死にたくない私の悪あがき (淵深 真夜)
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1:空の眼

HUNTER×HUNTERの連載が再開した嬉しさの勢い余って、ノリで投稿。
たぶん超不定期更新になると思いますが、お付き合いして頂けたら光栄です。


(最悪だっ!!)

 

 地べたに座り込み、無様な体勢のまま後ずさりながら今更な後悔をアベンガネはし続ける。

 

 割のいい仕事だと思っていた。

 レアメタルが採掘される山で急に、採掘の為に入った者、ただの伐採・山菜取り・ピクニックで入った者といった、目的はおろか年齢や性別関係なく、山に入った人間が例外なく体調不良を起こすという現象。

 その原因の解明と出来るのであれば解決を依頼された時は、割のいい仕事だと信じて疑わなかった。

 

 効果範囲こそは広いが、山から出たら症状はもはや消えると表現した方が正確な勢いで後遺症もなく治まり、何より症状は「山に入った者」という条件と同じように例外なく頭痛や吐き気、寒気など「我慢できなくはないけど辛い」程度の被害しかなかったので、採掘の利権か何かで誰かが嫌がらせを行ってるとしか思っていなかった。

 範囲が広い代わりに危害を加える効果が薄い、本当に嫌がらせにしか使えない安い念能力だとバカにさえしていた。

 

 もちろん、範囲の広さと効果が反比例する可能性を考慮はしていたが、念能力者であるアベンガネ自身が山に入っても、気付いて効果を上げたり範囲を狭めることなどなく、むしろ少し普段よりオーラを多めに“纏”をするだけで報告にあった体調不良が起こらなかったことにより、アベンガネは完全に相手を甘く見て、この山全体を覆う念能力を見誤った。

 

 この念能力は嫌がらせ目的ではなく、特定の相手以外をこの山に入れたくなかったから生まれたもの。

 その為の壁であった事に、アベンガネは気付かなかった。

 体調不良を起こさなかったのは、彼が“纏”を行っていたからでも、相手の念能力が弱すぎたからでもない。

 アベンガネは「彼女」が招き入れる「特定の相手」の条件に当てはまっていたからだという事に気付いたのは、オーラが一番強い山の奥の泉にまでアベンガネが辿りついてからだった。

 

 アベンガネの第一にして最大、そして最悪の誤算は、この念能力は生者のものだと信じて疑わなかったこと。

 

『あぁ、マルコ、マルコ、マルコ!! 会いたかったわ! 迎えに来てくれたのね!!』

 

 泉の中心に、藻草が全身に絡みついて空っぽの眼窩をこちらに向け、むき出しの歯をカタカタ鳴らしながら熱っぽく別人の名を自分に向かって呼びかける花嫁衣裳の木乃伊を見て、ようやく気が付いた。

 

 * * *

 

 それは、レアメタルの採掘やその利権など全く関係のない出来事だった。

 痴情のもつれか、結婚詐欺師に騙されたか、それとも女自身がイカれたストーカーだったのか、そんなところだろう。

 

 女が「マルコ」と名乗る男に殺されて、そして男は死体を捨てるためにこの山に訪れて、泉に投げ捨てた。

 が、女は元々念能力者だったのか、それとも息耐える直前に精孔が開き、強すぎる思いが「念能力」として開花したのか。

 

 女は殺されても男を信じた。もしくは、現実から逃避した。

 愛した男と、「マルコ」とずっと一緒にいたいと望んだ。

 自分たちの愛の巣に、誰も立ち入ることを許さなかった。

 

 後者こそが体調不良の正体であった。放出系よりの操作系だった女のオーラは山全体を薄く覆い、そのオーラに当てられたものが体調不良を起こしていた。

 症状が風邪のひきはじめ程度に過ぎなかったのは、女の良心ではなく邪魔者の排除よりこちらに力を割きたかったからに過ぎないだろう。

 

『マルコ、愛してる。もう離さない。ずっと私を抱きしめて!!』

 

 木乃伊はアベンガネに熱烈に語りかけて両腕を広げた。

 同時にオーラが増幅して、周囲の木々が揺れ動く。

 地震でも起こったような動きだが、地面そのものに変化はない。

 

 木が、植物そのものが蠢いている。

 泉の中央で佇む花嫁に呼応するように。

 

 アベンガネもオーラを増幅させて、“堅”を行いながら逃げる算段を立てる。

 除念師としては優秀な方だと自負しているが、たいていの除念師と同じくアベンガネは「死者の念」を除念することが出来ない。

 報酬はかなり高額だったが、命に比べれば安すぎる。

 解決は出来なくとも原因の解明が出来たのなら十分だと判断して、アベンガネは自分を捕らえようと伸びて来る木の枝や蔦をオーラを纏った手刀で切り裂きながら、背を向けた。

 

 彼はまだ、相手を舐めていた。

 たった一つに執着して、自我と言えるものをなくし災害そのものとなったイカれた女の残骸が繰り出す攻撃など、単純極まりないものだと思っていた。

 植物そのものにオーラが送り込まれているので普通の人間なら太刀打ちは出来ないが、念能力者なら武闘派とは言えない自分でも破壊することが出来る程度だと判断した。

 その考え自体は、正しかった。間違いはどこにもない。

 

 間違えていたのは、見誤っていたのは、彼女のオーラで増幅された植物そのものの生命力。

 

 背を向けて走り出そうとした瞬間、足が引っ張られてアベンガネは自分のつけた勢いに負けて転倒する。

 自分の足元を見て、何が自分の足を引っ張ったのかを目にして、血の気が一気に引いた。

 

 それは、自分が切り裂いた木の枝や蔓だった。

 アベンガネが切り裂いた枝葉や蔦は、地面に落ちた瞬間に再び根を張って枝を伸ばし、蔦は蠢いて彼の足に絡みつき、さらにそれらはアベンガネの体に巻きつくために急激に成長を続けている。

 

「くそっ!!」

 自分に絡む植物にか、それとも油断していた自分にか、彼は罵倒しながら足にオーラを集めて蔦を引き千切るが、いくら千切っても毟っても、それらは地面に落ちた瞬間に根を張って自分の体に伸びて来る。

 やることなすこと全てが裏目に出た所為でパニックを起こし、オーラが上手く練ることも体に巡らせることも、立ち上がることも出来ずに座り込んだまま後ずさりで何とか逃げるが、周囲が女の操る植物に囲まれて、手足に木の枝と蔦が絡みついてアベンガネの動きを封じるにはそう時間はかからなかった。

 

(最悪だ最悪だ最悪だ!!)

 もうアベンガネの頭の中はその単語で、後悔ばかりが埋め尽くされる。

 

 自分の手足を固めた植物が身体に向かって伸びてきて、また彼は「最悪だ!!」と後悔する。

 口は閉じればいい、だが目は瞼を閉じてもこじ開けられる可能性が高く、鼻に至っては手を使わなくては塞ぐことなど出来やしない。

 

(いやだいやだいやだいやだ!!)

 後悔から拒絶に変わる。

 自分の運命を、死にざまをアベンガネは否定する。

 

(あんな死に方だけは嫌だ!!)

 

 相変わらず「マルコ。あぁ、マルコ」と熱っぽく勘違いをしている木乃伊はもうアベンガネの目には入っていない。

 見たくもないのに、見てしまう。

 泉のすぐ傍らにそびえる樹木を。

 

 その木の幹に埋め込まれて、さながら悪趣味なクリスマスツリーのデコレーションのようになっている、おそらくは生きながらにしてこの急激に成長する植物の肥料となった男の木乃伊を凝視しながら、アベンガネは自分の未来図を否定する。

 

 木乃伊化しているが、体のほとんどが木に埋め込まれているが、その木乃伊の髪は自分と同じ黒髪できついパーマを当てたような髪質だった。

 もしかしたら、その男の肌は褐色だったのかもしれない。

 歳や背格好も自分と同じくらいだったのかもしれない。

 もしくは髪くらいしか共通点がないのかもしれない。

 

 もはや特定しようがないが、彼女にとってアベンガネは「恋人」と同一視するに足りる条件がそろっていたのだろう。

 だから、アベンガネに体調不良の呪いじみた念能力は効果がなかった。

 だからこそ、女はアベンガネを逃がしはしない。

 

『マルコ。もう離さない。ずっとずっと、永遠に一緒よ』

 女の木乃伊は枯れ木のような手を肉が削げ落ちた頬にやって、うっとりとした声音で宣言する。

 

 その言葉に、もう口まで塞がれたアベンガネが涙を流しながら誰かに、むき出しの本能のままに懇願した。

 

(死にたくない!!)

「おっさん、大丈夫?」

 

 パラリと、自分の口を塞いでいた植物が切り裂かれて落ちた。

 

 * * *

 

 まず目についたのは、老人のように艶のない白髪。

 次に目についたのは、日が沈みかけた空のような深い藍色の瞳。

 

 それは10代後半から20代前半の若者で、まともな美的感覚の持ち主なら好みかどうかは別にして、美人だと断言するだろう。

 ただ整っているからこそ性差が曖昧で、なおかつ髪は肩に届くか届かないかくらいの長さでボサボサ、服装はダボダボとしたツナギなので体格もよくわからず、外見で性別の判別がほとんどできない。

 声を聞いていなければ華奢な男と思ってしまいそうだが、実はまだアベンガネは目の前の相手の性別に確信を持てていない。

 男にしては高かったが、女と確信できるほど高いとも言えない声だったから。

 

 そんな性別不詳、おそらく女は眉間にしわを寄せながらもう一度アベンガネに「大丈夫か? 生きてる?」と尋ねる。

 その質問にアベンガネが答える前に、背後の木乃伊が吠える。

 

『誰!? 私のマルコに触らないで!!』

「うるせーよ! っていうか、お前がこのクソウザい念の元凶か!

 別に私だって触りたくないし、いらんわこんなおっさん! 何なら熨斗つけて今すぐブン投げて渡すぞ!!」

「やるな! やめろ!」

 

 まさかの即答でブチ切れて、つい一瞬前まで「大丈夫か?」と安否を尋ねて心配していた相手を「やる」と言い切った白髪にアベンガネは、こちらも一瞬で助けられた感謝を忘れて叫んだ。

 見た目だけで言えば男でも女でも絶世の美人と言えるのに、白髪の人物は眉間の皺をさらに深めてふてぶてしく舌打ちした。

 その様子で、相手の言ったことは売り言葉に買い言葉だったが割と本気だったことを感じ取り、アベンガネは自分の体に植物が絡みついてミノムシ状態でモゾモゾ動きながら、懇願する。

 

「おい、あんたは念能力者か! 助けてくれ!! 礼ならいくらでもする!!」

 頼るには色々と不安な人物なのはこの1分にも満たないやり取りで十分すぎる程に理解したが、それでもアベンガネに縋る藁はこの白髪だけだった。

 

 だが、白髪は答えない。

 体調不良になる念の効果で頭が痛いのか、青い瞳を細めて木乃伊を睨み付けながら溜息をつき、アベンガネの身体に巻きつく木の枝を一本、ポキっと折った。

 

『……渡さない。渡さない渡さない渡さない。マルコは誰にも渡さない! 私からマルコを奪う奴はみんな殺してやる!!』

「人の話聞けよ、メンヘラ木乃伊」

 

 呆れたような声音で呑気に言い返す白髪に、アベンガネは口を開く。

 何を言いたかったのかは本人にもわからない。「逃げろ」だったのかもしれない。「バカか」だったのかもしれない。

 アベンガネの言葉が声になるより、周囲の木々が白髪に向かって伸びてきた。

 

 アベンガネは、気付いていなかった。

 自分の口を覆っていた植物が、刃物を使ってもここまで綺麗には切断できないであろうと思える切断面であること。

 地面に落ちた瞬間、根を張って成長して伸びてきたそれらが、ただの枝や蔦の切れ端となってその辺に転がっている事。

 自分の全身には植物が絡んだままだが、その植物の成長が完全に止まっていることに、気付いていなかった。

 

 白髪は、手にした木の枝を振るう。

 子供が遊びで木の枝を剣に見立てて振り回すように、ただ振ったようにしかアベンガネには見えなかった。

 間違いなく、白髪はその木の枝にオーラを纏わせていなかった。“周”を行わず、ただの木の枝のままそれを振るった。

 

 振るって、オーラを纏った植物を切り裂いた。

 

 * * *

 

 言葉を失うアベンガネを無視して、というか既に存在を忘れていると言わんばかりに白髪は木乃伊に言う。

 

「一回死んだ死人が、もう一度人間として死ねると思うな。

 もう頭痛いし体はだるいし面倒くさいから、黙ってさっさと殺されろ」

 

 その言葉と同時に、白髪のオーラが変化する。

 先ほどの念を纏った植物をただの木の枝で切り裂いた念能力の正体を掴めるかとアベンガネは期待し、ただオーラが目の位置に集めて“凝”を行っているだけだと気付いて失望したが、一瞬あとになって気付く。

 白髪の目の色が、変化していることに気が付いた。

 

 確かに初めは黒に近い暗い青系統の色。藍色だった瞳に明度が増して、澄み切った蒼天のような色になっている。

 その目の美しさに、アベンガネは現状を忘れて一瞬見惚れた。

 そして同時に、何故か非常に恐ろしかった。

 

 どこまでも続く果てのない、高い高い空を連想させる色だからか。

 その瞳は美しいと同時に、どこか虚無的だった。

 美しいから目を離せないのか、恐ろしいから目を逸らせないのか、アベンガネには判別がつかなかった。

 

『黙れ! 泥棒猫!!』

「お前が黙ってろ、死人!!」

 判別がつく前に、白髪は駆ける。

 

 自分に向かってくる植物を、オーラを纏った手足で殴って蹴って引き千切り、そしてただの木の枝で切り裂きながら突き進み、白髪は泉の縁でオーラを足に集中させて高く跳ぶ。

 

 泉の藻草が蠕動するように蠢くが、木々とは違って柔らかく揺蕩う藻草はいくら急激に成長させて自在に操ることが出来ても攻撃手段には向かない。

 木乃伊はただ、白髪の落下を待つしかなかった。

 白髪が落下して泉に落ちさえすればもう、全身に藻草が絡まりついて水中から浮かび上がることは出来なくなる。

 

 そんなことまで木乃伊が計算していたのかは、わからない。

 白髪もそのリスクに気付いていたのかどうかはわからない。

 

 ただ、空色の眼は真っすぐに木乃伊を見据えて、何の変哲もない木の枝を重力に後押しされて突き刺した。

 木乃伊の右肩に、柔らかい粘土にでも突き刺したかのように深々と。

 

 生きてようが死んでようが、致命傷とは言えない箇所。片腕が使えなくなるのは痛いが、急所とは言えない場所に突き刺した。

 

 急所とは、言えないはずだった。

 

 なのに木乃伊は、崩れた。

 身体のいたるところが痛み、腐り、壊れ果てていたものを何とか操作系のオーラによって繋ぎ合わして、動いていた木乃伊がバラりと崩れ落ち、泉に沈む。

 同時に、アベンガネの身体を拘束していた植物がクタリと力をなくす。

 

 辺りに満ちていた禍々しい、歪んだ愛情と執着そのものだったオーラが消え去っていることにアベンガネは気付くが、そのことに驚き、そして白髪にどうやったかを問いただす暇などなかった。

 

「ぼばっは!?」

「ちょっ!? おい大丈夫か!?」

 

 木乃伊と一緒に泉に頭からダイブした白髪を助けるのに、アベンガネは手一杯だった。

 

 * * *

 

「あははは~。いやマジで死ぬかと思った。ありがと、おっさん」

「……俺はおっさんと言われるような歳じゃないんだが」

「あ、そうなんだ。ごめんねジジイ」

「何故年齢を上げた!?」

 

 げんなりとした様子でアベンガネは、白髪と一緒に山を降りる。

 最終的に自分が助けたとはいえ、自分の救ってくれた恩人でなおかつ、今も泉から救出したことを感謝こそすれ、アベンガネを助けたことに対しての礼を求めない相手なので、それなりに敬意を持ちたいところだが、先ほどからこの調子でふざけ続けるので、敬意や恩義どころかアベンガネは相手を殴らないように自分に説得するだけで精いっぱいだった。

 

 ちなみに、白髪はやっぱり女だった。

 泉に落ちて濡れたツナギを躊躇なく脱いだ時は男だったのかと思ったが、ささやかだが確かに胸があった。

 そのことに気付いて思わず「何してんだお前は!?」とため口で突っ込んだが、白髪の女は素晴らしくいい笑顔で「見せブラと短パンだから大丈夫!」と言って親指を立てて、アベンガネに「こいつは性別は女だが女じゃない」と確信させた。

 

 アベンガネとしては色々訊きたいことがあったが、もうそのやり取りだけでこの女に深く関わるのはやめておこうと誓い立てた。

 オーラを纏っても込めてもいない、ただの枝であの念能力で操られた植物を切り裂き、たったの一撃で木乃伊を、ただでさえ数少ない優秀な除念師でもほとんどが太刀打ちできない、「死者の念」を言葉通り「消し去った」この女の能力はもちろんかなり気になるが、自分の能力を他人に明かす念能力者など普通はそういう制約でも立てていない限りいない。

 

 この女のふざけた態度は自分の能力を明かす気も馴れ合う気もない演技なのか、素なのかもわからないが、どうせ自分の知りたいことは絶対に明かされないことをわかっているので、アベンガネは服を乾かした女とともに山を下りる。

 

「あはは、ごめんごめん。ほら、念能力者って見た目の年齢はあんま参考にならないじゃん。現にウチの師匠はロリババアだし。

 うちのババアじゃなくて師匠は、マジで若作りすごいよ。見た目マジ完全に美少女。口を開けばババアなんだけどね。あと、元の姿はゴリラ。イケメンゴリラ。あの変身は見たら腸がねじれるくらいに笑うよ」

 まったく悪く思っていない調子で、訊いてもいないことを勝手に語る女の言葉にため息まじりで適当にアベンガネは相槌を打ちながら歩いていたら、歌が聞こえた。

 

 横で話している女の声で、女の腰のあたりから「ウチのババアはクソババア~♪」というこれ以上ない酷い歌が聞こえてきて、盛大に引いているアベンガネをよそに「あ、ごめん電話だ。ババアから」といって、ポケットからケータイを取り出した。

 

 どうも自作着メロだったらしい。先ほどから「ババア」と連呼してる自分の師専用として設定してる着メロなら確かに本人に聞かれる可能性は低いが、それにしても尊敬したくない方向ですごい度胸だなと意味不明な感心をしながら、もう助けられた恩は自分も助けたから返したということにして、このまま黙って先に進んで別れようかとアベンガネは考えて歩を進める。

 

 が、その歩みは数歩で止まる。

 電話の向こうの師と語る女の声が、はっきりと聞こえたから。

 何故、この女がここにいるのを知ったから。

 

「あ、ごめんごめん師匠。ちょっと遅れる。一日くらい。

 だからごめんって! え? 今どこかって? 山の中。下山なう。

 しょーがないじゃん! 何か昨日泊めてくれた家の子が山に入れない、遊べないって言って落ち込んでたんだもん! ホテルも宿屋もない村で泊めてくれた家の子供だよ! ならその恩を返さなくっちゃいけないじゃん!

 あ、わかってくれた? さっすが、師匠じゃなかったババア! あ、ごめん本音出た! じゃ、明日には到着するから待ってて愛してるよ、クソババア!!」

 

 敬意や親愛があるのないのか謎な会話を終えて、目を剥いてアベンガネが自分を凝視してることに女は気が付き、首を傾げた。

 

 最後はマヌケ極まりなかったが、あれだけの実力と特異な能力を持っていたのだから、自分と同じくこの山のレアメタルに関わる企業か何かから依頼を受けていた、武闘派の除念師だと思い込んでいた。

 正直、この女に対して恩義や敬意を抱かないのは女のふざけた言動だけではなく、明らかに年下だというのに自分よりはるか高みにいることに対しての嫉妬もあった。

 

 が、ここまで来ると妬むのもバカらしくなった。

 金目当ての自分の小ささが情けないと思わなくもないが、同時にそりゃこの女の方が優秀なわけだと納得した。

 この女は口が悪いし、恥じらいという概念を知らないし、どこまでも無礼極まりないふざけた性格をしているが、受けた恩を忘れず、与えたものを恩着せがましく主張しないこの女の方が、人間としては上だとアベンガネは潔く認めた。

 

「いや、なんでもない」

 アベンガネは一度目を伏せてからそう言って、そして改めて言葉にする。

「そういえばまだ、言っていなかったな。助けてくれて、ありがとう」

 

 アベンガネが礼を口にすると、女は朗らかに笑って「こちらこそ」と応えた。

 礼の言葉を受け取るだけで、何も求めはしなかった。

 やはりこの女にはきっと自分は勝てないとアベンガネは思い知りながらも、どこかすがすがしい気持ちで山を下りた。

 

 * * *

 

「オレの名前は、アベンガネ。除念師だ。

 まぁ、あんたには必要ないだろうが何かあったら力になる」

 

 山を下りて女は、「じゃ、ありがと色黒にーちゃん!」と言ってそのまま去ろうとするのを引き留めて、アベンガネは自分の名刺を渡す。

 

「へぇ、除念師なんだ。ならこの名刺、超レアじゃん。本当にもらっていいの? 私は残念ながら、名刺持ってないんだけど」

「あぁ。いらないのなら誰かに渡しても構わない。あんたからの紹介なら、安く引き受けてやるよ」

 

 名刺を受取った女の言葉にそう答えてから、「無理なら構わないが、あんたの名前と連絡先を教えてくれないか?」と頼んでみる。

 連絡先を求めたのは、自分にはできない「死者の念」を除念できる相手だからという下心はもちろん多大にあるが、この会話してて頭が痛くなるぐらいふざけたテンションだが、どうも憎めない女を普通に気に入ってしまったのもまた事実。

 

「なんだ、ナンパか?」

「ありえねぇよ」

 そんな軽口を叩きながら、女はアベンガネからもう一枚名刺と書くものを借りて、名刺の裏に自分の連絡先をあっさりと記した。

 

「死人を殺したかったら、まぁできる限りは力になるよ」

 そう言って名刺と筆記具を返して背を向けた女に、アベンガネは「おい待て、名前は!?」と呼び止める。

 

「あ、忘れてた」

 女は振り返り、人差し指を立てた手をまっすぐ上に伸ばしてから答える。

 

「ソラ」

 蒼天にして虚空だった瞳は、とっくの昔に元の藍色に戻っている。

 その瞳を、夜明け前の空の瞳を細めて笑い、女は名乗る。

 

「私の名前は、ソラだ。

 じゃあな。縁があったらまた会おう、アバンカネ」

「アベンガネだ」

 

 どこまでもしまらない、ふざけた女だった。




しばらく原作キャラとちょっと関わるオリジナル話を続けてから、原作のハンター試験編に入ろうかと思っています。

ちなみに私はビスケ大好きですし、ソラさんも師匠が大好きですよ。でも何故かほっとくと彼女は、ビスケをババァと連呼します。何故だ……。

不定期で終わらせどころを全く決めていない見切り発車な連載ですが、末永くお付き合いして頂けら光栄です。


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2:異邦人

 毛先を巻いたツインテールに甘ロリ服が良く似合う、一見は12歳前後の美少女が空港のベンチに座っていた。

 傍から見ると、親がトイレかどこかに行ってしまって待っている子供そのもの。

 妙にイライラした様子なのも、一人その場から動くなと言われて退屈しているのだろうとしか思えない。

 

 誰も、彼女がイラついている本当の理由を察することはおろか、彼女ことビスケット=クルーガーの実年齢は外見年齢の5倍近いことには気付かない。

 なので、周囲の人物はあまりに信じられない光景を目にする。

 

「おっす、ババア! イライラしてると血圧上がるぞ!」

 

 白髪の美男とも美女とも言える性別不詳の、18~21歳くらいの若者。だが明らかに、ビスケより年上に見える人物が、実にいい笑顔で誰に対しても無礼極まりない呼びかけをしたことだけでも盛大に注目を集めたのに、その約1秒後の展開に周囲の人間全員が言葉を失い、目で追った。

 

 パッカーンといい音をたてて、白髪の顎に見た目は美少女ビスケのアッパーカットが決まり、170近い身長の白髪が空港の天井近くまで吹っ飛んで頭から落ちるのを。

 

 ちなみに、白髪ことソラは頭から落ちたにも拘らずケロッとした顔で即座に起き上がって、「ごめんごめん、師匠ごめんってば! 今日もロリコン歓喜の美少女! 愛してるよ!!」と言いながら、ぷりぷり怒って歩いていくビスケの後を追った。

 

「……なんだったんだろ、あれ?」

「テレビの撮影かなんか?」

 

 二人が去ってからようやく停止していた思考を動かし始めた周囲の人々が、そんなことを口にして何とか自分に納得させる。

 それが平和だろう。

 

 撮影でも何らかのトリックを使ったわけでもないどころか、このやり取りはあの師弟にとってはいつものことだということを知っても、誰も得などしないのだから。

 

 * * *

 

「本当にあんたって弟子は毎回毎回、バカなことばっかり言ってやって、あんたは死にたいの!? あたしに殺されたいの!?」

「いや、師匠の事は大好きだし愛してるけど私は誰であっても、神様にも自分にも殺されてあげる気はないから」

「うっさいカッコつけるんじゃない! あんたに愛してるって言われても、何にも嬉しくないわさ!!」

「じゃあ、この些細な胸をサラシでさらに潰して、タキシード着て髪をオールバックにして、膝をついて手を取って言ってやる! うわっ、気色悪っ!!」

「やめろ! うっかりときめきそうで嫌だわさ! っていうか、最後の『気色悪っ!』はあんた自身のこと!? あたしのこと!?」

 

 ホテルの一室で荷物を置き、毎度の阿呆なやり取りを一通り終えてからベッドの上に腰掛けたビスケは頭を抱えてため息をつく。

「本当にあんたっていうバカ弟子は……」

 

 バカ弟子というよりバカそのものと言っていい弟子に、もう怒るのも疲れたと言わんばかりにあきれ返っているように見えるが、実際のところビスケは初めからさほど怒っていない。

 もちろん放っておくと何故か何かと連呼してくる「ババア」発言には本気でムカつくが、あれは自分が言う「バカ弟子」に近いニュアンスであることくらい、ビスケは知ってる。

 

 別に本気で相手をバカにして見下して、傷つける為に言っている言葉ではないことくらい、もう3年の付き合いであるビスケはよく知っている。

 自分が言う「バカ弟子」は、素直に気に入ってるだのかわいいだの言えない自分の意地であるのに対して、ソラの「ババア」は、これぐらい言っても殴られる程度で終わって後を引かないという甘えであるという違いまでも、彼女は知っている。

 

 だからこそ自分の反応を面白がっておちょくってる節が強いのに、ついついソラの期待通りの反応をしてしまう自分の甘さに対しての呆れこそが、ため息の正体だった。

(ホント、我ながらにこの弟子に対して甘々だわさ)

 

 還暦近い年齢に二ツ星ハンター、そして現ハンター協会会長の直弟子ということもあって、ビスケにはそれなりの数の弟子がいる。

 そして自分の性格がさほど良くない、むしろ悪い部類でありながら弟子には甘くなってしまう性分であることも自覚しているが、その分を差っ引いてもソラに対して甘い自分についイラついていた。

 

 今回呼び出したのも仕事ではないが協力してほしいことがあったからで、それは自分の趣味や都合が8割を占めているが、実は残り2割はソラに関してのことだった。

 そしてソラは遅刻というには盛大すぎる遅刻をかましたが、実は別に昨日到着しなくても問題は全くない用件だったりする。

 

 一日余裕を持って「来なさい」と命じたのは、本人の言うとおり神様にも自分自身にも殺されてあげる気は皆無のくせに、何故か自分から危険なトラブルに足を突っ込むどころか、ダイナミックお邪魔しますをやらかすわ、見えている地雷を踏んだ挙句に、そのうえでタップダンス、コサックダンス、ブレイクダンスをやらかすバカ弟子には、このくらいの余裕も持っていなければいけないと思ったのは、もちろんあった。

 事実、そうなった結果が現在だ。

 

 だが、うまいことバカ弟子が飛び込むトラブルが起きずにちゃんと指示通りに来たのなら、このせっかく美人なのに性別が完全に不詳となるほど洒落っ気のない弟子を買い物に連れ出そうと思っていた。

 師弟の垣根を越えて遊ぶ予定をしていたのに、バカ弟子はいつものように死にたくないくせに、烏の濡れ羽色だった髪の色が完全に抜け落ちるくらいに、その死の運命からもがいて抗って悪あがきをして逃げ出したくせに、何故かいつも自分からトラブルや危険へ飛び込みに行くことに対して、ビスケは昨日からずっと苛立っていた。

 

 が、そんな苛立ちをこのバカ弟子が飄々と吹き飛ばしてしまうのも、いつものこと。

 素直に「心配した」とは言えなくて、本人が悪くても悪くなくても不安が安堵に変わった瞬間、八つ当たりをしてしまう自分のことをわかっているのかいないのか、いつでも先手必勝と言わんばかりにこっちを怒らせて殴られて、そのことを笑って「ごめんごめん」と謝る。

 

 それで大概のことはどうでも良くなってしまうのだから、自分もまだまだだともう一度ため息をついたところで、バカ弟子はビスケの顔を覗き込み、その無駄に同性だとわかっていてもときめく性別不詳の美貌に少しだけ物憂げな色を落として、心配そうに言った。

 

「どうしたババア。尿漏れか?」

 

 もう一発ビスケのアッパーを叩きこまれて、ソラの頭がホテルの天井にめり込んだ。

 

 * * *

 

「いや、私もこれはひどいって思ったんだよ。思ったんだけどさ、思いついたからには言いたくなってつい」

「そんな自殺志願な思い付きを、あんな顔で実行できたあんたが信じられないわさ!」

 

 何とか自力でめり込んだ天井から抜け出して、ソラは真顔で言い訳にならない言い訳を口にして、もう一発ビスケに殴られた。

 さすがにこれ以上ソラをブッ飛ばしていたら、話が進まないどころか修理費を弁償する(もちろんソラが)と言ってもホテルを追い出されるので、軽く頭をどつく程度にとどめておく。

 

「あぁ、もう本当にあんたと話してるといくら時間があっても足りないわさ!

 ソラ! あんたを呼んだ理由はこれだわさ!」

 

 相手と下手にコミュニケーションを取ろうとしたら、この特技が空気及びシリアスブレイクな弟子は先ほどのように思いつきのボケを被せてくるので、ビスケは床に正座しているソラに向かってチラシを突き付けた。

 

「? ジェム王朝の神秘、宝石展? え、師匠パクる……」

「黙ってなさい」

 早速ボケなのか素でビスケならやると思っているのかは不明だが、話の腰を盛大に折りに来たところでビスケが睨み付けてソラの言葉をぶった切る。

 そろそろ本気でキレると感じたのか、「はい」と返事をした後のソラは素直に黙った。

 

 ビスケの話を要約すると、数百年前にこの辺りで栄えていた王朝こそが、ジェム王朝。

 その王国は宝石の産出とその加工技術が特に優れていることで有名だったが、そんな金になるものがゴロゴロ出る国が他国に狙われない訳もなく、普通に滅ぼされてその時代に加工された世界文化遺産レベルの宝石や装飾品の大半は他国に流れて失われた。

 

 で、その失われたはずのジェム王朝の宝石類を多数所有するコレクターが、ジェム王朝が滅びたとされる年から今年でちょうど切りのいい年月なので、展覧会を行うそうだ。

 コレクターは自分のコレクションをぜひとも祖国に返して、ジェム王朝の生き残りの子孫たちに見て欲しいなどと言っていたらしいが、この国の国立博物館などに寄付する気どころか売る気もなく、ただ自分のコレクションを見せびらかして、イベント収入というせこい小遣い稼ぎをしたいだけが、ビスケの見解。

 

 そんなアホ極まりない自己顕示欲が、裏の世界の金の為ならどれほどの血も喜んで浴びて飲み干す怪物を呼び寄せるのかも知らないで、そんなイベントを計画した。

 そして、その展覧会が開始されるのは明日。

 

 そこまでビスケが説明すると、ソラが「あぁ!」と納得したような声を上げて、ポンッと手を打った。

 

「絶対に宝石狙いの強盗やらなんかが来るから、それを撃退してコレクターに恩売って宝石をいくつかブン取ろうって算段してるんだ! きちんと護衛とかの契約を結ばないのは、正当な仕事にしちゃったら報酬も正当な分しかもらえないしね。

 さっすが、ババア! だてにそのクソ悪い性格で長生きしてないね!!」

「悪かったな!」

 

 ソラの言葉にビスケは叫び返して、もう一発どついておく。

 だが、本気は全く出していないとはいえ天井に頭がめり込んでも自力脱出してケロッとしてるソラが、その程度で黙りも懲りもするはずがなく、どつかれて前のめりになった姿勢を正してすぐに言葉を続ける。

 

「でも、何で私を呼んだの? 宝石だから?」

「ま、それも少しあるけど、あんたを呼び出した一番の理由はこれよ」

 

 ある意味、ストーンハンターであるビスケよりも宝石に縁深いのがこの弟子なので、本人が口にしたようにそれはある。が、それだけなら「来なさい」ではなく、「来る?」と尋ねる程度で強制する気は全くなかった。

 

 ビスケが正当な手段ではなく、恩を着せ脅して騙して丸め込んでまでしてこのジェム王朝の宝石に執着してる理由のうちの2割、ソラに関しての部分が記されたチラシの写真に指をさす。

ソラはチラシの隅っこに印刷された展示物の一つ、写真が実寸大だとしたら自分の親指くらいはありそうなルビーをよく見て、そして気付く。

 

その宝石の中に、焼き付くように浮かび上がっている模様……いや、文字に。

 

「! ルーン文字?」

「そ。これは確か、あんたの『世界』の『魔術』だったわね?」

 

 * * *

 

 3年前、ビスケに割と文字通り拾われたソラが、名前と年齢と一応性別と同時に告げた自分自身に関する情報が、「自分はこの世界の人間じゃない。魔法に失敗して、異世界に飛ばされた魔法使いの弟子だ」だった。

 

 もちろん、ビスケはそれを聞いて「はい、そーですか」と素直に信じはしなかったが、嘘だとも思えなかったし、妄想の類だとも思えなかった。

 初めから彼女はすんなり信じてもらえるとは思っておらず、「信じられないなら別に良いですよ」と、胡散臭そうな顔をしたビスケのリアクションをサラッと流したからだ。

 

 しかし彼女を弟子にして一か月もすれば、信じざるを得なくなってしまった。

 それはあまりにもこの世界の常識を知らないくせに、それが不自然な程の高等教育を受けているとわかる知識の矛盾や、念能力の亜種のような「魔術」と彼女が呼ぶ技術だったりと理由は山のようにある。

 

 それらを知って初めて、あんな突拍子もない話を最初にしたのかは、信じて欲しいからでも信じてもらわなくてはいけない理由があったからでもなく、確実に起こる破綻のたびに説明するのが面倒だから事前に言っていただけだったと理解した。

 実際、たいがいの「おかしい」と思ったことは、彼女はこの世界の住人ではないという事を前提にすれば説明がついた。

 

 そうやって疑う余地がなくなった頃にはすっかり情が移っていたのもあって、ビスケはソラを弟子にしてこの世界でも生きていける術を教えると同時に、積極的ではないがソラを元の世界に戻す術も探してやっていた。

 やっていたのだが、師匠の心弟子知らず。ソラはビスケの言葉に、ミッドナイトブルーの眼を真っ直ぐに向けて真顔で言い放った。

 

「そうだけど、それがどうしたの? 欲しけりゃ作るよ」

「あんたは帰る気ないのか!?」

 

 またしてもビスケのげんこつがソラの頭頂に落ちた。しかもこれは初めの方の「ババア」発言より本気でキレていたらしく、数メートルぶっ飛んで頭から落ちても、天井にめり込んでもケロッとしていたソラが、殴られて出来たたんこぶを押さえて涙目で悶絶した。

 

「これは、こっちの世界には存在しない、あんたの世界の技術で作られた『魔術礼装』とかいう奴でしょ!? そんなもんが何百年も前の王朝の宝とされてるんだから、その王朝に世界や時を超えることが出来る技術が、あんたで言う『魔法』が存在したのかもしれないってことでしょうが!?

 あんたは本気で、元の世界に帰る気があんの!?」

「ない」

 

 ブチギレながらビスケがたった2割とはいえ、わざわざ弟子を呼び出して、犯罪すれすれどころかマッチポンプに近いことをやらかしてまで手に入れようとしている、ソラが自分の世界に帰れるかもしれないというヒントを、本人は喜ばないどころかまさかの即答で前提を全否定。

 その即答に、「ないんかい!!」と怒鳴りつけて殴る前に、ソラは涙目のまましれっと言葉を続けた。

 

「だって私、まだ弟を見つけてないし」

 

 その言葉で、ビスケは振り下ろしかけた拳をギリギリのところで止める。

 固く握りこんでいた拳から指の力が抜けて、ビスケはバカ弟子の頭を殴るのではなく、掌を静かに下ろして、真白の髪をかき混ぜるように撫でた。

 

「……そう、だったわね。そりゃ、確かにまだ帰れないわさ」

 言われてビスケは、一度も会った事のない彼女の「弟」の存在を思い出した。

 

 弟と言っても、ソラとは血縁関係がないどころかソラと同じ世界の住人ですらない少年。

 ソラがこの世界にやって来てからの3年間、この世界で生きていける術を教えて、面倒を見てやったのはビスケで間違いないが、実はこの師弟の出会いとソラがこちらにやってきた時期には、一か月ほどの開きがある。

 

 そのビスケと出会う前の約一か月間を一緒に過ごしたのが、ソラ曰く「弟」。

 こちらの世界にやって来てすぐに出会い、公用語であるハンター文字やこの世界の最低限の常識をその少年から教えてもらったが、賞金首の犯罪者に襲われるというトラブルに巻き込まれた。

 

 このトラブルは、本当に巻き込まれたのであってソラが自分から飛び込んだわけではないらしいが、恩人である「弟」をそれなりにランクが高く念能力者だった賞金首から庇って、守って、逃がして、何とか賞金首を撃退したが、自分も重傷を負って死にかけていた時、偶然出会ったのがビスケだった。

 

 それから、「弟」とは音信不通。

 当時、こちらの世界にやってきたばかりのソラはもちろん、少年もケータイなどの連絡手段を持ち合わせていなかったのと、少年もソラとは全く別の事情で訳ありだったため大っぴらに探すことは出来ず、未だにソラは「弟」の行方どころか安否すらわかっていない。

 

 それでも、彼女は「弟」が生きていると信じて、自分の世界に戻る方法を探すことよりも優先して、「弟」を探していることをビスケは思い出した。

「あー、ごめん。ちょっと忘れてたわさ」

「大丈夫か、ババア。認知症の検査しとけよ」

 

 たまに素直に謝った瞬間、まったく懲りずにケンカを売ってきたソラの頭を、ビスケは撫でるのをやめてぶん殴った。

「本当にあんたって子はいつまでたっても、礼儀を覚えない子だね」

 

 またもや悶絶したソラを見下ろしながら、この出来が悪くて失礼で、弟子にしてからずっと心配や迷惑ばかりかけさせられてきたのに、それでもまだまだ元の世界に帰る気がないことに安堵している自分に気付き、ビスケは苦く笑う。

(バカな子ほど可愛いって奴は、本当だから困るわさ)

 

 絶対に素直に口にしないことを思いながら、ビスケは笑ってバカ弟子に宣言する。

 

「ま、その『弟』が見つかってようが、元の世界に戻る方法がわかってようが、礼儀知らずで未熟なあんたをまだまだ帰す気はないから、覚悟しとくといいわさ。

 あたしが生きてる間は、帰れないと思っときなさい」

「え!? 私、1000年は帰れないの!?」

「桁が多い! 100年でも多いのに、何で4桁!? あんた、あたしのことをなんだと思ってるの!?」

「妖怪に決まってんだろ!!」

 

 ぶん殴られたソラが壁をぶち抜いて、二人がホテルから追い出されたのは言うまでもない。




ソラさんが丈夫すぎる……

ソラの「弟」は原作キャラです。再会はまだ先ですが、名前は多分近い内に出てきます。
次回は「念」と「魔術」の捏造・独自解釈設定の説明回になりそう。


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3:念能力でも魔術でもない

 ソラの所為なのかビスケの所為なのか、とにかくホテルから追い出されてしまった二人は、コーヒーショップで飲み物を買って、周辺地理の確認の為に明日から開始される展覧会予定の美術館に足を運ぶ。

 

「あ、そういえば師匠。やっとガンドがフィンの一撃になりましたよ」

 その途中、マドラーでカフェオレをグルグルかき混ぜながらソラは、ビスケに修行の成果を報告する。

 

「そう。けどそれ、放出系能力なら今更? ってレベルよ」

 やたらと嬉しそうに、犬なら尻尾を全力で振っている様子だったので思わず褒めそうになったが、ソラが言う「ガンド」とは念能力で言えば放出系能力の念弾であり、「フィンの一撃」というのは物理ダメージを与える程の威力になった念弾のこと。

 

 強化系のオーラを持つソラなら、たとえ変化系よりの強化系であってもとっくの昔にマスターしていないとおかしいほど初期レベルであり、他の弟子ならビスケはこの発言に呆れるどころか、才能が心底ないから念能力者になることは諦めて、普通の人間として生きていきなさいと本心からの善意で勧めるレベルの話だった。

 が、その常識が当てはまらないのがこの弟子であることも、ビスケはこの3年間で思い知らされてきた。

 

「わかってますって。でも私の世界じゃこれで、ガンド使いとしては天才とか言われちゃうレベルですよ」

「でも、フィンのガトリングとか呼ばれるレベルの奴もいるんでしょう?」

「あれはレベリングするなら、天才じゃなくて化け物ですから。っていうか、本当の意味でのフィンの一撃は物理ダメージじゃなくて心停止させる呪いなんですけど、何で銃弾になってんですかね、私の元姉弟子たちは」

「……本当、中途半端に念能力の知識が重なってる分、余計にやりにくいわさ」

 

 ビスケはカフェモカをちびちび飲みながら、改めてこの弟子の面倒くささに溜息をついた。 

 

 * * *

 

 ソラがやってきた世界とこちらの世界では、似ている部分も多いが同じくらい違う部分も多い。

 その中でもソラの世界に存在し、そしてソラが未熟なりに使用する「魔術」という技術は、こちらの世界で言う「念能力」にかなり近いが、同時に大きく違う。

 

 まず「魔術」に必要な「魔力」と「念」に必要な「オーラ」は呼び名が違うだけで同じ「生命エネルギー」だが、「魔術」はその血統に、血族に脈々と引き継がせるものに対して、「念」は基本的に個人で目覚めて作りあげて終わる、一代限りの力である。

 

 その違いが如実に現れ出ているのが、ソラが持つ「魔術回路」という「魔力(マナ)」もしくは「オーラ」を生み出す炉心にして、「魔術」や「念」を行使する際に魔力やオーラを巡らせるための路である疑似神経。

 疑似とはいえ魔術回路はほぼ内臓と同じ扱いであるため、ソラは言葉通り元の世界でもここの世界でも普通の人間とはもちろん、念能力者とも全く違う体の作りをした人間であり、実はこの所為でソラは「念能力者」として見れば実力があるのかないのかよくわからない、妙にちぐはぐしたものだったりする。

 

 この疑似神経のおかげで、一代限りの「念能力」を子孫にそのまま受け継がせ、更なる能力の向上や発展が可能なのが、ソラの世界の「魔術」と呼ばれるもの。

 だが、親と同じ系統のオーラを持つ子供は多いが、まったく別の系統のオーラを持って生まれることも珍しくもなく、後天的に変化する者も少ないが確かに存在するので、この技術は本人の資質を無視して無理やり特定の能力だけしか使えないように子孫を改造しているようなものでもある。

 実際、ソラの世界の魔術師たちは子孫に一本でも多くの魔術回路を持たせる為に手を加えるのだが、そんな内臓を増やすと同義の手段が真っ当なはずがない。

 

「けどまだ、あんたは強化系だったのが幸いだわさ」

「そうっすね。ガンドも宝石魔術も、放出・強化・変化系だから、バランスよく相性がいいですから。でも宝石魔術は金が無駄にかかるから、別のが良かったなー。

 宝石使い捨てって、未だにもったいなくて使うの躊躇うんすけど。その所為で無駄に魔力充填してる宝石が溜まってゆくし」

「ホント、あんたって悪運が妙に強いわね。系統といい、ストーンハンターのあたしに拾われるといい……」

 

 改めて弟子が生まれながらに持つ資質と、血で決定づけられ学ばされた魔術がまだ、念で言えば相性の良い能力であった事にビスケは安堵した。

 

 ガンドは「指さしの呪い」と呼ばれるもので、その名の通り指を指した相手に向かって呪いをかける「魔術」であり、放出系とソラは強化系を応用して相手の免疫力を一時的に強化させることでジンマシン程度の軽いアレルギー反応を起こす程度の念弾を放つ能力。

 宝石魔術は、簡単に言えば呪いや魔術の効果を宝石などの鉱物に定着させて、投げつけたり簡単な呪文で魔術が発動する爆弾を作りあげる、やや操作系に近く思えるが宝石自体を自在に操る訳ではないので、オーラの性質を変える変化系、自分の体からオーラを切り離す放出系の複合能力。

 

 肝心の強化系をあまり使ってはいないとはいえ、比較的相性の良いとなり合う系統を使用しているのは、本当に幸運だった。

 この系統でもし、「投影」と呼ばれるどう考えても具現化系じゃないと扱えない魔術だったとしたら、眼も当てられない結果だっただろう。

 

「ま、でも能力が向上して進歩してるのならいいことだわさ。前までだと呪いとしても嫌がらせにしか使えない威力だったしね。

 で、ソラ。“流”や“堅”の修業はどうなってるの?」

 ビスケがようやくソラの進歩を褒めると目に見えて嬉しそうな様子を見せたが、その後に続いたビスケの問いにに「げっ!」と言わんばかりに顔を歪めた。

 ビスケは「ソラ? まさか、一人旅の気楽さでさぼってるとかないでしょうね?」と、見た目は天使の笑み、実質は仁王や阿修羅顔負けのオーラを放って弟子を問い詰める。

 

「……や、やってますよ。やってますよ、一人の時もちょっと虚しいなーとか思いながら一人で流々舞っぽいことやって、ちゃんと修行してますよ!

 でも仕方ないじゃないですかー! 私、ガチで体の作り違うんだから、上手くできなくても仕方ないじゃないですかー!!」

 ビスケのオーラから逃げるように目を逸らして答えたソラだったが、言ってて逆ギレなのか愚痴なのかよくわからないことを開き直って叫びだした。

 ビスケはその叫びを「うっさいわ」の一言で終わらせ、ソラの脇腹に手刀をぶっ刺してとりあえず黙らせる。

 

 それ以上は、「真面目にやってるのならいいか。仕方がない」と言わんばかりの顔をするだけで、何も言わない。

 念能力で言えば“発”にあたるガンドや宝石魔術より、基礎的であり戦闘には必要不可欠な四大行の応用系である、戦闘中に“凝”を滑らかに行う“流”や、“纏”と“錬”の複合型、全体防御の“堅”がソラは極端に苦手なのは念能力者としてかなり致命的だが、これも魔術回路の所為でソラ自身に責任はないのでビスケもあまりきついことを言うのは躊躇われた。

 

 魔術回路はオーラを生み出す炉心の役割を果たすので、それがないこちらの世界の念能力者よりソラの方がオーラ量は妙に多いのだが、同時に「魔術」を行使する際にオーラを巡らせる「路」である所為で、「魔術回路」が存在しない体の部位に上手くオーラを回せないという、こちらの世界の人間ならありえない欠点をソラは抱えている。

 

 全く回せない訳ではないので“纏”は特に問題がないのだが、彼女の魔術回路は手足と頭にあり胴体部にはない所為で、長時間オーラを放ち続ける“堅”を行えば、時間が経つにつれて手足や頭のオーラは余裕なのに胴部だけオーラ量が減ったり、手足への“凝”は滑らかなのに胴部へのオーラ移動が妙にぎこちなかったりと、この女は防御面が不安定すぎて、これこそがついついトラブルに全身を突っ込みに行くソラをビスケが心配してしまう最大の理由でもある。

 

 修行不足なら自業自得とほっとけるが、これは祖先の身勝手で非人道的な「魔術」への執着で阻害されているものの為、どうしてもビスケはソラに対して他の弟子より過保護で甘い対応になってしまう。

 が、同時にその心配があまり必要のない相手であることも、本当は知っている。

 

 本当は、ソラに念能力の修業をつける必要などなかった。

 むしろビスケは稀に、自分のしたことがとんでもない破滅をもたらすのではないかと思う。

 自分たちの、念能力者の「天敵」に、自分たちの手の内を教えてしまったのではないかという不安が、ほんのわずか、針でつけた穴程度の大きさだが、確かにそれは存在していた。

 

 そんな師匠の心を相変わらず弟子は知らず、カフェオレを飲み干して行儀悪くマドラーを口にくわえて、子供のように無邪気に指をさしながら言った。

「師匠師匠、展覧会やる美術館って、あれですかー!?」

 

 訊きつつも、答えを聞かずに走り出す弟子に「待たんか、バカ弟子!」と怒鳴りつけてビスケはその背を追った。

 その時にはすでに、不安など忘れ去っていた。

 

 しかしすぐさま、思い出された。

 唐突に立ち止まったソラの背中にぶつかって、ぶつけた鼻を押さえながら弟子に文句をつけようと、ソラの顔を見上げてた瞬間。

 

 ソラの眼が、夜明直前の藍から明度が増して上質なサファイアのような色に変化していることに気付いた瞬間、ビスケの背筋に悪寒が走った。

 

 * * *

 

 ソラの眼にわずかにオーラが集まるが、ソラが見ているもの、「見えているもの」は決して念能力ではなく、魔術でもない。

 これはただ、元々ある能力を無意識的に“凝”で強化してさらによく見えるようにしているだけ。遠くのものを見ようとして、目を細めるのと同じにすぎない行為。

 

 サファイアブルーに変化した目のままある一点を、美術館の入り口前で展示品などの搬入指示をしている責任者らしき男をソラはじっと見つめたまま、口の端を吊り上げた。

「師匠。思ったよりも厄介な相手が狙ってるっぽいよ」

 

 ビスケはソラの言葉に応えず、自分も“凝”でその男をよく見る。

 男は美術館の責任者ではなく、この展覧会主催のコレクターが雇ったボディガードなのか、綺麗な“纏”をしているが、ビスケ程の実力者なら“凝”で見てみれば一目瞭然だった。

 

 男の頭に、男のものではないオーラがわずかに埋め込まれていることを、“陰”で隠したおそらくは操作系のオーラの存在に気付きつつ、ビスケは隣のソラに尋ねた。

 

「……ソラ。あんたには、何に見える?」

 

 ビスケの言葉に、ソラは相変わらずマドラーを銜えたままシンプルに答える。

「死人」

 

 操作系能力者によって操られた人間は、能力者のオーラが送り込むための「アンテナ」を刺すなり取り付けるなりするのが一般的であるが、その場合大きく分けて二つのパターンがある。

 アンテナをつけられても生きており、操られる瞬間だけ意識や自我を奪われる、もしくは意識を保ったまま体の使用権を奪われるパターンと、アンテナをつけた瞬間オーラが脳を破壊して、完全なる操り人形にされるか。

 

“凝”を使えばよほどの能力者としてのレベル差がない限り、操作系に操られた、アンテナをつけられた人間を見つけることは可能だが、アンテナさえ外せばいいのか、もう既に脳死状態にされて手遅れなのかは、調査系・察知系に長けた念能力を持つ者ではない限り、普通はまずわからない。

 

 が、その調査系にも察知系にも当てはまらないはずのソラは、一目で確信して言い切る。

「あれは、完全に手遅れですね。もう死んでる。完璧死んでる。死んでるのに動いてる。

 もう完全に、ほぼ真っ黒」

「……そう」

 

 ビスケはソラの言葉に深くは追求せず、顎に手をやって考える。

 この展覧会を開催する動機自体がそもそも子供じみた顕示欲なので、展示される宝石のレアさなど関係なく、コレクターに対する嫌がらせか何かで絶対に何らかのトラブルが起こるとは踏んでいたが、念能力者を操り人形にするほどの手練れであり、そして脳を破壊するという非人道的な手段を使う相手に狙われているのなら、トラブルが起こった後にその犯人をぶっ飛ばして恩を着せるという手段は、あまりいい手ではない。

 

 この相手はおそらく、ガードマンや展覧会にやって来た客、コレクターも殺すことを躊躇わないタイプであることは一目瞭然だから。

 なので、ビスケは深々とため息をつく。

 

「……はぁ。正当な契約を結びたくなかったんだけどね」

「いーじゃないっすか。ホテル追い出されて泊まるところなかったんだし」

 

 ビスケの言葉にソラはケラケラ笑い、ビスケによってまたわき腹に手刀を刺されて悶絶する。

「いいから、あんたはちゃっちゃとやってきなさい」と悶絶している弟子を労わる気もなく、ソラが「死人」と称した男をビスケは指さした。

 

「あれ? 珍しいな、師匠が『あれ』を使えだなんて」

「操作系ってことは向こうは安全な場所から、こっちの手の内を見てる可能性が高いでしょう。なら、あんたの『あれ』が一番早く終わって、なおかつ『あれ』はちょっと見せた方が、向こうが勝手に深読みしてくれるからね。

 あたしでも能力ほとんど見せず一撃で終わらせることは出来るけど、この外見でそれが出来ると知られた時点で利点がなくなるわさ」

「元の姿のイケメンゴリラに戻って殴ればいいじゃん。あ、そうなると今度はババアが他のガードマンとかに銃撃されるか。妖怪だから」

「あんたをお望み通り元の姿で殴ってやろうか!?」

 

 ソラのいつもの軽口に、いつものようにマジギレするビスケ。

 そんなビスケのマジギレから逃げるようにソラは立ち上がって、「すみません、嘘です。ババアは妖怪ではなく妖精です」とフォローしてるのかまだふざけているのかよくわからないことを言いながら、念で操られて生きているふりをさせられている死人の元に歩いて行った。

 

 銜えていたマドラーを手にして、自分のオーラを完全に体の中に閉じ込めて。

 

「ア!? なンだ、お前ハ!?」

 死人は、いつの間にか自分の目の前までやって来ていた白髪の美貌、ソラの存在に驚きの声を上げる。オートである程度、生前の記憶などを参考に自然な言動が出来るようになっているのか、操り主が素で「いつの間に?」と思ったのかは、ソラにはわからない。

 

 そして、操り主はわからない。

 いつの間に目の前までやってきたのかは“絶”をしていたからであることは、人形を通して見ていたので予想出来ていた。

 そしてソラは、人形の目前に立っても“絶”のままだった。

 

 オーラを一切出さないまま、何かを人形の太ももに突き刺した瞬間、操り主のケータイ画面がブラックアウトした。

 

「………………………ありえない」

 たっぷり一分近く愛用のケータイを眺め続け、仲間から「どうした?」と声を掛けられてやっと発したのが、その一言。

 人形に突き刺したアンテナに込めたオーラが、たったの一撃、一瞬にして完全消失した現実をシャルナークが受け入れるまで、もう数分要した。

 

 * * *

 

 クロロ=ルシルフルがその宝石展を襲撃しようと決めたのは、ただの偶然とほんの気まぐれ。

 たまたま立ち寄った街で、それなりにレアな王朝の宝石や装飾品の展覧会をすることを知ったので、連絡がつくものにだけ「暇なら来い」と二日ほど前に伝えただけだった。誰も来なければ、一人で十分だとさえ思っていた。

 

 なので、やってきたメンバーはパクノダ、フェイタン、マチ、シャルナークの4人のみ。本当に暇で仕方なかった奴か、クロロと同じくたまたま近くにいた奴だけがやって来た。

 少数だがうまい具合に戦闘・治療・情報収集に長けた奴らが集まったのと、展覧会の主催者に危機感がまったく感じられないのもあって、これは楽すぎてむしろフェイタンあたりが消化不良でキレるかもなと心配したくらいだった。

 

 が、その心配が杞憂だと確信させる出来事が、昼間に起こった。

「楽勝だろうけど、少しは情報収集と手回ししとくよ」と言って、シャルナークが主催者が雇った展示品のガード役の念能力者を「携帯する他人の運命(ブラックボイス)」で操り、内部の情報を盗み取りながら自分たちに都合のいいように展示品の場所やらガードマンの位置を誘導させていた。

 

 その操っていた人形が、シャルナークの能力が一瞬で無効化されたことに、彼はしばらく「あり得ない! 何、あの白髪は!?」と叫びながら、パソコンの前にかじりついていた。

 これが普通に“纏”でもしてる状態で起こったのなら、相手は強力無比な除念師だと思えるが、白髪が“絶”状態でそれを行ったと聞かされたときは、旅団のメンバーはまず全員、フェイタンやクロロも含めてポカンとした顔になってから、「シャル、お前は疲れてるんだ。ちょっと休め」と思わず彼を気遣った。

 

 信じてもらえないのはわかっていたのか、シャルナークは「気遣うくらいなら俺以外の誰かもハンターライセンス取るとかしてよ!」と言いながら、ハッキングしてきた白髪に人形が刺された瞬間をちょうど映した監視カメラの映像を他の3人にも見せた。

 

 シャルナークの言う通り、白髪は“絶”状態のまま人形に近づき、彼が刺したアンテナを抜くこともなく、たったの一撃でシャルのオーラを消し去って、操り人形をただの死体に変えた。

 この一撃が頭でも心臓でもなく太ももというだけでもやっぱり信じられないのに、白髪が何を突き刺したのかを知って、全員が絶句する。

 

 プラスチック製のマドラーだった。

 それが人形の太ももに、まるでプリンやゼリーに突き刺すように深々と刺さって、人形は自分を操るオーラを失い、倒れた。

 

 念能力の常識をひっくり返すどころか、破壊しつくすこの映像の衝撃から初めに回復したのは、やはりリーダーのクロロだった。

 彼は驚愕に見開いていた眼を、わずかに笑みの形に細めて命じた。

「シャル。こいつの事を出来る限り調べろ」

 

 命じられた方も予想は出来ていたのか、「はいはい」と軽く応じながらも既に手は映像を見ながら他のパソコンのキーボードを高速で打鍵して、この白髪に関しての情報を探していた。

 

「団長、どうする気か? 盗むか? 仲間にする気か?」

「今、メンバーに空きはないじゃない」

「……4番あたりが今すぐ死んでくれないかね」

 

 団長の言葉に、どちらの目的にしろ白髪と戦えないことを不満そうにするフェイタンが問い、パクノダが細かいところにツッコミ、マチが若干遠い目で割と本気で願った。

 マチの言葉にフェイタンが「そうね。奴が死ぬのが一番ね」とノリ気になってしまった所で、一応クロロが「団員同士のマジギレは禁止だぞ」と注意してから、宙に目をやって質問に答える。

 

「どちらにしろ、まずは本人に会ってからだな。どんな能力かはこの映像だけではわからんが、もし除念師なら能力を盗むのも仲間にすることも出来なくても、金を払えばいいのなら何としてもツテだけは作っておくべきだろう」

 クロロの言葉にフェイタンはわずかに不満気だが、実際に「優秀な除念師を見つけるのは雪男を見つけるよりも困難」だと言われているのだから、納得した。

 

 どう見てもこの白髪は、優秀という言葉で済ませて良いレベルではない。天才という言葉でも、おそらくは足りない。そもそも、“絶”をしていたことからして、シャルナークのオーラを消したのは念能力かどうかも怪しい。

 

 そんな力を持つ相手を、さっさと殺してしまうのはもったいない。

 もちろんいくら金を積んでも絶対に自分たちの味方にならない、敵以外にあり得ないというのならクロロは躊躇なく殺すだろうが、ここは盗賊としての矜持をかけて何としてもあの能力を盗み出したいと思っていることは、子供じみたキラキラとした目の輝きが如実に語っていた。

 

 そんなやる気に満ち溢れてしまった団長に、「じゃあ、計画は宝石からこの白髪に変更?」とマチが尋ねると、クロロは心底不思議そうな顔で「いや。宝石ももらうぞ」と言い出す。

 どうせ一通り愛でたらその執着が嘘のようになくなって売り払うくせに、手に入れる前は子供のように強欲な自分たちのリーダーにマチとパクノダは顔を見合わせて、かすかに苦く笑う。

 その笑みは、まるで子供っぽい兄のわがままに対して「しょうがない」と言わんばかりの、家族のような独特の距離感が見える笑みだった。

 

 二人のその笑みに、自分の方が年上なのに年下を見るようなまなざしに、少しだけクロロはムッとしたが、シャルナークの「クロロ、とりあえず簡単なプロフだけは拾えたよ」という言葉で、気を取り直す。

 

「なんかさ、思った以上に厄介そうな相手だよ。戸籍がないんだけど、見覚えある?」

 シャルナークが監視カメラの映像よりはっきりと顔が写ってる写真を他のメンバーに見せるが、全員首を横に振る。

 戸籍が存在しないという事は、この白髪は自分たちと同郷。流星街の住人のはずなのに、いくら最近里帰りをしていなくても、ここまで顔立ちが整った相手なら少しくらい見おぼえがあるはずだが、全員の記憶にこの白髪は存在しない。

 

「名前は、ソラ=シキオリだから、マチと同じくジャポンの人間のはずだろうけど、見覚えは?」

「あぁ。歳も近そうだから、あそこにいたのならたぶん確実に顔と名前くらいは知ってると思う。間違いなく、こんな奴は知らない」

 シャルナークの念押しの言葉に、マチははっきりと否定する。シャルの言う通り、歳が近くて育ちはともかく生まれがジャポンのマチは、同じくジャポンで生まれて流星街に捨てられた同世代の人物がいたら、多少の興味が湧くはずなので、記憶に全くないという事はいなかったと断言できる。

 

「だよね。これだけでも興味深いのに、なかなか面白い経歴だよ。

 二ツ星ハンター、ビスケット=クルーガーの弟子。アマチュアで特定の何かをハントしてるわけじゃないけど、いろんなとこで色々やってるみたい。能力はやっぱりわかんないけど、除念が出来るのは確かだね」

 

 シャルナークはそれだけ言って、さすがに全部を口頭で説明するのは面倒だったので、パソコンのモニタを全員に見せる。

 クロロたちがざっとモニタに羅列された、ソラ=シキオリのプロフィールと経歴を読み取ってまず初めに同じことを全員が口にした。

 

『女だったのか』

「うん、俺もそれ思った」

 

 その頃、この上なく性別不詳なソラは豪快なくしゃみを5連続でかましていた。




ほぼ説明回だったので、ソラさんがあまりボケなかった。

魔術と念能力の共通点や違いについては、完全にこじつけの独自解釈捏造設定です。
一応、タイプムーンWikiを見ながらつじつま合わせをしているので、あまりにもおかしい所はないと思いますが、何かしら間違いや矛盾がありましたら遠慮なくご指摘お願いします。

ただ、基本的にハンター世界を主流に物語を進めるつもりなので、正確に言うと違うと理解しているうえで、強引な解釈でハンター世界に合うようにつじつま合わせしてる場合や、完全に私のミスで設定を勘違いしていたけど、その設定じゃないと話が破綻する場合などは、指摘されても間違いを正せずそのまま続行する可能性が高いです。
そのあたりは、ご理解とご容赦をお願いします。


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4:イケメン死すべし、慈悲はない

昨日、日間ランキング4位になってて「なんぞこれ……」て思いました。
お気に入り登録、評価、感想、閲覧をしてくださった皆様方、本当にありがとうございます。
GWは仕事で休日返上になってる日が多いのであまり更新は出来ませんが、なるべく頑張りますので、これからもお付き合いお願いします。

……にしても、せっかくランキングに入ったのに最新話がこのタイトルって。
タイトルに特に意味はありません。ただ、ソラさんが私の脳内で言い放った言葉です。


 腰に巻いたウエストポーチから無造作に突っ込んでいるようで、実際は強化を施して傷つかないようにしているそれらを一つ一つ丁寧にソラは取り出し、地べたに座る自分の前に並べた。

 それは、宝石。

 どれも小さくて小指の爪ほどはある、大粒のルビー・サファイア・ダイヤモンドにエメラルド。

 

 水晶などといったどちらかといえばお手軽な天然石の類もいくつかあるが、どれもこれも二ツ星のストーンハンターのお眼鏡にかなった上物。

 それらをすべてチェックしてからルビーを一つ手に取って、両手に包みこんで目を閉じる。

 

 掌の中の宝石を、自分の手の延長であると言い聞かせ、そして自分の中の魔術回路のスイッチを開く。

 これも念能力者と魔術師の大きな違いで、念能力者がオーラを出すのを例えるなら水道の蛇口なら、魔術師はスイッチ式。

 なのでソラは能力者よりも素早く“纏”から“絶”に切り替えたり、魔術回路がある部位への“凝”を行うことが出来るのだが、同時に言葉通り流れるようにオーラの量を変化させる“流”が苦手な理由その2でもある。

 

 そして、魔術回路は生まれつき持つものだが、精孔と同じく初めは閉じて眠っているものであり、修行によって開くことが出来る。

 そこからは本人の意思でオンオフが可能なのだが、オンオフが念能力者と違って明確な分、スイッチを入れる際に何らかの言葉をキーワードにしていたり、また回路が開いたきっかけの行動を再現する者が主流。

 

 ソラの場合、魔術の師である親が才能のない娘に期待していなかったので、最低限かつ乱暴な指導しかしなかったせいでどうしても体の内側にある魔力を外に出すイメージが出来ず、指先に針を突く程度であるが自傷がスイッチだった。

 そうやって自分の血を流すことでようやく、魔術回路から生成された魔力を外に放出して、宝石に魔力を定着させるイメージが出来たのだが、今現在はその自傷を必要としない。

 

 普通なら初めに回路が開かれたきっかけからスイッチに変化はしないのだが、そのきっかけを塗りつぶし、まだ開き切っていなかった、何本か眠っていた回路を全て全力で開花するほどのきっかけが3年前にあった。

 

 髪の色をなくして、世界を超える程にもがいて、足掻いて、逃げ出したものがあった。

 

 だから、今の彼女に必要とするのは自傷ではなくその時にただひたすら願った言葉。

 

「――死にたくない」

 

 掌に宝石を包み込み、ソラは目を閉じて闇の中で呟いた。

 

「死にたくない」

 

 あまりに本能的な、原初の願望。

 

「死にたくない」

 

 例えそこが必ず行きつく、逃れられない場所でも、ソラには耐えられなかった。

 

「死にたくない」

 

 例え、貫き通したい信念がなくとも、

 例え、成し遂げたい夢がなくとも、

 例え、何のために生きているのかを答えられなくても――

 

 

 

「私は、死にたくない」

 

 

 

 だからこそ、そのまま全てが生まれて全てが還りつく(うろ)の中になど融けたくなかった。

 

 その願いを口にして、ソラは開かれた魔術回路に流れるオーラ、生命力から魔術回路を通して変換された魔力を掌の延長に、宝石に流し込む。

 

 瞼を開けて、掌の中のルビーを窓から漏れる月明かりにすかして見てみれば、念能力者でも、宝石に関しての素人でも、少し勘が良ければ明らかにそのルビーは先ほどよりも輝きが増していることに、大きさやカッティングはもちろん、色味や明度に変化などないのにどこか人を引き寄せるものと化しているのがわかるはず。

 念能力者なら、それが何故かなど言うまでもない。

 

 その宝石にたっぷりと詰め込まれたソラのオーラが解き放たれた時、どんな効果がうみだされるかまで理解できる能力者がいるかどうかは、不明だが。

 

「よっしゃ、OK。……今更だけど、なーんで私は魔術師の親や魔法使いのジジイに教わるより、念能力者のババアに教わった方が、魔術が向上してんだか? ま、親やジジイはろくに教えてくれなかったからってのはわかりきってるけど」

 

 本当に今更なことを口にしてから、魔力を充填したルビーを仕舞い、他の宝石も同じように魔力を送り込んで定着させて、自身の武器を、魔術礼装を強化させていった。

 

 一通り魔力を充填したタイミングでケータイが鳴り、あたりは誰もいない夜の無人の美術館というのもあって、ソラは思わず一回飛び上がってから電話を取る。

「もーなんなんすか、師匠。今めっちゃびっくりしたんですけどー」

《……ほう。異常はなかったかっていう確認の電話にそんなにビビったってことは、あんた、集中してなかったってこと?》

「あ……」

 

 * * *

 

 自分から開口一番に盛大すぎる自爆をかましたことに気付き、思わずケータイの通話と電源を切ってなかった事にしようかと思ったが、そんなことをした方が後が怖いことを思いだしてやめた。

 思い出したということはこの女、既に一回実行済みである。

 

「いや、別にサボってたとか寝てたとかじゃないですよ! いつ戦闘になってもいいように、宝石に魔力充填して礼装を強化してただけですから!

 で、ちょうど終わって一息ついたタイミングだったからびっくりしちゃっただけですってば!」

『そもそも、何で今やってる!? 昼間の内に終わらせとかんか! あんたはただでさえ“円”も苦手なんだから、しっかり神経張り巡らせときなさい!!』

 

 言い訳を口にしてみたが、言われてもっともな説教が返ってきてソラはケータイを耳から話してその説教を受け流す。

 ちなみに、ソラが“円”も苦手な理由はやはり魔術回路が原因。

 体の中にオーラを巡らせるはっきりとした路がある分、体内から出ていきにくい性質を持つため、オーラを広範囲に広げる“円”はソラにとって、“堅”や“流”以上に苦手分野だったりする。

 

 その代りオーラが出ていきにくいので、特に魔術回路が存在する手足、頭の部位に対して“硬”の上達は異様に優秀だった。

 しかも強化系かつ魔術回路のおかげで平均よりオーラ量がやたらと多いのもあって、ソラは“硬”による攻撃威力だけならビスケを既に上回っている。とことん、防御方面に関してのみ不安要素がそろっている女である。

 

「はーい、ごめんなさーい」

 全く誠意の感じられない返事にビスケの血管がぶちっと何本か切れかかったが、今キレても本人は痛くもかゆくもないので、キレるのは仕事が終わった後、自分は展覧会を主催するコレクター本人、ソラはすでに美術館に搬入されていた宝石の警護という今晩の仕事を終わらせて合流した後だと、その時にバカ弟子にかます関節技を脳裏にいくつかピックアップしながらビスケは自分に言い聞かせる。

 

《あと、ソラ。あんたわかってる?

 あんたの仕事は、宝石の警護。わかってる? 宝石よ、宝石! あんた自身じゃなくて、むしろあんたが身を盾にして宝石を守るのが仕事なのよ!?

 面倒だからって、美術館丸ごと崩壊とかさせるんじゃないよ!!》

「善処します!!」

《勢いよく返事して誤魔化そうとすんな! あんたの『善処』は、『多分忘れるけど覚えてたらやるかもしんない』でしょうが!!》

 

 一番の懸念事項の確認をしたら、予想通り頭の痛くなるような返答をされてビスケはもう一度怒鳴りつける。

 もちろん、ビスケとしても本当は仕事の責任や信頼、宝石そのものよりソラの命の方が大切なので、死んでも仕事を、宝石を守ることを優先しろとは思っていない。骨の5,6本程度なら、むしろ折られて反省しろと思っているが。

 

 そしてこの弟子は、こちらの世界にやってきた経緯が経緯なので、たとえ何を犠牲にしても自分の生存を最優先事項としているのも知っており、それも仕方がないことなので口出しする気はさらさらない。

 が、ソラは自分と同じくらい「他者」の命を尊重して守ろうとしている部分もあり、そのせいかそれ以外、物品やら建築物に関しての被害や犠牲に対してかなり無頓着なのだ。

 

 そのことを良く知っているので、ビスケとしてはこの仕事を正式に契約した際、コレクターと宝石を一か所にまとめて、自分とソラが一緒に警護につくか、もしくはソラをコレクターの護衛につかせたかったのだが、権威主義な俗物、そして自分が一番可愛い小心者の雇い主ではその要望はあえなく却下された。

 

 プライドが高いので、展覧会は中止にしたくない。でも、宝石狙いの念能力者な強盗が来るかもしれない美術館にはいたくない。

 自分も宝石も守って欲しいが、見た目は子供とはいえプロハンターのビスケはともかく、アマチュアで戸籍もないソラは信用できない。

 

 何より、操られている事、アンテナを刺された時点でもう死んでいたと説明されても、まさかの太ももにマドラーを刺しただけで念能力を無効化させたソラを恐れて、傍に置きたくなかったのだろう。

 ソラがビスケの交渉や説得もむなしく、雇い主の護衛ではなく美術館の警護にたったの一人きりで任された一番の原因はそんなところだろうと、ビスケは踏んでいる。

 

 一応、そのこと自体は悪い判断ではないのでビスケ・ソラの両者ともに了承している。操作系能力者相手なら連携がろくに取れない他人が多数いれば、それは相手に武器を渡しているも同然なので、ソラ一人に任せるのは決して悪手ではない。

 それでもソラを人間扱いせず排斥するような扱いにビスケの方は苛立っているというのに、当の本人はのほほんといっそ排斥されたことに対しての八つ当たりで、わざと壊そうと思っている方がマシな発言を笑って答える。

 

「大丈夫ですよ~。さすがに建物倒壊させたら私が危ないから、せいぜい柱と床と壁と天井と展示品が壊れるくらいで済ませます!」

 

 もうそれは美術館全部だ、と突っ込む気もビスケには起きなかった。

 このバカ弟子に何を言っても無駄と諦めたのが、半分。もう半分は、本当に、柱と床と壁と天井と展示品だけで済むのならマシな方だから。

 

 本当にそれがマシなくらい、言葉通り美術館が一瞬で崩壊をさせることがこの弟子は「うっかり」レベルで可能なことを、ビスケは知っている。

 

《……もう展示品だけでも守ってくれたらそれでいいわさ》

 あまりにも最低限極まりない指示を出し、ビスケは美術館の被害の言い訳をどうするかを今から考え、当の弟子は「かしこまり~」と答えた直後。

 

 ビスケの“円”の範囲内に侵入者が足を踏み入れたのと、美術館の窓ガラスが一気に割れる音は同時だった。

 

 * * *

 

 電話から向こうも同時に襲撃されたことを理解しつつも、ビスケは特に指示も出さずに通話を切って、雇い主であるコレクターの部屋に向かう。

 襲撃され、戦いが始まったのならもうソラに何を言っても無駄なので、何も言わない。

 

 あのバカ弟子は勝手に動いて、どれだけ無様でも情けなくても、何を犠牲にしても生き延びることを信じて、ビスケは雇い主の部屋のドアを蹴破って、パニックを起こして騒がれて暴れられたら一番面倒なので、ビスケの豪快な帰還に唖然としていた雇い主の延髄に手刀を決めて、とりあえず眠らせた。

 

 ビスケの判断は正しかったと証明されるのは、数分もかからなかった。

 

「あれか?」

「あぁ、間違いない。二ツ星ハンターのビスケット=クルーガーだ」

「本当に見かけは子供なのね」

 

“円”で気配を察知した時点でわかっていた、高レベルの念能力者が三人。黒衣を纏う小柄な男と、ジャポンの民族衣装をまとう少女、そして胸が豪快に開いたミニスカスーツのグラマラスな女が真っ直ぐ雇い主の部屋に、ビスケの元にやってきた。

 オーラとともに濃い血臭を纏いながら。

 

 ビスケの他にもボティガードは雇われており、そのうち数名は四大行をマスターした程度とはいえ念能力者だったというのに、三人は怪我どころかわずかな疲弊した様子も返り血も浴びず、悠々と自分の元にやって来て仲間内で雑談を交わしている。

 

 傍から見ればビスケの外見に騙されて余裕だと思っているように見えるが、ビスケの人生経験による観察眼がそれは違うと告げている。

 この三人組は、人を殺すことも念能力者と戦うことも、自分が死の淵に立たされることも日常茶飯事としてとらえている。

 だから、ビスケを必要以上に警戒はしない。警戒のし過ぎは、視野を狭めて思考や行動に柔軟さを失わせることを彼らはよく知っているから、自然体でリラックスをしながらも、ビスケがどのような行動に出ようとも対処できるように彼女から決して視線を外さない。

 

 一人でも厄介そうな相手だというのに、三人というのはさすがにきついとビスケは内心で舌を打ちながら、眠らせた雇い主の前に立ち、まずは尋ねた。

「あんたたち、何であたしのことを知ってる?」

 

 積極的にメディア等へ顔を出して名を売るタイプではないが、自分の存在を隠し通すタイプでもないビスケなので、自分の名やハンターとしての功績を知っているだけならスルーするのだが、この三人の発言はたまたま知っているプロハンターを見かけたというより、初めからここにいることを知っていた、もしくは目当ては雇い主ではなく自分の方であるようなニュアンスがあったから、答えは期待していなかったが一応訊いてみた。

 

 すると、グラマラスな女がビスケの問いを無視して向こうから質問をしてきた。

 が、その質問はビスケの疑問の解答同然だった。

 

「ソラ=シキオリの師匠よね?」

 

 その問いで知る。

 この三人は雇い主に何かうらみがある訳でも、誰かに雇われて殺しに来たわけでもない。

 目当ては、自分のバカ弟子であることを察する。

 

 一瞬だけ強張ったビスケの表情を肯定と受け取り、男は傘を取り出し、少女は手首につけたピンクッションから一本の縫い針を取り出す。

 そして女は軽く右手を上げて、ビスケに告げる。

 

「大人しくあの子の能力について話した方が身の為よ」

「……それは、こっちのセリフだわさ、ガキども。今すぐに尻尾巻いて帰った方が痛い目見なくて済むけど、どうする?」

 

 女の言葉を鼻で笑い、ビスケは構えた。

 もうこれだけのやり取りで、何が目当てなのかを理解して、本気で笑えてきた。

 

 おそらくこの三人は、昼間の男を操っていた操作系能力者の仲間。あの念能力を一撃で無効化した事実を知り、ソラの力を欲したのか恐れたのかまではわからないが、それはどうでもいい。

 どちらにせよ、その要求には意味などないのだから。

 

「餓鬼はどちらね」

 男がビスケの反応に不快感を示し、片言で呟いて傘を構える。

 それをやはり馬鹿にしたような目でビスケは眺める。

 

 奴らの要求が無意味な理由は二つ。

 一つはビスケはどんな拷問を受けても、ソラの能力に関してはもちろんソラに関しての情報を何一つ流す気など欠片もにないから。

 

 もう一つは、例え操作系能力によって操られても、特質系能力かなにかで心を読まれて情報を盗まれたとしても、ソラの持つ「眼」の力を知ってもそれは、利用も出来なければ対処法も限られている。

 

 あれは、存在しているのなら、生きているのなら、死人であっても、無形であろうが、例え神であっても逃れられないものなのだから。

 

 * * *

 

 ビスケが三人の手練れと対峙していたその頃のソラはというと……

 

「ぎゃーっ!! 反則反則反則! 無理無理無理!!

 何でこの世界は、凛さんとかルヴィアさんみたいにガンドをガトリングみたいに掃射できる奴がいっぱいいるのーっ!?」

 

 ひたすら苦手な“堅”で四方八方から跳弾してくる念弾をガードしながら、早速「展示品だけは守れ」という指示を忘れ去って、美術館内を逃げ回っていた。

 

 美術館のガラスが割れて侵入してきたのは二人。そのうち一人は、昼間にソラが殺したすでに操られていた死人と同じであることはやはり昼間と同じく見ればわかったが、今度の操り人形は厄介なことに念弾を駆使する能力者だった。

 しかも、まずは掌より一回り大きいくらいのオーラの塊を生み出したと思えば、それをボールのように地面に叩き付けると、オーラがピンポン玉程度の大きさに分裂して、スーパーボールを叩き付けたようにあちこちに跳弾しまくるという能力なので、“円”が苦手、防御も苦手、接近戦が一番有利なソラからしたら天敵のような相手だった。

 

 唯一幸いなことは、散弾して跳躍しまくるせいで威力も拡散されているのか、念弾の威力はさほど高くないので、苦手とはいえ“堅”状態のソラはもちろん、強化ガラスで覆われている展示品は今のところ被害はなく、ビスケがもはや諦めて出したせめてもの希望は、ソラがあまり関係ない所で叶ってはいた。

 

 そんな逃げ惑うソラに、操り人形の少し後ろで金髪の優男……シャルナークがケータイを操作しながら声を掛ける。

 

「あははは~。どーしたの? もしかして、接近戦専門で遠距離に対応できる能力はなし?」

「うるせぇイケメン、爆発しろ!! てめー、絶対にガンドぶち込んでやる! 私のガンドはアレルギー反応引き起こすけど、アナフィラキシー起こせるほど強くないから覚悟しろ! 5時間はただひたすらに痒いぞ!!」

「意味わかんないけど、嫌がらせとしては優秀そうだねそれ」

 

 シャルナークは事前にある程度彼女の事を調べたとはいえ、互いに初対面だというのに割とノリの良い会話を繰り広げる。

 元はさすがに自分の念能力を一撃で、しかも使い捨てのマドラーで無効化されたことに警戒心と、それ以上にプライドを傷つけられた意地がいつもの張りついた優男風の笑顔の裏にあって、わざわざハンターサイトから適当な依頼を出してプロハンターという操り人形を早急に用意したのだが、今現在のシャルナークは実はちょっと、ソラの珍行動と頓珍漢な叫びを面白がっている。

 

 もはや珍獣の観察に近くなっているが、それでも旅団では頭脳(ブレーン)の役割が強いシャルナークは、いつもの笑顔のままソラの「能力」に関して注意を払う。

 先ほどの自分の発言で言質は取れなかったが、念弾は無効化できず普通に“堅”で身を守っていることからして除念にはクロロの能力のように、複雑な手順が必要か接近しなければできないものだと判断する。

 同時に、謎の「ガンド」という単語はおそらく念弾であることは会話とソラの独り言で見当がついているので、今は人形の念弾でそれを使う余裕はないらしいが、遠距離戦に対応可能であることも察する。

 

(そろそろ、頃合いだな)

「早くオーラ切れろくそったれーっ!! オーラ切れた瞬間、絶対に淑女のフォークリフト決めてやる!!」

「何その技。超気になる」

 

 組み合わされるはずがない単語を組み合わせた技名に、割と本気でシャルナークが興味を持った瞬間、ぶわりと広がるオーラを感じて、ソラとシャルナークがそちらに視線を向ける。

 

 どちらも動体視力は一般人よりはるかに優れているが、それでも割れた窓ガラスから飛び込んで来た者はただの黒い塊にしか見えなかった。

 その黒い塊にしか見えなかったものを人だと認識した瞬間には、シャルナークの操り人形の片腕がその乱入者の“凝”を施した手刀によって切り落とされていた。

 

 シャルナークは軽く目を見開き、顔に浮かべていた胡散臭い笑みを消して人形とともに後ろに跳んで、乱入者から距離を取る。

 その一連の動きをポカンとした顔で見ていたソラに、乱入者は、喪服じみた黒スーツに身を包んだ、黒髪眼鏡でシャルナークとはタイプが違うけれど負けず劣らずの優男が、ソラに駆け寄って声を掛ける。

 

「お前が、ソラ=シキオリか?」

「誰だよ、イケメン2号。爆発しろ」

「は?」

 

 まさかの開口一番に「爆発しろ」と言われて、一瞬男は戸惑ったが、その発言はとりあえず無視してソラの疑問に答えた。

「あぁ、お前と同じ雇い主に雇われたハンターだよ。向こうにも襲撃があってな、お前の師匠にこっちはいいから弟子の方に加勢に行ってくれって頼まれたんだ」

「そっか。ありがとう、イケメン! 爆発しろ!」

「何でだ!?」

 

 説明して加勢に来たというのに、礼を言われつつもやたらといい笑顔で爆発を望まれたことにはさすがにスルー出来ず突っ込んだ。

 

「……うーん、ちょっと不利かな?」

 そのやり取りにシャルナークもちょっと笑いをこらえるように、口元を手で隠しながらも冷静に現状を把握して呟く。

 

 その呟きを聞き逃さなかった男が、ソラの謎のボケ発言から気を取り直して、彼女に言う。

「とりあえず、展示品を最優先で守れという指示だ。相手はあの二人だけなら、深追いはするな」

「はいはい、りょーかい」

 

 男の言葉に、ソラはあまりにも軽い返答を返す。

 

 自分を庇うように近づき、シャルナークと操り人形に対峙する男の首に背後から、自分の人差し指を突き付けて。

 

「ガンド」

 

 * * *

 

 西部劇のガンマンが銃口から上がる煙を吹き消すように、自分の指先にフッと息を吹きかけてソラは、自分と対峙する男たちの様子を、ニヤニヤと笑って眺める。

 

「あはははっ! 大丈夫、団長? なんかあのこの念弾、当たると5時間は痒いらしいよ」

「何だそれは。嫌がらせか?」

 爆笑するシャルナークに、指先が突き付けられた時、とっさに飛びのいて彼の元までやって来てしまった黒づくめの乱入者、加勢にやってきたと語った男は度の入っていない眼鏡を投げ捨てて、下ろしていた前髪を掻き揚げる。

 

 その額には、十字の刺青がはっきりと刻まれていた。

 

「せっかく胡散臭い変装したのに、即バレって情けないなー、団長。はははっ!」

「うるさいぞ、シャル」

 

 爆笑するシャルナークを横目でクロロは睨むが、リーダーと部下とはいえ兄弟同然の幼馴染相手なので、シャルナークは笑いを止めず涙目で腹を抱え続けている。

 クロロの方も旅団のリーダーとしても命令は絶対だが、クロロ個人の言う事を盲目的に従う奴ではないことはよく知っているため、「ヤバい、腹筋痛い。息苦しい」と言ってうずくまるシャルナークは放っておいて、ソラの方に話しかける。

 

「それにしても、よく即座に気付いたな」

 

 称賛と言えるほどではない微細なものだが、わずかに感心が含まれたクロロの言葉にソラは、腰に手をやり、ない胸を張って堂々と答えた。

 

「はっ! 気付くに決まってんだろ! うちのババア本人が私をぶん殴ってでもやりすぎないように止めろって言いに来るならまだしも、他人を私の加勢に持ってこさせるわけねーんだよ!!

 あと、性格の良いイケメンは存在しないからイケメンは基本的に信用しない!!」

 

 最後にクロロとシャルナークに向かってズバッと指さして言い放ったセリフに、シャルナークはまたしても噴き出し、クロロはいつもの余裕を携えた笑みのまま素で訊いた。

 

「お前はイケメンに何の恨みがあるんだ?」




ソラ「いや、別に何もないよ」

ソラにとって「爆発しろ」はイケメンと出会った時の挨拶です。

あと、期待されたら申し訳ありませんがビスケの戦闘シーンは書く予定がありません。
ビスケの戦闘は、マッチョバージョンでひたすら肉弾戦か、マジカルエステ以外に戦闘用の念能力を持っているのかが不明なので、書かない方がいいなと思いました。

ところで、淑女のフォークリフトはガチで本編でソラに使って欲しんだけど、誰に使ってもシュールすぎるから悩んでます。
今のところ、一番この技を掛けられる候補者はヒソカさんなんですけど、喰らっても喜んでそうなのが嫌だな。


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5:その眼の名前

Profile

名前:ソラ=シキオリ
誕生日:2月12日
年齢:21歳
身長:169㎝
体重:50㎏
出身地:異世界
念の系統:強化系





 一番理想的なのはソラ=シキオリが仲間になる事だったが、現在空き番がないことに加え、シャルナークが大ざっぱに調べたソラの経歴に犯罪行為はなかった。

 いや、正確に言えば器物破損どころか建築物をいくつか崩壊させているし、相手の手足を切断という取り返しのつかない傷を負わせたことも少なくないが、それはシャルナークが調べた限り、犯罪者や念能力者との闘いの結果であり、師であるプロハンターの庇護もあってたいていが正当防衛の事故扱いで、せいぜい損害賠償程度で済んでいる。

 

 つまりは、同じ戸籍がない人間でもクロロたちとは違って闇ではなく光側を歩いて、生きているような女だった。

 

 なので、A級賞金首の仲間になれと言われてOKする相手ではない可能性が高かった。

 ビジネスの関係を結ぼうにも、この女は除念を商売にしている訳ではないらしいので、ゾルディックのように金さえ払えば誰でもというプロ意識も期待できなかった。

 

 その為、クロロが思いついて実行したのが「加勢に来た真っ当なハンターと思わせて、とりあえず信頼をまずは得る」だった。

 能力柄、演技と口車には自信があった。例えビスケと合流すればすぐにばれる嘘でも、長期的に騙す必要性はないので、特に何も考えずただこの場で一番自然であろう流れの嘘を並べ立てた。

 

 必要なのは、この女にあの除念と思わしき能力を自分の前で実演させることと、その能力に関する質問の答え。

 それさえあれば、先ほどからシャルナークが操る人形相手にただひたすら無様に逃げ回るしか出来てないたこの女なら、いくらでも隙をついて気絶させることが出来る。

 それさえ済めば、ソラから能力を盗み取ることが出来るとクロロは思っていた。

 

 盗んでも、自分には使用できない可能性は承知の上。

 昼間の出来事をふまえれば、絶状態で相手に近づきオーラを込めた物品を刺すが、その能力行使の条件である可能性が高く、それなら盗むことが出来ても「盗賊の極意」を具現化して手に持っていなければならないという制約を持つクロロにとっては無用の長物と成り果てる。

 が、あの一撃で他人の念能力を無効化する力は、たとえどんなに使用条件が困難でも敵に回れば脅威なのは間違いないので、クロロが使えなくとも奪って無力化しておいて損はない。

 

 それに、どちらかというと真っ当な道、光側を歩いているとはいっても、流星街出身でもないのに戸籍がないという身分が真っ当な人間なわけがない。

 自分たちと同調しそうな人間なら、能力を盗まずともビジネス関係を結ぶことが可能かもしれなかったので、とりあえずどんな人間かを知ることに損はないと考えた。

 

 だから仲間に「胡散臭い」と爆笑された変装でまずは近づいたのに、まさかの即バレ。それも、前半はともかく後半は予想外すぎる理由でだ。

 

「お前、本当に女か?」と心底呆れながらクロロが言うと、ソラは真顔で「悪かったな、絶壁で」と胸を張る。

 そこは誰も、何も言っていない。しかも何故、そんなに堂々と自分から言い放つんだ? と突っ込む気力はさすがにクロロにはなかった。

ちなみにシャルナークは、その場に蹲って爆笑していた。

 

「っていうか、マジで何なんだよお前らー!

 展示品目当てならもうちょい、大人しい方法使えよ! 何で私ごと念弾で撃ち抜く気満々なんだよ! 私はイケメンは嫌いじゃないけど特に好きでもないから、来るんなら私じゃなくてババアの所に行けよー! よだれ垂らして歓喜するからさー!!」

 

 さすがのクロロも、シリアスをブレイクさせるどころかシリアスの芽が生まれた瞬間、爆砕させてくる女など初めてなので、反応に困っていたらソラの方が先にキレて叫び出す。

 

「お前らの目的は、展覧会の宝石なのか宝石の持ち主への嫌がらせなのか、はっきりしろよ! それとも、ただ戦うのが好きなだけか!? それなら、場所移動を要求する!

