リハビリシリーズーデレマス短編集ー (黒やん)
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レモンフレーバー《速水奏》

「アイドルにスカウトされたわ」

 

「は?」

 

思わず間の抜けた声が出てしまったが、それもそうだろう。朝、いつも通りに家を出ると何故かこいつが家の前にいて、その第一声がこれだったのだから。

 

「アイドルにスカウトされたわ」

 

「いや、それはさっき聞いた。……一応言っとくな、マジか?」

 

「マジよ」

 

先程と変わらない様子で肯定する目の前の女を見る。確かに美人と言える容姿であるのは間違いない。現に学校でもこいつのことを密かに狙っている奴はなかなか多いのだ。

ただ、アイドルにスカウトされるとなると首を傾げざるを得ないこともまた事実だ。どちらかと言えば女優やモデルと言われた方が納得してしまう。何故ならこの女、未成年のくせにやたらと大人の雰囲気を持っているというか、まぁ端的に言ってしまえば言動仕草共に狙ってんじゃねぇかと思うくらい色っぽいのだ。本人曰くOLに間違われたとか、ふざけ半分で酒を注文してみても何の確認もなく届けられたとかいうエピソードもあるらしい。

それにこいつ、笑う姿があまり想像出来ない。いや、微笑という意味ではなくアイドル的な笑顔の方だが。アイドルと言えば笑顔、とか誰かが言っていた気がする。同時に大天使ウヅキエルとかも聞こえたような気がするが、そちらはよくわからない。テレビあんまり見ないから仕方ないんだが。

 

「それで、俺にどうしてほしいんだよ」

 

「あら、素っ気ないわね。女の秘密を知ったんだからもう少しいい反応をくれてもいいんじゃない?」

 

「秘密って……お前が勝手に話したんだろうが」

 

「バレちゃった?」

 

「てへぺろじゃねぇよ可愛いなコンチキショウ」

 

「褒め言葉として受け取っておくわね」

 

チラリと舌を出したこいつに少しドキッとしてしまったのが悔しいので、適当に軽口を叩いておく。それすら飄々とした態度でかわされてしまう。ちくせう。

 

「はいはい、んなことよりさっさと行くぞ。遅刻しちまう」

 

「あん、せっかちね」

 

「お前本当に夜道にゃ気ぃ付けろよ? 日頃からそんなんだと知らねぇぞ」

 

「大丈夫よ。夜道を歩くときは護衛をつけるわ」

 

「だからってコンビニ行きたいって理由で夜中に起こさないでくれませんかねぇ……」

 

いや、切実に。風呂入って寝ようってタイミングで電話がくるから質が悪い。しかも頑固なもんだから反対意見が通った覚えがない。

 

「あら? 夜道に気を付けろって言ったのは貴方よね? なら責任を取ってもらわないといけないじゃない?」

 

「ぐっ……」

 

昔からこうだ。口でこいつに勝てる気がしない。そして勝てた覚えがない。

 

「ほ、ほら。そんなことより急ぐぞ。本当に電車が行っちまう」

 

「ふふ、そうね。それじゃあ行きましょうか」

 

口元に手をやりながらクスクス笑う我が幼なじみーー速水奏に少しイラッとしながら、俺達は駅へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ふぅ……」

いつもと変わらない朝。顔を洗い、コーヒーを胃に流し込んでからゆっくりと支度を済ませる。

結局あの後奏はアイドルになることを決めた。しかも何の偶然かラジオやらグラビアやらでトントン拍子に知名度を増していき、今日ライブデビューをするらしい。正直出来すぎな気がしないでもないが、それがあいつの才能だったのだろう。昔からなんでもそつなくこなす代わりに、熱中できるものを持たなかったあいつが夢中になれるものを見つけたのならいいことなのだろう。

 

用意が出来たので、少し早めに家を出る。ギリギリに出て遅れようものなら奏に何を言われるかわかったものではない。場所はそれほど遠くない文化ホールだ。大きいとも小さいとも言えない場所だが、それでも新人アイドルのデビュー場所には破格のステージなのだと、あいつは電話越しに話していた。

目的地に着くと、受付の人にチケットを渡して場所を確認し、中に入る。チケットと言っても大したものではなく、人数の確認と面倒事を無くすためのものだ。まぁ俺のは奏から送られてきたわけなのだが。

前から二番目のかなり見やすい席に腰を落ち着ける。意外と座り心地がいい。それに機嫌を良くしつつ、無料配布されていた小さなパンフレットに目を落とす。表紙に着飾った奏や他にも美人がプリントされたそれを見ると、少しだけ奏が遠い存在になったような気がした。

 

パンフレットを読み終え、スマホを弄っていると、突然大きな影が目の前に現れる。どうやらかなり長身の方が前の席になったらしい。

こればっかりは仕方がないと割り切り、スマホを弄り続けるが、少し様子がおかしい。前にいる人が一向に座らないのだ。それが気になり、ふと顔を上げてみると……そこには、厳つい顔の暗殺者然とした男がいた。

 

「…………」

「…………」

 

いきなりのことに何のリアクションも取れない俺。よくわからないが首に手を置いて目を泳がせる前の人。よくわからない構図が出来上がってしまった。むしろ叫ばなかった俺を褒めてほしい。それくらい怖い顔だった。

 

「……千川穣さんですか?」

 

やがてらちが明かないと思ったのだろうか、前の人が恐る恐るそう聞いてくる。

 

「あ、はい。そうですけど」

 

俺が肯定すると、前の人は心底安堵したように息を吐く。

 

「すみません、少し私についてきて頂けますか?」

 

「え?」

 

それだけ言うと、前の人はさっさと背を向ける。何が何だかわからずにそのままぼぅっとしてしまった俺だったが、前の人がある程度の距離を置いて不安げに俺を見ているところを見て、つい慌てて追いかけてしまった。

一体何だってんだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここです」

 

関係者以外立ち入り禁止の扉をくぐり、しばらく歩いていくと、前の人はとある扉の前で立ち止まってそう言った。

立ち入り禁止の扉を越えた辺りから何者だとは思っていたが、今こちらを向いた時に見えた名札ではっきりした。どうやらこの人が奏のプロデューサーだったらしい。

しかしながら、ここに俺を連れてきた訳がわからない。言っては悪いが俺はただの一観客である。関係者ですらない奴を呼んできてどうするつもりだろうか。

 

「彼女を、よろしくお願いします」

 

「え? ちょ……」

 

そうこう考えている間に、プロデューサーさんはどこかへと立ち去っていく。開演前で忙しいのだろうが、せめて俺をここまで連れてきた理由を教えて欲しかった。

そんな思いで扉を見ると『速水 奏』と書かれてある。隣には『鷺沢 文香』や『北条 加蓮』と書かれている扉もある。どうやら今日ライブをする奏以外のアイドルもここに集まっているらしい。そして奏の楽屋の前に連れてこられたことで何となく理由に察しがついた。多分いつもの悪ふざけだろう。今頃俺が戸惑っているところを想像してクスクス笑っているに違いない。

そんな想像をぶち殺すとばかりに奏の楽屋をノックする。空いていると小さな返事が返ってきたのと同時に、楽屋の扉を開け放った。

 

開け放った先には、パンフレットに写っていたのと同じ衣装で着飾っている奏が目を丸くして座っていた。

予想していた反応と違うことに少し面食らうが、恐らく奏の演技だろうと判断した。

 

「…………」

 

「お前なぁ、あんまりプロデューサーさん困らせんなよ? 俺を呼び出すなら直接連絡するとかーー」

 

そこから、俺は言葉を繋げることができなかった。奏が抱きついてきたからだ。普段ではあり得ない奏のその行動に俺は即座に対応出来ずにされるがままになっていた。

 

「か、奏……?」

 

「…………」

 

ようやく処理を再開した俺の脳に、視覚情報が伝えられる。奏は震えていた。そのせいか、元より頭一つ半ほど小さい奏がもっと小さく見えてしまう。

しばらくどうすればいいかわからなくて、両手を宙に遊ばせていたが、覚悟を決めて片手で奏を抱きしめ、もう片方の手を頭に置く。小さくびくりと体を跳ねさせたが、奏はそのままそれらを受け入れる。

 

「大丈夫だ」

 

俺が掛けられるのはその一言だけだ。アイドルとしての『速水奏』の努力を俺は知らない。だけど、今までの『奏』の頑張りを俺は知っている。だから、大丈夫。それだけを伝える。

 

「……ふふ」

 

絹のように艶やかな髪を手櫛で鋤いていると、奏が小さく笑みをこぼした。

 

「不思議ね。ついさっきまで今ここにいるのが『速水奏』なのかわからなかったのに。貴方にこうされるだけでここにいるのは『速水奏』で、ただの『奏』だって思えるのだもの」

 

「お前は基本的に背伸びしてるだけの寂しがり屋だからな」

 

「そうね。確かにその通り。少しは成長した、って思っていたのだけれど」

 

そう言うと、奏は体勢はそのままに顔を上げる。潤んだ瞳と、上気した頬が奏の女としての魅力をこれ以上ないくらいに振り撒いていた。

 

「ねぇ、証をちょうだい? ここにいるのは私だと、何の疑いもなく信じられる証を。私に、刻んで」

 

どちらからともなく、互いの顔が近付いていく。そして後少しで一つになる、その直前に、奏の出番を告げるノックが響いた。

 

「……あら、お預けみたいね」

 

「……危ねぇ。完全に雰囲気に呑み込まれてた」

 

「ふふ、いけず」

 

先程までの空気を払拭するかのように軽口を叩き合う。クスクス笑う奏の震えは、もう完全に止まっていた。

 

「なら、これから魅せてあげる」

 

「?」

 

「私の輝き。後になってさっきのこと、後悔してもしらないから!」

 

扉の向こうへと消えていく直前、奏が見せたのは、もう久しく見ていないだろう年相応の、奏本来の笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

家に着くと、俺は即座にベッドの上に身を投げ出す。思い返すのは今日のライブだ。

奏は確かに輝いていた。今日のライブは他でもない奏のライブだったと言えるくらいに。終わった瞬間に反応する者は誰もいなかった。否、体を動かすことを許されなかったと言ってもいいだろう。数拍の後、万雷の拍手と歓声が奏の上に降り注ぐ。それを成功と言わないでどうするのか。

奏が居場所を見つけたことに安堵すると同時に、胸にチクリと走った痛みは何だったのだろう。ぼうっと天井を見つめながらそんなことを考える。依然として答えは出ない。

 

ピン、ポーンとチャイムが鳴る。正直立ち上がるのも億劫な状態だったが、仕方がない。宅配便などだった場合、後で苦労するのは自分なのだ。

無気力に返事をしてドアを開けると、そこにいたのは奏だった。

 

「……来ちゃった」

 

「いや、来ちゃったってお前」

 

普通に考えればあり得ないタイミングである。確かにあの後からかなりの時間が経っており、もう数分で日付が変わるような時間ではあるが、ライブが終わったのは午後8時だ。後片付けやら何やらを考えればこいつがここにいるのはおかしい。

 

「お邪魔するわね」

 

そう言って奏はずんずんと家に入ってくる。半分諦めを交えて、俺は静かに扉を閉めた。

 

 

 

 

「で? お前なんでここにいんの? 片付けやら打ち上げやらあったんじゃねぇの?」

 

「つれないわね。楽屋の時の情熱的な貴方はどこに行ったの?」

 

「それを言うな」

 

正直あの時の俺をぶっ飛ばしたいまであるんだから。

 

奏はふぅと息を吐くと、俺のベッドに腰掛ける。その際近くに置いているクッションを抱えるのを忘れない。奏が家に居座る時のお決まりのポジションだ。

 

「片付けは思ってたより早く終わったの。打ち上げは後日になったわ」

 

「お前が後日がいいとか言ったんじゃないだろうな?」

 

「あら、よくわかったわね」

 

案の定やりやがってましたよこのバカは。

 

「あのなぁ……打ち上げってのはその時のテンションそのままにやるのが一番楽しいんだぞ?」

 

「それくらい、私だって知ってるわよ」

 

「なら……」

「そうね、多分ーー」

 

俺の言葉を遮って、奏が話を続ける。クッションに顔を埋め、少し楽しそうに俺を見、続きを口にする。

 

「穣に、会いたかったからかしらね」

 

次の瞬間を、俺は良く覚えていない。気付けば奏をベッドに押し倒して顔の横に手をついていた。所謂床ドンの体勢だ。

クッションがテーブルにぶつかり、その上にあったカップやらなにやらが音を立てる。我を失ってしまった自分を恥じると同時に、文字通り目の前で目を丸くしているお姫様に苦言を呈しておくことにした。

 

「ーーあのなぁ、前から言ってんだろ? 言動には気を付けろって」

 

今の俺が言っても仕方がないが、それでも言わずにはいられなかった。

 

「いつか本気で勘違いする奴が出ても知らねぇぞ」

 

そう言うと、奏は目をぱちくりとさせ、やがていつものクスクス笑いを始める。もう一度強く言おうとした俺の唇を、奏の指が押さえた。

 

「知ってる? シンデレラの魔法は12時になると解けてしまうの」

 

そのまま奏は俺の首にするすると腕を巻き付ける。俺はそれをただ見ていることしか出来なかった。目の前の奏に見とれてしまっていたのだ。

 

「だから今の私は……ただの、奏よ」

 

衝撃。そして、唇が何かに重なる。言うまでもなく、奏の唇だった。啄むような、なのに熱い。そんな繋がり。

何秒経っただろうか、脳の処理が追い付いていない俺を他所に、奏が唇を離した。

 

「ん……ふふ、レモンの味」

 

ペロリと自分の唇を舐める奏。それを見た俺はようやく我に帰る。

 

「なっ、ばっ、お前……!?」

 

「あら、不満?」

 

そうじゃない。そうじゃないけど、こう……こう!

上手く言葉に出来ない上に口が仕事を果たしてくれない。もどかしさばかりが募る中、奏が再び口を開いた。

 

「だって貴方、手を離したらいなくなっちゃいそうなんだもの。本当は捕まえていて欲しいのだけど……ふふ、離さないようにするのも悪くないわ」

 

いつの間にか、奏と隣り合って寝ているような体勢になっていた。ベッドの上に奏の髪が広がる。

 

「それに私、そんなに軽い女じゃないの」

 

二度目。今度は一瞬だけだった。

 

「どちらかと言えば、重い方よ」

 

「奏……」

 

ゆっくりと奏は俺との距離を詰める。ここまで来て、俺もとやかく言うほど馬鹿ではない。逆に奏の首筋に手を寄せ、ゆっくりと引き寄せる。

奏は少しくすぐったそうな表情をしたが、すぐに赤くなった顔に戻る。潤んだ瞳が色っぽい。そしてそんな奏がどうしようもなく愛しく感じた。

 

「ふふ、ねぇ。もっと、もっと。私を愛して……?」

 

返事はいらない。三度目のキスは、奏の味がした。



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クローバーと霞草《鷺沢文香》

本は、世界を内包している。

そんな言葉をどこかで聞いたことがあるような気がする。それではその本に囲まれたこの場所は差し詰め宇宙やら銀河、はたまた神の領域とでも言うべきなのだろうか。ここで働いてもう一年は経つというのに、俺は何度もそんなことを考えてしまう。

なぜならここ、『鷺沢書店』は人が来ない。大学から近いからという理由でアルバイトに来たのはいいが、こうも暇だとつい思索に耽ってしまうのもまた事実だ。しかしながら、額もそれなりでなおかつ本を読み放題調べ放題という文学部の俺からすると理想的な環境を放り投げることなど出来ず、なんやかんやでしっかりとバイトを続けているのが現状だったりする。

パタンと分厚い本を閉じる。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だ。かなり時間がかかったが、今日ようやく読み終わった。何の根拠もないが、少し自分が賢くなったような感覚がある。その感覚に満足しつつ、俺は見回りついでに新たな本を探しに向かう。

次は何を読もうか、トルストイの「戦争と平和」にでも手を出してみるべきだろうか、いや、一度オスカー・ワイルドとかにも挑戦してみるのも悪くない。はたまた日本に戻って森鴎外や夏目漱石などのメジャーな本を読んでみようか。そんなことを考えながら棚の間をするすると抜けていく。そして入り口近くの棚にあった本が少しはみ出ていたのを発見し、踏み台に乗ってそれを直す。直し終えたのとほぼ同時に客の来店を告げる鈴がなった。振り向くと、そこには大きなキャリーケースを持った、どこか儚げな女の子がいた。

 

「いらっしゃいませ」

 

「……あ、と……はい、すみません」

 

いや、謝る必要性はわからないが。ともかく客だ。しかも新規の。ここには客が来ない、ということこそないもののほとんどがご年配の固定客か課題で切羽詰まった学生ばかりなので、こういった普通の若い人が来るのはかなり珍しい。今はまだ入学シーズン前なので新天地で店の発掘でもしていたのだろうか。

と、まぁ、いつまでも俺がここにいても迷惑だろうと踏み台を片付けに店の奥に行こうとする。

 

「あ、あの……」

 

しかし、それは今入って来た女の子の声によって止められた。

 

「はい、どうしました?」

 

「えっと、あ、いえ……すみません、その……」

 

営業スマイルを向けながら振り向くが、即座にさっと目を逸らされた。どうやら人付き合いが苦手らしい。……俺の顔が見るに耐えなかったからではないと信じたい。

しかし良く見れば前髪が長い。完全に目が隠れてしまっている。顔の輪郭や見えているパーツを見る限りはかなり整っているのに勿体ないと、女の子に知られればドン引き間違いなしなことを考えながら、俺は彼女の言葉を待った。

 

「ここは……鷺沢書店でよろしかったでしょうか……?」

 

「はい、そうですよ」

 

「……あの、叔父様は……」

 

「叔父様?」

 

おじ様というか、この書店にいる俺以外の人物と言えば店長しかいないんだが。しかしこの女の子との関係性がわからない。本でも予約していたのだろうか。

俺がそんな風に考え込んでいると、彼女は何かに気づいたようにオロオロし始める。

 

「あ、いえ、すみません……それだけでは……あの、私、鷺沢文香と申します」

 

「鷺沢って……え? 店長の娘さん?」

 

「……えっと、姪です……」

 

そういやさっき叔父様って言ってたっけか。

 

「えっと、悪いけど今店長いないんだ。もう少ししたら帰ってくると思うけど……」

 

「……そうですか……どうしたものでしょうか……」

 

そう。店長は今いない。あの人はたまにふらっと出ていっては本を抱えて帰ってくるのだ。本を売る立場の人間が本を漁りに行くって……と思う時もあったが、さすがに一年くらい経つと慣れたものだ。というかあの人そのためにバイトを採用しているんだと思う。

 

「普通に上がって待ってたら? このまま奥に行けば直接店長の家に入れるし。ただ待つのが暇なら適当に本を持って行けばいいよ」

 

「え……? いえ、それは……」

 

「はいはい、遠慮しない遠慮しない。個人営業なのに店空ける店長が悪いんだからさ」

 

「あ、う……はい、わかりました……」

 

オロオロする彼女の荷物を引き、半ば強引に彼女を店長の家に上げる。そして俺は適当に本を引き、店番に戻る。

 

結局、店長が帰って来たのは俺の勤務時間を遥かに越えた、午後9時になったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「先輩」

 

あれから半年ほどが過ぎ。鷺沢が俺の後輩だと判明したり、店長が相変わらず自由人だったりと忙しい日々を送っていたが、俺の日常に変わりはない。強いて言うなら鷺沢が俺のことを先輩と呼ぶようになったことくらいだろうか。

すぐに判明したことだが、鷺沢はどうにも世間一般で言うコミュ症、というやつらしい。半年に渡って結構顔を合わせている俺にすら三回に一回は目を合わせて話せないという始末だ。流石に店長ですら無理、ということはなかったが。

ともあれこのままでは日常生活に支障が出るということで、店長が俺に鷺沢のコミュニケーション相手を頼んできた。あまり他人が立ち入ることではないと始めは断ったのだが、時給アップの誘惑に負けてしまった。仕方がないだろう、下宿生は色々辛いのだ。

 

「……先輩」

 

それでも大分マシにはなったのだ。当初は何を話す前にも謝るという鷺沢の奇癖を矯正し、初対面の人間にも事務的な受け答えならば出来るようになった。「……書を読んでいられれば……」とか言っていたことを考えれば大きな進歩である。

 

「……むぅ」

 

「ん? 鷺沢?」

 

肩を控えめに叩かれ、振り返ってみると案の定鷺沢がいた。不思議なことに少し膨れているようだ。珍しい。

 

「……呼び掛けても、返事を……もらえなかったものでしたから……」

 

「悪い、考え事してた」

 

「……そう、でしたか……」

 

「それで、どうしたんだ? 何か用事か?」

 

言っては悪いような気もするが、鷺沢は基本的に受動的な人間だ。これからどうなるかはわからないが、今は自分から何の目的もなく他人に話しかける姿が想像できない。

 

「はい……叔父様から……今日はアルバイトは休みだ、と……」

 

「また書店漁りに行くのか……」

 

「……そのようです」

 

実は店長、鷺沢が来てから少し自由人具合はなりを潜めている。アルバイトに責任を投げ捨てるなど言語道断、良識のある大人ならばそれに見合った誠実な行動を、と来た初日に鷺沢にガチで説教されたらしい。俺は店長が帰宅するのと同時に上がったので詳しくは知らないのだが。

そしてそれ以降は書店漁りをするときはこうして休みにしていたりするのだ。書店漁り自体をやめない辺りぶれないなーとは思うのだが。

 

「うん、わかったよ。わざわざありがとうな」

 

「いえ……」

 

そのまま今日は用事も無いので卒業論文の題材探しに図書館に向かおうとする。たが、それは袖に弱い引っ掛かりを感じたことで妨げられた。鷺沢が俺の服の袖をちょこんと握っていたのだ。

 

「どうした?」

 

「その……お時間があればでいいのですが……」

 

もじもじと服の裾を弄りながら、鷺沢は元々小さな声をさらに小さくして話す。それでも俺のことは離さない辺り、よっぽど重要なことなのだろう。彼女が多少なりとも我を通そうとする様子はかなり珍しいのだ。

静かに、彼女が話すのを待つ。この半年で培った対鷺沢専用スキルだ。彼女は彼女で自分が口下手なのは自覚しているので、出来る限り言葉を選ぼうとする。俺にできるのはそれを待ってしっかり聞くことだけだ。

 

「……私に……付き合って頂いてもよろしいでしょうか……?」

 

相当勇気を振り絞ったのだろう、白かった顔を真っ赤にして。相当不安なのだろう、普段は隠れている瞳を潤ませて。そんな鷺沢を見て、誘いを断ることなどできるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その後、余計な荷物は置いていきたいということで、鷺沢書店の前まで来た。鷺沢はここに住んでいるために当然なのだが。鷺沢が中に入り、俺は外で待つ。11月も目前に近づき、風は冬を告げるように冷たくなっていた。

時折中から「違います……!」やら「叔父様……!」などという声を聞きながら待つこと10分ほど。準備が完了したらしく、ドアが鈴の音と共に開いた。

 

「あの……すみません、お待たせ……いたしました」

 

恐る恐るといった様子で出てきた鷺沢は、ニットワンピース姿で、大胆に肩を露出していた。これだけでもかなり破壊力が高いのだが、なんと鷺沢は髪止めを使って普段は隠れてしまっている目を出していたのだ。いつもと全く違う鷺沢の姿に、恥ずかしながら俺は見とれてなにも言うことができなかった。

 

「……あの、あまり見つめられると……恥ずかしいのですが……」

 

「あ、ごめん」

 

「いえ……こちらこそ、お見苦しいものをお見せしてしまい……」

 

今の彼女が見苦しいのならば、世の中の大半のものが見苦しいものになってしまうと思うのだが。

 

「叔父様が……出かけるのならば、と強引に……」

 

「鷺沢」

 

「はい」

 

「似合ってるよ。可愛い……は違うか。すごく、綺麗だ」

 

俺がそう言うと、鷺沢は顔を真っ赤にして縮こまってしまう。普段言われなれていない言葉を言ったせいだろうか、鷺沢はあわあわとしてしまっていた。

このままでは長い時間をここで潰してしまいかねない。そう思った俺は鷺沢の手を取り、歩き出す。この際だ、恥ずかしさは二の次にしてしまおう。

 

「え……? せ、先輩……?」

 

「行きたいところ、あるんだろ? なら早く行こう。時間を使うならそこで使った方が楽しいだろ?」

 

「……はい、そうですね」

 

鷺沢が落ち着いたところで手を離す。だが、鷺沢の方は少し不安なのか、手ではなく上着の裾を掴んで半歩後ろを着いてくる。本来なら前に立って道を示すところだが、何とも鷺沢らしいと言うべきか。

角を曲がったりするたびにクイと弱く裾を引き、「……右へ」と言う鷺沢は、何と言うか小動物のように見えた。

 

 

 

 

「……ここです」

 

結局電車を二本ほど乗り継いで、辿り着いた場所は書店だった。これまた鷺沢らしいチョイスだ。

かなり大きく広いものの、屋号を見るにどうやら個人経営のようだ。小さめの規模な鷺沢書店が二つ半は入りそうな書店だったが。

 

「広いな」

 

「はい……その分、書の揃いもよくて……最近はよく、ここで書を購入しています……」

 

「で、向こうに見えてる喫茶店でそれを読む、か」

 

「はい……」

 

何でわかったのか、というように目をぱちくりとさせる鷺沢。流石に半年も付き合いがあればそれくらいはわかるというものだ。

 

「なら、今日も後で寄っていくか?」

 

「……良いのですか?」

 

「全然構わない。俺も何か買うだろうしな」

 

「では……お言葉に甘えます」

 

硬い話し方だが、本心では嬉しいのだろう。口元には小さく笑みを浮かべていた。そして催促するかのようにクイクイと袖を引いてくる。顔を見れば彼女がワクワクしているのは十分にわかった。何度も来ているらしいのだが、本好きなのは血筋なのか。付き合いの短い者にはわからないだろうが、本が絡むと彼女は実に豊かな表情を見せる。

 

書店の中に入ったところで二手に別れる。鷺沢は何故か少し残念そうにしていたが、俺が今から行くのはラノベのコーナーだ。今まで鷺沢が純文学以外の本を手に取っているのを見たことがないため、あまり興味のない分野なのだろう。実際鷺沢はすぐに純文学のコーナーへ向かって行った。

……しかし、歩いている時から感じてはいたが、鷺沢が物凄く周りに、特に男性の視線を集めていた。まぁ目を出した彼女は本当に美人と言えるので仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないが。何せ、本人が一切興味を持っていないためにメイクなどを全くしないのだから。それでこの注目され具合なのだからとんでもない素材を持っている。

だからだろう。希望なんてないのに、こんな悪い虫が引かれてしまうのだ。

 

「……先輩」

 

「ん? ああ、欲しいものはあったか?」

 

「はい」

 

声をかけてくれた鷺沢の手には、都合三冊の小説があった。タイトルを見る限り、ミステリー、純文学、恋愛小説のようだ。

 

「意外だな。鷺沢でも恋愛小説読むんだ」

 

「……私とて、一介の女性の端くれです」

 

少しむくれる鷺沢に、慌てて謝る。こう見えて彼女は拗ねると中々機嫌を直してくれなくなるのだ。今回は早めに謝ったおかげか、すぐに機嫌を直してくれたが。

 

「私からすれば……先輩がこのような本を読む、ということの方が意外です」

 

このような本とは勿論ラノベのことだ。

 

「そうか?」

 

「はい……初めてお会いした時より、トルストイや徳田秋声を読んでいらしたので……」

 

「雑食だからな」

 

俺は特にジャンルには頓着しない人間だ。読むか読まないかの区分けが、読んでいて面白いかどうかという簡単な理由なので、ストーリーや描写がしっかりしていれば大抵のものは最後まで読む。その分評論や批評文が苦手になっているのだが。

 

「鷺沢はこういうのは読まない人か?」

 

「いえ……最近知人に薦められまして……」

 

読むのか。あまり想像は出来ないが。

そう考えていると、鷺沢はぱっと一冊の本を取る。それは俺も読んでいるラノベの一つであった。よくある学生間の人間関係を描いた作品だが、心理の描写やストーリーの展開が巧くて続きが楽しみになるシリーズだった。

 

「確か、これです。まだ触りだけしか読んでいませんが、惹き付けられる作品に感じました……」

 

「ああ、俺も読んでる。主人公の心理描写が細かく書かれてて面白いんだよな」

 

「ふふ……私と同じ、ですね……」

 

何かが彼女の琴線に触れたのか、鷺沢は珍しく声を出して笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「…………」

 

互いに、何を言うでもなくただページを捲る。周囲の客達の話し声と、時々飲み物に手を伸ばした時に立てる音だけが、俺と鷺沢の間に響いていた。

沈黙が続いてはいるものの、別に気まずい訳ではない。むしろある種の心地よい空間が広がっている状態だ。人といても本を読んでいれば快適だとは、ある意味俺も鷺沢や店長に染められたのかもしれない。

ふと本から目を上げれば、赤い表紙の……先程買っていた恋愛小説を読んでいる鷺沢が。他の人からすれば本くらい買ってやれと思うかもしれないが、鷺沢はそうするといっそう過剰なまでに縮こまってしまうため、一度そうしてからは俺が買ってはいない。その後に本を読んでいた時もちらちらと俺の方を気にしていて、本に集中できなさそうだったからだ。

 

「…………」

 

ほぅ、と息を吐き、鷺沢が本を閉じる。店に入って既に四時間ほど、鷺沢は買った四冊ーーあのラノベも後で加えていたーーを全て読破できたようだ。

 

「鷺沢、飲み物は?」

 

「……あ、えと……自分で……」

 

「手間は変わらないさ」

 

「……ならカフェオレをお願いします」

 

「わかった」

 

幸いここはカフェオレ、もしくはブレンド、ホットティーならばおかわり自由だ。鷺沢が縮こまってしまう心配はない。

カフェオレとブレンドを淹れ、席に戻る。彼女は頭を下げてカップを受け取り、ちびちびと飲み始める。

 

「満足はできたか?」

 

「はい……やはり、書を読んでいる時間は、落ち着きます」

 

「後はもう少し友達を増やせたらな」

 

「その台詞……以前、叔父様にも言われました」

 

少し慌てるように目を逸らす鷺沢。どうやらまだ対人関係は改善の余地があるようだ。

 

「……それでも、以前に比べると……大分、他者の方々と話せるようには、なったと感じます」

 

「確かにそうだ」

 

「……先輩の、おかげです」

 

両手でカップを弄りながら、彼女はそんなことを言う。面と向かってお礼を言うのが恥ずかしいのか、頬をほんのりと桜色に染めていた。

 

「俺はただ手伝っただけだ。話せるようになったと言うなら鷺沢の力だよ」

 

「ですが……」

 

「いいんだよ、それで。元々お前が自分からそうしようとしなければ改善なんて出来るはずがない。だけどお前は少しずつだけど他人に歩み寄れている。それは誰が何と言おうがお前の、お前自身の頑張りの結果だよ。俺の微々たる助力が役に立ったというのなら、俺は嬉しいかな」

 

そう言うと、鷺沢は何故か顔を真っ赤にして俯いてしまった。ちらちらとこちらを伺っているが、目が合うとすぐに目線を下に移してしまう。

 

「……先輩は、甘いです」

 

「甘い?」

 

「あ、いえ……甘やかしてくれる、という意味で……」

 

「そうか? 結構厳しめに接していたはずだが……」

 

鷺沢に俺と一緒に会話に入らせたり、その後にトイレに行くふりをして鷺沢だけを残したり。不自然にならないくらいには鷺沢に話をふったり、少しばかりではあるが鷺沢を弄ってみたりもした。周りの奴らが何故かニヤニヤしていたのに無性に腹が立ったのだが。まぁ野郎どもは後々サークルやら授業でのスポーツやらで文字通りへし折ったので気にしないことにしたが。

 

「……私は……甘いものは……好き……なほうです……」

 

「……えっと」

 

「…………」

 

沸騰してしまうのではないか、というくらい顔を真っ赤にさせて、今度こそ俯いたまま動かなくなってしまった。かく言う俺も、きっと今までにないくらい顔が火照っているのだろう。先程まで少し肌寒く思っていたのに今はあつくて仕方がない。

今の言葉を俺に都合よく取ってしまうことは簡単だ。だが、あの鷺沢のことだ。単にお礼を言うつもりがあんな風になってしまったということは十分にあり得る。それを俺が曲解して、勘違いして、鷺沢を傷つけてしまえばどうなるか。

間違いなく、鷺沢が今後他者と接しようとすることはなくなるだろう。

それでは、あまりに鷺沢が報われない。それだけは、あってはならないのだ。頑張っている者が報われないなどということは、出来る限り少ない方がいいのだから。

 

「鷺沢」

 

「ひゃい!?」

 

びくりと肩を跳ねさせ、恐る恐るこちらを伺ってくる鷺沢。珍しい姿が見れたと共に、その姿に思わず笑いが込み上げてくる。

 

「……わ、笑わないで……欲しいです……」

 

「悪い悪い。つい、な」

 

何とか、気まずさは振り払えたらしい。鷺沢も恥ずかしさに目を泳がせてはいるが、先程のように動けないほどではない。

これでいい。俺達の関係はこれでいいんだ。

 

「ああ、そうだ。鷺沢、ほら」

 

空気が変わったついでに、今日の目的を果たす。10月末の今日。この日が何の日か、きっと彼女は忘れているだろうから。

 

「……これは」

 

淡い水色の包装紙に、少し濃い青のリボン。明らかに贈り物用の飾り付けに、それを受けとる理由がわからないのだろう、鷺沢はただただ疑問符を浮かべている。

 

「プレゼントだよ」

 

「プレゼント……?」

 

「やっぱり忘れていたか」

 

予想通りの反応についつい笑みがこぼれてしまう。鷺沢の方は本当にわかっていないらしく、こてんと首を傾げていた。

 

「今日は何月何日だ?」

 

「10月27日ですが……」

 

ここまで言ってもわからないのだ。いっそ清々しいくらいに自身に頓着しない性質である。

 

「誕生日おめでとう、鷺沢」

 

「あ……」

 

ようやく気付いたのだろう、かぁっと頬が染まる。辿々しく礼を言うと、ちらと俺を見てきたので、首肯で答えた。すると、鷺沢は丁寧にリボンと包装紙を解き始める。

中身は、霞草が描かれたブックカバーだ。

 

「…………」

 

「鷺沢に喜んでもらえるプレゼントっていうと本しか思い付かなくてな……。かと言って本なら鷺沢は大抵読破していただろうし。こんなものしか思い付かなくて……って鷺沢!?」

 

何故か無性に恥ずかしくなり、それを誤魔化そうと話していたのだが、突然鷺沢がポロポロと涙を落とし始めてしまった。何か不備でもあったのか、と慌てる俺に、彼女はふるふると首を横に振った。

 

「どうした鷺沢!? 気に入らなかったか!?」

 

「い、え……違い、ます。その……そうで、はなくて……違、くて……」

 

ーー嬉しくて、です……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……その……申し訳ありませんでした……」

 

「いや、いいさ。少しびっくりしたけどな」

 

あの後、鷺沢が落ち着いたところですぐに店を出た。少し騒いでしまったため、その場に居づらくなってしまったのだ。結局鷺沢書店に戻って来て、今は店の奥にある居住スペースの鷺沢の部屋でお茶を飲んでいた。

鷺沢の部屋はベッドと本棚に小さな勉強机、後は申し訳程度の小さなソファーとミニテーブルがあるだけのシンプルなものだ。床にはカーペットが敷かれているが、それも毛足の短いものだった。

初めて入った鷺沢の部屋だが、何とも鷺沢らしい。

 

「……先輩は」

 

「ん?」

 

ミニテーブルに向かい合って座っていた鷺沢が、こちらを見て口を開く。

 

「霞草の花言葉を、ご存知だったのですか……?」

 

「花言葉? いや、悪いが知らない。あまり花を送る機会なんぞなくてな」

 

妹が熱心に調べていたことがあったが、俺自身はあまり興味を持てなかった。今回のプレゼントも、白地に淡く描かれていた色合いが鷺沢に似合うと思って購入しただけなのまから。

 

「花言葉が何かあったのか?」

 

「はい。……では、花言葉の外の意味も……」

 

「知らない。どんな意味だ?」

 

流石にそう言われると気になってしまう。そう思って鷺沢に問うが、彼女は悪戯めいた微笑を浮かべるだけだった。

そして彼女は席を立ち、机の近くに置いてあった小物入れを開ける。何かを探しているようだが、ここからは角度のせいで何をしているのかわからなかった。

しばらくして、何かを大事そうに両手で握り、戻って来る。そしてそれを丁寧に俺の前に差し出した。クローバーの栞だった。

 

「栞?」

 

「はい。……拙いながら、自作しています。返礼……というわけではありませんが、先輩……秀磨さんに受け取っていただけたら、と……」

 

何故か不安そうに、俺を上目で見ながら彼女が言う。名前で呼ばれたことに少しドキリとしたが、それは表情に出さないように努めた。誕生日プレゼントに返礼とはおかしな話だが、それで鷺沢が満足するならいいのかもしれない。そう思って礼を言うと、これまた何故か鷺沢はほっとしたように息を吐いていた。

 

「……そう言えば、クローバーにも花言葉ってあるのか?」

 

「はい」

 

「教えてくれないか?」

 

「……秘密、です」

 

そう言って微笑む鷺沢は、形容しがたいくらいに美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーという、夢を見た」

 

「……また、懐かしい夢ですね」

 

俺がそんな話をすると、彼女は懐かしそうに目を細めながら微笑する。確かに懐かしい話だ。何せ三年前の話になるのだから。

 

クローバーの栞を受け取ってから一年ほど経ったころだったか。あの日から俺の、俺達の日常は一変した。きっかけは、我が妹からの電話だった。

 

『もしもし』

 

『お、おおおお兄ちゃん!?』

 

『蘭子か? 珍しいな、お前が普通に話しているのは。いつもは《我が血を分けし眷族よ》とか言ってくるのに』

 

『そんなことより! どういうこと!?』

 

『何がだ!?』

 

『テレビ! テレビつけて! 早く!』

 

『いや、俺は今バイト中なのだが……』

 

『いいから早く!』

 

蘭子の勢いに飲まれ、近くで話が漏れ聞こえていたのだろう、仕方ないという店長と共に居住スペースに上がる。先日彼女が購入していたテレビをつけると、そこに当の彼女が映っていたのだ。

《シンデレラガール鷺沢文香、電撃告白!》とテロップが出ていたのだが、それを見た時には彼女は一礼して退出していたので何を言ったのかはわからなかった。

 

『わかった!?』

 

『いや、知り合いがテレビに出ていたことに驚いたが』

 

『そうじゃないよ! いい、お兄ちゃん!』

 

 

 

 

 

『お兄ちゃんは! 文香さんに! 告白されたの!』

 

 

 

 

 

その後しばらく絶句してしまったのは仕方のないことだと思う。我が妹の言うことには、破竹の勢いで僅か一年という短期間でシンデレラガールというトップアイドルの賞を取り、その受賞の記者会見で彼女が俺に告白したらしい。

正直に言おう。その時の俺の許容量を軽くオーバーしていた。

 

結局全てがはっきりしたのは彼女が戻って来てからで、ついストレートに聞いた俺に彼女が小さく頷いた時であった。

 

 

「あの時は本当に混乱したなぁ」

 

「あまり……そのことは言わないでいただければ……」

 

あの時は彼女も混乱していたらしく、「気持ちは伝えたいけど直接言うのは無理」、「なら間接的に言おう」、「皆が見るなら秀磨さんもみるだろう」という考えであんなことを仕出かしたらしい。まぁ当時の俺は勝手に諦めていた状態のヘタレだったし、そうでもされなければ何のリアクションも起こさなかったのだろうが。

それを店長に指摘されて真っ赤になってあわあわしていたのは今やいい思い出だ。

 

「私も……必死になって、いましたから」

 

「いやまぁ……悪かったよ」

 

ソファにゆったりと座っている彼女の髪を撫でる。普段に比べて少し艶は薄いものの、サラサラと流れる髪だ。彼女も俺の手を気持ち良さげに受け入れてくれている。

 

「……そろそろ、昼だな」

 

「作ります」

 

「いや、いい。俺が作るよ。あまり動くな」

 

立ち上がろうとした彼女を、そっと押し止める。何かがあってからでは遅いのだ。もう彼女だけの身体ではないのだから。

 

「……すみません」

 

「こんなときは謝るんじゃなくて、別の言葉の方が嬉しいかな」

 

「……ありがとう、ございます」

 

控えめにはにかむ彼女の頭をもう一度撫で、俺は台所に向かう。もう住み慣れた、鷺沢書店の居住スペース。店長こそ実家に戻ってしまったが、直に一人、住人が増える。

ふと、彼女に目を向ける。いつものように本を読みながらも、大きくなったお腹に慈愛の目を向けていて。ただそれだけの日常が、何よりも愛しく思える。

調理を終え、器に盛る。それを持って、彼女の側に向かった。

 

「ご飯にしようか、文香」

 

「はい……あなた」

 

本を閉じ、テーブルに置く。霞草のブックカバーから、クローバーの栞が顔を出していた。

 

 

あなたに出会えたことに、心からの感謝を送ろう。

あなたが私と共にいることが、何よりも幸福だから。

 




・袖をちょんとつまむ

かわいい(確信

・肩出しニットワンピ

かわいい(確信



・恋愛小説、ラノベ

ちょっと過激な描写を真っ赤になって見てるふみふみを幻視


・蘭子

やみのま!


