鎮守府商売 (黄身白身)
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艦娘長門


 他では書いてましたが、ここでは初投稿です

「艦隊これくしょん」好きです。
「剣客商売」も好きです。何度読み返したか。

 混ぜました。ええ、無謀です。無茶は承知です。無茶です

 両者の設定を色々弄ってます。

 物語は「剣客商売」の各話を元にしようと思っていますが、全く同じにはならないようになんとか工夫したいです。

 では初回は、剣客商売一巻「女武芸者」より

 どうぞ、ご笑覧ください



 

 

 

 町の外れからさらにしばらく歩いた場所に、その鎮守府はあった。

 ただし鎮守府とは言っても今はまだ形ばかりで、所属する艦娘も秘書艦一人しかいない。つまり提督と艦娘、二人だけの鎮守府ということになる。

 二人は今、向かい合って食事を摂っていた。

 大柄な男と、艦娘が一人。

 

 無言で飯の入った丼を持ち上げ、皿の上に置かれた干し魚を箸先でむしっては飯と交互に口に運ぶ。三往復ほどすると今度は丼を置き、汁の入った椀を手にして一口。

 汁とは言っても具のほとんどない、申し訳程度に季節の菜が浮いただけのもの。

 

 二人は言葉こそないが、満足な様子で食事を続けていた。それは気詰まりな沈黙ではなく、礼儀による静けさであった。

 秘書艦のほうは時々、傍らで鋼屑を齧っている二台の艤装生物の世話をしていた。

 防空駆逐艦秋月。そしてその相棒ともいえる艤装生物、長十糎砲ちゃん。秋月によって「せんちゃん」「せいちゃん」と名付けられている二台である。

 

「ごちそうさまでした」

 

「はい、お粗末さまでした」

 

 やがて食事を終えると秋月は食器を集め、部屋の隅の小さな台所へと運び、洗う。

 

「さて」

 

 食事への満足感を表情に見せながら、男は立ち上がった。

 男は、つい先日鎮守府を立ち上げたばかりの年若い新人提督であった。

 名を秋山大治郎という。

 

「秋月殿、私が洗おう」

 

「大丈夫ですよ、司令。二人分だけですから」

 

「いや、秋月殿には食事の支度を任せている。ならば、後始末は私の番だろう」

 

「提督のお世話も秘書艦の務めです」

 

「しかし」

 

「提督のお仕事は食器を洗うことじゃありません、まずは鎮守府を調えてください」

 

 こう言われると返す言葉はない。確かに秋月の言う通りだ。

 そして今、鎮守府を調えるという意味では大治郎にまともな仕事はできていない。なにしろ、艦娘が秋月一人しかいないのだ。

 それでも大治郎に慌てた様子はない。数を揃えるだけでは意味が無い、と大治郎は思っている。ただ闇雲に数を揃えただけの艦娘など、深海棲艦が現れればたちまち餌食になるだけだ、と。

 

「では、心当たりを回ってみようか」

 

「お供します」

 

 食器を洗い終えた秋月は前掛けで手を拭くと身支度を始めた。もともと華美な恰好をする性格ではないし、常在戦場の考え方も染みついている。身支度はごく簡単なものだった。

 

「では、参りましょう」

 

 艦娘としての制服姿となった秋月。その両脇に付き従う長十糎砲ちゃん。

 

 大治郎は愛用の刀を腰に吊すとそのまま表へと出る。鎮守府正面から町へと伸びる道には、まだ明るいというのに人通りは疎らだった。

 しっかりとした足どりで町へと歩き始めた大治郎。その後ろを秋月が従っていた。

 

「司令、今日はどちらへ行かれるのですか?」

 

「無駄かも知れないが、一応は口入れ屋を当たろうと思っている」

 

 人間用の就職斡旋所ではあるが、艦娘に門戸を開いていないわけではない。職を探している艦娘が見つかる場合もあるのだ。

 

「建造申請はなさらないのですか?」

 

「申請をしてはいる」

 

「では、許可が下りないのですね」

 

「大戦中ならば即座の申請許可どころか、無断建造も目こぼしされていたと聞くが今は時勢が違う」

 

「私たちのような艦娘を無闇に増やすのも考えもの、ということですか」

 

「少なくとも、政府はそう考えているようだな」

 

 話しながら歩く二人は、いくつかの橋を渡り、街の中心へと近づいていった。

 人通りは増え、二人に目を向ける者も出てくるがそれも一瞬。提督と艦娘など珍しい存在でもない。

 

 既に顔馴染みの口入れ屋に入った大治郎は、二三言葉を交わすとすぐに店を出た。

 艦娘の斡旋自体はあるが、大治郎の鎮守府では条件が折り合わないというのだ。

 

「贅沢ですね。贅沢は敵です」

 

「駆け出しの鎮守府だ。そういうこともあるだろう」

 

 口を歪める秋月に、大治郎は静かに答えた。

 待遇面だけの問題ではない。知名度の問題もある。

 それなりの艦娘であれば、やはりそれなりの実績を持つ鎮守府から声がかかるのだ。

 もっとも、艦娘一人しかいない鎮守府に名をあげろと言ってもそれはそれで厳しいものがある。

 

「待遇を良くするか、あるいは名をあげるか」

 

「司令の腕が確かなことは、この秋月が保障します」

 

「ありがとう」

 

「そもそも、鎮守府とは深海棲艦と戦うための拠点。それなのに自身の待遇がどうだなんて」

 

「大戦中とは違って、今は戦う気概だけでは鎮守府を成り立たせることも難しい」

 

 秋月はじっと、大治郎の顔を眺める。

 

「司令は、そんなお歳には見えません」

 

 大戦中から生きているようには見えない。と秋月は言っていた。

 

「鎮守府を立てると父に話したとき、そう言われた」

 

「司令のお父上ですか」

 

「提督として、剣士としての修行を積み、そして鎮守府を立てる。そう決め、父に伝えた」

 

「秋月は、建造されたとき言われました。『お前は、友の息子の秘書艦になる』と」

 

 秋月は、大治郎の父の旧友が友の息子である大治郎のために贈った艦娘であった。

 

「修行に出る前に、秘書艦を預かる約束をしていた。そのために秋月殿を建造してくださったのだろう」

 

「ですから秋月は、大治郎様の秘書艦となるために生まれてきたのです」

 

「私がどうであれ、秋月殿は秋月殿。だが私も今は秘書艦として頼りにしている」

 

「秋月、頑張ります」

 

 秋月の言葉に大治郎が頷いたとき、突然叫び声が響いた。

 

「暴れ艦だ!」

 

 その言葉に厳しく引き締まる秋月の表情。

 彼女に言わせれば暴れ艦とは、自身を律することのない恥知らずな艦娘の総称である。そして、秋月がもっとも嫌うものだ。

 

「せいちゃん、せんちゃん!」

 

 二台の長十糎砲ちゃんが秋月の両脇を固め、その砲身をあげた。

 

「秋月、町中での無闇な砲撃は御法度だ」

 

 その秋月を制するように前へと出、腰の刀に手をやる大治郎。

 

「向こうが艦載機を出すような艦娘なら、対空は頼む」

 

「はい」

 

 対空防衛は秋月の十八番だ。

 

「何があった」

 

 逃げてくる男の一人を捕まえ、大治郎は手早く尋ねた。

 

「戦艦だよ、暴れ艦だ。酔って暴れてやがるっ」

 

 暴れ艦と呼ばれた艦娘は、数人の男を弾き飛ばすようにして居酒屋の中から飛び出してきた。

 その姿は男の言葉通り、戦艦の艦娘であった。

 

「どけっ!」

 

「この、恥知らずっ!」

 

 叫ぶ暴れ艦に秋月が怒鳴り返した。

 

「駆逐風情が!」

 

 そこへ、刀に手を掛けたままの大治郎が走り出した。

 秋月に視線を向け、身体を運ぼうとした暴れ艦の前へと入り込んだ大治郎は、突き出された腕をかいくぐり、艦娘の横を通り過ぎた。

 そして通り過ぎた後、いつの間にか抜かれていた刀を 両手に構え直し、振り向いた。

 それを追うように振りむいて大治郎を睨み付ける艦娘は、これもまたいつの間にか斬られていた片腕を押さえ、痛みに呻いていた。

 

「……貴様」

 

「地上とはいえ轟沈しなければ、入渠でどうとでもなるだろう。引け」

 

「提督か」

 

「いかにも」

 

 戦艦娘が無傷の片腕を大治郎へと向けた。

 

「ぶっ殺す」

 

 夏の日の陽炎のような揺らぎが片腕を覆い、瞬時に形成される艦娘の艤装たる砲塔。

 艦娘による艤装の発現であった。

 

「人間ごときが、艦娘に、この戦艦長門に勝てると思ってか!」

 

 艦娘とは、かつての戦船の魂を宿したある種人外の存在である。その力は人間の及ぶべきものではない。

 艤装を自在に発現させ身にまとい、海上を自由に駆け抜けるその優雅と偉容は、まさに戦女神と呼ばれるにふさわしい姿であった。

 だがしかしその一方、提督と呼ばれる人間もある種人外の存在であるのだ。

 提督と呼ばれる者が持つ力。いや、その力を持つ者だけを提督と呼ばせる力。

 その力こそが、提督を人外に近い存在へとしていた。

 

 まず、艦娘は海上において、深海棲艦と唯一対抗できる存在である。

 

 深海棲艦、それはある日をきっかけに突如として現れた人外の化生。

 通常兵器のほぼ効かぬ深海棲艦によって当時の軍はなすすべも無く蹂躙され、人類はただ虐殺された。

 沖に集結した深海棲艦による砲撃で沿岸都市部は壊滅。さらには、大型河川を遡上した一部の深海棲艦によって川縁の都市も壊滅。

 人類は山へと、あるいは平地奥へと逃亡するしかなかった。

「水を見ると死ぬ」「水辺は地獄」と言われた時代が始まったのだ。

 

 深海棲艦はその艦載機で領空すら奪い、海外との物理的往来は途絶え、空と海を奪われた世界中の島国は鎖国を強制された。

 生産は壊滅、人口は激減。

 その混乱の中で、深海棲艦への有効な兵器に気づいた者がいた。

 近代兵器の類いは一切効かない深海棲艦には、近接兵器のみが有効だと。

 人が自ら携えた刀剣ならば、深海棲艦に有効な打撃を与えられるのだと。

 ただし、近づくことさえ出来れば。

 

 そして、かつて「神風」と呼ばれた特殊攻撃がこの国に復活した。

 人の命を散らす事を前提とした特攻ならば、深海棲艦に有効であると気づいたのだ。

 

 しかしそれは、人間にとっての希望ではなかった。人間一人が深海棲艦一隻と相殺することすら難しい。十数人の犠牲によって、初めて深海棲艦一隻を屠るというのだ。それでは、最後に残るのは人類ではない。

 それでも人は最後の瞬間を延ばそうとした。最後の訪れを一日でも遅らせようとした。

 人は足掻いた。もがいた。抗った。

 諦めぬと、屈せぬと、滅びぬと。

 

 その心に応じたのか、人類に予期せぬ希望が訪れる。

 

 それが、艦娘。

 それが、艦娘の選んだ提督。

 

 提督に率いられた艦娘によって逆襲に転じた人類は、沿岸部から深海棲艦を撤退させることに成功。

 のちに「深海大戦」と呼ばれる戦争が始まる。

 

 それが数十年前の話。

 

 深海棲艦の絶滅にこそ成功していないが、今の世界は小康状態を保っている。

 生活レベルはかつての世界には及ばないものの、当面の平和は保たれている。

 

 大戦時、提督は艦娘によって選ばれていた。今では、人間が自ら提督を名乗っている。

 どちらにしろ提督になる者は皆、それなりの力を持っている。

 どのような力を持つかは提督によって異なる。しかし、一番多いのは純粋な「力」であった。

 それは、地上においてのみ艦娘と同等に戦える力。

 地上で艤装を外した艦娘と同等、あるいはそれを圧倒する力。

 近接戦闘に限定すれば、艦娘並びに深海棲艦と同等に戦えるだけの秀でた力を持つ者。

 ここ日本においては、近接戦闘は刀剣による戦闘を主としている。

 すなわち、かつての日本における剣客。それが、今の提督の持つ力であった。

 

 提督はまっとうな手段で艦娘に勝利する可能性を持つ、唯一の人間であるのだ。

 

 暴れ艦長門は自分の力を知っていた。平均以上の力を持つ艦娘であると自覚していた。

 ゆえに、並の提督では地上戦でも敵ではないと。

 

 地上で艤装発現した砲塔は海上でのそれほどの力は無いが、人間一人を殺傷するには十分である。

 その艤装……砲塔を大治郎に向け、暴れ艦長門は笑う。

 笑う長門へと走る秋月。

 

 さらに一歩早く。

 砲塔ごと蹴り上げられる暴れ艦長門の腕。

 悲鳴をあげるよりも早く、暴れ艦長門は別の何者かに喉笛を掴まれていた。

 

「艦娘の面汚し」

 

 暴れ艦と同型の艦娘。戦艦長門の登場であった。

 

「貴様は海を汚すな。地上で轟沈しろ」

 

 たたきつけられた衝撃で、暴れ艦の意識は一瞬にして刈り取られた。

 

「同型艦が済まないことをした」

 

 暴れ艦が連行されたのを見届け、長門は周囲に頭を下げた後に大治郎と秋月に話しかけた。

 

「見ず知らずのものとは言え、戦艦長門には違いない。代わって詫びよう」

 

「いや、取り押さえたのは貴殿でしょう。戦艦長門の矜恃、拝見しました」

 

「さすがは戦艦ですね」

 

 長門は大治郎の刀に目をやる。

 

「だが、腕に多少覚えがあるとは言え、無謀は感心しない。提督かつ地上といえど、戦艦長門にそう簡単に太刀打ちできるとは考えぬ事だ」

 

 秋月の表情が再び厳しいものになった。

 

「お言葉ですが……」

 

「秋月殿」

 

 大治郎に窘められ、秋月は口を閉じた。

 

「ご忠告感謝します。では、私たちはこれで」

 

 鎮守府へ向かって歩き出した大治郎に追いつき、秋月は言う。

 

「秋月は、ああいう物言いの人は嫌いです」

 

「戦艦長門。立派な艦娘が多いと聞いている。あの暴れ艦にはよほど腹に据えたのだろう」

 

「ですが、司令のことを悪く言いました」

 

「別に悪意を持って悪し様に言われたわけではないだろう」

 

「それでも、軽んじています」

 

「長門殿は事実を言ったまでだ。私だって、まともにやりあえば深海棲艦にも艦娘にも勝てない」

 

「そうですか?」

 

「そうだ」

 

「今の勝負、秋月には司令の勝ちに思えました」

 

「自分すら律することのできぬ暴れ艦相手ならば、勝てる提督は多いだろう。それだけのことだ」

 

 そもそも艦娘の本来の戦場である海上において、人間が艦娘に勝てる道理などない。勝てるのならば、艦娘に存在意義はない。

 

「司令」

 

「うむ」

 

「いつか長門型戦艦を迎える時が来ても、秋月は陸奥を希望します」

 

 己の秘書艦は割と根に持つ性格だと、この日大治郎は知った。

 

 その数日後のこと。

 一人歩いていた大治郎を襲うものがいた。

 暴れ艦であった長門である。

 白昼堂々の襲撃ではあったが、長門は艤装を発現させていなかった。

 意地や矜持ではない。単純に艤装を没収されたためである。

 代わりに、長門は大刀を手にしていた。普通の人間ならば持ち歩くのも困難であろう大きさであった。

 

 長門は大治郎の腕を知らなかった。

 油断があったわけではない。並の提督であれば斬り捨てるだけの力が長門にはある。

 ただ、相手が並の提督ではない、秋山大治郎であっただけのこと。

 襲いかかる長門に、まるで待ち受けていたかのように刀を抜いた大治郎は、振り下ろされる剣筋に逆らわず、横へとわずかに流した。

 初撃を外された長門は、それでも受け止められたのならその場から持ち直すこともできただろうが、力余った体勢をさらに崩され、前のめりに大治郎の横を過ぎようとした。

 これを逃す大治郎ではない。

 即座に振り向くと、下段を横なぎに長門の両足を斬ったのだ。

 しかし、さすがに戦艦と大治郎に冷や汗を流させたのは次の瞬間、それでも振り向いた長門であった。

 その大上段に振り上げた大刀をおろされるより早く戻した刀で、大治郎は長門を突いた。

 ものも言わず、倒れる長門。

 

「お見事お見事」

 

 構えを解かず刀をそのままに、大治郎は新たな声の主を見やった。

 声の主に覚えはなかった。なかったが、長門が現れてより後、感じていた視線があった。

 

「何故、見ていたのです」

 

 男の表情に一瞬、狡猾なものが映ったような気がして大治郎は顔をしかめた。

 

「失礼ながら、腕を拝見しておりました」

 

「私程度の腕など、珍しくもないでしょう」

 

「ご謙遜を」

 

「用向きがあるなら手早く願いたい。これから、人と会う約束があります」

 

 失礼、と男は言い、

 

「その腕を見込んで、お願いしたいことがありましてな」

 

「指導をお望みなら、鎮守府のほうに来てください」

 

「不良艦娘を一人、懲らしめていただきたく」

 

「懲らしめる、とは?」

 

「殺せ、とはさすがに言えませんが、腕や足の一本くらいなら」

 

「物騒な話だ」

 

「それなりの艦娘でございます」

 

 しかし、と男の言葉は続けられる。

 

「貴方様の腕ならば、造作も無いことかと」

 

「艦種くらいは聞かせてもらえますか」

 

「お引き受けくださるので?」

 

「それはまだ決めかねます」

 

「戦艦、長門」

 

 決めつけるような男の言葉に、妙な縁だなと大治郎は思った。

 

 しばらく後、大治郎は自らの鎮守府とは別方向の町外れへと進んでいた。

 やがて道幅が広がり、やや川をそれたところに一軒の屋敷が見えてきた。

 屋敷の前では、一人の老人が縁台に座り、飼い鶏に餌を与えている。

 

「おう、来たか」

 

 老人は言うと立ち上がり、客を迎え入れるような仕草で屋敷へと入っていった。

 老人の名は秋山小兵衛。大治郎の父親であり、彼もまた元提督であった。

 

 大治郎が頭を下げ、古ぼけた門をくぐると、客を出迎える声がした。

 

「お、君、ようやく来たんか」

 

「お久しぶりです」

 

 大治郎は再び声の主に頭を下げた。

 大柄な大治郎の胸ほどもない身長の娘がそこにいた。とは言っても、その隣に並ぶ小兵衛もかなりの小柄であり、二人が並んでいる場合にはそれほど小柄には見えないのだが。

 

「そこがええんや。そやからウチはこの人の所におるんや」とは、この娘の言であった。

 娘の名は、いや、艦娘としての名は龍驤。陰陽系召喚型軽空母艦娘である。

 

 この龍驤、かつては小兵衛の秘書艦だったというわけではない。それどころか、小兵衛の鎮守府に所属していたわけでもない。

 それでも、今の小兵衛の側に居る艦娘は龍驤ただ一人だ。

 

「気が付いたら、居つかれておってな。まあ、ワシはいっこうに構わんが」

 

 あるとき、息子の問いに小兵衛はそう答えたという。息子は呆れたが、何も言い返さなかった。

 

「艦娘に不思議な好かれ方をする提督というのはいる。それは当人同士でないとわからんよ」

 そう大治郎に教えたのは、提督候補として学んだときの教官であったか。

 まだ若い大治郎に実感はないが、知識として知ってはいるのだ。そのような艦娘と提督の在り方を。

 

「龍驤、茶を頼む」

 

「あいあーい」

 

 茶と一緒に出された菓子は、普段の大治郎の食事内容からすれば論外とも言える質のものであった。単純に値段を問えば、大治郎と秋月の食事の何食分になるか。

 

 それに気づいているのかどうか、何の気負いもないように菓子を口にすると、言った。

 

「美味い菓子です」

 

「昔、ワシの所にいた艦娘が訪ねてきてな。ほれ、お前も知っとる、那智じゃ」

 

「那智さんが、これを?」

 

「皆、ワシの好物をよう覚えておいてくれるわ」

 

「父上の薫陶の賜物でしょう」

 

「ふふ、父をおだててどうする」

 

「常日頃より、模範と考えております故」

 

「余所の提督を教官と仰いでおいてよく言うわ」

 

「身内では、甘さが出ます」

 

「はっ、違いない」

 

 二人のやりとりに、龍驤が笑った。

 

「なんや君ら、仲良えな。なかなか来んから、仲悪いんか思とったわ」

 

 三人は茶を飲み、ゆっくりと菓子を食べる。

 

「さて」

 

 茶のお代わりを龍驤に頼むと、小兵衛が問うた。

 

「何があった?」

 

 用向きはすでに先日のうちに伝えてある。

 艦娘の当てだ。

 しかし小兵衛はそれとは別のことを尋ねていた。

 

「わかりますか」

 

「妙な、顔つきをしておる」

 

「顔に出ていますか……未熟です」

 

「何があった?」

 

「妙な男に出会いました」

 

「ほう」

 

 先日からの暴れ艦との出遭いから話し始める大治郎。

 

「艦娘を一人成敗せぬか、と持ち掛けられ」

 

「艦娘、とは?」

 

「戦艦長門」

 

「いや、君、死ぬ気か?」

 

 そこまで聞いたところで龍驤が呆れ声を出した。

 

「しょうもない小物やったら知らんけど、まともな戦艦長門とタイマンなんか死ぬやろ、自分」

 

「死にますか」

 

「死ぬ死ぬ。そんなんウチかて嫌や。ビッグセブンに本気で殴られたら、首から先、無くなってまうで」

 

 地上で艤装無しとはいえ、長門とまともに戦うのは同じ戦艦でないと無理だ、というのが龍驤の意見であった。

 

「小兵衛はんもそう思うやろ?」

 

 ふむ。と小兵衛は頷いた。

 

「龍驤や」

 

「なぁに?」

 

「今の話、ワシが受けるとしたらどう思う?」

 

「あー」

 

 龍驤は宙を睨みながら首を傾げる。

 

「長門にもよるけど地上で艤装無しやったら五分五分かなぁ。闇討ちやったら五分以上かも知らへん」

 

 長門という名前だけではわからない。

 艦娘には同種の艦がある。同種艦であれば全て長門と呼ばれ、区別をつけるために所属鎮守府の提督の姓を名乗ったりする。

 小兵衛や大治郎の所に長門が居るならば、「秋山長門」と名乗る場合がある、ということだ。

 あるいは、同艦との区別をつけるためだけに別の愛称や通称名を名乗るか。

 

 もっとも、龍驤は「秋山龍驤」とは名乗らないのだが。

 

 そして同じ長門だからといって同じ強さだとは限らないのだ。

 勿論、傾向としての強弱はあるが、それも絶対的なものではない。

 

「であれば、倅も五分には持ち込める」

 

「闇討ちで?」

 

「闇討ちで」

 

「ふーん」

 

 龍驤は納得していない顔で大治郎を睨んだ。

 

「君ぃ? 強いんか?」

 

「鍛錬は欠かさないようにしていますが」

 

「まあ、考えてみたら小兵衛さんの息子やもんなぁ」

 

 一人合点してうなずきながら龍驤は台所へと姿を消す。

 

「で、その話。受けたのか?」

 

 小兵衛の問いに息子は首を振る。

 

「いえ、断りました」

 

「何故」

 

 聞き返された大治郎が怪訝な表情になった。

 

「何故、と言いますと?」

 

 大治郎にしてみればこのような胡散臭い話、断るのが当然である。

 

「鎮守府運営の当て、無いのじゃろう?」

 

 言葉に詰まる大治郎。

 

「そこはおいおい考えるにしろ、当面の費えはどうする」

 

 もっとも小兵衛とて、訳もなく艦娘を闇討ちするような息子など望んではいない。

 

「艦娘を揃えて深海棲艦を狩る。さもなくば任務を受ける。それが昨今の鎮守府の定番じゃ」

「大戦中にお前ほどの腕があれば、黙っていても中規模鎮守府の一つも預けられたろうよ」

「深海棲艦どもを狩り立ててさえいれば、どこからも文句はなかったよ」

 

 しかし、と小兵衛は続けた。

 

「時勢は変わって、強いだけではどうにもならん。提督も艦娘も、なんとかして自分を売り込まねばならん」

 

 お前にそれができるのか? と目が問うていた。

 

「ま、やれるところまでやってみるがいいさ」

 

 しばらくしてから龍驤が戻ると、大治郎の姿はなかった。

 

「帰ったん?」

 

「あいつもあいつで忙しい。なにしろ、新米提督じゃ」

 

「艦娘の当て、うちの古馴染みに聞いてみよか? フリーの隼鷹とかおるよ?」

 

「いきなり空母は、軽とはいえ、新米には荷が重いわ」

 

「うーん、駆逐艦やったら……確か出戻りやけど、曙と霞がおったかな」

 

「今のうちは、倅の様子見よ。進退窮まるときはまた手を貸してもらおうかの」

 

「早よ、一人前になってくれへんとな」

 

「そんなに大治郎が気になるか」

 

「あんまし来られると、うちと小兵衛はんの仲良うする時間が減ってまうやんか」

 

「なるほど、それは困ったな」

 

「せやろ」

 

 ふむ、ともう一度言うと小兵衛は立ち上がった。

 

「ちょいと出かけてくる、晩飯には帰るよ」

 

 門を抜け、小兵衛が向かったのは川沿いに設けられた自警団の詰所であった。

 

 深海棲艦の悪夢の記憶から、水辺を嫌うものは多かった。

 しかしだからこそ、川辺には例外なくこのような詰所が作られ、下流から遡上してくるモノがないかを見張っていた。

 詰めているのはほとんどがそれぞれの地域で雇われた艦娘であり、中でも空母が多い。これはいざというときの緊急連絡を艦載機で行えるためだ。 

 大戦中に地上の通信網は破壊され尽くしている。無線に関しては深海棲艦の仕業か、ほぼ使い物にならないレベルの妨害が今でも入り、それを完全除去する手段は未だ見つかっていない。

 今の通信の主流は比較的妨害を受けにくい艦娘同士の通信か、有線通信である。

 前者は互いに周波数をあらかじめ合わせておく必要があり、とっさに使えるわけではない。後者は、いざ戦闘となれば真っ先に設備が破壊される。

 よって、緊急連絡としては物理的な接触、艦載機による往来がもっとも手堅く、早いのだ。

 基本的に町中での艦載機利用は禁じられているのだが、緊急事態においては無論その限りではない。

 ただ、今の詰所は深海棲艦に対する警戒よりも街の自警としての役割が色濃くなっているのだが。

 大戦の傷跡はまだまだ深く、深海棲艦も絶滅したわけではないが、実際に川を遡上して奥深くまで攻め込まれることは殆どない。大規模鎮守府を擁している都市であれば皆無と言って良いだろう。

 そして今、政府の力は復興と対深海棲艦に主に向けられている。そのような情勢で治安維持を民間におりた艦娘が請け負うのは、歓迎すべき事でもあるのだ。

 

 途中で立ち寄った店で買い求めた菓子を携え、小兵衛は詰所の門を叩く。

 

「はい」

 

 顔を出したのは揚陸艦あきつ丸だった。

 

「先生ではありませんか」

 

 提督としてではなく、一人の剣士としての小兵衛の教え子がこのあきつ丸であった。

 

「こんな時にばかり顔を出してすまんが、ちと尋ねたいことがあってな」

 

「なんなりとお尋ねくださいであります」

 

「戦艦長門、と聞いて何かあるかね」

 

 ほう、とあきつ丸は息を吐くとニヤリと笑った。

 

「まさか先生からその名前を聞くとは……御子息の艦娘でありますか?」

 

「その話、詳しく聞こうか」

 

 あきつ丸は小兵衛を詰所に入れ、茶を出すと、さて、と語りはじめた。

「田沼提督の建造艦、秘蔵っ子でありますな」

 

 田沼の名は小兵衛も知っている。

 政府直轄の鎮守府の一つを預かる、押しも押されぬ大提督が一人だ。

 己が権勢のために艦娘を操る、従わぬ提督を排除する、挙句の果ては深海勢力に通じているなどと、世間の評判は決して良くないが、実力者であり権力者であることは間違いない。

 それに、誹られるのは上に立つ者の宿命のようなものだと小兵衛は思っていた。

 

 あきつ丸は続けた。

 その田沼の鎮守府から、暇を出された戦艦長門がいると。

 

 もっともこれは単なる放逐ではなく、世間を見ろとのことらしいが。

 なるほど、大規模鎮守府ともなれば世情を真っ向無視した運営もできぬ。実際に周囲との無用の軋轢に神経を悩ます提督や艦娘も少なくない。

 世間を見ることは、確かに有用であろう。

 つまり期間は不明としても、いずれ長門は田沼鎮守府に戻るのだ。それでも、その期間だけでも長門を迎え入れたい、ひいては田沼との関係を築きたいと考える者もいる。

 

 とりたてておかしな話というほどではない。が、大治郎周辺の出来事とは繋がらない話ではある。

 

「ですがこの長門、妙な噂があるのであります」

 

「妙な、とは?」

 

「提督の、実の娘ではないかと」

 

「なんと……」

 

 あり得ない、とは小兵衛も言いきれぬ。

 無論、人間は艦娘を産めない。だが、艦娘が艦娘を産んだとすれば。

 例はあるのだ。

 艦娘は幸か不幸か、皆が美しい外見を持っている。相思相愛に結ばれる者もいれば、けしからぬ行為に及ぶ者もいる。

 そして稀ごととはいえ、艦娘が人間の子を孕むこともある。

 

「とはいえ、田沼の奥方は歴とした人間でありますが」

 

「妾の子、か」

 

「言うなれば」

 

 ない話ではない。

 見ようによっては始末に困り放逐したとも見えるだろう。

 では、その長門を狙う者とは。

 

「長門に触れれば田沼の歓心を買うか不興を買うか、悩みどころというわけでありますな」

 

「うかつに触れぬ不発弾扱い、じゃな」

 

「先生はどう思われます?」

 

「ばかばかしいな」

 

 吐き捨てるように小兵衛は言った。

 

「田沼ほどの規模の鎮守府ならば、艦娘一人の始末などいくらでもつけられよう」

「しかも、建造でないということは普通に育てたということ。妾の子を理由に放逐するならわざわざ艦娘となるのを待つ必要もないわ」

 

「確かに」

 

「ただの町人なら知らず、その程度の判断もつかぬ提督どもか、近頃は」

「あきつ、お前のほうがよっぽど上等な提督になれる」

 

「提督などとは荷が重い。それよりも御用とあれば、御子息の艦娘としてこのあきつ丸、いかように使っていただいても結構であります」

 

「気持ちは嬉しいが、倅ではお前さんに役不足じゃ。そも、頼れる詰所の番人が消えては町の者たちにワシが恨まれてしまう」

 

 ただの見張り番だけではなく町の治安を預かると自負し、行動でそれを示しているのが、このあきつ丸であった。ゆえに人々からの信頼もあつく、慕われており、町の様々な噂を耳にもする。

 

「先生の教えであります」

 

 一瞬小兵衛は照れ臭げに笑って、言った。

 

「年寄りをおだてるでないわ。ああ、そうだ、聞きついでにもう一つ」

 

「なんなりと」

 

 しばらくの後、小兵衛の姿はとある鎮守府の公開演習場近くにあった。

 

(あれか)

 

 小兵衛の視線の先には戦艦長門の姿。長門は演習中の艦隊ではなく、演習場の中で演習を見学していた。

 

「どうですか、長門さん」

 

 よく見ると、長門の横には小さな駆逐艦娘が侍っていた。

 この鎮守府の艦娘だろうか、駆逐艦雪風であった。

 

「悪くない仕上がりだな」

 

「はい、伊勢さん自慢の艦隊です」

 

「伊勢の艦隊と一戦交えてみたいな」

 

「わかりました! しれぇにお伝えします!」

 

「無用だ」

 

「え?」

 

「戦艦長門、推して参る!」

 

 小兵衛、雪風だけでなく見物人たちも驚いたことに、長門は艤装を発現させながら演習場へと飛び込んだ。

 そして伊勢に対する、金剛率いる艦隊に向かって叫ぶ。

 

「すまんが、僚艦をお願いしたい。駆逐艦2と軽空母1、あとは自由だ!」

 

 慌てたのは伊勢だけではない。金剛も当然であった。

 

「なにしますカ!」

 

 旗艦金剛は怒気を隠そうともせずに叫んだが、提督の制止を受けてすぐに感情を引っ込めた。

 

「もー、提督が言うなら仕方ないネ」

「満潮、大潮、千代田、衣笠、フォローミー! ワタシについてきてクダサーイ」

 

「お姉さま?」

 

「比叡はお休みデス」

 

「そんなぁ、お姉さまと一緒がいいです」

 

「比叡はしっかりと、あの長門を見てるネ。おかしなところはビシバシと指摘してあげてクダサイ」

 

「気合、入れて、チェックします!」

 

「……霧島が交ざってマース」

 

 演習は長門側のA勝利で終わった。

 長門が単独で伊勢を含めた三艦を大破判定に追い込み、金剛は二艦、衣笠が一艦をそれぞれ中破させたのだ。

 長門側の被害は、最大でも千代田の中破だけであった。

 

 流石はビッグセブン、と見物人たちも声を上げていた。

 

(この金剛……なかなか老練と見える)

 

 小兵衛、そして伊勢の提督を含めた数人はこの状況から混乱を起こさせなかった金剛の指揮能力に評価を与えていたのだが、それは長門の知るところではない。

 

(個々の能力だけを見れば、確かに頭一つ抜けておるな)

 

 今演習場に出ている中で一番強い艦娘と問われれば、間違いなく長門であると答えるだろう。

 しかし、提督として艦隊に必要な艦娘を選べと言われたのならば、小兵衛は金剛を選ぶ。

 田沼長門には武人としての強さはあるが、旗艦としての強さはない。小兵衛はそう見ていた。

 

 そしてだからこそ、今の長門には世間を見る目が必要なのだろう。

 

 そこまで考えてふと、小兵衛は一人の男に目を留めた。

 あとからゆっくり思えば、周囲の者たちとの温度差、ただの野次馬とも見えぬ視線の鋭さ、そして大治郎から聞いた年恰好との類似など、不審な点はいくつかあった。しかしその瞬間の小兵衛はそこまで考えていたわけではない。

 ただ、怪しい。そう思っただけなのだ。

 小兵衛だけでなく、大戦を戦って生き延びた者には大なり小なりそのような感覚がある。逆にそれを持っている者でなければ、幾度の死線をくぐり抜けることは難しかっただろう。

 

 声をかけることもなく、小兵衛はその場を離れる男の後をつけていた。

 男は鎮守府を離れると人気のない道へと入り込み、一軒の空家らしき古屋の前、あらかじめ待たせていたらしい男に声をかけた。

 

「手はず通りだ、行ってくれ」

 

「本当に大丈夫なんだろうな。例のでかぶつはどうした」

 

「見掛け倒しのとんだ腰抜けだ。あんなもんいなくてもなんとかなる。分け前は多いほうがいいだろう?」

 

「そりゃま、そうだが」

 

 でかぶつとは大治郎のことか、と二人の会話がギリギリ聞こえる位置に隠れた小兵衛は声もなく笑った。

 

 待っていたほうの男が小兵衛の潜む路地の前を通り、小兵衛たちがもと来たほうへと小走りで駆けていく。

 それを横目で見送った小兵衛は、尾行していた男が空家に入ろうとした背後に音もなく駆け寄ると、まるで以前からの知り合いであるように気安く肩をたたいた。

 

「お前さん、田沼さまの長門をどうするつもりかね?」

 

 愕然と振り向いた男に当て身をくらわすと、小兵衛はくずれ落ちた男を引きずり、そのまま空家へと入っていった。

 すぐに男に活を入れると、真正面から向き合うように中腰の姿勢となり、再び尋ねた。

 

「田沼さまの長門をどうするつもりかね?」

 

 男は縛られているわけではない。ただ、真正面から向き合っているだけである。

 しかし、動けなかった。

 奇妙な老人に睨まれている。それだけで動けない。

 

 ふざけるな、と言いかけた男が息をのんだ。

 小兵衛の手が刀の柄に伸びていた。

 次の瞬間、しゃっ、と金気の滑る音、同時に男の前髪が数本はらりと舞い、赤く細い筋が男の額に生まれた。

 

「三度は聞かぬ」

 

 小兵衛は静かに言った。

 

 それからややあって、先ほど小兵衛が身を潜めていた路地の前を、男に案内された長門が通った。

 

「こっちです、長門さん」

 

 言った男の腹に、飛来した何かが殴りつけるようにぶつかった。

 

 ぐぅと呻き腹を抱え崩れる男、その場へ駆け寄る長門。

 

「おい、どうした」

 

「なんで、俺に……」

 

 その頭上より投下される投網。平常のものではなく、あらかじめ艦娘に向けられるとわかったうえで準備されたものだ。

 だとしても避けられぬ長門ではない、ないがこの場合、うずくまる男を介抱しようとした状態ではおのずと無理があった。さらにこの状態では艤装を発現させることもままならない。

 長門は網に絡まれ身動きとれぬまま、近づいてくる人影を睨みつけていた。

 

「なるほどこういう仕掛けか」

 

 近づいてきた人影……老人はいうと、長門にかぶせられた網を外し始めた。

 

 睨み付けていた長門の視線が訝しげなものに変わった。

 

「貴方は……?」

 

「ビッグセブンほどの艦娘をどうやって捕らえるつもりであったか気になってな、つい仕掛けを見過ごしてしまったわ。すまんすまん」

 

 それは、男に仕掛けの内容をすべて吐かせたうえ、実演させた小兵衛であった。

 ただし本来の仕掛けであれば案内役に放たれるのは小兵衛の投げた棒切れではなく、殺すための矢であった。

 

 小兵衛がいなければ仕掛けは存分にその役目を果たしていただろうことは、長門にも理解できていた。

 そして、地上で身動きできない自分であれば、つけいる隙はいくらでも、それこそ殺すことも難しくはないと。

 自分はつまり、この老人に助けられたのだということも。

 

「助けられたこと、感謝する」

 

「大方、そこで腹を押さえている男に助けを求められでもしたか」

 

「崩れた荷物に押しつぶされそうな娘がいると言われ……」

 

「伊勢も金剛もいただろう。あんたより足の速い高速戦艦や駆逐も」

 

「私が助けを求められたのだ」

 

「演習を一人で戦ったように、助けも一人で十分と思ったかい?」

 

 長門は口をつぐんだ。

 

「こやつらは、あんたが一人で来ると思っていた。事実、あんたは一人で来た」

「一人で演習は勝てるかもしれんが、一人で勝てる戦などないし、一人で運営できる鎮守府もない」

 

 おう、と小兵衛は初めて自分の言葉に気づいたように笑う。

 

「これは失礼。いかんな、年をとると説教好きになってしまうわ」

 

 

 

 

 

 

 その後、隠宅の縁側で茶を飲みながら、大治郎とあきつ丸に語る小兵衛の姿がある。

 

 小兵衛が聞き出した話では、案内の男はその場で射殺される予定だった。口封じと長門の足枷、あわよくば男の死の責任すら押し付けようとした企みであったのだ。

 

「しかし、誰が何故そのようなことを」

 

大治郎の問いに、小兵衛はつまらなそうに答えた。

 

「始末に困って妾の子殺し。そんな噂を立てられては、さすがの田沼も進退窮まるわ」

 

「では、田沼様の敵が?」

 

「……敵か……そうだな」

 

「深海がそのような……」

 

「深海とは限らんわ。田沼様を蹴落とせば、得をする人間はいくらでもおる」

「もっとも、この度捕まった連中が雇った連中の正体を知っておるかどうかはわからんがな」

 

 名を隠して金だけで雇えば、何も知らないのが当然である。

 

「ですが、この企みがそううまくいくものでしょうか?」

 

「いかんな」

 

 大治郎の問いにきっぱりという小兵衛。

 

「が、行くと思いこんだ戯けがおった」

 

 鼻で笑うあきつ丸。

 

「深海どもがそれくらいの阿呆揃いであれば、大戦も楽でありましたのに」

 

「であれば、お前さんたちも生まれてはおらんじゃろう」

 

「それならそれで構わないでありますが、先生にお会いできぬは寂しいでありますな」

 

「ほっほー、あきつはん、それはうちに喧嘩売ってるんかな?」

 

 茶を運んだ龍驤があきつ丸を横目で睨み、小兵衛の横に付いた。

 

「そや、小兵衛はん、お客さん来とるで」

 

「客?」

 

「ビッグセブンや。この前の礼や言うてる」

 

「ほお、探し当ててきたか」

 

「小兵衛はんの名前知らんとこの辺で暮らしとるんは、モグリや」

 

 やがて、龍驤の案内で現れた姿に大治郎が挨拶をすると長門は驚き、先日の非礼を詫びた。

 

 長門はその場で正式に名と所属を告げ、それからしばらくの間は、何かと小兵衛の隠宅へ顔を出すようになった。

 龍驤はこれについてあまりいい顔をしないが、長門の態度が異性というよりも提督に対する毅然としたものであるため何も言えず、時折あきつ丸を見つけては愚痴るという。

 

 未だ、大治郎の鎮守府には艦娘は秋月のみである。

 

「この鎮守府に戦艦長門など必要ありませんから」

 

 秋月は、そう言い張っている。

 

 




 以上、お粗末さまでした


 二つ目はいつ書けるか。
 
 書きたいですね。書けたら良いな。書けるんじゃないかな。


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剣の戦場(いくさば)

遅筆ですが、第二話です




元ネタは、剣客商売一巻「剣の誓約」より

 どうぞ、ご笑覧ください


 

「ごめん」

 

 町へ向かう一本道に面した正門から聞こえる声に、秋月は庭を掃く手を止めた。

 

「秋山大治郎殿は御在宅か」

 

 急ぐ秋月に聞こえてくる声は、無論独り言ではない。

 正門には長十糎砲ちゃんが門番をしているはずだった。

 艤装生物である二台“せい”と“せん”は言葉を話せないが、艦娘と提督には意思を伝えることができる。

 そして聞こえてくるのは男の声。つまり、提督である。

 

 大治郎は不在だった。

 とある鎮守府に頼まれ、そこの艦娘に出稽古をつけているのだ。

 

 提督とは非凡な力を何かしら身につけているものだが、それが必ずしも武力であるとは限らない。武力を持たないーー剣客でない提督も存在しているし、艦娘たちもそれを受け入れて従っている。

 それを当然と考える提督もいれば、自分自身を不甲斐ないと感じる提督もいる。

 では、不甲斐ないと感じた提督はどうするか。

 自分をごまかす者もいる。するとおかしなもので、自分をごまかすために他人を誹る。鎮守府で当てはまるのはこの場合、艦娘である。

 自分の無力を自分にごまかすため、艦娘への当たりを強くする。その情けなさに気づかない。そうなってしまえば、提督としての寿命は自然短くなる。

 ブラックと呼ばれる鎮守府の生まれる一因である。

 だがしかし、己の限界を知った上で、それでも少しでも、己を引き上げようとする者もいる。

 そのような提督であれば、己の限界を素直に受け止め、他の提督に素直に教えを請おうとする。また請われた提督のほうも、その鎮守府に対して好意的に教授しようとするだろう。

 

 今の大治郎がそれであった。

 

 招かれた鎮守府では、艦娘に並んで提督が一緒に汗を流していた。

 大治郎に比べれば剣士としては格段に落ちる提督を、しかし蔑ろにする艦娘は誰一人いない。

 

「ファイトですわ、提督」

 

「頑張ってんじゃん、提督」

 

 全身に汗を噴きだしながら竹刀を握っている提督。その両脇を固める位置で太い木刀を振っている熊野と鈴谷の軽口にも、軽侮の響きは全く感じられない。

 むしろ、自分たちとともに身体を動かそうとする提督への、信頼と親愛が見え隠れしていた。

 そしてそれは、教える立場となった大治郎も同じだった。

 提督と艦娘が互いを尊重し、信頼する姿に大治郎は深く感銘していたのだ。

 

「本日はありがとうございました」

 

稽古を終え帰り支度を調えていた大治郎のもとを、秘書艦妙高を伴った提督が訪れた。

 

「誠に勝手ながら、これからもぜひお願いしたい。無論、秋山提督の鎮守府の負担にならぬようにですが」

 

 大治郎はすでにこの鎮守府に好感を抱いていた。

 武力や鎮守府規模とはまた違う、学ぶべきところのある鎮守府だ、とも。

 

 大治郎とこの鎮守府との出会いは、口入れ屋の手抜かりが切っ掛けであった。

 本来なら大治郎の鎮守府へ来るはずだった駆逐艦朝潮が、この鎮守府へと配属されてしまったのだ。

 口入れ屋を訪れてそれを知った大治郎は、秋月とともにすぐさまその鎮守府へと向かった。

 そこで見たのは馴れ合いとは明らかに異なる、それでいて和気藹々とした、一つの見事な鎮守府であった。

 

「いかんな、これは」

 

 提督に話を通すよりも早く、大治郎は朝潮の所属を諦めていた。

 

 大治郎が最初に口入れ屋の紹介で出会った時の朝潮は、疲れ切った目の持ち主だった。

 大治郎の問いには普通に応えるものの、どこか怯えた雰囲気を漂わせていた。

 以前の鎮守府でどのような扱いを受けたかは定かではない。ないが、その目を見れば容易に想像はできた。無論、良い想像ではない。

 ゆえこそ、大治郎は秋月と語らい、多少の無理をしてでも朝潮を迎えようと決意していたのだ。

 

 その朝潮が笑っていた。他の駆逐艦と語らい、笑っていたのだ。

 

 そしてとどめは提督との話し合いだった。

 つい最近所属したばかりの朝潮について、と問いを入れるとすぐに大治郎と秋月は客間へと通された。

 

「うちの子に、何か御用かね?」

 

 ちょうど大治郎と小兵衛の中間くらいの歳に見える提督。その背後に並んだ熊野、鈴谷、妙高、青葉、衣笠が大治郎を睨んでいた。

 

 朝潮を護る。誰もが無言でそう宣言していたのだ。

 あんな目に遭わせた提督を許さない。

 朝潮はうちの子だ、仲間だ、僚艦だ。

 誰にも渡さない。傷つけさせない。

 絶対に。

 護る。

 ゆえに、大治郎は頭を下げた。

 秋月もともに頭を下げている。

 長十糎砲ちゃんたちも、慌てて真似をしていた。

 

 予想外の行動に戸惑う艦娘たちに、大治郎は言ったのだ。

 

「私と秋月では、こんなに早くあの子の笑顔は見られなかっただろう。感謝する」

 

 そして自分の鎮守府もまた、朝潮を受け入れようとしていたのだと語った。

 

「ですが、時を逸したようです。あの子は、この鎮守府であんな風に笑っている。これもまた、縁というものでしょう」

 

 提督は大治郎の言葉に大きく頷き、笑った。

 

「我ら、勇み足でしたか」

 

 妙高たちは目に見えて緊張を解いていた。青葉などは、記念写真を撮ろうとして衣笠に止められていた。

 

「ときに、秋山大治郎殿と申されたが、失礼ながら秋山小兵衛先生とはご縁が?」

 

「秋山小兵衛は私の父です」

 

「おお、そうでしたか」

 

 この提督の名は牛堀といった。剣客提督でこそないが、鎮守府を運営、艦娘を指揮する能力は並以上のものを持っている。

 そしてまた牛堀も、かつて知る人ぞ知る名提督とうたわれていた小兵衛のことを耳にしていた。

 

「何度かお目にかかったこともありますが、まさに、提督たる者かくあるべし、というお方でした」

 

 実のところ、父に対するこのような風評は大治郎にとっても初めてのものではない。現に、そう呼ばれるにふさわしい父の姿も記憶にはある。

 しかし、今の隠居を決め込んだ小兵衛からその姿を想像するのは難しい。龍驤とともに悠々自適と暮らす姿は、小金を貯めた楽隠居の身、としか見えないのだ。

 

 その戸惑いを見抜いたか、牛堀は即座に話題を変えた。

 

「ここでお会いしたも何かの縁、昼間ではあるが、一献いかがかな?」

 

 大治郎、飲めぬ身ではない。修行中、師に誘われ酒の相手をしたこともある。

 が、実はいまだに酒をうまいと思ったことはない。まずいとは思わぬし、悪酔いをするわけでもないのだが、それでも今の大治郎は酒を不得手としていた。

 

「提督、まだ陽は高いですよ。秋山提督が困っておいでです」

 

 妙高のたしなめに、牛堀は自らの頭を叩きながら笑った。

 

「ならば、飯でもどうか。無論、秘書艦殿もご一緒に」

「馳走になります」

 

 酒席から飯席へと変わったことにむしろ安心して、大治郎はそう答えた。

 

 牛堀と大治郎が向かい合い、それに並ぶように艦娘たちが席を揃えると、当番の艦娘が作ったという膳が運ばれてきた。

 急なことなのであらかじめ準備していたものではないが、心尽くしのものを大治郎と秋月は馳走になった。

 その席で、牛堀は言った。

 

 艦娘とは、水上で戦うものである。深海棲艦と戦うものである。

 つまり、砲撃雷撃のみでよいのか。空母は艦載機の操作だけでよいのか。

 牛堀は問い、大治郎は否と答えた。

 

 人すら、近づけばその手の刃で深海棲艦を屠るのだ。言わんや、艦娘にそれができぬ道理が、理由があるのか。

 伊勢型戦艦は何故腰に刀を差している。

 天龍型軽巡は何故刀を、薙刀を持っている。

 艦娘が剣客でいられぬ理由などない。

 

 ならば、と牛堀は言う。

 

 剣客提督の教えを請いたいと。

 

「私が戦場に立てば、守られることしかできない、ただの足手まといだ。だから私はその寸前までに、あの子たちがあの子たちの戦場に立つ直前まで、全力で支援する」

 

 大治郎とは違う、しかしそれもまた、提督のあり方だった。

 

 大治郎は、牛堀鎮守府への出稽古を引き受けた。

 

 まずは一度。

 

 しかし一度で終わらぬことは、互いにわかっていたといっていいだろう。

 

「お願いできぬか、これからも。些少なりとも礼金は出すつもりだが」

 

 帰り支度を調えていた大治郎にそう切り出した牛堀に、

 

「私でよければ、定期的に出稽古に来ましょう」

 

 答えた大治郎はこの前日、小兵衛に一連の出来事を話していた。

 

「その出稽古。今後も頼まれるようなら行ったがいい」

 

 話を聞いた小兵衛は、牛堀の名を出すと即座にそう言ったのだ。

 

「牛堀さんの鎮守府ならば、お前にも学ぶところは大いにあろう」

 

 そしてなによりも、と笑う小兵衛。

 

「お前の鎮守府の、初めての稼ぎじゃろう。お前が勝手に貧乏を耐え忍ぶのはさて置いて、秋月もこれで一安心じゃ」

 

「金を取るのですか?」

 

「当たり前だ、おかしな遠慮をしていては牛堀さんも困るわえ」

 

「ですが」

 

「ですが、なんじゃ?」

 

「飯が、つきます」

 

 じろり、と小兵衛は大治郎をにらんだ。

 

「これ、龍驤や」

 

「なぁに?」

 

「どう思う、今の倅の言葉」

 

「アホがおる」

 

 端的な一言に、大治郎は絶句した。

 

「……そのような、ものですか」

 

「そのような、ものじゃ」

 そのやり取りがあったため、大治郎は素直に答えたのだ。

 

「かたじけない。では、これは些少だが」

 

 差し出された礼金を、大治郎は素直に受け取った。

 受け取ると決めたからには、ここで固辞する意味など無い。それでは却って困惑させるだけである。

 

 礼を言い、大治郎は牛堀鎮守府を後にした。

 

 鎮守府の正門前まで戻ってきたところで、大治郎は異変に気づいた。

 

 門前で、長十糎砲ちゃんの一台“せい”が手を振っていた。まるで大治郎の帰りを待ちわびていたかのように。

 ある種愛嬌のある艤装生物とはいえ、普段の“せい”の態度ではない。

 

「何があった?」

 

 駆け寄った大治郎を、今度は秋月が出迎えた。

 

「司令にお客様です」

 

「客?」

 

「嶋岡礼蔵とおっしゃる提督です」

 

「なに、嶋岡先生」

 

 大治郎の表情に浮かんだのは懐かしさだった。

 

 提督を志した少年時代の大治郎はしかし剣客の、そして提督としての師に小兵衛を選ばなかった。

 小兵衛が内心これをどう思ったかは、大治郎にはわからなかった。

 大治郎が選んだのは、父小兵衛の恩師でもある老提督、辻平右衛門であった。

 当時すでに中央を離れ、西国筋で鎮守府を開いていた辻平右衛門は大治郎を快く受け入れ、修行を積ませた。

 そこで出会ったのが平右衛門の弟子であり、小兵衛の兄弟子ともいえる存在、嶋岡礼蔵であったのだ。

 いわば嶋岡は大治郎にとって父小兵衛、辻提督に並ぶ第三の師であるのだ。

 

「久しいな、大治郎」

 

「嶋岡先生。ご無沙汰しております」

 

 大治郎は道場に落ち着いていた礼蔵へと一礼して、秋月に向き直った。

 

「秋月、このようなときは、“せい”や“せん”を使いに出すなりして知らせてほしい」

 

「大治郎、秘書艦を責めるな。連絡無用、ただ待つと言ったのはわしだ」

 

 大治郎はそこで初めて気づいたように懐に手をやり、今日受け取ったばかりの給金を取り出した。

 

「秋月、これで夕餉の支度を頼む。それから、父上に使いを。嶋岡先生が参られたと」

 

「無用」

 

 静かであるが峻烈な声。

 

「小兵衛殿への連絡は無用じゃ」

 

「しかし先生」

 

 礼蔵は大治郎を正面に見据えるように姿勢を変えると、その拳を自らの胸元へとあてた。

 

「この度は、お主に死に水をとってもらいたい」

 

「先生、今、なんと」

 

「剣客、いや、人生最後の果し合いをする」

 

 大戦中、礼蔵は小兵衛と同じく鎮守府の提督を務めていた。

 多くの艦娘を失いつつ、同時により多くの深海棲艦を沈め、勝利した。

 提督として恥ずべき行為はなかった。それでも多くの艦娘を失ったことは事実であり、その責めを逃れる気も礼蔵にはなかった。

 

「わしは多くの艦娘を死地に送ったよ」

 

 轟沈させるために送ったわけではない。が、それは言い訳である、とも感じていた。

 それを言うのなら、艦娘たちも轟沈するために抜錨したわけではないのだ。

 

「提督がお悩みになる必要はありません」

 

 そう言ったのは、秘書艦である翔鶴だった。

 

「私たち艦娘にとって海こそが、深海棲艦を相手取ることこそが生きる道、戦場なのです」 

「われらに戦場をお与えください。そのための砲、そのための艦載機です」

「お命じください、提督。抜錨せよと、深海棲艦を打倒せよと」

「そして、帰って来いと」

 

 艦娘を送る先は死地ではない。戦場である。

 その思いに震えたのは礼蔵だけではなかった。大戦中、人間の娘としか見えない少女たちを死地へと送る現実に心を病んだ提督は決して少なくはない。

 その提督を鼓舞したのが、他ならぬ艦娘たちだった。

 

 死地ではなく戦場ならば、提督にできることは一つ、その道筋を照らし、無事帰らせること。

 それが提督のあり方であると。

 

「今思えば、小兵衛殿はまさに見事だった。わしと同じに悩み、しかし、わしとは違う答えを出していた」

 

「違う答えとは?」

 

「知らぬ」

 

 つい問い詰めるようになった大治郎の問いを、間合いを外すがごとく答えた礼蔵。

 

「それでも、今の生き方を見ればわかる。小兵衛殿は良い答えを出していたのだろう」

「あの境地に、わしは至れぬ」

 

 それを悔いるでもない口調の礼蔵は、大治郎をまっすぐに見ていた。

 

「だが、悔いはない」

 

 艦娘の戦場は海である。

 ならば提督の、いや、剣客の戦場はどこにある。

 提督としての嶋岡礼蔵は納得しても、剣客としての自分は納得していない。

 

 大戦を終え、翔鶴を失った礼蔵の前には一人の剣客が立っていた。

 

 柿本源七郎、彼もまた、大戦を戦い抜いた提督であった。

 二人はともに、戦場を欲していた。秘書艦たる艦娘を戦場へと送り出した己の戦場を。礼蔵にとっての翔鶴、源七郎にとっての瑞鳳を死地へと送った己の死地を。 

 

「余人を交えず二度切り結んだが、決着はつかなんだ」

 二度目の果し合いの後、五年後の再戦を約束したのだ。

 そして、三日後がその約定の日だと、礼蔵は言った。

 

「互いにここまで年を経たのだ。これがおそらくは最後となろう」

 

 艦娘にとっての戦場が海ならば、戦場の相手が深海棲艦ならば、剣客の戦場はどこにある、戦場の相手はどこにいる。

 礼蔵と源七郎は、その答えを互いに見出していたのだ。

 

「小兵衛とは道を違えた身だ。なればこそ、お主に見届けてもらいたい」

 

 礼蔵は妻も子もない、天涯孤独の身である。弟子をとることもなくただ鍛え、提督として辣腕をふるった。

 師である辻も既に亡く、ただ唯一、剣を教えたのは大治郎のみ。

 

「秋山大治郎、しかと見届けます」

 

「頼む」 

 

 その夜、食事を済ませると二人は久しぶりに真剣を合わせ、互いの型を使った。

 道場脇で正座して見ている秋月が気に当てられ汗みずくとなるほどの集中であったが、満足した二人は風呂に入り汗を流すと就寝。残った秋月は提督秋山大治郎への敬意を新たにしたという。

 

「司令も嶋岡提督もすごいね、せいちゃん、せんちゃん」

 

 長十糎砲ちゃんたちは、秋月の艤装の中で眠っていた。

 戦闘態勢下にない艤装生物は自由に生きている。自分や主に向けられていない気など、彼らの知ったところではないのだ。

 

 翌朝、大治郎は果たし相手柿本源七郎のもとを訪れようとする礼蔵に付き添っていた。

 それは、立会人としての義務でもある。

 

 川を遡上した深海棲艦による艦砲射撃で壊滅した、大戦前の高級住宅地を抜けたところにその建物はあった。

 

「大戦前からの館ですね」

 

 補修もなく風雪にさらされ、かろうじて建っているような古屋敷である。

 

「我らにはいっそふさわしいかもしれんな」

 

 礼蔵は屋敷正面に立つと、屋敷の者はいるかと声を掛けた。

 返事はない。返事はないが、明らかに人の気配はある。

 

「先生、私が」

 

 大治郎が前に出ると礼蔵は頷き、一歩退いた。そして、一枚の書状を大治郎に託す。

 

「果し合いの日時の確認だ。頼む」

  

 書状を受け取ると、大治郎は屋敷の門をくぐった。

 

 門を抜け、屋敷の扉の前に立つ。中には確実に人の気配があると大治郎は感じていた。

 

「嶋岡礼蔵が使いの者、秋山大治郎と申す。柿本源七郎殿に書状を預かってきた」

 

 別方向からの人の気配に振り向いた大治郎の前に、艦娘が姿を見せる。

 

 屋敷のさらに奥に裏口でもあるのか、そこから出てきたらしい艦娘は無言で自身の喉を指していた。

 

「口が……いや、話すことが出来ぬのか」

 

 頷く艦娘。フードのようなものを被っていて、表情どころか顔のほとんどが見えない。

 

「源七郎殿に取り次いでいただきたい」

 

 艦娘は静かに首を振り、手を伸ばした。

 書状を寄越せ、というように。

 

 大治郎はこの艦娘に何か嫌悪を感じている自分に気付いた。

 初対面である。ならば、この嫌悪感はどこから?