 ここだといざという時に私がめっちゃ逃げにくい!!」

「仕事する気ないのか、お前は」

 

 どこまでも自分の調子を狂わせる女に、まだ何もしていないというのに疲労が溜まってゆき、割と本気でもう帰りたいとクロロに思わせるという、誰にも誇れない快挙をソラは成し遂げる。

 ただ、ソラの頭が痛くなる言動でも一つわかることがあった。

 

 それがクロロの欲するものを得る良い交渉材料になると理解して、彼は眉間に指を置いて頭痛を堪えながら彼女に告げる。

 

「……場所を移動する必要も、逃げる必要もない。

 ソラ=シキオリ。俺たちと、取引をしないか? お前がこの取引に応じれば、俺たちはお前に一切の危害を加えないことを約束しよう」

「いいよ。じゃ、お引き取りお願いします」

「せめて取引の内容を最後まで聞け!!」

 

 長い付き合いだが、クロロがキレて突っ込むのをシャルナークは初めて見て、また爆笑した。

 

 * * *

 

 爆笑するシャルナークの頭を一回どついて黙らせ、クロロはなんとか気を取り直して取引の内容を語る。

 

「まぁ、こちらが要求するのはシンプルに一つだけだ。

 俺たちに何らかの念能力をかけられた際の『除念』。それだけだ。別に今回のように俺たちの仕事とブッキングした際に、俺や団員の念を除念するなとは言わない。ただ俺たちは、専属の除念師が欲しいだけだ。

 だから、この取引に応じれば自動的に俺たちは絶対にお前の敵に回らない。自分の病を確実に治癒する医者を殺す患者などいるわけがないだろう?」

 

 クロロの見立てが正しければ、ソラという女にビジネスのプロ意識は期待できないのは、先ほどからの言動で嫌になるほど理解できた。

 だから交渉材料は、金ではなく命。

 

 彼女は、自分の生存を最優先していることは明白だった。だからこその、あの頭の悪い言動の数々だ。

 

「だが、この取引に応じなければ、お前を殺す。こちらの利にならないのであれば、お前は厄介な敵でしかないのだからな。

 お前が取引に応じるなら、俺たちはおとなしく今日は退こう。まぁ、宝石は諦める気はないが、お前の顔を立てて、お前が雇われている間は襲撃しない。

 ……さぁ、どうする? ソラ=シキオリ」

 

 答えなどわかっていた。というか、先ほど即答していたが、それでもクロロはもう一度ソラの口から答えを引き出そうとする。

 

 クロロには、ソラの自分の命に対する執着は全く理解できなかった。

「死」はいつだって自分の傍らに存在するものであることを、クロロはもちろん彼の仲間は皆、言葉を覚えるよりも先に知っていた。

 

「死」を忌避はしていない訳ではないし、もしも仲間が死ねば、それが旅団結成時の古株、家族同然の幼馴染たちならその喪失感は永遠に埋められないことも想像がつく。

 だから自分からその「死」に飛び込む気はサラサラないが、それでもいつだって隣り合っているものなのだから、別にいつ訪れても恐怖はない。ただ、運が悪かったな、失敗したなと思うだけだろうと確信している。

 

 ゆえに、ソラの「自分の命に対する執着」に関して、クロロは全く理解できないし、しようとも思わない。

 が、その無様なまでの足掻きと、傍から見たら意味がないと思われるものに対しての執着そのものに関しては、何故か妙に近いと感じた。

 親近感と言えるほどではない。けれど、確かにそれは近かった。

 

 自分の命に対しての執着を捨てる代わりにクロロが執着するのは、命よりも守って遺して生かしたいのは、幻影旅団という存在。

 

 自分がいなくなった後も、幼馴染たちがいなくなった後も、幻影旅団という大グモの存在だけが残って生き延びて何になる? と問われたら、クロロは何も答えられない。元々、動機の言語化は苦手だが、これはもはやそういう問題ではない。

 

 それは、生まれたのならいつか死ぬという当たり前にして最大の矛盾の中でも、生きたいと願って足掻く原初の願いと同じ、結局は別側面に執着して足掻いているにすぎないのかもしれない。

 

 だからこそ、答えなどわかっていた。

 それでも、その口からはっきりと聞きたいと思った。

 

 自分個人という存在に執着して生き延びようとする女に、個人という枠組みを捨てて旅団という存在に永遠を求めた自分自身を見たことに、クロロは気づいていなかった。

 

「……その前に、一ついい?」

 

 そんなクロロにひどく遠くて違う、なのにあまりに近くてどこか似ている女は、先ほどは即答で了承したというのに、何故か話を聞いたら今更かつもはやどうでもいい部分を気にして、学校で生徒が教師に質問するように手を挙げてから訊いた。

 

「そもそも、お前ら何なの? 団長とか呼ばれてるけど、サーカス団か何かなの?」

 

 あまりに今更過ぎる問いに、クロロはもちろんソラの発言にウケっぱなしだったシャルナークも脱力した。

 この女、自分の相手がA級賞金首であることを全く理解してないまま、今までボケ倒していたらしい。

 

「…………………あぁ、そうだな。まったく俺たちは名乗ってなかったし、入れ墨も見せてなかったな」

 何とか抜けた力を入れ直して、クロロは声を絞り出す。

 

「俺たちは、『幻影旅団』だ。

 そして、俺はその頭。クロロ=ルシルフル」

 

 クロロが絞り出した声で告げた言葉は、さすがにアイドルに会ったようなテンションで騒ぎもしなければ、「ふーん」と軽く流されることはなった。

 先ほどからの言動からして、この女がする反応はその二通りだろうと覚悟していたクロロだが、予想外にソラは真っ当な反応をした。

 

「……………………『幻影旅団(クモ)』?」

 

 ミッドナイトブルーの瞳を見開いて、ただそれだけを呟いた。

 

 * * *

 

 予想外ではあったが、さすがにA級賞金首の盗賊団の名を聞いてもふざける度胸はなかっただけだと思った。

 ただ驚愕しているだけだと思った。

 

 そして、知ったのならばもはや答えは決まったも同然だと信じて疑いなどしていなかった。

 

「「!?」」

 

 とっさに、クロロとシャルナークは後ろに飛びのいて、シャルは先ほどから棒立ちさせていた人形を盾にするため走らせた。

 

「焼き払え」

 ソラの女性にしてはやや低い声が、短く命じる。

 それは、起爆の言葉。

 

 クロロとシャルに向かって投げつけた、自分のオーラを、魔力をたっぷりと充填した宝石を、そこに定着させた魔術を起動させるためのスイッチを口にする。

 

 投げつけられて宙に散らばった宝石が、一瞬光を放ってそのまま連鎖的に爆発を起こし、念能力者とはいえ操られて、そのうえペース配分もなくシャルナークによって念弾を連発させられていた人形がその魔力、オーラによる爆発に耐えられるはずもなく、あっという間に火だるまとなる。

 

 が、それでひるんだり動けなくなったりはしないからこそ、操り人形。

 シャルナークの高速の打鍵によって与えられた命令に従って、人形は全身が燃え盛ったまま、むしろ自分についた火を武器にしてソラの方に向かってゆく。

 

 しかしそれも、予想済み。

 数分前まで、自分の未熟な“堅”でも防ぎきれるような念弾に、ぎゃーぎゃーと騒がしく叫びながら逃げ回っていた人間と同一人物とは信じられないくらい静かに、彼女は自分のツナギのポケットから取り出したもので、自分に灼熱の抱擁を与えようとした腕を、切り払った。

 

 燃え盛る腕がクルクルと宙を舞う。

 そしてその腕が床に落ちる前に、ソラは突き刺した。

 

 操り人形の左目にソラが何かを突き刺した瞬間、昼間の人形と同じくシャルナークのケータイ画面がブラックアウト。

 人形のオーラは掻き消えて、そのまま力なく崩れ落ちた。

 

「……何のつもりだ?」

 

 尋ねながらも、クロロは冷静に現状を見ていた。

 交渉が成立しなかったのは予想外ではあったが、仕方がない。能力を盗む条件が一つクリアしただけでも良かったと思うと同時に、「もしかして」と思いつつ「ありえない」と思っていた可能性を思い出す。

 

「……別にさ、お前らが犯罪者だからとかそういうのは関係ないんだ」

 クロロの質問の問いなのか、ただの独り言なのか、それともクロロ達に対する何らかの宣言なのか判別のつかないことをソラは呟く。

 眼は見えない。俯きながら、眼の疲れを取るように眉間を左手で揉んでいるからだ。

 

 そんなことをしていなくても、現時点ではシャルナークもクロロも、ソラの目になど注目はしていなかった。

 二人はただ、だらりと下がるソラの右手を見ている。

 そこに持っている物を見て、シャルナークがひきつった笑顔で呟いた。

「……マジで?」

 

 彼女が持っていたものは、3本セットがワンコインショップで買えそうな安っぽい大量生産のボールペン。

 それだけなら、その衝撃はもうすでに昼間の監視カメラで、太ももに刺さった使い捨てのマドラーで受けていたので別に驚きはない。

 

 問題は、そのボールペンには今はもちろん、間違いなく人形の腕を切り飛ばした瞬間も、シャルナークの念能力を無効化させて人形を機能停止にさせた時も、オーラを込められていなかったということ。

 

 監視カメラの映像と、シャルナークの言葉で「まさか」と思っていたが、クロロやほかの団員はもちろん、その攻撃を受けてケータイ画面越しとはいえ一番近くで見ていたシャルナークも、ある前提が完全な固定概念になってそれ以外の可能性に気付いても、その可能性を考慮どころか意識する前に「ありえない」と切り捨ててしまっていた。

 

 この世の「魔法」「超能力」「奇跡」「異能」と呼ばれる類のものは、すべて「念能力」であるということを大前提にしていた。

 その前提を、彼らの世界を根本から崩し、壊し、殺しつくす力を持った女は俯いたまま話を続ける。

 

「私は死にたくないからさ、他人の『死にたくない』とか『生きたい』とかについ、感情移入しちゃうんだよね。だから、犯罪者だろうがなんであろうが、殺したくないんだよ。基本的に。

 ここで殺さないと犠牲が増えるとか何とか、他の誰かから言われても嫌なもんは嫌。死にたくないから生きてるのに、生きてて辛い思いを抱えるのも嫌だから、嫌なことは絶対にしないって決めてるの」

 

 左手で自分の目を覆ったまま、ソラはバカみたいなテンションが嘘のように淡々と語る。

 

「だから、お前らの取引は受けても良かった。文句なんか何もなかった。

 でも、ダメだ」

 

 左手が離れる。

 が、ソラの瞳はまだ閉じられていた。

 

「お前らだけは、ダメだ」

 

 何かを封じるように閉じた瞼の裏で、思い出す。

 3年前、こちらの世界にやってきたばかりの頃を。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 ただ、死にたくなかった。

 そんな本能的で、原始的で、空っぽの望みに縋り付いていた。

 

 誇りもなく、

 価値もなく、

 意味もなく、

 生きていたいのではなく、死にたくなかった。

 

 ただその一心で、根源とも混沌とも深淵とも最果てとも「 」とも呼ばれて、名前などないあの始まりにして行き着く先から逃げ出して、自分が生れ落ちて生きてきた世界とはあまりに遠い世界にたどり着き、そして世界の脆さを嫌でも思い知らされて、それでもソラは足掻き続けた。

 空っぽのまま、ただの時間稼ぎにすぎないことなど百も承知で、地べたを這いずり、泥水を啜りながら足掻いてもがいて死ぬことを拒絶して、その先で彼女は出逢った。

 

「離せ! 離せっ!! 殺すぞ!!」

 殺すと言っている方が、殺されかかっていた。

 その目には憎悪と殺意が燃え盛っていたのに、同時に絶望と諦観が入り混じっていた。

 

 死にたくないのなら、ソラは放っておくべきだった。

 自分の存在は気づかれていなかったのだから、屈強な男二人に取り押さえられて、瞼をこじ開けられて眼球を今にも抉り出されようとしている子供など見なかったことにして、あそこから逃げ出したのと同じように逃げれば良かった。

 

 その子供とソラは何の関係もない、それこそ言葉通り生まれた世界も本来なら生きる世界も違うはずだったのだから。

 出逢うはずなど、なかったのだから。

 

 それでも、確かに出逢ってしまった。

 そして、気付いてしまった。

 

 憎悪と殺意に滾りながらも、どこか絶望と諦観で死を受け入れているその目の奥、深淵に沈みながらも決して失えない望み。

 何もかもを無くしても、例えどんなに足掻いてもいつかは行き着く結末だとしても、それでも誰もがどんなに無様で愚かで情けなくても手放せない、原初。

 

「死にたくない」と、少年が言っていることに気付いてしまった。

 

 気付くと同時に、駆けだしていた。

 限界だと思っていた体があまりにも軽やかで、貧乏性でケチって肝心な時に使えないでいた宝石を躊躇いなく、少年を押さえつけ、少年の命を、願いを踏みにじり、摘み取って、終わらせようとしていた男どもに投げつけていた。

 

 初めて、ソラが「眼」の力を活用したのはこの時。

 素手で屈強な男の腕を、まるでナイフでバターを切るように滑らかに切り飛ばしたソラを恐れて、奴らは逃げ出した。

 

 同じように、逃げても良かったはず。

 あまりにも「死」に近いソラに恐れて、少年はソラに助けられたという恩義を忘れて、そもそも助けられたということすら認識できないまま、ただその目の奥にあった原初の願いのままに逃げ出されると、ソラは思っていた。

 

 なのに、彼は逃げなかった。

 

 男どもに取り押さえられていた時は、この世全てを、自分自身も含めて焼き尽くすことを望むような業火を連想させた瞳だった。

 逃げずにソラを見上げていた少年の目からその業火が温度を無くしてゆき、同じ緋色でありながら印象を大きく変えていった。

 

 少年にはその夕暮れを思わせる柔らかで暖かな緋色の瞳に映したソラが、いったい何に、誰に見えていたのか、ソラにはわからないし、知り得ない。

 

 確かなことは一つだけ。

 その緋色の瞳から滂沱の涙を流してソラにしがみつき、縋り付いた少年と出逢ったことで、ソラは得た。

 誇りはなく、価値はなく、意味はなく、空っぽだった悪あがきに、独りよがりな誇りを、ささやかな価値を、ちっぽけな意味を、(から)ではなく確かに己の中に満たすものを。

 

 生きたいと、思えた。

 生きていたい理由を、ソラは少年から得た。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 瞼の裏で広がった、走馬灯じみた回想を終えてその瞳が開かれる。

 

「お前らのことは、嫌いじゃないよ。面白いし。

 けど、私の優先順位はあの子がたぶん永久一位なんだ」

 

 それは、蒼天にして虚空。

 

「だから、お前らを許容は出来ない。あの子を、『死』へ誘うお前らを許せない」

 

 それは、(そら)にして(から)

 

「……あの子を殺させないし、あの子に誰も殺させはしない」

 

 けれど確かに、誇りも価値も意味も生み出したもの。

 

 異世界の魔術師、宝石翁の弟子、「 」から逃げ出した娘は宣言する。

 

「あの子の……クラピカ(おとうと)の敵は、お前ら(クモ)は私が殺してやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直死の魔眼が、開かれた。







Character Profile

名前:式織 空
身長:169㎝
体重:50㎏
血液型:A型
誕生日:2月12日
魔術回路:(量)少・(質)良
属性:架空元素・無

備考:直死の魔眼保持者


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6:ツギハギのセカイ

 ただ、欲しかった。

 

 その「眼」を見た瞬間、クロロ=ルシルフルは理由も意味もなく、ただそれだけを望んだ。

 理由など、意味など求めるのは冒涜だとさえ思った。

 

 それほどに鮮烈な青が、クロロの心臓を鷲掴み、射貫く。

 清廉や無垢という言葉すらも不純物に感じられるほど澄みきっていながら、清濁を丸ごと飲み込んで溶かしたように濁りきった、矛盾をはらんだ瞳に心を奪われた。

 

 * * *

 

 ソラが目を開けると同時に、クロロは「盗賊の極意(スキルハンター)」を取り出していた。

 だから、ソラが“凝”を行ったこと自体は、警戒するようなことではない。

 念能力者なら、特に戦闘に特化した者なら少しでも違和感が生じたのなら行う、もはや反射に近い行為なのだから、自然であり驚くようなことではない。

 

 しかし、その戦闘に特化した者であるクロロとシャルナークが、同じく“凝”でソラの行動を警戒することさえも忘れて、同時に言葉を失い、目を奪われた。

 それほどまでにありえない、見たことがない現象であったと同時に、言葉にできないほどそれを美しいと感じた。

 

 ソラの目にオーラが集まり、そのオーラの量に比例して彼女の瞳の色は変動していく。

 夜明けの空を早送りで見ているように、遠目だと黒に近いミッドナイトブルーの瞳の明度が上がり、澄んだスカイブルーからさらに、「天上の青」と称される遥か彼方の空の色、セレストブルーにまで変動していく様を、ただ黙って見届けてしまった。

 

 ただでさえ言動は残念極まりないが見た目は極上、肌の色からして東洋人なのにアルビノのような真白の髪に、女性美と男性美が絶妙なバランスで調和して融合し、両性具有じみた美貌という類い稀な容姿で、人体収集家なら剥製にして飾っておきたいと思えるような女だが、この眼を見てしまえばもうそれらに価値は見いだせない。

 

「……シャルナーク、下がってろ」

 クロロは目を見開いたまま、燦爛と輝く瞳をこちらへ真っ直ぐに向け続けるソラから目を離さずに、命令した。

 

「……はいはい、了解しましたよ。けど、気をつけなよ。……あれはどう考えても異常だ」

「わかっている」

 クロロの言葉にシャルナークは少し困ったような苦笑を浮かべて、言われた通りに少しその場から下がる。

 言われなくても、正統派操作系のシャルナークでは武器である操れそうな人間が他にいないこの状況だと不利極まりないので、後はクロロに任せるつもりだった。

 

 クロロの方も初めはそのつもりだったであろうが、おそらく今はシャルナークの存在を忘れていなかっただけでも良い方で、シャルナークの忠告は多分、右から左に素通りしている。

 それほどまでにクロロがあの眼に魅せられたことを、正直シャルナークは理解できずに若干引いている。

 

 確かにあの眼の美しさは言葉では言い表せるものではなく、そしてどう考えてもここで逃したらもう二度とお目にかかれないレア中のレアであることは確か。

 そこに盗賊としての血が、矜持が疼かない訳ではないが、そんなプライドを上回ってシャルナークの生存本能が警鐘を鳴らす。

 

 瞳の色が変化すると言えば世界七大美色の一つ、クルタ族の「緋の眼」を連想する。そして実際に見た、あの燃え盛るような緋色は確かに美しかったが、今、自分たちの前にいる女の眼は、次元が違う。

 美しさはもちろん、ただ単に遺伝子の悪戯で得た身体的特徴でしかない「緋の眼」と、この「空の眼」は根本からして成り立ちも性質も別物であることだけは、初見であっても、その眼の名を知らなくとも、その眼が映し、認識している世界の姿を知らずとも、理解が出来た。

 

 マチほど勘が良くない自分でも、理屈ではなく本能で感じ取れる危険性と異常性に、クロロが気づいていない訳はないだろう。

 そして気付いているのならここは退くのが、普段のクロロである。どう考えてもこの女は、実質クロロ一人で捕えるのはもちろん、殺すのも困難だ。

 

 それぐらい冷静に計算できるからこそ、旅団のリーダーであり自分が好きで従っている男だというのに、どうも今日のクロロは一時退散さえもする気がなく、下手したら当初の「除念能力を盗む」という目的も忘れてあの眼に執着しているのが、シャルナークには理解できなかった。

 

 シャルナークが気づかないのは当然。

 それはクロロ本人でさえも、無自覚な執心。

 

 クロロが魅せられ、執着して欲しているのは、彼が求めるものは、ソラの「眼」そのものではない。

 

 彼が求めたのは、その眼の表面上の美しさでも、その眼が見透かす終焉でもなく、その眼の奥の最果て、深淵、行き着く先の原初。

 

 自分自身がわからない、自分が真に求めるものがわからないからこそ、「根源」に、「 」に繋がるその眼に魅せられたことなど、誰も知らない。

 

 * * *

 

 ソラが安っぽいボールペンをナイフのように持ち、腰を落として構えると同時に、クロロの具現化した古書も開かれた。

 

 それは、彼のコレクションの目録にして武器庫。

 

 目的は、燦爛と輝きながらもすべての光を飲み込む虚無の眼。

「緋の眼」と同じく、死によってその美しいセレストブルーが瞳に刻まれるとは限らないので生け捕りがベスト。

 そのためなら、手足はいらない。

 

 瞬時に彼は最優先事項、犠牲にしていいものを天秤にかけて選び抜き、欲するものを手に入れるに一番有効な能力を選び出して、そのページは開かれた。

 

黙示録の獣(ワールド・エンド・ビースト)

 

 能力に題された名を呟くと同時に、「盗賊の極意」を開き持つ手とは逆の左手にオーラを集中させる。

 手のひら大のオーラが光球となってクロロから分離し、それをポンッと自分の背後に浮かび上がらせたとたん、ランタンの灯りのように薄らぼんやりと光るだけだったオーラの光球が、強い光を放つ。

 

 その光に目を眩むのを避けるように、ソラは腕で目を庇いながら後ろに飛びのく。

 ソラの行動を見て薄く笑むクロロを目にして、シャルナークは少しだけ安堵しながらそのまま美術館の高い天井の飾り窓まで飛び上がって、そこに腰掛けて文字通り高みの見物にしゃれ込むことにした。

 

 ソラの眼に魅せられて、どこか熱に浮かされたように冷静さを見失っているように思えたが、その心配は杞憂だったと、クロロが浮かべた笑みでシャルナークは悟る。

 

 ソラの能力は未だ得体が知れず危険この上ないが、つい先ほどまでの様子見の戦いと今のとっさの行動でほぼ確信を得る。

 彼女はさほど戦闘慣れをしていない。もしくは、「死」をあまりに強く忌避するがゆえに、理屈ではその行動が裏目に出ると理解していても、とっさの判断は逃げを優先して、積極的に攻め入ることが出来ない人間であることを。

 

 彼女の強力無比なあの「相手の念能力を無効化する」能力は十中八九、近接で攻撃することで発動するのも、2度の事例で高い可能性を表している。

 だというのに、このタイミングでクロロから距離を取ったのは悪手でしかない。彼女は自分の能力を生かして戦うのなら、危険を冒してでも距離を詰めるべきだった。

 

 多方向からの攻撃への対処が拙いことも、先ほどまでの操り人形との戦闘でクロロは理解しているだろう。

「ちょっと、かわいそうかも」

 ステンドグラスとなった大きな窓に腰掛けながら、おそらく生きながらにして四肢を獣に食いちぎられる相手に、まったく心のこもっていない同情の言葉を送る。

 

 心がこもっていないのは、普段なら他人の生死なんてどうでもいいからにすぎないのだが、今回は違う。

 クロロが選んだ能力は、おそらく彼女の手足を犠牲にして生け捕りにするには最適であり、戦闘経験や技術はクロロの方が圧倒している。

 冷静さを見失っていたら危ないと心配したが、ソラの行動で「あぁ、やはりか」と言わんばかりの笑みを浮かべたことで、冷静さは失われていなかったと確信した。

 

 なのに、シャルナークにはイメージできなかった。

 

 本当はわかっている。自分が呟いたのは、同情の言葉なんかじゃない。

 ソラが負けて倒れ伏す姿がどうしてもイメージできない、自分たちがあの女に勝つビジョンが見えない不安をごまかすために自分に言い聞かせた言葉でしかないことくらい、わかっていた。

 

 シャルナークの不安をよそに、光球はさらに輝きを増してクロロを背後から照らして長く大きな、そして色濃い影法師を作り出す。

 そして、その影法師が、泡だった。

 

 沸騰する水のようにゴポリと音を立てて泡立ち、何かが這い上がってくる。

 

 それは、獣。

 獣であることは確かだが、動物ではない。

 ソラのいた世界なら「幻想種」と呼ばれる、もうこちらの世界には存在しない、世界の裏側に旅立って去っていた生き物がこの世界では今もごく当たり前に存在しているが、そんな珍獣や幻獣、魔獣とも違う。

 

 誰かを、何かを、生きとし生けるものを傷つけ、壊し、殺すための部品をこね合わせて生み出された合成獣が、一番表現としては正確だろう。

 そんな生き物が、クロロの影から這い出て来る。いくつもいくつも、虫の卵から幼虫が孵化するように湧き出て来る漆黒の獣が、喉を鳴らしてソラと向き合う。

 

 黙示録の獣(ワールド・エンド・ビースト)

 オーラの光球で作った自分の影から、念獣を生み出して使役する具現化系念能力。

 具現化系は放出系の真逆に当たるので、本来なら自分の影から分離させることが出来ないか、自分の手元と繋がるリードでもなければ、念獣は酷く弱体化するのだが、「自分のオーラの光球によって作られた自分の影からでないと、念獣は生み出せない」「光球が光を放つ持続時間は、念獣の数と反比例させる」という制約を定めて、念獣の動きや数が極端に制限されるという欠点を克服している。

 

 制約の所為で念獣具現化に制限時間があり、夜か照明を破壊した暗室でしか使えないという新たな欠点が存在しているが、それでもクロロが盗んできたものの中でも高い攻撃力を誇る能力で、出せるだけの数の念獣を生み出して、クロロは命じる。

 

「行け。あの女の手足を食いちぎれ」

 

 * * *

 

 20体近くの猛獣とも魔獣とも言い難い、異形の獣。これらを具現化していられるのは、おそらく10分もないだろうが、それは襲われる側からしたらあまりにも永い時間だろう。

 

 獣の具現化に制限時間があるとわかっていれば、いくら数が多くとも逃げようも攻めようもあるが、ただでさえ人間を甚振り、嬲り、傷つけて殺害することだけを目的としたその姿が、思考を恐怖で染め上げる。

 常人では逃げられない、捨てられない、誰もが初めからわかっているのに、どんなに足掻いても最後には必ず行きつく行き止まりでも手放せない原初の願いが沸き上がり、そしてその願いこそが行きつく最深に突き落とす。

 

 ……はずだった。

 

「――死にたくない」

 ソラの呟き(スイッチ)と同時に、ソラの纏うオーラの量が変化する。

“凝”の状態だったが、それでも目のオーラを身体全体より少しだけ多く置いている状態であって、彼女は体全体に多すぎず少なすぎない、適度なオーラ量の“纏”を行っていたが、そのオーラの配分がスイッチを切り替えるように一瞬で変化する。

 

 頭部と両手足にオーラを集中させて、胴は絶でこそないがほとんどオーラを回さない状態に切り替えて、シャルナークは「え? 手足食いちぎれって言われたから、そんな極端な方向にいっちゃう?」と、ソラの思い切りのよすぎる防御に呆れなのか感心なのかよくわからない感想を抱く。

 

 思い切りのよすぎる、極端な方向というシャルナークの表現は正しかった。

 が、一つ大きな間違いがあった。

 それが防御ではない事に気付いたのは、オーラで強化した足でソラがコンクリートの床にクレーターを作りながら、クロロが生み出した影の獣の群れに突っ込んでいった時だ。

 

 さすがに今までほとんどが逃げてばかりだった女が、いきなり突っ込んできたことにクロロも軽く目を開いて驚いた様子を見せ、そしてソラの動きを見て笑みを深めた。

 その笑みで、「あーぁ。なんだかんだ言っても、クロロも戦闘狂だよなぁ」とシャルは呆れる。

 

 獣の鉤爪から、牙から、角から、強靭な前足から、咢からソラは紙一重で逃げて、避けて、そしてすれ違いざまに獣をバラバラに解体していった。

 言葉にすればそれだけだが、その動きは先ほどまでの無様に逃げ回っていた姿からは想像ができないくせに、納得できた。

 

 手足にオーラを集中させたことで機動力は格段に上がっているが、それでも洗練された身のこなしとは全く言えず、無理に体をひねって滑ってバランスを崩して倒れる時もある。

 だが、そこから体勢を立て直すのが異様に早い。

 そもそもバランスを崩して倒れるのは、完全な死角からの攻撃も直前まで全く気付いていた様子がなかったのに、獣のかぎ爪や牙が自分の喉元まで迫れば、どんな無理な体勢からでも避けきって反撃するからだ。

 

 奇跡的な偶然と言ってしまえば、それだけの事。

 けど、それが二度、三度続けば?

 それなら、火事場の馬鹿力的な反射というだろう。

 だがさらに、五度、六度、十、二十と続いたら?

 

 火事場の馬鹿力的な反射であることは間違いない。

 けれどそれは、この瞬間のみ発揮されているものではない。

 この瞬間に、発露されたものではない。

 

 クロロやシャルナークが知る由などないが、ソラはずっと前から「火事場」にいる。

 逃れられない「死」そのものがいつも自分に迫りくる世界で、いつだってずっと「死にたくない」と逃げ続けている。

 

 そうやって、彼女は学習した。

 偶発的に強襲する理不尽な窮地を彼女は常に夢想して、1秒後の自分の「死」を想像してその結末から逃れるためのありとあらゆる可能性を考え抜いて、彼女は常に生きている。

“纏”を解いてあえて魔術回路が存在する部位のみにオーラを纏って、胴体を無防備に晒すのは機動力を上げるためだけではない。それは、あえて無防備な部分を作って、「死」を引き寄せることで己のリミッターを外す行為。

 

 そんな世界で培われたあまりにも無様で合理性もない、けれど何よりも生存確率を上げる動きを、「死」など知らない獣が捉えられるわけなどなかった。

 

「獣以上に獣のような女だな」

 クロロはまるで初めから簡単に外れる構造だったもののように、ボールペン一本で念獣を解体して自分に迫りくる、どこまでも「生きる」事に貪欲な女を端的に言い表しながら、彼は逃げ出さず、動かない。

 生かすべきは己という存在ではなく、自分が生み出し自分の思想を引き継ぐ「幻影旅団(クモ)」であるクロロにとって、自らの死は彼女ほど忌避すべきものではないからというのはもちろんあったが、それ以上にただ単に余裕があったから、彼は動く必要性を感じていなかった。

 

 獣の群れの大部分を解体しつくして、足に溜めたオーラでまた床にクレーターを作ってこちらに飛び込もうとした女の背後で、「影」が蠢いた。

 

「!?」

 背後の禍々しいオーラを感じ取って振り返ったソラが見たものは、自分が解体した獣の部品、牙や角、鉤爪、顎や眼球、臓物などがめちゃくちゃに入り混じってまた、新たな何かに、他者を屠る事のみが存在意義の獣になろうとしている自分の影そのものだった。

 

 これこそが、黙示録の獣(ワールド・エンド・ビースト)の神髄。

 念獣は術者の「影」から生まれる「影」の獣。具現化しているからこそ、物理攻撃は普通に通用するが、殺しきるのは不可能。

 術者が初めに生み出したオーラの光球が消えない限り、バラバラに解体しようが、グチャグチャに粉砕してしまおうが、念獣は一番近くの陰に寄生して、そこからまた異形の獣として蘇る。

 

 ソラがとっさに足元の影から逃げるように飛びのくが、影はもうソラの姿などしていない、人の形を保っていないというのに、忠実に彼女の足から離れずについて回り、そして影の中からサメの乱杭歯のような顎が現れる。

 

 ソラの影から、終焉をもたらす獣が飛び出してくる。

 それを彼女は、「空」の眼で見て呟いた。

 

「……『線』じゃ、ダメか」

 

 トン、と軽く突き刺さる。

 

 ボールペンが異形の獣の鼻っ面に、深々と。

 

 影の獣は、もう蘇らない。

 ソラにボールペンを突き刺された獣は、そのままどろりと溶けてソラの足元に蟠ったと思ったら、徐々に形を変えていく。

 ソラを形どったただの影に、戻る。

 

 人間を媒体にしていた自分の能力だけではなく、オーラそのものの念獣さえも消し去ることを知ってシャルナークは顔色を変えるが、クロロはまだどこか楽し気に「……素晴らしいな」と惜しみない称賛の言葉を送っていた。

 

 その言葉に応えるように、ソラは顔を上げて振り返る。

 何を考えているのかがまったく読み取れない「 」の眼で、クロロを見据えて彼女は言った。

 

 

「一つ、教えてやるよ」

 

 * * *

 

「この眼の名は、『直死の魔眼』

 念能力なんかじゃない。だからこそ、念の法則なんか当てはまらない。

 命あるもの、生きているもの、この世に存在しているものなら、例え死者であっても、無形の異能そのものであっても、神様さえも殺し尽くす、終焉の眼だ」

 

「……ほう」とクロロは相槌を打って、まだ何匹か残っている獣に襲い掛からせず、言葉の続きを待った。

 バカバカしいと切り捨てるのは簡単だが、愚かなこと。

 もうこの女の力が、「念」では説明がつかないことを思い知らされたというのに、未だに「念能力」に固執して、それ以外の可能性を切り捨てるのは愚行この上ない。

 

 まぁ、そんな考えは後付けの言い訳で、クロロ個人としてはただ知りたかっただけ。

 自分が求めてやまないその眼について、少しでも何かを得たかったから、ただ訊いた。

 

「その眼で見ただけで、ボールペンだろうがマドラーだろうが人間も念獣も、あんな滑らかに切り裂いて、一突きで殺せるのか? 死神そのものだな」

 

 クロロの言葉に、ゆっくりとこちらに歩み出て来るソラは薄く笑った。

「少し、違うな。

 この眼のオリジナルならそれこそ見ただけで殺せるだろうけど、人間の器じゃそれは無理だ。この眼はな、その存在が内包する死期を、『線』と『点』という形で私に見せているんだよ」

「……『線』と、『点』?」

 

 予想外の返答に、わずかにクロロが怪訝な顔をするが、ソラの方は揺るがない。

 変わらず、薄い微笑みを浮かべたまま、また一歩先に進む。

 

「そう。見たものを殺せる力じゃなくて、ただこの眼が『死』を視覚情報としてとらえてるだけ。

 まぁ、私が見た点や線がある場所を、他人に指示して刺したり切ってもらっても効果はないから、私の眼が誰も認識しえないヒビのように脆い部分から『死』そのものを引きずり出して、それが黒い線や点に見えてると思ったらいいよ。私自身も、正確なことはよくわかってないしさ」

「……お前自身がその『線』や『点』に干渉することで、『死』という効果が現れるということか?」

 

 クロロの確認の言葉に、「呑み込みいいね」とソラは笑う。

 話がスムーズに進むことに関して楽しげに笑うその無邪気さに、シャルナークの背筋に寒気が走る。

 

「ちょっと待て!」

 思わず、クロロに言われた通り下がって安全圏から傍観していたシャルナークが、叫ぶように声を掛ける。

 振り返って仰ぎ見るソラは、「あ、そういやこいつもいたんだった」と言わんばかりの顔をしていた。

 

 青空を切り取ってその眼球にはめ込んだような目で見られて、さらにシャルナークの全身に走る悪寒が強くなる。

 それに耐えながら、彼は声を絞り出して訊いた。

 

「……それが、本当なら……その話が本当で、その眼やさっきからやってることが念能力じゃないんなら……」

 

 自分や自分の仲間の常識も倫理観も価値観も死生観も、まともだとは思っていない。

 正直、いかれてるとしか表現できない事は自覚しているシャルナークでも、信じられない、自分の想像を否定してほしいと願いながら、その疑問を口にした。

 

「……お前には、『世界』がどう見えてるんだ?」

 

 眼の色やその眼が与える雰囲気の変容は、“凝”を行うことで起こった。だからクロロ達は当初、念能力だと誤認した。

 けれどあれは遠くのものを見る時、目を細めるような行為と変わらないのなら、元からあるものをたださらに強めていただけならば……、彼女が見て確認した位置に、他人が「線」をなぞるように切ったり「点」を突いても意味がないのなら、その「線」と「点」が見えている状態で見えている本人が行わねば効果がないのなら――

 

 なら、初めのシャルナークの操り人形が殺された時、……“絶”状態の彼女が見ていた視界は――

 

 ソラはシャルナークを、童顔ではあるがイケメンと言い切れる顔を眺めながら、その全身に走る今にもバラバラに砕けそうなヒビ割れを思わせる黒い線と、彼女が逃げ出したあの深淵を思い出させる点を見上げながら答えた。

 

 

 

「ツギハギ」

 

 

 

 サンタの正体を子供にばらすような、意地の悪い笑みでそれだけを答える。

 シャルナークの「………………狂ってる」という答えにも、ただ同じ笑みを浮かべていた。

 

 * * *

 

 さすがにクロロの方も、若干引いた様子を見せる。

「……よく、生きていけるな」

「べっつに、慣れたら平気だよ。“絶”状態なら、物の線や点は見えないし」

 

 視線をシャルナークからクロロに戻し、彼女はケラケラと陽気に笑う。

 空気を読まない酷いバカであるとは思っていたが、別にクロロもこの女自体は嫌いではない。

 自分の仲間も仕事の時はともかく、仕事が終われば全員割と辛辣で空気も読まず好き勝手やる奴らばかり。

 そんな仲間を、幼馴染たちをどこか彷彿させる為、仲間になるのなら本気で4番あたりを殺して空きを作りたいところだった。

 

 だがさすがにこれは、自分も御しきることは出来ないかもなという弱音が頭によぎる。

 それほど、異常者であることを自覚して開き直っている集団のリーダーが認めて引くレベルで、この女はいかれている。

 

 その証拠に彼女は、今にも崩れ落ちそうな世界で、今にも死にそうな人間を前にして、今にも終わってしまいそうな自分の死期である線や点を目にしながらも、狂気を感じられないごく当たり前の笑顔を浮かべて楽しげに、当たり前のように、そんな視界で生きていける理由を語る。

 

「それにさ、壊れかけの方が安心するじゃん?

『今にも壊れそう』ってことは、『今は平気』って証明だし」

 

「 」から逃げ出して、逃げても逃げ切ることはできない、今はただの猶予期間であることを思い知らされる呪縛の視界のまま、「死にたくない」を貫くために得た狂気。

 ただ誰もが行う「当たり前」を得るために、狂いに狂いきった女を前にしてクロロの笑みが引きつった。

 

「さぁ、もう疑問点はないだろ?

 冥途の土産は完売だ。後はシンプルに、殺し合おうか。死にたくないのなら」

 

 そんな狂気と異常のハイエンドのような女から、戦闘の再開を申し入れられて退かない自分も相当いかれてると思いながら、盗賊の極意(スキルハンター)を持っていない方の手を広げる。

 クロロの指示に従って大人しく待ち続けていた獣たちが唸り声をあげながら、いつでも飛びかかれるように上体を下げる。

 

「あぁ、そうだな。こっちが土産を持たせられないのは悪いが、盗賊が相手だ。期待するな」

「クロロ!!」

 

 シャルナークに内心で一度だけ詫びを入れつつ、「退け」という意味で呼ばれた声を無視する。

 

 あの眼の危険性を知っても、念能力ではないのなら盗み出すことが叶わないと知っても、それでもクロロは求めた。

 

 誰かが「真理」と名付けた、その眼が繋ぐ最果てを。

 そこに何を求めているのかすらわからない、自分が求める答えがあると、子供のような期待を捨てられずにただ、求めた。

 

「ははっ! そりゃ、期待する方がバカだな!!」

 

 クロロの軽口におかしげに、楽しそうに笑って同意しながらソラは駆ける。

 眼にオーラを溜めて、普段は見えない相手のオーラの線と点が見えるように、「念能力」そのものを殺せるように魔眼の精度を上げて、うすら寒いくらいに冴えた蒼天の眼を見開いて、蜘蛛の頭の元まで。

 

 頭を潰しても旅団(クモ)は動き続けることなど、ソラは当然知らなかったが、知っていても同じことをした。

 奴らは、「死にたくない」自分から、世界はツギハギだらけで死が溢れていることを知ったうえで、無様に縋りついて悪あがきで生きているソラにとって、唯一の本能ではなく人としての意志で「生きたい」理由を奪う者だから。

 

「死にたくない」のなら、もう奴らは殺す以外の選択肢などなかった。

 こいつらがいる限り、自ら「死」に飛び込もうとする者がいることを知っているのだから。

 そんな少年を、守り抜くことこそがソラの「生きる」理由だったから。

 

 だからこそ、思い出してしまった。

 

『死は全く怖くない。

 一番恐れるのは、この怒りがやがて風化してしまわないかということだ』

 

 痛々しい緋色の眼で訴えかけてきた、弟の言葉を。

 それに対しての、自分の答えを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って、ダメじゃん殺しちゃ!!」

「は?」

 

 唐突すぎる叫びと同時に、ソラがクロロの視界から消えて、襲い掛かろうとしていた残りの獣が床に頭から飛び込む形となって鈍い音がした。

 

「だぁらしゃあぁっっ!!」

 

 獣と自分、もしくは自分の本狙いだと思い完全に注意を払っていなかった方向に飛びこまれて、クロロの反応は遅れた。

 彼が振り返った時には、ソラが影の獣を生み出す光球を蹴り飛ばしていたところだった。

 

 見えなくとも、彼女のつま先がその光球の、「黙示録の獣(ワールド・エンド・ビースト)」の死の点を突いていることは理解が出来た。

 




クロロ戦は、「月姫」のネロ・カオス戦をオマージュして書きました。
能力名はここまで、元ネタそのものみたいな名前じゃなかったんですけど、……ネズミーの映画でね、今ちょうどやってるのが初めの能力名だったんです。
使える訳ねえわと思って、元ネタそのまんまにしてしまったけど、ルビが韻を踏んでるので気に入ってます。
もう二度と、出てきませんけど。

あと、ソラの戦闘スタイルと狂気の方向性は「DDD」の日守秋星がモデルです。
本家の魔眼持ち二人との差別化と、魔眼殺しなし、魔眼のセーブがほとんど出来ていないのならこうなるしかないだろうと思った結果が、マジで相当頭がおかしい子に……

元々、2話目以降はソラの一人称にするはずがこのいかれ具合で、「あ、こいつの一人称はあかんわ」と思った結果、三人称形式になりました。


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7:私は、幸せです

 ソラは別に強くなどなかった。

 それでも彼女に助けられた少年にとって、クラピカにとってソラは誰よりも何よりも強い、自分が欲する「一人で戦い抜ける力」を持つ者だったのだろう。

 

「死は全く怖くない。

 一番恐れるのは、この怒りがやがて風化してしまわないかということだ。

 だから、どうか教えてくれ。オレには、一人で戦い抜ける力が必要なんだ」

 

 強くなりたいと彼は言った。

 魔術を教えて欲しいと、憎悪の業火を宿した緋色の瞳で懇願した。

 今にもその瞳が溶けだして、血の涙になってしまいそうな悲痛な顔で、覚悟を語った。

 

 もうそれだけが、クラピカにとっての「生きる理由」だったのだろう。

 帰りを待っていてくれたはずの父母も、外の世界を忌避しながらも自分の気持ちを汲んで後押ししてくれた同胞も、同じ夢を懐いていた親友ももういないクラピカにとって復讐だけが、それだけが彼らに与えられる唯一だから、何としても果たしたい目的だったことを理解したうえで、ソラは答えた。

 

 13,4歳の少年が抱くべきではない、あまりにも悲痛な呪縛と化した覚悟に対して、ソラは夜空のような瞳で真っ直ぐ彼を見据えて言い放った。

 

「じゃあ、今死ねば?」

 

 クラピカは思わずと言わんばかりの顔で、目を見開いてソラの顔を見返していた。

 あまりにも衝撃的な返答に、滾っていた憎悪が混乱困惑によって鎮火して、クラピカの眼は緋色から普段の赤みかかった茶色に戻っていった。

 その変容をソラは椅子の背もたれに行儀悪くもたれかかって、言葉を続ける。

 

「死ぬのが怖くなくて、その怒りが風化してしまうのが怖いのなら、風化する前に死ねば?

 どうせいつかは必ず絶対に、どんな結果を残そうが何も残せなかろうが行きつく先は一緒なんだから、失う前に終わらせるのも一興じゃない?」

 

 何かを言いかけたクラピカの開いた口から、言葉は出てこなかった。

 バカなことを言うな、それじゃあ意味がないだろう、などといった反論はソラの言葉と闇というには少し明るいミッドナイトブルーの瞳に塗りつぶされて、憎悪が表に溢れ出てこないように耐えていたのが一転して酷く傷つき、悔やむような顔になってゆき、それを見たソラの方は「あ、ヤバい」と思い慌てて言葉を探した。

 

 出会って共に助け合いながら過ごすようになってまだ十日ほどの関係だが、本人が思う以上にわかりやすい性格をしているので、クラピカが自分の覚悟をバカにされた、否定されたと思って泣きそうになっているのではないことくらい、ソラは理解していた。

 

 むしろ、彼はソラではなく自分を責めていた。

 自分の覚悟と言葉は、いつかは誰もが、何もかもが行きつく最果てから逃げ出して、その結末から逃れられないと思い知らされる呪縛と化した視界で、それでも「死にたくない」と足掻くソラに対して、余裕なんかまったくなかったのに、それでも自分を助けてくれた彼女への侮辱だと思ったのだろう。

 だからソラが怒って、あんな突き放した言葉を言い放ったとでも思いこんだクラピカに、ソラは手を伸ばした。

 

 ソラがクラピカの頬に手を伸ばして、指で撫でれば彼は目を見開いて一瞬息を飲んだ。

 それからまた、自分など死ねばいいと言わんばかりに顔を歪め、かすれた声で「……ち、違う! 違うんだ、ソラ! 違うんだ!!」とソラに縋りついた。

 

「……死にたいなら、それが楽になると思ってるんなら、君を殺してあげるのはやぶさかじゃないんだけどさー」

 

 ソラが見る、ソラしか見えない「線」に、「死期」に触れられたかと思って怯え、その怯えた事実を怯えられた本人よりもショックを受けて悔やみ、必死になってソラに、そして自分自身に「違う」と言い聞かせる少年に、ソラは言った。

 

 別にソラはクラピカの発言にも反応に対しても、何も怒っていない。

 こっちの方が大問題だが、「今死ねば?」は完全に素だった。

 

 ソラからしたらこの世の生きる上での辛苦や痛みよりも、あの深淵に行きついて融けてしまう事の方が怖いから、逃げ出して今に至る訳である。

 ただ単に苦痛や恐怖を天秤にかけて軽い方を選んだだけだから、「死」が怖くないのならいっそ死んだ方が楽なんじゃないのかなーと本気で思ったから、提案したに過ぎない。

 その考え自体は本気だが、否定されることを期待以前に前提としていたが。

 

 あの日、彼は「死にたくない」と同じ願いを懐いていたから出会って今に至るのだから、ソラの提案に対する答えは、「それは嫌だ」だと信じて疑っていなかった。

 生きることを選ぶと思い込んで言ってみたら、思った以上に大真面目に言葉を受け取られてネガティブスパイラルにはまっている可愛い弟分に掛ける言葉を探してみたが、早々に諦める。

 

 正直に怒っていない、素で言ったと教えてもいいのだが、それを伝えたら間違いなく照れ隠しも兼ねて殴り掛かって来るので、それは後回し。

 自分が悪いのだから殴られるくらい笑って受け止める気でいるが、この弟分は一度すねたら機嫌が直るまでがえらく長く、ものすごく根に持つ頑固者なので、間違いなくソラが本当に伝えたかったことを聞いてはくれない。

 

 だからソラは、「違う……違うんだ……」と繰り返し呟くクラピカのサラサラとした金髪を撫でて、無理やり話を進めた。

「でも、私としてはクラピカが生きて幸せになって、最低でも80年後あたりに子供や孫に囲まれて『良い人生じゃったの』とか言いながらピンシャンコロリと死んでくれた方が良いな」

 初めから、「生きたい」と返されたら答えるつもりだった自分の要望を告げた。

 

 ソラの言葉が聞こえているのかどうかは怪しかったが、クラピカの自分に言い聞かせる否定の呟きがピタリと止まって縋るように見上げたという事は、はっきりと意味も理解して聞こえていたのだろう。

 そのことに安堵して笑いながら、ソラはそのまま上体を少し倒して、こつんとクラピカの額に自分の額を当てる。

 

 熱を測るように、熱を確かめるように、互いに今生きている証を確認し合うように、あまりに近い距離でソラは弟に言葉を送る。

「死ぬのが怖くないとか言って、生き抜いた先に向き合わないで逃げるのはやめなよ。そんなんじゃ、無事復讐を終わらせた後も後悔しかないぞ。目的を果たして燃え尽き症候群になる気?」

 

 緋色に変容する瞳と、空に変幻する瞳が互いに相手を映す。

 色も、成り立ちも、何もかも違うのにあまりに似ていると感じた眼をただまっすぐに、クラピカは見つめた。

 この眼があったから、何もかもを奪われて人間不信の塊だった自分がまた、人を信じようと思えたことをクラピカは思い出す。

 同胞を色濃く想起させて、色褪せずに記憶に刻み付ける、もう自分一人だけの「クルタ族」の面影を持つ瞳の持ち主だからこそ、彼女の言葉はいつだってクラピカの胸に真っ直ぐに届くことを本人は知らない。

 

「クラピカ。君は君のしたいことをすればいい。しなくちゃいけない義務なんかない。あるとするなら、君のしたいことこそが義務だ。

 その為の選択肢を、自分から減らすよう真似はするな。死んでもいいから、たった一つの目的の為に全てを犠牲になんかしないで、もっと貪欲になりなよ。どうせ死んだら、何もかもが意味をなくすんだから、それなら生きている間に手に入るものは全部手放すな。欲しいものに手を伸ばせ」

 

 きっと他の誰かの言葉なら、「綺麗事をほざくな」と言って耳を塞ぐ。

 自分がわがままを言って、長老が先に卑怯なマネをしたとはいえ反則的な手段で外に出る許可を得て、そうして生き残ってしまった罪悪感がいつだってクラピカを苛ませた。

 

 例えば自分と親友が、パイロが逆の立場ならパイロが生き残ったことに対して喜び、復讐などという不毛で危険なことなどせず幸せに生きて欲しいと望むのは確信できるくせに、自分一人生き残ったことに対して妬み、恨み、自分の人生を犠牲にして復讐を望むような家族や親友、同胞ではなかったからこそ、今も喪った傷が癒えないのはわかっているくせに、それでも生き残ったことに対しての罪悪感は消せなかった。

 

 だから、数少ないが稀にいたおせっかい、自分の事情を察して「復讐なんかよせ」と説得する人の言葉など耳には入らなかった。本心であろうが偽善であろうが、その言葉が正しいことはわかっていたのに、自分を責め立てる罪悪感が決して許さなかった選択肢。

 なのにソラの言葉だと、大切な人が、家族が、親友自身が自分に言っているような気がして、罪悪感に縛られてもつれた感情や望みがほどけてゆき、「復讐」しか目に入らなかった世界を再び広げてくれる。

 

 記憶の中の同胞を鮮明に思い出せて、甦らせる人は、「家族になろう」と失ったものとは別物でも、再び与えてくれようとしてしてくれた人がまた、何も返せない無力な子供に過ぎない自分に与えてくれる。

「一人で戦い抜くなんて言うな。私が寂しい。

 手伝ってやるからさ、だからクラピカは『しなくちゃいけない事』じゃなくて、『したいこと』を探して、向き合いなよ。何がしたいのかすらわからないなら、とりあえず私が選択肢を増やしてやるし、君のしたいことを邪魔する障害物は、罪悪感だろうが迷いだろうが、何だって殺してやるから、私に頼りなよ」

 

 復讐も無益で不毛なものとして否定しないで「手伝う」と言って、そのうえでさらにその先を、その次を見据えろという言葉をくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。

 親友を喪うことで見失った夢を蘇らせて、もうそんな夢を抱いてはいけないんだという罪悪感を殺してくれる人がはっきりと宣言する。

 

「君の幸せを殺す相手なら、神様でも私が殺してやるから。

 だから、クラピカは生きなさい」

 

 その言葉に、クラピカの素直ではなく意地っ張りな涙腺が崩壊して、その顔を見せたくないというプライドとあまりにも素直な欲求に従って、ソラにしがみついて彼女の肩に自分の顔をうずめて泣いた。

 

 縋り付いて嗚咽を漏らす背中をソラは撫で、軽く叩いて血の繋がりなどない、付き合いもまだあまりに短い、それでも愛しい弟をなだめながら思う。

(……やばい。今度は謝るタイミングを逃した)、と。

 

 この後、やはり空気を読むのを面倒くさくなってソラが、「ところでごめんクラピカ。今死ねば? は特に何も考えずに素で言った」とバカ正直に伝えたことで、空気をぶっ壊したことと真剣に受け取りすぎた自分に対する羞恥心でクラピカがマジギレをして、木刀で殴られたことまで思い出してしまった。

 

 自分たちは考え方が全然違うし、言葉が足りなければすぐに誤解しあってすれ違うし、何よりシリアスに対する温度差があまりにひどかったが、それでも確かに、姉弟にはなれなくても、血縁はもちろん書類上の関係にすらなれなくとも、「家族」になろうとしていたことを思い出した。

 

 彼に与えると約束したものを、ソラは思い出した。

 

 * * *

 

「バカじゃん、私。頭に血が上り過ぎたわ」

 

 光球を蹴り飛ばし、闇が満ちる美術館の床に降り立ったソラが前髪を掻き上げて一人勝手に語り出す。

「今ここで、私が勝手に殺したらあの子の『選択肢』が減るじゃん」

 

 復讐も肯定したから、それさえも手伝うと約束したから、だから自分の手で勝手に旅団(クモ)を殺してはいけないことを思い出した。

 ソラの知る弟は、クラピカは、たとえ憎い仇であってもその死を割り切れず、いつまでたっても罪として背負い続けるタイプだと記憶しているので、出来れば割り切れる自分の手で彼が知らないところで知らないうちに始末してしまいたいが、それは出来ない。

 

 ただ一つ、ソラが彼に望み、願ったのは彼の幸せ。

 彼にとって「復讐」は、幸せに至る為に必要な過去の清算なのか、罪悪感による強迫観念でやらされていることなのかどうかの答えをまだ聞いていない。

 それを聞かない限り、ソラは旅団(クモ)を殺せない。

 

 選択肢を与える約束をしたから。

 過去の清算として、たとえ罪を背負ってでも自分の手でしなくては前に進めないというのなら、それこそ勝手にソラの手で旅団を潰すことは、あの「今死ねば?」という言葉以上に彼の覚悟を侮辱する余計なお世話だから。

 

「と、いう訳でやっぱ殺し合いはなしっつーことで」

「何が『という訳』なのか、さっぱりわからんわ」

 クロロの背後に降り立って振り返って言い放ったソラの笑顔は、実に名前にふさわしい晴れ晴れしさだったが、彼女の言い分が理解されるわけは当然なく、呆れた様子のクロロに突っ込まれる。

 

 が、ソラの空気を完全粉砕する一方的なボケのおかげで、彼女の眼に魅せられて浮かれていた熱が若干下がり、クロロにいつもの計算高さが蘇る。

 ソラの方に向き直り、呆れを全面に出しながらも彼女に対する警戒を怠らず、同時にクロロはペラペラと本をめくって確認する。

 

 爪先で死の点を貫いて、消滅した黙示録の獣(ワールド・エンド・ビースト)の発動条件であり起点の光球。

 この光球によって作られた自分の影から念獣を生み出して使役する能力なので、光球が消えたら残っていた念獣も消えるのは当然のことだが、今現在クロロが捲る盗賊の極意(スキルハンター)にはもうどこにも、黙示録の獣(ワールド・エンド・ビースト)が記されていない。

 

 能力の本来の持ち主が死なない限り失われることなどない、除念でも相手に掛けたものではなく奪い取るタイプである為、クロロ本人をどうにかしないと取り戻せないはずの能力が消失したことに、さすがに危機感を覚えた。

 遠くの方でパトカーのサイレンらしき音も聞こえてくる。

 能力者でもない警官なら何人来ようがどうにでもなるが、可能性は低いが警官の中に念能力者がいたら、もしくは賞金首ハンターと連携を取られていたら、相手のレベルや人数によるがさすがに他の能力者とこの女を相手取るのにクロロとシャルナークの二人では少々厳しい。

 

(……まぁ、収穫がなかったわけでもないから、今日のところは退くか)

 ソラの能力どころか宝石も盗めなかったが、それでもあの眼の存在を知ったことと、自己申告なのでどこまでが事実か確証はないが、「直死の魔眼」の情報だけでもクロロにとっては良い収穫となった。

 巻き込んだ団員には少しばかり悪いと思いながら、だからこそ今日のところは撤退しようと判断し、彼は本を閉じて言う。

 

「まぁ、いいだろう。今日のところは……」

「え?」

「ちょっ!?」

 

 クロロが撤退を口にしたタイミングで、ソラからはきょとんとした声、シャルナークから切羽詰まった声が同時に聞こえ、そしてクロロも目を見開いて危うく具現化を解除しかけていた本を再び開く。

 

 が、さすがに即座にテレポート系や飛行系の能力のページを開き、能力を引き出すことよりもソラが床にボールペンを、床の「死点」を突く方が早かった。

 この女、やめたのは「殺し合い」だけであって戦いそのものをやめる気はなかったらしい。

 

 戦いはやめる気がないくせに、そもそも自分たちが戦う理由、仕事の存在を完全に忘れ去っているソラが、躊躇なく床にボールペンを突き刺す。

 ペンは柔らかい粘土に刺したかのように全体が沈み、同時に美術館全体が音もなく()()()

 壁が、床が、柱が、天井が無造作に何の法則性もなく、おそらくはソラだけが見える「線」の通りに亀裂が入ってバラバラに崩れる。

 崩壊や切断というより、初めからどこも溶接をしないでこういう形の積み木を重ねて、奇跡的なバランスで保っていたものが崩れ落ちるように、美術館そのものが解体されて、死んでゆく。

 

 クロロもシャルナークも死にゆく美術館の崩壊に巻き込まれて死ぬほど、ぬるい世界で生きてはいない。

 重力など無視して崩れ落ちる床や壁、天井のがれきを足場に跳躍し、脱出を図る。

 

「どこまで無茶苦茶で空気を読まないんだ、あの女は!?」

「だから、退こうって言ったじゃん! 何で今日は妙な意地を張ってたんだよ!!」

 

 クロロの愚痴はシャルナークの正論で完封されて、さすがにあの眼に執着しすぎたことを反省したが、次の瞬間、クロロはソラ=シキオリという女に関わったことを本気で後悔した。

 

「エーデルフェルト家当主直伝!!」

 自分たちがこんな美術館の崩壊から脱出できるのなら、常に死の淵に立たされて紙一重で逃げ続ける女も脱出できない訳がない。

 むしろ、自分たちと違ってどこがどう崩れるかがわかっているのだから、少しばかりの余裕はあったはず。

 

 ソラは自分たちと同じように崩落する瓦礫を足場に、生きることに執着して逃げて回っていたくせに、こんな時に限って実に楽しそうに、自分たちの仲間の強化系最強と同じ笑みを浮かべながら追って来ていた。

 腕や頭部に回していたオーラも両足に回して、ほとんど“硬”状態の右足を振りかぶられた時はさすがにクロロも顔色を変え、本を閉じて具現化を解除し、自分のオーラを左腕から肩、わき腹にかけて集中して纏って叫んだ。

 

「ちょっと待てお前ーっ!!」

「淑女の、フォーークッ、リフトォッ!!」

 もちろんソラはクロロの叫びを無視して、プロレス好きの姉弟子直伝の技名を実に無邪気に楽しそうに笑いながら叫び、空中でソバットを思いっきり決めた。

 

 強化系のソバットと、特質系の防御。

 どちらが勝って結果がどうなったかは言うまでもない。

 

 * * *

 

「やっぱあれは、ちゃんと足場があるとこでやらなくちゃだめですね。あと、“硬”でソバットはダメだ。強力すぎてそのままぶっ飛ぶから。

 あのドラゴンボールみたいにぶっ飛んでいくのはちょっと面白かったし爽快感もあったけど、ソバットからのジャイアントスイング、バックドロップのコンボを決めるなら初めのソバットはやっぱし手加減すべきであだだだだっ!!

 師匠! ギブギブギブアップ!! 折れる折れる関節外れるどころか関節が逆方向にボキッと折れる!!」

 

 腕ひしぎをビスケに決められてなお、美術館崩壊についての反省ではなくクロロに淑女のフォークリフトを完全に決められなかったことに関しての後悔を語っていた弟子の悲鳴が、ホテルの一室で迷惑なくらいに響く。

 そんな弟子の反応を眺めながら、ビスケは「限界まで悲鳴を上げるのを我慢して、言いたいことをほとんど言ったのだけは尊敬するわさ」と呆れながら、さらにソラの腕の関節の逆方向に力を掛ける。

 

「すみません! 仕事だったことは綺麗さっぱり忘れてましたごめんなさーい!!」

「うるさい!」

 ようやくソラが素直に謝ったところで腕ひしぎから解放してやる代わりに、頭に拳骨を落としてベッドにビスケは腰かけた。

 そしてそのまま足を組んで、ソラに「正座」と命じる。

 

 腕を押さえながらも素直に正座する弟子の白髪を見下ろしながら、まずは溜息。

 言いたいことは山ほどあった。

 あれほど言ったのに、美術館をやっぱりぶっ壊したこと、その所為で宝石が完全に全滅したことを師として説教するなら丸一日、私怨も含めれば三日三晩はぶっ続けで言えただろう。

 が、それらは何だかんだで襲ってきたのが「幻影旅団」であったため、美術館崩壊はビスケが彼らに責任を全面的に転嫁したので、案外こちらに火の粉がかからずに済んだから、後回しにしてやってもいい。

 

 ビスケが何よりも許せない弟子の行動は、ただ一つ。

 

「ソラ。あんたは何で、わざわざ敵にあんたの『眼』の事を話したの?」

 

 ソラの「直死の魔眼」は強力だが無敵でも万能でもない。

 ソラ本人が線や点に干渉しなければ効果が発揮されないし、だからソラ自身も基本的に接近でしか使えない。

 能力の名称や効果だけではなくその欠点までほとんど包み隠さず語ったことに対して、ビスケは怒っていた。

 

 が、当の本人は予想はしていたがやはり真顔で言い放つ。

「この眼の唯一の利点はこの中二病全開のかっこよさなんだから、かっこつけて説明がしたかったから!」

「さすがにもっと他にあるだろ利点!」

 なんとなくだの、その場のノリという答えを予想していたが、ビスケの予想以上にアホな答えが返されて、思わずソラの頭をぶん殴りながらズレた突っ込みをかましてしまった。

 

「あいたたたた……。いや、けどぶっちゃけ説明したからってそんな痛手になると思わないからしたんですけど、なります?」

「……確かにあんたは割とその眼の欠点を克服してるからあんまり問題にはならんけど、情報は与えない方がいいに決まってんでしょ」

 

 涙目で頭を押さえながら妙に幼い表情で聞き返されたら、もうどこから説教すべきかわからなくなってきて、ビスケの方も頭を抱えた。

 実際、ソラの言うとおり彼女の魔眼はタネが知れたらもう終わりという類ではない。

 接近戦を避けられたら不利ではあるが、彼女にはガンドに宝石魔術という中遠距離対応の攻撃手段があり、戦う相手が距離をとっても「念能力」そのものを殺せるのだから、おそらくソラが殺しきれない念能力は殺す暇なく打ち出されるオーラの散弾くらい。

 しかしそれも、防御方面が苦手とはいえソラの系統は強化系。遠距離から彼女の装甲を貫通できるほどの能力者は少ないし、そもそもこの女は相手が距離を取っているのなら、これ幸いと普通に逃げることを優先する。

 

「だから、距離とって私が逃げやすくなるようにとか、向こうからこいつの能力、性質悪いなーとか思って退いてくれることをどっか期待してたんじゃないですかねー。頭に血が昇ってたから、自覚はないですけど」

 いつの間にか正座から胡坐になってのうのうと言い切る弟子に、もう一発拳骨を落とそうと拳を固めた直後、ソラは笑って言った。

 

「それに、なんかあのデコ十字のイケメンはどうも私の眼に御執心だったみたいだから」

 自信満々に、誇るように彼女は笑って言い切った。

 

「さらにすげーレアだって教えとけば、(クラピカ)に会っても私が一緒なら私の方を狙ってきてくれそうじゃん?」

 

 その言葉で、ビスケは殴る気はおろか完全に言葉を失う。

 

 自分の命が大事だけど、大切な人を命がけで守りたい。

 それは実に真っ当な価値観で生き方だ。だから普通に付き合っていればソラという女は、バカな変人でややお人よしがすぎるが、普通の善人に思えるだろう。

 

 けれどこれは、真っ当や普通からはかけ離れた二重の狂気の産物だ。

「死」から逃げる為に常に「死」を想定して「壊れかけているからこそ、今は壊れていないと実感できて安心する」という人間性を食いつぶして、ただ原始的な「死にたくない」という本能のみを優先させた狂気。

 その狂気に呑まれてしまうのは、常に世界が「死」に満ち溢れているということを思い知らされる眼を持つから、そんな視界でも「死にたくない」という願いを捨てられず、その願いを実行する為にはこの狂気に呑まれるしかなかった。

 

 なのにソラは、出会ってしまった。

 命に代えても守りたいと思える大切な人に出会って、誰かを守ることに価値を、意味を見出してしまった。

 

 それは、生き物の中で特に人間が持ちうる狂気(バグ)

 自己犠牲という、生存本能に反する衝動(あいじょう)

 

 ソラがここまで狂い果てているのに一見まともに見えるのは、マイナスの掛け算がプラスになるようなもの。二つの相反する狂気が奇妙なバランスを保って、ソラを真っ当に見せているだけ。

 だから彼女は、あまりに危うい。

「死にたくない」という狂気(ねがい)も、「大切な人を守り抜きたい」という狂気(あいじょう)も、どちらかに大きく傾いた瞬間、ソラは必ず破滅する。

 

 大それたものなどソラは何も望んでいないのに、ただ当たり前のように、ごく普通に生きてゆきたいだけなのに、それはここまで狂い果てて、奇跡のようなさじ加減でバランスを保っていなければいけないことが憐れで、けれど何もしてやれることなどないことを、彼女よりも長く生きてきたビスケは知っている。

 どんなに強くなっても、結局自分にできることなどほとんど何もないと思い知らされるビスケに、ソラは勝手に立ち上がって背筋を思い切り伸ばしながら言った。

 

「そんな顔すんなよ、ババア。頭がいかれた奴に感情移入したって頭痛がして、同じくミイラ取りがミイラになるだけだよ。あ、ミイラの方が本来の姿か」

「なっ!?」

 いつものように師匠を師匠と思っていない暴言を言い放ちながら、彼女は笑う。

 狂気などどこにも見当たらないからこそ狂い果てている証明のような、晴れやかで穏やかな笑顔で彼女は言う。

 

 * * *

 

 ビスケと同じような顔をした人を、ソラは知っている。

 弟も、クラピカもソラがぶっちゃけた謝罪をした後、照れ隠しにしては凶暴すぎる怒りを見せてしばらく拗ねてから、ソラに言った。

「お前は、狂っている」と。

 

 侮蔑や恐れはなく、憐みというには言った本人が痛みに耐えるようなあまりに悲痛な顔をしてソラに告げたが、言われた当の本人はクラピカにそんな顔をさせたことを悔やむ以外に思うことなど、特になかった。

 せいぜい、ざっくり言い切ったなとしか思わなかった。

 その感想こそが、手遅れなほどに狂っている証明だということに、彼女は気づいていなかった。

 

 気付いていたのは、クラピカだった。

 そしてそれは、自分にはどうしようもないことだということにも気づいていた。

 

 彼女の狂気は、消し去ることなど出来ない。

 直死の魔眼を普通の眼に戻せても、むしろそれこそ彼女を破滅に追いやることさえ予想出来た。

 世界の脆さを目にして、その線や点を避けて逃げて生きる彼女に普通の視界を今更与えても、見えないだけで存在する「死」に耐えきれないことくらいわかっていた。

 

「今死ねば?」は、それこそクラピカが言うべきセリフだ。

 彼女は生きているからこそ死を常に恐れて、休む間もなく狂い果てるほどに逃げなくてはならないのだから、死んでしまった方がきっと本当は楽なはず。

 

 きっとそれもとっくの昔にソラ自身が考えて思い至り、それでも彼女は生きることを選んだのだろう。

 だから、クラピカは彼女に伝えた。

 

「それでもいい」と、肯定した。

 

 復讐さえも肯定して「その先」をくれた人だから、クラピカも彼女が選んだものを否定しない。

 憐れまない。かわいそうだとか、救いたいとか、何とかしたいなど思ってはいけない。

 彼女の狂気こそが彼女を生かし、そして自分と出逢ったのだから。

 

「お前がどんなに狂っていようが、狂い果てていようが、そんなのどうでもいい。

 ソラがソラであるのなら、それさえ変わらなければ、いい。それだけでいいんだ」

 

 だから、クラピカは彼女の狂気を肯定した。

 そして、自分がソラに与えられる、渡せる精一杯の「その次」を口にした。

 

「ソラ。オレは自分が本当にしたいことがなんなのかはまだ見つけられない。

 でも、オレは君が……ソラも幸せであってほしい。何があっても生きぬいて、ソラがしたいことをして、幸せであってほしいという思いだけは、今確かに願うことだ」

 

 その言葉がなければきっと、もっと前にソラは破綻していた。

 正気になりたい、普通に戻りたいという願いこそ、彼女の少なくとも表向きは普通を取り繕えている狂気のバランスを大きく崩す。

 普通なら死ぬ以外なかったところを生き延びた彼女が、普通に戻るということはそれこそ本来ならあの日に起こるはずだった破滅を受け入れるということに他ならないのだから。

 

 だから、彼女は自分の狂気を肯定する。

 自分の異常を受け入れて、自分が望んだものの大半が手に入らないことに少しだけ寂しく思いながら、何をしてもしなくてもいつか必ず訪れる終焉で後悔するとわかっているからこそ、だからこそ生きているうちは後悔をしないように生きようと決めたから。

 

 だからソラは、地獄の中でも穏やかに笑って言いきる。

 

「救いたいとか、何とかしたいなんて思うなよ。

 そんなんしなくたって私は、生きているだけで、目覚めてるだけで幸せなんだから」

 

 ソラの言葉に、ビスケはまたしても言葉を失う。

 今度は憐みや無力感ではなく、逃げ場のない地獄で時間稼ぎに逃げ続けるしかない自分の生を、本心から「幸せ」と言い切る弟子に、思わず素で感心してしまった。

 

 それも結局は、狂気の産物だろう。

 が、確かに口出しは余計なお世話にすぎない。

 

 狂気から生まれたものでも、常人には理解できないものであっても、偽りの、嘘にまみれた幸せは存在しても――

 

 幸せだと感じている瞬間に、嘘や偽物なんてありはしないのだから。

 

 * * *

 

「ぎゃはははははっ!」

「吹っ飛んだのかよ! 団長もフェイタンも、女相手に吹っ飛ばされたのかよ!」

「おいおい、相手はどんなゴリラだったんだよ!?」

「黙れ」

「黙るね」

 

 骨をバッキバキに折られて左腕を三角巾で吊るしている団長と、肋骨と内臓に大打撃を喰らって実は話すどころか呼吸も辛いフェイタンが、爆笑する強化系トリオに不機嫌オーラをぶつけながら命じた。

 

 もちろんそう言われて素直に黙る奴らではない。それくらいで黙るのなら、「暇なら来い」という招集命令では来なかったくせに、「団長とフェイタンが女にブッ飛ばされた」とシャルが送った連絡で、わざわざ笑いにホームまでやってこない。

 結局3人が黙ったのは、マチとパクノダがやや疲れた顔で、「……私たちの方は、ちょっと本気でゴリラだった」という言葉を聞いてからだった。

 

 ビスケの方に向かっていた3人は、別に相手の姿で舐めたり油断なんてしていなかったが、さすがにビスケが旅団の強化系トリオレベルのパワータイプであることは予想外だったらしく、まさかのフェイタンが能力発動前にブッ飛ばされた挙句に意識を手放すという珍事に見舞われて、敗走を余儀なくされたそうだ。

 それを聞いて、ノブナガたち3人はとりあえずフェイタンには謝っておいた。

 

「俺には謝らないのか」

「だってそもそもはクロロのわがままじゃん」

 

 同じく女にブッ飛ばされたクロロが不満の声を上げるが、シャルナークが呆れをもう隠す気もなくさらけ出して突っ込んだ。

「明らかにヤバいから忠告したし、退こうって言ってんのに何でか知らないけど変に意地張っちゃって、あれなんだったの?

 もう弾丸みたいな勢いでブッ飛ばされた時は、心配で心臓が止まりそうだったんだけど」

「その割には、俺が蹴り飛ばされた時爆笑していたな」

「あ、ばれてた?」

 

 いけしゃあしゃあと、「心配」なんて気色の悪い発言をするシャルナークを横目でにらみつけるが、そんな視線は痛くもかゆくもないと言わんばかりに彼は舌を出す。

 お前は俺がリーダーであることを忘れてないか? と若干本気で問いただそうかと思ったが、ウボォーギンが相手は怪我人であることも忘れているのか乱暴に背中を叩き、「しかし、団長も災難だったな!!」と励ましなのかトドメなのかよくわからないことをやらかす。

 

「で、どっちの方が強そうなんだ?」

 どうも、励ましでもトドメでもなく、ただの獲物の物色だったらしい。

 団員一の戦闘狂が団長と戦力トップクラスのフェイタンを吹っ飛ばす女二人と聞いて、血が騒がない訳がなかったなとクロロは、わかっていたが集団なのに自由気ままな連中にちょっとしばらく放っておいて欲しいと望むのもバカらしくなって、最低限のことだけ伝える。

 

「ウボォー、師匠の方はともかく弟子の方は殺すなよ」

「え? まだクロロ諦めてないの?」

 

 クロロの言葉にシャルナークは心底驚いて声を上げると、クロロの方もただでさえ童顔なのがさらに幼く見える表情で言い返す。

「何故、諦めなければならない?」

 

 その返答に、シャルナークだけではなくその場にいた全員が絶句して、クロロは団員の反応が理解できず首を傾げた。

 先ほどまでいつものクールさはどこに行ったんだと言わんばかりに、自分をソバットでブッ飛ばした女がいかに面倒くさい空気を読まない訳のわからない女だったかを語っていたのに、未だに彼女の「眼」を諦めるつもりはない、むしろ諦めるのがあり得ないと言い切るクロロに団員は、率直に言ってドン引いていた。

 

 強化系トリオと同じく団長がブッ飛ばされたと聞いてやって来たのに、そのことを笑いもしなければ団長を心配もせずマイペースに本を読んでいたシズクが、そんなクロロにシャルナークが「……まさか」と思いつつも恐ろしくてとても聞けなかったことをサラッと訊いた。

 

「団長、一目ぼれですか」

 勇者の発言に、クロロは即答した。

「それはない」

 

 真顔だった。そして、真顔のまま続けた。

「あの『眼』に対してなら肯定するが、あの女に対してならそれはない。マジでない。

 あれは、マジで、ない」

 

 * * *

 

「……なんか急に、あのデコ十字のイケメンに玉天崩をぶちかましたくなった」

「一体急にどうしたんだわさ? 去勢する気?」

 




とりあえず、設定の説明回みたいな旅団とのファーストコンタクト編は終了。

次は3話くらいで終わる話をしてから、原作の試験編に入りたいと思ってます。


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8:ソラ、魔境を訪問する

「どっこらせー!!」

 実に年寄りくさい掛け声で、ソラは扉を開ける。

 本気を出せばもっと「開けられる」のだが、ここでオーラを無駄使いはしたくなかったので開けた扉は一つだけ。

 

 正直言って、ソラはこの仕事を受けたくはなかった。

 

 少し前に自分でやらかした、美術館倒壊の責任は大半を幻影旅団に押し付けたが、それでも仕事を承った立場であるソラが全く責任を負わずに済む問題でもなかったので、その責任は金銭という形で解決した。

 なので現在、懐が相当寒かったから了承した仕事であり、出来ればというか今すぐ全力で逃げ出したいくらいにこの家には来たくなかった。

 

 正確に言うと、この家の家族とは関わりたくなかった。さらに詳しく語ると、この家の長男とは顔を合わせるどころか、今ここに自分が来ていることすら知られたくない。

 理由は明確、その長男と関わった3回中3回とも殺されかかったからだ。

 

 最初の1回目は、まったくもって良くはないが仕方がない。仕事上敵対していたのだから、仕方がないことだ。

 しかし、のちの2回はその最初の出会いがきっかけで何故かソラを気に入ったその長男の父親兼この家の当主が、ソラに仕事を依頼したのだが……。

 

「お待ちしておりました。ソラ様」

「ぎゃあ!!」

 

 扉を開けてすぐ、待ち構えていた執事に頭を下げられたソラは、女らしさを彼方に捨て去った悲鳴を上げて猫のように派手に身を翻し、“硬”に近いぐらいにオーラを両手に込めて背後のバカ高い塀に手をめり込ませ、トカゲかセミのようにへばりついた。

 

 そんなソラの珍行動に執事は表情一つ変えず、傍に停めていた車のドアを恭しく開けて「どうぞ。屋敷までご案内いたします」と告げるが、ソラの方はまだ塀にへばりついたまま警戒続行。

 執事が表情を変えないまま彼女が今もっとも欲している言葉を告げるまで、ソラは降りてはこなかった。

 

「……イルミ様は仕事で屋敷どころかパドキアにすらおりませんよ」

「本当!? 私がいる間に帰ってこない!? っていうか、私が来ること知ってる!? あの能面、私が来てるってこと知ったらダッシュで帰って来て針を投げつけてきそうなんだけど!」

 

 忠義心の塊で執事の鑑のようなゴトーだが、珍しく自分が仕える家の長男に対して失礼極まりないことを喚くソラに対して、不快感を示さなかった。

 それはソラがこのゾルディック家にとってやや特殊な立ち位置の人間である事と、彼女が侮辱した長男であるイルミは自分の直属の主人ではなく、個人的に嫌っている部類であるのも確かだが、第一は同情である。

 

 ソラはゾルディック家当主のシルバには妙に気に入られているが、イルミには何故か一方的にやたらと嫌われている。

 前回訪れた時、たまたま仕事が予定より早く終わって帰宅したイルミと屋敷でかちあった瞬間、イルミが針を投げつけて針を持ったまま追い掛け回し、そのまま丸一日ククルーマウンテンで鬼気迫った鬼ごっこをやらかした事実を知っていれば、ソラが塀にへばりついたまま涙目で訴えかけてきた心配事を大げさと一蹴することは出来なかった。

 

 * * *

 

「すまない、待たせたな……。大丈夫だ、今日はイルミはいない」

 ゾルディック家で使用したことなど片手の指の数もあるかどうか怪しいほどの客間に当主のシルバが入ってきた瞬間、飛び上がってソファーの後ろに隠れてこちらをうかがうソラに、ゴトーと同じことを言って警戒を解いてもらおうとしたが、返ってきたのは反論しようのない抗議だった。

 

「前回もそう言われたのにかちあいましたよ! 何でお宅の長男は私に会った瞬間、反射的かつ全力で殺しにかかってくるの!?」

「すまん。俺にもわからん」

 涙目で訴えかけるソラに対して申し訳ないと思うのは本音だったが、実はイルミの殺意に関しても本音でシルバにとっては謎だった。

 

 無関係の一般人も利用して殺すことが多いが、基本的にイルミもシルバやゼノ同様に殺しは仕事でしかなく、快楽など感じていないので仕事以外の殺しはしないし、自分の仕事に好都合な技能を持っていれば、敵対したことのある相手だろうが生理的に気に入らない相手だろうが、ビジネスライクな関係を普通に結べるはずなのだが、何故かイルミはソラを異常に嫌っており、ソラの言うとおり出会い頭に反射的かつ本気で殺しにかかっている。

 

 前回など、さらにその前に殺しにかかったことを反省してわざと仕事を入れて家を空けさせている間にソラを招いたのだが、イルミは「何か嫌な予感がする」と妙な勘を働かせ、予定よりずいぶんと早く仕事を終わらせて帰ってきて、その結果が丸一日デッドオアアライブな鬼ごっこだ。

 

 ちなみに、もちろんシルバはソラとイルミが遭遇してしまった瞬間にイルミを止めたが、イルミはシルバの制止さえも無視してソラに針を投げつけて、そのまま屋敷に大穴を開けて逃げ出したソラを追いかけて行った。

 (のち)に何故、自分の命令を無視したのかを訊いてみれば、無視ではなく本気で聞こえていなかったと言われた挙句、そこまで冷静さを失うほどにソラを嫌う理由を尋ねてみれば、息子は小首を傾げて「……さぁ? なんとなく?」と返答し、シルバは頭を抱えた。

 

「とにかく、今回は大丈夫だ。何とか理由をつけて俺の直属の執事をつけさせて、行動を監視している。イルミがまた予定より早くこちらに帰ってこようとすれば、即座に連絡するように命じているから大丈夫だ」

 シルバの言葉にソラの方はまだ疑わしげだが、疑って仕事の話が進まずこの屋敷に長居してまた遭遇してしまうより、さっさと話を終わらせた方が安全だと判断して席に着く。

 

「で、今回は私に何を依頼する気なんですか? 知ってると思いますけど、私は殺しはしませんよ。っていうか、それはそっちの仕事でしょ?」

 慇懃無礼な物言いに、シルバの傍らに控えるゴトーやその他の執事はかすかに怒りや不快感を表すが、無礼な態度を取られたはずの当の本人はまったく気にせず話を進める。

 

「あぁ。その通りだ。

 頼みたいのは、さっそく今晩で悪いがウチの末っ子の仕事の同伴だ。パーティーに潜入する予定で母親と行くはずだったんだが、少し前に母親が三男に顔を刺されて怪我を負ってな。家の者で都合がつく者が他にはいないのだよ」

 

 修羅場というレベルではない内容も交えてしれっと語られた仕事内容に、ソラは数秒絶句してから「本気ですか?」と尋ねる。

 ソラの問いかけは当然だろう。暗殺一家という時点で常識がぶっ飛んでいるが、いくら何でも子供のお守りに報酬8桁は本気どころか正気を疑う。

 母親が三男に顔を刺されたという部分も正気を疑うが、そこは聞かなかったことにしておく。自分の関係ない部分にまでこの家の事情に突っ込んでいたら、命がいくつあっても足りないからだ。

 

 第一この家なら家族に都合がつかなくとも、ソラに外注する必要がないだろうと思い至る。念能力が例えソラより劣っていても、自分の生存が最優先なソラより執事たちの方が護衛としてよっぽど優秀に働くだろうし、そもそも戦闘力で語るならこの家の人間に護衛は多分いらない。

 

 だが、シルバは鷹揚な笑顔を見せて「もちろんだ」と答える。その笑みの種類は少し前に出会ってソバットでぶっ飛ばした、幻影旅団団長が初めに見せていた笑顔とよく似ていた。

 

 しかしクロロの笑顔は企みを隠すための笑顔だったが、こちらは裏があることはあからさま、それがばれても痛くもかゆくもないという余裕の笑顔。

 このあたりは年の功だなと思いながら、ソラは行儀悪くソファーの肘置きに頬杖をつき、呆れかえっていっそ感心したような声を出す。

 

「……まだ、私を息子の嫁にするのを諦めてなかったんすか?」

「年上や少し下より、将来性のあるもっと年下が良いと言っていたからな」

「それ、長男と次男を断る方便だから、受け入れる方向で真に受けられると私が困るんですけど」

 ソラの言葉をほぼ肯定する答えを笑いながら返してくる男に、せめてもの名誉挽回に訂正だけを入れてソラは諦めたように溜息をついた。

 

 どうもシルバは、ソラを「息子の嫁候補」として気に入ってしまったらしく、今回「も」仕事とかこつけて「息子との見合い」を企んだようだ。

 

 念能力者としてアンバランスなところがあるが総合的に見ればレベルが高く、何よりソラは彼らに目の事を話した覚えはないが、念能力すら無効化する念能力では説明がつかないソラの異能は、「眼」を起点としているものであることは察しているらしい。

 人はもちろん念能力すら殺す眼を持つソラは、そりゃ暗殺一家からしたら何としても一族に取り入れたい人材だろう。

 

 一応ソラは最初の仕事の依頼が建前の見合いであることを察した段階で、自分の異能は遺伝するものではないことは話しているのだが、自己申告だから信じていないのか、遺伝しなくてもソラが敵に回るより「一族」として取り込んで敵に回らないようにした方が得だと思っているのか、諦める気はないらしい。

 

 しかしソラの方もゾルディック家の嫁になる気はもちろんないので、彼女は頬杖をついたままシルバにとって一番突かれて痛い所を遠慮なく言葉でぶっ刺した。

 

「長男が殺す気満々なのに誰の嫁になれと?」

「…………さすがに義妹になれば、あれも大人の対応を……」

「むしろ義妹になる前に私を抹殺しようと、あの能面のまま頑張る姿しか想像できない……」

 

 ソラの言葉にシルバは若干強張った笑顔で眼を逸らして言葉を絞り出すが、ソラがゲンドウのポーズで呟いた追い打ちの言葉で、同じポーズを取って沈黙した。

 執事たちも掛ける言葉なく、気まずい沈黙が客間をしばし支配する。

 おそらくその場の全員が脳裏に、無表情のまま針を構えて投擲し、ソラを死ぬまで追い掛け回すイルミをリアルに想像してしまったのだろう。

 

 しかしこのまま気まずい沈黙で無駄に時間を過ごし、その沈黙の原因である長男が帰ってきて想像が現実にでもなったらシャレにならないので、ソラは持ち前の場の空気を気にしない図太さで話を進めた。

 

「まぁ、仕事自体は受けますよ。金欠だし。

 でも、見合いは勘弁してください。特に末っ子なら未成年でしょ? 次男が確か19か18くらいだったし。この家で言うのも変な話だけど、その条件で喜ぶ女はド変態の犯罪者でしょうが。んな女を嫁に迎えないでください」

「まぁ、そうだろうな。俺もそんな義理の娘は嫌だ」

 

 気を取り直したのか、シルバもソラの言葉に軽く苦笑して少しだけ本音を話す。

「さすがに以前の断り文句を本気にはしていない。が、下の子たちがお前を気に入ったら、少しはイルミの態度も軟化するんじゃないかと期待しただけだ。

 まぁ、末っ子の仕事に同伴できるものがいなくて困っていたのも事実だから、仕事を受けてくれるのはありがたい。カルトはまだ“念”については“燃”の方も教えていないから、執事をつけるにしても心配だったものでな」

「軟化どころか、弟を取られた怨みでさらに殺されそうな気がするんですけど……」

 

 またソラが身もふたもなく、そして可能性が高すぎる未来図を言い出してシルバが頭を抱える。

 しかし今度はシルバの方がさっさと気を取り直して、「仕事を受けるのなら、さっそく末息子を紹介しよう」と言って、執事に息子を連れてくるように命じる。

 

 それまでの間、ソラは出されていた紅茶を飲みながら軽く雑談……というか、言葉の端々でソラの「眼」についての情報を得ようとするシルバの話を適当にかわしていた。

 別にソラとしては話しても全く構わないのだが、また自分から手の内をばらす真似をしたら師匠であるビスケにぶん殴られて正座で説教されるのが嫌だったので、うまくごまかす努力もせずに本当に適当にかわす。

 

「直死の魔眼」のことを知られても、この眼の特性を踏まえたうえで殺しにかかってくる相手のことなどとっくの昔から今もずっと頭の中で想定済み、そしてどう動くかのイメトレも会話をしながらめまぐるしく行い続けるソラにとって、「話さない」の選択肢を選ぶ理由なんてそれくらいにすぎなかった。

 

 * * *

 

「ちょっと待て」

 

 ゾルディック家の末っ子と引き合わされた時の、しばし固まった後に発したソラの言葉はその一言だった。

「どうした?」と不思議そうにソラを見返すシルバに、無表情ながら同じように悪意も他意もない不思議そうな感情をわずかに見せる執事たち。

 そして、黒曜石のような瞳をきょとんと丸くさせてソラを見上げる末っ子のカルトに囲まれて、ソラは一瞬、「あれ? 私がおかしいのかな?」と不安になるが、自分が狂っていると自覚はしているが、さすがにこれに関しては自分が正しいと言い聞かせつつ、まずは頭痛を堪えて言った。

 

「ちょっと待って、マジで待って。突っ込みどころが多すぎて、追いつかない。

 …………とりあえず、まずはじめに『末息子』はどこ!?」

 

 何とか情報を整理してソラはまずはじめに一番気になったところを突っ込みを入れるが、やはりゾルディック家の面々は不思議そうな顔をして、シルバはしれっと答える。

「今、紹介しただろう。これがうちの末息子、五男のカルトだ」

「シルバさん、和服の男物と女物の区別ついてる!?」

 

 その答えに反射でさらに突っ込み返すソラ。

 ソラが自分で思った通り、この状況で一番真っ当な反応をしているのはソラである。

 たとえソラのように異世界の「日本」から来た人間でなくとも、この世界にとって「日本」に近い文化を持つ島国「ジャポン」出身者や、その文化に詳しいものでなくとも、ほぼ確実にわかる。

 いま彼女の目の前にいる子供が来ている物は、女物であることくらいはわかるだろう。

 

 黒地にきらびやかな花の刺繍が施された女児用の振袖を完璧な着付けで着こなした、おかっぱに口元のほくろが子供ながらに色っぽい10歳前後の子供を「末息子だ」と紹介されて、「いや、娘だろ!? 息子はどこ!?」と叫んだソラは何も悪くない。

 悪いのは常識が彼方にぶっ飛んでいるこの家と、違和感が全く仕事しないで振袖を着こなすカルトの方だ。

 

 しかしながら、ここはゾルディック家。

 例え世間一般ではソラの方が正しくとも、その常識は悲しいことに通じずシルバの少し困ったような笑みでスルーされる。

 

「あぁ、恥ずかしながらジャポン文化には詳しくない。だが、妻は流星街出身だが生まれはジャポンだからか、こういうのが好きでな。特にカルトは妻によく似ているから、親バカだと思うだろうがよく似合うだろう?」

「シルバさん、私たち同じ言語で話してる!? なんか会話がかみ合ってませんよ!

 奥さんの惚気は聞いてないから! ラブラブなのはいいけど聞いてない! それは後で末永く爆発してください!!」

 

 まさかのゾルディック家当主から嫁の惚気を聞かされるという予想外な精神ダメージを喰らったが、めげずにソラは突っ込む。

 

「っていうか、お断りしたけどよくこの子と私をお見合いさせようと思いましたね!

 未成年とはいえ私とお見合いさせるなら14,5歳かと思ってましたよ! っていうか、この子いくつ!?」

「9歳だが?」

「せめて年齢二桁をすすめて!!」

 

 見合いだということを聞かされていなかったのか、ソラの突っ込みにカルトは驚いたように眼を見開いてから、ソラの方を一度頭の先からつま先まで眺めてから嫌そうな顔をしたという傷つく反応をされが、幸か不幸か突っ込みで忙しいソラは気づいていなかった。

 

「まぁ、いいじゃないか。先ほども言ったように、本気でカルトが相手で喜ばれたらこちらが困る。それより、カルトも来たことだしもう少し詳しい仕事の話を始めるか」

「…………もういいです。話が早く終わってこの家から出れるんなら」

 

 何を言ってもどこがおかしいのか全く自覚してない連中相手では、大声あげてる自分が疲れるだけと判断して、ソラは諦めた。

 しかしまさか仕事の内容も突っ込みどころ満載で、突っ込みたいけど自分の突っ込みが通じないで話が長引くだけ、でも突っ込まないで話を進めるとものすごくムズムズするという新手の拷問じみたことが起こるとはソラも予想外だった。

 

「まぁ、カルトの方の仕事は簡単だ。このパーティの主催者を殺せ」

「はい」

(はい、まず最初から色々おかしい! 暗殺は簡単なお仕事じゃないですよ! そもそも9歳にやらすな!!)

 

 口に出すと話の腰が折れるだけなので、脳内でただひたすら突っ込む。すでに、9歳以前にいくつでも暗殺はするなという常識を忘れ去っている時点で、ソラもこの家にだいぶ毒されていることに気付いていない。

 

「ソラはカルトの保護者、まぁ姉という設定で一緒にいてやってくれ。基本的にただのカモフラージュ役だから、一緒にいるだけでいい。

 だが、一応カルトに注意を払っておいてくれ。この子はまだ幼くて我慢が足りないから、ついうっかり殺し過ぎてしまうかもしれんから」

(そんなお菓子を食べ過ぎないように的なノリでいいの!?)

「……了解」

 

 喉から出かけた突っ込みを何とか飲み込んで了承するが、もうこの時点でやっぱり断ればよかったという後悔しかない。

 けど、この時点ではまだ我慢できていた。

 次の瞬間、ソラから我慢が吹き飛んだが。

 

「そのパーティー潜入の為のドレスや装飾品の類は、こちらで用意するが何か希望はあるか?」

シルバの問いかけに、突っ込みを我慢してひたすら俯いていたソラが顔を上げて聞き返す。

「……ドレス?」

「そうだ。そういえば、ソラもジャポン出身か。和装がいいのならそれでもかまわんが?」

 

 後半のシルバの気遣いは、ソラには聞こえていなかった。

 ただ肯定の言葉が耳に届いた瞬間、彼女の顔が強張ってはっきりと告げる。

「すみません。やっぱり無理です。勘弁してください!!」

「は?」

 

 唐突過ぎるソラのキャンセルに、思わず素で声を上げるシルバ。

 執事もカルトも同じくソラの言葉が理解できずに呆然としているところを、ソラは胸に手をやってこの仕事を断る理由を熱弁した。

 

「仕事キャンセルが無理なら、せめてドレスじゃなくて燕尾服あたりで!! すみません、本当に女装は勘弁してください!!」

「落ち着け! 女装じゃないだろ! お前の場合はむしろ普段が男装だ!!」

 

 まさかの断る理由にシルバが至極当然な突っ込みを入れる。

 が、ソラの方も堂々と「普段の男装が普通になってるからこそ、もう今更女の格好するのが恥ずかしいんですよ! スカートだけでも罰ゲームにしか思えないのに、いきなりドレスってなんの拷問!?」と言い返す。

 

「……仕事の内容からして、正装が求められることはもっと早くに気づいてもいいのでは?」

 差し出がましいとは思いつつゴトーがこれまた至極当然のことを指摘してみると、本気で嫌がっているのかソラは涙目で、「女の子も『メイド』じゃなくて『執事』扱いで燕尾服や黒スーツ着せてるこの家なら、正装はドレスより燕尾服だと思って何が悪い!?」と返されて、言葉を失う。

 別に言い返そうと思えばいくらでも反論の余地はあるのだが、仕事柄、外と内を繋ぐパイプの役割も持つからこそ、雇い主よりは世間一般の常識も知っているゴトーは何も言えなかった。

 

 どう言い返そうとも、「じゃあカルトは何で女物!?」と訊かれたら困るからだ。さすがに、母親の趣味だと告げて、また気まずい沈黙が落ちるのだけは避けたかった。

 

「そんな訳で本当にお願いします! ドレスだけは! ドレスとか振袖とか、とにかく女らしさ全開な煌びやかなものだけは勘弁してください!!」

 ついに土下座で懇願しだしたソラにカルトは全力で引いて、「父様、僕一人で大丈夫だよ。お守りなんかいらないよ」と訴えかけ、シルバの方も眉間に指を当てて考え込む。

 

「カルトの格好はいつも通り和服の予定だから、ソラが燕尾服でいっそ兄妹のフリでも俺は構わんのだが……」

「マジですか!!」

 

 シルバの言葉にソラは夜空色の瞳の中に、星を散らしたかのように輝かせる。

 ドレスを着なくて済むという情報しか耳に入っていないソラには、「俺は構わんのだが……」という歯切れの悪い後半のセリフは聞いていなかった。

 が、困ったようなというより気まずげな表情を浮かべて、こちらに目を合わそうとしないシルバに、ソラの方もさすがに期待通りの答えでないことに気が付く。

 

「…………すまない。もうすでに、用意は任すと言ってあるんだ」

 シルバが目をそらしたまま告げた言葉の直後、客間の扉が開いて耳がキンキンと痛くなる金属質な声が響く。

 

「まぁまぁ、あなたったら! ソラさんがもういらしているのなら教えてくださればいいものを!