・クローバーと霞草

花言葉を参照


・お腹の大きいふみふみ

一体ナニがあったんだ……


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大人なこども《高垣楓》

事務所の廊下を、少し早歩きで進む。本当は走りたいところではあるのだが、それで怪我をしてしまっては仕方がない。

心が逸る。焦りだけが募る。こうしている内に俺の大事なものが消え去るかもしれないのだ。それだけは許せない。それだけは認めない。

幸い、犯人はわかっている。所在も先程後輩に聞いたばかりだ。移動している可能性は低い。後は時間との戦いなのだ。

目的地の扉を勢いよく開ける。開口一番、見知った背中に怒声をぶつけた。

 

「このカレー炒め、凄くかれー……ふふ」

 

「毎回毎回人の弁当パクってんじゃねーぞ楓ェ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛い……」

 

「自業自得だアホ」

 

頭を抑えて涙目なこいつを見て、ため息を吐く。この一週間毎日弁当をパクられてきたのだ。ハリセンでしばくくらいは許容してほしい。

そして案の定、箸で半分に切られた卵焼きくらいしか残っていなかった。それを手でつまみ、口の中に放り投げる。……もはや昼休みも時間が残されていないため、これが俺の昼飯だった。

 

「で、何か言うことは?」

 

「? えっと……ごちそうさまでした?」

 

「何真顔で言い切ってんだ」

 

「あたっ」

 

ある意味いつも通りなこいつに呆れるが、まぁいつものことだ。たまに本当に同い年かこいつ、と思うことはあるが、二十数年の付き合いがあればもはや慣れが先にくる。ふと思い出して周りを見ると、そこにはポカンとした様子のシンデレラプロジェクトwith姉ヶ崎の姿があった。恐らく楓が突然入ってきて普通に弁当を食べ出した上に、俺が乱入したものだから何が何だかわからなくなってしまったのだろう。

邪魔したな、と言いつつ楓を引きずりながら部屋を出る。扉を出たところで武内くんとあったため、軽く礼を言って来た道を戻る。

 

「武内さん! 私を売ったんですか!?」

 

「いえ、そうは言われましても……」

 

後ろでそんな会話が聞こえるが、知ったことではない。とりあえずこのアホをレッスンルームに投げ込まなければ。

 

 

 

 

 

「えっと……プロデューサー?」

「あの人何者なの?」

「楓さんをあんな扱いする人、初めて見ました……」

 

一方そのころ、武内プロデューサーはシンデレラプロジェクトの面々に詰め寄られていた。尊敬すべき人物であった楓が突然来たかと思えば、これまた突然雑な扱いで引きずられて行ったのである。これが一大事でなくて何と言うのか、今の彼女達にはわからなかった。

 

「先輩……いえ、彼は高垣楓さんのプロデューサーです」

 

「プロデューサー? にしては随分親しい感じだったけど」

 

「先輩と高垣さんは幼なじみの関係でもあるそうです」

 

『えっ』

 

その後、女子トークで盛り上がる場を抑えきれずに、武内プロデューサーは首の後ろを手で押さえ、事情を知っている美嘉は苦笑いをするしかなかったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高垣楓は、天才だ。

『見られること』という一分野において、楓は他の追随を許さない。生まれ持った雰囲気もあるのだろうが、本人がそう見られることを許容し、そう振る舞っていることも大きいのだろう。自分の才能に無自覚だった子どもの頃ですら人目を引いていたのだから、それを意識せざるを得ない今では尚更だ。

少なくとも、世間に知られている楓のイメージはミステリアスで、完璧で、完全だ。失敗などはあり得ない、挫折なんて知らない。おおよそ世間一般に言う勝ち組の完璧超人。それが楓に課せられた期待だ。

……例え本人の中身が生後五年と二百四十ヶ月の二十五歳児だったとしても。

 

「はいオッケーでーす!」

 

「ありがとうございました」

 

楚々とした佇まいを崩さずに楓が撮影スペースから降りてくる。モデルだった頃の経験があるものの、やはり一発オーケーというのは凄いものなのだろう。たまたま同時撮影だった他のプロダクションのアイドルが羨ましそうに楓を見ていた。

 

「お疲れさま」

 

「服で汗をふく……んー」

 

「一点」

 

「何点満点?」

 

「百」

 

「厳しい……」

 

そんなことを言いながら楓にタオルを被せる。撮影はライトを集中させるので結構暑いのだ。

楓が汗を軽く拭う横で、俺はペラペラとスケジュール帳を開く。撮影に時間がかかると想定していたため、これ以降の予定がすっからかんである。ちなみに現在午後四時だ。楓の撮影が最初だったとはいえ、甘く見積もって三時間はかかると考えていた撮影で、全工程が一発オーケーの一時間で終わるとは誰が考えていただろうか。

 

「楓」

 

「はい?」

 

「今日この後完全オフな」

 

「はーい」

 

オフと言えば、楓は瞬時に顔を綻ばせる。これが楓の素だ。これを知っている身からすれば世間での評価なんぞ鼻で笑ってやりたい気分に駆られてしまう。アイドルのプロデューサーとしては失格の考えだが、長い間共にいた幼なじみとしてのその考えを捨てたことはない。

 

 

 

 

 

 

着替え終えた楓を乗せて、車を走らせる。楓はオフが嬉しいのか、隣で鼻歌を歌っていた。

 

「ねぇ、りょーくん」

 

「なんだ?」

 

子どもの頃からの渾名で俺を呼ぶ。意識が完全にオフになった証拠だ。渾名呼びについては止めろと言っても聞かないために、もう諦めている。

 

「私はお酒が呑みたいです」

 

「川島さんとか柊さんとかと言って来い。間違っても鷺沢やら新田やらの未成年組連れていくなよ? ……まぁ、兵藤やら三船あたりなら生け贄にしても見なかったことにしてやる」

 

以前、楓はガチで鷺沢をバーに連れていってしまったことがある。しかも鷺沢が誤ってカクテルを口にしてしまい、酔ってしまうというコンボが起きた。楓の行きつけでなければ危なかったのだ。……まぁ、酔った鷺沢にしこたまのろけ話を聞かされたらしく、次の日楓にしては珍しくげっそりしていたのだが。

その点兵藤やら三船なら問題ない。兵藤は連れていかれたら勝手に張り合って自滅するだろうし、三船は流されながらもセーブして後処理をやってくれるだろう。……もう少し流されない強さを持って欲しいところではあるが。川島さんやら柊さんやら、ついでに片桐さんやらは心配するだけ無駄だ。

 

そう言ってからしばらく楓の反応がない。気になってふと横を見ると、子どものようにぷっくり頬を膨らませていた。

 

「私は、お酒が、呑みたいんです」

 

「行きゃあいいだろ」

 

またぷくー、と頬を膨らませる。年を考えろと言いたいところだが、何故か無駄に似合っているので何とも言えない。ここのところが楓が大人になりきれていない部分だろう。外面が完璧にできる女を演じている分、身内と判断した者には内面を堂々とさらけ出してしまう。

 

「りょーくんも呑むのよ?」

 

「仕事溜まってんだけど……主にお前関係の」

 

「あら、今なら美女がたくさんついてくるのに」

 

「ただしうわばみに限るだろーが。後お前と呑んだらほぼ確実に二次会が俺の家になって、溜め込んだいい酒呑まれるから嫌だ」

 

「いいお酒はあるコールで美味しくいただかないと」

 

「0点」

 

「厳しい……」

 

そんな会話を繰り返しながら、我らが346プロダクションに到着する。ロビーのところで楓と別れれば、すぐさま携帯にメールがくる。送り主は楓、『いつもの居酒屋に行くので、遅れて参加してください』だそうだ。車の中で話したことは本気だったらしい。

少し迷うが、あいつのことだ。恐らく柊さんやら川島さんやらに迷惑をかけるだろう。そして彼女達はアイドルだ。裏方の俺とは違い、顔色などにも気を使わなければならない。顔色が悪ければそれだけ見た目に影響が出るからだ。

『了解』と、短い返事だけを返して、俺は自分の机がある部屋に引きこもるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事を片付けて店に着いた頃にはもう10時を回ってしまっていた。何故か嫌な予感がひしひしと伝わってくるが、行くと言った手前顔を出さないのも体面が悪い。大人とは面倒な生き物なのだ。

 

カラカラと引き戸を開ければ、見慣れた店内の景色が広がる。パッと見て奥にいる楓達以外に人がいない。どうやら店の親父さんが気を遣ってくれたようだ。無言で頭を下げると、顎で良いから行ってやれ、というサインが返ってくる。

店の奥に行けば、座敷で座ったまま器用に寝息を立てている楓と、対面でオロオロしている新田、何ら気にしていない様子で俺に片手を挙げる川島さんがいた。

 

「あら、遅かったわね」

 

「え? あ! えっと、楓さんのプロデューサーさんですよね?」

 

「ああ……新田、いくらこの二十五歳児が先輩だっつっても嫌な時は断っていいんだぞ? 居酒屋なんざ酒が飲めない奴からすれば高い店なんだからな」

 

「はい……」

 

「あれ? 私はスルーかしら? わからないわ……」

 

川島さんを適当にスルーし、新田に一応釘は刺しておく。今回で二度目なのだ。楓が誘うのももちろん悪いのだが、あまり流されないでほしい。

 

「それで、竜馬くん。楓が寝ちゃったわけだけど……」

 

「あー……まぁいつも通りでいいでしょう」

 

「いつも通り?」

 

「とりあえずほどほどに飲み食いして、その間に起きたら叩き出す。起きなかったら仕方ないからこいつの家まで送っていく」

 

そう言うと新田は納得したようで、自分の前にある水を飲む。間違ってもテンションが上がる魔法の水ではないので勘違いしないように。未成年の飲酒は犯罪なのだ。

 

「あ、親父さん。せせりと皮と砂ずり。全部塩で」

 

「飲みもんは?」

 

「いつもの」

 

「白州の25年な、了解」

 

流れるように注文を終えるが、もはやお決まりの注文メニューであるので当然とも言える。何せ親父さんは注文を聞く前から串を焼き始めているのだから。

 

「白州の25年ものって……また自分で持って来たのね」

 

「最近はウイスキーばっかり飲んでますんで」

 

自慢じゃないが、俺は日本酒を飲めない。何故かはわからないが必ず悪酔いしてしまうのだ。なので親父に訳を言ってウイスキーやワインを置かせてもらっている。要は個人の店で行きつけだからできる力業だ。

そんな会話をしていたからか、新田はやたらとキラキラした目線を俺と川島さんに向けていた。

 

「どうした?」

 

「えっと、二人とも大人だなぁって。お酒に詳しい人ってかっこいいなって思っちゃいました」

 

暑いのか、頬を赤らめながら上目遣いで、少し恥ずかしそうに言う新田。もしこれが狙ってやっているというのならとんだ悪女である。

川島さんを見れば、こちらもわかるわとばかりに大きく頷いている。どうやら考えは同じらしい。

 

「新田……お前、一人で帰るときとかはマジで気を付けろよ」

 

「え?」

 

「わかるわ……いつかパクっと美味しくいただかれそうよね……」

 

「ええっ!?」

 

凄く驚いた風な新田だが、何が違うと言うのだろうか。本当に19歳か疑わしいレベルの色気が出ていたのだが。

そして会話が盛り上がると火が着くのが川島さんである。手に持ったハイボールを一気に煽ると、ジョッキを勢いよくテーブルに叩きつけた。

 

「さて! ここからガールズトーク突入よね!」

 

「ガールズ……?」

 

「あ"?」

 

「ワカルワー」

 

一瞬財前らしきスタンドが見えたんだが気のせいだろうか。後俺ボーイなんだけども。

 

「はいじゃあ新田ちゃん! 好きな人とかいないのかしら!?」

 

「ええっ!? えっと、あの、その……!」

 

しばらく川島さんに質問攻めにされる新田。やがて処理が追い付かなくなったのか、顔を真っ赤にしてあうあうとしか喋らなくなってしまった。

とりあえずガールズトークだそうなので、黙って串焼きをかじりながら酒をチビチビと味わっていく。すると、限界が来たのか新田が川島さんの矛先を俺に移そうとしてきた。

 

「そ、それなら並木さんはどうなんですか!? ほら、楓さんと幼なじみらしいですし!?」

 

「ん? 俺と楓? 付き合ってるぞ」

 

「ええっ!?」

 

俺の反応が意外だったのか、新田は驚愕の声を上げる。いや、いい大人が付き合ってるとか付き合ってないとかていちいち騒いでもなぁ。

 

「そう言えば、あなた達の事を聞いたことないわね」

 

「あまり話すほど面白いこともないですしね」

 

「それは私達が判断することよ」

 

どうやら完全に俺が放さなければならない流れになったらしい。川島さんは普段は楓と同じペースで飲み進めるため、そういった話になる頃には寝ていることが多かったのだ。吐き気にやられて偶々起きていた片桐さんとは大違いである。

とにかく、話さなければならない流れだ。ちらりと楓を見れば、気持ち良さそうに寝息を立てている。その髪をすくように撫でれば、さらりとした、柔らかい感触が伝わってくる。

 

「そうですね……まず、物凄く独占欲が強いですね、楓は」

 

「独占欲?」

 

「はい。まず他の女性を下の名前で呼べば拗ねます。ものすごく。一回やらかしたときは一週間くらい機嫌が直りませんでした。俺が事務所のアイドルやらを名字で呼ぶのはそのせいです」

 

ちなみに名前で呼んだのは柊さんである。

 

「へぇ……」

 

「意外ですね……」

 

「こいつ見かけは完璧超人だし、そう振る舞ってはいるけど中身は二十五歳児でポンコツだからな。身内判定すれば素が見えるし。

後は不器用だな。自分の気持ちを素直に出せないタイプだ。遊びに行きたいならそう言えばいいのに『私、明日休みなの』としか言わないから」

 

おかげで会話の裏を読み取る能力はかなりついた。武内くんに熊本弁(亜種)の解読講座を開けるくらいだ。

 

「まぁ結論、楓は結構面倒くさい女ですよ」

 

「ぶっちゃけたわね……」

 

川島さんが参ったというように肩をすくめる。何とかご期待には答えられたようだ。だが、新田が何かを考え込んでしまっている。それとなく聞いてみると、どこか真面目な顔を俺に向けた。

 

「……並木さんは、楓さんが面倒くさいって言いましたけど……だったらどうして付き合い続けているんですか?」

 

「んー……」

 

「……あ! いえ、すみません! そういう意味じゃなくて……」

 

「わかってる。そうだな……新田はまだ若いってところかな」

 

「え?」

 

苦笑いしながら川島さんを見る。何か笑ってはいたが目が笑っていなかった。『は』か。『新田は』って言ったのが悪いのか。

 

「……ま、それは宿題にしようか。また十年後くらいにでもお前の答えを聞かせてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま微妙な空気になってしまったので、おひらきに。楓は俺が、新田は川島さんが送っていくことになった。本当は俺が全員送って行った方がいいのだが、川島さんがウインクしていたのを見て、お言葉に甘えてしまった。どうやら全てわかっていたらしい。

 

「ほら、起きろ楓。狸寝入りしてんのはわかってんだ」

 

「……白州くれないと起きません」

 

「ったく……」

 

仕方なしに楓の口元に白州の入ったグラスを近付ける。匂いがしたのか、引ったくるようにグラスを受け取った楓は、ムスッとした表情でチビチビとウイスキーを嘗め始める。

 

「何拗ねてんだよ……」

 

「……美波ちゃん見て鼻伸ばしてた……」

 

「伸ばすか。あれくらいで鼻伸ばしてたらプロデューサーなんざやってられんわ」

 

マジで。及川やら向井やらのグラビア撮影の時を考えたら余裕で乗りきれる。

 

「……私のこと、面倒くさいって言った……」

 

「あー……」

 

そちらに関しては言い訳のしようがない。何せ言ったのは事実なのだ。

しかしこのまま楓の機嫌が悪いままなのも俺の精神衛生上よろしくない。

 

「悪かったよ」

 

「…………」

 

じとー、と擬音が付きそうな視線で俺を見る楓。まぁ何となくこうなるのは予測していた。俺が楓が起きていると気付いたのは「楓は面倒くさい女だ」と言ったところだからだ。

こう見えて、楓は人一倍寂しがりやで、人一倍臆病なのだ。酒を飲むときは必ず誰かと飲もうとするし、基本的に一人でいることを嫌う。だけど嫌われたくないから自分からは他人に踏み込もうとしないし、無理をしてでも期待に応えようとする。

自惚れでなければ、俺が女性を名前で呼ぶと怒るのは俺が自分から離れていくのではないかと思っているから。今怒っているのも、恐らくは自分から離れようとしているのではないかとか考えているのだろう。

寂しがりやで、臆病で、自信がなくて。だから怒ったふりをしてでも引き止めようとする、不器用で面倒くさい女。およそ世間で思われているイメージとは正反対の素の楓。

 

無言で頭を撫でれば、一瞬ふにゃりと顔が弛む。それでも怒っているんだぞと言いたいのか、すぐに身体ごとそっぽを向いてしまう。

そんな楓を愛しいと思ってしまう俺はもう抜け出せないところまで来てしまっているのだろう。それでもいいと考える辺り、もうどうしようもない。

実のところ、子供の頃から楓の考えていることを見抜いたと本気で思えたことは少ないのだ。もしかしたら今の表情も楓の演技かもしれない。拗ねているのも、いや、子供のように振る舞っているところから実は楓の演技なのかもしれない。

けど、それでいい。相手のことが全てわかっているなんてことはあり得ないし、逆に気味が悪い。わからないならそれでいい。わからない部分を含めて、俺は高垣楓の全てを愛そう。

 

そっぽを向いている楓を抱き上げ、俺のあぐらの上に座らせ、抱き締める。ふわりと甘い香りが俺の鼻をくすぐった。楓の匂いだ。

楓の抵抗はない。されるがままに抱き締められており、そっと俺の手に楓の手を重ねてくる。

 

「愛してるぞ、楓」

 

耳元で囁くと、楓はびくりと肩を跳ねさせる。そしてしばらくもぞもぞと動きながら俺の手を弄んでいたが、やがて大きく息を吐き、倒れ込むように頭を預けた。

 

「……私も、大好きです」

 

照れたようにはにかみながら、楓は両手を俺の手に合わせて、強く握った。

テーブルの上では、カランと音を立てて氷が転がっていた。

 



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Be your……《新田美波》

『こんなところにいたんですか、先輩』

 

面倒な雑事から逃れ、学校の屋上で空を見上げる。季節のせいか、上着を着込んでいてもまだ寒さを感じるくらいだ。制服の胸元には造花があり、手には筒。しばらくすればこの見慣れた景色からもお別れである。

自分にしては珍しく黄昏ていたところへ、やはり聞き慣れた声がかけられる。何故かこの後輩には俺の行動が筒抜けらしく、この一年ほどはこいつの追跡から逃げられた覚えがない。

 

『また新田かよ……』

 

『何か文句でもあるんですか』

 

『ある。たまには副会長じゃなくて書記とかの癒し系女子に優しく連れ戻されたい。毎回新田じゃ面白みないし』

 

『わかりました。じゃあ今から会計連れてきますね』

 

『野郎はやめろ野郎は。新田さんでよかったですー』

 

そんな軽口を叩き合うが、もはやお約束のようなものだ。新田もまともに受け取ってはいない。証拠に俺を見る奴の表情は一本取ったぞ、という軽いドヤ顔だ。微妙に腹立つがそれはまぁいい。

 

『で、何だって俺を呼びに来たんだよ。卒業生代表スピーチも生徒会の打ち上げの店の予約も終わったぞ?』

 

『その打ち上げに先輩が来ないから呼びに来たんですよっ。本当、自由人なんですから……』

 

『照れるぜ』

 

『褒めてませんっ』

 

さっきとは打って変わってぷんすか、という擬音が当てはまる表情で怒る新田。大方これまでの苦労でも思い出しているのだろう。不憫な奴だ。

 

『……ところで、先輩はここで何を?』

 

そんな風に新田をからかって遊んでいたのだが、新田はふと疑問に思ったのかそんなことを聞いてくる。

 

『俺は東京の大学に進学だからな。しばらく帰って来れなくなるだろうし。見納めってやつかね』

 

『先輩……』

 

新田が優しい目で俺を見つめる。心なしか、目元が潤んでいるようにも見えた。

 

『ーーとかいう理由とかで来てたら格好つくんだけどなぁ。実際は知らん。来たかったから来ただけだ』

 

『先輩……』

 

新田が残念なものを見る目で俺を見据える。間違いなくジト目で睨んできていた。

 

『ま、俺はようやく新田お母さんの呪縛から逃れられる。お前は俺を追いかけ回さずにすんで無駄な体力を使わなくてすむ。良いことづくめだな』

 

『誰がお母さんですかっ。私先輩より年下ですからねっ』

 

『んなわけあるか。俺、割とお前のせいで高校生活中に彼女作れなかったんだぞ!』

 

『その言葉そっくりそのまま返しますっ! 私生徒会入ってから『会長の秘書』とかいう不名誉なあだ名付けられたんですからねっ!?』

 

『エロいな! 響きが!』

 

『誰のせいだと思ってるんですか! 責任取って下さい!』

 

『いや、俺彼女が欲しいとか言う女は守備範囲外なんで……』

 

『そこは状況に応じて変えてくださいよ!? 私女! ノーマルですから!』

 

『お前同性愛者の人たちバカにしてんのか!?』

 

『なんで私怒られてるんですか!?』

 

ヒートアップしてしまったせいか、互いに息を切らせてしまう。一息で話しきるには中々に長かった。

しばらくは肩で息をしていた俺達だったが、やがて新田が深く息を落とした。

 

『……いいです。決めました。私も東京の大学に行きます』

 

『あ、そういうのいいです』

 

『行くんです! それで先輩に彼女を作らせないで私だけ彼氏作ります! この一年間の仕返しです!』

 

何て迷惑な仕返しだろうか。

そしてまた不毛なやり取りが繰り返される。最終的に何故か『きのこたけのこ論争』に発展したところで、屋上の扉が開かれる。そこから生徒会の残りのメンバーと、新しい生徒会のメンバーが入って来た。

先頭にいた新会長が、肩で息をし、更にヒートアップしたせいでかなり至近距離にいた俺達を見て、明らかに張り付けた笑顔で一言、

 

『あ、お邪魔しました。先に行ってますんで、後から追い付いて下さい』

 

『『違うから!?』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やかましい音を立てる目覚まし時計を叩きつけて黙らせる。時刻は午前六時。また奴が勝手にセットしたのだろう。今日は授業は昼からだと言うのに。

季節がら、布団を手放すのが惜しいので、そのまま寝返りをうって目を閉じる。しかし、その温もりが突然奪われた。

 

「寒っ!?」

 

「当たり前ですよ。今十一月ですし」

 

思わず飛び上がると、目に入ったのは布団を持って仁王立ちしている新田の姿があった。新田はすでに普段着に着替えており、ロングスカートに厚手のブラウスを着ていた。

 

「……なんでいんの」

 

「私もここに住んでるからです。何回同じこと言わせるんですか」

 

そう、この女実は俺の借りてるマンションに居候している。どうやらウチの母親と新田の母親との三人で結託してしまっていたらしい。やたらとワンルームからマンションに引っ越すのを勧めてくると思えばこんな罠があったのだ。あの頃の部屋が広くなることに喜んでいた俺をブッ飛ばしたい。

しかし今聞いているのはそういうことではないのだ。

 

「いや、なんで俺の部屋にいんの? 鍵閉めたはずなんだけど」

 

「鍵? かかってませんでしたけど」

 

きょとんといった様子でそう言う新田。どうやら本当のことらしい。昨日、というより今日は朝の二時までバイトがあった。それで疲れて忘れたまま寝てしまったらしい。

とは言え、男の部屋に堂々と入ってくるわ、むしろ男の独り暮らしに乗り込んでくるわ、しかも自分の部屋に鍵をかけるのをかなりの確率で忘れるわ、新田の警戒心のなさには呆れるものがある。一度新田弟に『お前の姉ちゃん無防備すぎね?』とラインを送ったら『諦めてください』と返ってきたことがあるくらいだ。

 

「とにかく、早くご飯食べちゃって下さいね。学校に行く前に洗い物しておきたいですから」

 

「いーよ洗うよ自分で……」

 

「先輩は適当に洗っちゃうからダメですっ」

 

そんなことを言いながら、二人でリビングまで出ていく。

高校最後の約束から数年。もちろん俺には新田のせいで彼女は出来ていない。だが、新田も俺のせいで彼氏が出来ていないそうである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新田がアイドルになった。それを知ったのは新田と夕食を食べていた時だった。何故かやたらとニコニコしていて、しきりに時計を気にしていたのを覚えている。

新田は突然テレビを切って、ラジオをかけ始めた。何かあるのかと聞いてみれば、いいから聞いて欲しいの一点張り。よくわからないまま聞いていると、やがて気付いたら番組の時間がカツカツになっていることで有名な番組が流れ始めた。そして何故か、そこによく知っている声が混ざっていた。

番組が終わるまで、俺は黙って聞いていたが、終わったと同時に箸を置き、新田に一言だけ言った。

 

「明日中にここから出ていけ」

 

新田の笑顔が瞬間、固まった表情に変わる。それを見て少し心が痛んだが、そんなことに気を使っている場合ではない。

新田の顔を見ればわかる。こいつは今の状況を全くわかっていない。チャレンジするのはいいことだが、それがもたらす影響も、何もわかっていないのだ。

新田は幼い。何も外見やスキルの問題てはない。よく言えば純粋無垢、悪く言ってしまえば無知で無防備。精神性といったものがどうしようもなく幼いのだ。だからこそ、今の状況に気付けない。

 

「せ、先輩……?」

 

「今回に関しては聞く耳なんざねぇぞ。明日中に荷物をまとめて出ていけ。アイドルの事務所なら寮なりなんなりあるはずだ。そこに入れ」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

「お前が出ていかないのなら……俺が出ていく」

 

「ーーーー!!」

 

信じられないというような、何かに裏切られたような、複雑な表情を浮かべながら、顔を赤くしたり青くしたりと忙しい動きを見せる新田。普段ならば何かしらフォローは入れていただろうが、今回はそれをする訳にはいかない。

そのまま席を立ち、自分の部屋に戻る。言い表し用のない喪失感に襲われながら、俺はゆっくりと布団を広げて倒れこんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ喧嘩を続けてるのか、お前達は」

 

「別に喧嘩してるわけじゃねーんだけどなぁ」

 

大学の講義室で友人の一人に話しかけられる。この一ヶ月ほど、新田は俺を避けるような振る舞いを見せていた。流石にああ言った手前、嫌われるであろうと予想はしていたが、実際にそうなると中々キツいものがある。目の前のこいつを始め、友達連中には絶対に言わないが。

 

「他の人達が騒いでたよ? 新田さんが彼氏に愛想を尽かしたなら自分たちにもチャンスがある、とか言ってさ」

 

「彼氏じゃねぇっての。というかあいつそんな有名だったのか?」

 

「新田さんを嵌めてミスコンに出した挙げ句、トトカルチョで大儲けした奴の台詞とは思えないな」

 

なるほど、大学では有名人だということか。

まぁそれ自体に言うことは何もない。何より俺にブーメランのように発言が返ってくるなら尚更だ。

 

「そういう神崎は新田にアピールしなくていいのか? 今なら彼氏がいないらしいぞー」

 

「話に繋がりが見当たらないよ。新田さんに彼氏がいないからといって、俺が新田さんを好きになるわけじゃない」

 

「そーだね、お前は鷺沢ちゃんだもんね」

 

俺がそう言うと、神崎はおもしろいくらいに口をパクパクと動かし、こいつにしては珍しくしどろもどろな説明を始める。俺はそれを聞き流しながら、自分でも何が原因なのかわからないため息をこぼすのだった。

 

「というかお前って新田さんいないと生活破綻者じゃないか。奥さんに逃げられて困ってるのお前の方でしょ?」

 

「誰が誰の奥さんだコノヤロー。俺あいつが来る前は普通に独り暮らししてたからな? まぁ、ようやく彼女作るチャンスが出来たとでも思っとくさ」

 

「でも意外だな。お前達があれだけ仲良いのに付き合ってなかったのは。意識したりしなかったのか?」

 

恐らく純粋な疑問なのだろう。含みのない表情で神崎は首を傾げる。

正直な話、意識しないわけがない。今更だが、アイドルにスカウトされるだけの容姿はあり、中身も世話焼きな後輩だ。更に言うなら無防備極まりない。こいつ襲われるの待ってんじゃねぇかと考えたことも一度や二度ではない。理性が強くて良かったと日々思っていたのだ。

しかし、それをしてしまうと俺を信じて新田を送り込んだ新田家の全員や、俺の家族。そして何より新田自身を裏切ってしまう。いくら適当な俺でもやっていいことと駄目なことの区別位は付く。

 

「そんなことより、お前はさっさと鷺沢ちゃんに告って来いよ。んで派手に粉砕されてこい。盛大に笑ってやるから」

 

「お前最低だな!? 後俺と鷺沢はそんな関係じゃないとどれほどーー」

 

神崎の話を再び聞き流し、俺は窓の外に意識を向ける。

群れに取り残されたのだろうか、小さな鳥が一羽、哀しそうに鳴いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年も残すところ十日を切った。世間はクリスマスムード一色に染まり、バイト先でもクリスマスフェアの準備で忙しくなっている。

だが独り者の俺には特に関係のないイベントだ。いつものように家に帰り、適当に昨日の残り物を温めて食べる。最近はテレビもラジオもつけていない。学校に行き、バイトに行き、帰って寝る。それだけのルーティンが俺の生活になっていた。

学校では今までと変わらない振る舞いが出来ている、と思う。思うものの自信はない。追い出しておいてなんだが、俺の中で新田の存在は大きいものだったらしい。逃がした魚は大きいどころではなかったようだ。

友達に聞いた話だが、新田はどうやらしっかりと活躍出来ているらしい。最近ではテレビで見る機会も多くなったのだとか。

 

「……女々しいなー俺」

 

我ながら本当にそう思う。今まで延ばし延ばしにしていたツケが回ってきただけなのに。

今日はレポート課題をする必要があったのだが、どうにも集中できそうにない。夜は負の感情に陥りやすいとも言う。仕方ないから今日はもう寝てしまおうか。そんなことを考えながら洗い物をする。あの時に比べると大分しっかり洗えるようになったが、まだ新田には怒られるかもしれない。

 

洗い物を終え、自分の部屋に向かおうとしたとき、インターホンが鳴った。時計を見ればもう夜の十一時を回っている。誰だよ、と毒づきながら応答する。

 

「はい、どちら様ですか」

 

『え? 男? いえ、すみません。こちら和久井圭さんのお宅ですか?』

 

声は女だとわかるが、何分相手がインターホンに近付き過ぎているために顔がわからない。名前は合っていたので俺には間違いないのだろうが。

 

「そうですけど」

 

『すみません、少し下まで降りてきてもらえますか? 新田美波さんを送って来たんですが……』

 

は? という声が出そうになったが、なんとか飲み込んで簡単にわかりましたと相手に伝える。

しかし、今まで俺を避けていた新田が来るとは思わなかった。送って来たと言うが、あいつが酒を飲むとも思えないので疲れて寝たとかそんなのかもしれない。だが今あいつは寮暮らしのはずだ。そこが少し腑に落ちない。

などと考えながらも、足はすでに部屋の外へと体を運んでいた。我ながらチョロい男である。

 

下へ行くと、どこかで見たような女性が新田を背負っていた。というか元アナウンサーの川島瑞樹がそこにいた。

 

「あ、こっちこっち。早く美波ちゃん受け取って」

 

「いや、どういう状況ですかこれ。というより新田は寮暮らしじゃないんですか川島さん(仮)」

 

云々言いながらも川島さん(仮)から新田を受けとる。気持ち良さそうに寝息を立てているが、少しだけアルコールの匂いが漂ってきた。信じ難いことに、新田が酒を飲んだようだ。

 

「あ、私のこと知ってくれてるのね。合ってるから(仮)はいらないわ。実は、美波ちゃんを食事に誘ったんだけど、私が美波ちゃんを二次会に連れていっちゃってね。色々話していたら美波ちゃんが間違って私のウィスキーを一気に煽っちゃったのよ」

 

「未成年を二次会に連れていくとか何してんですかいい大人が」

 

「正直、本当にごめんなさい。反省してます」

 

川島さん(ガチ)も反省しているらしく、どうにも申し訳なさそうに頬を掻いていた。

 

「それで、何だってここに? こいつ確か事務所の寮暮らしだったと思うんですが」

 

「それが、美波ちゃんが『お家帰る』って聞かなくて。この子どうにも甘え上戸みたいね。それで家を聞いてみたらここの住所と部屋番号を教えてくれたのよ。チャイム鳴らせば大丈夫、って」

 

新田は酔うと甘えるのか。いや、そうではない。問題はその先だ。新田は紛いなりにもアイドルで、未成年だ。そんな奴が男の家に上がり込んでいたなど、スキャンダルにしてくれと言っているようなものだろう。

そのことを川島さんに伝えれば、彼女は苦笑いして答えてきた。

 

「ああ、大丈夫よ。ウチの事務所は恋愛禁止してないし、なんなら事務所のアイドルとプロデューサーで付き合ってる人とかもいるわ」

 

「それでいいのかアイドル事務所……」

 

「いいのよ。私達だって人間なんだから」

 

酔いが覚めていないのか、川島さんはケラケラと笑いながらそう言う。だが、その直後、妙に真剣な顔になる。

 

「美波ちゃん、酔いながら泣いてたわよ」

 

「え?」

 

「貴方、美波ちゃんをここから追い出して寮に入れたんでしょう? 何で追い出されたのかわからないって、一番応援してほしい人が応援してくれなかったって泣いてたわ」

 

「…………」

 

「寮に入ってからはもう凄かったわ。毎日のようにオーバーワークで仕事にレッスン。いつ倒れてもおかしくないから皆でヒヤヒヤしてたもの。それが今の人気に繋がっているのだから皮肉なものだけれど」

 

「……そっすか」

 

その姿は簡単に想像できる。高校生の頃からそうだ。努力するやつだった。努力しすぎるやつだった。誰かが手綱を握ってやらないと天井知らずに突っ走ってしまう。

 

「そいつに会ったら一発ガツンと言ってやろうと思ってたんだけどね……貴方どうにも追い出したくて追い出したわけじゃなさそうだし」

 

そう言って川島さんは俺に優しい目を向ける。正直内心を見透かされているようで恥ずかしい。これが年の功というものだろうか。

背中の新田が小さく身動ぎをする。それを見た川島さんは小さく笑い、手で俺に部屋に戻るように指示する。

 

「しっかり話し合いなさい。明日はこの子学校もレッスンも仕事もオフらしいわ」

 

「……そうします。ありがとうございました」

 

「いいのよ。貴方の気持ちもわかるもの。……でも一つだけ。女の子が覚悟も決めないで、いつまでも男の家に居座らないわよ」

 

川島さんがそのまま駅の方へと立ち去っていく。それを見送ってから、俺は新田を背負い直して部屋へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んぅ…………」

 

日の光に刺激されて、意識が浮かび上がる。目を開けば、見慣れた、けれどしばらく見ていなかった景色が広がる。

あれ、どうして私はここにいるんだろう。確か楓さんと川島さんとプロデューサーさんとご飯に行って……そうだ、川島さんと二軒目に行って間違ってお酒をのんじゃったんだ。

そう考えをまとめて起き上がる。頭が痛い。当たり前なのは当たり前だけど、やっぱり辛い。朧気に残っている記憶を頼りにするなら、かなり恥ずかしいことも暴露しているので余計に。

そこでようやく今いる場所が事務所の寮の部屋でないことに気付く。見回してみるまでもない。少し前まで私も住んでいたマンションの、先輩の部屋だ。下宿用ではなく家族用の、広めのマンション。お母さんに東京に行くと言ったら邪推したのか、先輩のお母さんと一緒になって嬉々として用意していた場所だ。その代わりにお父さんが血の涙を流していて、弟は東京の方に向かって合掌していたけど。

と言うより、そうならこの布団は先輩の……。

そう意識してしまうと、顔が火照ってしまうのがわかる。仕方ないじゃない、好きな人の布団で寝ているなんて思わないもの。誰にともなく言い訳してみるものの、恥ずかしいものは恥ずかしい。

先輩を男性として意識するようになったのはいつからだろうか。少なくとも東京に着いてからなのは間違いない。高校生の時は意地悪なお兄さんとしか思っていなかったのだ。でなければこんな押し掛け女房のような真似はしない。できるわけがない。

こっちに着いてすぐに先輩が隠し持っていたお酒を処分したときも、えっちな本を先輩の部屋で見つけたときも先輩を意識することはなかったはずだ。本当にいつのまにか、としか言いようがない。

アイドルは楽しい。それは間違いない。でも先輩に追い出されたときから何かが足りなく思えるようになった。そのせいかアーニャちゃんや他のCPの子達には心配され、武内プロデューサーにも「笑顔が曇ってしまっている」と心配されてしまった。原因はわかってはいたものの、理由はわからないままで、今まで来てしまっている。

 

先輩の枕をぎゅっと抱き締める。しっかり洗っているのか、匂いはない。それに安心したのと同時に、少し残念に思う自分がいた。けれど、落ち着く。

しばらくそうしてから、立ち上がる。時計は朝の十時を指している。お礼を言って、出よう。そう思いながら、私は先輩の部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーヒーを飲みながら久しぶりにテレビを見ていると、新田が部屋から出てきた。少し顔がやつれているのはご愛嬌といったところだろうか。それとも疲れが顔に出ているのだろうか。

 

「おはよう、新田」

「……おはようございます、先輩」

 

このやりとりもずいぶんと久しぶりになったものだ。俺は立ち上がり、新田のカップにコーヒーを入れてテーブルに置く。布団や私物こそ寮に持っていった新田だったが、こういった細々とした物は置いていったままだ。

新田は少しためらったが、やがておずおずと座った。いつになくしおらしい姿だ。

 

「アイドル、いい感じに活躍出来てるみたいだな」

 

「……はい」

 

「楽しいか?」

 

「はい」

 

「…………」

 

「…………」

 

会話が続かない。わかっていたことだが、この一ヶ月ほどで俺達の溝はかなり深くなってしまったらしい。そのことに少し寂しさを感じてしまう。

しばらくコーヒーを飲む音しか聞こえなくなる。このままではどのみち埒があかない。俺は覚悟を決めて、斜め前の新田に向かい合った。

 

「新田、この前は悪かった」

 

「……!」

 

俺が頭を下げれば、びくりと新田の肩が跳ねる。頭を上げて新田の目を見れば、四方八方に泳いでしまっている。

 

「多分、無意識に俺はお前なら大丈夫だと、わかってくれると高を括っていたんだと思う。理由もわからないで追い出されるお前の辛さもわからずに」

 

「先輩……?」

 

「言い訳になるけど、お前を追い出したのはお前を思ってのことだ。アイドルが男と暮らしてるなんざスキャンダルにしてくれって言っているようなものだからな。しかも、お前はラジオに出ていた。成功しかけてたんだろ? 余計に危ないと思ったんだ」

 

「…………」

 

新田は何も言わずに俺の話を聞いてくれている。だがその目は確かに潤んでしまっていた。

そんな顔をさせたかったわけではない。その思いで席から立ち、新田の頭をポンポンと叩く。高校生の時、一度したことがあるのだが、文句を言いながらもされるがままになっていたのを思い出したのだ。今は憎まれ口でもいいから、何か返しがほしい。

しかし返ってきたのは憎まれ口ではなかった。新田が思いきり俺に抱きついてきたのだ。その勢いのまま、たまたま後ろにあったソファに倒れ込む。しばらくは突然のことに唖然となっていたが、服から伝わってくる冷たさを感じて、そっと新田の頭に手をやる。あの頃と変わらない柔らかさだ。

 

「……ずっと」

 

しばらくそのままでいたのだが、新田が顔を俺の胸に押し付けたまま話し出す。

 

「追い出されてからずっと、嫌われたんじゃないかって考えてました。先輩は優しいから、迷惑なのを我慢してたんじゃないかって」

 

「…………」

 

「だったら私はいない方がいいんじゃないかって、そう思い込もうとしても無理で、レッスンや仕事で忘れようとしても忘れられなくて、謝りたくても迷惑じゃないかって……!」

 

「……悪かったな」

 

「練習して上手くなっても今までみたいに嬉しくなくて! ライブが成功しても同じで! みんなには心配されて迷惑かけて……!」

 

「……ああ」

 

「始めはアイドルになったの隠してたのも、テレビのリモコンを独占してたのも、先輩に見てほしくて、それで……!」

 

ーー褒めてほしかっただけなのに。

 

「なのに何で! 何で……!」

 

再び泣き出した新田を前に、俺はかける言葉を見つけられない。

謝るべきではない。黙るわけにはいかない。ここまで新田を追い込んだのは俺だ。ならそこから俺は新田を救い出さなければならない。

適当に生きてきた人間だからこそ、適当に済ませてはならない場所はわかっているつもりだ。

 

「……頑張ったな新田。よくやった」

 

「……! うああああ……」

 

優しく頭を撫で、新田を引き寄せて強く抱き締める。それが新田の何かを刺激したのか、新田は声を上げて泣き始めた。

 

 

 

 

 

それから何分経っただろうか、泣き止んだ新田はゆっくりと体を起こす。

 

「すみません、ご迷惑おかけしました」

 

「いや、大丈夫だ。俺の説明不足でお前を傷付けたんだしな。川島さんに言われないと気付けなかっただろうし」

 

「もう……こんなときに他の女性の名前を出すのは禁止ですっ」

 

すっかり以前の調子を取り戻したらしい。俺の胸にコツンと拳を当ててくる。笑顔もこの家で見ていたものと変わらない。

しかし……

 

「まぁとりあえず……早く退いてくれるか?」

 

「えっ? ……!?」

 

どうやら今の体勢に気付いたらしい。俺の腰の辺りに馬乗りになっており、拳を当てているために少し前屈み。顔は泣いていたせいで赤く上気している。

元も子もない言いぐさだが、反応しかけているのだ。このままでは俺の理性が先に根を上げてしまう。

 

「あ、あう……その……」

 

「いや、早く。俺の中の野獣が目覚める前に」

 

「せ、責任取ってくださいねっ!?」

 

「あさっての方向に話飛ばすんじゃねぇよ!?」

 

「きゃ!?」

 

とんでもない方向に話を飛躍させかけた新田を何とか横に落とす。それによって何とか駄目な展開になることは防ぐことができた。

 

「あう……」

 

「もっと自分を大切にしやがれアホ」

 

「アホは先輩の方です……」

 

「あん?」

 

新田が思いもしない返しをしてきたので、思わず聞き返してしまう。新田は何かいいことを思いついたような顔で、俺に艶かしい笑顔を向けた。

 

「ここまできて覚悟を決めてない女の子なんて、いないんですよ?」

 

その笑顔はあまりに妖艶で、ソファから落ちた時にゴムが切れたのか、ぱさりと広がった長い髪がそれを助長する。

何とか理性を止め、もう一度新田に問う。

 

「……本気か?」

 

「はい。ただ……私のこと、名前で呼んでくださいねっ」

 

それ以降のことは、あまりよく覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

I didn't hope to become the goddess of somebody.

What I prayed for,Be your Special.

