ガールズ&パンツァー 山吹の場合 (かじたろう)
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プロローグ

よろしくお願いします


 

「気品さを身につけなさい」

 

「…………」

 

「何度も言っているでしょう。崇高な理念と気品ある姿を常に心がけよと」

 

「…………はい」

 

 

 私の泥で汚れた服を見つめて、母は言った。

 隣にいる妹、るるなも下を向いて口を噤んでいる。るるなの服は汚れていない。たしかボール遊びをしていて、水たまりへ入り泥がこちらへ飛んできたのだ。

 

 しかしおかしい。私は自室にいたはずだが。これはどういう状況だろうか。

 実家の玄関で、母を前にして立ちすくんでいる。

 

 

「全く……」

 

「で、でもっ、お姉ちゃんは悪くなくて私がっ……!!」

 

「るるなは言葉遣いに気をつけなさい」

 

「うっ…………」

 

 

 るるなはまた俯いてしまう。

 母はため息を吐いた。

 

 これはいつのことだっただろうか。

 母は厳しかった。余り口数が多い方でもなく、表情や感情を外に出すことが少ない。いつだって怖い顔ばかりしている。

それでいて家の掟も厳格で、怒られることばかり。

 

 だが私も妹も、母が好きだった。

 鉄で覆われた心には、たしかに優しい一面があると私たちは知っていたから。すると母はもう一度、大きく肺の空気を吐き切るようにため息をした。

 

 

「はぁ…………二人とも早くお風呂に入って着替えてきなさい。ごはんにするから」

 

「えっ、で、でも……」

 

「そこでずっと立っていても仕方ないでしょう」

 

 

 ふっと母は口元に小さく笑顔を浮かべた。

 るるなは、ぱっと笑顔を浮かべ『お母さん大好き!!』と言って、母の元へ向かっていく。

 

 だが私は玄関に立ったままでいた。あちらへ私も行くべきなのだろうか。

 

 

「お姉ちゃん? どうしたの? 早く来なよ?」

 

 

 るるながこちらへ問いてくる。

 すると母もこちらを見て言う。

 

 

「何しているの、りりな?」

 

「………………」

 

「早く来なさい。もう怒る気はないから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハッと目を覚ます。

 時刻を確認すると、ちょうど目覚ましのセットした五分前だった。

 

 久しぶりに見た夢は、あまり気分の良くなるような内容では無かった。

 あれは子供の頃の記憶だ。もう大人になった私とは関係がない。

 魘されたわけでもないのに、むしろ心中のつっかえがひどく気にかかる、ただ不穏な夢であった。

 

 どうして今更、私はあんな夢を見てしまったのか。

 どうして来た道を振り返るような。

 

 

「………………」

 

 

 妙なことを考えるのはやめよう。この問題に結論を出しても、私は得をしないだろう。

 それにただ一つ。この道は友人が守ってくれた、大切な道であるのだ。

 

 妙な感傷から逃げるように、ベッドから起き上がる。

 カーテンを開けると、朝日が差し込んできた。

 

 それからシャワーを浴びて、牛乳を飲む。

 身支度を整えて、前日に準備をした荷物の確認をする。

 

 今日からの日程を考えると憂鬱になる。嫌な夢を見たのはきっと、これからの事を意識してしまっていたからだろう。世間の私、山吹りりなとは一体どんな姿であるのか。少なくとも大抵の人が思い浮かべるような人間ではないのは、たしかだが。

 

 一人だからと思って、ふとため息を吐いてしまう。

 

『オイ!! 電話だぞ!! 早く出ろよな!!』。

 

すると携帯の着信が鳴った。見れば井手上菊代さんと表示されていた。

 

 

「はい」

 

「おはようございます。朝早くから申し訳ありません。少しだけ時間を頂いても大丈夫ですか?」

 

「おはようございます。はい、大丈夫です」

 

 

 電話の向こうから穏やかな声が聴こえる。

 

 ちょうど家を出る前に時間を持て余していた時。まるでこちらを見ているかのようなタイミングだ。このような、昔から井手上さんのもはやエスパーに近い気配りの良さには、驚かされてばかりだ。

 

 

「まずは優勝おめでとうございます。私も中継で昨日の決勝試合を見ていました。最後の車両を倒した時は、思わず私もテレビの前で手を上げて喜んでしまいました。

 それからお疲れ様です。そちらで慣れない環境ながら、シーズンを通して日々活躍を続けられたことは、とても素晴らしいことだと思います」

 

「ありがとうございます」

 

「しかし一言付け足すならば、もう少し頻繁に連絡をして頂けると、私も安心できるのですが……」

 

 

 普段は家政婦としての仕事をしながら、こうして私の心配までしてくれる。

 井手上さんには頭があがらない。時差の関係でむこうはもう夜中だろう。それでいて私の都合が良い時間帯を配慮してくれている。

 

 

「…………すみません」

 

「ダメです」

 

「…………え?」

 

「これは口頭で謝って済むような問題ではありません」

 

「……? どういうことですか?」

 

「一度面と向かって謝罪をして貰わなければ、私はあなたを許す気にはなれません」

 

「……そういうことですか」

 

 

 むこうから静かに優しく笑うような声が聴こえる。

 顔は見えないが、井手上さんがどのような表情をしているのか理解できる。その方法を教わったのも他の誰でもない井手上さんからなのだが。

 

 

「あなたの帰る場所はここにあります」

 

「……はい」

 

「それはどのような道を選ぼうとも、変わることはありません」

 

「…………」

 

 

 考えていることを見透かされているような、そんな言葉だ。

 思わず心労を掛けまいと明確な意志を持ったフリをする、いやしようとする。そう口を開くか開かないかくらいで。

 

 

「心――――――」

 

「―――あなたのことですから、これからの方針以外にも、優勝後ということもあり立ち振る舞いも含め様々なことで思いつめているかと思いましたが」

 

「流石です……」

 

 

 見透かされていた上、先を越された。

 きっと就業前のこの時間に電話を掛けてきたのも、私の心情を察していたからだろう。これから日程をおそらく予測して、私がどのような気分になるのか分かっている。

 

 

「当然です。いつからあなたを見てきたと思っているんですか?」

 

「返す言葉がありません……」

 

「この後のご予定は?」

 

「メディア向けの取材がいくつか……それに会食が……」

 

「昔からあなたはずっとそのような場が苦手ですね」

 

 

 向うからくすくすと笑うような声が聴こえる。

 ペースをずっと掴まれてばかりだ。

 たしかに小学生の頃からずっと人が集まるような場所が苦手だった。あの日から状況に応じて、自分を騙し騙しチームの前に立ってきたが、今度ばかりはそううまくいくような場でもない。

 

 すると井手上さんが穏やかな声が聴こえた。

 

 

「あなたは昔から物事を難しく考えすぎる癖があります」

 

「そうなんですか?」

 

「ふふ、そうなんです。もっと単純にただ思ったことを屈折せず外に出す方が、うまくいくということもあります」

 

「本当ですか?」

 

「はい、本当です」

 

 

 昔からと言われると、そうなのだろうと受け入れる他にない。

 きっと私よりもずっと、私の周りを含め多くの事を井手上さんは知っているから。

 

 

「ありがとうございます。とてもいいことを教わりました」

 

 

 少し気が楽になった。

 深く考えすぎていると気付き。それだけで大きく違う。

 

 

「それなら良かったです……ああ、そろそろ時間ですね」

 

 

 時計を確認すると、ちょうどいつも出発している時刻の少し前だった。

 どこまで把握しているのだろうか。

 