 

「これは、嶋岡礼蔵から柿本源七郎への書状だ。その上で対処していただきたい」

 

 再び頷く艦娘。大治郎に伸ばした手とは別の手で、もう一度自分の喉を示す。

 やはり、話すことが出来ないと訴えているのか。

 

 しかし。

 

 艦娘であれば生きている限り、高速修復材によってほぼ全ての損傷は短期間で全快する。

 少なくとも、喉の負傷も同じである。

 

 何らかの理由でわざと治さぬのか。

 あるいは、それなりに高額な高速修復材を準備できないほどに困窮しているか。

 それとも、工廠から生まれた時点で既に喉に障害を持っていたか。

 工廠から出た段階での不具合は艦娘に固有の特徴とされ、高速修復材でもどんな名医でも治すことは出来ない。

 例えば天龍、木曾の眼、朧の絆創膏がそれだ。治すとすれば、それは治療ではなく改造の域である。

 

 訝る大治郎をよそに、艦娘は書状を受け取って裏口へと帰っていった。

 やや間が空くと、怒鳴り声が聞こえた。声そのものはさほど大きくはないが、苛立ちと怒りは十分にわかる口調である。

 

 屋敷内から聞こえる切れ切れの言葉の中に、病という単語を大治郎ははっきりと聞いた。

 

 やがて荒々しい足音が近づいたかと思うと、突然扉が引き開けられ、一人の老剣客が姿を見せた。

 

「柿本源七郎である。嶋岡礼蔵の書状を持ってきたはお主か」

 

「……秋山大治郎と申します」

 

 老いた、と言うよりも病に荒れた姿に、大治郎の返事は一瞬遅れていた。

 

「嶋岡礼蔵に伝えよ、委細承知と」

 

「よろしいのか」

 

 思わず出た言葉を、大治郎は後悔した。

 

「お主も提督か」

 

 源七郎は大治郎の問いには答えず、言った。

 

「近頃の深海棲艦は、提督が病といえば退いてくれるらしい」

 

 それは強烈な面罵であった。

 

 大治郎にしてみれば、直接罵られたほうが楽だっただろう。

 しかし、言われても仕方のない失言をした、とも感じている。

 

 大治郎はただ深く頭を下げた。

 頭を上げたとき、源七郎は既に屋敷の中に消えていた。

 

「大治郎」

 

 鎮守府への帰り道、その様子を語った大治郎に礼蔵は一言、こう言うだけだった。

 

「我らの戦場、しかと見届けよ」

 

 その翌日、牛堀鎮守府の出稽古を終えた大治郎を待っていた者がいた。

 

「昨日、妙なところでお見かけしたでありますな」

 

 あきつ丸であった。

 

「あきつ丸殿、妙なところとは?」

 

 あきつ丸は大治郎に語った。

 大治郎と礼蔵が源七郎を訪れた屋敷の近辺で、深海棲艦の噂が流れていること、噂だけで被害らしい被害は出ていないこと、それでも放ってはおけないので周囲を探っていたあきつ丸が大治郎たちを見かけたこと。

 そして、

 

「柿本源七郎は一年ほど前より得体の知れぬモノに憑かれている、との噂であります」

 

「あきつ丸殿、柿本殿は……」

 

「自分たち艦娘は、想いを抱いて轟沈すると深海棲艦になる。……これもまた無責任な噂でありますな」

 

「噂、か」

 

「噂、でありますよ」

 

 あきつ丸は言葉を重ねた。

 

「深海の放つ気に当てられ続けた人間は病を発する、というのも」

 

 

    ○

 

 

 源七郎は横たえていた身体を苦労して起こすと、枕もとの水差しに手を伸ばした。

 

「トドカ、ナイ」

 

 大治郎に応対してた娘が水差しを持ち上げると、源七郎の口元へ運ぶ。

 

「ミズ」

 

「まだ、教えてはもらえんか?」

 

 水を飲み、源七郎は尋ねる。

 

「お前は、瑞鳳なのか?」

 

「シンカイ、セイカン」

 

「ふふふ、結局、最後まで付き合わせてしまったな」

 

 不思議な縁だ、と源七郎は思った。

 

 嶋岡礼蔵との二度目の果し合いの後、この深海棲艦は源七郎の前に姿を見せたのだ。

 

 恐れはなかった。害意を感じなかったせいもある。仕草にどこか懐かしさを覚えたせいもある。

 なにより、源七郎自身が死を恐れていなかった。

 これで死ぬのなら、これはこれでいい。

 

 近づく深海棲艦を見つめつつ、源七郎は覚悟を決めていた。

 

 いや。

 何かが囁いた。

 お前は何かを忘れている、と

 

 うむ、と源七郎は思いなおす。

 

 ただ一つだけ、心残りがあった。

 

「五年、待ってくれぬか?」

 

 嶋岡礼蔵との決着をつけたい。今さら勝敗はどうでもいい、ただ、決着をつけたい。

 通る望みだとも考えていなかった。深海棲艦相手に通るはずもない、身勝手な望みだと。

 

「イイ、ダロ」

 

 これには提案した源七郎が驚いた。

 

「なんと……、良いのか?」

 

 思わず聞き返したのも仕方あるまい。

 

「ヨス、ミル」

 

 それからすぐに、源七郎は住まいを移すことになる。

 頻繁に訪れる深海棲艦の姿を人目に晒さぬためだ。

 

 源七郎が病に倒れた後も、深海棲艦は相変わらず訪れた。

 

「今のわしを屠るは容易かろう」

 

「ヤクソク」

 

「そうか。ならば嶋岡礼蔵との果し合いをすますまでは、わしも死ねぬな」

 

 そして今、五年経ち、約定の日が近づいた。

 

「瑞鳳」

 

 返事はない。違っていてもいい、と源七郎は思った。

 もう時間はない、体の中からそんな声が聞こえていた。

 

「お前を死地へ送ったこと、間違っていたとは今も思わん」

「だが、怨まれることは仕方ないとは思う」

「すまん、な」

「嶋岡礼蔵との果し合いがなければ、五年前に、お前に素直に討たれてやれたものを」

 

 決着など、もうどうでもよかった。果し合いさえ、どうでもいい。

 ただ、この深海棲艦に自分を討たせてやりたかった。

 今さら、という自嘲すら源七郎には湧きあがったが、もう、遅かった。

 

「戦場では……死ねぬ、か」

 

「マテ」

 

「瑞鳳」

 

「マテ」

 

「ずいほ……」

 

「テイトク」

 

 源七郎の声が途絶えた。

 

「テイトク」

 

 もう一つの声も、しばし途絶えた。

 

 やがて、

 

「ヲヲヲヲヲヲヲ!」

 

 周囲に響いた慟哭はまぎれもなく、深海棲艦空母ヲ級flagshipのものだった。

 

 

   ○

 

 

 大治郎は身体をぶつけるように走りこんできた“せん”を受け止めた。

 

「どうした、“せん”」

 

 身振り手振りとキュウキュウという鳴き声で意思を伝える“せん”。

 

「大治郎殿、鎮守府が襲撃を受けていると」

 

 大治郎とともにいるのは艦娘あきつ丸である。長十糎砲ちゃんの意思を察知する能力は、提督とはいえ人間に過ぎない大治郎に勝っていた。

 

 あきつ丸の言葉が終わらぬ間に大治郎は長十糎砲ちゃんを背に担ぎ上げ、走り出した。

 今の鎮守府には秋月と“せい”、そして嶋岡礼蔵がいる。艦隊決戦ならまだしも、はぐれの単艦襲撃ならば十分に撃退できる戦力だ。

 だが、単純に撃退したというのならば“せん”は慌てて駆けつけない。駆けつけなければならない何かが起きたのだ。

 

「まさか、柿本源七郎の」

 

 大治郎の呟きに後を追うあきつ丸が答えた。

 

「源七郎の所には見張りを残しているであります。何かあれば連絡が」

 

「あきつ丸殿、連絡を取ってみて欲しい」

 

 あきつ丸は艦娘同士の通信機能で、あらかじめ取り決めてあった周波数を呼び出す。

 艦娘の通信機は任意の相手を呼び出せる機能は持たない。あらかじめ周波数を伝えていないと繋がらないという欠点はあるが、現状ではもっとも信頼できる長距離通信方法であった。

 

 あきつ丸の通信機に反応はない。

 それだけで何があったかをあきつ丸は察し、その様子から同じく大治郎も察した。

 

「あきつ丸殿。龍驤殿との回線は繋げていますか?」

 

「いえ」

 

 基本的に艦娘通信は常時繋げているようなものではない。状況によって使用できる周波数が変わるため、同じ周波数を使い続けることは出来ないのだ。

 

「ならば、艦載機は今積んでいますか」

 

「烈風改を」

 

「父上の所へ飛ばしてください。龍驤殿になら着艦できるでしょう」

 

「了解であります」

 

 同じく、あきつ丸が懇意にしている鎮守府へも烈風改を既に飛ばしている。だが、この距離ならば秋山小兵衛の隠宅のほうが近い。

 そしておそらくは、連絡を受けてから初動までの身軽さも、並の鎮守府では小兵衛には及ぶまい、とあきつ丸は見ていた。

 

 鎮守府が見えはじめると、秋月、そして“せい”の高角砲の音が聞こえた。それと同時に、大治郎の背中から“せん”は飛び降り、対空砲の仰角をあげながら全速力で走り出した。

 目に見える距離での短距離移動なら、艤装生物は人間よりも速い。当然の選択であった。

 

「あきつ丸殿」

 

 大治郎の言葉と同時に残った艦載機の全てを投影し、発艦させるあきつ丸。

 あきつ丸の発艦方式は普通の空母たちとは違う独特な方式であった。

 射た矢を艦載機に変化させる空母、式札を艦載機に変化させる空母とも違う、艦載機の影を空間に投影し実体化させるという方式であり、より神秘の度合いが増している。

 

「大治郎殿、ご存じでしょうが、自分の艦載機は対空戦闘専門。地表の敵にはほとんど影響ないのであります」

 

「承知」

 

 抜刀しつつ、大治郎は鎮守府正面の門を通過した。その背後を護るように続くあきつ丸。

 

「司令!」

 

 艤装より絶え間なく高角砲を放つ秋月と、その横で同じく高角砲を放つ長十糎砲ちゃんがいた。

 

「深海棲艦、空母ヲ級の奇襲です。嶋岡様が初撃を受け、中に!」

 

 剣客提督ならば、艦娘と地上で戦うことが出来る。それは深海棲艦が相手でも同じである。

 だが、どれほどの腕を持とうとも対応仕切れない相手がある。それが、空母だ。

 正確には、空母の放つ艦載機である。

 砲撃は避けることが出来るかも知れない。そして剣を当てれば、相手は傷つく。

 しかし、空の相手にはどう立ち向かう。矢を放てば当たるだろう、一機程度であればそれでもよいだろう。

 提督だけではない。艦娘とて、対空手段を持たない場合の敵空母は脅威以外の何物でも無いのだ。

 

 だからこそ、剣客提督は空母、あるいは対空特化の艦娘を身近に置く。その意味において、大治郎の秘書艦が秋月であることは正しかった。

 今も、秋月でなければ既に轟沈し、空母ヲ級は去っていただろう。秋月だからこそ、大治郎の到着までを保たせることが出来たのだ。

 

「来ます!」

 

「秋月、あきつ丸殿、頼む」

 

 二人は承諾の返事をし、それぞれの対空戦闘に入る。

 

 飛来する艦載機に対する第一陣はあきつ丸の烈風改。その空中戦を切り抜けたところへ、秋月と長十糎砲ちゃんによる対空高角砲。

 これによって地上への砲撃はほぼ防ぐことが出来る。

 

 嶋岡が初撃を受けたのは、あくまでも奇襲故の話である。

 

 ヲヲヲヲヲヲーッ

 

 深海の咆吼が大治郎の心肝を震わせる。

 

(これが、間近に見る深海戦艦flagship)

 

 深海との戦いは初めてではない。相手がflagshipでさえなければ。

 

 震えるのは心肝のみ。身体は、そして剣を握る腕に震えはない。

 それでこその剣客。それでこその提督である。

 

 航空戦が始まると、大治郎は頭上の戦闘に目もくれず走る、ヲ級へと。

 空母とは言え、単純な腕力なら深海戦艦は提督にも優る。

 振り下ろされる杖を紙一重で避け、下から上へと切り上げる。

 手応えはあった。深海戦艦の特徴である異質な血が、ヲ級の肩の切り口より噴き出していた。

 

 再びの咆吼と共に、背後へと飛ぶヲ級。追おうとした大治郎の足下の地面へ、艦載機が次々と突入する。

 艦載機自体を使った足止めに、大治郎、そして秋月、あきつ丸の足は止められた。

 

 逃げた、と判断した大治郎は道場へと入り、寝かされたままの嶋岡に駆け寄った。

 

「先生……」

 

 嶋岡の表情に無念は無かった。ただ、静かに目を閉じているように、大治郎には思えた。

 

「秋月」

 

「はい」

 

「先生はなにか……」

 

「初撃を受け、ここへお運びしたときに『世話を掛けた』と……」

 

「そうか」

 

「最後のお言葉でした」

 

「ありがとう」

 

 大治郎は刀を検め、鞘に戻した。

 

「秋月、“せい”“せん”と共に緊急補給を済ませ、抜錨せよ。柿本源七郎宅へ向かう」

 

「はい!」

 

「あきつ丸殿もお願いできるだろうか」

 

「承知であります」

 

 三人と二台が柿本宅へ向かうと、まずあきつ丸が顔をしかめた。

 その視線の先には、二人の艦娘が倒れている。一目で高速修復材も間に合わない、轟沈状態だとわかる惨状だった。

 

「……flagshipとはこれほどでありますか」

 

 外海からの侵略であれば、警戒網は充分にしかれている。しかし、内陸にいる艦娘が深海棲艦化したと仮定すれば、警戒網に意味は無い。

 

「気配はする。気をつけろ。ヲ級も補給を済ませておるやもしれん」

 

 それどころか、深海なりの高速修復材でもあれば、万全の態勢で迎え撃つこともあり得るのだ。

 

 あきつ丸と秋月はそれぞれ、大治郎を旗艦とするような配置についた。

 

「柿本源七郎、姿を見せよ。果し合い前に卑怯にも奇襲された嶋岡礼蔵の無念を晴らしに来た」

 

 答えはない。

 いや、答えに変わるもの、深海の艦載機が見える。

 

「この秋月が健在な限り、やらせはしません!」

 

「さぁ、烈風改、出番であります!」

 

 頭上の敵機を二人に任せ、大治郎は身を低くして走る。

 その先に見えるのは、片腕を失った空母ヲ級の影。

 

 両腕を伸ばし、切っ先を向ける瞬間、大治郎は身を翻す。

 

「司令?」

 

「大治郎殿!」

 

 二人の叫びには焦燥が混じっていた。

 秋月の対空砲火を受けながら、あきつ丸の烈風改と切り結ぶ深海の艦載機。

 それとは別の機種が大治郎を狙い、飛んでいるのだ。

 

「あれは、一式陸攻」

 

「しまった、基地航空隊でありますか!」

 

 柿本邸に作られていた基地航空隊による陸上攻撃であった。

 

 深海棲艦、という思い込みが、基地航空隊の存在を忘れさせていた。

 そこにいるのは深海化した艦娘であると予想しているにもかかわらず、である。

 

 彼我の戦力差は逆転した。基地航空隊の航空戦力を投入されれば、秋月とあきつ丸だけでは大治郎への攻撃を止めきれない。

 さらに、相手は陸上攻撃機である。

 

「司令! ここは退いてくださいっ!」

 

 秋月の叫びもむなしく、大治郎の位置では進むも戻るも難しい。

 庭の木の陰に隠れて、何とかやり過ごしてはいるが時間の問題である。

 基地航空隊の第二陣第三陣が現れないという保障はないのだ。

 

「秋月殿、こうなれば自分が一命を賭しても」

 

「間に合うた!!」

 

 第三の、しかし聞き覚えのある声にあきつ丸は振り向いた。

 

「艦載機のみんな! お仕事、お仕事!」

 

「龍驤殿!」 

 

「烈風改くんは、小兵衛はんとウチの家で一休み中や。秋月、あきつ丸、いってみよー!」

 

「大治郎、お前はヲ級を。わしは柿本とやらを追う」

 

 龍驤の背後から、これも低い姿勢で走り込む小兵衛。

 

「父上」

 

「抜かるなよ」

 

 再び走る大治郎。しかし、ヲ級は敗北を悟ったか、一声咆吼すると屋敷裏の川へと身を投げた。

 一旦水上に出てしまえば、人間の身でこれを追うことは出来ない。

 

「追うであります!」

 

 烈風改を戻したあきつ丸がヲ級の後を追って水上へと身を躍らせる。

 続いて飛び込む秋月。

 龍驤は念のためか、その場に留まっている。

 

「逃げに徹した深海棲艦捕まえんのは、ちょっち大変やからなぁ」

 

 そう言いながら小兵衛の後を追う龍驤に続き、大治郎も屋敷へと入った。

 

 そこでは、小兵衛が立ち尽くしていた。

 小兵衛の足下では、敷かれた布団に中に一人の老人が。

 紛れもない、柿本源七郎であった。

 

「父上」

 

「既に息はない。詳しいことはわからんが、病のようにも見えるな」

 

「もしや、柿本源七郎は」

 

「うむ。嶋岡礼蔵よりも先に、逝ったのかもしれん。それが、あの艦娘、いや、深海棲艦を刺激したやもな」

 

 言いつつ小兵衛は膝をつき、手を合わせる。

 

 大治郎も膝を突こうとし、気付いた。

 源七郎の枕元に一枚の皿が置かれている。そして、皿の中には。

 

「玉子焼き?」

 

「誰が置いたのか……何もかも、今となってはわからぬわ」

 

「あの深海棲艦は、捕まるでしょうか」

 

「逃げおおせるじゃろうな」

 

 龍驤と同じ事を言いながら、小兵衛は立ち上がった。

 

「大治郎、あの深海棲艦は、お前を恨んでおるぞ。再び、相まみえるやもしれん。覚悟はしておけ」

 

「はい」

 

「それも、提督のさだめよ」

 

「はい」

 

「敵を作るは、剣客のさだめでもあるが」

 

 やがて秋月とあきつ丸が戻ってくるまで、大治郎はその場に留まっていた。

 

 




以上、お粗末さまでした


長門さん出ないなぁ……(汗


次の元ネタは「まゆ墨の金ちゃん」の予定です。多分。


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アイドルの那珂ちゃん

遅筆この上ないですが、第三話です

今回は(今回も?)かなり元ネタと変えてあると思います







元ネタは、剣客商売一巻「まゆ墨の金ちゃん」より

 どうぞ、ご笑覧ください


 長門が小兵衛隠宅の庭先に座り込んでから、優に二刻が過ぎていた。

 龍驤は心配そうに話しかけていた。

 

「えーと、長門はん、なんか食べるか?」

 

「いえ、お構いなく」

 

「そしたらお茶だけでも」

 

「お構いくださるな、奥方殿」

 

「お、お、おく」

 

 長門の言葉にうろたえる龍驤を、小兵衛はやれやれといった顔で見ながら言った。

 

「長門殿は、いつまでそこで粘るつもりかね」

 

「無論、先生に一手ご指南いただくまで」

 

「だから、わしにその気はないと」

 

「この長門、そう容易くは諦めませぬ」

 

 危機を救われて(第一話「艦娘長門」)以来、長門は秋山小兵衛という元提督、老剣客に一目置いていた。

 ところが先日、ひょんなことから小兵衛が知る人ぞ知る不世出の名提督であり、剣客としても稀代の腕であるという人物評を聞きつけ、その行動はエスカレートしていたのだ。

 

 小兵衛としても、一手の指南をことさらに嫌がるものでもない。果し合いというわけではないのだ、それくらいであれば気軽に応じることもやぶさかではない。

 

 ただ、一手で済まないことは目に見えている。

 一手が終われば二手三手、果ては弟子入り志願まで。

 押しかけ弟子は御免被りたい小兵衛であった。

 

 その手の無鉄砲をあしらった経験がないわけではない。いずれも、足腰立たぬまでに荒稽古を施してやれば這う這うの体で逃げ出していったものだ。

 それに耐えるような者なら、それはそれで小兵衛の対応も変わっていたのだが。

 

 だがしかし、それもまだ小兵衛自身が血気盛んだった時代の話、今は隠居の身である。新たな弟子も艦娘も、そして鎮守府も、今の小兵衛には必要ないのだ。

 

 それでも長門はやってくる。夜討ち朝駆けとはいかぬまでも、このところほぼ毎日を長門は小兵衛隠宅の庭先で過ごしていた。

 さらにこの数日は、弁当まで持参する準備の良さである。小兵衛としても、やや持て余し始めたところであった。

 

「小兵衛様、司令の使いで参りました」

 

 そこへ顔を出したのが大治郎の秘書艦、秋月であった。

 

 秋月は長門に気づくと、あからさまに顔を背けた。初対面での長門の大治郎に対する物言いを、秋月は今でも根に持っている。言われた大治郎自身はほぼ忘れていることだ。

 

「おう秋月殿、わざわざ済まぬな」

 

「いえ、司令のお父上ならば秋月にとっても司令同然ですから」

 

「大治郎から何か連絡はあったかえ」

 

「いえ、なにもありません。すべて順調のようです」

 

「そうかそうか、おお、そうじゃ、今丁度、龍驤が飯の支度を始めるところじゃ。秋月殿も一緒に食うていかんか」

 

「ありがとうございます」

 

「長門殿もどうかね」

 

 声をかけられると思っていなかった長門は、懐から出していた握り飯を慌てて背後へと回した。

 

「先生、食事よりも私は」

 

「天下の田沼長門を飯も食わせず庭先に何日も放置したと言われては、わしも困る」

 

 そこでようやく長門は自分の振る舞いに思い至ったか、赤面して頭を下げた。

 

「浅慮でした。申し訳ございません」

 

「さあ、上がりなさい。ほれ、秋月も、せんちゃんもせいちゃんも」

 

「秋月は、龍驤さんをお手伝いします」

 

 龍驤の指示に従い、米をとぎ始める秋月。米とぎに関しては、秋月は群を抜いている。なにしろ米を一粒たり

 

ともこぼさない、とは龍驤の評である。

 

「対空迎撃と同じです。一粒たりとも見逃しません」

 

「龍驤殿、私は何をすればいい?」

 

 長門の問いに、龍驤は考えた。

 

「長門はん、得意な料理は何かな?」

 

「特にないな」

 

「一応聞くけど、料理したことは」

 

「ないな。食事はすべて鎮守府で摂っている」

 

「長門はんのところの賄い方って」

 

「鳳翔、間宮たちだ」

 

 少し考え、

 

「田沼では、時折大和や比叡も賄いを手伝っていたようだが」

 

「……比叡はどっちやったん?」

 

「標準だった」

 

「そら良かった」

 

 人間でいうところの突然変異、砕けて言うならば変わり種が生まれる場合が、艦娘にもある。

 

 それは艦の大幅な性能差として現れることがほとんどだが、比叡の場合は、何故か味覚障害という形で現れることが多い。

 いわゆる、味音痴である。

 困ったことに、標準の比叡は料理を得意とする者が多い。事情を知らない提督が味音痴の比叡に料理を任せてしまい大惨事となるのは、そう珍しい話でもないのだ。

 

 結局、龍驤が長門に任せたのは切ること、だった。

 煮る、炊く、焼くがすべて未体験だという長門に何を任せられる訳もない、龍驤の苦肉の策であった。

 切るならば、包丁こそ初めてで持つ手も怪しいが、刃物そのものは持ち慣れている長門なのだ。

 

 そして、よく食べる。

 もっともこれは戦艦娘故のことなので、今さら誰も驚かない。それなりの量を龍驤と秋月は準備していた。

 

「ところでな、長門はん」

 

 食べ終えたところで、龍驤が切り出した。

 

「長門はんの見る目は確かや、小兵衛はんに教えを請いたい気持ちはわからんでもない」

 

「ならば龍驤殿」

 

「そやかて、本人が嫌がるところに押しかけるんは感心せんよ」

 

 痛いところを突かれた長門が言葉に窮すると、わが意を得たりとばかりに頷く秋月。

 

「それにや、今、長門はんが世話になっとる井関鎮守府にも申し訳が立たへんやろ」

 

 さらに深く頷く秋月。

 

「ここはいっそ、大治郎はんとこの鎮守府に世話になったらどうかと、うちは思う」

 

「龍驤さん!?」

 

 秋月は悲鳴をあげて抗議した。

 

「なんでそうなるんですか!」

 

「大治郎はんとこ、艦娘の数そろってないんやろ?」

 

「司令は精鋭で行くんです」

 

「長門はんやったら、充分に精鋭やん」

 

「いざというときは鈴谷さんや熊野さんを出向させてくれるって牛堀提督が」

 

「ほっほう、それ二人とも重巡やん。せやったら、ますます戦艦いるんちゃうかなぁ」

 

 見事な墓穴であった。

 

「そないしょっちゅう借りるわけにもいかんしな」

 

 理は龍驤にある。そもそも長門を不必要だというのが、秋月の個人的意見に過ぎない。言い換えれば、わがままである。

 

「先生のご子息とあらば、人品に不足はないと思う」

 

 長門の言葉に秋月は、「何を当たり前のことを」と言いたげな顔を向けた。

 

「ですが失礼ながら、秋山大治郎殿の腕を私は知りません」

 

 ふむ、とこれまで我関せずを決め込んでいた小兵衛が頷く。

 

「ならば、倅の腕を試せばよいであろう。長門殿直々に」

 

 秋月の口がぽっかりと開いた。

 

「倅に勝てるようなら長門殿の弟子入りも認めよう」

 

 勿論、海の上ではなく陸での腕試し、と付け加えることも忘れない。

 

 龍驤はにやにやと笑っていた。

 

 

   ○

 

 

「提督、お客様です」

 

「この時間は余程の用件でもない限り……」

 

「まあまあ、固いこと言わないでよ」

 

 朝潮の案内も待たずにその背後についてきた客の姿に、牛堀九万之助は内心ほう、と呟いた。

 

「お前か」

 

「もぉ、嬉しいくせに提督ったら」

 

「こんな時間に何の用だ」

 

 軽巡洋艦娘那珂は、九万之助のつっけんどんな返事にも臆することなくするすると部屋に入ると、当たり前のように隣に座った。

 どうも九万之助は、この那珂が苦手だった。艦娘那珂が苦手というわけではない。この“那珂”が苦手なのだ。

 この“那珂”は普通の那珂とはどこか違う。勿論、同じ艦種だからといって皆がそっくり同じ性格、気質だと

 

は限らない。特に、身を持ち崩して暴れ艦になってしまったような艦娘は、艦娘としてまっとうに生きるものと比べると別人といってもいいほどの変貌を見せる。

 しかし、この“那珂”の場合はどこか違うのだ。

 元々、那珂という艦娘には二面性がある。川内、神通となるほど姉妹艦であると思わせるだけの戦闘力、そしてそれとは相容れぬ、「アイドルに憧れる」という性格。

 牛堀の見るところ、この“那珂”は、二面性の乖離がひどい。

 アイドルに人一倍憧れ、活動を実践しているにもかかわらず、その実力は高い。

 実際のところ、牛堀鎮守府には一対一で“那珂”に勝てる艦娘はいない。軽巡洋艦同士ではなく、重巡洋艦が対したとしてもだ。

 戦艦とて、夜戦に持ち込まれた場合は危うい。いや、錬度によっては容易に持ち込まれ敗れる。

 さらに、“剣客”としても手練の技を持っている。

 海上では艦娘として、地上では剣客としての腕を余すところなく振るうのだ。

 

 那珂は言う。

 

「那珂ちゃんは、みんなのアイドルだからね」

「歌って踊って、みんなを笑顔にするんだよ」

「闘って笑顔にするのはもうおしまい」

「これからは、艦娘那珂ちゃんじゃなくてアイドル那珂ちゃんの時代だよ」

 

 多くの那珂はそう言って笑う。しかし、“那珂”は続ける。

 

「でもね、闘うのも嫌いじゃないよ。この“那珂”ちゃんは」

 

 それから、笑うのだ。

 

 九万之助は、ひょんなことから知りあったこの変り者の那珂を鎮守府に出入りさせていた。というよりも黙認していた。

 強いのは確かであり、変り者といっても周囲に迷惑をかけて良しとする性格ではないことが見てとれたためだ。 

 それからは、那珂は自由に鎮守府を訪れた。そのたびに妙な土産や噂話を持ってくるのが、当たり前のようになっていた。

 牛堀鎮守府には那珂はいないが、神通と川内はいる。だからといって那珂は格別姉妹艦に会いに来るわけでもない。

 ただ、牛堀自身とはよく話をしに来るのだ。

 しかし、この時間に直接顔を見せたのは初めてである。

 

 那珂は一人で飲んでいた九万之助の前に置かれた膳から徳利を持ち上げると、

 

「はい、那珂ちゃんが注いであげるから、ね」

 

 流れるように続く動作に隙はない。

 

「牛ちゃんにね、今日も面白い話があるんだよ」

 

 この時間、一人きりで酒を飲むのが牛堀の日課のようなものだ。

 鎮守府の艦娘たちは皆それを知っていて、九万之助を一人にしている。その時間が大切な時間だと、彼女らは知っているのだ。

 那珂が鎮守府を訪れるようになって二年ほどが経つが、那珂もここまで踏み込んだことはない。

 今日、この時までは。

 

 そのことに気づいた九万之助が居住まいを正した。

 

「なにがあった。那珂」

 

 ようやく、とでも言うように那珂は頷いた。

 

「秋山大治郎」

 

「若先生がどうした」

 

 秋山大治郎は、牛堀鎮守府のいわば剣術指南である。今は訳あって出稽古を休んでいるが、その代わりといっ

 

て秋山小兵衛が姿を見せている。

 

「倅の代役じゃ」

 

 そう本人はいい、艦娘からの評判も決して悪くはない。悪くはないのだが、九万之助から見れば小兵衛はまさに別格の剣客である。恐縮することしきりであり、小兵衛を先生、大治郎を若先生とよんでいるのだ。

 

「あの人、狙われてるよ」

 

「何者に」

 

 九万之助は大治郎を気に入っていた。何かあればぜひ力を貸してやろうとも思っている。

 そして、自分には好ましく感じられる大治郎の生き方が、今では敵を作りやすいものだろうということも理解していた。

 

 よって、「何故」ではない。「誰に」である。

 

「そこまでは那珂ちゃん、わかんないなあ」

 

「何故わかった」

 

 ふふふ、と笑う那珂。

 

「何がおかしい」

 

「那珂ちゃん、暗殺に誘われちゃいましたあ」

 

「おい、まさか」

 

 立ち上がりかけて、再び九万之助は座りなおした。

 那珂は話を聞かせに来たのだ。暗殺に誘われ、素直に受け入れたものが今ここに来る理由はない。

 

「誘われた、のだな」

 

「うん」

 

 請け負った、とは言っていないのだ。

 

「那珂ちゃん、悩んでます」

 

 じろり、と九万之助は那珂を睨みつけた。

 

「提督、盃が空いてるよ」

 

 盃に注ぎ、自分の盃にも注ごうとする那珂の手から、九万之助は徳利をとった。

 

「ほれ」

 

「ありがとー」

 

「それで?」

 

「ん?」

 

「何を悩むことがある」

 

「那珂ちゃんが頼まれたのは、お手伝いなの」

 

「暗殺の手伝い?」

 

「秋山大治郎本人には手を出さなくていいって」

 

「ふむ」

 

 ならば、那珂に相手をさせるのは秘書艦秋月か。と九万之助は考える。

 防空駆逐艦たる秋月の相手であれば、空母や軽空母というわけにはいくまい。

 さらに暗殺に必要な隠密性を考えれば、戦艦でも重巡でもない、手練れの軽巡を雇うのも頷ける。

 

「秋月じゃないよ」

 

 那珂は笑っていた。

 

「そんなつまらない相手じゃ悩みません」

 

「つまらない、か」

 

「だって、駆逐艦だよ」

 

「ふむ」

 

 ならば、秋山小兵衛か。

 尋ねかけて、九万之助はやはり口を閉じた。

 いかに那珂が手練れといえど、少なくとも地上において秋山小兵衛が後塵を拝するとは思えない。

 確かに、水上においては艦娘は脅威である。しかし、剣客提督ともなれば、地上においては艦娘と同等。ましてや秋山小兵衛である。いかに那珂でも簡単に太刀打ちできるとは思えない。

 

「提督は狙いません」

 

 心を読んだか顔色を見たか、那珂はそう言って盃を一息に空けて見せた。

 

「那珂ちゃんはね、戦艦娘と戦うように頼まれたの」

 

 腑に落ちた。

 田沼長門が小兵衛と親しく交わっていることは聞いている。大治郎とのつきあいも皆無ではないだろう。

 確かに、戦艦長門であれば、那珂にとって相手は充分だろう。

 

 九万之助は那珂の盃に注ごうとし、徳利が空であることに気付いた。

 

「だれかいるか?」

 

「はい」

 

 声を掛けると、控えていたらしい朝潮が姿を見せた。

 

「酒を。それから何か適当に見繕ってくれ」

 

 少し待つと、朝潮から報告を受けたらしい妙高が酒と新しい膳を運んできた。

 膳には練り物と野菜を煮込んだものなどが並んでいる。

 

「妙高、すまんがしばらくの間、人払いを頼む」

 

「承知いたしました」

 

 こういう場合、妙高は何も聞き返さずに指示に従ってくれる。これが鈴谷や熊野ならば、理由を説明しなければならないところである。

 鎮守府ではもっとも古株の秘書艦筆頭である妙高故こその気遣いであった。

 

「では」

 

 九万之助は膳を置くと、那珂に正面から向き直る。

 

「詳しく聞こうか、那珂」

 

「ふふふ、やっぱり? 那珂ちゃんがお話ししてあげるね」

 

 

   ○

 

 

 那珂は、小さな小屋でアイドルとしての活動を始めていた。僅かではあっても、ファンも付いている。

 その日も、那珂はミニライブを終えたところだった。

 

「那珂ちゃん、今日のライブも良かったよ」

 

「ありがとー!」

 

 声を掛けてきたのは、那珂が活動を始めたすぐの頃から付いてきてくれている、ファンを通り越してマネージ

 

ャーのような存在になってしまった男だ。

 

「もう少し大きい小屋に移りたいけれど、ちょっとお金がね」

 

「大丈夫大丈夫、那珂ちゃん、どんなところでもアイドル魂は忘れないから」

 

「そこは心配してないさっ、ただ、客がもっと入って欲しいよな」

 

「そうだね、もっと入って欲しいけど、この大きさじゃ仕方ないよね」

 

「そこで、だ」

 

 男は声を潜めた。

 

「那珂ちゃん、お客さんが来てるんだよ」

 

「お客さん?」

 

「出資したいって言ってる」

 

「うーん、なんか怪しいね」

 

「やっぱりな、断るか」

 

 あっさりと言う男を那珂は引き留める。ここでしつこく会わせようとするような男であれば、那珂はとうに身近から遠ざけている。

 その意味で、那珂は男を信頼していたのだ。

 

「その人、提督なのかな?」

 

「いや、普通の人みたいだけど」

 

 ならば会ってみよう。と那珂は決めた。

 提督相手ならば、艦娘としては別として、アイドルとしては色々困ったことになる可能性もある。

 世の中、清廉潔白な提督ばかりでないことを、那珂は不本意ながらも身をもって知っていた。

 

 提督でないとすれば、よからぬ事を仕掛けてきたところで艦娘の力で簡単に退けることが出来る。

 

「気ぃつけなよ?」

 

「うん。大丈夫大丈夫、那珂ちゃん、こう見えても強いよ?」

 

「強い弱いじゃなくて、那珂ちゃん、俺らのアイドルだから」

 

「ふふっ、ありがとね」

 

 小屋の裏、人目に付かぬ場所でその男は待っていた。

 

「川内型三番艦、軽巡洋艦那珂」

 

「そうだよ? 那珂ちゃんに何か用かな?」 

 

「三浦那珂」

 

「……知ってるんだ、那珂ちゃんの所属していたところ」

 

「第四次房喃沖海戦で駆逐棲姫を単騎撃破した殊勲艦、三浦那珂さん」

 

「単騎じゃないよ」

 

 川内と神通がいた。名ばかりではない、那珂と同じ工廠で生まれた本当の姉妹がいた。

 

 艦娘の姉妹艦には二種類ある。

 同じ工廠で生まれた場合と別の工廠で生まれた場合。

 後者であれば、姉妹という感覚はそれほどない。姉妹の同型艦でしかないという感覚だ。普通の艦娘よりは親しみを感じるだろうが、それだけのこと。

 

 その時、那珂が思っていたのは前者の二人だった。

 

 那珂をかばい、駆逐棲姫の前に散った二人の姉だった。

 あと一手、あと一秒、那珂が早ければ救えた二人だった。

 

 ……那珂ちゃんの一番のファンは私たちだよ

 

 ……那珂ちゃんはアイドルなのよね

 

 ……夜戦は私が

 

 ……昼戦は私が

 

 ……だから那珂は、アイドルを頑張って

 

 ……私たちがみんなを守るから

 

 ……那珂ちゃんはみんなを笑顔にしてほしい

 

 那珂に言葉を、約束を残した二人だった。 

 

「結果的には、単騎でしょう」

 

「……そうだね」

 

「そのお力を見込んで、お話が」

 

 姉妹を失った戦いで三浦鎮守府は壊滅した。今の那珂はアイドルと名乗っているだけのはぐれ艦娘だ。

 後ろ盾など、ないに等しい。

 わずかなファンと小さなイベントで糊口をしのぎ、かろうじて生きて、活動している。

 

「話くらいは、聞くよ」

 

 

    ○

 

 

 その夜のことである。

 小兵衛の隠宅に急の来客があった。

 

「これは、九万さん」

 

 小兵衛は九万之助を九万さんと呼ぶようになっていた。

 軽侮の響きのない、他愛もない軽口と九万之助は感じ、親しみある呼び方として他意もない。

 ただ、牛堀鎮守府に球磨型一番艦球磨が配属されたらどうするのか、とその場にいた龍驤が問うてみた。

 

 しばし考え、小兵衛は重々しく言ったものだ。

「……球磨ちゃんでは駄目か?」

 

「それは、贔屓や」

 

「ならば、球磨型が配属されたときには、お前の呼び名も変えよう」

 

「つまり、うちは龍驤ちゃんになるんやね?」

 

「そうなるな」

 

「そやったら、ええわ」

 

 そういった経緯があったのだから、いきなり訪れた九万之助に龍驤が「球磨来たん?」と喜色満面で尋ねても

 

仕方のないことだろう。

 

「いや、龍驤殿、違うのだ」

 

慌ててかぶりを振る九万之助を見た小兵衛が龍讓を叱った。

 

「これ、龍驤、いきなりそんなことを言うものがおるか」

 

 むう、と唇をひん曲げて、龍讓は下がった。

 

「先生、このような時間にご無礼します」 

 

「なに、年寄りは夜を持て余していかん、ささ、上がりなさい」

 

「失礼いたします」

 

 龍驤が何事もなかったかのように顔を出し、小兵衛に目を向けた。

 

「悪いが茶でも頼む」

 

「お酒やのうてええの?」

 

「うむ」

 

「はぁい」

 

 再び龍讓が下がると、小兵衛は確認するように九万之助に頷いて見せた。

 

「先ほどまでは飲んでおりましたが、酔いも覚めました」

 

「酒の肴に何やら聞きこんだかい」

 

「は、実は以前にもお話しした、わが鎮守府に出入りしておる……」

 

「アイドルの那珂ちゃんかえ?」

 

 那珂の話は初めてではなかった。

 世間話の一環として九万之助も話したことがあり、小兵衛が別の場所で耳にしてから九万之助に確認した話もある。

 

「これは……恐れ入ります」

 

「なに、年を取ると世間の噂ばかりが気になっていかん。これでは元提督というより重巡青葉じゃわ」

 

「その、那珂なのですが」

 

 大治郎が狙われている、という話を那珂から聞いたままに、九万之助は小兵衛に告げた。

 

「詳しいことがわかれば是非知りたい、と那珂には頼んでおるのですが」

 

「大治郎は、兄弟子の遺骨を届けるため、西国に行っておる」

 

「ならば……」

 

「だが、帰る時期は特に秘密では無い。誰であろうと尋ねる者がおれば秋月が隠すこともなく伝えるじゃろう」

 

 そこを襲う手筈、とは充分に考えられる。そして、鎮守府で秋月と長門が待っていても何の不思議もない。

 その秋月と長門を抑える手として、那珂は計算されているのだろう。

 

「すぐに連絡を。島風に海路で先行させれば、西国ならば造作も無いでしょう」

 

 基本的に海路はまだ一般には開放されていない。必要物資の輸送は艦娘の護衛で行われてはいるが、深海棲艦

 

が現れないという保障はないため、民間航路はほぼ存在していないのだ。

 

 ただ、高レベルの艦娘であれば、単独で海路を行くのはそれほど難しくない。陸路に先行するためだけの沿岸航路ならばなおさらである。

 例えば高速艦娘の中には、海路を利用した伝令業を営む者もいるのだ。

 

「無用」

 

「先生?」

 

 決めつけるような小兵衛の言葉に九万之助が慌てた。

 

「倅も剣客の端くれならば、狙われるは必定」

 

 その度にこの老父が出張るようでは、剣客としての道末など見えている。

 

「故こそ、無用と」

 

「しかし」

 

「重ねて、無用」

 

 九万之助とて二人に及ばぬとはいえ剣客、小兵衛のいうこともわかる。

 しかし、しかしだ。

 小兵衛は大治郎の実父ではないか。

 

 そう、言いたいのを九万之助は堪えた。小兵衛が正しいのだ。

 父と子である前に剣客。それを選んだが故の剣客提督。それを間違いだと言うことが、余人にできるはずもなかった。

 

「わかり申した」

 

 ですが、と九万之助は続けた。

 

「私が大治郎殿に肩入れする。これは私自身の、剣客秋山大治郎との交誼のためです」

 

 小兵衛はただ、無言のままに頷いた。

 

 しばらくして湯呑を引き取りにきた龍驤が見たのは、一人難しい顔で茶を飲む小兵衛だけだった。

 

 

    ○

 

 

 翌日再び訪れた那珂に、九万之助は小兵衛とのやりとりの内容を簡潔に告げた。

 

「それじゃあ、那珂ちゃんはこのお仕事引き受けてもいいんだね」

 

 露骨に渋い顔をして見せる九万之助に那珂はにっこり笑って、

 

「ほら、那珂ちゃんが獅子身中の虫になってあげるよ?」

 

 と言ったものである。

 

 田沼長門はおいて、自分は秋山大治郎とやりあうわけではない。

 

 ならば、

 

「何か動きあれば、こちらに伝えることもできる、と?」

 

 那珂は頷いた。

 

「その代わり那珂ちゃんが何もしていないのに秋山大治郎が討たれても、知らないことだよ」

 

 そこまでは、九万之助にも如何ともし難いことである。

 九万之助も頷くしかなかった。

 

 さらに、と那珂は続ける。

 

「那珂ちゃんが最後の一人になれば、誰とも戦う必要ないでしょ?」

 

 那珂が最後まで刺客に義理立てする理由などない。言ってしまえば、途中から寝返ってもいいのだ。

 

「那珂ちゃん、そこまで恩知らずじゃありません」

 

 秋山親子や田沼長門は知らず、牛堀九万之助との義理を棄てるまでのことではない。と、那珂は言っていた。

 

「頼む」

 

「オッケーだよ」

 

 そしてこの話は、那珂も九万之助も驚く程の早さで進められた。

 

 九万之助からの連絡が絶えず送られていた小兵衛も同じである。

 

「アホやろ」

 

 牛堀鎮守府からの使いを見送りながら、龍驤が言った。

 

「誰が、ですか?」

 

 長門が小兵衛に尋ねると、秋月も真剣な表情で小兵衛を見た。

 大治郎の帰宅がまだなので、秋月も長門も小兵衛の隠宅にいることが多い。

 秋月は秘書艦としての修練、長門は相変わらずの弟子入り志願のためである。

 

「誰だと思うかね?」

 

「軽巡那珂です」

 

 小兵衛の問いに間髪を容れず答える秋月。 

 

「理由がどうあれ、大治郎さまを狙う痴れ者に与するなど、なにを考えているのやら」

 

 それにやや間をあけて、

 

「話が漏れているとも気づかぬ、その痴れ者どもでしょうか?」

 

 と長門が答えた。

 

「大治郎はんがおらへんのに、なに急ぐ理由があんねん」

 

 二人の意見を上からぴしゃり、と龍驤ははねのけ、

 

「本命は長門はんや、バレバレやろ」

 

「なぜ隠す必要があるのですか」

 

「本人が狙われた。たまたま巻き込まれて襲われた。恥ずいんはどっちやろな」

 

「ま、泣き寝入りしかあるまいよ、少なくとも表向きは、な」

 

 田沼の者と知って襲ったならば、それこそ櫓櫂の及ぶ限り追うこともあり得るだろう、それを田沼提督が望む望まずに拘わらず。

 しかし、ただの不幸な偶然とならば話は別である。人の口とは不思議なもので、流れによっては襲われた当人の不手際とも喧伝しかねない。

 小兵衛はそれを指摘した。

 

「それでは、巻き込まれているのは大治郎さまではないですか」

 

 秋月の言は間違いではない。

 

「いや」

 

 しかし長門が首を振ると、秋月はムッとした顔で睨んだ。

 それを横目に見ながら、長門は言葉を続けた。

 

「我々はすでに知っているのだ。むざと巻き込まれることはない」

 

「それよ」

 

 小兵衛が楽しそうにニヤリと笑った。

 

「那珂ちゃんと九万さんの友誼を知らぬ、調べもせぬ連中が阿呆よ」

 

 

     ○

 

 

 夕暮れも近いころ、那珂は集められた艦娘に目を向けていた。

 

 戦艦が二人、重巡が一人、自分を含めた軽巡が三人だ。

 

 相手は駆逐一人と戦艦一人、そして剣客提督一人。

 数だけを見れば襲撃には十分だろう。

 

 空母系がいないということは、夜戦を念頭に置いているということか。

 あるいは集めきれなかったか。

 

 大したことは無い。と那珂は感じていた。

 このうちのどの一人であろうとも、一対一ならば勝つ自信が那珂にはあった。

 いや、統制をとる者がいないのならば、同時に戦ってもどうにかなる。

 

 自分を雇った男の眼力に対する失望を少し感じながら、那珂は依頼の内容を確認していた。

 

「時間は夜。夜戦を鎮守府に仕掛ける」

 

 旗艦となったらしい戦艦の一人が言った。

 

「今から向かう」

 

「急ぐね」

 

 思わず那珂は口に出していた。

 実際には、今であろうと明日であろうと那珂にとって変わりは無い。

 

「怖じ気づいたなら下りてもいいぞ。金を返せば、な」

 

「下りたら背中からばっさりでしょ。那珂ちゃんそういうのは嫌だなぁ」

 

 笑いながらすぐに自分の言葉を打ち消す。

 

「冗談だからね、今更下りるなんて那珂ちゃん言いません」

 

 毒食らわば皿まで、ではないが、ステージが始まれば幕まで演じるのが那珂の意地だ。

 

「アンコールまで、頑張っちゃうよ」

 

 近場までは陸を行き、近づいたところで鎮守府内に引き込まれている水路より侵入、奇襲する。

 狙うは提督。見当たらない場合はその場にいる艦娘を討つ。

 

「楽な仕事だな」

 

 もう一人の戦艦娘が笑うと、追従するように重巡娘も笑った。そして、あからさまに機嫌を伺うような軽巡た

 

ち。

 

「俺はここまでだ」

 

 先導していた男が言う。

 ここからは、艦娘は水上を進むことになる。

 

「那珂」

 

 男は那珂に近づくと、残りの艦娘からは聞こえぬように囁いた。

 

「秋山がいなくても長門は討て。最悪、あとの艦は見捨てても良い」

 

 捨て艦。

 

 本命は自分。ならば、他艦とは錬度が違いすぎるのもわかる。

 

 そこに気づいた瞬間、那珂の血は上った。

 己の内から、いつか聞いた声が這い上がってくるのを感じた。

 

 ……満身創痍の川内と神通を見切り、駆逐棲姫を討ち滅ぼした三浦那珂。

 

 もう一度その名を帯びよと。

 

 僚艦を、姉妹を見捨てて殊勲を求めよと。

 

 違う。

 

 その悲鳴は聞こえず、その悲哀は理解されず。

 ただ、深海棲艦を屠った誉れだけに目を向けよと。

 一人残った我が身を誇れと。

 

「違うよ」

 

「何か言ったか」

 

「いや」

 

 言葉は平静に。気取られることなく。

 旗艦に従い身体は水上へと動き、陣形を組んだ。

 

 どうする。

 

 那珂は自分に問うた。そして答えた。

 

 秋山大治郎は鎮守府に確実にいない。

 真の狙いは田沼長門。

 

「速度を上げろ」

 

 旗艦に従い速度を上げた瞬間、砲撃音が響いた。

 那珂の隣にいた軽巡が身体を回転させながら水面に叩きつけられた。

 

 一撃大破であった。

 そして今の砲撃音と衝撃は、紛れもない戦艦の砲撃。

 

「田沼、長門……一撃必中ぅ?」

 

 慣れ親しんだ自鎮守府への水路であれば、改めての距離測定の必要は無い。一撃必中も不可能ではないだろう。

 だが、「不可能ではない」というだけの話である。

 それを今、田沼長門はやってのけたのだ。

 その事実が、那珂に現状を忘れさせた。ただ目の前の強敵だけを見せた。

 

「那珂ちゃん、いっきまーす!」

 

 勝負にすらならず、戦闘は終わった。

 

 水上に立つのは長門と那珂のみ。

 那珂を除く五人は全て大破となり、秋月によって回収されている。

 

 そして長門と那珂は、共に無傷ではなかった。

 

「牛堀殿の鎮守府に出入りしている那珂であろう。話は聞いている。引け」

 

「……強いね、長門は……ううん、田沼長門は」

 

 ただの長門ならば勝っていた。そう、那珂は告げていた。

 

「でもね、それでも、那珂ちゃんは勝たなきゃいけないから」

 

 戦わなくてよいと言われたから。

 アイドルでよいと言われたから。

 二人を見捨てたと言われたから。

 

 二人を見捨てる必要などない。

 それならアイドルでなくていい。

 だから戦わなければならない。

 

「戦って、くれるよね。田沼長門」

 

「この長門、逃げはせぬ」

 

 那珂が先手を切った。

 艦の砲撃戦ではない、人の身体を得た艦娘の砲撃戦である。両手足を使うことは当然であった。

 

 姿勢を低く飛び込んだ那珂の右腕が伸び、主砲を長門へ向けた。

 長門は避けようともせず、向かってきた那珂に合わせ身を傾ける。

 

 さらに進む那珂。速度を緩めず、ひたすら那珂は右腕を伸ばす。

 この距離ならば、まだ避けられる。

 那珂が先手を外せば、長門が那珂を撃つ。長門が先手を外せば、那珂が長門を撃つ。

 この距離ならば、那珂は避けられる。

 両者は主砲を掲げたまま、ただ正面から向き合い、接近し続ける。

 

 那珂がさらに手を伸ばし、同時に水面を蹴った。

 わずか一瞬、那珂の最高速度が艦としての性能を越えた。

 普通ならば予想されるより一手早く、那珂の砲塔は長門の顔面を捉えた。

 既に避けられる距離でもタイミングでもない。

 

「長門ぉぉぉぉっ!」

 

 軽巡にしては重すぎる主砲が火を噴くかに見えた瞬間であった。

 

 長門は頭を振った。

 避けたのではない。このタイミングで避けたとしても間に合わない。

 だから、長門は那珂と同じく水面を蹴り、那珂の伸ばした砲塔に自ら額を覆う装甲をぶつけた。

 

 両手足を使えるのが艦娘であるならば、その頭蓋を使って何が悪いか。

 

 那珂の砲塔が揺れ、狙いは外れ、それでも完全に外す距離ではなく、那珂の砲撃は長門の左肩を砕いた。

 

 しかし長門は止まらない。

 衝撃を堪え、残った右腕をあげる。

 

「次弾装填急いでっ!」

 

 那珂の叫びと同時に、長門の砲撃が那珂の胸板を直撃した。

 

 水面に叩きつけられる那珂、それを見下ろす長門。

 

「貴様相手に左肩一つで済むなら、私の勝ちだ」

 

 軽巡那珂、轟沈。

 

「長門さんっ!」

 

 近づく気配に長門は再び構え、秋月がその横に並ぶが、そこに姿を見せたのは、

 

「……遅かったか」

 

 軽巡川内、軽巡神通を従えた牛堀九万之助であった。

 

「牛堀提督……」

 

「田沼長門殿。那珂の始末、我らに任せてはくれんか」

 

 長門は頷いた。

 

 川内と神通が水面に浮かぶだけの那珂に寄り添っていた。

 

「……あれ? 川内ちゃん……神通ちゃん……那珂ちゃんはね、戦ったよ」

「那珂ちゃんは強いよね……川内ちゃんと神通ちゃんと一緒に戦えるよね」

「一緒だよ……一緒に戦おうね……もう、一人で戦うのは厭だよ……」

 

 目を閉じた那珂を、川内と神通が丁寧に曳航していく。

 

「三浦那珂は、三浦川内と三浦神通と共に眠らせたい」

 

 長門と秋月は、静かに見送った。

 そして少しして駆けつけたあきつ丸に、大破した五人を引き渡したのだった。

 

 五人を取り調べ、やはり狙いが田沼長門であるとわかったのは後日である。

 

 雨が降り始めていた。

 

 大治郎が鎮守府に帰還したのは、雨の降り止まぬ翌日だった。

 




次回になるかどうかはちょっとわかりませんが、

「約束金二十両」を足柄さんで書いてみたく



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雨の鈴熊

第4話です。
感想・お気に入り登録など本当にありがとうございます

今回の元ネタは、剣客商売一巻「雨の鈴鹿川」より
(に、いくつか混ぜています。タイトルだけを取ったに等しいです)

 どうぞ、ご笑覧ください


 

 

 秋山大治郎は困っていた。

 

 豪雨が続いていた。

 

 旧友との果し合いの前に命を落とした兄弟子嶋岡礼蔵の遺灰を届けるため、その生家を大治郎が訪れたのは三日前のことになる。

 

 家を継いでいた礼蔵の兄は大治郎を快く迎えただけでなく、未だに礼蔵を忘れず慕う子弟や友人を招き、大治郎に礼蔵の最後を語らせた。

 大治郎も包み隠さず答え、礼蔵の果たせなかった約束の顛末を聞いたある者は静かに頷き、ある者は大治郎の手を握り感謝の意を告げた。

 

 二日の滞在の後、渋る教え子たちを振り切って帰途についた大治郎を迎えたのは、その夜からの生憎の豪雨であった。

 取るものもとりあえず入った宿を出ることもままならず、仮に無理やり出たとしても、この雨では動きがとれぬのである。

 

 慰めは、この辺りでは珍しい温泉付きの宿であることと、客の数自体が少なく、静かに時を過ごすことができるということだった。

 

 その日、昼食を終えた大治郎は、明日にはさすがに雨も止むであろうという宿の女将の話を聞き、明朝早く出立するために今のうちから湯に入ろうかと、一度部屋に戻ったところであった。

 

 部屋に入り、数少ない荷物に手をかけたところでその動きが止まった。

 

「何か、私に御用ですか?」

 

 昨夜、宿に入った時から感じていた視線であった。

 それが今、声の届く距離まで近づいたと大治郎は感じたのだ。

 わざと締め切らずに開けておいた扉の向こうに気配があった。

 

「昨夜から、私を見ているようですが」

 

 嶋岡礼蔵、あるいは礼蔵を討ち、今では大治郎に恨みを持つ元瑞鳳たる深海棲艦に関する者かとも思ったが、この宿屋で大治郎を待ち受けていたとは思えない。

 昨夜の急の豪雨で慌てて飛び込んだ通りすがりの宿だ、待ち受けていると思うほうがどうかしている。

 

「私の名は秋山大治郎です」

 

 気配に変化があった。

 

「この宿には、急な雨でたまたま飛び込んだに過ぎません」

 

 気配が遠ざかり、消えた。

 少し待ち、大治郎は廊下に出たが、人のいた形跡はない。

 

(やはり、人違いだったのか)

 

 周囲を見回すと、大治郎は風呂へと向かった。

 

 脱衣場へ入ろうとしたところに、先客が中より姿を見せた。

 

 む、と一瞬先客は大治郎を睨んだ。

 それがいかにも威圧的に感じられ、大治郎はやや顔をしかめた。すると、その仕草が気に障ったのか、男は大治郎に挑むように身を寄せてくるではないか。

 

「失礼」

 

 大治郎も男の無礼に思うところがないわけではないが、無用の争いなどもとより望むものではない。

 

 一言詫びて身を逸らすと男は拳の下ろしどころを失い、何やら口の中で呟きながら、それでも腹いせか大治郎に肩をぶつけるように、乱暴に通り過ぎていった。

 

(昨夜からの視線の主とは別人か……)

 

 そう、考えながら湯につかる。

 ゆっくりと、しかししっかりと温まっていく身体に、宿の売りにしているだけあって、温泉そのものは良いと大治郎は感心していた。

 湯に入っているのは自分とは別にもう一人。こちらに背を向けてはいるが、それなりの偉丈夫に見える男が一人。

 

 じっくりとつかろうかと身体を伸ばしたところに声がかかった。

 

「もし。失礼ながら大治郎、秋山大治郎ではないか?」

 

 聞き覚えのある声の主は湯をかき分けるように大治郎に近づいてきた。

 

「おお、やはり大治郎か」

 

「源之進殿ですか?」

 

「いかにも。久しぶりだなあ、こんな処に湯治でもあるまいに」

 

 渡部源之進。年こそ大治郎のほうに近いが、亡き嶋岡礼蔵の知古であり、また、弟子というわけではないが道場にも出入りしていて、大治郎とは友人のように付き合っていた男であった。

 

「嶋岡先生の生家を訪れた帰りです」

 

 その言葉に、年にも似合わぬ人懐っこい笑顔であった源之進の表情が引き締まった。

 

「嶋岡さんに何があったのだ」

 

 大治郎は再びそこで嶋岡礼蔵の最後を語ることになった。

 

「そうか……」

 

 聞き終えた源之進は激しく頷きながら、自らにも言い聞かせるように言った。

 

「嶋岡礼蔵は、剣士として逝ったのだな」

「俺にはとうてい真似できぬし、しようとも思わん……が、見事なり」

 

「源之進殿はどうしてこちらに」

 

 大治郎の問いに、源之進は肩をすくめ、答えた。

 

「なに、すまじき宮仕えというやつでな」

「逃亡艦娘の探索だ」

 

「お一人で、ですか?」

 

 大治郎が咄嗟に聞き返すのも無理はなかった。

 

 逃亡艦娘とは、所属していた鎮守府から無断脱走した艦娘であった。

 それは仕えていたはずの提督だけでなく、仲間、同種であるはずの艦娘からも唾棄すべき恥だと嫌悪される行動であった。

 逃亡艦娘に比べれば、素行の悪さで放逐されたはぐれ艦娘や厭戦派のほうがまだましだ、と公言するものも少なくない。

 

 それだけに、実際に逃亡する艦娘は折り紙付きと考えられていた。

 でたらめな強さを誇るか、あるいは狡猾か。どちらにしろ、一筋縄ではいかない相手という意味である。

 

「そうとは限らん」

 

 しかし大治郎は小兵衛に聞いたことがあった。

 

「愚かな提督であっても妄信するのは、艦娘生来の病のようなものでな」

「阿呆に従い、目が曇り、自分にも周りにもどうにもならんようになってから醜さに気づく」

「それでも、相手は提督。艦娘にできるのは、逃げることぐらいじゃろう」

「そりゃあ、艦娘は強い。そこらの木っ端提督など主砲一つ向けるだけで泣きが入るわえ」

「しかしそこで逃げを選ぶのが、艦娘よ」

「だがなあ、それを周りの艦娘は決して許さぬよ」

「声をかけ、手を貸し、涙を見せ、あるいは圧をかけ、逃げ出さぬように気を張る」

 

 そこで小兵衛は、しみじみと言ったものだ。

 

「それでも、逃亡艦娘は生まれる。情けないのは逃げた艦娘、逃げられた提督、どっちじゃろうな」

 

 小兵衛の言葉を思い出していると、

 

「いや、一人ではない」

 

 実は、と源之進が語り始めた内容に大治郎は驚いた。

 

 源之進は未だ提督ではないというのだ。

 大治郎の知る限りにおいて、源之進には提督の素質があると見えていた。剣客提督でなくとも、何らかの形で提督にはなれると。

 しかし、源之進は言った。

 

「大治郎、嶋岡さんの弟弟子であるあんただから言うのだ」

 

 源之進は提督ではなかった。提督ではないが、鎮守府とは縁深い、世間一般では多少の揶揄も込めて鎮守府憲兵と呼ばれている役職についていた。

 それは、鎮守府内での犯罪を主に取り締まる役である。ある意味においては、提督よりも重い役である。

 

「俺と、逃亡艦娘のいた鎮守府の剣客提督、そこの艦娘で追っているところだ」

 

 ならば先ほどの男か、と大治郎は考えた。

 すると、視線の主は艦娘か。

 そう考えてみれば、なるほどあの気配は艦娘のものであったか、という気もしてくる。

 

「嫌な男だ」

 

「何か失礼を」

 

「いや、あんたのことではない」

「提督にも様々な者がいる、ということだ」

 

 どういう意味かと尋ねかけ、大治郎は口を閉じた。

 答えられるのであれば、最初から源之進は名を出している。

 名を出せぬから、このような物言いになる。

 

「艦娘たちは、宿も取らずに雨ざらしよ」

「そして俺は、良い気になって湯につかり、酒を食らう」

 

「それは」

 

 たまらず言いかけ、やはり大治郎は口を閉じた。

 その様子に源之進は言った。

 

「構わぬ。あんたに言われるのなら、仕方ない」

 

「何故、ですか」

 

「戦場に宿などない、との提督の仰せさ」

 

「提督ではなく、源之進殿の存念を聞いています」

 

 源之進は「それでこそ」とでも言うように、嬉しげに笑った。

 

「俺は提督についている、それだけのことだ」

 

 言うべきことは言った、そうも見える唐突さで源之進は腰を上げた。

 

「先に上がらせてもらおう。あまり提督を待たせるとうるさくてかなわぬし、暇に任せてうろつかれても困る」

 

 その背を見送った後も大治郎はしばらく湯につかり、源之進の言葉を考えていた。

 

 艦娘に対する提督の扱いには頷けぬものがある。あるが、鎮守府の運営法などは千差万別、他所の提督が口出すようなものではない。

 源之進の言葉も理屈は通っている。

 

 だが、

「嫌な男」

「暇に任せてうろつかれても困る」

 

 そう、源之進は言ったのだ。

 

(源之進殿はなにを考えているのか……)

(父上ならば、いかにされるのか……)

(嶋岡先生ならば……)

 

「いかん、な」

 

 首を振ると大治郎は立ち上がり、湯を後にした。

 

 部屋へ戻る途中、大治郎は再び視線を感じている自分に気づいた。

 前に感じたのと同じもの、である。

 思わず立ち止まった大治郎は視線のもとへと目をやった。

 

 かすかに開いた扉の奥に彼女はいた。

 

「先ほどは失礼いたしました」

 

 大治郎は小さく頷くと周囲を窺った後に部屋へと入った。

 

「重巡熊野、か」

 

「わたくしと、鈴谷さんが一緒ですわ」

 

 重巡鈴谷。熊野の姉妹艦であるが、姉妹というより親友のように振舞う方が多いとされている二人であった。

 

「私に何の用件がある?」

 

 この二人が逃亡艦娘であることに、大治郎は疑いを持たなかった。

 自分を追手ではないかと疑い、様子を見ていたのだろうこともわかる。

 しかし、それならそれで、熊野から大治郎に接近する理由は何もないのだ。

 

「まずは、こちらに」

 

 熊野は部屋の奥へと大治郎をいざなうが、一瞬、大治郎は躊躇した。

 

「熊野、いいよ。鈴谷がそっちに行くから」

 

「いけませんわ、無理をなさっては」

 

 怪我か、と大治郎が尋ねるより早く、熊野が言を継いだ。

 

「鈴谷さんは、目が見えませんの」

 

「ぶしつけだが、高速修復材ならばなんとかなるかもしれない」

 

 大治郎は即座に言った。

 

 確かに、逃亡中の艦娘が高速修復材を手に入れる可能性などほとんどない。あるいは闇で手に入れるにしても、法外な代金をとられるだろう。 

 

 大治郎は当然真っ当な提督であり、入手もできない話ではない。

 初対面の艦娘であるが、そう言わせたくなる雰囲気を二人は持っていた。

 わずかなやり取りを目にしただけとはいえ、鈴谷を気遣う熊野の姿は大治郎にとっても快いものであったのだ。

 

「お気持ちはありがたいのですが、無意味ですわ」

 

「無意味、とは」

 

「それは」

 

 言いすぎたと思ったか熊野は口を閉じ、俯いた。

 そこで口を開いたのが、鈴谷であった。

 

「鈴谷の眼は、怪我じゃないんだよね」

 

「鈴谷さん」

 

「怪我ではない、と?」

 

 ならば天龍、木曾のような生来のものか。

 しかし、盲目の鈴谷など聞いたことはない。

 

「うちの提督はね、改修提督だったんだよね」

 

 提督であれば、それが生来のものか修行で得たものかは問わず、何らかの非凡な才能を持っている者がほとんどだ。

 その才能が改修に特化している提督が、いわゆる改修提督と呼ばれている。

 

 艦娘の性能を上げることを目的に艤装、あるいは本体に改造を行うことを近代化改修という。

 修理や補給は艦娘の周囲にどこからか現れる妖精によって行うことができる……ちなみに妖精の存在は艦娘の証言から類推されているものであり、現認した人類はいない……のだが、改修には提督の存在が必須である。

「それは」

 

「鈴谷の眼は提督に改修されたんだよ、見えなくなるようにね」

「提督がさ、いうこと聞かない軽巡や役立たずの駆逐を沈めろなんて言うからさ、そんなの見たくないって言っちゃったんだよね」

「そしたらさ、『じゃあ見なくていい』って」

 

 無論、普通の改修ではそのようなことは不可能だ。しかし改修提督と呼ばれるほどの特化能力であれば……

 

「鈴谷さんは、何も悪くありませんわ」

「悪いのは……悪いのは………」

 

 この期に及んでも、「悪いのは提督だ」とは言えない。

 それが、艦娘であった。

 

「秋山さま」

 

 声を改め、座ったままではあるが姿を正し、鈴谷は言った。

 

「悪いのは、熊野を唆した私です」

 

「鈴谷さん」

 

「そう、憲兵殿にお告げくださいませんか」

「もはや提督の追手からは逃れられません。せめて熊野だけは」

 

「なぜ、私に」

 

「第三者の証言ならば、憲兵殿も無下にはできないかと思います」

 

「提督に直接捕まれば、訴えは無視されると?」

 

「恐らくは」

 

「初めて会った私をそこまで信用するのですか」

 

「最初は、昨日の無礼をただ謝るつもりでした」

「しかし、私の眼のことを知り……」

 

 鈴谷は笑った。

 

「いきなりバケツをくれるって言われたのは、鈴谷も初めてだよ」

「そんなの、信用するしかないじゃん」

 

 しばらくして、

 

「鈴谷さんは何かとお疲れですから」

 

 鈴谷を横にならせ、熊野と大治郎は部屋を出た。

 

「逃げる先はおありか」

 

「北へ。以前お世話になった提督が隠棲していると聞いています」

 

「いつまで」

 

 熊野は俯き、寂しげに笑った。

 

「無理な改修は、艦娘の寿命すら縮めますわ」

 

 しばしの無言を経て、大治郎は言った。

 

「私は旅先で少々気が高ぶっているかもしれない」

 

「はい?」

 

「肩がぶつかったなど、つまらぬことで喧嘩をしかねない」

 

「秋山さま?」

 

「幸運を祈ります」

 

 当惑気味な熊野の表情にやがて理解の色が差し、何かを言いかけ、しかし熊野は無言で頭を下げた。

 

 そして熊野は静かに、鈴谷の眠る部屋へと戻った。

 

 この数年後、大治郎の鎮守府を重巡熊野が訪れるのだが、それはまた別の話である。

 

 翌朝。

 

 源之進は宿外で待機していた戦艦、正規空母と合流すると、道の端に陣取っていた。

 

「雨だというのに、朝から大変ですね」

 

 そこに姿を見せたのは、大治郎であった。

 雨はまだ、降りやむ気配もなかった。

 

「これも仕事だ」

 

「どなたかを待っているのですか?」

 

「宿の中で暴れると、色々うるさくてな」

 

「提督はどちらに」

 

「優雅に朝風呂だろ」

 

「待っているのは、鈴谷と熊野ですか」

 

「おい」

 

 色めき立つ艦娘たちを手で抑え、源之進は尋ねた。

 

「どこかで見たのか」

 

 大治郎は手を上げると、昨夜来た方向、西国へ向かう道を示した。

 

「ほう?」

 

 源之進の口角が上がるのを、大治郎は確かに見たと思った。がそれも一瞬のこと。

 

「二日前、西へ向かう姿と行き会ったのを思い出しましたよ」

 

「我らの追う二人かどうかは……」

 

「鈴谷は目を患っていたように見えましたが」

 

「行け、俺もすぐに追う」

 

 艦娘たちはかすかにうなずくと、大股で歩き出した。

 それを目で追った源之進はややあって、

 

「ところで大治郎、失せ物はないか?」

 

「失せ物?」

 

 大治郎は唐突な問いにおうむ返しに答えてしまった。

 その様子に、今度こそ源之進ははっきりと笑った。 

 

「この辺りでは、名の書いたものを拾うか盗むかした不届き者が、持ち主の名を騙って乱暴狼藉を働くと聞いた」

 

 一瞬置き、大治郎もまた笑った。

 

「そういえば、大したものでもありませんが、書付を落としたような気がします」

 

「聞いておこう」

 

「変わってませんね、源之進殿は」

 

「なに、人のことは言えんぞ。では俺も、奴らを追わねばならん」

 

 艦娘たちの後を追うように源之進は走り出していた。

 

 見送った大治郎は適当な太さの棒を拾うと宿の軒先に入り、人を待った。

 

 しばらくすると出てきた男の後ろを歩き、適当なところで声をかける。

 

「昨日のことだが」

 

 振り向いた男は、昨夜睨みつけた男が待ち受けている姿にぎょっとした表情を見せるが、大治郎が丸腰であることに気づくと、咄嗟に自分の刀を抜いた。

 ほとんど同時に棒を構えた大治郎は、無造作に足を進めると、刀を振りかぶった男の膝頭を殴りつけた。鈍い、明らかに骨折とわかる音が響いた。

 悲鳴を上げ刀を放り出し、倒れ、泣き叫ぶ提督を複雑な表情で見下ろし、大治郎はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大治郎は小兵衛の言葉を待っていた。

 

 小兵衛からは、自分のいなかった間の「軽巡那珂の顛末」を聞いた。そして、今「重巡鈴谷と熊野」の話を終えたところだ。

 長門は大治郎の鎮守府で入渠中、秋月と龍驤は付き添いのため、小兵衛の隠宅にいるのは父子二人のみであった。

 

「その源之進さんとやら、なかなかの御仁じゃの」

「おそらくは、それなりの腹積もりもあったじゃろう」

 

「私は余計なことをしたのでしょうか」

 

「さあな。なれど、大治郎よ」

 

 小兵衛は視線を外へ向けた。

 つられて大治郎も外を見た。

 

「ようやった」

 

 いつの間にか、雨はやんでいた。

 

 

 





 ちなみに私の嫁艦は龍田さん。
 ……まだレベル90だけどさ、最初のケッコンカッコカリと決めてます。
 99が七人くらいいるんだよなぁ……

一巻の「芸者変転」と「四天王」は多分手をつけないと思います。

……とりあえず「御老中毒殺」をなんとか改変して、田沼提督と秋山父子引き合わせないとなぁ……


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立合料三万円

第五話です。


……遅いよね……ごめん


今回の元ネタは剣客商売二巻「支度金二十両」より

この話は、第一話を書く前からオチまで決めてた話です。
(だのに完成までかかったこの時間)


どうぞ、ご笑覧ください


 

 かつて栄えていた街は、大戦後は寂れる一方に任されていた。

 それでも時間が経つと、人々は少しずつでも戻り始める。新しい暮らしが始まる。

 そんな片隅に一軒の古家があり、一人の艦娘が住み着いている。

 その古家を訪れる少年がいた。

 

「姉ちゃん、いる?」

 

「いるわよ」

 

 庭先からの少年の声に促されるように姿を見せたのは、重巡洋艦娘足柄であった。

 

「これ、貰ったんだけど姉ちゃんと分けようと思って」

 

 紙に包まれた一串の団子を少年は差し出した。

 

 手土産としてはどうかと思う内容だが、足柄は気にしない。それよりも、持ってきたという少年の気持ちが何より快かった。

 

「姉ちゃんって、凄い艦娘だったんだろ?」

 

「ん~、まあそこそこね」

 

 串から抜いた団子を皿の上に並べつつ、足柄は顔をしかめて見せた。

 

「過去形はやめなさい、今でも凄いわよ?」

 

「ふ~ん」

 

 信じているのかいないのか、興味なさそうな顔で少年は頷いた。

 

 足柄がいつごろからここに住んでいるのか少年は知らない。

 ただ、少年が知るころにはもう足柄はここにいた。

 

 少年は初めて艦娘を見たわけではない。しかし、これほど身近に見たのは足柄が初めてであった。

 足柄も少年を疎むでもなく、話しかけられれば応じ、質問に答えていた。

 いつの間にか、少年はしばしば足柄のもとを訪れるようになっていたのだ。

 

 少年の両親は大戦で亡くなっていて、今は遠縁の家で世話になっていると足柄は聞いている。

 それを知った時から、足柄は少年の訪問を受け入れ、時には気まぐれのように稽古をつけるようになっていた。

 少年も足柄に懐き、時々は近所の茶屋のおじさんから貰ったと団子を持ってくる。出元が気になった足柄が一度尋ねてみたが、店先の掃除などをしてもらったのだという。

 

「ほら、今日も稽古つけてあげるわよ」

 

 木刀を少年に向けて放ると、拾った少年はそれを青眼に構え、足柄へと向いた。

 

 気合声とともに、少年は打ちかかった。

 そしてしばらく打ち合うと足柄のほうから木刀を置き、声をかけた。

 

「姉ちゃん?」

 

 不思議そうな少年に、足柄は怒った調子で尋ねた。

 

「……どうしたのよ? 風邪でもひいた?」

 

 元気がない。

 足柄の知る少年は、いつでも元気だった。元気がない時は空腹なときくらいだが、今の少年はそうではない。

 

「全然身が入ってないじゃない、何かあったの?」

 

「そういうわけじゃ……」

 

「心配事?」

 

「なんでもないよ」

 

「水臭いわね」

 

 とは言っても、足柄もそれ以上は踏み込まない。

 互いの踏み込まない距離ゆえの、これまでの付き合いだとよくわかっていた。

 

「まあいいわ、稽古はまた今度にしましょう」

 

「もう、来られないかもしれない」

 

 早口に、少年は言った。

 

「俺、家を出るかもしれないんだ」

 

 これまでのやり取りで足柄は悟っていた。

 少年は決して遠縁の家で歓迎されているわけではないということを。

 

「あの家を、出たいんだ」

 

 それでも、飢えているわけではない。虐待を受けているわけでもない。

 

 人を一人、それも何年も養うとは伊達や酔狂、一時の同情だけでできるものでもない。

 鎮守府から離れて久しい足柄ゆえに、それはわかっていた。

 

 かと言って、ならば全てを受け入れ我慢せよ、ともいかぬのが人間である。

 

 少年の気持ちはわからぬでもない足柄だが、だからといって背中を押せる訳もない。

 ただ、それが周囲を巻き込む類の暴走であれば止めたいと思える程度の付き合いはある。

 

 だから、足柄は聞いたのだ。

 

「出たとして、行く当てはあるの?」

 

「行くところはあるよ」

 

 なるほど、考えなしの暴走ではないのか、と少し感心したが、

 

「だけど、金がない」

 

 その言葉には、やはりとも思った。

 

「今の家にも迷惑はかけたくないから」

 

 ふむ、と再び少年を見直す足柄。

 万が一、冗談半分にも家出のついでに盗むなどと言っていれば、問答無用で叩き伏せるところだった。

 

 それをやや見直したところで、足柄はうっかり聞いてしまったのだ。

 

「どこに行くかは知らないけど、いくらぐらいいるの?」

 

「二十万」

 

 具体的なあてがあったのか、即座に答えが返ってきた。

 

 家賃、家具、当面の入用なものを考えれば当座はそんなものなのか、と足柄は納得した。

 

「あ、ごめん。足柄さんにこんなこと言ってもどうしようもなかった」

 

 ぶしつけに金策を頼むつもりではない、少年はそういった意味で言ったのだろう。あとから考えれば、足柄も同じ意見だった。

 

 しかしその瞬間、なんとなく足柄はこう言ったのだ。

 

「なんだ、その程度でいいの」

 

 少年が、ムッとした表情で自分には大金だと答えたときには、もう足柄は止まらなかった。

 

 はした金とは言わないが、そこまでの大金ではない。

 そう言った足柄に少年は再び言い返し、さらに足柄が言い返す。

 

 そしてついには、

 

「いいわ、そのくらいなら無利子のあるとき払いで用立ててあげるわよ」

「ただし、条件付きね」

「今から一週間以内に、私を驚かせてみなさい」

「方法は問わないわ。ただし、他の人には迷惑をかけず、一人の力でね」

 

 いつから始めるのかと聞いた少年に、ただ今この瞬間からだと答える足柄。

 

 次の瞬間、冷えた茶の入った湯呑を放った少年は、いつの間にか背後に回っていた足柄に鼻の頭をひねられて悶絶していた。

 

「そのかわり、私も本気よ」

 

 その翌日、いや、その夜から少年の挑戦が始まった。

 

 時間もお構いなく少年は足柄を襲撃した。

 

 足柄にしてみれば、少年の襲撃などどうということもない。

 そもそも、姿を見せる前からこちらに向かってくることがわかるのだ。

 

 これは、艦娘としての能力云々の話ではない。

 確かに艦娘は、電探によって離れた位置の対象を察知することができる。だが、今の足柄は電探を装備していなかった。

 

 ただ、わかるのだ。

 その感覚は艦娘というよりも一廉の剣客に近いものであった。

 

 昼夜を問わぬ襲撃が十を越えたところで足柄は少年への評価を改めた。

 数度の痛い目にあえばすぐに懲りるだろう、と高をくくっていたのだ。

 

(……面白いじゃない)

 

 あるときには木の上に潜んでいた少年が飛び降りるのを待ち、地に着いた瞬間に蹴り飛ばした。

 あるときには地面に浅い穴を掘り土を被っていた少年に、気付かぬふりでバケツの水を掛けた。

 それも間を空けることなく立て続けに、である。

 

 かつて鎮守府に所属していた頃は、速吸や神威の補給だけを頼りにほぼ不眠不休の一週間を前線で過ごしたこともある。それを考えてみれば、この程度は足柄にとってどうということはなかった。

 そして明らかに、足柄はこのやり取りを楽しみ始めていた。しかしその矢先、ぴたりと襲撃が途絶えた。

 四日が過ぎたあたりである。

 

 そこでようやく周囲が静かになった、と喜ぶ足柄でもなかった。

 逆に

 

(……何かあったの?)

