呉鎮守府より (流星彗)
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1章・呉鎮守府配属
喪失


 

「――サア、水底ニ落チテイクガイイ……!」

 

 響く轟音が耳に届く。次いで聞こえるは、悲鳴と苦悶の声だ。

 空は異形の飛行物体が我が物顔で跋扈し、黒煙がもくもくと立ち上っている。空を守るはずの味方の艦載機の姿はほとんどなく、制空権は敵に完全に掌握されていた。

 

「何故だ……どうしてこうなった」

 

 そんな光景を前に、男は震える声でそう呟く。

 

「提督! 撤退命令を! これ以上戦線を維持する事は出来ません!」

 

 傍に控える眼鏡をかけた少女がそう提案する。

 どう考えてもこれ以上の戦闘は無意味であった。

 主力となる機動部隊は壊滅し、制空権を奪われている。その上で敵の主力が次々と戦線を押し上げ、こちらの陣形を崩していく。おまけに電探によれば、潜水艦も確認されている。この混乱した状況の中で対潜へと意識を回すことは不可能に近い。

 

『報告! 扶桑、伊勢大破! 護衛撤退しようにも、敵の追撃が……ぁっ!?』

 

 また一つ、応答が消えた。

 通信を担う少女、大淀は震える手を握りしめ、隣に立つ提督へと詰め寄る。

 

「提督! 撤退命令を! これ以上被害を増やすつもりですかッ!?」

「…………許可、出来ない」

「なんですって……?」

「もう、私は終わりだ……。離脱しても私は上から切り捨てられるだけ。は、はは……終わりなんだよ、大淀」

 

 虚ろな目で提督は両手を台に乗せながら言う。

 元々彼はアカデミーで優秀な成績を収め、呉鎮守府へと就任した男だった。次々と戦果を挙げ、大将から一目置かれる立場へとのし上がっていった。

 だが、新たに確認された敵の存在によって、彼の道は歪んでしまった。

 満足に戦果を挙げられなくなり、認めてくれたはずの大将からは激励ではなく侮蔑の言葉が投げられる。それに焦り、戦果を取り戻そうと無理をし始めた。だが無理な艦隊運用によってより艦隊に不備が生じるという悪循環。

 やがて彼は先日、最後通告が届いた。

 

 次に失敗をしようものならば、呼び戻す。

 

 それは、実質的な左遷だった。

 空いた席には今年アカデミーから卒業する首席あたりが座るのだろう。自分は大本営の後方支援か雑用か、あるいはどこかの泊地の雑用にでも流される。

 そんな事はごめんだった。ここまでやってきたのだ。この席から降りるわけにはいかないのだ。

 

 そんな彼に報告が届いた。

 ソロモン海域にて強力な深海棲艦の反応有り。

 

 これだ。

 ここで戦果を挙げずにいつ挙げるのか。

 

 呉鎮守府に所属する艦娘全員を動かしトラック泊地を経由して南方、ソロモンへとやって来た。

 

 その結果が――これだった。

 

「ただで終わってなるものか。あれを落とす。何としてでも落とす……! そうでなくとも、大打撃を与えてやらないといけないんだよ、大淀ぉ!!」

 

 そう叫び、通信機を奪って提督は叫ぶ。

 

「船の警備をしている者達! 君達も前線に出るんだ! あれに魚雷をぶっ放してやれ! 支援砲撃も食らわせるんだッ! 長門ぉ! ここが踏ん張りどころだ! 沈んでいった赤城達の無念を晴らせぇ!」

「しょ、正気ですか!? この船の警備まで前に出したら、あなたもどうなるか――」

「私よりも敵を沈めるのが優先される! どうせ散るならば、敵を沈めながら散るまでだ! それが帝国海軍というものだろうッ! さあ、行け!」

 

 狂ったように叫びながら命令し、船を警備していた艦娘達は苦虫を噛みしめる様な表情を浮かべるも、従った。離れていく水雷戦隊を艦橋から見下ろしながら、大淀もまた唇を噛みしめる。

 返された通信機を手に、少し提督から離れると、「神通さん、聞こえますか?」と声をかける。

 

『はい』

「……もしもの時は、お願いいたします」

『――わかりました。引きずってでも』

「すみません、あなたにこのような事を任せてしまって」

『いえ、お気になさらず。……では』

 

 通信を終えた大淀は顔を上げて海を見つめる。

 もう、何を言っても変わらないならば、それを受け入れるしかない。命令は下されたのだ。自分達艦娘は、提督からの命令に逆らう事は許されない。ならば、この結末の後に対しての備えは必要だ。

 この事は提督は知らない。大淀の独断だった。

 知れば提督はこの行動を止める命令を下すだろう。そうならない事を祈るしかない。

 

 

「全砲門、開けッ! てぇーー!」

 

 勇ましい掛け声に呼応し、主砲が一斉射される。放たれた弾丸は狙い通りに敵へと吸い込まれていくが、前方には主力艦隊がそろい踏みだ。

 敵の戦艦が二隻に、空母が二隻。相変わらず艦載機が我が物顔で頭上を飛び回り、駆逐達の対空砲でも対処しきれない。

 ダメ押しとして敵旗艦が健在だ。先程から砲撃をしても、庇うように戦艦や重巡が立ちはだかってしまう。その空いた穴などなかったかのように、軽巡や駆逐がフォローしてくる。

 

「ちぃ、これでは……!」

 

 頭上から嫌な高音が聞こえたのに反応し、長門は避けようとした。だが間に合わず、至近で爆発したそれに被弾してしまう。その隙を逃さない敵ではなく、飛来した砲弾の追撃で主砲一基が破損してしまった。

 

「航跡確認! 魚雷です!!」

「なにぃ!?」

 

 護衛についていた吹雪が報告。見れば、確かに魚雷が四本こちらに向かってきていた。回避も間に合わない。これでは多大な被害は免れない。

 ここまでなのか。

 長門が覚悟した刹那、吹雪をはじめとする吹雪型三人が前に出た。

 次いで発生する爆発と、立ち上る水柱。長門を庇って彼女たちが被弾したのは明白だった。

 

「な、なにをしているお前達!?」

「……っ、長門さんは下がっていてください……! ここは、私達が引き受けますから!」

「馬鹿な事を言うな! あれを水雷戦隊だけで抑えるなど――」

 

 その言葉の続きを言う前に、背後で大爆発が発生した。

 数キロ背後の事だが、あそこに何があるのかは長門達にもわかっていた。「おい、大淀!? 応答しろ!」と呼びかけても、彼女は応えてはくれなかった。それが意味する事は、長門にも、吹雪達にも理解できた。

 そんな彼女の腕を引く手がある。

 いつの間にそこにいたのだろうか。神通と妙高が神妙な顔で長門を引いて航行していた。

 

「……生き残っている、全艦隊に告げます。撤退戦をはじめます」

「殿は私が。神通さん、後はお願いいたしますね」

 

 周りを見れば、警備から離れたと思われる水雷戦隊がすれ違っていく。彼女達の顔には覚悟が浮かんでいた。そんな彼女らを指揮する立場であるはずの神通は相変わらず長門の手を引いたまま航行している。

 

「おい待て、神通。これは何の真似だ?」

「……大淀さんより、命じられました。長門さん、あなたにはこれから、私と共にトラック泊地へ向かっていただきます……」

「馬鹿な!? 私に生き残れというのか!? 彼女らを置いて!?」

「ごめんなさい……。ですが、このまま全滅すれば、呉鎮守府には何も残りません。それはつまり、提督は戦果を挙げるために無謀な突撃をした結果、所有する全艦娘を全て喪失し、戦死した……。何も遺さぬ最期を迎えた、という結末となります。あのような命令を下した提督ですが、何も遺さないで終わる程、哀れな事はありません……」

 

 そう語る神通もまた、苦い表情を浮かべている。見れば、数人の駆逐艦が護衛としてついてきていた。彼女らもトラック泊地まで撤退してくれるのだろう。そして残りは全て、背後から追撃してくる深海棲艦の意識を引きつける役目を担っている。

 相変わらず砲撃と爆発音が聞こえてくる中、長門もまたぐっと拳を握りしめて決断した。

 

「……わかった」

 

 苦しい、了承の言葉だった。

 そして背後にいる艦娘達に伝えるように通信を開く。

 

「皆の衆、辛い役目を背負わせてしまった事、このような最期を迎えさせる事、申し訳なく思う」

 

 背後から敵艦載機が飛来する。いくつかは対空砲撃によって撃墜させるが、一本の魚雷が投下された。「魚雷です!」という報告に、全員がその射線から避けるように方向を変える。

 

「共に過ごし、共に研鑽し、共に戦いを過ごした日々。その結末がこのようなものであったこと、口惜しい事だろう。……私も同感だ。そして私はお前達を置いておめおめと背を向けて去ろうとしている。すまない、本当にすまない」

『謝る事はないわ、長門』

 

 聞こえてきたのはいつも近くにいてくれた姉妹艦の声だった。聞きなれた穏やかな声が、ざわつく長門の心にすっと入ってくる。

 

『私達以上に、あなたが一番苦しい選択をしているって、わかっているわよ。あなたの性分ではないものね。そんなあなたを守るために戦う。誇らしい事だわ。この身は、ただ敵を殲滅するためだけのものじゃない。誰かを守るために在るのだと、最後に証明できるのだから』

「陸奥……」

『私達にあなたを守らせて。あなたの下へはあれを行かせない。だから、安心していきなさい。そして、次の提督によろしく伝えて頂戴』

「…………すまない、陸奥」

『あら、違うでしょう? 私に最後に聞かせる言葉が、謝罪なんてひどいわ』

 

 くすり、と微笑が聞こえてきた。

 姿は見えないのに、いつものお茶目なウインク顔が頭に浮かぶ。そうだ、こんな言葉を贈りたいわけじゃない。こういう時に言う言葉は、

 

「ありがとう、陸奥」

 

 通信が途切れる。

 言葉が届いたのかどうかすらわからない。爆発音が掻き消したのか、あるいは陸奥が――いや、やめよう。そんな結末を想像するなど。

 視界には魚雷が補給するための資材を乗せていた部屋にでも当たった事で大爆発を起こしたらしい。轟々と燃え、分割されて横転し、ほとんど沈んでいる船がある。提督が乗船し、この南方まで自分達が乗って来た船だ。

 そして電探には敵の存在がある事を教えてくれる。

 潜水艦か?

 駆逐達が警戒態勢に移行する中で長門は更に速度を上げていく。低速艦であったとしても、最大船速ならば潜水艦からは逃げられるはずだ。

 それに空母が放った艦載機も長門達を追っていたものはいなくなっている。対空砲撃による撃墜と、補充のために帰還していったためだ。あとはあの船を撃沈させた深海棲艦を切り抜ければ、この海域からは離脱できるはず。

 そんな長門の希望を砕くように、左舷から航跡が確認された。

 回避するために転換するも一本は被弾するという航跡。だがやはりというべきか、またしても護衛の一人が代わりに被弾した。また一人、犠牲になってしまった。

 

「爆雷よーい! てぇー!」

 

 だが彼女らは護衛する役目を投げ出すような真似はしない。最後まで長門と神通へと潜水艦を近づけぬために戦い続ける。

 掛け声を背後に聞きながら長門と神通は海域から離脱していく。

 だが最後に、長門は肩越しに戦場を見つめた。

 相変わらず黒煙が立ち上り、砲撃音と爆発音が響く海域。長門はその光景を忘れることはないだろう。

 ソロモンの海は、仲間の艦娘が流した血のように赤く、深色(みいろ)に染まっていた。

 

 

 



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配属命令

「今、なんとおっしゃいました?」

 

 青天の霹靂とはこの事だろうか。

 彼、海藤(かいどう)(なぎ)は目の前にいる女性、美空(みそら)陽子(ようこ)に思わずそう言ってしまった。

 黒髪は少しぼさっとしており、顔は多少汚れている。170を超える身長に鍛えられた体と軍人らしいところは残っているが、数分前まで作業場で徹夜していた影響も見られた。今日突然呼び出されたかと思ったら単刀直入にあんな事を言われてしまったのだ。彼にとっては無理ない事であった。

 

「この私にもう一度言わせるとは。だが良い。それだけ貴様にとっては驚くに値する事なのでしょう。理解しているつもりよ。だから、もう一度だけ告げましょう」

 

 ふぅ、と煙管を口に含んで煙を吐く。年配の女性特有の落ち着きと威厳を兼ね備えた女性だ。黒髪を結い上げて纏めており、煙管を手にするその様子は様になっている。今度はその手に一枚の紙を取り、凪へと手渡しながら改めて告げることにした。

 

「海藤凪。貴様に呉鎮守府への提督着任を命ずる」

 

 どうやら夢でも聞き間違いでもないらしい。

 凪は彼女の言葉を頭の中で反芻しながら渡された辞令に目を通す。

 確かにそこには自分の名前と、呉鎮守府就任についての配置転換の命が書かれている。それを決定したのが、この美空大将だという事も。

 最近昇格してより発言力を高めたそうだが、どうして自分なんかを提督へと推したのか。

 凪は一度瞑目し、「お訊きしてもよろしいでしょうか」と求める。

 

「許可する」

「何故、私なのでしょう? 呉鎮守府の席が空いたことは私も承知しています。ですが、つい最近アカデミーで卒業式があったはずです。今年の首席が呉に向かうものと私は思っていたのですが」

「確かに、他の大将らも今は今年の主席を座らせようとしたようね。でも、私はそれよりも貴様を推すべきだと判断した」

 

 何故なのか、とじっと彼女を見つめる。

 煙管を灰皿へと置き、美空は机の上で手を組みながらじっと凪を見据える。

 

「納得いかないようね? 無理ないか。去年の卒業生にして、成績で言えば第四位。なのに自ら志願して整備開発を担当する職員という後方に下がったのだから。普通ならば私達のような立場の後ろに控えて補佐する仕事に就くというのに」

 

 アカデミーは海軍の知識を学ぶ場だ。若くて才ある者らが集まり、座学と実技を学んでいく。その中で成績優秀な卒業生がそれぞれの鎮守府の提督となる。

 席がなくとも、大本営などに所属する先達らの補佐役として就き、新たな泊地の設立や何らかの事情によって提督の席が空いたとき、彼らの推薦によって提督となる事が可能だ。

 逆にトップクラスの成績を収められなかった場合は、整備員などの後方支援の仕事であったり、事務仕事であったり、あるいは海軍そのものから離れて普通の仕事に就いたりする事となる。

 凪は成績四位という高い成績を収めながら、どういうわけか整備員として一年を過ごした。大本営に集まる装備のチェックや修理、あるいは大将らが利用する船の整備などを行ってきたのだ。

 まるで提督になる事を辞退するかのように。

 

「知っての通り、アカデミーは卒業到達率が低い。毎年卒業するのは成績トップ十以内でしかないというエリートのみ。それ以外の生徒は皆、ふるい落とされていくシステムを採用しているわ。だからというべきか、卒業生は皆、考えもエリートになる。それはすなわち提督も然り」

 

 提督になるという事は、自分達はあのアカデミーで卒業したのだ、という箔が付く。他の生徒達とは違うのだ。自分達は選ばれた存在なのだ、という思考だ。

 ほとんどの提督はそうであり、大本営に所属する軍人らの後ろ盾を得て増々それが強くなる。

 

「そういう輩は総じて心に隙を生むわ。自分は大丈夫、自分は間違っていない。小さな積み重ねが大きな慢心を生む。そうして間違いを起こした時、それは大きな傷跡となって跳ね返ってくるもの。そうなれば、ずるずるとそれを引きずっていき、多大な被害を生み出す。そう、先代呉提督のようにね」

 

 凪も先代については耳にしていた。

 何せ被害が甚大だったのだ。噂にならないはずがない。これによって大本営も大騒ぎである。特に推していた大将も批判の対象になっているんじゃないかと思えば、数か月前からもうあれはダメだな、という話もしていたので、切り捨てていたようなものだったという話もある。

 それによって立場を維持しようとしているようだ。

 美空は煙管を手にし、先端を凪へと向ける。

 

「それに対して貴様は自ら後方に下がるという選択をした。アカデミーでの振る舞いもエリート臭くはない。ならば、今までとは違う提督の姿を見せてくれることでしょう、と判断したわ。それに資料によれば現在トラック泊地に所属している東地(とうち)とは友人関係にあるようね? 彼もまた貴様と近い性分をしているそうじゃない。貴様の影響かしら?」

 

 報告書のファイルを手にして示しながら言うが、凪は休めの体勢になって瞑目する。

 

「……さて、どうでしょう。あいつが私と会う前がどうだったかは私は存じませんから」

「……まあいいわ。それに私としても、貴様がどうして後方に下がるという選択をしたのかは理解しているつもりよ。貴様の父の影響でしょう?」

 

 その指摘にぴくりと僅かな反応を示した。沈黙を通すが、それが答えなのだと美空は理解する。

 

「その点もあるからこそ、私は貴様をあえて推す。父がああなったにもかかわらず、アカデミーに入学、そして卒業してみせた貴様をね。そしてわかっているだろうが、貴様に拒否権はない。これはもう正式な辞令なのだから」

「……承知いたしました。海藤凪、謹んで拝命いたします」

「よろしい。私は貴様に期待をしている。貴様ならばきっと良い提督となってくれるだろうとね」

「どうしてそこまで私などに? 失礼ながら、私は大将殿と会ったのは、恐らく一度きりだったのではないかと思われるのですが」

「公開演習の時か? 確かにそうね。でも、だからこそ貴様の実力をあの時推し量る事が出来た。そして貴様が所属した部署も良かった」

 

 彼女の立場は軍備、兵器を管轄する長。奇しくも凪はその末端で働いてきたのだ。

 凪の存在を覚えていたならば、末端であろうとも機会があれば引き抜く心づもりでいたのかもしれない。それが今日、果たされたというわけだ。

 

「自分で言うのもなんだけど、私が後ろ盾に居れば貴様は得をするかもしれないわよ?」

「といいますと?」

「我が第三課においての役割は昔の艦から艦娘へと変化させるための設計図、彼女らの装備を構築するための設計図を作りあげ、データ化する事にある。それを再現するためには妖精らのご機嫌を窺わなければならないが、それでもかつての艦や装備を深海棲艦へと通すための構築は不可欠なもの。海藤も整備員をしていたならばそれは理解できているはず」

「ええ。現在艦娘は百にも満たない顔ぶれでしたね」

「これからも新たなる艦娘を産みだし、各鎮守府へと配備させなければならない。そこで私と繋がっておけば、いち早くそのデータを貴様へと送る事が出来る。普通ならば妖精のご機嫌次第だけど、確実にその艦娘や装備を貴様の鎮守府に配備させるための手段を送ろう。そうすれば、貴様は他の鎮守府よりも先に進むことが出来る」

 

 戦力を揃え、増強させる事は大事な事だ。このアドバンテージがあるならば、例え後から提督業を始めたとしても、他の鎮守府の戦力に追いつくことが出来るかもしれない。

 とはいえ例えメンツが揃ったとしても、それをうまく育てる事が出来るのかは提督、すなわち凪の手腕にかかっているのは当たり前の事。美空の言う事はあくまでも戦力を補強する支援だけ。そこから先は全て凪次第だ。

 

「そこまで私に肩入れして、大将殿は何を得るのか。お訊きしても?」

「…………今はまだ言えないわね。でも、先代呉提督の戦死により、あれらの立場が僅かではあるけれど揺らいだのは知っているわね? 僅かな隙が生まれたここを逃すわけにはいかないの。海藤、その隙を突き、傷を広げる事が出来るかは貴様の働きも関わってくるでしょう。健闘を祈るわ」

「そうですか。つまり新艦娘や新装備に関しては、私への先行投資になるのですね」

「理解が早くて助かるわ」

 

 やれやれと嘆息するしかない。ただでそんな事をするはずはないと思っていたが、出世争いなのか、あるいは引き摺り下ろすための手段に用いられるのか。

 上は上で相変わらず腹の探り合いをしているらしい。昔と変わっていないのだと凪は若干辟易する。

 

「――そういえば大将殿。私が呉鎮守府に所属するならば、今年の首席の人はどうなるんです?」

「質問が多いな、海藤。だが良いだろう。気になるのも当然の事ね。それについては心配する事はないわ。私の補佐としてついてもらう事になっている」

「つまり、次の席が空いたときに?」

「ふふ、察しがいいわね。嫌いじゃないわ」

 

 要は凪と今年の首席。二人を抱え込む腹づもりのようだ。そこから何をするかは凪としては興味はないが、それに巻き込まれてしまったらしい。命令であるが故に辞退する事も出来ぬまま、流されていくだろう。

 厄介なことになったな、と改めて思ってしまう。

 

「質問は以上かしら?」

「……はい」

「では退出してよい」

「失礼いたします」

「それと海藤」

 

 敬礼して背を向けようとしたところで呼びかけられた。「はい?」と振り返ると、

 

「きちんと寝る事ね」

 

 と、目元を指さしてくる。凪もそっと目元をさすり、「失礼いたしました」と謝罪するように頭を下げ、退出した。

 扉を閉めて一息つくと、視界の端に人がいる事に気付いた。

 見ればそこには少女が佇んでいる。艶やかな黒髪をポニーテールにし、身長は155くらいだろうか。海軍の制服をきちっと着こなし、窓際に静かに佇んでいた。

 その顔には見覚えがあった。アカデミーに在籍していた頃にちょくちょく見かけた程度。だが時折合同演習を共にしたことがあったろうか、とアカデミー時代を思い返していると、彼女は一礼して近づいてきた。

 

「お久しぶり、と言った方がいい? 海藤先輩」

「俺のこと、知ってるんだ。えっと、淵上さんだったかな?」

 

 淵上(ふちがみ)(みなと)。それが彼女の名前だ。

 先程の美空大将と同じく海軍には珍しい女性の軍人である。そして話に聞いたことが正しいならば――

 

「――首席卒業、おめでとう。俺が在籍していた時も、確か成績トップだったっけ? すごいね」

「ありがとう。でもあんたは後方に下がったと聞いているけど、どういうこと? いい成績を収めたのに、わざわざそんな選択をするなんて、どうかしてるわ」

「ふつうはそう思うよね。でも、あの時の俺は、というか今でも俺は整備員や開発員の勤務を続けたかったんだけどね」

「変わってるわね。……それに、目にクマあるし、ひげも整ってないし、髪も若干ぼさっとしてる。それで大将殿の前に出たわけ?」

「ああ、呼び出されるまでずっと修理してたからね。よもや大将殿に呼び出されるなんて思いもしなかったからこの調子さ」

 

 付け加えるならば風呂にも入っていない。多少汗臭いだろう。

 若干淵上から距離を取っているのはそのためだった。そして早々に話を打ち切ろうとして「じゃ、俺はこれで失礼するよ。準備しないといけないからね」と一礼して傍を通り過ぎていく。

 その背中を少し見送った淵上だったが、何も言わず美空の部屋の扉をノックし、一声かけて入室していった。

 

 



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呉鎮守府

 

「まーじかよ。お前、呉の提督になるんかよ」

 

 電話の向こうで驚いた声が聞こえてくる。彼の驚きも無理ないだろう。アカデミーにいた時から、凪はあまり提督になろうとしていないということを彼に言っていたのだから。

 着替えなどの荷物を鞄に入れながら、受話器を耳に当てつつ凪は頷く。

 

「マジだよ。俺自身が驚いてる。なんでやろうなぁホンマに」

「美空大将殿だっけか? あの人、結構な手腕を持っているっていう噂は中将の時から耳にはしてたぜ。なんでも今ではあの大和型主砲の構築をしているって話だっけか?」

「せやな。俺の様な下っ端にはその仕事は回ってきてなかったんやが、主砲と同時に大和型の艦娘も設計図が作られてるって話さ」

 

 所々関西弁が混じっているのは凪の出身地が大阪のせいだ。アカデミーに入学するために上京してからは、方言をあまり喋らないようにしていたが、東地のような友人相手には地が出てくる。それでもごってごての方言ではなく、少しだけ混じる程度で話している。

 電話の向こうの相手は東地(とうち)茂樹(しげき)。アカデミー入学後からの友人であり、去年首席で卒業した逸材だ。同時期に設立されたトラック泊地の提督として勤務している。

 同時期にはリンガ泊地、ラバウル基地が設立され、それぞれ去年の二位、三位の卒業生が提督として勤務する事になった。

 そして今、一年の時を経て第四位である凪が、呉鎮守府に所属する事となったのだ。

 

「……でも、俺的にはようやくかって感じだよ。お前は提督として活躍するには十分な能力を持ってるって、俺は信じてたからよ」

「そうかい? 俺自身はそんなに褒められるようなもんじゃないと思ってるんやけどさ」

「それはお前の親父さんと比べてじゃないのかい? 目標が高いんだよ、お前さん。俺達と同年代と比べとけよ」

 

 その手に、写真立てが握られる。そこに映っているのはいい歳をした男性だ。

 きりっとした表情を浮かべ、海軍制服をきちっと着こなした彼こそ、凪の父。幼い頃から彼の話を聞いて育ち、自分もいつか父の様な軍人になるのだと純粋に憧れていたあの頃がふっと蘇る。

 だが今となっては、遠い目標である背中として捉えている。提督を志すのをやめ、後方支援員として海軍に所属し続けるのだと決めた。

 それがどういうわけか。引き抜かれて提督になろうとは。一度逸れた道に強制的に立たせられたようなものだ。再び、父の背中を追う事になるのだ。複雑な心境だった。

 

「だがまぁ今は俺の方が一年先輩で先をいっているからな。わからないことがあれば気軽に聞いてくれや。ほら、先輩って呼んでくれていいんだぜ? ふふん」

「せやな。訊くことがあればまた電話するよ、東地先輩」

「……やっぱいいわ。お前に先輩って呼ばれるの、気持ちわりぃ」

「どっちやねん!?」

 

 

 列車に乗って数時間の旅。

 広島、呉へとやってきた凪は真っ直ぐに鎮守府を目指した。キャリーバッグをごろごろと引きながらそこへと辿り着いた彼は、静かだなと感じた。

 かつては大勢の艦娘がいたであろうそこは、人の気配があまりない。いなくなってしまったのだ。

 大本営で話には聞いているし、東地がトラック泊地の提督だったために彼からも耳にしている。

 生き残ったのは二人だけ。

 今は彼女らもここに戻ってきているはずだ。

 

「あの日、俺も微力ながら助力を申し出はしたんだけどな。先方がいらん、自分達だけでやるって聞かなくてな。その結果があれじゃあ、俺としてもやりきれねえわ。……二人とも表面にはあまり出さないようにはしてたけど、かなり気落ちしている。よろしく頼むぜ、凪」

 

 と、電話の最後の方で言われてしまった。

 実際に会った東地に言われたのだ。それにこれからも仕事を共にする仲間でもある。出来る限りの事はするしかない。

 さて、門を潜ろうかと思っていると、向こうから近づいてくる人影があった。

 セーラー服を着こなし、眼鏡をかけた黒髪の少女――大淀だった。

 

「ようこそ。海藤さんでいらっしゃいますか?」

「ん。本日付でこの呉鎮守府に所属する事になった海藤凪。只今到着した。君は、大淀かな?」

「はい。私も先日ここに配属されたばかりです。新米同士、よろしくお願いします」

 

 先代提督と共に、先代大淀も轟沈したと聞く。

 大淀は基本的にどの鎮守府でも提督を補佐するために配属される、いわゆる秘書的な存在らしい。本来は軽巡洋艦の艦娘のはずだが、その見た目と能力的に事務要員として配属されることが多いようだ。

 

「では、こちらへ。ご案内いたします」

 

 大淀に先導されて鎮守府内へと入っていく。

 こうして近くにいて改めて認識する。艦娘とは、本当に人とあまり変わりない存在なのだと。

 艦娘とは昔実際に存在していた軍艦の記憶を持ち、艤装を装備して戦う少女達の事だ。詳しいことはわかっていないが、謎の妖精らが関わり、艦の残骸や装備から艦娘へと変化させるための設計図を構築し、資材と妖精の力を注ぎ込むことで生まれ落ちるとされている。

 艤装も同様で、実際に存在していた兵装の設計図を基に、艦娘が装備できるものへと変換、構築する事で開発される。どちらも各鎮守府にデータとして送られ、それを鎮守府の妖精達が受け取り、資材を消費する事で気分次第で制作するようだ。

 誕生の方法からして人間ではない。だが彼女達は確かにそこに存在し、心を持つ。思考し、表情を変化させ、しかし提督らの命に従い、戦闘する。

 感情があるからこそ機械ではないし、人と同じように血も涙も流す。故にロボットというものではなく、「艦娘」として存在している。

 そんな彼女らが戦う相手が深海棲艦と呼ばれる謎の存在だ。

 どこから来たのかもどのようにして生まれ落ちたのかも不明。しかしあれらも艦娘と同じく、昔存在していた軍艦らのような装備を手にし、海を往く。軍艦の攻撃を受けても怯むだけで倒す事が出来ず、しかし艦娘らの攻撃ならば倒す事が出来た。これにより軍艦の役割はほぼ失われ、深海棲艦と戦うのは艦娘であるという変化が生まれた。

 だが完全に軍艦が消えたわけではなく、提督や資源の移動に使われる。それに倒す事は出来なくとも、怯ませる程度ならば可能だ。ないよりはマシだった。それでも軍艦を動かす資材を艦娘に使った方がコストも安いという事で、その数は昔と比べるとかなり減っているのが現実である。

 建物の中へと入り、執務室へと案内される。

 

「こちらです」

 

 扉を開けて中へと入ると、二人の少女が直立し敬礼をしてきた。

 片やきりっとした黒髪長髪をした少女。へそだしルックをしているが、だからこそその引き締まった筋肉がより感じられる。

 片や大人しそうな印象を抱かせる少女。柿色のセーラー服を着用し、その長い茶髪に緑のリボンと、特徴的な前髪の分け目が目につく。

 凪も敬礼を返しながら机へと向かい、そして三人に向き直る。

 

「本日付でこの鎮守府の提督を任じられた、海藤凪だ。去年アカデミーを四位の成績で卒業、整備員へと転属して一年を過ごしてきた。今回、美空大将殿の命によってこちらへと配属と相成った。提督としては新米ではあるが、以後よろしく頼む」

「戦艦長門だ。先代提督の秘書艦を務めてきた。よろしく頼む」

「軽巡洋艦、神通です……。水雷戦隊の長を任せられていました。よろしく、お願いします……」

「軽巡大淀です。先代の大淀に代わりまして、先日配属されました。提督の補佐などを務めさせていただきます。よろしくお願いいたします」

 

 改めて自己紹介と挨拶を行い、凪は改めて三人を見回した。

 長門と神通。彼女らが生き残ってきた艦娘であり、その経歴から長くこの鎮守府で活躍してきたのだろうと推察できる。列車の中で見てきた書類でも確認したが、実際に目にしてみると確かに練度はあると見て取れる。

 長門は秘書艦として提督と艦娘らを繋ぎ、大規模な作戦の際は艦隊旗艦として活躍していたそうだ。

 神通は軽巡や駆逐艦をはじめとする水雷戦隊のまとめ役をしていたらしい。普段は駆逐艦の鍛錬の指導を行っていたようだ。

 

「まずは先代提督と、沈んでいった艦娘達の冥福を祈ります。ご愁傷様です」

 

 帽子を取って胸に当て、瞑目しながら一礼する。

 失われた命と引き換えに、自分が空いた席へと座るのだ。犠牲となった艦娘は三十を下らないという。これくらいの事をせねば罰が当たる。

 頭を上げても、凪はしばらく黙祷するように無言で瞑目していた。

 やがて黙祷をやめ、帽子を被りなおすと、長門達を見回す。

 

「……基本的な方針としては先代と変えないようにしようと思う。長門、君は秘書艦として私と艦娘らの連絡役などを務めてもらいたい。また、私になんらかの不信があれば、遠慮なく申し出るように」

「不信というと?」

「先代は小さな失敗の積み重ねや、上からの圧力によって歪んできた、と報告にある。それでも君達は提督の指示に従い、行動してきたようだな。艦娘としては仕方のない事だろう。命令は絶対なのだから。……だから、私もそうなった場合、誰かが止めなければならない。過ちを繰り返さぬように。長門、君にそれを任せる」

 

 じっと長門を見据え、凪は告げた。

 

「先代のように私が道を踏み外すようならば、君が私に告げなさい。もちろん私自身もそうならないように努めよう。しかし自分では正常だと思っていても外から見ればそうではない事もある。だからその役割が必要だ。それを秘書艦である君に任せる」

「……わかった。その任、引き受けよう。あなたの言う通り、過ちは繰り返してはならない。この長門、もしもの時が来ない事を願うばかりです」

「神通、君には変わらず水雷戦隊の長を任せる。今こそ誰もいないけど、頭数が揃ってきたら、前と変わらず水雷戦隊をまとめてほしい。また教練も頼みたい。その技術を惜しみなく伝えてもらいたい」

「わかりました」

「で、大淀。この鎮守府にある資材はどうなっている?」

「それはこちらに」

 

 そう言って手渡された紙を見てみると、そこにはこうあった。

 各資材、五千。

 

「…………五千?」

「はい。どうやら先代がほぼ全ての資材を南方に向かう際に積んでいったようでして、その……」

「なるほど、沈没した際に全て海の藻屑となったか」

 

 長く鎮守府を運営していたはずのここに五千しかない。何故かと思ったらそういう事情があったようだ。見れば、高速修復材――通称バケツもたったの十しかない。なのに、開発資材と高速建造材――通称バーナーは百を超える数が揃っている。これらに関しては戦闘には全く関係ないので持って行かなかったのだろう。無駄に有り余っている。

 

「資材に関しては大本営から就任祝いとして送られました。バケツも同様です」

「……大本営というより美空大将殿の心意気だろう。先行投資が早すぎる気がするけど、ありがたく受け取っておくとしようか。となると、最初にやる事は一つか」

 

 紙を大淀に返しながら「工廠に案内してもらおうかな」と告げた。

 

 

 工廠とは艦娘の建造や装備開発が行われる場所だ。

 鎮守府運営になくてはならない場所であり、そしてそここそ謎の妖精らの本領発揮をする場所だった。

 そこには手のひらサイズの何かがいる。よく見ると人っぽいのだが、かなりデフォルメされたような見た目をしている。これらも全て女性っぽい風貌をしており、整備員のような服装をしてちょこまかと好き勝手に動いていた。

 

「建造妖精は?」

「あそこに集まっているのがそうだな。おーい、お前ら! 仕事だ!」

 

 ドックの近くでわちゃわちゃしている妖精らが、長門の呼び声に応えてわーっと集まって来た。その動きも何やら可愛らしい。小さい子供より更に小さいそれらが何かするだけでもこんなに可愛いのかと思えるほどに。

 

「どうも。今日からこの鎮守府の提督をする海藤凪だ。よろしく」

 

 自己紹介をすると、わーっと歓声が上がりながら拍手をしてくる。言葉は通じるのだが、妖精らの言葉はあまりよくわかっていない。そんな妖精らに提督として初仕事を与えることにした。

 

「解放されてるドックは四つか。でもやっぱり最初は一つだけ使おうか。初めての建造は大事だからな。オール三十でよろしく!」

 

 指示を出すと、一斉に敬礼をして一つのドックに駈け込んでいく。積まれている資材を投入し、ドックの扉が閉まった。みょんみょんと何やら音がしたかと思うと、ドックの扉にあるモニターに不可解な紋様が浮かんでくる。

 様々な形を変えていくこと数秒。

 それは、凪達に理解できる文字として表示された。

 

 00:22:00

 

「駆逐艦、か」

 

 そのドックで建造されている艦娘が完成するまでの時間だった。

 

 

 

 



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建造

 

「駆逐艦、か」

 

 モニターに表示された時間は22分。この時間がゼロになれば建造完了となる。

 また時間によって出来上がる艦娘が決まっているようで、これを見れば大体誰が出来上がるのかが予測できる。

 アカデミーで学んだ知識もあり、22分と見て凪は駆逐艦が出来るのだな、と推測したのだ。

 だが全ては妖精の気分次第。

 資材を投入したからと言って艦娘が出来上がるかといえば、否である。

 建造の流れとしては、資材投入数を指示する、それを妖精が受けてドックに放り込む。

 妖精らが投入された資材から建造できるデータを、設計図から索引していく。ここで、妖精が気ままさが発揮される。

 どれにしようかなーと資材と設計図を見比べていく中で、何を思ったか、資材をこねこねしはじめ、艦娘ではなくただの食料を作り始める事がある。

 そうして出来上がるのが艦娘のスペックを上げるレーション。レーションになるのは鋼材が缶になり、それ以外の資材を謎の妖精パワーで食料にして詰め込むようだ。

 これを艦娘が食べれば火力や雷装などの能力が若干上昇するらしく、全くの無駄にはならないのだが、それでも艦娘を作ろうとしてただの食料になるとなれば、ちょっと困りものだった。

 凪としては、初めての建造がそうならなかっただけでもありがたい。

 

「バーナーを使いますか?」

「いや、初めての建造だ。じっくり待とう。この時間を利用して、他の施設を案内してくれるか?」

「わかりました。ではこちらへどうぞ」

 

 

 それからは鎮守府をゆっくりと歩いて回る事となった。

 工廠からすぐ近くにはグラウンドがあり、ここで走り込みを行ったり、陸上スポーツでの交流が行う事が出来るという話を聞いた。

 中庭を歩けば木々に囲まれ、花壇には色とりどりの花が咲いている。

 その先に艦娘の修理を行うための入渠ドックがある。艦娘にとってそれは風呂であり、要は温泉だった。

 近くには川が流れており、呉の海へと続いている。川沿いには桜の木々が並べられ、淡いピンク色の花の海が眩しい。そのほとりに、間宮食堂が存在している。近づいてくる人に気付いたのか、掃除をしていた割烹着の女性が顔を上げ、「あら? もしかして、新しい提督さんですか?」と声をかけてきた。

 

「はい。海藤凪と言います。よろしく」

「こちらこそ。間宮と申します。艦娘だけでなく、提督さんの食事も間宮にお任せください」

「お……私も食べられるのかい?」

「ええ」

「それはありがたいな」

 

 向こうにいた時から間宮の噂は耳にしていた。あそこにも間宮食堂はあるが、作業員らは大抵町の食堂でとったり、出前で済ましたりしてしまう。凪もそうであり、ほとんどの時間を装備弄りや開発に費やし、食事は間宮食堂といった洒落た店ではなく、出前やコンビニの商品で済ませてしまっていた。

 ふと腕時計を見てみると、もういい時間になっている。間宮に別れを告げて交渉へと戻る事にする。その途中で長門が声をかけてきた。

 

「提督。一つよろしいだろうか?」

「どうぞ」

「初対面だから、と気をはっているのかもしれないが、無理に言葉遣いを変える必要はない。私達はあなたの部下。無理して話し続ける必要はない、と進言する。それを続けるのも疲れるだろう?」

「……そうかい? 初日くらいは、と思っていたが」

「私達にそういう気づかいは無用だ。あなたの楽な話し方をしてくれれば、私達もやりやすくなる」

「わかった。ありがとう長門。……それと、一つ謝っておくことがあるよ」

「なんだろうか。遠慮なく仰ってくれ」

 

 凪は立ち止まり、長門達へと振り返ると頭を下げる。それも帽子を取ってだ。

 

「……俺は人付き合いがあまり得意じゃなく、異性と多く話した事も全然ない。正直言って、多数の人相手にどう振る舞っていいのか、そういう経験があまりないからよくわかってないんだよね」

「そうか。でも、気にする事はない。ありのままのあなたでいてくれればいい。そして異性と思う必要もない。先程も言ったように私達はあなたの部下であり、あなたの兵器。気取る必要もなければ、そういう気遣いも無用だ」

「……そうかい? 兵器ならば、仲間の死に心が痛むことはないと思うけどね。君達は少なくとも、沈んでいった仲間達を憂いたはず。そしてゆっくりとその気持ちを整理しているんじゃないかな……」

 

 その言葉に、長門と神通は僅かに表情を変えた。無言になり、凪から視線をそらしてしまう。だが凪は彼女達を責めるつもりはない。二人を止めるように右手を振った。

 

「別にそれが悪いと言うつもりはないよ。艦娘としても、人と同じようにそういう悲しみの感情があるという事を、俺は知る事が出来た。……だから、これ以上何かを言うつもりはないし、慰める様な事もしない。さっきも言ったように、そういう事は苦手だし、何を言ったらいいのかわからない。そんな奴の言葉など、君達には不要だろうと考える」

 

 慣れない事をあえてやる事で、かえって相手を傷つけることがある。凪はそれを避けようとしている。そういう振る舞いをしているのだと、あえてはっきりと二人に言ったのだろう。

 長門が気取る必要もなければ、気遣う必要もない、という言葉にあえて乗る形で。

 それに二人は気づいている。だからこそ逆に驚くようにじっと凪を見つめていた。

 

「……なるほど。あなたは少し素直なところがあるらしい。わざわざそういう事を仰るとは。逆にそれがありがたい、と私は思う事にしよう。あなたの欠点を最初に知っておけば、あなたとのこれからの付き合い方を考える事が出来るからな」

「そう、ですね……。わかりました。今のように、何かありましたら気兼ねなく仰ってください」

「あ、はい……」

 

 一礼しながら言う二人に、逆に凪が押される形になった。再び歩きながら凪は困ったように頭を掻く。

 凪としては自分は慰め方がわかんないから、先代提督のやらかした件については、もう何も言うつもりはないよ。ごめんね。ゆっくり、気持ちを整理していって構わないからね。

 みたいなことを言おうとしていたつもりなのだが、そういう風にとられてしまった。

 どうしよう、何か間違ったのだろうか。と心の中で汗をかくのだが、二人はもう気にしてない風に見える。

 こういう時、東地なら何を言うんだろうか。

 遠くにいる友人を思い返すが、もう工廠は目の前まで来てしまっていた。だめだ、もう時間切れだ。凪は小さく溜息をついてしまった。

 

 工廠へと戻ってくると、モニターは既にゼロの数字を表示していた。

 いよいよ新しい艦娘の誕生する時。凪にとっては初めて自分が指示し、作りあげた艦娘と出会う時だ。

 先程の事はもう横に置いておくことにした。今はもう目の前の出来事に意識が向いている。

 憂いの感情はどこへやら。年甲斐もなくわくわくしてくる。一体誰が生まれてくるのだろうか。

 

「では、頼むよ」

 

 凪の言葉に、建造ドックの扉が音を立てて開いていく。その奥から、一人の少女の影がゆっくりと出てくる。

 さらりとした金髪のような髪は背中まで届き、黒い紐リボンが前髪に結ばれている。黒を基調としたセーラー服を着こなし、緑色の瞳は穏やかな色をたたえている。その見た目からしてどこかのお嬢様かと思えるような雰囲気を醸し出していた。

 

「こんにちは。白露型駆逐艦、夕立よ。よろしくね!」

 

 可愛らしく敬礼する彼女を、凪は少し驚いたように見下ろしていた。

 

「……まじかー、夕立かー」

 

 それは拒否からくる呟きではなく、純粋な驚きに満ちた呟きだった。目の前に彼女がいることが信じられない、という響きを感じさせている。

 

「よろしく、夕立。君が初めての建造から生まれた娘である事、とても嬉しく思うよ」

「初めて? 後ろに二人いるっぽいけど?」

「ああ、彼女達は先代呉提督らの下にいた娘達さ。わけあって俺が今日からここに着任した。海藤凪という。お互い新米同士、仲良くやっていこう」

「ふーん、そうなんだ。よろしくね、提督さん」

 

 その小さな手を握りしめながら、凪は思い返す。

 公開演習の時、大本営が用意した艦娘らを六人選び、演習を行った。そこには凪をここに任じた美空もいたという。

 凪が選んだ六人の中で、最初に選んだのが駆逐艦夕立だった。何にするにしても、最初に切り込む駆逐艦という存在は必要不可欠。多くの駆逐艦の中から凪は、それを夕立を採用した。

 よもや提督として初めて建造して生まれるのもまた夕立とは、何かの縁を感じずにはいられない。

 

「では夕立。神通の下についてこれから色々とやってもらいたい。訓練、出撃と行動を共にするように」

「わかったっぽい。よろしくね、神通さん」

「はい。一緒に頑張りましょうね、夕立ちゃん」

「……さて、ここからは遠慮なくいこうかな。四つ全部のドックを使用する。オール30でどうぞ」

 

 指示を受け、妖精達が敬礼をして一斉に動き出した。四つあるドック全ての扉が閉まり、モニターがまた様々な紋様を描いていく。さあ、こんどはどんな数字を表示するのか。凪達は固唾を飲んで見守った。

 やがて左から順にそれが表示され始める。

 

 00:20:00

 

 失敗

 

 01:00:00

 

 00:20:00

 

 一つ失敗したらしく、扉がすぐに開かれてぽいっとレーションが投げられてきた。やれやれと嘆息してそれを拾い上げると、赤のラベルが貼られている。

 

「確かこれは、火力を上げるやつだっけ?」

「はい、そうです……。レーションはあそこの倉庫にしまわれます。私が……」

 

 神通がレーションの缶を手に、倉庫へと向かっていった。

 さて、残っている三つのドックを見回して凪は次の指示を出す。

 

「バーナーどうぞ」

 

 夕立の時と違い、今度はバーナーの使用を許可した。今は艦娘の数が必要だ。

 これで資材が百五十消えたが、これもまた必要な投資。数字が全てゼロになり、左から順次に扉が開かれていった。

 最初に出てきたのは小さな少女。白に近しい髪には黒い帽子がちょこんと乗り、セーラー服に左肩には盾が装備されている。

 

「響だよ。その活躍ぶりから不死鳥の通り名もあるよ」

 

 次は黒い髪におさげを垂らした少女だ。ライトグリーンの制服を着こなし、ふぁ……と欠伸をしながらゆるゆるとドックから降りて近づいてくる。

 

「あたしは軽巡北上。まーよろしく」

 

 最後はほんわかした雰囲気を纏った少女だ。栗毛の長髪をポニーテールにして揺らし、こげ茶のセーラー服を着用している。他の艦娘らと違って、少し柔らかそうなほっぺたが特徴的だ。

 

「ごきげんよう。特型駆逐艦、綾波と申します」

 

 クール、ゆるゆる、穏やかと三者三様で違った印象を抱かせる。

 三人を見回して凪は夕立と同じ自己紹介をする。

 これで駆逐艦が三人、軽巡が二人となった。ふむ、と凪は考える。艦娘の運用としては一隊について六人が基本とされる。水雷戦隊としてはあともう一人駆逐艦が欲しいところだ。夕立と同じく神通に三人を任せると、「四つ使用でオール30! バーナーイン!」と指示を出す。

 

「提督、また建造するのか?」

「遠征隊を編成するにしてもまだ駆逐が欲しいし、それに北上といえば改装すると重雷装巡洋艦になってしまうだろ? 軽巡もあと一人欲しいところさ。……結果がどうあれ、これが今日最後かな。一つの遠征を出すにしてもあの五人でも十分だからね」

 

 長門がそっと問うてきたが、凪の言葉になるほど、と小さく頷いてドックを見守る。

 資材を回復させ、更に増やすには遠征が必要だ。資源地まで艦娘を派遣し、持ち帰る事で増やしていく。基本的にこれを行うのは水雷戦隊であり、そういう意味でも軽巡や駆逐の存在は鎮守府運営には必要不可欠といえよう。

 そして表示された数字はというと、

 

 01:00:00

 

 01:00:00

 

 00:20:00

 

 00:18:00

 

 となった。ハズレは今回はなかっただけ良かったが、まさか軽巡が二人も来ることになろうとは。バーナーも投入され、数字が減っていく中で凪は苦笑を浮かべながら頭を掻く。

 軽巡はあと一人いれば良かったんだけどな、とちょっとだけ妖精に不満を抱きつつも、来るなら来るで構わない、と歓迎の心となる。

 やがて開かれた扉から出てきたのは、

 

「クマー。よろしくだクマ」

「川内、参上。夜戦なら任せておいて!」

 

 すでにいる軽巡の長姉達だった。

 

「こりゃまた……」

 

 最初に出てきたのは軽巡球磨。球磨型のネームシップであり、北上にとっては姉に当たる。その茶髪に生える特徴的すぎるアホ毛に、その言葉遣いとなかなかにクセが強い。

 続いて出てきたのが軽巡川内。神通にとっての姉であり、神通と違ってはきはきした活発な性格を窺わせる。自己紹介通り、夜戦が好きそうな気配をしているのだが……これについては置いておくとしよう。

 自己紹介を終えてとりあえず妹達の方へと放ってやった。残る駆逐二人を出迎えなければならない、とあの二人の登場によって緩んだ心を正す。

 

「初春型四番艦、初霜です。皆さん、よろしくお願いします!」

「皐月だよっ。よろしくな!」

 

 とりあえず駆逐艦の数が揃ってきたのは喜ばしい事だ。

 長い黒髪の先端を結った初霜は礼儀正しそうな雰囲気を漂わせ、それに対して金髪のツインテールをしている皐月は活発そうだ。二人も快く迎え入れ、これで最初のメンツは揃えられたと言ってもいいだろう。

 凪は全員をまとめてグラウンドへと向かっていくことにした。

 

 

 



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提督業

 

「それじゃ振り分けていくよ」

 

 グラウンドに集まった凪は目の前にいる艦娘を二つの隊に振り分けることにした。

 

 第一水雷戦隊として、旗艦神通、以下北上、夕立、響、綾波。

 第二水雷戦隊として、旗艦球磨、以下川内、初霜、皐月。

 

 暫定的にこれらで組むことにした。

 長門は秘書艦として凪の近くで行動してもらう事にする。それ以外の理由としては、今は戦艦を動かす程の余裕はない。先程の建造は九回行った。それはつまり、資源が二百七十減っている。

 このくらいの量ならば、と思うだろうが、出撃を重ねていくと、結構これくらいの消費量は日常的になる。となれば、長門まで動かせば更に資源が消える。戦艦の、それも長門程のものとなれば一人で結構資源を消費してしまう。しばらくは長門には出撃はないものとするしかない。

 

「これからまた新しく艦娘が増えてくるだろうから、入れ替えとかあるかもしれない。これがこれから運用する仮の水雷戦隊とするよ。艦隊運用としてはこのメンバーでやるからお互い仲良くするように。そして神通、最初に決めたとおり彼女が君達に水雷の技術を指導してもらう事になっている。よろしくしてやるように」

「……皆さん、頑張りましょうね」

『よろしくお願いします!』

「あー、でも神通。ちょいと」

「はい?」

 

 少し声を落として神通を手招きすると、すすっと控えめに近づいてくる。

 そんな彼女に耳打ちするように、

 

「お手柔らかに頼むよ? ぶっ倒れるまでされては、遠征とか出来ないから。訓練の影響で出撃とか遠征失敗となったら、最初から鎮守府運営として破綻してしまうからさ。ほどほどに仕込んでやって」

「あ、はい……わかりました。ほどほどに、でも確実な成長が出来るように、しますね……」

 

 出撃するにしても、遠征するにしても体力というのは大事だ。それに響くような訓練をされれば、轟沈する危険性が高まる。それは控えたいところだった。それも鎮守府就任から数日で引き起こされれば困る。

 神通といえば、実際の艦ではかなり厳しい訓練を日常的にやっていたと聞く。その記憶も引き継いでいるならば、彼女はそれを実行するだろう。

 練度が高まっているならば、凪としては実行しても構わないとは思っている。基礎が出来ていき、そこから更に充実した力と経験を積ませるならば、問題ないだろう。

 だが最初から詰め込みすぎれば壊れてしまう。それは歓迎できない事だった。

 だから一応釘は刺しておくことにしたのだった。

 

「では皆さん、訓練に参りますよ」

 

 と、神通の先導で彼女達は海へと向かっていった。

 それを見送り、凪は長門と大淀に振り返る。

 

「さて、次は海域のチェックをしたいんだけど。先代がどこまで手を広げていたのか、見せてくれるかい?」

「わかった。大淀、資料の準備を」

「はい」

 

 

 執務室へと戻ってくると、先に戻って資料を集めていた大淀が机に海図を広げていた。凪が座ると、大淀はファイルを手に説明を始める。

 

「先代は南西諸島海域や南方まで遠征の手を広げていました。出撃においても同様です。とはいえ南方といえばご存じの通り、去年トラック泊地など新たに設立されたので、出撃においては主にそちらが担当していたようです」

「なるほど。資源収入については?」

「近海に弾薬が主に採れる場所がいくつか、あと燃料も合わせて採れる場所もあります。南西諸島にまで足を運べばその二つをメインに採れる場所があるようです。それらを主に遠征場所として選んでいたようですね」

 

 海図にポイントを指し示しながら説明していく。またどれくらい採れるのか、時間はどれくらいかかるのかの目安が記された表を手渡してくれた。

 ボーキサイトについては今はおいておく。空母運用はまだまだ先の事と予定しておく。

 今はとにかく燃料と弾薬だ。これがないと始まらない。

 

「弾薬、燃料はこれくらいか。……ん? こっちならボーキ以外全部か……でも少量だなぁ」

「燃料についてならこちらの製油所がありますね。そこまで足を運べばそれなりには採って帰ってこられます。ただ、この辺りは深海棲艦も確認されていまして……」

「撃破しながら帰ってくるってことになるわけだね」

 

 となればあの水雷戦隊を鍛えてから向かうしかない。

 そもそも遠征に出すにしても練度を上げていくしかないのだから、どの道同じこと。

 だがこれから何をするかの目途は立ったといえる。

 確実に資材を入手するための最低限の練度を高めたら、ひたすらに遠征を繰り返していく事にしよう。

 

「燃料はこの製油所、弾薬はこっちで回収。余裕が出来たらここまで足を運んで……。これらをひたすら繰り返し、資材回復に努めよう。ここなら、どうやらバケツも見つかるらしいし、儲けものか」

「資源の目安はいかほどに?」

「出撃や遠征で資材も減るだろうし、そうした増減を考えて……最初の五千までは戻すようにしようか。そこまで増える頃にはあの娘達もいい感じに成長しているはず。長門、君は退屈かもしれないけれど……」

「なに、気にするな。私もわかっているつもりさ。後輩達が育っていくのを眺めるだけでも楽しいものだ」

 

 ありがたい言葉だ。

 凪よりも長門の方が鎮守府の運営について経験がある。何せ先代の秘書艦としてやり方を見てきたのだ。問題があればすぐに指摘してくれるだろう。それからも海域の特徴について色々教えてもらい、これからの指針について詰めていく事となった。

 そうしている内に時間はどんどん過ぎていき、気づけば夕方になっていた。

 大淀が淹れてくれた紅茶を飲み終えると、「ん? あれ? もうこんな時間?」と今気づいたように顔を上げる。

 すると扉がノックされて神通が入室してきた。

 

「ご報告いたします。今日の訓練、滞りなく終了いたしました。こちら報告書になります……」

 

 敬礼して報告すると、脇に抱えていたファイルを大淀に手渡した。彼女からそれを受け取り、内容に目を通していく事にする。

 まずは陣形移動を行い、砲撃、雷撃と順次行ってきた結果だ。

 単縦陣、複縦陣と変形しつつ航行し続ける訓練。

 砲撃ではどれだけ命中率を上げていくかの訓練。

 雷撃では魚雷を運用し、命中率を上げていくかの訓練。

 まだ初日ではあるが、まずまずの結果を出しているようだ。

 練度を数値化したもの――レベルで言えば、およそ3~5あたりまで上げられたらしい。初日としては問題ない上昇だろう。

 

「他のみんなは?」

「入渠ドックへ。大きな負傷もなく、無事に終えられました……。休息を申付けたので、明日に響くことはないかと。明日も訓練ですか?」

「そうだね。朝は軽く再訓練させ、午後にでも近海に出撃。実戦経験をさせようかと考えている。どうだろうか?」

「近海ならば、問題ないかと思います……」

「わかった。お疲れ様、ゆっくり休んで」

「はい。失礼します……」

 

 神通を見送ると、もう一度報告書に目を落とす。

 神通から見ての印象や、命中率なども書かれている。最初こそ命中率は低かったようだが、回数を重ねていく事によって少しずつ上昇していっているようだ。それでも50%前後ではあるようだが。

 そうして報告書を読み進めながらティーカップを手にすると、空になっていることに気付かずに口をつける。あれ? とそこで気づいてソーサーに置くと、大淀が新しく淹れてくれた。

 その中で、

 

「提督。夕飯はどうするんだ?」

「夕飯? ……ああ、夕飯。俺は別に後でもいいけど、間宮食堂にいけばいいの? それともあそこ、出前も出来るのかい?」

「頼めばやってくれそうではあるが、基本的に私達があそこに行く形が多いな。なんだ? 食事にはあまり気が回らないのか?」

「んー、前の職場が整備や開発といった技術職だからな。夢中になって弄りまくってると、飯とか風呂に行くのを忘れがちでさ。……出前とか、コンビニ弁当とかカップ麺とか、簡単なもので済ませがちなんだよね」

「それはいかんな。よし、今から飯に行こうじゃないか、提督。食える時に食っておかねばな。それにしっかりとした食事をとる事もまた大事なことだ。と、秘書艦として進言する」

 

 そこまで言われては仕方がない。わかったわかった、とお手上げの状態になり、ファイルを閉じて立ち上がる。「大淀も一緒に行くか」と彼女も誘い、三人揃って間宮食堂に向かうのだった。

 そうして訪れた間宮食堂で頂いた料理は、凪にとって恐らく人生で一番美味い料理だったかもしれない。いや、大げさかもしれないが、それまでちゃんとした料理というものを日常的に食べてこなかったせいで、舌がとんでもなく美味いと感じ取ってしまった結果かもしれない。

 それだけ舌が、胃が喜んでいるのを実感していた。

 

「はぁーー、やばいな、これ。なんやねん。こんな美味いもんがあるんかい」

 

 と地が無意識に出てしまうのも無理ない事だった。

 

「……提督。関西圏出身か?」

「…………おう、方言出てしまったか」

「いや、別に咎めているわけではないのだが。方言も意識して出さないようにしているのか? それなら私達は気にしない、と昼に言ったはずだが」

「まぁこっちはアカデミー時代から出さないようにしたせいで、それが慣れてしまった感もあるからね。こっちに関しては、気にしないでくれていい。時々出てしまう、という程度さ」

「そうか」

 

 共に打ち合わせをしたという事もあって、長門と多少は打ち解けてきた感じがしていた。凛々しさと武人めいた風貌と雰囲気に偽りはなく、近くにいてくれるだけでも頼もしさを感じさせる。

 こういう人がいてくれるだけでも心強い。相方としては十分すぎる存在なのではないだろうか。

 それに補佐としての役割を十分に担ってくれた大淀もありがたい存在といえる。先日配属されたばかりだというのに、さっと資料やファイルを提示してくれるとは、いつ記録を調べたのだろうと訊いてみると。

 

「配属された初日に網羅しておきました。きっと、情報を求められるでしょうから、と」

 

 との事だった。なんという事務能力。

 それからも雑談を交えつつ間宮の料理に舌鼓を打ち、ここで解散と相成った。

 

 風呂を終えて自室へと戻り、ベッドに横になる。

 何とか初日を無事に終えられたことを喜ぼう。だが同時に、本当に自分が提督になっているのだな、と実感が湧いてくる。

 

(親父……)

 

 自分にとっての提督といえば父である海藤迅だった。

 艦娘が今よりもさらに少ない時代から提督を務め、深海棲艦と戦い続けていたという。資料によればあの頃はまだ長門もおらず、駆逐艦といえば睦月型、吹雪型、暁型、一部の白露型。軽巡は天龍型に球磨型、川内型。重巡は古鷹型に妙高型、戦艦は金剛型しかいなかったそうだ。

 そして空母もほとんどいない中で彼らは戦っていたという。

 時が流れて今では数も揃ってきてはいる、昔と比べれば十分すぎる程といえよう。

 父である迅は戦いによる戦果だけでなく、資材を入手できる場所への遠征ルートの構築にも力を入れていた。大本営へと与えた貢献度は少ないとは言えないものだったろう。

 だが大本営はそんな父を切り捨てた。

 たった一度の失敗を追及し、責任を追及し続けることで、退陣に追いやったのだ。

 後から知ったが、同期からはその優秀さから妬みの対象になっていたようだ。自分達がのし上がるためにわざわざ失敗に対してこれ幸いと棘を丸出しにし、その空いた席へと座り込んだらしい。

 深海棲艦という脅威があるにも関わらず、人同士の醜い争いの現場に立たされる。そんな父の姿を見た凪は、提督というエリートの闇を感じ取った。それでも、代々続く海軍家系であるが故に、凪は自分だけ進まないというのもなんだったので、アカデミーに入るために上京。

 そして父の名を穢さないために一応成績はいいものを取り続け、しかし提督にはならないように程ほどに手を抜いた。そうやって四位という成績で卒業し、自ら後方に下がったのだ。

 この行動は父や先祖には関係ない。自ら選んだ道だ。指を指すならば自分だけにしておけ、という振る舞いだった。

 こうして大本営が行った黒い行動の矢面に立たないようにしたのだが、気づけば今、その道を歩んでいる。しかも気のせいでなければ、恐らくはその黒い気配があるかもしれない。

 

(やれやれ……ほんとにどうするかな。めんどいことは関わりたないんやが)

 

 提督業も程ほどに手を抜きたいが、そうもいかないだろう。そんな事をすれば艦娘らを失いかねない。自分一人の犠牲ならまだいいが、他の誰かまで巻き込むことはあまり好きではなかった。

 ならば大規模作戦にはあまり参加しないでおくか?