 



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素直になりたくて《城ヶ崎美嘉》

「でねー、お姉ちゃんこの時すっごいノリノリでさー☆」

 

「へぇ……ん? 美嘉のスリーサイズこんなんだったか? 前莉嘉が言ってたのと違うが」

 

「読モ始めた頃から変更してないもん、お姉ちゃん」

 

「何の話をしてんのよあんた達!?」

 

とある日の城ヶ崎家。今日は家に両親がいないことを知っていたらしく、俺は夕飯にお呼ばれしていた。

というのも、城ヶ崎家とうちの家は母親同士が親友らしく、それこそ俺や美嘉が生まれる前からの付き合いがあるらしい。そのせいか、両親共働きで中々家にいないのを見かねたおばさんが俺を度々城ヶ崎家に呼んでくれるのだ。俺が舞台の仕事を始めて、それなりに軌道に乗ってからは数こそ少なくなったが、それでも週に一回はお世話になっている。それだけ家に通っていれば自然と美嘉や莉嘉という城ヶ崎姉妹とも仲良くなっていた。

 

そうして今は夕飯が出来るまでの間、まだ仕事があったらしい美嘉の部屋で抜き打ち部屋チェックに勤しんでいたのだが、特に面白いものもなかったために、机の上に置きっぱなしになっていた美嘉の特集がある雑誌を莉嘉と広げていたところだった。突然ドタドタと騒がしくなったと思えば、結構な勢いで美嘉が部屋になだれ込んできた。どうやら俺達の会話が部屋の外まで聞こえていたらしい。

 

「「あ、おかえり(☆)」」

 

「ただいま……じゃない! 莉嘉! 何アタシの個人情報垂れ流してんのよ! というかどこで知ったのその情報!?」

 

「洗濯物たたむお手伝いしてたときー☆」

 

「くぅっ……!」

 

顔を真っ赤にしながら何も言えなくなる美嘉。お手伝いというところで文句を言えなくなってしまったのだろう。そんな美嘉を見てにやにやしていると、「にやにやすんなー!」と全く恐くない威嚇をされた。

 

空也(くうや)もそんなこと聞き出さないでよ!」

 

「いや、俺別に聞き出してないし。お菓子あげたら莉嘉が勝手に喋ってくれたぞ」

 

「りぃーかぁー!?」

 

「わわっ!? ばらしちゃダメって言ったのにー!」

 

姉妹仲良く部屋の中でぐるぐると追いかけっこを始める。俺がちょうど部屋のまん中に居座っているので自然とそうなってしまった。

俺はどうにも莉嘉を甘やかしてしまう傾向にある。美嘉には何度か怒られているのだが、一人っ子の俺にとっては本当の妹ができたようで可愛くてしゃーないのだ。その分美嘉が莉嘉には厳しくしつけているのでいいのではないかとも思っている。まぁ、その美嘉も俺と莉嘉が組んでからかうと度々かりちゅま(笑)状態になってしまうのだが。

結局捕まってしまい、美嘉からぐりぐりと頭を拳で圧迫されている莉嘉からのヘルプを受け取り、痛い痛いと泣き叫んでいる莉嘉と美嘉の側へ行く。

 

「みーかっ」

 

「わひゃいっ!?」

 

美嘉の耳元で舞台で培ったいい声で名前を呼ぶ。もう何年もこれでからかっているのだが、未だに慣れないらしい。みるみるうちに顔がさっきよりも赤く染まり、もはや茹で上がるのではないかというくらいの色になる。その時に力が弛んだのか、莉嘉が美嘉の腕から抜け出して俺の後ろに隠れてしまった。

美嘉は慌てた様子で俺から離れようと後ずさる。が、それを許しては面白くない。

 

「美嘉」

 

「な、何!?」

 

「ごめんな? 勝手にお前の秘密を知っちゃって」

 

「いいから! もういいから! だから今ちょっと離れてて!? ね!?」

 

壁際まで美嘉を追い込み、いわゆる壁ドンの状態を作る。表情にこそ出さないが、これはこれで結構恥ずかしい。されている側の美嘉は俺の内心を見抜く余裕もなく、ただされるがままの状態になっていた。

こうして改めて見れば、美嘉は結構な美少女だ。ギャルメイクをしているものの、元だって悪くない。突然髪をピンクに染めたときは驚いたものだが、今では悪くないと思える。美嘉は結局美嘉なのだから。

弱々しく俺を手で押し返そうとしているが、全く力が入っていない。相変わらずこういったシチュエーションには弱いらしい。むくむくと俺の中の悪戯心が首をもたげてきたので、もう少しからかうことにする。

 

「お詫びに……少しだけ、お姫さまにしてあげようか」

 

「~~~~!?」

 

美嘉の顎をクイと持ち上げて、ゆっくり顔を近付けていく。後ろで莉嘉が目を輝かせてきゃーきゃー言っているが、どうやら美嘉にはそれを咎める余裕も残っていないらしい。近付き始めたときは目をぐるぐると回して声にならない声を漏らしていたが、ある程度近付くと目をぎゅっと強く閉じてしまった。

 

その状態の美嘉から離れて、未だにきゃーきゃー言っている莉嘉の前に立ち、軽く拳骨を落とす。

 

「いったーい!? 何するのそらくん!?」

 

「今回はお前と俺も悪いんだぞ? 理由はどうでも、相手が嫌だと思うことをしちゃダメだ。莉嘉だって秘密を俺や美嘉が勝手にばらしたら怒るだろ?」

 

「うん……」

 

「じゃあこれからは気を付けろよ」

 

「はぁーい」

 

しゅんとする莉嘉の頭を撫で、後ろの美嘉を振り返る。美嘉はさっきの体勢のまま、こちらを見て口をパクパクと動かしていた。

 

「美嘉のムッツリスケベー」

 

「~~~~!!」

 

『三人とも、ご飯よー』

 

「「はーい」」

 

急ぎ足で、莉嘉と俺は美嘉の部屋から出る。扉を閉めると同時に、「弄んだなぁぁぁぁぁぁ!?」という叫びが城ヶ崎家に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「だから悪かったって。機嫌直せよ」

 

夕飯後、再び美嘉の部屋へ。これでも俺と美嘉は受験生でもあるので勉強が忙しいのだ。特に美嘉は最近アイドルに転向したこともあって、慣れない生活の中での勉強で苦戦しているらしい。後を追うように莉嘉もアイドルになったのだが、その時に『宿題をしっかりやって、勉強もがんばる』と約束させられたらしく、今は自分の部屋で宿題をこなしている。 

 

美嘉はさっきのからかったことを引きずっているらしく、ベッドの上でクッションを抱きながらジト目でこちらを睨んでいる。早く止めてくれないとまた悪戯心が疼き出しそうなんだが。

 

「……今度、一日買い物に付き合ってくれたら許す」

 

「……仕方ねぇな」

 

「やた★……約束だからね!」

 

その直後、美嘉はクッションを投げ捨て、ピョンとカーペットに着地する。騙されたと気付いた時にはもう遅い。

 

「やられた……」

 

「へへっ★ アタシだってやられっぱなしじゃありませんよーだ」

 

どうだ、と言わんばかりの笑顔を向けてくる美嘉に、思わずため息を吐いてしまう。美嘉の買い物は長いのだ。それこそ一日丸々使ってしまうほどに。俺は買うものを決めてからさっと買うタイプなので、余計にそう感じてしまうのかもしれないが。

 

「じゃあ早速はじめよっか★ 今日は日本史教えてほしいなー」

 

「そういやお前文系だったな……そのくせに社会苦手だけど」

 

「いいでしょ別にー。国語と英語は出来るんだし、現代社会もそこそこなんだから。歴史さえできれば私立はよゆーよゆー」

 

楽しそうに準備する美嘉を見て、もう一度ため息を吐く。美嘉に仕返しをくらうとは思っていなかったため、どこかおもしろくない。ふと机の上にあるパソコンを見て、いいことを思い付く。

 

「仕方ない、なら最初はこの前教えた範囲の確認からしていくか」

 

「へ? テスト?」

 

「いや、作んの面倒だから口答で。全二十問。九割答えられたら今度の買い物の時、晩飯おごってやるよ」

 

それを聞いて、美嘉は攻撃的な笑みを浮かべる。

 

「いいの? ゴチになりまーす★」

 

「言ってろ中間日本史41点。んで、九割……はあれだから八割から下、一問間違える度に、この美嘉のパソコンのシークレットフォルダに保存されてる思い出写真」

 

「ちょっ!? なんであんたがアタシのパスコード知ってんの!?」

 

急に慌て出す美嘉。流石に自分の写真を目の前で見られるのは恥ずかしいのだろう。だが今回はそれが目的ではない。

 

「その内お前とみりあちゃんで写っている画像が一枚ずつ消え去っていきます」

 

その瞬間、美嘉の顔から表情が消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「信長に焼かれたことで有名な比叡山延暦寺をひらいた人物の名前は?」

 

「えっと、どっちだ……空海!」

 

「最澄だよバカ。てか中学生の問題だぞこれ。というわけでどーん」

 

「あぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

『お姉ちゃんもそらくんもうるさい!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして翌朝。昨日の夜に互いのスケジュールを確認したところ、一番近い休みが今日だったのだ。美嘉は慌てていたが、ここを逃すと一ヶ月は先になってしまうので、今日行こうということになった。

家の前まで迎えに行こうか、と言ったのだが、美嘉が待ち合わせがいいというので駅前でバイクに乗って待っている。中型のバイクだ。十六歳になったと同時に免許を取り、それなりに乗り回していたりする。美嘉の行く店は大体が家まで商品を送ってくれることもあり、移動しやすいバイクで行こうということになった。だが……

 

「やっほーそらくん☆」

 

「……美嘉?」

 

「ごめん。出掛けに見つかっちゃって。お姉ちゃんだけズルいってただこねられて……」

 

申し訳なさそうに俺に言う美嘉。何だかんだしっかりお姉ちゃんをしているので、叶えられる妹のワガママには弱いのだろう。

 

「いや、別に怒ってないけどな。理由聞きたかっただけだし。ちょっとバイク置いてくるから待っててくれるか?」

 

「うん、ごめんね?」

 

「いーよ、慣れてる」

 

そうして俺が戻って来てから、電車に乗って移動する。莉嘉は美嘉が仕事でタイアップしていたブランドを見に行きたいと言っており、美嘉もそれに異論はないらしい。俺達はすぐさまそこへ行くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー……疲れた……」

 

「だらしないなぁ、男の子でしょ?」

 

「そーだよ! 莉嘉もう少し見て回りたいー!」

 

八店舗を回った時点で、俺は既に疲労困憊に達していた。よく考えてみてほしい。美嘉や莉嘉こそいるものの、男が一人の状態で女物の店に入れられるのだ。色々と辛い。主に視線的な意味で。

そうこう言っていると、突然莉嘉のスマホに着信が入る。少し離れて通話していた莉嘉だったが、慌てた様子で俺達のところに戻ってきた。

 

「ごめん! みんなと遊ぶ約束してたのすっかり忘れてた! アタシ先に帰るね!」

 

「あんた、だからあれほど予定ないのって言ったのに……」

 

「だから忘れちゃってたんだよー! じゃあごめん! そらくんまたね!」

 

「おう。一人で大丈夫か?」

 

「だいじょーぶだいじょーぶ!」

 

そう言って走り出していく莉嘉。何度も来ている場所なので大丈夫だとは思うのだが。そんなわけで突然美嘉と二人になってしまった。まぁこれで当初の予定通りなのだが。

 

「美嘉ー、ちょっと休んでいこうぜ?」

 

「仕方ないなぁ」

 

そう言って手近にあった喫茶店に入る。注文を済ませてしまったところで、やっと一息吐けた心地がした。

 

「お前ら元気だなぁ」

 

「何か年寄りみたいになってるよ? まぁ気持ちはわかる気がするけどさ。アタシも男物の店に連れられ続けるのは嫌だもん」

 

と言いながら配られたお冷やに口を付ける。美嘉が相手ならこの辺は割と楽なのだ。美嘉自身が気を遣うタイプの人なので随所で休憩が出来る。それはそれでいいのだが、今回は美嘉はわかっていて連れ回していたらしい。明らかに顔がニヤニヤしていた。

そうなれば当然俺は仕返しを考えるわけで。

 

「さて、やっと二人っきりだな、美嘉」

 

「っ、げほっげほっ!」

 

美嘉の目を真っ直ぐ見て、ナチュラルにそう言ってみる。経験豊富だのなんだのと見栄を張ってはいるが、その実こういった方面に初心なのは変わらない。

 

「大丈夫か? 美嘉」

 

「う、うんへーき」

 

「なら良かったよ、美嘉」

 

「名前連呼するの禁止! 私が悪かったから!」

 

「俺に悪戯しようなんて十年早いな」

 

「もう……」

 

熱くなった顔が恥ずかしかったのか、一気に水を煽る。自分がからかわれると弱くなるのはもはや美嘉のお約束だ。

そして注文がくる。カウンタータイプの席に座っているので隣同士なのだが、美嘉が自分のショートケーキを一口食べてから俺のガトーショコラに目をやった。

 

「そっちのも美味しそうだねー。ちょっとちょうだい?」

 

「別にいいぞ?」

 

美嘉は甘いものに目がない。一度莉嘉が美嘉のプリンを間違って食べてしまったときは鬼のように怒り狂っていたほどだ。なのでこうして喫茶店に行った時は結構な頻度で甘いものが挟まれたりする。

 

「ホント! ありがとー★」

 

「ほれ」

 

「んむ!?」

 

美嘉の口に一口サイズに切ったケーキを放り込む。始めこそ驚いていたものの、すぐにフォークをくわえたままむぐむぐと咀嚼した。

引き抜いたフォークで自分の分を切り、口に運ぶ。甘すぎないくらいの味がちょうどいい。美味いな、と言おうと美嘉の方を見ると、何故か顔を真っ赤にして固まっていた。もはや赤面症ではないかと疑うくらいの頻度である。

 

「どうした?」

 

「うっさいばか……」

 

ぽすんと弱々しく俺の肩にパンチをする美嘉。理由はわからないが、とりあえずもう一度ケーキを美嘉の口にねじ込んでおく。すると、美嘉は俺の顔を自分に向かないように押さえながら、静かにデザートを食べ進めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、ヘタレたまんま帰って来ちゃった、と」

 

「へ、ヘタレてないし! ただちょっと恥ずかしくなっただけで……」

 

「それをヘタレたって言うんだよお姉ちゃん! いー雰囲気できたんだからそのままコクっちゃえばよかったのにー!」

 

結局あのまま何もなく帰って来てしまった。それを莉嘉に見咎められちゃった訳だけど、ヘタレは酷いと思う。

カリスマギャルって世間で呼ばれてるし、そう見えているなら確かに嬉しいことなんだけど、アタシには恋愛の経験は一切ない。そのことは昔自爆しちゃったときにバレてしまっているし、莉嘉も知っている。だからこそのヘタレ発言なんだろうけど。

それにしてもこ、告白なんて……どうせならするよりされたいし……。

 

「ほ、ほら! 今回はチャンスじゃなかったって言うかさ……」

 

「それだけ雰囲気作ってて、チャンスじゃないとか言ってたら永遠にチャンスなんて来ないんじゃない?」

 

「ぐっ……」

 

お子ちゃまのくせに、とか思ってしまうが、ほとんどその通りなので何も言い返せない。悔しいがアタシには莉嘉のような積極性を持てそうにない。いわゆる奥手というヤツだ。

アタシは空也が好き。それはきっと間違いない。何年も一緒に過ごしているうちに、あいつの隣にいるとドキドキが止まらないようになってしまった。それが何なのかわからなくて悩んだ時期もあったが、恋だとわかってしまうとそのままストンと胸に落ち着いた。

それからは色々とアタシなりのアピールをしたりしてはいるのだが、あのバカは一向に意識せず、アタシをからかってばかりいる。あ、思い出したらなんかムカついてきた。

 

「もう……お姉ちゃんがそんなんだったらアタシがそらくんもらっちゃうよ?」

 

「ダメ!」

 

莉嘉のからかい混じりの言葉に、半ば反射で返してしまっていた。

 

「どうして?」

 

「いや、だってその……ほら! 莉嘉ならもっといい人が見つかるって言うかさ!」

 

違う。単にアタシがあいつを取られたくないだけだ。でもそれを素直に認められなくて。実の妹にまで言い訳して。

 

「と、とにかく! ダメなものはダメだから!」

 

そう言い残して、アタシは自分の部屋に閉じ籠ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だってさ☆」

 

『……鈍いのはお互い様だってことか』

 

「ホントだよー! いい加減くっつかないかなーっていっつももやもやしてたんだからね!」

 

『……まぁ、頑張ってみるさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

十一月になり、街はすっかり冬の装いに変わってきた。俺は少しだけ監督や仲間のみんなに我が儘を言い、当日にあったラジオの収録日を変えてもらった。そうして手に入れたのは十一月十二日の休みだ。

前々から莉嘉にその日は美嘉も休みだと聞いていたので、美嘉には既に連絡を取ってある。待ち合わせの場所は前と同じ駅前だ。

しかし、待ち合わせの時間から既に三十分が過ぎていた。マフラーに顔を半分埋めながら寒さに耐える。少し不安になるが、まだ焦るほどではない。そう思いながら待ち続ける。

そして一時間ほどが経っただろうか。ようやく向こうから見慣れた桃色の髪が見えてくる。キョロキョロと周りを焦ったように見渡していたが、こちらを見つけたのか一目散に走ってきた。

 

「ごめん! ホントごめん!」

 

そう謝ってくる美嘉の姿はいつもとは全く違っていた。髪は完全に下ろしていて、服もおとなしめなもの。申し訳程度のナチュラルメイクと、美嘉のイメージとは真逆と言っていい装いだった。

 

「あの……怒ってる?」

 

美嘉の言葉でようやく我にかえる。彼女は不安げにこちらを見上げていた。どうやら割と長い時間美嘉の姿に面食らっていたらしい。

 

「いや……大丈夫だ。早速行くか」

 

「うん……ありがとね?」

 

「何がだ?」

 

「待っててくれて」

 

控えめに笑う、長い間見ていなかった美嘉の笑顔を前にして、俺は赤くなった顔を隠すようにヘルメットを被った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわぁ……」

 

東京の郊外にある、街を一望出来る丘。そこでの第一声は美嘉の歓声だった。

ここは以前、たまたま知り合いから教わった場所で、周りに人家もない中々寂れた場所らしい。それでも見える景色が絶景なので、知る人ぞ知る秘境のような扱いになっているのだそうだ。

 

「きれい……」

 

「たまたま教えてもらってな。たまにはこんなのもいいだろ」

 

「うん……」

 

こんなものだが、美嘉にはどうやら新鮮だったらしい。喜んでもらえて何よりだが、今日の目的はそれではない。長年のこの微妙な関係にけりを付けに来たのだ。

 

「美嘉」

 

「んー?」

 

上機嫌に美嘉がこちらを振り返る。美嘉を好きになったのはいつからだろう。思い返してみるが、どの場面でも既に美嘉のことを好きになっていたような気がする。

 

「突然すぎてよくわからないかもしれないけど」

 

「何? 今更そんなこと気にするような仲じゃないっしょ?」

 

夜景をバックに、今度は美嘉らしい笑顔を浮かべる。

そうか、思い出した。俺がいつ美嘉を好きになったのか。

 

「ーー初めて会った時から、ずっと。お前が好きだ」

 

美嘉の目が丸くなる。そりゃそうだろう。昨日までさんざん自分をからかって、遊ばれていた奴に告白されたのだ。きっと俺だって面食らう。

美嘉はあぜんとしたまま動かない。両手を口に当てて、視線を、顔を所在なげに動かしている。やがて徐々に顔が赤くなっていき、視線が俺の方向に固まったかと思うと、ポロポロと涙を流し始めた。

 

「……泣くほどいやか?」

 

もしかしたら嫌われてしまっていたのかもしれない。そう考えて美嘉に問うが、千切れるのではないかという勢いで首を横に振ってそれを否定してくれる。

嫌われてはいない。それを確認してから美嘉を抱き締める。いつもふざけていたときとは違う。ゼロ距離の美嘉は暖かかった。

泣きじゃくる美嘉の背中を優しく叩く。どれくらいこうしていただろうか、落ち着いたのかすんすんという鼻をすする音だけが目立ち始めた。

 

「落ち着いたか?」

 

美嘉は頷く。

 

「ごめんな、びっくりしたよな」

 

もう一度。

 

「嫌だったら嫌って言ってくれ」

 

今度は力強く首を横に振る。同時にいつの間にか俺の背中に回されていた手にかかる力も強くなった。

ポンポンと背中を叩き、美嘉と体を離す。赤くなった目元をハンカチで拭ってやる。普段は首から上に触られるのを嫌がる美嘉だが、この時は大人しくそれを受け入れていた。

 

「ありがとう。それと、誕生日おめでとう」

 

「順番逆だよ……ばかぁ……!」

 

再び俺で顔を隠してしまう美嘉。そんな美嘉の背中を何度も優しく叩く。

 

「じゃあ晩飯どっかに食いに行くか。誕生日プレゼントの代わりにおごってやるよ」

 

「……プレゼント、ないの?」

 

「やー……悪い。これのことで頭いっぱいでな。欲しいものあるなら今からでもーー」

 

俺の言葉がそこで切れる。文字どおり唇を塞がれたからだ。美嘉が背伸びして、俺が下を向いてようやく届く距離。その距離で、今俺達は繋がっていた。

そして美嘉が俺から離れる。

 

「ーー今もらったから、いいよ」

 

人差し指を立てて口元にやり、悪戯っぽく笑う美嘉は、これまで見てきた中で一番可愛く見えた。

 



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変わらないもの《渋谷凛》

緊張感が場を支配する。今いるのは自分の部屋だ。自分の部屋なはずなのに、圧迫されるような重圧が両肩にのし掛かってくる。

息が詰まり、足が痺れる。この状況をどうするべきか。頭を働かせてみるけれど、一向に答えは出てこない。そうこうしている内に悪鬼が動いた。

 

「で、これなに?」

 

汚れなき男子高校生の聖典(エロ本)です……」

 

「どうして持ってるの?」

 

「色々もて余してしまったからです」

 

「なんで胸の大きい人ばっかりなの?」

 

「好みだからです」

 

「ふーん……」

 

目の前の悪鬼……凛が俺をゴミを見るような目で睨んでくる。死にたい。俺に睨まれて喜ぶ趣味はないし、お隣の年下女子に性癖を知られてしまったのは恥以外の何物でもないのだ。

どうしてこうなった。そう思っては見るものの、どうしても原因が目の前の凛以外に見当たらない。家が隣同士であることに加えて、俺の部屋と凛の部屋がどういう原理かベランダ同士で繋がってしまう立地にあるのだ。そのせいか、昔からこいつは度々勝手に俺の部屋に侵入してくる。今日も俺が学校から戻ってきたら何故か激おこ状態の凛がいて、訳もわからないままに正座させられて今に至っている。

凛は俺より二歳下ということもあって、幼稚園頃からずっと面倒を見てきた。俺が中学生になってからはそういうこともなくなったのだが、昔はお兄ちゃんお兄ちゃんと後を着いてきてかわいいものだった。今は人のトップシークレットを踏みにじる悪鬼羅刹にジョブチェンジしてしまわれたが。

 

「……何か余計なこと考えてない?」

 

「滅相もございません」

 

「ま、いいけど。これは没収。燃やしとくから」

 

「鬼! 悪魔! 凛!」

 

慌てて凛の凶行を止めようとするが、正座させられていた影響で足が痺れて動けない。つん、とそっぽを向いてしまった凛はかなり頑固なので今更言い訳は聞いてくれないだろう。ダメだ、詰んだ。

半ば諦めていた俺だったが、凛は中々部屋からは出ていかない。何事かと凛の顔を見てみれば、どこか恥ずかしそうに長い黒髪の先をくるくると指に巻き付けながら目を泳がせていた。

 

「何? 返してくれんの?」

 

「それはない」

 

ガッデム。

 

「その、さ……この前、私テレビに出るって言ったでしょ? ちゃんと見てくれた?」

 

チラチラとこちらをうかがいながら聞いてくる。凛は少し前にスカウトされてアイドルになった。ほとんどのことに興味を示さずにいた凛がようやく興味を持ったことだ。俺としては応援している。初対面のとき、凛が襲われていると勘違いしてドロップキックを食らわせた挙げ句、警察呼んで話をややこしくしてしまったあの強面のプロデューサーには今度改めてお詫びをするとしよう。

まぁそれはともかく、アイドルを始めてから凛がよく笑うようになったのは事実だ。

 

そして勿論、凛の出ていた番組は見ている。むしろ俺よりも俺の両親が盛り上がって、録画してブルーレイにダビング保存するくらいだ。しかしながら、凛を前にしてそれを認めるのはかなり気恥ずかしい。

 

「あー……その時間765の歌番あったから……」

 

「女の情けで置いといた、机の下のカーペットで隠してある収納の中の参考書のカバーをかけてた本と、その下にわざわざダビングして『阪神巨人戦』ってカモフラージュしたDVDも没収するから」

 

「お前俺の部屋把握しすぎだろ!?」

 

照れ隠しの対価が尋常ではなかった。いつものことだが、お母さんやらお隣さんという人種は人のトップシークレットを踏みにじるスキルが高すぎるのではないだろうか。

まだ足の痺れが取れない俺を尻目に、凛はさっさと聖典(エロ本)聖遺物(エロDVD)をゴミ袋につめていく。とは言っても二、三冊と二枚なのだが。それでももう俺にはPCのシークレットフォルダしか希望が残されていない。

涙を流しながら凛の暴挙を見ていると、ゴミ袋を掴んでベランダへ出る直前に、凛があ、と何かを思い出したような声を出す。

 

「なんだよ、まだ何かあんのかよ」

 

「うん。大樹のパソコンのフォルダ……」

 

「まさかお前……!?」

 

「金髪巨乳ばっかりだったから、仕方なくお父さんのフォルダと交換したから、それだけ」

 

「お前鬼だろ! いや、魔王だろ!?」

 

ちなみに、凛の父親の好みは和服の似合う黒髪スレンダーである。

 

「じゃ、私は今からこれを灰にしなきゃいけないから」

 

「待って凛! お慈悲を! お慈悲をー!」

 

そんな呼び掛けに答える凛ではなく、結局さっさと部屋を出ていく凛。数分後、シュレッダーで細切れにされ、十六分割に割られた夢の残骸が俺のベランダにゴミ袋として置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほんとに凛をどうにかしてくれません?」

 

「ごめんね、僕には無理だよ」

「あらあら」

 

それから数ヶ月後、凛の家の鍋に呼ばれたのをいいことに、凛の暴挙について抗議してみたのだが、彼女の両親はさらりと笑顔でそれを流した。おじさんはともかく、おばさんに凛を止める気は更々ないらしい。

ちなみに今夜はすき焼きだ。具材と鍋は既に用意されている。凛が今までと違うユニットで大きなステージライブをした後だったのだが、俺は受験生で予備校があり、おばさん達は店を閉めるわけにもいかないため、誰も見に行ってあげられなかった。せめてものお祝いというわけでご馳走を用意したというわけだ。実は俺もガトーショコラをホールで用意してあったりする。

 

「にしても凛おっせーな。今日レッスンだけで後は何もないんじゃなかったっけ」

 

「なんやかんやで片付けとかもあるみたいだしね……って、噂をすれば、ほら」

 

そんな話をしている間に、入口からドアを開く音がする。おばさんに目で促されて俺が出ると、いつも通りの制服を来た凛がいた。

 

「おー、おかえり。今日はすきや……」

「…………」

 

靴を脱ぐなりスタスタと早足で凛は俺の横を通り過ぎ、真っ直ぐ自室に向かった。今まで無愛想ではあっても無視をされることはなかったため、突然のことにあぜんとしていたが、おばさんに肩を叩かれて我に返る。

 

「……怒ってる? 何故?」

 

「んー、怒ってるとは違うみたいだけど……」

 

おばさんにもわからないことらしく、頬に手を当てて考え出す。とりあえず仕方ないのでガトーショコラだけでも持って行こうと台所に向かおうとしたところで、再びおばさんに止められた。

 

「……大樹くん、悪いけど凛を呼んできてあげてくれないかな?」

 

「え? 俺?」

 

「なんとなくなんだけどね、今回は大樹くんに頼んだ方がいい気がするのよ」

 

そう言われても困るのだが、俺としても早くすき焼きは食べたいところなのでおばさんの頼みを承諾する。そしてすぐに凛の部屋の前まで行き、ドアをノックした。

 

「凛? お前どうしたんだ? とりあえず晩飯だから早く出てこい」

 

「……いい。後で食べる」

 

数秒待つと、弱々しい返事が返ってくる。どうやら怒っているわけではなく、落ち込んでいるらしい。基本的にクールな凛がここまで感情を表に出しているということは相当のことだ。

 

「凛、入るぞ」

 

「…………」

 

凛が何も言わないのは好きにしろ、というサインなので遠慮なく入る。凛らしいシンプルな部屋だ。彼女はベッドの上で腕で目を隠して寝転んでいた。

俺は何も言わずに凛のベッドに腰掛ける。凛は俺に顔を見せたくないのか、寝返りをうって壁の方を向いた。

 

何も言わない凛の頭を撫でる。俺が中学生になってからはしなくなったことだが、昔の凛はこれをされると機嫌が良くなっていた。今は流石に気恥ずかしさの方が強いだろうに、凛は拒むことなく俺の手を受け入れていた。

 

「……何も聞かないんだね」

 

「相手が話したくないことを聞いても仕方ないだろ。俺がどうこうするわけじゃないのに」

 

「なら、私が話したかったら聞いてくれるんだ」

 

「それはその時の俺の気分次第かな」

 

「なにそれ」

 

凛がくすくすと笑う。どうやら少しは気が紛れたらしい。大きくなっても素のところは変わっていないようだ。

しばらくそうしていると、凛はぽつりぽつりと話し出す。自分のいたユニットが離れ離れになりかけていること、その原因が自分であること、そして自分がアイドルになろうと決意した理由になった、友達の様子がおかしいこと。それをどうにかしたいのにどうにもできないこと。心配事が重なって仕事に集中出来なくなってしまったこと……それを事細かに俺に伝えてきた。

 

「何かしなきゃって思ったら何も出来なくなった……どうしたらいいのかわからないよ……」

 

「んー……」

 

「ねぇ、大樹だったらどうするの?」

 

普段、凛が素直に誰かに助けを求めることなんてまずない。こいつ自身の能力が高いこともあるが、性格上それを良しとしないからだ。

だからこそだろうか、何故か凛の吐いた弱音がらしくなく感じるのは。

 

「俺がどうこうって問題じゃないよな、それ」

 

「え?」

 

「悪いけど簡単にしちまうが、凛はその友達を元気付けたいし、元のユニットを解散させたくない。それに今組んでるユニットもやりたいんだろ?」

 

「……うん」

 

「なら、全部やれよ」

 

凛が変わってしまったのならどうしようもないが、以前の凛ならそうしていたはずだ。こいつは一見大人っぽく見えるものの、かなり子ども染みたところがある。その最たるものがワガママな性格だ。

欲しいものは全部欲しい。気に入らないものは本当に近付けたがらないし、他人のことなら真っ正面から堂々と口にする。欲しいものを手に入れるためなら努力は惜しまないし、口下手でも嫌なものはきっぱりと拒絶する。そんなやつだった。

だが、今の凛は違う。何を怖がっているのかはまだわからないが、ひどく怯えているように見えて仕方ない。

 

「でも……」

 

「でもも何もねぇよ。俺達はまだまだガキなんだ。ガキがあれもこれも抱えてやってられるかっての。適当に大人に荷物渡して、一個一個運ぶしかできねーんだよ」

 

「…………」

 

「それとも、お前の周りの奴らはそんなに信用出来ない奴らなのか?」

 

「そんなことない!」

 

急に起き上がり、声を荒げる凛。そして自分の声で我に返ったらしく、そのまま俯いてしまう。

そんな凛の頭に改めて手を置いた。

 

「ならいいじゃねぇか。どいつもいっぱいいっぱいだってなら俺がその荷物代わりに抱えてやるよ」

 

「……うん」

 

俯いたまま、耳を真っ赤にしてしまう凛。しかしながら声に力が戻っているのでもう大丈夫だろう。

 

「うし! じゃあさっさと下来いよ? おばさん達がすき焼きの用意して待ってんだから」

 

そう言ってベッドから降り、歩こうとすると服の裾が引かれ、俺は再びベッドに座り込んでしまう。その後ろから、裾を引いた犯人であろう凛が抱きついてきた。

 

「おい凛……」

 

「ごめんね、でも……今だけでいいから何も言わずに背中を貸して欲しい」

 

背中にピタリと凛の額が押し付けられる。そしてじわりと背中に冷たい感触が広がっていた。

 

「まだ、勇気出ないから……だから、少しだけ。少しだけ……大樹の勇気、欲しいよ……」

 

そっと凛の手を握れば、ぎゅっと握り返してくる。お姫様のご期待通りに、俺は静かに凛が離れるのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ライブお疲れ、凛」

 

「うん、ありがと」

 

チンとグラスを合わせて乾杯する。あの出来事から凛と凛のユニット……NGにTP、そしてシンデレラガールズは大躍進を見せ、凛が19になった今では押しも押されもせぬ人気を博していた。

NGは例の凛の友達……島村卯月が復活してからはもはや天井知らずと言っていい勢いを見せている。TPも凛が復調してからは各所で大人気だ。凛は全てを取り戻していた。変わったことを言うなら凛の名字が兵藤に変わったことくらいだろうか。

 

「にしてもお前も人気になったもんだよなぁ……。どこ行ってもお前が写った広告あるし」

 

「未だに恥ずかしいんだけどね……。外歩くときも気を遣わないといけないし」

 

少し頬を赤く染める。相変わらずその辺りは変わっていないようだ。

 

「まぁ、有名税ってやつだろ」

 

「そうかな」

 

「そりゃな」

 

そんな何でもない話をすれば凛はくすくすと笑う。どうしたのかと問えば、凛は何でもないように指を組んで俺を真っ直ぐに見つめてきた。

 

「ううん、ちょっとね……私、今幸せだな、って」

 

「……なんだよ、突然」

 

「顔、赤くなったね。照れてる?」

 

「うるせー」

 

顔を背けてそう返せば、やはり凛はくすくすと笑っている。心底楽しそうな凛にそれ以上何も言えず、俺はグラスの中身を煽った。

 

「そんなこと言って、昨日は真っ赤になって照れてたくせによ……」

 

「ちょっと……! それ反則……!」

 

「昨日の凛は可愛かったなー」

 

「~~~~!!」

 

顔を真っ赤にして俺の口を塞ごうとする凛。あまりにも必死になっているので少しからかおうと凛の手を避けて唇を唇で塞ぐ。

すぐに体を離せば、案の定真っ赤になった凛が出来上がっていた。

 

「ほら、可愛い」

 

「…………ばか」

 

ぽふっ、と擬音が付きそうな勢いで、凛が胸に飛び込んでくる。そんな凛の頭を優しく撫でれば、彼女は気持ち良さそうに目を細める。

そんな俺達の左手の薬指には、お揃いのリングが光っていた。



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向日葵の笑顔《島村卯月》

導かれるまま、私はその通路を歩く。見慣れた光景、見慣れた装飾。懐かしさを覚えるような景色でも、私の心は動いてくれない。

 

「今は一人だけここを使わせて欲しいって人がいるから、もしかしたら一緒に使ってもらうことになるかもしれないけど、基本的には自由に使ってくれていいわ」

 

「はい、ありがとうございます……」

 

プロデューサーさんにお願いして、なんとか休みをもらって養成所に戻ってきたものの、私はそこで何をするべきか、何がしたいのかわからないままだ。大切なお仕事を休んで、みんなに迷惑をかけて……そうしてレッスンさせてもらっているのに、そのレッスンの意味を自分でもわかっていない。

疲れている、なんてことはない。それは自分が一番よくわかっていた。それでも私はプロデューサーさんの気持ちに甘えてしまった。だから、なんとしてもここで何かを見つけなければならない。私自身、全くわかっていない何かを。

トレーナーさんと別れて、以前通っていた時と同じレッスンルームを開く。すると、中からキュッ、キュッというシューズの擦れる音が聞こえてきた。さっきトレーナーさんが言っていた『もう一人』だろう。遅れてきたのはこっちだから、あいさつして場所を分けてもらおう。

そう考えて、奥へと足を踏み入れる。そこで見たのは、フード付きのパーカーを着た、背の高い男の人が耳にイヤホンを着けて踊っている姿だった。

ただ踊っている訳ではない。確かめるように、それをより高めるようにして踊っていた。振り付けも、ステップも、私では到底出来ないような技まで綺麗にこなしている。ただただ、無表情ともとれるような真剣な表情で踊っているだけのその姿に、私は思わず見とれてしまっていた。

 

どれくらいそうしていただろう、男の人が一通り躍り終えた後、軽く汗を拭ってこっちを向いた。

 

「……誰や? 見てるだけなら気ぃ散るんやけど」

 

「え? あ! すすすみません!」

 

全く予期してなかった言葉に、思わず変な声で返事をしてしまう。えっと、確か関西弁だったかな……。怒った時の美波ちゃんとは違う感じのイントネーションだったけど……。

男の人はそれを聞いて、また鏡に向き直ってしまう。確かに今の返事だとそうなるよね、と考えてしまい、今日は別の部屋を使わせてもらおうかと思っていると、不意に彼から声がかけられた。

 

「何しとったんか知らんけど、ジャージ着とるんやったらレッスンしに来たんやろ? 場所ならあんねんからやったらええ。俺も勝手にやるしな」

 

「え? あ、はい。ありがとうございます」

 

「礼なんかいらん。別にここ俺のもんでもないしな」

 

そのまま再びダンスを踊り始める男の人を見て、意外といい人なのかな、なんて考えながら、私もその隣でステップの練習を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、ありがとうございました!」

 

「……何の礼?」

 

その日の帰り、たまたまさっきの男の人と会って、私は場所を分けてくれたお礼を言った。男の人は全く訳がわからないようで、不思議そうな声を出していた。

結局、私達はトレーナーさんが呼びに来るまで、五時間くらい練習を続けていた。私は途中何度も休憩を挟んだけど、彼は二回しか休まなかった。とてつもない体力だと思う。休憩の間は私のステップを見ていて、それがまた無表情だったのが少し怖かったのは秘密だ。

 

「いえ、いきなり来たのに場所を分けてくれましたし……」

 

「それはええて言うたやろ? まぁ確かに現役のアイドルが入ってきた時は面食らったけどな」

 

「わ、私のこと知ってたんですか?」

 

どうやら彼は私のことを知っていたらしい。驚いたという割には全く顔に出ていなかったような気はするが。

彼が歩きながらでええやろ、と言うのに合わせてとりあえず養成所を出る。トレーナーさんが鍵を持って入り口に立っていたのでかなり遅くまで居座ってしまっていたらしい。二人でトレーナーさんにお礼を言ってから、駅に向かって歩き出す。

外はすっかり暗くなっていて、仕事帰りであろうサラリーマンもちらほらと見える。大通りの店はすっかりクリスマスムード一色で、あちこちで鮮やかな電飾が光輝いていた。

 

「さっきの話の続きやけど、たまたま姉貴に貰ったチケットでライブ見に行ったのが346のサマーフェスでな。そん時に見覚えあった顔やったからカマ掛けただけや。まさかその通りとは思っとらんかったけどな」

 

「そうだったんですか……」

 

サマーフェス。あの時はとっても楽しかった。みんなで一緒にレッスンや合宿を頑張って、みんなでライブを成功させて。夢みたいな時間を、楽しい一時を精一杯頑張っていた。

 

「それはそうと、現役のアイドル様が何で養成所にレッスンしに来とったんや。レッスンするならもっと設備いいとこあるやろ?」

 

「それは……」

 

当たり前とも言える彼の疑問に、私はつい言葉を詰まらせてしまう。何せ、私にも戻ってきた理由がわからないのだ。疲れをとるため? 違う。基礎をやり直すため? それも根本的には違う気がする。出来ないところを出来るようにする? それでは養成所にいる理由にはならない。

黙り込んだまま俯いた私を気遣ってか、彼はとっさに言葉を入れてきてくれた。

 

「あー……言いたくないなら言わんでええ。何か理由あるんは見たらわかるしな」

 

「ごめんなさい……」

 

「なんやお前、謝ってばっかりやなぁ」

 

何事もなかったかのように振る舞う彼に、内心で感謝する。見た目からは想像もつかないが、優しい人であるようだ。どこかプロデューサーさんに似ているような感じがする。見た目は断然こちらの方が柔らかいけれど。

 

「えっと、あなたはどうして養成所に?」

 

「……なんかその呼ばれ方気持ち悪いな、川島響夜や。同い年くらいやろうし敬語もいらん。あ、俺大学一年や」

 

「あ、そう言えば……島村卯月、高校二年生です」

 

今更ながら自己紹介をする。大学一年生だそうだが、てっきり社会人かと思ってしまっていた。

 

「それで、川島さんはどうして養成所に? 川島さんもアイドル志望ですか?」

 

「お前、それ俺の顔見て言ってみ?」

 

「あう……」

 

「やろ?」

 

川島さんの顔は、どうにも威圧感がある。具体的にはヤで始まる自由業の方と言われても違和感がないくらいだ。

 

「俺はダンサー志望でな。最近は路上やと治安の関係で取り締まり厳しいからな。ちょっと伝手使って養成所借りてるんや」

 

「そうだったんですか……」

 

ダンサー志望だというなら、あの凄かったダンスも頷ける。

 

「ま、何件もオーディション受けてるけど、全く合格出来てへんねんけどな」

 

「えっ?」

 

思わず聞き返してしまう。始めて見て、ダンスに引き込まれたほどの魅力があったのに、受からなかった? 私でさえアイドルになれているのに。

そんな考えが漏れたのか、川島さんは私を一瞥して、言葉を続けた。

 

「俺には今の時代に合わん致命的な欠点があるからな」

 

「致命的な……欠点?」

 

聞き返せば、彼はおう、と軽く返してくれる。

 

「笑われへんねん、俺。生まれつき、表情筋がほとんど動かんからな」

 

何でもないかのように、今までと違う感情の消えた言葉で、彼はそう私に告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちゃう! そこは右足前や!」

 

「はい!」

 

あれから数日。川島さんのダンスの腕前を見て、私はステップの指導をお願いしていた。川島さんは普段は穏やかな優しい人だったが、この時だけは鬼と見紛う厳しさを見せる。

ほとんど毎日、私はこの養成所に来るようにしているが、私が来た時には川島さんは必ず来ている。しかも自分の練習をかなりの時間している状態だ。それだけ会う機会も多く、怖い顔はプロデューサーさんで慣れていたので、私達が仲良くなるのは早かった。