 

 寂しさのようなものすら感じていた。

 

 一週間が終わろうとした頃、ようやく少年は姿を見せた。

 それも堂々と正面からである。

 

 勝負をあきらめたのか、と足柄は思い、そしてそれを残念に思っている自分に内心苦笑した。

 

(ふふっ、こんな子にまできっちりと勝ちたいのかしら、私)

 

「あのさ、足柄さん」

 

「どうしたの?」

 

 もう一週間が経つと告げようとする足柄の前に、少年は一枚の書類を突きつけた。

 

「これ、見てください」

 

 なにかと尋ねながら書類を受け取り、足柄は目を向けた。

 

 それは、合格通知書であった。

 官製の提督育成校、いわゆる士官学校の合格通知書である。

 

 足柄は、通知書と少年を思わず見比べていた。

 

 提督とは、望めば誰でもなれるというものではない。それぞれに得意とする分野こそ違えど、提督としての最低限の資質は必要となる。

 だが、提督に求められる資質と艦娘に対する指揮能力は両立しているとは限らない。

 生まれつきの資質を持つ者もいれば、後天的に習得する者もいる。それは指揮能力に関しても同じであった。

 ならば資質も能力も、できる限りにおいては鍛え上げれば良い。その発想から生まれたのが育成校である。

 

 無論、合格率は決して高くない。誰憚ることなく難関と言い切れるだろう。

 その難関を、少年は見事にくぐりぬけていたのだ。

 

「どうですか」

 

 無邪気とも言える少年の言葉に、足柄は思わず頷き、言った。

 

「ええ、ビックリし……たわ……」

 

 驚いた。と足柄は自らの口で認めていた。

 自分の言った言葉の意味に思い至ったのは、口を開いた後であった。

 既に、言葉は音となり少年の耳に届いている。

 

「ビックリ、しましたね」

 

 少年は嬉しそうに破顔していた。

 

 ふむ、と息をつく足柄。この期に及んでどうのこうのと言い訳するつもりなどない。

 理由がどうであれ、驚いたには違いない。

 

「二十万、ね」

 

 少年は答えず、不安そうに足柄を見上げていた。

 足柄が知らぬ存ぜぬを通せばそれまでなのだ。あるいはそこまで行かずとも、冗談であると誤魔化すか。

 

「流石に今すぐにはいとは渡せないわ。現金の持ち合わせがないもの」

 

 誤魔化すつもりも押し切るつもりも最初から無かった。

 自らの言葉の責は自らが取る。足柄にとっては当たり前すぎる話であった。

 

「十日後くらいでいい?」

 

「本当に、いいんですか?」

 

 逆に臆しているのは少年のほうであった。

 正直に約定に従う必要など、足柄の自負自尊以外にはないのだから。

 

「言ったでしょう? 貴方にとっては大金でも、私に……ベテランの艦娘にとってはそれほどでも無いのよ」

 

 だから足柄はあえて気楽に言った。

 

「十日後にもう一度来なさいな。その時にはきちんと渡してあげるから」

 

「うん」

 

 疑うことなく帰っていく少年の後ろ姿を見送りながら足柄は考えた。

 

(……さて)

 

 約束を、違える気は毛頭無い。自らの吐いた言葉には責任がある。

 相手が誰であろうとそれは関係ない。吐いた言葉を真とするか虚とするか、それは自分自身の問題であった。

 

 しかし足柄は、困っていた。

 正直に言うと、金はない。

 そもそも艦娘の日常に、金はほぼ必要ないのだ。

 確かに艦娘と言えども、飯も食うし、酒も飲む。そこは人間と同じだ。

 ただ、その最低必要な量が違うのだ。

 鎮守府内の艦娘はよく食べるので誤解されがちだが、実はこれも、艤装を働かせるためである。

 艤装を使わずに地上で人間に交じり生きていくのならば、飲み食いはあまり必要ないのだ。

 

 飲食の楽しみは知っているので、人間と同じように飲食する艦娘は多い。だがそれは、必要不可欠なものではない。

 

 金が必要であれば、一人で海へ出て深海棲艦の駆逐や軽巡を狩ればいい。それを役所に届ければ報酬は出る。

 駆逐軽巡の一隻や二隻ほどでは雀の涙ほどの報酬ではあるが、それだけで足柄一人には充分なのだ。

 

「二十万、ね」

 

 足柄は少年のことを考えていた。

 少年の今住む家が、少年にとって心地好い場所ではないと、うすうすは感じている。

 だからといって、天涯孤独の少年に出て行く先があろうはずもない。

 どこかで住み込みで働くにしろ、身元の保証は頼まなければならない。仮に隠して働いたとして、いざ発覚すれば迷惑をかけるのは間違いない。

 であれば、育成校という進路は決して間違いではなかった。

 当座の費用さえ何とかすれば、学費そのものはほぼ無料に近い。それどころか、入寮を義務とされる代わりに生活費は免除とされる。

 少年の親戚としても、見捨てたという誹りを受けることもなく、それでいて面倒はなくなるのだ。

 両者にとって都合の良い落ち着き先ではある。

 

 それでも、手数料や当座の費用として、二十万ほどは必要となるだろう。

 つまり、少年の求める二十万とは。

 

(ますます、無視できないわよね)

 

 足柄にしても、少年を応援したい気持ちはあった。

 

「さて、稼ぎましょうか」

 

 駆逐や軽巡をこれまで以上に狩ることも考えたが、現金収入という意味では大したことはない。

 相手を選べば無傷で済むので修理を考える必要は無いが、それでも燃料と弾薬補給は必要である。

 役所で受け取る報酬はほとんどが補給物資の現物支給であるため、現金はほとんどないのだ。十日で二十万は、さすがに無理があった。

 

 ただし重巡、雷巡以上を狙って狩るのであれば、報酬は格段に上がる。しかし、それなりの深海棲艦と戦うのならばやはり鎮守府に属して艦隊を組まねば話にならぬ。

 深海重巡に後れを取るとは足柄も思ってはいないが、それも相手が一隻、せめて二隻ほどの場合だ。深海艦隊が相手であれば、足柄一人では勝ち目は薄い。

 仮に勝てたとしても、弾薬や燃料の大量消費、そして小中破した場合の鋼材や、最悪大破した場合の高速修復材の手配がどうなるか。そこまで考えれば、深海棲艦狩りによる収入は決して当てにはできぬのだ。

 

「そうね……」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 

 

 

 

 秋月は首を傾げていた。

 

 大治郎の使いで小兵衛の隠宅を訪れた帰りであった。

 

 大きな寺の横に広がる広場。広場の一角にある茶屋。その茶屋の前に見慣れぬ立て札が置かれているのだ。

 隠宅へ向かうときには見かけなかった。つまり、ついさっき立てられたものだろう。

 

「なんだろうね、これ」

 

 秋月の横に侍る長十糎砲ちゃんの“せい”も首を傾げていた。ちなみに“せん”は、鎮守府に居残りである。

 

「餓狼流?」

 

 立て札には見事な字でこう書かれていた。

 

【名のみ高く、実無き者に告ぐ】

【志ある艦娘に虚なる威光で苦役を担わせる似非提督】

【志無く暴のみにて刹那の快に現を抜かす破廉恥艦娘】

【己を恥とも思うならば、この地にて我に立ち向かうべく候】

【ただし当方勝ちたるときは、立合料三万申し受くべく候】

【餓狼流 重巡足柄】

 

 そして最後には、住所と日付が書かれている。

 住所はこの近く、日付は今日のものだ。

 

「……足柄?」

 

「知り合いかね?」

 

 茶屋の主人が声をかけてくる。見ると、主人の後ろには駆逐艦娘……白雪が心配そうな顔で立っていた。

 人間の娘と変わりのないその様子を見た秋月には、この白雪は鎮守府育ちではなく、生まれてからずっと市井で暮らしているように思えた。

 

「いえ。重巡足柄に知り合いはおりません」

 

「少し前、目を離している隙に立てていったみたいでね。うちの娘の知り合いでもないらしい」

 

 艦娘をなんの衒いもなく娘と呼ぶ主人に秋月は好感を持った。

 

「これって、試合の申し込みですよね」

 

「そうみたいだが……この辺りで暴れられなけりゃあいいんだが」

 

 この駆逐白雪では重巡足柄は止められないだろう、とも秋月は思った。

 

「あの、このことはお役人か鎮守府の方に?」

 

「言ってはみたがね、ただの悪戯かもしれんと言われては、こちらも何も出来んよ」

 

 確かに、今のところ実害はないようだ。

 

「これか」

 

 野太い無遠慮な声に振り向くと、二人連れの巨漢が立札を睨みつつ歩んできたところであった。

 踏みつけられそうになった“せい”が慌てて秋月の肩に乗った。

 

「こりゃあ、近いのか?」

 

「住所の通りなら、その寺の裏の先だ」

 

 二人は、秋月や主人たちを無視するように会話を続けていた。

 

「重巡風情が大きく出よって」

 

「まったく、大言を抜かすは水上だけでいいものを」

 

 腕に覚えがあるならば、地に上がった艦娘を必要以上に恐れる必要はない。

 秋月も大治郎や小兵衛の腕をよく知っている。それは、自らの提督やその父親であるという贔屓目ではない。

 この巨漢二人も、それなりに腕に覚えがある故の言であろう。

 

 正面から向かい合った勝負である限り、同じ錬度の剣客相手ではどうしても艦娘に分が悪い。

 なるほど確かに砲撃は脅威である。どのような剣客であろうとも、人間である限りは砲撃に当たってしまえばひとたまりもあるまい。だがそれも当たるならばという前提であり、さらに砲撃の威力自体が地上では格段に低下するのだ。

 

 海上であれば命中したしないにかかわらず、至近弾の衝撃にすら人間は耐えられまい。しかし地上に限定するならば、直撃でなければ即死には至らぬのだ。

 

 そして、剣客提督と呼ばれる者の剣は艦娘にも有効である。

 

 さらに艦娘は地上にて艤装を発現させることはできても、自由自在に取回すことができるのは水上においてのみである。艦娘に言わせれば艤装は水上で発現させたときのみ、その質量を無視できるのだと。

 

 発現させ、砲撃。その砲撃を外せば、続く二の手は艦娘にはないのだ。ゆえにこそ、それを弱点と自覚する艦娘は剣などの、近接の戦闘術を人間に学ぶ。

 ただし艦娘の頑丈と剛力は人間では及ばぬところであり、常人ではおいそれと歯が立たぬのもまた事実である。 

 

「おい、この足柄というのは本当だろうな」 

 

「そこに嘘を書く理由などあるまい」

 

「まぁよいわ。このような言説で人心を惑わすけしからん艦娘は、誅してやらねばな」

 

「それよ」

 

 巨漢は立て札に手を掛けると一気に引き抜いた。それを肩にかつぐと、再び歩き始めた。

 

「おい、親父」

 

 立て札を持たぬ方の巨漢が店の主人に声を掛けた。

 

「へ、へい」

 

「これから、俺たちを追って知り合いが来るやもしれん。先に行ったと伝えて、この住所を教えてやれ」

 

「へい」

 

「なに、事が終わった後は茶の一つも買ってやるわ」

 

 立て札をかついだ男が笑う。

 嫌な笑いだ、と秋月は思った。

 

「貴様はアレの後はいつも茶、だな」

 

 笑いを響かせながら、二人は寺を通り抜ける道に入っていった。

 

「ご主人、白雪ちゃんお借りしていいですか?」

 

 秋月の真剣な目に、主人は頷いた。

 

「ご迷惑はおかけしません」

 

 秋月は“せん”を白雪のほうへと押した。

 

「白雪さん、貴方も艦娘ならば、艤装生物は扱えますね」

 

 島風、天津風、そして秋月三姉妹、秋津洲。艤装生物を指揮して戦える艦娘はこれだけだが、ただ側に居る、意思を交わすだけならば他の艦娘でも不可能ではない。

 

「その子と一緒に秋山鎮守府へ行って、司令にこのことを伝えてください」

 

 小兵衛、あるいは牛堀鎮守府という選択もあるが、秋月にとってはやはり大治郎であった。

 

 白雪が主人に目をやると主人は再び頷いた。秋月に向き直った白雪は、真剣な顔で言った。

 

「わかりました。必ず、お伝えします」

 

 そこにいたのは茶屋の娘ではなかった。紛れもない駆逐艦娘白雪であった。

 

 秋月は礼を言うと巨漢の後を追った。行く先はわかっているため、気取られるほど近寄る必要もない。代わりに、後から来るという巨漢の仲間のほうに注意をはらっていたが、それよりも巨漢二人が足柄に出会うほうが早かった。

 

「貴様か、この立札は」

 

「あら、抜いちゃったの? また立て直さなきゃいけないじゃない」

 

 腰に手を当て、ま、いいか、と足柄は肩をすくめた。

 

「それで、抜いてきたってことはそれを読んだってことよね」

 

「いかにも」

 

「三万円は?」

 

「あるともよ」

 

 待て、ともう一人の男が言った。

 

「貴様が負けたらどうする」

 

「好きになさいな」

 

 ほう、と二人は笑う。

 先ほども見た、秋月の嫌な笑いであった。

 

「二言はないな」

 

「早くしなさいよ。あ、先に三万円、そこに置いて」

 

 男は嘲るように鼻を鳴らすと、懐から出した紙幣を、示された駕籠の中に入れた。

 

「確かに三万円ね。始めるのはいつでも良いわよ」

 

「武器は」

 

 刀を抜いた男は、足柄に問うた。

 

「無用ね」

 

 男の形相が変わり、最上段に構えられた刀をそのままに、前へ、足柄へと動く。

 男の動きは決して遅くはなかった。比べるならば、剣客提督を名乗る大多数の者よりも速かっただろう。

 

 足柄へと詰める男は足柄の艤装発現を見逃さぬよう、視線を逸らすことなく動いた。

 艤装発現の瞬間を確認し、その砲撃の軸線を外せば、足柄の二撃目より早く太刀は振り下ろされる。ゆえにそれは男にとっての勝ち筋であり、当然の運び方でもあった。

 艤装発現にしろなにかしらの得物を取るにしろ、そこには一呼吸の間が生まれるはずであり、男の速断もそれを考えたものであった。

 

 しかし足柄は艤装を発現するそぶりも見せず、徒手空拳のままに動いた。

 当然、間などは生まれず、そしてさらに足柄は加速したのである。

 

 近すぎる間合いに男が狼狽するよりも早く、足柄の左掌底が男の顎をかちあげていた。

 そのまま蹴倒し、倒れた男に向けた右腕に主砲を発現させる。

 

 そのすべてが、秋月の到着から声をかける間とてない暫時の出来事であった。

 

「撃っていいのかしら?」

 

 僅かの逡巡も赦さず畳みかける足柄の言葉に呼応したのはもう一人の男であり、次いで秋月だった。

 

 発現した艤装はいくつかの例外……木曾や天龍、伊勢型の持つ太刀などを除けば、水上の加護がない限り自在に振り回すことなどできない。

 そのまま砲撃を放つか、あるいは一旦虚空に戻すか。

 

 放てば、その隙に二人目の男が斬りかかる。戻せば、二人目との対峙に再発現は間に合わない。

 故に、秋月は動いた。

 一対一で足柄が敗れるのは自業自得であり、助けるいわれなどない。しかし、二人目の男に対するのならば充分な理由はあるだろう。

 そう秋月は自分に言い聞かせていた。

 

 次の瞬間、秋月は信じられぬものを見た。

 空いていた足柄の左腕が、無造作に上げられたのだ。そして、そこには艤装の発現が。

 

 二人目の男へと放たれる砲撃は狙い誤ることなく男の右肩を撃った。

 背後へと飛んだ男は一度だけ地面を弾み、動かない。

 

 その間、足柄の視線は、最初の男から一瞬たりとも外れることはなかった。

 

「安心して、対人用の弱装弾だから。死ぬほど痛いと思うけれど、死にはしないわ」

 

 艤装を消した足柄の拳が、男の鳩尾に突き入った。

 

「てめえ、何してやがるっ!」

 

 一連の手練に見とれていた秋月の反応がここで遅れた。

 いつの間にか数人の破落戸が姿を現していたのだ。巨漢二人が話していた知りあいとやらだろう。

 

「あら、貴方たちも三万円? やだ、千客万来じゃない。やってみるものね」

 

 ひい、ふう、みい、と指差して数えながら、足柄は嬉しそうに笑った。

 

 倒れたまま動かない二人に気づいた破落戸達が殺気立ち刀を抜くが、足柄はどこ吹く風と皮算用を続ける。と、その動きが止まり、瞳がやや細められた。

 

「……ふーん、少しは面白そうなのもいるじゃない」

 

「大事ないか、秋月」

 

 破落戸どもから少し離れた後ろから声をかけるのは、秋山大治郎であった。並ぶように立っているのは鞘に入れた刀を持った長門だ。

 その長門は足柄を見つけると、納得したかのようにうなずいた。

 

「なるほど、重巡足柄だ」

 

「大治郎さま、秋月は大丈夫です」

 

 足柄の視線はすでに破落戸を外れ、大治郎に向けられていた。

 

「艦娘一人が無体な男どもに包まれていると聞き駆けつけましたが……」

 

 一方、大治郎の眼は、倒れた男二人に向けられていた。

 

「差し出がましい真似だったようですね」

 

 破落戸どもは自分たちが前後を閉じられた状態であることに気づいているのかいないのか、新たに現れた大治郎たちに向けてもむやみやたらと刀を抜いていた。

 

 それを見て取った大治郎は、刀を抜きかけた長門を身振りで制し、こちらは刀を抜かずに前へと出た。

 

「私の名は秋山大治郎、その先にある鎮守府の提督です。艦娘に関する騒ぎであれば、ここはいったん収めてはいただけませぬか」

 

 怒声と共に、一人が突然斬りかかった。

 大治郎は抜き合わせることすらなく身を避けると、背後へと周り首筋に手刀を打った。男はあっさりと昏倒してしまう。

 

「事を荒立てるつもりはないのだ。ここは退いてくれ」

 

「無理ではないかな、大治郎殿」

 

 長門が大治郎の隣に並ぶ。ちょうど、二人の後ろに秋月がいる恰好となった。

 

「私も……っ」

 

 前に出ようとした秋月を大治郎は止めた。

 

「秋月は下がっていなさい」

 

「秋月も司令をお守りします」

 

「それは対空戦闘と水上戦闘での話だ。地上での斬り合いならば、多少私のほうに利がある」

 

 大治郎の言い終わらぬうちに、男たちが動いた。

 秋月が何を言う間もなく、男たちはいっそ小気味いいほどに次々と殴り倒されていく。長門も大治郎も刀を抜きもしないというのに、だ。

 

 倒れた男たちを、適当な縄で縛り転がす長門。このあたりは、さすがの戦艦娘の剛力であった。

 

「どうするのよ?」

 

 手を出すわけでもなく眺めていた足柄の問いに大治郎は答えた。

 

「急を知らせてくれた白雪殿に、番所へ使いに走ってもらっています。そろそろ駆けつけて来るでしょう」

 

「そうじゃなくて、いえ、それはそれでいいけれど」

 

「何か?」

 

 足柄は大きく息を吐くと腕組みをして大治郎を見据えた。

 

「千客万来だと思っていたのだけれど?」

 

 縛られ倒れている男たちを、足柄は数えるように指差すと、最後に再び腕を組んだ。

 

「流石に全員とは言わないけれど、もう一人くらいからは立合料取れたと思うのよ」

 

 合計六万円だ、と続ける。

 

「負ければ受け取れぬと聞いたが……勝つこと自体は当然か」

 

 長門の問いに足柄は自然に頷いた。何も不思議なことはない、と言うように。

 

「そこで、代わりに貴方どう? 貴方なら、私も少しは楽しめそうなのだけど」

 

「ほう?」

 

 言葉を向けられた大治郎は何も言わず、長門が低い声で応じた。

 

 長門は元々、秋山小兵衛に一手の指南を望んでいる。いや、一手で済むわけもなく、あわよくばその先を望んでいる。

 そのために小兵衛の隠宅にも通い詰め、辟易されていたものだ。

 そこで小兵衛は長門に、大治郎に勝てるのならば弟子入りすら認めよう、と約束した。

 長門は納得した。それはいい。長門も大治郎を低く見ていたわけではない。秋山大治郎は秋山小兵衛の一人息子である。それなりの剣客であることは予想していた。

 

 今のところ、長門は大治郎からは一本たりとも取れていない。

 

「約束は守りや?」と龍驤には釘を刺されている。結果、長門は大治郎の鎮守府に入り浸りの状態となっていた。

 大治郎としても、小規模鎮守府故の暇を持て余していないこともない。そして小兵衛と違い、欠片たりとも剣に倦んでなどいない。

 長門の熱意は歓迎するところであった。

 

 今日も長門は鎮守を訪れ、大治郎に挑んでいた。そこへやってきたのが白雪であり、使いに出されていた秋月からの伝言だった。

 

 話を聞いて駆けつけようとした長門を抑え、大治郎はまず白雪に言った。

 

「済まぬが、もう一軒、走ってもらえるだろうか」

 

 白雪は一も二もなく応じ、大治郎の書いた文を持つと、すぐに走り出していった。鎮守府所属の現役ではないとはいえ艦娘である。その程度はどうということはないだろう。

 

「では長門殿、行きましょう。“せい”、“せん”、留守を頼む」

 

 かちゃかちゃと動きながら敬礼を返す長十糎砲ちゃんたち。

 

「大治郎殿、白雪をどこへ?」

 

「あきつ丸殿の所へ、事情を書いた文を持たせました。あきつ丸殿なら、上手く計らってくれるでしょう」

 

「それは上策かと」

 

 そして駆けつけたところが破落戸は二人とも倒れ、足柄は涼しい顔で立っている。

 

 そのこと自体は長門も予想していた。

 重巡艦娘の中でも足柄の属する妙高型はとびきり厄介だと言われることが決して少なくないのは、艦娘として性悪という意味ではない。

 勝ちに対する貪欲さにおいて、妙高型は頭一つ飛びぬけている者が多い。妙高型の中でも最も温和であるとされる羽黒でさえ、演習相手に姿を見ると運が悪いと言われてしまうのだ。

 逆に最も貪欲だといわれるのが足柄であり、その足柄が伊達や酔狂、ましてや冗談などで金を賭けた勝負を挑むなどありえない。

 己が勝つと心から信じて、勝算もあっての行動なのだ。

 それだけならば、流石は足柄よ、と長門も感嘆しただろう。

 

 問題は今、この瞬間、足柄が大治郎を見切ったことであった。

 足柄は大治郎との勝負を少しは楽しめると言った。言い換えるならば、大治郎には勝てるということだ。少なくとも、勝つ可能性は高いと足柄は宣言しているのだ。

 そしてそれは、足柄は当然長門にも勝てるということになる。

 

「大治郎殿、受けては如何か」

 

 この重巡の化けの皮をはがして鼻柱を折ってやってほしい、と言外に長門は訴えていた。

 

 大治郎とて、一剣士としての興味はある。遠目ではあるが、最初の男との勝負は見えていた。足柄の動きが、艦娘としての常識からかけ離れていることも見えていた。

 

 だが……

 

「手持ちがない故、お相手はできません」

 

 大治郎、あっさりと悪びれることもなくこう言った。

 秋月も頷いている。

 

「取りに戻るくらいなら待つけれど」

 

「戻ったところで、無いものはありません」

 

 大治郎が秋月に確認し、秋月も少し頭をひねった後に、

 

「……はい、ありません。どうしてもと仰るなら、小兵衛さまにお借りするしか」

 

「人に金子を借りてまで立ち合おうとは思いません」

 

 足柄に対して、大治郎は誠に素直に頭を下げていた。

 呆気にとられる足柄。

 大治郎の姿には寸分たりとも恥じ入る様子はない。無いものを無いと言う素直さだけがあった。

 

「……えっと……駆逐秋月よね? 貴方が秘書艦?」

 

「はい」

 

「いい提督ね」

 

「はい!」

 

 長門はたまらず、前へ出た。

 

「私が出そう」

「これは私の我儘だ。大治郎殿の腕が見たいという、私の我儘だ」

「大治郎殿、受けてはいただけませぬか」

 

 現在は正式な所属でないとはいえ、押しも押されぬ大鎮守府の田沼長門である。金に困ることはない。

 この程度の立合料ならば、どうということはなかった。

 それは、大治郎にもわかっている。

 

「返すには時間がかかるが、よろしいのですか?」

 

「なに、勝てば良いのです」

 

「気楽に言ってくださる」

 

「信じております故」

 

 口にしてから、長門は慌てたように付け加えた。

 

「貴方のお父上を」

 

 にこり、と大治郎は笑った。

 

「父上ならば、私も信じております」

 

 足柄の差し出した駕籠に長門は札を入れた。

 受け取った足柄は、いつの間にか一振りの長刀を携えていた。

 

「よろしいか?」

 

 抜刀し、大治郎はゆっくりと構える。

 

「ええ」

 

 駕籠を古家の縁側に置いた足柄が、少し離れた位置に斜に構える。こちらは片手だ。

 離れたとは言え、どちらが動いても即座に間合いに入ることのできる距離であった。

 

 艦娘の剣は片手の構えが多い。対人において、鍔迫り合いに持ち込めば艦娘の勝利は堅い。

 艦娘の腕力さえあれば、並の剣客となら片手で鍔迫り合いが出来る。膠着すれば、残った腕に艤装を召喚すればそこで勝負は決まるのだ。

 逆に人間の剣客は、動きを止めないことを第一として戦わなければならない。足を止めれば砲撃を受ける。逆に言えば、足を止めない限り砲撃は怖くない。

 発現した艤装を、艦娘といえど地上にいる限りは自在には動かせない。出した場で砲撃をするということは、発現させた瞬間に標的は既に決まっているということだ。

 剣客は、発現を見てから避けることも出来る。ゆえに、足止めさえされなければ砲撃は怖くない。

 

 艦娘、あるは深海棲艦と戦うのならば、まずは砲撃を外す。それが基本であった。

 だからこそ、自らが戦場に立つ可能性のある提督は、身近に対空戦闘の出来る艦娘を置く。砲撃は避けられても、艦載機の攻撃は避けきれないからだ。

 

「では」

 

 無造作にも見えるほど自然に足柄が動いた。剣を振るうと言うより、歩みに合わせるように揺れる剣。

 大治郎は動かない。ただ、刀を握る拳に力が込められる。 

 

 長門はその動きを逃すところなく凝視していた。今の時点で自分が大治郎に及ばないことはわかっている。その大治郎が足柄に勝てぬならば、自分が勝てる道理はない。

 しかし、大治郎を簡単に負かすほどの腕が果たして足柄にあるのか。

 艦娘としての足柄ならば知っている。平常の足柄ならば知っている。はたして、その足柄は今目の前に居る足柄とは繋がらない。

 

 足柄の伸ばす刀が大治郎の刀に触れる。あえて避けず、大治郎は下りてきた剣筋に逆らわず、流そうとする。

 切先が方向を変え、流しきれぬ力となって大治郎を圧迫する。

 力に対抗すれば動きは止まる。逆らわず、さらに大治郎は刀を引き、後ろへと動き、足柄の剣筋を逸らす。

 対して、足柄の切先がさらに変化した。

 

 無理にでも鍔迫り合いの形を作ろうとしている、と大治郎は一瞬考え、即座にそれを捨てた。

 重巡足柄。小器用ではあるが事実上の力押し、その程度しか出来ぬ相手であろうか。

 否。大治郎の剣客としての勘がそれを否定していた。

 

 と、足柄が離れる。

 戸惑いつつ、大治郎は構えを崩すことなく留まった。

 追えば届く距離に足柄も留まる。

 追わない大治郎に我が意得たりと笑う足柄が刀を放った。大治郎とは逆、自身の背後に向けてである。

 

 虚を突かれた大治郎の前に足柄の両手が突き出され、拳が組まれた。艤装発現の揺らめきが上がった。

 

 稀な例外もあるとはいえ、艦娘の艤装は基本的に片腕用である。これは発現した艤装に隠した自由の手による殴打か。

 決して低くはない剣技を囮としての本命の砲撃、に見せかけた拳撃。二重構えの、勝ちにこだわる妙高型にふさわしいしぶとさ、と大治郎は感じた。

 

 右手か、左手か。囮の艤装と本命の拳撃。

 大治郎は咄嗟に左に飛んだ。本命を避けたのではない。本命に向けて飛んだ。

 いかな艦娘の拳撃といえど、一刀をもって迎え撃てぬ道理はないと、向かう拳を斬りあげんがために下段の構えを組み立てた。

 

 瞬間、秋月と長門は大治郎の勝利を確信した。発現された艤装は容易には筒先を変えられず、その先にすでに大治郎はいない。

 足柄のふるう腕が左右のどちらであろうと、大治郎の袈裟上げがそれを迎え撃つ。

 艤装を発現するならば、手を止める必要がある。その隙に大治郎がさらに間合いを詰め、胴をはらう。

 

 足利は拳を振るった。ならば艤装発現はない。はずだった。

 大治郎は見た。

 己の目前に突き付けられた筒先を。

 

 大治郎の動きが止まる。

 

「……まいりました」

 

「馬鹿な! 水上の加護なしで、動きながらの発現など」

 

 長門は声を上げていた。

 仮に可能だとしても、片腕一本で自在にできるような技ではない。

 

「良かったわ、物わかりのいい人で」

 

 足柄は長門を無視していた。

 

「すまぬ、長門殿」

 

 大治郎の声にも焦燥があった。

 提督としても信じられぬものを見たのだ。

 

「じゃあ、この三万円は遠慮なく」

 

 足柄が駕籠から札を拾うと、がやがやと声が聞こえてくる。

 

「秋山大治郎殿はこちらでありますか?」

 

 取締方の役人を案内してきたあきつ丸であった。

 

「大治郎殿か、久しぶりだな」

 

 そこには、かつて小兵衛の鎮守府に所属していた、今では艦賊改方として働いている那智の姿もある。

 那智とあきつ丸は大治郎たちの奇妙な様子に首をかしげつつも、破落戸どもを捕らえるのだった。

 

 その翌日の夜、小兵衛の隠宅に大治郎、長門、秋月の姿があった。

 

「あきつ丸から聞いたぞ」

 

 あきつ丸が届けたという魚で味噌仕立ての鍋を振舞った後、小兵衛はそう切り出したものだ。

 

「相当に負けたそうじゃな」

 

「面目次第もありません」

 

「よいわ。今のうちは負けるもいい薬よ」

 

 じゃが、と続けてふふふと笑う小兵衛。

 

「そうもあっさりとお前を下すものが、まだこの近くに隠れ住んでおったとはなあ」

 

「餓狼流、重巡足柄だと」

 

「ふん、餓狼は足柄の好む号よ、そんな流派はもとよりないわ」

 

「では?」

 

「秋月や、お前さんの見たままに話してくれんか」

 

「私ですか?」

 

「秋山先生、それならば私が」

 

 ずいと前に出る長門に、小兵衛は言い聞かせるように答えた。

 

「空行く艦載機を見張る、防空駆逐の目に聞いておるんじゃよ」

 

 秋月の話を黙って聞いていた小兵衛は、すべてを聞き終えると一つ大きく頷いた。

 

「なるほど、その足柄、なかなかに面白そうなやつじゃな」

 

「父上、片腕での自在の発現など本当に可能なのでしょうか」

 

「現に見たお前はどう思う」

 

「可能不可能は今さらですが、一つわからないことが」

 

「それは?」

 

「自在な発現が可能ならば、何故最初に刀を抜いたのか」

 

「大治郎、確認するが、自在な発現というのは、お前の鼻先に艤装があったことを言うのかね?」

 

「はい」

 

 小兵衛は肩をすくめた。

 

「呆れたことよ」

 

「父上、それは一体」

 

 手を上げ、大治郎の言葉を遮る小兵衛。

 

「長門殿には同じことはできますかのう? 例えば、わしの鼻先に発現するなど」

 

「無理です」

 

 言下に答える長門。

 

「ならば、確かめようか」

 

 鍋の始末のために台所へ入っていた龍驤に、小兵衛は小さな台を持ってこさせると自分の前に置いた。

 

「まず、艤装の様子を見たい。長門殿、ここに主砲を」

 

「はい」

 

 長門は台の上に意識を向け、艤装を発現させる。

 

「できたかな」

 

「当然です」

 

 長門はやや憮然としていた。

 離れた位置への発現ができなければ、艤装の整備、改修もできない。

 

「では手を伸ばして艤装に触れてみなさい」

 

「はい」

 

 当然のように艤装に触れる。

 

「砲撃できるかね?」

 

「はい」

 

 大治郎が唸った。

 

「父上、これが、足柄の」

 

「うむ」

 

「どういうことです?」

 

 長門と秋月の当惑顔に、大治郎はやや早口になって説明を始めた。

 

「足柄は発現させながら動いたのではない。あらかじめ空中に発現させ、そこに身体を運んでいた」

 

「最初の鍔迫り合いは、己の体捌きを確認するためよ」

 

 小兵衛の注釈に、今度は長門が唸った。

 

「なんという……」

 

「達人。野に遺賢なしなどとは、とても言えぬわ」

 

「小兵衛さま」

 

 唸り、次いで絶句した大治郎と長門に代わるように秋月が尋ねた。

 

「どのようにして勝ちますか」

 

 ふむ、と首をかしげる小兵衛。そこへ、龍驤が茶を運んできた。

 一口飲んだ小兵衛は、ふと思いついたように龍驤に尋ねた。

 

「そうだ、龍驤や。豆はあるか?」

 

「なんやろ?」

 

「茶請けに、豆を炒ってくれ」

 

 ふふっと龍驤は笑った。

 

「そんなところや思て、さっきの間に炒っといたで」

 

「ほう」

 

「さすがやろ、褒めて褒めて」

 

「おうおう、さすがじゃな」

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 

 

 

 

 様子を見に来た少年の置いていった団子を食べながら、足柄は考えた。

 

 秋山大治郎を最後に、誰も訪れては来ない。

 立合料の合計は二十万にはまだ足りなかった。

 少年には約束の期限、明日まで待てとは言ってあるが、今のところ当てはない。

 

 最悪、我が身をどこかの鎮守府に売るという手が残っていた。

 要は、如何様にも使われることを覚悟の上、何処かの鎮守府に金子と引換に所属するのだ。

 腕は確かだと自負しているが、身元保証の類は一切無い。戦の真っ最中ならまだしも、今の世の中でこんな自分を雇うところなど碌な鎮守府ではあるまい。

 昨日やってきた秋山提督はまだしもまともな提督に見えたが、三万円の手持ちも別鎮守府の者だろう長門に借りていた体たらくである。即座に二十万を用立てることなどできまい。

 

 しかし……

 食べ終わった団子の串を見つめ、足柄は思い出す。

 この団子の出所は白雪のいる茶屋だろうと当てられた、少年の驚き具合。

 

 提督となり、白雪を引き取って秘書艦とする。それも少年らしい思いだと想像した足柄は一人笑った。

 白雪自身の気持ちはわからないが、艦娘として立ちたいのならば悪い話ではないだろう。足柄の見る限り、少年にはそれなりの素質がありそうだ。

 

 若い提督と若い秘書艦。いいじゃない、と足柄は誰に言うともなく呟いた。

 

 ならば二十万は必要なのだ、二人のために。

 

「餓狼流、重巡足柄はいらっしゃるか」

 

 遠い声がした。

 気配を掴むか掴めないかの絶妙の距離からの呼びかけに、足柄は震えた。

 

 来た。

 

 そう叫びたくなるような感覚だった。

 

 刀を掴み、表へ出る。古家の崩れた門前で待っていたのは昨日の秋山と艦娘三人、そして一人の老剣客だった。

 

「秋山小兵衛という。立合を申し込みたい」

 

「悪いけど、条件が変わったの」

 

「それは?」

 

「立合料、十万」

 

「ふむ……龍驤、出しなさい」

 

 龍驤が十枚の札を足柄にも見えるように広げ、駕籠へといれた。

 

「これで、よろしいかな?」

 

「ええ」

 

「では」

 

 小兵衛がゆったりとした仕草で一歩前に出た。

 

「得物は?」

 

「これで結構」

 

 腰に差した脇差の柄を、小兵衛はつついた。

 

「ならば」

 足柄は刀を投げ、走った。今度は後方ではない。明確に小兵衛を狙い、投擲したのだ。

 真っ直ぐの軌跡を小兵衛は脇差で薙ぎ、はじく。

 自ら放った刀身を追うように突き進む足柄は、その面前に両の拳を突きあげると、艤装を発現させた。

 発現させるのは左腕の主砲塔。脇差ではじいた方角を見れば、小兵衛が主砲塔から身を避ける方向が自分には読める。

 はたして、小兵衛のかわした方向は足柄の予想通りであった。

 

 刹那、何かが見えた。しかし足柄の動作に逡巡はない。

 

 あらかじめ中空に発現させていた艤装へと右手を伸ばす。

 筒先には小兵衛の顔。

 足柄が勝利を確信したその時、

 

〝右腕砲塔に異常発生、破裂の危険〟

 

 艤装からの緊急信号が足柄の脳裏に響いた。

 

 見えていた。足柄には見えていたのだ。

 発現より一瞬早く、小兵衛が懐から投じた何かが。

 

 足柄は知らず、それは小兵衛が昨夜龍驤に炒らせた豆であった。

 

 発現より一瞬早くあった豆を呑み込んだ主砲は、その筒中の空間に豆という異物をとりこんだのだ。 

 

 刀をはじいて振り上げられていた小兵衛の脇差は寸時に持ち替えられ、逆手に握られた切っ先が足柄の首へと奔る。

 かわそうともせず足柄は左腕の主砲を消すと、その腕を自らの背に巻き付けるように逸らした。

 

 時が止まったかに見えた。

 二人はそのまま動かない。

 艤装と脇差を突き付けあったまま、二人は動かなかった。

 

「うふ、ふふふ……」

 

「あは、ははは……」

 

 どちらからともなく笑い出した二人は、ゆっくりと身体を離すと、足柄は艤装を消し、小兵衛は脇差を鞘に収めた。

 

「相討ちですな。いや、餓狼に偽りなし、お見事」

 

「そうね、相討ち……もう一度、名前を聞いてもいいかしら」

 

「秋山小兵衛」

 

「覚えておくわ」

 

 にやり、と小兵衛は笑った。

 

「すまんが、二度とはやれぬよ」

 

「あら、残念……それじゃあ十万円、持って行っちゃってね」

 

「いや、それは足柄殿にお渡ししよう」

 

「え、いいの?」

 

「ご遠慮なく。それほどの腕、何か訳ありじゃろう」

 

「感謝します」

 

 駕籠から出した十万を胸元へ抱くようにしながら、足柄は一礼した。

 

「あの……」

 

 無言で立合を観戦していた大治郎たちが、そこでようやく動き出した。

 秋月が先頭に立ち、小兵衛へと歩く。

 

「今のは、小兵衛様の勝ちでは?」

 

 足柄の撃たなかった主砲と、小兵衛が突きつけた脇差。秋月から見えたのはそれだけである。

 

「いや、秋月」

 

 大治郎と長門には辛うじて見えていた。

 

 小兵衛が身を避けた先に発現する艤装。それに先駆けて小兵衛が懐より放った豆。

 その豆が主砲の筒中の空隙にはまるように、小兵衛は位置を見切って放ったのだ。

 豆の位置がずれていれば、発現そのものが干渉され中断される。そうなれば、右腕の空いた足柄は別の行動を取ることが出来ていたかも知れない。

 しかし発現は成功させ、砲撃だけを妨害した。そのために放る豆の位置に、どれほど細かい見切りが必要なのか。

 我が父ながら、大治郎は恐れつつ感嘆していた。

 

 そして足柄である。

 艤装の異変を知った足柄は、その時点で自分が一手遅れると悟った。小兵衛ほどの相手に一手遅れればそれは致命である。現に、脇差が自分の首を狙っていた。

 足柄は小兵衛の狙いを悟った瞬間、右腕を捨てた。艤装を消した左腕を身体の背後に回し、庇う。

 主砲を暴発させ、その威力で小兵衛との距離を取る道を選んだ。

 勿論、それで自分が無事であるとは考えていない。

 だが、もし無事ならば、否、左腕を振る余力さえ残っていれば、再び艤装を発現させて、小兵衛を撃つことが出来る。

 

 故に、相討ちである。

 実戦ならば、足柄は暴発させていただろう。暴発が早いか脇差が早いか。

 暴発させたとしても、足柄は無事でいられるのか、あるいは小兵衛が一瞬早く逃れるか。

 それは、わからない。

 

 ただ一つ言えるのは、

 

「父上も無茶をなさる」

 

 大治郎の言葉と、それに頷く長門。二人の表情は等しく青ざめていた。

 そして、二人の言葉でようやく状況を悟った秋月も。

 

「流石小兵衛はん。せやけど、餓狼も伊達ちゃうなぁ」

 

 平気でいるのは龍驤ただ一人であった。

 

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 

 

 

 

 足柄が小兵衛の隠宅を訪れたのはその三日後のことであった。

 

「おお、足柄殿」

 

 嬉しげに手を上げる小兵衛に、足柄はあれからのことを語った。

 

 少年が、足柄から受け取った金で育成校に入学すること。

 

「ほお、そのための二十万でしたか」

 

「それが……」

 

 足柄は素直に語る。

 茶屋の白雪を秘書艦とするのかと少年に聞いて見たところ、おかしな顔をされた。

 

「まったく、そのような考えはなかったと」

 

 そして少年は言ったのだ。

 

「……足柄さん! 俺、絶対提督になるから、提督になって鎮守府立てるから! その時は……俺の、秘書艦になってください!」

 

「んにゃあ!?」

 

 予想外の申し入れに、足柄もおかしな返事をしたという。

 

「約束しなすったか」

 

 小兵衛の言葉に、足柄は頷いた。

 

「ええ。あの子が戻ってきたら、秘書艦としてびしびし鍛えてあげるわ」

 

「ふふ……それは、楽しみじゃな」

 

「それで、実はお願いが」

 

「ほう」

 

「私も怠けてはいられないわ。あの子に恥ずかしくない艦娘として、きちんとした鎮守府で腕を磨いておきたいの」

 

「ならば……」

 

 そして翌日、大治郎の鎮守府を二人は訪れることになる。

 

 

 

 

 

 

「戦場が、勝利が、あの子が私を呼んでいるわ!」

 

 大治郎の鎮守府に、臨時雇いとして重巡足柄が所属することとなったのであった。

 

 

 

 

 

 





 次回は、早めに……できたら……いいなと……



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提督毒殺

なんとか第六話です


剣客商売一巻「御老中毒殺」が元ネタです



どうぞ、ご笑覧ください


 

 

 まるゆは、あきつ丸の手足となって働いている。

 同じ陸軍由来の艦歴を持つ者同士として、この組み合わせは珍しいものではない。多いといってもいいだろう。

 あきつ丸は町の治安に一役買っていて、住人からの信頼も篤い。なにかしらの相談を受けている姿も、まるゆはよく見かけていた。

 

 まるゆはそんなあきつ丸を尊敬していた。大戦が小康状態となり、行き場を失って転落しかけたまるゆを救ったのもあきつ丸であり、それ以来、まるゆはあきつ丸のため働くと心に決めている。

 

 あきつ丸が心服している秋山小兵衛には、まるゆも一目置いていた。

 小兵衛自身のことをまるゆはほとんど知らぬ。知らぬが、あきつ丸が心より信頼し、また頼みにもする元提督である。その一点だけでまるゆが信ずるには足るのだ。

 

 そのまるゆは今、賭場に足を踏み入れていた。

 

 初めてのことではない。表に流れぬ情報を得るためには非常に都合が良く、また、まるゆにとっては良い小遣い稼ぎにもなる場所なのだ。

 

 そこでまるゆは知り合いの顔を見つけた。

 重巡那智。かつてはあきつ丸と同じく小兵衛に師事していたが、現在は悪に手を染めたはぐれ艦娘を狩る専門職、艦賊改方の一員であった。

 その那智もこちらに気づいたようだが、何も言わずにそっぽを向いている。

 

 なるほど、とまるゆは納得した。

 

 ここはもぐりの賭場である。

 そこにあきつ丸配下の自分と艦賊改方の那智が行きあった。となれば挨拶の一つも、と考えるほうが阿呆である。

 

「まるゆもお願いします」

 

 那智を無視して馴染みの締役に札を渡すと、代わりの木札が渡される。

 

「まるさん、久しぶりだねえ」

 

「カツカツでしたよぉ」

 

「ははっ、それじゃあこれはちょいとおまけだ」

 

 木札が数枚増えた。

 

「ありがとうございまーす」

 

 素知らぬ顔をして場に参加すると、那智がかすかに目くばせしたように見えた。

 

 困った、とまるゆは思う。

 

 捕物に巻き込まれるのは正直勘弁してほしいが、だからといってこの場から突然消えれば、それはそれで今後がやりにくい。

 うまく逃げ延びた者に「そう言えば直前に逃げたまるゆがいたような」と言われては困るのだ。

 

 まるゆは腹をくくった。一緒に捕らえられても、那智が相手ならうまく運んでくれるだろう。

 こう見えても、いざというときの度胸は戦艦並みだと大戦中から言われてきたのだ。

 

 勝負が進むとやや場が荒れ始め、まるゆの札も増え始める。

 

(これは、感謝ですぅ)

 

 どうも、那智がまるゆの知らない誰かと組んでわざと場を荒らしている気配があった。それもまるゆが勝ちやすい方向に。

 ならば、である。

 まるゆはさらに大きく賭け、場を乱すことにした。勿論ついでに自分が勝つことも忘れない。

 

(那智さんの所には、占守ちゃんもいましたね。あとで奢ってあげましょう)

 

 まるゆ、ほくほく顔である。

 

 少し負けて、次に大きく勝つ。それを三度ほど続けたところで誰かに手を掴まれた。

 

「艦娘さん、こっちにもツキぃ回しちゃくれませんかい?」

 

「まあ、確かに、まるゆを食べれば運が良くなるなんて与太話もありますけれど……」

 

「なんだあ? いいからちょいと回してくれりゃあいいんだよ」

 

 要は、儲けた分を吐きだせ、ということだ。

 予想していたとはいえ、それでもまるゆは小さくため息をついた。

 

 そしてまるゆは納得した。艦賊改方の那智がいるのはやはりこういうことかと。

 

 艦娘はいかに地上では艤装の加護を受けられないとはいえ、提督でもない常人が簡単にどうこうできる相手ではない。

 それを平気で絡んでくるのだ、堂々と。

 

 つまり、艦賊……無法に手を染めた艦娘が後ろにいるのだろう。

 まるゆは艦娘ではあるが、戦闘よりも輸送に特化しているタイプだ。軽巡以上の艦賊に出てこられると勝ち目は薄い。いや、駆逐相手でも本音を言えば御免被りたい。

 剣客秋山小兵衛のもとで剣を習ったあきつ丸とは違うのだ。

 

 また、那智と目があった。しかも、期待のまなざしだ。

 

 占守に奢るのはやめようと思いつつ、まるゆは男の伸ばしてきた手を掴み、ひねりあげた。

 大げさに悲鳴を上げる男を強引に振り向かせ、博打場の真中へ突き飛ばした。

 

「輸送潜水艦だからってなめないでください、まるゆだって艦娘です」

 

「てめえ、つけあがりやがって!」

 

 男を無視してちらりと那智を見れば、見覚えのある軽巡の姿もある。

 準備は万端ということか。

 

 そこからは素早かった。

 

 男に応じて出てきた艦娘を取り押さえる名目で那智が出張り、瞬時に艦賊を捕縛したのだ。

 

「すまんな、まるゆ」

 

 しばらくして後、とある居酒屋にまるゆたちの姿があった。

 

 軍鶏鍋五鉄という。

 

 元鎮守府所属の艦娘北上と大井が営むこの店の名は、二人に言わせれば球磨型五姉妹由来だというが、店を切り盛りしているのは二人だけであった。

 そしてこの店は艦賊改方の馴染みの店であり、まるゆのいるのも店の奥、那智とともにいる姿を誰にも見られぬ位置でもあった。

 公に町の治安を預かるあきつ丸ならばまだしも、政府直属の艦賊改方とともにいる姿などをおおっぴらにしていては、まるゆの立場も苦しいのである。

 

「まあ、いいですけど」

 

 言いながらも、まるゆは軍鶏鍋で痛飲していた。ここの払いくらいは那智に任せてもいいはずだと決め込んでいた。それくらいは貢献しただろう、と。

 

「ついでと言ってはなんだが、一つ聞いてくれ」

 

「聞くだけですよ」

 

「今日捕まえた男は元々、ある旗提督の鎮守府で資材管理をしていてな」

 

 鎮守府には大治郎や昔の小兵衛のように私設で立ち上げるものと、政府の後ろ盾で立ち上げる公設の二つがある。

 今でこそ私設の鎮守府は数も増やしているが、大戦中はほとんどが公設であった。

 その公設鎮守府の内、ごく政府に近いものを旗鎮守府と呼び、運営する提督を旗提督と呼ぶ。この旗鎮守府の名は、規模の大きさを意味するものではない。

 

 旗提督の鎮守府で資材の横流しをしていた、と那智は語った。

 そこまでは珍しい話ではない。旗鎮守府といえど全てが規律正しく運営されているとは限らない。

 ただ、横流しの証拠があるのなら何故それで捕まえたのかと疑問が生まれる。わざわざ賭場の喧嘩に見せかける必要はない。

 

 いや、ある。

 

 まるゆは箸を置くと、嫌そうに確認した。

 

「資材の横流しに関しては、皆さんは気づいていないふりなんですね?」

 

「うむ」

 

 悪びれる風もなく頷く那智。

 それを見たまるゆは即座に中座しようとして止められた。

 

「酒も軍鶏鍋もまだあるぞ、なんなら間宮羊羹も出してやろうか」

 

「まるゆは帰りますよ、これ以上聞きたくありません」

 

「諦めろ、あきつ丸には話を通してある」

 

 半分嘘だ、という確信がまるゆにはあった。間違いなく事後承諾させる気だと。

 しかしそこまで言うということは那智は、いや、艦賊改方は本気だ。

 どちらにしろ、簡単に断ることは出来まい。ならば、だ。

 

「羊羹は貰いますよ」

 

 ただの羊羹ではない、間宮羊羹である。艦娘にとっては神聖犯すべからずの甘味なのである。あだやおろそかにできるものではない。

 

「聞いてくれるな?」

 

「聞きますよ」

 

 盃を放して座りなおしたまるゆに、那智は当然だと言うように大きく頷いた。

 

 男が関連しているのは資材の横流しだけではなかった。

 

 艦娘建造に必要とされる特殊な触媒がある。建造の際に備えておけば、本来無作為に生まれる艦娘が望みの艦娘として生まれるといった代物である。

 提督の間では呪い、験担ぎの類だとも言われているが、確定とは言わぬまでもある程度の方向性を与える触媒は実在していた。

 さらに、確実な触媒も実在してはいるのだが、危険を伴ったり入手困難を極めるものが多いのでそのほとんどが機密とされている。

 

「詳細は言えぬがな、資材とともに触媒も流れた形跡がある」

 

「大和さんや武蔵さんの触媒ですか?」

 

「あるいは、アイオワかウォースパイト、ビスマルク辺りか?」

 

 那智は笑った。

 

「ならば悩みはせぬ、捕らえて終わりだ」

 

 間宮だ、と那智は続け、まるゆは息をのんだ。

 

 間宮、伊良湖、明石などの特殊艦娘の触媒は正に秘中の秘、御禁制であった。横流しどころか、無闇に口にしただけで懲罰、下手をすれば極刑ものである。

 この三人は一定の大きさの鎮守府を動かすには決して欠かせない艦娘である。極端な話、駆逐、巡洋、空母、潜水、戦艦の誰であろうと、この三人との交換なら喜んで受ける提督は多いだろう。

 

「那智さん、御禁制の触媒が何か、ご存知なんですか」

 

「私は知らん、知っていたのはうちのお頭だ」

 

「長谷川様ですか……」

 

 泣く子も黙る鬼の提督、通称鬼提と呼ばれる艦賊改方長官長谷川平蔵の名はまるゆも知っていた。人間艦娘に一切の区別をせず、ただ悪を誅する者と悪を行う者を区別する、悪党を追うところ果敢にして苛烈と言われている人物である。

 そして納得した。なるほど、噂の一端を聞くだけでも端倪すべからざると思わせる手腕の持ち主だけはあると。

 

「そこで、だ。まるゆ」

 

「なんでしょう」

 

 ここまで聞けば一蓮托生である。それに、那智とて秋山小兵衛の教えを受けた身。ならば無茶無理は言っても無謀無法は言うまい、とまるゆも開き直ったところがある。

 

「今聞いたことを頭に入れて、何かあれば教えてくれ」

 

「はい」

 

 那智が懐から細長い包みを取り出した。

 

「小ぶりで済まんが」

 

 間宮羊羹であった。艦娘の間ではまさしく垂涎の逸品であるが、人間が食しても絶品である。

 

「最近無沙汰で失礼をしているが、先生にもよろしくと伝えてくれ」

 

 

 

******************

 

 

 

 間宮の姿を見かけた田沼長門は、ほう、と小さく呟いた。

 

 先日秋山大治郎の鎮守府で引き合わされた艦娘、重巡足柄の住家へ向かう途中のことであった。

 

 このところ、長門の機嫌はあまりよろしくない。

 

 小兵衛に歯が立ちそうにない。これは良い。小兵衛の腕は知っているし、師事すべき御方だとも決めつけている。その小兵衛が自分より強いのは当然であろう。むしろ、弱ければ困る。

 

 大治郎にも今のところ、負け続けている。

 これもまあ、わからないではない。相手は小兵衛の息子であり、教えも受けている。さらに、現在長門が客艦として抜錨もする鎮守府の剣客提督である。こちらも、弱くては困るというものだ。

 

 それでも艦娘相手ならば、と心中秘かに自負していたところに引き合わされたのが重巡足柄である。

 

「この度、わが鎮守府の客艦として所属することになりました」

 

 それが、強いのである。

 艦娘としての演習では辛うじて勝った。しかし、地上では勝てない。

 

「あたしはこっちが本筋みたいなものだから。長門ちゃん、あんまり気にしないほうがいいわよ?」

 

「足柄さんのあれは反則みたいなものですよ」

 

 足柄本人からの、そして普段はあまり話さない秋月からの慰めも、長門にはあまり効果はなかった。

 

 よって、長門の機嫌は良くない。いや、はっきりと悪い。

 

 ここで甘味の自棄食いなどにでも赴けば可愛げがあるとも言われるのであろうが田沼長門、そのような艦娘とは違った。

 より、稽古に打ち込んだ。というより、より苛烈になった。いや、なろうとした。

 

 もともと、長門は決して弱くない。艦娘としての水上戦は元より、剣客としても生半可の相手には引けを取らぬだけのものを持っている。ただ、比較対象が小兵衛、大治郎、足柄である。相手が悪すぎた。

 

 つまり普段の稽古では、苛烈になれる相手がいない。

 明らかに劣っている者に対して苛烈となっても意味は無い。それは無意味に荒ぶっているに過ぎない。艦賊、暴れ艦娘とどこが違うのか。

 そこを無視して通すほど、長門も荒れてはいなかった。

 

 そんなところで見かけたのが、間宮であった。

 無論、見ず知らず通りすがりの間宮ではない。長門が本来属する田沼鎮守府の田沼間宮である。

 

 間宮という艦娘は特殊な艦娘であった。ほぼ戦闘には参加しない。というよりも、できないと言っていいだろう。

 なぜならば、間宮は給糧艦だからである。

 ある程度以上の規模の鎮守府に必須とされるのが、鎮守府の事務作業に通じた軽巡大淀、工作艦の明石、そして給糧艦間宮と伊良湖であった。

 間宮の最大の特徴は、間宮だけが持つ給糧艤装にあった。その艤装を発現展開させることにより、間宮は数百人分の食事を同時に作り、提供することができるのだ。

 また、その艤装の中には必要とするだけの食糧を保管することも可能であり、菓子、飲料なども同じく調理、保管、提供ができる。

 この能力無くては、大規模鎮守府を運営していくなど出来ぬ。平時ならば人を多数雇うことで凌げようが、いざ戦時となればそう簡単にはいかぬこともある。さらに、戦が始まれば決まった食事の時間など取れなくなる。それにも十分に対応できるのが給糧艦間宮の能力であるのだ。

 

(ふむ……ここであったも縁、冷やかしついでに間宮羊羹でも所望してみるか)

 

 声を掛けようとして長門は、その足を止めた。

 

(なんだ?)

 

 男が一人、間宮に近づいていた。

 

 暴漢の類ならば懲らしめてくれんと長門が手ぐすねを引いていると、男は間宮の脇をぶつからぬように器用にすり抜けた。

 

 このとき、長門の目は確かに見た。男の手に握られた間宮の財布。男に掏りとられた財布を。

 

 秋山親子との交わりを持たぬ前の長門であれば、この時点で大声を上げ、男を追い詰めるように駆けだしていたことであろう。現に今も、とっさに飛び出しそうになっていた。

 しかし、長門は足を止めると間宮の歩く先を確認し、男に目を向けた。男は、その場から去ろうともせず、間宮の財布を開く。

 

 長門がこのとき思い出したのは、駆逐艦娘の卯月と如月である。

 

 いたずら好きの卯月と大人びた雰囲気の如月は、外見からはそうは見えぬが姉妹艦であり、仲は悪くない。

 

「うーちゃん、財布はとらないぴょん」

 

 ある日、財布を落としたと探していた如月に、卯月はそう主張していた。

 

「いたずらはするけれど、盗みはしないぴょん」

 

「そうよねぇ」

 

「盗むふりをして、探し始めてから元に戻す方が面白いぴょん」

 

 そちらも十分に質が悪い、と横で聞いていた長門は思ったものだ。

 

「あら、どうせ元に戻すのなら、恋文の一つも忍ばせてはどうかしら。うふっ、いい手ね、使ってみようかしら」

 

「そういうのは如月だけでやればいいぴょん。ぷっぷくぷー」

 

「司令官、は駄目よね、奥方がいらっしゃるもの」

 

 確かに、男の行動は再び間宮に近づこうとしているようにも見える。

 

(間宮に恋文、か)

 

 艦娘にちょっかいをかける人間は少なくない。それが興味本位や淫欲だけのものでないというのならば、長門とて野暮をいう気はなかった。

 ただ、やや頬が赤くなっていることに長門本人は気づいていない。

 

(私も小兵衛殿に……、い、いや……)

 

 気を取り直して再び男を目で追うと、やはり男は財布の中になにやら小さく折りたたまれた紙を入れていた。

 

(文、ではない?)

 

 海戦にて超長距離の砲撃を放つ長門の目は、それが折りたたまれた文というよりも紙包みであることを見抜いていた。

 それもただの紙ではない。いわゆる、薬包紙である。

 間宮といえば給糧艦。しかもこの間宮は、今や押しも押されもせぬ旗提督である田沼鎮守府の間宮であり、鎮守府の食事を差配しているのである。その間宮の手元に渡されようとする薬。

 長門でなくとも、怪しむは当然であった。

 

 そこからの長門の行動は早かった。

 再び間宮に近づこうとする男を背後より捕らえ、振り向く暇すら与えず鳩尾に拳を入れ、気絶させた。

 慌てる周囲の人々に対しては、

 

「私は田沼長門。今、掏摸を捕まえたところだ。近くの番所へ連れて行く。案内を頼めるか」

 

 その言葉で間宮が振り向くが、

 

「私だ、間宮。今聞いたとおり、掏摸を捕まえてな。ほら、貴女の財布、盗られておるぞ」

 

「え、長門さん? 私の?」

 

 突然のことに判断のつかぬ間宮に、薬包紙を抜いた財布を手渡した。

 

「後は私がやっておく。自分の用事を済ませてくれ」

 

「は、はい」

 

 さて、と長門は周囲を見回す。

 そして見つけた見知った顔に、ほっと一息をつくと名を呼んだ。

 

「あきつ丸殿、こちらだ」

 

「何事かと思えば、長門殿でしたか」

 

 騒ぎを聞きつけて駆けつけたあきつ丸は、詳しい話を聞くと即座に言った。

 

「これは、大先生に相談が必要であります」

 

 このところあきつ丸は大治郎を先生と呼び、小兵衛を大先生と呼ぶようになっていた。

 

 一旦あきつ丸の仕事場……自警団の詰所に入った二人は、そこにいたまるゆに男を預けると、今度は小兵衛の隠宅に向かって歩き出す。

 

 詳しい話は小兵衛のところで、と告げたあきつ丸に従い、長門は何も言わない。

 あきつ丸が艦娘がどうかとは無関係に信用のおける相手であるというのは、これまでのつきあいでわかっていることだ。

 

 隠宅には、いつものように小兵衛が縁側に佇んでいた。

 龍驤がその肩を揉むようにして甘えている。

 二人の姿を認めた龍驤は慌てて離れ、小兵衛が笑った。

 

「ほう、二人が一緒とは珍しいな」

 

「実は、大先生にご相談が」

「御用の筋で」

 

 小兵衛の目が一瞬、長門を見る。

 

「これは、長門殿にも関わりのあることであります」

 

「そうか。龍驤、すまんがちと外してくれ」

 

 嫌な顔一つせず、龍驤は頷いた。

 

「はーい。あきつはん、いつもの所におやつあるからな」

 

「お任せであります、龍驤殿」

 

「ほなウチは久しぶりに、ちょっち秋月の対空機動見てこうかな」

 

「お手柔らかにな、この前は秋月が目を回しておったぞ」

 

「ははーん、まだまだ甘いで。もっと鍛え上げへんと防空駆逐艦娘の名が泣くっちゅうもんや」

 

 龍驤が首を振ると、あきつ丸も頷いた。

 

「鬼の龍驤殿に見こまれては、秋月殿も苦労でありますな」

 

「鬼言うたら山城が相場や、ウチは違うで」

 

 ほな、と手を上げて龍驤はてくてくと歩き出す。

 それを見送りながら、小兵衛は二人に縁側へ座るように促した。

 

 長門がさきほど見た一部始終を話し終えると、紙包みを取り出して小兵衛に示した。

 

「これが、その包み紙ですが」

 

 受け取った小兵衛は、別の紙を取り出すとさらに包み、懐にしまう。

 

「知り合いの医者に見せてみよう。少し、預からせてもらおうかの」

 

 それで、とあきつ丸に促す小兵衛。

 

「自分、というよりも、まるゆの話なのでありますが」

 

 まるゆと那智のやり取りをあきつ丸が語り終えるまで小兵衛は待ち、まず一言、「那智がのう……」と呟いた。

 

「長門殿が捕まえた男からは、何か聞き出せたのかえ?」

 

「いえ、未だ気絶から覚めませぬので、詰所の奥でまるゆをつけてあります」

 

「いつもの詰所かえ?」

 

「いえ、念のため、別の詰所でありますよ」

 

「ふむ。さすがに抜かりはないか……」

「あきつ丸、これはとんでもないことになるやも知れぬ。お前さんの御用に妨げがあるやも知れぬぞ」

 

「御用と大先生を比べるならば、自分は大先生に従うだけであります」

 

「すまぬな」

 

「何を仰いますやら、司令殿」

 

「懐かしい物言いをするのう」

 

「自分もであります」

 

 ふむ、と小兵衛は腕を組み、首を傾げた。

 

「これから儂の予想を語るが、田沼鎮守府の実情と違うところがあれば、遠慮無く言うて欲しい」

 

 はい、と長門が頷いた。

 

「間宮が厨房を任されていることは聞くまでもないと思うが、田沼殿の口に入る物も同じかえ?」

 

「はい。提督は、皆と同じ物を口にすると常々から公言し、実行されています」

 

 艦娘は基本的に人間と同じ物を食べる。それで充分に生きていける。

 ただし、それだけで戦うことは出来ぬ。

 戦いに必要な「燃料・弾薬・鉄鋼・ボーキサイト」も補給せねばならぬ。それを食事と共に摂るか、別の方法で摂るか、それは鎮守府の規模にもよる。

 大治郎の鎮守府ほどの規模であれば、食事と補給が別であったとしてもさほど問題は無い。

 だが、大規模な鎮守府であれば、二つを分けてしまうのは相当の手間となるため、食事と共に摂ることが多いとされていた。

 大規模な鎮守府には専属の給糧艦がつくのが普通である。であれば、食事の準備と補給を同時に行うことは難しくないのだ。

 

 つまり、食事と補給を同時に行う鎮守府と、別々に行う鎮守府に分かれることとなる。

 

 さらに食事と補給に関しては、もう一つの分け方があった。

 提督を始めとした、人間の食事を誰が作るか、である。

 田沼鎮守府では、全てを間宮が仕切っていると長門は言った。

 

「ならば、間宮を籠絡すれば毒殺すら思いのまま、というわけか」

 

 長門が色をなして小兵衛に詰め寄った。

 

「田沼間宮はそのような艦娘ではありません」

「そも、いかな理由であろうと食事に毒を盛ろうなどと、艦娘間宮に出来ることではありませぬ」

 

「艦娘故に、かのう?」

 

「艦娘故に、です」

 

「自分たちは、艦娘。その由来に反する真似だけは出来ないのであります」

 

 あきつ丸が取りなすように言を続けた。

 

「自分たちは生まれついての戦船(いくさぶね)であります。故に、戦うことが出来るのであります」

「例え心歪んで戦う相手を間違え艦賊に堕ちようとも、それは戦いであり、本性は違えぬのでありますよ」

「ですが艦娘間宮、伊良湖は給糧艦。求められれば食を与えるが本性」

「その間宮に毒殺など、食に毒を混ぜるなど、決して出来ぬのであります」

 

「そこよ」

 

 小兵衛は静かに言った。

 

「建造時よりの、生まれついての気狂いを作り出す阿呆がおれば、なんとする」

「まるゆが聞いた話とは、そういうことではないのか」

 

 これには長門とあきつ丸が絶句した。

 

「間宮の配合と触媒を知り、極秘の建造を企み、筆頭旗提督たる田沼提督を毒殺せんとする者」

「なるほど徒者ではあるまい。要は、那智も簡単には動けぬ相手か」

「それほどの相手ならば、稀艦とはいえ艦娘一人犠牲にするも厭うまいよ」

 

 さらに静かに、しかしはっきりとした声で小兵衛は長門に尋ねた。

 

「長門殿。田沼提督の娘として思い当たる節は?」

 

 長門が答えたのは、次期筆頭と目される旗提督、一橋の名であった。

 

「確証はありません」

 

「なに、そう簡単に確証の出る方が怪しいというものよ」

 

 確かに、とあきつ丸が頷いた。

 

「ですが大先生。これは簡単には探れないのであります。万が一間違いでもあれば」

 

 一橋鎮守府は、純粋な勢力は田沼以上とも言われている。

 

「老いぼれの首一つくらいはどうとでもなるが、一つでは済みそうにないな」

 

「自分も含めて二つならば、どうでありましょう?」

 

「足りんな」

 

「足りませんか」

 

 饅頭を数えるかのように気軽に数える二人。

 

「なれば、よ。長門殿」

 

 小兵衛は長門にこれからの行動を告げた。

 田沼提督に全てを余さず伝えよ、と。

 

「し、しかし」

 

 その内容は長門を驚愕させたが、それ以上の案があるわけでもなく、よくよく考えてみれば他の案など出ようはずもない。

 

「相手が一橋の可能性があるならば、告げておかねばなるまいよ」

 

 立ち上がる小兵衛。

 

「じゃが、まずは行くか」

 

「どちらへ?」

 

「知り合いの医者のところへ。一緒に来るかい」

 

 言いかけて小兵衛は言い直した。

 

「いや、一緒に来てもらおう。その方が話が早い」

 

「あきつ丸、悪いが一足先に詰所に戻り、その掏摸とやらを見張っていておくれ」

「ただし、顔は見せぬようにな」

 

 悪い顔であきつ丸は口唇をつりあげた。

 

「大先生もお人が悪いであります」

 

「なに、人間というのは年を取るとこうなる。よく覚えておくが良いわ」

 

 小兵衛は懐からいくらかの札の入った紙包みを取り出した。

 

「それと、あきつ丸、これは少ないが小遣いじゃ、持ってお行き」

 

「大先生、それは……」

 

「なに、ただ働きというわけにもいくまいよ。まるちゃんに美味いもんでも食わせてやっておくれ」

「では長門殿、参ろうか」

 

 あきつ丸と別れ、町に向けて進むと大きな川がある。

 それに沿って上がっていくと、やがて大きな、しかし古い屋敷が見えた。

 

「もしかして、艦娘ですか?」

 

 長門は尋ねた。

 川沿いに遡上してくる深海戦艦は今や共通の悪夢であった。

 よほどのしっかりとした防壁が築かれた川で無ければ、人々は川沿いに住もうという気を起こさない。

 住処を選べぬ貧乏人か、あるいは自らも川を利用する艦娘か。

 後者の理由で、川沿いに造られた鎮守府も少なくはないのだ。

 

「ふむ、確かに艦娘よ。ただし、人間の医者でもあるが」

 

「珍しい」

 

「ふふふ。世の中にはいろいろな人間、いろいろな艦娘がいるものよ。お前さんとて、艦娘の中では少数派の部類じゃろう」

 

 田沼長門は建造でもドロップでもない、艦娘を母とし人間を父とする艦娘である。その数は決して多くはない。 

 