 いらっしゃい、ソラさん。お久しぶりですわね。まぁぁぁっ、相変わらず綺麗に脱色された御髪に、女性美男性美、少女の愛らしさに少年の愛らしさも兼ねそろえた貌と体躯!! あぁ、お手入れをしていないのが本当にもったいない!!」

 

 扉を開けた瞬間、怒涛の勢いで夫に文句をつけたかと思ったら、ソラの容姿を褒めちぎってからあまりにも自分の容姿に気を使わないソラに嘆く豪奢すぎて時代錯誤なドレス姿に、その服装から異様な存在感を放つモノアイのスコープをつけた女性、ゾルディック家当主の妻、キキョウにソラは強張った笑顔で「……お、お久しぶりです」とだけ返した。

 それだけ返して、視線をシルバに向けて睨み付ける。

 

「……顔の怪我で同伴できないんじゃなかったんですかね?」

 確かに顔に包帯を巻き、その包帯に血がにじんで痛々しいが、怪我人とは到底思えないハイテンションでやってきた奥方に対して嫌味の一つをぶつけてみたが、シルバは困ったように一つ息を吐いて答える。

 

「あぁ、この程度の傷くらいならどうということはないのだが、三男に刺されてその成長が嬉しくて仕方ないらしくて、外に出すと誰彼かまわずそのことを自慢して話が止まらなそうだから、落ち着くまで屋敷で静養させるつもりだ」

「そういう理由!? 同伴できない理由は怪我でも、息子の反抗期による精神的なショックでもなく、むしろこの家庭内暴力が嬉しすぎて躁状態だから!?」

 

 さすがに重くてスルーしていた家庭の事情が、案外軽いものだったことに衝撃を受けつつ突っ込む。どこまでも常識が斜め上にぶっちぎっている家である。

 

「あぁ、まずはお風呂かしら。執事を呼んで、体と髪を洗ってしっかり全身のスキンケアをしてもらって、衣装は何がいいかしら? ソラさんは背が高いからやっぱりマーメイドラインのドレスがお似合いね! 髪と肌の色からして、ドレスの色ははっきりとした色が良いかしら?」

「……はい?」

 

 そんなこの家の中でも常識斜め上トップクラスのキキョウが、恍惚としながら勝手に語る内容にソラは顔色を変えて振り返る。

 モノアイのスコープがキュインと音を立ててソラの姿を捉え、濃く紅を掃いた唇が実に楽しそうに笑みの形に吊り上がった。

 

「カルトちゃんのお仕事についていけないのは残念ですけど、その分、私は私の仕事を全うさせて頂きましょう。

 ソラさんに関しては以前から、せっかくの素材がもったいないと思っていましたので私にとっても僥倖ですわ」

 

 何が? とは聞かない。

 自分がするのは嫌がるくせに、ソラ自身も他人を着飾らせるのは割と好きだったりする。その欲求は、女性としての本能的な何かなのかもしれない。

 ソラでも好きなのだから、こんな着せ替え人形でもないような凝ったドレスに身を包み、いくらよく似合うからと言って息子に振袖を違和感が仕事しなくなるくらいに着つけている彼女が、シルバから何を頼まれ、そしてソラに何をしようとしているかなんて、そしてそれがどれほど本人が楽しみにしていたかなんて、想像するまでもない。

 

 思わずソラは身を翻して逃げ出そうとしたが、命の危機に関しては常に狂い果てた思考回路が焼き切れてもシミュレーションをし続けているせいで、予知能力じみた超反応で回避して逃げ切れるのだが、逆に言えば命の危機がなければ暗殺一家当主の妻からソラ程度の小娘が逃げられるわけがなかった。

 

 この重そうなドレスで、ここまでフリルやレースを重ねたスカートからどうやって衣擦れの音を出さずにあの距離を詰めれたのか、ソラにはさっぱりわからない。

 ただ気付いた時には、キキョウのよく手入れされた爪が美しい両手がソラの両肩をしっかりつかんでいた。さすがは暗殺一家の嫁である。

 

「うふふふふふふ……。ソラさん、どうなさいました?」

 背後から耳元で声をかけられ、逃げられないことを悟ったソラがせめてもの抵抗か力を抜いて自分から歩かず、ハイテンションなまま執事に衣装やアクセサリー、化粧の準備を命じながら風呂場に連れて行くキキョウに引きずられていった。

 

 ちなみにシルバはわずかに同情するような視線を向けてくれたが、カルトはおそらく母親が客間に入ってきた時から耳が痛くなる怪音波のような声のダメージを避けるため、耳を塞いでいた。

 仕事のパートナーを助ける気、ゼロである。

 

 そんな二人が遠くなっていくのを死んだ目で眺め、ソラはキキョウに引きずられたまま呟く。

 

「この魔境(いえ)、ボケしかいないのか……。私が突っ込みに回るなんて、相当だぞ」




作中でカルトを「9歳」としてますが、これは時期が原作でゴン達が受けたハンター試験の少し前の話なため、HxHのファンブックに載っていた年齢は、「物語開始時の満年齢」と想定して、現時点でのカルトは9歳ということにしております。

そして割とどうでもいいことですが、以前書いたソラのプロフで「年齢:21歳・誕生日:2月12日」とありましたが、あの年齢も満年齢と考えて頂けたらありがたい。
つまりは、現時点ではまだソラは20歳です。


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9:お手をどうぞ、マイフェアレディ

(女って怖い)

 若干9歳にして、カルトは心の底から思った。

 

 正直、父親に引き会わされた時はソラの事をカルトは男だと思っていた。

 男にしては細くて小柄で声も高いなどの違和感はあったが、男女比率が圧倒的に男に偏っているゾルディック家で生まれ育ち、まだ仕事でも外に出ることが少ないカルトでは、その程度の違和感は違和感と認識出来ず、「お見合い」という話題が出るまで相手を男だと信じ込んでいた。

 

 女だと認識しても、母や男と比べたら少ないが普通に存在する女の執事たちとは違って、凹凸の少ないソラの体格に自分のことを棚上げして「本当に女か、こいつ」と思ったぐらいである。

 まだソラがカナリアくらいの背丈なら、スレンダーな体格も「僕よりは大人だけどまだ『成長期』という奴なんだ」と勝手に納得していたが、ソラの背丈は母親のキキョウと同じく170前後なので、また世間知らずのカルトにとって性別を疑う大きな要因だった。

 カルトは、女は大人になれば自然と母親のような身長や体形になると思い込んでいた。

 

 なので、母親がただでさえ兄に刺されてからやたらと高かったテンションがさらに上がって、ソラを着飾らせることを楽しみにして連行していった時も、「燕尾服でいいのに。っていうか、あんな変なのいらないのに」と思って、引きずられて連れていかれるソラの方を見もせずに、母親の超音波並みの声から鼓膜を守るために耳を塞いでいた。

 

 それから父親に仕事の内容をさらに詳しく教えてもらってから昼食を取り、日課の鍛錬を行ってから休憩で少し昼寝をして、起きたら風呂に入ってパーティーに潜入するために用意した普段の振袖より華やかな赤い振袖に着替えて、ようやくソラと再会した。

 キキョウに連行されてから7時間ずっと、ドレスやアクセサリーをあれこれとっかえひっかえして、メイクアップされていたと聞いたときはさすがに心の底から同情したが、それ以上にまずは驚いた。

 

 カルトだけではなく、いつも表情筋さえも主人の命令がなければ動かさないと言わんばかりに無表情な執事たちも唖然として、シルバは軽く目を見開いて「……素晴らしい」と呟いた。

 その呟きを聞いたキキョウが、「あなた?」と恐ろしいオーラを湧き上がらせて声をかければすかさず、「キキョウのセンスがな」とフォローをした時は、カルトや執事、ソラも含めて「さすがだな」と知らないところでシルバは妙な尊敬を集めたのは余談だろう。

 

 それくらい、確かにキキョウのセンスも素晴らしいが、ソラ=シキオリ自身が素晴らしかった。

 

 キキョウの見立て通り、女性にしては背が高くヒールを履けば170を余裕で超えるソラに、体のラインがぴったりと出るワインレッドのマーメイドラインドレスが良く似合っていた。

 彼女が着ていたダボダボとしたツナギではボディラインが全然わからない小ぶりな胸と尻だが、ウエストがコルセットを巻いたわけでもないのに素晴らしく美しいくびれのラインを作っているので、おそらく男性勢が思っているよりも、そしてソラが自称するよりもはるかに女性らしい体形である。

 

 キキョウとしてはソラの眼に合わせて青系統のドレスを着せたかったらしいが、もうドレスを着ることは諦めたソラが最後の譲れない妥協として、アクセサリーは自分の武器である「宝石」、その中でも一番武器として使いやすく攻撃力も高い、ルビーなどの火属性のものを使いたいと主張したため、それらに合わせて赤系統で纏めたらしい。

 ただ、指輪やブレスレット、ピアスにはちょうどドレスに合いそうなものがあったが、ネックレスがどれもキキョウが用意したドレスに合わすにはよく言えばシンプルすぎる、悪く言えばみすぼらしかったので、ネックレスのみゾルディック家のゴージャス仕様にされた。

 

 ぼさぼさで無造作にもほどがあった白髪は、綺麗に梳かされてヘアオイルもたっぷりなじませたのか艶を放ち、結うことが出来るほど長くはないので、真紅のバラとソラの髪よりややピンク帯びたパールのコサージュが飾られている。

 顔立ち自体はあの残念すぎる身なりでも整っていることを隠しきれず、下手に手を加えたら台無しになるのではないかと思えるような、女性にも男性にも見える絶妙なバランスを保った美貌だったが、キキョウ自ら手掛けた化粧はもはや芸術の域に達していた。

 

 パーティーに出席するのならドレスに負けないように化粧はある程度濃くすべきなのだが、ソラの顔立ちだと素材がすでに完成されている分、男からしたらすっぴんに見えるようなナチュラルメイクならまだしも、濃い化粧は余計なものを付け加えるにすぎず、化粧をした方が逆に女装した男に見えそうだった。

 というか、実際に学生の頃ソラが友人に化粧されて見た自分の顔の感想がそれだった。化粧を施した友人も、「自分で言ってくれてホッとした」と述べたくらいだ。

 

 だがキキョウはそれこそ何時間もかけた甲斐があるだけ、完璧なメイクを仕上げて見せた。

 マスカラで増やし、伸ばすまつ毛の量、チークや口紅の色のバランス、アイシャドウの陰影グラデーション、アイラインなど一ミリ単位でこだわって描き、施した化粧は夜会に出席するにふさわしい華やかさでありながら、ソラのユニセックスさを失わせていない。

 

 どこかの財閥令嬢と言われたら信じる華やかさと艶やかさを持ちつつ、戦うため、生き延びるために鍛えられた筋肉をその体は身に着けている。

 だが、女性かつ日本人という人種ゆえに元々筋肉は身に付きにくい体質からか、その体は筋肉質とは言い難く、むしろ子供から大人に移り変わる思春期の少年じみた印象を与える。

 そんな少年の印象と相反する大人びた化粧に、少なくとも確かにある女性らしい曲線を描く成長途中の少女じみた躰と、女であることを強調するドレスという、どこか背徳的で退廃的な美がそこにあった。

 

 もはやキキョウの最高傑作と言っていいぐらいにめかしこんだソラに、カルトは化粧マジックの恐ろしさを感じながら、同時に「綺麗だ」と素直に思った。

 ただでさえ退屈そうな仕事に、全然知らない変な奴がついてくることが嫌で嫌で仕方なかったのが、「……まぁ、ついてくるだけならいいか」と思えるくらいに、気持ちが軟化していた。

 それはまだゾルディック家以外のことを何も知らない、家族以外はいらないと思っている節の強いカルトからしたら、かなり大きい奇跡的な譲歩であった。

 

「………………帰りたい」

 だが、当の本人は当然そんなことは知らず目が死んでいた。

 

 * * *

 

「……ゴトーさん、どうせパーティー会場にはゴトーさんは入らずに車で待機でしょう? もういっそ服を交換しませんか?」

「しません」

 

 パーティー会場に向かう車の中で、運転手のゴトーに無茶な頼みごとをして断られるソラを、カルトは呆れ果てながら眺める。

 ドレスアップしたソラを見たときは不覚ながらも見惚れたが、少したって見慣れてくると「やっぱり、変な奴」としか思えなかった。

 

(……こんな奴が、僕や兄さんたちの内の誰かと結婚するの? こんな奴、僕も兄さんたちも絶対に好きになんかならないのに)

「結婚」とは具体的にどんなものかをまだ全く理解していないカルトだが、意外とシルバが惚気るほどに夫婦円満なゾルディック家はどうも、ここは普通に「結婚とは好きなもの同士がずっと一緒にいる為にすること」と教えているらしい。

 ここだけ普通でどうすると突っ込みたいところだが、とにかくそんな認識のカルトにとってソラは、自分はもちろん他の兄弟にもこの女と結婚などさせたくないと思うほどに論外だった。

 

 ぐちぐちとこんなの自分には似合わない、スカートもハイヒールも動きにくいとゴトーや念のためにつけられた執事二人に文句をつけているソラを、カルトは改めて睨み付けながら観察する。

 カルトが見たところ、自分が殺してきたターゲットの人間よりはるかに鍛えられた体をしているが、ツボネと比べたらマッチ棒のように貧弱で、父親はこの女のどこを気に入ったのか、こんな女を息子である自分や兄たちが好きになると本気思っているのかがわからずにむくれる。

 比べる相手がおかしい、ツボネのような嫁でいいのか? と、ゾルディック家以外のほとんどを何も知らない彼でも素で思いそうな部分に、カルトは気づいていない。

 

 カルトは無自覚なまま、ソラに対して不満な部分を心の中で次々上げていく。

 

(だいたい、何だよ。殺しは嫌って。僕や兄さんたちと結婚するんなら、そんなのわがままじゃないか。

 仕事だって一度了解したくせに、ドレスを着るのが嫌だからっていきなり断って、大人のくせにあんなに情けなく叫んで、恥ずかしくないのかな?)

 

 カルトは気づかない。

 家族以外は生まれた時から面倒を見てもらってきた執事でさえも、生き物ではなく道具と認識していたはずの自分が、難癖をつけるためとはいえ他人をこんなにも意識しているという事実に。

 どうしようもなく、ソラに興味を抱いている自分に気付かない。

 

 だが、ソラの方が自分を不満げに睨み付けるカルトの視線に気づく。

 

「え? 何? やっぱり引くか? 私の女装は犯罪的か?」

「だからソラ様、女装ではなくそちらが正しい装いです。確かに美しさは犯罪的ですが」

 

 カルトが自分を睨む理由にソラは見当はずれなことを言い出すので、ゴトーがフォローなのか突っ込みなのか微妙なことを言った。おそらくこれに関しては、お世辞や社交辞令はなく、珍しく本音だろう。

 カルトも、ソラの問いに関しては唇を尖らせたまま「……別に」とだけ答える。

 ムカつくので「似合ってない」とでも言おうかと一瞬思ったが、言ってもこの女はショックを受けるんじゃなくてむしろ喜びそうな気がしたのと、この上なく癪だが嘘でも言えないぐらいにソラの容姿だけは認めているから。

 

 だが、カルトが認めているのはそこだけ。それ以外は何一つ認めていない。気に入らない。

 だからカルトはそらしていた視線を戻し、きょとんとしているソラをまた睨みつけて宣言した。

 

「僕は、お前なんかと結婚なんかしない」

「私だってしないよ」

 

 即答されたことに目を丸くして言葉を失うカルトに、ソラの方も「あれっ?」と言いたげな顔になって小首を傾げてから、ゴトー達にソラは訊く。

「私、変なこと言った?」

 

 ソラの問いを、ゴトーも他の執事達も答えなかった。

 ソラは何も悪くない。イルミやミルキならともかく、9歳のカルトはどんなに将来有望だろうが、気が合って互いに気に入ろうが、社交辞令やあくまで未来の彼に対して言うのなら問題ないが、本気で現在のカルトと「結婚したい」と言い出せば、それは犯罪的な性癖の暴露でしかない。

 家が家なので通報はされないが、そのままあの世直行コースになるのは間違いない。

 

 だからソラの返答に関して執事たちは皆、内心では「いいえ。まったく」と力強く同意しているが、カルトからしたら納得がいかない返答だったことも理解しているので、彼らは何も言えずに沈黙を守るしかなかった。

 

 大人からみたらカルトは「まだ9歳」で、まだまだ何もかもが幼くて未熟で拙い、守ってやらなければいけない子供だが、カルト本人からすれば「もう9歳」だ。

 自分が大人ではないことは認めているが、それでも大人が思うほど弱くなどない、自分一人でたいていのことは出来るという、根拠のない万能感が芽生え始める時期である。

 

 その万能感と、自分の家が代々続く由緒正しい暗殺稼業のエリートであるというプライドから、お見合いや結婚話を断る権利は自分の方にあり、ソラの方が断る可能性をまったく想像していなかったゆえに、ソラからしたら当たり前すぎる即答が理解できず、フリーズした。

 

 30秒ほどカルトはポカンとした顔で固まっていたが、徐々に言われたことを理解したのか、少年にしてはまつ毛が長すぎるパッチリした目に涙を浮かべ、頬もリンゴのように紅潮させていく。

 今にも癇癪を起して大泣きしそうなカルトに、自分の言ったことの何が悪かったのかわかっていないソラは慌てるが、幸いなことにカルトの高いプライドが泣くことをゆるさなかった。

 

「な、な、なんなんだよ、お前は!! 何でお前の方が嫌だなんていうんだよ!!

 僕の何が嫌だっていうんだ!? 僕だって、僕の方がお前なんか大っ嫌いだ!!」

 

 泣きこそはしなかったが、顔を真っ赤にさせて脈絡があるのかないのかよくわからないことを叫び喚くカルトにソラはきょとんとした顔でただ眺める。

 バックミラー越しに二人のやり取りを見て、さすがにこれに関してソラに非はないので、ゴトーがソラとカルトを同時にフォローしようと口を挟む。

 

「カルト様。ソラ様はカルト様に対してご不満があるのではなく、カルト様とお歳が離れすぎていることを……」

 しかし、カルトと会話をしていた女は空気を読まないことに定評のある女だった。

 ソラは、ゴトーの助け舟をぶち壊して言い放った。

 

「むしろ、何で断られないって思ってたの?」

 

 心底不思議そうに聞き返すソラに、またカルトは言葉を失って固まる。

 

「……な、何でって……」

 フリーズが解けて言葉を発したのは先ほどよりも早かったが、カルトはソラに言われた言葉の情報処理をまだできてはいない。

 むしろ、グチャグチャと絡まる曖昧な思考をはっきりとさせるために、無理やり言葉を紡いで叫んだ。

 

「ぼ、僕はゾルディック家の……」

「そこで君自身のことじゃなくて家の名前が出る時点で君は、自分に価値はないって言ってるも同然だよ」

 

 しかし、カルトの言葉をソラは途中でぶった切り、身もふたもなく言い切る。

 

「……ソラ様、お言葉が過ぎますよ」

 空気を読まないどころか爆砕してゆく女に、ゴトーがこめかみに青筋を浮かばせてバックミラー越しに睨み付けた。

 イルミに関しては彼女が被害者なので、多少の侮辱や暴言は聞かなかったことにできたが、今の発言はゴトーの逆鱗をかすめた。シルバやキキョウが気に入ってる、ゾルディック家の嫁候補でなければ、今すぐに車から叩き出してそのまま轢くか、自分の得意技であるコインの散弾を浴びせるところだったぐらいに、ゴトーの胸の内に怒りが満ちる。

 

 他の執事も同じく、忠義心から湧き上がる怒りを忠義心をもってして押さえつけつつ、殺意は隠しもせずソラにぶつけるが、ソラは車内に満ちる自分に対しての殺気にやや呆れた様子で肩をすくめて、「事実じゃん」と言い返した。

 自分がぶつけている殺意に気付けないほど、相手が鈍感ではないことをゴトーは知っている。

 こんなあからさまの殺意に気付けないのなら、殺意を込めて投げつけた針の軌道にぴったり合わせて、殺意を完全に隠した針を投擲という二段構えを行えるイルミから逃げ切れるわけがない。

 

 しかし、執事風情とはいえ複数の念能力者からあからさまで激しい殺意をぶつけられても、余裕というより「過保護だな、こいつ」と言わんばかりの顔をしながら、ソラはさらにゴトーに対しても言い放つ。

 

「カルトにフォローの言葉を入れないで私に文句つけたってことは、ゴトーさんも言わないだけで同じこと思ってるも同然じゃない?」

「!? 黙れっ!!」

 

 ついに敬語をかなぐり捨ててゴトーは叫ぶが、ソラの言葉は既に最後まで言い切られていた。

 自分の言葉がソラにぶった切られた時から呆然としていたカルトが、目を見開く。

 同時に、彼の紅葉のような小さな手が、そんな小さな手でもうすでに何十人も縊り殺してきた手がソラの首に伸びる。

 

『! カルト様!!』

 

 ゴトー達がカルトの名を呼んだのは、止める為。

 シルバから直々に、死んでも最優先で実行して守り抜けと承った命令を実行するため、ゴトーは急ブレーキをかけ、他二人の執事たちはそれぞれカルトとソラを押さえつけようと手を伸ばす。

 カルトの手がソラに触れる前に、カルトがソラを本気で殺しにかからぬように、ソラにカルトが、「自分の生命を脅かす敵」だと認識されぬために。

 

「カルト」

 

 しかし、ゴトーの制止よりも、執事たちが二人を取り押さえるよりも、カルトの指先がソラの首に触れるよりも、早かった。

 黒いレースの手袋に包まれたソラの指が、カルトの柔らかな頬に触れて、不規則に、まるで何かの線をなぞるように指を滑らせる方が、誰よりも早かった。

 

 * * *

 

 突然急ブレーキで止まった高級車に、後続の車もかろうじて衝突を避けて止まり、そしてクラクションを派手に鳴らしてさっさと進めと抗議する。

 さほど混んでいない道だったため車間距離が十分にあったことが、お互いにとって幸運だったことに後続の車は気づいていない。

 下手すれば、自分たちはこのパドキアで一番有名な一家の犠牲者になっていたことに気付かないまま、クラクションを鳴らす。

 

 そんな雑音を無視して、ソラはカルトに言う。

「別に、怒ってないよ。そっちが怒って当然のことを言ったことはわかってるから。

 でも、話は最後まで聞け。自分の都合の悪いことを殺して消してなかったことにして逃げるのは、最終的に自分を縛りつけて押しつぶして殺すぞ」

 

 青い瞳に自分を映して笑いながら語るソラにカルトは、何も言えず何もできず、ただ半端に腕を伸ばした姿勢のまま固まっていた。

 ゴトー達も同じく、二人に手を出せないままただ中途半端な体勢を維持していた。

 

 ソラは何も持っていない。カルトに触れているのも、顔ではあるが目や首ではなく頬であり、致命傷を与えるには難しい部分である。

 なのに、動けなかった。

 

 ソラの触れるか触れないかという、かすかな指の感触が、その指が不規則な線を描くことが、恐ろしくてたまらなかった。

 理屈ではなく、本能がカルトに叫んで訴える。

 今、自分の生命を握るのはカルト自身でも、家族でも、神様でもなく目の前の女であることを思い知らされる。

 

 目の前の死神は、少しだけ困ったように笑いながら言う。

「私が怒らせるようなことを言ったんだから、怒ってないし君がしようとしたことも許すよ。むしろ、言葉がきつくてごめん。

 でもな、カルト。私は、死にたくないんだ」

 

 カルトの頬から、ソラの指が離れると同時に彼女は困ったような笑顔のまま言った。

「だから次からは、覚悟しなさい」

 

 何を? とは訊けなかった。

 ただカルトは首振り人形のようにがくがくと何度か首を上下させる。訊く必要などない。今、魂に刻まれた。

 

 殺すのなら殺し返される覚悟をしろと笑顔で、弱い自分を嘲るでも、逆に憐れむような笑みではなく、自分のわがままに困って苦笑する執事と同じ笑みを浮かべてソラは言う。

 彼女からしたらカルトのしたことなどまさしく子供のわがままと癇癪で、それをたしなめつつ一応注意しておくかくらいの気持ちでしかなかった。

 

 だけど、カルトにとってそれは、死神の宣言。

 理屈の上では理解していたが、カルトはこの日初めて実感を持って理解した。

 自分が今まで仕事としてしてきたこと、そして自分の癇癪を晴らす手段として行ってきたことのリスク、「死」は自分が誰かに一方的に与えるものではなく、自分にも平等に降り注ぐものだということを。

 

 同時に、これはカルトにとって人生初めての「挫折」だった。

 

 自分が一番強いという自惚れなど、カルトは持っていなかった。少なくとも、持っていないつもりだった。

 しかしゾルディック家以外を知らない、「勝てない敵とは戦うな」を弟たちに教え込んでいる長兄の方針もあって、まだ幼く相手の力量をうまく計れないカルトは、「確実に殺せる相手」以外の仕事をやらせてはもらえなかったし、その仕事も万が一の失敗に備えてフォロー役に他の兄弟や家族と組んでいた。

 カルトより相手の方が上だと他の家族が判断した場合は、カルトを下がらせて仕事をさせなかった為、カルトはまだ「失敗」を経験したことがなかった。

 

 そんな初めての「挫折」が、「失敗」が、カルトの芽生え始めていた万能感と自立心を粉々に打ち砕く。

 気に入らないで見下して、バカにしていた相手にその「挫折」を与えられたのが、そしてそれは子供をたしなめる程度にすぎないと思い知らせる笑みを浮かべていたことがまた、彼のプライドを砕く大きな要因だった。

 

 未だにばくばくと脈打つ心臓は、目の前の死神に怯えている証。

 もうこの心臓も、女の喉に手が届かなかった短い手も、何もかもが未完成な自分がたまらなく嫌になって、カルトは小さな手をぎゅっと握りしめて膝の上に置き、唇を噛みしめて胸の中のグチャグチャに荒れ狂う、整理がつかない感情を抑え込もうとする。

 

 そんな小さな主を痛ましそうに、三人の執事たちは見やるが、その元凶はやはり相変わらずに空気を読まない。

 

「発車しないの?」

 足を組み直して、運転手であるゴトーにソラは言う。

 

「……いい加減にしろよ。どこまでカルト様を侮辱する気だ」

 ゴトーが眼鏡のブリッジを指で押し上げて、ソラを睨み付ける。もうそこに、ソラに対する礼儀は存在しない。

 ソラに対して礼を持って接しろという命令は受けていたが、ゴトーはもちろん、執事たちにとって第一はゾルディック家。つまりこの場なら、カルトが第一だ。

 

 そんなカルトを侮辱する言葉を吐き、カルトの自尊心を粉々に砕いて傷つけた女に対しもう遠慮などする必要はないと判断した執事たちはそれぞれ、オーラを練る。

 しかし、運転中にぶつけていた時とは違って隠し立てしなくなったむき出しの殺意の中でも、ソラは揺るがない。

 彼女はまた、心底呆れたような顔と口調で言い返す。

 

「……は? むしろいつ、侮辱した?

 カルトやゴトーさんのセリフじゃ、まるでカルトがいいとこなしみたいに思えるから、そのこと突っ込んだだけじゃん。言い方が悪かったのは認めてるからさっき謝ったけど、そこまで怒るんならマジで、私を責めるよりカルトの良いところを言ったげなよ。私はフォローしたくても初対面なんだから、外見以外褒めるところなんて見つけてあげられないんだから」

 

 ソラの言葉に、車内に満ちていた一触即発の殺意が霧散した。

 カルトはソラの言葉に驚いたようにまた眼を丸くさせてから、「そういえばそうだ」と言わんばかりに執事たちを睨み付ける。

 その幼くともゾルディック家の一員であることが感じられる、肌に痛みを覚えるほどビリビリした怒りの視線を気まずく思いながら、ゴトーはもう一度ブリッジを押し上げてから言葉を発する。

 

「……確かに。おっしゃる通りです。

 申し訳ありません、ソラ様。そちらのお気遣いを誤解して、頭に血が昇り大変な無礼を働いてしまいましたことを深くお詫びを申し上げます」

「だーかーらー、私はいいからそこまで怒るくらいに大切なら、カルトをフォローしてあげてって言ってるじゃん!」

 

 ゴトーの謝罪に、ソラは足をバタつかせてキレた。

 カルトよりも幼い動作で、カルトよりも感情をむき出しにしてまっすぐに、自分ではなくカルトに謝れ、カルトをフォローしろと言って怒った人を、もう一度カルトは丸くした目で見る。

 いつしか、鼓動のペースが変わっている。

 早鐘のように短いペースで大きく脈打っていた心臓が、今は大きさは変わらないがゆったりとしたペースで鼓動を刻む。

 まるで何かを、期待しているかのように。

 

「……お前は、僕のことが嫌いじゃないの?」

 ソラに言われて執事たちがカルトに何かを言っているが、そんなのカルトの耳には入ってこなかった。

 カルトが知りたいのは、自分を全肯定する執事からの言葉ではないから。

 

「ゾルディック」が世界の全てではない、小さな一部でしかない彼女からの答えが知りたかった。

 そんなカルトの問いに、ソラはまたきょとんとした顔で即答する。

 

「嫌いになるほど、君のことは知らないよ」

「じゃあ何で、結婚したくないって言うんだよ?」

「いや、普通に君相手だと犯罪だし、あと君のことを何も知らないからだよ」

 

 さらに重ねたカルトの問いも、何故そんなことを訊くのかと言わんばかりに即答する。

「君が『結婚』っていうものをどの程度分かっているかは知らないけど、結婚はな、その相手が好きで一緒にいたくて、ずっと守っていたくて守られたくて、その理由をいちいち説明するのが面倒だから一言で纏められる『家族』になるためにするもんなんだよ。

『ゾルディック』の一員になる為なら、相手が誰であろうと好きでも嫌いでも、何も知らなくてもいいかもしれないけど……『君』と結婚するんなら、好きか嫌いかもわからない、何も知らないうちはそりゃ断るしかないよ。

 そんな状態でOKするってことは、『君』なんか見てないで『ゾルディック』しか見てないってことなんだから」

 

 ソラの説明は、カルトの胸の内に「納得」という形で簡単に落ち着いた。

 ソラは知らない、意外とここだけは普通な「結婚」というものに対するカルトの認識に、ソラの説明は正しく一致していたから。

 

 カルトにとって「ゾルディック」は世界であり、同時に自分自身だった。

 だからこそ、ソラの方が結婚を断ったことが信じられなかった。それは自分が、自分の家だけが決める権利を持っていると信じて疑わなかったから。

 ソラに「何で断られないと思った?」と訊かれて、ゾルディック家の名を出したのもそれは自分自身だからにすぎなかったものを全否定された時は、自分の足場が、世界が崩れ落ちたようなものだった。

 

 けれどカルトの崩壊した世界は、崩壊させた女の言葉で蘇る。

 前とは少し違う、「ゾルディック家のカルト」ではなく、「ただのカルト」としての世界が構築される。

 

 それは、否定ではなくむしろ「ゾルディック家」の一部となっていた「カルト個人」を見つけ、認める行為であると知った。

 彼女はカルトに価値はないと言ったのではなく、カルトに価値はあるはずだから教えて欲しいと言っていたことに気付いた瞬間、砕かれたはずのプライドがバネになる。

 

 もう二度と負けない。もう情けない所なんか見せない。

 今、カルトの胸の内にある悔しさはソラを殺せなかったことではなく、自分の価値を答えられない自分自身に対してだった。

 

 いつしかまた走り出した車の中で、カルトは俯いたままソラに言う。

「お前なんか、嫌いだ」

 ソラが何をしようが、何を言われようが、この結論は変わらない。

 変な奴でバカでムカつくという印象は、どうやっても覆らないから。

 

「ははっ、そりゃごめんね」

 カルトの言葉を笑って受け流すその様が、余計に気に入らずさらに「嫌いだ」と思う。

 カルトをフォローしないゴトー達に怒った癖に、自分の為に怒らないところが無性に気に入らなかった。

 

 無性に気に入らないから、嫌いだから、悔しいから、だからカルトは言ってやった。

「お前なんか、大嫌いだ。だから、今に見てろ。僕と結婚しなかったことを後悔させてやる」

 

 まだ自分の価値を答えられないけど、この女が「価値がある」と言ったのならそれを否定するような人間にはなりたくなかった。

 ゾルディックという家名に勝る価値があることを証明したくなった。

 砕かれたはずの万能感と自立心は、明確な目標を持って再び形作られた。

 

 ソラはそんな幼い夢の始まりを、宣言を聞いてまたきょとんとしてから笑った。

「そりゃ楽しみだ。でも、そもそも君がどんなに魅力的になっても歳の差という壁があるし、何より私は君の長兄が怖いから多分後悔しない」

「ソラ様、何故『楽しみだ』で終わらせないんですか?」

 

 ぶれずに空気をぶち壊すソラに、ゴトーが突っ込む。

 カルトの方もイラッときた様子を隠さず、「そもそもお前は何で、イルミ兄さんにそんなに嫌われてるの?」と尋ねてみると、ソラは拗ねたように唇をとがらせて「別に心当たりなんかないよ」と答えた。

 

「ただ、あいつの針人形をバッサバッサ切り倒して、あいつの変装を一瞬で見破っちゃって、あとはあいつの素顔を見た時、『能面みたいなイケメンだなー。爆発しろ』って言ったくらいだよ」

「心当たりしかないの間違いだろ」

 

 執事たちが突っ込む前に、カルトの9歳にしては鋭い突っ込みが見事に決まった。

 

 * * *

 

「それでは、お二人とも。行ってらっしゃいませ」

 ゴトーら三人の執事が深々と頭を下げて、ターゲットが主催するパーティー会場入り口で二人を見送る。

 ここから先は、招待状を持つ者とそのパートナーしか入れない。

 

「はい、じゃあ行ってきまーす。カルト、ほい」

 せっかくの艶やかなドレス姿が台無しになるような軽い言葉を執事たちにかけて、ソラはカルトの方に自分の手を差し出した。

 

「……何? 僕が迷子になるとでも言いたいの?」

 嫌そうな顔をしてソラを睨み付けるカルトに、ソラは少しだけ挑発するような笑みを浮かべて答える。

 

「おやおや。君はやっぱり男の子じゃなくて女の子なのかな?」

「どういう意味だ!?」

 ムキになって声を荒らげるカルトに、やはりからかうような笑みのままソラは言葉を続けた。

 

「この場合、どんな格好でも、歳がいくつでも、紳士ならレディをエスコートするために手を引くのが普通だろ? ただでさえ私は、履き慣れないハイヒールなんか履いてるんだから。

 それともやっぱり、君は紳士じゃなくてレディの方なのかな?」

 

 言われて、もう今日で何度目かわからない、けれど長年仕えてきている執事たちが断言するくらいに珍しく、カルトがポカンとしてから胸を張って言う。

「……ふん! お前が一応、本当に本当に一応、レディだってことを忘れてただけだ!」

 

 怒りながらもどこか子ども扱いではなく紳士として、大人の男として扱われたことに対する嬉しさが隠しきれていない様子でカルトは、紅葉のような小さな手でソラの手を取ってそのまま会場内に入って行く。

 

 そんな二人を見届けて、執事たちは安堵の息を吐く。

 道中のトラブルが案外カルトの警戒心を解いたようで、素直ではないが少しソラに懐いたらしく、これならまたソラを殺しにかかって返り討ちに合うことはないだろうと確信したからだ。

 

 手を繋いで歩いていく二人は、どこをどう見ても仲のいい姉弟にしか見えなかったから。

 ……正確に言えば姉妹にしか見えなかったが、そこはカルトのプライドを執事たちは尊重した。




思ったよりも長くなってしまった……。
次回で終わるかな、これ?


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10:「私」が生きる世界

 パーティーに潜入して1時間ほどが経過した頃、カルトがソラに向かって言った。

「空気、読めたんだ」

 

 カルトにとって、そしておそらく執事や仕事を頼んだシルバ本人も一番の懸念事項であった、ソラがパーティーで他の参加者に対して失言・暴言を吐いて悪目立ちをしないかだったが、意外にソラは大人しかった。

 キキョウの手によって極上の美女となったソラに話しかける男全員に、ソラは笑顔で「ごめんなさい。失礼します」で終わらせて、とにかく壁の花に徹していた。

 

「お気持ちは嬉しいのですが……」などといった相手をフォローする発言はなく、シンプルにそれだけを言って断るので良いあしらい方とは言えないが、彼女のエアブレイカーぶりをよく知っているビスケが見たら「偽物!?」と叫ぶレベルなくらい奇跡的に穏便な対応である。

 さすがにそこまで思えるほどカルトはソラの事を知らないが、それでも意外かつ衝撃的だったので思わず口に出すと、ソラは少しだけムッとした顔になって反論する。

 

「失礼だな。私は空気が読めない訳じゃない。むしろ空気を読み、話も最後までちゃんと聞いたうえでいつも自分がしたいように空気を壊して、話は面白おかしい所だけピックアップして捻じ曲げてボケてるだけだ」

「最低だ」

 

 シンプル極まりない評価を9歳から心底呆れたような視線とともに送られたが、元々「空気、読めたんだ」発言に対して怒ったような様子を見せたのもこのボケの前振りでしかなかったのか、ソラは気にした様子もなくただ笑う。

 

「……もう大人しくしてるんならそれでいいよ。そろそろ、僕はターゲットに接触するからそのまま大人しくしといて」

「この場で殺るの? さすがに目撃者多数すぎるんじゃない?」

 

 呆れながらとりあえずこのまま大人しくしとけとカルトが念押しすると、ソラがちらりとカルトのターゲット、参加者と談笑中であるパーティー主催者の恰幅の良い初老の男を見て訊いた。

 カルトが少し小バカにしたように「そんな訳ないじゃん」と言えば、「一人になった隙を狙うのなら、接触する意味なくない?」とさらに尋ね返す。

 

 その問いでソラはどうも、どのような手順でターゲットとカルトが二人きりになるのかという計画を知らされていないことに気付く。

 母親から聞いていなかったのかを尋ねれば、ソラは藍色の瞳でやたらと遠くを眺めながら、「君や君のお兄さんたちの話しか聞いてない」と言われて、思わずカルトは「お母様がなんかごめん」と謝った。

 

「一人になった隙を狙うんじゃなくて、二人きりになるんだよ。後になれば犯人が僕だって特定されるだろうけどそんなの公表できるわけないから、お前は僕が戻ってくるまでここで今迄みたいに大人しくして、僕が戻ってきたら執事たちの手引きでここから抜け出せばいい」

「二人きり? ……もしかして今回の仕事、他の家族じゃなくてカルトが主体で動くのは……ターゲットはそういう趣味のクズ?」

 

 カルトの最低限な説明に一瞬だけソラが怪訝な顔をしたが、すぐに自己回答したらしく不快そうに顔を歪めた。

 

「『さでぃすと』な『ぺどふぇりあ』らしいよ。孤児とかだけで我慢してたらいいのに、気に入った子供を誘拐したり、こういう場で薬を使って部屋に連れ込んだりしたから、ついに(ウチ)に依頼されちゃったんだって。我慢の足りないバカだね」

 カルトの方も自分が言ってる単語の意味をどこまでわかっているかは不明だが、元々知っていたらしく9歳らしからぬ冷めた目で、ターゲットを眺めて冷淡に感想を述べる。

 

 その感想にソラは言葉を返さないで、代わりに意外なことを尋ねた。

「あいつの好みは何歳くらいで、性別にこだわりはある方?」

「はぁ?」

 

 何故かターゲットの性的嗜好に食いついたソラに、カルトは眉間に皺を寄せて振り向く。

 子供に下世話なことを訊くなという真っ当な怒りはもちろん、カルトにはない。こういう話題は仕事柄よく聞かされるので、「変なの」以外に抱く感想はない。

 ただ自分の仕事に悪趣味な好奇心で首を突っ込まれて、質問されるのが嫌だったらから苛立ったに過ぎなかったが、振り返って見上げたソラの顔を見て、言おうとしていた文句が消え去った。

 

「我慢の足りないバカ」と感想を口に出した時の自分以上に、あまりにも冷徹な目でターゲットを眺めながら、ソラはさほどカルトからの返答を期待していなかったのか、一人勝手にぶつぶつ呟いて完結させる。

 

「……まぁ、そのあたりはどうでもいっか。久々で苦手だけど、一般人に一時的なら暗示も失敗はしないだろうし。

 カルト。その囮は私がするから、っていうか一緒に行くから」

「はぁ!?」

 

 何故か勝手に決めつけられた結論に思わず出た声はやたらと大きく、暗殺者としては失格なことにカルトは会場内で注目を集めてしまう。

 そのことに屈辱と羞恥で顔を赤くさせて俯き、自分に集まった注目が消えてゆくのを待ってから、声のトーンを極限まで落としてソラに怒涛の文句をぶつけた。

 

「お前は何言ってるんだ!? 誰がそんなこと頼んだ!? お前の仕事は、僕が少しでも目立たなくこの場にいて自然に見えるようにするためだけのカモフラージュだけだ!

 それとも僕が失敗するとでも思ってるのか!? 舐めるな! こんな仕事よりももっと厄介で、あんな太っただらしない素人じゃなくてもっと強い奴らだって殺したことがあるんだ! お前のしようとしてることは余計なおせっかいなんだよ!!」

「うん、それはわかってる」

 

 しかしカルトが涙目で詰め寄ってなじっても、ソラは適当に言い訳して謝ることも、カルトを子ども扱いして自分の提案を正当化しようともしなかった。

 ほんの少しだけ困ったように苦笑しながら、カルトの言うとおり「余計なおせっかい」であることを認めた。

 だが、ソラは揺るがないし譲らない。

 

「君に対して侮辱する提案であることはわかってる。でも君がターゲットと二人きりという状況に置かせるのは、ちょっと私には無理だ。だからカルト、私のわがままに付き合ってくれないか?」

「……意味がわからない」

 

 自分を丸め込むための言葉なら想像がついて、それに対する反論も用意できていたが、まさかのおせっかいを認めたうえでそのわがままを押し通そうとするのは予想できず、カルトに言えたのはただそれだけ。

 だが、ソラはほとんど負け惜しみで言ったに過ぎないカルトの言葉を真面目に受け取り、腕を組んで首を傾げながら、考え込む。

 

「意味かー。んー、なんて言えばいいかなー……。

 カルト。私はな、基本的に人は殺したくないんだけど、殺人を犯すくらいなら自分が死ぬって思えるほど高潔じゃないんだ。っていうか、自分が危なければたとえ君の護衛を仕事で引き受けていたとしても、私は躊躇いなく君を盾にして君を犠牲にして、自分が生き延びるって道を選ぶと思うんだ」

 

 まったく余計なおせっかいを強行しようとする説明になっていない話が出るが、少しばかり興味深いと思ったのか、カルトは大人しくソラの話を聞いた。

 ソラの話を、意外に思ったから興味深く感じた。

 

 彼女は「殺しはしない」と父に念押ししていたので、カルトには理解できない「人道主義」という偽善者なのかと思っていたら、本人を前にして「いざという時は自分の為に君を見捨てる」と言い切ったのが、意外だった。

 意外なだけで別にカルトは、「見捨てる」と言われてもショックはない。むしろ親近感を抱いたくらいだったが、やはりこの女はどこまでも「ゾルディック家」とも「カルト」ともかみ合いはしない。

 

「でもな、私はそれを本当に本当に最後の手段にしたいんだ。本当に本当にどうしようもなくて、本能がむき出しになって『死にたくない』って足掻いた時だけの手段にしておきたいんだ。

 だから、ここで君だけ危ない目に遭わせるってのは無理なんだ。君の実力からして問題ないだろうけど、どんな不確定要素があるかわからないから、私が一緒にいれば防げた最悪が起こるのが怖いんだ。

 ここで、『私の仕事に関係ないから』って放っておいたら、私は多分、誰かを犠牲にするハードルが大きく下がる。それが嫌なんだ。私は死にたくないけど、ただ死んでないだけになり下がるのもごめんだ。私は、生きていたいんだ」

「……結局、意味わかんないんだけど?」

 

 ソラの説明に、今度は負け惜しみではなく心の底からの感想を口にする。

 まったく意味がわからない訳ではないが、やはりカルトには理解できない理屈だった。

 ソラ自身も実は自分でもよくわからない、ただの無根拠で他人からしたら何の意味もないこだわりにすぎないことを知っているので、開き直って笑った。

 

「あはは、そりゃそーだ。まぁ、私個人のこだわりだから、意味はないけど譲らないってことだけ理解して諦めてくれたらいいよ。っていうか、諦めないと私はカルトを抱きしめて離さず仕事の妨害をし続けるから、ぜひとも諦めろ」

「本当に譲る気はないんだな!!」

 

 今にもカルトをハグしようと両手を広げたソラに、抵抗するように構えて突っ込んでから、カルトは深いため息をつく。それは、誰がどう見ても諦観のため息だった。

「……わかった。お前を連れ戻すために会場に戻るのは面倒だと思ってたから、お前がターゲットと僕たちを隔離できるのならそれでいいよ。出来なかったら、僕が勝手にやるしお前なんか迎えに来ないけど」

「うん、OK」

 

 カルトの提案をあっさり了承して、ソラはカルトに手を差し伸べる。

 会場前とは違い、今度は何の文句もつけずにカルトはその手を握った。姉弟設定であのターゲットに近づくのなら、姉に甘えてべったりな人見知りのフリをしていた方がいいと、冷静に判断したからだ。

 

 そしてそのまま、談笑がやっと途切れて飲み物を口にするターゲットに近づいていく。

 その途中で、カルトは何気なく訊いた。

「お前にとって、『死んでない』と『生きる』の違いって何?」

 

 ほとんど理解できないソラの理屈の中で一番意味がわからなかった部分を、本当に何気なく訊いてみた。

 カルトにとってその二つは同意語。あえて違いを探すなら、脳死が「死んでない」にあたるくらいでしかなかったから、少しだけ気になった。

 

「実は私もよくわかってない」

 しかしまさか主張した本人が理解できていない事実に脱力して、カルトは転びかけた。何とか踏みこらえてカルトはソラを睨み付けるが、ソラは相変わらず飄々と笑う。

 

「けど、この意味の分からないこだわりを持つ『私』を、『ソラ』と定めた人がいて、私もこんな『私』が『私』だったらいいなって思っただけ。本当に、私と『あの子』だけにしか意味を成していない、ただのこだわりにすぎないんだよ」

 

 その答えに、カルトは唇をとがらせてそのままそっぽ向く。

 もうターゲットは目の前にいたから、そのまま口を閉ざして訊かなかった。

「あの子」とは誰なのか。

 その人物はソラにとっての「例外」なのか、そいつさえも本当に自分の身が危なければ見捨てるのかは、訊けなかった。

 

 何故、そんなことを訊きたいと思ったかという疑問も消して、カルトの思考は仕事モードに切り替わった。

 

 * * *

 

 ソラが失敗して警戒されるのはいいが、自分も巻き添えでターゲットに警戒されないかが不安だったが、そんな不安は杞憂となった。

 本人いわく空気が読めないんじゃなくて、空気を読んだうえで壊していると主張するだけあって、自分や執事に対してのように頓珍漢なことは言い出さなかった。

 

 人酔いしてしまい気分が悪くなったからどこか休ませてほしいと、当たり障りのないことをターゲットであるパーティー主催者の男に話しかけて、男は自分好みのカルトを連れていたからか、それとも背は高いが顔立ちや体形がどこか幼くて少女じみたソラも十分ストライクゾーンだったのか、表面上は紳士的に心配してる様子を見せて、自分から二人を会場から「休憩できる所」までエスコートする。

 

 思った以上に、下手したら自分一人で接触するよりスムーズに事が運んだことにほんの少しだけ、カルトは面白くないと感じる。

 実際のところ、ソラは魔術の初歩である「暗示」を軽くであるが行使していたからこそのスムーズさであるのだが、そんなことはもちろん知るわけのないカルトにとって仕事の大半を取られて、しかも自分より上等な結果であるという事実がプライドを大きく傷つける。

 

 だからこそ、さっさと終わらせてしまいたかった。

 鮮やかに手際よく殺すことで、自分の「暗殺者」というプライドを満たそうと思った。早く終わらせて、もうさっさとこの女の側から離れたいと思っていた。

 

 その思考は、獲物を甚振ってから殺すという暗殺者としては致命的に悪い癖を持つカルトには珍しい思考であり、成長であったのは確かだが、あまりに彼は焦りすぎた。

 無自覚ながらに、酷く冷静さを失わせていた。

 

 ターゲットに「休憩室」として案内されたのは、パーティー会場からかなり離れた屋敷の奥。

 紳士的にエスコートしていたくせに、男は自分でドアを開けずにソラに開けさせた扉の先の部屋は、ゲストルームなどではなく彼の趣味部屋。

 

 コンクリートがむき出しの床や壁の大部分が、赤黒くて錆くさい汚れで染まっている。

 床に散らばる拘束具に拷問器具と、かろうじて息はしているが眼球はガラス玉のように虚ろな子供数人も、同じ汚れに染まっている。

 その子供を見てカルトが思ったことは、「あぁ、これも『死んでない』にあたるかな」だけ。同情など欠片も湧き上がらない。こんな光景、こんな末路はすでに何度も見てきた。

 

 そんなありふれたことより、こういう部屋は普通なら声や臭いが簡単にはもれない地下室に作るのに、何故1階にあるのかという方がよっぽどカルトは気になったが、妙に高いおそらく吹き抜けになっている天井とやたらと高い位置になる窓を見て納得する。

 届かない出口を見せつけることで、絶望を煽っていただけ。

 

 疑問が解消されたところで、カルトは振り返る。

 下種な笑みを浮かべて、想像を絶する部屋に連れてこられて思考停止しているソラとカルトの背を押して、素早く内側から鍵をかける。ターゲットの計画はそんなところだったのだろう。

 

 しかしカルトもソラも、この程度の光景で思考停止するほど常識的な世界で生きてはいない。

 カルトはさっさと仕事を終わらせたいの一心で、振り返って即座に腕を伸ばした。

 

「! カルト!!」

 ソラの叱責に近い声が飛んだが、無視した。

 父や兄たちのように、綺麗に心臓をえぐり取るのが理想的だが、カルトのまだまだ小さな手でそれは難しく、仕方なく手刀で心臓を突き破る。

 男は下種な笑みが驚愕に変わる前に、何とも中途半端な表情で息絶えた。

 

 それで、仕事は終わり。

 後は手を拭いて、ソラと一緒にさっさと会場から抜け出してゴトー達が待つ車に戻ればいい。

 これで何もかも終わったつもりだった。

 カルトにとってこの場に存在する人間は、自分とターゲットとソラしかいなかった。

 壊れた子供など、眼中にもなかった。

 

 だから、男の胸から自分の手を引き抜いた時に感じた悪寒が、自分に向けられた殺意が誰から発している物なのかがわからなかった。

 一瞬、自分の叱責が無視されたソラからなのかと持って視線をやると、彼女はカルトの肩に腕を伸ばし、そのまま自分の方へ抱き寄せた。

 直後、パァァンッ! と風船がはじけるような音が至近距離から響いた。

 

「……わがままを押し通してよかったけど、なんつーかよりにもよって最悪の事態を本当に引いたね、カルト」

 ここに来る前からずっと変わらない、軽い口調でソラはカルトを抱き寄せたまま言うが、声音は明らかに硬い。

 

 カルトには理解できなかった。

 自分が何故、ソラに庇われているのか。ソラの左腕が何故、ズタズタに切り裂かれて血まみれなのか。

 自分の長兄が時折見せる、呼吸さえも出来ない、今にも逃げ出したい薄気味悪い「何か」とよく似た、けれど長兄のものとは比べ物にならぬほどの敵意と殺意に満ちたものの正体がわからない。

 

 ただ、これが誰から発せられている物なのかだけはわかった。

 

「――オトウサン……」

 

 壊れた子供達の中の一人、カルトとソラの真向かい、真正面からターゲットの死を見た子供が呟いた。

 

 * * *

 

 虐待にせよDVにせよ、被害者が自分を責めて加害者を庇うというのはよくあること。

 その理由は共依存やら洗脳やら違いがあれど、傍から見れば加害者以外の何物でもない相手を被害者が神のように崇め、加害者が殺されても自分が解放されたとは思えず、神を失ったと言わんばかりに絶望するか、神を奪った相手に憎悪を向ける。

 

 そんな反応も、カルトにとっては珍しくなかった。

 だから向かいに座り込む、裸同然なのに少女か少年かも区別がつかないほど壊された子供の怨嗟に、驚きはない。

 本人に自覚はないが、傍から見ればカルトも同じようなもの。

 どんなに痛めつけられても、決定的に相手と思いがすれ違っていても、ただそうであってほしいという自慰のような願望であっても、その子供にとって男が「父親」だったのは確か。

 

 珍しいことでもなかったから、ここでターゲットを殺せば子供に恨まれるかもしれないことはわかっていたが、部屋の中の子供はどれもこれも精神はもちろん、体もかろうじて人の形と言えるくらいに壊されていて、どう考えても自分の敵にはなり得なかった。

 だから、やはり場所を変更させる等の行動、もしくは子供の方を先に始末する必要性を感じなかったから、そのまま即座にターゲットを殺した。

 

 カルトの判断は、間違ってなどいない。

 ただ、カルトはもちろんシルバ達にとっても予想外だったのが、壊された子供のうち一人は偶然にも、男による虐待と拷問が“精孔”を開く一種の訓練じみたものになっていたこと。

 開きかけていた“精孔”が「父親の死」をきっかけとして一気に開き、同時に粗削りだが一足飛びで“発”にまで昇華したということなど、“念”について何もまだ教えてもらっていないカルトには知る由もない。

 

 何も理解できないまま、カルトはソラの腕の中で硬直する。

“念”を知らない者、“纏”さえもまだ出来ないカルトにとってこの殺意と憎悪のオーラに満ちたこの場は、裸で極寒の中にいるようなものだ。

 これでもカルトはまだマシな方だろう。下手すればオーラをぶつけられただけでショック死してもおかしくないほどに、子供が放つオーラは禍々しい。

 

「オトウサン……オトウサン……オトウサン!!」

 口の中で砂でも噛んでいるようなかすれきった声を張り上げて、子供は父を呼ぶ。その呼び声に呼応するように、オーラが増幅されていく。

 カルトからしたら息も出来ない、ビリビリとした嫌な空気にしか感知できないが、ソラからしたら“凝”をしなくてもわかるぐらいに苛烈なオーラが渦巻いていた。

 

 おそらく子供の系統は放出系なのだろう。子供の身体から湧き上がるオーラが球状に、ポンポンと分離して浮き上がっているのを見ながら、ソラは呟く。

「……厄介だけど、ある意味結果オーライかな?」

 

 カルトをしっかり抱きしめながら、ちらりとソラは初めにカルトに向かって飛んできた球から庇って傷を負った腕を見る。

 傷が多いので出血は派手だが、傷の深さ自体は全て大したことはない。問題はとっさでもしっかり“凝”でガードしたはずが、その装甲を貫通した攻撃力。

 自覚があるのかどうかは不明だが、おそらくは命をかける制約でも課して威力を底上げしているのは間違いないだろう。

 

 たったの一つのオーラ球でこの威力なら、今なお増える数十個のオーラの塊がぶつけられたら、カルトはもちろんソラさえも命の保証は難しい。

 ソラのガンドは嫌がらせとしては優秀だが、威力そのものは硬球をぶつけられた程度しかなく、宝石魔術は残弾である宝石が少なすぎる。

「直死の魔眼」は使おうにも、片腕が負傷していてもいなくてもこれだけの数のオーラ球を殺しつくすのは不可能だとソラは判断する。

 

 焼き切れても稼働し続ける、狂った思考回路が語りかける。

 子供の狙いは、憎悪の対象はカルトだけだ。カルトを見捨てて逃げればいい。

 

 その結論にソラは同意する。

 同意したうえで、ねじ伏せる。

 

(まだ、このハードルは飛び越えられるんだよ!!)

 

 子供の体から湧き上がるオーラはもう、絶に近いほど少なくなった。命を燃やし尽くしてオーラを絞り出し、そのオーラ全てを怨敵であるカルトにぶつけるつもりの子供に、ソラは血まみれの手を伸ばして子供に告げる。

 

「今ならまだ間に合う。諦めて、生きることを選べ」

 

 その言葉を聞いていたのか、聞こえていたのか、聞こえていなかったのか、聞いた上での拒絶だったのかはわからない。

 

「■■■■■■■■■■■■!!」

 

 声というより咆哮としか表現できない叫びが、砲撃の合図となった。

 だが、子供の殺意は「死にたくない」と「生きたい」という二重の狂気で生かされている女には遅すぎた。

 

 子供が咆哮の為に息を吸った時には、もうソラは言葉にしていた。

 

「来いよ! ()()()()()!!」

 

 ソラの言葉で思わずカルトはソラに抱きしめられたまま背後の出口や天井近くにある窓に目を泳がせた。

 誰か、自分や執事達も感知できなかった彼女の仲間が、援軍がいるのかと誤解した。

 

 だから、カルトはよく見てなかった。

 何が起こったかを、きちんと見ることが出来なかった。

 

「世界を、穿て!!」

 

 子供の咆哮と同時に、彼女が何かを命じることでそれはもう終わっていた。

 まだ精孔が開いていない、“念”を覚えていないカルトでも視認できる白熱した光球、オーラの塊が自分たちの方に撃ち出されたものが、ソラの血にまみれた左腕の一閃によって、光の斬撃がその光球を全て切り裂くのをカルトは見た。

 

 思わず現在の状況を忘れて、カルトは見惚れた。

 

 光の斬撃が光球を切り裂き、光球は火の粉のように小さな光の粒子へと分解されて消えていく光景に。

 光球だけではなく壁まで破壊してその先に開けた、満天の星と漆黒というには青みある夜空に。

 そして、瞬く間に消えてしまった、目の錯覚だったのではないかと思うほど一瞬しか見えなかった、ソラが振るった武器が、あまりにも綺麗だった。

 

 表現するなら、こん棒が一番近かった。

 けれどカルトには、「剣」に見えた。

 

 宝石で出来た剣に、見えた。

 

 * * *

 

「傷の方は本当にいいのか? 腕のいい医者を紹介するぞ」

「大丈夫ですよ。傷の量が多かったから出血がヤバかっただけで、神経とか動脈は無事でしたし、この程度の治療なら自力で出来ますし」

 

 包帯が指先から肩にかけて全体に巻かれた左腕を掲げてそう言ってのけるソラに、シルバは若干申し訳ないような残念そうな微妙な表情になる。

「そうか。痕が残ったら遠慮なく言ってくれ。全身全霊をかけてゾルディック家で責任を取らせてもらおう」

「お宅の嫁になるのがゾルディック家流の責任なら、後遺症残っても絶対に言わねぇ……」

 

 カルトとの仕事を終えた翌日、ソラはゾルディック家当主に玄関である試しの門まで見送ってもらうという破格の待遇を受けながら、雑談を交わす。

 ソラとしてはそういうのはどうでもいいから、早く帰ってイルミという命の危険から安全を確保したいのだが、予想外だった念能力者の攻撃からカルトを助けたことがゾルディック家で当たり前だが高評価を得てしまい、逆にさっさと帰りづらくなってしまった。

 

「それは残念だ。今回の件で口には出さなかったが不満を持っていたらしい執事たちも賛成するようになったから、丁度いいと思ったんだがな」

 やっぱり隙あらば息子の嫁にする気満々だったシルバに、もう何を言っても無駄だとソラは判断して、「長男は余計に謎の殺意を募らせていそうですけどね」と反論できない切り札を使って、話を切り上げる。

 

 が、「それじゃあ、お世話になりました」と言って帰るタイミングで、試しの門が開いてソラの腰に弾丸のような勢いで飛びついてきた子どもが一人。

「ソラ! もう帰っちゃうの!?」

 

 頑なに車内やパーティー会場ではソラの名前を呼ばなかったカルトが、ごく普通の子供のようにソラの腰にしがみついて、素直に「帰らないで」や「一緒に遊んで」などは口にしないが、唇を尖らせてひたすら上目遣いで睨み付ける。

 どうも助けられたことで、ソラの好感度が上がったらしい。

 そのことを嬉しく思う気持ちはもちろんあるが、“念”を知らないで試しの門を一つだけとはいえ余裕で開けられる9歳児にソラは普通に引いていた。

 

「あー、うん。これ以上ここにいたら、また長男にこんにちは死ねをされるから、そろそろね」

 イルミの話題を出されてカルトは一瞬怯んだが、それでもまだ諦めきれずに、ソラの包帯が巻かれた手を小さな手で掴んで言った。

 

「ソラ。お前は、人殺しだ」

 

 末息子の唐突な断言にシルバは眼を一瞬丸くさせ、ソラも同じような反応を見せる。

 目を丸くさせるだけで、何も言わなかった。

 

 その眼を真っ黒で大きな瞳が見返して、言葉は続く。

 

「人を殺したくないとか言ってたけど、うちの仕事の手伝いをしてる時点で共犯だ。あの子供だって、結局殺したのはソラだ」

 

 ソラの罪を、真っ直ぐにカルトは言葉にする。

 シルバはその言葉を止めようかと思ったが、ソラの顔を見てやめた。

 

 カルトの断言に不快感を示さず、傷ついた様子もなく、ミッドナイトブルーの眼でただ静かにカルトを見下ろすソラを見たら、それは余計な世話でしかないと思えたから。

 

「……それでも、大事?」

 

 カルトはソラを見上げて、訊いた。

 

「人を殺したお前を『ソラじゃない』って言う奴が、大事なの?

 僕なら……僕は人殺しでもソラを『ソラ』だって言える。僕だけじゃなくて、父様もお母様も、イルミ兄さんだってきっとソラが気に入らない理由は人殺しなのに、殺さないって言う所だ。だから……、もうそんなことを言わなかったらイルミ兄さんだってソラを殺さない。

 絶対にソラは、外なんかよりここにいた方がいい!! 『殺さない』なんて変なこだわり、なくした方がいい!!」

「カルト」

 

 黙ってカルトの話を聞いていたソラが、ようやく口を開く。

「君はさ、私が『殺した』からそんなことを言うのか?」

 

 相変わらず怒った様子も不快感もなく、彼女は笑っていた。

 少しだけ困ったような苦笑は、子供のわがままに付き合ってやってる大人そのもので、その表情だけでカルトは自分の言葉が彼女の「こだわり」に、「我」にひっかき傷すらつけられなかったことを悟る。

 

「違うだろ? 君は、私に『生かされた』から私を肯定してくれるんだろ?」

 どうしようもない壁を、カルトは思い知る。

 同じだけの年月を重ねても到達できるかどうか保証がない、大人と子供の壁。

 カルトの素直ではなく、隠した気持ちなど何もかもソラにはお見通しだった。

 

「君の言葉は嬉しいよ。でも、だからこそ私は『これ』だけは捨てられない。

 私は君の言う通り、結局のところ人殺しで、『殺したくない』なんて偽善もいいとこだ。それでも、私は誰かを殺すより生かす方がいい。100人殺して一人しか助けられなくても、それでも私は誰かを生かすことを目的に生きていたいんだ」

 

 自分の罪を認めたうえで、自分のこだわりなどもう何度も失敗していると理解していながらも、それがカルトからしたらただひたすら辛いだけの意味のない生き方でしかないというのに、ソラはそこに意味を見出して笑った。

 何度失敗しても、今は意味などなくても、それでも貫いたその先に輝けるものがあると信じて期待して子供のように笑う顔を見て、カルトは自分の胸の内にあった苛立ちの正体を知る。

 

(あぁ、そうか……。ソラは、キルア兄さんに似てるんだ)

 

 自分と2歳しか変わらないのに、何もかもが自分より優れている、なのにイルミとは違って親しみやすくて優しい兄は、いつもどこか家族とは違うものを見ていた。

 血だまりの闇ではなく、どこまでも暖かな日だまりにいつも焦がれていたことを、カルトは知っている。

 

 カナリアが屋敷に来た頃、自分と歳の近い子が来たことに喜んで、「友達になれるかな?」と期待していた笑顔と、ソラの笑顔はよく似ていた。

 キルアもソラも、きっとカルト以上の血にまみれていながらも、光を求めて歩いていく人なのだと、闇の中でしか生きられない、闇こそが心地よいと思うカルトとは別物であることを思い知らされた。

 

「――やっぱり、お前なんか大っ嫌いだ」

 

 唇を噛みしめて、涙を瞳に浮かべてカルトはソラにそれだけを言い捨てて、また勢いよく門を開けてそのまま帰って行った。

(嫌いだ嫌いだ! 大っ嫌いだ!!)

 

 光になど焦がれたことはないけど、兄の闇にはそぐわない優しさは確かに、どうしようもなく好きだった。

 そんな兄と同じように、近いのに、同類なのに、同じ罪を負っているのに、同じ闇の中で生きる者のはずなのに、自分には手が届かない光の下に、兄のように自分を置いて行ってしまうソラが、どうしようもなく嫌いだった。

 

 好きになりたかったのに、傍にいてくれないソラにカルトはただひたすらに、「嫌いだ」と心の中で罵り続けた。

 

 ……カルトの心の中でも、ソラは困ったように笑っていた。

 カルトの心の中でさえ、彼女はカルトの言葉に傷ついてもくれなかった。

 

 * * *

 

「カルト」

 

 屋敷に戻ってからひたすらストレス発散なのか、自分の部屋で黙々と趣味の折り紙や切り絵をひたすら量産していた末息子に、シルバが声をかける。

 カルトが振り返ると、父親は小さな紙切れを自分に渡す。

 電話番号とメアドらしき文字の羅列が書かれたその紙切れと父を交互に見ながら、「父様、何これ?」と尋ねれば、少し困ったように彼は笑って答えた。

 

「ソラの連絡先だ。本人から許可ももらってある。好きにしろ」

 シルバの言葉にカルトは目を見開く。

 いくらソラがカルトの恩人でも、嫁候補であっても、所詮は他人であるソラの連絡先を自分に与えるなど、信頼関係は家族間のみで完結し、友人を作ることを許さないゾルディック家では信じられない事象であり、カルトの反応は当然だろう。

 

「厳しくし過ぎたせいで、キルアが家出なんかしたからな。まぁ、ソラなら大丈夫だろう」

 驚愕のあまり、「何で?」「どうして?」ともいえないでいるカルトに、シルバは苦笑しながら答える。

 

 シルバとしては、鞭ばかりではいけないという反省は嘘ではないが、ソラの連絡先をカルトに渡した理由の割合としてはかなり小さい。

 理由の大半が、長男が原因で敬遠しているゾルディック家に少しでも慣れて欲しいから、比較的好意的に思っている相手との関わりを増やしたいからでしかない。

 門前の会話でソラをこちら側に迎え入れる困難さを思い知ったが、同時にカルトは光ではなく闇を居場所と定めていることは知れて、そしてソラは自分が持つこだわりは意味がなくとも貫き通すが、それを他人につき合わせても同じ考えを強要しない、殺人さえも「本人がいいのなら」と許容するドライモンスターであることも理解した。

 

 だからカルトに連絡先を渡したのは、「まぁ個人的な付き合いが出来ても支障はない」と判断した結果にすぎない。愛情は確かにあるのだが、こちらもソラのことは言えないドライモンスターぶりである。

 

 そんな大人の思惑など、カルトは知らない。

 そんな大人の思惑など、カルトには関係ない。

 

 ただ、カルトは渡された紙切れを穴が開きそうなぐらいに見て思う。

 

 生きる世界が違っても

 見ている先が真逆でも

 決して越えられない隔てる境界が存在しても――

 

(……関わって、繋がって、話すことはできるんだ)

 

 それは何の打算も裏もない、幼くて真っ直ぐな望みだからこそたどり着けた真理。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

「あぁ、カルト。そういえば、1月の初めは電話に出れないだろうから、連絡するならメールにしてくれと言ってたから気をつけろ」

 カルトが父に礼を言った後、ふとシルバは連絡先をもらった時のソラのセリフを思い出して伝言する。

 

「何で? 仕事?」

 別にカルトとしては支障がないので普通に頷いたが、少しだけ気になったので父に尋ね返すと、シルバはこともなげに「ハンター試験を受けるらしい」と答えた。

 その答えに納得してから2秒後、ある事実に気付く。

 

「……父様」

「? どうした?」

 部屋から出て行こうとしていた父親に呼びかけると、不思議そうな顔をして振り返る。その様子からして、父はどうやら失念しているらしいことに気付き、カルトはソラに同情した。

 

「イルミ兄さんも、今年受験だよ?」

「……………………あ」





ソラが出した「クソジジイ」こと、例のあれはどこから出したとかの説明はそのうち、多分ハンター試験中にやりますので気長にお待ちいただけるとありがたいです。
「直死にこの武器持ちってチートにもほどがあるわ!!」と思うでしょうが、一応パワーバランスを考えて、武器に関してはかなり使い勝手が悪くなっています。少なくとも簡単に取り出せるものでも、連発できるものでもないです。

さて、ソラのキャラや設定の説明回のようなものだったオリジナル回はひとまず終了して、次回からハンター試験編に入ります。
楽しみにしていただけら、幸いです。


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ハンター試験編 11:弟その2に認定

(あ、これ夢だ)

 

 ソラが自覚したのは、ロンドンを歩いていたはずがいつの間にか武家屋敷を彷彿する日本家屋に案内されてから。

 気付いて自分の髪を見てみると、まだこの頃は普通に黒かったはずが毛先まで真っ白になっており、視界は相変わらず至る所に線が走り、点が散らばっている。

 

「どうした?」と振り返って尋ねる姉弟子の恋人に「何でもないです」とソラは答えて、案内されるがままに日本家屋、衛宮(えみや)邸にお邪魔する。

 夢であるという事を自覚したのなら、普通の夢から好き勝手動ける明晰夢に切り替わっているはずだが、懐かしいのと冷静に見れば場所や時系列がめちゃくちゃなのが面白いので、ソラは過去回想を続行することを選んだ。

 

(そういえば、これが凛さんと親しくなったきっかけか。あー、飯が美味い)

 もっきゅもっきゅと夢の中で友人というには微妙だが、割と仲が良かった相手が作った日本食を食べながら思い出す。

 

 ソラには姉弟子が二人いる。

 正確に言えば姉弟子ではなくソラの師匠の流派の魔術師というだけであり、立場で言えば直弟子であるソラの方が上かもしれないが、ソラは普通に自分よりその二人の方が何もかも上だと思っているし、尊敬もしている。何より正確な関係をいちいち説明するの面倒くさいので、「姉弟子」ですませている。

 

 そのうちの一人であるルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、超絶自由人な師匠がどこか違う世界線に行っている間、ホームステイさせてもらっていたのですぐに仲良くなれたのだが、もう一人の姉弟子はルヴィアと犬猿の仲だったため、ソラはルヴィアの手下認定されて近寄るだけで警戒されて猫のように威嚇された。

 それが、遠坂凛だ。

 

 そんな彼女と仲良くなったきっかけは、ロンドンをブラブラと一人で散歩をしていたら、海外でよくある一人が話しかけている隙にもう一人が荷物を奪うひったくりを目の前で目撃したソラが、ちょうど自分の方にひったくりが走ってきたのでカウンターで蹴りつけて捕獲したこと。

 その被害者がぜひともお礼がしたいと言ったので、ソラは遠慮なくお礼の希望を述べた。

 

「日本食が食べたいです」

 

 ホームステイ先は、実は割とお嬢様と言える程度に裕福だったソラでも肩身が狭くなるようなセレブだったため、ジョークがジョークにならないほど食文化がひどいことで有名なイギリスでも美味しい料理、それもフルコースにありつけるのは幸運だったが、それでもソラの魂が「米・味噌・醤油」を求めていた。

 なので相手が同じ日本人であったため、完全に素で割と図々しい欲望がそのまま口に出てしまったのだが、相手は一拍置いてから吹き出し、「お安い御用だ」と笑って下宿先に案内してくれた。

 

 それが姉弟子の恋人、衛宮士郎との出会いだった。

 

 * * *

 

 現実では士郎の下宿先に招待されたはずが、夢の中では何故か1年後ぐらいに遊びに行った日本の彼の実家になっているのは、ソラにとって衛宮邸は処分した自分の実家に似ていたから、こちらの方が印象深くて記憶の残っているからだろうと納得していたら、玄関先で凛の声が聞こえてきた。

 さすがにあの当時の正確な会話など覚えていないが、どうもこの夢の中ではいつものようにもう一人の姉弟子、ルヴィアとケンカして負けて、士郎に泣きついて甘えているらしい。

 

「痛い~痛い~。も~、何なのよあの成金ドリルは~。延髄にハイキック決めてやったのに何でぴんぴんしてんのよ~」

「はいはい、わかったから落ち着け、凛。言いにくいんだが客が来てるから、今更だけど猫を被っとけ」

 

 士郎にしがみついて泣きついて、居間までやってきた凛は「客が来てる」という言葉で、青ざめて目を見開いた顔を上げた。

 プライドの高い彼女にとって、見た相手と八つ当たりで士郎にガンドを連射するレベルで見せたくないプライベートの姿だったのだろう。幸いなことにその「客」が凛にとって他人ではなく、予想外すぎる相手だったことで逆に思考が一瞬フリーズして、ソラと士郎はフィンのガトリングを喰らわずに済んだ。

 

「お久しぶりです、凛さん」と、箸をわざわざおいてから手を挙げてソラが挨拶をすれば、凛は口を酸欠の金魚のようにハクハク動かすだけで言葉は出てこない。

 自分の大師父の直弟子かつ、いけ好かない天敵の手下が自分の恋人の家で恋人の手料理を食べているという現状に理解が追いつかないでいた凛にソラは、記憶通りのセリフを言ってみた。

 

「凛さん! 凛さんの恋人を私のお母さんにください!!」

「誰がやるか……って、え? お母さん? ど、どうぞ?」

「なんでさ!!」

 

 あまりの飯の美味さに本気でソラが言えば、凛は一度反射で却下したが、「恋人」ではなく「お母さん」として欲していることに気付いて混乱し、思わず許可してしまい士郎が突っ込む。

 

「あはは、確かに先輩は『お母さん』に欲しいですね」

 いつの間にかナチュラルに加わった人物が、おかしげに笑う。この当時いるわけのない、日本に遊びに行ったときに出会った、士郎の後輩である間桐桜がそこにいた。

 

「し、シェロがお母様ならソラ、私の事をお父様と呼んでも構わなくてよ!!」

 この頃はまだ士郎がルヴィアの執事というバイトをするどころか、知り合いかどうかも怪しかったというのに、何故かすでにフラグが立ってるルヴィアが頓珍漢なことを言い出して、また士郎は「なんでさ!!」と突っ込む。

 そしてやはりいつの間にかいる、ソラと出会って5秒で意気投合したフラット・エスカルドスは、「あ、俺も俺も! 士郎さん、息子にしてください!!」と飯を食いながら立候補する。

 

 相変わらず時系列がグチャグチャだが、何の違和感もなく夢は続く。

 夢の中のソラは現在のソラの姿なため全員より少し上に見えるが、当時のソラは13歳。最年少だったため、なんだかんだで可愛がられていたことを思い出す。

 

 3年前は、これが当たり前だったことを思い出してしまった。

 士郎にご飯を作ってもらったり、士郎だけではなく凛や桜にも料理を習ったり、ルヴィアと凛のケンカを無責任に煽ったり、フラットと悪ノリしてアホなことに魔術を使って教授に2時間正座説教されたり。

 そんな騒がしくって、全然平凡ではないし平和でもないけど、どこまでも当たり前で安心できる日々がソラの日常だった。

 

 守られていることが、当たり前だった。

 

「ご馳走さまでした」

 箸を置き、両手を合わせて士郎と食材そのものに礼を述べて、ソラは立ち上がった。

 

「もう行くの?」と凛が尋ね、ソラは笑って答える。

「えぇ。弟が、待ってないかもしれないけど待ってるかもしれないから」

 

 彼らにまた会いたいとは思っている。でも、ソラに「帰りたい」という願望があるのかどうかは自分のことながら謎だった。

 向こうでも命がけの戦いはあった。でも、こちらと比べたら間違いなく平和な世界。

「死にたくない」のなら、ソラが選ぶべき世界は向こうであることなど明白なのに、どうしてもソラには帰る気が起きなかった。

 ここに留まる気どころか、長居する気もなかった。

 

 むしろ今すぐに出て行きたかった。

 何故なら居間から玄関に繋がるはずの廊下が、妙に暗くて長い洞窟じみたものになっており、その先でワンピースのような民族衣装をまとった金髪の少年が佇んでいたから。

 背を向けて俯いているその少年は、待ちくたびれてふてくされているのに一人で先に進む気はなく、素直ではないがずっと待ってくれているように見えたから。

 

 だからソラは、今すぐに走り出して一秒でも早く彼の元に辿りつかなければならなかった。

 士郎たちはソラを止めない。皆が「仕方ないな」と言わんばかりに苦笑している。

 唯一、桜だけが「あ、これどうぞ。お土産に」といったん引き留めて紙箱を渡してくれた。

 中身は初めて出会った時に一緒に作ったプリンであることに、ソラの顔がほころぶ。

 

「ありがと、桜さん。弟のご機嫌取りにいいかも」

 それだけ伝えて、ソラは駆けた。

 

 夢であることはちゃんと自覚してる。

 これは明晰夢ゆえの、自分の都合のいい願望であることなどわかっている。

 それでも、期待してしまう。

 この夢のように、どんなに遠くても彼が待っていてくれている事を、いつか必ず出会える事を。

 

 ソラが歩み、走り、生き抜いたその先は彼が待つあの優しい陽だまりの中である事、輝けるものが現実でもあるのではないかと期待しながら、ソラは走り抜けて弟の名を呼ぶ。

 

「クラ……!?」

 その直後、腕に抱えていた紙箱がひょいっと取り上げられた。

 驚いて振り返れば、豊かな髭を生やした老紳士にも頑固ジジイにも好々爺にも見えるが実際は、悪に義憤し善を嘲笑う、行動倫理が破綻したハッスルクソジジイである自分の師匠が、紙箱を開けて口角を吊り上げた。

 

 お前もう何百……いや何千歳だよ? という冗談みたいな年齢だというのに、悪戯を思いついた子供のような目で師は、何の躊躇もなくソラがお土産にもらったプリンを一つを取り出して、一気に食った。むしろ、飲んだ。

 

 それを目の当たりにしたソラは、元々あったのかどうか怪しい敬意が完全にすっ飛んで、躊躇なく拳を握りしめて、突き刺すように殴りかかって叫ぶ。

 

「それは私のプリンだー!! クソジジイ!!」

「がはっ!!」

 

 ベキッとなかなか痛そうな音と、ジンジン痛む自分の右手。

 そして目の前で転がる、なんだかんだで品のある師匠(ジジイ)とは似ても似つかぬチンピラを見て、ソラは首を傾げた。

「あれ?」

 

「て、てめぇ! 何のつもりだ!?」

 後ろから文句をつけられると同時に振り返ると眉間に銃口が突き付けられたので、思わず反射で銃の線を素手でなぞって切り落とせば、周囲が一気に静かになった。

 そんなドン引かれの沈黙の中、周りを見渡してソラはようやくここがどこか、自分が何でこんなところにいるのかを思い出す。

 

 飛行船の共用ロビー。

 ハンター試験を受けに、会場に向かう真っ最中だったことを思い出した。

 

 * * *

 

「……そういえば、ジジイはさすがにあんなアホでムカつくけど可愛らしい嫌がらせはしたことなかったな。10回中100回死ぬようなことはよくされたけど」

 まだ寝ぼけているのか、ソラはどうでもいいことに気付いて呟くと、「おい、死にすぎだろ」と横から突っ込まれた。

 呆れたように的確な突っ込みを入れた12歳前後の少年を、まだ少し眠そうな目で眺めながらソラは尋ねる。

 

「少年、今これはどういう状況? ハイジャック?」

 ここがどこかは思い出したが、共用ロビーのソファーで離陸前から居眠りしていたソラは未だに現状を理解しておらず、とりあえず一番可能性が高そうな出来事を口にする。

 寝ぼけていきなり殴りかかってしまったとはいえ、その報復に銃口を突き付けられたり、そもそもガラの悪そうなチンピラ崩れな連中がそれぞれ武器を持って自分と、同じソファーに座っていた少年を取り囲んでいたら、もうそれしか思い浮かばない

 

「……マジで寝ぼけて殴ったのかよ」

 少年は猫のようにパッチリとした吊り目を半目にして呟いてから、質問に答えてくれた。

「まぁ、似たようなもんだけど。ハンター試験を受けるのなら自分の仲間になれ、ならなきゃ殺すとか言ってんだよ」

「バカじゃね?」

 

 どうやらこの小悪党共は、徒党を組んで試験に挑むつもりらしい。それだけなら他にもいるだろうから好きにしろでしかないが、乗客のほとんどが同じくハンター志望者なこの飛行船内で、さらに仲間を集めると同時にライバルは排除しようと企んだらしい。

 似たようなものだったが、ある意味ハイジャックより救いのないバカさ加減にソラは素で言うと、ソラが素手で銃を解体するように切り飛ばしたことで固まっていた男どもが騒ぎ出す。

 

「何、のんきに話してるんだクソガキども!!」

 2メートル近い背丈に筋骨隆々な男から怒鳴りつけられて、ソラと少年は白けたような視線を向ける。どちらもまったく自分たちを恐れていないことに、おそらくリーダーであろう男は顔を怒りで真っ赤にしてさらに怒鳴り散らす。

 

「……っの、クソガキども!! いいか! 俺はアマチュアのトレジャーハンターでありながら50人の部下を持つバンディ様だ!

 お前らのようなガキでも役に立つ時があるかもしれねぇから、声を掛けてやったのに! よっぽど、命はいらんようだな!!」

 

 どうやらチンピラ集団の数の暴力と空の上という逃げ場のない環境で、他のハンター志望者は奴らに屈したらしく、このバンディという男の配下でないのは、寝ていたので元々声を掛けられた覚えがないソラと、スケボーだけを持ったハンター志望ではなく遊びに行く子供にしか見えない銀髪の少年だけらしい。

 

 総勢100人近くが、この空飛ぶ密室で敵だという状況をやっとソラは理解したが、それでも彼女の眼は白けたまま。

 それは少年も同じく、彼は男の言葉を鼻で笑った。

 

「アマチュアってことは、自称ってことだろ? しかもトレジャーなら、ひったくりでも万引きでもトレジャーハントって言い張れんじゃね? ただの一人じゃ何もする度胸のない臆病者が集まった、しょっぼい犯罪集団だろ?」

 

 ソラが思っていたことと全く同じことを言い放った少年に、バンディの顔色は真っ赤を通り越してドス黒くなり、奴は唾を吐き散らしながら怒鳴る。

「はっ! ガキだから最後に泣いて謝れば見逃してもらえるとでも思っているのかクソガキが!

 俺とこのバンディ隊は、アマチュアハンターの中でも手段も方法も選ばないことで有名なんだ! 狙ったお宝を手に入れるのはもちろん、気に入らない奴をぶち殺すのもな!!

 楽に死ねると思うなよ!!」

 

 男の宣言の直後、ソラはしれっと言った。

 

「手段も方法も選ばないって、自慢することじゃないだろ。選んでたら目的が果たせない程度の実力ってことなんだから」

 

 ソラの即答に数秒間、沈黙が落ちる。

 怯えさせるための脅しにドヤ顔で言い放った言葉が、剛速球のピッチャー返しされたことでチンピラどもは固まり、少年は一拍置いてから腹を抱えて爆笑する。

 

「あーははははっ! ちょー正論! 俺今、本物の論破を見たよ!!」

「だよな! 私の言ってること、正しいよな! 何で、手段も方法も選ばない、節操なしであることが自慢できることだと思ってる奴が多いんだろうな?」

 

 笑い転げる少年に指差し、さらに同意をソラは求める。その言葉から、言われたから即興で思い浮かんだ皮肉を言い返したのではなく、昔から常々思っていることらしい。

 実際にソラは時計塔の魔術師に対しても同じことを言い放って、魔術師の大半を敵に回したこともあるわ、それより以前にも実姉に対して同じことを言って首を絞められたこともあるが、それでも未だに変わらず揺るがない、信念でも価値観でもない、ソラにとってそれは当たり前のこと。

 

 そしてもちろん、怒りで顔色をドス黒くさせながらも自信満々に甚振る笑みを浮かべて言った相手にとって、それが当たり前であるはずはない。

 顔色はさすがにもう変化しようがなかった代わりか、こめかみや額に今にもはち切れそうな血管がいくつも浮かび上がり、憤怒に顔面を歪めてバンディが命令する。

 

「殺せ! あの白髪のクソヤローを……」

「ガンド」

 

 全部言い切る前にソラの指先からオーラの塊、魔力弾、指さしの呪いが放たれて、不可視でありながら質量を伴ったそれがバンディの顔の中心に命中した。

 いきなり顔に硬球でも直撃したような音がしてぶっ倒れたリーダーに、周囲が騒然とする中、相変わらずソラと少年だけはマイペースだった。

 

「え! 今のお前!? 何やったんだよ!? って言うか、初めに銃を素手で切ったのも何なんだよ!?」

「んーと、魔術? 私、魔術師なんだよ」

「へー、そりゃすげぇな。で、本当は?」

「信じてないだろ」

 

 和やかな会話を交わす二人に怒りの視線をチンピラどもは向けるが、少年はともかく得体のしれないことをやらかしたソラに向って行く勇気はないらしく、誰も何もしないし何も言わない。

 

「ひゃ、ひゃにやってんだっ! ふぉろせ!!」

 鼻が完全に折られた挙句、異様に痒い顔を押さえてバンディが命じる。

 ソラの攻撃を喰らった直後に敵討ちとして誰も向かてこなかった時点で人望がないのは丸わかりだが、怪我をしても部下たちを縛り付けた恐怖は健在らしく、その命令でチンピラどもはソラに向って行く。

 

「少年、面倒なら隠れてなよ。私は逃げる」

「逃げんのかよ!」

 

 言われるまでもなく、少年はそのつもりだった。

 この程度のチンピラどもなら自分一人でも余裕で殲滅できる自信があったが、面倒なものは面倒だったので、彼はお言葉に甘えて隅に避難した。

 

 が、見ていたらどんどん血が騒いで疼いてきた。

 

 100人近くが一人に集中しているのと限られた空間であること、そして信頼関係もクソもない、恐怖と利害だけ結ばれた奴らがうまく連携など取れるわけがない。

 ソラは見事にチンピラどもを盾にして、逃げ回る。ほとんど彼女は攻撃などしていない。

 しかしソラが逃げ回ることで、空ぶった武器や拳が味方に当たりそれに腹立てた奴が自分を殴った相手を殴り返し、だんだんとたった一人を甚振るリンチではなく近くにいる者を手当たり次第に殴る乱闘と化してきた。

 

 その立ち回りと、謎の攻撃手段が少年の興味を引いた。

 チンピラがバカな提案をしてきた時は、「ハンターなんてしょうもないんだな」と試験を受ける前から期待がしぼんだが、ソラというハンター志望者がそのしぼんだ期待を復活させた。

 

 少年は指先に力を込める。

 それだけで、指先が変形する。

 

 筋肉が凝縮して、ただでさえ子供らしく小枝のように細い指先がさらに縮こまったせいで、爪が猫のように飛び出たように見える変化。

 人間としてあり得ないことをやらかしているのに、少年は平然と薄ら笑いを浮かべながら、もはや敵味方関係のない乱闘となった喧騒の中に飛び込んだ。

 

 足音はなく、気配を極限まで殺し、命を抉り取るに一番ふさわしいその手を少年は、躊躇いなく振るう。

 そこに大義はなく、正当性はなく、しかし狂気というにはあまりに幼い欲求しかなかった。

 本当に「魔法」のようなことばっかりしている相手を見て、自分だって負けていない、自分だってすごいということを証明したがっているにすぎなかった。

 

 まだお互い名乗ってすらいない、名さえも知らない相手に「すごいな」と言ってほしいと望んだことを、少年は気づかない。

「何やらかそうとしてんのかね、この少年は!!」

「がふっ!」

 

 手近なチンピラの心臓を抉る前に、ソラがロケットのように突っ込んでタックルを決められて、思わず息が止まった。

 そのまま咳き込む少年を、ソラはいわゆるお姫様抱っこの体勢で抱えて「一時退避~」と言いながら共用ロビーから逃げ出した。

 

「待てこらクソヤロー!!」

「な、何しやがるんだアホーッ!!」

 

 背後のチンピラどもの怒声と、少年のブチ切れた叫びは同時だった。

 

 * * *

 

「お前、いきなり何で俺にタックル決めてくるんだよ! って言うか、離せ! 降ろせ!!」

「あー、もー、うっさいなー。ちょっとは黙ってなよ少年。説明もお説教も出来ないじゃん」

「お前に説教される筋合いはどこにもねーよ! マジ離せ! 殺すぞ!!」

 

 共用ロビーから出て、ソラは少年を抱えたまま走り回りながらこの少年を一時的に黙らす方法を思案する。

 足にオーラを回してとっくに追ってくるチンピラどもは引き離したが、抱きかかえる少年がうるさくていったんどこかに隠れることも出来ないから、何としても黙らせたかった。

 

 少年を要望通り降ろし、自分だけ逃げて隠れるという考えは浮かばない。それをしてしまえば、そもそも何のためにソラは少年にタックルをかまして止めて、少年を抱きかかえて逃げたのかがわからなくなるからだ。

 ソラにはどうしても、少年に言いたいことがあった。

 だからそれを伝えるまで、離すわけにはいかなかった。

 

 が、そんなこと知るわけのない少年はそろそろ本気でブチ切れたのか、ギャーギャー騒がしかった声を低くして静かに、「……マジで死にたいのか、クソヤロー」と言い出した。

 しかしソラは少年が本気で殺気立ってきたことに気付いていながら、相変わらず面倒くさそうな顔だった。その様子が少年をさらに苛立たせ、また指先に力を込めると同時にソラがふと何かを思いついたのか、目を軽く見開いた後でニヤッと笑った。

 

 その笑みに一瞬少年が呆気を取られた隙に、ソラは少年を抱えたまま自分の着ているツナギのジッパーを下ろす。

 むき出しとなった白い肌と、スポーツブラタイプの見せブラを目にして、少年が「なっ!?」と言ったきり顔を真っ赤にして固まった。

 どうやらソラを男だと思い込んでいた思春期の少年には、いきなり至近距離で見せつけられた女性であるわかりやすい証は刺激が強すぎたらしい。

 そんな少年にソラは無慈悲なサービスとして、少年の後頭部を押さえつけて自分の貧相な、けれど彼女が自分で言うほど絶壁でも皆無でもない胸に追い打ちで顔を埋める。

 

「こんな残念な胸でも効果あんのか。おっぱいってすげーな」

 女が言うべきではないセリフを吐きながら、少年が完全に思考停止して黙ったことをいいことに、ソラはとりあえずボイラー室に隠れて少年を降ろす。

 

「少年? おーい、しょーねん。こんな貧相な胸で満足したら、人生もったいないぞー」

 部屋の隅に降ろしてもまだ真っ赤な顔で硬直している少年に、ソラは呼びかけることしばらく。

 ようやく思考が再起動した少年がまだ顔は赤いまま、「何しやがるんだこの変態女!!」と叫びかけたところで、ソラは手で口を押さえつけて塞いだ。

 

「ハイハイ、騒がないでねー。騒いだらまた埋めるよ。ぱふぱふが出来るほどなくてごめんね」

 少年の前で口をふさいだままヤンキー座りで言うソラに、少年はしばらくふがふがと文句をつけていたが、少年が爪を立てようが渾身の力で握ろうが、はがすどころかびくともしない腕に諦めて大人しくなる。

 

 騒ぐ気をなくしたのを見てソラは、少年の口から手を離して訊いた。

「少年、君はさっき殺す気だっただろう?」

 

 少年は答えない。

 足音や気配はもちろん、殺気も完全に消していたつもりだったのにしっかり気づかれていたことに対して、理解できない苛立ちともやもやと消化しきれない何かが胸の内に渦巻いた。

「うっせーな、それがなんだっていうんだ!?」と怒鳴り散らしてしまいたい気持ちに駆られたが、その反応のガキっぽさが嫌で、でも他にどんな反応が自分の望む「大人」な反応なのかがわからず、結局子供らしくふてくされてそっぽ向いて黙り込む。

 

「何で殺そうとしたんだ?」

 

 再び問うソラの言葉もそっぽ向いて無視していると、少年の顔をソラは両手でつかんで無理やり自分の方に向ける。

 今度こそ「何しやがる!?」と言いかけるが、結局声にならなかった。

 

 コツリと熱でも測るようにソラは少年の額に自分の額を当てて、あまりにも近い至近距離で、決して目がそらせないようにして言った。

 

「殺すことが目的だったのなら、よくはないけど私には関係ないから口出しする気はないよ」

 そんな至近距離から告げられた言葉は、少年の想像から真逆のもの。

 てっきり全身がかゆくなるような、「命は大切にしなくちゃいけない」等のお説教が来るかと思ったら、肯定こそはしなかったがほとんど「好きにしろ」と言わんばかりに突き放した。

 

 その発言の意外さと、そう思うのならこいつは何が言いたいんだ? という疑問できょとんとして、少年の方もようやく真っ直ぐにソラの眼を見た。

 自分の姿が映る夜空色の瞳が、少し細くなる。

 ソラは、からかうように笑って言った。

 

「けど、そうじゃないなら、私と同じようにうざいから大人しくさせたかっただけならダメだろ?