 

「それでは、次は日本で会える日を楽しみにしていますね」

 

「はい」

 

「それから、家元があなたと話したいことがあると言っていましたよ」

 

「えっ」

 

「それでは」

 

 

 電話が無慈悲に切られた。

 



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出会いの話1

戦車も原作キャラも出ないです
適当に読んでも大丈夫です


 

 戦車道は雨の日が日和らしい。

 

 

「ちょっと待って」

 

「……?」

 

「あの、天ヶ瀬さん」

 

 

 気づけば彼女の足を引き留めていて、目を見合わせていた。

 外のにわか雨が彼女の足を止めたのではなく、私が彼女を止めた。それに驚いているのは彼女だけでなく、私自身でもある。

 

 

「な、何か私に用でも……?」

 

 

 彼女、天ヶ瀬紅葉さんは怯えたような表情でこちらを見てくる。

 ここで井手上さんのように、優しい声で親切な言葉をかけられるほど、私は器用でない。

 

 

「雨の中帰るつもり?」

 

 

 むしろ不器用と言っていいほどで、出た言葉と言えばまるで感情のないただの質問。

 

 

「……え。そ、そうだけど……」

 

 

 それを受けた彼女は少しこちらから引くように、目を合わせてくる。

 当然だ。私は何をしているのだろう。小さく息を吐いて、もう一度伝えたいことを考え直す。

 

 

「少し経てば雨は止むから」

 

 

 

 

 一

 

 

 

 

 空を見れば、どこまでも曇り空が広がっていた。

 天気予報も、今日一日ずっと日差しが差すことはないと言っていた。

 

 教室の端っこで机に突っ伏す。

 天気の悪い日は好きじゃない。たとえ雨が降っていなくとも、晴れ晴れしい気分とは真逆の気分になる。

 

 

「紅葉ちゃ~んっ!!」

 

 

 すると後ろからこちらを呼ぶ声がした。

 振り返るといつもの見慣れた顔がそこに居た。

 

 

「どうしたの、詩織?」

 

「宿題やってなくてさ~……紅葉ちゃんの見せて?」

 

「ダメ」

 

「うっ……い、一生のお願いだからさ」

 

「ダメ」

 

 

 詩織の表情が険しくなる。またこのダメ娘は。

 

 いつも明るくて元気なのはいいが、もう私達も高学年なのだからもう少ししっかりして欲しい。

 いまだに一生のお願いを頻繁に使うし、宿題はテレビを見た等の理由でやらず、よく門限を破り外で遊ぶため親に怒られる。それで本当にもうすぐ中学生になれるのだろうか。

 

それが日比谷詩織という娘、といえばそうなのだろうが。

勿論、悪い子ではないのは良くしっているが、良い意味でも悪い意味でも感受性が豊か過ぎ、好奇心があり余りすぎるのだ。

 

すると詩織が一本指を自信ありげに立てた。

 

 

「じゃ、じゃあ交換条件を提示します」

 

「え?」

 

「私ここに来る時、とってもスゴイの見つけちゃったの」

 

「何?」

 

「それを知りたければっ……!! 宿題を見せるがいい……」

 

「ダメ」

 

「あっ、うん……」

 

 

 詩織は肩を落とす。

 たぶん登校中に彼女が見つけるのなんて、どうせ綺麗な石か花だ。

それで今、手に何も持っていないということは、花ではない。おそらく綺麗な石がポケットに入っている。

 

 もう少しマシな条件を提示出来なかったのだろうか。

 思わず『はあ』とため息を吐き、詩織へ手招きをする。

 

 

「宿題持ってきて、私が教えるから」

 

「えっ!! ホントに!?」

 

「ホント。休み時間使えばまだ間に合うと思うから早く持ってきて」

 

「ありがとう!! さっすが紅葉ちゃんだね!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 どんよりとした天気のまま、どんよりと一日の授業は終わった。

 途中の体育でやった跳び箱も、体育館のジメジメで一番上の布が湿っていて少し気持ち悪かった。

 

 だがあとは帰りの会を終えて帰るだけだ。

 

 

「今日、山吹さんすごかったねー」

 

「うん、そうだね」

 

「こう、ふわって感じで身体が浮いてて、あれってどうやってるんだろうね~」

 

 

 ジェスチェーを交え熱演する詩織の話を聞きながら、先生の到着を待つ。

 すると詩織が思い出したように手を叩く。

 

 

「あっ、そうだ!! 紅葉ちゃん、今朝私が見つけたスゴイのの正体、気にならない?」

 

「全然」

 

「そうだよね!! 宿題を教えてくれた紅葉ちゃんには、特別に教えてあげよう!! すっごく可愛いから!!」

 

「え……」

 

「じゃあ帰りの会終わったらね!!」

 

 

 まるで話を聞かず、自分の席へ詩織は戻ってしまう。

 ああなると詩織の勢いは止められない。これは付き添うしかなさそうだ。

 

 しかし詩織にはもっと落ち着きをもって行動をしてほしい。

すると教室に前の扉から先生が入って来た。その後ろから続いて入って来たのは、山吹さんだった。

 

あの山吹さんほどとはいかなくとも、詩織には彼女を目標にするくらいの心持で居て欲しい。

 

山吹さんは先生と親しそうに何か言葉を交わしてから、席へ戻った。あの娘は勉強も出来てスポーツも出来て、クラスの皆だけでなく、あの様子だと先生とまで仲が良いようだ。それに日本人離れした容姿も可愛い。

 

もはや生まれた世界が違うとしか表現しようがない。クラスの端で慎ましく生きる私とは真反対にいる子だ。

 

 

「はーい。それじゃあ帰りの会始めるよー」

 

 

 そして先生の号令で帰りの会は始まった。

 

 

 

 

 三

 

 

 

 

「ヘイ!! わんちゃん!! 暇なら私達と遊ばない?」

 

「…………」

 

 

 今どき、こんなことがあるのも、ここが田舎であるからだろうか。

 詩織が妙な手振りで誘っているのは、ダンボールの中にいる子犬だった。ダンボールには『引き取ってください』と油性ペンで書かれている。

 

 道の端の端、普段人通りのほとんどない、舗装はされていないが獣道ともいえない道路。たぶん普段から綺麗な花や石を探しているような人しか通らず、見つけられない場所にそのダンボールと子犬は居た。

 

 

「うわっ、うわっ、すごい元気だねー」

 

「……………」

 

 

 子犬はまだ元気そうで、詩織の差し出した手をへっへっと忙しなくペロペロ舐めている。

 端っこには少量のエサも添えられており、飼い主の最後の優しさが伺える。

 

 

「ね? すごい可愛いでしょ?」

 

「うん。でも……」

 

「でも?」

 

「どうするの?」

 

「………………え」

 

「………………」

 

 

 当然、見つけてしまったからには簡単に見捨てられない。それが責任である。

 当人の詩織といえば、眉根を寄せて難しそうな表情をした。まさか何も考えていなかったのだろうか。

 

 

「…………紅葉ちゃん」

 

「無理かな」

 

「だよねー……。だからって私も無理だし……」

 

 

 詩織は過去に何度も生き物を捕まえたりしては、家に持ってきて母親から怒られている。詩織の母曰く詩織が何かの面倒を見られるとは思えないらしい。なら可愛そうだから飼わない方がいいと。

 私も全く同意見だ。

 そして私の家も、ペット禁止のマンションだから犬を飼うことはできない。

 

 