 それはそれで上がうるさくなりそうだ。何故参加しない? とぐちぐち言われるのもめんどくさそうだ。

 考え始めると悪い方向に思考が向かいそうだ。これ以上考えれば明日に響くかもしれない。そう考えた凪は、一旦打ち切って寝ることにしたのだった。

 

 



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初戦

 

「うちかたー、はじめー!」

 

 その訓練は実戦に近しいものだった。北上の指示に従って、夕立らも共に砲撃する。その弾丸は弧を描いて球磨達へと接近していった。

 模擬弾を用いた戦闘訓練だ。

 神通は埠頭でその様子を見つめている。

 その為第一水雷戦隊は、一時的に北上が旗艦を務めている。

 

「舐めるなクマー!」

 

 旋回して着弾点から逃れ、単縦陣を維持したまま球磨と川内もお返しするように一斉射撃する。数こそ同じだが、第二水雷戦隊は軽巡が二人いる。駆逐と軽巡を比べると、その能力だけでなく、主砲の距離も軽巡の方が長い。

 それはつまり、第二の方がより遠い方から主砲の弾丸が多く飛んでくるという事だ。

 艦娘らの艤装として、実際の艦と違ってその射程というものはだいぶ短くなっている。軍艦は人と比べてかなり巨大だ。元は軍艦だったとはいえ、今は人と何ら変わりない。その艤装も軍艦時代の物を基にしているとはいえ、それをそのまま持ってきているわけではない。あくまでも艦娘の艤装として構築しているだけにすぎない。

 目安として駆逐艦の主砲や、戦艦らの副砲の射程は大体短距離、軽巡や重巡の主砲、そして魚雷は中距離、戦艦の主砲や艦載機の有効距離は遠距離としている。

 艦載機ともなれば飛行するのでそれ以上になるのは当然だが、戦艦の主砲はそれ以上伸びないようだ。

 

「魚雷はっしゃー」

 

 ぴっと発射する方向を指さし、魚雷を撃つ。航跡を残して向かっていく魚雷の数、十四本。それだけの魚雷が一斉に発射される様は中々に壮観だ。

 球磨達の進行方向を目指して進んでいく魚雷らを見送りながら、次の手を考える。するとまた球磨と川内が主砲を撃ってきた。やり過ごそうとしたが、後ろにいた綾波を掠めていった。

 

「んー、もう少し近づいていった方がいいっぽい?」

「接近戦? まーそうねー、あんた達も撃つには近づかないといけないしねー」

 

 相談をしている間に、魚雷が球磨達へと接触しようとしていた。だが航跡に気付いていたらしく、直撃コースを外れてしまっている。その方向転換の隙に接近。主砲を構えて一斉射撃。

 先程よりも近づいての発射だ。狙いはより正確になり、皐月と初霜に着弾したようだ。

 

「む、落として!」

 

 北上の視界に航跡が映る。進行方向に向かって来ているため、旋回しながら速度を落とすように指示した。すると、自然と両者は同航戦になっていく。それも結構近い距離での同航戦だ。

 球磨達が放った魚雷も命中せず、こうなったら次発装填するまでお互い撃ち合いになる。

 命中弾も多く、模擬弾といってもそれなりに痛い。だがどちらも怯まず、ただひたすら撃ち続けていく。やがて神通が「それまでです」と止めるまで、それは続いたのだった。

 

 その訓練を見守っていたのは神通だけではない。凪と長門、大淀もまたその様子を見つめていた。今は神通が先程の戦いについての反省会を行っている。

 

「長門的にはあれはどうなんだい?」

「ああいう戦術は実戦では危険だな。訓練の模擬弾だから最後のあれが出来たのであって、実戦は実弾だ。ああいう芸当はそうそう出来るものじゃない」

「だよな。もう少し離れての駆逐を交えた砲撃なら?」

「それならば問題はない。一撃離脱で戦うなら、被害は抑えられる。そもそも駆逐はその速さを生かしての戦いをするもの。だがそれはまだ早いか」

 

 かなり近づいてのインファイトは確かに当てやすく、弾速がいい感じならば一気に抜くことは可能だろう。しかしそれは敵から見ても同じ事。実力が足りないうちは避けるべき手段。

 また駆逐艦の戦闘といえば砲撃よりも魚雷にある。今こそ進行方向を狙っての魚雷だが、その速さを生かして接近して魚雷を放ち、そのまま離脱する事こそ駆逐艦といえる。

 だが今の彼女達にそれを望むのは酷というものか。

 反省会が終わったのか、解散していく。と思ったら凪に気付いて駆け足で近づいてきて敬礼してきた。凪も返礼すると、入居ドックへと向かっていく。

 神通も敬礼してきたので、彼女へと「おつかれ」と声をかける。

 

「どうだい? 実戦に出せそうかい?」

「はい。最低限の事は出来るようにはなっているかと……。第一は私がいるので何とかしますけど、第二については、少し心配ではありますね……」

「不安ならば私も共に出るが?」

「でも大抵の新米提督はみんなこんな感じだろう。俺だけこういう楽な手段をとるものじゃない。……と、考えるところだが、予防線は張っておくか。見守る役で長門、ついていってくれるかい?」

「撃たず、判断は旗艦の球磨に任せる形でいいのか?」

「ん。最初だけだ。その次からは、第二水雷戦隊だけで経験させていくよ」

 

 最初の実戦こそ大事だ。初戦でつまずくだけならば、ただの失敗だけで済ませられる。もし万が一大きな被害をこうむり、轟沈でもしようものならば問題になる。それもまた経験の一つだろうが、最初からそうなるのもいただけない。

 何事もなければただ航海するだけ。

 だが、何もしないままそういう事件が発生し、長門を付かせればと後悔するような事にはしたくない。

 

「わかった。緊急時には手を出させてもらうが、それでいいか?」

「いいよ」

「では、私も準備させてもらうとしようか」

「失礼いたします」

 

 長門が歩き出し、神通も一礼して後をついていく。

 それを見送りながら、凪は何事もなければいいのだが、と願わずにはいられなかった。

 

 

 入渠と食事を終え、艦娘達は出撃の時を迎える。

 目的としては瀬戸内海の警備だ。時折深海棲艦が見かけられる事がある。

 瀬戸内海だけでなく太平洋に出る境目でも、九州や四国からだったり、あるいは大本営からだったりの輸送船が通るのだ。その船を時々襲いに来る。

 被害を抑えるためにも警備は大事。他の鎮守府でも警備隊が派遣されるのだが、呉鎮守府もまたこれからその警備に参加していかなければならない。

 

「それでは皆さん、気をつけて参りましょう」

 

 第一水雷戦隊、旗艦神通。

 彼女を先頭として単縦陣で北上、夕立、響、綾波が出撃していく。

 出撃において彼女達は普段と違い、艤装を纏っているのが特徴だ。日常で過ごす分には完全に人間と変わらないが、出撃、そして先程の演習においては人の身には過ぎた兵器をその身に纏う。

 しかも今回は実弾。撃てば敵に大きなダメージを与える代物だ。その重みを感じながら、彼女達は戦場へと赴いていく。

 

「それじゃ、がんばるクマー」

 

 続けて第二水雷戦隊、旗艦球磨。

 以下川内、初霜、皐月、長門と単縦陣で出撃した。

 両者は湾内へと出、二手に分かれながら航海していく。島々の間を抜けていき、四国へと南下。やがて瀬戸内海へと出ていくと、そこで北東と南西に分かれることになった。

 今回は近海の警備に留められるため、ここまで足を延ばすだけにする。瀬戸内海となれば完全に国の中に入られている事になるが、だがここで確認される深海棲艦はどういうわけか弱い。

 はぐれとでも言うべきか。

 あるいは生まれ方が不明だが、もしかすると残骸から生まれているのか。あまりはっきりとした力を持たないものばかりなのだ。

 そのため練習相手としては十分な敵である。

 だからといって完全に油断するわけにもいかない。一歩間違えれば轟沈する。それが実戦というものだ。

 

 北上していく第一水雷戦隊は比較的気楽に航行していた。神通という経験豊かな艦娘を旗艦に抱き、追従する北上、綾波という緩やかな性格。響もクールであり、夕立もどこか楽しげだ。

 初めての実戦ではあるが、緊張というものをあまり感じていないらしい。神通はその点については安心感があった。がちがちになっていては訓練の成果を発揮しづらい。そうなれば無理な行動を起こすか、負傷が増えてしまうだろう。

 その調子を戦闘でも維持してくれれば問題はなさそうだ。

 

「……電探に感あり。敵ですね」

 

 神通が電探に手を添えながら告げる。その言葉に目を輝かせたのは夕立だった。

 

「敵っぽい? やっちゃうっぽい?」

 

 主砲を手に目視するべく辺りを見回し始める。その反応に神通は肩越しに彼女を見た。航海している間も楽しげにしていたが、今は更にテンションが上がっている。

 

(訓練の際も思いましたが、どうやら好戦的ですね)

 

 実戦訓練においてもより接近しようと提案したのは夕立だった。どうやらこの夕立は他の夕立よりも戦闘向きな思考をしているらしい。

 艦娘は基本的にあまり性格は変わらない。どの鎮守府で建造されようと、基本的なベースというものは大本営が一人目の艦娘を構築した際に決まる。その構築されたデータを各鎮守府に設計図として送られるために起こる現象だ。

 だが各鎮守府で誕生した後に、それぞれの場所でどのように過ごしたかで若干差異は生まれてくる。それもまた人間と同じだ。ごく稀に生まれた時から若干変化がある事もあるのだが、この夕立はそれに当たるのかもしれない。

 あるいは訓練の際に楽しみを見出したのだろうか。そうなると神通の訓練の成果という事になるのだが……と、神通は少し困り眉になる。

 

「夕立ちゃん、はやる気持ちを抑えてね? 先走らないように」

「はーい」

 

 神通が注意しながら電探の反応と、目視で敵を捜索。やがて遠くにその影が接近してきているのを確認した。

 それは異形の存在といえるものだった。人の上あごのようなヘルメットをかぶった人が、艤装のようなものと人の下あごが一体化しているものに食われているかのような姿で航行している。

 艤装は多くの砲門が見え、せわしなく辺りを見回すように砲身が動いている。

 軽巡ホ級と呼ばれる存在だ。それに引き連れられるように、背後には三つの影が存在している。

 魚の様な出で立ちをしている何かだ。

 あるいは魚雷の様なもの、とも言うべきだろうか。だが生物の特徴である目や口が存在している。これは駆逐イ級と呼ばれる存在。深海棲艦の中で最初に確認された種類とされている。

 深海棲艦の名称はいろは歌に従って呼称されるようになった。駆逐級からイで始まり、軽巡はホと順次につけられた。ということはロハニがいるということだが、今ここでは見かけられないようだ。

 

「軽巡ホ級1、駆逐イ級3ですね。では皆さん、砲雷撃戦用意!」

 

 それぞれ主砲を手に射程に収めるように接近していく。向こうも神通達を視認したのか、ホ級の主砲が旋回して狙いを定めてきている。

 神通は一度夕立に視線を向けたが、「砲門がこちらを向いています。旋回、加速。接近します。遅れないように」と指示を出して右へと旋回。北上達もそれに続いていくと、ホ級が発砲した。

 それは先程まで神通らがいた所へと着弾する。あのまま進行していれば、響か綾波が着弾していたかもしれない。

 そして気づけばT字有利の形態になっている。

 自分達が進行している方向に対して、左か右で相手が縦に進行している状態だ。この状態の場合、自分達は砲門も魚雷も一斉に撃てる状態であり、自然と攻撃能力が高まる。

 それに対して敵からすれば前に砲門を向ける事になる。その場合、前にいる味方に当ててしまいかねず、あるいは多くの砲門が前に向けられない状態にある。また魚雷もあまり前には撃てない。体勢を切り替えなければならないのだ。そのため攻撃力が下がってしまう。

 

「雷撃用意。撃ちます!」

 

 指を二本立てて発射方向を指示し、一斉に魚雷を発射。ホ級達は神通達を追って真っ直ぐに突っ込んでくる。それに対して速度を一度落とし、回り込むようにしながら神通は動いていく。

 左腕を構えると、腕にある砲がホ級らを狙う。北上達もそれに従って左に体を向けて狙いを定めていった。

 

「撃ち方、始めてください!」

 

 砲撃音が響き渡る。放たれた弾丸は弧を描いてホ級らに迫り、数発は命中した。イ級の一体は撃沈したようだが、それ以外は生きている。

 

(初撃は外れ、ですか。……でも、夾叉はしているようですね)

 

 その命中弾は神通と夕立のようだ、と神通は観測した。

 夾叉は敵を挟み込むように水面に着弾した状態の事を言う。砲撃はある程度ブレがある。そのブレによって目標から少しずれた所へと着弾してしまう事はよくある事だ。今の砲撃を元に、誤差修正をして砲撃を何度か繰り返せば、どこかで命中する事が大いに期待できる状態。それが夾叉だ。

 そして先程放った魚雷が残りのイ級に命中。言葉にならぬ悲鳴を上げて二体とも撃沈してしまった。

 その出来事にホ級が頭を抱えて呻き声を上げている。ヘルメットのようなもので目元が隠れ、長い黒髪がかきむしられている様はなかなかにホラーだ。

 何としてでも一人は連れていく、とばかりに砲門が旋回し、狙いを定めてくる。その先には響がいた。神通がそれに気づいて声を上げるより早く、夕立が後ろに手を伸ばして響の手を取る。

 

「綾波ちゃんは速度落として!」

 

 夕立の叫びに反射的に綾波は返事をして速度を落とす。同時に響の体を引っ張ると、ホ級から放たれた弾丸が先程まで響がいた所を通過していく。その位置は響か綾波、どちらかに確実に当たった軌跡だった。

 外した? と感じ取ったホ級は悔しそうな叫び声を上げている。

 綾波が速度を戻して後ろに付くと、「……感謝する」と響が夕立に礼を述べた。

 

「……では、引導を渡しますよ」

 

 神通の言葉に、全員が一斉に砲撃を行った。

 今度は全弾命中。文字通り、引導を渡されてしまうホ級だった。

 初戦は完全勝利。その事に夕立達が喜びに沸く。

 

「やったっぽい!」

「ハラショー」

「やーりましたー」

 

 と喜びの声も雰囲気が違う。北上はというと、うんうんと頷くだけ。そんな彼女達の中で神通はじっと夕立を見つめていた。

 神通が響に声をかけるより早く、夕立はホ級の狙いに感づいて行動した。

 

(ただ好戦的、というだけではないかもしれませんね。勘も鋭い? あるいは別の要因で気づいたのでしょうか。……これも、あのソロモンでの活躍をした夕立という艦娘の潜在的な力なのでしょうか……)

 

 艦としての夕立といえば思い浮かぶのはソロモンでの最後の活躍だろう。その記憶があるならば、獅子奮迅の戦いをしてみせた影響で好戦的になるのも無理ない事だろう。

 先代の呉鎮守府では夕立はいなかったので、この神通にとっては初めての夕立だ。上手く育てる事が出来たならば。

 

(良い水雷の力を発揮してくれることでしょう……。気を付けて育てなくてはなりませんね。……不死鳥も、黒豹も)

 

 夕立だけではなく、響と綾波にも目を向けながら、神通はそう思うのだった。

 

 

 



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任務

 

「おかえり」

 

 結果的に、どちらも初戦は被害はあまりなかった。

 無事に帰還してきた彼女達を迎え、凪は大いに安心する。入渠ドックへと向かわせて回復を促し、それから一時間後、長門と神通が執務室へと報告に来る。

 

「――以上。第一水雷戦隊の報告です」

 

 軽巡ホ級と駆逐イ級3の撃沈までの流れを報告し終えると、長門が前に出て報告を始める。

 

「軽巡ヘ級と駆逐ロ級2と会敵。これを撃滅した。神通の訓練の成果はまずまずと言っていい。砲撃、雷撃、どちらもまだ命中率は安定していないが、私が手を出す程の状況にはならなかったな」

 

 球磨の少しゆるい指示に従い、距離を取りながら着実に砲撃を仕掛けていく、という堅実な戦い方をしたらしい。一風変わった口調をしているのに気が向くが、しかし流石はネームシップというだけあって、やり方はきちんとしているようだ。

 付き従うのが同じくネームシップな川内、礼儀正しい初霜と安心出来るメンツ。皐月も元気っぷりが目につくが、きちんと指示には忠実だ。安定感があるチームだと長門は見た。

 

「わかった。ご苦労さま。長門は次からは第二水雷戦隊にはついていかなくていい。秘書艦として、任務に就いてもらいたい」

「承知した」

「では、後できちんとした報告書を作成し、提出するように。球磨にもその旨伝えておいてくれ。作り方は神通が教えてもらってもいいかい?」

「わかりました。では、失礼いたします」

 

 敬礼して退室する神通を見送ると、凪は机の上に並べられている書類に目を落とした。

 

「で? これでデイリー任務とやらの一つが終わるのかい?」

「はい。こちらにどこに出撃したのか、その時の編成はどのようなものであったのか、その結果は。これらを記入し、判を押してください」

 

 先程まで大淀から任務についての説明を受けていた。

 各鎮守府には大本営からの任務が発せられる。これらを成功させる事で、それぞれ報酬が支払われる事になるのだが、一回限りのものだけでなく、毎日発せられるデイリー任務と呼ばれるものがある。

 それだけでなく週間のウィークリー、月間のマンスリーもあるらしい。

 これらを成功させて報告するのだが、報酬は毎日受け取れるわけではない。デイリー任務を消化したからといって毎日毎日資源などを届けるのも運送会社が大変だ。それに国内ならばまだしも、トラック泊地などの国外となれば海を移動していくことになる。

 その為、数日おき、あるいは一週間に一度の間隔で報酬が届けられる事となった。デイリー任務の報酬ならば、その間隔内で消化した分を纏めて支払われるようになっている。

 

「……開発や建造もあるのか。開発はまだしも、建造もデイリーか……まじかよ」

 

 出撃任務の二つについて書き終えると、別のデイリー任務をチェックする。

 その中で見つけ出したのがこれなのだが、これをやるとなると昨日立てた予定と違ってくる。

 

「でも消化すると資材が少し返ってくるのか」

「これ以上の消費をすれば赤字ですけども」

「オール30なら黒字だね。でも次は重巡を迎え入れようとしているから、どうあがいても燃料と鋼材は確かに赤字だね……」

 

 しかし燃料についてはこれから増やしていく算段がついた。初戦は勝利し、この勢いに乗せて遠征をこなしていけば、少しずつ増やしていけるだろう。それに任務をこなしていけば、多少ではあるが資源は戻ってくる。

 練度を上げつつ資材も増やす。このサイクルが成功すれば少しずつ余裕が出てくるはずだ。

 

「よし、工廠に向かおう」

「やるのか? 本当に?」

「なぁに、重巡が出なくても、軽巡、駆逐が出てくれれば第二水雷戦隊のメンバーが増えるだけさ。大丈夫だ、問題ない」

「……何となく、こういう状況というものは、悪い結果が出るものと私は思うのだが」

 

 長門のぽつりとした言葉は、凪の足を止めるには十分なものだった。確かに、こういう気分でやる博打は大抵外れるのが相場が決まっている。

 いけるいける! という心境は人を調子に乗らせやすい。そのまま突き進めば、突然現れる崖に真っ逆さま。晴れて奈落の海へとご招待だ。

 

「……一発勝負さ。デイリー任務の消化を行うだけ。ただ、それだけの清らかな心で、俺はやってみせる。失敗したら、大いに笑ってくれていい」

 

 再び歩き出した足は工廠という賭博場に辿り着く。

 

「燃料、弾薬、鋼材、ボーキの順に、250、30、200、30!」

 

 賽は投げられた。

 妖精達が一斉に動き出し、ドックへと資材を放り込んでいく。やがて扉は閉まり、モニターに紋様が浮かびだす。それを凪と長門は見つめていた。それだけでなく、何故か夕立まで混ざっている。

 

「……なにしてんの?」

「ちょっとおもしろそうな気配を感じ取ったっぽい」

「あ、そう……。入渠しているんじゃなかったっけ?」

「軽くシャワー浴びただけだよ。そんなに傷はついてなかったし。それで、どうして建造してるの?」

 

 なぜこうなっているのかを説明すると、口元に指を当てながら「ふーん。じゃあ夕立が笑う役、やるね」と楽しげに言った。

 

「いやいや、そんな外れを一発で引く程、俺は運は悪くないって」

「あたし、知ってるよ。それ、フラグって言うんだよね?」

「提督、発言をするたびに何かが積みあがっているのを私は感じているのだが」

「……いや、そんな――」

 

 やがて、審判は下される。

 モニターには、失敗の文字が表示され、レーションが吐き出された。

 ころころと転がってくるそれを三人は眺め、震える手で凪はそれを掴み取る。そして――

 

「――なんでやねんッ!?」

「ぷーーーっくすくすくす! ほんとにフラグ回収したっぽーい!」

 

 赤、青、オレンジ、黄色のラベルが貼られているそれを勢いよく床へと投げつける凪を、夕立は指さしながら大笑いし出す。一度床に落ちて舞い上がったそれを長門はキャッチし、ラベルを確認してほう、と目を少し開いた。

 

「おい妖精ッ! ご丁寧にボケを回収してどうすんねん!? そういう空気の読み方はいらんわい!」

「提督」

「なに!?」

「喜べ。外れは外れだが、素材的には当たりのようだぞ」

 

 と、四色のラベルを示した。これが意味する事は、火力・雷装・対空・装甲、全ての能力が上昇するということだ。これは素材的には非常に美味しい。味的な意味でも。

 だが、凪としてはそう言われても、と複雑な心境だ。

 

「いや、うーん、あー、うん。コメントしづらい」

「だろうな。しかし、急速に落ち着くネタにはなったようで何より」

 

 レーションを手渡しながら苦笑を浮かべてくる。それを受け取ったかと思うと、ひとしきり笑い終えた夕立へとパスした。突然渡されたそれに夕立は首を傾げている。

 

「いいの?」

「ご丁寧に笑ってくれた礼だよ。笑いすぎな気もするけど、ネタに乗ってくれたし、良しとする。初出撃おつかれ、という件も兼ねて、食っていいよ」

「ふふ、ありがとう!」

 

 花が咲くような笑顔とはこの事か。缶切りを持ってきてせかせかと開け、食べ始める夕立を眺めながら、凪は妹が出来たらこんな感じなのだろうか、と何となく思う。

 レーションとはいえ、味はしっかりしているらしい。美味しいものを食べながら力が付く。艦娘にとっては一石二鳥の話のようだ。

 凪としても夕立のこんないい笑顔を見れたという事で、レーションという結果も悪くなかったかな、と思い始めた。

 

「で、あの建造のやつって、失敗でも成功扱いになるのかい?」

「うむ。建造をした、という事実で判定される。開発も失敗しても大丈夫だ」

「あー、そう」

「だからといって、ほいほい資材を投入しすぎて、首が回らなくなるのも困るぞ、提督。そこまでいくと、ギャンブルに失敗した人間のようなものだからな」

「わかってるって。今日はこれまでにするって言い切ったからね。やらないよ。じゃ戻りますか。書類書かないと。夕立も、ゆっくり食べていていいからね。おつかれ」

 

 と肩に手を置いて労いの言葉を改めて掛けて凪は執務室へと戻っていった。

 その背中を長門は見つめながら思う。

 この二日、凪の近くで見てきて、何となくではあるが彼の人となりはわかってきた。

 悪い人間ではない。少なくとも今は信用していい人物だろうとは思える。だがそれは先代提督もそうだった。最初こそ普通の人間だったが、上から圧力と状況の変化によって彼は変わった。

 凪もそうならないとは限らない。

 長門は警戒しているのだ。それだけ先代の引き起こした事件というものは、長門にとって大きな爪痕として残っている。

 表面的には凪に付き従い、支えていても、心のどこかでは本当に信じ切っていいものかと疑っている。さっきの出来事は関西人特有のネタとやらで済ましてしまったが、あれがただの建造云々の話でなかったら?

 それは正しく意見具申を無視した上司という構図に近しい。

 そうなれば、また繰り返してしまう可能性がある。海に沈んだかつての仲間達の犠牲を以って生き残ってしまった自分。それがまた引き起こされれば、自分はどうなってしまうだろうか?

 それは、艦であった頃と何も変わらない。

 長門という艦は、姉妹を失い、かつての仲間を失いながら生き残り、大戦を終えた艦だ。その最期は、敵国に引き渡され、標的艦となるもの。

 艦娘となってからも、自分はまた仲間を失いながら生き残るというのか。そんな事はごめんだった。そんな事になるくらいならば、自分も共に沈んだ方がましだ、と思えるほどに。

 あの海藤凪という男は、果たしてどうなっていくのだろうか。

 正しく艦娘達を導いていく男なのか。

 それとも、犠牲を良しとしながら突き進む男なのか。

 見届けなければならない。秘書艦として支えながら、長門は凪という人間を推し量るのだ。ぐっと知らず拳を握っていると、その手をそっと包み込む小さな手があった。

 

「……ん?」

「どうかしたの? 長門さん。怖い顔、してるっぽいよ」

「……ああ、そうか?」

 

 そっと左手で顔を撫でながら苦笑を浮かべる。そんな長門をじっと夕立は見上げ、「提督さんのこと?」と首を傾げる。

 

「提督さん、何かしたの?」

「……いいや、何もしてないさ」

 

 とそっと膝立して夕立と同じ目線になる。その柔らかく細い金髪を安心させるように撫でていく。

 

「でも、力入ってたよ? なにか、怒っているような……」

「ふふ、そうか? 別に怒るような事は何もなかったさ。そうだな、しかたないなぁ、という気持ちさ。まったく、あそこまで綺麗にハズレを引くなど、そうそう起こるようなものじゃあないだろう?」

「うん、そうだね……」

 

 それでも夕立はどこか納得いかないような表情をしている。人の感情に敏感なのだろうか。これは夕立の前で下手な振る舞いをしたら気を遣わせてしまいそうだな、と長門は思った。これから気をつける事にしよう。

 

「さ、食べ終わったのならそこに捨ててくるといい。それに戻らなくてもいいのか? 神通が探しているかもしれないぞ」

「うん、そうするね。では夕立、失礼します」

 

 缶を捨てて敬礼すると、とたとたと工廠を後にする。と思ったら、「あれ? 神通さん?」と声を上げる。すると扉の脇から静かに神通が出てくるではないか。

 ちらり、と長門へと目を向けると、目礼して夕立を連れて去っていく。

 もしかすると神通にも気づかれていたのだろうか。何も言わないが、彼女ならばあり得る事だった。同じ先代の生き残り組として似たような思いをしているだろうし、それに教官をしているだけあって人の感情の動きや振る舞いに敏感かもしれないのだ。

 うーむ、と腕を組みながら頬を掻く。これからは本当に気をつける事にしよう。下手に突っ込まれて艦隊に不和を起こそうものなら、先代以上にひどいことになりそうだ。

 ぱん! と両手で頬を叩いて活を入れ、長門も工廠を後にするのだった。

 

 



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茶会

 

「……なんでやねん」

 

 不調とはこの事だろうか。

 あれから一週間が経過していた。遠征も着実に成果を上げ始めていた呉鎮守府。ひたすら訓練、出撃、遠征を繰り返し、もちろん休息を挟んでの日々はあっという間に過ぎていった。

 デイリー任務とウィークリー任務の消化も行う事で、消費した資材もそれなりに戻ってくるため、凪はデイリー任務として建造を毎日一回は行っていた。

 行っていたのだが、どういうことだろうか。

 

 その全てが、レーションになっていた。

 

「ここまで来ると、何も言葉が出ないな提督」

「これは泣いていいっぽい」

「ハラショー。おお、ハラショー……と、私はこのすごい結果に拍手を送ろう」

 

 長門、夕立と首を振る中で、響はクールに小さな手で拍手している。「お、お茶にいたしましょうか……?」と綾波が恐る恐る手を挙げるが、凪は呆然としたままだ。

 それだけ、この建造結果に心がやられているらしい。

 神通も困ったようにしているが、「一応、持って来ましょうか。綾波ちゃん、手伝ってください」と二人揃って工廠を出る。

 今ここにいたのは第一水雷戦隊と長門だけだ。第二水雷戦隊は現在遠征に出かけている最中だった。

 

「なーんでかなー……俺はそろそろ新しいメンツも欲しいと思ってるのに、なーんでこうも妖精達は俺の願いを叶えてくれないのかなー……」

「妖精は気まぐれだからな。それに、レーションも悪くはないだろう? これを食べれば能力が上がる」

「うん、そうだね。君達にとっては悪くはないよね。でもねー、それは艦隊が充実してからやることだと俺的には思ってるわけだ。今は、とにかく、数を増やしたい……!」

 

 出撃海域を増やすにしても、第三艦隊を編成するにしても、艦娘の数が増えなければ意味がない。艦種も充実させねば、深海棲艦に対抗する手段も増えないのだ。それではずっと近海警備を続けるだけになってしまう。

 それはそれでいいのかもしれないが、上からグチグチ言われるのがめんどくさい。それなりの結果を示さねば、何も言われることはないだろう。そういういい塩梅の立ち位置に居たいのだ。

 

「お茶が入りました。提督、今はとりあえず休みましょう」

「わーい、お菓子もあるっぽい。ほら、提督さん。これあげるっぽい」

 

 そう言って煎餅を凪の口に押し込んできた。ばり、ぼり……といい音を立てて噛み砕かれ、緑茶を口に含むと、大きく息をつく。そして転がってきていたレーションを手にし、

 

「ほら、食べな。響と綾波も、倉庫にあるレーション、食っていいよ」

「いいのかい?」

「ん。能力の底上げも大事っちゃー大事だからね。どれか一つ、食べちゃいな」

「はーい。それではこちら、いただきますね」

 

 倉庫にあるレーションを一つずつ持ってきてちょっとしたお茶の時間となる。工廠の中にある机と椅子を囲むことになった。だが話題になるのはやっぱりこれだった。

 

「それにしても司令官。ここまで外れるのは本当にすごい」

「掘り返すか、響。案外容赦ないね」

「それはすまない。でも、私は本気でそう思っている」

「確かに。最初こそ1回は失敗したが、それでも成功が続いていたのだ。それがどうしてここまで……」

「ビギナーズラックっぽい?」

「運の偏りでしょうか」

「み、皆さん……提督が、言葉に出来ない表情になりつつあるので、そこまでにした方が……」

 

 響から始まった言葉が次々と凪の心に突き刺さり、ぷるぷると震えていた彼は静かになっていく。しまいには「……はぁ、不幸や」とぼそりと呟いた。

 

(……いかん。あの姉妹を思い出した)

 

 と長門が湯呑を手にしながら瞑目する。しかしとどめになりそうなので、そればかりは湯呑のお茶と共に飲み込むことにする。

 神通がちらちらと凪と響達を見回し、何とかしなければと考えた結果、思い浮かんだのはこうだった。

 

「そ、そういえば三人とも。課題はどうなっていますか?」

「えっ? うん、問題ないよ。命中率は少しずつ上がってるっぽい」

「私は避ける方はいいかな。攻めるより、身を守る方が向いているようだ」

「綾波はどちらも、でしょうか」

 

 話題の切り替えとして、三人へと話を振る事にしたらしい。課題とは自主的な訓練の話らしい。水雷戦隊としての訓練ではなく、個人的に能力をどう伸ばすかをそれぞれ考えて行動させる、というものだった。

 自分達に向いているのはどういう動きなのか。それを自分で見出し、同じチームでそれぞれを補強しあう訓練をしてみろ。それが先日神通が出した課題だった。

 夕立は攻撃の命中率。

 響は回避運動。

 綾波は攻守両立。

 そしてここにいない北上はというと、雷撃戦だった。どうやら大淀を連れていって雷撃訓練を行っているらしい。夕立らを連れていかなかったのは、何でも「駆逐艦より、同じ軽巡で動いた方が、あたし的には気が楽かなー」だそうだ。なんでもどの鎮守府で生まれようが、北上は駆逐艦とはあまり馬が合わないらしい。実戦では共に行動するが、プライベートでは避けるとのこと。

 そういう性分で生まれてしまったならば仕方がない。仕事ではなく、プライベートならばぐちぐち言う事もないだろう、と好きにさせることにした。

 

「夕立は戦闘が好きかい?」

「うん! なんていうか、こう、あたしの中から湧き上がる力をぶつけるのがいいっぽい。強くなっていく自分を感じるし、成果を上げれば着実に成長しているんだってわかる。何より、この強くなった夕立は、提督さんのために戦っているんだって戦場で証明できる。強くなれば、提督さん、喜んでくれるよね?」

「……もちろんさ。一歩一歩成長していく君達を見ることは楽しいし、嬉しいよ」

「うん! だから見ていてね、提督さん! 早く夕立、神通さんみたいに強くなるから!」

 

 眩しい笑顔だ。見た目は本当にお嬢様っぽいのに、中身はかなり強い戦士であると感じさせる。

 凪は先日神通から聞いていた。ここに生まれた夕立は、気のせいか好戦的であると。

 その事について、トラック泊地の東地に訊いてみる事にした。どうやら彼の下にも夕立はいるらしい。だが、ここの夕立ほど強さや戦いについて話はしていないそうだ。でも提督に対して甘えん坊なところは共通している。

 実際今も構ってオーラを出している。なのでそっと手を伸ばし、くいっと顎を持ち上げてやる。

 

「?」

 

 何をするのだろうと夕立がきょとんとしていると、まるで猫にするように首元を撫でてやる。「く、くすぐったいっぽい~」と言っているが、嫌がってはいないらしい。そうしながら東地との会話を思い出す。

 

「それにしても戦闘好きなー。お前さん、建造する時なんか願ったんかい?」

「いや、別にそんな事はなかったと思うけどな。初めての建造だし、何でもいいからいい娘をお願いします、みたいなことは思っていたかもしれんな。オール30だし」

「そうかい? でもま、戦闘好きってのも案外悪くはないだろ。育て方間違えなければ、将来的にいい戦力にはなるだろうさ。……あの夕立だぜ?」

「せやな……あの夕立だしな。わかったよ。あれも個性の一つとして、可愛がっていく事にするわ」

 

 そんな事を話したのだ。

 他の鎮守府に知り合いがいないので、それ以上の確認はしなかった。こんなこと美空大将に訊けるはずもないし、わざわざ大将に訊くような案件でもない。なので凪も艦娘の個性として受け入れることにし、神通には見守っていくようにとだけ伝えた。

 ついでに東地はこんな事も言い残していた。

 

「そうそう、夕立ってか白露型だけどな」

「ん?」

「どこか犬っぽいってか猫っぽいってか……まあ、どこか獣属性あるからよ。可愛がるんなら、そういう風にやっていくと、より懐くかもしれねえぜ?」

「お前は何を言うてるん?」

 

 ちなみに使用しているのは執務室にあるパソコンを利用したテレビ電話だ。映されている東地の顔は実にわかりやすくにやにやしており、そんな彼へと真顔で返してしまった。

 この一年はテレビ電話なんてハイテクなものを使用してなかったからわからなかったが、相変わらず彼は表情豊かに喋るものだな、とこっそり凪は思っている。

 

「おいおい、俺は至って真面目だぜ? 騙されたと思って、猫かわいがりしてみなって。わしゃわしゃとやってもいいし、こう、猫にごろごろ~ってやるようなことをやってもいい。あー、でも白露型が顕著なだけで、他の駆逐もそれなりにこれでいけるな。お前さんは人付き合いは苦手だって事はよく知ってるけどよ、でもやっぱり提督やっていくにゃあ、艦娘との付き合い、コミュニケーションは大事だぜ? やってみなよ」

「…………検討だけはしておくわ」

 

 と、あの場は流したのだが、何ということでしょう。これが通じているとは思わなかった。ただし、他の艦娘達の視線が妙な色を含んでいる。

 長門はじーっとその手つきを見つめていた。何を思っているのかはわからないが、きっとこいつは何をしているんだ? とでも思っているのだろう。

 響も同じようにじーっと見ているが、彼女の場合普段が普段なので、羨ましがっているのか、あるいは侮蔑の真顔なのかがよくわからない。

 綾波は……穏やかな表情だ。にこにことしていて微笑ましくしている。神通も微笑を浮かべているから嫌な感情は浮かんでいないらしい。

 そういう視線に囲まれていると、自然と自分がやっていることが気恥ずかしくなってきた。そっと手を引っ込めてやめることにすると、夕立は、あ、終わり? というきょとんとした表情を浮かべ、そっか、という風にお菓子へと興味が移った。

 

「司令官、今のはご褒美というものか?」

「あー、まあ、そんな感じかな」

「そうか。では私達も何か戦果を挙げればああいうのが貰えるという事か?」

「そうだね。褒美は大事なことだと俺も思うよ」

「なるほど。わかった」

(……あれ? 響的にも、あれはありなのか?)

 

 そんな疑問をよそに、響はマイペースにお茶とお菓子を楽しんでいる。彼女らに許可したレーションはもう食べ終えてしまっているらしい。

 うーむ、よくわからんと凪はお茶をすする。そもそも凪という人物は凪自身も東地が言ったように人付き合いが苦手であり、特に異性の付き合いというものもよくわかっていない。昔から女性には縁がなかったし、アカデミー時代でもこの一年でも同様だ。友人付き合いというものは東地で経験はしているのだが、その東地もトラックへ行ってしまってからは電話でのやりとりですませる間柄となった。

 仕事でも人はいたが、同僚というだけで友人と呼べるものはいなかったような気がする。

 

(さて、こういう時ってどうすればいいんだ?)

 

 やれ困ったぞ。

 東地の言ったことを鵜呑みにして夕立にああいう事をしてしまったが、するべきではなかったか? と今更になって後悔し始める。場所が悪かったか? とも思える。

 神通から聞いた夕立の事をちょっと聞いてみるか、という何気ない始まりからどうしてこうなったのだろう。と、心の中で汗を流していると、響が煎餅を齧りながら、

 

「――司令官、一つ提案がある」

「……お、おう。なんだい?」

 

 空気を変えてくれるのか? とちょっと期待するような目で響を見つめる。

 そんな凪の気持ちなどつゆ知らず、響は相変わらずクールにこう言った。

 

「ふと思い出したのだけど、流れを変える、という言葉があるらしいね。今の司令官には、妖精の微笑みというものが与えられていないと推測する。ならば、悪い流れを払拭するべく、掛け金を変えてみてはいかがだろうか」

「…………ん? それは、建造の話かい?」

「ああ。建造の話だよ」

 

 と、凪達を真似てか、お茶会をしている妖精達へと視線を向ける。凪も妖精を見やり、そして響へと視線を戻す。彼女は相変わらず何を考えているのかわからない目でじっと凪を見つめ返している。

 

「ふいに私の中で、何かが降りてきたような気がするんだ。意見具申、してみろってね。司令官、掛け金……資源投入の数値を変えてみてはいかがだろうか」

「……なるほど。それも一つの手、か。ちなみに響的にはどう変えればいいと考える?」

「そうだね。ここはあえて、増やす方向でやってみては? ……ここで資材を増やし、大型艦を狙うなんて、馬鹿らしいかもしれない。でも、私を信じるならば、乗ってみてほしい」

 

 信じる、信頼する。

 奇しくもそれは響にとって縁のある言葉だ。とはいえ艦娘としての彼女にとっては、関係のない話だろう。

 だがその言葉は人と人においては意味のある事。彼女を信じて提案に乗るのか、乗らないのか。急にこんなことを言い出したのは何故だろうと気になるところではある。もしかすると、先程の夕立のようなご褒美を期待しての事かもしれない。となるとそういうご褒美をもらうために、突発的に言い出した可能性だってある。

 だが、凪としてもこの悪い流れを変えたいという思いも確かにあった。

 ならば、ここは乗ってみるのも一興か。

 

「――わかった。君を信じよう。妖精達、出番だ」

 

 立ち上がり、妖精達へと近づいていく。

 凪の言葉に呼応するように、妖精達がわらわらと凪の足元へと集まって来た。

 さて、増やすとなるとどう増やすのがいいのか。頭の中に浮かんだのは二つのレシピだ。

 主に戦艦を狙える戦艦レシピ。

 主に空母や軽空母を狙える空母レシピ。

 どちらも投入する資材は結構重めだ。だから凪としてはこれをやるのはまだ先だと考えていた。しかし響的には、今ここでやったほうがいいかもしれないと言う。

 毎日レーションという結果を変えるために、あえて今、ここでやる。

 ならば、出し惜しみをするなど出来ようか。

 この流れを吹き飛ばし、良い結果を呼び込むのだ。不死鳥の加護の下に!

 

「ドックを二つ使う。400、30、600、30! そして、300、30、400、300!」

 

 選んだ選択は、どちらも投入だった。

 その指示に長門は「思い切ったな、提督……」と呟いた。

 一方響はお茶をすすりながらその様子を眺めていた。

 資材が投入され、扉が閉まる。二つのモニターが作動し、紋様が蠢きだす。今あそこで妖精達がどれを呼び込むのかの相談が行われているだろう。ついにこの二つのレシピを投入したのだ。凪的にはいい結果が出てくれることを願うばかりだ。

 そんな凪の切ない思いを、はたして妖精達は受け取ってくれるのだろうか。

 凪だけではない。長門達も固唾を飲んで見守る。

 

 その視線を受けて、いよいよモニターにその結果が表示される。

 運命の女神が微笑んだのか、そして響という不死鳥の加護があったのか、全ての結果がそこに――

 

 

 



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建造2

 

「頼む――!」

 

 思わず漏れた言葉。目を閉じて知らず凪は手を組んで祈っていた。

 どれくらいそうしていただろう。数秒のはずが、1分も経っているような感覚になっていた。そして聞こえてくる長門達の驚きの声。

 結果が出たのだ。

 恐る恐る顔を上げてモニターを見てみる。そこには、

 

 04:20:00

 

 02:20:00

 

 という数字が出ていた。

 失敗じゃない。成功だ。それもいい方向への成功。

 

「4時間……戦艦か……!」

 

 震える声でそう言葉にする。やったぞ! と拳を握りしめていた。そのまま響へと駆け寄り、思わず抱き上げてしまう。

 

「君を信じて良かった……! 成功だ! しかも戦艦! 何にしても、おかげで新しい仲間をようやく迎え入れられそうだ……! ありがとう……ありがとう響!」

「あ、ああ……そうまで喜んでくれると私も嬉しい。だが、司令官。そろそろ下ろしてくれるだろうか……恥ずかしい」

「おう、ごめんごめん。思わずやってしまった」

 

 雪の様な白い頬にそっと紅が差し込み、視線を逸らしている。今まで見た事のない変化にも少し嬉しさが湧いてくる。クールな子だと思っていたが、このような年相応……いや、見た目相応の反応もしてくれるのだ。それが見られただけでもいい。

 そっと下ろしてやり、帽子も被りなおしてあげる。そしてドックへと振り返ると「バーナーを使用してくれ!」と指示を出した。それによって普通ならば4時間も待たねばならない建造を、一気にゼロに出来る。

 一体誰が出来たのだろう。

 凪はアカデミー時代に習った知識を思い出す。4時間が金剛型という事はすぐに思い出した。それをプラスして20分となると……と思い返している間に建造完了と相成った。

 ゆっくりと扉が開き、中から出てきたのはド迫力の艤装を装備した女性だった。

 背中から背負う形で、両肩付近に展開される四基の巨大な主砲がデン! と目につく。艤装は二の腕や腹部にも巻かれているのだが、主砲の迫力が凄まじい。

 容姿としては黒いボブカットに、右の頭頂部に艦橋らしきものが乗っている。あれは髪飾りなのだろうか。服装は巫女服に近しいものであり、その出で立ちからして大和撫子を連想させる。

 

「扶桑型戦艦姉妹、妹の方、山城です」

「おぉー山城か。うんうん、歓迎するよ。よく、よく来てくれた……」

「ぇえ? ああ、はい……どうも」

 

 すすっと近づいて強引に握手をしながら笑顔で出迎える。うっすらと泣きそうな気配も感じ取ったのか、山城は引き気味に握手している。その様子を見て長門はちょっとだけ冷や汗をかいていた。

 

(…………これもまた、フラグ回収なのだろうか。ある意味、逃れられなかった運命なのか、あるいは引き寄せられてしまったのか)

 

 そんな事を長門が考えていると、山城はきょろきょろと辺りを見回し始める。

 その様子に「どうしたんだい?」と声をかけると、

 

「この鎮守府には、扶桑姉様はいらっしゃらないのです?」

「扶桑? いいや、いないよ。ごめんね」

「……そう、いないんだ……。はぁ……不幸ね」

 

 あからさまに気落ちしている。目元には影がかかり、全身で残念さを表現していた。

 その様子こそ、長門が考えてしまったフラグ回収の意味だった。

 山城、いや、扶桑姉妹と言えば艦であった頃に色々と残念なエピソードがあるという。その積み重ねの結果なのか、艦娘になった彼女らは不運さが目立つようだ。扶桑の方は儚げな大和撫子という風になっているようだが、山城はというと、その身に降りかかる不幸さによって結構卑屈になってしまっている。時々口癖のように「不幸だわ……」と嘆いている姿が見かけられるとか。

 そう、凪はレーションばかり出てしまった事で、思わず「不幸」というワードを口にしてしまった。それだけでなく、全身から不運さを嘆くオーラを振りまいていた。

 

(あれに山城が引き寄せられたのかもしれないな。そして、その不幸さがもしかすると山城へと吸い寄せられ、さっぱりしたところでもう一人の建造が――いや、何を考えているんだ私は)

 

 自然にそんな事を考えてしまった自分を律するように首を振る。すると、山城が何かを感じ取ったかのように、勢いよく長門へと振り返った。

 

「ちょっと、そこの……長門?」

「……むっ? な、なんだ?」

「失礼な事、考えなかったかしら?」

「そ、そんな事はないぞ……?」

「そう? なんだか、妙な棘を感じたのだけど……はぁ、何なのかしらね。……本当になにも考えてないのでしょうね?」

 

 追及してくる山城に、うんうんと何度も頷く。長門を知る人からすれば珍しい行動と見るのだが、初対面である山城は「そう……」とため息をつきながら凪から離れて長門らの下へと歩いていった。

 続いてバーナーによってもう一つのドックから人が出てくる。

 長い銀髪を束ねた少女だ。その両手にはカタパルトらしきものを手にしており、紺のブレザーに赤い袴を履いている。飛行機運用が出来る艦娘が来た。だが、彼女は少し違う存在であった。

 

「千歳です。日本では初めての水上機母艦なのよ。よろしくね」

 

 偵察機などをはじめとする水上機を飛ばす事が出来る水上機母艦。その千歳型のネームシップだ。また彼女は給油機能も備えていたらしいが、艦娘としてはその能力はあまり再現されていないようだ。

 また情報によれば、練度を上げ、改造を重ねていけば彼女は軽空母になるはず。そこに至るまでの道は長いだろうが、じっくり育てていくならば関係のない話だろう。

 

「よろしく、千歳。歓迎するよ」

 

 彼女にも握手を求めると、快く受けてくれた。山城と違ってこちらは友好的な印象がある。その纏う雰囲気も落ち着いた穏やかな女性、というイメージがする。彼女は長門達が囲んでいるものを見て、どこか楽しげな表情を浮かべた。

 

「あら、お茶をしていたのですか?」

「ああ。ちょっとした休憩だったけど、これからは山城と君の歓迎を兼ねたお茶にするか」

「ありがとう。いただきますね」

 

 机の方を指し示すと、既に山城が席についている。あれだけ目立つ主砲などの艤装は綺麗さっぱりなくなっていた。

 艦娘の艤装はどういう技術を使用しているのかは不明だが、彼女らの意思に呼応して出現、消滅する。まるで粒子の様な、あるいはブロック状に分解、構築する様な感じで顕現し、装備するらしい。

 まるで魔法のようだが、過ぎた科学は魔法のようだと言われる。それに妖精という不可解な存在や、謎の妖精パワーで資材がレーションになったりしているので、深く考えるものじゃあないかもしれない。

 千歳も同じように艤装を取り外し、席についてお茶を頂きはじめる。凪もまたお茶をしようと思ったが、ふとデイリー任務の事を思い出した。

 そういえばあれは一回と更にプラスして三回、つまり合計して四回建造すればいいものだった。今日は三回やっているから、あと一回やればまた報酬が貰える。

 今は流れが来ている。悪かったものが取り払われ、初日の運が戻ってきているはずだ。

 

「……提督さん、またやろうとしているっぽい」

 

 夕立がそんな凪の様子に気づいたように言った。相変わらずそういう事には気づくらしい。観察眼が優れているのだろうか。響も「いいと思うよ。司令官には今、何かが降りてきている」と促していく。

 長門も止めるべきか悩んでいたが、ちらりと山城を見やって、何も言わなかった。そんな視線に気づいたのか、山城がジト目になっている。

 

「やっぱり不穏な気配がするわね?」

「気のせいだ」

 

 そんな戦艦二人は置いておいて、凪はうん、と頷いて妖精達へと指示を出すことにする。選んだものは戦艦レシピ。山城を出した時と同じ数字を告げた。

 やがてモニターに紋様が浮かび、変化していく中で、凪はもう目を閉じて祈るような真似はしない。今の自分には流れが来ている。長い苦しみは終わりを迎えたのだ。

 不死鳥の加護がある今、もう何も怖くない。

 ほら、見るがいい。モニターにはしっかりと、数字が浮かび上がったではないか。

 

 01:25:00

 

「これは……重巡か。ここで、重巡か。待ち望んだ重巡が来てしまったか」

 

 あっさりと今までの七日間が崩れ去った瞬間だった。確かに投資資材が増えれば望める艦も大型になっていくのは自明の理。戦艦を狙って重巡が出てくるかもしれない、というのは教本にもあった事だ。

 となれば無理してでも戦艦でやっていれば、戦艦と重巡の両面待ちで行けたかもしれないという事か。少し、慎重にやり過ぎたのかもしれない。時には大胆な投資も必要だという事なのだろう。また一つ、提督としてのやり方を学んだような気がした。

 バーナーを使い、いよいよ待ち望んだ重巡艦娘との対面の時。

 一体誰が来るのか、とわくわくしていると、出てきたのは勝気な眼差しが感じられる少女だった。茶色がかったショートカットに、電探らしきものが左右に伸びている。

 両手に主砲を手甲のように嵌め、二の腕や腹部にも艤装が巻かれている。 

 

「よ! アタシ、摩耶ってんだ。よろしくな!」

 

 軽く手を挙げながら気軽に挨拶してくる。と思ったら、敬礼へと移行していった。凪も挨拶しながら握手を求めると、彼女もにっと笑いながらがしっと握りしめてくる。なるほど、これはまたさばさばしたような元気な娘だ、と感じ取った。

 どこか東地のような気軽に付き合える友人の様な艦娘なのだろうと分析する。

 

「君が我が艦隊においての初の重巡となる。君の成長と活躍に期待するよ、摩耶」

「おっ、そうか? なら、任せろ。ちゃっちゃと強くなって、この摩耶様の力ってやつを存分に見せつけてやるからさ!」

「おぉ、言うねえ。重巡だから、一応最初は神通の下について訓練という事でいいのかな?」

 

 と、神通へと振り返ってみると、彼女は小さく頷いていた。

 

「主砲の大きさの違いはありますが、基本的な動きとしては私達軽巡とそんなに差異はありません……。砲撃戦、雷撃戦の基本を仕込むくらいならば、私がやりましょう」

「との事らしい。あそこにいる第一水雷戦隊のメンバーと仲良くしてやってくれ」

「おう、よろしくなお前ら」

 

 そしてお茶会は続く。

 新たに迎えた三人の艦娘を歓迎するように、追加のお菓子とこの鎮守府についてや艦娘らの話題での談笑。

 凪の心にようやく日の光が差し込んだ気がする。

 奇しくも三人はそれぞれ別の艦種だ。新しい艦娘というだけでなく、別の艦種というだけでもありがたい。これで艦隊運用に幅が広がる事だろう。

 今日は良き日だ。これまでの憂いの日々はこの日のためのものだったに違いない。

 そう考えると、このお茶と菓子がより美味しく感じられるような気がした。

 

 

 



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交流

 

「報告するクマ。重巡リ級2、軽巡ホ級2、軽巡ヘ級1、駆逐ロ級3、駆逐ハ級4、全撃沈。被害は軽微クマ」

 

 敬礼しつつ今回の出撃についての報告をしてくる球磨。詳細を記した書類も提出し、大淀からそれを手渡される。軽く目を通しながら「新たに迎えた二人はどんな感じだい?」と球磨に問いかける。

