが、そんな事に構っていられない。ケイは何としてもこの包囲から抜け出さなくてはならない。それを成せなかった場合…、待つのは死だ。

 

だがどうする?本当の事を話せばそれは簡単だが…、そうなった場合、逆上されるという事も考えられる。…どうする、どうすればいい?

 

 

「…何やってるんだか」

 

 

と、そんな下らないやり取りをするケイ達を呆れた様子でため息を吐きながら眺めるのはアスナ。それでも、どこか嬉しそうに笑みの形を浮かべる唇は、果たして意識的にか、それとも無意識か。

 

 

「アスナ君」

 

 

「あ…、団長」

 

 

風林火山のメンバーたちに囲まれるケイを眺めていると、アスナは背後からヒースクリフに声を掛けられた。振り返り、姿勢を正して次のヒースクリフの言葉を待つ。

 

 

「私はこれから次の層のアクティベートをしに行く」

 

 

「わかりました。それなら私も…」

 

 

「いや、君は残りたまえ」

 

 

アクティベートをするというヒースクリフについていこうとしたアスナだったが、何故か断られてしまう。

 

 

「それと、君は三日間の休暇を与えよう」

 

 

「そ、そんな!どうしてですか!?」

 

 

さらに突然の休暇宣告。訳が分からず、アスナはヒースクリフに問いかける。

 

 

「…せっかく久しぶりに顔を合わせることができたのだ。積もる話があるだろう?」

 

 

「…ぁ」

 

 

不意にヒースクリフはアスナから視線を外す。その視線の先には…、未だ風林火山のメンバーに囲まれてあたふたするケイの姿が。

 

 

「もちろん、休暇を終えたらまた君には攻略に励んでもらう。だが…、君はここまで十分すぎるほど働いてくれた。たまには羽を伸ばすのもいいだろう」

 

 

「団長…」

 

 

ヒースクリフは、もう何も言うことなくボス部屋を、第五十一層へ繋がる扉を開き、潜っていく。

 

アスナはこれまで、ヒースクリフにケイの居場所を聞いたりしたこともあった。時に、感情が暴れてヒースクリフに愚痴を吐いた事もあった。だからかもしれない。アスナがどれだけ、ケイとまた言葉を交わすことを望んでいたか、彼はわかっていたのかもしれない。

 

 

「…」

 

 

アスナは、ヒースクリフが潜っていった扉に向けて頭を下げる。言葉には出さないが、けど、それだけで彼に感謝が通じるのではないか、そんな予感がして。

 

 

「…ケイ君!」

 

 

そして、顔を上げてすぐ、アスナはケイの方に顔を向けて呼ぶ。ケイが、ケイを囲んでいた風林火山のメンバー達が、彼らのやり取りを眺めていたキリトとエギルがアスナへと視線を向ける。

 

 

「今日この後、お話しできない?」

 

 

「え?」

 

 

唐突なアスナの言葉にケイの目が丸くなる。

 

 

「ケイ君がここまで何を経験してきたか聞きたい。それに、私もここまで何を経験してきたか、ケイ君に教えたい」

 

 

「…」

 

 

「…ダメ、かな?」

 

 

第三層で別れて、アスナはずっとケイの姿を探していた。時に姿を見つけた事はあったが、話をする間もなくケイはいなくなって。

 

当初はどうしてあんな事を言ったのか、それを問い質そうという一心だった。だけど今は…、ただケイの話を聞きたい。自分が、ケイと話をしたい。ただ、それしか自分の胸にはない。

 

 

「…そうだな。なら、最近知った凄く旨い肉を出す店があるんだけど…、そこに行くか。奢るよ」

 

 

「っ…!」

 

 

だから、ケイが頷いた時は嬉しいやら感激したやら、決して悪い感情ではないものの、よくわからない感情が全身を奔った。笑みが零れ、油断をすれば目から涙さえ出てきそうな。そんな思いにアスナは襲われた。

 

 

「ぃよっしゃぁ!じゃあこれから皆で宴会やろーぜ宴会!アインクラッド半分到達した祝いだぁ!奢るって言ってる奴もいることだしな!」

 

 

「は?」

 

 

「あ、なら俺も」

 

 

「俺も行くか。ケイの奢りで」

 

 

「いや待て、別にお前らがついてくるのはいい。けど何でお前らの分まで俺が奢る流れになってる!?おい!」

 

 

ケイとアスナの話の約束は、いつの間にやら皆で宴会をやるという流れに変わってしまった。しかもその宴会の費用はケイが払うという流れになっており、ケイは必至にクラインやキリトに詰め寄って交渉している。…が、効果があるようには見えない。

 

 

「…?」

 

 

その時、アスナの中で一瞬、ちりっ、と苛立ちに似た感情が浮かぶ。すぐにその衝動は収まったが、その意味が分からずアスナは首を傾げる。

 

…だけど、まあいい。それよりも、今はまたケイと話せるという喜びに浸ろう。他のみんなに囲まれながら、になってしまったけれど。また、ケイと話せる。

 

 

「ほら行こ?ケイ君!」

 

 

「え…、あ、おいアスナ!引っ張るなって!」

 

 

結局宴会は決定事項となり、さらに費用は全てケイが払うことになったのだろう。立ち止まって項垂れていたケイの手を掴んで、アスナは走り出す。

 

後ろでケイが引っ張るなと喚いているが、無視。アスナはケイと手を繋いだまま、前を歩くキリト達を追い越して、アルゲートへと繋がる転移ポイントがある方へと駆ける。

 

 

 

 

 

もう二度と、会えないかもしれないと思った時もあった。もしかしたら、ケイは二度と自分と話したくないのかもしれないと考えた時もあった。

 

だけど今、自分はケイの隣にいる。あの時の様に、ケイと話すことができている。ボス討伐の達成感など、どこかに吹き飛んでしまった。今アスナの中にあるのは。ケイと再会できた喜びだけ。

 

こうして、決別した二人は、再び交わることになったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第22話 月夜の黒猫団

評価が赤くなる→やったー!→すぐに黄色くなる→(´・ω・`)

ですが、評価を頂きありがとうございます。高い評価は大歓迎です!低い評価は…、どこが気に入らなかったか書いて頂けると嬉しいです。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目覚ましとしてセットしておいた甲高いアラーム音が部屋中に鳴り響く。ケイ自身がなるようにセットしたのだが、それに関わらず意識を無理やり呼び覚まされたケイは眉を顰め、目を瞑ったままウィンドウを開いてアラーム音を止める。

 

そしてもぞもぞと寝返りを打ってから、ケイは布団を頬辺りにまでかけて再び気持ちいい眠りの世界へと旅立つ────

 

 

「…っ」

 

 

ことはなかった。布団をどけながら体を起こし、ケイはもう一度ウィンドウを開く。メインメニューに示されている時刻、七時十分。約束の時間は八時。

 

 

「あぶねっ、二度寝で遅刻するとこだった…」

 

 

ケイはウィンドウを消しながら安堵の息を吐きながら呟く。そして両腕を上へと伸ばし、ぐーっ、と体を伸ばして脱力。ベッドから降り、ケイはアイテムストレージから昨日の夜に買っておいたサンドウィッチを取り出す。

 

第五十層のボスを討伐した事は、ヒースクリフの公表によって瞬く間に広がった。そしてその立役者であるケイにアスナ、キリトや風林火山にエギル。それらの名前も一気にアインクラッド中に広まった。

 

さらにケイのユニークスキル<抜刀術>についても広まっており…、多くの情報屋がケイの行方を追ってアインクラッドを駆けまわっているのは言うまでもないし、ケイ自身もアルゴから来たメッセージで知った。…アルゴもまた、ケイの行方を追う情報屋の一人なのだが。

 

とはいえ、ケイの拠点、それもホームはアルゲートの入り組んだ道の奥。ヒースクリフという例外は置いておき、そう簡単に見つかるはずもない。…今日は出かける予定があるから、周りを警戒しなければならないが。

 

さて、先程ケイには今日、出かける予定があると言ったが。今日は第五十層のボス戦が終わって二日目である。つまりボス戦、そしてボス討伐を祝って宴会したのは一昨日の事なのだが、その時にケイはアスナと一緒にキリトから誘いを受けた。

その誘いとは、キリトが所属している、ギルド<月夜の黒猫団>のメンバーのレベル上げを手伝って欲しいという内容のものだった。

 

アスナはすぐさま承諾し、さらにその流れに乗る形でケイも承諾した。つまり、約束の八時というのは、フィールドに出るメンバーの集合時間の事なのだ。

 

 

「場所は…、四十六層だったな」

 

 

装備を整え、昨日キリトから来たメッセージを見て集合場所を確認する。キリトが月夜の黒猫団に加入した時は、まだ彼らは第十一層で活動をしていた。それが、およそ半年経った今では最前線の手前まで来ている。

 

最前線でもトッププレイヤーであるキリトの手伝いがあったとしても、普通ならばほとんどのプレイヤーが最前線を諦めるような差を詰めて、彼らは攻略組の一員に手をかけようとしている。

 

 

「行ってきます、と」

 

 

ケイ以外には誰もいない部屋の中で、挨拶の言葉が響く。ケイはホームの扉のロックをかけてから入り組んだ道を進む。もうすっかり覚え、通り慣れた道をすいすいと曲がっていき、アルゲートの転移門がある広場へと出る。

 

 

「げっ…、八時過ぎてる」

 

 

転移門を起動しようとする直前、ちらっ、と見上げた先にあった時計が記した時刻を見てケイは唇を僅かに引き攣らせる。時計が示した時刻、八時三分。四十六層の主街区広場に集合のため、すぐに着くが…、遅刻したことでアスナのお叱りが炸裂しそうで怖い。

 

 

「さ、さっさと行かなければ」

 

 

考えて怖がってる場合じゃない。ケイはすぐに転移門を起動させて四十六層へと向かう。

ケイの身体を光が包み、その光がケイを四十六層の主街区へと連れて行く。

 

ケイを包む光が収まっていくと、転移する際に閉じていた瞼を開ける。視界に入るのは、アルゲートの雑然としたものとは違う雰囲気を持った街並み。

 

 

「…遅い」

 

 

「…すいません」

 

 

そして、転移門の前で両手を腰に当て、仁王立ちするアスナ。その顔はいかにも、不機嫌です!と言わんばかりに眉がつり上がり、目が鋭く細くなっている。それでも、端正な顔立ちは全く崩れていないと思うのはケイの感性が甘いだけだろうか?

 

 

「ま、まぁまぁアスナさん…。僕達はお二人が来てくれただけでも嬉しいですから…」

 

 

「そうだぞアスナ。それに、遅れたってもたった三分じゃないか」

 

 

「…はぁ。まあいいわ。ここでケイ君を叱って、皆に迷惑をかけるのは本末転倒だもの」

 

 

ケイを睨むアスナを、背後からキリトともう一人、背が高めの男プレイヤーが宥めてくれる。アスナはふぅ、と息を吐くと、片目を閉じて呆れたような視線をケイに送りながらお叱りを収めてくれた。

 

ほっ、とため息を吐くケイ。

 

 

「そうだケイ。こちら、ギルド<月夜の黒猫団>のリーダーのケイタだ」

 

 

「き、今日はよろしくお願いします!」

 

 

ケイが広場へと降りる階段に足をかけようとすると、キリトが隣に立つプレイヤーを紹介してくれる。それと一緒に、ケイ達のやり取りを眺めていた、他のギルドのメンバーの紹介もしてくれた。

 

リーダーで棍使いのケイタに、メイス使いのテツオ。槍使いのササマル、ソード使いのダッカー。最後の一人が、槍使いのサチ。

 

誰もがケイとアスナに何かを期待するような輝く目を向けてきている。ケイはアスナ達と一緒に彼らに歩み寄る。

 

 

「…なぁ、何かすごく見られてるんだけど」

 

 

「私もそうだったよ…。ほら、私もケイ君も、二つ名が広まってるから…」

 

 

どうやら先に来たアスナも同じ種の視線を受けていたらしい。…こんな憧れのような視線を受けるのは少し恥ずかしいというか、慣れない。

 

 

「えっと…、ソロのケイだ。キリトの誘いで、そこのアスナと一緒に君たちのレベル上げを手伝うことになった。よろし…」

 

 

「知ってます!<幻影>のケイですよね!うわぁ、俺、すっごく憧れてたんです!」

 

 

向こうに紹介させておいて、こちらが自己紹介しないのもどうかと思い、ケイは自分の名前とここに来た経緯を、キリトから聞いてはいるだろうが改めて自分の口で説明する。

 

そして、最後によろしくお願いします…と、言おうとしたのだが。突然、ギルドメンバーの一人、確かダッカーといっただろうか。その人が詰め寄ってきた。

 

 

「先日のボス戦でも、あの<神聖剣>のヒースクリフと肩を並べて戦ったんですよね!それに、<抜刀術>というスキルでボスに止めを刺して…!くぅ~!俺、今から刀スキル上げるために武器曲刀に替える!」

 

 

「アホな事言うなよ…」

 

 

ダッカーの凄まじい勢いに思わず引き気味になってしまう。だが直後、が体の良いメイス使いのテツオがダッカーの脳天にチョップを入れて落ち着かせくれた。そのおかげか、ダッカーは我に返り、一言謝ってからケイから離れる。

 

 

「いや、悪いね。こいつ、<幻影>のニュースが出る度、『俺も一緒に戦いてぇー!』て騒ぐほどだから」

 

 

「は、はぁ…」

 

 

「ちょっ、言うなよ!」

 

 

何とも恥ずかしいカミングアウト。言う人も、またそれを向けられた人も。だが、ケイとしては恥ずかしいというか…、うん、本人のためにも言わないでおこう。それに、攻略組が増えるのは願ったり叶ったりだ。

 

…うん、言わないことにしよう。

 

 

「…ギルド内の雰囲気は悪くないね」

 

 

「ん…、ん。そうだな」

 

 

呆然とするケイの耳元でアスナが囁く。二人の視線の先には、テツオを追いかけるダッカーと、ダッカーから逃げるテツオの姿。そして、二人の追いかけっこを眺めながら笑う、ギルドメンバー達。

 

キリトもまた、彼らと一緒に腹を抱えて笑っている。アスナの言う通り、ギルドの雰囲気は悪くない…どころか、相当良さそうだ。きっと、キリトはあの雰囲気に惹かれたというのもギルドに入った一因になっているのだろう。

 

 

「さっ、お喋りはここまでにしましょう?…早く最前線で戦いたいんでしょう?」

 

 

月夜の黒猫団メンバーたちが和やかなやり取りをする中、アスナが一つ、大きく両手を叩き合わせた。鳴り響く拍手の音で彼らの動きが止まり、先程までの表情が一気に引き締まる。

 

そして、彼らは、一斉に一度、こくりと頷いた。

 

 

「なら、そろそろフィールドに行きましょうか。キリト君、レベル上げをするエリアは決めてるの?」

 

 

「あぁ。この街から西に歩いてった所に森があるんだが…、そこのあるエリアに経験値が多く稼げるMobがポップする場所がある。あまりプレイヤーの間でも知られてない穴場だ」

 

 

そういえば、レベリングをする場所に関してはキリトと話し合っていなかった。だが、キリトは事前に場所を決めていたらしく、アスナの問いかけにすんなりと答える。

 

 

「森…か。そういや、そっちには行ってなかったな」

 

 

「四十六層はすぐにボス部屋見つかったしな。お前もあそこまでは手が回らなかったんだな」

 

 

ケイは基本、迷宮区には入らずにそれ以外のマップデータを公開し続けていた。だが、四十六層に関しては、キリトの言う通りボス部屋発見がかなり早く、フィールド全体のマッピングが完了する前にボス戦を行ったのだ。

 

それから、ケイはまた次の層のマッピングを始めたため四十六層のマッピングは不完全なまま終わってしまったのだ。ちなみに、その未完成のマップデータのせいで、キリトの言う森のエリアが穴場になっている事は、ケイは知る由もない。

 

 

「じゃあ、すぐにそこへ行きましょうか。キリト君、案内して」

 

 

「了解」

 

 

「それと、遭遇したMobとの戦闘は基本的にあなた達に任せるわ。ケイ君、あなたと私は後ろを警戒ね」

 

 

「オッケ」

 

 

月夜の黒猫団のレベリングが目的なのだから、彼らの思うようにやらせるべきだとは思うが…。それでもアスナの言う事は理を得ているし、彼らも不満そうな顔はしていないので、ケイも特に言う事なくアスナの指示に従う。

 

 

「それとケイ君、今すぐ私とパーティー組みなさい」

 

 

「…え?」

 

 

キリトを先頭に、いざ出発、という時だった。不意にアスナの口からそんな言葉が飛び出てくる。呆然と振り返るケイの目には、ウィンドウを開いて操作するアスナの姿が。

 

直後、ケイの目の前にアスナからパーティーに招待されていることを報せるフォントが浮かび上がるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ササマル、スイッチ!」

 

 

「よっしゃ!」

 

 

前線で戦っていたケイタが、後方で蛇型Mobを倒して待機していたササマルに振り向きながら言う。直後、ケイタは下がり、ササマルは手に握る槍を突き出してケイタが交戦していたMobを貫く。直後、ササマルの槍で貫かれたMobはポリゴン片となって四散し、ギルドメンバー全員に取得経験値と金が分配させる。

 

 

「よし、これでとりあえずポップは収まったかな?」

 

 

「うん。…向こうはまだ終わってないみたいだね」

 

 

レベリングは二つのグループに分かれて行われていた。まずは、キリトを纏め役としたケイタ、ササマル、サチのグループ。そしてもう一つは、アスナを纏め役としたケイ、テツオ、ダッカーのグループだ。

 

キリトに案内されてきたエリアはそれなりに広く、ポップする境界が二つあることに気付き、こういう形を取ってレベリングを行うことにしたのだ。

 

 

「…向こうは凄いね」

 

 

「…あぁ」

 

 

一まずポップが収まったという事で休憩に入ったキリト達だったが、視界の向こうで行われるアスナ達のレベリングを見て、呆然と目を丸くしていた。

 

 

「ケイ君、スイッチ!」

 

 

「おう!ダッカー、あいつのHPが赤になった瞬間スイッチするからな。準備しとけよ!」

 

 

「は、はいぃ!」

 

 

ケイとアスナが凄まじいスピードで戦闘を展開させる中、テツオとダッカーは息を切らせて二人についていくので精一杯の様に見える。それでも、テツオとダッカーのHPがほとんど減っていないのは、ケイとアスナのフォローの賜物なのか、それとも二人の腕の良さなのか。

 

 

「テツオ君も!あれのHPが赤くなったらすぐにスイッチだからね!」

 

 

「わ、わかりましたぁ!」

 

 

「「「「…」」」」

 

 

さらに、ケイに続いて今度はアスナの指示がテツオに飛ぶ。返事を返すテツオの声が微妙に震えていたように聞こえたのは気のせいだろうか。

 

直後、Mobが四散する音が二つ、ほとんど同時に聞こえてくる。

 

 

「次…っと、ポップが収まったか」

 

 

「そうだね。キリト君達もそうみたいだから、私達も休憩しよっか」

 

 

((あ、あんなに激しく動いてたのに、あっちの状況も確認してたのか…))

 

 

ケイとアスナが剣を鞘へと戻しながら行う会話を聞きながら、ダッカーとテツオは、疲労に項垂れながら周りにまで気を配っていたというケイとアスナを見開いた目で見上げる。

 

 

「お、お疲れさま、二人共」

 

 

ケイ達がもう一つのグループと合流すると、キリト達と共にレベリングしていたサチが同じギルドメンバー二人に声を掛ける。

 

 

「あ、あぁ…。ホントに疲れた…」

 

 

「こ、攻略組ってあんな戦いするんだな…。レベルだけじゃまだまだ足りないって分かったよ…」

 

 

「いや、あの二人は別格。コンビネーションだけでいったら攻略組の中でも断トツトツプだからな」

 

 

何か微妙に勘違いしているダッカーとテツオに今度はキリトが声を掛ける。

 

 

「そ、そうなのか?」

 

 

「あぁ。…ていっても、あの二人もコンビ組むのは相当久しぶりのはずなんだけどな。俺も驚いてる」

 

 

ケイとアスナがコンビを組むのは、第二層のボス戦以来。およそ一年ぶりだ。それにも関わらず、衰えないコンビネーション…いや、あの頃よりも息が合っているように見えた。

 

 

(ま、あの時はスイッチとかそういう事務的な言葉しか掛け合ってなかったからな)

 

 

キリトは、少し離れた所で先程の戦闘について振り返ってるのか、話し合うケイとアスナの姿を眺めながら内心で呟く。

 

前に二人とパーティーを組んだ時と比べてアスナの雰囲気が柔らかくなったのが大きく影響しているのだろう。スイッチの他にも、どのMobにどういう攻撃をするかを伝え合う事によって、ただでさえ合っていた動きがさらに洗練されている。

 

 

(…これから、ボス戦全部であの二人を同じパーティーに入れればいいんじゃ。あれ?これマジで名案じゃ)

 

 

「じゃあ、もうお昼時だから、昼ご飯にしようか!ケイさんとアスナさんも、安全圏に行きましょう!」

 

 

キリトが心の中で提案し、そして名案ではと自画自賛していると不意にケイタが昼休みに入ることを提案する。何やら話し合っていたケイとアスナも会話をやめてケイタの方を向く。

 

 

「…確かに腹減った」

 

 

「うん!私達もお昼ご飯にしよっか?」

 

 

時間の経過具合を全く考えてなかったのだろう、ケイが手でお腹を押さえながら呟く。

するとアスナが、そんなケイに微笑ましげな視線を向けながら、ケイタの案にのる言葉を言いながらケイを誘う。

 

 

「よっし!腹が減っては戦は出来ぬだ。…で、昼飯終わったらすぐまたレベリング再開だ」

 

 

「「っ」」

 

 

「うん!…お昼ご飯食べ終わったらすぐレベリングだね」

 

 

「「っ!!」」

 

 

ケイとアスナがニヤリと笑みを浮かべながら向ける視線の先にいるのは、びくりと震えるテツオとダッカー。

 

 

「い、いや!お昼休憩の後はメンバーチェンジだよな?…そうだよな、ケイタ!」

 

 

「え?えっと…、メンバーチェンジは無しの方向で」

 

 

「ちょっ!ケイタ!お慈悲を…お慈悲を下さい!」

 

 

地獄からさらに深い地獄へと叩き落とされるテツオとダッカー。そして二人を叩き落とした張本人であるケイタに、テツオとダッカーは喰い下がる。

 

 

「ほう…。二人はどうしてそんなに必死になってメンバーチェンジをお願いしてるのかね?」

 

 

「え!?え、やっ…。だ、だって、お二人の戦い方は物凄く参考になりますから!他の人もぜひ目にするべきだと思いまして!」

 

 

目をオロオロと揺らしながら、明らかに取って付けたように言い訳するダッカー。ケイはダッカーからテツオに視線を向けると…、テツオもまた汗を流しながらこくこくと頷く。

 

彼ら二人の反応を見て、ケイが下した決断は…

 

 

「…ケイタ。二人は午後からも俺とアスナのグループで面倒見るから」

 

 

「うん、お願い」

 

 

極刑、だった。

 

 

「そ、そんな…」

 

 

「し、死ぬる…」

 

 

「だ、大丈夫だよ。次からはちゃんとペース遅くするから…、ね!?」

 

 

ケイが下した決断に思い切り項垂れる二人を見て、ようやく自分たちのペースが早すぎたのだと気づいたアスナが二人を元気づける。そして、顔を上げた二人は、まるで神を崇めるかのような目でアスナを見上げて…、突然地面に両ひざをつき、土下座で頭を下げながら両手をこすり合わせる。

 

 

「…天使はここにいた」

 

 

「神様仏様アスナ様…。俺、今度からアスナさんの事を女神様って呼ぶわ…」

 

 

「え?え?」

 

 

アスナを崇める二人に、急に崇められ戸惑うアスナ。

そして、そんな三人を見ていたケイが…。

 

 

「…ヘイト操って二人にMobを集中させよう」

 

 

「やめてやれ」

 

 

据わった目つきをしながら呟いたが、すぐにキリトにツッコまれてしまう。

 

結局ケイの企みは即座に破綻してしまったが、ともかく今は昼食。ケイ達は安全圏へと移動し、昼休みへ入るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




月夜の黒猫団との交流はまだ続きますよー


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第23話 昼食の後に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケイ達一行は、今いるエリアから移動し、森の中の少ない安全圏を見つけてその中に入る。安全圏に入ったという事で彼らは一息つくと、すぐにその場で腰を下ろす。

 

 

「いやぁ、腹減ったぁ!もう我慢できねぇよ!ケイタ、早く!早く!」

 

 

「わかったから落ち着け…」

 

 

空腹が限界に近いのだろう、ダッカーがアイテムストレージを開いて操作するケイタを急かす。ケイタはそんなダッカーを見て苦笑を浮かべながら、一つのアイテム名をタップ。ストレージ内に六つあるそのアイテムを全てオブジェクト化し、ギルドメンバーそれぞれに一つずつ渡していくケイタ。

 

 

「お…。ホットサンドか」

 

 

「うん。サチが作って、リーダーって事で僕が預かったんだ」

 

 

「お!これサチが作ったのか!旨そうだなぁ!」

 

 

銀色の包みを開けると、中から見えるのは食欲そそる焦げ目がついたトーストサンド。それを見た月夜の黒猫団メンバー達の表情が一気に晴れ渡り、歓声を上げる。そして、それを作ったサチに誰もが賛辞の言葉をかける。

 

 

「皆の口に合えばいいんだけど…」

 

 

皆に褒められ喜ぶ気持ちと味はどうかという不安が入り混じった表情を浮かべるサチの前で、ケイタからもらったサンドを一斉に食べ始めるメンバー達。パンに齧り付き、咀嚼して飲み込んでから、皆が声を上げる。

 

 

「旨い!」

 

 

「ホント旨いよ、サチ。いつ料理スキル上げたんだ?」

 

 

それぞれが美味と口にし、再びサチに賛辞の言葉をかける。サチは頬を染め、恥ずかしそうにしながらもホッ、と安堵の息を吐く。

 

 

(あぁ~…、なるほど)

 

 

見ていて和むその光景の中で、ケイは決して見逃すことはなかった。安堵するサチの視線の先。傍から見れば、自身が作った料理を美味しそうに食べるメンバーを嬉しそうに眺めている、と思うのだろうがケイは気づいた。

 

サチの視線の先にいるのが、キリトだという事を。サチは無言でサンドに齧り付くキリトをじっ、と見つめているという事を。現実世界で、他人の視線をかなり気にしながらの生活を経験した事のあるケイだからこそすぐに気付けた、小さなサチの違和感。

 

 

「んぐ…。おいケイ、お前もさっさと食えよ」

 

 

「…わかってるっつの」

 

 

しかし、どうやらキリトは全くもってこれっぽっちも気付いていないようで。それはそれはご満悦な様子でホットサンドを咀嚼し、飲み込んでから、何も食べていないこちらに目を向けて声を掛けてきた。

 

出そうになった溜め息を呑み込んで、キリトに返事を返してからケイもアイテムストレージを開く。そして指をスライドしてアイテム欄を確認する。

 

 

(…あれ?おかしいな)

 

 

アイテム一覧が一番下に来てしまった。ケイは首を傾げながら、今度は上へスライドさせてアイテム欄を確認する。

 

 

(…え?)

 

 

アイテム一覧が一番上に来てしまった。…いや、そんなはずがない。ケイは自分にそう言い聞かせながら、もう一度下にスライドさせてアイテム欄を確認する。だが、何度確認しても結果は同じだった。

 

昨日の夜、今日の朝と昼の分のために買った食料。アイテムストレージ内のどこを探しても、まさかと思い、装備欄の中も探したがどこにも見つからなかった。

 

しかし何故だ。確かに昨日買っておいたはずなのに、どうして…、バグか?

 

ケイは昨日の夜、食料を買ってからの行動を思い返す。家に帰り、それからすぐにケイは明日は早いからと布団に入った。そして…

 

 

(あ…)

 

 

思い出す。夜中に目が覚め、その時の空腹感に耐え切れなかったことを。…本来ならば昼食で食べるために用意した食料を食べてしまった事を。

 

その時は、朝食を我慢して昼食はしっかり摂ろうと考えていたのだが、起きた時にはそんなことすっかり忘れ、昼にとっておくはずの分を食べてしまったのだが。

 

ともかく結論。ケイは何も食べ物を持っていない。何も食べられない。

 

 

「…ケイタ。そのホットサンド、もう一つない?」

 

 

「え?ないけど…、どうかしました?」

 

 

ウィンドウを消して、ケイはホットサンドを満喫するケイタに問いかけた。が、返ってきた言葉には無情にも…というより当然のことだが、ノーだ。さらにケイタはその問いかけの理由を聞いてきた。

 

ケイは口を開閉させ、言うか言うまいか悩んでから…隠しても意味ないだろうとすぐに考えて理由を答える。

 

 

「食べ物が…ない。昨日おやつにして食べたの忘れてた…」

 

 

「何やってんだよお前…」

 

 

ケイタに問いかけた理由を正直に話すと、キリトが呆れたように目を細めてこちらを見ながら言ってくる。言い返そうとケイは口を開きかけるが、言い返すべき言葉が何もない事に、すぐに口を閉じてしまう。

 

 

「だけど、どうするんだ?俺達も予備の食料なんてないし…。サチ、お代わりようとかあるか?」

 

 

「ううん、ないよ。…ごめんなさい」

 

 

「い、いやいや。サチは何も悪くないじゃん。忘れてた俺がぜぇんぶ悪いんだから…」

 

 

さすがに空腹のままは可哀想だと感じたのか、キリトがサチにまだホットサンドはあるのかと問いかけるが、サチは首を横に振る。さらにこういう状況を想定していなかったことを、サチはケイに謝る始末。

 

ケイは慌てて手を横に振ってサチに返す。今回は何の文句のつけようもない、完全に自分が悪いのだから。サチに謝る必要など全くない。

 

 

「…でも、悪いな。ここにいるともっと腹減ってくるから、さっきの所でレベリングしてくるわ」

 

 

「ほ、本当にごめんなさい!」

 

 

「いやだから謝らなくていいって…」

 

 

ここにいると、キリト達が食べているホットサンドの匂いが漂って来てさらに食欲がそそられてしまう。さすがにきついと思い、ケイは立ち上がりながら先程までレベリングをしていたエリアへ向かおうとする。

 

その際、またサチが謝ってきた。…ホントええこやわ。この後、グループ編成がどうなるかはわからないけど、もしサチが自分と同じグループになったら絶対守ってやろう。少なくとも、ダッカーとテツオよりは扱いを良くする。そう、意味の分からない決意をして、ケイが一歩足を踏み出そうとする。

 

 

「け、ケイ君!」

 

 

ケイが歩き出す前に、背後からケイを呼ぶアスナの声が聞こえてきた。

 

 

「アスナ?」

 

 

「え、えっと…」

 

 

振り返ると、そこには両膝を地面について、いわゆる女の子座りの体勢で腰を下ろすアスナ。そして、彼女の両手には二つの白い包みが握られていた。

 

 

「こ、これ…。つ、作りすぎちゃったから、ケイ君にあげる」

 

 

するとアスナは、両手に握る二つの包みの内の一つを右手に乗せて、ケイに差し出してきた。

 

…これは?つまり?お昼ご飯を自分に?くれるってこと?

 

 

「…マジ?」

 

 

「私、二個もいらないから…。だからケイ君にあげる」

 

 

頬を染めて、もじもじと恥ずかしがるようなしぐさをしている理由はわからないが、ともかくアスナは昼食を自分に分けてくれるらしい。それに、アスナが掌から零れそうになるくらいのサイズのそれを、二つも食べるとも思えない。

 

 

「なら…、お言葉に甘えて。ありがと」

 

 

「う、ううん!さっきも言ったけど、作りすぎただけだから!そんなお礼なんて…」

 

 

「いやいや。アスナが作りすぎてなかったら俺、空腹に苦しんでたし…」

 

 

ケイはアスナの隣で腰を下ろし、アスナが差し出した包みをお礼を言ってから受け取る。アスナと一言言葉を交わしてから包みを開けると、ケイの鼻に馴染み深い、ある特融に匂いを捉える。

 

 

「…これ、米?てか、おむすびか!?」

 

 

開いた包みの中には、白い小さな粒の塊が。それは紛れもない、日本の古来からの愛されてきた食材、お米だ。炊き立てにも感じられる輝きを放ったお米のおむすび。アスナはそれを昼食として持ってきたのだ。

 

 

「な、何でお米が…」

 

 

「三十六層のお店に、イナの実ってアイテムが売ってるの。それを洗って、水を含ませて…。て、ご飯の炊き方は基本現実と同じなんだけどね」

 

 

「イナの実…。聞いた事ないな」

 

 

「あはは…。あのお店、路地裏の奥にあるし…。それにそこを通っても気付かないで通り過ぎる、てプレイヤーも多いから…」

 

 

アスナがこのおにぎりの作り方とお米の手に入れ方を教えてくれる。イナの実というのは聞いた事がないが…、今度、三十六層に行く機会があれば、アスナにメッセージを送ってイナの実を売っている店の場所を教えてもらおう。

 

ケイは内心で決意しながら、おにぎりを齧り、咀嚼する。

 

 

「…どう、かな?」

 

 

不安そうに問いかけてくるアスナ。ケイはしっかりと懐かしのお米の味を味わいって飲み込んでから口を開く。

 

 

「旨い…。アスナ、これ、自分で作ったんだよな?料理スキル取ってたんだな…」

 

 

アインクラッドに囚われてから、ずっとお米を食べられなかったという補正はないと言えば嘘になるが、お世辞抜きでアスナがくれたおにぎりはおいしかった。

 

現実ではおにぎりを不味く作る方が難しいのだが、このSAOではそうはいかない。料理の美味しさというのは。料理スキルの熟練度に全て依存される。つまり、たとえおにぎりでも料理スキルの熟練度が低ければ、とても食べれないような、そんなひどい味になる場合もあるのだ。

 

 

「う、うん。まだちょっとスキル熟練度に不安があったんだけど…、良かった…」

 

 

夢中でおにぎりを頬張るケイを見て、アスナがほっ、と安堵の息を吐いて笑みを零す。

 

そんなアスナの様子を露知らず、ケイはひたすらおにぎりを齧り、咀嚼し、飲み込んで。

 

 

「…ん?これは」

 

 

おにぎりを満喫していると、ケイの口の中でこれまたどこか懐かしく感じる食感が奔る。これは…サケか?

 

 

「あ。それはね、ギルメンの人からもらった物なの。私と同じように団長からお休みを貰ってた人で、釣りに行ったらしくて。その時に釣ったのを分けてくれたんだ」

 

 

「へぇ…。何ていうのかは知らんけど…、サケだよな完全に」

 

 

「あ、ケイ君も思った?私も最初食べた時にそれ思ったよ」

 

 

何ていう名前のアイテムなのかは知らないが、食感と味が完全サケである。アスナもケイと同じ考えだったようで。ケイは心の中で、このアイテムがどんな名前でも、自分だけはサケと呼ぼうと勝手に決意する。

 

 

「…おにぎりかぁ。俺も食べたいなぁ」

 

 

「ダッカー、あまり見るな。二人の…、うん、アスナさんのためにも見てない振りしるんだ」

 

 

ケイとアスナが談笑しながらおにぎりを食べる中、ホットサンドを食べるキリト達は、二人をチラッチラッと横目で見ていた。だが一人だけ、ダッカーがじっ、と二人の様子を、というより二人が食べているおにぎりを羨ましそうに見つめていて。そんなダッカーをテツオが肘で軽く小突きながら諌める。

 

 

「キリト、あの二人って付き合ってるの?」

 

 

「いや、そういう関係ではないと思うぞ?でも…、アスナはそれを望んでるようには見えるけど」

 

 

「…ふぅん」

 

 

不意に、サチがケイとアスナの様子に目を向けながらキリトに問いかけた。キリトもまた、ケイとアスナに視線を向けながら、サチの問いかけに答える。

 

 

「…サチ、何でそんな眼で俺を見るんだ?俺、何かしたか?」

 

 

「…別に」

 

 

キリトはサチの問いかけに答えただけなのだが…、何故かサチが不機嫌そうに、じと目でキリトを睨む。サチの機嫌を損ねるようなことをした覚えがないキリトは問いかけるが、サチはそっぽを向いてしまう。

 

 

(…どうしてアスナさんの気持ちには気づいて、私の気持ちには気づいてくれないんだろ)

 

 

そっぽを向いて、俯いてしまったサチがそんな事を思っていたなど、サチの機嫌を取ろうとオロオロするキリトにはまったく伝わっておらず。そしてそんな二人を、周りのギルドメンバー達は苦笑しながら眺めていて。

 

ある乙女は、自身が抱く想いに気付いてすらおらず、またある乙女は自分の想いに気付いてくれない相手に悩む。

 

そんな乙女たちの淡い想いが伝わるのは、まだ先である。

 

 

 

 

 

 

「さて、腹ごしらえも済んだし。そろそろ行くか」

 

 

全員が昼食を済ませてから、少し時間を置き、休憩してからキリトが立ち上がりながら言った。ケイ達が安全地帯で休憩を始めてからおよそ三十分。食事を終えてからしばらく談笑していたケイ達だったが、キリトに続いて同じように立ち上がる。

 

安全地帯を出て、ケイ達は再び昼休憩前までレベリングをしていたエリアへ向かう。

 

 

「で、午後からのグループの事だけど…」

 

 

「「っ!!」」

 

 

エリアへと向かう途中、ケイタがふと口を開いた。そして、その言葉を聞いた直後にダッカーとテツオがびくりと体を震わせ、顔色も悪くなる。彼らが思い出すのは午前にて、ケイとアスナと一緒にレベリングをしたあの凄惨な光景。

 

ひたすら戦い続け、溜まった疲労も構わずひたすら動き回ることを求められた午前のレベリング。もう二度と味わいたくない、先の見えないあの絶望感。

 

 

「えっと…。グループ替えようか。さっき二人のレベルを見たけど、僕達のレベルを超えてたし」

 

 

昼休憩の中、ケイタはギルドのメンバー達のレベルを確認していた。その時に、ケイとアスナと共にレベリングをしたダッカーとテツオのレベルが他のキリトを除くメンバーの中で飛び抜けていた。

 

キリトは例外、だがせめてそれ以外ではバランスを取っておかなくてはならない。ケイタは先程のダッカーとテツオの様子を思い出しながらも、嫌だという気持ちを抑えて続けた。

 

 

「僕、サチとササマルはケイさんとアスナさんと一緒に。キリトはダッカーとテツオをお願い」

 

 

午後からは、ケイタが言ったグループでレベリングを再開する。改めて皆で確認しながら、目的のエリアへ移動していく。

 

 

「…っ、止まれ!」

 

 

その途中だった。ケイは不意に立ち止まり、口を開いて声を上げた。その声に従い、すぐさまアスナとキリトが立ち止まり、それにつられてケイタ達もまた立ち止まった。

 

 

「え…、どうかしたのか?」

 

 

皆が立ち止まる中、ササマルが戸惑いの表情を浮かべながらケイに問いかける。ケイはササマル達に掌を向けて、無言で待機を命じる。

 

 

「…キリト、七時の方向」

 

 

「あぁ、いるな。こっちに向かってくる」

 

 

ケイはキリトに視線を向けながら問いかけると、キリトもまたこちらに目を向け返しながら答えてくる。

 

最大範囲まで広げたケイとキリトの索敵スキル。それに引っ掛かる、一つの反応。

ポップしたMobではない。もしそうだとすれば、自分たちからあまりに距離が離れすぎている。こちらから反応範囲に近づかなければ、Mobはポップしないのだから。

 

だとすれば、こちらに近づいてくる反応は。紫色の、モンスターの反応は何なのか。

 

 

「考えてる暇はないぞ、ケイ!」

 

 

「ちっ、アスナ!お前らも構えろ!」

 

 

考えていると、キリトがこちらに声を掛けてくる。その声に従って、ケイは得物を抜き、接近してくる反応がいる方へと視線を向けて身構える。

 

その際に、隣にいるアスナと少し離れた所にいるケイタ達に声を掛けて構えるように言う。

 

 

「来るぞ!」

 

 

再びケイが口を開いた直後だった。茂みの中から飛び出してくる巨大な黒い影。

モンスターの上にあるアイコンと、名称<Lord’s tusk of the destruction>。

 

<破壊の王の牙>。巨大なオオカミ型のモンスターが顎を大きく開き、牙をこちらに向けながら突っ込んできた。

 

予定とは外れた、大きなイレギュラーがケイ達に襲い掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作やアニメに、お米が出てきた描写ありましたっけ?もしあったら教えてほしいです。(ただし、教えてくれる場合は感想ではなくメッセージでお願いします)


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第24話 エリュシデータ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突っ込んできた狼に向かって、先陣を切ったのはケイだった。ケイは刀を握り締めながら、向かってくる狼へ駆け出していく。その際、ケイの握る刀の刀身から黄色いライトエフェクトが迸る。

 

重単発スキル<雷鳴>。ケイは自身を目に捉える狼が振るう爪を体を傾けて回避。そして、すれ違いざまに狼の胴体へと<雷鳴>を叩き込む。

 

ケイはスキル使用後にすぐに両足で踏ん張って立ち止まる。振り返って狼の頭上に表示されているHPバーを確認した。狼のHPバーは三本。その内の一番上の一本の約三割が削り取られている。

 

 

「っ、こいつ!」

 

 

ダメージの確認はできた。が、直後にケイは驚きに目を見開く。通常、ボスも含めてモンスターは自身に大きくダメージを与えたプレイヤーにヘイトを持ち、ヘイトを抱いた対象を優先的に襲う。しかし、この狼は違った。

 

自身の背後にいる、自身に大きなダメージを与えたケイに見向きもせず、前方のアスナ達に向かって駆けて行った。

 

 

「キリト君とテツオ君、ケイタ君は前衛に出て壁役をお願い!サチとダッカー君、ササマル君は私と一緒にスイッチの待機!」

 

 

狼の思いも寄らぬ行動で驚きつつも、アスナを動揺させるには至らなかった。アスナはすぐさま指示を出し、そしてその指示の通りにキリト達が動く。キリトとテツオ、ケイタがそれぞれの武器を手に前へと躍り出、襲い掛かる狼へ応戦する。一方のアスナ達はその場から一歩下がって、スイッチに備えて待機する。

 

そして、狼に無視され、置いてかれたケイは。

 

 

「待てこら」

 

 

キリト達に向かって爪を振り下ろさんとする狼の背後から斬りかかる。狼の前方でキリト達が、背後でケイがそれぞれのソードスキルを打ち込もうとする。だがその瞬間、その場で狼が跳躍し、空中へと逃れる。

 

 

「なっ!?」

 

 

避けられるとすれば、横へのステップしかないと考えていた。が、狼が選んだのは空中。それもかなりの跳躍力で、十メートルほど跳んだだろうか、空中にいる狼をケイ達が見上げる。

 

その瞬間、ケイはある事に気付く。

 

 

「っ!アスナ!」

 

 

ケイが気づいたのは狼が跳躍した角度だ。これまでのモンスター達からは見られなかったアルゴリズムのせいで気付くのが遅れてしまった。

 

放物線を描きながら、地上に視線を下ろしながら落下する狼の先には。スイッチに備えて待機するアスナ達が立っていた。サチにダッカー、ササマルが目を見開いて降りてくる狼を見上げている。

 

だが、一人。アスナだけは動揺することなく、次の一手を打つ備えをしていた。

 

アスナが握りレイピアがライトエフェクトを帯びる。直後、大きく口を開けて襲い掛かる狼に向かって、神速の突きが放たれた。法則性はない。しかし、狼の身体に六つのダメージエフェクトが刻み込まれた。

 

細剣スキル<クルーシフィクション>。神速の刺突六連撃が狼を捉えた。空中で大きく体勢を崩した狼は、アスナのスキルに命中したことによって勢いが削がれ、アスナ達の目の前で尻餅を突く形で地面に落ちる。

 

 

「サチ、ササマル君!スイッチ!」

 

 

そこで、アスナは後方へと下がる。そしてアスナの合図とともにサチとササマルが一歩前に出る。二人の両手で握る槍が、同時にライトエフェクトを帯びた。

 

槍刺突スキル<スキューラ>。同時に突き出されたサチとササマルの槍が狼の身体を貫通し、狼の動きをぴたりと止める。

 

 

「今よ!二人はそのまま狼の動きを止めてて!一斉攻撃!」

 

 

狼が自身の身体から槍を抜くためにもがこうとしたその前に、アスナが指示を出す。

同時に、ケイが、キリト達が、アスナが一斉に動きを止めた狼に向かって踏み出す。

 

これまでの攻撃により、狼のHPは、一本目のバーはすでに消滅しており、二本目もまたおよそ半分ほど削られている。アスナは、この一斉攻撃で一気に片を付けるつもりでいた。

 

 

「グルァアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

だが、このまま何事も無く戦闘が終わるほどこのゲーム、ソードアート・オンラインは甘くない。ましてや、HPバーが複数ある中ボスクラスのモンスターが相手なのだから、それは尚更だ。

 

突如、狼が壮絶な雄叫びを上げる。瞬間、ソードスキルを繰り出そうとモーションを取っていたケイ達が動けなくなり、それだけではなく体が後方に吹き飛ばされてしまう。

 

 

「なっ…!?」

 

 

「何だ!?」

 

 

すぐに浮いた足を地面につけ直して踏ん張るケイ達だったが、そんなケイ達を強い風が襲う。その風は、ある所を中心にして円形に並ぶケイ達に吹きかかっていた。そして風の発生源は、先程叫び声を上げた、ケイ達に囲まれた中心に立つ狼。

 

 

「な、何だよこいつ…」

 

 

吹き荒れた風はすでに止み、ケイ達は改めてそれぞれの武器を握り締めて狼を見据えた。だが、狼の姿は先程まで目にしていたものから、明らかに変貌していた。

 

テツオが目を見開き、瞳を揺らしながら愕然と呟く。

 

ケイ達の前に姿を現した時の狼の姿は、まさに現実で抱いていたイメージとほぼ一緒だった。所々白が混じった、灰色の毛並みがケイ達への怒りで逆立っていた。しかし、今はどうだ。

 

強い風によって僅かに視線を切らしてしまった間に、狼の毛並みは真っ赤に燃え上がり、瞳もまた、それが抱いているであろう怒りを表すように赤に染まっている。

 

 

「グガァアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

「っ、構えて!」

 

 

ケイ達の警戒が向けられる中、狼は天を仰ぎながら再び雄叫びを上げる。アスナがケイ達に更なる警戒を促した直後、顔を元の位置へと戻した狼が不意に視線を横に向けたと思うと、その方向へと駆け出していった。

 

 

「キリト!」

 

 

サチが、狼が駆けだした方にいる人物に向かって声を上げる。サチが口にした通り、狼が向かっていった先、それは、剣を握って構えるキリトだった。

 

 

「っ!」

 

 

変わったのは当然、姿だけではなかった。駆けるスピードが大きく飛躍している。そして恐らく、奴が誇る爪や牙の破壊力もまた、同じく比べ物にならないほど上がっているはずだ。

 

キリトは、向かってくる狼に対して手に握る剣を縦に構えた。今いる層を考えれば、十分すぎるほど安全圏を取っているレベルを誇るキリトだが、そのステータスはどちらかというと筋力値を中心に割り振っている。

 

狼の速さは、キリトの敏捷値を上回っていたのだ。

 

避けられないと判断したキリトは、防御の体勢を取った。先程も言ったが、キリトはステータスを筋力値中心に割り振っている。力比べならば、たとえステータスが上がった狼相手でもやれるという自信があったのだろう。

 

狼が首を横に傾けながら、顎を大きく開いてキリトが構える剣に向かって齧りかかる。

 

 

「え?」

 

 

その声は、誰のものだっただろう。少なくともケイのものではないが…、ケイ自身、あまりの事態に声を漏らしかけたのは事実。

 

狼の牙がキリトの剣の刀身にかかった、その瞬間の事だった。狼の牙が当たったその場所から、キリトの剣がギャリッ、と耳障りな音を立てながら折れた。

 

 

「「っ!!」」

 

 

それを見た直後、ケイとアスナが駆けだしたのは全くもって同時だった。ケイはキリトの背後に回り、片腕をキリトの身体に回して抱えて後退。アスナは威力の大きい単発スキルを使用して狼を吹き飛ばして、ケイとキリトから狼の距離を押し離す。

 

 

「大丈夫か、キリト!」

 

 

「あ、あぁ…。いや、大丈夫じゃない、かも」

 

 

狼から距離が離れたことを確認してからケイはキリトに声を掛ける。キリトの様子は、これまで見た事がないほど混乱しているようだった。それも当然だ。突然、自分が持っていた剣が、何の前触れもなく壊れたのだから。

 

本来、<剣が折れる>のは、その剣の耐久値がゼロになった時だけなのだが。

 

 

「キリト。そんなはずはないと思うが…、耐久値は十分だったんだろうな」

 

 

「…あぁ。今日のレベリングに向けて、昨日メンテナンスしたばかりだ。たった一度、攻撃を受けた程度で折れるはずはない」

 

 

やや落ち着きを取り戻し始めたキリトがケイの問いかけに答える。初めからそんなはずはないと考えてはいたが、やはりメンテナンスを怠ったという事はない様だ。それに、昨日にメンテナンスを行ったのだとすると、耐久値も十分残っていたはずだ。

 

 

(…<破壊の王の牙>)

 

 

ケイはアスナと共に、指示を受けながら狼と戦う月夜の黒猫団の面々を見ながら、ふとあのモンスターの名前を思い出した。

 

 

(何故、牙?あれは狼の姿をしている。なら、何で狼に関する名前にしなかったんだ?)

 

 

そこでふと思い浮かぶ疑問。あのモンスターの名前は、牙。だが、あのモンスターの姿はどう見ても狼を模している。

 

 

(キリトの剣が折れたのは、あの狼に噛みつかれて同時だった…。っ、まさか!)

 

 

モンスターの名称がどう見ても牙を強調している事、そしてキリトの剣が折れた原因となった狼の攻撃法。それを整理したケイが結論を出すまでそう時間はかからなかった。

 

 

「そいつの牙の攻撃を武器で受けるな!その牙は…っ」

 

 

導き出した結論を、狼と交戦を繰り広げるアスナ達に伝えようとした。だが、それを言い切る前に。狼の牙を受けるために掲げた、サチの槍が。狼の顎にかかり、柄からぽっきりと、先程のキリトの剣と同じように、呆気なく折れてしまった。

 

 

「サチっ」

 

 

「まっ、待て!キリト!」

 

 

武器が折れ、呆然とするサチに向かって追撃しようとする狼へと、キリトが行ってしまった。ケイは慌てて手を伸ばして止めようとするも、手は空を切り、キリトは丸腰のままサチの元へと行ってしまう。

 

 

「あのバカが…!」

 

 

ケイはキリトを追わず、アイテムストレージを開いて操作を始めた。サチのフォローには、キリトだけでなくアスナ達も向かっているため、サチがやられるという心配はない。だが、サチよりも今はキリトの方が心配だ。剣は折れ、今キリトは丸腰の状態。エクストラスキル<体術>を持っているとはいえ、熟練度がまだ不十分で太刀打ちできるほどあれは甘くない。

 

だからケイは、キリトの大きな力になるであろう、それでいてキリトの大きな枷になるかもしれない危険性も持つ諸刃の剣をアイテムストレージの中から探し出そうとしていた。

 

 

「はぁっ!」

 

 

「ぜぇぁあ!」

 

 

ケイがアイテムストレージを操作している時、ケイの予想通りに狼に武器を折られたサチのフォローは無事に済まされていた。サチと同じ槍使いであるササマルが狼を退け、ダッカーが追撃を与えて狼のHPを削ると共にさらにサチから距離を離す。

 

 

「はぁああああああああああ!!」

 

 

そして、丸腰のまま飛び出していったキリトが、体術水平蹴りスキル<水月>を加えて狼を更に大きく吹き飛ばした。

 

 

「あった!」

 

 

それと同時に、ケイもまたストレージから目当てのアイテムを取り出していた。オブジェクト化によって起こる光がケイの手元で収まっていくと同時に、そのアイテムの姿が露わになっていく。

 

それはどこまでも黒く塗りつぶされた剣だった。刀身も、柄も、全てが黒。その剣が完全にオブジェクト化されると同時、ケイの腕に途轍もない重量感が襲う。

 

 

「ぐっ…、とっ。キリトォ!」

 

 

刀を鞘へと戻し、両手で剣を持ち上げる。そしてケイは、大きく両腕を腰だめに引き絞って────

 

 

「受け取れやぁ!!」

 

 

力一杯、キリトに向かって放り投げた。

 

 

 

 

 

 

五十層のボス戦。最後はケイとヒースクリフが同時に攻撃を入れて止めを刺したのだが、LAボーナス自体はケイの元へ送られていた。だが、ケイがそのLAボーナスが何なのかを詳しく知ったのは、ボス戦が終わった次の日の事だった。

 

何故なら、ボス戦直後はアスナやキリト、風林火山の面々にエギルと共に祝勝会をやっていたから。それにボス戦の疲れもあり、祝勝会から帰って来てすぐに、装備も外すことなくベッドに倒れ込んで眠ってしまったのだ。

 

そういう理由があり、五十層ボス戦のLAボーナスの詳細を知ったのは後日になってしまったのだが…、ケイはそのアイテムのデータを見て大きく目を見開き、衝撃を受けた。

 

五十層時点での、最前線のどのプレイヤーが使っている武器の性能を完全に圧倒している。そしてそれ故の、装備に必要な要求筋力値もまた馬鹿げた数字にも驚いた。その剣の種類が片手直剣のため、ケイは装備という選択は選ばず、後にインゴットとして変換しようと考えたのだが。

 

もし、他の片手直剣使いにこの剣が渡っていたら。それはそのプレイヤーに、大きな力を与える事になっていただろう。

 

 

「え…」

 

 

「武器がねぇよりはマシだろ!装備は出来ないけど、盾ぐらいにはなる!」

 

 

ケイが放り投げた黒の剣が、キリトの両手に収まる。と、同時に、キリトの膝が僅かに沈む。

 

 

「なっ…!な、何だこれっ、重い…!」

 

 

「それ持って下がってろ!」

 

 

「く…っ」

 

 

丸腰のキリトを、これから戦力として数える訳にはいかない。ケイはあの黒の剣を武器としてではなく、盾として使わせるために投げ渡したのだ。キリトは一瞬、悔し気に顔を歪ませた後、ケイの言う通りに後退して狼から距離を取る。

 

それを見ながら、ケイは鞘に収めた刀の柄に手を添えながら、キリトを追いかけようとする狼に向かって疾駆する。

 

<抜刀術>による技の速度アップの恩恵を受けながら放たれる、神速の一撃。<雷鳴>が、間に割り込んできたケイを狙って振り下ろされる狼の右前脚を切り落とし、四散させる。

 

どうやら部位欠損の判定がある部位がこの狼には所々に存在しているらしい。何にしても、足の一つを欠損させたのはこちらにとってかなり優位に働くはずだ。

 

と、この時のケイはそう思っていた。

 

 

「ガァァ…、グルァア!!」

 

 

「!?」

 

 

切り飛ばされ、先を失った足を見つめていた狼が一度ケイを一瞥してから再び大きく跳躍した。ケイは目を見開き、跳躍した狼を見上げる。

 

 

(何で…!こいつ、他のモンスターとはアルゴリズムが違いすぎるだろ!)

 

 

戦闘が始まってすぐの時もそうだった。本来、大きなダメージを与えたプレイヤーに対してモンスターは強いヘイトを抱く。そしてヘイトが強いプレイヤーを狙って、モンスターは攻撃を仕掛ける。

 

が、この狼は違った。まるで、自分では敵わないと悟ったかのように、大きなダメージを与えたケイを避けて他のプレイヤーに襲い掛かっている。

 

跳躍した狼が降りていく先にいるのは、丸腰同然のキリト。

 

 

「キリト!」

 

 

サチが表情に恐怖を浮かべて呼びかけながら、キリトの元へ駆け寄ろうとする。が、サチもキリトと同じく武器を折られている。つまり、サチもまた丸腰の状態なのだ。サチに続いてギルドのメンバー全員が、アスナが、駆けだす。

 

アスナがサチの両肩を掴んで止めて、二人を追い越して他のメンバー達がキリトを助けに向かう。だが、ただ一人、ケイだけはその場に立ったまま、キリトに向かって口を開いて言葉を吐いた。

 

 

「キリト、その剣でそいつを斬れ!」

 

 

「っ…!」

 

 

すでに狼はキリトの眼前まで迫っていた。キリトができるのは、ケイの言う通しにする事のみだった。

 

キリトは剣の柄を両手で握り締め、まるで大剣を振る様に、大きく腰を捻って遠心力を利用しながら力一杯、刃を狼の顔面目掛けて振り下ろした。

 

このSAOでは、武器というのは装備しなければ意味がないというのが主流だ。しかしそれは、ほんの少しだけ本来の仕様とは異なる。かつてケイはある実験をした事があった。安全圏外でオブジェクト化したアイテムは、モンスターに対して影響があるのかという実験を。

 

結果は────影響は、あった。それだけでなく、筋力値が足りていれば、たとえ食べ物を投げつけるだけでも、ほんの少しではあるがモンスターにダメージを与えることができる事が判明した。

 

そしてその実験の結果は、アインクラッド全体で伝えられているあの説を覆す結論を導くことになる。

 

たとえ装備していない武器でも、オブジェクト化さえすればモンスターにダメージ判定を与えることができる、という結論へと。

 

 

「…え」

 

 

呆けた声を出したのは、剣を振るったキリトだった。

 

キリトが振り下ろした剣は、狼の額に命中し、そこからまるで豆腐を切るかの如く容易く狼を切り裂いていく。これまでの戦闘で二本のHPバーが消滅し、さらに三本目も注意域にまで達していた狼のHPは、そのキリトの斬撃一つで全て削られてしまう。

 

キリトに剣によって切り離された顔面から胴体の中心部辺りまでが、システムによって元に戻ろうとする。が、その前に。狼は光を発し、そしてポリゴン片となって四散していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっと無理やりな説かなと思いましたがぶち込みました。もし、何か原作の設定と食い違いがあればメッセージで指摘をお願いします。


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第25話 VSキリト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然現れたモンスター、<破壊の王の牙>との戦闘を終えたケイ達は、当初の予定だったレベリングを中断し、昼食を食べた時に使った安全圏へと入っていた。それぞれが武器をしまい、アイテムでHPの回復を図る。

 

 

「で、こいつは何なんだ。ケイ」

 

 

「近い。近いから離れろキリト」

 

 

ケイもまた、ポーションを飲んでいると、キリトが眼前まで詰め寄りながら問いかけてきた。あまりの近さに、ケイは軽く顔を引きながら掌をキリトの額に当てて押し離す。

 

キリトが問いかけてきたのは、先程の戦闘でケイが投げ渡したあの黒い剣の事だ。今、その剣はキリトの両腕で抱えられており、切っ先が日の光を受けて輝いている。

 

 

「五十層ボスのLAボーナスだよ。片手直剣カテゴリ、<エリュシデータ>」

 

 

「エリュシ…データ」

 

 

「俺が使ってる武器と違うカテゴリってのもあって、ストレージに仕舞ったままになってたんだよ。ただ、お前もわかってると思うけど、要求筋力値がバカ高い」

 

 

「…あぁ。一応さっき試してみたけど、装備できなかったよ」

 

 

キリトに渡した剣、エリュシデータについて、今わかっている事を説明するケイ。

そして、キリトは安全圏に入ってからエリュシデータを装備できるか試したようだが、やはりできなかったらしい。それは、今キリトが剣を両手で抱えている様子を見て容易にわかる事なのだが。

 

 

「けどこれ、モンスタードロップなんだよな?…魔剣クラスの性能だぞ」

 

 

「あぁ。俺が片手剣使いだったら、死に物狂いでレベリングしてたわ」

 

 

悔やむはこのエリュシデータが<片手直剣>のカテゴリだった事だ。もしエリュシデータが、<刀>だったら…嬉々としてフィールドに出て、周りの目も気にせずMob狩りに徹していただろう。

 

 

「インゴットにして、新しい武器作ろうとしてたんだけど…、剣として役に立ったみたいで俺としても嬉しいよ」

 

 

「なっ…!あ、いや…、うん。ありがとな、これ渡してくれて。助かった」

 

 

ケイがそう言うと、突然キリトが目を丸くして、何かに焦る様に慌てふためいた。だがすぐに表情を戻し、取り直してケイにお礼を言いながらエリュシデータを返すために差し出した。

 

…キリトが何を思っているのか、正直バレバレだ。

 

 

「キリト君…。その剣、欲しいなって思ってるでしょ」

 

 

「え!?い、いや、そんな事は…」

 

 

「キリト、顔にこの剣欲しいです!て、書いてあるよ」

 

 

「…」

 

 

どうやらキリトの気持ちがわかっていたのはケイだけではなかったようで。アスナとサチが、キリトをからかうように声を掛け、その後ろではケイタ達がにやにやと面白げな笑みを浮かべながらキリトを眺めている。

 

内心が筒抜けになっていた事にようやく気が付いたキリトは、口を閉じて黙り込んでしまう。

 

 

「…」

 

 

そこで、ふとケイはある事を思いつく。キリトをからかうこの流れに乗りながら、キリトと会ってからこれまで、心のどこかでハッキリさせたかった、ある事を。

 

 

「なぁキリト。この剣、欲しいか?」

 

 

「ぐっ…。ほ、欲しい、です」

 

 

どこか悔し気に歯を噛み締めながらケイの問いかけに答えるキリト。それを見て、ケイの唇が弧を描く。

 

 

「なら、俺に勝て」

 

 

「…は?」

 

 

「<デュエル>でお前が勝ったら、その剣はお前のもの。逆に、俺が勝ったら予定通りにその剣はインゴットにする。…どうだ?」

 

 

キリトだけではない。この場にいる全員がケイの言葉に呆気にとられる。

 

 

「…本当に良いのか?その剣はお前が手に入れたものなんだ。それを────」

 

 

「気にすんな。俺がそうしたいってだけなんだから。それに…、俺、お前と闘ってみたいって前から思ってたんだよ」

 

 

「…」

 

 

ニヤリ、と笑みを向け合う二人。互いが、同じ事を考えていたのだと理解する。

 

SAOには、<PvP>が実装されている。つまり、プレイヤー対プレイヤーで闘う事も可能なのだ。さらに、プレイヤー同士の戦闘を安全に行うためのシステムも搭載されている。

 

 

「ルールは初撃決着。あと、お前は武器がないからNPCの店で買った物を使う。俺も、条件を平等にするために店で買ったのを使う。これでどうだ?」

 

 

「別にお前の相棒を使ったっていいんだぜ?」

 

 

「バーカ。あっさり勝っちまったらつまんねーだろ」

 

 

「ちょっ、ちょっと待って!何を勝手に決めてるのよ!?」

 

 

戦闘が始まる前から牽制し合うケイとキリトの間に、割り込む一人の人物。アスナが二人を見回しながら問いかけてきた。

 

 

「大体、場所はどこにするの?そんなすぐにデュエルができる場所なんて…」

 

 

「この時間帯なら、アルゲートの転移門前広場でできるだろ。フィールドに出てるプレイヤー多いだろうし」

 

 

「…」

 

 

何かもう、何を言っても無駄なのでは、と悟ったアスナがため息を吐きながら呆れの視線を二人に向ける。が、そんなアスナの視線を知ってか知らずか、二人は視線をぶつけて火花を散らしている。

 

 

「あ、あのぉ…。やっぱり、デュエルすることになったんですか…?」

 

 

「もう二人はその気みたいよ。…はぁ。もう好きにさせましょう」

 

 

三人のやり取りを眺めていたサチが、アスナに歩み寄って問いかけた。アスナはため息交じりにサチの問いかけに答えてから、未だ視線をぶつけ合うケイとキリトを見遣る。

 

 

「ごめんなさい。ケイ君が勝手しちゃって…、レベリング、ここまでになりそうだね」

 

 

「い、いや!それだったら、うちのキリトもですし…。こちらこそ、折角アスナさんに来てもらったのに…ごめんなさい」

 

 

アスナがケイタにお辞儀しながら謝罪し、ケイタもまた両手を横に振りながら、アスナに謝り返す。

 

そして、アスナとケイタが、サチ達ギルドのメンバーが、もう一度ケイとキリトに視線を向ける。彼らは、同時に大きくため息を吐くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

午後からのレベリングの再開もせず、ケイ達はアルゲートへとやって来ていた。目的は勿論、ケイとキリトの二人の間で勝手に決めたデュエルを行うためである。ケイとキリトは、武器屋にて大体同程度の得物を購入してから、転移門前の広場で対峙していた。

 

 

「さっきも言ったが、ルールは初撃決着モードでいいな」

 

 

「あぁ」

 

 

初撃決着モードとは、どちらかが強攻撃を当てる、またはどちらかのHPが半分を下回った時点で決闘が決着するというルール。デュエルを行う場合、ほとんどがこのルールが用いられている。

 

キリトとデュエルのルールを確認し合ってから、ケイはウィンドウを操作し、キリトを対象にデュエルの申し込みのメッセージを飛ばす。直後、キリトの眼前でケイからデュエルの申し込みがされたことを報せるフォントが浮かぶ。

 

<Yes>か<No>か、答えを求めるフォントを見て、キリトは人差し指で<Yes>の欄をタップする。

 

すると、二人の間でデュエル開始までのカウントダウンが行われる。残り、六十秒。

 

 

「えっと…、本当に大丈夫なのかな?」

 

 

「初撃決着モードだから、どちらかが死ぬって事はないわ」

 

 

対峙し、得物を握って構える二人の姿を見ながら、未だ戸惑いを見せるケイタがぽつりと呟く。そのケイタの呟きに、アスナが呆れ混じりの声で答えた。

 

残り、三十秒。

 

 

「なぁ。サチはどっちが勝つと思う?」

 

 

「えっ?えっと…、わ、わからないかな…。キリトが強いのは知ってるけど、ケイさんだって強いって評判だし…」

 

 

「俺はケイさんかな?レベリングで一緒に戦ったけど…、あの人が負けるところは正直想像つかねぇよ…」

 

 

「なら、俺はキリトで!」

 

 

二人が素知らぬ所でデュエルの勝者がどちらになるかを賭け始める面々。さらに、広場を歩いていたプレイヤー達も、ケイとキリトの間で行われているカウントダウンに気付き、野次馬となって二人を囲んで見物し始める。

 

 

「おいおい。あれって<黒の剣士>だろ?それにあいつは<幻影>じゃねぇか!」

 

 

「何だよ…、あの二人、これからデュエルするのか?」

 

 

残り、十秒。

 

 

「…あの剣を賭けてデュエルした事、後悔させてやる」

 

 

「へぇ…。そりゃ楽しみだ」

 

 

小さく声を掛け合う、ケイとキリト。その直後────カウントが零となり、デュエル開始を報せるウィンドウがでかでかと表示された。

 

その瞬間、ケイとキリトは同時に、勢いよく互いに向かって飛び出していった。

 

 

「「しっ────」」

 

 

同時に振るわれた二人の剣が、中央で甲高い金属音を上げながらぶつかり合う。スキルなどは使用していない、純粋な二人の力がぶつかり合う。

 

 

「…っ!」

 

 

ぶつかり合った刃が音を立てながら、ケイの方へと少しずつ押し込まれていく。レベルから言えばこちらの方が上なのだが…、筋力値だけはキリトの方が上だ。

 

 

(やっぱ、力比べは敵わない…か!)

 

 

ケイは手首を捻り、刃を回転させる。直後、障害を失ったキリトの剣がケイに向かって勢いよく振るわれる。

 

 

「────っ」

 

 

ケイは上体を逸らして、キリトの斬撃を回避。目の前、状態のすぐ上をキリトの剣が横切ったことを確認してから、ケイは後方へと倒れていく勢いに逆らわずに、両手を地面についてバック宙を繰り返してキリトから距離を取る。

 

両足で踏ん張り、距離を取るのを止めると、その直後。ケイが距離を取ろうとしている間にも距離を詰めてきていたキリトが迫る。さらに、キリトが握る剣がライトエフェクトを帯びている。

 

 

「ちぃっ!」

 

 

キリトがこちらに剣を突き出しながら加速する。このソードスキルは、片手直剣突進技スキルの<ソニックリープ>。何もせず止まっていれば、このスキルを一撃受けるだけで決闘が終了してしまうだろう。

 

通常のソードスキルでは間に合わない。すぐさま判断を下したケイは一度、刀を鞘へと戻し、直後にライトエフェクトを帯びた刃を抜き放つ。

 

<抜刀術>からのソードスキル<雷鳴>。横薙ぎに振るったケイの刃は、突き出されるキリトの剣の腹を捉え、<ソニックリープ>の軌道をずらす。キリトは剣を振り切った体勢で止まるケイのすぐ横を通り過ぎていき、スキルが止まった直後に振り返る。

 

 

「…厄介なスキルだ」

 

 

「使う気はなかったんだけどな。初っ端から判断ミスしたせいで、これがなかったら詰んでたところだった」

 

 

ケイが言った判断ミスとは、決闘開始直後に行った力比べ。あれのせいでケイは体勢を崩すこととなり、<抜刀術>がなければ呆気なくやられていた所まで追い詰められていた。

 

 

「ま、もう使わねぇよ。…これ使わざるを得ない所まで追い詰められるのは、もうないだろうしな」

 

 

「…言ってろ!」

 

 

ケイの挑発に乗ったか、それとも乗らずか。キリトは再びケイに向かって突っ込んでくる。ケイは先程の様に迎え撃ちに行く事はせず、キリトがこちらまで来るのを刀を構えて待つ。

 

キリトが振るう剣を、鍔迫り合いにならないように注意しながら弾く。時折、連撃数が少なく、なお硬直時間が短いソードスキルを交えながらケイとキリトは剣戟を打ち合う。その中では、通常ではあり得ないプレイングも披露され、周りの観客がその度に沸き、歓声が上がる。

 

しかしその間でも二人のHPは僅かだが、それでも確実に減っていた。下手な防御には入らない。互いに攻め続ける結果が、確かにHPバーで表れていた。

 

 

「ぜぇいぁあっ!」

 

 

「ふっ!」

 

 

キリトの放つ重単発スキル<ヴォ―パルストライク>を、デュエル序盤で<ソニックリープ>を弾いた時と同じ要領で、ケイは<雷鳴>でキリトの剣の腹を捉えて弾く。さらにケイはスキル硬直時間が解けたと同時にステップ、一瞬にしてキリトの背後を取る。

 

 

「っ!」

 

 

だがキリトの反応も速い。ケイがキリトの背目掛けて振り下ろす刀を、剣を横に倒し、腹に手を添えて衝撃に耐えられるように備え、防ぎ切る。

 

 

「はぁっ!」

 

 

「くっ…!」

 

 

筋力値に関してはキリトの方が上。キリトはぶつかり合った刀を力一杯押し切ってケイを押し退ける。

 

僅かに体勢が崩れたケイだったが、キリトの追撃が来る前に整える。その直後に、キリトの振り下ろしを後方へステップを取って回避する。

 

 

「ぜぇ…ぜぇ…。はぁっ」

 

 

「はぁ…はぁ…。ふぅ」

 

 

距離が空いてから、ケイとキリトは乱れた息を整えてから視線をぶつけ合う。互いの頭上に示されるHPは、あと少しで注意域に迫る。このまま、これまでのように剣戟をぶつけ合っても、どちらが勝者か、決着が着くだろうが…。

 

 

(それじゃ、つまんねぇよな)

 

 

ケイは一度目を閉じてから、瞼を開けてキリトの目を見据える。

それだけで、悟る。キリトもまた、自分と同じ思いでいるのだと。

 

刀を構え、腰だめに溜める。キリトもまた、剣を構えてこちらを見据えている。

 

それは、デュエル開始時と全く同じ光景だった。ケイとキリトは同時に飛び出し、互いに剣をぶつけるために振るう。しかし、そこからはデュエル開始時とは別の光景が繰り広げられることとなる。

 

二人の刃が、それぞれ違う色のライトエフェクトで染められたのだ。

 

それぞれが持つ、最強クラスのソードスキルがぶつかり合う。

 

刀五連撃奥義技<散華>

片手剣六連撃奥義技<ファントムレイブ>

 

互いが持つ全ての力を振り絞り、刃を切り結ぶ。

 

一、二、三。このデュエルの中で一番、大きな金属音が響き渡る。二人の戦いに魅了され、何度も歓声を上げていた観客は、すでに静まり返っていた。二人の間に流れる緊迫感が、観客達にも伝わっていた。

 

独特の空気が流れる空間で、ケイとキリトは最後の技のぶつけ合いの、四度目の切り結びを行う。

 

 

(ここ────)

 

 

所で、ケイは体を横に傾ける。脳だけでなく、体全体で、システムアシストに抗いスキルの継続を無理やり遅らせる。

 

 

「っ!?」

 

 

ケイの視界に、目を見開いて驚愕の表情を浮かべているキリトの顔が入る。このまま剣をぶつけ合う未来を想像していたのだろうが…、ケイはそんなキリトの顔を見て小さく笑みを零した。

 

キリトの振るう剣が空を切る。そして、その直後。一瞬遅れて振るわれたケイの刃がキリトの身体を捉えた。

 

HPを削り切らないように配慮された一撃だが、それでもキリトのHPは簡単に注意域へと減らされていく。

 

スキルをまともに受けた事により、キリトのソードスキルは中断。そしてケイは残ったスキルの連撃をキリトに当てないよう、全く別方向に放って<散華>を終わらせる。

 

そして────

 

おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 

────立ってキリトを見下ろすケイと、座り込んでケイを見上げるキリトの間に、デュエルの決着と勝者を報せるウィンドウが表示された。

 

 

「…まけ、たのか」

 

 

「…」

 

 

ケイの顔から視線を外し、俯いたキリトが呆然と呟いている。ケイは、うつむいたままのキリトの視線に入る様に腕を伸ばし、手を差し伸べた。

 

 

「…強いな、ケイは。全然敵わなかった」

 

 

「いや、そんな事ねぇよ。何回やばいって思った事か…」

 

 

キリトがケイの手を掴み、ケイがキリトの腕を引き上げる。立ち上がったキリトがケイを賛辞する言葉を贈り、ケイもまた賛辞の言葉を返す。

 

 

「おーい、二人共ー!」

 

 

そこに、少し遠くから二人を呼ぶ声が聞こえてくる。振り向くと、そこには、アスナと月夜の黒猫団の面々がこちらに歩み寄ってくる姿があった。

 

 

「いや、凄かったぜ二人共!くぅ~!俺も早くあんな風に闘えるようになりたいぜ!」

 

 

「…あ」

 

 

興奮していたダッカーは、無意識にその言葉を口にしたのだろう。だが、その言葉はケイの中に突き刺さる。

 

 

「ケイ君?」

 

 

「…ごめん!レベリングほったらかしてこんなデュエルしちまった!」

 

 

「あ」

 

 

アスナが覗き込んできた直後、ケイはケイタ達に向かって頭を下げて謝罪する。キリトとのデュエルが楽しすぎてすっかり忘れてしまっていた。今日、自分が何のために彼らと行動していたのかを。

 

そして、キリトのデュエルのためにその目的をほったらかしにしてしまっていた事を。

 

キリトもまたケイと同じように思い出したのか、微妙に顔色を悪くしている。

 

 

「あ、いや。気にしないでよ。午前中だけでも十分すぎるほど経験値貯まってたし、それに…二人の凄いデュエルも見れたし」

 

 

謝罪するケイに、手を横に振りながら大丈夫だと伝えるケイタ。しかし、それではケイの気も済まない。何しろ、ギルドの予定を自分勝手に狂わせてしまったのだから。

 

ケイタを見る限り、本当に気にしていなさそうではあるが…、と、ここでケイは思いつく。

 

 

「お詫びに、この剣を上げよう」

 

 

「え?…こ、これって」

 

 

ケイはアイテムストレージからある物を取り出し、ケイタに手渡した。そのある物とは、デュエルの賞品として賭けていた、<エリュシデータ>。

 

 

「それをどうするのかはギルドで決めていい。これは、完全に月夜の黒猫団の物だ」

 

 

「い、いや、でも…」

 

 

「でさ、この後の事なんだけど、どうする?またレベリングに行くか?」

 

 

ケイタの言葉を遮って、ケイは違う話題に切り替えて問いかけた。このままではいたちごっこになりそうだったので、無理やり話題を変えようとしたのだが、その効果はケイタに通用したようだった。

 

 

「あ…。僕達はまたレベリングに行こうと思ってます。ケイさんとアスナさんが手伝ってくれるんですから…、な?」

 

 

ケイタが振り返って、サチたちを見ながら問いかけた。サチたちは数瞬後に同時に頷く。

 

 

「…いえ、今日のレベリングはここまでにしましょう。予定外の戦闘で疲れてるだろうし、サチだって武器を壊されてるんだから」

 

 

すると、そのやり取りを見ていたアスナが口を開いた。ケイタにレベリングはこれで止めるように言う。

 

 

「そ、そんな!だけど…」

 

 

「私達に申し訳なく思ってる?それとも、もうこんな機会がないって勿体なく思ってる?…でも、そのために危険に遭うのはあなたの仲間達なのよ?」

 

 

「っ…」

 

 

アスナに食い下がろうとしたケイタだったが、続いてアスナが口にした言葉に口を噤み、俯いて黙り込んでしまう。

 

 

「…ケイタ、今日はここまでにしておこう」

 

 

「キリト…」

 

 

「アスナの言う通りだ。俺はまだ<体術>でどうにか対応できるが、サチは<体術>を習得してない。レベリングを強行すれば…、分かるよな」

 

 

続いてケイタに声を掛けたのはキリトだった。ケイタの肩をぽん、と叩きながら言うキリトに、ケイタはじっ、と目を向ける。

 

 

「…分かった。今日のレベリングはここまでにしよう。ケイさん、アスナさん。今日はありがとうございました」

 

 

早く攻略組に入りたいという焦りか、レベリングを強行しようとしていたケイタはすぐに折れ、リーダーとして正しい判断を下す。そして、ケイタはケイとアスナにお礼を言った。その表情には、どこか申し訳なささが浮かんでおり、さらにケイタの後ろにいるサチ達もまた、ケイタと同じ感情を表情に浮かべていた。

 

 

「いや、アクシデントはあったけど、こっちも楽しかったよ。だから、そんな顔すんな」

 

 

「右に同じく。…それと、今度は一緒に攻略に行こうね」

 

 

お礼を言ってきたケイタに、申し訳なさそうに見てくる月夜の黒猫団の面々に言葉を返すケイとアスナ達。

 

今日の合同レベリングはこれで終わりとなり、アルゲートの広場で解散となった。キリトはケイタ達と共に拠点へと戻っていき、そしてケイとアスナは────

 

 

「…で?アスナは本部に戻らないのか?」

 

 

「ん?ちょっと、ケイ君に聞きたいことがあって」

 

 

ケイとキリトのデュエルを見ていたプレイヤー達が去っていく広場で、言葉を交わす。

 

 

「ケイ君、デュエルに勝っても負けても、あの剣を上げるつもりだったでしょ」

 

 

「…そんなはずないだろ」

 

 

こちらを覗き込みながら問いかけてきたアスナから視線を外してそっぽを向き、ケイは顔を向けた方へと歩き出す。

 

 

「ねぇねぇケイ君、勿論今日じゃないけど、今度は私ともデュエルしてよ」

 

 

「嫌だ」

 

 

「え?な、何で?」

 

 

「アスナとデュエルすると疲れそう。アスナのスピード、ホントやばいから」

 

 

「ちょ、ちょっと!それを言うならケイ君だって速いでしょ!?」

 

 

「はっ!<閃光>のアスナに比べたら、まだまだですよー」

 

 

初めの質問に関してはすぐに引き下がったアスナだったが、デュエルの誘いに関しては中々引き下がってくれない。

 

結局、ケイが帰路に着けたのは、ギルドの召集のメッセージがアスナに届いた後の事だった。

 

ケイはホームに着くと、すぐさま外用の装備から家用の装備に着替えてベッドへと倒れ込む。この一日で色々とあったせいか、寝転んだ途端にケイの全身を一気に疲れが襲う。

 

そのまま、あっという間に、ケイは眠気に誘われ、目を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回から原作番外編の話へといくと思います。


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第26話 調査と思い出

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第四十一層主街区、その転移門前広場のベンチ。そこでケイは腰を下ろしてじっとしていた、

辺りはすっかり暗くなり、拠点に戻るプレイヤー達が道を歩いている姿が多く見える。そんな中、ケイは動かず座ったまま動かず、ただ何かを待つ。

 

 

「ヤッ」

 

 

「…ようやく来たか」

 

 

じっとしている内、退屈のあまり道歩くプレイヤーの数を、眠る時に羊を数える要領で一人、二人、と数え始めた時だった。ケイの背後から声が掛けられる。

 

ケイは顔を傾け、視線を後ろにやりながら口を開いた。

 

 

「久しぶりだな、アルゴ。…クリスマスのクエスト報酬について聞いた時以来か?」

 

 

「ま、それからもメッセージのやり取りはしてたけどナ。こうして顔を合わせるのはクリスマスの日以来カ」

 

 

ケイの背後で声を掛けてきたのは、ローブを被り、頬に髭のペイントを付けたプレイヤーアルゴだった。アルゴは彼女特有の、面白がるような笑みを浮かべながら背後から移動し、ケイのすぐ隣で腰を下ろす。

 

 

「で?…あいつらについての情報はどうだ。こうして俺を呼び出したんだから、何かでけぇ情報が入ったんだろうな」

 

 

さっきまでの、久しぶりの再会を喜ぶ和やかな空気はそこにはない。緊迫に満ちた声でケイはアルゴに問いかけた。するとアルゴも、先程まで浮かべていた笑みを収めて、膝元で両手を組んでから口を開く。

 

 

「あいつらの潜伏先についてとか、そういう直接的な情報じゃなイ。けど、それに必ずそれにつながるだろう情報を掴んだヨ」

 

 

「…」

 

 

こちらに視線をやりながら言うアルゴに、ケイは視線だけを向けて続きを促す。

 

 

「三十八層である事件が起きてるの、知ってるカ?」

 

 

「…いや」

 

 

「<タイタンズハンド>ってオレンジのギルドが、一つのギルドをリーダー以外全滅させたって事件なんだけド…」

 

 

アルゴが話し始めたのは、中層で起きたPK事件についてだった。確かにそれについては、生き残ったそのギルドリーダーも気の毒だとは思う。が、ケイが今、聞きたいのはその事ではない。

 

ケイは何を言いたい、と挟もうと口を開こうとした。しかし、その前にアルゴが続きを言うために口を開く。

 

 

「本題はここからダ。その<タイタンズハンド>なんだけどナ…」

 

 

そこからアルゴの口から話される内容は、いきなり中層の事件から話し出したその理由を理解するのに十分すぎるものだった。そして、それと同時にまた新たな犠牲者が出るまで、そう時間は残されていないと悟るのにもまた、十分すぎる内容だった。

 

アルゴとの密談の翌日、ケイは三十八層へとやって来ていた。その理由は、勿論アルゴから聞いたこの層で起きたPK事件について調べるためだ。とはいっても、PK事件の詳細を知ろうとしているわけではない。

 

ケイが知りたいのは、PK事件を起こしたギルド<タイタンズハンド>について。アルゴのパイプを使い、被害に遭ったギルド<シルバーフラグス>のリーダーとアポを取って話す約束を取り付けることができた。

 

ケイは三十八層のある酒場に入り、アルゴから聞いた特徴の持つプレイヤーを探す。すると、こちらに目を向けながら手を上げる一人のプレイヤーを見つけた。ケイはそのプレイヤーに歩み寄り、テーブルを挟んで正面の所で立ち止まる。

 

 

「…あんたが、シルバーフラグスの」

 

 

「はい…」

 

 

問いかけると、どうやらケイの予想通り、このプレイヤーがシルバーフラグスのリーダーだった。ケイはその場にある椅子に腰を下ろし、やって来たNPCの店員に水を一杯頼んで相手のプレイヤーと向かい合う。

 

 

「…正直、辛いとは思う。けど────」

 

 

「情報屋から聞きました。あなたが聞きたいのは…、ロザリアの事ですよね?」

 

 

「…あぁ、その通りだ」

 

 

自身が聞きたいことをあっさりと当てられ、思わず目を丸くするが、すぐに取り直し、改めてケイは問いかける。

 

 

「俺が聞きたいのはロザリアがあんた達を嵌めた手口じゃない。…調べたんだろ?ロザリアのその後の行方を」

 

 

ケイが聞きたいのは、タイタンズハンドの一人。シルバーフラグスを罠に嵌めた張本人、ロザリアの行方についてだった。何でもこのプレイヤーは、ギルドの仲間が全滅した後はロザリアの行方について調べ回っていたらしい。そして、あるプレイヤーにタイタンズハンドを捕らえてほしい依頼した。

 

このプレイヤーが、タイタンズハンドの捕縛を依頼したという事はすなわち、ロザリアの行方を掴んだという事に他ならないだろう。

 

 

「…俺が掴んだのは、ロザリアが三十五層で、また新しいパーティーに入ったっていう事です。それからは…、わかりません」

 

 

「タイタンズハンドを捕まえたって報告は?」

 

 

「来てません…」

 

 

どうやらこのプレイヤーの依頼はまだ達成されてはいないようだ。依頼を受けたままプレイヤーがすっぽかしたという可能性もなくはないが…、それをここで言うようなことはしない。

 

ともかく問題は、ロザリアがまた新しいパーティーに入ったという事だろう。さすがに昨日の今日でということはないだろうが…、犠牲者が増える危険が高いのは間違いない。

 

 

「…ともかく、三十五層に行ってみるしかないか。ありがとな、辛い話させちまって」

 

 

「いえ…。僕も、いつまでも落ち込んでなんかいられませんから」

 

 

強い。いや、何もレベルとか、そういう事ではない。

だが、仲間が死んでいった光景を目の当たりにして、それなのにすぐに立ち上がることができるこのプレイヤーは、強いとしか形容できない。

 

 

「今はちょっと時間ねぇから無理だけど…、いつか、飯でも食いに行こうぜ。奢るよ」

 

 

「…はい。楽しみにしてます」

 

 

最後にそう言葉を交わしてから、ケイはNPCが置いていったコップに入った水を飲みほしてから店を出ていく。三十八層の転移門へと向かい、すぐさま転移門を起動する。

 

 

「転移、ミーシェ!」

 

 

ケイが転移する先は、三十五層主街区。<ミーシャ>だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────第四十七層 <思い出の丘>────

 

第四十七層は、総称<フラワーガーデン>と呼ばれるほど花に満ちた層となっている。その中でも特に思い出の丘は、もし恋人がいるのであれば必ず行くべきだとほとんどのプレイヤーが口を揃えて言うほどの場所でもある。

 

が、それは飽く迄、丘の上まで登らず、景色だけを楽しむ場合のみなのだが。

 

丘を登るごとに花畑の規模は少なくなっていき、頂上が近くなってくると花畑というよりは森というべき景色が広がっていく、思い出の丘。その思い出の丘の頂上には、一体何があるのか。

 

頂上まで着くと、四つの石柱に囲まれるように、その中央で一つ台座が置かれている。その台座は中央部に人の腕一本入る程度の大きさの穴が空いているのだが、そのスペースであるアイテムが手に入る。

 

 

「き、キリトさん!ない!ないですよ!」

 

 

「落ち着いて、シリカ。もうすぐ…」

 

 

現在、キリトはそのアイテムを取るために…、いや、そのアイテムを取るのを手伝うためにここ思い出の丘へとやって来ていた。そして、本当に思い出の丘の頂上で取れるアイテムを欲するある人物が、台座の穴を覗いてから動揺で揺れる瞳を向けながら問いかけてきた。

 

苦笑を浮かべ、キリトがその人物…、髪の毛を二つに結った小さな少女、シリカを落ち着かせようとした時だった。台座から突如、光が発せられる。それも、その光の発生源は、台座の中央、小さく空いた穴の中からだった。

 

 

「あっ…!」

 

 

その光に気付き、再度穴の中を覗いたシリカが表情を輝かせる。キリトもまた、台座の中で光る何かの正体を見て、顔を綻ばせた。

 

台座の中で小さな白い花が咲いている。そしてこれが、シリカが求めていた思い出の丘の頂上でしか手に入らないアイテム、<プネウマの花>。

 

シリカは確かな期待と少しの不安を目に浮かべながら、今はもう光が収まったプネウマの花にそっと触れる。初めは人差し指で優しく花びらをつつき、そしてその手を茎へと持っていき、引く。

 

茎が切れた感触と共に、シリカの手には小さな花が握られる。確認のためにシリカが出現させたウィンドウには、<プネウマの花>と表示されている。

 

 

「これで…、これで、ピナを生き返らせることができるんですね…!」

 

 

小さく輝く白い花を優しく抱き締めながら、シリカは涙交じりに言う。キリトは、こちらに目を向けるシリカと真っ直ぐ目を見合わせて、何も言わずにただ一度だけ頷いた。

 

シリカが口にした<ピナ>、とは、彼女がテイムしているフェザーリドラのニックネームである。このSAOでは、稀にボス以外のモンスターをテイムするイベントが起こる事があり、シリカはアインクラッド内で数少ないモンスターテイマーの一人なのだ。

 

しかし、シリカの相棒ともいえるピナが三十五層の迷いの森にてやられてしまったのだ。その際、シリカは命の危機に陥り、キリトに助けられた。そして、シリカはキリトにプネウマの花があればテイムモンスターがやられて三日以内ならばよみがえらすことができるという情報を貰い、二人でここまで来た。

 

 

「さ、いつまでもここにいないで。宿に戻って、ピナを生き返らせてあげよう」

 

 

「はいっ!」

 

 

感激のあまりか、花を抱いたまま動かないシリカに声を掛けて、二人は歩き出す。この場でピナを生き返らせるのは少し危険すぎる。キリトが装備を与えたおかげで、シリカはレベルこそ低いがこの層で戦えている。だが、ピナはそうはいかない。どこかにモンスター用の装備がある可能性はあるが、少なくとも今、キリトはその装備を持っていない。

 

もしここでピナを生き返らせてしまえば、モンスターとの戦闘で再び命を散らしてしまう危険が高い。幸いにも、まだ時間はある。今から宿に戻ってからでも、テイムモンスターを生き返らせれる期限の三日には余裕で間に合う。

 

シリカはプネウマの花をストレージの中にしまい、キリトと並んで丘を降りる道を歩き始める。丘を登る時にも通った、小川にかかる橋を渡ろうとする。

 

 

「…待て、シリカ」

 

 

「え?」

 

 

キリトが立ち止まり、シリカを呼び止めたのはその時だった。シリカは目を丸くして、立ち止まってからキリトに振り返る。

 

キリトの表情は、何かを警戒するように強張っていた。それに、目が自分の方に向いておらず、小川にかかる橋の先をじっと睨み付けていた。

 

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 

シリカ自身、索敵スキルは持っているが、特に何の反応はない。だが、キリトは何か感じているのだろうか。未だキリトが表情を緩めないことを不安に思いながら、シリカは問いかける。

 

 

「…そこで待ち伏せている奴、出てきたらどうだ?」

 

 

「え…」

 

 

キリトの口から出てきたのは、シリカの問いかけの答えではなかった。橋の先を睨み付けたまま、いるはずがない誰かに話しかける。キリトが言った直後、弾かれるようにシリカはキリトの視線の先を目で追う。そして目を凝らして見るが…、何も見えない。

 

 

「隠れたって無駄だ。…さっさと出て来い」

 

 

少しの間沈黙が流れ、再びキリトが口を開く。それでもまだ流れる沈黙は変わらず、しかしキリトの視線は変わらず橋の先に向けられ続けていた、その時だった。

 

 

「…あたしのハイディングを見破るなんて、なかなか高い索敵スキルを持ってるわね。侮ってたかしら?」

 

 

橋の先にある木立の中から、一人の女性プレイヤーが姿を現した。燃えるような赤い髪に、黒に輝くレザーアーマーと、その手には十字槍を装備している。

 

 

「さぁな。あんたが高いと思ってるそのスキルが、低かっただけじゃないか?」

 

 

「っ…」

 

 

キリトの皮肉を受けて、眉をピクリと動かす女性プレイヤーだったが、喰いかかりはしない。二人は視線をぶつけ合ったまま動かないでいたが、もう一人のプレイヤーはそうはいかなかった。

 

 

「ろ、ロザリアさん!?何でこんな所に…!?」

 

 

ロザリア、とは、シリカが前に入っていたパーティーで一緒に戦った事のあるプレイヤーだ。その際、トラブルがあってシリカはパーティーを離れて一人で歩いた結果、ピナを失うという結末を導いてしまったのだが。

 

ロザリアは、キリトがシリカを助け出してから、戻って休んでいた飲食店で一度ちょっかいをかけてきたことがあった。そこで、シリカがプネウマの花を取りに行くと宣言したため、こうして追ってきたのだろう。

 

 

「その様子だと、首尾よくプネウマの花をゲットできたみたいね。おめでと、シリカちゃん」

 

 

ふと、ロザリアはキリトからシリカへと視線を映した。そして笑みを浮かべながらシリカに言う。

 

シリカは怯えるように、ぴくりと震えてから後退る。だがその直後、ロザリアはさらに言葉を続ける。

 

 

「じゃ、早速だけど。その花、渡してちょうだい」

 

 

キリトとシリカの視線の先には、こちらに手を差し出すロザリアの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第27話 タイタンズハンド

今回、ほとんどケイ君の出番がないです。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何を言ってるの…!?」

 

 

シリカが絶句してロザリアを睨みながら、震える声で聞き返す。シリカの視線の先には、ニヤニヤと欲望に満ちた笑みを浮かべながらシリカに向かって手を差し出すロザリアの姿。

 

先程のセリフ。苦労して手に入れ、無二の友を生き返らせることができる唯一のアイテム、プネウマの花をこの人はよこせと言ってきたのだ。このロザリアも、シリカのテイムモンスター、ピナがやられたこと自体は知っているはず。

 

それにも関わらず、無遠慮にシリカから友を助ける唯一の手段を奪い取ろうとしているのだ。

 

 

「そうはいかないな、ロザリアさん」

 

 

とても信じられず、シリカが動けないでいると、そこで口を開いたのはシリカの隣に立っていたキリトだった。キリトは一歩前に出て、言葉をさらに続ける。

 

 

「いや────犯罪者ギルド、<タイタンズハンド>のリーダーさん…て、言った方がいいかな?」

 

 

「っ…」

 

 

ロザリアの眉がピクリと震え、浮かべていた笑みが一瞬にして消える。

 

SAOにおいて、盗みや傷害、殺人を行ったプレイヤーはその頭上に現れるカーソルの色が、緑から橙に変化する。そのため、犯罪者プレイヤー、あるいはギルドを、オレンジプレイヤーやオレンジギルドと称されている。

 

シリカは、その知識自体は持っていた。実際に見たり会ったりしたことはなかったが。

 

だからこそ、シリカはキリトの言葉が信じられなかった。

 

 

「で、でもキリトさん。ロザリアさんはグリーンじゃ…」

 

 

眼前のロザリアの頭上に浮かぶカーソルの色は、どこからどう見ても緑色である。それはつまり、犯罪を犯していないという何よりの証拠なのだ。

 

通常ならば。

 

 

「オレンジギルドと言っても、全員のカーソルがオレンジって訳じゃない。グリーンのメンバーが街で獲物を探して、パーティーに紛れ込んで誘導する。…昨日の夜、盗み聞きしてたのもあいつの仲間のはずだ」

 

 

キリトとシリカが出会った日、今日の思い出の丘の攻略会議を宿屋の部屋で行っていた。昨日の事だ。その時、部屋の外で一人のプレイヤーが、防音機能がついている壁を潜り抜けて向こう側の音を聞くことができる、<聞き耳>スキルを利用し、キリトとシリカの会話を盗聴していた。

 

追い払いはしたが、シリカの心の中に僅かな不安を残した出来事である。しかし、それがまさかこのロザリアの仲間だとは思わなかった。

 

そして、その犯罪者プレイヤーであるロザリアが、自分たちのパーティーに入っていたという事は────

 

 

「そんな…。じ…じゃあ、この二週間、一緒のパーティーにいたのは…」

 

 

「そ。あのパーティーの戦力を評価すんのと一緒に、冒険でお金やアイテムがたっぷり貯まんのを待ってたの。本当なら、今日やっちゃう予定だったんだけどー」

 

 

シリカの言葉の続きを、ロザリアが口にする。さらに、ロザリアはちろっ、と唇を舌で舐めながら続ける。

 

 

「一番楽しみにしてた獲物のあんたが抜けちゃったから、どうしよぉかと思ってたのよねぇ…。そっしたら!あんた、プネウマの花を取りに行くっていうじゃない!それ、今が旬だからとっても相場が良いのよねー」

 

 

ロザリアはそこで言葉を止めると、シリカから今度はキリトへと視線を向ける。

 

 

「それにしても剣士さん。そこまで解っておきながら付き合うって、馬鹿?あ、もしかして、その子に体でたらしこまれちゃったとか?」

 

 

きゃはっ、と、本性さえ分からなければ無垢に見える笑みを浮かべながら言うロザリアに、思わずシリカが短剣を抜きそうになる。それを、キリトはシリカの腕を掴んで止め、口を開く。

 

 

「俺は、あんたを探してたのさ」

 

 

肩をすくめて、笑いながら言うキリトをロザリアが怪訝な目で見る。

 

 

「どういうことかしら?」

 

 

「あんた、十日前に<シルバーフラグス>っていうギルドを三十八層で襲ったな。メンバー四人が殺されて、リーダーだけが生き残った」

 

 

「…あぁ、あの貧乏な連中ね。大してお金も持ってなかったし、レアなアイテムも持ってない。ホント、つまらなかったわ。楽しかったのは────一つだけね」

 

 

眉一つ動かすことなく、最後の一言だけぞくりとするような、それでいてどこか美しく感じる笑みを浮かべてロザリアは言う。

 

 

「リーダーだった男はな、毎日朝から晩まで、泣きながら仇討ちしてくれる奴を探してたよ。でも、その男は依頼を受けた俺に、お前らを殺すなと言った。…あんたに、あいつの気持ちが分かるか?」

 

 

「わからないわ」

 

 

キリトの問いかけにロザリアは即座に、それと同時に面倒そうに答えた。

 

 

「ここで人が死んだって、現実で本当に死んだという証拠はない。そんなんで、現実で罪にとられる事はないわ。それに、このゲームでは人の物を盗んだり、そういう行為ができるようになってるのよ?…そういう風になってる時点で、そういう行為をこのゲームは勧めているとしか思えないじゃない」

 

 

「っ────」

 

 

ここまでロザリアの言葉に、笑み以外で表情を変える事がなかったキリトが、初めて負の感情をその表情で見せた。

 

先程ロザリアが浮かべた表情は、シルバーフラグスの連中を貧乏だと評したあの時に浮かべたものと同じ表情だった。だが、キリトが思わずぞくりと背筋を震わせてしまうほど、先程の表情は狂気に満ちていた。

 

ロザリアは存外にこう告げているのだ。犯罪が容認されてるに等しい状態で、犯罪を楽しまないでどうする、と。

 

 

(こいつ…、まさか…。いや、そんなはずは…)

 

 

キリトは、ロザリアと似た思考を持ったプレイヤーの集団を知っていた。だから、まさかロザリアは、という考えに至ったがすぐにそれを否定する。

 

そんな中、ロザリアが呆れたようにため息を吐いてから、片目を閉じ、左手を腰に当てて口を開く。

 

 

「で?あんた、死にぞこないの言うこと真に受けて、あたしらを探しに来たってわけ?ハッ、ずいぶんお暇ですこと。…ま、あんたの撒いた餌にまんまと引っ掛かったことは認めるけど、たった二人でどうにかなるとでも思ってんの?」

 

 

言いながら、退屈そうに尖っていたロザリアの唇が次第に嗜虐的に浮かべる笑みの形に歪んでいく。そして、ロザリアが左手を腰に当てたまま、右腕を上げて人差し指をクルックルッ、と二度回す。

 

直後、道の両脇にある草木が揺れ、そこから複数のプレイヤーが飛び出し、キリトとシリカの周りを包囲する。プレイヤーの数は…、十。それも、そのほとんどのカーソルの色がオレンジと来ている。

 

 

「き、キリトさん…、数が多すぎます…。脱出しないと…!」

 

 

「大丈夫。俺が逃げろって言うまで、転移結晶握って見てていいよ」

 

 

周りを囲む、嫌らしい笑みを浮かべた賊達。シリカにとって、その光景は絶望的以外の何物でもなかった。が、シリカが狼狽える中、キリトは全く平静を崩さない。怯えるシリカの方へ振り向いて、穏やかな笑みを浮かべるほどの余裕さえ持っている。

 

さらに、キリトは掌でシリカの頭を優しく叩くとロザリアがいる方へと歩き出すではないか。堪らず、シリカは大声で呼びかける。

 

 

「キリトさん!」

 

 

「キリト…?」

 

 

そのシリカの呼びかけにぴくりと反応するプレイヤーがいた。それはキリトではなく、二人を囲む賊の一人だった。

 

初め、キリトという名を聞いた賊はキョトンと目を丸くするだけだったが、時間が経つごとに顔色が青白く変わっていく。

 

 

「その恰好…盾無しの片手剣使い…。黒の剣士…!?」

 

 

男は数歩後退り、ロザリアに歩み寄ってからそっと口を開いた。

 

 

「や、やばいよロザリアさん…。こいつ、攻略組だ…。それも、LAを取りまくってる、黒の剣士…!」

 

 

男の言葉を聞いたロザリア以外の残りのメンバーが、一様に顔を強張らせた。ロザリアは僅かに眉を動かす程度だったが、<黒の剣士>という言葉には少なからず反応を見せる。

 

そして、驚いているのはキリトの後ろにいるシリカもまた同じだった。

 

これまでに見てきた戦いぶりから、相当腕が立つプレイヤーという印象は抱いていた。だが、まさか攻略組、それもトッププレイヤーの一人である<黒の剣士>とまでは想像できなかった。

 

 

「…攻略組がこんな所にいる訳ないわ。どうせ、形でびびらせようとしてるコスプレ野郎よ」

 

 

賊達が<黒の剣士>というネームバリューに慄く中、ロザリアが口を開く。

 

 

「それに、もし本当に<黒の剣士>だとしても、この数よ?」

 

 

「そ、そうだ!攻略組ならきっと、すげぇ金とかアイテムとか持ってんだろぉぜ!おいしい獲物じゃねぇか!」

 

 

ロザリアの言葉で、震えていた賊達が勢いを取り戻す。オレンジプレイヤーの先頭に立っていた斧使いに続いて、他の賊達も叫び、そしてそれぞれの武器を抜く。

 

 

「キリトさん…、ダメだよ!逃げようよ!」

 

 

いくらトッププレイヤーといっても、この数を相手にしては勝ち目などない。そう思ったシリカが、震える声でキリトに呼びかける。しかしやはり、キリトは動かない。その場で立つ尽くしたまま、じっと賊達がいる方を向き続ける。

 

それをどういう風に取ったか、賊達は一斉にキリトへと飛び掛かっていった。

 

 

「オラァアアアアアアアアアア!!」

 

 

「死ねやぁあああああああああ!!」

 

 

口々に汚らしい言葉を吐きながら、それぞれの武器をキリトに向かって振り下ろす。複数の武器の切っ先が叩き込まれ、キリトの体がグラグラと揺れる。

 

 

「いやああああああああああ!やめて!キリトさんが死んじゃうよぉ!」

 

 

シリカが両手で顔を覆いながら絶叫する。だが、男たちが聞く耳を持つはずもない。手を止めることなく、男たちはキリトを武器で斬り続ける。

 

何度も、何度も、何度も、何度も。キリトの体全体に、大量のダメージエフェクトの痕が刻まれている。賊達が、かなりの回数キリトを斬りつけたのかを物語っている。

 

シリカは、両目から溢れ出た涙を拭って、腰の鞘に収めている短剣を抜く。

キリトを助けなければ、その一心が、シリカの中の恐怖を押し込んでいく。

 

 

「…え」

 

 

だが、ここでシリカはある事に気付く。僅かながら、冷静さを取り戻したことによるものか、キリトの頭上に浮かぶHPバーが見せる、異常な光景を目にした。

 

キリトのHPが、減っていない。正確には、賊達の攻撃によって数ドットほど減ってはいるのだが、数秒すると右端まで戻っていっているのだ。

 

賊達もまた、キリトが未だ立ち続けている事を奇妙に思い、一度攻撃の手を止めて戸惑いの表情を浮かべる。

 

 

「ど、どうなってんだ…。こいつのHP、まるで減ってねぇ!」

 

 

一人が、まるで異常な何かを見るような、少なくとも同じ人間には向けないだろう目でキリトを見ながら呟く。

 

 

「十秒当たり四百ってところか…。それが、あんたらが俺に与えることができるダメージの総量だ」

 

 

異常な光景を前に、男たちが一歩二歩と後退る中、キリトが左手を首元に当てながら口を開く。

 

 

「俺のレベルは七十五、HPは一三〇〇〇。さらに戦闘時回復スキルで十秒で六百ポイント自動回復するから、あんたらが何時間攻撃しても俺を倒すことはできないよ」

 

 

キリトの言葉に男たちは呆然と口を開けている。

 

 

「ムチャクチャだ…。そんなのありかよ…」

 

 

「今更、何言ってるんだ」

 

 

愕然と呟いたプレイヤーに目を向けながら、キリトが言う。その言葉には、確かな怒りが籠められていた。

 

 

「たかが数字、だがその数字の差で全てが決まるのがレベル制MMOだ」

 

 

キリトが僅かに細めた目で周りの賊達を見回す。

 

 

「あんたらはその差に言わせて、今まで蜜を啜って来たんだろ?」

 

 

「「「っ────」」」

 

 

さらに後退る男達の顔に、驚愕と共に恐怖が浮かぶ。

 

 

「ちっ」

 

 

空気が冷ややかなものになる中、不意にロザリアが舌打ちすると、腰のポケットの中から転移結晶を取り出す。そして宙へと掲げながら、口を開く。

 

 

「転移────」

 

 

その姿を見たキリトは、自身の敏捷力をフルに使い、ロザリアの前へと向かう、しかしその瞬間、キリトは信じられない光景を見て目を見開いた。

 

ロザリアは飽く迄中層を活動中心とするプレイヤーだ。普通ならば、最前線で戦う高レベルプレイヤーであるキリトの動きに反応するなどできないはずなのだ。

 

だが、ロザリアの目は確かにキリトの姿を捉えていた。

 

 

「くっ…!」

 

 

キリトの動きに反応したロザリアが、転移結晶を奪い取ろうと伸ばすキリトの腕を蹴る。キリトの腕の軌道は逸れ、ロザリアはキリトから大きく距離を取る。

 

その速さは、明らかに中層プレイヤーの域を越えていた。もしかしたら、最前線でも通用するレベルかもしれない。

 

 

「しまっ…」

 

 

「悪いね。こんなとこで捕まるわけにもいかないのよ、アタシ」

 

 

キリトの手から逃れたロザリアがにやりと笑みを浮かべる。そして、転移結晶の仕様のための詠唱は、まだ途切れていない。転移のための詠唱中である証、結晶から発せられる輝きはまだ消えていない。

 

 

「セラ────」

 

 

「させるかバァカ」

 

 

何処かの主街区の名前をロザリアが口にしようとした、その時だった。突如ロザリアの言葉が途切れ、それと同時に彼女の体が勢いよく前へ倒れ込む。

 

その光景はどう見ても、自然に倒れ込むものではなく、誰かによって突き飛ばされた事によってのものだ。

 

 

「やれやれ…。やぁっと見つけたぞ」

 

 

転移して逃げようとしたロザリア、ロザリアを逃したと思っていたキリト。シリカにタイタンズハンドの賊達が、呆然と倒れ込んだロザリアを見下ろしながら口を開く一人のプレイヤーに呆然と視線を送る。

 

 

「ったく、<タイタンズハンド>がここにいるって情報掴むためにどんだけ駆け回ったか…」

 

 

真っ暗の浴衣に身を包み、その上で紺色の羽織を纏う、一人のプレイヤー。

 

 

「ま、何にしても…。やっと捕まえたぞ、ロザリアさん」

 

 

ケイが、待ち望んだ玩具を手に入れた子供のような笑みを浮かべながら、そこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後に主人公面して出てくるケイ君。ww
ここまでほとんど原作と変わらない展開ですが…、シリカ編は先の展開に大きく繋がる話になるので、ぜひ読んでやっていってください。


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第28話 楔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ方へ目を向け、呆然と眺めるキリトとシリカ、タイタンズハンドの面々。片膝を突き、後方を憎々しげに見上げるロザリア。

 

そして、ロザリアの視線を受けながら笑みを崩さぬまま彼女を見返すケイ。

 

 

「け、ケイ…」

 

 

「ん…。は?キリト?お前、何でこんなとこにいんだ?」

 

 

「いや、それはこっちのセリフなんだけど…」

 

 

じっ、とロザリアを見つめていたケイが、ここでようやく他のプレイヤーの存在に気付く。いや、存在自体は索敵スキルで察しているのだろうが、今ここに誰がいるのかにやっと気付いた。

 

キリトが口を開き声を掛けると、ケイは目を丸くしてキリトを見返しながら問いかけてきた。実際、その問いかけはキリト自身もケイにかけたかったものなのだが。

 

 

「俺は、ちょっと依頼で…。<タイタンズハンド>を、な」

 

 

「へぇ…。そうか、お前が依頼を受けたプレイヤーだったのか。けど、その様子じゃまだ、ロザリアが…っと」

 

 

まず、キリトがケイの問いかけに答えた。その後、ケイもまたキリトの問い返しに答えようとしたのだが、ロザリアが、の後に続く言葉を言おうとした瞬間、顔色を変えたロザリアが再び転移結晶を使おうとした。

 

 

「させるわけねぇだろ。正直、お前だけはここから逃がすわけにはいかねぇ」

 

 

「くっ…!」

 

 

直後、ケイが言葉を切ってロザリアの手に握られたままだった結晶を奪い取り、さらに結晶を握っていた方の腕をロザリアの背に回して拘束する。

 

 

「キリト。他の<タイタンズハンド>の奴らは煮るなり焼くなり好きにしていい。だが…、ロザリアだけは少し時間をくれ」

 

 

「あ、あぁ…。でも、何で…」

 

 

高速から逃れようともがくロザリアにさらに力を込めながらケイがキリトに言う。キリトは、他の賊が逃げないように睨みを利かせながら再びケイに問い返した。

 

確かにロザリアは、中層プレイヤーと捉えるのは違和感がある。自身のスピードに反応するあの反射は凄まじいものがあった。

 

だがわからない。ケイが何故、ロザリアのみに拘っているのか。しかし、その答えは直後に、ケイの口から飛び出すことになる。

 

 

「アルゴと協力して調べはついている。この女、ロザリアは、<ラフィンコフィン>の一員だ」

 

 

「なっ…!?」

 

 

キリトだけでなく、その後ろにいたシリカ、他の賊達もまた信じられないように目を見開いてケイを見る。ただ一人、ロザリアだけがこれでもかと憎しみが籠った視線をケイに送っている。

 

<ラフィンコフィン>という名が広まったのは、今年に入ってすぐの事だった。<ラフィンコフィン>とは、必要以上に殺人を行うプレイヤー────通称<レッド>プレイヤーが集まってできてしまったギルドの名前だ。

 

<ラフィンコフィン>に入っているプレイヤーは、それぞれが一度は殺人を自分の意志で犯した事のあるプレイヤーで構成されており、それによって今ではオレンジギルドを超える犯罪ギルドと表すため、<レッド>ギルドと言われている。

 

そして、<ラフィンコフィン>、略してラフコフのメンバーには必ずある証が刻まれている。

 

 

「アルゴが記録結晶で録ってくれた。こいつの手についた、あの趣味の悪い絵をな」

 

 

「…ふん」

 

 

棺桶の中に描かれた顔と、ずれて開いた蓋の奥から覗く手の骨。ロザリアが、左手に着けていた手袋を外すとその手の甲に刻まれている烙印は、まさにラフコフの一員であることを証明するものだった。

 

 

「っ…」

 

 

もし今、賊達が逃げようとしていればできたかもしれない。だが、彼らはロザリアの正体を知らなかったようで、目を見開いたままその場で固まっていた。

 

彼らもまた、犯罪者ギルドなのだが…、その彼らさえも恐怖する存在、それが<ラフィンコフィン>なのだ。

 

 

「ともかくキリト、ロザリアについては俺に任せて、とっととそいつらを監獄エリアに送っちまえ」

 

 

「あ…あぁ」

 

 

ケイはキリトの方を見ず、ロザリアを見下ろしたまま指示を出す。キリトは一度、ケイの方を見遣ってからロザリア以外の賊達を、回廊結晶を使い監獄エリアへと一人ずつ送っていく。

 

その間に、ケイはロザリアへの拷問を開始する。

 

 

「さて、俺が聞きたいことはわかってるな?」

 

 

「はっ。…わかるわけないだろ?」

 

 

「…」

 

 

ケイの問いかけに、ロザリアは拘束される苦しさに表情を歪めながらも皮肉な笑みを浮かべて返す。

 

それは、挑発だったのだろう。あわよくば、これでケイが挑発に乗り、少しでも拘束が緩めばという思惑が乗った。

 

 

「ま、それでもいいさ。あんたがわかってようがそうでなかろうが、関係ない」

 

 

「…」

 

 

だが、ケイには全くもって通用しない。ケイは表情を動かすことなく続ける。

 

 

「ラフコフのアジトはどこにある」

 

 

「…ずいぶん単刀直入に来たわね」

 

 

「そうでなきゃ、無駄に時間が過ぎていきそうなんでな

 

 

ケイの視界の端で、キリトとシリカがこちらをたまに見遣っているのがわかる。どういう風にしたのかはわからないが、賊達は素直にキリトが結晶を使って出した回廊を潜っている。あっちは全部キリトに任せてよさそうだ。

 

 

「知らないよ」

 

 

「嘘を吐くな。ラフコフ幹部と接触できるお前が、アジトの場所を知らないはずがない」

 

 

ケイの問いかけにロザリアは知らないと答えたが、あっさりと論破される。

 

 

「そこまで知られてるなんてね…。さすがは鼠って言うべきか」

 

 

「こうしてる間にもラフコフの手にかかってるプレイヤーはいる。さっさと答えてもらおうか」

 

 

「残念ね。知らないっていったら知らないの」

 

 

ケイの口から出た証拠はあっさり認めたものの、問いかけには頑なに答えないロザリア。ケイとロザリアの睨み合いが続く。

 

いつしか賊達の連行が終わったのか、キリトとシリカがこちらに向き直っているのが見える。

 

 

(このままじゃ埒が明かない…か)

 

 

ケイは短く息を吐いてから、腰の鞘から刀を引き抜く。

 

 

「さっきも言ったが、こうしてる間にも犠牲者は増えてる。のんびりしてられないんだ」

 

 

「…だから?」

 

 

ケイが何をしようとしているのか、ロザリアにはこの時すでにわかっていたのかもしれない。ロザリアの顔色が僅かに変わったのがケイには分かった。

 

 

「ふっ────」

 

 

「け、ケイ!?」

 

 

「ひっ…」

 

 

短い声と共に、逆手に握られた刀が振り下ろされる。刀の切っ先がロザリアの背中を貫き、彼女の体を串刺しにする。

 

傍から見れば衝撃的な光景だろう。目を見開くキリトと短く悲鳴を漏らすシリカがそれを物語っている。だが、当の本人たちはほとんど表情を変えていない。

 

 

「このままじゃ貫通継続ダメージでお前のHPはゼロになる。その前に、お前が俺の質問に答えてくれることを願うよ」

 

 

「…ふん」

 

 

小さく笑みを浮かべるケイを、青白い恐怖の色で表情を染めるロザリア。ロザリアは小さく鼻を鳴らすと、目を閉じてケイから視線を切り、そのまま顔を俯かせた。

 

そうしている間にも、ゆっくりとロザリアのHPが減っていく。初めにケイの刃に貫かれた事によるダメージでおよそ三分の一、そこからロザリアのHPは注意域へと迫る。

 

 

「ケイ!もうその刀を抜け!」

 

 

「ダメだ。こいつが言わない限り、これは抜かない」

 

 

キリトがこれ以上はやめろと怒鳴ってくるが、ケイは即座にそれを一蹴する。キリトの傍らで立つシリカは両手で口を覆って震えるだけ。

 

ロザリアのHPが、注意域を超えて危険域へと迫った。

 

 

「ケイっ!!」

 

 

「黙って見てろ!」

 

 

堪らずキリトが再び怒鳴るが、ケイは先程と同じく取り次がない。

 

ロザリアのHPが、残り数ドットとなる。それでもなお、ロザリアの口は開かない。

直後、視界の端でキリトの姿がぶれた。どうやら、我慢の糸が切れてしまったらしい。

 

 

「…ちっ」

 

 

「え…」

 

 

だが、我慢の糸が切れたのはキリトだけではなかった。沈黙が流れる空間に、ロザリアの呆けた声が響き渡った。

 

ロザリアの背中から、ケイの刀が抜かれていた。さらに直後、ロザリアの体は無理やり反転させられ、彼女の口に瓶の口が突っ込まれる。

 

 

「んん!?ぐっ…!」

 

 

「回復ポーションだ。素直に飲んどけ」

 

 

ロザリアのHPは、残り一、二ドットというところで減少が止まっていた。それだけではなく、ゆっくりとロザリアのHPが上昇、回復を始める。

 

 

「ケイ…、お前」

 

 

「…命乞いするの待ってたんだけどな」

 

 

ケイを止めようと駆けだし、すぐ傍で立ち止まっていたキリトが声を掛けてくる。ケイはキリトの方に目は向けず、ただ苦笑を浮かべてぽつりと呟いた。

 

本当は、ロザリアが命乞いした所で刀を抜き、アジトの情報を聞くというのがケイの思惑だった。しかしいつまで経ってもロザリアの口が開かないため、思わず刀を抜いてしまった。

 

 

「甘く見てたわ。ラフコフにゃ、組織の情報を渡すような奴はいないってか?」

 

 

「…」

 

 

ケイは立ち上がり、ポーションを飲むロザリアを見下ろしながら言う。

ロザリアは、その問いかけに答えない。

 

 

「…はぁ。キリト、そいつも監獄エリアに放り込んどけ」

 

 

「え…、いいのか?」

 

 

「あれだけしたって吐かなかったんだ。俺の手には負えん」

 

 

ため息を吐いてから言うケイに、キリトが目を丸くしながら聞き返してきた。

 

死の恐怖を与えればあっさりと吐くだろうと考えていた。しかしその思惑はあっさり破れ、そしてそれはすなわち、これ以上ケイが何をしてもロザリアから上方を聞き出せないことを意味する。ケイには、これ以上に確実な方法は思いつかなかったのだから。

 

キリトに襟を掴まれたロザリアが、回廊の前で立ち止まった。すると、首を回して視線をケイに向けながらロザリアは口を開く。

 

 

「見逃してくれた礼に、一つだけ教えてやるよ」

 

 

「…」

 

 

このままロザリアは監獄エリア送り。情報は聞けず、調査は振り出しに、と微妙に憂鬱に思っていたケイは、僅かに目を見開く。そんなケイに、にやりと笑みを向けながらロザリアは続けた。

 

 

「あんたらにはもう、楔が打たれてる。小さな、だけど決して抜けない楔がね」

 

 

「楔…?」

 

 

ロザリアの言葉の意味がよくわからなかった。ケイは一度ロザリアの言葉の中で特に気になった単語を呟いた後、言葉の意味を聞き返そうと口を開こうとした。

 

 

「あっ」

 

 

「…ちっ」

 

 

だがその前にロザリアはキリトの手を振り払い、回廊の中へ潜っていってしまった。さらに制限時間が来てしまい、回廊も直後に閉じてしまう。

 

監獄エリアに行くには、回廊結晶で直接つなげて行くしかない。だがそれをすると、たとえ罪を犯してないグリーンのプレイヤーも問答無用で牢屋に入れられてしまうため、実質もうロザリアの言葉を聞くことは出来なくなったという事になる。

 

 

「…ケイ。悪いけど」

 

 

「あぁ、わかってる。その子を送ってくの手伝って欲しいんだろ?」

 

 

 

ロザリアが言ったその一言について考え込んでいたケイに、キリトが歩み寄ってきた。ケイはキリトが何を言いたいのかをすぐに察し、そしてそれについて了承する。

 

ケイ達は、内心の懸念を拭えぬまま思い出の丘を降りていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「『また会えるさ。きっとね』」

 

 

「やめてくれ…」

 

 

三十五層の転移門広場へと歩いている途中、ケイがぽつりと呟いたのにキリトがすぐさまツッコミを入れた。というより、止めてほしいと懇願したと言った方が正しいか。

 

ケイが呟いたのは、シリカとの別れ際に口にしたキリトのセリフだ。

 

あのシリカというプレイヤーはアインクラッドで数少ないモンスターテイマーだったようで、倒されてしまったテイムモンスターを生き返らせるために<プネウマの花>のゲットをキリトが協力していたらしい。

 

まあ、キリトにとってはそれだけではなく、シリカを<タイタンズハンド>のエサにするという思惑が僅かにあったみたいだが。

 

それに関してはキリトがシリカに謝罪し、シリカも気にしないと言っていた。

 

 

「しっかし、あの子にずいぶん懐かれたなぁ」

 

 

「え?あぁ…。俺の事、お兄さんって感じで見てるんだろうな。俺も、何となく妹と重ねちゃって…」

 

 

「…サチに言ってやろ」

 

 

「待て、待ってくれ。何かそれ、嫌な予感がする」

 

 

どうやらこの男、全く気付いていないようだ。シリカがキリトに向ける視線を見て、ケイはすぐに悟ったというのに。

 

キリトをお兄さんのように見てる?そういう風に見られているのはケイの方だ。思い出の丘から降りている途中、キリトがシリカにケイを紹介していたのだが、初めシリカはケイに恐怖の視線を向けていた。まぁそれも当然だろう。いきなり現れ、さらにロザリアに剣を突き立てた男など、恐怖の対象以外の何物でもない。ましてやシリカは年端もいかない少女だった。

 

何とか第一印象を拭おうと必死に言葉を交わした結果、ケイに向けるシリカの視線から恐怖は抜け、懐いてはくれたのだが…、ケイへのシリカの気持ちはキリトへの気持ちとは断じて違う。

 

キリトはあほなのだろうか。あの目は、キリトを男としてみている目だった。

 

とはケイの口からは言えず。代わりに口にしたのは、サチへの報告を匂わせるセリフ。キリトには効果覿面だったようで、かなり慌てている。

 

 

「何だよ、そんな慌てて。別にシリカの事をサチに言ったって何もねぇだろ?」

 

 

「いや、そうだけど、何か嫌な予感する。やめてくれ」

 

 

シリカに関してはこれっぽっちも、なのにサチに関しては微妙に勘付いているらしい。

 

しかし、あれだけ…といってもサチにしては、だが、アプローチしてそれでも微妙にしか勘付けないこんな朴念仁を好きになったサチにシリカも────

 

 

「大変だこと」

 

 

「?何だよ急に」

 

 

「何もねぇよ」

 

 

疑問符を浮かべるキリトを見てため息を吐くケイ。それを見たキリトが首を傾げている。

 

 

「…楔、か」

 

 

「…さっきのロザリアの話か?」

 

 

「あぁ」

 

 

ため息が出そうになるのを堪えて、思い出の丘頂上付近で聞いたロザリアの言葉を思い返す。

 

 

あれは一体、どういう意味なのか。今、ケイもキリトもそれを知る事は出来ない。それを知るための情報も、手段も何もない。だが、一つだけ予感できる事がある。

 

 

「…覚悟しておいた方がいいかもな」

 

 

「…」

 

 

これまで、攻略組…アインクラッド解放軍を中心にしてラフィンコフィンに投降を促してきた。それら全ての返事は、増えていく犠牲者となってしまったのだが。

 

そんな中、攻略組の中で武力を行使するべきなのではという声も大きくなっている。それも、ラフコフのアジトの場所が判明しない限りどうしようもないのだが。

 

ケイが言った覚悟、とは、攻略組とラフコフの戦争に対する、という意味だ。

 

 

「そうならないのが、一番なんだけどな…」

 

 

ぽつりと呟くキリト。その言葉の通り、内心で願っているのだろうが…その声には、そうはならないだろうという諦念が込められていた。

 

 

「俺はギルドホームに帰るけど、ケイはどうする?飯くらいならご馳走するけど」

 

 

「お、マジで?ならちょっと待っててくれ。今、アルゴに今日の事を報告するから」

 

 

ともかく、まだその時ではない。今ここであまり気にしすぎるのもそれは無駄になる。

キリトがその話題を切り、ケイを飯に誘い、ケイは喜んでその誘いに甘える。

 

ケイは今日の事について書かれたメッセージをアルゴに送った後、キリトと共に二十二層にある<月夜の黒猫団>のギルドホームへと行き、遠慮なく夕飯をご馳走してもらったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第29話 久々の交遊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁ…、ぁ…」

 

 

木の影に腰を下ろし、上体を幹に寄りかからせて大きく欠伸をする。

 

今、ケイは現在の最前線である五十九層に来ていた。先日の思い出の丘での出来事も気にはなるが、かといって攻略をおざなりにすることはできない。飽くまで最優先はこの世界から脱出するための攻略なのだから。

 

と、外に出た時のケイは思っていた。

アルゲートの転移門を起動して五十九層へ行き、そしてフィールドに出て…ケイは衝撃を受けた。五十九層のフィールドはごくごく普通の草原エリアなのだが、だからこそだろう。雲一つない快晴が際立つ。時折吹く心地よい風が髪を撫でる。

 

ケイは悟った。今日は攻略せずゆっくりしていいのだ、と神が言っているのだと。実際はそんな事実全くないのだが。

 

 

「最近、攻略で見ないと思ってたら…何してるの?」

 

 

のんびり過ごしている内、ウトウトし始めたケイの頭上から声が掛けられた。呆れが込められた、それでいて僅かな怒りも込められているのが分かる。

 

 

「アスナ」

 

 

「やっと攻略に出てきたのかなと思ったら…」

 

 

目を開けて見上げると、両手を腰に当ててこちらを見下ろすアスナが顔を覗かせていた。アスナは大きくため息を吐くと、切った言葉の続きを口にする。

 

 

「攻略組の皆が必死に迷宮区に挑んでる時に、ケイ君はこんな所で昼寝なんかして」

 

 

「おいおい、なんかとは何だ、なんかとは。見ろよこの雲一つない青空を。現実でもこんな天気は滅多にないぞ。じめじめしてる迷宮区に入るなんて勿体ないだろ」

 

 

「今こうしてダラダラしてる方がもっと勿体ないでしょう!?」

 

 

ここ最近、というよりは、アスナが血盟騎士団に入った頃から、彼女は他の攻略組のプレイヤーから攻略の鬼、と呼ばれるようになっていた。五十層攻略後の祝勝会にも参加していたし、ただアスナの事を良く知らない奴らが勝手に言っているだけだろうと考えていたのだが、改めてまた交流するようになってからよく見てみると、そう呼ばれるのも無理はないのかと思うようになった。

 

特に、五十六層のフィールドボス戦に攻略会議にて、NPCを囮にしてボスを誘いだすという作戦を立てた時は驚いた。確かにNPCは攻撃を受けて消えたとしても、後に復活する。とはいえ、その姿は紛れもない人と同じなのだ。そう簡単に割り切る事は出来ないはずなのだが。

 

 

「お前…。変わったな。いや、戻ったって言った方がいいかも」

 

 

「?」

 

 

ここ最近のアスナの様子を思い返している内、無意識に零れた呟き。それを聞いたアスナは首を傾げる。

 

自身の呟きに少し驚きながらも、ケイは続ける。

 

 

「今のアスナは、俺と初めて会った時のアスナと似てる。生き急いで無理して、死のうとしてたあの時と」

 

 

「っ…」

 

 

アスナが息を呑んだのが分かる。ケイはそんなアスナを見て一つ息を吐いてからもう一度口を開く。

 

 

「アスナが何でそこまで攻略に固執するのかはわからないし、聞くつもりもない。けどさ、アスナみたいに無理な攻略してたら…、どうなるかなんて目に見えてわかるだろ?」

 

 

まだ最前線はおよそ六割地点の五十九層。ここで急いだって…、いや、HPがゼロになれば死ぬという大前提がある以上、急いで無理をするのは禁物だ。

 

 

「それとお前、最近ろくに休めてないだろ」

 

 

「え…」

 

 

「惚けたって無駄だぞ。微妙にふらついてる、寝不足か」

 

 

ケイが言った直後、アスナはぴくりと体を震わせる。どうやら図星だったようだ。

 

アスナが話しかけてきてから、ケイはじっとアスナの顔を見返していた。その中、時折アスナは僅かにふらつく場面があった。そういうのは人によって変わったりするのだろうが、少なくともいつものアスナならそんなことはあり得ない。

 

 

「アスナも、今日の攻略は休んだらどうだ?あ、何だったらここで寝そべってみるか?気持ちーぞー」

 

 

「なっ…、何を…!?」

 

 

言いながら目を閉じるケイ。アスナが動揺しているのが、耳に入ってくる声でよくわかる。

 

アスナの足音は聞こえない。どうやらその場から動かず立ち尽しているらしい。だが、これからアスナが何をしようと、ケイに止める権利などない。それこそ、アスナがケイの言葉を無視して攻略に挑みに行ったとしても。

 

 

(あ、やべ…。眠くなってきた…)

 

 

目を閉じていると、本格的にケイを眠気が襲ってきた。アスナが来る直前までウトウトしていたのだから、当然といえば当然なのだが。

 

 

(…)

 

 

いつの間にやら、ケイはすぐ傍にアスナがいる事も忘れ、眠気に身を任せ、意識を手放していた。

 

 

 

 

 

 

「…マジ?」

 

 

ふと、ケイは目を開けた。ケイは自分が寝ていた事に驚きながらも、どれくらい時間が経ったのかを確かめるためにウィンドウを開く。

 

時間を見るに、どうやら自分が寝たと思われる時刻からおよそ十五分ほど経っているらしい。ケイは、自分が無事に生きてることに安堵しながら体を大きく伸ばして…、ふと視界の端に見えた何かへと視線を向けて、驚愕と共に声を漏らした。

 

 

「確かに寝そべればとは言ったけど…」

 

 

ケイが見下ろす先には、芝の上で横になり、寝息を立てる人が。

 

 

「だからって、熟睡するか…。アスナ…」

 

 

ケイは傍らで眠るアスナから視線を外して大きくため息を吐いた。

 

ケイは確かに、何ならここで寝そべってみればとは言った。だがまさか…、本気でここで横になって、それも熟睡体勢にまで入るとは予想もつかなかった。それも、あのアスナがだ。

 

 

(置いてく…なんてできないしな)

 

 