「こういうのって……どうすればいいのかな?」

 

「たしか、引き取り先が見つからないと、保健所で殺処分されちゃうとか……」

 

「え…………そうなの?」

 

「たぶん……私もテレビで見ただけだから」

 

「それは……嫌だね……」

 

「…………うん」

 

 

 ふと子犬と目が合ってしまう。

 元気そうに尻尾を振る姿を見て、これで情を移すなという方が無理だ。

 すると詩織は立ち上がり、思い切ったように言う。

 

 

「まずは!! 私が家から毛布とかごはん持ってくるから!! 誰かにどうすればいいか訊いてみよう!!」

 

「う、うん。それが一番だと思う」

 

 

 詩織にしてはまともな発想だった。

 たまにある行動的な一面は私ももっと見習うべきだ。今回ばかりは詩織の意見が正しいだろう。

 

 

 

 

 四

 

 

 

 

 ここ最近、ずっと曇り空が続いて、ジメジメとした空気が辺りを満たしている。

 そして私と詩織の間でもあの問題はまだ解決できていなかった。むしろ悪化の一途を辿っている。

 

 

「どうしよっか……」

 

「…………」

 

 

 詩織はまた難しそうな表情をした。

 

 私もあの時、あの子犬に情が沸いてしまったものだから、このままの状況は正直心苦しい。

 しかしあの後、担任の先生や両親にどうすればいいか訊いてみても、あまりいい答えが返ってこなかった。

 

 誰に訊いても、謝られるか公的な機関に届けた方が良いと言われる。だがそのような機関に届けて、飼い主が見つかるパターンは稀だ。見つからなければ勿論殺処分。

 詩織も飼い主を捜そうと奔走しているが、実は結ばれない。

 

 それからもっと悪いことに。

 

 

「それに昨日、お母さんに冷蔵庫漁ってるのばれちゃってさ……」

 

「え……」

 

「うーん……不味いなあ、もうご飯ももってけなさそうだし……」

 

 

 詩織は親に犬を飼ってくれるように毎日頼んでいる。

 もちろん毎日断られている。飼ってくれるまでは友達の家に犬を預けており、許可してくれるまで詩織は諦めないらしい。という設定で毎日母に頼み込んでいる。

 

 実際は預かってくれる人などおらず、子犬には申し訳ないが毛布とごはんを置いて、あの場所にずっと居て貰っている。

 

 きっとあそこに居ても、偶然飼い主が見つかることはないだろう。田舎でも更に人通りのないあの道で、誰かが子犬を見つけるとも思えない。

 

 

「あー!! 誰か優しい人が来ないかなー」

 

「そうなるのが一番だけど……」

 

 

 

 

 どんよりとした天気と同じく、私達の間にもどんよりとした空気が流れた。

 




次回は早めに投稿します


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出会いの話2

「今日も行くの?」

 

「うん!! もちろん!!」

 

 

 今日の全ての授業を終え、詩織はいそいそと帰る準備をしだす。

 まだ帰りの会があるというのに、詩織はいつでも行けるといった様子で、ランドセルを机の上に置いた。

 

 気持ちは分からなくもない。

 私も私で『行くの?』なんて訊きながら、当然行くものだという心構えでいた。

 

 今日も今日で曇り。

 天気予報では午後から晴れるということだが、いまだ厚い雲が空を覆っていた。

欝々とした空気から抜けられるのは、また後日になりそうだ。

 

 すると窓際の方を見れば、山吹さんが外をなにやら見ている。

たぶん空を眺めているのだが、山吹さんもこの連日の曇りを憂いているのだろうか。そもそもあの子自体が、クラスの中心光みたいな部分もあるから、あまり気にしない方が良いはと思う。

 そんなくだらないことを考えながら、机に座り時間を潰していた。

 

 今日は会議の関係で、先生が来るまで少しだけ時間がかかるらしい。

 

 早く帰りたい。ただそれだけ考えていた。

 そんな時、外からポツンという音が聞こえた。

 

 

「あっ、雨降って来た」

 

「うわー、ほんとだー」

 

 

 誰かが呟くのと同時に、みんなが外を見る。

 同じように見れば校庭の砂が少しずつ湿っていくのが見える。午後から晴れるという予報であったので、周囲から『傘持ってないよー』とか『どうしよう』という声が聞こえる。

 

 私も傘は持ってきていない。予報が大外れしている。

 それにちょうど帰るタイミングで降り始めるとは、なんてタイミングが悪いのだろうか。

 

 だけど詩織もたぶんもっていないだろうから、焦ったような顔をしているだろう。そう思い振り向いた。

 詩織の顔を見れば、予想通り少し焦ったような顔で外を見つめていた。しかしいつもの感覚とは違う、真剣な表情が混じっている。

 

 

「詩織?」

 

「…………これ、わんちゃん、大丈夫かな」

 

「あ…………」

 

 

 たしかにそうだ。

 あの子犬が入っているダンボールに屋根はない。毛布は置いてあるが雨を防ぐことはできないだろう。

 そうしている間に、雨の勢いは少しずつ増していく。校庭の砂がほとんど濡れて、雨音が外から聞こえはじめる。

 詩織はあわあわと周りを見ながら、落ち着かないようにしている。

 

 

「はやく行かないと……」

 

「詩織……気持ちは分かるけど、少し落ち着いて」

 

「う、うん……」

 

「先生が来れば、すぐ帰れるから」

 

 

 詩織はこういうときに迷わず走りだすタイプだ。

 しかしまだ帰りの会は終えていない。こういうときだからこそ、一度落ち着くべきだと詩織に諭さなければ。

 落ち着くことでまた視点が広がり、新たな手が見つかることもある。それをきちんと詩織に伝えれば、きっと分かってくれる。

 

 

「詩織―――」

 

「―――紅葉ちゃん、ごめん!! 先行くね!! 先生には言っておいて!!」

 

「え」

 

 

 駄目だった。

 

言う前に詩織はランドセルを持って教室を飛び出してしまう。

 詩織がどうするか分かっていたのに止められなかった。クラスの皆も詩織が出て行った方を何かあったのかと見ている。

 おそらくあの焦り方だと、詩織は傘を持っていない。

 

 不味い事態になった。

 

 だが行ってしまったからには仕方がない。私だけでも帰りの会を受けて、急いで追いかけなければ。いや、傘を持っていない私が追いかけたところでどうなるのだろうか。

 

 窓の外を見れば先ほどよりも激しく雨が降りつけている。

 

 

「詩織…………」

 

 

 そこでようやく先生が教室に入ってきて、帰りの会が始まった。

 

 

 

 

 六

 

 

 

 

 全員で立ち上がり『さようなら』と合わせて言う。

 外を見れば雨はまだ降り続けている。

 

 私はどうするべきだろうか。この雨の中、傘も持たずに外へ出れば当然ずぶぬれになってしまう。おそらく詩織はもうずぶぬれになっているだろう。

 ひとまず教室を出て、下駄箱のある玄関まで向かう。

 

 やっぱり雨は強い。

 傘を持っていない私が詩織を追ったところで、どうにもならない。

 

 

「…………」

 

 

 でも、やっぱり、友達は置いていけない。

 私が居ないと詩織はだめだから、それよりも友人を置いておくのは私の感性が許さない。

 

 上履きから靴へ履き替える。

 その時、後方から誰かの声が聞こえた。

 

 気にする余裕があった訳でもないのに、その声は聞こえた。

 

 

「ちょっと待って」

 

「……?」

 

 