 

「摩耶は最初こそあの言動だから、初霜とは馬が合わないかと思ったクマが、今では何とかやってるクマ。摩耶は口調がアレなだけで、中身は全然いい娘クマね。球磨と同じクマ」

「はは、真面目と男勝りで粗暴な口調な二人ってのは、最初はそうなるよね。仲良くやっているなら良かった。最悪俺が入らにゃならんかとも考えてたからね。……ってか、ナチュラルに自分と比べたね? 自覚はしてるんかい」

「利根については、何も問題はないクマ。むしろあの索敵能力で先制して有利に持ち込めるのは良いクマ」

 

 利根とは重巡洋艦の艦娘だ。

 あれから更に数日、建造運は通常に戻ったのか、失敗が混ざりつつも新たな艦娘を迎える事が出来ていた。

 利根という重巡洋艦の二人目を迎えた事で、摩耶と共に第二水雷戦隊へと配属させた。丁度二人の空きがいたので、重巡軽巡駆逐がそれぞれ二人ずつという編成となっている。

 最初に神通の下で基礎を学ばせ、出撃を繰り返す事で経験を積ませている最中だった。

 

「おつかれさま。ゆっくり休むといい」

「失礼するクマ」

 

 部屋を後にした球磨を見送り、もう一度報告書を確認する。

 被害は初霜と皐月が小破、それ以外は軽い負傷に留まっている。出撃においての戦闘も1戦だけではなく、2戦、3戦と回数を増やしてから帰還する事も多くなってきた。それだけ近海における深海棲艦の数が少しずつ増えてきている。

 だが、その経験も大事だ。大規模作戦においてはそういう戦いは普通になってくる。敵主力艦隊へと辿り着くまでに、多数の深海棲艦が行く手を阻んでくる。それらを撃滅しながら突き進み、主力艦隊へと接触する。

 このようなところでつまずくようでは、先に進むことは出来ない。

 確認の判を押して、別の書類を手に取る。

 そこには第一水雷戦隊の編成が書かれている。六人目として新たに千歳が加わっていた。現在は遠征に出ており、もう少しすれば資材を手に帰還してくる頃合いとなっている。

 この数日で新たに迎えたのは利根を含めて三人。

 一人は日向。戦艦であり、山城とは縁のある艦娘である。これで戦艦は三人目となるのだが、後々の事を考えるとそうとも言えないだろう。だが大型艦としては、今は申し分ない戦力ではある。これで戦艦レシピはしばらく回さなくていいだろうと判断する。

 もう一人は祥鳳。正真正銘の軽空母だ。千歳がまだ軽空母でない今、貴重な空母系の艦娘といえよう。もう一人は欲しいところなので、しばらくは空母レシピを回していくことになるかな、と考えるが、ボーキサイトが心配になってくるので抑えるべきか悩みどころだ。

 そもそも、現在の資源は四千から五千をうろうろしている。

 建造し続けたという事もあるが、何よりも消費資材が少しずつ大きくなっているのも原因だった。

 長門を動かしていないとはいえ、新たに迎えた山城、日向という大型艦を育成するために動かしている。また祥鳳を迎えた事で空母運用が始まり、ボーキサイトも数字が動き出した。

 これらを回復しようと遠征をしても、二艦隊での遠征ではまだまだ少量の回復となる。そもそも、あれから軽巡も駆逐も増えていないので、第三艦隊で遠征が出来ない。

 となるとどうなるか。

 大型艦を含めて訓練や出撃をすることで資材が減る、遠征で回復する、また資材が減るを繰り返し、ほぼプラマイゼロになるか、少しずつ赤字がかさばってくるかとなってしまった。

 任務の報酬で多少は戻ってくるとしても、一日の消費でほぼ消える。

 結果、四千から五千の間を数字がうろうろしているのだった。

 

「これについては、またオール30だったり、レア駆逐レシピとやらをやる事で第三水雷戦隊を編成するしかないなぁ……」

 

 とんとん、と書類を整え、横に置いて立ち上がる。

 少し外を歩いてくるか、と退出する事にした。

 

 海へと出てくると、そこには山城と日向が長門から訓練を受けていた。さすがは戦艦の主砲というべきか、轟音を響かせて遠く離れた動く的へと弾丸を放っている。的の近くには偵察機が飛んでおり、それを大淀が操作しているらしい。眼鏡を光らせて、「弾着、確認。どちらも命中です」と長門へと告げた。

 普段は補佐として行動しているからあまり見ないが、彼女もまた軽巡の艦娘。それも索敵能力が高い艦娘として知られている。艦においての経歴をそのまま継承したようで、こうして遠距離での弾着を知らせてくれる役割で訓練に参列してくれる。

 

「調子はどうだい?」

「的に対してならば命中率は安定しだしているな。ただ山城の心境次第で成果がぶれるのが気になるところではある」

「あー……卑屈な点かい?」

「ああ。でも、日向が一緒だから、奴よりいい成果を出してやる、という対抗心で当てに行くところもあるから、わかりやすくはある」

 

 扶桑型と伊勢型という違いはあれど、伊勢型は扶桑型を少し改良して生まれた存在だ。元々は扶桑型として生まれるはずだったが、扶桑型の問題点などから、それを改善するように再設計されたという艦の話がある。

 艦娘となった彼女達については、どうやら扶桑が伊勢型を意識している素振りが見られるようだ。山城も多少なりとも気になる点があるようで、負けられないという気持ちが出るのだろう。

 それに対して日向はというと、特に気にはしてないようだ。落ち着いた様子で訓練を続けている。だが山城の気持ちには感づいてはいるようで、苦笑を浮かべているのが見て取れる。

 

「よし、いったん休憩する。上がっていいぞ」

「ふぅ……ん? なんだ、提督。いたのですか」

「おつかれ、山城、日向。いたというか、さっき来たばかりだけどね」

「そうか。じっと見られるというのは恥ずかしいものだが。……なあ、山城? 君もちらちらと私を意識しているようだが、そんなに私が気になるのか?」

「っ、いえ、別に。あなたの気のせいじゃないですか? 私、そんなに見てません、から――へぶっ!?」

 

 わかりやすい反応を見せながら視線を逸らし、埠頭に上がろうとした山城だったが、つるりと足を滑らせて前のめりに倒れてしまう。見事なまでの転倒に凪達は茫然としてしまったが、長門がはっと気づいて駆け寄った。

 

「おいおい、大丈夫か山城。ふんっ……!」

 

 艤装も装備されたままなので、凪には引き起こせない。気合を入れて引っ張り上げた長門は、そっと屈みこんで山城の顔を窺った。たらり、と鼻血が一筋流れ、額にあざらしきものが浮かび上がっている。

 ちょっと涙目になっている山城は「……ええ、大丈夫。……はぁ、不幸だわ」と影がかかった眼差しで疲れた様に笑い出した。

 

「入渠してくるといい。ほら、鼻血を拭いて」

「いえ、自分で、出来ますから……おかまいなく」

 

 と、チリ紙を取り出してそっと鼻を拭ってやるのだが、気恥ずかしいのかそれを取って自分で拭き始めた。「失礼します……」と艤装を解除し、拙い足で入渠ドックへと向かっていく。その背中には哀愁が漂っているのは気のせいではないだろう。

 

「うーん、何というか……うん。ちょっと山城のフォローしてくるよ」

「ああ、頼めるだろうか。私と日向が行っても、どうもうまくいかないかもしれない」

「提督が行っても、もしかすると同じ事かもしれないが、同じ戦艦、特に私がやるよりかはマシかもしれない。お願いする」

 

 二人から任されて山城の後を追っていき、隣に並ぶと、彼女はちらりと横目で凪を見つめてきた。

 

「……なんです?」

「や、付き添おうかとね」

「結構です。一人で大丈夫ですから」

「まあ、そう言わずに。ちょっとしたお話もしよう? 山城」

 

 人の良さそうな笑みを浮かべてみるが、それは通用しないらしい。少しだけ距離を取られて「……わかりやすい愛想笑いですね」と言われてしまった。

 それに自分で確認するように顎や口元を撫でまわしてみてしまう。

 意図して笑みを浮かべる事にはあまり慣れてはいないので、どこか歪だったろうか、と考えてしまう。事実、山城でなくとも少し苦笑が浮かぶほどには歪な笑顔を凪は浮かべてしまっていた。

 だがそれ以上に、どうやら山城という艦娘はその卑屈さから人付き合いというものはあまり得意じゃないらしい。いや、もしかすると提督、人間に対してはより卑屈になって離れようとしているのだろうか。

 でも指示には一応従ってはくれる。その辺りは艦娘として使役する分には問題はないのだが、プライベートとなれば関わらないようにしているようだ。

 それを改善するためには、やはり少しでも話をして慣らしていくしかないだろう。懐かぬ子供やペットにするような対応にするか、あるいは友人関係みたいに馴れ馴れしくするべきか、それとも大人の付き合いをするべきか……。

 まだ完全に予定は立てていないが、チャンスがあるならばアタックしていくしかあるまい。

 

「ここにはもう慣れたかい?」

「それなりには」

「訓練の調子はどうだい?」

「悪くはないです」

「……長門や日向とはうまくいってるのかい?」

「それなりには」

 

 なんということでしょう。一言しか返してくれない。

 こういう相手とは付き合ったことがないので、凪としてもこれ以上どうするべきかわからなくなってきた。

 助けてくれ、東地。お前のコミュ力が必要だ。

 と、遠くの地にいる友人に助けを求めたい気分だ。

 

「……無理して、私の相手をしなくてもいいんですよ。とっつきにくいでしょう? 自分でもわかってるんですから。どうぞ、おかまいなく」

「そうだね。君みたいな人は俺としても初めてだよ。そもそも、俺だって人付き合いのスキルは全然なんだ。正直どうしていいかわからん」

「だったら……」

「だからといって、何もしないわけにもいかんでしょ。俺は君達の上司。とっつきにくいからって、無視するわけにはいかんよ。山城、仲良くしていこう?」

「……はぁ、わかりましたよ」

 

 凪の立場も考慮してくれたのか、少しは受け入れてくれるようだ。離した距離を少しだけ戻してくれる。さて、話題はどうするか、と考えた所、無難なところをチョイスする事にする。

 

「好きなものはあるかい?」

「扶桑姉様です」

「…………」

「扶桑姉様です」

 

 一秒もかからない返答だった。

 しかも暗に、早く建造してくれ、とでも言うかのような繰り返しの言葉。

 冷や汗をかき、苦笑しながら凪は肩を竦める。

 

「……今は、もう戦艦を作る予定はないね……」

「……そうですか。残念です。……はぁ、扶桑姉様に会えないなんて、不幸ね」

「そんなに扶桑が好きなのかい?」

「ええ。姉様は素晴らしい方。この私はまだ姉様にお会いしていませんが、記憶の中では確かに存在するのです。姉様の姿、共に航行した思い出、そしてその最期の戦場も……。欠陥戦艦と揶揄されようとも、私達は共にあの時代に在ったのです」

 

 それから入渠ドックにつくまで、どれだけ扶桑が素晴らしいのかを語り続ける。

 設置場所が悪くとも、戦艦ならではの主砲の威力がいいとか。

 違法建築と揶揄されるだけの艦橋とはいえ、あれだけ目立つ艦橋は他に類を見ないだろう、とか。

 艦娘として出会った事はないが、知識はあるらしくその美貌がどれだけ素晴らしいとか。

 色々と喋っていると、気づけば入渠ドックに到着していた。

 

「――はっ、喋り過ぎてしまいました……」

「いや、いい時間だったよ。うん、君がどれだけ扶桑の事が好きなのか、よーくわかった。いつか、出せるように頑張ってみるよ」

「……あ、はい。どうも。……引かないんですね」

「引く? いや、別に? とんでもないシスコンだなぁ、とは思ったけど、引くような事じゃあないでしょ。誰が好きかなんて、人それぞれさ。俺は今までそういう人には出会った事がないからよくわからないけど、でも、それだけ想える相手がいるっていうのはちょっと羨ましくはあるね」

 

 父に憧れ、しかしその父が大人の黒さによって潰される。自分もまたそんな海軍となるためにアカデミーに通ったが、東地という友人を得てからは他の人との付き合いはただの同級生に留められた。

 誰もかれもが、自分は提督になるのだという意志とエリート思考だったために、馴染めないと思ったのだ。自分は提督になるのではなく、ただ卒業するために学んできたのだから。

 アカデミー以前でも父の事があったために、仲の良い友人なんてあまり出来なかった。だから気の合う異性と出会わず、そして交流する事がないのだから誰かを想うなんて経験もない。

 だからこそ山城にそういう人がいるという事を少し羨んでしまう。

 それもまた、人らしい感情なのだから。

 

「そう、ですか……」

「また、話をしよう。山城」

「…………はい、わかりました。では、失礼しま――」

 

 敬礼して入渠ドックに入るべく、扉に手を掛けようとすると、先に扉が開いて中から人が出てきた。当然ながら入ろうとしている山城と正面衝突してしまい、また山城が呻き声を上げてしまう。

 

「いたぁい……、やっぱり不幸だわ……!」

「むむ……、ん? ああ、山城クマ。ごめんクマ。でもどうしたクマ? 今は訓練をしてるんじゃなかったクマ?」

「あー、まあ、山城にも色々あって、ね……そこら辺は訊かないでやってくれ」

「……なるほど。わかったクマ。どうぞ」

 

 なんとなく察したらしく、それ以上は突っ込まずに道を譲ってやる。ちょっとだけお腹をさすりながら中へと入っていく山城に対し、球磨は頭をちょっとさすりながら出てきた。

 頭から山城の腹へと入ったらしいが、その独特のアホ毛は大丈夫なのだろうか。

 

「他のみんなも中に?」

「ん。でもそろそろ出るんじゃないかクマ。この後はしばらくの休憩を挟んで、訓練となってるクマ」

「そうか。旗艦はどうだい? 慣れてきたかい?」

「ぼちぼちクマ。でも意外に優秀な球磨なら、これからもやっていけると自負しているクマよ」

 

 独特な喋りをする球磨ではあるが、その中身は意外とまともだ。ゆるいところがあるのは、北上の姉らしいと感じるが、それでも確かに優秀ではある。

 あのメンツを纏められるだけの力はあるし、面倒見もいい。

 人は見た目や立ち振る舞いだけでは判断が付かない、というのを艦娘から見せられているのだった。

 

「じゃ、他のみんなが出てくるまで、ちょいとおしゃべりでもするかい?」

「球磨でいいなら、相手するクマー。あ、でも風呂上がりの一杯を取ってくるのを忘れたクマ。ちょっと待つクマ」

 

 と、ぱたぱたと戻っていく球磨。

 ちょっとした休憩と考えていたが、今日は艦娘らの交流をしてみるか。こういう時間をとり、少しでも彼女らの事を知っていくのも大事だろう。

 凪は脇のベンチに腰掛けながらそう思ったのだった。

 

 

 



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対空訓練

 

「む? 提督ではないか。こんな所で何をしとるんじゃ?」

 

 球磨とベンチで談笑していると、入渠ドックから茶色がかった髪を白いリボンで結んだツインテールの少女が出てきた。柳色の全留式のタイトスカート付の服装をしている。

 身長はほどほどにあり、可愛らしさも見られるのだが、この見た目から飛び出す口調が衝撃的だ。

 重巡利根である。

 摩耶と共に第二水雷戦隊へと配属された重巡の片割れだった。

 

「今日は少し余裕が出たからね。君達と交流をしようと思ってるのさ」

「吾輩らとか? ほう、それは殊勝な心掛けじゃ。良いぞ。吾輩も相手しようぞ」

 

 と、手にしているラムネをぐいっと傾けながら凪の隣に腰掛ける。

 ぷらぷらと足をふらつかせながら「それで、何が聞きたいんじゃ?」と横目で問いかけた。

 

「そうだねえ。戦闘を重ねていっているわけだが、回避より攻撃に意識が向いているような気もするけど、そこんとこどうだい?」

「ふむ、確かにそうじゃな。吾輩の偵察機で位置を確認し、先手必勝とばかりに攻撃を仕掛けておる」

「攻撃は最大の防御クマ。先に敵を撃滅してこそ、味方が守れるクマ」

「なるほど。……そして撃ち漏らしがあった場合に、被害が出ているというわけか」

 

 今回はそれが駆逐艦の二人になったというわけだろう。

 その事について二人は少しばつが悪そうな表情を浮かべる。特に球磨としては旗艦としての責任を感じているのだろう。

 

「攻め攻めな気持ちというのも大事だろうけど、防御も大事だね。最近は深海棲艦が妙に近海で確認されているから、そろそろこれについての訓練もしっかりと盛り込んでいこうかと考えていたし、丁度いい機会と思うが、どうだろうか」

 

 最初こそしっかりと当てていく事が大事だと、神通が計画したプランをもとに訓練が行われていた。その成果は確かに出ており、砲撃でも雷撃でも命中率を高め、深海棲艦は全て撃沈している。

 お互いの実戦訓練を行う事で、砲雷撃戦を経験させる事で回避行動も学ばせているが、それだけでは足りないかもしれない。

 

「異論はないクマ。神通と相談してプランを立てていく事にするクマ」

「そうじゃな。吾輩としても、強くなるためならば異論を唱える理由はない。旗艦殿と神通に任せよう」

 

 するとドックから新たな人が出てきた。

 艶やかな長髪を先端付近でリボンで結び、一房を左に流して同じようにリボンで結んでいる。巫女服の様な白い着物を着こなし、黒いスカートを履いた少し小柄な和服少女だ。

 彼女こそ軽空母祥鳳だった。

 

「あら、提督。こんにちは。こちらでどうされたのです?」

「おや、祥鳳か。君もいたのかい」

「ええ。自主練の疲れを癒していました」

「そうか。……ふむ、丁度いいかもしれないな」

 

 祥鳳と球磨達を交互に見やりながら、凪は考える。

 空母系の艦娘としては初めてである祥鳳。そのため空母に関する訓練の教官に位置する存在はいない。アカデミーで習った自主練としての方法を凪が祥鳳に教え、一人でやらせるしかなかった。

 だが、今この時間を利用すれば祥鳳に実戦的な訓練を行えるかもしれない。

 

「球磨。祥鳳と共に訓練するか」

「クマ? というと?」

「祥鳳は艦載機を用いて球磨達を攻撃。球磨達はそれを受けて回避行動をとり続ける。今は深海棲艦に空母ヲ級や軽母ヌ級は確認されていないが、いずれ来る時のために備えておくことは必要だろうさ」

「なるほど。お互いがお互いの訓練となる事が出来るわけじゃな。対空砲撃はしてもよいのか?」

「いいよ。それをかいくぐって攻撃できるのか、も祥鳳にとっては大事な訓練だからね。……入渠してからまたすぐに訓練ってことになってるけど、大丈夫かい?」

「吾輩は問題ない。今は研鑽の時じゃ。吾輩らはまだまだ新米じゃからな。自らを高める時間は大事にせねばな」

 

 やがて第二水雷戦隊のメンバーが全員出てくると、内容を説明する。急遽決まった訓練だったが、彼女達は乗り気だった。誰も異を唱えることなく、揃って海へと移動していく。

 第二水雷戦隊が整列する中、戦艦の方にいた大淀を呼び寄せる。

 

「通信を第二水雷戦隊に繋ぐこと、出来る?」

「はい、こちらを使っていただければ」

 

 そう言って通信機を取り出してくれる。接続先を球磨に合わせると、離れたとしても凪の声が球磨に届くようになったようだ。ありがとう、と礼を述べ、離れていく球磨達を見やる。

 祥鳳も位置に付くと、着物の左側を脱ぎ、右袖を赤い襷によって縛られる。胸は飛行甲板を思わせるようなボーダー柄のチューブトップがあるが、その肌脱ぎ姿は中々に艶めかしさを感じさせる。その状態で彼女は弓を構える。

 矢を顕現させて射れば、放たれた矢が変化して編隊を組んだ艦載機となる。

 続けて二射、三射と放ったそれらが第二水雷戦隊へと迫っていく。

 

「まずは回避行動。頑張ってよけてみよう」

「クマ! 複縦陣となって全速だクマ!」

 

 球磨の指示に従い、複縦陣となって航行する。飛来する艦載機は二つが艦爆、一つが艦攻のようだった。

 当然ながら模擬戦のため爆発する危険性はない。

 艦爆は対象の頭上まで迫り、爆弾を投下する機体だ。敵の上空へと近づき、一気に急降下して攻撃する。

 艦攻は魚雷を以ってして攻撃する機体だ。攻撃する際は海面を低空飛行し、魚雷を放って離脱する動きを見せる。

 威力で言えば爆弾よりも魚雷の方が上だが、命中率で言えば敵の上空まで迫り、爆弾を投下する艦爆の方が上とされる。

 そして今、最初に放った艦爆が球磨達の頭上へと迫っている。

 この艦載機らを操作しているのはそれぞれ搭乗している妖精らだ。一機一機に妖精が搭乗しており、艦娘の意思に従ってどのように攻撃を仕掛けていくのかを応えてくれるらしい。

 今、と祥鳳が念じれば、それに応えて妖精らが爆弾を投下する。音を立てて球磨達へと襲い掛かる凶器は爆発こそしないが、当たれば痛い。何とか避けはしたものの、水面に落下した事で発生する水しぶきが川内や摩耶にかかっていく。

 

「今の距離だと、爆風当たってるかもしれないよ。至近弾により微量のダメージ判定かな?」

 

 通信機を通じて結果を通告する。その間に、艦攻が球磨達へと迫っていた。水面ギリギリで飛行し、魚雷を発射。その位置は球磨達の進行方向に対して見事に直角で入り込んでいる。

 

「おぉ……上手い位置取りだ。自主練の成果か……?」

 

 双眼鏡を覗き込みながら思わず呟いてしまう程の惚れ惚れした動き。しかも艦爆も避けようとしている球磨達を逃がさないように回り込んでいる。このまま魚雷が当たるのか、と思いきや、球磨が指示を出した。

 前にいる皐月と初霜は加速し、自分を含めた他の三人は減速。結果、その間をすり抜けるように魚雷が通り過ぎていった。だが一本だけ逃げきれず、利根へと着弾してしまう。

 

「……利根、これは中破以上かな」

「でしょうか」

「悪くない回避ではあった。もう少しといったところだね」

 

 あえて減速したり、魚雷の方へと逆に逃げるようにすると、旋回角度で逃げられる事がある。回避の仕方を覚えると、意外と魚雷は避けれたりするのだが、奇襲の形で撃たれるとそれはどうしょうもない。

 そして他の攻撃と組み合わされると、回避はよりやりづらくなる。追撃するように艦爆が飛来し、なす術なく球磨と川内が被弾した。

 

「最初は祥鳳の優勢で終了。もう一度回避だけでやるかい?」

『もう一度頼むクマー』

「了解。祥鳳、艦載機戻したらもう一回対空迎撃なしの攻撃だよ」

「はい」

 

 それからしばらく回避行動と艦載機攻撃の訓練を続ける。何度か繰り返していくうちに球磨達もコツをつかんできたらしく、被害が少しずつ抑えられるようになっていく。

 そして祥鳳は、そんな彼女達にどう攻撃を当てていくのかを更に考え、より動きを高めていくようになっていく。

 

「よし、対空迎撃の訓練へ移行しようか」

 

 続けて対空射撃を混ぜていく。

 艦載機の攻撃から身を守るにはただ回避するだけではない。高角砲や機銃を用いて艦載機を撃墜する方法もある。とはいえこれで敵機を全滅させる事はほとんどない。いくつか撃ち漏らし、攻撃が飛んでくる事が多い。

 対空能力が高い艦娘ならばそれを防ぐことは多いだろうが、今の艦隊では無理だ。

 

(将来的に対空能力が高くなりそうな娘はいるんだけどな……)

 

 第二水雷戦隊にいる艦娘ならば摩耶だろう。

 艦の時代で対空兵器を多く搭載する改装をしている。彼女の対空能力ならば、ヲ級一体を相手にするだけならば何とかなるかもしれない、というくらい優れているそうだ。

 だがそれは改装すればの話だ。今の摩耶のレベルではまだ足りない。

 だからといって、今をないがしろにする事もない。これもまた練度を上げるために必要な事だ。繰り返し攻撃と防御の訓練を続けていった。

 

 そうして夕方近くまで続けた結果、祥鳳はより艦載機の扱いが上達し、第二水雷戦隊は空母を相手にした際の動きを覚えていった。お互い労いの言葉を掛け合い、入渠ドックへと向かっていく。

 その際祥鳳を呼び止める。

 

「明日は第一水雷戦隊が空いてるから、次はあの娘達にやってくれるかい?」

「はい、わかりました。同じような訓練を行えばよろしいですか?」

「うん。神通にも言っておくから、よろしくね。今日はおつかれ」

「おつかれさまでした。では失礼しますね」

 

 敬礼して祥鳳も入渠ドックへと向かう。その背中を見送ると、手にしていた通信機を大淀へと返した。さて、そろそろ執務室へと帰ろうかな、と思いながら振り返ると、いつの間にそこにいたのだろう。神通が静かに佇んでいた。

 それに対してびくっと体を震わせてしまった。

 

「うぉぅ……、帰っていたのかい?」

「はい。お邪魔にならないよう、控えていました……」

 

 一礼しながらそんな事を言う。遠征から帰ってから、となるといつから本当にいたのだろう。気になるところではあるが、明日の事について話そうとすると、先回りするように神通から話し出す。

 

「対空母の訓練ですね。承知しました。私も、そろそろ学ばせようと考えていたので、丁度良いかと思います」

「話が早くて助かるよ。……それと、他にも訓練について色々話すことが出来たんだけど、入渠の後の方がいいかい?」

「いえ、お話があるのならば、そちらを先にしていただいても構いません……。場所を移しましょうか……?」

「うん、じゃあ大淀もよろしく」

 

 三人揃って執務室へと向かう事となる。

 近海の状況の変化。それに合わせて艦隊の練度を高めるための訓練方法の変化。

 これらについて後から来た長門も交えて話し合いが続くこととなった。

 瀬戸内海という国の内部に入り込み始めた深海棲艦。まだまだ弱い部類のものとはいえ、これが強力なものとなってくると話が変わってくる。それにあの増え方には少し違和感があった。何かが起きているのではないか、と思えるくらいに。

 備えておくことは大事なことだ。さもなければ、自分の首どころか呉鎮守府そのものの存亡にかかわってくるだろう。

 その日の話し合いは夜まで続いたのだった。

 

 

 



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改装

 

「あれから半月が経過したけど、提督業はどうかしら?」

 

 その日、珍しい相手からテレビ電話がかかってきた。

 大本営にいる美空大将である。

 思わず立ち上がって敬礼をしてしまう凪に、「座って結構」と促されて着席した後、あのような質問をしてきたのだ。

 

「特に問題はないですね。日々研鑽、そして遠征ですよ」

「そう、それならば良い。貴様からの報告書からも、問題はないように窺える。だが、海の変化はあるようね?」

「はい。瀬戸内海において重巡リ級が度々目撃されています。撃沈はしておりますが、このままですと、そろそろ戦艦ル級や空母ヲ級も確認されそうな気配がしますね」

「その予感は正しいわ。先兵を送り込んだ後、奴らは大型艦も次第に投入してくる。艦娘の気配を辿るそれは、虎視眈々と獲物を狙う獣の如く、よ。……そんな貴様に、一つ情報をくれてやろう」

 

 そう言うと、画面の向こうでパソコンを操作し始めた。煙管を吹かしながら、軽快にキーボード操作をする妙齢の女性。その手つきは中々手慣れたものだった。何だか様になっている。

 やがて凪のパソコンにメールが届いた。送り主は美空大将。

 それを開けてみると、いくつかのファイルが送付されている。一つ、一つ開けていくと、日本を中心とした海図に印が複数、海につけられている。

 そして印についての情報がもう一つのファイルに纏められていた。

 

「貴様は鬼や姫についてはアカデミーで学んでいるな?」

「はい。近年確認され始めた深海棲艦の新たなる存在、ですね?」

「そうだ。見ての通り、このように出現が確認されているわ」

 

 その日付はこの一年の間でのものだった。それが十前後つけられているのだ。

 深海棲艦はいろは歌に合わせて呼称が振り分けられている。だが、そのいろは歌に当てはまらないものが存在する。

 それが深海棲艦の中でも特に強力な力を備えた存在。これらを新たに鬼、姫の種類として当てはめられた。

 現在それが確認されているのは、泊地、装甲空母、そして南方である。

 この海図の中では南方はいないが、泊地、装甲空母については記されていた。

 佐世保から西や、太平洋では装甲空母、それ以外の海域で点々と泊地が確認されているらしい。

 

「特に泊地に関してはひっそりと前線基地を築くかのように、いつの間にかそこにいるわ。共通の前触れとして、周囲の海域で深海棲艦が活発になっているようだ、という報告が挙がっているわ。獲物を探すかのように、あるいは奴が来る準備を整えるかのように」

 

 煙管を手にし、立ち上る煙を操作するようにそれを動かす。一点を中心に、まるで円を描くように煙がゆらゆらと動いていく。

 

「そうして艦娘らの状況や、港の状況を把握し終えると、いよいよ泊地のお出ましだ。そこから一気に深海棲艦を送り込み、港や鎮守府を襲撃する。それが今まで確認された泊地のやり方よ」

「先手を取られ続けているのですか? 前触れがあったのに?」

「前触れを前触れと思っていなかった、とでも言うのかしらね。確かに深海棲艦が増えている、と彼らは考えたようだけど、それをただ獲物が増えたと認識しているのが多かった。あれらにとって、深海棲艦とは戦果を挙げるための糧でしかない。どれだけ多くの敵を沈め、どれだけの戦果を挙げられるか。いくらでも湧いてくる深海棲艦は、自分の価値を高めるには都合のいい狩りの獲物なのよ。今日は何をどれくらい狩りました、と胡麻をすりながら上へと報告する姿は情けないったらないわね」

 

 これもまたエリート思考になった卒業生という結果なのだろう。上に取り入るために深海棲艦を沈める。本来ならば国を守るために戦うはずが、どうしてこうも歪んだのだろうか。

 とはいえ、彼らもまた目的は違えど、確かに艦娘らを強くさせ、敵を沈めている。それが国を守る事に繋がっているのだから、責められる謂れはない。そして何だかんだで彼らはきちんとその泊地を撃滅しているのだ。

 

「海藤、貴様の報告内容は、その泊地出現の前触れと合致する。……用心する事ね。そして本当に泊地が確認された場合、これが貴様にとって最初の越えるべき壁となるわ。自らの艦隊だけで越えるのか、あるいは他の鎮守府に救援要請を出すのか。自ら判断し、行動しなさい」

「承知いたしました」

「それと海藤」

「はい?」

 

 一礼して電話が終わるのかと思いきや、付け加えるように呼びつけられた。何だか前回も同じような展開になったような気がする。

 

「ちゃんと飯食っているか?」

「…………はい?」

「聞くところによれば、貴様、あまり食事に関心が向いていないそうじゃない。そっちではちゃんと食っているの? 間宮食堂があるのだから、いい飯を食って、きちんと体調管理する事ね。それもまた、提督として大事な事なのだから」

「え、ええ……まあ、一応食べてますよ」

「そう。それならば良い。貴様が倒れられたりすれば、貴様を推した私が困る。それを肝に銘じる事ね」

 

 それを最後に電話が終わった。だが凪はしばらくモニターを見つめ続けてしまう。

 呼びつけられたかと思ったら、まさかのツッコミに頭の処理が上手く追いついていなかった。

 やがて、背もたれに身を預けて大きく息を吐く。

 

「……おかんかよ、おい」

 

 そんなぼやきが出てしまうのも無理のない事だった。

 よもや大将からそういう心配をされるなど、誰が想像するだろう。ちり……と僅かにお腹に痛みが走ったような気がした。やがて神通が入室してくるまで、凪はずっとそうやって固まったままだった。

 

 

 神通から届けられた報告書に目を通していた凪は、とある記述に意識が向いた。

 北上の改装提案という記述である。

 改装とは一定のレベルに達している艦娘に、更なる力を引き出させるためのものだ。資材を消費して工廠のドックで妖精達に謎のパワーを用いて行うものである。

 北上は既にレベルには達していたが、資材の件と彼女の雷装技術の基礎を高めるために神通が指導を続けていたのだ。

 そして今、その神通から提案が来た。つまり、もう改装してもいいという見通しが立ったという事。

 

「改装するとあれ以上の魚雷を装備する事になりますからね。下手な雷撃をすれば、最悪味方に誤爆が発生しますから、今まで止めてました……。ですが今の北上さんなら、一隊で行動するだけならば、それもないだろうと思われます。複数の隊で行動する際には、それを踏まえた訓練が必要ですが」

「あの子、大淀相手に雷撃訓練してたよね。俺も時々見てたけど、確かに目に見えて成長は感じられた」

 

 神通が駆逐の方に指導を行っている時は、大淀を呼び出して雷撃訓練を行っていた。日々の努力の成果が確かに実を結んでいるようだった。

 そして改装すると、砲撃よりも雷撃に重きをおいた艦種へと変化するのだ。

 

「……ん? 千歳も改装可能のレベルか。このレベルとなると、一気に甲になれそうだね」

 

 千歳は改を経て千歳甲へと変化していく。

 改装レベルが低くとも、その姿を少しずつ変化させて能力が伸びていくタイプらしい。ならばやらない理由はなかった。

 二人の改装許可書に判を押し、神通に手渡した。

 

「では二人を呼び出し、改装させますね……」

「うん。……その様子って見れるの?」

「工廠ドックの中で行われるので、見れませんね……。お待ちいただくことになりますが」

「やっぱりそうなるよねー。でも、二人を出迎えるために行きますかね」

 

 

 北上と千歳を工廠に呼び出し、改装について説明する。

 二人は快く了承し、それぞれドックへと向かっていった。扉が閉まると、何やら音が聞こえてくる。金づちが打ち付けられる音だったり、ドリルのような音だったり、時にはわけのわからない音だったり……。

 というか最後のあれはなんだ? 妖精はあそこで何をしているのだろうか。

 そんな疑問をよそに改装が進み、扉が開かれた。

 最初に出てきたのは北上。

 目につくのはやはりその魚雷の数。足に二つ、腕に一つの四連装魚雷が見かけられる。

 軽巡から重雷装巡洋艦、と呼ばれる艦種へと変化した結果だ。その多くの魚雷を用いて敵を雷撃するのが得意なのだが……、艦の時代ではあまり活躍できなかったそうだ。

 また何気に服装も冬服になっている。

 続いて千歳。千歳改を経て千歳甲となったため、北上より少し遅れての登場となった。

 両肩にもカタパルトが付き、両足には魚雷発射管が付いている。

 偵察機を飛ばし、砲撃を行い、雷撃能力も高まった。それが、千歳甲という艦娘だ。

 

「うーん、九三式酸素魚雷満載で、重いわ~」

「確かに、それだけ魚雷を持ってたらそうなるよね。下ろして楽にしていいよ」

「ほーい」

 

 艤装を解除し、楽になると大きく息を吐いて脱力する。いつも以上にゆるゆるな表情を浮かべているから、艦娘とはいえ余程それが重かったのだろう。

 千歳も楽にしていい、と言うと一礼して彼女も解除した。

 妖精らが出てくると、改装結果を記した書類を渡してきた。これにより、どれだけ変化したのかが数字でわかるようになっている。

 北上はやはりと言うべきか雷装値がぐんと伸びている。それ以外は普通に強化された程度だけに、その異質さが際立っていた。

 千歳も魚雷発射管が付いたことで雷装値が伸びており、それ以外も普通。どちらも同じような成長をしている事がわかった。

 また装備しているものの中に甲標的なるものが二つ確認される。

 

「甲標的……ああ、魚雷搭載の小型潜水艇のあれか」

 

 二人乗りの小型潜水艇。これはひっそりと敵港まで近づき、港に対して魚雷を発射するものだ。元々の想定としては艦隊決戦の前に敵艦隊の進路上に展開し、魚雷をぶち込む事らしい。

 艦娘としてはそれが可能となっている。深海棲艦を発見した後、甲標的を発進させて進路上に向かわせ、魚雷をぶち込むのだ。敵から先手を取って雷撃を撃てるようにする装備と言える。

 

「ふむ、千歳。甲標的の一つ、北上に渡してやって。二人で一つずつ装備しとこう」

「はい。では、どうぞ」

「ほーい。ありがとね」

 

 顕現した甲標的を北上に手渡し、北上はそれを確認して消した。

 

「では、実際にそれを使用するため、実戦に参りましょうか……」

「え? 実戦~? 訓練じゃなくて?」

「雷撃戦は十分に訓練したでしょう。千歳さんも、多少なりとも雷撃戦を経験していますので、私から見ても実戦投入は問題ないと判断しています……。それに、敵を発見し、先制して雷撃を行うのが甲標的です。それは、訓練よりも実戦でどのタイミングで撃つかを覚えた方が、より効率がいいと考えます……」

「確かにそうですね。千歳としても、神通さんの提案に賛成します」

「如何でしょうか、提督」

「俺としても異論はないよ。実戦に勝る経験はなし。それに、これによれば改になった際に瑞雲が装備されているみたいだね? 瑞雲の使い方もこの際覚えていくという目的も果たされる。色々試してくるといいよ」

 

 妖精から提出された書類には、水上爆撃機である瑞雲が書かれている。

 偵察機を発展させた機体であり、偵察を行うだけでなく、爆撃能力を備えているのが特徴だ。とはいえ空母らが装備するような艦爆と比べると威力は控えめなのは否めないが、水上機母艦である千歳が運用できるものとしては十分と言える。

 空は瑞雲、海は甲標的で敵から先制して攻撃手段。これらが得られただけでも艦隊としての強化は十分に果たされているといえよう。

 

(それに近海の状況変化の事もある。これらの装備を早いところ使いこなしてもらわないと。同時進行として、防御面の強化……やる事が増えてきたな)

 

 ただただ攻撃能力だけ強化するだけではだめだ。

 回避行動や装甲の強化も課題になっている。その事を考えていると、「提督? どうかしましたか……?」と神通が声をかけてきた。

 

「あーうん、攻撃だけでなく防御についてもよろしくね」

「はい。では、駆逐級相手にしばらく戯れてみましょうか」

「油断せずにお願いするよ」

 

 例え駆逐イ級だとしても、敵は敵。実戦ならば油断すれば沈む可能性がある。気を緩めずに引き締めてほしいと釘をさしておく。それに一礼し、神通は二人を連れて工廠を後にする。

 執務室へと戻って来た凪は改めて鎮守府にいる艦娘らのリストを確認した。

 今現在の彼女達の状態、レベル、能力の数値などが書かれたそれらに目を通していく。

 ここに勤務してから半月。その間でこれだけ成長した彼女達。もちろん凪が建造した艦娘だけでなく、先代から引き続いて所属している長門と神通も訓練の指導によって多少なりともレベルが上がっている。

 特に神通は日々指導に当たり、第一水雷戦隊の旗艦として行動もしているため、長門よりもレベルが高くなりつつあった。

 

(そういえば夕立達もこれは、もう少ししたら改装可能になるのか)

 

 夕立ら駆逐のレベルは17~19となっている。明日明後日にはレベル20となり、改装可能となるはずだ。これによって安定感が増すだろう。

 夕立だけではない。球磨や川内という軽巡も改装できるはず。そして摩耶もまた他の重巡と違って少し早く改装可能。

 つまり皆もう少しすれば、一気に改装できる。それはつまりより艦隊が強化されるという事になる。

 その分多く出費する事になるが、構わない。今はとにかく彼女らを強化させなければ話にならない。

 出るかもしれない泊地という新たなる脅威に備えるために。

 最悪の被害を出すのを防ぐために、出来る事は全てやらなければならないのだから。

 

 

 



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出撃

 

「戦艦ル級、確認しました!」

 

 千歳が放った瑞雲から得られた情報を神通に伝える。

 瀬戸内海をさらに南下し、宿毛湾付近まで遠出してきてみたのだ。近海で何戦か行って瑞雲、甲標的の具合を試した後に一時帰還し、もう一度出撃してここまで南下したのだった。

 結果、どうやら瀬戸内海まで出没している深海棲艦はどうやら四国と九州の間にある海域付近から湧いてきているらしい疑惑が出てきた。

 ちなみに宿毛湾といえばかつて泊地があった場所であり、対岸にある佐伯湾も泊地があった場所である。今現在は提督が着任する様な状態になっていないため、静かなものだが。将来的には、泊地として利用される可能性はあるだろう。

 

「敵艦隊の全貌、わかりました。戦艦ル級1、重巡リ級1、軽母ヌ級1、軽巡ヘ級1、駆逐ロ級2です」

 

 全身黒ずくめのノースリーブの服装を身に包み、長い黒髪を流し、両手に装備している外郭を纏った盾の様な装備もまた黒が目立つ。そこには砲門がずらりと並び、戦艦らしい重兵装を感じさせる。

 あれこそ、深海棲艦にとっての戦艦、ル級だ。

 追従するのは黒いショートカットをし、ビキニの様な出で立ちをした深海棲艦。両腕に駆逐級を艤装化したかのようなものを手甲の如く腕に嵌めて装備している。これが重巡リ級だ。

 どちらも他の深海棲艦と違って人に、いや艦娘に近しい姿をしている。駆逐や軽巡ではまだまだ魔物の様な面影を残していたのに、艦種が重くなるにつれてより人型になっていくように調節されている事が窺わせる。

 そしてリ級の背後にいるのが、軽母ヌ級。

 楕円形のような魔物の頭部を肥大化させたようなものに、手足が生えている、と言った方がいいのか。左側に目のようにぎらつく光が存在し、右目の様な箇所には砲門が貫通して飛び出している。生き物の口にしてはあまりに大きいそこが、なんと軽空母としての特徴である艦載機発艦場所らしい。

 飛行している瑞雲に気付いたらしく、ヌ級は大きく口を開けて何かを吐き出していく。それらはエイのようなあるいは尻尾のないカブトガニのような出で立ちをし、下部に武装が存在している。

 発艦完了すると、光を放って分裂して編隊を組む。そのまま瑞雲と、瑞雲を発艦させた千歳を探し出した。

 瑞雲を引き戻しながら、千歳は甲標的の準備をする。北上もそれに続き、千歳の指先の方向へと甲標的を発射させる。

 それらは海中に沈み、ル級らへと接近していく。甲標的の妖精は二人とリンクしており、どのコースで接近するか、いつ魚雷を撃つのかのタイミングも二人に委任される。

 神通は遠くに見えるル級らを見つめながら、どのコースを通っていくかを考える。この第一水雷戦隊では戦艦の主砲のような遠距離から攻撃する手段はない。瑞雲もヌ級の艦載機の前にはほぼ無力。

 爆撃する前に撃ち落とされるのがオチだ。

 

「――――!」

 

 ル級も神通達に気付いたらしい。方向転換して真っ直ぐに単縦陣で突っ込んでくる。その動きに神通も応えるように進路を切り替え、T字有利になるような航路で旋回していく。

 ちらりと肩越しに後ろにいる北上に目配せすると、北上は小さく頷いた。

 放たれた甲標的はぴったりル級らの側面を捉えている。砲撃体勢になる前に、甲標的から魚雷が放たれた。放たれた計四発の魚雷。役目を終えると、撃沈されないように更に深くまで沈んでいく。

 放たれている魚雷にル級達は気づいていない。奴らの目には沈めるべき憎き敵、艦娘の神通達がいるのだから。だからこそ、側面から迫ってくる魚雷に気付かなかった。装備している電探に魚雷の反応があり、ようやく気付いた時にはもう遅い。

 四本のうち、二本が命中した。

 悲鳴を上げて沈んだのはへ級とロ級の一体ずつ。突然の魚雷に仲間二体が撃沈されて困惑しているらしく、甲標的がいた方向を見やるル級。他に艦娘がいるのか、あるいは潜水艦が潜んでいるのかと意識が神通らからそれてしまった。

 これを機に指で魚雷発射の指示を出す。方向を決め、向かってくるル級達を迎え撃つように魚雷を一斉に撃ち出す。特に北上からの魚雷の数は壮絶だ。さすがは重雷装巡洋艦というだけはある。

 まるで海を魚雷で染めるかのように、一人で十を超える魚雷が放たれた。

 だが、酸素魚雷のため雷跡は見えにくい。意識が逸れた短い時間は十分に魚雷が接近する時間となる。しかし神通達が魚雷による優勢を取ろうとするように、向こうにはヌ級がいる。放たれていた艦載機が一斉に神通達へと向かっていたのだ。

 

「対空迎撃用意!」

 

 と、神通が指示すると、艤装に機銃が顕現する。主砲を装備している手や、腕を高く持ち上げ、「撃ち方始め!」の掛け声とともに砲撃する。

 頭上に迫る艦爆や、離れた所で低空飛行をし始める艦攻。これらを撃墜するべく、それぞれが砲撃を行い、弾幕を張る。いくつかの艦載機が撃墜されて海へと墜落していくが、それでも全てを落とすには至らない。

 頭上から爆弾が投下され、全速を出して蛇行しながら回避を試みる。

 

「っ……」

「きゃ……!?」

 

 爆風が響に襲い掛かり、左肩の服が破れる。その後ろでは千歳の右肩のカタパルトが爆発によって破壊されていた。これでは発着艦が出来なくなるが、全てのカタパルトがやられたわけではない。

 それに、まだ攻撃が終わったわけではない。

 艦攻の生き残りが魚雷を放っている。

 

「魚雷の間をすり抜けて……!」

 

 神通が指示を出すと、あえて自ら迫りくる魚雷へと向かっていく。編隊を組んでいる以上、艦載機と艦載機の間には距離がある。それはすなわち、向かってくる魚雷群もまた間に距離がある。

 それは魚雷の進行する向き、つまりは角度によって進んでいくたびにも魚雷同士の距離が開くことがある。その間をすり抜けて魚雷をやり過ごす回避行動だ。

 魚雷の航跡を読み切り、神通は安全な道筋を見出す。これもまた経験が生きた証だ。それに追従するように北上達も続いていく。

 同時期、ル級達にも魚雷が迫っていた。前方から迫ってくる魚雷から逃げきれず、リ級、ヌ級に魚雷が直撃。だが、リ級は中破で耐えきり、ヌ級が撃沈。続くようにして後ろにいたもう一体のロ級も直撃を受け、沈んでいった。これで残るは二体。

 怒りに震えるようにル級が艤装を海面に叩きつける。

 

「……ル級に当たらなかったのが痛いですね」

 

 神通がそう呟いた。水雷戦隊において魚雷こそが攻撃の華。特に戦艦を相手にする場合は、砲撃よりも魚雷を用いて倒すのが望ましい。砲撃では戦艦の厚い装甲を撃ち抜けない事が多いのだ。

 そして今、ル級達とは反航の状態で距離が縮まってきている。

 航路としては速度を落とし、北上へと切り替えようとしている状態だ。ル級らは南下の状態であり、お互いの顔がもうはっきりと見えている。

 魚雷を再び撃つことはできない。現在は次発装填中だ。となれば砲撃するしかないが、通るとするならばリ級ぐらいのものだろう。

 ル級が砲撃体勢に入りだした。しっかりと海面へと艤装を押し付け、狙いを定めてきている。戦艦の砲撃だ。駆逐艦には手痛い一撃となるのは明白。蛇行するため神通はいったん距離を取る進路を取る。

 轟音が響き、奴の怒りを込めた凶弾が迫りくる。「全速!」と同時に告げて回避し、何とかそれらから逃げる事が出来た。だが中破しているリ級が追撃するように砲撃してきた。

 神通は音に反応して素早く軌跡を読み取り、自分を狙った砲撃と気づいて滑るように旋回した。先程までいた場所、頭部をすり抜けるように弾丸が通り過ぎ、後に続いていた北上が「うひゃぁ!?」と驚きの声を上げる。

 海に手を付けながらの回避行動だったが、素早く起き上がって後ろを確認。ル級の艤装が次段装填している様子を見て、「砲撃します! 目標、リ級! 撃ち方始め!」と指示を出す。

 ル級よりも沈められる可能性が高いリ級を狙って砲撃開始。距離を保ったまま反航しつつ変わらずに北上するのだ。

 神通の頭にはル級を倒すよりも、このまま北上して鎮守府に帰還する事を考えていた。無理に倒す必要はない。夕立達が生き残る方法を取るまでの事だ。

 それに感づいたのか、夕立が砲撃しながら問いかける。

 

「沈めなくてもいいっぽい?」

「はい。魚雷の次発装填が間に合いません。砲撃では私達ではあれを沈める事が出来ません。無理に沈めるために交戦を続行すれば、あなた達の被害が増える可能性があります……。私は、それを選ぶことは出来ません。今はあなた達の、生存を優先します」

 

 その説明に、誰も異論を挟まない。質問した夕立も神通の考えに異を唱えることはなかった。彼女の中には敵を沈める気持ちが強いのかもしれないが、かといって神通の言う通り無理に戦って被害を更に増やしてまでやる事ではない、と理性が働いているようだ。

 そしてル級もどういうわけかそのまま追いかけてくる様子もなく、神通達をちらちらと見ながらも南下していく。その様子に疑問を感じた神通は千歳に指示を出す。

 

「偵察機をお願いします。ル級に付かせてください」

「わかりました。……瑞雲、お願いします」

 

 左肩と右腕のカタパルトから二機の瑞雲が発艦される。左右に散った瑞雲が高度を上げ、ル級の背後から追跡していった。

 また潜航していた甲標的が浮かび上がり、それぞれ北上と千歳に回収される。

 そうして神通達は呉鎮守府へと帰還していく事となった。

 

 撤退していったル級はしばらく海上を航行し、やがて潜航し始める。こうなれば瑞雲に追跡は出来ない。妖精を通じて様子を窺っていた千歳は帰還命令を出す。

 そこは左手に宿毛湾が見えている海域だった。

 誰もいなくなったその海域。その数分後にはここから南にある島から複数の影が出航していった。それは体部分が大きく丸みを帯びている深海棲艦であった。

 

 

 



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偵察

 

「これで、改装は全て完了かな?」

 

 報告書を手にしながら凪はそう言った。右手には既に判の推された書類が積まれている。

 目の前いる長門がそれに対して頷いている。

 

「戦艦としての技術は十分に仕込んだつもりだ。後はあの二人が自ら航空戦艦としての技術をどう高めるかにかかっている」

 

 あの日から更に三日経過していた。

 練度を高め続けた事で呉鎮守府の艦娘らは次々と改装されていった。そして今、山城と日向もまた改装されたのだ。

 それによって二人は戦艦から航空戦艦へと切り替わっている。

 戦艦としての砲撃能力は少々低下した代わりに、瑞雲という水上爆撃機を発艦させる能力を得ている。艤装にもそれが現れ、盾のように飛行甲板を手にするようになっている。

 また他の艦娘達も順調に改へと改装され、基礎能力を高めることに成功していた。

 全員を改装したためその分だけ資材が減ったが、それに備えて遠征を繰り返してきたのだ。それによって何とか五千はキープされている。最早ここが凪にとっての心理的な意味で資材の最終ボーダーラインとなっていた。

 

「さて、改装が終わった事で、こちらとしての準備はほぼ終わったと言ってもいいかな」

「では、仕掛けるのか?」

「千歳のおかげで大体の目星はついている。定期的に偵察してくれたおかげでね」

 

 そう言いながら近海とその周囲の地図を広げる。

 その指が宿毛湾付近を示した。特に先日神通達がル級と遭遇した地点だ。

 

「ここから逃げたル級はこちらへと逃げていき、潜航していったという」

 

 潜航した点については特に突っ込む要素はない。奴らは深海棲艦であり、ほとんどの場合深海からやってくる。潜航したまま攻撃してくるのは潜水艦だけであり、それ以外の水上艦は全て海上に出てから攻撃してくる。その違いだけだ。

 

「美空大将殿が仰っていた泊地が出現する可能性として挙げられるならば、宿毛湾、佐伯湾の両泊地跡。だがそこを選ぶならば周囲の建物らを破壊し、人を退去させてから行うだろうし、そうでなくとも湾内に入れば人の目がそれなりにある。ここに泊地が出現する事はないだろうと判断する」

 

 ならばどこが考えられるのか。

 その指は更に下へと移動していった。そこには小さな島がある。

 

「鵜来島、姫島、そして沖の島。このいずれかだろうと俺は推測している」

「なるほど。その島々は現在は人がいない。あり得ない話ではないな」

 

 北に一つ鵜来島。その南西に姫島。そこから東に向かうと小島を挟み、三つの島の中で一番大きい沖の島がある。

 深海棲艦が確認され始めた事で、沖にある島々からは人は離れていった。国内であったとしても、海は奴らのテリトリーである。島に暮らしていると、いつ深海棲艦によって食料などの分断が行われるかに怯えながら暮らすしかなくなる。そのためほぼ全ての島から人は消えてしまう事となってしまった。

 無人島と化したそこに深海棲艦が集い、件の泊地を呼び寄せる準備を進めるという事はあり得る出来事だった。だがそこまで推測したとしても、それを潰すための戦力は必要だ。昨日までの凪にその力はない。

 だが今日、山城と日向の改装が完了した。

 これによって艦隊の増強は整ったと言える。

 後は本当にそこが深海棲艦の拠点となっているのか否かを確認するまで。

 

「神通と球磨を呼んでくれ。これより、かの三島の偵察を行う」

「承知した」

「それと、山城と日向には腹ごしらえをするように言っておいて。今こそ溜まったあれを消化する時だろうし」

「……ああ、あれか。なるほど。承知した」

 

 

 任務概要を通達すると、二人は敬礼して退出していった。

 第一水雷戦隊と第二水雷戦隊を同時出撃させ、沖の島を目指す。二手に分かれて三つの島を左右から挟むように移動し、偵察を行うのだ。偵察機を飛ばすのは千歳と利根が主であり、異常が発見されればそれを調べ、撤退する。

 交戦は許可するが、敵の戦力が強力ならば撤退戦を行い、生存率を上げるべし。

 このように通達した。

 また大淀には指揮艦の準備を進めるように指示した。これは各鎮守府に配備される艦であり、鎮守府を離れて大規模作戦に参加する際に提督が乗船する艦だ。艦娘らもこれらに乗船し、遠く離れた海域へと移動する。

 艦には入渠ドックも配備されており、治療もここで行う事が出来る。

 先代提督もこれに乗船して南方に向かい、そして撃沈されたのだ。

 そう、提督もここにいる以上、指揮艦を守るための警備隊を用意しなければ、深海棲艦によって直接撃沈される恐れが当然ながらある。艦隊運用するための資材も乗せるため、撃沈されれば失うものがかなり多いというデメリットもあるので注意しなければならない。

 凪は長門と共に執務室を後にし、指揮を行うための部屋へと移動した。ここには通信機をはじめとする設備があり、席について神通達からの連絡を待つことにする。

 

 やがて神通率いる第一水雷戦隊と、球磨率いる第二水雷戦隊は間もなく目的の海域へと到着しようとしていた。二手に分かれた両者は、それぞれ敬礼をしあって距離を離していく。

 

「ご武運を」

「そっちも健闘を祈るクマ」

 

 言葉をかけあって島々を目指していく。お互いの姿が見えなくなる頃、千歳は瑞雲を発艦させた。神通達より先だって様子を窺いに向かう瑞雲。そう時間をかけず、妖精が何かを見つけたようだ。

 

「敵艦隊、発見しました!」

「艦種は?」

「軽母ヌ級1 雷巡チ級1、重巡リ級1、軽巡ヘ級1、駆逐ハ級2です」

「なるほど……。では対空迎撃、用意。念のため甲標的を。陣形、輪形陣へ」

 

 神通の指示に従い、北上と千歳が甲標的の用意をする。ヌ級に撃墜されないように瑞雲を戻し、進路上に向かうように甲標的を発射し、単縦陣から輪形陣へと切り替えていく。

 まだ敵はこちらに気付いていないようだが、ヌ級が艦載機を発艦させ、周囲の警戒を始めた。距離があるが、甲標的が位置に付く前に艦載機の方が先手を取られるだろう。

 ここで余計な消耗は避けたいところだが、それはヌ級の艦載機次第だ。

 距離を取るように動きながら、艦載機の出方を窺う。だが見つからないように、という願いもむなしく、艦載機の一隊が神通達に気付いて接近してきた。信号が発せられたのか、ヌ級らも進路を変えて迫ってくる。

 

「撃ち方、始めてください!」

 

 砲と機銃の一斉射。展開されるそれらは敵艦載機を容易に近づかせず、次々と撃墜されていった。それでも二つの爆弾が投下されたが、これもまた展開される弾幕によって空中で爆発し、被害は微量のものとなる。

 祥鳳を相手にした対空迎撃訓練による成果だけでなく、改装された事で能力も上昇している。狙いはより正確に、装備妖精もまた能力が反映されて動きがより精巧なものとなる。

 これらによる結果が如実に表れていた。ただのヌ級相手ならば、初撃を防ぐことに憂いは感じられない。

 そしてヌ級の背後にいる新たなる深海棲艦。

 上半身は人型に近く、顔は仮面のようなものに覆われている。そして下半身はというと、艤装と一体化しているかのようで、まるでサーフィンをするかのように移動している。左腕は砲撃を行うための砲門が窺え、下の艤装の口からは魚雷を発射するという。