アスナの様子から見ると、目を覚ますまでかなり時間がかかりそうだ。かといって、ここにアスナ一人を置いて去る事は出来ない。

 

今、ケイとアスナがいるのは五十九層のフィールドにある圏内だ。ここにいる限り、ダメージを受ける事はない。が、これには抜け道がある。

 

プレイヤーがこの場にいる限りダメージを受ける事はないのだが、圏内とはいえ命の危険があるのがこのSAOだ。

 

もしここでケイがアスナを置いて離れてしまえば…、まず間違いなく、アスナは様々なハラスメント行為の対象になるだろう。それだけではなく、最悪PKの被害に遭う可能性もゼロではない。

 

圏内の中では、直接的に犯罪行為を犯すことは不可能。だが、アスナの様に少しの刺激でも目を覚まさないような状態にあると話は別だ。

 

寝ている相手の指を動かし、勝手に<完全決着モード>の決闘を成立させ、寝首を掻くことだってできる。それだけでなく、大胆に寝ている相手を圏外へと運ぶことだってできなくはないのだ。

 

うたた寝してしまったケイは、<索敵>による接近警報をセットしておいた上に、まず熟睡はしていなかった。だがアスナはどうだ。熟睡している上、恐らく警報もセットしていない。完全に、<殺人>プレイヤーにとってはカモである。

 

 

「体調管理くらいしっかりやれよな、たく…」

 

 

ケイは再び心地良さそうに寝息を立てるアスナに視線を遣って、苦笑を浮かべながら呟く。

 

このSAOでは、レベルアップだけが目的ならソロでやるのが一番効率的だ。しかしアスナは、ギルドメンバーのレベリングを手伝いながら、それでもケイに迫るレベル数を保ち続けている。多分、睡眠時間を削って。

 

ケイ自身も、SAOが始まってから…特にアスナ、キリトとのパーティーを解消してすぐは毎日毎日、夜中までレベリングを続けていた。その時は、今のアスナと同じように一度眠りに着いたら死んだように寝続けていたものだ。

 

 

「ま、今はゆっくり寝ろ。今日は特別に面倒見てやろうじゃないか」

 

 

眠り続けるアスナは返事を返さない。そんなアスナを、笑みを浮かべて眺めながらケイはストレージからドリンクを取り出す。

 

もし他に女子がいれば、女の子の寝顔を見るなんて云々と言われるんだろう。だが、何の見返りもないボディガードを受け持ってるんだ。寝顔を見るくらい許されるべきだろう。

 

…そんなの関係なく、起きたアスナに色々言われるんだろうが。

 

それからは、ひたすらケイはアスナとフィールドの景色と視線を交互に行き来させる時間が続いた。時に攻略に出ていくプレイヤーが好奇の視線を向けてきたり、記録結晶のフラッシュを焚かせたりと何もなかったと言えば嘘になる。…記録結晶を使ってきたプレイヤーは、アルゴにも相談して特定し、ちゃんと仕返しをさせてもらうが。

 

 

「くしっ」

 

 

「ん?」

 

 

木の幹から声が聞こえてきたのは、オレンジの陽の光が射し込み始めた時だった。木の幹から離れ、近くにあった塀に腰を下ろしてぼぉーっとしていたケイの耳に、可愛らしいくしゃみの声が聞こえた。

 

 

「…うにゅ…」

 

 

アスナが謎の言語を発すると共に、彼女の体がゆっくり起き上がる。そしてアスナは寝ぼけ眼で周りを見回して…ケイの姿を捉えた所ではっ、と目を見開いた。

 

 

「え…、け、ケイ君?なん…、わ、私…」

 

 

「久しぶりだろ、ここまでゆっくり寝たの」

 

 

「っ」

 

 

良くわからない言葉を言うアスナに、ケイはどこか苦みも入った笑みを浮かべながら声を掛けた。すると直後、アスナの頬が一気に真っ赤に染まる。夕焼けによるものじゃない。ここで自分は眠ってしまい、そして自分の寝顔をケイに見られた事の恥ずかしさが襲ったのだろう。

 

アスナは素早く立ち上がり、衣服と頬についた草を払う。そして、顔を俯けたままぽつりと口を開いた。

 

 

「…ありがとう」

 

 

「ん?あぁ、いや。ここで俺がアスナを置いてって、誰かに犯罪行為されたら後味悪いからさ」

 

 

アスナがお礼を言ってくる。ケイとしては当然の事をしたまで、だから特に気にはしていないのだが、アスナからすればそうはいかないらしい。

 

 

「ご飯、奢るね。さすがに夕飯はまだでしょ?」

 

 

「え?まだだけどさ。…別にそんなに気にしなくていいぞ?」

 

 

「五十七層にNPCにしては美味しい料理を出すお店があるの。そこに行きましょ」

 

 

「聞く耳なしですかい…」

 

 

お返しなんていらないとアスナに言うのだが、ケイの言葉をアスナは滑らかに無視して話を進めていく。もう、彼女の中でケイと夕飯に行くというのは決定事項になってるらしい。

 

 

「ほら、行くわよケイ君」

 

 

「へいへい…」

 

 

年相応の笑顔を見せて言ってくるアスナ。先程までの、攻略に拘って冷たい表情を浮かべていたアスナとは大違いだ。

 

 

(一体、どっちが本心なんだか…)

 

 

ケイは小さく頭を振ってから、先を歩くアスナを追いかける。

 

 

 

 

 

 

第五十七層主街区<マーテン>。現在の最前線である五十九層から二つの下であるこの層の主街区は、攻略組のベースキャンプかつ人気観光地となっている大規模な街だ。夕方のこの時刻になれば、上から戻ってくるプレイヤーや下層から晩ご飯を食べにくるプレイヤー達で賑わうのは必然である。

 

転移門を使い、マーテンへとやって来たケイとアスナは肩を並べて、アスナが言うレストランへ向かっていた。そんな、メインストリートを歩く二人を見て、ぎょっと目を向くプレイヤーもちらほら見られる。

 

それも当然、アスナはファンクラブが存在すると言われるほど、プレイヤーの間では人気を誇っている。そんな彼女の隣を、ソロの不良プレイヤーと言っていい奴が独占しているのだ。傍で見るプレイヤーが信じられなく思うのも仕方はない。

 

 

「…ちょっと飛ばすね。ちゃんとついて来てよ」

 

 

「え?あっ、おい!」

 

 

すれ違うプレイヤーの反応を見て楽しんでいたケイだったが、この視線に耐え切れなくなったのか、アスナが駆けだしてしまった。

アスナの敏捷力パラメータを全開にしたダッシュに、少し遅れてからついていくケイ。…ちょっと、楽しみが削られてしまって残念に思ってるのはアスナには秘密。

 

と、不意にアスナのスピードが緩み、ある一軒の建物の前で立ち止まった。ケイもそれに合わせてスピードを落とし、アスナの隣で立ち止まる。

 

 

「ここ?」

 

 

「うん。お肉よりもお魚がお勧め」

 

 

ケイの問いかけにアスナは頷いて答え、店のドアを開けて中へ入っていく。ケイもアスナについていき店の中へ入り、混み合う店内を進んで空いていた席に向かい合って腰を下ろした。

 

この店内でも、外を歩いていた時の様に周りから視線が注がれていた。さすがにそろそろ、愉快を押しつぶし、鬱陶しさが内心で浮かんできた。

 

ケイもまた、アスナの様に注目されているプレイヤーの一人ではあるが…ここまでの視線を受けたことはない。この気持ちを、アスナは毎日味わっているのだろうか…。だとしたら、同情を感じざるを得ない。

 

 

「ご注文は如何致しましょう」

 

 

「あぁ。えっと…」

 

 

周りからの視線に嫌気が差す中、NPCの店員が注文を受けに来た。ケイは言葉を濁しながら、向かいに座るアスナに視線を遣る。

 

アスナもまた、ケイに視線を向けて…その視線から、好きな物を頼んでもいいよ、と感情を受け取った(勝手に)ケイは食前酒から前菜、メイン料理にデザートと好き放題ちゅうもんする。

 

その間、アスナが何も言わないでいるのを見ると、どうやらケイの勝手な予想は当たっていたらしい。

 

NPCがケイの注文を受けてその場から去っていく。それから、すぐさまケイが頼んだグラスが届き、ケイとアスナはそれに口をつける。

 

 

「…あんなにたっぷり寝たの、ここに来てから初めてかもしれない」

 

 

「ん…く。それはさすがに大袈裟な…」

 

 

「ううん、ホント。ケイ君とキリト君とパーティーを組んでた時も、五時間くらいで一番長く眠れてたもの」

 

 

昼前辺りでアスナが寝初め、夕刻で起きたその間、およそ八時間。現実では適切な睡眠量と言われる時間だが、SAOにログインしてからのアスナにとっては初めてという。

 

 

「目覚ましで起きたんじゃなくか?」

 

 

「うん。何か、怖い夢とか見て、飛び起きちゃうの」

 

 

ケイの問いかけに、グラスに入った液体で口を濡らしたアスナが答える。

 

…アスナの答えを聞いてると、まるで自分がパーティーから抜けてからさらに眠れなくなったと言われているように感じる。

 

 

「…また昼寝したくなったら連絡してもいいぞ?予定が空いてたら、見張りしてやる」

 

 

「あら。それは、毎日昼寝してもいいって事かな?」

 

 

「おい」

 

 

アスナの中で抱く自分のイメージがよぉ~くわかった瞬間だった。

 

 

「ふふっ、冗談冗談。そうね…、また、今日みたいな最高の天候設定の日が来たら、お願いするね?」

 

 

不機嫌そうな表情を浮かべるケイに微笑んでから、アスナが頷きながら言う。

ケイはそんなアスナをじっと見て…、一つため息を吐いてから、再びグラスに口を付けた。

 

それから少しして、NPCが色とりどりの野菜(?)が乗った皿を卓に載せていく。ケイはスパイスをサラダにかけ、いただきますと一言口にしてからフォークを使って野菜(?)を口に運ぶ。

 

 

「…考えてみりゃ、栄養とか関係ないのに何でサラダとか食ってんだ」

 

 

「え?おいしいじゃない」

 

 

口の中のサラダを咀嚼し、飲み込んでからケイはふとぼやいた。アスナもまた、サラダを飲み込んで、それからケイの言葉に反論した。

 

 

「別にまずいとは言わないよ。だけどさ、このスパイスじゃなくて、何か調味料が欲しいなって」

 

 

「あー。それはすっごく思う。マヨネーズとか欲しいよね」

 

 

「そうそう!サラダだけじゃなくて、他の料理とか食ってる時、ソースとかケチャップとか欲しいとか思うんだよな!」

 

 

アインクラッドの調味料のなさの不満が、二人の話を盛り上げていく。

 

 

「後、あれは絶対に忘れてはいけない」

 

 

「そうね…。あれは、日本の最高傑作っていっていいものね…」

 

 

「「醤油!」」

 

 

同時に叫んだ二人が、同時に吹き出す。席に着いてすぐに出てきた微妙な空気はもうなかった。

 

あるのは、久しぶりに会った友人と談笑しているような、そんな楽しげな雰囲気のみ。それからはケイとアスナの間で話題は尽きず、NPCが出す料理を次々に平らげ。

 

満足げな表情で店から出てくる二人が、五十七層で目撃されたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




圏内事件?知らんな(すっとぼけ)

ていう事で、この話で分かる通り、圏内事件の話は書きません!
というか、この話を書いてる途中まで圏内事件の話を書くつもりではいたんですが。

次回からは超絶シリアス回になり(予定)ます。

ちなみに、圏内事件を書かないならどうしてこの話を載せたのかは、次回の超絶シリアス回のクッションにならないかと思いまして…。ww


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第30話 交渉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その報せが入ってきたのは、ケイとアスナが食事に行ってからたった一週間後の事だった。

 

 

「<ラフィンコフィン>の潜伏先が判明した」

 

 

第五十五層グランザム、血盟騎士団ギルド本部。ケイはそこに、ヒースクリフから呼び出しを受けてやって来ていた。ギルド本部の執務室に入ったケイにヒースクリフが挨拶後にかけた一言目がこれである。

 

 

「…そうか」

 

 

「君とアルゴ君がまとめてくれた情報を照らし合わせ、調査したところ…見事、当たっていたよ」

 

 

攻略をしつつ、ケイはアルゴと共にラフィンコフィンの調査を続けていた。その調査の情報を、ヒースクリフにだけ公開していた。そして一昨日、ラフィンコフィンが潜伏していると思われる層を予想し、ヒースクリフにそれを知らせてみた結果…、その予想は的中していたようだ。

 

 

「この事はすでにアスナ君には報せている。すぐに、他の大型ギルドも動き始めるだろう」

 

 

「…討伐戦は避けられないのか?」

 

 

「だろうな。軍辺りは、今日にでも出撃する勢いになると思われる」

 

 

食事に行ってからの一週間の間にも、ラフィンコフィンの手にかかって命を落としたプレイヤーは増え続けていた。

 

攻略組だけではなく…いや、攻略組よりも下、中層プレイヤーの怒りや不安が限界に近づいている。何としてもラフィンコフィンの犯罪行為をやめさせなければ、攻略どころではなくなる。

 

下手をすれば、ラフィンコフィン以外のプレイヤー全滅、という事態を頭に入れなければならなくなるかもしれない。

 

 

「さすがに、アスナ君とリンド君が抑えるだろうし、今日にという事はない。だが、二、三日の内に潜伏先へと向かい、交渉が行われるのは確実だ」

 

 

「…交渉、ね」

 

 

まぁ妥当な判断だろう。だが恐らく…、交渉は決裂する。まず間違いなく。

それは、ケイもヒースクリフも同じく予想している事だ。

 

 

「君の懸念も最もだが…」

 

 

「わかってるさ」

 

 

わかってる。このSAOではHPがゼロ=現実の死だ。つまり、もしケイとヒースクリフの予想通り、戦争になったら…それはつまり、本物の殺し合いという事になる。

 

交渉が決裂するという結末は誰だって予想できる。ラフィンコフィンは、交渉が成立するような相手ではないことはわかっている。それでも…、殺し合いをしたくないという深層心理が働いているのだ。

 

 

「それと、恐らく交渉の中心は軍のキバオウ君になるだろう」

 

 

「キバオウ…。はぁ、交渉は期待しない方がいいな」

 

 

別にキバオウを悪く言うつもりはないのだが…、お世辞にもキバオウはそういう事に向いてるとはいえない。やはり、討伐戦で決着、という形になるのだろうか。

 

 

「ともかく、近い内に君にも連絡が来るだろう。今日は急に呼び出して済まなかったね」

 

 

ヒースクリフはそう言うと、両肘を卓に突いて、組んだ両手で口元を隠す。ケイへの用件は済んだという事か、そう判断したケイはヒースクリフに背を向けて、執務室の扉まで歩き、不意に立ち止まって振り返る。

 

 

「あんたは来ないのか?」

 

 

「あぁ。こちらからはアスナ君が行く。私が行かなくとも、大丈夫だろう」

 

 

「…そうか」

 

 

ラフィンコフィンとの交渉の場にヒースクリフは来ないのかと問いかけるが、返ってきたのは行かないという答え。ケイは一言、小さく呟いてから再び振り返り、扉を開ける。

 

 

「あんたはまるで、観察者だな」

 

 

「…」

 

 

ケイは最後にそう告げて、執務室を去っていく。その背中を、ヒースクリフはじっ、と、視線を向けていた事にケイは気づいていたかはたまた否か。

 

執務室を出たケイは、ここまで案内してくれたプレイヤーについてギルド本部の門から外へ出ていく。ケイは案内してくれたプレイヤーに一言礼を言ってから、グランザムのメインストリートへと出る。

 

 

「ケイ君?」

 

 

グランザムの街並みは、無数の鉄の塔で形取られており、どこか寒々しい印象を受ける。そんな街並みをやや下がった気分で歩いていると、最近聞いたばかりの声でケイを呼ぶ人物が現れる。

 

 

「アスナ?」

 

 

「やっぱりケイ君だ。どうしてこんな所にいるの?」

 

 

声が聞こえてきた方へと振り向くと、そこには不思議そうに目を丸くしてこちらを見るアスナの姿があった。さらに彼女の傍らには、護衛と思われる、血盟騎士団のユニフォームを着た背の高い男プレイヤーが立っていた。

 

アスナはケイが本物だと確認すると、護衛のプレイヤーを置いてケイへと駆け寄ってくる。そしてケイの前で立ち止まってから問いかけてきた。

 

 

「こんな所って…。ちょっとヒースクリフに呼ばれてな」

 

 

「団長から?…あぁ、ラフィンコフィンの事ね」

 

 

苦笑を浮かべながら問いかけに答えると、アスナはケイがここに来た本当の理由をすぐに悟る。

 

 

「アスナはそれについて話し合いに行ってたんだろ?どうなったんだ?」

 

 

「どう、て言ってもね…。ボス戦のレイドと同じ人数のメンバーを選出して、ラフコフの潜伏先へ行く。そして投降するように交渉して、決裂したら…」

 

 

「戦う、か」

 

 

途中で言い淀んだアスナの代わりに、ケイがその言葉の続きを口にする。

アスナは目を俯かせながらこくりと頷く。

 

 

「…まぁ、実際にどうなるかなんてわからねぇんだ。今からそんなんだと身が持たないぞ」

 

 

「…そうだね。ありがと、心配してくれて」

 

 

俯いてしまったアスナにケイが声を掛けると、アスナは顔を上げて、微笑みながらケイにお礼を言った。その笑顔に魅せられ、ケイは思わず息を呑んでしまう。

 

様子がおかしいケイを不思議に思い、アスナが首を傾げるがケイは何も言わない、口を開こうともしない。口を開いてしまえば…、動揺してる事がアスナにばれてしまいそうだったから。

 

 

「そうだ!ケイ君、これから予定ある?」

 

 

「予定?…ないけど」

 

 

「なら、これからちょっと付き合ってくれるかな?お昼ご飯でも行こうよ!」

 

 

ケイが必死に動揺を胸の奥底に叩き込もうと努力する中、ふとアスナが口を開く。アスナはケイのこの後の用事の有無を聞くと、昼食にケイを誘う。

 

先程ケイが言った通り、特に予定はない。この後やろうとしていた事といえば、後日にあるだろうラフコフとの対峙に備えて武器の整備、アイテムの補充くらいだ。だがそれも、別に今日すぐにやらなければならないという事ではない。ラフコフとの交渉は、少なくとも明後日以降になるとヒースクリフから聞いたばかりだ。

 

ケイはアスナの誘いを受けようと、口を開…こうとした。

 

 

「なりません、アスナ様!こんな小汚い奴と共に食事など!」

 

 

その声は、二人のすぐ横から聞こえてきた。振り向けば、そこにはアスナの護衛と思われる背の高いプレイヤーが立っていた。

 

 

「クラディール…」

 

 

「それにアスナ様には、団長に会議の結果を報告しなければなりません。さ、早く本部に戻りますよ」

 

 

「…はぁ。わかったから、その手を離して。ごめんね、ケイ君。私から誘っておきながら…」

 

 

クラディールと呼ばれたプレイヤーは、アスナを諭すと、彼女の腕を掴んで引っ張り、本部に連れてこうとする。アスナはクラディールに手を離すように言ってから、ケイの方に振り向いて謝ってきた。

 

 

「気にすんな。それより、早くヒースクリフに報告して来いよ」

 

 

「うん…。ケイ君にも、後でメッセージで送っておくね?」

 

 

アスナの謝罪を受けってから、ケイは早くヒースクリフの所に行くように言う。それから、アスナは後でケイに会議の結果を報せると宣言し、クラディールと共に去っていく。

 

 

「…やれやれ、アスナも大変だこと」

 

 

この前会った時はいなかったのだが、まさか外で行動するごとに護衛が着いているのか。

それを自分に置き換えたケイは、思わず身震いした。嫌だ、絶対に嫌だ。自由が全くなさそう。

 

ケイもまた、グランザムの転移門広場に足を向ける。アスナとの食事は無しになったため、当初行こうとしていた武器の整備とアイテムの補充をしようか、と頭の中で今日の予定を決める。

 

その途中、ケイはふと背後から視線を感じて目だけを後ろに向けて確かめる。

 

 

(クラディール…?)

 

 

ケイの目には、アスナの隣で歩きながらこちらに殺気の籠った視線を向けるクラディールの姿が入った。

 

クラディールと会ったのは今日が初めてだし、特に恨みを買うような事をした覚えはないのだが…。

 

 

(ま、アスナと親しそうにしてたのに対しての嫉妬だろ。気にしないのが吉だ)

 

 

この時、ケイは気にするべきだった。そして、考えるべきだった。何故ここまでの殺気を、クラディールから向けられるのかを。

 

 

 

 

 

 

ラフィンコフィンのアジトがある第二十四層への進軍は、ケイがヒースクリフに呼び出されてから三日後に行われていた。ラフコフに対峙する軍は、大半が大手ギルドである<アインクラッド解放軍>、<血盟騎士団>の二つのメンバーで占められていた。

 

後は<月夜の黒猫団>や<風林火山>などの小規模ギルド、そしてソロであるケイ。ボス戦に挑むフルレイド、四十八人でラフィンコフィンのアジトを目指していた。

 

フィールドを歩き、洞窟を進み、奥へと向かう。

 

フルレイド軍がフィールドへと出てから、およそ一時間。遂に、ラフィンコフィンが潜伏していると言われている大きな洞穴の前へと辿り着いた。

 

辺りは濃い霧で包まれていた。少し離れれば、プレイヤー同士の姿を視認する事が難しくなってしまうほど。ケイは索敵スキルのおかげこの場にいるプレイヤーの存在を確認できているが、もし索敵スキルを持っていなければ…。

 

 

(…洞穴の中は索敵が届かない。システムの仕様か?)

 

 

ケイは索敵の範囲を広げ、洞穴の中を調べようとするが、どうやっても索敵の範囲が洞穴の入り口ギリギリで阻まれてしまう。この仕様の事も考え、ラフィンコフィンはそこをアジトとしたのだろうか。

 

なおもケイが索敵を洞穴の中へ届かせようと四苦八苦していると、人混みを掻き分け、このラフィンコフィンとの交渉を仕切るキバオウがプレイヤー達の先頭へ出てきた。

 

キバオウは一度立ち止まると、大きく息を吸って────叫んだ。

 

 

「今、お前らは完全に包囲されとる!!抵抗は無駄や!!十分以内に、武器を捨てて投降せい!!」

 

 

何の捻りもない、ベタなセリフ。だが、ここでそれ以外に何を言うべきなのかと考えても、何も出てこないだろう。

 

キバオウが言った十分という時間は、あのアスナが参加した会議で決められた内容の一つだと届いたメッセージに書かれていた。すぐに襲うことはせずに、少し時間を与え、時間が越えれば武力を行使。それがあの会議で決まった内容だという。

 

ほとんどというより、もう全てがケイとヒースクリフが予想していた内容そのものだった。十分という時間だったり、そういう詳細までは予想が至らなかったが交渉、または戦闘の流れはまさに予想していた通り。

 

 

「…誰も、来ねぇぞ」

 

 

「何も言ってこねぇし…」

 

 

キバオウの言葉に対し、ラフィンコフィンから何の返答も聞こえてこない。それどころか、未だ洞穴の中から人っ子一人も姿を現さない。

 

ラフィンコフィンは何の反応もせず、ただ時間だけが過ぎていく。

 

(さすがに…、おかしい)

 

 

ここまで沈黙を保つような集団ではない。ラフィンコフィンは根っからの犯罪者集団だ。そしてリーダーである男もまた、思慮深いとはいえここまでの事をされて黙っているような奴ではない。

 

違和感を感じたケイが、人混みを掻き分けてキバオウの元へ行こうとする。この違和感を伝えるために。

 

だが、その時だった。ケイの視界の向こう、キバオウの傍にいた一人のプレイヤーはゆっくりと動き出し、キバオウの背後に立った。

 

何をしてる?と、疑問に思う暇もなかった。

 

 

「っ!!?」

 

 

ケイは大きく目を見開く。

その視線の先では、キバオウの背後に立ったプレイヤーが、鞘から抜いた剣をキバオウの背中に突き立てていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第31話 奇襲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この場にいたほとんどのプレイヤーが硬直し、動けなくなる。彼らの視線は全てある一点に向けられていた。剣を抜いて突き立てる一人のプレイヤーと、突き立てられたキバオウ。

 

全く予想などできるはずがない光景に衝撃を受け、その場で固まっている。

 

 

「っ、キバオウ!早くそこから離れろ!」

 

 

「………」

 

 

貫通継続ダメージで、キバオウのHPはゆっくりではあるが、次第に確実に減っていく。

ケイがキバオウにそこから離れるように呼びかけるが、何故かキバオウは剣を抜こうともせず、そこで立ち尽すだけ。

 

 

(まさか、麻痺か!?)

 

 

そこで悟る。キバオウに突き立てられた剣は、麻痺毒が塗りつけられている。だとすれば、キバオウはしばらくの間、動けないままだ。

 

 

「何をしてる!早くキバオウをそこから離脱させろ!」

 

 

「あっ…」

 

 

キバオウから距離が離れているケイでも気が付いたのだ。すぐ近くにいる軍のプレイヤーがキバオウの麻痺状態に気が付いていないはずがない。

 

ケイが怒鳴って呼びかけると、キバオウの周りにいたプレイヤーがキバオウを刺したプレイヤーに向かってそれぞれの得物を振り下ろす。その瞬間だった。

 

 

「っ!?」

 

 

ふと気付く。ここに来て辺りを覆っていた濃霧が、薄くなっている事に。そして、それにケイが気づいた直後だった。どこからか飛んできた小さな刃が、キバオウに剣を刺したプレイヤーに斬りかかるプレイヤー達の背中に突き刺さった。

 

途端、キバオウをフォローしようとしたプレイヤーの膝ががくりと折れ、その場で倒れ込む。次から次へと起こる事態に困惑しながらも、他のプレイヤー達は刃が飛んできた方へと視線を向ける。

 

 

(霧が…っ!?)

 

 

霧が晴れ、かなり良くなった視界の奥で動く影。それと同時、今まで全く反応がなかったはずのケイの索敵範囲に、無数のプレイヤー反応が現れる。

 

 

「ひゃっはぁああああああああああああああ!!!」

 

 

「殺せぇ!殺せぇええええええええええええええ!!!」

 

 

「くはっ、くはははははははははははは!!!」

 

 

体制を整える暇もなかった。狂ったような笑い声や怒鳴り声と共に、ケイ達の四方から突如、大量のプレイヤーが姿を現し、襲い掛かる。

 

 

「な、何だぁ!?」

 

 

「い、いきなり…。まさかこいつら、ラフコフの!?」

 

 

「うわ…、うわぁああああああああああああ!!!」

 

 

フルレイド軍のプレイヤー達が、先程まで影も形もなかったはずのプレイヤー達の出現に慌てふためいてしまう。

 

こちらに迫るプレイヤー達は、大剣、両手斧、曲刀など様々な得物で斬りかかってくる。

 

 

「ちっ!」

 

 

そしてその対象は、ケイとて例外ではなかった。ケイは人混みの中にいたのだが、多数のプレイヤーを無視して、中にいるプレイヤーを狙う者も数多くいる。ケイはそんなラフコフプレイヤーの一人を迎え撃つ。

 

ケイに襲い掛かるプレイヤーは大剣を勢いよく振り下ろす。ケイは腰の鞘から刀を抜き放ち、振り下ろされる大剣にぶつける。

 

 

「どういうことだ…!さっきまで、索敵スキルにお前たちはかからなかった!どこに隠れ

てた!?」

 

 

鍔迫り合いをしながら、ケイは眼前にいるプレイヤーに問いかける。

 

索敵が届かなかった、洞窟の中にいたのならばまだわかる。だが、今、攻略組を襲っているラフコフプレイヤー達は、周りの四方から襲ってきたのだ。確かに、周りには索敵が届いていたはずなのに。

 

 

「ククッ…、それをお前に教えてどうなるってんだぁ?」

 

 

ケイが問いかけたプレイヤーは、にやりと笑みを浮かべて口を開く。直後、長い前髪で隠れていた、狂気に満ちた眸が覗く。

 

 

「────…!」

 

 

「今ここで死ぬお前がぁ、それを知ってどうするぅ!?」

 

 

相手から伝わる力が強くなる。

 

ここは圏外。もしケイが力比べで負けてしまえば、相手の刃で斬られ、本当の命を表すHPが多く減るだろう。だが、殺人プレイヤーにとって、それはどうしようもなく、逆らえない欲に従った行動。

 

ケイは目の前の男が浮かべる狂喜の笑みを見て、一瞬背筋に寒気が奔るのを感じながら、筋力値パラメータをフルに使って大剣を弾く。ラフコフプレイヤーは弾かれた衝撃で一歩二歩後退するが、すぐに再びケイに向かって突っ込んでくる。

 

 

「くっ…!」

 

 

ケイは体を翻し、突っ込んできた男が振り下ろす大剣をかわすと、刃を返し、男の腕目掛けて振り上げた。刃は男の腕を斬り落とし、切り口からは赤いライトエフェクトが漏れる。

 

システム上、相手がオレンジ、つまり犯罪者の場合はたとえプレイヤーを傷つけても、それをしたプレイヤーのカーソルがオレンジに染まる事はない。だが、それと心はまた別の話だ。

 

 

「っ…」

 

 

宙へ飛び、ポリゴン片となって消えていく自分が斬り飛ばした相手の腕を見て、ケイは思わず顔を顰める。たとえこの中がゲームでも、たとえHPが減っても特に痛みや行動に支障などはなかったとしても。

 

相手の命を削る行動をしたという事実が、ケイの胸に小さな痛みを奔らせる。

 

だが、ケイにはその痛みを抑えるための時間さえなかった。ケイはすぐに、キバオウ達が倒れている方に足を向けて駆ける。

 

そこでは、キバオウを刺したプレイヤーが、周りで倒れるプレイヤーを見下ろしながら高笑いしていた。

 

 

「おい…!」

 

 

「あぁ?あ~…。幻影、か」

 

 

そのプレイヤーの後ろで立ち止まったケイの口が開き、声が漏れる。周りの叫び声や県と県がぶつかり合う音でかき消されそうな、そんな小さな声だったが、そのプレイヤーには聞こえたのか、振り返ると、にやりと笑みを向けてくる。

 

 

「っ!お、お前は…!」

 

 

「お?覚えてる?覚えてんの、俺の事?ひゃぁーはははは!かの幻影様に覚えてもらえてるとは、光栄ですなぁーはははは!!」

 

 

振り返った、軍の制服を着た男の顔を見てケイは目を見開いた。

 

キバオウを刺したプレイヤー。

覚えている。

 

第一層、第二層のボス戦後に騒ぎを大きくした張本人。

 

 

「確か…、ジョーって呼ばれてた…」

 

 

「おぉ…、名前まで覚えられてるとはなぁ…。くひひっ」

 

 

正気とは思えない笑い声を漏らす、ジョーと呼ばれていたプレイヤーからケイは倒れるキバオウ達に視線を回す。

 

まだ麻痺が抜けていない…だけではなかった。彼らのHPが、ゆっくりとだが減っていっているのが見える。

 

 

「麻痺と毒の重複…!」

 

 

「ひーひひひひ!攻略組最強と謳われるプレイヤーは、その観察眼も一流ってか!そうさ!俺達が使った剣に塗られてたのは、相手に麻痺状態と毒状態を同時に与える、特別性の毒さ!」

 

 

ご丁寧に説明してくれるジョー。だが、そのおかげでとりあえずの方針は決まった。

 

ラフコフの攻撃に遭ったキバオウ達の解毒。まず、それが今ケイがすべき最優先事項だ。

 

だが…

 

 

「あ、もしかして、こいつらの解毒とか考えてる?させねぇーよ」

 

 

ケイがそれを考えた時、まるでケイの内心を悟ったかのように。ジョーが笑みを収めると、直後、ケイから見てジョーを覆うように複数のプレイヤーが現れる。

 

カーソルは、ジョーを含めて全てがオレンジ。ラフコフプレイヤー達が、ケイの行く先を阻む。

 

 

「何にしても、キバオウさんはちょぉっと助けさせちゃあげられねぇなー。なんせ、ヘッドの命令だからな」

 

 

「PoHのだと?」

 

 

<ラフィンコフィン>。殺人者プレイヤーの集まりをまとめるリーダー。その名がPoHだ。

PoHは、その実力は攻略組トッププレイヤーと遜色ない上に多大なカリスマ性を持っている。そのおかげだろう。

 

そんなPoHが、キバオウを亡き者にするよう部下に命令していた?

 

 

「軍の組織を崩壊させる気か」

 

 

「さぁ?ヘッドの考えてることなんて、俺達にとっちゃ知るつもりもねぇよ。ただ…」

 

 

軍というギルドはキバオウの他にも組織をまとめるプレイヤーが何人かいるのだが、その中でも実質、キバオウがトップといって差し支えはなかった。そのキバオウ抹殺の目的を予想し、口にしてはみたがジョーは両手を開き、頭を振って知らないと、知るつもりもないと主張する。

 

さらにジョーは、唇の片端を吊り上げながら続ける。

 

 

「獲物をくれる限り、俺達はヘッドについてくさぁ!」

 

 

その言葉が合図だったかのように、ジョーの周りに立っていたラフコフプレイヤー達が一斉にケイへと襲い掛かる。それに対し、ケイは刀の柄を握り締めて構える。

 

キバオウ達のHPは残り約半分となっている。後五秒もすれば注意域へと到達するだろう。毒の度合いによってHPの減少ペースは違うため、残りどれだけの時間キバオウ達が生きていられるかはわからない。だが…、時間がそうはない事だけは理解していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ケイが軍を裏切ったジョーと対峙していた頃。アスナは襲い掛かるラフコフプレイヤーへ応戦していた。

 

既に状況は大混乱だ。対ラフコフレイドは奇襲を受け、指揮系統すらバラバラになってしまっている。アスナの護衛について来た血盟騎士団のプレイヤーも、ラフコフの襲撃を受けて逸れてしまった。

 

彼らと合流はしたい。だが、まずは自身の安全確保だ。何しろ、自分が閃光のアスナだと気づいた途端、彼らはいきなり多人数で一気に襲い掛かってきたのだ。

 

レベルがそう高くはなかったのだろう、大して手間取ることなく相手の利き腕を欠損させ、無力化できているのだが、数が多すぎる。

 

 

「おぉらあっ!!」

 

 

「くっ…!」

 

 

レベル差によって保たれていたアスナの優勢も、少しずつ変化し始めていた。目の前の男が振り下ろす大剣を細剣で弾くが、アスナの筋力値パラメータは心許ない。僅かに体勢を崩し、反撃がワンテンポ遅れてしまう。

 

 

「うぉっとぉ!」

 

 

「っ…」

 

 

そのせいか、アスナの神速の突きをかわされてしまう。だがそれもそこまで。続いて繰り出すアスナのソードスキルが、攻撃をかわしたことで油断する男を捉え、硬直時間が解けたと同時に武器を握る腕を斬り落とす。

 

 

「ひゃっはぁあああああ!閃光様、はっけぇええええええええええん!」

 

 

「こ…のっ」

 

 

また一人、アスナに襲い掛かるラフコフプレイヤーが追加される。今度のプレイヤーの得物は、両手槍。突き出される刃をアスナは体を翻して回避し、お返しとばかりに通り過ぎていく相手の背にレイピアを叩き付ける。

 

続いてアスナは止めの体勢に入る。相手の利き腕へ狙いをつけ、レイピアを腰溜めに構えて振り上げる。

 

 

「もらったぁ!!」

 

 

「!?」

 

 

背後から喜に満ちた声が耳に届く。目だけを後ろに向ければ、そこには短剣をアスナの背に向けて振り下ろそうとする、笑みを浮かべたオレンジプレイヤー。

 

ここで、索敵を部下に任せて自身に付けなかったアスナにツケが来た。

 

ここまでは相手が一人で来たり、たとえ複数だったとしても同時に襲い掛かってきていた。だが時間差で襲い掛かられてしまえば…索敵できないアスナは、相手の接近に気付くことができない。

 

アスナは剣を打ち付けるのを中断し、代わりに体術スキル<閃打>で目の前で体勢を崩すプレイヤーに追い打ちをかける。スキルを使ってしまったが、体術スキルには硬直時間が訪れない。アスナはすぐさま振り返り、後方から襲い掛かるプレイヤーに備えようとした。

 

だがその時には、相手が振り下ろす短剣が眼前へと迫っていた。ここからでは、回避も防御も────間に合わない。

 

 

(これは…っ)

 

 

アスナはその一瞬の間に、刃に塗られる不気味な色をした液体を目にした。これは…、毒だ。キバオウの動きを止め、硬直させたものと同じものに違いない。

 

つまり、この斬撃を喰らえば自分は動けなくなり…抵抗もできず、待つのは蹂躙のみ。

 

声を出すことも出来ず、アスナにできるのはただ迫る短剣の切っ先を眺める事だけ。

助けを求める事も出来ず、ただ短剣の切っ先を眺めていたアスナは…次の瞬間、声を耳にした。

 

 

「アスナっ!!」

 

 

聞こえてきた声、そしてその直後、目の前で短剣を振り下ろすプレイヤーが明後日の方向に吹っ飛んでいく。

 

アスナは突飛な事態に目を丸くし、ふと視界に見えた光が伸びる先へと目を向ける。

 

 

「アスナ、大丈夫!?」

 

 

「サチ…?」

 

 

光の正体は、両手槍の刃。そしてそれの持ち主は、こちらを心配げな瞳で覗き込むサチだった。さらにサチの後方からはキリト達、月夜の黒猫団のメンバー達が駆け寄ってきていた。

 

 

「アスナ!無事か!?」

 

 

「うん…。サチが助けてくれたから、何とか」

 

 

アスナの傍で立ち止まったキリトが問いかけてくる。こうしてここにいる時点で、無事ではあるのだが…キリトもあの絶体絶命の光景を見たのだろう。

 

 

「ありがと、サチ」

 

 

「どう致しまして。けど…、まだケイが見つからないんだ」

 

 

アスナは助けてくれたサチにお礼の言葉を言う。サチはその言葉に対して返事を返してから、ふと表情を曇らせて呟いた。

 

きっと、アスナも気になってると考えて口にした言葉なのだろう。

 

 

「サチ、ケイ君なら大丈夫よ。あの人がそう簡単に死ぬはずないもの」

 

 

「アスナ…?」

 

 

「だから、私は私にできる事をする。…協力、してくれるかな?」

 

 

サチは、サチ達は少し勘違いしている。確かにアスナはケイの心配をしてはいる。だが…、ケイが生きてることは微塵も疑っていない。そして…、この状況の中でケイを探すつもりもない。

 

この混乱の中だからこそ、自分が中心に立って皆を落ち着かせなければならない。それはアスナにだってわかっているし…、ケイならばそれをしろと言うだろうから。

 

 

「襲われてるプレイヤーの援護をするわ!散らばって、だけど一人で行動は絶対にしないで!いい!?」

 

 

サチ達が一度、こくりと深く頷く。それから、アスナはサチと共に、キリトはケイタと共にとそれぞれ二人に分かれて四方へと駆ける。

 

ここから、ラフコフの奇襲から押されっぱなしだった戦況が少しずつ変化していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第32話 重なる騎士の姿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

振り下ろされる刃を刀の腹で押さえ、体術スキル<弦月>を繰り出し、ライトエフェクトを帯びた右足で周囲のラフコフプレイヤーを蹴り飛ばす。さらに間を置かず、襲い掛かる両手斧使いに、得物を振るう暇も与えずに両手首を切り落とす。

 

 

「ああああああ!俺の!俺の腕がァアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

痛みはないとはいえ、自身の両手が消えるというのはかなりショッキングな光景だろう。両手首を切り落とされたプレイヤーが悲鳴を上げるが、ケイは気にも留めずにキバオウの方へと足を向ける。

 

 

「させねぇっつってるだろ」

 

 

「ちっ…」

 

 

キバオウの元へ駆け寄ろうとするケイの進行上に、割り込む人物。ジョーがにやりと笑みを浮かべながらケイの前に立ちはだかる。

 

ケイは駆ける速度を緩めず、その勢いのままジョーに向かって振り下ろす。

ジョーもまた、手に握られている片手剣を振り上げてケイの斬撃を防ぐ。

 

ケイとジョーは、互いに位置を入れ替えながらそれぞれの武器を振るい、ぶつけ合う。だがその間にも、周りにはケイを狙っている他のラフコフプレイヤーがいる事を忘れてはならない。

 

 

「おらぁあああ!」

 

 

「っ!」

 

 

向かってきたのは、先程<弦月>で吹っ飛ばしたプレイヤー達だった。様々な得物を持ったプレイヤー達が、ケイに向かって刃を振り下ろす。

 

そして、それに混じってジョーも片手剣をケイに向かって突き出してくる。周囲三百六十度、ケイはラフコフプレイヤーに囲まれてしまった。

 

 

「なら…っ!」

 

 

ケイは一度刀を鞘に戻し、直後、赤いライトエフェクトを迸らせた刃を抜き放つ。刀範囲ソードスキル<旋車>。水平に三百六十度を切り払うソードスキルが、ケイに向かって刃を振り下ろそうとするラフコフプレイヤー達を吹き飛ばす。

 

 

「…っ、まずい!」

 

 

スキル使用後の硬直が解けるのを待ちながら、視線をキバオウ達が倒れている方へと向ける。未だ、キバオウ達が倒れ伏したまま。

 

現在までで知られている、一番長く麻痺が続いた時間は五分といわれてきたのだが…、それを覆してしまう現象だ。キバオウが倒れてから、間違いなく五分は越えているのだが、それだけではなかった。

 

ケイはキバオウの傍に立っているプレイヤーを見つける。そのプレイヤーは大剣を振り上げ、その切っ先を倒れているキバオウに向けている。そのプレイヤーの姿をちゃんと目にした瞬間、大きく目を見開く。だが考えるよりも前に、ケイは足を動かしていた。

 

クイックチェンジを使い、ケイは小さな投剣を取り出す。

 

投剣基本スキル<クイックシュート>

ほとんどモーションを必要とせず、さらにスキル使用後の硬直時間も皆無という投剣の基本スキルを使って投じた剣が、キバオウを狙うプレイヤーの手の甲に突き刺さる。

 

手に刺さった剣を目にして、そのプレイヤーは驚いたのだろう。動きが硬直している。

 

 

「しめた!」

 

 

その隙に、ケイは大剣を握るプレイヤーの懐に潜り込む、そして拳を腰溜めに構え、体術スキル<閃打>を放つ。相手は大剣の腹をこちらに向けて拳を防ぐが、ケイの力に押されてキバオウから距離を離される。

 

キバオウから脅威を離し、自身もまたキバオウに近づくことができた。これはチャンスだと悟り、ケイは解毒結晶を取り出そうとするが────

 

 

「させねぇっつってんだろぉが!!」

 

 

「!」

 

 

その時、背後からこちらに食い下がる、掴みかかってくるように怒鳴り声が響く。ケイはその場で足を踏ん張らせて声が聞こえてきた方へと振り向き、刀を振るう。

 

直後、刀を握るケイの手に衝撃が奔る。眼前には同じように剣を振るい、そしてケイが振るった刃と合わせて力を込めるジョーの姿。

 

 

「どけ!邪魔だ!」

 

 

「はっ!だからって、はいそうですかってどくわけねぇだろぉが!」

 

 

「ちっ…!大体、何なんだあの毒は!いつまで効力続くんだ!」

 

 

「知るか…よ!」

 

 

再び目の前に立ちはだかるジョーに怒鳴るが、ジョーは全く意に返さない。それに、ケイにはもうこれ以上足止めを喰らっている時間はなかった。先程キバオウの状態を見遣った時、そのHPは危険域へと迫っていた。

 

HPの減少ペースこそ早くはないが…、ジョーの様子を見るとまだ毒が解ける気配はなさそうだ。もう、本当に残された時間はない。

 

ケイは白を切るジョーに僅かに苛立ちを感じ、舌を打つ。ケイとジョーは三度刃を打ち合わせる。その直後、ケイは刀を振るおうと動く腕を止め、ジョーが振るう剣をかわしながら代わりに足を振り上げる。

 

体術スキル<弦月>。再び放たれた蹴りがジョーの顎を捉える。実際に痛みなどはないだろうが、現実の様に意識混濁の症状は少なからず出てくるはずだ。

 

ケイはその間にキバオウに向かって足を踏み出そうとする。

 

 

「…お前」

 

 

直後、ケイはすぐに足を止める。ケイとキバオウの直線上に立つ新たなプレイヤー。そのプレイヤーは、先程キバオウに大剣を振り下ろそうとしていたプレイヤー。

 

 

「ヒースクリフ…。人選はしっかりしておいた方がいいぞ」

 

 

「けけっ…。ま、その通りだな」

 

 

ケイは目の前のプレイヤーを睨みながら、今この場には居らず、今頃は本部で対ラフコフ戦の結果報告を待っているだろうヒースクリフの顔を思い浮かべながら悪態をつく。

 

目の前のプレイヤー…。血盟騎士団の制服を身に着けたプレイヤー、クラディールがそんなケイの呟きに同意するように頷きながら返してくる。

 

 

「まさか、アスナの護衛だったあんたまで裏切り者だったとはな」

 

 

「けはっ…。俺ぁ、前からあの女に目を付けててな。ヘッドからでけぇギルドに諜報員を送り込むって言い出してから、必死に立候補したもんさ」

 

 

「アスナを殺す気か…」

 

 

「殺すぅ?んなわけねぇだろぉ!ここであの女だけは生かして、俺のものにしてやるのよ!そのためにわざわざ血盟騎士団に入ったんだからなぁ!」

 

 

「…」

 

 

このクラディールという男は、アスナに狂気じみた想いを寄せている様だ。あのギラギラと濁った輝きに満ちた両目には、もしかしたらケイではなくアスナが映っているのかもしれない。

 

 

「てめぇは、前に会った時から気に入らなかったんだよ…。俺のアスナに親しげにしてよぉ…。あぁ、気に入らねぇ!」

 

 

「お前なんかに気に入られたくなんかねぇな」

 

 

クラディールの怒声に静かな声で返すケイだったが、内心まで穏やかではなかった。

負けるつもりなど毛頭ないが、それでも血盟騎士団の、それもアスナの護衛を任されるほどのプレイヤーだ。恐らく、行動不能にさせるまでそれなりに時間が必要になる可能性が高い。

 

 

「…」

 

 

ケイは小さく歯ぎしりしながら横目で倒れているキバオウ達を見遣る。先程も見てわかってはいたが、残ったHPは僅か。彼らを助けるために残されている時間もまた僅か。

 

 

(あいつを倒すなんて考えるな。あいつの横を抜ければいい。抜ければ…)

 

 

回復結晶を使えさえすれば、一まずの危機は脱する。毒や麻痺の治療はその後にでも時間をかけてできるようになる。そう考えを固めた瞬間、ケイは足を踏み出した。

 

刃の先を相手に向け、クラディールの懐に潜り込むと一気に突き入れる。

 

 

「おぉっと!」

 

 

それに対してのクラディールの行動は速かった。クラディールはケイが突き出す刀の進行上に大剣の腹を割り込ませ、ケイの突きを防ぐ。

 

ケイからすれば、これで決まればという思いもあったのだが、対応されるのも頭に入れている。

 

クラディールにとっては、このまま力でケイを押し返したいところだろう。だが、そうはいかない。この状況、クラディールの力は面で加わるが、ケイの力は点で加わる。もし筋力値パラメータがクラディールの方が上だったとしても、恐らくそう差はないはず。

 

スキルなどのシステムアシストは使わない。自身が持つ筋力値全てを、切っ先一点に込めて押し込んでいく。

 

 

「う…、おっ!?」

 

 

現実ではあり得ない光景。浴衣を身にまとった少年が、ガチガチのフル装備で固めた大男を押し込むという光景がそこにはあった。クラディールは体勢を崩して後方によろける。

 

ケイはそんなものに目もくれずにキバオウの方へと駆けだすと同時に、クイックチェンジで投剣を手に持ち、自分の背後へと投擲する。

 

 

「ちっ…!」

 

 

背後には、ケイの進行を止めようと剣を握るジョーの姿があった。ジョーはケイが投擲した投剣を回避するために一度、足を止める。クラディールも、ケイから距離が離れている。

 

 

(よし…!)

 

 

これならキバオウの回復と解毒ができる。残ったプレイヤーも、キバオウと協力すれば何とか回復することはできる。

 

そう、頭の中でこの後の展開を思考しながら駆けていく。

 

 

「────!?」

 

 

まず、キバオウは助けられる。そう確信を持ちながら走っていた、ケイの視界の端で小さく光る何かが見えた。

 

 

(投剣…!?)

 

 

こちらに向かってくる、光る何かが投剣だと、それもしっかり毒が塗られている物と気づいた時には、すでにケイの眼前にまで迫ってきていた。

 

まずい、やばい、そんな一言すら心に浮かぶ間もなく、迫る投剣がケイの顔に刺さろうとした時。ケイは横合いから衝撃を受け、本来駆けて行ったであろう軌道から大きく外れる。

 

 

(え────)

 

 

衝撃を受け、体が傾いていくのを感じながら、ケイは目にする。

 

こちらに両掌を向けた形で立っている、頬に先程ケイが見た投剣が刺さっているキバオウの姿を。

 

 

「っ!」

 

 

瞬間、ケイの中でフラッシュバックする。かつて、今と同じように自分を、身を挺して守ってくれた騎士の姿。その姿と、目の前でどこか悔し気に表情を歪めながらも、小さく笑みを浮かべているキバオウの姿が重なる。

 

 

「なん…で…」

 

 

皮肉にも、あの時と同じセリフを呆然と吐くケイ。だが、そのセリフにキバオウが返事を返すことはなかった。ただ、変わらず悔し気な笑みを浮かべたまま、キバオウがケイの目の前で四散していく。

 

 

「は…っ」

 

 

わからない。全くわからない。ケイはソロであり、どこのギルドにも入っていないという境遇上、他のプレイヤーからはどこか牽制され気味だった。

 

特にキバオウからはわかりやすい皮肉を言われたりしていた。こんな、命を賭けて助けようと…むしろ、危機に陥っても見殺しにされるのではないかとすらケイ自身は考えていた。

 

 

「キバオウさんが…?は?おいおいおいおい!何だよそりゃっ、くははっ!!」

 

 

呆然と立ち尽くすケイの背後で、何が面白いのか、ジョーが腹を抱えて笑っている。

いや、奴からすれば面白いのだろう。キバオウがどれだけケイを毛嫌いしていたかを良く知る人物の一人のはずだから。

 

だが…、わからない。それと同時に、沸々と怒りが沸き出してくる。

 

 

「…何がおかしい」

 

 

「は?いやいや、だってよ!?キバオウさんがあんたを助けたんだぜ!?面白ぇに決まってんじゃねぇか!!」

 

 

目から零れる涙をぬぐいながらケイに返し、再び腹を抱えて笑いだすジョー。その横には、大剣を肩に担いでこちらを見下ろすクラディールの姿。そんなクラディールの顔にも、ジョーと同じ類の笑みが浮かんでいた。

そんな奴らの笑みを見た途端、ケイの中でドクン、と強く何かが鼓動する。

 

何だ、何がおかしい。人の死が、そんなにおかしいか?お前等さえいなければ今も生き続けれたはずの人を踏み躙って、何が面白いんだ。

 

何故そんな風に笑っていられる。何故面白いとぬかせる。

 

そんなに人の死が笑えるのなら─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────お前らが死んだときも、さぞ笑ってられるんだろうな?

 

刀を鞘へ収めたと同時、ケイは足を踏み出した。未だ笑い続けていたジョーとクラディールの表情が固まる。

 

二人にとっては、突然、ケイの姿が消えたと感じただろう。その瞬間、二人の意識は闇へ葬り去られることになるとは知る由もない。

 

あっさりと、攻略組を裏切り混乱に陥れた二人のプレイヤーは命を散らすことになった。

 

ケイは踏み出した足を止め、振り切った刀を再び鞘に収めて散らばるポリゴン片の渦の中を突っ切って先程までキバオウがいた場所の周りで倒れるプレイヤー達へと駆け寄る。

 

すぐさまケイはストレージの中から回復結晶を倒れてる人数分を取り出してそれぞれに使用する。とりあえずの応急措置を終えてから、次に解毒結晶をストレージから取り出そうとする。

 

 

「げぇんえぃいいいいいいいいいい!!」

 

 

「…」

 

 

鞘から刀を抜き放つ。背後に向かって、体を捻り、遠心力を利用して勢いよく刀を叩き付ける。刀を握る手に、強い衝撃が奔る。

 

 

「殺したなぁ…。今、お前は人を殺したなぁ!きひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

 

 

「…だからどうした」

 

 

「わからねぇのかぁ?お前は俺達と同類になったんだよ!人殺し野郎ぉ!!」

 

 

刃を合わせ、鍔迫り合いを展開する眼前にいる髑髏の仮面をかぶったプレイヤーがケイに笑みを向ける。

 

まるで、お前も今日から俺達の仲間だ、と言わんばかりに。

 

 

「今、俺達と共に、来るというんなら、ここで見逃してやっても、いいぞ」

 

 

さらに鍔迫り合いをするケイの背後から、シューシューと空気が漏れる音と共に低い声が聞こえてくる。ケイは背後に立っているのが誰か、姿を見ずに悟る。

 

ラフィンコフィンには、攻略組すらも恐れ、震え上がらせるほどのプレイヤーが三人いる。

 

一人は、言うまでも無くリーダーであるPoH。そして、後の二人の名は…。

 

 

「キーキー喚くなジョニーブラック。耳障りだ」

 

 

「あぁ!?」

 

 

「ザザ、それは俺のセリフだ。今すぐにここから消えろ。そうすりゃ、逃げられるか監獄エリアに送られるか。少なくとも生きてはいられるぞ」

 

 

「…減らず口を」

 

 

髑髏の仮面を被った短剣使いの名はジョニーブラック。ケイの背後に立つエストック使いの名はザザ。どちらも二つ名がつくほどの高レベルプレイヤーであり、ラフィンコフィンの二大幹部。

 

この二人が直接手にかけたプレイヤーの数だけなら、リーダーであるPoHを凌ぐかもしれない。

 

 

「ちっ…!てめぇ、状況分かってんのか!?俺達二人を相手に、一人で勝てると思ってんのかよ!」

 

 

次第に力比べで押されてきたジョニーブラックが、弾かれるようにしてケイから距離を離すと口を開く。

 

 

「お前等こそ状況が分かってねぇみたいだな。…お前ら二人程度で、俺を殺せるとでも?」

 

 

ジョニーブラックの言葉に対してケイが返したのは、挑発。

刀を握っていない方の手の人差し指をクイクイと曲げながら言ってやると、ジョニーブラックの目がわかりやすく憤怒に染まる。

 

振り返ってザザの顔も見てみれば、こちらはわかりづらくはあったが、それでも挑発に怒りを抱いているのはすぐにわかった。

 

 

「アアアアアアア!!もう我慢なんねぇ!殺す、殺す、殺してやる!!!」

 

 

「黙れ、ジョニー。だが俺も、こいつ殺す。ヘッドがこいつを、殺したがってるのは、知ってるけど、関係ない」

 

 

「…」

 

 

頭をぶんぶんと振りながら叫び、こちらを見据えるジョニーブラックと静かに呟きながらエストックを構えるザザ。

 

ケイもまた、刀を握って左右それぞれにいるジョニーブラックとザザを睨む。

 

ジョニーブラックとザザが、同時にケイに向かって足を踏み出していったのは、この直後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




キバオウさん…マモレナカッタ…


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第33話 覚悟を胸に

お久しぶりです。VSラフコフはまだまだ終わりませんよ。(苦笑)









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「らぁっ!」

 

 

先手を打ってきたのはジョニーブラックだった。同時に踏み出してきたジョニーブラックとザザだったが、先にケイの懐に潜り込んできたのはジョニーブラック。

 

ケイは手首を使って刀を小さく振い、ジョニーブラックが突き出してくるダガーを弾く。その際、ケイはジョニーブラックが握るダガーの刃に塗られている液体を目にする。間違いないとは思っていたが、やはり一撃喰らえば終わりだと考えて相違ない。

 

だが注意する相手はジョニーブラックだけではない。相手の初撃をあっさり凌いだケイだったが、後方からは間を置かずに、ジョニーブラックに続いて仕掛けてくるザザがいる。

 

首を回し、横目でザザの斬撃を見極める。ザザの狙いは…、やはりというべきか、ケイの顔面。ケイは首を傾けてザザが突き出すエストックの切っ先を避ける。さらに、ケイは右足をザザの方に踏み出し、胴体を狙って刀を一文字に振るう。

 

 

「…ちっ」

 

 

直後、ケイは刀のスイングを中断してその場から後退する。ケイが先程までいた場所を、短剣が横切っていく。短剣が通った方に目を向けると、そこには何かを投じた体勢で腕を伸ばすジョニーブラックの姿。

 

 

(さっきのも、あいつか…!)

 

 

先程ケイが目にした短剣は、キバオウに止めを刺した毒付き短剣と同一の物だった。つまり…、キバオウを殺した奴は、そういう事になる。

 

 

「っ…」

 

 

ケイの口の中から、歯を噛み締める音が聞こえてきたのは気のせいか。

 

足下から土が跳ねる。それと同時に、ケイは駆けだし、一瞬にして距離を詰める。

その行先はもちろんというべきか…、ジョニーブラック。

 

 

「うぉっ!?」

 

 

仮面の中でジョニーブラックの目が瞠り、その口から驚愕の声が漏れる。

 

ケイは刀を一文字に振るう、が、後方に下がられかわされてしまう。だが、そこで離されはしない。ケイは一度刀を鞘に戻しながら、なおもジョニーブラックに密着する。

 

 

「こんのっ…!邪魔だ!」

 

 

どれだけ動いても距離が離れないケイに、短剣を振るうジョニーブラック。

 

短剣三連撃ソードスキル<シャドウ・ステッチ>。打撃系のスキルのため、塗られている毒の効果はないが、スキル自体に高確率で相手に与える麻痺効果が付与されている。クリーンヒットを受ければ、ほぼ確実にケイの動きは囚われる。

 

だが、ケイの目はぶれることなく短剣の切っ先を捉えていた。速さで相手を翻弄する短剣のスキルの動きを、ケイの目は捉えていた。

 

刀ソードスキル<辻風>。刀カテゴリの中で、攻撃の出が最も速いソードスキルを放ち、ケイは短剣を弾く。

 

 

「っ!?」

 

 

ジョニーブラックの手から短剣が離れる事はなかった。だが、彼の腕が大きく弾かれ、ソードスキルは強制解除される。それにより、ジョニーブラックには大幅な硬直時間が訪れる。

 

殺った

 

ケイは心の中で確信していた。ここでスキルを使わなくとも、奴の首を飛ばせばHPは消滅するはず。だが、ケイの振るう刃はジョニーブラックの首を捉える────寸前で横やりを入れられてしまう。

 

ケイとジョニーブラックの交戦を今まで傍観していたザザが、ケイの背後からエストックを突き出す。ケイはすぐさま振り返ってエストックを刀で防ぐと、背後を取られる形になったジョニーブラックを警戒してすぐさま二人から距離を取る。

 

 

「くっそ…!ムカつくほど速ぇぞ糞が!」

 

 

「まるで、ぶんぶんうるさい、ハエみたいにな」

 

 

「…」

 

 

挑発には耳を貸さない。ただ、眼前にいる敵に集中するのみ。

 

刀を鞘に収めて、<抜刀術>の使用に備える。先程のジョニーブラックとの交戦で分かった。スピードは確実にこちらが上。それに、奴の武器が短剣である限り、力比べもこちらに分がある。

 

完全にこちらが有利だ。スピードもこちらが上な以上、次の交錯で<抜刀術>を交えれば確実に殺せる。

 

問題は、その後のザザだが…

 

 

「っ」

 

 

そこでケイは思考を切る。目の前の二人が左右に分かれて駆けだし、二方向からケイに向かって襲い掛かる。

 

<抜刀術>の使用を思考から外す。それをするにしても、まずはどちらかを引き離して、一対一に持ち込んでからだ。ケイは刀を抜いて二つの斬撃に備える。

 

 

「ふっ────」

 

 

一歩前に出て、斬りかかってきたのはザザ。突き出されるエストックを体を翻してかわし、ザザの視界の外から刀を振るおうとする。

 

 

「もらったぁ!!」

 

 

「誰がっ」

 

 

ケイがスイングのモーションを見せた瞬間、ジョニーブラックが短剣で斬りかかる。だが、先程のモーションはケイが張った罠。背後から斬りかかってくるジョニーブラックに振り返って、ケイは拳を固めて腕を伸ばす。

 

体術スキル<光拳>

淡い青のライトエフェクトを纏ったケイの拳が、ジョニーブラックの短剣とぶつかり合う。ソードスキルのシステムアシストが効いている限りは、ダメージ以外の付与効果は受けない仕様になっている。

 

その僅かな時間をケイは利用する。今、ジョニーブラックは武器を押さえられている形になっている。この隙に、首を狙う────

 

 

「!」

 

 

ところで、ジョニーブラックの唇が吊り上がる。さらにケイの背後で、ザザがエストックを左薙ぎに振るっている。その先にあるのは、ケイ自身の首。

 

罠に嵌められたのはケイの方だったのだ。ジョニーブラックに大きな殺意を持っていた事を、二人は気づいていた。そして、そのケイの殺意を利用して罠に嵌めた。

 

ケイが冷静だったならば、それを悟って避けることができていただろう。だが、先程までのケイは殺意を抱き、傍からは冷静に見えたのだろうが、内心では決してそうではなかった。

 

ほんの少しの差ではあったが、その差が奴らに決定的なチャンスを与えてしまった。

 

 

「終わり、だ」

 

 

「あばよ、幻影!」

 

 

ザザとジョニーブラックが、確信を込めてケイに向かって言い放つ。これで終わりだと。これで詰みだ、と。確かに、ケイにとって危険な状況だというのは事実だ。だが…、ここで終わりだというのは、心外だ。

 

ケイの口元がニヤリと歪む。

 

握る手に力を込めて、腕の動きを止めるケイ。そしてケイは刀を握ってない方の拳でジョニーブラックの顔面を殴りつけて吹き飛ばす。

その後、手に持つ刀をザザが振るうエストック目掛けて振り下ろす。ここでジョニーブラックを仕留めるのを諦め、防御に徹した行動だが…、それでも間に合うかは微妙なタイミング。

 

ザザのエストックが、ケイの刀とぶつかるよりも先に首元に命中する。

 

 

「ケイ君!!」

 

 

「っ、なっ」

 

 

首に小さな赤いライトエフェクトが刻まれた瞬間、ケイを呼ぶ声が響き渡った。その直後、驚愕の声と同時にザザがケイの首からエストックを離し、あらぬ方向へとエストックを振るう。

 

ガキン、と金属音。ザザの眼前には、純白のレイピアをザザに向かって突き出す、アスナの姿があった。

 

 

「ちっ…。閃光」

 

 

「ケイ君、大丈夫!?」

 

 

邪魔さえ入らなければ決まっていたはずの攻撃を遮られたザザが、アスナを忌々し気に睨み付ける。アスナは、そんなザザの視線を物ともせず、背後に立っているケイを見遣って気遣う。

 

だが、ケイはアスナに返事を返すことができなかった。

 

 

「…ケイ君?」

 

 

黙ったままのケイが気になったのか、もう一度アスナが呼んでくる。だが、ケイは口を動かさない。

 

 

(俺は…、何をしてきた?)

 

 

アスナによって戦闘に一呼吸置かれ、それによってケイを襲ったのはこれまでの行動に対する混乱だった。

 

怒りに任せて、自分は人を殺した。それも、二人。それに加えて、さらにもう二人を殺そうとしていた。

 

ここで、ケイに先程ジョニーブラックが放った言葉が心に刺さる。

 

 

『わからねぇのかぁ?お前は俺達と同類になったんだよ!人殺し野郎ぉ!!』

 

 

人殺し…。そうなのか?自分は、奴らと同類なのか?

思い出せ、俺はあいつらを殺した時に何を感じた?…まさか、喜びや充実を感じてたりしてたのか?

 

 

「ケイ君!」

 

 

「っ…、アスナ…」

 

 

ケイ自身の体感では、何秒にも何分にも感じた。頬に、温もりを感じる。

 

 

「見てたよ。だから、ケイ君が今、何を考えてるのか…わかる」

 

 

「…」

 

 

頬に感じる温もりの正体は、ケイの頬に触れるアスナの掌だった。アスナは、微笑みを浮かべながらケイの頬を撫でて続ける。

 

 

「だから…、ここからは任せて」

 

 

「なっ…」

 

 

アスナがケイの頬から手を離して、体の向きをザザとジョニーブラックがいる方へと変える。

 

 

「あすっ…」

 

 

ケイが呼び止める間もなかった。アスナがレイピアを握り締めて、殺人鬼二人に向かって駆け出していった。ケイが伸ばした手は、虚しく空を握るのみ。

 

ケイの目の前で、アスナが駆けていく。これまでの行為に恐怖し、動けない自分と違って、アスナは前に向かって駆けていく。

 

 

「ひゃははは!まじか!閃光が一人で来やがったぜ!」

 

 

「飛んで火に入る、夏の虫、だな」

 

 

向かってくるアスナに対して、当然ザザとジョニーブラックは臨戦態勢を取る。

 

アスナは武器を構える二人にも怯まず、レイピアの切っ先を向けながらなお走る速度を上げていく。

 

 

「らぁあああああああああああ!!!」

 

 

「はぁあああああああああああ!!!」

 

 

出てきたのはジョニーブラック。交錯する二人は、それぞれの武器を打ち合い固まる。

 

 

「ダメだアスナ!すぐに下がれ!」

 

 

「っ!」

 

 

「遅い」

 

 

ケイの時と同じ展開。ジョニーブラックが囮となって対象の動きを止め、ジョニーブラックに隠れて死角からザザが襲う。

 

ザザが相手の動きを鈍らせれば、ジョニーブラックが毒で捕らえる。これが、あの二人で戦う場合の基本戦略だ。ケイの場合は、かわし、あるいはアスナのおかげで回避できた。

 

だがアスナは、この連携を見るのが初めてだったせいか、目に見えて反応が遅れている。

ザザのエストックの先が迫る中、アスナが回避しようと体を翻すが…間に合うようには見えない。

 

 

「くそっ!」

 

 

ケイが刀をアスナとザザの間に割り込ませ、アスナに迫る刃を受け止める。

 

 

「邪魔するな、幻影」

 

 

「邪魔するに決まってんだろうが!これ以上、殺させてたまるか!」

 

 

腕を伸ばし、何とか届かせたという不安定な体勢のまま無理やり体を捻って力を加え、刀を振り切ってザザを飛び退かせる。それを見て、すぐにアスナの前に割り込んで再びザザ、ジョニーブラックと対峙する。

 

 

「アスナ、ここは俺がやる。だから、お前は全体への指示を優先しろ」

 

 

「ケイ君…」

 

 

ザザとジョニーブラックを見据えたまま、ケイが言う。

 

キバオウというリーダーが消えた今、実質アスナがこの場のリーダーといって差し支えない。

こんな前線にいてはならないのだ。アスナは後方で他のプレイヤーをサポートしながら、全体の状況を見極めて判断を降さなければならない。

 

そう、ケイは考えていた。が────

 

 

「ごめんね」

 

 

「は?…いてっ」

 

 

突然の謝罪の意味を問う暇も無く、ケイは後頭部に衝撃を受けた。特に痛みなどは感じないのだが…、不意な出来事に思わず言葉が漏れてしまった。

 

 

「な、何すんだ!?」

 

 

振り返って声を荒げるケイ。当然だ。この状況で、アスナは何を考えているのか。

ケイにはこれっぽっちもわからなかった。

 

 

「さっきも言ったよ。ケイ君の考えてること、わかるって。だからこそ、この場をケイ君に任せる訳にはいかない」

 

 

息を呑むケイの目を、アスナはまっすぐ見つめる。

 

 

「私たちは、殺しに来たんじゃないんだよ?」

 

 

「っ────」

 

 

全部、全部、アスナには見透かされていた。自分が二人を殺そうとしていた事も。その理由が、何なのかも。全部。

 

 

「キバオウは駄目だったけど…、他の奴らは何とか間に合ったよ」

 

 

背後からアスナとは違う、今度は少年の声が聞こえてきた。その声の主が誰なのか、見ずともケイはすぐにわかる。

 

 

「キリト」

 

 

「とりあえず、お前は下がれ。正直、アスナみたいにお前の気持ちはわかるとは言えないけど…、けど、少なくとも今のお前に戦わせちゃいけないってことくらいはわかる」

 

 

キリトは言いながらケイの一歩前に出て、剣…ケイが授けた<エリュシデータ>を握って身構える。その直後、アスナが何も言わず、ケイの前に出てキリトの隣でレイピアを構える。

 

 

「黒の剣士、か。次から次へと」

 

 

「良いじゃねぇかよ!どんどん獲物が増えてくのはよぉ!!」

 

 

攻略組トッププレイヤーすらをも、獲物と評する奴らの心の狂気はどれほどのものなのか。

それを考えると同時、ケイの中で怒りが再燃する。

 

 

(…これだから、こいつらに駄目出しされんだよな)

 

 

だが、すぐに怒りの炎を鎮めるべく深く息を吐く。少しずつ、内心の火が消えていくのを感じながら、ケイは口を開く。

 

 

「じゃ、任せる。…同類には、なりたくないから」

 

 

「うん、任されました」

 

 

「すぐに終わらせて、勝利の報告届けてやるよ」

 

 

アスナとキリトの返事の言葉から、今、二人がどんな表情をしているか読み取れる。きっと、アスナは微笑んで…キリトは悪戯っぽい笑みでも浮かべてるんだろう。うん、わかる。

 

そんな二人の表情を頭の中で思い浮かべて、思わずケイは噴き出してしまう。

 

 

「近くにサチ達がいる。合流してくれ」

 

 

「あぁ、わかった」

 

 

ケイがアスナとキリト、ザザとジョニーブラックに背を向けると、再び背後からキリトの声が届く。その声に短く返事を返してから、ケイは駆けだした。

 

 

「なっ!幻影、逃げんのか!?」

 

 

「逃がさない」

 

 

駆けだすケイの背中を見て、すぐさまジョニーブラックとザザが追いかけようとする。

 

 

「待てよ。あんたらの相手は…」

 

 

「私達だから」

 

 

しかし、二人の前には黒の剣士と白の閃光が立ちはだかる。二人はケイを追いかけるのを止め、前に立ちはだかる二人に意識を集中させて対峙する。

 

 

「ちっ…。しゃあねぇ。まずはお前らから殺す!」

 

 

「黒の剣士、閃光。…死ね」

 

 

それぞれがそれぞれの得物を向かい側にいる相手に向ける。

 

直後、四つの軌跡が一瞬にして距離を詰め、交錯した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、ケイさん!こっちです!」

 

 

手を振るケイタの姿を見つけたのは、駆け出してからすぐの事だった。ケイは、軍のメンバーを安全地帯へと連れて行った月夜の黒猫団と合流し、一息つく。

 

 

「…」

 

 

刀を鞘に戻し、すぐにこれから自分がするべきことを決めてから地面に座り込む軍のプレイヤー達を見下ろす。

 

 

「…すまなかった」

 

 

「え?」

 

 

突然のケイの謝罪に、呆けた声を漏らしたのはキバオウの一番傍にいたプレイヤーだった。頭から顔の鼻から上を覆う兜のせいで目は見えないが、間違いなくケイを見上げているだろう。

 

 

「キバオウは俺を庇って死んだ。…俺が殺したようなものだ」

 

 

ケイの言葉に誰も返事を返すことができない。

 

言おうとはしているのだ。お前のせいじゃない、と。だが、何かの覚悟を秘めるケイの眸を目にすると、その言葉は喉の奥へと仕舞い込まれてしまう。

 

 

「ど、どこに行くの?ダメだよ、ケイ君は…」

 

 

「ありがと、サチ。けど、行かなきゃいけない。復讐なんかじゃない。この戦いを終わらせるために、どの道誰かが行かなきゃいけない」

 

 

終わりの見えないこの戦いを、終わらせるために。ケイは、ラフコフプレイヤー達が多くなだれ込んでくる方へ目を向ける。

そっちに、あいつがいるはずだ。この戦いを起こした…、ラフィンコフィンの…いや、全ての犯罪行為が起こる発端となった男が。

 

 

「全部、片づけてくる」

 

 

ケイはそう一言呟いてから、視線を向けた方へと足を踏み出し、飛び出していった。

背後からかけられる制止の声を振り切って、戦いの決着をつけるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第34話 <抜刀術>VS<暗黒剣>

オリジナルの設定が混じっています。










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘッドぉ、俺も行ってきていいすか!?もう我慢できねぇ!!」

 

 

胡坐をかく黒ポンチョの男の傍に立つっている仮面の男が、その男の頭を見下ろしながら言った。

 

 

「ダメだ。お前らはここで待ってろ」

 

 

「さっきっからそればっか言ってるっすけど…、ヘッドぉ。だぁれも来る気配ねぇっすよ?」

 

 

ヘッドと呼ばれた男は、その言葉には何も返さずただ正面を…今、自分の駒と攻略組が戦闘を繰り広げている方へ視線を向けたまま動かない。

 

男は予感…いや、確信していた。

もうすぐか、はたまたまだ時間がかかるか。どちらかはわからないが、奴が必ず、自身の前に現れる事を。

 

そして、その確信めいた予感は直後、当たる事となる。

 

 

「おい!何だてめぇは!?」

 

 

「あ?」

 

 

怒声が聞こえてくる。ここからそう遠くはない。周りに立つ男たちは聞こえてきた声に顔を上げ、その方へと顔を向ける。

 

黒ポンチョの男は、周りが動揺に動く中、視線も動かさずただその方向を見続ける。

 

 

「がぁっ!?あ、足がぁっ!」

 

 

「て、てめぇ!とまりやが…ぐほぉっ!?」

 

 

「何だ…何だ!てめぇは!?」

 

 

視界の中で、時折、まるで漫画か何かの様に人が跳ね飛ばされているのが見える。さらに、悲鳴染みた怒声がだんだん近づいてくる。それはつまり、この事態を引き起こしている人物がこちらに近づいてきている。

 

 

「ま、待て!これ以上は…ぐえぇっ!」

 

 

「な、何が起こってるってんだ…」

 

 

再び聞こえてくる悲鳴。直後、黒ポンチョの男の傍らに立つ男が震える声で呟く。

その呟きを聞き流しながら、黒ポンチョの男は前に立つ男たちの間から覗いた、黒の浴衣を身に着け、その上から紺の羽織を羽織るプレイヤーを見つけ、真っ赤な唇を裂いて笑みを浮かべる。

 

 

「待ちくたびれたぜぇ…。幻影ぃ…」

 

 

「待たせたつもりはねぇし、待ってほしくもなかったわ。この場から消えてたら楽に済んでたのによ」

 

 

笑みを浮かべる男の顔を見て、目の前の浴衣を着た男が憂鬱そうな表情を浮かべる。

だがすぐに、目の前の男は表情を引き締めてこちらを見据えてくる。

 

 

「潰す」

 

 

そのつぶやきが聞こえた瞬間、思わず自分の口から笑いが零れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

不気味な格好をしたプレイヤーに、守られているように囲まれて腰を下ろしている黒ポンチョの男。

 

その男こそ、殺人ギルド<ラフィンコフィン>のリーダーPoH。アインクラッドで蔓延する全ての犯罪の基。

 

遅かれ早かれ、自身と交わらざるを得なかっただろう敵。

 

 

「潰す、か…。そりゃぁ、こっちのセリフだぜぇ、幻影ぃ?」

 

 

ゆっくりと。戦闘が始まってからずっと、その場で座り続けていたPoHが、立ち上がる。

目深にフードを被っているせいで目は見えないが、狂喜に染まっている事は想像できる。その口元が、笑みの形に歪んでいるのがよく見えるから。

 

 

「てめぇは派手に暴れ回ったんだろうけどよぉ…、こちとらここで座りっぱなしで退屈だったんぜぇ?」

 

 

「んなの知るか。お前の都合なんかどうでもいいわ」

 

 

「ったく…、冷たいねぇ」

 

 

ケイと話しながら、立ち上がったPoHが今度は腰の鞘から剣を抜く。それが露わになった途端…、ケイ以外の、ラフコフメンバー達が息を呑んだ。

 

 

「へ、ヘッドが…剣を抜いた…」

 

 

「まじかよ…、やべぇな…」

 

 

彼らの顔に浮かぶのは、恐怖。総じて、同じグループにいる者に向けるような顔じゃない。

 

 

「それが、<友切包丁(メイトチョッパー)>ってやつか」

 

 

「あ?知ってんのか。まぁいいや。おら、てめぇら邪魔だ。すぐにここから消えろ」

 

 

PoHが抜いた剣、それは、包丁というべき形をした物。現実では馴染み深い代物ではあるが…、このアインクラッドでの、特にPoHが持ってるそれは刃が血の色で濁っており、見る者によっては吐き気を催すほどの不気味さを漂わせている。

 

<友切包丁>。PoHが持つその剣は、魔剣と呼ばれている、モンスターから稀に、それも限られた種類からドロップしないかなり希少で、他の武器とは比べ物にならない性能を持っている。

キリトが持つ、<エリュシデータ>と遜色ない性能を持っているだろう。

 

その<友切包丁>で、どんな目に遭ったのかはわからない。だが、PoHが消えろと口にした途端、周りにいたラフコフメンバー達が散り散りに逃げ出していった。

 

 

「これで邪魔者はいなくなった。…とことん、闘り合おうじゃねぇかぁ」

 

 

「ま、お前にだけ意識を向ければいいのは楽だわな。…部下を逃がした事、後悔すんなよ」

 

 

ケイは鞘に収めた刀の柄に手をかけて、PoHは<友切包丁>の先をケイに向ける。

 

 

「It’s show time.」

 

 

そんなPoHの言葉が合図となったかのように、ケイとPoHは全くの同時のタイミングで駆けだす。

 

ケイは鞘から刃を抜き放ち、PoHは<友切包丁>を持っている方の腕を回し、腰溜めに構えて振るう。

 

<抜刀術>の恩恵を受けたソードスキル<雷鳴>が、赤いライトエフェクトを纏った<友切包丁>の刃を捉える。

 

耳障りな金属音が鳴り響き、一瞬、二つの力が拮抗した直後。ケイは目を見開いた。

 

 

(な、んだ…。こいつ…!?)

 

 

<友切包丁>は、カテゴリで言えば短剣に分類される。つまり、本来なら力比べは刀を使うケイに分があるはずなのだ。

 

だが、それなのに、力で押し込まれているのはケイだった。

 

次第に体勢が後ろへと傾き、それと同時にPoHから伝わってくる力が増していく。

 

 

(まずい…!)

 

 

不安定な体勢で力比べを続けるわけにはいかない。このままでは押し切られ、ソードスキル強制中断の長い硬直時間に襲われてしまう。

そうなれば、ケイに待つのは…死のみ。

 

 

「ちぃっ!」

 

 

「おぉ?」

 

 

ソードスキルを保ったまま、ケイはライトエフェクトを灯した右足をPoHに向かって突き出す。

 

体術スキル<突蹴>は空を切ったが、PoHが身を翻した事によってケイは自由を得る。

ソードスキルはすぐに終了し、僅かな硬直時間の後にケイはすぐさまPoHから距離を取る。

 

 

「何だよ…今のは…!」

 

 

「くくっ…」

 

 

距離を取ったケイをPoHは追わなかった。その場で立ったまま、警戒するように睨んでくるケイを笑みを浮かべたまま見返す。

 

 

「てめぇの<抜刀術>や、ヒースクリフの<神聖剣>と同じだ。俺にも、ユニークスキルがあるのさ」

 

 

目を見開く。何を言ってる?ユニークスキルを…こいつが持っている?

 

ここで、ケイはPoHに起きている異常な事態に気付く。それは、PoHのHPバーで起きていた。

 

ケイはまだPoHに攻撃を当てていない。小攻撃も、掠りすらもしていない。それにも関わらず、PoHのHPが僅かに減っている。

 

 

「俺のユニークスキル…<暗黒剣>はなぁ…」

 

 

PoHが唇の片端を吊り上げながら、一騎に距離を詰めてくる。

 

 

「くっ…」

 

 

ケイは姿勢を落とし、先程のような衝撃を想定して身構える。

 

 

「HPを犠牲にして、威力を増大させる!」

 

 

PoHが振り下ろす<友切包丁>を、刃の腹にもう一方の手を添えて押さえる。

体勢が地に整えられているおかげか、ソードスキルをPoHが使っていないおかげか、先程よりも押し込まれていない。

 

 

「HPを犠牲に…だと…!?」

 

 

PoHの言葉にケイは目を見開く。

 

HPを犠牲に攻撃力を上げる。言うのは簡単だ。だが、実際はそんな簡単なものではない。HPを犠牲にという事は、現実の命も削るという事だ。<暗黒剣>の効力は今も味わい身に染みている。

 

しかし、それに見合うどころじゃない。普通の人間ならば決して使わないと心に決めるだろう程のリスクが、<暗黒剣>にはある。

それでも、PoHは何の躊躇いもなく使用している。

 

 

「どんな神経してんだお前は…」

 

 

「はっ、褒めんなよ」

 

 

「褒めてねぇよくそが!」

 

 

ケイとPoHは同時に距離を取り、再び初めの時と同じように互いの刃にライトエフェクトを灯らせ、向かっていく。

 

刀上位五連撃スキル<豪嵐>

 

暗黒剣上位五連撃スキル<カオス・コネクト>

 

嵐纏う青の剣戟と、どこまでも黒く深い闇の剣戟がぶつかり合う。五連撃、五連撃と手数は互角。勝負をつけるのは、技の破壊力、もしくは速さ。

 

 

「くはっはは!」

 

 

「くっ…そ…!」

 

 

時折、体の位置を入れ替えながら互いに技を打ち込むケイとPoH。

スピードで勝っているのはケイだ。先手先手を取り、打ち合いを優位に運ぼうとしている。だがそれを覆す、PoHの…<暗黒剣>の威力。先手を取っているにもかかわらず、強引に打ち合いの流れを持っていこうとするPoHに、次第に押され始める。

 

 

「シャァアアアアアアアアアア!!」

 

 

「っ!」

 

 

四度の打ち合いを終え、互いのソードスキルの最後の一撃になる。PoHが互いの体勢により見下ろす形となったケイに向けて、<友切包丁>を振り下ろす。

 

それを目にした瞬間────ケイは、止めた。

 

それは、以前にキリトと行ったデュエルの決着をつけた時と同じ事。

脳だけでなく体全体で、システムアシストに抗って無理やりスキルの出を遅らせる。

 

 

「!?」

 

 

PoHの目が見開かれるのが見えた。システムに抗いながら、ケイはPoHが振り下ろす刃の軌跡を目で追い、体を翻して回避。直後、ケイはシステムへの抵抗を止め、全力を一撃に込め、PoHに向かって打ち込む。

 

<豪嵐>の最後の一撃。PoHの懐に潜り込み、防御も回避も不可能なタイミングでケイの一撃が吸い込まれていく。

 

勝った

 

この瞬間、ケイの頭の中でその一言が過った。PoHのスキルは未だ続いている。ここでこの一撃をもろに受ければ、大ダメージのみならずスキル強制中断による長い硬直時間がPoHを襲う。

 

硬直時間がPoHを襲えば、奴の武器を奪って捕らえることができる。

ケイは、この一手で勝てると疑わなかった。

 

 

(よしっ、いけ…!?)

 

 

瞬間、PoHの目がぎょろり、とケイの刃の先を追った。さらにPoHの体は回転し、手に握る<友切包丁>がケイが振るう刀に向かってくる。

 

 

(反応、しやがった…!)

 

 

PoHの胴体に吸い込まれていくケイの斬撃が、闇の斬撃に阻まれる。

 

互いの全力を以て打ち込んだ斬撃がぶつかり合った瞬間、辺り一帯に衝撃による風が吹き荒れた。

 

ケイの肩を覆っていた羽織が吹き飛ばされる。PoHが被っていたフードが脱げ、これまで見えなかった素顔が露わになる。

 

スキルのライトエフェクトはまだ消えない。力を込め続け、相手を打ち倒さんと踏ん張り続ける。その凄まじさが現れたように、ぶつかり合う二つの刃から、天に向かって閃光が打ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ…そがぁ…!」

 

 

「ちっ…」

 

 

アスナの目の前で、両手両足をロープで縛られ動きを封じられているジョニーブラックとザザが這い蹲っている。ケイがこの場から離れ、戦闘を開始したアスナ達だったが…、そのまま馬鹿正直に二対二で戦うはずもなく。当初は苦戦を強いられたものの、加勢に来た増援のおかげで比較的容易に拘束することができた。

 

そして攻略組対ラフィンコフィンの全面戦争も大詰めを迎えていた。奇襲を受け、さらに死を恐れず特攻してくるラフィンコフィンに面を喰らい、苦戦していた攻略組だったが戦いが長引けば当然のことで。数で勝る攻略組は、今この場にいるほとんどのラフコフメンバーを拘束した形になっている。

 

勿論、無傷ではない。ほとんどのプレイヤーがダメージを負い、中にはHPが注意域や危険域に達しているプレイヤーもいる。

死者も、出た。攻略組からも、ラフィンコフィン側からも。

 

 

「…はぁ」

 

 

「お疲れ、アスナ」

 

 

正直、幹部であるザザとジョニーブラックを拘束した以上、攻略組の勝利は約束されたに等しい。後はボスであるPoHがいるが、未だこの場に姿を現していない。

何を考えているのかわからない、不気味な男ではあるが…この戦場を見る限り、一発逆転となる一手があるとは考えにくい。

 

一息つくアスナに、キリトが声を掛けてくる。アスナはキリトの方に目だけを向けて一度頷く。

 

 

「これで終わり…かな」

 

 

「…そうだといいんだけど」

 

 

今度はアスナからキリトに声を掛ける。その声には、不安気な感情と願望が入り混じっていた。キリトもまた、アスナと同じように返事を返す。

 

勝利。そうとしか言いようのない光景が戦場で広がっている。だが、それでも、不安になってしまうのはラフィンコフィンという組織の不気味さ故か、まだ姿を見せないPoHという男の存在故か。

 

 

「キリト!アスナ!」

 

 

「サチ?」

 

 

その時だった。背後から二人を呼ぶ少女の声が聞こえてきたのは。振り返れば、そこにはこちらに駆け寄ってくるサチの姿があった。サチは二人の前で立ち止まると、僅かに乱れた息を整えてから口を開いた。

 

 

「あの…、ケイ君、こっちに来てない…よね?」

 

 

「え?来てないけど…、どうして?」

 

 

口を開いたサチが聞いてきたのは、ケイについてだった。ケイと別れてから姿は見てないと、アスナがサチに伝える。

 

すると、サチが表情を曇らせながら言った。

 

 

「ケイ君、急にどこかに行っちゃって…。『全部、終わらせてくる』って言って…」

 

 

「っ!」

 

 

「まさか…」

 

 

サチの言葉を聞いて、アスナとキリトの中である疑問が晴れる。その疑問とは、この状況になっても姿を見せないPoHの事だ。本来なら、ラフィンコフィンにとって不利な状況になる前に彼は姿を現すべきだった。

 

だが、何故か姿を見せない。それは何故か。

 

 

(姿を見せないんじゃない…。見せられないんだとしたら…!)

 

 

サチが言った、急にどこかへ行ったというケイ。そして、まだこの場に来ないPoH。

アスナとキリトの中で、ある確信が生まれる。

 

 

「サチ!ケイ君は…、ケイ君はどっちの方向に行った!?」

 

 

「え?えっと…、確か…」

 

 

アスナが両手でサチの肩を掴んで詰め寄りながら問いかける。アスナの、ただ事じゃないその表情に戸惑いながらも、サチがある方向に顔を向け、その方へ指を差そうとした、その時だった。

 

突如、どこからか轟音が鳴り響く。

 

 

「「「!!?」」」

 

 

アスナ、キリト、サチだけではない。この場にいる全てのプレイヤーが驚愕し、轟音が聞こえてきた方へと視線を向ける。

 

 

「な、何だ…あれは…」

 

 

呆然と呟いたのは誰か。アスナには分からない。だが、この場にいる誰もが同じ方向を、その光景を信じられない面持ちで眺めている事だけは何となくわかった。

 

アスナ達が向けている視線の先。そこには、天へと昇っていく凄まじい閃光が打ち上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




<暗黒剣>についていろいろ調べたのですが、原作は勿論Web版でも詳しく後悔されていなかったみたいです。
なので、<暗黒剣>について考察しているサイトも調べて、さらに私自身の勝手な想像も合わせて…。PoHが言ったような設定になりました。

正確には、【通常攻撃、ソードスキル共に<短剣>による攻撃の威力を増大させる。だが、<短剣>で相手に攻撃を当てる(防御された場合も含む。だが回避は含まない。)ごとに暗黒剣を使用するプレイヤーのHPが一定時間ごとに一定数減少する。】です。


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第35話 終結

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ…ぁぁっ!」

 

 

「はぁぁぁぁぁ…」

 

 

歯を食い縛って力を込めるケイと、息を吐くように声を漏らすPoH。二人のぶつかり合いは未だ続いていた。ぶつかり合う刃からは閃光が上がり、二人が踏み締める土が沈み始める。

 

 

「「っ!」」

 

 

互いがさらに力を入れ、相手を押し込んでやろうとしたその時だった。

ぶつかり合う刃、閃光を上げる二つの刃から謎のノイズが奔る。ザザザッ、とラジオでチャンネルが合わない時によく聞く音が響いた瞬間、ケイとPoHは弾かれるようにして同時に距離を取る。

 

そして、ここまでの流れなら、体勢を整えてすぐ相手に向かって行ったはずのケイは戸惑いのせいかすぐには身動きを取れなかった。

 

だが、先程の謎の現象の理由を考察する暇も無く。戸惑うケイとは違い、即座に立て直したPoHがケイに向かってきていた。

 

ケイは思考を切って、目の前のPoHに意識を向ける。

 

ソードスキルは使わない。純粋な剣技を以てケイとPoHは交錯を続ける。

 

 

「はっ!」

 

 

「ちっ…!」

 

 

スキル皆無の戦闘ではケイが優勢だった。POHの斬撃を弾きながら、隙を突いて反撃を入れていく。

 

 

(現実での経験が、こんな所で役に立つなんてな!)

 

 

内心で、現実で続けていた趣味に感謝しながらケイは体勢を崩したPoH目掛けて刀を突く。

 

 

「がっ…!」

 

 

ここで、戦闘が開始されてから初めて、PoHの表情が苦悶に染まった。PoHの胸、現実ならば心臓があるだろう所に向かって刀を突いたケイだったが、それに反応したPoHの回避行動によって狙いは外れる。

 

だが、それでもケイの突きは命中し、PoHの左肩にはケイの刀が貫通していた。

 

SAOでは、どんな力で殴られても、剣で斬られても痛みは感じない。だがその代わりというべきか、痛みではないのだが形容し難い不快感を感じるのだ。特に、今のPoHのように、武器が体を貫いている状態は。

 

 

「武器で貫かれるのは初めてか?別に痛くはないだろ」

 

 

「くく…。痛くはない…が、良い気持ちにはならねぇなぁ!」

 

 

皮肉の笑みを浮かべながら問いかけるケイに、PoHもまた笑みを返す。

 

直後、PoHは肩を貫いた刃に切り裂かれることも厭わずに、体を翻してケイの刀を抜く。

 

 

「!」

 

 

PoHの左肩からその首元にかけてケイの刀が切り裂き、傷跡から赤いライトエフェクトが零れる。そのHPが削れるのも厭わないPoHの強行に目を見開きながらも、直後のPoHの反撃に対し、ケイはすぐに距離を取る。

 

しかしPoHは距離を取るケイに向かって追い縋り、再び黒のライトエフェクトを灯した<友切包丁>を振るう。

 

暗黒剣上位重単発攻撃スキル<ヴェンジェンス>

 

 

「…」

 

 

PoHの一撃が迫る中、ケイは目を逸らすことなく、視線を動かすこともなく、黒の軌跡のみを追っていた。

そして、このコンマ一秒の遅れも許されないこの状況で、ケイは刀を鞘へと戻す。

 

<抜刀術>の使用。この状況の中で、ケイが選んだ選択肢はそれだった。それもただの、<抜刀術>の恩恵を受けたソードスキルではない。

 

 

「っ!?」

 

 

PoHの目が見開かれる。彼の視線の先には、鞘をも巻き込んで白く発光するケイの刀があった。

 

<抜刀術>カテゴリにおいて、唯一のソードスキル。<瞬光>

 

ケイは、神速の一撃を<友切包丁>を握るPoHの手首目掛けて打ち放った。

 

 

「Wow…」

 

 

PoHの口から驚愕の声が漏れる。そのPoHの頭上では、先程ケイが斬り飛ばしたPoHの手首から先と、手から離れた<友切包丁>が飛んでいた。

 

ケイはソードスキル使用後の、PoHはソードスキル強制中断による硬直が訪れる。

そんな中、ケイが斬り飛ばしたPoHの手の破砕音が響き渡った。

 

 

「っ────」

 

 

その直後、硬直から解き放たれたケイが動く。左薙ぎで振り切った体勢から、袈裟気味に刀を振り下ろす。

 

PoHは硬直でまだ動けない。これで残ったPoHの左腕を切り落として決着。

そうなる、はずだった。

 

 

「HAaa…っ!」

 

 

「は…!?」

 

 

これまでに聞いてきた、愉悦に満ちた叫びではない。もっと、何かに縋る、必死さに満ちた叫びだった。

 

呆けた声を漏らすケイの目の前で、未だ硬直から抜けられないはずのPoHが、動いた。

後方へと跳躍し、頭上から落ちてくる<友切包丁>を残った左手で掴み取ってケイを見据える。

 

 

(やっ…ば!)

 

 

左手で掴んだPoHの<友切包丁>。それが、見た事がない程に強烈な光を発したのを見て、ケイは本能的に危機を感じた。光の色が黒のため、目が眩んだりという事にはならない。

だが…、PoHが使おうとしているスキルを受ければ、一瞬で終わるとケイは確信した。

 

刀最上位九連撃スキル<獄炎>

 

暗黒剣最上位十連撃スキル<ディストラクション>

 

最大級の威力を誇り、連撃数もそれぞれの最大の数を誇る必殺のソードスキル。

だが、ケイもPoHも確信していた。

 

勝負は、初撃の一撃で、全てが決まる。

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアァ!!!」

 

 

「Fooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!」

 

 

喉がどうなろうと構わないとばかりに叫び、自身に喝を込め、相手を潰すべく一撃を繰り出す。

 

一撃のぶつかり合いは、先程の様に長い物にはならなかった。二人の考え通り、一瞬で全てが決した。

 

互いの刃がぶつかり合った瞬間、轟音が鳴り響く。二人が立つ地面が割れ、周りにある木のオブジェクトが折れ、何もかもを破壊する轟音が二人を呑み込む。

 

 

「っ…」

 

 

刃から伝わってくる衝撃に吹き飛ばされないように踏ん張った…気がする。よく覚えていない。

 

ケイの意識は、ここで途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、アスナ!待てって!」

 

 

背後からキリトの声が聞こえてくる。自分を呼び止めようとしているのはわかるが…、アスナは止まらない。止まることができなかった。

 

先程見た、空に上がっていく閃光。今はもう消えてしまったが、あれは恐らく…。

 

 

(ケイ君…!)

 

 

いつもそうだ。何でも一人で背負い込んで、人を相棒と呼びながら、結局は一人で片付けようとする。

あの時、自分とキリトの言葉に従って素直に下がったケイを見て、少しは落ち着いたのだろうかと思った自分が馬鹿だった。

 

ケイは何も変わってない。放っておけば、手が届かない場所まで突っ込んでいって、いつかは────

 

 

「「!」」

 

 

そこまで思考が進んだ時だった。かなり近くの方からだろうか、凄まじい轟音が二人の鼓膜を揺らす。

 

思わず足を止めたアスナとキリトは、一度目を見合わせた後に再び走り出す。

 

あの閃光が打ち上がった方へ。先程、轟音が聞こえてきた方へ。

 

そうして走っている内に、視界の中で不自然に開けた場所が見えてきた。アスナとキリトはその光景に僅かな疑問を浮かべつつも、スピードを緩めずにその場所へと足を踏み入れる。

 

 

「な、何だよ…これ…」

 

 

そして、そこで広がる光景に、思わず二人は立ち止まった。信じられないように、呆然と言葉を漏らしたのはキリト。

 

アスナもまた、言葉には出さないものの驚愕を顔にありありと表していた。

 

割れ目がまるで蜘蛛の巣の様に描かれた地面に、周りでは斬り倒されたのかはたまた別の理由か、切り株のみになった木がたくさんある。

 

まるで、小規模な爆弾がその場で炸裂したかのような、そんな光景がアスナとキリトの目の前で広がっていた。

 

 

「っ、ケイ君!」

 

 

光景を見回したアスナが、ふと切り株に背を置いてぐったりと座り込むプレイヤーを見つけた。それを見たアスナは、何かを考える前に名前を呼び、そのプレイヤーへと駆け寄った。

 

 

「ケイ君!しっかりして、ケイ君!!」

 

 

「…っ」

 

 

プレイヤーの、ケイの体を抱えて揺らしながらアスナが呼びかける。ケイは気を失っているのか、アスナの呼びかけに少しの間、何の反応も示さなかったのだが、少しすると、苦し気に眉を顰め、瞼がゆっくりと開いていく。

 

 

「ケイ君!」

 

 

「ケイ!」

 

 

両目を開いたケイに、アスナと彼女に続いてケイに駆け寄っていたキリトが呼びかける。

ケイは自分を抱えるアスナと、その後ろにいるキリトと視線を動かして見回した。

 

 

「アスナ…、キリト…。お前ら、どうしてここに…」

 

 

「どうしてじゃないわよ!そんなの…、こっちのセリフよ!」

 

 

アスナの手から離れながら問いかけてくるケイに、思わずアスナは激昂してしまった。どうして、と問いかけてきたケイに対して、アスナは両拳を握る。

 

 

「どうして…どうして、ケイ君は…!」

 

 

「…っ、アスナ!」

 

 

アスナがケイに対して疑問を投げかけようとした時、ケイが突如勢いよく立ち上がり、アスナの前へと躍り出る。

 

アスナは目を丸くし、ケイの姿を目で追う。

 

 

「ぁ…」

 

 

目の前にはケイの背中が見えるが、それだけではない。ケイの奥、ケイが座り込んでいた場所と丁度対面側に位置する場所。そこで、奴はケイと同じように座り込んでいた。

だが、奴はゆっくりと立ち上がり、だらりと左腕を下ろすと奴を見据えるケイに笑みを向けた。

 

 

「PoH…!」

 

 

ケイが対面側にいる人物の名前を口にする。アインクラッド内、最大最悪の犯罪者であり、ここまでケイと死闘を繰り広げたPoHが、そこに立っていた。

 

ケイが斬り飛ばした右腕は未だ戻っておらず、残った左手には何も持っていない。ケイもまた得物を手放しており、どうやら同じようにPoHもまたどこかに得物を飛ばされてしまったのだろう。

 

 

「ククク…。ざまぁねぇなァ…、お互いボロボロになって、結局、決着は着かず終いかよ…」

 

 

どこか自嘲気味にも聞こえるPoHの呟きに、真っ先に反応したのはキリトだった。

 

 

「バカを言うな。武器を持たないお前を捕まえるのは簡単だ。逃げられると思うなよ」

 

 

まるで、ケイ達三人から容易く逃げられると言わんばかりの口ぶりで言うPoHに、キリトが言い放った。

 

いくら武器を持っていない状態とはいえ、目の前にいるのはPoH.。キリトは警戒を緩めず、<エリュシデータ>を構えてPoHと対峙する。

 

 

「…お前ぇじゃダメだ、黒の剣士。お前ぇじゃ、おれの相手は務まらねェ」

 

 

「…試してみるか?」

 

 

警戒は緩めないが…、素手の状態のPoHに負ける気はしない。キリトは、まだ自由には体を動かせない様子のPoHと向き合う。

 

 

「私のことも、忘れてないでしょうね」

 

 

キリトだけではない。アスナもまた、ケイの前から歩き出て、キリトの隣でPoHと対峙する。

 

 

「閃光…」

 

 

アスナが前に出てもなお、顔に浮かべる笑みを崩さないPoH。

 

 

「…やめておくか。ここで無茶する必要もねェ。それに────」

 

 

だが、さすがにキリトとアスナの二人を相手取るのは辛いと考えたのか、キリトへ吐いたセリフとは正反対のセリフを言うPoH。

するとPoHは、ぐったりと曲げていた背を真っ直ぐに伸ばし、通常の体勢に戻してから言葉を続けた。

 

 

「もう、時間切れみたいだしな」

 

 

そう言いながら、PoHが懐から取り出したのは転移結晶。どうやらここで戦闘を諦め、逃げ出す算段の様だ。

 

 

「逃がすと思うか?PoH」

 

 

「逃げられないと思うか?黒の剣士。それに…」

 

 

キリトの挑発に対し、PoHは挑発で返す。そのPoHの余裕な態度にケイは内心怪訝に感じる。

転移結晶はすぐに取り出せるように用意していたみたいだが、転移する対象の街の詠唱中に取り押さえられる自信はある。そしてそれは、ケイだけでなくキリトとアスナも同じだろう。

 

この攻略組の中でもトップと言われる三人のプレイヤー。…自分に関しては不本意ではあるが、それでもこの状況でも余裕を保っていられるPoHに怪しさを感じる。

 

ケイの怪訝な視線を受けながら、PoHは言葉を続けた。

 

 

「時間切れと、言っただろう?」

 

 

「?」

 

 

PoHがその言葉を言った時だった。ケイはある奇妙な光景に気付く。

 

 

(霧、か?)

 

 

それはまだ薄く、比較的距離が離れてるPoHの顔もはっきり見えるほどではあるが、ケイ達がいる場所で霧が発生していた。そして同時に、ケイの脳裏である光景が思い出される。

 

 

(そういえば、ここに来てすぐも霧が出てたな…。それも、少し離れた程度でも他の人の顔も見れなくなるくらいの…)

 

 

ケイが内心で呟いている間にも、異常なペースで霧がどんどん濃くなっていく。ケイの視界に映る光景と、脳裏で蘇る光景がだんだんと一致していく。

 

 

「なぁ…、どうして俺達の奇襲に、お前らが気が付かなかったと思う?幻影と黒の剣士は、索敵スキルがかなり高いってのになァ?」

 

 

すると、急にPoHが話し始める。それは、キバオウが真っ先に被害に遭ったあの奇襲について。

 

 

「何を…」

 

 

「あの時も、こんな風に…霧が濃かったなァ?」

 

 

そう、確かにPoHの言う通り、あの時は今と同じく霧が濃く広がっていた。

だがそれが、一体何だと────

 

 

「…なるほど、そういうことか」

 

 

「…キリト、お前も気付いたか」

 

 

「あぁ」

 

 

そこまで思考を進めていた時、ケイの思考はある事実に辿り着く。

そしてそれはあまりに単純で、簡単で、どうしてここまでそれがわからなかったのかと不思議に思えるほどだった。

 

 

「この霧は、プレイヤーの索敵スキルを無効化する」

 

 

「え…!?」

 

 

索敵スキルを基本、使わないアスナはわからなかったようだ。まぁ、実際に索敵スキルをあの場で使っていなければ異変にすら気が付くことも出来ないだろうから仕方ないのだが。

 

 

「そうだ。つまり、俺の逃走が成功する確率が格段に上がるわけだ…っ!」

 

 

「!待て!」

 

 

突如、PoHが体を翻し、こちらに背を向けて駆けだしていった。それを、キリトが慌てて追いかける。

 

 

「くっ!」

 

 

「あっ!ま、待って!ケイ君!」

 

 

それに続いてケイが、アスナが駆けだす。

 

 

(ダメだ!ここであいつを逃がしたら、結局何も変わらねぇ!)

 

 

追いかけながらケイは心の中で焦りを募らせる。

ここでPoHを捕らえなければならない。<ラフィンコフィン>という組織は、これで壊滅状態にはなるだろうが、PoHを捕らえなければまた、どんな形であろうと、殺人ギルドは復活する。

 

それがわかっているからこそ、ケイはここで何としてもPoHを捕らえたかった。

<ラフィンコフィン>という組織に関しては、あわよくばという気持ちでここに来ていた。ケイの本命は、PoHの捕獲─────

 

 

「くっ…!視界が…!」

 

 

だが、白く濃い霧がケイの視界を奪う。さらにここは深い森の中。おかげで、視界が利かないせいで上手く走れず、PoHに追いつくことができない。

 

 

「あばよ、幻影。…また、会おうぜ」

 

 

「っ、PoH!」

 

 

逃げられる

 

この一言が脳裏を過った瞬間、ケイの耳元で何者かが囁いた声がした。ケイはすぐにその正体を悟り、声が聞こえてきた方へと振り向く。

 

そこには…、何もいない。見えるのは視界を覆う白い霧のみ。だが、ケイが振り向いた直後に、再びあの低い男の声が耳に届いた。

 

 

「転移、────」

 

 

「待…!」

 

 

聞こえてきたのは、転移結晶を使用するための詠唱。そして直後、転移の光に包まれる際に響く涼やかな音。

 

転移した先を聞き取る事は出来なかった。…完全に、PoHの行方を、見失ってしまった。

 

 

「…くそ」

 

 

「ケイ君!」

 

 

PoHを逃がしてしまった事の後悔が籠った悪態を漏らす中、霧の中からアスナが姿を現す。

ケイがこちらに駆け寄ってくるアスナに視線を向けると、アスナは立ち止まって恐る恐るといった感じで口を開いた。

 

 

「…PoHは」

 

 

「…悪い、逃がした」

 

 

簡潔なアスナの問いかけに、簡潔な答えを返すケイ。だが、この短い言葉にどれだけの悔いの思いが込められてるか。

それを感じ取ったアスナは、視線を外して空を見上げるケイに何も言わない。

 

ケイとアスナはその場で動かず、再び霧が晴れ始めた頃にキリトが戻ってくるまで沈黙が流れ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後に、ラフコフ討伐戦と呼ばれる事となるこの戦争は、攻略組の勝利という形で終わった。だがその裏で、攻略組側に七人の死者が出るという被害も負ってしまった。

 

特に、アインクラッド解放軍のキバオウの死は、生き残っている全プレイヤーに衝撃を与えた。さらにキバオウの死がきっかけとなってしまったのか、軍はキバオウを含めて四人の死者を出してしまった。それも、攻略組の最前線プレイヤーを。

 

ラフィンコフィン側で出た死者は、ケイが手をかけたプレイヤーも含めて四人。皮肉にも、勝利したはずの攻略組の死者よりも少ない人数になっている。

しかし、幹部のザザとジョニーブラックに、戦場から逃れた数人を除いてほとんどを捕獲し、牢獄エリア送りにしている。

 

実質、<ラフィンコフィン>という組織は壊滅した。

しかし、まだ元ラフコフリーダーのPoHが逃亡中という事実が攻略組内部でしこりとなって残っている。

 

プレイヤーのほとんどが、これで終わったのだと考えている。小規模な犯罪者ギルドは残っているものの、<ラフィンコフィン>のような大組織に怯える日々はもう来ないと考えている。

 

だが、この時のケイは、まだどうしても【これで終わり】とは思えなかった。<ラフィンコフィン>は壊滅し、PoHといえども、また大規模で活動する事は難しくなってるはずなのに。

 

嫌な予感がしてならなかった。

 

 

 

 

 

その予感は、後に、ずっとずっと後に。それこそ、ケイがこの事件を忘れかけた頃に、当たってしまうという事を、当然この時のケイは知る由もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて討伐戦は終了です。次回からはまたほのぼのが始まります。


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第36話 <天叢雲剣>と鍛冶師

今回はアインクラッド編の最後のヒロインである彼女が登場します。
ハーレムにはならないので、ケイと結ばれるという事はないですが…。










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕には出来ません」

 

 

「…は?」

 

 

目の前で、両掌に載せた刀をこちらに差し出しながら言う鍛冶屋のプレイヤーに、ケイは思わず目を丸くする。

 

 

「え…。いや、だって。村正は…」

 

 

「確かにあれも魔剣って呼ばれてましたけど…、でもこれは桁違いですよ。百層まで通用するんじゃないんですか?まだ熟練度が溜まり切ってない僕には出来ませんよ」

 

 

呆然としながら問うケイに、苦笑を浮かべながら返してくる鍛冶プレイヤー。

 

 

「これは…、マスタースミスでないとメンテナンス出来ませんよ」

 

 

「…」

 

 

 

 

 

「てことでさ、腕のいい鍛冶師探してんだけど、知らない?」

 

 

「会っていきなり、何を言ってるの…?」

 

 

そんなケイと鍛冶師の会話が行われてからおよそ十分後。何とも運が良い事か、ケイはバッタリ、アスナに出会っていた。

 

今ケイが歩いている層は三十二層の主街区<セイガス>。武器の手入れをするために、知り合いが営んでいる鍛冶屋に頼みに行ったのだが…結果は、冒頭で語った通りである。

それにより、ケイは熟練度をMAXまで貯めているマスタースミスを探さなければならなくなったのだが…、ケイにはマスタースミスの知り合いなどいない。というより、先程会いに行った相手が唯一の知り合いの鍛冶師だったのだ。

 

そのため、どうすればと路頭に迷っていた所で…このアスナの登場だ。もしかしたら、アスナなら誰か紹介してくれるかもしれない。

 

 

「へぇ、そんな事があったんだ…。って、マスタースミスじゃないと手入れできない武器って…。キリト君の<エリュシデータ>じゃないんだし…」

 

 

「いや…。あんまり口外したくないけどさ、ぶっちゃけあれよりも性能は上だぞ?要求筋力値が少ない分、破壊力は劣るけど…」

 

 

「…チート?」

 

 

「違う」

 

 

失礼な。チートなはずがないだろ。ただ受けたクエストのボスがやたら強くて、何とか倒したらドロップしてきたのがそれだっただけだ。

 

と、正直に説明したら、アスナが「また一人で~」等々、説教してくるのは目に見えているのでそれは喉奥に仕舞い込む。

 

 

「腕のいい鍛冶師、か…。知ってるよ?マスタースミスの人」

 

 

「え?マジか!?なら、その人の居場所を…」

 

 

やはり、ケイが睨んだ通り、アスナは知り合いにマスタースミスがいたらしい。…睨んだというか、ただの勘なのだが。

 

 

「ただし!条件があるの」

 

 

「は?条件?」

 

 

これで武器の手入れができる。喜びながら、そのアスナの知り合いという鍛冶師がいる場所を聞こうとするケイにアスナが待ったをかけた。

 

 

「条件て何だよ?」

 

 

アスナが言った条件。それが何なのかをケイが問いかける。

 

 

「あ、えっと…。鍛冶師のいるところは教えてあげるよ?だけど…その…」

 

 

「…?」

 

 

すると、何故かアスナが言いづらそうに、それと同時に恥ずかし気に、僅かに頬を染める。

そんなアスナの気持ちが分からず、ケイは首を傾げて疑問符を浮かべる。

 

 

「えっと…。ケイ君は、私が鍛冶屋の場所を教えたら今すぐにでも行く気…だよね?」

 

 

「そりゃな。まだ時間も早いし、メンテが終わった頃はもう攻略は出来ないだろうけど…、熟練度上げする時間はあるだろうし」

 

 

アスナがケイに問いかけてくる。その問いかけにケイが答えると、何故かアスナは口籠ってしまった。

 

 

(…何だ?)

 

 

煮え切らないアスナの態度にケイの中でさらに疑問符が増えていく。

そんな中で、アスナは何かの決意を秘めた目をケイに向けて口を開いた。

 

 

「ケイ君!」

 

 

「はい?」

 

 

「明日、私と一緒に鍛冶屋に行こ!?」

 

 

「…はい?」

 

 

突然のアスナからの誘い。アスナはじっ、とケイの目から視線を離さない。

ケイはアスナの視線を合わせたまま、ゆっくりと口を開く。

 

 

「あの、さ。俺、今すぐにでも行くつもりなんだけど…ていうか、行きたいんだけど…」

 

 

「知ってる」

 

 

「知って…、ならさ、何で明日なんだ?アスナが着いてくる意味も分かんないけど…、それはいいや。何で明日?」

 

 

「っ…」

 

 

まぁ、アスナが着いてくることに関してはいい。その理由は分からないが、その知り合いの鍛冶師に自分が粗相を働くかもしれないと不安に感じているとかそんなだろう。

 

…あれ?それ、滅茶苦茶失礼じゃね?

 

 

「ともかく!明日!明日、私と一緒に行く!いい!?」

 

 

「え…、いやいやいや!全くもって意味わからん!そしたら、今日の俺の予定は?色々と滅茶滅茶になるんだけど!?」

 

 

「明日。私と。行く。いい?」

 

 

「…はい」

 

 

アスナの強引な誘いに反論するケイだったが、結局はアスナに押し切られ、明日に行くという事で同意してしまう。

 

…何だろ、アスナの尻に敷かれてる感が半端じゃない。別に付き合ってるとかでもないのに。

 

 

「じゃあ、明日ね?ケイ君」

 

 

「ハイハイ、アシタアシター」

 

 

さっきと打って変わって、輝かんばかりの笑顔を浮かべたアスナがこちらに手を振りながら去っていく。ケイはそんなアスナの顔も見ずに手を振りながら適当に返事を返す。

 

だが、そんなケイの態度も気にならなかったのか、アスナは何も言わずに、それだけでなくご機嫌そうにスキップしながら帰っていく。…何なんだ、本当に。

 

 

「…村正で狩りに行くか」

 

 

手入れを済ませた武器で狩りに行くという予定を変更し、今から元使っていた刀での狩りへ向かう事にする。

 

 

「…はぁ」

 

 

ここまで予定が拗れたことにため息を吐くケイ。それと同時に、何故か予定が拗れた原因であるアスナにそこまで不快感を抱いていない自分に対して、疑問を抱いた。

 

ともあれ、以上の経緯でケイはアスナと一緒にアスナがお勧めする鍛冶屋に行く事になった。それからケイは昼食時まで適当に時間を潰し、昼食を取った後は夕刻まで狩りを行い、ホームへと帰った。

 

そして、次の日。アスナから届いたメッセージに書かれた、【四十八層主街区<リンダース>転移門前に九時集合】という言葉通り、ケイはリンダースの転移門広場へ来ていた。

しっかり、約束の時間通り、それも十分前に。ケイにしては珍しい時間に関しての常識に合った行動だ。

 

だが────

 

 

「遅い」

 

 

現在の時刻、九時半。そして人の往来を眺めながら一人立っているのはケイ。

そう。何と珍しい事に、いつもは遅刻するケイを叱るアスナが、未だここに来ていないのだ。

 

それも、遅刻する事すら珍しいというのに約束の時間から三十分も過ぎている。

 

 

(何かあったか?)

 

 

アスナに確認のメッセージを送るべきか、考え始める。遅刻だけならば、まだアスナでもそういう事はあるだろうと流すことができるが、さすがに三十分もなると心配になってくる。

 

 

(…よし)

 

 

少しの間考えてから、ケイはアスナにメッセージを送る事に決める。右手を振ってウィンドウを呼び出し、メッセージ作成欄を開いて文を打ち込む。

 

 

「ケイ君」

 

 

その時だった。メッセージを打ち込むケイの正面から呼ばれたのは。目の前に開いたウィンドウに集中していたせいで、正面に人が来ていた事にも気が付かなかった。

 

ケイを呼んだのはアスナだ。いや、ウィンドウのせいでその姿は確認できてないが、聞こえてきた声でわかる。ケイは開いていたウィンドウを全て閉じて、ようやく来たアスナに文句の一つでも言ってやろうと口を開く。

 

 

「あす…」

 

 

「お、遅れてごめんね?その…ちょっと…」

 

 

ケイの目の前には、両手を後ろで組み、爪先でとんとんと地面をつつきながら、気まずそうに視線を彷徨わせて言葉を濁すアスナがいた。ケイはそのアスナに遅刻に対する文句を口にしようとしたのだが…、アスナの格好を見た瞬間、言おうとした言葉が喉奥へと飲み込まれた。

 

今のアスナは血盟騎士団の制服姿ではない。今日は私用だからなのだろうか、これまで見た事のない外出用(?)の私服を身に着けている。

ピンクとグレーの細いストライプ柄のシャツに黒レザーのベストを重ね、ミニスカートもレースのフリルが着いた黒、脚には光沢のあるグレーのタイツ。おまけに靴はピンクのエナメルと、やけに気合の入った服装をしている気がする。

 

ケイには普通の女子のファッションセンスは分からない。現実で妹の司と出かける事もあったが、それ以外で女子と遊びに行くなどしたことはない。それに一年間全く司と会っていないせいか、どんな服を着ていたかも思い出せなくなっている。

ともかく、ケイは今のアスナの服装が女性の平均普段着であるのだと結論付けた。

 

 

「…どうしたの?」

 

 

「あ…、いや…」

 

 

すると、アスナが不思議そうに首を傾げながら問いかけてきた。どうやらこの思考を行っている間、無意識にアスナを見つめていたらしい。それを自覚した途端、何故か気恥ずかしくなってしまい、アスナから視線を逸らしてしまう。

 

 

(な、何て返せばいい?ここで何も言わないのは怪しまれる…)

 

 

「?」

 

 

アスナが鋭いのは周知の事実。今も、ケイが何かに葛藤している事を悟っただろうアスナがじっ、とケイを覗き込んでいる。

 

 

(…っ、そうだ!)

 

 

ここで、ケイはまだSAOに入る前。それこそいつだったかも思い出せないほど昔に、父に言われたある事を思い出した。

 

これなら…勝つる!

 

 

「その服、似合ってるなって思ってて」

 

 

「え!?え…、あ…。そ、そう…かな?」

 

 

ケイが服装を褒めると、アスナは弾けるように頬を真っ赤に染めて、先程のケイの様に恥ずかし気にこちらから視線を逸らす。完全に立場が入れ替わった。

 

 

(うん。現実で父さんに言われた通りにしたけど…、話も逸らせたしアスナも喜んでるっぽいし。良かった良かった)

 

 

『良いか、慶介。いつかお前も、女の子と二人でデートに行く機会が来る。その時は必ず、最初に相手の子の服装を褒めるんだぞ?それから────』

 

 

どうしてそんな話になったのかは覚えてないし、それから父が何て言ったのかも忘れてしまったが…。服装を褒めろと言っていた事は思い出せたのが幸いした。

まさか見惚れてたとはいえないだろう。それに、アスナも先程までの疑問を持った表情が消えて嬉しそうに笑みを浮かべている。

 

 

「え、えっと…。じゃあ、早速だけど…行こっか」

 

 

「あぁ、そうだな」

 

 

二人の間に広がっていた甘い雰囲気もそこまでにして、目的である鍛冶屋へと向かう事にする。

アスナが、こっちよと口にしてからケイの一歩前を歩き出し、ケイはその後をついていく。

 

<リンダース>は都会というほど賑やかな場所でもない。かといって、田舎というほどでもない。適度な賑やかさを保ちながらのどかさも持っている、ケイはこの場所が結構気に入っていた。

一時期、この街にあるプレイヤーホームを買おうとも思っていたのだが、その時には遅く、全ての物件が他のプレイヤーにとられていた。その時のケイの落胆ぶりは凄まじいものがあった。人生の中で最大級だったと今のケイは断言できる。

 

…先になったらどうなっているかわからないが。

 

 

「そういやさ、アスナはその剣、誰に研いでもらってんだ?…もしかしなくても」

 

 

「うん、そう。今から行く武具店の店主に担当してもらってる。それだけじゃなくて、この剣もその店主に作ってもらったんだよ」

 

 

「ほぉ~、それは期待できるな」

 

 

アスナの帯剣である、固有名<ランベントライト>。敏捷性と正確性を最大限に高めながら、耐久性もその他の剣とは一線を画している、押しも押されぬ名剣だ。

そんな剣を作れるようなプレイヤーだ。間違いなく、今のケイの刀を研ぐくらいは容易く熟してくれるだろう。

 

 

「ここだよ」

 

 

そんな事を考えながら歩いていると、アスナが立ち止まって口を開いた。

 

街の中央からは少し外れ、道のわきにある家の数が少なくなってきたエリア。アスナの視線を追うと、緩やかに回転する大きな水車が付いたホームがあった。どうやらそこが、アスナの知り合いという鍛冶師が経営している鍛冶屋らしい。

 

ケイとアスナは並んで歩き出し、店の扉まで行く。

 

 

(<リズベット武具店>…)

 

 

扉の上、屋根からかかった看板に書かれた文字を読むケイ。

 

そして────

 

 

「リズー!いるー!?」

 

 

「お、おい…」

 

 

大声で朝の挨拶をしながらバン!と勢いよく扉を開けるアスナ。

 

アスナが開けた扉から、店内の様子が見えた。

中はあまり広くない。だが明るい雰囲気を保っており、店内の印象は良い。

 

 

「あれ…。また工房かな?」

 

 

「おいアスナ、さすがに失礼じゃないのか?さっきも…」

 

 

「あ、大丈夫大丈夫!リズとは気心知れた友達だから!」

 

 

またアスナの口から出てきたリズという言葉。どうやらそのリズという人がこの店を経営している鍛冶師らしい。

 

 

(リズベット武具店…か。もしかして、プレイヤー名がリズベットだからそのまま店名に付けたとか?…さすがに単純か)

 

 

ずんずん店の奥へと入っていくアスナに続いて、ケイも店内へと入っていく。

開いた扉とアスナの体の隙間からではよくわからなかったが、店内には所狭しと商品の武具が飾られていた。

 

 

「…」

 

 

ケイはその内の一本、刀身が赤く塗られた刀を手に取る。

 

 

(…軽い。けど、敏捷や正確重視なのか、振りやすいな)

 

 

さすがマスタースミス、といったところか。ケイが望むほどの破壊力は耐久値はなさそうだが、かなり性能の高い業物だ。

 

 

(もう少し早くここを知ってたら、俺の刀を打ってもらってたかもな…)

 

 

ここの存在を今まで知らなかったことを後悔する、皮肉気味の笑みを浮かべながらケイは手に持った刀を元の場所に戻した。その時。

 

 

「リズー!おはよー!」

 

 

「きゃぁっ!?」

 

 

店の奥の扉。恐らく、工房へと繋がる扉を先程入り口の扉を開けた時の様に勢いよく開けるアスナ。直後、工房と思われるその中から女の子の悲鳴が聞こえてくる。

 

 

「ちょっとアスナ!あんたそれ何回目よ、もう!」

 

 

「あはは、ごめんなさーい」

 

 

「…」

 

 

快活そうな女の子の声。この武具店の店主は女の子らしい。

 

それにしても、その店主と思われる女の子と喋るアスナの声が明るい、明るすぎる。こんな楽しそうなアスナの声は久しぶり…いや、初めてかもしれない。

 

 

「あ、そうそう!今日はお客さんを連れてきたの」

 

 

「え?お客さん?」

 

 

(忘れてたのか?)

