臨界者の冒険譚 (十六夜 一哉)
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1話

―――深く、深く、どこまでも沈んでいくような感覚。

水底へと沈んでいくような感覚に恐怖を覚えるかと思ったが、なぜか安心感を感じてしまう。

瞼が重くて目が開けられないし、意識が曖昧だ。

沈んでいくような感覚なのに、上下左右が全く分からない。

もしかすると、沈んでいるのではなく漂っているだけかもしれない。

―――汝、何を求めるか。

女性なのか男性なのか、子供なのか大人なのか全く分からない声色が脳に直接響いてきた。

何を求める?いったい何を言っているのだろうか。

脳に響く声の主の問いの意味に分からず内心首を傾げる。

―――汝、何を求めるか。

同じ問いが返ってきた。

唐突に何を求めているのかと聞かれても困る。代わり映え無い日常を送り、社会人となり死ぬ。何

 

の変哲も無い人生を送るだけだ。

何も求めない。何せ求めても意味が無いのだから。

―――何故、求めない。

届かないからだ。どんなに手を伸ばそうと、絶対に届かない。どれかだけ勉強しても、努力しても

 

決して届かないのが分かっているからだ。

―――その手で掴めるとしたら?

……何?

声の主の言葉に眉を顰める。心なしか、口調が変わっているような気がした。

―――もし、その手で求めるべきものが手に入るとしたら?

くだらない、笑止。そんな事は有り得ない。求めるのは非現実的かつ骨董無形なのだから。

―――述べて見せよ。ここは胡蝶の夢の中。欲望くらい吐き出せる。

確かにここは夢なのだろう。しかも、意識がはっきりしている明晰夢。だったらこの声の主の正体

 

が全く分からないが。

どうせ夢なのだから別にいいかと思ってきた。

―――吐き出して見せよ。その胸の内に燻る欲望を。

それほど大層なことじゃない。ただ―――未知が知りたいだけだ。

幼い子供のような夢。将来は魔法使いになりたいなどと言っていた頃と同じような望み。

今の日常を壊してくれるような未知を、高揚を、恐怖が欲しい。

たくさんの人が死んでも良い。家族も、友人も、自分自身が死んでも良いから、見てみたい。

小学生や幼稚園が夢見る将来。そこから更に狂った自分自身の求めるもの。

―――それが汝の望みか。

抑揚の無い、こんな答えを聞いた声の主は何事も無いかのように話し出した。

―――ならば、汝の望むものを与えよう。

聞き間違いかと思った。

声の主に声を掛け様とした刹那、

―――頑張りたまえ、お前たちの行く末を見守るとしよう。

視界が、白く染まった―――……。

 

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 

幾度に重なる旅路を経て、その途中で辿り着いたのはオーウェンという名前の港町だ。

アルティニア王国の辺境にある海洋産業が盛んであるが、その実態は海上交易の中継地点でもあり

 

、もはや王国に属しているが独立していると言っても過言ではない。

他国から見ても、オーウェンという港町は欠かせない場所となっている。だから辺境にもかかわら

 

ず規模も中々に大きいし、かなり繁盛している。

確かに街の奥から吹く風に乗って潮の香りがするのは確かだ。

 

「これが……王都にも劣らないほどだ」

 

門の前に立って満足そうに笑みを浮かべるのは、結構珍しい黒髪の少年だ。

黒いコートを羽織り、腰には一振りの細身の剣が帯剣している。紫紺の瞳は関心するように視線を

 

移す。

少年は―――シオン。ヴァルフリードにとってこの町は中々に好感が持てる場所だ。

ふと、何かを思い出したように後ろに振り返る。

 

「ミリア、何か面白い物でも見つけたのか?」

 

シオンが振り返った先には、そう年が変わらない栗色の髪を左側だけ結っている可愛らしい少女が

先ほどのシオンと同じように見渡していた。

 

「は、はいっ。見たことがない物が沢山あったので、つい見入ってしまいました」

 

「そうか。まあ、しばらく此処に滞在するから見回る時間が取れる。そう焦るな」

 

「そう、ですね……分かりました。時間があれば見て回りたいと思います。これからのどうなさい

 

ますか―――ご主人様?」

 