「世間というものは鎮守府を離れて以来、日々実感しております」

 

「それを身にするのが、田沼提督の望みであり、お前さんの今の仕事というわけじゃな」

 

「はい」

 

 屋敷の前で、小兵衛は足を止めた。

 

「あ、秋山先生! こんにちは!」

 

 小兵衛の姿をめざとく見つけた駆逐艦娘五月雨が、掃除の手を止めて駆け寄ってきた。

 

「先生は、先生に御用ですか?」

 

「うむ」

 

「えーと、こちらは」

 

 自分を見上げる五月雨に、長門は軽く頭を下げる。

 

「戦艦長門。秋山先生の付き添いだ」

 

 おおー、と口に出す五月雨。

 

「今日は龍驤さんではないのですね」

「それでは、お取り次ぎしますね。少々お待ちください」

 

 屋敷に入っていった五月雨を待つと言うほどもなく、すぐに屋敷の主は姿を見せた。

 その姿に長門は目を見開いた。

 

「最近ご無沙汰じゃないですか、小兵衛さん」

 

 艦娘明石の姿であった。

 

「龍驤さんが居着いたから身体の調子を崩すかと思っていたんですけれど、流石ですね」

 

「龍驤殿が何か?」

 

 訝しげに尋ねる長門に、

 

「あら、戦艦長門さん……小兵衛さん、まさか……」

 

 意味ありげに首を傾げる明石と、憮然と答える小兵衛。

 

「龍驤は息子の所に行っておる。年寄りをそう苛めるな」

 

「何言ってるんですか、そんな元気なお年寄りがそうそういてたまりますか。医者の商売あがったりですよ」

 

 小兵衛はいつの間に取り出したのか、紙包みを明石の眼前にかざす。

 

「今日はこれを見てもらいに寄らせてもらったのじゃが」

「こちらの御方は田沼長門」

 

 ほう、と明石は紙包みを受け取り、鼻先へと近づける。

 

「……五月雨、しばらくの間、急患以外は通さなくていいから」

 

「はいっ」

 

「小兵衛さん、長門さん、中で話しましょうか」

 

 明石は二人を屋敷内に案内すると、奥まった部屋へとそのまま招き入れ、すぐに戸を閉めた。

 

「小兵衛さん、この包みをどこで?」

 

「それは言えぬよ、明石殿」

 

「ああ、言えるようなら言ってますよね」

 

 仕方ないなぁと呟きながら、それでも明石は包みを置いた。

 

「これは毒です。食事にでも混ぜて出されれば、死にはせずとも一週間は寝込みますよ」

 

「やはり、か」

 

「心当たりが? って、これも聞けませんか」

 

「すまぬが、先生の安全のためでもある」

 

「ですよね、……私あんまし強くないし」

 

「艦娘明石」

 

 ここまで黙っていた長門が口を開く。

 

「失礼な質問かも知れぬが、人間相手の医者なのか」

 

 明石は頷き、笑った。

 これは初対面の相手からはほぼ間違いなく聞かれる質問であった。

 そして、その答えも決まっている。

 

「勿論。ちゃんと艦娘の補修も出来ますよ」

「昔は普通の明石でしたけど、いろいろあって、人間の医学を学びましたよ」

 

 小兵衛と知り合ったのは大戦末期の頃であったという。

 

「今は人間と艦娘、両方の医者ですから、よろしくね」

 

「さて、明石先生、ちょっと急ぐのでな。用件だけで失礼させてもらうよ」

 

 明石の差し出した包みを受け取った小兵衛は、長門を促すと立ち上がった。

 

「また、ゆるりと寄らせてもらうとするよ」

 

「はいはい、あー、今日私は小兵衛さんに会っていないし、包みも見ていない。五月雨にもそう言い聞かせておきますね」

 

「すまぬな」

 

「いえいえ、よくあることですから」

 

 

 

******************

 

 

 

「提督、お客様です」

 

 目を通していた書類綴りを置くと、田沼意次は秘書艦である重雷装艦大井を見た。

 

「客?」

 

「はい。応接室におられます」

 

 朝から客は通すな、と命じてある。

 それでも通したと言うことは、会う必要のある相手、ということだ。

 その程度の融通は利かせる秘書艦であった。

 

「長門さんです」

 

 娘か。

 一瞬、意次は顔を顰める。が、親子の情を言い立てて無理やり会おうとするような長門ではない。また、それを言い立てたところで相手にする大井でもないと思い至った。

 

「用件は」

 

「ご内密に、とのことです」

 

「なに?」

 

「父田沼意次ではなく、筆頭旗提督たる田沼様にお目通り願いたいと」

 

「ふむ」

 

 そのような物言いを、と一瞬感慨深い思いにも囚われるがそこは提督である。

 すぐに手を叩くと軽巡大淀が現れた。事務的な仕事も得意とする、秘書艦向けの艦娘であった。

 

「大淀。高雄と愛宕を呼び、この書類の件を進めさせよ。必要な人員は好きに使えと」

 

「はい」

 

「わしは一刻……いや、半刻ほど空ける、後は頼むぞ」

 

「承知いたしました」

 

 歩くすがら、目に付いた艦娘や部下に指示を与えながら、意次は応接間に入る。

 

「長門か」

 

 まさしく娘の姿があった。

 この数年、いや、それどころか生まれてこの方、ほとんど娘として接したことはない。

 意次が避けていたわけではない、愛情が無かったわけでもない。

 接することのできぬ訳があったのだ。そのわけは長門も理屈としては知っていよう。

 それでも納得しかねる部分は残っていた。それが、この父娘のぎくしゃくとした関係の主因ともなっている。

 

「お久しぶりです」

 

「何用か」

 

「まずは、お人払いを」

 

 意次は背後に控えていた大井を下がらせた。

 

 長門は懐から紙包みを取り出した。

 

「命を狙われております」

 

「これは、毒か」

 

 長門は、間宮を見かけてからこれまでの顛末を話し始める。あきつ丸からの話も全て交えて。

 

 途中で意次は大井を呼ぶとその日の予定を変え、長門と共に一室に籠もり、食事も運ばせた。

 

「さて、長門よ」

 

 すべてを聞き終えた後、意次はそう言った。

 

「なんとする」

 

 予想外の問いに、長門は口を開けぬ。

 案がない、訳ではない。しかしそれは、自分の案ではなかった。

 

「いずれ筆頭旗鎮守府の旗艦ともならん身として、さて、なんとする」

 

 試されている、と長門は悟った。

 顔を上げた長門の眼に、意次と大井の視線が刺さる。

 

「捕らえた者から黒幕の名を吐かせ、直ちに鎮守府の総力を率いて出撃、これを討ちます」

 

 ふと、大井の視線が揺らいだ。

 

「と、愚考しておりました」

 

 意次は何も言わず、視線も揺らがなかった。

 

「愚考、とは?」

 

 大井の尋ねに、長門は答えた。

 

「黒幕の名など、その者は知りますまい」

 

「では?」

 

「間宮を放逐するべきかと」

 

「間宮無くては鎮守府の台所は回りません」

 

「新しい間宮は、すぐに見つかるでしょう」

 

「なるほど、艦賊改方の話はそういうことですか」

 

 大井が立ちあがった。

 

「間宮に言い含めてまいります」

 

「頼むぞ。詳細は後に、今は大略でよいわ」

 

「心得ています」

「それで長門よ」

 

 大井が部屋を出ると、意次は言った。

 

「間宮の隠れる先は、その案を出したであろう……秋山小兵衛殿のところでよいのかな?」

 

 一瞬、長門は言葉に詰まった。

 

「お気づき、でしたか」

 

「無論」

 

 父の笑う顔を、長門は久しぶりに見たような気がした。

 

 その翌朝、間宮は鎮守府より放逐された。

 

 

 

******************

 

 

 

 小兵衛は長門と別れた後、あきつ丸の詰所に到着すると、懐からくすんだ灰色の頭巾を二つ取り出した。

 頭巾をかぶりつつ、一つをあきつ丸に渡し、

 

「わしの名は、出すなよ」

 

 そう言えばあきつ丸も慣れたもので、

 

「なんとお呼びすれば?」

 

 と、返す。

 

「そうさな……、丸川小兵衛とでもしておこうか」

 

「では、自分は角津大治郎とでも。さあ丸川殿、こちらへ」

 

 あきつ丸は小兵衛を詰所裏へと案内し、物置小屋へと入る。そこには、地下に通じる穴が掘られていた。

 

 大戦時に深海棲艦の艦砲射撃から逃れるために掘られたものをあきつ丸が見つけ、再利用しているのだろう。

 

 穴の奥には明かりが置かれ、そこにはがんじがらめに縛られた男と、それを見張るまるゆがいた。

 男は意識を取り戻しているようでまるゆを、そして今現れた小兵衛たちを憎々しげに睨みつけていた。

 

「まるゆ、丸川殿がいらっしゃった」

 

 あきつ丸は意識して喋り方も変えていた。

 

「あ、待ってました。この人、どうしましょう?」

 

 丸川という名前を突然聞いたまるゆも、当たり前のように受ける。

 

「角津よ。こやつか、間宮と結託しておったのは」

 

 小兵衛の憎々しげな口調に、あきつ丸が知った顔で頷いた。

 

「間宮は知らぬ存ぜぬを貫いているのです」

 

「なんとしてもこやつに吐かせよ。田沼様の厳命じゃ」

 

「まるゆに括りつけて、沈めてみますか」

 

 縛られた男がギョッとした表情であきつ丸を見た。

 

「口を割る前に殺すなよ?」

 

「死にはしませんが、潜水艦娘の潜航深度に生身の人間が耐えられるかどうか……」

 

「それじゃあ、まるゆは準備してきますね」

 

 頭を下げるとまるゆは穴から出ていく。

 残ったあきつ丸と小兵衛は、男を挟むようにして動いた。

 

「深海では水圧で目玉が飛び出る、と聞いたことがあるな」

 

「口から五臓六腑が吐きだされるとも聞きました」

 

 ごふっ、と男が何か言いかけるが、さるぐつわを噛まされていては何も言えぬ。

 

「よしよし。飛び出ぬように、しっかりと目隠しを締めておこうか」

 

「さるぐつわも強くしましょう」

 

 あきつ丸がそう言いつつさるぐつわを外した瞬間、

 

「待て、話す、話すぞ!」

 

「いらぬわ」

 

 小兵衛が目隠しを男につけようとすると、さらに暴れ、

 

「話す、話すからやめてくれ!」

 

「聞こえぬよ」

 

 動く拍子に合わせて無造作に目隠しをまくと、男の悲鳴が上がった。

 

「頼まれたんだ、田沼なんざ知らねえ」

 

「嘘をつけ」

 

 声高ではないが、小兵衛が決めつけるようにびしりと言う。

 

「筆頭旗提督、田沼意次様を知らぬというか。痴れ者が!」

 

 男の眼がさらに見開くと、身体ががくがくと震え始めた。

 

「し、知らねえ、そんなの知らねえ、俺は頼まれただけだ」

 

「黙れ、貴様がどうやったか間宮と結託して田沼様に毒を盛ろうとしたことは明白。証拠は長門殿が押さえておるわ」

 

「丸川殿、角津殿、大井秘書艦がお呼びですよ」

 

 その時、穴の入り口からまるゆの声が届いた。

 

 あきつ丸がすぐ行くと答えると、小兵衛はいかにも腹立たしいと言うように、

 

「良いか、戻るまでに己の身の振り方をよく考えておけ」

 

 穴を抜け、詰所から出たところで小兵衛は頭巾を脱いだ。

 

「さて、まるゆよ。明け方くらいには抜かってもらおうか」

 

「はーい」

 

 翌朝、男はまるゆの隙を見て脱走した。

 

(では、行くであります)

 

 その後を尾行する、あきつ丸の姿があった。

 

 

 

******************

 

 

 

「私、この鎮守府に来て本当に良かったわ!」

 

 足柄の歓声に、大治郎は苦笑していた。

 

「すまぬが、預かってくれぬか。短ければ今日中。長くとも二、三日のことであるが」

 

 そう言って小兵衛が艦娘間宮を秋山鎮守府へ連れてきたのが今朝方のことである。

 何もせずに世話になるのは性分ではない、と間宮は厨房を手伝うと申し出た。

 

 その日いつものようにやってきた足柄に早速食事を出したところが、この反応である。

 

「まさか、こんなところでまた間宮さんのご飯が食べられるなんて」

 

 こんなところ呼ばわりであるが、足柄が一時とは言えこの鎮守府に腰を落ちつけているのは、小兵衛への義理でもあるため、大治郎としては何も言えぬ。

 

「こんなところってどういう意味ですか」

 

 いつもならさらに噛みついているであろう秋月も、今は昨日突然訪れた龍驤による対空機動訓練の疲れが抜けきっていないため、勢いがない。

 さらにその隣には、いつも以上の勢いで間宮の用意したエサを食べている長十糎砲ちゃん。

 加えて、秋月の懐には牛缶がある。これは、

 

「つまらないものですが」

 

 間宮が如才なく差し出したものであった。

 

 つまりやってきた当日にして、田沼間宮は秋山鎮守府を掌握したことになる。

 

 それでも大治郎はあまり気にすることなく、一人稽古に精を出していた。

 

 その翌朝、再び小兵衛が姿を見せた。

 

「思ったより、早く騒動が終わってな。間宮を連れて行くぞ」

 

「秋月と足柄殿が寂しがります」

 

「ほう、お前の口には合わなかったかえ?」

 

「私には贅沢すぎます」

 

「馬鹿を言うな」

 

 冗談交じりではあるが確かな叱り口調に、大治郎は居住まいを正し向き直った。

 

「父上」

 

「貧乏飯は秋月も共に食っておったのじゃろう。ならば、間宮の飯も共に楽しめ」

 

 共に堪え忍ぶだけでは片手落ちだ、と小兵衛は言っていた。

 堪え忍ぶときは共に堪え忍び、奢るときは共に奢れ、と。

 

「至りませんでした」

 

「よいわ。せめて昼飯なりと振る舞ってもらえ」

 

「父上はどうされます?」

 

「儂は、龍驤の用意した飯を食べてきた。この歳じゃ、飯を二回は食えぬわ」

 

 間宮の飯を食えば龍驤の機嫌が悪くなる、とは小兵衛も言わない。

 

「では、茶なりと準備してもらいましょう」

 

 そのまま、厨房にいる間宮へ声をかける。

 一人二人の増減や献立違いなど、間宮の手間にさほどの差はない。材料とて、田沼鎮守府を出る時に積み込まれているのだ。

 給糧艦間宮の艤装には、その気になれば数千人を養うだけの食糧を新鮮なまま積むことができる。

 秋山鎮守府における数人分の食事など、まさに無尽蔵に準備できるのだ。

 

「秋山先生にはこちらを」

 

 屋内へと戻っていく大治郎と入れ違いに出てきた間宮が小兵衛に差し出したのは、一杯の茶と一切れの羊羹であった。

 

「や、これはすまんな」

 

 小兵衛がゆったりと茶をすすっているうちに、長門があきつ丸とともにやって来た。

 

「どうであった?」

 

 まずは、あきつ丸に尋ねる小兵衛。

 

 あきつ丸は、逃げた男が駆けこんだ鎮守府の名を告げた。

 一橋ではないが、一橋麾下の支部とも呼べる鎮守府であった。

 

「なるほどのう。長門殿の首尾のほうはいかがかな?」

 

「はい、それが……」

 

 長門は語った。

 

 まず田沼は、間宮に疑いありとして放逐した。そして、中央に急使を送った。

 理由あって間宮を放逐したため、新たな間宮を派遣されたい、と。

 田沼からの要求は急であったため、本来なら中央も即座に応えることはできぬはずであった。

 しかしこの時、たまたま間宮が一人、空きを求めているとの話が通されていた。渡りに船とばかりに田沼のもとへ送られる間宮がいた。

 無論、実際には偶然などではない。これを狙いあらかじめ準備された間宮である。

 

「あまりにも見え透いてて、笑いをこらえるのに苦労したわよ」とは、後に大井が親しい北上などに語った言葉である。

 

 現れた間宮に、まずは簡単なものをと提督が告げたところ、いきなり毒入りの饂飩が運ばれてきたのだ。

 

「これは、一の字が直接手を下したわけではないようじゃな」

 

 一の字、一橋提督を示す言葉で小兵衛は言った。

 

「そこまでの阿呆でもあるまいよ」

 

 策と呼ぶにはあまりにも最後が稚拙であった。旗提督を狙うほどの人物が考えるような仕掛けではない。

 

「確かに父上、いや、田沼提督もそのように」

 

 現在、間宮は捕らわれ、艦賊改方に引き渡されるのを待つ身だと長門は続けた。

 

「今の艦賊改方長官である長谷川様であれば、お調べも公正であろうと」

 

 自ら調べれば、偏向捜査の誹りさえ受けかねぬ。そこまで筆頭旗提督が考えて、いや、考えねばならぬのかと、小兵衛は心中溜息をついた。

 

「さて、お調べで真っ当な名が出てくるか」

 

「一応、田沼さまのところにはまるゆを残したのでありますが」

 

 まるゆには自分の見たもの、場所をすべて伝えているというあきつ丸の言にも、小兵衛は首を振った。

 

「身内のはねっかえりの暴走。せめてそこまで持っていければ恩の字かのう」

 

 とかげのしっぽ。艦娘風に言うならば、レ級の尻尾である。

 切られた所で、大本にはなんら影響のない名前が出るか。

 今回の件、一橋が知らぬと一言言えば終いである。あるいは事実、本人ばかりは知らぬことかもしれぬのだ。

 

 そこへ大治郎が出てきて二人に気づくと、昼食を勧めた。

 

 いただく、という言葉と、田沼鎮守府で食べてきた、という言葉が重なり、あきつ丸は目を剥いた。

 田沼鎮守府から秋山鎮守府まで歩けば腹も減る。ととっさに早口で答えた戦艦長門の言葉に、あきつ丸はただただ頷くだけだった。

 

 

 その二日後であった。

 

「芝村に行ってくるよって」

 

 それぞれの理由で戦いからは身を引いた艦娘たちの住む村はいくつかあり、芝村とはその一つである。

 芝村の艦娘たちは畑を作っており、龍驤は気が向くと村を訪れ、農産物を買ってくるようだった。特に芋が美味い、というのは小兵衛の意見だ。

 

 その日も龍驤は朝から芝村へ出かけ、小兵衛は一人、隠宅で早目の昼寝を楽しんでいた。

 

 ふと、何事かに気付いた小兵衛は身体を起こし、身なりを整えると湯を沸かし始めた。

 湯が沸くのを待つ間に、出がけに龍驤が昼食代わりだと用意していった団子を取り出し、焼き団子に仕立てる。

 

 焼き上がりを確認するころ、複数の足音と声が聞こえてきた。

 

「秋山小兵衛殿は御在宅か」

 

 小兵衛は団子を火からおろすと、軒先へと出迎える。

 

「田沼提督とお見受けした」

 

「いかにも。はじめてお目にかかる、田沼意次と申す」

 

「秋山小兵衛と申す。ささ、こちらへ」

 

 背後に控える艦娘を含めた供の者を制し、意次は小兵衛の案内に従い、隠宅へと入った。

 

「娘が世話になっております」

 

「いやいや、世話になっておるのは倅の鎮守府」

 

「このたびの……」

 

 一瞬、意次は言葉を切った。

 

「一の件、護国の要たる鎮守府とも思えぬ所業、お恥ずかしい限り」

 

「なんの。さすがは筆頭旗提督、見事な手配と、感嘆しておりました」

 

 小兵衛の勧める焼き団子を、意次はなんの衒いもなく一串つまむと、齧りついた。

 

「美味い。昔を思い出しますな。あの頃には、このように味などついていなかったが」

 

 味のない団子や雑炊、それが貴重だった大戦中を二人は生き抜いていた。

 

「艦娘が我らのもとに現れなければ、二度と口にすることもなかったろうに」

 

 意次の口調に小兵衛は聞きたかったこと……毒を盛った間宮の顛末を悟った。

 

「その娘らを未だわかろうとせず、物の怪、化生と蔑む愚か者がおる」

「ともに戦うべき我ら提督こそが、娘らの真の姿を知っておらねばならんというに」

「あまつさえ、心壊した艦娘を生みだすなど」

「わしに毒を盛った間宮は、艦賊改方に引き渡す前に自ら命を絶った」

「最後まで、己の所業と自分の提督を信じ、疑い、迷い、震えておった」

 

 自らの本性に反するものとして生を受けた間宮は苦しみ、それでも歪んだ使命を果たそうとし、破れ、心を壊した。

 

「わしの命を狙うに、なぜ娘を壊さねばならぬ、なぜ心を壊さねばならぬ」

 

 艦娘を配下とする提督の言葉ではない、実の娘を艦娘とする男の言葉であった。 

 

「秋山殿」

 

 再び意次が口を開いたとき、その口調は押しも押されぬ筆頭旗提督のものに戻っていた。

 

「噂にも聞いた秋山提督ならばわかってくれると信じ、この意次、語りたいことがある」

 

「秋山小兵衛、心して聞きましょう」

 

「まず、艦娘をむざと沈めるなど愚の骨頂」

 

「提督たる者、肝に銘ずべきことかと」

 

「なれど深海棲艦に抗するには、艦娘の戦は絶対の条件」

「せめて、陸にあるときは安寧を望みたい」

「それこそが、我ら提督の矜持」

「無駄な戦は避けねばならぬ、艦娘だけではない、国のため、万民のため」

 

 言葉を止め、意次は茶に手を伸ばした。

 小兵衛は無言で、しかしその姿勢は微動だにしていなかった。

 

「避けられるのなら、深海棲艦との戦さえも」

 

「戦を厭う深海棲艦、確かに噂は聞いたことがあります。が、見たことはありませぬ」

 

 同じく茶に手を伸ばし、小兵衛は続けた。

 

「しかし見たことがなければ存在はせぬ、などとは申せますまい」

 

「艦娘がいかなる場所よりこの地へ来たか、話を聞いても正直わからぬことだらけじゃ」

「しかし、この海の向こうにも国はある、人はいる。唐国でも琉球でも蝦夷でもない国と人があると艦娘たちは言う。わしは、その話を信じる」

「深海棲艦との戦を終わらせ、海を渡る。それが意次一代の夢でもある」

 

 後に小兵衛は大治郎たちにこう語った。

「まさに人物じゃ。さすがにそれほどのお方だとは思うてなかった」と。

 

 この世界と時代で、艦娘たちの本来の出自を知ることもならず、それでもその断片的な言葉から世界を垣間見る。

 それがどれほどの巨視眼か。秋山小兵衛にも当然、完全の理解などできるはずのないことであった。

 

 

 さらに、半年ほどの後、小兵衛の隠宅にはあきつ丸と那智の姿があった。

 

 間宮を狂わせた提督が艦賊改方に捕まったと、那智が報告に現れたのだ。

 

「小物ばかりをとらえてきましたが、ようやくに当人の尻尾を掴むことができました」

 

 辻斬りに襲われて近くの番所に保護された提督が、御禁制の触媒を懐にしていたのだ。

 提督は保護を拒否して逃げようとしたが、

 

「ちょうど番所には私とお頭、いえ、長谷川提督がおりまして」

 

「ふふ、鬼の提督の前では逃げるもできぬか」

 

「今さら間宮の件を言い立てるのは難しいかもしれませぬが、この度の御禁制については申し開きもできんでしょう」

 

「よくぞやってくれたな、那智」

 

「ところで先生」

 

「む?」

 

「その辻斬りですが」

 

「ふむ」

 

「灰色の頭巾で人相はわからなかったそうですが、なかなかに達人です」

 

「ほう」

 

「提督には戦艦娘が二人ついていたのですが、命に別状はないものの、切られております」

 

「その二人に責めはないのかえ?」

 

「戦艦娘に責を問うは御禁制破りをかばい立ててるに等しいと、長谷川様が」

 

「流石はお頭、かのう」

 

「そのお頭様ですが」

 

「ふむ」

 

「大きな声では言えないが、その辻斬りに礼を言いたいくらいだと」

 

「礼を、なあ」

 

「はい。男が御禁制に手を出したことを探り、辻斬りに伝えた者にも」

 

 ここで那智はあきつ丸を見た。

 あきつ丸は露骨に目を逸らした。

 

「辻斬り、か。いったい、どんな老いぼれかのぉ」

 

「見かけだけは若い軽空母娘にうつつを抜かすような輩やもしれませぬな」

 

「まったく」

 

 あきつ丸は茶を噴いた。

 

 






 正直、田沼さんがこんなキャラになるとは想像してなかった

 ……ちと暴走。

 ですが、逆にこの暴走でこちらの腹も決まって、少しぶれていた世界観もまとめることにしました。

 最初の話の一部を今後改定するかも知れません
 (世界観に関する部分のみ。話は変えません)



 次回予定は「鬼熊酒場」をメイン艦娘を球磨にして、できたらいいな、と。


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キタクマ酒場

第七話です。

剣客商売二巻「鬼熊酒場」を元ネタに。


どうぞ、ご笑覧ください


 

 

「初春じゃ。妹たちともどもよろしく頼みますぞ」

 

 初春型の駆逐艦娘たちが秋山鎮守府の門をくぐったのは、「提督毒殺」事件も落ち着いたころであった。

 

 大規模な鎮守府であるほど、自然と細かい部分への眼は届かなくなる。提督とて人間である限り、それは仕方のないことであった。

 それを防ぐためには、鎮守府筆頭提督の下に複数の平提督を置くのが通常である。一鎮守府に一提督などと拘っていては大規模鎮守府は成り立たぬのだ。

 どうしても平提督の数が足りぬ場合は、援助や友好の意味も込めて小規模鎮守府に艦娘をまとめて派遣する方法もある。

 大規模鎮守府にしてみれば育成、訓練の手間が減り、小規模鎮守府にしてみれば人手が増えるという、双方ともに得のあるやり取りであり、派遣は盛んに行われている。

 

 今回もそうであり、初春たちは田沼鎮守府より秋山鎮守府へとやってきたのだ。

 

 艦娘が増えれば負担も増えるが、かわりに受領できる任務も増え、任務達成の報奨金も増える。

 さらに今回は、艦娘に対する剣術指南の礼金が田沼より払われるのだ。

 

 まず、秋月が喜んだ。

 鎮守府の収入が増えたのである。無知というほどではないが無頓着な提督の経済感覚に、秋月はひそかに心を悩ませていた。

 もっとも龍驤に言わせれば、

「秋月は気にし過ぎやろ」とのことなのだが。

 

「どうやら、お前の鎮守府もようやく形になってきたような」

 

「田沼さまのご厚意に甘えるようで、いささか心苦しいのですが」

 

 父の言葉に大治郎がそう答えると、

 

「名ばかりで選ばれたわけではないわ、堂々としておれ」

 

 事実先日、田沼意次に長門とともに招かれた大治郎は、田沼鎮守府の剣術指南役と同等以上に戦って見せた。

 それを目の当たりにした初春たちが大治郎による指南を希望した、という話もある。

 

 いずれにしろこれによってようやく、秋山鎮守府が曲がりなりにも一艦隊を組めるようになる。

 鎮守府としての一応の型ができたのである。

 

「ふむ、しかと陣は組んでおるのう」

 

「さすがは若先生、抜錨指示も堂に入ったものでありますな」

 

 小兵衛に並ぶようにして抜錨風景を眺めているあきつ丸は、しみじみと言った。

 

「大先生もやはり若先生の指揮が気になるのでありますか」

 

「わしは長門殿や足柄殿を見に来ておるだけよ」

 

「ほう」

 じろりと小兵衛はあきつ丸を睨みつけ、

 

「鈍っておるな。久しぶりに、わしの指揮で抜錨してみるかえ? そうさな、夜間迎撃の緊急発着訓練など、どうじゃ?」

 

 慌ててかぶりを振るあきつ丸。

 

 とはいえ小兵衛、大治郎の鎮守府を訪れる回数が増えたことに間違いはなかった。

 

 だからと言って、艦隊帰還まで居座るつもりもない。それでは純粋に、大治郎の邪魔になってしまう。

 

(そうじゃ。久しぶりにあそこに行ってみようか)

 

 そこを小兵衛が初めて訪れたのは、ちょうど、田沼長門と初めて出会った頃か……

 

 知り合いから名物の酒屋の噂を聞いた小兵衛は、町から少し外れた通りを歩いていた。

 

 安くてうまい、ただし、気に入らぬ客ならば問答無用で叩きだす。そんな酒屋があると聞いた小兵衛である。

 しかも屋台だというのが面白い。

 店の主人は軽巡球磨。一人で屋台を引き、一人で店を切り盛りしているのだと。

 店の名前など特に決まってはいないのだが、とある駆逐娘が「キタコレ球磨さん」などと声を上げては開店を伝えたため、誰いうとなく「キタクマ」と呼ぶようになったとか。

 

 噂に聞いたそんな話を思い返しながら、

(さて、この辺りか……)

 と辺りを見渡した小兵衛。

 

「てめえ、何しやがる!」

 

「うるせえクマ、そっちこそ何しに来たクマ」

 

「ああ? 酒屋で酒飲まずに何しろってんだ」

 

「酒を飲まずに食うだけの客もいるクマ」

 

 特徴ある語尾ですぐにわかる、軽巡球磨と酔客の争うやり取りが聞こえてきた。

 

 かと思うと小兵衛の目前に、投げ飛ばされたらしい酔客が転がってきた。

 そして、それを追うように軽巡球磨が。

 

「文句があるなら、いつでも来るクマ。球磨は逃げも隠れもしねえクマ」

 

 二人の出てきた路地に目をやった小兵衛は、小さな屋台とその周りで二人のやり取りを笑いながら見ている客たちに気づいた。

 

「おうおう、球磨ちゃんのあれがなきゃ、ここで飲んだ気がしねえぞ」

「そんなにわか野郎、やっちまえ」

 

 常連たちにはそれこそ日常茶飯事なのだろう。

 

 捨て台詞をはいた酔客が這う這うの体で去っていくと、球磨は小兵衛に気づきじろりと睨みつけた。

 

「何か用クマ?」

 

「客じゃよ」

 

 ふん、と鼻息も荒く屋台に戻る球磨の後ろに小兵衛はつき従い、空いている場所を見つけて座った。

 

「さっさと注文するクマ」

 

 乱暴な口調は変わらず、しかし小兵衛は逆らわずに応えた。

 

「酒と、肴は適当に見繕っておくれ」

 

 待つというほどもなく酒と肴が、やはり乱暴な調子で小兵衛の前へと運ばれてくる。

 

(むう……)

 

 早速一献と盃をとり、次いで肴を口にした小兵衛は心中で唸った。

 

(美味い)

 

 のである。

 

 酒も上質のものであるし、肴として出された料理は干した魚を薬味とともに味噌で味付け、軽く焙ったものである。

 おそらくは味噌そのものも丹念に拵えられているのであろう。

 

 小兵衛は周囲を見回した。

 酒も肴も決してこのような場所で出される簡単廉価なものではない。

 値段も、料理というよりも場所相応の安さである。

 

(なるほど、これはたまらぬわ)

 

 これだけの料理と酒でこの値段ならば、客のつかぬほうがおかしいというものだ。

 そう、小兵衛は思った。

 

 予想外の心地よさに随分と飲み過ぎて、小兵衛は腰を上げた。

 

 そうして小兵衛はしばらく通い詰めとなるのだが……

 

「小兵衛はんの浮気者」

 

 龍驤が拗ねた。

 

 勝手に居ついておいて何を、とは小兵衛も言わない。とうに他人行儀の仲ではなくなっている。

 二日と空けずに外出しているのだから、浮気というのは論外にしろ、これは自分が悪い。と小兵衛も素直に当分の遠出を自粛した。

 

(提督も務めたこのわしがいまさら、艦娘とこのような仲になるとはのう……)

 

 艦娘は、人間の眼からは例外なく美しく、可愛らしく見える。

 だが、艦娘の見た目を鵜呑みにして逆上せるようでは、とてもではないがまともな提督は務まらぬ。

 そしてまたそのような提督など、艦娘も信頼はせぬ。

 

 ゆえに提督としての経験を積むほど、その見た目にはこだわらなくなる。

 

 小兵衛と龍驤は、互いにその心持を気に入っている。

 それは、人間同士の情愛とはやや異なる。無論、どちらが良いとかどちらが優れているというたぐいの話ではない。 

 ただ異なる。それだけの話ではあるのだ。

 

(だが、これもまた、悪くはないわえ)

 のであった。

 

 そのような次第でキタクマより足を遠ざけていた小兵衛であったが、大治郎の鎮守府を訪れたこの日は自分の思い付きに頷きながら、かって屋台のあった場所へと向かっていた。

 

 ところが、見覚えのある路地へとたどり着いたはいいが、肝心の屋台は影も形もない。

 辺りを見回してもそれらしき姿はない。

 元々が屋台である。場所などいくらでもかえられるだろう。小兵衛が来ない間に、場所を変えるような出来事があったのかもしれない。

 

 出会えぬことを予想していなかったわけではない。それでも思った以上に消沈している自分に苦笑しながら、小兵衛は隠宅への帰り道を選んだ。

 

 ここで、小兵衛の尋常ならざる勘働きが発揮された。

 常人ならば気づかずに見逃すであろう、ある風景に気づいたのである。

 木々の陰、道からはほぼ見えぬ位置に置かれた屋台に。

 

 死線をくぐり抜けた剣客提督ならば一度は経験したであろう、見えぬ敵。

 見えぬ故に気づかぬ。そう言いきってしまえば、そこに待つのは確実な敗北であり、死である。

 見えぬものに気づいたゆえの生存であり、今の姿であった。

 それは、小兵衛ただ一人の経験ではない。

 

(はて……?)

 

 妙な位置に隠された屋台に近づく小兵衛は更なる異物、いや、異音に気づいた。

 

(苦悶の声?)

 

 さらに進むと、密生した木々と藪の奥に横たわる艦娘の姿が見えた。

 軽巡球磨。屋台の主人である。

 足を速めた小兵衛は、身体を二つ折りにして苦痛に耐えているような球磨の姿に足を止めた。

 

 小兵衛の眼には怪我とは見えぬ。また病であれば、屋台の隠し方からして突発的なものではあるまい。

 むしろ痛みを予期して屋台を隠し、藪の中へと隠れたようにも見える。

 

 痛みを周囲に隠している、というのであれば小兵衛の出る余地はない。球磨の持つ事情など小兵衛にわかるはずもない。

 

 しばらくすると、痛みも治まったのか、球磨は辺りを窺いながら屋台まで戻っていった。

 小兵衛は静かに、その場を後にした。

 しかし、隠宅へ向かうはずの小兵衛の足は知らず知らずのうちに旧知の医者でもある、工作艦娘明石のもとへと進んでいた。

 

 世間話のついででもあるように、小兵衛は艦娘の養生法について訊ねてみた。

 

「養生というより、私たちは高速修復材さえ多量にあれば、ほとんどの怪我も病も治ります」

 

 けれど、と明石は続けた。

 

「戦のない世界を生き続けた艦娘、という記録がまずほとんどないんです」

「そもそも小兵衛さんもご存知の通り、提督が故意につけた傷であれば修復材で完治しない場合もありますし」

「正直言えば、まだまだわからないことだらけですよ、私たち艦娘の身体も、人間の身体も」

 

 小兵衛はそこで、名を出さずに球磨の症状を見たままに告げた。

 

「艦としての構造自体に無理がかかっているのかもしれませんね」

 

「それは修復材ではどうにもなりませぬか」

 

「人間でいいかえるならば、寿命のようなものです。痛みを消す薬なら作れるかもしれませんが、治すのは無理ですよ」

 

「痛みは消せる、と」

 

 明石は頷きつつも、悲しそうに言った。

 

「生きる望みがある子には、絶対に出せない薬ですけどね」

 

 その翌日、小兵衛が好奇心に耐えかねて出かけると、屋台は普段通りに出ていた。

 

 小兵衛は何も言わず、酒を頼む。

 球磨も以前に比べれば静かに注文に応え、酒を出し、包丁を握っていた。

 常連の数人も姿を見せ、今日は静かだね、と軽口をたたいても、やはり逆らわずに静かに客の相手をしていた。

 昨日の苦悶が相当に堪えているのかと小兵衛が考えていると、

 

「ここか? 客に喧嘩を売るという怪しからん店は」

 

「ふん、下らん小さな店じゃのう」

 

 どこかの提督らしき男と重巡娘が新たな客としてやってきた。

 

「おい、そこの軽巡崩れ、酒だ酒」

 

 球磨はこれも逆らわず、素直に酒を出す。

 

「お主のような出来損ないがこんなところで店を出せるのも、吾輩たちが命をはって深海棲艦どもと戦っておるからじゃぞ!」

 

「まったく、わが鎮守府に感謝してもらいたいな」

 

 あからさまに店主に喧嘩を売ろうと騒がしく飲み続ける二人組を常連たちが苦々しく睨むが、球磨は何も言わない。

 

 少しして、まったく反応しない球磨の態度に飽きたか、提督は席を立つとこう言い放った。

 

「おい、今日の勘定は店主の奢りだ。戦わぬ艦娘がそれくらいしても罰は当たるまいよ」

 

 球磨がこれも逆らわずに皿を下げようとすると、

 

「てめえはただ酒かっ食らっといて、どの口で球磨ちゃんに戦わぬとか言ってんだい」

 

 客の一人の声が響いた。決して大声ではないのだが幸か不幸か、周囲のざわめきが潮引いた絶妙のタイミングであった。

 

自然、その声は提督たちの耳に入る。

 

「なんだぁ?」

 

 提督が刀の柄に手をかけ、重巡娘は提督の横に位置どった。

 

「客に手だすんじゃねえクマ!」

 球磨が包丁を手にしたまま提督へと向かうと、それを待っていたかのように重巡娘がその手を掴む。

 そのまま球磨の身体を引き寄せようとした重巡娘の顔に、お銚子が一つどこからか投げつけられた。

 ただの投擲ならいざ知らず、どのように工夫したものか、ちょうど視界を覆うようにぶちまけられた中身が、その顔を包んだ。

 

「あ」

 

 視界のふさがった重巡娘が一瞬怯んだ隙に、球磨は進む方向をかえ、重巡娘に包丁を突きたてた。

 人間の力ではない、艦娘の力である。

 

 刺され悲鳴を上げる重巡娘はどんと突き放され、倒れた。

 

「腐っても艦娘なら、この程度じゃ死なないクマ。早く帰って、バケツを浴びるクマ」

 

 客たちの嘲笑を浴びながら退散していく二人を思うさまに睨みつけていた球磨は、次に小兵衛を睨みつけた。

 その前には、肴の皿と盃だけがある。

 

「球磨ちゃんや。酒をもう一本頼む」

 

「年寄りの早飲みは身体に悪いクマ」

 

「余計な世話じゃな」

 

「お互い様クマ」

 

「うむ、気を付けよう」

 

 毎日、とは言わぬものの、小兵衛のキタクマ通いは再開された。

 

 すると、定期的に屋台の場所と客が変わることに小兵衛は気づいた。

 そのうちの一つには駆逐艦娘漣の所属する鎮守府の裏手があり、球磨が屋台を引いて現れると、漣は「キタコレ球磨さん」と歓迎する。

 店の通称の由来でもあり、球磨も受け入れている様子があった。

 

 そして屋台を出す場所が変われば客も変わり、場所に関係なく通っているのは小兵衛一人だけであった。

 

「また来たかクマ」

「暇なじじいクマ」

「家から追い出されたクマ?」

「金持ってるクマ?」

 

 憎まれ口をたたきつつも小兵衛の好みを覚えたか、何も言わずとも料理が出されるようになった。

 数日おきに姿を見せ、一人でゆっくりと酒を飲み、金を払って帰る。小兵衛にはそれが楽しみの一つとなっていた。

 不思議と、この店に知り合いを連れてこようという気にはならぬ。提督でも先生でもなく、ただの小金を持った一人の年寄りとして扱われるのが小兵衛には心地よかったのだ。

 

 通い続けたある日、小兵衛は再び球磨の苦悶に行き当たった。

 球磨自身にも意外のことだったか、小兵衛が見つけたのは藪の奥に倒れる屋台であった。

 急ぎ藪に分けいる小兵衛の前には倒れ苦しむ球磨の姿。

 

「これ、球磨や、しっかりせい」

 

 普段の小兵衛の優しげな口調ではない。艦娘を率い深海棲艦に相対する提督としての声であった。

 その声に気づいてか顔をあげる球磨の口元に、小兵衛は袂より取り出した竹水筒をくわえさせた。

 高速修復材である。

 

「治らぬまでも多少は楽になる。飲め、球磨」

 

 飲み込むのを確認すると、小兵衛は球磨を担いだ。

 驚いてもがこうとする球磨を叱りつけ、小兵衛は道へと戻ると球磨を地面に横たえた。

 

「いいか、じっとしておれよ」

 

 息をつく間もなく小兵衛は大道へと向かって走り、駕籠屋を見つけ声をかけた。

 

 大戦によって人手は極端に減ったため、駕籠屋を営む艦娘も多い。

 小兵衛が声をかけたのもその艦娘駕籠屋であり、そこにいたのは千歳と千代田の水母姉妹であった。

 

 運の良いことにこの二人は小兵衛もよく利用しており、小兵衛の立ち回り先もよく知っている。

 

「この者を明石先生の屋敷まで運んでくれ。秋山からといえばわかる」

 

 金を多めに渡すと、千代田はにっこりと笑った。

 

「いつものところね、任せてよ。ねえ、千歳姉」

 

「ええ、急ぎましょう」

 

 

 *********

 

 

 球磨が目を覚ますと、そこには明石がいた。

 

「……明石」

 

「目が覚めましたか?」

 

「覚めたから話しているクマ。多摩と木曾は?」

 

「……、二人は入渠してますよ」

 

「どうせ木曾がビビッて、多摩が庇ったクマ?」

 

「ええ」

 

「大井と北上もいつも通りクマ?」

 

「はい」

 

「また、大井の奴、北上にべったりかクマ」

 

「そうですよ」

 

「ふふっ、仕方のない妹たちクマ……」

 

 球磨が目を閉じると、明石は振り向いて頷いた。

 そこには、球磨から見えない位置に立つ小兵衛がいた。

 

「また、眠りましたよ」

 

「今のは?」

 

「完全に目を覚ましていたわけじゃないようです。多分、以前にいた鎮守府の記憶でしょうね」

 

「以前、か。良い鎮守府であったのかの」

 

「球磨ちゃん、寝顔が笑ってますから」

 

 二人はそっと部屋を出る。入れ替わるように部屋へ入る朝風を確認すると、明石は小兵衛を別の部屋へ招いた。

 五月雨が茶を運ぶ。

 

「明石先生、球磨の容態は」

 

「人間でいえば、寿命です」

 

「やはり」

 

「もって半年、次にまた倒れれば……」

 

「それほどに……」

 

「まともな入渠もせずに怪我を治したような痕もあります」

 

 鎮守府にも属さず一人暮らしてきたのだろう、と明石は続けた。

 

 艦娘とはいえ皆が皆、戦を好んでいるわけではない。

 ただ、それは性格が好戦的ではない、というだけであり、戦そのものを忌避するものはいなかった。

 それでも様々な理由で戦から遠ざかった艦娘の存在は、小兵衛にも覚えがある。

 球磨もその一人ということであろうか。

 

「戦わない艦娘にいい顔をしない提督は多い、というより、それが当たり前ですね」

 

 艦娘同士でもその傾向はあると明石は言った。

 

「元々が戦闘向けでない私や間宮さんはそうでもありませんけれど、五月雨ちゃんや朝風ちゃんも、ここに来るまでに色々ありました」

 

 今は明石のもとで人間、艦娘双方の医術を学んでいる二人である。

 

「人間艦娘を問わず、戦しか知らぬものなど今の世間では役立たずよ」

 

「小兵衛さんならそう言うと思ってましたけどね」

 

「気づいたときにはもう老いぼれじゃ」

 

「大治郎さんや長門さん、足柄さんに教えてあげればいいじゃないですか」

 

「自分で気づかねば、すぐに忘れてしまうわ」

 

「そういうところは厳しいんですから」

 

「明石先生も自分で気づいたから、こうやって金も稼げぬ医者をやっておる」

 

 貧乏人からは薬の代金すらとらぬ医者、として明石の名はこの辺りでは有名であった。

 

「私一人の生きていくお金なんて、微々たるものです」

 

「先生」

 

 そこで声がかかった。朝風であった。

 その朝風を押しのけるようにして顔を出す球磨。

 

「世話になったクマ」

 

「もう少し休んでいきなさい」

 

「もう充分クマ」

 

 明石はそれ以上引き止めず、立ちあがる小兵衛に小さな袋を渡した。

 目を向けずに受け取った小兵衛はかすかに頷くと、背を向けて歩きだす球磨の後を追った。

 

「これ、球磨さんや」

 

「じじいの余計なお世話はしつこいクマ」

 

「安くて美味い酒と肴は惜しいからな」

 

「心配しなくても店は開けるクマ」

 

「それは重畳」

 

 明石の屋敷を出、少し行ったところでクマは立ち止まった。

 

「どこまでついてくるつもりクマ」

 

 言われた小兵衛は平然と、明石から預かった袋を掲げる。

 

「薬を預かっておる」

 

「薬なんて」

 

 吐き捨てるように言いながら睨みつける球磨にかぶせ、小兵衛は言った。

 

「効かぬよ。お主は病ではない。艦娘としての寿命じゃ」

 

 球磨の表情に動揺はなかった。

 

(やはり、悟っておったか)

 

「だったらわかるクマ? 薬なんて意味ないクマ」

 

「治すための薬ではない」

 

 小兵衛の決して大きくない声に、球磨は怯んだ。

 返す言葉を一瞬失った球磨へ、小兵衛は続けた。

 

「痛みを消す、ただそれだけの薬に過ぎぬ」

 

 一転、小兵衛の口調が変化する。

 

「球磨さんや。最後くらい、楽になってみてはどうじゃ」

 

 今度こそ言葉を失った球磨は、小兵衛に促されるままに薬の袋を受け取った。

 

「何も聞かぬよ。しかし、美味い酒をまた、飲ませてほしいものじゃな」

 

 それだけ言うと振り返り、小兵衛は球磨に背を向けて帰っていく。

 あとに残された球磨はその後ろ姿をしばらく眺めていたが、やがて我を取り戻すと、逃げ出すようにその場から走り去っていった。

 

 その十日後のことである。

 

 あきつ丸が小兵衛の隠宅を訪ねてきた。

 小兵衛のことを訪ねまわる不審な艦娘、軽巡球磨がいると。

 思い当たる節のある小兵衛であった。

 

「あきつ丸。このこと、龍驤には無用じゃぞ」

 

「おや先生、隅に置けないでありますな」

 

「馬鹿者、邪推するでないわ」

 

 翌日、早速に小兵衛が屋台へと向かうと、何事もなかったかのように迎える球磨がいた。

 

「話があるクマ」

 

 最初の酒を出した時にそう言ったきり、球磨は他の客をあしらっていた。

 そして早々と店じまいすると、小兵衛について来いと言って屋台を引く。 

 素直についていった小兵衛が案内されたのは、町の裏手にある小さな小屋であった。

 周囲に人気はないが、荒れている様子はない。

 

「球磨には姉妹がいたクマ」

 多摩、北上、大井、木曾に一番艦球磨を合わせたのが軽巡球磨型五姉妹である。勇猛果敢な五姉妹として、大戦中はどの鎮守府でも重宝されていた軽巡姉妹であった。

 

「みんな、大戦で轟沈したクマ」

 

 小屋の内に小兵衛を招きながら、球磨は独り言のように言葉を重ねた。

 

「球磨のいた鎮守府は、港湾棲姫率いる艦隊と戦っていたクマ」

 

 

 

 鎮守府でも筆頭を争う錬度を誇っていた球磨は水雷戦隊を率い、数多くの僚艦とともに戦った。

 轟沈した僚艦を悼み、撃破した深海棲艦を誇った。それは、大戦中の艦娘であればほとんどが辿る道であった。

 球磨は、自らの戦のありように何の疑問も持ってはいなかった。

 

 大戦末期、港湾棲姫率いる艦隊の襲来に鎮守府は色めき立った。

 戦艦が、空母が、そして球磨型率いる水雷戦隊が出撃し、これを迎え撃った。

 一隊を打ち破ったところで、提督はこれを先遣部隊と判断し、本軍の捜索と追撃を艦娘たちに命じた。

 後にわかったことではあるが、この判断自体に間違いはなかった。しかし、敵部隊は複数にわかれ、それぞれ独立した形で鎮守府襲撃を計画していた。

 それが判明した時、それでも提督は命じた。

 球磨を含む部隊をそのまま進撃させることを。残存艦隊のみで鎮守府を死守することを。

 結果から言うならば、提督の策は半分正解だった。

 港湾棲姫征伐には成功したが、鎮守府もまた、崩壊したのだ。

 

「大艇ちゃんが、何も見つからないかもって……提督さんも吹雪ちゃんたちも」

 

 鎮守府方面へ飛ばした二式大艇からの報告を泣きながら告げる秋津洲を、扶桑と山城が抱き寄せていた。

 

「大丈夫、大丈夫よ。きっとみんな、どこかに隠れているから見つからないだけなの」

 

「お姉さまの仰る通りです。私たちは提督の命令に従いこのまま進撃、港湾棲姫を討ちとります」

 

「私と山城は瑞雲を放ちながら突撃、青葉の重巡部隊は援護しながらの前進を。球磨型五隻は水雷部隊を率いて敵中枢を叩いて」

 

「最高の勝利を持ち帰ってやるぜ」

 

「北上さんと一緒なら、どこだって行ってやるわ」

 

「にゃあ」

 

「球磨姉、行ける?」

 

「誰に向かって言っているクマ」

 

 艦娘側は鎮守府を討たれ、深海棲艦側は本拠地ともいえる本軍に攻め込まれている。

 双方背水の陣となった戦闘は苛烈を極めた。

 前に立つ敵を屠る。それ以外に生還の道はない。そう思い極めた艦娘、そして深海棲艦の攻撃に一切の容赦はなく、逃げる先もなかった。

 

 勢力を削りあい、やがて残った戦力は一点に収束された。

 

 獣の雄叫びをあげ斬りこんだ球磨の後ろに続くのは多摩と北上だけだった。

 旗艦扶桑からの通信はとうに途絶え、声の届く範囲の僚艦はすべてもの言わぬ骸と化していた。

 敵旗艦、港湾棲姫を三人は追い詰めようとしていた。陸上を定置とする型の深海棲艦である港湾棲姫は戦闘中に大きく動くことはできない。

 さらに、港湾棲姫にもその場から逃げる意思はないように見える。

 

「多摩、北上、向こうさん、何かを隠しているクマ」

 

 港湾棲姫が待ち構えていたのは小さな島であった。中規模鎮守府一つ置けば、たちまち手狭となる程度の大きさの島。

 それでも急ごしらえの施設らしきものが見える。どうやら、臨時で造られた深海棲艦の施設のようであった。

 三人はそれこそが港湾棲姫の本拠地だと判断した。ゆえこそ、その足を速め主砲を掲げた。

 

 それを座視する港湾棲姫ではない。既に空爆や長距離砲撃を受けて傷を負った身を物ともせず、残存部隊と共に反撃を展開する。

 

「ごめん、先に大井っちのところに行くね」

 

 球磨の制止よりも早く北上は先行し、残弾を全て港湾棲姫の護衛へと散らす。

 深海側戦艦、重巡の悲鳴が上がるとそこに立つ深海棲艦はただ一人となり、艦娘は二人となった。

 

「多摩、まだ間に合う。お前だけでも戻るクマ」

 

「にゃあ、多摩は独りぼっちは嫌だにゃあ。一緒に帰るか、一緒に行くかの二つに一つにゃ」

 

「仕方ないクマ」

 

 球磨は横に並んだ多摩に一瞬だけ目を向けた。

 

「一緒に妹たちに会いに行くクマ」

 

「一緒にゃ!」

 

 二人は何の合図もなく左右に分かれ、残りわずかの砲弾を放つ。

 港湾棲姫はあえてそれを避けずに、たたき落とすように両腕を振るい、半壊した艤装を楯とし、反撃を放った。

 球磨は進んだ。脳裏からは多摩のことも、そして港湾棲姫のことすら消え去り、ただ、目の前にあるものを打ち砕かんと進んだ。

 港湾棲姫の主砲があがり、その筒先が球磨に向けられる。

 

「なめるなクマー!」

 

 筒先から逃げようともせず主砲を放つ球磨。二つの砲撃音はほぼ同時に重なった。

 いきなり球磨の前に躍り出た多摩の身体が文字通り吹き飛んだ。

 次に港湾棲姫の胸元が爆ぜ、その動きが止まった。

 

 ……クル……ナト……

 

 言葉も途絶え、球磨はその場に生きるものが自分一人となったことを知った。

 

 ……カエレ

 

 いや、違う。と球磨は気付いた。

 声がする。

 港湾棲姫の立っていた位置の後ろ。隠された扉がある。

 

 扉の位置を見つけ、球磨は港湾棲姫の立ち位置を確認した。

 間違いなかった。

 港湾棲姫は球磨の一撃を致命からは避けることができていたのだ。この扉を守らなければ、の話だ。

 球磨はゆっくりと、扉を開いた。

 

 カエレ!

 

 そこには、小さな深海棲艦がいた。

 普通の深海棲艦ではない。おそらくは姫級だろう。

 後に球磨は、そこにいたのが北方棲姫だと知る。

 だが、その時球磨が見たのは小さな子供だった。深海棲艦姫級の子供だった。

 

 球磨は悟った。

 港湾棲姫が護ろうとしたものを。

 港湾棲姫が攻めてきたことは決して正当化されるものではない。

 それでも今このとき、港湾棲姫は己よりも優先して守ったのだ。北方棲姫を。

 多摩が、球磨の受けるはずだった砲撃を受けたように。

 北上が、多摩と球磨のために血路を開いたように。

 互いを庇って倒れた、木曾と大井のように。

 

「お前も、一人クマ?」

 

 北方棲姫は何も言わず、港湾棲姫に近づいた。

 そして、揺り動かす。

 

 起きろ、というように。

 起きてくれ、というように。

 

 球磨はその姿を眺めていた。

 やがて、その姿が揺れ、ぼやける。球磨の視界が濡れていた。

 そして球磨は気付く。目の前の北方棲姫がまだ幼い姿であるということに。

 北方棲姫は、艦娘の基準で見ても元々幼い子供の姿を持っている。それにしても、この北方棲姫はさらに小さい。

 おそらくはまだ、深海棲艦の基準でも幼いのだろう。そのために、港湾棲姫が庇おうとしていたのだろう。

 

 球磨はこのまま、北方棲姫を捨て置けばいい。やがて鎮守府の異変を知った別鎮守府が艦隊を差し向けるだろう。

 そうなれば、残った北方棲姫一人など恰好の標的に過ぎない。抗することも出来ずに即座に滅ぼされるだろう。

 

 港湾棲姫の護りなど無意味だった。

 球磨はそう思いたくなかった。

 命を張って護った者がここにいる。

 球磨は、妹たちを護れなかった。

 港湾棲姫は、北方棲姫を護った。

 

 自分は護れなかった。ならば、護られた者がいてもいい。球磨はそう思ったのだ。

 

 

 

「球磨にはもう、北方棲姫を撃つなんてできなかったクマ」

 

 語り終えながら、球磨は小屋の奥の扉を開いた。

 

 ……クマ、カエッタ?

 

 さしもの小兵衛も一瞬息をのんだ。

 

 そこに球磨を迎えるように立っているのは、紛れもない深海棲艦。

 大戦中、数多くの艦娘を、そして人間を襲い屠った姫級。北方棲姫であった。

 

 カ、カエレ!

 

 小兵衛は困惑していた。北方棲姫の存在にではない。それは自分の反応に対してであった。

 自分は息をのんだ。しかし、愛刀に手は伸びない。実際にも深海棲艦を斬り伏せたことのある大戦中からの愛刀である。

 恐怖に身が竦んだのではない。斬れるか否かの疑いでもない。

 小兵衛は瞬間の惑いの後、答えを出した。

 自分はこの不倶戴天であるはずの相手から殺意を、いや、敵意すら感じていないと。

 

 剣士とは常に理詰めで動くとは限らぬ。他ならぬ小兵衛自身が、かつて大治郎にそう語ったことがある。

 

 このような例がある。

 ある男が剣の師匠を訪ね、暇を請おうとした時である。

 

「兄弟子も来る頃だ、も少しゆるりとしていけ」

 

 それまで欠片とも出なかった兄弟子の話題に男は眉を顰めたが、なにしろ師匠の言葉である、男は素直に腰を下ろした。

 はたしてその数分後、確かに兄弟子が姿を見せたのである。

 後に確認したところ、兄弟子もその日急に思い立って訪れたのだと言った。無論、男の訪問など知らぬうえである。

 何故分かったのかと尋ねると師匠は難しい顔で、「わしにもわからぬ。ただ、そのような気がしただけでな」と言うのみであった。

 

 剣士に限らぬ、何事も極めようとするならば、いずれは理外の境地に達することもあろう。それが今の小兵衛の理解であった。

 

 ならば、己に正直に動くのみ。

 

「お客さんクマ。大丈夫クマ」

 

 北方棲姫は、小兵衛をじっと見上げると、ゆっくりとお辞儀をした。

 緊張が解けるのを小兵衛は感じていた。

 北方棲姫から困惑は感じられても、敵意は感じない。

 

「うむ。儂の名は秋山小兵衛じゃ」

 

 ……コヘ

 

「うむうむ、ようできたの」

 

「怖くないクマか?」

 

「友好的な深海棲艦、長年提督をやっていれば聞かぬでもない」

 

 実際に出会ったかどうかは別として、友好的な深海棲艦というのは提督の間では広く知られた存在である。

 ただし、それを実在していると取るか、法螺話と取るかは人によって大きく変わる。

 

「その頃の北方棲姫は、今よりももっと小さくて自力では遠くまで行けそうになかったクマ」

「あの場に残せば、後から来るだろう別鎮守府の艦娘にきっと殺されていたクマ」

「球磨ももう、鎮守府に戻りたくはなかったクマ」

「だからその場から一緒に逃げたクマ」

「離れたところで別れようとしたけれど……」

「北方棲姫はそれからも球磨に付いてきてくれたクマ」

 

 全てを語り終えたクマに、小兵衛は大きく頷いた。

 

「球磨よ。少なくとも儂に、お前を責めることはできぬよ。ただの男としても、提督としても」

 

「別に責められてもいいクマ。その覚悟はしているクマ」

 

「じゃが、責めて欲しくて儂を呼んだわけでもあるまい」

 

 そもそも責めるというのならば、それが許されるのはその時にいた艦娘か提督だけだ。と小兵衛はいった。

 艦娘の常識と人間の常識には違う部分がある。提督としての小兵衛もそれを知らぬではない。

 しかし、肝心要の部分については人間も艦娘もさほどの違いは無い。小兵衛はそう信じているし、そのように鎮守府を運営していた。

 その頃の麾下であった艦娘達、そして今もつきあいのある艦娘達を見る限り、自分の鎮守府運営が間違いであったとは、

 

どうしても小兵衛には思えぬのだ。

 

「球磨はもう、長くないクマ」

 

 小兵衛はその言葉を否定するでもなく、かすかに頷いた。

 球磨はその小兵衛の反応に安心したかのように笑う。

 

「ふふっ、その方がありがたいクマ」

「球磨は、たくさん深海棲艦を殺したクマ。友達も、提督も、妹たちもみんな死んだクマ」

「今更、自分が死ぬことは怖くないクマ」

 

 北方棲姫が球磨の着物の裾を引き、すがるように抱きついた。

 

「安心するクマ。お前のことは何とかするクマ」

 

 球磨は小兵衛へと向き、真剣な顔で頭を下げた。

 

「この子の行く末を何とかしたいクマ」

 

 

 

 三日後、小兵衛の姿は田沼鎮守府の応接室にあった。

 

 小兵衛の前にいるのは田沼提督ではない。その筆頭秘書艦たる大井である。 

「恐ろしいことを仰いますね」

 

 大井の言葉に、小兵衛ははて? と首を傾げて見せた。

 

「恐ろしいこと、とは?」

 

「深海棲艦を匿う脱走艦娘など」

 

「それが恐ろしいと」

 

「無論です。秋山殿は、その討伐を田沼様にお願いしたいと言うことなのですか?」

 

「ならば、深海棲艦と密会なされる提督は恐ろしくないと?」

 

 大井が小兵衛を睨みつけた。

 すぐに、その表情は和らぎ、苦笑のような顔に取ってかわる。

 

「噂通りね。食えないわ、貴方」

 

「噂など、当てにはなりませぬな」

 

 フフと笑い、大井は改めて頭を下げた。

 

「無礼を謝罪しますわ」

 

「こちらこそ、つまらぬ噂を口にしました」

 

 同じく頭を下げる小兵衛。

 

「噂など、当てにならないのでしょう?」

 

「まったく」

 

 二人は顔を上げ、示し合わせたわけでもなく同時に笑った。 

 

 小兵衛が告げたのはまさしく噂である。

 田沼提督を中傷する噂は実に多い。その噂がどれほど真実に近いかは別として、噴飯物から笑えぬものまで、その種と量には枚挙にいとまがなかった。

 

 その噂の中には、田沼提督が深海棲艦と密会しているというものまである。普通に考えれば噴飯物の類であろう。

 なにしろ、深海棲艦と正面から戦う鎮守府を率いるのが提督である。故にそれはもっとも眉唾とされ、逆に広く流布している噂でもあった。

 あからさまな嘘と判断できるからこそ、嘘を嘘として話の種にする者が多いのだ。

 そしてそのような類の噂であるからこそ、正面から咎める者も少ない。

 

 それを小兵衛は気に留めていた。

 噂の内容を直に信じたわけではない。

 かつて、「提督暗殺」事件のとき、小兵衛は田沼提督と語らった。

 田沼提督は小兵衛に、深海棲艦との和平の可能性を語った。深海との戦に勝利したいではなく、終わらせたいと言ったのだ。

 

 ゆえに小兵衛は感じた。ある種の深海棲艦を田沼提督は知っていると。

 大戦時、ごく一部の提督だけが話していたこと。それは、穏健派の深海棲艦の存在。深海側から見れば異端にして裏切り者である。

 その存在を全く知らぬ者からすれば、深海との和平を考えること自体が画餅としか思えぬ。

 

 小兵衛自身が積極的に深海との和平を望むわけではない。それでも、尽きぬ戦よりは和平を選ぶ。深海が和平を望むのなら、話次第では応じても良いのではないかとも考える。

 小兵衛だけではない。大戦を乗り越えた提督の中には、同じような思いを持つ者が決して少なくはない。却って、前線に

 

出ることのなかった高官や民衆の中に、深海棲艦の滅亡まで徹底して戦うべきと唱える者が現れているのが現状であった。

 直接襲われた人々の怨嗟の声は理解できる。それは当然であろうと誰しも思う。しかし、あえてそこに拘泥せぬのもまた、上に立つ者の視点ではないかとの声も少なくはないのだ。

 

「噂といえば」

 

 大井は笑みを収めると続けた。

 

「奇妙な深海棲艦の噂もありますね」

 

「奇妙な、とは」

 

「戦わぬ、深海棲艦」

 

 小兵衛は頷き、答えた。

 

「噂とはいえ、一度目にしたいものですな」

 

 これに大井はええと答え、手を叩くと、小兵衛を部屋まで案内した使用人が姿を見せた。

 話は終了、との合図である。

 

「秋山様」

 

 席から立ち上がった小兵衛に大井は改めて頭を下げた。

 

「このたびの御指図、球磨型軽巡艦娘として御礼申し上げます」

「系違いとはいえ、球磨姉さまが御世話になりました」

 

「なんの、提督の習いじゃ」

 

 小兵衛の姿が見えなくなるまで、大井の頭が上がることはなかった。

 

 その二十日ほど後、二人の姿は大治郎の鎮守府にあった。

 

 大井と小兵衛だけではなく、当然大治郎と秋月、そして龍驤の姿がある。

 さらに隠れるようにして球磨、そして北方棲姫の姿もあった。

 秋月はやや及び腰であるが、それでも引かずに北方棲姫に対していた。

 対して長十糎砲ちゃんたちは、敵意を感じぬのか北方棲姫と戯れている。

 

「小兵衛はんが決めたことやから、今更うちは何にも言わん」

 

 せやけど、と龍驤は続けた。

 

「ほんまに、球磨もついていったらあかんのか?」

 

 大井はかすかに頭を下げた。

 

「ええ。約定通り、艦娘は一人だけ」

 

 球磨が北方棲姫の手を取り、頭を撫でた。

 北方棲姫はされるがままでいると、ふと顔を上げた。

 

 ……クマ、イッショ

 

 球磨は優しく微笑むと、静かに首を振った。

 

「もう、決めたことクマ。ちゃんと話もしたクマ」

 

 小兵衛にすべてを告げてより今日まで、球磨は北方棲姫に別れる道理を言い聞かせていた。

 

 戦場より離れてすぐの頃であれば、二人は何の心残りもなく立ち去り、ただ互いの記憶の中にかすかに残るだけだっただろう。

 心残さずに去るには、あまりにも二人の生活は長すぎた。

 球磨の説得の間、北方棲姫は暴れた。

 出会ってすぐの頃のように暴れた。それでも、無抵抗の球磨には傷一つつけぬ暴れ方に球磨は泣いた。球磨の涙を見た北方もまた、泣いた。

 

「これを持って行くクマ」

 

 球磨が差し出した零式水上機を北方は受け取った。

 

「球磨にはもう、要のないものクマ」

 

「さあ」

 

 声をかけた大井の手を、北方が握る。

 

「元気でいるクマ」

 

 ……ホッポ、ゼロ、タイセツニスル

 

 抜錨する二人を球磨は見送った。

 二人の姿が見えなくなるまで、そして、見えなくなっても、いつまでも。

 

 やがて時が過ぎ、小兵衛も、大治郎さえ没した後、深海棲艦との初の和平交渉の席に零式水上機を手にした棲姫が姿を見せ、同席の艦娘たちを驚かせるのだが、それはまた、はるか先の別の物語である。

 

 話は、球磨と北方棲姫との別れに戻る。

 北方と別れた球磨は床に伏しがちとなり半年の後、息を引き取った。

 死ぬ間際に球磨は小兵衛に礼を述べ、墓はいらぬ、海に流してほしいと告げた。

 

「海には、多摩が沈んでいるクマ」

 

 北上も大井も木曾も、と続け、球磨は最後に呟いた。

 

「ホッポもいる、海がいいクマ」

 

 そして、静かに目を閉じた。

 

 その二日後、遺言を果たすために小兵衛は大治郎とともに海へと出た。大治郎麾下の艦娘と龍驤の護衛を受ける船は、球磨の亡骸を海へと運んだ。

 

「この辺りか」

 

「深海棲艦の目撃報告もされぬ海域です。球磨殿も、静かに眠られるでしょう」

 

「うむ」

 

 二人はゆっくりと、球磨の亡骸を流す。

 

「球磨さんや。妹たちと、ゆっくりとしておくれ」

 

 しばしの黙祷をささげ、小兵衛は引き返す合図を龍驤に送った。

 

「父上、あれは」

 

 その声に振り返り、大治郎の指し示した宙に目をやった小兵衛はおお、と感嘆の呻きを漏らした。

 

 そこには、一機の零式水上機が。

 まるで、球磨の姿を探しているかのように小さく旋回している。

 

「うむ」

 

「あれはもしや……」

 

「何も言うな、大治郎」

 

 言いかけた大治郎は、父の瞼に生まれた雫に気付き、口を閉じて背を向けた。

 

 去って行く一同から見える水上機は、いつまでも旋回を続けていた。

 小兵衛と大治郎、二人の眼から見えなくなるまで、そして、見えなくなっても、いつまでも。

 

 




できれば、冬コミ前に完成させて投下して、参加した艦これアンソロの宣伝もしたかった……残念


大井さんは切れ者だと勝手に思ってます。


話としてはまとまってないのですが、この世界の成り立ちや設定的なものをいずれは活動報告のほうにでも少し書こうかなと思ってます。


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芝村茶店

どれだけ間が空いたんだよ……


今回は「元になった話」は明確にはありません。

それっぽい話はあるような気がしますが


 これは、龍驤が小兵衛と暮らし始める前の話である。

 

 朝方まで降り続いていた雨はようやくやんだものの、まだ乾いていない足元は不安定で、なによりも歩き方が拙いと泥が跳ねてしまう。

 艦娘であれば、水上に立つ時間は長くとも陸上に立つ時間は短い。泥を跳ねさせぬように歩くのは、芝村へと続く道を歩く龍驤にもまだ容易なことではなかった。

 

 様々な理由で前線から身を引いた艦娘は、鎮守府に残り何らかの形で提督や他艦娘の助けにならんとする者が少なくない。

 とはいえ理由如何、あるいは鎮守府事情によっては残ることもままならぬ。そのため、人と交わり町中に暮らす艦娘もいた。

 また、いくらかの艦娘たちは人に交わらず互いに寄り添い暮らす道を選んでいた。

 龍驤が向かう芝村というのも、そんな村の一つである。

 

 深海との長く続いた戦に人間は疲労し、艦娘が現れる以前の大戦初期、いや、戦とも呼べぬ一方的な虐殺の続いた時期には、その数を大幅に減らしていた。

 そのような時代の中では一つの村から人が消え、荒れるにまかされることも少なくはない。地上で暮らす道を選んだ艦娘が、そのように打ち捨てられた村に住み着くことも珍しい話ではなかった。