 

指示されたところを直しながら、何とか踊りきる。それを何度も繰り返し、ほとんどミスなく踊りきることが出来るようになってきた。

 

「……うし、じゃあ次、島村の持ち歌の振り付けやってみよか」

 

「はい!」

 

いよいよ、川島さんに頼んだ私のソロ曲の振り付けに入る。以前の練習では全く上手くいかなかったが、今なら出来る、と思う。

曲が始まるのに合わせて踊り始め、そのまま最後まで続ける。その際、ハンドカメラで録画するのを忘れない。一回通しで踊った後に、直すところを分かりやすくするためだ。

 

「~~~~♪」

 

躍り終えた。ミスはなかった、と思う。少し期待を込めて川島さんの方を見るが、当の川島さんは相変わらずの無表情でカメラを覗き込んでいた。

 

「川島さん! どうでした!? 私始めて出来たと思います!」

 

「…………」

 

川島さんの返事はない。小さく何かを呟いたようだが、それを私が聞き取ることはなかった。

 

「島村」

 

「はい?」

 

「お前、何をビビってんのや?」

 

ビビって……確か、怖がってるとか怯えてるって意味だったはず。

そう言われても私には全く心当たりがない。首を傾げていると、川島さんは私にさっきの映像を見せてきた。

 

「何も気付かんか?」

 

「えっと……」

 

「お前、前に比べてえらい顔強ばってるんやで? しかも自分の曲の振り付けの時は特にな」

 

言われてみれば、少し笑顔が固いように見えなくもない。とは言うものの、自分ではよくわからないと言うのが本音だ。

 

「……前々から気になっとったことやし、折角やから今聞いとくけどな」

 

川島さんが改めて私にそう言う。何故だろう、その先の言葉は聞いてはいけないような気がした。

心の中で願っても、私に川島さんの言葉を止める術はない。そして、その時がやってくる。

 

「お前、何のためにここで頑張っとるんや?」

 

私の中で、ナニカがコワレル音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、何のためにここで頑張っとるんや?」

 

以前からずっと気になっていたことを、遂に聞いてしまう。それが島村の隠したい事情であることは、短い付き合いながらわかっていたが、聞かずにはいられなかった。

と言うのも、最近島村にダンスの指導を頼まれたことで、島村の振り付けを見るようになったのが原因だ。自分のことに集中していた時はわからなかったが、島村はまるで何かに追われるような必死さで踊っていた。そこにあるのは夏に見たような笑顔ではなく、ただの貼り付けたような仮面。ただミスを無くそうとしているだけで、行き着く先はただのロボットだ。

一時期は俺も同じだったからわかる。オーディションを受ければ笑顔を理由に不合格。技術ではなくその他の理由で落とされ、腐っていたことがあった。

そんな時に、姉貴にライブのチケットを貰った。半ば無理矢理観に行かされたそこでは、新人だろうアイドル達が、雨で少なくなった客を前に楽しそうに歌い、踊る姿があった。とてもではないが上手いとは言えない振り付け。所々ずれてしまっていたそれは、普段なら全く興味を引かれなかっただろうに、その時ばかりは目を離せないくらいの魅力を放っていた。

荒削りでも、未熟でも。『楽しい』と、そう伝わってくるダンスに俺は魅了されたのだ。

 

それなのに、今の島村は違った。出来ないことが悪だと言うような必死さで踊るその中には『楽しい』と思う要素が微塵もない。何かに怯え、自分を出さずに引きこもってしまっているダンスが、彼女に、彼女達に救われた俺としては許せなかった。

エゴだなんてわかっている。押し付けだともわかっている。それでも、どうしても島村にそんな顔をしてほしくなかった。

 

「基礎をやり直すためとか言うてるけど、それは事務所のとこでも出来るやろ。お前は何かやらなあかん思うてここに来てるはずや。じゃあそれは何や?」

 

「…………」

 

島村は答えない。目を見開いたまま、俺を見て固まっていた。

 

「……ええわ。言われへんねやったら構わん。でも、これだけ聞かせてくれ」

 

踊っていた姿は、いつも苦しそうだった。笑っている顔も、いつもどこか無理をしていた。付き合いの短い奴が何を、と言うかもしれないがわかるものはわかる。

なぜなら、俺がそうだったのだから。

 

「お前、今ちゃんと楽しいんか?」

「っ!!」

 

乾いた音が、レッスンルームに響き渡る。その音にはっとしたような表情を浮かべて、島村はオロオロとし始めてしまう。

 

「え……あ……わ、私、こんな……こんな、つもりじゃ……!」

 

「…………」

 

振り抜いた右手を押さえながら、島村の目に涙が浮かぶ。一瞬目が合った直後、思わずといったような動きで、島村は部屋を飛び出して行った。

 

「卯月!?」

「しまむー!?」

 

そして扉の先に二人の女子が立っていた。見覚えがあるので、島村の仲間だろう。黒髪の方は慌てて島村を追って行ったが、茶髪の方は少し迷って俺の方に来た。

 

「何があったんですか?」

 

「……ええからはよ島村追ったれや。今なら多分、あいつの本音が聞けるはずや」

 

そう言うと、茶髪は小さく頭を下げて島村を追って行った。

俺はその場に座り込んで、そのまま後ろに倒れ込む。

 

「……いったいなぁ、ほんまに」

 

その呟きは、小さく部屋の中に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『響夜アンタ、CPで凄い噂になってるわよ? 卯月ちゃんを泣かせた鬼畜男ーって』

 

「まぁ、泣かせたってことなら合っとるしなぁ」

 

『当の卯月ちゃんは大慌てだけどね。私の弟ってことがバレたから毎日凄い勢いでどこにいるのか聞きに来てたわよ? 大阪って言ったら凄いしょぼんとして戻っていくから罪悪感凄いのなんの』

 

「はいはい、もう何回も聞きましたよーって」

 

その後、一ヶ月ほどが経ち、俺は成田空港にいた。しばらくはオーディションを受け続けていたのだが、やはり結果は惨敗。それでも諦めずに路上パフォーマンスを繰り返していると、ある日女の人に『アナタ、そのダンス世界に羽ばたかせるべきよ!』と話しかけられ、あれよあれよとアメリカの大手プロダクションとの契約が纏まってしまったのだ。

あまりの出来事に心配になって姉貴に相談したが、『あー……まぁ、心配いらないわよ』と妙に納得した声でそう言われた。

そんな訳で、今はワシントン行きの飛行機を待っている状態だったりする。

 

『昔っからあんた不器用だものね』

 

「顔で表すとか苦手通り越して不可能やしな」

 

『そういうことじゃないわよ。ホント、あんたわからないバカよね』

 

「なんやと独身アラサーが」

 

『はっ倒すわよ愚弟』

 

そんな風に仲良くケンカしていると、アナウンスが流れてくる。スマホを片手に荷物を纏めて、ソファから立ち上がる。

 

「んじゃ、そろそろ切るぞ。アナウンスも鳴ったしな」

 

『そ……間に合わなかったか』

 

「あん? 何か言うたか?」

 

『何も? それよりあんた、いい加減彼女の一人でも作りなさいよ? 帰って来た時彼女いなかったら通天閣で串カツ奢ってもらおうかしら?』

 

「何やそれ。んじゃ俺が帰って来た時に姉貴が結婚出来てなかったら回らん寿司屋奢ってもらうわ」

 

『えっ、ちょっーー』

 

姉貴の返事を待たずに通話を切る。交渉事の基本は相手に反論させないことだと言うが、その通りだと思う。何よりからかい半分で言ってきた姉貴が悪い。

 

カラカラとキャリーケースを動かし始める。意外と人が多く、それなりにかかるようだ。十数分待ち、ようやく受付が近くなってきた時、唐突に俺の腕に重みが加わった。

 

「はぁ……はぁ……みつ、けた……!」

 

そこにいたのは、俺が泣かせてしまった女の子。島村卯月がそこにいた。走って来たのだろうか、息は絶え絶えで、髪も崩れてしまっている。

 

「島村……? お前、何でここに」

 

「川島さん……瑞樹さんに教えてもらいました」

 

落ち着いたのか、ふぅと息を溢して真っ直ぐ立つ。いかんせん距離が近いので、島村は自然と上目遣いになっていた。

 

「まだ……川島さん、ううん、響夜さんにお礼を言ってませんでしたから」

 

「お礼? 自分泣かした相手に?」

 

「あれは私が弱かったからです。でも、響夜さんや友達のみんなのおかげで乗り越えられたから……だから」

 

そう言うと、島村は深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございました!」

 

「……島村」

 

「卯月です」

 

「ん?」

 

「卯月って呼んで下さい。仲の良い人はみんなそう呼んでくれますから」

 

頭を上げて、真っ直ぐにそう言ってくる島村……卯月。その目は以前になかった光を放っているような、力強い目だった。

 

「響夜さん、また……また、帰って来たら、私にダンス教えて下さいね!」

 

そう言う卯月の頭をくしゃりと撫でる。そこで始めて自分の髪がボサボサになってしまっていることに気付いたのか、卯月はあわあわとし始めてしまう。

その様子がおかしくて、俺は内心で笑みを溢す。

 

「帰って来たらまた教えたるから、それまでしっかりアイドルやっとれよ? ……んじゃまたな、卯月」

 

俺がそう言うと卯月は一瞬びっくりしたような顔をしたが、すぐに手をぶんぶん振って応える。

 

「はい! またです、響夜さん!」

 

その表情は、あの夏に見た向日葵のような笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「はづき、ママみたいなアイドルになる!」

 

ソファの上に立って、幼い女の子が母親であろう女性に向かってそう宣言する。その目はキラキラと輝いており、女性はそれを見てニコリと笑いかけた。

 

「ふふ、葉月はアイドルになるの?」

 

「うん!」

 

「だったら、パパや凛ちゃんにもダンスとか歌とか教えてもらわないとね。いっぱいがんばれる?」

 

「がんばるもん! れいちゃんのママも、れいちゃんといっしょにおうたうたってくれるもん!」

 

「(凛ちゃん……英才教育しすぎじゃないかな……?)」

 

娘の言葉を聞いて、親友の行動に思わず苦笑いが漏れてしまうが、それはそれである。

そんな会話をしていると、玄関から声が聞こえてきた。

 

「パパだ!」

 

「葉月、お迎え行ってあげてくれる? ママはごはんの用意しちゃうから」

 

「うん! パパー!」

 

とてとてと玄関に向かう娘の姿を見守りながら、女性は既に用意してあった皿をテーブルに並べる。それを終えたのとほとんど同時に、リビングのドアが開かれた。

 

「お帰りなさい、パパ」

 

「ただいま、卯月」

 

そう言って笑い合う二人を見て、娘が自分も、とじゃれついてくる。

そんな家族の近くに置かれた写真台には、六年前の純白のドレスに身を包み、満面の笑みを浮かべる女性と、珍しいことに、薄く、本当に小さく笑みを浮かべている男性の写真が飾られていた。

 



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袖振り合えば《三船美優》

案の定卒論に詰まって投稿←

三時間クオリティなので色々と問題あるかも……


彼女と出会ったのは二年前、それも見合いの席だった。

そうなったのは爺さん婆さんによくある『孫の顔が見たい』ならぬ『曾孫の顔が見たい』という我儘がきっかけだった。孫が二十歳を越えたということで三年前程からそれとなく見合いの話を匂わせていたらしい。孫娘である妹で我慢していてほしかったのだが、婆さんが孫嫁との触れあいをしてみたいといい歳こいて駄々を捏ねたようだ。むしろそっちの方が本命だったそうな。うちの親父も爺さんも入り婿だった影響か、仲のいい嫁と姑というものに憧れがあるらしい。これについてはマイマザーも同意していたというのは妹の談だ。

 

アホらしいとは思いながらも、最終的には渋々了承した。小さい頃はもちろん、家業を放り出して家を出るときも快く送り出してくれた家族である。何だかんだ言ってはいるが、二十三歳になって浮いた話もない俺を心配しているのだろう。だからと言って見合いは流石に大きなお世話だと言いたいのだが。

了承の返事を出した翌日には見合いの資料が速達で届けられた。早すぎるぞばっちゃん、とよくわからないツッコミを入れ、とりあえずそれを確認する。作業をしながらどうせ流れる話だしな、やら角が立たないように気に入られない方法とかねーかな、とか考えていると、何故か見合い相手の写真がなく、代わりに達筆で『当日まで秘密』と書かれた巻物が入ってあった。

仕込んだ本人であろうマイマザーに殺意を抱きつつ電話で真意を聞き出そうとコール音を鳴らすと、即座にやつの能天気な声が聞こえてきた。

 

『はいはーい、資料届いたー?』

 

「届いたー、じゃねぇよ。場所しかわからねぇだろうがこれ」

 

『さぷらいず、ってやつよ! こっちじゃ色々筒抜けだから出来ないしね』

 

一辺辞書でサプライズの意味を調べてみるといい。そして日本で使うのとは意味の異なる英単語にマーカー引いて恥をかけばいい。

そんな文句が喉まで出かかるが、何とか呑み込んで代わりにため息を吐く。この母親相手に怒ったところで暖簾に腕押し糠に釘だ。

 

「せめて名前だけは入れとけよ。相手に失礼だろうが」

 

『え? 名前入ってなかった? ごめん、それは本気の間違いよ』

 

「……はぁ。ほら、じゃあ口頭で良いから。別に書く訳じゃないし読みがわかればいいだろ」

 

『それもそうね。じゃあ相手の名前だけど』

 

――三船美優さん、っていうらしいわよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そして見合い当日。結局全く気乗りがしないままこの日を迎えてしまった。まぁ運のパラメーターが振り切れてると評判の婆さんとマイシスターが選んだ相手だ、断ったとしても大事にはならんだろうと自分を励ましながら車を走らせる。方向音痴は自覚しているが、カーナビがあるので安心である。どうやら方向感覚と物探しについては妹に才能をむしり取られたらしい。他の運なら二人とも高いのだが。

そうこう考えている内に目的地に到着する。都内から少し離れたところにある懐石料亭だ。備え付けられた駐車場に車を置き、入り口をくぐる。予定時間にはまだまだ余裕がある。遅刻という、マナーは勿論人間性が問われるような心配はない。

 

「いらっしゃいませ」

 

店内に入ると、すぐさま従業員の人が案内に来た。店内の調度品も和で統一されており、奥の通路からは石庭がうっすらと見てとれる。予約していたことと、自身の名前を告げれば、こちらですと歩き出していく。それに着いていった先には離れだろうか、部屋ではなく建物があった。

 

「既にお連れ様がお待ちです」

 

告げられた言葉に、一瞬動きを止めてしまう。今の時刻ですら予定の時間の一時間前なのだ。それなのにもう到着しているとは……何時から待っていたのだろうか。

どう声を掛ければいいのかと困惑するも、店員さんは待ってはくれない。無情にもさっと襖が開かれる。その先にいたのは楚々とした所作で茶を飲んでいる女性だった。

青地の和服に身を包んでおり、長い髪をうなじの所で折り返し、後頭部で留めている。和服の意匠は勿忘草だろうか。控え目に言っても美人としか呼べないような容姿の女性だった。

その女性が襖が開けられた音でこちらを向く。暫くそのまま互いに目を合わせ続けていたが、やがて同時に我に返った。

 

「えー、は、はじめまして。依田悠人です」

 

「え? あ、はじめまして、三船美優と申します」

 

後ろでパタリと襖の閉まる音が鳴る。どうにも逃げ場を失ってしまったらしい。観念して三船さんの正面に置かれた座布団に腰を据える。

 

「すみません、お待たせしたようで」

 

「あ、いえ! こちらこそ勝手に早く来た挙げ句、先に店に入ってしまって……こういう席はその、初めてなものですから……」

 

どうやら三船さんもマナーに気を使いすぎていたらしい。それで少し空回ってしまったのだろう。落ち着いた見た目に反してドジなところがあるようだ。

 

「大丈夫です。実は僕も見合いは初めてでして。三船さんが先に居てくださったので少し落ち着いたくらいです」

 

「そう言って下さると助かります……」

 

本当は真逆で少し焦ったのだが、嘘を吐いておく。何となくそう言ってしまうと収拾が付かなくなりそうに感じたのだ。

 

そこから話は途切れなかった。三船さんを落ち着かせた後、こういう時は趣味の話をするべきなのか、などと少々譲り合いながら話を進め、好きなものの話では互いに動物好きだということで盛り上がった。

そうこうしている内に時間が過ぎ、退室時間になる。初対面とは思えない程に話は合ったが、俺も三船さんも親が勧めてきた話だ。ここで終わりだろう。

そう思って会計に立ち、半額出そうとする三船さんを楽しかったから、と制して代金を払う。すると何やら開店三周年とやらの福引きをやっていた。

 

「三船さん、引きますか?」

 

「いえ、お支払いして頂いたのにそれは……どうぞ、依田さんがお引きになって下さい」

 

と、苦笑いで言われたため、仕方なくくじを引く。こういったものを俺や妹が引いたときは結果が決まっているようなものだ。

出てきたのは特の文字。特賞は某遊園地へのペアチケット。狙っているのではないかと思うほどのラインアップだが、引いてしまったものは仕方ない。こういった席でこういう時に誘わないのも失礼だろう。

 

「三船さん、よろしければ一緒に行きませんか?」

 

「え? あ、えっと……」

 

自分に振られるとは思っていなかったらしく、三船さんは意味を理解することに少し時間を費やした後、ほんのり紅くなった顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そして約束の日。三船さんと遊園地に行く日である。二十も半ばの女性を遊園地に誘って喜ばれるかどうかは分からないが、当たったものだから勘弁願いたいところだ。

待ち合わせの駅の前で、三船さんからの連絡を待つ。最初は車で行こうと思っていたのだが、三船さんの方から帰りに食事はどうか、と誘われたため、車でなく電車で行くこととなった。三船さんは会社を辞めたそうだが、こっちは一般の社会人。自然と休日しか行けないため車の方がいいのではとは言ったのだが、この数日で連絡を取り合った中で唯一と言っていい押しの姿勢で来たため、思わず押しきられてしまった。

 

「依田さん! お待たせしました!」

 

スマホでもう一度遊園地までのルートを確認していると、声を掛けられる。三船さんだ。彼女の雰囲気に合ったジャケットにロングスカートという装いである。最近気温が下がっているために少し不安な服装ではあるが、よく似合っていた。

 

「いえ、今来たところですよ」

 

お決まりの言葉をかけて、駅へと進む。休日ということもあってか人が結構多い。人ごみに巻き込まれないように端を歩きつつ、三船さんの壁になるようにする。この当たりはマナー教本のような本から学んだ知識だ。

 

「すみません、壁になってもらって……」

 

「いえ、僕も男ですので格好つけさせてもらいますよ」

 

そう言うと、三船さんはくすりと微笑む。今日で終わりの関係だと割り切っているからか、素直に綺麗な表情だと感じた。

綺麗、といえば言い忘れていたことがあったか。

 

「三船さん」

 

「はい?」

 

「その服装、とても貴女に似合ってますよ」

 

そう言うと、三船さんは少しうつむき、消え入りそうな声でありがとうございます、とだけ答えた。

 

 

案の定、電車は中々混んでいた。座ることは出来ないものの、なんとか目的地以外では開かない側のドアの前を陣取ることに成功し、ドア、三船さん、俺の順に立っている。揺れがあるため、真ん中だと長時間は辛いのだ。

 

「結構混んでいますね……」

 

「休日ですしね」

 

「すみません、私が我儘を言わなければ……」

 

三船さんが少し暗い顔になる。数日だけの付き合いだが、この人は少々自罰的すぎる傾向にあることはわかっていた。俺はその言葉に笑顔で返す。

 

「了承したのは僕ですし、仕事でよく電車は使うので慣れてますよ。それより三船さんの方は――」

 

大丈夫ですか、と聞こうとすると、突如背中に圧がかかる。駅員が乗客を詰め込んだのだろう、何人もの人がふらつきながら奥へとなだれ込んで来る。

最初はなんとか耐えていたが、次第に耐えきれなくなり、圧に負ける。結果として俺は手を三船さんの顔の横につくことになり、右足も彼女の脚の間に入ってしまう。

 

「す、すみません」

 

「い、いえ……」

 

顔が熱い。きっと今俺の顔は真っ赤になっていることだろう。正面の三船さんの顔がトマトのようなのだ。まず間違いない。

それでも背中にかかる圧は駅に着く度に襲ってくる。何度もかかる負荷にとうとう突っ張っていた腕も折れ、三船さんに倒れ込むようになってしまった。丁度三船さんの顔が俺の鎖骨のところにあるため、俺は顎を引いて空間を確保する。

 

「三船さん、すみません……」

 

「い、いえ、わ、私は大丈夫れす」

 

「れす?」

 

「~~!?」

 

思わず聞き返してしまったことに後悔するも、時既に遅し。目の前にあるのは今にも沸騰しそうなくらいに真っ赤に染まった三船さんの顔だった。恥ずかしさがピークに達したのか、俺の腰に手を回し、胸に顔を押し付けて隠してくる。……これはこれで後で思い出して悶えるパターンな気がしないでもないが。

 

「すみません、つい」

 

「……依田さんは、いぢわるです……」

 

三船さんは顔を押し付けたまま、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊園地に着くなり、三船さんは子どものように目を輝かせてはしゃぎ始めた。先程のことを忘れたいのだろうと思っていたのだが、ジェットコースターの待ち時間の時に、地元にいた頃は引っ越しが多くて余裕がなかったので遊園地に行こうとしたこともなかったと話してくれた。都会に出てからも忙しいのと、生来の人見知りが災いして機会がなかったとのこと。それが見合いで会った男と来ることになっているのだから、人生とは不思議なものである。

しかし俺自身は三船さんのことをどう思っているのだろうか。俺は少々特殊な環境で育ったために、未だ世間知らずな部分が多々ある。周りにいる女性といえば妹を始めとする家族、後は職場の先輩や同僚くらいのものだ。そういう意味では三船さんはプライベートで会う初めての女性なのかもしれない。

確かに三船さんといるのは楽しい。波長が合う、というべきか。一緒にいてストレスを感じないというのがしっくり来る。好きな人であるのは確かだ。

しかしこの感情が友愛か恋愛かが分からない。何故なら今までに経験が無いのだから。今は少なくとも向こうに嫌われている訳ではないということしか分からない。

 

「て、手は離さないで下さいね……?」

 

「はい。わかってますよ」

 

ともかく、現在はお化け屋敷の中である。この遊園地の目玉だとパンフレットに書かれており、『日本最長、最恐』が売り文句だそうだ。お化け屋敷と聞いたときに三船さんがびくりと体を震わせたのでやめておこうかと聞いたのだが、それが彼女のなにかの琴線に触れたようで行く、と言って譲らなくなった。

列に並んでいたときは「怖かったら頼ってくれてもいいですよ?」と強がっていたが、いざ入ってみると俺の左手を同じく左手で握り、涙目で腕にすがり付いているというザマである。ぷるぷると震えながら「離さないで下さいね? 絶対ですからね?」と訴える姿は小動物のようで可愛らしい。この人ホラーとか絶対見れないタイプじゃなかろうか。さっきから小さな音や自分たちの影にまで反応するので、俺は逆にものすごく冷静になっていた。

 

「そんなに怖いなら、言ってくれればよかったんですが……」

 

「わ、私もこんなに怖いとは思ってなかったです……」

 

そこまで言ってから目の前に飛び出してきたろくろ首の作り物に悲鳴を上げ、俺の腕にしがみついてぷるぷると震える三船さん。大丈夫ですよー怖くないですよー、と声をかけながらゆっくりと進み、ようやく出口から外に出る。ものすごく長い距離があったが、途中脱出口もないので完走せざるを得なかったのだ。

 

「ほら、三船さん。もう外に出ましたよ」

 

外に出ても一向に離れない三船さんに声をかけるが、恥ずかしそうにちらちらとこちらの顔を見上げてくるだけだ。どうしたのか、とその様子を見ながら返事を待つと、うう、と唸った後に頬を染めて切り出した。

 

「腰が抜けてしまったみたいで……一人で歩けそうになくて……」

 

「なら、その辺りに座りましょうか」

 

「い、いえ、出来るなら、あちらに……」

 

そう言って三船さんが姿勢を向けた先には、観覧車があった。

 

 

そのまま観覧車に乗り込む。あの格好のまま列に並ぶのは中々に恥ずかしいものがあったが、自分の意思を出した彼女が頑固であることはわかっていたため、何とか我慢した。当の本人はその内倒れるのではないかと思うくらいに赤面していたが。

中に乗り込み、片側に三船さんを座らせ、反対側に座る。三船さんが小さくお礼を言ってくるのとほぼ同時にゴンドラのドアが閉まった。

 

「あの……今日は振り回してしまってごめんなさい」

 

「いえ、少し昔を思い出して楽しかったですよ」

 

妹にねだられて遊園地に連れていったことを思い出す。普段はマイペース極まりなく、どこか達観したところのある妹が年相応にはしゃぐ姿は微笑ましいものがあった。三船さんをそれに重ねるのは失礼かもしれないが、実際その時とよく似ていたのだ。

 

「そう言って下さると……遊園地にはよく来られていたんですか?」

 

「数回妹と行ったくらいですかね。東京に来てからは一度も」

 

「そうですか……」

 

「三船さんは、初めてでしたか。楽しんでもらえましたか?」

 

「はい、とても。思わず年を忘れてはしゃいでしまって……」

 

「まぁ、次は苦手なものは早めに言っておくようにしましょうか」

 

「すみません、ご迷惑をおかけしました……」

 

口では謝っているものの、表情は楽しそうである。楽しかったならなにより、といったところだろうか。

 

「でも……不思議です」

 

「どうしました?」

 

「……あまり説得力がないかもしれませんが、私は自他共に認めるほどの人見知りで。なのに、依田さんにはそんなことが全くなくて……。むしろ、貴方と一緒にいるととても落ち着くような感じがしているんです」

 

そう言って、少しは治ってきたのか、手すりを頼りにしながらではあるが立ち上がる。そしてそのままこちらに寄り、俺の隣にすとん、と腰を下ろした。

 

「三船さん?」

 

「ほら、こんなに近くても……落ち着いていられます」

 

ドキドキはしていますけど、と付け足すが、三船さんはそこから動く気配を見せない。赤い顔で柔らかく微笑んでいるだけだ。その顔から俺は少し顔を逸らしてしまう。何だかとても気恥ずかしくなってしまったのだ。

それを見越してかは分からないが、三船さんはそのまま肩を寄せてきた。

 

「……今日、この後ですが、よろしければ……私の家に来てくれますか?」

 

「家に……ですか?」

 

「はい。実は、今日の晩はごちそうしようと考えていたんです。この前はごちそうになりましたし……」

 

ね? と微笑む三船さんに、俺は頷くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご馳走さまでした」

 

「はい、お粗末様でした」

 

語尾に音符が出るのではないか、というくらいの上機嫌で三船さんが食器を下げていく。手伝うと言ったのだが、ゆっくりしていて下さいとやんわり断られ、すごすごとリビングに戻る。出てきた品は肉じゃがとほうれん草のお浸しという定番と言えば定番のメニューだったが、そんなことが気にならないくらいに美味しかった。

三船さんの家はマンションの1LDKだった。最初は女性の家にお邪魔しているということにとても居心地が悪かったのだが、どこからともなく漂ってくる良い香りに気を取られると、それ以降はあまり意識しなくなった。見合いの時に言っていた趣味のアロマだろうか、とてもリラックスする良い香りだった。

それから食事になると、三船さんに味を聞かれて美味しいと素直に伝える。それから三船さんは今のように上機嫌になっていた。

 

その後しばらく三船さんがおすすめだという映画を見たり、普通にやっていた番組を見たりとのんびりしていたのだが、やがて三船さんがウイスキーのボトルとグラスを二つ用意して持ってきた。

 

「依田さん、お酒は大丈夫ですか?」

 

「え、はい、大丈夫ですが――」

 

「良かった。せっかくだから、少し奮発していいウイスキーを買ってみたんです」

 

私はそこまで強くないのですが、とそう言って三船さんは二つのグラスに氷を入れてから琥珀色の液体を注ぎ込む。ワインは苦手なので、ウイスキーをチョイスしてくれたことはありがたいのだが、大丈夫なのだろうか。何せ時間が時間なのだ。終電までほぼ時間がない。さっきもそれを言おうとしたのだが、三船さんに遮られてしまった。

幸い俺は酒には強い体質だ。三船さんには悪いが、少し早めに煽って終電に間に合わせるとしよう。そう考えて乾杯の後、三分の二ほどを一気に煽る。ウイスキー特有の強いアルコールと木の香りが喉を滑り落ちて行った。しかしながらウイスキーにしては不自然な甘味も感じる。これは――

 

「三船さん、これウイスキーじゃなくてブランデー……」

 

「え? あ、本当ですね。私、ブランデーは初めてかもしれません」

 

しかもよく見ればヘネシーのVSOP、それもオールドボトルである。このサイズだと一本二万強はする逸品だ。奮発したにもほどがある。

しかし問題はそうではない。その後の三船さんのセリフである。

 

「あ、美味しい……」

 

「そうですね。でも水を用意しておいた方が……」

 

「ふふ、大丈夫ですよ。私、ウイスキーだと一杯や二杯くらいなら大丈夫ですから」

 

と言いながら中身の減った俺のグラスに酒を注ぐ。いや、俺はいい。ブランデーは呑んだことがあるが、上司の奢りだからと調子に乗ってボトル四本を一人で空けた時でも気分はふわふわしたものの、二日酔いすらしなかったのだから。問題は三船さんである。

 

 

 

「んにゅう……」

 

結果はこれである。三杯目の半ば辺りで、三船さんはこてんと横になり、そのまま寝息を立ててしまっている。ウイスキーが得意な人はブランデーに弱いというのは何処かで聞いた話だが、本当にそうだとは思っていなかった。

しかし三船さんが眠ってしまった。更に言うなら危なくないかはらはらして、三船さんを止めようとしている内に終電の時間も過ぎ去ってしまった。タクシーで帰るにしても家主が眠ってしまった今、鍵を開け放して帰るのも無用心極まりない。一体どうしろと言うのだろうか。

仕方がないのでソファに三船さんを寝転ばせる。流石に寝室に無断で足を踏み入れる訳にはいかないだろう。幸い今日は三連休の初日だ。一日徹夜したところで、帰ってから寝れば問題ない。それほどスペースがあるわけでもないので、ソファの横に背を預け、スマホにイヤホンを付けて音楽を聞く。寝ているところを起こすのも悪いと思って音は最小限だ。同じ理由でテレビも消してある。照明については、申し訳ないが寝てしまった自己責任ということで我慢してもらおう。

ふと三船さんの方を見れば、穏やかな顔で気持ち良さそうに眠っている。無防備過ぎないかと思うと同時に、遊園地の観覧車での出来事を思い出してしまい、少し顔が紅くなった。

 

その日からだろう。俺が三船さんを――美優を意識するようになったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――悠人さん? 大丈夫ですか?」

 

心地よさを感じながら、誰かの呼び声で意識が戻ってくる。ああ、そうだ。東北の温泉に旅行に来ていたんだった。どうやら浸かったままうとうととしてしまったらしい。

 

「ん、ああ。少しうとうとしてたみたいだ」

 

「ならいいですけど……。あまり、無理はしないで下さいね?」

 

「わかってるよ」

 

自分の誕生日ということで、美優が張り切って全てのプランを立てた旅行だ。前々から旅行に行こうとは言っていたのだが、まさか混浴の温泉を恥ずかしがりやの美優が選ぶとは思わなかった。

ちゃぷん、と水音を立てて美優が隣に来る。いつもは後ろで括るか下ろしている髪は、初めて会ったときのように後頭部で纏められている。あの時と違うのはお互いの距離感だろうか。

腕と足を伸ばし、ほぅ、と深く息を吐く。湯に浸かったまま体を伸ばすのは気持ちいい。これはきっと日本人としての性だろう。

 

「何か夢でも見ていたんですか?」

 

「んー、美優と会ったばかりの頃のな」

 

結局あの翌日、目を覚ました美優には物凄い勢いで謝られた。涙目のまま何度も頭を下げられたのには苦笑いするしかなかったが、同時に見合いの時に一目惚れしただの、お酒の力で勇気を出そうとしただのと自爆していたのは、今から考えれば美優らしい。

そして付き合い始めてから俺は口調を崩したのだが、美優は敬語のままだった。何でも引っ越しが多かった影響であちこちの方言が無意識に混ざってしまっているのだとか。子ども相手だと標準語で話せるが、同年代相手ではおかしなことになるらしい。別に構わないとは言ったのだが、私が恥ずかしいんです! と押しきられてしまった。

 

「ああ、お見合いの」

 

「遊園地あたりもだけどな」

 

「それは……うう、いつ思い出しても恥ずかしい……」

 

照れてそっぽを向く美優を見て、変わらないなと笑ってしまう。あれから何度も色々な場所に出掛けたのだが、美優は頼りがいを見せようとしたり張り切っていたりすると、たいてい何かドジを踏んでしまう。それで恥ずかしい思いをしては顔を赤くして拗ねてしまうのだ。そんなところも可愛いな、と思ってしまうあたり、俺も大概ひねくれているのかもしれないが。

ごめんごめん、と陽気に謝りながら、美優を抱き上げ、自分の膝の上に乗せる。湯の温かさとは違った美優の温もりがとても心地よかった。

そのまま後ろから抱き締めれば、もう、と口で拗ねたような声を出しているものの、もたれるように体重をかけてくる。湯の中で、美優が左手を俺の左手に重ねた。

 

「なぁ、美優」

 

「……なんですか」

 

「今度のお前の誕生日、プレゼントは何がいい?」

 

拗ねているんだぞ、というポーズを崩さない美優に、話題を替えて話を振る。俺と美優は誕生日が同じ月なので、ほぼ連続して予定を立てていた。これまでは美優に内緒で毎年プレゼントを用意していたのだが、今年は美優の欲しいものを用意しようと考えていた。丁度話題には良かったため、ここで聞いておこうと思ったのだ。

 

美優はそれを聞くと、頭を俺の右肩に寄せ、首を傾けて目を合わせてくる。

 

「今は……買って欲しい物はありませんね。今がとても幸せで、来年も……再来年も、こうしてあなたと温かい春を迎えたいとは思っていますけど」

 

逆上せてきたのか、それともただ単に恥ずかしいだけか。美優の頬に朱がさしている。柔らかくはにかんでいる美優を見ていると、こっちまで暑くなってきてしまった。

 

「なら、先ずは来年もこうして旅行に来ようか」

 

「はい。そうできれば……私は、幸せです。それで、誕生日のプレゼントですけれど……」

 

「ん? 欲しいものはないんじゃなかったか?」

 

聞き間違えたのか、と思っていると、美優は悪戯っぽく微笑む。

 

「買って欲しい物はありません。でも……欲しいものは、あります」

 

「そうなのか?」

 

「はい。……そろそろ、新しい家族が欲しいです」

 

美優の言葉に一瞬固まってしまったが、すぐに小さく笑ってしまった。なるほど、それは確かに買えるものではない。互いに二十代も半ばを過ぎた。確かに、時期としては丁度いいのだろう。

しばらく美優と笑いながら見つめあっていたが、不意に彼女が両目を閉じる。美優が求めているものを理解した俺は、そのまま彼女に唇を寄せた。

 

揺れる水面に、重なった左手の揃いの指輪が淡い月明かりを映し出していた。






・依田悠人
美優さんに一目惚れされた人。そして無意識に一目惚れした人。妹が最近人間ではなく現人神じゃないかと疑われている模様←
名前が決まったよ! やったね悠人くん!←

・三船美優
岩手県出身、26歳(冒頭では24歳)。クール。作者が三船さんのSSR引いてから一向に他のSSRがこない←

・見合い
妹が偶々鹿児島でやってた某一富士二鷹三茄子な名前の神様の握手会に参加し、たまたま直後に家に呼び戻された後、たまたま見合い写真を選んでいたばばさまを尻目に美優さんの写真をたまたま神様と握手した方の手ででしてー、と一本釣りなされた結果。トリプル役満である。

・さぷらいず
反省も後悔もしていない! by依田母

・電車の中
壁ドンからの抱擁。

・「いぢわるです」
『じ』ではない、『ぢ』だ(力説)

・涙目ぷるぷる
かわいい。

・顔真っ赤
かわいい。

・「新しい家族が欲しいです」
エロい←

・遊園地に行ったことがない
・方言が混ざってしまう
・仕事を辞めた
全て作者のご都合に合わせた結果です。許してくださいなんでもしま(


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星に願いを《アナスタシア》

友人A「お前の小説日刊入ってんぞ」

俺「ふあっ!?」



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ありがとう、みんな、ありがとう。お礼と感謝とほんの少しの下心(書けば出ると聞いた)を込めた更新でこざいます。


「ふぅ……」

 

式場の入り口の横にある自販機に小銭を入れ、適当な炭酸らしき飲み物と、コーヒーを買う。その場で炭酸ジュースのプルタブを開き、一気に飲み干す。強めの炭酸が喉を刺激する、普段はあまり好きではないその感覚が、今は気持ち良かった。

今日は姉貴の結婚式だ。今もまだ途中ではあるのだが、少し訳あって疲れてしまったために抜け出してきたのだ。あのバカ親父め、年甲斐もなく声を出して号泣しそうになるわ、暴走しかけるわ、新郎を睨んで威嚇するわでこの上なく面倒くさい。母さんと二人で宥めてすかしてボコッて沈めたのだが。僕が姉貴ののろけから解放される記念すべき日になんてことをするのか。

 

まぁしびれを切らして思いっきり顎にいい一撃を叩き込んだのは悪いとは思っていたため、こうしてコーヒーを供えに戻ろうとしているのだが。

そんなことを考えながら式場に戻っていくと、扉の前で一人の女の子が備え付けのソファに座っているのを見つけた。顔は俯いていてわからないが、あのドレスと綺麗な銀髪には見覚えがある。確か姉貴に呼ばれたアイドルの同僚達の一人だったはずだ。

普段ならスルーしていただろうが、どういう訳かそのときばかりはその子に近づいて行ってしまった。親父のところへ戻るのに気が乗らなかったか、それとも男として可愛い子と仲良くなりたかったのか。それは今でもわからないがとにかく、僕はその子に声をかけた。

 

「大丈夫ですか? 気分でも悪くなりました?」

 

声をかければ、その子はゆっくりと顔を上げる。端正な顔の綺麗な青い目が、まっすぐに僕に向けられた。

 

「ヌ、ダー。大丈夫、です。気分が悪い、ではありません、ね」

 

ゆっくりと言葉を紡いで、力なくはにかむ。始めのは確かロシア語だったか。ダーというのはどこかで聞いた覚えがある。

顔を見て思い出したことだが、この子は姉貴のデビュー当初からのパートナーだった子だ。電話してきた時にはのろけ七割、この子が二割、その他が一割なのでよく聞かされている。確か名前は……

 

「アナスタシアさん、でしたっけ」

 

「? ダー。ミニャー ザヴート アナスタシア。アー……あってます。私の名前は、アナスタシア、ですね。どこかでお会い、しましたか?」

 

「あ、いや、ごめんなさい」

 

きょとんとした表情で頬に人差し指を添え、首を傾げる。見た目に反して中身は幼いのかもしれない。

言っておいてなんだが、初対面でいきなり名前を呼ぶのは失礼だろう。相手がアイドルということを含めなければナンパでもそんなことはしない。

 

「よく姉貴から話を聞かされるので、つい口に出しちゃいました」

 

「アネキ……お姉さん?」

 

「ああ、名前言ってませんでしたね。新田海斗と言います。姉の美波がいつもお世話になってます」

 

自分の名前を告げると、アナスタシアさんは目を丸くする。

 

「ミナミのブラット……アー……弟さん、でしたか。ごめんなさい。式場ではミナミとケイしか見てなかった、です」

 

ケイというのは義兄さんのことだ。和久井圭。姉貴の高校時代からの先輩で、姉貴が押し掛け女房をかました割と可哀想な人。と思いきや姉貴と同じくらいに万能だった人である。

 

「まぁ結婚式ですし、そりゃそうなりますよ。僕だってそう言えば今日見たような、と思って声をかけただけですし」

 

「スパシーバ。それでも心配してくれてありがとう、

ですね。そろそろ戻りましょう」

 

そう言って立ち上がろうとするアナスタシアさんを手で制して、持っていたコーヒーを握らせる。話していてわかったことだが、この子は純粋、というよりは幼い。姉貴の話から考えるならばきっと姉貴のことを実の姉のように慕っていたのだろう。それが義兄さんに取られてしまってショックを受けた。多分そんなところだ。そんな彼女に式を見せるのはストレスの原因になりかねない。

 

「戻るのはそれをゆっくり飲んでからで。リラックスしてからでも大丈夫です」

 

「でも……」

 

「大丈夫大丈夫。姉貴はそんなことで怒りませんよ。何なら悪戯がてら、思いっきり心配させてやればいい」

 

悪戯、という響きが良かったのか、アナスタシアさんはくすりと笑みをこぼす。この様子なら問題ないだろう、とその場を離れようとしたのだが、それはアナスタシアさんが僕の腕を掴むことで妨げられた。

 

「アナスタシアさん?」

 

「せっかくですから、話し相手、欲しいです。少し付き合ってくれませんか?」

 

僕が少し迷っていると、アナスタシアさんは先程とは違う、やわらかな笑みを浮かべた。

 

「大丈夫、です。ミナミ、そんなことで怒りません、ね?」

 

その言い方はずるいと思う。何せ僕自身が言ったことだ。

僕は観念して小さく笑うと、アナスタシアさんの対面に腰を下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ーーそれで、そのラジオが終わったあとが一番大変だったんだよ。男友達には敵視されるし、女子には冷たい目で見られるし」

 

「えっと、サチューフストブユ……アー、お気の毒、でしたね」

 

休憩しながら世間話していると、どうやら僕と彼女は同い年らしいことがわかった。それならということでお互いに丁寧語を崩すことになったのだが、アーニャーーそう呼ぶように言われたーーはあまり話すタイプではなかったようで、主に僕が話すことになっていた。

僕もあまり話すタイプではないのだが、アーニャが相手だとあまり苦にならない。話を聞いている彼女の表情がコロコロと変わるために話していて楽しいのだ。こういう人のことを聞き上手と言うのだろう。今も苦笑いをしながら僕の肩を軽く叩いてきていた。

 

「本当だよ……あのバカ姉貴め」

 

「でも、ミナミと一緒に寝るのは、ちょっと羨ましい、です」

 

「寝てないからね!? 姉貴はともかく僕は自分の部屋にしっかり鍵かけるから!」

 

この子は果たして僕の話を聞いていたのだろうか。いや、聞いていたけど感覚がずれているだけなのだろうか。僕のツッコミに対してもアーニャはコテンと首を傾げるだけだった。

 

「好きな人と一緒にいたい、私はそう思いますけど、カイトは違いますか?」

 

「えー……」

 

「……カイト、もしかしてミナミのこと、キライ、ですか?」

 

案の定認識がずれていたため、どう説明したものかわからずに言葉を詰まらせていると、少し変に考えてしまったのだろう。アーニャが眉をへの字に曲げてそう聞いてくる。

 

「嫌いじゃないよ。もし嫌いならこんなところに来ないさ」

 

「なら……」

 

「僕が言ったのは何て言うかな……ほら、恥ずかしいとかそういう意味だよ。何て言うか、すごく否定したくなるやつ」

 

シスコンとか変態とは言われたくないのだ。ましてや冤罪甚だしいことでなら特に。

そう説明すると、何故かアーニャはほにゃっとした表情で笑った。……何か凄まじい勘違いをされているようでならないんだけど。

 

「ニチェヴォ ストラーシナヴァ」

 

「え?」

 

「ティー スモーゼッシュ!」

 

「いや、日本語に」

 

「少し、話し過ぎましたね。カイト、そろそろ戻りましょう」

 

「待ってアーニャ。せめて日本語訳をしてから行こうよ。ちょっと引っ張らないでって力強いね君!?」

 

「ふふっ」

 

アーニャに腕を引っ張られて式場に戻る。後にこの時の言葉を調べてから、アーニャの悪戯だったと聞かされた時に一悶着あるのだが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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姉貴の式が終わって数日後、僕は都内の大学に通うことになった。

本命は広島の大学で、そこも受かったのだが、母さんがやたらと勧めるので仕方なく受けた都内の大学に特待生で合格してしまったのだ。学ぶ内容や知名度、授業内容にはほとんど違いがなかったために母さんのお願いという名の脅しに屈してしまったのである。……強制下宿に月の仕送り80%カットは鬼畜だと思う。

 

そうして大学に入ったのはいいのだが、そこで僕はアーニャと再会したのだ。しかも同じ学部学科専攻。なんでもアーニャは姉貴と同じ学部を目指したのでこうなったらしい。僕も姉貴も親父の影響を受けているので自然と同じ学部を受けていたのだ。

まぁそれ自体は構わない。東京に出て近くに知り合いがいるのは心強い。では何が問題なのかと言うと……

 

「カイト! 一緒にごはん食べましょう!」

 

「あー、うん。ちょっと待っててね?」

 

「ダー!」

 

この上なくなつかれたのだ。授業も昼休みもべったりになってしまい、全員という訳ではないが僕は同期の男達に敵視されてしまうようになった。まぁ普通に接してくる人達とはかなり仲良くなっているのだが、食堂などだと視線がかなり痛い。

何せ彼女はアイドルなのだ。それもかなりの人気がある。姉貴がデビューして以来のパートナーなのだから、少なくとも三年以上は活躍し続けていることになる。そんなアーニャが男と一緒にいるところをファンが見たら妬むのは当たり前と言えば当たり前なのだろう。美城プロダクションが恋愛推奨を公言しているためにパパラッチが湧かないのが不幸中の幸いだろうか。

 

「海斗、お前本当になつかれてんな」

 

「笑い事じゃないよ……」

 

「ハッハッハ、いーじゃんよ。あんな美人と付き合えるだけ幸せだろ」

 

「だから付き合ってないってば」

 

「あれ? そうなん? でもお前ら端から見たら付き合っているようにしか見えないぜ?」

 

「って言われてもなぁ」

 

そんな軽口を叩いていると、入り口の近くにいたアーニャが近寄ってきて僕の腕をぐいぐい引っ張ってくる。それを奴はニヤニヤしながら手を振って見送ってきた。

……おのれ貴様、月夜ばかりと思うなよ。具体的には来週のスポーツ選択のバスケで地獄を見させてやる。無事に歩いて帰れると思うなよ……!