 雷巡と呼ばれるだけあり、砲撃よりも雷撃を得意としている深海棲艦だ。

 左目の光が神通達を捉え、ぐいっとライドしている艤装の向きを変えてくる。島を目指す神通達の行く手を阻むかのように魚雷を発射してきた。それを確認した神通はハンドサインでスピードを下げるように指示し、方向転換。

 同時に北上と千歳の指示により、甲標的から魚雷が発射される。突然の魚雷の反応にチ級とリ級が驚きの表情を浮かべるが、もうすぐそこまで魚雷は迫っている。

 悲鳴を上げて大爆発を起こして沈むのはヌ級だった。それ以外は魚雷を回避したらしく健在だった。

 

「陣形、単縦陣へ。敵を殲滅します」

 

 ヌ級が沈んだことで対空迎撃を意識する必要はない。攻撃陣形である単縦陣へ切り替えて、残りの五体を沈める方向に切り替えた。

 今の練度ならば、問題なくそれが出来ると神通は信じている。それに応えるかのように夕立はとてもいい笑みを浮かべている。戦闘を行えることが楽しくて仕方がない、とでも言うかのように。

 

「さあ、どんどん沈めていくっぽい!」

「ええ、存分に参りましょう。これは偵察とはいえ、見つかってしまっては連絡される事を防がねばなりません。魚雷の用意を」

 

 旋回した事で右方向に向かっていくチ級の魚雷をやり過ごす事が出来た。

 お返しするように、神通達も魚雷を発射する。僅かにT字に近い反航の状態で放たれた魚雷はチ級らの進行方向に向かっていく。続けて主砲の用意をし、一気に殲滅する体勢へと移行していった。

 それからは、確かに全く憂いのない戦いだった。

 先手を取ったのはリ級だった。狙いすました砲撃の体勢を読み取った神通が距離を取るように進路を変更。加速して砲撃をやり過ごすと、お返しするように神通と北上が砲撃を仕掛ける。

 チ級とリ級にそれぞれ命中した刹那、魚雷が到達し、その追撃によってチ級とリ級を撃沈。それによって浮き足立ったへ級らへと急激に接近。夕立らの砲撃によってとどめを刺されてしまったのだ。

 

「んー、最高の戦いっぽい!」

「お見事な采配ですね~」

 

 流れる様な殲滅に沸き立つ夕立。綾波も満面の笑顔で勝利を喜んでおり、響も声には出さないが、満足そうに頷いている。だがこれはあくまでもただの偵察。すぐに神通が引き締めるように声をかけた。

 

「喜んでばかりもいられませんよ。さ、行きますよ。そうやって気を緩めてはいけません」

 

 甲標的を回収して、再び瑞雲を発艦させて南下する。

 それから数分が経過した頃だろうか。瑞雲が妙なものを見つけた。

 そこは確かに件の三つの島がある海域だ。その中の一つ、沖の島の周囲が僅かに赤みを帯びているように見えるのだ。海は普通は青く見えるはずだ。だからこそ僅かな変化だとしても、奇妙なものとして映える。

 

「異常事態です。沖の島周辺に赤みを確認しました。……いえ、それだけではありません。あれは……輸送ワ級でしょうか。それに、あのオーラ……重巡リ級エリートです!」

「ワ級に、リ級エリート……ここでエリートですか。それに加えて赤みもあるとなれば、これはもう黒ですね。響ちゃん、鎮守府に打電を。まだ本命は確認されていませんが、それでもこれは報告すべき事案です」

「了解」

 

 響が打電する中で神通は「千歳さん、そのワ級の編成は?」と千歳に問う。

 瑞雲を通じて確認されたそれらは、輸送ワ級3、重巡リ級エリート1、駆逐ロ級2だった。

 輸送ワ級。輸送と名が付くだけあって、深海棲艦における輸送船の役割を担う存在だ。目につくのはやはり体のその大きな丸みだろう。正しくはそれは艤装であり、体の部分はちゃんと人の形をしているのだが、黒い布のようなもので左肩から胸を通って艤装へと繋がっており、それ以外は素肌だ。その両手が艤装に拘束されているかのように見え、艤装で海を疾走しているようだ。

 頭部は顔と上あごのようなヘルメットに覆われて中身が見えないのも特徴だ。

 そして重巡リ級エリート。

 通常のリ級と違い、赤いオーラを纏っているのが見て取れる。目からも赤い燐光が迸り、他の深海棲艦よりも強い存在であることをありありと示していた。

 深海棲艦の中でも通常の個体よりもより強固な存在となったもの。

 艦娘が改となるように、深海棲艦もまた通常からエリートと呼ばれる赤い存在となる事で強化されている。体力や能力が強化されており、通常個体であるノーマルよりも撃沈させる事が難しくなっている。

 だが一体だけならば今の第一水雷戦隊ならばなんとかなる。

 それに輸送ワ級という存在は、深海棲艦にとっての輸送船。それは資源を前線基地や泊地へと送り届けるのが役割だ。補給線を断つことはかつての大戦の時も艦娘になった今でも、変わる事はない。

 

「ワ級を沈めます。瑞雲はそのまま偵察へ。沖の島の探りをお願いします」

「了解しました」

 

 進路は変わらず沖の島方面。となると、前方に鵜来島が見え始めてくる頃合いだ。その周辺にそのワ級らがいるらしい。

 瑞雲は沖の島目指して更に南下する。海の赤みは相変わらずその異質さを際立たせ、無人となったそこは昼だというのに静寂。鳥もいないその静かすぎる空気が、より不気味な気配を漂わせていた。

 何かがいる、そう予感させるには十分な空気だった。

 

 

 




ここでの沖の島とは、ゲーム内の沖ノ島とは違います。

ゲームではマリアナ沖海戦方面を元ネタとした沖ノ島ですが、
ここの沖の島は高知県の沖の島です。


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偵察2

 

「敵輸送隊発見。殲滅します。砲雷撃戦、用意!」

 

 鵜来島付近でワ級をはじめとする輸送艦隊を発見し、神通達は接近を試みる。既に甲標的は放たれ、先だって艦隊へと接近していた。するとワ級を守るべくリ級エリートらが前へと躍り出る。

 目から赤い燐光を放つリ級がじっと神通を見据えており、彼女が旗艦である事と、実力者であることを感じ取っているかのようだ。だがもう神通達の方が先手を取っている。

 甲標的から魚雷が放たれ、奇襲を仕掛ける。

 

「……!」

 

 リ級エリートがそれに気づいたらしく、旋回して魚雷の方へと向かっていった。気づくのが若干遅れ、すぐそこまで迫っていたというのに、度胸ある行動で魚雷をやり過ごしたが、ロ級とワ級が一体ずつ撃沈する。

 仲間を落とされ、燐光が怒りに燃えるように輝きを増したように見える。砲門を向け、砲撃開始。弧を描いて飛来する弾丸を蛇行によって回避するが、続けるように逃げる方へと魚雷を発射してきている。

 更にロ級にも指示を出したらしく、魚雷がロ級から発射される。これがエリートというものだ、と言わんばかりの采配。

 

「魚雷に注意してください。……砲撃、用意を……!」

 

 ぎりぎりとコースを見出して航行し、リ級エリートらへと更に接近。夕立ら駆逐も射程内に収めるよう試みる。側面を通過していく魚雷を感じながら、一斉射撃。狙い通りリ級エリートとロ級に着弾していくが、ロ級はまだしも、リ級エリートには小破程度しかダメージが与えられない。

 ワ級はただリ級エリートの後ろをついていくだけ。なぜならばただ輸送するだけの存在なので、武装はしていない。つまり後はリ級エリートを沈めれば、ゆっくりと料理できるのである。

 反航で両者は接近するが、リ級エリートは夕立達が砲撃の用意をしているのを見て距離を取るように離れるようなコースを選択した。ならばと、神通は魚雷の指示を出す。

 逃げるように距離を取るならば、追撃するようなコースで魚雷を発射。また後ろについていくワ級を狙って砲撃開始した。

 無抵抗な敵を撃ち続けるという構図だが、なりふりかまってなどいられない。ワ級の悲鳴を聞いて、リ級エリートがバックしながら砲撃を仕掛けてきた。

 

「きゃ!?」

 

 その反撃に驚いた綾波が回避が遅れ、被弾してしまう。だが同時に魚雷が敵へと到達し、負傷していたワ級が撃沈し、リ級エリートも足元をすくわれて大破してしまった。

 好機を逃す神通ではない。追撃を仕掛けて確実にリ級エリートを撃沈し、夕立らが残ったワ級も撃沈させる。

 神通は大きく息を吐いて辺りを警戒するように見回す。

 

「大丈夫? 綾波ちゃん」

「はい、小破程度です。大丈夫ですよー」

 

 綾波は多少制服が吹き飛んだだけで留まっていた。しかし負傷は負傷。神通は周囲に敵がいない事を確認すると、鵜来島を指さす。

 

「少しあそこで休憩しましょう。瑞雲はそのまま偵察をお願いします」

『はい』

 

 返事し、神通達は沖の島から見えない位置で鵜来島を目指すことにした。

 

 一方、同時刻。

 球磨率いる第二水雷戦隊もまた敵と戦闘していた。こちらは重巡リ級エリート1、重巡リ級2、軽巡ホ級1、駆逐ニ級2という水雷戦隊だった。

 利根が沖の島へと偵察機を飛ばしている間、周囲を警戒していた球磨達へと接近してきていたのだ。

 

「エリートがいるクマ。用心するクマ」

「夜戦じゃないからあんまり気乗りしないなー」

「んなこと言ってる場合かよ!? おら、砲撃準備!」

「ま、摩耶さん……落ち着いてください」

「こんな時まで騒いだら、あいつらに隙晒しちゃうよぉ……」

「やれやれ……多少はマシになったとはいえ、お主ら元気じゃのお……」

 

 だが第二水雷戦隊のメンバーというのは、何というか個性的だった。

 旗艦球磨は口調と雰囲気が緩く、川内は夜戦好きで昼は少々気落ちする。そんな川内にツッコミを入れる男勝りな摩耶に、真面目な初霜もなだめる様子がよく見られる。そして皐月がどうしたものかと微妙な表情を浮かべ、利根もまた彼女らに苦笑や微笑を浮かべる。

 

「クマー、魚雷準備するクマ。……そこクマ!」

 

 現在は同航。同じ進行方向で敵と航行する形だ。

 敵の進行先を狙って魚雷を発射し、続けて砲撃戦へと移行する。だが、敵もまた球磨達を狙って砲撃を開始した。

 お互い中距離で撃てるのが四人ずつ。同航戦によってお互い狙いをつけやすく、正真正銘の撃ち合いだ。だがそれでも弾丸を避ける手段として、速さを変える、蛇行するなどして被害を抑える方法はある。

 球磨達から放たれた弾はホ級に大破、ニ級を一体撃沈する事が出来た。だが敵から放たれた弾丸も川内と初霜へと着弾した。小破未満のダメージではあるが、被弾は被弾だ。

 そこで放たれた魚雷が到達し、リ級二体を中破へと追い込んだ。

 旗艦であるリ級エリートが被害状況を確認し、唸り声らしきものを上げて魚雷を撃ってきた。続くようにニ級も魚雷を撃ってくると、球磨は進路を変える。初霜と皐月が撃てる距離まで接近しつつ魚雷を回避。二人が砲撃し、大破に追い込んでいるホ級を撃沈させる。

 

「そら、いくぜぇ!」

 

 次弾装填し、摩耶をはじめとする軽巡と重巡が砲撃する。神通の訓練によって砲撃の練度を上げているためか、命中率は安心出来る。絶対に逃がさないとばかりに次々とリ級らに当てていき、リ級が撃沈、リ級エリートが中破した。

 駆逐の砲撃はあまり痛くも痒くもなく、軽巡もそれなりに通じるのがリ級エリート。重巡の装甲は伊達ではなく、ましてやエリートとなればより硬くなる。となれば重巡、それ以上の艦種となれば戦艦ぐらいしか通せない。

 だが通じるならば余裕は出てくる。魚雷を撃てない間の砲撃とはいえ、慣れてきている相手ならば被害を抑える立ち回りで切り抜けられる。

 魚雷を避けるために同航を崩し、背後に回り込むようにしながら動いていると、逃げる敵を撃つような構図でのT字有利となった。こうなればもう後はゆっくり処理できる。

 そう時間もかけず、全滅に追い込んでしまった。

 

「強くなったもんじゃのお。エリートが一体混じる程度では、揺るがぬな」

「そうだね。神通さんがあっちでいうエリート級みたいなもんだしね」

「さ、皐月ちゃん。そんなこといってはいけませんよ。神通さんに怒られてしまいます……」

「そうだよー。神通を怒らせると、エリートどころじゃあないよ? 今はいないからいいけど、あいつを怒らせちゃあいけない」

 

 口元に指を当てながら川内が言うのだが、どこか楽しげなのは気のせいではないだろう。

 

「その割には川内さん、時々神通さん怒らせてるよね? ボク、知ってるよ?」

「つーか、騒ぎまくって謝りに回ってる神通なら見たことあるな。あの後かぁ?」

「だって! 夜戦こそ水雷の華でしょ! もっと訓練に夜戦を盛り込まなきゃ! って抗議してるんだけどなー、全然聞いてくれないんだよ! 私は負けないから、どんだけ怒られようとも、ね!」

「抗議はいいが、吾輩らとしては、うるさくされてはかなわんぞ、川内よ……む? ちょっと待て、偵察機が沖の島へと接近じゃ」

 

 利根が放っている偵察機もまた沖の島へと辿り着いていた。千歳が放った瑞雲と違い、北西から沖の島へと迫っている。当然ながら利根も偵察機を通じて、島周辺の海が赤く染まっているのを確認する。

 

「なんじゃこれは……海が赤い。……む? あれはなんじゃ?」

 

 島の上空へとやってくると、一点に強い気配を感じた。北西の港跡だ。

 埠頭に腰掛けるように、何かが存在している。

 瞑目しているそれは人のようだが、下半身を見れば異質さが際立っている。

 上半身は銀や白の長髪が広がり、腰元のマントが扇情に広がるボディスーツのようなものを着こんでいる。頭部には角を思わせるような機械状の何かが生え、右側には長い砲門を持つ単装砲が一基ある。

 そして下半身はというと、深海棲艦らしい魔物のような艤装が両足から繋がれている。繋がれている部分は下あごのようなものらしく、歯が生え揃っており、その下にも口らしきものが赤い光をたたえている。

 不可解なのはその艤装から右腕が一本生えていること。何故一本なのかはわからないが、そのアンバランスさと不可解さが、より一層不気味さを感じさせる。

 偵察機を通じてそれを見た利根は鎮守府へと緊急通信を行う。

 

「利根から緊急通信。目標らしきものを確認。照合します」

 

 司令室で待機していた大淀がそれを受け取り、モニターに表示する。同じく待機していた凪と長門もモニターを見上げ、それを確認した。今までとは雰囲気も風貌も違う深海棲艦。だからこそ、それがなんであるかははっきりとわかる。

 

「照合完了。カテゴリー、鬼。泊地棲鬼です!」

 

 大淀の言葉に、凪は深く頷いた。

 通信機を手に取り、現地にいる彼女達へと通達する。

 

「第一水雷戦隊、第二水雷戦隊。偵察ご苦労様。我々もこれよりそちらに向かう。佐伯湾で合流しよう」

『了解しました』

『了解クマ』

「鎮守府に待機している艦娘に告ぐ。これより我々は沖の島へと向かう。指揮艦へと集合してくれ」

 

 ボタンを押して通信先を切り替え、鎮守府にいる艦娘、山城、日向、祥鳳にも通達する。

 立ち上がって長門と大淀を連れてドックへと向かうと、そこにはもう三人が揃っていた。中へと入れば、駆逐艦から軽巡程の大きさをした艦が鎮座している。

 資源は既に妖精達や大淀の手によって運ばれており、甲板に妖精達が敬礼しながら待機していた。

 

「かねてより懸念していた泊地棲鬼が確認された。我々はこれよりこれを撃滅する。気を引き締め、これに当たってほしい。……無理だけはしないようにね。では、行くよ」

『了解!』

 

 指揮艦へと乗り込み、艦橋へと向かう。妖精達の手によって機関が動き、凪達もまた沖の島を目指して呉鎮守府を出港した。

 航行する中で凪は山城達の下へ訪れる。三人は艤装を解いて楽にしているようだが、その表情には若干の緊張が浮かんでいた。

 無理もない事だろう。彼女らの実戦は近海のみで行われていた。ほとんどが訓練漬けであり、そんな中で泊地棲鬼という大きな敵を相手にしようというのだ。緊張もしてしまうだろう。

 

「無理に気負う必要はないよ。いつも通り、長門や神通に教わった通りの事をすればいい」

「そうだな……。だが、頭の中ではわかっていても、どうにも体というものはうまくいかないらしい」

「レーションは食ったのかい?」

「ええ、いくつか、もらいましたよ」

 

 集合をかける前にあらかじめレーションを食べるように言っておいた。航空戦艦の二人は改装したばかりで本格的な戦いや訓練をしていないが、それでも腹ごしらえと能力増強を兼ねたレーションで多少なりともマシな方にはなっているはず。

 また訓練をしていないとはいえ、艦娘というのはあらかじめ知識としては使い方を知っている。訓練とはそれをより艦娘として扱えるかどうかの効果を引き上げるものだった。

 そこが不安ではあるが、今回は不備があったとしてもカバーできるメンツを編成する予定だ。

 

「現地に着いたら、先行している娘達を少し休ませて出撃する。君達の出番だ。……ああ、安心していいよ。メンバーは長門、山城、日向、神通、摩耶、祥鳳で組ませる」

 

 長門と神通という練度の高い二人を一緒に組ませる事で、何かあった際にもフォローできるようにするという心遣いだ。それを聞いて少しは安心したような息をつくが、それでもやっぱり不安なものは不安らしい。

 こういう時にはどうしたらいいのか、と凪は少し考える。少しざわついた心と、僅かな痛みを感じながらも思い出した事を実行する事にした。

 彼女達へ凪は屈みこんで目線を何とか合わせる。

 

「山城、君はいつだって努力を重ねてきた。それは何故だい? 日向に負けまいとする負けず嫌いな心からだろう?」

「……ええ、そうですけど」

「今こそ、その成果を発揮する時。負けてなるものか、という気持ちを日向ではなく、奴らへと向けるんだ。そして積み重ねてきたものは、決して君を裏切らないと俺は信じている。……そう、俺は、君が頑張ってきたモノを信じる。……ま、俺にこう言われても、あまり効かないかもしれないけど」

 

 手を握るようなことはせず、ただ座っている山城を見て凪は優しく語りかけた。最後に視線を逸らして茶化してみせたが、それでも山城も視線を逸らして「……いえ」と否定する。

 

「少しだけ、ほんの少しだけ、楽になったような、気がします。……ありがとう、ございます」

 

 多少照れているのか、頬が赤い。卑屈ではあるが、根はいい娘だという事は数日の付き合いでなんとなくはわかってきているつもりだ。うん、と頷いた凪は日向へと向き直る。

 

「君も、山城と共に積み重ねた日々があるだろう。長門の教えを生かせば、戦艦の力を発揮する事が出来るはず。……とはいえ戦艦でも、航空戦艦でも、本格的な実戦はこれが初めてになるだろうけど。でも、華々しいデビュー戦を白星で飾れるように共に頑張ろうじゃないか」

「ああ、もちろんだ……! 瑞雲を手にした私の力を、見せてやろう。提督」

 

 最後に祥鳳の下へと訪れる。彼女も硬くはなっているが、凪が来たことで少しだけではあるが、微笑を浮かべてくれた。そんな彼女に、凪は頭を下げる。

 

「実戦ではあるが、艦載機があまり揃えられなくてごめんね」

「いえ、そんな。艦戦として52型を作ってくださっただけでもありがたいです」

 

 52型とは零式艦戦52型のことだ。俗にいうゼロ戦である。開発によって一機だけ作る事が出来たのだが、この一機しか艦戦が出てこなかった。建造でもそうだったのだが、開発でも妖精もご機嫌ななめだったのが悲しい。

 もう一つ52型があるが、これは祥鳳が改装した事で持ってきた代物のため、凪が作ったとは言えなかった。

 

「これだけで制空権を優勢にしろ、なんて無茶は言わない。摩耶を一緒に組ませるから、敵空母がいたら最初は何とかして防空に力を注ぎ、艦隊を守ってほしい。今回はそれが君の主な役割とするよ」

「はい。なんとか、皆さんをお守りいたします」

「ヲ級、ヌ級を沈めれば、恐らくはそこからが君の本領発揮だ。軽空母でも出来るってところを、俺に、敵に見せつけてやるといいよ」

「……もちろんです!」

 

 一人ひとり声をかけていく。

 提督としての仕事もあるが、休憩時間などを利用して凪は彼女達の訓練の様子を見に行っている。だから知っている。彼女達が積み重ねてきた時間と努力を。

 信じている、という言葉は頼もしく、同時に重い言葉だろう。

 こうして海域へと出撃しているが、凪に出来る事は誰を編成し、送り出し、そして信じる事だけだ。深海棲艦に対して、凪に出来る事は全くない。ここで祈る事しか出来ない。

 だからこそ信じている、という言葉は艦娘に重くのしかかるかもしれない。だから同時に、落ち着かせるように目線を何とか合わせ、彼女達へと労いの言葉をかけてやる。

 その慣れていない、無理に作ったどこか歪な笑顔を作って。

 その様子を部屋の外で、壁にもたれかかりながら長門が窺っていた。

 凪の行動、様子を観察する。それは今もなお続いている。

 特に今回は大規模ではないが、凪も出撃する戦い。そしてあの時と同じく、強力な深海棲艦を相手にする戦いなのだ。

 そこでの行動が特に注目される。

 強大な敵を相手にした時こそ、人間というものの本性が浮き彫りになる。今でこそああして優しい言葉を投げかけていても、あれを前にしたら変わってしまう可能性がある。

 長門は出来るならば、この男にはそうならないでほしいものだ、と願わずにはいられなかった。

 

 

 



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沖の島

 

 佐伯湾へと到着すると、身を隠していた神通達を迎える。凪がねぎらいの言葉をかけていき、彼女達は指揮艦の中に備え付けられている入渠ドックへと向かっていった。

 その中で神通と球磨が凪へとそっと近づき、敬礼しながら声をかける。

 

「ご報告することがあります」

「聞こう」

「ここに来る途中で、潜水艦の反応があったクマ。撃沈はしたクマが、まだいる可能性があるクマ」

「潜水艦? ……沖の島から展開されてきたということかい?」

「恐らくは。まだ数はそんなにはありませんが、利根さんの偵察機だけでなく、千歳さんの瑞雲による偵察によれば、少しずつ泊地棲鬼の力が広まりつつあります。結果、深海棲艦が増えつつあり、潜水艦もまた呼び込まれてきているのでしょう……」

 

 水雷戦隊で目的地周辺の偵察や、艦娘らが集まる鎮守府の様子を偵察。それらを確認し終えると、ワ級による輸送を開始。目的地へと資源を送り込む事で、泊地としての環境を整えていく。

 そうすることで、泊地棲鬼を迎える準備を整えるのだ。到着した泊地棲鬼はその力を以ってして周辺の海を変貌させ、深海棲艦にとって有利な環境を作りあげる。より一層深海棲艦を呼び込むようになり、様々な艦種がその泊地へと集まっていく。

 恐らくはもう最終段階に入りつつあるのだろう。このまま放置しておけば、準備を終えた奴らは北上し、呉鎮守府へと襲撃してくる可能性が高まる。それは何としてでも阻止しなければならない。

 

「わかった。ならば長門達第一艦隊だけでなく、第二水雷戦隊も支援として出撃するか。メンバーは摩耶を抜いた五人となるが、これで大丈夫かい?」

「問題ないクマ。対潜警戒と、支援砲撃でいいクマ?」

「いいよ。第一水雷戦隊は指揮艦の護衛となる。その旨、伝えておいて」

「承知いたしました」

 

 一礼して二人も入渠ドックへと向かっていった。

 入渠ドックにある湯船には高速修復材、バケツにある液体が浸されている。それは艦娘らに吸収されると、自己治癒能力が急速に促進され、一気に回復されるのだ。

 駆逐や軽巡ならば短時間で終わる事が多いが、重巡や戦艦、空母となると小破でも長時間かかる。その時間をゼロにするのがこのバケツというものだ。だがこの作戦中はその短時間であろうとも、バケツを使って一気に回復し、次の出撃に備えるのが常。

 日々の遠征でバケツを増やす事もまた提督にとって大切な業務と言えよう。

 やがて入渠が終わり、集会場に全員集合する。改めて凪は編成を皆に通達する。

 

「主力として第一艦隊、旗艦長門。以下山城、日向、神通、摩耶、祥鳳。君達が泊地棲鬼を打ち倒す艦隊だ」

「承知した」

「支援艦隊として第二水雷戦隊。旗艦球磨。以下川内、初霜、皐月、利根。君達は先行し、潜水艦を警戒するように。機を見て泊地棲鬼や他の深海棲艦に砲撃を加え、少しずつ奴の体力を削って行ってくれ」

「了解クマ」

「護衛として旗艦北上。以下夕立、響、綾波、千歳。君達はここに残り、接近してくる艦隊や潜水艦を警戒してくれ」

「ほいほい、了解したよー」

「各自、順次出撃していってくれ。みんなの健闘を祈る」

『了解!』

 

 一斉に敬礼をし、凪も返礼すると彼女達は甲板へと向かっていった。そこから海へと飛び降り、艤装を展開。海から指揮艦へと上がる際はボートを下ろして回収する事になっているが、出撃の際は甲板からの出撃をすることが多い。

 その中で夕立が凪へと振り返り、じっと顔を見つめてくる。どうしたのだろうか、と思っていると、夕立が神妙な表情でそっと呟いた。

 

「提督さん、大丈夫?」

「ん? なにが?」

「……ううん、なんでもない」

 

 敬礼して夕立も甲板に向かっていく。大丈夫って、何がだろうかと思ったが、じっと顔を見られていたためそっと顔を撫でる。緊張でもしていたのだろうか。ならばしかたがない。これから泊地棲鬼を相手にするのだから当然の事なのだから。それ以外の何があると言うのだろう。僅かな痛みを感じながらも凪は艦橋へと向かっていった。

 まずは球磨達第二水雷戦隊が先行するように出撃していく。少し時間を置き、長門達も沖の島を目指して出撃した。

 残る北上達が指揮艦の周囲に留まって警戒態勢となる。北上が何故前線に出ないのかというと、重雷装巡洋艦としての練度がまだ足りていないせいだ。

 重雷装巡洋艦、雷巡という艦種は多くの魚雷という武装が特徴であり、強みである。だが逆にそれがデメリットにも成り得る。一隊で敵艦隊の一隊と戦うならばまだいい。しかし、今回のように複数の艦隊で出撃し、同じ目標を狙うとなると話は別だ。

 多くの魚雷をぶち込んで泊地棲鬼を倒す、だけならばいい。だがそれがもし、別行動している味方艦隊まで巻き込んでしまったらどうなるか。当然ながら被害が出る。味方であったとしても、何らかの力でダメージがなかった、などという現象は起こりえない。

 複数の艦隊で敵を相手にする、という訓練はまだしていない。その状態で北上を前線に出した場合、長門達をも巻き込みかねない魚雷の運用は出来るはずはなかった。

 そのため北上は残念ながらお留守番である。

 

 さて、鵜来島までは何事もなく辿り着くことは出来た。だがこの静けさが逆に不安を煽る。何事もない事はいいことだが、沖の島は今現在異常が起きている。リ級らやワ級が撃沈されている事は泊地棲鬼に伝わっているのかどうか。恐らくは伝わっているのではないだろうか。だからこそ潜水艦が感知されるまで接近してきていたのだろう。

 球磨は沖の島へと向かうルート周辺への警戒を厳にする。

 利根が偵察機を放ち、それ以外は電探で周囲を探るのだ。

 

「あっ……電探に感あり! あっちだよ!」

 

 鵜来島を通過しようとした矢先、島の影に隠れるように何かがいると皐月が言う。それは島の影に隠れて存在を隠し、雷撃を撃ってくる可能性が考慮される。しかし見る限り、誰もいない。岩が点在しているだけだ。

 だが皐月だけでなく、球磨達の電探にも何かがいる事を知らせていた。

 

「潜水艦クマ。対潜用意クマ。……長門さん、少し待つクマ」

「わかった」

 

 潜水艦に対抗する手段、爆雷を持つのは駆逐と軽巡だ。重巡や戦艦にはそれらを装備していない。例外として瑞雲から放たれるもので対潜攻撃は出来るのだが、爆雷と比べるとあまり大したダメージは出ないのが難点だ。

 

「単横陣に切り替えるクマ。……川内。対潜だけど、やる気だすクマよ?」

「わかってるよ。大事な戦いだもんね」

 

 夜戦大好きな川内というのは艦娘の特徴としてよく知られている事だ。そして潜水艦というものは夜においては倒しづらい相手である。奴らは海の中に潜っている。昼でもあまり見えづらいというのに、夜になればほぼ見えない。見えない敵というものは倒すのに苦労するのが通例だ。

 そんな夜戦において苦労する敵である潜水艦。夜戦大好きな川内としては、大好きな戦いで倒しづらい潜水艦というのはあまり好きじゃないらしい。

 各自爆雷を用意しながら単横陣へ切り替えていく。横一列になることで、爆雷の効果を一面に広げるようにする陣形だ。

 ここで反応を見せた潜水艦とは、潜水カ級と呼ばれるものだ。

 スキューバダイビングに使用するような酸素吸入機を口に装着し、かなり長い黒髪を垂れ流しているかのような出で立ちをしている。前髪も長く、左目だけ覗かせた状態で見かけられるというが、それはどこかのホラー映画のようなあの女性を思わせる。

 だが今ここにいるカ級は既に潜航しているため、その姿を見る事は出来ない。

 

「数は、三じゃな」

「ノーマル程度ならどうということはないクマ。雷撃に注意しつつ、落としていくクマよ。爆雷、投射クマー!」

 

 爆雷を顕現し、一斉に投射する。海中へと沈んだそれらは、重力に従ってどんどん沈んでいき、信管が作動して爆発する。その衝撃波が潜水艦へと損傷を与えるのだ。直撃せずともダメージを与えられる攻撃手段であり、そのため広範囲にわたって爆雷を投射できる単横陣が対潜水艦に有効な陣形と呼ばれる所以である。

 発見されたと気づいたカ級らは慌てて魚雷を発射しようとしたが、爆雷の爆風でそれらが誤爆する。もう少し早く発射していれば球磨達へと迫っていただろうが、その判断が遅れてしまったのが敗因だった。

 先制して魚雷を撃つ事も出来ず、三体のカ級はあえなく撃沈されてしまった。

 球磨の言う通り、ノーマルだからこそ出来た事だ。エリートとなると、カ級の思考力はより早くなり、素早く位置に付き、機を窺って魚雷を撃ってくる事が多い。それによって先手を取られ、まるで甲標的を撃たれたかのように魚雷の餌食になってしまうのだ。

 さて、そうして潜水艦に注意しつつ沖の島を目指していく。右手に姫島や小島、前方に沖の島が見えてくる頃合いになると、偵察機が敵を捉えた。

 重巡リ級エリートをはじめとする水雷戦隊だ。

 

「ここは球磨達に任せて、先に行くクマ!」

「ああ、気をつけるんだぞ!」

 

 球磨達が前に出てリ級エリートらの意識を引きつけ、その後ろから長門達が通過していく。リ級エリートも球磨と長門、どちらに向かうべきかと一瞬考えたようだが、向かってくる球磨達を無視するわけにもいかない。

 赤い燐光を輝かせながら球磨達へと砲撃戦を始めた。

 

「そろそろ頃合いだな? 祥鳳、艦載機を発艦させてくれ」

「わかりました」

 

 肌脱ぎして祥鳳が艦載機を弓で射って発艦させていく。編隊を組んで展開される零式艦戦52型が二隊、彗星、九七式艦攻。

 彗星とは九九式艦爆の上位に位置する艦爆の種類だ。九九式艦爆の後継機とも言われている。

 それらが一斉に沖の島を目指し、飛行していく。それを追いかけるように長門達が進行していった。

 沖の島上空へとやってきた52型。妖精は埠頭に腰掛けているモノを視認する。

 相変わらず泊地棲鬼は瞑目して佇んでいる。まるで眠っているかのようにぴくりとも動かない。だが下半身に接続されている異形の存在は静かに呼吸し、じわりじわりとその力を海に注いでいるようだった。

 気のせいか海の赤みが以前より濃くなっている気がするが、初めて訪れた長門達にとってはそれはわからない変化だった。

 

「泊地棲鬼、確認しました。攻撃を仕掛けますか?」

「ああ。先手必勝だ。やれ」

「はい。では、攻撃隊の皆さん、お願いします!」

 

 彗星と九七式艦攻が一斉に泊地棲鬼へと迫っていった。頭上からは彗星、低空飛行するのは九七式艦攻。まずは艦攻が魚雷を放ち、それらは泊地棲鬼へと真っ直ぐに迫る。

 それを前に泊地棲鬼は動かない。気づいていないのか、まだ目を閉じたまま。

 いける、と祥鳳は確信する。初撃は確実にこちら側が先手を取った。泊地棲鬼以外にそこには誰もいない。もらった! と気が緩んだその時、

 

「――!!」

 

 水柱が大きく立ち上る。魚雷が命中した証だ。だが、水柱が落ち着いた時見えたもの。それは無傷の泊地棲鬼だった。

 

「なっ……!? どうして!?」

 

 祥鳳が驚きの表情で艦戦から見える光景を見つめる。

 だが答えはすぐにそこに現れた。

 赤い海から次々とサッカーボールからバスケットボール大の球体が浮かび上がってきている。紅色に近しい色合いをした装甲をした球体に、歯がむき出しになった口が存在している。

 かち、かちと歯を打ち鳴らしながら上空を飛行している艦載機を見上げると、大きく口を開けてヌ級が放つような艦載機を吐き出してきた。

 だが接触するより先に彗星が爆弾を投下しており、そのまま離脱を試みている。投下された爆弾は庇う事も出来ず、泊地棲鬼へと直撃していった。眠っている中で爆撃を受ければ、さすがに泊地棲鬼も目を覚ます。

 あまり動じた様子もなく、ゆっくりと目を開ければ、深紅の瞳がゆっくりと海を見回した。その目がある一点で止まると、泊地棲鬼は、ほぉ……と口を開く。

 そこにはこの沖の島の港に入るために開かれた場所。長門達が砲門を泊地棲鬼へと向けているのだ。

 

「――キタノカ……」

 

 泊地棲鬼の言葉に呼応し、球体だけでなく戦艦ル級もその姿を現していく。更に帽子を被り、マントをなびかせるかのような新たな深海棲艦までも浮かび上がり、手にしている杖らしきものを回転させている。

 だがそれを前にしても長門は揺るがない。

 勢いよく手を前へと突き出し、久しぶりにこの言葉を叫ぶのだ。

 

「全砲門、開けッ! てぇーーー!!」

 

 開戦を告げる轟音が沖の島へと響き渡った。

 

 

 



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泊地棲鬼

 

「全砲門、開けッ! てぇーーー!!」

 

 長門、山城、日向から放たれた弾丸は狙い通り泊地棲鬼に向かっていく。ル級や球体すら飛び越えて直撃し、爆発を起こした。立ち上る黒煙が晴れる中、そこにあったのは鈍色の壁が守りを固めている姿だった。

 泊地棲鬼の艤装から生える、歪な右腕だ。それが人型である泊地棲鬼を守ったのだ。

 

「コンナ場所マデ、来ルトハ……。イマイマシイ、艦娘ドモメ」

 

 ゆらり、と幽鬼のようにふらつきながら少しずつ前進。だがその気迫は静かに強くなっていくではないか。ぎりぎりと頭部にある単装砲が音を立てて長門へと狙いを定めていく。

 

「ダガ、マモナク準備ガ整ウノダ。……ソノ邪魔ハ、サセナイ」

「それを聞いて、我々が指をくわえて見ているはずはないだろう? 潰させてもらうぞ、泊地棲鬼よ!」

 

 戦艦は一撃の重さが売りだが、その分次弾装填時間が長くなってしまうのが欠点だ。長門は泊地棲鬼の射線から逃げるように移動する。

 戦艦ル級と共に砲撃し、先程の一撃を返すかのように長門へと弾丸が向かう。距離を取るように離れ、先程までいた所へと弾着した。水柱が舞い上がり、それが壁となって長門達の姿を隠す。

 その時間を利用して装填し、長門はざっと港内を見回した。

 一番奥、埠頭付近に泊地棲鬼。その周囲を守るかのように三体の球体、護衛要塞と呼ばれるものが控えている。その名の通り、鬼級を守るように動き、砲撃、雷撃、制空までこなしてくるのだが、その能力は器用貧乏といっていい。なんでもできるが、極めているわけではない。まるで補佐するように力を振るい、鬼を守るための盾となるのだ。

 そして祥鳳の下へと艦載機が戻り、補給をするために消える。その間に向こうにいる魔法使いのような出で立ちをしたものが帽子の口から艦載機を吐き出した。

 空母ヲ級。深海棲艦にとっての空母である。

 ヌ級の姿が収縮され、帽子に収まったかのようなものを被り、杖を用いて艦載機を指揮する。数回前へ、後ろへと回転させ、勢いをつけて前へと突き出せばヲ級の指揮に応えて艦載機が長門達へと迫る。

 

「ここは摩耶様に任せなぁ! でぇぇい!」

 

 肩や二の腕に機銃が展開され、両手の砲と合わせて対空迎撃を始める。祥鳳が艦戦を引き戻しているため、対空迎撃が出来るのは摩耶と神通。そして戦艦達の艤装に備えられた機銃。

 特に対空能力に優れた摩耶の機銃が迫りくるヲ級の艦載機を撃ち落している。

 だが艦載機はヲ級だけではない。護衛要塞や泊地棲鬼からも艦載機が発艦し始めたではないか。泊地棲鬼の艤装の口、護衛要塞の口から次々と新たなる艦載機が吐き出され、我が物顔で空を往く。

 たちまち制空権を確保され、一気果敢に長門達へと迫って来た。

 

「くっ、何とか、抑えてみせます……! お願いします!」

 

 補給が終わった52型を発艦させ、長門達を守るように上空を飛行する。攻めるためではなく、守るために艦戦は立ち回る。もちろん艦戦だけで空を埋める様な敵艦載機を全滅させる事など不可能だ。

 摩耶と神通が変わらず対空迎撃を行い、少しでも撃墜数を稼いでいく。

 しかし空からの攻撃というものは苦しいものだ。頭上からいつ襲ってくるのかわからないという恐怖が、焦りと緊張を生む。

 

「っ! 魚雷、来ます……!」

 

 神通が艦攻から魚雷が放たれたのを確認し、警告をあげる。見える航跡は三。避けるように動くが、頭上から迫る艦爆が撃墜できずに爆弾を投下される。神通は咄嗟の機転で魚雷へと機銃を撃ち、魚雷が接触する前に爆発させようとする。

 それは果たされ、一つは爆発を起こす事が出来たが、一本が神通へと接触した。

 

「くっ……!」

「神通!? 無事か!? っ、く……」

 

 長門が振り返って気遣うが、投下される爆弾が至近で爆発し、被害を被ってしまった。長門は小破未満だったが、神通は小破してしまう。爆弾はなおも投下されていくが、蛇行しながら回避行動を行い、長門達はヲ級を狙って砲撃を行う。

 まずはヲ級を潰さなければ空からの脅威が消えない。艦載機は泊地棲鬼と護衛要塞も放ってくるが、一番多いのはヲ級だろう。艦載機運用のプロは空母であるヲ級なのだから。

 

「ヲ級を狙え。てぇーー!」

 

 三人がヲ級へと砲撃を行う。だがヲ級はそれに気づいて後ろへと下がっていく。山城と日向は一斉射を行ったが、長門は一拍おいての連射で砲撃した。誤差修正するように仰角を変えて撃つことで、ヲ級へと直撃した。

 帽子へと命中した事で、艦載機発艦が困難になってしまった様子だ。狙い通りの事に、長門は少し安心したように息を吐く。

 泊地棲鬼達は陣形を組んでいない。それぞれが自由に行動している。

 燃える帽子を外して何とか消化しようとばたばたと振り回しているヲ級へと、土産を送るように神通と摩耶が魚雷を発射。旋回しながらル級へと接近を試みる。

 

「トコトン、ヤルツモリカ……。ナラバ、封鎖シロ。絶対ニ、逃ガスナ……!」

 

 泊地棲鬼の命に従い、海の中から港の入口を取り囲むように駆逐と護衛要塞が浮かび上がって来た。特に泊地棲鬼の艤装が唸り声を上げており、それに従って赤い海に波紋が広がっていく。

 波紋は静かに護衛要塞、ル級へと届き、特にル級はその波紋に注がれた力を受けて、エリートのオーラを纏い始める。

 

「イマイマシイ艦娘ヲ、生キテ帰スナ!」

「――そうはさせないクマー!」

 

 背後から威勢のいい叫び声が響いた。次いで聞こえるは爆発と立ち上る水柱の音。次々とそれらが響く中で、港の一角に彼女達が現れる。

 何事だ!? と泊地棲鬼の意識がそちらへと向かったのを見逃さず、長門が「撃てぇ!」と指示を出した。一瞬の緩みすら命取りとなるこの戦場。やる時にやらなければ、沈められるのはこちらなのだ。全弾命中、泊地棲鬼に大きなダメージを与えた事だろう。

 

「颯爽登場! 大丈夫、神通?」

「ええ、大丈夫ですよ。姉さん。……少々、振る舞いが目立ちすぎなのが気になりますが」

「あいつらの意識を引きつけるためにやってんだから、細かい事は気にしっこなし! っと、やばっ……ル級がこっち向いてるよ!」

「離脱するクマー! ついでに、あっちの護衛要塞も撃つクマー!」

 

 魚雷による奇襲で、港の一角に展開された駆逐と護衛要塞をいくつか沈めたのだろう。それによって逃げ場は生み出された。ル級エリートが苦い表情を浮かべ、球磨達を追いかけるように航行する。

 封鎖と守りが薄くなった。

 長門達の砲撃によって泊地棲鬼の艤装が煙を立ち上らせるようになっている。だが、彼女を守る護衛要塞が反撃の砲撃を始める。口から出現したのは三連装砲だ。一射で三つの砲弾が飛来してくる。

 それに加えて新手としてリ級が二体浮上してきた。護衛要塞と共に砲撃を加えてくる。

 射程は中距離のようなので、離れれば回避できるが、それでも泊地棲鬼の単装砲が遠距離射程のため、空を切る唸り声を上げて高速で飛来してきた。

 

「ちぃ……当ててくるな……。だが、今こそ瑞雲発艦の時」

 

 日向の右肩に着弾したようで、そこにあった主砲が破損してしまった。

 空にいた艦載機はほとんどが攻撃を終えて帰還していく。だがヲ級は魚雷によって撃沈された。となると帰還先は護衛要塞と泊地棲鬼となるわけだが、帰還する際にも隙が生まれる。

 特に護衛要塞は砲が出る場所と艦載機が出入りする場所がその大きな口のため、艦載機を戻すために砲を引っ込めなければならない。それこそ、護衛要塞が晒す最大の隙。

 日向と山城はこの隙を逃さず、左手に持っている盾のような甲板から瑞雲を順次発艦させていく。

 

「摩耶さん、護衛とリ級を落としますよ」

「おっしゃ、やってやるぜぇ! でぇぇい!」

 

 魚雷を発射し、更に砲撃を加える。空からの攻撃が落ち着いた今こそ、神通と摩耶も攻撃に参加する時。祥鳳もまた瑞雲に続いて艦載機を発艦させる時でもある。いくつかの52型が撃墜されはしたが、まだいくつかストックはある。

 彗星と九七式艦攻が再び発艦され、泊地棲鬼を目指す。

 流れは長門側に傾いている。魚雷が護衛要塞とリ級、泊地棲鬼に命中し、護衛要塞の一つが撃沈される。追撃するように瑞雲と彗星から爆弾が投下され、ダメ押しとばかりに艦攻から魚雷。

 爆弾はまた異形の右腕が防いだが、魚雷までは防ぐことが出来ない。その直撃が、ついに泊地棲鬼の表情から余裕を消した。

 艤装が大きく負傷した事で、バランスを崩して右に傾き始めたのだ。更に艤装が海に沈み始めている。

 

「チィ……、ヨクモ……! 万全ノ状態ナラバ、コノヨウナ不覚ナドォ……!」

「やはりそうか。どうもここの守りが手薄だと思った。この海の赤から見ても、お前の力が完全に沖の島海域全域に及んでいないのが分かる」

「本来ならば、もっと深海棲艦がいた、ということ……?」

「その通りだ山城。先代が邂逅した泊地棲鬼の場合は、島の守りにル級やヲ級が複数確認されたからな。それもノーマルではなく、エリートだ。……今回の私達は幸運だ。奴が本領発揮する状態である前に会敵したのだから」

 

 他の鎮守府は深海棲艦が増えても沈める敵が増えただけと捉える。中には原因究明をした提督もいたようだが、それでも彼らにとって深海棲艦とは、どこからでもいくらでも増えてくる存在なのだ。

 いくらでも現れようが、それが深海棲艦なのであり、彼らにとっては日常でしかない。

 だが今回の場合、凪はこの数の増え方は何かがあると考え、千歳と利根を使って偵察を行った。その結果、泊地棲鬼を発見する事が出来た。泊地棲鬼に備えて戦力を整え、いざこうして沖の島へと辿り着いたのだ。

 結果、他の泊地棲鬼と違い、全力を出せる状態になるまえに会敵する事となった。

 

「いうなれば敵艦隊が集合する前に、我々の艦隊が泊地へと殴り込みしにいった、って感じかな」

 

 海図を見ながら凪が呟く。

 その作戦は敵からすれば無情だろうが、こちら側からすればなりふりかまってなどいられない。つい先日着任したばかりで全然戦力が整っていない状態で、全力の泊地棲鬼と彼女率いる艦隊など相手にしてられない。

 一体ならばまだしも、ル級エリートやヲ級エリートが複数参列し、その背後に泊地棲鬼が控える艦隊を相手にする事など出来るはずがない。そうまでされれば、さすがに他の鎮守府に救援要請を出すだろう。

 だからこそ、そうなる前に先手を打っての殴り込みだ。そうすれば勝ちの目が見えてくる。

 

「終わらせてもらうぞ、泊地棲鬼! 全砲門、開けッ!」

 

 決定打を与える砲撃。それは人型、艤装と複数の箇所を撃ち抜き、爆発を起こした。艤装は多大なダメージが積み重なって大爆発を起こし、それによって接続されていた人型の泊地棲鬼もまた宙に舞い上がる。

 腹から血のようなものを流しながら、ぎろりと長門を見下ろし、そして海に沈んだ。

 それを見つめる山城と祥鳳。呆然としたまま泊地棲鬼がいた所を見つめる。轟々と燃える炎に包まれながら艤装が更に横転して沈んでいく。護衛要塞も爆風に煽られたのか、海を転がっていったかと思うと、沈み始めていた。

 

「や、やったのです……?」

「…………さて、どうだろうな。まだ、海は赤い」

 

 そうだ、泊地棲鬼がいた所だけではない。長門達が佇んでいる場所も、港の入口も、まだ赤く染まったままなのだ。泊地棲鬼の力が死んでいない証だった。

 

 不意に、波紋が広がった。

 

 一つの波紋から、二つ、三つと波紋が広がり、その中心でぬらり、と白い髪が広がっていく。水が滴るその髪が、赤い海の一面に広がっていく様は不気味さを通り越して異質であり、摩耶と祥鳳が小さく悲鳴を上げてしまった。続くように、その髪に似つかわしくない赤黒い単装砲が生え、不意打ち気味に砲撃した。

 

「っ!?」

 

 だが長門は顔を横に背けてそれを回避した。髪が何本か持っていかれたが、それで済んで良かったと言えよう。

 

「―――ガ、ト、ナガト……長門ォ……!」

 

 凄まじい恨みがこもった声だった。狂おしく、それでいて怒りに燃えた声は空気を、海を震わせて波紋を生む。それが、より一層海を血に染めていくのだ。

 顔が現れた。赤く濡れた瞳がじっと長門を見据え、力強く両手で海を叩きだす。そのまま髪を掻きむしり、勢いよく体を起き上がらせる。

 

「ァァァアアア!! ヨクモ、ヨクモコノ私ヲ……! 許サナイ、逃ガサナイ……! 私ハ、滅ビヌゾ……! 貴様ラヲ、水底ニ、沈メルマデハナァ!」

 

 その動きに従って、ボディースーツのマントが宙になびく。だがそのボディースーツは体の中央部分が完全に吹き飛んでおり、その白い素肌を露わにしていた。

 また彼女を護衛する護衛要塞が彼女に四つくっついているようだが、他の護衛要塞と違い、ボディースーツと同じく鈍色に近しい色合いをしている。

 その変化には覚えがあった。「大淀!」と長門が通信機に呼びかけると、すかさず大淀が偵察機から映し出されるあれの姿を捉える。

 

「――照合完了! カテゴリー、姫! 泊地棲姫です!」

 

 鬼から、姫へとランクアップ。

 それもまた深海棲艦に確認された新たなる特徴だった。

 深海棲艦の中でも強力な個体。しかも人間の言葉を解し、拙いながらも喋る事が出来る。それはまさしく深海から来る異形の「鬼」。

 対してその鬼よりも更に強力な力を備えし存在。深海棲艦を統べ、従える強力な存在。それはまさしく深海から来る「姫」君。

 

「……そう、逃がすつもりはない、と。下の艤装が消えた事で身軽になったろうし……」

 

 その様子を見つめる凪はぶつぶつと何かを考えるように呟きはじめる。

 そうしている間も泊地棲姫は新たなる護衛要塞を呼び寄せる。その数は五。それらを従え、艦載機を発艦させた。

 

「――サア、水底ガオ前ヲ呼ンデイル……! ココガ、オ前ノ墓標トナルノヨ」

「断る。私は、まだ沈むつもりはない。貴様が、ここに墓標を刻むがいい、泊地棲姫!」

 

 祥鳳も再び52型を発艦させ、戦いは佳境を迎える事となった。

 

 

 



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泊地棲姫

 

「球磨、利根、応答願う」

『クマ? 呼んだクマ?』

『なにかの?』

 

 海図を見つめながら通信機を手に、凪は二人に呼びかける。すぐに応答が入り、凪は「まずは被害状況を」と問いかける。

 

『全員小破以下の状態クマ。ル級は沈めたクマ。現在長門達の所へと向かっている所クマよ』

「そうか。無事ならばよかった。……さて、利根。偵察機を発艦させて。場所は――」

 

 ポイントを指示し、その周辺の状況を探るように伝える。了解と返事が返ってきたが、利根は何故その周囲を調べるように? と疑問を投げかけてきた。

 凪は泊地棲姫を倒すための作戦を彼女達に伝える。どのようにしてこの作戦を進め、泊地棲姫を倒すのか。それらを説明し終えると、利根がなるほど、と頷いた。

 

『悪くない作戦じゃ。通常ならば練度の高い駆逐がやるような作戦じゃのお。……じゃが、あの様子じゃと、吾輩らがやっても成功の兆しは見える気がするのお』

「長門に意識が向きすぎているからね。恐らくは、乗ってくれるだろうとは思っている。……目的地周辺の様子はどうだい?」

『敵影、なしじゃ。あとは潜水艦がいるかどうかじゃの』

「わかった。では球磨達は現場に向かってくれ。長門には俺から伝える」

『了解クマ。現地に着いたら、報告するクマ』

 

 球磨達との通信を終え、続いて砲撃戦を行っている長門へと通信を繋ぐ。

 回避行動をとりながらも、長門はその通信に応えた。

 

「こちら凪。長門、大丈夫かい?」

『少しずつ盛り返されているが、まだ耐えられそうではあるな。戦闘は続行するのか、提督?』

「ああ、もう少し耐えてほしい。こちらで泊地棲姫を倒す作戦を考案した。説明するよ」

 

 そして内容を伝えると、長門も静かに頷いた。だが、と山城達を見やる。航空戦艦になっただけではない。本格的な実戦をやるのも初めてな彼女達に、まだ戦えるのだろうか、と。それも、時間稼ぎのために。

 

「山城達が気になるのだろう? ……俺もだよ。奴をほぼ確実に沈められるかもしれない策ではあるが、そのためには球磨達が位置に付くまでの時間が必要。彼女達には無理を強いることになる。その事については申し訳なく思う」

『……いや、大丈夫だ、提督。私達も艦娘。ここが耐え時ならば、耐えてみせよう』

 

 日向が通信に入って来た。

 だがその顔には一筋の汗が流れ落ちている。強がっているが、退く気はないらしい。一基主砲がやられていようとも、まだ他に主砲はある。戦えるならば、戦うまでだ。その覚悟が彼女にはあった。

 

『ええ、私も……やります。別に日向が残るから、という訳じゃあありません。私もまた、戦艦。戦艦としての、意地があります……! 勝ち筋が見えている今、ここで尻尾を巻いて逃げるなんて……戦艦とは、言えません!』

『私も、私もやります……! 私だって、航空母艦です! 艦載機は、まだ残っています!』

 

 山城も、祥鳳も、そう言ってくれる。

 戦闘らしい戦闘を経験していない彼女達だというのに、緊張していないはずがないのに、そう言ってくれる。その健気さに、意地に、応えずして何が提督か。

 ぐっと通信機を握りしめ、凪は告げる。

 

「……ありがとう。ならば、今しばらく耐えてくれ。無理はせず、回避行動に努めるように」

『了解!』

 

 通信を終え、長門はじっと前方を見据える。彼女らの位置は砲撃から避けるように、さりげなく港の入口方面まで下がりつつあった。砲撃だけでなく、空には艦載機が飛び回り、それを迎撃すべく52型が応戦し、摩耶と神通による対空砲撃を行っている。

 

「ドウシタ、長門? 逃ゲテバカリデハ、私ヲ倒スコトハデキンゾ……!」

「なに、機を窺っているだけだ。こうも空がうるさくてはかなわない。黙らせるのが先というものだろう?」

 

 長門もまた機銃で艦載機を落としながら、目標を見定める。護衛要塞のいくつかは前へと躍り出、装備している三連装砲の射程内に長門達を収めようとしている。口からその砲を出しながら迫ってくる様はなかなかにシュールさを感じる光景だ。

 副砲で接近してくる護衛要塞と、砲撃と魚雷を放ってくるリ級を牽制しながら長門達は更に後ろへ。だが牽制などどうしたとばかりに護衛要塞とリ級は更に前へ。砲が唸りを上げて次々と弾丸を放ってきた。

 だが神通と摩耶が放った魚雷によってリ級は全滅。残る取り巻きは護衛要塞だけとなった。そうしてぐるぐると港入口で防戦一方となる事数分。逃げ撃ちが続く中で、緊張がピークに達してきた。

 

「あー、もう! じり貧だわ! 弾薬はまだ半分は持つけど、このままだと押されそうよ。球磨達はまだなの!?」

 

 対空機銃に主砲、副砲と結構弾を撃っているのだ。レーションのおかげで装甲を上げているため、護衛要塞の砲撃にはまだ耐えられるが、それでも長くはもたない。山城がつい球磨達の状況を問うてしまう。

 

『間もなくだ。あと少し、耐えてくれ』

「……承知いたしました。山城さん、頑張りましょう。祥鳳さん、あそこから側面を攻めてください」

「あ、はい……!」

 

 凪からの言葉に神通が応え、空の艦載機が補給のために帰っていく隙を見逃さずに祥鳳に進言した。すかさず艦載機を発艦させ、泊地棲姫と護衛要塞の側面に回り込んでいく。

 神通も迫ってくる護衛要塞を迎え撃つように次発装填された魚雷を放つ。

 装填完了すれば、長門達戦艦もまた泊地棲姫を狙って砲撃を加える。護衛要塞ではなく、今度は自分を狙ってきたことで泊地棲姫は回避行動をとった。魔物のような艤装を失った事で人型だけとなり、速さを手に入れたため容易に回避してみせる。だが、それでも多くの弾丸が飛来し、一、二発その身に受ける。

 

「グッ……ハ、ハハ……マダダ、コンナモノデハ……!」

 

 攻撃を受けても笑みを浮かべて執拗に長門を狙って反撃する。どうやら長門が艦娘らを纏める存在である事を見抜いているようだ。長門を潰せば、瓦解するという事を本能的に悟っているのだろう。

 

「長門……貴様ガ沈メバドウトデモナル……!」

「ふん、それもどうかとは思うが、今はそれを受け入れておくとしようか」

 

 ちらりと神通をみやりながらも、長門は作戦のためにそう返した。

 祥鳳の放った艦攻が魚雷を発射。同時に泊地棲姫の頭上を取った艦爆も攻撃を開始する。だが泊地棲姫の艤装となっている護衛要塞らしきものの口から機銃が突き出され、投下される爆弾を迎撃した。それだけでなく、艦爆も機銃の弾幕に飲み込まれ、撃墜されてしまう。

 だが魚雷は防げない。二発が直撃し、大きなダメージを与える事が出来た。

 

「オノレ、イマイマシイ……! 貴様カ!? タカガ軽空母ガ、調子ニ乗ルナァ!」

 

 ぎろりと深紅の瞳が憤怒に濡れて輝きを増す。単装砲が祥鳳を狙いすまし、だが先に護衛要塞が砲撃を始めた。蛇行しながら弾丸を避ける中で、泊地棲姫の単装砲もそれに合わせて動いていく。

 副砲で護衛要塞へと応戦するが、護衛要塞も怯まずに砲撃を続けていた。やがてその内の一体が力尽きた様にぐたり、と倒れると沈みだす。その中で攻撃を加えた祥鳳の艦載機が帰還してきた。

 その隙を待っていたのだろうか。泊地棲姫が砲撃する。待ち続け、狙いすました一撃が祥鳳へと着弾し、爆発を起こす。

 

「あぁ……っ!?」

「祥鳳さん!?」

 

 その一撃は祥鳳を中破に追い込むには十分な威力だった。弓が完全に破損し、着物もぼろぼろになってしまう。弓をやられてはもう艦載機を放つことは出来ない。祥鳳はもう、攻撃できない状態になっていた。

 そこで、大淀から海図の情報が送られてくる。そこには沖の島周辺の海図があり、一つの線が引かれている。

 

『そのルートを通ってください。作戦、開始です』

「了解した。では皆、撤退する!」

 

 長門の声に従い、一斉に沖の島から離脱する。その様子を見た泊地棲姫は、一瞬ぽかんとするものの、逃げていく長門達を見て次第に体と拳を震わせる。

 ここまで好き勝手にやっておいて、今更逃げる? 祥鳳が中破したからか?