 

 

それから少しの間、工房にいる店主と話し込んでいたアスナだったが、そこでようやくケイの存在を思い出したらしい。工房から出てきたアスナが手招きしている姿が見える。

 

ちなみに、アスナが話し込んでいる間、ケイは店内に飾られていた武器や防具を眺めていた。

 

 

「あ…、いらっしゃいませ!リズベット武具店へようこそ!」

 

 

「あ、あぁ…。うん」

 

 

工房から出てきた店主の姿を見て、待ち合わせしていたアスナを見た時とはまた違った意味でケイは唖然とした。

 

鍛冶屋という事で、店主が女の子でも作業服を着ているんだろうなと勝手に想像していたケイ。だが、工房から出てきたのは作業服とはかけ離れた、カフェのウェイトレスさんが身に着けているような服装をした少女。

さらに、その髪の毛はピンク色に染められており…とても鍛冶屋を営んでいるようには見えない。

 

 

「…男?」

 

 

「え?…あぁ、うん。男だけど」

 

 

こちらの姿を見た瞬間、お辞儀をして挨拶をした店主。そして頭を上げて改めてケイの姿を見ると、目を丸くして呟いた。

 

 

(え?俺、女に見えた?…キリトみたいな女顔じゃないはずなんだが)

 

 

店主の言い様からどうやら自分は女の子と思われていたらしいが…。

その理由を考えていると、店主がアスナの耳元で何やら呟いている。

 

 

「ちょっとアスナ…。あんたが男連れて来るなんて…。あ、もしかして~…」

 

 

「ちょっ、リズ!」

 

 

「?」

 

 

距離が離れているせいで店主が何を言っているのかはケイには聞こえていない。だが、店主が何かを呟いた瞬間、アスナが頬を染めて軽く憤慨しているのは分かった。

 

店主は一体、何を言ったんだか。

 

 

「あはは、さっきのお返しよ!」

 

 

「もぉ~…」

 

 

「…」

 

 

アスナと店主の二人で繰り広げられるガールズトークにケイはついていく事ができない。

すると、黙って静かに待っているケイに気付いた店主がこちらを向く。

 

 

「あ、ご、ごめんなさい。私、リズベット武具店の店主、リズベットです。えっと…、アスナの紹介でここに来た…のかな?」

 

 

「あぁ。ちょっと、マスタースミスじゃないと頼めないらしくてね」

 

 

リズベット…。あぁ、あの単純な予想が当たっていたのか。

 

そんな胸中の呟きは言葉に出さず、ケイはリズベットに返事を返しながら腰に差してある刀を鞘ごと外して差し出す。

 

 

「これのメンテナンスをしてほしいんだ。知り合いの鍛冶師に頼んだら、マスタースミスじゃないとできないって言われちまって…」

 

 

「へぇ…。うわっ、重っ」

 

 

ケイが差し出した刀を両手で受け取ったリズベットが、目を見開きながら重いと口にする。確かに、通常の武器と比べれば、それこそ攻略組で使われている武器と比べても破格といえる要求筋力値を誇るこの刀。

このリズベットがどれだけレベルがあるのかはわからないが、鍛冶屋を営み、最前線で戦っていない以上、この刀を振り回す筋力値は持っていないだろう。

 

 

「どれどれ…。<天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)>…えっ、なにこれ!?魔剣クラスじゃない!」

 

 

「け、ケイ君!これ、どこで手に入れたの!?」

 

 

ケイから受け取った刀、<天叢雲剣>をテーブルに置いてから鑑定するリズベット。そして、その鑑定結果をリズベットの肩口から覗くアスナの二人が目を見開いて驚愕する。

さらにアスナが、この刀をどこで手に入れたのかを問い詰めてきた。

 

 

「えっと…。モンスタードロップで手に入れたんだけど…」

 

 

「…」

 

 

「…クエストボスのドロップ品です。一人で行きました」

 

 

色んな部分を端折って答えようとしたケイだったが、アスナの眼力には勝てませんでした。

 

 

「ハァ…。まぁ、ケイ君がそう簡単に死ぬなんて思ってないけど…。でも、心配なんだからね…?」

 

 

「…あぁ、大丈夫。無理はしないって」

 

 

確かに、この<天叢雲剣>を落としたクエストボスは強かったが、無理をしたという気持ちはこれっぽっちもなかった。だが、アスナが心配してくれるその気持ちは嬉しいし、無碍にするつもりもない。

 

 

「あぁ~、はいはい。ここは鍛冶屋ですよ~。お二人がイチャイチャする場じゃありませ~ん」

 

 

「い、イチャイチャなんてしてないわよ!」

 

 

待ち合わせ場所での時のような甘い雰囲気が広がり始めた時、リズベットのうんざりしたような声がその空気を打ち破った。

リズベットの言葉にアスナが反論するが、リズベットはそれを聞き流しながらケイの方を向く。

 

 

「これをメンテナンスしてほしいって事よね?喜んでお受けするわ。…て、言いたいところなんだけど」

 

 

「…何か不都合でもあるのか?」

 

 

リズベットの言い方から、もしかしたら、彼女でもこの剣を研ぐのは無理なのかという考えが頭をよぎる。そうなればまた、鍛冶師の探し直しだ。

アスナがまだマスタースミスの鍛冶師を知っていれば話は別だが、そんな虫の良い話があるわけがない。

 

 

「あぁ、別にこの刀を研ぐことはできるわよ?ただ…、ちょっと、メンテナンスが終わるまで時間がかかりそうなのよね」

 

 

「どういう意味?」

 

 

「今ね、私大手ギルドに集団で武器のメンテナンスを頼まれてるのよ。さっきも、その仕事をしてたってわけ。そのせいで…多分、二日三日はかかると思う」

 

 

「…なるほどね」

 

 

マスタースミスとなると、名前もそれなりに知れ渡ってるのだろう。その大手ギルドがどこなのかは知らないが、彼らもリズベットという名前を知って仕事を頼んでいるに違いない。

 

 

「…うん、それでも頼むわ。またマスタースミスを探す方が絶対に時間かかりそうだし」

 

 

「そう?…、まっ、それもそうよね。じゃあ、この刀のメンテナンスをお受けするわ。えっと…、三日後にまたここに来て。それまでに終わらしておくから」

 

 

「了解」

 

 

アスナの知り合いというのが利いているのか、店主と客の関係というよりどこか友人に対する言葉遣いで言葉を交わすケイとリズベット。

 

ともかく、これでケイの刀のメンテナンスの目途は完全についた。

 

 

「あ、それよりさリズベット。…あの工房に入る時のアスナ、いつもああなのか?」

 

 

「えぇ、そうなのよ。幸い、まだそのせいで失敗したーてことはないんだけどねー」

 

 

「…すいませんねぇ、うちのアスナが。ご迷惑をおかけして」

 

 

「いえいえ。お宅のアスナさんにはいつも得意にしてもらってますし。この程度の迷惑くらい、どうってことないですよ」

 

 

「ちょっと!?何その娘が迷惑をかけてるのを知った親と店の人みたいな会話!やめてよ!」

 

 

この時、ケイは察する。このリズベットという少女とは、仲良くできそうだと。

 

そして、彼女との会話で一番盛り上がる時は、二人でアスナをいじる時だろう、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第37話 失踪とその結末

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケイがリズベットに武器を預けて三日が経った。そう、今日がリズベットとの約束した、武器を返してもらう日である。

武器を預けてからの三日間、ケイは<天叢雲剣>を手に入れるまで使っていた<村正>を装備してマッピング、レベル上げを行っていた。

 

別に<村正>で迷宮区を進んでも良かったのだが、やはり万全の態勢で攻略には臨みたい。

そういう事で、ケイは武器が戻ってくるまではおとなしくしていた。勿論、一人でクエストに行ったりなどしていない。

 

 

「さて、そろそろ行くか」

 

 

現在の時刻、十時。ホームの中で、アインクラッド内の新聞<Weekly Argo>を読みながら寛いでいたケイが、新聞紙をテーブルに置いて立ち上がった。

今から外に出てリズベット武具店へ<天叢雲剣>を受け取りに行くのだ。

 

外へ出て、<アルゲート>の転移門を使って<リンダース>へと転移。アスナに案内されながら進んだ道を思い出しながら歩いていくと、先日に見た水車付きのプレイヤーホームが見えてくる。

間違いなく、アスナと一緒に行ったリズベット武具店だ。ケイはちゃんとここへ来れたことに安堵の息を吐きながら入口へと向かう。

 

 

「ん?」

 

 

ドアノブを掴もうと手を伸ばした時、ケイは扉にかかっていた看板を見る。その看板には、【CLOSED】と書かれていた。

 

 

「あれ…。おかしいな」

 

 

ケイはウィンドウを開いて現在の時刻を確認する。時刻、十時半。まだお昼時でもない、明らかに店を閉めるには早すぎる時間だ。

 

 

「どっか出かけてんのかね」

 

 

頭を掻きながら呟く。何かリズベットに急な用事が入ったりしたのだろうか。

もしそうだとしたら…、メンテナンスはまだ時間がかかるかもしれない。

 

 

(仕方ない。今日は…いや、夕方にもう一回来るか)

 

 

今日は武器を受け取るのを諦めて…と考えてから、やっぱりもう一度ここに来ようと考えを改める。

さすがに鍛冶屋を営んでいるプレイヤーだ。そう簡単に約束を違えるとは思いたくないし、リズベットがそんな人だとは思わない。とりあえず今日はレベル、熟練度上げをする事にして、帰ってきたらまたここに来てリズベットが帰って来たかどうか確かめる事にする。

 

 

「ケイ君…?」

 

 

ケイが振り返ってリズベット武具店を後にしようとしたその時、正面から名前を呼ばれる。

 

 

「アスナ?何だ、お前もリズベットに用事あるのか」

 

 

「え…。あ、うん…」

 

 

「…?」

 

 

アスナの様子がおかしい。最近になって雰囲気が柔らかくなり、明るくなったアスナなのだが…今日は何か落ち込んでいるというか、気分が沈んでいるように見える。

 

 

「どうかしたのか?」

 

 

「…ケイ君。お店にリズ、いた?」

 

 

「ん?いんや、いなかったけど」

 

 

何かあったのか、ケイが問いかけると、アスナはリズベットが店にいたのか問い返してきた。ケイはその問いに首を横に振って答えると、アスナの表情が不安気に歪む。

 

 

「どうしたんだよ」

 

 

「…リズ、昨日から連絡が取れないの。連絡不能になってて…」

 

 

「なっ…」

 

 

連絡不能

その言葉はまさにそのままの意味で、対象にメッセージが送れないことを意味するもの。

メッセージはフレンドリストに登録されているプレイヤーにしか送れないのだが、連絡不能の場合はそのプレイヤーの名前がグレーで描かれている。

 

連絡不能に陥る原因は二つしかない。まず一つは、その対象がダンジョン内にいる場合。勿論、迷宮区も例外ではない。そしてもう一つは…、相手のプレイヤーが、死んでいる場合。

 

 

「アスナ…、まさか」

 

 

「ううん。さっき、黒鉄宮で確認してきた。リズは生きてる」

 

 

「…そうか」

 

 

アスナの言葉にほっ、と息を吐くケイ。知り合ったばかりとはいえ、仲良くなれそうな人が死ぬのはさすがに心が痛む。

それに何より、アスナがどう思うか。あのやり取りを見る限り、相当親しい友人同士だというのがよくわかった。

 

だからこそ、そうではないと知った時、ケイは大きく安堵の息を漏らした。

 

 

「とはいえ、リズベットがどこにいるかわからないじゃな…。探すにしても…。せめて、どの層にいるのかだけでもわかりゃ…」

 

 

現在の最前線は六十三層だ。つまり、リズベットがどの層にいるかもわからない以上、第一層のダンジョンにだっている可能性はある。それを考えると、これからリズベットを探すとなると気が遠くなってしまいそうだ。

 

 

「…あれ、メッセージだ」

 

 

「あ、私も…」

 

 

まず、メッセージの着信音が流れたのはケイ。その直後、ほとんど同時といっていいタイミングで同じ音が流れたアスナ。二人はウィンドウを開き、着信欄を開いて届いたメッセージを開く。

 

ケイが見たメッセージは、サチからのものだった。そして、そこに書かれていた内容は────

 

 

「「キリト(君)が行方不明(だぁ)!?…え?」」

 

 

同時に口を開き、全く同じ内容の言葉を叫んだケイとアスナは、丸くなった目を見合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

第二十二層主街区<コラル>。そこにある<月夜の黒猫団>のギルドホームへとケイとアスナはやって来ていた。

リズベットに続いてキリトの失踪。ここに来る前に黒鉄宮でリズベットの名前とキリトの名前も確認し、生きていることを確認した。

 

リズベットの事も気になるが、キリトの事も見過ごすことはできない。それに、キリトを想うサチの様子も気になるため、<月夜の黒猫団>のギルドホームへ赴くことにしたのだ。

 

 

「あ…!アスナ!ケイ!」

 

 

彼らのギルドホームがあるのは、主街区の中でも中心部の方。道歩く人の視線を受けながら扉をノックすると、中から扉が開く。二人を出迎えたのは、メッセージを送ったサチだった。サチはケイとアスナの姿を見ると、表情を僅かに綻ばせて中へと入れてくれる。

 

 

「ケイタ達は?」

 

 

「あ、皆はキリトを探しに行ってる。…じっとしてられないって言って」

 

 

「…そうか」

 

 

ホームの居間へと案内されたケイとアスナだったが、サチ以外のメンバーの姿が見られない。ケイがその事について問いかけると、サチはキリトの探索へ出かけたと答えた。

 

 

「…それで、サチ。キリト君が行方不明って…、いつから?」

 

 

「その…。昨日からキリトと連絡が取れなくなって…。それに、フレンドリストを見たら連絡不能になってて…」

 

 

「…」

 

 

何か、どこかで聞いた話だ。それも今日、つい先程に。

 

 

「キリトは一人で出かけたのか?」

 

 

「うん…。あの、腕のいい鍛冶師を紹介してくれって頼まれて…。それで紹介したら、早速昨日に出かけていって…」

 

 

「…」

 

 

これまたどこかで聞いた事がある話だ。それもつい先日に。

 

 

「…ね、ねぇサチ。もしかして、紹介した鍛冶師って…」

 

 

「え、うん。リズだよ?」

 

 

「「…」」

 

 

サチの答えを聞いた瞬間、ケイとアスナの中で答えが出た。

 

 

「あのね、サチ…。そのリズもね、連絡不能の状態になってるの」

 

 

「え」

 

 

ケイとアスナが目を見合わせ、頷き合った後にアスナが一歩前に出てサチに言った。

そのアスナの言葉を聞いた直後の、サチの口から漏れた呆けた声がやけに部屋の中で響き渡った。

 

 

 

 

結論から言えば、キリトとリズベットは無事だった。

あれからケイ達はキリトの探索に出ていたケイタ達を呼び戻し、三人の中で出した推理を説明して、キリトとリズベットと連絡が取れるようになるまで待つことにした。

 

フレンドリストに書かれた二人の名前の文字の色が戻ったのは、その日の夕方の事だった。

ケイとアスナ、サチがすぐに四十八層へ転移し、リズベット武具店へと到着した時には空は夕焼けの色に、真っ赤に染まっていた。

 

リズベット武具店の前に着くと、朝頃に来た時にはCLOSEDと書かれた看板が今はOPENEDと書かれた看板へと変わっており、中に店主がいる事を示していた。

三人が中に入ると、そこにはリズベットに打ってもらったであろう純白の剣を試し振りしているキリトとその姿を見つめるリズベットの姿が。

 

すぐさまサチはキリトへと詰め寄り心配をかけた事への説教を始め、ケイとアスナはその光景を苦笑を浮かべて一瞥してからリズベットに話を聞くことにした。

 

リズベットが言うには、キリトと一緒に金属素材を探しにダンジョンへと潜っていたらしい。だが、そこでトラブルに遭い、ダンジョンの中で寝泊まりする事になってしまったのだという。

 

 

「ごめん!アスナも…、ケイも、心配してくれたんだよね…?」

 

 

「もう!…でも、リズが無事で良かった」

 

 

「右に同じく」

 

 

リズベットとキリトが失踪してからの二日間について説明を終えると、リズベットはケイとアスナに向かって勢いよく頭を下げて謝罪してきた。

 

そんなリズベットに対し、アスナは当初頬を膨らませていたが、すぐに笑みを浮かべてリズベットが無事に帰ってきたことによる安堵の言葉を口にする。

ケイは、そのアスナ言葉に同意してリズベットの帰還を喜ぶ意を示す。

 

 

「ねぇリズ。私にも何か言う事ないかな…?」

 

 

「さ、サチにも勿論申し訳なく思ってます…。本当にごめんなさいでした!」

 

 

どこか日本語がおかしい気もするが…、キリトへの説教は短めで終わったのか、サチが仁王立ちの体勢でリズベットを睨んでいた。リズベットはすぐさま体をサチへと向け、先程ケイとアスナにしたように見事なお辞儀を披露しながらサチへ謝罪する。

 

 

「…でも、リズが無事で良かった。キリトも…、凄く、心配したんだからね…?」

 

 

「あぁ…、ごめん、サチ」

 

 

「っ…?」

 

 

「?」

 

 

リズベットの謝罪を受けたサチが、怒りの矛先を収める。そしてリズベットが帰ってきたことへの安堵の言葉を口にするサチだったが、やはり思い人が無事に帰ってきたことの安堵には敵わないのか、両手を背の後ろで組んでキリトと向き合って言葉をかける。

キリトも、リズベットと同じようにサチへ心配をかけた事への謝罪をする。

 

その光景は、キリトとサチのどこか煮え切らない関係を知っているケイとアスナにとっては心温まる光景だったが…、リズベットにとってはそうではなかったらしい。

ケイは、キリトとサチが向かい合い、笑みを向け合ってる姿を見たリズベットの表情が歪むところを目にする。

 

 

(まさか…な。いやでもキリトなら…)

 

 

「ねぇリズ。キリト、失礼なことしなかった?この人、いつも何かしでかすから」

 

 

「そ、そりゃどういう意味だよ…」

 

 

「っ!」

 

 

(あ)

 

 

本人には全く自覚はないだろ。リズベットの内心に気付いてすらいないのだから。だが、サチがリズベットに追い打ちをかけてしまったのは事実。

 

この二日間で何があったのかは知らないが、間違いない。

 

 

(ホント、何したんだよキリト…。シリカの時といい、お前はいつからフラグメイカーになった!)

 

 

明らかに混乱しているリズベットが、顔を俯かせる、

 

 

「…何かって、こいつ、店一番の剣をへし折ってくれたわよ!」

 

 

「えっ…、ちょっと!キリト!?」

 

 

「ち、違う!いや、違くないけど…それについてはもう…!」

 

 

リズベットの口から飛び出たカミングアウトにサチが冷や汗を流す。キリトはサチに問い詰められてあたふたしている。

そして、その光景を見て表情を曇らせるリズベット。

 

 

「…あ、いっけない!あたし、仕入れの約束がったんだ!ちょっと下まで行ってくるね!」

 

 

「え?お店は…」

 

 

「外出中の看板出してくるから大丈夫!すぐ戻ってくるから、待ってて!」

 

 

一瞬目を伏せてから、リズベットが口を開いた。リズベットはウィンドウを開いて何か操作してから、店の裏口から出ていってしまう。

 

 

「どうしたんだろ、リズ…」

 

 

「…」

 

 

何となくリズベットの行動に不自然さを感じているらしいサチ。そして、サチの隣ではキリトがリズベットが出ていった裏口の扉をじっ、と見つめていた。

 

 

「キリト、追いかけたらどうだ?」

 

 

「え…」

 

 

ずっと視線を裏口の扉にぶつけていたキリトにケイが声を掛ける。キリトは目を丸くしながらケイの方へと振り返り、少しの間ケイと視線をぶつけ合う。

 

 

「…あぁ。ちょっと行ってくる」

 

 

「え?キリト?」

 

 

何となく、だが。自分たちがここに来る前にキリトとリズベットの間で何かがあったというのはわかった。それが何なのかまではわからないが…、けど、キリトがリズベットに何かを伝えたがっているのは目に見えてわかった。

 

だからケイは送り出す。今、頭の上に疑問符を浮かべているサチには悪いが…、ここはキリトとリズベットのために背中を押させてもらう。

 

 

「はぁ…。キリト君は…」

 

 

「あれ、アスナも気付いてたのか?」

 

 

「当たり前でしょ?…サチといいリズといい、罪作りよね」

 

 

「アスナ。…その二人にもう一人、追加がいる」

 

 

「え」

 

 

「ね、ねぇ。ケイ、アスナ。何の話してるの?あの…」

 

 

どうやらアスナも、キリトとリズベットの間で何かがあったことを悟っていたらしい。

ケイは溜め息を吐くアスナと会話を繰り広げる。そして一人置いてかれるサチ。

 

サチが仲間外れみたいになっているが、これは他人の口から言う訳にはいかない。サチには可哀想だが、こればかりは口にできない。

 

 

「むぅ…」

 

 

「ごめんね、サチ。けど…、リズのためにも私たちが勝手に言う訳にはいかないの」

 

 

「…わかった」

 

 

まだ納得がいっていない顔をしていたが、サチは追及の矛を収める。

さらにその五分後には、キリトとリズベットが店へと戻ってきた。

 

キリトの顔には笑みが浮かんでおり、リズベットの表情はどこか吹っ切れたものだった。

 

 

「…ねぇリズ、キリトに…その…、くっつきすぎじゃないかな?」

 

 

「え?そう?そうでもないわよね、キリト?」

 

 

「え…、あ…、えっと…?」

 

 

「「…」」

 

 

本当にリズベットは色々と吹っ切れたらしい。

そのせいで、新たな修羅場が生まれたのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




話の本筋にケイが関わらない以上、話が短くなってしまう…。
と、とりあえずリズ編の話はこれでお終いです。

アインクラッドの話もこれで折り返し地点といった所でしょうか。
次回からもよろしくお願いします。


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第38話 二年の時

この話、ほっとんど原作と変わってません。ただ、だからといって読まないでいると次話で戸惑うことになると思われるので、読んでおくことをお勧めします。m(__)m


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

迷宮区内に時折現れる、強敵リザードマンロードを屠り、すぐ傍にまで来ていた迷宮区の出口を潜るケイ。

迷宮区を出ていったケイの眼前に広がるのは、うっそうと茂る暗い森。空から照り射す夕陽の光が、木の葉の間を通りそれによって現実では滅多に見ない光景を作り出していた。

 

ここから三十分も歩けば主街区に着く。その間でMobとの戦闘もあるだろうが、一時間もしない内にプレイヤーホームへ帰宅できる。と、この時のケイは思っていた。

 

 

「…っ」

 

 

迷宮区から出て帰路を歩くケイの視界の端で見えた、灰緑色の毛皮と長い耳を見てケイは息を呑んだ。そして、索敵スキルによって浮かび上がったモンスターの名称を見てケイの胸がどくん、と高鳴る。

 

<ラグー・ラビット>。超のつくレアモンスターであり、さらにプレイヤーの姿を見ると一目散に逃げてしまい、討伐できたというプレイヤーはほとんどいない。

実はこの<ラグー・ラビット>と邂逅したのはケイ自身、二度目である。だがその時は討伐できず、逃げられてしまった。

 

このモンスターは特段経験値が高かったり、獲得コルが多かったりするわけではない。しかし、プレイヤー達は<ラグー・ラビット>との出会いを所望し、討伐したがる。それは何故か。

 

 

「しっ────」

 

 

前回遭遇した時は持っていなかったが…、もしも、というより今この時のために所持していた投擲用の短剣を取り出し、<ラグー・ラビット>に向かって投じる。

<ラグー・ラビット>はこれまで出てきたモンスターの中で最も敏捷度があり、その逃げ足も凄まじい。まさに、某RPGの銀色のスライムのごとく。だが、ウサギの目に姿を留められなければ。先制攻撃ができる手段、投擲が今のケイにはある。

 

ケイの投じた短剣が<ラグー・ラビット>に命中する。ここまでは予定通りだ。システムアシストがある以上、相手が動きさえしなければ必中も同然。

問題はここから。スキル練度が低い<投剣スキル>の攻撃で、相手のHPを全損させることができるか。

 

 

「…よっっ、し!」

 

 

パリィィン、とポリゴン片が散る音が響いた瞬間、ケイの拳が握られる。それと同時に、拳を握らなかった右手でメニュー画面を呼び出し、獲得した経験値、コル、アイテムを確認する。

 

ぶっちゃけ、経験値とかコルとか今のケイにはどうでもよかった。その欄には目もくれず、アイテム欄を見て、ケイは両目を大きく見開く。

 

<ラグー・ラビットの肉>

プレイヤーの間では十万は下らない価格で取引される代物であり、<ラグー・ラビット>との邂逅を多くのプレイヤーが望む最大の理由。食べても超絶に旨いと言われるS級食材。

 

が、

 

 

(ま、食べられないんですけどねー…)

 

 

今のケイには食べるという選択肢を取る事は出来ないのだが。

 

こんなレア食材、食べてしまいたいというのは紛れもない系の本音である。だが、この食材を調理しなければそれは叶わない。そして、ケイはこの食材を調理することができないのだ。

 

少し考えれば当然の事なのだが、食材のランクが上がれば上がるほど、要求される<料理スキル>の熟練度が高くなる。ただでさえケイは料理スキルを取ることすらしていないのだ。

そんなケイがこの肉を調理すれば…、黒こげにするのがオチである。

 

もしそんな…S級のレアアイテムを無駄にするようなことになれば、ケイは悔しさのあまり血の涙を流すだろうと自信を持って言える。そうなるくらいだったら、食べるという選択を捨てた方が断然マシだ。

 

 

「転移!アルゲード!」

 

 

先程も言ったが、ラグー・ラビットの肉は最低でも十万の価値で取引される。それを考えれば、転移結晶一つ分の負担など取るに足らない物。

ケイは迷わずストレージから転移結晶を取り出して、詠唱の言葉を吐き、使用する。

 

直後、ケイの体は転移の光に包まれ、次の瞬間にはその場から姿を消していた。

 

 

 

二〇二二年十月十七日。これが、現在の日付。

デスゲームが始まってからおよそ二年。七十四層まで上り詰めたプレイヤーの生存者は、六千人となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし決まった!<ダスクリザードの皮>三十枚で七百コル!」

 

 

アルゲードへと帰り着き、とある店へ入店したケイの耳に入ってきたのは馴染み深い、低い男の声。

その声の主であり、買い取り屋を経営するプレイヤーエギルは、取引に来た槍プレイヤーの肩をバンバン叩きながらトレードウィンドウを出して金額を入力する。

戸惑う様子を見せる槍プレイヤーには有無も言わさず、エギルはそのまま取引を終了させてしまった。

 

 

「じゃ、兄ちゃん!また頼むよ!」

 

 

「…」

 

 

豪快に笑うエギルを横目で睨んでから、だがその容貌の印象通りの気の弱さから何も言い返すことができずに槍プレイヤーは店を出ていってしまった。

 

 

「相変わらず、あくどい商売してんなぁ…」

 

 

「お、ケイじゃねぇか。ここに来るのは久しぶりじゃねぇか?」

 

 

「最近はレベル上げと熟練度上げもかねてクエスト行ってたからな。今日は久方ぶりの攻略に出てたっ、と…」

 

 

槍プレイヤーのしょんぼりした表情を思い出し、苦笑を浮かべながら声を掛けるケイにエギルも笑みを浮かべながら返す。そのエギルの言葉にケイは返事を返しながら、ウィンドウ操作してエギルにトレードを提示する。

 

 

「それとさっきのお前の言葉だが…、うちは安く仕入れて安く提供するのがモットーなんでね」

 

 

「…いくら何でも、ダスクリザードの皮三十枚を七百コルは安すぎだろ」

 

 

ケイが提示したトレードウィンドウを確認しながらエギルが言ってくるのに対し、再び苦笑を浮かべながらケイは返事を返す。

そんな中、ケイの言葉を聞きながらトレードウィンドウの内容を確認していたエギルの両目が大きく見開かれる。

 

 

「お、おいおい…。ラグー・ラビットの肉って、S級食材じゃねぇか。おめぇ、別に金に困ってるわけじゃねぇだろ。食おうとは思わなかったのか?」

 

 

「思ったに決まってんだろうが。けどよ…、これを料理できるほどのスキル熟練度がねぇんだよ」

 

 

「あぁ…」

 

 

もし…もし、ケイが料理スキルを上げていたら…。こんな所に来ずに一目散にホームへ帰り、S級食材の味に舌鼓を打っていたのだが…。

 

 

「無理」

 

 

「だな」

 

 

エギルが納得のいった表情をしつつ、苦笑を浮かべる。

 

 

「ケイ君」

 

 

男二人が苦笑いを浮かべ合うという何とも微妙な光景が広がる中、背後から肩をつつかれた。その声にケイは振り返り、こちらに笑顔を浮かべて軽く手を上げる女性プレイヤーを見つける。

 

 

「珍しいな。こんなゴミ溜めみたいなとこにくるなんて」

 

 

「何が珍しいな、よ。ここ一週間くらい連絡一つも寄越さないから生きてるかどうか、確認しに来てあげたんじゃない」

 

 

「へぇへぇ、それはありがとうございやしたー」

 

 

頬を膨らませ、詰め寄りながら言う女性プレイヤーから視線を外しながら適当に返事を返してやる。そのケイの対応にさらに女性プレイヤーがムッとした表情を浮かべるが、次第にその顔に笑みが戻ってくる。

 

 

「久しぶりだな、アスナ。元気にしてたか?」

 

 

「うん。ケイ君も元気そうで安心した」

 

 

ケイもどこかうんざりしたような表情を収めて笑みを浮かべる。

アスナの言う通り、一週間ほど連絡も取らず、顔を合わせたのは七十三層のボス戦以来だろうか。ともかく、久しぶりの友との再会を素直に喜びあう。

 

 

「エギルさんも、お久しぶりです」

 

 

「あぁ。三日前にケイは来てないかって聞きに来て以来だな」

 

 

「ちょっ…!」

 

 

ケイと挨拶を交わした後、ケイの背で隠れていたエギルの姿を除いてアスナが挨拶する。

すると、エギルはアスナにニヤリと悪戯気な笑みを向けて妙な事を言った。

 

 

「れ…、アスナ、しょっちゅうここに来んのか?けどさっき、久しぶりって…」

 

 

「あー!えええぇぇえっと、そうでしたっけ!?すみません、忘れてました!」

 

 

「くっ、くくく…」

 

 

「…?」

 

 

頭に浮かんだ疑問について問おうとすると、その途中で、慌てた様子でアスナがケイの言葉を遮る。さらにそんなアスナの様子を見て、心底面白そうにエギルが笑いを堪えている。

そして、二人の様子の意味が分からず首を傾げるケイ。

 

 

「そういえばアスナ。お前、料理スキルを上げてたりしねぇか?」

 

 

「エギル?」

 

 

そういえばアスナの顔が赤いな、とふとケイが気づいたその時、エギルがそんな事を口にし始めた。料理スキルは先程の会話の中で出てきており、恐らくエギルはラグー・ラビットの肉についてでアスナに何か話そうとしているのだろうことはわかるのだが。

 

 

(こいつ、まさか…)

 

 

ケイの中でエギルが何をしようとしているか、その予想が浮かぶ。

だがその予想は、アスナがある条件をクリアしていなければならない。そしてその条件は、とても難解な物で、アスナがクリアしているとは思えない。

 

そう考え、ケイは適当に聞き流そうと思っていたのだが…。

 

 

「ふふ…。二人共、聞いて驚きなさい。先週に完全習得したわ!」

 

 

「はい?」

 

 

「ほぉ」

 

 

ケイの予想に反した答えがアスナの口から飛び出してきた。

 

え?マジで?何で?様々な疑問の言葉がケイの頭の中に浮かぶ。

挙句の果てに、ふとアホか?という何とも失礼な言葉まで出てくる始末。

どれだけケイが混乱しているか、これで分かって頂けるだろうか。

 

 

「アスナ、ちょっと来い」

 

 

「え?はい」

 

 

「お、おいエギル…」

 

 

あぁ…、エギルは頼む気だ。料理スキルを完全習得したというアスナに、あれを頼む気なのだ。

 

 

「え!?こ、これってS級食材じゃない!ケイ君これ、売っちゃうの!?」

 

 

「あ…」

 

 

「その気でいるみたいなんだがな。だがケイは、これを料理できる奴がいたらしてもらって半分ずつにしてでも食べてみたいんだそうだ」

 

 

「おいエギル、俺はそんな事…」

 

 

「なら私が!私が料理するから!ケイ君、半分食べさせて!」

 

 

「…」

 

 

何か…、こんな目をぎらぎらさせたアスナを見るのは初めてだ。いや、アスナは一時期荒れており、攻略に必死で目をぎらぎらさせている所は見た事があるのだが…。

ここまで欲望に染まったアスナを見るのは、初めてだと直すべきか。

 

ともかく、あまりのアスナの勢いにケイはどうするべきか考えていた。

断るのは簡単だが…、その時のアスナの反応とエギルの口から飛び出るであろう罵倒が怖い。

 

うん。どうやら自分に選ぶ権利という物はないと悟ったケイは、一つ息を零してから口を開く。

 

 

「お願いします」

 

 

「やった!」

 

 

ため息交じりに告げると、アスナは拳を握り、小さくガッツポーズを取って呟いた。

喜ぶアスナを横目で見てから、ケイはエギルの方を見て言う。

 

 

「てことで、取引は中止な」

 

 

「あぁ。…て、俺の分は?」

 

 

「…あるとでも?」

 

 

エギルの方へ送っていたトレード申請を消し、店の扉の方へ体を向けながら取引中止を告げる。エギルも自分からこの状況を作り出しておきながら取引をする────という馬鹿な真似をするはずもなく。

店を出ていこうとするケイと、ケイについていくアスナを見送るのだが…。ふと何かを思い出したように口を開いたエギルに、ケイは無慈悲な宣告を突きつける。

 

 

「そ、そりゃねぇだろ…」

 

 

呆然と呟かれたエギルの声は、扉が閉まると同時に響いた鈴の音で掻き消されるのだった。

 

 

「それで?料理はいいけど、どこでするつもりなの?」

 

 

「ん?あぁ…」

 

 

そういえば、どこで料理をするかというのを全く考えていなかった。

料理をするには現実と同じように最低限の器具が必要だ。となれば、だ。

 

料理をしてもらうのはケイだ。ならば、その艦橋を与えるべきなのはケイの方だろう。

 

 

「俺のホームに一通り料理に必要な道具は揃ってる。アスナが嫌じゃなきゃ、貸してあげられるけど」

 

 

「え」

 

 

ケイが言った途端、アスナの表情が固まった。

いくら顔馴染みでそれなりに付き合いが長いとはいえ、さすがに男の家に上がるのは抵抗があるか。

 

 

「やっぱ今のなし。キリトに頼んで、黒猫団のホームで…」

 

 

「行く!」

 

 

「…え」

 

 

先程の言葉を取り消そうとしたケイを遮って、アスナが詰め寄りながら短く叫んだ。

あまりに予想と外れた反応に、ケイは思わず目を丸くしてしまう。

 

 

「行く」

 

 

「あ、うん。わかった。わかったから、離れようか」

 

 

距離はそのままで、声のボリュームだけを下げてアスナはもう一度同じ言葉を口にする。

うん、よくわかんないけど、嫌がってるという訳じゃないらしい。というよりむしろ、行きたがってる…?

 

 

(…ま、いいか)

 

 

ともかく、料理する場所は決まった。ケイはアスナを伴って、自身のホームへと帰るため、転移門がある方へと足を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第39話 穏やかな時

約一週間、空いてしまいました。リアルで忙しいせいで少し間が空くとは思っていましたが、実はここまで間が空くはずはなかったんです。ですが今、部屋に親戚が泊りに来てるんですよね。今も、レポート書いてる途中で目を盗み、少しずつ執筆を続けて投稿しています。

言い訳はいらない?…すいませんでした。と、ともかく、遅れたのはモチベーションが下がってるとか、そういう理由ではないので悪しからず。










 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケイのプレイヤーホームはアルゲードの裏道という裏道を通って抜けた先にあった。それは、自分の拠点を暴いてやろうと動いていたプレイヤーが数いたためだ。五十層に辿り着くまではホームは持たず、宿屋を転々として一定の拠点という物を持っていなかった。

 

だが今、他プレイヤーのケイへの対応は変わってきていた。これまでのボス戦での功績に、止めはラフコフ討伐戦でのPoHの撃退。これによって、ケイを敵視していたプレイヤー達は少なくなり、今でもそれが変えようとしないプレイヤー達も肩身が狭くなり表立った行動ができなくなった。

 

何が言いたいかというと、ケイはこの機会を使って引越ししたのだ。

 

 

「キリト君から引っ越ししたって聞いてはいたけど…、こんな二十二層に家を買ってたなんて…」

 

 

「アスナんとこの<セルムブルグ>みたいな高級さはないけど、落ち着くとこだろ。ホーム自体も結構な広さがあるし、一目見て惚れたね」

 

 

今、ケイとアスナは二十二層主街区<コラルの村>の道を歩いている。勿論、ケイのプレイヤーホームがある方へと。

 

第二十二層はアインクラッドの中で、最も人口が少ない層の一つだ。フィールドにはモンスターが出現せず、そのおかげかたった三日で攻略が完了したという伝説がある。事実だが。

面積がかなり広く、大部分は森林と無数に点在する湖で占めており、主街区の中でも森が茂り、湖がそこかしこに存在している。

 

 

「あれ、森の中に入るの?」

 

 

「あぁ。よそ見して逸れたりすんなよ?」

 

 

「そ、そんなことしないわよ!」

 

 

村の道が二手に分かれており、ケイは森の中へと続いている道へ足を入れる。アスナもやや戸惑いを見せながら、ケイについて歩く。

 

この道まで来れば、後五分もしない内にホームへ帰り着く。

 

すっかり暗くなり、月明かりと道の脇にある街灯に照らされる道を歩いていくと、二人の視界にポツンと一軒だけ建っているログハウスが見えてきた。

 

 

「ケイ君。あれが?」

 

 

「そ。俺の買ったホーム」

 

 

二人並んで入り口の前まで近づくと、ケイはウィンドウを開いて開錠の手続きを行って扉の鍵を開ける。

 

 

「さ、どうぞどうぞ」

 

 

「お、お邪魔します…」

 

 

ケイが先に扉を開き、手を伸ばして中に入る様にアスナを誘う。アスナは少し戸惑いながらも、開いた扉を潜ってホームの中へ入っていく。ケイも、アスナが中に入ってから同じようにホームへ入り、扉を閉めてから奥へと進んで行く。

 

ケイが買ったプレイヤーホームは至って簡単なつくりをしていた。部屋は三つで、一つは居間に、一つは寝室に、もう一つは特に使用することなく特に物は置かれていない。この三つの部屋の他にも、居間の中にはキッチンがあり、そのキッチンの傍にある扉の奥には風呂場が設置されている。

 

 

「うわぁ…。綺麗にしてるんだね…」

 

 

「意外とでも言いたそうだな、おい」

 

 

明かりが点き、露わになった部屋の中を見てアスナが呆けたようにつぶやいた。

まるで、もっと汚いもんだと思っていたと言わんばかりに。

 

 

「もうちょっと物置いてもいいんじゃない?」

 

 

「無視かよ。…いや、まぁ寂しい見た目してんのは認めるけどさ、だからってそんなに家具置いたってしょうがねぇんだよな」

 

 

居間に置かれているのは、丸テーブルと一つの椅子。壁際に来客用の、予備の椅子が用意されているのみ。苦し紛れというべきか何というか、テーブルと椅子周辺の床にカーペットが敷いてあるが、部屋の殺風景さを改善するまでには至っておらず。

 

ハッキリ言おう。ケイの部屋、寂しい。

 

 

「ま、いっか。それよりもまず、お肉よねお肉!」

 

 

「…年頃の女の子が食い意地w「何か言った?」いえいえいえいえいえいえ何も!!」

 

 

ケイの部屋に対する感想を言うのを止め、アスナはキッチンへ足を向けながら言う。

少し年頃の女の子が言うのはどうかという言葉だったが、それを指摘しようとするとアスナが鋭い眼光を向けてきたため、言葉を喉奥へと飲み込む。

 

そして、ウィンドウを操作してエプロンを身に着けたアスナの隣まで近づき、キッチンテーブルの上にラグー・ラビットの肉をオブジェクト化させる。

 

 

「これがS級食材かー…。で、どんな料理にする?」

 

 

「…お任せで」

 

 

「んー…、じゃ、シチューにしようかな?」

 

 

ラグー・ラビットの肉でどんな料理を作るのかも決まり、アスナが早速調理を始める。

その間に、ケイは一度寝室へ行ってから外出用の和服から部屋着へと着替えて居間へと戻る。ケイが部屋へと戻ってきた時にはもう料理は出来上がっていたようで、アスナはさらに盛り付けを始めていた。

 

 

「できるの早くね…?」

 

 

「SAOでの料理は色々手順が簡略化されてるからねー。ちょっとつまんないかな」

 

 

このゲーム内で料理をした事のないケイには、どれくらいの時間で完成するかなんてわかるはずもなく。

高々五分程度で完成したシチューを見て、目を丸くして驚愕する。

 

アスナは文句を言いながらもてきぱきと動き、盛り付けが終わった皿をテーブルへと運んでいく。その姿を見ていたケイだったが、テーブルにはまだ一つしか椅子が用意されていないことを思い出し、すぐに壁際から一つ、椅子を持ってきて置く。

 

 

「ほら、できたわよ。早く座って、冷めないうちに食べちゃいましょ」

 

 

ケイがアスナの分にと持ってきた椅子を置いたと同時、アスナもまた作った料理を盛り付けた皿をテーブルに置き終えたようで。ありがとう、と一言告げてからケイが持ってきた椅子に座る。

 

ケイも、アスナの正面で椅子に腰を下ろし、テーブルに置かれた料理を目にする。

 

 

(…旨そう)

 

 

ブラウンシチューの中にはゴロゴロと大きく切り分けられた肉が転がっている。それを見ているだけで、口の中で唾液が湧いてくるような、そんな感覚に陥る。

 

 

「「…いただきます」」

 

 

料理を作ったアスナもまた、このシチューの味が楽しみで仕方ないようで。二人は一度目を見合わせた後、同時に一言呟いてからスプーンを手に取って、掬った肉を頬張る。

 

 

(…やべぇ、旨すぎ)

 

 

溶けるような食感とはまさにこの事だろう。ケイ自身、現実で似たような肉を食べた事はあり、その食感に飽きにも似た感情が沸いていたのだが…。そんな自分をぶん殴ってやりたい。

 

S級食材を使った料理を食べた事もあるが、やはりめったに食べられない高級料理を口にするとまた格別だ。現実の自分が、どれだけ贅沢をしていたのかを実感させられる。

 

 

「あぁ…。今まで頑張ってきてよかった…」

 

 

大袈裟な、と笑ったりするものか。ケイもまた、アスナと同じ事を考えているのだから。

 

ケイもアスナも、食中は一言も発することなくシチューを頬張り続け、時間が過ぎていくという感覚も感じず、気づけばお代わり用に用意されていた鍋の中のシチューもすっかり空となり。

 

今はケイとアスナも、アスナが淹れたお茶を啜っている。日本の苦みのある味より、紅茶に近い味がするお茶を少しずつ喉に入れていく。

 

 

「ケイ君…。何を唐突にって思うかもしれないけどさ…」

 

 

「ん?」

 

 

お茶の入ったカップを呷ろうとした時、両手でカップを抱えるアスナがふと呟いた。

ケイは口を付けようとしたカップを戻して、話そうとしたアスナに目を向ける。

 

 

「どうした?」

 

 

「うん…」

 

 

先程までの、料理に満足した心地よい表情はすでになく。落ち込んだような表情を浮かべたアスナがケイを見返して口を開いた。

 

 

「ケイ君は…、最近の攻略ペース、どう思う?」

 

 

「…」

 

 

ケイは、アスナの問いかけにすぐに答えることができなかった。

多分、この問いにケイがどう答えるか、アスナ自身も何となくわかっているはずだ。だが、どうしても聞かないではいられなかったのか。

 

 

「…正直、攻略ペースは落ちてる。今最前線で戦ってるプレイヤーも、五百人切ってるからな」

 

 

「…うん」

 

 

ケイが答えると、アスナは小さく頷く。

 

 

「皆、この世界に馴染んでる。クリアだ脱出だって、全力になってる人も少なくなってきてる」

 

 

ケイ自身、たまに現実世界でのことを思い出さなくなる時がある。ゲームが始まってすぐは、毎日、一日も欠かさず現実世界でのこと、家族の顔を思い浮かべていたのに。

 

実際、この世界での生活は楽しいというのは否定できない。現実の様に毎日学校へ行く事もなく、仕事に行く事もなく。下層にいる人達は特に、この世界での生活を満喫している事だろう。

 

だからこそ、か。元の世界に戻りたいと本気で願う人が、少なくなってきているように感じる。

 

 

「でも、私は帰りたい。向こうでやり残したこと、一杯あるから」

 

 

「アスナ…」

 

 

ケイ自身、本当に現実に戻りたいと思っているのかどうか、疑わしく思い始めたその時、両手で抱えたカップをテーブルに置きながらアスナが言った。

 

 

「現実でのケイ君の顔も見てみたいしね」

 

 

「…その笑顔はやめろ。ていうか、今お前の目の前の顔が現実の顔なんだが」

 

 

さらにアスナは、悪戯っぽいような何かを期待しているような、そんな笑顔を浮かべてそう口にした。ケイは溜め息を吐いてから、苦笑を浮かべてアスナに返す。

 

目の前では、アスナが口元に手を当てて笑みを零している。何がそこまで面白いんだか…。

 

 

「さて、と!食器片付けないと」

 

 

「あぁ、俺も手伝うよ」

 

 

空になったカップをテーブルに置き、立ち上がりながらアスナが言う。ケイもお茶を飲み干してから、アスナと同じようにカップをテーブルに置いて立ち上がる。

 

 

「ううん。片付けるって言っても、現実と違ってこっちも簡略化されてるし。ケイ君は休んでて?」

 

 

だが、立ち上がったケイにアスナが言った。ケイ自身、食器を使って食事をしたのが初めてのため、片づけ方というのはよくわからないのだが。

 

考えれば、やり方をわからない奴が手伝おうとしたってただの迷惑にしかならないだろう。

ケイはアスナの言う通りに手伝う事を止めて、椅子に腰を下ろす。

 

 

(…やっぱ綺麗、だよな)

 

 

現実の様に食器がぶつかり合うような音はしない。聞こえてくるのは、オブジェクト化する際に出る小さな音だけ。その音を聞き流しながら、片づけを進めるアスナの後姿をじっとケイは見つめていた。

 

時折、栗色の長い髪が揺れる。時折、笑みが浮かんだ横顔が覗く。鼻歌まで聞こえてきて、ご機嫌なアスナを見て、ケイはふと心の中で呟いた。

 

言うまでもなく、アスナはSAOの中でも一番といっていいほどの美人プレイヤーだ。特に話題に乏しいケイでさえも、アスナが告白された、プロポーズされた、等の情報が耳に入ってくるほどである。

 

 

「…アスナさー」

 

 

「んー?」

 

 

先程食べたシチューでかなりの満足感が得られたせいか。今のケイは、外にいる姿からは考えられないほどボーっとしていた。だから、か。ケイは思わずこんな事を口にしてしまった。

 

 

「彼氏とか、いんの?」

 

 

「え!?」

 

 

バッ、とアスナの顔がこちらを向く。顔を紅潮させて、とてもびっくりしたように目を見開いて。そして、手に持っていた一枚の皿を手から離してしまった。

 

 

「あ」

 

 

「あぁ!」

 

 

ケイは短く呆然と、アスナは慌てて落とした皿を捕ろうとするも、間に合わず皿は床へと落ちて、破砕音を響かせて四散してしまった。

 

 

「わ、わr…」

 

 

「ごめんなさい!その…、ほ、ホントにごめんね?」

 

 

「え、あ、いや…。うん」

 

 

驚かせた自分が悪いのに。アスナの勢いに押される形で謝罪を受け入れてしまった。

 

いや、そうじゃないだろ。自分が驚かせたからアスナが皿を落としたのだろう?その上でアスナに謝らせるとかどうなんだ。ケイは、改めてアスナに謝るために口を開こうとする。

 

 

「で、でも…。どうして急にそんなこと聞いてきたのよ…」

 

 

開いた口を、ケイは閉じた。謝罪の言葉を言う前に、アスナが問いかけてきた。

 

どこか呆れているように、それでいてどこか恥ずかし気に俯くアスナに保護欲にも似た感情がケイの中で湧き出てくる。

 

 

「…いや。アスナぐらいになると、引く手数多だろうと思って」

 

 

「私ぐらいって何よ…」

 

 

湧き出る感情を抑えてケイが答えると、アスナはため息を吐きながら返す。

 

 

「いや、アスナレベルの美人となると、男も放っておかないだろ」

 

 

「びっ…!?」

 

 

「あ」

 

 

ケイがさらに続けて言うと、アスナは顔を真っ赤にして絶句するように呆けて口を開けた。

そして、その様子を見たケイも、自分が今、何を言ったのかを自覚した途端に頬を赤くし、呆然としてしまう。

 

 

「い、いや!他意はないぞ!?客観的に見れば、アスナが美人なのは当たり前のことで…」

 

 

「そ、そんな事ないけど…。そっか…。他意はないんだ…」

 

 

慌てて言い繕うケイ。いや、言い繕うというか事実なのだが。…事実、だよな?

というか何だアスナ、その言い方は。それではまるで、他意があって欲しいって思ってるみたいじゃないか。勘違いしちゃうぞ。いやしないけど。

 

 

「で、そこら辺どうなってるんですか?アスナさん」

 

 

「別に…。告白されたり、プロポーズされたりはあったけど、しようとは思わないかな」

 

 

「…なぁんだ」

 

 

どうして、アスナの答えを聞いて自分はほっとしてる?そして、どうして自分はそれを隠してこんな強がってるみたいに、心底つまんなそうに返事した?

 

 

「そういうケイ君はどうなのよ。仲良い女の子とかいないの?」

 

 

「はっ、そんなの勿論………いるわけねぇだろ」

 

 

「…そんなに勿体ぶって言う答えじゃないね」

 

 

ケイの返答を聞いて、苦笑を浮かべて言うアスナに一言、うるせっ、と強めに返事を返してやる。

 

 

「ま、強いて言うなら…。サチにリズにシリカに、アスナかな?仲良い女の子は」

 

 

「…そっか」

 

 

この時、ケイから視線を外して片づけを再開したアスナの顔に、嬉しそうな笑みが浮かんでいた事にケイは気が付かなかった。

 

 

「んー…、はぁ!じゃあ、私はもう帰るわね?」

 

 

「ん?…あぁ、もうこんな時間なのか。大丈夫か?送るぞ?」

 

 

「ううん、大丈夫。ギルドから、念のためにって転移結晶貰ってるから」

 

 

「…あんたんとこのギルドは余裕があっていいですなぁ」

 

 

すでに、外に出るには遅すぎる時間になっていた。帰ると言うアスナを送ろうとするが、まさかのボンボン発言。さすがは天下の<血盟騎士団>副団長ともいうべきか。

 

 

「そうだ!ケイ君は明日、予定ある?」

 

 

「あ?…いや、ないけど」

 

 

片づけを終えて、座っていた椅子を元の場所に戻してから玄関へと行き、外に出ようとドアノブに手をかけた時、アスナが口を開いた。

明日は特に人との約束もないし、迷宮区に籠って攻略しようと考えていたため、明日に予定はないと返事を返した。

 

 

「なら、明日は久しぶりにパーティー組んで攻略に出ようよ!」

 

 

「パーティー?」

 

 

アスナからのパーティーの誘い。さらに直後、ケイの目の前にパーティー申請のウィンドウが出現した。

 

 

「…ボス攻略以外でパーティー組むのは、かなり久しぶりだな」

 

 

「二人で組むのは、二層以来だよ」

 

 

ケイとアスナ、二人が同じパーティーで戦うのは特に珍しくもない。ボス戦ではよく同じレイドに入れられ(アスナが強引に)ているからだ。

だが、ボス戦以外となると、かなり長い間組んでおらず…およそ九ヶ月くらいだろうか。そこまで遡らなければならない。

 

さらに、アスナとコンビを組むのは…あの、ケイから決別を告げた第二層攻略を終えた時以来となる。

 

 

「…いいのか?」

 

 

「じゃなくちゃ誘わないでしょ」

 

 

「…それもそうだな」

 

 

短いやり取りの後、ケイはウィンドウに表示されるYes欄をタップ。同時、左上に表示されているケイのHPバーの下に、アスナのHPバーが出現。ケイとアスナで、無事パーティーが組めたという証明だ。

 

 

「よし!なら、明日は九時に七十四層の転移門前に集合!いい?」

 

 

「りょぉかい」

 

 

ビシッとこちらに指を向けて釘を差してくるアスナに頷きながら了と返事を返す。

 

アスナは、ケイの返事に満足したように笑みを浮かべて一つ頷くと、開いたままのウィンドウを操作してアイテムストレージを開く。転移結晶を探しているのだろう。

 

 

「…あれ?」

 

 

「?どうした」

 

 

「あ、ううん。えっと…」

 

 

すると、ウィンドウを操作していたアスナが戸惑いを含んだ声を漏らした。その声を聞いたケイがどうかしたのかと問いかけるが、アスナは曖昧な返事を返しながら操作を続けている。

 

 

「…転移結晶が」

 

 

「転移結晶が?」

 

 

「…見つからないの」

 

 

「は?」

 

 

呆然としながら言うアスナに、ケイも呆けた声を漏らす。

 

 

「さっき、転移結晶をギルドからもらってるって言ったよな?」

 

 

「うん…」

 

 

「なのにないと」

 

 

「うん…、あっ」

 

 

何か思い出したのか、アスナが目を丸くしてウィンドウを覗いていた視線を上げた。

 

 

「五十層に行くのに使ったんだった…」

 

 

「…アホ」

 

 

「うぅ…」

 

 

使った事も忘れて、転移結晶があるから大丈夫とか言ったのか…。思わず、呆れながら心の底で感じた感情を口に出してしまう。

 

 

「で、どうする?送るか?」

 

 

「だ、大丈夫だよ。私一人で…」

 

 

「送るからな」

 

 

「…はい」

 

 

渋るアスナを押し切って、ケイは送るためにアスナと並んで外へ出た。

 

ホームへ行く途中でさえ真っ暗で、月明かりと街灯しか光がなかった。今もそれは同じで、ただ一つ違うのは、時間帯を考えた際に不気味さを感じるくらいか。

 

しかしその不気味さがアスナにとってはいけないことで。

 

アスナはこういう不気味な雰囲気が苦手なのだ。実際、アスナがケイに押し切られる事などほとんどない。先程ケイに押し切られたのは、ケイのホームへ来る道中の光景を思い出したからだろう。

 

 

「ご、ごめんね」

 

 

「いいって、今更だし」

 

 

「…」

 

 

さらっとひどい事を言い流して、歩き出すケイ。それに続いてアスナも歩き出し、二十二層の転移門広場へと向かう。

 

明日は、久方ぶりの、二人での攻略へと行く予定なのだが…。

あんな事になるなど、この時のケイもアスナも、知る由はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想をクレメンス(もう何も辛くない、心の叫び)


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第40話 ボス部屋到達

何とか普段のペースを保ててる…かな?
本格的に就活が始まるまでは、このペースを保っていきたいです。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アスナと一緒に、ラグーラビットの肉を使ったシチューを堪能したその次の日。その日は、アスナと組んで攻略をしに行くと約束した日だ。朝、ケイは目覚ましの音で目を覚まして時間を確認する。

 

 

「八時…。よし」

 

 

八時きっかりに目覚ましが鳴る様に設定したのだから、そうでなければ逆に困るのだが。

この時間だと、いつもの二度寝はできない。ケイは布団をどかせて体を起こし、大きく伸びをして深く息を吐く。

 

全身に酸素が行き渡るような、そんな感覚を味わいながらケイはベッドから足を下ろして床へ着ける。寝室から出て居間へと入ると、三日ほど前に買いだめしておいたサンドウィッチをストレージから取り出して朝食を摂る。

 

朝食を摂った後、ケイは二、三度顔に水をかけて微妙に残っていた眠気を取り、顔の水気を拭いてから、すっかり他プレイヤーにはお馴染みとなった浴衣へと着替えその上から羽織を羽織る、

 

朝食を済ませ、身支度も済ませた今の時刻は八時半。このホームから転移門まで大体に十分ほど。集合時間は九時。今出れば丁度いいくらいだろう。

 

扉を開けて外に出れば、昨日の夜にアスナを送って行った時とは違って、眩しい日差しがケイを照り付ける。一度、鬱陶しげに顔を歪ませて、掌で日差しを遮りながら空から光を送りつけてくる太陽を見上げる。

 

 

(これも、そこらに生えてる木も、全部システムなんだよな…)

 

 

長くいればいるほど、違和感がなくなると同時にそれらがシステムだという事が信じられなくなってくる。まるで、ここが現実なのではないかと、そんな錯覚にすら襲われる時もある。

 

だが、昨日アスナと話した通り、自分が現実に帰らなければいけない。こんな所で死にたくない。現実でやりたいことが、まだまだあるのだから。

 

そんな、らしくない感傷を振り切ってケイは転移門広場へと向かう。あんまりのんびりして、遅刻などしてみろ。…あ、今一瞬、体が震え上がりました。

 

 

(…ちょっと急ぐか)

 

 

心なしか、小走りで足を動かすケイだった。

 

二十分ほどで待ち合わせ場所に着くだろうと考えていたケイだったが、七十四層へ着いた時はまだ待ち合わせ十五分前だった。少し早めに出て、順調なら待ち合わせ十分前辺りに着くだろうと予想していたが。

 

さらに早く着いてしまった。さすがに、まだアスナの姿も見えない。ケイは辺りを見回して、空いてるベンチを見つけるとそこに腰を下ろしてアスナを待つことにした。

 

とはいえ、十五分も何もせずぼぉーっとして待つのも暇すぎる。ケイはウィンドウを開き、七十四層のマップを眺めたり、スキルの熟練度の確認をしながら時間を潰していた。

 

 

「ケイ?」

 

 

その時だった。待ち人であるアスナの声ではないが、馴染み深い声がケイにかけられる。

 

 

「何してんだ?こんなとこでぼけーっとして…。誰か待ってんのか?」

 

 

「ん…、まぁ、うん」

 

 

声を掛けてきたプレイヤーはケイの目の前に歩み寄りながら問いかけてきた。ケイはやや口籠りながらも、頷きながら答える。

 

 

「そっちは攻略か?キリト。…サチと二人きりで」

 

 

「そうだけど…。その何か含んだような言い方やめてくれよ。今日は他の皆が武器をメンテナンスに出してて、残った俺とサチがスキル上げがてら少しでも攻略進めようかなって思っただけだぞ」

 

 

ケイに声を掛けてきたのは、黒づくめの装備に身を包んだプレイヤ、キリトだった。その隣には、青みがかった黒髪と、青を基調とした装備に身にまとい、その背には長い槍を背負った少女、サチが立っていた。

 

ケイがからかい染みた言葉をかけたせいか、その頬は僅かに赤らんでいる。

 

 

「そ、それで、ケイは誰を待ってるの?」

 

 

「え?あ、えっと…」

 

 

キリトの次に問いかけてきたのは、まだ頬が赤らんだままのサチだった。

その問いに対し、ケイは答えようと口を開いて…そこで動きが止まってしまった。普通に、アスナを待っていると答えればいいのに。何故かそれを言うのが気恥ずかしく感じてしまい、言葉にすることができない。

 

 

「?」

 

 

「ケイ?」

 

 

ケイの反応を怪訝に思ったのだろう、キリトとサチが首を傾げている。それを見たケイは、蟀谷から汗を垂れるような感触を感じる。

 

いや、何で普通に答えられないの。アスナと一緒に攻略に出るって言えばいいじゃん。

でもさ、それを言ったらキリトがどんな顔するかわかんねぇんだよ。絶対ニヤァ、て感じで色々言ってくるぞ。恥ずかしくね?

 

ケイの内心で、謎の二人の人格(笑)による会議が行われる。会議というよりは、不毛で無様な言い争いというべきだろうが。

 

しかし、こうしている間にも時間が過ぎている事にも気が付かないほど、今のケイは混乱していた。

 

 

「ケイ君!珍しいね、君の方が早く…あれ?キリト君に、サチも」

 

 

「あ、アスナ…」

 

 

ふと転移門が起動する音が耳に届いて、少し経ってからだった。背後からケイを呼ぶ声が聞こえてきたのは。振り返って見ると、いつも攻略やボス戦で会う時に見ている、血盟騎士団のユニホームを着たアスナの姿があった。

 

 

「アスナ!久しぶりー!」

 

 

「うん!久しぶりね、サチ!」

 

 

アスナの姿を見た瞬間、サチが駆け寄っていく。そして、二人は両手を取り合って再会を喜び合っている。

 

 

「…なるほど?」

 

 

「…何だよ」

 

 

「べっつにぃ」

 

 

アスナが来る直前にケイが頭の中で想像していたキリトの笑顔。そのままの表情が、今目の前に存在していた。

 

 

「んだよ。言いたいことがあるなら言えばいいだろ」

 

 

「そ、そんなに怒んなよ…。ただ、さ」

 

 

こうなるから言いたくなかったんだと思うと同時に、心の底から沸々と苛立ちが煮え滾ってくる。目の前の黒づくめをどうしてやろうかと、そんな事を頭の中で考えていた。

 

だが、その苛立ちは直後にキリトが浮かべた、先程のような悪戯っぽいものではなく、安堵が混じった笑みを見ると驚くほどあっさりと霧散していった。

 

 

「何か、ようやくケイとアスナが元通りになった気がして」

 

 

「…何だよソレ」

 

 

変わらず笑顔のままで言うキリトを見て、ケイもまた笑みを零す。

 

別に、キリトが言うように元通りになったとか、まるで今まで仲違いしてたとかそんな事実はないのだが。それでも、こうしてペアを組んで攻略を出るのは、以前にパートナー同士で戦っていたあの時を思い出させる。

それを考えて、思わず笑みが零れてしまったのだ。

 

 

「そっか、今日は他の皆は来れないんだね。…なら、チャンスじゃない」

 

 

「え!?ち、チャンスって…」

 

 

「そうよ!この機会でキリト君を…」

 

 

「わ、わわわわ!アスナぁ!!」

 

 

「…」

 

 

「何話してるんだ?あの二人は…」

 

 

そんな少しシリアス気な話をケイとキリトがする中、アスナとサチはガールズトークに花を咲かせていた。その様子をケイは苦笑を浮かべながら眺め、キリトは話の意味を読み取れずに首を傾げる。

 

そんなキリトを視界の端でばっちり捉えていたケイは、迷わず容赦なく、キリトの尻に蹴りを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

「ケイ!スイッチ!」

 

 

「おっけ」

 

 

前方でリザードマンロードと打ち合っていたキリトが、合図と共に後方へと下がる。それと同時に、後方で待機していたケイが、キリトとの戦闘でHPが消耗しているリザードマンロードに止めを刺すべく、キリトの前へと躍り出る。

 

刀上位三連撃スキル<水鏡>。柔らかい青のライトエフェクトを宿した刃が、キリトを追いかけようとするリザードマンロードの体を切り裂く。その体に赤い傷跡が見えたのは一瞬、直後にはリザードマンロードの体はポリゴン片と化し、四方へと散らばっていった。

 

 

「ねぇ、サチ」

 

 

「どうしたの?アスナ」

 

 

「私達って…、いらない子?」

 

 

「…言わないで」

 

 

リザードマンロードを倒し、互いを労いながら拳をぶつけ合うケイとキリトの後方ではアスナとサチが。二人の少女は、今ここに自分たちがいる理由が分からなくなっているようだが。

 

そんな事を露知らず、それぞれの得物を鞘へと収めたケイとキリトはホクホクと満足げな笑みを浮かべながら話していた。

 

 

「相変わらず、えぐいスピードだな」

 

 

「いや、俺よりも速ぇ奴がいるから…。キリトだって、片手剣でよくあんな威力出せるよな」

 

 

キリトの言葉に対し、ケイはちらっ、と横目で後ろでサチと喋っているアスナを見遣りながら答える。

 

 

「てか、アスナもサチも、戦えよ」

 

 

「「二人がさっさと倒してくから出番がないの」」

 

 

「「…」」

 

 

アスナがケイとの待ち合わせ場所に来てから、四人で攻略に行くという流れになるのはあまりに自然なものだった。四人でフィールドに出て、迷宮区へと入って…。ここまでの間、ポップしたモンスターは、全部ケイとキリトが倒してきた。アスナとサチの手を、全く借りることなく。

 

 

「元々、ケイ君と一緒に攻略するって約束してたのは私なのに…」

 

 

「キリトもだよ?私とコンビで行くって約束してたのに…」

 

 

「「二人で楽しく戦っちゃって」」

 

 

「「申し訳ありませんでした」」

 

 

何でここまで容赦なく不満をぶつけられるのかはわからないが、完全にアスナを、サチを放置していた事は否めない。特に反論することなく、ケイもキリトも即座に頭を下げて二人に謝った。

 

 

「…はぁ。ま、このメンバーで攻略行くって決めてから予想できてたからもういいけど」

 

 

ため息を吐き、苦笑を浮かべながら言うアスナと、同じように苦笑を浮かべて頷くサチ。

そんな女性陣の前に、男性陣は何も言い返すことはできずに頭を垂れるしかなかったのだった。

 

ここからは、朝に四人が集まる前に約束していた組み合わせで戦闘を行った。進む方向は同じだが、モンスターがポップすればケイとアスナか、キリトとサチのどちらかのペアが迎え撃つ。

 

特に危険な事故も起きず、ケイ達は迷宮区を突き進んでいた。

 

 

「ねぇ、これって…」

 

 

「あぁ…。間違いない」

 

 

暗い森のようなエリアが続いた迷宮区だったが、それが変わったのは少し前の事だった。

 

周りに茂っていた森が突然、まるで何かの境界線のごとく、エリアが変わった途端に消えうせた。その代わり、彼らの視界に映るのは円柱の立ち並んだ荘厳な回廊。

 

索敵スキルを使い、周囲を警戒しながら慎重に進んだケイ達の目に映ったのは、灰青色の巨大な二枚扉だった。

 

 

「ボス部屋の扉だ」

 

 

文様こそ毎回微妙に変わってはいるが、この重厚そうな扉は紛れもなく、ボス部屋を隔たる扉だろう。

 

 

「ど、どうする?少しだけ…、覗いてみる?」

 

 

ボス部屋を前にしてどうするべきか考える中、口を開いて呟いたのはサチだった。

どこかか細く聞こえるその声には、不安が色濃く滲んでいた。この場にいる四人とも、トップレベルの剣士であり、サチもその一人ではあるのだが…やはりこの場面は怖いと見える。

 

 

「ボスモンスターはその守護する部屋からは絶対に出ない。ドアを開けるだけなら、多分大丈夫…じゃない…かな…?」

 

 

「き、キリト!どうしてそこで不安そうに言うの!?」

 

 

サチの呟きの後に口を開いたのはキリトだった。初め、キリトは自信を滲ませた声で言葉を進めていたのだが、段々と力が入った声が萎んでいく。最後には、顔を俯かせてしまったキリトに、サチが思わずといった感じでツッコミを入れていた。

 

 

「ともかく、扉を開けるなら転移アイテムを用意しておいた方がいいな」

 

 

何か、キリトとサチのやり取りを見ていたら先程まで感じていた緊張が和らいでしまった。それはアスナも同じようで、ケイと同じく苦笑を浮かべて、ケイの言葉通りに転移結晶をオブジェクト化させた。

 

キリトとサチも、アスナと同じように転移結晶を取り出し、その手に握る。

 

が、一人だけ。ケイだけは転移結晶を取り出さずにボス部屋の扉の前へと歩み寄った。

 

本格的なボス討伐戦の前には、必ず先遣隊がボスの偵察へと向かう。これまで、その偵察で犠牲者が出るという事態はなかったが、ここ最近になって危うく先遣隊のメンバーから犠牲者が出かかるという話が多く聞くようになってきた。

 

 

「…」

 

 

キリトもまた、ケイとは反対の左の扉に拳を当てる。

それを確認しながら、ケイは腰の鞘に差さる刀の柄に手をかける。

 

ボスを倒すつもりはない、が、少しでも攻撃パターンを引き出し、その情報を伝えることができれば先遣隊も楽に偵察を行うことができるだろう。

 

そう考えての、ケイのこの行動だ。

 

 

「いいな…開けるぞ」

 

 

キリトがケイ、後ろで待機するアスナとサチを見回して言った。ケイ達三人は同時に頷き、そしてケイとキリトが手に力を込めてゆっくりと扉を開ける。

 

一度力を込め、扉が動いた途端、後は勝手に扉は開いていった。次第に開くと思っていた扉は、やけにあっさりと完全に開き切ってしまい、思わずこちらも目を見開いてしまう。

 

扉の向こう、内部は完全な暗闇だった。どれだけ目を凝らしても、その先を見ることができない。しかし、内部を見ようと目を凝らし始めたそのすぐ後、突如床の両側から青い炎が灯った。そのすぐ後に少し奥でまた炎が、またすぐ後にまた、といった感じで炎は次々に灯っていき、入り口から中央までの炎の道が完成した。

 

最後に一際大きな火柱が上がると、一番奥の長方形の部屋全体が露わになった。

 

ケイ達は途端、僅かに身を震わせる。彼らの視界の奥、部屋の最奥部に、巨大な人型の影が見えたからだ。薄暗い視界に目が慣れてくると、その影の姿がはっきりと見えるようになってきた。

 

四メートルはあるだろうか、その巨大な体躯は盛り上がった筋肉に包まれている。肌は、周りの炎と同じような深い青。背後からはひらりと揺れる、長い尾。さらに視界を見上げれば、巨大な体躯に見合う大きな顔面。だが、その顔は人の物ではなく、山羊のそれ。

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 

青白く光る両眼がケイ達を捉えると、巨大な山羊のボスは凄まじい雄叫びを上げる。

ビリビリと震える空気に耐えながら、ボスの頭上に浮かぶHPバーとその名称を目にする。

 

 

(<The Gleameyes>…、輝く瞳)

 

 

日本語に訳せば随分とロマンチックな名前になるが、気の毒に。その正体は巨大な山羊です。

 

 

「っ!?」

 

 

そんな呑気な事を考える暇もなく、グリームアイズは右手に握った大剣を肩に担いで猛烈な勢いでこちらに駆けだしてきた。

 

それを見て、ケイは身構える。

幸い、ボス部屋の扉は開いたままだ。転移結晶なくとも、この場から離脱する事は出来る。

恐らく、このボスは右手に持ってる大剣を駆使した攻撃をしてくるはずだ。後、予想される攻撃は…。

 

 

「うわああああああああああああああああああ!!!」

 

 

「「きゃああああああああああああああああああああ!!!」」

 

 

「へ?」

 

 

考えながら、グリームアイズを見据えて刀を抜こうとした時だった。

ケイのすぐ傍から三つの叫び声が響き渡る。

 

さらにその直後、ケイは誰かに腕を掴まれ、そのまま元来た道へと連れ戻されていく。

 

 

「え、ちょっ。あ、アスナ?」

 

 

ケイの腕を引っ張っているのはアスナだった。さらに、アスナに並んでキリトとサチもまた、敏捷度をフルに使ってるのではと思えるスピードで駆け抜けていた。

 

 

「て、おい!離せ!自分で走るから!なぁ、アスナぁ!」

 

 

というか、おかしい。何がおかしいって、今、ケイの体はまるで漫画のように、地面と平行に体が横になっているのだ。空中で。

 

アスナが誇るスピードがあれば、可能かもしれないが…、だがそれを実現するには、敏捷度と同時に相当な筋力値が要求されるはずだ。アスナは敏捷型の剣士だ。筋力値は、キリトは勿論、ケイからも遠く及ばないはず。

 

それなのに────

 

 

(茅場さん…、このゲーム、大丈夫なんですか…?)

 

 

SAOにログインして初めて、とんでもない欠陥を見つけたケイは、思わず不安を感じ、そして内心で小さく呟くのだった。

 

その間にもアスナ達は、足を止める事はなかった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




俺は…、俺は…!お前が欲しい!感想ぉおおおおおおおおおおお!!!
二人のこの手g(ry


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第41話 小さな棘

かなり長くなってしまった…。けど、そのおかげでそれなりに話は進…んだのか?








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケイ達…いや、ケイを引き連れたアスナ達は、迷宮区内に設けられている安全地帯目指して一心不乱に駆け抜けた。途中、ケイはモンスターにタゲを向けられていたのを確認したが、それにも構わずアスナ達は走り続け、遂に安全エリアが用意されている部屋へと四人は飛び込んだ。

 

そこで、ようやくケイはアスナの手から解放されて、久しぶりに地に足を着けることができたのだった。

 

 

「おい、アス…」

 

 

ボスとちょっと戦うつもりだったことは口が裂けても言えないが、さすがにあんな強引に引っ張られれば文句の一つは言いたくなる。ケイはアスナの方へと視線を向けて口を開いた。

 

 

(…いや、何か楽しかったし、文句言うのは止めてやろう)

 

 

そこで言葉を止めたケイの目に入ったのは、地面に座り込んで激しく息を切らすアスナ、キリト、サチの姿だった。その三人の姿を見た途端、喉まで出てきていた文句の言葉が奥へと仕舞い込まれてしまった。

それに、アスナに引っ張られている間はまるで絶叫マシーンに載ってる気分になれて楽しかったし。むしろちょっと感謝の念を抱いてるくらいだし。

 

 

「…ぷっ」

 

 

ケイは立ったまま、他の三人の息が整うのを待っていた。その内、大分息が落ち着いてきた所で、ふと四人の目線が合った。すると、誰からともなくふと笑いが零れた。

 

 

「あははは!やー、逃げた逃げた!」

 

 

先に声を上げて笑ったのはアスナだった。天を仰いで愉快そうに笑うアスナにつられて、サチもまた笑みを零して口を開く。

 

 

「こんなに一生懸命走ったのは久しぶりだなー。…ま、キリトの方が凄かったけど」

 

 

「…」

 

 

憮然としたキリトの表情を覗きながら、サチがくすくす言い続けている。キリトは口を開かず、全く否定できなそうに無言のままだ。

 

アスナもケイと同じように微笑まし気に二人の様子を眺めていたのだが、ふと何かに気が付いたような表情を浮かべると、鋭い視線をケイに向けてきた。

 

 

「え、な、なに?」

 

 

その視線に気付いたケイは戸惑い、アスナを見ながらたじろぐ。アスナはケイへ視線を向けたまま、背筋を伸ばし、そして口を開いた。

 

 

「ケイ君、あのボスと戦おうとしたでしょ」

 

 

「…」

 

 

「あぁ!やっぱりそうだったのね!?」

 

 

じとーっとしたアスナの目から視線を外し、ふいっとそっぽを向いたケイ。そんなケイの反応を見て、アスナは自身の言葉が正しかったことを悟った。

 

 

「ケイ、お前…」

 

 

「いやいやいや、ガチで殺り合うなんて考える訳ないだろ?ただちょぉ~っと、ボスの攻撃パターンを見てやろうと…」

 

 

「バカ!」

 

 

何か、少し誤解されているようなので少々の弁解をしたケイだったのだが、突然アスナが大きな声を上げながら立ち上がった。

そして、ケイに迫りながら続ける。

 

 

「いつもいつもそうやって無茶ばっかりしようとして!」

 

 

「い、いや…。俺が戦闘しようとすればアスナ達だってついてくると思ったし…、まさかいきなり全速力で逃げ出すなんて…。ごめんなさい」

 

 

アスナの言葉に反論しようとしたケイだが、途中…というよりそれなりに初めから自分が無茶苦茶言ってることを自覚して素直に謝った。

 

 

「はぁ…。まぁ、ケイ君が無茶するのはいつもの事だけど…」

 

 

「いつもの…」

 

 

本気で呆れたようにそう言うアスナを見て苦笑を浮かべるケイ。いや、言い返すことも出来ないし紛れもない事実ではあるのだが…、どことなくショックを受けている様子が見られる。

 

 

「…あれは苦労しそうだね」

 

 

沈んだ様子のケイを見遣って、再びため息を吐いたアスナが表情を引き締めて言った。

 

 

「そうだな。パッと見、武器は大型剣一つ。けど特殊攻撃アリだろうな」

 

 

「前衛に堅い人を集めて、どんどんスイッチしていくしかないかな」

 

 

アスナの呟きに続いて、キリトとサチが少しの間でも見ることができたボスの特徴を整理して、簡易的な戦略を立てる。七十四層ボス<The Gleameyes>の姿を頭に思い浮かべながらケイはキリト達の会話に耳を傾ける。

 

 

「盾装備の奴が十人は欲しいな…。まあ、当面は少しずつちょっかいをかけながら対策を練ってくしかないな」

 

 

「…だからあの時、俺が「ケイ君、何か言った?」いえ何も」

 

 

ケイの言う事は置いておくが、キリトの言う通りだ。見た目からの判断になるが、恐らく基本的には大剣による破壊力を振るって攻撃してくるタイプのボスと思われる。

そうだとしたら、壁隊がボスの動きを押さえ、ダメージディーラーが徹底的に攻める。これがボス討伐への最善の作戦となるだろう。

 

勿論、これから行われるだろうボス偵察の結果によってはまた違った傾向が出てくるかもしれないが。

 

 

「盾装備、ねぇ」

 

 

「な、なんだよ」

 

 

先程まで受けた色々なダメージを放り捨てて思考を深めるケイの耳に、アスナの意味ありげな声が届いた。

 

 

「キリト君って、どうして盾を装備しないの?」

 

 

「っ」

 

 

丁度ケイがアスナに視線を向けた時、アスナはキリトへ質問を投げかけた。途端、キリトは目に見えて息を呑み、動揺を見せた。

 

 

「そういえばそうだよな。片手剣の最大のメリットは盾を持てること。アスナみたいにスタイル優先で持たないって人もいるけど、お前はそういう訳じゃないだろ?」

 

 

「う…、あっ…。その…」

 

 

アスナに便乗するように、ケイも続いて口を開いた。

 

キリトの様に、片手剣を持つプレイヤーは基本、もう一方の手に盾を持つ。理由は至って簡単、その方が安全だからだ。ケイも言ったが、アスナは盾を持つと逆にスピードが出しづらくなってしまい、そういう理由でアスナと同じように盾を持たないプレイヤーもいるにはいる。

 

だが、キリトは違う。キリトは、自身が持つ火力でゴリゴリ押していく傾向にある。

だとすれば、尚更、盾を装備していた方が効率が良いはずなのだが。

 

 

「…やっぱりいいわ。スキルの詮索はマナー違反だもんね」

 

 

キリトが、困ったようにサチと目を見合わせた後。ケイとアスナは色々と察して、追及の矛を収めた。それに、アスナも言ったが、この世界では人が持つスキルを無理に詮索するのはマナー違反とされている。

 

あの様子を見ていると、何かしら他人に知られたくない切り札をキリトは持っているのだろう。何故それを教えたがらないのかは知らないが…、この世界をクリアするために、それは後々必要になるだろう。その時を、楽しみにしておくことにする。

 

 

「わ。皆、もう三時だよ。そろそろお昼にしよう?」

 

 

「なにっ、ならもう飯にするぞ、飯」

 

 

視線をちらりと向けて時計を確認したサチが言った。そして、途端に色めき立つキリト。

 

サチは小ぶりなバスケットを出現させて、キリトと一緒にその場で腰を下ろした。

 

 

「うん。じゃ、私達もお昼にしましょうか」

 

 

「え?作ってくれてんのか?」

 

 

その様子を見ていたアスナが、ケイの方に視線を向けてそう言った。ケイは、まさか自分の分まで作ってくれたのか、とアスナに問いかける。するとアスナは、無言で済ました笑みを浮かべると先程のサチと同じようなバスケットを手元に出現させる。

 

 

「ほら、ケイ君も座りなよ」

 

 

アスナはバスケットを出現させると、中から大きな包みを取り出しながらキリトとサチの傍に腰を下ろす。そして、バスケットからもう一つ大きな包みを取り出すと、それをケイへと差し出しながら自分の隣を掌でぽんぽんと叩きながらケイに言った。

 

 

「どうも」

 

 

ケイはアスナから差し出された包みを受け取ると、簡単なお礼を言ってアスナの隣に腰を下ろす。いただきますと一言口にしてから受け取った包みを開けて、中身を目にする。

 

 

「サンドウィッチか」

 

 

「おにぎりはもうご馳走したからね。今度は別の料理を食べてほしかったから」

 

 

「いやいや、普通に旨そうだし」

 

 

焼いた肉に野菜をふんだんに挟んだサンドウィッチに齧り付く。直後、口の中に広がったのはちょっと濃い目の甘辛さ。

 

 

「ん…。お前、これ、どうやって…」

 

 

「ふふん。一年の研鑽と修行の成果よ」

 

 

この味は、現実のファストフードの味だと悟るのに時間はいらなかった。しかし、どうやってこの味を再現したのか。視線を向けると、アスナは言葉の途中ながらケイが何を言おうとしたのかを察し、バスケットの中を探りながら答えた。

 

 

「ほら、これ。サチとキリト君も」

 

 

バスケットの中から取り出した二つの小瓶の内、一つをケイ、キリト、サチの三人の指に近づけ、中身を少量出現させる。

 

三人は人差し指に付いた白い雫をまじまじと眺めてから、同時に口へと入れる。

 

 

「っ!こ、これ…」

 

 

「マヨネーズ…?」

 

 

呆然と呟いたのはキリトとサチ。ケイも口には出さないものの、目を見開いて驚愕している。

 

 

「で。こっちがアビルパ豆とサグの葉とウーラフィッシュの骨」

 

 

これだけでも驚いたのに、こ奴はまだ驚かせるつもりか。

 

アスナはもう一つの小瓶の中身を先程と同じように三人の指に付ける。今度は紫というべきか黒というべきか、不思議な色をした液体だったが三人はすぐさまそれを口へと入れる。

 

 

「「「…醤油だ!」」」

 

 

「…ぷっ、ふふ」

 

 

声を揃えて先程の調味料が何の味を再現したものかを言い当てる三人に、思わずといった感じで笑いを零すアスナ。

 

 

「さっきのサンドウィッチはこれで作ったのよ」

 

 

「え、マジか…。ケイ、ちょっと分けてくれよ」

 

 

「お前にはサチが作ってくれた昼食があるじゃねぇか。人の物に手を出そうとしてんじゃねぇ」

 

 

これ、というのは醤油の味を再現した調味料の事。それに誘惑されたかのように、キリトがケイが持つサンドウィッチに手を伸ばした。そしてそれを避けてサンドウィッチを抱き寄せるケイ。

 

 

「ちょっとキリト君?折角サチがキリト君のために作ってくれたのに、そんな事したら…」

 

 

「ねぇアスナ。私にもちょっと分けてほしいな」

 

 

「さ、サチまで!?」

 

 

まさかのサチまで誘惑状態にされてしまっていた。

 

 

「なぁ、頼むよケイ。ちょっと、ちょっとでいいからさ」

 

 

「ふざけんな!お前の目はちょっとを望む目じゃねぇ!一度手にしたら全部食うつもりだろ!」

 

 

「アスナ、お願い。ちょっとでいいから、ね?」

 

 

「サチ、落ち着いて…ね?欲しかったら、後で作ってあげるから、ね?キリト君もダメ!それは…」

 

 

キリトもサチも、冗談にならない目をしている。欲望に満ちた、何か危ない目をしている。

 

だからだろうか。アスナが冷静さを欠き、混乱してしまったのは。

 

 

「ケイ君のために作ったんだから!」

 

 

こんな事を、口にしてしまったのは。

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

「…」

 

 

「そうだぞ!これは俺のだからなキリト!絶対に渡さねぇ!」

 

 

アスナは自身の言ったことがどんな事かを自覚し、キリトとサチはアスナの言葉を思い出して笑みを浮かべて。ただ一人、ケイだけはさっきまでのキリトとサチと同種の欲望を目に染め、他とずれたことを言い放った。

 

 

「そうか。そうだな、それはアスナがケイのために作ったんだもんな」

 

 

「そうだ。だからこれは全部俺は食う。…あ、アスナの分までは手出さないから。そこは安心してくれ」

 

 

「…うん」

 

 

さらにケイは、アスナの様子を見て何を勘違いしたのか、そう続けた。

 

これにはさすがのキリトとサチも苦笑い。アスナもホッとしたような、それと同時にどこか残念そうな、複雑な表情を浮かべる。

 

 

「ど、どうした?」

 

 

ケイからすれば、特にキリトとサチの視線が自分を憐れんでいるように見える。何故そんな視線を向けられなければいけないのかわからず、ケイは首を傾げる。

 

 

「いや…。うん、良かったよ。お前の正気が失われてて」

 

 

「そうじゃなかったら…、アスナが可哀想だった」

 

 

「キリト君!サチ!」

 

 

「…ホントに何なんだ」

 

 

正気を失った?アスナが可哀想?

ますますケイの疑問が深まっていく。

 

わからない。そう思い、ケイがもう一度口を開こうとした時だった。下層部の方から、ガチャガチャと鎧を言わせながら、赤を基調とした和風のユニフォームを身に着けた集団が部屋の中に入ってきた。

 

安全エリアに入ったからか、安心しきってだらけた声を漏らしながら中に入ってくる集団の先頭を歩いていたバンダナの男がケイとキリトの姿を捉え、目を丸くした。

 

 

「おぉ、ケイにキリト!しばらくだな!」

 

 

「おっす」

 

 

「あぁ。まだ生きてたか、クライン」

 

 

メンバーを率いてこちらに歩み寄って挨拶をした、ギルド<風林火山>のリーダー、クラインにケイは片手を上げて簡潔に、キリトは短く皮肉を加えながら挨拶を返した。

 

 

「ったく、不愛想な奴らだなぁ。と、サチちゃんも久しぶりだな」

 

 

「はい。クラインさんも元気そうで安心しました」

 

 

ケイとキリトに挨拶を返された後、クラインはキリトの隣に座るサチとも親しげに挨拶を交わした。それを見たケイは、いつの間にサチと…いや恐らく黒猫団の他のメンバー共交流を持っていそうだ。それについて問いかけようと、口を開こうとする。

 

 

「おう!こちとらそれが取り柄だからな…っと、何だケイ。お前にも連れがい…る…」

 

 

だがその前に、クラインはケイの隣で腰を下ろすもう一人の少女の存在に気が付いた。そして、その少女の姿と顔を見て、大きく目を見開いた。

 

 

「え」

 

 

「っと…。紹介はいらない…よな?」

 

 

呆けた声を漏らすクラインを放って置き、ケイはアスナにクラインの紹介がいるか確認を取る。五十層ボス討伐の際に行った宴会を覚えているのだろう。アスナはケイの問いかけに頷いて返した。

 

クラインの方もアスナとは初対面ではないため、アスナの紹介はいらないと思われる。の、だが。

 

 

「…クライン?おーい、クライン殿ー?」

 

 

どれだけ声を掛けても、固まったまま返事を返さないクライン。これはもう、あれだ。

 

 

「返事がない。ただのしかばn「こここんにちは!くっ、クラインという者です二十四歳独身」何口走ってんだこのバカ」

 

 

お決まりのネタをケイが口にしようとした直後、動きを取り戻したクラインが口を開いたかと思うと、お見合いで初対面の女性を相手にするような自己紹介を口走り始める。

 

二十四歳って…、アスナの正確な年齢は知らないが、恐らくケイと同年代、そう考えれば、六、七歳は下の相手を口説こうとしているのだこの愚か者は。ケイは堪らず、クラインの横っ面に回し蹴りを喰らわせ、部屋の壁まで吹っ飛ばす。

 

 

「な、何しやがんだよケイ!」

 

 

「自分の胸に手を当てて、過去の行動を悔い改めろボケが」

 

 

「い、いいじゃねぇかよ!自己紹介くらいよぉ…」

 

 

声のトーンが下がっている所を見ると、クラインも反省はしているのだろう。

ケイは一度ため息を吐いて、今の二人のやり取りを見て戸惑っているアスナへと振り返る。

 

 

「アスナ、気にすんな。むしろ痛めつけられて喜ぶ奴だから」

 

 

「おい!アスナさんにない事吹き込んでんじゃねぇ!」

 

 

「「…え?」」

 

 

「うぉい!キリトまで…、ち、違いますよアスナさん!俺は決して、そんな趣味を持ってるわけじゃないんで!こいつらが勝手に…」

 

 

まさかのキリトに裏切られたクラインが、必死にアスナに弁解している。

 

何と哀れな光景か、とこの時のケイは内心で呟いた。(お前が言うか9

 

 

「ふふっ…」

 

 

三人のやり取りを聞いていたアスナが、我慢できなくなったのか笑いを吹いた。さらにサチ、キリトの前に立っていた他の風林火山のメンバー達も笑い始める。

 

 

「こんにちは。しばらくこの人とパーティーを組むので、よろしく」

 

 

「は?おいアスナ、今日だけの話じゃ「おいケイ!てめぇ、どういうことだよ!」」

 

 

ケイの前で座り込むクラインに笑い掛けながら言うアスナに、話が違うと言おうとしたケイだったが。その言葉にかぶせる形でクラインが大声を上げた。

 

…もう一度蹴り飛ばしてやろうか。いや、それは駄目だろ。いくらクラインとはいえ、これでも年上だし。

と、頭の中で考えながら冷静さを保とうとするケイ。

 

 

「っ…、ケイ君」

 

 

「…あぁ」

 

 

こちらに掴みかかろうとする、憤怒の表情を浮かべたクラインの顔を掌で押さえていたケイ。クラインが喧しかったせいで聞き取ることができなかったのだが、緊張が籠ったアスナの声が切欠になり、こちらに近づいてくる金属音に気が付いた。

 

クラインも気が付いたのだろう。ケイから離れて、先程自分たちが通ってきた下層側の入口へ目を向ける。

 

やってきたのは、黒鉄色の金属鎧を身に着けた十二人の重戦士の集団だった。

 

 

(…こいつら)

 

 

ケイはその集団を見て、目を鋭くさせる。この二列縦隊で行進する集団。といっても、戦闘のプレイヤーを除いて、他の全てのプレイヤー達は疲労のせいか、行進と呼べるものではなくなっているが。

 

ともかく、ケイはこの集団が何なのか、内心で確信を持つ。

 

安全エリアの、ケイ達がいる方とは反対の端で集団は止まり、戦闘のプレイヤーが「休め」と一言口にすると、崩れるように集団は座り込んでいった。

 

そんな彼らには目もくれず、戦闘のプレイヤーはこちらへと歩み寄ってくる。

 

 

「私はアインクラッド解放軍所属、コーバッツ中佐だ」

 

 

アインクラッド解放軍

この言葉を耳にした直後、ケイは僅かに体を震わせた。

頭に浮かぶのは、あの光景。自分を庇ってその身を散らした二人のプレイヤー。

 

 

「っ…」

 

 

左手で右の二の腕を力一杯握り締める。そこから伝わってくるのはただの不快感。痛みだったら、どれだけ今のケイにとって楽だったか。

 

 

「ケイ君」

 

 

顔を顰め、震えるケイの耳朶を打ったのは、小さくも良く通る綺麗な声。

その声の主は、腕を握るケイの左手に、そっと手を添えて笑いかけてきた。

 

 

「大丈夫」

 

 

「…サンキュ」

 

 

アスナが手を握ってくれたら震えが止まった。その事実と、素直にお礼を言う事がどこか気恥ずかしく感じてしまい、ケイは顔を俯かせて小さく、ありがとうとは言えなかった。

 

そんなケイの内心を知ってか知らずか、アスナは変わらず微笑んだままだった。

 

 

「うむ。では、そのマップデータを提供してもらいたい」

 

 

「はっ…、提供しろだぁ!?てめぇ、マッピングにどれだけ苦労するかわかってて言ってんのか!!」

 

 

あのコーバッツという軍のプレイヤーの対応はキリトが行っているらしい。だが、何かあったのか。激昂したクラインがコーバッツに掴みかからん勢いで詰め寄っている。

 

 

(いや…。今こいつ、マップデータを提供しろと言ったか?)

 

 

だとすれば、クラインが怒るのも無理はない。見攻略区域のマップデータはかなり貴重で、高額で取引されたりもする。勿論、そんな甘い話だけではない。

 

マッピングがされていない、すなわちそれはそのエリアは誰も一度も踏み入ってないという事に等しい。そんなエリアの情報を手に入れるのにどれだけ苦労するか。

 

 

「我々は、一般プレイヤーの解放のために戦っている!」

 

 

クラインの言葉を聞いたコーバッツは、片眉をピクリと動かすと、声を張り上げてそう言い放った。

 

 

「故に、諸君が協力するのは当然の義務である!」

 

 

まさかの義務、と来た。その原因の一端が自分にあるため口に出して指摘は出来ないが、近ごろ碌に最前線に出ず、第一層でぬくぬく生活してきた奴らが今更何を言うのか。

 

 

「ちょっと、あなたねぇ…」

 

 

「て、てめぇ…!」

 

 

ケイと同じように考えていたのだろう。爆発寸前の様子のアスナとクラインが口を開いた。

しかし、そのアスナはケイが、クラインはキリトが制して止める。

 

 

「どうせ街に戻ったら公開するつもりなんだ。構わないさ」

 

 

「なっ…。キリト、そりゃ人が好すぎるぞ…?」

 

 

「マップデータで商売する気はないよ」

 

 

先頭のキリトがトレードウィンドウを開き、操作してマップデータを送信する。

コーバッツは表情一つ動かさず、受け取ったデータを確認すると「協力感謝する」と、全くもって気持ちが籠ってない感謝の言葉を口にして後ろを向いた。

 

 

「ボスにちょっかいをかけるつもりなら、止めといた方がいいぜ」

 

 

もうこれ以上用はないという空気を思い切り醸し出すコーバッツが、僅かに振り返る。

 

 

「…それは私が判断する」

 

 

「っ…。さっきボス部屋を除いてきたけど、半端な人数で何とかなる相手じゃない!あんたの仲間も消耗してるみたいじゃないか」

 

 

「私の部下は、この程度で音を上げるような軟弱者ではない!」

 

 

キリトの言葉は届かず。コーバッツは苛立ったように怒鳴って一蹴すると、未だ座り続けるプレイヤー達に鋭い視線を向けた。

 

 

「貴様等、さっさと立てぇ!」

 

 

まだ疲労が抜けていない様子のプレイヤー達は、コーバッツの言葉に従ってよろよろと立ち上がる。コーバッツは部下達が二列縦隊に整列したのを確認すると、こちらには目もくれずにボス部屋の方へと歩き出した。

 

 

「大丈夫なのかよ、あの連中…」

 

 

クラインが足つきが頼りない彼らの背中を眺めながら呟く。

 

目に見えるHPが満タンでも、目に見えない疲労が溜まるのがこのSAOというゲームだ。

実際、そのせいで倒れたのが今ここにいる────

 

 

「ケイ君、今何か考えたでしょ」

 

 

「いえ何も」

 

 

────どうして考えてることが読まれるのか。

 

 

「いくら何でも、ぶっつけ本番でボスに挑むなんてことはしないと思うけど…」

 

 

サチも心配そうだ。だが確かに、コーバッツの言葉は無謀さを感じさせるものだったが…。

 

 

「…一応、様子だけでも見に行くか?」

 

 

キリトがケイ達を見回して問いかけると、全員がほぼ同時に首肯する。

そして、軍の集団が歩いていった上階へと続く道にへとケイ達は足を向けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




何があったし!と、久しぶりに小説情報を見て呟いてしまいました。ww
ランキングに載ったんですかね?


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第42話 <二刀流>

気付いた人がどれだけいたか…。この話を投降する直前まで自分は気付きませんでした…。
前話のサブタイトルで、第41<層>となっていたのを直しました。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボス部屋へと向かった軍の集団を追って、安全エリアから出て約三十分。

ケイ達は運悪く複数のリザードマンに囲まれてしまい、未だ先を行った軍の集団に追いつくことができないでいた。

 

 

「もうアイテムで帰っちまったんじゃねぇか?」

 

 

ようやく最後の一体に止めを刺したところで、クラインが言った。確かに、もしかしたら思い止まり、引き返した可能性もない訳ではない。だが、この場にいる誰もが、それこそ帰ったという可能性を示したクラインさえも、それはないと内心では感じていた。

 

リザードマンを討伐したケイ達が、再び足を急がせようとした時、この場にいる誰かが発した物ではない、音がかすかに反響した。

 

それは間違いなく、悲鳴。

 

 

「っ…!」

 

 

皆が息を呑むと、一斉に駆けだす。

 

ケイ、アスナが敏捷パラメータが劣ってしまうサチとクライン達、サチの傍に着くキリトを引き離す形になるが、構わず二人は走るスピードを上げていく。

 

走り続ける内、二人の視界にはあの大きな扉が見えてきた。だが、すでにその扉は左右に開いており、奥の蒼い炎に照らされた部屋の内部が露わになっていた。

 

部屋の中で蠢く巨大な影。断続的に聞こえてくる金属音。そして、再びの悲鳴。

 

 

「バカっ…!」

 

 

アスナの悲痛な叫びを聞きながら、ケイは足を動かし続ける。

 

部屋の中に入るギリギリの所でケイとアスナは減速をかけて足を止める。ケイが半身を乗り出して中の様子に目を向ける。

 

 

「…バカが」

 

 

地獄絵図というべきか、中の凄惨な光景を目の当たりにしたケイは思わず悪態をついてしまう。

 

部屋の中央で、あの巨大な悪魔、<ザ・グリームアイズ>が大剣を振り回している。奴のHPは、まだ三割ほどしか削れていない。それに対し、軍のプレイヤーのHPは、ほとんどが半分を切っており中には危険域に達している者もいる。

 

 

(…二人、足りねぇ)

 

 

彼らのHPを確認している内に、ケイは気付いてしまう。悪魔の陰に隠れて見落としたという可能性もあるが…、プレイヤーの数が二人足りない。考えるまでもなく、恐らくは────

 

 

「うわぁあああああああああ!!」

 

 

そう考えている間にも、一人が大剣の薙ぎ払われ、大きく吹き飛ぶ。

 

 

「何をしてるんだ!早く転移結晶で離脱しろ!」

 

 

こんな状態に、それも死者が出ても未だ何故戦闘を行っているのか。今、出口と軍の集団の間にグリームアイズが陣取っているせいで、その足で離脱する事は敵わないのは分かるが、何故転移結晶を使わないで戦い続けているのか。

 

ケイは先程吹き飛ばされたプレイヤーに向かって大きく叫んだ。

 

 

「だ、ダメなんだ!クリスタルが使えない!」

 

 

「っ!?」

 

 

<結晶無効化空間>

そのシステムの効果が利いているエリアの中では、全ての結晶系アイテムが使用不可になってしまう空間の事。これまで度々迷宮区内の罠で見られたが、まだ一度もボスの部屋がそうであったことはなかった。

 

 

「そんな…!」

 

 

アスナもまた、ケイと同じように目を見開いて絶句する。

 

これでは、軍は離脱することができない。何とかしてやりたいが、結晶アイテムが使えない以上、うかつに助けに入ればこちらも危険に陥ってしまう。

 

 

(せめて五人ならまだ…!)

 

 

先程、ボスと一人で戦おうとしたケイだったが、相手と一対一で戦うのと他人を守りながら戦うのでは難易度がまるで違う。ましてや、その守る対象が複数では…。

 

 

「何を言うか…!我々に撤退という二文字はない!戦え!戦うのだっ!!」

 

 

ケイが中に飛び込むか否か逡巡していると、一人のプレイヤーが剣を掲げながら怒号を上げた。コーバッツである。

 

 

「バカ野郎、状況を見ろ!このままじゃ…!」

 

 

すぐにこれ以上の戦闘を止めるように叫ぶケイだが、その叫びはコーバッツには届かない。

<結晶無効化空間>の中で二人が消えているという事は、すなわち二人は死んだという事になる。あれからずっと目を凝らし続けるケイだったが、二人の姿を見つける事は出来なかった。

 

悪魔の陰に隠れたわけではない。脱出も不可能。二人は死んだ。それなのに、コーバッツは頑なに戦闘の態度を崩さない。

 

 

「おい、どうなって…っ」

 

 

その時、ようやくキリト達が追いついてきた。状況を聞こうと、クラインがケイを見て口を開くが、その前に内部の惨状が見えたのだろう。言葉を途中で切り、息を呑んだ。

 

 

「何とか…できないのかよ…」

 

 

「…俺達が斬り込めば、退路を拓くことはできるかもしれない。だが…」

 

 

クラインの呟きにキリトが返す。

 

キリトの言う通り、ケイ達全員が戦闘に参入すれば、連中の退路を作ることができるだろう。だが、緊急脱出不可能のこの空間で、少ない人数で斬り込めばこちらに死者が出る可能性だって少なくはない。

 

だが…、もう迷っている暇はないとケイ達に思い知らせる事態が直後に起こる。

 

 

「全員、突撃ぃいいいいいいっ!!」

 

 

倒れたままのプレイヤーと、死んでいったプレイヤーを除いた八人の隊列を揃えたコーバッツが突進をかけた。コーバッツの後ろに続き、他の八人も突撃し、グリームアイズに一斉攻撃を仕掛ける。

 

それに対し、グリームアイズは彼らの前で仁王立ちすると、凄まじい雄叫びと共に青白く輝く噴気を吐き出す。グリームアイズによるブレス攻撃は突撃した彼らを吹き飛ばす。

 

さらにグリームアイズは、今度は大剣を掬い上げるように振り上げる。

そしてその剣戟は、一人のプレイヤーを大きく跳ね上げた。

 

その影は悪魔の頭上を越え、ケイ達の眼前の床に激しく落下した。

 

 

「…ぁ」

 

 

あり得ない────

 

 

呆然と最期の一言をケイ達の目の前で、コーバッツは涼鈴の音を響かせながら無数の欠片となって散っていった。

 

 

「そんな…」

 

 

ケイの背後から、悲痛に満ちたサチの小さな叫びが耳に届く。

コーバッツの死に衝撃を受け、呆然とするケイ達だったが、そんな中、部屋の内部では更なる蹂躙が始まっていた。

 

長を失った軍の集団は一気に瓦解。統制が崩れ、皆が思う方へと逃げようとするが、何の策もなしにその場から逃げる事などできるはずもなく。

 

また一つ、死の音がケイ達の耳を打った。

 

 

「…ダメよ…、ダメ…こんなの…」

 

 

絞り出したような、細いアスナの声が聞こえてきた。ケイ以外は誰も気付いていない。

そのため、ケイ一人しかアスナがやろうとしていることに気付かず、腕を伸ばすことができなかった。

 

 

「あす…っ!」

 

 

「ダメ────っ!!」

 

 

しかしケイの手は空を掴むことしかできず、アスナはグリームアイズの元へと駆けだしていった。

 

 

「く…っそ!」

 

 

直後、ケイも抜刀してアスナを追いかける。

 

 

「アスナ!ケイ!」

 

 

「サチ!…くそっ!」

 

 

「どうとでもなりやがれ!」

 

 

さらにサチが、キリトとクライン達が中へ突入した二人を追いかける。

 

アスナの一撃は、こちらに全く意識を向けていなかったグリームアイズの背に命中した。だが、HPはせいぜい二、三メモリ程度しか減っていない。

 

グリームアイズは振り返ると、大剣をアスナ目掛けて振り下ろす。咄嗟にステップで回避するアスナだが、続けて打ちだされたグリームアイズの拳をまともに受けてしまった。吹き飛ばされ、床で倒れるアスナに更なる追撃が襲い掛かる。

 

 

「させるかよ…!」

 

 

そこで、ケイはようやくアスナとグリームアイズの間に乱入することができた。ケイは抜いた刀をグリームアイズが振り下ろす大剣の腹で滑らせ、斬撃の軌道をずらす。

 

 

「下がれ!」

 

 

グリームアイズの大剣がアスナの僅か横にぶつかったのを見てから、ケイは叫び、グリームアイズの追撃に備える。

 

グリームアイズの武器が大剣という事もあり、攻撃の軌道は見やすく、対処もしやすい。だがその分、予想は出来ていた事だがグリームアイズの筋力値はすさまじく。刃がぶつかれば攻撃の軌道をずらすのが精一杯だ。

 

さらにグリームアイズは大剣を片手で振り回しており、時折空いている片手をケイに向かって突き出してくる。その上、奴にはブレス攻撃もある。

 

 

(まずい…!)

 

 

振り抜かれた大剣をかろうじて防いだものの、体勢が崩れてしまう。そこに、更なる斬撃が振り下ろされようとしていた。

 

敵から背を向けるのがどれだけ愚かか、だが、それでも構わずケイは後ろへと振り返り足を踏み込み前へ飛ぶ。

 

すぐに体勢を整え、グリームアイズと向き直ったケイの目に映ったのは、先程までケイが立っていた床を抉る大剣。

 

 

(このままじゃ…)

 

 

大剣を持ち直さなかったグリームアイズが吐いたブレス攻撃をステップで回避するケイ。

 

ここまで、ケイのHPは全くと言っていいほど減っていない。だがボスであるグリームアイズの方がパラメータで圧倒的に優位な以上、どこかでケイに不利な形で形勢が崩れる時が必ず来る。

 

クライン達とサチ、下がらせたアスナがこちらに心配げな目を向けながら軍の離脱を手伝っている。だが、まだ完全に離脱出来たプレイヤーはいない。

 

 

「がっ…!」

 

 

そして、その時はケイが思っていたよりも早く訪れた。

グリームアイズが振り上げる大剣の軌道を逸らしてから、ステップで距離を捕ったケイは追撃の拳を切りつけながらさらに回避。

 

その回避した方向がいけなかった。そこには、先程グリームアイズが大剣を叩き付け、傷で歪んだ床があった。

 

それに気付かず、グリームアイズのみに集中していたケイの足は取られ、その場で転倒した。

 

 

「「ケイ!」」

 

 

「ケイ君!」

 

 

クラインとサチが、アスナがそれに気づき、すぐにケイへと足を向ける。

 

 

「スイッチ!」

 

 

「っ」

 

 

足を取られ、そのまま前のめりに倒れ込もうとしたケイは、声が聞こえた直後に体を反転。

こちらを見据えるグリームアイズが振り下ろす刃のみを見る。

 

ケイは一度刀を納刀。そして直後に抜刀。

<抜刀術>技、<瞬光>が大剣を捉えると、それを大きく弾く。

 

剣戟を弾かれたグリームアイズは怯み、僅かだろうが硬直時間が生まれる。ケイはその隙にその場から後退する。

 

その瞬間、ケイとすれ違う形で黒い影がグリームアイズの眼前へと躍り出た。彼の両手にはいつも見る黒い片手剣<エリュシデータ>。そしてもう一方の手には、純白の剣が握られていた。

 

スイッチでグリームアイズと対峙したキリトは、振り下ろされる大剣を日本の剣を交差させて防ぎ切ると、今度は二本の剣を振るって押し返す。

 

大剣を押し返されたグリームアイズが大きく体勢を崩すと、そこを逃さずキリトが奴の懐へ潜り、ラッシュを開始する。

 

二本の刃を包む白光が飛び散るのを見ながら、ケイ達はその光景に圧倒されていた。

 

 

「何だ、この技は…」

 

 

呆然と呟くクラインの声が聞こえる。

 

キリトは二本の剣を操り、右、左と交互に斬撃をグリームアイズに斬り入れていく。それはまるで、二刀流…。いや、実際にそうなのかもしれない。

 

今、キリトが使っているスキルは一度も見た事がない特殊な物。二つの剣によって、その技が創り出されているのだから。

 

 

(とんでもねぇ隠し技懐に仕舞い込んでやがった…)

 

 

キリトの放つスキルは未だ続いている。すでに、十を超える斬撃を込めているだろう。それでもなお、キリトの技は止まらない。

 

気付けばグリームアイズのHPバーは赤く染まっていた。だがそれと同時に、キリトのHPもまた赤く染まっている。

 

何とか手を貸したいとは思うが…、この剣のやり取りの間に入り込むのは逆にキリトの邪魔になってしまう。今、ケイ達ができるのはキリトを信じる事だけ。

 

 

 

「────ぁぁぁぁあああああああああああ!!!」

 

 

「ゴァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

キリトの雄叫びと共に、純白の剣がグリームアイズの胸を貫く。それと同時に、グリームアイズが絶叫し────、全身が硬直したかと思うと、直後にグリームアイズは膨大なポリゴン片と化し、四散した。

 

 

「…」

 

 

部屋内が沈黙で包まれる。それも当然だ。グリームアイズのHPを、キリトは謎のソードスキル一発で全て削り切ったのだから。ケイも含めて、信じられない面持ちでキリトを見つめていた。

 

 

「っ、キリト!」

 

 

だが、呆ける時間はふらりとよろけ、倒れたキリトによって終わりを告げさせられた。真っ先に飛び出したサチに続いて、ケイ達もキリトへ駆け寄る。

 

 

「キリト!キリトってば!しっかりして!」

 

 

ほとんど削られてはいるが、まだ数メモリ、キリトのHPは残っている。こうして倒れてはいるが死ぬという事はない…と、思う。このゲームの中では、簡単な診察すら行うことができないため、確かな事は分からない。

 

だが、HPが残っている以上は死ぬ事だけはあり得ないとは思うが…。

 

 

「…い、つつ…」

 

 

サチの叫びが聞こえたか、案外すぐにキリトは目を覚まし、起き上がった。キリトは少しの間、周りを見回してから目の前でぺたりと座り込むサチを見つける。

 

 

「バカッ!何でこんな無茶したの…っ!」

 

 

キリトと目が合った瞬間、サチは勢いよくキリトの首に腕を回して抱き締めた。

正直、サチの気持ちはわからないでもないが…、この行為は今のキリトにとってかなり危険なものだった事は、今ここでは言わないでおく。

 

 

「あんまり締め付けると、俺のHPがゼロになるぞ」

 

 

空気を読んで言わないでおこうと心に決めていたのに、此奴はあっさり言いやがった。

ぴくっ、と体を震わせたサチはキリトから離れると、懐から取り出した瓶をキリトの口の中に突っ込む。

 

キリトは大きく目を見開くが、瓶の中身がHPを回復させるハイポーションだと悟ると中の液体を全て飲み干す。サチは瓶の中が空になると、こつん、とキリトの肩に額を当て、その体勢のまま動かなくなる。

 

 

「…生き残った軍の連中の回復は済ませたけどよ。…コーバッツと、三人死んだ」

 

 

「そうか…。ボス戦で死者が出るのは六十七層以来だな…」

 

 

この空気の中だが、さすがに報告すべきだと考えたのだろう。クラインが遠慮気味にキリトとサチに歩み寄ると、口を開いた。それに対し、キリトは返事を返すが…

 

 

「こんなのがボス攻略なんて呼べるかよ…!くそっ!コーバッツのバカ野郎がっ…!」

 

 

胸中のやりきれない気持ちをクラインは吐き出した。それから、頭を右左と振るってからクラインは気分を切り替えるように口を開いた。

 

 

「それよりも!さっきのは何なんだよ、キリト!」

 

 

「…言わなきゃダメか?」

 

 

「ったりめぇだ!見た事ねぇぞ、あんなの!」

 

 

この時、ケイはデジャヴを感じていたのは言うまでもない。

 

キリトは五十層でのあの時のケイと同じように、ため息を吐いてからクラインの質問に答えた。

 

 

「エクストラスキルだよ。<二刀流>」

 

 

やはり、とケイは内心で呟いた。いや、ただのエクストラスキルじゃないはずだ。キリトが言う<二刀流>は、恐らく…

 

 

「キリト、出現条件は分かるか?」

 

 

「解ってりゃ、もうとっくに公開してるさ」

 

 

質問すると、キリトはケイが予想していた通りの答えを返してきた。

 

出現条件が本人にも解らない。それはある二つのエクストラスキルと共通していた。

ヒースクリフの<神聖剣>と、ケイの<抜刀術>。ユニークスキルと呼ばれる二つのスキルと、キリトの<二刀流>は似通っていた。

 

下手をすればゲームバランスを崩しかねないほどの強力という事も二刀流は二つのスキルと共通している。十中八九、<二刀流>はユニークスキルで間違いないだろう。

 

それからキリトはさらに言葉を続けた。一年ほど前に、何気なくウィンドウを覗いたら<二刀流>のスキルがあったこと。まずそれについてサチに相談してから、他のメンバーにもそれについて話したこと。それからずっと、<月夜の黒猫団>はキリトの<二刀流>について全く口外せず、キリトもここまで一度も使用してこなかったこと

 

 

「俺の他に<二刀流>を持ってる奴が出てきたら、俺も言おうかと思ってたんだけど…」

 

 

「んー…。ネットゲーマーは嫉妬深ぇからな。気持ちはよくわかるぜ」

 

 

クラインはネットゲームで、他プレイヤーの嫉妬を買う経験をした事があるのだろうか。うんうんと深く頷きながらそう言う。

 

 

「あぁ、それと…」

 

 

するとクラインは、先程とは違った意味の笑みを浮かべてキリトに抱き付くサチに意味ありげに目をやった。

 

 

「…ま、苦労も修行の内と思って、頑張りたまえよ?青少年」

 

 

「黙れ」

 

 

クラインはキリトの辛辣な言葉に物ともせず、一度キリトの肩を叩くと軍の生き残った者達へと振り向いた。

 

 

「お前ら、本部まで戻れるか?」

 

 

「は、はい…」

 

 

「そうか。なら、戻って今日あったことを上へ全部伝えるんだ。もうこんな無謀な行動を二度と起こさないようにな」

 

 

「はい。あの…、ありがとうございました」

 

 

「礼なら奴と、そこの刀使いに言え」

 

 

一通り問答を交わしてから、クラインは親指をキリトとケイに向かって振るって向けた。

軍のプレイヤー達は未だ座り込んだままのキリトとサチ、それからケイに向かって頭を下げてから部屋を出ていき、転移結晶を使って帰っていった。

 

 

「さて、と…。俺達はこのままアクティベートに行くけど、お前らはどうする?」

 

 

「いや、任せるよ。俺はもうへとへとだ…」

 

 

「同じく」

 

 

他のプレイヤーより一足早く七十五層の街を見てみたいという気持ちはあるが、さっさと帰って休みたいというのがケイの正直な気持ちだった。

 

 

「そうか。じゃあ、気を付けて帰れよ」

 

 

クラインはケイ達を一度見まわしてから、七十五層へと繋がる扉を開けてその向こうへと歩いていった。

 

 

「んじゃ、俺も帰るよ。アスナは?」

 

 

「私も。この事を団長に報告しなきゃ」

 

 

アスナも帰るつもりらしい。

 

 

「そうか。…じゃ、俺たちも帰るから。頑張れ、青少年」

 

 

「ファイト、青少年」

 

 

「お前らな…」

 

 

最後に、キリトにニヤリと笑みを向けながら一言かけてケイとアスナはボス部屋から出ていく。

 

 

「さっきも言ったけど、私は本部に戻って団長に報告してくるから」

 

 

「あぁ。…あ、パーティー」

 

 

部屋から出て、転移結晶を取り出しながらアスナと話していたケイは、アスナと組んだままのパーティーの事を思い出した。今日の攻略はこれで終了。

 

 

「ここでパーティー解いとくか」

 

 

「…」

 

 

アスナとの約束は、今日一日パーティーを組むというもの。まだ今日という一日は終わっていないが、これ以上フィールドに出て何かすることもないため、ここでパーティーを解いても問題はないとケイは判断した。

 

 

「嫌」

 

 

「は?」

 

 

だが、思いも寄らぬ言葉をアスナは口にした。

 

 

「ケイ君。やっぱり、もうしばらく私とパーティー組みなさい」

 

 

「め、命令口調!?いや、何でだよ…。ていうか、ギルドの方は問題ないのか?」

 

 

突然のアスナの気まぐれ。

別にアスナとパーティーを組むのが嫌だという訳ではない。アスナと組めばとても戦いやすいし、短い時間ではあったがアスナと過ごす時間は楽しかった。

だがこれ以上アスナを独占すれば、ギルドの方で問題が出てくるのではないか。ケイはギルドに入ったことがないためあまりわからないが、こうレベルが離れたりとか、連携が崩れたりとか、そういうのはないのだろうか。

 

 

「私の方は全然大丈夫よ。私一人抜けるくらい、問題ないわ」

 

 

「いや、あると思うけど…」

 

 

ギルドの副団長とは思えないセリフを口にするアスナに、思わず苦笑が漏れる。

 

だが…、もうアスナは意見を変えるつもりは全くなさそうだし…。

 

 

「…はいはい。これからもよろしくお願いしますよー」

 

 

「よろしい」

 

 

受け入れたケイに、アスナは満足そうな笑みを浮かべた後、転移結晶を掲げる。

 

 

「じゃあケイ君、また明日…はちょっと疲れてるだろうから。明日はお休みね」

 

 

「了解です」

 

 

最後にそう言葉を交わしてから、アスナは<血盟騎士団>の本部があるグランザムへと転移していった。直後、ケイも二十二層<コラル>へと転移し、ホームへと帰っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、ケイは朝からエギルの店の二階にしけ込んでいた。さらに、そこにはケイだけでなく、キリトも揺り椅子に膨れっ面で腰を下ろしてたむろっていた。

 

 

「引っ越してやる…。俺だけ別のホームで一人隠居してやる…」

 

 

「やめろって。サチが心配するぞ」

 

 

不機嫌そうに言うキリトにケイがそう返してやると、キリトはむっ、と口を噤む。

 

 

「ま、一度くらいは有名人になるのもいいもんだろ。いっそ、後援会でもやったらどうだ?」

 

 

「するか!」

 

 

さらにエギルが心底面白そうに笑みを浮かべてキリトをからかう。

 

今ここで、エギルに持っていたカップを投げつけているキリトだが、この場に来ているのは理由があった。

 

現在、アインクラッド中がある事件の話でもちきりになっていた。その事件とは…そう、昨日の<ザ・グリームアイズ>撃破についてである。

 

【軍の大部隊を全滅させた悪魔】やら、【それを単独撃破した五十連撃】やら、色々と尾ひれがついているのが質悪い。

 

それをどうやって調べたのか、キリトのギルドホームには早朝から剣士や情報屋が押し寄せてきたらしい。そのため、キリトはここへ逃げ込んできた、という事である。

 

 

「そういや、俺のとこにアルゴからメッセージ来てたわ。昨日の事件について教えろって」

 

 

「んなっ!お前、何て答えたんだ!?」

 

 

「『五十連撃で悪魔を倒した張本人に聞け』って返しといた」

 

 

「す、少しくらい誤魔化せよ…」

 

 

キリトが椅子の背もたれに沈み込んで憂鬱そうに天を仰い…だところで、勢いよく二階の部屋の扉が開かれた。

 

ケイ達三人は一斉に扉の方へと視線を向ける。

 

 

「アスナ?」

 

 

扉を開けた体勢で立ち尽すアスナを見て、声を掛けたのはキリトだった。だが、アスナは声を掛けたキリトではなく、床に敷いた座布団の上で胡坐をかくケイをじっと見つめていた。

 

 

「…どうした?」

 

 

「ケイ君…」

 

 

今度はケイが声を掛けると、アスナは両目を潤ませながら口を開いた。

 

 

「た、大変な事になっちゃった…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第43話 VS<神聖剣>始

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…俺、もう二度とここには来ないだろうなって考えてた」

 

 

ぽつりと呟くケイの目の前には、周りの建物と比べれば一際高い塔があった。その塔には、かなりの数の白地に赤い十字を塗った旗が垂れている。<血盟騎士団>の本部だ。

 

 

「ごめんね…。私がもっとしっかりしてたら…」

 

 

「あ、いや。アスナが謝る事ないって。全部あのおっさんが素直に認めないのが悪いんだ…」

 

 

血盟騎士団本部の建物の中へ、アスナと語りながら入っていくケイ。

もちろん、何の理由もなくただケイがここへやって来たわけではない。

 

昨日、<ザ・グリームアイズ>との戦闘が終わった後にケイはまたしばらくの間アスナとコンビを組み続ける約束をした。その約束が、ケイをここへ来させる理由となったのだ。

アスナは七十四層のボス討伐完了の報告をしに、ギルド本部へと戻った。そして、その報告と同時に、ケイとパーティーを組むためギルド員としての攻略を少しの間、休ませてほしいとヒースクリフに打診したという。

 

だが、ヒースクリフは首を縦には降らず、代わりにこう答えたという。

 

 

『アスナ君の一時脱退を認めるには条件がある。…ケイ君と、立ち会わせてもらう』

 

 

立ち会うとは、デュエルをするという事か?それともただ話をするだけだろうか。

ともあれ、何にしてもケイがヒースクリフの元へ訪れないと始まらないという事で、ケイは重い腰を上げた。

 

これが、血盟騎士団本部にケイがやって来るまでの顛末である。

 

 

「任務ご苦労」

 

 

幅広の階段を昇り切った先にあったのは、左右に解放された巨大な扉。

その両脇には槍を立てた二人の衛生兵が立っており、アスナが姿を見せると綺麗な敬礼を取った。アスナもそれに対して片手で礼を取ってから、扉を潜って中へと入っていく。

 

自分も敬礼した方がいいのでは?と、一瞬考えるケイだったが早くアスナを追いかけなければという思いが勝り慌ててアスナの後を追う。

 

建物の中に入り、ケイはそういえばこんな構造だったなと前にここに来た時の事を思い出しながらアスナの隣を歩く。階段を昇り、何度も扉の前を通り過ぎていくと、視界の上端に鋼鉄の扉が入る。

 

二人が扉の前に立つと、アスナが一歩ケイの前に出る。そして一息、意を決したように右手を上げて扉を二度叩いてノックした。

 

アスナは中からの答えを待たずに扉を開け放つ。そのまま塔の一フロア丸ごと使った円形の部屋へと足を踏み入れる。ケイもアスナに続いて部屋の中へと入る。

 

前回と違い、中にいたのはヒースクリフだけではなかった。中央にある半円形の机の向こうに並んだ五脚の椅子にそれぞれ男が座っていた。その内の一人、真ん中に座っているのがヒースクリフである。

 

 

「お別れの挨拶に来ました」

 

 

「そう結論を急がなくともいいだろう。まず、彼と話させてほしい」

 

 

ブーツを鳴らして前へ出たアスナが言うと、ヒースクリフは苦笑を浮かべながら返してケイを見据えた。

 

 

「久しぶりだね、ケイ君。ボス討伐戦以外で話すのは、五十層以来かな」

 

 

「いえ。六十七層の対策会議で少し話しましたよ。…それと、五十層の店の肉の味は忘れてません。行きませんか?あなたの奢りで」

 

 

「ふっ…。残念だが、私も忙しい身でね」

 

 

忙しいんならこんな事して時間を潰してる暇はないのでは、という言葉は心の中に収めておく。

 

 

「そうか…、そうだったね。六十七層で君と話していた事をすっかり忘れていたよ。…あれは辛い戦いだった」

 

 

「そうですね。危うくあなたのとこから死者が出るとこでしたし」

 

 

「トップギルドなどと言われながらも、いつも戦力はギリギリだ」

 

 

ケイは敬語、ヒースクリフは普段の口調でそれぞれ話し、第三者から見ればヒースクリフが立場が高いように見えるこの光景。だが、話している内容は決して優劣などなく、完全に対等な立場で二人は話していた。

 

アスナは特に気にしていないようだが、ヒースクリフの周りに座る四人の男達はそれが気になるようで。ケイに不快そうな視線を向けている。

 

 

「なのに君は、我がギルドの貴重な主力プレイヤーを引き抜こうとしているわけだ」

 

 

「貴重だって言うなら護衛の人選はしっかりした方がいいんじゃないですか?あれからアスナは護衛を着けない様にしてるみたいですし。信用されなくなってるのでは?なんなら、俺が護衛をしましょうか?ギルドから雇われた傭兵として」

 

 

しかし、そんな男達の視線をケイは全く意に介さず。ヒースクリフに対して皮肉を返す。

 

 

「貴様っ!黙って聞いていれば!」

 

 

「やめたまえ」

 

 

直後、ヒースクリフの右隣に座っていた男が立ち上がって激昂する。が、右手を上げたヒースクリフに制されてすぐに腰を下ろす。

 

 

「確かに、クラディールの件は完全にこちらの不手際だった。だが、だからといって、はいそうですかとサブリーダーを引き抜かれるわけにもいかないのだ」

 

 

ヒースクリフの声質が変わる。先程まで浮かべていた笑みも収め、改めてヒースクリフはケイを見据えた。

 

 

「ケイ君。アスナ君が欲しければ、その剣で奪いたまえ。私に勝てれば、アスナ君を連れて行くがいい。だが、負ければ君が血盟騎士団に入るのだ」

 

 

「…」

 

 

唐突のヒースクリフの提案にケイは目を丸くする。

 

 

「待ってください、団長。私は何もギルドを辞めるつもりじゃありません。ただ、少し離れたいというだけで…」

 

 

すると、ケイの斜め後ろに立っていたアスナが前へ出てヒースクリフに言い募る。

アスナはケイとヒースクリフが衝突するのを避けようとしているのだろう。だが…、折角ヒースクリフが面白そうな提案をしてくれたのだ。これに乗らない手はない。

 

 

「ケイ君…?」

 

 

ケイはアスナの前に手を伸ばして制すると、ヒースクリフの目を見据え返して口を開く。

 

 

「『<幻影>と<神聖剣>はどっちが強いのか』…いい加減、周りの声が鬱陶しく感じてたんですよね」

 

 

アスナを含めて、部屋の中の誰もが何を言っているのかわからないといった感じで疑問符を浮かべ、ケイを見ていた。ただ一人、ヒースクリフだけは表情を変えずにケイの返答を待っている。

 

 

「あんたとはずっと闘ってみたいって思ってた」

 

 

「…」

 

 

この時、ケイは気が付いていなかった。今、自分が歯を剥き出しにして笑みを浮かべていた事に。

 

そしてヒースクリフもまた、静かに唇に弧を描いて笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「もう!何であんな事言うのよ!私が頑張って説得しようとしたのに!」

 

 

「あぁわかった、悪かったって。だから殴るの止めれ」

 

 

再びエギルの店の二階。店を発つ際はキリトが座っていた揺り椅子に今はケイが座っており、その背後ではアスナがケイの頭をぽかぽかと拳で叩いていた。

 

 

「別に殺し合いをするわけじゃないんだ。初撃決着だから、危険はないって」

 

 

アスナの両手首をそれぞれの手で掴み、自身の胸の前へと引き寄せるとようやくアスナは拳を振るうのを止めておとなしくなった。

 

 

「団長の無敵っぷりはゲームバランスを超えてる。どうやって勝つつもりなの?ケイ君、負けたらKOBに入らなきゃいけないんだよ?」

 

 

「んー…。別に作戦とか立てるつもりはない」

 

 

「ちょっ…」

 

 

アスナの問いかけに、アスナの手首を握ったままぷらぷらと両手を揺らしながらケイはのんびりとした様子で答えた。

 

 

「そんな呑気な…」

 

 

「ただぶつかるしかねぇだろ。あんな防御を前に、小手先なんか通用しない」

 

 

言いながら、ケイはこれまで見てきたヒースクリフの戦いぶりを脳裏で再生させる。絶対防御というべき十字盾で敵の攻撃を全て真っ向から防ぎ、アスナにも劣らない神速の剣戟で攻める。

 

何らかの策を講じなければ、とも考えかけたがあの防御力の前じゃ全てが無に帰すだろう。

ならばどうするか。ぶつかって、隙を作り出すしかない。

 

 

「負けるつもりはないし、負ける気もしない」

 

 

 

 

七十五層主街区<コリニア>。その転移門のすぐ前に、ケイとヒースクリフのデュエルが行われる会場、巨大なコロシアムがあった。

 

ヒースクリフとの対談の翌日、ケイはアスナと一緒にコリニアへと来たのだが…、そこで目にした光景を前に、ケイは呆然とするしかなかった。

 

 

「火噴きコーン十コル!十コルだよ!」

 

 

「青ワイン、安くなってやす!」

 

 

コロシアムの入り口前では多くの商人プレイヤーが露店を開き、口様々な喚きたてていた。

 

 

「何だこれ…」

 

 

まるでお祭りである。ケイは目の前の光景に呆気にとられながら、ふとコロシアムの入り口の所で立つKoBのプレイヤーを見つけた。

 

 

「…なぁアスナ。あそこでチケット売ってるのって」

 

 

「…KoBのプレイヤー、だね」

 

 

「…何でこんなイベントになってんだ?まさかヒースクリフが…」

 

 

「ううん、多分経理担当のダイゼンさんの仕業だと思う。あの人しっかりしてるから」

 

 

しっかりというか、ちゃっかりしてるというのでは?

と、内心で思うが口には出さないでおく。

 

ケイは目の前の現実をこれ以上見たくなく、視線を下に向けてさっさとコロシアムの中へ入っていった。そして、中にいたKoBのプレイヤーの案内についていってアスナと一緒に控え室へ入る。

 

 

「…すっげぇ声聞こえてくんだけど。これ、観客席満員なんじゃねぇの?」

 

 

「あはは…」

 

 

ケイの呟きを耳にしたアスナが苦笑を浮かべる。だがアスナはすぐに表情を収め、真剣味を帯びた目でケイの両目を見つめると、ケイの両手を握って口を開いた。

 

 

「一撃でもクリティカル喰らえば危ないからね?危険だと思ったらすぐにリザインしてね?」

 

 

「お前は俺の母ちゃんか…」

 

 

親が子供に言い聞かせるように言うアスナに、今度はケイが苦笑を浮かべる。

その直後、闘技場の方から試合開始を告げるアナウンスが聞こえてきた。

 

 

「…じゃあ、行ってくる」

 

 

「うん。…気を付けてね」

 

 

アスナの言葉に右手を上げて応えながら、ケイは闘技場へと足を踏み入れる。

 

円形の闘技場を囲む階段状の観客席はびっしり埋まっていた。最善席にはエギルとクラインが座っており、色々と好き放題物騒な事を喚いている。

 

 

「…」

 

 

ケイが闘技場の中央へと歩いていると、その反対方向の控室からヒースクリフが同じようにこちらへ歩いてきた。

 

左手に純白の十字盾を持ったヒースクリフと対峙して立ち止まる。

 

 

「すまなかったね、ケイ君。まさかこんな事になっているとは知らなかった」

 

 

「別にいいさ。ギャラは五十層のあの店の肉でよろしく」

 

 

「…いや、試合後には君は血盟騎士団の一員だ。任務扱いにさせてもらおう」

 

 

もう勝った気でいやがる。

 

苛立ちは沸いてこない。だが代わりに、どうしようもなく面白いような、楽しような、そんな感情が噴き出してきて笑みを抑えることができない。

 

それに対してヒースクリフは笑みを収めてケイから十メートルほど距離を取る。それからウィンドウを開いて操作を始め、ケイにデュエル申請を送る。

 

初撃決着モードでのデュエルの誘いをケイは即座に受諾する。直後、二人の間で出現した時計のウィンドウがカウントダウンを開始した。

 

ヒースクリフが十字盾から細身の長剣を抜く。ケイも、腰の鞘から刀を抜いて構える。

 

一分という時間がこれほど長く感じたのは初めてだ。<DUEL>の文字が煌めいた瞬間、ケイとヒースクリフは同時に足を踏み出した。

 

ヒースクリフが半身になり、盾をこちらに向けてもう一方の手に握られる剣を隠しながら突撃してくる。ケイもまた、ヒースクリフに向かって突進する。

 

ケイの刀とヒースクリフの盾がぶつかり合ったのは直後の事だった。金属音と共に、火花が二人の間で散る。

 

 

「ふっ────」

 

 

ケイの視界でヒースクリフの左肩が動く。通常攻撃か、それともソードスキルか。

どちらにしても、回避しなければならない。ケイは右にステップして回避を試みる。

 

 

「っ!?」

 

 

だが、ケイの試みはすぐに打ち砕かれる。

 

右にステップしたケイを追う様に、ヒースクリフの盾が動く。ケイに向かって振るわれるのは、ヒースクリフの左手に握られる長剣ではなく、右手に握られる盾。

不意を突かれながらも、ケイはすぐにしゃがんで直撃は避ける。しかし、完全には避けきれず、ケイの頬に盾が掠ったのが感覚でわかった。

 

盾での奇襲が成功したのか、はたまた失敗したのか、微妙な結果で終わったヒースクリフだが、彼の攻撃はこれで終わりじゃない。盾を振り切った体勢からすぐに戻し、長剣をケイに向かって突き出してくる。

 

だがこれにはしっかりと反応したケイは、後方へと跳ぶ。ヒースクリフの突きを回避したケイは、地面に両手を突いてバック宙をしながらヒースクリフから距離を取る。

 

 

(…HPが減ってやがる)

 

 

視界の左上に映るケイのHPが数メモリほどもないが僅かに減っている。間違いなく、先程頬に掠ったヒースクリフの盾の仕業だ。

 

通常の盾ならばぶつかっても攻撃判定はない。だが、あの十字盾にぶつかれば攻撃判定される。これも<神聖剣>の恩恵か。

 

 

(まるで二刀流じゃねぇか…!)

 

 

体勢を立て直す暇は与えないとばかりに、すぐさまこちらに突撃してくるヒースクリフを見据えながら内心で悪態をつく。

 

今度は盾ではなく、長剣での攻撃を仕掛けてくるヒースクリフ。純白のライトエフェクトを宿した刃がケイに振り下ろされる。

 

ヒースクリフの一挙一動のみに集中し、目で見て相手の動きを予測する。

神聖剣による五連撃のソードスキルを凌いだケイ。お返しとばかりに、五連撃高威力技<豪嵐>を打ち込む。

 

ケイの渾身の五連撃は全て盾に防ぎ切られてしまうが、ソードスキルを放った直後で体勢が不十分だったせいか、ヒースクリフはケイのソードスキルが終わるとすぐにケイから距離を取った。

 

追撃するのも手ではあるが、ケイは後退するヒースクリフを見ながらその場で一息入れて、試合前に抱いていた予想との相違点を整理していた。どうしようもなく簡潔で、同時にどうしようもなく大きな相違点。

 

 

(…思ってたよりも堅い。そして、思ってたよりも速い)

 

 

いや、防御が堅いのは想定済みだし、速いのもアスナからは聞いていた。だが…、こうして闘って初めてわかる。

 

 

「素晴らしい速さだ。まさか、さっきの初撃がかわされるとは思ってなかったよ」

 

 

「お前もさ…。防御が堅いだけじゃねぇのな」

 

 

ヒースクリフと問答を交わしながら、ここからどう攻めていくべきか考察する。

が、どのパターンでもあの十字盾で防がれ、反撃される未来しか見えてこない。

 

 

(…いや、昨日アスナにも言っただろ)

 

 

ただぶつかるしかない。あの防御の前では小手先なんか通用しない。

 

一度、頭を振ってから小さく笑みを浮かべる。

 

 

「…っ!」

 

 

直後、ケイは盾をこちらに構えるヒースクリフに向かって、真っ直ぐ駆けだしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




アインクラッド編の終わりが見えてきた…。見えてきたんだ…。


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第44話 VS<神聖剣>終

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七十五層の主街区<コリニア>にあるコロシアムで、ヒースクリフとデュエルを行っているケイの付き添いで来たアスナ。今は控え室でその様子を見守っているアスナの目の前では、二人による超高速の剣戟の応酬が始まっていた。

 

ケイの刀はヒースクリフの盾に阻まれ、ヒースクリフの剣は空を切る。時折互いの小攻撃がヒットし、HPが僅かに減少しているのが見える。一見すれば、双方互角の戦いを繰り広げているようにも見える。

 

だが、ヒースクリフよりもケイのHPの方が少ない。どちらが優勢であるかは、二人のHPを比べれば明らかだった。

 

 

「ケイ君…」

 

 

ヒースクリフの剣を弾いてから、ソードスキルを使って反撃を仕掛けるケイ。アスナはその姿を、胸元で両手を握りながら見つめる。

 

初撃決着モードによるデュエルは、どちらかがクリーンヒットを受けるまで戦いが続くのだが、それだけでなく、どちらかのHPが半分を切った場合もまたそれで決着が着く。

だが、ケイの目を見ればわかる。あの目は、ヒースクリフに攻撃を当てて決着を着けると語っている。

 

ケイには勝ってほしい。でも、それ以上に危ない目に遭って欲しくない。

 

今も、ヒースクリフと剣戟を交わし合うケイを、アスナは気が気でない想いでいながら見守り続ける。

 

 

 

 

眼前を横切っていったヒースクリフの長剣に、髪の毛が何本か持っていかれる感覚を感じながら、ケイは刀をヒースクリフに向かって振るう。直後、途轍もなく硬い何かを叩いたような衝撃が、刀を握るケイの手に伝わってくる。

 

もうこれで、ヒースクリフに斬撃を防がれたのは何度目だろうか。時折、防ぎ切れなかった斬撃が奴に掠る事はあるが、未だまともな攻撃を当てられていない。

対し、ヒースクリフもまたケイと同じ状況ではあるのだが、ケイ以上に攻撃がヒットする割合が多い。そう大した違いはないが、目に見える程にはケイとヒースクリフのHPの差が開いてきている。。

 

このままいけばジリ貧な上、先にこちらのHPが五割を切ってしまう。

 

 

「っ…!」

 

 

負けたくない。デュエルで負けたくない。ヒースクリフに負けたくない。

 

アスナの目の前で、負けたくない。

 

自分が抱いた感情に疑問が湧く暇もなく、ケイは迫るヒースクリフの長剣を刀を横に倒して防ぐ。

 

一瞬の硬直、から、ヒースクリフの右腕が動く。

 

 

「くそっ…!」

 

 

ケイは体を翻し、ヒースクリフの長剣を受け流した直後にその場から後退。ヒースクリフの盾が空を切るのを見ながら体勢を整えると、即座にヒースクリフへと疾駆する。

 

 

「っ!?」

 

 

「盾で攻撃したのが仇になったな」

 

 

優勢であるはずのヒースクリフ。だが彼にしては珍しく、焦ったか。

盾を振るった直後のヒースクリフに大きな隙ができる。ケイはそこを逃さず、刀を一度鞘へと納め、ソードスキルを放ちながら刀を抜く。

 

刀上位単発技<雷鳴>

<抜刀術>の恩恵も加わった雷のごとき斬撃は、ヒースクリフのがら空きとなった胴体を捉えた。が、クリーンヒットには程遠く、即座に後方へステップされたおかげで、ヒースクリフの胸部を掠る程度で終わってしまった。

 

ケイのスキル使用後の硬直時間終了と、ヒースクリフが体勢を整えたのは全くの同時だった。それと同時に、先程のケイの攻撃により、二人のHPは五分と五分になる。

 

再び、双方による高速の斬り合いが始まる。

 

 

(大分…見えてきた)

 

 

ヒースクリフと交錯を繰り返しながら、ケイは自分の目がヒースクリフの速さに慣れてきた事を実感し始めていた。デュエル開始当初は喰らっていたヒースクリフの攻撃パターンも対応できるようになる。

 

次第にだが、今度はケイがヒースクリフを押し始める。HPには表現されない、だが確かにヒースクリフが後ろへ、後ろへとケイから離れようとしているのが対峙するケイには分かった。

 

だが、ここで逃がすわけにはいかない。開始直後とは状況がまるで違う。

あの時はケイの方が体勢を立て直したかったが、今はヒースクリフが体勢を立て直したがっている。ここで逃せば、どちらにツケが来るかは明らかだ。

 

 

「くっ…!」

 

 

これまで全く動かなかったヒースクリフの表情が、険しく染まる。遂に、ヒースクリフは本気でケイから逃れようと後方へステップを取る。

が、それを読んでいたケイはヒースクリフの足が後方へと動いた瞬間、ヒースクリフの懐へと潜る。

 

 

「っ!?」

 

 

「もらった!」

 

 

ヒースクリフの目が見開かれ、驚愕に染まる。ケイはその目は見ずに、ヒースクリフの長剣と十字盾のみを注視する。

 

ヒースクリフが動かしたのは、盾の方だった。当然だろう。剣で防ぐよりも、盾で防ぐ方が安全なのだから。が、これもヒースクリフの選択は誤りというべきだろう。

今、ヒースクリフが採るべき選択は安全な方ではなくより速く動かせる方。剣と盾、どちらが早く動かせるといえば、剣だろう。

 

このままでは、ヒースクリフの防御は間に合わず、ケイの攻撃がヒットする。

 

 

(いける!)