 その中の一つ、吹雪型駆逐艦娘たちが中心となって再建された村は、誰いうとなく芝村と呼ばれている。

 

 ふと、龍驤は足を止めた。

 芝村へはまだ、ゆっくり歩いて四半刻ほどの距離である。

 龍驤は、そこに艦娘の気配を感じたのだ。

 奇妙、というほどではない。深海との戦もようやく小康を得ようかという気配の漂う昨今である。人と暮らす艦娘も増えている。

 

「なにか御用ですか?」

 

 龍驤の視線の先、畑の中で首をかしげるのは、戦艦娘榛名であった。

 

「あ、いや、不作法でごめんや」

 

 慌てて頭を下げる龍驤に、榛名は笑う。

 

「ふふふ、こんなところに私がいるのは、珍しいですよね」

 

 その通りだった。

 戦える戦えぬとは無関係に、榛名たち金剛型艦娘の人気は高い。提督を持たぬ金剛型がいると聞けば、提督たちはこぞって己の鎮守府に招かんとするだろう。

 

「身ぃ隠してるんやったら、ウチは見てへんことにするけど」

 

「大丈夫ですよ。私は好きでここにいますから」

 

 身を隠している。龍驤がそう考えるのも無理はなかった。

 榛名の姿は金剛型特有の戦装束ではなく、ごくごく普通の野良着なのだ。

 

 余談だが、この時代に現れた艦娘、そして迎えた人間がまず当惑したのは艦娘の衣装、戦装束である。

 例えば戦艦娘。伊勢型、扶桑型、金剛型はまあ良い。大和型、長門型については理解できぬのだ。

 まだ潜水艦娘のほうが、「海女」の類と納得できたという。

 幸いなことに普段の生活の中、あるいは艤装の限定利用であれば、戦装束は絶対に必要というわけではない。

 であるため例えば長門、武蔵、あるいは島風、神威などはこの時代の衣服を着こんでいることが多い。逆に神風型や鳳翔、隼鷹型などは、戦装束を普段着としていてもさほどの違和感はない。

 

「私の提督のお母様が住んでいる村なんです」

 

 成程、と龍驤は納得した。

 提督への情が篤いことには定評のある金剛型である。提督の家族、しかも母の世話を焼いていても不思議はない。

 再び龍驤が足を進めるよりも早く、こちらに急ぎ足で向かってくる一人の老婆の姿が見えた。この老婆が榛名の言うお母様なのだろうと考えているうちに、老婆が何かにつまずいた。

 咄嗟に動いた龍驤よりも、畑から走り出た榛名のほうが早く手を差し伸べた。

 ところが、である。

 老婆は榛名の手をはねのけた。

 

「老いぼれ扱いするんじゃないよ」

 

 それでも、榛名は笑っていた。

 大丈夫ですか、と声をかけていた。

 その榛名がさらに伸ばした手を、老婆は再びはねのける。

 

「そうやってすぐに老いぼれ扱いしてから、何が狙いだい」

 

 あまりの言い草にさすがに止めに入ろうとした龍驤だが、すぐに気づいた。

 榛名と老婆の間に険悪な雰囲気はない。刺々しい言葉ではあるが、不思議と悪意は感じられないのだ。

 自然と龍驤の足は止まった。興味が湧いた、というより純粋に面白い。

 

 何かが龍驤の肩に触れた。

 背後から「すまぬが」と声が聞こえた。

 その瞬間までまったく気づくことのなかった背後からの気配に龍驤は振り向くこともかなわず、榛名もまた、声の主に初めて気づいたかのように驚きの顔を見せていた。

 

「芝村への道を教えてもらえぬか」

 

 そう言いながら龍驤の傍を通るのは、人間の男としては小柄な、着流し姿の老人であった。

 

「秋山、先生?」

 

 榛名の驚きは龍驤とは違う種の驚きであった。それは以前見知った顔であったのだ。

 

「はて、お会いしたことがあるかな?」

 

 秋山と呼ばれた老人、いや、秋山小兵衛は何も知らぬ顔で首を傾げ、ややあって大仰に手をたたくと、

 

「おお、もしや、安部殿の榛名かえ?」

 

「はい、お久しぶりです。秋山先生」

 

 嬉しそうに頭を下げる榛名に相好を崩す小兵衛。

 

「いやいや、年寄りは同じ型の艦娘の区別がつかぬでいかんな」

 

 ぬけぬけという言葉に毒気を抜かれた龍驤が睨みつけるが、それに気づいた風も見せずに小兵衛は続けた。

 

「すると、そちらのお方は安部殿のお母上か」

 

 老婆は険しい表情を崩しもせず、小兵衛に目を向ける。

 

「あんたは?」

 

「秋山小兵衛と申す。提督として、かつてはご子息にも世話になったこともある」

 

 不躾な物言いにも嫌な顔一つせず素直に頭を下げる小兵衛に老婆はたじろぐが、

 

「そうかい、あんたは役立たずだったんだね」

 

 そう重ねても小兵衛はやはり逆らわない。

 

「恥ずかしながら」

 

「で、その役立たずが何か用かい? 提督なら提督らしく、そこの不良娘を連れかえっておくれ」

 

「役立たずには荷の重い話じゃな」

 

 涼しい顔で答える小兵衛。

 

「お義母様、秋山先生は深海との戦で、提督と肩を並べて戦った御方です」

 

「知ったこっちゃないよ」

 

 じろり、と老婆は龍驤を睨む。

 

「こっちのちんちくりんはなんだい」

 

「今日初めてお会いしました。軽空母の龍驤さんです」

 

「ずいぶん貧相な艦娘もいるんだね」

 

「なんや、ウチに喧嘩売っとるんか?」

 

 こちらは売り言葉に買い言葉であるが、榛名が即座に頭を下げる。

 

「すみません、龍驤さん、お義母様の言葉が過ぎて」

 

「腐っても戦艦が、提督相手でもないのにそう簡単に頭下げるもんとちゃうで」

 

「いいんです。榛名はもう海に出ませんから、戦艦じゃありません」

 

 事情はあるのだろう、と龍驤も理解する。海へ出ぬ艦娘というのは、今では少なからず存在しているのだから。

 恐らく、安部提督とやらは戦死しているのだろう。榛名が海へ出ずに亡き提督の母の面倒を見ようとしているのであれば、提督の死に何らかの責を感じているのだろう。

 

「提督の義理……や、堪忍な、出過ぎたこと言うてもたな」

 

「いえ、榛名は大丈夫です」

 

 龍驤は軽く頷くと、小兵衛へと向き直った。

 

「そこの爺ちゃん、芝村やったらウチが連れてったる」

 

 ふむ、と小兵衛が礼を言いながら龍驤へと足を向ける。

 

「そこのちんちくりん。足ぐらい洗って行きな、裾だって泥だらけじゃないかい。歩くのが下手なんだよ」

 

 言われて龍驤が確かめると、確かに自分の着物の裾に泥が跳ねている。それも一つ二つの痕ではない。

 とはいえ、ここで洗ったところで、まだ歩く距離はある。

 

「ここから先の道は、吹雪ちゃんたちが固めてくれた道だ、ぬかるみなんてありゃしないよ」

 

 なるほど、艦娘達によって整備されているのであれば、ぬかるみだらけの道というわけでもあるまい。

 龍驤の納得を待っていたかのように小兵衛が被せる。

 

「甘えさせてもらおうかの、嬢ちゃんや」

 

「ウチか?」

 

「龍驤、の方が良かったかな?」

 

「嬢ちゃんでええよ」

 

 そして何気なしに小兵衛の足元を見た龍驤は、途端に厳しい目で小兵衛の顔を睨んだ。

 

「とんだタヌキやなぁ、爺ちゃん」

 

 どこをどう歩いたものか、小兵衛の着流しの裾に泥跳ねは一切ない。

 艦娘ではなく人間ではあるが、それでも全く跳ねが無いということはまず考えられないのである。

 よほどに足捌きが達者でなければこうはなるまい。そして、小兵衛のような老人であれば、それはさらに珍しい話である。

 

「なに、着物を汚すと、手伝いの婆が煩うてな」

 

 嘯く小兵衛。

 

「ほら、ぼやぼやしないで手ぬぐいと水でも持っておいで」

 

「はい、お義母様」

 

 榛名が畑横の小屋をぐるりと回って裏手に行く姿を見送った老婆は手を上げると、

 

「それであんたら、茶と団子はどうかね」

 

「はぁ?」

 

「まさか、茶店で足だけ洗って終わりってんじゃないだろうね」

 

 よくよく見れば、掲げた手の指先は小屋軒先から垂れ下がる布きれを指している。

 確かに、布きれには【ちゃ だんご わらじ】などと小さいが達者な字で書かれているではないか。

 

「店やっとんの、押し売りも大概にしいや」

 

 呆れと笑いが多分に含まれた龍驤の声が響いた。

 

「それにしても、中途半端な場所やな」

 

「人に会うのが辛い吹雪ちゃんたちがいるんだ。この辺りがせいぜいさ」

 

 龍驤が真顔になる。

 

「そか、おおきにな」

 

「ちんちくりんに礼を言われる筋合いはないよ」

 

「龍驤や。ウチが言いたいだけや、気にせんとき」

 

 小兵衛が二人分を注文すると当然だというように龍驤は隣に並び、自分のものを受け取った。

 

「えらい爺さんと婆さんに出会ってもうたな」

 

 茶と団子を食べて店を出た後、そうボヤく龍驤の後ろを楽しげに歩いているのは小兵衛である。

 

「まあ、団子は美味かったし、茶も悪うなかった。間宮さんには及ばんけど、そこは贅沢っちゅうもんやろ」

 

「それはよかったのう」

 

「ところで爺さん、芝村に何の用や?」

 

「ちと相談を受けてな」

 

「吹雪らが、爺さんに? そりゃあ珍しいな。あの子ら、人間と関わるんは好かん子らやで」

 

 吹雪型にしては珍しく、とは龍驤も言わない。

 

「そやけど、吹雪らの気も知らず無理に関わる言うんやったら、ウチもここまでやで」

 

 立ち止まる龍驤。

 

「なんにも知らんと来てる訳と、違うやろ?」

 

 吹雪は、芝村に落ち着くまで都合三人の提督の下で働いていた。

 

「三人が三人とも、酷いもんやったそうや」

 

 己の名誉栄達を考える提督。それ自体が悪いわけではない。だが、それだけのために艦娘をないがしろにするというのは、どう考えても良き提督とは言えまい。

 さらにそれが、艦娘の轟沈すら招くとすれば、喜んで従う艦娘などいようか。

 戦いの末の轟沈、意味のある轟沈ならば、艦娘とて戦のなんたるかは知っているのである。受け入れることも吝かではない。しかし、己以外を顧みぬ提督の失策、あるいは恣意的な轟沈ではどうか。

 それを受け入れる艦娘など、はたしてどれほどいるというのか。いようはずもない、と考えるのが道理であろう。

 

「嫌になったんやな、吹雪は。その気持ちを無視するって言うんやったら、ウチにも考えはあるで」

 

 同じく立ち止まっていた小兵衛は、ふむ、と真面目な顔になる。

 と、なにやら嬉しいものを見たかのように頷き、語り始めた。

 

「最初に相談を受けたのは……」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 突然訪ねてきたかつての僚艦の頼みに、那智は首を傾げた。

 

「提督を探してほしい、と?」

 

「ふさわしい人がいれば、という意味ですが」

 

 扶桑と山城は互いに頷きあうと、占守の運んできた茶に手を伸ばす。

 

「仕事柄顔の広い貴女なら、心当たりがあるかもしれないと思って」

 

 深海棲艦との戦いが一段落した後、那智と扶桑姉妹の所属していた鎮守府は解散していた。今の那智は、艦賊と呼ばれるはぐれ艦娘、本分を忘れ悪の道へと走った艦娘を取り締まる役職「艦賊改め」に就いている。

 海防艦娘占守は、同じ鎮守府出身ではないが、艦賊改めとしての部下のようなものである。

 

「それは、吹雪からの相談なのだな」

 

「ええ。だけど、あの子たちが人から離れている理由は知っているでしょう?」

 

 吹雪型は元々人懐っこい性格が多い。同型の中では引っ込み思案にも見える初雪とて、人が嫌いというわけではない。

 ただこの吹雪の場合は、あまりにも運が悪かったといえよう。

 深海棲艦と艦娘の戦闘に巻き込まれて一つの漁村が消えた。その村に吹雪たちは訪れたのだ。そこで吹雪達がどのような扱いを受けたか、そして、それを庇うべき提督はどのような態度を見せたか。

 さらにその提督は、己の栄誉のためならば艦娘の損耗すら必要と考える質であった。

 そして多くの事件の後、吹雪は結論した。誰が悪いわけでもなく、自分たちは人の前に出るべきではないと。

 ありていに言えば、心が折れたのだ。

 同じような経験と結論を持った艦娘を集め、吹雪はうち捨てられた村へと移り住んだ。今は芝村と呼ばれているその村で、静かに土を耕して生きている。

 今の吹雪には人に対する恨みなどはない。ただ、人に会うのが薄ら怖いのだ。

「村を続けるにしても、あの子が長であることに限界を感じているらしいの」

 

「人間の長、つまりは提督が必要だという事よ」

 

「我ら艦娘の限界か。わからぬ話ではないが」

 

 提督の必要性は、今の那智には身に染みている。たとえ艦賊と成り果てた艦娘であろうと、提督あるいはそれに類した人間を必要とするのだ。それは、艦娘にとっての本能ともいえよう。

 それすら喪い、深海棲艦へと堕ちた艦娘を那智は何度も見ていた。

 

 だが、と那智は続ける。

 

「良い提督なら知ってはいるが、今の吹雪に合うとなれば話は別だろう」

 

「秋山提督はいらっしゃらないの?」

 

 那智、扶桑、山城は共に、秋山小兵衛の下で深海棲艦と戦を繰り広げた艦娘であった。

 

「提督は今や隠居の身だ。鎮守府、いや、村の長など御免被るだろうさ」

 

「そうね、それに山城。秋山提督では、吹雪ちゃんが萎縮してしまうわ。今必要なのは、立派な提督というわけではないのよ」

 

「さすがにわかっているな、扶桑」

 

 那智の言葉にふふっと笑う扶桑。

 

「ええ。だから、そんな方がいないかと聞いているのよ」

 

「それこそ、秋山提督にご苦労願うしかあるまいな」

 

「那智?」

 

「勘違いするな。提督の人脈に期待すると言っているのだ」

 

 立ち上がる那智。

 

「占守、客人と出かけてくる。後は頼むぞ」

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

「知り合いに、そのような者がおらぬかと聞かれてな。話だけではわからぬので、村の様子を見ようと思うてな」

 

 龍驤の不審げな表情に変化はないが、一応は納得したように頷いた。

 

「確かにな、共同生活に長は必要かもしれんけど、吹雪は長を引き受ける子でもないやろし。せやけど、どんな人間を連れてくるつもりなんや?」

 

「元提督の知り合いは何人かいてな」

 

「提督は合わんで?」

 

「それをしかと確かめるつもりだが」

 

 小兵衛はここで、再び嬉しそうに頷いた。

 

「嬢ちゃんのような艦娘がそこまで気に留めているというのなら、見当もつくというものよ」

 

「ウチに世辞言うてどないすんねん。吹雪をしっかり見たりや」

 

 吹雪が求めているのは提督としての看板のようなものであり、実際の鎮守府運営を任せたいわけではないだろう。ならばどのような人物が良いか。確かにそれは確かめてみるまではわかるまい。

 

「ま、きっちり見極めてや」

 

「ときに、お主は芝村の者か?」

 

 小兵衛の問いに、龍驤は首を振る。

 

「いいや、うちはここの吹雪とは何度か戦場で会うたことがあるだけや」

 

 芝村の噂を聞き、ふと好奇心が湧いたのだと、龍驤は言った。

 

「最近ちょっち、暇しとるしな」

 

 ふふっ、と小兵衛は笑い、

 

「戦いしか知らぬ者は、暇の使いかたが下手でいかんな」

 

「そこはお互い様やろ」

 

 龍驤の答えに二人はさらに大笑した。

 

 しばらく行くと、龍驤は先行させていた偵察機を受け取る。

 それを待っていたかのように艦娘が姿を見せた。

 

「龍驤さんと、えーと、誰だい?」

 

 吹雪型駆逐艦娘の一人、深雪であった。

 

「龍驤さんが来ることは聞いてたけど、そっちの爺ちゃんは?」

 

 口を開きかけた龍驤に被せるように、小兵衛が言う。

 

「芝村の話を聞きましてな」

 

「話って何さ」

 

「美味い野菜を作っていると聞いて、よければ、分けてもらおうかと思いましてな」

 

「おお」

 

 深雪は本当に嬉しそうに大口を開けて笑っていた。

 

「そりゃあそうさ。この、深雪さまが作ってんだぜ!」

 

「それはなおさら楽しみじゃ」

 

「深雪、吹雪はおるんか?」

 

「ああ、龍驤さんが来るの待ってるよ」

 

「この爺さんと一緒でもええかな」

 

 やや考えた深雪は、

 

「龍驤さんが一緒ならいいんじゃないかな、多分」

 

 深雪を先頭に再び歩き始める一行。

 

 その、少し前のことであった。

 安部の茶店を中心としてちょうど芝村とは反対側に、潰れかけたお社がある。村と同じ頃に廃された、古いお社である。

 そのお社の中には数人の男たちと艦娘が屯していた。

 

「いいか、お前ら」

 

 頭らしき男が集団を見渡す。

 

「今日という今日は構いやしねえ、この期に及んでグダグダ言うようなら叩き斬ってやれ」

 

「へい、ですが頭、札のありかはさっぱりわかりやせんぜ」

 

「そんなもん、婆を埋めた後にでもゆっくり探せ」

 

 札とはこの場合、鎮守府の開設を許可するために発行されている鑑札である。

 ただの札ではない。艦娘の提供した技術と妖精の手がかけられているため、偽鑑札は事実上不可能な代物である。

 これがなければ鎮守府は立たず、仮に無理やり立てたとしても中央からの援助は得られない。

 かつて存在した安部鎮守府の鑑札を、老婆は今も持っているということである。それは老婆にとっては息子の、榛名にとっては仕えた提督のよすがなのだろう。

 提督が死亡、引退した場合の鑑札は、通常ならば返納されるか、次代の提督へと謙譲されるものである。

 ちなみに、小兵衛の鑑札は未だに小兵衛の手元にあるが、特にこれは違法というわけではない。

 そして大戦中の混乱期ならばいざ知らず、現状においての鑑札の発行は、誠に厳しい吟味の上となる。予算人員の都合だけではなく、艦賊改めなる部署を新設したという一事から見ても、艦賊の増加の一因となる粗製鎮守府の乱立は避けたいというのが今の中央であるのだ。

 それでも甘い汁を求めて鎮守府を立てんとする愚か者はいる。つまりは、この男たちである。

 中央の援助に胡坐をかき、艦娘という美女を侍らせ、国を護ると嘯き肩で風をきる。いざとなれば艦娘もろとも鎮守府を棄てる。勿論、棄てられた艦娘がどうなろうと知ったことではない。

 まともな提督から見れば、唾棄する唾ももったいないような痴れ者である。

「札さえありゃ、婆なんざどうでもいいが」

 

 頭は醜悪な笑みを見せた。

 

「榛名は殺すなよ、ありゃあ、俺がもらう」

 

 即座に異議を唱える艦娘をしたたかに殴りつけると、

 

「お前何か? 提督様に逆らう気か?」

 

 殴られた艦娘がその妹艦たちに支えられるのを睨みつける。

 

「ま、いいじゃねえか。お仲間が増えるんだ」

 

「待ってください。榛名がそう簡単に従うとは思えませんが」

 

「そん時ゃ、好きにしろや、霧島、比叡」

 

 なあ、と頭は並ぶ三人に近づくと、先ほど殴り飛ばした艦娘の頬を撫でた。

 

「さっきは殴っちまってすまねえな、俺は短気でいけねえや。だけどよぉ、怒らせるおめえも悪いんだぜ、金剛」

 

「わかってマス、提督は私たちのために榛名を奪うんだっテ」

 

「わかってんなら、いいさ」

 

 そして、小兵衛らが芝村で吹雪に会う頃、無頼どもの姿は茶店前にあった。

 

「しつこいね」

 

 老婆の第一声がそれであった。

 無頼どもの押しかけはこれが初めてではない。だがこれまでは口調こそ乱暴ではあっても言葉による説得である、老婆はそれをことごとく断ってきた。

 

「いい加減にしないかい。何度来たって、あんたたちみたいな破落戸に渡すもんかい。真っ当な提督になってから出直しておいで」

 

「いい加減にするのはどっちかねえ」

 

「あなたたちです」

 

 凛と声を上げると、榛名が老婆を守るように艤装を発現させる。

 

「榛名は、悪い人には容赦しません」

 

「そうかい」

 

 衝撃が榛名の足元の地面をめくり、土塊を撥ね上げた。

 ほぼ同時に聞こえたのはまぎれもない艦娘の、それも戦艦娘の、そして榛名には馴染みのある砲撃音である。

 

「榛名姉さま、どう計算しても勝ち目はありませんよ」

 

「榛名、私たちと一緒に行こうよ」

 

「霧島……比叡姉さま」

 

 榛名は気づいていた。二人に艤装を発現した気配がないことに。

 ならば艤装を発現し、榛名に砲塔を向けたのは。

 

「私の知っている榛名は、シスター思いのとても良い子デスネ」

 

 榛名はその名を呟いた。

 かつて榛名のいた鎮守府では巡りあうことのなかった長姉がそこにいる。

 

「どうして」

 

「私たちの提督と、お姉さまと一緒に来たまでのことです」

 

「ね、榛名。今なら謝れば許してくれるよ。一緒に行こうよ」

 

「榛名、お姉さまの言うことが聞けませんか?」

 

「榛名の提督は違います!」

 

「榛名」

 

 老婆は榛名の背後から小さく告げる。

 

「お逃げ」

 

「お義母様?」

 

「札を渡して、はいそうですかと帰る連中じゃないよ」

 

「榛名は大丈夫です」

 

「あんな連中のところで働きたいかい?」

 

 答えに詰まる榛名に、老婆は優しく言った。

 

「今まで、年寄りの我儘につきあわせてすまなかったね」

「もう、いいんだよ。お行き。あんたなら、どこの真っ当な提督でも面倒見てくれるさ」

「さぁ」

 

「お義母様」

 

「こう見えても提督の母親だ。覚悟は出来ているよ。最後の言葉を、あんたへの命令にさせないでおくれ」 

 

 榛名が答えるより先に、金剛達が動いた。

 三方から榛名を囲むように広がる三人に、榛名はその場から動けずに目を配る。

 さらに、男達が三人を囲むように回り込み、これは榛名を無視して老婆へと向かった。

 

「札は渡すから、榛名に手を出すんじゃないよ!」

 

 老婆の言葉には耳も貸さず、

 

「両方だ」

 

 男達の動きは止まらず、しかし老婆に手を伸ばした男はその場に崩れ落ちる。

 どこからともなく投げつけられた石飛礫が男の眉間をかち割っていた。 

 

「両方を諦めるか。殊勝なことよな」

 

 ただの石飛礫ではない、名人秋山小兵衛の投げた飛礫である。

 

「及ばずながら秋山小兵衛、安部殿御母堂の加勢に参った」

 

「軽空母龍驤、右に同じや」

 

 直後、霧島と小兵衛は同時に動く。

 

「合わせぃ、龍驤」

 

 龍驤は即座に艦攻を発艦させる。

 片目は艦攻の視界に同調させ、片目は小兵衛を睨みつける。

 怒鳴りつけたいのをこらえ、龍驤は艦攻を操っていた。そもそも、合わせるなどという話は初耳である。小兵衛の無茶ぶりといってもいい。

 龍讓は腹立たしさを覚えていた。

 霧島を攪乱する艦攻の動き、対空を妨害する小兵衛の切っ先。どれ一つとして事前の相談はない。それが、誂えたかのようにぴたりとはまるのだ。

 その小気味良さが腹立たしく、そして愉快だった。それを愉快に感じている自分にも腹が立つ。

 

 何故、自分が戦いに倦んだ後に出会うのだ。

 これほどの提督が自分の鎮守府にいたならば。

 何故、この提督のもとに自分はいなかったのか。

 

 芝村で、吹雪を前にして小兵衛はこう言ったのだ。

 

「なに、無理に提督などを頭に据えることなどあるまいよ」

 

 吹雪の横で呆れ顔の深雪と白雪を見つつ、小兵衛はなおも続けた。

 

「鎮守府を作るというわけではない、ならば提督の名に拘ることがあるのかい」

 

「だけどさ、爺ちゃん」

 

 深雪が声を上げる。

 

 艦娘として指揮されるのであれば、それはやはり提督の能力が要るだろうと。

 確かに、今の町中には提督でない者達と共に仕事をしている艦娘も多い。しかし、それとこれとは話が別なのだと。

 仕事としての指示と、村を治める者としての統率は違うのだと。

 

「これまでは何とかやってきたつもりです」

 

 吹雪が深雪の言葉を引き取った。

 

「ですが、やはり、無理があります。私では限界が」

 

 自分一人ならばどのような不都合も甘受しようが、ここには他の艦娘も居る。

 他の艦娘にまで不都合を強いるのは、吹雪型一番艦としての自分が自分を許せぬと。

 

「私たちでも駄目だ。今のままじゃ村はやっていけない」

 

 深雪のさらなる言葉に、小兵衛は静かに尋ねた。

 

「上に立つのではなく、共に立つ人間ならば、どうじゃ」

 

「共に……?」

 

 きょとんとした顔の吹雪。その横では、深雪が目を見開いている。

 

「誰に仕える奉ずるというわけではなく、ただ、人と共に生きる。それほどに難しいことかのう? 例えば、ほれ、外れにある茶店のばあさんは、お主らにとって邪魔なのかえ?」

 

「話し中すまんけど」

 

 小兵衛の後ろでなにやら難しい顔をしていた龍驤が突然立ち上がった。

 

 即座に立ち上がる小兵衛。

 

「彩雲か?」

 

 その言葉を待っていたかのように龍驤の口角が上がる。

 

「ホンマに、タヌキ爺やな」

 

 深雪に村へと案内される直前、龍驤の元に戻ってきた偵察機があった。それを龍驤は再び密かに放っていたのだ。

 何も言わずとも、小兵衛はそれを察していたことになる。

 

「婆ちゃんの茶店に、なんやようけ来とる。戦艦三つ……金剛型っぽいな」

 

「榛名がいれば、あとはどうとでもなろう」

 

「三倍の相手はキツイやろ」

 

「儂と嬢ちゃんで二つは引き受けられよう」

 

「ウチも数に入れてんのか」

 

「いかぬか?」

 

「いや、歓迎や」

 

 今、龍驤は自らの、そして小兵衛との連携に深い満足を覚えていた。

 この提督の鎮守府でなら、という思いもある。

 しかし、龍驤は聞いている。

 秋山小兵衛が提督という名に重きを置かぬということを。さらに、今の小兵衛はあくまで元提督であり、自ら再び鎮守府を立てるつもりなど全くないということを。

 

 運が悪い、と龍驤は内心で愚痴る。愚痴り、前を向く。

 それならば、せめて、このときは小兵衛からの下知を充分に楽しんで見せようと。

 

「さぁ艦載機のみんなぁ、お仕事お仕事」 

 

 霧島を翻弄する軽空母と老剣士に焦れた比叡が注意をその方へと向けた。その瞬間、比叡の視線から逸れた榛名の砲撃がその艤装を砕く。

 

 叩きつけられるように弾かれる比叡の身体を確認した瞬間、金剛が走る。

 ほぼ同時に、老婆へと動く無頼どもの足元を、駆逐の対空機銃弾が牽制する。

 

「深雪さま一番乗りぃ!」

 

 深雪を先頭にした駆逐艦娘がずらりと並び、男達を睨めつけていた。

 

 さらに、

 

「例えお姉さまといえどもこれ以上」

 

 金剛の先に立つ榛名は、迎え撃つための砲先を向ける。

 

「榛名ぁ!」

 

 小兵衛の切っ先に気を取られた霧島が龍驤の操る艦攻からの直撃を受け、無頼どもの足は吹雪達の牽制で止められる。しかし、金剛は止まらなかった。

 

「勝手は、榛名が許しませんっ」

 

 榛名の砲撃を金剛は避けられ……否、避けなかった。

 

「いい提督に出会いましたネ、榛名。……ごめんネ、比叡、霧島」

 

 着弾音に紛れたその言葉を、聞いた者はいない。

 

 その場の艦娘でただ一人。戦艦娘金剛は轟沈した。

 

 この後、小兵衛は那智に無頼共と霧島、比叡を引き渡し、金剛の後始末を依頼した。

 

 さらに数日後、龍驤の訪問を受けるところとなり、何がどうしたか、居着かれてしまうこととなる。 

 

 そして……

 

 

 

「小兵衛はん、芝村に行ってくるわ」

 

「おお、安部殿と吹雪によろしく頼む」

 

 今では榛名と安部は芝村に移り住み、芝村茶店には深雪と浦波が詰めているという。 

 

 

 




本当にお久しぶりです。

近況報告にて少し、同人誌関係のお話を。


次回は、
「赤城さんの話」か、「田沼長門の話」の予定ですが……

秋山親子の出てこない「この世界での艦娘」の話や「この世界に初めて現れた艦娘の話」もいいかなぁと少し。

いや、それよりもはい、早めに仕上げられるようがんばります。


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飯食わぬ空母

今回から、一部の表現変えました

「長10㎝砲ちゃん」→「長十糎砲ちゃん」




 その日、秋月は珍しい艦娘と再会した。

 秋月にとって忘れられぬその艦娘の名は赤城、所属する鎮守府を持たぬ浪人艦娘であった。少なくとも、かつて秋月とまみえたときはそうであった。

 防空駆逐艦たる秋月の艦娘としての矜持は、言うまでもなく対空防御である。

 建造された直後、秋月の目の前の壮年男性はまず最初にこう言った。

 

「私の名は仙庭清五郎という。先に言っておくが、私は君の提督ではない」

 

 戸惑う秋月に仙庭は重ねて言う。

 

「大恩ある師の御子息がこの度、提督となることが決まった」

 

 なるほど、と秋月は納得する。

 建造された艦娘というのは人間と違い、最初からある程度の世間知を得て生まれる。故に、仙庭の言うこともすぐに理解できた。

 

「私は約束しているのだよ」

 

 鎮守府の初期艦娘として約束された建造。ならば運営のいろはから学ばねばならぬ。容易ではないが、それが望まれているというのならば否はない。秋月は即座にその覚悟を固めた。

 

「優秀な艦娘を用意すると」

 

 それは、秋月の矜持にはいっそ心地好い宣告であった。

 

「秋月にお任せください」

 

 その夜には早速、軽巡艦娘大淀に引き合わされ、運営を学ぶ手はずを整えられた。

 

「何故、防空駆逐艦娘が選ばれたかわかるか」

 

 講習も終わりかけた頃、再び秋月は仙庭に呼び出される。

 

「君が仕えることになる提督の名は秋山大治郎。剣客提督であり、その腕は確かだ」

 

「剣客提督を名乗るならば、近接に限れば深海棲艦とも互角以上に戦える提督。ですが、人間である限り、決して越えられない壁があります」

 

「うむ。それは?」

 

「対空防御。仮に弓矢手裏剣の名手といえども、空からの攻撃には無力。だからこその秋月です」

 

「そうだ。他に空母、軽空母、対空重巡、航空戦艦という手もあるが……」

 

 仙庭が軽く笑う。秋月には何故かそれが、悪意のない意地悪に見えた。

 

「秋月大治郎、おそらく金はない。つまり資材を食う艦娘は養えぬ。苦労するぞ、秋月」

 

「望むところです」

 

 秋月型と言えば、艦娘の中でも質素清廉で名が通っている存在である。この秋月も例外ではない。

 

「良い答えだ。ああ、それからもうひとつ。明日、一対一の演習を行うつもりだ。準備は良いか」

 

「いついかなるときでも」

 

 初演習と言うわけではない。この鎮守府の演習には参加している。

 

「うむ。相手は正規空母赤城。ただし、この鎮守府の赤城ではない」

 

 秋月は内心首を傾げた。

 演習が赤城と一対一だというのはわかる。防空駆逐艦の実力を測るにはもってこいの相手だろう。

 だが、わざわざ別の鎮守府の赤城をつれてくるとは。

 赤城が不調、あるいは任務か。いや、それならば時期をずらすなり、この鎮守府には加賀、天城、雲龍と代役にも不足はない。

 考えてもわからず、秋月は大淀に相談することにした。

 

「ああ」

 

 すぐにわかったのか、大淀は大きく頷いた。

 

「しばらく前から滞在なさっている赤城さんですね。演習の邪魔になるので、私から詳しいことを言うことはできません」

 

 ですが、と大淀は続ける。

 

「その赤城さんには、うちの空母たちは全員負けてます」

 

 秋月も頷いた。

 つまり、それほどの高練度なのだろう。

 確かに、防空駆逐艦としては心震えるにふさわしい相手らしい。

 

「なにしろ変わり種の赤城さんですから。お食事もいつもお一人ですから人柄もよくわかりません。ただ、強いとしか。秋月さんも、油断されぬように」

 

 礼を言うと、秋月は与えられた自室に戻る。そこには、二台の艤装生物が主人の帰りを待っていた。

 長十糎砲ちゃんと呼ばれる、それは秋月型にのみ従属する対空砲の化身である。

 

「一緒に、励みましょうね」

 

 二台は慶びを見せるように震え、秋月と接続するための補助器に我先に身を委ねた。

 健気な様子に秋月は優しく笑い、気が早すぎると嗜めるのであった。

 そして当日が来た。

 演習場にて秋月の前に立つのは、紛れもない正規空母娘赤城である。

 しかし、秋月は己の目を疑った。次いで、目の前に立つ赤城の姿になんの間違いもないと知ると激怒した。

 水上機動のための艤装はつけてはいるが、飛行甲板はない。さらには、弓こそ持ってはいるが、矢筒にはわずかに一本の矢があるだけなのだ。

 赤城、加賀などの正規空母娘は射ち放った幾つもの矢を艦載機へと変化させ、編隊を組み、攻守の要となす。勿論、わずか一機など論外である。

 つまりはなめられた。単機で充分の力量と侮られた。と秋月は感じ、激昂した。

 それが自惚れであると秋月が思い知ったのは、ただの一矢を報いることもなく水中に没したときだった。

 まず赤城は矢を構え、秋月は僅か一機の艦載機であろうと油断無く対空警戒を厳とした。

 次に赤城は、秋月の意表を突いた。まっすぐに矢を放ったのだ。空に向けてではなく、秋月に向かって。

 空母艦娘の持つ、艦載機に変化する矢ではなく、それは単なる一本の剛矢であった。

 それでも咄嗟に避けた秋月は、しかし赤城の姿を見失った。否、赤城の目的がそれであったのだ。

 赤城の姿を見失った秋月が次に見たものは水面だった。

 その寸前に背中に受けた衝撃に押され、振り向こうとしたところで後頭部を押さえつけられ、そのまま海面に叩きつけられる。

 どこからも文句の付けようのない轟沈判定が下された。秋月は、何をすることもできずに敗れたのである。

 

「貴女は艦娘なのですか、それとも艦なのですか」

 

 念のため明石の点検を受けた後に陸に上がった秋月へと、赤城はそう尋ねた。

 なんのための艦娘かと。なんのための四肢であるかと。

 

「艤装による対空防御が貴女の全てだというのであれば、そこに貴女は必要ありません。長十糎砲ちゃんだけで充分です。今すぐに艤装を外しなさい」

 

 理は赤城にあった。

 それは赤城に言われるまでもなく、秋月が知っていなければならぬことである。

 そもそも、艤装に近接武器を含む艦娘、深海棲艦すらいるのである。四肢を振るうことを遠慮する理由などどこにもない。

 これまでの演習では艤装のみで戦っていたというのも、なんの言い訳にもならぬ。

 これが初敗北というわけではない。ではあるが、このような負けかた、そして戦いかたは初めてであった。

 敗北を受け入れた秋月は赤城に教えを乞うた。

 

「私の指南など、無意味です」

 

 それは性悪さからでた言葉ではない、と秋月にもわかった。赤城はただ、正直であるにすぎないと。

 

「ですが、単に私と仕合たいと言うのであれば、この鎮守府にいる限りはお応えしましょう」

 

 その言葉に偽りはなく、時間と体力の許す限り赤城は秋月の挑戦を受け入れ、仙庭もそれを容認した。

 幾度の挑戦を経ても赤城に土はつかず、秋月は苦杯を嘗め続けた。それでも挑む秋月に、赤城は好感を覚えたのか、二人はしばしば膳を共にするようになった。

 このとき驚いたのが秋月である。

 食事を共にすることにではない。

 赤城の食事量が極端に少ないのだ。

 一般的に正規空母娘の食事量は多い。艦載機を操る航空戦のあとは一際である。ただでさえ、その能力を存分に発揮するために大量の燃料、あるいは食料を必要とする空母が、艦載機の乗員妖精分まで必要とするのである。食事の量が多いのも頷ける話ではあるのだ。

 しかし、赤城は例外中の例外であった。

 秋月の顔に何を見たのか、むすびを一個だけ手にした赤城は恥ずかしそうに笑った。

 

「もう、これだけしか食べられないんですよ、私は」

 

 深くは聞くな、そう言われたような気がして、秋月は己を恥じ、顔を伏せる。

 ところがその翌日、赤城はなにも言わずに鎮守府を出ていってしまう。

 

「私のせいでしょうか」

 

 項垂れる秋月に詳細を尋ねた仙庭は首を振った。

 

「気に病むな、君のせいと限ったわけではない」

 

 そもそも、と言葉を続ける。

 

「故あれば、いつなんどきと言えど立ち去る約束でな」

 

「故、とは」

 

「かの赤城は仇持ち。大方、仇の行方のあてでもついたのであろう」

 

 仇持ちの艦娘とは。

 当然最初に思い当たるのは深海棲艦であるが、だとすれば赤城がどこの鎮守府にも属していないというのはおかしい。

 赤城ほどの実力であれば受け入れる鎮守府は確実にあるだろう。そして、相手が深海棲艦であれば堂々と協力を求めれば良い。所在がわからぬと言うのならば尚更である。仮にただ一人の力でどうしても討ちたいとしても、鎮守府や他艦娘の力を借りずに特定の深海棲艦を探しあてることなど、事実上不可能であろう。

 つまりは、赤城の言う仇とは人間、あるいは艦娘か。

 たしかに、どちらにしろ広言できるような類のものではないだろう。

 艦娘同士の内輪揉めを嫌う者は少なくない。そのうえ人を討とうとする艦娘など、その理由如何を問わず言語道断と決めつける者はさらに多い。

  

「とはいえ、死すべきとまではさすがに大声では言えぬが、討たれても仕方の無いと言える人間は、確実にいる」

 

 自らの想いを正確に読み取った仙庭の言葉に、秋月はただ平伏した。

 

 その後、秋月は秋山大治郎の鎮守府へと入り、今に至る。

 そして今日、所用で田沼鎮守府へ赴いた秋月はその帰りに赤城と再会したのである。

 

「失礼ですが、仙庭様の鎮守府でお目にかかった赤城さんではありませんか」

 

 往来での突然ではあるが礼に適った秋月の言葉に、赤城は立ち止まり、少し考えると頷いた。

 

「仙庭様の……ああ、秋月さん。お久しぶりです。その節は、別れの挨拶もなく失礼しました」

 

「いえ、こちらこそ、数々の指南にまともなお礼もできませんでした」

 

「指南と言うほどのことはしていませんよ」

 

 どうやら赤城に急ぎの用はなく、本当にたまたま秋月に出くわしたようであった。

 

「もしよろしければ、私の所属する鎮守府へ招きたいのですが」

 

 今の赤城の境遇を秋月は知らぬ。知らぬが、少なくとも只今に関しては急いでいる様子はない。ならば、もう一度教えを請いたい。いや、あわよくば、今秋山鎮守府に出入りしている艦娘達にも一手の指南を請いたい。

 戦いに関する話は足柄なども大喜びするだろう。

 

「秋月さんは、鎮守府に入ったのですね」

 

「はい。今は、秋山秋月を名乗っています」

 

 艦娘に名字はない。自らの所属する鎮守府提督の名を仮につけるのが、習わしのようなものである。

 名乗りを受けた赤城は少し考えるそぶりを見せた。

 

「一旦、宿に戻らなければなりません。その後でも、よろしいですか?」

 

「はい。では、この子に案内させましょう」

 

 秋月は、自分の足元にまとわりついていたせいを赤城の足元に寄せる。

 

「長十糎砲ちゃん……せいと名付けたのですね」

 

「こっちの子はせんです。せい、お願いね。赤城さんを鎮守府までお連れするのよ」

 

 わかった、というように頭を振るせい。

 

「では、後ほど」

 

「はい、お待ちしています」

 

 秋月は頭を下げ、せんと共にその場を後にする。

 所用とは鎮守府で使用した物資の需給報告であった。

 大小様々な鎮守府がそれぞれの物資需給をばらばらに報告していては鎮守府側と幕府の双方が煩雑この上ないため、それなりの大きさの鎮守府がある程度の数をまとめて統轄することが多い。今の秋山鎮守府は、田沼鎮守府の統轄下にあった。

 需給報告はつつがなく終了し、現在秋山鎮守府へ出向している初春らの様子も伝えた秋月は、帰途についていた。そこで、赤城に再会したのである。

 赤城を招いたことは秋月の独断であるが、一流の正規空母である赤城を招き話を聞くことは決して悪いことではない。必ずや、大治郎も喜ぶであろう、と秋月は確信していた。

 秋月は、鎮守府への道を急いだ。

 

 

 その日、十郎は恩人と再会した。

 数年前の話である。

 西国街道を旅していた十郎は突然の腹痛に襲われた。腹痛とはいえ、旅慣れていた十郎にとってそれ自体はどうと言うことはなく、常備の薬を飲み、脇の木陰に入ってしばらく休むつもりであった。

 そこに不運が重なったのである。

 不逞の浪人二人が、その十郎に目をつけたのだ。

 二人は人気の無い脇道へと逸れる十郎に気付くと、うなずき合い、その後ろをやや間を空けながら付いていく。

 十郎が二人に気付いたときは既に遅く、さんざんに殴りつけられ、懐の金を奪われてしまう。

 

(金で済むなら仕方ねえ)

 

 殴られつつ、十郎は金に関しては諦めていた。十郎とて腕に覚えはある。それどころか、この程度の浪人であれば即座にやり返すこともできただろう。しかし、腹痛で身体は満足に動かない状態ではいかんともし難い。命さえ取られなければいいと思い切るしかないのだ。

 しかし、その十郎の願いも空しく、一人が刀を抜いた。

 

(くそが……身体さえまともに動きゃ、こんな連中……)

 

 刀身が視界に入ったとき、十郎は半ば覚悟していた。逃げ道はない。

 と、次の瞬間、男が崩れ落ちる。

 

「何事かと付いてきてみれば」

 

 秋山大治郎であった。大治郎は、遠目に弱々しく歩く十郎を見かけ、さらにその後ろに付いていく二人を見、咄嗟に駆けつけてきたのだった。

 

「其処の方、大丈夫ですか」

 

 刀を抜いていなかった一人も既に大治郎の手によって昏倒している。

 十郎は倒れた姿勢のまま起き上がりもせず、大治郎を拝むように頭を下げた。

 

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 

「怪我はないですか」

 

 殴られた怪我はあるが、それ以上の怪我はない。

 十郎は咄嗟に奪われた財布を取り戻すと、中からひとつかみの金を取り出す。

 

「こ、これを、せめての礼に」

 

「そんなつもりで助けたわけではない。旅には金子も必要でしょう、持っていなさい」

 

 大治郎は十郎に手を貸すと、次の旅籠までの道を共にした。そのうえ、腹痛の治まらない十郎の看病まで続けたのである。

 一晩明け快癒した十郎は恐縮しきりで何度も礼を言うが、大治郎は何事も無かったかのようにそれでは、と別れようとする。

 十郎はこれを慌てて呼び止め、名と住まいを聞いたのである。

 江戸に戻り、鎮守府を建てるのだという大治郎に、必ずこの礼をすると約束し、十郎は江戸へ向かう大治郎を見送った。 

 そして、その足で即座に来た道を戻ると二人の浪人を見つけ、夜を待つ。そして寝入ったところに侵入した十郎は二人を刺殺する。

 十郎こそは、西国で「赤蝗の十郎」という異名を持つ盗賊の頭であった。「赤蝗の十郎」といえば西国では知らぬ者のない、盗みの目撃者だけでなく店の者を皆殺しにする残忍な手口が恐れられている凶賊である。

 

(しかし、この俺がこんな連中にいいようにやられるとは、焼きが回ったもんだなぁ)

 

 二人の死体を見下ろしながら、十郎は口には出さず愚痴る。

 

(それにしても、あの若え侍……いや、提督か……気分のいいお人だった)

 

 十郎はこのところ鬱屈した気持ちを抱え続けていた。

 まずは、目星を付けていた大店が火付けの被害に遭い、数ヶ月ほど温めていた計画が狂った。

 計画が潰えたと言っても、準備をしていた手下共を食わせる金は要る。十郎の一味など、金払いが悪ければ裏切り逃散などは日常茶飯事、悪には悪の仲間意識、などといったものなどない関係である。

 そこで十郎は、声をかければすぐに集まる直属の配下と共にある村を襲った。盗賊というよりも山賊だが、十郎のやることに違いは無い。襲い、奪い、殺すだけである。

 ところが、そこで十郎の勘が狂った。その村に出入りしていた艦娘がいたのだ。

 気付いたのは村を離れた後である。手下を残して先に村を離れていた十郎は、それを自らの幸運と信じ、手下を捨てた。怒り狂い追ってくるであろう艦娘を想像し、痕跡を全て消して逃げおおせたのだ。

 艦娘が自分の存在に気付いているかどうかはわからない。そこで仕方なく、十郎は西国から東に向かって逃げていたのだった。

 その途中、とおりすがりの浪人者に襲われ、秋山大治郎に救われたことになる。

 十郎は心底大治郎に感謝していた。 

 一つの村で皆殺しを行うような賊の頭としての残忍と、命の恩人への感謝は同じ人物にあるものであった。

 人には、そのような両極がある。人を嬲る心と人に感謝する心、それは一人の中で両立するのである。

 それから様々な土地を、やはり小さな悪事を積み重ねながら転々としていた十郎は今日、大治郎を見かけたのである。

 元より、名と住まいは聞いていたが出向く気などはなかった。追われているかもしれない身の自分が現れては迷惑がかかりかねない。恩人にそのような迷惑はかけられぬと十郎は弁えていた。

 

「もし、秋山大治郎様ではありませんか」

 

 それでも十郎は、たまらず声をかけた。

 大治郎は一瞬遠い目をするが、ややあって、

 

「……もしや、十郎殿か」

 

「はい、そうでございます。その節は本当にお世話になり、いつかは恩返しをと考えておりましたが」

 

 まさに地に頭を着けんばかりに平伏する十郎に、大治郎は困惑する。

 

「いやいや、そこまで言われては私も困ります、さぁ、顔を上げてください」

 

 顔を上げる十郎の表情は実に実直なもので、かつて大治郎に告げた嘘の身分……西国で小さな商いを営む主人……を疑うことなどできようはずもなかった。

 

「このようなところでお目にかかるとは、まさに神仏のお導きでございます。よろしければ、一献なりと」

 

 誠実かつ懸命な言葉に、大治郎も悪い気はせぬ。

 

「すまぬが、使いに出した秘書艦がそろそろ戻る頃で、これから鎮守府に戻らねばならぬ」

 

「おお、これは引き留めるなど却って失礼でした」

 

 では、と手を叩き、十郎は懐から手袱紗を取り出すと、手早く金を包む。

 

「目の前にて包むなど、実に不躾ですが、せめてあの時の礼を」

 

「それは……」

 

「秋山先生ではなく、我らを護ってくださる鎮守府への御報謝と言うことではいかがです」

 

 そこまで言われては、大治郎としても突き返すには忍びないものがあった。

 そもそも、金を出す十郎の表情に下卑たところは何もない。ただ、感謝を表したいという心情がありありと見えているのだ。

 

(父上なら、受け取らない私を朴念仁呼ばわりするだろうか)

 

 ふと、大治郎は小兵衛のことを思い出した、小兵衛であれば、これは受け取るであろう。ただし、もっと洗練された形であろうが。

 世間智というものでも自分はまだまだ及ばないのが、父である。

 報謝を渡した後も何度も礼を言う十郎に別れを告げ、大治郎は鎮守府へと戻った。

 

「司令、お帰りなさい」

 

「戻っていたのか、秋月」

 

 秋月は早速需給報告の詳細な結果を伝え、次いで言った。

 

「実は司令に是非会っていただきたい艦娘がいます。仙庭様の下で私の師となってくれた方です」

 

 大治郎は快く秋月の言を受け入れた。

 

「秋月の師であるというのならば、私もそれなりに迎えねばならんな。提督として恥ずかしい姿は見せられない」

 

「ありがとうございます」

 

「では、準備が必要になるか」

 

「はい、それは私が」

 

 大治郎はこの日の予定を確認する。足柄がやってくる予定になっているが、強きを好む彼女ならば、秋月の師である赤城とは良い話ができるのではないだろうか。

 だとすれば、ちょうど良い。

 強い艦娘の話というのは、一介の剣士としても提督としても学ぶべき事が多い、と大治郎は考えていた。

 

「そういえば私も、今日は珍しい人に会ってな」

 

 大治郎は十郎の話を秋月に語るのだった。

 

 

 

 安宿の、それも一番安く日当たりの悪い部屋に赤城は正座していた。

 その横では、せいが静かに眠っている。

 一つの膳を前に、赤城は瞑目していた。膳の上にはただ一つ、むすびが載せられている。何の変哲も無い、赤城が宿の賄いに作ってもらった平凡なむすび。

 手を伸ばし、掴む。

 赤城には見えていた。むすびを差し出す少女の満面の笑みが。かつて、実の妹のように可愛がっていた少女。どこか、秋月と似ていた少女の笑顔が。

 その命を守れなかった、徐々にその体温を喪っていく死体を抱きしめ嘆くことしかできなかった少女の笑顔が。

 

「これ、赤城お姉ちゃんの分だよ」

 

 言葉の直後、少女は背後から斬りつけられ、目を見開いたまま倒れる。

 例えそれが己の幻影の中だろうとも、いや、そうであるにもかかわらず、少女を助け起こすことはできず、赤城は思い出すのだ。

 赤城が守ろうとした村の少女が凶賊の逆鱗に触れ、斬り殺されたことを。

 鎮守府より出向していた赤城は、村の守備の任に就いていた。村人達は艦娘に友好的で、村で飯を食い、眠り、鎮守府へ戻ることなく村で過ごすこともしばしばだった。

 突発の任務で赤城が村を留守にした隙に凶賊が現れた。僅かな金も食糧も根こそぎ奪われた、いや、それだけならば良かった。それならば、事が終わった後に助けることはできただろう。

 

「それはお姉ちゃんのおむすびだ!」

 

 帰ってくる赤城のために準備されていた間食を賊の一人が見つけた。無造作に取り上げて食う。それだけのことだ。わざわざ人を殺めてまで奪うようなものではない。

 少女には、それが許せなかった。

 遅れて駆けつけた赤城は正しく鬼であった。村に居残っていた凶賊共を容赦なく狩り立て、貫き、掃射した。

 そして赤城は見たのだ。

 むすびを懐に抱えたまま、背後から斬られ絶命した少女を。

 己の不始末の結果、そして凶賊とて人間であることに絶望した赤城は、自沈する道すら選びかねなかった。自沈すれば深海棲艦化は避けられなかったであろう赤城を救ったのは、辛うじて生き残った数人の村人の懺悔と嘆願、そして、少女に直接手を下した凶賊「赤蝗の十郎」が赤城到着の前に姿を消しているという事実であった。

 赤城が鎮守府を出奔したのは翌日のことである。赤城の提督は、捜索の命令を下さなかったという。

 

 今、赤城は一つのむすびをゆっくりと食べ終えた。

 

「これが最後ですね」

 

 筆を執り、手紙をしたためる。

 秋月への謝罪であった。

 訳あって急遽出立しなければならぬ、と書き記す。

 

「せいちゃん、これをお願いします」

 

 せいを起こすと、手紙の入った袋をしっかりと胴体に結びつけた。

 

「ゆっくりと、秋山鎮守府へ帰ってください」

 

 首を傾げるせい。当然であろう。主人たる秋月からは、赤城の都合がつき次第案内するようにと厳命されているのだから。

 

「手紙を見せればわかることです」

 

 せいは頷いた。

 赤城は立ち上がり、せいを促して宿を出る。

 宿代は前払いで、持っていく荷物なども何もない。

 

「では、行きなさい」

 

 せいは赤城に背を向けると、鎮守府に向かってとことこ歩き始める。

 手紙を届いた頃には、全て終わっているだろう。

 赤城は、懐から別の手紙を取り出した。

 かつて世話をしたことのある艦娘神鷹からの手紙であり、そこには「赤蝗の十郎」の目撃情報が記されている。 

 

「……これで、最後ですね」

 

 暗くなり始めた道を、赤城は歩く。

 

「秋月さん。貴女との仕合、それなりに楽しかったのですよ」

 

 

  

 手紙を受け取った秋月は、大きくため息をつくと大治郎にそれを報告した。

 

「あら、残念」

 

 赤城の話を聞いて、それは是非、と居残りを決めていた足柄と長門も肩をすくめる。

 あまり見ることのないほど気落ちした秋月に長門は、慰めるように言った。

 

「縁は異なものというではないか。また、いずれどこかで会うこともあるだろう」

 

 妙な顔になる秋月に、長門は却って面食らう。

 

「どうした、秋月?」

 

 横からたまらず声を挟むのは足柄であった。

 

「あのね、長門。それ、縁は異なものって、男女の縁で使う話よ?」

 

 笑い出す足柄に、つられるように噴き出す秋月。

 

 

 翌日、深海棲艦が深夜に現れ、即座に撃破されたという報告が届けられる。

 

 その日以来、大治郎は十郎を、秋月は赤城の姿を見ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





狙ったわけでもないですが、赤城改二にあわせたみたいになっちゃいましたね。

6/2の艦これオンリー同人誌即売会、神戸かわさき造船コレクションに、「鎮守府商売」の同人誌版持っていきます。
詳しくは、活動報告のほうで。


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(番外編)連装砲ちゃんの冒険

2019年8月に発行された同人誌、艦これ歓楽街合同「あの街のこと。」に寄稿させていただいた作品のWEB再録許可を頂きましたのでアップいたします。
「鎮守府商売」と同じ世界観ですが、シリーズレギュラーは誰も出ていませんので番外編としています。


同じ物をpixivのほうでもアップしています


 この世界に艦娘が現れてから、はたしてどれほどの年月が過ぎたのか。

 

 まずは江戸湊、そして品川湊、浅草湊などで深海棲艦が目撃されたのが始まりであったと言われている。

 それでも、誰が最初の目撃者と問われてもしかとはわからぬのである。

 なぜなら、最初の目撃者は全て深海棲艦の砲撃により絶命していると思われるためである。

 瞬時に湾岸部は地獄となった。

 湾内へと入る途中の半島、小島を無視した深海棲艦は江戸前の海へと集結し、一気に砲撃を放つ。

 現代においてすら、人類による深海棲艦に対する有効な兵器はほぼないとされているのだ。江戸の街に、幕府に、深海棲艦に対抗しうる兵器など望むべくもなかった。

 砲撃に追い立てられた人々は阿鼻叫喚の中を逃げた。水辺は地獄と化し、人々は奥地へ、そして山へと逃げた。

 深海棲艦の一部はさらに川を遡上し、動くもの全てを砲撃する。

 水に近寄れば死ぬ。それが人々の常識となるのに、さほどの時間はかからなかった。

 そのようなある日であった。錯乱したか自暴自棄の結果か、一人の男が刀を振りかざし深海棲艦に迫ったのだ。

 切っ先の届く前に男の身体など微塵とされるはずであった。しかし、なんの偶然か、切っ先は届いてしまったのだ。通じてしまったのだ。

 人は知った。いや、知ってしまった。

 深海棲艦は斬れる、と。

 それによって人に勝ち目が生まれたという類の話ではない。

 幾百の屍を積んだあげく、一振りの刀がようやく届くか届かぬか、そしてわずか一振りで果たして深海棲艦が倒せるのかという話である。それも、深海棲艦が自ら地上に姿を現せばの話である。

 僥倖に次ぐ僥倖、まさに盲亀の浮木を積み重ねた先の刹那の勝機。それだけが、人に与えられた勝ち目であった。

 それでも、立ち上がる剣士はいた。

 逃げ惑う人々の一日の、いや一刻の、一瞬の安息のため、斬り込むのだ。

 一瞬でもその生を長らえさせるため、戻れぬ戦へと踏み込むのだ。

 それを艦娘は見た。

 深海棲艦に遅れてこの世界に現れた艦娘は、周囲の状況を警戒した。

 ここは自分たちの世界ではない。自分たちの元となった艦船すらまだ生まれるどころか人々の空想の中にもない世界。

 決してここは自分たちの世界ではない。ならば、すぐに元の世界へ戻る方法を探すべきではないか。

 艦娘達の中でも意見は分かれた。

 その時、艦娘の一人が見たのだ。

 僅かな希望にすがり、守るべき人の一瞬の命のために死地へと飛び込む剣士たちを。

 決して振り返ることなく、剣を握り砲撃の雨へと進む剣士たちを。

 勝利ではなく、ほんのひととき、それも他人の命を長らえさせるためだけに自らの命を捨てる剣士たちを。

 一人の艦娘が叫んだ。

 これを護らずして、なにが艦娘か。なにが誇りか。

 これを見捨てて、どんな顔をして元の世界へ戻れるのか。

 いや、元の世界などない。ここにこそ、自分たちが共に戦うべきに足る人々がいるではないか。

 少なくとも自分は戦う。この世界のこの人々のために戦う。

 機関全速で進む艦娘を追う姉妹艦。

 それを見送る一人の戦艦娘が、涙を流しながらその妹艦に言った。

「この戦いが終わったら、私を殴ってください。愚かにも、初動を誤った私を」

 うむ。と妹艦は頷き、しかし続けた。同じ過ちを犯した私のことも殴れと。

 戦艦が、空母が、巡洋艦が、駆逐艦が動いた。

 人々を、この国を、護るために。

 艦娘達はこの世界の提督を得た。人々は艦娘を救世主と歓迎した。

 

 そして時は流れ

 

 幕府は艦娘たちの力と知恵を借り、深海戦艦の猛攻に対抗せんがため、品川沖より東に向かい埋め立てを開始した。そしてこの地を江戸防衛のための砦とし、鎮守府を設立する。

 現代でいうお台場から江東区にかけての辺りには、この時代の日本における最大規模の鎮守府が生まれることとなった。

 深海との戦が落ち着き、鎮守府の規模も縮小されはじめた頃、その隙間に一つの街が自然に生まれた。

 色町、博打場、酒場などがどこからか集まった街である。

 食い詰め者。犯罪者。そして、身を誤り罪を犯し、深海棲艦とまでは行かずとも艦賊と呼ばれる存在に身を堕とした艦娘。様々な者が集まり、ある意味活気溢れる混沌の歓楽街と化していく。

 奇しくもその場所は、本来の刻が進めば「東京ビッグサイト」と呼ばれるべき建物が存在するはずの場所であった。

 それに気付いたとある一人の駆逐艦娘は、呵々大笑して決めつけたという。

「流石ビッグサイトだね。トンデモなカオスには、天下一ふさわしい場所だと思うよ、秋雲さんは」

 

 その歓楽街にて、物語は始まる。

 

 

 連装砲ちゃんは、二人のやり取りをじっと見ていました。

「いやいや、そりゃあ悪手だろうよ、ダンナ」

「いや、当てはあるんだ。ただな、その、今は持ち合わせがないって事で」

 ここは数ある賭場の一つ。提督さんが賭場を仕切る元締めさんに締め上げられています。

「そりゃいけねえよ、あんた、つまり、手持ちも無しに賭場に来たって事ですかい」

「あ、あんたらが駒札をくれたんじゃないか」

 駒札とは、賭場の勝負において現金代わりに使われるチップのことです。提督さんは、確かにそれを受け取っていました。連装砲ちゃんもしっかり見てました。

「ダンナ、ありゃあ、あっしが貸したものでしてね。貸したら返す。常識でしょう?」

 連装砲ちゃんは曲がらない首を傾げます。元締めさんが提督に駒札を渡したときは、

「なに、ダンナ、あっしらとダンナのつきあいじゃないですか、今日はこれで遊んでいってくだせえよ」

 などと、言っていたからです。

「提督、何してるの、連装砲ちゃんも」

 駆逐艦娘にして連装砲ちゃんの主、島風ちゃんが姿を見せました。さっきまで、賭場は退屈だからとお外にいたのです。

 きゅーきゅー

 連装砲ちゃんは、嬉しくて鳴いてしまいます。 

「そ、そうだ、島風。鎮守府にひとっ走り頼む。いや、走るんじゃなくて抜錨だ。水路で行ってくれ」

「どうしたの?」

「あのな、叢雲……いや」

 提督さんは鎮守府から持ち出す現金の当てを考えているようです。

 個人の蓄えはありますが、どちらにしろここに持ってきてもらわなければ話にならないのです。だからといって鎮守府にいる艦娘なら誰でもいいというわけではありません。

 話のわかる者でなければ、後が大変です。怒られてしまいます。

 叢雲さんだと、きっとめちゃくちゃに怒られてしまいます。

 提督さんは元締めさんに紙と筆を借りると、急いで一筆したためました。

「漣にな、これを」

 必要な金額と、島風にそれを渡すように書いてあるお手紙です。

「足りねえでしょう」

 手紙を覗き込んだ元締めが鼻で笑いました。ちょっと失礼です。

「ウチは金貸しもやってるんで、利子ってのが付きましてね」

「はぁああああっ?」

「あ、いいんですよ、別に。貸した金が返って来ないってんなら、お上の方に訴えても」

「待て、わかった。取りに行かせるから」

 島風ちゃんが連装砲ちゃんに話しかけてきました。

「提督早いね、諦め」

 きゅー

「二人とも、いい子だから黙ってて」 

「ちょっと待っておくんなせえよ」

 元締めさんは島風ちゃんの顔を眺めて、次に提督さんを見ています。

「ダンナの所の艦娘さんら、素直に金出してくれますかね、博打に負けた提督いい気味だなんて言われません?」

 元締めさんはなかなか鋭いようです。

「いい機会だから頭冷やしてこいなんて言われたって、こっちは困るんでね」

 今度は島風ちゃんと連装砲ちゃんをじっと見ています。

「この艦娘も必ず戻ってくるように、その子、置いていってもらいましょうか」

 きゅー?

「島風、連装砲ちゃんと俺が残るから、早く行って来てくれ」

「提督と連装砲ちゃん? 別にいいけど」 

 島風ちゃんは必ず戻ってくるつもりです。連装砲ちゃんをそのまま置き去りなんてとんでもない。提督さんだけだともしかしたら置き去りにするかも知れません。

「じゃあ連装砲ちゃん、提督と一緒にお留守番しててね、すぐに戻ってくるから」

 きゅーきゅー

 手紙を受け取った島風ちゃんは賭場の裏手から、海へと続く運河へと飛び込みました。

「それじゃあ、行って来まーす」

 連装砲ちゃんは手を振ってお見送りです。

 島風ちゃんと別れるのはちょっと寂しいです。でも、仕方ありません。島風ちゃんには大事な任務があるのです。今日は提督さんと一緒にお留守番です。

 だけど、ここは鎮守府じゃありません。知らないところです。それでも、提督さんと一緒なので多分安心です。

 きゅー

「おい、こんな狭い部屋に閉じ込められてんだ、待ってる間の酒の一杯くらいは出してくれてもいいだろ。あと、こいつのおやつも、なんか適当な金屑」

「へへっ、それくらいは愛想ってやつですよ、少々お待ちを」

 提督さんは、連装砲ちゃんのおやつまで頼んでくれました。

「ま、一緒に我慢しような、連装砲ちゃん」

 きゅーきゅー

 なんだかワクワクしていると、何か大きな音がします。まるで、伊勢さんや日向さんが刀を持って大立ち回りをしているような物音です。

 もしかして、演習でしょうか。

「艦賊改方である、神妙にいたせ! 刃向かう者は斬り捨てい」

 この声はどうしたことでしょう。

 艦賊改方と言えば、幕府直轄の対艦賊組織です。

 艦賊とは、悪いことをする艦娘達です。

 もしかして、連装砲ちゃんは提督さんと一緒に悪い人たちに捕まっているのでしょうか。そして、島風ちゃんは助けを呼びに行ったのでしょうか。

「うわ、あの声、長谷川様だよ……こんなところで……どうしようか、連装砲ちゃん」

 提督さんはおろおろとしています。

「知ってるか、連装砲ちゃん、長谷川様。長谷川平蔵と言えば、無くも黙る鬼の提督、通称鬼提。あの人が艦賊改方になってから艦賊がどんどん捕まっているって話だよ」

 きゅー

 悪い人が捕まるのはいいことだと、連装砲ちゃんは思います。

「あれ? 待てよ。長谷川様が来たってことは、ここもしかして、イカサマ賭場か?」

 賭場自体は不法ですけれど、長谷川平蔵様という御方は堅物ではありません。多少の緩みには目をつぶる大人物という噂もあります。

 単なるささやかな賭場であるならば、斬り捨てろとまでは言わないだろうと、提督は言うのです。

「でも、この場で見つかったらボクの立場どうなるんだろうね。博打の負け分払えずに監禁されてる提督って情けないよなぁ」

 きゅー

 約束したお金を逃げずに払うのだから、提督さんは立派だと連装砲ちゃんは思います。

 大きな音が聞こえてきました。これは、艦娘の砲撃音も混じっています。艦賊の仕業でしょうか。

「このままだと部屋ごと御陀仏かもなぁ」

 提督さんは連装砲ちゃんの正面に座り直すと、頭を撫でてくれます。

 きゅー

「博打の負け分払えないとか、鎮守府の金使いこんだとか、そんなものは、ボクの首一つでどうにでもなるけどね。でも、君を島風の所に帰せないとなると話が別だよ。ボクの首が百あったって申し訳が立たなくなってしまう」

 提督さんは窓を開けます。大人一人にはかなり無理がありますが、連装砲ちゃんなら辛うじて通れそうな大きさです。

 窓の外、少し離れたところに運河が見えます。連装砲ちゃんでも思いきりジャンプするか提督さんに投げてもらえば届きそうです。

「だから、お行き。そして、島風が来るまでどこかに隠れてるんだ」

 でも、提督さんを置いていくわけには行きません。

 島風ちゃんにお願いされたのです。提督さんと一緒にお留守番をしてねと。

 きゅーきゅー

「駄目だ。これは、提督命令だよ」

 提督さんは連装砲ちゃんを担ぎ上げると、窓の外に向かって投げます。

「行け、連装砲ちゃん!」

 投げられた連装砲ちゃんは、そのまま運河へ飛び込むはずでしたが、窓枠に砲塔が引っかかってしまいました。

 軌道を変え、石造りの運河縁に落ちるとごんごろごんごろと転がります。

 そのまま、ざぶんと水面に飛び込んだ連装砲ちゃんでしたが、すぐに浮かんできます。

 自分の出てきた窓に向かって振り向くと、燃えていました。

 どうみても、建物が燃えています。

 きゅー

 戻ろう。と連装砲ちゃんは思いました。ところが、身体がうまく進みません。

 なんということでしょうか。地面を転がったときにお尻のスクリューが歪んでしまっています。これでは水上を満足に進むことが出来ません。

 ぷかりと浮いた連装砲ちゃんは運河の流れに身を任せるだけです。

 燃える建物の中に突入していく艦賊改方の姿が見えます。あの調子だと、きっと提督さんも助けられているに違いありません。連装砲ちゃんは少し安心しました。

 きゅーきゅー

 安心した連装砲ちゃんは流れに身を任せます。

 深海棲艦に対抗する砦を作るために品川沖から埋め立てられたこの巨大出島には、数多くの運河が張り巡らされています。

 スクリューさえ無事なら、どこへでも好きな方向へ動けるのですが、今のままではぷかぷか浮かんでいるだけです。

 仕方なく連装砲ちゃんは、景色を眺めていました。

 燃える賭場はまだ見えています。

 運河の縁にござを敷いて、お酒を飲んでいる人たちもいます。中には連装砲ちゃんに手を振ってくる人もいるので、連装砲ちゃんも手をぱたぱたと振りかえしました。

 きゅーきゅー

 喧嘩をしている人もいます。これはちょっと物騒です。

 物売りも歩いています。もうすぐ夜なのですが、この街では夜も人が沢山動いているのです。

 此処は砦として使われていたおかげで、江戸市中では珍しい電気灯もあるのです。ちなみに電気灯の根元から手繰っていくと、艦娘が艤装で発電しています。

「おや、珍しいね、一人なのかい?」

 運河を渡っているのは連装砲ちゃんだけではありません。艦娘達も、荷物を運んだりしています。

 連装砲ちゃんに話しかけてきたのはそんな一人なのでしょうか。

 駆逐艦娘の時雨ちゃんです。

「島風と一緒じゃないのかい?」

 きゅーきゅー

「おや、スクリューが歪んでしまっているね。それじゃあ航行できないだろう」

 きゅー

「ごめんね。ボクも急いでいるからキミにずっと付いていくわけにはいかないけれど、其処の岸までなら連れて行ってあげるよ」

 連装砲ちゃんはお礼を言って頭を下げます。

「いいさ、ボクも其処まで行くつもりなんだから」

 時雨ちゃんは連装砲ちゃんの砲塔を掴むと、岸へと曳航しながら進みます。

「それじゃあね、ボクはこれから山城の所へ行かなきゃ」

 岸へ上がると、時雨ちゃんの姿を見つけたおじさんが駆け寄ってきます。おじさんと言っても、半分おじいさんと言ってもいいような年です。

「おう、時雨ちゃんじゃねえか、どうしたんだい、そいつぁ」

 どうやら、連装砲ちゃんのことを言っているようです。

「やぁ、彦十おじさん」

 そして、時雨ちゃんの知り合いのようです。連装砲ちゃんもぺこりとお辞儀しました。

「この子を運河で拾ってね、どうやら、スクリューが歪んでいるみたいなんだ」

「どれ」

 おじさんに抱き上げられ、じっとおとなしくする連装砲ちゃんはとてもいい子なのです。

「これなら、何とかなるかも知れねえな」

「本当?」

「ふんっ、こう見えてもこの彦十、若ぇ頃は鎮守府にも出入りしてたものよ」

 きゅーきゅー

 連装砲ちゃんも大喜びです。スクリューが直れば、自力で鎮守府に帰ることだって出来ます。もしかすると、提督さんと一緒に帰ることが出来るかも知れません。

「それじゃあ、後は頼んだよ、おじさん」

「おうよ」

 きゅー

 時雨ちゃんに手を振ると、微笑みながら手を振り返してくれます。

 さっき言っていたように、これから戦艦娘山城さんのとこへ行くのでしょうか。時雨ちゃんと山城さんはとても仲良しになることが多い艦娘同士だと、連装砲ちゃんも聞いたことがあります。きっとこの時雨ちゃんも、山城さんとお友達なのです。

「よし、ついてきな」

 連装砲ちゃんはおじさんについて歩きます。

 おじさんは、どんどん人の居ない方へ進んでいきます。人はいませんが、艦娘の姿はよく見ます。それも、誰一人として艤装は付けていません。普段着だったり、綺麗な服を着ている艦娘さんたちです。

 そうこうしていると、廓長屋へ到着しました。表通りで覇を競うように並ぶ煌びやかな遊女屋の通りからは少し離れた裏通りです。

 その長屋の一番端、廓長屋と言うには立派なお屋敷が一つあります。連装砲ちゃんは案内されるまま、お屋敷へと入っていきました。

 玄関を開けると、長い廊下が続いています。

 きゅー

「へへっ、大きいだろ。ここは、この廓じゃ一番の太夫、加賀姉さんのお屋敷だからな。俺ァ、ここでお世話係させてもらってるからよぉ」

 おじさんは、連装砲ちゃんを抱き上げました。連装砲ちゃんは、じっと抱っこされています。

 すると、奥の方から声が聞こえます。

「あれ、彦十さん、お客さん?」

「へぇ、ちょいと迷子を見つけまして」

 艦娘の声です。

 きゅー

 連装砲ちゃんがご挨拶すると、その声が聞こえたのでしょうか。

「もしかして、連装砲ちゃん? 島風がいるの?」

「いいえ、迷子の連装砲ちゃんなんですよ」

「へぇ、懐かしいな、連れてきてよ、彦十さん」

「へい」

 おじさんは抱き上げたままの連装砲ちゃんに声をかけます。

「修理はちょっと待ってくんな」

 きゅー

 連装砲ちゃんは贅沢を言いません。直してくれるだけで嬉しいのですから。

 おじさんが奥の部屋のふすまを開けると、中には豪奢なお布団が敷かれ、それをクッション代わりにするような姿勢で、正規空母娘瑞鶴が座っています。

「瑞鶴さん、はい、連装砲ちゃんですよ」

 手を伸ばす瑞鶴さんの前に、連装砲ちゃんは下ろされました。

「あはっ、本当に連装砲ちゃんだ、久しぶりだねぇ」

 きゅー

 瑞鶴さんが連装砲ちゃんをぎゅっと抱きしめてくれました。でも、何かがおかしいです。

 きゅー

 連装砲ちゃんは気付きました。この瑞鶴さんは盲目なのです。

 きゅー、きゅー

 早く提督さんを見つけないといけません。提督さんと鎮守府に帰れば、高速修復材があります。そうすれば瑞鶴さんの目だって治せます。

「ありがとね、でも、駄目なのよ」

 きゅー?