そう呪いを込め、アーニャの隣に立って歩く。身長差からかアーニャが小さく見えるが、実際は中々身長が高い。なんやかんやで十五㎝しか差はないのだ。

いつもなら隣に立てば手を離すアーニャだが、今日は何故か腕を掴んだままだ。不思議に思って顔を見ると、少しだが頬を膨らませている。これが隠せないあたり、見た目と性格のギャップがすごいな、と感じてしまう。

 

「えっと……怒ってる?」

 

「ニェット、怒ってません」

 

「頬っぺた膨らんでるよ?」

 

「……カイトは意地悪です」

 

ぺたぺたと頬を触って自分でも認識したのか、今度は隠そうともせずにぷくぅと頬を膨らませる。

 

「ごめんごめん。お詫びに抹茶アイス買ってあげるから」

 

「むぅ。そんなことでは、誤魔化されません」

 

そう言いながら目はキラキラと輝いている。相変わらず分かりやすい。最近たまにこうしてアーニャが拗ねてしまうので、その時は仕方なくこうやって買収していたりするのだ。何故怒っているのかがわからないので謝るに謝られないので仕方ないと割りきっている。

 

「今ならわらび餅もついてくるよ?」

 

「わらび餅……うー」

 

「今日は確か肉じゃが定食だったよね、日替わり定食。急ごうか」

 

アーニャの好物である肉じゃが定食を出せば、彼女はなにも言えなくなってしまう。今日は日替わり定食に助けられた。最後の抵抗とばかりにアーニャはポコポコと僕の腕を叩いているが、ちょうどいいマッサージ程度の力だった。

そんな風に、僕の大学生活は過ぎていっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その日はかなり強い風雨だった。強い台風が不運にも東京を直撃し、交通機関も完全に止まってしまっているらしい。そんな状態であるので大学も全授業の休講が午前中には決定されていた。

外にも出かけられず、特にすることもなかったので、僕は朝からぼんやりとテレビを眺めていた。少し前に姉貴と義兄さんから連絡があったのだが、大丈夫ということを伝えた後は適当に聞き流してしまった。

昔から、雨や風は嫌いだ。小さい頃から親父にくっついて海に出かけ、釣りやら磯遊びをして育ってきた。だからそれが出来なくなる雨や強風は嫌いだった。そのせいだろうか、台風なんかが来るとモチベーションがガクンと下がってしまう。もはや癖みたいなものだ。

 

一人用のソファでぐったりしていると、突然インターホンが響く。学生用のワンルームなので、大家さんが安全確認でもしに来たのだろうか。そんなことを考えながらドアを開けると、そこには予想外の顔かあった。

 

「……アーニャ?」

 

「あ……カイト……。ドーヴラエ ウートラ、おはよう、です」

 

そこにいたのはずぶ濡れになったアーニャだった。軽く背中に届くほどには長い髪は肌に張り付き、ポタリポタリと雫を垂らしている。服も生地が吸水性が高いものなのか、かなり水を吸って半ば透けてしまっている。上着がデニム生地なのに救われたと言ったところだろう。アーニャ自身も寒さにやられたのか、唇の色が悪いことに加えて小さく震えていた。

 

「何でここに……ってそんな場合じゃない! 早く入って!」

 

「スパシーバ……」

 

玄関で立ち尽くしていたアーニャを半ば無理やり家に入れ、風呂に放り込む。一人暮らしの弊害でシャワーだが、濡れたままよりマシだ。着替えは姉貴が置いていったもので大丈夫だろう。あの新婚二人、たまに前触れなく乱入してきては遊んで帰っていくのだ。まぁ今回はそれに助けられているが。

アーニャが風呂から上がるのを待って、ソファに座らせる。肌が上気するくらいには温まれたようだ。体調が崩れないか心配なところだが、今はそれより聞かなければならないことが沢山あった。

 

「どうして僕の家に来たの?」

 

今日は大学もない。仕事があるならあらかじめプリントなどを取っておいてほしいとアーニャ自身が連絡してくるのだが、昨日はそれがなかった。つまり今日、アーニャはこんな天気の中、特に外に出る理由がなかったはずなのだ。

アーニャはコーヒーを入れたマグカップを弄りながら、どこか言いにくそうにもじもじしている。いつもなら言葉を模索しているのだろうと分かるのだが、どうやらそうではないらしい。

 

「アー……カイト、怒っていますか?」

 

「いや、怒ってるわけじゃないけどね」

 

怒っているのではなく、驚きすぎて混乱しているだけだ。まさかアーニャがいるなんて考えもしなかったから。

 

「ただ、何でここに来たんだろうって。アーニャのマンションって結構遠いでしょ?」

 

実際ここにアーニャは何度か来ているため、道順は知っていても驚かない。けれどここからアーニャが住んでいるマンションまでは電車で四駅くらいの距離がある。乗り物があればそれほど距離は感じないが、今日は交通機関が動いていない。歩いてくるにはかなりの距離だったはずだ。

 

「スムショーニィ……笑いませんか?」

 

「ん? 笑わないよ」

 

そう言うとアーニャは観念したのか、コーヒーをちびりと飲み、一息ついてから話し始める。

 

「ヤ バヤルシャ……少し、怖くなりました」

 

「台風が?」

 

確かに風が強いときは雨戸にしていてもガタガタと音が鳴る。一人でいるとそれが怖いと思ってしまう人もいるかもしれない。

そう考えたのだが、アーニャはプルプルと首を横に振ってそれを否定した。

 

「ニェット。違います」

 

「違うの?」

 

「ダー。私は……その、一人でいること、怖くなりました」

 

それは台風が来たときの音が怖いのではないのだろうか、と考えるも、アーニャが言葉を続けたためにそちらに意識を向ける。

 

「私の部屋、何もありません。いつも外にいます。だから、本当に必要なものしか、ありません。

ステージにいれば、ファンのみんな、アイドルのみんな、沢山いますね? 一人じゃないです。でも……アイドルじゃない私は、一人……」

 

……また難しい問題を持ってきてくれたものだ。アーニャはきっと寂しくなって、それに耐えきれなかったのだろう。普段から仕事や大学で多くの人がいる環境だったからか、急に静かになってしまったことで一気に不安が吹き出してしまったのかもしれない。夜や一人でいるときはマイナスイメージが増幅しやすいとどこかで聞いたことがある。

多分だが、今までは姉貴や仲の良いアイドルの人達がいたから何とかなっていたのだろう。それが大学入学から寮を出たことと、特に仲が良かった姉貴が結婚して今までのようにいかなくなってしまったことが重なって、アーニャにとって良くない方向に進んでしまったのだ。一人で東京で暮らすことになって、今まで頼りにしていた人が急に離れて行ってしまったような気持ちになってしまったのだ。

 

「アーニャ」

 

「……シトー?」

 

マグカップを握ったまま俯いていたアーニャに声をかけると、ゆっくりとこちらの方を向く。普段はキラキラと輝いている青い目が、今は涙で潤んでしまっていた。

 

「僕と君は友達だ」

 

「ドゥルーク……カイトと、アーニャは、トモダチ……」

 

「君は一人じゃないとは言い切れない。僕はアーニャがアイドルじゃないときしか知らないからね。でも、僕と君は友達だ。友達といるときは一人じゃないよね?」

 

そう優しく語りかけると、アーニャはトモダチ……、と何度か呟きながら僕と目を合わせ、しばらくしてからどういうわけか形の良い眉をへにょりと力なくハの字に曲げてしまう。

 

「どうしたの?」

 

流石にどういうわけかわからず困ってしまった。

 

「トモダチ……カイトと私はトモダチです。それはとても嬉しいこと、ですね。シンデレラガールズのみんなとトモダチ……とても、温かいです」

 

でも、と前置きしてからアーニャは自身の胸に手を置いた。

 

「カイトとトモダチ……少し温かい、でも、ここがとてもチクチクします」

 

「……僕のことが嫌いだったとか?」

 

「ニェット! 違います! カイトのことは好きです! とても、大好きです!」

 

もしそうなら結構ショックだな、と思いながら軽い気持ちで言った言葉を、アーニャは噛みつくように否定する。そう好きと連呼されるととても恥ずかしいのだが……。

 

「学校のトモダチに聞かれました。私とカイトは付き合っていないのか、って」

 

「僕も何度か聞かれたよ」

 

「ソグラースニィ……カイト、この前聞かれていたこと、知ってます。……カイト、ちょっと困っていたみたいでした。私は……アーニャは、カイトに迷惑かけてますか?」

 

……なるほど。この前から何度か拗ねていた理由がわかった。そう言えばアーニャが拗ねていたときは決まって僕がからかわれて適当に流してしまった後だった気がする。何てことはない、アーニャの不安な気持ちに止めをさしたのは僕だったということだ。

自惚れでなければ、大学でアーニャと最も近いのは僕だと思う。何につけても大体一緒に行動しているのだから。そんな僕が口だけとは言えアーニャを迷惑だと言うような言葉を発したらどうなるだろうか。素直な彼女はまずそれを鵜呑みにしてしまう。その結果が今なのだ。

 

「そう思ってしまったらグルースチ……とても寂しくなって、プラーカチ……泣きたくなって、気付いたら、ここに向かっていました」

 

「…………」

 

「カイト……私は、カイトのことが、好きです。でも、カイトはそうじゃありません、ね?」

 

やめてくれ。何で君が泣きそうになっているんだ。悪いのは僕なのに。怒りこそすれ、君が泣く必要なんてないのに。

 

「カイトが迷惑なら、私は……」

 

「アーニャ」

 

我慢出来ずに、アーニャの言葉を遮る。普段ならそんなことはしないが、今回は別だ。

アーニャの口から、アーニャの声で、その先の言葉を聞きたくなかった。

 

「アーニャ、僕は……」

 

アーニャが真っ直ぐに僕を見ていることに気付き、一旦言葉を切ってしまう。ああ、こんなときに自分の性格が恨めしい。残っていた自分のコーヒーを一気に煽り、深く息を吐く。

 

「一度しか言わないからよく聞いていて欲しい。……僕は、僕も、君のことが好きだ」

 

きっと初めて話したときから。あの時、綺麗な目を見たときから。きっと、僕は彼女に惹かれていた。そして大学で再会して、一緒に行動するようになって……それを崩したくなくて、その先に進もうとはしなかった。結局先に進んだのは彼女が先に進もうとしたからだ。臆病者と言われても仕方がない。

 

アーニャは僕の言葉を聞いた瞬間から、目を丸くしたまま言葉を失って動かない。しばらくそのまま時間が過ぎていくが、じわりと彼女の目の潤みが強くなっていく。

 

「ちょっ、アーニャ!?」

 

「ズルいです……あんな、こと。言ったのに。いつも、そんな風に、見えなかった、のに。……ずっと、私だけだと、思って、たのに」

 

ボロボロと涙を流すアーニャに近寄ると、しがみつくように抱きつかれる。拭っても拭ってもその涙が途切れることはない。今まで我慢していたものが一気に出てきてしまったらしい。

むしろそれだけ、僕は彼女に我慢させてしまっていたのだ。

 

「本当に迷惑なら、僕は始めから君の面倒を見てないよ」

 

「でも、でも……!」

 

「それに、初めて会ったときに言ったじゃないか。僕は恥ずかしいことは苦手なんだ。否定したくなる」

 

彼女を泣き止ませたくて、そんなことを言ってしまう。今そんなことを言っても言い訳がましいだけなのに。でも気付いた時には言ってしまった後だ。

どうしようか迷ったものの、僕はしがみついたアーニャとソファに座り、彼女に膝枕をしてから互いの手を絡め合わせる。こんな時は抱き締めるべきなのかもしれないが、僕にはまだそんな勇気がなかった。

 

「だから、ごめん。今の僕にはこれが限界だ」

 

アーニャはしばらくぐすぐすとしゃくりあげていたが、少し待つと落ち着いたようで、手を繋いだまま頭を上げて僕の膝の上に座った。

 

「アーニャ? この体勢なんかすごく恥ずかしいんだけど」

 

「これで、許してあげます。だから、チェルピェーニエ……我慢、ですね」

 

まだ少し鼻声ではあるが、嬉しそうにそう言うアーニャに、僕は何も言えなかった。

アーニャはコテンと頭を僕の方に預けると、そのまま上を向いて僕と目を合わせて笑った。

 

「これで、私とカイトはヴァズリュヴリェンヌイ……コイビト、ですね」

 

語尾に音符でも付きそうなほど機嫌良くそう言う彼女から、ついつい目を逸らしてしまう。不満を露にして唸っているのが聞こえるが、間違いなく真っ赤になった顔をアーニャに見せたくなかった。

それでも、彼女を泣かせないためなら、彼女の笑顔が見れるのなら。

 

「むぅ。カイト! 顔が見えません!」

 

「今は見ないで欲しいかな……」

 

「イヤです! 私は、大好きなカイトを見ていたい、です!」

 

「……うぁぁ」

 

これからは、僕から彼女の手を取っていける。そんな気がした。











・新田海斗
美波の弟。18歳。新田の血には逆らえなかったのか、アーニャに一目惚れしちゃった人。
恥ずかしがりやが祟ったヘタレではあるが、面倒見が良く、また時々無駄に大胆になる。簡単に言えば天然ジゴロ。最後に手を握って膝枕とかやらかしたのもやっぱり新田の血←
ちなみに父親は突き上げ気味のレインメーカーで仕留めた模様。式場でゴングの音を鳴らし、母親が解説、圭が実況をして美波を困らせたとか。尚参列者の一部には大好評の余興になったらしい。

・アナスタシア
今回のヒロイン。クール。ここでは18歳。少しだけ日本語に慣れたらしく、自分のことは私、で統一するようになった。でも時々アーニャって言ってしまう。可愛い。
ロシア語の日本語表記とか本来無理ゲーですので、発音とか語法の指摘は勘弁してください。二年前の講義とかほとんど覚えてないんじゃよ……。
作者的には付き合い出したらスキンシップ多目なイメージ。万が一海斗にバッド(?)エンドがあるとすれば恥ずか死だろう。
『アーニャが仲の良い人を名前で呼ばないはずがない!』と急遽海斗と美波主(圭)に固定の名前が付いた。ちなみに他は未定。俺の名前を付けてくれ! という猛者が居れば作者まで御一報を←

・和久井圭
美波主。大学卒業後は調理師免許を取って定食屋兼居酒屋を開業した。細々とやっていたが、美波が連れてきた某神様と握手した翌日、まさかの某神の舌が来店。泣くまで昇天させた結果超有名店になったとか。
基本的に美波と同等の万能さを誇る。料理の腕も美波以上ではあるが、自分でも気付いていない好みを美波に握られているため、完全に胃袋を握られている。
結婚式に参列した姉に挑発しまくった結果、ヤクザキックで吹き飛ばされた後に意識が遠のくまで絞められた。

・和久井美波
旧姓新田。ここでは22歳。クール。押しも押されぬ人気アイドルに成長した。家では母と弟に弄られていた様子。

・ラジオ
新田美波弟と同衾疑惑。詳しくはシンデレラ劇場を参照。

・ひと悶着
海斗「アーニャ、そう言えば初めて会った時の最後、何て言ってたの?」
アーニャ「アー……『頑張れ! 出来る!』『幸運を祈る』……そんな意味、です」
「……アーニャ、僕来週の日曜日、一人で釣りに行くよ」
「シトー!? カイト、その日はデート……イズヴィニーチェ、カイト! ごめんなさい~!」

結局アーニャの泣き落としが勝ったらしい。

・なつかれた
友人曰く、『アナスタシアさんに犬耳と尻尾が生えていたようにみえた』とのこと。忠犬アーニャ誕生の瞬間。

・お目目キラキラ
?「橘です!」




~おまけ~

「ねぇねぇどんな気持ち? 妹分を弟に取られて、弟を妹分に取られてどんな気持ち?」

「…………」(ぷるぷる)

「……いや、すまん。流石に泣くほどとは思ってなかったわ」

「だってぇ……」

「あーはいはいよしよし。まぁ二度と会えないって訳じゃないだろ? また遊びに行けばいいさ」

「うん……」

「まぁ弟も妹分もいるんだ。どっちが欲しいって言わなくて済んで良かったじゃねぇか」

「……圭さん。私は娘が欲しいわ」

「美波さん? 流石に早すぎるんじゃ……ってヤメロォ!?」

和久井家は夫婦円満なようです。


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Secret kiss《北条加蓮》

美優さんボイス実装! 美優さんボイス実装!
SSR美優さんのスキルマにすると間隔短いから耳が幸せになれるよ!←

……彩楓さんや、ちょいと本気出しすぎじゃね? ボイスの色気が尋常じゃないんですが。






「かーれーんー!?」

 

「あははっ、ごめんごめーん」

 

数日ぶりに家に帰ると、玄関のドアを開ける前にそんな声が聞こえてきた。この何年か、よく聞いている声だ。

構わずドアを開けるとほとんど同じタイミングで妹とその友達がドタドタと騒がしくリビングから走ってきていた。相変わらず騒がしいが、元気な証拠だ。妹に意識を向けていたためか俺に気付かなかった女の子がぶつかったのをきっかけに、妹ーー奈緒がようやく俺に気付いたようだった。

 

「わぷっ!?」

 

「あ、兄貴おかえりー」

 

「あれ? って龍生さん!?」

 

「おー、ただいま……」

 

流石に一回りも年下の女の子にぶつかられてよろけるほど貧弱ではないため、自然とその子を抱き止めるような形になる。まぁ、知らない仲ではないため、そのままさっと体を離して頭を二、三回軽く叩いてから重い足でどうにかリビングにたどり着き、水を入れて飲む。渇いた喉が潤っていくのがどうにも心地いい。一息吐いたところで奈緒に向き直り、その姿を見てから一言もらす。

 

「お前が可愛い系の服着るとか珍しいな。明日は雨か?」

 

「へ? って違うからな!? これは加蓮が無理やり……」

 

「はいはい、知ってる知ってる。奈緒が密かに可愛い系の服とかグッズとか買い漁っては夜中に広げてニヤニヤしてることくらいは」

 

「だから加蓮のせいだって!? つーかなんで知ってんだよ!?」

 

「……マジかお前」

 

「え? ……だ、騙したなぁー!?」

 

とりあえずの兄妹のコミュニケーションを終えた後、顔を真っ赤にして吠えているマスコット(奈緒)を適当にあしらい、さっさと二階の自分の部屋に向かう。その途中で何故かさっきのままぼぅっとして固まっている北条に声をかけておく。

 

「体調に変わりないか?」

 

「え? ……あ! はい!」

 

「そうか。まぁゆっくりしていけ。何もない家だが、アレ(奈緒)をいじってれば暇潰しにはなる」

 

「兄貴はあたしを何だと思ってるんだよ!?」

 

「ペット」

 

「即答!? しかも酷いし!」

 

「じゃあ俺はもう寝るぞー」

 

怒る妹と小さく手を振る北条を放置し、俺は自分の部屋に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、あのバカ兄貴は……!」

 

「あはは、でも相変わらず仲良しじゃん。私達くらいの歳だと珍しいんじゃない?」

 

「はぁっ!? 普通だよ普通! 別に仲良くなんてないし!」

 

ぷりぷり怒っている奈緒をなだめながら、再びリビングに戻っていく。急いでココアを作って奈緒に渡せば、なんだかんだで機嫌が直るのはいつものことだ。神谷家にはもう数えきれないくらいには足を運んでいるため、どこに何があるかは奈緒と同じくらいには把握してると思う。

怒ったままココアをちびりちびり飲んで、顔を緩ませているのにまだ怒っている素振りを作ろうとする奈緒を可愛いなー、と眺めながら、私もソファに座って紅茶をすする。点けっぱなしのテレビには奈緒で遊び始めるまで一緒に見ていたアニメが映っている。私が病院にいた頃に見ていたアニメで、懐かしいなーと思いながら見ていたのだが、お花を摘みに出たついでに見つけた『なおのへや』と書いてある吊り札に私の好奇心が負けてしまったのだ。……うん、私は悪くない。可愛い服をわざわざ隠して持ってる奈緒が悪い。

 

「でも加蓮は兄貴大好きだもんなー」

 

「えふっ、ゴホッゴホッ」

 

「加蓮!? だ、大丈夫か!?」

 

奈緒の不意打ち気味の言葉に思わず噎せてしまった。口から吹き出すとかいう乙女の尊厳に関わる事態は意地で避けたが、苦しいものは苦しい。咳き込んでいると、奈緒は自分でこうさせたのにも関わらず慌てて背中を擦ってくる。

 

「だ、大丈夫。ちょっと噎せただけ」

 

「ならいいけど……思わず兄貴呼びそうになったよ」

 

「もう、龍生さんも疲れてるだろうし、こんなことで呼んじゃダメでしょ」

 

「でもさぁ……」

 

まだ心配そうな目を向けてくる奈緒を見て、思わず苦笑いをしてしまう。相変わらず過保護だなぁ。原因は奈緒なんだけど。

でも、奈緒の言うことは間違ってもいない。私が奈緒の家に入り浸っている理由は、もちろん奈緒と遊ぶためもあるんだけど、龍生さんに会えるんじゃないかなぁ、という期待もあるからだ。

私は龍生さんが好きだ。それは間違いない。けど、それがどういう『好き』なのかは私にもわかっていない。尊敬なのか、感謝なのか。親愛なのか、兄のような存在に対しての感情なのか。それとも恋愛なのか。

……少なくとも、龍生さんは妹の友達としか見てないんだけどね。多分。

 

「でも噎せたってことは図星だったんだろー?」

 

「奈緒、今日の晩ごはん買いにいこっか。奈緒はクローゼットの奥の収納ボックスに紙袋に包んで保管してたフリフリワンピで行こうね?」

 

「あの短時間でどこまで漁ってるんだお前!? つーか着ないぞ! 絶対着ないからな!」

 

思い出したようにニヤニヤしてきた奈緒を返り討ちにする。奈緒が私に勝とうなんてまだまだ早いよ。私も凛には最近勝てないんだけどさ……。

でも、きっと龍生さんがいなかったらこんな風に奈緒と仲良くなることもなかった。ううん、それどころかアイドルになることもマックに行くことも出来ずに、ただベッドからぼーっと外を見ているだけだったかも。

そう考えると、今の私があるのってほとんど龍生さんのおかげだったんだなぁ、って思う。ついでに、奈緒の心配性の原因でもあるんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がまだ病院のベッドの上にいた頃、もう自分の人生は終わったんだと思っていた。

私の担当医もコロコロと変わり、始めこそあれこれと気にするような風に接してくるけれど、段々とそれすらなくなって担当医が変わる。そんなサイクルを何度繰り返しただろう、わからなくなるくらい繰り返した辺りで、私は私というものを諦めてしまっていた。

唯一看護師長のおばさんだけはずっと粘り強く接してくれていたけど、それすら鬱陶しいと思ってしまうくらいに心も荒んでしまっていた。龍生さんが来たのはそんな時だった。

 

「今日から君の担当になる、神谷だ」

 

第一印象は無愛想な人、といった感じ。白衣に両手を突っ込んだまま病室に入ってきたのに、私の側に来て目線を合わせるみたいにしゃがんできた。他の医者はいつも見下ろす感じで立っていたから少し怖かったけど、龍生さんはそんなことはなかった。無愛想なのに怖くないとか、よくわからない感じがしたけど。

 

「ふーん……先生も大変だね。私みたいなのの担当に回されるなんて」

 

「それが医者だ。患者にその病気を治療できる医者を当てるのは当然のことだろう」

 

「へー。おじさんの先生もすぐ担当じゃなくなったのに、先生みたいなわっかいお医者さんが何とか出来るの?」

 

今でこそ後悔してるけど、そのときはそんな鼻で笑いながら話しているみたいな言い方をしていた。だってそのときはこんなにバッチリ治るなんて想像してなかったんだもん。夜にちょっと病室から出てたら「北条さんは二十歳までもつかどうか」なんて聞こえてきたこともあったし。

 

「何とか出来ないなら、今俺はここにいない」

 

「じゃあ何とかしてよ」

 

「……君は本当に病気を治したいのか? それとも諦めているのか? 諦めているのなら手術は受けない方がいい」

 

「はぁ?」

 

ふざけてると思った。何とかして、って言ったのに返ってきた言葉は手術は受けるな、だったしね。自信がないなら大口叩かないでよ、って思った記憶があるよ。

後で聞いた話だけど、このとき龍生さんはいつでも手術出来る状態だったらしい。というより私を助けるためだけにこの病院に来ていたとか。なんでも看護師長さんが龍生さんの恩人だったんだって。看護師長本人が教えてくれたけど、「貸しは作って取っておくものなのよ」って言葉は未だによくわからない。何であの人五十代後半なのにお茶目が似合うんだろう。

 

「生きる気持ちが固まったら言え。そのときに治してやる。……治ったら何がしたいか、なんて考えるといいかもな」

 

それだけ言って、龍生さんはさっさと病室を出ていった。私は内心、ものすごくイライラしてたからあいつにだけは助けてって言うもんか! って拗ねてたんだよね。今から考えたら図星を突かれて拗ねてたのかも。そのとき私、色々諦めてたし。

 

それから毎日、龍生さんは私のところに来た。それこそ帰れって言ってたのに無視して居座ってその内勝手に帰っていった。それが何回か続いた時に、今度は奈緒が私の病室に来た。

 

「あ、兄貴。頼まれた忘れ物持ってきたぞ」

 

「ん、早かったな。てっきり後二、三時間はかかると思ってた」

 

「何でだよ!?」

 

「ほら、奈緒と言えば迷子だろ?」

 

「何年前の話してんだ! 私もう高一だからな!?」

 

顔を合わせるとすぐに漫才みたいなやりとりを始めた二人に呆気に取られたけど、すぐにまたムカムカしていた。人が大変なときによく楽しそうに出来るよね、って感じだったかな。

 

「漫才するんだったら出ていってくんない? 私そういうのキライなんだよね」

 

「誰の何が漫才だ!」

 

「それだよ。うるさい。ここ病院だよ」

 

「あ、ごめん……」

 

病院と言っただけでびっくりするくらいにしゅんとなった奈緒を見て、何も言えなくなった。ため息をこれ見よがしに吐いてみるけど、その時には龍生さんはもういなかった。

 

「ごめんな、うちの兄貴きっついだろ?」

 

だと言うのに、奈緒は近くの丸椅子を寄せてきて、私の隣に居座った。厄介者がどっか行ったと思ったらまた厄介者が来た気分だったね。それから自己紹介だけして、奈緒がほとんど一方的にしゃべってたなぁ。

 

「加蓮は入院長いのか?」

 

「知らない。学校はあんまり行ってないけど」

 

「長いのかー、大変だなぁ」

 

「……なにそれ、嫌味?」

 

「違うぞ!? 本当にそう思ったからそう言ったんだよ」

 

何と言うか、奈緒みたいな純粋なタイプは今まで相手にしたことがなかったから扱いに困ったよ。だって怒るフリしただけで本気で焦って謝ってくるんだよ? もうどうしたらいいかわかんなくて。

 

「でも加蓮良かったな。兄貴がいて」

 

「……何が? 私あの人嫌いなんだけど」

 

「あ、やっぱ知らないのか。兄貴は海外長くてさ、医師免許が24にならないと日本じゃ取れないってんでまず海外で取って経験積むって家を飛び出したんだ。んで、何か有名になって日本に戻ってきたみたいだ。……加蓮の病気の手術成功率百パーセントって経歴持ってな」

 

その言葉に私は目を丸くした。以前に手術の話はあったけど、成功率が二十パーセントあるかないかって言われたのを覚えていたから。

それに更に話を聞けば龍生さんは日本に帰ってすぐにこの病院に来たらしい。看護師長が頼んだって理由だけで。

でも、成功率百パーセント。成功すれば、治る。それがどうしても私には信じられなかった。夢でも見ているんじゃないかって、目が覚めたら全部幻になるんじゃないかって。

 

「なぁ、加蓮は治ったら何したいんだ?」

 

「え?」

 

「やっぱ旅行とかか? 実は私も旅行行ったことほとんどないんだよなぁ。あ、でも旅行よりは遊園地とか行って騒いだ方が楽しいのかな」

 

勝手にうんうん悩み始める奈緒を他所に、私の思考は頭のなかでぐるぐる回っていた。

治ったら何をしようなんて、もう考えなくなっていた。だって諦めてたから。だからそれがいざ叶うってなると、どうしても考えが纏まらなくなったんだ。

まずは学校に行く。体育だって今まではみんながわいわいやってるのを見てただけだったけど、治ればできる。友達作って、帰りに寄り道して、みんなであちこち遊びに行って、それで、それで……。

 

「わ、ちょ、加蓮!? 何で泣いてるんだ!?」

 

「……え?」

 

目のところを触ってみると、しっとりと濡れていた。それを自覚したら、もう止まらなかった。

 

「加蓮!?」

 

「……だよ」

 

「へ?」

 

「嫌だよ……生きたいよ……! もうベッドの上に一人なんてやだ……! ずっとこのままなんて、やだよぉ……!」

 

多分それは、私がそれまで隠してた本音で、ワガママ。

そして私は次の日、龍生さんに手術をお願いした。

 

 

 

「……後遺症もなし。術後経過も良好。すぐに退院できるな」

 

それからしばらくして。手術は無事成功し、私はもうすぐ退院できるといった状態になっていた。

そうなると不思議なもので、今までいたこの場所が名残惜しくて仕方なくなった。まぁ、きっとそのときには龍生さんになついてたからって言うのもあるんだけど。

 

「あーあ、もうすぐ退院かぁ」

 

「あんだけ不貞腐れてたやつが今更何を言っているんだ」

 

「あ、それ言う? 言っちゃう? だったら先生も手術しないとか言ってたよね!」

 

「勝手に人の発言ねじ曲げんな」

 

龍生さんがカルテで軽く私の頭を叩いてくる。そんなやり取りが出来るくらいには私達は仲良くなっていた。

 

「いったぁ……頭を怪我しましたー、もうちょっと入院しますー」

 

「そうか。なら痛み止めを処方してやろう。副作用で髪の毛全部抜けるけど」

 

「きゃー!? それダメ絶対ダメ! 女の子に向かって何しようとしてんの!?」

 

「仮病使おうとする方が悪い」

 

涼しい顔でとんでもないことをしようとする龍生さんに、私は手元にあったタオルで応戦する。そんなやり取りがそのときは奈緒と話すのと同じくらいには楽しかった。

その日は、龍生さんが病院にいる最後の日だった。龍生さん自身の本当の所属は別の病院だったみたいで、ここに来ていたのは出張扱いだったんだって。

それで最後まで元気な姿を見せて安心させたかったから、こんな風にふざけてた。

 

ま、結局その後奈緒繋がりで龍生さんの家に入り浸ったりするんだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、私にとって龍生さんはパパ以外の唯一の近しい異性だったんだよねー。龍生さん見た後だと、学校の男子は子どもにしか見えないし。そんな人が気になったのは仕方ない。

 

「……何急にニヤニヤしてんだ加蓮? 気持ち悪いぞ」

 

「え? 嘘」

 

何か考えが表情に出てたみたい。奈緒に言われるとは一生の不覚だ。これが凛なら間違いなく弄り倒されてる。気を付けよう。

 

「まぁいいや。これやるよ」

 

そう言って奈緒は唐突に一枚の紙を私に差し出してくる。遊園地のペアチケットだ。

 

「何これ。今度一緒に行くってこと?」

 

「それでも良かったんだけど、それ茄子さんと仕事したとき福引きで当たってから結構経ってて、期限ギリギリなんだよなぁ。持ってたことすっかり忘れてたし……」

 

「茄子さん……流石って言うか何て言うか……」

 

ホント、下手な神様よりあの人拝んだ方が御利益あるんじゃないかな。

 

「私はこれから仕事詰まっちゃってるし、加蓮にあげようと思って。確か明日から三日はオフだったろ?」

 

奈緒の言う通り、私はこれから三日間の休みをもらっている。というより今までが忙しすぎたんだけど……。Casketsの後、Masque:Radeで二ヶ月くらい休みなしだったしね。

それはともかくとして、奈緒がダメなら誰を誘おうか。凛は……無理だよね、多分。最近彼氏にべったりだし。奏とか周子は休みだった気がするけど……。

 

「せっかくだし、兄貴と行ってきたら? 明日明後日は休みらしいし、緊急の呼び出しもあんまりないみたいだしな」

 

「うぇっ!?」

 

思わず変な声が出てしまう。それに奈緒がニヤニヤしてるけど、今はそれはいい。

龍生さんと遊びに行くこと自体は今までにも何回かあった。けど、それは奈緒も一緒で文字通り遊びに行った、というものだ。けど今回は奈緒はいない。龍生さんと二人きりということはそれすなわちデートということであるからして……

 

「~~~~!?」

 

「かれーん!? 顔真っ赤通り越して茹で蛸みたいだぞ!? お前本当は体調悪いだろ!?」

 

「い、いや、そんなことはございませんでありますえ……」

 

「何か色々混ざりすぎてる!?」

 

いけないいけない。想像してみたら思いの外ダメージが強かった。

 

「大丈夫だよ奈緒。落ち着いた」

 

「お、おう。大丈夫ならいいんだけどさ」

 

「それより、龍生さんが休みって本当?」

 

「兄貴が言ってたから間違いないよ」

 

「ちょっと予定聞いてくる!」

 

そうして私はそそくさとリビングを後にし、寝る直前の龍生さんに直談判して翌日のデートを勝ち取ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「あんだけ露骨なら自分でも気付いていいくらいなんだけどなぁ。まぁ、加蓮の母さんに頼まれてたチケットは渡したしいっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、龍生さんとのデートの日。ちょっといつもより早起きして、色々気合を入れて待ち合わせ場所に来たのはいいんだけど……。

 

「ねぇ彼女、もしかしてヒマー?」

「ヒマならオレたちと遊ぼうぜー」

 

「はぁ……」

 

少し早く来すぎたみたい。前に奏と同じようなことになったけど、もしかしてこれがナンパのやり方で固まっちゃってるのかな。古すぎると思うけどさ。

服はちょっと文香さんを真似して大人っぽい感じにしたから、もしかすると実年齢より歳上に見られてるのかもしれない。帽子と伊達眼鏡を使ってるし、特にナンパの人たちも騒いでないからアイドルってことはバレてない……はず。

でも面倒くさいなぁ。前みたいに立ち去ってあしらうことも出来ない。何て言っても待ち合わせ場所がここなんだし。

私の迷惑そうな顔に気付いてないのか、ナンパ男たちは勝手にグイグイ話を進めようとする。そういう空気とか雰囲気が読めないところがモテない原因だと思うんだけどな。

 

「……お前ら、俺の連れに何か用か?」

 

しばらく適当にあしらっていると、数分後にそんな声が後ろからかかってくる。ナンパ男たちはその声の主を見てすごすごと逃げていった。まぁ仕方ないよね。龍生さん、かなりガッシリしてる方だし。

 

「悪いな、遅れてないとは思ったんだが」

 

「大丈夫ですよー。私が早く来すぎただけですから」

 

「また何か奈緒やら母さんやらに怒られそうだな……」

 

私を待たせていたことを気にしているのか、龍生さんがこめかみに手を当てる。なんでも、私に何かあったら大体奈緒かおばさんにお説教をくらうんだとか。龍生さんもそれなりだけど、神谷家の人たちは少し私に甘すぎないだろうか。いや、しっかり甘えてる私も私なんだけど。

 

「あはは、まぁそれは置いといて行きましょうか」

 

「ん? 奈緒は? 出るとき居なかったから先に出たもんだと思ってたんだが」

 

どうやら龍生さんはいつも通り奈緒と私と三人だと思っていたらしい。確かにそれを言い忘れてたなぁ、と思い出したけど、今回は引けない。二人きりで出掛けられる機会なんて滅多にないのだ。

 

「今日は奈緒はいませんよ?」

 

「……え?」

 

「私と二人ですね!」

 

「えー……」

 

私の言葉に何とも言えない表情を浮かべる龍生さん。流石にその反応は見逃せない。

 

「むぅ。私と二人って嫌ですか?」

 

「俺はいいんだけどな……お前が嫌なんじゃないか?」

 

「嫌なら初めから誘ってないですよ? ほらほら、早く行きましょう!」

 

何か龍生さんは自分のことを年寄りみたいに考えてるふしがある。でも龍生さんはなんやかんや見た目が若いのだ。多分現役大学生、しかも新入生って言っても普通に通用しそうな感じがある。反対にかなり鍛えてるから身体とかは凄くガッシリしてるんだけどね。

ちょっと渋った龍生さんの手を引っぱる。少し恥ずかしかったけど、これはこれで悪くないかも。龍生さんも観念したのか普通に歩き始めていた。さりげなく少し前に出て人避けしてくれてるところが大人な感じがする。

 

「しかし北条も物好きだな。こんなおっさんと出掛けて何が面白いのか」

 

「世間一般のおじさんたちに怒られますよ? 龍生さん、見た目はすっごい若いじゃないですか」

 

「そやかて北条」

 

「やったねおじさん! ネタ返しだよ!」

 

「ネタにネタ返しとは成長したな北条……」

 

「奈緒に鍛えられてますからねー」

 

奈緒の影響が確かに強いけど、龍生さん用に覚えたっていうのもある。奈緒の趣味って結構ファンタジーだしね。

 

「それより、その北条っていうのそろそろ変えません?」

 

前から加蓮って呼んでほしいと伝えてはいるのだが、龍生さんに至っては一向に変わらない。確かに一回慣れた呼び方を変えるのは難しいのかもしれないけど、付き合い自体は長いのに苗字呼びは少し寂しい。

 

「医者やってるとどうにもなぁ。人を名前呼びする機会なんて奈緒くらいだし。北条も元患者な訳だしな」

 

「ちょっとずつ変えていきましょうよ! ほーら、プリーズコールミー加蓮!」

 

「えらくテンション高いなお前……。まぁいいや。加蓮」

 

「…………」

 

「どうした?」

 

「な、なんでもないです! 今日一日はそれでいきましょう!」

 

「えー……」

 

「三回以上北条って言ったら罰ゲームですからね!」

 

「理不尽ってこういうことなんだろうな……」

 

龍生さんが少し前を歩いてくれていて助かった。多分今私の顔、真っ赤だから。私赤面症じゃないはずなんだけどなぁ。龍生さんの前だと高確率でこうなっちゃう。

私は顔を見られないように龍生さんの背中を押しながら、遊園地へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遊び始めると時間が経つのが早い。いつものことだけど、私は毎回そう思う。

少し前に着いたばかりだと思ってたのに、もう夕方だ。もう少し遊んでいたいのだが、疲れが出たのか龍生さんが眠そうだった。昨日家に帰ってきたのは二週間ぶりのことだったらしい。疲れてるのに悪いことしちゃったかな……。

 

「悪いな北条、もう少し体力あったと思ってたんだが」

 

「いえ、こっちこそすみません。私がワガママ言っちゃって……」

 

帰りに立ち寄った公園のベンチに座りながら、龍生さんに渡された紅茶を飲む。少し空気が重い。お互いに謝り合っちゃってるからそりゃそうなんだけど。

 

「そ、れ、よ、り。はい、北条三回目でーす!」

 

「げっ……そういやそんなんあったな……」

 

空気を軽くしようと思い出した約束を持ち出す。正直なところ、回数なんて数えてないけどまぁ多分三回越えてるだろうし。

龍生さんはまた微妙な顔をしているけど、暗い感じはなくなった。作戦成功、かな。

 

「というわけで罰ゲーム!」

 

「頼むから軽いのにしてくれよ?」

 

「ふふふー、どうしよっかなー」

 

実際どうしようか。あのときは照れ隠しに勢いで言っちゃっただけだしね。全く考えてない。

またデート……は龍生さんの予定と私の予定が滅多に合わないからなぁ。会うたびに確認して約束取り付けるしかないし、あんまり無理強いするのもなんだしなぁ。罰ゲームで告白なんて論外だし。

 

んー……、あ、そうだ。

私は自分の膝をポンポンと叩く。龍生さんは始め首を傾げていたけど、意味を理解したのか少し顔が赤くなっていた。

 

「いやいやいやいや」

 

「いいじゃないですか。現役JKの膝ですよ?」

 

「犯罪臭しかしないだろそれ!」

 

「大丈夫大丈夫ー。だって私から言ってますしー」

 

というか多分誰よりも私が恥ずかしいから、覚悟が決まってる内に早くしてほしい。私の顔が赤くなってないか不安なんだから。

それに今の時間はみんなご飯を食べに行っているか、夜のパレードの場所取りに必死なので、公園の人通りが少ない。現に今も見渡す限り人はいないし、こんなチャンスはもうないだろう。神谷家には私がいるときは間違いなく奈緒がいるし。

 

渋る龍生さんの頭を抱えて引き寄せると、観念したのかおそるおそる頭を膝に乗せてくれた。奈緒と同じくサラサラした髪が素肌に触れて少しこそばゆい。でも、何故かとてもいい気分。

 

「……昔とは真逆だな」

 

「そうですね。昔は絶対龍生さんの方が体力ありましたし」

 

手術のときだって、問題は結局私の体力だったみたいだ。難しい、というのもあったみたいだけど、患者の体力が低いから手術に耐えられるかどうかが一番の問題だったんだって。だから龍生さんが言ってた「生きたいって気持ちがないなら手術は受けない方が良い」っていうのは間違いでもなんでもなかったんだ。それでも龍生さんは普通の半分くらいの時間で手術を済ませちゃったみたいなんだけどね。

しかも退院まで奈緒を話し相手兼お目付け役にくっつけてくれたし。まさかの退院後までくっついてきてるけど。今じゃ親友だもんね。

 

「いや、そうじゃない。……よく笑うようになったな」

 

不意打ちってこういうことを言うんだろうか。ちょっと一瞬言葉が出なかった。

 

「昔はまたすれた子どもだなぁと思ったもんだが……今のお前は、うん、なんだ。綺麗になったな」

 

……この人は。何回私を赤面させれば気がすむんだろう。私ってこういうキャラじゃないはずなんだけどなぁ。

いつか考えたことだけど、私は惚れるより惚れさせるんだろうなぁって何となく思ってた。だって私が男の人を追いかける姿なんて想像できなかったしね? いや、演技でやってみたことはあるけどさ。……ううん、でも相手役の想像は自然と龍生さんだったなぁ。まさか、演技のつもりが演技じゃなかったなんて考えもしなかったよ。

 

「ねぇ、龍生さん……龍生さん?」

 

気付けば、龍生さんから穏やかな寝息が立っていた。まぁ、普通に歩いてるだけでもちょっと眠そうだったし、仕方ないかな。いつもは家にいる間はほとんど寝っぱなしみたいだし。

……ちょっと唐突にシリアスになりそうだったし、助かったのかな? ……うん、多分そう。急がば回れってよく言うもんね。

 

…………でも、良く寝てる。今なら何しても起きない……よね?