 

 

ケイは刀を収め、<抜刀術>に移行。刀を収め、<瞬光>を放ってこの戦いに決着を着けるべくヒースクリフに迫る。

 

今のヒースクリフの体勢と、自身の速度を考えれば確実にこの剣戟を入れることができる。そう確信を持ったケイの視界に映る世界が、停止した。

 

 

「っ!?」

 

 

大きく目を見開く。もう、速さとかそういう問題じゃない。もっと何か…、瞬間移動としか形容できない。

今、ケイの刀を振るう軌道上に十字盾が割り込もうとしていた。

 

このままでは<瞬光>は防がれ、スキルを当てることができなかったケイの身に多大な硬直が襲うだろう。そうなれば、その隙を突かれて確実にヒースクリフに敗北する。

 

 

(まだだっ!)

 

 

頭の中で結論付けられる、自身の敗北。それを、ケイは受け入れられなかった。

 

歯を食い縛る。まだだ。まだ間に合う。まだ、速くなれる。。自分の全てを、刀を握る両腕に集中させる。思考も全て捨て去る。何もかもを、両手に握るこの刃に。

 

 

「っ!?」

 

 

ヒースクリフの一挙手足にだけ視線を向けていたせいか、気が付かなかった。いつの間にか、ヒースクリフの顔には焦りの感情が浮かんでいる。だがそれだけではない。それと同時にたった今、ヒースクリフの瞳に驚愕が浮かぶ。

 

ヒースクリフは盾と同時に、左手の長剣をも動かす。長剣は赤い光を灯し、ケイに向かって振り下ろされる。

 

 

その直後だった。ケイの体が盾の動きを潜り、ヒースクリフの懐へ完全に入り込んだのは。

だがそれと同時に、ヒースクリフの長剣もまたケイの肩へと迫る。

 

 

「っ────」

 

 

ここで、ケイは今まで溜めに溜めていた力を全て解放する。

 

SAO最速ともいうべき<抜刀術>の力だけではない。ケイ自身の意志の力、ともいうべきか。それら全てが上乗せされたケイの斬撃は振り下ろされる長剣が肩を切り裂いたと同時にヒースクリフの体へ斬り入り、直後、盾によって進行を妨げられる。

 

 

「ぐっ!?」

 

 

「っ…」

 

 

これでも間に合わない…!?

 

一旦、体勢を立て直そうとケイは後方へと下がろうとする。が、その時、ケイは何か大きな力に、対峙しているヒースクリフではない何かに無理やり彼から距離を離される。

 

慌てて両足を地面に付けて踏ん張った時には、自分を弾き飛ばした力は感じられず。代わりに、ケイとヒースクリフの間に現れたウィンドウを目にした。

 

 

「ひきわけ…?」

 

 

<DRAW> その四文字を目にした途端、ケイの体から一気に力と緊張が抜ける。両膝がガクンと折れ、地面へ尻餅をつく。手から刀が零れ落ち、体は後方へと倒れて大の字で地に臥せる。

 

 

「ケイ君!」

 

 

デュエルが終わった直後から聞こえてきた歓声の中でも、アスナの声は良く耳に入ってきた。ケイは顔だけを自分が通った控え室からの通路がある方へと向ける。

 

 

「大丈夫?」

 

 

「あぁ…。けど、疲れた…」

 

 

駆け寄ってきたアスナは、傍らで膝を曲げて腰を下ろすと、ケイの背中に手を回して体をゆっくり起こしていく。

 

 

「…」

 

 

「…ヒースクリフ」

 

 

アスナの手を借りて体を起こしたケイが最初に見たのは、こちらに歩み寄ってくるヒースクリフの姿だった。

ヒースクリフはケイの前で立ち止まると、その手をケイの顔の前へ差し伸べる。

 

 

「…正直、勝ったと思ったよ」

 

 

「…」

 

 

手を取って立ち上がってから、ケイは表情に何も浮かべずこちらを見つめるヒースクリフに一つ呟いた。その言葉に対し、ヒースクリフは何の返事も返さなかったが、手を離して振り返ってから口を開いた。

 

 

「デュエルは引き分けという結果で終わったが…。アスナ君、しばらくギルドの活動を休むことを許可しよう」

 

 

「え…、で、ですが…!」

 

 

ケイに続いて立ち上がっていたアスナがヒースクリフの背中を追いかけようとする。だが、ヒースクリフは振り返りもせず、言葉だけでアスナの歩みを止める。

 

 

「あれは私の負けだ」

 

 

「っ…」

 

 

「…」

 

 

ここでの会話は、未だ歓声止まない観客席には届いていないだろう。しかし、ケイとアスナの耳には、怒りにも似た、絶望にも似た、緊張にも似た。複雑な感情が込められたヒースクリフの声が届いていた。

 

その声にアスナは思わずといった感じで怯みを見せ、ケイはただじっとコロシアムから去っていくヒースクリフの背を見つめていた。

 

そして、もう一人。

 

 

「…」

 

 

観客席の一番上の階。その壁に体を寄りかからせ、コロシアムの様子を見下ろしていた、一人の黒づくめのプレイヤーが、控え室へと戻っていくヒースクリフを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ~…、もう嫌だ。もう疲れた。誰が何と言おうと、今日は絶対に外に出ない」

 

 

「はは…。お疲れさま」

 

 

引き分けという形でデュエルを終えたケイは、形振り構わず帰路に着いて今、何故かついて来たアスナと共に二十二層のホームへと帰ってきていた。

 

リビングの椅子で腰を下ろし、背もたれにだらりと体を乗せて言うケイを、アスナは労わる様に笑みを浮かべて眺めていた。

 

 

「でも…、凄かったよ。まさか、団長と引き分けるなんて…」

 

 

「…本当は勝つつもりだったんだけどな」

 

 

ケイの正面にある椅子を引いて腰を下ろしたアスナが言う。確かに、あのデュエルは正直出来過ぎだったとは思う。ヒースクリフを相手に引き分けた結果は、運の要素も多かったとは思う。

 

何度も肝を冷やした場面があった。詰んだと思った場面もあった。それでもヒースクリフを追い詰め、確実に勝ったとまで感じた。

 

 

(…やっぱり)

 

 

「ケイ君…?」

 

 

ヒースクリフとのデュエルを思い返し、考え込んでいるのが表情で出てしまっていた。アスナが心配気に覗き込みながら、ケイを呼ぶ。

 

今、自分が考えている事は誰にも悟らせてはならない。無論、アスナにもだ。

ケイは頭の中を思考を消し、顔に笑顔を張り付けてアスナの目を見る。

 

 

「どうした?」

 

 

「…ううん、何でもない」

 

 

…ダメだ。悟られてる。考えている内容までは勿論わかっていないとは思うが、それでも何かを考えているという事にアスナが気づいているのは、目を見ればわかる。

 

それでも、アスナが追及してこない。そしてそれが逆に、ケイの中でアスナに対して罪悪感に似た感情を抱かせる。

 

 

「ねぇケイ君。お腹空いてない?」

 

 

「あ?あぁ…、そういや腹減ったな」

 

 

気遣わし気に歪んでいたアスナの表情に、不意に笑みが浮かぶ。笑みを浮かべたアスナの問いかけをきっかけに、ケイは自身が空腹に襲われている事に気が付く。

 

 

「なら、私が作ってあげる!だから、一緒に材料買いに行こっ?」

 

 

椅子から立ち上がったアスナが買い物に誘ってくる。

特に断る理由もない。疲れてはいるが…、ここで断ってアスナを帰したくない。

 

もっと、アスナの傍にいたかった。

 

 

「…わかった。荷物は任せろ」

 

 

「え?お代もケイ君持ちだよね?」

 

 

「…」

 

 

誘いを受けながら荷物持ちを買って出るケイだったが、きょとんと首を傾げながら直球に奢れと言ってくるアスナに呆然とする。

 

だが直後、アスナは笑みを噴き出すと「冗談だよ」と言ったため、ホッと安堵の息を吐く。

 

 

「ケイ君、案内よろしく!」

 

 

「りょーかい」

 

 

立ち上がったケイとアスナは外へ出て、並んで道を歩く。転移結晶を使えば主街区へは一瞬で行けるが…、少々勿体ないし、何より時間をかけてでも外を歩きたい気分だった。

 

 

「…アスナ」

 

 

「ん?」

 

 

歩きながら、前を見たままケイはふとアスナを呼んだ。視界の端で、アスナの顔がこちらを向いたのが見える。

 

 

「…いや、やっぱ何でもない」

 

 

「…そっか」

 

 

ダメだ、言えない。万が一を考えると、アスナに言う訳にはいかない。

やっぱり、この件は自分一人で片を付けるべきだ。どんなに糾弾されても、一人で無茶をするなと言われても。

 

 

(…ごめん)

 

 

言いたい。だけど、言えない。

したくてもできず、そんなもどかしさを抱えながら、ケイは内心でアスナに対して謝罪した。

 

 

 

 

 

 

 

 

思わぬ形にはなったが、対峙し、見る事ができた事にケイは心から感謝したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




分かる人には分かる。分からない人には分からない。

最後の一文の意味は一体…(すっとぼけ)


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第45話 お悩み相談

今回の話はオリジナル回です。ですが、かなり短いです…。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第五十層アルゲードにあるエギルの店の二階。その一部屋の中に、ケイはいた。その隣にはエギルが、対面にはキリトが、座椅子に腰を下ろしている。

 

 

「で?話って何だよ、キリト」

 

 

「あ、あぁ…」

 

 

ケイの隣に座っているエギルが、肘掛けに肘を乗せ、頬杖を突きながらキリトに問いかけた。キリトは一瞬、体を震わせてから小さく頷き、大きく深呼吸をする。

 

そして、気は鎮まったのか、何か決意を秘めたような目でケイとエギルを見据えてキリトは口を開いた。

 

 

「…俺、サチの事が好き…かもしれない」

 

 

「「…は?」」

 

 

ケイとエギルが呆けた声を漏らしたのは、全く同じタイミングだった。

 

 

 

 

 

 

ケイとヒースクリフのデュエルが終わってから三日。その間、ケイはアスナとパーティーを組んだまま活動を続けていた。活動といっても、懸命に攻略を────という日々を送っていたわけではないのだが。

 

ギルドの活動を休んでいるという建前がある以上、アスナは攻略に縛られる必要もない。ケイも、ソロで活動しているため基本、一日自由行動である。勿論、基本は攻略のためにフィールドへ出てはいるのだが、いつもの一日と比べればその時間も短い。それ以外は気楽に街を歩いたり、湖の畔を歩いたりと気楽な三日間を過ごしていた。

 

そんな三日間が過ぎた、四日後の事だった。キリトから呼び出しがかかったのは。ケイはアスナにメッセージを送り、キリトに呼ばれた旨を伝えた後、呼び出された場所であるエギルの店へと向かい、エギルと一緒にキリトの話を聞いた。

 

そして、冒頭へと戻る────

 

 

「さて、と…。エギル、ちょっと売りたい物があるから、交渉すんべ」

 

 

「あぁ。どんな品物か、楽しみだぜ」

 

 

「待て待て待って待ってください!話を聞いてくれ!」

 

 

ケイとエギルが椅子から立ち上がり、話しながら部屋を出ようとするのをキリトが慌てて呼び止める。ケイとエギルはそれから立ち止まり、顔を見合わせてから息を吐く。

 

 

「なぁキリト。俺はな、お前の惚気を聞いてるほど暇じゃねぇのよ。今日はアスナと釣りする約束してんだよ。さっさと戻りてぇのよ」

 

 

「い、いや…。二人の時間を盗ってるのはすまないって…、おいケイ。聞き逃さなかったぞ。俺の惚気を聞いてるほど何だって?お前の方が十分暇なんじゃないか!」

 

 

やれやれ、と頭を振りながら言うケイに流される事なく、キリトがすぐさまツッコミを入れる。

 

 

「だけどよ、キリト。何でその話を俺らだけにすんだ?黒猫団のメンバーとかクラインとか、他にも相談に乗ってくれそうな奴はいんだろ」

 

 

キリトがグルルルル、と言わんばかりに歯を剥き出しにしてケイを威嚇(?)していると、エギルがふと口を開いた。

 

 

「確かに。クラインは…、まぁ理由は何となくわかる。けどよ、何でケイタ達に相談しなかった?」

 

 

ケイもまた、エギルと同じ疑問を持った。キリトにとって今、一番身近な仲間は同じギルドのメンバー達だ。さらに、キリトの悩みというべきかどうかはわからないが、ともかくその対象は同じギルドの仲間だ。相談すべきは、<月夜の黒猫団>のメンバーなはず。

 

 

「いや…、クラインに関してはまぁ…、ケイやエギルが思ってる通りだ。後、ケイタ達については、ケイの言う通りだとは思うよ。けど…さ」

 

 

「けど、何だよ」

 

 

「…気まずくならないかな、と」

 

 

「「…は?」」

 

 

再びケイとエギルの呆けた声が重なる。

 

 

「どういう意味だ…」

 

 

「い、いや!何か自慢してるみたいであれだけどさ、今までずっとギルドで上手くいってたんだよ!だけどさ…、俺とサチが、あの…」

 

 

「あー…。お前とサチが特別な関係になって、それでギルド内が気まずくなったりしたらーってか?」

 

 

「…」

 

 

キリトがこくり、と頷く。それを見たケイとエギルが、全く同じタイミングで大きくため息を吐いた。

 

 

「お前さ、サチがまだお前の告白受けるとも決まってないのに悩むの早すぎじゃね?」

 

 

「ぐっ…」

 

 

「自分に自信持ち過ぎだ。キリト、おめぇいつからナルシストになった?」

 

 

「ぐはっ…!」

 

 

ケイとエギルの容赦ない口撃に、キリトはあえなくノックダウン。椅子から崩れ落ち、床に倒れてしまう。

 

 

「だがあれだな。男女一組がくっついて、それでギルド内の空気が変になるって話はたまに聞くからな。キリトの悩みが分からない訳でもない」

 

 

キリトの悩みが尚早すぎるという流れだったが、腕組をしたエギルがそんな事を口にした。

 

 

「まぁな。最前線でガッチガチに攻略に臨んでる奴らからは聞かないけど、中層エリアじゃそのせいで解散したって話もあるらしい」

 

 

「…」

 

 

エギルに続いて言ったケイの言葉に、キリトの表情が目に見えて沈んでいく。

 

 

「…やっぱ、ゲームクリアするまでは留めといた方がいいのかな」

 

 

「は?別にいいんじゃねぇの?」

 

 

「え?」

 

 

のそり、と起き上がって小さく呟いたキリト。その呟きにあっさりと返したケイを、キリトは呆然と見返した。

 

 

「え、あ…、え?」

 

 

「何だよ」

 

 

「い、いやだって…。さっきまで、告白は止めた方がいいって流れだったから…」

 

 

「おいおい、誰が止めた方がいいって言ったよ」

 

 

戸惑いながら言うキリトに、苦笑を浮かべたエギルが返す。

 

 

「大体、俺達にとっちゃお前の悩みなんて、何を今更って感じなんだよ。ケイタ達に聞いてみろ?呆れながら、『うん、知ってた』て、返事してくるから」

 

 

「…」

 

 

相当、ケイとエギルの返答が予想から逸脱していたのだろう。キリトは目を見開き、口を半開きにさせ、言葉が出ない様子でいる。

 

 

「全く、ホント下らんことに時間とられたわ。おいキリト、ケイタにお前を引き取りに来るようメッセージ入れといたから、おとなしく待ってるんだぞ」

 

 

「さて、俺もさっさと帰って、釣りに行きますか」

 

 

呆れた空気を隠しもせず、ケイとエギルは部屋から出ていった。その二人の背中を呆然と見つめるだけでいたキリトだったが、二人の姿が見えなくなってから少しして、ふと笑みを浮かべた。

 

 

「…ありがとな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てことがあったんだよ、さっきまで」

 

 

二十二層に配置してある安全圏の一つの中に、巨大な湖があった。ホームからも歩いて十分と比較的近い所にあるため、ケイも良く釣りをしにその湖へとやって来ている。

 

エギルの店の二階でキリトの恋愛相談を受け終えたケイは、すぐにホームへと戻りアスナと合流してその湖へと来ていた。石を固めて固定した竿の浮を眺めながら、その時の様子をアスナへと話していたのだ。

 

 

「そっか。…じゃあ、やっとサチの恋も実る事になりそうかな?」

 

 

「そうだな…」

 

 

この際、鈍感の極みであるキリトは置いておく。だが、サチがキリトへ想いを抱いたのはもう一年以上も前の事だ。とはいえ、その間ずっとサチの片思いだったというのはケイとしては考えづらかった。

 

恐らく、キリトも自覚こそしていなかったものの、前々から恋愛感情にも似た想いを抱いていたはずだ。だからこそ、ずっとサチが片思いだと勘違いし続けているのがもどかしく、キリトがずっと想いに気付かないのが焦れったかった。

 

 

「これで、やっと俺達の努力も報われるって訳だ」

 

 

「ふふ…。ケイ君は何をしてあげたの?」

 

 

「…色々、と」

 

 

アスナに問われ、過去に自分がキリトとサチの関係進展のために何をしたのか思い返す。…が、思い出せない。というかまさか、何もしてな────とまで考えたところで、ケイは思考を切って誤魔化すことにした。

 

しかしそれも、アスナには全く通用した様子は見られないが。

 

 

「まっ、もうすぐキリトかサチから報告のメッセージが来るだろ。向こうの事は気にせず、のんびり過ごそうや」

 

 

「うん、そうだね」

 

 

アスナが浮かべる面白がるような笑みから逃れるように、ケイは話題を逸らす。そんなケイの内心を知ってか知らずか、それはわからないが、アスナは頷くと浮が揺れる湖面へと視線を戻す。

 

 

「あっ、ケイ君!引いてるよ!?」

 

 

「おっ…!しゃあっ!」

 

 

視線を戻したアスナが目を見開くと、ケイの竿の浮を指さしながら言う。アスナの指の先を追うと、ケイの竿の先の浮が沈んでいるのが見えた。それに加え、ケイの竿もまた大きく撓る。

 

ケイは大きく雄叫びを上げると、竿を掴んで一気に力を込めて引き上げる!

 

 

「わぁ!」

 

 

「らぁっ!今日の夕食は豪勢になりそうだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリトとサチから、これから恋人同士として付き合っていく事になりましたという報告のメッセージが入ったのは、釣りを始めてからかなり後。ケイとアスナが今日釣った魚で作った夕食を食べようとした時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回からは、皆さんが待ち焦がれている(?)あのお話に入っていきます!
いよいよ、本当にSAO編も最佳境に近づいて来てますね。


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第46話 黒髪の少女

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、すっかり暗くなっちまったな…」

 

 

最前線に出る時に身に着ける浴衣ではなく、ホームにいる時に着る部屋着姿で外に出ていたケイ。その手には釣竿が握られており、竿を肩に担いで運んでいた。辺りはすっかり暗くなっており、暗視スキルのおかげで周りの様子を確認できてはいるが、普通の肉眼では闇に遮られ何も見えないでいただろう。

 

 

(…もしアスナと一緒にいたら、ひっ付いて来て歩きづらかっただろうな)

 

 

今日は、アスナはケイと一緒ではなく<月夜の黒猫団>のメンバー達と行動している。別に最前線で攻略しているわけではないが。

 

先日、キリトとサチが結ばれた事をケイとアスナは知った。その次の日には二人の結婚祝いを行ったのだが、それからたまにアスナがサチの所へ行くようになったのだ。話したいことがある、と言って。

 

…別に寂しくないし。近頃、アスナと一緒に行動するようになって、一人でいる事が珍しくなって。だから、今一人でいる事が寂しいとか、そういう訳じゃないし。

 

 

(あいつアストラル系とか、こういう雰囲気苦手だからなー)

 

 

思い出すのは、<ラグーラビットの肉>を使ったシチューを食べた日。送ると言って、素直にアスナが受け入れたあの時。今ケイが歩いているこの道を思い出して、顔を引き攣らせていたアスナ。

 

もし、ここにアスナがいたなら、それプラス顔を青白くさせていただろう。

 

 

「…あ?」

 

 

そういえば何で俺は釣竿担いでるんだろ。普通にストレージに仕舞えば良かったのに。

 

と、考えたその時。ケイのプレイヤーホームが見えてきた、と同時に、ホームの扉の前で誰かが立っているのが見える。真っ白なワンピースを着て、長い黒髪を下ろした幼い少女。

 

すると、ケイのホームを見上げていた少女が不意に振り返った。

 

 

「っ…」

 

 

「…」

 

 

少女と目が合った瞬間、ケイは思わず足を止めた。別に恐怖とか、そういうのを感じたわけではない。ただ、何というか…人ならざる何かが、人の皮を被った物を見たというか、そういう感覚にケイは陥った気がした。

 

立ち止まったケイと、振り返った少女の目が合わせたままじっと見つめ合う。というより、ケイから視線を切ることができなかった。少女の瞳に視線が吸い込まれ、抗う事ができない。

 

 

「…あ」

 

 

どれだけ時間が経っただろうか。このまま、どれだけ時間が経つのだろうか。

そう思った時、ふらりと少女の体が揺れた。少女の体が地面へとぶつかった音が、ケイの耳に微かに届く。

 

 

「おい…」

 

 

ケイはすぐに少女の元へと駆け寄り、釣竿を地面に置いて少女をそっと抱える。

 

特に息が乱れた様子もない。顔色も悪くはない。と、少女の容態を確認するがその途中で、ここは仮想世界なのだからそんな域とか顔色とか関係ないと気付く。そのため、少女の頭の上に浮かんでいるはずのカーソルを見ようとするが────

 

 

(カーソルがねぇ…?)

 

 

こうして少女に触れてる。少女の姿も見えている。なのに、全プレイヤーの頭の上に浮かぶはずのカーソルが見えない。プレイヤーだけではない。モンスターも、NPCも、自分がターゲットにした対象には必ずカーソルが浮かぶ。

 

 

(何かのバグか?)

 

 

普通のネットゲームなら、GMを呼んで異常を報せる所だろう。だがSAOにはGMコールの機能はあっても、GMが存在しない。

 

 

(…ともかく、連れて帰るか)

 

 

他にもまだ気になる点はあるが、今ここで考えていても仕方がない。ともかく、ここは少女を連れて帰る事にする。さすがに、ここに少女を放っておくという薄情な真似はしたくない。

 

ケイは地面に置いた釣竿をストレージへと仕舞って、少女を抱え上げる。扉の鍵を開け、ホームの中へと入っていった。

 

 

 

 

ホームの中に入った後、ケイは少女をベッドに寝かせ、毛布を掛けて置いていた。それからは、アスナとコンビを組み直す前のリズム通りの生活をした。夕飯を食べ、シャワーを浴びて、アイテムの整理をしてから寝床に着く────所で、少女が寝ているのを見て固まったのはまた別の話。

 

ケイのホームにはソファ等、ベッドの代わりになる物がないため、ベッドの端っこで寝付こうとする。前に床で寝た時、ゲームの中の癖にやけにリアルに体にぎくしゃくとした痛みを感じた経験がある。もう、あの痛みは二度と感じたくない。たとえ、色々と理不尽な誤解を向けられたとしても。

 

 

「…おやすみ」

 

 

最後に、少女の寝顔を見遣ってから両目を瞑り、睡眠へと入るケイ。

 

次に目を開けた時には、窓から陽の光が射し込んでおり、朝であることを報せていた。

 

 

「んー…、はぁっ…、っ」

 

 

体を起こし、大きく伸びをしてから深く息を吐いた所で、今ここにいるのは自分だけでない事を思い出す。いつの間にか、傍らまで寝返りを打って来ていた少女を起こさない様に、ケイは静かにベッドから降りて寝室から出る。何時になるかはわからないが、勝手に少女が起きてくるだろう。

 

だが、少女が家にいるため、今日は外出は出来なさそうだ。

 

 

「…ん?」

 

 

朝食を摂ろうと、ストレージの中を確認しようとした時、扉がコンコンと叩かれる音がした。

ホーム内には遮音機能が付いており、扉を手でノックしても中に音は届かない。だが、扉にぶら下がっている、ノック用の金属で叩いた場合のみ、来客を報せる音として中にノックオンが届くのだ。

 

ウィンドウを開くために翳した手を下ろし、玄関へと行き、扉を開けて誰が来たのかを確かめる。

 

 

「やっ、ケイ君」

 

 

「アスナ?」

 

 

扉の前に立っていたのは、ギルドの制服ではなく、少々ラフな格好をしたアスナだった。扉を開け、ケイが顔を覗かせるとアスナは軽く手を上げる。

 

 

「どうしたんだ?今日は別に約束したりしてないだろ」

 

 

「…約束してなきゃ、来ちゃダメ?」

 

 

「…いや、別にそうじゃないけど」

 

 

狡い。本当に狡い。本気でそんな事を考えている訳じゃないのに、そんな事、こっちだってわかっているのに。微笑んで首を傾げながら、そんな風に聞かれたら、うんと言える訳ないじゃないか。

 

…言うつもりもないけど。

 

 

「それで、今日は何か用事ある?」

 

 

「うんにゃ、特に…」

 

 

アスナの問いに答えようとそこまで口にした時、ケイは思い出す。今もまだ、寝室ですやすや寝息を立てているだろう幼女の存在を。

 

 

「ある。ちょっと大事な用があるんだ。そろそろ出るつもりだから、悪いけど」

 

 

遠まわしに、アスナに帰ってほしいと告げる。

 

 

「…怪しい」

 

 

「え」

 

 

だが、やはりアスナを騙すことなどケイには出来るはずもなく。笑みを収め、目を細めたアスナが開いた扉に体を割り込ませる。

 

 

「ちょっ…」

 

 

「ケイ君、何か隠してるでしょ」

 

 

「…」

 

 

どうしてこの人は騙されないのでしょう。いや、微妙に言い淀んだのは確かだがそれでもここまで疑われるほどではない。ただ、その用事をつい忘れてたのかなとしか思われないはずなのだ。普通なら。

 

 

「…」

 

 

「あの、アスナ。そんな睨むなよ…。嘘ついたのは謝るよ。ただ…ちょっと…」

 

 

もう何を言い繕ってもアスナの疑いは晴れないだろう。だから、嘘を認めて謝る。

 

 

「…嘘は認めても、話してくれないんだ」

 

 

「…」

 

 

だが、本当の事は話せない。幼い少女を家で寝かせているなんて…、話せるわけがない。

 

そう、思っていたのだが。

 

直後、カチャッ、と扉が開く音がした。勿論、開いたままの玄関の扉の音ではない。なら、一体何の扉が開いたのか。

 

このホームには扉が三つある。まず一つ目はシャワールームへの扉だ。これが開く事はない。何故なら、今シャワールームには確実に誰もいないのだから。そして二つ目はこの玄関の扉。まあ、この扉に関しては説明しなくてもいいだろう。開きっぱなしの扉が音を出す事などあり得ない。そして、最後の一つ。

 

寝室への扉。これが開く可能性は────ある。

 

 

「…ケイ君」

 

 

「…何でしょうか」

 

 

「…その子、誰?」

 

 

アスナが目を丸くして、ケイの背後の先…そう、寝室の扉がある方を見つめている。その視線の先に何があるのか、ケイはその目で確かめてはいない。だが、アスナが何を見て、どうして驚いているのか。わかりたくないが…、わかる。

 

それに、その子誰って聞いて来てるし。

 

 

「ぁぅ…」

 

 

アスナに見つめられているだろう少女の、狼狽する声が聞こえる。それと同時に、ととと、と床を駆ける音が聞こえたかと思うと、ケイの左足に何かがぶつかる。

 

 

「え…」

 

 

「ぅぅ…」

 

 

驚き見下ろせば、ケイの左足にしがみつく、昨日拾った少女が。少女は瞳を潤ませ、不安気にケイを見上げている。その中で時折、恐る恐るアスナの方に視線を向けているのが分かる。

 

それを見て、ケイはふと閃いた。

 

 

「あーあ。アスナのせいでこの子が怖がってるー」

 

 

「え…、えぇ!?」

 

 

思わぬケイの反撃にアスナは狼狽える。狼狽えながら、ケイとケイを見上げる少女と視線を行き来させる。うん、かなりこの反撃は効いている。これ以上攻め込むのは止めておこう。

 

 

「ともかく、中に入れよ。いきさつ説明するからさ」

 

 

「う、うん。わかった」

 

 

ケイは柔らかく少女に微笑みかけながら、ぽんと背中を叩いてリビングへと入っていく。アスナも続いて、リビングへと入る。

 

アスナに先に座るように言ってから、ケイは部屋の端に置いてある椅子の一つを持って来て、そこに少女を抱き上げて座らせてから、残った椅子に腰を下ろす。

 

 

「で、この子の事だけど…」

 

 

正面で怪訝な視線を送ってくるアスナに説明した。昨日の夜、釣りの帰りにホームの前で少女が立っていた事。少女はすぐに倒れ、放って置く事ができずベッドへと運んだ事。

 

 

「そんな事があったんだ…」

 

 

正直、傍から聞いてたらどうかと思う話だが、すんなりアスナは信じてくれた。怪訝な表情は少女を気遣う表情へ変わり、ケイに向けていた視線も少女へと向けられる。

 

 

「こんにちは」

 

 

「…ぅ」

 

 

微笑みながら少女に声を掛けるアスナ。だが、少女は恐怖を浮かべ、体をケイへ寄せようとする。

 

 

「私は、アスナっていうんだ。あなたのお名前、言える?」

 

 

「……なまえ…」

 

 

恐怖を向けられるアスナだが、微笑みは変えず、自己紹介をするとその後、少女の名前を問いかけた。少女の顔から僅かに恐怖が消えると、俯いて何かを考え込む。恐らく、自分の名前。

 

 

「わたし…の…なまえは…、ゆ…い…。ゆい」

 

 

「ユイちゃん…。良い名前だね。こっちのお兄ちゃんは、ケイっていうの」

 

 

少女が名乗ったユイという名前。その名を聞くと、アスナはケイへと顔を振り、ユイにケイを紹介する。

 

 

「けい。あう…な」

 

 

たどたどしい口調でユイがケイとアスナの名前を口にする。

 

 

(見た目は、八歳程度なんだがな…)

 

 

その様子を見ていたケイは、ふと懸念を感じた。少女の見た目は少なくとも八歳程度。ログインから二年経っている事を考えれば、今の年齢は十歳になっているはずなのだ。覚束ない口調とは、どうしても似つかない。

 

 

「ね、ユイちゃん。どうしてここに来たの?どこかに、お父さんかお母さんいる?」

 

 

アスナもケイと同じ疑問を感じているはず。だがそれを見せず、少女に笑顔を向けたまま再び問いかけた。

 

ユイはその問いを聞くと、少しの間黙り込んだ後に頭を振った。

 

 

「わかんない…。なん、にも…わかんない…」

 

 

「…そっか」

 

 

ユイが答えた後、ケイは立ち上がってキッチンへ向かう。台の上にポットを置くと、一つカップを取り出してその中に温まったミルクを入れる。

 

 

「はい」

 

 

「…?」

 

 

ミルクを入れたカップをケイはユイに前に置く。

ユイはまず、ケイを見上げると前に置かれたカップに目をやって、もう一度ケイを見上げる。

 

 

「喉渇いてないか?飲んでいいぞ」

 

 

ケイがそう言った途端、ユイは花が咲いたような笑顔を浮かべると、すぐさまカップを両手で持ち上げて口を付ける。温度は丁度良かったようで、ミルクの温かさと味を堪能し始める。

 

 

「…アスナ」

 

 

「…」

 

 

ユイがミルクに夢中になってるのを見て、ケイはアスナに目配せした。ケイと目を合わせたアスナと頷き合うと、少し離れた所へ移動して身を寄り合わせる。

 

 

「ねぇ…。どう思う…?」

 

 

先に口を開いたのはアスナだった。アスナはケイの顔は見ず、口元に手を当てて俯いたまま聞いてきた。

 

 

「記憶はなさそうだ。だが、それよりも…」

 

 

ケイはミルクを飲むユイを見遣る。

 

 

「精神に何らかのダメージがある…んだろうな」

 

 

「っ…」

 

 

ケイが言うと、アスナの顔が泣きそうに歪む。

 

 

「この世界で色々、ひどい事をたくさん見てきた…。だけど…、こんなの、残酷すぎるよ…」

 

 

やり切れなさそうに吐き出すアスナを見て、ケイは視線をユイへと戻す。

宙で両足を揺らしながら、鼻歌を口遊むユイに足を向けた。

 

 

「けい…?」

 

 

「お、俺の名前覚えてくれたか。ありがとな」

 

 

「…へへ」

 

 

ケイが先程まで座っていた椅子に腰を下ろすと、ユイはケイの顔を見上げて、呼んだ。

 

それを褒めながらユイの頭を撫でると、ユイはくすぐったそうに軽く身を捩りながら、嬉しそうに笑う。

 

 

「ならユイ。あそこのお姉ちゃんの名前は言えるか?」

 

 

「えっ…」

 

 

ユイが頭を撫でられていると、今度はケイはアスナへと矛先を向けた。ユイの肩に手を置いて、もう一方の手でアスナを指さす。

 

 

「あうな!」

 

 

「おぉ!…て、ちゃんと言えてないぞ?アスナだ、あ・す・な」

 

 

名前自体はしっかり覚えているのだろうが、発音ができない。ケイはそれを直すために、もう一度、ゆっくりアスナと言い直す。

 

 

「…あう…うぅ…」

 

 

ユイは発音を直そうとするが、上手くいかずに俯いてしまう。

 

 

「あ、えっと…。難しいかな?言いやすい呼び方でいいよ?」

 

 

アスナもまた、ユイに歩み寄って声をかける。すると、ユイは一度アスナを見上げてから再び俯いて考え込む。ケイが空になったカップにミルクを入れ直してユイの前においても、身動き一つとらない。

 

 

「…ママ」

 

 

と、不意に顔を上げてアスナの顔を見上げると、ユイはそう口にした。次いで、ユイは視線をケイに移して言う。

 

 

「けいは…パパ」

 

 

ケイもアスナも目を丸くした。ユイが何を思って自分達をそう呼んだのかはわからない。自分達を両親と勘違いしたか、それとも重ね合わせてそう呼んだのか。

 

だが、不安気にこちらを見上げるユイを見ると、違うと否定することができなかった。

 

 

「そうだよ…。ママだよ、ユイちゃんっ」

 

 

アスナが言うと、にこりと笑うユイ。そして、アスナが両腕広げると、ユイはアスナの胸に飛び込んでいった。

 

 

「ママ!パパ!」

 

 

胸に抱かれたユイはアスナを見上げて、ケイを見て、二人を呼んだ。

それを聞いたアスナが、一瞬表情を歪ませるがすぐに笑顔を浮かべ直して口を開く。

 

 

「さっ!ちょっと遅くなったけど、朝ごはんにしよっか!」

 

 

「うん!」

 

 

「え?」

 

 

アスナが言うと、ユイは満面の笑みで頷く。そして、そんな二人を見て笑顔で固まるケイ。

 

 

(いや、俺もユイもまだ朝飯食べてないけどさ…)

 

 

何でここで食べる事になってんの?

 

そんなケイの疑問は、キッチンで料理を始めたアスナとその足元でアスナの作業を覗こうとするユイの二人には届かない。

 

 

「…はぁ」

 

 

結局ケイは溜め息一つ吐いてから椅子に腰を下ろし、朝食が出来上がるのを待つ事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はい、朝露の少女に入ります。クラディールがいないため、あの事件は飛ばしました。


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第47話 ユイ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、できたよー」

 

 

しかし、どうしてこうなったんだろうか。別に決まった予定もないし、今日は少し攻略に出ようかなと思っていたのに。自分とアスナを、パパ、ママと呼ぶ少女と三人で食卓を囲む事になっている。

 

本当に、どうしてこうなったんだ。心の中で自問するが、答えは出てこない。

 

 

(しかし、わかんねぇよな…)

 

 

アスナが作ったケイの分の二つのパイが載った皿がテーブルに置かれる音を聞きながら、ケイは考え込む。

 

何故、ユイは自分のホームの前に立っていたのか。それに、ユイは初めから自分に懐いていたのも気になる。普通、見知らぬ人がいれば女性の方に懐くのがしっくりくるのだが。ケイとアスナと同時に顔を合わせた時、ユイはアスナを警戒してケイの後ろに隠れた。

それにその後も、何かとケイに心を許しているような部分を見せた。

 

何故────

 

 

「ほら、ケイ君。朝ごはんできてるんですけどー」

 

 

「あ…、あぁ」

 

 

考え込んでいるケイの視界に、アスナの顔が映る。一瞬で我に返り、はっ、と僅かに仰け反る。見れば、アスナだけでなくユイも、不思議そうにケイを眺めていた。

 

 

「ん゛ん゛!さ、座れアスナ。さっさと食っちまうぞ」

 

 

「もう!ケイ君を待ってたのに…、まったく」

 

 

自分は何にもしてませんよという口振りのケイを、アスナは腰に右手を当てて呆れた視線で見る。何か一言物申したそうな表情をしていたアスナだが、これ以上ユイを待たせるわけにもいかず、ケイの言う通りに食卓に着く。

 

アスナが席に着いた途端、我慢堪らなくなったユイが、皿の上のパイを手に取って小さな口でかぶりついた。本来親ならば、しっかり挨拶しなさいと注意しないといけない所なのだが、一生懸命はむはむとパイを咀嚼するユイの可愛さにやられ、ケイもアスナもユイを咎める事。ができなかった

 

 

「と、ともかく食べよっか」

 

 

「あ、あぁ」

 

 

少しの間ユイを眺めていたケイとアスナだが、我に返るとすぐにパイを食べ始める。

 

今まで、ケイ自身がどちらかというと辛党という事もありこういう菓子系の料理を食べた事はなかった。だが今ケイは、どうしてもっと早くアスナに甘いもの作ってほしいと頼まなかったと後悔している。

 

過ぎない適度な甘さがケイの口の中で広がっていく。その心地よさは、危うく辛党から甘党に鞍替えしそうになってしまうほど。

 

 

「うめぇ」

 

 

「本当?良かったぁ…。まだケイ君に甘い料理食べてもらった事なかったから、口に合うか不安だったんだ」

 

 

思わず呟いた言葉はアスナの耳に届いていた。アスナは満足げにパイを咀嚼するケイとユイを見ながら、安堵の笑みを浮かべる。だが、そんなアスナに目もくれずにケイとユイはパイを堪能する。

 

 

「…ん?」

 

 

そして、ケイが一つ目のパイを食べ終えて二つ目に手を伸ばそうとした時だった。ユイがじぃ~っとケイの皿の上に乗っているパイを見つめているのが見えた。

 

 

「…欲しいか?」

 

 

もう物凄く主張するユイの視線に苦笑を浮かべながら問いかけると、ユイはこくこくと頷いた。

 

ユイは小さいという事でアスナは配慮して量を少なくしたようだが、ユイには物足りなかったようだ。ケイは一つ、小さく息を吐いてからパイの載った皿をユイの前へと持っていく。

 

 

「ほら、食べていいぞ」

 

 

「…ありがと!」

 

 

ケイ自身、まだ腹は満ち足りないが背に腹は代えられない。ここで嫌だとユイを突き放すようなことを言えば…、うん、ダメだ。そんな大人げない事をするつもりもないが、後が怖いし。

 

ユイは輝かんばかりに笑顔を浮かべてケイにお礼を言った後、むぐむぐと二つ目のパイにかぶりつく。…何だろう、何故かデジャブを感じる。正確に言うと、第一層の迷宮区前の森で、どこかの誰かさんと初めて会った時に与えた黒パンとクリームを────

 

 

「ケイ君?今、失礼なこと考えなかった?」

 

 

「そんな事ありませんですよはい」

 

 

だから何でアスナは心が読めるんでせうか。読心術でも会得してるの?

 

 

「…アスナ。この後の事だけど」

 

 

「うん。私も考えてた」

 

 

まあ、アスナが心を読んでくるのは今更の事なので置いておく。今は目の前の事だ。

 

それについて話題を切り出そうとすると、アスナも同じ事を考えていたようで。

 

 

「まず、はじまりの街で情報収集しようと思ってる。それに、もしかしたらだけど…、掲示板に手配されてるかもしれない」

 

 

ユイが一人でSAOにログインしているとは考えづらい。親か、はたまた兄姉と一緒かは定かではないが、その場合、家族の人がユイを探している可能性は高い。そして、そうだとすれば家族の人はそう高い層で活動はしてないはず。こんな小さい子を置いて、前線で戦う事はできないだろう。

 

それに、もし掲示板に情報が載っていなかったとしても、はじまりの街にはアインクラッド中に新聞を配っているギルドの本部がある。そこで、尋ね人のコーナーに書いてもらうよう頼む事ができる。

 

それでも見つける事ができなければ…、ユイの保護者になってもらえる人を探す。

 

 

「…そうだね。今はこうしてユイちゃんの傍にいられるけど…」

 

 

「…」

 

 

残った小さなパイを口の中に入れて咀嚼するユイを見ながら、アスナが言う。

 

そう。ケイはソロのため、基本的には自由。アスナもギルドから休暇を貰っている身。だが、いずれはケイもアスナも必ず、本格的に攻略に身を乗り出さなければいけなくなる時が来る。そうなれば、ユイを見る人が誰もいなくなるのだ。

 

 

「やっぱり、私達で保護するのは無理だから…」

 

 

「そう…だな」

 

 

アスナは、ユイを保護したがっているのか。だが、それは無理だ。ケイは誤魔化さずに、アスナの言葉に頷いて返した。

 

その後、ユイがパイを食べ終え、カップに入ったミルクも飲み干して満足げに息を吐いているのを見て、アスナが三人分の食器を片づけ始める。

 

 

「さて、ユイ。もう少ししたらお出かけするからな」

 

 

「おでかけ?」

 

 

そしてケイは、この後どうするかをユイに説明する。ユイはケイを見上げて、首を傾げながら聞き返す。

 

 

「ユイの友達を探しに行くんだぞー」

 

 

「ともだち…って、なに?」

 

 

きょとんとした顔のユイに、どう言ったものかとやや悩みながら答える。が、その答えにもユイは不思議そうな顔をして聞き返してきた。この会話が耳に入ったのだろう、アスナが片づけを続けながらこちらに目を向けているのが分かる。

 

この時、ケイはユイの行動を思い返しながら一つの結論を出した。ユイに起きている症状は、<退行>というより記憶の<欠如>というべきなのではないか。ところどころ、記憶が消滅しているような、そんな印象を受ける。

 

 

「友達っていうのはな、ユイを助けてくれたり、笑わせてくれたり…。一緒にいて楽しくなる人の事をいうんだ」

 

 

「…?」

 

 

ケイ的にはパーフェクトな答えを言えたと感じているのだが、ユイには理解できなかったようだ。首を傾げ、こちらを見上げてきょとんとしたままだ。

 

 

「さ、ともかく出かけるからな。準備するか」

 

 

「…うん」

 

 

ユイはまだ納得し切れてないような表情を浮かべていたが、ケイがそう言うと椅子から立ち上がった。

 

ユイが着ている白いワンピースはかなり薄地で、初冬のこの時期に外に出るにはかなり寒そうな格好だ。それを見たケイは、ユイに着せる厚手の衣類を探すためにストレージを開こうとするが、女の子用の衣服なんか持っていない事を思い出す。

 

 

「アスナ。ユイに着せる服とか持ってないか?さすがにこれじゃ寒そうだし」

 

 

「うん。ちょっと待ってて」

 

 

ちょうど食器の片づけを終えてこちらに歩いてきたアスナが、ストレージの中から色々な衣服を実体化させていく。その中から、桃色のセーターを取り出して、そこで動きを止めた。

 

SAOでは普通に服を脱いで着替えるという事は出来ない。着替えるためには、対象の衣類が自身のストレージの中に入っていなければ不可能なのだ。恐らく、アスナが戸惑っているのはそれについてだろう。

 

 

「ユイ、ウィンドウ開けるか?」

 

 

ケイがユイに尋ねるが、やはりユイは何の事だか分からない様子。

 

 

「ほら、こうやって右手を振るんだ」

 

 

今度は実際にやってみる事でユイを促してみるケイ。ユイはケイを真似して右手の指を翳して振り下ろす。直後、本来なら紫色のウィンドウが出てくるのだが、何故かユイの前には何も出てこない。

 

 

「出てこない、ね…」

 

 

「あぁ。システムがバグってるのか?それにしても、ステータスが開けないのは…」

 

 

カーソルが出なかったり、ウィンドウが開けなかったり。ユイの周りではバグが起こりすぎている。特に、ステータスが開けないのは致命的だ。何もできないといっていい。

 

だが直後、ケイとアスナがどうするべきか考えていた時だった。何も出てこない事でムキになって右手を振っていたユイが、不意に左手を振るう。

 

 

「でた!」

 

 

その声でケイとアスナが振り向くと、ユイの左手の下で紫色に発行するウィンドウが出現していた。

 

 

「「…」」

 

 

思わずケイとアスナは顔を見合わせる。正直、何がなんだかわからない。

 

だがともかく、ステータスは開く事ができたのだ。ユイには悪いが、服を着せるためにも少しウィンドウを覗かせてもらおう。

 

 

「ちょっとごめんね」

 

 

一言呟いてから、アスナはユイの背後からウィンドウを覗き込む。ステータスは本来、本人にしか見れないように設定されている。そのため、今アスナには何も書かれていない無地のウィンドウが見えているはずだ。だが、その本人の指で操作し、可視モードに設定すれば他の人にも見えるようになる。

 

アスナはユイの手に自身の手を重ねてウィンドウを操作し始める。ユイの指でどこかの欄をタップすると、ケイの目にも無地に見えていたウィンドウに、一瞬にして字が浮かんだ。

 

 

「な、なにこれ!?」

 

 

きっとアスナは、ユイのステータスをあまり見ないようにし、アイテム欄を開こうとすたのだろうが…、見えてしまったのだろう。ケイも、目を見開いてその部分に目が釘付けとなる。

 

メニューウィンドウのトップ画面は、三つのエリアに分けられている。アバター名の英語表示とHPバー、経験値バーが記されているエリア。自分が身に着けている装備が表示されているフィギュアのエリア。そして、コマンドボタン一覧のエリアの三つだ。

 

だが、ユイのウィンドウには、最上部に<Yui-MHCP001>という奇怪なネーム表示以外には何も表示されていない。HPも、経験値も、レベル表示もない。装備フィギュアは表示されているが、コマンドボタンは通常よりもかなり数が少ない。<アイテム>と<オプション>と、二つが表示されているだけだ。

 

 

「これも…、システムのバグなのかな…」

 

 

「分からない…。けど、バグというよりは…元々こういう風になってるように見えるな…」

 

 

今ほどGMがいないと歯痒く感じるのは、SAOにログインして初日の、あのチュートリアル以来だ。

 

 

「…これ以上考えても仕方ないね」

 

 

ケイとアスナの理解の範疇を超えている。ともかく、これはシステムのバグだと判断するしかない。アスナはアイテム操作を始め、ユイの装備を変更させる。白いワンピースから、桃色のセーターと同系色のスカート、黒いタイツに赤い靴と、先程までの神秘的な印象から一気に、可愛らしい格好へと変身する。

 

 

「おぉー。似合ってるぞー、ユイ」

 

 

「えへへー」

 

 

ケイが褒めると、ユイはとてて、とケイに駆け寄って両腕を伸ばしてくる。それが抱っこを求めてるのだとすぐに察したケイは、ユイの脇の下を掴んで抱き上げる。

 

 

「さ、お出かけ行くか」

 

 

「うん!」

 

 

ユイに微笑みながら言ってから、ケイは次に引き締まった顔でアスナに視線を向ける。

 

 

「アスナ、一応すぐに武装できるように準備しとけ」

 

 

「うん、分かってる」

 

 

街の外に出るつもりはさらさらない。が、今のはじまりの街の状況を考えれば、こうせざるをえない。

 

ケイとアスナがアイテム欄を確認してから、扉へと歩き出す。

 

外に出た瞬間、三人を明るい日差しが照りつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第48話 法を見守る無法者

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじまりの街に来たのは、実に数か月ぶりの事だ。転移門を出ると、巨大な広場とその向こうに広がる街並みが。アインクラッド最大の街であり、冒険に必要な物資はどこよりも充実している。

 

物価も安く、宿屋なども多く存在しているため、ここを拠点にするプレイヤーは多くいる。だが、前線を中心にして活動するプレイヤーに関してはまた別の話だが。それでも、物資の調達にここを利用する攻略組プレイヤーは数多くいる。

 

ほら、現に今そこに、キリトとサチが────

 

 

「え、キリト…」

 

 

「サチ!?」

 

 

並んで手を繋ぎながら歩いているなんて、全く予想ができなかった。

 

 

「ケイ?」

 

 

「アスナも…」

 

 

転移門へと向かっていくキリトとサチの二人と遭遇したケイとアスナ。目を丸くして、ぽかんとしながら目を見合わせる四人。だがその時、キリトとサチがケイに抱っこされる少女に目を向ける。

 

 

「なぁ、ケイ。その子は…」

 

 

「あ、あぁ。この子はな…」

 

 

キリトが問いかけてきた。サチも聞きたそうにケイに視線を向けている。ケイはキリトの問いに答えようとする。だが────

 

 

「ねぇパパ、ママ。このひとたち、だれ?」

 

 

「「「「!!!?」」」」

 

 

ピシリ、と何かが凍り付いたような、そんな音が聞こえた気がした。

キリトもサチも、勿論ケイもアスナも固まってしまい、身動きがとれなくなってしまう。

 

 

「パパ?ママ?」

 

 

「っ…、あ…」

 

 

凍り付いた空気の中、再びユイが口を開く。その声で我を取り戻したケイが再び口を開こうとするが、その前に我に返っていた者達がいた。

 

 

「えっと…、二人はいつの間に結婚してたの…?」

 

 

「ていうか、SAOで子供ができるんだな」

 

 

「「違う!!」」

 

 

サチの結婚してたのかという問いかけに違うと答えたのか、それともSAOで子供ができると言ったキリトに違うと答えたのか。無論、どちらにもである。

 

 

 

 

 

 

「そんな事があったのか…」

 

 

少々時間がかかったが、キリトとサチの誤解は何とか解けたらしい。しかし、確かに男女間で行為ができる機能はSAOには搭載されているが…。

 

 

「普通に考えたら、そんな訳ないって分かるだろ…」

 

 

「い、いや…。でも、万が一って可能性が…」

 

 

「ねぇよ」

 

 

呆れながら言うケイに苦笑を浮かべたサチが返すが、ケイは即座にその返事を一蹴した。

 

いや、普通に考えてゲームの中で子供ができるなんてあり得ないだろう。…あり得ない、だろう?

 

 

「ねぇねぇ、あなたのお名前は何ていうの?」

 

 

「…ゆい」

 

 

「そっか、ゆいちゃんていうのか。俺はキリトだ」

 

 

「私はサチ。よろしくね?」

 

 

「…きぃと…、あち…」

 

 

ケイがアスナ、ユイと三人ではじまりの街に来た簡単な経緯は、今はケイが抱っこしているユイに話しかけているキリトとサチに説明した。だが、あのユイのステータスで見たバグについては言っていない。

 

別にキリトとサチの人柄を疑っているわけではないのだ。二人は信用できるし、言わないでほしいと頼めば、きっと誰にも言わないでいてくれる。それでも、あまり広めたくないのが本音だ。特にキリトとサチは、思いが繋がったばかりだ。そんな時に、こちらの都合に巻き込みたくない。

 

 

「にぃに!ねぇね!」

 

 

「おぉ、にぃにだぞー」

 

 

「ねぇねだよー、ユイちゃん」

 

 

「…」

 

 

何か、こっちはすっごく悩んでるのに二人は早速打ち解けてますね。…殴っていいですか?勿論、キリトだけ。

 

 

「パパ!」

 

 

「ん?どうした?」

 

 

何となくイライラしていると、不意にユイがこちらを見上げてきた。

 

ケイを見上げるたユイは、笑顔を浮かべたまま問いかける。

 

 

「にぃにとねぇねも、パパとママのこどもなの?」

 

 

「「はい!?」」

 

 

「「え?」」

 

 

再びの爆弾投下。だが冷静に考えてみれば、ユイがそう考えるのも当然だ。

にぃにとねぇね、つまりユイはキリトとサチをお兄ちゃんとお姉ちゃんだと思っているのだ。優しい兄姉だと勘違いしてしまったのだ。それはつまり、キリトとサチもケイとアスナの子供と考えるに等しい。

 

 

「え、えっとね?キリト君とサチは私達の子供って訳じゃ…」

 

 

「ちがうの?」

 

 

「う…」

 

 

違う、とアスナはハッキリ答えたかっただろう。だが、ユイの悲しげな眼がそれをさせなかった。アスナは一筋の汗を流して言葉に詰まり、救いを求めるようにケイへ視線を向けた。

 

 

(俺を見ないでくれ)

 

 

何て…何て、自分は無力なのだろうか。

 

ケイは自身の無力さを悔いながら、必死に無情を保ち、アスナから視線を逸らした。その瞬間のアスナの表情は、見ていない。

 

 

「ぷっ…ふふ…」

 

 

「くくっ…、ははははっ」

 

 

「ふ、二人共!笑わないでよぉ!」

 

 

慌てふためくアスナを見ていたキリトとサチが、思わずといった感じで笑みを噴き出す。それに対し、羞恥で頬を染めたアスナが憤慨し、飛び掛かろうとした時だった。

 

 

「子供たちを放してください!!」

 

 

どこからか聞こえてきた声に、全員が振り向いた。声が聞こえてきた方にあったのは、路地裏へと繋がる小さな道。ケイ達は目を見合わせ、一度だけ頷いてから一斉に駆けだした。

 

 

「ギン!ケイン!ミナ!そこにいるの!?」

 

 

「先生!助けて!」

 

 

声が聞こえてくる場所にはだんだん近づいている。裏通りを何度も曲がっていき、東六区のエリアまで来た時、青色のショートヘアーの女性の背中が見えた。さらにその向こうには、黒鉄色で統一された装備をした一団が。

 

 

「お金なんていいから、全部渡してしまいなさい!」

 

 

「先生…、ダメなんだ!」

 

 

さらに、その一団の後ろには子供がいるらしい。それも、今聞こえてきた声は先程聞こえた声と違う事を考えると、間違いなく複数。

 

 

「くひひっ。あんたら随分税金を滞納してるからなぁ。金だけじゃあ足りねぇなぁ…」

 

 

「あぁ。装備も置いてってもらおうか。防具も全部…何から何もな」

 

 

ショートヘアーの女性に下卑た笑みを浮かべながら言う軍のプレイヤー二人。その二人以外も、同類の笑みを浮かべて女性を舐めるようにねめつけていた。

 

 

「…そこをどきなさい。さもないと…」

 

 

「さもないと…、何だ?あんたが代わりに税金を払うってか?」

 

 

声を震わせながら女性が強がるが、男達には全く通用しない。この女性のレベルは恐らく低いのだろう。だがそれよりも、この街の中でHPは絶対に減らないという原則が、あそこまで男達を強気にさせる一番の要因だろう。

 

 

「…アスナ、少しユイを頼む」

 

 

「え…、ケイ君?」

 

 

このやり取りを見る限り、どちらが加害者でどちらが被害者なのかは明白だ。

 

 

(軍…。話には聞いてたが、ここまで堕ちてたか)

 

 

あの厭らしい笑みを浮かべた男達の防具は、軍に所属したプレイヤーに配布されるものだ。どうってことはない、使い続けるには中層程度で限界が来る、その程度の装備。

 

しかしそれでも、初層でしか活動できないプレイヤーに脅威を抱かせるには過ぎるくらいの代物。

 

粋がり、他者をいびり、搾取する。<アインクラッド解放軍>を作った者と、そのきっかけとなった者の志とは程遠い。今、彼らがこの光景を見ていたらどう感じるだろうか。

 

…どういう行動を、とるだろうか。

 

 

(わからない…、けど)

 

 

ケイは筋力値と敏捷値のありったけを込めて跳躍する。そのまま前にいた女性と、軍の集団を飛び越えると、恐怖に怯えていた子供たちの前に着地する。

 

 

「な、何だぁ!?」

 

 

軍の誰かが驚愕に声を上げる。しかしケイはその声に振り向きもせず、戸惑いながらこちらを見上げる子供たちの視線にしゃがんで合わせ、微笑んだ。

 

 

「もう大丈夫だ。装備を戻していいぞ」

 

 

男達が邪魔で目視できなかった子供達の姿を、ようやく見ることができた。空地の片隅に追い込まれるように、十代前半の少年二人と少女一人が固まって縮こまっていた。

 

彼らの足下に防具が散らばったのを見て、ケイは装備を直しても大丈夫と声をかけた。

 

 

「お、おい…。おいおいおいおいおいおい!!」

 

 

子供達がウィンドウを操作し始めた時、我を取り戻した軍のプレイヤーが喚きはじめた。

 

 

「何だお前は!まさか、俺達の任務を邪魔しようってのかぁ!?」

 

 

「まぁ、待て」

 

 

喚いたプレイヤーがケイに詰め寄ろうとすると、その肩に誰かの手がかけられた。すると、背後から一際重武装なプレイヤーが前へ出てくる。先程、女性に対して先頭に立って恐喝していたプレイヤーだ。どうやらこの集団のリーダー格らしい。

 

 

「あんたと後ろにいる奴ら、見ない顔だけどよぉ。解放軍に盾突く意味が分かってんだろうな?何なら、本部でじっくり話を聞いてやってもいいんだぜ?」

 

 

「盾突く、ね」

 

 

リーダーの目が鋭く光り、同時に腰に収めたブロードソードを抜くとその切っ先をケイに向けてきた。と思うと、剣を立てて刃の腹をぺちぺち叩き始めた。

 

 

「それとも圏外行くか?け・ん・が・い。おぉ?」

 

 

正直にいうと、ケイは今、ここまで見事なチンピラを初めて見れた事で感動を覚えていた。そういう世界で生きてこなかったケイは、こういう相手と対面する事もなかったのだ。

 

だが、感動以上の怒りもまた、ケイの中で燃え上がっていた。

 

ケイは腰元に愛刀を実体化させ、そのままリーダー格の男に正面から歩み寄っていく。

 

 

「あ…、お…?」

 

 

状況が呑み込めず、狼狽える男の背後にいるアスナと視線が合う。途端、アスナは呆れたようにため息を吐いてから、目を閉じて一度、こくりと頷いた。

 

それが合図だったかのように、ケイは直後に鞘から刀を抜き放った。

 

 

「ブフォッ!!?」

 

 

リーダー格の顔面に赤に染まったケイの斬撃が命中する。男は仰け反ったまま後方へと吹き飛び、後ろで固まっていた軍の集団に突っ込んでいく。

 

 

「う、うわぁっ!?なんだぁ!?」

 

 

「た、隊長!」

 

 

吹き飛んだリーダー格の男は、軍の集団に受け止められる。だが、目をぱちくりと開閉させながらケイを見つめる。戸惑いと驚愕を、全く隠せていない。

 

 

「いいぞ、戦ってやっても。それに、わざわざフィールドに出る手間も取らせない」

 

 

立ち上がった男に再び斬撃。今度は左薙ぎに飛ばされ、壁に背中を打ちつける。

 

 

「心配すんな、HPは減らねぇ。…永遠に蹂躙が続くだけだ」

 

 

言いながら地面に座り込んだ男の腹に踵を突き、ぐりぐりと抉らせる。

男は両手に力を込めて立ち上がろうとするが、僅かに体が震えるだけで全く立ち上がれる気配がない。

 

<圏内戦闘>というものがある。決闘システムを使わず、HPを減らない性質を利用して圏内でプレイヤー同士戦うというものだ。本来、訓練での模擬戦で利用されるのだが、攻撃者のパラメータとスキルが上昇するにつれ、対象への衝撃とノックバックが増大する。

 

慣れない者にとっては、HPが減らないと分かっていても耐えられないらしい。

 

 

「や、やめ…」

 

 

ケイの意図を悟ったのか、踵で押し込まれる男の目に初めて恐怖が浮かぶ。そんな男を冷たい眼で見下ろしながら、ゆっくりと刀を振りかぶる。

 

 

「お、お前ら!見てないで、さっさと助けやがれ!」

 

 

不意に男ははっ、と目を見開くと、ケイと男のやり取りを見ているだけだった軍のプレイヤーに向けて怒鳴りかける。その声で目が覚めたように軍のメンバー達は動き出すと、それぞれの武器を抜く。

 

初めからいた者だけではない。いつの間にやら、異常事態を察したメンバー達がこの場に集結し、ケイを包囲していた。

 

 

「…任務、か」

 

 

これも任務なのだろう。軍に攻撃するプレイヤーに対抗するため増援する。

ほとんどの場合、グリーンプレイヤーを攻撃するのは犯罪者プレイヤーなので理には叶っている。

 

なら、子供を脅迫し、女性に身ぐるみ全て脱ぎ捨てろと恐喝するのは?…それも、任務?

 

 

「っ…!」

 

 

歯を食い縛り、鋭い目でこちらを睨む軍のプレイヤー達を見据えながら、ケイは柄に手を添えて突っ込んでいった。

 

それから起きたのは、ケイの宣言通りの蹂躙だった。まるでギャグマンガの様に、人の体が宙高く吹き飛び、地面へと落下していく。それが間を置かず、時には同時に起こるため、何も知らぬ者には笑える光景として結晶に記録されていただろう。

 

だが、それを起こす本人たちは至って真面目である。

 

煌めく刃を身を翻し、しゃがみ、時に跳躍し、軍の集団全ての斬撃を回避し、防ぐ。ケイの体に剣を届かせた者は、ゼロだった。

ケイの斬撃が炸裂する轟音と、斬撃を受けた者の悲鳴が続いておよそ二分。すっかり静かになった空き地には、地面に倒れ伏す数人の軍のプレイヤーとそれを見下ろすケイの姿があった。ちなみに、他の軍のプレイヤーは逃げていったらしい。

 

 

「…」

 

 

もう、これ以上の戦闘は必要ないだろう。倒れてる彼らも、気を失っているのか全く動かない。ケイは一度、短く息を吐いてから刀を鞘に収めて振り返った。

 

 

「あ」

 

 

直後、ケイは一歩、後退る。振り返ったケイの目に映ったのは、三人固まって呆然とこちらを見上げる三人の子供達だった。

 

あの蹂躙を見て、怖がらせてしまっただろうか。思わず、今すぐにこの場から逃げ出したいという焦燥に駆られるケイ。

 

 

「す…、すげぇ…」

 

 

「え?」

 

 

「すげぇよ兄ちゃん!すっげぇ強ぇ!!」

 

 

だが、そんなケイを襲ったのは穢れない子供たちの尊敬の念だった。二人の少年だけでなく、少女もまた目を輝かせながらケイを見上げており、どうやら先程の戦闘で怖がっているという様子はないらしい。

 

 

「お、おい…」

 

 

三人はケイに詰め寄りながら一斉に質問を始める。だが、言葉が混じってしまい、何を喋っているのか全く聞き取る事ができない。

 

 

「わ、わかった。わかったから…」

 

 

何を分かったというのか。ケイ自身もさっぱりだが、それでもそう言うしかなかった。

だが、この状況でひたすら困るばかりだったが、不思議にも嫌だという思いは沸いてこなかった。

 

 

 

 

 

 

「ほら。彼なら大丈夫と言ったでしょう?」

 

 

「あ…、ありがとうございます…!本当に、ありがとございます!」

 

 

一方、女性を保護していたアスナ達。子供に囲まれて困ってるという何とも珍しいケイの姿に微笑ましさを感じながら、女性のお礼を受けていた。

 

 

「いえ…。軍のプレイヤーを撃退したのはケイ君ですし、お礼はあっちに言ってください」

 

 

「あ…。でも…、ありがとうございました」

 

 

ここへやって来た軍のプレイヤーの内、何人かはアスナ達が相手をしたが、ほとんどを屠ったのはケイだ。女性は最後に、アスナ達に一礼してからケイへと駆け寄っていった。

 

 

「それにしても…、珍しいな。ケイが自分からあんな風に突っ込んでくなんて」

 

 

ケイへ駆け寄って言った女性がぺこぺこお辞儀をして、そしてお辞儀をされるケイが困ったように両手を振る姿を眺めていた。そこで不意に、キリトがそんな事を口にした。

 

いつものケイは、本当にギリギリになるまであまり自分が出張ろうとはしない。出張った時の無茶のしかたはとんでもないが、そうでない時のケイは相手が向かってこない限り手を出そうとはしない。

 

 

「…多分、許せなかったんだと思う」

 

 

「許せないって…、何を?」

 

 

まだケイは割り切れていないのだ。それを悟ったアスナは、どこか悲し気に染まった笑顔を浮かべてケイを見つめる。

 

ケイと軍は切ろうとしても絶対に切れない縁がある。それが、ケイを苦しくさせているのは分かっているのに…、アスナ自身は何もできない。

 

 

(ケイ君…)

 

 

ケイ自身が何とかするしかない。他が何をしてもどうにもならない。

それは分かっているのに、どうしてもケイの助けになりたい。だけど────

 

そんな葛藤がアスナの頭の中でぐるぐる回る。

 

 

「こころが…、みんなの、こころが…」

 

 

「ユイちゃん?」

 

 

その時だった。アスナの腕の中にいたユイが、宙に視線を向け、右手を伸ばしていた。

すぐに、アスナはユイが手を伸ばす方へと視線を向ける。だが、どれだけそこを見つめても、何も見つからない。

 

 

「みんなのこころ…が…」

 

 

「ユイちゃん!どうしたの、ユイちゃん!?」

 

 

女性と子供の対応に困っていたケイも、こちらの異常に気付き、こちらに駆け寄ってきた。

 

 

「ユイ、何か思い出したのか?」

 

 

こちらへ来たケイが、ユイの手を握りながら問いかける。

 

 

「あたし…あたし…っ」

 

 

初め、きょとんとした表情を浮かべていたユイだったが、突如表情を歪め、両手で頭を抱える。

 

 

「あたし、ここにはいなかった…。ずっと、ひとりで…くらいところに…、いた…」

 

 

苦しげな表情のまま言うユイ。だが突然、ユイの顔が仰け反ったかと思うと高い悲鳴が響き渡った。

 

 

「うあ…あ、ああああああ!!!」

 

 

「!?」

 

 

それと同時に、ユイの悲鳴に混じってノイズに似た音が迸る。さらに、ユイの体の所々がノイズが奔ったようにぶれ始める。

 

 

「ユイちゃん!」

 

 

アスナは叫びながら、強くユイの体を抱き締める。そうしなければ、このままユイがどこかへ行ってしまいそうで、怖かった。

 

 

「ママ…パパ…こわいよ…!」

 

 

激しくも短い以上は収まったが、ユイは震えてアスナの胸に顔をうずめる。しかし、そのすぐ後にユイの体からふっ、と力が抜けた。

 

 

「…今のは、何なんだ」

 

 

アスナの耳に、呆然と呟いたケイの声が届いた。しかし、その声に言葉を返すことはできず、ただ未だ苦しげに表情を歪めたままのユイを、見つめる事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第49話 軍の現状

オリジナルの設定が混じってます。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミナ、パン一つ取って!」

 

 

「ほら!よそ見してるとスープ零すよ!」

 

 

「あぁっ!先生ー、ジンが目玉焼き盗ったー!」

 

 

「代わりにニンジンやったろー!」

 

 

目の前で起きている圧倒的光景、戦場とも形容できる昼食風景をただ呆然と眺める事しかできないケイ達。

 

 

「これは凄いな…」

 

 

「うん。でも…、凄く楽しそう」

 

 

はじまりの街、東七区にある教会の一階広間。所狭しと並んでいる長テーブルに置かれた料理を、我先にと取ろうとする子供達を見ながら、ケイとアスナは呟きを交わした。

 

ケイ達は子供たちのテーブルから少し離れた所にある丸テーブル二つに、ケイ、アスナ、ユイとキリト、サチ、サーシャと自己紹介した保母と分かれてそれぞれ座っていた。

 

 

「毎日、食事の度にこうなんです。静かにしてと注意しても聞かなくて…」

 

 

そんな事を言いながらも、サーシャの顔には愛しさと慈しみが浮かんでいた。

 

 

「…子供が好きなんですね」

 

 

サーシャの横顔を見つめて口を開いたのはサチだった。サーシャはサチの方に振り向いてから、キリト、そしてケイ達を見回して言う。

 

 

「向こうでは、大学で教職課程を取ってたんです。教師にすごく憧れて…、私が子供達を導くんだーって。でもここに来て、あの子達と暮らし始めたら、今まで学んできたのとは全く違って…。むしろ私が頼ったりする事が多くて…」

 

 

そこで言葉を切ったサーシャは、心底愛しそうに目を細めて子供達を見ながら続けた。

 

 

「でも、それでいいっていうか…。それが自然なもののように思えるんです」

 

 

「…何となくですけど、分かります」

 

 

サーシャの言葉に最初に返したのは、アスナだった。アスナは隣に座って、パンをもきゅもきゅと咀嚼するユイの頭を優しく撫でる。

 

ユイの身に起きたあの謎の発作はすぐに収まり、意識も数分ほどで覚ました。だが、すぐに長距離を移動させる気にはケイもアスナもなれなかった。当初ははじまりの街内にある宿の部屋をとって、そこで休もうと考えていたのだが、サーシャの誘いもあってこの教会へとやって来たのだ。

 

 

「なぁキリト、サチ。お前ら、ギルドに戻んなくていいのか?買い出しに来たんだろ?」

 

 

「ん?いや、大丈夫だ。…今日一日使って、ゆっくり帰って来いって言われたから」

 

 

「買う予定の物、そんなに多くもないのにね…」

 

 

そこでケイは察した。何故キリトとサチの二人が買い出しのメンバーに選ばれたのか。<月夜の黒猫団>のメンバー達が、二人に気を遣って送り出したのだろう、と。

 

しかし、気を遣うにしてもこの方法はどうかとは思うが。キリトとサチの性格からして、あまり人から気を遣われると逆に委縮して、関係も進まなくなるような気がする。

 

 

「後、ユイちゃんとも、もっと一緒にいたいしね」

 

 

「だな」

 

 

「…んー?」

 

 

不意にキリトとサチに視線を向けられたユイは、口の中に残った物を飲み込んでから首を傾げる。

 

これまでの様子を見る限りでは、ユイの調子は良いらしい。ケイもアスナも一安心はした。が、まだ根本的な状況は何も変わっていない。僅かに記憶が戻ったユイの言葉によれば、はじまりの街ではなく他の所にいたようだし、保護者と一緒にいた様子もない。ならば、ユイの幼児退行というべき症状の原因もわからない。

 

だが────

 

 

(MHC…か)

 

 

ケイの頭の中で浮かんだのは、ユイのステータスに映っていたMHCPの四文字の内のMHCという文字列。この三文字は、確か────

 

 

「…おい、誰か来るぞ。一人」

 

 

ケイが過去の記憶を呼び起こそうとした時、ぽつりと小さな声でキリトが呟いた。それに我に返ったケイも、自身の索敵範囲内に一人のプレイヤーがいる事に気付く。

 

部屋内にノックの音が響いたのは、直後の事だった。

 

サーシャと念のためにと付いていったキリトと一緒に入ってきたのは、長い銀髪を下ろした長身の女性プレイヤーだった。怜悧に整った容姿の肩にはケープがかけられており、その下には濃い緑色の上着と大腿部がゆったりしたズボン。そして、鈍く輝く金属鎧は軍の物だ。

 

 

「皆、この方は大丈夫だから。食事を続けなさい」

 

 

女性プレイヤーの格好に気付き、警戒し始めた子供達に声をかけるサーシャ。途端、子供達はホッと肩の力を抜いて警戒を解き、再び食事中の騒がしさが戻っていく。

 

その中を歩いてこちらに向かってくる女性プレイヤーは、サーシャが持ってきた椅子に勧められ、ケイとアスナの間で腰を下ろす。

 

 

「えっと…。こちらはユリエールさん。何か、俺達に話があるんだってさ」

 

 

女性プレイヤーの後ろにで立ち止まったキリトが、サチ、ケイとアスナにユイと見回しながら女性プレイヤー、ユリエールを紹介する。キリトに紹介されたユリエールは、キリトと同じようにケイ達とキリトの隣に立ったサチを見回してから、ぺこりと頭を下げて口を開いた。

 

 

「初めまして。ギルドALF所属の、ユリエールといいます」

 

 

「ALF?」

 

 

ユリエールの自己紹介の中のある言葉の一つに疑問を持ったアスナが、首を傾げながら聞き返す。

 

 

「アインクラッド解放軍の略だ。あまり馴染みはないけどな」

 

 

「良くご存知で…。正式名は、どうも苦手で…」

 

 

ALFという単語についてケイが解説すると、ユリエールは驚いたように目を丸くして視線をケイへ向ける。その視線はすぐに外され、顔が俯き視線は膝へ向けられる。

 

 

「初めまして。私は、ギルド血盟騎士団の…あ、いえ、今は一時脱退中ですが…。アスナといいます。この子はユイ」

 

 

「私はギルド月夜の黒猫団のサチといいます。こちらも、同じギルドのメンバーの、キリトです」

 

 

「初めまして」

 

 

アスナの自己紹介とユイの紹介に続いて、サチが自身とキリトの紹介をする。最後にキリトが一言口にしながら頭を下げて挨拶をする。

 

 

「KoBに月夜の黒猫団…。なるほど、連中が軽くあしらわれるわけだ」

 

 

アスナ達の紹介を聞いたユリエールは、目を見開きながらそう呟いた。その後、ふっと笑みを浮かべるユリエールにアスナ達は警戒を強くする。

 

そんな中で、ケイはただユリエールをじっと眺めるのみ。

 

 

「さっきの件について、抗議に来たって事ですか」

 

 

そう言ったのはキリトだった。ユリエールは軍のメンバーであり、着ている鎧から見てかなり高い立場にいるメンバーの一人のはずだ。先程の奴らから報告を受け、ここに抗議にやって来た。それがキリト達の見解だった。

 

だが、彼らの予想に反し、ユリエールは目を丸くしながらキリトへと振り返って口を開いた。

 

 

「いえ、そんな。その事については、むしろ感謝したいくらいです」

 

 

ユリエールの返しに、キリト達は呆気に取られて思わず目を見開く。

 

 

「今日は、お願いがあってここに来たのです」

 

 

「お願い…ですか?」

 

 

問い返したサチに頷きながら、ユリエールは続ける。

 

 

「最初から説明します。軍というのは、初めから下層プレイヤーに情報や食料を分け与えたり、補助をするような活動をするギルドではありませんでした。…正確には、援助活動は、別のギルドが行っていて、後に合併し、軍が援助活動を行うようになったのです」

 

 

そう、元々、<アインクラッド解放軍>はバリバリの攻略をベースに活動するギルドであり、今の様に下層にメンバーを置いて前線に出れないプレイヤーを援助するようになったのは、一年ほど前の事だった。

 

 

「<MMOトゥデイ>という名前を聞いた事はないでしょうか?」

 

 

「え?えっと…」

 

 

ユリエールの問いかけに戸惑いを見せたのはアスナとサチの二人だった。だが、ケイとキリトは表情を変えず、キリトが口を開いた。

 

 

「SAO開始当時の、日本最大のネットゲーム総合情報サイトの名前だ。ギルドを結成したのは、そこの管理者で、名前は確か…」

 

 

「シンカー」

 

 

途中で、視線を斜め上にあげながら言葉を切ったキリトに続いて、ケイが短く言った。

ケイの言葉を聞いて、一度頷いたユリエールはさらに続ける。

 

 

「シンカーは、今のような独善的な組織を作ろうとした訳ではないんです。ただ、なるべく多くのプレイヤーと均等に、物資や情報を分かち合おうとしただけで…」

 

 

だが、その理想を実現させるには組織の現実的な規模と強力なリーダーシップが必要だ。

さらに物資を分け合うためには膨大な量を手に入れなければならないし、情報に関しては時に最前線まで赴かなければならない場合だってある。

 

志し当初はまだ何とかなったという。だが、どんどん層が踏破されていく内に情報が追いつかなくなり、さらに上層から何らかの事情で下層へ戻らざるを得なくなったプレイヤー等で、シンカー達に援助を求める声が多くなっていった。いつしか、ギルド内の運営すら危うくなるのではという所まで追い込まれたという。

 

 

「そんな時、近づいてきたのはキバオウという男でした」

 

 

ケイの体が一瞬、ピクリと震える。

 

 

「彼は困り果てた私達に手を貸してくれました。キバオウの提案でシンカーは彼と手を組み、今の軍が出来上がりました。…彼のおかげでこれまで、多くのプレイヤーが救われたと言っても過言ではありません」

 

 

キバオウが率いたアインクラッド解放軍が、多くのプレイヤーと情報と物資を分け合っていると聞いた時は何時だっただろうか。その時は、あまりに驚いてすっ転んでしまうほど動揺したが…、今では、彼なら当然だろうなという思いが浮かんでくる。

 

しかし────

 

 

「KoBに、月夜の黒猫団のメンバーならば知っているとは思いますが…、キバオウは死にました。多くの同胞と共に」

 

 

キバオウは死んだ。半年前の、ラフコフ討伐戦で。

あの戦いで、キバオウだけでなく多くの軍のメンバーが犠牲になった。それから、軍は前線に出てくる事はなくなり、それからそう経たずに暗い話をよく聞くようになっていった。

 

 

「そこに台頭してきたのが、クライブという男でした」

 

 

クライブは体制の強化をし、組織の立て直しを図った。クライブの腕とリーダーシップは確かで、次第に軍は立て直していき、キバオウの抜けた穴も埋めていったという。ユリエールとシンカーも、また前の様な活動を続けられると喜んだという。

 

だが、クライブはシンカーが放任主義なのをいいことに、同調する幹部達と好き勝手し始める。狩場の、ルールを無視した独占に狩りによって手に入れた物資の独占。それによって、シンカー側に収入が来なくなり、代わりにクライブ派がどんどん力を付けていく。

 

さらにクライブ派のプレイヤーは調子に乗り始め、街区圏内ので徴税と称して恐喝まがいの行為を始める。先程、サーシャと子供達に迫っていたのはそのクライブ派のプレイヤーだったのだ。

 

しかし、収入を独占し、私腹を肥やし続けてきたクライブ派だったが、ゲーム攻略をないがしろにし続けた事により、遂にシンカー側の不満が爆発した。その不満を抑えるため、クライブは精鋭の隊を最前線に送りだした。

 

そう、あのコーバッツの隊だ。だがクライブの思惑は外れ、隊は壊滅状態。さらに隊長のコーバッツが死亡という最悪の結果を引き起こし、クライブへの糾弾はさらに巨大化していった。

 

そこで、クライブは更なる凶行に躍り出る。

 

 

「閉じ込めた…?ダンジョンの奥にか!?」

 

 

「はい…」

 

 

クライブはシンカーをダンジョンの奥に閉じ込めるという強行策に出たという。それも、三日も前にだ。SAOには、<ポータルPK>というメジャーな手口があり、クライブが用いた方法は正にそれだ。

 

ユリエール曰く、クライブはシンカーに『丸腰で話し合おう』と掛け合い、そしてシンカーはそれを信じて何も持たずにクライブについていったのだろう。だがクライブは話し合う気などさらさらなく、ダンジョンの奥までシンカーを誘い込み、そして転移結晶で逃げ出す。

 

言っちゃ悪いが、シンカーはまんまと見え見えの罠に引っかかってしまったという事だ。

 

 

「彼は優しすぎたんです…。ギルドリーダーの証である<約定のスクロール>は、今はシンカーとクライブしか操作できません。このままシンカーが戻らなければ、ギルドの人事や会計までクライブの思う様に操られてしまいます」

 

 

シンカーがダンジョンの中にいるという事はアイテムはおろか、メッセージも遅れないという状態。しかし、シンカーが幽閉されたダンジョンはユリエール一人で踏破できる難易度ではないらしく、軍の助力も期待できない。

 

 

「そんな所に、恐ろしく強いプレイヤーが現れたという話を聞き付け、いてもたってもいられずにこうしてお願いに来た次第です」

 

 

ユリエールがここへ来た理由は分かった。お願いがあるというその経緯も全て分かった。

だがそれでも、その話を裏付ける証拠が何もない。キリト達は、ユリエールの話を信じ切る事は出来なかった。

 

 

(…普通は、そうだよな)

 

 

しかし一人だけ。俯き、膝の上に置いた両拳を握ったケイだけは違った。キリトと同じように、信じられる証拠は何もない事は分かっている。

 

それでも────

 

 

「解りました。なら、俺がついてきます」

 

 

「け、ケイ君!?」

 

 

「ケイ…?」

 

 

立ち上がりながら言ったケイを、驚愕に目を見開いて見上げるアスナに、アスナが呼んだその名前を思い返すように目を細めるユリエール。

 

 

「紹介が遅れました。俺はケイといいます。ソロです」

 

 

「…まさか…、幻影」

 

 

目を丸くして固まるユリエールをよそに、アスナは立ち上がり、ケイを見据えながら言う。

 

 

「ケイ君、ユリエールさんを助けたいって気持ちはよくわかる。私もそうだから…。けど、この話が本当だって裏付けてからでも、遅くはないんじゃ…」

 

 

「解ってる。でもそれをしている間に、シンカーさんが危険な目に遭うかもしれない。いや、もしかしたらもう…。だから、ユリエールさんは藁にも縋る気持ちでここに来た」

 

 

「だ、だけど…」

 

 

「…これは、俺の役目だ」

 

 

ケイの言う事は正しい。それでも、不可解な状況でケイに突っ込んでいっては欲しくなかった。アスナはケイを止めようと言い募ろうとした。

 

その直後のケイの一言で、アスナは、キリトとサチは、ここまでケイが言ってきたのは全部建前なのだと悟った。

 

もし、としたら、というIFの未来なんて誰にもわからない。それでも、もしキバオウが生きていたら。軍はこんな事になっていなかっただろう。サーシャと子供達は軍に恐れる事もなく、静かな時を過ごせていたはずだ。クライブはキバオウに抑えられ、今のような暴走はできなかったはずだ。

 

 

「アスナはここでユイと待っててくれ」

 

 

「ま、待っ────」

 

 

ケイは椅子から離れ、ユリエールの傍に歩み寄る。それをアスナが呼び止めようとした時、アスナの服の袖が引っ張られた。

 

 

「大丈夫だよ、ママ。その人、うそついてないよ」

 

 

袖を引っ張り、見上げていたユイはそう言った。言葉の内容もそうだが、何よりユイの流暢な言葉遣いが、アスナを呆気に取らせる。

 

ケイもまた、立ち止まってユイを呆然と眺めている。

 

 

「ユイちゃん…、そんな事、わかるの?」

 

 

「うん。上手く言えないけど…、わかる」

 

 

アスナの問いかけに、こくりと頷きながら答えるユイ。

そして、その言葉を聞いたキリトが右手を腰に当てながら口を開いた。

 

 

「疑って後悔するよりは、信じて後悔した方がいいんじゃないか?」

 

 

「そうだよ、アスナ。それに…、ユイちゃんを信じよう?」

 

 

サチもまた、キリトに続いて言う。

 

 

「そう…だよね。うん、そうだね」

 

 

キリト、サチ、そしてユイ。三人の言葉に背中を押されるように、アスナの中で少しずつ決意が固まっていく。

 

 

「ごめんね、ユイちゃん。お友達探し、一日遅れちゃうけど許してね」

 

 

そう言ったアスナに、ユイは微笑みながら頷いた。アスナはユイの頭を一度撫でてから、ユリエールに向き直る。

 

 

「微力ながら、私もお手伝いさせていただきます。大事な人を助けたいって気持ち、私にもよくわかりますから…」

 

 

「アスナ…、けど」

 

 

「いいの。私もついてくって決めたんだから。もうケイ君が何も言っても、残ったりしないからね?」

 

 

一瞬驚き、動きが固まったケイだがすぐに呆れたようにため息を吐く。

 

そして、そんな二人のやり取りを見ていたユリエールは、両瞳に涙を溜めながら震える声で言った。

 

 

「ありがとうございます…、本当に…」

 

 

「それは、シンカーさんを助けてからにしましょう」

 

 

お礼を言おうとしたユリエールを制止してから、アスナは再びユイと向き直って口を開いた。

 

 

「そういう事だから、ユイちゃん。お留守番しててね?サチ、キリト君。お願いできるか────」

 

 

「ユイも行く!」

 

 

ユリエールが言う限り、これから行くダンジョンはそれなりに高いレベルを要求される場所の様だ。そのため、さすがにユイを伴わせるのは危険だと考え、アスナはユイの事をキリトとサチに頼もうとした。

 

だがその前に、ユイは椅子から降りて大きな声で言い放った。

 

 

「ユイ…。あのな、これから俺とママが行く所はとっても危険なんだ。だから…」

 

 

「いや!ユイも行くの!」

 

 

続いて、ケイがユイに言い聞かせようとするが、それでもなおユイは自分を曲げようとしない。

 

困ったように目を見合わせるケイとアスナ。そして、二人が次にユイに視線を向けた時。

 

 

「!!?」

 

 

「ゆ、ユイちゃん!?」

 

 

ユイの両目に大粒の涙が、今にも零れそうなほど溜まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




プリーズミー感想!感想を私に!
私に私による私のための感想を!

…あれ?なんかおかしい?


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第50話 絶望の運命

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぬおおおおおおおおお!!」

 

 

右手の剣でずば───っと薙ぎ払い、

 

 

「りゃああああああああ!!」

 

 

左手の剣でどか───んと切り飛ばす。

 

 

「にぃにー!がんばれー!」

 

 

「…っしゃああああああああああああああ!!!!」

 

 

ユイが声援を送れば、さらに速度を上げて剣舞を踊るキリト。巨大なカエル型モンスターやザリガニ型モンスターなどで構成された、およそ二十体はいるだろう集団を相手に、その数をあっという間に減らしていく。久々に二刀を装備したキリトは、敵陣をもの凄い勢いで蹂躙していた。

 

 

「な、なんだかすみません。任せきりで…」

 

 

「いえ、あれはもう病気みたいなものですから。やらせておけばいいんですよ」

 

 

キリトの戦いぶりを眺めていたユリエールが、同じように後方に立っていたケイ達に目を向けながら申し訳なさそうに言うと、呆れを含んだ苦笑を浮かべてサチが返した。

 

 

「おいおい、ひどいな…」

 

 

すると、こちらの会話が聞こえていたのだろうか。いつの間にか敵集団を全て片付け、こちらに歩み寄りながら苦笑を浮かべているキリト。

 

 

「じゃあ、私と代わる?」

 

 

「い、いや…、もうちょっと…」

 

 

ケイは軽く吹き出し、アスナとサチは顔を見合わせて笑い出す。さらに釣られるように、ケイもまた声を上げて笑い出し、そんな四人の笑い声が響くこの場所は、第一層の黒鉄宮の地下に位置するダンジョン内だ。

 

ユリエールの頼みを受けたケイとアスナは、シンカーが幽閉されているダンジョンへ向かうために外へ出ようとした。

 

だが、そこに二人についていくと呼び止めたのが、今、笑い続けるケイ達を見上げているユイだった。六十層相当の難易度で、ケイとアスナならば特に手こずることなく進めるとはいえ、ユイを連れて行くのは危険すぎる。そのため、ケイとアスナは何とかユイに留守番をしてもらおうと説得を試みたのだが…、結果は失敗。涙をボロボロ流し、ついには声を上げて泣き出してしまった。

 

そこで自分達もと手を上げたのがキリトとサチだった。キリトとサチも最前線で戦うプレイヤーであり、レベルもケイ、アスナと遜色ない。

 

それならばユイをフォローできるだろう、という事でこのメンバーでシンカー救出へと向かったケイ達。

 

 

「シンカーの位置は、数日ずっと動いてません。多分、安全圏の中にいるんだと思います。そこまで到達できれば、後は結晶で脱出できるので…。すみません、もう少しだけお願いします」

 

 

「い、いや。好きでやってるんだし、アイテムも出るし」

 

 

ユリエールがマップを表示させると、シンカーがいる場所を示すフレンドマーカーの光点の位置を確認した。ここのダンジョンのマップがないため、そこへ至る道順は不明だが、ここまでで全体の距離を七割は詰めている。

 

マップを眺めていたキリトは、不意にユリエールに頭を下げられながら言われ、両手を振りながら返事を返した。

 

 

「キリト、何かいいもの出てるの?」

 

 

「おう」

 

 

キリトの言いぶりを気にしたサチが問いかける。それに対してキリトは笑みを浮かべながらストレージを開き、何かを実体化させた。

 

 

「な…ナニソレ」

 

 

どちゃっ、という音を立ててキリトの掌に乗っかったそれは、赤黒い肉塊だった。グロテスクなその質感に、傍にいたサチだけでなく少し遠くから眺めていたアスナも頬を引き攣らせた。

 

 

「スカベンジトードの肉だ!ゲテモノほど旨いっていうからな。後で料理してくれよ」

 

 

「絶、対、嫌!!」

 

 

満面の笑顔で言うキリトから肉を取り上げると、サチは何とも素晴らしいフォームで肉を遠くへと放り投げた。放物線を描いて落下していく肉は、床に激突するとポリゴン片と化し、四散する。

 

 

「ああああああああああああっ!!な、何するんだよ!?」

 

 

「ふんっ」

 

 

「…だったら!」

 

 

悲痛な叫びをあげるキリトと、両手を腰に当ててそっぽを向くサチ。

 

そしてまた、何やらストレージを操作し始めるキリト。また何を始めるんだろう、と気になったサチが、キリトの方を向いたその時だった。

 

 

「これでどうだ!」

 

 

「ひっ…!」

 

 

サチの口から、か細い悲鳴が漏れる。その視線の先には、キリトの両腕に抱かれる、溢れんばかりの量の<スカベンジトードの肉>だった。

 

サチの目が見開き、瞳がわなわなと揺らぎ。キリトは勝ち誇ったように笑みを浮かべる。

 

何故かわからないが、この光景を見ていたケイ達は、本当に何故だろう。勝負は決した、という思いに駆られた。だがここで、サチの目が鋭く光ると、彼女の両腕が動く。

 

 

「きゃああああああああああああああ!!」

 

 

「あっ、ちょっ、まっ…!旨いんだって!絶対!」

 

 

「なら食べてみてよ!ほら!今すぐに!」

 

 

「うわっ、待てサチ!生はだめd…フグゥッ!?」

 

 

悲鳴を上げながら一心不乱にキリトの腕から肉を奪い取り、遠くへと放り投げていくサチ。サチが投げた肉は次々に床へ激突し、ポリゴン片となって四散していく。キリトも肉を盗られまいと逃げようとするが、時すでに遅し。最後の一つも奪い取られ、挙句の果てにその口に肉を突っ込まれる。

 

 

「…ぷっ、くくっ…」

 

 

キリトとサチのやり取りを見てケイとアスナが声を上げて爆笑する中、ユリエールは小さく吹き出した後に声を漏らして笑みを零す。

 

 

「笑った!」

 

 

その時だった。突然、大きな声を上げたユイに痴話喧嘩をしていたキリトとサチを含めて全員が動きを止める。ユイは嬉しそうに笑いながらユリエールを見上げており、さらに続けた。

 

 

「お姉ちゃん、はじめて笑った!」

 

 

(…さっきと同じだな)

 

 

ユイの笑顔を見ながら思い浮かぶのは、先程起きた突然の発作。あれが起きたのは、子供達が一斉に笑った直後の事だった。ユイは周りの笑顔に特別敏感なのか。

 

それとも、今までずっと、何らかの辛い思いをしてきたからだろうか。

 

 

「っ────」

 

 

不意に、アスナがユイを抱き上げて、ぎゅっと抱きしめる。もしかしたら、アスナもケイと同じ考えに至ったのかもしれない。

 

 

「ほら、いつまでも痴話ってないで先行くぞ、二人共ー」

 

 

「「痴話るってなに!?」」

 

 

ちょっとしたツッコミは受けたが、ケイの言葉の通りに再び歩き始め、ダンジョンを突き進んで行く。

 

このダンジョンに入ってからここまで、水棲生物系のモンスターが主に出現していたが、下へ降りていくにつれてゴースト系のモンスターも出るようになっていく。ゴースト系は何の前触れなく現れるため、驚きに体を震わせることも多々あったが、モンスターが出る度アスナの可愛らしい悲鳴を聞けたため、良しと内心で言い聞かせるケイ。

 

しかし、ひたすら暴れ続けるキリトがあっという間に敵を倒していくため、アスナの恐怖心も最低限で済むことになる。

 

 

「あっ、安全圏だよ!」

 

 

キリトが何匹目だったろうか、骸骨剣士を倒して進んだその先に、ついに光が漏れる通路が目に入った。

 

 

「奥にプレイヤーが一人いるな。グリーンだ」

 

 

「シンカー!」

 

 

サチが言った直後、キリトが頷くとユリエールが堪らず駆けだした。ケイ達もユリエールを追って駆けだす。右に婉曲した通路を走っていくと、大きな十字路とその奥に小さな小部屋が見えてきた。あの光は、奥の小部屋から漏れたもので間違いない様だ。

 

その小部屋の入り口に一人、男が立っている。顔は良く見えないが、こちらに向かって両手を振っているのがわかる。

 

 

「ユリエ──────────ル!!」

 

 

こちらの姿を確認すると、男は大声で彼女の名を呼ぶ。呼ばれたユリエールも、左手を振りながらさらに走る速度を速める。

 

 

「シンカ─────────!!」

 

 

涙混じりの叫び、これだけを聞くだけでどれだけユリエールがシンカーの身を案じていたか、窺い知れる。だが、男は、シンカーはユリエールの叫びにかぶさるように再び叫んだ。

 

 

「ユリエール、来ちゃダメだ!その通路は…っ!!」

 

 

シンカーの言葉を聞いたケイ達はぎょっ、と足を止めた。だが、ユリエールはもうすぐシンカーを救えると夢中になっているらしく、聞こえていない様子。

 

ケイがシンカーの言葉を気にして、ユリエールに呼びかけようとしたその時だった。十字路の右側に赤いカーソルが出現した。それを見た瞬間、弾かれるように、ケイは敏捷度をフルに使って前を走るユリエールへと踏み込んだ。

 

一瞬にしてユリエールの背後へと迫ると、ケイは左手で彼女の体を抱えて制動し、そのままユリエールをアスナ達の方へ放り投げると、すぐさま後退。アスナ達から見て左手の通路に飛び込んでいった。

 

そしてケイは刀を抜刀。<抜刀術>を利用した刀ソードスキル<雷鳴>を放ち、凄まじい勢いでこちらに迫る巨大なモンスターが振り下ろす鎌を弾いて、辛うじて一時難を逃れる。

 

 

「ケイ君!」

 

 

モンスターを挟んで奥から、アスナが呼ぶ声が聞こえてくる。恐らく剣を抜いて、自分を助けるためにこちらに駆けこんでくるだろう。だが────

 

 

「ダメだアスナ、来るな!キリト達と一緒に、ユリエールさんとユイを連れて脱出しろ!」

 

 

「え…!?」

 

 

二メートル半はあろう巨大なモンスターのカーソル付近で見える名称、<The Fatal-scythe>。固有名を飾る定冠詞は、ボスモンスターである証だ。

 

 

「俺が時間を稼ぐから、お前らは早く────」

 

 

「バカな!ケイ、お前だってわかってるはずだ!データが見えないって事は、こいつは九十層クラスの強さを持ってる!」

 

 

「っ…!?」

 

 

キリトの言葉に、ケイは返事をする事は出来なかった。

 

ぼろぼろの黒いローブを纏い、フードから覗く瞳がぎょろりと回ってからケイを見下ろす。瞬間、悪寒がケイの全身を奔る。

 

途端、死神はケイに向かって動き出した。ケイと同等か、はたまたそれ以上のスピードで迫る死神は、裾から漏れる瘴気を纏わせた刃をケイに向かって振り下ろす。ケイはその場で横にステップする事で斬撃からは回避。

 

だが、刃が床に突き刺さり、それによって撒き散らされる石の破片がケイの体を掠り、HPを僅かに減らす。

 

 

(こんな小さな破片で…っ)

 

 

掌にちょこんと、それこそ小指の幅よりも小さな石がプレイヤーのHPを減らしたことにケイは戦慄する。どれだけの勢いで撒き散られたのか。そして、その勢いを生み出した斬撃の威力がケイを震え上がらせる。

 

 

「ユリエールさん!キリト君とサチも、ユイちゃんを連れて下がって!」

 

 

「あ、アスナ!?」

 

 

死神が鎌を担ぎ、再びケイに向かって迫ろうとした時、置くからそんなアスナの声が聞こえてきた。直後には、驚愕するサチの声も聞こえてくる。

 

 

「なっ…」

 

 

その瞬間だった。本来、一人に狙いをつけた場合、他のプレイヤーに攻撃や大ダメージを受けない限りはその対象をモンスターのAIは変える事はない。だが、死神は、まるでアスナの声に反応したかのように振り返り、血走った瞳でアスナを見下ろした。

 

 

「アスナぁああああああ!!!」

 

 

叫びながら駆けだしたと同時に、眼前の死神もアスナに迫る。直前まで、キリト達とやり取りをしていたせいか、アスナは僅かに反応が遅れてしまった。回避は出来ないため、防御態勢をとるしかなくなる。

 

細剣を縦に構えるアスナに向かって、死神は担いだ鎌を横薙ぎに振るう。

 

その時、ここでケイはアスナの前に躍り出た。そして再びソードスキル<雷鳴>を使い、少しでも鎌の威力が落ちるように全力を以てぶつけに行く。

 

刀と、死神の鎌がぶつかった瞬間、浮遊感を覚える。そこから、一秒間の間にケイの全身に何度も衝撃が奔る。自分が何度も壁にぶつかりながら床を転がってるんだと悟った時に、ようやく回転が止まる。

 

何度も強い衝撃を受けたせいか、意識がはっきりしない。それでも、アスナが無事かどうかを何とか確認しなければ、と目を開ける。

 

アスナはケイの目の前で倒れていた。顔を上げ、HPを確認するとアスナのHPは辛うじて半分、まだ安全域の分は残っていた。だが、ケイのHPは半分を超えて注意域に迫っている。

 

上位ソードスキルで威力を落とした上でのこのダメージだ。状況は絶望的としか言いようがない。

 

 

「アスナ…っ」

 

 

「ぁ…っ。ケイく…っ」

 

 

アスナと無事を確かめ合うが、視界の向こうで再び死神が鎌を担いでいるのが見えた。またあの薙ぎ払いが来る。そうわかっているのに、立ち上がることができない。

 

 

「くそっ!」

 

 

「ケイ!アスナ!」

 

 

キリトとサチが叫ぶのが聞こえる。そして、先程のアスナの時と同じように、死神はその声に反応し、振り返る。

 

キリトとサチは死神に向かって飛び込んでいくが、死神の圧倒的な力に薙ぎ払われてしまう。二人は死神のHPを減らせたのだろうか、気にはなったがそのデータすら見る事はできない。

 

 

(そうだ…。ユイは安全圏に逃げれたか…?ユリエールさんも…)

 

 

これまた何故か、先程攻撃してきたキリトとサチではなく、死神はこちらを向いて寄ってくる。血走った瞳がケイとアスナを見下ろす。

 

 

「ケイっ…!アスナ…っ!」

 

 

「う…、あっ…!」

 

 

再びキリトの叫び声、だが今度は死神は反応しない。まるで、二人はもう動けないとわかっているかのように。

 

 

(くそ…!せめて…)

 

 

アスナだけでも。

そう、心の中で決意して、力を込めて立ち上がろうとした時だった。

 

この緊迫した状況に不釣り合いな、とことことあどけない足音。はっ、と顔を上げて見れば、桃色のセーターにスカート、そして赤い靴。安全圏に逃げたはずのユイが、こちらに歩いて来ていた。

 

 

「何してんだユイ!早く逃げろ!」

 

 

ユイの小さな足音にすら反応し、振り返る死神に絶望を感じながら、ケイは叫ぶ。

あの範囲攻撃に巻き込まれれば、間違いなくユイのHPは消し飛んでしまう。

 

だが、信じられない事が起きた。

 

 

「大丈夫だよ。パパ、ママ」

 

 

その言葉と同時に、ふわりとユイの体が宙へ浮かぶ。そのまま上昇し、死神と頭を並べる地点で停止した。ジャンプしたのではなく、まるで空を飛んだかのように。

 

そしてユイは右手を宙へ掲げて、掌を死神へと向ける。

 

 

「ダメ!ユイちゃん、逃げて!!」

 

 

アスナもユイに向かって叫ぶ。しかし、それをかき消すように死神の鎌は振るわれ、刃がユイへと迫る。

 

すると、ユイは掌を移動させて、迫る鎌の方へ向けた。そして────刃は鮮やかな紫色の障壁に阻まれた。

 

 

「っ!?」

 

 

ケイは大きく目を見開いて、その障壁にかかれている文字を凝視する。

 

<Immortal Object>

不死存在、と、確かにそこにはそう書かれていた。

 

死神の目がぐるぐると動く。まるで、今起きた現象に戸惑いを覚えたかのように。

だがそれだけでなく、続いてさらに驚愕する現象が起こる。

 

ごうっ!!と轟音が響き渡ると、ユイの右手で炎が燃え上がる。燃え上がった炎は渦を巻き上げると、細長い剣の形に収まっていく。剣はさらに伸びていき、ユイの背丈を超える巨大な大剣へと姿を変える。

 

大剣の刃からは炎が漏れ、ユイの冬服を燃やし落とす。だが、元から着ていた白いワンピースが下から現れ、さらに黒く長い髪もそのままの状態を保っている。

 

大剣を手に、ユイが空中を駆けて死神へと突っ込んでいく。

激しく巻く炎を纏った刃を死神に向かって振り下ろす。それに対し、死神は鎌を横に倒して防御の体勢をとると、直後にユイの刃と鎌の柄がぶつかり合う。

 

一瞬の硬直。だが、すぐに均衡は崩れ、ユイの刃が鎌の柄に食い込んでいき、遂に鎌を真っ二つに切り裂く。斬撃の勢いはそこで止まる事はなかった。炎の剣は死神の顔面へ叩き付けられ、そのまま死神の体に斬り入っていく。

 

 

「GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」

 

 

これまで決して声を上げる事がなかった死神が、苦悶に満ちた叫びをあげる。刃が斬り込まれた死神の脳天からさらに振り下ろされ、鎌と同じように死神の体も真っ二つに切り裂かれた。直後、二つに分かれた死神は炎で包まれ、次の瞬間にはそれらは燃え尽きる。

 

 

「っ…」

 

 

だが、これらの光景のほとんどはケイ達は見る事ができなかった。炎の眩しさに目を開けられず、ユイが剣を振り下ろす所までしか見られなかったのだ。

 

それでも、次に目を開けた時にはボスの姿がなかった事。そして、ユイの剣がまだその手にあった事。先程まで死神がいた場所で、ちりちりと炎が燃えていた事から、ユイが死神を倒したのだという事はハッキリとわかる。

 

 

「ユイちゃん…」

 

 

「ユイ…」

 

 

何とか辛うじて、立ち上がれる程度に力が戻ったケイとアスナが、それぞれの武器を床に立ててよろよろと立ち上がる。

 

床へ降り立ったユイは、俯いたまま。手の中の剣は、再び炎を巻き上がらせるとボロボロと崩れていった。

 

その後、ゆっくりと振り返ったユイの瞳には涙に濡れ、その目でケイとアスナを見上げたまま口を開いた。

 

 

「パパ…、ママ…」

 

 

ユイは悲しそうに笑みを浮かべる。

 

 

「全部、思い出したよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第51話 再会の約束

お気に入り件数が500を超えました。
読者の皆様、こんな作品を読んで下さり、ありがとうございます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒鉄宮地下のダンジョン最奥部、安全圏は完全な正方形になっていた。入り口は一つのみで、エリアの中心には明かりを反射するほど綺麗な黒い立方体の石机が設置されていた。

 

ケイとアスナはその机に座るユイを無言のまま見つめていた。キリトとサチ、ユリエールとシンカーには一まず脱出してもらった。ユイが、この三人だけで話がしたいと願い、それを全員が受け入れて。

 

全部思い出した。

そう言ってからここまで数分、ずっとユイは黙ったままだった。それでも、ケイとアスナは追及する事はせず、ユイが自分から口を開くのを待ち続けた。

 

 

「ユイちゃん…。思い出したの…?今までのこと…」

 

 

だが、この空気に耐え切れなかったのか。いや、違う。ユイが浮かべる表情が悲し気で、不安に駆られたのだろう。アスナが意を決したように、ユイに声をかけた。

 

それでもユイは少しの間、沈黙を保ち続けていた。が、一度息を吐くと、ついにこくりと頷いた。

 

 

「はい。全部説明します。…ケイさん、アスナさん」

 

 

顔を上げたユイの口からは、先程までのようなパパとママではなく、他人行儀に二人を呼ぶ言葉だった。それを聞いて、明らかにアスナの表情が悲しげに歪んだのが見えた。

 

そんなアスナの表情にユイだって気付いていただろう。だがそれには触れずに、ユイは説明を始めた。

 

 

「ソードアート・オンラインというこの世界は、一つのシステム…<カーディナル>というシステムによって制御されています。カーディナルはこの世界のバランスを、自らの判断に基づいて制御しているのです。もともと、カーディナルシステムは人間のメンテナンスを必要としない存在として設計されました。二つのコアプログラムが相互にエラー訂正を行い、さらに無数の下位プログラム群によって世界の全てを調整する。モンスターやNPCのAIに、アイテムや通貨のバランス。その全てがカーディナルの指揮下のプログラム群によって操作されていました。…しかし、一つだけ、人間の手に委ねなければならないものがありました。プレイヤーの精神的なトラブル、それだけは人間でなければ解決できない…。そのために、数十人規模のスタッフが用意されるはずでした」

 

 

「GM…」

 

 

ここまで詳しくこの世界について知っている人物は、GM。それしか考えられない。アスナがぽつりと呟いた。

 

 

「ユイちゃん…。あなたは、ゲームマスターなの…?アーガスのスタッフ…?」

 

 

「違う」

 

 

ユイに向けられたアスナの問い。だが、それに反応を示したのはユイではなく…。

 

 

「ケイさん…?」

 

 

「アスナ、覚えてるか?ユイのステータスを見た時のことを」

 

 

ここまで話を聞いて、ケイの中では絶対な確信があった。思い出すのは、ユイのステータスを覗いた時の事。通常のプレイヤーなら、ネームが書かれていた欄。ユイもまた、そこに名前が書かれていたが…、ユイという二文字以外にもそこには他に文字が並んでいた。

 

 

「<MHCP>…。メンタルヘルスカウンセリングプログラムの略…だよな、ユイ」

 

 

「メンタルヘルス…」

 

 

何がなんだかわからない様子で呟くアスナと、何故、と問いた気に信じられない面持ちのユイがケイの顔を見つめる。

 

 

「実はさ…、俺もちょっと、カウンセリングというか…そういうのにお世話になった事があってさ。ただの勘だったけど、当たってたみたいだな」

 

 

まだ、周りから向けられる期待の大きさに押し潰されそうだった頃。両親にソレを打ち明け、少しは救われたがまだ精神がやや不安定だったケイ。それを心配した両親が、ケイに軽いカウンセリングを受けさせたのだ。

 

 

「プログラム…。AIだっていうの…?」

 

 

「プレイヤーに違和感を感じさせない様に、私には感情模倣機能が与えられています。…この涙も、ずっと浮かべていた笑顔も、何もかも…、偽物なんです…。ごめんなさい、アスナさん…」

 

 

両目からぽろぽろ零れるユイの涙は、すぐに光の粒子となって蒸発していく。アスナが一歩ユイに歩み寄り、手を差し伸べるがユイは首を振って拒否をする。

 

 

「けど、何故記憶を失ってたんだ?AIにそんな事が起こるのか…」

 

 

心の底から浮かべる笑顔を見せ、悲しければ涙を流す。そんなユイが、ケイにはAIと信じる事は出来なかった。たとえ、予想してたとしても。信じる事は出来なかった。

 

ケイは絞り出すように、ユイに問いかけた。

 

 

「二年前…。正式サービスが始まった日、何が起きたのかは私にもわからなかったのですが、カーディナルが予定にない命令を私に下したのです。全プレイヤーへの接触の一切禁止…。具体的な干渉を禁じられた中で、私はプレイヤーのモニタリングを続けました」

 

 

ユイの言葉はさらに続く。少しずつ、拭いきれない悲しみと苦しさが籠ったその声に、ケイとアスナの表情も少しずつ歪んでいく。

 

SAO、デスゲームが始まったあの日がどんな状況だったか、ケイもアスナも知っていた。ほとんどすべてのプレイヤーは恐怖、絶望、怒りに支配され、一部の者は茅場晶彦の言葉を信じる事ができず、自らHPをゼロにした。ユイはそれら全てを、ずっとモニタリングし続けていたのだ。ゲーム開始から少し経てば、ある程度プレイヤー達に落ち着きが訪れ少しはましになったとは思うが。それでも毎日死者は出て、それを目の当たりにした者は恐怖で精神を壊す。

 

ずっとずっと、ユイは二年もの間、見続けてきたのだ。プレイヤーが狂気に包まれる様子を。

 

 

「でも、ある日の事でした。いつものようにモニターしていると、他のプレイヤーとは大きく異なるメンタルパラメータを持つプレイヤーに気付きました。そして後日には、またもう一人、同じように他とはメンタルパラメータが違うプレイヤーを見つけて…。二人は度々一緒に行動していて…、今まで採取したことのない脳波パターンを見たのです。喜び…安らぎ…、でも、それだけじゃない。この感情は何だろう…、そう思って私は二人のモニターを続けました。会話や行動に触れる度、不思議な欲求が生まれました。…あの二人の傍に行きたい。直接、私と話をしてほしい。少しでも傍にいたくて…、私は、一方のプレイヤーが暮らすプレイヤーホームから一番近いコンソールで実体化し、彷徨いました…」

 

 

「それは、あの二十二層だった」

 

 

ケイが言うと、ユイは頷いた。

 

 

「ケイさん、アスナさん…。私、ずっと、お二人にお会いしたかった…。森の中でケイさんの姿を見た時、すごく嬉しかった…。アスナさんと出会った時も…、すごく嬉しくて、でも…それと一緒に怖くもあって…。おかしいですよね、こんなの…。私、ただのプログラムなのに…」

 

 

涙を溢れさせて、ユイは言葉を紡ぐ。プログラムなのに、感情を抱くなんておかしいと。

今、流している涙もただの偽物なのに…それはおかしいのにと。

 

 

「ユイちゃん…。あなたは本当のAI…、本当の知性を持ってるんだね…」

 

 

「…解りません。私が、どうなってしまったのか…」

 

 

声を震わせながら、アスナが囁くように言うと、ユイはそう答えた。首を傾げるユイを見て、ケイは小さく息を吐いてからユイに歩み寄る。

 

 

「もう、ユイはシステムに操られるだけのプログラムじゃないだろ。…自分の本当の望みを、口にできるはずだ」

 

 

「…私は」

 

 

ケイが言うと、ユイは俯いてしまう。

 

 

「ユイちゃん…」

 

 

「…私は!私は…、ずっと一緒にいたいです!パパ!ママ!」

 

 

アスナが呼ぶと、ユイは何かを振り切るように頭を振ってから、腕をケイとアスナに向けて伸ばした。

 

 

「ずっと一緒だよ、ユイちゃん」

 

 

「あぁ、ずっとだ。ずっと…、俺とアスナ。ユイの兄さんと姉さんも一緒に」

 

 

溢れる涙に構わず、アスナはユイを抱き締めた。ケイもアスナとユイの傍らまで歩み寄って、アスナの背中を撫でながらユイの頭に手を乗せる。

 

この時、ケイもアスナも信じていた。ユイといつまでも一緒にいられると。たとえこのゲームがクリアされても、それまでに何としてもユイを現実に連れて行く方法を見つけ出して。絶対に────

 

 

「もう…遅いんです…」

 

 

だが、そんなケイとアスナの想いと裏腹に、ユイには解っていた。それは叶わぬ願いなのだという事を。

 

 

「なんで…」

 

 

「私が記憶を取り戻したのは、あの石に接触したせいなんです。あの石はただの装飾オブジェクトではなく、GMがシステムに緊急アクセスするために設置されたコンソール…」

 

 

まるでユイの言葉に反応したかのように、突然、黒い石が光を発する。その光から数本の筋が伸び、直後に光の筋が形どった長方形の表面に青白いキーボードが浮かび上がった。

 

 

「さっきのボスモンスターは、この場所にプレイヤーを近づけさせない様に配置されたものだと思います。私はこのコンソールからシステムにアクセスし、<オブジェクトイレイサー>を呼び出してモンスターを消去しました」

 

 

「っ…!そうか、くそっ!」

 

 

ユイがさらに続けるその前に、ケイは全てを悟り、動き出していた。ケイが駆けだすと、コンソールの前で立ち止まり、浮かび上がった青白いコンソールをものすごい勢いで叩き始めた。

 

 

「け、ケイ君…、何を…」

 

 

「ユイの記憶が戻ったって事は、カーディナルのエラー訂正プログラムが働いたって事だ!それに、さっきの焔の剣は権限を使って呼び出した!」

 

 

キーボードを叩き、画面から目を離さぬままケイは自身の中で出た結論を説明する。

 

 

「これだけやっちまったんだ!カーディナルに異物として注目されるのは自然だろ!!」

 

 

「っ!そ、そんな…!」

 

 

ケイへと向けていた視線を、ユイへと戻すアスナ。ユイは黙ったまま、アスナの視線を受け止めて微笑む。

 

 

「ありがとう。これで、お別れです」

 

 

「嫌!そんなのいやよ!」

 

 

お別れを言うユイに、アスナは必死に叫ぶ。

 

 

「これからじゃない!これから、皆で楽しく…、ケイ君と、サチとキリト君と…!他にもたくさん、ユイちゃんを紹介したい人はいっぱいいるの!皆…、とても良い人ばかりで…、それなのに…」

 

 

「…」

 

 

ゆっくりと頭を振るユイ。それを見て、アスナの瞳が揺れる。だがその直後、未だキーボードを叩き続けるケイが口を開いた。

 

 

「アスナの言う通りだ。まだユイに見てほしいものはたくさんある。ユイと話したい事もたくさんある。だから…、勝手に諦めてんじゃねぇ!」

 

 

次第にケイの声が荒くなり、込められる思いも強くなる。

 

 

(もう少し…、もう少しだ…!)

 

 

恐らくもう、いや、間違いなくカーディナルはユイを異物として認定しているだろう。消されるまでそう時間は残されていないはずだ。ケイは叩くスピードをさらに速める。

 

ユイがGM権限でアクセスしたばかりという事で、カーディナルのセキュリティは容易に突破する事は出来た。そこからは、時間の勝負────

 

 

「…よし」

 

 

画面に映るプログレスバーが右端まで到達した時、ケイは手を止めて安堵の息を吐いた。

後は、実行のボタンを押せば…それで。

 

 

「あ、あれ…?」

 

 

「気付いたか、ユイ。何とかお前のプログラム本体をシステムから切り離せた」

 

 

ユイが両掌を、丸くなった目でまじまじと眺める。それを見ながら、額に浮かんだ汗を拭ってユイに言葉をかける。そして、その言葉の意味を察したアスナがケイへ視線を向ける。

 

 

「それじゃあ、ユイちゃんは…!」

 

 

「いや、まだ安全とはいえない。確かにシステムからユイを切り離したが、それでもカーディナルが異物としてユイを認定しているのは変わらない」

 

 

カーディナルが、ユイを世界の異物と見ている以上、SAOのどこにもユイにとって安全な場所はない。これでカーディナルがユイを消去せずとも問題ないと見方を変えてくれればいいが、それはないだろう。

 

 

「そんな…、どうすれば…!?」

 

 

「だから、これから仕上げに入るんだよ」

 

 

ケイは、どうしてと言いたげな表情を浮かべるアスナに言いながら、微笑んでユイに手招きをする。ユイは疑問符を浮かべ、首を傾げながらもケイに歩み寄っていく。

 

 

「さっきも言ったが、ユイをカーディナルから切り離した。でも、それでもまだユイは安全とは言えない。こうしてる間にも、カーディナルがユイを消す準備をしてる可能性だってある。だから…、これからユイのコアプログラムをオブジェクト化させる。ゲームがクリアされたら、俺のナーヴギアのローカルメモリに保存されるようになってる」

 

 

「は、はい…」

 

 

解っているのか解っていないのか、読み取れない微妙な表情を浮かべながらユイは頷いた。

 

 

「…ユイ。正直、このゲームがクリアされても、また会えるまでかなり時間がかかると思う。けど、絶対に…また、会うからな。皆と会わせてみせる。約束だ」

 

 

言いながらケイは小指を立てて、右手をユイに差し出す。それを見て、一瞬キョトンとした顔を浮かべたが、すぐにユイも右手を出して、小指をケイのそれと絡ませる。

 

 

「待ってます。ずっと…、ずっと待ってます。だからまた、ママと、にぃにとねぇねと…、パパと会わせて下さい」

 

 

先程までの悲しみから出る涙ではない。心の底から嬉しいと思い、出る涙がユイの瞳に浮かんでいた。

 

 

「ケイ君、私も協力するから。だから…絶対…に…っ」

 

 

「あぁ」

 

 

また会える。それは分かっているのに、それでもアスナは、溢れ出る涙を止めることができなかった。

 

アスナがユイへと歩み寄り、小さな体を抱き締める。

 

 

「…オブジェクト化させるぞ」

 

 

アスナとアスナの胸の中にいるユイが同時に頷く。それを見てから、ケイは実行ボタンを押す。

 

 

「ユイちゃん…、またね?」

 

 

「また会おうな、ユイ」

 

 

輝きを発し始めるユイの体。それと同時に、着ている服ごとユイが透け始める。

アスナはユイを抱きしめたまま、ケイは少し離れた所で、また、と口にする。

 

輝きがさらに強くなる。ユイの体もさらに透けていき、ついにユイの奥にある壁がはっきりと見えてくる。

 

 

「はい!パパ、ママ!また…、また!」

 

 

その言葉を言い終えると────

 

アスナの腕の中にはユイの姿はなく、ユイを包んでいた光の粒子が少しだけ散っていた。

 

 

 

 

 

 

 

しばらくの間、その場から動くことができなかった。ユイが消えた場所で、ユイが立っていた場所で、アスナは何かを胸に抱くように両手を組んでいた。それをケイは何も言わずにじっと見つめる。

 

 

「…行こう、アスナ。俺達はもう、ここにいちゃいけない」

 

 

ずっと黙ったままだったケイだが、不意にそう口にした。

 

そう、自分達はもうここにいてはいけない。ここで立ち止まっていてはならない。この世界から出るためにも。また、ユイと出会うためにも。

 

 

「…うん、わかってる。ユイちゃんをあまり長く待たせたくないからね」

 

 

アスナは、立ち上がりながら言う。

 

 

「でも…、ケイ君。一つ、お願いしていい?」

 

 

「どうした?」

 

 

立ち上がったアスナを見て、懐から転移結晶を取り出したケイ。アスナが話しかけると、ケイは転移結晶を掲げようとする手を止めて、視線を向ける。

 

 

「…一日だけ。今日一日だけ、ケイ君の家に泊まっていい…かな」

 

 

「っ!!?」

 

 

アスナのお願いを聞いて、ケイは大きく目を見開いた。だがすぐに自身の勘違いを正して表情を引き締める。

 

あの家は、ほんの少しの間ではあるが、ユイの親として過ごした場所だ。

…今日だけは思い出に浸りたいという気持ちは、解らないでもない。

 

 

「…わかった」

 

 

ケイもまた、決してユイが消えたわけではないとはいえ、胸の中でぽっかりと穴が空いたような、そんな空虚感を誤魔化せる気はしなかった。

 

 

「「転移、コラル」」

 

 

転移結晶を掲げ、同時に帰る場所を唱える。ケイとアスナの体は光に包まれ…、光が収まった時、二人の姿はその場から消える。

 

 

 

 

 

 

 

二人が呼び出されたのは、六日後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第52話 死闘の予告

試験が終わり、時間が余る余る。
…といっても、実家に帰ればまた投稿は止まるんですけどねー。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「偵察隊が、全滅…!?」

 

 

以前にデュエルを申し込まれた時と同じように、ヒースクリフは両脇に幹部プレイヤーを座らせ、自身は真ん中に座る形でケイとアスナを見据えて話していた。その話の内容に、ケイの隣に立っていたアスナが驚愕に目を見開きながら言葉を漏らす。

 

ケイの元にヒースクリフから、血盟騎士団本部に来てほしいとメッセージが着たのは、今日の朝の事。メッセージの中を見てすぐ、無視しちゃおうかという気持ちが沸いてきたのだが、最後の一文に被害者が出た、と書かれては行かざるを得ない。

 

ギルド本部の門の前でアスナと鉢合い、一緒にこの部屋まで来たのだが…。ケイもいきなりヒースクリフから告げられた現在の状況に、眉を顰める。

 

 

「昨日の事だ。七十五層の迷宮区のマッピングは犠牲者無しで終える事は出来た。だが、ボス戦はかなりの苦戦が予想された…」

 

 

七十五層、クオーターポイントと呼ばれる層という事で、ヒースクリフだけでなく、ケイもアスナも…いや、恐らくは攻略組全体が同じ予想はしていただろう。同じクオーターポイントだった、二十五層と五十層も。特に五十層の隊列の瓦解は凄まじかった。二十五層でも死者が出て一部のプレイヤー達がパニック状態になったのを覚えている。

 

それも、攻略を休みがちだったここ二週間の間、迷宮区のマッピングに苦労しているという話は時折耳に入っていた。それでも、未だ死者は出ていない事と、ヒースクリフも迷宮区に潜って攻略しているという話を聞いて、ケイ自ら前線へ行くというのはしなかったのだが、

 

 

「そこで、我々は五ギルド合同のパーティーを二十人を偵察隊として送り込んだ」

 

 

当然の措置だ。クオーターポイントで、かなり強力なボスが用意されている可能性が濃厚なのだから、偵察も手練れを送り込むのが取るべき策だろう。

 

ヒースクリフは、さらに続ける。

 

 

「偵察は慎重を期して行われた。十人をボス部屋へと入れ、残った十人を入り口で待機させるという措置をとったのだが…。最初の十人がボス部屋の中央に到達し、ボスが現れた瞬間に入り口の扉が閉じてしまったのだ。ここからは後衛の十人の報告だが、扉は五分以上開かなかった。鍵開けスキルや打撃など、何をしても開かなかったらしい。ようやく扉が開いた時────」

 

 

一瞬目を閉じた後に、ヒースクリフは再び続けた。

 

 

「部屋の中には何もなかったそうだ。十人の姿も、ボスの姿も。転移脱出した形跡もなく、彼らは帰って来なかった…。念のため、黒鉄宮のモニュメントを確認しに行かせたが…」

 

 

そこから先は言葉には出さず、ヒースクリフは首を横に振るだけだった。

 

 

「十人、も…。どうして、そんな…」

 

 

アスナが絞り出すような声で呟いた。俯いて僅かに震える彼女を、一瞬心配げに見遣ってから、ケイはヒースクリフへ視線を戻す。

 

 

「結晶無効化空間、だろうな。十人全員が帰って来れないなんて、それしか考えられない」

 

 

「だろうな。アスナ君の報告では、七十四層でもそうだったという事だから、恐らくこれからの全てのボス部屋が、結晶無効化空間と考えるべきだろう」

 

 

「ちっ…、本当のデスゲームはこれからって事か?」

 

 

「…?」

 

 

この時、アスナはケイの声質に小さな違和感を感じて顔を上げた。そこには、ヒースクリフに視線を向けたまま、言葉を交わし続けるケイがいる。

 

 

「かといって、攻略を諦める訳にもいかない。今回のボスは、結晶での撤退が不可能な上に、ボス出現と同時に退路が断たれてしまう様だ。ならば、統制のとれる範囲で可能な限りの大部隊を以て臨むしかない。君達にも、協力をお願いするよ」

 

 

ヒースクリフの話を聞く限り、間違いなく過去最悪のボス戦になると思われる。だが、それでも逃げる訳には行かない。

 

この世界から出る為だけではない。小さな、自分達の娘との約束を、守るためにも。立ち止まってはいけない。ケイとアスナは決意を秘めた眸を向けて、同時に頷いた。

 

それを見たヒースクリフが、僅かに驚いたように、小さく目を見開いた後かすかな笑みを浮かべる。

 

 

「攻略開始は三時間後、予定人数は君達を入れて三十二人。七十五層、コリニア市ゲートに午後一時集合だ。…二人の勇戦を期待するよ」

 

 

そう言い残すと、ヒースクリフは周りに座っていた配下を伴って部屋を出ていった。

 

ケイとアスナ以外、誰もいなくなった部屋の中。アスナはケイの隣から離れ、長机に腰を掛けてからケイに顔を向けた。

 

 

「三時間だって。どうしよっか」

 

 

「さて、どうしようかね。ま、集合までに昼飯は食べとかないとな」

 

 

「あ、なら今日は私のホームに来てよ!いつもケイ君のホームにお邪魔してばっかりだから」

 

 

机に腰を掛けたアスナだったが、すぐに床に足を下ろして、ケイに駆け寄る。

 

 

「アスナのホームか。…そういや、まだ一度も行ったことなかったっけ」

 

 

「うん!だから、ね?」

 

 

普通、異性が自身の部屋に招待するのは相応の勇気が必要であり、そしてまた相応の意味があるのだが…、この二人には当てはまらないらしい。相手を招待するのも、相手の部屋に入るのも、全く抵抗がない様子。

 

二週間前までの二人ならば違っただろう。だが、この二週間をほとんど二人で過ごし、そして先日にはお泊りまで済ませた。そんなケイとアスナだからこそ、そういう関係でもないのに展開される会話である。

 

…もしここにクラインがいたら、発狂していたかもしれない。

 

 

「…クオーターポイント、か」

 

 

ケイとアスナも部屋を出て、階段を下へ降りていた時。不意にぽつりとケイが呟いた。

 

 

「…五十層の時みたいに、自分で抱え込もうとしないでね」

 

 

「いや、今回はそれしたくてもできないからな?ボス部屋入ったら閉じ込められるみたいだし」

 

 

「あ、そっか」

 

 

もうすぐボス戦、それも相当の強敵と予想されるクオーターポイントのボスとの戦い前とは思えない、ほのぼのとした空気で会話をするケイとアスナ。

 

だが────

 

 

「…怖いか?」

 

 

「…うん。怖くないって言ったら嘘になるかな」

 

 

笑顔を浮かべながら発せられるアスナの声が、僅かに震えている事をケイは見逃さなかった。

 

怖いに決まってる。クオーターポイントだからだけじゃない。ボス戦に臨む度に、普段の攻略とは比べ物にならないほどの危険が付いて回るのだ。その上でクオーターポイントという大きな危険も付いてくる。

 

 

「でも…、今日参加する人は、皆怖がってると思う。逃げ出したいって感じてると思う。それでも…、何十人も集まったのは、団長にケイ君…、間違いなくこの世界で最強の二人が先頭に立ってくれるから…なんじゃないかな」

 

 

「…ずいぶん買い被られたもんだ」

 

 

「買い被りじゃないよ。私もそう。とても怖くて、逃げ出したくて…、それでも、ケイ君がいるから私は戦える。初めて会って、パーティーを組んで戦って…。あの時から私は、ケイ君と並んで戦うんだって思ってたんだよ?」

 

 

「…キリトを忘れてますなぁ」

 

 

アスナを直視できず、視線を逸らしてから一言、そう呟くケイ。

 

へたれ?好きなだけ言え。お前らも今ここで俺の立場になってみろ。すっげぇ恥ずかしいから。少しでも対象を自分から逸らしたいって思うから。

 

誰に向けてかも知らず、それでも内心で言い訳をするケイに、アスナは面白そうに微笑みながらさらに続けた。

 

 

「そうだね、キリト君も忘れちゃダメだよね?でも…、最初に私を見つけてくれたのは、ケイ君だから…」

 

 

「っ…」

 

 

待って、本当に待って。恥ずかしいから。恥ずかしすぎて顔から火が噴き出しそうって表現の意味、今物凄くわかるから。それくらいマジだからあかんて。

 

内心でひたすら混乱するケイ。仮想世界では、顔にそのまま感情が出るせいで、頬の熱を抑えることができない。…いや、現実世界でも、無理だったかもしれない。

 

 

「ケイ君…、私ね…?」

 

 

階段の途中、段差の上で立ち止まったアスナがケイを見上げる。アスナもまた、ケイと同じように頬が赤く染まっていた。いや、今はそんな事はどうでもいい。あ、いや、どうでもよくはないけど、それよりもだ!

 

 

(アスナ、それ以上は駄目だって!)