 決して大きな声ではないのに、スッと辺りへ通る声だった。

 思わず立ち止まってしまう。それから誰へ向けられたものかと左右を見渡すが、周りにはだれも居ない。

 それから振り返ると、こちらへ真っ直ぐな視線を向ける青い瞳の少女が居た。

 

 

「あの、天ヶ瀬さん」

 

 

 そこに居たのは山吹さんだった。彼女は確かに私の名前を呼んでいる。

 

 なんだかこの寂れた学校に彼女の姿は似合わないというか、場違いな感じを受けた。それは私の気が動転しているからそう見えているのか、彼女の纏う雰囲気がそう見せているのかは分からない。

 

 彼女とはごくわずかに名前を呼んだことがあるだけで、一度だって話したことがない。同じクラスとはいえ、私と彼女では接点の作りようがないのだ。

 

 

「ごめんね、急に呼び止めちゃって」

 

「う、ううん……何?」

 

 

 どうして山吹さんは私に声をかけたのだろうか。

 だめだ。私の貧困な発想ではまるで思い当たる節がない。

 

 

「雨の中帰るつもり?」

 

「……え。そ、そうだけど……」

 

 

 彼女は平坦にこちらへ尋ねてくる。次にどんな質問をするのか、思わず身構えてしまう

 彼女はゆっくり息を吐いた。

 

 

「少し経てば雨は止むから」

 

「え?」

 

 

 ふと柔らかい表情が目に入った。

 彼女は自身のランドセルを開けると、中から何かを取り出した。

 

 

「日比谷さんを、追うんだよね?」

 

「え……う、うん」

 

「これを使って」

 

 

 差し出されたのは、花柄の折り畳み傘とタオルだった。

 大外れの天気予報とは違い、彼女は準備よくそんなものを持っていた。流石だなと思うと同時に、それは申し訳ないと思った。

 これを受け取れば、当然山吹さんはこの雨の中、傘もなく帰ることになる。

 

 

「そ、それは……」

 

「私はここで止むまで待つから」

 

 

 そう言うと彼女は茫然とする私に、傘とタオルを渡す。

 私も抵抗することなく受け取ってしまう。

 

 

「止むまでって……いつ止むかも分からないし……」

 

「大丈夫、20分もすれば止むよ」

 

「え……?」

 

「今日の雨が止めばやっと雲が晴れるからね。その時に私は帰るよ」

 

「な、なんでそんなこと分かるの……?」

 

 

 そう言うと山吹さんは少しだけ悩むような素振りをした。当たっているとも分からないのに、山吹さんが言うと真実味を帯びてしまう。

 それから冗談でも言うかのように、平然と答えた。

 

 

「それは私が戦車乗りだから、かな?」

 

 

 『それはじゃあ駄目?』と彼女はふと微笑み言う。

 よくよく思い返せば答えになっていない。しかし彼女の瞳は適当なことを言っているように見えない。だからきっと止むのだろうとも、思ってしまう。

 

 うちの近辺は田舎町であるが、戦車道では西住流という流派がある有名な場所らしい。私もあの大きな屋敷がある前の道はよく通る。だから山吹さんもその西住流の関係者なのだろうか。

 

 

「で、でも…………」

 

 

 躊躇する私に対し、山吹さんは真剣な表情になる。

 

 

「自分の道を信じて」

 

「…………」

 

「誰の意志も関係ない、自分の選択が自分の道になるから」

 

 

 

 

 七

 

 

 

 

 山吹さんから傘を受け取って、急いで詩織の向かった方へ向かう。

 彼女の言う自分の道とはどのような事を意味していたのだろうか。誰の意志も関係ないとは何を思って言ったことなのだろうか。

 

 結局、私は彼女の真剣な瞳に迫られ、断ることもできず何度もお礼を言って傘とタオルを受け取った。彼女は笑って手を振っていたが、おそらくこれでは自分の選択とは言い難い。

 

 でも山吹さんがとても優しい人だということは分かった。

 そして戦車道をやっているということも。戦車道をやっていると天気が分かるようになるようだが、一体どのようにやっているのだろうか。

 

 雨はまだ強く降り続いている。

 

 それから走っていくと、一人の少女の姿が見えた。

 詩織だ。やっぱり傘をさしていない。

 

 しかし近づいて行くと異変に気付いた。

 何故か詩織は宙を見て、ただボンヤリと立っている。

 

 

「詩織?」

 

「紅、葉ちゃん……?」

 

「ど、どうしたの……詩織?」

 

 

 詩織は涙目になりながら、耳と鼻を真っ赤にしていた。

 ひとまず詩織を傘の中に入れ、タオルを頭に掛ける。触れた肌が冷たかった。

 何があったのだろうか。そう思い詩織の顔を見ると、詩織は子犬の居るダンボールを指さした。

 

見ればそこに子犬の姿はない。どういうことだろうか。

 

 

「朝はっ……居たのに……来てみたらいなくてっ……」

 

「…………」

 

 

 中の毛布や餌もない。

 そこには濡れたダンボールだけが残っている。おそらく周りの物品がないことも考えて、誰かが連れて行ったのだろう。

 こんな人通りのない道で誰かが子犬を拾うなんて。

 

 それは不味い。

 

 見つけたから飼おうと考える人は、なかなか居ないはずだ。それよりもその誰かに見つかって、保健所に連絡され引き取られたという可能性が高い。

 冷たい感覚が脳に過る。私たちはあの子犬に情をかけた挙句、この結果で終わる。そして詩織の悲しむ表情が目に浮かぶ。

 

 

 いや、まだ。まだあきらめるべきではなくて。一週間後には殺処分。だからまずは。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。私は、何をすべきで、どんな道を選ぶのか。

 

 

 すると雨音に混じって、奥から足音が聞こえた。

 そちらの方を見ると、着物に赤い和傘を差した人が居た。あちらの方もこちらに気付くと、優しい表情をこちらに向けてくる。

 

 そして私たちの前で立ち止まった。

 

 

「もしかして、あなた方ですか?」

 

「え?」

 

「あちらにいた子犬の保護者を探していました」

 



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出会いの話3

 八

 

 

 

「では改めまして。私はこの家の家政婦をやらせて貰っています、井手口菊代です」

 

「は、初めまして!! 日比谷詩織です」

 

「はじめまして。天ヶ瀬紅葉です……」

 

 

 お辞儀をされたので、慌てて私達も頭を下げる。

 井手上菊代さんと名乗った着物姿の女性は、にっこりとした顔をこちらに向けてくる。い

 

 いまだに何が起こっているのか分からない。隣に座っている詩織も、目は真っ直ぐ向いているが。表情がさっきから呆けたまま変わらない。変わったのは恰好だけで、濡れた洋服が和装になっている。

子犬は座布団の上で気持ちよさそうに寝ている。私達と違ってふてぶてしいやつだ。

 

 

 まず落ち着くために、ここまでの状況を整理しよう。

 

 

 あの子犬の居た場所へ歩いてきた着物の女性、井手口菊代さんは詩織の恰好に気づくなり心配そうに駆け寄って来た。そしてどこから取り出したのかタオルを持ち、濡れるのも気にせず自身のストールを詩織に掛ける。

 その時、井手上さんの腕の中からもふっと顔だけ、子犬が出てきた。私達を他所に、あんなところへいたのか。

 

それから私達は言われるがまま、彼女の差す方へ連れていかれた。

 