「びっくりした?」

 瑞鶴さんは笑っています。

「この目はね、提督さんに改修されたの」

 鎮守府の提督には、いろいろな特殊能力を持った人がいます。この世界に多いのは「剣客提督」と呼ばれる、近接戦闘でなら艦娘や深海棲艦と戦える提督です。

 そして、艦娘の改修に秀でた提督もいます。その提督ならば、艦娘を改造することも可能です。その改修結果は、高速修復材で戻すことなど出来ません。

 きゅー

 連装砲ちゃんは、そんな酷いことをする提督がいると聞いてとても哀しくなりました。

「いいんだよ、私はね、こんな風になってから、なんだか色んな事がよくわかるようになったんだ」

 連装砲ちゃんの言っていることもなんとなくわかるしね、と瑞鶴さんは言います。

「前にいた鎮守府の皆はそれぞれ散り散りになったけれど、私は今、ここに加賀さんといて幸せだから」

 連装砲ちゃんを持ち上げたり抱っこしたりしながら、瑞鶴さんはとても楽しそうです。連装砲ちゃんも、なんだか楽しくなってきました。

 きゅーきゅー

 きゅーきゅー

 連装砲ちゃん達が入ってきたのとは別の側のふすまが開きます。

「あら、お客さんかしら」

「加賀さん、おかえりなさい」

 きゅっ?

 連装砲ちゃんは放り投げられてしまいます。とは言っても、柔らかいお布団に向かってですから、痛くもなんともありません。その代わり、布団が崩れて埋まってしまいました。

「瑞鶴、ただいま」

 加賀さんは入ってくると、瑞鶴に寄り添うように座り込み、その身体を抱きしめました。

「いい子にしてた?」

「やだ」

 瑞鶴さんが加賀さんを軽く振り払います。

「加賀さん、男臭いよ」

「今日は抱かれていないわ」

「嘘」

「嘘じゃない、今日はお酒を飲んで食事をしただけよ」

 加賀さんが背中に回していた風呂敷包みを開き、折詰を取り出しました。

「食べきれないほど出たから、半分ほど包んでもらったの。不二楼から取り寄せたのよ」

 連装砲ちゃんはもぞもぞと布団から這い出ます。

「加賀さん、男臭い」

「もう、そんなことばかり」

「だって」

「それじゃあ、どうすれば……そうね、どうすれば男臭いのは消えるのかしら」

「それは……」

「消してくれるのかしら? 貴女の匂いで」

「うん」

「仕方ないわね」

 加賀さんは優しい仕草で瑞鶴をその場に寝かせます。

 そして、手を伸ばすと、連装砲ちゃんの頭の上に折詰を載せました。

「部屋から出て、彦十の所へ行きなさい。この屋敷に入ってきたところへ戻ればいいわ」

 きゅー

 思わず小さな声で、連装砲ちゃんはご返事です。

 すると、加賀さんの入ってきた側のふすまが少しだけ開いて、おじさんの顔が見えます。おじさんは、連装砲ちゃんに向かって手招きをしています。

 連装砲ちゃんは、おじさんの所へ急ぎました。

 よし、とおじさんは連装砲ちゃんを折詰ごと抱っこすると、土間へと向かいます。

 玄関前の土間は広く作られていて、横に入ると作業場のようになっています。

 艦娘である加賀さんのお屋敷なのですから、作業場があってもちっとも不思議ではありません。

「よし、それじゃあ、じっとしてろよ」

 おじさんは金床の横に連装砲ちゃんを下ろすと、大きな金槌を持ってきました。

「動くと危ねえからな」

 きゅー

 連装砲ちゃんはお尻を金床に乗せると、横向きに寝転がります。これで、スクリューを叩くことが出来ます。

 とんかん、とんかん

 きゅー

 とんかん、とんかん

 歪んでいたスクリューが少しずつ元の形に近づいていくのがわかります。

 身体が直っていくというのは、とても気持ちがいいものです。入渠しているときも、身体がぽかぽかして気持ちいい、と島風ちゃんも言っていました。

 あまりの気持ちよさに、連装砲ちゃんはうとうとしていました。

「よし、これで……おっと、寝ちまったのか」

 ついに眠ってしまい、応急修理を終えたおじさんが連装砲ちゃんを抱き上げて加賀さんたちとは別の部屋に戻したことにも気付きません。

 折詰は、おじさんが持って行ってしまいました。

 きゅー

「あら、目が覚めたの? もう、日が昇る頃よ」

 しばらくして連装砲ちゃんが目を覚ましたのは、加賀さんの膝の上でした。

「貴方、迷子ね。島風はきちんといるのよね?」

 きゅー

 当然です。島風ちゃんはちゃんといます。

「ごめんなさい。もし野良ならば、ここに住んでくれてもいいのだけれど」

 きゅーきゅー

「そうね、貴方には帰るべき鎮守府があるのね」

 加賀さんが懐から金屑を取り出して、連装砲ちゃんの口元へ持ってきます。

 ぱくり、と連装砲ちゃんは金屑を美味しくいただきます。

 ぱりぱりと音を立てながら食べていると、加賀さんは連装砲ちゃんをそっと抱きしめました。

「私たちには、帰る鎮守府なんて無かった……いいえ、帰るべき、帰りたい鎮守府なんて無かった」

 加賀さんはゆっくりと話します。それは特に、連装砲ちゃんに対して話しているようではないようです。

「本当に、酷い提督だったわ。艦娘の轟沈も気にしない人。あの子より前に目を潰されて、鎮守府から逃げ出した子もいたわ……鈴谷と熊野はあれからどうしたのかしら、無事逃げられていればいいのだけれど」

 加賀さんはまるで、自分自身に言い聞かせているようにお話を続けました。

 あるとき、提督の悪行が全て公に暴かれ、鎮守府は廃絶されたのです。鎮守府の艦娘達は散り散りになりました。他の鎮守府へ異動した艦娘もいました。

 しかし、加賀さんは異動しませんでした。なぜなら、加賀さんはもう、提督によって艤装の背負えない身体に改修されていたからです。なんて悪い提督なのでしょう。

 きゅー

 連装砲ちゃんはとても哀しくなりました。艤装の使えない艦娘なんて、どうすればいいのでしょう。連装砲ちゃんにはわかりません。

「同じように行く当てのない瑞鶴と一緒にこの街まで流れて、死のうかと思ったの」

 きゅー!

 駄目です。そんなのは駄目です。連装砲ちゃんは断固抗議します。

「貴方のように止めてくれた……翔鶴と赤城さんがいたのよ」

 加賀さんは見たのです。瑞鶴さんと二人で夜の海を見ていたとき、このまま艦娘の力を使わずに海に沈んでいってもいいと思えたとき、そこにいないはずの二人がいました。

 提督の無理な命令で沈んだ二人が。

(瑞鶴、加賀さんと仲良くね)

(加賀さん、お願いがあります)

 二人は、こう言ったのです。

(生きて)と。

 それは沈んでいった二人の切なる願い、せめて瑞鶴さんと加賀さんには生き続けて欲しいという願いだったのでしょうか。それとも……

「私は決めたのよ、泥を啜ってでも生き延びてやるって」

 だから加賀さんは、この街に根を下ろしたのです。艦娘であろうと艦賊であろうと罪人であろうと……もしかすると深海棲艦ですら……ここに住むもの全てを受け入れるこの街を。

 連装砲ちゃんは、ぱたぱたと手を動かすと加賀さんの頭を撫でました。

「慰めてくれるの? それとも、応援かしら」

 きゅー

 加賀さんは抱き上げていた連装砲ちゃんをそっと下ろしました。

「ありがとう……ふふっ、貴方が男の子なら、別のお礼が出来たかもね」

 きゅ?

「なんでもないわ。さあ、直ったのでしょう? 貴方の島風の所に帰りなさい」

 連装砲ちゃんは元気よくお辞儀をします。

 ありがとうございました。

 きゅーきゅー

 連装砲ちゃんは、きちんとご挨拶もできるのです。

「元気でね」

 きゅー

玄関から堂々と出て行く連装砲ちゃんでした。

さて、これからどこへ行けばいいのでしょうか。提督さんも島風ちゃんもどこにいるかわかりません。だからといって、一人で鎮守府へ戻ることは出来ません。

 やっぱり、最初の賭場の近くに隠れて島風ちゃんを待つ方が良いのではないでしょうか。

 スクリューも直ったので、運河に入ればすぐに戻っていくことが出来ます。

 連装砲ちゃんは、さっそく運河へと向かいました。

 運河に入ろうとした手前で、連装砲ちゃんは時雨ちゃんの姿を見つけました。

 お礼を言おうとして近づいた連装砲ちゃんはおかしな事に気付きました。

 時雨ちゃんがいるのは大きなお店の前ですが、一人ではありません。

 そこには軽巡天龍さんと重雷木曾さん、そして重巡摩耶さんと戦艦山城さんがいました。よく見ると、摩耶さんが山城さんを止めているように見えます。そして、天龍さんと木曾さんが、まるで時雨ちゃんを叩いたり蹴ったりしているように見えます。

 これは大変なことです。

 きゅー!

 苛めちゃ駄目です。艦娘同士で演習でもないのに戦うなんてとんでもないことです。そんなことをする艦娘は艦賊と呼ばれて、艦賊改方の怖い人たちにどこかへ連れて行かれてしまうのです。

 連装砲ちゃんは慌てて時雨ちゃんの元へと駆け出します。

「頼むよ、天龍、ほら、お金だってちゃんと」

「ふざけんなよ、それぽっちの金じゃあ、一緒に朝迎えただけでも大盤振る舞いだ。それ以上持ってねえんだったらとっとと帰りな」

「そんな、山城の借りたお金はもう返しただろう?」

「はぁ? おい、木曾、言ってやれ」

「あのな。この世の中には利子ってもんがあってな、山城はようやく利子分を払い終わった所なんだよ」

「むちゃだよ、暴利だ」

「それを承知で金を借りたのが山城だからな」

「それは、扶桑や鎮守府のために……」

「理由なんざしらねーよ。俺達は貸した。山城は返す。それだけのことだ」

「それが理解できねえってんなら、悪いが力ずくでも」

「天龍、木曾、時雨に酷いことは止めて」

 摩耶さんに止められながらも、山城さんは呼びかけています。

「山城、お前が庇っても意味ねえぞ、あいつが、時雨が何度でも来やがるんだから」

「時雨……そんな……私のために……」

 きゅー!

 連装砲ちゃんの突撃です。

「あ」

「あ、さっきの」

「は? 知り合いか? 島風がその辺にいるのか?」

「いや、迷子だよ。スクリューが壊れていたから修理できる人間の所に案内してあげたんだけど」

「迷子かよ。しゃーねえな、おい木曾」

「んー、わかった」

 手を伸ばした木曾さんが、連装砲ちゃんをあっさりと捕まえてしまいました。

 その隙に天龍さんが合図をすると、摩耶さんは山城さんを引き摺るようにしてお店の中へ入っていきました。

 きゅー!

 連装砲ちゃんは断固抗議しています。

「あのな、おい、ちび助、よく聞け。俺たちゃ時雨の仲間だ」

 きゅっ?

「仲間というか、とにかく、苛めているわけじゃない」

 きゅ?

「あー、めんどくせえ、時雨、自分で説明しろ」

「勿論さ」

 時雨ちゃんが、天龍さんに捕まえられたままの連装砲ちゃんの前にしゃがみこみました。

「落ち着いて、連装砲ちゃん。ボクは苛められてなんていないよ」

 きゅ?

 どういうことでしょうか。さっきまで、天龍さんと木曾さんに囲まれて、山城さんとは引き離されていたのに。

「山城はもう戦えない。だからといって他に行く当てはない、此処にしか居場所がないんだよ」

 きゅー

 その山城さんを助けようとしているのが時雨ちゃんで、それを邪魔しているのが天龍さんたちではないのでしょうか。

「ボクにも本当に助けるのは無理だ」

 きゅ?

「ここにいることで彼女は不幸を味わっている。いいかい、味わっているんだ。言い方を変えれば、彼女はそれを楽しんでいる」

 連装砲ちゃんにはよくわからない話になってきました。

「だからボクは、助けようとして徒労に終わるボクの姿が山城に刻みつけられればそれでいい。誰かが彼女を救おうとして救えない。それはさらなる不幸であり、彼女にとっての蜜なんだ」

 きゅー

「だからボクは、彼女に蜜を与え続ける。天龍達と一緒にね」

 やっぱり、連装砲ちゃんにはよくわかりません。

「よくわからないかな? でも、それでいいんだよ、君は」

 時雨ちゃんは立ち上がると、山城さんの入っていったお店のほうを眩しげに眺めます。

「わかってしまえば、縛られるのさ、ボクのように。ああ、蜜を舐めているのは彼女でなくボクなのかも知れないね」

 連装砲ちゃんはただ、時雨ちゃんを見上げるだけでした。

 すると、天龍さんがポケットから金屑を取り出しました。

「ほらこれ、ウチの涼月んとこのちび助のおやつだけど、おめえも食えるだろ? これ食ったら、ご主人様の所に戻りな」

 美味しいおやつに連装砲ちゃんは喜んで、天龍さんにお礼を言います。

 きゅーきゅーきゅー

「ほらほら、早く行きなよ。て、あれじゃねえのか」

 天龍さんの言葉に重なるように、聞き覚えのある大好きな声が聞こえてきます。

「連装砲ちゃーん!」

 きゅー!

 島風ちゃんです。待ち合わせしていたはずの賭場には誰もいなくて、代わりに艦賊改方さんたちがいたので、連装砲ちゃんを探していたのです。

 連装砲ちゃんは全速力で走ります。

 朝日を背に走ってくる島風ちゃんはとてもキラキラしていて、本当に綺麗だと連装砲ちゃんは思います。

 その後ろには叢雲さんに怒られている提督さんがいるような気がしましたが、連装砲ちゃんには関係のないことです。

 島風ちゃんがいて、おやつがあって、ときどき深海棲艦と戦う。

 連装砲ちゃんにとって、それが世界の全てです。あとは割とどうでもいいのです。あまり関係が無いのです。

 加賀さんも、瑞鶴さんも、山城さんも、時雨ちゃんも。

 連装砲ちゃんには関係ありません。

 多分、明日には忘れていることでしょう。

 

 

 






ここに出てきた提督や時雨、天龍は、本編にも出したいんですけどね


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井関鎮守府四天王

11話まで来ました。

今回はタイトルですぐわかる通り
「井関道場・四天王」が元ネタです




 井関鎮守府の筆頭提督が突然亡くなった。

 急なことではあるが心臓の病であり、この時代においてはさほど珍しいことではない。艦娘によってもたらされた別時代の知識の中にも、医学方面はそれほど多くないのである。それもほとんどが外科的処置であり、病に関する知識は少ない。艦娘本来の出自を考えれば、それも仕方の無いことであろう。

「お疲れ様でしたネ、提督」

 井関提督の最期を看取ったのは鎮守府最先任艦娘の一人、金剛である。現在では筆頭秘書艦の座こそ譲っているが、提督の懐刀として長年重用されていた重鎮。それがこの鎮守府における金剛であった。

 その金剛が四人の艦娘を密かに呼んでいた。

 駆逐艦雪風、航空戦艦日向、正規空母蒼龍、そして戦艦長門である。この長門は誰あろう、秋山小兵衛に師事を望み、今は秋山大治郎の鎮守府に出入りしている田沼長門その人である。

「話を進める前に、なぜ私が呼ばれたのか承っておきたいのだが」

 まず長門は問うた。それも当然であった。

 長門以外の四人はそれぞれ、井関鎮守府で重きをなす提督の秘書艦であり、井関の艦娘四天王とも呼ばれていた。

 提督一人で采配するには大きすぎる鎮守府がある。その場合は複数提督による運営が当然とされ、頭となる提督は筆頭提督と呼ばれる。当然その地位は高い。

 今回はその筆頭提督が亡くなったのである。その地位を、そして鎮守府を継ぐのはこの四人の仕える提督の一人であろうと想像されるのは必然でもあった。ちなみに筆頭提督の秘書艦であった叢雲は、自分は次の秘書艦になりたくない、これからは井関の墓を守りたいと明言し、事実上の引退を希望している。

「私は、あの人のための艦娘だったから」

 それは艦娘であれば誰もが理解する気持ちであった。故に、誰も異を唱える者はおらず、長門もその言葉を耳にしたときはさもありなんと納得している。

 だからこそ、この場に呼ばれたことを不思議に感じているのだ。

 今は鎮守府運営を学ぶために形の上では井関に所属する客艦の身であるが、長門は本来ならば井関鎮守府よりさらに上位に位置する田沼鎮守府の所属であり、この鎮守府の運営には関わりの無い、というより関わってはならない存在である。

 もっとも、今の長門が一番長い時間を過ごしているのは秋山鎮守府であるのだが。

「ここに来たばかりの長門のままであれば、呼びませんでしたヨ」

 あっさりと金剛は言う。

「ですが、今の長門は変わりましたネ。よくは知りませんが、今通っている鎮守府の提督の薫陶でショウ」

 なるほど、と長門は思う。

 確かに自分は変わっただろう。

 例えば今の金剛の言葉、昔の自分であれば愚弄されたとして表情を変えていたことであろう。偏狭であった自分を認め、長門は小さく頷いた。

「確かに。ですが、決してこの鎮守府を軽んじているわけではないことは、わかっていただきたい」

 ほぉ、と日向が息を漏らし笑う。

「なに、気にするな。そもそもそこで詫びの言葉が出るなど、昔の君からは考えられなかったことだ」

 金剛が我がことを褒められたように頷いた。

「素晴らしい提督デスネ。是非一度、どのような提督かお目にかかってみたいネ」

 日向がその言葉に応じる。

 実のところ、秘書艦の中でもっとも長門と親しいのがこの日向である。長門と共に何度か小兵衛、大治郎の元をも訪れている日向であった。

「秋山小兵衛殿は引退して久しいと聞いたが、秋山大治郎殿はまだ若い提督だな。なかなかの人物とみているが」

「いい男デスカ?」

 さらなる金剛の問いに、日向は意味ありげに笑って見せた。

「長門のお気に入りだ」

「なるほどデスネー」

「な、何を」

 慌てる長門に日向ははて、と

「良い提督を艦娘が気に入るのは自然だろう」

 わざとらしく首を傾げてみせる。

「日向、貴様」

「こういう冗談も言えるようになったと言うことだ」

 そう言われては、長門もそれ以上何も言えぬ。

「冗句ですよ、長門。さて、話を戻しましょうか」

 金剛が二人の間に入った。

「『沼濁れば川澱む』、聞いたことありませんカ?」

 ある。それも一度や二度ではない。長門にとって腹立たしいことではあるが、今の田沼の権勢を皮肉った言葉であった。

 田沼に事あれば、幕府本営、つまりは徳川が困る。そう戯れているのだ。

「川ですら澱むのに、井戸が無事とは思えませんネ」

 金剛の顔から笑顔は消えていた。

 望むと望まざるとにかかわらず長門は田沼長門であり、その意見は井関鎮守府としても無視はできぬ、それが田沼の地位であり権勢であるのだ。

 しかし、長門の答えは決まっていた。

「私としては無論、四人の意見を尊重したい、今言えるのはそれだけだ」

「充分デース」

 

 ここで、肝心の提督たちを見てみよう。

 まず、ある意味で最も次期提督にふさわしいと言われているのが金剛の仕える提督、井関慎之介である。金剛を秘書艦とし、指揮する艦隊に大きな特徴はなく平均的に構成されている。

 名からもわかるように亡くなった井関提督の息子であり、本来であれば誰憚ることなく次の筆頭提督となっているであろう立場である。

 問題はその歳であった。井関提督が年を取ってからの息子であり、単純に若い。

 これが大戦中であれば問題はなかった。提督の素質を若いという理由だけで否定する余裕などない時代であった。

 幸か不幸か、今は深海棲艦との大戦も一息がつき、それなりの余裕も享受できる時代。そこには、若さを理由に筆頭提督就任を否定する余地があった。慎之介の意志に関係なく、である。

 それが現在の平穏を理由とするのならば金剛にも否定はできぬ。提督と艦娘が文字通り命をかけて勝ち取った平穏を否定することなど、できようはずもなかった。

 次に、雪風の仕える提督、尾形慶三郎。

 平常から表に出ることの少ない、優しげな細身の提督である。剣客としては中庸であるが、この多士済々の鎮守府においては下から数えた方が早い程度の腕前でしかない。しかし、慶三郎の真骨頂は剣の腕ではなく、その経営手腕と戦略眼である。

 要は、剣をとって戦の前面に立つよりも、背後から補佐することに才を持つ種の提督であり、指揮する艦隊には戦闘よりも輸送を得意とした駆逐娘、軽巡娘が多い。

 また、戦闘の不得手に関しては本人も認めるところであり、筆頭提督になる意志が最も低い候補ともいえよう。

 日向の仕える提督の名は志村藤助。四人の中では最も剣の腕がたち、道場での試合では戦艦娘たちですら次々と打ち込まれ降参する姿をみることができる。

 深海棲艦に対しても実に勇猛果敢であり、討伐において戦果を挙げることが多いのも藤助指揮下の艦隊であった。そのためか、指揮する艦隊には戦艦娘、正規空母娘、重巡娘が多数所属している。

 ただし、その性格は苛烈に過ぎ、自分より弱い者、欠点のある者に対しては容赦なく責め立てる。そのため、鎮守府内での人望はさほどにない。純粋に強さだけを求める一部の艦娘からはそれなりの支持を受けているのだが、他の艦娘、家人用人からは嫌われていると言ってもよいであろう。

 そして最後が蒼龍の仕える提督、土井善七である。善七は、志村藤助とは好対照と言える提督であった。鎮守府内での評判が非常に良いのである。

 深海棲艦の討伐数は芳しくないが、損害が最も少ないのもまた、彼の率いる艦隊であった。艦隊行動では軽空母娘、潜水艦娘を巧みに指揮し奇襲攻撃、あるいは戦闘回避を得意としているが、それを単なる弱腰と見る意見も皆無ではない。

 長門の見立てでは次期提督は志村藤助であるが、それが自分の好みに過ぎぬこともわかっている。人の上に立ち続けるには、あまりにも志村は苛烈すぎるのである。

 人気だけで考えるならば土井善七。血筋ならば井関慎之介。単純に平穏な鎮守府の存続を願うならば尾形慶三郎であろうか。

 わかることは、誰を選ぼうとも満場一致はあり得ぬこと。さらには、事と次第によっては複数の艦娘や家人用人が離反しかねぬということであった。

 だからこそ、四人の艦娘の話し合いの席が設けられた。まず、四人の候補者の代理とも言えるこの四人で話しあうことによって、できうるかぎり円滑に次の提督を決めたいというわけである。

 とはいえ、それぞれがそれぞれの提督を推すことにかわりはない。

「雪風、お前の提督はどうなんだ。筆頭になりたいという性根を持つようには見えんが」

「そうね、それに関しては日向に賛成するわ」

 雪風を、ひいては尾形提督を引き込めば四提督の半分が味方となるのである。日向と蒼龍は雪風を説得に動いていた。

「雪風もそう思います」

「それなら」と蒼龍は我が意を得たりと頷く。

 ところが雪風、そこはさすがに一端の秘書艦であった。

「ですが、どなたを推すか、それは雪風ではなく司令の決めることです」

「それはそうだ」と苦笑ぎみに頷くのは日向である。

「なあ、金剛。やはりわれらの談合だけで決まるものでもないだろう。どのみち、自分の提督を推さない艦娘などいないさ」

「それは日向の言う通りデスが。それでも」

「それとも、逆に提督としてふさわしくない御方を選ぶか?」

 日向の言葉に重みが乗った。

「どちらにしろ、提督自身のいらっしゃらぬこの場で話しつづける内容ではあるまい」

 意図的なものであり、日向のある種覚悟でもある。

(これ以上言葉にすれば、互いの暴露糾弾へと話が移りかねませんネ)

 それはこの場では無用の軋轢を生むだけだろう。

 あるいは実力を示すのもよい、艦娘とはそういうものだ。力が全てとは言わぬまでも、強さは一定の判断基準である。だが、この四人はいずれも鎮守府有力提督の秘書艦であり、それぞれが艦隊を率いる旗艦でもある。任務に支障をきたしては困るのである。大破中破など高速修復材を使えばすぐに完治するとしても、平時に易々と使うものでもない。

「まずは提督をお呼びする前に私達だけでと思っていましたが」

 金剛は立ち上がる。

「提督達も別室で協議中のはずです。行きまショウ」

 総勢九人となった話し合いで、まず井関慎之介が動いた。

 慎之介は長門を含めた八人を前にして姿勢を正し、座りなおす。

「まずは、これまで父と共にこの鎮守府を支えてくださった皆さんに感謝します」

 頭を下げ、話を続ける。

 自分が四天王を秘書艦とする提督の中でもっとも若輩かつ力不足であること。

 それでも、井関の息子という自負はある。今しばらくの間力を貸して欲しい。自分が一人前の提督として、井関を継ぐ資格を身につけるまで。

「一人勝手の願いだとはわかっています。ですが、今の自分にはこの規模の鎮守府を率いるなど無理だと言うこともわかっています」

「顔を上げろ」

 最初に答えたのは志村藤助であった。

「亡くなられた井関提督には恩がある。その息子が我らに頭を下げるところなど、見たくはない」

「若様は、ご自分が一人前になるまで私達に……いえ、私達の提督にどうしろと仰るおつもりですか?」

 藤助の言葉に日向が続ける。

「それは」

 慎之介の言葉は途絶え、金剛が目を伏せる。ここで慎之介が「自分についてこい」と言える性格であればどれほど良かったか。

 慎之介は亡くなった提督が老いてから産まれた一人息子である。金剛の見立てでは、幼さ故の経験不足さえなければ提督としての技量は充分にあると思える。しかし、その性格はこの場面においては柔らかすぎるのだ。

「長門殿」

 土井善七が矛先を変えた。

「この鎮守府が江戸防衛の要の一つであることは言うまでもありますまい」

 その通りであった。一時期に比べ減ったとは言え、深海棲艦は未だ脅威である。それに対する戦力として、井関鎮守府は重要である。

「ですが我らも頭を失ったとは言え、今すぐ通常の出撃に不自由するというわけではありませぬ」

 頭なき鎮守府はいつまで許されるのか。言い換えれば、幕府本営の介入はいつ頃になるのか。

 それが、善七の疑問であった。

「無闇に引き延ばすというのでなければ、私の言葉で抑えられる限りは抑えましょう。ですが、確とした期日の約束はできませぬ」

 長門の言葉に善七は下がる。

「我らとしても急な話。すぐに答えることはできません」

 尾形慶三郎の言葉がきっかけとなった。

「わかりました。今はここまでにしまショー。ですが、どちらにしろいずれ次期提督は決めなければなりませんヨ」

 一同が同時に立ち上がり、金剛は長門を横目でみた。

「ワタシたちが決めなければ、他の誰かが決めることになりマス」

 

 

 

「なるほど」

 長門の話をそこまで聞いた小兵衛は楽しそうに頷いた。

「長門殿は体のいい脅しに使われたか。さすがは井関の金剛、やりおるではないか」

「脅し、ですか」

「自分たちでとっとと決めねば、田沼さまの目もあるぞ。そう、金剛は思わせた訳じゃ」

「しかし私は、四人の意見を尊重すると最初に」

「それは長門殿の思いであって、筆頭旗提督としての田沼さまのお言葉とは別のものであろうよ。いや、これは長門殿を責めているのではない」

「未熟でした」

「なに、金剛が老練なだけよ」

 しかし、と小兵衛は腕を組んだ。

 提督の急死は小兵衛の耳にも届いてはいたが、その話が長門より直接持ち込まれるとは、さすがの小兵衛にも想定外であった。

 このところ大治郎の鎮守府に通いつめていた長門が久しぶりに顔を見せたかと思えば、井関鎮守府の後継者の話である。

(とはいえ、難問ではあるか)

 名門の後継者、という意味合いだけではない。これは直接、江戸の護りにも関わる問題である。その意味では筆頭旗提督田沼意次、ひいては幕府本営の直接介入も不思議ではない。

「正直なところ、長門殿は誰を推すのかえ?」

「志村殿を」

 間髪いれぬ答えではあるが、口調は弱い。

 昔の長門ならば、その口調にもなんの迷いもなく、いや、すでに談合の段階で日向の背を押し、志村藤助に決めつけていただろう。

 ところが、である。今の長門には強さとは一体何か、という迷いがある。それはとりもなおさず目の前の老剣客、くわえてその息子との交誼の影響であろう。そしてその変化を戸惑いこそすれ、長門自身も快く受け入れているのだ。

 強さだけならば申し分はない。はたして、その強さは誰かのためになっているのであろうか。志村藤助の強さは、ただ自分一人のための強さではないのか。それは一介の剣士としてはなんの問題もないであろう。しかし、鎮守府の提督としてはどうなのか。

 今の長門には、その迷いがあった。

「その四人の提督を直接は知らぬ。知らぬが、今言葉をためらった長門殿のことは、それなりにはわかったつもりでおる」

「先生」

「このような老いぼれに言われても迷惑かもしれぬが、今の長門殿のためらいの意味、時間の許す限り考えてみてはどうか」

「私なりに、四人の姿を追いたいと思います」

「それが良かろう」

 ところが小兵衛はこのやり取りを後に、一手遅かったと悔やむこととなる。

 その翌日、志村藤助が殺されたとの知らせが長門より届けられたのである。

「背後から斬られ、川へ転落したと」

 斬られた身体では満足に泳ぐこともできず、溺れ死んだという報告であった。

「酔っていなければ、川に落ちなければ助かっていたかも知れません」

 長門は悔しげに言い立てる。

 それはそうであろう。秋山小兵衛、大治郎と並び、長門がどうやっても剣では勝てぬ相手の一人が志村藤助であったのだ。

 その志村藤助があっさりと、酔ったところを背中から斬られ、それが直接の死因ではないとしてもその後溺死したと。

 長門にとっては、無念極まりのないことであった。

「長門殿。その件は他には」

「いえ、井関ではこの件は他に漏らすなと。酔って溺れ死んだという届けだけを出すと金剛が」

 小兵衛は別格であると慌てて付け足す長門。

 しかし、それは見方を変えれば犯人捜しを諦めろというようなものである。

 それでも小兵衛にはその様子が想像できた。名の知れた剣客提督が酔ったところを背後からとはいえ、刃を打ち合わせることもなくあっさりと斬られたなどと、物笑いの種である。これを恥として隠し通すなど、さほど珍しいことではあるまい。

 おめおめと斬られた無様よりは、酔って溺れた方がまだマシでないか、と考えたのであろう。

 とはいえ、小兵衛には尋ねるべきことがあった。志村藤助の秘書艦日向とは、長門を通じた顔見知りでもあるのだ。

「日向はどうしておる。敵討ちなど考えかねんのではないか」

「知らせを受けて以来、床に臥せっております。姉の伊勢が面倒を見ておりますが」

 見た目と言動からはわかりにくいが、伊勢、日向は思慮も情も深いと言われている艦娘である。その反応も小兵衛にはよくわかった。

 そしてもう一つ、

「今、志村藤助を殺める理由のある者が他にいると考えておるわけではないのだな?」

 そのことである。

 どう考えようとも、この事件が井関鎮守府の後継者争いと無関係であるとは言えまい。

 むしろ、後継者争いの結果であると考えるのが自然である。

「ですが、酔っていたとは言え、あの志村藤助を他の三人に斬ることができるとはどうしても思えませぬ」

 ましてや、無関係の者によるとも考えづらい。確かに、志村藤助より腕の立つ者を探すことはできよう。しかし、誰も知らぬ間にその者を雇い、志村を斬ったとしてもその後はどうするのか。自分の弱みを握られるだけである。

 正面から勝負して確実に斬ることのできる達人がいるのならば、素直にその者を配下として紹介すればよいのである。それならぱ、腕だけで選ばれる藤助を次期後継者から引きずり下ろすことも難しくはないのである。無理に斬らねばならぬ理由などどこにもない。

「斬ったのが誰であろうと、動機は三人共にあるのだろう。その性根は別としてな」

 誰が犯人だとしても、実力の抜きんでていた藤助が邪魔であることは確かである。ただし、誰が犯人だとしても斬るのは容易ではない。

 だが、何かの手段によって陥れたのならば、無論話は別である。

 では、その手段とは。

 今の小兵衛にも長門にも、それに対する答はない。

 

 

 

 雪風は待っていた。

 雪風の司令……雪風を始めとして提督を司令と呼ぶ艦娘もいる……尾形慶三郎の言葉をである。

 何か言いたげに口を開こうとする姿を雪風は何度も見ていた。そして、すぐに諦めるように口を閉じる姿も。

 雪風の姿は幼い。しかし艦娘の場合、見た目の幼さは中身とは無関係である。その仕草や口調がどれほど幼く未熟に見えようとも、いざ戦場へ出れば問題なく深海棲艦を討ち取るのが艦娘というものである。それを知らぬ提督など勿論いない。

 それでも、やはり人間というのは外見に惑わされるものである。司令といえど例外ではない。雪風にもそれはわかっている。

 歯痒かった。

 これが日向や金剛、蒼龍、長門の姿であれば自分にも話してくれるのだろうか。

 井関四天王と呼ばれる提督たちの秘書艦の中で自分だけが駆逐艦娘である。その事実を悔やんだことはない。ないが、やはり何もないというわけはいかぬ。四人が並べば、自分が軽んじてみられることは仕方ないとは、雪風も割り切っているつもりであった。

「司令」

 その日も、稽古を終えた慶三郎を雪風は出迎えていた。

 慶三郎は雪風に麾下艦娘の様子を尋ね、雪風は特に報告すべき点は無いと答える。

「他の秘書艦と提督は」

「金剛さんと若様、蒼龍さんと土井提督はいつも通りです。日向さんは、まだ部屋で臥せっていると、伊勢さんが言ってました」

 秘書艦たちについても同様であった。この数日変わらずの、いつも通りのやり取りである。

 それでも雪風には不満が残る。

 慶三郎の顔には確かな憂いがあるのだ。隠そうとしてはいるが、秘書艦として長い雪風にはわかる。かといって、その詳しい内容までがわかろうはずもない。

「雪風は、司令にとってそれほど信用できませんか」

 思い切る。と雪風はこの日決めていた。それがこの言葉である。

「雪風は金剛さんにも蒼龍さんにも、日向さんにも及びません。それはわかっています。けれども、雪風は司令の秘書艦として」

 言葉を詰まらせる雪風。俯き加減に垂れていた頭の動きが止まる。

 慶三郎の手が、雪風の頭を撫でていた。

「私がそこまで言わせてしまったのだな。許せ、雪風」

 充分だ。と雪風には思えてしまった。

 その言葉だけで、司令のその言葉だけで充分だと。

 艦娘である自分にはそれで充分なのだ。しかし鎮守府の一員、さらには秘書艦である自分には、その言葉だけでは足りぬ。

 ゆえに雪風は、さらに言葉を繋げようと口を開く。

 しかし、

「すまん」と慶三郎は言った。雪風の言葉が発せられる前に。

 この雪風故に慶三郎は悟った。

「ここで許せというのは、私の未熟。私の卑怯であるな」

 自らの言葉の重さを。司令として雪風に、秘書艦にかける言葉の重さを。

「雪風、ついてこい」

 慶三郎は鎮守府奥に設けられた弾薬庫へと足を進めた。

 中で作業をしていた夕張たちが急ぎの作業中でないことを確認すると人払いを頼み、その姿を見送ると、雪風を招いて庫の扉を閉じる。

 前置きも無く、

「私は志村を斬った」 

 ただ一言。言い訳も謝罪も無く、慶三郎はそう言った。

 事実を述べたのだと、雪風にはわかった。

 どのように斬ったのか、力量差をどのように埋めたのか。それを聞く雪風ではない。

 尾形慶三郎が志村藤助を斬ったと告白した。その一事だけで雪風には充分である。

 理由があるのだ。語られぬ理由があると雪風は信じた。他ならぬ尾形慶三郎が斬ったと言った。ならば、志村藤助には斬られるだけの理由がある。それが雪風の理解であった。

「軽率であったかもしれん」

 しかし、と慶三郎は続ける。

「後悔はしていない。及ばぬとしても、斬るべきだと判断した」

 ただ、直接手を下したのが自分になってしまっただけのことだと。

 慶三郎は、志村を斬った夜のことを語り始めた。

 

 

 

 現代で言うところのお台場から江東区にかけては、深海棲艦との戦が始まるまでは海であった。今では艦娘の多大な協力を得て幕府が造り上げた埋立地がある。

 元々は深海棲艦に対抗して江戸の街を護るための足がかりとすべく造られた地であったが、戦がある程度落ち着いた今では、流れ者達が集まり混沌とした地域と化していた。色町、博打場、酒場、食い詰め者、浪人者、はぐれ艦娘の集まったある意味活気溢れる歓楽街となっていたのだ。

 その街には藤助馴染みの店もある。もっともこれは藤助だけではない。提督たる者、馴染みの店の一つや二つならば、持っていないほうが珍しいと言えよう。余談ではあるが、秋山大治郎はこの珍しいほうに属している。 

「尾形。何も言わず俺につけ」

 慶三郎を馴染みの店に呼び出した藤助の物言いは居丈高であり、端的であった。

「貴様は俺にやや足りぬものを少しばかり持っている。貴様にまったく足りぬものは、俺が充分に持っている」

 良い取引ではないか、と藤助は決めつけた。

 慶三郎にしてみても、その言葉に反論はできぬ。というよりも理屈を考えるならば藤助の言うとおりなのである。

 自分が長としてやっていける人間であるかどうかは誰よりも自分が一番よく知っている。補佐役がもっとも似合う男だということは自分でもわかっている。藤助の言葉は決して間違ってはいない。

 だとしても、慶三郎が藤助の下につくことを是とするかどうかはまた話が別である。

 慶三郎は藤助の力は認めていた。認めてはいたが、ただそれだけである。力以外に見るべきものなどない。それが、決して余人は漏らすことのない、慶三郎の藤助評であった。

 さらに、問題がもう一つあった。

「俺につけば悪いようにはせぬ。善七は弱すぎる、慎之介では話にもならぬ」

「慎之介殿は井関先生のご子息ではないか」

 とっさに言い返していた。自分でも驚いたことに、慶三郎は井関慎之介を庇おうとしていたのだ。

「今は志村殿で構わぬとしてもだ、いずれは慎之介殿に譲り渡すべきでは」

 余人の目もある。井関の名を奪うと噂されては、上手くいくものもいかぬのではないか。

 そう、言を重ねる。どこまでが本音でどこまでが慎之介への庇い立てかは、自分でもわからぬ慶三郎であった。

「まあ、それはそうだ。しかしな、少なくとも今この時、慎之介殿が筆頭提督として立ったところで上手くやっていけるとは誰も思わぬさ。あの様子を見ただろう」

 ならば、と慶三郎は頷きかけ、藤助の表情にその動きを止める。

 藤助はニヤリと、薄気味の悪い笑みを浮かべていたのである。

「いずれ立てるとの名目があれば、今は俺が筆頭となっても文句は言えまいよ。それに慎之介殿もお若い身だ、ああは言うものの、時が経てば心変わりがあるやも知れぬ」

 嫌な笑いだ、と慶三郎は思った。だから、単刀直入に聞いた。

「譲る意思がある、と思って良いのだな」

「慎之介殿次第だがな。しかし、意思はあるとすれば当面の名目は立つ。それで充分だ」

「本当に、譲る意思はあるのだな」

 二度聞いた慶三郎を藤助はあからさまに鼻で笑い、睨みつけた。

「くどい」

 言外の言葉は言わぬでよい。それが藤助の判断であった。

 さすがに、言葉にできぬとは藤助も感じていたのだろう。

「まぁ、飲めよ」

 注がれた酒を慶三郎は飲むしかなかった。

 その夜の慶三郎には高価な酒肴の美味さも全くわからず、ただ考え続けていた。

 藤助に促され腰を上げ、店を出たときもそれは変わらなかった。

「貴様、まだ心が決まらぬのか」 

 断れば、藤助は善七に話を持ちかけるだけだろう。善七が断らなければ、自分は用済みである。

「言っておくが、俺は土井よりは貴様のほうがまだマシだと思っている。だから貴様に先に声を掛けた。しかしなぁ、俺は別に土井でも構わんのだ」

 どちらにしろ、慎之介は鎮守府を継ぐ可能性を完全になくすこととなるのだろう。

 そこで慶三郎は考えた。果たして、それで済むのであろうか。今、慎之介を跡目争いから退かせることはさほど難しいことではない。

 しかし、

「慎之介殿に心変わりがなければ、如何にする」

 慶三郎は尋ねた。尋ねるしかなかった。

「するさ」

 なんのためらいもなく、即座に藤助は答える。

「いずれ心変わりはする、いや、させる」

 さもなくばと続けると、酔っていた藤助の手が上がり、刀を振り下ろす真似をした。

 その時であった。後から考えても、慶三郎自身に上手く説明できないことが起こった。

 志村藤助を斬る。

 ただ、そう決意したのだ。

 斬れぬ、斬れるではない。ただ、斬る。慶三郎はそう決意していた。

 井関提督に恩はある。だからといって、一命にかけて慎之介を護り盛り立てていこうなどとは思っていなかった。それだけの技量も、そしてそれほどの想いも持ってはいなかった、はずだった。

「気は進まんな」

「なに、俺がやる」

「ならば、多少は気が楽になるというものだ」

 賛を得たと思ったか、藤助は気安げに笑うと川に向かい、慶三郎に背を向ける。

「誓いの連れ小便でもどうだ」 

 藤助の笑い声が止んだその瞬間、慶三郎は刀を振りかぶっていた。

 

 

 

「斬るというよりも刀をぶつけた弾みで離れ、次に構えたときは志村は川の中だ。恥ずかしい話だが、無我夢中で逃げたよ。志村が溺れ死んだと聞いたのは次の日だ」

「司令、手応えはありましたか?」

「刀から、私のものでない血を拭ったよ。それがどれほどの深手か、と聞かれればわからぬ。わからぬが、殺すつもりで斬ったことは確かだ」

 自分が斬ったことが致命となったかどうかは重要なことではない、と慶三郎は言った。

 殺そうとして斬ったことに変わりはなく、その結果として斬死でなく溺死であろうとも、藤助の死に間違いはないのだと。

「なるほど、そうだったか」

 突然の声に雪風と慶三郎は同時に構えた。

 声は閉じたはずの扉から。確かに聞き覚えのある声、それは、外でもない志村藤助の秘書艦、日向であった。

 片手で扉を開いた日向は腰の刀に手を掛け、臨戦態勢であった。

「日向さん」

「夕張は何も言わなかったか。私の瑞雲がそこにあるということを」

 航空戦艦日向に搭載可能である水上機瑞雲が、その倉庫には置かれていたのだ。となれば、瑞雲に憑いた妖精もそこにいてなんらおかしくはない。妖精がいるのであれば、二人の会話が日向に筒抜けであるのも当然であった。

「もっとも、口止めは頼んでいたのだが」

「日向さん、臥せっていたのではないのですか」

 雪風の口調は厳しかった。

「雪風。私が臥せっている姿を君は直接見たのか?」

 日向は雪風の返事を待たずに続ける。

「伊勢には嘘をついてもらったよ。どうやら、頼んだ甲斐はあったようだな」

「君の提督を殺したのは私だ」

慶三郎は雪風を庇うように前へ出た。

「下がってください、司令」

 同時に雪風も前に出る。

 自然、互いをかばい合うような体勢となった二人に、日向は脱力したように笑った。

 戦艦娘日向がその気になれば、慶三郎も雪風もひとたまりもないであろう。

 雪風とてただの駆逐艦娘ではなく、戦艦娘相手であろうとやりようはある。あるがこの場合、相手もただの戦艦娘ではない。井関鎮守府でも指折りの練度を持つ日向である。慶三郎を護りながら戦える相手ではないのだ。

「まずは、ゆるりと話しませぬか。尾形提督」

 日向は腰のものを置いた。敵意はないとの意思表示ではあるが、あくまでも儀礼に過ぎぬことは双方わかっていた。

 提督ではあるが武に縁のない慶三郎と、無手とはいえ現役艦娘の力と技を持つ日向。普段から佩いている刀を置いたところで、実力差に変わりはない。そもそも、日向が艤装を発現させればそれで終了である。

 それでも慶三郎は頷き、雪風を下がらせる。

「聞こうか、日向」

「まずは一つ。尾形殿に志村提督が斬れぬことなど、とうに承知しております」

 しかし、と言いかけた慶三郎に被せ、

「斬れたとするならば、それは尾形殿の腕ではなく、何か別の原因があるということ。要は、別人による横槍が」

 それは慶三郎に対する軽侮ではなかった。単なる事実であり、正当な推測であった。日頃の日向を知る慶三郎にとってもそれは納得できる。

 そもそも、日向は藤助の心積もりを知っていて反対していた。上手くいかない、と思っていたのではない。藤助が筆頭提督となる。それは良い。しかし、慎之介に対する意見の違いがあった。藤助は最悪の場合慎之介に対する実力行使をも視野に入れている。しかし、日向はそれを否定した。

 その意見の対立をそのままに藤助はあの夜、慶三郎へと話を向けたのだ。藤助にしてみれば日向の反対など押し切るつもりであったのだろうし、日向自身もそうなるのではないかという危惧を抱いていた。

そして、この結果である。

 日向にとっての問題は藤助の死ではなかった。悼む気持ちや怒りがないわけではない。ただ、それだけでは何の解決にもならぬと切り替えるのもまた、歴戦の艦娘日向の思考であった。

 この場合、横槍を入れるであろう別人に心当たりはある。動機もある。機会もある。だが、その方法はわからぬ。それは日向も慶三郎も同じであった。

 問い詰める証拠がないのだ。

「尾形殿。私の提案を聞いてもらえるだろうか」

 

 

 

 その三日後のことである。秋山小兵衛が足柄を伴い井関鎮守府を訪れたのは。

「秋原小太郎と申す。井関提督には大戦中世話になった」

 無論、これは偽名である。さらに今の小兵衛は弱々しい姿で杖をつき、身体は震えている。普段の小兵衛を知る者が見れば驚愕のあまり腰を抜かすか、あるいは龍驤辺りならば、腹を抱えて大笑するであろう姿であった。

 その小兵衛と足柄を出迎えたのは三人の提督とその秘書艦である。

「提督の一人に不幸があったと聞いたが、秘書艦はどうされた?」

 答えたのは金剛である。普段にはない改まった口調で、その表情は厳しい。

「提督を失って以来、床に臥せっております」

「艦娘とはそういうものかのう」

「それぞれによりますかと」

「ふむ。そこは我らと同じよな」

 そこまで話した金剛の言葉を引き取り、慎之介が言う。

「秋原様、お久しぶりです」

 そして後ろに待つ善七と慶三郎に聞かせるように、

「大戦中は父が片腕として頼みにしていたと聞いております」

「そうか。それでは話は早いな」

 小兵衛と入れ替わるように、足柄が前へと出た。

「秋原鎮守府となりましょうか」

 突然のことにすわと身構える蒼龍を抑え、金剛は何事も無かったかのように答えた。

「どういう意味でしょうか」

 足柄は鼻で笑った。

「では、言い方を変えましょうか? 貴方たちは引っ込んでなさい」

「意味がわかりまセンネ」

 金剛の口調が普段の物に戻っていた。

「井関の金剛ともあろう者が、察しなさいな。ぐだぐだと次の提督も決めず、誰も動かず、挙げ句の果てには一人が死んだ。いい物笑いね。私の提督が代わりになってあげる、と言っているの」

「代わりとはどういうことデスカ」

「わしがこの鎮守府の提督となる。そういうことだな、足柄」

 小兵衛が言葉を挟んだ。

「そう気色ばむことはあるまい。何もむやみやたらにそちらの顔を潰そうというのではない。足柄の言葉は悪いが、慎之介殿が一人前となるまでの繋ぎと思ってくれればそれで結構。それ故の、この老いぼれの出番じゃよ」

「このことを長門殿は知っておられるのか」

 善七の問いに答えたのは足柄である。

「長門様は田沼鎮守府に戻ったわ。情が湧きすぎたのでしょうね、この鎮守府に」

「どちらにしろ、長門様は関係ないものとして話を進めてもらおうかの」

話を戻す小兵衛に、今度は慶三郎が尋ねた。

「それで、名前は奪うと?」

「別に構うまい。名前など。嫌と申すならば」

 小兵衛が三人の提督を試すように言う。

「吾こそはと手を上げ、井関提督の名に恥じぬ鎮守府を作り上げることができると言えばよろしい。そして証明すればよろしい」

「それ以前の問題デス」

 即座に答える金剛。

「仮に、貴方が代理の提督になる、というのなら考える余地はありますネ。だけど、名を変える、いえ、騙るのだけはダメです。ここは井関鎮守府デス」

 足柄は大きく笑った。

「我が儘ねぇ。たかが、お子様の御守のくせに」

「老いぼれの面倒を見るよりはマシですヨ?」

「よし、やりましょうか。倒すわよ、貴方」

 臨戦態勢の顔で、足柄は金剛を睨みつけた。

「倒すと言いましたカ? 重巡が戦艦を」

 金剛も負けてはいない。 

「ああ、ごめんなさい。言い直すわ」

 指を立てる足柄。

「沈めるわよ、貴方」

「蒼龍、雪風」

 金剛は二人を見ていない。足柄を睨みつけている。

「高速修復材を二つ用意してくだサーイ」

「金剛」

「提督」

 ここで金剛はようやく視線を足柄から外すと、慎之介に向き直る。

 慎之介を挟むように立つ二人の提督にも。

「ゴメンナサイ、提督。だけどこれだけは絶対に譲れません」

 慶三郎と善七に言葉は無い。しかし、慎之介は首を振った。

「金剛、ありがとう。だけど、無理はしないで欲しい」

「……はい!」

 金剛は足柄に地上での勝負を告げる。

「水上でなくて良いのかしら?」

「無論」

 水上での正面から一対一であれば、相手が潜水艦や空母で無い限り、戦艦は確実に有利である。しかし、地上ではそうはいかない。艦種の差では無く体格差がものをいう。足柄と金剛の場合は体格差はさほどに無い。

 そしてまた、艦種の差が無ければ地上での実力差はそのまま水上での実力差である。その逆はない。水上で強い者が地上で弱いことはあるが、地上で強い者が水上で弱くなることは、いくつかの例外を除けばない。

 実力だけで比べるならば、地上での勝負が公平ではあるのだ。

「一つ確認して良いかしら」

 足柄は金剛の背後、雪風と蒼龍に目をやった。

「貴方を倒したあと、そこの空母と駆逐も倒す必要があるかしら?」

「……私が代表ネ」

 被せるように蒼龍と雪風が肯定の声を上げる。

「なら、安心したわ」

二人は鎮守府内の道場に移動する。残りの者も当然それに従い動く。 

 足柄と金剛は、道場に入ると互いに木刀を構え向き合った。

 同時に動いた。

 数合の打ち合いの後、金剛の木刀が足柄の脳天に振り下ろされた、と見ていた者達は確信した。その瞬間、足柄の突きが金剛の胸元を貫いたかと見紛うほどの鋭さで放たれる。

 結果、倒れたのは金剛であった。

「何、今の」

「見えませんでしたか? 蒼龍さん」

「見えたの? 雪風」

 雪風も首を振る。

 慶三郎と善七も同様であった。

「急所を外したところをあえて打たれることによって隙を誘い、突いたように見えました」

 慎之介だけが辛うじてそう述べると、足柄が嬉しそうに驚き、頷く。

「やるじゃない。将来有望ね」

「足柄、失礼じゃろう」

 小兵衛も同じく頷き、一歩前へと出た。

「では、井関の当面の代理提督として、わしが務めさせてもらおうか。改めて、秋原小太郎と申す。見ての通り老いぼれで刀もろくに持てず、前線には既に出られぬ身ではあるが、よろしく頼む」

 その夜であった。

「お考え直してはくださらぬか」

 土井善七の言葉を、小兵衛は聞いていた。

 志村藤助が溺死した現場の下流、同じ川沿い、そして慶三郎が刃を振るったのとほぼ同時刻である。

「考え直せ、とは」

「無論、鎮守府の行く末。我らに任せてはいただけませぬか」

「ほぉ」

 まずは一献、一席設けよう。と小兵衛を誘った善七であるが、小兵衛は体調を言い訳に酒はほとんど口にしていない。とはいえ善七から見れば、杖をついて足元不確かな姿は酔っているとさほど変わりなく見えているだろう。

「できませぬな」

 あっさりと小兵衛は答え、川を背にして善七に向き直った。

「というより、わしにそのようなことは決められぬ」

「では……」

「馬鹿者」

 善七の言葉を遮るように呟いた小兵衛の身体が浮いた。

 杖を地面に突き立てると同時に、これを支えに飛んだのである。

 瞬間、小兵衛の背後の川中より地面から僅かに浮いた位置を飛んできた何かが、杖に絡まりついた。

 杖が倒れた頃には既に小兵衛は脇差を抜き放ち、善七の真正面へと着地する。堀川国弘の脇差一尺八寸を突きつけられた善七は、ひっと呻いてその場を動けぬ醜態をさらしていた。

「なるほどな」

 倒れた杖を拾ったのは、隠れ潜んでいた所から姿を見せた日向であった。

 杖の先には、拳大ほどの石を一本の綱で繋げたものが巻き付いている。これを闇の中放られれば、たやすく足首に絡み身動きはかなわぬ。さらにその綱が更に伸びた先で、水中の潜水艦娘に引き摺られるとあっては一層である。

既に準備は整っていたものか、金剛を始めとする艦娘達が掲げた探照灯によって川面を照らし、一人の艦娘を浮きだたせている。水中より奇妙な道具を投げた潜水艦娘に逃げ場はなかった。

 善七はその様子に気付くと震えだし、やがて膝をついた。

「土井善七。お主が麾下の潜水艦娘に命じ、志村藤助を襲ったのじゃな。そのまま始末をつけるつもりが、尾形慶三郎の動きを見て利用したか。なるほど、小賢しいことよ」

 小兵衛の言葉は質問ではなく、確認であった。

 日向と雪風は慶三郎との話し合いの後、金剛、長門と共に小兵衛の元を訪れていたのである。

 犯人は土井善七である。と日向は確信していた。しかし、その手口が不明であった。

 そこで小兵衛が提案したのが、その日の次第であった。小兵衛が鎮守府を訪れたときより、この仕掛けは始まっていたのである。あえて土井善七に同じ手口を使わせるために。

 つまり、見事に善七は罠にかかったというわけである。これに乗ぜられないようであれば、それはそれで別の仕様があると小兵衛は決めていたが、その必要は無かったことになる。

 

 

 

「蒼龍を含め大多数の麾下艦娘は何も知らなかったと、土井善七も本人たちも認めております」

 後日、小兵衛の隠宅を訪れた長門はそう報告した。

 茶を出した龍驤も、そのままおとなしく話を聞いている。

「艦娘に関してはそうであろうよ、性悪な艦娘がそれほどいては困るわえ」

「恐れ入ります」

「それで、土井善七は」

「土井善七は直接志村藤助殺害に関わった艦娘とともに、腹を切りました」

「腹を切った、か」

 答える小兵衛は何か言いかけ、口を閉じる。

 自ら腹を切ったのか、あるいは〝切らされた〟か。それは小兵衛にとってはどちらでも構わぬことである。

「井関鎮守府の行く末は、本営の指示に任されるとのことです。新たな提督が本営より送られるでしょう」

「慎之介殿と慶三郎殿はどうされるおつもりじゃ」

「慶三郎殿は、自らにも罪はあると、江戸十里四方払を自らに科しました」

 江戸十里四方払とは、一言で言えば江戸近辺に立ち入りを認めぬという刑罰である。慶三郎は無論公式の刑罰を受けたわけではない。しかし、己の意思で同等の刑罰を受けようというのだ。

 慶三郎の意志は固く、金剛や日向、慎之介の説得も効はなかったという。

「秋山先生にお目にかからず去る無礼をお許しくださいと」

「なに、気にすることはない。ところで、慶三郎殿は一人ではなかったのではないか?」

 既に何事かを知っていたような小兵衛の言葉に、長門は微笑み、頷いた。

「雪風が、例え鎮守府を外れはぐれ艦娘となろうとも共に行きたいと。金剛は笑顔で承諾しました」

「さもあろう」

 そして井関慎之介は鎮守府を去り、自らの力でやり直したいと告げた。

「父の残した物をそのまま戴くのではなく、己の才覚で一人の提督として立ちたい、と」

「ふむ。そちらはやはり」

「はい。金剛と日向が共に行きました」

「日向も、か」

「結果がこうであったとはいえ、己の提督の汚名を返上したいと」

「そうか」

 ここでおかしな間が空いた。長門がなにやら言いあぐねているのである。

「どないしたん?」

 龍驤が尋ねると、長門は姿勢を正すとやや緊張の面持ちで言う。

「秋山先生。これで私の所属する鎮守府はなくなりました」

「ふむ」

「さすればやむなく、大治郎殿の鎮守府へと行くことになります」

「やむなく、と?」

「父……田沼提督もその方が良いと」

「田沼提督ともあろう御方がおかしなことを。他に適当な鎮守府もあろうに」

「い、いや。急に探すことは難しく。このうえは秋山鎮守府にお願いしたいと」

「他に無いのかえ」

「ありませぬ」

 即座に答える長門。

 横で聞いていた龍驤がたまらず笑いを漏らしたのは、仕方の無いことであろう。 






メロンブックスで、同人誌版発売してます。
書き下ろし付きです

二桁話数になったんで、人物紹介表とか作った方が良いですかね


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戦艦清霜

一年空いた

即売会(コミケ)で本出すってどれほどのモチベーションになるか本当によくわかりました

合同誌に参加するためのSSは普通に書けてましたからね


むさきよ、いいよね


「一手御指南をお願いしたい」

 その男が牛堀鎮守府に訪ねてきたのは、ちょうど大治郎が出稽古に訪れていた日である。

 この時勢、剣術道場を兼ねている鎮守府は少なくない。剣客提督であれば当然と言ってもいいだろう。人に広く教えるつもりがなくとも、艦娘達に近接戦闘のための剣術を教える場は必要なのだ。

 そして仮にも剣術の道場であるならば、道場破りと無縁のままではいられぬというのもまた当然である。

 腕に覚えのある剣術使いが、指南を求めると言いつつ試合を申し込む。道場側が勝てば良いが、負ければその評判は落ちる。かといって勝負を避ければこれもまた評判に関わる。

 そこで、金と引換に結果を黙秘する、あるいは試合をしないという取引が成り立つわけである。

 ところが、牛堀鎮守府は例外の一つであった。そもそも、提督である牛堀九万之助は剣客提督ではない。剣は使うが提督としての主たる才は指揮と運営にあった。剣術に重きを置いた鎮守府ではないので、試合を受ける理由も落ちる評判もない。

「当鎮守府の提督は剣術指南はしておりません。申し訳ありませんが、他を当たってはいただけませんか」

 その日の当番秘書艦である妙高が断ると男は素直に頷き、しかし言った。

「それは承った。ならば、艦娘の一騎打ち演習ではいかがであろうか」

 艦娘の演習と言われれば、鎮守府に断る理由は無い。とはいえ、無条件で受け入れる理由も無い。艦娘演習という名目での道場破りもあるのだ。

「しばしお待ちを」

 下がる妙高。

 男は素直に門前で待っている。その位置から艦娘達に稽古をつけている道場は丸見えであったが、特に隠すようなことでない、と大治郎は気に留めなかった。大治郎は牛堀道場の艦娘に稽古をつけてはいるが、牛堀麾下というわけではない。外部からの客に勝手に応じるというわけにはいかない。

 牛堀鎮守府の川内を副にすえ、大治郎は指導を続けていた。

 男は当然のように、稽古の様子を楽しげに眺めている。その姿にはなんの悪意も見受けられないように大治郎には思えた。

「や、これは失礼」

 大治郎の視線に気付いたか、男が頭を下げる。

「拙者、瀬田三樹三郎と申す」

「秋山大治郎といいます」

 同じく頭を下げる大治郎。

「この鎮守府の剣術指南は貴方ですか」

「はい。ですが、私はこの鎮守府の者ではない。ゆえに、お相手はできませぬ」

 正直に言う大治郎に、三樹三郎も何のこだわりも見せず頷いた。

「承知した。いや、稽古中に失礼しました。どうぞ、お続けください」

 そのとき、男の後ろに隠れるように立っていた艦娘が誘われるように前へ出た。

「こんにちわ。戦艦清霜です」 

 聞こえた言葉に稽古中の朝霜が思わず顔を向け、稽古相手の朝潮にしたたかに胴を打たれた。

 たまらずうずくまる朝霜に、

「稽古中に余所見とは何事ですか」

「いや、ちょっと待って、朝潮。今の聞いてなかったのかよ?」

「聞こえましたが、それが何か」

「聞こえたならわかるだろっ?」

「今は稽古中です」

「真面目すぎんだよ、うちの朝潮は」

「朝潮が正しいな」

 首をすくめた朝霜は、いつの間にか背後に立っていた大治郎をおそるおそる見上げた。

「ごめんなさい」

「続けなさい、朝霜」

 構え直し、朝潮に向かう朝霜。

「すまぬ」という三樹三郎の声は稽古を再開した二人には届かなかったが、大治郎は軽く頭を下げてみせた。

 そのまま稽古を続けていると、九万之助が妙高と共に現れるのが見える。

 三樹三郎と少し話すと九万之助は一旦その場を離れ、道場に足を踏み入れた。

「大治郎殿、よろしいか」

 大治郎が艦娘達の手を止めさせずに尋ねかえすと、

「あちらの申し入れた演習を受けようと思う。稽古中の艦娘達にも観覧させたいのだが、よろしいかな?」

「ちょうどこれから休憩を入れるところでした」

「ならば、良かろう」

 九万之助は清霜に目を向けた。

「演習に出るのは駆逐艦娘清霜でよろしいのかな」

「大戦艦清霜です」

 戦艦から一つ大きくなっていた。

「駆逐艦っ!」

 朝霜が声を上げると、朝潮がすかさず竹刀でその頭を叩く。

「失礼ですよ」

「いや、おかしいよね。大戦艦じゃないよね」

「名乗りは自由です。そういう名前かも知れません」

「うん、朝潮もおかしいよ」

 大治郎は無言で二人の後ろに立った。

 どうも駆逐艦相手の稽古というのはやりづらい。とは大治郎だけの意見ではない、多くの剣客提督の愚痴でもある。

 艦娘としての能力と、その性格や外見。それらがあまりにも乖離しているのだ。

 能力だけならば、特に水上での動きはまさしく一騎当千。深海棲艦の猛攻をかいくぐり近接雷撃を打ち込む猛者揃いである。

 しかしその外見は少女。ただ女というだけではない、そこに幼さも加味される。性格もまた、それに準ずるような有様なのだ。それが悪いというわけではない。それが艦娘というものだと言われてしまえばそういうものかと思いきるしかない。それでも、やりづらいものはやりづらい。多くの提督に共通する悩みの一つであった。

「小僧の手習いではないぞ」とは、よく言われる愚痴である。

「牛堀殿、演習艦隊はどなたを出されるおつもりですか」

 大治郎の問いに、九万之助もあっさりと、

「朝霜か、朝潮と思うが」  

「私もそれが良いと思います」

 二人が納得しあったところに声が入った。

「えー。戦艦はいないの?」

 清霜の不満を、

「清霜、失礼だろう」

 止めたのは三樹三郎である。

「失礼いたしました。ただ、勝敗は別として、清霜に戦艦との演習を経験させたいのだが、いかがであろうか」

 勝つためでなく、経験を積むために演習を申し込みたい。と言っている。

 それにしても、駆逐艦と戦艦というのはあまりにも論外である。差がありすぎる。

 これが例えば、駆逐艦の中でも別格扱いされることの多い夕立、雪風、島風ならば、無茶ではあるがわからぬ話でもない。

 海戦でなく地上での勝負、あるいは海戦でも夜戦であるならば、それも頷ける。しかし今は昼間であり、清霜は海戦を望んでいた。

「道場破り、というわけではないようですな」

 ははっ、と三樹三郎は苦笑する。

「実のところ、自分の剣術であればそれも考えておりました」

 正直と言えば正直な答に、横で聞いていた大治郎も苦笑する。九万之助も驚いたようだが、それでもこの青年にはどこか人好きのする雰囲気がある。それは悪い印象ではなかった。

 ならばと双方、演習規則も確認する。

 鎮守府同士の公式な演習であれば消費される資材は互いに折半であり、修復費用はそれぞれの鎮守府負担である。しかし時折、この瀬田三樹三郎のように流しで演習を申し込む者がいる。その場合、負けた側が全ての費用と資材を引き受けるのが一種の不文律となっていた。

 九万之助がそう確認すると、三樹三郎は条件を一つ出した。

「ただ、生憎と今は資材の持ち合わせはないので、相応の金子で代わりとしたい」

 提督とは言え、常日頃から資材を持ち歩いている方が珍しいので、これは当前と言えば当前の話であった。

 九万之助は戦艦娘扶桑を演習に出すと決めた。ここでは練度筆頭の戦艦娘である。

「提督?」

 呼ばれた扶桑は、待機所の清霜を見ると、困ったように首を傾げた。その様子に九万之助は言う。

「扶桑。決して手を抜いてはならんぞ、良いな」

「相手は、駆逐艦娘だと聞きましたが」

「うむ。しかし、顔を見ればわかるだろうが、向こうは本気だ。本気でお主に勝つ気だ。とはいえ、お主を軽んじておるわけではない。だからこそ、全力で立ち向かうのだ。手抜きは許さぬ。相手の本気に応えてこそではないか」