 君は十分、手段も方法も選べるぐらいの実力があるんだから」

 

 少年の頭の中で、ソラがチンピラのリーダーに言い放った言葉が蘇る。

 

『手段も方法も選ばないって、自慢することじゃないだろ。選んでたら目的が果たせない程度の実力ってことなんだから』

 

 その即答に、爆笑しながらも「正論」だと言ったのは自分自身だ。

 だからあまりにも簡単に、その一言で自分のしようとしたことが間違いだったと納得できた。

 それは、目の前の女の言葉であると同時に、自分の言葉でもあったから。

 

 けれど少年は、気付いていない。

 納得はできても自分の性格上、プライドの高さゆえに正論でぐうの音が出ないほどやり込められたら、正論だからこそ悔しさで絶対に反感を抱くはずなのに、少年の胸の内には先ほどまでずっと渦巻いていた苛立ちも、もやもやとした説明できない何かも消えていることに。

 

 ソラも、気付いていない。彼女にとって、それは当たり前のことだったから。

 子供だからといって、弱いなどあり得ないことを彼女は知っている。

 

 そもそも念能力者は彼女の師匠を筆頭に外見年齢があてにならないので、ソラは見た目で相手の力量に先入観など抱かない。

 さすがに見ればこの少年が念能力者ではないことくらいはすぐにわかるが、同時に武器を持ったチンピラどもに囲まれていても余裕たっぷりな態度でありながらどこにも隙などなかった立ち振る舞いからして、あのチンピラ集団では歯が立たないぐらいの実力を持っていることくらい、簡単に知れる。

 下手すれば立ち回り次第では、念を覚えたばかりで個人的な能力である“発”を会得出来てない能力者相手なら、今のままで勝てそうなぐらいだ。

 

 だから、ソラにとっては初めから当たり前の前提だった。

 少年が無自覚のまま望んだ、少年のことを「すごい」と思う事なんか、そんなの初めからずっと思っていた。

 

 少年は気付かない。

 無自覚のまま、望みが叶っていたことを知って笑う。

 

「当たり前だろ!」

 ソラの言葉に対して誇らしげに、言葉通り当たり前のように受け取りたいのに隠し切れない喜びで目を輝かせて、笑って答えた。

 その言葉に、ソラも満足したように笑って少年から額を離す。

 

「そっか。なら、賭けしようぜ少年」

 唐突なソラの誘いに、少年は驚いた様子もなく口角を上げて「いいぜ」と応じる。

 

「殺しなし、気絶させた人数が多い方が勝ちな」

「いいよ。負けた方が、ジュース奢りで」

 

 少年は立ち上がって拳を鳴らしながら勝手に賭けの勝敗条件を決めて、それをソラが応じると同時にソラと少年が隠れたボイラー室のドアが乱暴に開いた。

 

「こんなところに隠れて居やがったのかクソガキども!!」

「ガンド」

 

 ドアを開けてすぐに、袋の鼠だと思ってどや顔で言った男にソラはまた即座にガンドを放つ。

 

「はぁ!? またそれかよ! まだ開始とか言ってないから今のなし!!」

「はいはい。何なら私は、マイナス10人からスタートでもいいよ」

 

 こうして飛行船内で約100人VS2人という人数差でありながら、ソラと少年の一方的な無双が始まった。

 

 * * *

 

 ハンター志望者によるハイジャックそのもののような行為が行われたため、予定していた国の空港ではなく一番近場の空港に飛行船は降り立った。

 離陸してから約3時間後の事だったが、それだけの時間があれば二人からすれば十分だった。

 自分たち以外の全員を、大人しくさせるのは。

 

「少年、急げ! 飛行船に乗り遅れる!」

「わかってるつーの! 手、引っ張んな!」

 

 飛行船が空港に降りた時には、ハイジャック犯とその仲間たち、脅されたとはいえ仲間になることを選んだ者たちは皆、ソラと少年の手によって意識を手放していた。

 もちろんそれは正当防衛なので罪には問われないが、警察からしたら色々と話を聞きたいところだ。しかし、ハンター試験に受験予定だからその飛行船に乗っていた二人が、説明する余裕などある訳がない。

 

 ソラも少年も「受験終わったら説明してやるよ!!」と言って事情聴取から逃げ出して、他の試験会場行きの飛行船のキャンセル枠をもぎ取って、大急ぎでその飛行船乗り口まで急ぐ。

 

 その途中で、ソラは飛行船の部屋を取る時の手続きで自分がした事を思い出し、少年に伝える。

「あ、そうだ少年。君の事、私の弟ってことにして手続きしておいたから」

「はぁ!?」

 

 思わず抗議や不満を現す声を上げてしまったが、よくよく考えたら支障がないどころか家出中である自分にとって好都合なことに気付き、「別に良いけど」と少年は答えようとした。

 

「ごめんごめん。手続きしてる時にそういや名前も知らないことに気付いたけど、名前も知らない赤の他人の子供の手続きをしたら私、お巡りさん案件じゃん? だからとりあえず、名前はミケにして、私の弟ってことにしておいた。

 ほら、髪の色が似てるからあっさり信じてもらえたよ」

「何でよりにもよってそんな名前にした!? いっそシロとかにしとけよ! 嫌だけどまだ脈絡があるわ!!」

 

 その前にソラが好き勝手語り、知りたくなかった自分の偽名に文句をつけてもソラはまったく悪びれずにあっけらかんと笑う。

「あはは、ごめんってば。お詫びに飛行船でジュースおごってやるから許せ」

 

 賭けは結局、引き分けだった。だからジュースのおごりはどちらもなしなのに、「詫び」と称して自分に与えようとするのが腹立った。

 けど、「ガキ扱いするな」と怒ってはねのける気もどうしても起こらなかった。

 

 それは、殺しの手段ばかり褒められた自分にとって初めてだったから。

 全く殺さなかったことを、「すごいじゃん」と言われたような気がしたから。

 

 家を継ぐ以外の道を、暗殺者以外の未来を与えられたような気がしたから。

 この手が、そんな道に、未来に自分を連れて行ってくれるような気がしたから。

 

 だから少年は、あまりにも自然に自分の手を取って引っ張っていく手を離せないでいた。

 自分からしっかり掴み、その手が引かれる方に走りながら告げる。

 

「――キルア」

「え?」

 

 きょとんとした顔で振り返るソラに、そっぽ向いてもう一度だけ言った。

「俺の名前は、キルアだよ。次からは、ちゃんとそう書け」

 

 いつまでこの「姉弟」が続くのか何かわからない。飛行船に乗った時点で終わってもいいはずなのに、「次」を求めた。

 その言葉に、ソラは藍色の瞳を瞬かせてから笑ってこたえた。

 

「あぁ。わかったよ、キルア。ちなみに、私の名前はソラだ」

 

 今更だったので、どちらも「よろしく」なんて言わなかった。

 言わないまま、しっかりと手を繋いで飛行船に乗り込む。

 

 ソラは約10日ほど前に、キキョウからメイク中に永延と聞かされた彼女の息子の中でも最愛の三男、「キル」が「キルア」だとは気づかないまま、彼を自分の「弟その2」に勝手に認定した。




ハンター試験編に入るとは言ったが、原作沿いに入るとは言ってない。

……すみません、原作沿いを楽しみにされていた方、イルミの「こんにちわ死ね」とヒソカのズッキューンを期待していらした方ごめんなさい。
初めからゴンたちが試験会場に辿りつくまでの、船・クイズ・キリコ編にあたる3話を書いてから、原作沿いにする予定だったんです。

なのであと2話、キルアとソラの珍道中が続きます。
楽しんでいただけると幸いです。



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12:答えは得た

(……変な女)

 もう何度目かわからない感想を、再びキルアは心の中で呟く。

 

「どーした? 寝ないの?」

 

 きょとんと予備のシーツと毛布を床に敷いて、そこに座り込んで訊くソラに何か言おうとして、けど言いたい言葉が思い浮かばなくって、結局キルアは「あぁ」とだけ答えて横になる。

 狭い部屋に一つだけある、ベッドの上で。

 

 * * *

 

 ハンター試験受験会場行きの交通機関は、当たり前だがハンター志望者でごった返す。

 飛行船の部屋が当日になってキャンセルが一つ出て、それをもぎ取れたのは幸運だった。

 例え、シングルの一部屋であっても。

 

 初めはキルアが嫌な顔をしたが、ソラのあまりの気にしてなさにまるで自分を異性として意識してほしがっているような自意識過剰さを感じて、同室であることは開き直って諦めた。

 が、さすがに同じベッドで同衾だけは断固として拒否するつもりだった。短い付き合いだが、この女は自分を「抱き枕」と言ってしがみついて一緒に寝たがりそうだと危惧していた。

 

 しかし予想に反してソラは備え付けの予備シーツや毛布をさっさと床に敷き、完全に自分が床で寝ることを前提としていた。

 キルアとしては、同衾は断固お断りだったがベッドも譲る気はなかった。

 家出して執事や兄の追跡から逃れるため、地元に限らず悪い意味で名が知れた家、家のことを知らなくても一人旅をしているというには無理のある年齢の三重苦で、キルアはほとんど宿泊施設には泊まれず、ここのところ野宿ばかりだったので、たとえ実家のベッドよりはるかに小さくてマットが固くてもゆっくり休める寝具が恋しかったから。

 

 恋しかったが、仕事の関係で野宿にはそれなりに慣れているから特に疲労は溜まっておらず、服や体があまり汚れていたらやはり補導対象になってしまう為、身なりにも気を使っていたのでおそらくソラは、キルアの事情を察してベッドを譲ったわけではない。

 ただ、自分が年上でキルアが年下だから。

 ただそれだけの、「当たり前」だったのだろう。

 

「……なぁ、ソラ」

「ん?」

 

 恩を着せる訳でもなく、キルアを「子供だから」と下に見るでもなく、こちらが言葉を失うほどに自然で当然のように、キルアにベッドを譲って、床に横になるソラを見下ろしながら、キルアは口を開く。

 

「ソラは何で、ハンターを目指してるんだよ?」

 ハンター試験を受けに行くというのに、キルアはハンターになど興味はなかった。志望動機はただの退屈しのぎと、家出中の自分にとってライセンスの特権はあれば便利だからに過ぎない。

 だから他人の志望動機にだって興味などなかったのに、知りたいと思った。

 

 この変な女のことが、知りたかった。

 まだ半日程度の付き合いなのに、自分はソラのことなどほとんど何もわかっていないのに、こちらのことはまるで見透かしたようにからかったり、認めてくれたり、与えてくれるのが悔しくて、なんだかむずかゆくって仕方がなかった。

 

 昔、同い年くらいの女の子が新しい執事としてやってきた時、「友達になってよ」と何度頼んでも「私は使用人で、キルア様は雇い主ですから」と言って、握手もしてくれなかった時に諦めたはずの「何か」を、思い出してしまった。

 今度は手に入るのではないかと、期待してしまった。

 

「別に、ハンターを目指してるわけじゃないよ。ただ、私は身分証明できるものがないからライセンスが欲しいが第一かな」

 何か目指すものがあったのかと思えば、意外と自分と似た理由だったことが何故か笑えた。

 が、続けられた言葉が何だか無性に気に入らなかった。

 

「あとは、弟を探すのに役に立つかもしれないから。っていうか、弟がハンター志望だからもしかしたら、試験会場にいるかなーって期待してる」

 

 目指すものなどなく、夢もない自分と同じだと思っていた所で、彼女にはちゃんと欲するものがあったことを知り、それが何だか無性に気に入らず、キルアはいらいらしながら枕を抱きしめて呟いた。

 

「弟がいたのかよ。お前なんかが姉だから、逃げ出したんじゃねーの?」

「あはは。それならいっそ、いいんだけどね。あ、ちなみに実の弟じゃないんだよ。義理とかでもなくて、正確には弟分でしかないかな?」

 

 キルアの失礼な言い分は、笑ってサラッと流される。

 何故「いっそいい」のかは気になったが、それよりも「実でも義理でもない、正確に言えば弟分でしかない」という言葉が、キルアの苛立ちを現金なことに鎮めていった。

 苛立ちの正体すらわかっていないキルアは、もちろんその言葉の何に安心して、期待したかになど気付けない。

 

 血の繋がりもなく、書類上の関係でもなく、ただ互いの「そうでありたい」という気持ちだけで繋がっているのなら、自分だって同じものになれるかもしれないと思った事など、彼は知らない。

 

「キルアの方は、どうなんだ? 憧れのハンターとかがいるの?」

 

 自分の気持ちを分析する前にソラの方からも同じ質問を投げかけられて、そのままキルアは何で自分がイラついたのか、そのことを疑問に思ったことすら忘却する。

 ただ、野宿ばっかりだったここ最近はもちろん、実家でも味わったことのないこの穏やかな時間に満足しながら、自分も答えた。

 

「俺だって特に理由なんかねーよ。ただ難関だからって聞いたから暇つぶしと、あとはやっぱライセンスはあったら便利じゃん。俺の歳で家出って、金があっても苦労するからさー」

「あ、やっぱり家出だったんだ」

 

 キルアの言葉に、ソラは納得したような声を上げる。

 事情は何も聞いていないが、やはり12歳前後の子供を死亡が普通にあり得る試験に受験など、まともな親なら絶対に止める。むしろ、子供が可愛ければいくつであっても普通は止める。

 だからソラは初めから、キルアを「ハンター試験を受けるために家出してきた」と思っていた。

 しかし、彼の答えでハンター試験を受けようと決めたのは家出をした後らしいことを知る。

 

「キルア」

「? 何だよ?」

 

 いきなり起き上ったソラに、キルアは横になったまま怪訝な顔をする。

 ソラはそのまま、部屋の電気をつけず床に座り込んだまま、キルアのベッドに頬杖をついて彼に尋ねる。

 

 ハンター試験を受ける為の家出なら、何も言うことはなかった。せいぜい、彼の家族の為に本人が嫌がっても出来る限り守ってやろうと思っていたくらい。

 けど、そうじゃないのならソラにはどうしても伝えておきたいことがあった。

 してほしくない「失敗」が、あった。

 

「君は、『家族』のことをどう思ってるんだ?」

 

 ソラの問いに、キルアは嫌そうな顔をして逆方向に寝返りを打つ。

 そのまましばらくたっても答えないキルアの背中に、ソラは一度だけため息をついて語る。

 

「キルア。老婆心で忠告しておく。

 家族が嫌いなら嫌いでいい。憎んでいるのなら、それは仕方ない。好きだけど、どうしても出ていきたかったのなら出ていくべきだ。逃げたいのなら、逃げてもいいんだ。逃げるが勝ちなんてよくあることだから。

 でもな、好きか嫌いか自分が相手をどう思っているのかがわからないまま、向き合わないまま逃げ出したら、たぶん割と後悔するよ」

 

「……何だよ、それ」

 

 背を向けたまま、キルアは訊きかえす。

 てっきり、キルアがどう思っていようが家族はキルアのことを愛してるだの、ありきたりな説教をされると思っていたら、一般論ではなく突き放したセリフを吐き出した。

 この女はもうやめる気でいるとはいえ、暗殺者の自分とタメ張るくらいに倫理観が壊れたドライモンスターであることなど昼間で理解してても良かったのに、すっかり忘れて勝手にふてくされた自分が恥ずかしくて、キルアは背を向けたまま動かない。

 

 だから、ソラがどんな顔をして語ったのかなどわからない。

 

「そうだな。せっかくだから教訓として聞いとけよ。

 好きか嫌いか、『まぁ、どっちでもいいや』って向き合わないでそのままにして、もうどうやっても『本当のこと』はわからなくなった、バカな私の話を」

 

 * * *

 

「私、家族が全滅してて天涯孤独なんだよね。

 父親が劣等感こじらせて私をぶっ殺そうとして、私を庇った姉は父親と共倒れして、自慢の跡継ぎだった姉が死んで期待してない母親はショックと怒りで血圧上がりすぎたのか、脳の血管ぷっつり切れてお陀仏しちゃったんだ」

「おい、待て。ヘビーすぎる話をそんな他人事みたいに言うな」

 

 キルアは背を向けたまま至極当然なツッコミを入れる。

 ただでさえ話の内容が、ソラの世界ではもちろん、こちらの世界でもかなり特殊な家庭出身のキルアにドン引かれるレベルで重いのに、ソラのテンションは低くもなければ何かを誤魔化すように高くもない、今日の天気でも語るがごとくの普通さであることにキルアの心はさらに引いた。

 

「っていうか、何でお前の親父がいきなりお前を殺そうとしたんだよ?」

「んー、そこは詳しく話すとややこしいんだけど……」

 

 キルアの問いに、ソラはしばし考える。

 昼間の飛行船での乱闘でガンドと時々直死を使っていた為、キルアはソラを「なんか得体のしれない技を使う」というふうには認識されているが、どうも彼は初めにソラが自称した「魔術師」というのはまだ信じていないらしい。

 特に訊かれもしなければ、信じてもらえていなくても支障はなかったので、ソラの方からも何も言わなかったが、この話はソラの世界の「魔術」と「魔術師」について知っておかないと理解が出来ないだろう。

 

 だが、正確に説明するとまずは自分が異世界出身だという事から話さなくてはならず、そのこと自体は知られても構わないのだが、今説明するとそのあたりの説明の方が長くなり、ソラの言いたいことが言えるかどうか怪しかったので、それはまたの機会という事にして、ソラは適当に大筋さえあってればいいやの精神で説明した。

 

「えっと、私の家はある特殊な技術を代々受け継いできてたんだ。昼間に見せた奴とか、正確に言えばあれは違うんだけど似たようなもんだと思っとけ。

 それは一子相伝で、姉が受け継ぐことが決まってて、私は予備でしかなかったんだよね。

 本当は跡継ぎ問題でややこしくならないように、子供は一人がこういう家では普通なんだけど、私と姉が生まれる前にいた兄が、その技術を受け継ぐ直前に事故でポックリ逝っちゃって、その頃には親も結構高齢で同じことが起こったらお家断絶だからってことで、ギリギリ子供が作れるうちにってことで無理やり二人作ったんだ」

「……聞けば聞くほど、最低な家だなおい」

 

 あまり人の事が言えない家であることは自覚しているが、それでもなんだかんだで子供達を可愛がって、家族を大事にするゾルディック家では、魔術師の「子供は自分の魔術の研究を引き継ぐ後続機」としてしか見ない価値観が信じられず、さらに引く。

 ちなみに話の本筋に関係ないのと、ドン引きを通り越されるのがわかっていたのでソラは言わなかったが、ソラもおそらく彼女の姉も、自分たちが生まれる前に亡くなった兄の顔どころか名前さえ知らない。両親はどちらもほとんど話題にあげず、あげても「あれ」としか言わなかったからだ。

 

「うん、うちの親はどこに出しても恥ずかしい最低なクズだったよ。

 けど、そんな親からでも出来のいい子が生まれるんだよ。トンビが鷹どころかドラゴンを生んだってレベルで姉が優秀で、母親は兄が死んで子供を新しく作って良かったとか言うくらい天才的な人だったんだ。

 だから母親は姉に付きっきりで熱心に教育して、平均よりもやや下ぐらいの素質しかなかった私なんか本当に、最悪の事態に備えた予備でしかなかったから、入り婿で立場が弱くて見下してた旦那に私の教育は任せてたんだ」

 

 キルアの言葉をあっさり肯定して、やはりソラは他人事のように話を続ける。

 

「愛情で結ばれた夫婦じゃないから、父親は自分の嫁にはもちろん娘である姉にもコンプレックスだらけで、表向きは姉にもしものことがあった時に私が後を継げるように最低限の技術を叩きこんで、何もなければ普通に生きていけるようにとか言って本当に最低限の基礎しか教えなかったんだけど、今思えばその『最低限の基礎』がめちゃくちゃな教え方なんだよね。

 たぶん、私を家庭内ヒエラルキー最下位にしておきたかったんだろうな。まぁ、私は家を継ぐのも家の技術にも興味はほとんどなかったから、落ちこぼれだろうが気にしてなかったんだけど。

 

 そんな感じのバカ親を、子供ながらに冷めた目で見ながら過ごしてたらある日、うちの家の技術の開祖的な人が直弟子を取るって話が出たんだ。

 親は『開祖の直弟子』っていう肩書に目がくらんで、天才的とはいえまだたったの15歳だった姉に一子相伝の技術を受け継がせて、『うちの娘をぜひ!!』て売り込んだんだ。

 そしたら、その開祖のジジイが……」

「姉よりお前を弟子に取ったのか」

 

 そこまで話されたら、普通に想像がついたのでキルアが先回りして答えた。

 しかし背後のソラは少しだけ笑ってから、「惜しいね」と否定した。

 

「姉より私の方がマシとは言われたんだけど、本当にあえて選ぶならどっちかって言うとかろうじてでしかなかったんだ。

 ぶっちゃけうちの家は確かにそのジジイから教えてもらった技術を受け継いでるけど、受け継ぐ過程で色々ねじ曲がって本家とは割と別物になってたから、『うちの家の技術を継ぐに相応しい天才』である姉が、ジジイの弟子に良いとは限らなかったって話。なんていうか鳥が魚になりたいって言い出して、鷹や鷲よりアヒルとかカモみたいな水鳥の方がマシってレベルの話だから、当然私だって弟子に取られなかったよ。

 ジジイははっきりそんな感じで言ったから、母親と姉の方は普通に納得して諦めたんだけど、ここでバカ親父が極限までこじらせてたコンプレックスを爆発させたんだよね」

 

 ソラの補足に納得していたところで、忘れかけていた初めの「父親に殺されかけた」という話題に戻って、キルアは嫌な気分になる。

 家を継ぐ気はないが、父親の仕事ぶりに憧れを抱き尊敬しているキルアからしたら、この時点で想像もできないし信じられない話だが、ソラから淡々と語られる話はキルアの想像できない分覚悟していた後味の悪さを上回っていた。

 

「『普通』っていうものを見下してる人だったから、普通じゃない家に生まれたのに普通に生きるであろう私が、親父からしたら天上よりまだ遠い人から家族の中で一番マシって評価をもらったことが、気に入らなくて仕方がなかったみたい。だから、私を殺してなんていうか……自分の持ってる技術というかなんていうか、とにかく私を自分を強化させる材料にしようとしたんだよ」

「……お前ん家、マジで何だよ?」

「クズ」

 

 暗殺一家の跡取り息子に限界まで引かれてしまった。

 魔術回路やら礼装やらの説明をしていない為、かなり猟奇的で異常な説明になってしまった事を自覚しているが、実際に猟奇的で異常だからいいやとソラはそのまま端的に質問の答えを述べてから話を続行する。

 

「そこからは初めに話した通りだよ。父親に殺されそうになったけど姉が気付いて助けてくれて、でも姉もまさか本気で娘である自分たちを父親が殺すわけないって期待してて、実力的には姉の方が父親なんかよりずっと上だったのにその期待が仇になって殺されたよ。父親からしたら、姉だってずっと前から殺してやりたい対象だったんだろうね。

 そんで、父親の攻撃で瀕死だったのに姉は私を守ろうとしてくれて、父親を殺した。

 

 その後、死んだ姉を抱えて母親の元に行ったら、やっぱりクズな母親は私なんか眼中になくて姉の死に怒り狂ってたよ。うちの一子相伝の技術って技術であると同時に物でもあったから、父親の攻撃を受けた際にそれもぶっ壊されて……って言うか、たぶんそれを狙って攻撃したなあのアホは。それで、もう姉はもちろん予備の私すら無意味になった事を知った母親が絶望すると同時に血管がプッツンして、そのままお亡くなり。

 こうして、私以外の誰もいなくなりましたとさ」

 

 引かれる筋合いのない家業の人間に、何度も引かれた話がようやく終わる。

 雑な説明だったので、キルアとしては気になるところや突っ込みどころは大量にあるのだが、その中でも特に気になって部分が自然に口からこぼれ出た。

 

「他人事みたいに話すんだな」

 自分の家の話なのに、ソラは終始他人事のように話し続けた。

 テンションは一定で、淡々と親のクズさも、家族の死も、まるで今日の天気でも語るように、今日の天気と等価値とでも言いたげに。

 そして、キルアの問いに関しても彼女はあっさりと、当然のように即答した。

 

「うん、そりゃほとんど他人事だと思ってるもん。

 昔から親がクズでバカでどうしようもないなーって思って嫌っていたし興味もなかったから、私は親に関して思う事は人でなしな感想だろうけど、死んで良かったとしか思わないな。まぁ、あいつらが人でなしだったんだから、人でなしな感想で十分だよね」

「……姉は?」

 

 その問いは、即答しなかった。

 一瞬黙ったソラに、キルアは相変わらず背中を向けたまま質問を重ねる。

 

「お前を守った姉の事も、他人事なのかよ? ……姉の事も、嫌いなのか?」

「…………キルア。その疑問こそが、教訓だよ。」

 

 * * *

 

 キルアの問いに、少し長い間を置いてからソラは答えた。

 答えた後に少しだけベッドのスプリングが軋んだ。その後のソラの声が先ほどより近くて低い位置から聞こえたので、ベッドにでも突っ伏したのだろうと思いながらキルアは黙って話を聞く。

 

「私はさ、姉のことが好きなのか嫌いなのかもわからなかったんだ。姉が私のことをどう思っていたかもな。

 だって価値観が全然違ってたし、同じ家に住んでるのに顔を合わせる方が珍しい生活を送ってたし、会話をすればどんな他愛のない話題でもいつの間にか姉の言葉はお小言か嫌味ばっかりだったし。私を見下してんのか、家を継ぐ重荷がない私を妬んでるのかよくわからない人だなとか思ってたよ。

 そんな感じで、姉に嫌われる心当たりならあったけど命がけで助けてくれる心当たりなんかなかったから、助けられた時は素で『何で?』って訊いちゃったよ。

 ……そしたらさ、血を吐きながら、父親に殺されるほど妬まれてたってことに絶望して泣いてたのに、笑って姉は言ったんだよ。

『そんなこともわからないの?』って。……それが、姉の最期の言葉だ」

 

 ソラに背中を向けたまま、ただ壁を見つめ続けてキルアは聞いた。

 相変わらず感情らしきものが見えない淡々とした声音で語られ、どんな顔をして話しているのかが気になったが、キルアはどうしても振り返れなかった。

 無表情でも、泣きそうな顔でも、何を言えばいいか、自分がどんな顔をすればいいのかがわからなくなりそうだから、頑なに背を向けたままキルアは言う。

 

「……だから、向き合えって言うのかよ」

「そ。向き合わないで、相手の事を自分がどう思っているのかわからないまま相手に死なれたら、後悔は半端ないぞ。なんせもう向き合う相手がいないから、永久に独り相撲だ。

 相手が死んでなくても相手の事をどう思ってるかわかってないと、相手のすること言うことがずっとモヤモヤするし、いざというときの躊躇いとか迷いにもなる。だから、向き合えるうちに向き合って、悩んで考えて答えを見つけておいた方が良いよ。そういうモヤモヤが溜まりすぎると、どう発散したらいいかわかんなくなって、結果10回中100回殺されたりするからな」

「お前、何やったんだよ!?」

 

 昼間も聞いた盛大に矛盾オーバーキルな発言にしんみりした空気が吹っ飛んで、ようやくキルアが振り返って突っ込む。

 どんな顔をしてるか不安だったソラは、ベッドに顎を乗せてやたらと遠い目をしていたことにちょっとホッとしたが、同時にやたらとムカついた。

 

「八つ当たりで、ある意味元凶のジジイを殴りに行った結果の返り討ち」

「そのジジイは何者なんだよ!?」

「化け物」

 

 キルアの疑問に答えているのに、更なる突っ込みどころでしかない返答をするソラは、へらりと笑う。

 昔の失敗を誤魔化すように。

 

「別にさ、ジジイが悪いわけじゃないのは最初からわかってたんだよ。ジジイは気まぐれだけど頑固で、私以上にその場のノリとかムカついたからってとんでもないことをしでかす人格破綻クソジジイだったけど、他人の不幸を喜ぶバカじゃないし。

 あのジジイは、たぶん初めからわかってた。私の家は遅かれ早かれ、似たり寄ったりな結末になることくらいわかってたから、言っただけだ。

 ……それでもムカついたから、友達の父親が何で探偵やってないの? ってレベルで探し物探し人を見つける達人だったから、その人に頼んでジジイを見つけて殴りに行ったんだけど、見事に返り討ちにあった挙句何故か気に入られて結局、いつの間にか私はそのジジイの弟子になったよ。何でだ?」

「俺が訊きたいわ!!」

 

 キルアに訊いているが、ジジイが自分を弟子にした理由は知っている。

 彼の「魔法」ならソラの行動くらい予知出来ていただろうが、それでも実際に見てみたら想像以上に面白かったからに過ぎない。

 

 ソラが八つ当たりで殴りに来たことはもちろん、その八つ当たりは「家族が全滅するきっかけ」になった事ではなく、「自分には永久にわからない『姉が自分をどう思っていたか』を知ることが出来るから」であった事、そして自分も彼の「魔法」を得ればその「答え」がわかるというのに、その魔法を「いらない」と答えたことを、かの魔導元帥はぼろ雑巾のようになって倒れ伏したソラの上に座り込んで爆笑し続けていた。

 

 違う世界を見ようが、過去に戻ろうが、もうソラが体験したという事実は消えないから、ソラにとって姉の真意と自分の感情は、「わからない」が答えだから。

 それ以外の答えは、別の「ソラ」の為の答えだから「いらない」と言ったソラを、自分の「魔法」を全否定したソラに、少年のような楽し気な笑みを浮かべて彼は言った。

 

『その答えを得ているのなら、お前はいつか必ずさらにその先の答えを得る。最果ての手前くらいの世界でな』

 

 その「予言」を思い出せば殺意混じりのムカつきが湧き上がると同時に、少しばかりの感謝も生まれる。

 魔法使いの言う通り、ソラは「その先の答え」を得た。

「本意はわからないけど、私はこうだったと信じたい」という答えを、最果てから逃げ出して辿りついたこの世界で確かに得た。

 

 遠い目から急に少し嬉しそうに笑ったソラに、キルアは戸惑う。

 そんなキルアの頭にソラは手を伸ばして、自分の白髪よりも柔らかくて艶のある銀髪をかき混ぜるように撫でて言う。

 

「本当の気持ちなんて自分のことでもわからないとか言うけど、それを言い訳にして向き合わない、考えないのは良くないよ。失った後でも考えて答えを見つけないと、足を動かしても迷走するだけで前に進めなくなる」

 

 ソラがもしも、「並行世界」や「時間旅行」に「答え」を求めていたら、きっとどの世界の「姉」と出会っても「答え」に満足は出来なかったと思っている。

 他に答えを求めず、だけどずっと「知りたかった」という傷を手放さなかったからこそ、あの答えを得た。

 

 初対面だったけど、彼が無事であることが、「あの子」を助けることができたことが嬉しくて誇らしかった。

 ソラの未熟で拙い魔術を「すごい」と言って懐いてくれたのが、可愛くて仕方なかった。

 

 順序は逆だが、きっと姉も同じだったとソラは勝手に結論付けた。

 別に命に代えても守りたかったわけではなかっただろうが、見捨てることが出来ないくらいに姉は自分のことが好きで、自分だって未だにもやもや悩んだりするくらいにちゃんと姉が好きだったという「答え」を、確かに得ることが出来たから。

 

「どんな答えでもいいんだ。別にその答えを一生続かせなきゃいけない訳でもないんだから。嫌いになりたいときに嫌いになればいいし、好きになりたかったら好きになればいい。

 ……君は、好きになりたい人を好きになればいいんだ。その為に、ちゃんと向き合いなさい。キルア」

 

 長いソラの昔話と老婆心からの忠告を、キルアは「ふん」と鼻を鳴らして自分の頭を撫でるソラの手を払い、そっぽ向いた。

 その対応に、ソラは「仕方ないなぁ」と言いたげに苦笑したが、キルアは目を閉じて仰向けのまま小さくつぶやくのを聞いて、苦笑が嬉しくて仕方がないという笑みに変わる。

 

「……まぁ、気が向いたら考えてやるよ」

 

 素直さは全くないが、素直じゃない子供には3年前のたったの一月ほどの付き合いで十分に慣れていたから、ソラにとってはその「答え」で十分だった。

 

 * * *

 

 気が向いたらと言っておきながら、目を閉じるとソラの話が、言葉が蘇り、同時に家族の顔が浮かんでは消える。

 

 レールを敷かれた人生が嫌で家出して、ハンターになったら家族を「いい金になるから」と思ってとっ捕まえようかなとぼんやり考えていたが、そんなことが出来る程の実力がまだないことは自覚している。

 家族を捕まえるなんて、空が飛べたらとか魔法が使えたらいいなと同じくらい現実味も他愛もない空想でしかなかった。

 

 だから、きちんと考えたことなどなかった。

 

 家族の事をどう思っているかなど、キルアは考えたことがなかった。

 

 母と次兄を刺した。

 自分を溺愛する過保護過干渉な母親をウザいと思い、ヒステリックで自堕落な次兄を見下してはいたが、嫌いとは言い切れなかった。

 母親に褒められて嬉しかった記憶、次兄とゲームして笑いあった思い出も、確かにあった。

 

 長兄の事は家族で一番苦手だが、自分を大切にしてくれていることはわかってる。

 

 もしもハンターになって、そして祖父や父親、長兄と渡り合えるぐらいの実力を得て、そのうえで家族と敵対した場合、自分は戦えるかどうかが全く分からなかった。

 

(……ハンターになるっていうことは、そういう未来もあるってことなんだよな)

 答えが見つからない苛立ちで睡魔が遠ざかって、さらにイライラしてきたタイミングで声をかけられる。

 

「キルア」

 呼ばれて目を開けて顔を向けると、ソラはまだベッドに顔を突っ伏していた。

 机の上で居眠りをするような体勢のまま、彼女は腕を伸ばしてキルアの手に触れる。

 

「手を繋いでくれないか?」

「……ガキ扱いすんじゃねーよ」

「違う。私が本当に一人で寝たくないんだよ」

 

 自分の迷いや悩みを見透かされたのかと思って、意固地な拒絶の言葉を吐けば、ソラは「自分の為」と言った。

 言い訳かと思ったが、続いたソラの声音があまりに弱々しく、キルアは言葉を失った。

 

「独りの時は我慢できるけど、傍で誰かが寝てるならその人の体温を、生きている証を感じていたいんだ。一人で目を閉じているのは怖いんだ。

『あそこ』にまた落ちて、融けて、消えてしまいそうな気がして嫌なんだ」

 

 何のことかキルアには全くわからないことを言いながら、ソラの指が縋るようにキルアの手に絡む。

 

「………………わかったよ」

 それだけ答えて、キルアは握り返す。

 

 自分より背が高く、自分より10歳近く年上で、そして自分よりガキっぽい時もあればどうやっても追い越せない大人だと何度も思い知らす女の手は、自分とさほど大きさは変わらず、指は自分よりも細かった。

 簡単に握りつぶせてしまいそうな手を握って、キルアは再び目を閉じる。

 

 瞼の裏の暗闇の中、少しだけ安心したような柔らかく「ありがとう」と言ったソラの声が、遠ざかっていた睡魔を呼び戻す。

 

 家族をどう思っているかの答えは、まだ見つからない。

 けれど繋ぐ手の柔らかさと体温が、一つだけキルアに「答え」を教える。

 

 この変な女のことは、決して嫌いじゃない。

 

 今、キルアに得ることが出来た答えはそれだけだった。

 それだけを手放さないように指を絡めて、意識を夢の中へと手放した。




原作通りのクイズをさせると、ソラが「両方」と即答して譲らないので、ソラ自身をクイズ出題者の立場にしてみました。

それにしてもこの女は気づいていないとはいえ、イルミに対して自分の死亡フラグを立たせるのが得意だな。



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13:思い出せない誰か、失えない何か

「いやー、ハンター試験のナビゲーターなんて初めてやるが、こんな子供も受けるなんて知らんかったわい」

 

 ナビゲーターの言葉で、ただでさえ悪かったキルアの機嫌がさらに悪化する。

「キルア、眉間の皺が凄いぞ。美少年が台無しに……ならねぇな。美少年って凄い」

「うるせぇよ」

(誰のせいだと思ってんだ!!)

 

 本気で感心している隣の女に、キルアは心の中で八つ当たりする。

 そう、八つ当たり。キルアの機嫌が悪い原因と理由は、何故か飛行船で乗り合わせてから行動を共にしている女、ソラの所為なのは確かだが、決してソラはキルアにとってのデメリットとなっている訳ではない。

 むしろ逆に、彼女といて得をしてる方が多い。

 

 今年で12歳。現在絶賛家出中のキルアが飛行船や宿泊施設を楽に利用できるのは、ソラがキルアの「姉」だと名乗って、その設定でキルアの分の手続きもしてくれているからだ。

 髪の色が白髪と銀髪なのと、赤の他人の割に二人は猫のようにぱっちりと吊り上がっている目つきが似ているため、何も言わなくても周りが勝手に血縁者だと思い込み、今のところ誰にも疑わていない。

 

 さらにハンター試験受験者の中に子供のキルアが混ざっていても、多少奇異の目で見られる程度で、変なおせっかいで家に帰るように説得してくる者は、キルアより保護者に見えるソラの方に向かい、子供だと舐めてからんでくるバカがいなくなったのも利点だろう。

 

 それと今現在、試験会場へのナビゲーターを見つけたのも実はソラのおかげだ。

 空港でソラが妻とはぐれて難儀している老人を見つけて、彼の頼みを聞いて妻を探したら実はこれが案内人を見つけるための試験だった。

 

 空港では試験会場であるザバン市直行の最終バスがもうすぐ出る所だったのに、ソラは何の迷いもなく老夫婦を優先した。

 そんなことをしてる暇などないとキルアは止めたが、「乗り遅れたら走って行ってやる! 何ならキルアをおんぶしていってやるさ!!」と言い切ったソラに呆れて諦めて付き合った結果が、現在「妻を探してほしい」と頼んできた老爺に本当のザバン市に向かうバスへと案内されている。

 

 どうもあの空港では、受験者の善意を重視する予備選考が行われていたらしく、ソラとキルアが見つけた老夫婦だけではなく、迷子の子供や無くした荷物を探している人など、様々な「困っている人」に扮したナビゲーターが、受験者に助けを求めていたそうだ。

 その頼みごとを無視した受験者は罠のバスへ、試験より困っている相手を優先したり、時間ぎりぎりまで誠実に対応してくれた受験者には、本当のザバン市へ直行するバス乗り場まで案内するのがこの予備選考の仕組み。

 

「試験会場に辿りつくのも至難とか言われてるのに、直行バスがあるか?」とキルアは普通に直行バスに関しては不審に思っていたが、この予備選考は予想しておらず、自分一人ならクリアできなかったであろうことが簡単に想像がついてしまった。

 キルアなら時間に余裕があっても「面倒くさい」と思い、老人も迷子も「急いでるから」と言って助けを求める声を無視していただろう。それは真剣にハンターを目指すがあまりに心の余裕をなくし、無視したり邪険に扱ってしまった受験者よりも性質が悪いことも自覚している。

 

 そんな自分とソラの器の大きさの違いを見せつけられたような気がして、キルアは一人勝手に酷くムカついていた。

 ソラと一緒にいて、キルアが得することは多くあれど、キルアがソラに何かをしてやった、ソラにとって何かメリットがある訳ではないことが、悔しくて仕方がなかった。

 

 それは別に恩を返したいという殊勝な考えではなく、完全にキルアのプライドの問題。

 背伸びをしたい、大人になりたい、一人前だと認められたいという、思春期らしい願望とそれがままならぬ現実が摩擦を起こして、キルアを酷く苛立たせる。

 

 もちろん、そんな理不尽な内心の八つ当たりをソラが読み取れるわけはなく、「マジでどうしたんだよ? お腹でも減ってんの?」と言いながら、ポケットの中からチョコ菓子を出してキルアに渡す。

 明らかな子ども扱いがまた更にキルアの苛立ちゲージを上げるが、バカにしてるのではなくこれも素の善意であることはわかっていた。

 

 だから、ソラからチョコ菓子を受け取って無言でかじりつく。

 善意に八つ当たりするほどある意味素直な子供ではなかったが、好物の菓子を差し出されて「いらない」と言えるほど意地を張れる大人でもなかった。

 

 そんな二人の様子を微笑ましそうに、ナビゲーターの老爺が見ながら言う。

「可愛い弟さんだ」

「でしょう?」

 

 ドヤ顔でもう完全に実の弟のように扱うソラに、またムカついてキルアはソラのひざ裏に軽く蹴りを入れた。

 

 * * *

 

 漫画をちょうど一冊読み終えたキルアが、向かいに座っているソラの状態に気が付き、思いっきり怪訝な顔をして尋ねた。

「何でお前、気配消してマンガ読んでるんだよ?」

 

 ハンター試験会場に案内するナビゲーターの中には、ハンター志望者の実力を測れるだけの力を持つ者もいるが、キルア達のナビゲーターのようにごくごく普通のたまたま試験会場周辺地区の住人だったから雇われた、今年限りのバイトでしかない人間も多い。

 

 もちろん、そんな一般人にいくら正しいルートを教えていたとしても、そのルートから半歩も外れたら罠満載な道程の案内をさせるわけにもいかないので、こういう一般人ナビゲーターは「本当の直通バス乗り場」までの案内で、真のナビゲーターはバスの運転手である。

 

 なので、老爺は街の片隅のあまり流行ってなさそうな喫茶店に二人を案内して、喫茶店のマスターに「砂糖なしミルクを2杯いれたコーヒーに合う食べ物はあるか?」と尋ね、マスターはにやりと笑ってから「それならウチの特製クッキーだな」と答えた。

 

 これが受験者を連れてきた合言葉らしく、ソラとキルアはバスがやってきたらマスターが、「サービスです」といってクッキーを席まで持ってきてくれるので、それを持って喫茶店の外で缶コーヒーを飲んでいる男に話しかけたらバスに乗せてもらえるということを伝えて、出て行った。

 

 そして二人は言われた通り、バスが来た合図のクッキーを渡されるまで、適当に飲み物や軽食を注文して喫茶店内の本棚に置かれていた日に焼けた漫画を読んで待っていたのだが、キルアが一冊読み終わったタイミングで冒頭に至る。

 やたらと古臭い絵柄とストーリーがキルアには逆に新鮮で、暇つぶしの斜め読みのつもりがいつの間にかがっつり読み込んでいたので読み終わるまで気付かなかったが、向かいに座っているはずのソラの気配がないことに気付いた時は一瞬酷く焦った。

 

 が、顔をあげれば普通にソラははじめと変わらず向かいに座って、コーヒーを飲みながらこちらも昔の漫画を真剣に読み込んでいた。

 だが、目の前にいるのにやけに存在感が薄い。別に物音を殺しているわけでもないのに、意識しないとそこにソラがいることに気付けなさそうなくらい、ソラは完全に気配を消していた。

 

 飛行船の件でこの女が十分に戦えることを知っているキルアなので、別に気配を完璧に消す技能があること自体に驚きはないが、なぜ今ここで気配を消して真剣に漫画を読んでいるのかがわからず、思いっきり呆れながら尋ねるたらソラは漫画からキルアに視線をあげ、その瞬間、モノクロ画面がカラーになったように彼女の存在感が復活する。

 

「あ、ごめん。ただの癖だから気にしないで」

「どんな癖だよ?」

 

 気配を戻してソラが答えるが、その答えはキルアの疑問を深めるだけだった。

 ソラは読んでいた漫画を閉じてテーブルの隅に置き、コーヒーを啜りながら再び問われたキルアの疑問の答えを考える。

 どこまで説明しようかを、天井をしばし眺めながら考える。

 

“絶”を解いたことで見えるようになった「物」の線や点と、“絶”をしてようがしてなかろうが関係なく、3年前からずっと見え続ける「生き物」の……キルアの線や点を見比べながら、「さて、どこまでをどうやって話そうか」と考えた。

 

 が、考えがまとまる前に思考も話も邪魔をされる。

 

 喫茶店のドアベルどころか扉そのものを壊しそうな勢いで、一人の男が入ってきた。

 あまりの乱暴な勢いに驚き、ソラとキルアはとっさに入口に目を向ける。喫茶店のマスターや普通の客、ソラ達と同じ受験生たちも同じく。

 

 柄の悪いスキンヘッドに眼帯、そして左手首から先が義手の男が、露わとなっている右目だけを動かして店内を見渡し、ある一点に視線を向けた瞬間、その眼が細く吊り上った。

「……やっと、見つけたぜ! この、化け物!!」

 

 位置的にキルアの方が男から近いのに、その隻眼はキルアをすり抜けてソラを睨み付ける。

 形だけは笑みを取り繕っているが、その眼に宿る感情は憎悪や憤怒で燃えたぎっており、明らかにソラに対して何らかの私怨を抱いているのが分かったので、キルアは「何しやがったんだ、こいつ?」と思いながらソラに視線を戻す。

 

 キルアが視線を戻したタイミングで、ソラは口を開いた。

「誰?」

 

 きょとんと心底不思議そうに、小首を傾げてソラは言い放った。その様子からして、挑発ではなく素で全く心当たりはないらしい。

 だがこの状況で悪気がないのは、相手にとって何の救いにもならない。むしろ余計に恨みを買うだけである。

 

「てめぇ、ふざけんな! 3年前に人の仲間を全員、わけわかんねぇ力でぶっ殺して俺の眼も手もこんなんにしやがったのを忘れたって言うのか!?」

 

「ぶっ殺した」発言で、一般人であるマスターや客はもちろん、ここにたどり着けたということはここにいるハンター志望者は犯罪者手前や犯罪者崩れではない、良心的な人物ばかりの為か、非難と義憤めいた視線をソラは一斉に浴びるが、彼女は座ったままささやかな胸を張って言い切った。

 

「そんなよくあること、覚えてても『どれ?』ってなるわ! もっと個性的なエピソードもってこい!!」

「どんな逆ギレだよ!!」

 

 ソラの性格を知るキルアなら正当防衛だろうと想像ついていたが、それでも「ぶっ殺した」発言を「よくあること」と悪びれずに言い切ったソラにキルアは突っ込み、周囲の人間はさらに引く。

 ソラに恨みを持つ男の方も、ソラのトンデモ発言に数秒間絶句していたが、「これを見ても思い出せねぇってか!!」と言いながら服の袖をまくり自分の肩を見せる。

 

 その肩の刺青を見て、店内のハンター志望者は目を剥き、ソラもわずかに藍色の瞳を見開いた。

 キルアもその刺青……12本の脚をもつ蜘蛛の刺青を見て一瞬、父親の言葉が蘇ったが、すぐさまこの男が父に「割に合わない仕事だった」と言われるほどの実力がないことにも気づく。

 キルアの想像を、ソラは肯定するように一回手を打って言った。

 

「あぁ! あの時のニセ蜘蛛の生き残りか!」

「ニセじゃねぇ!! リスペクトと言え!!」

 

 ソラと男のもはやコントのようなやり取りに、キルアだけではなく他のハンター志望者たちも脱力する。

 どうもこの男と3年前にソラが「ぶっ殺した」らしい男の仲間たちは、あの悪名高い「幻影旅団」メンバーの証とされる「12本脚の蜘蛛の刺青」を体に入れて虎の威を借りていたのか、本人が言うとおり本気でリスペクトしていたのかは知らないが、とりあえずその刺青を利用して本家と比べたらしょうもない悪行を重ねていたことぐらいまで、もう説明不要なぐらいキルアには想像がついた。

 

 他の人間も同じ想像がついたのか、ソラに対して非難めいた視線を送るのはやめて、それぞれが武器を構えて眼帯の男を睨み付ける。

 困っている一般人を助けたからこそ今ここにいるハンター志望者は、やたらと正義感が強い奴ら揃いだった為、旅団を騙っていた集団ならばぶっ殺してもソラは正当防衛だと判断されたのか、それともソラはともかく連れているキルアを庇おうとしたのだろう。

 

「で、何の用? この後予定があるから、手早く終わらせてほしいんだけど」

 しかし当の本人が状況を一番理解しておらず、また小首を傾げて尋ね返し、周囲を脱力させる。

 

「どう考えても、お前にリベンジしに来たんだろうが!!」と、キルアがキレたことで、そのリベンジ志願の男も気を取り直したのか、引きつった笑みを浮かべてまだきょとんとした顔のソラに言った。

 

「……ほう。予定……予定ねぇ……。その予定とやらは、『ハンター試験』の事か?」

「? それがどうしたんだよ?」

 

 怪訝な顔をして尋ね返すソラを見て、男の引きつっていた笑みにやや余裕が出来る。が、余裕が出来たら出来たで、酷くその笑みは歪んでいた。

 その歪みきった、暗い愉悦を浮かべた笑みにソラだけではなくキルアや周囲の人間も怪訝そうな顔をして、警戒しながら相手の言葉を待った。

 

 ソラだけではなく、周りの人間のほとんどがハンター志望者であることを理解していないのか、それとも10人以上のハンター志望者を相手取る自信があったのかは不明だが、ニセ蜘蛛の生き残りはニヤニヤ笑いながら告げた。

 

「可哀相にな、あのじいさん。ハンター試験のナビゲーターなんてバイトしてなけりゃ、短い余命をさらに縮めずに済んだのにな」

『!?』

 

 言いながら男はポケットから取り出したものを見せる。

 まだ新しい、乾ききっていない血で汚れた折りたたみのナイフをソラに見せつけた。

 

 男は喫茶店に入ってきてすぐに誰かを探すように店内を見渡していたので、どこかでソラを見つけたこと自体は偶然でも、この店にやってきたことは偶然ではないことくらい、キルアは想像出来ていたし、ソラもわかっていただろう。

 

 ただ、この店に入るのを見たというのならもっと早くにこのトラブルは起こっていただろうから、いつ頃この男はソラをどこで見かけたのかはわからなかった。

 漠然とハンター志望者だらけの空港で一瞬見かけてすぐに見失って、このあたりを総当たりで探していたと思い込んでいたが、そんな平和な方法を取るくらいならそもそもA級賞金首をリスペクトなどしない。

 

 キルアの脳裏に、自分とソラのやり取りを微笑ましそうに笑って見ていた、ここまで案内してくれた老爺の姿が蘇り、今まで感じたことがない苦いものがこみ上げてきた。

 その苦いものにキルアは、何の名前も付けられなかった。

 罪悪感とも悔恨とも自己嫌悪とも、名付けられなかった。

 

 けれど確かに、ただひたすらに嫌な気分になる。

 

 キルアがひたすらこみ上げてきた苦いものを何とか飲み干そうとしている間に、男の言葉とソラに見せつけたナイフで周囲が騒然としていた。

 武器を手にしていたハンター志望者がそれぞれ、武器を構える。

 私怨を晴らそうとして、たまたまソラと一緒だったところを見かけただけの、何の罪もないただのバイトに過ぎなかった老人に手をかけたことが、この予備選考をクリアした彼らにとっての逆鱗だった。

 

 しかし、その逆鱗をさらに逆なでするどころか毟り取って、逆に周囲を茫然自失させる発言をソラが言い放つ。

 

「そうだね。可哀相だけど、犯罪者と関わったり逆恨みを買う覚悟をしとくべきってハンター協会もバイトに教えとくべきだよな」

 

 カップに残ったコーヒーを飲み干して、淡々と言いきった。

 

 * * *

 

 声音から読み取れる感情は、わずかな同情。それ以外の感情を、キルアはソラから読み取ることが出来なかった。

 義憤はもちろん、罪悪感も悔恨も自己嫌悪もそこにはない。

 自分の巻き添えで、見せつけのように赤の他人を、罪のない一般人を「殺した」と暗に言われても、ソラが抱く感情は「可哀想」という他人事の同情以外なかった。

 

 ソラが発した声と言葉に含まれる感情を、「同情」のみだと感じたのはキルアだけではないらしく、店内に沈黙が落ちる。

 沈黙を破ったのは、ニセの蜘蛛。

 

「……お、お前、正気か!? お前のせいで、無関係のジジイが死んでんだぞ!!」

「人のせいにすんじゃねぇよ。私が原因でも、私に非や責任はねぇだろ」

 

 ソラの即答に、さらに場の空気が凍る。

 彼女の言うとおり、何の罪もない老人が殺された原因はソラと関わったことだが、ソラ自身に責任を求めるのはお門違い。

 事情はまだ正確にはわかっていないが、十中八九男の怨みは正当なものではなく逆恨み。たとえソラがこの男やその仲間に行ったことが正当防衛ではなかったとしても、ソラ本人ではなく他人にその怨みの矛先を向けたのはこの男自身の意思。

 

 ソラとキルアをここまで案内した老人を殺した罪を負うべきなのは殺した男だけであり、ソラに非も責任もないのは完全な正論。

 だがその正論は、人としての良心からかけ離れたもの。

 

 少なくとも、本人が言うべきではない。それは非も責任もないのに、自分が原因だというだけで重すぎる罪悪感を背負ってしまった人を慰めるために、他人が言うべきセリフであることを周囲の人間は思う。

 責任などないはずなのに、ソラの言葉は他人からしたら完全な責任転嫁だった。

 

 そう感じ取った男は、また歪んだ笑みを浮かべる。

「……ははっ! それがお前の本性か! あぁ、そうだよな! お前は3年前も言ってたな!

 自分が生き残れるのなら、誰を何人でも犠牲にできるってな! はははっ! 今も昔もガキなんか連れて善人面してっけど、お前は所詮、俺とは変わらない生まれながらの犯罪者ってやつなんだよ!!」

 

 男の言葉をソラは無視して、テーブルの端に置いてある砂糖壺に手を伸ばす。

 無視されていることに気付いていないのか、それとも無視されていることを無視しているのか、男はニヤニヤに笑みを浮かべながら一人勝手に語り続ける。

 

「……おい、死にたくないのなら、生き残りたいのなら俺と手を組め。そうしたら、この目と手の代償と、仲間の敵討ちはまぁ勘弁してやるよ。

 お前のあの『力』さえあれば、本物の『蜘蛛』に入団できる……いや! あの幻影旅団を超える存在に!!」

「うるさい」

 

 ソラの発言で「善人面した気に入らない奴」から「自分と同類」と思い、憎しみよりも欲が勝ったのか、テンション高く皮算用を始めた男に一言だけ告げて、ソラは砂糖壺から取り出したティースプーンを振るった。

 その声にはもう、同情すら見つからない。

 ただただ蒼天の瞳に酷く冷めた侮蔑だけをあらわにして、ソラは男の義手を切り飛ばした。

 

 ごろりと転がった義手の中から、銃身も一緒に零れ落ちる。

 キルアから見たら数日前の飛行船の奴らとそう変わらない程度の実力しか持たない男が、何でこんなに自信満々だったのかが不思議だったが、どうもこれが奴にとっての切り札だったのだろう。

 現に一瞬前まで上から目線で語っていたのが一転して、笑みは顔面に張り付いたまま強張り、目はすでに卑屈な負け犬と化している。

 

 そんな男を、ソラは安っぽい銀メッキのティースプーン片手に立ち上がって見下ろす。

 背丈で言えばソラの方が少し低いので見上げているのが正確なのだが、雲一つない真夏の青空のような瞳はどこまでも冷たく、深く、相手を見下しながら告げる。

 

「そうだよ。私は以前も言った通り自分が生き残れるなら誰だって犠牲にするし、自分が原因でも自分に非が無けりゃ罪悪感なんて感じない、生き汚い最低な奴だ。

 けど、誰がお前と一緒だ。『生まれながらの犯罪者』であることを免罪符にして、『だから、犯罪を犯すのは当たり前』を言い訳にして自分の罪からも向き合えない惰弱と一緒にすんな。

 

 お前なんだよ、殺したのは。何の罪もない、お前と同じ生きていたかった人を殺したのは、間違いなくお前なんだ。それは神様にも裁けない、お前だけがいつかその重みに潰されるまで背負っていく罪なんだ。

 お前の仲間を、私が生きていたいがために殺したのと同じようにな」

 

 ティースプーンを男の顔に突き付けて、不規則にスプーンをまるで何かの「線」をなぞるように動かしながら、ソラは相変わらず淡々と語った。

 

「失せろよ、何もかも安っぽい偽物。私はお前が自分の罪で潰れる前にお前を終わらせて、お前の死を自分の罪として背負ってやるほど、ボランティア精神が旺盛じゃない。

 むしろ二度と私に関わってそのへったくそなショボ蜘蛛を見せられないように、左手だけじゃなく残った手足全部切り落としてだるまにしたいくらいなんだよ」

 

 最後の忠告と同時に、ソラの持つスプーンの先が男の肩に一瞬触れた瞬間、男は縊り殺される鳥のような雄たけびを上げて、腰を抜かしたまま這いずって出て行った。

 男が出て行っても、誰も何も言わず何もしない。殺人の自白同然の事を言ったはずの男を、善人ぞろいのハンター志望者が捕まえに行くことはなく、ただその場にいる全員がソラを見ていた。

 

 信じられないものを、化け物でも見るような目で見ていた。

 

 その視線の根拠、彼女を化け物として見るのは、何の変哲もないスプーンでおそらくセラミック製の義手どころかその空洞に仕組まれていた銃身までも滑らかに切り裂いたことか、それとも、責任転嫁ではなく自分自身の正当防衛すら認めない凄絶な覚悟を聞いたからか。

 

 キルアも、ソラを見ていた。

 ただ、見ていた。

 

「……ごめん、キルア。変な迷惑に巻き込んで」

 数秒の沈黙を破ったのは、ソラ本人。

 キルアに向き直って苦笑しながら謝った彼女の瞳は、蒼天から夜空に戻っていた。

 気のせいや光の加減では済まされない、明らかな変化。そして、もう何度か既に見た異能。

 そしてその笑顔に、困ったような笑顔に、キルアは見た。

 

『お兄ちゃん』

『キルア』

 

 思い出せない誰かの、引き離されて封じられてそのことすら忘れさせられた、けれど決して失えない誰かの面影を……「何か」の面影を見た。

 

 * * *

 

 思い出せない。面影を見たことすら、キルアは自覚できない。

 それは知覚する前に、忘れさせられる。脳に埋め込まれた小さな針(歪んだ愛)が「不必要」と判断して、頭の一番使わない片隅に仕舞いこむ。

 

 それでも、どんなに誘導されても抗う心が彼を動かした。

 

 ソラを見ながら、初めのように非難めいた視線を送りながら何もしない。ソラの異能に恐れて怯えているくせに、ソラの覚悟を聞いたくせに、それでも「良い人」でありたいが為、ただの自己満足の為に誰かが呟いた声が聞こえた。

 

「あんな危ない奴が、ハンター志望かよ」

 

 面と向かって非難する勇気のない、ただソラを、自分には理解できない異端を排除したくて呟いた他人の声と、その直後のソラの笑顔。

 悲しそうではなかった。

 ただ、何かを諦めたように寂しげだった。

 

 同じ笑顔をキルアは数年前に、確かに見た。

 キルアの脳裏に浮かび上がる前に、それは再び記憶の奥底に押し込められて潰されて閉じ込められて封じられる。

 けれど、支配しきれない心には確かに届いた。

 

 玩具で埋め尽くされた部屋の中に独りきりで、二人ぼっちで幽閉される「妹/弟」が、何重もの分厚い扉越しに手を振っていた時の、別れの笑みを見た時のどうしようもない無力感と後悔が蘇った。

 

「…………キルア?」

 

 気が付いたら、目の前のソラはきょとんと眼を丸くしていた。

 自分の前のテーブルは粉々に粉砕されていて、拳に木くずがついてることでようやく、自分がいきなりテーブルを叩き壊したことを思い出す。

 

 蘇った無力感と、泣き叫びたいほどの後悔は何が起因しているのか全くキルアにはわからない。

 けれど、何故か混乱することはなかった。

 したいことだけは、はっきりとわかっていたから。

 

 ソラと出会った日からずっと、その「答え」だけは手放さなかったから。

 

「俺は、キルア=ゾルディック。暗殺一家、ゾルディック家の三男だ」

 

 唐突な名乗りで、またしても周囲が騒然とする。

 ソラでさえも、「え!?」と声を上げた。

 

 そのどの反応も無視して、キルアは宣言する。

「危ない奴? 俺の方がよっぽど危険人物だっつーの!! そんなまさしく『生まれながらの犯罪者』な俺でも、合格さえすればあらゆる特権をもらえるのが『ハンター試験』だろうが! むしろそんなんもわからずに、ハンター志望者やプロハンターは聖人君子揃いだと思ってたのかよ!? 平和な脳みそだな!

 

 どんな事情でも人殺しを許せないんだったら、あの腰抜かしたニセ蜘蛛を捕まえろよ! 俺やこいつに正面から言いたいこと言えよ!

 その程度の『覚悟』もないなら黙ってろ!

 っていうか、ソラ! お前も何なんだよ!?」

「え? 私にも矛先が向かうの?」

 

 さすがに特技がエアブレイカーなソラでも、キルアの唐突過ぎるブチキレが理解できずに素で訊いた。

 その問いに、キルアは即答する。

 

「当たり前だろ! お前、何諦めてるんだよ! あんな結局何も言えないできない弱いクズの言葉にあんな顔で笑うくらいなら、いつものように空気読まない正論で相手の顔を精神的にも物理的にもぶっ潰せよ!」

「いやだって、怒るのってめんどくさくて疲れるじゃん?」

「何でお前は、このタイミングで空気をぶち壊す!?」

 

 狙ったのか素なのか不明なエアブレイクがまさかのタイミングで発揮されて、キルアが突っ込みながらかなり本気でソラをぶん殴る。

 椅子に飛び乗って頭をぶん殴ったが、16トンの扉を開けられるキルアに殴られても、ソラは「痛いっ!」で終わらせた。

 強化系念能力者とはいえとことん頑丈な女は、殴られた頭をさすりながらやはりいつものように悪びれずに言い切る。

 

「ごめんごめん。でも、怒るのって本当に疲れるだけだから、私は怒らないんじゃなくてその前にめんどくなるだけなんだよ。そんなんだから、誰かが自分の事で怒ってるのを見るのも苦手。めんどくさくてやらないことを、人に押し付けてるみたいで申し訳なくなるからさ。

 だからキルア、せっかく怒ってくれたのにぶち壊してごめん。

 

 でも、私の為に、私の代わりに怒ってくれて嬉しかったよ。ありがとう」

 

 クシャリと、ソラはキルアの頭を撫でる。

 もう何かを諦めたような寂しげな笑顔ではなく、腹が立つぐらいに晴れ晴れとした、キルアの幼いわがままも意地も誇りも、何もかもを認めて受け入れるいつもの笑顔でそんなことを言われたら、もうキルアは何も言えない。

 顔に集まる熱を隠すようにソラの手を払って、「そんなんじゃねーよ! 俺がムカついたから言ってやっただけだ!」といつもの意地を張る事しか出来なかった。

 

 もう、キルアの心の中に無力感も後悔もないことにキルアは気付かない。

 思い出せない記憶だけど、心のどこかにずっとあり続ける愛しい誰かの笑顔が蘇ったことなど、キルアは知らない。

 

 傷ついた鳥を治して、それが飛び立つのを見送った時の笑顔とソラの笑顔がダブって見えたことなんて、誰も知らない。

 

 * * *

 

「……そういやさ、訊かないの?」

「何をだよ?」

 

 ザバン市直行バスに揺られながら、ソラが隣のキルアに尋ねるが逆にキルアが訊き返す。

 バスの乗客は、ソラとキルアを除けば2,3人。

 あの喫茶店まで辿り着き、バスを待っていたハンター志望者の大半が、バスには乗らなかった。

 

 試験を諦めたのか、他のルートやナビゲーター頼りに会場まで行くつもりなのかわからない。

 バスに乗らなかった理由は、正体不明の異能を持ち、人を殺す罪の深さを理解したうえで「自分が生き延びるために殺す」という覚悟を決めているソラを恐れたのか、自称とはいえゾルディック家のキルアを恐れたのか、それとも二人の言葉のどれかに何か思う所があったのかもわからない。

 

 ソラもキルアも、そんなことはどうでも良かった。

 気になるのは、知りたいと思う事はもっと別の事。

 

「私の変な力とか、過去とかだよ」

 あのニセ蜘蛛が現れるまで、自分の眼の事をどう説明しようか悩んでいたことを思い出し、あの時の「気配を消して本を読む癖」を気にしたくせに、それ以上に気になる情報を小出しされても何も尋ねないキルアが、ソラには不思議だった。

 

「……別に、知っても知らなくても同じだなって思っただけだ」

 バスの窓に頬杖をついて、流れる景色を見てるふりしてそっぽ向くキルアだが、窓ガラス越しにソラが真っ直ぐに自分を見ていることは知っている。

 

「同じ? 何が?」

 無意味な意地でそっぽ向き続けて、キルアは答える。

 向き合った心が、出した答えを。

 

「お前の変な力も、過去も、何を知ったってソラはすっげー変な女だってことは変わんねーからさ。いちいち不思議に思って訊くのが面倒くさいだけだ」

 

 知るのが怖いわけじゃない。何を知っても変わらない。絶対に、手放さないと決めた。

 だから、話したいと思えたら話してもらえるまで待つ。話したくないのなら一生訊かないという答えを出したが、それを素直に出す気は毛頭なく、いつものように小生意気な嘘ではない答えを出しておく。

 

「あぁ、そりゃそーだ! それが賢明だね!」

「納得すんなよ!!」

 

 しかしやはり自分の生意気な言動は、いつもの笑顔で受け流されて受け入れられる。

 キルアの本音など見透かされているようで、その笑顔はどこか居心地が悪いのに嫌いになれないのが苛立った。

 

(……覚えてろ。いつか絶対に、面倒くさいとか疲れるだけとか思う隙間もないくらいに怒らせてやる)

 そんな子供でしかない幼い目標を立てながら、目的地到着まで軽く寝ようと思ったが、「あ、待てキルア、寝るな! もう一つ言いたいことがあったの思い出した!」と言いながらソラが、勢いよくキルアの首を自分の方向に向ける。

 

 ぐぎっと嫌な音がして鈍痛が走る首を押さえてキルアが文句をつけようとしたが、その前にソラがキレた。

 

「君ん家の長男、どうにかしろーっ!!」

「いきなりなんだ!? っていうか、長男ってどういうことだ!? 知り合い!?」

「知り合いじゃねーよ! 会った3回中3回とも『こんにちは死ね』されたんだよ!!」

「ちょっと待て! マジでどういう関係なんだよお前とイルミは!!」

 

 まさかのキルアがほとんど関係ない所でだが、結果的にキルアの自己紹介で面倒くさいだの疲れるだの思う隙間なくソラがブチキレさせることに成功したが、そのことを嬉しく思う訳ないが嬉しくないと思う暇もなく、前言撤回してとりあえずソラと自分の家の長男、イルミとの関係を問いただす。

 

 約15分かけてソラが自分の義姉あるいは義妹、もしくは自分の嫁になる可能性がある人だと知ったキルアは、バスがザバン市に到着するまでゲンドウのポーズで項垂れ続けた。




ソラとキルアの珍道中は一応終了。
けど、原作沿いにはまだ入りません。ごめんなさい。

原作沿いに入る前に、ちょっと入れておかないと支障が出そうな話が次回です。


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幕間:君に幸福があらんことを

 誰も信じられなかった。

 

 同胞たちの命と眼、穏やかな日常、故郷と一緒に人を信じる心も奪いつくされた。

 12本脚の蜘蛛に、喰い散らされた。

 

 けれど、誰も信用しないで一人きりで生きられるほど強くもなかった。

 本当は、信じたかった。縋りつきたかった。助けて欲しかった。

 

(こんな中途半端で甘ったれな自分が、一年も一人で生き延びたのは奇跡だな)

 

 クラピカは自分の幼い愚かさを今更苦笑しながら、他人事のように眺める。

 故郷も同胞も世界や人に対する希望も失って、唯一残った復讐心だけを糧にたった一人で生き延びた先で行き着いた、治安が最悪のスラム街。

 その中でも人通りがまったくない狭い小道に連れ込まれて、押さえつけられた3年前の自分。

 どこかで自分の変化した瞳を見られてしまい、クルタ族の生き残りだと知ったチンピラが幼い自分を痛めつけて、紅蓮の炎のような緋色の眼球を今にも抉り出そうとしている光景を。

 

 抵抗しながらも生きることに疲れ果てて内心では諦めていた自分の、さらなる奥底に沈んでいた自分自身でさえも気付けない原初の願いを見つけて、そして叶えてくれた人との出会いを、幽霊のように誰にも意識されずただ静かに見続ける。

 

 自分を押さえつけるチンピラをタックルで吹っ飛ばして、ナイフを持っていた方には何か……、当時はわからなかったが魔力を込めた宝石をぶつけて、火だるまにして助けてくれた。

 だが、人間不信真っただ中だった当時のクラピカは、そこまでされても助けられた感謝などなかった。

 そもそも助けられたとすら思っておらず、「どうせこいつも、自分の眼が狙いなんだ」と思い込み、火だるまになった男が落としたナイフを拾って、無防備なその背に突き刺すつもりだった。

 

 しかし、タックルで吹っ飛ばされた方が起き上がって彼女に向かってきた時、その時の彼女の「眼」を見た瞬間、クラピカは拾ったナイフを落として、ただただその姿を目で追った。

 その眼を、ずっと見ていた。

 

 彼女は素手だったのに、相手の腕をまるでナイフでバターでも切るように滑らかに切断するのを見ても、恐怖など感じていなかった。

 もう自分を殺そうとした、自分の眼を奪おうとした相手などクラピカの眼中にはなかった。

 

 荒い息を落ち着かせようとしながら、自分に目を向けて「大丈夫?」と声を掛けられた時には、涙が溢れ出て体は勝手に動いていた。

 滂沱の涙を流しながら、しがみつき、縋りついた。

 

 自分の眼とは、クルタ族とは違うことなどわかり切っていた。

 けれどあの、夜空から蒼天へと変幻する眼に、苛烈な緋の眼とは対照的な青い玲瓏な瞳に見てしまった。

 同胞の面影を確かに、見てしまった。

 

 それが、クラピカとソラ=シキオリという「異邦人」との出会いだった。

 

 

 * * *

 

「現在」のクラピカは、相変わらず幽霊のように誰にも知覚されず、ただ昔の自分と自分の「恩人」を眺め続ける。

 

 突然泣き出してしがみついて縋り付いた自分を、ソラは驚きはしたが特に何も言わずに抱き着いた自分の背に腕を回して、抱き返してくれた。

 支離滅裂な自分の言葉に、叫びに一つずつ「うん」と頷きながら、彼女は言ってくれた。

 

「助けて」という身勝手な懇願を、受け止めてくれた。

「いいよ」と、抱擁をしながらクラピカの頭を撫でて答えてくれた。

 

「……でもその前にごめん。私を助けて」

 そう言いながらぶっ倒れたソラに、幼い自分は慌てて現在の自分は軽く頭痛がしてきた頭を押さえる。

 初めから歪みなく、空気をぶち壊すのが得意な女であった事を思い出すが、冷静にこの時の彼女の状況を思い返せば、色んな意味で彼女は自分を助けるどころか、泣いて縋り付く自分を抱きしめ返す余裕などなかったことわかり切っている。

 

(むしろ、ずいぶん無理をさせてしまって申し訳なかったと思うんだが……、しかしいっそ何も言わずに倒れて欲しかったな)

 あの時の何とも言えない微妙な気持ちを思い出してクラピカは、図々しいのかささやかなのかよくわからないことを望む。

 

 ソラがぶっ倒れた後、当時の自分がねぐらにしていた廃墟まで何とか担いで連れて行って介抱した。

 恩義などではなく、一方的に同胞の面影を見て縋った人を失いたくなかっただけの昔の自分を殺したい気分になりながら、現在のクラピカはそれを眺める。

 

 水を飲むのが精一杯で、固形物を受け入れられない程に衰弱していた人が、自分を助けてくれたという感謝も初めはほとんどなかった。

 クラピカはただ、自分と同じように色が変化する瞳に親近感を覚えて勝手に懐いただけだった。

 

 自分と同じような一族で、自分と同じような境遇だと勝手に思い込んでいた。

 が、その思い込みは少し回復したソラによってあっさりぶち壊されたのは言うまでもない。

 

「ヒノメ? 何それ?」と即答し、自分の眼の色が変化することすら自覚していなかった彼女に、当時の自分は理不尽に腹を立てたが、傍観する現在の自分は逆に、「ソラ、その甘ったれでバカな私にもっと言ってやれ」と思って応援してしまった。

 

 しかしソラは現在のクラピカの願いに反して、勝手に期待して失望しただけだと言うのに、露骨に不満気な顔をした幼い彼の頭を笑いながら撫でて言う。

「ごめんね。君と同じじゃなくて」

 自分がどれだけ理不尽なことで腹を立てているかの自覚はあったので、むしろ謝られたらさすがに恥ずかしさと申し訳なさが上回って、クラピカは目を逸らして「謝るな」と非がある側が使うべきではない荒い言葉で言った。

 

 そこまでされてもソラは全く腹を立てた様子を見せず、むしろ少し困ったように言われて自分は眼を丸くしたことをよく覚えている。

「いや、申し訳ないよ。だって『いいよ』って言ったのに、助けるどころか気の利いたことすら全然言えてないからさ」

 

 名前をやっと互いに名乗った直後ぐらいだったにも拘らず、自分を一番に気遣ってくれる彼女が、泣きじゃくった自分を落ち着かせる為だけの上辺の言葉ではなく、本気で自分の「助けて」を実行しようとしてくれる彼女が信じられず、「何故だ?」と素で訊いた。

 

「んー……私さ、周りが年上ばっかりで助けられてばっかりだったから、誰かを助けたのって君が初めてなんだよね。それで、君が怖がらずに逃げないで私に縋って、頼って、『助けて』って言ってくれた時、私でも役に立つんだ、私は生きててもいいんだって思えたんだ。

 だから、そのお礼」

 

 自分が与えられた側なのに、ソラはクラピカこそが自分にくれたから、助けるのはそのお礼だと笑って言った。

 その笑顔を見てようやく、クラピカにとって彼女は「同胞に似た人」から、「ソラ=シキオリ」という個人に変化した。

 

 その言葉が、嬉しかった。

 その笑顔が、好きだった。

 

 この時にはもう、彼女は手遅れなほどに壊れ果てていることなんか、自分がそのトドメであった事なんか知らなかった。

 

 知っても、変わらなかった。

 

 もう、独りは嫌だった。

 独りで生きることに、耐えられなかった。

 

 ソラとずっと一緒にいたかった。

 

 * * *

 

 緩やかに場面が変わる。

 気が付くと、3年前の自分とソラが出会った当初より小奇麗な身なりになっていた。

 ソラと出逢って数日後、スラム街を離れて牧歌的な村で農業や酪農の手伝いと、子供の勉強を教えてささやかな賃金と、何やらわけありで旅をしている姉弟だと思われたのか、村人の厚意と同情心で衣食住を得ていた頃だと気づき、現在のクラピカの表情がわずかだが柔らかく緩む。

 

 出逢ってからクラピカに介抱されて、体力が回復した後のソラの行動は、あまりにも早くて強引だった。

「こんなとこにいたら腐るよ」と言って、クラピカの腕を引き、嫌がって抵抗すれば抱き上げて無理やりスラム街から離れた。

 人が多い所は嫌だ、どうせ子供で身分証明もろくに出来ない自分が表だって生きていけるわけがないと訴えたら、「私なんて異世界出身なせいで、こちらの世界の常識も戸籍もないんだぞ!!」と開き直られて絶句したのも、今となっては懐かしい。

 

 ソラの事情は尋ねれば本人があっさりと、悲壮感も疑われて信じてもらえない不安もなく語られたので、出会ったその日のうちにほぼ全部知った。

「魔術」という異能を扱うこと、この世界の住人ではないこと、「魔術」とはまた少し異なる「魔法」の失敗により、死よりさらに深い深淵に落ちかけてそこから逃げ出したことでこの世界にやってきたこと、そしてその副作用で得てしまった異能。「直死の魔眼」

 

 普通なら設定がよく練られた妄想で終わらせる話だったが、クラピカはソラの話を全て信じた。

 それは、クルタ族の集落で生まれ育ち、そこから出てもクルタ族虐殺による人間不信で視野が狭まり、結局あの森の奥にいた頃とそう変わらない世間知らずな子供であったことも大きいが、何より信じた理由は「ソラの言うことだから」が第一だった。

 

 彼女の言うことなら、何も疑わない。嘘でもいい。ただ、信じていたかった。

 自分以外の全人類が、自分の眼を狙うケダモノだと思い込んでいたクラピカにとってもはやソラは、唯一神に近いほどの信頼を得ていたのだが、当の本人は全く疑わず全部信じるクラピカを逆に心配して、真顔で「君、大丈夫?」と言い出した時はさすがにだいぶムカついたことも思い出し、またしても現在のクラピカは微妙な気持ちになる。

 

 ついでに、「こんなところにいたら腐るよ」と言い出して、クラピカをスラム街から連れ出したのは、ソラのまともだがムカつく心配に、「お前だから信じるんだ!」とクラピカがキレた後だったことも思い出し、微妙な気持ちは羞恥に変化する。

 ソラの言うとおり、クルタ族で子供の自分以上に身分証明などできない、この世界の常識など何も知らない、表だって真っ当に生きることは困難極まりなかったはずなのに、それでもスラム街から出て行ったのは自分の為ではなく、ソラだけを信じてソラだけに依存しようとしていた弱いクラピカの為だったことを、今更になって気が付く。

 

 誰も信じないで自分だけを頼りに生きることよりも、たった一人だけを信じて依存して、その人の行動に自分の全てを委ねることは、思考を停止させて自分を殺すことと同義であることを、彼女は知っていた。

 だからソラはクラピカを連れ出して、無理やり人と関わらせた。

 

「暗示は魔術の初歩だからね」

 そう言って魔術と適当な嘘で同情を得て日雇いの仕事をして、それで得た賃金で自分たちの身なりを「浮浪者」から「旅人」くらいに整えながら、クラピカとソラは転々と町から村へ、村から町へと渡り歩き、人と関わって少しずつクラピカの人間不信を解消させてくれた。

 

 暗示と言っても身分証明が出来ない、明らかに血の繋がりも感じられない10代の男女である自分達が怪しまれないようにする程度しかソラは使わず、それ以外の暗示は決してかけなかった。

 当時は「私は魔術師としてへっぽこだから、この程度の暗示しかできない」と語ったソラの言葉を鵜呑みしていたが、今になって思えばクラピカの人間不信解消のためにあえて、最低限の暗示しかかけなかったのではないかと思えた。

 クラピカに対して嘘は決してつかないと誓ってくれた彼女だから、未熟であるということは本当だろうが、それはきっと建前だったとわかるほどクラピカは大人になっていた。

 

 自分たちの都合のいいように動く暗示をかけてしまえば、クラピカは結局ソラ以外の人間の優しさは、ソラの暗示で与えられた偽物だと間違いなく思い込む。

 そう思わせないために、自分から自業自得の喧嘩と恨みを買って、さらに人間不信をこじらせるスパイラルにはまっていたクラピカに、人間の打算のない優しさをたくさん見せる為、こちらが善意と好意を見せて接すれば、相手も善意や好意を返して助けてくれることを思い出させる為に、そんな暗示じゃ年上のソラばかりが苦労を背負いこむのに、当時のクラピカにそんな苦労を一度も見せずにずっと笑っていてくれたことを思い出し、現在のクラピカは申し訳なさと自分の情けなさで泣き出したくなる。

 

 当時のソラと今の自分はたった1歳しか変わらないはずなのに、もしもソラと同じ状況に自分が陥ったら、きっと自分はいくつになってもソラと同じことなどできないことを、目の前の3年前の自分の言動で思い知らされる。

 

 ソラから、そしてたくさんの人から人間の善意や優しさを与えられたのに、それでもまだ人が信じきれず、そんな自分が嫌で自暴自棄になったクラピカの話を、いつもソラは聞いてくれた。

 空気を壊すのが得意な女だったが、決して真面目な話が出来ない訳ではなかった。むしろ、クラピカの自己嫌悪にまみれた支離滅裂な弱音を、一言たりとも取りこぼさずに全部聞いて、いつも彼女はその名にふさわしい晴れ晴れとした笑顔で与えてくれた。

 

「じゃあ、一緒に聖杯でも探そうか」

 

 復讐を果たした後、同胞の眼をすべて取り戻した後にクラピカが歩むべき道を提示してくれた。

 親友とともに喪われたはずの「夢」を、蘇らせてくれた。

 

 * * *

 

 確かこの日は、大きな蜘蛛を見つけてトラウマが蘇ってひどく情緒不安定になって、ひたすらソラに旅団への憎しみと自己嫌悪や弱音をただ吐き続けていた。

 恩人に何も返せないくせに、よりにもよって自分の負の感情を吐き捨てるゴミ箱のようにソラを扱っているのが自分自身だからこそ許せず、当時の自分を絞め殺したい気分になるが、クラピカの手は昔の自分も、昔の自分に膝枕をしながら落ち着かせるように頭を撫でてくれたソラにも触れられず、すり抜ける。

 

「……ソラ。オレは絶対に旅団を許せない。あいつらをみんな殺してしまいたい。そして、仲間の眼が外道の慰み物になっていることも耐えられない。だから、絶対に取り戻す。

 …………けど、その後はどうしたらいいかがわからないんだ。パイロと約束したのに、パイロに『楽しかった?』と訊かれて、『うん』って答えられる旅にしなくちゃいけないのに、オレはもうどこに行けばいいのか、何をしたらいいのかわからないんだ。

 このままじゃ、オレは『うん』なんて答えられないのはわかってるのに、わかってるのに、わかってるのに、なのに……なのに…………」

 

 自分で考えるべきことを放棄して、親友との約束さえもソラに縋り付いて「助けて」と望んだ愚かな自分を助けてくれた。

 助けて、手を差し伸べてくれたけど、彼女は決して全てを与えてはくれなかった。

 立ち上がるのはクラピカ自身の力だと言っていたことは、当時のクラピカでもわかった。

 

「じゃあ、一緒に聖杯でも探そうか」

「……聖杯?」

「そう。前に話しただろう? 万物の願望器をめぐる戦い、聖杯戦争」

 

 旅団を捕らえる為にソラの魔術を欲して教えを乞うた時もあったが、その頼みは自分の覚悟とソラの望みの違いと、あと単純にクラピカに魔術回路がないことを理由に断られた。

 しかし、その断る際の魔術の説明はたとえ使えないにしろクラピカの旺盛な好奇心に火をつけ、暇さえあれば彼女に魔術や魔法についての話を、まるで幼子が親に寝物語をねだるように聞きつづけた。

 その中の一つ、彼女の姉弟子とその恋人が関わったと聞いた魔術儀式があげられて、クラピカはソラの膝の上に横になったまま、きょとんと彼女を見上げた。

 

「あれは人工的に作ったもので、サーヴァント7騎……、いや願望器としての機能だけなら6騎でいいのか。まぁ、とにかく面倒くさい前準備が必要な奴だけど、天然もので中身入り、前準備なんかいらない『聖杯』だってこの世にはあるらしいんだ。

 とりあえず、それでも探そうよ。それを探してる間に、他にクラピカがしたいこと、君の親友に胸を張って『楽しかった』って言えることがあればいい。見つからなくても……聖杯があれば、君の願いは叶うだろう?」

 

 傍から聞けば、ただの夢物語。クラピカを励ますために言っただけの口約束にしか聞こえなかったが、それが決して口だけの言葉ではないことを、全て本気であることをクラピカは知っている。

 「お前だから信じるんだ!」と即答したクラピカに、彼女は一瞬きょとんとしてから嬉しそうに笑って、熱を測るように自分とクラピカの額を合わせてあまりに近い位置で言ってくれた約束を、クラピカはずっと信じている。

 

「じゃ、その信頼を裏切らないために約束するよ。

 私は、君に絶対に嘘をつかない。君に言ったことは全部本当だし、君と約束したことは絶対に全部、守るよ」

 

「万物の願望器」なんていう、親友と一緒に見た夢以上に胸が躍るものを探す旅に出ようという夢を、生きる指針を与えてくれた。

 けれど彼女は、それ以上は、それ以外は口にはしなかった。

 

 自分の願いは、口にはしなかった。

 一緒に探そうと言ってくれたのに、ソラは願望器を完全にクラピカが使うことを前提で話していた。

 

 自分の常識の大半が通用しない世界にやってきて、心が壊れ果てても逃げ出せない眼を持っているのに、元の世界に帰ることも、眼をどうにかすることも望まなければ、クラピカが聖杯に託す願いにすらも、彼女自身の願いに誘導などしなかった。

 クラピカが望む願いを託せばいい。それだけは、どんなに望まれても自分は口出しをしないと言うように、それ以上は何も言いはしなかった。

 

 生きる目的を、指針を与えても、その願望器を求める理由は、「答え」は自分で見つけ出せと突き放した女に、自分の全てを与えてもクラピカに一つでも多い「選択肢」を、「未来」を作ってくれる人に、クラピカは横たわったまま手を伸ばす。

 自分を見下ろすソラの瞼に、眼に触れて、その目が映す世界(ぜつぼう)を想像しながら、それでも穏やかに笑ってくれている彼女に、素直な感謝の言葉は出なかった。

 

「――あぁ。そうだな。……ソラ、一緒に探そう」

 

 ただ、それだけを伝えながら心はもう決まっていた。

 彼女とともに探し、見つけ出した聖杯に託す願いは、旅団や人体コレクターの殲滅でも、喪った同胞たちを蘇らせることでもなく、自分を救ってくれたこの尊い人に、輝ける幸せを。

 彼女が、誰かの為ではなくいつだって本当に楽しくて嬉しくて仕方がないからずっと笑っていられるように。

 

 ソラが幸せになれますように。

 

 その願いは、今も変わらない。

 きっとずっと、変わらない。

 

 * * *

 

 ずっと変わらないのに、この願いは本当なのに、誰よりも何よりも彼女の幸せを、ソラが幸せになることを望んでいるのに――

 

「………………ソラ?」

「クラピカ! 大丈夫か? 気分は悪くないか? 腕はちゃんと動くか?」

 

 後悔が頭の中を埋め尽くし、目を伏せてただひたすらに現在のクラピカがソラに謝り続けている間に、また場面が変わる。

 初めて出逢った時のような、スラム街の中でも人通りが特に少ない裏路地の片隅。

 服は右腕の袖が何故かなくなっており、まだ乾ききっていない血で汚れているのに無傷の自分と、すべてかすり傷ではあったが、ほぼ全身に傷を負っていたソラを、また何もできないまま、誰にも知覚されないままに見下ろす。

 

 これがいつの出来事であるかは、考えるまでもない。

 彼女との別れの日の記憶。

 クラピカが弱かったからこそ起こった、自分にとって最大の罪を犯した日。

 

 昔の自分は、自分が引き起こした事態を理解できておらず、虚ろな目でソラの問いにただ頷いている。

 この時は何もわかっていなかった。

 偽物だとわかっていても怒りも憎悪も押さえつけれなかった自分が起こした、浅はかな行動のツケをソラに払わせたことも、ソラが泣きながら自分が生きていることを喜んでいてくれたことも。

 

 ソラの涙を見たのは、この時が初めてだったということに気付いたのは、彼女を失ってだいぶ経ってからだった。

 

「クラピカ。君はこのまま表通りまで走って、警察を呼べ」

 クラピカの無事を確認して安堵したソラは、自分の上着を着せて帽子を目深にかぶらせて、クラピカに指示を出した。

 

「……ソラは……どうするんだ?」

 何故そんな指示を出されているのかも理解できず、自分に何が起こったのかも思い出せないまま尋ねると、ソラは少し困ったように笑った。

「……ちょっと、時間稼ぎするだけだから大丈夫だよ。心配はいらない。幸い、姉弟と思われてるみたいだから私でも十分に囮の価値はあるさ」

 

「囮」と言う言葉で、ソラが何をしようとしているのかを理解してようやく、思い出す。

 自分が犯した愚行を、クラピカは思い出した。

 

 ソラと出逢う前と比べてだいぶ真っ当に生活できるようになったが、それでも身分証明できない二人だと、宿泊できる所に治安の良さは求められない。

 田舎だとわけありだと思われて、同情と好奇心で泊めてくれる家は割とあるが、都会になればなるほどそういう人情には期待できず、二人が止まる宿はスラムよりはかろうじてマシという地区にある、ごろつき御用達のモーテルの類だった。

 

 普通に部屋を取って、荷物を置いて少し休憩してソラが「飲み物買ってくる」と言って出て行って、1時間近くたっても帰ってこなかったからクラピカが探しに出てきたら、ソラがロビーでチンピラ数人に囲まれて絡まれていた。

 またいつものように空気を読まずトラブルに首を突っ込んだのかと思ったが、離れていても聞こえる男どもがソラに語る言葉の断片から、ソラを金で買おうとしているのを察した瞬間、眼に熱が溜まったのを覚えている。

 

 ソラに劣情を向けたという時点でクラピカにとって許しがたい相手だったが、チンピラどもはよりにもよってクラピカの逆鱗を触れるどころか抉り出した。

 暴力沙汰を犯して宿泊拒否されたらクラピカに悪いと、おそらくソラは考えて適当にあしらって穏便に済まそうとしていたのだろう。

 しかしそれが逆にあだとなり、時間を取らせてクラピカが出てきてしまった挙句に、奴らはクラピカの前で自分の肩や腹に入れた刺青を見せつけた。

 

 数字の入っていない、12本足の蜘蛛の刺青。

 少し詳しく「奴ら」のことを知っていれば、一目でわかる虚偽の証。

 もちろん、ソラはそれが偽物であることなどわかっていた。

 クラピカだってわかっていた。刺青にナンバーが入っていることをソラに教えたのは、クラピカ自身なのだから。

 わかっていても、ダメだった。

 

 12歩足の蜘蛛を見た瞬間、クラピカの視界は、頭の中は緋色に染まった。

 

 そこから先の記憶は断絶している。部分部分にしか思い出せない。

 ソラに絡んでいる男たちを殴り飛ばして、蹴り飛ばし、自分を止めようとしたソラさえも突き飛ばして、「旅団」を名乗る輩を殲滅しようと暴れ回った。

 偽の旅団のリーダーっぽい男に腕を掴まれた瞬間、人形の腕をもぎ取るように軽く自分の腕がもがれて絶叫したのを最後に、記憶はない。

 