そう考えた私は、まじまじと龍生さんの顔を見つめた。まつ毛は長いし、パーツも整ってる。眉毛は神谷家の遺伝なのか太めだけど、イケメンと言って差し支えないと思う。

 

見つめている内に、段々と距離が近くなる。胸が龍生さんの胸板に圧迫されて、心臓がドキドキ鳴ってるのがはっきりとわかる。そして……。

 

「……ふふっ」

 

奏じゃないけど、うん。悪くないかも。むしろイイ?

今はまだ、なんにも言えない私だけど。それでも、いつかきっと、貴方にこの思いは伝えたい。

それがどうなるかはわからないけど……でも

 

夢見るのは自由……だよね? 龍生さん。




・神谷龍生
奈緒の兄。25歳。アメリカで22歳で免許を取り、NGOで技術を磨く。24歳で日本で免許取得。もはや医療関連のギフテッド。
モデルは医龍の朝田龍太郎。尚、現実では24歳以下が免許を取得することは例えアメリカだろうが有り得ません。しかも免許取得から更に研修が入るのでまず執刀医とかありえない。この物語はフィクションです←
眉毛は奈緒に負けず劣らず。恐らく加蓮が奈緒を弄るのはこの人の影響があると思われる。名前は作者のリア友の加蓮Pより拝借しました(本人了承済み)。

・北条加蓮
16歳。クール。今回のヒロインというかもはや主人公。男がヒロインとかいう最近のトレンドにのっかってみた←
ここでは手術が必要な病弱だったという設定。病名? 知らぬ。15の時に手術を受け、全快。昔とか言ってるけど一年前なのだよ。
ほぼ10歳差とかいう年の差恋愛にチャレンジする模様。実るかどうかは作者の気分次第(ゲス顔
リアル龍生が次の限定ふみふみとか引きやがったら小説龍生をゲス男にする覚悟である←
選考理由? SSR美優さんの衣装ってあれLove∞Distinyのやつだよね!←

・神谷奈緒
17歳。クール? ザ・弄られ役を地で爆走するツンデレラガール。作者の中では幸子や菜々さんと同列なために扱いがアレなことに……。

・加蓮母
相変わらずのサポート力。今回は奈緒を懐柔した模様。ちなみに袖の下はアニメの限定グッズ。

・過保護
龍生「奈緒、とりあえず北条が体調悪そうだったら気遣ってやれ」
奈緒「わかった!」
これがいつまでも残っている模様。というより加蓮は東京で奈緒は千葉。出会った経緯って何かあったっけか……?

・そんなことはございませんでありますえ
桃華ちゃま+大和+お紗枝はん

・ナンパ
デレステコミュ参照。この小説内だと既に奏に彼氏がいるためあの三倍はあしらいかたが酷い。

・ちょくちょく存在感を出す茄子様
神様だからね、仕方ないね!

・ちょくちょく存在感を出す凛ちゃん
順調にヨソミヲ許さない女として成長なされているご様子。あとマーキング。

・膝枕
おいこら龍生そこ代われ……はっ! チガウンダふみふみ浮気じゃないんだ!←

・そして……
ナニをしてたんでしょうかねぇ!(怒

・美優さんボイス実装
なんかエロい。『ふふっ……楽しい……』『熱く……もっと熱く……』がスキル間隔短い上に発動率が高いので下手すりゃ一曲丸々美優さんのスキルしか聞こえないなんてことも稀に起こりうる。
曲のリズムが頭に入ってこねぇ……!(煩悩


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Feeling Love《一ノ瀬志希》

「おい、起きろ」

 

「んにゃぁー……」

 

朝日が差し込む部屋の中、目の前の布団の塊を揺らす。ベッドの上には枕もあるが、それは放り投げられたように隅に据え置かれており、ちょうど中心に団子のように丸まった布団があるだけだった。

その塊を何度も揺するが、返事が返って来るだけで一向に顔を出す気配がない。時折もぞもぞ動いてはすぐに動きを止める。まぁ、いつも通りだ。……いつも通りとか言えるようになってしまったことが悲しくて仕方ないが。

そもそも、何故オレが独り暮らしのこのアホの家でコイツを起こすようなことになっているのか。自分でもあまり理解していない、というよりは理解したくないだけなのだが、とにかく話は一ヶ月ほど前にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は朝から妙にみんなが盛り上がっていた。オレは野球部の朝練があったので知らなかった話だが、どうやらアメリカからの帰国子女が転入してくるらしい。おまけにかなりの美人だったと、それらしい女子を見た奴が騒いでいた。

去年の四月にも新入生にとんでもない美人がいる、と騒いでいたはずで、今年の四月にはオレの妹を見てなんやかんや言っていたというのに元気なことである。ただこっちは朝から練習で疲れているので静かにして欲しいのだが。

 

「おい緋彩! お前聞いたか?」

 

「転校生の話だろー……」

 

「そうだけどちげーよ」

 

「どっちだよ」

 

ついつい頭に浮かんだツッコミを即座に口に出してしまう。正直、疲れからくる眠気で頭が働いていない。一限目は普通に寝ても怒られない授業だということも少しは影響しているのかもしれない。

 

「その転校生が来るのがうちのクラスなんだってよ」

 

「へー……」

 

「り、リアクションうっすいなぁお前……」

 

「ぶっちゃけ今は睡眠以外に興味ない」

 

眠いものは仕方がないのである。そう言うと話しかけてきた友人もオレが限界だということに気付いたのか、後で後悔しても知らねーぞ? とニヤニヤしながら言い残し、登校してきた別の奴らのところへ行った。

これでようやく寝られる、と周りの音を意識から外へ放り出し、本格的に寝る体勢を作る。そして少し意識がふわふわとし始めた頃のことだった。

 

「ハロハロー! どーもアメリカから帰ってきました一ノ瀬志希でーす! 特技はケミカル、好物はタバスコたっぷりのピザ! よろしくにゃー!」

 

結構な大音量がオレにクリーンヒットした。うるせぇ。

思わず反射的に体を起こしてしまう。普段よく居眠りしているときに耳元で手を叩かれて起こされているが故の弊害だった。中途半端に意識が浮いていたところを起こされたせいか、全く頭が回らない。眠い。

 

「じゃあ一ノ瀬、高森の横が空いてるからそこに座りなさい」

 

「はーい!」

 

ぼけーっと宙を見つめていたら、いつの間にか転校生の紹介やら質問やらが終わっていたらしい。どういう訳か気付いたらオレの横に設置されていた席に向けて転校生が歩いてくる。

緩くウェーブしているロングヘアーに、ぱっちりした目は少し猫っぽい。スタイルもよく、誰とは言わないがうちの妹とは大違いだ。確かにあいつらが騒ぐのも無理はないほどの美少女だった。

 

「キミが高森クン?」

 

「? そうだけど?」

 

「ふーん……」

 

てくてくと歩いてきたかと思えば、自分の席に荷物を置くこともなく、オレの前に立ってじっとこちらを見てくる。

何をしてるんだコイツは、と思いながらも特に気にせずにぼけーっとしていると、どういう訳か転校生はオレの顔のすぐ傍まで自分の顔を近づけてきた。

 

「何してんだお前!?」

 

「んー……甘すぎず、苦すぎず、まったりしていてそれでいてしつこくない……いいね!」

 

「はぁ?」

 

コイツが何を言っているのかさっぱりわからない。それでも何が嬉しいのか、転校生は面白そうに笑っていた。周りでは転校生のエキセントリックな行動に教師も生徒も固まっている。

転校生は周りの雰囲気に気が付いたのか、周りを見渡して首を傾げた。

 

「んー? キス&ハグくらい海外(むこう)じゃ挨拶代わりだよ? キスもハグもしてないけど」

 

「ここ日本。Do you understand?」

 

「I've understood so well! そんなことよりキミいいニオイしてるねー!」

 

おかしい、話が通じない。しかも訳がわからない。朝練終わりの男子高校生、しかも今日は制汗シートも忘れたためにいいニオイどころか汗臭いはずだ。

 

「なーんかぽかぽかあったかいって言うか、広くて包み込まれるって言うか、ほら、青空みたいな感じ? ありゃ、ちょっと土のニオイもするねー。運動部?」

 

「……野球部だけど」

 

「そっかそっかぁー! にゃっはっはぁー!」

 

ニオイだけで運動部と当てられたこともそうだが、言っていることとやっていることがいかんせんエキセントリックすぎる。変わった奴だとは思いながらも、オレに害がなければ好きにすればいいか、と早めに見切りを付けてもう一度眠る体勢に入る。

先生も気を取り直したのか、転校生ーー一ノ瀬だったかーーに軽い注意をして授業を始める。一ノ瀬は何がおかしいのか、笑いながら軽い感じで謝っていた。

 

そして授業が始まって数分再び微睡んでいたオレだったが、隣に居座ることになったエキセントリック娘が大人しくしているはずもなかった。

 

「せんせー!」

 

「どうした一ノ瀬、何かわからないところでもあったか? だったらとりあえず高森を起こして聞くか、授業が終わった後に聞きに来てーー」

 

「飽きました!」

 

「……は?」

 

「じゃーそーゆーことでー」

 

「あ、コラ! 待て一ノ瀬!」

 

ガタガタガチャガチャという騒がしい音に顔を上げると、隣にいたはずの一ノ瀬がいなくなっていた。時計を見ると、授業が始まってから十分と経っていない。

バックレたな、と勝手に結論をつけてみるが、案外間違ってはいないだろう。欠伸を一つこぼしてもう一度寝ようとすると、先生から大声が飛んでくる。

 

「高森! ちょっと一ノ瀬連れ戻すの付き合え!」

 

「……オレっすか」

 

「うちのクラスで唯一の野球部かつ俺が野球部の顧問だから仕方ないな! 後いつも睡眠学習見逃してやってるだろ!」

 

一瞬面倒くさいという感情がわき上がってきたが、確かに毎朝練習に出ており、成績も悪くないということで授業中に寝ているのを見逃されているのは事実だ。それを突かれては何も言えない。逆らって睡眠を禁止される方がオレにとっては事だ。

面倒だと思いながらも、オレはゆっくりと教室から出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、一ノ瀬がどこに行ったのか、それが一番の問題なのだが、それは大して難しくない。短い間だがあのエキセントリック娘を見て、感性で生きてる猫みたいな奴だということは何となく理解した。そういう奴が行く場所と言えば屋上ーー

 

ーーと見せかけて、裏庭だ。

 

「すぴー……」

 

この学校の裏庭は日当たりがいい。四方を校舎に囲まれている中庭に比べると月とスッポンと言える程に。しかも中庭にしろ裏庭にしろきっちりと芝生で整備されているなら尚更寝心地はいいだろう。……自分がその立場だったら、という話だが。

 

「おら、起きろ」

 

「ふがっ!?」

 

自分の眠りを遮った奴が快眠していればそりゃあ腹も立つ。一ノ瀬の鼻を摘まんで少し息を苦しくしてやれば、即座にばたばたと手足を動かして跳ね起きた。

 

「なにごとっ!?」

 

「やっと起きやがったか猫娘」

 

「んー? このニオイは隣の高森クン!」

 

「ニオイで判別すんのか……。猫ってより犬だな」

 

「にゃんにゃんわおーん!」

 

「何してんだお前は……」

 

「ぱっぱぱー! 志希にゃんは志希わんに進化したー」

 

「人間に戻れアホ」

 

「はーい」

 

コイツと会話のキャッチボール……というよりはピッチング練習か。こうしていても仕方がないのでさっさと立ち上がる。そして一ノ瀬を立たせようと手を出すが、一ノ瀬はそれを不思議そうに見ているだけだった。

 

「んにゃ?」

 

訂正。堂々とさっぱりわかりませんとばかりに首を傾げやがった。

 

「戻るんだよ。誰のせいでこんなところまで来たと思ってんだ」

 

「キミも昼寝しに来たんじゃないの?」

 

「お前と一緒にすんなアホ」

 

「んー……」

 

一ノ瀬はオレの手を取らないまま、顔を近づけてハスハスと手のニオイを嗅ぐ。咄嗟に手を引っ込めるが、一ノ瀬はふにゃりと頬を弛ませた。

 

「でもキミ、やっぱりすっごくイイニオイがするんだよねー」

 

「……行くぞ」

 

「あ、ちょ、待って!? 流石に引き摺られるのは志希ちゃん不本意っていたたた!? お尻! お尻削れるー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてその後、度重なる一ノ瀬の脱走と、それを毎回一発で発見、捕獲、連行するオレという図式が出来上がり、満面の笑みのあの先生(ゴリラ)に一ノ瀬の世話係を命じられて今に至る。オレにとっては百害あって一利なしもいいところであったが、睡眠を邪魔されるよりはマシだということで何とかやっている。

このアホ娘、学校内で何かやらかすだけならゴリラやらクラスの男子を煽ればオレが動かなくても何とかなるのだが、そもそも学校に来ない日もある。その全てがコイツの気まぐれだと言うのだから本当に質が悪い。

そうして朝からオレがコイツの家に来てみれば、鍵こそ掛けてはいるもののポストに合鍵を入れっぱなし、そしていざ入ってみれば気持ち良さそうに爆睡しているときた。流石のオレでも腹に据えかねるものがある。

 

この半月くらいですっかり把握したコイツの部屋の中から、目覚まし用とは名ばかりの生物兵器、『目覚ましアロマ(シュールストレミングの香り)』を取り出し、タイマー式の散布機に取り付ける。部屋を完全に密室にしてから五分後に撒くようにスイッチを入れ、寝室を出てから勝手にコーヒーを淹れて飲む。香りに関しては本人が『三分後には霧散するからだいじょーぶ』と言っていたので大丈夫だろう。多分。

 

『ーーん"に"ゃ"あああああああああ!?』

 

と、丁度コーヒーを飲み終わったあたりで一ノ瀬の断末魔が部屋中に響いた。防音設備のしっかりしている割といいところのマンションだから大丈夫だろうが、普通のアパートだったら顰蹙ものだっただろう。

コーヒーのおかわりを淹れていると、勢いよく寝室の扉が開かれた。

 

「ちょっとキミでしょ!? あれ仕掛けたの!?」

 

「何回起こしても起きなかったからな。自業自得だ」

 

「それでもヒドいよ! まだ鼻がヘンだぁ……」

 

「そんなもん作って置いておくからだ。アホめ」

 

「……あたし、キミ以外にアホとか言われたことないんだけど?」

 

ジトー、と一ノ瀬がこちらを見てくるが、とりあえず面倒くさそうなのでスルーする。コイツに構っていたらきりがないのだ。

確かにコイツは普段の行動からは想像もできないが頭がいい。それこそ天才というやつだ。ちょくちょく本人からこぼれてくる情報を頼りにするなら、一ノ瀬は向こうでは飛び級で大学に居たが、飽きたからと日本の高校に転入してきたらしい。その頭のよさの反動か、興味が三分くらい、もしくはそれが完成するまでしか続かないとのことだ。それにしては猫みたいにじゃれてくるために扱い辛いことこの上ないが。

 

「そうか、良かったな」

 

「良くないよ!」

 

「時間を考えろアホ。朝からきゃんきゃん煩い」

 

「……なんか調子狂っちゃうなー、もう」

 

一ノ瀬は諦めたのか、オレの対面に座り、自分もコーヒーを淹れる。わざわざ学校に出る前にオレがここに来させられる意味をようやく理解したのか、今日は珍しくきちんと制服を着ていた。

 

「でも流石にシュールストレミングはヒドくないかにゃー? 文字通り鼻が曲がっちゃうところだったよ」

 

「さっきも言ったが、あんなもんぽんと置いておくお前が悪い」

 

「そりゃあそうだ。にゃっははー」

 

適当に返してみるが、何やら反応がいつもと違う。いつもなら『それでも謝罪を要求するー、思う存分ハスハスさせろー!』とか言って飛び付いてくるから避けるか投げるかしていたはずだが。

横目で一ノ瀬を見ると、何やら髪の毛を気にしていた。恐らくどこかが絡まって違和感があるのだろう。いつもより大人しいのは違和感を取ろうと必死になっているからだろうか。

まぁ、大人しくしているに越したことはない。コイツが大人しければそれだけオレの睡眠時間は増えるのだ。たまにはそんな日があってもいいだろう。

 

「……それ飲んだら行くぞ」

 

「えー、志希ちゃん飽きちゃったー」

 

「飽きたとかそういうことじゃないだろ」

 

「キミだっていっつも寝てるでしょ? それってつまんないってことじゃないの?」

 

確かに、オレは学校に行ったところで、一ノ瀬の言う通り寝てるか、一ノ瀬の捜索連行をしているかのどちらかだ。学校の勉強を楽しいと思ったことは一度もない。なにせ、見ればわかるのだから。数学にしろ、国語にしろ、どんな教科でも何となくこうだと理解できる。理解してしまう。おかげで教師陣からは文句こそ言われないが、問題児扱いされるという立場に落ち着いている。唯一学校で楽しいと感じるのは部活のときくらいだ。それも、自分の力では上手くいかないチーム競技だから、という面が強いが。

そう思っているためか、オレは一ノ瀬の言葉を否定することができなかった。

 

「あたしもだよ。だってわかっちゃうんだもん。わかっちゃうし、その先の内容も知ってる。キミには話したよね? あたし向こうじゃ大学生だったんだよ?」

 

「だからって、気軽にルールを破っていいわけじゃないだろ」

 

「ふふふー、ちょーっと言葉に詰まってきたねー?」

 

「うるせぇ」

 

自身の有利を悟ったのか、一ノ瀬はけらけらと楽しそうに笑いながらオレを見る。

 

「逆にどうしてそこまでルールに拘るの?」

 

「出る杭は打たれる。それだけだ」

 

「にゃっはーん、緋彩クンは打たれたことがある、と」

 

図星だった。思い出したくないことだが、確かにそれは事実だった。

 

「にゃはは、図星みたいだね。顔コワイよ?」

 

付き合ってられるか、そう考えて、オレは真っ直ぐに玄関に向かう。しかしその手を一ノ瀬が両手で掴んで止めてきた。

 

「離せ」

 

「やー、ゴメンゴメン。あたしやっぱり人との距離の取り方とか苦手でさー」

 

「離せと言った」

 

「やーだー!」

 

引きずっても振り払おうとしても必死でしがみついて離れない一ノ瀬。何がコイツをそうさせるんだと思いながらも、一ノ瀬を引き剥がすことは出来なかった。

 

「……何が望みだよ」

 

結局先に根負けしたのはオレの方だった。一ノ瀬はオレが逃げないと察したのかぱっと手を離すと、悪戯っぽい目でオレの目を覗き込む。

 

「今日はあたしと、ちょっぴりワルいことしよ?」

 

どうせ拒否しても無理やりさせられる。諦めを込めて、オレは首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「にゃっふっふー! ほらほらこっちー!」

 

テンションの跳ね上がった一ノ瀬に連れられて来たのは、なんてことないショッピングモールだった。なんでもこっちに来てから自宅と学校の往復と、たまにコンビニやらスーパーに出掛けていただけだったらしい。睡眠欲ってすごいんだねー! とは本人の談だ。

一ノ瀬のことだからあっちへフラフラこっちへフラフラしているものだと思っていたのだが、学校で追ったり追われたりして体力が限界まで削られていたようだ。それを聞いて知らんと一蹴すると、頬を膨らませて威嚇された。全く怖くもないが。

目的地に着いたら着いたで、一ノ瀬はやはり感性に任せてフラフラとぶらついている。時折雑貨や服を見に店に入ることはあっても、五分と経たずにまたフラフラと歩き出す。いや、荷物持ちにならない分楽でいいか。

 

「もー! ちゃんと着いてこないとダメだよー!」

 

「へいへい、たいへん悪ぅございました」

 

「むー!」

 

頬をリスみたいに膨らませたかと思えば、何かを思い付いたように目を輝かせる一ノ瀬。こちらが何かをする前に、一ノ瀬はオレの腕に抱きついてきた。

 

「ちょっ、おまっ」

 

「こーすれば遅いとか気にしなくてもいいよねー!」

 

「離れろアホ娘」

 

「ざーんねーん! 志希ちゃんは一度装備したら離れませーん!」

 

「呪われた装備じゃあるまいし……」

 

「志希ちゃんの呪い? んー……とりあえずハスハスしちゃう!」

 

「やめろアホ! よけいくっつこうとすんな!」

 

「ふあー……やっぱりキミってイイニオイするよねぇ……」

 

頬を弛ませてハスハスと顔をくっつけてくる一ノ瀬。もうこうなるとほんの少しだけあるかもしれなかった言うことを聞く可能性すらなくなった状態だ。周りの視線が痛いが、それを言ったところでどうにかなるような奴ではないのはよくわかっている。

しばらくは呪いの装備(一ノ瀬)を引きずるようにして歩いていたが、やがて一ノ瀬が何かに気付いたように、オレにひっついたまま鼻をスンスンと鳴らした。

 

「んー……ね、どっかお店入ろっか」

 

「別に構わんが……どうした?」

 

「雨、来るよ。通り雨」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたしねー、雨のニオイって好きなんだー」

 

喫茶店に入ると、一ノ瀬の言う通り間もなく雨が降ってきた。窓際の席に座っているせいか、外の慌ただしく動いている人たちが別世界のように見えてしまう。頼んだコーヒーを待ちながらそんなことを考えていると、一ノ瀬が唐突に口を開いた。

 

「雨のニオイってね、ペトリコールとジオスミンのニオイ。化学物質にしたらそんな簡単に言えちゃうのに、自分で作ろうとしても作れないの」

 

「そうなのか?」

 

「そーなんだよ。人が作るとどうしても純度が上がっちゃうからかなー、なんか違う、って感じちゃうんだよねー」

 

いつになく一ノ瀬が落ち着いている。自分のことを話すのも珍しいが、きちんと考えて話しているのはもっと珍しい。

 

「ねー、緋彩クンはさー……」

 

「ん?」

 

「あたしのこと、キライ?」

 

と、思ったら相変わらず唐突な話の転換だった。いきなり言われても困る問いだが……

 

「そうだな、好きか嫌いかで言えば嫌いだ」

 

「……そっか」

 

一ノ瀬が来てから睡眠時間は減るわ、朝練に出られなくなったから手加減が難しいわ、友人連中には一ノ瀬のことでからかわれてまた睡眠時間が減るわ、迷惑ばかりかけられてきた。

 

「……けど、まぁ、なんだ。お前が来てから、少しは楽しくなったな」

 

「……! そっかそっか!」

 

一ノ瀬に振り回されて、初めて周りの連中を使って一ノ瀬の捕獲作戦を考えて。一ノ瀬にはパターンなんて存在しないからそれなりに頭を働かせて。

今までにない新鮮な体験は思いの外楽しいものだった。

 

「……でもどうした? んなこと聞くなんてお前らしくもない」

 

「にゃはー、まぁそれはそう……なんだケド……」

 

「お、おい!?」

 

突然一ノ瀬が声もなく泣き始めてしまった。いかんせん、こういう場面に出会ったことがないのでどうしたらいいのかわからない。内心オロオロしていたが、とりあえず備え付けの紙ナプキンを差し出す。

 

「にゃはは……ゴメンね……」

 

「いや、別に構わないんだが……」

 

「びっくりした?」

 

「……そうだな」

 

とてもではないが、一ノ瀬が泣く姿なんて想像もしたことがなかった。出来なかったと言ってもいい。

 

「あたしさ、今までここがあたしの居場所だー、って思ったこと、無いんだ」

 

まだ少ししゃくりあげてはいたが、再び一ノ瀬が話し出す。オレはとりあえず相槌を打って話を促した。

 

「ダディ……あ、お父さんね。ダディはあたし以上にブッ飛んでたから家庭なんてかえりみないし、小さい頃からあたしは別物扱い。アメリカに行ってもどうしてもギフテッドってレッテルは張り付いてくるし。それだけで周りはみんな一線を引いちゃうの。あいつはギフテッドだからー、天才だからー、って」

 

……まるで何処かで聞いたような話だった。昔、神童やらともてはやされたオレが少年野球ではみ出してしまったときの話と。

そして同時に何故コイツがここまで奔放な振る舞いをしているのかも、理解できた。

 

「あたしが転校してきた日ね、キミがあっという間にあたしを見つけてくれたときね、すっごく嬉しかった」

 

「そうか」

 

「それから何回も何回も、何度手を変えても見つけてくれたから、もっと嬉しかった」

 

「そうか」

 

「いつもは何でもすぐ飽きちゃうけど、キミがいるから、あたしは学校に行こうって思えたんだよ?」

 

「……そうか」

 

いつもは何とも思わなかったが、やはり一ノ瀬がしおらしいとどうにも調子が狂う。

一ノ瀬の頭に手を置き、何度か軽く叩く。

 

「んー? にゃっふふー」

 

「……なんだよ」

 

「なーんでもー? んー、フェニルエチルアミンのニオイ……」

 

「なんだそれ」

 

「なーんでーもにゃーい!」

 

それだけでテンションがいつも通りに戻るあたりが一ノ瀬なのだが、まぁ深くは言うまい。

とりあえず清算を済ませて店を出る。所々に水溜まりが残ってはいたが、雨はすっかり上がっていた。

 

「ねー!」

 

「なんだよ」

 

先ほどまでと同じく腕に装備された一ノ瀬が上機嫌に声をかけてきた。

 

「やっぱり学校行こっか!」

 

「……今から?」

 

「今から!」

 

時計を見れば、既に昼休みが終わっている。今行ったところで、ゴリラから説教を食らうのは確定だ。

 

「超面倒くせぇ……」

 

「いーじゃんいーじゃん! 多分大丈夫だって!」

 

「九割九分大丈夫じゃねぇよ。どっから来るんだその自信」

 

「feeling!」

 

「勘かよ……」

 

そんなことを言いながら、一ノ瀬はずいずいとオレを引っ張っていく。こうなるともうどうしようもない。そのまま電車に乗り、学校の近くまで引きずられて行った。

 

「本当に行くのかよ……」

 

「にゃっはー!」

 

「ほら、一ノ瀬だけで行ったらいいんじゃねぇの?」

 

「んー……ダメー!」

 

「何でだよ……」

 

そう愚痴ると、オレを引っ張っていた一ノ瀬がくるりとこちらに顔を向ける。

 

「だってキミはあたしのお世話係なんだから、あたしから目を離しちゃダメなんだにゃー」

 

そう言うとぱっと前を向いてさっきより強めにオレを引っ張っていく。そんな一ノ瀬の耳は真っ赤に染まっていた。




・去年の新入生
一体どこのはやみさんなんだ……←

・今年の新入生
世界一可愛いドラム缶と褒められ(?)てるあの人

・高森緋彩
主人公。(祝)無事名前決定、常識に叩かれちゃってた天才。まぁ小中学生なら嫉妬もされるわな、と。
それのせいかやる気不足、気力不足のゆるふわならぬゆるぐだ系に。多分杏とは気が合う←
ただし志希にゃんに触発された結果、ちょっとやる気だしてまさかのドラフト候補になったりならなかったり。
コンセプト? ほら、目には目を、ギフテッドにはギフテッドをってな。

・一ノ瀬志希
Co寄りのCuに見せかけた中身Pa(作者の見解)。ケミカル系のギフテッドで、大学生から高校生になった変わってる経歴の持ち主。
デレステのコミュとか見てたら作者の中では寂しがりやという結論に落ち着いてしまった←異論は甘んじて受け入れよう!
秘密のトワレよろしく「恋は化学式」とかで上手いこと書こうと思ってたけど無理だったよ……。
尚、本編中では未スカウトです。
主人公を気にした理由はやっぱりニオイである。クンカー代表の名は伊達ではなかった。

・志希の失踪癖
なんか『見つけてほしい』願望に見えて仕方なくなってしまった。そう考えると作者の萌えポイントが入ったというのもある←

・鍵がポストに
事前情報です。決して不法侵入ではありません←

・目覚ましアロマ(シュールストレミングの香り)
志希の嗅覚であれ食らうと下手な暴力より暴力だと思う。ちなみに本家本元のシュールストレミングはファブ○ーズすら凌駕します(ガチ

・怒らせる志希にゃん
構ってほしいけど距離の取り方がわからなくて怒らせる志希にゃん。

・「今日はあたしと、ちょっぴりワルいことしよ?」
エロいこと考えた人手ーあーげてー(ゲス顔

・呪われた装備志希
延々ハスハスされそう

・フェニルエチルアミン
簡単に言えば恋愛物質。詳しくはググろう←

・お知らせ
まだ名前募集しております。できるだけメッセージで送って下さい。

空き
文香主
美嘉主
凛主
美優主
志希主

まだ書いてないけど約束済み

ありす主
まゆ主


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あまく、しろく《佐久間まゆ》

メリークリスマス!
黒サンタからのクリスマスプレゼントだ!←何様


『ふぇぇ……』

 

あれはいつのことだっただろう。確か幼稚園か、それより幼いころだったっけ。そんな思い出せないような時期のことだけれど、そこで起きたことと出会った人は永遠に忘れることはない。

公園で一人、さみしく泣いていた私は……あれ? そう言えばどうして泣いていたんだっけ。まぁいいか。思い出せないということはきっとささいなことだったんだろう。そんな風に一人だった私は、ちょっと年上のお兄さんに声をかけられた。

 

『どうしたんだ? なんかあったの?』

 

今もだけれど、そのときの私は極度の人見知りで、お兄さんの顔を見て泣き止んだものの、結局何も言うことが出来ずにいた。そのせいでまた涙がじわりと溢れてきたのだけど、首を傾げていたお兄さんに回り込まれて背中を押されたことにびっくりして、涙は引っ込んでしまった。

びっくりしたまま首を動かして後ろを見れば、イタズラが成功したときのような楽しそうなお兄さんの顔。

 

『おれたちむこうであておにやってんだ。おまえもやろうぜ!』

 

見ず知らずの女の子に、躊躇うことなく声をかけてくれた貴方。引っ越してきたばかりで周りに馴染めていなかった私を優しく導いてくれた貴方。

そのときから私は……まゆは、きっと貴方に惹かれていたんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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朝、目覚まし時計の騒がしい音で目が覚める。大学に進学して以来、どうにも以前のような早起きが苦手になった。恐らく授業を選べることと、そのために朝一番の授業を受けないようにしていることが影響しているのだろうが、それはまぁいい。

体を起こして伸びをすれば、パキポキと軽快な音が鳴る。随分体が固まっていたらしい。少しだるさがあるが、今日は日曜日だ。特に何をする用事もないのでゆっくりできる。

さっさと着替えて部屋を出れば、台所からトントンという包丁の音が聞こえてくる。これもまたよく聞き慣れた音だ。世間的には聞き慣れてはならないのかもしれないがそうなってしまったのだから仕方がない。台所に顔を出して声をかける。

 

「おはよう、まゆ」

 

「あ……照さん、おはようございますぅ」

 

台所にいたのは佐久間まゆ……幼馴染みと言うのだろうか、近所の年下の女の子だった。俺の家に母親はいない。どうやら俺が生まれたときに亡くなったとのことだ。親父は一途だったのか、母さんが亡くなった後も再婚せずに今に至っている。それに仕事が忙しいらしく、最近はめったに家に帰ってこれないようだ。

そのこともあってか、近所で親交のあった佐久間さんの家に御世話になることも多かったのだが、高校辺りから俺がなんとか自活できるようになり、佐久間さんの御世話になることも少なくなった。すると何故か代わりにと言わんばかりにまゆが度々うちに来るようになったのだ。

昔は気恥ずかしかったのもあり、一度断ったのだが、まゆが「自分がしたいからこうしている」と言って聞かないので、最終的には俺が根負けした形になった。

 

「悪いな、いつも。疲れてたりするときは来なくてもいいんだぞ?」

 

「大丈夫ですよぉ。照さんの家に行くこともまゆの生活サイクルになってますから。それとも……まゆは迷惑でしたか……?」

 

「んなわけないだろ。お前がいてくれてすんげぇ助かってるよ」

 

「それなら……」

 

まゆがすっとこちらに寄って来て、頭を差し出してくる。俺はそんなまゆの頭に手を乗せて優しく撫でた。まゆは気持ち良さそうに目を細めると上機嫌な様子で一歩下がる。これもまたいつもの光景だ。いつもながらそんな報酬でいいのかとすら思ってしまうが。

 

「もう少しでお昼ご飯できますからぁ、テレビでも見て待っていてくださいねぇ」

 

「いや、なんか手伝うよ」

 

「大丈夫ですよぉ。まゆがやりたくてやっているんです。照さんはなぁんにも気にしないで寛いでいて下さい」

 

任せきりも悪いなと思って手伝おうとするが、まゆにやんわりと断られてしまう。まったく、人がいいというか、お人好しすぎるというか……。

それ以上言っても暖簾に腕押しなのは目に見えているため、わかったと一言残してリビングに戻る。

 

それから十分くらい経っただろうか、あらかた準備は終えていたのだろう、本当にすぐまゆが二人分のオムライスを持ってやってきた。両方にハート型のケチャップがかけられているのが、何と言うか少し気恥ずかしい。しかし年下の、それも妹みたいに思っている女の子にそんなことを知られるのも恥ずかしいため、何とか顔に出さずに隠しておく。

 

「相変わらず料理上手だな」

 

「これくらい普通ですよぉ」

 

手を合わせてから食べ始める。玉ねぎの甘味と鶏肉の旨みがご飯にしっかりついていて美味い。正直学校の食堂と比べるのが失礼に思うくらいだ。

 

「照さんは今日どこかにお出かけされるんですかぁ?」

 

「ん? いや、今日は特に何もないから家でゴロゴロしてる予定だけど」

 

「そうですかぁ……」

 

それを聞くと、もぞもぞと動いたり、チラチラとこちらの様子を窺ってくる。何ともわかりやすいが、この子はそれでいいのだろうか。せっかくの女子高生なんだから彼氏を作るなりした方がいいんじゃないかとも思うんだが。いや、この子の場合はそれはダメか。

まぁ、今はまゆの希望に応えることにしよう。

 

「飯、食ったら一緒にどこかに出掛けようか」

 

「! いいんですか!?」

 

「予定も無いし、あれだけそわそわしてたらそりゃあ、な?」

 

そう言うと、まゆは恥ずかしそうに頬を紅く染める。どうやら気付かれてないと思っていたらしい。付き合いの長さも相まって彼女の癖は大体知ってしまっているのだが、それは言わない方がいいのかもしれない。

 

「お前はわかりやすいな」

 

「うぅ……あんまり言われると恥ずかしいですよぉ」

 

「それで、どうしたい?」

 

「照さんがいいなら……まゆは、一緒にお出かけしたいです」

 

「なら、そうしようか」

 

まゆは小さくなりながらこくりと頷く。俺がこの子を弄ることは滅多にないため、余計に恥ずかしかったのだろう。まぁ、これはこれで可愛いまゆが見れたので良しとしよう。

 

「じゃあ、飯食ったら出発しようか」

 

「えっと、すみません。まゆ、出来れば一度お家に帰りたいんですが……」

 

「? 別に構わないけど、どうした?」

 

「服を着替えたくて……」

 

言われて、まゆの服を見てしまう。フリルの付いた白いスカートにボーダーのセーター。いつものまゆらしい可愛らしい装いだ。

 

「今のままでも充分可愛いと思うけど」

 

「うぅ……」

 

何故かまゆは袖で顔を隠して照れてしまった。相変わらず変なところで純情な子だ。たまに俺の部屋を掃除してもらったときは世の中のお母さんよろしく隠していたはずのああいう本を机の上に置かれていたりするのだが。

 

「じゃあ俺は家で待っていればいいか?」

 

「そうですねぇ……もし照さんが嫌じゃないんでしたらーー」

 

ーー待ち合わせ、してみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が貴方のことを意識し始めたのはいつからだっただろう。

幼稚園の頃はまだ頼りになるお兄さんだった。小学生の頃でもまだかっこいいお兄さんくらいの認識だったはず。べったりだったのは否定しようのない事実だったけど。

となると、やっぱり中学校? うん、多分そのあたり。段々思い出してきた。確か、仲のいい女の子に質問されたのが始まりだったっけ。

 

『まゆちゃんは好きな人いないの?』

 

確かクラスのどの男の子が好きか、って話だったっけ。まだ初心だった私はみんながわいわい話しているのを顔を赤くしながら聞いていたんだけど、急にそんな質問が来たから慌てていないって言ったんだった。そのときはみんなまゆちゃんは初心だねって私も含めて笑ってたけど、家に帰ってまだ高校一年生で私の家に来ていた照さんを見て自分でもビックリするくらいドキドキしたんだ。

ああ、私は照さんのことが好きなんだなぁって本当に瞬間的に自覚した。もう理屈じゃなかった。

それからもう四年が経った。でも、私はそれまでの妹みたいな時期が長くなっていたせいか、未だに照さんにはきちんと女の子の扱いをしてもらっていない。だからこそ今日は、今日こそはーー

 

「あら? まゆ、どうしたの? 今日は照くんの家で過ごすんだと思ってたけど」

 

「あ、ママ」

 

決意を込めて家の扉を開ければ、そこにはママがいた。手にミトンをしているあたり、ケーキでも作っていたのかもしれない。なんたって今日はーー。

 

「ううん、その照さんとお出かけするの」

 

「あら? とうとうまゆもデートデビューかしらね?」

 

「もう、ママ!」

 

「うふふ、ごめんなさい」

 

心底楽しそうにママが笑う。この人をからかうのが好きな癖は治らないのかな。ママの言う通りなんだけど、それを自覚したらまたほっぺたが真っ赤になっちゃうのに。

 

「着替えたらすぐに出掛けるからね」

 

「ふふ、目一杯お洒落していかないとね」

 

そんなこと言われるまでもない。照さんとのデートをしっかり『デート』にするためにも、一切の手抜きは許されない。

しっかり、それでも急いで服を選んで、ほんの少しだけどお化粧もして。でも気付けば結構時間が迫っていた。

用意を済ませて玄関に出れば、キッチンからママが顔を出した。

 

「まゆ」

 

「なにー?」

 

「そのリボン(願掛け)、外せるのが今日だったらいいわね」

 

「……うん」

 

そうして、私は家を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

From:千川穣

件名:助けてください

本文

友達とオールで遊んでから帰って来たら何故か俺の家にいた奏の機嫌が最悪なんですが、どうすればいいですか?