 ふざけるな。

 そんな事が許されるとでも思っているのか!?

 そこで泊地棲姫の怒りが完全に振り切ったのだろう。その纏いし赤いオーラが爛々と輝いて立ち昇る。

 

「――フッザケルナァ……! 逃ゲラレルトデモ、思ッテイルノカァ!? 沈メル……沈メテヤル……!」

 

 当然ながら泊地棲姫は後を追う。怒りに燃える彼女の頭の中には完全に長門達を沈める事しかない。ここまで拠点を荒らし、自分の体をここまで痛めつけておきながら、不利になったら逃げに徹する?

 そこまでやられては、長門達を沈めない事には怒りが収まらない。

 そもそも、深海棲艦にとって艦娘は沈めるべき怨敵であり、狩るべき獲物だ。手負いの獲物が逃げるとなれば、それを追うのが狩人として当然の行動だった。

 残っている三体の護衛要塞も泊地棲姫に追従し、自然と単縦陣を組んで長門を追う。

 それをちらりと肩越しに振り返った神通が確認し、「釣れました」と短く報告した。

 空には偵察機が飛行している。利根の偵察機だろう。彼女の視界にも、泊地棲姫が追跡しているのが見えているはずだ。

 沖の島から離れると、赤い海は次第と消え、普通の青い海へと変化していく。ここまでは泊地棲姫の力が及んでいない。

 進行ルートは西。姫島がある方だ。

 その途中には小島が存在している。北から回り込むようにして進んでいき、「そろそろだ」と長門が通信機へと告げる。

 

『了解じゃ。見えておるよ、しっかりとな』

 

 と利根から返事が入る。

 背後からは泊地棲姫が追いながら単装砲で砲撃を仕掛けてくる。一発、一発と撃ってくる中で、背後から水柱が立ち昇るが、蛇行して逃げているためなかなか命中しない。

 怒りに任せての砲撃では、当たるものも当たらなかった。祥鳳を中へ入れ、神通が最後尾を務めているが、その小回りの良さで回避しているのだ。

 長門は「全速! 島を通過する!」と山城達に告げる。

 次々と小島を通過し、最後に神通が通過しながら目だけを横に向ける。そこには、じっと息を潜めている球磨達がいた。島を盾にして隠れていたのだ。さっと動き出し、単縦陣で魚雷発射管を長門達が通過した方向へと向けると、指だけで指示を出す。

 発射される魚雷の群れ。それは、今まさに長門達を追って島を通過しようとした泊地棲姫らへと奇襲する。

 

「――ナ、ニ――」

 

 水雷戦隊による近距離での魚雷による総攻撃。それこそ水雷屋にとっては最高の花火。一斉に放たれたそれらは容赦なく泊地棲姫らへと直撃し、大きな水柱を生み出す。

 泊地棲姫に冷静さがあったならば、こうはならなかったろう。

 逃げる長門達を追わなければ。

 球磨達がいつの間にか沖の島からいなくなっている事に気づいていれば。

 北から来たのに、なぜ西に逃げているのか。

 島に誰かが隠れていると気づいていれば。

 だがそれらは全て凪の読みが当たった結果だ。

 元より自分達は沖の島へと殴り込みに来た敵だ。そして泊地棲姫はその奇襲によって完全に力を振るえず、奇襲を仕掛けた艦隊の長である長門にその怒りの矛先を向けていた。

 深海棲艦は恨みの強い存在らしく、一度執心するとなかなか抜けきらない特徴がある。この泊地棲姫はそれが如実に表れていた。

 この特徴と、沖の島周辺の様子を組み合わせ、泊地棲姫を釣り出す作戦に出た。完全な力でないが故に、泊地棲姫の力は沖の島周辺にしか及んでいないのも幸いした。もしも小島まで及んでいた場合、そこにも敵を忍ばせていた可能性もある。球磨達がその敵の対処で時間を余計にとらせていたかもしれない。

 球磨達も泊地棲姫から距離を取り、長門達も減速しながら旋回して泊地棲姫がいた場所を見つめる。水柱の勢いも落ち着き、その中から彼女の姿が露わになる。

 泊地棲姫は――瀕死だった。

 艤装はボロボロであり、足元やわき腹が大きく負傷して血を流している。特に足がひどく、太ももなどが抉られ、ゆっくりとその身が沈み始めていた。いや、もう体を支える力もないのか、ふらりと前のめりに倒れ、しかし、堪えた。

 

「アァ……敗レルト、言ウノカ……、コノ私ガ……」

 

 手足から沈みだした泊地棲姫は、自分が終わる事を実感する。単装砲も力を失ったように頭部から滑り落ち、護衛要塞もいなくなった。自分にはもう攻撃手段もない。赤いオーラも消え去った。

 そこにいるのは力を失った女だった。

 

「……貴様達、深海棲艦はどこから来て、どこへ行くんだ?」

 

 長門は、不意にそんな問いかけをしてしまった。そんな事を訊いても答えてくれる保証などないのに。だがそれは誰もが疑問に思っている事だ。しかし深海棲艦は鬼や姫以外のものは言葉を発したという記録がない。

 そして鬼や姫は強力であるが故に、完全に殺し合う存在だ。こうして倒した時ぐらいしか訊けるものではないのだが、大抵の場合は容赦なく沈める。他の深海棲艦と同じように。

 倒すべき敵、それは何故か。

 国を守るために。

 自らの戦果を挙げるために。

 多くの場合は後者であり、前者はその結果としてついてくる。それが他の提督らによる認識だった。

 だからこんな問いかけをするのは稀だった。

 だが泊地棲姫はそれに答えた。

 

「――知ラン」

「なに……?」

「ドコカラクルノカ? ソンナ事、知ル必要ハナイ。私達ノ目的ハ、貴様ラ艦娘ヲ沈メル事ダ。私モマタ、同様。気ヅケバ、アソコニイタ。ソシテ、私ノ中ニアル目的ニ従ウノダ。アソコニ拠点ヲ築キ、艦娘ヲ沈メロ、トナ」

 

 震える指はそっと長門を指さす。垂れ下がった白い前髪の奥から、じっとその深紅の目が長門を射ぬいている。力を失っても、その眼差しは憎悪に満ちている。決して、許しはしないのだと、赤い眼差しが語っていた。

 

「ドコヘイクノカ? 決マッテイル。深イ、深イ、水底ダ……。静カデ、冷タイ世界、ソレガ私達ト、貴様ラの向カウ場所。……逃レラレナイ、運命ダ。ソシテマタ、蘇ルノダ。冷タイ水底カラ、私達ハ、私……達、ハ――?」

 

 そこでふと、泊地棲姫は何かに気付いたように声を震わせる。先程まで恨みに満ちた眼差しをしていたはずだったが、どういうわけか落ち着きを取り戻していた。

 その体が完全に沈み、顔だけ海の上にある状態。またしても白い髪が水面に広がり、不気味さを醸し出しているのだが、その雰囲気は先程までとは違っていた。

 ぶつぶつと何事かを呟いているが、それを聞き取ることは出来ない。だが理性は確かに取り戻している。敵意は完全になくなり、やがて答えが出たとばかりに沈黙した。

 

「な、なに……?」

 

 山城がその変化に戸惑い、恐れを含んだ声色で呟く。

 そんな中で、泊地棲姫は長門を指していた指先を震わせながら、視線を空へと向けていく。

 

「――ソウカ、ソウイウコトダッタ……ノカ……」

「――え?」

 

 誰もがきょとんとしたような声が漏れる。

 意味が分からない、という雰囲気で長門達が見守る中、泊地棲姫はじっと空を見つめたまま、その姿を完全に海の中へと消し去った。

 凪も利根の偵察機から送られてきている光景をじっと見つめていた。彼もまた、泊地棲姫の最後の振る舞いを見届けていたのだ。

 最後の変化がいったいなんだったのか。

 そんな事は誰にもわからない。だが確かに泊地棲姫は長門に向けていた怒りを霧散させ、何かを得たかのように静かに沈んでいったのだ。

 走馬灯でも頭によぎっていたのだろうか。

 そんな風に茶化せることが出来ればどれだけ良かっただろうか。しかし、わからないものはわからない。

 だから、彼は通信機を手にして彼女達にこう言った。

 

『――おつかれさま。この戦い、我々の勝利だ。さあ、気を付けて戻っておいで』

「承知、した。皆、帰還するぞ!」

 

 この言葉に艦娘達は緊張を解き、各々勝利を噛みしめ、喜びに舞い上がったのだった。

 

 

 



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報酬

 

「おかえり。よく、無事で帰って来てくれた」

 

 指揮艦へと戻ってきた長門達を、凪は安堵したように出迎えた。まず長門へと近づき、そっと手を差し出す。長門はその手を見下ろし、そっと握りしめた。

 

「おつかれさま。本当におつかれさま。よく戦ってくれた。ありがとう」

「……いや。それが私達、艦娘のやるべきことだ」

「ああ。でも、こうして無事に帰ってきたことこそ、ありがとうと言わせてくれ。誰一人、失う事はなかった。それが一番喜ぶべきことだよ」

「……そう、か」

 

 長門はじっと凪の瞳を見つめながら返した。

 凪は本当に長門達の身を案じている様子だった。その言葉に偽りはないだろうが、恐らくは先代の一件もあるからこそ、この言葉を言っているかもしれない。だが、その手と目が語る事は、確かに彼は本気でそう言っているのかもしれないという高い可能性だった。

 今は、それを感じ取っただけでもいい。

 それに、無事で帰って来たという事は、凪の言う通り喜ぶべきことなのは間違いないのだから。

 

「神通もありがとう。よく無事に帰って来てくれた」

「はい。……おつかれさまでした」

 

 それから凪は一人ひとり声をかけ、握手をしていく。

 握手をすることで確かに彼女達はここに帰って来たのだと、より実感するだろう。それから数分間、それは続き、最後に利根と握手を交わす。

 

「本当におつかれさま。さあ、入渠ドックへと向かい、ゆっくり休んで」

『はい』

 

 敬礼をした長門達は備え付けの入渠ドックへと向かっていった。それを見送った凪は艦橋へと戻り、妖精達へと出発の命を出す。

 戦いは終わった。いざ、呉鎮守府へと凱旋の時だ。

 

 

 執務室へと戻った凪はすぐさま大本営、美空大将へと連絡を入れた。しばらくコールが続き、モニターに映し出されたのは美空大将ではなく、補佐を務めている淵上湊だった。

 

「はい」

「呉鎮守府の海藤です。美空大将殿にお取次ぎを」

「海藤先輩? ……わかったわ。少しお待ちを」

 

 一礼して淵上が離れていく。

 そうか、淵上が美空大将の補佐を務めているんだったか、と凪は思い出した。一年後輩だったが、彼女の存在は耳にしていたし、時々アカデミーで見かけた覚えがある。

 女子学生にして、入学からトップクラスの成績を収め続ける実力者。それでいて外見的にも美少女と呼べるだけのもの。その才女っぷりは年頃の学生らに噂にならないわけはない。

 中には恋人になろうとアタックを仕掛ける勇者がいたようだが、その全てが撃沈されてしまったようだ。その様子を一度東地と一緒に見かけたような気がする。凪としてはあまりその事にも彼女の経歴にも興味はなかったが、東地が撃沈する野郎を笑ってやろうぜ、と無理やり連れていかれたのだ。

 そして見事に振られた場面を見たかと思うと、東地はげらげら笑って、

 

「まーた一人、撃沈だぁー! 記念すべき五十撃沈! どんだけ野郎どもを駆逐していくんだよあの才女様はよぉー! 俺達が撃沈すんのは深海棲艦だってのに、男どもを次々とやっちまうたぁ、おもしれぇことこの上ねえぜ。くっはははは!」

 

 ペットボトルをぐいっといきながら、遠慮なくげらげら笑う東地に、一瞥くれた淵上は、何も言わずに去っていく。残されたのはフラれた事で空を仰ぎ見る男一人。だが、そんな彼を指さしながら笑い続ける東地に苛立ったのか、顔を真っ赤にして疾走してきた。

 

「おう、やんのかコラァ! いいぜぇ! フラれた野郎なんぞに負ける気なんてしねえっての!」

「ほどほどにしとけよー……」

 

 殴り合いに発展する二人からそっと距離を取りながら、凪は関わらないようにしたのだった。こういう面倒事には極力関わりたがらないのが凪なのだ。無理やり連れてこられても、こういう気配を察知するとさっと離れることで回避していく。

 だがそんな中でちらりと、興味なさげに去っていく淵上の後姿を見届ける。こういう若者らしい事から離れる彼女は、果たして何を楽しみにして生きているのだろうか、と何となく思ったのだった。

 凪にとってアカデミーはただの通過点。家が海軍に関わる家系だったから、仕方なく通っているだけ。しかし提督にならない程度にそれなりに手を抜き、卒業を迎えるだけ。その先は何も考えずに、ただ作業が出来る開発整備に関わる第三課あたりにでも務めるかな、とこの時から考えていた。

 機械弄りは元より、東地から教えられたパソコンでのネット巡り、そしてゲーム……時間つぶしのやり方はアカデミーで増えたのが良かった。特に東地という友人がいたからこそ、それなりにアカデミーで過ごす時間は楽しみがあったのは、凪にとってはとてもありがたかった。

 でも、彼女はどうだろうか。

 何か、楽しい事があるのだろうか。

 

「……まあ、いいか」

 

 待っている間、そんな事を思い返していたが、所詮は他人の事だ、と考えるのをやめた。そしてモニターに美空大将が入り込み、「待たせたわね」と微笑を浮かべる。凪が立ち上がり、敬礼をすると、手を出して座るように告げた。

 

「ご報告します。本日ヒトヨンマルマル、高知県沖の島において泊地棲鬼の出現を確認。これを撃滅してまいりました」

 

 どのようにして泊地棲鬼を発見し、撃沈させたのか。一から十まで説明する中で、美空は煙管を吹かしながら静かに耳を傾けていた。

 途中お茶を入れた淵上がモニターに入ってくるが、特に気にする事もなく報告を続ける。やがて報告を終えると、美空は煙を静かに吐き出し、灰皿へと置いてじっと凪を見つめた。

 

「――ご苦労。よく勝利を収めたわね」

 

 静かに、ねぎらいの言葉をかけてくれた。ありがとうございます、とまた立ち上がって一礼すると、また微笑を浮かべて手で示してきた。

 

「でも他の者達は、あまり評価はしないでしょうけどね」

「やはり、完全体ではないから、でしょうか?」

「その通り。奇襲をしかけ、まだ力を十全に出していない状態での勝利よりも、万全の状態である敵を撃滅してこそ高い戦果を得られる。戦果にしか目がない奴らからすれば、そちらの方が旨味がある、という事よ」

 

 やれやれと言わんばかりに首を振る美空は、また煙管を咥えて手を振る。だが、とその視線は凪をしっかり見据えていた。

 

「鎮守府着任から半月、戦力もあまり整っていないが故に、勝てる方法を模索し、それを実行に移した。そして見事勝利を収めた。私は、そちらを評価する。……私の目に狂いはなかったという事を、貴様は証明してみせた。誇りなさい、海藤。貴様は、その戦力でやれるという事を示したのだから」

「……はい、ありがとうございます。美空大将殿」

「故に、私は貴様に褒美をくれてやる。何が望みかしら? 言ってごらんなさい」

 

 褒美。その言葉に凪は自然と無言になる。

 何を求めればいいのだろうか。

 定番の金か? 提督の場合は資源を求めるのだろうか?

 それとも艦娘を求めるのか? あるいは装備?

 それらが頭によぎった。

 他の者達ならば立場や昇格を求めるだろうが、凪の中にはそんなものはなかった。そんなものに執着する心など、彼の中には存在しなかったのだから。

 やがて一分が経った頃、凪は静かにこう言った。

 

「整備室、なんてどうでしょう?」

「……む?」

「……は?」

 

 美空だけでなく、モニターに映っていない淵上まで呆けたような声を漏らしてしまう。

 そんな中で凪は慌てた様に、何故これを求めているのかを説明し始めた。

 

「いや、ご存じの通り、私はここに来る前は第三課の下っ端で働いていたじゃないですか。それで、なんと言いますかですね、久しぶりに機械弄りがしたくなってですね。うちの工廠に色々設備や区画を増やして私が触れる物を置きたいな~なんて思いまして」

「…………くっ」

 

 しばらく呆然と凪の言葉を聞いていた美空は、小さく体を震わせ、堪え切れないように笑い声を漏らしてしまった。

 

「あっはははははは! 聞いたか、湊。こいつ、趣味のための場所をこの私に求めてきたぞ! 金でも立場でも、艦娘でもない! 趣味のための場所ときたもんだ! これが笑わずにいられようか! あっははははは!!」

「お、落ち着いてください大将殿。外に響きます」

 

 慌てて淵上が美空をなだめようと近づいてきた。いつも仏頂面をしている彼女だったが、この時ばかりはさすがに困り顔になっている。しばらく笑い続けていた美空は、こぼれ出た涙をぬぐい、茶を少し口に含む。

 

「……はぁー、いいだろう。それくらいくれてやる。存分に私を久しぶりに笑わせてくれたのだ。色々手配してやろう」

「ありがとうございます。……それと、申し訳ありません。このような望みで」

「構わん。前にも言ったはずだ。私は、貴様に期待をしている。そして貴様は、すぐさまこのような結果を示したのだ。その褒美をくれてやらんといかん。貴様をそんなところに放り込んだ責任というものがあるからな」

 

 灰を灰皿に落とすと、煙管の先端をびしっと凪に向けてきた。

 その表情はどこか楽しげなものが浮かんでいる。まるでおもちゃを前にした子供のようであり、しかしその瞳には強者が見せる様な燃える炎がちらついている。

 

「それに海藤、前に約束した通り、貴様には新たな艦娘をくれてやろう。つい最近、構築に成功したデータだ。受け取るがいい」

 

 カタカタとキーボードを叩くと、すぐさまパソコンにメールが届いた。それを開いてみると、艦娘のデータが表示される。そこにはこう書いてあった。

 航空母艦、翔鶴、瑞鶴。

 軽巡洋艦、鬼怒、阿武隈。

 これらが届いたという事は、工廠の建造において彼女達が出るかもしれない、という事である。

 

「よろしいのですか?」

「ああ。貴様の艦隊には軽空母がいても空母がいないのだろう? ……よくもまあ、祥鳳だけで泊地棲鬼と戦ったものだと、ある意味私は感心する。そんな貴様の艦隊をより強固なものにする空母。五航戦ではあるが、今の貴様にとっては十分に過ぎた存在だろう? 確実に入手する方法も、望むならばくれてやるが、どうする?」

 

 確かに空母という存在は必要だ。将来的には千歳も軽空母になるが、それでも正規空母という存在は艦隊運用には大きな存在といえる。戦艦と並び立つ大型艦。それが一人いるだけでも違う。

 断る理由など、どこにもなかった。

 新たなメールが届き、それを工廠へと送る。これで妖精達に命じれば、確実に五航戦が入手できる。この上ない報酬と言えるものだった。

 

「さて、ここからは将来的な話をしようか、海藤」

「といいますと?」

「南方についてだ」

 

 その単語に、凪は顔を引き締める。それはこの鎮守府、いや長門と神通にとっては縁深いものなのだから。

 

「ソロモン海域が静かにざわついている。トラック泊地、ラバウル基地から偵察は向かっているが、どうも怪しい。そして佐世保の越智もまた、それに目をつけているという話よ」

「佐世保? ……二年前の卒業生でしたか。なんでまた佐世保から」

「呉の先代とは何かと戦果争いをしていたようでね、戦死する原因となった南方に興味を持ったらしいわ」

「ああ……つまり、南方を倒す事で自分が先代より優れていると示したいと」

 

 競い合っていた相手が死んだ原因を討ち倒す事で、完全なる勝利を刻む。考えられない事ではない。となれば、佐世保の越智が南方を倒してくれれば、凪達としては関わらなくて済むだろう。

 長門としてはかつての仲間の仇を討てないという事になるだろうが、今の凪達の戦力ではどうする事も出来ない。このまま呉鎮守府としては何事もなく、平穏に過ごしたいところだ。

 しかし美空は煙管を吹かして凪へと流し目を送って来た。

 

「今はまだ、南方は何事もないわ。戦いに勝ちこそはしたものの、南方としても多少なりとも負傷をし、深海棲艦の数を減らされている。でも、南方の力は静かに、ソロモン海域を覆い始めているのは確か。いずれ南方が出現する兆しが出た場合、佐世保は動くでしょう。それは間違いない。その中で――」

「美空大将殿?」

「――いいわ。励みなさい、海藤。今はただ、貴様の艦娘らを労いなさい。今日はご苦労であった。ゆっくり休みなさい」

 

 何かを言いそうになっていたが、それを飲み込んだようだった。しかし何となくその言葉は推測できる。

 となると、今回の五航戦を与えるという事も何となく邪推できる。

 五航戦を迎え入れ、他にも様々な艦娘を新たに加え、育てていけ。そうして次の戦いの準備を整えろ。

 次の戦い、それは南方での大規模な戦い。

 先代呉提督が果たせなかった勝利を果たしてみせろ。

 関わらないように、と凪が考えようが美空大将が命じればそれに異を唱えることは出来ない。所詮凪は美空大将の下につく立ち位置なのだから。

 

「はい。では失礼します」

「それと海藤」

「……はい?」

 

 もはや恒例なのだろうか。それともわざとやっているのだろうか。

 そんな事を考えながら次の言葉を待ってみる。

 

「後日、時間はあるかしら? 空いている日があれば教えてもらいたいのだけど」

「……といいますと?」

「食事、共にどうかしら?」

「……え? 私と、ですか?」

「そうよ」

 

 意外そうな顔で問い返してしまうのもしかたがないだろう。相手は大将、そして凪は提督に就任したばかりで、それ以前となるとただの下っ端の作業員でしかない。

 立場が離れすぎているのに、まさかわざわざ食事の誘いを受けるなど誰が想像するだろうか。つい「会食ですか?」と訊いてしまうのも無理ない事だろう。

 

「いいえ、ただのプライベートよ。立場など関係なしに、プライベートの食事でもどうか、と言っている」

「なぜ、私などを」

「今回の件の労いもあるし、それに、貴様は食事に気が回らないのでしょう? これを機に、いいものを食わせてやろう、という心遣いも入っているつもりよ。良い食事は良い体を作る。自然な事でしょう?」

「はぁ……わかりました。そこまでおっしゃるのであれば……」

「よろしい。ではまた連絡してきなさい」

 

 そう言って電話を切っていった。

 つかれた、と凪は椅子の背もたれにぐでっと体を預けてしまう。そうして天井を見上げながら思う事はこうだろう。

 

「……だから、おかんかよ」

 

 ちゃんと寝ているのかと訊いてきたり、食事はちゃんととっているのかと訊いてきたり……どこの心配性の母親かと突っ込みたくなる。

 だがそれを帳消しにしかねない、裏の様子も匂わせる。

 本気で南方戦線に送り込もうという気があるのならば、先代提督と同じ轍を踏まないようにしなければならない。さもなくば、長門や神通に申し訳が立たない。あるいは、離反を受ける可能性だってある。

 

「はぁ……めんどくさい」

 

 思わず漏れて出た本心。ああして敬語を使い、相手にする程度ならばまだいい。それくらいの事は普通に出来る。だが凪にとって誰の思惑に乗せられて動かされる、という事に対しては父親の件もあって嫌悪感が湧きでてくる。

 人の悪意ほど、めんどくさいことはない。出世争いほど、人の欲望が丸出しになるものはない。そんなものに関わりたい人の気がしれない。

 それが凪という人物だった。だから報酬に立場など求める気などなれない。

 そしてどうやら南方戦線は、今度は佐世保の越智提督の思惑が絡んでくるようだ。それに巻き込まれるというのだろうか。そう考えると憂鬱だった。

 しかしやるしかあるまい。

 それを乗り越えれば、今度こそ静かに日々を過ごせるだろう。今はそう信じるしかないのだった。

 

「……く、ぐ、ふ……」

 

 いよいよもって積もりに積もったものが襲い掛かってきたようだ。苦い表情を浮かべて立ち上がり、執務室を後にする。廊下を静かに駆けていき、トイレへと入っていく様子を、そっと神通は見つめていた。

 

 

 



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祝勝会

 

「では改めて、みんなおつかれさま。無事に帰ってきたことと、勝利を祝し、乾杯!」

『乾杯!』

 

 夜、間宮食堂に全員が集まって祝勝会が行われる事となった。間宮が腕によりをかけて作った料理がテーブルに並び、ジュースや酒も揃えられている。

 他の鎮守府からすれば、たかが泊地棲姫を倒したぐらいで何をいい気になっているのか、と言いそうなものだが、凪達からすればこれは大きな一歩と言える勝利。少ない戦力で良い成果を挙げたのだ。

 そして何より、誰も欠けることなく全員生還。これを喜ばずして何に喜ぶと言うのか。

 お互いの健闘を称えあい、美味い料理と酒に舌鼓を打つ。戦うものにとって最高の喜びである。

 

「それでボクらが小島の影に隠れて息をひそめてー、長門さん達が通った後に、一斉に魚雷発射! その命中っぷりと威力ったらないね! あそこまで綺麗に決まるとスカッとするよ!」

「ぶー、羨ましいっぽーい。あたしだって、そういう事、やりたかったよー!」

 

 駆逐艦らが集まって何やら騒いでいる。どうやら皐月が泊地棲姫撃破の瞬間について語っているらしい。それに対して夕立が心底羨ましそうな表情で頬を膨らませている。

 戦闘好きとしては護衛よりは敵を撃破しに行く方が性に合っているのだろう。それについて初霜が控えめに言葉を発した。

 

「で、でも、護衛も大事な任務ですよ。提督を守る事は、とても誇りある任務だと私は思うわ」

「そうだね。寄って来た敵を撃沈していくのもまた、趣がある。私達だって、撃沈数は稼いだろう?」

「そうだけど……でも、やっぱり大物を狩る時こそ、だと思うっぽい! 小さな駆逐が、大きな戦艦を沈める! この言葉の響き!」

「……狂犬だねえ」

 

 響の言う通り泊地棲姫と交戦中に、当然と言うべきか指揮艦にも深海棲艦は近づいていた。千歳による偵察で先に発見し、すぐさま迎撃に向かった事で被害は全くなかった。

 皐月が苦笑しながら呟いた狂犬とは史実での最期の壮絶な戦いっぷりが関わっている。艦娘としては見た目はお嬢様っぽく、性格や振る舞いからどこか犬っぽい雰囲気を漂わせているが、その中身は戦士である事を窺わせる。単騎突撃から敵へと多大な被害を及ぼす程の狂ったような勇猛果敢っぷりから、艦娘の夕立に対しては狂犬というあだ名が付いたとかなんとか。

 特にこの夕立は戦闘好きが如実に表れている。目を輝かせながら大物喰いをしてみたいと嬉々として語るその様は、本当に将来的にそうなりそうだ。

 手にしている酒が入っているのか、夕立が響と綾波を引き寄せて「あたしが狂犬なら、この三人でユニットを組むのもいいっぽい!」と何かを耳打ちする。

 響はぼうっとしているが、綾波が少し照れたように手を振っている。

 

「ほ、ほんとにやるんですかぁ~?」

「宴会なら、一発芸くらいやると聞いているよ」

「……一発芸、か」

 

 なんだなんだ、と気になった娘達が夕立らへと振り返ると、夕立、響、綾波と並び立つ。しかも大淀に何かを伝えたようで、こそこそと大淀が準備しだした。

 やがて準備が整ったようで、大淀が親指を立てると、響が翼を広げるように両手を上げ、左膝を曲げて右足立ちをしたかと思うと、

 

「……不死鳥」

「狂犬!」

「く、黒豹……!」

『我ら、一水戦駆逐トリオ!!』

 

 夕立と綾波が獣が飛びかかるようなイメージをしたポーズをとって、左右に腰を落としながら広がる。最後にデデン! とどこからか効果音が響き、軽い空砲が三人の後ろで放たれた。

 まるでどこかの戦隊の名乗りの瞬間に、おぉー! と皐月や軽巡、重巡が拍手をしながら沸き立つ。大淀も急ごしらえとはいえ、タイミングばっちりに効果音を出せたのでよかった、とほっとしているようだ。

 

「……駆逐艦は元気だねー……」

「ふふ、今日くらいはいいと思いますよ」

 

 だが同じ第一水雷戦隊の北上はというと、マイペースに料理をつまみながら冷ややかな感想だ。元より自分のペースで何かをする性質のせいか、元気な駆逐とはあまり相容れない。

 隣にいた神通も苦笑を浮かべているが、彼女の脳裏にはああいう事が大好きな妹の姿が思い浮かんでいる事だろう。

 長門達のところでは、特に多くの料理が運ばれており、それを彼女達のペースで食べ進めている。人ならば無理だろう、と思える量が変わらないペースで消化されていく様は少しの驚きでは済まないだろう。

 肉料理やサラダが数人分あるはずなのに、ゆっくりと彼女達の体内へ消えていくのだから。

 

「みなさんイケる口ですか? もう一本いきます?」

「ん。どんどん飲もう」

「あ、私もいただきますね」

「……では、私も」

 

 千歳が空になった日本酒の瓶を持って行き、奥から新しく三本抱えて戻ってくる。それを日向、祥鳳、山城が次々とグラスに注ぎ、乾杯して飲み進めていた。そして自然とちらりともう一人、長門へと視線が向いてしまうのも仕方のない事だろう。

 

「む? なんだ?」

「長門さんは飲まないですか?」

「私は秘書艦だからな。あまり飲まないようにしている」

「今日くらいはいいんじゃないか? なあ、提督」

 

 間宮と料理について話をしていた凪へと日向が振り返ると、ん? と長門達の様子を見て、小さく頷き返した。「気にせずどうぞ」と許しが出ると、空いているグラスへと日本酒を注ぎ、日向が長門へと手渡した。

 

「さあ、共に勝利を喜ぼう。乾杯!」

『乾杯!』

「……まあ、いいか」

 

 許可が出たなら、と長門もグラスを掲げて乾杯した。

 その様子を窺いながら、凪は静かに料理を少量つまんでいく。いつも以上に豪勢な料理、それを噛みしめながら頂いていく。このような料理は初めかもしれない。

 高い料理を食べに行くという発想があまりなかったのでしかたがない。そういえば後日恐らくは高い料理を食べに行くんだったか、と思い出した。

 見回せば、艦娘達が笑顔で過ごしている。

 誰もかれもが楽しそうだ。

 その様子を眺めていた凪は、皿を置き、グラスとジュースの瓶を手に静かに間宮食堂を後にする。

 

 向かったのは脇にある川。桜並木の下でぼうっとほとりに座っていた。ちびちびとグラスを傾け、ただただ無為に時を過ごす。

 どれくらいそうしていただろう。何気なく後ろを振り返ると、桜の木の傍に静かに神通が佇んでいた。音もなく、気配もなくそこに立っていた彼女は月明かりに照らされている。まだ桜が咲いていたら、恐らく舞い落ちる桜の花びらと相まって幻想的な美しさがあったかもしれない。だが、ただ月明かりに照らされ、木の陰と合わせても絵になる美しさがあった。

 また、静かに後ろに立たれ、苦笑を浮かべた凪は「またかい」と思わず呟いてしまう。

 

「いつからそこに?」

「少し前、でしょうか。ご気分がすぐれませんか?」

「いいや、そんな事はないよ。ただ、一人になりたかっただけさ」

「そうですか。それは失礼いたしました。何かありましたら、と静かに控えておりましたが、席を外しましょうか?」

「……いや、いいよ。君なら、特に気にはしない……」

 

 そう言ってグラスを空にし、瓶を手にしようとすると、神通がそっと近づいて瓶を手にしてくれた。静かにグラスへとジュースを注いでくれる。ありがとう、と礼を述べ、少し喉を潤すと、そっとグラスを差し出した。

 

「いいのですか?」

「いいよ。一人で飲むのもいいけど、こういう時は一緒に飲むものじゃないかな、と思ったりする」

「では、いただきます」

 

 ぺこりと頭を下げて、静かにジュースを飲み干していった。

 そんな静かな時間の中、凪はまた川を見つめる。神通もグラスを置くと、一緒になって眺める。人によってはどこか心地のいい静かな時間だろうが、凪は僅かに不安を抱えていた。

 

「……何も訊かないんだね」

「……訊いてもよろしいのですか……?」

 

 どうして間宮食堂から何も言わずに離れたのですか?

 神通からそんな事を訊かれるものと思っていたが、意外に彼女は何も言わず、ただ一緒にいてくれるだけだ。

 呉鎮守府に来てから半月。長門と大淀を除けば、長く一緒にいるのは恐らく神通だろう。しかし彼女は報告や相談以外で凪の近くにいる際は、先程のように静かに後ろに控えるだけ。まるで大和撫子のように、男の後ろを静かについてくる女性だった。時折その振る舞いがまるで忍のようだと感じさせて驚いてしまうが、もう慣れつつあった。

 

「よく俺の後ろで静かに見守ってくれているけど、君から見て俺という人間はどう感じているんだい?」

「……言ってもよろしいのですか?」

「いいよ。遠慮なく、君の思ったままを言ってみるといい」

 

 グラスを手にすると、また静かに注いでくれる。

 ジュースを飲みながら待っていると、神通は凪を見ずに静かにその答えを口にした。

 

「随分とご無理をされている方だ、と思います」

「……へえ? それは何故?」

「提督は仰いましたね。人付き合いが苦手だと。異性を相手にする事も、多数を相手にする事も慣れていない、と仰いました。ですがこの半月、そう感じさせない振る舞いをされてきました。時間を見ては訓練を見学され、どのようなプランを立てていくのかを相談され……私達の相手をしてくださいました。……表面上は」

 

 そこで、神通はそっと凪の顔を見る。凪は相変わらず川をじっと見つめている。

 神通の表情はどこか心配する様なものになっていた。唇を軽く噛み、そして口にする。

 

「あなたは、立場上そう振る舞うしかなかった。私達を指揮する立場である以上、弱い部分を見せてはいけない。そう思って、私達の前では何とか普通であろうとしてくださいました。コミュニケーションを取ろうとしてくださいました。……無理が、たたっているのですね?」

「…………参ったねえ。よく俺の後ろで見守っているなぁとは思っていたけど」

「むしろ、私の視線が、よりあなたに無理をさせたのではないか、と思いつつありますが……もしそうならば、本当に申し訳ありませんでした」

 

 そう、凪は本当に無理をしていた。

 提督としての職務をするために、長門達とよく話をした。山城というとっつきにくい艦娘だろうと、何とか仲良くなろうと近づいていた。

 昔の凪ならば考えられない行動だった。でも仕事上そうするしかない。そうしなければ、彼女達の事を知る事が出来ないし、失う事になるかもしれない。

 だから無理をして、彼女達と接した。

 多人数を相手にした。

 そうして職務を続け、その結果泊地棲姫を今の艦隊で討ち倒す事が出来たのだ。

 その行動が実を結んだのだ。

 

 引き換えに、凪の胃や精神がダメージを静かに受け続けていた。

 

「あんまり喉を通らないんだよね、あんなに美味しいのに。間宮には悪い事をしている」

 

 間宮と話をしていたのは、食事があまり喉を通らない、という事だったのだ。どんな料理が並んでいるのかを聞き、胃に優しそうなものを一品作ってくれないだろうか、と注文していた。

 

「人が苦手ですか?」

「そうだね。人ごみも嫌いなんだよね。……それだけ、親父の一件が尾を引いているんだよ」

 

 凪は静かに父の事件について話し出した。人の悪意を子供の頃に見せられ、人というものがあまり信用できなくなったのだ。表面上は良くしていても、その裏で何を考えているのか、と疑い出す。

 そうすると人付き合いも色々考えてしまい、自然と他人に対して壁を作り出す。そうする事で人と関わらないようにし、自然と一人になり始めた。そうした方が楽だし、気分も落ち着くことを覚えた。

 すると逆に多人数を相手にするのが苦痛になり、それは自然と人付き合いの仕方がわからなくなってくる。

 アカデミーに入学してからもそれは変わらなかったが、しかしそれなりに立ち回らないといけないという事を知り始める。すると、表面上の付き合い方を覚え始める。その結果、必要な時は話し方を変え、気分を害さないように何とか振る舞おうと気を遣いだす。

 それが自分にとってはストレスになるというのに。

 

「その点、東地に関してはまだ救いがあったね……。あいつは裏表がない。無駄に真っ直ぐで、無駄に暑苦しい。それが逆に俺にとってはありがたかった。あのバカがいてくれたから、アカデミーで過ごした時間も悪くはないかな、とは思っているよ」

「東地……トラック泊地の提督でしたね」

「ああ。……たぶん、俺にとっての初めて気の許せる他人かな、あいつは。……あ、これ、仮にあいつに会ったとしても内緒にしてね」

「くす、はい」

 

 提督を退いたのはこういう事も理由の一つではあった。こんな自分が提督をやるより、他の誰かの方がまだ向いている。

 でも今、こうして自分が提督をしている。

 何とか泊地棲姫を倒せるだけの戦力を整え、育成した。結果はきちんと出しているが、果たしてこの先どうなるかは不安がある。強固な艦隊を作ろうとすれば、今以上に艦娘を増やし、育てていかなければいけないのだから。

 今回の事で胃を痛めていたら、この先どうなってしまうだろう。

 

「――やめますか?」

 

 不意に真剣な表情でじっと凪を見据えて神通がそう言った。凪はそっと横目で神通と目を合わせる。そんな凪にもう一度、神通は問う。

 

「呉鎮守府の提督を、やめますか? 海藤凪さん」

「……正直、やめたい気持ちはまだあるよ。最初こそ、本当に気乗りがしなかったからね。命令だから、義務感でここの鎮守府の運営をしている。今も、その気持ちは残っている。命令だから、仕事だから、君達の相手をしているんだってね」

 

 嘘偽りのない、正直な気持ちを凪は口にしている。それは神通にもわかっているのだろう。言葉を挟まず、じっと彼の言葉を聞いていた。

 

「最低だろ? 君達の相手をしていた提督の言葉って、ただの表面上の言葉の羅列なんだぜ。多少の気持ちが入っていても、それは全部じゃない。耳触りのいい事を君達に語っていただけの事さ。……それで結果を出してしまったんだから御笑い種さ。……本当に、最低すぎて、申し訳ないね」

 

 だからあそこにいられなくなった、というのがある。と、凪は言外に語った。

 諸手を挙げて勝利に喜んでいられる資格がない、と逃げ出したのだ。

 そんな凪を、神通は、怒りはしなかった。ただ変わらず、真剣な表情を浮かべたままだった。

 

「……でも、あなたはそんな自分を恥じる心があります。本当に最低な人ならば、懺悔するように私に話をしません。あなたは、私達に申し訳ない、と思っていらっしゃいます。それだけでも、違うと、私は思います」

「…………」

「もう一度、お訊きします。海藤凪さん。……あなたは、呉鎮守府の提督を、やめますか?」

 

 真剣に、でもどこか優しい声色で神通は再度問う。

 しばらく無言だった凪は小さく、「――続けるよ」と呟いて抱えた膝に頭をうずめた。

 

「今更、もう投げ出せないさ。誰かにもう引き継げるような状況でもないしね。それに例え表面上の付き合いだったとしても、どうやら俺は君達に情を感じているらしい。……あの時は本当に、無事に帰って来てくれたこと、本当に喜んでいたからね。それは、本当に嘘偽りはなかった。……だから、続けるよ」

「そう、ですか」

 

 神通がどこかほっとしたような微笑を浮かべた。すると何かに気付いたように間宮食堂へと振り返ると「あら、一品出来たみたいですよ。持ってきますね」と立ち上がって去っていく。

 その姿を振り返ることなく、凪はただじっと膝を抱えたまま、静かに、小さく泣いた。

 最後まで彼女は責めるような事はしなかった。静かに話を聞いただけ。それがありがたく、そして同時にきつかった。逆に怒ってくれた方がマシだと思えるくらいに。

 こんな姿、食堂にいるみんなに見せられるものじゃないな。

 凪はただじっと、神通が戻ってくるのを待ち続けた。

 

 神通は食堂に向かう途中、桜の木の裏で息を潜めていた人物へと振り返らずに声をかける。

 

「……まだ、不安がありますか?」

 

 その人物は何も言わない。どこか具合が悪そうな表情を浮かべたまま木にもたれかかっていた。

 

「少なくとも、あの人は私達を裏切るようなことはしないでしょう。今までずっと、それに近しい事はし続けていたでしょうけども」

「表面上の付き合い、か。だが少なくとも、あの時はあの人の本心が表れていたかもしれないな」

 

 そう言って、自分の手を見下ろす長門。

 指揮艦へと戻って来た長門達を出迎えてくれた凪の様子は、確かに艦娘達の無事を喜んでいただろう。それまでの付き合い方に壁はあっても、それでも自分の意思で戦場へと送り出した仲間達の無事を喜ぶのには、本心が確かにあったと思う。

 そんな時まで壁を作れるほど、彼は器用ではない。彼もまた、それを感じていたようだ。それまでの付き合いで、長門も何となくそう思っていた。

 

「神通はどう思っている?」

「あそこで話をした人は、年相応に人付き合いに悩める人間でした。初めて、あの人は本心を曝け出してくれました。それを信じていいと、私は思います」

「……それが、今までずっと監視を続けていたお前の答えか」

 

 声をかけず時折そっと凪の後ろにいたのは、その行動通り凪を監視していたのだ。本当に信頼出来る人物なのか、神通もまた多少の疑いを持っていた。だが今日、それは氷解した。

 そこにいるのは柔らかな表情を浮かべる少女だった。

 

「ええ。支え甲斐があるかと思いますよ」

 

 一礼して食堂へと去っていく神通を見送る長門は、そっと月夜を仰ぎ見る。少し飲みすぎたか、と外に出てみれば凪と神通が話をしている様子だった。そっと耳を傍立てて聞いてみれば、あの凪が弱い部分を見せているところだった。

 長門からしても意外な場面だ。

 しかし、思えば当然の事だったかもしれない。最初から彼は人付き合いが苦手なのだと言っている。その様子をあまり見せないから嘘かと思っていたのだが……、それに気づかなかったのは彼を信じ切れなかった長門と神通の差だった。

 これからは、海藤凪という人物をより見ていく事にしよう。

 あのような姿は、確かに他の艦娘達には見せられない。この秘密は神通と共に隠していこう。その上で、少しでも彼を支えてみようか。

 長門は少し酔った頭でそう考えるのだった。

 

 

 



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休息

 一夜明け、神通は執務室をノックする。だが返事が返ってこない。もう一度ノックをするが、やはり返事がない。失礼いたします、と声をかけて中に入るとそこには誰もいなかった。

 いつもならば凪がいる時間のはずだが、と部屋を見回してみる。

 だがやはりどこにもいない。

 少し考えた神通は執務室を後にした。

 

 数分後、凪が宿泊している部屋をノックしてみる。執務室は凪の仕事をするための部屋であり、その近くに寝泊まりする部屋が別に用意されていた。だが応答がない。もう一度ノックし、先程と同じく失礼いたします、と声をかけて中へと入ると、ベッドが膨らんでいるのが見えた。

 そっと様子を窺えば、寝ている凪がいた。しかも寝相が悪く、布団がひっくり返っている。それだけでなく、どこか苦しそうな表情を浮かべていたため、神通はそっと体を揺さぶってみた。

 

「提督、提督。大丈夫ですか……?」

 

 何度か声を掛けながら起こしてみると、やがてゆっくりと目を開けてきた。何が起きているのかわかっていないらしく、しばらくぼうっと虚空を見上げている。もう一度大丈夫ですか、と声をかけると、一度頭を押さえて起き上がってきた。

 続いてお腹を押さえて顔を歪めている。

 

「体調、悪いのですね?」

「……いやはや、まったく、困ったもんだねえ……」

 

 日々のストレスに加え、昨日の泊地棲姫との戦いによる緊張で一気に胃を悪くしたらしい。そんな彼に神通はそっと胃薬を差し出した。

 

「必要かと思いまして。……どうぞ」

「……ごめんね」

 

 何とか薬を飲み、大きく息を吐いた。目に見えて凪は弱っていた。

 いつもの凪はそこにはいない。今の彼には休息が必要だろう。心と体を休ませる時間が必要だった。

 

「朝食はいかがされますか?」

「あんまり食欲ないね……」

「でしょうね……。でも、何か食べた方がいいかと思われます。私が、お作りしましょうか?」

「……いや、そんな。悪いよ」

「いえ、いいのですよ。おかゆ、作りますね。あ、あと長門さんにも体調不良だと伝えておきます」

 

 微笑を浮かべて一礼すると、神通は部屋をそっと後にした。それを見送り、凪はまた息を吐いてベッドに横になる。自分で思う以上に、どうやら体は悲鳴を上げていたらしい。

 それだけ泊地棲姫討伐戦に対して緊張していたし、日々の艦娘との付き合い、というより多人数を相手にする事がストレスになっていたらしい。後者に関しては本当に自覚がなかったのだが、そういえば無理して言葉を考え、発した後はちりちりと胃が痛んでいたような気がした。

 それは恐らく美空大将との会話の後もあったかもしれない。たぶんあっちの方がストレスを感じていたような気もする。

 となると、後日あると思われる食事もあまり気乗りがしなくなってきた。無理してまで行く事はないかもしれないが、しかし色々と送られているのだ。それを受け取っておいて、食事の誘いにも乗らないのか、となると後々めんどうなことになる。

 というか体壊すなよ? と言われていたような気もする。

 そう考えると、更にめんどくさくなりそうで気が滅入る。

 こうなったら寝るしかない。寝て、体を休めつつ考えることを放棄するしかない。凪は布団を被らずに横になった。

 

 

「……なに? 提督が倒れた?」

「はい」

 

 鎮守府にある食堂でおかゆを作りながら神通が頷いた。長門は昨日の事を思い返してみる。確かに弱っている姿を見せていたし、体調も悪そうではあったが、ここまでとは思わなかった。

 となると、今日の業務はどうするのか。

 凪が倒れたとなると、誰が鎮守府を動かすのか。

 

「長門さんが代わりにやるしかありませんね」

「そうなるか。……しかし、提督に方針を聞かねばなるまいか」

「これが出来上がりましたら、一緒に行きますか?」

 

 最後の仕上げをしながら問うと、長門は小さく頷いた。

 やがておかゆが出来上がると、さっと盛り付けてお盆を手にする。熱々のそれを持って並んで歩き、凪の部屋へと戻ると凪は壁に向かって寝転がっている。

 

「提督、起きていらっしゃいますか?」

「…………マジで作ってきたんだ。……ってか長門も一緒か」

「どうも。大丈夫か、提督?」

 

 顔だけ二人の方へと向けると、長門が小さく会釈した。机にお盆を置くと、神通がなぜ長門も来たのかを説明した。それを聞き、凪は長門へと頭を下げる。

 

「ごめんね。……今日一日、君に任せることになる」

「構わない。あなたには休みが必要だ。それくらい、お安い御用だ。それで、今日はどのような予定を組もうとしていたので?」

 

 ベッドから起き上がり、長門と向き合いながら予定を伝える。

 本来ならば今日にでも五航戦を迎え入れようかと考えていたのだが、明日にでも延期するしかない。

 第一水雷戦隊と第二水雷戦隊の訓練について説明し、戦艦や祥鳳についてもどのような訓練をするかを伝える。また今回の泊地棲姫戦について振り返り、どちらにも戦艦を入れて遠距離砲撃の撃ち合いも訓練させてみる事にする。

 その際の編成についても伝えることにした。

 神通、山城、北上、摩耶、夕立、綾波。

 球磨、日向、川内、利根、皐月、初霜。

 艦種でバランスをとってみると、こうなってしまった。欠けてしまった艦娘については申し訳ないが、ここは交代制で編成を入れ替えつつ訓練する事となる。

 

「承知した。ではそのようにしよう」

「では、こちら、食べますか?」

「……うん、食べてみよう」

「では、失礼いたします。ふぅー……」

「んん??」

 

 何をしてらっしゃるのでしょうか、神通さん。

 レンゲにおかゆを掬ったかと思うと、息を吹きかけてそっと差し出してきた。これはなんだろうか? この人は、何をしているのだろうか。

 ぼうっとした頭で固まってしまう。

 その様子に、神通は少し困り眉になってしまった。

 

「あの、やっぱりいらないですか?」

「……あー、うん。これはあれなのね。うん。いただくよ……」

 

 よもや自分がこういう事をされるとは思わなかった。漫画とかである看病系のイベントでよく見るやつだ。

 口を開ければ、そっと神通がおかゆを食べさせてくれる。そう、あーんというやつだ。

 実際にされても、全然実感が湧かない。少し冷ましてくれた事で、はふはふと言わないが、それでも味がよくわかっていない。それだけこの状況に混乱しているのか、あるいはただ体調が悪いだけなのか。たぶん、どちらもだろう。

 

「では、お邪魔にならないよう私はもう行こう。お大事に、提督」

「あ、うん……みんなによろしくね」

 

 敬礼して長門が立ち去ると、神通は凪を気遣いながらおかゆを食べさせ続ける。昨日の今日でなんとまあ献身的な事だ。いや、神通も何かと業務を補佐してくれる時がある事は知っているが、こういう事までしてくれるとは思わなかった。

 時間をかけてゆっくりとおかゆを頂き、何とか全部食べ終える事が出来た。

 

「ほんと、ありがとう」

「いいえ。ではごゆっくりお休みください」

 

 弱っている時に、神通のような人は本当にありがたい。

 初めての経験だったために余計に何かがクるような気がした。

 

 

 訓練は何事もなく過ぎていった。凪が倒れているため出撃はせず、朝も昼も訓練漬けとなった。凪の事は倒れている、とは告げず、ただ休んでいるとだけ伝えられた。

 見舞いにはいかせず、ただそっとしてやるように、という長門の言葉に艦娘達は少し心配そうな表情を浮かべた。

 夕方、訓練を終えて入渠ドックで体を癒し、間宮食堂で食事をする艦娘達。長門は執務室で凪の代わりに書類を書き、チェックを進める。

 鎮守府の中は静かだった。

 夜になっていくにつれて騒がしくなる娘は一人いるが、今日は何やら大人しい。

 そんな中で神通は凪の様子を見るべく部屋を訪れる。ノックをして中に入ると、ベッドの脇に誰かが座っているようだった。

 

「……夕立ちゃん?」

「あ、神通さん」

 

 電気がついていない中、夕立が凪の手をそっと握っていた。いや、凪が握りしめている、というべきか。眠っているようだが、無意識に夕立の手を握っているという事は、そうする事で安心を得たのだろうか。

 

「どうしてここに?」

「提督さんの様子を見にきたんだよ。結構前から、弱っているかな、って気はしてたから」

「……わかっていたの?」

「うん。何となく、ね」

 

 やはりこの夕立は観察眼がいいかもしれない。長門でも昨日気づいたぐらいだったのに、神通と同じく前から違和を感じていたようだった。

 そっと凪の手を撫でながら夕立は語る。

 

「一対一なら、まだいいみたいなんだけどね。それでも無理はしていたみたいっぽいよ。目が、震えてるもん。それが複数だったら、提督さん、目の震えが少し大きくなって、気づいたら誰一人見てないの。どこか、別の方を見ながら話してる。でもまた戻す、それの繰り返し」

「目線……そういえば、そうでしたね。……それも、彼にとっては難しい事でしたか」

 

 人付き合いが苦手という人の中には、確かに人と目を合わせる事すら難しいという人がいる。何とか目を合わせようとするも、すぐに視線を逸らし、あたふたとし始めるのだ。

 凪の場合はそれがなかったが、それでも困惑したようにうろうろと視線が僅かに動いているか、目ではなく別の顔の部分を見つめていたようだ。それに夕立が気づいていたようだった。

 

「…………っ、ん、んん……」

「あ、起きたっぽい」

 

 ぼうっとした頭で部屋を見回す。夕立が近くにいて、手が夕立の手を取っている事に何とか気づき、少し恥ずかしくなってきた。手を離そうとすると、逆に夕立が握りしめてきた。

 

「提督さん、無理してあたし達と接してるっぽい?」

「…………」

「あの、夕立ちゃん、提督は……」

「いや、いいよ神通。俺から話すよ……」

 

 そうして凪は夕立に話して聞かせた。どうして自分が人と接するのが苦手なのかを。夕立は茶化すようなことはせず、静かにそれに耳を傾ける。

 やがて全てを聞き終えた夕立は、そっか、と小さく頷いた。

 

「提督さんは、人を完全に信じ切れないところがあるんだね」

 

 容赦のない切り込みだった。しかしそれが的確と言えよう。根本的にはその感情があるからこそ、人と壁を作っているのだから。

 無言になってしまう凪に、夕立はぽんぽんと凪の手を撫でていく。

 

「表面上ではいい顔していても、裏では何を考えているんだろうって疑うから、目も合わせられないし、人に囲まれるのが苦手。……例えあたし達でも、見た目は人間の女の子だから、咄嗟に壁を作って色々考えて、そして体を悪くしちゃった。そうなんだね?」

「平たく言えばそうなるね」

「も~、てーとくさんは考えすぎっぽい。あたし達が提督さんを悪く思うなんて、裏切るなんて、そんなことありえないよ。あたし達は、提督さんの兵器。見た目は人間っぽいけど、人間じゃない。提督さんが思うようなことは、何も起こらないよ」

 

 説得しているつもりだろうが、しかし夕立の言葉もまた彼女達の歪さを示す。

 人間じゃない。自分達は兵器。

 確かにその通りだ。どんなに見た目が人間の女の子であったとしても、彼女達は人間じゃない。その真理を容赦なく突きつけてくる。それを凪に対する説得材料として。

 

「……申し訳ありません。裏切りはしませんが、疑いはします」

「神通さん?」

 

 そこで、瞑目した神通が静かに頭を下げた。夕立が少し驚いた表情で振り返るが、神通はまるで懺悔するように静かに言葉を発した。

 

「私は、提督の監視をしていました。どのような人間なのかを推し量るように。……先代のように、いつか私達を使い潰す人間なのかを知るために」

「……そして、黒だとわかったら、反逆する可能性もあったのかな?」

「…………ない、とは言い切れませんね。長門さんもそうであるように」

「はは、長門は仕方ないさ。俺が道を踏み外したら正せ、とあらかじめ俺が言ってあったし。でも、そうか。神通もそうだったのか」

「申し訳ありません。……ですが、今はもう、それはありません。このような事を申し上げた後で言っても、信じるに値しないかもしれませんが」

 

 頭を下げたまま神通は話し続ける。夕立は困ったように神通と凪を交互に見やり、凪はただ静かに神通を見つめていた。たぶん、昨日の凪の懺悔を聞いていた神通のように。

 

「私は、昨日あなたの心を見ました。あなたの、本心を聞きました。だから、私はあなたの気持ちを信じます。あなたのために、この身を捧げ、あなたの兵器となり深海棲艦と戦いましょう」