 その先にあったのは大きな屋敷。瓦屋根に木造の日本らしい家。十円玉に書いてある建物のような、とにかく家と呼ぶには大きすぎる建物だ。

 勿論、その建物が何か知らない訳がない。近隣で有名なあの西住流の屋敷だ。

とんでもない所へ来てしまった。

 

 中へ通されると、私は広々とした和室へ、詩織は浴場の方へと案内された。

 井手上さんは『少々お待ちください』と言ってどこかへ行くが、取り残された私はどうにも落ち着かず周りをキョロキョロ見回してしまう。あるのは高そうなテーブルに壺に掛け軸。

 それから座って待っていると。井手上さんがお茶と和菓子を持ってきてくれた。とにかく高そうということしか分からない。慣れた手つきでお茶を汲んでくれると、こちらへ差し出してくる。

 ただ口にしても緊張で味が分からないので、お茶とお菓子に申し訳なくなった。

 

 それに、というか井手上さんの気が利きすぎる。

 

 

『あっ』

 

『荷物を預かりますね』

 

『あ……』

 

『お茶が熱かったですか? すみません、すぐに取り替えますね』

 

『えっ』

 

『このお菓子はこの包装を回すようにはがして食べると良いですよ』

 

『…………』

 

『トイレですね。ご案内いたします』

 

 

 こっちが気を遣う間もない。ノータイムで繰り出されるおもてなしに私は翻弄される。

 そのうち、私は頭が真っ白になっていて、完全に思考が停止した。

 

 

『何か、気になることはありますか?』

 

『イエ。アリマセン』

 

 

 こうして私は井手上さんの操り人形になった。これが格の違いというやつだろう。

 

 それから少し待っていてくださいと言われる。言われた通り待っていると、詩織がこの和室に入って来た。『うわー』と普段通り無邪気に喜ぶ詩織だが、どこか違和感を覚える。

 たしかに恰好がさっきとは変わり和服になっていて、髪も普段みないほど綺麗に整えられているが。

 

 

『ワー、すごぉーーい』

 

 

 詩織も正気を失っていた。

 隣で井手口さんがただニコニコと笑っていた。

 

 

 

 

 九

 

 

 

 

「なるほど。犬の引き取り手が居ないと」

 

 

 しばらくしてようやく目が覚めた私たちは、本題に戻ることにした。

 あの子犬は。今まで何があったか。

 

 自覚できるほどに私達の喋りはたどたどしくなっていたが、必死で今まであったことを説明した。それに井手上さんはゆっくりと頷き、私たちの言葉を最後まで聞いてくれた。

 

 全て包み込んでくれるような優しい雰囲気の方だ。

 しかし、どこかで同じような雰囲気の人を見たことがあるような。

 

 

「でもどうやって見つけたんですか?」

 

 

 詩織が不思議そうにそう井手上さんに問う。

 まるで隠していたかのような言い方だが、実際に隠されているような場所に子犬は居たのだ。

 

 

「最初に気付いたのは私ではなく別の子です。今朝、声を聞いたと。そして先ほど連絡があり、雨が降り出したので助けてあげて欲しいと頼まれたので私が来ました」

 

「そうなんですか……!!」

 

 

 詩織が驚いたような顔をする。

 

 別の子とは、西住流の関係者の方だろうか。

 どれにせよその人と、井手上さんには感謝しなければならない。あのままあそこに誰も来なかったら、びしょぬれの子犬に詩織という最悪の状況になっていた。

 それから今になるまで一度もお礼を言っていないことに気付き、慌てて頭を下げる。

 

 

「本当にすみません。ありがとうございます」

 

「あっ、ありがとうございます!!」

 

 

 詩織も隣で頭を下げる。

 

 

「いえいえ。お礼を言うなら、見つけた子に言ってください」

 

「はい、その方にも、あ……えっと、どんな方なんですか?」

 

「会えば分かりますよ。雨もやんだことですし、もうすぐ帰って来るはずですが……」

 

 

 井手上さんの言葉に首を傾げていると、ガラガラと玄関口の戸が開く音がした。

 誰かが帰って来たのだろう。

 

 それからトントンと静かな足音がこちらへ近づく。そして部屋の前で止まり、ふすまが少し開かれる。

 

 

「失礼します」

 

「あっ……!!」

 

 

 聞き覚えのある声と共に、正座でそこに居たのは山吹さんだった。そしてこちらの目を真っ直ぐと見て、ゆっくりと頭を下げられる。私達もつい頭を下げてしまう。

 どうしてここにいるのか。いや、彼女は戦車道をやっていてここに居るのもおかしいということはないが。

 

 それから山吹さんは井手上さんの方を向く。

 

 

「……すみません。お手数をお掛けしました」

 

「いいえ。私こそ言葉だけを鵜呑みにして、あなたのことを信じてあげられませんでした。謝るべきは私の方です」

 

「私が、自分を信じられなかっただけです」

 

「……せめて私に出来るのは御二方を丁重にもてなすくらいですから」

 

「すみません。突然電話で呼び出して、雨の中演習場の端まで向かわせるなんて」

 

「正しい選択です。反省する必要はありません」

 

 

 二人はお互いに申し訳なそうにしている。

 ところどころで何を意味しているのか分からないところはあった。しかしおそらくだが、山吹さんは私に傘を渡してくれた後、井手上さんに連絡して助けてくれるように頼んでくれたのだろう。

 どこからどこまでも申し訳ない。

 

 それから井手上さんを初めに見た時に、どこかで同じような姿を見たことがあったと思っていた。だからこう二人が話していると分かるが、山吹さんと井手上さんはどこか雰囲気が似ている。

 彼女たちは一体どのような縁なのだろうか。

 

 

 それにしても子犬を見つけたのが山吹さんだとは思わなかった。

 だとすればあの下駄箱で傘を貸してくれた時、子犬の存在に気付いていたのかもしれない。

 あんな誰も居ない…………いや、大事な言葉を聞き逃している気がする。確認するため、井手上さんへ問う。

 

 

「あの、演習場って……もしかして、あそこは……」

 

「はい。あそこは西住家の所有の演習場であり、勿論私有地ですよ」

 

「…………すみません」

 

「いいえ。それにほとんど使っていませんでしたからね。それこそあそこを通る戦車はりりなの乗る戦車くらいですから」

 

 

 道理で誰も通らなかった訳だ。

 それに整備もされていないのはおそらく、戦車が通るという目的だけの道だからだ。そんな場所に今まで何度も入り込んでしまっていたとは。

 反省していると、井手上さんが『では』と話を切り出した。

 

 

「本題に入りましょうか。この子犬の今後についてを」

 

「…………」

 

 

 そうだそれが問題だ。この問題をどうにかしなければならない。

 すると井手上さんは山吹さんの方を見た。

 

 

「とは言っても、あとはりりな次第ですね」

 

「? 私ですか?」

 

 

 山吹さんは子犬を見て首を傾げる。

 両方かわいい。

 

 

「あなたが良ければ、この子はこちらで引き取ろうと思うのですが」

 

「本当ですかっ!!」

 

 

 井手上さんの言葉に、詩織は飛びつくように声を出す。

 それから詩織は山吹さんの目をじっと見つめる。山吹さんには申し訳ないが今の詩織を止めるつもりはない。

 

 

「え? あ、あの。どういうこと、ですか?」

 

「御二人がこの子犬の引き取り手を探しているそうです。もしよろしければ門下生も含め皆で面倒を見ようと思っているのですが」

 

 

 詩織はより強く山吹さんの方を見る。

 

 

「別に、私は構いませんが……」

 

「ホントにっ!?」

 