 

 

ここで、『ん?なに?』と惚けられるような鈍感野郎ではない。アスナが言おうとしている事は、大体わかる。というより、この流れで分からない奴はどうかしてるだろというレベル。

 

 

「私…」

 

 

それ以上はいけない。アスナにだって解ってるはずだ。もう少し後にはボス戦が控えている。そんな中で、それを言ってはいけない事など、解ってるはずなのだ。

 

それでも止まらない、いや、止められない。アスナの潤んだ瞳が、ケイの両目を射抜く。

 

 

「私は…っ」

 

 

「っ…、っ…!アスナっ!」

 

 

ケイが声を絞り出すと、アスナはハッ、と体を震わせながら我に返る。そして、自分が何を言おうとしたのか自覚したのだろう、それはもう先程よりもさらに、顔全体を真っ赤にさせながらしゃがみ込んだ。

 

 

「あ、あー…、その…。飯行くか。前に行った、五十七層のレストランにでも…な?」

 

 

両手で顔を覆い、ぷるぷる震えるアスナを見下ろしながら、頭を掻いてケイはそう言った。

さすがに、この空気の中でアスナのホームに行く気にはなれなかった。

 

 

「…」

 

 

ケイが言ってから数秒後、アスナはこくりと小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

微妙な空気の中で食事を済ませ、食事が終わった後も五十七層の広場で時間を潰したケイとアスナは、集合時間十分前に七十五層、コリニアの転移門前広場にやって来た。広場には、すでにボス討伐隊と思われるプレイヤー達が多数集まっており、転移してきたケイとアスナに、緊張を含んだ視線を向けてきた。

 

転移門から広場へと階段を降りながら、アスナはこちらに向かってギルド式の礼をするプレイヤーへ礼を返す。その光景をケイは眺めていただけだったのだが、不意にアスナが軽く肘でケイの脇腹をつついてきた。

 

 

「ほら、ケイ君も挨拶しなよー」

 

 

「は?あ、あぁ…」

 

 

突然、あの血盟騎士団本部での件から微妙に気まずかったアスナから声をかけられ驚きながらも、軽く片手を上げて挨拶を返すケイ。ギルドには入っていないし、少々気軽な気がするがこの程度でいいだろう。

 

 

(しっかし…)

 

 

周りを見回す。ほとんど全てのプレイヤーが、ケイへ視線を向けている。隣にいるアスナを見ているようにも見えるが、正確に視線を向けているのはケイ一人だ。

 

それも、まるで縋るような、そんな視線を。

 

先程、アスナが言っていた言葉を思い出す。あの時はあまりに恥ずかしかったこともあり、受け入れるのが難しかったが…、こんな視線を受けてしまえば、逃げる事は出来ない。

 

 

(いつものように、自由に好き勝手戦うのは出来ねぇかもな…)

 

 

息を吐くケイ。すると不意に、バン、とやや力強く、後ろから誰かに肩を叩かれた。

 

 

「よう!なんだなんだぁ?戦う前から難しい顔してよぉ」

 

 

「クライン…、エギルも、今日は参加するのか」

 

 

振り返ると、相変わらず悪趣味なバンダナを着けたクラインと、珍しく武装をしたエギルが立っていた。

 

 

「あぁ。今回は偉い苦戦しそうだって聞いたからな。商売投げ出して来てやったぞ!」

 

 

「はっ、なーにが商売投げ出してだ。どうせボス戦の戦利品目当てだろ?」

 

 

「ぐぬっ…。ん、んなわけねぇだろ!この無私無欲の精神を理解できないたぁ…」

 

 

「アスナ、聞いての通りだ。エギルは戦利品いらないそうだから、分配から除外していいぞ」

 

 

「うん、わかった」

 

 

「いや、そ、それは…。て、アスナも乗らないでくれよ…」

 

 

情けなく口籠るエギルを見て、クラインとアスナの笑い声が重なる。それに伝染するように、当事者であるケイとエギルも、そして周りでやり取りを見ていた他のプレイヤー達にも笑いが移っていく。

 

 

「おいおい、ずいぶん面白そうな話してんじゃん。混ぜろよ」

 

 

「おっ、キリトじゃねぇか!」

 

 

朗らかな笑い声が広場に響く中、続いてやって来たのはいつもの黒づくめの格好をしたキリト。そしてその隣には、キリトの恋人であるサチ、周りには月夜の黒猫団のメンバー達が。

 

 

「久しぶりだな、ケイタ。元気そうだな」

 

 

「うん。ケイも元気そうで安心したよ」

 

 

月夜の黒猫団の面々も加わり、ケイ達の会話もさらに盛り上がる。それにつられて、周りのプレイヤー達の表情から少しずつ硬さが消えていき、いつしかボス戦の話だけでなく、普通の世間話をする声も聞こえてくるように。

 

だが、そんな和やかな時間もすぐに終わりを告げる。

 

一時丁度。転移門からさらに数名が出現した。いつもの十字盾と長剣を携えたヒースクリフと、血盟騎士団の精鋭だ。彼らの姿を目にした直後、再び緊張が奔る。

 

ヒースクリフと四人の配下は、転移門から降り、広場の中央へと歩みを進める。

彼らが進む進路上で、プレイヤー達は両脇へと割れ、彼らの進路を作る。

 

 

「欠員はいないようだな。よく集まってくれた。状況は知っていると思う。厳しい戦いになるだろうが、諸君らの力なら切り抜けられると信じている」

 

 

言葉を続けるヒースクリフにケイが向ける視線を悟ったのか、不意に中央で演説していた聖騎士がこちらを見た。

 

 

「ケイ君、キリト君。今日は頼りにしているよ。存分に力を発揮してくれたまえ」

 

 

全く緊張を感じさせない、それこそ余裕すら感じさせる声でそう言うヒースクリフに無言で頷くケイとキリト。

 

 

「では、行こうか」

 

 

そう言うと、ヒースクリフは懐から一つの結晶アイテムを取り出した。

「コリドーオープン」と、ヒースクリフが結晶を掲げながら唱えると、ヒースクリフの目の前に暗い何かが渦巻く穴が開く。

 

<回廊結晶>を使って完成した通路に、ヒースクリフを先頭に血盟騎士団のメンバー達が入っていく。それに続いて、他の討伐隊のプレイヤーも。クラインとエギルが、キリトとサチ達、月夜の黒猫団が。最後に、ケイとアスナが並んで回廊を潜っていく。

 

次に光が見えた時、そこは七十五層のボス部屋前だった。重厚な扉の前で、すでに到着していたヒースクリフがこちらを向き、十字盾を床に立てて目を見回していた。

 

 

「なんか…いやな感じだね…」

 

 

「あぁ…」

 

 

ケイとアスナが一番後ろから一歩前に出ると、隣からキリトとサチが一言交わす声が耳に届いた。

 

小さな火の明かりに照らされた扉。ゲームの中で、そのような感覚があるはずはないのに。中から強大な気配が発せられているようで、ケイの額から一筋に汗が流れた。

 

 

「大丈夫」

 

 

浴衣の裾が小さく引っ張られる。振り向けば、笑みを浮かべたアスナがこちらを覗き込んでいた。

 

 

「ケイ君は一人じゃない。一人にさせないから」

 

 

「…わかってる」

 

 

裾を掴むアスナの手に、ケイも手を重ねた。それだけで、自分の中にある恐怖が、浄化されていくような、そんな感覚を抱く。

 

一度目を閉じ、完全に自分の中での集中モードに入ってから、ケイは手を離して視線を横に向ける。そこにはキリトとサチ、二人の後ろにいる黒猫団の面々。そして奥にはクラインとエギルがそれぞれの武器を構えていた。

 

 

「死ぬなよ」

 

 

一言、彼らに向けて告げてから、ケイも扉へと視線を向けて手で刀の柄に触れる。

 

 

「へっ、おめぇもな」

 

 

「この戦いの戦利品で一儲けするまでは、死ねねぇなぁ!」

 

 

「…やっぱそれなんだな、エギル」

 

 

いつも通り過ぎる返答に、思わず吹き出しそうになり、それと同時に自身の集中が揺らぐ。

すぐに立て直し、正面を見据えるが…、ある意味、いつも通りというのは恐ろしい。

 

 

「戦闘、開始!」

 

 

ヒースクリフが十字盾から長剣を抜き、掲げて叫ぶ。

 

ケイ達は開いた大扉の奥へと、一斉に駆け込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第53話 終焉への序曲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中は薄暗く、だが不思議と周りのプレイヤー達の姿はハッキリと見える。部屋の広さはかなりあり、七十五層の、ケイとヒースクリフがデュエルをしたあのコロシアムと同等以上はあるだろう。

 

 

「あ…」

 

 

誰かがぽつりと声を漏らす。その直後、ふとケイが視線を後ろにやると、ケイ達が潜った大扉が下部から次第に消えていくのが見えた。ヒースクリフの言った通り、ボスとの戦闘中は部屋から抜け出すことは不可能なのだ。ボスを倒すか、プレイヤー側が全滅するまでは。

 

数秒沈黙が続く。円形の部屋中に注意を広げるが、未だボスの姿は見られない。

 

限界まで張りつめた緊張の中、一秒一秒が長く感じる。そんな中、遂に誰かが我慢を切らし、口を開こうとした時だった。

 

 

「上よ!」

 

 

ケイの隣でアスナが叫んだ。その声にはっ、としながら見上げると、ドーム状に婉曲した天井の最上部に、それはいた。

 

全長十メートルほどの、巨大な百足。だが、その前身は全て骨でできており、唯一骨でない部分、二対四の眸が赤く光り、プレイヤー達を見下ろす。

 

プレイヤー達がボスの姿を見とめた瞬間、ボスの巨大な顎が開き、鋭い牙を剥き出しにする、

 

 

「スカル…、リーパー…」

 

 

カーソルの上に現れた、<The Skullreaper>という文字列────骸骨の刈り手。

そして名称のさらに上部に五本のHPバーが現れたと同時に、スカルリーパーはパーティー目掛けて落下を始めた。

 

 

「固まるな!全員、散らばりながら距離をとれ!」

 

 

討伐隊メンバー達が動けなくなる中、ヒースクリフは鋭く叫び、プレイヤー達の正気を戻す。ケイ達もまた、ヒースクリフの叫びで我に返り、スカルリーパーが着地するだろう部屋の中央から即座に距離をとる。

 

 

「っ!お前ら、こっちに来い!」

 

 

十分に距離を取り、スカルリーパーの動きにしっかり注意を向けようとした時だった。ヒースクリフの声が聞こえなかったのか、スカルリーパーを見上げたまま動けないでいるプレイヤー二人がいた。

 

それを見て、すぐにキリトが声を上げる。

 

 

「走れ!」

 

 

キリトの声を聞き、こちらを見た二人に今度はケイが声をかける。

 

ようやく二人は動き出し、ケイ達に向かって走り始めた。だが、その直後にスカルリーパーは部屋の中央に着地し…、一番近くにいたその二人にタゲを向ける。

 

スカルリーパーの両手部分は、巨大な鎌、それも刃だけで人の背丈ほどの長さを持っている。

その一方、右腕が横薙ぎに振るわれ、二人のプレイヤーはあえなく切り飛ばされてしまう。

途端、部屋中が不気味な赤いライトに照らされる。宙に飛ばされ、減っていく二つのHPがやけに目立った。

 

 

「っ!?」

 

 

キリトとケイタが、吹き飛んだ二人の体を受け止めようと一歩前へ出た時だった。それぞれが二人の腕で受け止められようとした瞬間、HPバーが霧散し、二つの体がポリゴン片となって四散する。

 

スカルリーパーの攻撃は、たった一撃でトップレベルのプレイヤーのHPを全損させたのだ。

 

 

「こんなのありかよ…」

 

 

掠れた声でエギルが呆然と呟く。エギルだけではない。この場にいた誰もが、今起きた光景を受け入れられず、呆然となる。だが次の瞬間、雄叫びを上げながら動き出すスカルリーパーに、誰もが我に返る。

 

 

「うわあああああああああ────」

 

 

スカルリーパーが動いた方に固まっていたプレイヤーの一団が悲鳴を上げる。猛烈な勢いで突進するそのスピードは凄まじいものがあり、狙いを付けられたプレイヤー達も退避しようとするが、間に合わない。スカルリーパーの鎌が、プレイヤー達に向かって振り下ろされる。

 

と、そこで飛び込んだプレイヤーがいた。巨大な盾を構え、一撃でプレイヤーの命を奪った鎌を受け止める影の主は、ヒースクリフ。彼のおかげで、その後ろにいたプレイヤー達は一時難を逃れたが、スカルリーパーにはもう一本、鎌がある。

 

左側の腕でヒースクリフと押し合いながら、もう一方の腕で違う一団を狙うスカルリーパー。それを見た瞬間、誰よりも早くそれに向かって飛び込んでいった影があった。

 

 

「下がれ!」

 

 

瞬時にスカルリーパーとの距離を詰め、振り下ろされる鎌を二本の剣を交差させて防ぐキリト。だがそれでも、キリトの筋力値を以てしても、斬撃は止まらない。次第にキリトが押し込まれていき、刃が迫っていく。

 

 

「キリト…っ!」

 

 

キリトの危機に堪らず、槍を握り締めてサチが助けに向かおうとする。

しかしそれを、ケイが腕を伸ばして制して止める。

 

 

「…っ」

 

 

一瞬、サチと目を見合わせてから今度はケイが駆けだす。

 

サチの気持ちはわからないでもない。だが、後衛向き装備である槍で前衛に出れば、あっという間にHPを減らしていくだろう。だからこそ、ケイが出る。

 

ケイはキリトの眼前にまで迫った鎌を、筋力値を全開にして刀を振るって弾き飛ばす。それによって、僅かに刈り手の体が仰け反り、その隙をヒースクリフが突いて、初めてHPが目に見えて減り、同時に刈り手が後退する。

 

 

「ケイ…、助かった…」

 

 

刈り手から視線を離さぬままに、キリトが立ち上がって礼を言ってくる。

それに対し、ケイは一瞬、キリトを見遣ってから口を開いた。

 

 

「キリト、お前は下がれ。奴の攻撃は、俺とヒースクリフが食い止める」

 

 

「なっ…!?だが…、いや、わかった」

 

 

戦いが始まり、いきなり二人を一撃で屠った攻撃力。それを正面から、それもたった二人で押さえると言うケイにキリトが食下がろうとするが、すでに臨戦態勢であるケイとヒースクリフに何も言うことができず、おとなしくサチ達が固まっている場所へ後退する。

 

その直後、刈り手がケイとヒースクリフに向かって突進する。

 

 

「ケイ君は右の鎌を」

 

 

「あぁ、了解!」

 

 

ケイとヒースクリフもまた、刈り手が振るう鎌に向かって踏み込んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度、刀を鎌にぶつけただろう。何度、周りから上がる悲鳴を聞いただろう。何度、振るわれる鎌が体を掠っただろう。何度、二度とと聞きたくない…破砕音を耳にしただろう。

 

戦いは一時間にも及び、そして遂に巨大な体を横たわらせ、四散していった。つい先程までボスがいた場所に、<Congratulations!>と書かれたフォントが浮かび上がっても、歓声を上げる者は一人もいなかった。

 

ほとんどの者が床に倒れ込み、そうでなくともその場で座り込んで息を整える者が全てだった。骸骨の鎌のみを注視し、限界まで張りつめた緊張を一気に解いたケイは、ふと周りを見回した。

 

何度も耳にした破砕音。もしかしたら、という思いに駆られて、大切な仲間たちの無事を確かめる。アスナも、キリトもサチ達も、クラインにエギルも皆一様に座り込んでいるが、HPがゼロになった者はいなかった。

 

それがわかったケイは、ようやく大きく息を吐いた。

 

 

「何人、死んだ…?」

 

 

「…十一人、やられた」

 

 

両膝を伸ばして、背後に両掌を突いて、だらりと力を抜いていると、ケイの背後からクラインの問いかけとキリトが答える声が聞こえてきた。

 

 

(十一人、か────)

 

 

ボス討伐パーティーに参加したメンバーは、三十二人。その内、十一人が…およそ三分の一が、死んだ。七十五層、クオーターポイントという事でボスの難易度が格段高くなってはいるのだが、これから先、この上にまだ二十五層も残っているのだ。

 

 

「嘘だろ…。俺達、本当にこのゲームをクリアできるのか…?」

 

 

誰かがそう不安を口にしているのが耳に届いた。その言葉を、他人事の様に聞き流したかったが…、これから先を思うと、やはりここで十一人が死んだという現実が突き刺さるだろう。

 

 

(そうだよな…。まだ、二十五層…)

 

 

七十五層の時点で満身創痍なのだ。これから先、ここよりももっと苦戦するだろうボスも用意されているはず。その時、自分達は勝てるのか。

 

自分は、生き残れるのか。

 

 

「キリト…?」

 

 

先程の誰かの呟きをきっかけに、ケイもまた不安に襲われそうになった、その時だった。サチが囁く声が聞こえ、ケイが振り返る。そこには、二本の剣を握り、立ち上がったキリトの姿があった。

 

右手の剣を握り直し、右足を引いて、前へと駆けだす体勢を作るキリト。その視線の先には、ただ一人立ったままで、皆の善戦を称えるヒースクリフが。

 

 

(まさか…!?)

 

 

この時、ケイはキリトが何をしようとしているのかを悟る。すぐさま立ち上がるが、今からキリトを止めようとしても間に合わない。

 

せめて、思い止まってくれればという思いを込めて、ケイは叫ぶ。

 

 

「やめろ────、キリトぉ!!」

 

 

片手剣基本突進技<レイジスパイク>

爽やかな青のライトエフェクトを帯びたキリトの剣が、ヒースクリフへと迫る。ここでようやく、キリトの突進に気が付いたヒースクリフが十字盾を掲げようとするが、間に合わない。

 

キリトの剣が、ヒースクリフの胸へと吸い込まれていき────、突き立てられる直前、見覚えのある紫色の障壁が、キリトの剣戟を阻んだ。

 

<Immortal Object>、システム的不死。カーディナルの一部だったユイが、管理者権限を使って利用した機能だ。

 

 

「システム的不死…?どういう事ですか、団長…」

 

 

ケイと同じく、そのフォントが出る意味を知るアスナが、戸惑いながら問いかける。

だが、その問いにヒースクリフは答えず、答えたのはヒースクリフから軽く距離をとって、剣を引いたキリトだった。

 

 

「これが伝説の正体さ。奴のHPは、どうあっても注意域まで減らない様に設定されてるんだ。…不死属性を持つのは、NPCか、システム管理者以外はあり得ない」

 

 

システム管理者、イコールカーディナル。それは、ユイの説明で明かされた真実だ。だが、カーディナル以外で、この世界を見続けている人物が一人だけいる。たった一人────

 

 

「『他人のやってるRPGを傍から眺めるほどつまらないことはない』。…そうだろう?茅場晶彦」

 

 

キリトがその名を口にした瞬間、この場の空気が凍り付き、静寂に包まれる。

 

先程までは人間味を感じさせる表情を浮かべていたヒースクリフが、今は全くの無表情でキリトを見つめている。周りのプレイヤー達も、身動き一つできず、視線を向け合う二人の姿を見つめていた。

 

 

「団長…。本当、なんですか…?」

 

 

「…何故気付いたのか、参考までに聞かせてもらえないかな?」

 

 

アスナが立ち上がり、ヒースクリフに問いかける。が、その問いを流してヒースクリフはキリトに問いを投げかけた。

 

 

「あんたとケイのデュエルの時さ。…最後の一瞬、速すぎたよ」

 

 

「…やはりそうか。あの時はケイ君の動きに圧倒されてしまってね。つい、システムのオーバーアシストを使ってしまった」

 

 

反論もせず、弁解もせず、あっさりと。

 

 

「予定では、九十五層に達するまでは明かすつもりはなかったのだがな…。いかにも、私が茅場晶彦だ。同時に、最上層で君達を待ち受ける最終ボスでもある」

 

 

苦さを感じさせる笑みを浮かべたヒースクリフが、自身は茅場晶彦だと認める。

 

 

「趣味がいいとは言えないぜ。最強のプレイヤーが一転、最悪のラスボスか」

 

 

「なかなかのシナリオとは思わんかね?」

 

 

キリトの皮肉は全く効かず、ヒースクリフは余裕の笑みを浮かべながら返す。

その笑みが癪に障ったのか…、一人のプレイヤーがゆっくりと立ち上がる。血盟騎士団の幹部の一人だ。その顔には苦悩や悔恨が入り混じったような、複雑な表情を浮かべ、視線は真っ直ぐ、キリトと対峙するヒースクリフを射抜いている。

 

 

「貴様…貴様が…。俺達の忠誠、希望を…よくもぉおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

巨大なハルバードを握り締め、ヒースクリフ…茅場へと襲い掛かる。

 

だが、茅場は襲い掛かる男に嵌めも向けず、左手を動かしてウィンドウを開き、素早く操作する。直後、男の動きがぴたりと止まると、崩れるように床へ倒れ込んだ。男だけではない。周りにいたプレイヤー達もまた、次々に倒れ込む。

 

アスナが、サチが、クラインが、エギルが。キリトもまた例には漏れず、床へ倒れ込む。

 

 

「麻痺…!?」

 

 

倒れ込んだキリトが、自身にかかった状態異常を見て驚愕する。先程のウィンドウ操作は、この現象を引き起こすものだったのか。

 

 

「どうする、つもりだ…。全員殺して、隠蔽する気か…?」

 

 

「まさか。そんな、理不尽な真似をするつもりはない。ただ────」

 

 

茅場を見上げ、キリトが問う。その問いに、茅場は首を横に振りながら答えた。そして、キリトから視線を外した茅場は、横目でただ一人、立ち続けるプレイヤーを見遣った。

 

 

「君には、最も早く私の正体を看破した表彰を与えなければな。…ケイ君」

 

 

「…それは、嬉し…くはねぇな」

 

 

じっ、とキリトと話し続ける茅場を眺めていたケイの視線が、ふっ、と外れる。悲しげな笑みを浮かべながら、ケイはぽつりと呟いた。

 

 

「何だよ…。どういう意味だよケイ!てめぇ、ヒースクリフの正体に、前から気付いてた訳じゃねぇだろぉな!!」

 

 

「その通りだ、クライン。俺は前から、ヒースクリフが茅場晶彦だって気付いていた」

 

 

クラインの目が見開かれる。クラインだけじゃない。その周りにいた全ての者達が、まさかと言わんばかりに驚愕で目を瞠る。

 

 

「…」

 

 

ケイはちらりとアスナの様子を見遣った。クラインと同じように、目を見開いてケイを見つめていたその目に耐えられず、ケイは目を閉じて顔を戻し、再び茅場を見据えた。

 

 

「…それで、報奨って何ですか。茅場さん。まさか、俺だけこのゲームを脱出させるとか言い出すつもりじゃないでしょうね」

 

 

「まさか。いくら君でも、そんな権利を与えるつもりはないよ。だが…、君にその勇気があるのなら、チャンスをあげようと思ってね」

 

 

「…っ」

 

 

茅場がそう言った直後に、ケイの眼前に浮かんだのはヒースクリフからのデュエル申し込みを報せるウィンドウ。

 

 

「一対一だ。もし、君が私を倒すことができたなら、生き残ったプレイヤー全てを解放することを約束しよう」

 

 

茅場の視線がキリトからケイへと移った時から、苦し気だったケイの表情が初めて変わる。

僅かに目を瞠り、表情が驚きに染まる。

 

 

「ダメだ…、ケイ…!お前を排除する気だ…!ここは引いて、百層まで辿り着くべきだ…!」

 

 

キリトが言う。

 

 

「キリト君の言う通りよ、ケイ君…。ここで戦うのは危険すぎる…。だから…!」

 

 

アスナも言う。

 

必死にケイに呼びかける。ダメだ、危険だ、引くべきだ。

 

 

(わかる。わかるさ。今ここを生き延びる最善は、引くこと)

 

 

それでも、それでもだ。

ケイには、引けない理由があった。

 

 

「ケイ君…!」

 

 

アスナの悲痛な叫びが聞こえてくる。彼女の目の前には、ヒースクリフからのデュエルを受けるケイ。

 

 

「ルールは全損で?」

 

 

「そうだが…。恐いのかい?」

 

 

「まさか。全損じゃなきゃ、あんたを殺せないからな。ただの確認ですよ」

 

 

手に持った刀を鞘へ収めながら、茅場と言葉を交わす。

 

 

「…久しぶりではないかな?君とこうして、勝負するのは」

 

 

「今回を勝負と言いますか」

 

 

「勝負さ。私にとってはね」

 

 

「命を賭けた勝負、ね。あなたと初めて会った時は、まさかこんな事になるなんて思ってませんでしたよ」

 

 

まるで、昔からの友人のような。そんな会話を繰り広げる二人に、周りから呆然とした視線が向けられる。

 

 

「ケイ…。おめぇ、何者なんだ…?」

 

 

現実では、茅場晶彦は気難しい性格として有名だった。そんな茅場と親し気に話すケイに戸惑いながら、エギルが問いかけてきた。

 

 

「…ちょっと待ってろ。向こうで、全部話すから」

 

 

そう、エギルの問いに答えながら、ケイはアスナへと視線を向ける。

先程とは違い、ケイを信じ切った視線を、アスナは向けてきていた。ケイなら勝つと。現実でまた会って、全て話してくれると。

 

 

「…すぐ終わらせる」

 

 

「…うん、待ってる」

 

 

アスナの返事を聞いて、最後。ケイはもう、後ろに目を向ける事はなかった。

デュエルの申し込みを受けた報せから、ルールを決める操作を続けながら、茅場は左手で再び何かの操作をする。

 

<changed into mortal object>、不死属性を解除したと書かれたウィンドウが茅場の目の前に浮かぶ。その後もさらに操作をすると、今度はヒースクリフのHPが変化する。ゆっくりとHPが減っていき、ケイと同じ量になると変化が止まる。

 

 

(どこまでも平等に…、てか)

 

 

自身のシステムの調整を終えた茅場が、盾から長剣を抜いてこちらを見る。

 

前回の様に、デュエル開始までのカウントダウンはない。今、もうすでに、ケイ────辻谷慶介と、ヒースクリフ────茅場晶彦の殺し合いは始まっているのだ。

 

 

「…っ────」

 

 

しばらくの間、互いを見据え合う二人。前回とは状況もルールも、何もかもが違う。

 

だが、奇しくも、戦いの始まりを告げたのは、互いが全くの同時に足を踏み出した音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第54話 死闘の結末

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

踏み出した足は、前方から同じように突っ込んでくるヒースクリフとの距離を一瞬で詰めた。ケイは刀を鞘から抜き放ち、煌めく刃を振るう。スキルの類は使わない、自身のステータスのみを使った攻撃。

 

斬撃はあっさりと、ヒースクリフの十字盾に防がれる。だがそこでケイは行動を止めず、ひたすら斬撃を打ち込み続けた。それら全てが防がれようとも、何度も何度も、角度を変えながら刀を振り続ける。

 

だが、さすがはヒースクリフと言うべきか。ケイの斬撃は全て、ヒースクリフの体に届く事はなく、あっさりと盾に阻まれ続ける。

 

部屋中で、刃と盾がぶつかり合う金属音のみが響き渡る。ケイとヒースクリフは位置を入れ替えながら、攻めと防御に徹し続ける。

 

 

(…やはり、無暗に攻めに転じぬのが吉か)

 

 

ケイの怒涛の攻めを迎撃しながら、ヒースクリフは何度も反撃を試みようとしていた。だがその度に、ケイの目がぴくりと動く自身が握る長剣へと移るのだ。

 

一瞬でも、ほんの僅かでも防御が緩めば、ケイはそれを突いて、一気に懐へ入り込んでくるだろう。ヒースクリフは、攻められるという自信を抑えながらじっと防御に徹し続ける。

 

戦いは不気味なほど、状況が全く動かないまま続いた。前回のような、攻守が目まぐるしく入れ替わる展開はこれっぽっちも見られない。これが殺し合いではなく、ただの決闘であったなら、見ている者はつまらなく感じそうな程に。

 

 

(いつだ…?)

 

 

ケイもヒースクリフも、このままでは決して戦いが終わる事はないと悟っている。だからこそ、互いの動きを見て、読み合い、状況を優位に動かすきっかけを探し続ける。どんな小さなことでも、これまでの流れからは考えられない、相手の動きを探す。

 

いつ来るかわからない、機会に目を光らせ続け…、遂に、状況が動くきっかけが現れる。

 

先に動いたのはヒースクリフだった。だが、それは自身の意志で相手を崩そうとしたものではなく、ケイによって引き起こされたずれ。何度も角度を変えながら剣戟を打ち込んでいたケイだったが、その中でヒースクリフの防御が僅かに間に合わず、ケイの刃がヒースクリフの腕を掠ったのだ。

 

そこからはケイの独壇場。ヒースクリフも盾だけではなく、長剣も駆使してケイの攻撃を弾き続けるが、防ぎ切れない一撃が体を掠り、少しずつHPを減らしていく。

 

 

(これで…っ!)

 

 

ソードスキルは使わない。キリトのような尋常ならざる筋力値を持っているならまだしも、ケイはどちらかといえば敏捷を重視したステータスの振り分けになっている。スキルの全てをデザインした茅場にソードスキルを使うのは、悪手以外の何物でもない。それでも、この攻撃がクリーンヒットすれば、ヒースクリフのHPを全損させれる威力は十分にあった。

 

体勢を崩し、仰け反るヒースクリフの肩口へと斜めに刀を切り入れようとする。

その時だった。この危機的状況でも無を貫いていたヒースクリフの表情が、変化する、前回のデュエルの様に、焦りではない。確かな勝利への確信。裂けた唇から僅かに歯が見える。確かな笑みを、ヒースクリフは浮かべていた。

 

 

「っ!?」

 

 

後ろへと体勢を崩していたはずのヒースクリフが、浮いていた左足を床に着け、踏ん張りを見せる。直後、ヒースクリフの右手に握られた十字盾がケイの目の前に翳され、ケイの斬撃を弾き飛ばした。

 

システムのオーバーアシストではない。この世界のアバター、ヒースクリフとしての最大速度で翳された盾に斬撃を防がれ、ケイは大きく目を見開く。そして、途中、隙を見せたと思い、攻め込んだあの時から自身が茅場の掌の上で踊らされていた事にようやく気が付く。

 

あの僅かだった動きのずれは、ヒースクリフの罠。ヒースクリフはケイが必死に自身の動きの綻びを探していた事を悟り、その上で動きがぶれたように見せて罠を張ったのだ。その罠に、ケイはまんまと嵌ってしまった。

 

十字盾に、刀ごと弾き飛ばされそうになるのをケイは押さえる。だがそれによってケイの腕は刀を追いかける形で伸び切ってしまい、ヒースクリフへ大きく隙を見せる事になる。

 

 

「さらばだ。慶介君」

 

 

ヒースクリフの長剣が赤く灯る。どんなソードスキルかはわからないが、間違いなく、ケイのHPを全損させる威力を誇るもの。刀を長剣の軌道上に持っていこうとするが、間に合わない。

 

 

「ケイ君っ!!」

 

 

赤い長剣が迫る中、ケイの耳に声が届く。大切な声。ずっと聞いていたくなるような、大切な人の声。瞬間、呆然と赤い軌跡を眺めていたケイの目が大きく見開く。

 

間に合わない?自分は今、そう思ったのか。諦めようとしていたのか。

…ふざけるな。誰が諦められるか。誰が死ねるか。初めて、ずっと傍にいたいと思えた人ができたのに。傍にいたいと言ってくれた人と会えたのに。

 

その人を置いて────

 

 

「死ねるかぁっ!!」

 

 

刀で防御するのは無理だと判断したケイは、ヒースクリフの右脇目掛けて飛び込んだ。その勢いのまま前転し、ヒースクリフの斬撃から直撃だけは避ける。だが、右足部を掠った斬撃は、ケイのHPをがくりと大きく減らす。

 

 

(…っ!)

 

 

自身のHPが危険域に達したことを確認しながら、ケイはヒースクリフの背後へと回り込む。それでもヒースクリフの目から逃れる事はなく、彼はケイの動きを注視し続ける。

 

それを知りながら、ケイは刀を鞘へと納めた。そのまま抜刀術の体勢を取りながら、ヒースクリフへの背へと突っ込んでいく。

 

 

「愚かな…」

 

 

刀を鞘に収めたケイを見て、ヒースクリフは失望したかのように両目を細めた。その目の先にいる、柄を握って突っ込んでくるケイに向かってヒースクリフは十字盾を移動させる。

 

ケイのしようとしている事は予想できる。このまま最速のソードスキル、<抜刀術>で攻める。これが、ケイの選択だ。…茅場晶彦は、全てのソードスキルをデザインし、頭の中に残っている事を知った上の。

 

そう、茅場が考えていたからこそ、次の瞬間に起こしたケイの行動に、目を見開いた。

ケイの背に隠された左手が現れる。その左拳に灯った青い光を見て、ヒースクリフはケイの本当の意図を悟る。

 

 

(体術…!?)

 

 

体術三連撃技<レッドメテオ>

右、または左拳による三連続の突き技。ソードスキルと比べれば格段に威力は落ちる。が、使用後の硬直時間がないというメリットを、ケイは選んだ。

 

ケイの拳が、防御を捨てて回避に徹し、身を翻すヒースクリフの右肩を掠る。

 

すれ違う形でケイがヒースクリフのすぐ傍を横切っていく。視線が交錯した。

直後、二人の刃がぶつかり合う。振り上げられた刀と、振り下ろされた長剣が激しく火花を散らす。

 

しかし忘れてはならない。神聖剣は、攻防一体というべきスキル。

激しく鍔迫り合うケイの視界の横で、ヒースクリフの十字盾がぶれた。

 

それを目にした瞬間、ケイは軽く跳躍。浮いた右足でヒースクリフの剣を握る左手を蹴った勢いを利用して、その場から後退。先程までケイが立っていた場所を、十字盾が横切っていく。

 

 

「っ!」

 

 

攻撃が失敗に終わったヒースクリフだが、後退するケイを逃さず追い縋る。これまで、攻め続けていたのはケイだった。だがここからは、攻守の展開が逆転する。

 

アスナもあわやというスピードで長剣の切っ先がケイへと迫る。刀でヒースクリフの斬撃を迎撃し続けるケイだが、ヒースクリフは攻撃の手を休めない。

 

互いの位置を入れ替えながら交錯を続ける二人。それは、戦い始めてからずっと見られた光景だった。その立場の違いと、少しずつケイの足が後ろに下がり始めている事を除けば。

 

次第にケイが押され始める。ヒースクリフの長剣を抑えながら、盾による攻撃を警戒しなければならないのだ。キリトの火力重視の二刀流とは違う、奇襲に合った二刀流。それが神聖剣なのか。

 

 

「あっ…!」

 

 

小さく悲鳴を上げたのは誰だったか。ケイの手から刀が離れ、宙へと上がった直後にその声が聞こえてきた。

 

ケイは、笑う。

大丈夫だと言い聞かせるように。その笑顔を向ける先には、今にも飛び込んでいきたそうにこちらを見つめる、大切な人の姿。

 

手に刀は握られていない。目の前のヒースクリフは、止めを刺すべく、赤く染まった長剣をこちらに振り下ろしている。

 

それでもケイは笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「っ…!」

 

 

ここで、ヒースクリフは一つ、大きなミスを冒していた。まず、ヒースクリフは何でもいい。ケイの体勢を崩すべきだった。得物を失った相手ならば、たとえケイでもそれをさせる事はヒースクリフにとって容易だっただろう。

 

だが、ケイが浮かべた笑みを見て、ヒースクリフはこの戦いで初めて、小さな焦りを感じた。何かあるのか。何か、切り札を持っているのか。僅かに過ったその思いが、ヒースクリフに決着を急がせてしまう。

 

 

(何だ…?)

 

 

ケイには、刀を掴もうという動きは全く見られない。それどころか、刀はケイの手に触れることなく、少し離れた床に刃を立てる。

 

その場所へ行こうという動きもない。それどころか、ヒースクリフが振り下ろす刃を見つめて、迎撃してやろうという意志を見せている。

 

 

(何をして…!?)

 

 

ヒースクリフの視界に、二つの光が見えた。水色に染められたライトエフェクト。それが、ケイの両手を纏っている。

 

 

(…バカな)

 

 

ソードスキルを使用している今、ヒースクリフに行動を変更することは不可能。このまま、長剣を振り下ろすしかできない。だから、この状況に驚愕しざるを得なかった。

 

これは自分がやった事と同じだ。相手を罠に嵌め、こちらのペースに引き込む。

さっきから自身が攻撃、ケイが防御という立場に入れ替わった。それこそ、ケイの罠。僅かに後退し、そして刀を弾かれたのも。

 

全て、ケイの思惑通りだった。ヒースクリフはあっさりと、ケイの仕返しを受けてしまったのだ。

 

体術スキル上位妨害技<白刃取り>

刀を手放したケイが選んだのは、このスキルだ。キリトのような、ずば抜けた反応速度だけでは使いこなすことはできない。優れた反応速度だけではなく、相手の動きを見抜く優れた動体視力を要求するこのスキルをデザインしたのは、茅場晶彦ではなく彼の部下だった。

 

 

『もしかしたら、体術を武器に戦うプレイヤーがいるかもしれないですよ』

 

 

けらけらと笑いながらそう言って、このスキルをデザインした部下の顔を思い出す。

自分を含めて、他の開発者たちもそんなはずはないと聞き流していた。だが、もしいたら?という思いに駆られ、念のためこのスキルを削除しないでSAOのサービスを開始した茅場。

 

第一層からこれまで、体術を主にして戦うプレイヤーが現れなかったことで、今ケイが使用するのを見るまで、すっかり忘れ去っていたスキル。

 

ケイの両手が、ヒースクリフの長剣を包み、止める。<白刃取り>以外にも妨害技は存在する。妨害技の定義は、相手のソードスキルを止める、となっている。相手のソードスキルを止め、そしてスキル強制停止による大きな硬直時間を相手に与えて隙を作る。それが、妨害技のメリットだった。

 

システムの定義に従い、ヒースクリフの体は長い硬直に襲われ動けなくなる。それを逃さないケイではない。いつの間にかケイの手には、離れていた刀が握られており、こちらに迫ってきていた。

 

 

(クイックチェンジか…!)

 

 

まるで初めから、この場で自分と戦う事を知っていたような、用意周到なケイを見て歯を噛み締める。

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

握った刀の切っ先をヒースクリフに向けるケイ。ヒースクリフも盾を構えて防ごうとするが、未だ硬直は解けず、動くことができない。硬直が解けた時には、すでにケイはヒースクリフの懐に潜り込んでおり、刀は胸に深々と突き刺さった。

 

 

(終わり…か)

 

 

ただでさえ少なくなっていたHPが削れ、貫通継続ダメージが発生するまでもなく全損する。ヒースクリフの視界に、<You are dead>。死ねという宣告。

 

この後は、自身のアバターがポリゴン片となって四散し、脳を焼かれて死ぬ。そうすればこのゲームはクリアされる。

 

ケイの勝ちだ。

 

 

(ケイ君の…勝ち…)

 

 

そう、ケイの勝ちだ。自分は負けた。

 

 

(私の…負け…)

 

 

ヒースクリフの体が光に包まれる。アバターが四散する前触れの現象。

 

 

(…違う)

 

 

まだ消えてない。体は残っている。HPはゼロになり、死からは免れない。

だが…、負けたくない。慶介にだけは、負けたくない。

 

 

(私は…っ!)

 

 

重く、なかなか言う事を聞かない体に鞭打って、剣を握った手を突き出す。

 

 

「っ!!?」

 

 

ケイの目が大きく見開かれる。その胸には、ヒースクリフと同じように、刃が突き立てられていた。

HPが減っていき…、ケイのHPもまた、ゼロになる。

 

これで負けではない。勝つことはできなかったが…、負けることもしなかった。

 

 

(…楽しかったよ)

 

 

もうすぐ、彼も死ぬというのに…、彼は笑っていた。目を閉じて、笑みを浮かべていた。

きっと、ケイもまた自分と同じ気持ちを感じているのだろう。この戦いが、楽しかった、と。

 

 

(…気のせいかな?)

 

 

いや、もしかしたら違うのかもしれない。ただ自分が憎く、笑うしかないのかもしれない。

それでも…、この世界で初めて、楽しいと感じた。殺し合いで楽しいと感じるのは最低なのかもしれない。この世界で人殺しを楽しんでいた連中と、同じなのかもしれない。

 

それでも…、茅場晶彦は、自分の気持ちに嘘を吐けなかった。体が四散する直前、彼は笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ケイ君…?」

 

 

ヒースクリフのアバターが消え、直後にアナウンスが入る。無機質なシステムの声で、ゲームはクリアされました、と────

 

だが、誰も喜びの歓声を上げる事は出来なかった。

 

 

「ケイ君!」

 

 

ヒースクリフが倒された事で、麻痺が解ける。アスナはすぐに立ち上がって、動かないケイの元へと駆け寄る。

 

アスナの目の前で、HPを全損させたケイ。魔王を倒し、これで…と思った所で起きた悲劇。

 

 

(嫌だ…、嫌だよ!)

 

 

麻痺から回復した直後の影響か、足がもつれる。転びそうになるのを耐えながら、ゆっくりとこちらに振り向くケイ目掛けて走るアスナ。

 

 

『ご め ん』

 

 

「っ!?」

 

 

ケイの口が小さく動いた時。

アスナの手が届きかけた瞬間、目の前で、ケイの体は光と共に四散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第55話 夕日に照らされて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頬に爽やかな風を受ける。とても心地よい、いつ以来だろうか。ここまで風が気持ちいいと感じたのは。…そうだ。まだ最前線が五十九層の時だ。あの時は本当に良い天気で、迷宮区にも行かず、木の下でウトウトしていた。

 

そして、そのまま眠りに落ちそうになった時にアスナが来て…、ここまで考えた時に、ケイは閉じていた目を開けた。開いた目に真っ先に飛び込んできたのは、燃えるような夕焼け空。

 

 

「空が近い…」

 

 

空を見上げれば、雲がとても近い所にあった。手を伸ばせば、届きそうである。

足下には、透明な板というべきか、立っている物を通して、下界に広がる雲が見通せる。

 

空が近いというより、空に浮かぶ雲の中にいるのだ。一体ここはどこなのか。

ケイは右手を翳して振ると、ウィンドウが開く。ここは、SAOの中なのか。自分はHPがゼロになり、体を四散させたはずなのに。何故、まだ意識が残っているのだろう。

 

疑問を浮かべながら開いたウィンドウ画面を見ると、そこにはいつものステータスは映っておらず、無地の画面に一言、<最終フェイズ実行中 現在54%完了>とだけ書かれていた。

 

数字が五十五へ移った時、ケイはウィンドウを閉じて辺りを見回す。上空から左右、足元の下、に目を向けた時だった。ケイが立っている場所から遠く離れた場所。円錐の型の先端を切り落としたような形をした、浮遊物を目にする。あれは────

 

 

「アインクラッド…」

 

 

現実世界で発表されてから、あまりに楽しみすぎて、今すぐに入れる訳でもないのに何度もその絵を眺めていた、浮遊城アインクラッド。巨城は、今まさに崩壊しつつあった。

ケイが今も見つめている間にも、下部が大きく崩れ、無数の木々や大量の水が雲海へと沈んでいく。あの辺りは二十二層。ケイのプレイヤーホームがあった所だ。家の場所を知ったアスナがしょっちゅう遊びに来たり、ユイと僅かな時間だが過ごしたり。

 

ただのデータなのに、あの思い出も一緒に崩れていったように感じて、哀惜の念がちくりと差す。

 

 

「なかなかに絶景だな」

 

 

ケイの左側、少し離れた所から声が聞こえてきた。振り向いたケイの目に映るのは、一人の男の姿。

 

 

「茅場さん…」

 

 

「現在、アーガス本社地下五階に設置されたSAOメインフレームの全記憶装置で、データの完全消去作業を行っている。後十分ほどで、この世界の全てが消滅するだろう」

 

 

この世界の聖騎士、ヒースクリフの姿ではない。現実世界での、研究者茅場晶彦の姿で、そこに立っていた。白いシャツにネクタイを締めて、白衣を羽織った茅場は今も崩壊を続ける浮遊城を眺めていた。

 

 

「…生き残った奴らはどうなった?」

 

 

「心配には及ばない。先程、生き残った6587人中、6586人のログアウトが完了した。一人には、少しの間待機をしてもらっているがね」

 

 

「…?」

 

 

どうやら生き残った人達はちゃんとログアウトできるらしい。が、どうして一人だけログアウトを待ってもらっているのか。わからずケイは首を傾げる。

 

そんなケイを見た茅場は、面白そうに小さく吹き出した。

 

 

「何ですか…」

 

 

「いや」

 

 

「…」

 

 

ムッとしながら聞くが、茅場は首を横に振って何でもないと答えるだけ。それ以上、何も言うつもりはないらしい。いつもそうだ。自分が感じた気持ちの理由を、誰にも悟らせない。だから、あの人とも上手くいかずに…。

 

 

「…死んだ連中は?死んだはずの俺がこんな所にいるんだ。今まで死んでった人達も、現実に返すことはできないんですか?」

 

 

「命はそんな軽々しく扱うものではないよ。彼らの意識は帰って来ない。君をここへ呼んだのは、少し君と話したかったからさ」

 

 

それが、およそ三千五百人を殺した人間の言うセリフだろうか。普通なら、今そこにいる男を殴り飛ばしたい衝動に駆られるところなのだが…、何故か不思議と、腹は立たなかった。

 

 

「茅場さん」

 

 

だがその代わりに、一つ、聞きたい事が思い浮かんだ。その疑問を、ケイはすぐに口に出して問いかける。

 

 

「あなたはあの世界を作って、何がしたかったんですか?何で…、こんな事をしたんです」

 

 

それは、SAOという世界を作った理由。人を絶望に陥れ、自殺者に殺人快楽者まで最悪のゲーム。そんな世界を作り出して、茅場晶彦という人間は何がしたかったのか。

 

 

「…いつからだったかな。空に浮かぶ鉄の城の空想に私が取りつかれたのは。フルダイブ環境システムの開発を知った時…いや、そのはるか以前から、私はあの城を、あの世界を創り出す事だけを欲して生きてきた」

 

 

茅場の奥に見える夕陽で、よく彼の表情が見えない。だが、その口元が緩んでいるのだけは見えた気がした。

 

 

「この地上から飛び立って、あの城へ行きたい。…ケイ君、私はね、まだ信じているのだよ。どこか別の世界には、本当にあの城が存在するのだと」

 

 

現実で顔を合わせる度、必ず一度は茅場が見せた、この世界にはない何かを見るような目。

あの目で何を見ていたのか、ようやくケイにも分かった時だった。

 

 

「そうだといいですね…」

 

 

もし、その世界に自分が生まれていたら、という幻想に襲われた。剣士として育ち、いつか亜麻色の髪を伸ばした美しい少女に出会って…、森の中の小さな家で暮らす。

 

そんな風に抱いた幻想を小さく振り切ってから、ケイは崩れ落ちる城に視線を戻しながら言った。

 

沈黙が訪れる。崩壊は城以外の所も巻き込み始めていた。周りに広がっていた白い雲海と赤く染まった空が、崩壊していく城の破片と一緒に消えていくのが見える。この世界の終焉が、近いという事なのか。

 

 

「言い忘れていた。ゲームクリアおめでとう、ケイ君」

 

 

現実の名ではなく、この世界に生きた者の名前で呼ばれた。その事に気付いて、ケイは視線だけを茅場へと向けた。

 

 

「そして、これはゲームクリアのご褒美だ」

 

 

一度、こちらに微笑んでから茅場はそのままケイがいる方とは逆の方へ体を向けて、歩き出す。と、そこで風が吹き、それに掻き消されるようにして、茅場の姿はその場から見えなくなっていた。

 

現実世界に帰ったのか────違う。別の世界へと旅立ったのだ。どこかにある、本当のアインクラッドを探しに。

 

そろそろ、自分も消える時が訪れる。静かに、その時を、崩壊するアインクラッドを見守りながら待つとしよう。…そう、思っていたのに。

 

 

「ケイ君…?」

 

 

自分を呼ぶ声が聞こえて、ケイは驚愕しざるを得なかった。どうして…、どうして、彼女がここにいるのか。

 

 

「アスナ…、何で…?」

 

 

「ケイ君っ」

 

 

あの城で生きた、白い騎士の姿をしたアスナが、ここにいるはずのないアスナが、どうして。まさか…、彼女も?とまで考えた時、先程の茅場の言葉を思い出した。一人だけ、ログアウトを待機してもらってる。そしてこの場を去る直前に、ゲームクリアの褒美と言った。

 

最期に、彼女と話せる時間。それが、彼がくれたゲームクリアの褒美なのか。

こんな、アスナを悲しませるだけの時間を、どうして…。

 

アスナがケイの胸に飛び込んでくる。アスナの顔が当てられている部分が熱い。視線を向ければ、彼女の目から涙が零れていた。

 

 

「ごめんね…、ごめんなさい…」

 

 

「…何でアスナが謝るんだよ」

 

 

「だって…、わたし…、ケイ君とならんでたたかうって…。ひとりにしないって、言ったのに…!わたしは…!」

 

 

涙交じりに、アスナはごめんね、ごめんなさいと謝り続ける。

 

 

「違う!」

 

 

体を震わせるアスナを、堪らずケイはきつく抱き締める。

 

違う、違うのだ。何もアスナが気に病む事はない。これは全部、自分で選んだ事なのだ。アスナは傍に居続けてくれた。それを拒んだのは、自分なのだ。アスナは、何も悪くない。

 

 

「アスナのおかげで、俺は何度も助けられた。ここまで戦い続けられたのは、アスナのおかげなんだ。だから…、泣かないでくれ」

 

 

アスナの体を抱く右手を、彼女の頭へ持っていく。彼女の髪に触れて、そっと撫でる。

 

 

「ケイ君…」

 

 

「泣くなよ。…俺、最後は笑ってる顔が見たい」

 

 

全部本心だ。アスナに辛い事を言っているのは分かる。それでも、死ぬ前に見たいのは、泣き顔ではなく、笑ってる顔。

 

ケイが言ってから少しして、アスナが見上げる。涙が流れた痕は消えないが、それでも、アスナは笑ってくれた。

 

アインクラッドの城が、主無き宮殿に崩壊の手を伸ばし始める。ケイの命も、本当にあとわずかで終わりの時が来る。それまでに、ケイは最後に一つだけ、アスナに聞きたい事があった。

 

 

「アスナ。最後に名前を教えてくれないか。本当の名前を」

 

 

笑みを浮かべていたアスナの表情が、小さく驚きに染まる。それでもすぐに表情を笑みに戻して、アスナはゆっくりと形の良い唇を動かした。

 

 

「結城…明日奈。十七歳です」

 

 

「ゆうきあすな…」

 

 

それがアスナの本当の名前。ケイは自分の中に溶け込ませるように、その名前を復唱した。

 

 

「ケイ君は?」

 

 

「俺か?俺はな…、辻谷慶介。アスナと同じ、十七歳だ」

 

 

アスナから問われ、ケイも本当の名前を口にする。もう口にすることはないかもしれない、と考えていた本当の名前。口には出さないが、最後にその名を、アスナに教えられたことが嬉しく感じられる。

 

 

「つじたに、けいすけ君…。私ね?けいすけ君に会えて幸せだった。けいすけ君に会えてから、世界が色付いたように見えて…。この世界に来て、けいすけ君に出会えて…、私は…!」

 

 

「俺も、アスナに会えてよかった。最期にこうして話せる相手がアスナで、よかった。…お別れだ」

 

 

遂に最上層の宮殿も崩れて消えていく。城の破片を飲み込んでいった光が広がっていき、周りを飲み込みながらこちらに迫ってくる。

 

 

「アスナ…。俺、これからアスナにとって残酷なこと言う。…いいか?」

 

 

「…うん」

 

 

アスナが頷く。それを見て、小さく息を吐いてから、ケイは自分の中の感情を口にする。

 

 

「ゆうきあすなさん。俺と出会ってくれてありがとう。…愛してます」

 

 

「っ!」

 

 

そうアスナに言ってすぐ、ケイはアスナの体を放して光の中へと飛び込んでいった。城を飲み込み、ケイの存在を消しに来た、光の中へ。

 

たった今、アスナにどれだけ最低な事をしたか、わかってる。それでも────

 

 

「ケイ君!」

 

 

最期に、アスナが

 

 

「私も、愛してます!」

 

 

そう言ってくれたのが、とんでもなく嬉しく感じる事だけは、許してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

────どこだ…ここは…?

 

次に少年が目を開けると、強い光が飛び込んできた。思わず目を閉じるが…、こうして意識がある。匂いを感じる。肌に、身に着けている服の感触がある。生きている。

 

────どこなんだ…。

 

もう一度、少年はゆっくりと目を開ける。何故?という気持ちを抑えて、周りを見回す。

頭上には天井、周りにはコードが繋がった何かの装置。反対を見れば、ワゴントレイの上に乗った花束。その奥には、青い空を覗かせる窓。

 

────現実世界…?

 

信じられないが、どうやらそうらしい。あの世界で死んだはずの自分が何故、ここに戻って来れたのか。…いや、そんな事はどうでもいい。

 

────アスナ…。

 

覚えている。全部覚えている。あの世界で出会ったことも。ずっと支えてくれたことも。

最後に、想いを通じ合わせた事も。全部。

 

 

────アスナ…!

 

なかなか力が入らない体に鞭打って、上体を起こす。そして、自分の両腕の細さに驚きながら、頭に被ったナーヴギアを外して、枕元へ置いた。

一瞬、横目でナーヴギアを見遣ってから少年はベッドから両足を投げ出して床に着ける。

そのまま立ち上がろうとするが、やはり力が入らない。よろけ、倒れそうになる所で、傍に合った点滴を掴んで体を支える。

 

────会いたい。

 

少年は点滴を杖代わりにして歩きだす。扉まで行く途中で、胸に貼られていた電極が剥がれ、それによって装置が警告音を発するが構わない。

 

────話したい。

 

会って、話がしたい。自分は生きていると、また一緒に歩けるんだと報せたい。

少年が前に立つと、扉は自動で開く。開いた扉を潜って廊下に出ると、少年は当てもなく探し始める。ここにいるとも知れない、大切な、愛する存在を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年11月7日

茅場晶彦が作り上げたデスゲーム、<ソードアート・オンライン>がクリアされる。

死者は3000人以上にも及んだが、生き残った6588人は無事にログアウトされたという生存者のコメントである。

だがコメントに反し、未だ約三百人のプレイヤーが目を覚ましていない。ただのタイムラグか、それとも別の理由があるのか。原因は不明。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて、原作においてのアインクラッド編は終了です。ここまでの読了お疲れさまでした。
このまますぐにフェアリーダンスに入っていきたいとは思うのですが…、活動報告を見た方はお分かりと思いますが、明日、8月10日に実家へと帰る事になってます。なのでしばらくの間、更新が止まります。
再開時期は全くの未定です。ですが恐らくは九月過ぎたあたり…になると思われます。

それまで待たせてしまう事になりますが、ぜひこれからもSAO <少年が歩く道>とお付き合いのほどをお願いします。

では!


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妖精の舞踏
第56話 目覚めぬ少女と嘲笑う男


お久しぶり…でもないのかな?前に投稿してから二週間経ってませんし。

いや、思ったより早く帰る事になりました。なので、今日から投稿を再開させたいと思います。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手に握る刀を振るい、周りから襲い来るゴブリン型のMobをひたすら斬り尽くす。Mobが持つ槍を最小限の動きで、掠るか否かのところで躱し続ける。ここまで大規模な群れに襲われるのはかなり珍しいが、相手のステータスを考えれば、そこまで危機的状況でもない。

そう、いつも通り、この刀で斬ればいいのだ。いつも通り…、いつも通りに。

 

それなのに…、体が重い。腕が、脚が、何もかもが自分の頭のイメージ通りに動かない。脳からの電子パルスによって、アバターが動く。それが、SAOというゲームのはずなのに。

 

群れからの攻撃に、次第に追いつかなくなる。おかしい。おかしいおかしい。この程度、対応できないはずがないのに。

 

 

『ケイ君…!』

 

 

『っ!?』

 

 

Mobからの攻撃が、遂に肩を掠ったその時。自分を呼ぶ声が耳を震わせる。

心臓がびくりと跳ねる。すぐにその場から後退し、襲い掛かるMob達から距離をとり、周りを見回して声の主を探す。

 

 

『邪魔だ!』

 

 

亜麻色の髪を揺らし、こちらを見つめる人影に重なる様に立ちはだかるゴブリンを切り飛ばす。それでもなお、ゴブリン達は進路上に集まって進行を妨げる。

 

 

『ケイ君…!』

 

 

『アスナ!』

 

 

ようやく、ゴブリンの邪魔が入らなくなる。すぐに手を伸ばす…が、届かない。それどころか、次第に距離が離れていく。こちらは走っているのに。向こうもこちらに手を伸ばしているのに。それなのに、何で手が離れていく。

 

 

『届け…!届けよ!』

 

 

走る速度を上げようとするが、どうしても今以上に速く走ることができない。手ももっと伸ばそうとするが、どれだけ気張っても空を掴むだけ。

 

 

『ケイ君…!』

 

 

『アスナ!アスナ…っ』

 

 

遂に声は聞こえなくなり、いつの間にか一人になっていた。周りは暗闇で、先程まで大量のゴブリンがいたとは思えない静けさが辺りを包む。

 

 

『アスナぁあああああああああああああああああ!!!』

 

 

叫びが虚しく響き渡るだけ。この叫びに返事を返す者はなく、求める人の姿もすでにおらず。

 

ケイは、暗闇の中で駆けながら、叫び続ける────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁっ────!?」

 

 

自身に掛けられた布団を剥いで起き上がる。荒くなった息を落ち着かせながら、周りを見回す。

 

 

「…ふぅ」

 

 

大きく息を吐いてから、部屋に敷かれた絨毯の上に足を下ろす。ベッドに腰を下ろしたまま、右に目を向ければ、綺麗なパソコンデスクとそれに並んで置かれた本棚。正面には大きめの長方形の木でできたテーブル。その奥には、テレビ台に載せられた六十インチの液晶型テレビ。

 

病室ではなく、帰ってきた辻谷家の自室だ。

 

 

「…マジで、いい加減にしろよな」

 

 

苛立ちと共に呟きを吐く。現実に帰還してからこれまでずっと、同じ夢を見続けてきた。最近になって、夢を見る頻度が少なくなってきたが、未だ続く悪夢に呆れを越えて怒りさえ覚える。

 

いつまであの世界に心が囚われたままでいるのだろうか。今、自分がいる場所は現実だ。生きている場所はここなのだ。家族がいて、友がいて、帰還を喜んでくれた人たちがいて。

 

いつまでもこんな調子でいてはいけない事は、わかっているのに。

 

 

「おはようございます」

 

 

「おはようございます、慶介様」

 

 

部屋を出て廊下を歩いていくと、すれ違う召使の女性達にお辞儀と一緒に挨拶を受け取る。慶介も、軽く手を上げながらおはようと返して、ふと思い返す。

 

生まれた時から、ずっと年上の人達から敬意を向けられながら生きてきた。それが当たり前の日常で、だが対等な友人がいない事に物足りなさを感じていた日々。それに対して、あの世界にいた時は、望んでいた友人に恵まれて────

 

 

(…はぁ)

 

 

慶介の左側の壁が途切れ、そこから吹き抜けになったリビングが見える所で立ち止まり、小さく息を吐く。

 

少し気を抜けば、今の様にあの世界での思い出を思い返してしまう。慶介は両掌を頬に打ち付け、自身に喝を入れる。そして再び歩き出し、下のリビングへと階段を降りる。

 

階段を降りた所から正面に見える窓からは、辻谷家が誇る自慢の庭が覗く。窓のすぐ脇には慶介の部屋に置かれている物よりもさらに大きいサイズのテレビが設置されており、少し離れた所にはテーブル、そして周りに白いソファ。

 

 

「兄さん。おはよう」

 

 

「おはよう、慶介」

 

 

右側から、慶介を呼ぶ二人の声が聞こえてくる。視線を向ければ、キッチン台の側面から繋がったテーブルに着いた少女と女性。

 

黒髪を腰まで下ろし、大和撫子を体現したかの如き容姿を持つ慶介の妹、辻谷司。

黒い髪は司と同じだが、短めにバッサリと後髪を切り、司をそのまま成長させればこうなるような容姿。慶介の母、辻谷恵子。

 

 

「司、母さん。おはよう」

 

 

リビングで朝食を準備していた二人。SAOから帰還し、病院関係者を除いて一番最初に駆け付けた二人と挨拶を交わす。病室を抜け出し、あっさりと見つかりベッドに連れ戻された慶介が、次に見た人物がこの二人だった。

二人は目を開けている慶介を見て涙を流し、司に至っては慶介がかなり衰弱している事も忘れ思い切り抱き付いてきた。

 

 

(あの時は…、痛かった)

 

 

恵子が司を宥め、何とか離れてはくれたが、もう少し遅れていたら両腕の骨が折れていただろう。思い返しながら、リビングを通り抜けて洗面所へと入り、顔を洗う。しっかりと眠気をとってから再びリビングへと入る。

 

 

「父さんはもう?」

 

 

「えぇ。慶介が起きるちょっと前にね」

 

 

今、この場には慶介、司と恵子の三人しかいないが、あともう一人、父がいるのだが。すでに仕事に出ていったらしい。目覚めてからも数える程度しか話す機会がなく、最近はかなり仕事が忙しくなっているようだ。

 

だが、それにしても────

 

 

「最近、休み少なすぎじゃね?」

 

 

ここ最近は明らかに働き過ぎだと慶介は感じていた。休みが少ない…というより、思い返せば、慶介が目を覚ましてから一度も休んでない。慶介がまだ入院中の時も、何度か見舞いに来たことはあったが、仕事の都合上、あまり長い時間話せなかった。

 

 

「色々とあるみたいよ?話してくれないけど」

 

 

椅子に腰を下ろした慶介の前に、クロワッサンが載った皿を置きながら恵子が答える。

少々皮肉が籠ったような言い方ではあるが、その声には夫を気遣う妻の優しさに満ちていた。

 

 

「ま、立場上、家族にも言えない事はたくさんあるからな…。いただきます」

 

 

言ってから、手に取ったクロワッサンを齧って咀嚼する。慶介がクロワッサンを飲み込むまでの間に、恵子が焼いたベーコンとスクランブルエッグ、サラダにスープと朝食のおかずを並べていく。

 

勿論、毎日の献立は違う。今日は洋食だが、昨日は和食だった。だが、慶介が帰ってきてからの、いつもの朝食の光景がそこにはあった。

 

 

「そうだ、兄さん!今日も行くの?」

 

 

不意に隣に座っていた司が話しかけてきたのは、慶介がスープを口に含んだ時だった。慶介は口に含んだスープを喉に通した後、司の方に目を向けて口を開く。

 

 

「あぁ、そのつもりだけど」

 

 

そう答えた後、慶介はフォークを手に取ってベーコンに刺し、口の中に入れる。

 

 

「そっか。…ねぇ、私も行っていい?」

 

 

「ふぐ?…んく。別にいいけど、急にどうしたんだよ」

 

 

ベーコンからフォークを抜いて、しっかり噛んでから飲み込んで、問いかけてきた司に答える。すると、司は目を輝かせながら笑みを浮かべ、やたっ、と呟きながら拳を握ってから言う。

 

 

「急じゃないよ。前から兄さんと一緒に行きたいって思ってたんだよ?部活があったから言い出さなかっただけで」

 

 

ちなみに、司が入ってる部活は剣道部だったりする。さらに中学一年ながら今年の全中で優勝するという凄まじい腕前なのだ。病室で、その事を自慢げに話す司を見ながら、手合わせしてみたいと少し疼いたのはご愛嬌。

 

 

「で?今日は部活は休みなのか」

 

 

「そ。顧問の先生が出張でいないの。だからいいでしょ?」

 

 

司はそういう嘘を吐く人ではないため、本当に休みなのだろう。ならば、特に断る理由もない。

 

 

「あら、なら私も行っていいかしら?私も会ってみたいのよ~。慶介のか…」

 

 

「そういうんじゃないから。てか、母さんは今日仕事だろ」

 

 

だがこの人は別だ。即座に恵子の提案を突っぱねる。子供っぽく唇を尖らせているが、無視。…美しさが際立つ恵子がその仕草をやると、ギャップというか、色々とクルが無視だ。

 

恵子はピアノの先生をしているのだ。生徒の家へ赴き、またはこの家へ招いてピアノのレッスンをしている。ちなみに今日はこの家へ来る生徒を教える日だ。

 

 

「残念でしたー。じゃ、私は一足先に顔を見て来るねー」

 

 

「むー…」

 

 

「…」

 

 

こんな二人が、どうして大和撫子と評されているのか。いや、それは全員が家での二人を見ていないからなのだが…、本当にどうしてそんな風に言われているのかわからなくなってくる慶介。

 

これ見よがしに恵子に向かって胸を張る司と、それを不満気に見る恵子を眺めながら、慶介は最後に残ったクロワッサンを飲み込んで、ごちそうさまと一言口にしてから席を立つのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

艶やかな栗色の髪が四方に流れている。その髪を覆うナーヴギアのインジゲータLEDが三つ、青く輝いている。正常に通信が行われている証拠だ。今この瞬間にも、ナーヴギアの持ち主…アスナは、あの世界に囚われているのだ。

 

 

「…そろそろ帰るね、アスナ。また来るよ」

 

 

ベッドサイドに置かれた時計を見ると、いつの間にか正午になっている。それを見て、椅子に腰を下ろしていた二人…、深井幸【ふかいさき】と、桐ケ谷和人は立ち上がる。幸は未だ眠り続けるアスナに声をかけて、そっと手を握る。

 

和人はその光景を眺めながら、憂いを感じる。あの世界で命を賭して、自分達を掬ってくれた少年の事を思い出していたのだ。あの時、何が彼をあそこまで突き動かしていたのか…今ならわかる。

 

アスナのためだ。勿論、アスナだけではないだろう。自意識過剰の様に聞こえるかもしれないが、自分や幸、他にもクラインやエギルに、他の黒猫団のメンバー達。彼は救いたいと思っていたはずだ。それでも、一番はアスナだったのだ。

 

だが…、彼女は未だ目を覚まさない。ログアウトできていない。SAOが破壊された今、ナーヴギアを外してはどうだろうかと考えた事はあったが、その場合、何が起こるかわからない。…いや、恐らくは。ナーヴギアの隠された機能が動き、アスナは────

 

ここまで考えた時、病室の扉が開く音が聞こえた。和人と幸が目を向けると、二人の男性が病室の中へ入ってきた。その内の一人、恰幅の良い初老の男性は見覚えがあった。

 

 

「桐ケ谷君、深井さん。来ていたのか、度々すまんね」

 

 

仕立ての良いブラウンのスリーピースを着込み、体格のわりに引き締まった顔をしている。だが、オールバックにまとめた白みがかった髪が、二年の心労を窺わせる。

 

アスナの父、結城彰三だ。アスナからは実業家だと聞いた事はあったが、総合電子機器メーカー<レクト>のCEOと知った時は、和人も幸も大きく驚愕したものだ。

 

 

「こんにちは」

 

 

「お邪魔してます、結城さん」

 

 

二人は頭を下げて口を開いた。

 

 

「いや、いつ来ても構わんよ。この子も喜ぶ」

 

 

彰三氏は言いながら、アスナが眠るベッドに歩み寄ると、栗色の髪をそっと撫でた。少しの間、そうしてアスナの髪を撫で続けていた彰三氏だったが、顔を上げると背後に立つ男に手を伸ばした。

 

 

「彼とは初めてだったな。うちの研究所で主任をしている、須郷君だ」

 

 

ダークグレーのスーツを着込み、やや面長の顔に眼鏡をかけている。レンズの奥は細い目が覗いていて、さっきからずっと笑った表情のままでいたのが見えていた。

 

 

「須郷伸之です。…そうか、キリト君とサチさんだね?」

 

 

「…桐ケ谷和人です、よろしく」

 

 

「深井幸です」

 

 

差し出された須郷の手をそれぞれ握り返しながら、二人は彰三氏に視線を向ける。

 

 

「SAO内部の事については口外禁止だったな。すまない。…だが、つい喋ってしまった。勿論、彼の事については話していない」

 

 

和人と幸は、彰三氏にSAO内でアスナの周りで起こったことを、知っている限り話した。彼には知る権利があると考えたからだ。キリトである自分と、ケイ、アスナの三人でパーティーを組んでいた時期があった事。ケイがアスナを気遣って、パーティーを解消した事。それでも、アスナはずっとケイと接触を計ろうとした事。二人をパパ、ママと呼んだユイの事に、アスナを現実に返すために、茅場とケイが相討ちになった事も…。

 

 

「彼は私の腹心の息子でね。昔から家族同然の付き合いをしているんだ」

 

 

「ああ、社長。その事なんですが…」

 

 

幸から手を離した須郷が彰三氏に体を向ける。

 

 

「来月にでも、正式にお話を決めさせて頂きたいと思います」

 

 

「…そう、か。しかし、君は良いのかね?まだ若い。新しい人生だって…」

 

 

「僕の心は昔から決まっています。明日奈さんが美しい姿でいる間に…、ドレスを着せてあげたいのです」

 

 

隣に立つ幸が状況を呑みこめずにいる中、和人は目を細める。

 

 

「そうだな…。そろそろ、覚悟を決める時期かもしれん」

 

 

呟いてから、彰三氏が和人と幸に向き直る。

 

 

「では、私はこれで失礼させてもらうよ。桐ケ谷君、深井さん、また会おう」

 

 

そう言い残すと、彰三氏はベッドから離れ、そのまま病室を去っていった。開閉する際の二つの音が、室内に響き渡る。

 

彰三氏が退室して少しすると、須郷がゆっくりとベッドの下端に回り込む。そしてアスナの髪を左手で一房つまみ上げて、頬にすり合わせる。こちらに不快感を持たせる、君の悪行動。

 

 

「君たちは、あの世界で明日奈の友人だったらしいね」

 

 

彰三氏が傍に居た時とは、声から受ける感じが全く違う。完全にこちらを見下し、そしてまるで、アスナは自分の所有物だと言うように、こちらの目があるにもかかわらず、無遠慮にその手でアスナに触れている。

 

 

「さっきの話はねぇ…、僕が明日奈と結婚するという話だよ」

 

 

こちらの返事も待たず、須郷は話を続けた。にやにやと笑いながらいう須郷に、幸が僅かに体を震わせる。

 

 

「できるんですか、そんな事が」

 

 

「確かに、意思確認ができない今、法的入籍は出来ない。書類上は僕が結城家の養子に入る事になる。…実のところ、この娘は昔から、僕を嫌っていてね」

 

 

左手の人差し指をアスナの頬に這わせながら須郷が言う。

 

 

「いざ結婚となれば、拒絶される可能性が高いと考えていた。だからこそ、この状況は僕にとって都合がよくてね」

 

 

「っ、やめて!」

 

 

須郷の指が、アスナの唇に近づいていく。直後、幸が踏み出し、須郷の手首を掴んでアスナの顔から引き離した。

 

 

「あんた…、アスナの昏睡状態を利用する気か」

 

 

強張った声で和人が問い質す。すると、須郷は幸の手を振り払って、両腕を広げて芝居じみた仕草をとりながら笑う。

 

 

「利用?ハハハハッ!正当な権利と言って欲しいねぇ?ねぇ桐ケ谷君。SAOを開発したアーガスがあの後、どうなったか知ってるかい?」

 

 

「解散したと聞いた」

 

 

「うん。開発費に加えて、事件の補償で莫大な負債を抱え、会社は消滅した。そこで、SAOサーバーの維持を委託されたのがレクとのフルダイブ技術研究部門。…僕の部署さ」

 

 

目を見開いて固まる和人と幸の前に回り込み、須郷はさらに続けた。

 

 

「つまり、明日奈の命は僕が維持してると言っていい。なら、これくらいの対価を要求したっていいとは思わないかい?」

 

 

この男は、どこまで下衆なのか。今すぐにこの男の本性を彰三氏に伝えたい。伝えて、アスナとこの男の婚約を解消させてやりたい。だが…、それをできる手段がない。たとえできたとしても、この男の言う通り、アスナの命を握られているのは事実。もし彰三氏に知られ、婚約が解消されたとなれば何をするかわからない。

 

何も、できない。無力だ。

 

 

(ケイなら…)

 

 

ケイなら、どうするだろうか。アスナのためにどうするだろうか。

奴ならきっと、何とかして見せるのだろう。だが…、自分には、どうする事も出来ない。できる事を、見出すことができない。

 

 

「式は来月、この病室で行う。君達も呼んでやるよ」

 

 

哄笑を耐えながらそう言った須郷は、そのまま病室を去っていった。残された和人と幸。

二人とアスナだけが残った病室には、沈黙だけが流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

一人の少年と少女がこちらに歩いてくるのを見て、すぐにその場から離れる。傍らの司が不思議そうにこちらに視線を向けてくるが、構わず壁に身を隠して、病室から出てきた二人の姿を見つめる。

 

 

(…キリト、サチ)

 

 

あの世界と格好は違うが、見間違うはずもない。二人の様子から見て、どうやらリハビリを終えて外に出れるようになってから、定期的にアスナの見舞いに来ているらしい。これまで、二人と遭遇してこなかった事に驚きを隠せない。

 

だが────それよりも。

 

キリトとサチの姿が見えなくなってから、慶介は司を連れてアスナの病室へと入っていく。

 

 

「…この人が」

 

 

ベッドに眠るアスナの姿を見て、司がぽつりと呟いた。

 

衰弱し、頬が痩せてはいるがその美しさは変わらない。あの世界で出会い、愛した女性が、まだ囚われたままの姿でいる。

 

慶介はベッドに傍らに置かれた椅子に腰かけ、隣にあるもう一つの椅子をぽんぽんと叩いて司に座るように促す。司は一瞬、ぴくりと体を震わせた後に、おずおずと慶介の隣に腰かける。

 

 

「紹介する。彼女がアスナだ。剣の速さと正確さは、誰も敵わなかった。…後、しつこさも」

 

 

司にアスナを紹介し、最後に本当にアスナが聞いていたら機嫌を損ねていたであろう言葉を小さく呟く。そして、慶介の呟きが聞き取れなかったのだろう。首を傾げている司に手を向けながら、慶介は続けた。

 

 

「アスナ、こいつが俺のなっまいきな妹の司だ」

 

 

「…初めまして、アスナさん。私が、そこにいるダメダメな兄の世話を焼く、可愛い妹の司です」

 

 

「…待て、誰がダメダメだ。そして誰が可愛いって?」

 

 

「あれ?兄さん、耳がおかしくなっちゃった?私が可愛くて、兄さんがダメダメなの」

 

 

むっ、と鋭い視線を向け合う兄妹。だが、すぐに剣呑とした空気は霧散し、二人は笑みを向け合う。

 

 

「とまぁ、こんな感じで兄妹仲は悪くないんだ。…生意気だけど」

 

 

「何か言った?」

 

 

今度は聞き取れていたらしい。その上で、笑みを浮かべながら威圧的に問いかけてくる司に目も向けず、「別に」と一言返してから、慶介はアスナの左手を持ち上げて、両手で握る。

 

あそこまで騒がしくしても、アスナは何も言わない。病院では静かに、と叱咤されそうなものだが…、アスナはまだ眠ったまま。

 

 

「…」

 

 

『僕が明日菜と結婚するという話だよ』

『明日菜の命は僕が維持してると言っていい』

 

先程、病室の前で聞いたあの男の言葉が脳裏を過る。アスナの手を握ったまま、慶介は両目を閉じる。

 

アスナの手はすっかり細くなっているが、暖かい。アスナが生きている証だ。

この小さな手の温かさに、ずっと救われていた。…自分で気付いたのは、遅くなってしまったが。

 

 

「…須郷伸之、か」

 

 

両目を開けながら、病室を出ていった細身のスーツを着た男を思い出す。

 

須郷伸之。結城家とは長い付き合いのようで、小さい頃からアスナとは婚約者の様な立場にいたのだろう。アスナの父、結城彰三は須郷の本性を見抜けず、アスナを下衆の男に手渡そうとしている。

 

 

「兄さん…」

 

 

慶介と同じく、司も先程の話を聞いていたのだ。慶介がどんな思いをしているのか、気遣っているのが、表情から見てとれる。

 

 

「司、少し用事ができた。迎えは好きな時に呼んで、一人で帰れ」

 

 

「え…?に、兄さんっ?」

 

 

背後から司が呼び止めるが、慶介は構わずそのまま病室を出ていく。病院の廊下を歩き、エレベーターに乗り込んで一階へと降りる。

 

 

(ごめん、アスナ。しばらく、ここには来れなくなる)

 

 

一階へ下降するエレベーターの中で、慶介は病室で眠るアスナに向けて心の中で謝罪の言葉を呟く。

 

 

(いつになるかはわからない。…でも、次に会う時は)

 

 

現実で。

 

エレベーターから降り、受付ホールを通り抜けて、出口から外に出た慶介はコートのポケットからスマホを取り出す。

 

 

「もしもし。…あぁ、俺だ」

 

 

スマホの電話帳から番号を呼び出し、電話を掛けると数コールで相手が出てくる。相手は慶介の携帯番号を登録しており、すぐに掛けてきたのが慶介だと断定していた。

 

相手が向こうで何やら話し始めるが、慶介としては世間話に付き合うつもりはない。相手の話を遮って、すぐに本題に入らせる。

 

 

「あんたに少し聞きたい事がある。今日中に来れる…よな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第57話 掴んだ手掛かり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京都中央区銀座。日本最大の繁華街であり、デパートや洋服の店に並ぶ商品の値段から、富裕層の街というイメージが着いている。高そうな衣服を着込み、優雅に歩くマダムとムッシュが多くいる銀座の街にある、高級そうな雰囲気がぷんぷんと醸し出すカフェ。その中にある二人用の席、慶介は腰を下ろしていた。

 

テーブルの上には、慶介が頼み、ウェイターの男が置いていった紅茶の入ったカップがある。中の紅茶から上がる湯気が消えている事から、それなりに長い時間、慶介がこのカフェにいるのが窺える。

 

慶介がこのカフェに来た理由は、アスナの見舞いに行った病院から出た際に掛けていた電話が関係する。電話を掛けた相手とここで待ち合わせをしているのだが、なかなか来ない。

 

テーブルに載ったカップを手に取り、縁に口を付けて紅茶を含める。そしてカップをテーブルへと戻した時、入り口の扉が開く際に鳴るベルの音が店内に響いた。中へ入ってきたのは、スーツを身に着け、眼鏡をかけた人の良さそうな顔をした男。

 

 

「いらっしゃいませ。お一人様でよろしいでしょうか?」

 

 

「いや、待ち合わせで…。あっ、ケイくーん!」

 

 

店に入ってきた男とウェイターが話す中、不意に男の目が慶介の姿を捉えると、ぶんぶんと腕を振りながら大きな声でこちらを呼ぶ。瞬間、店内で寛いでいたマダム達が慶介を呼んだ男に冷たい目を向ける。

 

 

「あの子と待ち合わせしてたので、案内は結構です。いやぁ~、遅くなってすまなかったね」

 

 

だが、マダム達の視線に気付いていないのか、男は構うことなく声のボリュームをそのままに、テーブルを挟んで慶介の正面の席に腰を下ろす。

 

 

「少し静かにしてくださいよ…。周りの迷惑でしょう、菊岡さん」

 

 

「あ…、あー…。うん、すまなかったね…」

 

 

菊岡誠二郎。それがこの男の名前だ。この男は総務省総合通信基盤局高度通信網振興課題二分室、または通信ネットワーク内仮想空間管理課と言われる、通称仮想課の職員。

SAOをログアウトしてから数日後、菊岡は慶介との面会を求めた経緯がある。それに対し、慶介はある条件を菊岡に飲ませ、アインクラッドで自身に起きた全てを話している。

 

遅れたことは別に気にしていない。急に呼び出したのはこちらだし、むしろ今日中に話す機会を作ってくれたことに対して感謝している。だが…、店内の空気は読んでほしかった。菊岡には、こういうやや空気が読めない一面があり、慶介は少し苦手にしている。

 

なら、何故その苦手にしている菊岡を慶介は呼び出したのか。

 

 

「さて…、遅れてきてなんだと思われるかもしれないけど、僕も時間を押してここに来てるんだ。早速、本題に入ろうか」

 

 

菊岡の言葉に頷きながら、慶介はコートのポケットからスマホを取り出すと、操作をしてから菊岡に差し出す。菊岡は慶介からスマホを取り出すと、椅子の足下に置いたカバンからイヤホンを取り出し、慶介のスマホに接続する。そして、イヤホンを耳に着けてから、スマホの画面を一度タップする。

 

菊岡が、慶介のスマホに録音された何かをイヤホンを通して聞く。およそ五分ほど経っただろうか、菊岡はイヤホンを外し、慶介にスマホを返す。

 

 

「…正直、想像以上の事が聞けたよ。まさか、SAOから約三百人のプレイヤーが意識を取り戻さない、この状況を利用するつもりとはね…」

 

 

菊岡がイヤホンを通して聞いていたのは、アスナの病室で表した、須郷の本性だった。初めの部分は僅かに抜けているが、アスナとの結婚の手段に関してはしっかりとスマホに録音されている。

 

 

「聞きたい事の一つ目は、この話の是非だ。アーガスが解散したのは知ってるが、SAOサーバーがレクトに委託され、維持を任されている。…本当なんだな?」

 

 

「うん。それは本当の話さ。そして、サーバーの維持を中心的に行ってるのは…、須郷伸之が主任を務めている、フルダイブ技術研究部門だ」

 

 

「…」

 

 

正直、全くもってあり得ないとは考えていた。それでも、そうであってほしいと思っていた、須郷の嘘方便という可能性はあっさりと否定される。

 

 

「だが、レクトは今、かなり規模があるVRゲームのサーバー維持をしているはずだ。その上で、SAOのサーバー維持までできるものなのか?」

 

 

「いや。普通、SAOクラスの規模のサーバー二つを同時に維持するなど不可能…。と、言いたいんだがね。彼…、須郷伸之なら不可能ではない、と判断せざるを得ない」

 

 

「…引っ掛かる言い方だな」

 

 

まるで、自分の本意ではないと言わんばかりの言い方で慶介の問いに答える菊岡。菊岡は両肘をテーブルに立て、組んだ両手の甲で口を隠しながら続けた。

 

 

「SAO事件によって、VRゲームに向けられる世間の目は冷たいものに変わった。…だが、それでもフルダイブ型のゲームを求める人を止められなくてね。そこで、レクトを含めた大手メーカー達はこれを開発した」

 

 

言いながら、組んだ手を外した菊岡は、足元のカバンから薄めの段ボール箱と、小さなパッケージを取り出した。菊岡は二つの箱をテーブルに置くと、段ボールの方を慶介の方に押し出す。箱の面には、白色のリング状の機器が描かれており、その右下部に<AmuSphere>というロゴ。

 

 

「これは?」

 

 

「<アミュスフィア>。君達がアインクラッドにいる間に、今度こそ安全と銘打たれて発売された、ナーヴギアの後継機さ」

 

 

アミュスフィア、名前だけは知っていた。ケイ達がSAOに囚われている間に、それによって従来の据え置き型のゲーム機とシェアを逆転するまでになった。しばらくの間、フルダイブ型ゲームからは距離をとろうと考えていたため、実物を見るのは初めてだった。

 

 

「そしてこれが、レクトの研究部がサーバーを管理しているゲーム。<アルヴヘイム・オンライン>」

 

 

続いて、菊岡はもう一方、パッケージを慶介に差し出す。手のひらサイズのパッケージは、明らかに何らかの…いや、アミュスフィアを実機としたゲームソフトで間違いない。

 

菊岡から受け取ったパッケージをまじまじと眺める慶介。深い森の上空には巨大な満月。満月に向かって、少年と少女が剣を携え飛翔しているイラストが描かれている。二人の格好はオーソドックスなファンタジー系だが、背からは透明な羽が伸びている。

 

 

「妖精の国、ね。ほのぼの系か?」

 

 

「いや。どスキル制。プレイヤースキル重視の上に、PK推奨のハードなゲームだよ」

 

 

「…」

 

 

パッケージのイラストと、ゲームのタイトルからまったり系のMMOと予想していたが、そうではないらしい。

 

 

「レベルは存在せず、各種スキルが反復使用で上昇する。戦闘もプレイヤーの運動能力依存。魔法有りのSAOってところだね。グラフィックや動きの制度も凄まじいらしい」

 

 

「へぇ…。で、これがさっきの話と何の関係が?」

 

 

先程の菊岡の言いぶりから、須郷伸之をマークしている風だった。それと、このアミュスフィアとアルヴヘイム・オンラインというソフトと、どんな関係があるのか。

 

 

「…これを見て欲しい」

 

 

菊岡が、スーツの胸ポケットから一枚の写真を取り出すと、テーブルの上に置いて慶介の前へと差し出す。

 

 

「…っ!?」

 

 

視線を落として写真を見た瞬間、慶介は大きく目を見開く。驚愕するしかなかった。

 

 

「バカな…、何で…!?」

 

 

テーブルから写真を手に取って、映っていたものを見つめる。

特徴のある色合いは、現実世界ではなく仮想世界の中で撮られた証拠。ぼやけた金色の講師が一面に並び、その奥には白いテーブルと椅子、そしてそこに腰を下ろす白いドレス姿の女性。

 

 

「アスナ…!?」

 

 

かなり引き延ばしたらしく、画質が荒い。だが、長い栗色の髪と整った顔立ち、見間違うはずもない。アスナだ。

 

 

「おい!この写真は何だ!!」

 

 

ここがどこだったかも忘れ、両手で机を強く叩きながら、勢いよく立ち上がる。慶介の足に押され、腰を下ろしていた椅子が倒れそうになるが、構っていられない。

 

 

「ケイ君、落ち着いて…」

 

 

「落ち着いていられるか!これは…!」

 

 

先程とは立場が逆になってしまった。菊岡が慶介を宥め落ち着かせようとするが、慶介に効果は与えられない。それどころか、なかなか話さない菊岡に焦らされ苛立ちが募る。

 

だが、再び写真を見下ろした時、慶介はある事に気付く。それは、アスナの背から伸びる透明な羽。ついさっき、見覚えのある物だった。

 

 

「この羽は…」

 

 

「そう。アルヴヘイム・オンラインのアバターが持つ羽で間違いないと思うよ。その写真が撮られた場所もそのゲームの中だからね」

 

 

「なに…?」

 

 

視線を菊岡へと戻す。

 

 

「僕は、この写真に写っている女性は、結城明日菜さんだと考えている。…君は、どう思う?」

 

 

「…アスナ、で、間違いないと思う」

 

 

椅子に腰かけながら、菊岡の問いかけに答える。

 

菊岡は、SAOからの未帰還者について捜査している。アスナの顔も、データを見て知っているため、この写真を慶介に見せに来たのだろう。慶介から電話が来なければ、自身から連絡を取るつもりだったとこの店で会う約束を取り付ける際に、菊岡は言っていた。

 

 

「けど、この写真はどうやって…」

 

 

だが、この写真はどういう経緯で撮られたのか。それについて問いかけると、菊岡はゆっくりと口を開く。

 

 

「世界樹、と呼ばれる場所があってね。プレイヤー達の目標は、その世界樹を踏破する事なんだけど、一部のプレイヤー達は普通に踏破するのが不可能だと考え、少し狡い事を考えた」

 

 

まず、アルヴヘイム・オンラインのプレイヤーの数が爆発的に増えた理由の一つに、飛べるというのがある。フライトエンジンを搭載しており、背中から伸びる羽を使って飛べるのだ。初心者のために、飛ぶためのコントローラーがあるのだが、慣れればコントローラー無しで自由に飛び回れるようになるという。

 

 

「けど、飛ぶにも滞空時間というものがあって、無限には飛べないらしい。だから、世界樹を踏破するには内部から登らなきゃいけなかったんだけど…、ちょっとずるがしこいプレイヤー達が面白い事を考えてね」

 

 

体格順に五人が肩車をして、多段ロケット方式で樹の枝を目指した。少々無茶苦茶な方法だとは思うが、思惑は成功し、枝にかなり肉薄したという。それでも到達する事は出来なかったらしいが、証拠を残そうと、一人のプレイヤーが何枚も写真を撮った。

 

その中の一枚が、今、ケイの手にある、鳥籠の中に閉じ込められたアスナが写った写真である。

 

 

「…」

 

 

写真に写るアスナを見つめながら、思考を働かせる。

アミュスフィア、アルヴヘイム・オンライン。それらを開発したレクト。SAOのサーバーを管理し、同時にアルヴヘイム・オンラインのサーバーも管理しているレクト。

 

SAO未帰還者の一人であるアスナが、何故かアルヴヘイム・オンラインの中に監禁されている。

 

 

「…菊岡さん」

 

 

「残念だけど、他のSAO未帰還者の存在を証明する物はないんだ。それに、この写真だって、NPCだと言われたらそれを認めざるを得ない」

 

 

この写真一枚では証拠能力が弱すぎる。須郷を追い詰める事は出来ない。だが…、手掛かりは掴めた。

 

 

「菊岡さん、このソフトを貰うことできますか?」

 

 

「…むしろ、そのつもりで持ってきたんだけどね。君に、アルヴヘイム・オンライン内部の捜査を頼みたいと思ってたんだ」

 

 

菊岡もそういうつもりでソフトを持ってきたという。

 

 

(…こういう所が、な)

 

 

「それで、ハードの方も用意してある。といっても、今日持ってきたこれなんだけどね」

 

 

さらに用意周到なことに、今目の前にあるアミュスフィアは、慶介のために持ってきたのだという。まるで菊岡の掌で踊っているようで気に入らないが…、力になってくれるのなら、それでアスナに近づけるのなら、とことん踊ってやろう。

 

それに────

 

 

「アミュスフィアはいらない」

 

 

「え?」

 

 

慶介の一言に、菊岡の目が丸くなる。

 

 

「じゃあ、どうやって…」

 

 

ハードがなければソフトは使えない。なら、慶介はどうするつもりなのか。計り切れなかった菊岡が、慶介に問いかける。

 

 

「その代わり…」

 

 

菊岡の問いかけに対し、慶介は口を開いて…、一度間を置いてから、こう続けた。

 

 

「俺のナーヴギアを用意してほしい」

 

 

「…へ?」

 

 

慶介がそう答えた直後、菊岡の口から素っ頓狂な声が漏れる。そして、さらにその直後には、菊岡が驚愕の声が続けて漏れた。

 

 

「えええぇ!!?」

 

 

周りのマダム達が、慶介と菊岡の二人を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第58話 祝福と共に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「慶介様。慶介様宛のお届け物が届いております」

 

 

部屋の外から、メイドの報告が来たのは菊岡との対話の翌日だった。<アルヴヘイム・オンライン>、通称ALOの情報が載ったWebページが映るPCの画面から視線を切り、回転椅子から跳ぶようにして降りる。

 

どん、と音を鳴らしながら両足は床に着き、すぐさま部屋から飛び出る。部屋の前では畏まった体勢でメイドが立っており、飛び出てきた慶介に驚いた表情を見せる。慶介はメイドに対し、一言、悪いと呟いてから問いかける。

 

 

「荷物はどこに?」

 

 

「あ…。今、奥様が業者の方から預かって、リビングに…」

 

 

「わかった」

 

 

戸惑い、おどおどした様子で答えるメイドに、簡潔に声をかけてすぐに足を進める。菊岡に頼んでおいた荷物が届いたのはいいが、その中を見られる訳にはいかない。何しろ、荷物の中身はナーヴギアだ。自分をあの世界に幽閉した、悪魔の機械。何のつもりでナーヴギアを受け取ったのか、そして、ナーヴギアを慶介に送ったのは誰なのか。

 

心配してくれる気持ちは嬉しいが、立ち止まっている暇はない。どれだけ怒られるかはわからないが、事情を話すのは、全てを終わらせてからだ。

 

 

「あら、慶介。荷物が届いてたわよ」

 

 

「あぁ、聞いてる」

 

 

リビングまで来れば、恵子は大きめの段ボール箱を抱えており、テーブルに置こうとしていた。

 

 

「こんなに大きな荷物、中身は何なの?」

 

 

やはり、聞いてきた。

 

 

「ちょっと作ってみたい物があってさ。友達から部品送ってもらったんだよ」

 

 

本当の事は言えない。だから、胸の奥から湧いてくる罪悪感を抑えて、嘘をつく。

 

 

「そう…。でも、気を付けなさいよ?あなた、最近は機械の事になると時間を忘れるんだから」

 

 

「はいはい」

 

 

恵子からずっしりとした重みのある段ボール箱を受け取って、簡潔に返事を返してから慶介は元来た道を戻っていく。先程、慶介に荷物が来たことを報告してくれたメイドとすれ違い、そして自室へ入る。

 

慶介は扉の鍵を閉めてから、すぐに中に衝撃がいかない様に、そっと段ボール箱を床へ置き、蓋を塞ぐガムテープを剥がす。箱の蓋が開くまでの分を剥がし終えると、ガムテープを丸めてゴミ箱へ投げ入れる。

 

 

「…もう二度と被るつもりなかったんだけどな」

 

 

およそ一万人の人達をSAOの世界へ誘い、およそ三千五百人の人達を殺した機械。

 

SAOがクリアされ、未だに目が覚めない三百人以外の、現実に帰還したプレイヤー達が使用していた内、ほとんどのナーヴギアは仮想課の職員達に回収された。今、慶介がナーヴギアをその手に戻したのは、菊岡が特別に認めた特例。

 

ALOの中に入り、手に入れた情報を菊岡へ報せる。それを条件に、特別に送ってもらっただけなのだ。

 

ナーヴギアと一緒に入っていた小さなパッケージ、それを開けて中から小型のROMカードを取り出す。慶介がログインする、アルヴヘイム・オンラインのソフトだ。

 

ナーヴギアの電源を入れ、インジゲータの光が点滅したのを確認してから、スロットにカードを入れる。すぐにナーヴギアはソフトを読み込み、インジゲータの光は点滅から点灯へと変わる。

 

慶介はベッドに腰を下ろすと、頭にナーヴギアを装着して体を倒した。顎の下でハーネスをロックし、バイザーを下ろして目を閉じる。また仮想世界に飛び込むことができるという興奮か、はたまた不安か。慶介自身でも原因が分からない心臓の激しい鼓動を抑えながら、慶介は呪文を口にする。

 

 

「リンク・スタート」

 

 

言った途端、閉じた瞼を透かして届いていた僅かな光が消え、慶介の視界は暗闇に包まれる。すぐに視覚、聴覚や触覚などの感覚チェックが始まり、次々にOKの文字が流れていく。様々なチェックが行われるのを、慶介はぼんやりと終わるのを待っていると、足元から虹色のリングが近づいてくるのに気付く。

 

リングを潜り、目を開けた慶介を待っていたのは、巨大な、アルヴヘイム・オンラインと書かれたロゴだった。だが、当たりは暗闇に包まれたまま。どうやらアカウントを登録する場らしい。

 

まずは新規IDとパスワード。MMOゲームを始めてからずっと使っている文字列を流用し、二つの入力を終える。次にハンドルネームの入力を求められる。

 

 

「…」

 

 

ここで、慶介は手を止める。だがすぐに手を動かし、文字を入力していく。

 

<Kei>

一瞬躊躇いはしたが、やはりこれしか思いつかない。それに、SAO世界でのこと、特にキャラクターネームについては一切の情報は公表されていない。まさか、SAOユーザーがこんな短期間の内に、別のフルダイブゲームをプレイしようとも考えないだろう。

 

この名前が須郷に知られている可能性はあるが、<ケイ>は死んだと、あの場面を見たSAOプレイヤー達は考えている。菊岡にも、自分から話したいからと口止めしてある。<ケイ>が生きていると知られてはいない、と、思いたい。

 

一抹の不安を感じながら、次の性別を男と入力したケイに、次に求められたのはキャラクターメイクだった。といっても、初期段階では種族の選択があるだけで、外見はランダムで作成されるとの事。

 

種族は九種類あり、それぞれに多少の不得手があるらしい。火妖精サラマンダー、水妖精ウンディーネ、風妖精シルフ、土妖精ノーム、鍛冶妖精レプラコーン、猫妖精ケットシー、影妖精スプリガン。そして、闇妖精インプ。

 

スプリガンを選択枠に捉えた時、キリトが好みそうな初期装備だなと考えながら、次のインプにおっ、と心の中で手ごたえを感じる。さすがに今目の前に映る筋肉隆々の外観は抵抗を覚えるが、黒とも言い難い、青は混ざったような色をした初期装備は、SAO時代に装備していたあの和服を思い出させる。

 

慶介はその初期装備を見て、即決でインプを選び、OKボタンをタップする。

 

 

『全ての初期設定が終了致しました。それでは、幸運を祈ります』

 

 

人工音声が流れると、ケイの体が光の渦に包まれる。説明によると、それぞれの種族のホームタウンからゲームが始まる。光の渦に包まれた直後、ケイの足から床の感覚が消え、浮遊感が、後に落下の感覚に襲われる。

 

光の中から、徐々に暗闇に包まれた小さな町が見えてくる。あそこが、インプのホームタウンなのか。

 

 

「…ん?」

 

 

ここで、ケイはある違和感を感じる。いや、別におかしなことは何も起こっていない。

眼下にはホームタウン。そして、街に向かってケイは落下を続ける。…速度をどんどんと上げながら。

 

 

「あの…。速すぎません?」

 

 

落下速度がさらに上がっていく。だけではない。次の瞬間、ケイの視界のあちこちでポリゴンが乱れ、ノイズが奔る。違和感どころではない。明らかに、異常だ。

 

 

「ちょっ、待てっ!何だよこれはぁああああああああああああああああ!!!」

 

 

あまりの事態にあげた悲鳴は、闇の中へ溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物理法則に従い落下していく中、ケイの周りの景色が次第に整っていく。先程、インプ族のホームタウンを見下ろした時は、種族の特性に合った景色なのだと考えていた空の暗さは、ただ夜の闇に包まれていただけだったようだ。月明かりが地面を照らし、空では浮かぶ雲がはっきりと見える。

 

だが、空の雲と月に関しては、ケイの目には全く入らなかった。

何故か────頭を下にして、落下を続けていたからである。

 

 

「うぉおおおおおおおおおおおやばいやばいやばいやばぃいいいいいいいいいいいいいいい!!!」

 

 

地面が近づいてくるのがわかる。このままでは、顔面で着地する羽目になってしまう。ここは仮想世界なのだから、特に痛みを感じたりはしないのだろうが…、そんなギャグマンガのワンシーンのような、そんな事態になりたくない。

 

ケイは空中で体をもがかせ、作った反動を利用して体の向きを反転させる。何とか両足の裏を地面へと向けることができたケイは、そのまま体勢を整えながら着地の衝撃に備える。

 

 

「いっっっっっ…!?…たくはない、な」

 

 

遂にケイの両足が地へと着いた瞬間、全身の強烈な衝撃を奔る。痛みではないのだが、深い以外の何物でもないその感覚に、思わず歯を食い縛る。次第に不快感が収まり、元の感覚に戻り始めた所でケイは周りの景色を見渡す。

 

砂、砂、砂────。どうやらここは砂漠地帯らしい。ケイの周り一帯、砂しか目に入らない。

 

 

「…何か、初っ端から難易度高いステージに放り込まれてんなぁ」

 

 

ケイの視界には町も、オアシスのような場所すらもある気配がない。初心者を送り出すにしては、何と厳しい場所だろう。

 

 

「しかし…」

 

 

どんな原因でこんな所に放り出されたのか、ここでそれを考えてもどうする事も出来ない。なら、これからどうするべきかを考える方が先決だ。

 

そう思い、ケイは改めて当たりの景色を見回す。だが、やはりどれだけ目を凝らして見ても、周りには砂しかない。もし現実でこんな事態に陥っていたら、どれほどのパニック状態になっていただろう…。

 

 

(…まず、自分のステータスとか確認するか)

 

 

どれだけ考えてもなにも思いつかないため、これからの行動については後回しにする。それよりも先に、ケイは今の自信のアバターの状態について知る事にする。

 

SAOでもそうしたように、左手の人差し指と中指を立て、縦に振るう。ALOの中では、ウィンドウを呼び出すためには右手ではなく、左手を振るわなければならないとチュートリアルの説明で言っていたのを、ケイはしっかり覚えていた。

 

ケイの目の前に、半透明のメニューウィンドウが出る。色こそないものの、デザインはSAOのとほとんど同じものだった。右に並ぶメニューを見つめ、なければならない単語をケイは探す。

 

 

「…あった」

 

 

<Log Out>

この単語を見つけた瞬間、ケイは表情を綻ばせ、大きく安堵の息を吐く。試しに押してみると、フィールドでは即時ログアウトできませんが────と、長い警告文と共に、イエス、ノーと選択を求めるボタンが表示される。

 

どうやら、ログアウトできないのは仕様ですという展開はないようだ。再び、今度は先程よりもさらに大きく息を吐く。そして次に、自身のステータスの確認をしようと視線を映らせる────が。

 

 

「は?…何だこれ」

 

 

ウィンドウ最上部には、HPとMPのそれぞれに、420、60という初期値らしい数値が並んでいる。だが、問題はその下だ。HP、MPの数値の下には習得スキル欄が表示されているのだが、初期アバターで、何のスキルも習得していないはずなのだが、スキル名が幾つもの名称が並んでいる。

 

 

「意味わかんね…」

 

 

呟きながら、欄をタップしてスキル窓を開き、詳細を確認する。

 

片手剣849、曲刀1000、刀1000、体術1000、釣り627…。初めに見た時、いきなりバグとは、このゲームは大丈夫なのかと心配の念に駆られたが、見覚えのあるスキル名と熟練度の数値に、ケイは衝撃を覚える。

 

見覚えがあるに決まっている。これらは全て、SAOの世界で二年間、鍛え続けたスキルなのだから。幾つか欠損しているが、SAOを生きた、アバターケイの能力がそのまま、ALOのアバターに受け継がれている。

 

 

「SAOの中…?いや…」

 

 

あり得ない。今プレイしているこのゲームは、異なる会社が経営する全く別物なのだ。…その、はずなのだが。

 

何が何だかわからないまま、ケイはスキル欄を閉じ、今度はアイテム欄を開く。

 

 

「…こっちも、それはそれでひどい事になってるな」

 

 

開いたアイテム欄を見て、ケイは苦笑を浮かべる。現れたアイテム欄に並んだ羅列は、激しく文字化けしていた。一部、文字化けしていない物もある。

 

 

「…っ」

 

 

先程のスキルといい、何故か大量にストレージに入っているアイテムといい、何らかの理由でSAO時代のケイのアバターのデータが、ここに引き継がれているとみて間違いない。なら…、あれも残っているはずだ。

 

ケイはアイテム欄を下へスクロールしながら、文字化けしていないはずの、あのアイテムを探す。

 

 

「…あっ、た」

 

 

ぴたりと止まったケイの指の先には、一つのアイテムの名前。<MHCP001>というアルファベットの文字列。ケイは迷わず、そのアイテムを選択し、取り出しを行う。

 

ウィンドウ上に出現する、白く輝くクリスタル。ケイはそれを両手で掬うが、すぐにケイの両手から離れると、強く輝き始める。地上二メートル程度の場所で停止したクリスタルは、さらに輝きを強くさせる。

 

 

「…っ」

 

 

輝きの中心から一つの影が生まれた。影は徐々に形を変えていき、さらにはケイの目に色彩を映していく。靡く長い黒髪、揺れる純白のワンピース。すらりと伸びる手足は、白く透き通った綺麗な肌をしている。瞼を閉じ、両手を胸の前で組み合わせた一人の少女が、ゆっくりと地面に降り立つ。

 

瞬間、光の爆発は収まった。それと同時に、少女の睫毛が震え、ゆっくりと両目が開いていく。開いた瞼から覗く瞳が、真っ直ぐにケイの姿を捉えた途端、少女の目が細められ、唇が弧を描く。

 

 

「…目覚めの気分はどうだ?ユイ」

 

 

と、そこまで口にした瞬間、ふと気付く。ALOのアバターはランダムで決められる。そのため、今の自分の姿はSAOのものとは全く異なっているはずだ。まだ自身の造形を見ていないため、どうなっているか確認できていない。

 

ユイが、自分の事をわかるかどうか────

 

 

「はい、最高です…。おはようございます、パパ」

 

 

だが、そんな心配は杞憂だった。大粒の涙を目の端に浮かべながら、両手を差し伸べて、胸に飛び込んでくるユイ。

 

 

「パパ…!パパ…!」

 

 

どれだけ時間がかかろうとも、また三人で過ごす時間を作ろうと心に決めていた。そのために、メカトロニクスという総合的な分野の勉強も始めた。

 

恐らく、年単位…下手したら十年という年月が必要になるかもしれない。それ程の長い歳月を、覚悟していた。

 

 

「おはよう、ユイ…」

 

 

だが今、自分の胸の中にこの子はいる。短い間でも、家族として過ごした、かけがえのない娘がここにいる。

 

腕をユイの背に回し、右手を綺麗な髪の毛に滑らせる。

 

二人の頭上では、親子の再会を祝福するかのように、満月が輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第59話 砂漠にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてユイ。何が起こってるのか、わかるか?」

 

 

「…?」

 

 

辺りを探し、見つけた手ごろな岩を見つけ、そこに腰を下ろしたケイとユイ。しばらくの間、こちらに寄りかかってくるユイの頭を撫でていたケイだったが、不意に問いかける。

 

 

「何が…とは、どういうことですか?」

 

 

「いや、実はな。ここはSAOの中じゃないんだ」

 

 

首を傾げながら問い返してくるユイに、ケイは説明する。ユイを圧縮し、クライアント環境データの一部として保存した事。ゲームクリアとアインクラッドの消滅。そしてこのゲーム、アルヴヘイム・オンラインと何故かここに存在する、SAO時代のケイのデータ。

 

 

「ちょっと待ってくださいね」

 

 

ケイが説明を終えると、ユイは目を瞑り、耳を澄ますかのように首を傾けた。

僅かな沈黙の後、ユイは目を開ける。

 

 

「この世界は、<ソードアート・オンライン>サーバーのコピーと思われます」

 

 

「コピー…。つまり、基幹プログラムは同一…て事か?」

 

 

「はい。私がこの姿を再現できている事からも、それは明らかです。ただ、カーディナル・システムのバージョンが少し古いですね。乗っているゲームコンポーネントは別物ですが」

 

 

なるほど、グラフィックが騒がれるはずだ。SAOと全く同じプログラム群が使用されているのだから、SAOに迫るグラフィックだって実現できるに決まっている。

 

 

「なら、俺のデータも、SAOとの物って事か?」

 

 

「…間違いないですね。SAOとセーブデータのフォーマットが同じなので、二つのゲームに共通するスキルの値を上書きしてしまったのでしょう。HPとMPに関しては、形式が違っていたため初期化されたようです。…アイテムデータは、ほとんど破損してしまってますね。このままではエラー検出プログラムに引っかかってしまいますので、破損した方がいいかと」

 

 

「む…」

 

 

ユイのおかげで、個のアバターに起きている異常の原因は解った。ユイの言う通り、アイテムも破棄した方がいいのだろう。だが…、破棄するアイテムを範囲選択し、破棄をしますか?というウィンドウに浮かんだイエスボタンを押そうと指を向けて、動きが止まる。

 

データが破損し、オブジェクト化もできないのだ。持っていても意味はない。それでも…、あの世界の思い出が詰まった物もある。

 

 

「…っ」

 

 

一瞬、胸を駆け巡った躊躇いを打ち消して、ケイはイエスボタンをタップする。瞬間、残ったのは正規の初期装備とたった一つ、破損を免れたアイテムのみがストレージ内に残った。

 

 

「このスキル熟練度はどうするべきだ?GMに相談した方がいいのか?」

 

 

「いえ、システム的には問題ありませんので。プレイ時間と比較すれば不自然ですが、人間のGMに直接確認されない限りは大丈夫です」

 

 

「そうか…。なら、すぐに世界樹に向かえそうだな…」

 

 

問いかけに答えたユイの説明を聞いて、特に異常に関して気にしなくても大丈夫だと判断する。後は、世界樹の場所と行き方について考えながら、ステータスの詳細を眺める。

 

菊岡も言っていたが、この世界ではキャラクターの数値的強さには重きが置かれていないらしい。SAOには存在した敏捷値や筋力値というパラメータは存在していない上、話ではレベルアップによるHPやMPの上昇幅も少ないようだ。

 

 

「…そういや、この世界では、ユイはどういう扱いなんだ?」

 

 

ステータスを閉じて地図を開こうとした時、ふと浮かんだ疑問をユイにぶつける。

ユイの正体は、SAOのコアプログラムが起こした異常によって生まれた、人工知能だ。このゲームにログインした、人間のプレイヤーではない。

 

もしかしたら、またSAOの世界でのように、異物として処理されるという可能性だってあるかもしれない。そんな不安を持って問いかけたが、ユイは笑顔を浮かべがながら口を開いた。

 

 

「このアルヴヘイム・オンラインにも、プレイヤーサポート用の擬似人格プログラム用意されているようですね。<ナビゲーション・ピクシー>という名前ですが…、私はそれに分類されています」

 

 

言い終わった直後、ユイが難しい顔をしたかと思うとすぐに体が発光を始める。だがすぐに光は消滅し、ケイの目からユイの姿が消えていた。

 

 

「なっ…!ユイ!?」

 

 

慌てて立ち上がりながら、声を上げる。すぐに周りを見渡してユイの姿を探すが、どこにも見当たらない。

 

 

「パパー、こっちですよー」

 

 

ユイの声がする。ばっ、と勢いよく視線をユイの声がした方へと向ける。

 

身長は十センチほどだろうか。薄い紫の、花びらをかたどったワンピースを着た、長い黒髪を伸ばしている。小さな背中からは二枚の翅が伸びており、まさに妖精というべき姿をしたユイが、岩の上に立っていた。

 

 

「これが、ピクシーとしての姿です」

 

 

翅を羽ばたかせ、ふわりと浮かぶと移動し、ケイの左肩で足を着ける。

 

 

「ほー…」

 

 

両手を腰に当て、胸を張るユイの頬を、指先でつんつんとつつく。先程、目の前で起きた光景に感動しながらの行動だったが、ユイがくすぐったそうに身を捩るのを見て、すぐに指を引っ込める。

 

指をひっこめたケイは、肩にユイが腰を下ろしたのを見ながら口を開く。

 

 

「前の様に、管理者権限は…ない、よな」

 

 

「はい…。できるのは、リファレンスと広域マップデータへのアクセスくらいです。接触すれば、相手プレイヤーのステータスを確認する事は出来ますが、主データベースにはアクセスできないようです…」

 

 

「…そうか」

 

 

しゅんとした声で答えたユイの頭を、指先でそっと撫でてから、ケイは空を見上げながら再び口を開く。表情を改め、本題を切り出す。

 

 

「実はな…、ここに、ママがいるらしいんだ」

 

 

「え…!?」

 

 

言ったケイの肩から飛び出し、顔の前で停止したユイ。

 

 

「ど、どういうことですか、パパ!?」

 

 

「…SAOサーバーが消滅しても、およそ三百人の人達が現実に戻ってきていない。その中に、アスナがいるんだ。俺は、この世界にアスナに似た人がいるっていう情報を聞いて、ここに来たんだ」

 

 

須郷の事から話そうかとも考えたが、止めた。かつて、ユイは人間の負の感情で汚染され、崩壊寸前まで追い込まれた。

 

あの時の須郷の表情を思い出す。欲望、野望、そんなギラギラした感情に満ちたあの表情。

もう、そんなものに、ユイを触れさせたくない。

 

 

「そんな事が…。ごめんなさい、パパ…。私に権限があれば、プレイヤーデータを走査して、場所を特定する事が…」

 

 

「あぁ、いや。大体の場所は特定できてるんだ。世界樹って場所なんだけど…、解るか?」

 

 

「は、はい。…ここから北に、大体…リアル距離換算で、五十キロ先です」

 

 

「そんなにか…。高さはともかく、平面の広さはアインクラッドと比べ物にならねぇな…」

 

 

呟いてから、ケイはふと一つの疑問点を思い出した。

 

 

「そういやさ。何で俺はこんな何にもねぇ砂漠にログインしたんだ?普通、選んだ種族のホームタウンからゲームが始まるんだけど…」

 

 

疑問を問いかけると、ユイも解らないらしく、首を傾げながら答えた。

 

 

「さぁ…。位置情報の破損か、あるいは近傍の経路からダイブしているプレイヤーと信号が混ざってしまったのか…。何とも言えません」

 

 

「そうか…。はぁ、どうせなら世界樹の近くに落ちれば良かったのになぁ」

 

 

ケイが言うと、ユイは小さく笑みを零す。だがすぐに、表情を引き締めると、視線をケイの顔から外して上空へと向ける。

 

 

「…どうかしたか?」

 

 

「プレイヤーが近づいてきます。六人…」

 

 

「…なぁユイ。ここってどこの種族の領地か解るか?」

 

 

「え?あ、はい。この砂漠は、サラマンダーの領地となってるみたいですが…」

 

 

「…なるほど」

 

 

ケイは一度、息を吐いてから再びユイに問いかける。

 

 

「ユイ、プレイヤーの方向は?」

 

 

「あ、あっちです!」

 

 

「了解」

 

 

ユイが指差した、ケイの真後ろからやや右辺りとは真逆の方向にケイは駆けだす。

 

 

「ぱ、パパ!?」

 

 

「このアルヴヘイム・オンラインってゲームはな!PK推奨のゲームなんだ!同じ種族同士は滅多に争いは起きないらしいが、種族が違う同士なら…!」

 

 

その上、ここはサラマンダーの領地。なら、こっちに近づいてくるのは、かなりの確率で絞れる。

 

 

「くそっ、魔法かなんかで監視でもされてたのか!?」

 

 

「ログインしたばかりのパパが監視されるとは考えづらいですが…、サーチの魔法は存在しますし、偶然パパの姿を捉えてたとしても不思議じゃありません」

 

 

「だぁー!ログインしていきなりバグが起きて、その後にプレイヤーに追っかけ回されるって…!俺はどこかの不幸な幻想破壊者かよ!!」

 

 

ユイを胸ポケットに入れて、猛スピードで駆けるケイ。この時、ケイは忘れていた。この世界では、走る以外の移動手段があるという事を。

 

 

「っ、ダメですパパ!追いつかれます!」

 

 

「は!?…いや、そうか。向こうは飛んでるって事か」

 

 

どうやら、この世界での移動速度は、【飛ぶ>走る】のようだ。だとすれば、これ以上走って逃げても無駄だろう。

 

 

「話が分かるような奴ならいいけど」

 

 

ケイは立ち止まり、ユイが示した方向へ体を向け、プレイヤーが来るのを待つ。

夜の闇に包まれた空に、赤い六つの点が見える。その点はこちらに接近し、次第にはっきりと人の形を現す。

 

翅を伸ばした六人のプレイヤーは地面へ降り立ち、ケイの周りを囲むように配置をとる。

 

 

「…やっぱ、サラマンダーか」

 

 

ケイの予想通り、追ってきていたのはサラマンダーだった。サラマンダーのプレイヤー達は、剣、杖、弓といったそれぞれの武器を構え、こちらを警戒しているのが分かる。

 

だが一人だけ…、赤い短い髪を逆立て、一目見ても超レア装備だと解る鎧、大剣を装備した鋭い顔立ちをした男だけが、ただ腕組みをしてこちらを眺めていた。

 

 

「インプか。それも、どこから見ても初心者…。そんな貴様が、サラマンダー領に何の用で来た?」

 

 

「いや?別に来たくて来たわけじゃないんだがな」

 

 

圧倒的威圧感。アインクラッドにもここまで威圧感を持ったプレイヤーは少なかった。

ヒースクリフの一点を刺すようなものとは違う、全てを抑え付けるような威圧感がケイの全身を襲う。

 

 

「このゲームにログインして、そしたら何故かここに落とされたんだよ。理由は、俺が知りたいくらいさ」

 

 

「…にわかには信じられんが、その装備でインプ領からここまで来れるとも思えん。事実のようだな」

 

 

お?と、ケイは目を丸くして意外そうに大柄の男を見る。正直に話したものの、どうせ頭ごなしに否定されるのがオチだろうと考えていたが、どうやらこの男は話が分かる性質らしい。

 

これは、このまま見逃してくれそう────

 

 

「だが、ここで貴様を見逃すわけにもいかん。いくら初心者でも少しくらいの利益は貰えるだろうからな」

 

 

「は?」

 

 

という考えは甘かったようだ。武器を構えていた、大柄の男以外のプレイヤー達が完全に臨戦態勢に入る。

 

 

「…このゲームは、初心者いじめをするのが通例なのか?」

 

 

「そういう趣味はないがな。俺を前にしてそこまで平然としていられる貴様に興味が出た」

 

 

「…そういう趣味はないんだが」

 

 

「…やれ」

 

 

大柄の男が腕をこちらに伸ばし、命令したと同時に、剣を持ったプレイヤー達がこちらへ襲い掛かる。後方には、弓を持ったプレイヤーが狙っているのが見える。

 

 

「パパ…!」

 

 

「悪いなユイ。早くママに会いたいだろうに…」

 

 

胸ポケットの中から顔を出したユイに微笑みながら、ケイは小さく囁きかける。

そして────

 

 

「すぐ終わらせる」

 

 

その場にいた全員の視界から、ケイの姿が消えた。

 

 

「っ、どこへ!?」

 

 

一人のプレイヤーが声を上げる。だがその時には、ケイは攻撃態勢に入っていた事を知らずに。

 

 

「上だ!」

 

 

真っ先に気付いたのは大柄の男だった。

そう、周りから襲い掛かる刃から、ケイは上へ跳躍する事で回避したのだ。そして、落下の最中に背中の鞘から剣を抜き、振りかぶる。

 

 

「ぐぁあああああああ…」

 

 

「…まず一人」

 

 

ケイはうろきょろと視線を彷徨わせていた一人の背後に着地し、その手の刃で斬り裂いた。斬られたプレイヤーのHPは急速に減っていき、ゼロになると、その場には小さな残り火だけが残っていた。

 

 

「なっ…。こ、こいつ…、一撃で…!」

 

 

「ま、魔法だ!魔法で攻めろ!」

 

 

驚異的なケイの攻撃力を警戒してか、魔法という言葉が出た直後、二人のプレイヤーが後方に下がって両手をケイに向かって翳す。すると、彼らの周りに発行した文字のようなものが流れ始める。

 

 

「何だあれは…?」

 

 

「パパ、あれは魔法です!詠唱が終わる前に、何とか妨害を!」

 

 

「っ、解った!」

 

 

あの現象は魔法の詠唱を行う際に起こるもののようだ。ケイはこの世界での魔法をまだ一つも知らない。どれくらいの詠唱で魔法が完成するかもわからない。すぐに駆けだそうとするが、ケイの前に残った二人のプレイヤーが立ちはだかる。

 

 

「邪魔だ!」

 

 

剣で斬ってもいいが、それだと僅かながら二人をどかすまで時間がかかる。ケイは二人の懐へ飛び込むと地面へ体を飛び込ませ、両手を着く。

 

 

「何を…、ぶっ!」

 

 

「ぐはぁっ!」

 

 

着いた両手に力を込め、体を持ち上げて倒立。そして手首を回して体を回転させ、両足を開いて二人の顔面に蹴りを入れて吹き飛ばす。二人の悲鳴を確認し、ケイは今度は両手を使って跳躍し地面に足を着け、再び詠唱を行うプレイヤーに飛び込んでいく。

 

だが、間に合わなかった。詠唱は完成し、二人の両手から無数の火の塊が飛んでくる。

 

 

「ちっ…」

 

 

完成してしまったなら仕方ない。ケイはすぐに回避へと移行。急制動をかけ、左へステップする。一瞬しか見れていないが、範囲攻撃系ではないのは確かだ。その上、回避した自分を追ってこない事からホーミング性能もないらしい。

 

視線を戻せば、また二人の周りで文字が回っている。先程の魔法はあれで終了らしく、かわされたからまた新たな魔法を生成しようとしているようだ。

 

だが…、二度はない。

 

ケイは腕を回して剣を構える。それは、あの世界でいつも降りかかる危機を払ってくれた、<抜刀術>の構え。

 

一瞬だった。詠唱を続けていた二人のプレイヤーが同時に赤い光を発し、直後には四散。先程、ケイに斬られたプレイヤーの様に、その場には二人分の小さな炎が揺らめいていた。

 

 

「ば、バカな…。たかが初心者ごときが…、こんな…!」

 

 

「…おいおい、誰も初心者なんて言ってねぇだろ」

 

 

ケイと対峙した、残った二人のプレイヤーは、大柄の男の傍に退避していた。その内の一人の呟きに、ケイは短い間の後、返事を返す。

 

このままではチーター扱いされてしまう。それはやはり、一介のゲーマーとしても気分が悪い。…実際、チートも同然なのだが。

 

 

「貴様が初心者だろうがそうでなかろうが、どうでもいい」

 

 

不意に大柄の男が声を上げる。

 

 

「いや、どうでもよくなった…というのが正しいか。どれだけ能力を持っていようが、それを発揮できるかはその人次第。…面白い、面白いぞ」

 

 

獰猛な笑みを浮かべ、ケイを見つめてくる。

 

 

「貴様、名は」

 

 

「…ケイ」

 

 

「ケイ…、知らぬ名だな。これ程の剣士を知らずにいたとは…、世界は広い」

 

 

男はゆっくりと背中の鞘から、巨大な剣を抜くと、その切っ先をケイへ向ける。

 

 

「やはり、貴様を逃がすわけにはいかないな。この剣で斬りたくなった」

 

 

「…戦闘狂が」

 

 

大剣を構えたのが合図だったかのように、その場からプレイヤー達が離れていく。

 

 

(逃げる…のは無理かな。まだ飛ぶ練習もしてないし)

 

 

こういう状況になったのも、<走る>のでは<飛ぶ>から逃げられないという絶対条件があったせいだ。今から逃げようとしても無駄なのは目に見えている。

 

 

(やっぱ…、こいつを斬るしかないか)

 

 

剣を握った手を回し、<抜刀術>の体勢で構えるケイ。

 

何が面白いのか、目の前の男は構えたケイを見てさらに笑みを深くする。

 

 

「行くぞ小僧。…ユージーン、参る」

 

 

「っ」

 

 

同時に飛び込んだ二人。二つの刃が煌めいたのもまた、同時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ケイがログインした砂漠については、原作四巻のマップイラストを見ればわかると思います。


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第60話 VSユージーン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一筋の風が吹き、砂が巻き上がる。月光に照らされるその光景は、幻想的といえるほど。そんな光景の中で、二つの刃が交わろうとしていた。

 

ケイの握る質素な片手剣と、ユージーンが握る威圧感あふれる赤き大剣。これらの刃は交わ…ることなく、ケイの剣がユージーンの大剣をするりとすり抜ける。

 

 

「っ!?」

 

 

目を見開くケイ。見開いたケイの目には、首筋に迫る大剣。ケイが持つ剣とユージーンの大剣とではリーチが違いすぎる。このままでは、先にケイがユージーンの剣戟によって、首を刎ね飛ばされる。

 

 

「ちぃっ…!」

 

 

歯を食い縛り、剣を振るう腕を引き戻す。その勢いのまま体を倒し、地面へと倒れ込む。

 

 

「ぬ…」

 

 

ユージーンの口から小さく声が漏れたのが聞こえた。ケイはそれには構わず、視界のすぐ上を刃が横切ったのを確認し、両手を地へと着け、バク転で体勢を立て直す。

これまでの動作によって、ユージーンから切れてしまった視界を戻すと、大剣を肩に担ぎ、追撃を仕掛けに迫る巨男。

 

 

「…」

 

 

頭の中で先程の謎の光景が過る。だが、ケイは剣を構え、防御の体勢をとる。

ユージーンが振り下ろす大剣が迫り、ケイが横に倒して構える剣とぶつかり合う、はずだった。ケイの目は、ユージーンの大剣が手に握り剣とぶつかり合う寸前、おぼろに刀身を霞ませたのを確かに見た。

 

 

「っ!」

 

 

それを目にした瞬間、ケイは再び剣を引き戻し、今度は右足を伸ばして左に回転する。回転の勢いを利用し、右足の蹴りをユージーンの剣の腹にぶつけ、起動を逸らす。

 

 

「むっ…!くっ!」

 

 

再びユージーンの口から声が漏れ、その直後に、驚愕の感情を浮かべたその顔の頬に、一筋の赤いライトエフェクトが奔る。

 

 

「よくかわした、な!」

 

 

「ちっ!」

 

 

ケイは突き出した剣を、右薙ぎに振るう。だが、ユージーンの大剣が、ケイの刃を寸での所で防ぐ。ガァァァァアアン!と、甲高い金属音が鳴り響いた直後、ケイから逃げるようにユージーンがその場から後退する。

 

それに対し、ケイは追撃はせず、後退するユージーンの様子を窺う。

 

 

「何だよその剣…。すり抜けたり実体化したり」

 

 

「<エセリアルシフト>といってな。効果は、さっき貴様の目で見た通りだ」

 

 

「へぇ…。ずいぶん、強力な武器をお持ちの様、で!」

 

 

今度はケイが先に仕掛ける。およそ十メートルほどの距離をほとんど一瞬で詰め、ユージーンの首筋目掛けて剣を振るう。しかし、すぐにケイの手に大きな衝撃が奔る。ユージーンがケイのスピードに反応し、大剣を刃の軌道の上に置かれ、防がれてしまう。

 

 

(透過はしない…。どういうシステムで反応してるかはわからんけど、奴が剣で攻撃する時だけ、透過すると考えていい)

 

 

「ぬぅん!」

 

 

ユージーンが力任せに大剣を振るい、ケイを吹き飛ばす。一瞬、崩れた体勢を空中で立て直してからケイは着地し、さらに追撃してくるユージーンに備える。

 

防御は不可能だ。あの剣の効果…エセリアルシフトによって、防御をすり抜けて迫ってくる。ならば、ユージーンの攻撃に対してできる事は、回避のみ。ユージーンの得物が大剣という事が幸いした。これがもし、小回りを利かせやすい片手剣だったら完全に詰んでいた。

 

だが、もしそれだとゲームバランスを崩しかねないチート性能だ。経営側も、それを考慮しての設定したのだろうが…。それにしても、厄介な能力には変わりない。

 

 

(救いとしては、本人の意思で能力の操作をしてるわけじゃないって事か)

 

 

剣戟を紙一重の所で躱し、時に反撃を与えながら観察を続ける内に、少しずつユージーンの大剣の性質が解ってきた。ケイの考え通り、本人の意思で操っている訳でないのなら、やりようはある。

 

 

「はぁっ!」

 

 

息をつかせぬケイの連撃の中にできた小さな隙を逃さず、ユージーンが攻勢に出る。

何度も言うが、防御をすり抜けるという能力がある以上は、ユージーンの攻撃に対してケイにできる行動は、回避のみ。

 

ケイは膝を曲げてしゃがみ、打ち払われる大剣をかわすと、横切る大剣の間合いを計りその距離分だけ後退。直後に振るわれるユージーンの大剣は、先程までケイがいた場所の空を切るのみ。

 

 

(飛べれば、もっと楽だったんだろうけど…!)

 

 

カウンターで剣をユージーンにぶつけるが、肩を掠るだけに留まってしまう。ただ、それだけでも少しくらいはダメージが入るはずなのだが…、ユージーンのHPを見ると、全くと言っていいほど減っていない。

 

ユージーンが身に着けている防具とケイの装備している初期装備の性能の差が、はっきりと出ていた。ここまでの展開の中、優勢なのはケイだ。まだ、ダメージも一度も喰らっていない。

 

だが…、今の初期装備では、一度でもダメージを喰らえば流れは一気に傾くだろう。

 

元々、大きな剣を振り回すスタイルの相手はケイにとって相性がいい。スピードで撹乱し、手数で攻めるのがケイのスタイルのため、ユージーンというプレイヤーは、ケイにとって好物と言っていい。

 

しかしそれも、装備の性能の差が全てを打ち消してしまう。

 

 

(ったく…。誰だよ、武器の性能の差が勝負を決める訳じゃないとか言ったの!)

 

 

内心でごちりながら、剣戟を掻い潜り、ユージーンの懐へ入り込む。すぐに、ユージーンが迎撃せんと大剣を振るうが、その前にケイは左手首を剣を握るユージーンの右手に押し当て動きを止める。

 

動きが止まったユージーンの首を狙い、刃を突き入れる。だがその攻撃も、ユージーンが首を傾ける事によって直撃は避けられ、大したダメージを入れられずに終わる。

 

 

「大した腕だ…。だが、武器に苦労している様だな」

 

 

「…わかってんなら、その鎧だけでも外してくれませんかねぇ?」

 

 

「冗談を言う!」

 

 

ケイの軽口に言葉を返しながら、今度はユージーンから突っ込んでくる。それに対し、ケイは後退しながら、大剣のリーチに入らないよう、間合いを計る。

 

 

(…どうする?)

 

 

ユージーンの猛攻を避けながら、思考を巡らせる。このままではじり貧だ。というより、長期戦になれば不利になるのは確実にこちらだ。こちらの速さに慣れられる前に、速めに決着を着けたい所なのだが…、そのための火力がない。

 

…いや、あるにはある。あるのだが、それを使うことをケイは躊躇っていた。

まだこのゲームに初めて入ったばかりの自分が、それを使えば…。チートというべきそれを使うことを、ゲーマーであるケイの心が躊躇わせていた。

 

 

(っ、ふぇいん…!)

 

 

大剣の突きをかわそうと体を翻す。だがその瞬間、剣の軌道がずれた。

 

恐れていた事…、ケイの速さにユージーンが適応し始めたのだ。ユージーンに対する絶対的アドバンテージが、失われつつあった。

 

 

(どうする…!?)

 

 

このまま負けるという選択肢もある。SAOと違い、HPが失われても命が失われるわけじゃない。ALOの中での死は、死んだ場所で行動不能になり、六十秒後に前のセーブポイント、またはホームタウンへと戻されるだけ。それに加え、経験値が減る、所持金額が減る、アイテムが減るなどのペナルティもあるが、そんなものはどうでもいい。まだこのゲームに入ったばかりのケイが、失って困る物など────

 

 

(失う…?)

 

 

ユージーンの剣が迫るなか、目を見開く。

 

失う?失う…、あれを?初めて手にした時からずっと、あの世界で自分を守り続けてくれた、あれを、失う?

 

バカな。今、自分は何を考えた?死んでもいい?失っても困る物など何もない?どうでもいい?

 

…ふざけるな。

 

 

「失いたくない物…、あるだろうがっ」

 

 

左掌を剣が迫る方へと向ける。直後…、衝撃、と同時に力強くその手を握り締める。

 

 

「ぐっ…、ぬぉっ…!?」

 

 

信じられない面持ちで、ユージーンは目を見開いてその光景を見つめていた。

 

自身の愛剣が、ケイの左手に掴まれている。いや、それだけならまだいい。

抜けない。ケイの左手の拘束から、愛剣を抜くことができない。

 

 

「防御をすり抜ける。でも、命中する時は当然実体化するに決まってるよなぁ!」

 

 

「なっ…、ぐほぉぁあああああっ!!」

 

 

剣を投げ上げ、思い切り拳を振り抜く。ユージーンの顔面に拳がぶつかり、巨体は面白いように吹っ飛び、地面を転がる。できればこれで、相手の剣を奪えればとも考えていたが…、ユージーンの手から離れる事はなかった。

 

 

(まぁいい、それよりも)

 

 

ユージーンがゆっくりと立ち上がるのを横目で見遣りながら、ケイはウィンドウを開いてアイテムストレージを操作する。ストレージを開き、たった一つしか中に入っていないそれを、ケイはその手の中に実体化させる。

 

 

「何だ…。その刀は…!」

 

 

ケイの手に握られたそれを見て、走り出そうとしたユージーンの動きが止まる。

 

手から伝わってくるのは懐かしい感触。伸びる銀色の輝きは、全ての者を魅了する…、<天叢雲剣>。

 

 

「さて…。これで武器の性能差に嘆く必要はなくなったわけだ」

 

 

「っ…」

 

 

一振り、二振りと刀を振るった後、腰に現れた鞘へ刃を収め、構えをとる。

 

そうだ、この感覚だ。ここまで、初期装備の片手剣を握っていたが、何となく違和感がぬぐえなかった。

 

 

(やっぱり、刀じゃなきゃ、全力を出せないってか?)