 

 それは誓いだった。膝をつき、まるで騎士に仕える者のように神通は懺悔から誓いを口にした。

 お互い、隠していたことを曝け出したからこそ、神通は凪へと改めて誓うのだ。

 先代提督の起こした行動により、次の提督もそうであるのかと疑いの心を持つのは当然の事。

 そう、心あるものならば、疑うだろう。次の主は果たしてどのような人物なのかと。

 心がないものならば、何も言わず、何も思わず、ただ命じられるままに動くだけなのだから。

 だから、神通や長門が疑念を抱く事は自然な事。それを責める気持ちなど、凪にはない。

 それでも、不安はある。

 自分は果たしてうまくやれているのだろうか。長門や神通にそのような疑念を抱かせ続けているような事をしているだろうか。そんな不安に苛まれるのだ。そのような思い込みもまた、凪の体を痛めつけていた。

 だから神通は自らの事を打ち明け、少しでも凪の不安を和らげたのだ。

 その意図に気付いたらしい夕立も、ぎゅっと凪の手を両手で握りしめる。安心させるようにしていたその手は、自分の存在が確かなものであることを教えるように力強かった。

 

「あたしだってそうだよ。この夕立も、提督さんのために戦うよ! 提督さんを不安にさせないよ。提督さんのために強くなって、提督さんのために戦って、提督さんと一緒に……どこまでも、行くよ!」

 

 二人からの言葉に、凪は静かに涙した。

 申し訳なさに。

 その有難さに。

 こうまで言われては、もはや二人に対して壁を作る事など出来るはずがなかった。

 

「私達艦娘は、提督を支え、共に歩むために在る存在。……不安もあるでしょうが、あなたが私達を仲間だと思ってくださるのであれば、私達もまたそれに応え続けましょう」

「……うん」

 

 凪はゆっくりと体を起こし、ベッドへと座りなおした。膝をついている神通を立たせ、夕立と神通の手を取る。

 弱っているせいか人の暖かさというものがよくわかる。それに加えて二人の言葉の暖かさが身に染みる。壁がなくなった今、より一層それが強く感じられるのだ。

 ああ、こんな娘達を自分はどこかで恐れていたというのか。

 この娘達はあの人間達とは違うのだ。

 そんな当たり前の事を、何故自分は自覚しなかったのだろうか。

 本当に、本当に申し訳がない。

 こんなことを言わせてしまった自分が情けなくて仕方がない。

 

「ごめん。本当にごめん。……そして、ありがとう。明日からは、しっかり君達と向き合ってみるから……。どうか、こんな情けない提督と、一緒に戦ってください」

「はい」

「もちろんだよ」

 

 改めて凪からお願いする。

 答えは当然、満面の笑顔だった。

 そして凪はここにいないもう一人の艦娘、長門の事を思い返す。彼女にも謝らなければならない。今日一日仕事を代わってもらっただけではない。不安にさせた事についても謝らなければ。

 

 そしてここから、やり直すのだ。

 

 呉鎮守府より、今日改めて一人の提督が生れ落ちた。

 

 

 




これにて1章終了です。

次回より2章となりますが、そのボスは今となっては新人さん以外では、ほぼランカーくらいしか出会えないあの人です。
あの人……もうイベには出てこないんですかね。


なんだかここ数日で一気にUAやお気に入りが増えて困惑しています。
同時にありがたいです。
終着点はほぼ決まっているので、何とかそこまで進められたらと思います。
感想などいただければ励みになります。
2章からもよろしくお願いします。


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2章・南方海域
建造


 

 次の日、執務室で長門を迎え入れた凪が最初にしたこと。それは帽子を静かに取り、長門へと頭を下げた事だった。

 

「昨日一日、迷惑をかけたね。申し訳ない」

「頭を上げてくれ、提督。そう謝られる事でもない。あなたは体調を崩したのだ。その代わりを務めるのもまた、秘書艦の役割だ」

「……それだけじゃない。君を、君達を不安にさせた事に対しても謝罪する。本当に、申し訳ない」

「……む?」

 

 その事について、長門は少し驚いたような表情を浮かべ、ちらりと神通へと視線を向けた。神通から昨日何があったのかを説明されると、長門は納得したように小さく頷いた。

 長門はもう一度「頭を上げてくれ」と願い出た。そして長門からも頭を下げられることになる。

 

「私も、あなたを完全に信じ切れなかった。だからあなたが体調を崩すまで、全く体調を悪くしている事に気付かなかった。あなたが倒れたのは秘書艦である私の責任でもある。だから、あなたが私に謝る必要はないのです。私からも謝罪する。本当に、申し訳なかった」

「いや、そんな。俺が悪いんだよ。本当に、ごめんね」

「いやだから――」

「――はい、そこまでですよ。お互い謝りあってはただ時間が過ぎていくだけです。それくらいにしてください……」

 

 不毛な謝りあいになる前に神通が割って入った。こほんと空咳を一つし、帽子を被りなおした凪は席について昨日長門が纏めた報告書に目を通していった。

 伝えた通りの訓練が行われた結果、また少しレベルが上がったようだった。現在のレベルとしては25から30前後になっている。よくもまあ、改めてこのメンバーとレベルで泊地棲姫を倒したものだと思う。装備もあまり開発していないというのに、だ。

 だがそれも今日からまたメンバーを増やすことになる。これで余裕を持たせて鎮守府の運営を進めていくことができるようになるだろう。

 

「工廠に向かう。まずは建造からだ」

 

 

 最初に行うのは五航戦の確認だった。美空大将から送られたデータで本当に確実に五航戦が作れるのかどうか。それを妖精達に確認する。結果、本当に作れるようだった。ただしその分だけ資材を投入する事になるが、それを果たせば必ずくれるらしい。

 その資材はというと、300、300、600、600だった。

 二人揃えるのに鋼材とボーキサイトが1200も吹き飛ぶ。それは今の呉鎮守府にとっては結構痛い出費と言えるものだった。

 現在の資材量と、これから行う建造や訓練、出撃についての計算を頭の中で行い、まだ大丈夫なラインかもしれない、と判断をする。

 

「……やってくれ。鶴姉妹を俺に!」

 

 決断は下された。妖精達が敬礼をし、資材を建造ドックに投入する。

 モニターに映し出された時間、06:00:00という数字。これが、五航戦の建造時間だった。そしてバーナーが使用され、一気にゼロとなる。

 開かれた扉の中から出てきたのは、この鎮守府にとっては初めてとなる空母の姿だった。

 

「翔鶴型航空母艦1番艦、翔鶴です」

「翔鶴型航空母艦2番艦、妹の瑞鶴です」

 

 最初に出てきたのは銀髪のロングヘアーをした和服をした少女だ。髪には紅色のハチマキを巻き、弓道をする者が付ける胸当てや手袋をしている。その雰囲気はおっとりとした落ち着いた女性を思わせるものだった。彼女が姉の翔鶴である。

 続いて出てきたのは緑っぽい黒髪をツインテールにした和服少女。翔鶴と同じ服装に装備を身に着けているが、その雰囲気はなかなかに活発そうなイメージを抱かせるものだった。彼女が妹の瑞鶴である。

 二人揃って五航戦と呼ばれるのだが、これはかつての大戦において編成された空母機動部隊の名称だ。これは略称であり、正式には第五航空戦隊。空母である翔鶴、瑞鶴とそれを護衛する駆逐艦もいるのだが、今の大本営的には五航戦といえば、だいたいはこの二人を指すようだ。それはこの二人が艦娘となる前に存在している他の空母の影響だろう。

 すでに一航戦、二航戦が存在し、艦娘となった彼女達も自らそう名乗っているらしい。実際には三航戦や四航戦もいるのだが、こちらではあまり自称していないようだった。

 

「ようこそ、翔鶴、瑞鶴。これからよろしくね」

「はい、瑞鶴共々よろしくお願いします」

 

 握手を求めに行くと、翔鶴が快く受けてくれた。微笑を浮かべる銀髪美人。それを前にしてつい視線が目ではなく少しそれたまま応対してしまう。変わっていこうと決意しても、人はそう簡単には変わらない。そもそも艦娘であったとしても、やっぱり見た目は人間の女性。人、それも女性にも慣れていない凪にとって美人というものはどうも無理がある。

 翔鶴だけでなく、山城や千歳にも握手を求めた時もまた、彼はさりげなく震えた視線で応対していたのだから。

 

「君達はうちにとっては初の正規空母。最初は祥鳳と一緒に訓練を行ってもらい、艦娘としての動きを覚えていってね」

「私達が初めて? ……ってことは、一航戦とか、ここにはいないの?」

「いないよ。……やっぱり一航戦って気になるのかい?」

「う、うん、まあね。やっぱり伝説級だからさ、一航戦って……」

 

 一航戦とは艦娘的には赤城と加賀がそう呼ばれている。史実ではとんでもない話が色々存在しており、艦娘となってもその強さが表れているとか。そのせいか空母達の間でも憧れの感情が見られるらしい。

 やはり五航戦もそうなのだろうか。

 

「あのお二人がいないのであれば、私達が代わりに頑張らないといけないわね。いつか来るかもしれないその時まで、瑞鶴、あのお二人に恥じない強さを磨きましょう」

「そうね。精一杯頑張って、あの二人に先輩面、見せてやるんだから!」

「頼もしいね。それじゃ大淀、祥鳳を呼んできて、二人を案内させて」

「はい。ではこちらで少しお待ちくださいね」

 

 入口付近へと案内される二人を見送り、凪は続いてレア駆逐レシピと呼ばれる資材を妖精達に告げる。メンバーを増やすならば、そろそろ遠征部隊を拡張しなければならない。高い出費をするには、それに伴う収入が必要だ。

 重巡、軽巡、駆逐と三つの艦種が狙えるこのレシピを四つ投入し、そのどれかを引き当てる。

 さあ、今回はあの時みたいな不運っぷりを発揮しないでくれよ、と祈る。全ては妖精のご機嫌次第。今日だけで高い出費をしているのだから、その見返りを今ここに……!

 運命の時は、すぐに訪れる。四つのモニターに映し出されたものは――

 

 01:20:00

 

 失敗

 

 失敗

 

 00:22:00

 

 何とも微妙な微笑み具合だ。失敗した二つの扉が開かれてレーションが放り投げられてくる。そして時間を見る限りでは、一つは重巡、もう一つは駆逐のようだ。

 やれやれと溜息をつき、バーナー投入の指示を出して一体誰が出来たのかを待つことにした。そして開かれた扉から出てきた艦娘。

 一人目は長身の女性だった。短めのパッツン前髪に太眉、後ろ髪は纏め上げてシニヨンにしている。紫と白の制服には両肩や両腕に主砲、両太ももには魚雷が装備されていた。雰囲気としては落ち着いた女性を思わせる。

 

「私、妙高型重巡洋艦、妙高と申します。共に頑張りましょう」

 

 そしてもう一人。妙高と比べるとかなり真逆の勝気な少女が出てきた。銀髪を緑のリボンで右にサイドテールにしている。白いシャツにグレーの吊りスカート、赤いベルトで背負った艤装はまるで……とその小さい身長と合わせてそれっぽく見えてしまう。

 

「霞よ。ガンガン行くわよ。ついてらっしゃい」

 

 朝潮型駆逐艦の十番艦、霞だった。凪はアカデミーで資料に見た艦娘の霞の特徴を思い返し、少し冷や汗をかく。凪にとっては恐らくはほとんど相容れない性格をした艦娘だからだ。しかし、挨拶せねばならない。

 まずは妙高へと握手を求めに行った。

 

「ようこそ。歓迎するよ」

「はい、よろしくお願いいたしますね、提督」

「……ようこそ。これからよろしく頼むよ」

「ふん、よろしく」

 

 小さいために少し屈んで握手しに行くと、霞は小さく鼻を鳴らして握手してくれた。よかった、ファーストコンタクトはうまくいったかな、と思っていると、霞は何故かじっと凪を見つめている。そして、

 

「挨拶する時くらい、ちゃんと目を見てやりなさいな」

「…………」

 

 瞬時に見抜かれた。ちり……と胃が痛くなったような気がする中、「あ、ああ……ごめんね」と素直に謝ると、また小さく息をついて神通の下へと霞が去っていく。起き上がり、大きく息を吐いて振り返ると、長門が「大丈夫か?」と声をかけてくれた。

 

「……あれくらいで済んでくれて良かった、って感じかな。最初だからかもしれないけど」

「それとなくあなたについて話しておこうか?」

「それで何とかなるならいいけど、たぶんならないだろうねぇ……。あの性格は、史実での霞の戦歴から来ているものだろうし」

「どうかなさいましたか?」

 

 ひそひそと長門と話していると、首を傾げた妙高が声をかけてくる。そういえば妙高を案内していなかったか、と思い出し、どうしたものかと頭を掻く。だが自分の事については一応話した方がいいだろう、とそれとなく妙高に事情を説明した。

 

「なるほど、確かにそんな提督と霞ちゃんでは少し相性が悪いかもしれませんね……。第三水雷戦隊を組むのでしたら、私が旗艦となり、霞ちゃんを少しコントロールしてみましょうか?」

「あー……そうだね。どの道第三水雷戦隊は今回建造する娘達で組む予定でいたし、今の所そうなるのかな。お願いしてもいいかな?」

「わかりました。お引き受けいたします。……あと、霞ちゃんといえば仲が良くなりそうな艦娘でいえば、大淀さんや足柄になりますけれど、足柄はいるのでしょうか?」

「……ああ、礼号組か。足柄はいないなぁ。坊の岬でいったら、初霜がいるけども」

 

 礼号、坊の岬というのは史実で行われた海戦の事だ。これに参加した艦の艦娘のグループというのがあり、より一層仲が良かったりするようだ。だが当然ながら艦娘の数にも限りがあるので、参加した艦娘の全てが構築されているわけではない。

 

「でも艦娘らに頼ってばかりというのもあれだし、俺も何とかしてみるよ。上手くやれば、長い付き合いになるわけだしね……。これもまた試練の一つさ。……また倒れないように気を付けるけど」

「うむ、倒れない事を願うばかりだ」

「倒れたんですか?」

「昨日ね」

「あら、まあ……」

 

 復帰して早々また倒れるなど情けない事この上ない。僅かに胃が痛んだ気がしたが、胃薬でごまかしながらやっていくしかない。

 ああ、妖精よ。気まぐれなのはいいが、まさか改めてうまくやっていこうと決意した矢先に、相性が悪そうな艦娘をよこしてくれるとは。これも何かの運命なのだろうか。

 ちょっとだけ妖精を恨みそうになるが、あるいは妖精からの愛の鞭だったりするのかもしれない。ならば、これもまた越えるべき壁としてやっていこう。

 軽くお腹をさすりながら、凪は執務室へと戻る事にしたのだった。

 

 

 

 



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建造2

 その日、呉鎮守府に作業員らが訪れた。どうやら美空大将へ頼んだ一件が実行されるようだった。工廠の隣のスペースに作業員と作業妖精が集まり、工廠の拡張工事が行われる事となる。

 工事費用は大体は美空大将が前払いしているが、一部は凪の出費となった。

 それにしてもここでも謎の妖精パワーが発揮されているらしく、迅速に骨組みが組みあがっていく様はなかなかに壮観だ。

 美空大将へと電話を繋ぎ、お礼を言おうとすると、また淵上が通信に出る。

 

「大将殿ですか?」

「うん。お取次ぎを願えるかな?」

「少々お待ちを」

 

 今回はそんなに時間を待つ事もなくすぐに美空が画面に入り込んでくる。すぐさま立ち上がり、頭を下げて「本日ヒトマルマルマル、工事が開始されました」と報告する。

 

「費用も大将殿が支払ってくださったようで、ありがとうございます」

「なに、構わん。これは貴様に対する報酬なのだからな。とはいえ一部は貴様の出費となる。ローンでも一括でも構わん。貴様のペースで支払うといい」

「はい」

「完成したら機械を弄るんだったかしら?」

「はい。艦娘の装備の修復や開発を自分でやろうかと」

「ふん、本当に変わった男ね。でもそれで貴様のストレス解消などに繋がるのであればそれでいいわ」

 

 そう、これは凪にとってのストレス解消にもなりえること。彼にとって一人の時間、何かに没頭するという事は日常的な事だった。それが一番気分が落ち着き、彼にとって外の世界と遮断され、心を掻き乱されない時間なのだ。

 だからこの施設は凪にとっての癒しの空間となる。これが出来上がれば、多少なりとも胃を痛める時間が減るだろう。

 

「そうそう、新たな艦娘のデータを送るわ」

「またですか? 随分と速いペースですね」

「艦種が軽い方だからね。構築としては悪くないペースよ。今回はこの二人」

 

 そう言ってメールを送ってくる。届いたファイルを開いてみるとそこにはこう書かれていた。

 軽巡洋艦、夕張。

 軽空母、瑞鳳。

 この二人の艦娘構築が完了したとの報せとデータが同封されていた。

 

「夕張と瑞鳳、ですか。確かに軽い方ですね」

 

 工廠へとデータを送りながら相槌を打つ。美空も煙管を吹かしながらまたキーボードを操作し、何かを送り付けてきた。

 開いてみるとファイル名に目が行った。そこにはこう書かれている。

 

 雷巡改二案

 

 改二、という単語が凪にはおもしろいものに映っていた。

 単純に考えればそういう事なのだろうが、これはまず訊いてみなければならない。

 

「改二といいますと、改の更に後の改装でしょうか?」

「その通り。艦娘には改にしたからといってそれで終了、という程の能力を秘めてはいなかった。その力の奥底に、まだ何かを秘めている可能性があった。私はそれを解き放つ術を模索し、そしてあと一歩まで辿り着いたのよ」

「それが改二、ですか。やはり練度関連が関わっていらっしゃる?」

「そうね。その第一歩として雷巡、北上と大井が選ばれたわ。史実では活躍出来なかった艦が、艦娘としてならば大いに活躍できる可能性を、あれらは秘めていると見ていたのよ。……果たして、それは成功する可能性が高まった」

 

 どこか誇らしげに美空は語る。第三課としてこれは大きな戦果となるだろう。艦娘の新たなる可能性を提示したのだ。これでまた美空大将としての格が上がる。やはり美空大将は何かしらの目的があるのだろうな、と凪は心の中で思った。

 しかしそれによって艦娘が更なる力を得る事が出来る。それはすなわち深海棲艦に対抗する力が高まる事でもあり、国を守る事に繋がるのだ。それは決して悪い事ではない。

 

「そっちには北上がいたわね? 改二が完成したら貴様にも送ってやろう」

「ありがとうございます」

「それと海藤」

「はい」

 

 やっぱり今回もあるのね、と最早何も驚くこともない。今度はなんだろうか、と大人しくする。煙管を灰皿へと置くと、じっと凪を見据えてくる彼女の目を、凪は決して合わせない。少しずれた方へと向けながらじっと待つ。

 

「食事の件は大丈夫かしら?」

「え、ええ……週末あたりならば大丈夫かと思います」

「そう、それはよかった。……倒れたと聞いたから大丈夫かしら、と思っていたのだけれど」

「その件につきましては申し訳ありません。今は問題ありませんので……」

「そうかしら? 貴様はやはりどうも人が苦手らしい。あるいは人が嫌いなのかしら? こうして話していても、貴様は決して私と目を合わせない。私が気づいていないとでも思っていたのかしら?」

 

 ぞくり、と冷や汗が流れる。背筋が凍るような感覚が凪に襲い掛かっていた。口が渇き、胃がきりきりと痛み始める。しかし当然の事だろう。美空は大将まで上り詰めた人物。そういう人の変化を見逃すような真似はするはずはないだろう。それに凪の事も調べている様子だった。ならばそれらを組み合わせて、凪が人付き合いが苦手な人物であることを推察できないはずはない。

 そんな凪に気付いたのか、軽く手を挙げて「そう思いつめるな海藤」と止めてくるが、それを大人しく受け入れる凪ではなかった。

 

「私は貴様を責めるつもりはない。貴様の父の一件で貴様はそう育ったのだと、理解しているつもりよ。実際、こっちの輩は色々と裏に何かを抱えているものだからね」

「……それは、あなたも含めて、ですよね?」

「ほう? 言うじゃないか。人が嫌いなのに、そういう事は口に出来るのね」

「気づいている、という事を明かしておけば、それだけでもあなたを満足させられるのでしょう? 私がそれを知っての上で従っているのだと確信を得られるのですから」

「そうね。貴様はメンタルが少々弱いようだけど、馬鹿ではない。惜しい、実に惜しい。その人付き合いでのメンタルの弱さがなければ、こっちで色々出来たのに」

「実現するはずのない事を求めるのはやめていただけませんか、美空大将殿? 私はそういう事は決してやりませんから」

「残念だわ」

 

 本当に残念そうにしているのかわからない反応を見せてくる。

 だが凪が人付き合いが苦手という事を知っていたならば、時折凪の体調を気遣うかのような振る舞いをしていたのは、本当に心配していたのだろうか、と疑問を感じる。

 だがそれを確かめる気にはならない。そういう気持ちや腹の探り合いなど凪の性分ではない。

 

「では週末、予定を組んでおくわ。決まり次第連絡する」

「承知いたしました」

 

 通信が終わると、また大きく息を吐いて天井を見上げる。先程感じた胃の痛みはまだ僅かに続いている。これはいけない、と神通に置いてもらった胃薬を飲んだ。

 美空大将がどうして自分をここに任じたのか。

 凪の中にある可能性を目につけて成果を上げさせ、推薦した自分の格を上げようとしている事は何となくわかる。同時に新たなる艦娘の構築だけでなく、改二という新たな要素を生み出す。

 大将まで上って来たのにまだ上を目指そうとしているのだろうか。あるいはまた別の目的があるのか。関わりたくはないが、ここまでくると気にもなってくる。

 だがそれを詮索すれば余計に自分が関わらされるだろう。悩ましいところだった。

 

「大丈夫か、提督?」

 

 控えていた長門がそっと声をかけてきた。大丈夫だ、と手で制し、もう一度息を吐く。あの日以降、長門は前と比べてなるべく凪の近くにいるようになった。訓練する際は離れなければならないが、出来る限りは一緒にいて調子を見てくれるようになっている。

 長門がいない場合は神通や大淀が控えている事になっており、交代で凪を気遣うようになった。

 心配してくれるのはありがたいが、どちらかといえば一人を好む凪としては苦笑するばかりだった。

 

「まったく、美空大将殿も俺を買いかぶり過ぎなんだよなあ……」

「しかし、結果を出してしまった。この先、多少は注目される可能性があるかもしれないぞ?」

「いやいや、それはないよ。泊地棲姫は最近あちこちで出現している。そしてそれを倒し続けている。俺がやったのはその一端でしかない。出来て当然の事をやったからといって、注目されることはないさ」

「……あなたは自己評価も低いのか?」

「んー……そうかもね。所詮俺は4位だし、この通り対人のメンタルが弱いし。俺に出来る事はしずかーに、着々と力をつけていくことぐらいだろうさ。というか、今はそれしか出来ないよ」

 

 長門と神通という先代からの艦娘がいたとしても、それ以外は凪の手で生まれた艦娘達だ。泊地棲姫を倒したといっても、資源はまだまだ貧乏な方であり、他の鎮守府と比べれば練度も劣っている。

 比べる事こそおこがましいレベルであり、そんな自分が注目されるのはただ早く討伐したという点だけ。だがそんなこと、何の自慢にもならないと凪は自分で否定する。そんな事を自慢するくらいならば、新たに艦娘を迎えて艦隊を強くさせ、資源を増やすことに専念した方がいい、と語るのだ。

 そう説明すれば、長門も小さく頷いた。

 

「いいかい、長門。俺はね、別に注目されたいとも思わない。そんな事になったら、俺はまた倒れるぜ?」

「ああ、確かにそうだな。今となっては私はそれを想像できるよ」

「だろう? 俺を持ち上げるくらいなら、他の誰かを持ち上げとけ。……みたいな事を俺は考えながら生きているわけだよ。その方が気が楽だし、体調も悪くならない」

「ある意味利口な生き方だな。悪目立ちしなければ静かに暮らせる。あなたはそう考えているわけだ」

「そ。でも、美空大将殿の思惑次第では、それも崩れそうだけどね。参った参った」

 

 やれやれと肩を竦める様を長門はじっと見下ろしていた。茶化しているが、彼としては本気で嫌がっているのだろう。それを表に出さないようにそう茶化しているのだ。自分の本心をあまり悟らせないようにし、やり過ごす。それもまた彼の生き方から身に付いたものなのかもしれない。

 こうして観察すると凪という人物が何となく見えてくるものがあった。長門はより凪を知っていかなくてはいけない。この人間は確かに神通の言う通り、支え甲斐があるかもしれない。支えなければ、崩れてしまいそうな危うさを抱えているかのようだった。

 

「……気分を変えないか、提督。そうしていては、胃を痛め続けるだろう」

「そうだね。じゃあ、第三水雷戦隊を補充するために建造するか」

 

 気持ちを切り替えるために、頷いて凪は長門と工廠へと向かった。

 

 

 お隣が工事中の工廠を訪れ、凪は妖精達へとレア駆逐を三つと、オール30を一つ放り込んだ。オール30はもう一人くらい駆逐が欲しいかな、と思った次第だった。

 先程美空大将から受け取ったデータは既に工廠内でアップデートされている。だがそう簡単には出るはずもないだろう。

 さ、今回は外れは出ないでほしいな~と思いながらモニターを見つめる。

 

 01:15:00

 

 01:20:00

 

 00:24:00

 

 01:22:00

 

「――ん? んん??」

 

 見覚えのない数字が二つ見える。少し眉間を揉んでもう一度見るのだが、やはり見覚えがない数字が二つある。アカデミーで学ばなかった数字だ。

 え? ちょっと待って?

 いや、まさかそんな高速で出るわけないだろう、とバーナーを指示し、その答えを早いところ見てみることにする。

 最初に出てきたのは金髪のツインテールをした少女だ。とはいえただのツインテールではなく、一部お団子状に結び、二つの束が尻尾になっているという一風変わったツインテールだった。

 薄い水色のセーラー服を着、両手には単装砲、腰に他の艤装を装備している。大人しそうな雰囲気を纏い、ブーツで静々と歩いてくる様は自身のなさげな印象を抱かせた。

 

「こ、こんにちは。軽巡阿武隈です」

「お、おう……アブゥ……」

「アブゥじゃなくて、阿武隈です……!」

 

 阿武隈と言えば、五航戦と一緒に報酬としてデータを渡してくれた新しい艦娘だった。よもやこんなに早く出してしまう事になろうとは思わなかった。それに阿武隈は、一水戦旗艦として開戦から沈没まで立派に務め上げた艦であり、かのキスカでも活躍してみせた事でも有名だろう。

 それだけの武勲艦なのに、なんだろう……この大人しさは。この変わりっぷりはどこかの二水戦旗艦を思い出してしまう。とりあえずそれを置いておいて握手を求めると、静々と受けてくれた。

 続いて出てきたのは黒に近しい茶髪をウェーブにした長身の女性だ。妙高と同じような制服を纏い、艤装もほぼ同じ位置に装備している。大人の女性らしいなかなかのプロポーションをしており、先程の阿武隈と違って自信に満ち溢れた雰囲気を纏っていた。

 

「足柄よ。砲雷撃戦が得意なの。ふふ、よろしくね」

 

 なんとまあ、こちらも驚きだった。先日噂にしたばかりだというのに、よもや早々に出てくるなど誰が想像するだろう。なんだろう? 妖精達が気を使ってくれたのか、あるいは妖精の微笑みが今になって効いてきたのか?

 何にせよ霞と縁深い礼号組の足柄が来てくれたならばありがたい。握手を求めに行けば、快く受けてくれた。その際笑みを浮かべた口元に八重歯らしきものが覗かせた。

 次に出てきたのは小柄な少女だ。栗毛のボブカットに、測距義を乗せ、その手には双眼鏡を握りしめている。セーラー服調のワンピースを着ており、気のせいかスカートらしきものが見当たらない。艤装はというとまるで肩掛けのバックのように主砲を提げて持ち、背中には魚雷発射管。なかなか一風変わった駆逐艦だ。

 だがその雰囲気は実に小さな子供らしく明るい。しかしその艦は様々な出来事を経験し、生き延びた駆逐艦。ある意味見た目と史実がまるで合っていない艦娘の一人と言えるが、逆にあれだけの事を経験したからこそ明るいのかもしれない。

 

「陽炎型駆逐艦8番艦、雪風です! どうぞ、よろしくお願いいたしますっ!」

「うん、よろしく雪風」

 

 元気よく敬礼しながら挨拶してくる雪風に微笑が浮かび、握手を求めれば両手でしっかりと握りしめてきた。しかしアカデミーで気になっていたが、実際に目の前にいるとやっぱり気になる。

 そう、その下のものだ。

 本当にスカートが見当たらない。はいてるのか? はいていないのか?

 気になってしまうのは仕方のない事だ。でもそれを確かめるような事はしないでおく。

 最後に出てきたのは緑がかった銀髪を大きな緑色のリボンで結んでポニーテールにしている。へそ出しの半袖の黒いセーラー服にオレンジ色のリボンで胸元を結び、左腕にピンクのリストバンドが見られた。緑のスカートを履き、腰元に装着した艤装が両腕に展開されている。

 元気ではつらつな雰囲気が見られ、人当たりの良さそうな笑顔を浮かべて敬礼してきた。

 

「はーい、お待たせ? 兵装実験軽巡、夕張、到着いたしました!」

(待ってないよ、はえーよ、一発ツモやぞ、おい……)

 

 思わず三段ツッコミが頭の中で展開された。さっき追加したばかりの夕張が、まさかこんなに早く来ると思わなかった。だが来てしまったのならば、それはそれでいい。どうやら人付き合いの良さそうな性格をしている。それだけでも凪にとってはありがたい艦娘だった。

 

「ようこそ。歓迎するよ、夕張」

「うん、よろしくね、提督」

 

 握手を交わすとにっこりとほほ笑んでくれる。うん、それだけでいい娘だと感じさせる微笑みだった。今回の建造はいい娘達が来てくれた、と実感できる。

 

「では長門、案内してあげて」

「承知した。では皆の衆、こっちへ」

 

 四人を連れて長門が工廠を後にする。それを見送りながら凪は編成を考える。

 あの四人をそのまま第三水雷戦隊へと編成してもいいだろう。こちらも駆逐軽巡重巡が全て二人ずつでちょうどいい。

 しばらくはこの艦隊で回していくとしよう。

 主力艦隊長門、山城、日向、祥鳳、翔鶴、瑞鶴。

 第一水雷戦隊神通、北上、夕立、響、綾波、千歳。

 第二水雷戦隊球磨、川内、摩耶、利根、皐月、初霜。

 第三水雷戦隊妙高、足柄、阿武隈、夕張、霞、雪風。

 これで丁度二十四人。艦隊編成的にもハブられる艦娘がいないから具合がいい。

 建造はこれくらいにし、後は全員の練度を上げていくことに集中しよう。

 

(……いや、練度が上がったら逆に一水戦を組み直すか。あの娘の成長次第では一水戦は完全に水雷仕様にするのもありかもしれない……)

 

 千歳は今でこそ甲標的を用いて水雷戦が出来るが、改装すると軽空母になってしまう。となると神通率いる水雷戦隊としては少々歪だ。そのため入れ替えられる艦娘として候補に挙がったのが何人かいる。

 それはこれからの成長具合で決めることにする。だが成長すれば、一水戦は頼もしい水雷戦隊として戦場を駆け抜けてくれることだろう。それを想像すると、これからが少しだけ楽しみになってきた凪だった。

 

 



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食事会

 

 週末、凪は準備を整えて鎮守府を後にする。職務については再び長門に任せる事となった。二度目の事だが、今回は東京へ向かうためだった。

 予定としては夕方頃に向こうへ到着し、合流。食事会という事になっている。

 

「また任せる事になってごめんね」

「なに、上の人間との食事なのだろう? そういう付き合いも大事だと理解しているつもりさ。私としては、また胃を傷めない事を願うばかりだよ」

「はは、俺としてもそうならないといいと思ってるさ。……それじゃ、みんなによろしく」

 

 キャリーバッグを引いて凪は呉の駅を目指していった。食事会の後は東京のホテルで一泊してから戻ってくる事になっている。第三水雷戦隊の育成についてまだ気になる点はあるが、しかし大人の付き合いというのも大事なことだ。

 この自分がよもや大人の付き合いをする日が来るなんて。色々思いつめてしまって足取りが重くなりそうだが、もう腹をくくるしかない。

 ため息をつきながら凪はゆっくりと歩いていった。

 

 

 長い列車の旅を終えて東京へと降り立った凪は、夕暮れに染まる街並みを見回す。予定ではここで迎えが来るという話だった。それらしき人物は見当たらないな……と探してみると、そっと近づいてくる影が一つ。

 

「海藤先輩」

「え?」

 

 そこにいたのは私服姿の淵上湊だった。大人っぽい服装をしているから一瞬わからなかった。黒髪のポニーテールなのは変わらないが、その顔には薄く化粧をしており、リップに濡れた唇が艶やかだ。

 薄い黄色のシャツに紺の上着、黒いタイトスカートに黒ストッキングという組み合わせ。首元が開いているせいか、提げているネックレスにも視線が移りやすくなっている。

 当然ながらそれを見た凪は疑問を感じた。ただ案内するだけの役割にしては妙におしゃれしていないだろうか、と。

 

「まずホテルへ案内するわ。こっちよ」

「あ、うん。ありがとう」

 

 先導して歩き出す淵上の後をついていく事数分。辿り着いたのはご立派なホテルだった。凪としては恐らく利用する事はないだろうという規模のホテル。食事をする場所も時間も、泊まるホテルも美空大将が手を回していたらしいが、まさかここまでとは。

 凪としては普通の所で良かったのだが、しかしある程度は予測出来る事だった。

 チェックインを済ませ、荷物を部屋へと置いてまた案内される。案内されたのはホテルの上にあるレストランだった。そこには既に美空大将が席についていた。

 

「大将殿、海藤先輩を連れて参りました」

「ああ、おつかれ。さあ、二人とも、ここに座りなさい」

「本日はお招きいただき、ありがとうございます。……って、え? 淵上さんも?」

「そうよ。湊も一緒に食べるのよ」

「え?」

「あら、言っていなかったかしら?」

「聞いておりません」

「そうだったかしら? でも湊が増えたところであまり変わらないでしょう? さあ、座りなさい」

 

 カウンター席の隣を示してきたので、凪は美空大将の一つおいて隣の席に座った。「あら、隣でもいいのだけど」と微笑を浮かべる美空に「いえ、大将殿のお隣に座るような事は……」と遠慮した。

 

「今日はそういう立場を気にせず、食事をする予定なのだけどね。まあいいわ。その方が貴様が落ち着くならそれも良し。湊、あなたがここでいいわね?」

「わかりました、大将殿」

「今日はそれはやめなさい。プライベートなのだから」

「……はい、伯母様」

「――――え?」

 

 今、淵上はなんと言ったのだろうか。席に着いたまま呆けた顔を晒してしまうが、それだけの驚きが凪にはあった。

 伯母って、あの伯母なのだろうか。

 驚いている凪に気付いたらしく、頬杖をつきながら美空が面白そうな表情を浮かべていた。

 

「あら、知らなかったのかしら? 湊は私の妹の娘よ?」

「…………そう、でしたか?」

「本当に知らなかったの? あたしのこと、アカデミーに通っている人なら、大抵は知っているものと思っていたけど」

「知らなかったね……東地も何も言っていなかったし」

 

 人に対してあまり興味を抱かない凪ならまだしも、東地ならば知っているんじゃないかと思ったが、一度もそういう事を口にしたことがない気がする。いや、もしかしたら口にしていたかもしれないが、それを凪が覚えていなかっただけの可能性もある。

 それにしても美空大将の姪っ子だとは。なるほど、ならば優秀なのもある意味当然なのかもしれない。

 

「さて、食事にしましょう。メニューは私のおすすめでいいかしら?」

「ええ、私は構いませんよ」

「ではシェフ。いつものをお願い」

「かしこまりました」

 

 一礼したシェフが調理に入る中、美空はちらりと凪を見やると間に入っている淵上も一緒に見える。淵上はというと目を閉じてじっと料理が出てくるのを待っていた。凪は出されたお冷をちびちびと飲んで落ち着いていない。こういう店に来るのは初めてなのだ。どうしていいのかわからない。

 

「さて、貴様とはゆっくり話をしようと思っていたのよ。仕事抜きでね」

「そ、そうですか……」

「貴様は大阪出身だったわね? 噂に聞いたのだけど、大阪の人って、家に一つはたこ焼きを焼くあれが必ずあるって本当かしら?」

「あーどうでしょうかね。うちにはありますけど」

「ほんと、湊と同じような事を言うのね」

 

 くすくすとおかしそうに笑いだす美空。その言い方だと、まるで淵上も同じ問いかけをされたという事になるのだが、まさか?

 と、淵上の方を見れば、澄ました顔を崩さずに小さく息を吐いていた。

 

「……あたしも、大阪出身ですから」

「そうなのです?」

「美空の家はこっちだけれど、淵上は大阪なのよ。湊にも前に訊いてみれば、他の家がどうかは知らないけど、うちにはある。みたいな答えでね。他の大阪出身とほとんど同じ答え。……なんなのかしらね、大阪人というのは」

 

 やれやれと首を振る美空大将だが、いきなりの大阪に関するトークを放ってきたのはやはり凪の緊張を少しでもほぐそうという試みだろうか。それに加えて淵上も大阪出身という事を明かして、親近感を湧かせようという意図もあるかもしれない。

 ちなみにたこ焼きのたこだが、現在ではほとんど養殖が主流になっている。たこだけではない。海鮮についてはほとんどが養殖だ。深海棲艦によって海が危険地帯になっているため、天然ものはほとんど市場に出回らない。

 天然ものを捕りに行く際には、艦娘を護衛させないと漁船すらも襲われてしまうのだ。そのため天然ものはより高級になり、一般人が魚介類をいただくのはほとんどが養殖のものとなってしまった。

 

「お待たせいたしました」

 

 そしてシェフが持ってきたのは出汁が浸された鍋だった。それを三人の前に置き、続いて大皿に盛られた食材が並んでいる。野菜や豆腐などという鍋には定番のものがずらり。

 別の更にはカットされた肉が花のように並んでいる。

 

「しゃぶしゃぶ、ですか?」

「そうだ。肉に関しては他にもあるから、追加で欲しいならば頼むといいわ。あと野菜もちゃんと食べなさいよ」

 

 だからおかんかよ、と心の中でツッコミを入れながら、置かれている肉の種類に目を通す。牛や豚など色々あるが、そのどれもが高級ブランドの肉らしい。それを実感すると、遠慮が出てきてしまうのはやっぱりこういう店にあまり来た事がないせいだろう。

 いただきます、と唱和し、各々の鍋へと自由に具材を投入していく。するとシェフから白米を出され、一礼して控えていった。

 この店は貸し切りになっているようで、他に客は誰もいない。静かな時間の中、凪は煮えた白菜をポン酢につけ、そっと口に含む。

 美味い。しゃきしゃき感と甘みが口に広がっていく。他の野菜も同様だ。これらも素材がいいのか、普通の鍋でいただくものとは違って感じられる。

 肉も軽く出汁をくぐらせる程度にしゃぶしゃぶし、ポン酢につけていただいてみる。

 やはり美味い。

 今まで食べてきた肉とは違うような気がする。肉の旨味がじんわりと感じられ、噛みしめるたびにそれが出てくるのだ。米を食べる手が進みそうだ。この一枚だけでも十分に食べられるくらい、美味しい。

 でも、それはしない。

 ゆっくりと、味わうように食べ進める。その方が胃に負担を掛けないだろう、とセーブする。こんな所で倒れでもしたらどれだけ迷惑かわかっているので、じんわりと美味さを感じつついただくことにした。

 

「どうかしら、海藤?」

「ええ、美味しいです。こんな鍋、今まで食べた事がありません」

「そう。男にしては随分ゆっくり食べるものだから、不満かと思ったのだけど」

「はは、そうですか? こんな美味しいもの、掻き込んで食べるようなものでもないでしょう、とじっくり味わっているのですよ」

「なるほど。……さて、海藤。こういう場を設けたのだから、せっかくなのだし、何か訊きたいこと、訊いてもいいわよ?」

「そうですか。……でも、私が一番訊きたいことは、恐らく答えてはくれないのではないか、と失礼ながら思ったりするのですが」

 

 自分を呉鎮守府に送り、何を得ようとしているのか。

 大将まで上り詰め、改二という新たな要素を完成させるのはいいが、そこから何かを得ようとしているのか。

 姪である淵上を補佐に控えさせるのはいいが、まるで次の席が空いたらそこに座らせようとしている。そうして何をしようとしているのか。

 全ては一つに繋がっているような気がする。

 凪の言葉に対する答えは微笑だった。どうやらまだ答えてくれる気にはなっていないらしい。

 

「私の事は置いておいて、湊の事について、知りたいことはないのかしら?」

「特には何も」

「そう? 湊、アカデミーでは百人近くは告られて全てフッてきたと聞いているのだけど。そんな湊に対して興味がないなんて、海藤はもしかして、そっちの気があるのかしら」

「ありません」

「……海藤先輩は人が嫌いだそうですから、あたしに対しても他の女性と同じように興味の対象にすらならないのでしょう。伯母様」

 

 全くその通りだ、という答えを淡々と口にする。自分の事なのに、相変わらず澄ました表情で、どうでもよさそうに鍋をいただいている。

 そんな湊にやれやれ、と困ったように美空は首を振っていた。

 

「これだから。年頃の女なのだから色恋の一つでもしたらいいのに、全くその一つもしない。貴様ら、それでも若人なのかしら」

「そう言われましてもね。人が苦手な性分をしているもんですから、そうしようという気にもなれませんよ」

「あたしも、あたし自身というより、家柄になびいてきたような輩の相手を一々する気にもなれません。そうでなくとも、あの性根のよろしくない馬鹿どもの相手などごめんです」

「……だったら貴様ら二人がくっついたらどうなのかしら? 似た者同士なのだし」

 

 その言葉に二人の箸の手が止まった。横目でお互いを見つめ合い、そして同時に美空へと「なぜです?」と問うてしまう。

 なんだ、息ぴったりじゃないか、と美空はにやついた表情を隠そうともしない。

 

「海藤は湊自身に興味がないようだけど、言い換えれば家柄も性格も何も知らない、ゼロの状態。そこから湊を知っていく事が出来るわ。人嫌いというのを何とかすれば、湊になびくかもしれない。そして湊も、海藤があのアカデミーに通っていた馬鹿どもとやらと同じ性格ではない事を知っている。……それに湊。あなたの性格だと海藤を逆に引っ張って導いていけるような気がするのよね」

「御戯れを、伯母様」

「そうですよ。私のような輩が、こんな美人さんの相手は務まりませんよ」

「……そういう事は口に出来るんだ。それも適度に人を持ち上げてやり過ごそうという考えから得た技術なの?」

「身も蓋もないね。その通りだけどさ、でも実際そう思ってる」

 

 なかなかに手厳しい。そのキツさも彼女の魅力なのかもしれないが、凪にとってはそのキツさは少し遠慮したい部分だった。なので適度に褒めつつ遠慮しようとしたのだが、速攻で暴かれてしまった。

 困ったものだ。

 

「私の実家は確かに海軍家系ですけど、かといって大将にまで上り詰めているわけでもないですからね。美空大将殿の縁者となれば、それに見合うだけの――」

「――そういう昔の思想はいらないのよ。遠まわしに遠慮しているつもりのようだけど、私にはそういうのは不要よ。恋愛だろうと何だろうと、凝り固まった考えより柔軟に対応してこそ、前へと進むというものよ」

「凝り固まった考え、ですか……」

 

 それは今の海軍上層部にも見られる事だった。その結果、エリート思考が蔓延し、今の大本営と各地の提督らを生み出した。慢心からくる失態と提督の入れ替え、それが繰り返されている。深海棲艦と戦っているのに、人間同士が足を引っ張り合っているのだ。

 それに凪の父も巻き込まれたわけなのだが……まさか、そういう意図があるのだろうか? と僅かに凪は美空を盗み見る。

 

「さ、食べなさい。いい機会なのだし、湊について話しましょうか?」

「……伯母様。別にあたしの話なんてつまらないでしょう」

「そうでもないでしょう? 久しぶりに関西弁で話してもいいのよ? プライベートなのだし、そこに関西人がいるから都合がいいでしょう?」

「そう言われましても……」

 

 やっぱり関西弁喋るのか、としゃぶしゃぶしながら凪は思う。自分と同じく上京して方言をやめた口なのだろう。いつも仏頂面をしている彼女が、関西弁を喋る……その絵面は少しばかり興味が湧く。

 それからは淵上についてだったり、凪についてだったりの話が間に挟まれて食事が進むのだが、凪はプライベートといえどもメンツがメンツなので遠慮が出てしまう。そして淵上も落ち着いた様子を崩さずに食事を続けていたので、あんまり話にならない。

 こんな二人を仲良くさせようという美空の思惑は、完全に裏切られた形になってしまった。

 

 

 食事が終わると、店を出て用意してくれた部屋へと戻ってくる。ご馳走様でした、と礼を述べると、美空は苦笑を浮かべて手を振ってくれる。

 

「まったく、私ばかり喋った形になったわね。何となくこうなるんじゃないかと予想はしていたけれど、そういう事まで期待に応えなくてもいいのよ」

「だったら、無理に彼を呼ばないでください伯母様」

「いつも同じ顔見て食事するのもつまらないでしょう。時には味付けを変えるのも食事の楽しみというものよ」

「それが苦味だったら、まずくなるでしょうに」

「これは手厳しい……」

 

 思わず漏れてしまうが、否定はしない。実際先程の食事は美味しくはあったが、会話が上手くいかなかったのは自覚している。

 だが淵上もあまり凪と会話しようとはしていなかっただろう。適度に相槌を打つように口を開く程度で、大部分は食事し続けるだけだったような気がする。

 

「苦味も時にはいいアクセントになるわよ。それに良薬口に苦し。……同年代とあまり交流をしてこなかった貴様らが、お互い良い薬になる可能性もあるわね?」

 

 そう返されると、淵上は沈黙してしまい、ちらりと凪を窺い見た。だが小さく溜息をつくと「さっきの様子じゃ、そんな兆しなんて見えてこないかと思いますが」とまた辛口だ。

 

「そこは、これからの交流でどうとでもなるわよ。それじゃ私はもう行くわ。おやすみ」

「……おやすみなさいませ、伯母様」

「おつかれさまです、美空大将殿」

 

 ばたん、と扉が閉まり、残された二人は沈黙する。何か言った方がいいのだろうか、と凪は何とか頭を回すが、いい言葉が浮かんでこない。こういう時どうしたらいいのか、という経験値が著しく不足している。

 そんな凪の様子に気づいたらしく、またため息をついて淵上も自室へと向かっていった。

 

「無理してあたしの相手しなくていいですから」

「それもそうだね。でも、そろそろ変わっていかなきゃならん時期になりつつあるからね。せめて何度か顔を合わせることになるかもしれない相手くらいは、普通に出来るようにと、ね」

「いい心掛けですね。でも、それに付き合う義理はあたしにはないから。あたしはあくまでも、伯母様の補佐。あんたの相手をきっちり務める立場じゃなく、ただの連絡役。それだけの間柄。親しくする程のものじゃない」

「……変わらんねえ、アカデミーで見かけた頃から。俺の場合は人嫌いだけど、君もそうなのかい?」

「……そうね。あたしもそうかもね? あんたは父親の一件だろうけど、あたしの場合は、家柄よ。めんどくさいのよ、家柄で釣れて、あたしの見てくれとかで近づこうとするエリート気質の馬鹿どもの相手をするのって」

 

 その人となりではなく、美空という家柄で近づき、次に自分の容姿がいいから取り入ろうとする。なるほど、それを百人近くも相手し続けたら、人に興味を持てなくなるのは当然の事だろう。

 誰一人として淵上湊という人物の中身を見ようとしなかった。出身、容姿、頭脳……それらで塗り固められた外面で近づき、調子のいい事ばかり並べられては辟易する。

 だから彼女は一々それに対応するのをやめるために、このような性格になったのだろうか。

 美空大将が口にした似た者同士というのも、そういう部分があるからだろうか。

 部屋の鍵を開けて中へと入ろうとすると、最後にこれだけは言っておこう、と淵上が話を続ける。

 

「それと、あんたのその表面だけの笑みもやめときなさい。そういう上っ面なものって、案外ばれるわよ。そういうのはさっさとほかして、普通に振る舞った方がまだマシなもんよ」

「……ん?」

「なに?」

「いや、その『ほかす』って、方言だよなぁ……と」

「……っ!?」

 

 そのツッコミに勢いよく淵上は振り返ってきた。

 凪のツッコミ通り、ほかすとは関西弁であり、捨てるという意味合いだ。何気なく使って、関西人じゃない人に意味が分からない、と突っ込まれる方言として挙げられるものだろう。

 

「そ、そういうツッコミは心の中になおしておくもんでしょ! 無粋なのね、あんた」

「…………」

「な、なに?」

「いや、焦ってらっしゃるんだなぁ……と。また方言が出るくらいには……」

「え? …………あ」

 

 なおす、それは直すだったり、治すだったりする意味ではない。

 しまいこむ、という意味合いでのなおすなんだろう、と凪は思うのだった。だからせめて何とかフォローするべきだろうと、親指を立てておく。

 

「俺は気にしない。同じ出身地なんだ。仲良くしましょうよ、淵上さん」

「……う、うっさいわね! だからそのへらへらしたような顔はやめなさい、って言っとるやろ! もういい! 寝る! おやすみ!」

 

 顔を真っ赤にして一気にまくし立てると、勢いよく扉を閉めて中へと消えていった。

 焦るとああなるんだな、と凪は頷く。しかも今までに見た事のない表情に、紅潮した顔……もしかすると、仏頂面を取り払った素の彼女があっちなのかもしれない。

 それが見られただけでも、今日の食事に来た甲斐があったかも、とどこか満足してしまう。さ、自分も寝ようか、と思って振り返ると、また勢いよく扉が開き「――それと!」と淵上の声がかかった。

 

「うぉうっ!?」

 

 突然すぎて変な声が出るだけでなく、体を震わせて振り返ってしまった。そんな凪に突っ込むことはなく、

 

「明日は朝食バイキングがあるから、7時には起きてること! あたしが呼びに行く事になってるから、起きてなさいよ! ええか!?」

「う、うっす……」

「ちゃんと伝えたから! おやすみ!」

 

 ばたん! とまた扉が閉まると、凪は呆然としたように淵上の部屋を見つめてしまう。どんなに怒っていても挨拶は欠かさないんだな、ということ以前に、話が終わったかと思ったら、もう一つ付け加えるように話を続けるそのやり方……。

 

(さすが、美空大将殿の姪っ子。そういうところも血筋なんか?)