 今度は山吹さんの言葉に詩織は飛びつく。

 言葉だけでなく、じりじりと距離を詰め、より強く詩織は山吹さんを問い詰めていく。

 

 

「ホントにっ!! ホントだよね!!」

 

「う、うん」

 

「あの……!! 迷惑とかだったり、しないよね?」

 

「井手上さんが許可しているなら、大丈夫だと思うけど……」

 

「犬とか嫌いだったりしない!?」

 

「そ、そんなことは特にないけど……」

 

 

 詩織の勢いに山吹さんは少し押されている。

 そろそろ止めなければ。そう思ったところで、詩織が山吹さんに抱き着いた。

 

 

「ありがとう。本当に……」

 

「え? そんな、私は」

 

「りりなちゃんと井手上さんが居なきゃ……私、何も出来なかった。紅葉ちゃんにまた迷惑かけて……それで終わっちゃうところだった……」

 

「ひ、日比谷さん?」

 

 

 山吹さんは困ったような顔をしている。

 見れば詩織は肩を震わせている。見兼ねて山吹さんから引っぺがすと、詩織は目を真っ赤にして鼻を啜っていた。

 井手上さんが手早く用意をしてくれ、渡されたティッシュで慌てて詩織の顔を拭く。『良かった』とか『もう駄目かと思った』とか鼻声ながらに詩織は喋る。

 

 それから井手上さんは笑顔で、子犬にいつでも会いに来て欲しいと言ってくださった。それでまた詩織が一層泣き出した。

 

 これだから。さっきまで頼りになったと思えば、情けなくもなる。

 それが詩織のいいところでもあるのだが。

 

 すると井手上さんが立ち上がった。

 

 

「それでは、私は少々用がありますのでお先に失礼させていただきます。あとはりりな、お願いします」

 

「はい」

 

 

 すると井手上さんは山吹さんに鍵を渡す。

 

 

「倉庫にあるⅣ号が空いているので、使ってください」

 

「……雨あがりに戦車ですか」

 

「では御二人を徒歩で帰らせるつもりですか?」

 

「……分かりました」

 



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出会いの話4

 十

 

 

 

 

 心臓が直接叩かれているのかと思うほど、重圧のある音が身体に響く。

 車の滑るように聞こえるゴムタイヤの音ではない。硬質な金属の衝突音が地面を進むごとに聞こえるのだ。その度にがたがたとした振動が直接内部に伝わって、身体をぐらぐらと揺らす。

 

 

「二人とも大丈夫?」

 

 

 ふと山吹さんがこちらを向いて言う。

 山吹さんが座っている場所が、操縦席らしい。よく分からないが三つのレバーを操作してこの戦車を動かしている。私は装填手という人が座る、この戦車の弾を込める人が座る席に居る。そして詩織は一番上の車長席という場所に居る。

 

 

「大丈夫だよ!! すっごい迫力だね!!」

 

「う、うん。すごいね」

 

 

 詩織はそうはしゃぎながら、戦車内を見回している。

 外から見た時は、無骨で物々しくとても人を運ぶために用意された代物とは思えなかった。いや実際、人を運ぶための代物ではないのだが。

それから乗るのにも一苦労で、山吹さんは慣れた様子でひょいひょいと登るが、私は山吹さんの手を借りなければ上に登れなかっただろう。

 

 

「山吹さん!! この席に立って周りを見るんだよね?」

 

「うん。何かあったら私に言ってね?」

 

 

 詩織は立ち上がり、入って来た丸い穴から外に顔を出す。

 しかし乗ってみれば意外に、快適とは無縁だが乗るのに悪い気はしない。今まで、たまに外で走っているのを見たことがある程度で、乗りたいと思ったことは一度もなかった。

 だがこの爽快感は胸を打つ。

 

 『うわー!!』と頭上から叫ぶような声が聞こえた。やっぱり。だけどたぶん私が同じようにあそこから顔を出しても、声は出さないとして興奮は抑えきれないだろうけど。

 ジャングルジムジム程ある高さの鉄塊が、それなりの早さで動いているのだ。それもいつも歩いているあぜ道を、通学路を、力強く走っている。

 

 

「大丈夫かな……」

 

 

 詩織のことが少し心配になる。

 ここへ乗る前にヘッドセットを渡されたのは、きちんと戦車を動かす役目を果たすためだろう。すでに役目を忘れていそうな詩織の様子が不安になる。

 しかし山吹さんが何も言わないから、大丈夫なのだろう。

 

 

「それと天ヶ瀬さん、日比谷さん……私、二人に謝らないといけないことがあって」

 

「え?」

 

 

 今度はこちらを向かず、前を見ながら山吹さんは呟くように言った。聞こえたのはヘッドセットからだ。

 しかし私も言われたことに思い当たる節はなく、素っ頓狂な声が出てしまう。山吹さんに謝られるようなことはない。むしろ私達がお礼を言うべきで、傘を貸してもらい、井手上さんに助けて貰い、こうして戦車で自宅まで送ってもらっている。

 

 山吹さんはそのままの声量で言う。

 

 

「今日の帰りの会の前、二人とも話してたよね。その話、私も盗み聞きしてたの」

 

「……そうだったの?」

 

 

 あの時、山吹さんは空を眺めて、それから席へ戻っていた覚えがある。

 盗み聞きをしているようにはまるで見えなかったが。

 

 

「今日の朝、あそこから日比谷さんの声と子犬の声がして……それを他の先輩に話した時、誰も信じてくれなくて。私もそれで聞き間違いだと思っちゃったから……」

 

「そうなんだ……」

 

 

 それであの時、井手上さんが信じていなかったことを詫びたのだろう。

 井手上さんの話では、てっきり子犬だけの声を聞いたと思っていたが、詩織もそこに居たらしい。

 詩織は早朝、子犬へ会いに行っているという話は聞いていたが、その時の声を今日山吹さんは聞いたのだろう。

 

 

「でも今日の放課後の二人の表情を見て、話を聴いて、聞き間違いじゃないって分かった。その頃には日比谷さんは教室に居なくて、帰りの会も始まる直前だったけど……」

 

「あー……」

 

「だから、二つ謝らせて」

 

 

 そう山吹さんは言った。

 詩織も通信で会話は聞こえているはずだが、珍しく何も喋らない。

 

 

「二人の会話を盗み聞きしたこと。それと自分を信じられなくて、子犬と日比谷さんをもっと早く見つけてあげられなかったこと」

 

「そ、そんな……謝ることじゃないよ」

 

「でも、一度謝らせて。ごめんなさい」

 

 

 山吹さんは前を見ながらも、ハッキリと謝った。

 しかし謝られることではない。たしかに早朝の時点で、詩織に山吹さんが声を掛けていれば、子犬はもっと早く保護されていたのかも。そして詩織が雨の中走りだすこともなかったのかも。

 

 

「でも――――」

 

「――――違うよ!!!」

 

 

 大きな声が戦車内に響く。

 いつからそこにいたのか、詩織は私の隣の席に座っていた。私の言葉を遮り、山吹さんへ力強く言う。

 

 

「私は山吹さんに感謝してる。あなたがいなければどうなってたか分からないもん」

 

 

 その通りだ。

 そもそも彼女が居なければ何も解決しなかった。井手上さんもあそこに来ていなかった。子犬すら見つかっていなかった。

 

 

「だからそれに良いも悪いもないよ。ありがとう!! 山吹さん」

 

 