 九万之助の言葉に、俯き加減だった扶桑は姿勢を改め、清霜に軽く頭を下げた。

「私が無礼でした。提督」

「わかってくれれば良い」

「戦艦扶桑、出撃いたします」

 演習結果は誰もが予想していたとおりの結末となった。

 ただし、妙高を始めとする艦娘達は言葉を失っていた。

 大治郎は唸っていた。

 九万之助は瞠目していた。

 演習の開始から終了まで、扶桑の勝ちが揺らぐことはなかった。

 しかし、である。一つの思いが全員によぎったのである。

 今日は勝った。

 もう一度やれば、勝つだろう。

 三度目も勝つだろう。

 では、四度目は。恐らく勝つ。

 五度目、六度目。

 続ければどこかで負けるのではないか。どこかで、扶桑を凌駕する清霜が見られるのではないか。

 そう思わされる、思わざるを得ない戦いがそこにあった。

「良いものを見せていただいた」

 九万之助は素直に頭を下げた。

「いや、負けは負け。当方こそ、良い経験を積ませてもらった」

「失礼だが、清霜殿には何か特別なことを?」

 演習を終えて入渠した二人を待つ九万之助と三樹三郎、そして大治郎である。

「恥ずかしながら私にその才はありませぬ。あれは自ら戦艦を打ち倒したい、できうるならば自ら戦艦になりたいと望んでいるので、私としてはできるだけ叶えてやりたく思ってますが。難しいものです」

 駆逐艦による対戦艦の定石は、接近からの雷撃である。昼間であれば無論困難を極めるため、夜間の闇に乗じての夜戦攻撃がまさに定石となっているが、昼間の演習での再現が不可能であることは言うまでもない。言ってしまえば、昼間の通常演習で駆逐艦が戦艦に勝つ目はほぼ無いのが常識である。

 その常識すら覆すかと思われる清霜の奮戦であった。そもそも、清霜自身が負ける可能性を一切考えずに挑んでいた。自分は勝つと本気で信じて立ち向かう。ただそれだけで、戦艦が駆逐艦を一方的に倒すはずだった演習の図が、二隻の決闘の情景へと変じたのだ。

「今日はありがとうございました。次は勝ちます」

 入渠施設で顔を合わせたと同時にそう宣言した清霜に扶桑は驚く。しかし不思議とそれを、力量差を読めぬ未熟や生意気であると感じることはなかった。

「そうね……」

 貴女ならもしかして。と言いかけ、口を閉じた。

 それは違う、清霜の求める言葉、自分の発するべき言葉はそうではない、と感じたのだ。格上の戦艦相手に臆さずどころか、己の必勝を信じて挑んできた駆逐艦娘に向ける言葉は一つしかない。

「次も、負けないわ」

 その真剣な口調に清霜は嬉しそうに頷き、扶桑もそれに応えるように微笑んだ。

 清霜と戦友になった。と、扶桑は思った。

 その日、鎮守府に戻った大治郎は見たままを秋月に、そして訪れていた長門、足柄に語り聞かせた。

 足柄は心底悔しがり、その場にいたかった。いや、見たかった。いや、その清霜と是非一戦交えたかったと地団駄を踏む。戦好きと言うには度を超す足柄の反応に苦笑する大治郎。

「ですが、本当に勝てるのでしょうか?」

 秋月の問いももっともだと、大治郎は言う。

「あれは実際に目にするまでは理解できぬ、と言って良いかもしれぬ。私もこのように語りはしたが、言葉で説明しきったとは思っていない」

 自分もそこの戦艦(長門)とやってみれば良い。という足柄に、秋月は慌てて首を振る。

「だが、面白そうな相手だな。この長門も是非一戦交えてみたいものだ」

「あら、長門、万が一負けたら、牛堀扶桑にも負けたことになるわよ」

「そう簡単には負けぬよ。足柄殿こそ、剣術ならまだしも水上ではどうかな?」

「久しぶりに、試してみる?」

「勝手に演習しても修復材は出しませんよ。一日中入渠しますか?」

 立ち上がろうとする二人に、秋月が言葉の冷や水を浴びせた。

 修復材を使わずに戦艦重巡が入渠すれば、激しい損傷であれば一日では済まぬ場合も少なくない。そして鎮守府運営に関しては、秋月は決して妥協しないことを二人はよく知っている。

「しないわよ。ねぇ、長門」

「無論だ。無用な演習など勝手にするものではない」

「その意気でこれからもお願いします。そうですね、提督」

「ん、うむ。そうだな」

 秋山鎮守府の予算関連は秋月が一手に担っている。大治郎もこれに関しては秋月に頭が上がらぬのである。

 足柄は話題を変えた。

「その提督の腕も気になるわね」

「確かに、駆逐艦娘をそこまで仕上げるとはいかなる技か」

「そっちじゃなくて、こっち」

 足柄は両手で剣を振る真似をする。

「そっち、か」

 大治郎はやや考え、答える。

「少なくとも、相当の自信はあるように見えたな」

「ふーん。私はそっちでやりあってもみたいわね。瀬田三樹三郎、聞いたことないわね」

「牛堀殿は、どこかで聞いたことがあるような気がするとしきりと頭を捻っていたが」

「牛堀さんがそうなるってことは、剣客というより提督筋か、いえいえ、でもきっと名は無くともそれなりの剣客に違いないわ」

「父上と同等にやりあった足柄殿より上がそれほど多くいるとは思えぬが」

「提督、それ、私じゃなくて、小兵衛殿の腕を信じているのよね」

「無論」

 苦笑する足柄。

「ここにも来ないかしら。道場破り」

「物騒なこと言わないでください」

 秋月が眉をひそめるが、長門と大治郎はうむうむと頷いている。

「やるなら、絶対に勝ってくださいよ、お二人とも」

 秋月もやはり艦娘である、と大治郎は思った。

足柄の言葉が結果的に予言となったのは、二日後のことであった。

他ならぬ瀬田三樹三郎が秋山鎮守府、いや、秋山道場を訪ねたのである。大治郎を訪ねたわけではない。目的は道場破りであった。

 早朝より正面から堂々と名を告げ、秋月に案内を請うたのである。剣客提督であれば、是非一手御指南願いたいと。

 大治郎にとって道場破りは珍しい相手ではない。

 秋山鎮守府は長門に言わせれば小規模、口の悪い龍驤などに言わせると吹けば飛ぶような弱小鎮守府である。

 からかい半分で、あるいは上からの物言いで高圧的に試合を申し込む剣客もたまに現れるのだ。

 とはいえ見た目で力量の判断を誤るような剣客など大治郎の敵ではなく、あっさりと敗れ去っていくのが常であった。

 足柄さんに倣って申込料でもとりましょうか、とは秋月の提案であるが今のところ実現していない。

 そして、三樹三郎である。

 名を聞いて悟ったが何も言わぬ秋月に案内された三樹三郎は、大治郎の姿に気付くと瞠目し、

「いや、これは愉快」

 喜んだ。

「失礼ながら、規模に見合わぬこの剣気。いかなる強者曲者が出てくるかと思えば、秋山殿であったとは」

 秋山という名字は珍しいものではない、それだけでは大治郎と結びつかぬのも当然と言えば当然であった。江戸の剣客事情に詳しい者であれば、秋山姓から思い浮かぶのはむしろ小兵衛のほうである。

「お久しぶりです、瀬田殿」

 大治郎にとっても三樹三郎の印象は決して悪くない。むしろ好漢であると感じていた。それは三樹三郎も同じである。

「道場破り、ですか」

「いかにも」

 隠さずに三樹三郎は告げる。

「金子がご入り用か」

「私は正式な提督ではない。清霜は私を提督と呼んではくれるが、あの子を艦娘として働かせるためには私では不足が多いのですよ」

 鎮守府としての収入は大きく分けて三つある。

 深海棲艦の討伐による報酬。

 深海棲艦の残骸から抽出される資源を売りさばき利益を得る。

 大規模鎮守府の下に入り、給金を得る。

 どれを選ぶにしろ、正式な鎮守府として認可を受けている必要がある。

 正式な提督でない、さらに麾下の艦娘が清霜一人だけという三樹三郎には、どれも無理な話であった。

 因みに秋山鎮守府における現在の主な収入は討伐報酬。あとは、鎮守府と言うよりも道場としての収入、つまり他鎮守府の艦娘に対する稽古である。

「そこで、しばらくは道場破りで稼がせてもらおうかと」

「清霜はどうされました」

「今日は留守番を申しつけております。ついてくると演習をしたいと言いかねません。演習をすれば修復費用がいる」

 あっさりと笑う三樹三郎に屈託はない。

「というわけで、是非勝負願いたい」

「受けましょう」

 長門、秋月、足柄。そして田沼鎮守府より定期の稽古にやってきた初春率いる駆逐隊が道場に座る。

「なるほど、少数精鋭の艦娘ですか」

「多くを抱えるだけの器量はまだありません」

「提督とは言われても、剣を振るっていた方が性に合う。剣客提督とは因果なものだ。やはり私は提督には向かない」

 二人は木刀を構え、向かい合う。竹刀という選択はどちらからも出ず、当たり前のように木刀を握っていた。

「足柄殿、審判をお願いする」

 無言で頷き、足柄は双方の間に入った。

「いつでも、いいわよ」

 大治郎と三樹三郎は互いに正眼に構える。

 ほぼ同時に双方の切っ先が左へと揺れた。

 それに応じたか、あるいはそもそもの意図か、三樹三郎が斜に動く。

 これに逆らわず同じ方向へ円を描くように動く大治郎だが、その足捌きは三樹三郎よりやや速い。直線に動く三樹三郎に対して弧を描く大治郎。

 誘われている、と足柄は見た。

 弧を描く動きより直線の方が速いのは道理。しかし双方の距離は変わらず。それが三樹三郎があえて遅く動いてる証左であった。

 ぐるり、と三樹三郎の全身が回ると同時に横一閃が大治郎を襲う。

 その瞬間、大治郎は裂帛の気合いとともに突きを放つ。

 直線の動きからの孤の剣撃。

 孤の動きからの直線の剣撃。

 それぞれの剣先は空を切る。

 互いに申し合わせたわけでもない、しかし奇妙に噛み合った応酬であった。

再び距離を取った二人は再度正眼の構えをとる。

「これは……」

「互角、か」

「今のところはな」

 艦娘達が息を止めたかのように二人の攻防を凝視しているなか、思わず漏らした初春の言葉を長門がはねのけた。

 それを合図にしたように大治郎が道場の床を蹴り、突進する。それに合わせ身体を引いた三樹三郎が大治郎の胴を打つ。

 木刀の打ち合う音がすると、一本が宙へと舞った。

「そこまで。勝負あり」

 足柄が告げると、初春と長門が感嘆の声を上げた。秋月の姿はいつの間にかない。

「参りました」

 頭を下げたのは三樹三郎であった。大治郎の胴を打ったのではない、打たされたのだと気付いたのは三樹三郎の木刀が跳ね上げられた後である。

 わざと空けた胴を打たせ、それを振り向きざま当たる前に跳ね上げる。

 誘いとは悟らせぬ大治郎の踏み込みであり、突きであった。

「流石にお強い。これでは、強請れませんな」

 痺れた手を振りながら、やはり三樹三郎は笑っていた。

「しかしありがたい。これなら、今から別の鎮守府へ行ける」

 別の鎮守府へ道場破りを仕掛ける、と三樹三郎は言っているのだ。

 これには大治郎も驚くほかない。

「続けるおつもりですか」

「不器用故、他に金策を知りませんので」

「失礼だが、多少の金子ならば用立てましょうか」

「いや、返すあてが無いものは借りられませんよ」

 言いながら身支度を調える三樹三郎。

「では、ごめん」

 止めようとして、止める言葉がないことに大治郎は気づき、

「是非、また、稽古を」

「それはいい。貴方とは、金と関係ないところでやり合いたいものだ」

「ほぉ、たまには足を延ばしてみるものじゃな、面白いものを見せてもらった」

 いつの間にか道場入口には。三樹三郎と入れ違いのようにして小兵衛の姿がある。

「父上、いつの間に」

「なに、ついさっきな。ところで先ほどの勝負、お前とあそこまで打ち合うとは、なかなかに使うではないか」

「ご覧になっていたのですか」

「秋月から話は聞いておる」

 二人の試合が始まる直前にやってきた小兵衛は、気付いた秋月のみを手招きし、顛末を聞いていたのである。

「それから、ちょいと秋月を借りておるぞ。龍驤が一緒なので心配するな」

「何か、ありましたか」

「こちらが聞きたい。近頃また何かやったのか?」

「やった、とは」

 大治郎の表情に何を見たか。

「なにもない、か。とすると、先ほどの御仁かの」

「何かあったのですか、秋山先生」

 長門の問いに、ようやく小兵衛は答える。

「何者かが見張っておったのよ、この鎮守府を」

 咄嗟に身を固くする長門に、小兵衛は首を振る。

「曲者は龍驤に見張らせておる」

 小兵衛が言い終えたところに、秋月が戻ってくる。

「小兵衛さま、龍驤さんは瀬田様を追った曲者を追いました」

「済まぬが秋月、すぐに戻って龍驤と一緒にいてくれぬか」

 小兵衛の言葉に重ねて大治郎が頷く。

「わかりました」

 出て行く秋月の姿を見ながら、小兵衛も頷いた。

「曲者は、大治郎目当てではなかったようじゃな」

「では」

「瀬田三樹三郎。さて、何者かの」

 大治郎にもそれは答えられなかった。

 このとき、三樹三郎は本人の全く思い及ばぬ所から疑いを掛けられていた。

 三樹三郎の知らぬ相手ではない。ないが、自分に対して悪意があるとは全く考えていない相手であった。

 品川泉岳寺から南へ行くと、今は亡き三樹三郎の兄、瀬田作二郎の所属していた鎮守府、押見鎮守府がある。

 その押見鎮守府には、佐吉という職人が出入りしている。

 この職人、普段は鎮守府内で艤装の整備などを手伝っているのだが、とある非番の日、知り合いを訪ね酒を飲んでいた。

 非番の日となると軒先に縁台を出し、昼間から酒を飲みつつ往来を眺め、時には道行く者に声を掛けてからかうのが佐吉とその友人の〝遊び〟である。

 その日も昼間から飲んでいた佐吉が見かけたのが、牛堀鎮守府へ向かう瀬田三樹三郎であり、それに従う清霜の姿であった。

佐吉は三樹三郎を知らぬ。しかし、戦死した作二郎のことは知っていた。

驚いた佐吉は声を上げ、それに気付いた三樹三郎がどうしたのかと問いかけた。

 問答の後、佐吉は三樹三郎が作二郎の弟であると知り、胸をなで下ろしたのである。

 二人は特にどうと言うこともなくその場で別れた。佐吉にも三樹三郎にも互いに含むところは何もない。

 清霜に至っては佐吉の顔を覚えていなかった。ただ、

「武蔵さんは元気ですか」

 と尋ね、佐吉も快く知る限りの戦艦娘武蔵の近況を伝えた。

翌日、佐吉が何の気なしに同僚のその出来事を話したところ、話が瞬く間に上へと伝わったのである。

「おそらくは瀬田三樹三郎かと」

 提督頭押見の腹心でもある貞井提督が言う。

「しかし、やつは提督ではないはず、何故未だに清霜が従っておるのだ」

「今のところはわかりませぬが、どちらにせよ今の清霜ははぐれ艦娘としての立場であるはず、大それたことができるとは思えませぬ」

「使える艦娘はおるか」

「川内と飛鷹を向かわせました。佐吉が住処を聞いたそうで、見張らせております」

「あやつらなら、間違いはあるまい。言うまでもないが、武蔵には悟られるなよ」

「委細承知しております」

「二人以外でも艦娘は好きに使え。見失うなよ」

 その日より川内と飛鷹は、三樹三郎を密かに見張っていた。

 そして今日、二人に見張られているとは気付かぬまま、三樹三郎は秋山鎮守府を訪れたのであった。

 報告のため、川内は鎮守府に一旦戻っていた。

 勝手知ったる鎮守府内の提督室までを川内は一息に進む。

「提督にご報告が」

「見張りはどうした」

「飛鷹が残っております。それより提督、ご報告したいことが」

「なにか」

「瀬田が今日顔を見せた鎮守府、名は秋山鎮守府」

「秋山。聞いたことはないな」

「秋山鎮守府そのものはごく小さな鎮守府ですが、その提督秋山大治郎は、田沼に関わる者だということです」

 筆頭旗提督田沼の名を知らぬ提督などいない。

 押しも押されぬ大提督の名に押見は愕然とした。

「どういうことだ、瀬田はまさか、田沼様に」

「秋山鎮守府には田沼鎮守府麾下の駆逐隊が足繁く通い、秋山提督の指導を受けているとのこと。また、秋山提督自ら田沼鎮守府へ出向き、剣客提督として稽古をつけることもしばしばあると」

 押見鎮守府も決して小さな鎮守府ではない、押見を提督頭として、複数の提督と艦娘を抱える鎮守府である。とはいえ、田沼鎮守府には比べようもない。当然、押見が逆立ちしても敵う相手ではない。

「貞井、例の件、漏れてはおるまいな」

「おりませぬ」

「断言できるか」

「瀬田三樹三郎が作二郎の死について知ることなどありえませぬ」

「武蔵は」

「武蔵とておなじこと。また、鎮守府の外と連絡を取ったということもありませぬ」

「では、清霜はどうか」

「同じです。清霜以外の艦娘は全て始末されておりますし、清霜は事情を知りませぬ」

 艦娘の始末、との言葉に川内は反応を見せない。

 それもそのはず、川内は始末をした張本人である。押見提督の懐刀として裏表を問わず、いや、善悪を問わず力を行使する、それがこの川内という艦娘であった。

 川内をはじめとする川内型は、提督に一度心を許せば最後の最後まで尽くす性格の艦娘が多いと言われているが、この川内はまたそれとは違う意味で押見提督に仕えていた。

「あやつが知らぬのならば、何故田沼に近づく必要がある。提督ですらないのだぞ」

「おそらくは、金かと」

 川内の言葉に押見と貞井は目を向けた。

「どういうことか」

「瀬田は、道場破りにより金子を稼いでいるようです。あわよくば、清霜を売り込むつもりでは」

「金、か」

 押見が露骨に下卑た笑いを浮かべる。

「いつまで見張ります? 何かの拍子で面倒くさいことになっても困りますよ」

 川内は尋ねた。

 見張りだけはつまらない、と言外に訴えているのだ。

 ふむ。と押見は頷いた。

 今のままならば、瀬田三樹三郎に害はない。

 が、今のままであるという保障はない。

 であれば、保障をすれば良い、と押見は考える。

 保障とは即ち。

「話は変わるが、艦賊による辻斬りがこのところ多いと聞く。恐ろしいものだな、川内」

「恐ろしいですね、まったく」

「気をつけろよ。駆逐艦娘ごときでは、艦賊に太刀打ちできるとは限らんからな」

「確かに」

「ああ、川内、一つ聞こう」

「なんでしょう」

「戦艦武蔵を沈めろと言われればどうする」

「方法を問わぬなら空母機動部隊による爆撃を中心とした攻撃。必要以上に危ない橋を渡ることもないでしょう」

「貴様が出たとして、水雷戦隊では無理か」

「爆撃後ならば喜んで」

「よいわ、瀬田の方を頼むぞ」

 川内は、鎮守府を出ると三樹三郎の住処へと向かった。正確には、住処としている小屋付近に潜む飛鷹の元へと。

「動いたかい?」

「いえ、あれからそのままよ」

 三樹三郎と清霜の住む、町外れの川沿いに建てられた小屋。その小屋からやや離れた古びた地蔵堂の裏に、飛鷹と川内は潜んでいた。

 秋山鎮守府を出た三樹三郎はその後、三つの鎮守府を回り、三つともに快勝した。そこでそれなりの金を手に入れ一旦ここに戻ると、清霜を連れ私設工廠へ向かったのだ。

 私設工廠とは、鎮守府以外で入渠や整備を行う施設である。町中に生きる艦娘の数も少なくない江戸では当然必要とされる施設であった。

 基本的に艦娘であれば誰でも利用できる。勿論、鎮守府に属している艦娘も所定の費用を払えば使用はできるが、鎮守府よりは当然高くつく。

私設工廠で清霜の艤装を調整させた後、二人は小屋に戻った。それを見届けてから、川内は鎮守府へと報告に戻っていたのだ。

「やっこさん、どういうつもりかね」

 川内のぼやきにも聞こえる問いに、飛鷹は首を傾げるだけだった。

「提督にもなれないような下っ端人間の考えることなんてわからないわよ」

「ははっ、違いない」

 この二人、自分たちの提督には忠実であるものの、性質は悪である。いや、悪故に押見提督に忠実であるといっても良いだろう。

 艦娘の中にも生まれつき性悪な者は時折存在する。その多くははぐれ艦娘、そして艦賊へと堕ちていくものであるが、この二人は辛うじて鎮守府に属していた。押見提督とはいわゆる、水が合っているのだ。

 そして、瀬田作二郎とは合わなかった。直属の艦娘でないため、ただ合わないというだけならば問題は無かったが、作二郎は鎮守府内の不正に気付いてしまった。

 押見は艦娘に対する整備補給、入渠を最小限にすることで私腹を肥やしていた。そのうえ、自分に与する艦娘には利益を与えていた。

 利益を与えられた艦娘による不正が横行していると思い込んだ作二郎は、上司である押見に相談する。

 麾下の戦艦武蔵を譲ってもらえぬか。機会がある度にしつこく言い立てる押見を作二郎はやや敬遠してはいたが、それも武蔵の実力の故だと割り切り、特に危険視はしていなかった。

「よくぞ気付いたな。しかしな、実は今、確たる証拠を掴むためにあえて泳がしておるところなのだ。貴様も当分は知らぬふりでいてくれ。くれぐれも悟られるなよ」

 押見の言葉を作二郎は信じた。むしろ、自分は信頼されていると感じた。

ゆえにその直後の作戦、深海討伐では押見の指示に従い、艦隊を率いて前線へと出た。

陣立ては軽巡阿武隈を旗艦とした夕雲、巻雲、清霜による水雷戦隊。旗艦阿武隈は作二郎の秘書艦であり、また結魂(ケッコン)艦でもある。

 結魂とは、練度の高い艦娘とその提督だけが為すことのできる関係であり、結魂した提督の意識は抜錨中の艦娘に憑依する。これにより十全たる指揮をとり、憑依した艦娘の能力も高められるのだ。

 つまり結魂とは、高練度艦娘の能力を更に底上げすることができる手段であった。ただし、高練度であれば全ての艦娘が結魂できるというわけではない。

 憑依中は提督は眠っているような状態になるため、別の艦娘によって保護されていることが多いが、艦娘が大きく損害を受けると提督の意識もまた損壊し、轟沈した際は提督の命もともに失われる。まさに両刃の剣であった。

 当初、この作戦にはさほどの危険は無いと説明されていた。阿武隈との結魂儀式を終えたばかりの作二郎に対して押見は「結魂艦との憑依訓練にもなる」と出撃を命じ、作二郎も阿武隈もそれを疑問に思うことはなかった。

 作戦内容は、「深海艦隊に相対している主力艦隊を側面より援護せよ」というものであった。

 側面援護と信じて艦隊を動かした作二郎は、そこに敵本隊を見た。

 戦艦と空母を主とした機動連合艦隊であった。正面から水雷戦隊で戦える相手ではない。

 阿武隈に憑依した作二郎率いる水雷戦隊は、敵正面に位置していた。

「全艦回頭、なんとしても生きて帰れ」

 それが作二郎の最期の命令となった。

 水雷戦隊編成のため鎮守府待機を命じられていた武蔵は自分の行動を悔やんだ。

 武蔵は具申していたのである。作戦に不審有りと。

 不審有りとはいかなることか、と作二郎は尋ねた。

 武蔵はそこで言えなかったのだ。押見を信じるな、と。

 作二郎はそれを、武蔵の過ぎた心配だと笑った。そして、その心配そのものは有り難い言葉であると。

 武蔵はその作二郎の性格を、常々好ましく思っていた。だからこそ言えなかった。貴様は甘いと。

 鎮守府に戻ってきたのは、轟沈寸前まで大破した清霜ただ一人だった。

 このとき、やや遅れて戻ってきた川内を武蔵は確認していない。

 川内は瀬田艦隊崩壊の一部始終を観察し、報告することを命じられていた。

「まさかに逃げ切りそうでしたので、背後から雷撃しました。いや、さすがは瀬田作二郎殿と驚きました」

 雷撃は川内の独断である。が、しかし、それは押見の思考に合っていた。

「よくぞやった、しかし、清霜はどういうことか」

「深海棲艦に沈められたという証人は念のために必要でしょう」

「なるほど。見られていないだろうな」

「夕雲と巻雲には気付かれたような気がしましたので、沈めました。少々甘く見すぎていたようで」

「清霜には見られていないということだな」

 しつこく押見は念を押し、川内は頷いた。

それ以来、川内は名実共に押見の懐刀として働いている。

 そして今、三樹三郎を住む小屋を見張りながら川内は言う。

「ところで、辻斬りが出るらしいね」

 飛鷹はその言葉を正確に理解した。

「それどころか、押し込みの賊も増えているらしいわよ」

「物騒だねえ、この辺りは」

「物騒よね」

「飛鷹、鎮守府に戻って四人ほど連れてきておくれよ。夜戦慣れした軽巡辺り」

「相手は人間一人と駆逐艦娘よ?」

 怪訝そうな顔の飛鷹に川内は言う。

「三倍は兵法の基本だろ」

「念の入ったことね」

「負けるのは嫌いでね」

「夜戦に持ち込めば負けないでしょう、貴女」

「当たり前だ、誰だと思ってるんだい」

「私もそれなりの装備してくるわよ。待ってなさいな」

 飛鷹を見送った川内は知らぬ。

 瀬田三樹三郎を見張る自分たちが更に見張られていると。

そして押見川内の言う夜戦など、別の川内に言わせれば夜戦と呼ぶもおこがましい戯れ言であると。

 この日秋山鎮守府で、二人の存在は小兵衛と龍驤に気付かれている。

小兵衛はとっさに龍驤と秋月を二人につけた。

 三樹三郎を追った川内らをそのまま追う龍驤は飛鷹の元に秋月を残し、自分は川内を追い、押見鎮守府へと辿り着いたのだ。

 川内の属する鎮守府を知った龍驤はそのまま秋山鎮守府へとって返し、これを報告する。

 一方、三樹三郎の話を大治郎から詳しく聞いた小兵衛は、稽古を済ませ帰っていく初春達に手紙を託し、牛堀九万之助に声を掛けていた。

 三樹三郎に好感を抱いていた牛堀も即座にこれに応え、川内と扶桑を供に秋山鎮守府に駆けつけていたのである。

「押見鎮守府。良い噂は聞きませぬな」

 押見の名が出たとき、小兵衛もむぅと小さく呻いた。

「確か、提督はんも何人か亡くなっとるで、名目は深海棲艦との戦やけどな」

 名目、と龍驤は言った。

「龍驤殿、それはいったい」

 長門の問いに、龍驤は嫌そうに首を振る。

「沈んでしもうたもんに、どっから弾が飛んできたかなんて聞けへんやろ」

 あくまで噂や、と続けるが、その目には明確な嫌悪が浮かんでいた。

「そうか」

 九万之助が膝を叩く。

「思い出した、瀬田作二郎。押見鎮守府で亡くなった提督の名だ。亡くなった際に齟齬があったのではないかとの噂もある」

「なに」

 流石の小兵衛も絶句した。

 が、すぐに

「牛堀殿、力をお借りしたい。龍驤、急ぎ川内をつれて秋月と合流せよ」

 普段の小兵衛ならば九万之助を九万さんと冗談めかして呼ぶ。これは、事態の急を示していた。

「喜んで。川内、任せるぞ。扶桑、我らも準備だ」

「了解、抜錨するよ」

 龍驤と川内はそれぞれ軽空母と軽巡の身軽さで飛び出ていく。

「父上、どういうことですか」

 慌てる大治郎。

「考えてもみよ。かつて殺めた提督の血縁が、今をときめく田沼様に出入りする提督の鎮守府を一人で訪れた。さて、どのように見える。わしの考えすぎであればよいがな」

「痛くもない、いいえ、痛い腹を探られかねない。と思うかもね」

 足柄が笑った。

「私達も行くわよ。あの二人に秋月ちゃんなら、後詰めになるかしら。ねぇ、長門」

「だろうな」

 川内は龍驤の後を追いながら考えていた。

 秋山小兵衛は秋山大治郎の父であり、己の提督牛堀九万之助が先生と呼ぶ人物である。

 その小兵衛に頼まれた。この龍驤と共に頼まれた。

 川内は秋山龍驤を知っている。深海大戦の最悪を駆け抜けた歴戦の古強者だと知っている。その龍驤が現在提督と仰ぐのが小兵衛なのである。

 川内が信じぬ理由などどこにもない。

 そして川内は自分が選ばれた理由もわかっていた。その場にいた足柄でも長門でも扶桑でもない自分。艦種で言うならば一番火力の低い自分。選ばれた理由は時刻である。

 日は沈みつつある。

 夜戦の舞台が近づいていた。川内が本領を発揮する戦場が。

 龍驤が速度を落とすと、茂みに入る。ついていくと、少し開けた場所に秋月が立っていた。

 秋月が示す方向には、何人かの艦娘が三樹三郎の住処であろう小屋を見張る姿があった。

「さっき四人ほど増えました。計六人。軽巡四人と重巡一人、軽母一人のようです」

「流石防空、目が利くな」

「夜戦装備のようですが、探照灯の艤装は確認できません。もしかすると、隠しているかも知れませんが」

「ウチらがおるとは知らんのに、わざわざ隠さんやろ。川内、行けるか?」

「この暗さなら、十分」

 川内は頷き、すっかりと日が暮れて陰を増しつつある茂みを進む。

 瀬田三樹三郎の麾下は清霜ただ一人。三樹三郎本人を含めても二人。

 六人の艦娘とは、三倍を揃えたということか。と川内は唇を歪めた。

 洒落臭い。いかにも、戦を勘違いした知恵者気取りが考えそうなことだと思った。

 声が聞こえる。

 抑えきれていない。標的の小屋には届かぬ、ただそれしか考えの及ばぬ声が聞こえる。

「人間一人、駆逐一人。囲んでくれりゃあ、私が始末するよ。夜戦は好きなんだ」

「物取りのせいにするから、適当に金目の物を見繕って持って行きなよ。駄賃代わりにはなるでしょ」

 間違いない、自分と同じ川内型の艦娘の声。それが、あっさりと悪事を働くと宣言していた。

 怒りよりも失望と呆れを川内は感じていた。

 奇襲は良い。三倍で攻め込むのもまあ良い。

 だが、これは違う。ここは、戦場ではない。艦娘の戦場ではない。これは、艦娘川内の知る戦場ではない。

 洋上の戦で深海棲艦の意表を突くのと、戦のない地上で何も知らぬ相手に斬り込むのはまったく別の話である。

 これは決して、夜戦ではない。

 ……お前の夜戦は、何も知らぬ相手を嬲ることなのか

 川内は心で問い、自ら答える。

 断じて否、と。

 ……夜戦を教えよう、艦娘川内の夜戦を

「始めようじゃないか、夜戦ってやつを」

 声を掛けた。

 振り向いた押見川内の驚愕の表情に唾を吐きかけたくなる思いを堪え、川内は身を低く構え、上ではなく前へと飛んだ。

 六人の間をくぐり抜けながら両腕を振るう。

 拳の当たる音は四つ。

 振り向いていた押見川内が頭を戻す。声が聞こえた、其処へ頭を向けた。と思った瞬間、声の主は通り過ぎ、二人が倒れた。

「何が」

 起きたと言い終える前に、胸元に衝撃が来る。

「お前、夜戦向いてないよ」

 自分と同じ川内型の顔、それが、意識を失う前に見たものだった。

 自分以外の五人が倒れたとき、飛鷹は夜間戦闘機を発艦させていた。

 発艦と同時に半数が瞬時に撃墜され、夜間対空攻撃を受けたと知った飛鷹が秋月の姿に気付くと、残る半数が龍驤の夜間戦闘機に撃墜される。

 そのまま、飛鷹の意識は川内に刈られた。

「お見事」

 龍驤は倒れた艦娘達を縛り上げると、秋月の長十糎砲ちゃんに縄の先を持たせる。

 艦賊を専門に取り締まる役人、艦賊改方も使用している対艦娘用の特殊な縄である。五体満足ならまだしも大破状態の艦娘達にはどうしようもない。

「大治郎はん達が来るまでしっかり見張っとき。逃げたら撃ってええよ」

 二台の艤装生物、せいとせんは任せろと言うように頷いていた。

「あの、龍驤さん、私も見張りますから」

「そう? あ、いや、秋月は一緒に来てや。ここにおるので向こうが顔知っとるの、自分だけやん」

 川内を残すと、龍驤と秋月は小屋の手前まで進み、立ち止まる。

「中に入らないんですか?」

「中で気付いて構えとる、ここから声かけや」

 秋月は大きく息を吸う。

「秋山大治郎提督の秘書艦、秋月です。曲者は全て捕らえました」

 がらりと戸が開き、三樹三郎の顔が見えた。

「おお、秋月殿か。して、曲者とは?」

 清霜がその横から顔を出すと、

「あ、龍驤。ねえねえ提督、向こうに川内もいるよ」

 それほどの距離がないとは言え、この闇の中で茂みの向こうの川内にまで気付くのかと龍驤は内心舌を巻いた。なるほど駆逐風情と侮って良い相手ではない。

「まとめて六人、こっちでふん縛ったけれど、連れてきてええかな」

「頼む」

 そうこうしているうちに到着する大治郎たち。

「押見提督」

 話を聞いた三樹三郎は、名を呟いた。

「考えたくはなかったが。やはり、そういうことですか」

 兄が殺された、という疑いはあった。深海棲艦に討たれた状況を不自然だと感じた。

 しかし、兄がかつて残していた言葉があった。

「俺に何かあれば、此奴らの行く末を頼む。くれぐれも敵討ちなど考えさせるな、勿論、お前もな」

 不吉なことを言うなとその場にいた武蔵はたしなめていたが、兄は笑っていた。

 その言葉は深海棲艦に討たれたときのものだと思っていた。それでも、自らの名誉や仇よりも残された艦娘の行く末を託した言葉を三樹三郎は護りたかった。

「私は押見鎮守府の艦娘となる。その代わり清霜の自由は保障してもらう」

 兄の死を伝えに来たのは武蔵と清霜だった。

 その場で自分の処遇を初めて聞いた清霜は抗議の声を上げるが、武蔵はこれを無理やりに黙らせた。

「私には戦働きしかできん。戦場以外で清霜を守り切るのは無理だ」

 戦艦武蔵の言葉に三樹三郎は頭を下げ、清霜はひとしきり泣くと、最後に頭を下げた。

 作二郎の麾下としてただ二人残った武蔵と清霜。

 武蔵は言う。自分は戦艦である。であれば、押見といえどむざと使い潰すような真似はしないだろうと。しかし、何も知らぬ清霜がどうなるか。押見にとって清霜は無用の艦娘である。戦場ならば何があろうとも護って見せようが、艦娘の生活は常に戦場とは限らない。遠征や演習、押見の監視下にいる限りいくらでも機会はあるのだ。 

 兄の死の真相については清霜は何も知らず、三樹三郎もあえて武蔵に何も聞かなかった。

 確信はあっても確証は無い。と言外に伝える武蔵を三樹三郎は信じた。

「見逃されると思った私が甘かったのだな」

「提督は、悪くないよ」

 清霜は首を傾げながら言う。

「清霜が弱かったから……強くなるから、ね。武蔵さんみたいに強くなって、もう、どんな深海棲艦にも負けないようになるから」

 扶桑が清霜の手を握った。

 小兵衛は、大治郎が自らが田沼に出入りする者であると告げた。

「そこを邪推された、と言うわけですか」

 申し訳ない、と頭を下げかけた大治郎を、下げる理由はないと制止する三樹三郎。

「どうされる、瀬田殿」

 小兵衛が話を続ける。

「押見の悪行が定かであるというならば、田沼様に話を通すことも決して悪い方法ではありますまい」

 そこで小兵衛は言葉を止め、凄味のある笑みを浮かべる。

「あるいは」

 小兵衛の告げる内容に、龍驤と川内、足柄は小兵衛と同じくニヤリと笑い、扶桑と長門、九万之助は呆れつつも悪くないと感想を述べた。

 秋月と清霜は、それぞれの提督の表情を窺っている。

「力をお借りできますか、大治郎殿」

「微力ながら、喜んでお貸しします」

 一同は一旦、縛られたままの押見川内達を連れて大治郎の鎮守府へと戻った。

 遅くなったが飯を炊き汁を作り、全員で腹ごしらえを済ます。押見川内達には、一応監視の上でにぎりめしと水を与えておく。

 そして、道場で雑魚寝する。このとき大治郎の寝室は小兵衛に、秋月の寝室は龍驤に譲られている。

 たまにはこのようなことも若い頃に帰って良いな、と九万之助が笑うと、扶桑もニコニコと頷く。

 清霜が目を輝かせてはしゃぎ暴れるので面白がった足柄が相手となり何度か叩きのめすと、清霜は嬉しそうに何度も向かっていった。結局、清霜の体力に呆れた足柄に代わって長門、そして扶桑と、三人を相手に暴れ回ることとなった。

「あの子は本当に駆逐艦娘なのかえ」

 物音に顔を出した小兵衛が珍しく呆れ、三樹三郎はしきりに恐縮していたものである。

 翌朝、早い内に出かけた九万之助が妙高をはじめとする牛堀艦娘達を連れてくると、小兵衛は押見川内らを連れ出した。そこにはいつの間に現れたのか、艦賊取り締まりの準備をすっかりと整えたあきつ丸とまるゆの姿も見える。

「みなさん、おはようございます」

「連行はお任せ下さいであります」

「わしら三人はこれからゆっくりと艦賊改方へ出向く」

 どこをどうされたのか、押見艦娘達は抵抗の素振りもなく意気消沈している。小兵衛とあきつ丸に言わせればコツがあると言うことだが、その内容は未だに大治郎も知らぬ。

 横では、長門も同じく出支度をしていた。

「では、秋山先生。私は手筈通り、田沼鎮守府へ報告に」

 それぞれを見送り、大治郎達も出発した。

 目的地は、押見鎮守府である。

 

「拙者、瀬田三樹三郎と申す。不躾ながら、演習を申し込みたい」

 押見鎮守府は混乱していた。

 いや、混乱していたのは押見と貞井である。

 川内に始末させたはずの瀬田三樹三郎と清霜が乗り込んできたのだ。それも、一人の剣客らしき提督と扶桑、足柄、秋月、龍驤、川内を連れて。

「昨夜、こちらの鎮守府の艦娘に演習を申し込まれ、勝利しました。よって、今回はこちらよりお邪魔させていただいた」

 つまり、川内達は返り討ちにあったと。

 そのように言われては居留守もままならず、押見はこの日の秘書艦と共に姿を見せる。

「お待たせした」

「初めて直接お目に掛かる。瀬田三樹三郎と申します。兄作二郎がかつては世話になりました」

「うむ。作二郎殿から弟の名は聞いたことがある」

「川内殿は、私が作二郎の弟とは知らず、演習を申し込んだようでしたが」

「で、川内はどうしておるのか」

 大治郎がそこで口を挟んだ。

「川内殿の艦隊に演習で大破した艦娘が出たため、私の鎮守府で入渠しておられる」

「そ、そちらの御仁は」

 胡乱なものを見るような押見に対して厳しい眼差しを返す大治郎。

 大治郎はこのときあえて、正式に大本営に登営するための正装を身につけていた。

「失礼。田沼鎮守府剣術指南役、秋山大治郎と申します」

 嘘ではない。実際に田沼鎮守府所属の初春達に稽古をつけているのは大治郎だ。

 押見は息を吞んだ。

「瀬田殿とは旧知の間にて当方鎮守府にも出入りしてもらっています。本日は後学のため演習の見学にまいりました」

 演習を受けた側が今度は申し込む。鎮守府同士の繋がりとして何ら不自然な点はない。

 勿論、場合によっては断るのも自由である。ただし、互いに他意が無い場合は。

「どうなされた。何かご都合がおありかな」

 あえて大治郎は急かした。

「い、いや、お受けしよう。準備があるので少々お待ちいただきたい」

「それはもちろん」

 演習用の控え室へ招かれる一同。

 待たせておいて、押見は貞井に確認する。

「武蔵はどうなっている」

 この日の早朝、武蔵を旗艦とし戦艦と正規空母により構成される重武装の艦隊が抜錨している。武蔵謀殺の企みであった。

 後詰めとして水雷戦隊を派遣している。仮に空母と戦艦から逃れたとしても、満身創痍の状態で雷撃を躱すことは難しい。押見は武蔵の轟沈を疑っていなかった。

「未だ連絡はありませぬが、時間の問題かと」

「演習をどうする。田沼鎮守府剣術師範とあれば、そうそう無視はできんぞ」

 演習と偽って囲むという案もあるが、手練れの艦娘は出尽くしている。

「武蔵を始末した連中を待て。高速修復材で入渠させ、そのまま出撃させよ」

「川内の処置は」

「知らぬ存ぜぬを通せ。どちらにしろ、証拠はない」

「しかし、川内は襲撃寸前を捕らえられておりますぞ」

「わしらが命じたという証拠はない。私用で外出した艦娘の行動など知らぬわ」

 艦娘外出記録、並びに艤装倉庫記録の改竄を貞井が脳裏に置いたとき、音が響いた。

「何事か」

「武蔵が単騎で戻りました。大破状態です」

 言いながら駆け込んできた用人の背を掴むようにしながら、満身創痍の武蔵が現れた。しかし、その表情に不安や恐れはない。それよりも、ようやくに正面から飛び込めるという喜色が優っていた。

「提督。いや、押見周之助、逸ってくれたな。感謝するぞ」

 押見はその瞬間、己が失策を悟った。

 武蔵を倒せなかった。それだけなら何とかなる。今からでも残った艦娘の総力を挙げれば武蔵は倒せる。しかし、すでにここには三樹三郎と艦娘達が入り込んでいるのだ。

「乱心したか、武蔵」

 貞井が声を上げる。

 押見が刀を抜いた。

「出合えっ。武蔵乱心ぞ」 

「この戦艦武蔵を、たかが重装艦隊と水雷艦隊一つずつごときで沈められると思うなよ」

 駆けつける艦娘達、それを抜き去るようにして当然のように駆けつける龍驤達。

「武蔵さん!」

 先頭の清霜が武蔵を飛び越えるようにして押見に向かい、その刀を叩き落とす。

「この、悪者め!」

 駆けつけた艦娘達は龍驤の艦載機に牽制され足を止め、艦載機に対抗する空母は秋月の対空砲で無力化される。それでも進もうとした艦娘は足柄、川内、扶桑によって叩きのめされる。

 主力のほとんどを既に喪っている押見艦娘に勝てる道理はなかった。

 押見鎮守府に艦賊改方鎮圧部隊と長門率いる田沼鎮守府精鋭が駆けつけたのは、一同の大暴れがある程度落ち着いた頃であった。

 押見周之助をはじめとする鎮守府幹部はその場で捕らえられ、艦娘達は全員即座に降伏した。押見を最後まで救わんとする直属の艦娘は既に尽きていたのだ。

 三樹三郎の身は艦賊改方に、武蔵と清霜は田沼鎮守府へとそれぞれ預かりとなった。

 その三日の後。

「お頭が、しばらく話している内に三樹三郎殿を気に入ったようで」

 小兵衛の隠宅にて報告するのは現在の艦賊改方長官の片腕とも言われ、また、かつてあきつ丸らと共に小兵衛にも師事していた重巡那智である。

 大治郎と長門、秋月も同じく訪れている。

「武蔵清霜共々、改方で面倒を見たいと」

 無論、密偵下働きの類ではない。望むならば正式に取り立てると告げたのだが。

 しかし、三人はそれを断った。

「しばらくは人に仕えるのはこりごりだ。無論、三樹三郎殿は例外だがな」と武蔵。

「盗賊改方に入ると戦艦になれますか?」これは清霜。

 そして三樹三郎はこう言った。

「ありがたい話ですが、私は提督でないにしろこの二人とは共に進みたいと思っている。よって、この話はなかったことにしていたただきたい」

 長門がそこに付け加える。実は田沼からも武蔵清霜を、そして三樹三郎を召し抱えたいという話が来ていたと。

 三人はやはり同じように断り、元々住んでいた小屋に戻ったということである。

「ま、得がたい友人ができたと思い、気に掛けるが良いさ」

 小兵衛の言葉に大治郎が大きく頷くと、秋月がふと思いついたように尋ねる。

「清霜さんは、戦艦になれるんでしょうか」

 小兵衛は笑った。

「なっておるよ。とっくにな」

 

 





ブラック鎮守府から牛堀鎮守府に引き取られた朝潮(「剣の戦場」)は元気にやってます

牛堀川内は「アイドルの那珂ちゃん」でチラリと出てました

初春は「キタクマ酒場」の時からずっと通ってきてますね



次は、羽黒か秋月姉妹の話の予定

秋津洲かも知れない


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鬼提犯科帳「田楽屋羽黒」

番外編、といっていいのかな。

鬼平犯科帳艦これです

ここまでもちょくちょく存在はほのめかしてきたし、那智も出してたし。

はい、出します。鬼の提督長谷川平蔵。人呼んで、鬼提


深海との戦も落ち着いた頃、幕府は艦賊改方という特別警察を設けていた。
独自の機動性を与えられた、その艦賊改方の長官こそが長谷川平蔵。
人呼んで鬼の提督である。



 艦賊改方与力月形茶志郎が羽黒の姿に気付いたのは、市中見回りの途中であった。

 同型の艦娘同士は非常によく似ているため、慣れない者にとっては区別が付けにくい。慣れさえすれば見分けることができるというのだが、それでも艦娘が強いて似たような恰好となって誤魔化そうとすると、難易度は途端に上がる。

 もっとも、それは艦娘にとっては我慢ならぬことらしく、滅多にそのような状況になることはない。艦賊に落ちぶれたはぐれ艦娘であっても、自分と同型の者と偽って姿をくらまそうとすることは滅多にないのだ。

 大物艦賊ほど、それを「最後の矜恃」と嘯くものであった。

 とはいえ、不思議と提督には簡単に見分けがつくようであった。

ましてや艦賊改方ともなれば、同型が五人いれば五人を見分けることもできるのが当然である。

 それでも茶志郎は、一瞬自分の目を疑った。

 似ている似ていないの問題ではない。

 自分の知る艦娘羽黒がこのような時間にこのような場所にいることが奇妙なのだ。

 茶志郎の知る羽黒は、夕方辺りになると商家通りに屋台を引いて現れ、味噌田楽を売り歩く艦娘である。

 売り物は二つだけ。注文を受けるとその場で焼いて味噌を塗る豆腐と、刻んだ青菜を炊き込んだにぎりめし。ただし、日によっては蒟蒻や里芋もある。

 屋台を引いた羽黒の姿を見かけると、商家の小僧や艦娘達が挙って買いに来るのだ。茶志郎自身も数回どころか、大いに利用したことがある。

 しかしここは、かつての大戦中に臨時の軍営が置かれていた町外れ。深海棲艦の集中砲撃を受けて荒廃しきったまま放置され、今では治安の悪さからまともな人間ならばまず立ち入らない、半ば貧民窟と化した地域である。そこにある一つのあばら家に大きな包みを提げて入っていく羽黒の姿を、茶志郎は遠目ながら見かけたのだ。

 いかに腕に覚えのある艦娘とは言え、まともに商いをしている者が昼間から出入りするような場所ではない。人間の悪党だけではなく艦賊も跋扈しているのだ。

 艦賊改方といえど、無闇に中に入っていくことは危険であり、茶志郎も外側からふと様子を覗いてみただけに過ぎない。

 そこに、見覚えのある羽黒がいた。

「どういうことだ」

 茶志郎は自分が必要以上に衝撃を受けていることに気付いた。

 これが例えば同僚の那智であればどうするか。

 羽黒の姉妹艦でもある那智ならばやはり驚くだろうが、ここまでの衝撃を受けることはないだろう。

 私情が入っている、と茶志郎は苦々しくも自覚している。

 羽黒に対しての私情があるのだ、自分には。

 茶志郎が羽黒の屋台を利用していたことは先ほど述べた。それは決して偶然が重なったなどではない。いや、最初は確かに偶然であったのだ。

 見回りの途中に見つけた屋台で小腹を満たした。ただそれだけのこと。特に珍しい話でも、取り立てて吹聴するような話でもないはずだった。

 ところが、ある日の夕方のことである。

 その日もいつものように見回っていた茶志郎は、その頃既に何度か利用したことのある羽黒の屋台を見つけるといそいそと近づき、声を掛けた。

「いつもの豆腐を」

「はい。今お焼きしますね」

 豆腐の味噌田楽を受け取った茶志郎が早速一口かぶりつくと、鼻の頭に水滴が落ちてくる。

 夕立である。無論、天候の夕立であり駆逐艦娘ではない。

 しかし、

「あら、夕立っぽいですね」

「ん?」

 何のことはないやり取りであるが、その瞬間、茶志郎はつい笑ってしまった。

「あ、夕立ちゃん、いえ、駆逐艦、じゃなくて、あの、雨のほうで、あの子、口癖がポイだから」

 慌てて説明し始める羽黒の姿を茶志郎は好ましく感じた。

 そして勢いを増す雨。

「お武家様、こちらに」

 どこをどうしたのか、屋台の屋根、軒の部分がせり出して広くなっていた。二人程度ならば十分に雨を凌げる広さである。

「ほぉ、面白いな、これは」

「艦娘の艤装の応用だそうです」

「貴女がこれを?」

「近くの艦娘職人さんに作ってもらいました」

「これは便利なものだな」

「ありがとうございます」

 羽黒が照れたように微笑み、茶志郎はその姿に見とれている自分に気付いた。

 今思えば、確かにそのとき羽黒を見初めていたのだ。

 茶志郎とて、艦娘に免疫のない男ではない。基本的に見目麗しい者が多い艦娘の見た目にいちいち惑わされていては、とてもではないが艦賊改方などは勤まらない。それでも、茶志郎にとってこの羽黒は何かが違っていた。言葉で説明できるような話ではないのだ。

 さらに二度三度と今度は意識して通っている間に茶志郎の名と職を羽黒は知った。

 茶志郎は羽黒の練度が改であることと、もうすぐ改二になることを知った。

「しかし、演習に出るでもない、戦に出るでもないのに練度は上がるのか」

「遠征や、日頃の自主訓練でも練度は上がるんです。とっても少ないですけれど」

「では、改二になれば祝いが必要かな」

 そんな会話を繰り返しながらの茶志郎の屋台通いは、まず龍田に知られることとなった。

 軽巡龍田は艦賊改方に出入りする密偵の一人であり、普段は背負い駕籠で行商を営みつつ、様々な情報を仕入れている。

 艦賊改方長官長谷川平蔵の直属の密偵とも言える龍田の口は決して軽くない。軽くはないのだが、問題が一つあった。

 平蔵の放蕩時代からの昔馴染みかつ悪友でもある天龍は龍田の姉……単なる姉妹艦ではなく、この二人は実際に同じ工廠で生まれた姉妹……である。その天龍が相手となると、龍田の口も少し軽くなる。とはいえ、現在の天龍もまた密偵の一人であり、外部に対しての口は堅い。外部に対しては。

 要は、身内のたわいない噂話というものは内部では気軽に拡散されるのである。この辺りは、いつの時代のどんな組織でも似たようなものであろう。

「天龍から聞いたぞ、月形殿」

 ある日、那智がおもむろに茶志郎にそう切り出した。

「なるほど羽黒か。ふむ、やつは足柄ほど騒がしくないし妙高ほどお堅くない。更になんと言っても、私よりよほど女らしい。妙高型から選ぶとすれば、まさにお薦めだな。いや、なかなか目が高い」

 艦娘ながら与力扱い、月形と同格の那智である。

 長谷川平蔵が艦賊改方長官となってからの改革の一つが、所属する艦娘の地位向上であった。

 それまでの艦賊改方に所属する艦娘には成果能力がどうであろうとも役職などは与えられず、待遇も決して良いものではなかった。

 これを長官就任と同時に改めたのが平蔵である。

「悪に対しては我ら一丸となって立ち向かうべきであるというのに、同じ働きをする者に上下があるとはいかなる理由か」

 結果として役職はそのまま与えられこそしなかったが、「与力扱い」「同心扱い」などと呼ばれることとなり、その待遇も実際の役職とほぼ遜色ないものに変えられた。元より艦娘達と共に働きその尽力を知っていた与力同心達には何の異議があろうはずもなく、艦娘達も喜んだ。

 しかしここで、平蔵は艦娘を呼び集めると深々と頭を下げたのである。

「艦娘の待遇、我ら人間と艦娘を全く同じにできなんだはこの平蔵の不明である」と。

 艦娘達は慌てて平蔵に頭を上げて欲しいと声を上げ、その忠誠を深めたという。

艦賊改方に属する艦娘の頭領的存在が重巡那智であった。那智は平蔵の長官就任よりも前から艦賊改方の一員として働いており、それなりに有能ではあるが艦娘に対する理解に乏しい前長官の下ではかなりの苦労を経験していた。

 茶志郎も長谷川平蔵就任前からの古株であり、那智の苦労を知っている。そのため、このような軽口を互いに叩き合うことができるようになったというのはそれなりに嬉しいことなのだが。

「そのようなことを貴女が言われては困る。そもそも我らが艦娘にいちいち目を奪われていては、お勤めが十分に果たせぬではないか」

 真面目に返す茶志郎の反応に那智は喜んだ。

「なに、色仕掛けというものもある。艦賊を口説いて密偵とした強者もいると聞くぞ」

「羽黒は艦賊ではないでしょう」

「おや、羽黒を口説く気か」

 那智がニヤリと笑ったところで、茶志郎はただ軽口だけではなく自分がからかわれていると気づく。

「勘弁してくれ、那智殿」

 そこで那智の口調が優しげなものにかわった。

「人も艦娘も、色恋は同じさ」

 艦娘が人間に、人間が艦娘に惚れて何が悪いのか。

 人と艦娘の違いなど単なる力の差に過ぎない。それは本質の差異ではない。

 日頃より悪に堕ちた艦娘に対する艦賊改方がゆえの、皆に共通する想いでもあった。

しかしそれは、艦娘に対する無邪気な、あるいは盲目的とも言える信用などではない。人と艦娘に違いはないとはつまり、人に悪党がいるように、艦娘には艦賊がいるということに他ならぬのである。

 そして茶志郎は艦賊改方の一員であった。

 気を取り直した茶志郎は羽黒を見かけた位置をもう一度確認すると、そこから足早に立ち去った。

 その行先は、いつもなら羽黒が屋台を引いて流すだろう商家通りである。

 

 

 

 藤木克介という提督は、ごく平凡な技量の持ち主であった。

 あえて分類するならば剣客提督と呼ばれるであろうが、特筆すべき剣の腕を持っているというわけではない。戦術、建造、開発などの提督としての技量にもこれといった特色はない、きわめて平均的な提督であった。

 それはそれで良いのである。平凡であろうと、提督は必要なのだ。あとは本人がそれを割り切って平凡な一提督であることに納得していれば良い。平凡な一提督とは言うが、提督になることすらできぬ人間はいくらでもいるのだ。

 しかし中にはそうとは割り切れず、己の平凡を己の持って生まれた能力ではなく不運、あるいは他からの妨害のためではないかと考えてしまう者もいる。

 うだつの上がらぬ己に歯噛みしつつ、鬱々と日々を過ごす。中にはその心労をあろうことか麾下の艦娘に八つ当たりし、結果、自分の提督としての寿命を縮めてしまう愚か者まで現れるのである。

 これだけで十分艦娘には不幸な話であるが、更にひどい話になることもある。

 そのような提督に手を差し伸べる者がいる。救いの手ではない。更に下から、更に悪い方へと引きずり込む手である。

 提督と艦娘を手駒にせんと欲する悪党は決して少なくない。そして、提督と艦娘を迷わせる手管はさらに多いのだ。

 藤木克介もまた、その陥穽にはまった一人であった。

 低い評価と苦しい運営に疲れ果てたところで甘い言葉に誘われた。そう言えばどこにでもあるつまらぬ誘惑に引っかかった愚か者に見えるであろう。しかしそれは、当人にとっては決してつまらぬものではない。文字通り人生を左右する誘惑なのである。

 甘言にのせられ遊蕩に沈み、気が付くと藤木は借金を抱えていた。藤木一人の自由にできる金では払いきれぬ、それこそ小さな鎮守府一つの予算規模である。

 そして藤木は堕ちた。提督の座を棄て、半ば無理やりに口説き落とした艦娘と共に、裏の道、盗賊の一員となる道へと進んだのである。

「お頭。ご報告にまいりました」

 茶志郎に見られたと知らぬ羽黒は、あばら家の中で一人の男に向き合っていた。

「どうなってる」

「繋ぎはつきました」

 盗賊頭の問いに羽黒は端的に答える。

 西国から東海道沿いを手広く荒らし、現場に必ず手紙を残していく盗賊がいた。その手紙が必ず赤文字で書かれていたことから赤文字の二つ名で呼ばれるようになったのが、羽黒の前に座る盗賊頭、赤文字の成吉である。

 成吉は江戸での初仕事を働こうとしていた。いや、その準備は既に終えていた。

 目当ての商家には既に引き込み……奉公人を装った配下の者……が入っており、羽黒も確認を済ませていた。

 あとは、決行日を知らせて中から木戸を開けさせれば完了である。

 艦娘のいるこの時代、中へと入り込むだけならば艦娘の艤装を使えば簡単な話だと思われるかも知れない。確かにそれは正しい。正しいが条件がある。

 他に艦娘がいない場合、がそれにあたる。そして、この条件が満たされることはまずない。仮に商家にいなくとも町中である限り、砲撃音の聞こえる範囲には間違いなく一人はいる。他の艦娘が現れて艦娘同士の戦闘となれば盗みどころの騒ぎではなくなる。

 更に言うと、地上においての近接戦闘では必ずしも艦娘有利とは限らぬのである。

 少なくとも中に入るまでは周囲に気付かれてはならぬのだ。

 最初から皆殺しにするつもりで無理やり押し入りすぐに逃げるという盗賊もいるが、それは畜生働きと呼ばれる、今で言うところの強盗殺人である。成吉のような昔気質の正統を名乗る盗賊にとっては唾棄すべき所業であった。

「いつでもおつとめの日を伝えられます」

「なに、しばらくは豆腐を焼いていれば良いさ。なかなか旨いらしいじゃねえか」

「あ、あの、これを」

 片手に提げていた包みを置いた羽黒は、成吉の前にそれを広げてみせる。

 成吉だけでなく周囲の者も何事かと覗き込んだ。

「ここでお豆腐を焼いたりはできませんので、菜飯のおにぎりだけでも持ってきました。あの、皆さんのぶんもありますのでどうぞ」

「お、おう」

 毒気を抜かれたような表情で成吉は頷いた。

 羽黒は盗賊一味に完全に馴染んでいる。藤木提督はもういない。一味に入ってすぐ、押し入った先で藤木は弾みから店の小僧を殺したのだ。

 成吉は、配下に余分な盗みと殺しを許さない。藤木は追放されそうになったが羽黒がそれを庇ったため、ただ一度のみ藤木は許された。

 しかし、二度目は許されなかった。二度目は弾みではなかった。一度許されたことで愚かにも高を括ったのだ。それが自分を惜しんだのではなく羽黒のおかげだとも気付かずに。

「羽黒、お前さんの気持ちは通じなかったようだな」

 成吉の言葉に、今度こそ羽黒は何も言えなかった。

 その翌日、藤木の姿は消えた。羽黒は藤木の行方を問わず、成吉も何も言わなかった。

 羽黒は赤文字の成吉配下として、盗賊を続けている。

 

 

 

「なるほどな」

 艦賊改方長官長谷川平蔵は、部下である月形茶志郎の報告を受けていた。

 茶志郎は羽黒について語り、また、羽黒が普段屋台を出している地点についても地図に記していた。

「確かに、重なりますね」

 羽黒が屋台を引く道筋を確認すると、その全てに一致する通りが存在していた。

 通りに面する一番大きな店こそ、艦娘用資材を扱う問屋、松代屋である。

「確かに怪しいと言えば怪しいが」

 那智が首を捻っている。

「偶然と言えば偶然でも、何もおかしくはないだろう」

 大きな店であれば当然、雇われ人も多い。雇われ人が多ければ、屋台へくる客も多い。

 松代屋の前を羽黒が通ることに不自然なことは何もないのだ。

「この程度の疑惑で人員を配置するのは難しいですな。人員にも限りがある」

「見回りで気に留める程度でも良いのではないでしょうか。ねぇ、瑞鶴」

「翔鶴姉の言うとおりかもしれないけれど。月形さん、他に情報無いの?」

「うむ。確かに。何か他に情報は無いのか、月形」

「探りを入れてみますか」

 与力と同心、人間と艦娘が額を寄せ合っては意見を交わし合う。他では滅多に見られぬ光景であった。

「いや、連日の配置は必要あるまい」

 平蔵が言うと、一同の目が向けられる。

「お頭、何かお考えが」

「確かに、日のわからぬまま人を割いて見張り続けるのは無理があろうな」

 しかし、と平蔵は続ける。

「那智。何人か連れて羽黒を見張れ。羽黒が一味ならば、引き込みと繋ぎをつけるときがくるであろう」

 引き込みは既に入っている、と平蔵は確信していた。

 引き込みなど必要としない畜生働きならば、羽黒の存在自体が必要ないのだ。

 羽黒の存在そのものが、引き込みの存在を暗示している。

「お頭、この役目、月形殿ではいけませぬか」

「ふむ。何故だ」

「月形殿は既に羽黒とは顔見知り。私や天龍ではまず近づくことから始めなければなりません」

 茶志郎は背筋に寒さを覚えた。

 自分が今選ばれなかった理由を咄嗟に悟ったのだ。

 天龍、龍田、那智が知っている話を長官が知らぬ訳がない。部下の普段の行動になど興味がない、という類の上官ではないのだ。

 自分は既に羽黒と親しい。いや、親しい関係になろうとしている。

 情に負ける可能性を危惧されている。

 それは、艦賊改方の一員としてはとうてい見過ごせぬ事であった。

「お頭。那智の言う通りです」

 茶志郎は膝を進め、平蔵に直談判のように問いかけていた。

「お任せいただけませぬか」

 平蔵はこれに答えず、地図に目を落とす。

「俺の考えすぎだったな」

 そして何事も無かったかのように言う。

「誰を使う」

 密偵の選択を任せる言葉であった。

「天龍と龍田を」

「うむ。月形、羽黒のほうは任せた」

 そう言って一同を解散させると平蔵が立ち上がり、

「おう、そうだ。羽黒を見かけた場所をもう少し詳しく教えてくれ」

 再び茶志郎のみを引き留めて座り込むのだった。

そして翌日、平蔵の姿は貧民窟の近くにあった。どこで調達したものか、その格好はとても今をときめく艦賊改方長官のものとは思えぬ垢じみた着流し姿で、二本刀すら差していない。更にその顔にはうっすらと汚れが染みついている。

 どこからどう見ても不逞浪人にしか見えぬのは、衣装方の苦心の作である。

 艦娘衣装をまとっていない艦娘が道端に座り込んでいるところで、平蔵は足を止めた。

 平蔵に気付いたのか、艦娘は半分濁った目を上へ向ける。

「おう?」

「おう」

 妙なやり取りを終えると、平蔵は島風の前に座り込み、懐から鋼屑を取り出して艦娘の横に佇む艤装生物に差し出した。

 素直に受け取り嬉しそうに囓り始める連装砲ちゃんの姿を、島風は眺めている。

「ありがと」

「最近はどうだ」

「変わんない。私は走れないし、連装砲ちゃんは元気」

 片足を失って戦えなくなった島風は、主を喪った連装砲ちゃんを集めている。そして連装砲ちゃんはどこにでも入っていく。

「新参者を知りたいのだが」

「知らない」

「艦娘が配下にいる」

「知らない」

「知らぬか」

「しつこい」

「そうか」

 平蔵は鋼屑を入れた袋から、別の袋を取り出して島風の横に置く。

 連装砲ちゃんは首を傾げるが、島風の横に置かれた袋には手をつけようとしない。

「しつこい。私にも、言えないことも言わないこともあるよ」

「野暮だったか、すまぬな」

袋を取り戻そうともせず平蔵は立ち上がり、背を向けた。

 去って行く平蔵の後ろ姿をしばらく眺めていた島風は、連装砲ちゃんの囓る鋼屑に視線を落とす。表面に小さく書かれている二文字「妙四」が囓られ消えていくのを確認すると、懐から紙を取り出した。

 〝妙〟高型〝四〟番艦羽黒を配下とした盗賊が少し前から出入りしていることを、島風は知っていた。

 町を出たところで、平蔵は足元に何かが駆け寄ることに気付いた。

 連装砲ちゃんがまとわりついている。

「なんだ、食い足りぬか」

 平蔵は鋼屑を連装砲ちゃんの口元に持っていくと、咥えていた紙切れを受け取った。

 役宅に持ち帰り、紙を開く。

 そこには赤文字で「せいきち」と大きく書かれている。

 赤文字の成吉。

 平蔵も知る名前であった。

 同じ頃、松代屋前には龍田の姿がある。いつもの行商姿ではなく、どこかの店の艦娘女将と言っても通る恰好である。

 その姿で龍田は店に入ると、艦娘用の資材を手にとって確認する。

「店の艦娘を増やすことを考えておりますので、今のうちに資材の取引先を広げておこうかと」

 艦娘の居場所は鎮守府だけではない。ある程度の規模の店ともなれば、提督と艦娘を同時に雇って自分の店で出す船の護衛にあてるということもあるのだ。鎮守府に護衛依頼を出すこともできるが、そこはそれぞれの店のやり方というものである。

「またいずれ、本格的に伺わせていたただきます」

 店を出た龍田はわざと遠回りをしながら、茶志郎の待つ路地裏へと入る。

「引き込みがやっぱりいるみたいよぉ」

 独特の間延びした口調に緊迫感はないが、目は笑っていない。

 確たる証拠があるわけではない。かつて盗賊の一味でもあった龍田の単なる勘である。

 自分が盗賊の下見のような素振りをわざと見せたところに反応した、と龍田は言う。

 ならば十二分に信じられる。と考えるのは茶志郎だけではない。龍田と共に動いたことのある改方ならば、全員同じ事を考えるであろう。

「天龍にも人相を伝えてくれ」

 引き込み一人捕らえたところで意味はない。残りの者が逃げ出すだけである。

「はぁい」

 ややあって天龍がやってきたことを確かめ、茶志郎は普段の見回りと同じように歩を進める。

「月形さん、ちょいと考えがあるんで、俺は龍田から聞いた引き込み野郎が出てくるまでは引っ込んでるからな」

「頼むぞ」

「おう、任せな」

 細かい指図はしない。些事は任せるべき。密偵を使う際の鉄則である。

 有能であればあるほど、それぞれの動き方というものがある。無理に型にはめて持ち味を殺すなど愚の骨頂ということを、茶志郎はよく知っていた。

 羽黒の姿が見えた。

 茶志郎はあえて近づかず、いつものように周囲を見回しながらゆっくりと歩く。

 特に何をするでもなく、治安維持に携わる者が其処にいることを示す。普段ならばそれだけで十分なのだ。

 羽黒の様子におかしな所はない。普段通りに商売をしている。

 普段と同じく屋台へ近づき、注文する。

「お勤め御苦労様です。月形様」

「なに、ここの田楽が食いたくてやっているようなものだ」

「まあ」 

 笑いながら田楽を受け取り、少し離れて食べる。

 いつも通りに賑わう屋台に、不審な点は何も無い。

 早すぎず遅すぎず、食べ終えてその場を離れようとしたとき、茶志郎は物陰からの天龍の合図に気付いた。

 かすかに頷くと、やはり遠回りして所定の路地裏に入る。

 何があった、と聞く前に天龍は更に身振りで路地裏奥の古ぼけた酒屋を示す。飲ませるよりも売る方が専門の酒屋だ。

 天龍に続いて店に入ると、平蔵が奥に座っているのが見えた。

「この店をしばしの本営とする。そろそろ那智達もやってくる手筈だ」

「何かわかったのですか」

 那智達の到着を待ち、平蔵は赤文字の成吉が江戸に入っていると伝えた。

 どこの誰からの情報とは平蔵は言わぬ。与力達も聞かぬ。これまでにも何度か平蔵がどこからか情報を仕入れてくることはあったが、誰もその情報源を尋ねることはない。これは逆の場合でも同様である。

 与力同心に限らず、それぞれが互いに秘密の情報源、あるいは密偵を持っている。密偵とは、理由はなんであれ直接繋がっている個人のために動いている者が大多数であり、誰の命令でも聞くというわけではない。龍田や天龍とて例外ではない。