 

 あと、さっきも今のも関西弁が最後の方に混ざってたぞ、というツッコミはしないでおくとしよう。鍵を開けて部屋に入ろうとすると、静かに美空大将の部屋の扉が開けられ、そっと顔を出してきた。

 

「……な、なにか?」

「……いいえ。久しぶりに元気なあの子の声が聞けたな、と思ってね」

「そ、そうですか……」

「その調子で、是非ともあの子と仲良くしてやりなさい。伯母として、応援させてもらうわ。色々と、ね……ふふふ」

 

 にっこりとほほ笑んだかと思うと、静かにまた扉が閉められていく。

 今まで見せてこなかった可愛いところが見れたな、と思うのはいいとして、だからといってそこまで進展する事が出来るのか、というのは別だと思うのですが。

 というかどこまで本気で凪と淵上の仲を期待しているのか、と訊いてはいけないのだろう。あの人の事だ。上手くいきそうな気配を感じ取ったら、本当に最後まで後押ししかねない。

 これはまた、めんどうなことが増えたかもしれない。

 また一つ、ため息をつきながら凪は部屋へと入り、真っ直ぐにベッドに向かっていくのだった。

 

 

 



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変化

 

 翌日、淵上の言っていた通り、7時に部屋に訪れてきた。起床して軽くシャワーをしていたので問題なく迎え入れ、共に朝食バイキングへと向かった。並んでいるのはどこのバイキングでも見られるような洋食メニュー。白米や味噌汁といった和食もあるが、多くは洋食ものだった。

 腹の調子を考えて控えめに料理をとっていき、淵上と一緒の席でいただいていく。美空大将はどうしたのだろうか、と思っていると、どうやら先に食べて別の用事に向かっていったようだ。

 目の前でこうして食べているのだが、会話はほぼない。昨日あんな別れ方をしたのだ。それを蒸し返す度胸は凪にはないし、関西弁で話しかけてみようか? とちらりと思いはしたものの、あんな反応をここでされたら彼女が恥をかきそうだ。

 それもまたよろしくなさそうなので、静かに朝食を進めることになった。

 

 やがて朝食を終え、準備を整えるとチェックアウトを済ませる。そのまま東京駅へと向かい、列車の切符を購入したところで、向こうから美空大将がやってくるのが見えた。どうやらわざわざ見送りに来てくれたらしい。

 

「おつかれさま。貴様の健闘を祈るわ」

「はい。改めて、ご馳走様でした。いい機会を与えてくれたこと、感謝します」

「気にする事はないわ。また、共に食事をしましょう。あと土産を郵送しておいたわ。貴様の所の艦娘達にも食わせてあげなさい」

「え? わざわざそんなものを……? よろしいのですか?」

「構わん。戦った艦娘達にも労いの言葉だけでなく、良い物を食わせてやるのもまた上に立つ者のやる事よ。もちろんそのための間宮食堂ではあるが、東京の良いレストランの一品もまたこういう機会に振る舞ってやるものよ。貴様だけではなく、ね」

「……ありがとうございます。美空大将殿」

 

 こういう振る舞いをする事を当然とばかりにしてのける器もまた、美空大将の良いところなのだろう。そこは尊敬に値する人物だ。凪もこの一か月でそれは本当に思っている。

 でも、だからといって美空陽子という人物を完全に信用しているわけではない。まだ彼女には疑問を感じる部分はあるのだから。それが明らかにならない限り、彼女との壁は消えることはない。

 そして見送ってくれているのは美空大将だけではない。ホテルからずっとついてきた淵上もまた、そこで相変わらずの仏頂面を見せている。その服装は昨日のような私服ではなく、美空大将の補佐をする時の軍服になっている。

 

「淵上さんも、見送りありがとう」

「……いえ。昨日は醜態を見せたわね。あれは、忘れて」

「いやぁ、それは無理かなぁ……。あんな姿、そう忘れられるものじゃあないよ。しっかりと俺の記憶に刻まれてしまったかな」

「……いつものあんたなら、すんなり流すのに……!」

 

 ぐぬぬ、と少しばかり紅潮しながら歯噛みする。昨日今日で結構変わったものだなぁと思いながら、どうどうと落ち着かせるように両手を軽く挙げた。

 

「まあまあ、落ち着きぃな。しばらくは会わないだろうし、君の周りに言いふらすような事もする気もない。その辺りは安心してくれていいよ」

「あたしは、あんな姿を身内以外に覚えられるんが恥ずかしい、っちゅう話をしとるんや。無理やり忘れさせたろか? いい加減にせんと、しばくぞ」

「おう、なかなか激しいなぁおい。美空大将殿、こっちが淵上さんの素だったりしますか?」

「そうね。子供の頃はなかなかやんちゃなものだったわよ。今では落ち着いて猫被ってたけど、一度剥がれてしまったら、もうダメね。私としては懐かしい気分になってとてもいいのだけど、ふふふ」

 

 澄ました顔は何処へやら。今の彼女は気の強さを感じさせる鋭い目つきをしている。彼女の場合は気の強さが前面に押し出されたようだった。

 それにしてもこうまで変わるとは……どれだけ猫を被っていたんだろう。だがいつも仏頂面をしているよりかは、こう感情をあらわにした方がまだ魅力的かもしれない。

 

「落ち着きなさいな、湊。ここは駅前よ? 人目に付くわよ」

「っ……そうでした。失礼しました、伯母様」

「それにしてもやっぱり関西人同士だと、こうなってしまうのね。ふふ、海藤」

「あ、はい」

「こんな娘だけど、改めてこれからも仲良くしてあげてくれるかしら?」

「え、ええ……私でよろしければ」

 

 後ろで「あたしは別に……」とぶつぶつと呟いている湊を無視して、美空大将は凪と握手を交わしている。やれやれ、と美空大将がため息をつくと、腕時計を確認して「そろそろね」と一歩下がった。

 列車の時間がやってきたのだ。凪は姿勢を正し、敬礼をする。美空と淵上も返礼し、凪は駅へと入っていった。

 軽く後ろを振り返れば、美空が何やら淵上に話しかけているようで、それに対して渋い表情を浮かべている。また何か凪について話しているんだろうな、と推察できるが、その話の内容はもう聞こえてはこなかった。

 

 

 数時間の時を経て、ようやく呉鎮守府に帰ってきた。

 そう、もう帰ってきた、と感じるくらいには、呉鎮守府に馴染んでしまっている。ここは自分の居場所なのだと、離れて改めて実感する。自分は変わっているのだと感じた。

 執務室に向かう途中、中庭を通ると休憩しているらしい夕立の姿が見えた。凪に気付くと、「あ、てーとくさん! おかえりー」と立ち上がって駆け寄ってくる。ぱたぱたと近づいてくる様は、まるで主人を見つけた犬のようで、尻尾がぶんぶん振り回されているように幻視した。

 

「ただいま。休憩中かい?」

「うん。もう少ししたら遠征に出ることになってるんだよ。さっきまでは水雷の訓練だったよー」

「そうか。ふむ……」

 

 首を傾げながらじっと夕立を見下ろす。ん? と首を同じように傾げながら夕立がその視線を受け止める。

 夕立の様子を見つめている凪は、昨日今日の変化を何となく感じ取る。一か月近く訓練や見つめていたことで、報告書に記された変化を目で見てとれるようになりつつあった。

 とはいえまた火力が伸びたかな、という程度ぐらいにしかわからない。あとわかりやすさでいえば、調子がよさそうだとどこかキラキラしているのが視えてくるのだ。これは比喩でもなんでもなく、提督を続けていると艦娘の調子が良くなってくると、キラキラしたものが周りに浮かんでいるのが視えてくるらしい。

 艦娘との良好な関係を築いてくるとそうなるらしく、それが凪にも視え始めたということは夕立らとは関係が良好になっている証だった。今の夕立も微量ながらキラキラしているのが視える。訓練で調子が出てきているってことか、と凪は思った。

 

「提督さん、目を合わせてくれるようになった?」

「ん? ……ああ、うん。少しずつ慣らしていこうと思ってね。君なら大丈夫みたいだ」

「そっか。うん、嬉しいよ。ちゃんとあたしを見てくれて」

 

 美人さんに分類される艦娘は少し難しいが、夕立のような少し幼さがある艦娘ならば大丈夫だと自分で判断できるようになっていた。夕立は妹分のように思える。そう考えれば視線を合わせられる。

 そっと手を伸ばし、きょとんとしている夕立の首元をそっと撫でてやる。工廠でやったような、顎を軽く上げてからの猫くすぐり。するとまるでごろごろと喉を鳴らして喜ぶ猫のように、目を細めて受けいれていた。

 しばらく喉をくすぐり、最後にぽんぽんと頭を撫でてやると「じゃ、他の娘達の様子も見に行ってみるよ」と歩き出すと「じゃ、あたしもー」と、とてとてと後ろをついてくる。

 海に出てくると、丁度第三水雷戦隊が訓練をしているところだった。

 相手をしているのは第二水雷戦隊。砲撃を切り抜けての雷撃を行っているらしい。まだまだ荒があるが、砲撃を切り抜ける、という点において回避の訓練にもなっている。

 埠頭で訓練の指示をしていた神通が凪に気付いて振り返った。

 

「あら、おかえりなさいませ。提督」

「ただいま。訓練はどうかな?」

「水雷としての力を底上げしているところですね。回避と雷撃、そして提督がお帰りになってからは夜戦の訓練を盛り込んでいこうかと」

「夜戦か。そうだね、それもまた日本の水雷の華か」

 

 攻撃と同時に回避も重点的に練度を上げることを図った。

 泊地棲姫にとどめを刺した、隠れてからの奇襲の雷撃もまた水雷の戦術の一つではある。しかしこれは駆逐艦向きであり、軽巡や重巡がやるような事ではない。

 そしてかつての日本海軍の水雷屋といえば、雷撃と夜戦だろう。他の国よりも魚雷開発を主に行った結果、長距離雷撃や酸素魚雷が生まれ、一本で家が買える程に高価な花火をどんどん発射したという。

 そして夜戦もまたおかしいくらい訓練し、各所で様々な戦が語り継がれる程のものを引き起こしたとか。特に夜戦の駆逐艦ほど怖いものはない。小回りの良さを生かして立ち回り、近距離雷撃をぶちかます。まさに敵を駆逐するその様が駆逐艦としての本気。

 そこまで育てる事が出来ればいいだろうが、まだまだこれからだ。

 だが、今の時点で光るものがある艦娘がいた。

 

「いっきますねー!」

 

 突撃を仕掛けて魚雷を発射。すれ違いざまに放たれたそれらは数発皐月へと命中し、それは中、大破判定となった。逆に皐月から放たれた魚雷は一本至近距離を通過したが、命中には至らない。

 軽やかに滑るように離脱していくその駆逐、雪風はブイサインをしながら反転してくる。

 双眼鏡を覗き込みながら凪はじっと雪風の様子を窺っていた。反航戦、同航戦と切り替えながら双方が砲撃し、雷撃していく訓練なのだが、最近加わったばかりだというのに、高いポテンシャルを感じる。

 

「……さすがは雪風、と言った方がいいのかな。艦娘としての見た目とは裏腹に、秘められた能力は高いのかな?」

「ですね。先代には雪風さんはいませんでしたが、艦や艦娘としての知識は私にもあります。あの子はまず間違いなく伸びます。……色々持っているのは伊達ではありませんからね」

「期待の新人ってやつっぽい?」

 

 ちなみに開戦時の二水戦には雪風がいたらしい。艦としては神通の元部下のようだ。その記憶もあるかもしれない。そういう部分での縁もあってか、神通の眼差しは暖かくも確かな信頼と期待があった。

 その様子を見て、凪は先日から考えていたことを神通に相談する事にした。

 

「神通、君が率いる一水戦だけど、水雷屋で固めて敵を撃滅する部隊にしようと考えてるんだけど、どうだい?」

「ええ、必要ですね、その部隊は。この先、大きな敵を相手にする場合、戦場を駆け抜け、掻き乱し、離脱できる高速の水雷戦隊。それを編成なさるのであれば、私達が必ずや戦果を挙げてみせましょう」

「となると、千歳を抜いて一人入れることになるけれど……」

「……恐らく、私の頭に浮かんでいる娘、提督も同じ顔をしていらっしゃるものと考えますが」

「まあ、そうなるよね。育てるかい?」

「ええ、しっかりと育ててごらんにいれましょう。となると、訓練の量を増やさねばなりませんか。明日から忙しくなりそうですね」

「その分強くなれるなら、夕立、頑張ってついていくよ!」

「ふふ、頼もしいですね、夕立ちゃん。さて、となると――」

 

 口元に指を当ててぶつぶつと呟きはじめる神通に、ああ、鬼教官が目覚めつつあるかな、と凪は肩を竦める。だが基礎はもうしっかりと仕込まれただろう。これからは質を上げていく訓練になる。それは必要な事なので、止めることはするまい。

 でも、気がかりなことはある。

 

「倒れない程度にお願いするよ。部隊の娘達も、神通、君もね」

「はい。倒れた方から忠告されれば、気を付けなければなりませんね」

「はは、こりゃ一本取られたか。じゃ、俺はもう行くね」

「はい。……改めて、おかえりなさいませ。提督」

「おつかれさま、提督さん」

 

 凪に向き直って一礼する神通と敬礼する夕立に軽く手を振り、凪は鎮守府へと向かっていく。歩きながら頭の中では新たに編成し直す戦力を考えていた。

 一水戦の入れ替えに伴い、他にも調整する事が出てくるだろう。

 工廠の傍を通れば、いつの間にか工事がほぼ最終段階に入りつつある。早いものだ。これも妖精の不思議なパワーによるものか。その恩恵に預かれるのは海軍や陸軍関連のものなのだが、それでも迅速に拠点や施設が建設される早さが凄まじいのはいいことだ。

 となると、装備が一気に増やせるのだが、その分資材の量が減る。

 凪がいない間も遠征はちょくちょくしてくれているはずだから、増えているだろうがそれも大淀に言って報告書を提出してもらおう。

 ――と、こうしてここに帰って来てから頭がすぐに提督の業務に切り替わっている辺り、もう自分は呉鎮守府の提督なのだと改めて自覚する。

 あれだけ気が乗らなかった仕事だというのに、もう身に染みているのだ。

 だが、悪くはない。

 これもまたあの日の出来事があってこそだろう。凪は前向きになりつつある事を自覚できるくらいには変わっていたのだった。

 

 

 

 



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友人

 

 日も暮れ、大淀を交えて資源や遠征地についてや、編成の組換えなどの話し合いが終わった凪は、一息ついて淹れてくれた紅茶を飲み干す。長門は戦艦と空母を相手にした訓練の指導、神通はそろそろ遠征から戻ってくる頃合いだったため、ここにはいない。

 書き終えた新たな編成を確認し、これでいいだろうか、ともう一度頭の中で問いかける。

 そこにはこうあった。

 

 第一水雷戦隊、旗艦神通。北上、夕立、響、綾波、雪風。

 第二水雷戦隊、旗艦球磨。利根、足柄、川内、夕張、皐月。

 第一主力部隊、旗艦長門。山城、日向、摩耶、翔鶴、瑞鶴。

 第二主力部隊、旗艦妙高。阿武隈、初霜、霞、千歳、祥鳳。

 

 千歳については、水上機母艦ではなく、軽空母にする事で第二主力部隊が完成する。つまり、千歳と祥鳳という二人の軽空母と、随伴する艦娘達という構図だ。これはある意味航空戦隊ともいえるものかもしれない。

 とはいえ、これはあくまでも大きな戦闘になった場合においての編成予定であり、遠征に出したり訓練したりする場合は以前のものを運用する事になっている。。

 一水戦に関してはこれでもう完成形といっていいだろう。二水戦に関しては駆逐を盛り込み、利根と足柄といった重巡を他の部隊に回せる余地がある。だが今は建造する予定はないので、しばらくはこのままで行く事になるだろう。

 また新たな訓練プランとして、戦艦と空母を両方に編成し、撃ち合わせるやり方も今ならば出来る。こうすることで、泊地棲姫といった姫級を相手にした場合の戦闘方法も訓練出来る。

 その場合はやはり山城と日向、翔鶴と瑞鶴、千歳と祥鳳を両方に配置し、そこに三人を盛り込んでの訓練だろうか。そうなると、早いところ千歳を改造しなければ。もう改造可能なレベルにはなっているのだから。

 と、訓練プランを書き進めていると、パソコンに通話が入ったという音が鳴らされた。

 誰だろうか、とクリックすると、通話画面に見慣れた顔が映し出される。

 

「よう、凪。おひさ」

「おう、久しぶり。どしたん」

 

 気さくな笑みを浮かべて手を挙げてくる東地。そして画面に入ってきたのは、お茶をそっと置いていった長身の女性。少し茶色がかかった黒髪を左でサイドテールにし、青い袴を着こなした和服美人。航空母艦、加賀だった。

 それを見た凪は何気なく、

 

「秘書艦?」

「おう、うちの秘書艦。うちの艦隊じゃ結構長い付き合いをしてるんだよ、この加賀さん」

「初めまして。噂は耳にしているわ、呉鎮守府の……海藤さんだったかしら?」

「どうもです。って噂……、どんな?」

「そりゃーお前さん、半月しか運営してないのに、泊地棲姫をやっちまったっていう話だろうよ。やるねえ、凪ぃ。俺でも一か月は艦隊練度を上げてたってのに。なにしたらそうなるんだ?」

「偶然だよ。別に変なことはしてないさ」

 

 そして凪はどのようにして泊地棲姫を撃沈させるに至ったかを話していく。それを聞いた東地はなるほどな、と頷いてお茶を口に含んだ。その表情はどこかおもしろいものを見たかのような笑みだった。

 

「万全の状態になる前に殴り込み、ねえ。確かにそれくらいしかお前さんが勝てる手段はなかったかもしれないな。普段のお前からしたら考えられねえ素早い手回し。……でもま、お前はそういう事が出来るって俺は知ってるから驚きはしねえよ。相手の動きから何らかの変化を感じ取り、行動する。そうやって面倒事は避け、大きな被害を被らないようにする。それがお前だもんな」

「それ、褒めてんの?」

「おう、七割くらいは褒めてると思うぜ?」

「三割は?」

「んー、ちょいと貶したり、おもしろがったりしているかね? 一部の奴らはそれを臆病者だとか言うだろうからよ。でも、俺は別にそういうのもいいとは思ってるからさ。被害を減らすってのは大事なこった。せっかく育てた娘らを轟沈させるのは忍びねえ」

 

 何も隠すことなく、真っ直ぐにすらすらとそう言える東地が凪には好ましい。普通に笑って会話できる相手として東地は貴重だった。すると、引き出しを開けて何やら新聞らしきものを手に、モニターへと一つの記事を示してくる。

 

「ほれ、最近出た記事。ちょっと小さ目だけど、お前の戦果について書かれてるぜ」

「は? 取材受けてないんやけど」

「おう、美空大将殿の方に取材が行ったみたいだな。お前の代わりに色々答えて終了だそうだ。たぶん、美空大将殿がストップ掛けたかもしれんな?」

 

 人付き合いが苦手な凪へと多くの取材陣が行かないように手回しをし、自分が答えて終了させる事で打ち切らせたんじゃないか、というのが東地の弁だ。まだまだ提督としては新人だし、凪を推した自分だけが相手をする事で、自分の名を更に高める記事を書かせるようにしたらしい。

 凪よりも美空大将が注目される。自分を売る事で凪を守ったのかもしれないが、大部分は前者の意図が大きいんじゃないかと凪は思った。とはいえこれ以上の推察は無意味だろう。恐らくあの人は何も語らないだろうから。

 

「お前も記事になった事あったっけ?」

「あー、こっちは南方だからなぁ。たぶんねえな。あの南方棲戦姫を落としたら記事にはなるかもしんねえけどな。でも、前回は失敗したからな。偵察はしているけど、まだ出現はしてねえ」

 

 南方棲戦姫。

 それがかつて先代呉鎮守府の提督を戦死に追いやり、艦隊を壊滅させた存在だ。南方、ソロモン海域にて出現が確認され、その強大な力からただの姫ではなく、戦姫と呼称されるに至ったという。

 かのソロモンの海から出現しただけあって、その纏う憎悪や怨念の力が凄まじく、それが奴の力を引き上げているのではないかと言われている。特徴的なのがその三連装砲。観測した者曰く、その口径からしてかの大和型の主砲に酷似していたとか。

 だからこそ、美空大将が大和型の艦娘の構築を急いでいるという話だった。

 

「……南方棲戦姫、か。まだ、南方は静かなんかい?」

「おう、今の所はまだ荒れてはいねえよ。俺だけでなく深山は偵察はしてるんだけど……。あいつはなぁ、戦いとなったら全然動かないからなぁ……戦力としては期待できねえよ」

「ああ、あいつか……。名簿みたけど、不動の深山、って呼ばれてるんやったか?」

「そうそう。艦隊を鍛えるし、偵察もして情報収集はする。でも、大きな戦いは最低限の防衛はして殲滅しにはいかない。かの戦姫が出てきた時も、積極的に攻めるような事はせずに、守りに入り続けてやり過ごしたからな。でも逆に言えば守りに入ったことで、艦隊の被害を抑えたともいえる。その分、奴らの戦力を把握して大本営に送り付けたからな。そういう意味では実に有能ではある」

 

 だが積極的に戦わなかった臆病者という印象の方が、他の者達により刻まれたともいえる。先代呉提督の戦いでも、援護はせずに鎮守府の守りを固めたのだから、彼の不動っぷりが窺える。

 その姿勢は、自分の周りが無事ならばそれで良い、他の者達がどうなろうとも知らぬ。と如実に語るものでもある。

 だが凪としてはその考えは理解できないわけではない。凪も自分より他の人物らが持ち上げられ、目立つのを良しとし、自分はそれに埋没する事で目立たないようにする。こうすることで他人の視線から身を守り、やり過ごしていくのだ。

 自己防衛の手段として、凪は彼のやり方に多少の理解を示す。

 しかし深山がそれで解雇されないのは、南方棲戦姫が出現した際に様々な情報を送っただけではない。

 凪と東地と同じ年に卒業した第2位であり、トラック、リンガと同じ時期に設立されたラバウル基地へと配属。東地もやったことだが、彼もまた南方の資源開拓や、南方の状況に目を光らせ続けられる戦力を育成したという実績があるためだ。彼を引き摺り下ろし、代わりに誰か提督をあてがったとして、育っている艦隊をうまく運用できなければ一気に瓦解する。そうなれば、トラックの東地だけで偵察しなければならないのだ。

 そうするくらいならば、まだ深山が提督をつづけた方がマシのため、今もなおラバウルの提督を続けているのだった。

 

「ま、でも凪にとっては関わらねえだろ。こっちは」

「……そうでもないかもしれないんだよなぁ」

「あん? どういうこった?」

 

 美空大将とのやりとりや、佐世保の越智提督についての話をすると、東地は少し渋い表情を浮かべはじめた。お茶を飲み干すと、加賀がすぐに新しく淹れる中、軽く頭を掻きはじめる。

 

「佐世保かー……まじか。こりゃあれだな。まず間違いなく、お前さん護衛として連れてこられるぞ」

「……というと?」

「自分が戦姫を沈めるために、露払いさせたり、あるいは主力をぶつけるために自分の周りを護衛させたり……。あいつの艦隊主力に被害を出させないようにするために、お前さんが使われるってことだ」

「やっぱりそうなるか。めんどくさ……」

「俺も動かされるんだろうなー。やだねー、エリートのお坊ちゃんは。自分の戦果のために他人を顎で使うんだもんよ。協力し合うって発想がないんですかねえ」

 

 やだやだ、と愚痴りだすと、お茶を淹れ終えた加賀が画面の向こうにいる凪へと、すみませんね、と一礼した。気にするな、という風に手を振って微笑する。こういうところもアカデミー時代にあったことなので慣れている。

 自分も紅茶を飲むか、とカップを手にすると、空になっていた。それに気づいた大淀が新しく淹れてくれる。どうも、と目礼し、グチグチとエリートのお坊ちゃんがどうだのと語り続ける東地の話を聞き流していく中、話を切り替えるために凪は話題を提供する事にする。

 

「あー、茂樹。ちょっと訊きたいことがあるんやけど、いいかい?」

「――ってなわけで、ああ? なんだい、どうした?」

「艦娘との……特に、会話がきつそうな相手とのコミュニケーションって、どうしたらいい?」

「なんだいなんだい、お前らしい悩みだなぁおい。会話がきつそうって、そりゃまたどんな艦娘を建造しちゃったのよ。お前がきついって思う程って、あれだろ? まさか霞でも作ったんじゃねえだろうな?」

「…………」

「……え? マジで?」

 

 モニターの向こうで呆然としているのだが、彼の言う通りである。「……ん、霞だよ」と絞り出すように言えば、まじかー……とあちゃーという風に頭に手を当てた。

 

「霞を引いちゃったかー」

「ああ、引いてしまった」

「どんな感じなのよ?」

「……こんな感じだ」

 

 と、凪は説明する。

 ある日の事、凪は霞を見かけたのだ。訓練の休憩をしていたらしく、「お、おはよう。おつかれさま」と声をかけた。すると霞はじっと凪を見上げ、小さく鼻を鳴らす。

 

「ふん、おはよう。……あんたさ、こんな見た目の私にいつまで経ってもびくびくと……そんなんで私達の司令官なんて務まるの? なさけないったら!」

「…………」

「どうしたの? 人が苦手だから、しっかり私を見れないってのは聞いたわ。でも、だからといっていつまでたってもそうびくびくされちゃあ、私としてもあんたが司令官ってのも認められないわよ? 司令官ならもう少ししゃきっとしたらどうなの?」

「お、おう……」

「はぁー、こんなんじゃ先が思いやられるわね。じゃ、私訓練あるからもう行くわ」

 

 そんな事があったことを話していると、東地はだんだん可愛そうな人を見るような目になっていく。同情が含んだものであり、うんうんと頷いている。

 やがて腕を組むと、「さすがだねえ、霞は」としみじみと呟いた。

 

「あの娘はしっかりと提督の目を見て話すからなぁ……。その戦歴からあの性格は形作られた。きつい性格ではあるが、悪い子じゃない。……んだけど、そのきつさからあの娘を苦手とする提督は見かけられるな。アカデミーでもいるしなぁ……」

 

 アカデミーや大本営にも艦娘はいる。アカデミーは学生らの実習のために、大本営では防衛や警備のために。他には漁師の護衛についていき、漁の手助けをするのだ。

 そしてアカデミーでは構築されている艦娘は一通り存在している。という事は、霞もいたという事でもあり、基本的な性格の変わらない霞は、学生であろうともあのような対応をする。それによって霞に苦手意識を持つ可能性は大きいだろう。

 

「……でも、慣れてくれば何とかなるさ。きっかけとしては、まあ……二つはあるかな」

「マジ? なんだい、それは」

「一つは戦果を挙げる事。提督としての格を示す。無能な提督っぷりを示してたら、マジで愛想尽かされてしまうからな。……もう一つは、甘味。見た目通り、子供っぽいところがあるからな。甘い物でご機嫌取りさ。間宮さんとこの甘味とか、そうでなくともどこかの店の甘味とか、ご褒美とかで食わせてやるのさ」

「前者はいいとして、後者はそんなものでいいのか?」

「きっかけだけなら、それでもいいんだよ。そっから仲良くなっていけるかは、そこら辺は凪次第になってしまうんだけどな」

 

 最終的には凪の力で霞と仲良くするかどうかになってしまうが、何事もそうするしかない。特に霞に対しては、自らの力でぶつかっていかなければ、彼女の信頼を勝ち取れるはずがない。

 

「ま、がんばれや、凪。仲良くなっていったら、あの霞も可愛く見えてくるもんだぜ」

「ほんまか?」

「今はわからずとも、いずれはわかるさ。長い付き合いになっていけばな」

 

 とにかく助言は得られた。提督としての力を示すか、甘味などの食べ物で釣るか。

 提督としての力は最近泊地棲姫を倒した事がそれに当たるだろうが、その時には霞はいなかった。次に示せそうな機会といえば、南方棲戦姫になるだろうが……難しいだろうか。

 甘味については間宮に頼めば出来そうだが、ただでそんなものあげてもしょうがない。なんでくれるのか、と疑問に感じてしまうだろう。

 そういえば美空大将がお土産を送ってくれた、と言っていたっけ。あれは何だったのだろう。帰る時にお土産の中身について教えてくれなかったが……食べ物であることは間違いないだろう。ならば、お土産として振る舞えるいい機会だ。その際に霞と話が出来るかもしれない。

 と、考えた所でふと思い出した事があった。

 

「そういや茂樹。お前、淵上さんが美空大将殿の姪だってこと、知ってたんか?」

「淵上? 淵上湊? ああ、知ってたよ?」

 

 あっけからんと言い放つ。それに凪は少し頭を抱え、「聞いてへんぞ……」と呟いたのだが、何を言っているんだ、と東地が顔で語る。

 

「あの子を見かけた時に、俺言ったぞ?」

「え? マジで?」

「お前さん、ほんとに興味のない人に関しての情報は右から左へと受け流すよな~。まず間違いなく、俺は喋ったぞ。ほら、あれ。あのポニテの子。あの美空中将の姪っ子さんだぞ。美人だよな~……って感じで、俺は言いましたぞ?」

「…………記憶にねえ」

 

 東地はこういう事に関しては嘘をつくような人ではないので、間違いなく彼は喋ったのだろう。だが凪はアカデミーの記憶を掘り起こしても、それらしきものが頭に蘇らない。

 彼の言う通り、その紹介を右から左へ流していったんだろう。

 ちなみに中将となっているのはアカデミーに通っていた頃は、まだ彼女は中将だったためだ。大将になったのは今年である。

 しかし突然淵上について話し出した凪に疑問を感じたらしく、首を傾げて「なんでまた急に淵上の事を?」と問いかけてくる。人に興味を持たない、それも女性についてだ。美空大将の補佐とはいえ、彼女らは大本営にいる。東地の疑問も凪の事を知っているなら当然の事だろう。

 

「……いや、うん。二人に会ってきて、ね」

「あー美空大将殿に呼び出されたのね。泊地棲姫に関してかい?」

 

 湯呑を手にしながら何気なく東地が言うのだが、

 

「…………飯食ってきた」

「ぶっ!?」

 

 その答えにたまらずお茶を吹き出し、隣に控えていた加賀の服に掛かってしまう。

 

「げほ、げほ……ごめん、加賀さん……!」

「…………いえ、お気になさらず」

 

 タオルを取りに行く加賀に謝りながら咳き込む東地に「大丈夫かー?」と声をかけるのだが、手を振って大丈夫だ、と応えてきた。しばらくして落ち着きを取り戻した東地は、ティッシュで涙と口元を拭き、大きく息を吐く。

 

「飯食って来たって、お前さん、あの美空大将殿と淵上と?」

「ん」

「とんでもねえな!? 大将殿と、アカデミー主席卒業の才女様だぞ!? なにそのイベント!?」

「知らんわい……」

 

 どうしてそうなったのかを説明すると、東地は次第に落ち着いてくる。

 凪が食事に気が回らない事は彼も知っていたので、いいものを食ってきたという点で何故かうんうんと頷いて、いいことだと呟いている。だがそれでも淵上と一緒に食事をしたことについて切り込み始めた。

 

「伯母さんを交えて姪っ子と食事とか、ぜってーその意図あるだろ美空大将殿は! なになに!? お前さん、あの才女様とくっつくの!?」

「……ねえよ」

「何が不満だよ。才色兼備のお嬢様だぞ。あー、でもいつも澄ました顔をしてて何考えているかわかんねえとこあるか。だがしかし、それも仲良くなっていけば、きっといい笑顔を見せてくれるんだろうぜ? その期待値もあるか。いいな! ギャップ萌えか!」

「……そーだねー」

 

 東地は知るまい。

 凪としてもよもやそうなるとは思わなかったが、あの仏頂面という仮面を取り払ったら、なかなか強かな関西人がそこに現れるのだ。東地の言うギャップ萌えにこれは該当するのか? 誰が想像するんだ、あんなもの。と心の中で留めておく。誰にもばらさない、と彼女に約束したのだ。言うわけにもいかない。

 

「だが、人に興味を抱かねえお前さんが、ようやくくっつきそうな女に会えたんだ。俺は祝福するぜ」

「だから、俺はそんな気はねえって」

「よっしゃ! 今日は飲もうか! まだまだ語りたい事はあるだろうよ! 加賀さん、酒!」

「おーい、聞いてるか、茂樹ー」

 

 それからは電話越しに酒を飲みながら話し続ける事となってしまった。大淀や報告にやってきた長門と神通をも巻き込み、凪と東地のアカデミー時代の話にまで発展し、夜が更けるまでそれは続くのだった。

 

 

 



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開発

 

 工事が完了し、拡張された工廠に足を踏み入れる。凪の作業スペースは十分といっていい程に確保されている。新たな工廠の妖精もやってきたので、装備開発や整備も問題はないだろう。

 新たな自分の城だ。存分に趣味を堪能できるのだ。

 気分が上がらないわけがない。

 そして艦娘の中でも、工廠に興味を示した娘がいた。

 

「へぇ~、広くなったのね。あ、提督。私も時々ここに来てもいいかしら?」

「なんだい、興味あるのかい?」

「ええ。兵装実験軽巡だからかしらね。ちょっと、色々いじってみたくなっちゃうの」

 

 そう言いながら何やらオレンジ色のツナギを持ってきている。しかも白いタンクトップもある。作業する気満々のコスチュームだった。この性格は恐らく夕張を設計した平賀譲の影響かもしれない、と凪は推測する。

 

「じゃあ時間あるときには、ここ使ってもいいよ」

「ほんと? ありがとー! じゃ、これロッカーに入れておきますね!」

 

 と、嬉しそうにロッカーへと着替えを入れていく。

 視界の端では何やら道具をごそごそしている響が見える。何をしているんだ? とそちらを見やれば、溶接面を手にして顔に当て「コホー、コホー」とどこかの宇宙戦争のアレの真似をし始める。

 

「おーい、定番のやつをやるんじゃないよ、響」

「おっと、すまない。で、司令官。何か作るものは決まっているのかい?」

「まずは艦載機かな。でもその前に、千歳の改装だね」

 

 千歳を軽空母へと改装し、祥鳳と組ませて運用する方針へと切り替える。艦種ががらりと変わるため、訓練方法も当然変わる。軽空母であることに慣らさなければいつか訪れる南方での戦いについていけなくなってしまう。

 早速千歳を工廠ドックに入れ、改装を行った。しばらくして出てきた千歳の姿はあまり変わってはいない。だが装備ががらりと変化した。

 カタパルトも魚雷発射管も何もない。その右手にはからくり箱のようなものがあるのだが、それが飛行甲板を模したものらしい。箱の中に艦載機が収納されているようで、甲板へと押し出され、発艦していくのかもしれないのだが、左手にはマリオネットを操る小道具があるのでよくわからない。

 千歳航改。千歳航で軽空母になるが、それの改の状態だ。とりあえずは最終段階にする事が出来たので良しとしよう。

 

「おつかれさま。これからは祥鳳と組んで運用するから、一水戦から離れる事になる。大丈夫かな?」

「はい。軽空母になった私も、どうぞよろしくお願いします」

「では、早速空母としての訓練へ。……俺は艦載機の開発をするよ」

 

 他の艦娘はもう訓練や遠征に向かっている。千歳も軽空母としての訓練のため、祥鳳や鶴姉妹の元へと向かっていった。この場に残った艦娘は大淀だけ。資料を手に、凪と共に作業場へと向かった。

 

「では、こちらが現在公開されている艦載機です」

 

 手渡されたものに軽く目を通していく。大本営が現在構築した艦載機の一覧だ。艦戦、艦攻、艦爆と彩雲。これらを確認し、どれから作ろうか、と考える。

 攻撃機は重要だろうが、それよりも艦隊を守るには艦戦が必要だろう。敵の艦載機や攻撃機を撃墜し、自分達に有利な状況へと持って行くための艦戦。まずはこれから着手する事にした。

 

「性能的に一番は烈風か。次いで紫電改二、ね」

 

 ぶつぶつと呟きながらロッカーに向かって作業着へと着替える。そこに大淀がいる事も気にすることなく、提督の制服を脱いでさっと作業着へとシフトすると、工具を手にする。

 そして作業台へとつけば工廠妖精達が集まってくる。ボーキサイトをこねこねしはじめ、艦載機のボディを作り始める。他の資材を弄り始め、パーツを作りあげていくと、道具を手にそれらを凪が組み立ていくのだ。

 それはまるでプラモデルのよう。妖精達がパーツを作り、凪がそれらをつけていく。数十分かけて飛行機の形が出来上がっていく過程で、妖精達がそれにパワーを送り込んでいく。これによって艦載機の種類が変化していくらしい。

 見事、それが成功すれば何らかの艦載機としての姿を見せていくのだが、失敗すれば飛行機は崩れていく。何もなかったかのようにただのガラクタと成り果てるのだ。

 さて、記念すべき一つ目はどうなったのだろうか。

 色が付けられ、飛行機の細かな部分も変化していく。そうして浮かび上がったその機体は、52型だった。

 

「ま、最初はこんなもんか」

 

 成功の証としてもう一つ、その飛行機に妖精が生まれる事だ。一体どういう原理で新たな妖精が生まれるのかはもちろん不明。しかし、飛行機の中からちょこんと妖精が出てきて敬礼してくる。

 出来上がったそれを大淀に手渡し、凪はまた艦載機作りを始めていく。

 静かな時間だ。聞こえてくるのは、資材をこねる音、かちゃかちゃと工具とパーツがこすれ合い、組みあがっていく音。それくらいのものだった。だが凪にとっては少しだけ懐かしい匂いと空間であり、心地のいいものだ。

 気づけば時間が過ぎていき、昼食の時間となってくる。それでも凪の作業は終わらない。ただひたすらに艦載機を作り続けている。十個近い制作の中で失敗作がぽつぽつと出てきたが、いくつかの成功も出てきている。

 彗星、天山、流星、そして烈風。これらが一つは出てきていた。

 艦戦を求めているのに艦爆や艦攻が出てくる。こういうのは開発においてはよくある事だ。建造と同じく、全ては妖精の気まぐれで決まる。求めているものを彼らがすんなり叶えてくれる保証はどこにもない。でも、艦載機が欲しいなら、その内の何かを作ってくれるだけでもありがたい事ではある。全然関係ない砲や魚雷のパーツを作りはしないのだから。

 ふと、工廠に神通が入ってくる。遠征や午前の訓練が終わったことを報告に来たらしいが、凪は気づかずに作業を続けていた。これは邪魔してはいけないかな、と考えた神通は大淀へと手招きする。

 

「どれくらいやっているのです?」

「かれこれ三時間は……」

「ずっとあのままですか……?」

「はい。時々横に置いたペットボトルで水分補給するか、用を足しにいくくらいで、それ以外はずっとあのままです」

 

 大淀の言葉に神通は驚いた表情を隠せない。元はあの仕事をしていたという事を聞いていたし、その頃の凪の事も少しは聞いている。だがあそこまでとは思わなかった。こうして二人が話している事も気づいていないらしく、ただ黙々と艦載機を組み立てている。

 手馴れてきたのか、一つ作る時間も結構短縮されている。やがて完成されたそれ、烈風を脇に置くと、大きく息を吐いた。首に巻いたタオルで汗を拭き、ぐっと体を伸ばす。

 そうした中で、ようやく神通が帰ってきていることに気付いたらしい。

 

「……あれ? いつからそこに?」

「先ほどです。……ずっと作っていらしたそうですね」

「まあね。いやー、いいね、こういう時間は。余計な事を考えずにただ黙々と作れるってのはいい。その分資材は減ったけど、まだ大丈夫なラインは守っているはず。……だよね、大淀?」

「はい。一気にボーキが減りましたけど、まだ五千を下回っておりませんよ」

 

 まだ資材における心のボーダーラインは五千のままだ。遠征で増えはしたが、少しずつ減っていく。そして今、開発によって更にぐっと減ったようだが、まだボーダーラインを超えてはいない。

 そう、建造と同じで開発もまた資材を消費して行われる。やり過ぎれば意外と数字が減ってしまうものなのだ。

 

「二水戦と三水戦の遠征が完了、どちらも資材を多く持って帰って来たようです。私達一水戦の訓練も問題なく完了いたしました」

 

 訓練方法としては、長門率いる戦艦三人を相手に、立ち回る訓練だったようだ。長距離、高威力の砲撃をかいくぐり、攻撃を加えていくものだった。

 千歳と雪風を入れ替え、新生一水戦としての訓練である。襲い来る砲撃を掻い潜って魚雷をぶち当てる。それこそ水雷戦隊としての戦い方だ。雪風がそれについて来られるか、それも確認するための訓練でもあった。

 長門達の艤装は主砲だけではない。副砲も備え付けられている。主砲と違って威力は落ちるが、砲撃する早さが増している。またその口径は軽巡とそう変わらないが、駆逐艦にとってはこれでも十分にダメージが通る。

 その弾丸の嵐を掻い潜れるか。それも試されるのだ。

 

(雪風さんは……大丈夫そうですね)

 

 単縦陣から三、三で二手に分かれての単縦陣。挟み込むように動きながら接近し、魚雷を撃ちこむ。だが長門達も回避しながら砲撃しており、そう簡単には当たらない。

 また三人は三方向に向いているため、死角をカバーしあっている。なかなか近づけないようにして防御しているため、副砲が時々一水戦に命中してくる。

 

「さあ、ついてきてください」

「突撃するっぽい!」

「がんばります!」

 

 神通の言葉に夕立と雪風が笑顔で追従する。至近距離で水柱が立ち昇ろうとも、軽快な動きで弾丸を回避していく様は、見ていて惚れ惚れする。そしてもう片方、北上達もまた山城達の砲撃を回避し続けている。

 

「さー、何とか避けてってよー」

 

 ゆるゆるの指示だが、それで何とかなるのが北上だった。追従する響、綾波も主砲、副砲の嵐を掻い潜って接近を試みる。全てを回避することは出来ない。副砲の内の数発が響と綾波に着弾し、バランスを崩すがすぐに体勢を立て直す。

 

「大丈夫です、撃ちます……!」

「よーし、そんじゃ神通さん達に当たらない方向へ!」

 

 挟み撃ちにしているという事は、魚雷が向かう方向には神通達がいるという事。神通の航行する向きを考え、魚雷を撃たなければ神通達に当たる可能性がある。それに気を付けなければいけない、という訓練にもなる。

 また上空には瑞雲が飛行している。山城と日向から発艦したもので、隙を見て爆撃を行うためだ。砲撃だけでなく、爆撃にも注意しつつ攻めていくのだ。

 そうして訓練を繰り返し、それが終わったのがつい先ほど。神通が報告に来て、他の艦娘達は休憩に向かっていった。

 

「雪風さんは問題なくついてきていますね。さすがの回避力です。あとは攻撃の命中力を上げれば良い感じになります」

「響や綾波は?」

「響ちゃんも回避の能力はいいですね。綾波ちゃんは、以前と変わらず攻撃と防御。どちらも平均的に高いとみています。訓練の成果はしっかりと反映されていますね」

 

 そして夕立は相変わらず戦闘好きだけあり、同時に自身が強くなる事に喜びを感じている。一番伸びているのはまず間違いなく夕立だった。一番練度が高い神通の動きに喰らいついていくのだから、強くなっている事は間違いない。

 そう、戦艦の砲撃の中で神通は凄まじい動きで回避していくのだ。近くで水柱が立ち昇ろうとも、恐れることなくしっかりと回避できる胆力。それだけでなく、飛来してくる砲弾を見切る力も必要だろう。どこに着弾してくるのかを予測し、被弾しないように動かなければならない。

 

「午後からも訓練漬けの予定です。砲弾を見切り、被弾を減らし、敵を撃滅する。それを育てていきます」

「期待しているよ。じゃあ俺は、次は砲や弾の開発でもするか」

 

 ボーキは減ったが、それ以外の資材はまだ余裕がある。これを使って主砲、副砲、弾丸の開発を行う事にする。艦娘ごとに初期装備というものがあるが、それよりも良い性能をしている装備を持たせるには、開発を行って作り出すしかない。

 長門に関しては41cm連装砲という、現段階では戦艦においての最高の装備がある。だが軽巡や重巡、駆逐に関しては初期装備より良い物を持たせる機会が多い。

 

「開発をするのはいいですか、提督、食事はきちんととってくださいね……?」

「……む、そうだね。ってか、今何時?」

「もう12時まわっていますよ」

 

 大淀が時間を教えてくれると、マジで? と驚いた表情を浮かべてしまった。備え付けの時計を確認すると、確かに12時を過ぎてしまっている。それを自覚すると、何となく空腹感を覚えた。

 

「間宮食堂……いくか」

「では私は入渠します」

「はい、私がお供しますね」

 

 タオルで汗を拭きながら作業着のままで大淀と共に間宮食堂へと向かった。だが食事にあまり気が回らない凪らしく、軽めのものを注文し、さっさと食べると工廠へと戻ってしまった。

 食べるだけ食べたからいいだろう、というスタイルに大淀も苦笑するしかない。その日はほぼずっと大淀は凪の近くに控え、彼の作業を眺め続けるのだった。

 

 

 




現段階では艦戦で烈風が最強となっています。
震電改? いえ、知らない子ですね。

泊地棲姫がラスボスの13春の最終報酬ですが、拙作では構築されていないという事にさせていただきます。

また千歳改が最終段階と描写していますが、現段階では改二は完成されていません。


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友人2

 

 夜の闇を突っ切るように、その艦が快速で海を往く。艦は誰にも発見されていないようだ。地図を確認しながら操作し、どんどん先へ突き進む。後ろからは大きな船が一隻ついてきている。

 それは軍艦のようで、砲門がゆっくりと旋回している。狙いを定めたようで、轟音を響かせて砲弾が発射された。それを尻目に、島の陰に入るように艦が入っていく。

 レーダーを見れば、島の奥から敵が来ているらしい。自分は発見されていないならば、奇襲を仕掛ける事は出来るだろう。旋回して魚雷発射管をそちらに向け、タイミングを見計らう。

 向こうからすれば後ろから来ている軍艦が発見されている状態だろう。あれに意識が向いているならば、自分には気づかない。やがて敵が映り込んだ瞬間、魚雷を発射して離脱を試みる。

 狙いは成功した。突然の魚雷に敵はなす術なく被弾し、撃沈してしまった。だが敵はそれだけではない。後ろからもう二隻やってくる。

 そこで煙幕を焚き、それに隠れながら離脱を試みる。後ろから来ている艦もまたその煙幕の中に入りながら旋回。飛んでくる砲弾を何とか回避しながらそこから離れていくのだが、

 

「まずい、魚雷が来てんぞ」

「なにぃ!? ってまじかよ! どっから……こりゃ直撃する!」

「何とか間に入り込め」

 

 そんなやりとりをしながら、煙幕が立ち昇る中で、静かに入ってくる航跡を見る。確かに四本の航跡が二隻の方へと向かって来ているようだ。小さな艦の方は魚雷を回避できたが、大きな艦は一本直撃を受けてしまった。

 

「やっべ、浸水……! だがまだダメコンがある。まだ俺はいけるぜ」

「く、どこや……反応がないって事は、駆逐か?」

 

 煙幕から抜け出し、魚雷を撃ってきた艦を探すと、すぐにそれは見えた。小さな艦と同じような大きさをした船体。敵の駆逐艦だ。その上には何やら文字と距離が表示されている。

 

「って、誰かと思ったらあの『水門』じゃねえか! やべえ、狩られる……!」

「……あかん。俺も狩られるかもしれん」

「ちょ、そこで弱気になるなって! 駆逐同士撃ち合って減らしてくれ!」

 

 反航戦で二隻が接近し、後ろから大きな艦、戦艦が追従する。お互いスピードを変え、蛇行して狙いを定めさせないように動き、砲撃し合う。だがそれでも腕がいいのか、どちらもそれなりに命中弾があった。

 だがより削られているのはこちら側だった。これはまずい、と魚雷を発射したが、それを察知したのか反転して向こうへと逃げていく。しかも煙幕を焚いて姿を隠してしまった。

 逃げられる、と思った矢先、煙幕の奥から四つの魚雷が発射されてきた。見事に戦艦の側面を狙った雷撃であり、「あ、オワタ」と戦艦を操作している者から簡潔に言葉が飛んでくる。

 その諦めは正しかった。魚雷は全弾直撃し、戦艦は完全に破損。撃沈されてしまった。

 撃沈した駆逐艦は煙幕の奥へと消えたのだが、砲弾が飛来してくる。それを駆逐艦がよけようとするのだが、煙幕の中から撃ってきているため、タイミングが計れない。やがて逃げ切る事が出来ず、駆逐艦もまた撃沈されてしまった。

 

「あー……だめか。さすが『水門』。鮮やかに2キルかー……」

「やれやれ、こっちに『水門』が来ていたとは。出会ってしまったのが不運やな」

 

 そう会話するのは、凪と東地だった。パソコンの画面には沈んでいく駆逐艦の姿が映っている。

 それはネットゲームの一種であり、かつての大戦における日本海軍の軍艦同士が戦う海戦シミュレーションゲームだ。アカデミー時代に東地から教えてもらったゲームであり、暇つぶしの一種として時々プレイしている。

 ちなみに今の戦いでは凪は駆逐艦の睦月、東地は戦艦の金剛を使用した。二人は通話ツールを使用して話しながらゲームを進めており、ゲーム画面は母港らしきものになっている。

 そこには凪の使用している睦月の船体が映っており、小さなウィンドウに二つの名前が書かれていた。一つは『calm』、もう一つは『East』とある。前者は凪の英語、後者は東の英語だ。いわゆるゲーム内での名前、プレイヤーネームであり、先程の『水門』もまた誰かのプレイヤーネームというわけだ。

 アカデミー入学の後に誘われたので、今年で五年目となる。

 今でこそ軍艦は廃れ、艦娘が海を駆け抜けて深海棲艦という敵を倒しているのだが、その艦娘の元となった軍艦もまた人々の記憶に残る存在だ。その軍艦をかつての戦いではない仮想の場で動かし、戦うシミュレーションだ。

 ゲームではあるが、軍艦を動かして戦わせるというのは、艦娘の戦いにも通じる。泊地棲姫を撃沈させた戦い方、それはこの海戦ゲームで使った戦略と同じだ。島の陰に隠れ、敵が来たら魚雷を一斉発射という奇襲によって敵を撃沈する。父やアカデミーから学んだ戦略をゲームで実践し、それを艦娘の戦いにも取り入れて実行に移したのだ。

 十対十のオンライン対戦であり、様々な仮想の海域で軍艦同士が戦いを繰り広げる。夜戦となれば辺りが暗くなり、船はより見えづらくなる、という事も再現されている。発見しづらい駆逐艦もより見えづらくなったからこそ、『水門』が接近してくるのにも気づきにくかったのだった。

 

「んー、今日はこれくらいにしておくかい?」

「せやな。もういい時間か。久しぶりにやると楽しいもんやな」

「おう。息抜きになっていいもんだぜ。……ずっと張りつめてると疲れるからな」

「やっぱり南方棲戦姫の警戒は続けられてるんか?」

「もちろんさ。戦姫は出てこないけど……どうも、通常の深海棲艦に変化が出てきてらぁ」

「変化というと?」

 

 ゲーム画面を落とし、通話ツールを大きくモニターに映し出す。声だけにしていたものを、ビデオ通話へと切り替えた。すると画面に真面目な表情を浮かべた東地が映し出される。

 すると指を三本立てて画面に映し出す。

 

「アカデミーで習ったろう? 深海棲艦ってのは三つのランクが存在するって」

「ああ。ノーマル、エリート、そしてフラグシップ、やな」

 

 ノーマルは何もオーラを纏わない普通の深海棲艦。

 エリートは赤いオーラを纏った存在。ノーマルの存在よりも強力な力を秘めているのが特徴だ。

 そして三つ目、フラグシップ。こちらは黄色、金色のようなオーラを纏っている。フラグシップとは旗艦という意味合いであり、凪の所で言えば神通や長門が務めている艦隊を率いる存在だ。

 エリートよりも更に強力な力を兼ね備え、エリートと同じく目からは金色の燐光を放っているようだ。

 

「そう、その三つがあるだろ。……で、最近南方海域にフラグシップ……めんどいからフラって呼ぶけど、そのフラが多く見かけられるんだわ。でもって、新たな顔が出て来ちまった」

「なに?」

「戦艦タ級。新しい戦艦クラスの深海棲艦さ。今はまだノーマルのタ級やエリートのタ級しか見かけねえが、この変化は何かあるって思わねえか?」

「確かにな。泊地棲姫が出る前も何らかの前触れが起きていたわけやし、南方も何かがあるかも、と考えてもいいかもしれんな」

 

 それから東地が名を挙げていくのだが、そのどれもがフラグシップとして確認されているものだったようだ。戦艦ル級、空母ヲ級、戦艦タ級、重巡リ級……。フラグシップだけではなく、それ以外の駆逐や軽巡でもエリートが普通に確認されているようだ。

 ノーマルではなく、エリートやフラグシップが普通にうろうろする海域。それが現在の南方海域で起こっている事らしい。

 

「だよな。……つーわけで、警戒レベルを上げてる。ラバウルの深山にも連絡してみたが、あっちはあっちで普段から守りががっちがちだから、変化なしだな」

「ああ、自分の周りだけを守る深山か。となると敵の存在を探すのもしっかりしてそうだ」

「その通り。だからあいつの索敵に関しては信頼出来る。南方棲戦姫が出たら、あいつは間違いなく次も知らせるだろうよ」

 

 最初に出現した際も深山が大本営に報告を入れて、その存在が周りに広まったのだ。

 深山という男もまたアカデミー時代と何ら変わらない。凪と東地の同級生であり、2位という成績で卒業した。

 エリートの家系に生まれた人物であり、ただひたすら提督になる道を歩まされる。それを受け入れているようで、ただ黙々と課題をこなしてきた。彼もあまり人と関わらない人物であり、自分が良ければそれでいい。他人がどうなろうと自分は関係ない。そのスタイルでただアカデミーを過ごし、ラバウル基地の提督としてもそれは変わらない。

 

「そろそろ備えな、凪。本当にお前も駆り出されるんなら、艦隊を強化する時間はそんなにないかもしれねえぜ」

「ああ。わかっている。今、いい感じにやっていけていると思っているよ」

 

 水雷組は神通の手によって急成長。それは他にも影響を与える。

 戦艦も水雷戦隊を相手にする事で、素早く動く相手にどれだけ命中弾を稼げるかの訓練になる。

 空母もまたそんな水雷戦隊にどう艦載機をぶつけていくかの対処法を覚える。

 最後にそんな三組を混合させてぶつかり合わせる訓練。これらを繰り返しているのだ。

 また、最近はようやく夜戦演習も行っている。危険ではあるが、これも覚えなければならない技術ではある。戦場では何が起こるかわからない。作戦如何では夜戦を実行する事もあるかもしれないだろう。

 やれる事は全てやっておこう。そうすれば、大きな後悔をすることはない。

 

「じゃ、おやすみ」

「おう、おやすみ」

 

 通話を切り、椅子の背もたれに深くもたれかかる。時間はもう深夜と言っていいもの。

 そこは凪の私室であり、一息ついた凪はモニターをぼうっと眺めていた。頭の中では東地とのやりとりが思い返される。

 南方の変化、それはやはり南方棲戦姫が再び現れようとしている前触れなのだろうか、と。泊地棲姫の場合でも、近海では見かけられなかったリ級、ル級の出現が確認された事で異変を感じ取った。偵察をすれば、案の定泊地棲鬼が出現していた。

 ならば南方棲戦姫も同じではない、とは言えないだろう。可能性の話だが、否定する要素もない。

 

(今、俺に出来る事はなんだ……? 他に出来る事は)

 

 艦隊の訓練。これは必要な事だ。一番必要なこと故に、外してはならない。攻めるにしても、守るにしても、力がなければ意味はない。

 遠征による資材確保。これも必要なこと。資材がなければ戦いを続行することは出来ない。

 装備開発。まあ、これも必要だろう。艦載機の数はとりあえず増やした。良い砲と、弾丸の種類も増やさねばならない。それに開発は凪にとっては得意な領域といってもいい。工廠の拡張によって自分の仕事が増やせたのだ。これからもそれを続けてもいいだろう。

 何気なくマウスを動かしてネットに繋ぐ。

 調べることは、南方棲戦姫についてだ。大本営に報告がいっているならば、提督間で公開されている情報があるかもしれない。サイトにアクセスし、しばらく探ってみると、見つける事が出来た。

 南方棲戦姫。

 南方、ソロモン海域より出現した姫級の深海棲艦。その両手に装備しているものは、かの大和型主砲に酷似しているとされている。また、その戦艦主砲を手にしていながら、艦載機を発艦させる能力を保有し、魚雷をも発射する事も出来る。

 砲撃、雷撃、艦載機と三つの能力を備え付けた強力な深海棲艦。それが南方棲戦姫。

 艦載機に関しては艦戦を搭載しているらしいので、これを崩すにはこちらも良い艦戦を用意しなければならないだろう。対空砲撃は摩耶を主とし、重巡や軽巡、駆逐らにも頑張ってもらう。

 装甲も戦艦級のため、普通の砲撃じゃあなかなか通らないだろう。通すには戦艦級の主砲しかないだろう。無理やり通すならば重巡級の主砲だろうか。

 やはり主砲開発をして、軽巡らに持たせてみるという手を使うか、と考えてみる。

 それも一つの手だろうが、水雷戦隊といえば魚雷が一番大事だろう。現状最高の魚雷といえば四連装酸素魚雷。これを開発して主力の水雷戦隊に持たせるのも一つの手か。

 

(……後は、一つ作ってみたいものはあるが、大本営からは正式に艦娘の装備としては登録されてないのか)

 

 過去の大戦において実際に使用されていた道具ではある。先程のネットゲームでも登場している。だが艦娘の装備としては構築されていない。それが残念なところだ。

 ならば、自分が作ってしまおうか、と凪はふと考えてしまった。

 工廠妖精と仲良くなり、装備に妖精が生れ落ちれば艦娘の装備となることもある。それに賭けてみるか?

 しかしそれしかない。

 凪が考えている事を実行しようとすれば、妖精が生まれることを祈るしかない。

 

(水雷戦隊、特に駆逐に持たせれば攻撃にも防御にも使える一品。可能なら装備として作ってみたい)

 

 そのためには工廠妖精とも仲良くしておくしかないだろう。凪の意思に応えてくれるように。

 

 

 



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甘味

 呉鎮守府に宅配便が届いた。それは間宮食堂へと運ばれ、間宮と大淀、長門と共に中身を確認してみた。

 それは甘味だった。羊羹、最中をはじめとした和菓子の入った箱が複数、別の箱には保冷剤と共にアイスが入っている。

 おぉーという感嘆の声が上がる中、気のせいか長門の目がいつもより輝いているように感じる。

 

「こ、これ、東京の有名な店の甘味ですよ!? 海藤さん、どうしてこれが?」

「美空大将殿からのお土産だそうだ。泊地棲姫討伐祝いってやつだよ」

 

 間宮が驚いた表情で土産の品々を確認している。

 恐らくは凪達が泊まったホテルにあった店なのだろう。いいものを食っていけ、と言っていたので高い一品なのは間違いない。

 そしてじっと甘味を見つめている長門にそっと近づいてみる。

 

「興味津々だね、長門」

「う、うむ……甘味というものは、戦いにおいて大事なもの。兵士の士気に関わってくるからな」

「あー、確かに。間宮が出来た経緯もそんな感じなんだっけ?」

「はい。そう伝えられていますね」

 

 食事というものはいつ、どこであっても大切なもの。艦としての間宮はとんでもない量の食材を詰め込み、運搬する事が出来る給糧艦だったが、ただそれだけに終わらない。

 戦場において甘味というものは日々の食事に事欠く兵士達にとっては、めったに食べることの出来ないもの。それを食べられるという幸福、それを求める活力。これらが兵士達にとっての士気向上に繋がる。

 それは艦娘に変化した今においても変わる事はない。特に艦娘は女性だ。女性というのは特に甘い物には目がない。昔と違い、食事に余裕があるが、女性にとっての甘い物は、それを食べられるだけでも幸福感満載なのだ。当然、士気が上がるというものである。

 中には特に甘味を好物とする艦娘もいるらしく、目に見えて高揚する娘もいるらしい。

 

「みんなを呼んで、振る舞いましょうかね。最近訓練漬けだったし、ひと時の休息として美空大将殿のお土産を食べようか」

「では、招集をかけてきますね」

 

 大淀が敬礼して間宮食堂を後にする。その間に間宮が箱からお土産をどんどん出していき、振る舞うものと保存するものに分けていく。後者は冷蔵庫へとしまっていった。

 その作業を長門はじっと見つめている。心なしかキラキラしたような眼差しで。

 やはりそれは見間違いではないのだろう。特に羊羹に目がいっているので、何気なく凪はそっと長門へと近づく。そして、

 

「羊羹をくれ、一切れだけでいいから」

「――っ!?」

「はい?」

「なんて思ってたりするんかい、長門?」

「なっ、ば……ちょ、ま、待ってくれ、間宮」

 

 長門っぽい声を出してみたら、おもしろいように慌てふためく長門だった。羊羹を冷蔵庫にしまっていた間宮がきょとんとした顔で振り返り、長門は凪と間宮を交互に見ながらどっちに反応すべきか迷っている。

 やがて、少し紅潮した顔で凪を睨み、親指で表出ろと告げてきたので、苦笑しながらそれに従う事にした。

 

「……なんのつもりだ、提督」

「いやー今にも食いつきそうな目で羊羹を見つめていたからね。何となく、君の心を代弁してみた」

「ば、馬鹿な事を言うな。私が、食いつきそうなど、そんな飢えた獣のような……」

「好きなの? 甘味」

「い、いや、別に……」

 

 わかりやすくうろたえる。こんな長門は見た事がない。

 いつも凛々しく、軍人らしい気丈さを持つ雰囲気。立ち振る舞いもまるで戦乙女を感じさせる頼もしさが備わっている。砕けて言えば、頼りになるお姉さん、というのがしっくりくるだろう。

 しかし今、それが少し崩れている。その原因が甘味というのだから、なかなかにギャップを感じるが、でもそれも当然と言えるものかもしれない。

 

「そう否定する事でもないでしょ。君も女性なんだ。別に甘い物一つや二つ、好きだって俺は全然気にしないさ」

「……む、しかし、イメージというものがだな」

「イメージ? ……それは『戦艦長門』というかつての軍艦の艦娘というイメージかな?」

「……そうだ。かつての日本の誇りとも呼べるビッグセブンが一、戦艦長門。私は、それにふさわしい在り方を示さねばならない」

 

 長門はかつての日本海軍の象徴といえる存在だった。後に大和が生まれたが、大和は秘匿された存在だったため、一般人にも知られている長門という存在こそが、日本にとっての誇りある軍艦といえるものだったのである。

 世界のビッグセブン、連合艦隊旗艦、日本海軍の象徴……様々なものが長門に備わり、そして艦娘となった彼女はそれを知っている。同時に、背負っているのだ。だからこそ常に凛々しく、誇らしく、頼もしい。そんな彼女の性格が形作られたのではないだろうか。

 でも、そればかりが備わったわけではなかったようだ。

 それだけならば隙のない女性軍人で終わっていたかもしれない。だが、構築を手伝った妖精や運命は、良い隙を作りだしてくれたのかもしれない。

 

「確かに戦艦長門は日本の誇り。でも同時に、国民に愛され続けた艦だったはずだよ。ビッグセブンだとか、連合艦隊旗艦だとか、それだけで国民に愛されるようなものじゃあない、と俺は思うよ」

「…………」

「今の君は艦娘。見た目は俺達と何ら変わらない、艦娘という存在さ。ずっと肩肘はり続けていたら疲れるだろうよ。時には休むことも必要さ。『戦艦長門』である事を、さ。艦である事を休んだ今の君は、ただの娘。一人の娘として、素直に甘い物に喜ぶといいよ」

「……幻滅しないか? こんな私が、甘い物なんかに気を緩めて」

「いいんじゃない? 俺なんか、君らの相手をしているだけで胃を痛めて、ぶっ倒れたんだぜ? 情けない姿晒したんだよ? それに比べたら、甘い物に蕩ける姿なんて、ぜーんぜんマシでしょ。むしろ女性らしくて可愛いと思うよ?」

 

 と、フォローし続けている凪だったが、その視線は長門の顔ではなく、少しずれた方へと向け続けている。相変わらず美人を真っ直ぐに見られないあたり、凪らしいのだが、その調子でも何とか長門をフォローしている。

 そういう事が出来て、体の調子を悪くしていないあたり凪は変わりつつある。というか最後なんて無意識に口説いていないだろうか?