 声は大きいが、こうして素直にお礼が言えるのはやっぱり詩織のすごいところだと思う。

 山吹さんはそれに柔らかい表情を浮かべる。井手上さんのように。

 

 

「日比谷さんは優しいね」

 

 

 それにどんな感情や過去が籠められているのか分からないが。どこか切ない表情を一瞬だけ見せたような気がした。

 彼女は彼女なりに考える部分があるのだろう。すると詩織は更に突拍子もないことを言った。

 

 

「きっと運命なんだよ」

 

「……運命?」

 

 

 山吹さんが不思議そうな表情をする。

 

 

「きっとこうして私達が出会ったのは運命だったんだよ!! 私が子犬に出会って、紅葉ちゃんに相談して、雨に濡れて!! それで山吹さん助けられて!! 」

 

「……元から決まっていたってこと?」

 

「そう!! だからこうして三人で戦車に乗っていることは、ずっとずっと前から決まってたことだったの!!」

 

 

 詩織が好きな考え方だ。突拍子もなく、現実感もないといえばそうだが。何も考えがないよりはずっとマシ。

 物事の大筋は運命で手繰り寄せられている。恋人も親友も成功も、みな運命で元から出会うと決まっているのだ。

 

 山吹さんはふと何かを納得したように頷いた。

 

 

「そうだね。きっと偶然なんかじゃないのかも」

 

 

 馬鹿らしいと一蹴りされてもいい言葉を前に、山吹さんは微笑んだ。

 それは彼女の優しさか、それとも何か別に理由があるのか。

 

 

「うん!! だから今度は私達が山吹さんに何かお返しをしないといけないね」

 

「それも運命だから?」

 

「勿論!!」

 



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始まりの一歩1

やっと、戦車が


 戦車は女性を扱うように優しく、そして楽しまなければならない。

 クラッチの操作は彼女との対話に等しく、動かしたと思えば手を引いて、また押しては引いての駆け引きをする。とんだキザ野郎にでもなったつもりで、彼女へ語りかける。

 

すると返答はエンジン音で帰って来る。その声を聴きながら、優しく、愛でるように、手を触れる。クラッチの遊びは心の余裕と一緒で、うまく使えないやつは何事もうまくいかない。恋だろうと戦争だろうと。

 

 とにかく受け手になることが重要だ。

 彼女と語る時ははまずゆっくりと彼女の声を聴いて、彼女がどんな子でどんな気分なのかを考える。時には痴話喧嘩になるが、そんなこともあったと笑い合えるくらいに通じ合う。

 

 特にドイツ戦車は構造が複雑で、正直面倒で、気持ちの浮き沈みが激しい。

 だがうまく付き合えれば、どの国の女よりも最高の女になる。

 

 

 

 

 一

 

 

 

 

「あっ!!」

 

 ガタガタッと不意に揺れる。

慌てて足を必至で動かすが、焦った時にはもう遅かった。戦車はそっぽを向くようにエンジンをストップさせ、一言も喋らなくなる。どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。

 

 またやってしまった。『はぁ』と、思わずため息が出る。

 乗り物の操縦はこれが初めてとはいえ、ここまで戦車を思うように動かせないとは。山吹さんが簡単そうに運転しているからもっと動かしやすい代物だと思っていた。

 

 

「すぐに動かしてください」

 

「は、はい!!」

 

 

 落ち込んでいると、後ろから無感情な指示が飛ぶ。

 すぐに返事をして気持ちを切り替える。

 

 

「試合中のエンストは起こした時点で負けだと思ってください。コツは練習の内に出来るだけ失敗を起こしておくことです」

 

「りょ、了解です」

 

 

 分かってはいるのだが、やってしまう。

 すると後ろから抑揚もなく当然とも感じるような言いようで、先輩は話し出した。

 

 

「戦場の中心でパートナーの女性と痴話喧嘩なんてしていたら、その兵士はどうなるか分かりますよね?」

 

「…………え?」

 

「99%死にます。ただ残りの1%だけは生き残れます。どんな人だか分かりますか?」

 

「……いえ、分かりません」

 

「ハリウッドスターです。戦場で痴話喧嘩をしていいのはトム・ク●ーズか、ダニエル・ク●イグくらいです」

 

「そ、そうですか」

 

「紅葉・クルーズさん。では生き残るために、俳優になるか戦車乗りになるか選んでください」

 

 

 

 

 二

 

 

 

 

 事の始まりはつい先日まで遡る。

 

 

『山吹さんのところへ行こう!!』

 

 

 そう詩織が言ったのは、あの雨の日から明けてすぐ、次の日の朝だった。

 普段より少し早い登校時間。詩織は私の家へきてそう言った。昨日の今日の出来事なのに、もう子犬に会いに行こうというのか。

 だが流石に朝から訪れるというのは迷惑になるので、学校で山吹さんに話をしてから行こうということになった。

 

 

「勿論、放課後だね?」

 

「うん!!」

 

 

 学校で山吹さんに行っていいか尋ねると、嫌な顔一つせず二つ返事で了承してくれた。

 そして放課後になって、山吹さんに連れられて詩織と私はまたあの屋敷へ行った。

 

 子犬は西住流の屋敷の近くにある、門下生さんやお手伝いさんが住む寄宿舎で飼われている。話ではそこに山吹さんも住んでいるようで、彼女だけでなく他の多くの人から子犬は世話を見て貰っているらしい。

 

 着くと山吹さんは戦車道の練習とお手伝いがあるらしく、どこかへ行ってしまった。

 代わりに井手上さんが私達の話し相手になってくれて、その日はひとしきり子犬と遊んでから帰った。

 

 次の日の放課後も行った。こんなに会いに行く必要があるのかは分からないが、それから気づけば平日は毎日のように通うようになっていた。

 自然と帰り道はいつも山吹さんと帰るようになり、彼女のことも少しずつ知った。

 

 以前は勉強が出来て、運動も出来て、可愛くて、性格も良い完璧な人として、どこか隔たりのある場所に居るイメージしかなかった。

 しかし話してみれば、花が好きだったり、小食で悩んでいたりと意外な部分を多く知ることが出来た。

 

 

 そんなある日だった。

 

 いつものように子犬へ会いに行ってみると、そこには見覚えのない顔の人が居た。山吹さんが言うには高校生の人らしい。戦車道の選手としてはとてもすごい人らしく、山吹さんも何度か教えてもらったことがあるらしい。

 

 その高校生の人は、どうやら家元の指導を受けにわざわざ学園艦からヘリでここまで来たようだ。井手上さんが突然の訪問に驚いたと言っていた。

 

 とても元気の良い人で、ハキハキと喋るのが印象的な人だ。井手上さんと話しながら、礼儀はキッチリとしながら、ハッキリとした芯を感じる。

 その人はちょうど練習を終えたところのようで、井手上さんと離し終えると、こちらへ話しかけてくる。

 

 

「おっ、二人は新しく戦車道を始めた子?」

 

「え? いえ、そういうわけでは……」

 

「じゃあ乗ってみない? すっごく楽しいわよ?」

 

「そ、そんな……」

 

「怖がることないわよ!! バッ!! ってやってダッーって動かすだけだから。やってみよ?」

 

「無茶―――」

 

「―――やります!!」

 

「詩織!?」

 

 

 無茶だと言う前に、詩織がキラキラとした目で返事をした。正直気持ちは分からなくもないが、もっと躊躇というのをしてほしい。

 気持ちが分からなくもないというのは、きっと私と詩織が同じような考えをしているだろうから。あの雨の日に乗せられた戦車のことが、ずっと忘れられない。

 