 

 

 

 

昼過ぎの駅前。まゆが待ち合わせに選んだ場所で待っていると、高校時代に仲良くなった部活の後輩からそんなメールが送られてきた。

とりあえず後輩には『今日が何月何日か考えてから行動しろアホ。後独り身にのろけ話してんじゃねーよドカスが』と二割の同情と八割の殺意を込めたメールを送っておく。あいつめ、俺が一度まゆと出掛けているところを見て以来、俺とまゆが付き合っているものだと本気で勘違いしてやがる。穣には美人な彼女がいるかもしれないが、俺は生まれてこのかた彼女なんて出来た試しがないというのに。

 

「ごめんなさぁい、待ちましたかぁ?」

 

スマホを見ていると、横からそんな声がかけられる。もちろんまゆだ。

淡い桃色のフリルが付いたワンピースに、種類まではわからないがもこもことした暖かそうな白いカーディガンを羽織っている。マフラーはしていないので流石に首もとは寒そうではあるが。靴はどうやらブーツのようだ。

かすかに息を荒くしているところを見れば、どうやら駅のホームからここまで走ってきたらしい。そんなに慌てなくてもいいと思うのだが。

 

「大丈夫だ。待ってないぞ?」

 

「そうですかぁ」

 

俺の言葉を聞くと、ほぅと一息吐く。寒さのせいか、息が白くなって宙に消えていった。

 

「どうする? 何か飲んでから動くか?」

 

「いえ、大丈夫ですよぉ」

 

そう言うと、まゆはいきなり俺の腕に抱き付いてくる。いきなりで少し焦ってしまうと、それが面白かったのかまゆはくすくすと微笑んだ。それが恥ずかしくて、照れ隠しに少し早めに歩き始めると、それすら愛らしいと言わんばかりにまゆは腕に抱きついたまま笑みを深くした。

 

流石に季節柄か、通りはイルミネーションで溢れていた。あちこちでセールやら何やらで賑わっていて、気分の問題か、カップルらしい男女が多いように見える。一人で歩いていたらメンタル死んでただろうなぁ、と思いながら辺りを見回していると、不意にくいと腕を引かれた。

 

「照さん、行き先は決まってるんですかぁ?」

 

「いや、何分急だったから決めてない。だからお前も何か気になった店とか物とかあったら教えてくれよ?」

 

「うふふ……わかりましたぁ」

 

そう言ってからしばらく周りを見ながら歩いていたが、どうにも今日は気温が低い。まゆが抱き付いているからか右腕は暖かいのだが、左側がその分寒さが強くなってしまっている。思わずマフラーに顔を埋めてしまうくらいには。

何か軽く暖かいものでも飲めないか、と喫茶店を探してみると、少し向こうにまゆが気に入りそうなカフェが見えた。

 

「まゆ、向こうのカフェなんかどうだ?」

 

「カフェ、ですか……? そうですねぇ、流石にずっと外にいても寒いですからぁ……行きましょうか」

 

そういうわけでカフェに入れば、外とは違う暖かい空気が俺たちを包む。二名ということで外が見えるカウンターに座れば、まゆがさっそくメニューを見ていた。

 

「決まったか?」

 

少ししてからそう聞くと、まゆは不思議そうにこちらを見てきた。

 

「まゆは大丈夫ですぅ。でも、照さんはメニュー見なくていいんですかぁ?」

 

「まぁ、俺が喫茶店とかカフェで頼むのはブレンド以外ないからなぁ」

 

「そうだったんですねぇ」

 

それを聞くと、まゆは店員を呼んで注文を済ませる。間もなく頼んだものが運ばれてきて、それを一口飲んでからようやく一息吐いた。

 

「悪いなまゆ。せっかく出掛けるってなったのに何も決めてなくて。寒かっただろ?」

 

「そんな……まゆは楽しいですよ? それに急なお出かけでしたし、行き先を決めろっていうのも無茶ですから」

 

微笑んだまましっかりとフォローしてくるまゆ。相変わらずいい子だが、もう少し砕けてくれてもいいのだが。

そして俺はコーヒー、まゆはショートケーキに手をつける。この子も甘いものは好きなようで、ケーキを口に入れた瞬間ふにゃりと顔を弛ませた。

 

「美味いか?」

 

「ふぇ?」

 

「いや、すごく嬉しそうに食べるからな」

 

「美味しいですよぉ。苺がたくさん入っていて甘酸っぱくて……そうだ」

 

そう言うとまゆはケーキを切って俺の前に差し出した。

 

「はい、どうぞぉ」

 

「えっと、まゆ?」

 

「味見です」

 

語尾に音符でも付くような声で言ってくるが、それは流石に恥ずかしい。しかしいかにも期待した目で見てくるまゆのお願いも断り辛い。

仕方なく覚悟を決めてケーキを口にする。確かに苺の甘酸っぱさがとても美味しいケーキだった。

しかし俺の顔は今人に見せたものじゃないだろう。多分真っ赤のはずだ。ちらりと隣を見れば、まゆはまゆで顔を赤くしてフォークを見つめている。そのまま気まずい雰囲気が流れていたのだが……

 

「あー……暖かい……」

「もう……相変わらず雰囲気も何も気にしないわね」

「だから謝って出掛けてんだろ」

「誠意が見えないのよ、誠意が」

 

後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。思わず振り返ってそちらを見れば、案の定後輩の千川穣とその彼女であろう美人がいた。

 

「ん? あ、先輩じゃないすか」

 

向こうも俺に気付いたようで、俺たちの横の空席に座る。穣の彼女もそれに続いて、溜め息を吐きながらも穣の隣に腰を下ろした。

 

「先輩もなんやかんやできっちり彼女さんと来てるんじゃないですか」

 

「そんな……彼女だなんて……」

 

隣でまゆが顔をより赤くしているが、俺は穣に呆れつつ返事をした。

 

「だから彼女じゃねぇって。妹分だよ」

 

ガタリ、と音がした。振り返れば、そこには席を立ったまゆがいた。表情は見えない。ただ、肩を震わせたまゆがそこにいた。

そしてまゆはそのまま店から走り去っていく。茫然としながらそれを見送っていた俺に、穣の彼女が声をかけてきた。

 

「追いかけないの? 追いかけないと……きっと後悔するわよ?」

 

「ちょ、お前この人年上」

「今はそんなこと気にしている暇はないわ。とにかく……早く行きなさい。会計は穣が持つわ」

 

「……恩に着る」

 

「いいわ。迷惑料と考えて頂戴」

 

その返事を聞ききる前に、俺はまゆを追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

「全く、不器用なんだから」

 

「お前にしてはまた、随分肩を持つな」

 

「あら、嫉妬かしら?」

 

「お前のそういうのに今更乗らねぇって」

 

「あら、面白くないわね。それより、会計勝手に引き受けたけど大丈夫? 足りないなら流石に受け持つわよ?」

 

「アホ。そこまで甲斐性なしでもなけりゃ鈍くもねぇよ。どうやら核心突いて余計な世話働いたみたいだしな。で、本音は?」

 

「穣にしては鋭いわね。そうね、同僚の幸せを祈るくらいはいいじゃない?」

 

「同僚って……おいおい、マジかよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱりここか」

 

駅の近くの公園。そこのベンチにまゆは座っていた。

寒さもあってか、周りには誰もいない。ただ薄暗い蛍光灯の光とそれに照らされたまゆだけがそこにあった。

 

「……よく、ここがわかりましたねぇ」

 

「わからんと思ってたのか? 俺も低く見られたもんだな」

 

まゆは何か落ち込むことがあると必ず公園で一人になる。昔はそれを心配するばかりだったが、今になって役立つとは……人生何が役に立つかわからないものだ。

何も言わずにまゆの隣に座る。まゆはこちらを見ることもなく、ただ下を向いている。

 

「……覚えていますか? まゆたちが初めて会ったときのこと」

 

「……流石にそれは覚えてないな」

 

「ここで一人で泣いてたまゆを、照さんは泣き止ませてくれたんです。そのまま遊びにも誘ってくれて……こっちに来たばかりのまゆには、それがとっても嬉しかった」

 

言われてみれば、確かにそんな風だったような気もする。

 

「……ねぇ、照さん」

 

「ん?」

 

「照さんにとってまゆは……私は、やっぱり妹でしかありませんか?」

 

遂に本題が来る。しかし、俺の答えは決まっていた。

 

「ああ、そうだな」

 

「!」

 

まゆの肩がびくりと震える。それに構わず、俺は続けた。

 

「ーーそう思おうと、ずっと頑張ってたんだけどなぁ」

 

「……え?」

 

「俺が自活始めるって言ったときあっただろ? そんときは強がってたけど、やっぱり不安だったんだ。でも、お前が来てくれただろ? 心底感謝したし、なんか二人になるって思ったら、な?」

 

「……」

 

まゆはゆっくりとした動きで俺の顔を見たまま動かない。涙の跡が残っているのは俺の罪だろう。

 

「それでも、今まで妹みたいに慕ってきた奴をそんな目で見ちゃいけないって思ってた。……ま、ついさっきまでだが」

 

「照さん……それは……」

 

「ま、もう意味のない我慢みたいだから言うぞ? ーーまゆ、お前のことが好きだ。妹じゃなく、一人の異性として」

 

まゆの目から再び涙が溢れてくる。ただ、こっちの涙は止める必要はないだろう。

そう思っていると唐突にまゆが抱き付いてくる。顔を隠すように、俺の首より少し下に押し付けていた。

 

「……まだ許しません」

 

「……そっか」

 

「はい。女の子を不安にさせたんです。それだけじゃ許しません。だから……好きじゃなく、大好きって言ってください」

 

まゆの期待に応えるため、耳元まで顔を寄せて、そして囁く。

 

「大好きだよ、まゆ」

 

そのまま、まゆは俺の背中に手を回して強く抱き締めてくる。それと同時に嗚咽の音も聞こえてきた。

まゆの頭を撫でながら、空を見上げる。聖夜の空は、純白の雫で染め上げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

「そう言えば、せっかくのクリスマスなのにプレゼント用意してなかったな」

 

「なら、この左手のリボンをほどいてくれませんか?」

 

「ん? そんなのでいいのか?」

 

「はい。叶えたい願いは叶いましたから。それにーー」

 

ーーあなたの隣にいることが、私にとって最高のプレゼントです。




・伊集院照
主人公。本当は名字を『赤城』にするつもりだったがまゆとの絡ませ方から断念。理由? 察しろ(麻雀感
お前なんで気づかないの系鈍感男と見せかけて、自分の中の獣を抑えていた系主人公だった。この辺実は割りとノリと勢い←
最終的にリア充爆発しろとなるのはお約束。

・佐久間まゆ
キュート。16歳。愛が重い系アイドルだが、今回は珍しく目のハイライトが消えてない綺麗なままゆを書いてみた。
ヘビークルシミマスざまぁ回だと思った? 残念メリークリスマスままゆ回でした!←
やっていることがほとんど変わらなくても、相手の受け取り方と固定概念次第で認識って変わるんだね……。

・おさんどんままゆ
完全に通い妻

・袖で顔を隠すままゆ
個人的に萌え袖してそうなイメージ

・まゆママ
昨今のままゆ家庭ヤバイ説に歯向かってみた。前回志希にゃん割とハードだったからね、仕方ないね!

・左手首のリボン
傷痕なんてなかった

・唐突な奏夫妻来襲
そう言えば高校生組って他のとことあんまり絡みないよね、と何か閃いた。まぁ、ふみふみ美波アーニャのとこが絡みすぎなだけという気がしなくもないけど。
多分穣くんは尻に敷かれてる←

・かっこいい奏夫妻
なんやかんや精神年齢すごい高そう

・本編
参考文献? エヴリデイドリームだよ!

現在の名前空き
美嘉主
凛主
美優主
志希主

書いてない(書くとも言ってない)名前決定済み
ありす主
周子主
美穂主
唯主

こう見るとあっと言う間に埋まったなぁ(感謝
実はお気に入り登録してる二次の作者さんにリクエストもらって嬉しかったり笑


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固く結んで《鷹富士茄子》

明けましておめでとうございます。

ちっひがお年玉くれましたね。皆さんはどうでしたか? 作者はSSR加蓮と愛梨とみくを引いて舞い上がりました。ただしみくにゃんてめーは駄目だ(二枚目


「すんまへんなぁ、わざわざうちに付き合うてもろて……」

 

「大丈夫ですよー。偶然私がいつも初詣に行く神社ですしね」

 

隣で紗枝ちゃんが申し訳なさそうにはにかむのを、私は笑顔で大丈夫と答える。今年ももう終わろうとするだけあってか、道には私たちと同じ方向へ向かう人たちで一杯だった。

今日は今年最後の収録だった。私は基本的に年の瀬、年明けにお仕事が殺到するために実家には帰らないが、紗枝ちゃんは明日から正月休みだ。未成年に実家に帰らせないような美城プロではない。未央ちゃんとか幸子ちゃんみたいに自分から仕事したいと言う人は別だけれど。

その紗枝ちゃんにある神社の行き方を聞かれたのが今こうして並んで歩いている理由だったりする。その神社が偶然、私がいつも初詣に出掛けている神社だったのだ。たまたま新年早々は休憩時間として設けられていたので、最近は年が明けてからお参りしていたのを今年は年越しでお参りしようと思ったために紗枝ちゃんに着いてきている。

 

「でも紗枝ちゃん、初詣は家族と一緒じゃなくても良かったんですか?」

 

「うち、初詣しに来たんと違いますえ?」

 

「そうなんですか?」

 

紗枝ちゃんの言葉に思わず首を傾げてしまう。この時間帯に神社に行くと聞けば誰だって初詣と思うだろう。

 

「うちの兄様がそこであるばいとしてはるらしいんどす。もう何年も帰って来ぃひんからええ加減連れ戻してきてくれ、ってお母さんに言われましてなぁ」

 

「紗枝ちゃんのお兄さんですか……。あれ? でもこの間一人っ子だったって言ってませんでした?」

 

「ああ、兄様言うても従兄弟どす。小さい頃からよう遊んでもろたからなんや、本当の兄様みたいに思てしもて……」

 

恥ずかしそうに着物の袖で口元を覆う紗枝ちゃん。やはりそういう動作がとても似合っているように見える。私も和風な衣装を着ることが多いけど、紗枝ちゃんみたいにはいかない。年季の差かな? こんなこと考えたら紗枝ちゃんに怒られそうだけど。

 

「あ、そろそろ着きますよー」

 

人の数が更に増えてきて、かなりの賑わいを見せている。道の両脇には出店も出ていて、まるで夏祭りの縁日のようだ。騒がしくて、活気があって。道行く人は楽しそうだったり、受験生らしき子は真剣そうに歩いていたり。けれど、悲しそうな人はいなくて。この雰囲気が、私は大好きだ。

そのまま歩いていると、やがて神社の石段が見えてくる。そこにはここ数年ですっかり見慣れた人の姿……というよりは聞きなれた人の声が響いていた。

 

『えー、新年までもうすぐですが、焦らず慌てず並んでお待ちくださーい。おらそこのチャラ男ー、彼女にいいカッコしたくても他の人弾こうとしない。抱き締めて守ってやるくらいしてやれー』

 

和装に身を包んでメガホンで注意換気をしている男の人。そんなに声を張っているわけではないけれど、よく通る声が妙に頭に残っていたために覚えていた。後で聞いてみると、早くも新年の名物になっていて、わざとあの人の前で危なくない程度に何かをする人もいるのだとか。

今も人ごみの中からすみませーん、と笑い半分の返事が聞こえてきて、あの人はそれに『おー、気ぃ付けて末長く爆発しろよー』なんて返している。近くの人からは笑い声が聞こえてきた。

 

「ほら紗枝ちゃん、あの人はこの神社の新年の名物なんですよー。……紗枝ちゃん?」

 

急に隣の紗枝ちゃんが静かになったのを不思議に思って視線を向けると、両手で自分の顔を覆っている紗枝ちゃんがいた。どういうわけか、耳まで真っ赤になっている。

 

「えっと……紗枝ちゃん?」

 

「…………の……ほ」

 

「へ?」

 

「にいさまの……あほー!」

 

突然紗枝ちゃんが大きな声を出したかと思えば、一目散に走り出した。あの男の人のところに。とりあえず私も急いで紗枝ちゃんを追う。

 

『えー、石段での押し合い圧し合いは大変危険でーす。怪我したくなければ大人しくゆったり並んでお待ちくださーい。賽銭箱は逃げませんのでゆっくりのんびりお待ちくださいコノヤロー。なんやかんや俺たち神社関係者が一番早くに来てんのに一番遅くにお参りすることになるのも考慮して「にいさまのあほー!」ちょ、誰だ、ってあれ? お前なんでここにいんの?』

 

慌てて追いかけたものの、先に走り出した紗枝ちゃんには追いつけず、彼女はメガホンを持った男の人に突貫していった。にいさま、って言っていたけど……。

紗枝ちゃんに引っ付かれた男の人はメガホンのスイッチを切って何事か話している。段々と二人の話し声もはっきり聞こえてくるようになった。

 

「にいさまのあほ! あんな言葉遣いで恥ずかしないん!?」

 

「いや、俺元からあんな感じやろ。東京(こっち)来てから方言直しただけくらいしか変わらへんよ?」

 

「それで叔母様にいっつも怒られてたやん! 最近はそもそも帰って来ぃひんし!」

 

「だって面倒やしなぁ」

 

紗枝ちゃんが珍しく言葉を荒げて怒っているのだけれど、男の人は聞きなれているように飄々と流している。私はあんな紗枝ちゃんを見たのは初めてなので結構驚いているのだけど。

 

『にいちゃーん、どうした痴話喧嘩かー?』

『というかあれアイドルの小早川紗枝ちゃんじゃね?』

 

っと、少々まずいかもしれない。早くも紗枝ちゃんが身バレしかけている。まぁ紗枝ちゃんも人気がある子だし当たり前と言えば当たり前なんだけど。

しかし、私が動く前に男の人が素早くメガホンのスイッチを入れて答える。

 

『残念でしたー、俺は彼女いない歴イコール年齢ですー。「またそんな汚い言葉遣いしてー!」……ちなみにこのちんちくりんは従姉妹ですよー。どーだ羨ましいか紗枝ファンズー』

 

「誰がちんちくりんやー!」

 

荒ぶる紗枝ちゃんの頭をぽふぽふと叩いて参拝客を煽る男の人だったが、参拝客の方からは笑い声が返ってきた。もうみんなこの人の煽りには耐性があるみたいだ。

さて、じゃあ私もそろそろ紗枝ちゃんを落ち着かせないと。

 

「紗枝ちゃん、落ち着いて下さいねー」

 

「茄子さん見逃しておくれやす! このあほ兄様、いっぺんがつんと言ってやらんと!」

 

「でもここ参道だし、神社の敷地内だから静かにしないと。ね?」

 

「うぅ……」

 

「そーだぞ落ち着けちんちくりん」

「ふしゃー!」

 

「ちょっとー!?」

 

せっかく紗枝ちゃんが少し落ち着いたというのに、男の人の一言で台無しになる。ここまで紗枝ちゃんが振り回されているところを見るのは初めてだ。やはり身内の側だと変わるものなのだろうか。

しかしながらそれはそれ、これはこれである。少しの非難を込めて男の人を見たけれど、男の人は私の視線に気付きながらもおかしそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて……とりあえず、すみません。御迷惑おかけしました」

 

そのまま交代の人が来て、紗枝ちゃんのお兄さんは境内の方に戻って行ったのだが、それに私と紗枝ちゃんも着いてきていた。何でも、「紗枝が迷惑かけたお詫び」だそうだ。私としては全く迷惑とは思っていなかったのだが、お兄さんは以外と強情だった。

 

「いえいえ、普段と違う紗枝ちゃんが見れて良かったですよー」

 

「堪忍しておくれやす……忘れてーなー……」

 

冷静になったからか、紗枝ちゃんは顔を真っ赤にしてさっきのことを恥ずかしがっている。それでもお兄さんの後ろを着いていっているあたり、話していたように仲がいいのだろう。

 

「いや、それでもうちのちんちくりんの暴走で貴女まで巻き込まれるところでした。詫びくらいは言わせて下さい」

 

「それなら、お言葉だけは頂いておきますね。これでお詫び云々は終わりにしましょうか」

 

「そう言ってもらえると助かります」

 

私がそう言うと、お兄さんは照れくさそうに髪をがしがしとかきあげた。紗枝ちゃんのことで当たり前のように頭を下げてきたあたり、いい人のようだ。まぁ、悪い人に紗枝ちゃんがなつくとも思えないけど。

 

「あ、そう言えば自己紹介まだでしたねっ。鷹富士茄子って言います。紗枝ちゃんとは仲良くさせてもらってますっ」

 

「またえらく縁起良さそうな名前っすね……。小早川(せん)です。紗枝と被るだろうし名前でいいっすよ。このちんちくりんの従兄弟……って痛っ! おいこら紗枝! 下駄で足踏むんやない!」

 

「うちのことちんちくりんとか言う兄様が悪いわ!」

 

仲直りしたかと思えばすぐに仲良く喧嘩し始める紗枝ちゃんと扇くん。それがまるでコントのようで、思わず吹き出してしまった。

 

「ほら見い! 兄様が変なことするから茄子はんに笑われたやないか!」

 

「ちんちくりんなんは事実やないか。ほれ、昔は俺の肩くらいはあったのに今は胸辺りかもっと下やん」

 

「兄様がおっきなりすぎなんよ! うちは普通やの!」

 

「え? ないない」

 

「もー!」

 

我慢していたけど、とうとう声を上げて笑ってしまう。流石にあんな風にたたみ掛けられたら耐えられない。

私が笑っているのに気が付いた二人が、こちらの方を向く。

 

「あー……すみません。お見苦しいところを」

 

「い、いえ。こっちこそ笑っちゃって……」

 

「ほんに堪忍なー。ついつい兄様のぺーすに乗ってもうたわー」

 

「大丈夫ですよー。私も見ていて面白かったですしね」

 

「なんや、今日はえろう恥ずかしいとこばっかり見られてる気がするわー……」

 

再び紗枝ちゃんがしょげてしまうが、扇くんが紗枝ちゃんの頭をぽふぽふと叩いて慰めている。私は一人っ子で、従兄弟もいないので少し羨ましい。

しばらくその光景を眺めていると、本殿の方が騒がしくなってきた。時計を見てみると、いつの間にか日付が変わっていた。

 

「あ、年が明けたみたいですね。明けましておめでとうございます」

 

「明けましておめでとうございますー。今年もよろしゅーお願いしますえ」

 

「明けましておめでとうございます」

 

 

 

 

 

そのまま扇くんのアルバイトが終わるのを待ち、一緒に初詣を済ませた後、紗枝ちゃんは駅に向かって行った。どうやら扇くんの説得には失敗したらしい。扇くんと私は帰り道が同じということもあって並んで帰っていた。……まぁ、私は事務所になんだけど。扇くんは紗枝ちゃんとは違って、バイト終わりには普通に洋服を着ていた。

 

「はぁー。久しぶりに神社で年越しが出来ましたー」

 

「そう言えば、新年の番組によく出てますもんね」

 

「あ、ご存知でしたか。私の名前っておめでたいですからねー。よくオファーが来るんですよ」

 

「おめでたいって言うか明らかな作為を感じるというか……」

 

「それ以上はダメですよー?」

 

「アッハイ」

 

なんとなくそれ以上先にいくと大変なことになる気がしたので扇くんを止めておく。扇くんは決まりが悪いのか髪をまたかきあげた。どうやら癖みたいだ。

 

「でも、紗枝ちゃんととっても仲がいいんですねー」

 

「そうですか? アイツは昔っからあんな感じですけど」

 

「あんな紗枝ちゃん普段は見られませんよー? 生活からしっかりしてる子ですし」

 

「んー……イメージできないっすね」

 

どうやら扇くんにとってはさっきの紗枝ちゃんがいつも通りらしい。相当なつかれないとあんな紗枝ちゃん見られない気がするんだけどな。

 

「アイツは子どもの頃から甘やかされてましたから、遊んでーとか、歩いてたら疲れたーおんぶーとか、髪すいてーとかわがまま三昧でしたけど」

 

「寮だと年下とか同級生の子たちのお世話までしてますよ? 私からするとそっちの方が新鮮です」

 

「紗枝がねぇ……」

 

多少疑わしそうな顔をしているが、本当なのだから仕方がない。それにしても扇くんは何やら話しやすい人だ。ペースが合うというのだろうか、普段男の人と大学とかで話すこともあるけれど、比べ物にならないくらい気楽に話せる。不思議な人だ。

 

「あ、私はこっちです」

 

「事務所まで送りましょうか?」

 

「いえ、近くまでプロデューサーさんが来て下さってますから」

 

「そっすか。じゃあ俺こっちなんで」

 

あっさり扇くんは自分の家に向かおうとするが、それを少し引き留める。袖ふれ合うのも多少の縁だ。

 

「連絡先を交換しませんか?」

 

「ん? ああ、いいっすよ」

 

すんなりと連絡先を私に送ってくれる。少し信用度高くないかな、とも思ったが、多分紗枝ちゃんに付き添っていたのが大きかったのだろう。

 

「じゃあ、またお話ししましょう!」

 

「了解っす。帰り道気をつけて下さいねー」

 

そのまま別れ、少し行くとプロデューサーさんが車で待ってくれていた。後ろに乗った私の様子が気になったのか、「何かいいことでもあったか?」と笑いながら聞いてきてくれる。

 

「そうですね……確かにいいことかもしれませんねっ」

 

「何だそれ。まぁ茄子に限って悪いことが起きるはずもないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからまた一年近くが過ぎ、年の瀬がやってきた。扇くんとは他の人に比べるとよくLINEや電話もしていたが、互いに会う機会は一緒に夏祭りに行ったくらいしかなかった。少し意識したり、大分気を使わない関係にはなったとは思うけど。

そんな時に、私にとある仕事が入った。年の瀬らしく初詣にお勧めの神社を紹介するといった企画だった。私以外にも歌鈴ちゃんや芳乃ちゃんが出演するそうだが、なにぶん全国リポートになるせいかバラバラに収録するらしい。生放送だと言うのだから尚更だろう。

と言われたところで私がいつも行っている神社は一ヵ所しかない。子どもの頃は地元の神社にも行っていたけれど、東京に来てからは一度も行っていないのだ。

 

とりあえず扇くんにLINEを送ってみる。すると珍しく五分と経たずに返信が来た。

 

『マジでか』

 

『マジですよー』

 

『うちの神主さん八十いくつの杖つきじいさんだぞ? 耳も遠くなってるから断られるかもしれない』

 

返信が早いので一度電話に切り換えてみる。すると数コールの後に扇くんが出てくれた。

 

『もしもし』

 

「こんばんわー。それで、やっぱり無理ですか?」

 

『代理の人でいいなら大丈夫だろうけどなぁ』

 

少し申し訳なさそうに扇くんは答える。私からすれば案内は扇くんでもいいんじゃないかと思うのだが、やはりバイトには厳しいのだろうか。

 

『まぁ、一回テレビの人に聞いてみたらいいんじゃないか? 結局は神主の爺さんが決めることだし』

 

「そうですね……そうしてみますっ」

 

結局はそういうことに落ち着いた。やはり、という気持ちはあるけれど、会話がすっと終わってしまいそうなことを少し残念に思う自分もいる。不思議な感覚だ。

 

「そう言えば扇くん、年始って空いてますか?」

 

『年始? 確か一日はバイト終わったら丸々空けてた気がする。特に実家に帰る気もないし』

 

「だったら、今年も一緒に初詣行きませんかー?」

 

『仕事は大丈夫なのか?』

 

「はいっ。一日の夜からは忙しいですけど」

 

私がそう言うと、扇くんから返事が聞こえなくなる。少し考えているのだろう。これまでも何度かあったことだ。

 

『……いいよ、行こう』

 

「本当ですかっ!? じゃあまた連絡しますねー!」

 

『了解。じゃあ明日朝から学校だから寝るな。おやすみ』

 

「はい、おやすみなさいー」

 

そうして私は電話を切り、ほっと安堵の息を漏らしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カメラオッケーです!」

「照明大丈夫です!」

 

そして大晦日。テレビの収録の日がやってきた。結局扇くんのいる神社が快諾してくれたおかげで無事にここを紹介できることになったのだ。神主さんも扇くんが言っていたような怖い感じの人ではなかった。後で扇くんに聞いてみたところ、融通は効くしお茶目だけど、神社関係者にはとっても厳しい人なんだそうだ。快諾してくれたと伝えると本気で驚いた声を出していた。

そして、肝心の案内役だけど……

 

「じゃあ、今日はよろしくお願いしますね、扇くん」

 

「ああ、うん……まぁやれることはやるけども」

 

そうなればいいな、とは思っていたけれど、その通りになるとは思ってなかった。なんだか今日もとても楽しくできそうな気がする。

 

「緊張してます?」

 

「まぁそれなりに。これ知らされたの昨日の晩だぞ? あの爺さん、忘れてたとか絶対ウソだろ……」

 

「あららー」

 

扇くんの言っていた通りのお茶目な人だったみたいだ。私が笑っちゃっているのを見た扇くんが非難するような目で見てくるけど、誤魔化してしまおう。去年紗枝ちゃんを宥めていたときのお返しだ。

 

「それにしても、実際に会うのは久しぶりなのにそんな気がしませんねー」

 

「ほぼ毎日電話かLINEが飛んできてたからなぁ。まさか年上にタメ口を叩く日が来るとは思わなかった」

 

そう、実は扇くんは年下だった。確かに同い年くらいかな、とは思っていたけれど、年下だとは思っていなかったのでこれを知ったときは少し驚いた。

 

「大学生なら一歳差くらい誤差ですよっ。それにあんまり敬語使われるの慣れてないですしねー」

 

「そのわりに茄子さんは敬語だよなぁ」

 

「もう癖みたいになっちゃってますからねー」 

 

そんな感じでしばらく談笑していると、そろそろ出番だという声がかけられる。扇くんの緊張も解けたみたいだし、いいタイミングだろう。

 

『それじゃあ本番いきまーす!』

 

「……はーい! 現場の鷹富士茄子ですー! 今日は私のーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーと言うわけで、ここはなんやかんやで縁結びと商売繁盛に御利益があるそうです」

 

「何か最後すごい適当に纏められた気がします……」

 

「所詮バイトの知識だとこんなもんですよ。俺に放り投げた神主の爺さんが悪い」

 

「あはは……あっちで神主さん、カンペに『後で本殿裏な』って書いて掲げてますけど……」

 

「マジでか。残業代でますー?」

 

「はーい何か色々危なそうなので切りますねー。現場の鷹富士茄子と紗枝ちゃんの従兄弟の小早川扇さんでしたー!」

 

「『花簪ーHANAKANZASHIー』買ってやってねー」

 

『……はい、収録完了ですー!』

 

ディレクターさんの合図で肩から力を抜く。始まってみれば扇くんは意外にもするっとテレビ写りに慣れたらしく、時折アドリブも交えて収録をこなしていた。色々な意味でギリギリな場面もあったけれど、私自身とても楽しかった収録だった。

 

「あ、もう引いていいんですか?」

 

『もしかしたらもう何回かスタジオから振られるかもしれないんで少し待機でお願いします!』

 

「了解っす」

 

今もスタッフの方と気楽にやり取りしている辺り、天性のものかもしれない。人前に立ち慣れているのだろうか。

 

「とりあえずお疲れ様ですっ」

 

「茄子さんもお疲れ様」

 

「でもすごいですね扇くん。とっても慣れてるみたいに見えましたけど」

 

「いやいや、足はガクブルしてたぞ? 後は気合いとノリとテンションかな」

 

「ふふふ、それはそれですごいですねー」

 

しばらく待機、ということで再びとりとめのない話に戻る。なんでもないことだが、私は扇くんと話すのが好きだった。多分扇くん自身のことも。直感というと少しおかしな話だが、何となく始めて見たときからそんな予感はあったのだ。でなければ初対面で連絡先を交換したりしない。これでも身持ちは固いと自負している。

それでも先へ進めないのは、扇くんが鈍いのか、私が一歩踏み出さないからかのどちらかだろう。でも私からすれば、そういうのは彼から踏み込んできて欲しいという気持ちが大きい。

 

ちら、と横目で扇くんを見る。身長が高いせいか、ほぼ真横にいる今は少し見上げなければ顔は見えない。和装だからだろうか、袂に手を入れて寒そうにしているところを見ると、何となく可愛らしく見えてしまった。

 

『ーーはい、スタジオ撮影終わりました! お疲れ様です!』

 

「あ、お疲れ様でーす」

 

そして本当の意味で撮影が終わる。扇くんはすぐにその場を去ろうとしていたが、その前にいつの間にか扇くんの後ろに立っていた神主さんに正座させられていた。いや、あの人いつの間にそこにいたんだろう。

扇くんが助けを求める目で私を見てくるけど、笑って誤魔化す。だって神主さん怖いんだもん。扇くんが厳しいって愚痴っていたのがよくわかる。

ともあれ、撮影の準備が始まったのが日が暮れてからだったこともあって、もうすっかり夜が更けてしまった。ちらほらと気の早い参拝客も見える。扇くんと初詣の約束をしているが、これはもう初詣まで一緒に行動する方がいいだろう。幸い裏番組やらなにやらの関係でしばらくは休憩時間だ。プロデューサーさんにも自由行動でいいと言われているし。

 

「じゃあ、私先に着替えてきますねー」

 

「ちょ、待って茄子さん!? 茄子様! この爺止めて!?」

 

小走りで着替えに使わせてもらった巫女さんたちの更衣室に向かう。後ろから扇くんの叫びと神主さんの怒号が聞こえてきたけど、とりあえず聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、まだ足が痺れてるような気がする……」

 

「砂利の上で正座ですからねー」

 

結局扇くんが開放されたのはそれから一時間後だった。道行く参拝客の人が扇くんと神主さんを見て笑っていたことを考えるとよくあることなのだろうか。

参拝客も増えてきて、徐々に列が出来ている。例年なら扇くんはあの列の横にいたのだが、今は私と列の中だ。

 

「しっかし人口密度高いな」

 

「毎年こんなものですよ?」

 

「いや、俺は去年まで人口密度とか関係なかったしな」

 

「ふふっ、そう言えばそうでしたね。じゃあ感想はどうですかっ?」

 

手をマイクのように扇くんの口元に持っていく。するとそのタイミングで少し列が動いたのか、それとも後ろで何かがあったのか、たまたま私が後ろの人に押されてしまった。

体をわざとらしくよじっていたせいで、私は扇くんの方に倒れ込んでしまう。転ぶかと思ったが、そこは扇くんが抱き止めてくれた。でも……

 

「っと、大丈夫か?」

 

「えっ、はい、大丈夫……ですけど……んっ」

 

「へ? あっ」

 

その、何と言うか。抱き止めてもらったときに扇くんの手が、その……私の胸に。しかも触ると言うか、愛美ちゃんチックな触り方になっているというか……。

扇くんはそれに気付いたのか、私が転ばないように押し戻すやすぐに手を放す。私は私で変な声を出してしまったことが恥ずかしくて何も言えなくなっていた。扇くんも多分恥ずかしさからか黙り込んでしまっている。……どうしよう、気まずい。

しかも前にいる、今までの一部始終を見られてしまっていた老夫婦が微笑ましそうに見てくるのと、後ろの女の子のグループがニヤニヤしているのを見てしまったので恥ずかしさは倍近い。どうすればいいんだろう、と少しパニックになっていると、突然扇くんが私の手をとって列から離れだした。びっくりしながら視線を前に向けると、扇くんの耳が真っ赤になっているのが見えた。

 

扇くんが私を引っ張ってきたのは丁度列が見えなくなる社務所の前だった。年明けまで一時間を切ったこともあってか、あちこちでバイトの巫女さんたちが忙しなく動き回っていた。

 

「その……なんだ。急に引っ張って悪かった」

 

「あ……いえ。びっくりしましたけど、助かりましたっ」

 

扇くんが声をかけてきたことにまたびっくりして、少し声が上擦ってしまった。そのせいか、扇くんは髪をかきあげるという変わらない癖をしてしまう。私はどういう訳かその癖を見て、少し落ち着いて笑ってしまった。

 

「ふふっ」

 

「?」

 

「あ、ごめんなさい。でも……うん。助けてくれてありがとう。ちょっとかっこよかったですよっ」

 

「……そうか」

 

そう言うと、扇くんは顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。

 

「あ、照れてますねー?」

 

「照れてない」

 

「頬っぺた真っ赤ですよー?」

 

「~~~~!」

 

照れた扇くんの頬っぺたをつんつんと突いていると、扇くんが私の顔のすぐ横の壁に左手をついて、私の足の間に左足を入れる。それがいわゆる壁ドンという体勢だと気が付いた私は、急激に自分の体温が上がっていくのを感じた。

 

「あれ? 顔がすっごい赤いぞ? 茄子さん」

 

「あ、あの……扇くん?」

 

「年下っても、あんまりからかうと仕返しはするぞ?」

 

そう言って左手はそのまま、右手で私の顎を上げて半ば無理矢理扇くんと目を合わせられる。自分の心臓の音が聞こえるくらい大きくなった。

そのまま特に抵抗もできないまま、私はあわあわとするだけ。別に嫌じゃなかったというか、ちょっと扇くんが格好よく見えたというか、何と言うか……。

扇くんはそのままじっと私の目を見つめていたが、やがて溜め息を吐いて私から離れていく。それを私は少しだけ残念に思ってしまう。

 

「あんまりからかってくれるな。好きな奴にそんなことされたら俺だってなぁーー」

 

「ーー好きな奴?」

 

「……あ」

 

扇くんがしまった、というような顔をするが、もう聞こえてしまった。好きな奴。そんなことされたら。それはつまり、この状況で当てはまるのは私一人しかいないわけで。

扇くんを見れば、黙ったまま片手で顔を覆っていた。相当恥ずかしかったのだろう。何せ自爆で意図せずに告白したようなものだ。私からすれば意図していなかった分、本心だと思えるのでとても嬉しかったが。

 

ふと時計を見ると、どういう奇跡か、年明け一分前だった。今年の問題は今年中に解決しよう。

 

「扇くん」

 

「なんだよ……っ」

 

呼び掛け、手を顔から離した一瞬を見逃さない。一歩前に出て扇くんに抱き付き、背伸びをして唇を重ね合わせる。

数秒後、ゆっくりと離れれば、互いの息が白くなって空へと消えていった。

 

「私の返事は、これです」

 

「……えっと」

 

「あと、明けましておめでとうございますっ!」

 

「…………」

 

扇くんの脳内処理が追い付いていないのか、新年のあいさつをしても返って来ない。それどころかまたそっぽを向いてしまった。

 

「あれー? ちゃんとあいさつしないとまた紗枝ちゃんに怒られますよー?」

 

「ちょっと待ってほんま待って今はあかんて」

 

ちょろちょろと扇くんの周りを回って顔を合わせようとするが、扇くんは私と顔を合わせまいとこちらもくるくると回る。京都弁が出ているあたり本当に余裕がないらしい。やがて埒があかないと感じたのか、扇くんは素早く私を捕まえて後ろ向きに抱き締めてきてくれた。

私は肩から回された手に、自分の手を重ねる。真っ赤になっていたせいか、その手はとても暖かかった。

 

「扇くん」

 

「……なんや」

 

「今年も……ううん、今年から末長くよろしくお願いしますね?」

 

「……おう」

 

返事は小さかったけれど、私を抱き締める力が強くなる。強すぎず、弱すぎないその力加減が、とっても心地いい。

今年は今まで以上にいい年になる。直感だけど、そんな気がした。




・小早川扇
19歳。名前の由来は茄子が『一富士二鷹三茄子』に対して『四扇』からだそうです。本当は煙草吸わせようかとも思ったけど、作者が吸わなくて銘柄とかわからないのでパス。座頭? 現代でどないせいと←
人をからかうのは得意だがからかわれると弱い。つまりはガラスの剣なS。でも追い込まれるとドSになる。
ちなみにおみくじは大吉しか引いたことがないそうな(フラグ

・鷹富士茄子
神様。属性と年齢などない(クール、二十歳)
運がヤバイ上に他人に分け与えられるとかいうチート。この人にギャンブルや宝くじをさせてはならない。
作上では基本的に待つタイプ。

・小早川紗枝
15歳。キュート。はんなり系京娘。
しっかりしているのに家では犬を飼わせてくれなかった、また身長が150ないということ、そこから家が厳しいという可能性から目をそらした()らこんなことに。
基本的に兄様大好き。でもからかわれるのは嫌い。つまり扇のカモ←

・ふしゃー!
紗枝にゃん可愛いからみくにゃんのファンやめます。

・いとこコント
本人たちは至って真面目←

・縁起のいい名前だが作為を感じる
メメタァ

・夏祭り
フラグ

・御利益
茄子さんに縁結びの神社行かせた結果がこれだよ!

・扇くんTV出演
スタジオでゲストの紗枝ちゃんが真っ赤になってはったそうな←

・ラッキースケベ
おうこらちょっとそこ代われ←

・壁ドン顎クイ
美優さん美嘉ちゃん編で壁ドンはやったから発展させてみた←

・幸運にも、偶然、運よく、奇跡的に、たまたま
茄子様だからね、仕方ないね!←

・満員御礼
皆様の御協力で既出の短編主人公の名前が埋まりました! ありがとうございます!