 

 

一瞬。

ユージーンの懐へもぐりこんだケイは、鞘から刃を抜き放つ。

 

 

「っ!?」

 

 

辛うじて反応できたユージーンが大剣を立て、横薙ぎに振り払われるケイの刀を防ぐ。だがそこでケイの動きは止まらず、上下左右から連撃を繰り出していく。

 

やはりユージーンも武器の性能に負ぶさるだけのプレイヤーではない。ケイの攻撃を正確に大剣で撃ち落としていく。…が、本来の姿を取り戻したケイに、次第に追いつけなくなっていく。

 

 

「ぐっ…!」

 

 

ユージーンの頬を刃が掠るという、先程と同じ光景。だが、違うところが一つ。

ここまでほとんど減らなかったHPが、僅かとはいえ、目に見えてがくりと減っている。

 

 

「くっ…、ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

「遅い」

 

 

ユージーンが一文字に振るう大剣を、ケイは高く跳躍して回避。そのまま着地をする前に左足を突き出し、ユージーンの顔面にぶつける。

 

先程の様に派手に吹き飛びはしなかったが、ユージーンの体勢が崩れる。

ケイは着地すると、ユージーンが体勢を整えてしまう前に刀を袈裟気味に振り下ろす。

 

刀と大剣がぶつかり合う。始まる鍔迫り合い。本来、力比べならユージーンの方が有利なのだろうが…、体勢が幸いして、ケイが押し込む形になっている。

 

 

「何だ…、何なんだ、貴様はぁっ!!」

 

 

「何だって言われてもな…」

 

 

堪らずユージーンが後退する。ケイは間を置かず、距離をとろうとするユージーンを逃さず、間合いを保ち続ける。

 

 

「っ!」

 

 

「ただの一プレイヤーだよ!」

 

 

再びケイがユージーンに連撃を放つ。上下左右、時折フェイントを混ぜながらユージーンを追い詰めていく。先程と同じように、次第にユージーンがケイの速度に追いつかなくなっていく。

 

距離をとろうとするユージーンだが、決してそれをさせない。そして、遂に、ユージーンの防御の軌道がぶれた。

 

 

「っ!」

 

 

ケイは見逃さず、当然そこを突いて刀を振るう。ユージーンも防ごうと大剣を持っていこうとするが…、間に合わない。ユージーンの首筋目掛けてケイの刀が迫り、切り裂く────

 

 

「…何のつもりだ」

 

 

「いや、別にあんたを倒すためにここに来たわけじゃないし。あんたを倒したせいで狙われるー、とかなったら面倒だから」

 

 

刃が首へ入り込む寸前の所で、ケイは刀を止めていた。このままやられると思っていたのだろうユージーンが、ケイに怪訝な視線を向けてくる。

 

 

「何だと…?」

 

 

「あー、情けをかけてる訳じゃないぞ?このまま斬れって言うなら斬るし。ただ、あんたに頼みたい事があってさ。助けてやる代わりに…な?」

 

 

ユージーンが目を鋭くさせ、ケイを見る。

しばらくの間、そうして目を見合わせたままだったが、不意にユージーンは短く息を吐くと、ケイの問いに答えた。

 

 

「…いいだろう。こちらとしても、ここでペナルティーを受けたくない理由がある。貴様の要求、呑んでやろう」

 

 

「それは助かる」

 

 

ユージーンの答えを聞き、ケイは刀を引いて鞘へ収める。

 

 

「それで、貴様の頼みというのは何だ」

 

 

崩れたままだった体勢を戻し、ぱんぱんと装備にかかった砂を払いながらユージーンが問いかけてくる。

 

 

「あぁ。ここから一番近い町と、そこにある宿屋に案内してほしいんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

────ケイがユージーンと、その他の配下のプレイヤー達と共に一番近くの街…、サラマンダーのホームタウンである<ガタン>へ移動を始めたのと同時刻。

 

シルフ領にある深い森の中に、三人のプレイヤーの姿があった。

一人は長い金髪を伸ばし、完璧と言っていいスタイルを持つシルフ族の少女。一人は黒髪をツンツンと立て、黒を基調とした装備を身に着けたスプリガンの少年。一人は青い髪を短めにカットした、優し気な顔立ちをしたウンディーネの少女。

 

先程まで、この場で戦闘が行われていた。サラマンダー三人にシルフの少女が追われ、追い詰められていた所を、スプリガンの少年とウンディーネの少女の二人が割って入り、シルフの少女を窮地を救った。

 

少しの間、シルフの少女は素性の知れない二人を警戒していたが、二人の【世界樹】に行きたいという目的と、会話から伝わってくる為人に次第に警戒を解いていった。

 

 

「あ、そうだ。スイルベーンに行くのはいいけど、まだ二人の名前を聞いてないよね」

 

 

「あぁ…、確かに。俺達も君の名前聞いてないな」

 

 

これから、シルフのホームタウンであるスイルベーンへ向かおうとしていたのだが、そこでシルフの少女が互いに自己紹介をしていない事に気が付いた。羽ばたかせようとした翅を止め、振り返って二人に自身のアバターネームを名乗る。

 

 

「私はリーファ。見ての通り、シルフよ」

 

 

シルフの少女、リーファが名乗ると、続いて二人が口を開く。

 

 

「俺はスプリガンのキリトだ。よろしくな、リーファ」

 

 

「私はウンディーネのサチ。よろしくね、リーファちゃん」

 

 

キリトと名乗ったスプリガンの少年と、サチと名乗ったウンディーネの少女を見回してから、改めてスイルベーンがある方向へと体を向ける。

 

 

「それじゃあ、スイルベーンまで飛ぶよ?ついてきて!」

 

 

リーファが飛び立ち、続いてキリトとサチも飛び立っていく。すでにリモコンを使わない随意飛行は練習済みだ。ただ、まだ着陸のしかたをリーファは二人に教えておらず…、それによって、二人が慌てふためく羽目になる事を、まだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ユージーンが弱いんじゃないんです…。ケイとの相性が最悪なだけなんです、はい…。


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第61話 出立

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サラマンダー領首都<ガタン>。正門から入って、一番近くにある宿でとった部屋の中で、ケイとユイは寛いでいた。ユイはピクシーとしての姿ではなく、本来のAIとしての姿に戻り、ベッドに腰掛けるケイの膝の上で座っている。

 

ユージーンとの戦闘が終わった後、ケイが倒した部下達の蘇生を待ってから、あそこから一番近い街…、つまりここ、ガタンの街へ向かったのだが。ユージーン達は当然の様に飛んで行こうとした。だが、ケイはまだ飛んだ事がない。そのため、彼らからレクチャーを受けたりと時間を取らせてしまったのだが…、ケイが勝って彼らが負けた。なら、それくらいの事に対して、文句は言わせまいと、何とか割り切った。

 

ともあれ、十五分ほどでコントローラー無しの随意飛行のコツを掴み、飛んでガタンまで来れたケイ。

他にも、ここまで来る最中に様々な事を教えてもらった。飛行できる時間も無限ではないらしく、限界時間を越えればしばらくの間、回復のための時間が必要になるという。さらに、それぞれの種族の首都内では、領地の種族が他種族に対して攻撃できる、など。

 

このゲームの常識を、ユージーン等に教えてもらった。何か礼をしようとしたのだが、返ってきた言葉は「貴様とはまた闘うぞ」という、再戦の申し込み。

 

その言葉に対して、ケイは笑みだけを返し、この宿の入り口で別れた。

 

 

「…明日までお別れですね、パパ」

 

 

膝の上に乗ったユイが、ケイを見上げながら悲しげな表情を浮かべて呟いた。

ベッドの傍に置いてある時計には、23:38と書かれている。予定では、インプ領の首都でアイテムを揃え、それから飛行の練習をしてからログアウトするつもりだった。だが、別に相手を貶すつもりはないが、ユージーン等に襲われたおかげでアイテムを揃える時間が失われてしまった。

 

そのため、もうログアウトをするつもりなのだが…。ユイの悲しげな表情を見ると、ゲームの中で夜を明かさなければという使命感に似た感情に駆られる。

 

しかし、ALO内で夜を明かすというのは不可能なのだ。というより、SAOが特殊なだけなのだが…、ALO内で睡眠に入ると、自然とゲーム内からログアウトされる。むしろ、この<寝落ち>こそが、理想のログアウトする方法と言われている。

 

つまり、ユイと夜を明かそうとするなら、ずっと起きていなければならない。不可能ではないのだが、明日もアスナを救うために動かなければならない。当然、ユイを悲しませてしまうのは心が痛いし、アスナだって望んではいないのだろうが────

 

 

「ユイ…」

 

 

「パパ…。私は大丈夫です。せっかくパパに会えて、すぐお別れするのは悲しいですけど…。また、戻ってくるんですよね?」

 

 

「…当たり前だ。ママを助けなきゃいけないし、それに、ユイにも会いたいからな」

 

 

ユイの体に回す腕に、キュッと力を込める。そのままユイの体ごと、ケイはベッドに寝転がる。

 

 

「パパ?」

 

 

「ユイ。このまま、パパと一緒に寝るか」

 

 

こちらを向くユイの両目が丸くなるのが見える。だがすぐに、ユイは嬉しそうに目を細めると、頷いた。

 

 

「はい!」

 

 

ユイの両目が閉じる。さすがにすぐ眠りに着くというのは無いだろうが、恐らくすぐに眠りに着くだろう。現に、心地よさそうな寝息が聞こえて来るまで、そう時間はかからなかった。

 

ケイはユイの寝息を耳にし、小さく微笑んでから、自身もまた眠りに着くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッキリ言おう。辻谷司は、ブラコンである。何か嬉しい事があれば兄に話したいと思うし、悲しい事があっても兄に話したいと思う。不満に思った事も兄に話したいと思うし、悩みがあれば真っ先に親ではなく、兄に相談する。

 

そして、司は自身がブラコンだという事を自覚している。自覚したのは最近…、二年前の事。そう、兄、慶介がナーヴギアを使い、SAOの世界に幽閉されてからだ。

 

兄がSAOに囚われてしばらくは、まったく学校の授業が耳に入らなかった。むしろ、授業でやっている事など、とっくに自学で終わらせている所だから、学校には行かずに兄の見舞いに行きたかった。

 

だが、両親に説得され…、『もし学校を休んだら、帰ってきた慶介に教える』と言われてしまったら、休む訳にはいかない。形だけでも学校へ行き、兄にサボりの報告をされるという事態だけは防ぐ。

 

このままではダメだと司自身も思っていた。兄は大丈夫だと、すぐに帰ってくると、そう信じた気持ちは本気だった。それでも、ふとした時に、兄はどうしてるだろうか。もしかしたら、自分がこうしている間に兄は────と、不安を拭う事ができなかった。

 

物心ついた時には、いつも隣に兄がいた。両親は毎日仕事で家を空け、母はそれでも時間を作って自分と兄と、触れ合ってはいたのだが、一番一緒にいた時間が長いのは兄だと断言できる。両親がいない間、寂しがる自分と遊んでくれたのは兄だった。兄だって、決して寂しくない訳ではなかっただろうに。そんな素振りは見せず、兄として振る舞い続けた慶介に、司が敬愛の念を抱くのは当然の事。

 

そんな兄が、素知らぬ所で命の危険に晒されている現実に、恐怖を感じ続けていた。

学校にいる間には不安で押し潰されそうになり、病室で兄が生きている事に安堵する。それの繰り返しの毎日を過ごして二年。兄が帰って来たと報告を受けたのは、十一月七日だった。

 

その時、司は部活の練習の最中だったのだが、それに構わず家へと帰り、母と一緒に病院へと向かった。逸る気持ちを抑えて、病院内で走らなかったあの時の自分を褒めてやりたい、と今の司は思う。だが、病室に入って、看護婦から何かの検査を受けている、ナーヴギアを外した兄を見た時には、もう限界だった。

 

 

(兄さん、すごく痛がってたっけ。…なに他人事の様に考えてるんだろ。私が悪いのに)

 

 

あの時の光景を思い返しながら、苦笑を浮かべて心の中で呟く司。あの時は、兄が衰弱してることも考慮できないほど平静を失っていた。思い切り抱き付いた瞬間、痛みに悲鳴を上げなかった兄は凄いと思う。

 

引き出しに入っていたタオルをとって、濡れた顔を拭いて水気をとる。使い終わったタオルを籠に入れてから、髪をまとめていたヘアバンドをとり、洗面所から出る。

 

 

「ん。おはよう、司」

 

 

洗面所から出た直後、こちらに入ろうとする慶介と鉢合わせになる。慶介は一瞬、目を丸くしてから笑みを浮かべて、挨拶をする。

 

 

「うん、おはよう。兄さん」

 

 

司も同じように笑みを浮かべながら、慶介に挨拶を返す。

 

 

「…ずいぶんと眠そうね」

 

 

「んー?まぁな。ちょっと昨日は夜更かしした」

 

 

挨拶を交わした後、慶介は洗面所へ入ろうとする。だが、すれ違う直前に司は、慶介の両目が眠そうにしぱしぱしている所を見る。振り返り、洗面所へと入り、扉を閉めようとする慶介に声をかけると、慶介は目を擦りながら返した。

 

 

「ほら、お前はさっさと飯食って学校行け。遅刻するぞ」

 

 

「はいはい」

 

 

まるであしらわれるように、慶介に手をしっしっ、と振るわれた司は、やる気なさげな声で返事を返す。そして、慶介が洗面所の扉を閉めた音を聞きながらリビングへと向かう。

 

こんな当たり前のやり取り。それができるという事が、どれだけ幸せなのか。それを今、司は実感する。慶介が眠ったままの時は、お通夜かと言わんばかりに家は静けさに包まれていた。しばらく経ってからは、会話を続けられる程度には持ち直せたが。父も母も、どこか無理して笑おうとしているのが目に見えてわかった。

 

そんな日々があったからこそ、当たり前に家族が揃うという事が、どれだけ幸せなのかと実感させられる。…ここ最近、仕事が忙しい父と、ほとんど顔を合わせられていないが。

 

 

「司。早く食べちゃいなさい?」

 

 

リビングに入り、テーブルに着いて朝食を摂り始めると、慶介の分の朝食をテーブルに置きに来た恵子が言ってきた。今日は剣道部の朝練がないため、普段より遅い時間に起きている。時間にも余裕はあるが、あんまりのんびりはしていられない時間帯だ。

 

司は少し急ぎ気味で食事を進める。眼前に並べられたトースト、サラダ、ハムエッグの内、ハムエッグを食べ終えた時、洗面所から出てきた慶介がリビングへ入ってくる。

 

一番最初に起きた恵子と使用人が朝食の準備を行い、次に起きたと思われる父が仕事へ出かけ、司と慶介が起きて、朝食を食べる。いつもの朝の光景。

 

 

「ごちそうさま!じゃあ、行ってくるね」

 

 

「お…、んぐ。行ってらっしゃい」

 

 

朝食を食べ終え、司は席から立ち上がってソファに載せてあった鞄とコートをとりながら、慶介と恵子に一言かけてから、コートを着ながら玄関へと出ていく。

 

慶介の送り出す言葉を聞きながら、コートのボタンを閉じて靴を履く。そして、扉を開けようと取っ手に手をかけた時、背後から呼び止められた。

 

 

「司!お弁当忘れてるわよ!」

 

 

「え?…あっ、いっけない!」

 

 

恵子に言われ、弁当を鞄に入れ忘れた事を思い出す。司の前で立ち止まった恵子から包みを受け取って、カバンを開けて中へ入れる。

 

 

「まったく…。じゃあ、気を付けて行きなさいよ?」

 

 

「はーい」

 

 

扉を開けて外へ出ると、冬らしい肌を刺すような寒風が吹きつける。

 

 

(そういえば、兄さんが夜更かしって…。何してたんだろ。また、メカ何とかの勉強でもしてたのかな?)

 

 

外に出た司は庭の道を抜けて、門から敷地の外へ出る。そこでふと、慶介が洗面所に入る前に言っていた事を思い出す。夜更かしをしたと言っていたが、一体、昨日は何をしていたのだろう。まぁ、大体の予想はつくのだが。

 

 

(リハビリし始めてからだよね。兄さんがメカ何とかの勉強を始めたの)

 

 

コートの襟に口元をうずめて、考える。慶介がメカトロニクスの勉強を始めたのは、慶介のリハビリが始まった辺りからだ。元々、プログラミングには興味があったらしく、それについてはSAOに入る前から少し勉強していたのを見た事があるが、どんなきっかけがあって、専門的な勉強をしようと考えたのだろう。

 

 

(…ま、いっか)

 

 

歩きながら考えている内に、それを考えても仕方ないだろうと思い直す。慶介が進む道は慶介の物だ。それに自分が介入しようとは思わない。勿論、その動機が何か悪い事だったのなら別の話だが…、慶介に限って、そんなはずはないだろう。

 

 

(それよりも今日は数学の小テストあるし…、早めに行って勉強しとこ)

 

 

住宅街を抜けて、人通りの多い歩道へ出た所で司は歩くペースを上げる。

 

歩く先は、家から最寄りの駅。司の一日は、始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ALOにログインしたのは、午後一時だった。朝、司は学校へ、母と父は仕事へ出かけ、家にいるのは慶介と使用人の二人だけ。慶介は使用人と十二時半頃に昼食を済ませて、すぐに部屋へ戻ってナーヴギアを被った。

 

朝すぐにログインしてもとは思ったのだが、菊岡への報告と、奴と質疑応答している内に昼まで時間が無くなってしまった。ユイには悪いと思ったが、こちらとしてもナーヴギアを使用している事を知られるのはまずいし、すぐにログインする事を控えたのだ。

 

 

「…んしょっと」

 

 

ログインする際の過程が終了し、意識が覚醒したと同時に目を開ける。ケイがいた場所は、昨日、ユイと共に眠ってログアウトした場所。サラマンダー領首都、ガタンの宿屋で間違いない。

 

無事にログインできたことを確認したケイは上体を起こし、傍らですやすやと眠っているユイの寝顔を目にして、穏やかな笑みを浮かべる。

 

 

「ユイ、起きろ。来たぞ」

 

 

そのまま寝かしてあげたい気持ちもあるが、そしたら怒るのはユイだ。ケイは心を鬼にして、ユイの体を揺らして起こす。

 

 

「ん…。パパ…、おはようございます…」

 

 

「おはよ、ユイ。起きてすぐで悪いけど、もう出るから、ここに入っててくれ」

 

 

寝ぼけ眼で挨拶するユイに、胸ポケットを指さしながら言う。ユイは、はい、とのんびり答えた後、大きく欠伸をしてからピクシーの姿へ変身すると、ゆっくりと飛び上がってケイの装備の胸ポケットへ飛び込む。

 

 

「ふぁ…」

 

 

胸ポケットに入ったユイが、今度は小さく欠伸を漏らした。こんな時間まで随分ぐっすりと眠っていたものだ。

 

 

「お寝坊さんだな」

 

 

「むっ…。そんなんじゃないです!」

 

 

ぽつりと漏れた呟きが聞こえたらしく、ユイはケイを見上げると、ムッとした様子で言い返してきた。

 

 

「ははは、悪い悪い」

 

 

「むー…」

 

 

睨んでくるユイの頭を、人差し指でつんつんと突くように撫でる。そうして不機嫌なユイを誤魔化しながら、部屋を出て、宿屋からも出ていく。

 

街道へと出たケイとユイ。このまますぐに世界樹へ…という訳にもいかず、まずはアイテムを買い揃えなければならない。世界樹までの距離は、ユイ曰く五十キロだという。それなりの長旅になるのは確実だ。

 

SAOのアイテムが破損せず残っていたら楽だったのだが、そうでない以上、しっかり買い揃えとかなければならない。

 

 

(…金、大丈夫なのか?)

 

 

ユイにアイテムショップまでの案内を受けながら歩いていると不意に、不安に駆られた。

アイテムを買うためには、当然お金が必要になる。だが、ケイはまだこのゲームを始めたばかりだ。昨日、対人戦で勝利しているため、少しは堪っているとは思うが…。ウィンドウを開き、ステータスを見て金の残量を見てみる。

 

 

(126528000ユルド…。何だ一億って。SAOからデータが引き継がれたんだろうけど…こっちの方が通貨が低いのか?)

 

 

126528、この数字の並びには覚えがある。SAOでよく見た、持参金の数字の並びだ。だが、ゼロの数が明らかに多い。SAOでは、百万程度だったはずなのだが。

 

 

「パパ?」

 

 

「ん?あ、あぁ…。さっさと行くか」

 

 

いつの間にか立ち止まっていた。不思議そうにこちらの顔を見上げるユイに声をかけられ、我に返ったケイが気付く。ユイに返事を返してから、すぐに歩き出す。

 

ケイの泊まっていた宿から、目的のアイテムショップは遠くはなかった。歩いて五分ほどで着き、中へ入ってアイテムの品揃えを見る。回復アイテムである<癒しの薬晶>とマナの回復アイテムである<理力の薬晶>を購入する。それと、三十分間、Mobモンスターが周りにポップしなくなるという効果をもたらす<聖水>というアイテムを大量に購入する。その上で、初期装備はそのままに、動きを阻害しない金属の胸当てを購入。

 

結果、二十万ユルドという大金をはたく事になったが、節約など考えていられない。

 

 

「さて…。これで準備万端、だな」

 

 

ショップを出て、一応アイテムストレージを開いてちゃんと購入できているかを確認してから、街の中央部にそびえ立つ塔を見上げる。サラマンダー領のシンボルである、火の塔だ。

 

あの塔から出発した方が、高度を稼げて得だという情報がネットのALOの雑談サイトに書かれているのを見ている。これから長距離を飛ぶのだから、高度を稼いだ方がいい。

 

ケイは足を塔の方へ向けて、ふとその奥にある大きな館を目にした。あれはサラマンダー領領主の館。あそこに、サラマンダーの領主がおり、そして恐らくはユージーンも一緒にいるのだろう。近々、大規模な作戦があるとかで準備に追われていると言っていた。まさか昨日の様に、自由に外を出歩いてる訳があるまい。

 

 

「…そう、思ってたんだけどなぁ」

 

 

「何をこそこそ言っている」

 

 

塔の頂上へ辿り着いたケイの目の前には、サラマンダーのプレイヤーが四人立っている。その内一人は、他三人と比べて大きな体躯を誇っており、背の鞘に差さっている大剣は立派な装飾をされてないものの、一目で超レアアイテムだとわかる業物だ。

 

 

「何でこんなとこにいるんですか。ユージーン将軍様」

 

 

「茶化すな。…ただの資金稼ぎだ」

 

 

「…なーる」

 

 

どうやらこの男、事務仕事とかそういうのを苦手としているらしい。こうして外へ出て戦うのが性に合っているのだろう。…見た目からそういう空気が思い切り醸し出してるのだが。

 

 

「貴様は、世界樹へ行くと言っていたな。何故だ?」

 

 

「は?」

 

 

「世界樹を踏破するためなら、もっと大人数でパーティーを組んで…。いや、自分の領で攻略作戦に参加するのが一番楽だろう。…いつになるかは、わからんがな」

 

 

「だからだよ」

 

 

「なに?」

 

 

ユージーンからの問いかけに短く答えると、ユージーンは目を丸くして問い返してくる。

 

 

「そんなに待ってられない。俺は何としても、世界樹の上へ行かなきゃならない」

 

 

「…」

 

 

ケイは柵もない塔の端まで歩きながら言う。そんなケイの背中を眺めるユージーンは、口を開く。

 

 

「何をそこまで…と、聞いても貴様は答えないのだろう?」

 

 

「言ってもどうせ、信じてくれないだろうしな」

 

 

「ふっ」

 

 

その胸中で何を思っているのか。笑みを零したユージーンは背から翅を伸ばし、ケイとは逆の方向へ体を向けると、ケイに視線を向けないまま続けた。

 

 

「昨日も言ったが、俺はまた貴様と闘うぞ。それまで、誰にも負けるなよ」

 

 

「…あんた、意外と熱血キャラだったんだな」

 

 

「勝手に言っていろ」

 

 

ユージーンは最後に皮肉気味にそうケイに言うと、部下を伴って飛び立っていった。

背中越しで見送ってから、ケイもまた、背から翅を伸ばして、その場から飛び立つ。

 

 

「ユイ、オペレート頼むぞ」

 

 

「はい!任せてください!」

 

 

覚えたての随意飛行で移動しながら、胸ポケットのユイに声をかけると、ユイは拳でとん、と胸を叩いて力強く答えた。

 

 

(…待ってろよ、アスナ)

 

 

空高く伸びる樹を見つめるケイの翅が、陽の光を受けて煌めいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第62話 囚われの姫と探し求める少年

このペースなら、フェアリィダンス編は二十話前後で終われそうですねぇ。

果たしてこれは、テンポ良く終われると喜ぶべきなのか、内容が薄いのでは?と悩むべきなのか…。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥かごの中、巨大なベッドの上。周りに見えるのは細い鉄格子。その奥には、樹の葉が広がっているのが見え、ここがどこか巨大な木の枝にかかっている事が解る。

 

アスナがここで覚醒してから、二か月が経過していた。二か月の間、アスナは狭い鳥籠の中で過ごしていた。いや、この二か月という期間が本当に正しいのか、アスナにはわからない。ここでの一日は二十四時間よりもさらに短く設定されているようで、眠り、起床して何日目と数えてはいるのだが、それが現実の時間と合致しているかはわからないのだ。

 

 

(ケイ君────)

 

 

あの時。

 

アインクラッドが崩壊する寸前まで、アスナは彼と一緒にいた。彼と寄り添い、抱き合い、長い間、抱き続けていた想いが繋がった直後に────彼は光の中へ消えていった。

と同時に、アスナは体が浮き上がるような感触を覚えた。そのまま高く、高く昇っていき…。もしかしたら、このまま彼の元へ行けるのではという期待さえ覚えた。むしろ、そうであってほしいと。が、直後にアスナの視界が暗闇に包まれる。浮き上がる感覚から一変、何か得体のしれない物に体を掴まれるような感触、そしてどこかへ連れて行かれる。

 

アスナは悲鳴を上げ、そして彼の名を呼ぶ。だが、彼は答えない。アスナ以外、この場には誰もいない。悲鳴だけが虚しく響き渡る。ふと気付けば、アスナはこの場所に、鳥籠の中で倒れていた。

 

ゴシック様式のベッドの天蓋を支える壁に据えられた鏡には、SAOでの姿と違った姿が映されている。長い髪の色と顔の作りはそのままだが、着ている物は心許ないほど薄い、胸元に赤いリボンがあしらわれた白いワンピース一枚。足は剥き出しになっており、床の大理石の冷たさがダイレクトに伝わってくる。

 

武器どころか何一つ手元に持っていないが、背から透明の翅が伸びている。

 

初め、死後の世界に来たのかとも考えたが、それはあり得ないとすぐに考え直した。少しの間、観察していく内に、ここがSAOとは違う仮想世界の中だという事に気が付いた。手を振ってもウィンドウが出てこないため、何か自身のアバターに細工がされてるのは確実だ。

 

 

「…っ」

 

 

二の腕を這う感触に、背筋に悪寒が奔る。アスナの体がピクリと震えた事に気付いた一人の男が、粘つくような笑みを浮かべる。

 

 

「ティターニア…。本当に君は、頑なな女だね」

 

 

端正な顔つきをした金髪の男が、アスナから手を離して呆れたように言う。その顔は不貞腐れた様な表情を浮かべ、両腕はやれやれと言わんばかりに広がる。その態度が、アスナの中で嫌悪感を抱かせる。

 

 

「どうせ偽物の体じゃないか。何も傷つきはしないよ」

 

 

「体が生身かそうでないかなんて関係ない。少なくとも、私にとってはね」

 

 

アスナの隣で腰を下ろしていた男は立ち上がり、頭を振りながら鳥籠の中央で立ち止まる。それを目で追い、睨んでアスナは続けた。

 

 

「まあ、あなたには解らないでしょうね。須郷さん」

 

 

「おいおい…。だぁかぁらぁ…、ここではオベイロンと呼んでくれって言ってるだろ?」

 

 

この男…、アバター名オベイロンは、現実で須郷伸之がアルヴヘイム・オンラインへログインした姿だ。

須郷は睨んでくるアスナを見ながら喉奥でくつくつと笑い、口を開く。

 

 

「それと、僕の地位が固まるまでは君を外に出すつもりはない。今のうちに楽しみ方を、あ学んだ方が賢明だと思うけどねぇ?」

 

 

「いつまでもここにいるつもりはないわ。きっと…、助けが来る」

 

 

「へぇ…?誰が来るのかなぁ?あ、ひょっとして彼らかい?確か…、キリト君と、サチ君といったかな?」

 

 

「っ!?」

 

 

二つの名を耳にした途端、アスナの体が震える。それを見た須郷が、にたにたと意地の悪い笑みを浮かべる。アスナの弱点を見つけた、と言わんばかりに。

 

 

「先日、二人に会ったよ。向こうでね」

 

 

「…」

 

 

顔を上げて、須郷の顔を見つめる。

 

 

「いやあ、あの貧弱な子供達がSAOで最前線を戦ってたなんて、とても信じられなかったなぁ!それとも、そういうものなのかなぁ?筋金入りのゲームマニアってのは」

 

 

心底馬鹿にするような素振りで、須郷は嬉々として捲し立てる。

 

 

「彼らと会ったの、どこだと思う?…君の病室だよ!寝ている君の前で、僕、この子と結婚するんだって言ってやった時のあいつらの顔、傑作だったね!」

 

 

気味の悪い笑い声を発しながら、須郷は体を捩ってさらに続ける。

 

 

「君はあの二人が来るとでも思ってるのかなぁ?ひゃはっ!あんなガキには、もうナーヴギアを被る度胸なんてありゃしないよ!賭けてもいいよ?大体、君のいる場所がわかるはずがないだろう。…おっと、結婚式の招待状を二人に送らなければね。きっと来るよ、君のウェディングドレス姿を見に、ね」

 

 

アスナは須郷から目を背け、須郷に背を向けると鏡に体を預ける。そんなアスナの様子に満足したのか、鏡に映る須郷は笑みを浮かべると、鳥籠の扉へと歩いていく。

 

 

「では、しばしの別れだ。明後日まで寂しいだろうが、堪えてくれたまえ。ティターニア」

 

 

オベイロンは身を翻すと、須郷は扉の脇にある金属板を操作し始める。あの金属板には十二のボタンがあり、パスワードを入力する事であの扉を開けるのだ。この鳥籠からアスナを逃さない様にする仕組みのようだが、そんな厄介な仕組みにするのなら、管理者権限を使えばもっと楽だったろうに。

 

 

(…8…11…3…2…9…)

 

 

そして、そのおかげで、ようやく前から温めていた計画を実行できる。

 

この鏡はかなり鮮明に映るべきものが描画されており、現実の鏡では鮮明に映せない遠くの物でも鏡を通して見えるようになっているのだ。

 

このアイディアを思いついたのはかなり前なのだが、なかなか自然に鏡に近づくチャンスがなかった。だが今日、アスナの眼前には鏡。須郷の生白い手がボタンを押す動きをその目に焼き付け、数字の順番を心に刻みつける。

 

扉が開き、須郷が通り抜けた後にガシャンと音を立てて閉まる。やがて須郷の姿が見えなくなってから、アスナはベッドから降り、中央にある椅子に腰を下ろし、テーブルに両肘をつけて俯く。

 

 

(生きてる…。キリト君とサチは…、帰れたんだ!)

 

 

愚かな男だ。アスナの心を折るつもりなのなら、現実世界で自分の仲間について話すべきではなかった。キリトとサチ、リズベット、他にも自分と親しかった仲間達。彼らは無事に現実世界に帰れただろうか。何らかのトラブルがあって…、もしかしたら、須郷の手にかかって、まだ帰れてないかもしれない。

 

そんな思いが、アスナの憂慮になっていた。そして須郷は何も知らず、あっさりとアスナの憂慮を打ち払ってくれた。

 

 

(あいつがまたここに来るのは明後日。業務が終わってからダイブしてるのは知ってる。…生活サイクルは一定だから、あいつが眠りに着いてから行動を起こす)

 

 

この陰謀に関わっているのが須郷一人とは考えられない。しかしこれは、明らかな犯罪行為。ALO運営全体が関わっているはずはない。夜通しALO内部を監視する事は、不可能なはずだ。

 

監視の眼を潜り抜け、どこかにあるはずのシステム端末にアクセスしてログアウト…不可能でも、外部にメッセージさえ送ることができれば。

 

現実へ帰る。現実で、仲間たちと再会する。その思いが、アスナの心を奮い立たせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

サラマンダー領の北に広がる砂漠地帯。ケイはまだそこから抜けられずにいた。砂漠地帯を抜けるには、<竜の谷>という場所を越えなくてはならない。そして竜の谷の越えてすぐの辺りには<城塞都市アングウィス>がある。今日の目標はそこへ辿り着く事であり、辿りつければ今日のダイブはそこまでにしようと考えていた。

 

 

「っと…」

 

 

視界の横で虫型Mobが翅を羽ばたかせる速度を上げ、そこから鱗粉を撒き始める。

現在、ケイは四体の虫型Mobに囲まれていた。<カラドリオス>という名称がモンスターの頭上に表示されている。このカラドリオスというモンスターはその翅から鱗粉を撒くのだが、この鱗粉がプレイヤーに僅かでもかかると、ALOの状態異常の一つ、<睡眠>状態となってしばらく、または衝撃を受けるまでの間、動けなくなってしまうのだ。

 

ケイは撒かれた鱗粉に注意しながらモンスターの間を縫うように飛び回り、包囲を抜ける。そのまま四体の内、一体の後ろへ回り込むと鞘から刀を抜き放つ。ケイの斬撃を受けたモンスターの背に一つ筋の傷跡のようなライトエフェクトが奔り、直後、モンスターはポリゴン片となって四散する。

 

カラドリオスは鎌の様に婉曲した腕を振るったり、鱗粉を撒いてケイを攻撃しようとするが、飛び回って回避し続ける。僧侶系のパーティーメンバーがいれば、かかった状態異常を回復してもらえるのだが、残念ながらケイは一人だ。回復どころか援護も来るはずもなく。一度、行動不能系の状態異常にかかれば致命的だ。

 

が、ケイはそんな状態異常にかかることもなく。五分ほど経った後、ケイの周りにはモンスターの姿はなく、四散したポリゴン片だけが舞っていた。そのポリゴン片もすぐに消え、ここら一帯にはケイとユイしかいなくなる。

 

 

「ふぅ…。ユイ、アングウィス…だっけ。そこまであとどのくらいだ?」

 

 

戦い終えたケイは息をついてから、ホバリングで空中で位置を保ちながらユイに問いかける。

 

 

「えっと…。距離は残り十二キロ。半分まで来ましたね。ですが…」

 

 

「あぁ、わかってるよ」

 

 

ユイが今いる場所から城塞都市アングウィスまでの距離を教えてくれる。ガタンを出発して大体五時間が経過している。ケイがここへログインした時刻が午後一時。現実での今の時刻は、恐らく夜の六時前後だと思われる。

 

 

「そろそろ夕飯の時間だからな。ログアウトして顔出さないと、心配かけちまうけど…」

 

 

辻谷家の夕飯は、ぴったり決められているわけではないが、大体七時頃と固定されている。

まだ夕飯まで一時間はあるが、そろそろ母も帰っているだろうし、司も部活を終えて帰路に着いているはずだ。

 

自室の部屋の鍵は掛けてあるとはいえ、あの扉の鍵は外からも明けられる仕組みになっている。あんまり遅くなって不審がられ、部屋の中に入られナーヴギアを使っている所を見られたら終わりだ。そのため、もうそろそろ一旦ログアウトして、夕飯を済ませてからまたログインしたいと考えているのだが…。

 

 

「ですが、ここは中立域。現実に帰る事は出来ますが…」

 

 

「モンスター、それか他のプレイヤーに見つかったら攻撃されるよな…」

 

 

プレイヤー本人の意識を現実へ戻すことはやろうと思えばできる。だがそれをすると、プレイヤーのアバターはその場に取り残され、もし攻撃されたりしたら当然HPは減る。そしてHPが全損してしまえば、前にセーブした場所…、ケイの場合は、ガタンの街へ戻されてしまう。

 

ここがインプ族の領地内だったなら、最悪この手段を使っても良かった。それぞれの種族の領地内にいた場合、他種族からの攻撃を受けてもHPは減らない。モンスターが湧かない安全圏でログアウトすればいい。SAOのように、安全圏から連れ出してPK…という手段はとりづらいのだから。

 

だがここは中立域。他種族プレイヤーの攻撃を受ければHPは減る。

 

それと、悩みの種はそれだけではなかった。

 

 

(そろそろ、飛行の限界時間だ)

 

 

プレイヤーが飛行中、そのプレイヤーの翅から細かい光の粒子が舞うのだが、ケイが飛行し始めてから比べると、今はかなり光の粒子の勢いが失われている。それは、残された飛行可能時間が僅かになっているという報せなのだ。

 

 

(とりあえず、一回着地するか)

 

 

翅をはためかせ、進行方向を地面へ向ける。速度を抑えてゆっくりと地面に近づいていき、靴底を砂地に滑らせて着地する。

 

その場で立ち止まり、落ち着いたケイは右、左と腰を捻る。背から生える翅は生身にはない器官のはずなのに、不思議と翅の根元から疲労の感覚が伝わってくる。

 

 

「どうしますか、パパ。竜の谷まで行きますか?それとも…」

 

 

「んー…。一応まだ時間はあるし、谷に向かって歩きながら、隠れられそうな所を探すか」

 

 

胸ポケットから顔を出すユイと共に、身を隠せられそうな場所を探すケイ。だが、当たりには砂と所々に砂に埋もれた岩があるだけ。その岩陰にとも考えかけたが、そんな程度じゃ簡単に見つかってしまうだろう。

 

どこかに洞穴でもあればいいのだが…、というのは少し希望を持ち過ぎだろうか。

 

 

「あ、パパ!あそこに洞穴があります!」

 

 

そう思った矢先だった。ユイがぱっ、と顔を輝かせて右の方を指さしたのは。

 

いやいやまさか。そんな上手く見つかるわけが…等と内心で呟きながらユイの指の先へ歩いていけば。

 

 

「うそーん…」

 

 

ぽっかりと開いた穴。その奥には、恐らく四、五人は入れそうなくらいの大きな穴が。さらに都合がよい事に、奥の空間は広いものの、入り口の穴自体は一人が何とか通り抜けられそうなくらいしか開いていない。

 

これなら、ユイの様にプレイヤーの反応を掴める存在がいない限り見つからないだろう。

…多分、めいびー。

 

ケイはのそのそと穴を潜って、洞穴の中へ入る。中は特に変わった所はない。地面、壁、天井は砂に覆われており、動物の巣穴を大きくさせたような感じだ。ケイは洞穴の奥で壁に背を寄りかからせて腰を下ろすと、ウィンドウを開き、アイテムストレージから、一定時間周りにモンスターをポップさせなくするアイテム、<聖水>を取り出す。

 

小さな瓶の蓋を指先で突くと、蓋が効果音とともに消え、中の液体が辺り一面に散りばめられる。それは壁をすり抜け、洞穴の向こう側へも効果を及ぼす。

 

 

「これで、モンスター対策はオッケー、か?後はプレイヤーだけど…」

 

 

この場所がプレイヤーに見つかってしまえば即PKを喰らうだろう。ここに来て、知り合いはユージーンくらいしかいない。ここを見つけたプレイヤーがユージーンで、見逃してくれましたという展開は、全く期待できない。

 

 

「せめて、あの入り口を見えなくする魔法があればなぁ…」

 

 

「ありますよ?」

 

 

「…え?」

 

 

ローテアウトというものがある。パーティーを組んだプレイヤー達が順番にログアウトし、ログアウトした人が戻ってくるまで意識がなくなったアバターを守るというものだ。そのローテアウトをする場所として、ここは絶好の場だ。目敏くこの穴を見つけるプレイヤーは出てくるかもしれない。だから、何とか入り口の小さな穴を誤魔化せる魔法があればと、思わず呟いたのだが…。ユイの返答を聞いて、ケイは目を丸くする。

 

 

「あるのか?」

 

 

「はい。隠蔽魔法の一つです。詠唱が少し長いのですが…」

 

 

「いや、教えてくれ。何とか、七時までには現実に一旦戻りたいんだ」

 

 

ケイが頼むと、ユイは少し間を置いてから、七、八つほど単語が続く詠唱を教えてくれる。それを何度かユイに聞き返し、口にしながら頭に叩き込んでいく。魔法詠唱の際のコツをユイにアドバイスしてもらいながら、詠唱を暗記したのは十分ほど経った後だった。

 

詠唱を終えたケイの周りで文字のような羅列が浮かび、ケイが掌を向けた先、外へ繋がる穴がある場所を何かが塞ぐ。

 

これは実際に穴が塞がっているわけではない。ただ、プレイヤーにそう見せているだけだ。ケイだけではなく、ここを通るかもしれない、他のプレイヤー達にも。

 

 

「魔法を重ね掛けしない場合と、誰かが魔法を破らない限り。効果が続くのは一時間です」

 

 

「それまでに戻ってくればいいんだな。そんだけ時間があれば大丈夫だ」

 

 

ウィンドウを開いてオプションコマンドを呼び出し、その中から<ログアウト>の欄を選んでタップする。【現在地が中立域のため、ログアウトした場合────】という警告文が眼前に表示されるが、構わずOKボタンを押す。

 

 

「じゃ、一時間立つまでには戻ってくるよ。…悪いけど、待っててくれ」

 

 

「はい!パパが戻ってくるまで、お留守番してます!」

 

 

ログアウトする際の光に包まれながら、ケイはユイに言葉を掛ける。それに対してユイは、小さな拳で胸をとん、と叩いて力強く答える。

 

意識が現実へと戻される中、この世界から意識が完全に消える直前。ユイの頼もしさを感じながら、ケイは小さく笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第63話 急襲

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚醒した意識の中、慶介は目を開ける。現実へ戻ってきたことを確認してから、頭のナーヴギアを外しながら起き上がり、足をベッドから降ろして床へ着ける。ベッドから降りると、慶介はベッドの下から段ボール箱を引きずり出して、その中に外したナーヴギアを入れて再び段ボール箱をベッドの下へ戻す。

 

 

「慶介様。御夕食の準備ができております」

 

 

「あぁ、すぐ行く」

 

 

慶介が立ち上がった直後、部屋の外から召使いの女性の呼ぶ声が聞こえてくる。返事を返しながら時計を見ると、丁度七時。どうやらかなりギリギリだったようだ。間に合ってよかったと内心で安堵しながら慶介は部屋を出て、一歩後ろに召使いを伴ってリビングへと向かう。

 

階段を降りながらリビングを覗き込むと、すでにテーブルには料理が並んでおり、司と母は椅子に座って慶介を待っていた。慶介の足音が聞こえたのだろう、女性陣二人は階段を降りる慶介を見上げてくる。

 

 

「先に食ってて良かったのに」

 

 

「仲間外れにしたらしたでぐちぐち言うでしょ?兄さんは」

 

 

「そこまで子供じゃねえって…」

 

 

椅子を引いて腰を下ろしながら言う慶介に、司が返事を返してくる。その物言いに、思わず苦笑い。してから、いただきますと手を合わせて食事を開始する。

 

 

「メカトロニクスの勉強してたの?」

 

 

「ん?あぁ。ちょっと時間忘れてた」

 

 

皿に載ったステーキを切る手を止めて、前に座る恵子が問いかけてきた。突拍子もない話題に一瞬戸惑うが、すぐに当たり障りない返事を慶介は返す。

 

その後、司がメカトロニクスについて問いかけてきたりと少々捕まってしまったが、早めに夕食を食べ終える。

 

 

「あら、もう部屋に戻るの?」

 

 

「まだ作業が途中だからさ。中途半端で終わらせたくないし」

 

 

食べ終えた慶介は椅子から立ち上がり、台所に使い済みの食器を水に浸して置いておく。

 

 

「ねぇ兄さん。メカ…の作業見に行っていい?」

 

 

「メカトロニクス。後ダメ」

 

 

階段を上がろうとした時、まだ食事の途中の司が聞いてきた。メカトロニクスを言えなかった司に訂正をした後、慶介はすぐにその提案を断る。

 

 

「えぇー?何でー?」

 

 

「何ででも」

 

 

当然だ。慶介がしている事はメカトロニクスの作業でも勉強でもなく、ナーヴギアを使ったゲームなのだから。

 

慶介に聞こえてるのを知ってか知らずか…、いや、わかって言っているのだろう。司と恵子が「兄さんはケチだよねー」「ねー」、と言い合っているのを聞きながら、家族を騙している事の罪悪感で胸を痛ませる。

 

 

(…だけど)

 

 

それでも、ここで止まっていられない。部屋へ戻った慶介は鍵を閉めると、すぐにベッドの下に隠したナーヴギアを被ってベッドの上に仰向けになる。

 

ナーヴギアを接続すると、すぐに接続ステージが始まり、それらが終わって目を開けると、そこは先程ケイが身を隠すために入った洞穴の中に戻っていた。

 

 

「…ユイ、起きてるか?」

 

 

ここへいるという事は、少なくとも他のプレイヤーにPKはされていない。恐らく、この場も見つかってはいないと思われる。

 

すぐに出発するため、立ち上がろうとしたケイの胸に重みがある事に気付く。見下ろしてみれば、AIとしての姿のユイがケイの胸に頭を乗せて目を瞑っている。寝ているのだろうか、ケイが問いかけると、ユイはすぐに目を開けてケイを見上げる。

 

 

「お帰りなさい、パパ」

 

 

「あぁ、ただいまユイ。悪いけど、すぐに出るぞ」

 

 

にっこりと笑って言うユイに、ケイも笑みを向けて言う。ユイはケイに一度頷いてから、ピクシーの姿に変身し、ケイの胸ポケットへと入る。

 

 

「近くにプレイヤーの反応はあるか?」

 

 

「いえ。ですが、少し気になる事が…」

 

 

「気になる事?」

 

 

やはりプレイヤーはこの場を見つけられなかったらしい、とユイの一言を聞いてそう思ったのだが。ユイはその一言の後、笑みを収めて真剣な表情で俯いた。

 

 

「何かおかしな反応あったのか?」

 

 

「いえ、そういう訳じゃないんです。ただ…、音が…」

 

 

「音?」

 

 

「羽音というか…、そんな音が、近くから聞こえたんです」

 

 

耳を澄ましてみる…が、特に音は聞こえてこない。ユイが言うのだから、間違いなくその羽音のような音を出す何かが、近くにあったのだろう。だが、それが何を意味するのか、皆目見当がつかない。

 

 

「ともかく、ここでじっとしてても始まらない。何か反応があったら、すぐに教えてくれ」

 

 

「はい!」

 

 

警戒すべきだとは思うが、動かなければどうにもならない。ケイは立ち上がり、魔法で塞がっているように見える穴を通り抜け、外へ出る。空は何時の間にやらすっかり暗くなっていた。空高くから地上を見下ろす月は、ALOに初めてログインした時を思い出させる。

 

 

(そろそろ竜の谷に入れるな)

 

 

外へ出て、目的地の方を向いたケイの眼には、左右へ広がる山嶺。だがその中央は開いており、谷になっている。そこが<竜の谷>であり、ケイが今日の目標としている、城塞都市アングウィスへ繋がっている。

 

ケイは背から翅を伸ばし、羽ばたいて前方へ飛びながら空高く浮かぶ。初心者とは到底思えない速度で飛行し、竜の谷へと向かう。

 

竜の谷へ近づいていく内に、次第に地上の光景に変化が見え始める。辺り一面、砂、後は所々に岩が見えていたのみだった景色が、少しずつ砂の面積が減っていき、地面から盛り上がる岩が目立っていく。

 

 

「…」

 

 

「パパ?」

 

 

不意に、ケイは一度ひらりとバレルロールしてから、前に倒していた体を起こして減速。そのまま体勢を保ちながら地面へと降り立ち、着地する。胸ポケットの中から顔を出し、不思議そうな目でユイが見上げてくる。

 

 

「…つけられてるな」

 

 

「え…。ですが、プレイヤーの反応は…」

 

 

ユイの索敵範囲には反応がないらしい。が、ケイは背後からついてくる何者かの気配を確かに掴んでいた。これはただの勘だ。スキルではない、SAOで戦っていく内に身に着いた力。あの世界から脱出するために身に着けざるを得なかった力。

 

ケイは視線のみを動かして背後を覗く。だが、当然、人の姿などは見られない。

 

この辺りにはゴロゴロと大きな岩が転がっている。身を隠せそうな場所は多くある。そのどこかに潜んでいるのだろうが…。

 

 

(…向こうから仕掛けてこない限りは無視で良いだろ)

 

 

どういう意図でつけているのかは知らないが、構っている暇はない。今は様子見を方針として決め、ケイは再び空へ飛び立つ。

 

 

「ユイ、辺りに気を配っておいてくれ。多分、近くにプレイヤーがいる」

 

 

「え…!?」

 

 

ケイの言葉を聞いたユイが目を見開く。

 

 

「どうしますか…?」

 

 

「今は無視する。向こうから仕掛けてきたら対応するしかないけど…、あまり時間を取られたくない」

 

 

「…そうですね。プレイヤーの反応を捉えたら、すぐにお知らせします」

 

 

ケイは自身の最大速度で飛行する。これで相手を引き離せるかどうかは分からないが、どち道少しでも早く目的地に着いた方がいい。勢いはそのままに、ケイは遂に竜の谷へと入っていく。

 

竜の谷は両側を岩の山脈に挟まれた一本道になっていた。恐らく、この谷を上空から越えようとしても、高度の限界の設定で不可能だろう。この谷を越えるにはただこの道を前に進むしかない。

 

 

「パパ!」

 

 

「っ!?」

 

 

何度かなだらかなカーブを描く道を進む内、前方視界の奥に小さな光が見える。伸びる山嶺が途切れ、その奥に光。あれが、今日の目的地である城塞都市アングウィスだ。スピードは落とさず、飛行を続けるケイ。

 

だがその時、ユイの緊張を含んだ声が響いた。それと同時にケイもまた、辺りの気配の変化に気付く。自分達をつけてきていた気配が近づいているのだ。それも急速に。

 

 

「プレイヤー反応です!五人!」

 

 

「五人…」

 

 

後は真っ直ぐ突き進むだけ、だったのだが。ここまで来てどうやら乱入らしい。

ケイは飛行しながら首を回して背後に視線を向ける。ケイが通ってきた谷の通路、そしてそこをケイ以上の速度で飛行する五人の集団。こうしている内に、こちらが視認できるほどにまで近づいてきていた。

 

 

「っ、詠唱…!?」

 

 

どんどん距離を縮めてくる集団、その内の二人の周りを光が纏う。それは、魔法の詠唱の際特有の現象。

 

ケイの頭の中で二つの選択肢が浮かぶ。このまま逃げ、街の中に入る事を優先すべきか。中立域のフィールドこそ、互いのプレイヤーを攻撃し合えるが、街の中に入ればそれは不可能となる。そしてもう一つは、応戦。仕掛け、詠唱を妨害させる。だがそれをすれば、相手の集団と交戦は必至だ。飛行速度が向こうの方が上な以上、詠唱を破壊して離脱、という芸当は出来ない。

 

 

(どうする…、っ!)

 

 

すぐにどちらかを選択して行動すべきだった。そうすれば、何らかの形でこの場から離れ、交戦を避けられたかもしれない。

 

前方から何かが崩れるような、そんな轟音が聞こえた。視線を前へと戻すと、そこでは何かが崩れているのではなく、巨大な岩壁が高くせり上がっていた。出口までは一本道だった。後方には五人の集団、前方は高い岩壁。完全に行く手も逃げ道も阻まれてしまった。

 

 

「ちっ!」

 

 

舌打ちしながら、ケイはなおも速度を緩めなかった。鞘の刀の柄に手をかけ、そびえ立つ高い岩壁に迫る。

 

岩壁に激突しようかというその寸前、ケイは刀を抜き放つ。力一杯に刃を岩に打ち込んだケイ。だったが、大きな衝撃音と共に伝わってくるのは弾き返される感覚。ケイは空中で体勢を崩し、力無く地面へと落下していく。

 

 

「くそっ…!」

 

 

あまりに堅いその壁に悪態をつきながら、ケイは翅を駆使して体勢を整えると、ぴたりと地面に着地する。

 

 

「パパ、大丈夫ですか!?」

 

 

「あぁ。…けど」

 

 

この一連の流れの中でダメージは喰らっていない。だが、かなりの窮地に陥ったのは間違いないだろう。

 

振り返れば、五人のプレイヤーが着陸していた。五人全員が真っ赤な装備に身を包んでいた。二人は全身をごつい金属鎧に包み、顔面も兜で覆われていた。その二人の後方に、三人の真っ赤なローブを装備した魔導士風のプレイヤー。

 

 

「…お前ら、サラマンダーだな」

 

 

「…」

 

 

返ってくるのは沈黙。だが、今は消えているが彼らの背から伸びていた赤い翅は紛れもなくサラマンダーの物だった。

 

 

「パパ…」

 

 

「隠れてろ」

 

 

不安気に見上げてくるユイに言い聞かせて、ケイは腰を落とし、いつでも戦闘に入れるように刃を鞘へ収めて柄に手をかける。

 

 

「何故俺を尾けていた?」

 

 

種族については、もう奴らに隠すつもりはないらしい。沈黙こそ保っているが、その風貌を見れば丸解りな以上、隠すという意志は全く感じられない。

 

 

「…」

 

 

ザッ、と靴が砂利を踏みしめる音が響く。

ケイが問いかけてから、一人、ローブを着けていたプレイヤーが他のプレイヤーよりも一歩前へと出てきた。前に出てきたプレイヤーは、被っていたフードをとって、その顔を露わにさせた。

 

 

「お前らも、フードをとれ」

 

 

「?」

 

 

どうやらリーダー格らしい、ひょろっとした男プレイヤーは、他の四人のプレイヤー達にもフードを脱ぐように指示を出した。

 

一体どういうつもりなのか。こちらを尾行し、退路を塞ぎ、明らかにこちらに攻撃性を感じさせる行為をしておきながら、その後はまるでそんな意思はないと教えるような行動をする。そんな彼らに、ケイは疑問符を浮かべる。

 

 

「そう身構えないでください。私達はただ、あなたと交渉をしに来ただけなのです」

 

 

「交渉だと?」

 

 

笑みすら浮かべて、さらにこちらに歩み寄ってくるプレイヤーにさらに警戒心を抱くケイ。

だが、この不利な状況の中でこちらから事を荒立てる訳にもいかず、ケイは一まず構えを解く。

 

 

「交渉、ねぇ。ただの一プレイヤーにこんな拘束染みた手を使って、何の交渉をしようってんだよ」

 

 

「ただの一プレイヤー、ですか…。ユージーン将軍を打ち倒したプレイヤーが、ただの一プレイヤーなら私たちは一体何なのでしょうね」

 

 

苦笑を浮かべながらそう言ったプレイヤーに、ケイは眉をピクリと顰める。

どうやらただの突発的な行動ではないらしい。ケイがガタンを出発してから、彼ら五人はケイを尾けていたのだ。

 

 

(ここに来るまで気づかないとか…)

 

 

ここまで来るのに要した時間はおよそ八時間程度。その間、ずっと尾けられていた事に、思わず背筋に寒気が奔る。そして、自分がその事に長い間気遣ったという事にも、身を震わせる。

 

 

「で?さっきも言ったけど、交渉って何だよ」

 

 

いつまでも世間話のような会話をするつもりはない。さっさと用件を聞いて、適当に流して誤魔化す。その上でもしそういう事態になったら…、とケイは頭の中で方針を考えながら再び問いかけた。

 

 

「…率直に言います。サラマンダーに加わりませんか?」

 

 

「…は?」

 

 

確かに率直に言って欲しくはあった。だが、あまりに突拍子もない問いかけに、訳が分からず思わず目を見開いて聞き返した。

 

 

「もうすぐ、ALOに導入される<アップデート五.〇>によって、転生システムが実装されます」

 

 

「転生…っ、なるほど」

 

 

「察しが良くて助かります」

 

 

まだALOにログインする前、このゲームについて調べている中でふと見た気がする。

<転生システム>。ALOのアバターを作成する際、種族を選択する。通常、一度選択した種族は変更が不可能だったのだが、それを可能とするシステムが、次のアップデートで搭載されるのだ。

 

 

「サラマンダーの領主、モーティマーさんはあなたを高く評価しています。転生には膨大な額のユルドが必要になりますが、その費用を全て自分が出すとおっしゃってます」

 

 

要するに、その転生システムというのを使ってサラマンダーになれと言っているのだ。それに、良く知らないが、転生システムを使うには大量の金が必要らしく、それも全てそのサラマンダーの領主が出してくれるらしい。

 

…何か偉く買われてるようだ。それにかなり破格の条件だ。

 

 

「どうです?決して、あなたにとって悪くない話だと思いますが」

 

 

「…」

 

 

笑みを浮かべて言うプレイヤーの顔を一瞥してから、ケイは目を閉じて、ふぅ、と息を吐く。

 

 

「確かに、めちゃくちゃ良い条件だな」

 

 

「はい」

 

 

「普通のプレイヤーなら、その提案に乗るんだろうな」

 

 

「はい。…え?」

 

 

ケイと交渉を持ちかけてきた男が、目を丸くする。その男だけではなく、後ろで交渉の様子を見守っていたプレイヤー達もまた、信じられなそうに目を丸くしてケイを見つめていた。

 

 

「俺は、あの樹の上に行くためにこの世界に来たんだ」

 

 

「…それなら尚更、我らと共に来るべきだと思いますが」

 

 

「時間がないんだよ」

 

 

何となくわかる。こいつらは自分を逃すつもりはない。交渉が決裂すれば、力づくで、そういうつもりでそこに立っている。

 

ケイは腰を落とし、鞘に収めた刀の柄に手をかける。

 

 

「もしお前らについてったら、間違いなくあの樹の上に行くのは楽だろうさ。認める。けどよ…、こっちには時間がないんだよ」

 

 

あの時の欲に満ちた須郷の顔が過る。今もあいつの手の中にアスナがいると考えると、腸が煮えくり返って仕方ない。早く…、一刻も早く、アスナをこの世界から連れ出したい。

 

 

「一人の方が都合がいいんだ。動きやすいんだ。それに…」

 

 

「…」

 

 

「足手まといは少ない方が、自分のためだろ?」

 

 

 

ケイがそう口にした途端、男の背後の四人から怒気が伝わってきた。きっと彼らは、この世界の中では腕利きのプレイヤーなのだろう。そのプライドに触れた、といったところか。

 

だが、そんな事は関係ない。今この五人は自分の目的を邪魔しようとしている。

 

 

「交渉決裂…という事ですか」

 

 

「あぁそうだ。お前らの提案には乗らない。だからさっさと先に行かせてほしいんだが」

 

 

「そうはいきません。もし交渉が決裂した場合は、力づくでもあなたを連れて来いというモーティマーさんの命令ですから」

 

 

やはり。

 

男が言いながら、ローブに隠されていた杖を取り出し、ケイへ向ける。それと同時に、背後で待機していた四人のプレイヤーが動き出す。二人の重戦士二人が盾を構えて前へ躍り出、さらに二人の魔導士風のプレイヤーが男の両脇に立って、男と同じように杖を取り出し系に向ける。

 

 

「デスペナルティーは覚悟してください。リメインライトにして、ガタンへ持ち帰ります」

 

 

「それはこっちのセリフだ。お前らの金とアイテム、ふんだくってやるよ」

 

 

男の言葉に、ケイは歯を剥き出しにした笑みを向けて挑発で返す。

 

その直後、ケイは疾風のごとく駆け出し、盾を構えるプレイヤーに疾駆する。そして、全力を以て、刀を抜き放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想薄いよ!何やってんの!(涙目)


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第64話 竜の谷の激闘

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体を捻り、限界まで力を貯めて引き絞る。一気に力を解放したケイの斬撃は、凄まじい威力を誇っていたはずだ。重戦士達に向けて一文字に振るわれた刃は、タワーシールドに叩き付けられ、轟音を発する。

 

 

「っ…」

 

 

ケイにとっても手応えのある斬撃だった。だが、その斬撃は、重戦士二人が一歩二歩程度後退らせるだけに留まる。二人のHPは揃って一割ほど削られてはいるが、まるでこのダメージを予期していたかのように、彼らは落ち着き払っていた。

 

 

「パパ!」

 

 

「解ってる!」

 

 

重戦士二人の後方からスペル詠唱の光が見えた。ユイの警告を受けたケイはすぐにその場から後退。

 

直後、重戦士二人の体が淡い水色の光で包まれる。途端、二人のHPがみるみるうちに回復していき、遂にはHPは満タンとなった。さらにそれと同時、重戦士二人の後方から二つの大きな火球が放たれる。

 

ケイは、正確にこちらに迫ってくる火球を眺めてから、体を翻し、サラマンダーが作った壁の方へと駆け出した。それでもなお、火球はケイを追いかけてくる。恐らく、かなり正確なホーミング性能を持っているのだろう。

 

 

(だったら…)

 

 

こちらがどれだけ逃げても火球は追ってくる。それなら、代わりに何かを当てればいい。

 

ケイは走るスピードを緩めながら、火球との距離を測る。そして、火球がすぐそこの所まで迫った時、ケイは一気に速度を上げて右足を踏み出し、高く跳躍した。跳躍したケイは壁に張り付くように両足と刀を持っていない左手を着け、すぐさまその場から離れる。

 

直後、ケイが壁に張り付いていた場所に火球が着弾する。壁は全くびくともしなかったが、着弾した火球は爆発を起こして消え、ケイを追ってこなくなる。

 

 

「しっ────」

 

 

ケイの回避の方法に驚いていたのだろう、目を見開いて固まっていたサラマンダーパーティーに向かって、ケイは再び駆け出す。ケイの接近に気付いた重戦士二人が我に返り、先程と同じようにタワーシールドを構え、盾の影に身を隠す。

 

轟音、再び。

 

ケイの斬撃は二つのタワーシールドに阻まれ、二人の重戦士のHPを一割削るだけに終わる。二つのHPバーは淡い水色の光に包まれながら回復していき、後方から二つの火球がケイを襲う。

 

 

(こいつら…)

 

 

襲い掛かる火球、そしてさらに後方から打ちだされる火球をかわしながら、五人パーティーの戦い方の的確さにケイは舌を巻く。完全に自分と戦う事を想定した、対策が成された戦い方。恐らくはユージーンが、そのモーティマーというサラマンダーの領主に自分の事を話したのだろうが…。まさかこうする事を考えて────

 

 

(…いや、ないな)

 

 

そこまで考えた所で、浮かんだ思考を打ち消す。ユージーンか、はたまたあそこにいた誰かから情報が漏れた事は間違いないだろうが、もしこの方針をユージーンが知っていたとしたら、必ず止めていただろう。

 

『あいつを討つのは俺だ』とか言いながら。

そういう強いプライドを、持っているように見えた。

 

 

「っと…」

 

 

迫る複数の火球を回避しながら、ケイは先程と同じ要領で岩壁は後方の魔法でできた壁に火球をぶつけて打ち消していく。

 

 

 

 

 

 

ケイの対策について綿密な打ち合わせをしていただろうサラマンダーパーティーも、さすがにこの動きは想定外だったようで。ケイは気付いていないが、五人揃って額に冷や汗を浮かべていた。

 

 

(いくら何でも…)

 

 

このまま戦い続ければ仕留める事は出来るだろう。いくら人外染みた動きをするケイでも、疲労という等しく人に訪れる枷からは逃れられない。

 

だがさすがに、苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 

(ここまでとは…)

 

 

ユージーン将軍を打ち倒し、パーティーを半壊させたという話は聞いていた。その上で最大の警戒をして、最大の対策を練って、彼を襲った。

 

しかしどうだ。どちらもまだ大したダメージは喰らっていないとはいえ、こちらが圧倒されているではないか。領主に選ばれた五人が、ALOの中でも指折りの実力者と呼ばれている自分達が、たった一人のプレイヤーに振り回されている。

 

 

「…っ!」

 

 

奥歯を噛み締める。こんな事は許されない。確かに認めざるを得ない。ユージーン将軍を打ち倒した実力は確かだと。だが…、それでも、たった一人のプレイヤーに自分達が負けるなど、あってはならない。

 

 

「センゴク!ジェリド!下がれ!」

 

 

前方でケイの攻撃に備えていた重戦士プレイヤー二人を呼び戻す。

 

 

「カルダ、ウォルグ。あれを使うぞ」

 

 

そう言い、三人で頷き合う。直後、詠唱が始まった。

 

 

 

 

 

 

「…何だ?」

 

 

駆け回り、火球を打ち消していくケイの目に異様な光景が映った。

ケイの攻撃に備えていたはずの重戦士二人が後方に下がっていく。そして直後、杖を構えた三人のプレイヤーが何かの詠唱を始める。

 

スペル詠唱の光が灯っていき、詠唱が続くごとに次第に強くなっていく。

 

 

「…これは、やべぇかも」

 

 

最後の一つをやり過ごし、地面に着地したケイは三人のプレイヤーを包む魔方陣の規模に苦悶を隠せなかった。

 

魔法を詠唱する際、何らかの文字の羅列が並んだ魔方陣がプレイヤーの周りを包む。そして魔法の規模が大きくなるほど、魔方陣の数が増えるのだが…、三人を包む魔方陣は、その姿を隠すほどの数になっている。

 

 

(くそっ!)

 

 

ケイは放たれる魔法に備えて、一旦距離をとって身構えた。これは、放たれる魔法が先程の火球の様に、自身をホーミングするものと考えての行動。だが、直後に起きた現象は、ケイの予想から大きく外れたものだった。

 

 

「っ!?」

 

 

詠唱が終わったのだろう。三人を包んだ魔方陣が消え、三つの杖がケイに向けられる。

魔法が放たれる────、ケイは刀を構えて腰を落とす。しかし、杖からは何も出てこず…、代わりに、ケイの足下で変化があった。

 

 

「…!?」

 

 

ケイの足下に巨大な魔方陣が描かれていた。魔方陣は輝き、そして輝きは次第に増していく。

 

心が驚きを発するよりも前に、ケイは動き出す。魔方陣の範囲は、ケイを中心として半径十メートルほど。丁度、三人の魔導士風のプレイヤーのすぐ前まで広がっていた。魔法が発動する前に、そこまで逃れる自信はない。

 

それなら、空しかない。

 

ケイは翅を顕現させ、空へ飛びあがる。この魔法が先程の火球の様にホーミング性能を持っていたならば、この行動は愚行そのものだが、あの魔方陣を見る限り、詠唱主が範囲を設定して発動する魔法だと思われる。これに対してできる事は、少しでも魔法の中心部から遠くへ逃げるだけ。

 

 

「なっ…!」

 

 

全速力で飛びあがるケイ。だが、ふと地面から感じる自分を引き込む引力に、目を見開く。

いや、自分だけではない。風が、空気が、地面に描かれた魔方陣の中心として、渦を巻きながら引き込まれていた。

 

 

「パパ…!」

 

 

「くっ…、ダメだユイ!隠れてろ!」

 

 

胸ポケットからユイが顔を覗かせるが、ケイはすぐに人差し指でユイをポケットへ押し込む。魔方陣から伝わってくる引力に逆らい、ケイは必死に上へ上へと飛び上がろうとするが、次第に地面へと落ちていく。

 

 

「くっ…、うぁ!?」

 

 

不意に、一気に引力が強くなる。それにケイは抗う事ができず、ついに体勢を崩して地面へと、回転しながら落下していく。

 

 

「っ!」

 

 

地面へと落下するケイを、魔方陣の輝きが包み込む。咄嗟にケイは、刀を倒し、体の前に押し出した。

 

直後、凄まじい轟音と共に魔方陣を枠にして、巨大な光の柱が立った。

 

 

 

 

 

 

眼前で、ケイが光の柱に飲み込まれているのを見ながら息を吐く。視界の左上に映された、自分を含めた魔法重視のプレイヤー三人のマナがほとんどからの状態になっているのが見える。

 

先程使った魔法は、聖属性最強の魔法。この魔法は膨大なマナを必要とするのだが、複数のプレイヤーが同時に詠唱する事で、複数のプレイヤーのマナを足して使用できるのだ。詠唱のタイミングがかなりシビアで、必要なマナの量もそうだが、詠唱を完成させることすら難しいという魔法。だが、条件が難しい分威力も絶大で。それこそ、闇属性の自爆魔法に匹敵するほどである。

 

 

(さすがにこれなら…)

 

 

光の柱が薄れていき、魔方陣が描かれていた場所の視界がクリアになっていく。

そこには、ケイのHPがゼロになった証である、リメインライトが浮いている…はずだった。

 

 

「はは…、マジかよ…」

 

 

「何かもう、この人が何しても驚かなくなってきたわ…」

 

 

その場で立っている者はいなかった。だが、リメインライトも浮かんではいなかった。

地面に臥している一人の人影。ケイだ。HPを僅かに残したケイが、地面に倒れていたのだ。

 

 

(まさか、まだ生きてるとは…)

 

 

先程放った魔法は、巻き込まれれば間違いなくHPバーを消し飛ばす威力があったはずなのだ。一体どうやって、あの魔法から生き延びたのか。

 

 

「…う…ぐっ」

 

 

「どうやら、動けないようですね…」

 

 

ケイが手を地面に着けて、立ち上がろうとする。しかし力が上手く入らないようで、立てた腕が崩れ、再び地面に臥す。

 

 

「…おとなしくついてくるなら、殺しはしませんよ?」

 

 

立ち上がろうともがくケイに問いかける。だが、返事は返って来ない。ケイはただ、立ち上がるために腕を立てようとする。

 

 

「…」

 

 

この沈黙がケイの答えなのだろう。後方で待機していた重戦士二人に目配せし、ケイに止めを刺すように指示をする。二人は頷いてから、重い鎧を鳴らせてケイに近づいていく。

 

 

「…?」

 

 

魔力を使い果たして、ようやく打ち倒せた。その相手の強大さに改めて脅威を抱きながら、ふとケイのHPに目を向ける。

 

 

(何故)

 

 

おかしい。あり得ない。そうとしか言い表せない変化が起きていた。

 

ケイのHPは危険域に達しており、真っ赤に染まっていた。後、体が壁に激突しただけでゼロになるくらいの、その程度の量しか残ってなかったはずなのだ。

 

 

(それなのに、何故…。HPが注意域になっている!?)

 

 

目を見開き、驚愕した瞬間だった。ケイに止めを刺そうと歩み寄った二人の内一人の喉から、銀に輝く刃が突き出たのは。喉を貫かれた戦士のHPは猛烈な勢いで減っていき、ほとんど一瞬に等しい間でアバターの形は崩れ、その場にリメインライトだけが残る。

 

 

「え…?ぐっ!?」

 

 

すぐ隣で起きた事態に呆けていたもう一人の戦士も、刃に切り裂かれ一撃でHPを全損させ、リメインライトが揺れる。

 

 

「な、何で…」

 

 

隣でこの事態を見ていたセンゴクが、呆然と呟く。ジェリドもまた、呆けた様子でゆっくりと立ち上がるケイを眺めている。

 

信じられない。何故、何故あの魔法を喰らって生き延びられたのか。

 

 

「…っ、まさか」

 

 

その時、HPが回復した現象を思い出す。あの時ケイにアイテムを使った様子はなかった。

自動的にHPを回復させる方法はたった一つしかない。

 

 

「ポーションを飲んだのか…?でも、あの状況でどうやって…!」

 

 

 

 

 

 

(正直、マジで危なかった…。死に戻りを覚悟したぞ…)

 

 

ケイと対峙し、守りを固めていた重戦士プレイヤー二人を不意打ちに近い形で打ち倒し、残った三人の魔導士プレイヤーを見据える。先程の魔法でマナを使い果たしたのか、仲間がやられているにも関わらず、反撃の魔法を使う様子が見られない。

 

あの時、魔方陣の引力によって、魔力の中心部へ引き込まれてしまったケイは、咄嗟に<天叢雲剣>を前に構えて防御態勢をとった。直後、来るであろう大きな衝撃に備えたケイを襲ったのは、間を置かない連続の小さな衝撃だった。大規模な魔方陣に派手な輝きという見た目に反して、あの魔法の本質は超高速の連撃魔法だったのだ。あっという間に減っていくHP、それでも、一撃で消し飛ぶという事態は避けられた。ケイは前に構える刀はそのままに、左手でウィンドウを開き、ALOの中で最高級の回復ポーションを取り出して飲んだ。

 

後は、ポーションの回復ペースと<天叢雲剣>のエクストラ効果に賭けるしかなかった、が…。その賭けにケイは勝ち、今、そこにケイは立っている。

 

 

「エクストラ効果…、だと?」

 

 

「そ。ユージーン将軍の魔剣グラムには、<エセリアルシフト>って効果があったよな。あれと同じように、この刀にもあるんだよ」

 

 

「っ!?その刀が、<伝説級武器>だと!?」

 

 

ALOにログインして、ケイはずっと、何故<天叢雲剣>がこの世界で存在していたのかを考えていた。存在しているだけではない。刀の説明欄には、エクストラ効果が付与されている事が記されていた。アインクラッドから持ち込んだ形になったこの刀が、何故この世界の能力を得ているのか。

 

…どれだけ考えても、答えは一つしか出てこなかった。

 

 

(この世界には…、もう一本、この刀が存在してるんだ)

 

 

調べてみても、<天叢雲剣>という武器を知る者はいなかった。だが、そう考えるしかない。

この世界にはまだ、誰にも見つけられていないもう一本の<天叢雲剣>が存在する。多分、SAOのサーバから<天叢雲剣>のデータを取り出し、それを使用したのだろう。この世界に熟練度として存在している、<片手剣>など、SAOにあったスキルの様に。だからこそ、カーディナルにバグとして検知されなかった。

 

 

(…ま、色々とガバガバな理論だし、ただの予測だけど)

 

 

<魔障壁>

これが、<天叢雲剣>に付与されていた効果の名だ。武器を装備したものに対しての魔法攻撃を、武器を触れさせた状態で受けた場合にダメージを軽減させるという効果。軽減させる程度については書かれていなかったが、あの魔法をポーション込みとはいえ初期のHPで耐え切った所を見ると、最低でも半減はしているだろう…。

 

 

(…チートじゃねぇか。いや、あのグラムもチート武器だったけ)

 

 

三人の、それもかなりの腕のプレイヤー三人の魔力を合わせて使った大規模魔法すら、せいぜい威力の高い魔法のダメージで済ませてしまう。あの魔剣グラムのエセリアルシフトといい、ALOで伝説級武器と分類される物は、性能がインフレ状態になっている様だ。

 

 

「さて、と…」

 

 

「くっ…!」

 

 

<天叢雲剣>のチート性能に苦笑していたケイだったが、表情を引き締め、マナを失い動けないでいた残った三人に目を向ける。SAOの中で、ダメージディーラーやタンクといった役割分担ができていたように、このALOでも重戦士、軽戦士、魔法隊と役割がしっかり分かれている。

 

このパーティーには軽戦士という遊撃ができるプレイヤーはいなかったが、役割分担はしっかりできていたように見えた。残った三人は、多少のスキルはあるだろうが、ほとんど接近戦の能力はないだろう。

 

 

「見逃してもいいけど…。アイテムふんだくるって宣言したしなぁ…」

 

 

「っ!」

 

 

ケイがそう口にした直後、びくっと体を震わせる三人。

 

 

「くそっ!退くぞ!」

 

 

瞬間、まるで示し合わせたかのように三人は同時に赤い翅を伸ばし、飛び上がった。そのままケイが来た方向、サラマンダー領の方向へと飛び去っていく。あっという間に姿は小さくなり、そして見えなくなっていった。

 

 

「仲間置いてって…。薄情な奴らだなぁ」

 

 

未だゆらゆらと揺らめくリメインライトを横目で眺めながら、ため息交じりで呟く。

その直後、ケイの行く手を塞いでいた壁が音を立てる。目を向けると、先程とは逆に、壁が地面の中へと戻されていた。術者が離れていったせいか、魔法が効果を失っていく。

 

 

「ユイ?」

 

 

これで先に進む事ができる。ケイは胸ポケットを指先でつんつんと叩きながらユイを呼び出す。

 

 

「ぷはぁっ!パパ、大丈夫ですか!?」

 

 

「あ…、あぁ。サラマンダー隊は撃退したよ。見ての通り、先に行ける」

 

 

ポケットから出てきた瞬間、目に涙を浮かべながら、ユイが勢いよく問いかけてきた。鼻先まで近づいてきたユイに、ケイは僅かに体を反らして、揺らめくリメインライトと壁が消えて開いた道を見せながら答えた。

 

 

「そうですか…。もうっ、パパは一人で無茶しすぎです!確かに私には、パパと一緒に戦う事は出来ませんが…。でも、サポートする事は出来ます!」

 

 

「わかったわかった…。悪かったな、ユイ」

 

 

ケイが無事だったことに安堵したと思えば、一人で無理をした事に憤慨して、忙しいユイに思わず笑みを浮かべながら、ケイはそっと指先でユイの頭を撫でる。

 

 

「そんな風に撫でても誤魔化されませんからね!…むぅ」

 

 

撫でられたユイは腕を組み、頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。その可愛らしいしぐさに、ケイは思わず、ユイに気付かれない様に噴き出してしまった。

 

 

「…さて、そろそろ行くか。ユイも、いつまでも膨れてないで、さっさと中に入れよー」

 

 

「誰のせいと思ってるんですか、パパ!」

 

 

背から翅を伸ばしながら言うケイに、ユイは憤慨しながらも、ケイの言う通りに胸ポケットの中に入る。

 

胸ポケットの中に入ったユイは、まだ頬を膨らませていた。

…こんな風に、本当の親子の様に過ごせるのをどれだけ心待ちにしていたか。SAOでユイと出会ったばかりの時は、想像もしていなかったが。

 

後は、アスナを助けて…。三人で。

 

 

「…よし」

 

 

翅を羽ばたかせ、空へ飛び立つ。その先にある、城塞都市アングウィスは、すぐそこだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第65話 それぞれの日常

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭に残る雪を眺めながら、縁側のガラス戸を開ける。桐ケ谷和人は、大きく口を開け、欠伸をしながら外へ出た。冬らしい、肌を刺すピリピリとした空気が体を包み、和人の中の眠気を外へ放り出していく。

 

 

「えぇい!」

 

 

縁側へと出た和人の耳に、力強く響く少女の声が届く。その声が聞こえてきた方へと目を向けると、そこには竹刀を中段に構え、撃ち出す。この二つの動作をひたすら繰り返す、和人の妹である桐ケ谷直葉の姿があった。かなり深く集中しているのか、縁側から和人に見られている事に気付いていない様子だ。

 

眉の上と、肩のラインでカットされた黒髪が、竹刀が振るわれる度に揺れる。勝気な瞳を鋭く釣り上げ、素振りを続ける直葉を、和人は縁側で腰を下ろして眺める。

 

直葉は今年で十五歳になり、来年からは高校生だ。進路も決まっており、剣道の強豪校に進学すると聞いている。去年の全国大会でベストエイトに入った功績が買われたという。和人も、そんな直葉の腕前を見てみたいと考え、つい先日に防具を着けて試合を行ってみた。その結果、ぼっこぼこにのされてしまったが。

 

正直、SAOで最強の剣士だった二人、ケイとヒースクリフなんか目じゃないくらい、現実の直葉は強かったと、その時の和人は感じた。ソードスキルなどなく、勿論システムアシストもない、自身の力だけで剣を振るう闘い。楽しくはあったが…、同時に、無意識にシステムに頼ろうとした自分を情けなく感じた一時だった。

 

 

「お・に・い・ちゃん?」

 

 

「あっ…」

 

 

妹と剣を打ち合った時間を思い返していると、いつのまにやら今日のノルマを終えた直葉が和人の顔をじとめで覗き込んでいた。小さく体を震わせながら、和人は背中を反らせて直葉と距離をとる。

 

 

「もうっ!また黙って見て…、いるんなら言ってよ!」

 

 

「ははは…。悪い悪い」

 

 

竹刀を握っていない左手を腰に当てて言ってから、直葉は和人の隣に腰を下ろす。縁側に立ててあったペットボトルを手に取ると、蓋を開けて、中の水を呷る直葉。

 

 

「しかし、毎日この寒い中、よくやるなぁ…。ちょっと俺には出来なそうだ」

 

 

水を飲む直葉の横顔を眺めていた和人がぽつりと呟く。その呟きを耳にした直葉が、ボトルの口から唇を離し、蓋を閉めながら言う。

 

 

「やっぱり、剣道好きだからね…。それに、負けたまま終わりたくないから」

 

 

和人を見返していた直葉は、傍らに置いていた竹刀を手に取ると、正面を見据えて中段に構える。

 

 

「一年生、だっけ?スグに勝った人。すごいよな…」

 

 

「うん、そう。全中優勝したのもその子だよ」

 

 

全中準々決勝。直葉が負けた位置だ。その相手というのが、何とまだ中学に入ったばかりの一年生だったらしい。その直葉に勝った一年生が、次の準決勝、そして決勝を勝ち上がって優勝した。

 

自分に勝った相手が、目の前で勝ち上がって優勝をさらっていく光景を、直葉は見つめていたという。その悔しさの大きさを、和人は計る事ができない。

 

 

「本当に強かった。…でも、次は勝つ」

 

 

直葉のその瞳に映っているのは何か。少なくとも、和人の目の前に広がる庭ではないのだろう。

 

 

「絶対に、辻谷さんに勝ってみせるんだからぁ!!」

 

 

「スグ、近所迷惑だから大きな声出すのやめなさい」

 

 

すると、急に直葉が立ち上がったと思うと、天を仰ぎ、突然大声を上げた。きっと胸に燻る闘志に耐えられなかったのだろうが…、近所迷惑になるため、和人は直葉のジャージの裾を引っ張り、再び座らせる。

 

だが、一度座った直葉はすぐに立ち上がって、んー、と声を漏らしながら大きく体を伸ばした。そして竹刀を持ったまま引き戸を開けると、和人の方に振り返った。

 

 

「そうだお兄ちゃん。今日、アスナさんのお見舞いに行くんだよね…?」

 

 

「ん?あぁ。サチと一緒にな」

 

 

リハビリを終えて、一人で自由に外出できるようになってから、定期的に和人は幸と一緒に、アスナのお見舞いに行くようになっていた。大切な友が目を覚ましてないか、その身に何か起きていないかを確かめに行っているのだが、心のどこかでは、もしかしたらケイが…、という思いが拭えずにいる。ケイが実は生きていて、アスナの病室で鉢合わせするかもしれない、という願望が、和人と幸の心の中にあるのだ。

 

 

(今日まで、一度も会えなかったけどな…)

 

 

やはりあの時、ヒースクリフ────茅場晶彦を相討ちにして、命を落としたのだろうか。

どうしても、そう考えてしまう。いい加減、ケイという一人の友の死を、受け入れなければならないというのに。

 

 

「ねぇお兄ちゃん!私も一緒に行っていい?」

 

 

「え?…あぁ、いいけど。どうしたんだ、急に?」

 

 

「急って…。私だって、アスナさんに会ってみたいよ。どんな人?て聞いても、お兄ちゃん全然教えてくれないし…」

 

 

アスナのお見舞いに一緒に行っていいかと聞いてきた直葉が、続いて不満げにそう言った。

和人は、アスナという人物について直葉にほとんど教えなかった。今、自分が教えるよりも、目を覚ましたアスナと実際に会って、知っていってほしいと考えていたからだ。

 

だがこれまでアスナは目を覚ますことはなく、直葉を不満に感じさせていたのだと、今ようやく和人は察した。

 

 

「…わかった。一緒に行くか、スグ」

 

 

「うん!ありがとう、お兄ちゃん!」

 

 

和人が頷きながら答えると、直葉は顔を輝かせてお礼を言ってから立ち上がった。

 

 

「じゃあ私、シャワー入ってくるね。その後で作るから、朝ごはんはちょっと遅くなっちゃうかな。ごめんね?」

 

 

「りょーかい。気にしないでいいよ」

 

 

直葉が家の中へ戻っていく。和人は、直葉の姿が見えなくなってから、座ったまま腕を組んで伸びをする。勢い良く息を吐いて脱力すると、和人もまた立ち上がって、直葉が開けっ放しにした引き戸から家の中へ戻っていく。

 

家の中に入った和人が閉めた引き戸が、ぴしゃっと音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そろそろか」

 

 

腕時計が示した時間を見て、慶介は大きく深呼吸をして集中力を高める。軽くぴょんぴょんと跳躍、軽く屈伸、伸脚を繰り返す。準備体操をして体を温め、いつでも動けるように体を解す。息切れはしないよう、あまり激しい動きはしない様に心掛けながら体操を続けていると、一人、緊張に包まれる慶介達の前に現れた。その人は、握っていた拡声器を口元まで持っていき…、慈悲なき戦いの始まりを告げた。

 

 

『ただいまより、卵のタイムセールを行います!一人三箱まd…』

 

 

「「「「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」」

 

 

多くの主婦達が、女性あるまじき雄叫びを上げながら、勢いよく戦場に身を投じていく。

そしてその波の中で一人、慶介が奮闘していた。四方八方から慶介を潰さんばかりに腕が、肩が、時には膝が押し付けられるが、慶介は歯を食いしばりただひたすらに前へ突き進む!

 

 

「お疲れさまー」

 

 

「ぜぇ…ぜぇ…。勝ち取ってやったぞ、こらぁ…」

 

 

床にorzの体勢でいる慶介に手には、卵三パックが入った袋が握られていた。その袋を慶介から受け取り、労ったのは慶介の母、恵子。

 

 

「じゃ、次のセール行くわよー」

 

 

「えぇ?」

 

 

だが労ったのはほんの短い間。慶介から渡された袋をカートに載せた籠に入れると、また新たな戦場へと足を踏み入れる宣言をした。それは、疲労困憊な慶介にとって、死刑宣告にも等しいもので。

 

 

「け、慶介様…。その…。次は私が…」

 

 

「いや…。ここで引いたら負けな気がする」

 

 

二時間後、精肉コーナーでは、人混みという荒波に晒されながらも突き進む慶介の姿があった。

 

 

 

 

本当ならば今日も、午後からALOにログインするつもりでいた。だが、朝起床し、朝食を食べにリビングに降りた慶介に、恵子がこう言葉を掛けた。

 

 

『今日、イオーンでタイムセールがあるのよ。だから慶介、ついてきてくれない?』

 

 

恵子は質問という形で声を掛けてきてはいたが、ここで断ってはその理由を深く聞いてくるのは予想できる。事実、以前に買い物を手伝ってというお願いを断ろうとしたことがあるのだが…。正直、母の慧眼から逃れられる気がしなかった。あの時、慶介は自身が気づかぬ内に、いつの間にか買い物についていくことを了承していた。

 

洗脳とかそんなちゃちなものじゃない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気分だった。

 

二度目の戦争に参加した慶介は、疲労困憊のまま本日買った荷物のほとんどを運んで帰宅した。家からイーオンまで徒歩十五分。車を使うべきその距離を、慶介は両手で大荷物を持ち上げ歩いたのだ。ちなみに、どうして車を使わなかったかというと、健康のためとの事らしい。恵子談。

 

 

「疲れた…」

 

 

夕食はすでに済ませた後。キッチンから聞こえてくる。皿がぶつかる音と水が流れる音を聞きながら、慶介はテーブルに体を崩して寛いで(?)いた。そんな慶介の隣では、Tシャツの上にパーカー、下はショートパンツという部屋着姿の司が呆れた目で慶介を眺めていた。

 

 

「どうして買い物に行くだけでそこまで疲れるの…」

 

 

「お前は知らないんだ。タイムセールという名の戦争を」

 

 

そう、司はあの凄まじい戦場を知らないからこんな呆れた目をできるのだ。そんな言葉を吐けるのだ。

 

 

(…決めた。次は司も連れてく)

 

 

司の素知らぬ所で、慶介はにやりとほくそ笑みながらそう決意していた。勿論、司の都合が合えばの話だが。さすがにそこを強要するほど慶介は外道ではない。

 

という決意をしてから、慶介は顔を上げて時計を見上げ、時間を見る。

既に八時を過ぎていた。今日、予定なら午後になってすぐ辺りにログインしていたはずだったのだが。

 

 

(今日はまず、ユイの機嫌を直すことから始めないとな…)

 

 

多分…というか間違いなく、機嫌悪くしてるだろうなぁ、と今のユイの心境を思いながら慶介は立ち上がった。

 

 

「あれ、部屋行くの?もうすぐサッカー中継だよ?見ないの?」

 

 

「あ…、あー…。ちょっとな」

 

 

「…またメカトロ何とか?」

 

 

「メカトロニクス」

 

 

部屋に戻ろうとする慶介を呼び止めると、司が首を傾げながら問いかけてくる。

しかし、いつになったらメカトロニクスという名称を司は覚えられるのか。慶介はため息を吐いてから司に訂正を促す。

 

 

「そうそうメカトロニクス。でも、最近熱心だよね。いつもだったら、何か見たいテレビ会ったら『今日はお休みの日だ。毎日労働してたら法律に触れるだろ?だから俺も休まなければいけないのだ』とか言いながら、ソファに踏ん反り返ってるのに」

 

 

「何だよそれ…、俺の真似?似てねぇ。てか踏ん反り返ってねぇし」

 

 

何とも心外な言葉を言いながら、心外な物真似を披露する司を呆れた目で見る慶介。

 

 

(てかそうだ。今日はサッカー中継の日だった。…明日、結果だけ見て満足する事にしよう)

 

 

話したい事は話し終えたのか、司はもう慶介の方を見ずに恵子と話し始めていた。何か親子二人できゃぴきゃぴした声で話している。司はともかく、恵子に関してはいい歳して何をそこまでテンション上げているのか。

 

慶介は二人の楽しげな様子を見遣り、苦笑を浮かべてからそっと静かにその場から立ち去る。階段を上って二階へ上がり、自分の部屋へと足を向ける。

 

 

「…あ?」

 

 

ふと足を止める。慶介の目に入ったのは、慶介の部屋の前に使用人の女性が立っている所。何故かそこで呆然と立ったままでい女性は、両腕で何かを抱えている。慶介は目を凝らしてそれが何なのかを確かめる。

 

 

「っ!?」

 

 

慶介に気付き、視線を向けてきた使用人が抱えていたのは段ボール箱だった。その段ボール箱が何なのかを悟り、目を見開く慶介と視線が交わる。

 

 

「慶介様…、これって…」

 

 

「…」

 

 

女性の揺れる瞳から、慶介は思わず目を離した。

 

 

「どうして、これを慶介様が…」

 

 

恐らく、使用人は未だ慶介を見つめ続けているのだろう。視線を外した慶介には見えないが…、わかる。

 

慶介は視線を上げて、使用人が抱える段ボール箱をもう一度見た。

 

 

 

 

 

 

それは、慶介がベッドの下に隠していた段ボール箱。

菊岡から送ってもらい、アスナを救うために必要な物。ナーヴギアが入っている箱だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第66話 全てを語る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで、両足が床に張り付いているような、そんな感覚がする。その場から動く事ができない。

 

 

「も、申し訳ありません。部屋の中に見慣れない箱があって…、中身を…」

 

 

「あぁ、いや。謝らなくていい。むしろ、謝らなきゃいけないのは…」

 

 

この時間帯、使用人の人達は、慶介や司、両親の部屋の簡単な片付けをしに行く。その際に、この人はベッドの下に隠していたその箱を見つけてしまったのだろう。

 

いや、そんなあの箱を見つけられた経緯など今はどうでもいい。それよりも、だ。

見つけられたナーヴギアをどうあれるのか。できる事なら、家族に報告されるのは避けたいのだが、恐らくそれは無理だろう。慶介がそれを頼む事は出来るが、多分、断られる。

 

慶介がアインクラッドに幽閉されていた時、その慶介を心配していたのは両親、妹という家族だけではなかった事を、慶介は知っている。仕事があるせいで病院には来てくれなかったが、退院して初めて家に帰ってきた時、家で働いている使用人全員が出迎えてくれた時は本当に驚いた。中には、目に涙を浮かべていた人も。

 

慶介を奪っていったナーヴギアを恨んでいるのは、この家にいるほとんど全員なのだ。

 

 

「あれ、兄さん?それに江川さんも…。何してるの?」

 

 

どうやってこの場を乗り越えるか、考えている中、この家の中で一際一番、ナーヴギアに過敏に反応する者が現れた。

 

 

「司…」

 

 

「部屋に戻ったんじゃなかったの?…?」

 

 

慶介のすぐ横で立ち止まった司は、顔を覗き込みながら話しかけてくる。その直後、司は江川と呼ばれた使用人の女性が抱える段ボール箱に気付いた。

 

 

「江川さん。それって、ちょっと前に兄さん宛に届いた荷物だよね?どうして江川さんが持ってるの?」

 

 

「え?え…っと、それは…」

 

 

首を傾げながら司は、段ボールを抱える使用人に問いかける。

 

 

「…」

 

 

使用人が慶介に目配せしてくる。教えてもいいのか、許可を求めているのだ。

 

 

(…これ以上、隠し通せそうにないか)

 

 

どち道、遅かれ早かれこの人の口から、ナーヴギアを隠し持っていた事は伝わっていくだろう。それなら、今ここで、自分の目の前で知らせてくれた方がいい。

 

そう思った慶介は、一度、大きくこくりと頷いた。

 

 

「司様」

 

 

「ん?」

 

 

使用人は段ボールを床へそっと置くと、司に手招きをしてこちらに呼ぶ。司はきょとんとしながらも使用人の方へ歩み寄ると、使用人が蓋を開けて見えるようになった段ボールの中身を目にする。

 

 

「…なに、これ」

 

 

両膝に手を付けて、屈んで目を近づけて司が見たナーヴギア。表情が険しくなっていき、目つきが鋭くなっていく。

 

 

「兄さん」

 

 

「…」

 

 

「どうして、これがここにあるの」

 

 

姿勢を元に戻し、鋭く細めた目を慶介に向けて問いかけてくる司。

 

 

「まさか、使ってる訳じゃないよね?」

 

 

「…」

 

 

まっすぐ慶介を見据えながら、一気に核心を突く質問を投げかけてくる。それに対し、慶介は少しの間、口を開く事は出来なかった。

 

 

「…使ってるよ」

 

 

「っ!」

 

 

だがすぐに、正直に、ナーヴギアを使用していた事を答える。

その答えを聞いた瞬間、司はこちらに近づき、慶介の胸元を両手で掴んで引き寄せる。

 

 

「なんで!?どうして!?」

 

 

「…」

 

 

「答えて!あんな物を、兄さんはどうしてまた使ってるの!?」

 

 

慶介の服を掴み、揺すりながら、叫んで問いかけてくる司。司の背後では、司を止めるべきかどうするか、悩んでいるのか使用人があたふたしている。

 

司の叫びがリビングにも届いたのだろう。そちらの方から、恵子が様子を窺ってくる声も聞こえてくる。

 

 

「必要だからだ」

 

 

そんな中で、慶介は簡潔に、一言で、はっきりと司の問いかけに答えた。

 

 

「必要って…」

 

 

「ナーヴギアが必要だったから取り寄せた。それを使って、やらなきゃいけない事があるんだ」

 

 

慶介が答えると、鋭く吊り上がった司の目が大きく見開かれる。

 

 

「必要って…。やらなきゃいけない事って、何…」

 

 

「…」

 

 

「兄さん!」

 

 

詰め寄られてからずっと、司は慶介の目を真っ直ぐ見据え続けている。それに耐え切れず、慶介は司の視線から目を逸らしてしまった。

 

その直後で、司は強い口調でさらに詰め寄ってきたその時だった。

 

 

「ちょっと司。何をそんなに騒いでるのよ」

 

 

リビングの方から近付いてくる足音と共に、恵子が呼びかけてきた。恵子は司のすぐ背後に立つと、彼女の肩に手を置いた。だが、司は慶介の胸倉から手を離すと、振り返って恵子の手を振り払う。

 

 

「だってお母さん!兄さんが…、「司」…何よ」

 

 

激昂気味に、恵子に掴みかかる勢いで答えようとした司を、慶介は止める。

言葉を切った司が、ゆっくりと振り返り、そして恵子と段ボールを再び持ち上げていた使用人もまた、慶介に視線を送っている。

 

 

「俺が話す。それが必要な理由も、全部」

 

 

 

 

 

 

 

 

時計はすでに十一時を回っている。人々が寝静まる頃だが、辻谷家の一人を除いた面々はリビングに集まっていた。そこで、慶介、司、恵子の三人は椅子に座り、テーブルにはナーヴギアを置いて、静まり返ったリビングでその一人の到着を待っていた。

 

玄関の方から扉が開閉される音が聞こえてきたのは、十一時からさらに十分ほど経った時だった。少しすれば、廊下から足音が近づき、そしてリビングに一人、入ってくる。

 

 

「おう、ただいま」

 

 

「お帰り、あなた」

 

 

清潔感を感じさせるスーツの上に、コートを着込んだ男。細身ではあるが、その体はしっかりと鍛え上げられている事を慶介は昔から知っている。ずっと、家族を見て、支え、守り続けてきた辻谷家の大黒柱。恵子の夫であり、慶介と司の父である、辻谷健一が帰宅した。

 

 

「大丈夫だったの?まだ仕事残ってたんじゃ…」

 

 

「いや、今日は早めに仕事を済ませられた。だから大丈夫だ…、あぁ、コートはそこのソファに置いといてくれ。飯も慶介との話が終わってからだ」

 

 

椅子から立ち上がり、恵子は健一が脱いだコートを受け取り、そのまま二階にある健一の部屋まで運ぼうとする。だが、健一はそれを止め、早くテーブルに着くように恵子に言った。

 

健一はスーツ姿のまま、慶介の対面にある椅子を引いて座る。そして、両肘を突いて手を組み、両手の甲で口を隠して、ちらりとテーブルに置かれたナーヴギアを見遣った。

 

 

「さて…。なんか、息子に職質かけてるみたいで調子狂うな」

 

 

組んだ手を解き、背もたれに寄りかかって軽く頭を掻きながら、ぽつりと呟く健一。

その際に、小さく苦笑を浮かべるが、すぐに表情は引き締まる。

 

 

「色々と聞きたい事はあるが…、慶介。お前、このナーヴギアをどうやって手に入れた」

 

 

健一の目が、真っ直ぐに慶介の目を見据える。このナーヴギアについて、司が慶介に詰め寄った時と同じ目で、健一は慶介を見据えていた。

 

 

「SAOから解放された人達からは、残さずナーヴギアは回収されたはずだ。お前も、例外じゃない。…それなのに、どうしてお前は持っている?どうやって手に入れた?」

 

 

「…総務省の菊岡って人に頼んだ」

 

 

心の中で、慶介は菊岡に何度も謝りながら、小さな声でそう答えた。

 

 

「菊岡…?総務省だと?」

 

 

その答えに対して見せた、健一の反応は慶介の予想とは少し違っていた。

健一が戸惑うとは思っていたが、それにしても、あまりに困惑しているように見える。自分の答えに、何かまずい事でもあっただろうか。

 

 

「…菊岡め」

 

 

「…父さん?」

 

 

困惑から、今度は怒りに染まった表情を見せる健一に、今度は慶介が困惑する番だった。

今まで生きてきた十七年と何か月かの中で、見た事もない父の剣幕に、思わず健一を呼ぶ声が漏れてしまった。

 

 

「っ、いや、何でもない。それで、お前はその菊岡って人から、ナーヴギアを受け取ったという訳なんだな?」

 

 

「…うん」

 

 

慶介の隣に座る司と、いつの間にか席に着いていた恵子が、緊迫に満ちた目で慶介と健一の会話を見守る。

 

 

「…まあ、経緯は解った。この事に関しては、明日総務省に問い合わせる。同時に、ナーヴギアも送り返しておく」

 

 

「っ!ま、待ってくれ!」

 

 

「慶介…。お前の気持ちはわかる。けどな、だからって、黙ってナーヴギアを返してもらうなんて事はするな。アミュスフィアなら、小遣い前借を条件に勝ってやる」

 

 

「違う!」

 

 

違う、違うのだ。健一は誤解をしている。

慶介はただ、またVRゲームをやりたくなったという訳ではないのだ。ナーヴギアを使って、ALOにログインする時、ワクワクしたのは正直な気持ちだ。だが…、楽しむためだけに、ナーヴギアを再び使用した訳ではないのだ。

 

思わず声を荒げ、椅子を倒してしまうほどの勢いで立ち上がった慶介を、健一達三人は、呆然と目を丸くして見ていた。

 

 

「あ…、その…。ごめん、うるさくして…」

 

 

その三人の視線に気付いた慶介は、弱弱しく謝罪の言葉を言いながら、倒した椅子を戻し、そこに再び腰を下ろす。

 

 

「…何か、そうしなければならない理由でもあるのか?」

 

 

先程の慶介の様子を見て健一が、何らかの事情があると見たのだろう。それはいい。

だが…、話したとしても、それを信じてくれるだろうか。

 

菊岡からナーヴギアを送ってもらった理由は、慶介が過ごしてきた、アインクラッドの中での出来事に直結するものだ。彼らは、実際にアインクラッドでの慶介…ケイを見た事はない。現実に帰還してから、アインクラッドの中で何をしてきたか、話した事もない。

 

今更、あの世界でどんな風にケイが生きてきたか、話しても…、信じてくれるだろうか。

 

 

「兄さん。兄さんは、帰ってきてから、SAOの中であった事を話してくれた事、なかったよね」

 

 

「司…」

 

 

「分かるよ。兄さん、話したくないんだよね。だからずっと聞いてこなかった。でも…」

 

 

「…」

 

 

今の自分の態度と、以前、司にSAOでの生活について聞かれた時の態度と重なるものがあったのか。それとも、ナーヴギアを使いたがる理由がSAOでの年月にあると悟ったのか。司がふと呟いた。

 

解っている。もう、話さないで誤魔化し続けられない事は。第一、このままずっと、話さずにいられるとは思っていない。どこかで必ず、その時が来る。それは解っていたけれど。

 

 

「…慶介」

 

 

「…」

 

 

恵子が、心配げな面持ちで慶介を見つめながら呼んでくる。その顔を見た瞬間、慶介は即座に悟った。

 

今、恵子が感じている気持ちを、ずっと三人は胸に抱いていたのだ。それでもぐっとこらえて、話したがらない自分を気遣って、聞かずにいてくれたのだ。

 

 

(…最低だな、俺)

 

 

何が信じてくれるかどうかわからないだ。ただ怖かっただけではないか。

そんな事、関係ない。あの世界で経験したものすべてを、自分は家族に話さなければならない。どうしてそんな当たり前の事に気付くのに、こんなに時間がかかったのだろう。

 

それに────

 

 

(疑心暗鬼になるな。…ここは)

 

 

自分の家だ。周りにいるのは自分の家族だ。ずっと心配してくれて、支えてくれて。自分が泣いたら慰めてくれて、笑ったら一緒に笑ってくれて。だから。

 

 

「あの日…」

 

 

「「「…」」」

 

 

ぽつりと、漏れるように呟かれた慶介の一言に、健一が、恵子が、司がぴくりと体を震わせた。

 

 

「俺がSAOにログインしたあの日…、茅場さんから、SAOがデスゲームなんだって告げられた」

 

 

あのおどろおどろしい光景を思い出す。ただでさえ不気味な光景が、話を聞くごとに激しくなる心臓の動機に伴って、さらに恐ろしく見えたあの光景。

 

 

「怖かった。HPがゼロになったら死ぬって…。信じられずに、その日に自殺した人もたくさんいた。恐ろしくなって、はじまりの街で籠る人もたくさんいた」

 

 

あのチュートリアル直後の惨状を慶介が知ったのは、ゲームが始まって五日後の事だった。その上で、まだ死者が増え続けているという事を、それも、主な理由が自殺ではなくモンスターによるものだという事を知った。

 

それでも、入ってくる情報が報せてくる、SAOというゲームの恐ろしさを振り切ってケイは────

 

 

「でも俺は、最前線で、ゲームを攻略する事を選んだんだ」

 

 

時折、言葉を詰まらせながらも全てを話し続ける。第一層で出会った、かけがえのない二人の仲間の事。プレイヤー同士の対立を防ぐために、自分が犠牲になった事。プレイヤーを逃がすために、強大なボスを自分ともう一人で押さえた事や、プレイヤーを殺すプレイヤー、PKプレイヤーの集団との戦争に加わった事。

 

あの世界で知り合った仲間との、楽しい一時。まるで上座から見下ろすように自分達を見ていた、いけ好かないプレイヤーとの決闘についても話した。

 

ユイ…、自分に娘ができた事。勿論、実際にそういう事をして、相手が産んだわけではないと説明した。責任能力もないのに、そういう事をするいい加減な子に育ってしまったと思われたくはなかった。

 

いや、アスナが相手ならそれはとても嬉しい事だし、ユイはアスナと自分の娘なのは変わらないし、もしそういう事をしてそういう事になったら、責任をとる覚悟はあるけど…、て、そうじゃない。話がずれた。

 

ユイの話で少し和んだ空気は、次に慶介が話した内容で一変する。まず、七十五層でのボス戦だ。そのボス戦で出した死者は十一人。一戦いの中でそこまで多くの死者が出た事に戦慄したのだろう、恵子と司の体がぶるりと、寒気が奔ったかのように震えたのを見逃さなかった。

 

最後の決戦────。一プレイヤーに化けて、紛れ込んでいた最後のボス、茅場晶彦との一騎打ち。相討ちで終わった後、崩壊するアインクラッドを見下ろしながら茅場と話した事。そして、アスナとの触れ合い。自覚した想いと、交わした想い。

 

崩壊したアインクラッドから広がった光に包まれて、ケイは死んだ…はずだったのだ。

 

 

「…」

 

 

アインクラッドでの自分…、ケイの全てを話し終わった時、リビングは…いや、家中が沈黙に包まれていた。話の中で、色々と疑問が沸いたとは思うが、それでも最後まで聞いてくれた家族に、心の中で慶介は感謝の言葉を述べる。

 

 

「…ずいぶんと、壮大な物語を駆け抜けたな。慶介」

 

 

「まるで夢みたいだったさ。でも…、全部、現実だ。あの世界で感じた絶望も…、幸せも」

 

 

最初に言葉を発したのは健一だった。健一は小さく微笑みながら、話し終えた慶介を労わる様に、優しい声音で言葉を掛けた。

 

その言葉に返事を返しながら、慶介は改めて実感する。あの世界で起きた事は夢物語なんかじゃない。全て、現実で起きた事なのだ。あの世界で出会った人達。あの世界で死んでいった人達。全部、本物なのだ。

 

 

「アスナ…。本名、結城明日奈。SAOから帰還しない、約三百名の内の一人だな」

 

 

「父さん、アスナの事をっ…。いや、知ってて当然だよな」

 

 

健一が何故アスナの事を知っているのか、驚いた慶介だったが、すぐに考え直す。健一の立場を考えれば、当然の事だ。そういう立場に、健一はいるのだから。

 

 

「もう想像できるだろ。俺は、アスナを探すために、ナーヴギアを返してもらったんだ」

 

 

「…大体分かった。お前は、アルヴヘイム・オンラインにログインしているんだな?」

 

 

「っ…」

 

 

まだ少し説明が足りないのでは、と感じていた。だが、健一はあっさりと、ケイがプレイしているゲームを言い当てた。

 

 

「あまり警察の情報網を舐めるな。須郷伸之についても、とっくにマークしている。…お前は辿り着くとは、思わなかったがな」

 

 

目を見開く慶介にそう言った健一の顔は、僅かに歯を覗かせながら笑みを浮かべていた。

何故、健一が慶介がログインしているゲームを言い当てられたのか。そして、何故慶介がアスナを探しているという言葉だけで、その答えに辿り着けたのか。

 

警視庁刑事部参事官。それが、慶介の父の役職の名称であり、それらを言い当てる事ができた理由の答えである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後の警察の役職ですが、ぶっちゃけ警察内部の仕組みはあまり知りません。健一の役職の名称も、正しいかどうかわかりません。曖昧です。もし、何か間違いや、足りていない部分があればメッセージでご指摘おねがいします。


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第67話 後押し

お久しぶり…でもないですかね?ていうか活動報告にできれば月一ペースで頑張りたいとか言ってたくせに、早速更新してますよ。

でも、当時考えてたより今のところは時間とれるんですよねー。もう少ししたら悲惨な事になるんでしょうけど…(汗)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父さんは…、どこまで須郷伸之について知ってる?」

 

 

「どこまで…か。捜査情報は、あまり他人には教えられないんだがな…」

 

 

捜査情報。つまり、健一は…警察は、須郷伸之に何らかの疑いを持っているという事だ。

その疑いが、須郷個人に対するものなのか、それとも他の誰かと複数として向けられている物なのかは分からないが、それでも須郷の行為に対して、警察が動いているのは事実らしい。

 

 

「元々、警察は前から須郷をマークしていたんだ。それこそ、SAO事件が起こる前からな」

 

 

「は…?」

 

 

「きっかけは、外国からの情報だったんだけどな…」

 

 

日本警察はある日いきなり入ってきた、その外国からの情報によって須郷をマークし始めたらしい。そこから調べてみれば、まあ出てくる出てくる。須郷のグレーな情報が。

しかし、それでも黒とは言えず、調査を続けながらも未だ確保とまでは踏み切れないようだ、

 

 

「須郷が身を寄せてるのがレクトっていうのもあってな…。あそこのセキュリティーは完璧で、須郷の研究についても詳しく調べられない」

 

 

「…」

 

 

企業のセキュリティーが万全なのは、そこで務める社員たちにとっては良い事であり、信用にだってつながるだろう。だが皮肉な事に、それによって調査が難航し、ほぼ確実に犯されているだろう犯行の全貌を明らかにすることができないでいるのだ。

 

 

「確実な証拠があれば、令状をとって、研究室を捜索する事ができるんだけどな…」

 

 

両手を頭の後ろに当てながら天井を仰ぎ見る健一。そこで、我に返ったように違う違う、と口にして慶介へと視線を戻す。

 

 

「その話は良い。お前はどうして結城明日奈とアルヴヘイム・オンラインを繋げたのかは簡単に予想できる。あの写真を見たんだろ?」

 

 

「…あぁ」

 

 

健一が言った、あの写真というのが、籠に囚われたアスナを写したものだというのは容易に悟る事ができた。

 

 

「なるほど…。愛する女性を救うために、戦場へ身を投じたわけか」

 

 

「いや…、その…」

 

 

「何だ、違うのか?」

 

 

「あ、合ってるけどさ…。言い方が恥ずかしいんだよ…」

 

 

小さく頬を染めて、恥ずかしそうに視線を逸らす慶介を、微笑まし気に見ていた健一。

だが、すぐにその笑みは収められ、真剣な表情へ打って変ると健一は口を開いた。

 

 

「慶介。お前の気持ちはよくわかる…とは言う気はないし、俺にそんな事言えないのは良く分かってる。仮想世界に関しても、俺達警察よりも、お前の方が詳しいのも分かってる。…でもな、まだ確定したという訳じゃないが…、相手は犯罪者の疑いがかけられている。それも、頭脳はあの茅場晶彦に匹敵するような奴だ」

 

 

「…」

 

 

「俺はナーヴギアの事を咎めるつもりはない。最近、仕事が忙しい所為で帰ってこれずにお前を見たり、お前と話す時間を作れなかったなんだからな。でもな…。それでも、結城明日奈さんの事は警察に任せてくれ」

 

 

健一の言葉に、慶介は返事を返すことなく、口を閉じたまま耳を傾け続ける。

 

 

「お前がSAOをクリアした英雄でも…、実際はただの子供なんだ」

 

 

「…ん」

 

 

健一の言葉を聞き終えた慶介は、恵子の方へ視線を向ける。慶介と視線が合った恵子は、一度だけ、深く頷いた。まるで、お父さんの言う通りにしなさい、と言うかの様に。

 

 

(普通の子供…か)

 

 

恵子から視線を切って、慶介は先程健一から言われた言葉を思い返す。

 

普通の子供。当たり前の事だ。仮想世界の中では、慶介は英雄ケイとして動く事ができる。

だがそれは飽くまで幻想の中でに過ぎない。実際、ナーヴギアがなければ、ケイというアバターは初期状態から始まる事になり、ここまで早く世界樹へ近づく事はできなかっただろう。

 

だが須郷はどうだ。今、彼は科学者として権威を振るっていて、現実でも力を持っている。それに対して、慶介は、傍から見ればただ親が偉いだけの、何の力もない正義感に踊らされた子供だ。そんなただの子供に、何ができるのか。答えは、何もできない、だ。至極当然の事であり、慶介自身も分かっている事だ。

 

 

「それでも」

 

 

頭の中で浮かんだマイナス思考を振り切り、力強く拳を握りしめながら慶介は言葉を発した。

 

ただの子供、だからどうした。何もできない、だからどうした。

そんな事は、何の言い訳にもならない。

 

 

「動かずにいられないんだ」

 

 

あそこには、あの世界には。

 

 

「アスナがいるんだ」

 

 

死んだはずの自分が、何故か現実に戻って来れた。当初、その事に戸惑いを覚えたが、すぐに喜びを感じたのを今でも覚えている。

 

もう二度と会えないと思っていた家族と、あの世界で出会った友人と。愛した人と、また触れ合う事ができる。なのに…、一番再会したかった人は、未だ囚われたままだった事を知った時、叫びたくてたまらなかった。

 

何でアスナなんだ。何で、あの時斬られた自分ではなかったんだ。怒りに震えながら、必死に叫ぶのを我慢した。

 

病院に行って、アスナの顔を見る度、不安に駆られた。次にここへ来た時、もうそこにアスナの姿はないかもしれない。考えたくないのに、頭の中に何度も思い浮かぶ度、心が締め付けられた。

 

何でもよかった。アスナを救うために、何かしたかった。だけど、何もできずに過ごしたあの日々が、苦しくて仕方なかった。だが今、それを成すための力がこの手にあるのだ。

 

 

「動きたいんだ。動かないとどうにかなりそうなんだ」

 

 

握り締めた拳にさらに力が籠る。その時、慶介の手から痛みが奔ったが、それに気付く事すらできなかった。

 

 

「兄さん…」

 

 

「慶介…」

 

 

「解ってる。父さんたち大人がアスナを見つけるのを待つべきだって、解ってるんだ。でも…、だけど…!」

 

 

恵子、司の二人から気遣わし気な視線を受けながら、慶介の口から漏れる声が次第に荒立っていく。

 

もう、抑える事は出来なかった。

 

 

「ずっと…、ずっと、夢見てた!アスナがどこか、遠くに引き込まれていく夢!」

 

 

現実に帰還してから、ほとんど毎日の様に慶介の夢に出てきた、深い闇にアスナが引き込まれていく光景。

 

 

「不安で堪らなかった…。俺ばかり助けてもらって、なのに何もできない今がどうしようもなく嫌だった!」

 

 

ただ、アスナの安否を思いながら過ぎていく日々。不安に押し潰されそうな毎日。

自分が助けてもらってばかりで、なのに、自分はアスナを助けるために何もできなかった毎日。

 

また、あの日々に逆戻りだと考えると…、耐えられない。無理だ。

 

 

「お願いします」

 

 

立ち上がって、頭を下げて頼み込む。

 

 

「ナーヴギアを使う事を…。前に進む事を、認めてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前で頭を下げる息子を見て、健一は目を見開いていた。胸の中で、ただただ驚いていた。

慶介という自分の息子は、明るくて、時には悪戯をする事もあった。それだけ聞けば、ただやんちゃな子供だという風に感じるかもしれないが、慶介にはそれを感じさせない聡明さを持っていた。悪戯といっても、自分達にはほとんど迷惑をかけない、むしろこちらを笑顔にさせるような、そんな優しい悪戯だった。我が儘もほとんど言わずに…、その聡明さ故に、小さい頃に苦しんでいた事を、最後まで親である健一と恵子は気付く事ができなかったほどだ。自分一人で解決しようと抱え込んで、苦しんで。きっと、SAOの中でできたという友人達は、そんな慶介の性格に頭を抱えた事だろう。

 

そんな慶介だから…、今、我が儘を許して下さいと頼み込む息子の姿に、健一も恵子も、驚きを隠せなかった。

 

 

(お前は…)

 

 

言葉を発さない。発する事ができない。自分達家族が、どれだけ試みても直す事ができなかった、慶介の抱え込む癖。いや、恐らくその癖を完全に失くすことはできないのだろうと、そう思っていた。むしろそれが正しいと考えようとしていたのかもしれない。

 

だが今、慶介は自分を曝け出して、抱え込んでいた物を吐き出して、そして我が儘を言っている。そんな慶介の変化が嬉しくて…、だけど、健一にとっては複雑でもあった。

 

 

(結城明日奈…)

 

 

SAOの中でも、本名のアスナと名乗っていた彼女は、慶介に一体何をしてくれたのだろう。彼女は、慶介と一緒に過ごして、何を想っていたのだろう。きっと…、彼女と、慶介が語った仲間達が、慶介を変えたのだ。

 

慶介を閉じ込めた、憎むべきゲーム。それが、慶介を変えたという事実が、健一にとって、家族にとって複雑で堪らない。

 

 

(また、慶介を救ってくれた…)

 

 

あの時もそうだった。周りの期待に押し潰されそうだった慶介を、寸での所で性情を保ち続けていたのは、あの茅場晶彦だった。彼がいたから、慶介は救われた。…彼がいたから、慶介は結城明日奈と…、大切な仲間達に出会えたのだ。

 

 

「…母さん。会ってみたいな、明日奈さんに」

 

 

「え…?…えぇ、そうね」

 

 

不意に、健一に声をかけられた恵子は、一瞬戸惑いの表情を浮かべて健一を見る。そして、健一の表情を…、穏やかに笑みを浮かべた健一を見て、恵子もまた、すぐに笑顔を浮かべた。

 

 

「父さん…?」

 

 

頭を下げ続けていた慶介が、顔を上げて健一の顔を見つめていた。先程まで、こちらを圧倒させるほど、必死さを滲ませていた顔からは考えられない、きょとんと呆けた表情で。

 

何だ、その顔は────

 

さっきは、慶介から成長を垣間見たと思ったのに…、また、子供へ逆戻りしたように見える。

でも…、それでいい。慶介はまだ子供で…、我が儘で。

 

 

「何か怪しい所があれば、すぐに俺に報告しろ。後、何かおかしなことが起きたらすぐにログアウトするんだ。そして…、助け出したら、俺達全員でお見舞いに行く。それが条件だ」

 

 

「っ!」

 

 

「あなた…」

 

 

その言葉に慶介と司は無言で目を見開き、そして恵子は、まるで健一がその言葉を言うのを解っていたかのように、どこか呆れ気味の眼で健一を眺めながら溜め息を吐いた。

 

 

「とう、さん…。でも…」

 

 

「おいおい、お前がナーヴギアを使わせてくださいって言ったのに、何だその顔は」

 

 

あっさりと、健一は言い放った。

ナーヴギアを使っていいと、慶介に許可を出したのだ。

 

喜ぶべき結果だ。それは慶介が一番分かっている。だが、あまりにあっさりすぎて、慶介は、良く状況を呑み込むことができなかった。

 

 

「いや、だって…。…良いのか?」

 

 

「…本当は、ダメだって言わなきゃいけないんだろうけどな」

 

 

ようやく、少しずつ今の状況を理解し始めた慶介が健一に問いかける。すると、健一はふっ、と視線を外すと、自嘲気味に苦笑を浮かべた。

 

本当は、止めなければならないのだ。たとえ、アルヴヘイム・オンラインの中ならば、HPがゼロになっても脳が焼かれるという事はないと解っていても。慶介が、SAOをクリアした英雄だという事を知っていたとしても。大人として、親として、慶介を止めなくてはならないのだ。だが────できなかった。

 

 

「さっき言った約束を守りさえすれば、俺は何も言わん。好きなだけ…、お前が満足するまで、それを使え」

 

 

「父さん…」

 

 

自分が話したい事はこれで終わりだ。慶介から聞きたい事も全て聞いた。健一はテーブルに手を突いて立ち上がり、恵子が自分の言う通りにソファにおいてくれたコートを腕にかけて持ち上げる。

 

 

「だがな、慶介。まだ話は終わってないぞ?」

 

 

「え?」

 

 

仕事道具が入ったバッグも持って二階へ上がろうとしたその時、健一は立ち止まって振り返ると、悪戯気な笑顔を浮かべて慶介に言った。健一に言われた慶介は、目を丸くして、どういう事が解らない様子。

 

そう、飽くまで終わったのは、健一との話だ。慶介にはまだ…、後二人、話すべき家族がいる。

 

 

「俺との話は終わりだ。後は…、恵子と司から思う存分、説教されろ」

 

 

「え゛」

 

 

慶介の表情が固まったのが見えた。そして、その後ろで何やら黒いモノを揺らめかせた二人の女性が立っているのも…。

 

 

「慶介」

 

 

「兄さん?」

 

 

「…」

 

 

「「そこに正座」」

 

 

何も言わず、恵子と司の言う通りに、二人が指差す場所でのそのそと正座する慶介を見てから、健一はくくっ、と笑みを漏らしながら二階へと上がっていく。

 

これから何十分と続く、二人による説教が慶介を待っているだろう。だが…、それでも、慶介の望みに反対するという事はしないはずだ。初めて慶介が本気で見せた望みを、破ろうとはしないだろう。むしろ、その時は…

 

 

(まぁ、それはないと思うけどな。それよりも…)

 

 

鞄を、腕にコートをかけている方の手に持ち替え、空いた手でドアノブを捻って扉を開ける。

 

 

「菊岡め…」

 

 

鞄を投げるようにベッドへ置き、コートをハンガーに掛けながら思い浮かべるのは眼鏡をかけ、爽やかな笑顔が特徴的なあの男。だが、そんな笑顔とは似つかない行動をするのがあいつ────菊岡誠二郎だ。

 

 

(何が総務省だ…。俺の息子に何をさせるつもりだ)

 

 

スーツの上着を脱ぎながら、忌々しい眼鏡野郎に悪態をつく健一。初めて会った時から感じていた、絶対にこいつを信頼してはいけない。その時からここまで、目立った行動は健一に見せてはこなかったが…、ついにその手が傍まで迫っていた。それも、大切な家族に触るという最悪の手で。

 

 

「菊岡…。子供まで利用して、お前は何をしようとしている…」

 

 

菊岡が、大きな何かを目指して行動しているのは簡単に解る。だが、その何かというのが中々掴む事ができない。…いや、警察上層部はそれを掴んでいるのだ。しかし、その情報が、健一の元には降りてこないのだ。

 

そうこうして、菊岡について調べている内に須郷に辿り着き、そして須郷を調べている内に遂に菊岡は慶介へと手を伸ばしてきた。まるで、それが計画の内だと言うかの様に。自分は、菊岡の掌の上で踊っているのでは、と疑念を覚えてしまう。

 

 

(…落ち着け)

 

 

胸の奥で燻る怒りを鎮める。まだ、菊岡が慶介をその何かに利用しようとしているとは限らない。そう、まだ───────

 

 

(…とはいえ、今回の事はしっかりと釘を打っておくか)

 

 

不確定な事ばかりに気をとられてはいられない。今は目の前の事を…、須郷伸之についてどうにかしなければ。息子にだけ負担をかけて、自分は何もしないという訳にはいかないのだから。

 

だけど、それでも、今回の事について、菊岡と話をしなければと思う、一人の父親の姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗闇に包まれた一つの部屋の中。部屋の中を照らす月明かりが、ゆっくりと起き上がる人の影を映していた。

 

ベッドの上で起き上がり、座る体勢になった一人の少年は、頭に被ったヘルメット…ナーヴギアを外し、じっ、とその中に落とした視線で見つめていた。

 

 

『まさか、これほど強い剣士がまだいたとはな』

 

 

思い出すのは、死闘の末に打ち倒した、一人の強大な剣士の言葉。ゲーム、アルヴヘイム・オンラインの中で最強と謳われたその剣士は、まるで自分以外の誰かに、過去に負けた様な、そんな言葉を口にしたのだ。

 

それが信じられず、そして同じ事を思ったのだろう、その場にいた一人の女性プレイヤーが問いかけた。『貴方ほどの剣士が、誰に負けたのだ?』と。剣士は、その問いかけに対してこう答えた。

 

 

『ケイ、という刀使いにだ』

 

 

驚いた。見開いた目を、同じように驚いていた仲間の一人と合わせて、もう一度剣士に向けた。そのケイというプレイヤーに負けただけではなく、剣士が率いていたパーティーまでも半壊状態にまで追い込まれたらしい。

 

そんな凄まじい腕を誇るプレイヤー…、刀使い、そしてケイという名…。一人しか思い浮かばない。

 

 

「ケイ…。お前は今、どこかで…、生きているのか…?」

 

 

桐ケ谷和人。黒の剣士キリトは、窓の外を見上げながらぽつりと囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第68話 天上での戦い

今回の話は原作とほとんど変更点がありません。



…ほとんど、です。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽が傾き、空を赤く染め上げていた。現実世界では、もう真夜中になってるだろう。前回の須郷…オベイロンの訪問から、五時間ほど経過していると思われる。

 

ベッドの上で寝そべっていたアスナはゆっくりと体を起こし、タイルの上に足を付ける。十歩も進めば、すぐに扉の前に辿り着く。改めて籠の中がどれだけ狭いかという事、こんな中で二か月も過ごしていたのかと唖然とせざるを得ない。

 

だが、それも今日で終わりだ。

 

右手の指を、扉の脇にある入力板へと伸ばす。この案を考え出してからずっと、須郷が来る度に、この扉を開けるために押していた暗証番号をアスナは、鏡を通して覗き見ていた。心に刻み込んだ番号の羅列を、順番に入力していく。

 

 

「お願い…、っ」

 

 

祈りながら最後のボタンを押した直後、金属音と共に僅かに扉が開く。それを見たアスナの表情が一瞬だが、明るくなる。

 

 

「ケイ君…」

 

 

頭の中で、愛する人の笑顔を思い浮かべながら、アスナは扉を押し開けて籠の外へ脱出する。その向こうでは、細い道が刻まれた枝が曲がりくねりながら伸び、巨木の幹まで続いている。

 

外へと踏み出した足で駆け始めた時、背後から扉が閉まる音がした。だがそれに振り返らずに、アスナは前へと進み続ける。

 

そうして数分経ち、恐らく一キロ近くは進んだのではないだろうか。だが、アスナは未だ枝の上を歩いており、幹はまだ遠くに見える。それに、何かしらのコンソールも見当たらない。須郷がログアウトのシステムコンソールを使用しているなら、鳥籠から近くに置いているのではと考えていたが、当てが外れた様だ。

 

 

「…ケイ君」

 

 

もう一度、彼の名を呟く。今、ここにある自分の命は彼に救われた。彼に救ってもらったこの命を、こんな所で浪費するつもりはない。ようやく籠の外へ出れた今、少なくとも、現実へ帰るための手掛かりを一つだけでも見つけなければ。

 

 

「私、頑張るからね…」

 

 

決意をさらに固めながら進んだアスナの目の前には、木の葉のカーテンに隠れた、ぽっかりと幹に空いた穴。その奥には、世界樹の本体と思われる巨大な壁が見える。

 

アスナは躊躇わず、カーテンを払いながら奥へと歩き出す。路の奥には、一つの機械式の扉が。ノブらしき物は見えないが、本来それがあるべき場所にパネルがある。多分、タッチパネルだと思われる。

 

ロックされてない事を願いながら、アスナは右手人差し指の先で、そっとパネルに触れる。

 

 

「っ…」

 

 

直後、音もなく扉が右へスライドした。息を詰めて、中に人がいない事を確認してから、アスナは体を内部へ滑り込ませ、素早く奥へ歩みだす。

 

一切装飾のない通路が続く。上げる所があるとすれば、無機質な壁を照らすオレンジ色の照明くらいだろうか。外部は見事な造形美を見せていたのに、内部はその手間を惜しんだのだろうか。

 

外部から見える神秘的な光景からは考えられないほど無機質な光景が広がる中を、アスナはひたすらに進み続ける。そして、数個扉を潜った時だった。カーブを描く壁に貼られたポスターのようなものがアスナの目に入った。駆け寄って見ると、そこに描かれていた簡単な絵図。その上部には、<ラボラトリー全図 フロアC>と書かれていた。

 

 

「これ…、この場所の案内図…?」

 

 

どうやらこのオブジェクトに描かれているのは、世界樹の中の案内図の様だ。円形の通路が積み重なった三つのフロアから、一本の線がさらに下にあった長方形の部屋に結ばれている。その一番下にある部屋の絵を見て、アスナは身を固まらせてしまった。

 

 

「実験体…」

 

 

<実験体格納室>、小さく呟いたアスナは、一番下のフロアの上に記された文字を見つめていた。

 

 

『いたんだよね、丁度いい実験素材が!一万人もさぁ!ま、結果的に全員とまではいかなかったけどね。それでも、約三百個の素材が手に入ったんだよ!』

 

 

「っ…!」

 

 

下卑た声でそう言い放った須郷を思い出す。須郷がレクトという企業を隠れ蓑にして、違法な実験をしている事は知っている。それに利用されているのが、元SAOプレイヤーだという事も容易に予想が着く。というより、ここから抜け出すことでいっぱいだった頭の中で、その事が呼び起こされた。

 

間違いない、須郷が言う実験とやらが、この下のフロアで行われているのだ。

だが、どうする。その実験のために利用されている人がその部屋にいるのだろうが、今、アスナは現実へ帰るために行動している。ここはやはり、帰る事を優先するべきではないだろうか。それに、たとえそこへ辿り着けたとしても、自分に何ができる?