 そこまで思い出してようやく、もがれたはずの自分の腕を見る。

 包帯こそ巻かれていたが、クラピカの腕はごく普通にそこに存在して、腕はもちろん指先も自分の意思通りに動かせた。

 そのことを尋ねる前に、ソラは小さなイヤリングを片手に持って、いつものようにあっけらかんと笑いながら説明した。

 

「ちゃんとくっついたようで何よりだ。治癒魔術は苦手だけど、姉さんの魔力がたっぷり入ってたおかげで成功したよ。代わりに、これはもう空っぽだけどね」

 

 詳しく訊いたことはなかったが、「姉の形見」と言っていたイヤリングにこもった、姉の命の残滓である魔力を使い切って自分の治療をして、そしてなお、ソラは当たり前のようにクラピカの愚行の尻拭いに奔走する。

 相手が偽物だとわかっていながら緋の眼を晒して暴れ、その眼を狙われている自分を逃がそうとしていることに気付けないほど愚かではなかったくせに、どうしたら自分で自分のしたことに収拾がつけられるのかは見当もつかなかった。

 

 けれどソラ一人に任せて、ソラに全てを押し付けて逃げるなんてことだけはしたくなかった。

 クラピカにできたことは、ただ「行かないでくれ」とソラの手に縋り付くことだけだった。

 

 もう何度目かわからないが、クラピカはまた昔の自分を殺したくなる。

 何もできないくせに、要求ばかりしていた自分など何度でも殺してしまいたいくらい憎らしいのに、ソラはやはり愚かな昔の自分を見捨ててはくれない。

 

「クラピカ」

 泣いて縋るクラピカの耳に、彼を助けるために魔力を使い果たして空っぽになったイヤリングをつけて彼女は言った。

 

「これは、私の大好きな姉さんの形見で、私の宝物なんだ。だから、君に預ける。預けるだけだからな。いくらクラピカでも、これはあげられない。

 ……だから、私の代わりにこれを守ってくれ。大事に、大切にしてくれ。すぐに、返しにもらいに来るから。ちゃんと君の元に帰ってくるって約束するからさ。それまで、預かっておいてくれ」

 

 それは、自分を逃がすための方便であることはわかっていた。

 それでも、「嫌だ」と言って突っ返すことなどできなかった。

 与えられてばかりの自分が、守られてばかりの自分に「守って」と託されたものは、手放せなかった。

 

 それはずっと、自分がソラにしてあげたかったことだったから。

 

 泣きながら頷いて、また感情の高ぶりで変質しているであろう眼を帽子で隠して幼い自分は駆けだした。

 一秒でも早く警察を呼んで、ソラを助けてもらう。その為に、スラム街から表通りに駈け出した3年前の自分とは逆方向に、現在のクラピカも駆け出す。

 

 自分を守るために偽の旅団のもとまで駆け出したソラに、クラピカは走り抜けて手を伸ばす。

 

 * * *

 

「待ってくれ! ソラ! 待ってくれ!!」

 

 せめて夢の中でくらい、犯した罪をなかったことにしたい。

 弱くて身勝手な望みのままにクラピカはソラを追い、手を伸ばすがその手は何もつかめないですり抜ける。

 それでも、クラピカは手を伸ばして叫び続ける。

 

「待ってくれ……、やめろ……。やめてくれ! 私の……オレなんかの為に君が人を殺すことなんてないんだ!!」

 

 ――あの日、クラピカが助けを呼んで警察がスラムに駆け付けた際には、もうすでに全てが終わっていた。

 蜘蛛の刺青をしたならず者どもで生き残ったのは2,3人。後の全員は、あまりに鋭い刃物で体を両断されているか、致命傷になるはずがない部分を一カ所刺されただけで死に至ったか。

 

 おそらく、ソラは腕をもがれた自分を助けるために、元の世界から持ってきていた宝石のほぼすべてを使い果たし、姉の形見も自分の治療で使ってしまい、他に戦闘で使えそうなものは嫌がらせのような効果のガンドと、死を捉える目しかなかった。

 

 その眼をあまり使いたがらないことを知っていた。

 彼女は、人殺しに対して特に思うことは何もなく、クラピカの復讐に関しても決して否定などしなかったが、「命」を軽く見ることはしなかった。

 命を軽んじて奪った代償は、いつか必ず支払わされることを知っていたからこそ、自分の命も、他人の命も大切にしていた。

 

 どんなトラブルに巻き込まれても、自分から首を突っ込んでも、あまりに命を軽くさせるその眼で誰かの命を奪いはしなかった。初めの出会いで助けられた時ですら、彼女はチンピラを生かして逃がした。

 

 なのに、クラピカを守る為に彼女は人を殺した。

 そこにどんな事情があったのかは、クラピカにはわからない。

 もしかしたら、彼女は自分の「死にたくない」という願いのままに殺したのかもしれないが、それでもクラピカさえいなければ、クラピカが余計なことをしてあんな大怪我を負わなければ、起きなかったこと。

 

 間違いなく罪深いのはクラピカなのに、クラピカの所為なのに、それなのにソラは、この日を境に姿を消してどこを探しても見つからない彼女は、決してその罪をクラピカに渡してくれないことを知っている。

 

「どんな理由があっても、どんな事情があっても、人を殺した罪はその人を殺した人が背負うものなんだよ」

 

 何かの拍子に、当たり前のようにソラは言っていたから。

 それが彼女にとっての摂理だから。

 

 それでも、クラピカはソラからその罪を渡してほしかった。手放してほしかった。

 

 彼女の幸福を願い、望み、祈るのは今でも変わっていないから。

 彼女に与えたい輝ける幸福の陰りになる罪など、自分に渡してほしかった。

 

 それなのに、ソラは――

 

「バカだね、クラピカ。

 人は生きている限り、必ず罪を背負うんだよ」

 

 いつしか、また場面が変わる。

 今度は過去の記憶には全く当てはまらない、何もない真っ白な空間で、自分が追っていたはずのソラはクラピカの背後に立っていた。

 

「……ソラ」

「罪を背負わない生き方なんて、出来ないんだ。だから私たちは、選ぶんだ」

 

 今度はただの傍観者ではない。

 振り返ったクラピカをソラはちゃんと認識して、その夜空の瞳に今にも泣きだしそうな情けない弟を映して笑う。

 今のクラピカと同じくらいの短い烏の濡れ羽色の髪が揺らして近づき、クラピカの頬に両手を添える。

 

 そしていつものように、真面目な話をする時、説教をする時、クラピカの間違いを諭す時に何故かいつもしたように、互いの額を合わせて、あまりに近い位置で見詰め合って彼女はもう意味のない過去をひたすら悔やむ弟に伝える。

 

「自分がどんな罪を背負うか、そしてその罪を背負ってでも生きていたい道を選ぶんだ。

 背負った罪で道を選ぶのは大きな間違いだ。罪を負うこと自体は、間違いじゃない。どんな道を選んだって、必ず私たちは幸せの代償に、罪を負わなければならないのだから。

 だから、クラピカ。勘違いするな。私は君の所為で罪を負ったんじゃない。

 私は、選んだんだ。この罪を背負った先で得られる幸福を」

 

 これが夢であることなどわかってる。

 だから今、目の前の彼女の言葉だって、自分の身勝手な「許されたい」と言う願望でしかないこともわかってる。

 

 それでも、否定などできない。

 あの日のイヤリングと同じように受け取るしかできない。

 

 彼女に輝ける幸福を、確かに願った。

 でもその幸福が、自分を生かして守ること、それが彼女の望む幸福であればいいと望んだのも事実だから。

 

 そして何より、額を離した後に自分よりもはるかに幼い笑顔で悪びれずに言い放ったセリフが、何とも本人らしくて、まるでソラ本人に言われたかのような錯覚に陥った。

 

「ま、全部受け売りなんだけどね」

「何故、それを今言う!?」

 

 真面目な話は出来るのだが、本人的にそれが終わった0.5秒後に粉砕してくるのは、夢の中でも一緒だった。

 

 * * *

 

 相変わらずのエアブレイカーぶりにキレた瞬間、目が覚めた。

 目が覚めた先で、ゴンやキリコの親子、そしてレオリオにまで怪訝そうで心配そうな顔でこちらを見ていることに気付いて、クラピカは羞恥でこのまま消えたくなる。

 

「……クラピカ、どんな夢見てたの?」

 ゴンが本気で心配そうな顔をして尋ねてきて、さらにクラピカは恥ずかしさで顔をあげれなくなった。

 

 ナビゲーターであるキリコに連れられてザバン市近郊の山小屋に到着し、あとは会場で受け付けを済ますだけだったが、当たり前だが受付開始の時間は決まっている。

 もうすでに日付は変わっていたが、まだ真夜中と言える時間に山小屋に到着したため、クラピカ達がその山小屋で仮眠を取ったのはいいのだが、どうも間違いなく、自分の寝言の突っ込みでクラピカは起きたらしい。

 

 しかも一生モノの不覚なことにゴンやキリコたちだけではなく、レオリオよりも起きるのが遅かったらしく、「うなされてたかと思ったら、何でお前いきなり突っ込み入れて起きるんだよ?」と訊かれてしまった。

 出来れば他に寝言を言っていないことを祈りながら、「……訊くな。出来れば、忘れてくれ」と切願しながら、内心でソラに八つ当たりする。

 

(……彼女と再会したら、まずは殴ろう)

 自業自得なのか八つ当たりなのかよくわからないことを考えながら、顔を覆っていた自分の手がイヤリングに触れる。

 

 ソラの夢を見るのは久しぶりだった。おそらく、ハンターのことを教えたらソラは「身分証明にいいかも。私も試験受けようかな?」と運転免許のようなノリで言い出していたことがあったので、彼女なら本当にそのノリのまま試験を受けかねない、もしかしたら試験会場にソラがいるのではないかという期待が見せたものだろうと、クラピカは自己分析する。羞恥を忘れる為の逃避ともいうが。

 

 あの日からクラピカのハンターを目指す理由は、旅団を捕えること、仲間の眼を取り戻すことに加えて、ソラを見つけることの三つになった。

 彼女の生への執着を知るクラピカは、「ソラの死」の可能性は完全に除外している。元の世界に何らかの拍子で戻った可能性もあるが、それはこの世界をすべて探しても見つからなかった場合に考えればいいと、ソラに影響されて生まれたやけくそ気味なポジティブさで今は無視している。

 

 約束を交わしたから、だから必ず生きて自分に会いに来ると信じて疑わない部分もあるが、そうやって待っていられるほどポジティブにはなりきれなかったから、探そうと誓った。

 探して、見つけて、そして「待たせすぎだ!」と文句をつけて、……そして今度こそ一緒にいようと決めた。

 

 あれはソラ本人の言葉ではないけれど、それでもいつも正しいと思っている人の姿を借りて自分に伝えた自分の言葉だから、きっとそれがクラピカが考えて見つけ出した答えだから。

 幸福の代償に罪を背負い、選んだ道で罪が決まるというのなら……

 

(ソラ。私は君と同じ道を、君が幸福になれる道を歩いていきたい)

 

 そんな答えを見つけて、ようやくクラピカは顔を上げる。

「……感傷的なくせに最後は台無しにさせられる夢を見ていた。が、そのおかげで色々整理はついた。もう大丈夫だ」

 仲間にそう伝えると、ゴンは朗らかに笑って「なら良かった!」と屈託なく言い切り、レオリオは口には出さないが少し安心したような淡い笑みを浮かべる。

 どうも自分は本当にだいぶ魘されていたらしく、天真爛漫でまっすぐなゴンだけではなく偽悪的で根はお人よしの部類のレオリオも実はかなり心配をしてくれていたことに気付くと、自然にクラピカの口角が上がる。

 

(……仲間か。ソラ、君がいなければこんな風に誰かを想えることも、笑えることもなかったよ)

 

 自分の性格上、そして彼女の性格も考慮したら間違いなく素直に言えない感謝を、山小屋から出て見上げた空を代わりにして心の中で告げる。

 まだ日が登っていない山の空は、闇と言うにはわずかに青みがかった、まさしく彼女の普段の瞳と同じミッドナイトブルー。

 その空の色がまた、クラピカの心の中の彼女の記憶を鮮明にさせる。

 

 同時に、ふと違和感を覚えた。

 

「クラピカ、どうしたの?」

「おい、まだ寝ぼけてんのかよ。置いてくぞ!」

 

 ゴンとレオリオに声を掛けられて、夜空を見て一瞬だけ思い出した違和感をクラピカは忘れ去る。

「あぁ、すまない。今行く」

 

 夢の中で最後にいつも通り空気をぶち壊したソラの髪が、アルビノのように真っ白であったことなど完全に忘れて、クラピカは歩いてゆく。

 仲間とともに、夢の始まりへ。




生後一か月の子猫を3匹拾ってしまったので、しばらく更新が停滞すると思います。


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14:難易度「Lunatic Hard」

「これってさ、うっかり素で『ステーキ定食、弱火でじっくり』を頼んだ一般人がここに来ちゃったらどうするんだろうな?」

「普通にそのままエレベーター乗って帰んだろ」

「それもそれでシュールな光景だな」

 

 エレベーターから降りてふざけた調子で話しかける白髪と、少しうっとうしそうに話を適当に流す銀髪。傍から見たら、やや年の離れた兄弟に見えるだろう。

 ただ、ウザそうに適当にあしらっているのが弟の方だが。

 

「やあ。ちょうど君たちで100人目だね」

 

 ハンター試験30連続本試験挑戦、もはや長老級の常連である「新人潰し」のトンパもそう思い、いつものように気さくで親しみやすいおっさんを演じて話しかける。

 話しかけられた二人は、初めは「何だこいつ?」と言いたげな目でトンパを見たが、ビーンズから配られた番号札が事実、トンパの言う通り99番と100番であった事に驚いて少しだけ目を見開いた。

 

「……わざわざ数えてたの? 暇なおっさんだな」

「いきなり酷いな!」

 

 しかし即座に、容赦が一切ないツッコミを入れられた。しかもまだ12歳前後の弟らしき銀髪の少年ではなく、兄か姉なのかが性別のよくわからないが、とりあえず歳は10歳近く上らしき白髪の方に。

 弟の方に言われるのなら、まだ内心で「このクソガキ」と軽くムカつく程度だが、20前後から礼儀も遠慮も皆無な発言が即答されるとは思わず、トンパのお人好しを装った笑顔がさすがに引きつった。

 

 しかしとっくの昔に目的が本末転倒して、もはや生きがいとなっている年に一度のお楽しみをここであっさりキレて台無しにするほどトンパは若くない代わりに、性根は腐りきっていた。

「まぁ、確かに暇だったから数えてたんだよ。経験上、まだまだ受付時間が終わらないのはわかってたからな」とやや引きつった笑みで彼が答えれば、興味なさそうにナンバープレートを胸につけていた少年の方がちらりと視線をよこしてから、白髪の方に尋ねる。

 

「受付の開始時間とか終了時間って、ナビゲーターからも聞かされてなかったよな?」

「そうだね。それがだいたいわかるって、おっさんは常連?」

 声もやや高めの男とも少し低めの女とも取れる声で、口調ですら性別が判別しにくい白髪にトンパは少しだけ戸惑いながら、いつもの口上を口にする。

 

「ははっ、常連どころか俺は10歳の時からもう35回、試験を受けてるいわば、試験のベテランさ!」

「自慢することじゃないだろソレ」

「もう諦めろよ、おっさん」

 

 今度は二人同時に、呆れを超えて憐れむような目で見られて言われた。

 絶対にこのよく似たクソガキ兄弟に、超強力下剤入りジュースを飲ませるとトンパが誓ったのは言うまでもない。

 

「いや、ここまでくるともはや趣味みたいなもんだね。

 ところで、君たちはルーキーだろ? じゃあ、これは先輩からの餞別だ」

 

 やや強引だが、トンパはさっそくジュースを取り出して二人に差し出す。

 銀髪の方は、「お、ラッキー。さっき肉食って喉が渇いてたんだよ!」と言い出しながら無邪気に手を伸ばす。

 その手を制したのは、白髪の方だった。

 

 弟の方がしっかりしているタイプの兄弟かとトンパは思っていたが、一応どちらも年相応なところもあったか程度にトンパはその行動を捉えていた。

 ソラの眼が黒に近い藍色から、色味は暗いがはっきりとした青系統の色に、サファイアブルーに変化したことには気づかなかった。

 

「いらない」

「ん? 嫌いなジュースだったか? 他の味もあるぞ」

 

 心の中で「失敗か」と舌を打ちながら、しれっと相変わらず人の好い笑顔を浮かべて尋ねる。

 罠だとは思っておらず、一応警戒しているだけならまだ「お人好しのおっさん」を演じていれば彼らを潰すチャンスは十分あり、もしかしたら本当にただこのジュースが嫌いなだけの可能性もあったので、白髪が言外に表した「自分たちに関わるな」という言葉に気付かないフリをする。

 

「いや。食べ物の好き嫌いはないよ。でも、これはいらない」

 しかしそんな演技は、青い瞳に剥ぎ取られる。

 白髪ははっきりとそう答えながら、トンパが差し出すジュースの缶に人さし指を突き刺した。

 そしてそのまま、真っすぐではなく不規則に缶をなぞると、その指がなぞった通りに缶がすっぱりと滑らかすぎる切り口を見せて床に転がり、ジュースが零れ落ちる。

 トンパと毎年恒例の悪趣味なショーを観賞していた常連たちが、それを顎が外れそうなほど大口を開けて絶句するのを、白髪は青から藍色に戻った眼で見渡して笑った。

 

「缶に細工されてる飲み物なんて、怖くて飲めないな」

 

 男なのか女なのか、子供なのか大人なのかよくわからない白髪が、面白がっているのか嘲っているのか憐れんでいるのかもわからない笑みを浮かべていた。

 しかしトンパは、白髪が何を思って笑っているのかはわからなくとも、たとえ35回のハンター試験の経験がなくとも、それだけは理解できた。

 

 こいつは去年、合格確実だったあの奇術師と同じく、関わってはいけない人間であると本能が警鐘を鳴らす。

 

「……あ……あぁ……」

 もう誤魔化す気もなく、ただトンパは後ろに後ずさる。

 幸いながら相手は奇術師とは違って戦闘狂ではないらしく、逃げるのなら即座に興味をなくしたようにそっぽ向いた。

 

 そのことに安堵の息をついたタイミングで、腕を掴まれた。

「ぎゃあ!」

「こんぐらいで悲鳴あげんなよ。情けないおっさんだな」

 

 いつの間にか、白髪の傍らにいたはずの銀髪が、トンパの横に並んで猫のような笑みを浮かべている。

「? キルア、どうした?」

 白髪もいつの間にか移動していた弟に呼びかけるが、少年は無視して笑顔のまま、トンパの腕を掴んだまま空いている方の手を差し出す。

 

「喉、乾いてるんだ。まだあるんだろ? 俺にくれよ」

 手を差し出し、上目遣いでトンパを挑発するように見ながら少年は言葉を続ける。

 

「俺は、細工してようが別に平気だからさ。毒は効かない。だから、くれよ」

 

 関わってはいけないのは、舐めてはいけないのは白髪だけではなく自分もだと、その眼と少しでも動かせば服越しでも腕の動脈を掻っ切れそうな爪が語っていた。

 

「……あ、あぁ」

 トンパは言われるがままにジュースを差し出して、新顔の二人から逃げ出した。

 逃げながらも、長年の経験が彼に語る。

 今年のハンター試験は、波乱の年であることを。

 

 * * *

 

「余計なことすんなよ」

 トンパからもらったジュースをぐびぐびと普通に飲みながら、キルアがソラを睨み付ける。

 自分を庇って手の内をわずかとはいえ早速見せて撃退したのが、背伸びしたいお年頃なキルアからしたらまたしても苛立ちの種だったらしいが、ソラの方はしれっと答える。

 

「いや、しらんよ。ゾルディック家の毒耐性なんて。っていうか、細工してあんのわかってて、私だけ断って君に飲ませたら私最低じゃん」

 基本的に空気を読まないボケばかりしているくせに、こういう時は反論のしようがない正論を吐くのがまた気に入らず、キルアは鼻を鳴らしてまたジュースを呷る。

 

「っていうか、どんだけチートなんだよその眼は。物に細工してあるのかどうかもわかんのかよ」

「いや。経験上、その可能性が高いなーって思っただけ。やっぱ後から手を加えたものとか仕掛けのあるものは、何も手を加えてないものより脆いと言うか寿命が短いのか、線が多いんだよね。あと、別物を継ぎ足してたりすると、そこで線が途切れてたりするし」

 

 キルアが若干拗ねながら、八つ当たり気味にソラの眼について文句をつけ、相変わらず八つ当たりされてもソラは気にせず笑って解説する。

 傍から聞くとキルアの問いに対してあまり嚙み合っていない答えだが、キルアの方は拗ねて唇を尖らせていたのが一転して、やや引いた様子で「へぇ」とだけ答えていた。

 

 ソラから眼の事を聞いたのは、エレベーターの中。

 バスから降りてもソラが自分の義姉、もしくは義妹、または嫁候補と知って何と表現したらいいかわからない、とりあえず最悪であることだけは間違いない気分になっているキルアを何とかしようとして上げた話題がこれだった。

 

 キルアの関心をソラが嫁候補からそらせたという意味では成功だが、結果としては別の方向でキルアを最悪の気分にまた陥らせたことをソラは気付いているのかいないのか。

 横目でキルアがソラを見ると、視線に気づいた彼女はきょとんとした顔で小首を傾げていた。

 

 全く何も気にしていない顔が無性にムカついて、もう一度ジュースを呷って中身を飲み干す。

 気に入らなくて仕方がなかった。

 他の家族には気に入られているとはいえ、自分の命をガチで狙ってくる男の弟である自分に、自分の切り札をホイホイ話す無防備さも、そのことを指摘しても「君がいつまでも凹んでるよりマシだよ」と言ってのける甘さも、甘やかしも。

 

 何より、その周りの人間も物も常に壊れかけであることを思い知らされるツギハギの視界で、普通に歩いて笑って生きている壊れた精神性が、気に入らなくて仕方がなかった。

 隣に立って歩いて会話をしているというのに、ソラが酷く遠く感じて仕方がなかったから、気に入らなくてムカついて、苛立ちのままに空になった缶を後ろに放り投げた。

 

「コラ、キルア。ポイ捨てすんな」

 非常識の塊のような女のくせに、地面に落ちる前に缶をキャッチしてごく普通の人間のように、姉のようにキルアを叱りつけるのが、またそれがキルアからしたら気に入らず、今度は反論の余地があったので言い返す。

 

「ゴミ箱ねーじゃん」

「あのおっさんがいるだろ」

「どのおっさんのこと言ってるんだよ!? ジュースくれたおっさんのことか!?

 お前、すげぇ酷いこと言うな!!」

 

 まさかのトンパをゴミ箱扱いに思わず拗ねていたのを忘れて突っ込み、キルアの突っ込みをスルーして本当にトンパをソラは探し始めた。

「本気であのおっさんにゴミを押し付ける気かよ……」と呆れつつも、別にそのこと自体に文句はなかったのと、ちょっとゴミを押し付けられた時のトンパの反応は面白そうだなと子供らしい悪戯心に火がついて、自分もキョロキョロと見渡して探す。

 

 途端、背筋に悪寒が全力疾走して思わずキルアはソラをその場に残して飛びのき、一気に彼女から5メートル近く距離を取った。

 周囲の人間はキルアの唐突な動きに驚いて彼に注目するが、一番近くにいたソラはキルアに見向きもしなかった。

 

 ソラは振り向きもせず左手に持っていた缶をそのまま背中にやり、自分の背後から跳んできた何かを受け止めた。そうやって受け止めている間に、自分の武器である宝石が詰まったウエストポーチを開けて、いくつかの宝石を握って彼女は何かが飛んできた方向、ねっとりとしか表現しようがない殺気を先ほどから飛ばしてくる方向に向き直る。

 

 ソラが振り返って向き直っても攻撃をやめて逃げる気は相手にないらしく、先ほど以上の数と勢いで飛来してくる何かを、ソラはオーラで覆った手足で弾き続ける。

 ソラを狙って跳んできたものが彼女に弾かれることで周りがとばっちりを受けて負傷するが、顔見知りならともかく赤の他人、それも一般人ではなくハンター志望者に気に掛ける余裕は、今のソラにはない。

 今現在、彼女を動かすのは、前面に出ているのは「死にたくない」という狂気(ねがい)

 

 いきなりの攻防に周囲の人間がパニックを起こして逃げ惑う。逃げる者のほとんどが、ソラのとばっちりを喰らいたくないから、状況はわからないがとりあえず危険だけは察知したからに過ぎないが、ソラに襲い掛かる武器を見て、相手が誰であるかを察したから逃げる人間も少なくない。

 

 キルアは、動けなかった。

 ソラを置いて逃げて、安全圏と思える距離からただ見ていた。

 粘つくような歓喜や狂喜雑じりの殺気に足がすくみ、長兄の「勝ち目がない敵とは戦うな」という呪縛(こえ)が頭に響く。

 

 ただ、見るしか出来なかった。

 ソラが人体も壁もスチール缶も、易々と突き刺さるトランプの投擲を受け続けるのをただ彼は見ていた。

 

「何なに!? 何なのこの状況!?

 まだ試験始まってないよね!? 私だけ今から試験!? 私だけ試験の難易度違いませんかこれーっ!!」

 しかし本人が本気で焦っているのはわかるが、妙に緊張感がないことを言い出しているので、見捨てた罪悪感は皆無だった。むしろ、「真面目にやれよ」と思って普通に観戦してしまった。

 

 実際のところ相手も様子見でしかなかったのか、あらかたカードを投げつける以上の攻撃は加えてこなかった。

 それでも投げつけられたトランプは、ワンセットで50枚以上。それを避けて弾いて防ぎ切ったソラは、ゼイゼイと息をしながら相手を睨み付けた。

 

「……いきなり何の嫌がらせだよ。っていうか、誰だ」

「うん、ごめんね♦ 初めはちょっと様子見のつもりだったけど、あまりにいい反応するから楽しくなっちゃって♥」

「うわっ! 気持ち悪っ!! 何だお前、爆砕しやがれ!!」

「お前凄いな!!」

 

 拍手をしながら44番の番号札をつけ、ピエロのようなメイクと衣装の男がソラの前に出てきた瞬間、ソラは何の遠慮もなく率直な感想と要望を言い放ち、キルアは素でちょっと尊敬した。見習う気はもちろんないが。

 周囲の受験者、特に去年この44番ことヒソカが何をしたかを知っている者は、ソラの無知ゆえの蛮勇にキルアと同じ敬意を抱きつつも盛大に引く。

 彼らはソラの首がヒソカのカードによって切り落とされるのが、その蛮勇の代償だと予想していたが、むしろ言われた張本人は「酷いなぁ♠」と言いつつも、ひどく楽しげに喉を鳴らして笑っていた。

 

「ボクはヒソカ♣ よろしく♥ 君たちは兄弟かい? よく似てるね♦」

「ハイハイ、そりゃどーも。おーい、少年。行くよ」

 

 ただでさえ細い目を細めてヒソカはソラに名乗って握手を求めるが、ソラは心底うざそうな顔をして適当極まりない相槌を打ちながら、キルアを名前ではなく名前を知らなかった頃のように「少年」と呼んで、奴から離れようとする。

 そのことを疑問に思うほどキルアは愚かでも鈍くもないので、彼も珍しく素直に黙ってソラについていく。

 

 言動といい、今もなおこちらに向けて飛ばしてくるねっちょりとした殺気が、この男の危険度をわかりやすく告げている。

 そんな男に顔を知られただけでも嫌なのに、名前まで知られるのは御免こうむるのはソラもキルアも共通していた。

 

「つれないなぁ♠ 名前さえも教えてくれないのかい?」

「名前は名無しの権兵衛です。いいからついてこないでくれませんかね! って言うか、さっきから尻見てないかお前!?」

 

 しかしヒソカの方はその程度で諦めるつもりはないらしく、ソラとキルアの後をついて回って話しかける。

 そのしつこさと、実際に尻に視線を感じていたらしく、ソラはキレてヒソカに向き直って文句をつけた。キルアと自分の尻をガードしながら。

 

「ごめんごめん♦ あまりに美味しそうだから、つい♥」

 しかしまったく悪びれもせずに舌なめずりで言われたセリフに、ソラは「ぴょっ!」とヒヨコのような変な悲鳴を上げて全身にでた鳥肌が治まるように体を撫でさする。

 キルアもキルアで変態の見本市のような男に盛大に引きつつも、自分に逆セクハラをしてきた、貞操観念や羞恥心が壊れ気味な女にまともな反応をさせたヒソカに、したくもない尊敬をしてしまった。

 

「もう何なんだよ、お前は! マジでどっか行けよ! 泣くぞ!!」

 もうすでに半泣きになりながら、まったく脅しになっていない脅し文句をソラは叫ぶが、もちろんそんな叫びはこの変態からしたら喜ばしい反応でしかなく、実に楽しそうにヒソカは眼を細める。

 

「うーん♦ キミの泣き顔はすごく見たいし、むしろ啼かせたいくらいだけど、これ以上嫌われて避けられたらもったいないから、とりあえず退散するよ♣」

「もうその発言で、これからも全力で避けるわ!!」

 

 幸いながら相手は楽しみは後にとっておくタイプらしく、今すぐにどうこうしようとする気はなく、ソラからしたらまったく嬉しくないことを告げながら、背を向けて歩き出す。

 遠ざかっていくピエロの後ろ姿を見送りたくないが警戒心から二人は見送り、3メートルは離れたところで一緒になってホッとした。

 

「……何だ、あの変態。おい、ソラ。お前はどんだけ、トラブルと変態ホイホイなんだよ?」

「あれに目をつけられたのは、私の所為じゃないだろ!?」

 とりあえず、ソラは別に悪くないことを理解しつつも八つ当たりと冗談を半々にキルアが文句をつけると、ソラはまだ涙目のままキルアの前に出て反論する。

 未だに自分の体を抱きしめるようにして腕をさすっていることからして、本気でヒソカが気持ち悪くて仕方がないらしい。

 

 キルアが知る限りソラは割といつも余裕を持ってふざけているので、その反応が新鮮で面白かった為、さらにからかおうとした時。

 

「その前に、一つ訊かせて♥」

 

 全く近くない、そして大きくもない声だが、ヒソカに関わった事でソラとキルアも他の受験生から引かれて近くに人がいなかった所為か、妙にはっきりと聞こえた。

 その直後、ソラが引き寄せられた。

 

「!」

「!? ソラ!」

 

 磁石で引き寄せられる、もしくは見えない糸か何かで引っ張られるように、ソラは後ろに吹っ飛んで離れたはずのヒソカの腕の中に納まる。

 ソラは何も言わなかった。

 ただ、つい先ほどまで涙目だった瞳はすでに乾ききって、ひたすら嫌そうな顔でヒソカを見上げて睨み付ける。

 

 そんな反応さえも嬉しそうに目も口角も釣り上げて笑いながら、恋人のように抱き寄せたソラの顎を長い指でヒソカは掴んで顔を上げさせるのを、キルアはまた動けず、近づけずにただ見るしか出来なかった。

 やめろとも、離せとも、言えなかった。

 

 ヒソカは細めた瞳に不愉快そうなソラを映して、尋ねる。

「君の眼、色が変わらなかった?」

 

 ソラは答えない。

 何も答えないまま、自分の腰に回したヒソカの手の甲に指を這わす。

 不規則に、線を描くように指を這わした。

 

「気のせいだろ?」

 ソラはそう言って、自分の顎を掴むヒソカの手を引き離す。

 ヒソカも腰に回していた手を離して、ただ実に楽しそうな笑顔で「……そう♦ 気のせいかぁ♣」と言った。

 

 近くはもちろん遠目でも、青だとはっきりわかる色をしたソラの眼にねっとりとした視線を向けながら。

 それでも、ソラはいけしゃあしゃあと言い張った。

 

「そうだ。気のせいだ。だから、二度とやるなこのペドピエロ」

 

 * * *

 

 相変わらず反省や誠意が見えない、むしろムカつく「ごめんね♥」という謝罪をしてからヒソカは、上機嫌でその場から離れた。

 去年はつまらなすぎて試験官にも手を出したのに、その試験官すら手ごたえがなさ過ぎて殺す気も起きなかったので、今年は去年よりマシだと良いな程度の期待が早速裏切られたことが嬉しくて仕方がないらしい。

 

 ヒソカが当初、性別不詳の白髪……ソラを見かけた時は、念能力者なので少し注目した程度。

“纏”は出来ているが、何故か纏うオーラの量が不安定で胴部にオーラが妙に少なく、無自覚の内に精孔が開いて独学で不安定な“纏”をマスターしてしまったのかと思った。

 ただオーラ量自体は多かったので、点数をつけるなら低くて70点、高くても85くらい。「玩具」としては合格点だが、どちらかというと弟らしき銀髪の少年、キルアの方にヒソカは心惹かれていた。

 

 まだ“念”に目覚めていないが、いないからこそ無限の可能性を秘めるまさしく青い果実をさっそく発見したことでテンションが上がって、ついでにソラの正確な点数を採点しておこう、死んだら弟の恨みを買って熟した時に良い戦いが出来そうくらいに軽く考え、トランプを投げつけた。

 

 初めに持っていたジュースの缶で受け止められたのは、まだ予想の範疇だった。

 しかし、瞬時にオーラを“纏”から手足にオーラをさらに高めて集中させる“凝”を行い、そのまま自分の投げつけるトランプを捌く様を見て。ヒソカのソラに対する評価は一転した。

 

 独学で妙な癖を身につけてしまったのかと思ったが、どうもオーラを手足に集中させるのは彼女の戦闘スタイルらしく、まだ粗削りは否めないが十分に実戦慣れした実力に、ただでさえ高かったテンションがさらに上がってしまった。

 

 何より素晴らしさのあまり興奮したのが、彼女は“周”をして投擲しただけのトランプはオーラを纏った手足で弾いていたが、「バンジーガム」でヒソカの手や他のトランプなどと繋がっていたものは、避けるか近くにいた受験者から奪った荷物や武器を使って弾き、絶対に自分で直接触れはしなかったこと。

 

 初見かつ不意打ちで、ヒソカの能力に対して満点の答えを実演して見せたソラに、「イイ♥」と興奮してそのままトランプを1セット使い切ってしまった。

 ヒソカのズボンがニッカポッカに近いゆったりした物であったのが、ソラはもちろん周囲にとって幸運なことだろう。その理由は、知らない方が世界は平和である。

 

 もう彼女を見つけた時点で、ヒソカにとっては今年のハンター試験での目的は達成されたようなもので、ヒソカは鼻唄を唄いながら機嫌よく歩く。

 完全にモーゼの十戒状態で悠々と歩いていたら、なんとヒソカに声を掛ける酔狂な人物が現れた。

 

「ヒソカ。余計なことをしてくれたね。あれに目をつけたのなら、今すぐに殺してよ」

 

 パンクとかロックとかそういうレベルではなく、むしろ何故生きているのかが不思議なくらい、体はもちろん顔面や頭部に釘に近い太さの針を刺したモヒカンの男がヒソカに話しかけ、周囲の受験者たちがさらに全力で引いた。

 ヒソカは針男を見て一瞬だけきょとんとしてから、「何だ、イルミか♥ キミも受験かい?」と相変わらず機嫌良さそうに笑う。

 

「そうだよ。っていうか、本名で呼ぶのやめてくんない? 変装の意味ないじゃん。呼ぶなら、ギタラクルで登録してるからそれで呼んで。

 あと、さっきちょっかいかけてた銀髪の子供、あれ、俺の弟だから手を出したら殺すよ」

 

 まだ付き合いは短いが、上手い事ギブ&テイクの関係を築いているゾルディック家の長男、イルミは大抵の人間が引くか嫌そうな顔をするヒソカの粘着質な殺気を浴びせられても完璧にスルーして、淡々と自分の要求だけを棒読みで伝える。

 しかし、まだ大した付き合いはないとはいえ、相手の心理を読み取って揺さぶり、自分の都合のいいように動かす心理戦も得意なヒソカは見抜く。

 ロボットの方が人間味があるように思えるほど、無感情無感動なイルミが苛立っていることに気付き、ついでに彼のセリフの中で気になる部分があったので、そこをまずは尋ねる。

 

「銀髪の子? 一緒にいた白髪の子は違うのかい? よく似てるから、兄弟だと思っていたよ♣」

「違う。ありえない。っていうか、似てない。あれが、あの女がキルに似てる訳ないだろ」

 

 今度はヒソカでなくとも気付けるぐらいに、乱暴に突き放した口調で言われた挙句に殺気をぶつけられ、もうヒソカとイルミの周りは完全に誰もいない。

 殺気をぶつけられている当の本人は、その珍しすぎる反応に「今日は本当に良い日♥」と悦に入りながら、飄々と会話を続けた。

 

「あ、女の子だったんだ♦ けど、何がそんなに気に入らないんだい? 事情はよくわからないけど、あの子はキミの弟を庇っていたよ♣ 良い子じゃないか♥」

 ヒソカの言う通り、兄弟だと思っていたので特に疑問に思わなかったが、赤の他人だったのならお人好しとしか言いようがないくらいに、ソラはヒソカからキルアを庇っていた。

 

 初めのトランプ投擲ではキルアの近くに逃げないで、トランプを弾いて飛ばさないように努力していたし、ヒソカが立ち去ったと見せかけてバンジーガムを張りつけようとした時、彼女はわずかに視線をこちらにやってキルアをヒソカから完全に隠すように彼の前に立っていた。

 襲撃された際は、絶対に触れないように警戒していたバンジーガムを、キルアの為に自分を盾にして立ちふさがっていた。

 

 ヒソカのその言葉に、イルミの顔が不愉快そうに歪むというとてつもなく珍しいものを見た。出来れば素顔で見たかったなぁと思うヒソカをよそにイルミは一言、「……偽善者」とだけ呟く。

 

「……嫌いだからだよ。あの女の事が、大っ嫌いだからだよ!」

「いやその理由を訊きたいんだけどね♠」

 

 ほんの少しだけ困ったように言いつつも、イルミはそれ以上語るのも嫌と言わんばかりのオーラを立ち上がらせるので、ヒソカは彼女と何があったのかを聞き出すのを諦める。

 代わりに、「ところで、余計なことって?」と初めにイルミが言い出したことを、わざとらしく小首を傾げて尋ねてみた。

 

「お前がちょっかい出した所為で、あの女が完全警戒に入った事だよ。最悪。あれじゃもう、殺気を消そうが、“絶”をしようが不意打ちなんか成立しない。

 ……くそっ! 本当に何なんだ、あいつは。変装は即座に見破るわ、“円”はほとんどできないくせに“絶”を見破るわ、完全に死角から攻撃しても避けきるわ。あの眼だけでも厄介だって言うのに、予知能力も持ってんの?

 まぁ、ヒソカのおかげで俺の殺気が紛れて向こうが俺に気付いていないのは、不幸中の幸いだけどさ」

 

 ヒソカの問いに答えながら、イルミは徐々にただの愚痴を語りだすが、その愚痴の内容のすさまじさに、ヒソカは思わず目を見開く。

 誰が相手でも十分にすさまじいことをやらかしているとわかる内容だが、相手がイルミだという事でソラがやらかしたことはもはや、すさまじいを通り越してありえない。

 生まれた時から生粋の暗殺者に「不意打ちが通用しない」という最大級の賛辞は、ヒソカの想像の範疇を超えて驚かせ、その直後に歓喜の笑みを浮かべる。

 

「……へぇ♣ 現役かつエリート暗殺者のキミから逃げきれるくらいなんだ、彼女♥」

 

 ますます、今年の試験を楽しみになって喜びで体を震わせるヒソカを、さすがのイルミもやや引いた様子で告げる。

「……ヒソカが気に入って殺してくれるんならいいけど、俺やキルの前であの女の逃げ場を塞がないでよ」

「おや? どうしてだい?」

 

 イルミの要望に、ヒソカはこの上なく楽しそうに笑いながら尋ねる。

 その笑顔を無表情でありながら実に気持ち悪がっていることがよくわかる、器用極まりない表情でイルミは眺めながら少し考える。

 

「……あの女、基本的に自分の生存を第一に優先してるから、こっちが攻撃を仕掛けても向こうの行動は逃亡一辺倒。だけど、逃げ場を失って『殺らなきゃ殺られる』モードに入ったら、手段を選ばなくなる。巻き添えは、ごめんだ」

 

 教えたら絶対にヒソカは、全力でソラを追い詰めると思っていたので言おうかどうか悩んだが、ヒソカの性格上、不愉快なことだが確実に自分と弟は玩具認定しているので、巻き添えでせっかくの玩具が減る事態は逆に避けるだろうと考えて、正直に答えておいた。

 イルミの予想通り、戦闘狂のヒソカは彼女の本気を引き出す方法を告げられると、さらに笑みを深めて狂喜なのか殺気なのか欲情なのかもうよくわからないオーラを湧き上がらせる。

 そのオーラの予想以上の気持ち悪さにイルミは少しだけ後悔しながら、自分の腕にうっすら浮かんだ鳥肌をさすった。

 

 さすりながら、イルミは不快さのあまり唇を強く噛みしめる。

 これだけ気持ち悪いものを前にしても、あの日、3回目の出会い、自分の家で鉢合わせして思わず追い回して、そして追い詰めた日に見た彼女の、ソラ=シキオリの眼が忘れられないことが不愉快で仕方がなかった。

 

 逃げ場をなくして、ようやくあの何もかもが気に入らない、暗殺者としてではなくイルミ=ゾルディック個人の意思で殺してやりたいと思った女を殺せると思った時、彼女は呟いた。

「死にたくない」、と。

 

 もちろんそんな命乞いが通用するのなら、イルミはそもそもソラを追い回していない。

 そんなこと、イルミ以上に言った本人がわかっていた。

 だからあれは、命乞いではない。

 

 あれは、奇妙なバランスを保つ狂気が一辺に偏って崩れる直前の、警告。

 その警告を聞き入れなかった者に、ソラは向き合って言った。

 

「――なら、殺すしかないよね?」

 

 スカイブルーからさらに明度が上がり、遥か彼方の天上を意味する青空の美称、セレストブルーの眼にイルミを映して、この世のものとは思えない程美しく笑ったあの瞬間が、忘れられない。

 常に身近で隣り合っていると思っていた「死」に対する恐怖を生まれて初めて感じ、全身に鳥肌が総立ちしたあの感覚を忘れられず、ただでさえ募っていた殺意がさらに積み重なる。

 

 出来れば今すぐに、あの女に向かってありったけの針を投擲したいし、針人形を使って襲わせたいが、今現在の警戒モードでなくとも通用するわけがない、通用するなら既に1万回は殺せているので、イルミはいつしかさすっていた自分の腕に爪を立てて、殺意を押さえつける。

 

 もしもソラが一人で試験に来ていたのなら、不本意ながら3度の一方的な殺し合いである程度把握している彼女の性格上、攻撃を仕掛けて天敵認定されているイルミ(自分)がいるとわかれば、試験を諦めて逃げる可能性が高い。

 殺せないのは悔しいが近くに存在しているよりははるかにマシなので、間違いなくヒソカに話しかける前にイルミは実行していただろうが、何故かよりにもよってソラは家出したはずの弟とまるで姉弟のように一緒にいる。

 

 キルアにはイルミの針が埋め込んであるので、ある程度ならどこにいるのかなどは把握できるのだが、それでも限度があるので出来ればこの試験が終わると同時に連れて帰りたいし、仕事でライセンスが必要なので試験もちゃんと受けて合格したいから、キルアに自分の正体がばれる訳にはいかない。

 イルミの針による変装はともかく、イルミの武器が針であることは普通にキルアは知っているため、イルミはソラに近づくことも武器を投げつけることも出来ない現状に舌を打つ。

 

 そんな人間味あふれるイルミをヒソカは楽しげに眺めながら、まだ始まらないハンター試験に期待を思い馳せる。

 今年は、去年とは比べものにならないくらいに難易度が高く、自分を昂らせる試験になることが決定している事で、ヒソカは恍惚と天を仰ぐ。

 

 ……どこが天を仰いだのかは、言わない方がいいだろう。




逃げる方にとって難易度ルナティックハードは当たり前だけど、逃げきれている時点で殺す側も難易度ルナティックハードだよなぁ、というお話。


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15:「一緒に行こう」

「あああぁぁぁーっ!! 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いキモすぎる!!

 もう今すぐにシャワー浴びたい、このツナギを脱ぎ捨てたい!! どうせ下は見せブラとショーパンだから脱いでやろうか!!」

「うるさい。つーかやめろ、痴女。それやったら、あの変態と同類だろうが」

 

 ヒソカとのまさしく「犬に噛まれた」と思うしかない出来事の後からずっと同じことを言って騒ぐソラに、ついにキルアはキレてひざ裏を蹴りつける。

 これでもあのピエロに抱き寄せられたことを気持ち悪がるのは大いにわかるし同情していたので、キルアにしては我慢して聞いてやっていたし慰めてやっていたつもりだが、本当にツナギを脱ごうとしだしたことで我慢はやめる。

 

 幸い、「あの変態と同類」というキルアの言葉が効果的だったらしく、下したジッパーをソラは再び勢いよく上げて肌を完全に隠す。

 女らしい羞恥心など皆無だと思っていたが、さすがに変態に対しての嫌悪感や危機感は人並みにあるらしい。

 もしくは、女としての羞恥心も危機感も皆無な彼女にそれらを感じさせるほど、ヒソカが気持ち悪いだけなのかもしれないが、その可能性は誰も喜ばないのでキルアは考えないようにする。

 

「うぅ~、どうしよう。もう試験始まる前から帰りたい気持ちMAXなんだけど。キルアがいなきゃ、間違くなく帰ってるレベル」

 自分の体を抱きしめるように未だ消えない鳥肌をさすりながら、まだヒソカに対しての嫌悪感をひたすら愚痴るソラを、キルアは横目でにらみつける。

 聞き捨てならない言葉があったので、自然とキルアの声は刺々しかった。

 

「……何で俺がいたら帰らないんだよ?」

「え? だってあの変態、私だけじゃなくて確実にキルアにも目をつけてたよ」

 

 キルアの刺々しい問いに、ソラは少し首を傾げながら即答する。

 そのことは、ソラに言われるまでもなくわかっている。ヒソカはソラに対して粘着質な殺気と視線をずっと向けていたが、その殺気や視線はキルアにも向けられていたことくらい気付いている。

 だからこそチラチラ向けられる程度でも悪寒が常に背筋を走るぐらいだった殺気を、全力でぶつけられるソラに心底同情していた。

 

 けれど今は、その同情心が掻き消えて理不尽な苛立ちばかりが胸の中を渦巻く。

 

「……だから、それがどうしたっていうんだよ?」

 今度の問いには、即答しなかった。ただ、言っている意味がわからないと言いたげな顔をして、ソラは先ほどより大きく首を傾げてキルアを見る。

 

「……あの変態に目をつけられたのが嫌なら、もう関わりたくないなら、逃げたいのなら今すぐ逃げたらいいだろ。俺のことなんかほっといて。

 何で、俺も狙われてるからお前が逃げ出さない理由になるんだよ? ……何で、俺なんかを守るんだよ?」

 

 自分の言っていることが、どれだけ理不尽かはキルアはちゃんとわかっている。

 ここで自分がソラに伝えるべき言葉は、ヒソカから一方的な攻撃を受けていた時、まったく手助けも何もせず真っ先に一人で逃げたことに対する謝罪と、そんな自分を守って今も一言も責めないことに対する礼であることは、わかっている。

 

 ヒソカの攻撃から逃げ出さず、その場でトランプをすべて捌ききったのは、ソラがいなくなれば奴の攻撃の矛先はキルアに向かった可能性が高かったから、だから彼女は逃げなかったことくらい、キルアは気づいていた。

 まだ出逢って間もない自分を、そうやって守ってくれるくらいに近くに置いてくれることが嬉しくて、だからこそ彼女を置いて我先に逃げ出した自分が、ヒソカの元に引き寄せられた時、奴に近づくことはおろか、「ソラを離せ!」とも言えなかった自分が情けなくて嫌で仕方なく、そしてその感情を素直に表すことも出来ずキルアは、さらに自己嫌悪するとわかっていても、ソラに対して八つ当たりで問う。

 

 その問いに、ソラはまだきょとんとした顔のまま彼に尋ね返す。

「キルアは、逃げたことを気にしてるの?」

 

 あっさりと自分の意地を見破って、本音を暴き立てる女をキルアはやや赤くなった顔で睨み付けるが、何も言えなかった。

 肯定できる素直さがないから、こんな八つ当たりをしている。だからといって、否定だってできなかった。

「お前なんか見捨てても何とも思わない程度の存在だ」と言ってるも同然な否定は、例えその場限りの照れ隠しでも口にはできなかった。

 それ以上に何も言えなかったわけは、キルアが何かを言い出す前にソラが、やや面倒くさそうな顔で言い放ったのが一番だが。

 

「気にしなくていいよ。っていうか『何すんだ、やめろー!』とか言って、むしろ突っ込んでこられた方がぶっちゃけ迷惑だからやめて欲しい」

「どういう意味だ、俺が弱いってことかそれは!?」

 

 まさかの「助けたかった」という気持ちを、面倒くさそうに否定されて、思わずキルアはマジギレして怒鳴りつける。

 そしてソラはキルアにマジギレされても、ものすごく素の顔で「うん」と頷いた。

 

「君は確実に私より強くなるよ。でも、今は私より弱い。っていうか、いくら男と女でもこの年の差で私が負けたら、私の立場ないわ。

 正直言って私が苦戦する相手にキルアが加勢に入ってくれたら、気持ちは嬉しいけど手間が増えるだけだからね。だから、危なくなったらさっきみたいに真っ先に逃げてくれるのが一番いいよ」

 

 腹が立つくらいの正論に、キルアは先ほどとは別の意味で何も言えなくなって、黙ってソラを睨み付ける。

 実際、キルアは自分とソラの実力差を測り間違えるほど愚かでもない。

「直死の魔眼」というチートな異能がなくても、自分はまだまだソラには敵わないことなどわかりきっており、そんな彼女が苦戦する相手に自分が突っ込んで行っても、瞬殺されたら面倒が一番少なくていい方であることくらいわかっている。

 

 それでも、自分をはっきりと「弱い」と言い切られたことに腹を立てるが、今度は八つ当たりすら起こせなくて、キルアは睨むのもやめてそっぽ向き、適当な方向にソラを置いて歩き出す。

 腹が立っているのに、「弱い」と言い切られてムカついているのに、怒っているのに、それなのにどうしようもなく「君は確実に私より強くなる」という断言や、「気持ちは嬉しい」という社交辞令の常套句を嬉しく思っている自分自身に、心の中で「バカじゃねぇの?」と悪態をつきながら、完全な照れ隠しでどっかに行こうとするキルアをソラは慌てて追いかける。

 

「キルア、私さ肉まんが好きなんだ」

「はぁ?」

 追いかけられて追いついて、いきなり脈絡がなさすぎる発言にキルアが振り返れば、相変わらず彼女は名前にふさわしい晴れ晴れとした笑顔で言葉を続ける。

 

「私の手助けをしようとせずに逃げてもらった方がいいのはわかってるけど、やっぱり一瞬の躊躇もなく置いて逃げられたのはムカついたから、試験終わったら肉まんおごれ。

 っていうか、私を見捨てて逃げるたびに肉まん1個ね」

「はぁ!? 何だよそれ!!」

 

 別に肉まんの1個や2個くらいおごるのは構わないが、勝手に決めつけられた代償に文句をつけると、ソラは飄々と「私の食い意地舐めんなよー。おごってもらうまで、背後霊みたいについて回るからな」と、大人げ皆無なことを言い出す。

 相手が大人げを放り捨てるので、こちらが意地を張っても意味がないとキルアは悟り、「子供におごらせんな、ダメ人間」と辛辣な言葉を吐きだす。

 

 キルアは気づかなかった。

 ソラの食い意地の張った提案で、まったくソラが自分を責めないからこそ積み重なる見捨てた罪悪感も、自分が見捨てたせいでソラが失われるとくすぶっていた不安が消えたことに気付かない。

 

 彼女に大人げは皆無だが、自分よりソラはずっと大人であることに気付かない。

 

 * * *

 

 そのままソラとキルアは何故か、コンビニの肉まんの話で盛り上がり、ソラがスライムまんのレンジでチンした時のグロさについて語りキルアが爆笑していると、地下に反響して響き渡るベルの音がその他愛ない時間に終わりを告げる。

 

 耳をつんざくベルに二人は同時に顔をしかめ、音のした方に目を向けると、壁に走る太いパイプの上にキルアの家の執事を連想させる礼服じみた黒スーツに、くるんと巻いた髭が特徴的な紳士がそこに立っていた。

 紳士は一通り受験生が自分の方に注目したのを確認してから、顔の形をした玩具じみたベルを止める。

 

「ただ今をもって、受付時間を終了いたします。

 では、これよりハンター試験を開始いたします」

 

 厳かに告げられた、開始の言葉。

 男は音もなくパイプから地面に降り立ち、受験生たちについてくるように指示を出す。

 受験生をゾロゾロと引き連れながら彼は、ハンター試験の厳しさ、死亡も珍しくはないというリスクを教え、それでもいいのなら、そのリスクを理解して背負う覚悟がある者だけついてくるように告げるが、もちろん現在この地下通路に存在する受験者は誰も帰らない。

 

 男は390人ちょっとの全員が、試験を受ける覚悟を持っているのを確認して歩を進める。

 人数を聞いて、ソラとキルアは「倍率の割に受験生は結構多いな」と話していたが、実は試験会場までたどり着いた人数は405人であり、10人ちょっとの人間は試験前のヒソカとソラのいざこざに巻き込まれて怪我をしたか怖気ついたかで、受付時間終了前に試験から逃げ出したことを当の本人は全く気付いていなかった。

 

「どんな試験だろうな?」

「……ペーパーテストとかだけは勘弁してほしいな」

「うわ、それ凄い同感」

 

 そのまま第一次の試験会場まで案内されると思い、ソラとキルアは緊張感が全くないくせに地味に切実なことを話ながら進む。

 が、5分もしないうちに周りの様子の変化に気付く。

 最初の方は徐々に速足になっていく程度だったが、いつしか速足は競歩に、競歩が小走りに、そして前の方の集団がついにマラソンくらいの速度で走り出して、後に続く者たちもついていくために走り出す。

 

 いつしか全員が走り出したタイミングで、男は一次試験の担当官であることを名乗り、自分が二次試験会場まで案内すると言い出して、先頭の誰かが「二次?」と不思議そうな声をあげて一次試験はどうした? と尋ねれば、もう始まっていると答えられる。

 

 二次試験会場まで、試験官サトツについてゆくこと。

 それが一次試験だと言ってサトツは、もう振り向くことはなかった。

 

「……変な試験」

 ソラの呟きにキルアは頷きながら、持っていたスケボーを下して乗って走り出す。

「持って来ておいてなんだけど、まさかこれが役に立つとは思わなかった」

「思ってたのなら、そりゃ予知能力者だよ。っていうか、キルアずるい。私も乗せろ!」

 

 ソラが後ろからキルアのスケボーに飛び乗ろうとしたのを、スピードをつけて避けてキルアは「ヤダよ。つーか、先行ってるぜ。落ちたら指さして笑ってやるからな」と言いながら、そのままソラを置いて先に進む。

 とは言っても本気で置いて行く気はなく、ソラがチラチラ見える範囲内でそのまま他の受験者から「何でこんなもんを持ってきてんだよ、このガキは」という反感の視線を無視してスケボーを走らせていると、「おい、ガキ! 汚ねーぞ!」と声をかけられた。

 

 振り返ると、かなり大柄な黒スーツにサングラスの男が「そりゃ、反則じゃねーか! オイ!!」と文句をつけていたので、キルアはいけしゃあしゃあと「何で?」と問い返す。

 

「何でって、おまっ……。こりゃ持久力のテストなんだぞ!!」

 男の言葉に、周りの受験生たちは深く同意するように頷いたりキルアに批判するような視線を向けるが、肝心の男の仲間らしいキルアと同い歳くらいの少年とキルアとソラのちょうど間くらいの歳の金髪は男に同調せず、むしろそんなつもりはなかっただろうがキルアをフォローするような発言をして男を諌める。

 

「テストは原則として持ち込み自由なのだよ!」

 そう言って、仲間を諌める金髪を思わずキルアは眼を見開いて凝視してしまった。

 

「? 私に何か?」

 キルアの視線に気づいて金髪の、おそらく男は首を傾げて尋ねたが、キルアは「別に」とだけ言って何も答えなかった。

 答える意味などなかったから、答えなかった。

 

 顔の造形そのものは、似てるか似てないかで言えば似てる方という程度だが、そのあまりにも中性的な顔立ちと体格が驚くほどソラに似ていると感じて、一瞬本気で見間違えて驚いたことなど初対面でわざわざ話す意味などなかったから、キルアは何も話さずそのまま彼の興味は自分と同い年くらいの少年に移る。

 

 気付かなくて当然だが、実はこの時、奇妙なシンクロが起こっていたことを誰も知らない。

 キルアが金髪の青年、クラピカをソラと見間違えたように、クラピカもキルアを見て一瞬、3年前に失った人の面影を見たことなど、誰も知らない。

 

 * * *

 

 キルアと違って見間違えることはさすがにしなかったが、その吊り上った猫のような目と、周りからの非難の視線をものともしないマイペースさに彼女の、ソラの面影が色濃く浮かび上がって、クラピカは首を振ってその面影を追い払い、今は試験に集中しようとする。

 が、今朝も夢に見たせいか脳裏にあまりに鮮明に蘇った彼女が消えない。

 

『別にいいんじゃない? 君がどう思おうが、君にとって私がどう見えようが、私は私という事実は変わらないから、私は気にしないよ。

 むしろ、私を見て誰かを思い出して、少しでも長くその人を心の中で生かせるのなら光栄だ』

 

 彼女の言葉が、蘇る。

 言葉通り、誰かに見た面影によってクラピカの心の中で生きる彼女が、再び自分に告げる。

 

 クラピカはソラにまず、同胞の面影を見た。

 自分とは成り立ちも、色が変わる原理も、変わる色そのものも違う、共通点など瞳の色が変わるの一点に尽きるはずのあの眼に、喪ったクルタ族の面影を見て、まずは縋り付いた。

 

 そのことは早い段階であまりに身勝手だったと反省し、それ以降は真摯に彼女を「同胞に似た人」ではなく「ソラ=シキオリ」という個人として尊重しようとしたが、それも早々に出来ないと思い知らされた。

 

 猪突猛進で騒がしく、誰よりも明るいところに母を。

 穏やかで心配症で、けどさらりときついことを言い出すところに父を。

 

 そして、自分を信じて守って頼って笑いかけるその笑顔に親友の面影を、見てしまった。

 

 どれもこれも、誰にでもあってもいい些細な一面性であることはわかっている。

 しかしソラの、男にも女にも、大人にも子供にも見える容姿の所為か、それともまるでクラピカの心でも読んで狙ったかのように絶妙なタイミングでその一面性が見える所為か、ふとした瞬間にあまりにも鮮明な、泣きたくなるぐらい鮮烈に、彼女は喪われた人たちをクラピカの心の中に蘇らせて、どうしてもクラピカが「ソラ個人を尊重したい」という誠意を叩き折ってきた。

 

 そして当の本人も、せめてもの謝罪として正直に話した時、まったく自分という個人を見ていなかったということを気にも留めず、あっさりと「いいんじゃない?」と許した。

 本人が言うように、クラピカがどう思おうがソラはソラ以外の人間になれはしない。クラピカがどんなに父母や親友に似ていると思っても、彼女は父母にも親友にもなりはしない。

 

『体が失われたら、もうその人は誰かの心の中でしか生きられないんだ。

 クラピカ。君が覚えている限り、君の大好きな人たちはちゃんと生きてるよ。そしてそれは、私にだって殺せない』

 

 もう愛しい彼らは戻ってはこないことをクラピカに告げながら、同時にどこに生きているか、どうやればその人たちを守り抜いて生かし続けられるかを教えてくれて、少しだけ彼女に誰かの面影を見ることに対しては、心が軽くなった。

 しかし、彼女を「誰かに似ている」と思うこと自体に罪悪感を抱くことはなくなったが、自己嫌悪は変わらず胸の中に鎮座し続けた。

 

 ずっと不安だった。

 ソラのことが好きで、ソラに感謝していて、ソラと一緒にいたくて、ソラの幸福を何よりも望んでいるのに、それは結局ソラが自分にとって大切な人に似ているからで、ソラ個人を見ていないというのが嫌で嫌で仕方がなかった。

 ソラという個人を、確かに好きになりたかった。

 

 が、その自己嫌悪はソラと別れたことで解決した。

 彼女とずっと一緒だったなら永遠に解決しなかった可能性が高いので、これはある意味怪我の功名と言える。

 

 彼女は、クラピカにとっての大切な人に、誰かにどこかしら似ていた。

 それだけ誰かの面影があれば、ある意味当然の成り行きだろう。

 

 ソラは誰かに似ているからこそ、誰かも必ずどこかしらソラに似ている。

 

 ソラと別れてから、クラピカは必ずと言っていいほど自分と関わった誰かにソラの面影を見た。

 ゴンの突拍子もない真っ直ぐな行動力にも、レオリオの大人げがないくせに懐深い所にも、ソラの面影を見た。

 

 あまりに些細で他愛のないやり取りや言動にも彼女に似た部分を探して、自分の心に住まう彼女が色褪せぬように、死んでしまわないように思い出し続けようとしている自分に気が付いた時は、思わず笑った。

 自分はちゃんとソラという個人を見ていたし、ソラという個人が、彼女が好きだったという確証が嬉しかった。

 

「オッサンの名前は?」

「オッサ……これでもお前らと同じ10代なんだぞ俺は!!」

「ウソォ!?」

 

 後ろの騒ぎでクラピカの意識が、過去から現在に呼び戻されてげんなりする。

 

「あーー!! ゴンまで……!! ひっでー、もォ絶交な!!」

(離れよう)

 正直言ってゴンの驚愕には大いに同意するが、試験中に子供とはいえこんなことで騒がないでほしい。そして10代とはいえおそらく確実に20に近いのだから、レオリオはもっと大人げを持ってほしいなどと考えながら、クラピカはペースを上げてゴン達から少しだけ離れた。

 

 そんな恥ずかしいやり取りにも、3人のどの反応にも「ソラがしそうだな」と思いながら、少しだけ先行した時。

 

「キルア―。何、騒いでるんだよ? 私も混ぜろ―!!」

「!?」

 

 男にしては高く、けど女にしてはやや低い印象の声。

 

「なんだ、追いついたのかよ」

「? 誰? キルアのお姉さん?」

「お姉さん? 兄貴じゃねーの?」

「あれ? 友達がさっそくできたの? よろしく少年! それとオッサン!!」

「オッサンじゃねーって言ってんだろ! 俺は10代だ!」

「それは19歳と何カ月?」

「正真正銘の10代だ! って言うか、3月生まれだからまだ18だ!!」

 

 声が似ているだけの別人という傷つかない為の予防線は、後ろでさっそくバカ騒ぎするやり取りでどんどん取り払われて、期待が膨らんでゆく。

 レオリオの言葉にゴンと全く同じ反応をしてから、後ろの性別不詳な人物は笑いながらゴン達に名前を名乗ろうとする。

「あはは~。ごめんごめん。じゃあみんな、年下なんだ。

 君たち、名前は? 私は――」

 

 名前を名乗る前に、振り返った。

 どうせ違うのなら、自分の目で確かめて絶望したかった。

 そして何より、その名前を聞いてからだとどんな顔をして振り返ればいいかわからなくなりそうだったから。

 

 

 

 

 

「――ソラ?」

 

 

 

 

 

 その名を告げたのは、本人ではなくクラピカだった。

 

 思わず、足が止まってその場に立ち尽くす。

 3年前が18歳なら、容姿はさほど変わっていなくても不自然ではないが、彼女は時が止まってしまったかのように3年前から、クラピカの記憶から変わっていない。

 奇跡的なまでに、男性女性の美しさを調和させている美貌。

 背は女性にしては高いのに凹凸があまりない為、子供にも大人にも見える成熟に至っていない思春期のような体。

 マイノリティにしてオールマイティ。

 誰にでも似てて、誰もがその面影を持つ不思議な人。

 

 ただ、髪だけがクラピカの記憶と大きく違う。

 ただ単に限界まで脱色しただけなのか、それとも何かあったのかは、クラピカにはわからない。

 烏の濡れ羽という表現にふさわしかった黒髪は、完全に色が抜け落ちて老人のような白髪となって、それがまた彼女の稚気に老獪という対極を内包させる。

 

 

「…………クラピカ?」

 

 ソラも、前に先行していた人物の存在に気付いて、ミッドナイトブルーの眼を軽く見開いてその名を呼んだ。

 

 ゴンやキルア達は、いきなり立ち止まって本人が名乗るより先に彼女の名を呼んだクラピカにも、そしてこちらも相手の名を呼んだことにも戸惑って、3人全員が二人の顔を交互に見ながら、「知り合い?」と訊いた。

 

 クラピカはその問いに答えることはおろか、他の受験生に「何止まってんだ! 邪魔だ!」と怒鳴られても走り出すことは出来ず、ただ立ち呆けた。

 再会したらまず何を言おうか、何をしようと思っていたかなど、今は何も思い出せない。

 

 ただ、これが夢でないことを、夢なら覚めないで欲しいと願う以外出来ないクラピカを、ソラは丸くしていた眼を細めて、その眼に確かにクラピカを映して、笑った。

 

 ソラは足を止めなかった。

 ゴン達もクラピカの言葉と様子に驚いて一瞬立ち止まったのに、彼女は軽やかに走りながら何の躊躇もなくクラピカの手を取って、そのまま彼を引っ張った。

 

「!」

「何、立ち止まってるんだよ、クラピカ。ハンターになるんだろ? 立ち止まってる暇なんかないだろう?」

 

 いきなり引っ張られて転びそうになるクラピカに、彼女は笑って言った。

 久しぶりだとか、会いたかったなんて言葉はなく、まるで少しだけ別れていた、それも数日どころか数分ぐらいの気楽さと自然体で、彼女は笑ってクラピカの手を繋いで、一緒に走り出す。

 

「一緒に行こう」

 

 クラピカが出会った日からずっと望み続けた願いを、こともなげに口にして、叶えてくれた。

 

「……あぁ。……行こう。一緒に」

 

 滲む視界の中で、クラピカは自分の記憶通りに暖かな、けれど記憶よりもずっと小さくなってしまった手を握り返して応える。

 もう、この手は離さないと誓って。

 

 

 

 

 

 

「うん。ところで、クラピカって妹だっけ?」

「歪みないなお前!!」

 

 しかしその誓いは0.5秒後にあっさり投げ捨てて、同時にソラの額に躊躇なく自分の武器である木刀を割と全力で投げつけた。



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16:包容力・A+

「お前は、何で、いつもそうなんだ!! 再会してまず言うことが何故それなんだ!?」

「うん、さっきのは本当にごめん。でも別にふざけたわけじゃないんだよ。マジで私、クラピカのこと男の子だと思い込んでたけど実は女の子だった!? とか思って不安になってついつい素で訊いちゃった」

「いっそふざけて言った方がマシだな、それは! そういうことは正直に言わなくていい!!」

「いや、私、君には嘘つかないって約束したし」

「お前のその誠実さは、余計に私を傷つけるんだが!?」

 

 無駄に体力を消耗するとわかっていてもクラピカは怒鳴るのをやめられず、走りながらソラの相変わらずなシリアス&エアブレイカーぶりにキレる。

 そしてそのクラピカのマジギレ具合を、ゴン達はポカンと走りながら眺めた。

 

 訊きたいことは山ほどあるが、ソラが走りながらもハイテンションで素ボケか誤用の確信犯かわからないことを言い倒し、クラピカの方もいつもの冷静さはどこに捨て去ったのか、ブチ切れながらツッコミを即座に入れるので3人は口を挟む隙がなく、ただ唖然とそのコントじみたやり取りを見るしかない。

 

「あはは、ごめんごめん。でもクラピカ、何で君は成長した方が女の子っぽいの? 3年前から女の子っぽかったけどそれでもまだ女の子みたいに綺麗な顔した男の子ってレベルだったのに、今は完全に女顔じゃん。普通、逆じゃね?」

「うるさい黙れ! お前に容姿のことについては言われたくないし、そんなの私が一番問い詰めたいわ!!」

「誰にだよ? 神様? って言うか、君って怒って吊り目になればなるほど女の子っぽいよ。笑ってたれ目になれば、男の子にちゃんと見えるから、君はずっと笑っていた方がいいな。

 っていうか、笑ってよ。私は君の笑顔が好きだよ」

「なっ………………」

 

 クラピカのコンプレックスを、悪気があるのかないのかひたすらにマシンガントークで刺激しまくっていたソラにキレていたクラピカだが、これまた別の意味で空気を読まない発言に、言葉が詰まった。

「誰の所為でキレていると思ってるんだ?」という言葉は口から出てこず、ハクハクと金魚のように口を無意味に開閉させ、顔は怒りや走りながら怒鳴って酸欠気味以外の理由で赤みが増す。

 

(……忘れていた。この女は、真剣な空気もいきなり破壊し尽くすが、こういう時にもいきなり爆弾発言を放り込む女だった)

 あらゆる意味で自分に勝ち目などないと、3年前に学習したはずのことを再びクラピカが思い知らされている隙に、ゴンとレオリオはクラピカに、キルアはソラに話かける。

 

「クラピカ、知り合いなの?」

「知り合いなら、こいつの性別どっちだよ? お前以上にどっちにも見えてわかんねーよ」

「おい、ソラ。もしかしてこいつが、『弟』か?」

 

 レオリオの問いに走りながらわき腹に肘を入れていたら、ソラの方がキルアの問いに煌めくような笑顔で答えた。

「そうだよ! 美人だろ! 3年前から紅顔の美少年の代表みたいな子だったけど、まさかこんな美女に成長してるとは思わなかったな!!」

「勝手に私の性別を変えるな!!」

 

 ソラの発言にクラピカは俯きながら抗議の声を上げる。

 顔をあげないのは、声だけでも嬉しくてたまらないと言わんばかりの喜色に染まりきって、本人的にまったく嬉しくない内容とはいえ、クラピカのことを自分のことのように自慢する彼女の笑顔を見たら、先ほどのように文句も言えなくなるのが目に見えていたからだ。

 

「え? 弟? クラピカが? キルアじゃなくて?」

 ソラの答えにゴンが声をあげて驚き、レオリオも軽く目を開く。

 どうもナチュラルに二人は、ソラとキルアが実の兄弟だと思い込んでいたらしい。確かにソラとクラピカも似ていると言えば似ているが、髪の色的にキルアの方が血縁者のように見えるだろう。

 

 そんなの初めに二人を見た時からわかっていたのに、クラピカは内心で少し気に入らず、俯いたまま唇をわずかに尖らせた。

 そしてキルアの方は、ゴンに「はぁ? ちっげーよ!」と否定しつつ、顔は確かに笑っていた。

 彼は自分が笑みを浮かべていることも、ソラがクラピカの手を取って走り出した時から、胸の奥に溜まっていたもやもやとしたものが、晴れていったことに気付ていない。

 

 そんな二人の反応に気付いた様子もないのに、ソラは相変わらずハイなテンションで振り返り、器用に後ろ向きに走りながらゴンに向かって両手を広げて宣言する。

「どっちも弟だよ! 血は繋がってないし、戸籍も他人だけど、私の可愛くて大事で大好きな自慢の弟だ!!」

「「なっ!?」」

 

 ソラの宣言にクラピカとキルアが同時に声を上げる。

 思わず二人は顔を見合わせるが、どちらも顔が赤く染まっていることが何ともいたたまれずに、お互い無言で眼をそらす。

「……お前は自分に関わった年下の男は全部、弟扱いかよ?」とキルアの問いかけなのか独り言なのかよくわからない発言に、クラピカは無言で深く同意した。

 

 * * *

 

 クラピカもキルアも、「ソラを取られた」と思い拗ねていたことを見抜いていたような発言をブチかましたソラだが、実際のところただの本音だったらしく、隣のキルアの独り言にすら気づかぬ様子で彼女は、後ろ向きに走ったまま話を続けた。

 

「そこの二人! 改めてよろしくね! 私の名前は、ソラ=シキオリ!

 ちなみに性別は、こんな残念な胸だけど女だ! でもこんな胸でも寄せてあげれば谷間って出来るから、騙されるなよ男子! 本物の巨乳の谷間は寄せるだけだからI字型だけど、偽装は寄せてあげるからY字型だと覚えておけ!」

「「お前は何を言ってるんだ!?」」

 ソラの自己紹介しつつの明るい自虐と逆セクハラに、クラピカとキルアが同時に突っ込んだ。もはや、ソラよりもこの二人の方が兄弟じみている。

 

 当然、レオリオの方は反応に困る発言をされて、「お……おう。参考にするわ」とやや頓珍漢な答えを返し、ある意味ソラと同じくらい空気を読まないゴンだけが朗らかに笑い、こちらも自己紹介する。

 

「あ、やっぱりお姉さんだったんだ。 俺はゴン! こっちはレオリオ! クラピカとは船で一緒になってからの仲間なんだ。よろしくね、ソラさん」

「ソラでいいよ。っていうか、よくクラピカの仲間になってくれたね。この子、クソ面倒くさいでしょう?

 見た目に反して短気だし、冷静ぶってるけどすぐに頭に血が昇るし、頑固でものすごく根に持つし、年上だからとりあえず敬語使おうってこともしない、慇懃無礼の見本だし。

 君はともかく、そこのレオリオだっけ? 君に初対面でいきなり、『私は何も悪くありませんけど何か?』な顔でケンカ売ってこなかった?」

 

 相変わらず器用に後ろ向きで走りながらソラがしれっと、流れるように自分の性格上の欠点をあげられて、クラピカはまたしても「なっ!」と声を上げて、顔の赤みがさらに増す。

 まるで船のレオリオとのやり取りでも見てきたかのような発言に、ゴンは純粋に驚きと「すごい!」という感想に染まった目でソラを見て、レオリオは真顔で「え、何お前見てたの!?」と素で訊いた。

 

「私が慇懃無礼の見本なら、お前は奇跡のバカだろう!」

「あ、いいねそのフレーズ。よし、今度からそう名乗ろう」

「気に入るな!!」

 クラピカがまたレオリオのわき腹をどついてから、自分の評価に対してソラに抗議すると、まさかの自分が使ったフレーズを採用したことに怒鳴る。

 

 またしてもやり取りがコントじみてきたことにキルアが呆れ果てた目で、「お前、いくら何でもテンション高すぎね?」と尋ねた。

 

「うん、ごめんね!

 クラピカに会えただけでも嬉しいのに、この面倒くさい子に仲間とか友達がいることが嬉しくて、ちょっと絶好調でさ!!」

 

 まるでつい5分ほどしか離れていなかったと言わんばかりに自然体に接して、手を取ってくれていたが、ソラの方も3年ぶりの再会は十分な衝撃と抑えきれない喜びだったらしく、相変わらずハイテンションで答える。

 自然体で接してくれたのも十分すぎるくらいに嬉しかったが、やはり嬉しくてたまらないと言わんばかりの声と笑顔で再会の喜びを表してくれたことで、わずかに抱いていた「自分など再会しても、たいして嬉しくもない存在なのではないか?」というネガティブすぎる不安が霧消する。

 しかし、ソラのように素直にそれを表現できる性格ではない為、クラピカは俯きながら「悪かったな、面倒くさくて」としか言えなかった。

 

 ソラからしたらこんな3年ぶりの照れ隠しすらも心地良いのか、相変わらず煌めくように笑いながら唐突に、「レオリオ」と呼びかけた。

 

「え? 俺?」

 クラピカにどつかれた脇腹を押さえながら、他の連中よりも余裕なさそうな呼吸で走るレオリオが不思議そうに顔を上げる。

 会話もまだほとんど交わしていなかったのに、いきなり名指しされて困惑するレオリオに、ソラがさすがに後ろ向きに走るのをやめて前置きなしに告げる。

 

「クラピカってさ、年上でガラの悪い男が苦手なんだ」

「は?」

「!? ソラっ!!」

 

 唐突かつ遠回しなのか直接的なのか、ほとんど「レオリオが嫌い」と言ってるも同然なセリフに、言われた本人がさらに「訳わからん」と言いたげに首を傾げ、ゴンとキルアも不思議そうな顔をする。

 唯一、クラピカだけがソラが何を言い出そうとしているか察することが出来たのか、強い声で制止して、腕を伸ばして物理的に口も塞ごうとしたが、ソラはひょいひょいと身軽に避けて、やはり彼女は一人勝手に好き勝手話し出す。

 

「私と出会ったきっかけが、そういうチンピラにガチで殺されかかってたってことだし、私と出会う前も何かそういう奴とトラブルが多かったみたいで、どうしても君みたいなタイプだと慇懃無礼を地でいくんだよね。

 でも、それが自分の偏見だってことはちゃんとわかってるし、自分に対しては意地っ張りだけど他人に対して依怙地ではないし、むしろ自分の無礼さとかを一人になった時にずっと悶えて、どう謝ったらいいかわかんなくなってまた意地を張るタイプだから……」

 

 そこまで言われて、レオリオはもちろんゴンやキルアもソラが何を言いたいか、続く言葉は普通に想像できた。

 この上なく面倒くさい性格をした弟を、フォローというには本人が羞恥で死にそうになっているが、それでもクラピカを誰よりも思っているのは事実だろう。

 彼を思っているからこそ、誤解されやすい彼の性格や本質を説明して、そうして「だから、誤解しないであげて」か、「ちょっと無礼なところは大目に見てあげて」という言葉を予想していた。

 

 クラピカも、同じような内容を予想していたのだろう。

「ソラ! いい加減にしろ! さすがに余計なお世話だ!!」と抗議する彼の言葉をソラはスルーして、笑って言いきった。

 

「そんな面倒な子と、仲良くなってくれてありがとう!」

 

 クラピカに言われるまでもなく、ソラは彼の人間関係に口出しする気も、口添えする気もなかった。

 彼女からしたら、もう既にそんなことをする必要もなく見えていた。

 だから、言い訳が嫌いなクラピカがわざわざ伝える訳のない、「初対面で慇懃無礼だった訳」だけはフォローして、後は嬉しくて幸せで仕方がないと言わんばかりのとびっきりの笑顔で感謝を伝えるが、その発言に全員が目を丸くしてソラを見るので、さすがにクラピカと再会してからのテンションがやや下がり、「あれ?」と首を傾げる。

 

 本人、自分の発言の意外さに全く何も気づいていなかった。

 

「……おい、クラピカ。本当にお前、こいつと血が繋がってないのかよ?」

「ソラ……、お前マジでそいつと姉弟じゃないのかよ?」

 

 ソラの発言から数秒後、レオリオがクラピカに、キルアがソラにそれぞれ尋ねる。

 もはや姉どころか母親のような、クラピカの内面に対してのお見通しっぷりとその面倒くささをすべて受け入れて笑う度量は、それこそ母親のように生まれた時から彼を知っていないと、同時に無条件の惜しみない愛情がないと無理だろと思ったからこその問いに、クラピカの方は耳まで赤くした顔を隠すように俯き黙って答えなかったが、ソラの方はしれっと答える。

 

「血縁どころか、私とクラピカが一緒に過ごしたのって3年前の一カ月ほどだけど?」

『ウソだろ・でしょ!?』

 

 尋ねたキルアやレオリオだけではなく、ソラの方を何やらじっと見ていたゴンも思わず叫んだ。

 

「何なんだよ、お前の包容力つーか姉力は!? 何人兄弟だったんだよ!?」

「3人兄弟の末っ子でしたが何か!?」

「マジでどこから来たお前の姉力!!」

 

 レオリオのもっともな疑問兼ツッコミに、またテンションがハイになり始めたソラが正直に言い放ち、結局疑問が解消どころか深まるだけの答えに、レオリオがさらに突っ込む。

 その光景に、周りを走る受験者たちが内心で突っ込む。

 

 お前ら、真面目に試験受けろ、と。

 

 * * *

 

 ハンター1次試験開始から約6時間後、ただひたすら地下道を走っている間は脱落者は1名だけだったが、さすがに地下100階から地上に繋がる階段で脱落者が激増する。

 そんな中、地下道での脱落者1号になりかけていたレオリオが、鬼気迫る勢いで言葉通りなりふり構わず荷物を捨ててスーツの上着どころかシャツも脱ぎ捨てて、「フリチンになっても走るのさー!!」と完全にランナーズハイ状態で、駆けあがり続ける。

 

 その様子にクラピカは正直若干引いたが、目的に向かって言葉通り走る続ける覚悟に対して純粋に敬意を抱き、彼を見習って着ていたクルタの民族衣装を脱いで鞄に押し込み、「他人のフリするなら今の内だぜ」という言葉を無視して話しかける。

 

「レオリオ。一つ訊いていいか?」

「へっ、体力消耗するぜ! 無駄口はよ!」

「ハンターになりたいのは本当に金目当てか?」

 

 レオリオの言葉は今更だったので、こちらも無視してクラピカは質問しておきながら自分でその答えを断言する。

「違うな。ほんの数日の付き合いだが、そのくらいはわかる。確かにお前は、態度は軽薄で頭も悪い」

「お前本当に慇懃無礼の見本だな!」

 

 ソラが使っていた表現をまさしく地で行く相手にレオリオは怒鳴りつけるが、もう地下道でさんざんソラに言われて開き直ったのか、「なら、お前は偽悪者の見本だ」と言い返した。

 

 レオリオに対しての印象が偏見であったことなど、あの船で決闘していた自分に無防備な背を躊躇いなく向けて、自分より離れた位置にいたというのに気を失って船から投げ出されそうな船員を助けようと駆け出した時からわかっていた。

 クイズの時も、「大切な人に順位をつけて、下位を見捨てろ」という意味合いだったことに、誰よりも憤慨していた。

 ナビゲーターの正体に気付かなかったのに、「合格」をもらえるほど真摯に怪我人の治療と励ましを行った。

 

 ソラによく似た、善人なのにそう思われるのを何故か恥ずかしがっていやがる人間であることなどわかり切っていた。

 

 だからこそ、気になった。

 金よりも自分よりも誰かの命を尊ぶくせに、金に執着しているレオリオのなりふり構わず走り続ける真の目的が気になった。

 

「……ケッ! 理屈っぽいヤローだぜ」

 しかしクラピカとは別の方向性で素直ではないレオリオは語る気がないらしく、それだけを言い捨てて話を切り上げる。

 だがクラピカの方も諦める気はなく、彼は自分から先に自分の心の一番柔い部分を口にした。

 

「…………緋の眼。

 クルタ族が狙われた理由だ」

 

 怒りや興奮などで感情が昂ぶった際に、瞳が赤く変色するクルタ種族特有の特徴。

 感情によって変化するものなので、落ち着けば普段の赤茶色に戻るのだが、変色した状態で死に至ればその瞳に緋色が定着すること、そしてその緋色は世界七大美色の一つとされていることが、クルタ族虐殺へと繋がった。

 

 抉り取られた同胞たちの眼球が、まだ旅団の手元にあるとはもちろん思っていない。レオリオが言うようにブラックマーケットに売り払われて、自分と同じ「人間」を「物」として下劣に愛でる外道の慰み物にされていることなど、百も承知。

 

 だからこそ、クラピカが目指すのは賞金首ハンターではなく、金持ちの護衛や望むものをハントして貢ぐ、契約ハンター。

 コレクターの横の繋がりから仲間たちの眼を探し出して取り戻し、埋葬することが目的だと自分の隠していたこと、曝け出せる限りのこと全て話せば、レオリオは少しだけ間をおいて言った。

 

「悪いな。俺にはお前の志望動機に応えられるような立派な理由はねーよ。俺の目的はやっぱり金さ」

 その答えにクラピカは即座に、「嘘をつくな!」と言い返す。

 自分の動機に対してそう答えるのなら、それこそ金でこの世全てのものが買えると思っていない証明他ならないというのに、彼は夢も心も、人の命でさえも金で買えると嘯く。

 

 その発言は、クラピカが何よりも嫌う人種が吐き出す思想そのものなのに、まっすぐにゴールが見えない階段を駆け上がるレオリオの眼は、相変わらずソラに似ていた。

 壊れきった心が決めた、さらに自分が傷つくだけの「自己犠牲」という人間性を守り抜いたその先に、輝けるものがあると信じて疑わない彼女に似ていたから、だからこそクラピカは「撤回しろ!!」と叫ぶ。

 

 が、レオリオは決して撤回せずに逆に訊きかえす。

「なぜだ!? 事実だぜ! 金があれば俺の友達は死ななかった!!」

「!!」

 

 レオリオは自分の言葉に対して、「失敗した」と言わんばかりに舌を打つ。

 この自分とは違う方向で素直ではない偽悪者は、言い訳が嫌いという点ではクラピカとよく似ていた。

「病気か?」と尋ねたクラピカに、レオリオはもう振り返ることなく諦めて語る。

 

 治せない病気ではなかった。ただ、治療には莫大な金がかかるものだった。

 方法があるのに手が届かないという、不治の病以上の絶望を味わったレオリオは夢を抱いた。

 

 友達と同じ病気の子供を治す医者になろう。そして、金をよこせと言った医者とは違って、「金なんかいらねェ」と言ってやれる医者になろうと決意した。

 

「笑い話だぜ!! そんな医者になるためには、さらに見たこともねェ大金がいるそうだ!!」

 そんなこと、考えるまでもないことだろう。

 金をよこせと言った医者は、別に欲にまみれていたわけではない。その治療費は必要かつ当然の対価だっただけ。

 子供ならともかく、大人になれば誰だって理解できるどうしようもないこと。

 

 それでも、彼は諦めなかった。

 地下道で一瞬、立ち止まっても膝を屈しなかったように。

 

「わかったか!? 金、金、金だ!! 俺は金が欲しいんだよ!」

 

 もう、レオリオの「金が欲しい」という言葉に、クラピカは不愉快さを感じない。

 彼は金で買えない、尊いものを知っているからこそ、それを取りこぼさないためにも金を欲していることが、どうしようもなく嬉しかった。

 

 自分と親友が、外の世界とハンターという職業に憧れを抱いたきっかけの物語の主人公たちと同じ心根を持っている者が仲間だということが、嬉しくて仕方がなかった。

 

「……すまない、レオリオ。今まで偏見と誤解で無礼なことばかりして」

「まったくだぜ!」

 

 どこまでも後ろ向きな自分と違ってよっぽど誇ってもいい志望動機を、本人がそう思わせていたとはいえ散々、軽蔑して非難したことを恥じて詫びれば、即答で肯定された。

 レオリオならそう返答することは予測できていたのでクラピカは素直に反省するのだが、その後に続いた彼の言葉には思わず、言葉通り目の色を変えかけた。

 

「お前って、マジで理屈っぽくて面倒くせーな。ちょっとは姉貴の奇跡のバカを見習えよ」

 レオリオが発した「奇跡のバカ」に対して、胸の内に酷い不快感が生まれる。そのフレーズを生み出したのは自分で、言われた本人が割と本気で気に入って採用した言葉だというのに、他人に使われるのがこの上なく不愉快だった。

 

 しかし自分が言い出したことなので、「ソラを侮辱するな」と言う訳にもいかず、「……あれを見習ったら周りに迷惑なだけだろう」と返して話を切り上げる。

 切り上げたつもりだった。

 

「そうだな。クソ騒がしくて空気が読めないどころかぶっ壊してくるし、勝手にお前と仲がいいって思い込むわ、マジで迷惑極まりない奴だな。つーか、試験中だっていうのに何ヘラヘラ笑ってやがるんだか」

「レオリオ!」

 

 つい感情的になり、強い語調で叫ぶ。

 それは事実であり、クラピカの言葉を肯定するもので、クラピカが反論する資格などない言葉。

 そんなことはわかりきっていたのに、我慢できなかった。

 他人に、自分以外にわかったかのように彼女を悪く言われることに耐えられなかった。

 

 自分との再会を、彼女以外の誰かを彼女がいなくとも信じられるようになっていたクラピカに喜び、輝くように笑った彼女を侮辱することだけは、許せなかった。

 

「ほらな」

 

 しかし、続く言葉はレオリオの「してやったり」と言わんばかりの顔で振り返られて言われた言葉で失われる。

「自分が言ったことそのまんまでも、他人に言われりゃ腹立つだろ?」

 

 予想外の返答と表情で、クラピカはポカンと彼の顔をただ眺めることしかできない。

 その反応に、レオリオは「仕方ねぇな」と言わんばかりに苦笑する。

 

「お前と再会して、お前に仲間がいることを自分のことのみてーに喜んで笑って礼を言う奴が、お前が小金目当ての飼い犬ハンターとか言われて、平気なわけねーんだよ。

 お前が自分の誇りなんかどうでもいいみてーに、あいつ本人は奇跡のバカだの男か女かわかんねーだの言われても平気かもしんねーけど、あの女は確実に、お前が侮辱されたらさっきのお前以上にキレるぜ」

 

 そんなこと、言われるまでもなくわかっていた。

 自分のことに関しては、「怒るのって疲れるし面倒くさい」と言って、何を言われても大概は笑って流すのに、クラピカのことに関しては本人より先にいつもキレていた。

 

 その癖、クラピカの決めたことに口を出そうとはしない。

 

 相談をすれば、たまに「自分はこうしてほしい」という希望をアドバイスとともにくれることがあったが、それはごく稀。

 今、生きているということがどれだけの奇跡と犠牲で成り立っていることを知っている人だからこそ、クラピカが復讐によって手を汚すことなど本心では望んでいない癖に、絶対に「そんなことするな」とソラは言わなかった。

 クラピカのしたこと、しようとしていることで勝手に自分のことのように傷つく癖に、クラピカが自業自得で蔑まれることに対して怒る彼女の姿が、あまりにも容易く想像がつく。

 

「……何が言いたい?」

 この問いの答えだって、クラピカには訊くまでもないことだが、どうしても素直にレオリオが説いた言葉を受け入れられず、意地で悪足掻きをする。

 それは本当に、わずかな時間稼ぎにすぎない悪足掻き。

 

「人のことに気ぃ使ってないで、お前は自分のことをどうにかしろってことだよ、ガキ。

 自分の姉貴分が、ゴンやあのキルアってガキに取られて、拗ねてむくれるようなガキが悟ったようなことを言ってんじゃねーよ!」

 

 やはり9割がた予想通り、ソラよりも年下で自分に近いのに、どうしようもなく自分が子供であることを思い知らされる言葉で、反論することが出来なかった。

 予想外の1割部分を除いては。

 

「!? だ、誰がいつ拗ねてむくれた!? 訂正しろ!」

「階段上がり始めたあたりで、ガキどもの競争にあいつが『負けるか―!』ってノリノリで走って行ってから、やたらと機嫌が悪かったじゃねーか!」

 

 またしても顔を赤くさせて反論したら、即答される。

 

「お前の気の所為だろ! 断じて違う!」

「はっ! 『子どもと張り合うな!』だとか文句をつけて、こっちに引き留めようとしてよく言うぜシスコンヤロー!!」

「事実だろうが! それに、私はシスコンではない!」

 

 結局、いつもの口論をしながら階段を駆け上がる二人を、脱落者が大口を開けて見上げる。

 レオリオは自分を凡人だと評していたが、脱落者はもちろん常連受験生から見ても口論しながらこの階段を駆け上がれる体力は普通に化け物レベルだと思われたことを本人は知らない。

 

 * * *

 

 一方その頃、試験官サトツの真後ろまで追いついてしまった子供二人と、歳どころか性別も不詳一人は、後ろの方のレオリオやクラピカ以上に、「体力温存? 何それ?」と言わんばかりに雑談しながら走っていた。

 

「いつの間にか一番前に来ちゃったね」

「うん、だってペース遅いし。こんなんじゃ逆に疲れるよなー」

「いや、それは君だけだから。汗も流していないって、化け物か」

 キルアの余裕発言に、ゴンは横目で敬意とも畏怖とも取れる視線を向け、ソラの方は後ろで呆れたようなツッコミを入れる。

 

「お前に言われたくねーよ! お前も汗ひとつかいてねーじゃねーか!」

 キルアが少しだけ悔しさを滲ませた、八つ当たりじみたツッコミを返すが、前を走るサトツからしたら、“念”を習得しているソラより、“念”を知らずに自分の真後ろまで汗もかかずについてきているキルアの方が、ソラの言う通り十分に化け物である。

 

 そんな悔しく思う必要などないくらい才能の塊でありながら、姉に勝ちたい、姉に認められたいと思っているのが、素直ではないのにあまりにわかりやすくて微笑ましいと、サトツもソラとキルアを実の姉弟だと思い込みながら、ほっこりと和みつつ相変わらずありえない速度の競歩で階段を駆け上がる。

 

 試験官の癒しになってることなどもちろん、当の3人は露にも思わずゴンはキラキラとした純粋な目で二人を見ながら言う。

 

「キルアもソラもすごいよね。でも、ソラ。無理しないでね。レオリオの鞄も、疲れたら俺が持つよ。俺が拾ったんだし」

 レオリオがリタイアしかけた際に、置いて行こうとした鞄はゴンが釣竿で回収したが、持つのはソラが担当している。

 ゴンが回収してすぐに、「ありがと」と言いながらゴンから奪うというにはあまりに自然体で鞄を手に取って、そのままずっと持たせていることを実は気にしていたのだが、ソラの方はこともなげに「大丈夫だよ。っていうか、年下の君に持たせて私が手ぶらってのも立場ないしね」と言って渡さない。

 

 相変わらず相手を子ども扱いしているのに、見下すのではなく「ただ自分が『大人』だから」というだけの理由で、自分からハンデを背負いこむソラがキルアには気に入らない。

 そして、素直に子ども扱いされることも「ありがとう」と笑って受け入れるゴンも、無性にムカついた。

 ムカつく理由は、子ども扱いを受け入れているのに何故かキルアよりもその反応はずっと大人びて見えたからかもしれない。

 

 そんなキルアの内心を知らず、ゴンは楽しそうに笑って言い放つ。

「ソラは優しいね。クラピカやキルアが好きになるのもわかるよ」

「はぁっ!?」

 

 いきなりの断言に、キルアの顔に赤みが差す。地下道でのクラピカと全く同じ反応をしながら、キルアは誰が見ても肯定にしか見えない否定を口にする。

 

「何、勝手に決めつけてるんだよ! 誰が、こんないつも年上ぶって余計な世話ばっか焼くおせっかい女が好きになるか!!」

「おい、キルア。誰がおせっかいババアだ。ババア舐めんな!」

「さすがにお前をババアとは言ったことも思ったこともねーよ!!」

 

 何故かいきなり「年上ぶって」の部分を誇大解釈して文句をつけた、というかボケたソラにキルアの方がマジギレで突っ込む。

 しかし思いついたら即実行のこの女が、この程度の突っ込みで満足して止まるわけがなかった。

 

「いや実際、ババアを舐めちゃダメだよ。私の師匠がもうちょっとで還暦のガチなババアだけど、あのババアもこれくらいの距離なら汗ひとつかかずに走るし、大の大人を一発でブッ飛ばしてぶっ殺すし、変身してゴリラみたいな姿になるし」

 

 ソラの「ババア」の説明に、「ハンター協会のお母さん」と呼ばれる二ツ星ハンターを連想して、思わずサトツは吹き出しかけた。

 この上ない酷い説明で、ゴンとキルアは思いっきり引いているのが振り向かなくともわかるが、その説明は別に何も間違っていないのがまた酷いと思いながら、ついつい聞き耳を立てる。

 

「……もうそれはババアじゃなくて妖怪じゃねーの?」

「……ごめん、ソラ。オレもそう思う」

「奇遇だな。私も妖怪だと確信してる」

「お前は否定してやれよ!!」

「ソラは否定してあげなよ!!」

 

 打合せでもしたかのような完璧な流れに、我慢しきれずサトツは吹き出した。




原作を読み返したら、キルアが「だってペース遅いんだもん」とか、今じゃあり得ない口調で話しててびっくりしました。
あまりに違和感がすごかったので、こっちではキャラが定着してきたころのキルアの口調に直しています。


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17:ジョーカーVSジョーカーキラー

 永遠に続くと思われた上がり階段の出口が見えた時、汗にまみれた受験生の顔が輝いた。

 サトツが階段の出口でいったん立ち止まったことで、受験生たちはそこがゴールだと思い込み最後の力を振り絞って駆け上がり、そして絶望する。

 

 自分たちの眼前に広がる湿地は、どう考えてもゴールではない。

 むしろ「これからが本番だ」と言っているようにしか思えなかった。

 

「ヌメーレ湿原。通称“詐欺師の(ねぐら)”」

 受験生たちの不安を、サトツは淡々と肯定するようにこの土地の名を口にする。

 

「二次試験会場へは、ここを通って行かねばなりません。この湿原にしかいない珍奇な動物達。その多くが人間をあざむいて、食糧にしようとする狡猾で、貪欲な生き物です。

 十分に注意してついてきてください。騙されると死にますよ」

 

 サトツの説明に、覚悟を決めるように息をのんだ受験生は少数だった。

 ほとんどの受験生が、「所詮は獣の浅知恵。騙されると忠告されて騙されるわけがない」と思い、中には鼻で笑う者もいた。

 

 その数秒後、浅知恵だったのは自分たちの方だと思い知らされるなど、誰も予想していなかっただろう。

 

 * * *

 

 自称、「本物の試験官」の顔面にトランプが3枚突き刺さり、彼は自分の身に何が起こったかを理解する前に息絶える。

 一方、初めから受験生たちを連れてきていたサトツは、しっかりと唐突に投げつけられたトランプ4枚を受け止めて、指先にすら傷一つない。

 その反応に、投げつけた張本人のヒソカが満足そうに笑う。

 仲間が死んだことで、死んだふりをやめて逃げ出した人面猿の後頭部にもカードを投げつけて殺しながら。

 

「これで決定♦ そっちが本物だね♥」

 

 何が起こったか状況が理解できていない受験生たちに、ヒソカは説明する。

 ハンター試験の試験官は自分たちの先輩となるプロハンターなので、あれくらいの攻撃は防げて当然だと。

 言い訳ではなく、自分が何かまずいことをした程度の不安もなく、ヒソカはむしろ試験官を挑発するように言ったが、サトツの方は淡々と返答する。

 

「褒め言葉と受け取っておきましょう。

 しかし、次からはいかなる理由でも私への攻撃は試験官への反逆とみなして、即失格とします。よろしいですね?」

「ハイハイ♦」

 

 試験官に目をつけられたというのに、ヒソカは相変わらずに楽しそうに笑っていた。

 この男にとって試験官に目をつけられるというのは、少しでも強者と戦える可能性が上がることであり、むしろ望むところなので非常に機嫌がいい。

 

「っていうか何でお前、私にまでついでに投げつけた!?」

 そんな上機嫌のヒソカに、ソラは自分めがけて飛んできた4枚のトランプを投げつけて返す。もちろん、ヒソカと同じくしっかり“周”をして。

 しかしオーラのコーティングで刃物並の切れ味となったトランプはあっさり、ヒソカのバンジーガムで防がれて回収される。

 

「やぁ、ソラ♥ やっとボクに構ってくれるのかい?」

「誰が構うかこの変態ピエロ! つーか、いつ名前知った!?」

 

 ただでさえ気持ち悪いくらいに機嫌が良かったヒソカが、ご満悦この上ないと言わんばかりの声を上げソラへと向き直り、受験生はもれなく全員が引いた。

 ソラも全力で引きつつ、知られたくなかった名前が知られているという事実に泣き出しそうな声を上げる。

 

「地下道や階段で、君の友達が呼んでたからね♦ くくく、いい名前だ♣ 君の眼にぴったりだよ♥」

 本当はイルミから聞いたのだが、イルミから口止めされているのでヒソカは適当に答えた。

 

 ちなみに、実はヒソカがついでに「どんな反応するのかな?」というノリで投げつけたトランプは1枚だったりする。後の3枚は、「どうせ何セットか持って来てるのなら、1セット頂戴」と言われて渡した、イルミからのものだろう。

 くれと言われた時から予想はしていたが、針だとソラにもキルアにも自分の存在がばれるので、イルミは隙あらばヒソカのトランプで彼女を殺す気満々らしい。

 

「ソラ、ヒソカとも知り合いなの?」

「げっ! マジか!?」

「……お前は何をやらかしたんだ?」

「知り合いじゃないし、こいつにはマジで何もやってないよ! 爆砕しろって言ったくらい!!」

 

 ゴン、レオリオ、クラピカの順に問われ、もはや悲鳴同然の声で返答をするソラに、訊いた3人はもちろん、他の受験生、サトツでさえも「十分にやらかしてる……」と思ったのは言うまでもない。

 しかし爆砕しろと言われた本人は、その言葉は全く気にしておらず、いけしゃあしゃあと「酷いなぁ♠ あんなに熱く抱き合った仲じゃないか♥」と言い出した。

 

 キルアや試験前のトラブルを知る受験生たちは、心底ソラに対して同情するような視線を向けるが、試験前のゴダゴダを知らぬ者はヒソカの発言に一斉に噴き出す。

 クラピカの眼は色こそ変わらなかったが異様に怖くなって、武器の木刀を取り出したことに気付いたのは、隣のレオリオだけだった。

 のちのレオリオ曰く、「ヒソカの発言直後は、あいつの周りの温度が最低でも3度は下がった」らしい。

 

「お前がいきなり引っ張りよせて拘束しただけだろうがー!!