・新年早々の悩み
そろそろリハビリって言い通すのが辛くなってきたんじゃないだろうか←


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特別な想いを《十時愛梨》

待たせたな!(蛇感
あ、いやごめんなさい調子に乗りました石投げないで←

バレンタインにマニアワナカッタ……それでもバレンタイン風味特別編←


「ーーえっ? ち、ちょっとママ、それ本当? えっ、うん、それはもちろんいいんだけど~……」

 

シンデレラプロダクションのオフィスビル。その中に置かれたアイドル部門の廊下にある休憩スペース。そこで一人の女の子が携帯電話を使っていた。

周りには何人かの姿もあり、その娘が慌てている様子を見て首を傾げている。いつもマイペースな娘のそんな姿は珍しいのだ。

 

「――うん、わかったぁ。それじゃあいつになるの~? ……え!? 明日!?」

 

一旦落ち着いたかと思えば、再びあわあわと携帯片手に自販機の前をうろうろと歩き出す。備え付けのソファで今まで娘――十時愛梨と話していた二人――川島瑞樹と輿水幸子はそろって首を傾げていた。

 

「珍しいわね、愛梨ちゃんがあんなに慌てるなんて……」

 

「そうですね。まぁ、大変そうならカワイイボクが助けてあげますよ!」

 

「ふふっ、幸子ちゃんは優しいのね」

 

「当然です! 何と言ってもボクはカワイイですからね!」

 

しばらく愛梨の様子を見続けていた二人だったが、ドリンクを飲み終えるとそれを話題にし出した。愛梨はまだ通話中であり、しばらくはそのままであろうことが見てとれる。

 

「うん……うん……わかったよぅ……はぁーい……」

 

その五分ほど後、愛梨は通話を終了させると同時に、彼女にしては珍しく深い溜め息を吐いた。

 

「珍しいですね、愛梨さんが溜め息吐くなんて」

 

「う~……幸子ちゃ~ん……」

 

「わ!? ちょ、急に抱きつかないでくださもがぁ!?」

 

言葉をかけたが最後、幸子は愛梨の豊満なおもちにその顔面を飲み込まれてしまう。何とか脱出しようと手足をバタつかせている幸子と、特に気にせずありったけの力で幸子にしがみつく愛梨を前にして、瑞樹はとりあえず苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 

「それで愛梨ちゃん、何があったの? 本当に珍しく参ってるようだけど」

 

「もがが……」

 

「う~ん、参ってる、ってわけじゃないんですけど~」

 

「そうなの?」

 

「もがー!!」

 

「はい~。あんまり困る、ってことでもありませんしぃ……。あ、だからって平気ってことでもないんですけど~……」

 

「わからないわ……」

 

幸子を抱き込んだまま、頬に指を当てて首をこてんと傾げる愛梨。言っていることが全く具体性に欠けるせいで瑞樹は全く事態を飲み込めていない。

しかしまぁ、それはそれとして。瑞樹はとりあえず目の前の命を助けることにした。

 

「愛梨ちゃん、とりあえず……幸子ちゃんは解放してあげなさいね?」

 

「ふぇ? ……あ」

 

約数分ぶりに酸素を得た幸子は、小梅が喜びそうな顔色をしていたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思いました……」

 

「ごめんねぇ~」

 

「ホントですよ! あんな死に方で喜ぶのは棟方さんくらいですからね! ボクはカワイイからなんとかなったものの! ボクがカワイイからなんとかなったものの!!」

 

「……カワイイって一体なんなのかしらね……?」

 

ぷんすかと怒りを表現する幸子をなんとか宥め、三人で向かい合うようにソファに座る。レッスンも終わり、もう今日は三人とも帰るだけなのだ。夕方近い時間ではあったが、のんびり話をする時間は十分にあった。

 

「それで、愛梨ちゃんはなんで溜め息なんて吐いていたのかしら?」

 

「えっと……言わなきゃダメですかぁ~?」

 

「カワイイボクが死にそうな目にあったんです! これはきりきり吐いてもらわないと! ……まぁ、どうしても言いたくないような悩みなら諦めますが」

 

「うぅ……恥ずかしいなぁ……」

 

顔が熱くなったのか、パタパタと手で扇ぎながらもじもじと身体をよじる愛梨。しかしながら二人の追求は止まず、やがて観念したのか苦笑いして話し出した。

 

「えっとぉ、実は……」

 

「「実は?」」

 

「小さいときからの付き合いの、近所に住んでたお兄ちゃんにママが仕送り渡したから、明日届けにくるらしくてぇ……」

 

「「はい解散!」」

 

「えぇ~っ!?」

 

頬を上気させながら話す愛梨に何かを感じ取ったのか、二人は早めの離脱を試みる。しかし今度は愛梨がそれを引き止めた。

 

「ここまで話したんですから二人とも、お家の掃除手伝ってくださいよぉ~!」

 

「って、悩みごとって掃除だったんですか!? それくらい一人でやって下さいよ!?」

 

「だって……気付いたら掃除終わったら食べようと思って買ったスイーツ片手にテレビ見てるんだもん……」

 

「知りませんよ!?」

 

「お願い幸子ちゃん~! 川島さんも~!」

 

「嫌よ! ただでさえ最近美波ちゃんとか卯月ちゃんとかの恋愛がらみに巻き込まれて、若いっていいなーとか考えちゃってメンタルやられてるのに、更に自分から巻き込まれに行くなんて……!」

 

「何のことですかぁ~! 掃除手伝ってくれるくらいいいじゃないですか! けーくん厳しいんですよぅ!」

 

「知らないわ!」

 

「ふぇぇぇぇん!」

 

その後、何だかんだ言いながらも幸子はしっかり愛梨宅の掃除を手伝ったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「――それじゃ、日菜子。しっかり渡したからな?」

 

「はぁい、わかってますよぅお兄ちゃん。これでようやく……むふふ」

 

「……頼むから親父とお袋が泣くようなことはしてくれるなよ?」

 

「はーい。……むふふ」

 

両親から頼まれた妹への仕送りを渡し終え、美城プロダクションの寮から出ていく。妹には晩飯を食べていくように誘われたが、断った。立ち入り許可証こそ提げてはいるものの、流石にいつまでも女子寮に居座るのは外聞が悪い。

それに今回は別の用事もある。久し振りに帰郷したはいいものの、両親に加えて昔しばらく祖父母の家にいた時に仲の良かった幼馴染みの母親に、ついでとばかりにそれぞれの娘に対する仕送りを押し付けられたのだ。母親たちは「節約できてよかった」なんて言っていたが、こっちからすればたまったものではない。

……まぁ、たまには孝行しておくものだと自分を納得させて引き受けたのだが。決して妹やら幼馴染みの顔を見に行くためではない。決して。

 

配達の目的の片割れである妹には無事荷物を渡せたのだが、日菜子は日菜子で全く変わっていなかった。東京に出て、趣味でもあった絵の置き所がないと困り出したくらいだろうか。だからと言って兄を日曜大工扱いするのはどうかと思うが。

 

寮の入り口で許可証を返し、乗ってきた車に戻る。おばさんから聞いた幼馴染みのマンションはそう遠くはない。車で十数分と言ったところか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうこう言っている内に目的地に到着する。女の子の一人暮らしということもあってか、オートロックのセキュリティがかなりしっかりしているマンションだった。メモに書いてあった部屋番号を押し、インターホンを鳴らす。十秒と待たず、インターホンの先から声が聞こえてきた。

 

『はぁ~い』

 

「あ、喜多です」

 

『喜多? ……あ、けーくん! ちょっと待ってね~』

 

そんな会話の後、すぐに目の前の扉が開く。あの阿呆、その呼び方は止めろと何度も言い聞かせてきたのにまだ言うか。

多少の怒りを抱きながらも目的の部屋へと足を進める。これまた備え付けのインターホンを押せば、すぐさま扉が開いて見覚えのある面影を残した女性が出てきた。

 

「けーくん! ひさしぶり~!」

 

この阿呆、まだ言うか、と額に青筋が浮かびそうになったものの、しっかりと自重して対面にのぞむ。こいつの相手をするならば実年齢マイナス十歳くらいの接し方が丁度いいと考えている。

 

「ああ、久しぶりだな。ワンコ」

 

訂正。俺も言うほど大人ではなかったらしい。

小中学生の頃、家が向かいにあったということもあって愛梨とは登下校が同じで、よく世話を焼いていたのだ。友達と別れたくなくて、両親にわがままを言って祖父母の家に中学卒業までいたのだが、それまで子犬のように後ろをちょこちょことついてきたので、冗談半分でワンコと呼んだことがある。それが大層不服だったらしく、終いには大泣きしてその呼び方を撤回させられたのだ。

 

「ああ!? ひど~い! 私犬じゃないもん! その呼び方止めてって言ったのにぃ~!」

 

「それをお前が言えた立場か! けーくん言うなと何度言えばわかるんだお前は!」

 

「けーくんはけーくんだもん!」

 

愛梨の言い分は昔から同じだ。何でも昔から『けーくん』だったから『けーくん』らしい。中学校の頃あたりから訂正するように言っているのだが、一向に改善する気配がない。半分諦めてはいるものの、多少の当て付けくらいは許してほしいものだ。

 

「まぁ、そんなことはいい。早く荷物を置かせてくれ」

 

何だかんだで今まで段ボールを抱えて話していたのだが、これが中々に重い。仕送りということで食料品が多いのだろう。そりゃあ重くなって当然というものだ。

 

「むぅ~……」

 

「? どうした?」

 

しかし愛梨は何故か頬を膨らませたまま扉の前から動こうとしない。どうしたのか、と首を傾げていると、突然両腕を組んで玄関で仁王立ちし始めた。

 

「私のこと、ちゃんと名前で呼ぶまで家に上げてあげないからね!」

 

「そうか、じゃあここに置いておくから自分で運び込んでくれ。じゃあな」

 

「えぇ~!?」

 

ガビーン、という擬音が付きそうな勢いで慌て出し、本当に帰ろうとしていた俺の手を、裸足のままで外に飛び出して掴んでくる。

 

「そこはごめんなさいって言ってから名前を呼ぶところだよ!」

 

「ドラマかアニメかマンガの見すぎだ。そりゃあ実質帰れと言われたら帰るだろう普通」

 

「帰れなんて言ってないよぉ~!」

 

「家に入れないと言ったのはお前だろうに……」

 

昔から変わらない奴だと思っていたが訂正しよう。こいつは昔から全く変化していない。前から年齢に比べて子どもっぽい質だったが、俺が世話を焼いて甘やかしていたのが悪かったのか、そのまま大人になってしまったようだ。……これが自業自得というものなのだろうか。

思わず溜め息を吐きそうになるが、何とか呑み込む。基本的にマイペースで鈍感かつ天然な阿呆ではあるが、人のマイナス感情やそれに近いものには人一倍敏感なのだ。

ふと愛梨の顔を見ると、もともと垂れ眉なのを更に下げてしまっている。そんな表情をするくらいなら初めからちゃんとしていればいいものを、と思いながらも、掴まれていない方の手を愛梨の頭に置いた。

 

「わかったわかった。帰らないから安心しろ」

 

「……ほんと?」

 

「ああ」

 

「えへへ~……けーくん大好き~!」

 

「は? ばっ、お前こんなところで抱きついてくるんじゃない!」

 

一瞬で表情をパアッと輝かせて、愛梨は俺に抱きついてきた。それを何とか引き剥がしてから、俺は彼女に引っ張られて部屋へと入っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ~ん! ここが愛梨の部屋で~す!」

 

玄関を通って正面のドアを愛梨が開く。学生にしては豪華な部屋で、広めのワンルームなのだが彼女の趣味の影響かしっかりとしたキッチンが用意されていた。

愛梨の部屋だからある程度散らかっていることは覚悟していた。雑誌とかキッチン周りとかコンビニスイーツとか。しかしこの部屋はそんなことはなく、流石に少しは成長していたのだと見直してしまった。今愛梨が軽く胸を張ってドヤ顔しているのもそういったことが関係しているのだろう。

まぁ、それはともかくとして。

 

「これはどこに置けばいいんだ?」

 

「…………」

 

食料品だろうし、恐らくキッチン周りだろうと当たりをつけてそちらへ進むが、一向に愛梨からの返事がない。目を向けると、いかにも私怒ってます! とでも言うように頬を膨らませていた。

 

「むぅ~……」

 

「どうした?」

 

「むぅ~!」

 

しばらく目を合わせ続けるが、むーむー唸ったまま何も言わない。何だこいつは。情緒不安定なのか。

と、そんなことを思ったが、愛梨がチラチラと部屋に目を向けていることに気付く。ああ、これはあれだ。飼い犬が褒めて褒めてと寄ってきたのに褒めてもらえなくて拗ねているのと同じだ。

 

「……愛梨」

 

「むぅ~……」

 

「成長したな。見直した」

 

「……えへへ~! あ、けーくんそれは冷蔵庫の近くに置いといてほしいなぁ」

 

「了解」

 

あっと言う間に機嫌を直してしまった幼馴染みを見て、こいつ色々と大丈夫か、という不安を募らせながらも冷蔵庫の横に段ボールを置く。置いた後に「飲み物淹れるから座ってて」と言われたため、キッチンの向かいに背を向けるように置かれたソファに座った。

 

「はい、どうぞ~」

 

「ありがとう」

 

「いえいえ~」

 

愛梨がマグカップを二つ、テーブルの上に置いた。それに礼を言ってから口をつける。甘い。見た目からコーヒーかココアだと思っていたのだが、ホットチョコレートだった。甘いものが好きなところも相変わらずらしい。

 

「よい、しょっと……」

 

「……いや、何で隣に来る?」

 

「? ダメ?」

 

「いや、ダメとまでは言わんが……」

 

中身が熱かったため、ちびちびと飲んでいると、愛梨は俺の横に腰掛ける。ソファがそれほど大きくないせいもあり、少し窮屈だ。近くに同じソファがあるのだからそちらに座ればいいものを、愛梨はわざわざ俺と同じところに来て機嫌良さそうにしている。……これを許してしまうのは、惚れた弱みとでも言うのだろうか。

 

そのままこれまでの話や他愛ない世間話に勤しんだ。愛梨がシンデレラガールとかいうアイドルの賞の初代に輝いたことはテレビや妹経由で知っていたため、先に祝っておくと、照れくさそうにはにかんでいた。それ以外にも愛梨がコンパに参加したという話を聞いて、よく五体満足に帰ってこれたなと言えば膨れてしまったり、つまらないと言っているのに俺の近況を聞きたがったりと中々に濃い時間を過ごしていた。

気付けば十一時を越していた。かなり長いこと話し込んでいたようだ。明日は日曜日とは言え、流石にそろそろ引き上げないとならないだろう。

 

「愛梨」

 

「ん~?」

 

いつの間にか右腕にしがみつかれており、しかもそれを気に入ったのか放さないのでそのままにしている。……俺も一応男なので羞恥心が半端ではないのだが、相手が愛梨なので諦めた。

 

「時間が時間だし、そろそろ帰るわ」

 

「えぇ~!?」

 

帰ると告げると、オーバーではないかというくらいに驚かれた。

 

「いや、お前は明日仕事があるんじゃないか?」

 

「明日はお休みだよぅ。けーくんも日曜日だし休みでしょ~?」

 

「それはそうだが」

 

「ならいいでしょ~? お泊まりしようよぅ~!」

 

「あー……俺男、お前女。オーケー?」

 

「? それがどうかした~?」

 

ダメだこいつ。純粋とかそういうレベルじゃない。もっと根本的な危機感というものが欠如してしまっている。……本当によくこいつ今まで無事だったな。

右腕に放すまいとばかりにしがみつきながら、アップルパイ焼いてあげるから~、などとほざいているが、俺は小学生か。そんなものにつられるわけがないだろう……。

駄々をこねる愛梨を見ながらどうしたものかと頭を悩ませる。立ち上がろうにも愛梨が全力で俺にしがみついている今、立つことができない。流石に愛梨に怪我をさせるわけにはいかないだろう。かと言って泊まらないと言えばこうなった愛梨が腕を放すわけがない。あ、ダメだ。詰んだ。

 

「……わかったわかった。帰らないからとりあえず腕を放せ」

 

「……ほんと?」

 

「ああ」

 

「やったぁ~!」

 

手放しで喜ぶ愛梨を見ると、こいつが子どもすぎるのか、それとも俺が汚れすぎただけなのかわからなくなってしまう。

先ほど愛梨が淹れ直してきたココアに口を付け、とりあえず毛布はあるのか聞こうと彼女に目を向ける。そこで目に入ったのは、躊躇なく服を脱ごうとする愛梨の姿だった。

 

「お前は何をしているんだ……?」

 

「ふぇ? 暑いから脱ごうって……あ」

 

「五年前に言ったな? その癖だけは何としても直せと……!」

 

「ご、ごめんなさぁ~い!」

 

中学生の頃、こいつが家から出てくるのを待っていたときに下着で出てきたことを忘れたとは言わせない。何故か俺が白い目で見られたことも。

この後、一時間近く説教した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「愛梨さん」

 

「ん~?」

 

昨日の話だ。何だかんだで幸子ちゃんに部屋の掃除を手伝ってもらった後、お礼に作ったガトーショコラを一緒に食べていた時の。初めはいつものような何でもない会話だったけど、それが一段落して、少し周りを見渡した後に幸子ちゃんが口を開いた。

 

「愛梨さんはその……明日来る幼馴染みの人のこと、好きなんですか?」

 

「好きだよ~」

 

私にとっては当たり前のことを伝えると、幸子ちゃんはポカーンとしてしまう。そんなに変なこと言ったかなぁ?

 

「えっとそれは……」

 

「もちろん、恋愛の方だよ~。小学生から一緒だったからぁ、けーくんが高校に行って会えなくなってから気付いたんだけどね~」

 

いくら私が鈍いからって、質問の意味まで間違えて受け取ってる、って思われるのはひどいんじゃないかな。そんなことを考えながらガトーショコラの最後の一口を味わう。うん、美味しい。

 

「幸子ちゃん? 口が思いっきり開いちゃってるよ?」

 

「……はっ!? カワイイボクとしたことが!?」

 

幸子ちゃんは慌てて両手で口を抑える。この辺りが幸子ちゃんが幸子ちゃんたる所以なのかな。ふとした動作が可愛らしい。

 

「でも、意外です……。愛梨さんのことだからてっきり異性として認識してないものだと……」

 

「あぁっ、ひど~い!」

 

「あ、ち、違いますよ!? カワイイボクとしてはもし愛梨さんがそうだったら男の人と二人って危ないんじゃないかなと……」

 

幸子ちゃんの言葉に思わず苦笑いしてしまう。私はどうにも、危機感がないと周りに思われてるみたいだ。これでももう大学生だし、それなりにしっかりしてると思うんだけどなぁ。大学でもみんなに『一人で行動したり、男の人と二人になっちゃダメ』って、毎日言われてるし。

 

「まぁそれはそれとして、愛梨さんはその人のどこを好きになったんです?」

 

話を変えたいのか、突然幸子ちゃんがそんなことを聞いてくる。やっぱり興味津々なのか、若干前のめりになっていて鼻息も荒い。なにより目がキラキラしている。

えっと……それを話すのは流石に恥ずかしいかなぁ、と考えていると、幸子ちゃんは何かを思い出したように頭を抑えだした。

 

「うっ、何か急に目眩が……」

 

「えっ?」

 

「今日誰かさんにカワイイボクが窒息死させられかけたせいですかね~」

 

「うっ……」

 

「愛梨さんの話聞かせてくれたらボクはカワイイから体調も治るかもしれませんね~」

 

「うぅ~! わかったよぅ……」

 

それを引き合いに出すのはズルいよ幸子ちゃん……。

やったぁ、と両手離しで喜ぶ幸子ちゃんに、渋々私は話し出した。

 

「えっと……きっかけは確か中学二年の時のバレンタインだったかなぁ」

 

「ほうほう?」

 

あの時は確か、けーくんが高校に入るのと同時に両親のところに戻るから、これからは簡単に会えなくなる、って聞いて、いつもより頑張ってチョコレート作ってたんだっけ。

それで、口で言うのは恥ずかしいからメッセージカードを入れようと考えて。『ありがとう』だけじゃちょっとシンプルすぎるしなぁ、どうしようかなぁ、って悩んでたんだけど、素直なのが一番だよね! って結論が出てとりあえず書いてみたんだよね~。

 

『今までありがとう! これからもよろしくね!』

 

う~ん、何か違うなぁ。

 

『今まで助けてくれてありがとう! これからも私を助けてね!』

 

子どもか、って怒られそうだなぁ。それに『今まで』っていうのもちょっと違う気がするんだよなぁ。

 

そんな感じで、何度書いてもこれだ! って思うものが出来なくて。それでも頑張って書いてたら、ある時にこんな風に出来たんだ。

 

『私と出会ってくれてありがとう! これからもずっと一緒にいてください。大好きです!』

 

今まで悩んでいたのが何だったんだろう、って思っちゃうくらい、その言葉がしっくりきちゃったの。それからは、もうその言葉しか出てこなくなっちゃった。

 

「そこからは早かったなぁ~。一度好きだ、って思ったらどんどん気持ちが大きくなっちゃって~。どんな男の子と話してても『けーくんなら』って考えちゃったり~……って幸子ちゃん?」

 

「ああ、はい。ごめんなさい。もう勘弁してください……!」

 

「ふぇ?」

 

それからは『甘い……! ただ胸と口と心が甘くて死にそう……!』しか言わなくなっちゃった幸子ちゃんを撫でて介抱(?)する。

 

結局あの時、メッセージカードは渡さなかった。同じ言うなら、もっとちゃんと一生懸命考えた言葉で想いを伝えたかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「じゃあ、また今度な」

 

「うん。次はけーくんのお家に行くね~」

 

「頼むから来る前に連絡は入れろよ……?」

 

結局、夜はお説教をされただけで他に何もなかった。強いて言うなら寝ぼけてカーペットで寝ていたけーくんに抱きついて二度寝して、けーくんに朝ごはん作ってもらっちゃってたくらいかなぁ。

そんなことより、もう玄関だ。けーくんも靴を履いて、もう一分もしない内に行ってしまう。その前に、私には昨日覚悟を決めたすることがあった。

 

これを見たら、けーくんはどんな風になるんだろう。いつもみたいに困った風に鼻を掻くのかな? それとも、照れてそっぽを向いちゃうのかな? でも……

 

「ねぇ、けーくん」

 

私の想いを知った後に

 

「今日、何の日か知ってる?」

 

笑顔でギュッとしてくれたら、嬉しいな。




・喜多慧悟
19才。珍しく公式認定設定の兄。設定には忠実に堅苦しくない程度には真面目にしてみた。……あれ? これ真面目ってか女の子に免疫ないだけじゃ……←
小さい頃から愛梨にフォローを入れてきた経験から兄貴力は高い模様。ロリとときんになつかれたからね、仕方ないね!

・十時愛梨
18才。パッション。言わずと知れた初代シンデレラガール。あの『五分ともちませんでした』シリーズの産みの親でもあり、中の人の巨乳補正といい伝説には事欠かないキャラである。
基本的に無自覚天然で、本作のアピールに見える行動も九割は天然。意識して頑張った部分は『朝一にチョコを渡すために慧悟を泊めた』ということのみである←

・輿水幸子
キュート。作者の中でネタやら芸人枠。ぶっちゃけめっちゃ使いやすい。メインでやれと言われると多分むりだが←

・川島瑞樹
クール。楓編、美波編、卯月編に続いての登場。ぶっちゃけ登場回数だけなら一番多いんじゃなかろうか←
試しに話を考えてみたら切ないビターエンドが見えてきた。まぁ川島さんだし……(震え

・『けーくん』
?「…………」(ピクッ
?「ミナミ? どうしましたか?」
?「ううん、何でもないわ」(ニッコリ

名前を渾名にしたが故の不幸な事故よ……←

・おもちに溺れる幸子
愛梨Pなら恐らく本望←

・カワイイからなんとかなった
大事なことなので二回言いました

・両親が泣くようなこと
日菜子「むふっときてやった。今は後悔している」

・日曜大工
やったね日菜子ちゃん! 収納が増えるよ!←

・ワンコ
作者がロリぃとときんを想像した結果。犬耳と尻尾を幻視したぜ……!

・スキンシップ多め
愛梨だからね、仕方ないね!

・下着で出てきた愛梨
なお中の人は全裸で行った模様

・甘さで死にかける幸子
あの内容+恥ずかしそうに頬を染める+嬉しそうに笑顔で話す=このザマである。

・川島さんの回避
みずきは ききかいひを おぼえた!
わかい じょしりょくが ちょっと さがった!

・ありすマダー?
ロリって難しいんだね……(冷汗

・ちょっと更新遅くないか? ん?
友人に頼まれた某ライブのサンシャインの曜ちゃんの短編が強敵でな……。前にダイヤさんと果南ちゃんは書いたからいけると思ったら全然だった。しかも駄作ってダメージが大きかったんだ……。
決して積んでたメタルギアVやったら3→PW→4ってやっちゃったわけじゃないよ? ホントダヨ?←

・おまけ

ぴんぽーん

「はーい……って愛梨?」

「えへへ……来ちゃった~」

「……はぁ。全くお前は……」

「……えっと、ごめんね。迷惑だった……?」

「……彼女が来て迷惑なわけがないだろう。入らないのか?」

「えへへ……お邪魔しまぁす!」


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例えばこんな……《新田美波after》

お久しぶりです。(四回転ジャンプ後方三回転半ひねり宙返り土下寝

まさかのリハビリシリーズの投稿のためにリハビリが必要になるとかいう訳のわからない事態にはなりましたが、どうかご勘弁下さい。←

……え? なんで美波かって? 厄除け←


「んー……こっちのもいいなぁ。圭さん、どっちがいいと思います?」

 

「どっちでもいいんじゃね? どーせ寝間着だし」

 

「もう! せっかく新しい服を買いに来たんですからちょっとくらい真剣に考えて下さいよ!」

 

ぷんすか、と擬音が付きそうな膨れ方をして、再び美波は服に目を向ける。そんな美波を見ながら、俺は気付かれないように小さく溜め息を吐いた。

ちらりと周りに目を向ければ、カップルや夫婦であろう二人組、はたまた親子であろう一行がそれなりにいた。

それもそのはず、今俺達がいる場所はショッピングモールに新しくオープンした服屋なのだ。オープンしたてなこともあってオープニングセールの真っ最中である。そりゃあ人も入るというものだ。

普段なら絶対足を踏み入れないであろうこんな人混みの中にいるのにはもちろん理由がある。あれはそう、一昨日の夜の話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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風呂から上がり、リビングで麦茶を飲んでから寝室へ向かう。ドアを開けると、そこにはベッドの上で難しい顔をしながら座っている美波がいた。

 

「どうした? なんか難しい顔して」

 

「あ、圭さん。それが……」

 

よっぽどなことなのか、どうやら美波は俺が入ってきたことに気付かなかったらしい。いや、ここはそもそも俺の部屋なので入ってきたという表現は不適当なのだが。

 

以前の仲違いから仲直りして以降、晴れて付き合うことになってから約二年が経っていたのだが、あれから美波が地味に甘えん坊になりつつあった。

朝の登校は授業の関係もあって別ではあるが、帰りは大体一緒。当たり前になってしまっているが台所は美波に占拠され、寝るときは毎日必ず引っ付いてくる。もはや美波の部屋が荷物置きのように使われている状態だ。

美波は「恋人同士なんだから普通ですっ」と言ってはいるが絶対違うと思う。このことを話したら秀磨はドン引きし、鷺沢は苦笑いしていた。あいつらが互いに奥手なだけなのか、こっちが過激なだけなのか……こんなことで女性経験の少なさが仇になるとは思わなかったが。

 

まぁそんなことは今はいいだろう。美波の顔を見れば、変わらず困ったような、恥ずかしそうな表情をしている。

 

「ちょっとパジャマがキツくなったような気がして……」

 

「最近お好み焼きばっかだから太ったんじゃ……待て、落ち着け! いくらなんでもノパソは投げんな!」

 

「もう! デリカシーって言葉をそろそろ覚えて下さい!」

 

少しからかってみたが、ノートパソコンを投げられかけたので慌てて止める。こいつが壊れたら俺の卒論がパァだ。就職に関しては一応決めているため、卒業できなくなるのはなかなかキツい。

 

「身長伸びたとかか?」

 

「キツいのは胸元だけですし、違うと思います」

 

「……要するに、バストが成長したってだけじゃないのか?」

 

「……そうかも」

 

まぁそりゃあそうなる、と言われても仕方のない生活してればそうなるのだろう。なんせ大体週4ペースだ。いつか俺死ぬんじゃないだろうか。

 

「衣替えにゃまだ早いが、今度買いに行ってこいよ。流石に寝るときに服がキツいのは寝づらいだろ」

 

「うん。ほら、こーやって背伸びするのもひとくろーー」

 

その時だった。バツンッと鈍い音が鳴り、俺の額に突然痛みが走る。

 

「いっ!?」

 

「え? ーーきゃああああ!?」

 

頭に衝撃を受けたせいか、うっすらと消え行く意識の中。最後に俺が目にしたのは、ジッパーが壊れたせいで露になった双丘を必死に隠す美波の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが美波チャックボーン事件の全容である。まぁ被害者俺、元凶俺と美波のある意味自業自得としか言えない事件ではあったが。……それでもDからF寄りのEになってたのは予想外だと思うんだ。

 

「圭さん、今失礼なこと考えませんでした?」

 

「ソンナコトナイヨ」

 

「怪しい……」

 

人体の神秘について考えていると、案の定美波が反応してきた。何とか誤魔化してはみるものの、会計を済ませたのだろう、紙袋を渡しながらこちらをジト目で見てくる。美波と一緒になって俺の聖典を探し出すアーニャといい、秀磨の思考を的確に当てる鷺沢といい、女子にはニュータイプしかいないのだろうか。

 

「そんなことより、決まったんなら早く会計行くぞ。早くしないと特賞取られるかもしれないからな」

 

「むぅ……何か納得いかない……」

 

そう、今回の買いものはただ単に美波のパジャマを買いに来ただけではない。むしろこちらの方が本命と言ってもいいだろう。なんせその為に昨日は神運と名高い後輩系生き神様と飲みに行ってきたのだ。

 

「福引きなんてそう当たるものじゃないんですよ?」

 

「不可能を可能にするのが奴だ。奴の運を信じろ。それに、お前だってこっそり昨日あの新年によくテレビに出てる人と遊びに行ってたの知ってんだぞ?」

 

後輩から聞いたことをそのまま美波に伝えれば、美波はみるみるうちに顔を赤くさせてしまう。

 

「し、仕方ないじゃないですかっ! ……私だって、圭さんと旅行行きたいんですっ」

 

顔を紅潮させて少し上目遣いでこちらを睨んでくるが、全く怖くない。むしろ何と言うか、からかいがいがあるとでも言うのだろうか。俺はとりあえず、そんな美波の頭に手を置いた。

 

「あ、ちょっと!? 髪が……ってまた子供扱いしてませんかっ!?」

 

「はいはいよしよし、大人しくしましょーねー」

 

「むっ……DVDボックスの底のキズ防止用の厚紙の三重底の二枚目と三枚目の間」

 

「さぁ運試ししに行こうか。ほら、腕組んでいいぞ」

 

「ほんとにもぅ……男の人ってほんとに……もぅ」

 

そこから福引きまで、心なしか腕を組む美波が絞めにかかっていたように力を入れていたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、ごゆっくり」

 

仲居さんが襖を閉めると、そこに残るのは早くもお茶を煎れ始めている美波と俺だけだった。

結局あの後福引きで特賞の二泊三日某県温泉宿宿泊券を当て、その為に日程を調整していた俺達はすぐさま行動に移していた。

……しかし、扇のやつは一体何なのだろう。リアルに神様だと言われても驚かない気がする。マジで当たるとは思っていなかった。外れても一泊くらいで旅行には行けるように金を用意していたのだが。まぁその分自由に使える資金が増えたのは素直に嬉しい。

 

「はい、どうぞ」

 

「お、サンキュ」

 

そのまま対面に座ってお茶を飲む。窓の方を向けばオーシャンビューが広がっているが、港町育ちの俺たちからすればそう珍しいものではない。なんなら逆に落ち着くまであるほどだ。

 

「さて、とりあえず落ち着いたわけだが……」

 

「そうですね。どうしましょう? 色々ありましたし。テニスコートに卓球台、ゲームセンターにボウリング場。カラオケビリヤードダーツにもちろん温泉。ざっと思い付くだけでもたくさんありましたね」

 

「流石観光地ってやつだなぁ」

 

美波と向かい合いながらこれからの予定を考える。まだ昼ではあるが、少し太陽が傾いてきた。それを考えるとあまりここで時間を使いたくはない。

 

「せっかく温泉あるんだし、それ中心に考えるか。テニスしてから温泉、んで卓球してからもっかい温泉でどうだ?」

 

「いいですね。テニスも卓球も負けませんよ?」

 

スポーツと温泉中心に案を出せば、美波は楽しそうに同意する。それと同時に挑戦的な目でこちらにケンカを売ってきた。

 

「ほほう? 高校時代俺に食ってかかってきては返り討ちに遭った記憶が薄れてきてるみたいだな?」

 

「あ、あれは高校のときですっ! ラクロス部とレッスンで鍛えてる私と何もしてない圭さんならもう立場は逆転してますっ!」

 

「へー? ほー?」

 

「もうっ! 後でショック受けても知りませんからねっ!?」

 

そう言うと、美波は頬を膨らませながらバッグを漁り出す。こいつのことだ、こんな時のためにスポーツウェアも持ってきたのだろう。俺は浴衣があったため用無しになった寝巻き予定のジャージを使うが。

 

「……そこまで言うなら、賭けでもやるか?」

 

「賭け、ですか。いいですよ。その余裕、絶対崩してあげますっ」

 

そう俺が言うと、美波は案の定乗ってくる。バカめ、この時点で俺の勝ちは決まったんだよ。

 

「ならルール確認だ。今日中に何か一つでも俺に勝てたらお前の言うことをなんでもしてやる」

 

「……今、何でもって言いましたね?」

 

何故か少し背筋がひやっとしたが、気にせず続ける。

 

「じゃあ、私が勝ったらお願い二つ聞いてもらいますから!」

 

「おい待て!? 二つはズルいだろ!?」

 

「知りませーん」

 

両耳を手でパタパタとはたきながら、あー、と声を伸ばして聞こえないふりをする美波。何が腹立つかってそんなことしながらこっちをどや顔で見てきているこいつのことだ。

 

「まあいいか。負けなきゃいいし。そんじゃお前が負けたら……」

 

「負けたら?」

 

「アーニャにガチで告白(恋愛的な意味で)してもらおうか」

 

「…………」

 

美波の顔が急に無表情になる。この頃日本語と文化とサブカルチャーが染み付いてきたアーニャのことだ。以前のように言葉のまま受け取って喜ぶことはもうあるまい。「ミナミ……そういう趣味だったんですか……」ってなって引かれるか、「ごめんなさい」と素直に謝られて気まずい思いをするだけだ。どちらにせよ、可愛がっている妹分に引かれると言う地獄を味わうことになる。

 

「……じゃあ、私が勝ったらお父さんに『娘さん貰います』って言って下さい」

 

その言葉を理解した瞬間、俺の背中に冷たいものが走る。

新田父。口癖は「娘はやらんぞ」。何故か俺に対しての攻撃性と殺意がやたらと強い男だ。この前里帰りし、ウチと新田家でバーベキューした時に少し話したのだが、

 

「お久しぶりです、おじさん」

 

「おお、圭くんか。また背が伸びたか? 娘はやらんぞ」

 

「まぁ伸びましたね。一センチくらいですが」

 

「そんなものか? 雰囲気が大人になったから大きく感じたのかな? 娘はやらんぞ」

 

「そんなお世辞言われても肉しか出ませんよ?」

 

「はっはっは、十分じゃないか。娘はやらんぞ」

 

と、話が通じているのかいないのかよくわからん相手だ。そんな人にあんなこと言ってみろ。多目に見ても戦争は避けられない。

 

「…………」

「…………」

 

絶対に負けられない戦いが、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~とある宿泊客の証言~

 

ええ、はい。テニヌってやつでしたね。初めて見ましたよ。リアルに瞬間移動みたいな動きをする人なんて。

何か「風林火陰山雷」とか「Coolドライブ」とか「才気煥発の極み」とかよくわからない単語も聞こえましたが。あの二人でもプロじゃないんですよね? プロの人ってどんだけすごいんだろう……。

え? ああ、そりゃまぁ思いましたよ。ぼくの知ってるテニスじゃねぇ、ってね。ちなみに男の人の圧勝だったみたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むぅ……!」

 

「そうむくれんなよ」

 

「だってあんなの反則ですよ! 全く跳ねないサーブって何なんですか!」

 

テニスの結果は賭けられたものもあってか俺の圧勝だったのだが、どうやら美波的には納得がいかなかったらしい。何でも私の知ってるテニスじゃない、とか。

おかしいなぁ。秀磨とやるときはアップにボール十個で打ち合いとかやるんだが。

 

その後は言っていた通り温泉に入っているのだが、どうやら客ごとの個別混浴風呂らしく、せっかくなので一緒に入っている。今は湯船の中で俺のあぐらの上に美波が足を伸ばしながら背中を預けて座ってる状態だ。

 

「卓球の時はあんな訳わかんない技禁止ですからねっ!? 私が返した玉に絶対アウトになる回転かけたりとか、バウンドしない玉打ったりとか、そもそもネットを越えさせない回転かけたりとか!」

 

「はいはい、普通にやりますよーっと」

 

そう言いながら美波の髪を手櫛で鋤くと、美波はよりこちらに体重を預けてくる。

ちょうど海に日が沈む時間だけあってか、薄暗いような明るいような、微妙な感じが何とも雅だ。

 

「……でも、楽しかったですよ」

 

「そうだな。久々にちゃんと体動かしたし」

 

「もう、そういうことじゃないです。圭さんと一緒だから、私は楽しかったんですよっ」

 

空を見上げる要領でこちらを向きながら微笑む美波。それを見た瞬間、自分の顔に血が巡った自覚があるため、さっと顔を逸らした。

 

「あ、照れました? 照れましたよね、今」

 

「うっせ。ほら、さっさと上がるぞ。お前俺に勝てなかったらアーニャにコクるの忘れてねーだろうな」

 

「はいはい、今行きますよー」

 

ニヤニヤしながら美波が俺の後ろを着いてくる。それを見て、俺は卓球で絶対にイジメ倒してやると決意を固めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言おう。最後の最後に一敗しました。

いや、話を聞いてくれ。あれは卑怯だと思うんだ。ルール上、デュース無しの11点先取にしていたのだが、10対10のまさに最終セットで俺にチャンスボールが回ってきた時だった。

 

「圭さん……!」

 

「ふはは! これで終いだ! 潔くアーニャにコクって砕けーー」

「ーー大好きです」

 

「っ!?」

 

美波にしては珍しい、ハートマークがついていそうな甘えた声だったため、思わず力加減を間違えてアウトになり、負けた。いくらなんでも卑怯だと思う。

 

「ほら圭さんっ! ハリーハリー!」

 

「……また今度ってことには?」

 

「だーめーでーすっ」

 

そうして出来上がったのがこの目の前のモンスターガールフレンドだ。実に嬉しそうにこちらを煽ってくるのが質が悪い。

 

「せめて明日にしてくれ。こっちにも覚悟ってもんがだな……」

 

「うーん……仕方ないですね。じゃあ明日絶対言って下さいねっ」

 

そう言って美波は自分の布団へ、枕を抱えながら飛び込む。もちろん二人とも浴衣だ。何だかんだ言いはするが、やっぱりこいつは何を着ても似合うと思う。

 

「とりあえず今日のところは普通に寝ようぜ? 明日は一日遊び倒すだろ?」

 

「そうですね。少し早いかもしれませんが寝ちゃいましょうか」

 

そう言って二人とも横並びの布団に入る……と思いきや、案の定美波が俺の布団に潜り込んで抱き付いて来た。

 

「オイコラ」

 

「いいじゃないですか、これくらい。いつも通りですっ」

 

そう言われるともう何も言えない。いつものように布団から顔だけ出す美波を抱き枕のように抱きながら、美波が寝静まるのを待つ。

……このときほど、準備が大切だと実感したときはないだろう。そう考えながら、俺は自分の鞄に目を向けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、ほとんど同時に目を覚まし、美波は顔洗いに、俺はお茶を飲むためにそれぞれ動く。

海を見ながらお茶をすすっていると、背後からドタバタと騒がしい音をたてながら、美波が慌てて走ってきた。

……まぁ、何をパニクっているかは俺が一番わかっているのだが。

 

「け、けけ圭さん!? これ……これ!?」

 

「おー、そうだぞ?」

 

「へ!? いや、ちょっと……え!?」

 

「何だ? 全部言わないとダメか?」

 

「わかりませんよっ! わかりません……」

 

そう言う美波は徐々に落ち着いてきたのか、少し語調を落ち着かせる。顔は相変わらず、朝起きたばかりだというのに真っ赤だし、目は今にも泣き出しそうなくらい潤んでいるが。

 

「……わかりませんから、だから、ちゃんと……説明してください」

 

美波は左手の先を右手できつく握りながら、真っ直ぐこちらを向いている。そう真っ直ぐ見られるとどうにも照れ臭く感じるが、まぁ必要経費ということで割り切った。

美波の左手をそっと掴み、優しく右手を離す。そのまま左手と左手を重ね合わせると、そこには全く同じデザインのシルバーリングが左手の薬指に嵌まっていた。

 

「俺と……一生を添い遂げて下さい」

 

美波はその言葉を聞いた瞬間、より顔を紅く染めたが、左手を恋人繋ぎに変え、そのまま俺に抱き付いてくる。

 

「……はい。喜んで」

 

「……はは、やっぱハズいわ。ビックリした? なぁビックリしたか?」

 

「ビックリするに……決まってるじゃないですかぁ……!」

 

美波の声は少し震えていた。頭に手を乗せて髪を鋤くと、美波は唐突に顔を上げてそのまま唇を合わせてきた。

触れるような軽いものではない。底と底で繋がり合うような深いものだ。そのまま思いきり体重をかけてきたため、いきなりで支えきれずに布団の上に倒れ込む。

顔を離せば、そこには朝日に照らされた銀色の橋がかかっていた。

 

「……昨日の賭けのお願いの二つ目、今使いますね?」

 

「え? その約束生きてたの?」

 

「生きてます。……今日は、旅館で過ごしましょう。ね?」

 

「おいおい、お前それーー」

 

反論するまでもなく、美波が再びキスを求めてくる。

 

……どうやら、この可愛い奥さんの最初のお願いを聞くしかなさそうだった。




・和久井圭
22歳。大学四回生。ただしもうじき自分の店を作る予定の模様。
現在は板前やらシェフの手伝いをしながら、日々彼ら彼女らのプライドを粉々にしているとかいないとか。

・新田美波
21歳。大学三回生。人生の絶頂期に達した模様。
……書いたんだから、しばらく出ないでね?(欲しいガシャ引く時に必ずピックアップ抜いて出てくる←

・神運の人々
やっぱ便利←

・一昨日の話
昨日はナニしてやがったんですかねぇ!←

・テニヌ
作者は新のほうはアニメしか知らないんだ。すまない。

・afterについて
多分プロポーズ編って言い替えられることになりそう。

・次いつー?
…………再来年?(どの先輩に聞いても「二年目が一番忙しい」って言われるんだ……


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