「取りあえず宿の確保だ」

 

シオンの側に控えているミリアと呼ばれる少女は、有体に言えば使用人と大差ない。貴族の出では

 

ないが、それに近しいものであるシオンの旅の同行者であり、良き相棒でもある。

 

「ふぅ、宿の確保ですね」

 

初めての長旅でどうやらミリアに少々負担が掛かっているらしい。休ませる必要があるだろう。

 

「他は明日にすればいいさ。お前も慣れない旅に疲れただろう?」

 

「そ、そんなことはございません。私なら大丈夫ですから、ご主人様のやるべき事を……」

 

ミリアがやせ我慢しているのは目に見える。大方自分に迷惑を掛けたくないからという判断の下の

 

発言だろうが、シオンにとってはミリアに倒れられても困るのだ。

 

「なら、俺が先に宿が取りたいからだ。此処は栄えているから、宿も埋まりかねない」

 

これほど人が多いのなら、確実に宿の大半が埋まっている可能性が高い。せっかくここまで来たの

 

に、宿無しは色々と堪える。

特にミリアは女性だから不満はあるだろう。自分が絡めば文句なんて言わないとは思うけど。

 

「さて、宿屋は……」

 

「あっ、あそこに一つあります。どうしますか?」

 

ミリアの指差す先には、結構大き目の建物―――酒場兼宿屋である《豊饒の宿酒》という看板が掛

 

けてある建物だ。

 

「いいんじゃないか?中々繁盛してそうだし、情報収集にも打って付けだな」

 

外にいるのにも関わらず中から聞こえて来る喧騒の声や笑い声。どうやら昼間から飲んでいる人も

 

かなりの数がいるようだ。

酒場に入る際、シオンよりも先にミリアがドアを開けて入るように促してきた。その献身さに内心

 

苦笑しながら中に入る。

中は想像したとおり、沢山の人が席に座って酒を飲んでいる。客人の半分以上が男性なのは、当然

 

だろう。なぜなら、今忙しそうに注文の品を運んでいる店員が歳の若い女性だけだからだ。

 

「忙しそうですね……」

 

「まあ、ここまで繁盛してるんだから当然だなぁ。これ、声を掛けるのも一苦労か?」

 

シオンは困ったように頬を掻いていると、店員の一人が此方に気付いた様で小走りで近付いてきた

 

 

「ごめんさい。ちょっと人手が足りてなくて、対応が遅れたわ」

 

シオンとミリアと同じくらいの年の子が申し訳なさそうに、目じりを下げて謝って来る。

真っ直ぐ腰まで伸びたミリアと同じような栗色の髪を持つ美少女。そんな彼女と同じくらい容姿が

 

整っている店員が後三名ほどいる。男性客が多いことにシオンは大層納得した。

 

「改めて―――いらっしゃい。席なら空いている所に座っていいわよ」

 

「あ、いえ、その……私たちは部屋を取りたいのですが」

 

ちょっと困惑気味で伝えると、店員はちょっと目を丸くして驚く。

 

「あら、宿泊のお客様だったのね。。どうぞ此方に」

 

店員に促されて端のカウンターへと向かう。

 

「ここの宿を選んでくれてありがとう。あたしはリンファ、このお店の店員の一人よ」

 

「そうでしたか……申し訳ありませんが、部屋は空いているのでしょうか?」

 

「ちょっと待っててね」

 

名簿帳だと思われる用紙を取り出し、リンファは目を通す。

 

「そうね……一人部屋は全部埋まって二人部屋が一つだけ空いているわ。どうする?」

 

リンファの言葉にシオンは考え込む。使用人と主の関係だが、それ以前に異性同士であり同室はあ

 

まり考えられない。

ミリアの方に視線を移すと、同じように困っていた。

 

「俺は構わないが、どうする?いやなら仕方ないが―――」

 

「め、滅相もありません!私がご主人様と同じ部屋というのは、おこがましいので……」

 

自身は使用人だという事に、誇りがあるのかはどうか分からないが、ミリアは自身を卑下する事が

 

しばしばある。今回もその癖が出たようだ。

 

「ったく、それは今気にする事じゃないだろう。俺らは旅人だ」

 

「……そう、ですね。

 

 



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