 

 

「…っ」

 

 

アスナは数秒の逡巡の後、歩き出す。

 

下へ降りる事ができる、エレベーターがある方へと。

 

ダメだ、放って置く事などできない。確かにそう大した事は出来ないだろうが、少しでも証拠となる物を、現実へ送る、または持ち帰る事ができれば…。確実に須郷の野望の阻止に、大きく貢献する事ができる。

 

そして、それができるのは今この場にいる、自分だけ。

 

早足で数分進むとやがて、外周側の壁に質素なスライドドアが見えてきた。歩いてきた方向と距離的に、それがエレベーターなのだろう。ドアの脇には、下に角を向けた三角形のボタンがある。

 

そのボタンに人差し指で触れると、スライドドアが音もなく開き、奥から小さな長方形の部屋が現れる。アスナはすぐさまそこへ飛び込み、体を半回転させて中の様子を見る。ドアが閉まった直後、アスナは現実のエレベーターと同じ場所に操作盤があるのを見つける。迷わず、一番下にあったボタンを押した。

 

直後、アスナの体を落下感覚が包む。エレベーターは降下していき、やがて停止すると、ドアがスライドして開く。ドアが開いた瞬間、アスナは奥へと足を踏み入れていく。

 

ドアの向こうはまだ通路が続いており、上層と同じような味気ないものだった。アスナはなるべく静かな動作且つ、早足で歩みを進めていく。通路はそこまで長いものではなく、すぐにまた新たな扉が見えてきた。

 

 

(…もしかしたら)

 

 

この向こうが多分、<実験体格納室>だ。ならば、この扉はロックされている可能性はかなり高い。もしそうなっていたら、上層に戻ってコンソールを探す。そう方針を固めながら、アスナはドアの前に立った。

 

 

「!?」

 

 

ドアは、アスナが前に立つと自動で開いた。その奥から漏れる強い光がアスナに注がれ、思わず目を細め、腕で光を遮ろうとする。

 

今までの薄暗かった部屋、通路とは打って変わり、扉の向こうはしっかりと明かりに照らされていた。さらに、これまたここまでの部屋とは違い、途方もなく広大な空間だった。

 

真っ白い、イベントホールとでもいうべきか。はるか遠く、左右と奥に垂直にそびえる壁面から全く遠近感が掴めない。天井自体が照明となっているのか、一面が発光しており、照明に照らされたフロアにはびっしり、且つ整然と、短い柱のような物が並べられていた。

 

視界に動くもの、耳で辺りから音がしない事を確認してから、アスナは内部の探索を始めた。柱のオブジェクトは十八の列で配置されており、二乗すればおよそ三百の数が存在している事が解る。

 

 

(三百…)

 

 

この三百という数、アスナは聞き覚えがあった。そう、須郷が言った実験体の数だ。

 

なら、これが────

 

アスナは自身の胸の高さまで伸びた円柱に近づき、中を見つめる。平滑な上面に空いた僅かな隙間に、何かが浮いていた。それは────脳。

 

実物大のサイズだが、色合いは青紫色の半透明素材で構成されている。さらによく見れば、微細なログが流れていた。<Pain>、<Terror>という文字が、この脳に対して何をしているのか、アスナに教えてくれた。

 

 

「何て…、酷い事を…!」

 

 

ここで行われている研究は、ヒトクローン技術と同じく、人間が決して触れてはいけない絶対の禁忌だ。ただの犯罪行為ではない。人の魂の尊厳を、これ以上ない方法で踏み躙っている。

 

強張った首を動かして右を見る。今目の前にある円柱と同じ、脳髄が収容された円柱が並べられている。ここにいる人と同じように、脳を見られ、弄られ、苦しんでいる人達がここにたくさん────

 

 

「…あ」

 

 

やるせない気持ちを感じながら辺りを見渡していると、ふと他の物とは違う円柱が目に入った。アスナはその円柱に駆け寄り、中を見る。その円柱には他の円柱とは違って、中に脳髄が収容されていなかった。何故ここだけ…、疑問に思うアスナの目に、円柱の下に付けられたパネルが。そこに書かれている文字を見て…、アスナは大きく目を見開いた。

 

 

「何で…?」

 

 

<No.85 Keisuke Tuzitani>

確かにそこには、アスナが愛する少年の名が刻まれていた。アスナはしゃがみ込んでもう一度見直す。だが、アスナが彼の名前を読み間違えるはずもない。

 

 

「ケイ君…!」

 

 

まさか、彼も実験に使われていた…?それとも、何か事情が────

 

 

「っ!」

 

 

そこまで考えた時、アスナの視界の端で影を捉えた。すぐさま円柱の影に身を隠し、何かが見えた方を確認する。

 

アスナから数メートル離れた所、そこにアスナが見た影の正体がいた。その正体の他にもう一つ、同じような姿をした何かが並んで歩いている。巨大なナメクジ、そう形容するしかない存在が、一本の円柱に近寄り、観察しながら何やら話し合い始めた。

 

 

「おっ、こいつまたスピカちゃんの夢見てるよ。B13と14フィールドがスケールアウト、16が上昇…。興奮してるねぇ」

 

 

実験体の周囲に浮かぶウィンドウを触手で示しながら、左側のナメクジがその言葉に返答を返す。

 

 

「偶然だろ?まだ三回目だし」

 

 

「いやいや、感情誘導回路形成の結果だって。スピカちゃんは僕がイメージを組んで記憶領域を挿入したんだよ?ここまで現れるのは閾値を越えてるでしょ」

 

 

「…ま、継続モニタリングサンプルに加えておくか」

 

 

何という会話だろう。まるで人を人として考えていない二人に、覚える嫌悪感を抑えながら円柱の影に引っ込むアスナ。

 

何故あんな姿をしているかは分からないが、あの二人は須郷の部下だろう。

 

 

(…剣があれば)

 

 

レイピアがいいなどと贅沢は言わない。何か剣があれば、あいつらにふさわしい末路を辿らせてやる事ができるというのに。しかし、ここは耐える。この怒りを爆発させ、飛び込めばここまで辿り着いた努力が水の泡となる。もう二度と、自分で抜け出すチャンスは来ないかもしれない。

 

アスナは両拳を握り締め、胸の奥の怒りが鎮まるのを待ってから、ナメクジたちがこちらを向いていない事を確認して歩き出した。

 

 

「そういやさ、あの八十五番のオブジェクト。いつまで空のままにしとくんだろ」

 

 

その言葉に、アスナはぴたりと足を止めた。

 

八十五番…、そう、ケイの名前が刻まれたあの円柱だ。

 

 

「んー…。何かボスが、脳の回収に失敗したらしい。そのまま放っとけって。いつか使う時が来たら使うからってさ」

 

 

「あー、それで。いつだったか、ボスがすっげぇ怒り狂ってたよなー。絶対に手に入れたかったのが手に入らなかったって。あそこに入れる予定の脳だったんだ」

 

 

(絶対に…?手に入れたかった…?)

 

 

ボス、恐らく須郷の事だろう。その須郷が、ケイの脳を手に入れたかった?

 

何故?いや、何をするのかはハッキリしているのだが、問題はそこまで固執していた理由だ。ケイが何故、須郷に目を付けられていたのか。…だがそれよりも。

 

 

(どうして、ケイ君はここにいなかったの…?)

 

 

ここに囚われていなかった事は安堵すべき事実だ。この場にいる人達は、恐らくは運悪く…、言い方は悪いがここへ連れてこられてしまったのだろう。だが、須郷は自分をここへ、狙って連れてくる事ができた。ならば、ケイもここへ連れ込む事ができたはずだ。

 

なのに、できなかった。その理由は?

 

 

(…ケイ君、やっぱり)

 

 

理由はハッキリしている。あの、ヒースクリフとの戦いの最期。ケイの命は散っていったのだ。だから、須郷はケイと捕らえる事ができなかった。

 

 

(ケイ君…っ!)

 

 

ケイは死んだ。分かっていた事だ。それでも、この世界にいてはその事実を確認する事は出来なかった。もしかしたら…、という思いを、アスナは打ち消す事ができなかったのだ。

 

だが、皮肉にもこんな場所でそれが照明されてしまった。

 

 

(…ダメ、ここで立ち止まっちゃ)

 

 

ケイの死はどうしようもなく悲しい。しかし、ここで立ち止まる訳にはいかない。ケイに囚われて、やるべき事を見失ってはいけない。ここから脱出し、須郷の悪事を暴き、ここで苦しんでいる人達を助ける。

 

ケイならば、さっさとしろと言うはずだ。

 

アスナは零れ落ちた涙を拭って、もう一度ナメクジ達の位置を確認してから歩き出した。慎重に、最速で空間の奥を目指す。円柱の列を通り過ぎていき、そして、アスナは遠く離れた壁の前に浮いた黒いコンソールを見つけた。

 

立方体のそのコンソールは、かつてアインクラッド第一層の地下ダンジョンで見たシステムコンソールと重なった。あのコンソールを使って、管理者権限でアクセスできれば、この世界から脱出する事ができるかもしれない。

 

円柱の列から離れた場所にあるコンソールへと、ゆっくりと近づいていく。身を隠す場所はない。少しでも音を立てれば、あのナメクジ達に気付かれアウトだ。

 

 

「…」

 

 

とうとうコンソールの前まで辿り着いた時、アスナは後方を確認する。

先程とは違う円柱の傍で揺れる触角が見える。気づかれていない。

 

コンソールと向き直り、観察。右端にある細いスリットの溝に、カードキーのような物体が刺し込まれていた。アスナは考えるよりも先に、それを下へスライドさせる。

 

ポーン、という効果音が鳴る。アスナの心臓は飛び上がり、ただでさえ緊張で早まっていた鼓動がさらに加速する。

 

 

(ダメ…!振り返らない!)

 

 

もしかしたら気づかれたかもしれない、と思うと同時に振り返りたくなる。だがそれを抑え、アスナはコンソールの操作を続けた。

 

カードキーのスライドで起動したコンソールは、多様なメニューを表示したウィンドウを浮かべた。逸る心を鎮めながら、細かい英字フォントを端から確認していく。

 

 

(…これだ!)

 

 

左下に、<Transport>というボタンを見つけると、指先でそれをタッチ。ブン、と音を立てながら新たなウィンドウが浮かび、そこにはこのラボエリアの全域が描かれていた。だが、違う。この場所にもう用はない。ここから出る方法を────

 

 

(あった!)

 

 

走らせた目で、<Exit virtual labo>と書かれたボタンを見る。それにタッチすると、更なるウィンドウが表示される。そしてその上部には、<Execute log-off sepuense?>、ログオフを実行しますか?という一文と、<OK>、<CANSEL>の二つのボタン。

 

アスナがどちらのボタンに触れるか、そんなのは、考えるまでもなく…。その時、伸ばしたアスナの腕に、灰色の触手が巻きついた。

 

 

「あっ…!」

 

 

短い悲鳴を漏らしながらも、アスナは強引に腕を伸ばそうとする。だが、まるでびくともしない。ならばと、今度は左手を伸ばすが、再び、左手にも触手が巻きつく。

 

両手を拘束されたアスナはそのまま持ち上げられ、円柱がある方へと引き戻されてしまった。その時、目の前に出現したのはあのナメクジ達。

 

 

「あんた誰?こんなとこで何やってんの?」

 

 

片方のナメクジが、丸い口をもごもごと動かして問いかけてくる。

 

 

「ちょっと、降ろしてよ!私は須郷さんの知り合いよ。ここを見学させてもらってたの」

 

 

何気ない風を装って答える。ここで下手を打って、逃げるチャンスを失いたくはない。

 

 

「ふーん…。そんな話は聞いてないけどな」

 

 

アスナの言葉にナメクジは呟いてから、隣にいたもう一方のナメクジに目を向けて問いかける。

 

 

「お前、何か聞いてる?」

 

 

「何にも。つか、部外者にこんなとこ見せたらやばいだろ」

 

 

「だよな。…ん、待てよ?」

 

 

問いかけたナメクジが再び視線をアスナへと戻す。

 

 

「あんたあれだろ。須郷ちゃんが世界樹の上に囲ってるっていう」

 

 

「あー!あーあー、そういやそんな話聞いたな。ずるいなぁ、ボス。こんな可愛い娘を」

 

 

ばれた。これで何を言っても放してはくれないだろう。だが、アスナは諦めず、肩越しにコンソールの位置を見て、左足を伸ばす。まだ表示されたままのボタンを爪先で押そうとする、が、新たな触手が足も絡めとってしまう。

 

 

「こらこら、何しようとしてるの」

 

 

言いながらナメクジはさらに触手を伸ばしてアスナの体を縛り上げていく。

 

 

「やめっ…!離して!」

 

 

「ボス、出張なんでしょ?お前むこうに戻って指示聞いて来てよ」

 

 

「…お前、一人で楽しむ気だろ」

 

 

「そんな訳ないって。静かに待ってるよ」

 

 

「…分かったよ、行ってくる」

 

 

アスナの言葉を無視して相談していたナメクジ達。すると、一方がアスナの体から触手を離し、その触手を器用に操ってコンソールを操作し始める。

 

表示時間を越えてしまったのだろう、アスナが出したウィンドウはすでに消えていた。だが、どうやら先程のアスナの操作は正しかったようで、ナメクジはアスナの操作と同じ手順でボタンを押していき、そしてその姿を消していった。

 

 

「離して!離してよ!ここから出してぇ!」

 

 

すぐそこに、現実世界への出口があるというのに。もう少しで、帰る事が出来たのに。無情にも扉は、ゆっくりと閉じていく。

 

 

「ダメだよー、そんな事したらボスに殺されちゃう。ねぇ、それよりもさ、君もこんな何もないとこで退屈してるでしょ?どう?一緒に電子ドラッグプレイでもしてみない?」

 

 

「っ、ふざけないで!」

 

 

ナメクジの言葉と共に、湿った触手がアスナの頬を撫でた。その感触は身震いしてしまうほど気色の悪いものだったが、アスナはすぐに頬を撫でる触手に顔を上げると、思い切り噛みついた。

 

 

「ぎゃぁ!いててててて!」

 

 

悲鳴を上げるナメクジに構わず、歯を食い込ませる。

 

 

「わ、わかった!わかったから!やめてくれぇ!!」

 

 

拘束するため以外の触手が離れていくのを確認し、歯を離す。アスナに齧られていた触手はすぐさま引っ込んでいき、ナメクジの口の中に飲み込まれていった。

 

 

「ひぃぃ…、ペインアブソーバ切ってたの忘れてたよ…」

 

 

ナメクジが呻いていると、不意にその隣で光の柱が立った。効果音と共に先程去っていったナメクジが出現する。

 

 

「…?お前、何やってんの?」

 

 

「いや、何にも。それより、ボスは何て?」

 

 

「すっげぇ怒ってたよ。すぐに鳥籠に戻して、扉のコード変えて二十四時間監視しろってさ」

 

 

この瞬間、アスナの千載一遇のチャンスが手から零れ落ちた。失望のあまり、目の前が暗くなっていくのを感じる。

 

 

「ねぇ、テレポートじゃなくて歩いて戻ろうよ。この感触をもうちょっと味わってたいし」

 

 

「…好きだね、お前も」

 

 

「っ」

 

 

ナメクジ達の視線がこちらから外れた。アスナはそれを見て、拘束が緩んでいた右足を伸ばして、コンソールのスリットに差し込まれていたカードキーを指先で挟んで抜き取る。同時にウィンドウが消えたが、ナメクジ達は気付いていない。

 

アスナは背中を逸らし、右足を伸ばしてカードキーを右手に移動させる。

 

 

「ほら、暴れちゃダメだよ」

 

 

言いながら、ナメクジはアスナの体を改めて持ち上げる。そして、格納室の出口へと歩き始めた。

 

 

(…現実には帰れなかった、でも)

 

 

落胆は隠せない。でも、手掛かりは手に入れた。このまま自分はあの鳥籠に戻され、このカードキーもコンソールが無ければ使用できない。だが決して、何もできなかった訳ではないのだ。

 

格納室の光景をその目にした。ここにコンソールがある事も知った。

 

ナメクジに鳥籠へ戻されたアスナは、ベッドに倒れ込み、枕に顔をうずめる。

 

 

「…諦めない。絶対に負けないよ、ケイ君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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第69話 天上へ向けて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あの、ユイさん?そろそろ機嫌を直して下さると嬉しいのですが」

 

 

「…」

 

 

青空を飛びながら、胸ポケットから顔を出さないユイに声を掛ける。SAOの中で経験した全てを打ち明けたあの夜が明けて、今日。ケイはALOにログインし、再び世界樹に向けて飛び出した。

 

の、だが。

 

 

「ユイさーん…?」

 

 

「…」

 

 

昨日、ケイはALOからログアウトする前に、またログインするからとユイに言っていた。だが、ナーヴギアの存在が家族にばれ、そして何とかまたナーヴギアを使いたいと説得できたはいいものの、話が終わった時にはすでに夜遅く。さらにそこから、父に見捨てられたケイは母と妹の慈悲なき説教を受け、疲労困憊となり、部屋に戻ってすぐベッドに倒れ込み、そのまま眠り込んでしまったのだ。

 

気付いた時にはすでに遅く、カーテンの隙間から見える太陽の光が朝を報せていた。

 

慌てて一階へ降り、洗顔を済ませてからすぐさま朝食を摂り、再び慌てて部屋へと戻ってナーヴギアを起動しようとして、思い出す。今日は週に一度の定期メンテナンスの日で、午後の三時までログインできない事を。仕方なく、だが早く三時になれと祈りながらその時をひたすら待つ。

 

午後三時、ALOへとログインしたケイを待っていたのは…、ベッドの上で座り、膝の上で拳を握って涙を流す、ユイの姿────

 

そして今、事情を話して何とかユイが泣くのを止めたのは良いが、機嫌を損ねてしまったらしい。ここまで、Mobの接近やプレイヤーの反応の報告以外、ほとんど口を利いてくれなくなってしまった。

 

…心にくる。胸が痛い。ダメだ、少しでも気を抜けば地面に真っ逆さまな自信がある。

と、ともかく、せめてユイが顔を出してくれるように声をかけ続けなければ。

 

 

「ゆ…「わかってるんです」…え?」

 

 

ケイがユイの名前を呼ぼうとした時、それを遮ってポケットの中からユイの声がした。

 

 

「パパには現実に家族がいて…、パパのパパとママ、妹さんもいて…。本当は、パパがその方達に事情を話さなきゃいけない事も分かってるんです」

 

 

「…」

 

 

「なのに私は…、このままパパに置いてかれちゃうんじゃないかって…。ごめんなさい、パパ。私、悪い子です。こんな事言っても、パパを困らせるだけなのに…」

 

 

ユイはポケットの中に潜ったままだが、震えた声が今のユイの気持ちを教えてくれる。

 

 

「…ふぅ」

 

 

ケイは笑みと共に一つ、短い溜め息を吐いてから翅を操って減速。そのまま地面に向かって降下していった。ユイがどれだけ悲しんでいるか。それは、簡単に解るなんて口にできるほどのものじゃない。でも…、初めてユイが、自分に寂しいと言ってくれた。

 

きっと、ここまで来るのに何度もケイがログアウトする度にユイは寂しさを感じていたに違いない。それに気付けなかった自分自身への情けなさと、誰に似たのか、自分で抱えがちなユイがそれを教えてくれた事の嬉しさをケイは同時に噛み締めていた。

 

…もしかしたら、父さんと母さんは昨日、同じ気持ちを感じていたのかもしれない。

 

ケイは地面に着地すると、羽をしまい、そしてポケットの中のユイを摘んで掌に乗せてから言った。

 

 

「ユイ、ちょっと元の姿に戻ってくれるか?」

 

 

「え?…はい」

 

 

ケイの言葉に戸惑いながらも、ユイは掌から降りると、ピクシーの姿から元のAIとしての姿へと戻っていく。黒い髪と白いワンピースの裾が揺れ、くりっとしたユイの大きな目が開く。

 

ケイとユイの視線が合った瞬間、ケイはユイの体を抱き締めた。

 

 

「ぱ…、パパ…?」

 

 

「ごめんな、ユイ。…俺も悪いパパだ。ユイが寂しがってる事は分かってたのに…、気付いてやれなかった」

 

 

ユイの髪を撫でながら、優しい声質で話しかけるケイ。

 

 

「ユイ。俺は絶対にお前を一人にさせたりしない。…俺だけじゃない。ママも、そんな事しないさ」

 

 

「パパ…」

 

 

ユイの頭に手を置いたまま、もう一方の手を肩に乗せてそっと体を離す。

 

 

「ユイは悪い子なんかじゃない。…俺を困らせたくなかったんだろ?」

 

 

「…パパぁ」

 

 

抱き締められてたユイが、両腕をケイの体に回す。ケイの胸にユイが顔を埋める。

 

仮想世界では、濡れるという感覚はない。それなのに、ユイが顔を埋める所が確かに、熱く感じた。

 

 

「…ごめんな」

 

 

ユイの後頭部に掌を当て、ぐっと体に押し込むように力を込めてから最後に一言。

 

 

「じゃ、そろそろ行くか?…何なら、抱っこして飛んでくか?」

 

 

「だ、大丈夫です!ポケットの中にいます!」

 

 

からかいの念が込められたケイの言葉に、ユイは頬を染めて、あっという間にケイの胸ポケットの中へと引っ込んでしまった。何とも可愛げのある子供らしい姿に、思わずケイも微笑む。

 

 

「さて…、世界樹はすぐそこだ」

 

 

ユイがポケットの中に入ったのを見てから、翅を広げて飛び上がるケイ。その目の前には、ガタンを出発してからずっと見続けてきた。すぐ傍まで来た、世界樹がそびえ立っていた。

 

 

 

 

 

 

天を突き抜けるほどに高く伸びる世界樹の麓に位置する、アインクラッドの中心都市<アルン>。そこに広がる光景は、あまりにも美しく、荘重だった。

 

古代遺跡のような建物がどこまでも連なり、黄色い篝火や青い魔法光が瞬いている。空から照らされる日光と合わさるその光景は、まるで芸術だ。その下を行き交うプレイヤー達の姿は統一感が無い。ここまで見た事のない種族のプレイヤーもいる。

 

ここアルンには、九つの種族全てが、均等に入り混じっているのだ。

 

 

「ここが…、アルン」

 

 

色様々なプレイヤー達が行き交う光景に、ケイは思わず圧倒される。

 

ここに来るまでずっと、ケイは赤の…サラマンダーのプレイヤーしか見た事が無かった。ここに来て初めてケイは、シルフ、ウンディーネ等…、そして自分と同じ種族である、インプのプレイヤーを見たのだ。

 

 

「…とりあえず、根元まで行ってみるか」

 

 

「はい」

 

 

街の光景に見惚れるのもほどほどに、本来の目的を思い出し、ケイとユイは世界樹の根元へ向かって歩き出す。行き交う混成パーティーの間を縫うように数分進むと、前方に大きな石段とその上に口を開けるゲートが見えてきた。

 

あれを潜れば、この世界の中心。アルンの中央市街だ。ケイは階段を上りながら、世界樹を見上げる。もう、ここまで来ると世界樹は巨大な壁にしか見えない。階段に躓かない様に、世界樹が気にはなるが視界を切って前を見る。そして遂に、ゲートを潜ろうとした…その時だった。ユイがポケットの中から顔を出すと、食い入るように上空を見上げる。

 

 

「…どうした?」

 

 

周囲の人目を気にしながら、ケイが小声で問いかける。この間に、ケイはゲートを潜ってアルン中央市街に入る。すると、その瞬間、ユイは目を大きく見開き、ケイの目を向いて口を開いた。

 

 

「ママが…います」

 

 

「!?」

 

 

ユイの口から漏れた言葉に、今度はケイが目を見開いた。

 

 

「プレイヤーIDは間違いなく、ママの物です…。座標は、まっすぐこの上空です!」

 

 

「…っ」

 

 

ユイの言葉と同時に、ケイは上空を見上げる。ユイの言葉が本当ならば…、いや、そんな前提など今のケイの中にはない。ユイの言葉は真実だ。現に、世界樹の枝を写した写真の中に、アスナは映っていた。つまり、あの樹に、アスナは────

 

考えるよりも先に、ケイは飛び出した。翅を広げ、今出せる自身の最高速で一気に飛び上がっていく。周囲のプレイヤーが、何事かとこちらを見上げるのも知らず、ケイはただ上を見上げて、上昇を続ける。視界から建造物が消え、絶壁というべき世界樹の幹が現れる。それと同時に、ケイは上昇角度を垂直に変える。

 

凄まじい速度である故に、顔を叩く風圧も凄まじいものだったが構わない。分厚い雲海にも速度を緩めず貫いていく。

 

まだか────まだか!

 

まだ、アスナの姿は…世界樹の枝は見えないのか?

そう苛立ちがケイの中で生まれた瞬間、ようやくおぼろげに世界樹の枝が見え始める。だが、それと同時に、落雷の音にも似た衝撃音がケイの耳朶を打った。

 

ケイの上昇が、止まる。

 

 

「なっ…!?」

 

 

ケイは、体中を奔った衝撃に目を剥く。

 

今、何が起こった?何かの音と一緒に、何かがぶつかって…、

 

 

「っ!」

 

 

そこまで考えて、ようやく自分が落下しているのだと気付いたケイは体勢を整えてホバリング。だがすぐに上昇を再開する。

 

 

(確か…、ここ…っ!)

 

 

上昇しながら、先程の現象が起きた場所を思い出すケイ。そしてそこへ到達した瞬間、再びケイは何かに阻まれる。

 

 

「ちぃっ!」

 

 

舌を打ちながら今度は場所を変えて上昇を試みる。だが何度やっても同じ、まるでそこに。見えない障壁があるみたいに、ケイの体は何かにぶつかり続ける。

 

 

「くそっ!」

 

 

こんな所で…。もう少し、もう少しなのに。手は届かない。

 

その時、ケイの胸ポケットからユイが飛び出す。

そうだ、もしかしたら、ユイならば────、と心の中で浮かんだ希望も虚しく、ユイもケイと同じように、見えない障壁に押し戻されてしまう。

 

だがユイは衝撃に耐え、見えない境界線で障壁に手を突き、口を開いた。

 

 

「警告モードなら音声は届くかもしれません…!ママ!私です!ママ────!!!」

 

 

ユイがアスナがいる場所に向かって呼びかける。その姿を見ていたケイも、この障壁を何とかできないかと色々と試みる。手で殴り、刀を抜いて斬りかかり、何かアイテムを使えばとストレージから取り出してアイテムを使用したり。だが、全て効果は出ず。

 

 

「…方法は一つ、か」

 

 

外から直接行くのは、不可能。なら、残る可能性は…、と次の手を考え始めたその時だった。

 

 

「パパ!何か落ちてきます!」

 

 

「ん?」

 

 

アスナに呼びかけを続けていたユイが言った。一瞬ユイに視線を向けた後、ユイが見上げるその方向へとケイも視線を向ける。視界の彼方に、何か小さな光が瞬いた。その光は瞬きを続けながらゆっくりと、こちらに向かって降ってくる。

 

ケイはホバリングしたまま、両手で掬いを作って、落ちてきた何かを収める。

 

 

「カード…か?」

 

 

ユイがケイの肩口から覗き込むのを感じながら、ケイは銀色のカード型オブジェクトをタッチする。だが、普通なら詳細を載せたウィンドウが浮かぶはずが、何故か浮かばない。

 

すると今度は、ユイは身を乗り出してカードの縁に触れる。

 

 

「…パパ!これは、システム管理用のアクセスコードです!」

 

 

「っ」

 

 

掌に載ったカードを眺める。今のユイはただのナビゲーションピクシーではなく、僅かながらシステムに干渉ができるAIだ。だからこそ、このオブジェクトの正体に気付けたのだろうが…、だが、何故そんな物が世界樹の上から降って来たのか。

 

 

「…考えるまでもないな」

 

 

「パパ?」

 

 

「いや…。こんな物が、理由もなく落ちてくるわけないよなって言ったんだよ」

 

 

「っ…、はいっ!ママが私達に気付いて落としたんだと思います!」

 

 

ケイは一度カードを握り締め、胸ポケットにしまいながらユイに問いかける。

 

 

「これがあれば、GM権限が使える…なんて、上手い話はないよな」

 

 

「はい。ゲーム内からシステムにアクセスするには、対応するコンソールが必要です。私でも、システムメニューは呼び出せないんです…」

 

 

「そっか…。行くぞ、ユイ」

 

 

「はい?」

 

 

胸ポケットにカードをしまったケイは、ユイを手で掴み、同じようにポケットへ収めて急降下を始めた。

 

 

「行くって…、どこにですか!?」

 

 

「決まってる。…グランドクエストとやらをクリアしに行くんだよ!ユイ、クエスト場所に案内しろ!」

 

 

地上へ辿り着くと、今度はユイの言う通りに移動をする。とはいっても、階段を上ってすぐの所がクエストを始められる扉がある場所のため、五分とかからず着いたのだが。

 

 

「…誰かいるな?」

 

 

「はい。…クエストに挑戦するのでしょうか?」

 

 

そして、アルン市街地の最上部。階段を上り切ったケイとユイだが、誰かが大きな扉の前で立ち尽していた。あの扉が、グランドクエストの開始点なのだろうが…、そのプレイヤーは立ったまま動かない。

 

 

「あの…、挑戦するんですか…?」

 

 

「っ…」

 

 

無視してさっさと入っても良かったのだが、後でいちゃもん付けられても困ると思い、一応問いかける。顔を覗き込むと、後姿から何となく予想はついていたのだが、そのプレイヤーが女の子だと分かった。長い金髪をポニーテールに纏め、緑色の眸と鼻、桜色の唇、顔立ちはかなり整っている。特に、胸部の兵器はかなりの存在感を示しt────

 

 

「ちょっと、一緒に来て!」

 

 

「え?…は、はぁっ!?」

 

 

流石に女の子をじろじろ見るのはまずいか、あ、いや、ネカマかもしれない等々思考を働かせていると、不意に女の子がケイの手首を掴み、そのまま引っ張り出した。

 

 

「お願い!助けて!」

 

 

「は!?いや、俺ちょっとあの扉の向こうに用が…」

 

 

「なら丁度いいわ!私もあの中に用があるの!」

 

 

(な、何だ?何が起こってるんだ?何で俺は見知らぬ女の子…もしくはネカマに手を引かれてるんだ!?てか、丁度いいって何が…っ)

 

 

女プレイヤーの言葉にふと疑問を覚えたケイは、引っ張られてる方向に目を向ける。

そこには、ケイの目的だった世界樹の中へと繋がる、あの大扉が存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この期の講義に慣れてきました。スケジュール的に結構楽にしたので、思ってたよりも投稿できるかも…?


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第70話 謎の修羅場

いやぁ~、お久しぶりですー。前回の後書きで、【思ってたよりも投稿できる】とかぬかしておきながら二週間も空いてしまいました…。

アホすぎ…。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり、彼女の言う通り、無理だったのかもしれない。たった二人で、この試練を乗り越えて世界樹の頂に辿り着く事など。それでも、諦められなかった。認めたくなかった。…この気持ちは慢心だったのだろう。

 

死んでもいいゲームなんて温いと思っていた。何故なら、自分達は一度でもHPがゼロになれば、本当に命を失うというデスゲームをクリアしたのだから。だが、それが今はどうだ。温いと思っていたゲームの敵に苦戦し、挙句パートナーの一人はHPを全損させてリメインライトとなって力無く浮いている。

 

 

「キリト…!」

 

 

サチは、両手で握る槍を振るって八方から襲い掛かる守護騎士を薙ぎ払いながら、HPが全損し、動けなくなったキリトの元へ向かおうとする。

 

キリトとサチは、リーファという協力者と共にアルンに辿り着き、そしてグランドクエストに挑戦していた。リーファは、たった二人では無理だと言っていたが、内心では何とかなるだろうと甘く見ていた。その結果が…、これだ。

 

もう少しだった。キリトにあと数秒、猶予が与えられていたら手が届いていた。だが、あざ笑うかのように世界樹を守護する騎士達は、あっという間にキリトという剣士を殺した。あまりにも、呆気なく、そして突然の事だった。

 

 

(上に行けば行くほど、守護騎士の数は増えて、アルゴリズムも複雑になってた…。ううん、まずは、キリトを助けて撤退しなきゃ!)

 

 

色々と、今回の戦闘の中に気になる点はあったが、まずはここから生きて逃げなければ。何かしらの不具合のおかげで、SAO時代の能力がアバターに受け継がれているのだ。ペナルティーでそれを減らしたくはない。

 

しかし、リーチが長く、小回りを利かせづらい槍では同時に多数を相手にするのは難しい。サチのHPの減り幅が、次第に大きくなっていく。

 

 

「くっ…!」

 

 

遂に、注意域を超え、危険域へHPバーが達してしまう。

 

このままでは────

 

 

「っ!」

 

 

守護騎士が眼前に迫る。いつの間にか、ここまで接近されてしまった。守護騎士は長剣を、サチに向かって振り下ろ────そうとした所で、ぴたりと動きを止めた。

 

 

「え…」

 

 

直後、戸惑いを覚えるサチの横を光の刃が横切っていく。光の刃は、サチの眼前にいた守護騎士を切り裂いて、消えた。

 

 

「何が…っ!」

 

 

何が起きた、後ろに振り返ろうとした時、再び何かが高速で自身の近くを通り過ぎていく。

その何かと、目が合った気がした。

 

 

「サチさん!」

 

 

「り、リーファ!?」

 

 

まず後方にいたのはリーファだった。守護騎士の攻撃を巧みに躱しながら、こちらに手を振っているのが見える。先程の光の刃を放ったのはリーファだったのだろう。

 

なら…、さっきここを通っていったのは?

 

 

「あ…」

 

 

上を見上げれば、集る守護騎士を躱し、切り裂きながら上へ上へと飛び上がっていく一人の

少年の後姿。髪、翅の色から考えて、種族はインプだろうか。刀を変幻自在に操り、襲い掛かる守護騎士だけでなく、周囲から放たれる矢さえも弾いてダメージを抑えるという離れ業を見せるプレイヤー。

 

こんな事ができる人物を、サチは一人しか知らない。

 

 

「サチ!」

 

 

「っ!」

 

 

勢いよく、あっという間に上へ上がっていくプレイヤーを見過ごせなかったのだろう。サチとリーファへの注意が手薄となっている中、二人の視線を受けながらキリトのリメインライトを掴んだプレイヤーが、サチの名を呼ぶ。

 

 

「受け、取れ!」

 

 

そして、そのプレイヤーは、サチに向かってキリトのリメインライトを投げた。

余りに突飛なその行動に、一瞬固まるサチだったが、すぐに取り直してキリトのリメインライトを受け取る。

 

 

「早くここから出ろ!」

 

 

「っ…、でも…!」

 

 

「俺もすぐに行く!」

 

 

キリトのリメインライトを受け取ったまま、固まっていたサチに向けてさらに声を投げかけてくるインプの少年。その声で我に返り、降下しようとしたサチだったが、多数の守護騎士に囲まれ、その場から移動できないでいるプレイヤーが気になってしまう。

 

少年は笑みを浮かべながら言うが、どうしても無視はできない。一度キリトをリーファに預けて援護に向かおうか。でも、もしあのプレイヤーが彼なら、そんな必要は────

 

そこまで考えた瞬間だった。少年を取り囲んでいた守護騎士が、あっという間にその数を減らしていく。少年は刀を振るい、防具の隙間、守護騎士の首元を的確に突き、切り払い、守護騎士達を消滅させていく。

 

 

「サチさん!早く!」

 

 

「…うん!」

 

 

下方からリーファが呼びかけてくる。その呼びかけに答え、サチはリーファを追いかけて出口に向かって下降を始める。

 

そして、一方のケイは未だ、襲い掛かる守護騎士達を迎え撃っていた。ユイのオペレートを聞きながら、煌めく刃を返しながら守護騎士達を切り裂いていく。

 

 

(こいつら一体一体の強さはそう大した事はない。だが…)

 

 

「パパ!背後から弓を構えてる敵多数!」

 

 

「分かってる!」

 

 

ケイの左側から、四体の守護騎士が剣の切っ先をこちらに向けながら突っ込んでくる。

さらにその後方では、弓を構え、矢を放とうとする多数の守護騎士達。

 

ケイは突っ込んでくる守護騎士達を躱しながら、すれ違いざまに斬撃を入れていく。

だがその時、遂にケイを狙って矢が放たれる。それを目にしたケイは、突っ込んでくる最後の守護騎士の斬撃を躱すと、その首元を掴んで振るう。

 

放たれた矢が、ケイが振り回す守護騎士に命中していく。勿論、刺さる矢は守護騎士のHPを削り、守護騎士の存在を消滅させる。防ぎ切れなかった矢を刀で弾き、ようやくケイも下降を始める。

 

最後に、守護騎士と守護騎士の間から覗く、半円形の天蓋に見える扉を目にして。

 

下降を続けるケイに、更に襲い掛かる守護騎士を躱し、切り裂いてやり過ごしながら出口に近づいていく。天上から遠ざかっていくにも関わらず、勢い変わらず襲い掛かってくる守護騎士を避け、何本か矢を受けはしたものの、特に目立ったダメージを受けることなく、リーファが開けたゲートを潜り、ようやく外へ脱出する。

 

一度翅を羽ばたかせ、足を地面につける。

背後でゆっくりと扉が閉まっていく音を聞きながら、雲一つない青空を見上げた。

 

 

「キリト君…!」

 

 

「…」

 

 

先に外へと脱出していたサチとリーファの二人は、ケイの事を待っていたようだ。だが、ケイが無事に出てきた事を確認すると、リーファは辛抱堪らないと言わんばかりに、すぐさま両手に抱いていたリメインライトの蘇生を試みる。

 

ウィンドウを開き、アイテムストレージから一つ、アイテムを取り出すリーファ。その手の中に出てきたのは、小さな容器。リーファはそっとリメインライトから手を離すと、容器の蓋部分を一度タップする。直後、容器の蓋が開かれ、中から透明の雫が振り撒かれる。振り撒かれた雫はリメインライトにかかったかと思うと、その場に魔方陣が描かれる。

 

ゆっくりと、ただ揺らめくだけだった炎が形を変えていく。初めは大きくなり、そして次第に人型を形取っていく。

 

 

「キリト…」

 

 

「…ごめん、サチ。迷惑かけた」

 

 

リメインライトがあった場所に現れたのは、黒い髪を逆立て、背には漆黒の大剣を背負ったスプリガンの少年だった。

 

 

(キリト…)

 

 

リーファが、そしてサチが、キリトと呼んだ少年に駆け寄る。少年は駆け寄ってきた二人を見て微笑みながら、二人と何か話している。

 

 

「パパ…」

 

 

「ユイ。俺が良いって言うまで出て来るなよ」

 

 

「…はい」

 

 

固まっている三人には聞こえない様に、小さな声でユイと話す。

 

いや正直な話、あの二人にばれているとは思う。というより、確実にばれてる気がする。

 

 

(…いや、ばれてない。ばれてない!)

 

 

だがケイはその現実から目を背ける。何故なら、もしそうだった場合、後で自分の身に何が起こるか明らかだからだ。…とりあえず、思い切りぼっこぼこにされるだろう。何しろここは、それぞれの種族の領地と違い、どのプレイヤーが攻撃されても、HPは減らない…。SAOでいう、圏内なのだから。

 

そんな事を考えながら、それでもやっぱりばれてるんだろうな~、等とちょっと憂鬱に思いながら、三人のやり取りを眺めるケイ。

 

 

「ごめん、リーファ…。ちょっと待ってて」

 

 

三人が話している間、その内容はケイの耳にほとんど入ってこなかった。なのに何故か、その声だけはしっかりとケイの耳に届いてきた。

 

僅かに見開いたケイの目に、こちらに歩み寄ってくる二人の男女が映る。キリトとサチだ。

二人は神妙な顔つきで、ケイの前で立ち止まると、キリトの方が口を開いた。

 

 

「助けてくれてありがとう」

 

 

「ん…、あぁ」

 

 

まず、キリトが口にしたのはお礼の言葉だった。自分に追及してくるのではないかと、内心身構えていたケイは思わず肩透かしを食らってしまう。

 

もっとこう、ぐいぐいと尋問のごとく追及してくると思っていたのだが…。

 

 

「あの、急に引っ張ったりしてごめんなさい…。私からも、ありがとうございました」

 

 

「え…、いや、そんな頭下げたりしなくていいから…」

 

 

キリトに続いて、彼の隣に立って頭を下げるリーファにケイは返す。

 

本格的に挑戦する前に中を偵察出来て、こっちとしても得だったという気持ちは、言葉に出さずに。

 

 

「…でもあなた、ここまで一人で来てたみたいだけど。まさか、世界樹に一人で挑戦する気だったの?」

 

 

油断していた。核心を突いてくるのがキリトかサチだけと思い込んで油断していた。まさかリーファの方がこちらを追い込んで来るとは考えてなかった。

 

だが、それだけでボロを出すケイではない。

 

 

「俺はここにログインしてあんまり経ってなくてな。ちょっと世界樹ってのを見てみたくなったんだよ」

 

 

「…あなたインプ…よね?インプ領から初心者が一人で来れるとは思えないんだけど…」

 

 

乗り越えたと思ったら、まさかの墓穴を掘りかけてたでござる。

 

 

「ひ、一人とは言ってないだろ。ちゃんとパーティーメンバーが…」

 

 

「それにあなた、さっきの戦い見てると、ただ者には思えないんだけど…」

 

 

「…」

 

 

おかしい。だんだんと自分の首が締まっていくのを感じる。心なしか、キリトとサチが苦笑しているように見えるのは気のせいか。

 

 

「…まさかあなた、ユージーン将軍が言ってたインプじゃ」

 

 

「ユージーン…、っ」

 

 

ユージーン。サラマンダーの、あの男の事だ。

キリトとサチが、このリーファという少女と共に行動しているのは見てて分かる。そして、彼ら二人がどうやってここまで来たのかは知らないが、少なくともこのリーファが案内人として着いていたのは間違いない。

 

リーファがユージーンと会ったというならば、キリトとサチもユージーンと対面したという事だ。そして、ユージーンが自分の事を話したという事は────

 

 

「ケイ」

 

 

(…そう、か)

 

 

ここで、ようやくケイは悟る。

とっくに、キリトとサチはケイがこの世界にいる事を知っていたのだ。どういう経緯でユージーンと会ったのかは知らないが、彼と言葉を交わし、ケイの存在に気付いていたのだ。

 

 

「…口軽おっさんは、いつかもっかい斬り飛ばしとかないとな」

 

 

「っ…。ケイ、なの…?」

 

 

諦念を含んだ笑みを浮かべ、ぽつりと呟くケイ。それを聞いたサチが、信じられないという様に問いかけてきた。その問いに、ケイは何も言わずにただ頷いて答える。

 

 

「何で、とか聞くなよ?ぶっちゃけ俺にも何が起きてんのかさっぱりなんだから」

 

 

サチが再び口を開こうとしたのを見て、先回りしてケイが言う。

 

サチが何を言おうとしたのか、お見通しだった。だが、その問いかけに対する答えをケイは持ち合わせていない。それどころかむしろ、それについてはケイが一番知りたい疑問なのだから。

 

 

「…ユージーン将軍に聞いてから思ってた。もし本当にお前が生きてるなら、必ずここに来るって」

 

 

「…逆に俺は、お前らがここに来るとは思ってなかったけどな」

 

 

先日、病室で二人の姿を見た時は夢にも思わなかった。こんな形で、二人と再会するなど。

 

 

「お前も、この樹の上にアスナの行方の手掛かりがある事を…」

 

 

「違うよ、キリト。この上に間違いなく、アスナはいる」

 

 

「え?」

 

 

キリトの言葉に異を突きつけながら世界樹を見上げる。

 

あの上から落ちてきた謎のオブジェクト。そして、ユイの言葉。ケイ自身では何も感じる事は出来ないが、確信はある。

 

 

「アスナの所に行きたいんだ。…手伝ってくれるか?」

 

 

「…当たり前だ」

 

 

「私達も、そのために来たんだから」

 

 

先程世界樹に入り、守護騎士達と戦闘をしたからわかる。

 

あれは、自分一人では無理だ。例え、ユイのオペレートに支えてもらったとしても。だからこそ、人手が欲しい。

 

今ここで、こんな事を言えた義理ではないのは分かっている。二人の姿を見たにも関わらず、接触を避け、再会を果たしてからも何とか正体を隠そうとした自分が頼めることじゃない事は。

 

なのに…、二人は全く躊躇うことなく、手を差し伸べてくれた。

 

ありがとう────

 

口を開こうとした時だった。

 

 

「アスナ、さん…?うそ…。だって、その人は…」

 

 

リーファが目を見開き、呆然と呟いているのを耳にした。

 

何やらアスナの名前を呟いている、が、その言葉の意味をケイは飲み込む事ができない。

 

 

「それに、ケイって…。そんな…、どうして…?」

 

 

(俺の名前…?)

 

 

「リーファ?どうした?」

 

 

続いてリーファが口にした自分の名前に、さらに疑問を深くしたと同時、同じようにリーファのおかしな様子に気付いたキリトが問いかけた。

 

キリトに問われたリーファは、小さく身を震わせてからゆっくりと口を開いた。

 

 

「お兄ちゃん…なの?」

 

 

「え?」

 

 

今度はキリトが呆然とする番だった。

 

キリトの眉が訝しそうに動かされる。だが、すぐにキリトの目はゆっくりと見開かれて…

 

 

「スグ…直葉…?」

 

 

誰かの名前を口にした。

 

直葉とは誰なのか、ケイはサチに目配せするが、サチもキリトと同じように驚愕しているらしく、リーファの姿を目を丸くして見つめている。

 

 

「…酷いよ…。あんまりだよ、こんなの…」

 

 

リーファは数歩、後ろによろめいた後、キリトから顔を背けて左手を振るう。そこにでてきたウィンドウを操作したかと思うと、リーファの体は光に包まれ、光が消えた時には彼女の姿はその場から消えていた。

 

 

「スグ!」

 

 

キリトがリーファに向かって手を伸ばし、数歩彼女に近づくが間に合わず、彼女はログアウトした。

 

 

(…何が起こってる?)

 

 

何が起きているのか、ケイにはさっぱり解らない。空気を読んで黙ってはいたが。

 

それでも、これだけは解る。自分とアスナの存在が、リーファにとって何らかの地雷になってしまったという事だけは。

 

 

 

 

 

 

切っても切れない、深い絆を持った友と再会して最初に遭遇した事件は────

 

 

 

 

 

 

修羅場でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前書きの続きになりますが、想像以上に投稿できると思っていたら想像以上に時間がなかったという罠…。それに気分転換に執筆しようとしても、ついお気に入り小説が投稿されてたらそっちにフラフラと行ってしまう始末…。

言い訳みたくなってしまいましたが、ともかく書きたいという気持ちは全く揺らいでないので。次話も間がかなり空いてしまうと思われますが、気長にお待ちください。


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第71話 集う戦士

お久しぶりです。本格的に時間が取れなくなってます…。

まあ言い訳はこのくらいにして、続きをどうぞ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「桐ケ谷和人、桐ケ谷直葉。これが、キリトとリーファちゃんの現実での本名だよ」

 

 

リーファを追いかけて、キリトもログアウトした後に、何が起きているのか分からないケイにサチは言った。キリト────和人と、リーファ────直葉は兄妹なのだが、その事を知らずにこのゲームで出会い、そしてパーティーメンバーとしてここまでやって来たのだという。

 

だが分からない。兄妹であると判明して驚くのは解るが、先程のリーファの様子は明らかに狼狽していた。困惑、悲しみ、絶望、こんな感情が彼女の表情から伝わってきた。

 

 

(…まさか兄に対して?いや、そんな馬鹿な…)

 

 

決してあり得ない訳ではない…とは分かっていても、やはり同じように妹を持つケイとしては理解し難かった。そんな、兄に対して妹が恋慕の気持ちを持つなんて。しかし、そうでなければあの反応の理由の説明がつかない。

 

あのサチの反応と先程の話から、現実でサチが桐ケ谷兄妹と会い、話をした事があるのは容易に予想できる。そして、サチとキリトがどういう関係なのか…、ゲームの中でリーファが気付いていたかどうかは解らないが、現実での二人を見てそれについては察していたのだろう。

 

 

「ケイ…。あのね?和人と直葉ちゃんは、本当の兄妹って訳じゃないの」

 

 

「は?」

 

 

「色々と事情があるんだけど…、あの二人は本当は、いとこ同士っていうのが正しいの」

 

 

「…はぁ!?」

 

 

何かもう、色々とありすぎて、さすがのケイも全てを呑み込むのに時間を要した。

 

 

(つ、つまり?キリトとリーファは兄妹で?でもリーファはキリトの事が好きで…。だけどあの二人はいとこだから特におかしな事はないと?けどキリトはサチと付き合ってて…、あ?でもゲームの中でリーファがそれに気づいてたかどうかは解んないんだよな。現実ではともかく…。あー、何か頭がこんがらがってきた)

 

 

両腕を組んで、頭の中で整理をする。が、現実ではああでゲームの中ではこうでと事情が複雑すぎて、頭の中が混乱してくる。

 

 

「…リーファは、キリトの事が好きだったのかな」

 

 

「いや、まぁ…。そうだろーな。さっきの反応見てりゃ…」

 

 

「いや、そういう事じゃなくて…」

 

 

不意に口を開いたサチが言っている事が解らず、ケイは首を傾げる。

 

 

「現実のキリト…、和人に直葉ちゃんは恋をして…。そして、ゲームの中でリーファちゃんはキリトに恋をした。リーファちゃんにとっては…」

 

 

そこから先、サチは何も言う事は出来なかった。何故なら彼女は、大好きな和人もキリトも、どちらも…言い方は悪いが、奪ったに等しいのだから。

 

 

「…あんま気にすんなよ。サチは悪くないし…、誰も悪くない」

 

 

そう、誰も悪くないのだ。誰も、何も知らなくて…、何の意図もなく、ただリーファにとって不運が重なっただけ。…彼女にとっては酷な事だが、それだけなのだ。サチが責任を感じる事ではないし、もちろん、キリトやリーファもそうじゃない。

 

 

「大丈夫だって。兄妹喧嘩なんてしょっちゅうあるもんだからさ。そのたんびに仲直りして、また喧嘩して…。その繰り返しなんだよ」

 

 

「…どうしてわかるの?」

 

 

「わかるに決まってるだろ?俺だって現実に妹がいるんだから」

 

 

思いつめた表情を浮かべていたサチに言うと、目を丸くしながらえ?と驚きの声を漏らした。

 

 

「いるんだぜ?妹。他人の世話を焼きたがる自慢の妹がさ」

 

 

可愛くて、綺麗で、料理ができて、裁縫ができて、優しくて、知り合いからは大和撫子と呼ばれてて、でも家では全然そんなキャラじゃなくて。完璧に近い、自分には勿体ない妹だ。

 

 

「あっ、あと強い」

 

 

「つ、強い?」

 

 

「そう、めちゃくちゃ強い。いや、剣道やってんだけどさ、試合の映像見せてもらったらもう速いのなんの…」

 

 

あまり考えたくないが、もし司がSAOにログインしていたら、ヒースクリフなんか目じゃなかったのではないだろうか。アインクラッド最強と呼ばれていた自分なんかあっさり倒してしまいそうだ。

 

そう、自分が考えている事をサチに伝えると、サチは頬を引き攣らせて苦笑を浮かべながら、「へ、へぇ~…」とだけ口にする。…何かまずい事でも言っただろうか。

 

 

「ケイだって化け物染みてたのに…、それより強いって人じゃないんじゃ…」

 

 

「聞こえてるぞ。人とその妹を人外扱いするんじゃない」

 

 

誰か化け物だ、れっきとした人間だ。…司の方はちょっと疑わしく感じてるのは否定しないが。

 

 

(そういや、その化け物と互角に渡り合った子がいたっけ)

 

 

現実に戻ってきて少ししてからだ。母、恵子に見せてもらった、司が出場した全中の試合の映像。ほとんどの試合を一本で勝利してきた司を一人、時間いっぱいまで粘って判定まで持ち込んだ選手がいた。確か、ベスト8での試合…、名前は桐ケ谷…────

 

 

(…あれ?)

 

 

そこまで思い出した時、頭の中に引っかかるものがあった。

桐ケ谷────どこかで聞き覚えのある、というかつい先程聞いたばかりのものだ、

 

 

(桐ケ谷和人、桐ケ谷直葉…。いや、さすがにね?まさか…ね…)

 

 

もしそうだったら、何と狭い世間だ。思わず軽く戦慄するケイ。

 

 

「あのさ、サチ。キリトの妹…直葉、だっけ?その子さ…、剣道やってたりする?」

 

 

「え?うん、そう聞いてるけど…、よくわかったね」

 

 

何と、何と世間は狭いのか。ケイは天を仰ぐ。

 

 

「ど、どうしたの?ケイ」

 

 

「いや…。世間って狭いもんなんだなって思っただけだ…」

 

 

「?」

 

 

ケイの言葉の意味が解らないのだろう、サチが首を傾げて疑問符を浮かべている。

 

 

「サチさん!」

 

 

どういう意味なのか聞こうとしたのだろう、サチが口を開きかけた時だった。二人の背後から、サチを呼ぶ、高い少年の声が聞こえてきたのは。黄緑色の髪に、少し気弱そうな印象を受ける顔立ち。振り返って見えたのは、こちらに走り寄ってくるシルフの少年の姿だった。

 

 

「レコン君!?どうしてここに…、というより、大丈夫だったの!?」

 

 

「麻痺が解けたら、見張りのサラマンダー達を毒殺してやりました!モンスターをとれ印しては他人に擦り付けて、擦り付けて、擦り付けて…。ここまで来るのに一晩かかりましたよ」

 

 

「え、MPKじゃねぇか…」

 

 

何か、気弱そうな顔立ちとは裏腹にやる事がえげつない。ケイはこのレコンと呼ばれた少年に対する印象を入れ替える。

 

 

「…あなたは?それに、リーファちゃん…あのスプリガンの人もいませんね」

 

 

「あ…、えーっと…」

 

 

サチと対面していたレコンが、不意にケイの方へ視線を向けて問いかける。それから今度は辺りへ視線を見回して、再び問いを続けた。

 

どうやら、サチ、キリト、リーファと知り合いの様だ。恐らく、シルフ繋がりでリーファの友人なのだろう。サチとキリトとは、リーファと行動中に知り合った、といったところだろうか。

 

 

「えっと、こっちのインプの人はケイ。私とキリトと、違うMMOで遊んでた事があるの。で…、キリトとリーファは…」

 

 

まず、サチが手を向けながらレコンにケイの紹介をする。紹介されてから、ケイはレコンと会釈し合った。それから、キリトとリーファの事について説明しようとするサチだったが、言いづらそうに口を噤む。

 

さすがに言いづらいだろう。リーファとレコンがどのような関係なのかは知らないが、先程の事を二人の知らない所で口外する訳にはいかない。とはいえ、何も言わないというのも訝しがられるだろう。

 

どうするべきか迷い、堪らなくなったサチが視線をケイに向けて見遣った時だった。

 

先程、リーファが消えた場所から光が発せられ、収まったと思うとその場所にはリーファが立っている。

 

 

「サチさん…、ケイさん…。それに、レコン!?」

 

 

ログインしてきたリーファが目を開けると、ケイとサチを気まずそうに見て…そして、二人と一緒にいるレコンを見つけて目を丸くした。

 

 

「リーファちゃん!も~、捜したよ!」

 

 

リーファと目を合わせたレコンは、パッ、と表情を輝かせるとリーファのすぐ前へと駆け寄っていった。

 

…どうやら、レコンは三人を、というよりリーファを追ってここまで来たようだ。

 

 

「あんた、何でこんな所に…」

 

 

サチと同じ問いをリーファがすると、レコンは先程と同じ答えを、先程よりもどこかテンション高めに返した。やはり、あのテンションの変わり様、レコンはリーファに対して並々ならぬ想いを抱いていると見て間違い無いようだ。

 

 

「そういやリーファちゃん。あのスプリガンの人はどうしたの?サチさんはそこにいるけど」

 

 

「っ…」

 

 

そして今度はレコンが、先程サチに投げかけたものと同じ問いかけをリーファにする。

 

息を呑むリーファ。目を見合わせるケイとサチ。

 

何かフォローをした方がいいのか、しかし自分には何もできる事は…とケイが迷う仲、リーファが口を開いた。

 

 

「あたしね…、あの人に酷い事言っちゃった。好き…だったのに、傷つけちゃったの…。馬鹿だな、あたし…」

 

 

途中、気まずそうにちらりとサチに目をやりながら答えるリーファ。やはり、という念を抱きながらただ眺めるだけのケイ。リーファに視線を向けられた直後、ピクリと体を震わせたサチ。

 

そして────レコンは、いつの間にかリーファに詰め寄っていた。

 

 

「な、なに!?なんなの!?」

 

「リーファちゃん!」

 

 

限界まで背を後ろへ傾けるリーファ。そのリーファの両手を握り、顔を真っ赤にして、至近距離からリーファの顔を見つめるレコン。

 

 

「リーファちゃんは泣いちゃダメだ!いつも笑ってなきゃ…、リーファちゃんじゃないよ!」

 

 

励まそうとしているのだろう、懸命に言葉を絞り出しながらレコンは続ける。

 

 

「僕は…、そんなリーファちゃん…直葉ちゃんだから…。ぼ、僕がいつでも傍に居るから!現実でもここでも!」

 

 

(ん?)

 

 

何かおかしくなってきたような気がしないでもない。というより、いつの間にかレコンの公開告白が開始されている。

 

 

「ちょっ…、あん…っ!」

 

 

「僕、僕…、直葉ちゃんの事が好きだ!」

 

 

言い切った、かと思えば、レコンの顔がゆっくりと、さらにリーファの顔へと接近していく。どうやら、レコンは行ける所まで行こうとしているようだが…。

 

 

「あの、待っ…!」

 

 

リーファはさらに背を仰け反らせ逃れようとする。レコンは来たる甘い果実に期待を寄せているのか、目を瞑っているのだろう。そんなリーファの様子に気付かず、更に突出。

 

 

「待ってって言ってるでしょうが!!」

 

 

「「あ」」

 

 

思わず、ケイとサチは同時に声を漏らした。

 

遂に限界を迎えたリーファが、左拳をレコンの鳩尾に打ち込んだ。レコンは後方へと吹っ飛び、バウンドしながら転がっていく。リーファから十メートルほど離れた所、今ケイ達三人がいる場所へ繋がる階段の途中でようやく止まる。

 

 

「う、ぐ、うぅ…。ひどいよリーファちゃん…」

 

 

「どっちがよ!だ、大体あんた、こんな公衆の面前で…っ!」

 

 

何か先程の事で思い出したのか、突然顔を真っ赤にしたリーファは、未だ倒れてるレコンの背中に容赦なく蹴りを喰らわす。

 

 

「うげ!うげえ!り、リーファちゃん!やめて!…あ、でもこれいいかも」

 

 

リーファに謝りながら止めるように叫ぶレコン。途中、何やら不穏な言葉が聞こえた気がするが、気のせいという事にしておこう。

 

 

「うーん、おっかしぃな~…。あそこまで来たらあとはもう、僕に告白をする勇気があるかどうかだと思ってたのに…」

 

 

「…あんたって、ホント…」

 

 

項垂れるレコンに呆れるリーファ。ケイとサチも、そんな二人の様子に苦笑いが隠せなかった。

 

 

「…でも、ありがとねレコン。何か元気出た」

 

 

「え?…う、うん。ならいいの…かなぁ?」

 

 

不意に、呆れ顔だったリーファが、憑き物がとれたようなすっきりした表情でほほ笑む。そんなリーファにお礼を言われたレコンは、どこか戸惑いながら首を傾げた。

 

…レコンよ、良くはないぞ。

 

 

「たまにはあんたを見習ってみるわ。ここで待ってて。…あ、付いて来たら今度はこれじゃ済まさないからね!」

 

 

すると、リーファは背から翅を顕現させると、最後に右拳をしゅっと突き出してから空へと飛び上がっていった。

 

 

「あ、ちょっ!リーファちゃん!?」

 

 

慌ててレコンは追いかけようとするが、飛び立つ前、最後にリーファが言った言葉を思い出し、止まる。

 

 

「ま、ちょっと待っててやれよ。多分、すぐ戻ってくるから」

 

 

「…はぁ」

 

 

ここへ来たばかりのレコンには何が何だかわからないだろう。とはいえ、ここは少し我慢してほしい。破損した歯車を修正するか、はたまた壊し、また新たな歯車を作り上げるか。

 

 

 

 

 

 

兄妹が戻ってきたのは、リーファが飛び立ってから二十分ほど経った頃だった。

 

 

「えーっと…、どうなってるの?」

 

 

「世界樹を攻略するのよ。私とあんたと、この人達の五人で」

 

 

「へぇ~…。て、えぇええええええええええぇええええええええ!!!?」

 

 

世界樹の扉の前、そこには、胸を張るリーファとリーファの宣言に驚愕するレコンと。

 

 

「あ、そうだ。ユイ、もう出てきていいぞ」

 

 

「ぷはぁっ。もうパパ、呼び出すのが遅いです!私はパパに呼ばれないと出てこれないんですから!」

 

 

「「ゆ、ユイ(ちゃん)!!?」」

 

 

ユイを呼び出し、怒られるケイと、ユイの出現に驚愕するキリトとサチの姿があった。

 

この五人でこれから、世界樹攻略に乗り出すのだが────

 

 

「ユイ、さっきの戦闘で何か解った事はあるか?」

 

 

「はい。あのガーディアンモンスターは、ステータス的にはさほどの強さはありません。ですが、ゲートへの距離が近づくにつれ、湧出ペースが格段に上がっていきます。…正直に言って、異常です。あれでは、攻略不可能な難易度に設定されているとしか…」

 

 

話し合い、分かったのは世界樹攻略は、普通では不可能だという事。

 

そう、普通ならば。

 

 

「ですが、パパ、にいにとねえねのスキル熟練度も異常なのは同じです。瞬間的な突破力だけなら可能性があるかもしれません」

 

 

「短期決戦、か…」

 

 

ユイの言葉に、キリトは口元に手を当て、考え込む素振りを見せながら呟いた。

キリトだけでなく、サチ、リーファ。レコンもまた、この神妙な空気を感じ取り、話に聞き入っている。彼らの様子を一度見回してから、ケイは口を開いた。

 

 

「皆。すまないとは思ってる。でも…、俺に力を貸してほしい。本当は時間をかけて別ルートを探すべきなんだろうけど…」

 

 

短い空白の後、ケイはもう一度四人を見回しながら続けた。

 

 

「あまり、あの上で待ってる人を待たせたくないんだ」

 

 

この一言で、小さく表情を動かした者が二人いた。キリトとサチである。

 

キリトとサチは一歩、ケイに近づいてから口を開く。

 

 

「その気持ちは俺達も同じだよ、ケイ」

 

 

「うん。…早くアスナを、迎えに行ってあげよう?」

 

 

キリトとサチが微笑みながら言うと、今度はリーファがレコンの襟元を掴んで引っ張り名gら、同じように一歩前へ出て口を開いた。

 

 

「私達もお手伝いします!二年間、ただ見ているだけだったけど…、今度は私も!…あ、こいつも少しくらいは役に立つと思いますよ?」

 

 

「な、何でこんなに扱い雑なのさ!…いやでもこれはこれで」

 

 

力強く宣言したリーファと、どこか不安が残るレコン。いや、少しでも多く手を借りたいので、手伝ってくれるのならば心強いのだが。手段はともかく、一人でシルフ領からここまで来れるほどの実力を持っているのだから。

 

 

「…ありがとう」

 

 

下らない不安を感じるのはそこまでにし、気持ちを入れ替える。腰に差してある、<天叢雲剣>を僅かに抜き、陽の光を受けて輝く刀身を見遣ってから、刀を戻し、世界樹内部へ繋がる石扉と向き合う。

 

クエストを受ける会話を済ませ、出てきた確認ウィンドウのイエスボタンをタップする。健闘を祈るというセリフを聞き流しながら、ケイ達は翅を広げた。

 

 

「…行こう!」

 

 

ケイの言葉と同時に、異なる色の妖精達が、闇の中へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次の投稿もかなり間が空くと思われます…。


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第72話 見えない頂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリト達が剣を抜く音が聞こえる。ケイも、いつでも刃を抜けるように右手を柄に添える。

扉が開き、そこから一気にドーム内へと侵入すると、ケイ、キリト、サチの三人が凄まじい加速を以て飛び上がる。事前に打ち合わせた通り、グランドクエストを攻略するには長期戦は絶対に避けなければいけない。守護騎士が生成される前に、少しでも天蓋のゲートへと近づく。

 

リーファとレコンは前線へと出ず、後方ヒール魔法の詠唱を始めている。二人の役割は、守護騎士にターゲットにされないよう攻撃はせず、パーティーの回復に専念してもらう。

 

どろり、と、発光部から粘液が垂れるとそれが守護騎士の形を形成していく。気づけば、上部ゲートがほとんど見えなくなるほど、ケイ達頭上を守護騎士達が覆っていた。

 

ケイ達三人と、守護騎士の先陣が互いを目掛けて突っ込んでいく。そして、二つの陣がぶつかり合った瞬間、ドーム内を揺るがすほどの爆音が響き渡る。

 

 

「す、すげぇ…」

 

 

低く呻くレコンの視界には、周囲から襲い掛かる守護騎士の胴を切り払い、尚も上を見据えるケイ達の姿があった。この世界で、あれだけの数のモンスターをああも簡単に切り伏せる事ができる剣士を、レコンもリーファも見た事が無かった。

 

 

(確かに凄い…。でも…っ)

 

 

確かにケイ達の戦いぶりは凄まじい。守護騎士の包囲に対して下がることなくそれどころか、少しずつ天蓋のゲートへ接近している。これは、前回リーファ達三人でグランドクエストに挑戦した時には見られなかった光景だった。あの第一陣で足を止められ、第二陣で次第に押し戻され、そしてキリトのHPが尽きてしまったのだ。

 

しかし今回はゆっくりではあるが、間違いなく上へ上へと進んでいる。それが、ケイの加入によるものが大きいのは見ていれば分かった。彼は自身に襲い掛かる敵を薙ぎ払いながら、キリト、サチに狙いを付ける騎士の存在を察知し、彼らが襲われる前にそれらを倒しているのだ。何という速い立ち回りなのか、キリトとサチも速い速いと思っていたが、まさかその上がいるとは。

 

だが、それを考慮していても。第一陣を退け、さらに上昇していく彼らの頭上を覆う、第二陣にリーファは戦慄を隠せなかった。

 

 

「っ、レコン!」

 

 

「う、うん!」

 

 

その時、第二陣の攻撃を受け、キリトのHPが一割ほど減少してしまう。それを見逃さなかったリーファとレコンは、待機状態のまま保っていたヒール魔法を発動させ、さらに半分にまでHPを減らしていたキリトを全回復させる。

 

 

「リーファ!レコン!」

 

 

だが、キリトにスペルが届いた瞬間だった。一部の守護騎士達の視線が、ケイ達三人からリーファとレコンの方へと移る。それを感じ取ったサチが、堪らず呼びかけるが、間髪おかずに襲い掛かる守護騎士の対応で身動きがとれない。

 

リーファとレコンはケイ達と比べてかなり下方で待機していた。その理由は言うまでもなく、回復役である彼らを守護騎士達のターゲットにさせないためだ。本来、ALOのモンスター達はダメージを受けないか、または反応圏内にプレイヤーが侵入しない限りはヘイトを向ける対象を変えたりしないはずなのだが。

 

 

「なっ…!」

 

 

五匹で構成された一群が、リーファとレコン目掛けて下降してくる。恐らく、生成された守護騎士達はある種、パーティーやギルドのような扱いだと思われる。通常のアルゴリズムであれば、仲間がダメージを受ければ、仲間を傷つけた相手にヘイトが向くのが普通なのだろうが…。相当悪意のあるアルゴリズムを守護騎士一体一体は持っているようだ。これでは、前衛にアタッカー、後衛にヒーラーというオーソドックスな配置が意味を成さない。

 

 

「奴らはあたしが引きつける!レコンはヒールを続けて!」

 

 

リーファは腰の鞘から剣を抜き、こちらに向かってくる守護騎士達に対して構えようとする。

 

 

「待って!」

 

 

だが、大きく声を発しながら腕を掴んできたレコンにリーファの動きは止まる。

 

 

「リーファちゃん。僕、正直に言ってよくわかんないんだけど…。これは…、この戦いは、すごく大事な事、なんだよね?」

 

 

この時のレコンの顔は、彼と会ってからこれまで、見た事が無かった。真剣な顔で、でも瞳の中では何故?という戸惑いが見え隠れしていて。そんな彼に申し訳なさのような、そんな気持ちを抱きながらも、リーファは返す。

 

 

「…そう。きっと今だけは、ゲームじゃないのよ。…あの三人にとっては」

 

 

黙り込むレコン。さらに接近してくる守護騎士。レコンには悪いが、このままやられる訳にもいかない。リーファは再び剣を構えようとして────

 

 

「…あの人達にはとても敵いそうにないけど。僕が何とかしてみるよ」

 

 

上昇していくレコンを、止められなかった。

 

 

「え────」

 

 

その手にコントローラーを握り、正面から守護騎士群へ突入していくレコン。

 

 

「ば、ばかっ…!」

 

 

慌ててレコンを追いかけようとするが、再びキリトのHPが減少しつつある。それだけでなく、ケイも、サチもHPがもうすぐ半分を割ろうとしていた。

 

幸か不幸か、こちらに向かって来ていた守護騎士群は上昇していくレコンを追いかけていった。すぐさまリーファは詠唱を始める。その間も、レコンは守護騎士達に向かって上昇していた。

 

 

 

 

 

 

(何で僕はこんな所で戦ってるの?)

 

 

飛行中に装備しておいた風属性の範囲攻撃魔法を放ち、向かってくる守護騎士を斬り落とす。

 

 

(グランドクエストだよ?僕たちシルフとケットシーが同盟を組んでも…、それでもクリアできるかどうかわからないクエストを…、何で僕は、こんな少ない人数で挑戦してるんだろ)

 

 

歯を食いしばり、空中で崩れそうになる体勢を必死に保ちながら魔法を放ち続ける。

 

下らない。下らない下らない下らない。たかがゲームだ。何でこんなに歯を食いしばって戦わなきゃならないんだ。それも、良くわからない、会ったばかりの人達の頼みを受けてなんて、どうかしてる。

 

元々、のんびりと楽しめるゲームを探していただけなのに…。偶然このゲームのパッケージを見つけて、お小遣い前借で親に頼んでアミュスフィアと一緒に買ってもらって。いざログインしてみたらなんという事だ、PK有りの殺伐としたゲームではないか。穏やかな妖精が描かれたパッケージに騙された。とはいえ、今ではすっかりこのゲームにのめり込んでいるのだが。それでも、こんな全プレイヤーの最前線で戦う気などさらさらなかったのに────

 

 

「レコン、もういいよ!早くそこから逃げて!」

 

 

下から、リーファの声が聞こえる。

 

 

「キリト!レコンの援護、行けるか!?」

 

 

「無理だ!…くっ、サチ!」

 

 

「ダメ…!数が多すぎる!」

 

 

どうやら彼らから、自分は相当頼りなく見えるらしい。…まあ実際、自分としてもそう見えてしまうのだから当然といえば当然なのだが。

 

この先程組んだパーティーの中で一番の足手纏いは自分だと、レコンは自負していた。自分よりも後からこの世界に来たリーファにはとっくに腕は抜かれ、あの三人は完全に別次元の強さを誇っている。誰から見ても、足手纏いはこいつだと指を差されると自信を持って言える。

 

 

(…だけど)

 

 

だからこそ────

 

 

(僕にしかできない事で、あの人達の役に立ちたい!)

 

 

ゲームなのだから、ここで失敗したってまたもう一度挑戦できる。なのに何故か、あの三人は今この時が全てと言わんばかりに、死力を尽くして戦っている。

 

────何で僕はここまで…。あの人達がどんなに必死になろうと、僕には関係ないのに。

 

実際、その通りだ。レコンには今回の戦いで得るものなど何もない。強いて言えば、グランドクエスト初クリアという称号…、そんなもの、欲しいと考えたこともない。

 

それでも、

 

────ここで逃げたら、ずっと後悔する気がした。

 

 

「っ…!」

 

 

意を決して、レコンは最後にして最強の切り札を切る。

 

 

 

 

 

 

「あれは…」

 

 

守護騎士の首を斬り落とし、視界の端に見えた光景に、ケイは目を見開いた。

その光景に酷似したものを、ケイは目にした事がある。

 

サラマンダー領の砂漠地帯を越え、<竜の谷>のエリアの中だ。サラマンダーのパーティ0-に囲まれ、戦闘に入ったあの時。だがケイが見たそれは、複数の魔術師プレイヤーによって創り出されていた。

 

今、ケイが、ケイ達が目にした、何らかの文字の羅列によって構成された巨大な魔方陣。それは、レコンという一人のプレイヤーによって全て創り出されているのだ。

 

深い紫色の魔方陣は、周囲の守護騎士を呑み込みながらさらに巨大化していく。その異様な光景に気付いた守護騎士達が、ケイからレコンに注意を向けターゲットを変更していく。

 

 

「させるか…っ!?」

 

 

すぐさまケイが、レコンに狙いを変えた守護騎士に対して動き出した、その瞬間だった。

 

レコンが紡ぎ上げた詠唱が、完成する。

 

レコンと周囲の守護騎士達を包み込んでいた魔方陣が、収縮、直後、凄まじい光を放ちながら暴発した。

 

天地がひっくり返ったかのごとき暴音と、大地にそびえ立つ世界樹が揺れるほどの衝撃。

閃光によって飛んだ視界が回復するのに、一秒ほどを要した。瞼を開き、そして大きく見開く。先程まで密集していた守護騎士達が、レコンによって作り出された魔方陣の範囲分、ごっそりと消滅していた。

 

いや、一つだけそこに何かが存在していた。それは、ユラユラと揺らめき燃える、小さな炎。

リメインライトだ。恐らくは、視界が回復してから姿が見えない、レコンの物。

 

 

「っ!」

 

 

先程の魔法が自爆魔法だと理解したその時には、すでにケイは再び上昇を始めていた。

レコンが開けてくれた空間を、アスナの元へ繋がる路を目掛けて、飛び上がっていく。

 

樹の中に入った時はあれほど遠く、小さく見えた天蓋のゲートが、今は巨大に見える。それほど、ケイは、もうすぐ手が届くところにまで昇ってきていた。

 

────行ける!

 

ケイは確信した。あの扉に手が届く。アスナの元へ、この世界の裏側を隔てるあの扉の向こうに、もうすぐ辿り着ける。

 

 

「…なっ…!?」

 

 

刀から左手を離し、ゲートに向かって伸ばしたその時だった。ゲートを捉えていた視界が白く包まれたかと思うと、ケイは正面から強靭な何かに衝突し、大きく弾き飛ばされた。

 

 

「くっ!?」

 

 

衝撃に思わず閉じていた瞼を開け、ケイは見た。先程、レコンが穿った空間が、再び守護騎士達によって埋められているのを。

 

心が、何か槌のような物で殴られたような、そんなショックを受けながらもケイは体制を立て直し、ホバリングで身体の落下を止める。

 

もうすぐ、もうすぐだった。忌々しい白い騎士達に打ち勝ち、世界樹の上へと行ける所だったのだ。だが、もうその道は塞がれ、それどころか今こうしている間にもこれまで以上のペースで守護騎士が生成されている。

 

 

「ケイ」

 

 

背後から呼ぶ声に振り返ると、ケイに続いて来ていた、キリトとサチの姿。二人は、振り返った後すぐに上へ視線を戻したケイを見つめている。

 

 

「どうする、ケイ。一旦体制を立て直すか?」

 

 

「…」

 

 

ケイ達と守護騎士の睨み合いが続く中、キリトが口を開いた。そしてそれは、今ここでとるべき最善の選択。

 

退く、べきだろう。あの数を相手にするには、どうしてもヒーラーが足りない。リーファ一人では、自分達三人をフォローし切れない。回復魔法のエキスパートであるウンディーネのサチもいるが、まだ高位の回復魔法のスペルを暗記し切れていない。

 

やはり撤退すべきだ。撤退を────

 

 

「…レコンってさ、全く関係なかったんだよな。ただ、俺の身勝手に巻き込まれただけで」

 

 

レコンだけではない。リーファだって本当は、こんな所に来なくても良かった。こんなゲームをゲームとして楽しめない所に連れてきてしまったのは…、自分だ。

 

 

「なのに…。レコンはあんな自爆魔法撃つし、リーファは逃げようともしないし」

 

 

下を見れば、こちらの様子を見上げるリーファの姿。今の現状に衝撃を受けているようだが、回復魔法を保持して待機している。ここから逃げよう、という意志は全く見られない。

 

 

「…キリト、サチ。蹴散らすぞ」

 

 

「あぁ!」

 

 

「了解!」

 

 

聞くまでもなく、三人の意志は一つだった。

 

どれだけ数が集まろうともそれらをすべて蹴散らし、昇り切る。

 

ケイ達は得物を力強く握りしめ、同時に上昇を始めた。直後、対する守護騎士達もその動きを見て、戦士の上昇を阻もうと動き出す。

 

彼らが暴発音と共に激突したのは、その直後の事だった。

 

 

 

 

 

 

「…ムリだよ」

 

 

ケイの血を吐くような絶叫が聞こえてくる。キリトも、サチもまた、叫び声を発しながら鬼神のごとく闘っている。だが、彼らは上へ上がるどころか、次第にその位置が下がってきている。

 

 

「お兄ちゃん…、皆…。こんな、こんなの…」

 

 

リーファは回復魔法を唱え、減少したキリトのHPを回復させる。だがこんなものは気休めにもならない。回復したばかりのキリトのHPが、すぐさま減少する。ケイとサチのHPも注意域へ達している。どうやっても回復のペースが間に合わない。

 

正直リーファは、キリト達の言う事を信じ切れてはいなかった。この世界に、キリト達にとって大切な仲間の魂が囚われている。この世界で、娯楽として遊んできたリーファにとって、その話はどうしても信じる事ができなかった。

 

だが、リーファは今初めて、<システムの悪意>というべきだろうか、そんな感覚を味わっていた。公平なバランスを保ち、世界を動かしているはずの何者かが、まるで自分達プレイヤーに明らかな殺意を以て攻撃してきている。そんな感覚を。

 

 

「あっ…!」

 

 

その時、リーファの耳に低い呪詛の声が届く。声が聞こえてきた方へ目を剥けると、そこには光の弓を握り、今にも矢を放とうとする守護騎士達。あれは、一度目の挑戦でキリトの動きを止めた攻撃だ。あの矢に当たるとスタン状態になり、動けなくなるとこの戦いの前の打ち合わせでキリトが語っていた。

 

ダメだ、あれを撃たせては。リーファはスペルの詠唱を止め、矢を放とうとする集団に向かって上昇する。

 

瞬間、リーファの背後から、何かが波打つ。彼女の背を押すように風が流れ、その直後、すぐ傍らを何かが横切っていく。

 

 

「うそ…」

 

 

リーファを追い抜く形で上昇していったのは、密集隊形をとって突入していく、シルフの部隊だった。一目見るだけで高性能だと分かる、お揃いの装備を身に着けたプレイヤーの集団。その数、五十を超えているだろうか。

 

カーソルに表示された名前は、そのほとんどが一度は聞いた事のある手練れのものばかり。彼らの雄叫びを聞いた守護騎士達は、ケイ達への攻撃を中断し、狙いを昇っていくシルフ部隊へと変更する。

 

だが、この混沌とする戦場へやって来たのは、彼らだけではなかった。シルフの部隊の出現に唖然としていたリーファだったが、背後から彼らとは別の新たな雄叫びを耳にする。

 

 

「これ…っ、飛竜…!?」

 

 

さらにやって来た集団は、数だけではシルフの部隊よりも少ない。だが、その一騎一騎はとてつもなく巨大だった。

 

鉄灰色の鱗を持ち、額と胸、両翼の前縁部には金属のアーマーを装着した竜がシルフの部隊を追いかけるように上昇していく。そして竜の背には、シルフの精鋭達と同じように、高性能の装備を身に着けたプレイヤーが。

 

これは────

 

 

「すまない、遅くなった」

 

 

「ごめんねー。レプラコーンの鍛冶匠合を総動員して人数分の装備を作ってたんだけど、ちょっと思ってたより時間かかっちゃってー」

 

 

「サクヤ…!アリシャさん…!」

 

 

シルフ領主サクヤ。ケットシー領主アリシャ・ルー。彼女らが率いる二種族合同部隊が、思わぬ助っ人としてこの場に参上した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第73話 大進軍

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レコンの雄姿を目の当たりにし、この戦いで何としても世界樹の上へと辿りついてみせるという意志をさらに固めたケイ達。だが、戦いは次第に、ケイ達が不利な方向へと傾きつつあった。押し込まれ、立ち位置を下げられる。リーファからのヒール魔法のペースも間に合わなくなっていく。

 

ケイ達の表情も、苦悶に染まり始めたその時だった。下方からうねる、風の波が押し寄せてきたのは。

 

同時に、人の叫び声がどんどん近づいてくる。堪らず、一度ケイ達は守護騎士達から距離をとり、視線を下へ向けた。

 

 

「何だ、これ…」

 

 

その光景を見たケイは、呆然とするしかなかった。何故なら、多数の重装備をした戦士達がこちらを目掛けて上がってきているのだ。さらにその後方には、巨大なドラゴン、だろうか。

およそ十匹のドラゴンの背には、それぞれ一人ずつ、重装備を施した戦士が乗っている。

 

 

「っ!」

 

 

アインクラッドでも見た事のない多大な集団に圧倒されていたケイだったが、背後から迫る気配に視線を切る。

 

守護騎士達が痺れを切らし、こちらに襲い掛かって来たのだ。すぐさまケイは、剣を握る手に力を込め、迫る守護騎士に応戦しようとする。

 

刹那、ケイのすぐ傍を緑の雷光が横切り、そして迫っていた守護騎士を貫通した。

雷光を受けた守護騎士が四散していくのを、ケイは眺める事しかできない。

 

 

「我らの後方に!」

 

 

「っ…」

 

 

直後、ケイに寄ってきた一人の戦士が、言葉短く告げる。状況が良くわからない、が、どうやら彼らは世界樹攻略に力を貸してくれている、と判断を降す。簡単にそう考えていいのかと、一瞬ケイの心の中でブレーキがかかるが、キリトとサチが戦士達の援護を受けながら闘っているのを目にし、迷いを打ち消す。

 

ケイ達四人に加え、さらに六十人のプレイヤーと力を重ねた一個集団は、無限に沸き続ける守護騎士の壁を打ち壊しながら上へと上がっていく。爆発音が鳴り響き、守護騎士が四散するポリゴン音は決して鳴り止まない。

 

この戦いは間違いなく、この世界で行われた最大の戦闘だろう。

 

 

「ケイ!」

 

 

「キリト!サチ!」

 

 

離れた場所で戦闘を行っていたケイ、キリトとサチが再び同じ場所で集まった。彼らは背中合わせで周囲を警戒し、得物を構える。

 

 

「背中は任せる!」

 

 

「あぁ!」

 

 

「勿論!」

 

 

声を掛け合い、同時に飛び出す。

 

時には自身に襲い掛かる守護騎士達を切り払い、時には互いの援護を行い、それはまさに集団戦闘の理想といえる動きのオンパレードだ。

 

援護に来てくれた集団についていく形で上を目指していたケイ達だったが、あっという間に彼らを追い抜き、集団の先頭へに立つと、他者の追随を許さぬ速さで守護騎士達を斬り倒し、上昇していく。

 

ケイ達が守護騎士を打ち払い、後方からはシルフ、ケットシー合同部隊が魔法、ブレス攻撃で守護騎士達を焼き払う。通常では考えられない大人数による猛攻を受け続けた守護騎士達で構成された強大な壁に、遂に、ようやく再び小さな空洞ができた。

 

その瞬間を、ケイは、キリトは、サチは見逃さなかった。

 

翅を煌めかせ、一気に、最短距離でゲートへ繋がる空洞目掛けて飛翔する。

そんな彼らを、尚も妨げようとする守護騎士達。だがそれも、ケイ達の勢いを止める事は出来ず、胴から、あるいは首から分断され、守護騎士達は四散していく。

 

下方にいる合同部隊との距離も大きく開いていき、遂にゲートまで残り数秒という所にまで迫る。

 

 

「「「はぁああああああああああああああ────────!!!」」」

 

 

無意識のうちにあがる雄叫び。後はもう、ただただ突っ切るだけだった。

 

気付けば、彼らの視界から守護騎士の姿は消えていた。

騎士の雲海を越え、ケイ達はゲートへと辿り着いたのだ。

 

 

 

 

 

 

リーファは、キリト達が守護騎士の防壁の向こうへと上り詰めた光景を目にし、どこか胸に穴がぽっかり空いたような、そんな空虚な気持ちを抱いていた。

 

彼らが…、キリトが望みを叶えたこと自体はとても喜ばしい事だ。…なのに、何故か。

キリトが…、兄が、どこか自分の手の届かない所へ行ってしまったような気がして。

 

 

「リーファ」

 

 

「…サクヤ」

 

 

不意に優しく肩を叩かれ我に返る。振り返れば、笑みを浮かべ、リーファの方に手を乗せるサクヤの姿があった。

 

 

「行こう。…我々にできるのは、彼らの無事を祈るだけだ」

 

 

「…うん」

 

 

サクヤに言葉を掛けられ、何とか微笑みを作るリーファ。

 

何とも、自分でもひどい顔だと分かってしまう出来ではあったが、サクヤはそれについて触れる事なく、全部隊の撤退を指示している。

 

 

「…っ」

 

 

最後に、キリト達が抜けていった空間────今はもう、新たに生成された守護騎士達によって埋め尽くされた場所を見遣ってから、リーファは体を反転させ下降していく。

 

サクヤの言う通り、もう自分が手を貸せる時間は終わったのだ。自分にできるのは、彼らの無事を願うのみ。

 

そう、分かってはいても。胸にしこりのように残る無力感を打ち消す事は出来ないまま。

リーファは悔しさに耐え切れず、小さく歯を軋る音を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

ケイ達は守護騎士密集地帯を抜け、一気にゲートに向かって駆け抜けた。

ある域からは重力が反転しているらしく、その地点で突然、上昇から落下へという急激な感覚の変化がケイ達を襲う。それでも何とか着陸に成功し、顔面からゲートへ激突、という事態は回避できた。

 

円形のゲート。その中央から十字型に亀裂が入っており、恐らく開くときは中央から開いていくのだろう。ケイは迷わず、すぐさまゲートに向かって手を伸ばした。

 

 

「開かない…!?」

 

 

だが、扉が開く気配は全く感じられず。堪らずケイは、手に握っていた刀を振りかぶり、力一杯振り下ろした。

 

それでも、ケイの手に伝わってくるのは硬い感触のみ。剣尖と石の扉がぶつかり、ただ火花だけが寂しく散るだけだった。

 

 

「どうなってるんだ…!」

 

 

「…ユイ」

 

 

隣に立っていたキリトが、この事態に表情を歪めながら呟く。さらにその隣に立っているサチも、どうして、という戸惑いを隠せない様子でいた。

 

こうしている間にも、時間は過ぎている。ゲートの元に辿り着いたにも関わらず、まだクエストは続いているらしく、守護騎士が生成されていく音が焦りを駆り立てる。

 

そんな中、ケイはぽつりとユイを呼んだ。胸ポケットから鈴の音を小さく響かせながら、ピクシーの姿でユイが飛び出してくる。

 

 

「────皆さん、この扉はクエストフラグによってロックされているのではありません!単なる、管理者権限によるものです!」

 

 

「なっ…」

 

 

「そんなっ!」

 

 

扉に触れ、素早く振り返ったユイが告げたのは、絶望的なものだぅた。その言葉の意味を、ケイ達は即座に悟ってしまう。

 

つまり、この扉はプレイヤーには絶対に開けられないという事─────。

 

 

(嘘だろ…。じゃあ、グランドクエストなんてもの、初めから…!)

 

 

初めて、この樹の中で守護騎士達と交戦をしてから違和感は感じていた。そして、その違和感の正体にも何となく気が付いてはいた。それでも、そんなはずはないとその可能性を否定し続けていた。

 

だがもう、誤魔化しは効かない。

 

ここは…、この世界は腐っている。プレイヤー達のせいではない。この世界を創り出した管理者が、この世界にいる全ての人達を見下ろし、眺め、嘲笑っているのだ。

 

 

「ふざけやがって…!」

 

 

怒りを抑える事ができず、激情が籠った声がケイの口から漏れる。

 

現状は絶望的だ。管理者権限でこの扉が閉ざされている以上、ただの一プレイヤーである自分達ではこの扉を開く事は出来ない。唯一の頼みの綱であるユイも、管理者権限を単独で使用する事は出来ない。

 

せめて…、何か、アクセスコードがあれば、ユイの力でどうにかなる可能性もあるのだが。

 

 

(…アクセス、コード?)

 

 

そこまで考えた時、ふと頭の中でとある光景が過った。それは、世界樹に入る前の事。アルンにやって来て、世界樹に向かって歩いていた時の事。ユイがアスナの反応を捉え、その場所へ飛んで行ったが、不可視の障壁に妨げられたあの時だ。

 

あの時、恐らくはアスナが落としたカードキーのようなオブジェクト。ユイはあれを、アクセスコードと…

 

 

「ユイ、これを使え!」

 

 

結論を出しきる前に、ケイは動いていた。右手でポケットからあのカードを取り出し、ユイの前に差し出した。ユイは一瞬、大きく目を丸くした後、ケイの考えを察したのか大きく頷いた。

 

 

「ケイ、それは…?」

 

 

「話は後だ。…でも、これでもしかしたら、この扉を開ける事ができるかもしれない」

 

 

あの時、傍に居らず、先程ケイが取り出したカードが何なのか分からなかったキリト達。

だが、このカードが最後の希望だとケイの言葉を聞いて悟り、緊張した面持ちでユイの作業を見守る。

 

ケイからカードを受け取ったユイは、小さな手でその表面を撫でる。すると、光り出したカードがゆっくりと、ユイへと流れ込んでいく。

 

 

「コードを転写します!」

 

 

カードからコードを読み込み終えたユイが、両手を扉に添える。

 

ユイの手が触れた部分から、青い光の線が放射状に広がっていく。その光の眩さに、ケイ達は腕で目を覆う。

 

 

「転送されます!皆さん、手を繋いでください!」

 

 

扉自体が発光を始めたその時、ユイが言った。

ケイ達はユイの言う通り、それぞれ隣に立っていた者と手を繋ぎ、そしてユイを加えて輪を作る。

 

扉から伸びた光のラインがユイへと伝い、そして手を繋げたケイ達にもラインが奔る。

 

瞬間、すぐ背後で守護騎士達の奇声がした。状況が状況ですっかり失念してしまっていたが、未だ守護騎士は無限に生成され、自分達はターゲットにされているのだ。これまで妨害されなかったのもただ運が良かっただけ。

 

思わず身を固くする。だが、交戦をしようにも、ここで手を離せばどうなるのか。

 

ここはもうユイに全てを委ねるしかない。ケイはそう願いながら、さらに増していく光に目を閉じた。

 

この時、ケイは気付いていなかった。その発行の元が、ケイ自身…、ユイと両手を通して繋がっていた四人であった事を。

 

ケイ達の体が薄れ、透過していく。守護騎士達の剣はすり抜け、そのまま通り抜けていく。

 

 

「っ」

 

 

不意に、前方に体が引っ張られる感覚がした。そのままケイの体は吸い込まれていく。開いたゲートの奥へと、光の中へ。

 

まるで体が溶け、水と一緒にどこかへ流れていく感覚────

 

直後、グランドクエストの舞台である世界樹下部の中に、プレイヤーの姿は消えていた。

守護騎士達は役目を終え、次々に体を崩し、溶けるように消えていく。

 

ゲートは閉じ、先程までALO最大の戦闘が行われていたとは信じられない静けさが、この場所を包んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第74話 待ち望んだ再会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬の空白の間の後、ゆっくりと瞼を開けた。一度目を見開き、それから頭を数度振りながら瞼を開閉させた。

 

 

「皆さん、大丈夫ですか?」

 

 

片膝をついた体勢から立ち上がると声が聞こえてきた。

その声の主は、ケイの視界の下で、ケイ達を不安そうに見まわしていたユイだった。いつの間にか、ピクシーの姿から元の少女の姿へ戻っている。

 

 

「ああ…。キリト、サチ。お前らは?」

 

 

立ち上がったケイに目を向けたユイに答えてから、続いて今立ち上がったばかりのキリトとサチに視線を向け、問いかける。

 

 

「…俺は大丈夫だ。サチは…」

 

 

「私も、大丈夫。…だけど」

 

 

一瞬の間の後、キリトとサチはそれぞれ答えた。後、二人は辺りの景色を見回す。

それを見たケイもまた、周りの景色を見回した。

 

アルヴヘイム・オンラインというゲームの世界観から、全く想像の出来ない無機質な光景が広がっていた。何の装飾もない、ただの白い通路と壁。取り上げるとすれば、一定の間隔で付けられているライトと、やや道が婉曲しているという事くらいだ。

 

 

「ここは…、一体…」

 

 

「…わかりません。マップ情報が読み取れない…というより、この場所には情報がないようです」

 

 

ケイ達が困惑しているのと同じように、ユイも戸惑いの表情を浮かべていた。

 

まるで世界が変わったと言われても納得がいきそうな景色の変貌ぶりと、ユイが言ったマップ情報の有無について。まさか、この場所がグランドクエストをクリアすると辿り着けるという天上都市なのか。

 

 

「進むしか、ないよな。ユイ、アスナの居場所はわかるか?」

 

 

「…はい。かなり近いです。こっちです」

 

 

本当にここが天上都市なのか、はたまた別の場所なのか。そんな事、今はどっちでもいい。

アスナの救出が第一優先だ。それに、先に進んでいけば、ここがどこなのか、どういう場所なのかもはっきりしていくだろう。

 

先を行くユイに続き、ケイ達も駆け出した。

 

無機質な白い通路が続き、特に道が分かれるという事もなく、ただ一本道を走り続けて数十秒。ユイが立ち止まったのは、これまた無機質な両開きの扉の前だった。だが、その扉の脇に、このゲームの世界にあってはならない物が存在していた。

 

 

「ボタン…。これは、エレベーター…?」

 

 

疑問を口に出したのはキリトだった。両開きの扉の脇にあったのは、それぞれ逆の向きを向いた二つの三角形のボタンだった。現実では見慣れた物、エレベーターのものと見て間違いないだろうが…。明らかにおかしい。この場所自体がそうなのだが、このエレベーターもまた、アルヴヘイム・オンラインという世界観には全くマッチしない物だ。何故、こんな物がここにあるのか。

 

それとも────

 

 

(ここは、ゲーム内世界じゃない…?)

 

 

「ここから上部に移動できるようです」

 

 

ケイの脳裏にそんな懸念が過った直後、ユイが言いながら二つのボタンの内、上のボタンを人差し指で押した。それとほぼ同時に、目の前の扉が開き、その奥から強い光が漏れる。

 

この通路は何処か薄暗く感じていたが、エレベーターの中はかなり明るかった。扉が開いた瞬間、思わず目を細めてしまう。

中に乗り込むと、やはり現実のエレベーターと同じように、扉の左側にボタンが並んだパネルがあった。ユイはそのパネルの前に立つと、数秒ほど逡巡してから、一番上の階層のボタンを押した。

 

扉は閉まり、短く効果音が鳴った後にエレベーターは動き出すと数秒。すぐに停止し、扉が開く。

 

開いた扉の向こうに見えたのは、先程このエレベーターに乗る前に通った、あの無機質な白い通路と同じ光景だった。だがそれを気に留める間もなく、ケイ達はエレベーターから降り、再びユイを先頭に走り出す。

 

どこまでも変わらない景色に、ケイ達の胸の中に焦燥が募る。いくつか内周に扉が並んでいたのだが、それに気づく事もなく、先頭を駆けるユイだけしか目に入らない。

 

するとふと、何もない場所でユイが足を止めた。ユイは何も、扉もついていない白い扉に目を向け、じっと見つめている。

 

 

「どうした、ユイ?」

 

 

「…この向こうに、通路があります」

 

 

小さく、だけど確信が籠った声で言うと、ユイは壁に両手を触れさせる。

ここに来る時、ユイがゲートを開いた時と同じ光景だった。ユイが触れた所から青い光の線が、ウェブ上に広がっていく。

 

直後、壁の一部が消失する。その奥には、やはり無機質な白い通路が伸びている。

ユイは何も言わず、通路に足を踏み入れて駆け出す。それに続いて、ケイも駆け出そうとした。

 

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 

走り出したケイとユイをキリトが呼び止めた。ケイとユイは足を止めて、キリトの方へ振り返る。

 

 

「どうした」

 

 

口にしてから、内心苦笑する。自分の声に、隠しきれない苛立ちが籠っていたのがすぐにわかった。そして、キリトもそれを悟ったのだろう、その顔に苦い笑顔が浮かんでいる。

 

 

「ケイ、ユイ。アスナの所には、お前ら二人で行け」

 

 

「…は?」

 

 

キリトの言葉にケイは目を丸くし、小さく声を漏らした。

 

 

「何を言って…」

 

 

「お前も感じてるだろ?この場所の違和感。俺とサチで調べてくるから、お前らは…」

 

 

「何言ってんだ!」

 

 

怒鳴ってすぐ、ケイは我に返った。この場所に来て、まだ誰かと遭遇してはいないが、明らかに何らかの人達がこの場所を何かの目的に利用しているのは確かだ。幸い近くに人の気配はなく、先程の怒鳴り声を誰かに聞かれたという事はなさそうだが、気を付けなければと自身に叱咤する。

 

そして、それと同時にケイは頭の中で解っていた。ここが、このアルヴヘイム・オンラインの中に作られたこの場所こそが、須郷伸之の何か後ろめたい物の隠し場所なのだと。

 

そんな場所を二人だけで徘徊させるのはあまりにも危険すぎるのではないか。四人という人数でも、この場に関係のある誰かに見つかればどうなるか解らないというのに。

 

 

「キリト、サチ。お前らも違和感を感じてるんなら分かるはずだ。ここで二手に別れる危険性が」

 

 

「…」

 

 

「今は俺達でアスナを探す。そして、アスナを現実に帰してからここの事を警察に…」

 

 

「ケイ」

 

 

ケイの言葉を遮って、サチが口を開いた。

 

 

「ケイが、ヒースクリフと相討ちになった光景を見てた私達は、ケイが死んだって思ってた。…アスナも、同じだと思う」

 

 

「…」

 

 

サチの言う通りだ。あの時、七十五層のボス部屋でケイとヒースクリフの戦いを見ていた全てのプレイヤー達は、ケイは死んだと思っているだろう。そのプレイヤー達の中にはアスナもいた。アスナも、ケイが死んだのではないかと思っているはずだ。

 

 

「だからなん…」

 

 

「私、一番最初にアスナに会うべき人は、ケイとユイちゃんの二人だって思ってる」

 

 

一体何を。サチの言っている事の意味が良く分からず、問い返そうとするケイ。

それを遮る形で、サチは言った。

 

 

「俺達と一緒に、じゃない。二人だけで、アスナと会うべきだって俺も思う」

 

 

「…」

 

 

キリトもサチと同じ気持ちらしい。こんな時に何でそんな心遣いをするのか。

…だが、こんな時でも、ケイはその心遣いを嬉しく感じてしまう。

 

そんな自分に、悔しいような情けないような、それに似た感情を抱きながらケイは口を開く。

 

 

「…どうせ何言ったって、譲る気はないんだろ」

 

 

ケイの言葉に、同時に頷くキリトとサチ。それを見て、ケイは込み上げてくるむず痒いような気持ちを感じ、苦笑を浮かべる。だが、すぐに表情を引き締める。

 

 

「…気を付けろよ。本人がいるかは分からんけど、須郷の手下がうろついてるはずだから」

 

 

「須郷…?須郷って確か…」

 

 

「あぁ。レクトの開発部長をやってるあいつだよ」

 

 

キリトとサチは須郷と対面している。その上であんな嫌なやり取りをしていたのだから、印象に残っているのも仕方ないだろう。勿論、嫌な方向で。須郷という名を聞いた途端、二人共表情が苦いものへ変わる。

 

 

「俺の父さん、警察関係者でさ…。色々と須郷の奴、怪しいとこがあるらしい。お前らも、会った事あるだろ」

 

 

「い、いや。会った事はあるけど…、いや待て。何でお前、俺とサチが須郷と会った事あるって知ってるんだ?」

 

 

やべ。

 

この二文字が即座にケイの心の中に浮かんできた。

もうすぐそこにアスナがいる、早く会いたい、という焦燥がケイに口を滑らせてしまった。

 

 

「今はそんな事どうでもいいだろ。それよりも、さっき言った事、覚えとけよ。間違いなくこの場所は、須郷のテリトリーなんだからな」

 

 

「わ、わかった…。…いや、わからない。アスナを助けた後、話してもらうからな」

 

 

「じゃあ俺は行く。お前らも気を付けろよ」

 

 

「おい聞けよ。誤魔化されないからな。現実でお前が戻ってから何をしてたか全部、聞かせてもらうからな」

 

 

キリトが何か言っているが、知らない。知らないといったら知らないんだ。

寒気がして背筋が震えた気がしないでもないけど知らない知らない知らないいいいい────

 

 

(…ごほん)

 

 

違う、考えるべきことが違う。確かに現実に戻った後の事は怖いが…、ここへ何をしに来たのか、その目的を忘れてはいけない。

 

先程も言った通り、ここは須郷のテリトリー。彼の手下がうろついている可能性がある。ここでいつまでも固まっている訳にはいかない。

 

 

「行くぞ、ユイ。案内頼む」

 

 

「はいっ」

 

 

一言、それだけを返事で返してからユイは駆け出す。これまで以上に、走る速度が増している。もう、一秒も待てないという焦燥が、ユイの顔を見なくても解る。

 

それは、ケイにとっても同じ事だった。

 

数秒走ると、視界の奥で質素な扉が行く手を塞いでいた。ユイはスピードを緩めることなく、そのまま勢いよく、体当たりする様にその扉を押し開けた。

 

扉の向こうですぐに見たのは、世界を包む無限の夕焼け空だった。目を下に向ければ分厚い雲海が、前に向ければ世界樹の枝が四方に広がって伸びている。

 

ここが、世界樹の頂上だ。だが────

 

 

(…やっぱり、ないんだな。天上都市なんてものは)

 

 

視界一杯に広がるのは幻想的ではあるが、簡素な景色だけ。周囲を見渡すが、天上都市、またはそこに繋がる路のような物も見えない。

 

やはり予想通り、ALOにログインしている全てのプレイヤーが夢見る、天上都市は存在しないのだ。

 

 

「パパ…」

 

 

「解ってるさ。先を急ごう」

 

 

立ち止まっていたケイを、ユイが気遣わし気な目でこちらを見上げていた。

ケイはその目を真っ直ぐ見返して、一つ頷いてから再びユイと共に走り出す。

 

全ては、まずアスナを助けてからだ。アスナを現実へと返し、それを本当に為せたかどうかを確かめてから、ここで見たもの全てを菊岡に報告し、後は彼に任せればいい。

 

太い枝の上を走るケイとユイ。無数の枝が幾つもの分かれ道を作っているが、ケイの前を走るユイは迷わず一つの道を選び駆け抜けていく。ケイもそんなユイに疑い一つ持たずついていき、そして、この広がる景色の中に似つかわしくない物を見つけた。

 

それは、鳥籠だった。射し込む夕日の光が反射し、ケイの目に映る。

 

 

「あれは…!」

 

 

そしてケイは、その鳥籠に…、世界樹の枝に包まれる鳥籠に見覚えがあった。

頭の中で記憶を遡る…までもなく、とある写真の事を思い出す。

 

その写真とは、菊岡から見せてもらったあの写真だ。鳥籠の中に囚われた、アスナの姿。その写真は、元の画像をズームして出来上がった物だが、その元の画像と今ケイが目にしている光景が合致する。

 

間違いない。あそこだ。あそこに、アスナがいる。

 

ユイに手を引かれ、鳥籠に接近していく。曲がりくねった枝の道がもどかしくて仕方ない。

それでも、確実に、少しずつアスナの元へ近づいていく。

 

近づいていくごとに、鳥籠の中が鮮明に見えてきた。とても鳥籠とは思えない、中は彩られていたが、ケイが見えたのはある一点のみだった。

 

純白のテーブルと、背の高い椅子。そこに座る、一人の少女。長い亜麻色の髪が真っ直ぐ流れ、ユイの物に似た薄手の白いワンピース。背中には、透明の翅が伸びている。その顔は背中に隠れて見えなかったが、少女が誰なのか、それを見ずともケイには解っていた。

 

少女の背中を見つめながらケイはなおも走る。確実に、鳥籠へと近づいていく。

その時だった。少女がふと顔を上げ、椅子から立ち上がったのは。立ち上がった少女は振り返り、少女の視線が、ケイの視線と交わる。

 

その瞬間、ケイの中で小さな不安が過った。今の自分の姿は、あの時とはまるで違っている。髪、瞳の色はインプの特徴である紫紺の色。似てるとしたら、せいぜい背丈くらいではないか。

 

彼女が、自分をケイと認識できないかもしれない。そんな不安がケイの胸の中で過ったのだ。

 

 

「…っ」

 

 

だが、そんな不安はすぐに取り払われた。鳥籠を隔て、ほぼ目の前にいる少女────アスナは、両目を大きく見開き、両手で口元を覆い、両目から涙を零し始める。

 

心の中で、喜びの念が抑えられない。ケイの唇が緩やかに弧を描き、顔に穏やかな笑みの形が生まれる。

 

 

「ママ!!」

 

 

鳥籠の扉の前に辿り着いた直後、ユイはケイから手を離し、右手を下から上へと振り上げた。

そのユイの手の動きに呼応するように、鳥籠の扉が下から上へと消滅していく。もう、彼らを隔てる物はなくなった。

 

 

「ママぁ!!!」

 

 

ユイがもう一度叫び、両腕をいっぱいに広げながら飛び込んでいく。

 

 

「ユイちゃん!」

 

 

アスナも、口元を覆っていた手を広げ、飛び込んでくるユイを迎える。

 

アスナとユイが固く抱き合う。二人は涙を浮かべながら頬を擦り合わせる。

そんな二人を眺めながら、ケイもまた、鳥籠の中へと足を踏み入れた。

 

こつん、とケイの足音が鳴る。すると、その音に気が付いたユイが顔を上げると、アスナの胸の中から抜け、一歩離れた。アスナが不思議そうに目を丸くするが、ユイが見ている方を見て、一瞬、唇を震わせる。

 

 

「…ケイ、くん…?」

 

 

「…あぁ」

 

 

震える唇から、アスナの震えた声が聞こえる。

 

 

「うそ…。ゆめじゃ…ない…?」

 

 

「夢な訳ねぇだろ」

 

 

自分の名前を呼んだと思えば、何を言い出すのか。これが夢だったら、全力で、どんな手を使ってでもこの世界から夢というものを消してやる。

 

 

「生きてたよ。…真っ先に報せたかったんだけどな。こんなとこで何してんだよ、お前」

 

 

「っ、ケイ君っ!」

 

 

まるで、先程のユイの様に、アスナはケイの胸へと飛び込んだ。アスナの両腕がケイの背に回され、そしてケイもまた、両腕をアスナの背に回してきつく抱き締める。

 

 

「バカっ!バカっ!バカ、バカ、バカぁっ!!…わたし、もう…ケイくんに、あえないって…!」

 

 

「…ごめん」

 

 

涙を流し、しゃくり上げるアスナに一言、謝るケイ。

 

 

「でも…。また、一緒に居られる」

 

 

「…うん」

 

 

謝ってから、自分の額をアスナの額と優しくぶつける。そして、アスナの背中に回していた右腕を上げて、その手で長い髪を梳く。

 

ケイの腕の中で、アスナが小さく頷いた。

二人のやり取りを見つめていたユイが、今度はアスナだけでなく、二人に向かって飛び込んだ。小さな腕を目一杯広げて、二人に抱き付く。

 

ケイとアスナは目を合わせ、小さく笑い合うと、少し体を離し、その間にユイの体を割り込ませる。そして、今度は二人でユイの体を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度こそ、帰ろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第75話 哀れな踊り手

就活終わりましたー。詳しく…でもないですが、活動報告にてその旨を載せました。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三人で抱き合った抱擁を解いた後も、ケイ達はユイを真ん中にして手は繋いだままだった。

ここは仮想世界であり、温かさなど感じられないはずなのに…。いや、仮想世界だからなのだろうか。ユイと、アスナの温もりがこの手に感じられるのは。

 

 

「ユイ。ここからでもアスナをログアウトさせる事はできるか?」

 

 

いつまでもこの感触に浸っていたが、そういう訳にもいかない。温もりに溺れるのは、現実に帰ってからだ。緩んだ気を引き締め直し、ケイはユイに問いかけた。

 

 

「いえ…。今、ママのステータスは複雑なコードが拘束しています。解除するには、システムコンソールを使わないと…」

 

 

「そうか…」

 

 

首を横に振りながら答えたユイの言葉を聞いて考える。これからどうするべきかを。

ユイの言うシステムコンソールがどこにあるか、ケイには皆目見当がつかない。施設内を探索しているキリトとサチが見つけた可能性があるが、二人と連絡を取る手段がない。

 

このゲームにもフレンド機能があり、メッセージのやり取りができるのだが、ケイは二人とフレンドの登録をしていない。今更後悔しても仕方ないのだが、こうなると解っていたら…。

 

 

「私、ラボラトリの最下層でそれらしいものを見たよ」

 

 

悔恨を感じながらも思考を続けるケイを覗きながら、アスナが口を開いた。

 

 

「あ、ラボラトリっていうのは…」

 

 

「この外に出るまでに通る、何もない通路か?」

 

 

「そうだけど…。あそこを通って来たの?」

 

 

「あぁ。…何かあるのか?」

 

 

何故かアスナの声に緊張が含まれる。先程言った通り、ケイ達は何もない白い通路を通ってきた。それが一体、何がアスナを不安にさせるのか。

 

 

「…何か変なものいなかった?」

 

 

「変なものって…」

 

 

この時、ケイの頭の中で浮かび上がるものがあった。アスナとの再会で忘れかけていた事を。

 

 

「須郷、か?」

 

 

「っ!ケイ君…、あなた、知って…っ」

 

 

「いや、ただ疑っていただけだけど…。アスナは知ってるのか?須郷がここで、何をしているのか」

 

 

ビンゴだった。恐らくアスナは、ケイがここに来るまでに須郷の手下と遭遇したのではないかと懸念していたのだろう。そしてやはり、アスナをここに閉じ込めていたのは、須郷の仕業とみて間違いなさそうだ。

 

 

「詳しい話は現実に戻ってからにしましょう。今、須郷は会社にいないらしいの。その隙にサーバーを押さえて、皆を解放しないと…」

 

 

須郷がここで何をしているのか。皆とは一体誰なのか。聞きたい事はたくさんあるが、アスナの様子を見ているとあまり時間は残されていないようだ。ここはアスナを信じて、彼女についていく事にする。

 

だが、アスナがドアが消えた入口を潜ろうとしたその時だった。咄嗟に腰に差さった刀の柄に手を触れ、いつでも抜けるように構える。

 

突然ユイの手を離し、戦闘態勢になったケイを見て、アスナとユイが不思議そうな顔をする。

 

今のケイには、それを気にする余裕もなかった。この感覚、SAOにいた時に何度か味わった事がある。あの世界で、殺人者に睨まれた時と同じ感覚──────から、体全体が水に包まれる感覚へ。プールで水に潜った時とは全く違う、体に何かが貼りつく様な、粘性の高いもの。呼吸はできる。が、体を上手く動かすことができない。異様に体が重い。

 

 

「な、なに!?」

 

 

アスナが叫ぶ中、ケイ達の周りの景色もみるみるうちに変化していく。ラボから外へ出た瞬間、ケイの目を魅了した夕陽は、暗い闇に覆い尽くされる。気付けば、アスナが囚われていた鳥籠も消えていた。

 

先程まであった床に足が着いた感覚はない。ただただ体が沈んでいく。周りも何も見えない暗闇に包まれている、にも拘らず、アスナとユイの姿だけはハッキリと目にすることができる。

 

 

「きゃあっ!!」

 

 

「っ、ユイ!どうした!?」

 

 

「ユイちゃん!?」

 

 

突然の事態に困惑しながらも、どう対応するべきか、何ができるのかを考えるケイの耳にユイの悲鳴が届く。振り向けば、ユイは体を仰け反らせ、小さく震えている。

 

 

「パパ、ママ…、気を付けてっ!何かよくないものが…っ」

 

 

何かを言い終わる前に、一瞬だけ輝くユイの体。そのほんの一瞬の間に、輝きが収まった時には、そこにユイの姿はなかった。

 

 

「そ、そんな…っ」

 

 

「くそっ…!」

 

 

ケイとアスナの頭の中で最悪の可能性が過る。それでもケイはそこで思考を止める事なく、アスナに手を伸ばす。

 

何が起きてるかわからない以上、アスナと寄り添っているべきだ。手を伸ばし、引き寄せようとするケイの意に気付いたアスナも、ケイに向かって手を伸ばす。

 

だが二人の指先は触れる事無く、その直前に二人を途轍もない重力が襲った。

それと同時に、今まで続いていた浮遊感も消える。周囲の闇は変わらないが、その足には確かな床の感触。

 

突然襲った重力に耐え切れず、アスナの体は床に臥す。一方のケイは、がくりと膝が崩れかけるが、咄嗟に鞘から刀を抜くと、切っ先を床へ突き刺しそれを杖の代わりにすることで倒れることは防いだ。

 

 

「ケイ君…!」

 

 

「アスナ!」

 

 

アスナが苦し気にケイを呼ぶ。アスナは何とか立ち上がろうと腕に力を込めているが、重力に抗い切れない。

 

ケイは両腕で柄を握り、よろよろと足を動かしてアスナに近づこうともがく。

 

 

「やあ。この魔法は次のアップデートで導入される予定のものなんだけどね、どうかな?少し、効果が強すぎるかな?」

 

 

闇の中で響く声。他者への嘲りを隠そうともしない不快な声。

瞬間、この声の主が誰か、ケイの中で真っ先にある男の名前が浮かぶ。

 

 

「須郷…、か…!?」

 

 

声がした方へ振り向けば、そこには現実の須郷とは似もつかない男が立っていた。長い金髪、端正な顔立ち、緑衣の男はケイの言葉にぴくりと眉を揺らすと、演技じみた笑みを浮かべて人差し指を揺らす。

 

 

「ちっちっちっ…。この世界でその名前は止めてもらえるかなぁ。君らの王に向かって呼び捨てというのも頂けない。僕の事は…、オベイロン陛下と、そう呼べっ!」

 

 

こちらに歩み寄りながら語る須郷の言葉は次第に語尾が高くなっていき、怒声に変わった瞬間、拳がケイの顔面に迫った。

 

遅い。いつもならば容易く避けられたその拳を、ケイは何の抵抗もできず受けた。衝撃と共に柄から手が離れ、仰向けに倒れる体。さらに間を置かず、今度はケイの背に衝撃。恐らく、蹴り。ケイの体は回転し、仰向けからうつ伏せに体勢が変わる。

 

 

「いやはや、僕の小鳥ちゃんが籠から逃げ出したって聞いて、さすがにお仕置きしなきゃと帰ってきてみれば…。こんな薄汚い鼠が忍び込んでるとはね。…そういえば、妙なプログラムが動いてたな」

 

 

ケイを見下ろす須郷の口調が途中、僅かに剣呑なものへと変わる。すると、須郷は左手を上から下へ、一振りしてウィンドウを呼び出した。しばらく青く光るそれを眺め、何やら操作していたが、不意に手を止めてスクリーンを閉じた。

 

 

「逃げられたか…。あのプログラム、君のだよね?あれは何だい?第一、君はどうやってここへ来た?」

 

 

妙なプログラム、ユイの事だろう。聞こえてきた須郷の呟きから、ユイが消去された訳ではないはずだ。一つ、大きな懸念材料が消えた。

 

 

「…どうやってだと思う?」

 

 

「…」

 

 

「わからないか?その足りない頭で考えても」

 

 

笑みを浮かべて問いかけると、須郷の唇の端が引き攣る。

直後、須郷は瞳に怒りを携えて言葉を放つ。

 

 

「システムコマンド!ペイン・アブソーバ、レベル6に変更!」

 

 

須郷は叫びながら、床に刺さったままの<天叢雲剣>を抜くと、ケイの背中に刺し込む。

 

 

「ぐぅっ…!?あッ…!」

 

 

「ケイ君!?」

 

 

ずっと共に戦ってきた相棒に貫かれ、さらに須郷によってシステムの恩恵を減らされる。

今、刃に貫かれた箇所から、仮想世界では本来あり得ない、純粋な痛みが流れてくる。

 

 

「生意気な奴め…。誰だか知らないが、この僕にそんな口を利いてどうなるか…、思い知らせてやるよ。段階的に痛みを強くしてやるから、楽しみにしてるんだね」

 

 

「ケイ君を離しなさい!須郷!」

 

 

「はははっ!小鳥ちゃん、君も他人の心配をしてる場合じゃないよ?これからゆっくり…、僕色に染めてあげるから」

 

 

アスナと須郷の声が聞こえる。だが、その言葉に耳を傾けていられる余裕は今のケイにはなかった。

 

刀に貫かれるという強烈な状況とはいえ、まだレベル6でこの痛みだ。それも、須郷はこれから段階的に痛みを強くしていくと言った。これから、痛みが強くなっていく。

その事実に、ケイの胸の中で小さな恐怖が生まれた。

 

そんなケイの胸中も知らず、須郷は次の行動を起こしていた。

須郷は左腕を掲げると、指を鳴らした。それが合図だった。

上空から二本の鎖が落ちてくる。落ちてきた鎖は倒れていたアスナの両腕を絡めとると、そのまま鎖の先端が上空へと戻っていく。

 

 

「きゃあっ!」

 

 

「っ…、あす…!」

 

 

このアスナの悲鳴でケイは正気に返る。痛みに耐え、視線をアスナの方へ向け、目を見開いた。

 

両腕が鎖に絡まり、その体勢で宙吊りになったアスナへと須郷が歩み寄っていく。重力は未だアスナに影響を与えているのだろう。アスナの表情が歪む。そして、それを見た須郷はアスナの目の前で腕組すると、にたりと笑みを浮かべる。

 

 

「いいねぇ…。その顔が欲しかったんだよ…」

 

 

感嘆するように間延びした声を出すと、須郷は腕組みを解き、右手をアスナの顔へと伸ばす。

 

 

「やめろ!」

 

 

「あ?」

 

 

こんな男に…、こんな男が、アスナに触れる。それがどうしようもなく許せず、ケイは声を上げた。横槍を入れられた須郷は不機嫌さを隠さず表情に浮かべ、ケイへと向けた。

 

 

「はぁー…。まだわからないのかな?さっきの、見たろ?ここでは僕が王なんだ。僕が世界の全てなんだ。そんな僕を怒らせたら…」

 

 

残虐な怒りの笑みが浮かぶ。

 

 

「こうなるんだよ!ペイン・アブソーバ、レベル5!」

 

 

「っ!」

 

 

単純計算で、現実で同じような状況になった時に感じる痛みの半分。それでもケイは、悲鳴を上げることもできなかった。それほどに、強かった。

 

 

「あぁ、そうそう。言い忘れてたよ。君と一緒に来た、お友達のこと」

 

 

再びアスナに手を伸ばそうとした須郷が、不意に口を開いた。

お友達、キリトとサチの事だろう。やはりすでに、須郷は二人に気付いて…。

 

 

「そろそろ僕の部下が捕らえてる頃かな?後で三人一緒に、良い所に連れてってあげるよ」

 

 

「す、須郷…!まさかあなた!」

 

 

「そう、そのまさかだよ!これでもね、彼らがここまで登って来れた事、僕は感心してるんだ。だからその名誉として、実験台にしてあげるよ」

 

 

「ふざけないで!そんな事、絶対に許さない!」

 

 

「だからね、小鳥ちゃん。ここでは僕が全てだ。許さないって誰が許さないというのかな?」

 

 

会話の内容がケイの頭に入ってこない。それでも、ケイは須郷の手がアスナの顔に触れた瞬間をその目に捉えていた。須郷を止めたい。だが、体が動かない。それでも、須郷を止めたい。

 

この時、ケイの脳裏にある光景が蘇っていた。今の自分と同じように、システムの縛りに捉えられた友の姿を。だが彼は、システムに抗ってみせた。自分とは違って。自身が作り出した絶対の縛りから、僅かとはいえ逃れたのだ。

 

それが自分はどうだ。あのアスナの顔に伸ばしている腕一本によって、地に臥している。なんと無様な事か。

 

 

(だれでも、いい…)

 

 

許せない。目の前のあの男が許せない。

 

 

(だれでもいいから…)

 

 

なのに、何もできない。

 

 

(だれでも…、いいから…?)

 

 

力を、貸して

そう、心の中で願おうとした直前に、何かが小さく灯る。

 

 

(…今、俺は何を思った?)