 平蔵は本営に詰める者と交替人員を指名する。そこには平蔵自身の名も入っている。

 さらに、店の奥には数人の密偵も待機していた。

「引き込みとの繋ぎを、見逃すな」

 平蔵はただ一つだけを厳命する。

 だが、どう繋ぐのか。

 羽黒は引き込みの日時をどう伝えるか。そして、それをどう察知するか。

 繋ぎを邪魔せずに、その内容だけを知ることができれば最良なのだ。邪魔で終わってしまえば、盗みそのものを諦めて一味は逃げてしまう。それでは困る。一味を捕らえるためには、盗みの日時を知る必要がある。それも、こちらが知ったことを知られずに。

「ま、あいつなら想像はつくぜ」

 天龍がニヤニヤと笑っていた。

「わかるか、天龍」

「おうよ」

 天龍は昔馴染みでもある平蔵相手には遠慮がない。

「俺の特技は知ってるだろう、てっつぁんも」

 平蔵の無頼時代の通り名「本所の銕(てつ)」の名で平蔵を呼ぶのも、今では天龍を含めた昔馴染み、いわば悪友達だけである。

 平蔵もニヤリと笑うと、周囲の者達がギョッとするほどの伝法な調子で答えた。

「おう、久しぶりに見せてもらうぜ、世界水準超えの天龍様の腕を」

「俺様に任せとけってよ」

 胸を張って宣言する天龍の後ろで、龍田が頭を下げていた。

(天龍ちゃんの手綱、ちゃんと握っておきますね)

 龍田の仕草に、かすかに頷く平蔵であった。

そして、三日が過ぎる。

 いつものように現れる羽黒。

 店の中から、龍田の指摘した引き込みが出てきたのはその直後であった。

 平凡な見かけの少し小太りな男は、屋台に味噌田楽を注文する。

 その少し前にふらふらと歩き始めていた天龍が屋台へと近づいた。

「旨そうだな」

 天龍は羽黒の差し出した豆腐を奪うと、抗議の声を無視してそのまま口内に放り込み、噛み千切ると豆腐を刺していた串を掲げる。

「お、マジで旨えなこれ」

 そして眉をひそめている男に向き直り、

「んだ? 堅ぇ事言うなよ? 金は払うんだから」

 懐から出した金を唖然としたままの羽黒に握らせると、わざとらしく咀嚼音を響かせる。

「もう食ったから、しゃーねぇよな」

 このような破落戸に正面から逆らう者はいない。

「狼藉者」

 そこに叫んだのは那智である。

「なんだ、てめぇ」

「重巡那智。同じ艦娘として無頼は見逃せん」

 天龍は走り出した。逃げたのである。それを追う那智。

その後、二人の姿は本営とされた元酒屋にあった。

「それで?」

 那智の問いに、見張っていた同心が答える。

「あのあと、新しい田楽を出してましたよ」

 天龍は口元に何かを出している。

 先ほどの豆腐が綺麗なまま、いや、羽黒に渡されたままの姿で串だけ抜かれている。

「器用なもんだ」

「俺の特技だからな」

「しかし、何か噛んでなかったか?」

「最初から別の豆腐、口ん中に入れてたからな」

「どういう意味だ」

 天龍は身振りでちょっと待てと伝えると、隅に置かれていた弁当用の重箱から、漬け物を一つ出して口に入れた。

「今、口の中にものを入れたが、わかるかい?」

 天竜の口調に変化はない。先ほどの動作を見ていなければ、口の中にものがあるとは信じられぬであろう。

「それでだ。続きを見てなよ」

 次に、残っていたにぎりめしを二つに割ると、片方を口に入れて食べ始める。

 しっかりと口を動かしてみせ、飲み込む。

 そして口の中に手を入れると、

「行儀が悪いのは謝っとくぜ」

 天龍の指先には、歯形一つついていない漬け物があった。

 那智は呆れていた。

「器用だな、お前」

「てっつぁんと昔練習したのさ」

「なんでまた」

「ま、いろいろとな」

 那智は困ったように首を傾げる。

「まさか、お頭もか」

「てっつぁんは成功したことねえな。全部食っちまってた」

 練習とやらをしていたのは天龍一人で、お頭は最初から普通に食べていただけではないだろうか、と那智は訝しんだ。

「で、肝心の豆腐だが」

 豆腐には味噌が塗られている。点と棒が並んだように形に塗られた味噌。

「俺たちにゃ、わかりやすいと思わねえか」

「これは、艦娘の符牒か」

 そこには、艦娘同士にのみ通じる符牒で決行の日時が記されていたのだ。

 引き込みは男だったが、数字ぐらいなら覚えることは難しくない。むしろ、豆腐の大きさでそれ以上の情報を伝えるには無理がある。日時だけで良いのである。

 那智はすぐに符牒を書き写すと、平蔵への報告に走った。

 報告を受けた平蔵はその場にはいない天龍をねぎらうように言うと、そばの者に指示を出し始めた。

「引き込みと羽黒は、符牒の豆腐は食われたと思っておるだろうな」

「天龍を知る自分にもそう見えました。それに、新しい豆腐を渡したことも確認しています」

「那智」

「はっ」

 平蔵の下知を那智は待つ。

「重巡那智、旗艦を命じる。日向、翔鶴、瑞鶴とともに抜錨せよ」

 基本的には艦娘組の指揮を那智がとり、人間組と全体の指揮を平蔵がとるのが、大きな捕り物での艦賊改方のやり方であった。

 待ち伏せて捕らえることが主眼とされる場合は基本的に軽巡や駆逐の出番であるが、この度は盗賊側に重巡羽黒の存在が確認されているため、戦艦と空母が出撃することになる。

「重巡那智、抜錨します」

 

 

 

 成吉とその配下たちは、静かに夜の町を進んでいた。

 羽黒からの連絡はちょっとした事故があったと聞いたが、符牒は見られていない。それに関しては信用できる手の者が確認している。艦賊改方の見回りが羽黒の屋台に顔を見せることは知っているが、その男に何かを見られたと言うこともない。

 その艦賊改方の長官、鬼提督と呼ばれる長谷川平蔵がなかなかのやり手であるという噂は成吉も聞いている。聞いているが、正面から立ち向かう気などはさらさらない。それは真っ当な盗賊のやり方ではないし、当然成吉のやり方でもない。

 気付かれずに盗みを終え、気付かれずに去る。それで終われば顔を合わせることすらないのだ。そうであれば、必要以上に怖れる必要は何もない。

「このおつとめが終われば、江戸ともしばらくはおさらばよ」

 横を歩く羽黒に、成吉は囁くような小声で話しかけた。

「上方に戻りますか」

「いや、舞鶴に艦娘どもを集めてでけえ鎮守府を作るって話を耳にしたんでな。鎮守府がでかけりゃあ町に人も集まるってもんだ。当然、物も金も集まる」

「舞鶴」

「羽黒、お前さんにもまだまだ働いてもらうぜ」

「あの、お頭」

「わかってる。ここじゃあ殺しは御法度だ。お前さんにゃまた屋台でも引いてもらうさ」

「美味しく作ります」

 成吉は小さく笑った。

 松代屋が見えた。

 成吉と羽黒を含めた十数名が、目配せでずらりと整列し、先頭のものがゆっくりと木戸に手を掛けた。

 抵抗もなく開き始める木戸に頷くと、一人、一人と入っていく。その中には軽巡娘の姿もある。最後に残ったのは、最後までこの位置で逃げ道を守る役目の羽黒であった。

 そして羽黒以外の全員が入ったことを確かめると、成吉が合図して再び進み始める。

 と、成吉の動きが止まった。いや、木戸を潜った者全員の動きが止まっている。

 店の中から現れる影。一つ二つではない。更に続いて、成吉達を取り囲むように次々と現れる人影。その中心に立つのは他でもない。

「艦賊改方長谷川平蔵である。神妙にいたせ」

「逆らうなよ」

 成吉の声であった。

 勝ち目はない。既に先手を打たれている。暴れたところで、逃げ切れるような包囲ではないだろう。ならば、残せる者は残したい、と成吉は思ったのだ。

「名取、長良。お前さんたちは誰一人手に掛けちゃあいねえ。艦娘ならば、まだ目があらぁな」

「赤文字の成吉。艦娘を庇うか」

 平蔵はあえて尋ねる。

「盗みに関しちゃ言い訳はしねえが、艦娘さんに助けられたことは忘れちゃいねえよ」

 深海との戦において艦娘に命を救われた者は決して少なくない。それが盗賊であろうと武士であろうと。

 無言で頷いた平蔵に、成吉は両手を差し出した。

 羽黒もまた、木戸の外で両手を差し出していた。

「月形様」

「羽黒殿」

 羽黒の前に現れた月形茶志郎の後ろには、那智を先頭とした戦艦と空母が控えている。

「瑞鶴、翔鶴は夜戦を飛ばしお頭を援護。日向は私とともに羽黒を抑える」

 那智がそう言うと羽黒は艤装を発現させ、すぐに外し、地に落とした。

 ごとり、と鈍い音がする。

 それは艦娘にとっては降伏に等しい行為である。

「この期に及んで手向かいはいたしません」

 羽黒の揃えられた両手は、茶志郎に向けられていた。

「せめて月形様にお願いいたします」

 やがて、捕らえられた一味は役所へと連行されていくのであった。

 盗賊は死罪である。場合によって罪一等を減じられ流刑などとなる場合もあるが、一味の首魁ともなればまず死罪は免れない。

 例外があるとするならば密偵となり罪を償う場合などであるが、それこそよほどの場合であり、自分を捕らえた者との信頼関係が無ければ無理な話である。そして、盗賊としての矜恃がある者ほどそれを拒否しあえての死罪を選ぶ。更に言えば、それほどの矜恃を持てる剛の者でなければ密偵として働くなど危うすぎるのである。

赤文字の成吉も例外ではなかった。

 そして艦娘達は吟味の後、大本営預かりとなる。

「まずは、最前線の鎮守府であろうな」

 数日後、成吉一味のその後を尋ねた茶志郎に平蔵は答えていた。

 数年戦えば、あるいはそれなりの戦果を積めば自由の身を約束されるのである。だが、それだけのことができる艦娘がどれほどいるか。

「戻ってきて再び艦賊となるか、あるいはただのはぐれ艦娘となるか、どこかの鎮守府の一員となるか」

 俯いた茶志郎に、平蔵は続ける。

「月形。お主、舞鶴へ行く気はないか」

「舞鶴、ですか」

 突然の言葉に茶志郎は鸚鵡返しに尋ねた。

「舞鶴に大規模鎮守府を新設するという話がある。そうなれば人は増える。無論悪党艦賊の類もな」

 話が読めぬと言う顔で、茶志郎は静かに続きを待った。

「そうなれば、舞鶴にも艦賊改方を新設せねばならぬ。人員をこれから集めるということなのだが、その一人としてお主を推挙したい。この話、受けてもらえるか」

 平蔵の表情はいつも通りの、普段の職務について話しているような柔らかい顔であり、これは強制ではないと茶志郎は感じた。

「失礼ながら……」

 そこへ、那智が姿を見せた。

「お頭、密偵が一人増えると聞きましたが」

 礼儀に五月蠅い那智にしては珍しく、二人の会話に入り込んでくる。

「羽黒の改二とは誠ですか」

 瞬間、茶志郎は振り向いていた。

 那智はかすかに笑っている。

「どうした、月形殿。私は羽黒改二の話をしている」

「うむ」

 平蔵も那智の話に乗っていた。

「先日捕らえた羽黒は改であったな」

「那智殿。お頭」

「知らぬ知らぬ。おお、そうだ。改二の羽黒は、江戸での密偵は困ると申しておる。我が儘かもしれんが、舞鶴でならば是非受けたいと。屋台で田楽を売る密偵など良かろうよ」

「お頭」

「どうした、月形」

 月形茶志郎が舞鶴へ出発したのは、その十日後であった。

 その隣には、一人の艦娘の姿があったという。

 

 




次は、秋月姉妹か、秋津洲か、あるいは〝再登場〟の空母ヲ級か


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雨宿り

今回の元ネタは、「白い鬼」収録の「雨避け小兵衛」です。

ラストシーンがとても書きたかったのです。


 小兵衛は旧友高沢孝右衛門を訪ねた帰りであった。

 高沢孝右衛門は秋山小兵衛よりやや若いが元提督であり、大戦中は共に艦娘を率いて深海棲艦に立ち向かった盟友である。剣客としては平凡だが、小兵衛にとっては半ば弟子のような存在でもある。

 その年下の戦友が質の悪い風邪をひいたと聞いて小兵衛が慌てて見舞いに行ったのはいいが、何のことはない、古い戦友は深酒不摂生が祟って寝込んでいたのだ。

 往診を頼み、共に駕籠で揺られてきた医師明石が笑いながら、

「しばらく禁酒、いえ、節酒で。あとはもう少し出歩いて身体を動かしなさい。小兵衛さんより若いんだから」

 なんとも余計な文句をつけて診察を終えたものである。

 孝右衛門の横に侍っていた軽巡名取……引退した孝右衛門についてきた秘書艦である……は恐縮しきりであった。

「ごめんなさい、秋山様。うちの提督はもうこんなに面倒くさがりで」

「ある意味孝右衛門らしいわ。なに、却って安心した」

「お医者様の明石さんにまで迷惑掛けて本当に」

「わしの勝手でやったことよ。年をとると知り合いが少なくなっていくのが嫌でな、つい大袈裟にしてしまう」

 頭を下げ続ける名取に頭を上げさせると、小兵衛は孝右衛門へと厳しい顔で振り返る。

「こりゃ、孝右衛門」

 布団の中でびくりと孝右衛門。

 まだまだ若く、互いに限界知らずで木刀を打ち合った頃のように、小兵衛は強い口調で言う。

「己の不摂生で艦娘に手間をかけさすとは、引退したとはいえそれでも剣客提督か。お主の剣士としての研鑽はその程度のものか。良いか、三日もすれば起き上がれるとの明石先生の見立てじゃ。身体がしかと動くようになれば必ずわしの息子の鎮守府に顔を出せ。久しぶりに稽古の一つもつけてやるわ」

「秋山先生……」

 布団の中から必死で拝むような仕草で頭を下げる孝右衛門に、小兵衛はそこでようやく笑みを見せた。

「あの頃の生き残りは少ない。身体をいとえよ、孝右衛門」

 帰り際、小兵衛は名取の手に見舞金を握らせる。

「わしから言うまでもなかろうが、くれぐれも頼む」

 大戦中からの二人の仲を知る名取は、嬉しそうに頷き、答えた。

「はい、頑張ります」

高沢邸を後にした小兵衛は、ふと思いついて吾妻橋のほうへと足を向けた。

 大川、今で言う隅田川にかかる吾妻橋近くには、小兵衛が大戦中より懇意にしている岡橋屋がある。

 小兵衛が鎮守府提督として深海征伐に明け暮れていた頃、岡橋屋は秋山鎮守府を始めとするいくつかの鎮守府の出入り商店であった。

 とは言ってもいわゆる武器弾薬の類ではない。岡橋屋は菓子屋、つまり艦娘への嗜好品を扱っているのである。

 よく誤解されることであるが、鎮守府の食を司るにおいて、間宮が入れば万全というわけではない。間宮とて万能ではない。無論、鎮守府の運営に欠かせぬ能力はしっかりと持っているのだが、こと嗜好品に関してはどうしても全ての艦娘の好みに合わせるとは行きかねる部分が出てくる。

 そこで、岡橋屋のような艦娘向けの商売人が入り込む余地が存在するのである。

 大戦中に秋山鎮守府に所属していた艦娘たちにとって岡橋屋は贔屓の店であり、今でも欠かさず買い求める者は少なくない。

 小兵衛自身も岡橋屋名物の落雁は好物であり、時折那智が土産に持ってくる菓子はこれである。

 小兵衛は久しぶりに直接店に顔を出し、落雁を買い求めようと思った。

 更に言えば、それだけではない。

岡橋屋の主人作兵衛とその妻、そしてその娘である海防艦松輪の姿を見ようと思ったのだ。

 娘は海防艦である。人間の夫婦から艦娘は産まれないと言われている。産まれたという話もない。

(さて、どうしておるかな……)

小兵衛は、半年ほど前の事を思い返していた。

 

 

 

 その日、鐘ヶ淵の小兵衛の隠宅には珍しい客があった。

 岡橋屋作兵衛である。

「ふむ」

 作兵衛の相談に小兵衛はやや首を傾げるが、その表情は笑っている。

 その横では、是非奥方の意見もお聞きしたい、と直に言われた龍驤が満面の笑みで頷いている。

「へへ……奥方……へへ」

「これ、龍驤」

 慌てて龍驤は顔を戻す。

「えと、なんやろ」

「今の話、どう思う」

「艦娘として、でええんかな?」

「うむ。艦娘としてのお主の意見を聞きたい。作兵衛殿が聞きたいのもそれであろうよ」

 岡橋屋作兵衛の相談とは、端的に言えば【艦娘を娘として育てたい】というものである。

 深海大戦も落ち着いた今、艦娘の居場所は鎮守府だけではない。また、艦娘が存在せず深海棲艦に対してまともな対抗手段を持たなかった大戦初期、その頃に喪われた人的資源を考えれば、艦娘無くして現在の生活は成り立たぬ。

 それゆえ、町に入り人々と交わって暮らす艦娘の数も決して少なくはない。人々もそんな艦娘を受け入れている。

 その中には、艦娘を伴侶として選ぶ人間も存在する。

 艦娘と人間の間に子を為すことは可能であるが、産まれた子が艦娘になるか人間になるかは決まっていない。ただ、艦娘として産まれる場合は、ある程度の成長の後、艦娘としての姿に定まることが知られている。

 秋山大治郎の鎮守府に出入りしている長門も人間を父とする艦娘の一人であることは、既に述べられていよう。

産めぬと言う事実に関わりなく、駆逐艦の一部や海防艦などの幼い姿の艦娘を娘のように育てる人間もいる。いや、幼い姿とは限らない。現に小兵衛は、戦艦榛名と母娘のようにして暮らしている老夫人を知っている。

 とはいえ、作兵衛の場合はやや事情が異なる。

 作兵衛には妻がいる。つまり、子は作れるのである。

 現状、子はいない。それはあくまでも現状であり、将来は定かではない。

「ですが、こればかりは如何ともし難いと、諦めておるのですよ」

 子を作ろうとしなかったわけではない。できなかったのだ。

 これが現代医学であれば、不妊の原因を突き止めることができたかもしれない。

 この世界では、たとえ艦娘の力を借りたとしてもそれは不可能である。子ができるか否かは運次第、あるいは神頼みなのだ。

「その艦娘がよほどの性悪か我が儘やない限り、そこは割り切ると思うで」

 龍驤はあっさりと答えた。

「割り切る、とおっしゃいますと?」

「ウチらは艦娘や。人の代わりにはなれても、人そのものにはなれん。そういうことや」

 そやけど、と続ける。

「作兵衛はんが、艦娘を軽う扱う人やないってのはわかる。そんな商人やったら、小兵衛はんは鎮守府に出入りさせへんかったやろ」

「無論、艦娘の方々を軽く扱うなど、そんな気は毛頭ございませぬ。そも、我らが今もこうやって長らえておるのは皆様のおかげではないですか」

 やや気色ばむ作兵衛を小兵衛が抑えた。

「いやいや、それはわしらも、龍驤もよくわかっておる。お主の心根については今更心配することなど何もないわ」

「ほんまに、作兵衛はんみたいなお人ばかりやったらええのに」

 相槌を打ちながら、小兵衛は座りを改める。

「では、ここからは元提督として話をしよう。まず、具体的に相手は決まっておるのか」

「海防艦松輪にございます」

 やはり海防艦であったか、と小兵衛は納得した。誰から見ても、艦娘であることさえ除けば「子供」として通るのが海防艦娘である。

「近頃菓子を納めております鎮守府で、深海棲艦討伐の折に発現したと聞きまして」

 艦娘は何もないところから艤装を形成するように見える。実際はあらかじめの装備が必要なのだが、それを発現と呼ぶ。

 さらに、艦娘が発現と呼ぶ現象がもう一つ。

 滅多にないことではあるが、深海棲艦を討伐し轟沈させると艦娘がどこからともなく出現する場合があるのだ。まるで、深海棲艦から姿を変えたか、あるいは海中より湧き出たかのように。それもまた、発現と呼ばれている。

「その鎮守府では、海防艦は必要ではないと」

 発現した艦娘は、基本的にはそのまま鎮守府に引き取られるが、鎮守府の事情によってままならぬ場合もある。その時は、幕府扱いとなるか、あるいはそのまま放逐され己の才覚で生きていくかとなる。

 今回は海防艦ということもあり鎮守府でも扱いを悩み保留中となっているのだが、そこで手を挙げようとしているのが作兵衛というわけであった。 

「人間と艦娘に一つ、大きな違いがある。これは、提督すらも下手をすれば間違えてしまう類のものでな」

 そして小兵衛は言う。

 艦娘には「任務」が必要であると。言い換えれば「仕事」である。

 例えば前述の榛名だが、現在は艦娘の集まる村の代表となった老婦人の秘書艦のような立場に立っている。村の経営を考えれば立派な任務であり仕事であろう。

 また、大治郎の鎮守府に出入りする足柄の知り合いの駆逐艦白雪は、世話になっている茶屋周辺を哨戒海域と仮定して見回っている。

 なんらかの、それらしい任務が艦娘には必要なのだ。

「それも無ければ、はぐれ艦娘、ひいては艦賊へと堕ちて行きかねぬ」

「任務、にございますか」

「なに、それほど難しく考える必要はない。例えば奥方の警護を申しつけるとか、店の周囲を哨戒するとか、そういったもので構わぬのだ」

「警護……」

「襲われる心当たりがなければ、ただのお遊びよ。幼い娘にまとわりつかれて、奥方も困りはすまい」

「それは、はい」

「いや、むしろそれはただのお遊びであったほうが良いかもしれぬ。艦娘本来の力を使う任務である必要は無いからな」

 さらに細々としたことを龍驤から聞き込み、作兵衛は小兵衛の隠宅を後にする。

 最後に龍驤は言った。

「でもな、うちら艦娘は、いずれ海へ還るもんや。それだけは、忘れたらあかんよ」

 

 

 

 あれから小兵衛は作兵衛と直接会ってはいないが、あきつ丸達に何かあれば気に留めるようにと頼んでいた。

 風の便りに聞こえてくるのは仲睦まじい親子の様子であり、小兵衛も安心していたのだ。

 そして、今日である。

 小兵衛が岡橋屋の暖簾を潜ると、顔を知る番頭が駆け寄る。

「これは秋山様、ようこそいらっしゃいました」

「近くまで来たものでな、主人は元気かえ」

「おかげさまで」

 ここで番頭が頭を下げる。

「主人は只今、家族揃って浅草寺へ出かけております」

「家族揃って」

「奥方様と松輪殿の三人にございます」

 松輪の名が普通に出たことに小兵衛は喜び、いつもの落雁を買い求める。

 仲の良い家族の姿が見られぬのは確かに残念であるが、前もって約束をしていたわけではないので、そこは仕方がない。

「よろしければお待ちになりますか。このまま帰られては私が叱られてしまいます」

 座敷に上がれば茶や菓子などで接待されるのであろうが、このときの小兵衛はそれもちと面倒くさいなと感じていた。

「いや、約束していたというわけではないゆえな。それに、浅草寺ならばこれからわしも行こうと思っておったところ。ひょっとすると仲見世辺りで行き合うやもしれぬ」

 浅草寺前の仲見世は参拝客相手のみというわけではなく広く知られ、たいそう繁盛しているものであった。また、裏商売のようなものは一切無い、家族の出かける先としては非常に適当な場所である。現代で言うショッピングモールのようなものか。

 引き留めようとする番頭を抑え、小兵衛はやや急ぎ足で店を後にした。

 さて、浅草寺に行こうとは咄嗟に出た言葉ではあるが、悪い思いつきではないと小兵衛は考えた。

 確かに。悪くない。

 そう考えれば更に良い考えではないかとも思えてくる。

 一人頷くと、小兵衛は川沿いの道を浅草寺へ進む。

 ところが、さほども進まぬうちに空が曇り始めた。

「や、これはいかん」

 小兵衛が思わず呟くほどの速度で雲が空を覆う。明らかに雨の降る気配である。当然傘など持っていない。

 咄嗟に辺りを見回すと、小さな古い小屋がある。小兵衛は小走りに小屋へと急いだ。

 駆け出すと同時に雨の音。それもかなり激しい雨の音である。

 小兵衛は小屋に入ると周囲を見回す。人の気配はない。

 どうやら、大戦末期に建てられた見張り小屋らしい。川を遡上してくる深海棲艦を見張り、迎撃する艦娘を一時駐屯する小屋。

 今となっては使う者もなく放置されている。しかし、元々戦のために造られただけあって頑丈である。おそらくは艦娘由来の技術も使われているのだろう。

 とりあえず、雨宿りには上等すぎる建物であった。

 小兵衛は濡れたままの姿で奥の部屋へと入っていく。濡れた着物がまとわりつくが、すぐに別の誰かが雨宿りに来るかも知れない。その時に部屋の真ん中で裸でいるわけにもいくまい。奥の部屋にいれば、直接姿を晒すことはない。

 部屋に落ち着き、着物を脱いで火をおこして乾かすかと小兵衛が考えていると、早速表から何者かがやってくる音がした。

 けたたましく入ってきた男は先に入っていた小兵衛には気付かなかったようだ。

 男が入ってくる寸前、小兵衛は咄嗟に部屋の扉を少しの隙間を残して閉め、息を潜めていた。

 小兵衛の耳は、足音とともにおかしな声を聞いていたのだ。

 何者かを追いかけるような声。その声に追われるように入ってきた男。

 見るからにみすぼらしい、ボロのような古着をまとった男が小脇に幼い娘を抱えているのを小兵衛は見た。

 拐かしか、と咄嗟に動きかけ、しかしその動きは止まる。

 見覚えがあったのだ。

 娘は海防艦松輪。

 いや、娘だけではなく、男にも。

 小兵衛が見たのは剣客提督関山虎三郎。かつて高沢孝右衛門、秋山小兵衛と共に戦った提督であった。

 

 

 

 時は少し戻る。

 作兵衛は妻お由、そして娘となった松輪を連れて浅草寺へと出かけていた。その後ろには、主人の供ということで店の若い者が二人ばかり付いている。

 その帰り道に立ち寄った仲見世の一軒の屋台の前で、松輪が立ち止まった。その視線の先にあるものに作兵衛は気付いた。

 駆逐艦叢雲の頭の両脇の艤装を模した飾りである。紙細工によって精巧に作られたものなのだろう。

 例えば軽巡龍田や戦艦山城の頭の上にある艤装。それらは艦娘の強さに純粋に憧れる子供達には受けがいいのだ。いや、子供とは限らない。一種の願掛け、まじないのようにつけている者もいる。

 よし、と作兵衛は飾りを買い求める。近くに見ても良くできているのがわかる精巧な細工だ。正直、子供の玩具としてはやや手が込みすぎている。

 とはいえ、商人岡橋屋作兵衛にとってはどうと言うことはない値ではある。

「ほら、松輪」

 作兵衛から渡された飾りを手に取り、ぱぁと花が咲くように笑う松輪に、作兵衛とお由は家族としての幸せを噛み締めていた。

「ありがとう……」

 一瞬言葉に困った様子を見せた松輪だが、

「お父様」

 続けた言葉そのものに逡巡はなかった。

 実の娘ではない。人間ですらない。艦娘である。そう問われれば、それが如何したと作兵衛は胸を張って答えるだろう。これほどの可愛い娘に親と呼ばれ家族として暮らす。これ以上の幸せがあろうか。無論、お由も全く同じ答を返す。

 買ったばかりの飾りを作兵衛が手ずから頭につけてやると、松輪の笑みは更に深まり、感極まったのかその場をクルクルと回り出す。

「松輪や。いつか海が恋しくなることもあるかもしれない。その時は、お前の好きなようにすれば良いさ。だけどお前さえ良ければ、気の済むまで私達の娘でいておくれ」

 娘として育てると決めたとき、松輪に告げた言葉に嘘偽りはなく、今も作兵衛の気持ちは変わらぬ。

 そして今の松輪の言葉と作兵衛、お由の喜びにもまた、嘘偽りはない。

 一家は仲見世を抜け、大川沿いの道を進んだ。このまま店へと戻っても良いが、空模様が怪しくなり始めている。雨が降るようなら途中の馴染みの料理屋で休み、なんであれば早めの夕食というのも悪くない。

 そうしようかと話しながら道を進み、それなりに人の溢れていた仲見世からも離れ、人通りが減り始めた頃、作兵衛達を睨みつける男がいた。

 最初に気付いたのは主人のお供として付き従っていた若い衆である。

「旦那様、おかしな男が」

 見ると、襤褸切れを身にまとった男がこちらによろよろと近づいていた。

「落ち着きなさい」

 鎮守府に長年出入りしていた作兵衛にはわかる。今では見るに堪えない襤褸と化しているが、男が着ているのは間違いなく鎮守府提督の礼服である。それも最近のものではなく、大戦中のもの。

 提督崩れの浮浪者か、と作兵衛は判断した。

 艦娘が身を持ち崩して艦賊となるように、提督から身を持ち崩す者もまた存在する。

 江戸市中の大きな川沿いには大戦時、艦娘に便宜を図るための小屋が点在していた。いまでもその半分以上の建物自体は残っている。放置され半壊しているものもあれば、別の用途に使われているものもあるのだが、いくつかは浮浪の住処ともなっている。この元提督も、その住み着いた者の一人なのだろう。

 しかし、浮浪姿ということは少なくとも賊となる道を選んだわけではない。たとえ物乞いに落ちぶれたとしても、それ自体は悪ではない。人には自分ではどうしようもない運不運というものがあることを作兵衛はよく知っていた。ならば、必要以上に忌避することはない。

 作兵衛の差し出した幾ばくかの小銭を、男は拝まんばかりにして受け取った。

 その時、ぽつりと雨粒が落ちた。

「あ」

 松輪が何の気なしに手を伸ばし、手のひらに雨粒を受けようとした。

 男の視線が松輪に向けられる。

「……む……らく……も」

 次の瞬間、目の色の変わった男が動いた。咄嗟に袂の財布を押さえる作兵衛だが、男の手は作兵衛を突き飛ばすように動いていた。

 男は、それまでとは別人のような素早さで松輪の手を掴み、その身体を抱きかかえたのだ。

 即座に飛びかかろうとした若い衆が、血を噴きだして倒れる。

 松輪を奪った手と逆の手が、懐に忍ばせていた脇差を突き出していた。

 男は牽制するように脇差を振り回し、一目散に走り始める。男の走る先にいた町人が悲鳴をあげ道を空ける。

 逃げ遅れた一人が背中を切られ、倒れる。

近くの店から悲鳴を聞きつけた奉公人の男達が飛び出してくる。この店が、雨が降るなら一家で立ち寄ろうとしていた料理屋であり、奉公人達は馴染みである作兵衛の顔を知っていた。

「娘が……」

 気絶しそうなお由を店に預けると、作兵衛と男達は浮浪者を追った。とはいえ、相手は凶剣の持ち主である。必要以上に近づくことはできず、また、松輪の身を案じた作兵衛もそれ以上どうすることもできなかった。

 そして追われた男が飛び込んだのが、小兵衛が雨宿りをする艦娘小屋であったのだ。

 

 

 

(まぎれもなく、関山虎三郎……)

 小兵衛はかつての虎三郎を思い出していた。

「それかかってこぬかっ、どうした、そのようなへっぴり腰で江戸を護れるか、若造どもがっ」

 憎々しげに言い放ち木刀を振るう姿に、小兵衛と孝右衛門は修練の名目で何度打ちのめされたことか。虎三郎はあまりにも強かった。二人がかりでもびくともせぬ膂力と、小兵衛では歯が立たぬ剣の腕。さらに、提督として艦娘を率いれば鮮やかな勝利を見せる。

 それはまさに、理想の力を持った提督の姿であったが、鎮守府の中での評判は芳しくなかった。

 それも無理はないと今の小兵衛ならばわかる。虎三郎は、あまりにも力だけを振るいすぎたのだ。力だけでは人はついてこぬ。それは若き日の小兵衛にも、そして虎三郎にもわからぬ事であったのだ。

 今でこそわかることはもう一つある。

 虎三郎は決して悪人ではなかった。狷介であり峻烈ではあったが、艦娘を率い深海棲艦を倒し、国を護ろうとする意志は間違いなく本物であったのだ。

 多くの戦果を上げた虎三郎は同時に多くの離反者、脱落者を生み出した。それは人間だけではない、艦娘も同様である。 

大戦末期、深海棲艦の攻勢が止み始めた頃、虎三郎は秘書艦である駆逐艦叢雲と共に鎮守府を去った。半ば追放されたように姿を消した虎三郎の姿を、それから小兵衛は一度も見ていない。

 ただ一度、噂として聞いたことがある。

 叢雲は海へ還り、関山虎三郎はただ独りになったと。

 その虎三郎が今、小兵衛の前にいる。

 抱えていた松輪を下ろし、抜き身を突きつけながら自分は戸口へと近づき、一寸開けて外へ叫ぶ。

「五十両だ、娘と交換してやる」

(追い詰められておるのか)

 関山虎三郎ほどの剣客提督が何故、という思いが小兵衛によぎるが、人の信じられぬほどの堕落ぶりを見るのは初めてではない。人がどのようなことから身を持ち崩すか、それをわからぬ小兵衛ではない。

 それでも、それでもである。

 かつての姿を知る身からすればあまりにも辛かった。

 幼子を誘拐するまでに落ちぶれたというだけではない。今の虎三郎の動きを見ていると、どうも松輪が海防艦、即ち艦娘であることに気付いてない節が見受けられる。曲がりなりにも元提督としては考えられぬほどの落ち度である。

(あれほどの、男が……)

 いや、自らも、一歩間違えていればそうなっていたのではないだろうか。

 初代であった金剛を始めとして小兵衛が共に歩んできた艦娘秘書艦達、そのうちの誰であろうとも互いに互いを誇負し、支え合い、最後には様々な、しかし誰憚ることの無い理由で進む道を別れてきたのだ。そして今は龍驤がそばに居る。

 どの一人をとっても、小兵衛にとっては誇るべき艦娘であった。

 もし、自分が彼女らに見捨てられるような過ちを犯していたら。今の虎三郎のようには決してならなかったと断言できるだろうか。

 そう、己に問うてしまうほどの衝撃であった。

 しかし、小兵衛の苦悩はそこで途切れる。

 虎三郎と松輪が動いたのだ。

「……お侍さま?」

 松輪が小さな声で虎三郎に語りかける。

「黙れ」

 そこに生まれた沈黙にやがて堪えかねたのは虎三郎であった。

「金が入れば逃がしてやる。黙って静かにしていろ」

「お金、欲しいんですか……少しなら、あります」

 脇差の先端が松輪に向けられる。

「貴様……」

 艦娘か、と言いかけた虎三郎の言葉が途絶えた。

 それを尋ねるということは、自ら気付いていなかったと告白するようなものである。

 ただの剣客ならばあり得よう。

 ただの浮浪者ならばあり得よう。

 だが、提督であれば。

 海防艦とはいえ艦娘を人間の幼子と間違える提督などいようか。それも、一瞬の見間違いなどではない。抱き上げ、奪った相手である。

 そのような提督などいようはずがない、と虎三郎は断言する。

 ならば、その娘は艦娘などではない。

 叢雲がいると思った。たかが髪飾りで幼子と叢雲を、人と艦娘を見誤った。自分はそこまでの愚者となっていた。

 違う。間違えたのではない。わかっていたのだ。人間だとわかっていたのだ。

 金のためだと言い聞かせる。金が欲しかったのだと自分に言い聞かせる。

 そうだ、海に消えた叢雲の、独り消えていった叢雲の墓を建てよう。そのために金が必要だったのだ。幼子を拐かしてでも金が欲しかったのだ。

 娘は人でなければならない。自分が人と思ったのだから。

 それでも誰かが囁く。

 何故叢雲と見誤った。艦娘と見誤った。

 わからなくなっていたのだ。人と艦娘がわからなくなっていたのだ。

 わからなくなった自分が許せなかった。

 自分は悪くない、決して悪くない。提督として国を護った自分は悪くない。

 叢雲に愛想を尽かされたのではない。叢雲は沈んだのだ。深海棲艦と戦い、奮戦むなしく散ったのだ。

 その叢雲に扮し自分を迷わせた者が許せなかった。

 振り上げた脇差を、幼子は何もわからないような顔で見上げていた。

 斬る。と思うより早く腕は動いていた。

 その腕に何かが当たり、虎三郎は自分が斬られたことを知った。

 一瞬遅れて生じた痛みで虎三郎は倒れ、それでも自分を斬った者に目を向けた。

 僅かに見覚えのある男がいた。次に、男の名を思い出した。その瞬間、関山虎三郎は全てが終わった、いや、とうに終わっていたのだと理解した。理解してしまった。

 斬ったのは誰でもない、秋山小兵衛である。 

 小兵衛は脇差をかざす虎三郎を見た。

 剣客提督としての腕が多少なりとも残っていれば、無抵抗の艦娘を斬ることは容易い。

 しかも、松輪に抵抗の様子はない。

 それもそのはずである。小兵衛は知っている。松輪には鎮守府にいた経験はあっても、鎮守府で戦った経験はないと。

 戦う艦娘としての訓練を松輪は受けていないのだ。松輪を引き取った作兵衛がそのような訓練を受けさせねばならぬ理由などどこにもない。

 この海防艦松輪はその身体が頑強であることを除けば幼子と何の変わりもない。そして、虎三郎はかつて練達の剣客提督であった。

 故に小兵衛は愛刀を抜き、飛ぶように駆け寄るとその腕を斬った。

 倒れた虎三郎から松輪を奪うと、乱暴に戸を蹴破り、外へと声を掛ける。

「作兵衛、松輪は無事じゃ、安心せい」

 松輪を外へと押しやり、自分は虎三郎から目を外さない。

 倒れたままの姿と目が合った。

 名を告げることはできなかった。それは残酷なことだと小兵衛には思えたのだ。

 虎三郎は小兵衛が誰だかわからなくなったように惚けた目で見上げていた。

 そして、堰を切ったように泣き始める。

 その表情に小兵衛は見覚えがあった。大戦中に何度も見た、そして二度と見たくないと念じていた表情である。

 全てを喪い途方にくれた人間の顔。人や物だけではない。己が信じるものすら喪った……心すら喪った者の顔がそこにあった。

 小兵衛は悟った。関山虎三郎は今、最後の何かを喪ったのだと。それを喪わせたのは他ならぬ自分、秋山小兵衛であると。

 いや、とうに終わっていたのだろう。おそらくは叢雲を喪った日に。

 それでも自分を誤魔化していた男は、かつての自分を知る者との再会に耐えられなかったのだろう。

 棍棒を持った若い男達が小兵衛の横を駆け抜け、倒れたままの虎三郎へと雑言を浴びせながら叩きつける。虎三郎は刀を落とし身体を丸め、悲鳴をあげるだけだった。

 作兵衛は松輪を抱きしめていた。

「あ、秋山先生……この度は誠に」

「何も言うな」

 小兵衛の声は厳しい。

「雨宿りの先でたまたまに出会しただけのこと。礼などは要らぬ」

 礼などするなと重ねて言うと、小兵衛は足早に立ち去る。

 虎三郎の正気を失ったような声から、一歩でも遠く離れたかったのだ。

 再び降り始める雨の中を、小兵衛は濡れるに任せ歩き続けた。

 自分と虎三郎、一歩間違えていれば逆であったかもしれぬ……。その思いが小兵衛を捉え離さない。

「おかえり」

 隠宅の龍驤は、濡れ鼠と化した小兵衛の姿に大声をあげようとして何に気付いたか、その一言だけで出迎える。

「すぐに風呂沸かすわな、身体だけ、早う拭いとこか」

 龍驤にされるまま、小兵衛は逆らわずに身体を拭かれる。

「龍驤」

「なんやろ」

「海には還らぬよな」

「うん」

 龍驤は応え、座り込んだ小兵衛の頭をかき抱く。

「うちは、還らへんよ。ずっとずっと、小兵衛はんと一緒におるよ」

 雨は、降り続いていた。

 

 




次回予告が当てになってないなぁ

冬月実装前に書いてしまいたい話があるのだけれど……


今年冬コミあるんですかねぇ。
コミケお休み中に(神戸や舞鶴の即売会用に)作った本を持っていく予定ですけれど


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隼鷹始末

同人誌として出した「鎮守府商売第一集」(「艦娘長門」「剣の戦場」「アイドルの那珂ちゃん」収録)に書き下ろした短編です。

第一集はほぼ無くなりましたので、こちらに載せます。

本編の艦娘達よりちょっと早めに現れた隼膺の話です。

2021冬コミ「木曜日南め08bのくた庵」で、「鎮守府商売2~5集」と、異色短編集「異形艦隊これくしょん」を頒布します。


(この辺りも騒がしくなったね……)

 お気に入りの木の上に寝そべり、隼鷹は夕陽を眺めていた。

 隼鷹がこの山奥に居を構えてどれほどになるか。

 たまに樵夫や修験者を見かける程度だったこの地も、近頃では人を見ることが珍しくなくなっている。少しずつではあるが、麓にある村が拡大しているのだ。

(そろそろ、終わるのもいいかもね)

 気が付くと、この世界にいた。

 深海棲艦はいない。それどころか、自分の魂の元である艦船すらまだ存在していない世界。

(神様ってのも、よくわからないことするねぇ) 

 しばらくの間は仲間を探した。戦闘さえなければ燃料以外は必要としないが、その燃料も多めに食事を摂れば何とか代替可能ではある。それが艦娘というものだ。

 時折立ち寄る海沿いの村で、航海中に獲った海産物との物々交換で水や食糧を手に入れ、隼鷹は仲間を捜し続けていた。

 数ヶ月の間、隼鷹は他の艦娘を探した。艦娘どころか深海棲艦と行き会うこともなく、隼鷹はこの世界に艦娘は自分一人だと結論づけた。

 ならば、自分はどうするか。

 鎮守府はない。それ以前に深海棲艦がいなければ自分がいる意味もない。

 陸に上がり、人に交わり生きるのも一つであった。艦娘としての力を生涯使うことがなければ、医者にでもかからない限り人外のものと見抜かれることはあるまい。

 しかし隼鷹が選んだのは、人里から離れ暮らすことだった。

 どうせ戦いのない世界なのだ。ならば、ゆっくりとこの世界を眺めたい、そう思ったのだ。

 仲間達を探す過程で見たこの世界の人間達は、隼鷹の知る文明の利器など持ってはいない。

 自分を生み出す前の、戦艦どころか、鉄の塊を水に浮かす術も持っていない人間達。それでも日々生きている。

 その人間達を、隼鷹は心から凄いと思った。見ていたい、と思った。 

 自分の知る技術を人間に教えるのは簡単だろう。自分の艦娘としての力を振るえば、どれほどのことができるか。

 しかし、それは違うと隼鷹は感じていた。

 この世界を人間以外の力で変えてはならない。少なくとも、今のこの世界は艦娘を必要としていない。

 だから、自分は眺めていよう。この世界を。人間達を。

 こうして、隼鷹は山奥に一人隠ることとなった。

 話し相手には妖精さんたちがいる。

 とはいえ流石に、人間達と全くの不干渉というわけにもいかず、どうしても欲しいもの……主に酒だ……があるときは、里へと降りて物々交換。交換するものが何も無ければ、海へ行って漁をする。

 そんな生活を続けていれば、人間と会うことが皆無というわけにはいかない。隼鷹は人間嫌いというわけではない。ないが、今の自分の状況が相当に奇妙なものだということも自覚している。

 堂々と艦娘である、と名乗り出たところで相手にされぬ所か狂人扱い、いや、下手をすれば世を惑わす不埒者として処罰の対象ともなりかねない。この世界でよもや後れを取ることはない、処罰の対象とされたところで痛くも痒くないと隼鷹にもわかってはいるが、やはり艦娘として、人間とは無闇に敵対したくはない。

 そのようなある日、気が付くと隼鷹は微妙な立場になっていた。時折、麓からやってきた人間が貢ぎ物を供えていくのだ。そして、なにやら祈願していく。

 確かに、たまたま出会った人間に善行を施したことはある。見過ごすことなどできず、山奥で迷った人間を導いたこともある。怪我人を運んだこともある。

 隼鷹は貢ぎ物を携えてくる人間に話しかけてみることにした。

 人間は大層驚いたようだが、隼鷹の質問には素直に答える。なにやら誤解しているようでその答えは要領を得ないものだったが、最終的に隼鷹は理解した。

 自分は、山の神、あるいは妖怪の類と思われているのだと。

 つまりは、天狗である。

 隼鷹は一人笑った。

 ああ、確かに自分の艤装と戦装束はこの世界で初見の者には天狗に見えるのかも知れない。足元には下駄を履いているように見えるのだろう。飛行甲板代わりの巻物は羽団扇に見えるのだろう。

(天狗か……いいね)

 笑うだけ笑うと、隼鷹は頷いた。

 それならば、天狗として生きてやろうではないか。この世界でたった一人の艦娘、否、天狗として。

しばらくすると、隼鷹はごく普通に山の天狗様と呼ばれるようになった。

この世界で天狗として終わるのも悪くない。そう、隼鷹は思うのだった。

 時が流れればこの世界も、自分の魂の元である船を生み出し、本当に喚ばれるはずだった世界に変貌していくだろう。現れるかもしれない深海棲艦に立ち向かうのは、その時に再び生まれる別の艦娘。自分がその時まで生き延びることなど無理だと、隼鷹にはわかっている。艦娘でいる限りその寿命は人間より長いとはいえ、限りは当然にあるのだから。

 しかし、それはそれで構わない。自分はこの時代で朽ちよう。最期の日が来れば、深い海の底で眠ろう。 

隼鷹は山の奥から人間達を見守っていた。

 天災が起これば救い、時には簡単な知恵を与え、大きな変化は起こさぬよう、細心の注意を払って助けの手を差し伸べた。

 さらに人は増えても、山は神聖な場所として崇められていた。それは隼鷹の日頃の成果であり、村との関係の証でもある。

 隼鷹はその結果に満足して村を見守り続ける。その身体には徐々に限界が見え始め、村以外の場所に目を向けることもほぼ無くなっていた。

 そしてまた時は過ぎ、残る力で静かに眠るための海へ向かおうと考え始めた頃、それは起こった。

 村の騒ぎを聞きつけた隼鷹は、艦載機を飛ばして様子を探る。

 そこに見たのは、村に流れる川を遡上してくる深海棲艦の軽母ヌ級であった。

(今更)

 焦りと怒りが隼鷹を震わせる。

 すでに隼鷹は万全の身体ではない。あまりにも時間が経ちすぎていた。あまりにも、深海棲艦の登場は遅かった。

 それでも、見逃す選択肢など隼鷹にはない。

(行けるのか……)

 全艦載機を発進させる。今の自分に出し惜しみの余裕などない。 

 ヌ級から村を護る。今の隼鷹にはそれしかなかった。他に深海棲艦がいたところで、今の隼鷹ただ一人に何ができるわけでもないのだ。

「全攻撃機、いっけー!」   

 艦載機に神経を同調させつつ、山を駆け下りる。村人達に見られることなど気にしている場合ではなかった。

 しかし、その足が止まる。いや、動かない。

「え、なんで」

 満足に動かないのだ。人間でいうところの老化、艦娘でいうところの経年劣化である。

 その身体は既に、戦闘行動に耐えられないまでに劣化していたのだ。

「なんで……なんでだよ、こんなときに」

 両手で自らの足を掴む。

「動けよ、動けよ!」

 頭の片隅には、次々と撃墜される艦載機の姿が見えていた。

「動け、頼む、動いてくれっ!」

 隼鷹はもがき、這いずった。このまま行っても戦うことはできないだろう。しかし、せめて一矢報いたい。このまま、座して村人達の死を見届けることなどできようはずもない。

「畜生、なんで、どうして、こんなときに……」

 手を伸ばし、身体を動かす。次の手を伸ばし、身体を動かす。

 そのうちにも艦載機は数を減らしていく。艦載機が全滅すれば、ヌ級はすぐに村を襲うだろう。隼鷹に為す術はない。

「ごめん、遅れた」

 何者かが隼鷹を背後から支える。

 同時に、ヌ級に加えられる痛撃。

 振り向いた隼鷹は、そこに姉妹艦の姿を見る。

「飛鷹……?」

「村は大丈夫。利根さんたちが駆けつけているわ」

「どうして」

 飛鷹は戻ってきた艦載機を式札に戻しながら隼鷹の手を握り直すと、涙を浮かべて言う。

「本当にごめんなさい。一人ぼっちにして」

「いいってば、そんなこと」

 答えた隼鷹も、涙を流していた。

 その夜、隼鷹は飛鷹から日本の現状を聞かされた。

 突然現れた深海棲艦と、それに遅れてやってきた艦娘達。艦娘達はこの時代の人間と共に戦うと決め、まずは人間の生活圏に食い込んだ深海棲艦の殲滅と提督の捜索を開始しているのだと。

 すでに何人かの提督は見つかり、この時代の日本の指導者とも連絡は取れていると。

「あたしは、ちょっとばかし早く来すぎたんだな」

「おっちょこちょいよ」

「はは、違いない……なあ、飛鷹」

 隼鷹は足を痛めて動けないため、飛鷹によって山奥に運ばれていた。

「あんたが、あたしの本当の姉妹でないことはわかっているんだけど、それでもあんたにしか頼めないことがあるんだ」

 同じ工廠で生まれた艦娘を姉妹艦と呼ぶ。そうでなければ、ただの同型同種の艦である。艦娘同士であれば互いの出自を知らぬとも、姉妹艦かどうかはわかるものである。隼鷹は、この飛鷹が自分の姉妹艦だとは感じていなかった。

「うん。いいわよ」

 それでも、飛鷹はそう答えた。

「利根達は村にいるんだよな」 

「ええ、村を救ったって感謝されているみたいよ。今、状況を長に説明しているわ」

「だったら、村の人たちに伝えてくれ。天狗はどこかに旅立ったって」

「……いいのよ、貴女はここにいて」

「ふふっ、そうしたいけれど、もう無理さ、わかるよ」

「天狗はいなくなった、でいいの?」

「もう、村に来る化け物はいなくなったからって。……それでいいんだろ?」

「ええ、この村もこの国も、私たちが護るから」

「頼む。ああ、それからもう一つ」

「ええ」

「海の底で眠りたい」

「必ず」

 飛鷹が答えたとき隼鷹の目は閉じた。そして二度と開くことはなかった。

 

 

 呉近くの山に今も残る言い伝えがある。

 海より魔物が現れるとき、必ず山より天狗の救いがある、と。

 

 




 
 
 

 河童な潜水艦娘とかもどこかにいる


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我ら無敵海防艦

同人誌として出した「鎮守府商売第二集」(「雨の鈴熊」「立合三両」収録)に書き下ろした短編です。
(「立合三両」はハーメルン掲載時「立会料三万円」改題)

第二集はほぼ無くなりましたので、こちらに載せます。

本編より少し前の話です。

2023夏コミ「一日目土東エ50aのくた庵」で、
時代劇クロスオーバー「鎮守府商売4~7集」
異色短編集「異形艦隊これくしょん1.2」
独立作品「艦娘比叡の退役」「サラの提督には皿がある」を頒布します


 

 海防艦占守が目覚めたとき、その周囲では見知った艦娘達が議論を交わしていた。

「姉さん。何が、あったの?」

 直後に目覚めていた石垣の問いにも占守は答えようがない。

「貴女たちも目覚めたのね」

 他の妹たち……国後、八丈を見つけ固まっていると、重巡洋艦である鳥海が声をかけてくる。

「今のところ詳細は不明ですが、ここは私たちの時代ではありません」

 それはわかっている。何故と言われると答えようはないが、それでも占守たちにはわかっていた。自分たちが第二次世界大戦前後の軍艦の魂を宿した艦娘と言われる存在であり、再びこの世に人間の姿を模して現れたのだと。

「違います」

 ところが鳥海の答えはその予想をあっさりと覆す。

「この世界は、私たちの元となった艦が造られるよりも前のようです」

 既に空母たちが艦載機によって偵察を済ませていると鳥海は語る。それによればここは日本であることに間違いはないが、おそらくは鎖国中であろうと。

 そして、深海棲艦の気配は確かにあると。

 鎖国、という言葉に思い当たる節はある。この国において鎖国政策をとっていた時代は確かにあった。

「それじゃあ……」

 占守が何か言いかけたとき、戦艦たちの間の議論が終わった。いや、強引に終わらされたのだ。一人の行動によって。

その艦娘はこう言ったのだ。

時代に関わりなく、護るべき人を護る。それが艦娘であると。そしてこの時代にも、護るべき人はいる。ならば、何を迷うことがあろうか。

 事が決まってからの行動は迅速だった。

 占守たちは軽巡五十鈴の指揮下に入り、対潜部隊としての任に就いたのだった。

 

 

 

 そしていくつかの作戦を経て、この時代の人間達ともそれなりの信頼関係を築いた頃……

 占守たちは、とある漁村に上陸していた。沖合に深海棲艦の艦隊が発見され、即座に村には避難指示が出され、そのための艦娘も派遣された。

 村人の避難は既に終わっているはずであり、占守たちはこの村に隠れる予定であった。

 沖合で本隊と深海棲艦が戦った場合、一度の戦闘で敵部隊を壊滅させることは難しい。そうなれば、はぐれた深海棲艦がそのまま陸地を目指して攻撃してくる場合があるのだ。

 占守たちはまず最初の砲撃をやり過ごし、その後、深海棲艦を追ってきた本隊の到着と同時に浜から出撃して挟み撃ちにする予定である。陸上で隠れることのたやすい海防艦たちには適任であった。

 そして占守たちは念のために村の中を確認する。

「誰もいないっすね。三人は向こう頼むっしゅ」

 国後、八丈、石垣もそれぞれ無人となった村内の探索を続けていた。

 少しすると、八丈が大声で三人を呼んだ。

 駆けつけた占守たちが見たのは、浜に繋がれた船の中に眠る赤ん坊である。

「え、赤ちゃん」

「なんで……」

「お母さんは、どこ」

「連れていくっしゅ」

 即座に決断を下す占守。

 どこに、と問う国後に占守は首を振った。

「安全な所っす」

「それがどこなの」

 答えはない。村人達はとうに艦娘に先導されて避難している。そもそも誰も残っていないことを前提とした上の作戦である。誰かが、それも赤ん坊が残されていることなど誰も想定していない。今回の作戦指揮を執っている提督も同じであろう。

「姉さん」

 石垣が占守の肩を掴む。

「ここが、一番……安全」

「あたし達が護ればいいよ!」

 八丈が続け、国後も頷いた。

「今からじゃ避難は間に合わないわ」

 占守は赤ん坊を抱き上げると、船を出た。付き従う三人を促し、一軒の家に入ると放置されたままの夜具を敷き、その上に赤ん坊を横たえる。

「クナ、ハチ、ガッキ」

 妹たちを順に見渡す。

「この戦い、絶対に負けられない」

 そして一瞬間を空け、

「この家にただの一発でも砲撃を受ければ、それが占守たちの負けっす。いいっすか?」

「まかせて!」

「護ってみせるから」

「負ける気はないわ」

 深海棲艦の攻撃をやり過ごすという手は捨てられた。海防艦たちから、打って出る。それが占守たちの選んだ道である。

 作戦を勝手に変更したことによって懲罰が与えられるとしても、他の選択など考える余地はない。

 赤ん坊を、人を護ることに疑念などなかった。

「抜錨っす!」

 深海棲艦を迎え撃つのではない。浜に近すぎる場所で迎え撃てば、陸地への砲撃は必ずある。その内のたった一つでも、赤ん坊の近くに着弾させるわけにはいかぬ。ならば、迎え撃つのではない、打って出るのだ。陸地への砲撃を許さず、海上の砲撃戦で方を付けるのだ。

 海上を沖へと進む占守の目に、深海棲艦の姿が見える。

 戦艦ル級である。それも、二隻。占守たちにとって良い知らせは、一隻が既に中破状態であることだろう。

「ガッキはこのまま突っ切って、本隊へ向かっしゅ。そして、こちらの状況を知らせて欲しいっす」

「わかりました」

 残って共に戦うとは石垣は言わない。いや、言葉にするならば戦いたいのだ。姉たちと共に。しかし、本隊に作戦の変更を伝えなければ最悪全滅の可能性もある。そうなれば自分たちだけではなく、赤ん坊すら救えぬということになる。

 だから、石垣は占守の指示を受け入れる。

「クナとハチはこのまま一緒に密集隊形で」

 一対一では海防艦はル級に及ばない。それどころか、固まっていては一斉撃破の可能性すらある。

 しかし、別れて散発的な攻撃を重ねても自分たちでは戦艦は倒せない。本来なら、自分たちは主戦力ではないのだ。

 無理に倒しに行くというのならば手は一つ。砲撃を一点に集中すること。それも、できる限り同時に。

 少なくとも、自分たちにとって散開したままできることではない。

 ならば一斉撃破の危険を冒してでも集中攻撃に賭ける、と占守は考えていた。

「うん」

「わかった」

 国後と八丈も、その考えを明確に理解していた。そして、だからこそ末妹の石垣を伝令としてこの場から去らせたのだと。

 ル級の目が海防艦たちを認めた。

「一斉射!」

 占守、続いて国後が砲撃を放つ。石垣はル級から最大限回避行動を取りながら、戦闘海域より離脱する。

「あんたはこっち!」

 石垣に反応しようとする中破ル級の鼻先へと砲撃を放つ八丈。

 結果、二隻のル級は共に三隻の海防艦へと向いていた。

 定石ならば散開して砲撃を躱しつつ、本隊の到着を待つべきであるが、この場合は赤ん坊の無事が先決である。

「クナ、ハチ、一発たりとも浜には撃たさないっすよっ!」 

 

 

 

 石垣の報告を受けた戦艦日向は率いる艦隊……戦艦伊勢、重巡鳥海、駆逐艦阿賀野、軽空母瑞鳳、空母葛城……と共に最大戦速で村へと向かっていた。

「占守、国後、八丈、全員健在、ル級二隻依然健在です」

 偵察機を飛ばしていた瑞鳳の報告に、艦隊に随伴していた石垣の緊張がやや緩む。

「よし、全員このまま単縦陣で進む。葛城、瑞鳳、残機は航空戦可能か?」

「相手が航空戦力無しのル級二隻なら十分かと」

「同じくだけど、本隊との戦いで予定以上の弾薬消費があったわ。何度もは出せません」

「わかった。無理に撃沈は狙うな。占守たちへの攻撃を逸らせ」

「了解。葛城航空隊、発艦はじめ!」

「瑞鳳航空隊、発艦!」

 攻撃機発艦を耳だけで聞き、日向はうっすらと見え始めた深海棲艦に目を向ける。

「最大戦速維持のまま前進、総員、我に続け!」

 本隊はそのまま進み、石垣は自分の悲鳴を押し殺した。

 占守、国後、八丈は確かに轟沈していない。していないが、文字通り満身創痍の姿で海上に漂っている状態であったのだ。

 特に占守は、直撃を受けたのか左腕を失っている。

「シム姉さん!」

 石垣の声に、占守は叫ぶ。

「話は後っしゅ、今は、あいつらを!」

 その言葉が終わらぬうちに葛城と瑞鳳の放った艦載機がル級への攻撃を開始する。ついで、日向、伊勢、鳥海による砲撃と、阿賀野による雷撃。

 海防艦たちに足止めされていたル級に勝ち目は無かった。

 瑞鳳と葛城、阿賀野に付近の哨戒を任せ、日向と伊勢はただちに海防艦の三人を浜へと上げる。

 大破状態の占守、それぞれ中破の国後と八丈。一番重傷の占守を、日向は背中の艤装から取り出した敷物に横たえる。

「瑞鳳、艦載機を飛ばして、鳳翔と一緒にいる明石に来てもらってくれ」

「大丈夫っすよ、日向さん、それより……」

「ああ、わかってる。安心して休め。今、石垣と鳥海が迎えに行った」

 それでも、占守は立ち上がる。

 鳥海の胸に抱かれた赤ん坊が見えたのだ。

「無事っすか」

「ええ、貴女たちが護ったのよ」

「シム姉さん、休んでてください」

「良かった……良かったっす」

 その翌日である。

「なんで!」

 占守が泣いていた。

 左腕を吹き飛ばされて涙の一つも見せなかった占守が、誰憚ることなく泣いていた。

 赤ん坊の親は見つからなかった。

 いや、親らしき女性はいたのだ。

 村人達によると、避難勧告を受けた日に初めて見たという余所者の女が。

 その女は、避難の後に姿を消している。

「捨て子、か」

「なんで……」

 日向の横で、占守は泣いていた。

「なんで捨てるんすか……なんで、なんで、なんで」

「……私たちには、人間の都合はわからん。ましてや、個々の事情など」

「……この子、どうなるんすか」

「さぁな。提督に報告して、どこかの施設に……いや、孤児を育てる施設など、この時勢にその余裕があるかどうか」

「なあ、日向さん」

「無理だな」

 何も聞かず、日向は一刀両断に答える。

「我らは艦娘。戦うために生まれた。赤子の育て方などわかるはずもない」

「とはいえ」

 いつの間に現れたのか、伊勢が二人の間に入る。

「絵を描く秋雲ちゃん、歌を唱う那珂ちゃんや加賀さん、踊る舞風ちゃん、紅茶大好き金剛さん。他にも青葉ちゃんや夕張ちゃんとか、結構みんな、戦う以外のことできるよ」

 だから、と伊勢は続けた。

「赤ん坊を育てる艦娘の一人や二人、いいんじゃない?」

「おい、無責任なことを」

「と、提督が言ってたよ」

「なに」

「深海棲艦は倒す。その後のことを考えるのも俺達の役目だ、って提督がね。だったら、子供の育て方だって知っていい。そもそも、俺にはお前達が女にしか見えない、って」

 日向は大きくため息をつき、占守は拳を握りしめている。

「占守」

「はいっしゅ」

「簡単ではないぞ。途中で止めることは絶対にできんぞ」

「……うん」

「提督にもお考えはあるだろう……行ってこい」

 走り出す占守を目で追い、伊勢は笑う。

「いいとこあるじゃん、日向」

「私が?」

「結局、止めたくなかったんでしょ?」

「それは」

「お姉ちゃんには、お見通しだからね」

 占守に合流する国後、八丈、石垣の姿を日向は見ていた。

「ああ、そうなるな」

 

 

 

 一風変わった鎮守府が、かつて漁村であった浜に設けられている。

 所属するのは艦種からは信じられぬほどの実力の持ち主達であり、無敵の海防艦とも呼ばれている。

 その鎮守府の提督は、天涯孤独という噂である。

 

 

 



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金剛の流儀

同人誌として出した「鎮守府商売第三集」(「キタクマ酒場」「提督毒殺」収録)に書き下ろした短編です。
頒布終了したので載せます

本編時間軸以前の話です


2023冬コミにも参加しています「土東ユ53bのくた庵」です


「すまぬが、頼みがある」

 提督が告げたとき、金剛は即座に頷いた。

「まだ頼みの中身は言ってないが」

 必要ない。とやはり言下に答える。この提督がおかしな頼みなどをするわけがないと、金剛は知っている。

 辻平右衛門。それが金剛の提督の名である。

 この時代に初めて現れた艦娘の一人であり、深海大戦勃発より戦い続けた高速戦艦金剛にとって、平右衛門は信頼できる人間であり、有能な提督であり、また頼れる剣客でもあった。その依頼とあらば、多少の無理であろうと金剛に聞かぬ道理はない。

「歴戦のお主なら、と思うてな」

 年寄りっていう意味ですか、と少し拗ねてみせると、提督は笑う。

 勝手知ったる間柄では、この程度の手管などあっさり見透かされてしまう。

 確かに歴戦だ。

 大和や長門にはいまだに言われるのだ。

「この世界の深海棲艦との戦いでは、お前が一番槍だ」

 と。  

 あの日、気付いた瞬間この世界に、いや、この時代にいた。

 周囲にいた僚艦も含め、金剛は何故か気付いていた。この時代が、軍艦として自分たちが生きていた時代ではなく。さらに自分たちが本来現れるはずだった時代ではないと言うことに。

 金剛たちは、目立たぬ島を見つけ一旦投錨し、議論を重ねた。自分たちがどうすべきなのかと。

 しかし、この世界にも深海棲艦はいた。

 艦娘どころか、いかなる近代兵器も持たぬ時代の人間を深海棲艦は思うさま襲っていた。

 悩む艦娘もいた。はたして、この世界で戦うことは、艦娘としての力を振るうことは是とされるのか。それよりも、本来の時間に戻ることを考えるべきではないのか。

 その気持ちがわからない、という気は金剛にもなかった。

 しかし、金剛は見てしまった。

 深海棲艦に立ち向かう人間の姿を。

 僅かな可能性にすがり、深海棲艦に立ち向かう人間を。

 これは後にわかったことだが、人間達も深海棲艦に立ち向かえるとは思っていなかったのだ。

 水上を自在に走り、遠距離からの砲撃を加え、近距離ではその怪力をふるう深海棲艦。海から逃げたとて、川を遡上し町を破壊する。川から離れたとしても、水がなければ人が生きていくことは難しい。

 その絶望の中、誰かが気付いたのだ。

 それなりの技量を持つ者ならば、深海棲艦を斬ることができると。

 砲撃を抜けて近づき、その膂力をかいくぐって剣を向けることができるのならば。

 それは、幾百の屍を積んだあげく一振りの刀がようやく届くか届かぬか、そしてわずか一振りで果たして深海棲艦が倒せるのかという話である。それも、深海棲艦が自ら地上に姿を現せばの話である。

 僥倖に次ぐ僥倖、まさに盲亀の浮木を積み重ねた先の刹那の勝機。それだけが、人に与えられた勝ち目であると気付いてしまった。

 ならば、答えは決まっていた。

 逃げる人々を一人でも増やすため、逃げた人々の安寧を一秒一瞬でも増やすため、斬り込む。

 それを知った金剛は泣いた。そして叫んだ。

 これを護らずして、なにが艦娘か。なにが誇りか。

 これを見捨てて、どんな顔をして元の世界へ戻れるのか。

 いや、元の世界などない。ここにこそ、自分たちが共に戦うに足る人々がいるではないか。

 少なくとも自分は戦う。この世界のこの人々のために戦う。

「比叡、榛名、霧島!」

 妹たちにも否はなかった。妹たちの目にもまた、涙が光っていた。

 動き出す四姉妹を止めることのできる艦娘は誰もいなかった。

 大和は涙を流しながら武蔵に言う。

「この戦いが終わったら、私を殴ってください。愚かにも、初動を誤った私を」

 うむ。と武蔵は頷き、しかし続けた。同じ過ちを犯した私のことも殴れと。

「金剛に後れるなっ!」

 長門が叫び、赤城と加賀が続く。

 戦艦が、空母が、巡洋艦が、駆逐艦が動いた。

 人々を、この国を護るために。

 艦娘達はこの世界の提督を得た。人々は艦娘を救世主と歓迎した。

 それが、深海大戦の始まりだった。

 そして今、戦は均衡状態を迎えようとしていた。追い詰められていた人類を艦娘が支え、制海権を取り戻し、ほぼ壊滅状態だった国の形を復活させたのだ。

 金剛は常に、最前線に立ち続けた。

 今も、大規模鎮守府の一つである辻鎮守府の重鎮として提督を支えている。これからもそうでありたいと金剛は考えている。しかし、それが無理だということもまた、金剛にはわかっていた。

 人間側の施設、鎮守府がまだ未整備だった頃から最前線で戦ってきた。高速修復材どころか燃料資材までまともに揃わなかった頃からである。

 今は幕府中枢に大本営が設立され、間宮、明石、大淀、夕張らの尽力によって各種資材の供給、開発も順調に進められているが、大戦初期はひどいものだった。なにしろ、近代技術の一つも無いのである。かといって、いきなり科学技術が発展するわけもなく。手探り状態で数々の折り合いをつけてきた。何故か妖精さんたちは変わらぬ姿を見せているのが救いである。

 金剛だけではなく、大戦初期から姿を見せていた艦娘達は誰もが大なり小なりの無茶をしている。轟沈した者もいないではない。この世界でも建造できることが判明してからは艦娘の数も増やすことができたが、それまでは常に少数の戦いであったのだ。

 自分にもそろそろ引退の時期が来ている、と金剛はうすうす感じていた。

「提督の指導に当たって欲しい」

 だからこそ、平右衛門の言葉に金剛は一瞬絶句した。 

 見抜かれていたのか。自分の体調が。艦娘の限界が。

 近代技術などない世界の、いや、これが剣客というものなのか、と金剛は納得した。

 艦娘が集まれば必ず出てくるのが、この世界の人間達のポテンシャルについてであった。

 金剛たちの視点だと、「現代」よりも「戦時中」に近い、いや、もしかするとそれ以上なのである。

 それが、剣客であると。

「なに、まだまだ戦ってもらわにゃならんが、そろそろ弟子も鍛えねばならんでな、儂としても」

 やはり、金剛に否はなかった。

 平右衛門に連れられていった先には、一人の小柄な青年がいた。

 なるほど、背は低いが、なかなかに鍛えられている。いずれは一廉の剣客提督となる逸材なのであろう。なにしろ、辻平右衛門の弟子である。

「金剛デース、ヨロシクオネガイシマース」

 出会い頭の挨拶に驚いたのか青年は一瞬たじろぐが、すぐに睨みつけるように表情を引き締める。

「秋山小兵衛だ。よろしく頼む」

 その後、金剛は秋山鎮守府の初代秘書艦として小兵衛と共に八面六臂の活躍を見せるのだが、それはまた別の話である。

 



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