 何だその、ホップ・ステップ・月面着陸な記憶改竄は!? お前本気で今すぐに死んで、『 』にも還るな! 消え失せろ!!」

 

 もちろん、ヒソカの戯言をソラは半泣きになって全身に総立ちにした鳥肌をさすりながら全否定する。

 その否定で噴き出した受験生たちは「そりゃそうだよな」と納得し、クラピカの様子もやや軟化してレオリオをホッとさせる。

 

「おい、ソラ。もうそいつに構うな、ほっとけ。お前が反応すればするほど、気色悪いくらいに嬉しそうだから」

「私だって反応したくないよ! 無視したいよ! でも、無視してもあいつは視姦してくるか、セルフ放置プレイと解釈して勝手に悦ってそうでやだよ!!」

 キルアがソラを宥めようと口出ししてみるが、ソラは半泣きどころか今にも号泣しそうな勢いでキルアとゴンに縋りついた。

 キルアの言う通り、ヒソカは「つれないなぁ♠」と言いながらも、嬉しそうにニヤニヤ笑って相変わらず気持ち悪い殺気を放っている。どう見ても、先ほどのサトツに対しての反応よりも機嫌がいい。

 

 その殺気をぶつけられているソラはもちろん、受験生全員が「気色わるっ!!」と思う中、キルアとソラにとって不幸中の幸いは、ソラがキルアに泣きついて抱き着いたことで、我慢しきれず漏れ出したイルミの殺気が紛れて二人とも気付かなかったことだろう。

 

「……受験生同士の争いも、なるべく遠慮してほしいのですがね。そういう趣旨の試験ではありませんし」

 ヒソカの所為なのかソラの所為なのかよくわからないが、とにかくカオスになり始めた場を何とかサトツが仕切り直して、受験生311名、ヌメーレ湿原横断マラソンを開始する。

 

 * * *

 

 階段を上がってきた時、目の前に広がる湿原に絶望した受験生たちだったが、人面猿にヒソカ、そしてソラのおかげ(?)で少し長い休憩を取れた為、全員が気を取り直して酷いぬかるみの中を走り出す。

 だが、走り出して数分でまず初めに受験生を襲ったのは、人面猿のような狡猾な獣ではなく、濃霧という自然現象だった。

 

 数十センチ先を走る相手さえもシルエットしか見えない霧に辟易するゴンとソラに、キルアは話しかける。

「ゴン、ソラ。もっと前に行こうぜ」

「あー……。そうした方が良いな」

「うん。試験官を見失うといけないもんね」

 

 キルアの言葉に二人は同意するが、ゴンの返答にキルアとソラは同時に全く同じことを言った。

「「そんなことより、ヒソカから離れた方が良い」」

 

 割と長いセリフが完全にハモったので、言った直後に二人は顔を見合わせる。

 キルアの方は面白くなさそうにソラを睨み付けるが、ソラは手で「お先にどうぞ」とジェスチャー。

「どういうことなの?」と、歳よりも幼いくらい無邪気にゴンが尋ねてくるので、なんか面白くないと思いつつも、そのままキルアが「あいつ、殺しがしたくてウズウズしてるから、霧に乗じてかなり殺るぜ」と説明してやった。

 

 キルアの答えに、ゴンは無言で彼を見る。

「なんでそんなことがわかるのって顔してるな」

 目は口程に物を言うの実例みたいな顔をしてたゴンに、キルアはおかし気に笑う。そして歳相応の悪戯を企むような笑顔のまま、彼はゴンを脅かすようにその疑問に答えた。

 

「何故なら俺も同類だから。臭いでわかるんだよ」

「同類? あいつと? そんな風には見えないよ」

 

 キルアの答えにゴンはきょとんと、本当に鼻を少しだけ動かして匂いを嗅いでみた。

「臭い」に関しては比喩表現だったが、犬並の嗅覚を持つゴンなら本当に体に染み込んだ血の匂いや死臭をかぎ取れてもおかしくはなく、キルアからはそんな臭いは一切しなかったからこそのきょとん顔だが、キルアはゴンの反応にさらに笑みを深める。

 

 今度は年齢に不釣り合いな、どこか陰惨な笑み。

 獲物を甚振る猫にその笑みは似ていたが、それよりもサディスティックに笑いながらキルアは答える。

 

「それは俺が猫を被ってるからだよ。そのうちわかる」

「ふーん」

 

 キルアが自分は人殺しとカミングアウトしたも同然の言葉を聞いても、ゴンの眼に畏怖も蔑みも宿らなかった。

 驚いているのか納得しているのかよくわからない相槌を返されて、「信じてないな、こいつ」とキルアは一瞬腹が立ったが、次の瞬間、ソラとは違う天然の斜め上に思わず脱力した。

 

「レオリオー!! クラピカー!! キルアとソラが前に来た方が良いってさー!!」

「どアホー! 行けるならとっくに行っとるわい!!」

「あはははははっ!! ゴン! 君サイコーッ!」

 

 ゴンの大真面目で正しいが無茶苦茶なアドバイスに、レオリオは後ろの方で正論を怒鳴り返し、ソラは走りながら腹を抱えて笑う。

 しかしゴンの方は本気だったらしく、「そこを何とかがんばってきなよー」とまだ言ってるのを見て、キルアはもちろんソラも若干引きつった笑みを浮かべながら思った。

「天然ってすごい」と。

 

「緊張感のない奴らだな」

「私が言うのもなんだけど、そだね。あ、あとさ、キルア」

 呆れながら呟いたキルアに、ソラがまさしく「お前が言うな」なセリフを自覚しつつも言った直後、思い出したように付け加えた。

 

「わかんないよ」

 

 キルアも、後方のレオリオ達に前に来るようにという無茶な説得をしていたゴンも、ソラの唐突な言葉にきょとんとするが、言った本人はキルアの方を見もせず、何やらゴソゴソとウエストポーチを漁りながら言葉を続けた。

 

「君とあの変態は同類なんかじゃない。まったくの別物だよ。

 君がしてることは『殺人』。あいつのしてることは『殺戮』。これらを一緒にしちゃだめだ」

「……なんだよ、それ? 何か違いがあんのかよ? 殺した人数か?」

 

 ソラの言葉にまたキルアが面白くなさそうな顔をするが、ソラはそのことに気付いているのかいないのか、ケロッとした顔で否定する。

「関係なくはないけど、違うな。説明はしてもいいけど、今は無理だ。後でな」

 

「何でだよ!?」とキルアが文句をつける暇もなく、ソラはキルアに「キルア。これ持ってて」と言って投げ渡す。

 

「は!? ……何だよ、これ?」

「わ、すごい! ソラ、これ宝石!?」

 

 キルアに投げ渡されたものを見て、受け取ったキルアは理解できずにいぶかしげな顔をして、それを覗き込んで見たゴンは子供らしい無邪気な笑顔で尋ねる。

 ソラがキルアに投げ渡したものは、小指の爪くらいの大きさのルース。研磨やカットはされているが、指輪やネックレスにするための台座などに取り付けられていない状態の宝石である。

 

「そうだよ。そしてキルア、それはお守りだ。大切に持ってて」

 ゴンの問いに答えつつ、それが何の役割を持っているのかをキルアに説明すると、キルアの顔は不愉快そうに歪み、ソラを睨み付けた。

 

「いらねーよ! この試験はもちろん、他の試験もお前の助けなんて!」

「君に対してじゃなくて、私にとってのお守りだよ」

 

 自分に対して何かまた余計なお世話を発揮したのかと思って怒鳴ると、ソラは若干面倒くさそうな顔をしてそのことを即答で否定し、キルアは続ける筈の言葉を見失う。

 

「それは君がどこにいるか私が知るための目印。発信機みたいなものだと思っといて持っといて。

 私ちょっと、クラピカとレオリオの方に行ってくるから」

 

 サラッと当然のように言い切ったソラに、ゴンが「え? 大丈夫?」と尋ねる前に、キルアが眼を見開いて即座に反論する。

 

「!? バカか、お前!! 自分でさっきなんて言ったかも忘れたのかよ! っていうか、お前が一番危険だろうが! あの変態に目をつけられて泣きそうになってたのはどこのどいつだよ!!」

「私だね。もちろん、今でもあいつに関わるのはめっちゃごめんだけど、しょーがないじゃん。

 ゴンの言うとおり、あの二人が前に来れるのならともかく、無理なら私が行くしかないじゃん」

 

 だが、キルアの言葉をソラが実に面倒くさそう言い返す。

 何がしょうがないのか、キルアにはわからない。何故ソラが行くしかないのか、キルアには納得できない。

 けれどソラにとってそれは、わざわざ説明する必要がないくらいに当たり前のこと。

 生きるために息をするように、理由なんかいちいちいらないもの。

 

 そう自分に言い聞かす以外、キルアには出来なかった。

 訊けなかった。

「そんなに、あっちの『弟』の方が大事か?」なんて尋ねる素直さはもちろん、勇気だってキルアにはなかった。

 

 だから唇を噛みしめて黙ることしかできなかったのに、それしかできなかったキルアの頭にソラは手を置いた。

「そんじゃ、いってきまーす。キルアはそれ、しっかり持っといてね。それがあれば、帰ってこれるから。

 頼りにしてるよ」

 

 ぐしゃぐしゃとキルアの銀髪をかき混ぜながら笑って、ソラはキルアとゴンから背を向けて、受験生の隙間を縫って逆走していった。

 白髪に色白なので、ソラの姿はあっさり濃霧にかき消されて見えなくなる。

 

 逆走していったソラをポカンとしばらく見送ってしまった二人だが、霧がさらに濃くなってゆくことに気付いて、慌てて前を向いて走り続ける。

 走りながらゴンは、まだかろうじて姿が見えるキルアに言った。

 

「……なんか、ソラってすごいね。クラピカとも本当に姉弟みたいだけど、キルアとも外見関係なく血が繋がってないのが信じられないくらい信頼してるんだ」

「…………ただ単におせっかいなだけだろ。本人が言った通りの、おせっかいババアなだけだろ」

 

 ゴンの言葉にキルアは、つっけんどんに言い返す。

 この時ばかりは、前どころか左右さえも霞んでほとんど見えない濃霧がありがたかった。赤くなって熱くなった顔を冷ますにも隠すにも、都合が良かったから。

 

 ソラがキルアとゴンの元から離れて数分もしないうちに、まったく違う方向から悲鳴が聞こえてきた。

 それはヒソカが何かをやらかしたのか、この湿原の獣たちに騙されたのかは二人には判別がつかなかったが、初めの悲鳴からさらに数分後、ゴンの耳に確かに届いた悲鳴が誰のものかは、この野生児にははっきりとわかった。

 

「ってぇーー!!!」

「! レオリオ!!」

「ゴン!!」

 

 キルアは名を呼び、引き留めようとしたが、ゴンは何の躊躇もなく駈け出してソラのように逆走していく。

 一瞬、キルアは立ち止まって迷ったが、彼はゴンから背を向けて走り続ける。

 

 頼りにしてると言われたから。

 キルアがこの湿原の詐欺師たちに騙されて、試験官からはぐれることなどないと信頼して、「お守り」を託した女がそう言ったから。

 だからキルアは、ゴンやソラと同じ方向には行けなかった。

 

「……戻ってこなかったら、ぶっ殺してやる」

 

 今はもう隣にも後ろにもいない、けれど絶対に帰ってくると信じている二人にキルアはそう告げて、彼は走り続けた。

 

 * * *

 

「てめェ!! 何をしやがる!!」

 レオリオの怒声に、霧の中から現れた狂人は実に楽しげに笑って答える。

 

「くくく♦ 試験官ごっこ♥」

 トランプを鮮やかにシャッフルしながら、死体や致命傷を与えてもらえなかったことでのたうちまわって苦しむ受験生たちの中心で、ヒソカは相変わらず気色の悪い殺気を上機嫌で振りまき続けている。

 

「二次試験くらいまで大人しくしてようかと思ったけど、あんな美味しそうな子がいるのに一次試験があまりにタルいから我慢しきれなくてね♠ だから、ボクの欲求不満の発散を兼ねて選考作業を手伝って、ボクがキミ達を判定してあげるよ♣」

 

 ヒソカの不遜な言い分に、受験生の一人が嘲笑う。

「判定? くくく、バカめ! この霧だぜ? 一度、試験官と離れたら最後、どこに向かったかわからない本隊を見つけ出すなんて不可能だ!!

 つまり、お前も俺達も取り残された不合格者なんだよ!!」

 

 その受験生の言葉は正論だった。常識だった。

 が、この道化師に常識が通用するはずがない。だからこそ、この惨状だということを理解できていなかった愚かな受験生は、人面猿のように額にトランプが突き刺さって死んだ。

 

「失礼だな♠ キミとボクを一緒にしないで欲しいね♦

 冥途の土産に覚えとくといいよ♣ 奇術師に不可能はないって♥」

 

 ソラに何を言われても気にせず、むしろソラが本気で嫌がれば嫌がるほど悦に入っていた変態だが、興味のない雑魚に同レベル扱いはさすがに気に障ったらしい。

 それでも彼の声音から余裕は消えない。

 自分ならこの濃霧も狡猾な獣たちもものともせずに、二次試験会場に辿りつけるという自信が見て取れた。

 

 その余裕っぷりに「どうせ不合格なら」という自棄が生んだのか、それとも人数だけなら圧倒的だと気が大きくなったのか、受験生たちは一斉にヒソカを取り囲む。

「殺人狂め。貴様など、ハンターになる資格なんてねーぜ!」

「二度と試験を受けられないようにしてやる……!!」

 

 受験生たちは武器を手に取って、口々に「これからお前をリンチする」と宣言するが、ヒソカは彼らの言葉など気にも留めず、トランプを1枚取り出して宣言した。

「そうだな~……。

 キミ達、纏めてこれ一枚で十分かな♣」

 

 ヒソカの言葉にキレて受験生たちは一斉に襲い掛かるが、まさしく所詮は烏合の衆という有様。

 いくら1対多数とはいえあらゆる意味で実戦慣れをして、他者を殺すことに躊躇どころか快楽を感じている相手と、そんな狂人相手でも殺す覚悟が本心では決められなかった、自分の手でとどめを刺す勇気などなかった受験生が相手になる訳がない。

 

 連携が取れないのなら多人数との乱闘なんてヒソカからしたら、自分の身を守る盾や壁が多いというメリットでしかなく、ヒソカは悠々と宣言通りにトランプを1枚、ハートの4のみで受験生たちの喉笛や両目、急所を切り裂いてゆく。

 

「くっくっく、あっはっはっはァーーァ♥」

 

 たったの数十秒間で10人以上を殺し、狂った哄笑を上げるヒソカを見て受験生達はようやく、相手が自分達では敵わない、もはや別の生き物だと認識した方が良いことに気付き、もう彼に立ち向かうものはいない。

 悲鳴を上げて逃げ出す受験生たちを、ヒソカが血の匂いで興奮してさらにテンションが上がったのか、笑いながらトランプを振りかぶって迫る。

 

「凍てつけ!!」

 

 ヒソカの甲高い哄笑でも、逃げ惑う受験生たちの野太くて情けない悲鳴でもない、男にしては高く、女にしては低い、声変わりする直前の少年じみていながら凛とした声が響くと同時に、ヒソカは視界にとらえた。

 自分の足元近くに投げつけられた、青い宝石らしき鉱物を。

 

 とらえると同時にヒソカは、喜悦の笑みを浮かべて後ろに飛びのく。

“凝”や“円”をしていなくても、テンションが上がってあらゆる意味で感度が良好なヒソカからしたら、その宝石に込められたオーラにも、そのオーラが誰のものであるかも、声などなくてもわかった。

 

 ヒソカが飛びのいた直後、宝石が破裂してその中にたっぷり充填されていたオーラが、宝石の属性を解き放ち、地面のぬかるみをヒソカに襲われかけていた受験生たちの足ごと凍りつかせる。

 他人が巻き添えになったことに気付いているのかいないのか、他の受験生などお構いなく声が響き渡り、さらに宝石が投げつけられる。

 

「吹き荒れろ!」という宣言で暴風が巻き起こり、辺りの霧を晴らすと同時にヒソカの投げつけたトランプも明後日の方向に飛ばしてゆく。

「焼き払え!」という宣言は、既に二つのパターンを見せてしまった所為で読まれ、赤い宝石はヒソカのバンジーガムで投げつけられたものを受け止められて、今度はこちらが明後日の方向に投げ飛ばされて爆発する。

 

 しかし、相手だってそれくらい読んでいた。

 本命の攻撃は、自分のオーラの系統にあったもの。

 風属性の宝石魔術で少し薄くなった霧の奥から、「彼女」が現れる。

 

「吹っ飛べ、マッドピエロ!!」

 

 そんな身も蓋もない言葉とともに弾丸のような勢いで跳んできたのは、宝石ではなくソラ本人。

“硬”に近いくらいにオーラを込めた足のジャンピングキックを防ぐために、ヒソカもオーラを上半身から腕に集中させてガードした。

 が、強化系の“硬”のダメージを最小限にするためには、オーラのほとんどを上半身に回して防御しかなかったので、バンジーガムで足を地面に固定させる余裕がなければ、湿地帯だわソラの宝石魔術の所為で氷も張ってるわで踏ん張りが利くわけもなく、ヒソカは彼女の要望通り派手に吹っ飛んだ。

 

 ちょっとマンガのようなあまりにも綺麗なヒソカの吹っ飛び具合に、クラピカやレオリオはもちろん、他の受験生も暴風や爆発を起こした宝石以上の光景に呆然とし、その光景をただ見ることしかできなかった。

 ヒソカにライダーキックを決めた女は、ぬかるみに転びそうになりながらも着地して、舌打ちしながら呟く。

 

「ちっ! 玉天崩失敗した。やっぱちゃんと3撃入れないとダメか」

 

 その呟きが聞こえた受験生は、まったく知らない、どんな技なのか予想も出来ない名前なのに、何故か全員無意識に内股になった。

 おそらく男の本能でその技の別名が、「一夫多妻去勢拳」ということを感じ取ったのだろう。

 

 クラピカとレオリオも無自覚に若干内股になりつつも、現状をやっと把握して叫ぶ。

 

「ソラ!? 何故ここに!?」

「何してんだ、お前! ゴン達と一緒にいたんじゃなかったのかよ!?」

 

 よりにもよってヒソカが完璧に目をつけていた本人がやって来た挙句、攻撃をぶちかましたことを彼らは叫んで叱責しているのに、二人の声にソラは場違いなくらい嬉しそうに笑って振り返る。

 

「クラピカ! レオリオ! 良かった無事で……って、レオリオその番号札どうやってつけてるの!?」

「「どこに注目してる!?」」

 

 二人の無事を安堵して喜んだと思ったら、上半身裸なのにレオリオはどうやって受験番号のプレートを付けているのかという、どうでも良すぎる部分に注目して驚愕するソラに思わず反射で、二人は同時に突っ込みを入れた。

 口に出して突っ込んだのは二人だけだが、おそらく生き残った受験生全員が同じことを思ったのは間違いない。

 

 しかしその程度の突っ込みで話を終わらせるぐらいに空気を読んでくれる女なら、クラピカやキルアはもちろん、ビスケや時計塔のカリスマ講師の苦労は100分の1以下で済む。

 

「いやだって、マジでどうやってそれつけてるの!? 安ピンだったよね、それ!」

 しつこく問い詰めるソラにクラピカは、「お前は本当に奇跡的なバカだな!」とキレるが、キレつつ横目でレオリオの番号札をチラッと見た。

 突っ込んだ手前言い出せないが、ソラに指摘されて彼も「あれはどうやってついてるんだろう?」と疑問に思ったのだろう。

 

「酷いなぁ、ソラ♠ せっかく来てくれたのに、ボクの相手はしてくれないのかい?」

「げっ!!」

 

 強化系に近い変化系能力者だからか、それともただ筋金入りのドMだからか、ソラに吹っ飛ばされてもヒソカはさほどダメージを受けた様子もなく、むしろ素晴らしく気持ち悪い笑みを浮かべて戻ってきたことに、ソラは心底嫌そうな声を上げる。

 

「お前の相手しに来た訳じゃねーよ! 私はクラピカとレオリオを回収しに来ただけだっつーの!

 という訳で、二人とも走れる!? 逃げるよ!!」

 

 とりあえず、ヒソカの為に来てやったということを全否定しながら、ソラはクラピカとレオリオに「先に行け」と指示を出す。

 せっかく吹っ飛ばして距離を取ったのに、どうでもいいことを気にして時間を無駄にした本人からの指示に少しイラッとくるものがあったが、逃げることに異論はなかったので文句は後回しにして、レオリオはソラの元に駈け出そうとしたクラピカの腕を掴んで、走り出す。

 

「!? 何をする、レオリオ! 離せ!!」

「アホか、お前! どう考えても、俺たちよりあいつの方が強いだろ! 俺らが駆け寄ったところで、せいぜい肉壁にしかならねーっつーの!

 で、あの女は俺らを盾にして生き残って喜ぶ女かどうか、俺よりお前の方がわかってるはずだろうが!!」

 

 腕を掴まれたクラピカは抵抗するが、レオリオの指摘に泣きそうな顔になって唇を噛む。

 3年前と同じ無力感を抱き、同じ後悔をするとわかっていても、レオリオの言葉が正しいこともわかっていたから、クラピカは唇が切れるほどに噛みしめて耐えて、ソラに背を向けて走り出す。

 

 が、その直後に何故かレオリオがソラのとび蹴りを背中に喰らって吹っ飛んだ。

 

「おぐぅっ!!」

「レオリオ!? ソラ! いったい何がしたいんだお前は!?」

 

 今にも溢れ出しそうだった涙が吹っ飛び、思わずレオリオを蹴り飛ばして自分の傍らで膝をつくソラに突っ込むが、ソラはクラピカも蹴り飛ばしたレオリオも見ない。

 視線は、ミッドナイトブルーからじわじわと明度が上がって鮮やかなブルーになってゆく目が向ける先は、殺戮の道化師に向けられていた。

 

「おい、こらてめぇ! 俺に何の恨みが……」

「何のつもりだ?」

 

 吹っ飛んだレオリオも起き上がってソラに抗議するが、彼女は見向きもせずにヒソカに問う。

 その声の冷たさに、そして奇術師をまさに殺さんばかりに睨み付けて、ヒソカ並みの殺気をソラが放っていることに気付いてレオリオは、続けようとした言葉を見失う。

 

「くくく、そんな目で見つめるなよ♣ 興奮しちゃうじゃないか♥」

「何のつもりだって訊いてるんだ。言葉が通じないんだったら、黙ってろ」

 

 しかしソラの殺気もヒソカからしたら興奮材料にしかならず、さらに気色悪いことを言い出してクラピカとレオリオを盛大に引かせる、ソラは不愉快そうに鼻を鳴らす。

 試験前や湿原を走る前のような反応を返してくれなかったのが少し不満なのか、ソラの反応に少しだけヒソカのテンションが下がってようやく彼女の問いに、舌なめずりをしながら答える。

 

「そんなに怒らないでほしいなぁ♠ ボクがどんなにアプローチしてもキミがボクの相手をしてくれないから、キミが大切にしてるその子たちにちょっかいをかけたら、キミはその眼でボクを見てくれるんじゃないかなって思っただけだよ♣」

 

 ヒソカの答えに、レオリオは今更背筋を震わせた。

 ヒソカが何をしようとしたのかは全く分からないが、ソラのとび蹴りは間違いなくヒソカがソラと戦うために、彼女の怒りを買うために何らかの攻撃か何かを自分に加えようとして、それに気付いたソラが蹴り飛ばしてレオリオを庇ったのだろう。

 

 そのことを知って、レオリオが抱いた感情は死への恐怖でも、それがまぬがれたことに対する安堵でもなく、どこまでも命を玩具としか思っていない狂人に対しての怒り。

 クラピカも同じ感情を抱いたのか、自分の眼が赤くなってゆくことを感じながら、ヒソカにクルタ族の証を見せてしまっていることに気付ける余裕もなく、木刀を構えた。

 

 もう二人には、「ソラの足手まといだから、せめて邪魔にならないように先に逃げる」なんて考えは頭にはなかった。

 

 が、質問した張本人はヒソカを無表情で眺めながら言う。

 

「……そういや、初めにお前を見た時から言いたかったんだけどさぁ……」

「ん? 何をだい?」

 

 ソラは自分のすぐ近くに落ちていた木の枝を拾い上げてから、立ち上がる。

 そして、濃霧と曇天によって隠された頭上の空と同じ色の眼でヒソカを見据えて言った。

 

「メイクが違うだろ。クラウン」

 

 言いながら、彼女は今さっき拾ったばっかりの、何の変哲もない、オーラさえ纏っていない棒切れを振るった。

 そのクモの巣でも払うような仕草は、レオリオはもちろんクラピカでさえもただの素振りだと思ったが、念能力者なら絶句するだろう。

 

 レオリオの背中に貼りつけるつもりで飛ばし、彼を庇ったソラの腕についたヒソカの念能力、「伸縮自在の愛(バンジーガム)」。

 名前の通りゴムとガムの性質を持ち、一度くっつけばヒソカが解除しない限り剥がれず、伸縮性が極めて高いため、高レベルの強化系能力者でも引きちぎることが困難な、シンプルだからこそ厄介極まりない能力。

 

 そんなバンジーガムが、ソラの腕と自分の腕を繋いでいたオーラが、何の変哲もない棒切れによって断絶された。

 試験開始前、キルアを庇って自分の背中についたものを指で断ち切ったように、オーラを使わずただどこまでも澄んだ青い瞳で見据えることで、彼女はヒソカの能力を無効化してのけた。

 

 しかしヒソカは、そのことに驚きはしても脅威や屈辱の類を抱くことはなく、ただでさえ細く吊り上っていた眼をさらに釣り上げて、狂喜としか言いようのない感情を露わにさせる。

 

 クラピカとレオリオはその狂的な笑みに思わず「ひっ!」と短い悲鳴を上げた。

 ソラはただ、相変わらず無表情で、蒼天の瞳で見据える。

 

 クラウンの笑みを、死を捉える目で白けたように。

 

 ヒソカの服装やメイクが、「道化師」をイメージしているのは一目瞭然だが、実は道化師には「クラウン」と「ピエロ」という二つの種類で分けられる。

 あまり細かい違いがないので混同されがちだが、一般的に涙のメイクを描く道化師が「ピエロ」である。

 

 そんな雑学を、思い出してしまった。

 ピエロの涙の意味を、思い出してしまった。

 どうでもいい雑学でしかなかったが、思い出してしまったらヒソカのメイクが無性に気に食わなくて、ソラはトランプのジョーカーによく似た男に棒切れを突き付けて言い放つ。

 

「お前のどこが、『自分の悲しみを隠して、バカにされながらも観客を笑わせる』んだ? 自分の快楽しか興味がない変態野郎がクラウンどころかピエロって、バカなの?

 お前の独りよがりに笑うのは、お前一人だけ。公開オナニーなんて迷惑なだけだから、独りで鏡見てやってろ。

 

 誰かの為に何もできない奴が道化師を気取るな、サイコジョーカー」

 

 面白おかしくふざけて笑って、生きているということはこんなにも楽しいと思っていないと耐えられない彼女だからこそ、気に食わなくて許せなかったのかもしれない。





戦闘シーン難しい……
ソラの宝石魔術は、フェイトの格ゲーでのルヴィアの技を参考にしました。さすがにルヴィアさんは、トドメに玉天崩なんか使わないけど。

それと、前回のキルアのセリフ同様に、「原作ではこんな言葉使いだけど、今のキャラが固まったヒソカならこんな言葉使いしないよなぁ」と思った部分は、今のヒソカにあうように直しています。


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18:殺らなきゃ守れない

 蒼天の瞳でヒソカを見据えたまま、ソラは持っていたレオリオのアタッシュケースを本人に放り投げて渡す。

 

「ほい、レオリオ。邪魔だから持ってて。そんで、二人は逃げて」

「出来るわけないだろ!」

「ふざけんな! 足手まといだろうが、あんだけ舐められて尻尾巻いて逃げれるほど俺の心は広くねーんだよ!」

 

 振り向きもせずに再び出された指示に、今度はレオリオもクラピカを止めずに反論する。

 しかしソラは、やはり振り返らずにはっきりと言い切った。

 

「ごめん。二人がいたら勝算がなくなる。

 自殺志願じゃないのなら、ちょっとでも私の為にあいつをぶん殴りたいと思ってくれているのなら、マジで逃げて」

 

 地下道で会ってからうざくて殴りたいくらい高かったテンションが嘘のように、余裕のない真剣な声音に二人は言葉を失った。

 わかりきっていたことだが、その答えにレオリオは悔しげに顔を歪め、クラピカに至っては絶望する。

 3年の月日で、少しはソラに近づいたという自信があった。自分より年上で、魔術や直死の魔眼などという異能を操るとはいえ、女性なのだから体術等なら自分の方が上回っているのではないかと期待していた。

 

 が、この一次試験のマラソンでどうしてもソラに追いつけなかったという事実でその自信は打ち砕かれたというのに、ソラの言葉でわずかに残っていた期待も崩壊した。

 いつまでたっても自分は、守られてばかりの弱くて情けない子供であることを思い知らされながらも、彼は縋るようにソラの背中に尋ねる。

 

「……そんなに、私は役に立たないか? ……邪魔でしかないのか?」

 

 彼女の言うとおり、少しでもソラの為を想ってヒソカと対峙しようとしていたのなら、こんな弱音を吐いている暇があるのなら逃げるべきだった。

 それでも、クラピカは一歩も動けずに縋り付いた。

 見苦しく、否定の言葉を期待した。

 

「そうだね。邪魔と言えばレオリオ以上に君が邪魔だね」

 相変わらずソラは振り返らず、クラピカの問いに対して追い打ちをかける。

 その答えで絶望という感情すら浮かび上がらない無表情になったクラピカを見て、レオリオが何かを言いかけたが、それを遮るように告げたソラの声は少しだけ明るかった。

 

「君が大切すぎて、私はあの変態から勝つことや逃げることより、君を逃がして守ることばっかり優先しちゃうから」

「なっ!?」

 

 強い弱いなど関係なく、ただ大切だからというストレートすぎる言葉で絶望すら通り過ぎて人形じみたクラピカの無表情が、実に人間らしい赤面と変化する。

 ソラの言葉とクラピカの反応で、レオリオは「心配して損した」と言わんばかりの顔になり、ソラに向かってニヤニヤ笑っていたヒソカの笑みもなんだか若干違う種類のものに変化したように見えるのは、おそらくクラピカの被害妄想ではない。

 

 当のクラピカは3年前から健在な、どん底まで叩き落としてから一気に引き上げるという狙ってやってるのか素なのかが不明な高低差についていけず、赤面したまままた口をハクハクと開閉させることしかできない。

 そんな金魚状態のクラピカに、ソラは少しだけ振り返って言った。

 

「だから、ごめん。先行ってて。心配なんかしなくていいからさ。っていうか、心配する必要ないよ。君は知ってるだろ?

 私が、どこから逃げ出して生き延びてきたかを。あの『 』と比べたらこんな変態くらい、余裕だってば」

 

 いつものように、おどけたように飄々と彼女は言って笑っていた。

 どこまでも澄みきっていながら、何もかもを飲み込んで混濁したような青い、底など見えない最果ての瞳にクラピカを映して。

 

「よそ見なんて、ホントつれないねキミは♠」

 

 やや不愉快そうにヒソカは言ったが、言葉通りではないことなど喜悦をたっぷり含ませた粘着質な声と狂喜の笑みを浮かべて距離を詰めてきたことで、誰でもわかる。

 ソラの首を掻っ切るつもりで掲げたトランプを、ソラはヒソカの方を見もせず上体を大きくのけぞらせて避けてから、そのままブリッジの体勢になってバク転の要領で蹴りつけた。

 

 ヒソカではなく、自分の方に跳んできたトランプが頭に刺さった死体を蹴り飛ばして、ついでにヒソカの強襲と死体の奇襲という衝撃で固まってしまった二人に指示を飛ばす。

「逃げて!!」

 

 叫びつつ、ソラは木の枝を構えて彼女には珍しく自分から相手の方に突っ込んで行った。

 その背をまた、ただ見るしかできない、手を伸ばしても届かないことを思い知りながら、今度はクラピカがレオリオの腕を掴んで駈け出した。

 

「行くぞ!」

「お、おう! おい! ソラ! 死ぬんじゃねーぞ!!」

 

 クラピカに腕を引かれながら、レオリオは振り返ってソラに命じる。

 その声に、いつものバカ高いテンションでソラは応じた。

 

「あったりまえだーっ! 死ぬくらいならこの変態をぶっ殺すっつーの!!」

 

 * * *

 

 早速、イルミの言っていた「予知能力でも持っているのかと思うくらい、不意打ちや奇襲の類が成立しない」というのを実体験して、ヒソカの口角がさらに上がる。

“円”もしていないのに自分の方に視線も向けずにやたらと大げさな動きで避けたかと思ったら、ヒソカの腕から死体に伸ばし、腕を振るった反動で引き寄せてぶつけようとした死体の存在を、しっかり彼女が読んでいたことがヒソカにとっては嬉しくてたまらなかった。

 

「くくく♥ ソラ、キミはホントにイイよ♥」

「私は何も良くねーよ!!」

 

 が、もちろんソラからしたら最悪極まりない。

 クラピカとレオリオを逃がすために自分から向かって行って、棒切れでヒソカのトランプとバンジーガムを捌き、ゴムの反動でブン投げて飛ばしてくる死体を蹴り返したのは、30秒ほどだけ。

 

 あとはもう防戦に徹して逃げ回るソラをヒソカが追い回す鬼ごっこ状態で、二人は噛み合わない会話を交わす。会話と言うより、ヒソカの気持ち悪い独り言に耐えられず、ソラが突っ込みまくっているだけが正確だろう。

 

 今にも泣き出しそうな顔で叫んで否定しながら、ソラはやはりオーラを纏いもしてない棒切れを振るって、ヒソカが貼りつけようとしたバンジーガムを切り裂いて無効化してゆく。

 そんな念能力者にとって絶望的な異能を見せつけられているにも拘らず、ヒソカは相変わらず上機嫌に笑いながら追い掛け回し、そして尋ねた。

 

「ねぇ、ソラ♦ 一つ、訊いてもいいかい?」

「もうこの時点で質問だろうが! お前に教えることなんか何もない!!」

 ヒソカの言葉に揚げ足取りで言い返して却下するが、ヒソカはソラの要望などサラッと無視して問いかける。

 

「キミのその眼、念能力かい?」

 

 ソラは宣言通り、ヒソカの問いには答えなかった。

 ただ、蒼天の瞳の明度が静かに上がっていくのを見て、ヒソカはゾクリと全身を震わせた。

 

 ヒソカの全身に駆け巡ったのは、恐怖でも脅威でもなく、悦楽と歓喜。

 

「……キミの眼、本当に不思議だね♣ さっきの404番の彼もゾクゾクするような眼をしてたけど、キミは段違い♥」

 

 そう言いながら、ヒソカは自分の体を抱きしめるようにして、一人勝手に悦に入り、ソラは盛大に引く。

 精神はもはや大陸を超える勢いで距離を置かれているが、ヒソカはソラのドン引きなどお構いなく、そのまま勝手に語り続ける。

 

「あぁ、その見事なスカイブルーはイイね♣ 普段のミッドナイトブルーよりも、さらにゾクゾクする♥」

 

 語りながら、ヒソカはどうしてこんなにも自分が彼女に、ソラ=シキオリに執着するのかを理解する。

 それは彼女が今すぐに食べても美味しいのに、まだまだ美味しくなる可能性のある、熟し切っていない果実であるからなのはもちろんなのだが、それ以上に惹かれて止まないのはその瞳。

 

 初めにきちんと顔を見た時から、その眼に真っ直ぐに見据えられた時から感じた感覚がなんであるかを、現在のスカイブルーの眼で見据えられて理解できた。

 

 自分の命を無理やり、力ずくで体から引きずり出される。言い表すなら、それ以外にない。

 

 ソラがヒソカのトランプを捌く際、確かに死臭がした。

 それは自分の攻撃を受けているソラのものではなく、自分から発せられたものだと直感し、ヒソカはさらに興奮した結果があのトランプ1セットを使い切るまでの攻撃。

 そしてその死臭は、今もはっきりと芳しいまでに放たれている。

 

 彼女の眼が明るく澄めば澄むほど、深く淀めば淀むほどに、その瞳で見られるだけで喉笛にナイフでも突き立てられているような芳醇な死を具現化させるその眼が、ヒソカにとって愛しくてたまらず興奮のあまり血が集まる。

 どこにかは、想像にお任せしよう。

 

「勝手にゾクゾクしてろ。っていうか、風邪なんじゃない? 病院行ってそのまま窓と角がない柔らかい病室から出てくんな!」

 

 しかし当然、ソラの方はヒソカの反応を気持ち悪がるだけであり、しかも「スカイブルーの眼がいい」と言った所為か、目の明度が若干下がった。

“凝”を行えば目の色が変化していたが、明度が少し落ちた今でも目に集中して纏うオーラの量自体に変化はない。

 なので彼女の眼の色の変化にオーラは無関係とは言えないが、念能力ではないことをヒソカは確信する。

 

 が、正直言ってヒソカにとってはその目や自分の念能力を無効化する異能が、念能力ではないという能力者だからこそ信じられない驚愕の事実など、どうでも良かった。

 彼にとって重要なのは、自分にとって気持ちよく、互いに全力を出し尽くせる戦いが出来るかどうか。

 

 だからヒソカが考えたことは、あの眼の正体、異能の攻略法ではなく、どうやったらソラをイルミが語った「殺らなければ殺られる」モードにさせられるか。

 自分のまさしく自業自得で相手のテンションを下げて、あの魂を引きずり出される感覚が薄れたことを不満に思い、もはや完全にハンター試験のことなど忘れて、ヒソカはソラと戦う事のみに思考を走らせる。

 

 イルミの言う通り、ソラは仲間の二人を逃がしてからは防衛と逃亡一辺倒になってしまい、野外なのでどこかに追い詰めるということは自分一人ではまず不可能だと判断する。

 そもそも、「殺らなければ殺られる」モードに入っても、それを語るイルミが生きているということは、一度スイッチが入っても、逃げるチャンスを見つけたらあっさりそのモードは解除されて逃げられる可能性は高い。

 今現在のお預けでもヒソカは辛抱がたまらないのに、そんな最高に美味しそうな状態を見せられた挙句に逃げられたら、雑魚などいくら狩っても満足できず、耐えられないのは目に見えていた。

 

 だから、彼は訊いた。

 

「……ねぇ、ソラ♠」

「あ?」

 

 自分を追い回す奇術師に、ソラはガラ悪く答える。

 

「キミにとって99番と404番、どっちが大事?」

 

 ソラは答えなかった。

 答えず、オーラを足に回して地面を大きく抉って駆け出した。

 

 木の枝を剣のように握りしめ、再び明度がスカイブルーにまで上がった目を見開き、ヒソカをその目にしっかりと捉えて。

 芳醇な、濃厚な死の香りに自分の喜悦、愉悦がほとばしるのを感じながら、ヒソカはバンジーガムを張り付けていた死体をハンマー投げの要領でソラに向かってブン投げる。

 

 ヒソカの読み通り、彼女は自分の生存を第一にしているが決して他人に対して興味がないわけではない。それどころか、ここで一人自分の相手をしている時点で、相当なお人好しであることはわかっていた。

 そんな彼女が特に親しくしていたキルアや、大事すぎてヒソカと戦うのなら傍にいられると不利になると言い切ったクラピカに手を出すと、暗に言われて本気を出さない訳がない。

 

 2メートル近い男の死体をブン投げられても、ソラは減速しなかった。

 蹴り返すことも、避けることもせず、真っ直ぐに彼女は駆ける。

 オーラを纏っていない、正真正銘ただの木の枝に過ぎない棒きれで屈強な男の死体を、あまりにも鮮やかに、滑らかに一刀両断して道を切り開く。

 

 ヒソカの仮初の仲間に居合の達人が存在し、きちんと彼の居合を見た覚えなどないが、間違いなく彼以上だと断言できるほど美しい一閃に笑みを深めるが、彼女が死体を二分して道を切り開き、血と霧の中でもはっきりと輝く「空」の眼を見た瞬間、彼の全身に走る悦楽は最高潮に達する。

 

 自分の全身から引きずり出されて、噴き出す死の気配が、トランプタワーが崩れる瞬間のような危ういバランスで、今を生きていることを実感させられる。

 ソラは十分強いと言えるが、彼女より強かった者など何人も屠ってきたのに、こんな感覚を与えられるのは初めてで、そして彼女だけだと確信しながら、ヒソカは真っすぐに自分の元へと迫りくる「死」そのもののような女から逃げずに、オーラを込めたトランプを振りかぶった。

 

 * * *

 

 ヒソカはソラを殺すことのみに、集中していた。

 そしてソラは、「殺す」とだけ決めてしまっていた。

 

「ソラっ!!」

 

 まだ声変わりをしていない、ソラの声と同じくらい半端な高さの声が響くと同時に、ヒソカのこめかみめがけて釣り針が跳んできた。

 ヒソカはその声も、視界の端でとらえる釣り針も無視した。そんなものに構っていたら、確実にこの死神に呆気なく命が断たれることがわかっていたからだ。

 殺されるのはまだ良いが、それなら彼女から与えられる死を思う存分味わいたかったので、オーラを込めてもいない攻撃なら“纏”でほぼ無効化されるのもあって、放っておいた。

 

 しかし、ソラの方はそうはいかなかった。

 

「殺す」と決めてしまった。

 保たれていたバランスが崩れていた彼女にとって、それは自分を助けようとした行為だとは認識できていなかった。

 呼ばれたのが、自分の名前だとすら彼女はわかってなどいなかった。

 

 ソラの突き出した腕、棒切れの先をヒソカはこめかみに思いっきり釣りの重りをぶつけられながらも、ソラが初めに自分のトランプを避けた時のようにのけぞって避けた。

 心臓や首ではなく右肩あたりを狙ってきたが、ヒソカのもはや勘ではなく生存本能が全力で「受けるな、避けろ」と警告を発し、その警告に忠実に従った結果である。

 

 死にたくなかったというより一秒でも長くこの感覚に酔いしれたいというだけの行いにすぎず、ヒソカはのけぞりながら次はどんな予想外な動きでこの「死」の気配を味わわせてくれるのかを期待した。

 

 が、その期待を裏切り、ソラはヒソカを視界から外す。

 

 蒼天の瞳が捉えたのは、釣竿を振り下ろした体勢で固まってしまっている少年。

 仲間の悲鳴を聞いて駆け付け、自分の加勢をしてくれたゴンに向かって彼女は、一瞬の躊躇もなく駆け出す。

 

 ヒソカに向かって行った時と同じく、ただの棒きれをしっかりと握りしめて。

 

 彼女の眼には、ゴンがどう見えていたかなどおそらくソラ本人にもわからない。

 ただ、彼女は守りたかった。誰を何人、犠牲にしても。

 ソラにとって、ゴンのしたことは加勢ではなかった。実力差がありすぎて、それは焼け石に水でしかなかった。

 

 感情を排したソラにとってゴンの行為は「邪魔」でしかなく、彼を「敵」だと認識した。

 

 だから、振りかぶった。

 死神の鎌と化した棒切れを、ゴンに向かって。

 

 

 

 

「やめろ! ソラっ!!」

 

 

 

 

 

 ソラの眼に見据えられ、後ずさりつつも釣竿を構えたゴンの前に、立ちふさがって叫ぶ。

 

「彼は君の敵じゃない!!」

 

 クラピカが、両手を広げてゴンを庇ってソラの前に立ちふさがった時、ソラの振り下ろした棒がクラピカの首に触れる直前、ピタリと止まる。

 

「………………クラピカ?」

 

 きょとんとしか言いようがない顔で、急激に明度が落ちて夜空色となった瞳を丸くさせてソラは呟く。

 

 誰を犠牲にしても、何人殺しても、自分を助けに来てくれた人がわからなくなっても、そこまで狂い果てても守りたかった最愛の名を呼んだ。

何の為に、自分はここまで狂っても生きているのかを、思い出した。

 

 ソラの殺気が薄れ、雰囲気がいつものものに戻ったことに、クラピカとゴンは止まりかけていた呼吸を再開させて安堵するが、即座に安堵するには早すぎることに気付く。

 

 いきなり助けに来たはずのゴンの方へ攻撃を仕掛けたソラに、さすがのヒソカも少しだけ意表を突かれて反応が遅れたが、彼もこの程度で戦いをやめるほど正気ではなかった。

 カードを振りかぶり、迫りくるヒソカにソラが再び瞳の明度を上げて向き直り、ゴンとクラピカもそれぞれ武器を構えた。

 

 が、ヒソカに対して最初に反応できたのは、ソラでもゴンやクラピカでもなかった。

 

「俺を忘れてんじゃねーぞ! 変態ピエぼふぉっ!!」

「「レオリオ!?」」

「あほーっ!!」

 

 腕の傷と、ソラと戦うための自分を人質か見せしめにでもしようとしたことに対して、反撃の機会を狙っていたらしいレオリオが、霧の中から飛び出てアタッシュケースを思いっきり振りかぶったが、ヒソカの拳がレオリオの顔面にめり込んで吹っ飛び、ソラは率直な感想を叫んだ。

 

 レオリオを吹っ飛ばして、そのままソラの方に向かってくると思われたヒソカだが、その直後電話が鳴った。

 イルミに、「ちょっと軽く遊ぶから、2次試験会場に着いたら連絡して♦」と頼んでいたのをその音で思い出して、立ち止まる。

 

 ヒソカを警戒しつつも、クラピカとゴンを背中にやって守るソラと、ヒソカの足元で伸びているレオリオを心配そうに見やりながら、武器を構える二人。

 

 まだまだソラと遊びたいところだったが、ソラに殺されかかっても応戦しようとしたゴンに、そんな彼を守るために立ちはだかったクラピカ。

 そしてあれだけの殺戮を見ても自分に向かってきたレオリオという、この上なく美味しそうな青い果実たちを前にして、ヒソカは少しだけ思案した。

 

 先ほどのソラの反応を考えたら、この中の誰か、特にクラピカを殺せば先ほど以上の殺気をぶつけてもらえそうだが、その為に今すぐ壊してしまうのはもったいなさすぎるほど3人は逸材だ。

 そもそも守る対象が側におらず、ヒソカを殺さないと彼らが危ないと判断したからこそ、ゴンを「自分の邪魔をする敵」としか認識できないほどにソラは、ヒソカを殺すことに固執したのだろう。

 

 守る対象が側にいるのなら、彼女はクラピカに言ったようにヒソカと戦うことより彼らを守って逃がすことを優先する。

 だから、彼らが来てしまった時点で彼女をまたあそこまで美味しい状態にさせるのは不可能だと判断して、ヒソカはカードを仕舞い込んだ。

 

「残念♠ 時間切れ♦」

 

 消化不良ではあるが、とびっきりの果実を見つけただけでもこの「試験官ごっこ」には価値があったと判断し、ヒソカは自分がダウンさせたレオリオを担いで3人に言う。

 

「お互い、持つべきものは仲間だね♥ 一緒にくるかい?」

 

 ヒソカの誘いに、3人は無言で同時に激しく首を横に振った。

「つれないなぁ♠」

 その反応にどこまでもセリフには合わない楽しげな声で答え、ヒソカはレオリオを担いで霧の中に消えて行く。

 ヒソカが立ち去って1分近く、誰も何も話さないし動けない、起こったことを頭の中で整理するのが精いっぱいだった。

 

「……レオリオ、大丈夫かな?」

 沈黙を破ったのは、ゴンの今更感がただよう心配。

 殴られた挙句にヒソカに連れて行かれたのは、少しでもあの変態を知っていたらもはや心配ではなく「ご愁傷様」と諦めが心に占める事態だが、嫌なことにヒソカに気に入られた所為で、この中で一番ヒソカがどういった人物かを把握してしまったソラが「大丈夫」と明言した。

 

「あの変態は、骨の髄どころか魂からして戦闘狂だから大丈夫。弱いのを嬲り殺すのも好きだろうけど、一番好むのは同等以上の相手との命の取り合いだよ。

 たぶん、レオリオのことは気に入ったけどまだまだ未熟って判断しただろうから、あいつは好物を最後に食べようって残すみたいにレオリオを生かすと思う」

 

 ソラの言葉にゴンは「良かった」と安堵するが、クラピカが「いや、それはそれで……」とこの上なく微妙な顔をした。

 

「それよりも、ゴン」

「え? 何?」

 

 レオリオの安否に関しての話題はサラッと終わらせて、ソラは真剣な表情でゴンと向き合う。

 ソラの真顔にゴンはもちろん、クラピカも少し困惑するが、ソラは二人の困惑を無視して叫ぶ。

 

「さっきは暴走して殺しかけてごめんなさいでしたー!!」

 

 ソラのスーパー土下座&謝罪タイムが始まった。

 

* * *

 

「何だ、殺せなかったの? なら、連絡なんかしなきゃよかった」

 

 ヒソカが担いで来たレオリオを適当な場所に寝かせたと同時に、不満そうな声を掛けられた。

 

「んー、ごめんね♦ 仲間が集まってきちゃって、もうその全員があまりにも美味しそうだから、どれも今すぐに壊すのがもったいなくて♥」

 

 針まみれの無表情でも器用に不機嫌さを前面に出すギタラクルことイルミに、ヒソカはまったく悪びれずに答える。

 もちろん、イルミの方も彼に誠意なんてありえないものは求めていないので、その挑発じみた謝罪は無視してさっさとヒソカから離れる。どうも彼はただ単に、自分の不満をぶつけたかっただけらしい。

 

 しかしイルミも相当図太いが、罵倒も無視もプレイの一環と解釈できるほど幅広い性癖持ちのヒソカには敵わない。

 さっさと背を向けて離れていこうとするイルミの背後を付きまとい、ヒソカは一方的につい先ほどまで行っていたソラとの鬼ごっこがいかに素晴らしかったかを語る。

 

「キミの言う通りだったよ♥ “円”を使ってる様子もないのに、死角からの攻撃もうまい具合に避けるし、ボクの攻撃は全部捌ききれるぐらいの技能があるのに、全然ノッてくれなくてすっごく焦らされちゃった♠」

「気持ち悪い」

 

 即答で率直な感想をイルミは述べるが、当然それくらいヒソカは言われ慣れているので、まったく気にせずに気持ち悪い話は続行される。

 もうこいつの頭に針を刺してやろうかとイルミは一瞬考えたが、確実に喜ぶだけなのでやめた。

 そもそもヒソカは、相手にしなくても自家発電で勝手に気持ち悪くなる相手だが、相手にすれば余計に気持ち悪くなることをイルミは思い出し、このまま2次試験が始まるまで無視しようと決めたタイミングで、奇術師は決して無視できない話題をあげてきた。

 

「それにしても、本当に不思議な子だね♦ あの眼、たぶん念能力じゃないだろう?」

 

 イルミは何も答えない。視線も向けない。

 それでも、ヒソカは一人勝手に語り続ける。

 

「初め、宝石を使って攻撃してきたから操作系かなーとも思ったけど、宝石そのものを操ってるんじゃなくて、宝石に性質を変えたオーラを充填させるってのは、放出と変化の複合能力だね♣

 その二つの系統をバランスよく習得できるのは間に挟まる強化系♦ 強化系ならボクの考えたオーラ別性格判断にも合うからね♥

 けど、そうだとしたらあの『眼』とそれに関係してるであろう、『念能力の無効化』が説明できない♣」

 

 ヒソカの言う通り、ソラの系統はあの眼と異能を除けば「強化系」が一番しっくりくる。そして眼そのものはクルタ族のような特異体質で説明はつくが、「他者の念能力やオーラそのものを無効化」というのは、特質ど真中ではないと習得など不可能。

 対極の系統をあのレベルまで極めるのは不可能とは言わないが、天才的な才能の持ち主でも相当な年月の修業が必須なのは確実。

 第一、「念能力とオーラ無効化」なんて反則的な能力があれば、放出・変化の複合能力を覚える必要性はない。サブとして何か他の能力が欲しいのなら、特質に隣り合う操作か具現化系能力にすればいい。

 

 もちろん、念能力は能力者本人の趣味嗜好が大きく反映・影響されるので、自分の系統に合っていなくても“発”として昇華させている者も多いが、あのまったく身なりに気を使っていない姿で、「宝石」に思い入れがあるとは思えない。実際、思い入れがあるのならあんな使い捨てはしないだろう。

 

「だから、『念能力じゃない』って結論付ける気? 思い切りがいいね」

 

 ヒソカの出した結論を、どこかバカにしてるような口調でイルミは感想を口にする。

 本心からバカにしているわけではない。ただ自分の不愉快さを隠そうとしたらそうなっただけ。

 気持ち悪くて理解できる所なんてほとんどない、ゾルディックの価値観など関係なく絶対に「友達」だと思われたくない相手と同じ思考の過程で同じ結論を出したことが、イルミには不愉快で仕方がなかった。

 

 ヒソカは無視よりもバカにされても構われる方がいいのか、それともイルミが隠したものに気付いているのか、さらに機嫌を向上させてまだまだ語る。

 

「くくっ♥ 念能力者にとって、鬼門みたいな子だね♠

“念”は決して万能の魔法じゃない♦ だからどんなに便利に見えても、どこかにそのリターンに釣り合うリスクが存在するし、絶対にありえないと言い切れる法則だってある♣

 なのにあの子は、強化と特質、対極の系統を使いこなすし、何らかの制約を課しているにしてはバンバン使ってくる♦ 真っ当な念能力者なら、『ありえない』で頭がいっぱいになって実力なんかほとんど出せなくなっちゃうんだろうねぇ♥」

 

 念能力者は、“念”が万能の魔法ではないことを知っておきながら、この世の不可解な「異能」は全て「念能力」だと思い込んでいる節が強い。

 だから少し考えればヒソカと同じことに気付くのだが、彼と同じ結論にはたどり着けない。

 それはただ発想の柔軟さが足りなかっただけか、それとも自らが非凡な存在であるというプライドからその存在を認められないのかはわからない。

 

「……それは同感」

 同意するのは癪だったが、実際に「念能力者にとって鬼門」というのはまさしくソラにふさわしい表現だった為、イルミは素直に認めて、ついでに愚痴を吐き出した。

 

「本当、何なんだよあの女は。常識に対しても反則であいつ自身が非常識の代表なくせに、非常識に対しても反則って……。念能力の常識も通用しないで破壊し尽くすって、あいつは本当に死神かなんか? 非常識の死神なの?

 その癖、偽善者だし、うるさいし、バカだし……」

「……キミ、本当にソラのことになると感情豊かだね♦」

 

 呆れているのか素で感心しているのか、ヒソカからしたら珍しい声音で言われるが、ヒソカ以上に珍しい反応をしているイルミの耳には届かない。

 届かなくてもやはりヒソカは気にする様子などなく、答えを期待せずに疑問を口にする。

 

「本当に何でキミは、ソラをそんなに嫌うんだい? 気に入らないのは理解できるけど、キミならそれはそれ、これはこれって割り切って、ソラのあの眼を利用しようとするのがボクが今までキミに抱いてたキミのイメージなんだけど?」

 

 イルミは答えない。

 だが、誰に聞かれていなくても吐き出していたソラに対する愚痴が、ぴたりと止まった。

 

 ソラのどこがそんなに気に入らず、何が嫌いなのかは、もうすでに何度も家族に訊かれてきた。

 だが、それをきちんと答えられたことはない。

 気に入らないところも、嫌いなところも上げてゆけば切りがないくらいにあり、それを思い出せば思い出すほどに冷静さを見失って殺意が募るからだ。

 

 緊張感がなく、基本的にいつもふざけたテンションなところ、プロ意識がほとんどなく軽々しく仕事を引き受けるところ、自分の生存の為なら躊躇なく誰だって殺せるくせに、「殺したくない」と言う偽善的なところ、そしてその偽善に相応しくない、暗殺者からしたら何を代償にしても欲しい異能の眼。

 

 どれもこれも、もはや彼女の存在自体が目障りなレベルで、イルミは舌を打つ。

 だが、一番気に入らない、殺意が抑えきれないのは、「ソラのどこがそんなに気にくわない?」と尋ねられていつも最初に思い出すのは、最初の出会い。

 

 そらした目と、振り返りもしなかった背中。

 

 イルミなど意識する必要などないと言わんばかりに、一度合った視線を自然に外したあの眼が。

 一度も振り返らなかった、相手にもしなかった背中が、イルミにとって最初で、そして何よりも気に入らない、何度だって殺してやりたいほどの殺意の源泉。

 

「おや? どうしたんだい?」

 無視されると思っていた問いに対して、意外なことにイルミが反応したことでヒソカは嬉しそうにまとわりついてさらに尋ねる。

 ヒソカの反応がうざかったからか、それとも思い出してしまった彼女に対してか、イルミは盛大に舌を打って、言い切った。

 

「全部だよ。あの女の全てが、存在そのものが、大っ嫌いなんだよ!!」

 

 あの日、あの背中を眺めながら出した結論は、今も変わらないと宣言するように。

 誰に宣言しているのかなんて、イルミ本人にもそれはわからないことだが。



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19:レッツ クッキング……か?

「本当にごめんなさい、すみません、申し訳ありません。この罪は、死ぬこと以外でなら何でもして償います。

 なんかすっごく、頭に血が昇ってました。変態が気持ち悪すぎた挙句によりにもよってなことを言い出して、完全に冷静さを見失っていました。本当に本当にごめんなさい。

 いや本当、ゴンがしてくれたことは嬉しいよ。助けに来てくれたのは本当に感激だよ。君のことが嫌いとかじゃないからね。大好きだから。むしろ弟にしたいくらいだからね。つーか、弟になってくださいお願いします」

「ソラ! もういいから! もう謝んなくていいから、顔上げて!!」

「というか、謝罪ではなくただの願望になってるぞ」

 

 湿地帯、泥だらけの地面だというのにも拘わらず地べたに額をこすりつけるように土下座して、謝罪なのかただ自分の要望を述べているのかよくわからないことを言い続けるソラに、ゴンは狼狽しながら顔を上げるよう懇願し、クラピカの方はもう完全に呆れきっていた。

 

「本当にごめんね、ゴン。大丈夫?」

 ゴンに言われて土下座をソラはやっとやめるが、頭を上げても泣き出しそうな顔で謝罪はやめなかった。

 その様子を見てクラピカも呆れるのはやめて彼女の傍らに膝をつき、ゴンに向かって謝罪する。

 

「すまない、ゴン。驚いたどころではないだろうが、許してやってくれないか? 言ってることは若干ふざけているが、悪気がなかったことと反省しているのは事実だ」

「あ、うん。大丈夫だよ、ちゃんとわかってる。っていうか、全然気にしてないから、ソラも気にしないでよ」

「「いや、気にしろ!!」」

 

 クラピカのフォローにゴンは朗らかに笑って器が広大すぎる発言をかまし、思わずクラピカはもちろんソラも同時に突っ込んだ。

 

「気にして! 私が言うのは何だけど、あれは本気で気にして! 私、マジで殺る気Maxだったから!」

「ゴン! お前の優しさは美徳だが、優しさだけでは生きていけないことを真剣に学ぶべきだ!」

 

 ソラがゴンの肩を掴んで揺さぶって説得し、クラピカも横でゴンのぶっ飛んだ優しさに対して説教するが、ゴンは二人の言い分が良くわかっていないのか、きょとんとした顔で首を傾げている。

 

「えー、別に俺はそんなに優しくないよ。ソラがヒソカみたいに殺したいから殺そうとしたんなら、普通に怖いと思うし許さないよ。

 でも、俺に向かってきた時のソラってなんか子供を守る獣みたいな気がしたから、あの時は怖かったけど今は気にしないよ。クラピカがそれだけ大事だって話でしょ?」

 

 ゴンの発言で、サラッと常人では理解できないであろうソラの暴挙の真相を完璧に見抜いていることに、今度は二人の方がきょとんとする。

 が、次のゴンの発言で呆気が絶句に変わる。

 

「それにさ、自分でも変だなって思うんだけどあの時……、ソラが俺の方に向かってきた時、強力な圧迫感があって、怖くて逃げ出したいけど背を向けることも出来なくて、絶対に戦っても勝ち目はない!! 俺、死んじゃうのかなぁとか思ったんだけど、その反面……なんていうのかな。殺されるかもしれない極限の状態なのにさ……俺、あの時少しワクワクしてたんだ」

 

 自分の抱いた感情に戸惑いながら、少し照れるように笑ってゴンが言う。

 ゴンからしたら正直な自分の感想と、「だからソラはもう気にしないで!」というフォローの言葉のつもりだが、しばらくたっても誰からも何の反応がないことに気付き、二人を見てみたらソラが余計に申し訳なさそうな顔をしていて困惑した。

 

「ど、どうしたの、ソラ!?」

「どうしたもこうしたもねぇよ……。クラピカ、どうしよう? 私、こんな前途ある若者どころか子供にとんでもないものを目覚めさせちゃった……」

「大丈夫だ、ソラ! ゴンには前からその片鱗があった! お前の所為じゃない!」

 

 何故か先ほど以上に責任を感じ始めて、本気で落ち込むソラをクラピカが横で必死に慰める。

 ゴンも何かフォローしようとは思ったが、たぶん自分のフォローはトドメにしかならないことを先ほどの2回でさすがに学習したので、賢明に何も言わずただオロオロしながら見ていた。

 

 * * *

 

 数分後、さすがにここで凹んだり慰めたりオロオロと狼狽えることは時間の無駄もいいとこなので、何とかソラ達は気を取り直して今更だが、2次試験会場を目指すことにした。

 

「……しかし、ここから辿りつけるだろうか?」

「んー、2次試験には間に合わないかもしれないけど、会場には確実に行けると思うよ」

 

 クラピカが濃霧に囲まれた周りを見渡しながらぼやいた言葉に、ソラはウエストポーチの中身を探りながら答える。

「キルアに触媒を持たせておいたから、時間はかかるけどこれで行けると思う」

 

 言いながら取り出したのは、一見はペンダントに見えたがよく見ればチェーンは輪になっておらず、指輪のようなリングにチェーンは繋がり、その先にはキルアに渡したものと同じ宝石がぶら下がっている。

 振り子だった。

 

「ソラ、何それ?」

「フーチっていう、ダウジングの一種。キルアに持たせた宝石と対になってるから、これを指にはめればキルアのいる方向に向いた時、振り子がグルグル回転するの。

 こんな所じゃいちいち細かく位置確認しなきゃいけないから、時間はかかって試験には間に合わないかもしれないけど、キルアも試験官からはぐれてたり、渡した宝石を捨ててない限りは辿りつけるよ」

 

 不思議そうな顔で尋ねるゴンにソラは大ざっぱに説明して、クラピカがその説明の雑さに頭を抱えた。

 クラピカはソラの「魔術」を知っているので、その程度の説明でも普通に納得できるし信じられるが、ゴンの方はそうはいかないだろうと思い、どうやってゴンに対して彼女の「異能」を、「魔術」についての説明をすべきかで悩んだが、その悩みは本人がキラキラした眼で吹っ飛ばす。

 

「そんなことがわかるの! すっげー! ソラ、魔法使いみたい!!」

「お……おう。ありがとう? 一応君の言う通り、魔法使いみたいなもんだよ」

 

 まさかの、「何で?」「どうして?」とさらに疑問をぶつけることなく、ゴンはあっさり全面的に信じて、クラピカは脱力してその場に転びかけ、ソラも珍しく反応と返答に困っていた。

 そんな二人の反応にゴンは少し不思議そうに首を傾げていたが、目は未だに好奇心でキラキラしている。

 

 どうも、早くソラが言ってた通りのフーチの反応が見たいらしい。

 それも疑っているからではなく、信じ切ってるからこその期待の眼差しを向けられてソラはさらに困惑する。

 

「……子供って怖いわー。純粋無垢って怖いわー」

「……同感だ」

 子供と言っても幼児ではなく、もうサンタや幽霊の類を信じなくなる年頃だというのに、3年前のクラピカとは全く違う意味や方向性でソラを疑わないゴンの純粋さと危なっかしさに思わずソラが呟き、クラピカも深く頷きながら同意した。

 

 そんなことを言い合いながら、ソラはフーチを指にはめてそのまま腕を前に突き出して振り子の動きに注視しながら方向を探る。

 あまり振り子が動かないようにゆっくりとその場で回って方向を確かめていたら、ある方向を向いた時、明らかに不自然なぐらい大きく、そして早くチェーンに繋がった宝石が揺れて、回転し始めた。

 ソラが言っていた通りの反応に、ゴンは興奮して子供らしく叫ぶ。

 

「本当だ! レオリオの匂いがする方向でちゃんと動いた!」

「「ちょっと待て」」

 

 ゴンの言葉に思わず、ソラとクラピカが同時に彼の肩をそれぞれ掴んだ。

 

「ゴン、レオリオの匂いって何?」

「……もしや、ゴン。お前はこの距離からでもレオリオの匂いがわかるのか?」

 

 何気にソラのしたこと以上にありえない発言をしたゴンに向かって、ソラはやや引きつった笑みで、会場に着く前の珍道中でゴンの野生児っぷりを散々見てきたクラピカは、もはや悟ったようにどこか遠くを見ながらそれぞれ尋ねたら、ゴンはまたしても狼狽しながら答える。

 

「え? う、うん。

 レオリオのつけてたオーデコロンは独特だから、数㎞くらい先にいてもわかるよね」

「「お前・君だけだ! というか、先に言え!!」」

 

 結局、時間のかかるソラのフーチではなく、ゴンの道案内で会場まで行くことが決定された。

 

 * * *

 

 だいぶ霧が薄くなった森の中を、3人は走り抜ける。

 

 一応、時々ソラがフーチで方向を確認するが、ゴンは本当にヒソカが担いで連れて行ったレオリオの匂いを追跡しているらしく、彼が向かう方向とソラのフーチが指示する方向は完全に一致しているだけではなく、道しるべのように鋭い刃物で切り裂かれた獣や人の死体が転がっていた。

 明らかに、ヒソカがこの道を通った証拠である。

 人の死体に関しては、おそらく試験官について行っていた本隊からはぐれた、もしくはヒソカの試験官ごっこから逃げ出した受験生が、運悪くカチ合ってしまったのだろう。

 

 ゴンの嗅覚が誇張抜きで犬並であることに、ソラは感嘆しながら尋ねる。

 

「……ゴン、君って人間だよね?」

「失礼なことを訊くなと言いたいが、すまない、ゴン。私も正直言って疑っている」

 

 ソラのストレートすぎる言葉をクラピカは一瞬窘めるが、彼も申し訳なさそうに同じ疑問をぶつけてきた。

 二人の疑惑に、「二人とも酷い!」とゴンは走りながら抗議する。ソラの暴挙は笑って許せても、さすがに人外扱いは嫌だったようだが、二人からしたら彼の怒る基準がさっぱりである。

 

「俺は普通に人間だよ! 確かに五感は他の人より優れてる自信はあるけどさ!」

「「数㎞離れた人間の香水の匂いを辿れる人間を、『普通』とは言わない」」

 

 ゴンの主張は打合せでもしたかのごとくぴったりとハモったセリフで論破され、さすがに少し凹んだ。

 その驚異的な嗅覚のおかげで、もしかしたら2次試験に間に合うのではないかと思うくらいスムーズに会場に向かっているところなので、さすがに凹ませっぱなしは悪いと思ったのかソラはゴンの横に並んで頭を撫でながら謝る。

 

「ごめんごめん。つーか私も人のこと言えない変人の見本みたいな奴だから気にすんな!」

「ソラ、フォローになっていない。それと、気にしろ」

「ははっ。二人って本当に仲がいいんだね」

 

 二人のやり取りでゴンはあっさり機嫌を直して笑い、そしてまたキラキラとした好奇心や期待に満ち溢れた目でソラを見て言った。

「けど、ソラの方が本当にすごいよ。ヒソカと互角で戦ったんでしょ?

 ごめんね、ソラ。俺がしたこと、むしろ邪魔だったよね?」

 

 ゴンの言葉で地下道の時と同じテンションに戻っていたソラの笑みが、その名にふさわしい晴れ晴れしさが消えて、今現在の上空と同じくらいに曇る。

 ソラだけではなくクラピカも、痛みに耐えるような悲痛な顔をしたことにゴンは戸惑った。

 

 思わずもう一度わけも分からないまま、それでも二人にそんな顔をさせてしまったのが自分の言葉であることだけはわかっていたから反射的に謝ろうとしたが、その前にソラが口を開く。

 

「……そうだね。正直言って、君のしたことは焼け石に水だった。邪魔だって思ったよ。

 でも、君は気にしなくていい。誰かを助けようとしたことを申し訳なく思ったり、後悔するのは間違いだ。だから、ゴンは気にしないで。

 悪いのは君のしたことを正確に把握できないぐらいに暴走してた……、君を殺そうとした私だ」

「ソラ!」

 

 そんなことはない、ソラは悪くないとゴンが主張する前に、クラピカが泣き出しそうな顔と声で叫ぶ。

 彼女の名を呼んだだけなのに、あまりに多くの彼の感情をその叫びは語っていた。

 

 そんなことを言うな。自分ばかりが罪を背負うな。君は悪くない。悪いのは、君に守られてばかりで何もできない弱い自分だ。

 そう言っているように、聞こえた。

 

 ゴンよりも正確に、ソラはクラピカの言葉を読みとっていたのだろう。

 彼女は相変わらず、どこか寂しげに笑う。

 

「ありがと、クラピカ。でも、どうか許さないで。

 あの時の私は本末転倒を起こしてた。君を守りたいがゆえに、君の大切な仲間さえもわからなくなって殺そうとしてた、君の声がなければ止まらなかった私なんかを許さないで」

「許すも許さないもない! お前はそもそも、何もしていないだろう!」

 

 寂しげに、何かを諦めたような笑みで語ったソラに、今度は強くはっきりとクラピカは伝えた。

 

「お前はちゃんと止まっただろう! 誰も殺してなんかいないだろうが!

 ……本末転倒なんか起こしていない。ソラは、何も悪くない。していない罪まで勝手に背負うな、馬鹿者。それこそ、私は絶対に許しはしないからな」

 

 クラピカの言葉をソラはきょとんとした顔で聞き、そして笑う。

 今度はまた、名にふさわしい晴れやかな笑顔となって、嬉しげに彼女は言う。

 

「……そっか。そうだね」

 

 笑いながらソラはクラピカの頭に手を伸ばし、ゴンにしたのと同じようにぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。

「ありがと。クラピカ」

 

 3年ぶりの自分を甘やかすように撫でる手の心地よさが惜しくて、クラピカはしばらくソラに撫でられていたが、ゴンが目を丸くしてこちらを見ていることにだいぶ経ってから気づき、「こ、子ども扱いするな!」と今更過ぎる意地を張った。

 その意地こそが子供の証なのだが、さすがにそんな無粋なことはこのエアブレイカーも指摘せず、ソラは「あはは、ごめんごめん」と軽すぎる謝罪をしながら手を離す。

 

 手を離し、彼女は笑ってクラピカに伝える。

 クラピカがずっと見ていたい、守り抜きたい、与えたいと願ってやまない笑顔で。

 

「クラピカ。

 私はさ、知ってのとおりぶっ壊れてるからすぐにバランスを崩して暴走する。していない罪を背負うなって言ったけど、本当に紙一重なんだ。

 でもさ、君が止めてくれたら、君の声なら私は聞き逃さないから、絶対に止まるから、本末転倒なんか起こさないからさ、……だからごめん。迷惑だと思うけど、よろしくね」

 

 自分の暴走を、誰かを殺そうとした時は止めて欲しいと言った。

「人間」としての大事な部分を、クラピカに託した。

 

 それは、「死にたくない」彼女からしたらゴンがしたこと以上の「邪魔」であることなどわかっているだろう。

 それでも、狂い果てても、狂わないと生きていけないことを知っていながら、ソラは「人間」の部分を手放さない。

 

 そうであってほしいと、願ったのはクラピカだから。

 どんなに狂い果てていても、ソラがソラである限り、ソラであるならばそれでいい。

 狂うことで生き延びたのなら、その狂気を否定などしない。その狂気を抱えたままでも、幸福になってほしい。

 

 自分の言葉が、願いが、彼女にとって新たな呪縛になっていることはわかっている。

 それでも、クラピカはあの時の願いを取り消すことなどできはしない。

 彼女がさらに苦しむことも、苦難の道を歩ませていることを自覚していても、クラピカだって手放せない。

 

 例えどんなに死にたくなくても、ただ死んでいないだけ、生きているだけの生き物になどなり下がってほしくない。

 どんな狂気に蝕まれて、まともな部分がどこにもなくても、ソラはソラのままで生き延びて、生きぬいて欲しいという願いは手放せない。

 

 だからクラピカは、答えた。

 

「――迷惑なんかじゃない」

 

 むしろそれは、彼女に新たな狂気を与えてしまった自分の責任だから。

 そんな責任がなくても、自分が担い続けたい役目だから。

 

「必ず、止める。君がしたくないことなど、背負いたくないものなど背負わせない。

 私の声が届く限り、声を張り上げて何度だって呼んで、叫んで、止めてやる」

 

 ソラがソラであるための「楔」になることを、約束した。

 

「……うん。ありがとう」

 

 クラピカの答えに、ソラはもう一度笑って礼を伝える。

 そんなやり取りを、ゴンは黙って窺っていた。

 

 二人の関係やソラの「自分は壊れている」という発言、そしてその発言に関しては痛みに耐えるような顔をしながら否定しなかったクラピカが気になりはしたが、そこは自分が簡単に触れてはいけない領域であることくらいは理解できていた。

 

 わからないことだらけだが、一番大切なことだけはわかっていたから、それでいいと思えた。

 ゴンの養母が教えてくれた、「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」という言葉を思い出す。

 

 ソラはゴンどころか自分の名前さえも認識できなくなるくらい、クラピカに危害を加えようとしたヒソカが許せなかった。

 クラピカは、たとえ本人でもソラに無実の罪を着せることを許さなかった。

 

 この二人が、お互いをどれだけ大切にしているかさえわかれば、それで良かった。

 

 * * *

 

「…………本当に着いちゃった」

「しかもまだ試験は始まっていないようだな……」

 

 本当に臭いを追って、しかも2次試験に間に合ってしまったという事実は少し二人には受け入れがたいのか、どこか遠い目をしながらソラとクラピカは互いに言い合う。

 ゴンの方は相変わらず自分の人外っぷりに自覚はなく、「ラッキーだね」と無邪気に喜びながらも、あたりを見渡す。

 

 ソラ達ももう深く考えないでおこうと心に決めて、レオリオとキルアを探し始めた途端、首筋に虫でも這ったかのような悪寒が走った。

 同時に三人が振り返って視線を向けた先には、ヒソカがやはりニヤニヤと笑いながら木にもたれかかっていた。

 

 幸いなことにヒソカは3人に近づくことはなく、黙って指をさした。3人の方ではなく、まったく別の方向へ。

 その指が指し示す方に目を向ければ、こちらは座り込んでいるがヒソカと同じように木にもたれかかって、レオリオが呆然としていた。

 

「レオリオ!」

 ゴンが駆け寄って声をかけると、ぼんやりとしていたレオリオの眼が3人に焦点を合わせて「よう」と返事をする。

 ヒソカの性格からして今はまだ手を出さないだろうとソラは読んでいたが、さすがに断言できるほど相手のことを知っているわけでもなく、ヒソカにそのつもりがなくても運んでる途中でレオリオが意識を取り戻し、抵抗をしていたら殺されてもおかしくなかったので、彼の姿を見てソラは安堵する。

 

 その気が緩んだ瞬間に、クラピカが真顔かつ素で爆弾を放り投げてきた。

「うむ。腕のキズ以外は無事のようだな」

「ぶっ!」

 

 どう見てもネクタイですでに止血してある腕よりも、ヒソカに殴られた顔の打撲の方が目立つというのに、完全に素で見逃して言い切ったクラピカのボケが予想外すぎて、ソラはその場で亀のように腹を抱えてうずくまった。

 クラピカの方はソラの反応を見ても自分が派手に見逃してるものに気付かず、いきなり腹筋崩壊を起こしたソラに困惑しており、その狼狽える様がさらにソラの腹筋を壊しにかかる悪循環で、ソラはヒソカと戦っている時以上に死にかけた。

 

「てめ……、よく顔見ろ、顔を」

 ソラの声も上げれないほどの爆笑と失礼すぎる素ボケに気付いていないクラピカにレオリオは、ムカつきつつもキレていいのかどうか微妙すぎる事態にこちらも若干困惑しながら指摘すると、クラピカがレオリオの顔面を見て一度驚愕の表情を浮かべてから、「あ、本当だ」と言いたげに気まずそうに笑う。

 その反応に、ソラの腹筋がまた死んだ。

 

 ソラの爆笑の理由をようやく察して、クラピカが羞恥で顔を赤くさせながら「いつまで笑ってるんだ!」と怒るが、もはや箸が転がってもおかしい状態に陥っているソラは相変わらず亀のように腹を抱えて笑い続ける。

 そんなカオスを背景に、ゴンは「いつから気付いてたの?」と普通にレオリオに訊いた。

 ゴンの器が広いんだか究極のマイペースなんだかな反応に、また更にレオリオは困惑しながらも「あ? ああ、ついさっきな」と答えてから、ついでに自分の疑問を口にした。

 

「しかし、何で俺、こんな怪我してんだ? どーも湿原に入った後の記憶がはっきりしなくてよ」

 

 その発言でようやく、ソラの爆笑が止まる。

 が、笑うのをやめてもソラはもちろん、他の二人もレオリオの問いに答えず顔を見合わせた。

 

「言わない方が……いいな」

「うん」

「そだね」

 

 どうやらヒソカに殴られたショックで、ヒソカにリベンジで向かって行ったことはおろか、湿原に入ったあたりからの記憶がすっぽり抜けてしまったらしい。

“念”を習得していないレオリオが、能力者であるヒソカのとっさの一撃を受けて生きているのはもちろん、この程度の記憶喪失で済んだのは幸運以外の何物でもないので、3人はテキトーに「湿原に入って性質の悪い獣に襲われた」ということにしておいた。

 何気に、嘘はついていない。

 

 これ以上この話題を続けてボロが出たり、レオリオが思い出してしまってもいいことはないので、ソラはさっさと話を変えることにした。

「ところで、試験ってまだ始まってないの? あの建物が、会場じゃないの?」

 

 

 言いつつ指さした建物の中から聞こえてくる低い獣のような唸り声に、ソラの顔がひきつった。

 レオリオも同じようにひきつらせて、ひきつらせたことで殴られた頬の傷の痛みに呻きながら、「さぁ?」と首を傾げる。

 一足先に到着していたとはいえ、彼も気が付いたのがついさっきなので事情は知らないらしく、4人は「グルルルルルル」と唸り続けるコンテナ倉庫のような建物を不思議そうに眺めた。

 

「何で皆、建物の外にいるのかな?」

 ゴンも首を傾げて、疑問を口にする。

 始まっていないにしても、普通にこの建物が二次試験会場なら中で待機が普通だろう。

 この建物は2次試験会場ではなく、実は中の生き物を閉じ込める檻なのではないかと4人が思い始めたタイミングで、背後から声と答えが投げかけられた。

 

「中に入れないんだよ」

「「キルア!」」

 

 その声にゴンとソラが同時に反応して駆け寄り、キルアの方は少し照れたようにそっぽ向いて、ようやく追いついた二人に文句をつける。

 

「おせーんだよ、二人とも。ヒソカがおっさんだけ連れてきた時は、死んだかと思ったぜ」

「あはは、ごめんごめん」

「ごめんねー、心配かけて。でも、これでもゴンのおかげで最速で来れたんだよ」

 

 笑って誤魔化すようにゴンは謝り、ソラはキルアと同じく軽口で言い返す。

 ソラに言われた「心配」の部分をとっさに否定しようかと思ったが、その反応はどうも子供っぽいと感じたキルアも誤魔化すように、「ゴンのおかげ?」と別の気になる部分を拾う。

 

 その気になった部分を、ソラは若干遠い目をして説明してやった。

 

「香水のニオイをたどったーー!?」

「うん」

 

 まだ自分がしたことが人間として規格外すぎることを自覚していないゴンは普通に答え、キルアは「こいつどうしたらいいんだよ?」と言いたげな目でソラを見た。

 助けを求めるようなキルアの反応に、ソラはキルアの肩に手を置いて一言、「流せ」とだけ助言をしておいた。実際、それ以外どうしようもない。

 

「お前……やっぱり相当変わってるなー。つーか、こいつがいるんならこれ、いらなかったんじゃねーか?」

「うん、そうだね。まさかの事態に私はびっくりだよ」

 

 ゴンがまだキルアとソラの反応に「そうかなー?」と言ってるのを無視して、キルアはポケットに入れていた宝石をソラに返す。

 そのやり取りを見ていたクラピカが、ついうっかり忘れていたものを思い出し、自分の耳にぶら下がるイヤリングに触れる。

 

 彼女に3年前、託されたソラの姉の形見。

 ちょうど、彼女に返すにはいいタイミングだった。

 耳から外して、「ソラ。長い間、預かりっぱなしだった」とでも言って渡せばよかった。

 

 なのに、クラピカはイヤリングに触れるだけで、耳から外すことも、ソラに託されたイヤリングの話題を上げることも出来なかった。

 

 ソラを失ってからの3年間、ライナスの毛布のように片時も離さなかった、離せなかった。

 ソラが話題にあげないのなら、まだもう少しと悪足掻く。

 未だにクラピカは、目の前にソラがいることを現実だと信じ切れていなかったから、彼女が確かにいた証、再会の約束そのものを手離すことが出来なかった。

 

 * * *

 

 ゴンの規格外っぷりを気にしたら負けだとキルアも悟ったのか、「どうして中に入れないの?」というゴンの問いに、建物の入り口にかけられた看板のような注意書きを指す。

「見てのとおりさ」

 

 そこには「本日、正午。二次試験スタート」と書かれており、時計を確認すると確かに正午まであと数分猶予がある。

 

「変な唸り声はするけど、全然出てくる気配はないんだよなー。まぁ、待つしかないんだろうな」

 キルアの言う通りそうするしかないので、4人はもちろん他の受験生たちも建物の入り口を注視しながらただ待った。

 ただ、外で待てというだけならここまで全員が警戒しなかっただろうが、建物の中から絶え間なく響く唸り声がどうしても不安を煽り、受験生たちを緊張させる。

 

 正午まで1分を切ったところで受験生たちの緊張はピークに差し掛かり、正午まで秒読みとなった時はほとんどの受験生たちが武器を手に取り、完全な臨戦態勢を取っていた。

 

 だからこそ、建物から現れ出たものが信じられず、妙な沈黙が生まれてしまった。

 

「どお? おなかは大分すいてきた?」

「聞いてのとおり、もーペコペコだよ」

 

 中から出てきたのは、縦は3メートル近く、横は大の大人3人分はある巨漢としか言えない男と、個性的な髪形をしているがまだ若くて美人でグラマーな女性。

 これだけなら、受験生の緊張感が一気に抜けるなんて珍事は起きなかっただろう。

 獣のうなり声だと思っていた音が男の腹の虫の音でさえなければ、誰もここまで脱力などせずにすんだ。

 

 そんな受験生たちの緊張を良いのか悪いのかとにかくほぐしてくれた試験官が、2次試験内容を説明するが、今度はその内容で先ほどまでとはまた違った緊張が走った。

 

「そんなわけで、2次試験は料理よ!!

 美食ハンターのあたし達二人を満足させる食事を用意してちょうだい」

 

「料理」と聞いて、受験生のほとんどが顔を歪めた。

「くそォ、料理なんか作ったことねーぜ」とぼやくレオリオのように、受験生のほとんどが料理などしたことがない、もしくは「食えれば良し」と言わんばかりによく言えばシンプル、悪く言えば雑なものしか作ったことがないのだろう。

 

 戦闘や学力テストよりもある意味では絶望的な課題を出され、レオリオは思わず「誰か料理が出来そうな奴!」と思いながら、とりあえずクラピカとゴンに視線を向けるが、どちらも苦い表情を浮かべていることで自分とどっこいどっこいであることを悟る。

 

 そして次にソラに視線を向けてしばらく彼女を眺めたが、横にいたキルアが手を振って「ないない」とジェスチャーし、レオリオもため息をついて「だよな」と諦めた。

 

「おいこら」

「……ソラは料理できるぞ」

 

 さすがに本人の答えを聞く前に勝手に決めつけられて戦力外通告はムカついたのか、ソラが抗議の声を上げ、クラピカも助け舟を出す。

 が、クラピカのフォローにレオリオとキルアの反応は、「ウソォっ!!」だった。

 

「本当だよ! 何でそこまで信じられないんだよ!