 ただ、こんないきなり大胆に乗っていいのか。

 

 流されるように、詩織は車長へ。私は操縦席へ行った。その高校生の人が言うには、とりあえずそこらへんの席を埋めとけばいいらしい。あとは適当にしとけばいいようだ。

 

 高校生の人の指示に従って操作すると、あの日聞いたエンジン音が辺りに響く。

 まさか私が戦車を操縦することになるとは。緊張しながらもまず言われた通りに踏み込んで、ゆっくりクラッチを離す。

 ガタッと。けたたましいエンジン音が止む。

 

 全然動かない。

 

 

「ドンマイ!! あの子犬を撫でるみたいに優しくね!!」

 

「は、はい!!」

 

 

 言われた通り、そーっと離す。

 すると戦車がそっーと動き出した。『やった』と思って気を抜くとすぐに動きが止まる。

 

 

「グッジョブ!!」

 

「は、はぁ……」

 

 

 何故か褒められたが、全然うまくいっている気がしない。

 山吹さんはもっとスムーズに動かせていたが。そう思って彼女のやっていたような動きを思い出す。たしか足はこんな風に。

 

 

「おー!! 紅葉ちゃん!! 動いてるよ!!」

 

「ほ、ほんとに?」

 

「いいわねー!! よし!! ガンガン行くわよ!!」

 

 

 そして彼女のいうように本当にガンガン色んなところを走った。

 迫る木々など障害物がまるで見えないから、詩織の指示に従うのだがうまくいかない。私の運転も勿論あるのだが、詩織も目を回している。

 

 

「あっ、えーと、え、二時!? 十時!?」

 

「ど、どっち?」

 

「十時ね!! ガッと曲がって障害物避けちゃって!!」

 

 

 それからこの高校生の人はとにかく褒める。

 木を避けただけでも褒める。停止をちゃんとできただけでも褒める。それからとにかく思いっきり挑戦させる。

 法則性として、『グッジョブ!!』が良い。『グッジョブ!! ナイス!!』がかなり良い。『グッジョブ!! ベリーナイス!!』が最高だ。この三段活用を覚えておくと何かいいことがあるかもしれない。

 

 

 それから何度もエンストをしたり、木にぶつかったりした。

 高校生の人は大笑いでどんどん前に進むように言うが、私達にとっては何かを起こす度びっくりして萎縮しまう。

 特殊なカーボンで守られているから大丈夫らしいが、やっぱり怖いものは怖い。

 

 

 ようやく元の場所に戻ってこれた時にはもうヘロヘロだった。詩織もぐったりしている。

 高校生の人だけは元気そうに笑っていた。

 

 疲れた身体で戦車の上から降りようとすると、下で山吹さんが手を差し出してくれていた。

 ありがたく手を借りる。詩織もさすがに疲れたようで、山吹さんへ抱き着くような形になりながらもなんとか降りる。それからタオルとスポーツドリンクを渡されて、岩場に腰掛けた。

 

 

「まさか二人が戦車に乗ってるとは思わなかったよ」

 

「……成り行きでね」

 

「あー……蝶野さん、勢いのある人だからね」

 

「あ、あはは……」

 

「初めて戦車に乗ってみて、どうだった?」

 

 

 そう山吹さんに問われる。まず出てくれる感想は、疲れた。

 身体的にも、精神的にも。ガタガタ揺れる戦車を必至で動かすのがこんなに大変なことだとは思わなかった。

 旅行で遠くから自宅へ帰ってきたかのような疲れだ。また戦車内の暑さでより体力を削られているような気がする。

 

 

「……楽しかった」

 

 

 でも出てきたのはそんな言葉だった。

 

 疲れてぼーっとしていた詩織も、それには大きく頷いて笑う。

 

 

「良かった」

 

 

 同じように山吹さんも笑う。『グッジョブ』なんて言われなくて良かった。

 結局また山吹さんの操縦するⅣ号に乗せられて、自宅まで送ってもらった。

 

 

 

 

 三

 

 

 

 

 あれから放課後の週何回かは山吹さんの元へ行き、戦車に乗るようになった。

 何度か通っているうちに門下生の人からも顔を覚えられ、運転方法を教えて貰っている。他の席もいろいろと試したが、やっぱり操縦が私は好きなようだ。

 

 砲手は外したらいけないというプレッシャーが嫌で、通信主は余り好きではなく、装填手は非力な私に務まらず、車長は圧倒的に経験と知識が足りない。だから結局この操縦手に収まったというだけなのだが。

 

 成り行きだけなら流されたようだが、案外まんざらでもない。戦車の操縦は、ギアを変えているだけでも面白い。そう思えるようにはなってきた。

 

 詩織は詩織で砲手をやることにして、いつか車長をやると言っている。

 

 

それから、門下生の方以外からも顔を覚えられた。

 

 

「あっ、詩織ちゃん!! 紅葉ちゃん!!」

 

 

 いつも通りの場所に腰掛けて子犬と遊んでいると、向こうから声が聞こえた。

 そちらを見ると、優しい目をした少女が元気よくこちらへ走り寄って来る。詩織も気づくと手を振って少女を迎えた。

 

 

「みほちゃん!! お帰りー。今日は何してたのー?」

 

「今日はね!! お姉ちゃんと戦車に乗って釣りしてきたの!!」

 

「そうなんだ!! どこまで行ってきたの?」

 

「月岡さんの家の角の近くにあるところ!! 楽しかったよ!!」

 

 

 詩織はにこにこ笑いながらみほちゃんの頭を撫でる。

 月岡さんのところにある場所は、私も低学年のころ詩織と行ったことがある。もちろん戦車でなんて無茶なことはしていないが、それは戦車道家元の娘だからということだろう。

 

 すると遅れて向こうから、みほちゃんと似てはいるが、目元が少し鋭い少女がこちらへ来た。そしてまず目が合うときっちりと頭を下げて挨拶をする。

 

 

「こんにちは。天ヶ瀬さん、日比谷さん」

 

「あっまほちゃん、こんにちはー」

 

「こんにちは」

 

 

 相変わらず礼儀正しい子だ。

 目が優しくて、元気に溢れている方が西住みほちゃん。目が鋭くて、礼儀正しい子が西住まほちゃん。二人は名前の通り西住流を継ぐだろう家元の娘たちであり、この大きな屋敷に住むお嬢様姉妹だ。

 

 それにしても詩織はそんな関係を一切感じさせず、何の隔たりもなく二人へ接している。少しは気を使った方がいいのではないかと心配してしまうくらい、普段と何も変わらない。

 

 

「二人も乗るの?」

 

「うん!! お母様が今日は私に乗り方を教えてくれるの!!」

 

「そうなんだ」

 

 

 ここへ来た理由を訊くと、みほちゃんが元気よく答えてくれる。

 なんやかんや私も年下と接するのと変わらない、詩織ほどではないが隔たりない関係を築いてしまっている。

 

 

「日比谷さん。紅葉さん。お待たせしました」

 

 

 すると今度は私達より一回り背が高い二人が、こちらへ来た。

 

 

「あっ、はい!!」

 

「はい!!」

 

「では練習をしましょうか」

 

 

 

 

 四

 

 

 

 

「戦車乗りになります……私、女ですから」

 

「そうですか。では私は女優になります」

 

「え?」

 

「冗談です。でも戦車に乗る女の子より、アイドルとか女優の方が可愛い気がしません?」

 

「……ちょっと、意味が分かりません」

 

「そうですか」

 



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