 

 

先程よりも強く、あの時の光景を、あの男の強い目を思い出す。

 

 

(あの人は…)

 

 

何故…、何故自分は地に臥している?それは、システムの力に屈しているから。

 

 

(あの人は…、違った)

 

 

あの男は違った。システムの力に抗って見せた。そして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、そんなあの人と、引き分けて見せた。

 

なら、できない道理はない。負ける理由がない。こんな下らない、借り物の力に──────負けたくない。

 

 

「須郷…。お前は神なんかじゃない」

 

 

掌を地に着け、腕に力を籠める。

 

 

「…なんだと?」

 

 

「本当の事を言っただけだろ。ただ、その力を他人から奪っただけだろうが」

 

 

腕だけじゃなく、膝も立てて、四肢の力で体を持ち上げる。体が持ち上がっていく内に、ケイの体に刺さっていた刀が抜け落ちる。

 

 

「知ってるぞ。ここは、アインクラッドのコピーだって」

 

 

「っ…」

 

 

「あの人から奪った世界で王だの世界の全てだの…。ずいぶん無様な踊り手だな?」

 

 

遂に立ち上がって見せたケイと、アスナの視線が交わる。アスナの目は、ケイを信じ切っていた。ケイが一人で絶望し、一人で迷い、一人で何もかもを振り切っている間も、アスナはケイを信じていたのだろう。

 

 

「少し、我慢しててくれ」

 

 

「…うん」

 

 

「こっ…のっ…!システムコマンド!!オブジェクトID<エクスキャリバー>をジェネレート!!!」

 

 

今、この場で、二人の間に自分はいない。それを感じ取った須郷の顔が怒りに歪む。その手には、管理者権限で呼び出した黄金の剣が。

 

アスナから視線を外し、須郷の手の中にある剣を見る。

 

一目でわかる、巨大な威圧感。あれは、ケイの<天叢雲剣>やユージーンの<グラム>と同じ、魔剣と呼ばれるものだろう。そんな剣を、たかがコマンド一つで呼び出して…、どこまでも、この世界を汚して。

 

 

「ペイン・アブソーバぁああああああ!!奴のレベルを、ゼロにしろぉおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

叫び、そして駆けてくる須郷。管理者権限でステータスを上げるなりすればよかったものを。須郷の走りはあまりにも遅く、滑稽なものだった。剣を振りかぶり、ケイの眼前に迫ると、振り下ろしてくる。

 

 

「死ねぇえええええええええええ!!餓鬼がァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

「…」

 

 

右足を引き、体を傾けて須郷の斬撃を回避する。直後、ケイの刃が煌めいた。

重力の影響など微塵も感じさせない斬撃が、須郷の手首から先を斬り飛ばした。

 

斬り飛ばされた両手首はポリゴン片となって消え、主の手から離れた剣は宙を舞い、アスナを拘束していた鎖を切り裂き、地面へと落ちた。

 

 

「なっ…!まさか、お前…!」

 

 

あまりに出来すぎた現象。剣の行き先を目で追っていた須郷は、まさか、とケイの方へ向く。

 

須郷の視線を受けたケイは、小さく笑う。

 

 

「ほら、来いよ。頂き物の力を振り翳して、かかって来いよ。…全部、斬り潰してやるから」

 

 

「き…、貴様ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

部位欠損は、本来回復するまで少し時間がかかる。が、管理者である須郷には関係がない。ケイが斬り飛ばした両手が復活すると、須郷はすぐさま左手を振るい、ウィンドウを呼び出す。

 

何を仕掛けてくる。いや、何をしてきても関係ない。さっき言った通りだ。

須郷の思惑を、力を、全部斬る。

 

それだけを思い、ケイが刃を構えた──────その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「盛り上がってる所悪いけど…。そうはいかないよ、須郷伸之」

 

 

この闇の中にいる誰の物でもない。

 

四人目の声が、空間の中で響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第76話 王の名の下に

お、おかしいな…。ここまで間が空くはずじゃなかったのに…。
やり残していたゲームや、録画を溜めてたアニメを消化している内にこんなに…。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この場にいる三人以外に…、いや、この世界の王であるオベイロン以外に、ここに鑑賞できる者などいないはずだった。それなのに、ケイの物でも、アスナの物でもない。須郷の物でもない誰かの声が、響き渡る。

 

 

『随分と洒落た姿をしてるね、須郷伸之。現実の君の姿とは、大違いだ』

 

 

「だ…、誰だお前は!何故ここに干渉できる!?」

 

 

声が聞こえてきた方には、闇の虚空に浮くモニターウィンドウ。そこに映されているのは、蒼の髪を長く下した、男とも女とも見える人の姿だった。その人は薄く笑みを浮かべて、喚く須郷をじっと見ている。

 

ケイもまた、須郷と同じ疑問を持っていた。恐らくここは須郷が作った世界だ。第三者に干渉されないよう、対策もしていたはずだ。それをどう攻略した?どうやって、ここに通信を繋げているのか。

 

 

『冷たいね、須郷君。顔こそ全く見当がつかないだろうけど、僕の声を忘れちゃったのかい?』

 

 

「なに…っ!?」

 

 

須郷の問いかけに謎の人物が答えた直後、整えられた双眸が見開かれる。そして、それはケイも同じだった。謎の人物が口にした声。この声に、ケイは覚えがあった。

 

 

「まさか…!菊岡、誠二郎っ…!」

 

 

『正解。いやぁ~、ごめんねケイ君。助けに入るのが遅れちゃったよ』

 

 

先程まで須郷に向けていた厳かな声から一転、ケイが良く知る、馴れ馴れしい、陽気な声でこちらに話しかけてくる。

 

今目の前にある顔と、それとは全く似ていない現実の菊岡の顔がケイの中で重なる。

 

 

「菊岡…、お前、どうして」

 

 

『まあ、君に任せきりというのもどうかと思ってね』

 

 

「そんな事はどうでもいい!」

 

 

ケイの問いかけに答えた菊岡だったが、それはケイが欲しかった答えではなかった。

ここに来た理由ではなく、ここに干渉できた理由。改めて、それを聞くために口を開こうとしたのを、須郷の大声が遮った。

 

 

「さっきも聞いたはずだ菊岡!何故おまえがこの場所に干渉できる!それができるのは…」

 

 

『管理者権限を持つ者だけ…だよね?』

 

 

「っ…」

 

 

菊岡の一言に目を見開く須郷を一瞥してから、ケイは素早くアスナのもとに移動する。この会話が続くなかでも、アスナは両手こそ解放されたものの、その体にはまだ鎖が絡まっていた。アスナ自身も鎖を解こうともがいていたが、上手くいかない。アスナの傍まで来たケイは、刀を一振りし、アスナの両手を縛る鎖を断ち切る。完全に拘束から解かれたアスナは、力なくケイの胸に寄り掛かった。

 

 

「ケイ君…」

 

 

「アスナ…。痛い所とかないか?」

 

 

「うん、大丈夫…。ありがとう」

 

 

ケイの顔を見上げ、笑顔を浮かべて礼を言うアスナ。だが、ケイは目を瞑って、アスナの笑顔を見ないようにして首を振る。

 

自分には、そんな言葉を掛けられる資格はない。実際、菊岡が来てくれなかったらどうなっていたか。立ち上がれはしたが、きっと自分は、須郷に屈服させられていただろうから…。

 

 

「…」

 

 

でも、どういう経緯であれ、アスナを救う活路を見出すことができた。それが自分の力によるものではないとしても。

 

 

『須郷。僕が気付いてないとでも思うかい?この世界は、カーディナルのコピーによって形成されている』

 

 

「!」

 

 

ケイがアスナに救出したのにも気づかず、須郷は菊岡と会話を続けていた。その会話はケイとアスナの耳にも届き、二人は菊岡の言葉に聞き入る。

 

 

『それに気づけば後は簡単さ。君が持ってるものよりも高位のIDを使用すれば、君がどんな手を使おうとも干渉、妨害できる』

 

 

「僕よりも…、高位のIDだと…っ。まさか…!?」

 

 

須郷の両目が瞠る。それを見た菊岡の唇が弧を描き、そして開く。

 

 

『<ヒースクリフ>。彼が死んだと高を括ったのは失敗だったね、須郷。傲慢、慢心。君の悪い癖だ』

 

 

「ひーす…くりふ…。茅場ァ…!また、アンタが…、僕の邪魔をするのか!」

 

 

この場にいる誰もが知りたかった答えを耳にした途端、須郷は俯き、震えだす。

それが、決して恐怖によるものではない事は、目に見えてわかる。

 

 

「いつもそうだ!アンタは僕が欲しかったものを掻っ攫っていって!やっと死んだと思ったら、死んだ後も僕の邪魔をするのか、クソがっ!!」

 

 

『…それよりも、君のお姫様も攫われてるみたいだけど?』

 

 

「ぁあっ!?」

 

 

当たり散らすように両腕を振り回して喚く須郷が、菊岡の一言で視線をケイとアスナの方へ向ける。怒りに染まる形相が二人の姿を見た直後、みるみるさらに負の感情で染まっていく。

 

 

「いつの間に…!お前も、僕のモノを奪っていく気か…!」

 

 

「アスナはモノじゃない」

 

 

「黙れ!」

 

 

勝利を疑いもしなかった…、いや、勝つ負ける以前に、勝負とも思っていなかった須郷は、自分が追い詰められているというこの現状を受け止めることができないでいた。頭を抱え、髪の毛を掻き乱し、何やらブツブツと呟いている。

 

 

「ちがう…ちがう…。こんなのは…ぼくのせかいじゃない…」

 

 

「須郷…。何を…」

 

 

只ならぬ須郷の様子に、狼狽しているのか、アスナが一歩後退る。その直後、ガバッ、と勢いよく顔を上げる須郷。その怒りに満ちた双眸は、ケイとアスナを捉えていた。

 

 

「殺してやる!僕の思い通りにならないなら全員、殺してやる!!!」

 

 

こちらに駆け出す須郷。だが、遅い。その上、一直線にこちらに向かってくるため、須郷の行動が全て、目に捉えることができる。

 

須郷は走りながら、いつの間にか回復していた右拳を握り、振りかぶる。何の策もない、ただ素直な一撃を、ケイに叩き込もうとしてくる。

 

 

「──────」

 

 

ケイはそんな須郷の攻撃に対し、無言で、刀を一振りしただけだった。振るわれた刃はこちらに迫る須郷の拳の奥、腕を捉え、撥ね飛ばす。腕の切り口からは鮮血のような赤いエフェクトが漏れ、それを見た須郷の瞳が揺れる。

 

 

「──────ガアアアアアアアアア!!!」

 

 

「っ!?」

 

 

蹲った須郷の口から漏れる絶叫。それは明らかに、ケイの反撃を受けた事による苦痛を表していた。

 

 

『あぁ、言い忘れてたけど…。オベイロンの管理者権限は今、レベル1だから。ペインアブソーバのレベル下げたりしてたんだったら、その影響は当然、君にも来るからね』

 

 

苦痛に悶える須郷をどうでもよさそうに見下ろしながら、須郷にとってはとても大切な事柄をこれまたどうでもよさそうに言う菊岡。

 

 

『須郷、解るかい?今君が感じてる痛みは、これまでに君自身が、三百人の人達、そしてケイ君とアスナ君に与えてきた痛みだ』

 

 

「痛い…、痛ぃいいいいいいい!僕の腕が…、腕がぁああああああああああああ!!!」

 

 

『…聞いてないね』

 

 

全く自身の話が耳に入っていない須郷の様子に、菊岡は苦笑を浮かべる。だがすぐにその笑みを収めると、今度はケイに視線を向けてくる。

 

 

『好きにしていいよ』

 

 

「…は?」

 

 

『僕は警察じゃないからね。君がこれから須郷をどうしようと、僕には関係ないのさ』

 

 

今度はケイが苦笑を浮かべる番だった。菊岡の言う通り、彼は警察ではない。が、一応公職に就いている人間とは思えないセリフだ。でも…、そんな菊岡の言葉は、今のケイにとって有り難いものだった。

 

このまま何もせず、須郷が捕まるのを見ているなんて、できるはずがなかった。

腕一本では足りない。アスナが…、こいつに実験体と言われ、使われ、人間として扱われなかった者達の痛みは、こんなもんじゃない。

 

 

「ひっ…、や、やめっ…!」

 

 

初めて、須郷の瞳に恐怖、怯えといった色の感情が浮かぶ。それを目にしたケイの胸の中で、怒りが更に燃え上がる。

 

散々人々を弄び続け、いざ自分の身が危険な目に遭えばこういう風に逃げようとして。

…いや、それは当然な事なのだろう。今、須郷が目の前で見せている反応は普通の物だ。身に降りかかる恐怖に怯え、逃げようとする。極々自然の事。だが、ケイは見た。どんな状況にも臆せず、自分を貫いた男を。決して、逃げようとしなかった男を。

 

 

「…お前と違って、逃げなかったぞ」

 

 

「は…?」

 

 

ぽつりと呟いたケイを呆けた目で見上げる須郷に、言葉を続ける。

 

 

「茅場さんはそんな風に泣き喚きも、逃げたりもしなかったぞ」

 

 

須郷の眉がピクリと動く。

 

 

「お前なんかが、届くはずがない」

 

 

ケイを見上げる須郷の目に鋭い光が灯る。残った片腕に力を込めて、ゆっくりと立ち上がる。

 

 

「王?神?笑わせんな。俺の腹筋を捩じ切る気か」

 

 

「こ…っのぉぉぉおおおお!餓鬼がぁぁぁぁああああああ!!!」

 

 

単純な奴だ。こんなあからさまな挑発に乗り、須郷が再び突っ込んでくる。斬り落とされた右腕ではなく、今度は左腕を振りかぶって。それも先程と同じく、ただこちらに向かってくるだけ。

 

アインクラッドを管理し、プレイヤーを導き続けた茅場昌彦とこの男では器が違い過ぎるのだ。茅場はどんな時でも自分の意志を、自分のペースを貫き続けた。だがこの男はどうだ。ただ人を踏み台にし、上り詰めた挙句、追い詰められれば逃げ惑う。こんな男が、茅場昌彦の夢を汚し、躙った。

 

 

「あの人がした事は決して許される事じゃないし、許されちゃいけない事だ。でも、」

 

 

「ぎぃぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」

 

 

ただの繰り返しだった。左拳を突き出した須郷に対し、ケイは刀を一振りしただけ。須郷の残ったもう一方の腕も宙を舞い、ポリゴン片となって消えていった。ケイの眼下にはしゃがみ込む須郷。もう腕はなく、痛む箇所を抑えられないまま苦痛に叫び続ける。

 

そんな須郷に無の視線を浴びせながら、ケイは返した刀をもう一振り。

 

 

「お前は、ただの下衆だ」

 

 

振るわれた刃は腹を斬り払い、須郷の上半身が下半身と別れ、宙を舞う。

見上げたケイの目に移った須郷の瞳には、何も映っていなかった。ただ、両目の端から涙が零れているだけ。

 

こちらに向かって落ちてくる須郷の上半身から目を逸らし、ケイは三度刀を振るう。

落ちてきた須郷の上半身、その顔面をケイの刀は切り裂いた。須郷は声も上げる事無く、分断された顔面中央から噴き出した白い炎に呑み込まれていく。炎は広がり、やがて須郷の上半身を包み込むと、そのまま消えていった。

 

 

「…」

 

 

全身から力を抜き、天を仰ぐ。終わった。これで、全部。

深く息を吸ってから、大きく息を吐く。と同時に、背中から軽く何かがぶつかった感覚が伝わってくる。顔を向けると、両手でケイの服を掴み、背中に頭を寄せるアスナの姿。

 

 

「…ケイ君…」

 

 

「アスナ」

 

 

そっと手をアスナの肩に置き、優しく体を離してからケイは振り返る。

二人の視線が交わり、微笑みを向け合う。

 

言葉はいらなかった。見つめ合うだけで今、相手がどう思っているのか、感じているのかが伝わってくる。

アスナの肩に置いたままの手とは違う、もう一方の手を、アスナの頬に伸ばした────その時だった。

 

 

『あっ、ちょっ…。待って。押さないで…』

 

 

『ケイ!アスナ!無事!?』

 

 

「キリト…?」

 

 

菊岡の戸惑う声が聞こえたかと思えば、直後にキリトの切羽詰まった声がした。キリトの表情は緊張に満ちており、本気でこちらの事を心配していたのだろう。だが、それでも、本当に悪いとは思うが、二人は思った。

 

邪魔をするな、と。

 

 

『…俺、何か悪い事した?』

 

 

『…馬に蹴られればいいと思うよ、キリト』

 

 

『サチ!?』

 

 

呆然とするキリトと、呆れながら言うサチの声。その会話の中で、菊岡の溜め息が聞こえてきたため、空気を読めなかったのはキリトだけだったようだ。

 

ほらどいて、という声と共にキリトが横から押されて画面からフェードアウト。続いて画面に映されたのはサチの顔だった。

 

 

『二人共、無事でよかった。…キリトがごめんね』

 

 

「サチ…。来てくれてありがとう。…キリト君の事は気にしないで」

 

 

きっと今、キリトは頭の上に疑問符を浮かべているのだろう。…マジで馬に蹴られればいいのに。

 

二人してガックリと項垂れていたアスナとサチだったが、不意にサチが微笑みを浮かべる。

 

 

『またね、アスナ。…現実で』

 

 

「…うん、サチ。キリト君も、またね」

 

 

サチと、今そこに映っていないキリトとも挨拶を交わしたアスナ。すると、再び菊岡の顔が映し出され、彼の口が開く。

 

 

『じゃあ、これで失礼させてもらうよ。二人とも、もうログアウトできるから心配しないで』

 

 

「…菊岡」

 

 

『ん?』

 

 

その場から離れようとした菊岡を呼び止める。目を丸くした菊岡がこちらを見る。

 

 

「…助かった。お前がいなかったら、アスナを助けられなかった」

 

 

『…それは僕のセリフだよ。君がいたから、僕も管理者IDを見つけてここに来れたんだ』

 

 

言いたくはないが、菊岡がいなければどうにもできなかった。アスナを助けることも、それどころか自分の身すら危なかった。気に入らない奴ではあるが、恩を感じざるを得ない。

 

ケイの礼を受けた菊岡は笑みを浮かべてから、今度こそウィンドウを消して姿を消す。

 

それを確かめてから、ケイはアスナの方とも違う、明後日の方向へと視線を向ける。

 

 

「ケイ君?」

 

 

「…そこにいるのは分かってますよ。姿を見せたらどうです?」

 

 

首を傾げるアスナの視線を受けながら、視線を向けた方へと声を掛けるケイ。

ケイが声を発してから数秒、何もなかったその空間が捻じれた、かと思うと、いつの間にかそこに立っている白衣の男。

 

 

『久しいな。ケイ君、アスナ君。といっても私にとっては、あの日の事も昨日のように思えるが』

 

 

久しぶりに聞いた友の声は、すぐそこにいる筈なのに、どこか遠い所から聞こえてくるようだった。

 

 

「団長…、生きていたんですか…?」

 

 

『その呼び方はもうふさわしくないよ。…生きている、とは、少し違うな。私は、茅場晶彦という人間の意識のエコー、残像だ』

 

 

「解り難い言い方しないでくださいよ…」

 

 

相変わらずの彼の様子に、苦笑を浮かべる。

可笑しな話だ。彼はもう、死んでいるというのに。仮想世界の中とはいえ、こうして面と向かって話せている事が、むず痒いというか、とにかく不思議な感覚がする。

 

 

「…ありがとうございました」

 

 

『…何がだね?』

 

 

「茅場さんのおかげで俺は助けられましたし、アスナを救う事も出来ました。…菊岡のおかげでもありますけど」

 

 

最後の言葉を不服そうに口にするケイを、彼は小さく笑みを浮かべながら見ていた。

 

 

『私は何もしていないよ。私のIDを見つけたのは菊岡君だ。それに私自身、目が覚めた時にはほとんど事は終わっていてね』

 

 

助けようにも助けられなかった、と虚空を見上げながら言う。

 

 

「それでも。ヒースクリフのおかげで助けられたのは事実です。お礼くらい、言わせてください」

 

 

『…そうか』

 

 

引き下がれない。彼がいなければ何もできなかったのは事実だ。

 

 

『なら、その代償として一つ、頼みを聞いてくれまいか』

 

 

「頼み?」

 

 

苦笑を洩らしてすぐ、そんな事を口にした。首を傾げるケイに向かって、手を差し出すと、広げた掌にゆっくりと、光る小さな物体が落ちてくる。それは、小さな結晶。内部から僅かな光が瞬いている。

 

 

「これは?」

 

 

『世界の種子。芽吹けば、どういうものか解る』

 

 

どういう意味か、さっぱり解らない。続けて問いかけようとするケイだったが、それよりも先に続きの言葉が割り込んでくる。

 

 

『その後の判断は、君達に任せよう。これの存在を消し、忘れるもよし。だがもし、君達があの世界に、憎しみや怒り以外の気持ちを抱いてくれているのなら…』

 

 

「…」

 

 

差し出された手に、自分の手を近づける。種子は彼の手から、ケイの手へと渡される。

 

 

『では、私は行くとしよう。いつか、また出会う時を楽しみにしているよ』

 

 

最後にケイとアスナ、二人の顔に視線を送り、直後、何の唐突もなくその姿は消えた。

少しの間、その方を見続けていたケイとアスナは、不意に目を見合わせ、首を傾げる。

 

結局、この世界の種子とは何だったのか。何も教えてくれず、すぐに解るとはぐらかすのは全く変わっていない。思わずケイが笑みを零したと同時に、暗黒の空間が罅割れた。あっという間に辺りに景色は、アスナと再会した鳥籠の中のものへと戻っていく。

 

とりあえず、種子の事は保留にするべきだろう。ケイは胸ポケットに種子をしまう。直後、ケイの様子を見つめていたアスナが口を開いた。

 

 

「ユイちゃん、大丈夫!?無事なら返事をして!」

 

 

はっ、と顔を上げる。どうして忘れていたのか。あの須郷の言動から、消されてはいないと考えられるが、それでも本当に無事なのかは解らない。

 

 

「ユイ!出てこれるか!?」

 

 

アスナに続いてケイも声を上げる。

もう一度、ケイとアスナが口を開こうとした時、二人の正面で光が発光し、その中から黒髪の少女が現れた。

 

 

「パパ!ママ!」

 

 

現れた瞬間、叫びながら両腕を二人の腰に回して抱き付いてくる。

 

 

「ユイちゃん!よかったぁ…っ」

 

 

「無事だったか、ユイ…」

 

 

「はい。アドレスをロックされそうになったので、ナーヴギアのローカルメモリに退避したんです。すぐにもう一度接続したのですが、パパとママはいなくなっていて…。心配しました…」

 

 

目に涙を浮かべながら言うユイを、二人で抱き締める。少しの間、二人の胸に埋めていた顔を上げ、二人の顔を見上げてユイは問いかける。

 

 

「あの…。パパとママがここに戻ってきたという事は…」

 

 

「…あぁ。これでアスナも、現実に戻れる」

 

 

「っ…、そうですか…。よかった…」

 

 

問いかけに返したケイの答えに、ユイは破顔し、もう一度二人の胸に顔を寄せる。

ケイは手をユイの頭に乗せて撫で、アスナはユイを抱き締める。

 

 

「またすぐに会いに来るよ。今度は、二人で」

 

 

「…はいっ!パパ!ママ!」

 

 

ケイの言葉にユイは笑顔で返事を返すと、二人から一歩離れて先程とは逆、光となって姿を消した。

 

ケイがこの世界を旅している時は、ケイがログアウトするまで離れなかったユイが、今は先に戻っていった。それはきっと、自分達二人を気遣っているからだろう。

 

 

「…帰るか」

 

 

「…うん」

 

 

「…現実はもう夜かな。でも、会いに行く」

 

 

「…待ってる」

 

 

向かい合い、短い言葉を掛け合って。この場で、これ以上の触れ合いはせず、二人はこの世界から姿を消した。

 

これから先は、現実で。再会…、いや、初めてアスナと会ってから──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




つ、次はもっと早く次話を投稿します。したいです。するはずです…。


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第77話 紺と白の邂逅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沈んでいた意識が、浮かび上がっていく。次第に、体に纏わりつく冷たい空気が感じられるようになっていく。慶介が瞼を上げ、最初に見えたのは暗闇だった。その光景は、須郷と対峙したあの空間と酷似していて、まさか戻って来れなかったのか、という焦りが心の内で沸き上がる。

 

そうではない、ちゃんと現実に戻って来れたのだと悟ったのは、目が慣れ、頭上の天井が見えるようになった時。疲労感で怠く、重い体を起き上がらせ、頭からナーヴギアを外してベッドから両足を下ろす。

 

帰って来れたのだ。ここに。現実に。今度は確かに、アスナと一緒に。そのはずだ。

 

 

「─────っ」

 

 

ベッドから両足で立ち上がり、ベッドと対面する位置に置かれたクローゼットを開く。中からネイビー色のダッフルコートを取り出した。今、慶介が着ているのはただの部屋着で、普段なら外には着ては行かない物だが、着替える事に時間をかけるのももどかしい。

 

コートに腕を通し、前のファスナー、ボタンを留めながら、パソコンデスクの上に置かれた腕時計を身に着けて部屋の扉を開けて廊下を出ようとした。

 

 

「お…っと」

 

 

「わっ…」

 

 

扉の向こう、すぐ前に立っていた司と真正面から顔を合わせる形になる。互いに驚き、一歩距離をとる。

 

 

「お前、何してんの?人の部屋の目の前で」

 

 

「へ、変な勘違いしないでよ!夕ご飯の時間になっても降りてこないから、呼びに来ただけ」

 

 

「あ?」

 

 

司に言われ、腕時計を見てみれば、針が示していた時刻は7時を少し過ぎた時間。確かに司の言う通り、いつもの夕飯を食べる時間になっていた。

 

 

「…悪いけど、行かなきゃならん場所がある。母さんにも言っといて」

 

 

「え?」

 

 

が、慶介にはこれから行かなければならない場所が、会いに行かなければならない人がいる。今すぐに。

 

 

「ちょ…っ、兄さんっ!?」

 

 

「所沢の病院に行ってくる。帰りは遅くなるかもしれん」

 

 

「所沢…って、まさか…」

 

 

慶介が口にしたその言葉に、司の目が見開かれる。恐らく、慶介が出かける目的も察しただろう。だとすれば、駄目だと慶介を外に出させようとはしないだろう。慶介は下に降りる階段がある方へと歩き出す。

 

 

「待って」

 

 

しかし、司が慶介を呼び止めた。無視して行こうという思考も浮かびはしたが、司の声は至って真剣なものだった。足を止めて振り返る。

 

 

「お母さんには、ちゃんとどこに行くか話しなさい」

 

 

「なさいって…。いや、司から伝えて─────」

 

 

「自分で言え」

 

 

「…」

 

 

兄の威厳?何ですかそれ?と、問いかけたくなるくらい、司の迫力に圧されてしまった。

 

それでも、解る。司は自分の背中を押してくれているという事は。

 

 

「…ありがとな、司」

 

 

「さっさと行きなさい。明日奈さん、待ってるんでしょ?」

 

 

今度は笑顔を向けてくれる出来た妹に感謝しながら歩き出した。

 

 

 

 

 

 

母に全てを話し、外へと出た慶介。未だ仕事から帰って来ていない父には、母の方から説明してくれるという事になった。門から出て、全力で走る。途中、滑って転びそうになりながらも走り続け、駅へたどり着く。電車に乗り、乗り換えを繰り返して、明日奈の病院の最寄りの駅までやって来た。

 

駅から外へ出ると、家を出た時よりもさらに冷たい、刺すような風が慶介の顔に吹きかかる。

 

 

「さっむ…」

 

 

呟き、息を吐く。白い煙が慶介の頭上へと上っていく。それが消える前に、慶介は駆け出した。行く先は勿論、アスナの病院の方へ。行き交う人達の視線を気にする暇もなく全力で走り続ける。

 

もうすぐだ─────もうすぐ!

 

慶介の視界の端に、その建物が見えてきた。途端、息が切れ、足が重くなってきたにも関わらず、自然とペースが上がっていく。

 

冬の夜、駅から出た時も感じたように寒いはずなのに、暑い。額から汗が流れる感触もする。

 

建物の前に立った時、流れた汗は頬から顎まで達しようとしていた。そこでようやく、慶介は汗を腕で拭う。すでに時刻は8時半を過ぎていた。駐車場には何台か車が止まっている。その車の間を通り抜けて行こうとしたとき、車の陰から現れた人影とぶつかりそうになった。

 

 

「っ…」

 

 

無意識に相手にすみません、と口にしようとしたその時、現れた人影と目が合った。

瞬間、咄嗟に慶介は後ろにステップ。それと同時に、慶介の頬に熱が奔った。

 

地面に着地した足が滑るが、何とか踏ん張り、転ぶ事はなかった。

だが、一体何が起こったのか。右手で頬に触れると、熱が奔った箇所からビリッとした痛みが発する。さらにその手にはぬるりとした液体の感覚。

血だ。手に付いていた赤い液体を見て、ようやく自分はあの人影の持つナイフで切られたのだと理解した。

 

 

「お前…」

 

 

人影を見る。男だ。黒いスーツを身に着けた男の手には、大振りのナイフ。その刃先から滴り落ちるのは、赤い液体、慶介の血。

 

 

「遅いよ…。君だろ?ケイとかいう餓鬼は」

 

 

「須郷…!」

 

 

男は粘り気の強いしわがれた声で、あの世界での慶介の名を口にした。

この男の全像を目にした時から何となく察してはいたが、ここで確信を持つ。

 

明日奈の病室で見た丁寧なものとはかけ離れた、乱れた髪。何より、その濁った眼はあの世界で見たものとも違う、異質なものだった。

 

 

「つっ…、まだ痛覚が消えないよ。酷いことするねぇ、君も…」

 

 

男、須郷がナイフを持っていない左手で抑えたのはちょうどケイが切り裂いた、オベイロンの顔面の中心部辺りと同じ場所。どうやらあの世界で受けた攻撃が現実までかなりの影響を及ぼしたようだ。

 

 

「…酷い?それはお前だろ。さっさと警察に捕まえてもらえ。そして、裁かれろ」

 

 

「フッ…。ホント、生意気な餓鬼だね君は。でも残念ながら、僕はこんなとこで終わりはしないよ」

 

 

歪んだ笑みを浮かべながら、須郷は続ける。

 

 

「僕を欲しがる企業なんていくらでもあるんだ。まあ、さすがにしばらく日本から離れなきゃいけないだろうけどね…。アメリカ辺りでも行こうかな?」

 

 

何を言っているんだ。あれほどの仕打ちを受けながら、完全に叩きのめされながら、まだこの男は諦めていないのだ。

 

 

「その前に片づけなきゃいけない事があってね…。その一つが、君を殺すことなんだよ」

 

 

言いながら、歩み寄ってきた須郷は、ナイフの刃先を向け、慶介の腹部目掛けて突き出す。

 

あの時と同じ、ただ突っ込んでくる須郷。慶介は体を翻して回避すると、自分のすぐ横を通り過ぎていく須郷の背に蹴りを入れる。須郷は体勢を崩し、さらに足を滑らせ転倒。顔面から地面へと倒れこむ。

 

 

「…須郷、最後の忠告だ。自首しろ。自首して、法の裁きを受けて罪を償え」

 

 

起き上がらない須郷に追撃はせず、慶介はそう口にした。その言葉は須郷の耳に届き、直後、その体がぴくりと震えた。

 

 

「自首…?さっきも言ったよね?僕はまだ終わらないって…」

 

 

須郷の体がゆっくりと起き上がる。ゆらり、と体を揺らしながら振り返る。

 

 

「今度こそ神になるんだよ、僕は…。お前みたいな餓鬼に邪魔されて終わり…?そんなの、あり得ない…。あっちゃいけないんだよォ!!」

 

 

叫ぶ須郷を冷ややかな目で見る。この男をここまで狂わした要因は何なのだろう。それとも、初めから狂っていた、か。

 

 

「ゲームしか能のない、何の力も持たない餓鬼が!僕の足を引っ張る事しかできない屑が!お前みたいな奴は罰を受けるべきだ…。死を以てなぁ!!」

 

 

再びこちらに向かってくる須郷。

 

さっき、須郷は言った。慶介には、何の力もないと。だが、それを言うならお前はどうなのか。ただ突っ込んでくるという愚行を何度も繰り返す。それがどんな結果をもたらすのか、その身に受けながらもその頭には刻み込まれない。慶介からすれば、先程の言葉は滑稽にすら思える。

 

 

「死ね!死ね!死ねぇぇぇぇぇぇぇえええええええ!!!」

 

 

今、慶介の手元には武器も何もない。素手だ。が、それでも、この男に殺される気はこれっぽっちもしなかった。

 

今度は顔面に向かって刃先を突き出してくる須郷。それに対し、慶介はただ首を傾けるだけ。

慶介の顔面のすぐ傍らを横切っていくナイフには目もくれず、慶介は須郷の手首を掴み、捻る。

 

 

「ガッ!?」

 

 

須郷の手から離れたナイフが、音を立ててアスファルトの上に落ちる。

それを目で確かめた慶介は、体を須郷の懐に滑り込ませる。そして、背中に須郷の腹を乗せ、力いっぱい背負う。

 

宙に浮いた須郷の両足、何の抵抗もできず、須郷は背中をアスファルトに打ち付ける。

 

 

「ぐはっ」

 

 

相当な衝撃だっただろう、須郷の口から漏れた、咳き込むような吐息が物語っていた。

 

 

「哀れだよ、お前」

 

 

呟く慶介。呟くといっても、須郷にも聞こえるくらいの大きな声だったはずなのだが。

仰向けに倒れた須郷は呆然と空を見上げたままで、慶介の呟きに何の反応も見せなかった。

 

須郷を見遣ってから、慶介は落ちたナイフを拾って須郷に歩み寄る。

 

 

「須郷」

 

 

「…」

 

 

須郷を呼ぶが、何も答えない。口をあんぐりと開けて空を見上げたまま。

 

 

「さっき言ったぞ俺は。最後の、って」

 

 

「っ…」

 

 

須郷の瞳が揺れ、こちらに向いた。浮かんでいるのは、恐怖。

 

 

「あれだけたくさんの人を苦しませてきたんだ。お前の方こそ、その罪に対する罰は────死であるべきと思わないか?」

 

 

「なっ」

 

 

須郷の肩がびくりと大きく震える。唇もわなわなと震え、信じられないという風に慶介を見上げている。

 

…そんな態度が、お前に出来るとでも思っているのか。逃げられるとでも思っているのか。

そんな権利が、お前にあると思っているのか。

 

 

「アァ…、うわぁぁ…っぐぁ!」

 

 

「逃がさねぇよ、バカが」

 

 

起き上がろうとした須郷の腹に右足を突き入れる。そのまま押し込み、須郷が起き上がれないよう力を込める。そのまま慶介はしゃがみ、須郷と至近距離で顔を合わせる。

 

 

「ヒッ…」

 

 

「逃げんなよ。俺を殺すんじゃなかったのか?」

 

 

あの余裕ぶった態度など欠片も見られない、ただただ恐怖に慄く須郷を見下ろして言う。

須郷は返事を返す事もなく、ガチガチと歯を鳴らしながら慶介の視線を見返していた。

 

もう何もできない、それこそ慶介の視線から目を逸らす事すらも須郷はできずにいた。

 

 

「…まあいいや。お前はここで死ぬだけだし」

 

 

「っ、ヒィィィッ!ィァァァァァァッ!」

 

 

この時、慶介は内心で驚いていた。ここまで、この男に対する殺意が胸の中で渦巻いている事に。このまま自分はこの男を殺すのか?

 

いや、それは罪だ。してはいけない事だ。

 

ならばこの男はどうだ。他者を嘲笑い、愉悦を感じながら罪を繰り返してきたこの男は。その罰は、死であるべきではないのか?

 

駄目だ。これ以上堕ちるな。そうでなければ、この男と同じだろう。

 

やれ。

 

駄目だ。

 

殺せ。

 

駄目だ。

 

 

「アァァァァァッ、ァァ…」

 

 

葛藤の中、視線の下の須郷の様子が変わった。恐怖の叫びが次第に細くなっていき、遂には聞こえなくなった。見れば、両目は白目を剥いており、慶介を押し返そうと胸を突いていた両手は脱力し、地面に落ちている。

 

どうやら気絶したようだ。その様子に、慶介の中の殺意は呆気なく抜けていき、手の中のナイフがするりとアスファルトに落ちる。

 

こんな奴のために、罪を起こそうとしたのか、自分は。そんな思いが慶介の胸の中を支配していく。下らない、この気持ちが慶介の殺意を打ち消していく。

 

小さく息を吐いてから、慶介は須郷のネクタイを引き抜き、両手を後ろ手にして縛り上げた。そのまま須郷を倒れたままにし、ナイフは入り口近くにあった花壇の上に置く。

 

それから慶介は、ポケットの中からスマホを取り出すと、電話帳の中からある番号を入力し、コールする。

 

 

『もしもし。どうした、慶介』

 

 

「父さん」

 

 

慶介が電話を掛けたのは父、健一だった。

 

 

「須郷にナイフで襲われた。場所は埼玉の所沢総合病院」

 

 

『なっ…。ちょっと待て!襲われた…、須郷に?どういう事だ、詳しく教えてくれ!』

 

 

「…ごめん、父さん。もう待てないんだ。早く行かなきゃ」

 

 

『慶介?…、おい、けいすk』

 

 

通話を切って、スマホの電源を落とす。父には悪いとは思うが、後で母から説明があるはずだ。それで、色々と納得してくれる…事を願う。

 

それ以上、須郷の方には目もくれず、慶介は駐車場を進み、病院の自動扉の前に立った。だが、扉は全く動かない。もしかしたらと思ったが、さすがにそう上手くはいかないようだ。扉のガラスを通して中の様子を覗く。

 

メインロビーの照明は落ちているが、受付カウンターの明かりはまだ着いていた。奥に人影も見える。左右を見回し、小さな扉を見つけるとそこへ慶介は駆け寄る。扉を押すと、こちらは開き、中へ入っていく。

 

静寂に包まれた建物を進み、見えてくるロビーと傍らの売店。ちらりと暗くなった売店を見遣りながら、ロビーを横切っていく。受付の方には誰もいなかったが、その隣のナースステーションから女性たちの話し声が聞こえてくる。

 

 

「すみませんっ」

 

 

口から出てきたのは、自分が考えていたよりも掠れた声だった。それでもナースステーションの中まで聞こえるはずだが。

 

慶介が声を出してから十数秒ほど経った時、ステーションの扉が開き、グリーンの看護服を着た看護婦が現れた。看護婦は一度辺りを見回し、慶介の姿を目にしたその直後、驚きに声を上げた。

 

 

「ど、どうしたんですか!?」

 

 

看護婦が駆け寄ってくるのを眺めながら、何故そこまで驚く事があるのか、と疑問に思う。

と、ここで慶介はそういえばと思い出し、頬に手を触れさせる。まだ出血は続いていた。どうやら思っていたよりも深く切られていたようだ。

 

慶介はその犯人が須郷である事を伏せ、駐車場で起こった事を看護婦に説明する。その際に、ナースステーションから一人、二人と出てきた看護婦たちも、表情に緊張が奔る。

 

年配の看護婦が警備員を呼び出し、その警備員と共に看護婦たちが外へ出ていく。それを見送った慶介は、ふとステーションのカウンターを見る。慶介の視線の先には、カードキー。

 

気づけばそれを抜き取って、慶介はエレベーターに乗っていた。

 

 

「…何してんだか」

 

 

呟き、苦笑を浮かべる。今している事は完全な犯罪だ。先程、須郷との交戦の時は、罪を犯すのは駄目だと思い留まったというのに、今はあっさりと罪に手を染めている。

 

本当に、何をしているんだか─────

 

目的の階に着き、エレベーターから降り、ケイは長い廊下を歩き出す。

 

会いたい。早く会いたい。この眼で姿を見たい。この手で触れたい。歩くペースが速くなる。

 

 

「アスナ…」

 

 

思いも寄らない邪魔が入って時間が喰われたが、ようやく会える。

目の前の扉、その向こうにアスナがいる。いる、はずだ。

 

ちゃんと帰れているだろうか。もしかしたら、まだ目が覚めていないかもしれない。いや、それならばまだいい。予想外の事態で、二度と目が覚めない事になっていたら─────

 

 

「…あり得てたまるか、そんな事」

 

 

あり得ない、そう自分に言い聞かせ、スリットにカードキーを差し込み、滑らせる。モーター音と共に開いた扉を潜り、病室の中へ入る。明かりは点いていない。だが、月明かりに照らされ、中の様子がはっきりと見える。

 

奥に一歩、一歩、進み入る。病室の中央の大きなカーテン、その向こうにあるベッド。

純白の診察衣を身に着けた少女が、体を起こして窓の外を見上げている。その両腕には、役目を終えたナーヴギアが抱えられている。

 

起きている。生きている。彼女が、目の前にいる。

 

やっと─────やっと

 

 

「アスナ」

 

 

少女の体が震える。ゆっくりとその顔がこちらに向く。目が合った。少女はゆっくりと微笑み、その形を描いていた唇を開く。

 

 

「ケイ君」

 

 

カーテンの端を掴んでよけ、その向こうに体を入れる。そして、アスナがこちらに差し伸べる左手を右手で掴み、繋ぐ。左手もアスナの手に添え、包み込む。

 

仮想世界で触れた時とは違う、確かな温もりが伝わってくる。初めて、アスナに触れたのだという実感が、ケイの心を包む。

 

アスナの傍でしゃがむケイ。すると、そんなケイの頬に、アスナの右手が伸ばされた。アスナが触れた場所は、須郷のナイフで傷ついた場所。

 

 

「あぁ…。さっき、ちょっと邪魔が入ってな。でも大丈夫だ。全部終わったから。もう…、何も心配する事はないんだ」

 

 

「…ごめんね、まだ音がちゃんと聞こえないの。でも、解るよ…。ケイ君の言葉、解る」

 

 

アスナがケイの頬を撫でながら囁く。

 

 

「終わったんだね…。今、ようやく…、君に会えたんだね…ケイ君…っ」

 

 

思い出されるのは、あの世界の最後の時。崩壊する世界の中で、別れを告げたあの時。もう二度と会えないと思ったあの時。だが目の前に、愛おしい少女がいる。再び出会えた、奇跡が今、起きている。

 

 

「初めまして、結城明日奈です。ただいま、ケイ君」

 

 

「辻谷慶介です、初めまして。お帰り、アスナ」

 

 

微笑みを交わす二人は、どちらともなく近づき、そして唇を触れる。軽く触れた唇は離れ、二人は微笑み、再度唇が触れ合う。

 

ケイの両腕がアスナの背に回され、アスナの両腕もまた、ケイの背に回される。

 

きつく抱き合う二人。ようやく二人は、初めての邂逅を果たしたのだ。

 

そんな二人を祝福するかのように月が空に浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




最後の表現べたすぎぃ(笑)


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第78話 戦いを越えた先に

本当はこの回でフェアリーダンスの最終話にするつもりだったのですが、長くなりそうだったので分けました。

少し短いですが、どうぞ。









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃ今日はここまでだ。次の授業までに教科書52ページの訳文終わらせておけよ」

 

 

午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、画面一杯に英文を映していた大型パネルの電源を落とした教師が立ち去っていく。教師が授業終了を告げた瞬間から緩んだ空気に包まれた教室に、生徒たちの談笑の声が加わる。

 

慶介は椅子の背もたれに体重を乗せ、両手を組み、腕を伸ばしながら体を右左と傾ける。両手を離して脱力すると、最後に教師が告げた教科書52ページを開いて、そこに書かれた英文の羅列を眺める。長い、単語が多い、めんどくさそう。単純にそれだけを感じ、溜め息を吐く。

 

授業の内容、教師が言うポイント等をメモしたページを保存して端末を閉じる。ショルダーバッグに端末とワイヤレスマウスを放り込んで肩に掛ける。

 

 

「お、慶介。食堂に行くんだったら席とっといてくれよ」

 

 

立ち上がった慶介の姿を見た後ろの席の友人が声を掛けてくる。基本、この学校で昼食を摂る時は、この友人を含めた四、五人でカフェテリアに行くのだが、生憎今日は先約がある。というより、週に一度、二人で食べるという約束をしているのだ。

 

断りを入れようとしたその時、振り返った先にいる友人とは違う声が聞こえてきた。

 

 

「おーい慶介ー。お姫様がいらっしゃってるぞー」

 

 

声が聞こえてきた方へと目を向ける。その方向には廊下に出る教室の扉があった。その扉に腕を掛けるようにして立っている慶介と親しい友人の一人と、教室と廊下の境界線の前に、スクールバッグを持って立っている一人の少女。

 

 

「あぁ、今日は姫様との謁見の日だっけか」

 

 

「お前な…。何かその言い方腹立つから止めろっつってんだろが」

 

 

慶介と同じ光景を目にした友人が、ニヤニヤ顔を隠そうともせずに遠慮なしに慶介へと向け、からかう様に言ってくる。そんな友人の額にビシッ、と中指で凸ピンしてから席を机の下へとしまい、少女が待つ廊下へ足を向ける。勿論、背後から聞こえてくる抗議の声は無視して。

 

教室の扉付近でニヤニヤしていたもう一人の友人にも凸ピンを入れ、少女と並んで歩き出す。

 

 

「今日はカフェテリアだっけか」

 

 

「うん。ごめんね…、その…」

 

 

「寝坊したんだよな、気にしてないから心配すんな」

 

 

「うっ…」

 

 

隣で歩く少女、明日奈と談笑しながらカフェテリアを目指す慶介。いつも明日奈と昼食を食べる日は、明日奈が作ってくれたお弁当を食べているのだが、今日は明日奈が寝坊してしまい、作れなかったらしい。明日奈の料理に舌鼓を打てないのは残念ではあるが、たまには賑やかな所で食べるのも悪くはないだろう。

 

…良い所を見つけた、と勘違いし、実は思いっきり大勢にいちゃついていたとこを見られていた、という事態はもう懲りた。それだったら、初めから大勢がいると解っている所で控えめにいちゃついている方がマシだ。

 

え、結局いちゃついてんのは変わんねぇじゃねぇか?

…せやな。

 

 

「なに一人でぶつぶつ言ってるの?」

 

 

「ん?いんや、何にも」

 

 

どうやら思考が口から漏れていたらしい。すでにカフェテリアの前、食券売機で並ぶ列に着いており、周りの談笑の声に掻き消されて明日奈の耳には届かなかったようだが。まあ、その方がいいだろう。あの時の恥ずかしさを無理に思い出させる必要はない。また、真っ赤になって縮こまる明日奈を見たいという気はしないでもないが。

 

食券を買い、それぞれ別のコーナーで注文の品を受け取ってから、窓際の席に着く。その席に着いたとき、慶介はふとある事に気づくのだが、それについて明日奈は気付いている様子はないし、今更席を変えようと言うのも変な気がするので放っておく事にする。

 

 

「それにしても…、ケイ君、ラーメン好きだねぇ…」

 

 

「ん?あぁ、まあラーメン嫌いって言う奴がいたらラーメン教を説きたいって思ってるくらいは好きだな。一生朝昼晩たらふくラーメンを食べたいって思ってるまである」

 

 

「…体壊すよ」

 

 

苦笑する明日奈の視線を物ともせず、レンゲで掬ったスープを口に含める。…熱い、でも旨い。ご満悦に今度は麺を啜り始めた慶介を眺めていた明日奈も、パスタを上品に食べ始める。

 

互いに頼んでいた品を食べ進めながら、時に手を止めて話し、笑い合い、そんな何気ない一時を味わう慶介はふと空を見上げた。あの日、現実で須郷と対峙したあの日とは真逆の、晴れ渡った青空だ。

 

慶介に気絶させられ、その後、父、健一の手配でやって来た刑事に逮捕された須郷。捕まってからも醜く足掻き、黙秘を重ねていた。だが、須郷の手下の一人があっさり自供、仲間や上司の犯行についても口を割った。レクトプログレス横浜支社に設置されていたサーバーにおいて、SAO未帰還者三百人に行われた非人道的実験は、あっという間に世間に知れ渡る事となった。

 

そんな須郷の犯罪の余波は、当然の事ながらレクト、明日奈の父、彰三氏にも襲い掛かった。部下の管理問題、部下の暴走に何故気づけなかったのか、少しでも注意をしていればここまで須郷に好き勝手される事もなかったのではないか、等、マスコミを筆頭に世間に冷たい視線は容赦なく注がれた。が、須郷の研究は初代ナーヴギアでなければ不可能という事実と、その対抗策をレクトは立策。他の研究者からもお墨付きをもらった事もあり、今は信用回復の傾向にある。

 

それと茅場晶彦についてだが…、やはり、アインクラッド崩壊と共に死亡していた。フルダイブシステムを改造したマシンで己の脳を焼き切って。慶介はその事実が世間に知れ渡る前に、神代凛子という女性から聞いていた。

 

彼女曰く、成功確率は千分の一にも満たない程度。天才なだけでなく、運もいいのかあの男は。その運をほんの少しでも分けてくれないだろうか。

 

 

「…ん?」

 

 

突如起こったざわつきが、思考の渦に沈んでいた慶介の意識を引き戻す。はっ、と顔を上げると、明日奈もそのざわめきに気付き、不思議に思ったのか、辺りを見回していた。

 

周りの人たち、慶介と明日奈と同じように窓際の席で昼食を摂っていたほとんどの人達が、同じ方へと目を向けている。慶介と明日奈も、同じ方─────窓の外に向ける。そして、明日奈の表情がぴしりと固まり、慶介は苦笑を浮かべる。

 

窓の外、二人の視線の下には庭園がある。そこのベンチに腰を掛けている男女、カップルだろうか。二人の間には繋がれた二つの手が。その光景は、どこかの誰かさん達とよく重なっていて。

 

 

「あんたらとおんなじことしてるわねぇ、あの二人。そしておんなじ風に皆に見られて」

 

 

そのカップルが誰なのか、目を凝らして確認した直後、からかい染みた声が二人に掛けられる。振り向くと、そこには二人の少女がお盆を持って立っていた。一人は明日奈と同じ制服を着ており、もう一人は明日奈とは色違いの、同じデザインの制服を着ていた。

 

篠崎里香ことリズベットと、綾野珪子ことシリカ。いや、逆だ。リズベットこと篠崎里香と、シリカこと綾野珪子。アインクラッドにいた友人の中でもそれなりに親しくしていた二人がそこに立っていた。

 

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 

「はいはーい、お邪魔しまーす。…ちっ、キリトの奴、あんなくっついちゃって」

 

 

「リズさん、覗きなんて趣味悪いですよ!あ、私も同席良いですか?」

 

 

「いいぞー。ほら」

 

 

にやついた表情の里香は明日奈の隣に、珪子は慶介の隣に腰を下ろす。すると、里香は腰を乗り出して窓の下を覗き込むと、不機嫌そうに呟く。そんな里香を、まるで妹を窘めるように注意する珪子。普通、逆じゃないだろうか?

 

 

「はぁ~…。ホント、どっかの二人と重なるわねー」

 

 

「…リィ~ズゥ~?」

 

 

「やべっ…」

 

 

乗り出した体を戻して座り直した里香が、頬杖を突きながら言うと、明日奈がにっこりと、目以外は笑いながら里香の方へと向く。汗を垂らしながらそっぽを向く里香を見ながら、慶介は思い出していた。この窓の下の庭園で、同じように二人の一時を楽しんでいた所を見られていたあの時を。友人にからかわれまくったあの時を。きっとあの二人も…、和人と幸も、同じような目に遭うのだろう。

 

合掌。

 

 

「あぁ、そうだ。今日のオフ会、俺の妹も来るから仲良くしてやってくれ」

 

 

「え?ケイさんの妹さん…ですか?」

 

 

そこでふと思い出し、慶介は口を開いた。その言葉に珪子が真っ先に反応し、座りながら取っ組み合っていた明日奈と里香も、慶介の方へ顔を向ける。

 

 

「そっか。司ちゃん、来るんだね」

 

 

「あぁ。誘ったら行くって思いっきり食いついてきた」

 

 

司を誘うという旨を知っていた明日奈は、安堵したような笑みを浮かべていた。

 

 

「そうだ。妹といえばキリトの妹も来るらしいわよ」

 

 

「リーファちゃん、でしたっけ?オフで会うの初めてです。楽しみだなぁ」

 

 

「シリカちゃん、リーファちゃんと仲良いもんね」

 

 

里香が言った事は、慶介には初耳だった。リーファとはALOで何度か会った事はあり、彼女を含めて何人かでパーティを組んで戦った事もあった。だが、あまり話した事はないというか、そういう機会には恵まれなかった。

 

─────キリトの昔話とか聞いてみよ。からかいのネタになる話、あるといいですなぁ。

 

そんな悪戯を思いつきながら、クァンタグレープの缶を呷る。

 

 

「…それにしてもアスナ。あんた、いつケイの妹と会ったりしてたの?」

 

 

「え…」

 

 

「あ。もしかして、ケイさんのご家族の方とも会ってたりして」

 

 

「…」

 

 

「…え、まじで?」

 

 

「びっくりです…」

 

 

再び明日奈と里香の騒ぐ声が、今度は珪子の声も加わって聞こえてくる。

口の中の炭酸の刺激を楽しみながら、頬杖を突いて青空を見上げる。

 

 

「平和ですなぁ」

 

 

そんな呟きは、無意識に口から出てきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

オフ会の会場であるエギルの店である、<ダイシーカフェ>の扉には、『本日貸切』と書かれた札が掛けられていた。

 

 

「…ねぇ、ホントに私がいていいのかな?」

 

 

不意に聞こえてきた声に振り向けば、そこには不安そうな表情をした司。そんな司に微笑みかけながら慶介は口を開いた。

 

 

「おいおい、行きたいって言ったのはお前だろ。今更なに不安がってんだよ」

 

 

「だ、だって…。考えてみたら私、全然関係ないじゃない…。私がいたら、雰囲気に水差しちゃうんじゃ…」

 

 

いつもは天真爛漫で兄すらも尻に敷く生意気な妹のくせに、こういう時は気を遣って。

 

 

「大丈夫だよ司ちゃん。ここに来る皆、司ちゃんが来るって聞いた時、喜んでたんだから」

 

 

「…明日奈さん」

 

 

司の手を握り、柔らかな笑みを浮かべながら明日奈が言う。

 

 

「楽しみにしてるよ、皆。司ちゃんに会えるの」

 

 

明日奈の優しい言葉に励まされ、小さくではあるが司に笑顔が戻る。

 

まあ、司の不安、躊躇いは当然の感情なのかもしれない。傍から見ればただのゲームのオフ会だが、実際は死地を乗り越えた者たちの集まりなのだ。慶介が司と同じ立場なら、きっと司と同じように、そこに立ち入るのを躊躇っていただろう。だが慶介は知ってほしかった。司に、家族に、この仲間たちがいたから自分はあの世界で生きていけたのだと。

 

 

「会いたいんだろ?俺も、司に会ってほしい」

 

 

「兄さん…」

 

 

その気持ちを正直に吐露する。その気持ちは間違いなく、司に届く。

 

 

「…行きましょ。二人とも」

 

 

「…はい」

 

 

カラン、と響くベルの音。押し開けられた扉の向こうには、すでにオフ会に誘われたメンバー達が全員揃っていて。そんな彼らは、入って来た慶介たちの姿を見た瞬間、歓声を上げ、拍手、口笛を盛大に巻き起こした。

 

広くない店内はすでに盛り上がっており、スピーカーからはガンガンとBGMが鳴り響いている。それも、そのBGMはアルゲードの街のテーマで。

 

 

「…まだ時間の十分前だぞ。遅刻してねぇぞ。何でもう全員集まってんだよ」

 

 

「えっと…。時間間違えちゃった…かな?」

 

 

「へっ。主役は遅れて登場って相場は決まってんだよ。おめぇらには前もって遅い時間を伝えてたんだ。ほら、入った入った!」

 

 

呆然と皆を見回しながら言う慶介と明日奈に、スーツ姿にバンダナを巻いた男が進み出て返事を返す。

 

男、クラインは慶介と明日奈の背中を押して店内の奥へと二人を連れていく。あれやこれやと慶介と明日奈はステージに押し上げられ、スポットライトを浴びせられる。

 

 

「…なにこれ」

 

 

「…さあ」

 

 

気づけば、司も何やらしてやったりという顔をしている。まさか、この事を知っていたのだろうか。さすがに先程のあれを演技とは思わないが、それ故にその切り替えの早さに驚きを隠せない。

 

不意にBGMが途切れると、リズベットの声がした。

 

 

「それでは皆さんご唱和ください。せーの─────」

 

 

「ケイ、SAOクリアおめでとー!!アスナ、おかえりなさーい!!」

 

 

唱和と同時に盛大なクラッカーの音といくつものフラッシュ。訳もわからず立ち尽くす慶介と明日奈には、それぞれキリトとサチからジュースの入ったコップが渡されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、明日から一週間ドラクエ漬けの日々を送ります。テストも終わって夏休みに入りますし、ゼミにとられる時間も就活終わった今じゃ微々たるもの。

え?執筆しろ?
…せやな。(´・ω・`)


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第79話 鐘の音は妖精を招く

ドラクエクリアしました。裏ボス(なのかあれは?)も倒しました。後はクエストと、3DS版を買ったのですれ違い要素を制覇するだけ…。

いや、物凄く楽しめました。まさにあのタイトル通りの作品でしたね、良い意味で。

では、関係ない話はここで終わりにして…。
本編、妖精の舞踏篇最終話をどうぞ。








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のオフ会、<アインクラッド攻略記念パーティー>はキリトとリズ、エギルの三人が企画したものだった。このパーティーはその名の通り、アインクラッド攻略を記念したパーティーで、といっても皆でワイワイ騒ぐだけのモノ、という風に慶介は聞いていたのだが。いつの間にかあんなドッキリを用意していて、それも昨日参加すると報せたばかりだった司も巻き込んで。改めて店内を見回すと、慶介が予想していた以上の人数がこの場に集まっている。

 

乾杯の後、全員の現実での自己紹介、それに続いて慶介と明日奈の簡単なスピーチ…、だったのだが、その時、考えてもみなかったスピーチを押し付けられた慶介と明日奈は当然上手く言葉を進めることができずに口ごもってしまった。そんな二人の姿を見たキリト、クライン、リズの三人は遠慮もなしに笑っていて…、三人に復讐心を燃やす慶介だった。

 

スピーチが終わると、ちょうど時間よく焼き終わったエギル特製ピザがテーブルに運ばれ、皆が挙ってピザを取り合う戦争が今、繰り広げられている。ちなみに慶介は、そんな争いから抜け出して、カウンターの席に辿り着いていた。

 

「マスター、コーヒーくれ。ブラックで」

 

「おいおい、こんな時くらい目瞑るぜ?」

 

「冗談。親父に逮捕されちまう」

 

慶介と同じく、皆が集う場所から離れていた、白いシャツに黒い蝶ネクタイをした巨漢が笑う。このオフ会最初の自己紹介で、慶介は自身の父親が警察関係者であることを話している。そのため、父に逮捕されるという冗談もエギルは理解できている。

 

エギルからコーヒーの入ったカップを受け取り、チビチビとコーヒーの苦さを味わっていると、隣のスツールにスーツ姿でありながら頭に悪趣味な赤いバンダナを巻いた、アンバランスな格好をした男が腰を下ろした。

 

「エギル、俺にはバーボン。ロックでな」

 

男、クラインは両手に握っていた二つの皿をテーブルに置くと、その内一つを慶介の方へと押しやる。

 

「ほれ、おめぇの分だ」

 

「サンキュ」

 

慶介は皿を握り、体の前まで引きやり、その上に載ったピザを口まで持って行く。

ピザを咀嚼する慶介を見遣ると、クラインは華やかな笑い声をあげる女性陣の方へだらしない視線を向けた。

 

「おいおい、この後仕事なんだろ?いいのか?」

 

「へっ。残業なんて飲まずにやってられるかっての」

 

エギルが持ってきたコップを受け取るクライン。クラインは唇を尖らせながらそう言い放つと、バーボンを一口呷ってから再び女性陣の方を見つめる。

 

「しかし…、いいねぇ…」

 

「…司にまで色目向けたら殺すからな」

 

「おいおいおい、女性の魅力に見惚れるのも駄目ってか?」

 

「殺す」

 

「このシスコンは…」

 

真顔で言う慶介に何の堪えた様子もなく、クラインは呆れたように溜め息を吐いて女性陣の観察を続ける。ちなみに殺すは本気である。後に、向こうで思う存分斬り尽くす。ペナルティーの凄まじさに恐れ戦くがいい。

 

ちなみに、クラインが見惚れる華やかな女性陣に一人異物が混じっているのだが、それに気付いた様子はない。もし気付いていればさらに騒がしくなるため、そのまま気付かないでいてくれた方が有り難いのだが。

 

後でクラインに施す復讐をどうやって成すか考えていると、クラインとは逆の隣の席にもう一人男が腰を下ろした。こちらのスーツ姿が、クラインと違ってまともである。元<アインクラッド解放軍>のリーダー、シンカーだ。

 

「遅くなりましたけど、ユリエールさんとのご入籍、おめでとうございます」

 

「いやまあ、まだまだ現実になれるので精一杯って感じなんですけどね…。仕事が軌道に乗ったので、ようやくプロポーズできました」

 

慶介が差し出したカップと、シンカーが差し出したコップがチン、と音を鳴らしてぶつかる。照れ笑いを浮かべて慶介に返事を返すシンカーは、本当に幸せそうだ。

 

クラインも反対側から身を乗り出して、タンブラーを掲げながら口を開く。

 

「いや本当にめでたいっすなぁ!俺もあっちで相手見つけときゃぁ…」

 

「「あぁ、ムリムリ」」

 

「お、おい!全否定かよぉ!」

 

クラインが女性のパートナーを見つける…、駄目だ、全く想像つかない。慶介もエギルも、頭の中に浮かんだ一言を即座に口にしてしまった。その一言はかなりクラインの心に響いたらしく、項垂れてしまっている。

 

この項垂れようを見てさすがに失言だったか?と僅かに反省する慶介とエギルだが、どうせすぐに立ち直るだろうとクラインを放っておく事にする。

 

「そういえばあれ見たか、エギル。また一つ、新しい世界が増えたな」

 

不貞腐れるクラインを無視した慶介が、口の中のコーヒーを飲み込んでからエギルに問いかけた。エギルはカウンターに両肘を置いてこちらに身を乗り出すと、にやりと笑みを浮かべてから口を開いた。

 

「あぁ。…どんどん広がってくな」

 

慶介が言ったあれ。それは、茅場晶彦の思考プログラムから受け取った、<世界の種子>だ。

<ザ・シード>と冠されたプログラムには、コンパクト化されたカーディナルシステムと、ゲームコンポーネントの開発支援環境を中に組み込まれていた。

 

つまり、誰でも望めばVR世界を創造できるようになるという代物だった。

 

さすがにこれをどうするか、一人では決められないと考えた慶介は、事情を話してキリト、エギル、そして<ザ・シード>を受け取る場に立ち会ったアスナを招集し、四人で話し合った。勿論、これを破棄するという選択肢も込みで。

 

だが、当然慶介達の中では破棄するべきという意見は出なかった。…いや、破棄したくないというのが正しいかもしれない。その危険性が示唆され、規制される方向へ向かっているVRMMOの世界でまた、という思いが慶介達を縛り付けていた。

 

だから…、慶介は決断した。このままこれをばら撒くべきではない。どういう結果になろうと、それを詳しく調べてもらい、大人に判断してもらうべきだ、と。慶介は健一に、<ザ・シード>の存在を報せ、渡した。

 

その結果が、今の状況だ。このままゲームを規制するべきだという意見もある中、それ以上に新たなVR世界を、という意見が多く上がった。多くの国民の声を無視できなかった政府がとった方針は、厳選された企業にプログラムを渡し、慎重に世界を広げていくというものだった。今では実際に稼働しているサーバーは国境も越え、その数は100に迫ろうとしている。

 

政府としては破棄したい、というのが本音だったのだろうがというのは苦笑いした健一の言葉。ともかく、まだ不安定な状況ではあるが、茅場晶彦が望んだ世界は受け継がれたのだ。

 

「私たちは今、新しい世界の創生に立ち会ってるいるのだと思います。その世界を称するには、MMORPGという言葉では狭すぎる。私のホームページの名前も新しくしたいんですけどね…。これが中々思いつかなくて」

 

シンカーが苦笑しながらも、夢見るような眼差しを浮かべて言った。すると、いつの間にか立ち直ったクラインが両腕を組んで唸っている。

 

「むう~…。新しい名前、か…。どんなのがいいもんかね…」

 

「…誰も、ギルドに風林火山なんて名前付けたお前のセンスに期待してねぇよ」

 

「なんだと!言っとくが、新生風林火山にゃ加入希望の申請が殺到中なんだからな!」

 

「ふ~ん。可愛い女の子が一人でもいるといいな」

 

「ぐっ…」

 

何も言い返せずにいるクラインの顔を、小さく鼻で笑う。すると、今度はエギルが不意に口を開いた。

 

「ケイ、忘れてねぇだろうな。二次会」

 

「んなわけ。イグドラシルシティに11時だろ?司も連れてっから。あいつの強さに驚くなよ」

 

「?ケイさんの妹さん、何かゲームしてるんですか?」

 

「いや、仮想じゃなくて現実。言ったよな、剣道やってるって」

 

「あぁ…。…一年で全中、その後の新人戦も優勝したんだっけ?」

 

「…あいつの伝説は、これからだ」

 

ちらりと司の様子を横目で見てみる。コップを持って談笑している司の目の前には、キリトの弟のリーファ…、桐ケ谷直葉が。きっと二人で剣道の話で盛り上がっているのだろう。もしかしたら、去年の全中準々決勝で対戦したという時の話をしているかもしれない。

 

しかし驚いたものだ。司が自己紹介した時に声を上げた直葉と知り合いだったという事にも驚いたが、まさか剣道の試合で対戦していた事には更に驚いた。ちなみに、司の剣道の成績を皆が知った時も相当驚いていた。何故かキリトが引いていたのは気になるが。「す、スグより強い…?怪物…?」という呟きを慶介は聞き逃していない。クラインと並んで、キリトも慶介の報復対象である。

 

「けどよ、現実と仮想世界じゃ違うだろ。剣道の達人つっても、初めは戸惑うんじゃねぇか?」

 

「俺の妹を甘く見るな。一週間くらい前か、いつの間に頼んでたのか、買ってもらったアミュスフィア使って一緒に潜ったんだ。…あっという間に仮想用の動きにアジャストしやがった」

 

「…マジで?」

 

エギル、クライン、シンカーまでもが頬を引き攣らせていた。

 

「部活に勉強と忙しいせいで毎日インしてる訳じゃないからシステムスキルの方は大した事ねぇけど…、素人と勘違いしたら確実に痛い目見る。ちなみに俺は痛い目見た」

 

司────アバター名アミタと一緒にALOで初めて遊んだあの日。その時は、アスナもその場にいた。種族をシルフにしたアミタと合流し、何を練習させようかと悩んでいたその矢先、いきなり試合をしたいとアミタは言い出した。現実…仮想世界だが…、を見せてやろうと、だが手加減はしてあげようと考えたあの時。このゲームでは、攻撃力やスピードは、プレイヤー自身の才によって決まるものだという事を失念していた。

 

現実でできるのだから、この世界でもできる、と、アミタは全く自身を疑っていなかった。素人と思えない速度で疾駆され、呆気なく斬られたケイ。この時、ケイは一度アバターを消し、新たなアバターでプレイをしていたため、その一撃でHPは全損してしまった。

 

そう、ケイは、ゲームを始めたばかりのアミタに負けたのだ。あの時のアスナとユイの表情は忘れない。両目と口をまん丸く開けて呆然としていた。ちなみにアミタは、終わってすぐでは呆気に取られていたが、ケイが蘇生した途端これでもかというほど煽って来た。当然、第二ラウンド開戦。今度はケイが勝ち、何とか面目を保てたが、あの敗戦の衝撃は二度と忘れないだろう。

 

「あれもちゃんと動いてるらしい。今日のアップデートと一緒に導入されるとさ」

 

「…そうか」

 

過去の衝撃を思い返していた慶介にエギルが笑いかけながら言った。

 

旧SAOサーバーは完全に破棄された。だが、新たなALO運営者に引き渡されたアーガスのデータの中に、思いも寄らぬものが残っていた。それは────

 

「け、ケイィィィィ!助けてくれぇぇぇぇ!!」

 

巨大な城の憧憬が頭の中に浮かぶ、その直前、情けない叫び声が耳朶を打つ。きょとんと眼を丸くして振り返れば、こちらに手を伸ばすキリトと、顔を赤くして絡んでいるリズベットの姿。周りは苦笑しておりただ一人、サチだけが弱弱しくはあるが、リズベットの手を離そうとしている。

 

「あっはは!なによキリトぉ、その言い方じゃアタシが悪者みたいじゃなーい」

 

「じ、実際そうだろ。てかマジで止めてください!伸し掛かってこないでください!」

 

「り、リズ!さすがにそれ以上は駄目だよ!」

 

あちらはあちらで盛り上がっているようだ。しかし…、あのリズベットの様子、どう見ても────

 

「あいつ、酔ってんのか…?」

 

呟きながらちらりとエギルを見遣る。一瞬、エギルと目が合うと、すぐに視線を逸らされる。

 

「1%以下だから大丈夫だ。明日は休日だしな」

 

「…あいつ弱すぎ。いくら何でも」

 

首を振り、慶介は…立ち上がらなかった。助けを求めるキリトに背を向け、コーヒーを呷った。その瞬間、キリトは世界の終わりとでも言わんばかりの絶望の表情を浮かべ、二人のやり取りを見ていた周囲からは笑いが起こった。

 

ずっと笑いが絶えず、あっという間に時間が過ぎていくオフ会は、ついに次の場所へと移る─────

 

 

 

 

 

 

「っと…、んしょ…」

 

「そうそう!アミタちゃん、上手になってるよ!」

 

舞台は移り、ALOにログインしたケイ達。ケイ、アスナ、アミタの三人は集合時間よりも一時間早くログインし、アミタの飛行練習を見ていた。地上での戦闘は練習?ナニソレ?と言わんばかりの才能を見せつけたアミタだったが、その代償というべきなのか、飛行にかなり苦労していた。この一週間、何度かログインしては飛行の練習をしているが、ようやくリモコン飛行が様になってきた程度。ちなみにアスナは、アミタよりもログイン時間が長いとはいえ、自立飛行をマスターしている。

 

「不思議ですねぇ…。パパにも勝っちゃうくらい強い叔母さんが、あんなに飛べないなんて」

 

「…地上であんなに強いから飛ぶのが難しいのかもな。後ユイ、叔母さんって呼ぶのは止めてやれ。あいつ泣いちゃうから」

 

何とか旋回を成功させているアミタを見上げながら言うユイ。そんなユイを、苦笑を浮かべながらケイが窘める。

 

初めてユイと対面した時、アミタは驚愕し、そして泣いた。何故なら、ユイに純真無垢な笑みを向けられながら、「初めまして、叔母さん!」と言われたからだ。あの時のアミタの泣き様は凄かった。14歳で叔母さんと呼ばれたのだ、相当ショックを受けたのだろう。男の慶介には、理解しきれないが。

 

ケイは一度左手を振ってメインウィンドウを出して現在の時刻を見る。そしてウィンドウを閉じてから、並んで飛行する二人に向かって手を振る。

 

「おーい、そろそろ集合場所行くぞ!」

 

白ワンピース姿からピクシーの姿に変身したユイが胸ポケットの中へ入る。それを見てからケイは翅を羽ばたかせて上昇、こちらに向かってきたアスナ、アミタと集まってから、集合場所であるイグドラシルシティへと移動を始める。不安だったアミタの飛行も安定している。リモコン飛行だが。これなら、あの場所へ辿り着けるだろう。

 

以前…、オベイロンがこの世界に存在していた時までは定められていた飛行制限はもうない。このままイグドラシルシティ…いや、あの場所へ直接向かうとしよう。

 

きっと、全員同じ気持ちだろう。集合場所の地上ではなく、空中で会う事になるだろうから。

 

「ねぇ兄さん。結局これからどこへ行くの?」

 

今、三人はアミタを挟む形で並んで飛んでいる。その真ん中で飛んでいるアミタがケイに問いを投げ掛けた。今日オフ会に参加し、二次会にも参加するメンバーの中で、アミタともう一人、リーファにだけは二次会の会場がどこなのかを報せていない。

 

「着いてからのお楽しみ」

 

「…昨日は明日になってのお楽しみって言ったくせに」

 

そういえば、昨日に同じことを聞かれた時に、そう答えたっけ。

 

「どうせもうすぐ見れるんだ。今知ったら楽しみがなくなるだろ?」

 

「…はぁ」

 

溜め息吐かれた。何故に。

アミタを挟んで向こう側のアスナも、胸ポケットから顔を出しているユイも笑っているのに。…あれ、苦笑い気味?何で?

 

夜の闇を切り裂きながら、空の月の光を浴びながら進む三人の目に、無数の光の点が見えてくる。イグドラシルシティに到着だ。だが、三人は地上へ向かうことなく、それどころかその場から上昇していく。

 

言葉はない。何も言わない。しかし、三人と同じように集合場所へ向かう仲間達が、次々にその場に集い、同じ場所へ向かっていく。そしてそれは、ゆっくりと姿をその場に見せ始めていた。

 

「司。月を見ろ」

 

「え?」

 

本来、MMOの中でリアルの名前を出すのはマナー違反とされる、が、ケイはその場に停止し、アミタの腕を掴んでその場に止まらせてから月へ指を向けながら言った。

 

「月が…、欠けてく」

 

ちょうどアミタが月へと視線を向けた時、異変が目に見えて始まっていた。右上の縁が欠け始め、そのまま次第に欠ける面積は大きくなっていく。月食ではない。月食とは違い、月を覆う影は何かの形を描いていた。

 

影は遂に月全体を覆ってしまう。だが、それだけで終わらず、影は今度はこちらへ近づいてくる。

 

大きくなる影は、円錐形の物体。尚も近づいてくる物体は突然、発光した。

露わになるその姿。発光する前はよく見えなかったが、それは幾つもの層を積み重ねて作り上げられていた。船のようにも見え、家のようにも見え、島のようにも見える。

 

だがこれは城だ。当初、多くの人を魅了し、憧れさせた巨大な城。

 

「アイン…クラッド…?」

 

呆然と呟くアミタ。現実で、ケイがSAOに囚われた直後、ネットの画像で見た忌まわしく思っていたあの城。あの城が今、目の前に存在している。

 

「まだ、俺達はあの城を踏破したわけじゃない」

 

ケイが話したSAOでの出来事。その話の中にもあった。ラスボスは倒したが、アインクラッド100層を制覇したわけじゃない。

 

「まだ知らない世界があの中にはある。だから…」

 

ケイは少しアミタの前に出てから、手を差し伸べた。

 

「俺達と一緒に、見に行こう」

 

いつの間にか、ケイの後ろでは仲間達が全員集合していた。

 

相変わらずの黒づくめの格好をしたキリトが

 

青い翅を輝かせているサチが

 

まだ見ぬ世界を待ち遠しく思っているのか、興奮が隠せていないリーファが

 

頭には猫の耳、腰の陰から尻尾を揺らすシリカが

 

桃色の髪を靡かせるリズベットが

 

趣味の悪いバンダナは変わらない、燃え上がるような格好をしたクラインが

 

筋骨隆々なのは仮想世界でも同じのエギルが

 

「司ちゃん」

 

「アスナ、さん…」

 

アミタに微笑みかけ、ケイと同じように手を差し伸べるアスナが、皆がアミタを待っている。

 

アミタはリモコンから手を離すと、その両手でケイの、アスナの手を掴んだ。

 

アミタの手を引っ張り上げ、三人が先頭に立って、皆が浮遊城アインクラッドを目指す。

その後方からはユージーン、サクヤ、アリシャという種族領主たちが部下を引き連れて、シンカーとユリエールは二人で手を繋いで、レコンは一生懸命リーファに追いつこうとしていて、サーシャは慣れない飛行をしながら子供達と一緒に。

 

「兄さん」

 

「ん?何だよ」

 

引っ張られるアミタがケイを呼ぶ。飛行速度を緩めないまま振り返ると、アミタは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

 

「足、引っ張らないでよね」

 

「…こっちのセリフだこのやろ」

 

アミタのセリフに、ケイもまた同じような笑みを浮かべて返事を返した。

 

「ほらケイ君!もっとスピード上げて!」

 

「はいはい、了解しましたよ!」

 

隣で、兄妹のやり取りを微笑ましそうに見ていたアスナが声を上げ、その声にケイも応える。

 

巨大な城を目指す妖精達が、城の中へと姿を消したのは、そのすぐ後の事だった。

妖精達を中へ招き入れた城は、リンゴーン、と鐘の音を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




という事で、これで原作四巻まで内容が終わったという事になります。これからはGGO、キャリバー、ロザリオと書いていくつもりです。アリシゼーションは…、一応考えてはいるんですけどね、ロザリオの所で俺達の冒険はこれからだ!て感じで終わらせることも考えてます。

さて、じゃあここから続きもどんどん書いていこう!…とはならないんですね、はい。
少しSAOは間を置いて他の小説を書いていきたいと思ってます。はい、そこの読者様、あなたが考えている通りです。ニセコイです。ニセコイが一段落するまでこっちの筆は休ませたいと思ってます。

とはいっても、ニセコイの続き書くの難しいんですよね…。書きたいという意欲はあるのに、いざ画面を前にして、両手をキーボードに置いて…、でも手が動かない。キャラをどう動かすかは決まっているのに、その描写が書けない。自分でも意味解んねぇ…。

まあこんな状況ですので、どうしても詰まった時はこっち投稿するかもしれません。しないかもしれませんが。…何か予防線張ってるみたいで嫌だな。でも実際事実だし…。

ともかく、これにて妖精の舞踏篇は終わりです。続きも頑張って書いていきますので気長に待っていただけると嬉しいです。ではでは…

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!(さて、寝よう…。眠い…)


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銃弾の幻影
第80話 誘いの言葉


投稿する作品違くない?と思った方。






本当に申し訳ありません<(_ _)>











 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『AGI万能論なんて、単なる幻想なんですよ!いや、確かにAGIは重要なステータスです。ですがそれはもう過去の話。八ヵ月かけてAGIにガン振りしてきた皆さん、ご愁傷さまです』

 

気取った口調に良い笑顔もプライスレス。派手なブルーシルバーの長髪に、サングラスも神経を逆なでる一つの要因になるかもしれない。きっと、この映像を見ているゲームプレイヤー達は怒り狂っている事だろう。何しろまさにこの男が、AGI万能論なるものを謳っていた張本人なのだから。といっても、それは他者から聞いた話だし、第一プレイヤーではない自分には全く関係のない話だが。

 

「あんまり調子に乗らないでくれよ。達也のHPが0を下回ってマイナスになるから」

 

PCデスクに肘を突いてこの映像、ネット放送局<MMOストリーム>を閲覧していた慶介は、頭の中で血の涙を流した友人の顔を思い浮かべながら苦笑を洩らす。その友人もまた、このゼクシードのAGI万能論を信じてしまった者の一人。詳しくは本人のために伏せておくが、学校での落ち込み様は凄まじかった。教師も引くほどだったし。

 

ちなみに、この今やっているコーナーは<今週の勝ち組さん>というもので、<MMOストリーム>の中でもトップの人気を誇るコーナーの一つだ。慶介…、ALOプレイヤーケイも、何度か出演依頼をもらった事がある。全て断ったが。

 

『しかし、全VRMMOの中で最も過酷と言われる<ガンゲイル・オンライン>のトッププレイヤーだけあって、おっしゃる事が過激ですね』

 

『いやあ、<Mスト>に呼ばれるなんてひょっとしたら一生に一度でしょうし。言いたい事は全部言っちゃおうと思って』

 

「…もうやめたげてよぅ」

 

苦笑を通り越し、唇の端が引き攣る。本当に駄目だって。周りからの視線がマジで痛かったんだから。明日奈もすっ、と見捨てて行っちゃったんだから。あれより酷いことになりそう

だからマジ止めて。

 

しかし、友人から聞いただけでもいけ好かなく感じるこのゼクシードという男だが、ガンゲイル・オンライン、通称<GGO>の中でトッププレイヤーという事は、相当の腕の持ち主なのは間違いない。それも、先程司会者の女性が口にした通り、GGOは全VRMMOの中で最も過酷と言われている。その理由は、ゲームの雰囲気もそうだが、プレイヤーの中にプロが混じっているというのが主だ。実際の軍人が訓練のためにログインしたり、あるいは気分転換に大会に出場したりもするのだ。そんな中でトップを張るこの男…を倒そうと、あの馬鹿は慶介をGGOに引っ張り込もうとする。いくら何でも無茶だと言っても全く聞いてくれない。

 

仕方ないので、一度それに付き合って、慶介含めた五人でGGOにログインした事があるのだが。まあ魔法よりも断然速い弾丸が飛び交ってまあ、そのアバターのステータスが低い事もあってあっという間に死んでしまった。そして、もう二度とやらない、と再びフィールドに連れ込もうとする友人に告げてやった。…まだ諦めてくれないが。ていうか、個人の恨みに他人を巻き込まないでくれ。自分の力で頑張ってくれ。頼むから。

 

「兄さん。クッキー焼いたんだけど、食べる?」

 

そこまで考えた時、扉のノック音と共に妹、司の声がした。慶介は突いていた肘を椅子の背もたれに乗せて振り返る。

 

「あぁ、食べる。ちょっと待っててくれ」

 

慶介はブラウザを全て消してから、パソコンをシャットダウンして立ち上がる。扉を開けて部屋から出ると、まだそこには司が立っていた。

 

「今日はログインしてないんだね」

 

「あぁ。見たい番組があってな」

 

見たい番組、それが<MMOストリーム>というのは言うまでもないだろう。というのも、慶介はあまりそういった情報番組は見ていない。自分がやっているゲームの、興味を引く情報が取り扱われる場合は別だが。それが何故今日は、というのは…、まあ、察してほしい。見ておかなければうるさくなる奴がいるのだ。

 

「で、何でお前は得意げな顔してるの」

 

「ふふん、今日のクッキー焼いたのは誰でしょう?」

 

「…毒とか生成してないだろうな」

 

「どういう意味よそれ」

 

この時、慶介は知らなかった。知るべき事を、見ておかなければいけないモノを、見逃している事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬の刺すような風を、コートの襟に顔を埋めることでやり過ごしながら、規則正しく敷き詰められた石材の歩道を歩く。天気予報士曰く、明日には大きい低気圧が関東周辺を襲うらしい。この風もその影響なのだろうか、鬱陶しい。周りを歩く子供も大人も等しく、風を受けた頬を赤くしている。

 

それは慶介も同じで、駅から歩いてきた十分の間にその頬は赤に染まっている。吐く息は白い煙となって消えていき、時に吹き荒ぶ風にぶるりと体を震わせる。目の前に見える校門、その奥にある校舎が目に入り、歩む足を速めたその時、背後から駆け足の音が耳に入り直後、誰かが慶介の隣に立つ。

 

「ケイ君、おはよう」

 

慶介のペースに合わせて隣で歩きながら、微笑みを浮かべて挨拶したのは、他の人と同じように寒さで頬を赤くする明日奈だった。慶介も明日奈に視線を向けて、笑みを浮かべる。

 

「おはよう、アスナ。…顔真っ赤だな」

 

「ケイ君もでしょ?今日寒いもんねー。息も真っ白だよ」

 

「天気予報でも記録的寒波、とか言ってたからなー。…寒いから今日は学校休み、とかなればいいのに」

 

「ははは。それはないよー」

 

「んー…。雪でも降ればなー。北海道だと大雪で学校休みとかあるのに」

 

「ケイ君…。そんなに学校休みたいの…」

 

「いや、別に」

 

「さっきまでの会話は何だったの!?」

 

良いツッコみだ。これならお笑いの頂点狙えるかもしれない。そんなつもりは毛頭ないが。

もぉ~、と可愛らしく頬を膨らませる明日奈を見て、つい笑みが零れる。

 

校舎に入り、一度別れてから上履きに履き替え、合流して再び並んで歩き出す。明日奈とはクラスが違うため、とりあえず一緒にいられるのは教室の前までだ。手を振って明日奈と別の教室に入り、自分の席に腰を下ろす。鞄からタブレットや教材を出し、机の中に入れる。

 

「慶介―、ちょっと聞いてくれよー」

 

「…」

 

一息つく慶介に話しかける一人の生徒。その生徒は歩み寄ってくると、両掌を慶介の机に突いて、こちらを覗き込む。

 

「…何だよ達也。また愚痴か?」

 

「またって何だよ!…まあいつも愚痴ってるけどさ」

 

そう、この生徒こそ達也。慶介に<ガンゲイル・オンライン>で起きた事を望んでもないのに事細かく話し、時に愚痴り、さらには特段興味のないGGOからのゲストが登場した<今週の勝ち組さん>を見ろと命令してきた張本人だ。といってもその時は、慶介は途中から視聴をやめたのだが。

 

それにしても、自覚があるならいい加減、少しは自重してほしいのだが。

 

「で、何だよ」

 

「あぁ、ゼクシードの事なんだけどさ」

 

「…やっぱ愚痴か」

 

「違ぇよ!今回は!」

 

その口から出てきたゼクシードという名に、また愚痴なのか、と予想してげんなりする慶介。

だが、今回は少しいつもと様子が違う。

 

「ほら、前に話したろ?ゼクシードがMスト出演中に不自然に落ちたって」

 

「…あぁ、言ってたな」

 

どうやら話はゼクシードがMストに出演した日。一月前にまで遡るらしい。

そう、慶介は途中で視聴をやめたおかげで知らないのだが、ゼクシードが出演中、突然回線落ちしたらしいのだ。しかも、その時の様子があまりに苦しそうに見えたそうで、一部のプレイヤーは心配していたらしい。

 

「で、それがどうしたんだよ」

 

「あれからゼクシード、全くログインしてないんだ」

 

「は?」

 

「いや、それだけって顔するなよ。あのGGOが人生だ、なんて言い出しそうなゼクシードがログインしてこないんだぞ?気にならないか?」

 

気にならないか、と聞かれてもゼクシードの為人なんてほとんど知らないし。しかも、知ってることも全部人から…というより、達也からしか聞いた事だし。そんな奴がゲームにログインしてこないなんて言われても、別段気になるはずもない。

 

…とは、ならなかった。

 

「…<デス・ガン>だっけか。そいつは最近ログインしてんのか?」

 

「あぁ…。一週間前に姿を見たってプレイヤーがいる」

 

「なら探してみろよ。そして聞いてみればいいじゃんか。本当にゼクシードを殺したのか、って」

 

「お、おい!さすがにそれは怖ぇって!」

 

慶介の物言いに慌てふためく達也。しかし、慶介も冗談染みた言い方をしているが、胸の中で引っ掛かりを覚えていた。

 

思い出すのは、一か月前に達也から見せてもらったある映像。

それはGGOにある店の中で起きたものだった。店内にいるプレイヤー全員が、四面ホロパネルに映し出される男、ゼクシードを見上げていた中で起きた騒ぎ。

 

突然、ゼクシードに罵言を掛け始めた一人のプレイヤーは銃を掲げ、パネルに映るゼクシードに向けると発砲。弾丸はパネルを通過。ちょうどゼクシードの左胸の辺りを通過した。

 

その直後だった。突然、胸を抑えて苦しみだしたゼクシードが回線落ちしたのは。呆然とするプレイヤー達の前で、ゼクシードを撃ったプレイヤーは死銃、<デス・ガン>と名乗り、姿を消したという。

 

「なあ、そいつについて特徴とか、何か知ってることはないか?」

 

「おっ、何だよ慶介。この話には喰いついてくるじゃん」

 

「いや、そいつがALOに現れないとも限らないし」

 

さすがに気にならないと言ったら嘘になる。今はGGOでプレイしているようだが、もし死銃が他のゲームに手を出すようになったら。

 

「とはいってもなー、特徴って言ったって…。外見はお前も映像で見ただろ?」

 

「あぁ。てか、外見なんか参考にならんだろ。他のゲームじゃ装備が変わるわけだし」

 

「だよなぁ…。…あぁ、そういや」

 

俯いて考え込んでいた達也が、不意に顔を上げる。

 

「実はな、ゼクシードの他にもう一人、死銃に撃たれたプレイヤーがいてな。<薄塩たらこ>っていうんだけどよ。その現場を見ていたプレイヤーが言ってたんだ」

 

達也がどうしてその現場を見ていたというプレイヤーと関わりを持っているのかは問うまい。それには興味もないし、話がややこしくなるだけだ。

 

「<薄塩たらこ>を撃つ直前、死銃が言ったらしいんだ。気取った口調で、格好つけながら」

 

直後、達也が口にしたその言葉に慶介は驚愕することとなる。

そしてそれは────────

 

 

 

 

 

 

 

 

It’s show time.

 

 

 

 

 

 

 

 

慶介を新たな戦いへと誘う言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前の投稿から二か月が経ちました。






…そんなに時間かけて、この程度の話しか書けなくてごめんなさい。


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第81話 冬のある日

長い間投稿が空いてしまい本当に申し訳ありませんでした。
今日から更新を再開したいと思います。よろしくお願いします。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カーテンが開けられた大きな窓から温かな日差しが射してくる。暑い夏ならばただただ鬱陶しいだけの日差しも寒い冬には救いの手となる。とはいえもう冬。部屋の中にいるからこそ日差しの温かさを感じられるが、外に出れば冬の寒さは容赦なく身に降り注ぐだろう。

 

そんな日差しを浴びながら、慶介はリビングのソファに寝転がりながら肘掛けに雑誌を広げ、眺めていた。だが眺めるといっても、ページに向けられた視線は真剣そのものなのだが。

 

「兄さん…。何をそんなに真剣に見てるの…?」

 

そんな鬼気迫ると言っていい様子の慶介に、呆れた表情を浮かべながら声を掛ける少女がいた。慶介の妹、司である。司は慶介の頭頂部を見下ろしながら、肘掛けの上で開いている雑誌のページを目にして、溜め息を吐いた。

 

「グルメ雑誌なんか」

 

「ばっか。俺はこの雑誌を見て今日の夕飯に丁度良い料理を探してるんだ。いつも司や母さんに夕飯のメニューを考えさせるのもあれだと思ってな」

 

「メニューを考えるのじゃなく作るのを手伝おうとは考えないの?」

 

何とも痛い所を突く妹である。少し前までは…。正確に言えば3、4年くらい前までは可愛い妹だったのに。

 

(…あれ?そんな変わってない?…あれぇ?)

 

と、思っていたのだが今思い返してみればそんなに変わってない気もする。いやでもホントに小さい頃はお兄ちゃんお兄ちゃんとちょこちょこ後をついてくるような可愛い妹だったのだ。それはホントなのに。

 

一体何時からこんな兄を敬わない生意気な妹になってしまったのだろう。

 

「そんな事より兄さん。もうそろそろ準備しないでいいの?」

 

「あ?…あぁ、そうだな」

 

そんな事とは何だそんな事とは。これでも割と真剣に考えてたんだぞ。特に今開いてるページの麻婆豆腐とか。二人に作ってくれないかなぁとか。

 

とは口に出さず、時計の方を向いている司の視線を追って今の時刻を見て慶介は司がここに何しに来たのかを悟る。

 

司はそろそろ出ないと明日奈との待ち合わせの時間に間に合わないのではないか、と報せに来たのだ。決して忘れてた訳ではないが、確かに雑誌を読むのに熱中しすぎてたかもしれない。慶介は雑誌を閉じ、元にあったスタンドに戻してソファから立ち上がる。両手を組んで、一度大きく背筋を伸ばしてから司の横を通り過ぎてリビングを出ようとする。

 

「行ってらっしゃーい。頑張ってねー」

 

「何を頑張るんだよ…。ていうかお前も早く準備しないと午後練間に合わないんじゃねぇのか?」

 

「大丈夫だよー。今日は3時からだから」

 

からかうように言ってくる司に応戦するもあっさりと流されてしまう。相手に聞こえないよう小さく舌打ちしてから今度こそリビングを出て二階へと上がる。

 

SAOから帰還してからもう一年。当初は少しぎこちなかった司との関係も今ではすっかり改善された。少々妹に調子に乗ってる節はあるが…。

 

(ガツンと言いたくなる時もあるけど、こいつ現実での戦闘力やべぇからな…。いやゲームの中でもやべぇけど)

 

内心で愚痴る慶介。

そう、去年、中学一年にして全中優勝という偉業を成し遂げた司だが、あれから中学生女子を対象とした剣道大会では今の所無敗を誇っている。今年の全中優勝、その他の大会も優勝。先月だったか、和人の妹、直葉と一緒に出た女子学生を対象とした全国大会でもベスト4に入るという化物っぷりを見せた。あの大会、司と直葉以外の出場者は全員大学生だったにも拘らず、だ。

 

その日、慶介は両親、桐ケ谷家、そして明日奈と幸と一緒に二人の応援に行ったのだが、二人が勝ち上がる毎に女性組の興奮が高まるのに反して男性側のテンションは下がっていった。なんかもう、おかしいよあれは。そして司は先程も言ったが準決勝、直葉もベスト8まで勝ち残ったのを見て男性陣は思った。

 

あの子の機嫌を損ねるのは、やめよう。

 

ちなみにALOの方でも司は剣の才能を如何なく発揮している。今ではALOのトッププレイヤーの一人に慶介と共に数えられている。更にインプケイとシルフアミタは兄妹だとも広く知られてしまい、周囲から最凶兄妹と称されている。最強、ではなく最凶である。

 

何故そう呼ばれるようになったのかは、まあ…怖いモノ見たさ、好奇心で二人を狙うプレイヤーの集団は必ず全滅するからだ。一人でも逃す事なく、全滅だ。そしてたんまりと手元に入ったペナルティーをウインドウで確認しながら、兄妹は悪魔の如き高笑いを上げるのだ。

 

誇張などしていない。全て本当の事である。それらによって、ケイとアミタは二人揃ってる時も揃ってない時も目を合わせてはいけないとまで言われるようになってしまった。おかげでただ街を歩いているだけでケイ、アミタの顔を知っているプレイヤーはすぐに逃げてしまう。特に二人でいる時なんか顔を青ざめるというおまけ付きでだ。

 

これは余談なのだが、そんな兄妹は一体どちらが強いのだろうか、という疑問が流れているのだが、二人がそれを知るのはまだ少し先の事である。

 

そんな風に過去の出来事を思い返しながら部屋に戻った慶介は、タンスの中から少し考えた後、選んだ服とズボンを取り出してベッドに放る。そして今身に着けている部屋着を脱ぎ捨て、ベッドの上に放ったベージュのニットと濃い色のジーンズを身に着ける。その後、タンスを開けて中から黒のダウンジャケットを上から着る。

 

衣服の準備を終えた慶介はデスクの上から財布、スマホと家のカードキーを取り、カードキーは財布の中に入れてからスマホとそれぞれポケットの中に入れて部屋を出る。

 

再び階段を下り、今度はリビングとは逆の方向にある玄関へ。リビングからは司の笑い声が聞こえてくる。今日は父も母も仕事でいない。バイトの使用人も休みでいない。だから今、家の中には慶介と司の二人しかいない。友人と電話でもしてるのだろうか。

 

そんな事を考えながら靴を履き、ドアロックを開けて外へと出ようとしたその時だった。ポケットの中のスマホから着信音が鳴ったのは。ドアを開けようとした手の動きを止め、ポケットからスマホを取り出し、画面に映し出された発信者の名前を見て慶介は顔を顰めた。

 

無視しては駄目だろうか。…駄目なんだろうな。さすがにな。

 

と僅かな葛藤の後、スマホの通話ボタンをタップして通話を繋げる。

 

「もしもし、辻谷です」

 

『あ、ケイ君かい?僕だよ、菊岡』

 

聞こえて来たのは馴れ馴れしい男性の声。きっと電話の向こうでも、その声の主は馴れ馴れしく笑っているのだろう。と、勝手に予想する。

 

「何ですか、菊岡さん。俺、これから用事があるんですけど」

 

『あー、そうなのかい?今から銀座のあのカフェに来てほしいんだけど。ちょっと君に頼みたい事があってね』

 

「…あの、聞いてました?俺、これから、用事が、あるんですけど」

 

『聞いてたよ。でもこっちの方も急いでてね。何とかならないかな?』

 

「…」

 

何とかも糞もないんだが。まあ先約が菊岡で後から明日奈、だったらまだどうするか考える気も起きるんだろうが、先約が明日奈で後から菊岡なんて考える気も起きない。無理だ、また今度にしろ、と今すぐバッサリ切り捨ててやりたい。

 

だが菊岡の役職を考えれば、その急ぎの用とやらがそっち関係なのは簡単に予測できる。

現に以前こうやって呼び出され、バイトを頼まれた事は何度かあった。恐らく今回の呼び出しもそういう類なのだろう事は解るのだが…。

 

「…それは今すぐか?」

 

『うん。ケイ君が今すぐをお望みならそうするよ。もう一人の方も今すぐが良いって言ってるし、用事を押し切って呼び出す僕が時間を指定するのもあれだしね』

 

「?」

 

もう一人、とは誰なのか。菊岡の台詞のちょっとした一部に引っ掛かりを覚えながらも、余り時間を掛けられないためすぐにまとめに入る。

 

「じゃあ今から向かう。銀座の前と同じ店だな?」

 

『そう。ありがとね、待ってるよ。ケイ君』

 

「きも」

 

最後に一言言い残し、何か言われる前に通話を切る。こちとら恋人との約束があるのに行ってやるのだ。そのくらいの文句一言は許されるだろう。

 

さて、とりあえず今は菊岡への苛立ちは捨てて連絡を入れておかねばならない人に通話を掛ける。呼び出し音が流れている間に扉を開け、外へ出てからカードキーでロックを掛ける。明日奈が出たのはその直後だった。敷地内外を繋ぐ門に向かって歩き出しながら、通話が繋がった音がしてから口を開いた。

 

「もしもし」

 

『もしもし、ケイ君?どうしたの?』

 

「いや…。明日奈さ、もう家を出ちゃってたりする?」

 

『え?まだだけど…、どうかしたの?』

 

どうやら危惧してた事態にはなっていなかったらしい。これでもし明日奈がすでに家を出てたりしたら、最悪明日奈と一緒に菊岡に会いに行ってた所だ。

 

「悪い明日奈。菊岡のバカに呼び出された。待ち合わせの時間と場所、ずらして良いか?」

 

『き、菊岡さん?もしかして、またバイト?』

 

「いや、詳細は知らんけど。まあ多分そうなんじゃないかと思ってはいる」

 

明日奈、というより慶介の周りの友人達は慶介がそういったバイトを依頼され、熟している事を知っている。実はもう一人、慶介と同じバイトをしている人物がいるのだが、その話はまた後にしよう。

 

(ん?菊岡が言ってたもう一人って、もしかして…)

 

そこで先程菊岡が言っていたもう一人について検討がついたのだが、今その事について考えるべきではないのでその思考は一度放棄する。

 

『…それじゃあ仕方ないね。それなら、今日のデートは中止にした方がいいかな…?』

 

「あぁいや。菊岡との話もそんなに掛からないと思うし、むしろ明日奈が言うなら菊岡の方すっぽかすつもりだったんだけど」

 

『そ、それはダメだよ。菊岡さんだってケイ君に大事なお話あるんだろうし』

 

電話の向こうで明日奈が苦笑いしてる気がする。声の調子で解る。

何故に。明日奈と菊岡。慶介にとって優先順位が高いのはどちらか、言うまでもないのだが。

 

「とにかく今から銀座に行って、菊岡と話してまた待ち合わせ…となると、3時、かな。3時に…」

 

今から家を出て、銀座に着くまでの時間と菊岡との話に掛かる時間等を考慮して、3時に待ち合わせ時間を変更までは決められた。ただ、どこに待ち合わせ場所を充てればいいか。明日奈の家の門限が6時までと考えれば余り長い時間はいられない。

 

今日は約束取り消しというのは論外。親族絡みの用事ならばともかく、あんなののせいで明日奈との約束をふいに等できないし、したくもない。

 

レジャーな施設は駄目だ。先程も言ったが、明日奈と過ごせる時間は短い。もっと、こう落ち着いて散歩ができる公園なんて良いのだが…。

 

「…六本木駅前の乙女像で良いか?」

 

『うん、了解』

 

待ち合わせ時間、場所を決めて一言二言交わしてから通話を切る。

本当に明日奈の優しさには頭が上がらない。こうやって菊岡のせいで約束が違える、というのは今回が初めてだが、菊岡との約束のせいで明日奈と遊びに行けない、という事態になった事は何度かある。その度に明日奈は笑って許してくれるのだが、その度に慶介は胸を締め付けられるような思いに襲われる。

 

「…菊岡に土下座でもさせてやろうか。そんでその動画を撮影してやろうか」

 

そうすれば少しは溜飲は下がるだろう。別に本気でやるつもりはないが。

 

…本当だ。本気でそう言った訳ではない。本当だよ?

 

とにかくまた明日奈のやさしさに甘える事になってしまった。今日、詫びを兼ねて明日奈にお返しをしてやりたい。せめて、今日行く場所から見れるもので少しでも楽しんでくれれば良いのだが。そんな風に思いながら、慶介はスマホを操作して門を開け、再びスマホを操作し門を閉じてから、駅へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第82話 三者会議

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マダムとムッシュの中に混じり、慶介は明らかに周りから浮いた服装で通りを歩く。こういった視線にも雰囲気にも慣れている。慶介もまた、彼等がいる世界の中で生きているのだから。

 

何ら怯んだ様子もなく堂々と歩く慶介は、高級そうな雰囲気をぷんぷん醸し出すカフェの扉を開き、中へと入った。そのカフェは以前、ALOに囚われた明日奈の情報を菊岡から貰った時に来た店だ。この店に来たのはその時以来で、相変わらず優雅なマダム達がお茶を楽しんでいる様子に少し辟易する。

 

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

 

「いえ、待ち合わせです」

 

店内に入って来た慶介にウェイターの一人が慇懃に頭を下げながら声を掛けて来る。

それに対して視線も向けず、掌だけを向けて店内を見回す。そして、店の端にある四人用のボックス席にいた眼鏡の男と視線が合った。

 

「おーい、ケイ君!」

 

「…」

 

無遠慮に大声を出す男に、マダム達の非難の視線が一斉に注がれる。その男の視線の先にいる慶介にも同じく。完全なとばっちりである。

 

一つ、溜め息を吐いてから慶介はマダム達の視線を受けながら、そして慶介に声を掛けた眼鏡の男、菊岡ともう一人、すでに来ていた先客が座っていた席へと近づく。

 

「よぉ、キリト」

 

「あぁ。…ケイも呼ばれてたんだな」

 

古ぼけたレザーブルゾンにダメージジーンズ、黒づくめの格好をした少年キリト。本名桐ケ谷和人と挨拶を交わしてから、慶介はその和人の隣に腰を下ろす。

 

「いきなり呼び出して悪かったね。ケイ君も、好きなだけ注文していいからね」

 

「当たり前だ。…これとこれとこれ。後、エスプレッソを」

 

お冷とおしぼりを届けに来たウェイターに、メニュー表を見せながら品を注文する。

 

「…なんだ?」

 

「いや…。何か慣れてるな~、と」

 

「あぁ。まあ前に来た事あるからな」

 

注文の最中、隣の和人がじっ、とこちらを見ていたため何事かと問いかけてみれば、なるほど。確かに和人と同じく周りから浮いた格好で、こういった雰囲気とは掛け離れてそうな自分がこんな平然としてれば気にもなるか。

 

まだ和人達には父がどういった仕事をしているのかというのを話していない。別に話す必要はないし、聞かれた事もないから放っている。決して話す事に抵抗がある訳ではなく、今ここでその事について話しても良いが、本題から逸れそうなので適当にはぐらかす事にする。

 

「慶介君のお父さんはね、まあ所謂お偉いさんという奴でね。警察の刑事部長をやってるんだ」

 

「は?」

 

「…おい」

 

そう、思っていたのに。この男はあっさりと慶介の決断を踏み躙る。まあそんな大げさな事ではないのだが。

 

「警察組織の中では未来の警察庁本部長だったり未来の警視総監だったり、色々言われる程優秀らしいよ」

 

「…お前、お坊ちゃんだったのか」

 

「ぶっ飛ばすぞ」

 

菊岡の説明を聞いていた和人が目を見開き驚いた様子でポツリと口にした言葉に即座にツッコミを入れる。いや確かにお坊ちゃんなのだが、いざそう言われるとイラッと来るのは何故なのだろう。

 

だがそれにしても、確かに菊岡の言う通り父は組織上層部の期待をかなり寄せられてるのだが、何故その事を詳しく菊岡が知っているのか。

 

「ていうか菊岡。随分と詳しいじゃねぇか」

 

「まあ、SAO事件でちょっと関わりがあってね。それよりも、君達をここに呼んだ本題に入るけど…」

 

ちょっと突いてみたが、あっさりと流されてしまう。確かにSAO事件で父と関わるのは自然な流れにも思えるが、慶介は以前、父の前で菊岡の名前を出した時の様子を思い出す。

 

あの時、父は苛立ちというか、不安というか、そんな感情が混じった複雑な表情を浮かべていた。父と菊岡、何らかの因縁があると慶介は睨んでいるのだが、父も菊岡もその事についてまるで尻尾を出さない。

 

「いやあ、またバーチャルスペース関連の犯罪が増えてきてねぇ…」

 

「へぇ。具体的には?」

 

「先月だけで仮想財産の盗難が百件以上。咥えて現実世界における傷害十三件、内一件は傷害致死。まあ、これでも日本全国の傷害事件数から見たら微々たるものなんだけどね。だけど今はVR関連の事件に世間は敏感だから」

 

タブレットを操作しながらどこかうんざりした様子で言う菊岡は、さらに続ける。

 

「中にはこういう人もいる。『ゲームの中で気持ち良かった殺し方を、現実でも試したかった』…だって。ホント、ゲームってどうしてPKなんて有効にしてるんだろうね?」

 

菊岡はそう言うと、タブレットを操作する手を止めて慶介と和人と交互に視線を合わせた。

 

「んなもん、売れるからに決まってんだろ」

 

「「…」」

 

そして、何を当たり前の事をと言わんばかりにそう即答した慶介に、和人と菊岡の視線が集まった。

 

「…え、俺、何か変な事言った?」

 

「あ、いや…。そういう訳じゃない、けど…」

 

何故こんな視線を浴びてるのかと疑問符を浮かべる慶介。そんな慶介に問われ、苦笑する和人。そして目を丸くして慶介を見続ける菊岡。

 

「…慶介君。それはどういう意味だい?」

 

「どういう意味も糞もないだろ。PKを入れた方がプレイヤーの競争心を煽れる。プレイヤーは他プレイヤーとの競争にのめり込む。PKがないゲームにも楽しい物はあるけど、どっちの方が人気が出るかは明らかだろ」

 

勿論、他の仲間と一緒に敵に立ち向かう。そんな風に楽しめるゲームはたくさんあるし、今でも愛されている。だが、他プレイヤーと争い、勝ち、負け、喜び、悔しがり、そんなゲームの方がプレイヤーは断然のめり込んでいく。

 

MMORPGという物は奪い合い。慶介と和人はそう思っている。エンディングのないゲームに向かうプレイヤーの原動力は、他プレイヤーよりも上に立ちたいという優越感への渇望なのだ。

 

「ゲームは努力すればするほど結果に現れる。でも現実ではそうじゃない。努力したって結果に現れるとは限らない。…ゲームでなら、簡単に《強さ》を手に入れられる」

 

「強さ、ね…」

 

語りながら、何でこんな話になったのだろう、とふと思う。会話を頭の中で遡れば、やはり菊岡が元凶ではないか。本当に何故、菊岡はこんな所に自分と和人を呼び出したのか。

 

「お待たせしました」

 

「あぁ、ありがとう」

 

会話が一旦途切れた所で、慶介が注文した品物が届いた。ウェイターが慶介の眼前に空いたスペースにチーズケーキ、シュークリーム、マドレーヌとエスプレッソを置いていく。

 

ウェイターがプレートの上から全ての品物を移し、去って行った直後に慶介はフォークを手に、チーズケーキを口に運ぶ。…うん、美味い。正直この店の中に満ちる高級感は気に入らないがやはり出す品の味はそれに見合ったものだ。味だけは気に入っている。

 

「キリト君はどうだい?ケイ君の話を聞いてて、どう思う?」

 

「…ケイは大分バッサリ言い捨てたけど、まあその通りだとは思う。俺だって、やっぱりゲームしてたら他の人より上に行きたいって思うし、《強さ》だって欲しいって思う。現実で筋トレするよりゲームでレベル上げする方が断然楽しいしな。まあ、ゲームでどんだけ強くたって現実では何にもないけど」

 

「…逆は然りなのにな」

 

「…」

 

菊岡は今度は和人に問いを向け、和人がその問いに答える。

そして和人が答え終わった直後、ぽつりと口から出た慶介の呟きは隣の和人、正面の菊岡の耳に届いており…、二人は揃って苦笑いを浮かべた。

 

慶介の一言。

その一言に当てはまる人物が誰なのか。今は言うまい。

 

「でも、君達が言うゲームでの《強さ》。それは本当に、ゲームだけの…心理的なものだけなのだろうかね?」

 

「…」

 

「どういう意味だ?」

 

苦笑していた菊岡の表情が突然、険しいものへと変わる。すると菊岡はそのままそんな事を口にした。慶介は口の中のチーズケーキを咀嚼しながら菊岡に視線を向け、和人は簡潔にそう聞き返した。

 

「ゲームの中の自分を鍛えている内に、実際に何らかのフィジカルな影響を現実の肉体に及ぼす。…それは絶対にあり得ない事なのか」

 

何をふざけた事を、と菊岡の科白を聞いた直後、即座にそう言い返そうとした慶介だったが、菊岡の表情は真剣そのものだ。断じてふざけて言っている訳ではない。

 

「…じゃあアンタは、例えばALOでのソードスキルが現実で使えるようになるかもしれない。そう言いたいのか?」

 

「そこまでは…と言いたい所だけど、まあバッサリ言っちゃえばそういう事だね。ゲームの中で上げた筋力が現実に影響し、つい昨日まで持てなかったバーベルが次の日にいきなり持てるようになる、とか」

 

「ハッ。もしそれが本当だったら、世界中の人間が毎日ゲームに潜りたいだろうよ」

 

「だけど、フルダイブ機器が神経系に及ぼす影響についてはまだ研究が始まったばかりだからな…。基本的には寝たきりなんだから、基礎体力は落ちるだろうけど、火事場の馬鹿力的な瞬間出力となるとどうなるか…」

 

「今日の本題はそこなんだ。…これを見てくれ」

 

菊岡はタブレットを慶介達に差し出した。慶介と和人は一度目を見合わせてから、和人がタブレットを受け取り、慶介にも見える位置にタブレットを置いた。

 

液晶画面に映し出されているのは見知らぬ男の顔写真。そしてその男のものであろう、住所等のプロフィール。伸ばしっぱなしの清潔感がまるでない長髪と、銀縁の眼鏡、頬と首にはかなり脂肪がついていた。

 

「…誰だ?」

 

「…アンタが言った、最近増え気味のバーチャル関連の事件の犯人、とか?」

 

「惜しいねケイ君。良い所を突いてるけど、逆さ」

 

「逆?」

 

逆、とは、つまり…。とそこまで考えた時、菊岡は慶介と和人が覗いていたタブレットを取り返し、指を画面に走らせた。

 

「先月、十一月十四日。東京都中野区某のアパートで掃除をしていた大家が異臭に気が付いた。発生源と思われる部屋のインターホンを押しても反応がない。電話にも出ない、だが部屋の電気は付いている。妙に感じた大家は警察に通報。警察と一緒に電子ロックを解錠し部屋に入った所、この男…茂村保二十六歳の遺体を発見した。遺体は死後五日が経っており、ベッドに横になっていた。そして頭に…」

 

「アミュスフィア、か」

 

和人の一言に頷いてから、菊岡は軽く頷いてから続ける。

 

「部屋は散らかっていたが荒らされた様子はなく、事件性はないと判断された。変死という事で司法解剖が行われ、死因は急性心不全という事になっている」

 

「心不全、ね。原因は?」

 

「解らない」

 

「「は?」」

 

一度言葉を切った菊岡に問いかけると、思わぬ答えが返って来た。そのせいで、二人の呆けた声が重なった。

 

「さっきも言ったけど、死後五日が経っていて、その上事件性が薄かった事もあってあまり精密な解剖は行われなかったらしい。ただ、彼はほぼ二日にわたって食事もとらずログインしっ放しだった様だ」

 

「良くある話だな」

 

そう言って、慶介は再び集中をチーズケーキに向ける。

その手の話は珍しくはない。特にVRでは現実世界で何も食べなくとも、仮想世界で食事をすれば数時間にわたって満腹感を味わえる。トッププレイヤー、もっと言えば廃人と呼ばれる人達はひどければ二日に一度しか食事を取らないという人もいるという。ただ、仮想世界で食事をしても当然栄養は全く取れないため、何時の間にか栄養失調、そのまま心臓発作、というのは少なくない。

 

そのせいか、こういった例が出始めた頃はかなり世間の注目を浴びていた。ゲームをし続け変死、という事実を家族は隠し、ニュースには流れないのだがどこからか漏れた話が噂となり、周囲に広がっていく。だが、今となっては良くある話だ、の一言で終わるようになってしまった。

 

「それで?この事件に何があるんだ。その何かに俺達を呼び出した理由があるんだろ?」

 

和人が菊岡に問う。その間に慶介はチーズケーキを食べ進め、最後の一口を口に入れてから、今度はシュークリームが載った皿を手元に置き、菊岡に視線を向けた。

 

「この茂村君のアミュスフィアには一タイトルしかインストールされてなくてね。《ガンゲイル・オンライン》…知ってるかい?」

 

「あぁ。日本で唯一プロがいるゲームとして有名だからな」

 

ガンゲイル・オンライン。その名を聞いた瞬間、慶介はどきりと心臓の鼓動が一瞬、激しくなったのを感じた。思い出されるあの一言。友人の口から出てきたにも関わらず、慶介の耳には全く別の声に聞こえたあの言葉。

 

あれから友人はあの謎のプレイヤーについて更に話すようになった。やれ有名な、プロではないかと噂されたプレイヤーを倒したやら、また一人謎のログアウトをしたプレイヤーが出たやら。

 

まさか―――――――

 

「おい、ケイっ」

 

「っ…、あ…、なに…?」

 

「なに、じゃないだろ。お前、すげぇ顔してるぞ」

 

和人にそう言われたところで、慶介はようやく背筋を奔る寒気と蟀谷から流れる汗を自覚した。

 

何とか心臓を落ち着かせようと試みるも、その意は何の意味もなさず。仕方なく慶介は時間に任せる事にし、一度小さく息を吐いてから視線を上げた。

 

「別に何でもねぇよ。菊岡、続きを話せ」

 

「…本当に大丈夫かい?」

 

「何でもねぇって。こっちも予定があんだから早くしろ」

 

これ以上話しているとボロが出そうに思えた。だからとにかく菊岡に続きを急かす。

菊岡は少しの間、未だ顔が青いままの慶介を眺めてから口を開いた。

 

「彼は<ガンゲイル・オンライン>、略称GGOの中では指折りのトッププレイヤーとして名を馳せていたらしい。まあ、余り周りのプレイヤーからの評判は良くなかったらしいが…。十月に行われた最強者決定イベントで優勝している所を見ると、実力は確かなようだ」

 

「評判が悪いって…。そりゃトッププレイヤーは嫉妬を買いやすいからな」

 

「いや、そうじゃない。彼は言葉巧みに他のプレイヤーに流行をミスリードさせ、それを利用して上手く立ち回っていたそうだ」

 

「うわ…」

 

「…」

 

その茂村という男がGGO内でやっていた所業を聞き、和人が引いている中、慶介は先程以上に気が気でない状態だった。

 

どこかで聞いた事がある話だ。それも最近、身近で。友人があるプレイヤーの言葉を信じ、騙され、怒り狂っていた話。確か、そのプレイヤーの名前は――――――

 

「キャラクター名は、()()()()()

 

「っ」

 

息を呑んだ。友人の怒りの矛先であり、そして謎の失踪を遂げていた男の名が菊岡の口から飛び出てきた。

 

「じゃあ、死んだ時もGGOにログインしていたのか?」

 

「いや、どうもそうではないらしい。《MMOストリーム》というネット番組にゼクシードの再現アバターで出演中だった様だ」

 

「あー、《今週の勝ち組さん》か。そういや一度、放送中に出演者が落ちて番組が中断したって聞いた事があるけど…」

 

心臓の鼓動が更にうるさく、激しくなる。

 

まさか、そんな馬鹿な。そう叫びたい衝動を必死に抑える。

 

じゃあ、何だ。あのゼクシードはあの謎のプレイヤーに撃たれ、死んだとでもいうのか。

 

心の底から湧いてくる疑惑を否定し続けるも、それを嘲笑うかのように菊岡はゼクシードが落ちる直前にゲーム内のとある酒場で起こった出来事について。その出来事の直後ゼクシードは強制ログアウトを起こし、そしてアミュスフィアのログから通信が途絶えた時刻と死亡推定時刻がほぼ一致していると菊岡が説明する。

 

それだけではなく、菊岡は更にもう一件、同じ類の変死、そしてゲーム内での出来事があったと説明した。

 

「…その二人を銃撃した犯人は、同一人物なのか?」

 

「そう考えていいだろうね。裁き、力、といった言葉の後にゼクシードの時と同じキャラクターネームを名乗ってる」

 

「…どんな…?」

 

和人が強張った声で菊岡に尋ねる。その犯人が名乗った、名前を。

 

菊岡は口を開き、そして、

 

「《死銃(デス・ガン)》」

 

「え…」

 

菊岡が声を発する前に、慶介がその名を口にした。

 

「…違ったか?」

 

「いや、合ってるけど…。ケイ君、知ってるのかい?死銃を」

 

「勿論、その死銃さんが誰か、までは知らねぇよ。けど、友達にGGOに嵌ってる奴がいてな。そいつから話は聞いてる」

 

嘘ではないが、真実でもないその文を言い切ってから、カラカラに乾いた口内にエスプレッソを流し込む。すっかり温くなってしまったコーヒーは何とも言えない微妙な味がする。

 

「…それで?菊岡さん、その二人の死と死銃の銃撃は()()()()()だと思うけど。そろそろ本題に入ってくれないか?」

 

カップを置き、シュークリームを食べ始めた慶介を余所に、和人が冷たい目を菊岡に向けながらそう問いかけた。

 

確かにここまで長い話を聞かされてきたが、本題と思われる話は未だに聞いていない。

時間も限られているのだから、いい加減その本題とやらを話してほしいのだが。

 

…まあ、大体予想は付くが。

 

「…うん。じゃあ、本当の本題の本題の話になるけど…」

 

菊岡は頷いてから、にっこりと笑みを浮かべて―――――――

 

「二人にガンゲイル・オンラインにログインして、この死銃なる男と接触してほしいんだ」

 

ほぼ慶介の予想通りの言葉を口にした。

 

「接触、ねぇ…。ハッキリ言ったらどうだ。死銃に撃たれて来いって」

 

「…てへっ」

 

「やだよ!何かあったらどうすんだよ!そんなに死銃について知りたいならアンタが行って来い!そんで撃たれろ!」

 

「さっきは偶然の一致だって言ったじゃないか!待ってくれよキリト君!」

 

立ち上がり、通路に出ようとして、しかし慶介が座っているせいで動けない和人を何とか落ち着かせようとする菊岡。

 

「この死銃氏はターゲットにかなり厳密なこだわりがあるようなんだ」

 

「こだわり?」

 

行き場を失くし、やむなく腰を下ろした和人。そして和人がとりあえず話を聞く姿勢を見せたのを見た菊岡は続ける。

 

「ゲーム内で撃ったゼクシード、薄塩たらこはどちらも名の通ったトッププレイヤーだった。つまり、強くないと撃ってくれないんだよ。そこで二人を呼んだ訳さ」

 

「…どういう意味だ」

 

「かの茅場氏が最強と認めたケイ君。そしてそのケイ君と互角に渡り合えるキリト君。君達二人なら…」

 

「無理だ!GGOってのはそんな甘いゲームじゃないんだ。プロがうようよいるんだぞ」

 

「それだ。そのプロってのはどういう意味なんだい?」

 

「…言葉通りの意味だ」

 

和人が説明を始める。

 

ガンゲイル・オンラインは全VRMMOの中で唯一、()()()()()()()()()()()()()()を採用しているゲームだ。つまり、ゲーム内での金を現実の金としてペイバックできるのだ。まあ現金ではなく、電子マネーなのだが、それでも今の時代、電子マネーで買えない物はほぼないに等しい。

 

そんなシステムを採用しているのだ、GGOにはかなり多くのプレイヤーが集まりしのぎを削っている。その競争レベルの高さは全MMOの中でトップと言われるほどだ。和人が言ったプロというのは、そんな世界の中でも毎月コンスタントに稼ぐプレイヤー達の事。

 

「大体、あの世界のメイン武器は銃だ。飛び道具だ。俺達の専門外だ。他を当たってくれ」

 

「アテなんて君達以外にないんだよ。僕にとっては君達が唯一と言っていい現実で連絡を取れるプレイヤーなんだから」

 

一応、菊岡もALOをプレイしてそれなりの数のプレイヤーと交流が出来ている筈なのだが。

 

「それに相手がプロというのなら、君達も仕事という事にすればいいじゃないか?」

 

「は?」

 

「GGOのトッププレイヤー月に稼ぐ額と同じ額を報酬として支払おう」

 

言いながら、菊岡は三本指を立てる。

チラリと横目で和人の様子を見てみれば、かなりぐらついているようだ。

それもそうだ。菊岡はGGOのトッププレイヤーの月収と同じ額と言った。

 

つまり、三×十万。

 

「…解らないな。何でそこまでこの件に拘る?ただのありがちなオカルトな噂だろう?」

 

「実はね…。上の方がちょっと、この件を気にしてるんだ。ケイ君のお父様も、この件を担当していると聞いてるよ」

 

「…」

 

話を聞きながらもシュークリームを食べる手を止めない慶介。

そうして最後の一口を飲み込んでから、慶介は視線を向けてくる菊岡を見返す。

 

「別に父さんの事で俺を揺さぶらなくてもいいぞ。それとは関係なく、依頼は受けるつもりだから」

 

「なっ…」

 

隣で和人が絶句したのが、微かに届いた声で解った。

 

「おいケイ、本気か?俺以上にGGOに詳しいお前なら、どれだけ無謀か…」

 

「そんなの行ってみなきゃ解んねぇだろ」

 

嘘だ。一度友人に強制され、GGOにログインした事がある慶介は、あの世界の過酷さをこれでもかと思い知らされた。ALOのアバターをコンバートし、尚且つ一対一でならば何とかまだやれたのではと思うが、それでももう二度とやらない、と慶介に思わせるには十分すぎた。

 

だが今、そうは言ってられない。もし死銃が本当にあの人物なら、あの時仕留め損ねた自分が行かなければならない。

 

「…俺も行く」

 

「は?」

 

決意を新たに固め直した慶介の隣で、和人がポツリと一言。

 

「ここで俺は行かない、なんて言えないだろ。友達一人見捨てた感じで」

 

「いや、だけど…」

 

「うるさい。もう決めた。行く」

 

「…」

 

何も言えない。もう完全に覚悟を決めた顔だ。こうなった和人は梃子でも動かないだろう。

 

「依頼受諾、という事でいいのかな?」

 

「あぁ」

 

「…」

 

和人を巻き込むつもりはなかったのだが、こうなったら仕方ない。それに一人で乗り込むのも正直心細かったのが本音だ。

 

だが、GGOにログインする前にまず、これだけは話しておかなければならない。

 

「キリト、菊岡。…これは俺の勝手な想像で憶測に過ぎない」

 

「…何だよケイ、いきなり」

 

「ただ、可能性はある。…俺は、死銃の正体に心当たりがある」

 

「なっ!?」

 

「…ケイ君。それは本当かい?」

 

先程以上に絶句する和人。そして目を細めながら聞き返してくる菊岡に慶介は頷いた。

 

「友人から聞いた。死銃が薄塩たらこを撃った直後、口走った言葉があったらしい」

 

「言葉…。それは力、裁きといった単語以外でかい?」

 

「あぁ。そいつは、こう言ったそうだ。『It’s show time.』」

 

「…ケイ、まさか」

 

これはケイとキリトにとって、決して浅くない因縁の言葉。

 

「死銃は、ラフィン・コフィンの生き残りの可能性がある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第83話 二人の憩い

お久し振りです。
こっちの方も更新再開します。







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋から冬へと移り、肌を刺すような寒さが続く季節。しかし、ここ最近の冷え込みとは打って変わって、今日は心地好い日差しが降り注ぎ、過ごしやすい気温になっていた。

 

空も雲ひとつない青空となり、その下。六本木駅付近にある乙女像の前で、明日奈は慶介を待っていた。

 

周りには明日奈と同じように待ち合わせと思われる人達が多くおり、さらにその周りでは日曜日午後の雑踏が。雑踏を眺めていた明日奈は、不意に左手首の腕時計の文字盤に視線を下ろした。

 

二〇二五年十二月七日 二時五二分 日曜日

 

現在の日付と時刻だ。まだ約束の三時まで十分近くあるな、と考えた所で、明日奈はもう一度日付を見直した。

 

十二月七日

 

──────そっか…、もう一年経つんだ。

 

別に何かの記念日とかそういう訳ではない。ただ去年の今日、SAOがクリアされたのだとふと気付いた、それだけだ。ただ、思い出した瞬間、あの世界での日々を思い出し、どこか懐かしく思えてしまう。仮想の世界で過ごした、本物の日々を──────

 

「おーい?アスナさーん?」

 

「っ!うわぁ!?」

 

いつの間にか心ここにあらずな状態になっていたらしい。慶介が眼前まで来ていた事にも気が付かないとは。

 

慶介が手を振りながら明日奈の顔を覗き込んでようやく気付き、そして驚いて大声を上げてしまう。そして慶介はそんな明日奈の様子を見て、にこりと微笑みを浮かべるのだった。

 

「やっと気付いたか。どうしたんだよ、珍しくボーッとして?」

 

右手を腰に当てながらそう問いかけてくる慶介は、明日奈が気付くまで無視され続けていたという事には全く気にした様子はない。ただ、それでも明日奈が慶介を無視し続けていたという事実は変わらない。

 

「ご、ごめんなさい!えっと…何か話してた…?」

 

「いや?まあアスナって何度か呼んだけどさ」

 

「…ごめんね、気付かなかった」

 

「いや、もういいから。でもどうしたんだよ。何かあったのか?」

 

慶介が再び問いかけてくる。

 

「…ううん、別に何かに悩んでるとかそういうのじゃないよ?ただ…」

 

「ただ?」

 

「今日で一年だなって」

 

「…あぁ」

 

明日奈の簡潔な返答に、慶介も去年の今日が何の日か思い出したようだ。慶介の目が細まり、瞳に何かを懐かしむ色が浮かぶ。

 

「そうか。もう一年か」

 

「うん」

 

「…早いな」

 

「…うん」

 

慶介の言う通り、あの日から今日まで、特に自分が現実に戻ってきてから過ぎた日々はとても早く感じた。SAOに飛び込む前にはいなかった友人が、恋人が傍にいた日々は駆けるように過ぎていった。

 

毎日が楽しくて、満たされて、あっという間に過ぎた時はいつの間にか一年を刻んでいたのだ。

 

「そういえばさ。今日のアスナの服装、何か思い出すよな」

 

「え?なにが…、あ」

 

不意に慶介に言葉を掛けられた明日奈は、自分の服装を見下ろして、慶介が言いたい事を悟った。

 

アイボリーのニットと赤いアーガイル・チェックのスカート。その上に白いコートを身に付けている。意図した訳ではないのだが、今日の明日奈の服装はかつての血盟騎士団の制服の色合いと重なっていた。

 

「そうだね…、レイピアはないけど…。そういうケイ君は…、何も重ならないね」

 

自分がそうなら慶介も、と改めて彼の服装に目を向けるも、アインクラッドでのケイの服装とは掛け離れていて、ほんの少し気持ちが落ち込んでしまう。

 

「あー、何かすまん…。でも紺一色って、ちょっとどうなんだ?」

 

「あ、別に期待してた訳じゃないよ?だから謝らなくていいの!」

 

苦笑しながら謝ってくる慶介を慌てて留める。いや、期待してしまったのは事実だが、だからといって別に今日はあの頃カラーの服装で会おうとか約束した訳でもあるまいし、慶介が謝らなければならない事なんて何もない。

 

というか、実際アインクラッドで紺一色の格好で外出てた人が何を言ってるのやら。

 

「それより、いつまでも話してないでそろそろ行こ?時間が無くなっちゃう!」

 

「ん…、それもそうだな」

 

気づけばもう十五分はその場で話していたらしい。腕時計を見下ろせば、待ち合わせ時間をとうに過ぎていた。慶介も同じく腕時計で時刻を確認してから、頷いて明日奈に手を差し出した。明日奈はその手をとり、どちらからともなく足を踏み出し歩き出した。

 

歩きながら慶介と話したのはとりとめもない日常について。この一週間に起きた面白い出来事や、驚いた出来事。二人の前で起きた事について改めて話したり、それぞれで見た互いが知らない事についてだったり。ALOで底無し沼の上にドロップしたレアアイテム欲しさに、沼に足を踏み入れたキリトを助けるために苦労した話や、リズベットが請け負った大量の依頼を手伝うために、素材を集めに各地を回った話。それと、他の人には内緒にしてほしいと前置きしてから、司がしつこく告白してきた先輩を徹底的に一刀両断した、という話を慶介がした。その先輩というのは元サッカー部のエースで成績も優秀、周りの女子からの評価も高かったらしい、ただ司曰く、「何であの人がモテてるのか解らない」との事。

 

「司が愚痴ってたよ。もう少しで卒業って事で、告白してくる先輩が増えたって」

 

「司ちゃん可愛いもんねー。好きな人とかいないのかな?」

 

「さあなー。…もしいるのなら家に連れてこいって言っとかなきゃな」

 

「ケイ君…」

 

これはこの一年で知った事だが、慶介はかなり妹好き、所謂シスコンだ。そして司もまたかなりのブラコンである。見てて危なく感じるほどではないのだが、こうして互いが互いについて話しているのを聞いてると、つい苦笑いが浮かんでくるほどだ。

 

ちなみに慶介と司の父である健一もまた、かなり司を溺愛している。恐らく、司に彼氏ができたと聞けば家に連れてこいと司に命じ、そして慶介と一緒に司の彼氏と三者面談するんだろうなと簡単には想像できるくらいには。

 

「アスナ、今何か言ったか?」

 

「っ、ううん!何でもないよ?」

 

無意識に声に出ていたらしい。首を傾げている慶介にはききとれなかったようだが、危うく聞かれていた所だった。まあ別に聞かれてたとしてもどうという事でもないのだが。

 

さて、話している内に二人も今日の目的地であるデパートに着き、中へと入っていく。これまで何度も二人で出掛けてきたが、あまりこういった賑やかな場所は行かなかったし、ショッピングも二人ではほとんどした事がなかった。明日奈自身、静かな場所で慶介と二人でゆったり過ごすというのも好きなのだが、やはり明日奈も女の子だ。好きな人に自分に似合う服を選んでもらったり、何かペアの装飾品を買って一緒に身に付けたりといった事には憧れる。

 

「…あと一時間くらいか」

 

「え?何が?」

 

「ああいや、ちょっと行きたい所があってな。丁度良い時間まであと一時間くらいなんだけど…」

 

「へぇ…。珍しいね?ケイくんが進んでどこかに行きたがるなんて」

 

時計を気にする慶介にどうしたか聞くと、行きたい場所があるという。それが少々意外で、明日奈は目を丸くする。

 

こうしたデパートでデートする場合、大抵慶介は明日奈の行きたい場所についていく。たまに何か買いたい物がある時は例外なのだが、こうして()()()()()()()()なんて言ったのは初めてじゃないだろうか。

 

「どこに行くの?」

 

「あーいや、まだ行くには早いし…、それは着くまで秘密って事で。まあ、明日奈が喜んでくれるかは解んないけどな」

 

慶介が言っているのは何処なのか、聞いてみるが慶介は曖昧に笑ってはぐらかした。そんな慶介の顔を見た明日奈は、ふっ、と微笑みながら立ち止まり、明日奈につられて立ち止まった慶介の方へと体を向け、両手を後ろ手に組みながら、不安げな慶介の顔を見上げる。

 

「私は、ケイくんと一緒ならどこにいても幸せだよ?」

 

そう口にすれば、慶介の動きが一瞬固まり、呆気にとられた顔でこちらを向いた。その様子が可笑しくて、つい笑みを吹き出してしまう。

 

「…それなら良かった。なら遠慮なく連れてかせてもらうわ。後で文句言っても受け付けないからな」

 

「はーい」

 

前を向いて、歩き出しながらぶっきらぼうに言う慶介におどけた様子で伸ばした返事を返す明日奈。言い方は冷たいが、明日奈に気にした様子はない。何故なら、前を向いた慶介の横顔は、僅かに赤く染まっていたのだから。

 

 

 

 

 

 

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

 

 

 

 

 

 

そうしてショッピングを初めて一時間。その間、明日奈の服を二人で選んだり、駅前での話を思い出して、試しに紺一色のコーデを考えてみようと服屋を回ったり。久しぶりに人が多く出入りする場所でのデートは楽しく、恙無く進んでいた。

 

ちなみに、紺一色は案外いけるという結論に至った。次のデートは慶介も一緒にあの頃カラーで歩こうと約束した。そのための服とズボンも購入済みで、それらが入った袋が慶介の手に握られている。

 

「じゃあ、そろそろ行くか」

 

慶介がそう言ったのは、その紺のコーディネートを考え、購入して店を出た時の事だった。そこで明日奈はもう一時間経ったのかと自覚した。

 

いつもそうだ。慶介と二人でいる時は、どんな瞬間よりも時が流れるのが速い。勿論それは明日奈の感覚での話だし、実際に時の流れが速くなるなどあり得ないのだが。それでも、いつも慶介とのデートの終わりや、もうすぐ別れる時になるとその度に名残惜しさを感じてしまう。

 

「アスナ」

 

「あ…、ケイくん?」

 

すると、慶介が持っていた袋を持ち替えて、明日奈の手を握った。まるで、自分が何を思っているのか、見透かされたかのようなタイミング。視線を上げ、慶介の顔を見て。

 

事実、見透かされているのだと悟った。

 

「…行こ?」

 

「あぁ」

 

手を繋いだまま歩き出した二人は、洋服店が並ぶ通りを抜けて上りのエレベーターへと乗り込んだ。慶介がボタンを押し、目的の階層を定めてから扉を閉める。

 

慶介が押した階層は一番上の階層、展望デッキだった。慶介が言った、自分に見せたいモノ。それは、ここの展望デッキから見える景色の事だったのだろうか。

 

あれこれ考えてる内に、自分達が乗る前からいた人、乗った後から乗り込んできた人も皆降りて、後にいるのは自分達だけとなった。チーン、と目的の階層へと着いた事を報せる音が鳴り、開いた扉から二人で出る。

 

明日奈自身、来たのは初めてだが今いるデパートの事は前から知っていた。展望デッキがある事も。かなり人気のあるスポットのため、混んでいるのではと勝手に思っていたのだが、その予想に反して、辿り着いた場所はほとんど人のいない静かな空間だった。

 

「ここに来る人は大抵、ここから見える夜景を目当てにしてんだ」

 

意外そうに目を丸くする明日奈の心境を悟ったのだろう慶介が、悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう言った。

 

「…なによ、そのしてやったりと言わんばかりの顔は」

 

「ん?いや、実際してやったりと思ってるから」

 

「…」

 

笑みが込み上げてくる。いつもは落ち着いていて、どこか年齢離れしている印象を受ける慶介だが、たまにこうして年相応の…というか、年以下の子供っぽさを醸し出す事がある。そのギャップというか、そういった所が明日奈に愛おしさを覚えさせる。

 

「?何だよその顔。俺何か面白い事言ったか?」

 

「ううん、何でもないよー」

 

感情が顔に出ていたらしい。明日奈の表情に疑問を覚えた慶介が首を傾げながら問いかけてくる。その問いに首を横に振りながら答えた明日奈は、慶介よりも一歩前に出てから、振り返って慶介に笑いかけた。

 

「それより、早く行こ?時間なくなっちゃう」

 

気付けば、もうすぐ明日奈が帰らなくてはならない時間が迫っていた。まだもう少し余裕はあるし、こうして慶介とギリギリまで話し続けるのも明日奈としては幸せな時間なのだが、せっかく慶介が自分に見せたいと言ってくれた景色をこの目で見てみたい。

 

慶介に手を引かれ、歩く明日奈。幾十秒も経たずに着いたその場所で、明日奈の視界に広がったのは茜色に染まった空だった。視線を僅かに下ろせばこれまた茜色に染まった町並み。目を巡らせると、遠くの方に建設から十五年が経った電波塔。

 

「…」

 

明日奈はどうしても、未だに大人気スポットであるそれから目が離せなくなった。似ても似つかないはずの、だが夕陽に照らされるその塔が、かつて見たあるものと重なって見えたからだ。

 

「思い出すだろ」

 

「ケイくん」

 

「全然似てないのにな」

 

慶介が見せたかったのは、これなのだと、ようやく呆けていた思考がはっきりとしだした明日奈は悟った。決して似ているわけではない。だが、陽に照らされ、朱く染まりながらそびえ立つ巨大な塔。今立っている場所は、地上から離れた高所。そして、隣にいるのは慶介。

 

あの世界が崩壊していく様を二人で見つめたあの時。

 

「あの時は、もうアスナに会えない。これでお別れだって思ってたのにな」

 

「…うん」

 

「でも、俺は生きてる。生きて今もアスナと一緒にいられてる」

 

「うん」

 

広がる景色を並んで見つめながら、慶介の言葉に頷く。

 

「…アスナは、もう二度と見たくなかったか?」

 

不意に、感慨に浸っていた慶介の声が不安げに細くなった。つい、と視線を上げる。慶介は、真っ直ぐに自分の顔を覗いていた。瞳の奥に、不安の色を浮かべながら。

 

「ううん。私、嬉しいよ?ケイくんとまた、あの時の景色が見られて」

 

「…ま、何度も言うけどあの浮遊城とは全然似てないけどな」

 

「んー…、あれがこう、丸みを帯びる形だったらなー。少し似てるって思えるのにね」

 

世界に誇る日本の建造物にケチをつける。端から聞けば一体何様だと思える会話は、二人に笑みを溢させる。

 

「ユイにも、見せたいな」

 

二人の笑い声が途切れ、静寂が一瞬流れた直後。慶介がポツリとそう呟いた。

 

確かに、この景色をユイにも見せてあげたい。そして、教えてあげたい。パパがボスを倒して、そして二人で見た景色はこんなだったんだよ、と。

 

「キリトくんと一緒に作ってるんだよね?ユイちゃんが現実の景色を見れるようにする機械」

 

「あぁ。…もうちょい時間掛かりそうだけど、近い内に実現させてみせるさ」

 

一応、現実の景色を映すカメラとユイの視界をリンクさせる事はすでに実現させているのだ。手元に必要な機具さえあれば、今すぐにでもユイに現実の色を見せる事はできる。

 

だが、恐らくこの景色はユイにとって、色の付いたポリゴンの集合体にしか見えないだろう。至近距離ならば何とか視認できるのだが、五メートル程離れてしまうともう駄目らしい。

 

しかし、それでもすぐそこまで来ているのだ。ユイと一緒に現実の景色を見ながら歩ける所まで。

 

「おっと、もうこんな時間か…。そろそろ帰らないと門限に間に合わなくなるぞ」

 

慶介がそう言ったのを聞き、明日奈は腕時計の文字盤に視線を下ろす。確かに、これ以上ゆっくりしていたら家の門限に間に合わない、そんな時間になっていた。

 

「うん。…また来ようね、ケイくん。今度は、ユイちゃんも一緒に」

 

「あぁ。次はユイと三人でな」

 

そう約束してから、二人は足を帰りの途に向ける。

 

「ね、ケイくん。今夜はログインできる?ユイちゃんにさっきの話を聞かせてあげたいから」

 

「そうだな。んー…、二十二時頃でいいか?」

 

明日奈がそう口にしたのは、下りのエレベーターを待っている最中だった。慶介は明日奈の誘いに頷いて答えたのだが、その表情は難しかった。

 

「あれ、何か用事でもあった?」

 

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだが…」

 

慶介の表情が更に苦々しくなる。何とか笑みを浮かべようとしているのだろうが、完全にその笑みはひきつっている。

 

少しの間、視線をあちこちに巡らせてから慶介は頬を掻きながら明日奈の顔を見てーーーーーーーー

 

「俺、ALOのアバターを別ゲーにコンバートさせる事になった」

 

そう、言った。

 

「え」

 

明日奈の表情が固まる。その言葉の意味を呑み込むまで、少し時間を要してから、

 

「えええええええええ!!?」

 

明日奈の口から飛び出した叫びは、丁度展望デッキに着いたらエレベーターから降りようとした人達を驚かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ショッピングをしてから移動して、綺麗な景色を見るという流れ、どこから見たことあるって?

はははソンナマッサカーニセコイノショウセツデミタコトアルナンテキノセイデスヨー


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