 言っとくけど、料理できる=お淑やかって幻想持ってるなら捨てろ! 私が料理を学んだきっかけなんて、美味しいものを食べたいという食い意地でしかないんだから!!」

「あ、納得」

 

 料理とソラのイメージがどうしても重ならなかったらしい二人は、ソラの料理を覚えた動機でようやく繋がったらしく納得したが、代わりにクラピカが「どうしてこいつはこう、せっかくの長所も台無しなんだ……」と落ち込んでしまった。

 

「ソラが料理できるのなら、少しはこの試験は楽だね! ソラ! 出来ることは頑張るから、わからないところは教えてね!」

 ゴンだけが純粋に料理出来る者が仲間内にいたことを純粋に喜び、ソラも「任せろ!」と快諾したところで男の方の試験官、ブハラが課題料理を宣言する。

 

「豚の丸焼き。俺の大好物なんだ」

 

 言われて、受験生の大半が安堵した。

 聞いたこともない料理ではなく、名前からしてどんな調理法かも丸わかりな料理だったからだ。

 

 しかしいくら料理経験が皆無とはいえ、本当に豚を一頭丸々そのまんま焼いても美味しくないことくらいは想像がつく。

 なのでレオリオがさっそくソラに、「おい、豚の丸焼きって焼く以外に何すりゃいいんだ?」と尋ねた。

 

「さぁ? 血と内臓を抜くくらいじゃない?」

「ちょっ、おま! 料理できるんじゃないのかよ!?」

 

 しかしまさかの自分と同じくらいの知識に、思わずレオリオがキレたが、珍しくソラの方もキレて言い返した。

 

「『料理できる』と『何でも作れる』は違うっつーの!! っていうか、豚の丸焼きなんか作ったことあるか!

『得意料理は豚の丸焼きです』なんて言えるほど、私は肉食系女子じゃねーよ!!」

「うん、すまん! 俺が悪かった!!」

 

 割と正論で返されて、思わずレオリオは謝った。

 どうやら、二次試験も5人は前途多難になりそうだ。



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20:考えるまでもない答え

「あ~~食った食った。もーおなかいっぱい!」

 

 膨れた腹を叩いてブハラが宣言し、メンチが銅鑼を鳴らして同じく宣言する。

「終ーー了ォーー!!」

 

 通常のハンター試験なら……いや、メニューがブタの丸焼きでさえなければ、ここで受験生たちは自分の合否で悲喜こもごもあるはずなのだが、この時ばかりは下手すればヒソカでさえも同じことを思った、奇跡の瞬間かもしれない。

 

(豚の丸焼き、70頭!! バケモンだ……!!)

 

 もちろん一口齧って味をみただけで、残りはスタッフが美味しく頂きました……という訳ではない。ブハラが全部きちんと美味しく頂いてしまったのを目の当たりにして、合格者たちは喜びが彼方に吹っ飛び、ただただ反応に困っていた。

 

「私の苦労は何だったんだ!? っていうか、美食ハンターならもう少し味にこだわれよ!!」

 しかしソラは比較的早くブハラの四次元胃袋の衝撃から回復し、別のことで凹み出す。

 

 ブタの丸焼きなんか作った事がないと言いつつも、唯一料理ができる事と5人の中で最年長という事が彼女の無駄な責任感を煽って、直死の魔眼を無駄に有効活用して内臓も骨も血も抜き、もはや調理ではなくただの解体だと思いつつも焼き上げたブタが、内臓や骨がまるまる残っている物はおろか、黒焦げや生焼けと同列で「美味しい」と言われたら、凹むのも仕方がないだろう。

 

「ソラのが一番、美味しそうに食べられてたよ! 食べやすいって言ってたし!」

「じ、時間はかかったが、その分我々の分もちゃんとした料理としての丸焼きになったから、合格したんだ! さすがに最後の満腹近い状態で黒焦げを食べさせられたら、『美味しい』とは言わないはずだ!!」

「……うん。ありがとう、ゴン、クラピカ」

 

 ブタはそれぞれ一人一頭、ちゃんと自分の実力で倒したが、解体はほとんどソラに任せてしまったため、凹んだソラがほっとけずにゴンとクラピカが必死で励ますのを眺めながら、レオリオはキルアに尋ねる。

「にしてもあいつ、俺のナイフでスパスパ解体してたけどあれ、どうやってんだ? 骨すらもあり得ない切れ味で切れてたぜ……」

 

 その問いに、もちろんキルアは答えない。ソラ本人は危機感なく、ちょっとした雑談程度のノリで話していたが、あきらかに軽々しく話していい情報ではない。

 そもそもキルアは、ソラとゴンはそれなりに信頼して一緒にいたいと思っているが、レオリオに関しては「何かいる」程度にしか思っていない。

 邪魔だとまでは思っていないが、実は未だに彼の名前を覚えていないぐらい興味を持っていないので、そんな相手にソラの切り札を話す気はサラサラない。

 

「さぁな」

 それだけ言って、キルアはソラに「いつまで凹んでるんだよ」と後ろから膝裏を軽く蹴る。

 ソラは蹴られても「痛いな、もう」と文句とも言えない程度の文句で終わらせるが、代わりにクラピカが少しきつい目つきで睨んできた。

 その視線を、キルアは気付いていながら無視する。

 

 向こうだってソラがバカなことを言い出したら木刀を投げつけたり殴ったりしているのだから、文句をつけられたり説教される筋合いはないと心の中でクラピカに言い返し、彼女の隣で「次は何だろうな?」と話しかける。

 レオリオに対しては無関心よりマシ程度の認識だが、キルアはクラピカに対しては明確に「気に入らない」と思っていることを自覚させられたのは、先ほどのブタの解体でのこと。

 

 ソラが直死の有効活用なのか無駄使いなのか不明なことをやらかしていた時、ゴンは純粋に「すごい」と目を輝かせ、レオリオは好奇心と恐怖半々でその解体を見ていたが、クラピカは小さなバタフライナイフで骨すらサクサク切り裂くソラを見て、驚いた様子などなかった。

 酷く痛ましそうな顔が、自分と同じか自分以上にあの眼の事を知っていることを語っており、それが無性に気に入らなかった。

 

 クラピカを気に入らないと思っていることは自覚しても、それが何故かは考えなかった。

 考えようとはしなかった。

 考えるまでもなくて、認めるのが癪だったから。

 

 だからただ、クラピカとソラの間に割り込むように彼女の隣に立った。

 

 * * *

 

 ブハラと違って自分はカラ党だと言ってから二人目の試験担当官であるメンチは、高らかに課題メニューを宣言する。

 

「二次試験、後半。アタシのメニューは、スシよ!!」

 その宣言に、今度は全員とはいかないが9割以上がやはり同じことを思った。

 

(スシ……!? スシとは……!?)

 

 ブハラの課題とは違い、名称では形状も材料も調理法も想像できないものを出題されて、受験生たちは戸惑い、ざわめき始める。

 その様子が予想通りで嬉しいのか、メンチは機嫌良さそうに「ヒントをあげるわ!!」と言ってようやくコンテナ庫のような建物内に受験生が入ることを許可した。

 建物内にあったものは、ずらりと並ぶ調理台。ただし、シンクと包丁やまな板が置かれた作業台のみで、コンロはない。

 

「最低限必要な道具と材料はそろえてある」の言葉通り、包丁の種類は多いが鍋やフライパンの類は一切置かれていない。

 玉子やアナゴなど火が必要なスシダネは普通に存在するが、おそらくはコンロを置いたら調理の幅が広がりすぎて受験生が迷走すること間違いなしと判断されて、置かれなかったのだろう。

 

 答えを知る者からしたら相当サービスしてヒントが散りばめられている状態だが、調理経験皆無な受験生たちには包丁はどれも同じに見えて、コンロが存在しないことに気付いている物さえごく少数。

 しかしほぼ全員が完全な手探り状態なので今のところ焦りは生じておらず、それぞれがテキトーな調理台の前に立って、包丁やご飯を前にしてひたすら頭を悩ませる。

 

「……なぁ、スシって料理は、あいつ知ってると思うか?」

 他の受験生たちと同じく、ご飯の前で首をひねっていたレオリオに訊かれ、クラピカは顎に手をやり「……どうだろうな?」と曖昧に返答する。

 

 一緒にいた期間はさほど長くはなく、満足に料理が出来る環境でもなかったが、そんな環境でもソラはクラピカから見たら手の込んだ料理を片手間でよく作ってくれていたし、クラピカが知る料理も、見たことも聞いたこともない料理も同じくらい作っていたが、異世界の住人にこちらの世界の小さな島国の民族料理は、ブタの丸焼きと同じかそれ以上に知っていることを求めるのは酷だ。

 

 だが、ソラが作る料理はこちらの世界の料理と共通しているものも多かった。

 なのでソラの世界に同じ料理があった可能性、そして本人が言う通り食い意地が張ってる女なので、3年の月日でこちらの料理を学んで知った可能性、どちらの可能性も十分に有り得たので一応尋ねてみるかと思い、クラピカは隣の調理台を見る。

 

 が、そこに目当ての人物はおらず、代わりにもう一つ隣の調理台にいたキルアと目が合った。

 キルアはやや不快そうに顔を歪めて、「どこ行ったんだ、あいつは」とぶつぶつ言いながら辺りを探る。

 キルアの反応にクラピカは一瞬大人げなくムカついたが、それよりもほっとくと何をしでかすかわからない人物筆頭がいつの間にかいないという事態を何とかするのが先だと判断してクラピカも辺りを見渡すと、何故かソラはメンチと何やら話をしていた。

 

「何の話してるんだろう?」

「あいつ、まさか直接試験官にどんな料理なのか訊いてるんじゃねーだろうな?」

 ゴンとキルアも気付くが、さすがにあたりが少し騒がしいので会話は聞き取れないらしく首を傾げている。

 余計なことを話していないといいが、とクラピカが思いながら声を掛けるか待とうか迷っている間に話は終わったらしく、ソラはすたすた歩いて戻って来た。

 ソラに向かってメンチが至極機嫌良さそうに笑いながら手を振っているので、とりあえずいつものエアブレイクはやらかしていないことを安心しながら、「何を話していたんだ?」と、戻ってきたソラに尋ねる。

 

「んー、ちょっとした確認」

「確認?」とクラピカがオウム返しする前に、ソラが戻ってきたことにレオリオは気付いて声を掛けた。

 

「お、いたいた。おーい、ソラ。お前、スシって何かわかるか」

「わかるも何も、知ってる」

「あー、やっぱそうか。そりゃそうだろ……っておい! 知ってんのかよ!!」

 

 豚の丸焼きと同じく「わからない」という答えが来るだろうと予想していたのが、「知ってる」という即答で思わずレオリオがノリツッコミのような反応をする。

 同じく答えに期待していなかったのとソラがあまりにも普通に返すので一瞬聞き流してしまった他3人だけではなく、レオリオの声がでかかったせいで周囲の受験生全員が目を見開いてソラに注目する。

 自分たち以外にもソラが「スシ」を知っていることがばれてしまったことで、クラピカとキルアがレオリオを横目でにらみ、レオリオは誤魔化すように笑うが、ソラの方は受験生ほぼ全員に注目されてもひるまず、メンチの方を指さして淡々と言った。

 

「うん。だからさっき、知ってんだけどどうしたらいいですか? って訊いてきた。別のもん作れだってさ」

『何で!?』

 

 レオリオ達だけはなく、何故か自分からせっかくのメリットを捨てに行った女に受験生ほぼ全員の疑問兼ツッコミが唱和した。

 さすがに芸術的なまでの唱和をされるとは思っていなかったのか、ソラは少しビビったらしく目を丸くして答える。

 

「え? だってたまたま知ってるだけだから、不平等でみんなに悪いから」

「がふっ!」

 

 ソラの発言直後、いきなり殴られたようなうめき声を人外と疑われたレベルの五感を持つゴンだけが聞いた。

 だがさすがにまだ会話も交わしていない他人相手なので、誰のうめき声で何があったのかは察することは出来ず、少し心配だったがどうすることも出来なかったが、そのうめき声はソラと同じく「スシ」を知りながら誰にもそのことを悟らせずに合格を企む受験生、忍者ハンゾーの良心がぶっ刺されたものなので、どうこうする必要はない。むしろ、見知らぬ他人の子供に心配されたことまで知った方が、彼の良心的にトドメだろう。

 

「お前、変なところ真面目だな……」とキルアが呆れきった目で言うが、ソラは飄々と「そうでもないよ」と答えた。

 その答えの意味を知るのは、「じゃあ、こいつに用はない」と言わんばかりに群がっていた受験生たちが散ってから。

 

「ぶっちゃけ知らない人に悪いなーよりも、ただの保身の割合がでかいよ。だって、どういう料理か知らずにヒントを見逃さずに作ったものと、初めから知ってる奴が作ったものくらい、私でもたぶん見分けつくし。

 で、最初から知ってるんなら味の合否基準を上げられるかもしれないじゃん? プロレベルを求められたらもう絶対に無理だから、皆と同条件にしてもらおうって思っただけ。

 だから、ヒントはあげるし手伝うのはいいけど、皆もちゃんと考えた方が良いよ。一から百まで私が教えたら、たぶん君たちの合否基準も爆上がりするから」

 

 他の受験生たちが離れてからソラの調理台に4人が集まり、ソラがわざわざスシを知っていると報告した真の理由を聞いて、料理経験がない男どもは顔色を悪くする。

「は? プロレベル求められたら合格は無理って、そんなに難しい料理なのかよ?」とレオリオが他3人の不安を代弁すると、その不安を生み出した張本人はケロッとした顔で手を振って答えた。

 

「どっちかって言うと逆。シンプルすぎるんだよ。難しいと言えばこの上なく難しいけど、特別な材料や調理法があるわけじゃないよ。

 ほら、フリーハンドで円を描けって言われて、それらしい形は描けても練習なしでコンパス使ったみたいに綺麗な円を描ける人なんかいないじゃん? そういう話。

 プロレベルを目指すならそれこそ10年単位の修業がいるけど、普通に家庭料理として美味しいレベルなら、素材がよっぽど悪くない限り難しくないよ」

「なんだ。安心したぜ」

 

 ソラの答えにレオリオがやはり代表して心中を代弁し、ひとまず料理経験が皆無に近い自分たちでもまだなんとかりそうなことに希望を抱く。

 さすがに美食ハンターの試験とはいえ、プロレベルの料理は求めないだろう。そんな基準で合格できるのは、彼らと同じ美食ハンター志望くらいなのだから。

 

 先ほどのブハラの試験も、黒焦げや生焼けの豚の丸焼きも「美味しい」と言って合格させたのだから、「美味しい」と言えば合格は方便であることは明白。

 メンチの試験も本人が「カラ党」と言ってはいたがせいぜいブハラより厳しめ、ごく普通の家庭の食卓に出せる程度の美味しさしか求めていないと誰もが思った。

 

 その考えに、間違いはなかった。

 少なくとも、この時点では。

 

 死にかける土壇場でその「死」を回避することに長けていても、未来予知など持たないソラがそんなことに気付ける訳などなく、この先の未来など知らず彼女は呑気にゴンと会話する。

 

「ソラは何を作れって言われたの?」

「私も結局、『スシ』だよ。

 調理台とか用意してる調理器具は完全に『スシ』を作るためのものしかないから、私は『ニギリズシ』以外の『スシ』、それも普通の店とかじゃ置いてないような創作系を作れって言われた。だから、私の調理過程はヒントになるかもね」

 

 そう言って笑うが彼女は自分から動こうとはせず、腕を組んで4人の様子を悠々と眺める。

 嫌味な態度に見えるが、実際ソラが食材を集め出したらそれはヒントではなく答えになってしまうので、動きたくても動けないのだろう。

 そのことをわかっているのかいないのか、子供組はソラの態度を気にした様子はない代わりに、ソラにまとわりついて質問を浴びせる。

 

「っていうか、『スシ』ってどんだけ種類があるんだよ?」

「『ニギリズシ』だけでも数えきれないくらいあるよ。っていうか、ご飯+具材だから創作系やら邪道も合わせたら無限大になるね」

「あ、ライスだけで作るんじゃなかったんだ」

「……ゴン、君は一体どんな料理を想定していたんだい?」

 

 そんなやり取りを微笑ましいやら、緊張感のなさに呆れるやら、微妙な気持ちになりながら眺めていたレオリオとクラピカも気を取り直して、まずは自分たちで考え始める。

 

「ニギリか……。大体、料理のカタチは想像がついてきたが、肝心の食材が全くわからねーぜ」

 レオリオの呟きと、ソラのヒント「ご飯+具材」でふと昔の記憶が蘇る。

 村の外に出るため、そしてハンターとして活躍して冒険するために、集落中の本を読み漁って得た知識の中から符合した一つを、仲間内にしか聞こえないように小声で語る。

 

「具体的なカタチは見たことないが……、文献で読んだことがある。確か……酢と調味料を混ぜた飯に新鮮な魚肉をくわえた料理、のはずだ」

 しゃもじについた飯を少し食べてみて、その記憶が正しいと確信する。

 用意された飯はただの炊いた白米ではなく、クラピカが語った知識と同じく、酢と何らかの調味料が混ぜ込まれた仄かに甘酸っぱいものだった。

 さすがにこれは、適切な調味料の種類や量をヒントとして散りばめるのは不可能だったので、初めから向こうが用意してくれていたらしい。

 

 クラピカの言葉にソラは少し目を細めて口を開きかけたが、残念ながらクラピカはソラからの「さすがだね」という称賛の言葉を聞くことが出来なかった。

 

「魚ァ!? お前、ここは森ん中だぜ!?」

「声がでかい!! 川とか池とかあるだろーが!!」

 

 少し考えればわかることを何も考えずに声を張り上げたレオリオに、勢いよくクラピカはしゃもじをブン投げてキレたが、遅すぎた。

 むしろ、ブチキレたクラピカの突っ込みこそがトドメだった。

 

(魚!!!)

 

 レオリオの叫びとクラピカの突っ込みは建物内に響き渡り、受験生たちが一斉に魚を求めて外に飛び出すまで10秒もいらなかった。

 

「盗み聞きとはきたねー奴らだぜ!!」

 自分の声のでかさと想像力のなさを棚に上げて愚痴るレオリオにクラピカは、「もうこいつには何も言わない」と決意してしまった。

 

「クラピカー。ドンマイ!」

「うるさい!」

 結局、ソラから送られたのは称賛ではなく励ましの言葉、それも笑えばいいのやら呆れたらいいのやらと言いたげな微妙すぎる顔に思わず逆ギレしつつ、クラピカも魚を求めて走り出す。

 

「俺達も行こうぜ」

「うん! ソラも行こう!」

 キルアに声を掛けられて、まさかこんな正しい使い方で役に立つとは思っていなかった釣竿を握りしめてゴンはソラに声を掛けるが、ソラは全く動こうとはしないまま答えた。

 

「私は他にやる事あるから、後にするわ。あ、そうだ。ゴン、悪いんだけど一つ頼んでいい?」

 

 * * *

 

 受験生たちが魚を求めて出た行った試験会場で、ソラが呟く。

 

「さて、何作ろうかな?」

 

 独り言を呟きながらソラがまず向かったのは、川でも池でもなく調理台が用意された建物内の片隅に置かれた棚の前。

 そこに置かれているのは、様々な調味料や香辛料の数々。

 醤油や酢、チューブの練りワサビなど寿司に必要不可欠なものはもちろん、ケチャップやらマヨネーズ、オリーブオイルにドライバジルなどまず必要ない調味料やスパイスも、メジャーからマイナーまで各種取り揃えられていた。

 

 おそらくは「スシ」という料理にこれらを使うと思わせるブラフ兼、明らかにスシダネには向かない魚のクセや臭みなどをごまかすために使えということだろう。

 コンロ等が置かれていない所為で、臭み取りに有効な湯通しが出来ないからこその苦肉の策なのだろうなぁと、ソラは苦笑しながら何か使えそうなものを探す。

 

「海苔はあるから、巻き寿司系はいけるな。散らし寿司は……卵の入手が難しいな。人が食べられるやつかどうか私にはわかんないし、っていうか有精卵はヒヨコ出来掛けが出てきそうだから使いたくない。

 そもそも、川魚っていうのがネックなんだよねー。こんな試験出すくらいなんだから、あんまり泥臭くないしちゃんと食べれる魚が生息してるって調べた上だと思うけど……」

「ソラは行かないのかい?」

「ぎゃあっ!!」

 

 独り言を呟きながらめぼしい調味料をいくつかキープしていたら、後ろから関わりたくない相手トップクラスの男に声を掛けられ、ソラは調味料を抱えたまま猫のように飛びのいて叫ぶ。

 

「何でお前、残ってんだよ!! さっさと魚取りに行けよー!!」

 しかしこの程度の抗議で素直に出て行ったり、もしくはここまで嫌われていることに対して不愉快に思う真っ当な感性が、この奇術師にある訳ない。

 

「行こうと思ったんだけど、ソラが残ってるからまた二人きりになれるいい機会だと思ってね♥」

「二人っきりじゃねーよ! 思いっきり試験官がいるだろうが!!」

 いけしゃあしゃあの見本のような調子で答えるヒソカに、涙目でソラは叫びながら試験官二人が在席してることを確かめた。

 

 普通に後半の試験担当官メンチはもちろん、もう役目が終わったはずのブハラもちゃんといて、ソラがヒソカにちょっかいをかけられていることに気付いてはいるが、受験生同士のごたごたに関与する気はないらしく、ソラが助けを求めるように視線を向けても、どちらも気まずげに笑って目を逸らした。

 

「見てないフリしないで、助けてよ! 人でなしーっ!!」

 ソラが試験官たちの冷たい反応に嘆いて文句をつけつつも、何故か抱えた調味料を手放さないのが面白いのか、ヒソカはクスクス小さく笑って「さすがにこんな言い訳の利かない試験の最中に、キミと遊ぼうとは思ってないよ♣」と答えてやる。

 

「……一応、試験受けて合格する気はあるんだな」

 ヒソカの言葉にソラはまだ全力で警戒したままだが喚くのはやめて、変なところを感心しだす。

 

「ソラが遊んでくれるのなら、試験なんか今すぐに放り出すけどね♥」

「一生ないから、今すぐ私の存在をお前の中から抹消してくれ!!」

 

 つまりはチャンスがあれば試験そっちのけで自分を殺しにかかるという宣言に、ソラは切実な無茶ぶりを言い放ちながら調味料選びを再開する。

 こいつの相手をしていたら、時間とメンタルの無駄だと判断したようだ。

 

 メンチにもヒソカの発言は聞こえていたらしく、ここで受験生なのにすでに念を習得してる二人の殺し合いが始まるのはごめんだったので、「44番! 調味料を選ばないんだったら、さっさと食材を取りに行きなさい!」と怒鳴って、二人を離そうとしてくれた。

 

「そーだそーだ。さっさと行け。そしてここで落ちろ!」

「酷いなぁ♠」

 メンチの叱責に便乗して、ヒソカを煽るようなことを言い出すソラ。何故か死にたくないのに、自分からフラグを立てて補強していることに自覚があるのかは謎である。

 

 しかしソラが感心した通り試験を受けて合格する気はあるらしく、割と素直にヒソカはソラに背を向けて外に向かう。

 が、三歩ほどで彼は立ち止まって、振り返った。

 

「あ、肝心なことを忘れてた♦ ねぇ、ソラ♣」

「何だよ? 忘れてろよ」

 

 辛辣なことを言い返しつつも、ソラは振り返ってヒソカの言葉を待つ。

 

「キミ、イルミと知り合いなの?」

 

 ヒソカの質問でソラは、彼に後ろから話しかけられた時以上に猫のようなアクロバティックさを見せて飛びのき、誰かの調理台の上に降り立った。

 足にオーラを集めて飛びのいて着地したせいで、誰かの調理台は無残に潰れているが、ソラはそんなことをお構いなしにまた泣きだしそうになって叫ぶ。

 

「何でそいつの名前が出てくんの!? 何!? 何で!? お前こそあいつと知り合い!?」

「うん♥ そういえば前に話してたなーってことを思い出してね♦」

 

 ヒソカはしれっと嘘をついた。

 ヒソカとイルミの関係を気にしても、彼がここにいるのかを訊かない辺り、どうもイルミの我慢が功をなしてギタラクルの正体に彼女は気付いていないらしい。

 まぁ、その我慢がいつまでもつかは時間の問題だとヒソカは見ている。

 

 というより、ヒソカがわざわざここに残った理由は、ソラに語ったものは事実だが半分程度で、もう半分はイルミもソラが残ったことに気付いていたからだ。

 弟に正体がバレて逃げられるのを避けるための我慢だった為、ソラが一人になったのはイルミにとって絶好のチャンスだったが、ヒソカはこんなにも最高に美味しそうな果実をイルミはもちろん他の誰にも渡すつもりはすでに毛頭ない。

 

 ヒソカがわざわざここに残ってソラに話しかけたのは、気配も殺意も極限まで押し殺して隙を見計らうイルミに対するメッセージ。

 要は、「ソラに手を出すのなら、まずはボクと遊んでよ♥」である。

 

 そのメッセージは正確に相手に伝わったらしく、さすがにソラとヒソカの二人を敵に回すようなことはあの合理主義の手本のような男はせず、先ほどイルミはわざと少しだけ気配を現して去って行った。

 逆にイルミの恨みを買っただろうが、それはヒソカからしたら望むところなので全く気にしていない。

 

 なのでもう自分がここに残って牽制する意味もなくなり、自分も魚の調達に行こうかと思ったのだが、ついでに訊こうと思っていたことをいい機会なのでヒソカは尋ねる。

 

「彼、いつもは人形やロボットの方が人間味があるんじゃないかってくらい、感情を表さないのに、キミのことになると妙に人間らしく怒るよね♦ 一体何をしたんだい?」

「何もしてないよ! 仕事で敵対したから反撃して、あとは爆発しろって言ったくらいだよ!」

「つまりは、ボクの時と同じようなことをしたんだね♥」

 

 大体予想通りの答えが返ってきたが、それはヒソカの疑問の答えにはならなかった。

 間違いなくイルミは、悪口なのかどうかも微妙な訳の分からない発言をあそこまで根に持つほど、他者に対して興味など持たない。

 プライドは非常に高いので、イルミの念能力もヒソカと同じようにあの異能で無効化されたのなら、「気に入らない」とは思うだろうが、やはり「気に入らない」程度であり、むしろ何とか自分や自分の家の味方に引き込めないかと合理的に考えるのがヒソカの知るイルミである。

 

(まぁ、大体想像はついてるけどね♥)

「……? 何、気持ち悪い笑顔で見てるんだよ? もういっそ顔の皮剥ぎ取れよお前」

 

 この上なく酷いことを言われても、ヒソカの顔からニヤニヤと面白がる笑みは消えない。

 

 イルミの事を「暗殺者」としてしか知らない者なら、ヒソカの仮定を「あり得ない」と一蹴するだろう。

 しかしイルミ個人の事を少しでも知っていれば、弟に対する溺愛と偏愛っぷりを知っていれば、彼にも感情があることを理解できていれば、「あり得ない」という偏見を一蹴するだろう。

 

 あの合理主義で理屈屋な彼が、だからこそあそこまで頑なに、感情的に、他の誰かに、自分自身に言い聞かせるように、「大嫌い」と言い張る理由はヒソカには想像がついている。

 だが、その理由が生まれた原因が結局わからなかったことを少し残念に思うが、暇つぶし程度の気持ちで訊いてみたことなので、あっさりソラからも聞きだすことは諦めて、今度こそ魚を捕りに行こうとする。

 

 自分の暇つぶしと娯楽の為に置き土産を、ソラとイルミがさらに面白いことになればいいと思ってどちらにとっても余計なお世話でしかないことを言い捨てて。

 

「大変だね♠ でも、あんまり嫌わないでたまにはかまってあげて欲しいな♦ そうしたら案外、いい関係が築けるんじゃない?」

 

 しかし、またしてもヒソカの足は三歩ほどで立ち止まる。

 ソラの言葉、答えによって。

 

「? 別に私、イルミは嫌いじゃないけど?」

 

 予想外の返答に、思わずヒソカはきょとんとする。

 ソラの方はヒソカのその反応こそが解せないと言わんばかりに、彼女も少しきょとんとしながら言葉を続けた。

 

「イルミよりお前の方が、普通に大っ嫌いだよ。あっちはそもそも、嫌いになるほど会話も付き合いもないし。

 っていうか、マジであいつの殺意はなんなの? お前の殺意はしたくないけどまだ理解できるから怖いし気持ち悪いけど、今みたいに状況次第ではさほど警戒する必要ないからまだマシ。でも、イルミは本当に突発的だし訳わかんないから好き嫌い以前の問題。

 あいつに対して私が思うのは、関わりたくないの一択だよ」

 

 きっぱり言い切ったイルミに対する評価に、ヒソカは低く喉を鳴らして笑う。

「くくっ♥ なるほどね♦ ……『好きの反対は無関心』を地で行ってるねぇ♥」

 

 ヒソカの言葉にソラは眉間に思いっきり皺を寄せて、「お前に対する評価は絶対に、反転しねぇよ」と宣言する。

「それは残念♠」と相変わらずセリフほど残念がっていない、むしろ上機嫌でヒソカは今度こそやっと足を止めずに外に出て行った。

 ソラはヒソカの背中に「しっしっ!」とジェスチャーしながら、自分の調理台にキープした調味料を置いてから、彼女も足りない材料を探しに外に出る。

 

 自分から変態が離れていくことが嬉しかったので、ソラはヒソカが呟いた言葉は耳に届いてたのだが、気にもかけず、記憶することなく忘れ去る。

 

「……そっちは反転しなくても、向こうはいつかクルッと綺麗に反転するかもね♥」

 

 その言葉に反応も記憶も出来なかったことが、「向こう」が誰であるかも考えなかったことこそが、もはや彼女の「答え」そのものだった。



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21:日本人の食い意地なめんな

今回は、お食事中に読まないことをお勧めします。
あと、カレーとかが好きな人、ごめんなさい。
もうこれで察していただけたらありがたい(笑)




 似たようなものがあればいい程度の期待で探した目当ての食材は、運よく似たものではなく本物を森の中で発見したので、ホクホクとご満悦のソラが二次試験会場に戻る。

「さすがにネギっぽいのはなかったなー。まぁ、ネギに似た植物って有毒が多いから別にいいか。

 ……しかしまさか、大葉がこんな密林と言ってもいい森の中にあるとは思わなかった。さすがはミントに並ぶガーデニングテロリスト。繁殖力ありすぎだろ」

 

 そんな独り言を呟きながら会場に戻って来た時には、魚を探しに行っていた受験生の大半も既に戻っていた。

 

「あ、ソラお帰りー。はい、これ。5匹くらいで良かった?」

「はい、ただいま。うん、十分すぎるくらいだよ。大漁だったんだね。ゴン、ありがとう」

 

 戻って来たソラに気付いたゴンが声を掛けて確認を取ると、ソラは嬉しげに笑ってゴンの頭を撫でながら礼を言った。

 それをやたら不機嫌、不満そうに見ている二組の視線に気づき、ソラは顔を上げて首を傾げた。

 

「何?」

 その問いにキルアはふてくされているのを隠しもせずに「別に」と答えてそっぽ向き、クラピカはジト目でにらみながら「……何故、ゴンに頼んだ?」と尋ねる。

 彼からしたら珍しく相当素直に不満を口にしたのだが、ソラは何故そんなことを訊くのかがわからないと言いたげに、逆方向に首を傾げて答えた。

 

「釣竿持ってたから」

「………………そうか」

 あまりにシンプルすぎるその答えにバカらしくなって、クラピカは言及をやめた。

 

「……珍しいタイプの悪女だな、あいつ。お前も、頼るのなら自分に頼って欲しいって素直にそう言えよ」

 呆れたような目で呟いたレオリオは、また脇腹にクラピカの肘鉄を喰らう。

 ついでにキルアからも後ろから尻を蹴り上げられて、「理不尽だ!」と叫んだ。

 

 そんな二人の八つ当たりによる理不尽なレオリオの被害を、「仲が良いなぁ」と若干斜め上に解釈しながらソラは、手を洗って腕まくりをして魚と包丁を手にしてまずはゴンに尋ねた。

「じゃ、さっそく作るか。ゴンは料理、どれくらいなら出来る?」

 

 自分の代わりに魚の調達をゴンに頼んだ際、「代わりに出来ないことは教えるしやるよ」と自分で言い出したのでその約束を果たそうとしたのだが、ゴンは笑って「まずは自分で全部やってみるよ。ダメって言われたら、どこが悪かったか教えて」と答えた。

 

「ヤバい! ゴンがいい子すぎてなんか生きてることが申し訳なくなってくる!」

「何で!?」

 ゴンのどこまでも真っ直ぐで純粋すぎる笑顔と言葉に、ソラはオーバーリアクションで目が眩んだようにのけぞって、ゴンが突っ込む。

 それを他の3人は呆れながら眺めつつ、同時に少し気まずげな顔をしてそれぞれ自分の調理台に戻って、魚とにらめっこを開始する。

 どうやら全員、まず初めの一作目はソラに頼らず自力で作ることにしたらしい。

 

 下手に自分がアドバイスをしたら審査が厳しくなる可能性が高かったので、ソラは「まぁ、何かわからなかったら遠慮なく訊いてよ」と全員に伝えて自分もまずは魚をさばき始めた。

 

 ソラはこの時点では少し楽観視していた。

 おそらく食べ物に対して関心が高く、あの世界一まずいと言われているイギリス料理すら美味しく作れる日本で生まれ育ち、義務教育期間に家庭科という授業で男女問わず最低限の調理を学ぶような環境にいたため、想像することすらできなかった。

 料理をしたことがない人間が作り出すカオスとしか言えないものの数々をこの数分後、目の当たりにすることなど露にも思わずソラは鼻歌まじりで魚をまずは三枚に下した。

 

 * * *

 

「……とりあえず、君たちは包丁の存在を認識するところから始めようか」

 

 メンチからダメ出しをくらった3人が作ったものを見て、ソラは頭を抱えて最初に出したアドバイスがそれだった。

 驚くべきことに、4人中3人が魚を捌くことすらしなかった。

 

 レオリオは酢飯の塊に、まだ生きている魚を何匹も突っ込んだなかなかおぞましい物体を作りあげ、ゴンとクラピカは小ぶりな魚を一口サイズに握った酢飯の中に一匹突っ込んだ、レオリオよりはマシに見えなくもないものを「スシ」と言い張り、3人とも割と自信満々にメンチに持って行ったことがもうソラにとってはツッコミ待ちのボケでしかない。

 むしろ、そうであってほしい。

 

 しかしながらソラにとって絶望的なことに、レオリオと同レベルと言われてショックを受けるクラピカが縋るように、「……そんなに私が作った『スシ』はダメだったのか?」と訊いてきた。

 どうも彼は、未だにどこが悪かったのかを理解できていないらしい。

 

 クラピカに嘘をつかないと約束したソラは、「……考察は全面的に合ってたよ」とわずかに目を逸らして答えた。

 嘘は言っていないが、さすがに自分の本音はこのエアブレイカーでも言えなかった。

 見た目の悪さはレオリオがぶっちぎりだが、本当に調理経験が皆無で何も考えず勢いだけで作ったレオリオ、毒じゃなければ割と何でも食べれるゴンとは違い、全面的に正しい考察が出来ていたのにあれを作ったクラピカがソラからしたら一番ヤバいと思った本音は、一生秘密にしようとソラは固く心に決める。

 

 ちなみに唯一キルアだけが包丁の存在を無視せず魚を捌こうと努力をしたが、やはり一度も料理したことがない子供に生魚を丸々一匹捌くのは難易度が高すぎて、キルアは魚が切り身ではなく魚の死骸の残骸になった時点で捌くのは諦めた。

 そこらへんはソラの想定内だったので、三枚に下した魚の切り身をソラは渡して、キルアはそれを使って自分なりの「スシ」を作って持っていき、現在審査待ち。

 

 ソラはキルアが魚のバラバラ死体にしてしまったもののリカバリを試みながら、自分が下した魚の切り身を3人にも渡す。

 

「捌き方を教えてもいいけど、時間が掛かるからとりあえずこれを使いなよ。こっちは臭みとか全くなかったから、そのまま使えるよ。こっちのは醤油と生姜でヅケにして臭みとか誤魔化してるやつね。

 あと、ヒント。スシはご飯の中に魚を入れたり混ぜ込むものじゃないよ」

「ただいま。ダメだったわ」

 

 3人に説明してやってる最中にキルアが戻ってきて、あっさり不合格を告げる。

 その言葉に、キルアが何を持って行ったか知ってるソラは苦笑する。

 

 キルアはソラからもらった切り身に、オリーブオイルやスパイスを使ってカルパッチョ風に仕上げて、まるでフランス料理の前菜のように盛り付けていたのを見た時は、3人とは逆ベクトルの意味合いで頭を抱えた。

 普通に美味そうだったが、そうじゃない。

 

「そりゃそうだろうね。キルアが一番、料理のセンスも才能もあるけど、『シンプルすぎて難しい』ってのを忘れてたでしょ?

 そういう点においては、キルアより3人の方がいっそ近いね」

「マジかよ、あんなゲテモノの方が現物は近いのかよ!?」

「「悪かったな! ゲテモノで!!」」

 

 ソラのアドバイスを兼ねた言葉にキルアは嫌そうな顔をして叫び、自分が作ったものをゲテモノ扱いされたクラピカとレオリオがキレる。

 

「はいはい、落ち着け君たち」

 キレた二人を小馬鹿にするようにキルアが笑い、調子に乗って追い打ちの挑発をかける前にソラが口を挟んで喧嘩の勃発を防ぐ。

 同時にさっきから何やら切り刻んで混ぜていたものをスプーンに一さじ掬って、一番近くにいたキルアに差し出して言う。

 

「それより、ちょっと味見して」

 言われてキルアが振り返り、スプーンに盛られたものとまな板の上のものを見て、思わず彼は反射で叫ぶ。

 

 まな板の上にあるものは、キルアがバラバラにした魚から骨や内臓を丁寧に取り除いて、身をさらに切り刻んでミンチどころかペースト状にしたものに味噌と生姜、料理酒、刻んだ大葉をさらに包丁でたたいて混ぜた、「なめろう」と呼ばれるソラの世界ではさほど珍しくも何ともない料理。

 漁師が漁の最中に船の上で作ったものが起源とされているので、使われる魚はアジなど青魚が一般的だが、貝やイカなどの「なめろう」も存在するので、「川魚で作ったことないけど、まぁいいや」とソラが思って作ってみたのはいいのだが、まずこの悲劇の原因はキルアにとって「味噌」はほとんどなじみがない調味料だったことだろう。

 

「!? なんだそれ!? ウンコみてえ!!」

 調理中に最も聞きたくない単語を大声でキルアが叫んで、思わず会場内のほとんどの人間が盛大に噴き出すか、一瞬固まる。

 空腹を紛らわすためにちょうどそのタイミングでお茶を飲んでいたメンチも、盛大に噴き出した挙句にお茶が気管に入って激しくむせるが、メンチの災難はそれで終わらなかった。

 

 さすがに食べ物を対極のもの扱いされたことに怒ったのか、それともわざとか、ソラは即座に言い返した。

 

「てめぇ、キルア!! カレーに謝れ!!」

「え!? か、カレーごめん?」

 

 まさかの作った自分にではなく、もっと見た目が似ている物を引き合いに出してそれに謝れと言われ、あまりに予想外の言葉だったせいで思わずキルアは素直に謝った。カレーに。

 そのやり取りでまた受験生たちが噴き出し、腹筋が崩壊する。

 メンチに至っては完全に呼吸困難に陥って割と本気で死にかけたが、そんな試験官の修羅場に気付くことなく、言いたいことを言って気が済んだのかソラは「いいから食え」と、キルアの鼻をつまんで口の中にスプーンをズボッと遠慮なく入れた。

 

 未知の、それも汚物に見た目が似ていると感じた食べ物を口に入れられ、キルアは目を白黒させてとっさに吐きだそうとするが、ソラが鼻をつまんでいた手で今度は即座に口をふさがれてそれは叶わない。

そもそも、その抵抗は数秒も持たなかった。

 

 ほぼペースト状になるまで刻まれているため、ほとんど噛まずに飲み込んだのを確かめてからソラはキルアから手を離し、悪戯が成功した子供のように笑って尋ねる。

「どうだ?」

「……まぁ、悪かねーかな?」

 

 見慣れないし食べ慣れない、子供らしく甘いものが好きなキルアからしたら好みとは言えない味だが、それでも普通に美味だと感じた。

 本来ならネギが入るのだが、それが入れられていないおかげで辛味が少ないからかもしれない。

 

 とんでもない発言をした本人が、素直に飲み込んで素直ではないが「美味い」と言ったことに、キルアとソラのやり取りから比較的早く回復したゴンが無邪気に駆け寄って、「美味しいの? どんな味?」と訊いてきた。

 ソラはそんなゴンにもスプーンに盛ったなめろうを差し出し、ゴンは食べさせてもらうことを恥ずかしいと思わず雛鳥のように大きく口を開けて、ソラから食べさせてもらう。

 

「わっ、本当だ美味しい! ちょっとしょっぱいけど、それがすっごくライスに合いそう!」

「あー、臭みとかを誤魔化すために調味料多めにしちゃったからね。でも、ご飯だけじゃなくてパンにも結構あうんだよ」

 

 ゴンの言葉にソラは答えながら、同じようにクラピカにも一口分掬ったスプーンを差し出す。

 さすがに彼はソラから食べさせてもらうことは恥ずかしがって拒否し、スプーンを奪って自分で食べた。

 対してレオリオはふざけて「おーい、俺にも食わせてくれよ」と言って大口を開け、それにノッたソラが「よっしゃ任せろ! 喉奥に突っ込むぜ!」と構えたので、慌てて自分で食べると訂正してソラは残念そうに舌を打った。

 

「……ほう。味は濃いのにくどくないな。……何というか独特というか、不思議な味だな」

「あー、これなんかすっげー酒に合いそう。くそっ、呑みたくなってきたぜ」

「好評のようで何よりだよ。っていうか、レオリオ。君は未成年だろうが」

 

 一通り全員に食べさせて、こちらの世界の住人にとっても問題なく食べられる味であることを確認しながら、ソラは酢飯を握って海苔を巻く。

 ニギリズシ以外を作れと言われたが仲間へのヒントも兼ねて軍艦巻きにして、その上に作ったなめろうを盛り付け、出来上がったものをまずは自分の口の中に放り込む。

 

「んー……やっぱちょっと濃いなぁ。まぁ、この辺は個人の好みの差異でいけるかな?」

 言いながら同じように作った軍艦巻きを4人にも食べさせて、もう一度味はどうかを確かめる。

 結果として、クラピカとゴンが「少し濃い」、キルアとレオリオが「ちょうどいい」と答え、どちらにしても「普通に美味い」と評価をもらえたので、ソラはこの「川魚のなめろう軍艦巻き」でとりあえず審査してもらうことにした。

 

 創作寿司を作れと言われてこれでは、日本人のソラからしたら全然創作になっていないのだが、70人いて「スシ」の存在を知っているのが皆無ということは、この世界ではスシ以前にジャポンの文化はさほど外に出回っていないのだろうとソラは踏んだ。

 というか、3年この世界にいながら島の形状といい文化といい、日本とほぼ同じジャポンの存在をソラが知ったのが割と最近という時点で、この世界にとってジャポンはそれなりに名の知れた先進国ではないらしい。もしかしたら、鎖国している可能性すらある。

 

 なのでソラにとっては珍しくもなんともない、今やメジャーなスシダネであるハンバーグ寿司やらニギリではないがカリフォルニアロールの類でも、メンチにとっては見たことも聞いたこともないスシである可能性が高い。

「なめろう」そのものも漁師のまかない飯に近いものであるため、存在を知っているかどうかも怪しい。

 

 なのでまぁ、「これでいいだろう。ダメならダメで、またチャレンジすればいい」程度の気持ちで持って行こうとした。

 だから、この後の彼女の行動に「自分の試験の邪魔をした」「合格のチャンスを潰した」などという思いは、一切関係ない。

 

「んじゃ、行ってきまーす」

「いってらっしゃーい」

「合格したら俺らの方を手伝ってくれよー!」

 

 ソラがなめろうの軍艦巻きをトレイに乗せて持って行こうとしたタイミングで、メンチの元で誰かがキレた。

 

「メシを一口サイズの長方形に握って、その上にワサビと魚の切り身をのせるだけのお手軽料理だろーが!!

 こんなもん、誰が作ったって味に大差ねーーべ!?

 はっ、しまったー!!」

 

 なかなか特徴的な頭部に黒装束の青年が、「スシの材料は魚」とばらしたレオリオとクラピカ以上に大声かつ盛大に、スシの作り方と形状を暴露した。

 その暴露を聞いた瞬間、メンチの顔は般若になり、同時にソラの顔もすっと温度が下がるように無表情になった。

 

「……そ、ソラ?」

 その様子の変化には全員が気付けたが、いきなり無表情になったソラに声を掛ける勇気があったのはクラピカだけだった。

 

「……クラピカ。これ持ってて」

「え? あ、あぁ」

 

 声を掛けられたソラは無表情のまま、クラピカに軍艦巻きを乗せたトレイを渡す。

 手ぶらになった途端、ソラはメンチに胸倉をつかまれて大説教をくらっている294番、ハンゾーに向かって駆け出し、そしてその輝く後頭部にソバットを決めて叫んだ。

 

「てめぇ、何がお手軽だクソボケハゲ!! 和食なめんな舌切り落とすぞこの味音痴がっ!!」

『そこっ!?』

 

 メンチと同じくスシや料理を軽んじる発言をしたことにブチキレたソラに、受験生とブハラが同時に突っ込む。

 が、そんな突込みの唱和で食い意地の張ったこの女二人が止まる訳がなく、ハンゾーは何故か増えた説教を正座でコンコンと聞かせられた。

 

 この女二人によるマシンガントーク説教は10分ほど続き、終わった後のハンゾーの顔にはでかでかと「敗北」の文字が浮かび上がっており、そしてソラはメンチと無言で硬い握手を交わしてからいい笑顔で4人の元に帰って来た。

 

「ふぅ。ただいま」

『何がしたかったんだお前は!?』

 

 それはおそらく、握手を交わした当人たちもよくわかっていない。

 

 * * *

 

 もちろんこの後、試験が順調に進むわけがない。

 ソラが初めに「スシを知ってるけどどうしたらいい?」と尋ねて、結局「ニギリズシ以外の創作ズシを作れ」と指示を出しただけあって、スシ以外を作れる設備ではなかったことと、ハンゾーに怒鳴り散らしても怒りが納まらず冷静さを完全に見失ったメンチが「味だけで審査する」と言い出し、ソラが危惧した通りプロレベルの味を要求し始めた。

 

 メンチは見た目や性別に反して美食ハンターになるだけあってかなりの量のスシを食べたが、やはり彼女が求める味を作り出せる受験生などいる訳もなく、1時間ほどひたすらに食って食って食いまくって、もはや難癖と思えるダメ出しをしまくった結果。

 

「悪!! おなかいっぱいになっちった」

 

 合格者がゼロという、当然と言えば当然の結果になった。

 

 しかし、こちらも当然だがメンチの審査は審査委員会にとっても理不尽なものと判断され、ハンター試験最高責任者のネテロが登場したことで受験生たちは救済される。

 

 さすがに最高責任者が出て来る事態となったことでメンチの頭に昇っていた血も下がり、自分の審査が理不尽で不十分なことを認めて審査員を降りると言い出すが、ネテロはそれを却下して代わりの案を出す。

 

「審査員は続行してもらう。そのかわり、新しいテストには、審査員の君にも実演という形で参加してもらう――というのでいかがかな?」

 

 ネテロの提案に、メンチは何か思いついたように顔を上げる。

 そして彼女が微笑みながら上げたメニューは……

 

「ゆで卵」

 

 ブハラの「ブタの丸焼き」以上にシンプルなメニューを言い渡され、受験生が戸惑うのをしり目にメンチはネテロに飛行船で自分と受験生たちをとある山に連れて言って欲しいと頼む。

 その指さした山でネテロはメンチの思惑を全て理解し、若干意地悪く笑ってから快く了承した。

 

 そうして受験生がつれてこられたのは、ケーキカットされたように崖で真っ二つになっている奇妙な山。

 その山の底が見えない崖まで連れてこられて、受験生たちは顔色を悪くさせる者が出て来る。

 

「下はどうなっているんだ?」と受験生の誰かが呟いた不安に、「安心して、下は深ーい河よ。流れが早いから、落ちたら数十㎞先の海までノンストップだけど」と、何も安心できない情報を教えてくれた。

 そして、教えた直後にメンチが崖に飛び込んだ。

 

『え!? えーーーー!?』

 

 唐突なロープレスバンジーに受験生たちが目を白黒させていたら、ネテロがメンチが何しに行ったかの説明をしてくれた。

 

「マフタツ山に生息するクモワシ。その卵をとりに行ったのじゃよ。

 クモワシは陸の獣から卵を守るため、谷の間に丈夫な糸を張り、卵をつるしておく。その糸にうまくつかまり、一つだけ卵をとり、岩壁をよじ登って戻って来る」

 

 ネテロの説明に一番メンチに食ってかかってブハラにぶっ飛ばされた受験生、トードーが「出来るかそんなこと!!」と内心キレるが、メンチはネテロの説明から10分もしないうちにケロッとした顔で崖を登って、取ってきた卵を見せる。

 

「よっと。この卵でゆで卵を作るのよ」

(……簡単に言ってくれるぜ。こんなもん、マトモな神経で飛び降りれるかよ!!)

 

 ネテロに言われた通り、「実演」をして見せて、決して不可能ではないことを、そして「美食ハンター」だからといって侮れない実力を見せつけられても、トードーは認めない。

 自分がメンチに劣っているという事を認めず、心の中でまたこの試験が不成立になると言い聞かせる。

 

 しかし、彼の背後でその言い訳は完膚なきまでに破壊される。

 

「あーよかった」

「こーゆーのを待ってたんだよね」

「走るのやら民族料理より、よっぽど早くてわかりやすいぜ」

「メンチさん! 取って来ていい卵は一人何個までですか?」

「一つだけだと言っていただろうが馬鹿者!」

 

 12歳前後の少年たちが「楽勝」と言わんばかりの声を上げ、その仲間と思わしき連中も何一つ怖気づく様子を見せずに軽いノリで話し、そして真っ先に崖から飛び降りた。

 全員、ヤケクソや恐怖を堪えたような引きつった顔ではなく、これで自分たちが合格することを確信した笑顔で。

 

 その後に続いた者も、ほとんどが初めに飛び込んだ者たちと同じ顔、もしくは「今度は簡単すぎる」と言いたげにつまらなさそうな顔をして飛び込んだが、半数近くが崖を見下ろすと足がすくみどうしても飛び降りれない。

 怖気づく受験生たちにメンチは、「残りは? ギブアップ?」と尋ねる。

 もう、トードーには「するわけねぇだろ!」と大口を叩く気力も意地も残っていなかった。

 

「やめるのも勇気じゃ。テストは今年だけじゃないからの」

 ネテロが諦めた受験生たちにそんなフォローの言葉を掛けてから、彼はメンチと同じように崖下を見下ろして、卵をとりに入った受験生たちを眺める。

 

「あー、会長。改めてありがとうございます。

 自分の意地で落としちゃったけど、すっごい今年はツブぞろいだったんですよ」

 

 しゃがみこんで受験生たちの帰還を待ちながら、メンチがネテロに話しかける。

「ほう。確かに人数も一次、二次前半共に優秀じゃのう」

「そうなんですよ! 一回全員落としておいてなんですけど、特に今年はルーキーが優秀ですよ!

 ちなみに、私は100番がおすすめです!」

 

 本当に一回全員を落とした本人が言うのも何だが、メンチは今年の受験生の優秀さと自分のお気に入りの受験生について熱弁する。

 100番ことソラが作ったスシは、もちろんプロレベルを求めたメンチの試験ではダメなところだらけだが当初の合格基準には十分達しており、彼女に関してはそもそもの元凶である294番とは違って初めからちゃんと「スシを知っている」と自己申告して、仲間にもヒントや手伝いはしても形を教えなかったところにメンチは好感を持っていた。

 なので、つい彼女は合格させようかと公私が完全に混同した考えが過ったが、それも本人が「遠慮なくバッサリダメ出ししてください。ここで合格した方が気まずいですし」と言い出したから結局不合格にしたので、真っ先に自信満々に飛び込んでくれたのはやはり公私混同だが嬉しかったらしい。

 

 ソラからしたら試験を受ける動機が、「ライセンスが身分証明に良いから」という運転免許のようなノリなので、ここで仲間とも離れて一人合格して次の試験なんか受けたくなかっただけであることは、知らない方がお互いに幸せだろう。

 

「……100番とは、あの白髪の子のことかのう?」

 メンチのおすすめの人物に興味を持つどころか、メンチが話題にあげる前から彼女を把握していたらしきことにメンチは驚き、軽く目を見開いた。

 が、彼女は受験生でありながら既に念を習得していたので、それにプラスして覚えやすい受験番号に目立つ容姿だからだとメンチは勝手に納得して肯定する。

 

「そうですよ。にしてもあの子、すごい外見してますね。私、悪いけど話しかけられた時まず初めに性別を訊いちゃいましたよ」

「大丈夫じゃ。本人、おカマやおナベに間違えられるのはさすがに嫌がるが、男と間違えられることに関しては気にしておらんらしい」

 

 ソラのあの性別不詳すぎる外見を話題にあげてみると、サラッとネテロはメンチ以上に彼女のことを知る発言をして、今度はまん丸く目を見開く。

 メンチの唖然とする様子をおかしげにネテロは眺めて笑って、語る。

 

「気に入ったのなら、ホームコードの交換でもしておくといい。おそらくはおぬしでも知らん料理の数々を知っとるじゃろう」

 

 言いながら、視線を崖下に戻す。

 卵をツナギのポケットに入れて岩壁をよじ登って来る孫弟子は、自分を見下ろすネテロと目が合って怪訝な顔をする。

 そのミッドナイトブルーの瞳に自分がどう映っているのかに興味を抱きつつ、ネテロは目を細めて呟いた。

 

「異世界の料理を、のう」




この連載を始めようと思った当初から、一番書きたかったシーンは

「てめぇ、キルア!! カレーに謝れ!!」
「え!? か、カレーごめん?」

だったりします(笑)
何ていうか、色々とごめんなさい。

あと後半がどうしてもソラが別にはっちゃけなかったしオリジナル要素が入る部分もなかったので、原作そのまんまを巻きで入れるしかなかった。
次回は、トリックタワーまでの飛行船内の話なんだけど何故かこれが妙に長くなりそうです。
たぶん最低3話かかると思います。おかしいな、ほとんどただの会話のはずなのに……。


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22:名前のない愛情


ヒソカさんが絶好調すぎてどうしようかと思った今回。
危うく、年齢指定が上がるところだった。


 二次試験後半、無事に42名がクモワシの卵を入手して同時に市販の鶏卵と食べ比べたことで、美食ハンターが何に誇りを持ち、命を懸けているかを知り、合格者・不合格者共々メンチに対する悪感情が解消されて、本日の試験は終了。

 

「残った42名の諸君にあらためてあいさつしとこうかの。

 わしが、今回のハンター試験審査委員会代表責任者のネテロである」

 

 合格者が再び搭乗した飛行船のロビーで、ネテロはまるで学校の朝礼のように話し始める。

 ネテロの飄々とした雰囲気はまさしく学校の校長あたりが良く似合うのだが、集められて話を聞いているのは強面ぞろいのハンター試験受験者。

 しかも、何度か試験を受けた者たちならここから試験の苛烈さが増すことをよく学習しているため、空気は張りつめてまさに「ピリピリ」という擬音そのものの中、ネテロはどこまでも「学校の校長先生」のまま話を続けた。

 

「本来ならば、最終試験で登場する予定であったが、いったんこうして現場に来てみると何とも言えぬ緊張感が伝わって来ていいもんじゃ。

 せっかくだからこのまま同行させてもらうことにする」

 

 この空気の中、穏やかに笑ってそんなことを言える時点でこの老人が、ただの好々爺なわけなどなかった。

 緊張感や殺気が充満する空気の中、飄々とし続けるネテロに受験生は若干引くが、もちろん引かれたこともネテロは気にせず、あとの説明は秘書に任せる。

 

 秘書から本日の試験は終了したこと。次の目的地へは、明日の朝8時到着予定であること。こちらから連絡するまで、各自飛行船内で自由に過ごしていいことを伝えられて、まず真っ先に元気な声を上げたのは体力が有り余っている、最年少の少年二人組だった。

 

「ゴン!! 飛行船の中、探検しようぜ!」

「うん!!」

 昼間のマラソンもブタの捕獲も魚釣りもロープレスバンジーからのロッククライミングも、この二人の無限の体力を空にすることは出来ず、二人は軽やかな足取りでロビーを出て行った。

 そんな二人の背中を見送りながら、レオリオは慄いて「元気な奴ら……」と呟き、クラピカも驚きと呆れが入り混じった顔をする。

 

「私はシャワーでも浴びようかな」

 ゴンとキルアの探検に「まぜろ」と素で言い出しそうなソラも、さすがに疲れているのか飛行船内の案内板を見てシャワールームの位置を確認しながら、おもむろにツナギのジッパーを下げた。

 

「お前は何をしてる!?」

 もちろん、後ろからソラの白髪を遠慮なくどついて止めたのはクラピカである。

 どつかれた本人は、何故いきなり自分がどつかれたのかわからないと言いたげな顔をして、頭を押さえながらクラピカを見るが、クラピカはへそが見える位置まで下げられたソラのジッパーを勢いよく上げて、ついでにしっかりソラの薄いが確かに存在する胸部の膨らみを注目したレオリオの脛にローキックを入れてから説教を開始した。

 

「お前は何を考えてるんだ!? 自分の性別すらも忘れたのか!? いいか、ソラ! お前は間違いなく、少なくとも体は女だ! そして医療行為以外で家族でも恋人でもない相手の前で服を脱ぐ女は、ただの痴女であることを自覚しろ!!」

「……体だけじゃなくてちゃんと心も女だよぅ」

 

 クラピカの怒涛の説教にやや困惑してソラが抗議するが、説得力はまるでない。

 むしろ余計にクラピカを怒らせたらしく、「なら、なおさら問題だろうが! 私に痴女の知り合いはいない!」と怒られた。

 が、それでもめげずにソラは言い返す。

 

「いや待てクラピカ。話せばわかる」

「わかってたまるか!!」

「いや、君ならわかる。こんな些細な胸でもちゃんと強調して見せてないと、女子トイレやシャワー室に入った時、ギョッとした顔で先客に見られる私の気持ちが」

「……すまない。痴女は言いすぎた。だがそれなら、シャワー室に入る直前で開けろ」

「うわ、本当にわかったしこいつ」

 

 まさかの本当に納得して、少しクールダウンしたクラピカに蹴られた脛を押さえながらレオリオが突っ込んだ。

 容姿が整いすぎて性別不詳同士、同じ苦労をしているらしい。

 

「でも私が着てるの見られても大丈夫な奴だよ?」

「女性のファッションが男にとっても同じ認識をしてもらえると思うな。私からしたら、見られていい下着など存在しない」

 小首を傾げてソラはクラピカにまだ抗議するが、クラピカの方はこれ以上妥協する気はなく、睨み付けてソラの言い分を却下する。

 ソラ自身もファッションにこだわりがある訳でもないので、見せブラの存在を否定されても気にせず、「はーい」と気の抜けた返事をしてシャワー室に向かって行った。

 

 どう見てもクラピカの言葉を、いい意味でも悪い意味でも気にしていない。シャワーを浴びたらクラピカに叱られたことを忘れて、下着姿でそのあたりをうろつきそうなソラにクラピカは頭を抱えた。

 もうこのやり取りだけで今日一日以上の疲労を感じ、「疲れた……」と呟く。気分的に今すぐこの場で寝てしまいたいくらいだろう。

 

 レオリオもクラピカの言葉に同意して、「俺はとにかくぐっすり寝てーぜ」と言いながらどこか休めそうな場所を探す。

 同じく仮眠できそうな場所をクラピカは探しつつも、彼は気になった事をふと口にした。

 

「そういえば、1つ気になるのだが……、試験は一体あといくつあるのだろう?」

「あ、そういや聞かされてねーな」

 クラピカの疑問にレオリオも頭をひねる。

 その疑問に、背後から近づいて来た人間が答える。

 

「その年によって違うよ」

 

 答えたのは、試験前に自分たちにジュースをくれたハンター試験最古参のトンパ。

 彼は試験は試験官の人数や試験の内容によって毎年変わるが、だいたい平均して5つ6つくらいだと教え、残りの試験の数を考えてここで休めるだけ休んだ方がいいと二人は判断する。

 

「だが気を付けた方が良い」

 

 しかし、トンパは二人の判断に忠告する。

 先ほど次の試験会場への到着予定時刻を教えてくれた進行係の言葉は信用ならない。この飛行船が試験会場かもしれないし、到着時刻は真っ赤な嘘かもしれないと告げてから、次の試験に受かりたければ飛行船(ここ)でも気をぬかない方がいいと忠告して、二人から離れていく。

 

(なーんちゃってな。せいぜいキンチョーして心身ズタボロになりな)

 もちろん、真っ赤な嘘なのはトンパの方。試験会場がこの飛行船だというのはともかく、試験であるからには出来る限りの平等性が当然なので、彼の35回の受験を振り返っても虚偽の試験開始時刻なんてだまし討ちなど一度もない。

 

 自分の下剤入りジュースの細工を見破ったソラ、ほぼ無味無臭の下剤の味を感じ取ったゴン、毒は平気だと言って飲み干したキルアがいなくなったのをいいことに、この二人なら騙されるだろうと思って趣味の新人潰しを行ったトンパだが、一次試験のマラソンのさなかにソラが「16番のおっさんにジュース渡されなかった? あのおっさん曲者だから信用しない方がいいよ」としっかり教えられていた二人が、嘘をつく意味があまりない試験の数はともかく後半の内容は信用する訳もなく、二人は飛行船の適当な隅を見つけてそれぞれ毛布を被って目を閉じた。

 

 * * *

 

「ねぇ、今年は何人くらい残るかな?」

 

 自分たちが担当だった試験を終えたハンターたちが食事をしながら、メンチはネテロに言ったことと同じことを話題にあげる。

 ブハラは「これからの試験の内容次第じゃない?」と面白みのないことを答え、また彼女は全員落とした自分が言うのもなんだけどと前置きしながら、今年の受験生の出来の良さを語る。

 

「サトツさんはどぉ?」

「ふむ。そうですね……、新人(ルーキー)がいいですね。今年は」

「あ、やっぱりー!?」

 

 サトツにも話題を振ってみると同じことを思っていたのが嬉しいのか、彼女はテンションを上げてやはりネテロの時と同じく自分の一押しルーキーをあげる。

 

「あたしは100番がすごくいいと思うの! ちゃんとスシを知ってるって申告するし、料理も出来るし、仲間思いだし、もう文句なしよ! 女の子じゃなかったら逆ナンしちゃってたくらいお気に入りだわ!」

「私は断然、99番ですな。彼はいい」

「えーっ! あのクソガキィ!? あいつきっとワガママでナマイキよ。絶対B型! 一緒に住めないわ!」

 

 サトツが上げた自分のお気に入りと連番の子供に、メンチは思いっきり不快そうな顔をしてダメ出しする。

 彼女が試験中に窒息死しかけたきっかけが彼なので仕方がないのかもしれないが、追い打ちをかけたソラが無罪なのはキルアからしたら理不尽この上ないだろう。

 

 メンチの感想に「そういう問題じゃ……」と思いながら呆れていたブハラにも話が振られ、彼は口の中のものを咀嚼しながら考え、答える。

「そうだね――、新人じゃないけど気になったのは、やっぱ44番……かな」

 

 44番、とあげられた受験番号でメンチとサトツの二人は同時に表情を硬くする。

 あげた本人のブハラもうんざりとした表情で、行儀悪くフォークを振りながら話を続ける。

「メンチも気づいてたと思うけど、255番の人がキレだした時、一番殺気を放ってたの実はあの44番なんだよね」

「もちろん知ってたわよ。抑えきれないって感じの凄い殺気だったわ。

 でも、ブハラ。知ってる? あいつ、最初からああだったわよ。あたしら姿を見せた時からずーっと」

 

 メンチの言葉にブハラは目を丸くして「本当?」と尋ね返すと、彼女は唇を尖らせて肯定し、ついでにその所為でずっと自分はピリピリしていたと愚痴る。

 

「私にもそうでしたよ。彼は要注意人物です」

 サトツも無表情のまま肯定し、そして語る。彼から見た44番、「ヒソカ」という奇術師の人物像を。

 

「認めたくはありませんが、彼も我々と同じ穴のムジナです。ただ、彼は我々よりずっと暗い場所に好んで棲んでいる。

 我々ハンターは、心のどこかで好敵手を求めています。認め合いながら競い合える相手を探す場所……。ハンター試験は結局、そんな所でしょう。

 そんな中にたまに現れるんですねぇ。ああいう異端児が。我々がブレーキをかけるところでためらいなく、アクセルをふみこめるような」

 

 サトツの言葉で思わず沈黙が落ちる。

 その沈黙を破ったのは、ブハラの一言。

 

「そういえば44番って、なんか妙に100番を気に入ってたよね?」

「あぁ。そういえばそうよね。何かあの子にちょっかいをかけてた時は、私らに殺気向けないであの子に集中させてたし」

 受験生たちが魚を捕りに行ってる間のやり取りを思い出し、二人はヒソカに目をつけられて半泣きになっていたソラに今更同情する。

 

「私の試験の時もちょっかいをかけてましたね。どうも途中で少し、交戦もしたようですし」

「うそっ!?」

「え!? やり合ったのに、どっちも無傷で2次試験に間に合ったの!?」

 

 サトツが何気なく口にした言葉に、美食ハンターは驚愕する。

 ソラも念能力者だったので他の受験生と違ってヒソカ相手でも生き残れる可能性はあるが、どう考えてもあの戦闘狂に目をつけられて交戦したのなら、どちらが死ぬまでのデスマッチを強制させられる。

 そのデスマッチにプロハンターの自分達でも逃げきれる自信はないというのに、それを実行したソラを何者だと引き気味で二人が驚いている中、さらにサトツが爆弾発言を投下する。

 

「あと、彼女はどうやらストーンハンターのビスケット=クルーガーの弟子のようですね。1次試験中にチラッと話していました」

「あ、どうりで会長が少しだけあの子を知ってるわけだわ」

 

 サトツの言葉にハンター協会の中でも古参の女性ハンターの名前が出て、ブハラはまた目を丸くさせるが、メンチはネテロとの会話を思い出して納得する。

 ビスケはネテロの直弟子としても有名なので、おそらく弟子から直接、少しだけ孫弟子である彼女の話を聞いていたのだろうと、メンチが抱いていた疑問の大半が氷解する。

 しかし、どうしても溶けきらずに残った部分があったので、メンチは食事をしながら頭をひねらせる。

 

「そういえば、会長があの子についてなんか訳わかんないこと言ってたなー。異世界がどうのこうのとか」

「「異世界?」」

 

 メンチの言ったことをサトツとブハラは異口同音で返し、同じく首を傾げた。

 しかしすぐに、例えか何かだろうと適当にそれぞれ納得して消化して、その話題は忘れ去る。

 

 誰もまさかそのまんまだとは思う訳がなかった。

 

 * * *

 

 残りの試験の数を考えたら、ここでしっかり休むべきだと頭ではわかっているのに、クラピカは眠れなかった。

 眠ってしまうのが、怖かった。

 

 次に目覚めたら彼女がいないのではないか、ソラとの再会は夢だったのではないかという不安が付きまとい、毛布にくるまって目を閉じながらも、頭はどんどん冴えてゆく。

 自然と手は自分の耳にぶら下がるイヤリングに伸びて、無意識に弄る。

 未だ返せていない彼女と自分を繋ぐものに触れて、たとえソラとの再会が夢でも彼女の存在は決して夢ではないことを自分に言い聞かせ続けた。

 

「……寝れねーなら、会いに行けよ」

 隣からそんな提案が聞こえ、クラピカは目を開ける。

 

 自分の隣に腰を下ろして、同じように毛布にくるまっていたレオリオが目を閉じたまま続ける。

「さっきからもぞもぞしやがって、こっちが眠れねーんだよ。せっかく再会したのに、ゆっくり二人で話す機会がなかったんだから、今、話して来いよ。

 これを逃したら次は試験終るまで、話す機会はねーかもしれねーし」

 

 クラピカがどうして眠れないかなど、この意外と他者をよく見て思いやる男にはお見通しだったのが恥ずかしく、クラピカは意地を張って「別にそんな訳じゃない」と呟いた。

 その意地を、レオリオは鼻で笑い飛ばす。

 

「はっ! もうお前があいつのことが好きで好きで仕方がねぇことはバレバレなんだから変な意地張るなよ。別にそのことをからかう奴だっていねーよ。好きになって納得なぐらい、良い奴だってこともわかってんだからな」

 そう言われても開き直れないのが意地であり、クラピカは黙秘を貫く。

 ただ、ソラのことを褒められたのはまるで自分の事のように嬉しくて、自然と口角が少しだけ上がった。

 

 まだ意地を張るクラピカを、レオリオは目を開けて呆れたように眺めながらふと思いついたことを口にする。

「つーかさぁ、クラピカお前、あいつのことは姉として好きなのか? 女として好きなのか?」

「はぁ?」

 

 黙秘を貫いていたクラピカが、さすがに声を上げた。

 嫌そうではないが心底心外そうな声だったことに「んな声あげんでもいいだろ……」とレオリオは突っ込む。

 

「そんなに俺、おかしなこと訊いたか? ぶっちゃけ3年前にたったの一月しか一緒にいなかった女を『家族』として見るのは、俺はたぶん無理だぜ?

『異性』として見る方がまだあり得るな。あいつとお前くらいの歳の差なら、十分にそういう対象になるし」

 

 レオリオの言うことはそれなりに筋が通り、別に下世話というほどでもなかったが、クラピカはやはり心外そうな顔で即答した。

 

「お前は真面目な話をした0.5秒後に、それを完膚なきまでにぶち壊す女をそういう対象に見れるのか?」

「……せめて1秒は保たせて欲しいな」

 

 1次試験での再会した直後のクラピカとのやり取りを思い出したのか、レオリオは遠い目をして納得し、それ以上の追及はしなかった。

 が、実はクラピカのこの即答は、本音ではあったが誤魔化しでしかなかった。

 

 クラピカは間違いなく、ソラの事が好きだ。

 彼女に対して懐く感情は愛情だと、ソラを愛していると言い切れる。

 本人や他者に伝えるのは恥ずかしくて口が裂けても言えないが、さすがに自分自身に対してまで意地を張らなければいけない理由や意味はない。そこは素直に認めている。

 

 だが、この愛情は「親愛」や「家族愛」と言えるものなのか、「恋愛」なのかは3年前からクラピカにはわからなかった。

 一人っ子で女性の家族は母のみ、数少ない同胞のみでコミュニティが完結しているため、外に出ることに関しては頑なに年齢を重視していたが、クルタ族そのものは割と実力主義だった。

 なので、知識も武術に関しても出来の良かったクラピカは、少しくらい年上が相手でも頼りにされる側だった為、「姉」に近い立ち位置の女性はソラが初めてで、本当に姉がいたらソラに対してと同じような愛情を抱くのかどうかなんて、クラピカにわかる訳がない。

 

 本人的には嫌な考えだが、恋愛かそれ以外の愛情かの区別をつけるなら、相手に性的欲求を抱くかどうかが一番分かりやすい基準の一つであることもわかっているが、クラピカはそもそもソラに限らず女性をそういう目で見ることは何よりも無礼だと思っている。

 そういうものに一番興味を示す年頃に、外の世界やハンターという職業に興味が全部向いてしまい、その後はクルタ族虐殺という出来事が重なったせいで、未だにクラピカは性に関しての知識や意識も同年代からしたら疎くて初心であり、ソラをそういう対象に見れないのは身内として見ているからなのか、ただ単に他の女性と同じく無礼だと思っているからなのかという区別がつかない。

 

 ソラが自分以外の相手と楽しそうにしていると、胸の内がモヤモヤして酷く苛立つ自覚はある。相手に嫉妬していることはわかっている。

 けどそれも、「姉」を取られた「弟」としての嫉妬なのか、それとも「男」としての嫉妬なのかがわからない。

 

 3年前から謎だったが、本人がいないので別にわざわざ「家族愛」なのか「恋愛」なのかという答えを出す必要などなかったものを改めて突き付けられ、そしてやはり考えれば考えるほどに答えが出ないことに、クラピカの胸の中でモヤモヤとしたものが溜まってゆき、苛立つ。

 

 自分とソラの間にキルアが入り込んだ時のように、自分よりもゴンをソラが頼りにした時と同じ苛立ちに溜息をついて、クラピカは立ち上がった。

 時計を確認すれば、もうソラと別れてから1時間近く経つ。割と風呂好きで長風呂をする女だったが、シャワーならさすがにもう上がっているだろうと考えながら、一応レオリオに声を掛けてその場を離れた。

 

「……少し、話をしてくる」

「おう」

 

 誰に、とは改めて訊くことのないレオリオの気遣いに感謝しつつクラピカは案内板を見て、とりあえず女子シャワー室の方向に足を運ぶ。

 何を話すつもりかなど考えていない。ただ、彼女に関する苛立ちは彼女と話せば確実に解消することだけはわかっているから、話をしたいだけ。

 レオリオに言われるまでもなく、そんな言い訳すら本当はいらないくらいに、ただソラと話がしたかっただけであることにクラピカは苦笑する。

 

 そんな自分の考えを自覚すると同時に、一つだけわかったことがあった。

 ソラに関しての愛情は、やはり愛情と以外名付けられない。それがどうして、愛情としか名付けられないかの理由だけは、理解した。

 

(あぁ、そうか……。私はソラとどういう関係であっても、ただずっと一緒にいたいのか)

 

 姉弟も、恋人も、どうしてもしっくりくる自分と彼女の関係ではないけれど、この先ずっと一緒に居られるのであればどちらでもいい。

 関係の名前も愛情の名前も、何でも良かった。一緒にいられる理由になるのなら、なんだって良かった。

 そんな風に、クラピカは思った。

 

 そんな夢みたいな永遠を、願った。

 

 * * *

 

 クラピカの懸念通りソラはクラピカのお説教など右から左に聞き流して、シャワーを浴びた後はツナギの前を全開どころか上は脱いで腰に袖を巻いている状態で飛行船内をブラブラ歩いていた。

 すれ違う受験生はぎょっと目を見開いてソラを二度見するが、本人は全く気にしない。

 

 一応ソラの名誉のために補足すると、彼女の格好は確かに露出が高いが上に着ている見せブラは明らかに下着というデザインではなく、スポーツウェアに近いデザインなので世間一般的に言えばクラピカの説教の方が大袈裟である。

 すれ違う人間が二度見するのはソラの露出の高さに驚いているのではなく、明らかに女性的な部位をさらけ出してもどこかまだユニセックスな部分が違和感なく調和していることに驚愕しているのだろう。

 

 そんな風に驚かれるのも慣れっこなソラは、シャワーを浴びてどこかに行ってしまった眠気が戻ってくるまでどうしようかと考えながら、何気なくケータイを取り出して気づく。

「おや?」

 ケータイには何通かメールが溜まっており、それらは全てカルトからのものだった。

 

 シルバに頼まれてメアドと電話番号、ホームコードを教えたが、さほど頻繁に連絡を取り合いはしなかったのに今日一日で5通以上のメールは珍しい、何かあったのか? と思いながら開いてみて、ソラは首を傾げた。

「……私はそんなに頼りなく見えたのかなぁ?」

 

 カルトからのメールは全て、ソラの生存を確かめる物だった。

 だいたい3時間置きくらいに「大丈夫?」「無事?」とシンプルな生存確認のメールが送られており、最終的には「死んだ?」と訊かれていた。

 

 一瞬ソラは悪ノリして「死んだ」と返信しようかと思ったが、定期的に送ってきているということは本気で心配をしてくれているのだろうと思い、ちゃんと「無事、五体満足で二次試験合格したよ」と送り返す。

 何でここまでカルトに心配されているのだろう? とまだ首を傾げながらケータイをポケットに仕舞おうとした瞬間、今度はケータイに着信が入ったのでソラは誰からの着信かも確かめずに反射で取る。

 

「はい、もしもし」

《あ、ソラ。生きてる? 死んでない?》

「……君は私を心配してくれてるの? それとも実は死んでほしいの?」

 

 開口一番に、つい今さっきメールで生存を伝えたのにまだ疑ってわざわざ電話をかけてきたカルトに、思わずソラは素で訊いた。ここまで来たら、心配よりもそちらの可能性の方が疑わしい。

 

《普通に心配してやってるんだよ》

 カルトはソラの疑問に心外そうに答えつつ、どうやらイルミのことは少なくともソラは気づいておらず、イルミの方も何故か彼女をいつものように殺しにかかっていないことに安堵した。

 

「それはありがたいんだけど、そこまで私は頼りないの?」

《そういう訳じゃないけど……》

 歯切れの悪いカルトの言葉にソラはまた首を傾げつつ、話したくないのならしつこく訊くのも悪いと思い、話を変える。

 

「そうそう。カルト、偶然だけど君の兄さんも試験を受けてたよ」

《えぇっ!? ソラ、兄さんと会ったの!? 会ったのに生きてるの!?》

「君は実の兄をなんだと思ってんの!? いや確かにキルアも無差別無節操に暴れそうな危ない所もあるけどさ!!」

 

 家出している兄と一緒と言われて驚かれるのは予想通りだが、想像以上の驚きと予想していなかった方向の心配をされて、思わずソラが突っ込むとカルトは電話の向こうで、「え? キルア兄さん?」と不思議そうな声を上げた。

 

「そうだよ、キルアだよ。他に誰がいるの?」

《あー……うん、そうだよね。そっか。兄さん、ハンター試験受けてるんだ》

 

 ソラの問いをカルトは適当に誤魔化す。

 もうこの時点でイルミも試験を受けていることに気付いてもよさそうだが、常に1秒後に訪れるかもしれない無数の死を退ける詰将棋に想像力と思考の大半を費やしている所為か、ソラは未来予知レベルで不意打ちも事故も紙一重で回避することが出来るが、逆に言えば少し余裕のある危険に関しては妙に勘が悪い。

「イルミがいるんなら、TPO関係なく自分を問答無用で殺しにかかる」という先入観もあるせいか、ソラはカルトがここまで心配する理由も、「兄がいる」という発言に驚いた理由も察することも出来ず、そのまま話を続けた。

 

「髪の色はキルアだけ父親似なんだね。けど、よく見りゃ顔はイルミやミルキよりカルトの方がキルアに似てるね」

《! ……そう、かな?》

 

 ソラの言葉にカルトは少し嬉しげな声を出す。それから、躊躇いつつも彼は尋ねた。

《……ソラ。兄さん、うちに帰ってくるかなぁ?》

「さぁ? とりあえず家族と向き合わずに逃げんのはやめろよとは言っといたけど、キルアの人生はキルアのものだから、向き合わずに逃げるのだって私が文句を言う筋合いはないよ」

 

 相変わらずの正論かつドライモンスターぶりに、カルトはいっそ清々しさを感じる。もうソラの言葉を冷たいと感じないのは、そう思いつつも「家族と向き合え」という忠告をしてくれているからだろう。

 

「まぁ、帰ってこなくても兄弟であることなんて変えられないからね。少なくとも、キルアはシルバさんとゼノさん、そして君のことは割と楽しそうに話してたから、連絡手段さえあれば君たちは大丈夫だよ」

 そしてサラッとカルトが何よりも、「キルアが帰るように説得してやる」以上に望む言葉を与えられ、もうキルアが家出をしてから抱き続け、日に日に肥大していた不安は消えてなくなった。

 

《……そう、なんだ》

「うん。代わりに、キキョウさんとミルキと、あとイルミをボロクソに言ってた」

《…………そうなんだ》

 

 どこで言っていたのか知らないが、長兄がそれを聞いていないことをカルトは祈った。聞いていたら、たぶん危ないのはキルアよりソラである。

 そのことをどう忠告したらいいかカルトが悩んでいると、ソラが声のトーンをわずかに下げて言った。

 

「……カルト、ごめん。電話切っていい? また時間が出来たらかけるよ」

 さすがにそう言われて「何で?」と返すほど、カルトは察しが悪くなかった。

 長兄がついに我慢をやめたのかと思ったが、それならソラが悠長にこんなことを言う余裕などないのもわかっているので、「うん。じゃ、頑張って生き残って」とだけ言ってカルトは自分から電話を切る。

 

 イルミのことは結局何も忠告できなかったが、キルアがいるのなら長兄もそう無茶はしないだろうとカルトは前向きに考えることにした。

 キルアがいるからこそ理不尽な八つ当たりをされるという可能性ももちろん気付いているが、どうせソラが試験中にする苦労なんてそれくらいしかないだろうという妙な信頼から生まれた考えで、無責任に「頑張れ」とだけ思って終わらせる。

 

 まさかカルトも、長兄すらドン引きする変態にソラが目をつけられているという苦労など想像できるわけがなかった。

 

 * * *

 

 カルトとの電話の最中、また背後からねっとりとした殺気を感じ取り、無視しようかと思ったが休憩時間だからこそ無視しても自分について回ることは簡単に想像がついたので、ソラはうんざりしながら振り返る。

 

「しつこいんだよ、変態マッドクラウ……誰だお前!?」

 

 しかし振り返って相手を良く見てみたら、悪態が素の驚愕に変わる。

「本当に酷いなぁ♠ もうボクのことを忘れちゃったのかい?」と、相変わらず独特で気持ちの悪い粘着質な声で相手は言うが、ソラの方は眼を見開き混乱したまま「いや、マジで誰だお前!?」と叫ぶ。

 

 この反応に関しては、おそらくソラに「空気読め」と言う者はいない。

 もちろん、本気でソラは相手が誰だかわかっていない訳ではないが、「誰だお前!?」と叫ぶのは無理もない。むしろ、わかっているからこその叫びである。

 それくらい、ソラと同じくシャワーを浴びてメイクを落として髪も下したヒソカは、誰かわかる程度に面影はありながら、あの道化師ルックからは想像出来ないほどに正統派なイケメンだった。

 

「そんなにボクの素顔は意外かい?」と、うさんくさく傷ついた様子を見せてようやく、ソラは相手がヒソカであることを認める。

「意外と言うか……、むしろ何でお前あんなメイクしてるの? 宝の持ち腐れどころじゃないじゃん。爆ぜろ、爆砕しろ、爆発四散しろ」

「キミのそれ、口癖?」

 

 ソラのイケメン限定の挨拶を素で尋ねてから、ヒソカは喉を低く鳴らして笑う。

「それに、宝の持ち腐れはキミの方にも言えるんじゃないかな? それとも、誘ってくれているのかい?」

 

 ねっとりとした視線をソラのむき出しのウエスト、薄く割れた腹筋、なだらかだが確かに存在する胸部の曲線に向けながらヒソカが言う。

 ソラの大人とも子供とも、男にも女にも取れる、老若男女の美点を奇跡的なバランスで調和させている容姿は、「整っているとは思うが、同性に見えるから」という理由で性的な対象にされないことも多いが、自他ともに認める「何でもイケる」ヒソカにとってはガチでどストライクらしい。

 

「んな訳ねぇだろうが」

 しかしもちろんソラからしたら、そういう意味でも彼に「美味しそう」と思われることは最悪以外の何物でもなく、彼女は死んだ目で否定しながら高速で腰に巻いてた袖を解いて着て、ジッパーを首まで上げて素肌を隠す。

 

「用がないんなら消えろ。つーか、用があっても私に関わんな」

「まぁ、待ってよ♦」

 

 言い捨てて逃げ出そうとしたソラの腕を掴んで、ヒソカは引き留める。

 その掴まれた腕をソラが振り払う前に、この変態の正体を知らない危機感のない一般人女性ならつい熱に浮かされそうなほど艶っぽい表情で言った。

「ねぇ、ソラ♥ しない?」

「は? 何を?」

 

 唐突に主語もへったくれもない誘いに、ソラはポカンとした顔で振り払おうとした腕も途中で止まり、「誰だお前」以上に素で訊いた。

 その反応に、ヒソカの方が思わず少し戸惑いつつもあけすけに彼は言い切った。

 

「セックス」

「ぴょっ!」

 

 端的な言葉にヒヨコのような声を上げて、ソラは目を見開いて「は? はぁぁぁぁぁぁっ!? え? は? はぁ!?」と全く意味を成していない声を上げながら、真っ赤な顔で狼狽えだす。

 

 自分を性的に見ていることは気付いていたし、だからこそ気持ち悪がっていたが、ヒソカは性欲と戦いに対する欲求が完全に=で結ばれていて個別に独立していないという、おかしな思い込みをソラはしていたらしい。

 この程度のセクハラは普段のソラなら普通に「キモい」の一言で終わらせるのだが、変な思い込みによる予想外の展開に混乱して、ソラはこちらの世界もあちらの世界も含めて誰にも見せたことがない自分の「素」を、死にたくないが死ぬ寸前まで自分をぶん殴りたいほど不覚なことに、よりにもよってな相手に見せてしまった。

 

 そしてその「よりにもよってな相手」は、パニクるソラを見て実に楽しそうかつ嬉しそうに、そして美味しそうに訊いた。

 

「おや? もしかして、初めて?」

「ぽ…………」

 

 今度は鳩のような声を一言だけ上げて、顔どころか首まで赤くして完全沈黙してしまう。

 1次試験の最中、ゴンやレオリオ相手に堂々と逆セクハラをかましていたが、どうも自分で自分をネタにするのは平気だが、他人にされるのは全く耐性がないらしい。

 むしろソラは耐性がなくて触れられたくないからこそ自分で先制攻撃していたことを、間違いなく勘が素晴らしく良いこの男は理解してしまっただろう。

 

 初めはただ、シャワーを浴びて血色がよくなった肌に少しそそられた程度。

 あとはあの青い果実たちが熟す前に壊さず、ソラからも果実たちからも本気で憎まれる手段として無理やりもいいなとしか思っていなかったが、予想外に初々しい反応がヒソカの嗜虐心を大いに煽った。

 

「あぁ、いいねその反応♥ すっごい新鮮で意外で美味しそう♥」

「ま、待って待って待って! マジで待って!!」

「うん、待つよ♦ 待つだけだけど♠」

「ごめん訂正! 今すぐやめろやめてくださいお願いします!!」

 

 死への回避は神がかっているが、現在のヒソカは全くソラを殺す気がないのと、こういう危機に関しては耐性がないからこそ逃げ続けて経験不足のソラでは対処できず、混乱していつもなら絶対に失わない逃げ場を失い、ヒソカに壁際まで追いつめられる。

 直死で線や点をぶっ刺すことはもちろん可能だが、倫理観よりも生理的嫌悪でこいつに触りたくないと思ってしまってその手段を選ばなかった辺り、ソラの混乱は相当だ。

 

「それは無理だね♠ ソラがすっごくイイから、もう渇いて仕方がないんだよ♣」

「じゃあ水飲めば!!」

 

 少しはいつもの調子が戻って来たが、冷静さを取り戻せば状況の最悪さに気付いてしまいまた混乱しそうになる。

 場所が場所なので大声で助けを求めたらそれこそ誰かしら来るだろうが、相手がこの男では誰かが来ても助けは期待できない。

 絶対に見てみぬフリをされるし、おそらくヒソカは人が来たからやめるような常識など持ち合わせていない。それどころか、「見られている方が興奮する♥」ぐらい言い放つのがあまりにも簡単に想像がついて、ソラは泣きたくなった。

 

「むしろソラが飲むところを見たいなぁ♥ 咥えて、舐めて、啜って、飲み込んでくれるかい?」

「何をだーっ! いや、やっぱ言うな! 絶対に言うな! っていうか死ね! 今死ねすぐ死ね頼むから死んでくれ!!」

 

 現に壁ドンの体勢でセクハラをかまし続ける絶好調なヒソカに、ソラは涙目で叫ぶ。

 

「あんまり大声出すと、人が来ちゃうよ? ボクは全く、構わないけどね♦ 人に見られるのも、キミが泣くのも♥」

 ソラの当たって欲しくない予想通りのことを言い出して、奇術師らしい長い指がソラのツナギのジッパーに触れて、ゆっくり下してゆく。

 が、それを諦めて許すような女じゃないとソラは自分を奮い立たせ、またの名をヤケクソでヒソカの手を叩き落として叫ぶ。

 

「うるさいバーカ! 望むところだ! かかってこい!!」

「望むな馬鹿者!!」

 

 混乱のあまり拒否ではなく許可と取れる発言をしてしまったソラに、怒声と一緒にヌンチャクのように紐で繋がった木刀が飛んできた。

 前にいたヒソカではなく、壁際に追い詰められていたソラめがけて一直線に飛んできたそれをヒソカは振り返りもせずに避けて、ソラもとっさに受け止める。

 

 貞操の危機でパニック中でも、命の危機に関しては体が勝手に動く自分にやや現実逃避気味でソラが呆れていたら、ヒソカが避けたことでできたスペースから腕を掴まれて引っ張り出される。

 

 そしてそのままソラは、クラピカにしっかり抱き寄せられた。

 

 * * *

 

 ソラを奪われないように、離れて行かないように、誰も間に入ることなどないように、夢ではないことを確かめるように、しっかり隙間なく腕に抱いて、クラピカは緋色に染まった目で相手を睨み付けて、名付けられない愛情のままに宣言する。

 

「寄るな触れるな見るな関わるな! ソラは、オレのだ!!」





クラピカとの関係が始まりなのに、クラピカとの関わりが少なかったので、しばらくクラピカさんのターン……のつもりが、ヒソカさんが本当にもう絶好調すぎた。
誰かこの変態を何とかしてください。



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23:可愛い

 壁際まで追いつめられて、逃げ場を塞がれている体勢。

 口づけの直前のように寄せられた顔と、ジッパーを下そうとする指。

 そして、心の底から楽しそうな声。

 

「あんまり大声出すと、人が来ちゃうよ? ボクは全く、構わないけどね♦ 人に見られるのも、キミが泣くのも♥」

 

 もうそれだけで頭に血が限界まで昇り、視界が一瞬で緋色に染まる。

 

 しかしソラがその直後にいつものエアブレイクをやらかしたおかげで怒りの矛先が若干逸れ、思わず彼女に木刀を投げつけたのが逆に幸いした。

 あのままでは確実に、怒りにまかせてまた相手と自分の力量差など忘れて殴りかかって、それこそ3年前の別れの日の二の舞になっていただろう。

 

 わずかだが取り戻した冷静さで忌々しい奇術師への殺意を押さえつけ、クラピカは手を伸ばす。

 自分の木刀を受け止めつつもどこか呆然としている、藍色の瞳に涙を今にも零れ落ちそうなほどに溜めこんだソラに手を伸ばし、腕を掴んで自分の元に引きよせる。

 

 自分より高かった背丈の、いつも抱きしめられて包み込まれて守られてばかりだった躰を両腕の中に収めて、初めて気付く。

 自身とさほど変わらないと思っていたその体が、驚くほど細くて柔らかい、自分とは違う女性のものだということに一瞬戸惑ったが、それでもクラピカは強く抱きしめた。

 

 守るように、縋るように、離れて行かないように、離さないように、二度と失わないように腕の中に閉じ込めて、彼は激情を燈した目で相手を睨み付けて宣言した。

 

「寄るな触れるな見るな関わるな! ソラは、オレのだ!!」

 

 * * *

 

「情熱的だねぇ♥」

 

 ソラを抱き寄せて緋色の瞳で睨みつけながら、ソラが受け止めた木刀を取り戻して構えるクラピカを、ヒソカは相変わらず余裕たっぷりにニヤニヤ笑いながら眺める。

 ヒソカとしては青い果実の恨みを買うという目的はこの時点で十分達成されたので、ここで無理にソラを襲ってクラピカを壊してしまってはそれは、それで楽しそうだがプラマイはゼロになって意味がない。

 

「そんなに、ソラの事が好きかい?」

 ニヤニヤ嗤いながらヒソカは尋ねる。

 普段なら羞恥で顔を赤くさせて肯定も出来ないが否定も出来ずに狼狽えるという、ある意味では素直すぎる反応しか出来ないクラピカだが、血が昇った頭は自分の腕の中にソラがいることすら忘れて、誤魔化しも意地もない心の内を口から曝け出す。

 

「当たり前だ! 貴様がその名を口にするな!」

 

 その答えに、クラピカに抱きしめられて拘束されてるソラの方が若干狼狽え、ヒソカはくつくつと笑いだす。

 ソラの意外な反応だけでも十分面白かったので今日はもうここで退いても良いのだが、まだ服もほとんど乱していない、壁際に追い詰めていただけでここまでキレるクラピカを見ていたら、こちらももう少しからかいたくなってしまった。

 

「それなら、キミも一緒にシようか? 3「ぎゃーーーっ!!」も楽しそうだね♥」

「!?」

 

 しかしヒソカの挑発なのか本気の提案なのか、どちらにしても最悪極まりない言葉の途中で無理やりソラが、色気の欠片もない悲鳴をねじ込んで話の内容を掻き消した。

 抱き寄せていたせいで至近距離からの絶叫にクラピカが一番ダメージを喰らったが、そのことを怒る前に大人しく抱き寄せられるままだったソラが暴れてクラピカの腕の拘束を解いて、彼の両耳を今更自分の両手で塞ぐ。

 

「お前は何言ってんだーっ! って言うか、クラピカまでそんな目で見るな! クラピカはそんなことしないもん! 絶対にしない!!」

 涙目でクラピカがヒソカの発言を聞かないようにしながら文句をつけるソラに、ヒソカは腹を抱えて笑い出し、クラピカの方も頭に上がっていた血や瞳の緋色の明度も下がり、冷静を通り越して呆気に取られる。

 

 耳を塞いでくれてはいるがそれぐらいでソラ自身の大声は隠し切れないし、何より大部分をソラが掻き消してくれたとはいえヒソカが何を提案してきたかくらい、そういう話題や知識に疎いクラピカでもわかってしまう程度には既に言い切っていた。

 その発言と提案には挑発が入っているとわかっていても、堅物のクラピカからしたらドン引きかつ羞恥と嫌悪感で思考がフリーズしそうになったが、ソラが自分より先にあまりにも大げさに騒ぐので、そちらに気を取られてフリーズしない代わりに困惑する。

 

 この女が空気を読まずにふざけるのはいつものことだが、命の危機でもない時に涙目になってここまで騒ぐのはクラピカも見たことがなく、どうやらふざけているのではなく本気で混乱していることだけはなんとなくわかった。

 が、混乱しているのならそれはそれで別の疑問が沸き上がる。

 

「くくっ♥ そんなに否定してやる方が可哀相じゃないかい? 男は物理的に溜まるんだから、どんな子でもシたい時はシたい、勃つ時は……」

「「もう黙れお前!!」」

 

 しかしその疑問について考えたり尋ねるより先に、この変態から離れることを最優先にすべきだと、ソラがパニックを起こしたおかげで逆に冷静になったクラピカが、自分の耳を塞ぐ手を剥がして腕を掴み、まだ泣きそうな顔で混乱しているソラを連れてヒソカに背を向けて走り出す。

 

 ヒソカは逃げ出した二人を追うつもりはなく、飛行船の廊下に立ったままそれを見送った。

「残念♠ もし、気が向いたらボクも交ぜてね♥」 

「「死ねぇーーーっ!!」」

 

 挑発なのか本気なのか、やっぱりどっちにしろ最悪なことを言い出すヒソカに、ソラとクラピカのシンプルかつ切実な絶叫が夜の飛行船に響いた。

 

 * * *

 

 ヒソカから二人して逃げ出して飛行船のデッキにまでやってきてようやく、クラピカの頭に上がっていた血は完全に下がり、ソラのパニックを見て生まれた困惑も薄れる。

 そうなると次に湧き上がってくるのは、当然ながら自分の言動に関する羞恥と後悔だった。

 

(ああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!

 わ、わ、私は何を言った!? よりにもよってヒソカと本人の前で私は何故、あんなことを言い放った!?)

 

 数年前から意識して変えていた一人称が素の「オレ」になるほどブチキレて言い放った自分の発言がクラピカの脳内でグルグル駆け巡って、数分前の自分が現在の自分を羞恥で殺しにかかる。

 前半の「寄るな触れるな見るな関わるな!」だけなら、別に後悔も何もない。普通に親しい人間があんな変態に襲われかけていたら、誰だってあれくらい言うのは当然だろう。

 

 問題は、後半。

「ソラは、オレのだ!!」と、自覚はしていたが見ないふりをして押し殺していた本音が、勢いよく飛び出てしまったことにクラピカは頭を抱えて悶える。

 

 しかもこの発言、ヒソカに対しての牽制というよりは割とただの八つ当たりだったりするのがまた恥ずかしい。

 ヒソカに対しても言いたかったのは事実だが、このセリフはどちらかというとクラピカは自分とソラの間に何かと入り込んでくる、3年前の自分のポジションに収まっているキルアに対してずっと言いたかったことであり、同時にソラ自身にも言ってやりたかった発言であることも実はちゃんと自覚している。

 

 ただ単にあれはヒソカに対してキレたのではなく、やっと再会したのにあまり自分に構ってくれず、キルアやゴンばかりに構っていたソラに対しての苛立ちが爆発したに過ぎない。

 下手したら3年前より子供っぽい嫉妬をしていた自分を殺してやりたい中、クラピカは何とか声を絞り出して振り返る。

 

「そ……ソラ! さっきの、あの発言は……」

 もうどう誤魔化したらいいかもわからず、だが弁解しないと自分が悶え死ぬ、いっそのことその眼で殺してくれと迷走したことを考えながら振り返った先でクラピカが見たものは……

 

「…………死にた……くはないけど、……今すぐ穴掘って千年くらい埋まりたい……」

「何をしてるんだお前は!?」

 

 両手で顔を隠してその場で土下座のような体勢で突っ伏して、自分以上に羞恥で悶えているソラだった。

 

 一瞬「どうりで静かだと思った」と冷静なのか混乱してるのかよくわからない納得をしてから、クラピカは亀のようにその場に縮こまっているソラを揺さぶって声を掛ける。

 

「ソラ!? どうした!? 何を恥ずかしがっている!? あの程度で恥ずかしがるくらいなら、いつもそれくらいの恥じらいを頼むから持っていろ!!」

「……いつもエアブレイカーですみません」

 

 クラピカの発言に反省なのかボケなのか不明なことを言いつつも、ソラは両手で顔を隠したまま突っ伏し続ける。

 自分も恥ずかしさで悶えていたのだが、ソラが珍しいどころかクラピカの記憶上初めて自分の言動を恥ずかしがって、それもクラピカ以上に悶えているのを見れば、またしても逆にクラピカは冷静さを取り戻す。

 一番自分の発言を気にしてほしくない、忘れていて欲しい本人が、こっちもこっちで何故か悶えてそれどころじゃない為、ホッとしたのも多大にあるが。

 

「……クラピカ」

 悶えるソラには悪い安堵をしていた所で、ようやく床に突っ伏すのをやめたソラが起き上がり、クラピカの服の裾をつまんで言った。

 

「ううぅぅ~っっ……、何ていうか……本当、情けなくてごめん。情けないとこばっか見せてごめん。……それから、来てくれて、助けてくれてありがとう」

 

 未だ頬の紅潮は残ったままで、目も泣きこそはしていなかったが終始半泣きだったので充血している。

 それでもはにかんで笑って告げたソラに、クラピカの心臓が跳ね上がる。

 

『つーかさぁ、クラピカお前、あいつの事は姉として好きなのか? 女として好きなのか?』

『そんなに、ソラの事が好きかい?』

 

 二人の別人の口から尋ねられた問いが蘇るが、クラピカは頭を振ってその問いかけを頭の端に追いやった。

 この愛情に名前などない。なくていい。そう、自分に言い聞かせて。

 

 名前を付けてしまえば、何かを得る代わりに何かを失いそうだから、だから今はまだこのまま、曖昧なままであることを望み、選んだ。

 それは愚かな、悪あがきであることくらいわかっていた。

 それでも、選んだ。

 

「べ、別に大したことなどしていない! あんな変質者の見本のような男に追い詰められていたら誰だって助けて当然だろう!

 それと、ソラ! お前は本当に自分が女であることを自覚しろ! 自己防衛しろ! 女性蔑視をするつもりはないが、女性は女性というだけでいくら気を付けて警戒してもし足りないんだ!!」

 

 そんな自分の迷いと甘えを誤魔化すように、クラピカはとにかく思いついたことを言いまくっていたら、自然と説教になってしまった。

 シャワー室に行く前、ツナギをおもむろに脱ごうとした時と同じような内容をまたしてもくどくど語りだすが、今度の説教ではソラは不満そうに口を挟むことなく、むしろ神妙そうにクラピカの前で正座して聞いていた。

 

 そんなこれまた初めてな反応をしていることに気付いたクラピカが、思わず説教を中断して素で「ソラ? どうした? 具合が悪いのか!? あいつに、ヒソカに実は何かされたのか!?」と今度は心配をし始める。

 

「……ふざけてないと私は具合が悪いと思われてんのか」と、ソラはさすがに少しショックを受けたように呟くが、「事実だろうが」とこれまた素でクラピカに返されて、反論を失う。

 代わりに少し頭を抱えて悩んだ様子を見せてから、彼女はまたクラピカの服の裾をつまんで俯いたまま訊いた。

 

「……あのさ、クラピカ。……変、じゃない?」

「? 何がだ?」

「………………もう10代でもない私が、……変態とか痴漢とかに対して、その……警戒したり、すぐにパニくったりするの……じ、自意識過剰でうざくない!?」

「…………はぁ?」

 

 ソラの言っていることの意味がわからず、これ以上なく「訳わからん」という思いを代弁した声が出た。

 真っ赤な顔と蚊の鳴くような声、そして今にも泣きだしそうな顔で何を言うかと思ったら、クラピカからしたら「何故そうなる?」としか言いようのない心配をソラはしていた。

 

「……もう10代じゃないとはいえ、お前はまだ今年で21だろう? 十分そういう輩に狙われる年頃だろうが。

 何もしていない異性を変質者呼ばわりして騒ぎ立てるのならともかく、露出を控える、夜遅くまで独りで出歩かないぐらいの警戒と防衛は何歳(いくつ)でも女性ならすべきであって、あの状況なら冷静に対処しろと言いたいが、混乱するのは無理もない。むしろ普通だ。そもそも、思いっきりヒソカはそういう意味でお前を襲おうとしていたのだから、どこが自意識過剰だ?」

「……で、でもさ! でもさぁ!!」

 

 困惑と呆れ半々でソラの問いに自分の考えを答えてやれば、ソラはまだ不安そうに泣きそうな顔でとんでもないことを言い放った。

 

「20代にもなって経験なくてセクハラ程度でパニクって狼狽える女なんて、カマトトぶりっ子でうざくない!?」

「何を言ってるんだお前は!?」

 

 盛大に自分が処女であることを何故か暴露した挙句に、それをさらに何故か「恥」だと思っている節のあるソラの口をクラピカは手で塞いで、これ以上バカなことを言い出さないように止める。

 同時に、ヒソカの発言で半泣きで騒いでいた時に思い至った疑問を思い出す。

 

 クラピカの知るソラは、ヒソカのような本気でドン引くようなことは言い出したりはしなかったが、自分から下ネタや逆セクハラを唐突にやらかしてくる、うざい冗談程度でそういうのを好む人間だった。

 しかし先ほどのヒソカからのセクハラに関しては、クラピカ以上に過剰反応してパニックを起こして、どう見てもそれはある程度そういうネタを好む人間の対応ではなかった。

 

 そのことを疑問に思っていたが、今度はまさかのまだ二十歳で未経験なのを恥だと思っている発言は、もうクラピカでなくとも訳が分からない。

 

「お前はいったい何なんだ!? お前の貞操観念はいったいどうなってるんだ!?」

「そんなん私が一番訊きたいわ!!」

「誰にだ!?」

 

 クラピカが至極当然な突っ込みを入れると、ソラが自分の口を塞いでいた彼の手をはがして盛大に逆ギレた。

 が、もうパニクるところまでパニくったら少しは落ち着いたのか、未だに顔は赤いままだがソラは、「ごめん。訳わかんないこと言い過ぎた」と素直に謝る。

 

 今度はあまりの素直さに、クラピカが戸惑う。その戸惑いを見てソラが、自分の頭を掻きまわして、「あー」だの「うー」だの何度か呻いてから語りだす。

 

「クラピカ。昔さ、魔術について少し教えたでしょ? 『魔術回路』については、覚えてる?」

 唐突に変わる話に首を傾げながらも、先ほどからの話は正直続けたい話題ではなかったので、クラピカは記憶を掘り出して素直に答えた。

 

「魔術に必要な魔力を精製する炉心であり、魔術を起動させる回路でもある、魔術師だけが持つ疑似神経だろう?」

「うん、そう。で、疑似とはいえ魔術師にとってこれはもう完全に内臓とか血管とか神経の一部であることも話したよね?

 ……それでさ、魔術回路が体の内臓とかの一部の所為か、魔力って魔術師の体液に主に宿るというか溶けてるというか……、うん、とにかく魔術師の体液=魔力そのものって思っても別に間違いじゃないんだよね」

「? 体液ということは、血液のことか?」

 

 クラピカの答えを正解だと言いつつ、さらに補足をするソラの言葉にクラピカが質問すると、ソラはまた項垂れて両手で顔を覆った。

 

「……うん、そうだけど……それだけじゃなくて本当に体液全般なんだよ。涙とか汗とか……唾液とかその他もろもろ……。

 ……だからね、その……うちはそういうのなかったんだけど、使わなかったんだけどね、魔術にはその……多いんだよね。………………魔術儀式の中に性行為が含まれるのが……」

 

「…………………………………………………………………………………………は?」

 

 長い沈黙の後、クラピカから発することが出来たのはそれだけだった。

 

「……マジでその、魔力は体液全般に含まれるからさぁ、魔力が不足してる相手に自分の魔力を供給する時とかはそれが本当に効率がいいんだよ。黒魔術とかはもうそういう系統がオンパレードだしさぁ……。

 あのさ、本当にうちはそういう魔術儀式全然ないんだよ? ないのに、『まぁ一応、魔術師にとしての常識と嗜みとして』くらいのノリで教えられるくらい、魔術師としてはそういうのは儀式として割り切るのが普通の価値観なんだよ……」

 

 顔を隠してボソボソとソラはさらに続きを語るが、赤くなった耳が隠しきれていない。

 そしてクラピカの方は、ソラのように両手で顔を隠すことも出来ず真っ赤な顔のままフリーズしてしまっている。

 互いに顔を真っ赤にさせたまましばし沈黙が続いて、ソラが絞り出すような声で指の隙間から涙目でクラピカを見て訊いた。

 

「そんな価値観の社会で生まれ育った私に、まともな貞操観念や価値観があると思う?」

 

 あんな話をされて、そんな目で言われたら、もうクラピカに言えることは一つしかない。

 

「すまない。私が悪かった。ソラは何も悪くない。

 ついでに言うと、ソラの不安は全て杞憂だ。うざくないし、カマトトなんかじゃない。…………け、経験がないことも恥じゃない。むしろ、婚前交渉を恥じろ」

 

 ソラの肩を掴んで、とにかく今まで痴女呼ばわりしたことを本気で謝り、同時にソラに正しい価値観を教え込んだ。

 正直、クラピカ自身でも自分の価値観や貞操観念は世間一般より堅苦しいとは思っているが、ソラの……というより「魔術師」としての価値観よりははるかに一般的でまともだろうから、それをゴリ押した。

 

「……本当?」と藍色の眼をうるうるさせて念押しされ、若干自分の価値観を押しつけていることに胸が痛んだが、ここで言い切っておかないと「性行為は大したことがない」という魔術師の価値観の所為であの変態に押されて流されそうな危うさがソラにはあったので、クラピカは真顔で「本当だ」と言い切る。

 

 クラピカの言葉に安堵したのか、ようやくソラは自分の瞳に浮かべていた涙をぬぐって「良かった」と言い出した。

 クラピカの方も納得してもらえたのは良いのだが、ここで素直に納得したということは彼女自身、「魔術師としての価値観」を好んでいなかったということになる。

 むしろ喜んで納得していることといい、ヒソカのセクハラに対してのパニック具合といい、彼女の貞操観念はどちらかと言うとクラピカに近い、潔癖で固い方ではないかと思える。

 

「ソラ。お前の貞操観念は本当にどうなってるんだ? ゆるいのか固いのかが、私にはめちゃくちゃに見えるんだが?」

 

 あまり根掘り葉掘り訊くのはどうかと思ったが、それでもこのちぐはぐな価値観は解明しておかないとまたあの変態の餌食になりかねないのでクラピカが尋ねると、ソラは言いたくなさそうに顔を歪めた。

 それでもまっすぐにクラピカがソラを睨み続けていると、根負けしたようにため息をついてまずは訊く。

 

「……笑わない?」

 不安げというよりどこか拗ねたように尋ねるソラに、クラピカは呆れたような顔をして逆に訊きかえす。

 

「さっきまでの話を聞いてお前が真っ当な貞操観念を持つ理由を喜びこそすれ、何故笑わなくてはならない?」

 クラピカからしたら至極当然な疑問であったのだが、ソラには不満らしく「いいから! 笑わないって約束して!」と珍しくクラピカに強要した。

 

 強引ではあるが相手を尊重するソラの珍しい言葉に、クラピカは面食らいつつ「わ、わかった」と返答する。

 言われるまでもなく、ソラがいつものように受け狙いでふざけて言ったことならともかく、真面目に話したことを笑うつもりなど当然なかったし、ソラの方もクラピカがそんなことをする相手ではないことくらいわかっているだろう。

 それでも彼女からしたら言質が欲しかったくらいに恥ずかしい内容らしく、クラピカから返事をもらってもソラは言いたくなさそうに唇をとがらせていたが、しばらくして観念したように話し始めた。

 

 * * *

 

「……私にはさ、仲のいい友達がいたんだ。魔術師じゃなくて、一般人の」

 正確に言えば頭にヤのつく職業の家の子だわ、過去視と読心でも出来るのかと思うくらい人の過去や本質を見透かす万能感を持っているわと、全然その友人は一般人とは言えなかったが、魔術師からしたら「一般人」のくくりになるし、何よりそこまで説明する必要も意味もないので、そのままソラは話を続ける。

 

「で、その子の両親はおしどり夫婦の見本かってくらい仲が良くて、別にいちゃいちゃなんかしてないのにラブラブで、互いに信頼し合ってんのが一目でわかるような夫婦だったんだ。

 

 母親は美人なんだけどぶっきらぼうで無愛想な人で、自分の旦那に対して一見冷たく見えるんだけど少しよく見てたらすぐにわかるくらい、旦那が好きで好きでたまらない人だったんだ。自分の実の娘と旦那がベタベタしてたら、頬膨らませて拗ねるくらいに。

 父親の方は普段すっごくおっとりしてて、温厚とか善人と言えばこの人って感じの人だったんだけど、その人、結婚前に奥さんが原因で足に後遺症が残るくらいの大けがして片目も失ってるのに、それを全く気にせず、恨むのはもちろん恩にも着せないでただ当然のことのように受け入れて、自然にずっと笑っていられるような人だったんだ」

「……父親の方は聖人か?」

 

 よくわからない話の出だしだが、話の腰を折るのは悪いと思って黙って聞いていたクラピカだったが、さすがに父親の人間性に驚いて思わず率直な感想が口から出た。

 クラピカの感想に、「それに限りなく近い、普通の人だよ」とソラは懐かしむように笑いながら、否定なのか肯定なのかよくわからない答えを返す。

 クラピカからしたらちょっとそのあたりを詳しく聞きたかったが、ソラは話の本筋にその父親の人間性はあまり関係がないので、話をさっさと元に戻す。

 

「まぁ、そんな理想の夫婦って感じでさ、私の両親は愛情なんかはじめっから皆無、魔術師としては普通、人としては破綻しきった夫婦関係だったから、ずっと友達の両親がうらやましかったんだよね。

 でも、憧れてはいなかった。あんな旦那は私には手に入らないし、あんな可愛い奥さんになんかなれない。あんなおしどり夫婦に、相思相愛の関係なんか築けないって思い込んで、すごいなー、いいなーとは思っても、あんなふうになりたいなんか一度も思わなかったんだ。

 

 ……親のことが嫌いで、魔術師も魔術そのものも軽蔑してたくせに、私の価値観は魔術師のものだった。恋愛観なんかない、結婚は家と家の結びつきで、子供は魔術刻印を引き継がせるために作るもの、性行為は魔術の一環。

 愛だの恋だのそういう優しくて綺麗なものは普通の人のもので、魔術師には必要ない、あってはいけない、得られるものじゃないって思い込んで諦めてたんだ。まだ、10歳にもなっていない時からね」

 

 寂しげに笑って語るソラが見ていられなくなり、クラピカは俯いて「……そうか」と絞り出すような相槌を打つ。

 つい先ほども、そして3年前にも性に関してのこと以外は聞いていた、最低極まりない魔術師としての価値観。

 その価値観に染まりきることも出来なかった、なのに「普通」も知らなかったソラが、どんな思いで友人の両親を見ていたかなんて、クラピカは想像したくなかった。

 一番、果てしない夢を本気で信じて望む年頃に、ささやかなのに自分には手に入らないと思い知らされて諦めるしかない緩やかな絶望など、想像できなかった。

 

「……そんな感じで思い込んで諦めてたんだけどさー、家族が全滅してジジイの弟子に何故かなって、でもジジイが一人勝手に世界も時代も越えてどっか行くから姉弟子に預けられたときにさ、出会っちゃったんだよ。

 預けられたところとは別の姉弟子と、その恋人に」

 

 クラピカが想像できない、けれどどこまでも苦い感情に胸の内が締め付けられていたところで、ソラは急に声のトーンを若干だが変えて続きを語る。

 どこか寂しげだったのが、ちょっとうんざりしたような、うざそうな声音になったことにクラピカの方も少し不穏なものを感じながら、彼は顔を上げて聞いた。

 

「……その二人は私と同じ魔術師なんだけど、もーこれがまた友達の両親とは違って正統派バカップル。あっちは当時10代の恋人なんだから、当然っちゃ当然なんだけど。

 さすがに人前でイチャイチャラブラブとかはしなかったけど、うっかり二人っきりの所に鉢合わせたらすっげー気まずい思いするぐらい隙あらばイチャついてたし、なんか何気ない会話でも自然にサラッと惚気が入るし、ただ二人がそこにいるだけで周りの空気がピンク色に見えるし、もう私は何度砂糖吐いたか……」

「……そ、そうか。大変だったな」

 

 やたらと遠い目をして語るソラに、クラピカは先程と同じ相槌に本心からの感想も付け加える。

 その感想にソラは真顔で、「うん。大変だった」と言ってから笑った。

 

「大変だったけどさ、その二人を見てやっと私はうちの親に押し付けられてた魔術師としての価値観から抜け出せたんだ。

 あの二人はなんか色々特殊で、生粋の魔術師としての価値観を初めから持っていなかったってのもあったけど、それでも二人のおかげで私は、魔術師でも恋だの愛だのにうつつを抜かしてもいいんだって思えてさ、友達の両親みたいな夫婦に憧れて、なりたいって思ったんだ。……思ったんだけどさぁ……」

 

 いつものように楽しげに笑って語っていたのが一転して、ソラは急に両手で顔を隠してその場にしゃがみ込んで、またクラピカを困惑させる。

 そして顔を隠したまま、小声でボソボソ呟くように語った。

 

「何ていうかさ、何ていうかさぁ……、私、さっきも話した通り性行為が魔術の一環なんてよくあることだからさ、ウチの魔術はそんなんじゃなかったけど、もう魔術師として当然の常識というか嗜みぐらいの感覚で、経験ないくせに魔術の勉強の一環でひたすら生々しくてえげつない性知識を教えられてきたし、面倒くさいなーくらいにしか思わないで普通に勉強しちゃったんだよ。

 

 で、魔術師と一般人は全然違うって思い込んでた時は別に良かったんだけど、魔術師でも普通の恋愛してもいいって思うようになってからさ……、どう言い繕っても恋愛と性行為は結びついちゃうものじゃん? それが生物として当然じゃん?

 でも私、一般人と魔術師は違うって思い込んでたから、逆に一般人よりも遥かに恋愛とか結婚に夢持ってんだよ。幻想を抱いちゃってるんだよ。

 現実は綺麗事だけじゃないことはわかってるよ。わかってるけどさ、夢ぐらい見てもいいじゃん。だって友達の両親が理想の実例なんだもん。なのにさ、持ってる知識はアレなわけでしょ?

 

 夢見てんのに、私の知識はもうアレな訳よ……。

 普通って何? 何で私の知識は薬や道具、複数人とかがデフォルトなの? 普通の基準が知りたいけどさ、魔術師に訊いても意味ないし、一般人に訊けるわけないじゃん?

 だからさ……だからさぁ…………」

「わかった。ソラ、だいたいわかった。わかったから落ち着け」

 

 しゃがみこんだ全身をさらに小さく身を丸めて縮こまりながら、泣き出しそうな声で弁解じみたことを怒涛の勢いで言い続けるソラの肩をゆすってクラピカは止める。

 止めつつ、ようやく逆セクハラを平然とかます癖にセクハラされることに弱い、そして何故か処女であることを恥じるソラのちぐはぐな貞操観念にクラピカは納得する。

 

 端的に言ってしまえば、この女は耳年増なのだ。

 しかも好奇心で自分から好んで得た知識ではなく、事務的に知識だけを、それもマニアックかつアブノーマルなものばかり詰め込まれた特殊すぎる耳年増で、ソラの本質的な性に対する価値観はごく真っ当か、普通よりも潔癖で純なくらいだろう。

 

 潔癖で純で恋愛に夢を持っているのに、「友人の両親」という具体的な理想があるというのに、そこに至る過程に必要な知識はおおよそ一般的ではなく、彼女自身の価値観とは合わない生々しくてえげつないもの……。

 なおさら、性に関する話題が苦手になる訳である。

 下手すれば喜々としてセクハラをかましていたヒソカの想定以上に、ソラの脳内では無駄にえげつない連想が進んで酷いことになっていたのかもしれない。

 ならばあそこまでパニックに陥るのは、無理もない。本人に非がないだけ、余計に悲劇的なくらいである。

 

 ついでにソラは自分を女性として扱われることを妙に苦手としており、そこもまた話をややこしくさせる一因だろう。

 今までの言動からして、どうもソラは恋愛に夢を持っている事や性に関する話題が苦手という、「女らしい」部分を見られ、知られたことを異様に恥ずかしがっている。

 

 おそらくこれは普通に彼女自身の性格というのもあるが、「性交は魔術儀式の一種であり、恥ずかしいものではない」という魔術師としての価値観の弊害でもあるのだろう。

 理屈ではそれがおかしいとは分かっていても、恋愛に夢を抱いて性に関する話題や知識を恥ずかしがる自分はソラにとってはカマトトやぶりっ子のように思えて、これもこれでどうしようもなく恥ずかしくて他人に知られたくない一面となり、その一面を見られたくない、気付かれたくないという思いからソラは時々、先制攻撃と言わんばかりに逆セクハラをやらかしているのだろう。

 逆効果もいい所だというのがわかっていないあたり、本気で彼女に耐性がないのがよくわかる。

 

「……ソラ。もしかしてお前がやらかす逆セクハラは、実は羞恥の限界いっぱいいっぱいでやらかしていたのか?」

「…………イエース……」

 

 宥めて少し落ち着いたソラに、追い打ちをかけるのは悪いと思いつつクラピカは訊いてみると、おどけてないとやってられないくらい恥ずかしいのに、おどける気力が出ないくらいに恥ずかしいのか、なんとも微妙なテンションでソラは蚊が鳴くような声で返事した。

 

 その返答に、思わずクラピカは吹き出した。

 

「! 笑わないって約束したじゃん!!」

 顔どころか首まで赤くしたソラがようやく顔を上げ、涙目で約束を反故にしたクラピカを責めるが、限界に達していたクラピカは腹を押さえてこみ上げる笑いを何とかしようと努力するが、それは徒労に終わる。

 

「いや……すまない……。本当に……すまない……ふふっ」

 本気で悪いと思っているのだが、クラピカはこみ上げる笑いを押さえきれずにいた。

 

 クラピカも性に関しては堅物で潔癖な部類なので、別にソラのこの一面をバカにする意図は一切ない。

 むしろ好ましいし、色々安心したくらいである。

 知る前までは頭痛の種だった逆セクハラも、あれが彼女の口にあげられる下ネタの限界ラインだったと思えば、むしろ可愛らしいくらいに思えた。

 

 3年前からずっと遠かった、ずっと自分よりいつも余裕たっぷりな「大人」だと思っていたソラの、自分に近くて純粋で幼くて、あまりに未熟な部分を知れたことが嬉しくて、その自分の未熟さにソラも振り回されるという事がどうしようもなくおかしくて、クラピカは笑い続ける。

 

 が、ソラは「あぁ! もうっ! どうせこんなの私のキャラに合いませんよ! カマトトぶって悪うございました! もういっそ我慢せず爆笑しろ!!」と誤解して本格的に拗ね始めたので、さすがにその誤解は解こうと何とか笑うのをやめる。

 

「いや、すまない。本当に悪かった。だが、ソラに合っていないとかカマトトだとか思った訳ではない。そんなことは一切、思ってない。

 むしろ女性らしくて……いや」

 

 拗ねてそっぽ向くソラにフォローの言葉を掛けようとするが、クラピカは少しだけ考えなおして言い直す。

 悪気はなかったとはいえ、バカにしてるつもりは本当にないとはいえ、彼女が見せたくなかった部分を教えて、見せてくれたのに笑ってしまったことは本気で申し訳なく思っているから、誠意のつもりで。

 

 同時に、なんとなく、本当に何気なく言いたくなったから。

 ヒソカを前にした時の、勢いだけで言ってしまった八つ当たりではなく、自分の意思で素直に本音を言葉にしたいと思ったから。

 

 

 

「むしろ、少女らしくて可愛いくらいだ」

 

 

 

 もう「少女」と言い表すのは失礼な歳であることはわかっている。

 それでも、クラピカにとって友人の両親を「理想」として、「恋愛」に夢見て焦がれているのに、生々しい「性」に振り回されて狼狽えるソラは、大人と子供の狭間、思春期の少女そのもので、実に微笑ましくて可愛らしいと感じ、それを素直に伝えたいと思った。

 

 追い越せないはずの年の差が縮まったようで、並び立てたような気がして、嬉しかったから。

 

「ぴゃっ………………」

 

 クラピカの珍しすぎる素直さに、ソラは小鳥のような声を上げて、また真っ赤にした顔を両手で押さえて狼狽える。

 その様子は誰がどう見ても、クラピカの言う通り幼くて無垢で微笑ましくて可愛らしい、ただの「少女」でしかなかった。




ソラの貞操観念は魔術師らしいスーパードライにしようかどうか悩みましたが、クラピカは絶対に堅物だろうし、キルアもそういうのには疎いから、ソラがスーパードライだと二人がショックで泣くんじゃないかと思った結果が、エリちゃん並の乙女になりました。

まぁ、ここまで乙女にしたのはG.I編で面白くしたいからなんですけどね。
今から謝っておく。ごめんなさい、ソラさん。マジですみません。
そしてクラピカは、ヒソカ用の鎖も用意した方がいい。


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24:安らかな夢を見よう

「…………クラピカ、疲れすぎて熱でも出た?」

「何のことだ?」

 

 クラピカの珍しい素直な言葉に、小鳥のような声を上げて真っ赤になって固まっていたソラが十数秒後、謎の結論を出して心配し始めた。

 

「だって美人とかイケメンとかは言われ慣れてるし、私も生まれた時から知ってるけど、可愛いなんて疲れて目が霞んでるとしか……」

「お前は自虐的なのか自信満々なのかどっちかにしろ」

 

 やはり真顔で心配したまま、その結論に達した理由を語りだすソラに突っ込みを入れて、クラピカはため息をついた。

 可愛げがあったかと思ったらやはりぶち壊すソラの歪みのなさに呆れ果てるが、いつものシリアスブレイクより長く保っただけマシだと思うクラピカも、相当ソラに毒されている。

 

「自信過剰じゃなくて自信満々って言うあたり、クラピカも私のこと美人とかカッコいいは素で思ってくれてるんだね?」

 もういつもの調子に戻ったソラがニヤニヤ笑いながら訊いてくるのを、クラピカは聞こえないふりをして無視する。

 いつもの調子に戻られたら、自分に勝ち目などなく振り回されるしかないことくらいわかっているから。

 

 クラピカに無視されて、ソラは唇を尖らせる。

「……ほーんと、男の子はすぐに成長しちゃうなぁ。昔ならすぐ照れて真っ赤になって狼狽えて面白かったのに」

「私で遊ぶな」

 やはりからかう気満々だったソラに、クラピカは不愉快そうに顔をしかめて言うが、無視よりどんなに辛辣でも反応してくれた方が嬉しいのか、ソラは笑ってクラピカの頭に手を伸ばす。

 

「あはは、ごめんごめん。でも、本当にクラピカは成長したね。背も伸びたし」

 髪をくしゃくしゃかき混ぜるように撫でられてながらそんなことを言われたら、もうクラピカは「子ども扱いするな」と文句を言うことすらできない。

 ほんのり頬を赤くしたまま、黙ってソラのされるがままになりながら、自分とほとんど同じ高さの眼をじっと見た。

 

 3年前もクラピカは別に小柄な方ではなかったが、ソラが女性にしては背が高いので見上げていた顔が同じ高さにあるということが嬉しいと同時に、まだ大きく追い越せてはいないのが男として少し悔しい。

 まだ自分の身長は伸びるだろうか? と少し考えながら、「……そういうお前も、変わった」と言ってソラの髪に手を伸ばす。

 

 自分と同じくらいの長さの、自分より細くて柔らかい白い髪を指先でつまみながら、クラピカは訊く。

「これは、どうしたんだ? ブリーチをつけたまま一晩寝たのか?」

「それやったら、色より先に毛根がつるっパゲるよね?」

 クラピカのソラなら有り得そうな可能性に、できればこんなバカらしい理由であってほしいという願いを、彼女はおどけて笑いながら否定する。

 

「気にする必要はないよ。これ、『あそこ』から逃げ出して『こっち』に来た代償みたいなもんだから。クラピカと別れるころには、もう髪の根元が既に真っ白だったし」

 笑顔も口ぶりも「大したことがない」と言い表して、やはりクラピカにソラは何も渡してはくれない。

 烏の濡れ羽や緑の黒髪という形容の見本だった、つややかな黒髪が対極の純白になるほどの恐怖を絶対に彼女は、話してはくれない。

 

 それはただ今更だから話す気がないのか、3年の月日がたっても語ることが出来ないトラウマなのか。

 それとも、自分が語るには足りない、頼りないと思われているのか。

 そんな風に自分で勝手にネガティブスパイラルにはまっていたら、ソラは頭を撫でていた手を離して、自分の髪に触れるクラピカの手を取った。

 

 そしてそのまま、自分の手と重ねて大きさを確かめて、嬉しそうに笑う。

「本当、私はこの髪くらいしか変わったところがないのに、クラピカはいっぱい変わったね。

 背も伸びた、手も私の方が小さくなった。友達も仲間も出来て、よく笑うようになった。そして、私を助けてくれるくらい強くもなった。

 本当に、君は強くなったんだね。さすがは男の子だ」

 

 ソラの知らなかった一面を見て、まるで同い年くらいの少女のように思えたが、それはやはり錯覚、もしくはその一面に限ることをクラピカは思い知らされる。

 全然、強くなどなれていないと思っていた。昔と同じく、ソラに庇われて守られて頼って助けられてばかりだと、ハンター試験中に何度も思い知らされて、自己嫌悪していた。

 それなのに彼女は、笑って言った。

 

 クラピカのたまたま運良く、少しだけ冷静になれたから3年前よりはマシな対応が出来た程度でしかない行動を、「助けてくれた」と。

 未だ一人で戦い抜く力などない、ソラや仲間に頼るしかない非力な自分を、「強くなった」と。

 心を読んだかのように、クラピカは自分が望む言葉を唐突にもらったことで思わず涙腺が緩んだが、なんとかプライドがその緩んだ涙腺を固く締め直して、相変わらず素直ではない言葉を返す。

 

「……その割には、私を妹だと思ったのはどこのどいつだ?」

「それはクラピカが、相変わらず美人過ぎるのが悪い!」

 

 クラピカの皮肉に胸を張ってドヤ顔で言い返すソラの頭を一回軽く叩いて、「悪かったな」と言って背を向ける。怒っても拗ねてもいない。ただ少しそう思わせていたいだけで、クラピカ自身もこのやり取りに少し笑っている。

 

 レオリオと話していて生まれた苛立ちは、……ソラをキルアやゴン達に取られた気がしてずっと胸の内でモヤモヤと溜まっていた幼い嫉妬は、もう完全に消えてなくなっていた。

 本当に自分は、ソラに構ってほしかった、3年前のように話したかっただけなんだと、自分の単純さに少し呆れつつ、そろそろ飛行船内に戻って休むことを提案しようとしたタイミングで、ソラは言い出した。

 

「あ、もう一つクラピカが変わってないところあった」

 言いながら、クラピカの背中に躊躇なく抱き着いてきた。

 

「!? 何をしている!? 女性の自覚と警戒心を持てと言っただろうが!」

 抱き着かれて自分の肩に顎を乗せるソラに、また少し頬を赤くさせながらクラピカが説教を開始するが、今度は神妙になど聞いてはくれなかった。

 ソラは超至近距離で実に嬉しそうで楽しそうで、彼がずっと見ていたい、与えたいと願ってやまない輝く笑顔で言い放つ。

 

「クラピカが相変わらず私のこと大好きなのが当たり前で、私も嬉しいよ」

「なっ!?」

 

 気にしないでほしい、忘れて欲しいと思って既に自分が忘れていた話題を蒸し返されて、クラピカの顔が真っ赤に染まる。

 今、この時ばかりはソラの輝く笑顔が見ていられなかった。

 

 * * *

 

「いやー、あの変態クラウンは本気で死んでほしいけど、クラピカの珍しいデレが見れたことだけはマジ感謝」

「忘れろ! 今すぐにその記憶を殺せ!」

 

 今すぐ逃げ出して毛布をかぶってのたうちまわりたい羞恥に襲われているが、ソラにガッチリ後ろから抱きしめられてそれもかなわず、クラピカは無駄な抵抗をしながら無茶を言う。

 

「あはは~、それはいくら君の頼みでも絶対にお断り。私の心に永久保存した」

「消せ!!」

「じゃあ、君もさっきの私の色々を脳内から削除してくれるのか?」

「………………」

 

 結局のところお互い様ということにして、クラピカは抵抗を諦めた。

 これから確実に何年たっても今日のことをからかわれるのが確定したが、ソラの性格からしてむやみやたらと人前で自分の発言を暴露することは確実にないことだけは救いだと自分に言い聞かせていたら、まだ抱きついたままのソラが言う。

 

「クラピカ。私は言われるまでもなく君のだよ」

「……ソラ?」

 

 一番忘れて欲しい発言を掘り返されたが、クラピカは照れ隠しで怒ることが出来ず、戸惑う。

 自分の肩に顎を乗せたソラは俯いていて、表情がよく見えない。

 ただ、自分を抱く腕の力が少し強くなった気がした。

 

 ソラはうつむいたまま、クラピカに自分の顔を、表情を見せずに語る。

 

「私は君のものだから、君が好きに使い捨てればいい。道具は壊れて、修理とかのしようもなければ捨てればいい。

 そこに『使いやすかったのに、お気に入りだったのに、惜しいなぁ』以上の気持ちなんか必要ない。道具なんか、使われて使いこまれて捨てられるのが本望なんだから。

 けど、これだけは忘れるな。私は君のもので、君が好きに使っていい道具だけど、そうなると決めたのは、そうであろうとしたのは私の意思だ。そこに、君はどうあろうが介入なんかできない。純然たる私だけの意思で、私は君のものなんだ。

 

 わかるか、クラピカ。つまり、君はいつ私を捨てても構わない。でも、私は君が捨てたってずっと私がそうであると思い続けている限り、君のものなんだ。

 壊れても、捨てたって、私は君のだよ」

 

 依存や執着と言い換えてもいい、異常な献身。

 おそらくはそうやって他者の為に生きていないと、生きる目的が明確にないとただ生きるために何もかもを犠牲にしてしまいそうな不安が、彼女をこの異常に掻き立てる。

 どんなに普段は支障なく生きて、まともに見えても決して消えず失われない、ソラを構成する狂気を目の当たりにしても、クラピカは動じない。

 

 その献身が異常であり狂っていると正しく認識していながらも、思うことは「自分はそこまでしてもらえるような人間ではない」という自虐。

 例え狂っていても傍にいて欲しくて、傍にいたくて、この狂気が彼女を生かすのならそれも受け入れたのはクラピカ自身だから。

 

「……バカか。お前は」

 クラピカは自分の首に腕を回して抱きしめるソラの手に、自分の手を重ねる。

「……捨てるわけが、あるか。壊れたって、何があっても私は君を捨てやしない。捨てられるわけが……ないだろうが」

 

 共依存という泥沼そのものであることは、互いにわかっている。

 それでも、自分たちはもう互いしかいないことを知っているから、手放せない。

 

 ゴンやレオリオのことを、クラピカはソラと同じくらい信頼している。

 ソラだってキルアのことを、クラピカと同じくらい大切に思っているだろう。

 それでも……、クラピカが試験前に出会った老婆のクイズのように、選ばなくてはならない時が来たのなら、きっとクラピカはソラを選ぶ。

 

 誰を犠牲にしても、ソラだけを選ぶ。

 

 ソラも同じだろうと、漠然とだが確信していた。自惚れだとは、みじんも思わなかった。

 だからこそ、あの言葉だ。

 狂的なまでの、献身だ。

 

 クラピカと違って、ソラと違って、ゴンにもレオリオにも、本人は嫌がって逃げ出したけどキルアにだって、帰る家が、帰りを待つ家族がいる。

 共依存だとわかっていても、どちらかがいなければ、出会えていなければ、何もなくて誰もいない、独りきりの二人なのだから、互いに手放せるわけなどなかった。

 

 独りきりで生きて、独りきりで後悔にまみれて死んでいくしかないより、二人で傷を舐め合いながら、人並みに後悔して死んでいきたかった。

 

 だから、手放せないのはソラだけの責任なんかじゃないことを伝え、そして訂正する。

「それに……ソラは道具なんかじゃない」

 

 かろうじて、今はつけられる名前。

 愛情の、関係の名前。

 

「……『家族』になろうと言ったのは、お前の方だろうが。……忘れるな。馬鹿者」

 

 まだ、どちらがどんな役柄であるかは名付けられない。

 それでも、ずっと一緒にいられる、離れたって繋がっていられる、誰にも脅かされないために必要な、ふさわしい関係の名はきっとこれしかない。

 

「……うん。そうだね。ごめん。そうだよね」

 

 ソラのクラピカに抱き着く腕の力が、少しだけ緩む。

 安心したように、こうやって抱き着いて縋り付かなくてもいいとようやく理解したように緩く、それでもまだしばらくソラは、クラピカを抱擁し続けた。

 

 クラピカも大人しくソラに抱きしめられながら、自分の不安が溶けていくのを感じる。

 眠ってしまうのが怖かった。ソラと再会した現在が夢で、次に目が覚めたらまた彼女がいないことが怖くて仕方がなかったが、もう夢だとは思わない。

 

 彼女は確かに、現実に、ここにいると思えた。

 夢の中で出会うソラもリアルだったが、本物はやはりクラピカの記憶と想像で作られたソラなんかよりもずっとずっと型破りで、めちゃくちゃで、予想外で、そしてクラピカにも知らなかった一面があって、壊れ果てていても自分を選んでくれる。

 

「……ソラ」

 自分の平凡な想像力なんかでは生み出されることのないソラの言動で、ようやくクラピカの懐いていた不安が消えてなくなり、3年前に預かり、そして縋っていたものを返す気になれた。

 

「すまない。長く預かりすぎたな」

 自分の左耳にぶら下がる、小さいが一目で上質な宝石だとわかるイヤリングを外して、ソラの目の前にかざして揺らす。

 3年前、クラピカのもぎ取られた腕を接合という大掛かりな治癒魔術に使用して、魔力が空っぽになったソラの姉の形見。

 おそらくはソラが向こうの世界から持ってきたものの中で、残っているものは彼女自身とこれのみだろう。

 

 それを見て、ソラはクラピカの肩に顎を乗せたまま言った。

 

「え? 何それ?」

「………………おい……」

 

 クラピカの低くなった声でようやく思い出したのか、ソラは慌てた様子で「え? あっ! 海のか! 姉さんのイヤリングか!」と言い出すが、遅すぎる。

 むしろその反応はいつもの空気を読まないがわざとやってるボケではなく、完全に素で忘れていたという証明である。

 

「姉の形見だろう! 何故忘れる!? 私にもやれないくらい大事だから預かっておいてくれと言ったのはどこのどいつだーっ!!」

 思わずソラの腕を振り払って向き直り、クラピカがキレた。

 あげられないから預かっておいてくれは、クラピカをあの場から逃がすための方便であったことは初めからわかっていたが、どうやらクラピカが思う以上に口実でしかなかったらしい。

 

 しかし、どんなに正論をかざしても、やはりクラピカはソラには勝てない。

 さすがにすっかり姉の形見をクラピカに渡していたことを忘れていたのは少々気まずそうだったが、クラピカにキレられたソラは開き直って胸を張って言いきった。

 

「君にもやれないくらい大切だけど、君以上に大事なわけないから、クラピカに会った瞬間存在を忘れて何が悪い!!」

 

 開き直りの詭弁であることはわかっていたが、詭弁でも先ほどからの言動と、自分に対して「嘘はつかない」という約束から言ってる内容そのものは本音であることはわかってしまい、クラピカは顔をまた赤くして言葉を失う。

 

 やはり、何年たってもソラの方が何枚も上手だった。

 

 * * *

 

 汗と少しだけ浴びた血をシャワーで流して、まだ髪が濡れたままのキルアは舌を打った。

 

「……何、だよ……。お前……」

 何を言いたかったのか、何に文句をつけたかったのかはキルア自身もわからない。

 ただ、無性にイラついた。右手と左足を使わずに自分をおちょくり続けたハンター協会会長以上に、今は目の前の光景が、二人が気に入らなくてしょうがなかった。

 

 毛布にくるまって眠る、ソラとクラピカ。

 それだけなら、いい。

 

 ただ二人はたまたま隣に座って眠っているのではなく、互いに寄り添って、ソラはクラピカの肩に頭を乗せて、クラピカもソラの頭に寄りかかるようにして眠っている。

 どちらも手を固く、しっかりと握って。

 

 誰かが一緒にいるのなら、その人の体温や感触を感じながら眠りたいとソラは言っていた。

 その体温が、誰じゃないといけないなど一言も言っていなかった。

 初めから、わかっていた。

 昔からそうであるのなら、3年前にたったの一月ほどとはいえ、自分より先に出会って自分より長く一緒にいたこの男が、クラピカが彼女のそんな弱さを知らない訳がない。

 

 ……歳に不相応なキルアの洞察力が察してしまう。

 きっと、ソラの「一人で眠るのが怖い」を解消してやったのは、クラピカが最初であることを察してしまう。

 少なくともソラは自分に対しては手を繋ぐだけで、同じベッドに入ることすらなかった。机で居眠りでもする体勢で、手を繋ぐことだけを求めていた。

 

 こんなにも近くで、眠ってはくれなかった。

 自分から相手の肩に頭を預けるなんて、しなかった。

 自分より、キルアよりはるかにソラはクラピカに心を許している証明のような光景に、胸が掻き毟られるように苛立ち、泣きたくなるくらいに気に入らなかった。

 

 つい先ほど廊下ですれ違いざまにぶつかった、ネテロに手も足も出なかった腹いせでバラバラにした受験生のように、無防備に眠っているクラピカも同じようにしてやりたいと思いながら、キルアは動けない。

 

 それをした時、ソラがどんな反応をするのか、どんな顔をしてどんなことを言われるのかが、想像できなかった。

 想像したくなかった。

 

 ……どう考えても、自分を許してくれるとは思えなかった。

 ソラの優先順位を見せつけられて、キルアは舌を打ってその場から離れようと背を向けたタイミングで、声を掛けられた。

 

「……キルア?」

 

 まだ眠たげな半眼で、それでも確かにソラはキルアを見た。

 

「何だ、まだ起きてたのか。夜更かししてたら身長が伸びないぞ」

「……うるせぇよ」

 

 寝起きだからか少しかすれた声で、隣のクラピカを起こさないように小声で言うソラに対し、キルアは不機嫌さを隠しきれず、振り返ることも出来ずつっけんどんに言い返す。

 そしてそのまま当てもなく、とにかくこの二人から離れたくて足を動かすが、たった一歩踏み出した時点で止められる。

 

「待ちなさい」

 背後のソラの声を無視してさらに歩を進めようとするが、キルアの足は動かない。動かそうとした瞬間、身が竦んだ。

 

「キルア。待て」

 自分の長兄やヒソカが放つ、気味の悪い正体不明の嫌な感じ。それよりはずっと悪意も殺気も威圧感もないが、妙な強制力を持つものを発せられて、キルアはほとんど条件反射で動けなくなる。

 

 その背中を眺めながらソラはため息を一度ついて、クラピカを起こさないように器用に彼の肩と頭に挟まる形だった自分の頭を抜き出して、逆にクラピカの頭を自分の肩にもたれかからせてから、振り返らないキルアの背中に言葉をかける。

 

「キルア。血の匂いがする」

 キルアは何も答えない。

 ソラは数秒だけキルアの返答を待つが、早々に諦めてまたため息をつく。

 

「もっと念入りにシャワーを浴びて体を洗っておきなさい。私はほとんど勘だけど、ゴンなら本当に匂いを嗅ぎとれる」

 叱りもせず、ただゴンに対してのことだけを心配して忠告する、相変わらずのドライっぷりにホッとする自分にイラついた。

 

 まだ、彼女に嫌われたくない、失望されたくないと思っている、女々しい自分が嫌で仕方がなかった。

 

 ソラの優先順位を見せつけられて、自分よりはるかに心を許していると思い知らされたのに、それでもキルアに諦めさせてくれない女は、何も答えないキルアに言う。

 

「キルア。そういえば昼間、結局説明しなかったな」

「……何のことだよ?」

 振り返らないままぶっきらぼうにキルアは返すが、疑問は素だった。

 その疑問に、ソラは答える。

 

「君とヒソカが違う訳。殺人と殺戮の違いだよ」

 

 その言葉に、キルアは振り返った。

 自分へと真っ直ぐに向けられた夜空色の瞳と、目が合う。

 キルアを見て、ソラは笑ってくれた。

 

 傍らのクラピカから手を離さないけど、確かにキルアだけを見て。

 

 * * *

 

「殺人は人が人を殺すという事だ。

 そして、殺戮は相手を自分と同じ人間だと認識せず、もしくは自分を人間だと思わず殺すこと。

 殺戮はな、豚や牛の屠殺や子供が虫の足を捥ぐのと同じ。同じ生き物だと認識せず、罪悪感が伴わない行為なんだよ」

 

 夜空色の瞳を細めて、ソラは語る。

 キルアからしたらイコールで結ばれてた、せいぜい人数くらいしか違わなかった言葉の違いを。

 

「キルアは、ヒソカとは違う。

 君は確かに倫理も常識も良識も罪悪感も薄いけど、ないわけじゃない。生まれ育った環境がそうさせただけで、君含めてゾルディック家は殺戮なんかしていない。

 君たちの家は、『罪悪感』を持っている。命を奪う代償を知ってる」

 

 十数分前に、腹いせと八つ当たりで人を殺してきたばかりのキルアを、違うと言った。

 ヒソカとは違うと、自分だけではなく自分の家を含めてあの狂人と同類ではなく、別物だと。

 

「『罪悪感』は『良心』だ。そして『良心』は『罰』なんだよ。

 その人が犯した罪に応じて、その人の価値観が自らに負わせる重荷。それが、『罰』だ」

 

 ソラの言葉に、キルアは本心から思ったことを言い返す。

 

「アホらしい。俺の家に……俺にそんな殊勝なもんがあるかよ」

 

 心からの本音でありながら、キルアの声は震えていた。

 論破などされようもない、どこにも穴も傷もない当たり前の前提であるはずなのに、容易くそれが崩されそうな気がした。

 自分の何かが根本から、組み替えられるような気がしていた。

 

 なのに、それから逃げようとは思えなかった。

 きっと、この当たり前だと思っていた前提が崩されたら、自分を構成していた何かを組み替えられたら、もう元には戻れないことはわかっていた。

 それでも……、それでもキルアは、ソラの言葉を待った。

 

「あるさ」

 キルアの想像通り、彼女は即答した。

 

「『良心』は、『幸福』と言い換えてもいい。

 人はな、幸福を知れば知るほど、感じれば感じるほどに自分の『罪』を目の当たりにして、それが重荷となって苦しむんだ。

 

『親の因果が子に報い』という言葉を知ってるか? 私の国のことわざなんだけどな。自分のしたことの罪を償わされるのは、自分自身だとは限らないって意味だ。

 キルアなら仕事柄、実例をよく見るだろう? 見せしめに、より苦しませるための復讐に、何か罪を犯した本人ではなくて、ただその人にとって大事な人というだけの、罪のない人間を殺せと依頼される。

 キルア。どうしてそれが、君自身にも適用されないと思っているんだ?」

 

 最後の問いかけで、キルアの脳裏に浮かんだのは今まで殺した人間の最期の顔。

 自分より幼い子供を、親の目の前で手にかけたこともあった。そういう依頼だった。

 親を、真のターゲットを絶望させてから殺してくれという依頼だった。

 そのターゲットが恨まれる所以に、子供は関連どころかその恨みが生じた当時、その子供の母親とターゲットは出会ってすらいなかったのに、子供は殺された。

 

 子供を殺されたターゲットの顔は、「絶望」以外に言い表すことなどできない顔をしていたことを、思い出してしまった。

 

「ゾルディックの教育方針とかは私もツッコミどころ満載だと思うけど、仕方がない面も多いよ。少なくとも、愛情は本物だ。

 あの家は、自分たちの犯した罪を知っている。自分たちの因果が、いつどこで誰に返ってくるかわからないことをよく知っている。

 

 だから、友達を作るな、仕事以外で家から出るなって言うのさ。仮に君が暗殺に何も携わっていなくても、もう『ゾルディック』というだけで君は、誰かから恨まれて憎まれているのだから。

 自分の因果が自分に返るのならまだしも、大切な家族に返って欲しくないって願ってるんだよ。

 キキョウさんも、イルミも」

 

 自分を縛る、自分の自由を奪う人間の名前を出されて、キルアは舌を打った。

 そんなことは初めから、昔からわかっている。わかっているのに、愛されていることを知っているのに、その愛情を不満に思うわがままな自分からずっと目をそらしていたのに、それもソラによって向き直らせられる。

 

「幸福であればあるほど、その幸福を壊されるのが怖くなって、普通ならしなくていい警戒して、普通に友達を作ったり外で遊んだり出来ないことが、『罰』でない訳ないだろう?

 

 だから、キルアやゾルディックは普通とは確かにずれてるし、なんか色々危ないのは事実だけど、君とヒソカは全然別。

 あれは自分以外に興味がないから、他人に因果が返ってくることなんかない。っていうか、なんとも思わない。自分に直接返ってきてもそれはそれで喜ぶドMだから、あれに因果応報を期待するのは無駄もいい所」

 

 最後の方はまたヒソカと何かがあったのか、やたらと嫌そうな顔で吐き捨てるようにソラが言ったが、ヒソカの話が終わればソラは、柔らかくまた笑った。

 

「キルア。あれなんかと同じなんて言い訳するな。無駄に罪を重ねて罰を背負うな。

 人を殺すななんて、私は言えない。私の手は既に汚れているし、誰もが平等に尊い命だなんて思っていない。死ぬことでしか社会貢献できない人間はいると私は思ってる。

 

 でも、君はどうやっても『殺戮』は犯せない。君は必ず、どんなに小さくても、薄っぺらくても、誰かを殺すたびに罪悪感を背負う。その罪悪感が、君から幸せの選択肢を奪って減らす。

 君が何を代償にしてそれを行っているのかを、理解したうえでやるんならもう私が口出しをする権利はない。

 でも、……知らないままにどこにも行けなくなるのを見ているだけは……、私には出来ない」

 

 結局、ソラはやはりキルアの「殺人」は責めも咎めもしなかった。

「殺人」を許容するくせに、他人であるキルアの未来を案じるソラに、キルアは一言だけ返す。

 

「お人よし」

「よく言われる」

 

 家族のことも家業も否定をしないで、それでも自分をヒソカのような闇ではなくゴンのような光と一緒だと言ってくれた人に返せたのは、素直じゃないただそれだけだったが、その言葉もソラはあっけらかんと笑って受け入れて流す。

 キルアの選択肢を、暗殺者以外のものを示しながら暗殺者を続けていくことすらも決して捨てずに残してくれたのが、今までキルアがしてきたことを否定しなかったことが嬉しかったけど、その喜びはやはり素直に表せられない。

 

 それはキルア自身の性格と、ソラの傍らで無防備に眠る男の所為。

 ここまで言われても、心配されても、欲しいものを与えられても、それでもキルアが欲しい「ソラの隣」を得ることが出来ないのが悔しくて、独占するクラピカが妬ましかった。

 

 だから、キルアはまたどこかに行こうとする。これ以上、みじめな思いなどしたくなかった。

 

「キルア。シャワー室はそっちじゃないぞ」

 

 なのに、心を読んだかのように欲しい言葉をくれるくせに、こういう時は本当に空気を読まない女である。

 

「……もう眠いから、また朝浴びるんだよ」

 呼び止めたソラに適当な言い訳をして、キルアはさっさとその場から離れようとするのに、ソラはクラピカの頭が肩から落ちないように器用に首を傾げた。

 

「? なら、ここで寝ればいいじゃん?」

 その言葉に、血が一気に頭に昇った。

 

 誰の所為で、ここにいられないと思っているんだ。

 誰の所為で自分はこんなにみじめな思いをしているんだ。

 

 とっさにそう怒鳴りつけそうになったが、振り返ってみた光景で一気に昇っていた血が下がって呆気に取られる。

 

 ソラは、所謂女の子座りしている自分の膝をポンポンと叩いて、「おいで」と言った。

 あまりにも自然に、キルアがいることは出来ない、奪われた、初めから自分の居場所じゃなかったと思い知らされた場所に、当たり前のように誘い、戸惑うキルアを逆に不思議そうに見る。

 

「どうした、キルア。自分で言うのも何だが、私の太ももはなかなか寝心地がいいと評判だぞ」

「誰にでもやってんのかよ!」

 

 いつもの逆セクハラに思わず反射で突っ込むが、幸いながら昼間の試験で疲れ果てているからか、割と大声が出たがクラピカや周囲の受験生たちは起きることがなかった。

 そしてソラも、キルアの突っ込みに悪びれた様子もなく、堂々と言い放つ。

 

「失礼な。そこまで私の膝枕は安くない。これは私が、一緒にいたい奴専用だ」

 

 この女、本当に人の心が読めてるんじゃないかとキルアは本気で疑った。

 しかしそんなキルアの疑いを露にも思っていないと言わんばかりにソラは、また首を傾げる。

 そんな彼女の様子を見て、さすがにバカらしくなってきた。

 

 奪われたような気がして、初めから自分のではないと思い知らされたと思い込んで、勝手に落ち込んで苛立っていた自分に自嘲する。

 

「……それ、たぶんめちゃくちゃ安いだろ」

 小馬鹿にするように笑いながら、キルアはソラの傍らまで歩み寄り、ゴロンと転がった。

 ソラの膝の上に、自分の頭を無防備に乗せる。

 

「……ちょっと高えよ。首が痛ぇ」

「すまんな。今、カンナは持ってない」

「削る気か自分の太ももを! そこまでされたらこっちが困るわ!」

 

 小声で言い合いながら、キルアはソラの膝を枕にして眼を閉じる。

 隣が奪われたのなら、初めからクラピカのものならば、逆隣を陣取ればいい。

 彼女から来てくれないのなら、自分から歩み寄ればいい。

 

 ただ、それだけで良かったことにキルアはようやく気が付いた。

 それだけで、胸の内の苛立ちは全部消えてなくなった。

 

 * * *

 

 翌朝、目覚めたレオリオが最初に見たものは、右肩に寄り掛かったクラピカの頭、膝の上にキルアの頭を乗せている所為で起きているのに身動きが取れないソラだった。

 

「……モテモテだな」

「いいだろう。羨ましいか?」

「いや、別に」

 

 やや寝ぼけた頭でそういうとソラはドヤ顔で言い放ち、レオリオは正直に答えておいた。

 ついでにあくびをしてから、普通に気になったことも尋ねる。

 

「お前、それで眠れたのか?」

 いつから左右をこんなにがっちり固められているのかは知らないが、どう考えてもソラ一人が重くて寝にくい体勢なのは確かだろう。

 しかしソラはその体勢を今も維持しながら、さわやかに笑って答えた。

 

「実はあんまり寝ていない」

 きっぱりと先ほど以上のドヤ顔で言い切ってから、ソラは柔らかく笑って自分の唇の前に指を一本立ててレオリオに言う。

 

「だから、このことは二人には内緒な」

「お前、良い奴だな」

 

 そんなわかりきったことを言って、とりあえずレオリオはソラから離れない二人に「朝だぞ」と声をかけた。





「痛覚残留」で幹也が語った「罰」の話が好きです。


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25:連帯の道

 8時到着予定だった飛行船は、どこまでも真っ直ぐで意地っ張りな割にちょっと横道にそれやすくて、主旨を忘れた素直すぎる受験生の健闘を会長が少し称えた為、1時間半ほど遅れて第3次試験会場に到着する。

 

 そして飛行船が降り立ったその「試験会場」を見て、受験生がそれぞれに同じようなことを考えて呟く。

「何もねーし、誰もいねーな」

「一体、ここで何をさせる気だ?」

 

 そこは高さが百メートル単位でありそうな、塔の上。

 受験生の言う通り、もはや何もなさ過ぎて塔どころかただの巨大すぎる円柱にしか思えない場所に受験生40名全員降ろして、ビーンズは説明を開始する。

 

「ここはトリックタワーと呼ばれる塔のてっぺんです。ここが、3次試験のスタート地点になります。

 さて、試験内容ですが、試験官の伝言です。

『生きて、下まで降りてくること。制限時間は72時間』」

 

 あまりにもシンプルすぎる試験内容に受験生たちが唖然としていたら、その間にビーンズは受験生たちを連れてきた飛行船に再び乗り込んで帰って行った。

 本当に、説明も試験内容もあれだけらしい。

 

 こうして第3次試験は、ゆるく開始された。

 

 * * *

 

 とりあえず受験生のほとんどがまず塔から恐る恐る身を乗り出し、高さと塔の外壁を確認する。

 高さはやはり地面が霞むほど高く、生身の人間が到底飛び降りられるものではない。念能力者でも、強化系なら二次試験の会長のように飛び降りることが出来るかもしれないが、強化系が不得手な特質・具現・操作系能力者は遠慮するレベルである。

 外壁は風雨のせいか割と凸凹は多いが窓の類は一つもないので、何かにつかまりながら下りるのも困難だろう。

 

「ここから降りるのは自殺行為だな」

「普通の人間ならな」

 外壁を確認していた受験生の一人がそう呟くと、一人の筋肉隆々な男が自信満々に言い出した。

 

「このくらいのとっかかりがあれば、一流のロッククライマーなら難なくクリア出来るぜ」

 86番のナンバープレートを付けた男は、不敵な笑みを浮かべながら躊躇なく塔から身を乗り出して、外壁のわずかなくぼみを掴んで命綱もなしに言葉通りスイスイと降りていく。

 

 数分もしたら男は既に手のひらサイズに見えるくらいまで下に降りており、それを見たゴンとキルアが素直に感心した。

「うわ、すげ~」

「もうあんなに降りてる」

 

 が、その感心は1分も続かなかった。

「あ……」

 ゴンが何かに気付き、声を上げる。

 そして不思議そうに自分の方を見たキルアに、「どうしよう?」と言いたげな顔をして彼は、自分が見つけてしまったものに指をさす。

「あれ」

 

 ゴンだけではなく、他の受験生たちもそれに気付いて絶句。

 そして数分後に、下方から86番の絶叫と、人間よりも巨大な怪鳥に啄まれる断末魔がしばらく響いた。

 その断末魔と壮絶な光景を、なすすべなく見下ろすしかできないレオリオは顔色悪く呟く。

 

「外壁をつたうのはムリみてーだな」

「怪鳥に狙いうちかよ……」

 レオリオの言葉にソラも「うわぁ……」という顔をして答え、クラピカは見たものを頭から追い払うように一度固く瞼を閉ざしてから、気を取り直して塔のてっぺんを見渡して言う。

 

「きっとどこかに、下に通じる扉があるはずだ」

「……そうだね」

 クラピカの言葉に応えながら、ソラは少し藍色の眼を細めた。

 

 やたらと「線」が多い床を眺めてソラは、うんざりしたようにため息をついて疲れ目の癒すように目頭を揉む。

 ソラの眼は「死期」を捉えて視覚化するが、その「死期」はいわゆる「運命」ではなく、単純に肉体や物品の強度からくるものを捉える。

 なので、数分後に事故死する運命の人間をソラが見ても、肉体が健康なら数本の「線」と2,3個の「点」という平均的な数しか見えないが、試験前に渡されたトンパの下剤入りジュースのように、何らかの細工が施してあるものに関しては、何の仕掛けもないものより「線」や「点」が多く見える。

 

 その為、ここに降りた当初から何らかの仕掛けがあることはわかっていたが、この目が捉えるのはあくまで「死期」のみ。どの辺に隠し扉があるかないかはさっぱりわからない。

 よく見てみれば細工してある床部分の「線」が途切れているなどでわかるかもしれないが、隠し扉は相当な数あるのか、床の「線」の数が多すぎてパッと見て途切れている部分は見つけられず、そもそも「死」そのものの「線」や「点」を見続けるのはソラも精神的に辛い。

 

 特に何のメリットにもなっていない、むしろいつもより世界が脆くて崩れやすいと思わせる視界に嫌気が差したのか、ソラは少しでも見えるものを減らそうと眼を細めたまま、隠し扉を探しつつ呟いた。

 

「……床ぶち抜いて、そのままストレートに降りてもいいのかなぁ?」

「ソラ、それはせめて制限時間が24時間を切ったあたりの最終手段にしてくれ」

 

 さすがに試験官が絶対に想定していない、していたとしても実現不可能だと思い切り捨てたであろう方法を本気で検討し始めたソラを、クラピカは止める。

 全面的に止めるのではなく、最終手段として譲歩しているあたり抜け目がない。

 

 ちょっと昔よりちゃっかり図太い性格になってるクラピカに苦笑してから、しばし地道に床を探しているとソラのエンジニアブーツの足音が変化した。

 カコンとやや軽い足音がした一ヶ所に座り込み、トントンと一定距離を置きながら指で床を軽く叩くと、ある箇所の床がわずかに沈む。

 線もちょうどここで途切れているので、間違いなく隠し扉だ。

 

 同じようなことをその周辺で少し繰り返して、一人だけ階下に滑り降りれそうなシーソーや舞台のどんてん返しと同じ構造の隠し扉をいくつか見つけて、ソラは腕を組んでしばし悩む。

 

 試験という性質柄、この隠し扉の先が逃げ場も何もないデッドエンドな罠だという可能性は除外していいだろう。

 そういう罠が仕込まれている隠し扉があるのなら、その罠の扉と正解の扉を見分けるヒントがなければ、これは受験生の実力を見る試験ではなくただのギャンブルになってしまう。

 ソラが見つけた数個の扉に特にこれといった違いはなかった為、自分がヒントを見逃しているという可能性は低いと判断し、次に考えたのはこの扉に繋がる部屋はどうなっているか。

 

 狭い範囲に集中して扉があるので、すべての扉が別々の部屋に繋がっているとは限らない。すぐ近くの隣り合う扉は同じ部屋に繋がっている可能性の方が高いだろう。

 同じ部屋に繋がって同じルートで下まで降りて行けという部屋なら、出来ればソラはクラピカ達と全員ではなくとも一緒に行きたいが、同じ部屋に入った者同士で戦って勝った者だけ先に進めるバトロワ方式ならばなるべく離れた位置の扉を選ぶべきだろう。

 

 数秒間そのことを考えたが、結局出した結論は「とりあえず、みんなに隠し扉を報告しよう」だった。

 扉の先が協力型かバトロワ方式かは、試験官側もヒントを出す意味があまりないのでここで考えても仕方がないと結論付けたので、まずは報告。

 もしもバトロワ方式なら、「生きて下まで降りて来いが試験内容だったじゃん」と言い張って、クラピカに最終手段にしろと言われた床ぶち抜きを実行すればいい。

 

 そんなことを考えながらちょうど4人が何やら話をしていたので、ソラは手を振って駆け寄って声を掛ける。

「おーい……!」

 

 ソラの呼びかけに気付いて4人は顔を上げてそちらを向けば、何やら驚いたように強張った顔をしたソラがとっさにバックステップを踏んで、そしてそのままガコンと隠し扉が勢い良く傾いて垂直にソラがボッシュートされていくのを目撃し、思わず全員10秒ほどフリーズ。

 

『ソラーっ!?』

 

 傍から見たら謎すぎる退場をした女の名前を叫びながら、4人でソラの落ちて行った隠し扉の元までやってくるが、ゴンやキルアが目撃した他の受験生と同じく扉はロックされており、もうそこはただの床になっていた。

 

「……あいつ、何がしたかったんだ?」

 レオリオが呆然とロックされた隠し扉を見つめながら、全員の疑問を代弁した。

 

「わ、わからん……。表情からしてふざけてやったわけではなさそうだが……私たちの後ろにヒソカでもいたのか?」

 あそこまで強張った顔をしてバックステップで逃げた可能性として一番高いものをクラピカが上げるが、あたりを見渡せば全然違った方向にヒソカはいる。

 しかも、彼もソラのボッシュートを見ていたのか、腹を抱えてその場にうずくまっていた。

 

「……とりあえず、無事だといいね」

「あいつなら大丈夫だろ。時間がヤバくなれば、たぶん床をぶち抜いて降りてくる」

 

 ゴンが苦笑しながら一人だけ先に行ってしまったソラを心配するが、もう心配も呆れもバカらしくなったキルアがソラの最終手段を語って、とりあえずソラのことはいったん忘れることにした。

 同じく3人が、「……まぁ、ソラだし」ともはや諦観に近い謎の信頼で70時間後の再会を信じて、自分たちはどの隠し扉で降りるかを話し合い、ソラのボッシュートに思わず困惑してフリーズし続けるのはただ一人となる。

 

 ソラの背後で、ひっそりと彼女の隙をつけ狙っていたギタラクルことイルミは、“絶”状態のままヒソカ以外の誰にも気づかれないまま、数分間そこに立ち尽くした。

 

 * * *

 

「くくっ……、残念だったね、イルミ♠」

「……うるさい、死ね、刺すよ」

 

 ヒソカが笑いながらわざわざ声を掛けてきたことでイルミのフリーズはようやく解凍されるが、そのことにもちろん感謝はなく、ヒソカを見もせずに辛辣な言葉を返す。

 

「っていうか、本気であいつは予知か読心出来てるだろ……」

「そうだねぇ♦ 本当にソラは感度がヨすぎてこっちが焦らされちゃうよ♥」

「精度が高いって言え」

 

 つい舌を打って愚痴れば、わざと別の意味合いに取れる言い方をする奇術師に苛立った言葉をぶつけるが、それをもちろんヒソカは気にせず言葉を続ける。

「けど本当に、あの子の殺気に関しての察知能力は“円”以上だね♦」

 

 そんなの、ヒソカに今更言われるまでもない。

 おそらく誰よりも自分が一番よく知っていて、煮え湯を毎回飲まされているイルミは盛大に顔を不愉快そうに歪める。

 

 ヒソカの言う通り、ソラは“円”が苦手なくせにそれが何の問題にならないレベルで殺気に対しての察知能力が高い。

 “絶”をして足音も息遣いも極限まで殺していたというのに、ソラが隠し扉から降りる瞬間、足場が傾いて落下という逃げ場もなく見動きもほとんど取れないほんの一瞬の隙を狙って、ヒソカからもらったトランプを投げつけようかと思っていたのに、仲間の元に駆け寄ってもう少しでその隙が生まれるという期待からほんの一瞬、息継ぎのようにわずかに漏れ出したイルミの殺気をソラは感知した。

 

 わざわざイルミがいた背後にバックステップして落ちたということは、あのボッシュートは事故ではない。そこに隠し扉があることをわかっていて、わざとそこに落ちて逃げたのだ。

 この隠れる所が何もない塔のてっぺんよりも、一度降りたらロックされて追いつけない、すぐ近くの扉も同じ部屋に繋がる保証もない、仮に追って来られても彼女なら壁や床を破壊しながら逃げ回ることは容易だから、一番近くの扉から降りることを選んだのだろう。

 

 隙を狙って待っているのなら、いきなり突拍子もない行動を取った方が相手はとっさに行動できない。

 下に降りる際に生じる隙も自分が狙われていると気付きさえすれば、あの女ならその瞬間さえも隙を作らないし、いくらでも対応できるだろう。自分から、わかって降りたのならなおのこと。

 

 そこまでわかったうえでの行動か、完全に本能による反射かどうかまでは判別つかないが、どちらにせよイルミは見事に何もできなかった。

 

 ソラがとっさに前か横にでも逃げれば予想は出来ていたので反応のしようがあったが、まさかの殺気に気付いて背を向けたままバックステップで自分の方に近づいてくるのは完全に想定外だったのと、ソラが呼びかけたことで自分の正面にはソラを挟んでキルアがこちらを向いてしまっていたので、いくら“絶”で気配を殺して正面からでもほとんど認知されないようにしているとはいえ、攻撃を仕掛けたらさすがに気づかれる。

 

 イルミがソラの行動に混乱しても冷静なままでも、結局は何もできずにソラに逃げられるしかなかったことを、また殺せなかったどころか行動に移す前に漏れ出た殺気に気付かれたことが、イルミにとって不愉快この上ない。

 

 昨夜も、そうだった。

 

 眠っているソラを見つけたのは、キルアとほぼ同じタイミングだった。

 キルアはソラの近くで眠るつもりはなかったらしく、そのことに安堵して絶好の殺すチャンスが舞い込んだことに抑えていた殺気が、一瞬というには足りない刹那の瞬間のみ緩み、針の穴のように微細な漏れ出た殺気を感じ取ってあの女は目覚めた。

 

 そして弟に余計なことを吹き込んだ挙句、とりにもよってキルアに膝枕をしながら寝た。

 正確には、目を閉じて少し体を休ませていただけでまったく寝ていない。警戒心を試験中と同じように全く解かなかった為、イルミは諦めてその場を去るしかなかった。

 

 キルアがソラの膝の上で寝ていたから。

 ソラがずっと警戒していたから。

 

 イルミがソラを殺すのを諦めた理由など、それだけに過ぎない。

 何もしなかった理由は、それだけ。

 

『ゾルディックの教育方針とかは、私もツッコミどころ満載だと思うけど、仕方がない面も多いよ。少なくとも、愛情は本物だ。

 あの家は、自分たちの犯した罪を知っている。自分たちの因果が、いつどこで誰に返ってくるかわからないことをよく知っている』

 

 ソラがキルアに語ったことなど、何も関係がない。

 あれはキルアには不必要な、余計な価値観でしかない。

 

『だから、友達を作るな、仕事以外で家から出るなって言うのさ。仮に君が、暗殺に何も携わっていなくても、もう『ゾルディック』というだけで君は、誰かから恨まれて憎まれているのだから。

 自分の因果が自分に返るのならまだしも、大切な家族に返って欲しくないって願ってるんだよ。

 キキョウさんも、イルミも』

 

 分かり合えない、理解などされないし求めていなかった愛情を肯定されたことなんて、何ら関係ないとイルミは自分に言い聞かす。

 

「……偽善者」

 もう何度目かわからないソラへの恨み言を呟いて、イルミはそろそろ自分も適当な隠し扉を使って塔を降りることにする。

 ソラを殺すチャンスがなくなったのなら、ここに留まる意味などないのだから。

 

 そう思いながら隠し扉を探し始めたイルミに、何を思ったのかヒソカは「そんなに落ち込まないでよ♠ イイコト教えてあげるから♥」と頓珍漢なことを言い出したので、イルミはナチュラルに無視しておいた。

 が、イルミに無視されたことをこちらも軽やかに無視して、ヒソカはサムズアップしながら腹が立つほどいい笑顔で言い放つ。

 

「ソラは処女だよ♥ しかもそっち方面に耐性が全くないから、調教と開発のし甲斐があるね♥」

 

 イルミは無言で、ヒソカの眉間めがけて一直線に針を投げつけた。

 

 * * *

 

「……すごい間抜けな退場をしてしまった。くそっ、誰だよあのチラチラ小出ししてくる殺気の持ち主は……」

 

 ほぼ反射でとっさに逃げて扉を下りてしまったソラは、部屋の中で一人凹む。

 体育座りになって自分の膝に額を当てて、呟く。

 

「……皆を置いて、逃げちゃった。……卑怯者」

 

 それだけを呟いてしばらくその態勢のまま凹み続けたが、10秒ほどで「よっしゃ凹みタイム終了! 後悔先に立たず! 前だけ見て突っ走れ私! どうせそこにしか行けないんだ!!」と叫んで立ち上がり、拳を高々と突き上げてから部屋の中を見渡した。

 

 3,4人入ればいっぱいになりそうな小部屋の中央には台座があり、そこにはタイマー付きの腕輪が二つ置かれていた。タイマーは十中八九、制限時間だろう。

 そして、腕輪は何故かネックレスのチェーンよりはマシ程度の鎖で繋がっていた。

 手錠ではないだろう。手錠にしては鎖が細すぎるし長さが5メートルはある為、腕の動きを全く阻害しないからだ。

 

 部屋に扉はなく四方がただの壁だが、ソラの眼には一面のみ妙に線と点が多い壁に見えているので、上とは違ってこちらはどこに隠し扉があるか言葉通り一目でわかる。

 そして、隠し扉がある壁にはプレートがかけられていた。

 

「連帯の道?」

 プレートに書かれたルート名をまず声に出して読み、ソラは首を傾げつつそのまま読み進める。

 

『この道は、受験生同士がペアとなって進む連帯の道。

 一方のわがままは許されず、どちらも平等のリスクと責任を背負って進まなければならない』

 

「……つまりはとりあえず、もう一人来るまで待てってことだね」

 一瞬、受験生全員が他の隠し扉から降りてここに来なかったらどうしようかと思ったが、規定人数が来なかったから何もしないまま不合格確定は、メンチの初めの試験以上に理不尽なのでそれはないだろうと考え、ソラは大人しくペアが来るか何らかの連絡が来るまで待つことにする。

 

 ヒソカや昨日からチラチラ感じる正体不明の殺意の持ち主が来た時の為に、すぐにでも床をぶち抜いて逃げれそうな線のある位置で待機しながら。

 

 

 

「きゃっ!」

 幸いながらソラは何時間も待ちぼうけた挙句に結局一人で先に進めと言われることも、天敵と一緒になることもなかった。

 ソラが降りてきてから30分ほど後に降りてきたのは、246番のナンバープレートを付けて大きな帽子をかぶったソラと歳がそう変わらない女性だった。

 

「おや、これまた眼福な美人だ。私はソラだよ。よろしく」

「え? えぇっ!?」

 

 とりあえず無視しようが冷たくあしらおうが、殺しかけても喜ぶ変態が来なかったことに安堵して、ソラがさっそくフレンドリーに声を掛けて手を差し出すが、降りてきた受験生、ポンズは声を上げて身を引いた。

 怯えや敵意はないが、どう見てもソラを警戒している様子にさすがのソラも若干傷ついたのか、「……私ってそんな危険人物に見えるの?」と握手を求めるポーズのまま訊いた。

 

「え? あ、ごめんなさい。いきなりだったからびっくりしちゃって……。なんか、あなた他の4人といつも一緒だったから、単独でいるとは思わなかったし……」

 警戒はしたが別にポンズもソラに対して悪感情を持っていたわけではないらしく、凹んだソラを慰めるようにワタワタしながらフォローの言葉をかける。

 そしてソラも怒るのは面倒くさいと常日頃から言ってる女なので、ポンズの言い訳でしかない言葉でさっさと気を取り直して、どうでもいい部分に注目する。

 

「あれ? 私のこと知ってんの?」

「……知ってるというか、一次でも二次でも目立ってたから」

 自分とその仲間の事を多少は知ってるようなことを言ったので、ソラが首を傾げて尋ねるとポンズはやや目を逸らして答える。

 ヒソカに目をつけられているわ、何故かメンチと一緒に他の受験生に料理についてブチキレるわなど、本人に非があるものないもの含めて数々の悪目立ちをやらかしまくったこのルーキーの顔と受験番号と名前を覚えていない受験生はいないだろうと、内心思いながら。

 

「あぁ、美人だから」

「え!? あ、うん……確かにそれも目立つ大きな要因だけど……」

 しかしソラは否定はできない斜め上に解釈して、ポンズを困惑させる。

 

「私も美人が相棒で嬉しいよ。という訳で、早速これつけて」

 ポンズの困惑など何も気にせず、これまた嬉しいけど困ることを言いながらソラはポンズに鎖で繋がった腕輪を投げ渡す。

「えぇ? っていうか、ここは何なの!?」

 とっさに受け取ってからようやくポンズは壁にかかったプレートに気付き、このルートの趣旨を理解する。

 

「連帯の道? つまりは私とあなたが一緒にこの塔を降りて行けばいいの?」

『その通り』

 

 ポンズの疑問に答えたのは、ソラではなく天井近くに取り付けられたスピーカーだった。

 スピーカーの声、おそらくはこの試験の試験官がプレートに書かれていなかったことを少し補足して、ソラとポンズのルートの説明をしてくれた。

 

『このタワーには幾通りものルートが用意されており、それぞれクリア条件が違うのだ。

 そこは、連帯の道。君たち二人はこのタワーを降りるまで、その腕輪で繋がった状態で行動してもらう。鎖は見ての通り、さほど強度がないから気を付けたまえ。鎖が切れた時点で、その腕輪は爆発する仕様となっているからね』

 

 その説明に、ポンズはつけてしまった腕輪を見て顔を青ざめたが、ソラは真顔で言った。

「つまりは片手首を犠牲にしたら、ペア解消して好き勝手動いてもいいってことだね」

「やめて! 私はそこまで犠牲にして単独行動も合格もいらない!!」

『……極論で言えばそうだが、自分は大事にした方がいいと思うぞ?』

 

 まさかの外壁をつたえば怪鳥に狙い撃ち、やたらと脆そうな鎖が切れたら手首爆発なんて試験を設定した試験官からも「自分を大事にしろ」と突っ込まれ、ソラは釈然としない気持ちになる。

 しかしソラ自身も、最終手段ならともかく初めからそんなハイリスクローリターンをする気はサラサラないので、「はいはい」とテキトーな返事をしたところで試験官は「それでは、君たちの健闘を祈る」と言って放送を切り、同時に壁がせりあがって隠し扉が現れる。

 

 ようやく本格的にソラとポンズの3次試験は始まったが、ポンズは始まる前から疲れて、同時に不安でいっぱいになる。

 初めは警戒したが、よく考えたら変人なのは間違いなくても別にヒソカのような危ないことは何もしていない、むしろあの戦闘狂が気に入るような実力者とペアなのは、正直その辺の一般人の男よりはマシ、現受験生の中だとソラと一緒にいた子供のゴンやキルアにすら腕力で勝てる自信のないポンズからしたら幸運なことだと思った。

 

 が、ナルシストなのかツッコミ待ちなのかよくわからないことを言い出すわ、鎖が切れたら片手首を爆破を聞かされても動揺するどころか真顔で、「好き勝手行動できる」と言い出す相手にポンズは盛大に引く。

 やはりこいつはヒソカと同類なんだろうかと不安になりながら、それでも先に進まなければならないので「行こう」と声を掛けたら、「その前にちょっと聞かせて」とソラが言った。

 

「何?」

「まず、君の名前は?」

 言われて、そういえばまだ名乗っていなかったことを思い出し、「ポンズよ」と答える。

 それで終わりかと思ったら、「ありがとう。それじゃ、ポンズ」とソラは質問を重ねてきた。

 彼女からしたら、こっちの質問が本命だったのだろう。

 

「その帽子の中、何がいるの?」

 

 * * *

 

 言われて思わず、ポンズは自分の被っている帽子を両手で押さえる。

 ソラはその帽子を、初めは黒い帽子だと誤認していた。小さくてただの黒い何かとしか認識できない無数の「死期」が蠢く帽子をじーっと見ながら、「生き物がいるよね。大きさからして、たぶん虫かな? 仕込んでるのならいいけど、そうじゃないなら……捨てた方がいいよ」と余計なアドバイスをする。

 

「……何でわかったの?」

「眼が良いんだよ」

 降りてきた時以上の警戒心を懐いてソラを睨み付けるポンズに苦笑しながら、嘘でも本当でもない答えを返す。

 話さない理由は、説明が長くなって面倒くさい程度。

 

「自分の手の内を明かしたくないのはわかるけど、下手に漏れ出た場合は全部明かした方がいい場合も多いよ。

 手の内がばれて一番不利な状況は、相手にバレてることを当の自分が気付いていない場合だ。自分の手の内を一番知ってるのは結局自分なんだから、バレたかな? って思ったらいっそ相手にも全部教えた方が、相手が何を狙ってどうするかの予測や予防がしやすくなって逆に罠にはめれたりするし」

 

 帽子の中に仕込まれていたものを見抜いた理由は納得できないが、後半の言葉は悔しいが納得してしまい、ポンズは溜息をついて観念した。

「……そうね。それにこのルートの性質上、あなたには話しておかないと私にとっても不利でしかないわ」

 

 言いながらポンズは自分の帽子を指ではじく。

 

「! うわっ! 何それ、その帽子どうなってんの!?」

「気になるところはそこなのね」

 

 ポンズの帽子からどういう構造なのかブツブツと盛り上がって出てきたのは、スズメバチの一種と思われる見た目からして凶悪そうな蜂だった。

 

「私が悲鳴を上げたり倒れたりしてショックを受けると、この子たちが出て来て近くの人間を攻撃するの。

 だから、これを振りかけておいて。この子たちが嫌いな匂いのスプレーよ。さすがに特定の誰かだけ攻撃しろとかするななんて命令はきけないから」

 

 ポンズは小さなスプレー缶を取り出して、ソラに渡しながら指で合図して蜂を元通り帽子の中に収納し、ソラも「あー、そりゃそうだよね。ありがとう」と言いながら、ゴンでないと嗅ぎとれないほどわずかな匂いを全身にふりかける。

 

 腕っぷしに全く自信がないポンズにとってこの蜂は本当に奥の手だったが、自分の所為で一時的とはいえパートナーがアナフィラシキーを起こして死んだら、試験の合否関係なくさすがに後味が悪すぎるので、正直に話して攻撃スイッチが入ってしまった場合の防御策も施しておく。

 そして、この後の試験で彼女が敵に回ることがないことを、この情報が自分の首を絞めることがないことを祈りながら、ようやく小部屋をソラと一緒に出る。

 

「ねぇ、ポンズ」

「今度は何?」

 

 しかし部屋を出て数歩でソラが立ち止まり、あろうことか自分たちを繋ぐ腕輪の鎖を引っ張ってポンズを引き留めた。

 さすがにちょっと引っ張ったくらいで切れる程脆くはないとわかっていても、鎖が切れかねない行動を取るソラに苛立った声を上げる。

 その苛立ちを気にせずソラは、前方の道を眺めながら言う。

 

「君、戦闘とかとにかくひたすら動き回って避けまくることに自信はある方?」

 訊かれて、ポンズの苛立ちがさらに増す。

 性別柄仕方がないとはいえ、本当にポンズは腕っぷしに自信がない。その所為で、何度もハンター試験に落ちた。

 歳は自分とそう変わらないとはいえ、ルーキーで3次試験までたどり着けた相手に言われたら、バカにされたと被害妄想してしまうのは無理もなかった。

 

「ないわよ! ないから、あなたみたいな天才とは違うから、蜂とか薬とかに頼ってるんじゃない!!」

「天才って初めて言われたなー」

 ポンズが怒鳴っても、ソラはやはりどうでもいいところに注目して、気にも留めない。

 

 気にも留めず、何の躊躇もなくソラはポンズを抱き上げた。

 所謂お姫様だっこの状態にされて、ポンズはポカンと呆気に取られる。

 

「……え? 何? この状況は?」

「んー、いやポンズにとって隠しときたかった手の内を話させちゃったのが悪いなーと思ったのがまず一つと、この先は罠だらけだからこうやって私一人で突っ走った方がたぶん一番いいじゃないかなという結論に達した」

 

 茫然としながら抱きかかえられたまま尋ねるポンズに、しれっと当たり前のように返すソラ。

 

「罠があるのはわかってるんだけどさー、具体的にどこにどんな罠かってわかるほど私の眼の性能は良くないんだよね。

 だから、このまま突っ切るからポンズは鎖を抱え込んでしがみついておいて」

「え!? ちょっ! 待っ!!」

 

 残念ながらポンズの懇願は最後まで言う事すら出来ず、彼女は生身の人間で絶叫マシーンを再現できるという事を知ってしまう。

 蜂避けのスプレーをふりかけておいて良かったと思いつつ、ポンズは言われた通り鎖を抱え込んだままソラの首に腕を回してしがみつき、自分の眼の前に跳び出て来ては紙一重で躱される槍や、間一髪で落ちてくる前に滑り込んだギロチン、蹴り砕かれる鉄球などに悲鳴を上げ続けた。




主人公組にソラをトンパの代わりに入れると、トラブルがほとんどなく進んでしまい、話として面白くない。
ヒソカやイルミと一緒だと、ソラは間違いなく一緒になった瞬間、壁や床を破壊して逃げる&ハンターのSS系でこの二人とトリックタワーで一緒になるネタが多いのでありきたりかなーと思った。

そんな訳で、彼ら以外にある程度キャラの性格がわかってて、なおかつ「誰得だよ!?」と思われないキャラクターは、彼女しかいなかった結果のポンズさんです。

なお、次回はソラとポンズの珍道中ではなく、主人公組の暇を持て余した50時間の雑談予定です。


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幕間:本人不在の争奪戦

3次試験は短くなりそうなので、特に意味はないが入れた雑談回。


 本や給水器、ポットにグラス、古びているがソファーまで用意された小部屋に閉じ込められて早数時間。

 

「あーぁ。おっさんじゃなくてソラだったら、こんなとこで足止めされずに済んだのに」

 

 もう何度目かわからないキルアの呟きにトンパの方はさすがに年の功なのかふてぶてしく無視するが、レオリオは「そのおっさんってのは、俺のことか?」と言いたげに顔を歪めつつも、50時間の足止めを喰らった最大の戦犯が自分であることは自覚しているため、「あー、はいはい! 俺が悪うございました!!」とヤケクソの謝罪を叫ぶ。

 

 お互いに飽きもしないで何度も行うそのやり取りに、ゴンは苦笑してクラピカの方は呆れる。

 

「けど、本当にソラがいたら良かったのになー。俺、まだソラとはあんまり話してないから、こんな時間があるならソラと話せるいい機会だったのに」

 苦笑してから、ゴンは天井を仰ぎ見てそんなことを言い出した。

 レオリオの失態を責めずむしろ好機だったと言える彼のピュアさは尊いが、レオリオからしたら責められるより辛いのか「……本当にすみません」と土下座で謝りだした。

 

「そもそも、ソラがいたらこの事態は起こらねーんじゃねーの?」と、レオリオの土下座をスルーしてキルアは言う。

 キルアとしてはソラがトンパの代わりにいたのなら、彼が即座にギブアップした相手にもソラなら普通に勝てるだろうと考えて、ストレート3勝していたという意味合いで言ったのだが、ゴンは違う意味で受け取ってまた苦笑する。

 

「あぁ。女の人の前でなら、さすがにレオリオもあの賭けで『男』は選ばないよね」

「選んでいたら、私がその場でレオリオを殺しているな」

 ゴンの言葉に、クラピカは真顔で断言した。そしてそのまま続けて、「というか、レオリオ。お前はソラと再会しても、彼女に話しかけるな。半径5メートル以内に近寄るな」と命じる。

 

「言われなくても、さすがに仲間に女がいたらしねぇよ! っていうか、5メートルってなんだよ、5メートルって! あの逆セクハラ女はこの程度で引くような奴じゃないだろ!」

 クラピカの真顔の断言にやや慄きつつも、レオリオは理不尽に思える命令に抗議して、クラピカの方はやはり盛大に勘違いされているソラの人物像に軽く頭痛がした。