 長門はそれに気づいていて、少しばかり困惑したように凪を見るのだが、当の凪はそんな自覚はないらしい。何とか長門のフォローをしようとしている事と、その顔を真っ直ぐに見れない、という思いがいっぱいの中、自分を下げつつ喋っただけ。自分の方が情けないんだから気にするな、と彼なりに言っただけに過ぎないのだから。

 でもだからこそ本心なのだろうな、と感じられる。

 

「……馬鹿なことを。私が可愛いなど、そういう似合わない言葉は慎んでもらいたい」

「……はいよ」

 

 照れ隠しとして長門がそっぽ向くと、凪は苦笑しながら頷くことにした。

 ちょっとからかってみようか、と思った事から始まったこの会話。意外な長門が見られた事はいいとして、この妙な空気はどうしてくれようか。

 そんな事を考えていると大淀が艦娘達をずらりと引き連れて戻ってきた。よし、これで空気も変わる。安堵したように息を吐いて彼女達を出迎えた。

 

 やはりと言うべきか、艦娘達も女の子なのだと、目の前の光景を見て凪は思った。

 眩しい。光が満ち溢れている。

 それは彼女達の笑顔が眩しいというだけではない。喜んでくれて嬉しくは思う。甘味を口に含むたびに頬を緩ませ、喜びの声が漏れて出るのは凪としても笑みが浮かんでしまう。それだけでも美空大将に感謝するべきことだろう。

 だがそれだけで光が満ちる程に眩しいと感じはしない。

 

(ここまでくると、すごいな……なんやねんこれは)

 

 艦娘達がキラキラしている。艦娘達の調子が良くなると士気やテンションが上がり、その際に提督にはそれが光の粒子を周囲に浮かばせる程にキラキラしているように視える。それは彼女達と絆が深まっていれば視えてくるもの。

 それは戦闘において良い結果を出し続けた時にも視え、以前凪が夕立と会った際に視えたものがそれだ。

 それ以外の事で彼女達がキラキラするのは、よくあるのがこの甘味を食べた際だ。間宮が作る甘味でその報告をよく耳にする。かつての兵士達がそうであるように、艦娘である彼女達もまたそれによって士気向上、すなわちキラキラするという現象。なんらおかしいことではない。

 しかし、二十四人……いや、大淀を含めて二十五人も艦娘がキラキラしている。小さな光も集まれば大きな光となり、眩しく感じてしまう。

 特に強い光を放っている艦娘といえば、控えめにいっても長門は怪しい。あとは一部の駆逐だろうか。

 

「ん~! 美味しいよこれ!」

「んむ、ハラショー、実にハラショー」

「はぁ~……癒される甘さですねぇ~。染み入る美味しさです」

 

 一水戦の駆逐トリオに加え、「んぐ、んぐ……これ、すんごくおいしいですね!」と最中を両手で持ってかぶりついていく雪風が、一か所に集まって食べている。食べ方にも性格が出るんだな、と感じさせる光景だ。

 ぱくつく夕立、静々と食べる響、頬に手を当てながら味をかみしめる綾波……こうまで違うのか。

 と、観察している場合ではない。今こそいい機会なのだ。これを逃すわけにはいかない、と凪は食堂内を見回す。そしてその娘を見つける。じわり、と胃が痛んだ気がするが、とある人物を思い出す事で何とかこらえる。

 そうだ、あの娘は淵上のような娘だと思えばいい。

 なかなか手厳しい言葉を投げかけてくる、後輩の娘。素っ気ないところがあるが、悪い娘ではない。先日は崩れたところも見ることになった。あそこで甘味を楽しんでいる艦娘も、そういうところを今、見せている。

 他の艦娘と何ら変わらない。甘味を楽しんでいる一人の女の子だ。

 そう思えば、何とか出来るはずだ。

 ごくりと生唾を飲み込み、凪は彼女へと近づいた。

 

「……や。どうだい? 美味しい?」

「……ん? ああ、司令官か。そうね、悪くはないわ」

 

 アイスを食べながら霞がそう答えた。

 そう、今こそ彼女と語らう時。そこには霞だけでなく、初霜や足柄が一緒にいる。霞の様子ににやりと笑みを浮かべた足柄は、ぽんぽんと頭を叩きながらからからと笑いだした。

 

「なーに澄ました答えを返しちゃってんのかしらね、この娘は。さっきまで夢中になって羊羹食べてたくせに!」

「ちょ、なに言っちゃってんの足柄!? 私は別に、そんなに夢中になってないったら!」

「せっかく提督が東京まで行って、お土産を送ってくれたってのに、『そうね、悪くはないわ』なんて、そんな簡潔に返すもんじゃないわよ? 霞」

 

 正確には美空大将殿がお土産を用意してくれたんだけどな、とツッコミを入れたいところだが、なんだか足柄と霞の様子から止めるものじゃない、と感じてそれは口には出なかった。

 しかも足柄の霞のモノマネがなんだか様になっている。それがより霞を紅潮させた。

 

「そうですよ霞さん。しっかりと提督にお礼申しあげないと。提督、こんな美味しい物、ありがとうございます」

 

 一方初霜は何とも丁寧だ。普段がそうであるように、深々と頭を下げて甘味のお礼を口にしている。その様子を見た足柄は「初霜はほんとに真面目ねえ」と頷いている。

 

「ごめんね、提督。霞ってば、ほんとに素直じゃないんだから。でも、お土産を喜んでるのは間違いないから。許してあげてね」

 

 手を合わせてウインクまでして謝る足柄だが、わかってるわかってると手で示しながらそっと距離を取って視線をそらす。足柄もまた美人に入る見かけをしている。そんな人に目の前まで来られるというのは、ちょっとばかり凪にとっては遠慮したいところだった。

 それに足柄は長門と違ってなかなかにフランク。また長門と違ってまだ短い付き合いだ。凪はまだ慣れていない相手であり、だからこそ急に目の前まで来られるとまだ距離を取ってしまうのだった。

 

「ふん、相変わらず私達相手じゃ、目をそらしてしまうのね」

「もう、霞ったら、そうきついこと言うもんじゃないわよ。それだから提督もあなたに苦手意識持っちゃうんじゃない。もう少し優しくしてあげなさいな」

「生憎だけど足柄、私にそういうこと期待してもらっちゃ困るわ。変わるべきは司令官。私達の上に立つ人間が、そんな情けない姿を晒してちゃ、示しがつかないでしょ?」

「それに関しては異論はないわよ。でも、そう簡単に人は変われないわ。ゆっくりと、時間をかけて変わっていくもの。それは提督と私達の関係においても言えることだわ。そうしてじっくりと時間をかけることで、それは強い結びつきとなる。そうする事で、確実な勝利を掴み取れるというものよ!」

 

 艦娘としての足柄はどうも戦闘、というより勝利という言葉の響きを好んでいる節がある。嬉々として攻め攻めな姿勢で戦闘を行い、美人な見た目とは裏腹に勝利すれば子供のようにはしゃいで喜ぶ。そして勝利のための努力を惜しまない。そんな性格をしていた。

 まっすぐで気持ちのいい性格をしており、親しみやすいお姉さんといった具合だろうか。

 

「だから少しくらい霞からも歩み寄ってあげなさいな」

「……わかったわよ」

「いや、うん。俺としては甘味を喜んでくれただけでもいいんだよ。君達がそれを食べて、いい顔をしてくれただけでも、俺は満足だからさ」

 

 日ごろの訓練の疲れを癒してくれるであろう甘味を振る舞い、喜んでくれたならば凪も嬉しい。それは嘘ではない。それを感じ取ったのか、霞も小さく鼻を鳴らしてじっと凪を見上げてきた。

 相変わらず真っ直ぐに目を見てくる娘だ。それから逃げたくなるが、淵上の事を思い返し、その目を見返す。彼女と違って美人系ではなく、夕立と同じ妹系。そう思う事でそれを実現させた。

 先日とは違う、霞にもそれが感じ取ったらしい。凪は、ゆっくりと変わりつつあるのだ。そう思うと、足柄の言った時間をかけて彼が変わっていくのを見守ればいい。その言葉が霞にじんわりと染み込んできた。

 

「……そう。じゃ、じっくり頂くことにするわ。ありがとう、司令官」

「いえいえ」

「それと足柄の期待、裏切るんじゃないわよ? その情けない姿をいつまでも私達に見せ続けるんじゃないわ。あんたに期待している足柄を真っ直ぐに見れないってのは、足柄に対するちょっとした裏切りになるんだからね」

「はは、これは手厳しい。でもその通りだね。……ごめんね、足柄」

「あら、別にいいのよ? 提督にとって私は、美人って感じてくれているって事なんだからね。その点においては悪い気はしないわ」

 

 胸を逸らしてどこか誇らしげに言う足柄ではあるが、「長門さんとか、翔鶴さんとか、あんたの姉さんでも同じような反応だけど」とぼそりと霞からツッコミが入った。それに対して霞の頭をつかんでわしわしと撫でまわす。

 そしてまた軽くウインクしながら左手でちょっと、と形作ってくる。

 

「でもやっぱり、私と目を合わせてくれないっていうのはちょっとだけ、さみしくはあるけどね?」

「……少しずつ、慣らしていくよ」

「うん、その時を楽しみにしているわ。この霞ときっちり仲良くなる日も、ね?」

 

 重巡と駆逐の違いはあるが、足柄のそれはまるで霞のお姉さんを感じさせる。礼号組という繋がりがあるのだが、それでも二人の絆は強固なものだ。さっきから何度か足柄がボディツッコミを入れているのに、霞は嫌がっている様子はない。

 霞の性格からして振り払ったりして拒否しそうだが、足柄の手を振り払っていないのだ。それだけでも霞の足柄に対する親しみを感じる。

 と思ったらさすがに今のは強かったのか「ちょ、いたい。髪が乱れるから、やめなさいったら!」と振り払い始めた。

 足柄には感謝しなければならない。彼女が間に入ってくれているからこそ、穏便に会話が出来たように思える。

 何とか目的は達したが、他の艦娘達とも交流しないと。交流が必要なのは霞だけではない。今日は色んな艦娘達と話をしようと考えていたのだから。

 凪はその場から離れ、他の艦娘達の下へと訪れていったのだった。

 

 

 



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出港

 

 さんさんと照り付ける太陽。気持ちよく晴れ渡った空に、海の香りをより強く漂わせる吹き抜ける風。今年もまた、夏がやってきた。

 7月、それは梅雨が終わり、夏が来たのだと知らせてくれる時期。

 呉鎮守府にもまた時間が過ぎたのだと思わせる変化があった。

 

「……だる」

 

 小さくぼやいたのは凪だった。彼の出で立ちは白いタンクトップに作業服のズボン。首にタオルを巻きつけ、流れる汗を何度かぬぐっている。先程まで座っていたところには工具が散乱しており、その近くには出来上がったらしい装備が並べられていた。

 

「大丈夫ー提督? 少し休む?」

「……あー、ちょっとだけそうするね。……はぁ、だる」

 

 作業を続けている夕張が声をかけてきたが、軽く手を振って凪は返した。彼女もまた白いタンクトップに、オレンジ色のズボンをはいているというラフな姿。あの時許可をもらったために、こうして時々工廠にやってきては装備の手入れをしている。

 手にしているスポーツドリンクを飲み進めながら、凪は最近の出来事を思い返す。

 

 あれからの変化といえば、資材がぐっと増えた事。

 艦隊の練度が上がったことで、遠征効率が上がり、より多くの資材を持ち帰る事に成功した。それによって、なんと15000まで増えたのだ。前と比べて3倍である。これで資材に対する貧乏感がなくなり、艦隊運用がぐっと楽になった。

 

 次に美空大将から新たなる艦娘のデータが届いた。

 駆逐艦、舞風。重巡洋艦、三隈、衣笠。この三人である。

 だが建造はしない事にしているので、凪はこの三人に出会うとしてもまだまだ先の話となる。

 そしてこれが一番の変化だろう。

 美空大将はついに改二技術を成功させた。

 重雷装巡洋艦、北上、大井。この二人の改二データが凪の下へと届けられた。凪だけではない。発表したので、他の鎮守府にもそのデータが配布された。

 先行して凪へと送り付けてきたのだが、残念ながら北上の練度が足りていないため、凪はそれを実行することは出来なかった。

 また先日、次なる改二として軽空母の千歳、千代田も成功に至ったようだが、こちらも同様だ。千歳がその練度に達していないため、改二にすることは出来なかった。

 

 そして装備開発。

 10cm連装高角砲、15.5三連装砲、三式弾、九一式徹甲弾、ソナーに爆雷を揃えることに成功した。特に15.5三連装砲は副砲も出来たので、戦艦組に搭載する事で、副砲としての力がより高まったといえる。

 徹甲弾もまた戦艦の火力を高める要因に成り得る。徹甲弾によって装甲の硬い敵であろうとも、高い貫通力を以ってしてダメージを叩きだす事が出来るはずだ。

 三式弾は重巡にも装備出来、宙で爆ぜることによって艦載機を叩き落としていく弾丸だ。防空の力として発揮できる代物である。

 また開発をし続けた事で工廠妖精との繋がりが強くなったせいだろうか。凪が考えていた新たな艦娘の装備の開発に成功し、それを大本営に報告する事が出来た。

 煙幕。

 これを発生させる事の出来る薬剤を詰め込んだカプセル型の装備だ。これを煙突や発煙管へと投入する事で、視界を塞ぐ白煙を発生させる事が出来る。これを使うのは駆逐艦だ。これによって深海棲艦の目くらましを行い、奇襲や離脱を行いやすくするのが目的である。

 ただし砲や魚雷発射管と違い、一つ一つが使い切りだ。

 また見えづらくなるのは敵だけでなく味方も同じだ。視界不良の中でうまく動き、奇襲できるかの訓練をしっかり行わなければ、こんなものはただの煙でしかない。

 そのため、神通が水雷組に新たなる訓練項目を追加し、みっちりと訓練を行っている。

 大本営もこの煙幕を正式に艦娘装備として登録し、公開したため他の鎮守府でも開発で作る事が出来るようになっているが、はたして使いこなせるのかは凪には分からない。彼にとって、これは使えるかもしれない、と考えてやっただけであり、他の提督らの事情は知る由もない。

 なお、トラックの東地からの言葉はこうだった。

 

「おもしれえもん作ったなぁ、おい。ネトゲで予習はしっかりしてたから俺は普通に受け入れたけど、他はどうなるかねえ。ま、俺はありがたく使わせてもらうぜ」

 

 とのことらしい。

 東地の言の通り、あのネトゲで煙幕を使っていたからこそ、艦娘でも使えないだろうか、と考えたのが始まりだった。実際にやってみれば、使えそうだったので良かったとはいえる。煙で咳き込まないようにマスクなどの防備を必要とするが、それもまた艦娘としての不思議な力で艤装と同じく構築されるので、大丈夫だった。

 

「夏、か……はやいな」

 

 日陰で涼みながら凪はぽつりと呟いた。作業中は何とかなるが、それを終えると一気に暑さを感じてしまう。すると、このように気落ちしてしまうのが凪だった。

 扇風機で涼しさを確保しているとはいえ、それでも夏の暑さは凪にとってはちょっとした敵だった。

 振り返れば呉鎮守府に就任してからもう3か月経過しているのだ。季節が変わってきているのも当然の事だった。

 そして変わっているのは世界や呉鎮守府だけではない。

 凪もまたゆっくりと変わりつつある。

 あの日足柄が間に入ったとはいえ、あの霞相手に少しだけ良い話が出来たのがきっかけとなった。他の艦娘達とも少しずつ話す時間を増やしていく事が出来たのだ。そうして時間を増やすという事は、艦娘と対面する時間が増えるという事。

 そうして美人系の相手でも顔を見れるようにする時間を増やし、慣らしていく事となった。まだ完全ではないが、何とか顔を見れるようになり始めている。

 

「あら、提督。休憩ですか?」

 

 ふと、翔鶴が工廠の前を通りかかってきた。となりには瑞鶴がいるが、その服装は以前のものと違っている。翔鶴のお揃いだった白と赤の和服ではなく、紺や土色の暗い色合い、所謂迷彩柄となっていた。

 瑞鶴は改となると、どうやら史実のエンガノ岬沖海戦に準じた衣装を纏うようで、それはすなわち姉である翔鶴が沈没した後の姿を模しているという事になる。胸当てにあった翔鶴と瑞鶴を識別する「ス」という文字も、薄くなって見えづらくなっているのもまた特徴だった。

 

「そうだね。いやー、暑くなってきたね」

「そうね。でも夏はまだこれからよね。今がそんなんじゃ、夏本番は提督さんはどうなっちゃうわけ?」

「んー……去年とかアカデミーの頃はほとんど部屋にこもりっきりだったなぁ。去年は作業場にもいたけど、休みは全然外に出てないわ」

「うわっ……不健康」

「ふふ、でも今年はそうもいかなくなってますね。頑張ってください、提督」

 

 そう、今年はそんな事を言っていられる状況ではない。今は備え続けるしかない。

 ひたすら訓練、遠征、そして開発、整備。いつくるかわからない時のために凪達は動き続けるしかないのだ。

 

「艦載機の具合はどうだい?」

「いい感じね。艦載機も揃ってきたし、がんがん運用していくんだから!」

「ええ、いい子達ですよ。でもだからといって瑞鶴、慢心してはいけませんよ。実戦では何が起こるかわからないのだから」

 

 大本営から、というより美空大将から新たな装備として流星改と彗星一二型甲が送られてきた。他にも雷巡改二が出た事で、なんと五連装酸素魚雷も出てきたため、これも送られてきたのだった。

 現状において最高の艦攻と艦爆という更新だったため、とりあえずまた艦載機を開発する事となり、一週間の時間をかけて、ようやっと一つずつ生み出すことに成功した。そのしわ寄せとして色々艦載機が生み出されたため、空母四人に振り分ける艦載機が増えたから良しとする、と前向きに考える事にした。

 

「他の娘達はどうだい?」

「千歳さんも軽空母として慣れてきたように見えます。模擬戦でも組ませていただいたのですが、問題なく艦載機を操ってみせました。良い戦力となってくれていますよ」

「一日の長がある祥鳳さんも、軽空母とは思えないくらいの力を見せてくる時あるよね。ああいうのを見てると、こっちも負けてらんないって気持ちになるからさ」

 

 呉鎮守府で一番練度のある空母といえば祥鳳だった。千歳も同時期に建造されたが、軽空母としては祥鳳の方が訓練時間が長い。そのため瑞鶴の言う通り、軽空母ではあるが五航戦の二人に迫る程の力を時折見せつけてくる時があった。

 だがそれが切磋琢磨するには十分な良い刺激となる。

 正規空母が軽空母に負けてなるものか、と士気が向上するのだ。それによってより良い訓練結果を生み出していく。だからこそ最近の成長ぶりは目を見張るものがある。

 少し二人を見つめると、確かに最初に出会った頃より随分と成長している。火力、装甲、対空、どれも良く成長した。どちらも改となり、レベルとしても十分といえる。

 訓練へと向かう二人と離れ、また工廠の中へと戻っていく。主砲の調整をするか、と工具を手にする。

 夕張も三水戦のメンバーであるはずだが、遠征に出ている際はこちらに残り、装備を弄っている。微調整を繰り返し、艦娘らに合った状態にすることで命中率を少しずつ上げていく事に貢献している。

 凪もまた夕張の調整を見ながら、少しずつ調整の仕方を改良していく。去年の作業もあるが、艦娘の調整の仕方もまた勉強になる。

 そうしてまた工廠での時間を過ごしていると、血相を変えた大淀が駆け込んできた。

 

「提督、大変です!」

「どうした?」

 

 ついにきたのか? と内心思いながら落ち着いて返事する。

 

「ラバウル基地が大本営に報告! ソロモン海域にて南方棲戦姫の軍勢が出現したとの事です!」

「……そうか。なら、全艦娘待機。大本営からの指示を待つ事にしよう」

 

 立ち上がり、汗を拭いながら凪は工廠を後にする。軽くシャワーを浴びて汗を流し、制服に着替えて執務室へと戻る。遠征に出ていた三水戦も帰還し、全艦娘が呉鎮守府に待機状態となった。

 また指揮艦も待機させ、いつでも出港できるようにしておいた。

 やがてパソコンに電話が入る。相手は美空大将だった。

 

「聞いているか、海藤?」

「はい。南方棲戦姫が出現したそうですね」

「うむ。これに合わせ、佐世保の越智が動き出した。そして予想通りというべきか、護衛を求めてきたわよ」

「……そうですか。ということはやはり?」

「海藤よ、出番だ。越智と共にトラック泊地へと向かえ。そこの東地と共に、南方棲戦姫の討伐を命じる」

「ラバウル基地ではないのですね」

「ラバウルの深山は相変わらず防衛に専念している。現場が近いからな、奴らが西へと向かう事を防いでいる。そのため支援は期待できん」

 

 わかっていた事だが、やっぱりそうなっていたようだ。ソロモンの北西にラバウルがある。そこに防衛線を築き、侵攻を防ぐことで戦線拡大を防いでいるようだ。となると奴らは東に向かうか、北に向かうかとなる。

 北はトラック泊地があるが、距離がある。今は東地も防衛しているだろうが、凪と越智が加わる事でそれを押し返し、撃滅するチャンスが生まれるだろう。

 

「越智はお前達を盾にし、自分が南方棲戦姫を撃沈するのだと意気込んでいるだろう。が、そこに隙が生まれる。もしもの時は、お前達が撃沈させろ」

「……失敗を、期待しているんですかね?」

「奴のやり方はな、大艦巨砲主義だ。戦艦、重巡という大型艦をずらりと揃え、駆逐軽巡はただの遠征要員。力こそ正義を体現した運用をしている。確かにそれも一理あるが、それだけで何とかなる程現実は甘くはない」

「ああ、なるほど。確かに隙がありますね。……そこで我々が何とかしろと、いうなれば盾にするわけですか」

「そうだ。不本意ながら、お前達の盾を掻い潜って打撃を与えられれば、越智の艦隊は瓦解するだろう」

「……彼らの艦娘が沈みゆくのを見逃せと?」

「そうなる可能性がある、と言っているだけよ。それが、奴のやり方の穴なのだからな。その穴をしっかりと埋めるかどうかは、お前達が決める事よ」

 

 それを語る美空大将は真顔だ。笑みも怒りも何もない。淡々と彼女は指示を出している。

 これが、大将まで上り詰めたが故に作られた美空大将の顔ということか。心の中で何を思っているかはわからないが、彼女は何らかの目的で凪にこう指示をしている。

 万が一の場合は、佐世保に所属している艦娘が死のうとも気に留める事なく見逃せ、と。

 何故かといえば、それが越智の失態となり、彼の首が飛ぶ可能性が出てくるからだ。意気揚々と佐世保から出陣したのに、犠牲を出した挙句に南方棲戦姫討伐失敗となれば、目も当てられない。

 今の大本営の方針ならば、高い確率で首が飛ぶ。となると空いた席がどうなるかというわけだが、美空大将としてはそこに淵上を座らせる魂胆だろうか。

 そこまで推察すると、好機が巡ってきたのだろうと、凪はぼうっとモニターに映る美空大将を見つめる。彼女にとっては、次にいつくるかわからないチャンスが転がり込んできたのだ。

 姪である淵上をいつ提督に就任させるか。凪の次は淵上、というのは提督就任から察していた事。それが今というならば、凪としてはそれに従うしかない。

 本心でいえば、そんなめんどうごとをやらせるな、と言いたい。しかも犠牲ありきの作戦など、あまり好ましくない。だが実戦では何が起きるかわからない。流れでそうなったら、というならばそれでいいが、自分が意図的にそうするように動くというのはあまりしたくはない事だ。

 

「不満か?」

「……本心で言えば、不満ですね」

「改革には犠牲がつきものよ。見苦しい輩には、そろそろ席を降りてもらわないとね」

「しかし艦娘に罪はないでしょう」

「――――彼女達は、兵器だ」

 

 静かな言葉が美空大将から発せられた。先程よりも感情を消した表情、声色。本心で言っているのかそうでないのか、それを悟らせないための変化だった。

 重い言葉が凪にのしかかる。

 そうだ、少し忘れかけていたが、どんなに見た目が人間に近しい姿をしていようとも、彼女達は艦娘。それは軍艦という兵器なのだ。どれだけ心があろうとも、感情があろうとも、それは揺るがない事実である。

 

「彼女達に罪はない。罪があるのは、彼女達を使った人間だ。……そして、兵器は人間に使われるもの。壊れるか、あるいは使わなくても良い日が来る、その日まで」

「…………そうですね」

「情を持つのは貴様の勝手だ。それを否定する気は私はない。だが、あまり深入りすると、厳しくなるぞ、海藤? それも貴様の周りではない、別の鎮守府にまで情を感じてしまってはな。揺るがぬ心を持つ事だ。そうすれば、まだ傷は浅くて済むぞ」

「……わかりました」

 

 非情ではあるが、それが心を保つには必要なことだろう。瞑目する凪に美空大将は頬杖をついてじっと見据えてきた。

 

「励みなさい、海藤。先代が果たせなかった南方棲戦姫討伐のために。これ以上犠牲を望まぬと言うならば、隙を見て貴様が果たしてみせなさい。かの海の底に、これ以上長門や神通にとっての仲間を沈ませないためにね」

「仇討ですか? 私は別にそれを目的とはしていないのですけど」

「だが長門と神通にとってはそうなるだろう。かのソロモンの海には彼女らのかつての仲間が沈んでいるのだ。意識しないわけにもいかないだろう」

 

 ちらりと凪はモニターから視線を上げる。その先には長門と神通が待機していたのだ。つまりこの会話は彼女達の耳に入りっぱなしである。

 

「……わかりました。上手く、立ち回ります。色んなものにケリをつけてきますよ」

「それでいい。終わらせてやるのだ、海藤。この戦いに勝利すれば、新たなる始まりを迎えるだろう。期待している」

「承知しました」

 

 そう、南方棲戦姫との因縁を終わらせれば、先代呉提督とその仲間達の無念が晴れる。そうする事で二人は前へと進む事が出来るはずだ。

 そして恐らく、美空大将的にも越智の首が飛ぶような事があれば、佐世保鎮守府は淵上という新たな提督を迎え入れる。それもまた新たな始まりとなる。

 今日は珍しくそれで話を打ち切った美空大将。一息ついた凪は目の前にいる二人を見据える。静かにそこで待機していた二人は何も言わない。ただ凪の命を待っていた。

 

「――南方へ出撃する。二人にとっては色々思う事はあるかもしれない。だが、無理はしないように。生きて帰るように努めてくれ」

「はい」

「わかっている。……提督も、先代と同じ轍を踏まない事を願っている」

「ああ。何とかうまく立ち回ってみせるさ。俺としても、まだ死にたくはないしね。では、行こうか」

 

 立ち上がり、指揮艦へと乗り込んでいく。

 向かう先はトラック泊地。そこで東地と佐世保の越智提督と合流する事になっているはずだ。

 パソコンで会話はしているが、東地と実際に会うのは一年ぶりとなるだろう。そんな彼と肩を並べて戦う事になるのだ。少しばかり心が躍るものだが、しかし南方は現在荒れ模様。そんな中で、必ず生き延びるのだ、という強い意志を持って、凪達は呉鎮守府を後にした。

 

 

 



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開戦

 

 数日の航海を経て、トラック泊地へと到着した。港に到着した凪達を東地はすぐに出迎えてくれた。実際に対面しても久しぶり、という気はあまりしないが、それでも気さくに握手をしてきた彼に触れれば、それがゆっくりと実感してくる。

 

「よく来た。歓迎するぜ、凪」

「おう。状況はどんな感じ?」

「深山からの連絡じゃ、ソロモン海域を離れて真っ直ぐにこのトラックへと北上しているって話さ。その背後を深山の艦隊が蓋をしているみたいだが、やっぱり積極的に攻撃してはくれねえな」

「……マジで戦力として期待はしない方がいいんやな」

 

 やれやれと嘆息しながらトラック泊地の鎮守府へと向かっていく。その後ろから呉鎮守府の艦娘達がぞろぞろとついてくる。大淀を含めて二十五人全員がこっちに移動しているのだが、呉鎮守府の防備は大本営が補完している。

 大規模作戦において各鎮守府から提督が出撃する時、大勢の艦娘を保有していた場合は防衛のために提督が残していく事もある。だが新米提督の場合はそうもいかない。

 その時のために大本営が艦娘を派遣するのだ。守りのために戦うだけならば大本営が保有する艦娘だけでも何とかなる。今回も呉鎮守府の防衛のために、東京から派遣してくれているようだ。主に美空大将の息がかかっている艦娘が。

 さて、トラック泊地の艦娘達はどんな感じなのだろう、と凪は少し興味を示した。秘書艦が加賀という事は知っているが、それ以外はあまり知らない。

 グラウンドに整列した艦娘はざっと見る限り百人はいるだろう。その内、二十五人は呉鎮守府の艦娘だが、それ以外は全員トラック泊地の艦娘となる。

 

「ざっと見た限り、やっぱり育ってるんやな」

「一年もやってりゃあこうなるさ」

 

 秘書艦である加賀を筆頭とした空母勢は、一航戦、二航戦という正規空母に、飛鷹、隼鷹、千歳改二、千代田改二が在籍している。先日発表された改二を早速導入している辺り、彼らの練度が高まっている事が窺える。

 戦艦となると扶桑姉妹にそして金剛四姉妹。重巡は妙高四姉妹に古鷹、加古と取り揃えられている。

 軽巡は長良型の六姉妹に球磨型の五姉妹が全員揃っている。特に北上、大井はこちらも改二になっていた。

 最後に駆逐だが……やっぱり駆逐は種類が豊富。ほとんど網羅しているので割愛する事にしよう。

 それらをほぼ全員高レベルまで鍛え上げられている。凪の下にいる艦娘と比べても軽く20以上はレベルの差があるだろう。

 お互いに所属している艦娘のリストを確認し合い、どのように艦隊を運用するかを話し合う。そうしていると、遠くで指揮艦の汽笛が聞こえてきた。

 

「ん? 越智が来たか」

 

 来たならば出迎えなければならない。特に彼の性格からして、そうしなければ面倒なことになりそうだ。二人揃って港まで向かい、接岸してきた指揮艦を見上げる。

 やがて降りてきたのは一人の男。凪と東地は彼へと敬礼をすると、彼は返礼しながら「どうも。佐世保の越智だ」と挨拶してくる。

 

「呉鎮守府より参りました、海藤です」

「トラック泊地の東地です」

「うん、君達が僕の雄姿を見届ける後輩達だね? で、君が呉の後任か。……なんとまあ、頼りなさげな事で。君には僕の護衛としてしっかり働いてもらうんだから、頼むよ?」

「……はっ」

「じゃあ早速、南方棲戦姫を討ちに行こうじゃないか。奴らは今も北上し続けているんだろう? せっかく姫君がやる気になってくれたんだ。帰ってしまう前に、全力でもてなしてやろうじゃないか」

 

 くいっと海を示すように首をしゃくり、越智は指揮艦へと戻っていく。そんな背中を見ながら凪は、もてなすのはどうせ俺達なんだろうな、と舌打ちしたくなる。

 東地も同じような気持ちだったらしく、通信機を手にして「あー、大淀さん? グラウンドに集合している全艦娘に通達。それぞれの指揮官に乗船。これから出陣だってよ」と伝えた。

 ろくな打ち合わせもなく、さっさと出港していった越智の指揮艦を追うように、凪と東地の指揮艦も出港。艦橋の席に座しながら、指揮艦同士の通信を開く。

 

「それで、どういう作戦でやるんで?」

「決まっている。君達が偵察を行い、僕が南方棲戦姫を撃滅する。簡単な話だろう?」

「……細かい部分は?」

「君達の好きにするといい。君達が僕の艦隊が全力を出せるように舞台を整えるのさ。一年と、たったの三か月の君達より、二年も艦隊を整えてきた僕の方が、奴を沈める期待値が高いだろう?」

 

 ふっと髪をかき上げながら得意げに話している。すると東地から越智の艦隊についてのデータが送られて来たので、それを確認してみることにした。

 なんとまあわかりやすい艦隊練度だった。美空大将が言っていたが、本当に大鑑巨砲主義なのだな、と見て取れる。

 長門型、金剛型、扶桑型に伊勢型と高レベルの戦艦を取りそろえ、重巡も現在いる艦娘がほぼ全て並んでいる。空母も一航戦、二航戦が存在し、そのどれもが高レベル。東地の艦娘よりも高いのだ。

 それに対して、軽巡駆逐はただ遠征しているだけのようで、レベルの差が激しい。軽空母もそれなりでしかなく、東地と凪の保有している艦娘に近しいものになっている。

 つまり大型艦を重視し、中型、小型を軽視している。空母が入っているので完全な大鑑巨砲主義というわけではないが、大型艦こそ正義というわかりやすい育成方針だ。これで二年やってきたとのたまうのだからある意味尊敬する。

 一昔ならばこれでも何とかなるだろう。だが姫級が出現し始めた「今」の状況となるとどうなるのか。一年以上やっていたはずの先代呉提督が戦死したのだ。この艦隊であの南方棲戦姫相手に勝てるのか? とデータを見た凪はとてつもない不安を覚えた。

 話は終わりだ、とばかりに越智が通信を切ってきたので、自然と東地との通信となる。モニターに映し出された東地はわかりやすく辟易していた。

 

「いやー性質が悪いってああいう奴のことを言うんだなぁ」

「なあ、茂樹」

「なんだい?」

「……このデータ、マジなんか?」

「マジもマジ。水雷戦隊? なにそれおいしいの? って感じだぜ、佐世保は」

「……潜水艦どうすんねん、あいつは」

「俺らが何とかするしかねぇんじゃね? というかあの様子じゃ俺らに丸投げだろうよ」

 

 それが凪が美空大将との会話で挙げた越智の艦隊の穴だった。

 戦艦も空母も重巡も、潜水艦には無力だ。潜水艦を攻撃するのは軽巡と駆逐、そして航空戦艦に航空巡洋艦、軽空母だ。航空戦艦はいることはいるようだが、今の瑞雲ではまともなダメージを期待することは出来ないだろう。軽空母も同様だ。

 今まで佐世保は潜水カ級ら相手にどうしていたんだ、と問いただしたい気分である。

 

「……深海棲艦が変わってきているのに、鎮守府運営が変わっていないって、どうかしてるぞ」

「だよなぁ。かつての大戦でも大鑑巨砲主義ってのは廃れていったはずだというのに」

「こりゃあ、マジで美空大将殿の意思に従うしかないかもしれんな」

「あん? どういうこった?」

 

 凪は美空大将が話していたことを伝えていく。それを静かに聞いていた東地は、そっと口元に指を当てながら思考する。美空大将が成そうとしている事と、それを果たすための手段を考えているようだった。

 やがて一息つき、「――ま、俺としては別にそれに乗ってもいい」と答えてきた。

 

「ああいう輩に、これからもこき使われるってのは俺としても我慢がならねえ。それでうちの艦娘が轟沈でもしようものなら憤死しかねえからな。首を挿げ替えるってんなら、俺としては同意する」

「俺もあまり乗り気じゃなかったんやが、このデータを見せられたらな……」

「あまりにわざとらしい動きをしたらつっこまれるだろうからなぁ。こりゃ流れに任せて動いていくしかねえわ。後は、あいつの慢心待ちか」

 

 そう話しながら指揮艦三隻は南下していく。

 その途中で空母達が偵察のための艦載機を発艦させ、敵の進軍状況を確認する。それにより、敵の先兵が確認されたようだ。水雷戦隊を基準とした艦隊らしい。

 報告を受け取るとやはりと言うべきか、越智から通信が入った。

 

「出番だよ。さくっと蹴散らしてくるんだ」

「……了解」

 

 短い指示だったが、それが全てだ。通信が消え、ため息をついて東地との通信を開く。

 

「どっちが行くよ?」

「俺が行こう。茂樹は指揮艦の護衛を頼む」

「いいのかい?」

「そっちの方が水雷戦隊多いんだろ? 三隻守るには十分数がある」

「まあそうだな。わかった。じゃあ五水戦から八水戦まで出して守るよ。健闘を祈る」

 

 通信が終わり、艦橋から艦娘達へと指示を出すために通信機を手にする。

 一つ息を吐き、彼女達へと語りかける。

 

「これより出陣する事になった。メンバーは一水戦、二水戦、第二主力部隊。一水戦、二水戦が前に出、第二主力部隊が艦載機からの支援という形でお願いする。なお、指揮艦の守りは、トラックの東地が務めてくれることになったので心配する事はない。……君達の健闘を祈る」

 

 凪の言葉を聞き終えた艦娘達は一斉に動き出した。甲板へと上がり、次々と海へと飛び降りて艤装を展開。整列すると一水戦、二水戦が先陣を切るように前へと出ていく。それに追従するように第二主力部隊が航行を開始した。

 改めてメンバーを紹介しよう。

 一水戦は神通、北上、夕立、響、綾波、雪風。

 二水戦は球磨、利根、足柄、川内、夕張、皐月。

 第二主力部隊は妙高、阿武隈、初霜、霞、千歳、祥鳳。

 全員が高速で海を往き、それより先に彩雲や艦戦が偵察に向かう。すると、早速偵察隊が深海棲艦を発見したようだ。妖精からの報告を受け、祥鳳が敵戦力を報告する。

 軽巡ヘ級エリート、駆逐ハ級、駆逐ロ級2、駆逐イ級2。

 軽巡ホ級エリート、雷巡チ級、駆逐ロ級2、駆逐イ級2。

 敵の水雷戦隊が二隊というものだった。こちらもまた水雷戦隊が二隊。しかし軽空母が二人いるので、先手を打って攻めていくことが出来る。

 

「では、攻撃隊を発艦させます」

「集中ですか、分散ですか?」

「……分散でお願いします。一水戦、二水戦がそれぞれ当たりにいきますので。球磨さん、大丈夫ですね?」

「問題ないクマ。あれくらいの戦力、軽くひねりつぶすクマ」

「わかりました。では千歳さん、第一次攻撃隊、発艦しますよ」

「はい!」

 

 二人の軽空母から次々と艦載機が発艦して空を往く。流星をはじめとする艦攻、彗星をはじめとする艦爆、そしてそれらを護衛する艦戦達。それらが二手に分かれて水雷戦隊の前を往く。

 エリートが一隻、それ以外がノーマルとなれば対空兵力の脅威はあまりない。一気に奴らの頭上へと迫った艦爆が先制して爆弾を投下。突然の艦載機の攻撃に混乱した敵は、なす術もなく爆撃を受ける。それによってイ級が消えた。

 続けて艦攻による雷撃が入り、ロ級まで消える。隊列が瓦解した敵にもはや勝機はない。神通達が接近している頃にはへ級エリートの指示で何とか持ち直しているようだが、「砲雷撃戦、開始です」と通達。

 北上の甲標的によってへ級エリートが中破し、神通達の砲撃によって次々と撃沈数が増えたのだった。

 これは球磨達も同じだった。先手を打って数を減らしていたために、それはもう戦いと呼べるものではない。雷撃を放ち、回り込みながら砲撃を加える。砲撃によって体勢を崩し、放たれた魚雷が間を置いて直撃する。

 あっけない終わりである。これくらいの敵ではもはや一水戦も二水戦も止められない。逆に苦労するようでは、この先生き残れるはずもない。三か月前とは違う。当然の成長であり、当然の勝利だった。

 敵を撃滅したが、神通は電探の反応を探っていた。目の前の水雷戦隊が沈んだというのに、妙な反応があるのだ。

 

「……潜水艦、でしょうか」

『こっちにもそれらしき反応があるクマ』

「潜水艦が展開されているようですね。とりあえず潰していきましょう。通すわけにはいきません。単横陣へ」

 

 電探、ソナーの反応を探り、近くに展開されていると思われる潜水艦を探す。どうやら球磨達の方にも潜水艦の反応があるらしく、単横陣へと陣形を変える。

 ゆっくりと航行し、どこに潜水艦がいるのかを探る中、潜水艦ではなく別の物が探知にひっかかった。

 

「魚雷がきてるよー!」

 

 北上の警告に神通が彼女の指さす方へと視線を向ける。確かにそこには二つの雷跡がこっちに迫ってきていた。あそこか、と神通は目を細め、「魚雷を回避し、爆雷用意を」と指示を出す。

 距離が近くなるにつれ、敵の潜水艦の正体がわかってきた。

 どうやら潜水カ級エリート2、潜水カ級2らしい。それくらいならばなんとかなる。先制魚雷を回避し、反撃するように爆雷を一斉に投射。一間を置いて爆発したそれらは狙い狂わず、カ級らを全て撃沈させた。

 二水戦もまた同様に、利根と足柄以外の艦娘が爆雷を投射し、潜んでいたカ級らを始末する。重巡は爆雷を所持していないため、潜水艦相手には無力だ。

 

「敵はどこかしら? まだまだ主砲を撃ち足りないわ! 潜水艦じゃあ何もすることなくて退屈なのよね」

 

 足柄がそんな事を言いながら辺りを見回している。勝利や戦闘に飢えている彼女としては砲雷撃、というより戦闘そのものを好んでいる。すぐさま次の獲物を求めるあたり、飢えているのがよくわかる。

 攻撃機が帰還し、入れ替わるように再び偵察機が発艦。敵を探して南下していった。

 潜水艦が他にもいないかを警戒する中、指揮艦がゆっくりと追いついてくる。その周りには東地の保有している水雷戦隊が護衛していた。

 

「……神通さん。空母ヲ級と戦艦タ級が確認されました」

「ヲ級にタ級ですか? 正確な艦隊の報告を」

 

 それによれば戦艦タ級、空母ヲ級、重巡エリート、軽巡ヘ級、駆逐ロ級2との事だった。

 東地から報告があった新たなる深海棲艦がこの先にいる。上等だ、と神通は薄く笑みを浮かべる。自分達が先陣を切って撃滅し、凪達を守るのだ。それが今の神通達の役目なのだから。

 戦艦タ級がどうした。それに恐れている暇などない。

 

「行きますよ、みなさん。潜水艦の反応も見逃さないように」

 

 神通率いる一水戦が我先にと南下すると、足柄が「わ、私達も行きましょう!」と慌てだす。それに対して球磨は落ち着いていた。

 

「慌てることはないクマ。潜水艦の反応も見逃しちゃダメクマ。それに戦いはまだ始まったばかりクマ。獲物はまだまだいくらでも出てくるクマよ」

「んぅ……そうだけどぉ……ああ、うずうずするわ……! 主砲を撃ちたいと……!」

「……ダメじゃなこいつは。どうして艦娘となったら、こういう飢えた狼の一面が出てきたんじゃ。落ち着くんじゃ足柄よ。そういうのが隙を生むんじゃ。ここから先は奴らの領域じゃぞ?」

 

 ぺしん、と軽くツッコミを入れて球磨の先導に従って利根達も南下していく。

 利根の言う通り、どうやら敵の領域へと足を踏み入れつつあるようだった。利根も偵察機を発艦させて目を光らせているのだが、その妖精の見ている光景を受け取ると、利根が薄く冷や汗をかいている理由がよくわかる。

 もう、海が赤く染まっているのだ。それはまだ薄いのだが、じわりじわりとそれが北へと伸びてきている。まだここは奴らの先兵が来ているだけのはずだというのに、海に変化をもたらしている。

 それだけで、前に戦った泊地棲姫とは違うのだと知らしめるには十分なものだった。

 万全の状態ではなかったとはいえ、泊地棲姫は沖の島の周辺の海を赤く染めた。だがそれだけだ。島の周辺だけに留まり、そこから先には影響はなかった。

 だが南方棲戦姫は違う。彼女の周辺に留まらず、先兵が出撃している領域にまで力が及んでいるのだと知らしめているのだ。それだけで気を引き締める理由になりえる。

 

「む、敵艦載機じゃ! 祥鳳、千歳!」

「はい、もう発艦させています。そろそろ会敵するでしょう」

 

 千歳の言う通り、利根が見ている光景に艦載機が頭上を追い抜いていった。それらは向こうから迫ってくるヲ級の艦載機とぶつかり合う。艦戦同士が撃ち合い、その隙を縫って艦攻や艦爆が敵艦隊へと迫っていく。

 だが翼が撃ち抜かれ、錐もみ回転しながら海へと落ちていく艦載機もまた見える。犠牲を生みながらも、艦載機が攻撃態勢に入る中、左から接近を試みる神通達一水戦。北上の甲標的が放たれる中、タ級も艦載機に注意しながら神通達を視界に入れた。

 見た目としては完全に人型を取っており、白髪のロングヘアーに薄い緑の燐光が目から放たれている。上はセーラー服だが、下はパンツ。紛うことなきパンツである。

 左肩に肩パットと思われる深海棲艦の装甲をはめ込み、マントを左右に流してなびかせている。その服かマントの裾からは戦艦の主砲や副砲らしきものを覗かせていた。

 

「…………!」

 

 タ級が何かに気付いたように旋回し、同時に右手を広げて艤装を神通達へと展開した。「砲撃来ますよ!」と神通が警告する中、主砲が唸りを上げて弾丸を放ってきた。

 それらを回避しながら甲標的はどうなった? と見やれば、どうやらタ級が回避したらしい。だが艦載機からの攻撃は逃げられなかったらしく、いくつかの爆撃を受けている。

 後ろを追従していたリ級エリートとへ級が魚雷を受けてしまい、撃沈。これで脅威はタ級とヲ級のみとなった。攻撃が終わって帰還していく軽空母の艦載機を見送りながら、ヲ級の帽子の口が開き、艦載機が吐き出されていく。

 

「対空迎撃、雷撃用意」

 

 離れていくタ級らの頭上にヲ級の艦載機が展開されていくが、最初にぶつかり合った際に艦載機の数が減ったようだ。ノーマルのヲ級だからまだ艦載機は少な目という事が幸いしている。ここを切り抜ければ倒す事は難しくはないだろう。

 

「ここは綾波達が守ります! 神通さん達が雷撃を!」

「ん、今が雷撃の好機とみる。どうぞ、撃っていくといい」

 

 10cm連装高角砲を手に、綾波と響が進言した。夕立と雪風も同様であり、迫ってくる艦載機へとそれらを向けていく。艦爆らが接近するのを阻むように、駆逐達による対空砲撃が開始される。

 輪形陣ではないが、それでも迫ってくる艦載機を牽制する力はある。そんな中で神通と北上は遠くで反転し、こちらへと迫ろうとしているタ級らを見据える。次弾装填したのか、ゆっくりと両手を上げて裾から覗いてくる砲が旋回し始めた。

 艤装にある目が不気味に光をたたえている。だがそれに臆する神通ではなかった。

 頭上の艦載機は次々と撃墜され、投下される爆弾も軽快な動きで避けていく。そんな中で不意に別の反応をキャッチした。

 

(潜水艦? ここで?)

 

 南の方角から静かに接近してくる反応を感じたのだ。それに気を取られたせいか、タ級が主砲を発射した事に気付くのが一瞬遅れた。迫ってくる弾丸の唸り声に気付き、反射的に回避するように旋回する。だがそれでも至近で通り過ぎた弾丸の影響は免れなかった。

 

「くっ……!」

 

 左腕とわき腹を持っていかれた。服が破れ、肉が少し抉れて出血した。「神通さん!?」と夕立が叫ぶが、右手でそれを制する。神通が負傷したのを見て、タ級が笑うように目を細める。

 

「これくらい負傷にも入りませんよ。それより、潜水艦に注意しつつ、タ級を早急に沈めます。この傷の礼をしなくてはなりませんからね。……球磨さん、聞こえますね?」

『クマ。大丈夫かクマ?』

「問題ないです。それより、新たなる潜水艦の反応をキャッチしました。そちらで対処してください」

『わかったクマ。気を付けるクマよ』

 

 通信を終え、神通はじろりとタ級を睨みつけるような眼差しを向けた。普段の彼女とは違う雰囲気に、北上が「え、なにこの気迫……」と少し引き気味だ。

 

「――さて、撃ちますよ。よく狙ってください」

 

 静かな言葉だった。反航で両者が接近し合う中、タ級が旋回して次弾の砲撃をするために狙いを定めてきた。その動きを読み、神通と北上から魚雷が一斉に発射される。だが魚雷はそれだけではない。

 駆逐ロ級の二隻からも、口から魚雷を吐き出してきた。しかしその方向は回避するには余裕なコースだった。落ち着いてそれから逃げつつ、砲撃を加える。ロ級程度ならば、夕立らの砲撃であったとしても問題なく撃沈できた。

 そして神通と北上が放った多数の魚雷が接触し、タ級とヲ級を黙らせる。終わってみれば、淀みない勝利だった。潜水艦に気を取られてしまった神通が負傷するだけに留められたが、当の神通はなんてことはない風にそこに佇んでいる。

 ぽたり、ぽたりと左腕に血が伝い、わき腹が青くなっていっても。

 

「神通さん、大丈夫っぽい?」

「ええ、これくらいなんともないですよ。それより気を抜いてはいけません。ここはまだ戦場ですよ、夕立ちゃん。千歳さん、祥鳳さん、状況は?」

『奥に敵影は見かけられません。ただ、球磨さん達が潜水艦を相手にしているようです』

「会敵しましたか。どうです、球磨さん?」

『今、とどめを刺したクマ。潜水ヨ級エリートをはじめとする潜水組だったクマよ』

 

 潜水ヨ級。カ級の次に確認された深海棲艦の潜水艦だ。大きな口を開けた艤装の中に飲み込まれているかのように、髪の長い女性が佇んでいる、というこれまた変わった風貌をしている。

 カ級の強化版と言ってもよく、そう簡単には落ちない存在だが、どうやら夕張が多く撃沈してみせたようだった。凪が開発で出したソナーと爆雷を並べ、軽快に次々と落としていったようだった。

 

『他に潜水艦の反応はないクマ。とりあえずこの一帯の水雷戦隊、潜水艦隊は殲滅出来たと思うクマよ』

「わかりました。では、一時帰還しましょう。念のため千歳さん、祥鳳さん。偵察は放っておいてください。この先の状況も探らなければなりませんから」

『わかりました』

 

 潜水艦の脅威は一時的に去った。これで問題なく指揮艦らは南下する事が出来る。だがそろそろ停止し、じっくりと腰を据えて奴らを迎え撃つ準備をしなければならないだろう。

 あくまでも今回殲滅したのは奴らの先兵。敵の主力はその先にいるのだ。

 帰還した神通はすぐさま入渠ドックへと送られ、球磨が代わりに戦果報告した。それを聞く中で、軽空母二人が放った偵察機が敵の主力打撃部隊らしきものを確認。

 モニターに映し出されたそれは、確かに今まで見た事のない深海棲艦が映っている。

 だが、今回の本命である南方棲戦姫ではない。風貌は酷似しているが、南方棲戦姫よりも力が落ちているような感じがした。

 能力照合から、あれは鬼級のものであると判断され、一時的にこう呼称する事に決まる。

 

 南方棲鬼、と。

 

 

 



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南方棲鬼

 

 凪は艦橋から入渠ドックへと向かい、神通の様子を窺いに行った。そこには他の艦娘達も治療を行っていたが、神通はバケツによってすぐに治療を終えていた。

 出てきた神通を前に、凪は少し心配そうな顔をしていた。腕、わき腹と視線を移し、「大丈夫なのかい?」と問いかける。

 

「ええ、あれくらいどうということはありません。ですが、ご心配をおかけしましたね。すみません」

 

 これが艦娘という事か。肉が少し抉れようとも、バケツの効能ですぐに治ってしまう体。異質とも呼べる高い治癒能力こそ、彼女達が人外の存在である証だ。

 しかし、それを恐れることはない。心配ではあるが、彼女達を恐れる理由はもうない。

 無事に帰って来てくれたことを喜ぼう。

 

「敵が確認されたらしい。一緒に来てくれ」

「はい」

 

 神通を連れて艦橋へと戻ると、モニターには海に佇む南方棲鬼の姿が映し出されていた。

 長い白髪のツインテールをしており、右目は前髪によって隠れている。黒ビキニに黒ジャンパーらしきものを羽織り、ブーツを履いているのはいいが、その艤装の装備の仕方が異様だ。

 両腕はかぎ爪の付いた手甲のようになっているが、その上には三連装砲が確認される。口径から重巡級の砲と思われる。そして腰元の近くに繋がれている艤装の方が、口径が大きい。こちらはもしかすると、かの大和型に近しい三連装砲ではないだろうか。

 

「いや、あれって大和型というより……アイオワ級のあれじゃないか?」

「16inch三連装砲、ですか?」

 

 アイオワ級やネルソン級と呼ばれる米英の戦艦主砲として挙げられる。深海棲艦はどうやらそちら側の艤装を装備しているので、かつての連合国の艦のなれの果て、と最初は考えられていた。

 だが連合国に存在しなかった雷巡まで深海棲艦となり、そうではないのかもしれないと思い始めている。深海棲艦は今もなお、謎に包まれているのだった。

 

「で、南方棲鬼が出てきてますけど、どうするんで?」

「どうもしない。本命がまだ出てないんだ。僕が出るまでもない。君達に譲ろう」

「……まだ戦わないんで?」

「君達に花を持たせてやろう、と言っているんだよ、東地君? 新たな鬼級なんだ。あれを倒して戦果を挙げればいい」

「そうですか。ありがたくて涙が出るねぇ」

「では、頑張りたまえ」

 

 と、通信が切れてまた東地との通信となる。わかりやすく不機嫌な表情を浮かべ、がしがしと頭を掻いていた。ガン! と何かを蹴り飛ばす音が聞こえたかと思うと、

 

「次は俺がやるよ。お前さんの娘達は護衛に回ってくれや」

「いいのかい?」

「構わんさ。さっさと終わらせてくるよ。五水戦と六水戦を休憩させるから、入れ替わりでよろしく」

 

 軽く手を挙げ、通信を終える。

 南方棲鬼、確かに計測した限りでは南方棲戦姫に比べれば全然マシな方だろう。しかしかの海は少しではあっても赤く染まっている。それが何らかの影響を及ぼさない、とは言い切れないだろう。

 大丈夫だろうか、と少しばかり凪は心配になった。

 

 東地の指揮艦から、艦娘達が出撃していった。彼が選んだ艦隊は以下のもの。

 第二水上打撃部隊、金剛、比叡、高雄、愛宕、吹雪、叢雲。

 第三水雷戦隊、五十鈴、名取、白露、時雨、漣、潮。

 第二航空戦隊、蒼龍、飛龍、飛鷹、隼鷹、睦月、如月。

 計十八人が一斉に南下を始めていく。モニターに映し出される艦隊を見て、凪は先程感じた不安が少し和らいだような気がした。東地にとっては全力ではないにしろ、それでも十分に強力な艦隊を出撃させている。

 今は彼を信じ、任せるとしよう。

 傍らに控えている神通へと振り返り、「まだ戦えるのかい?」と問う。

 

「はい。回復は済んでいます。いつでも」

「なら、茂樹の水雷戦隊と交代して一水戦、二水戦を警備へ」

「承知いたしました」

 

 一礼して神通が去っていき、一息ついた凪は大淀が運んできた紅茶を手にした。ちょっとした緊張で喉が渇いていたようで、すぐに空になってしまう。気のせいか腹も少しばかり痛みを感じるような……。

 胃薬も飲んでおこうか、と思いながら凪は静かにモニターを見守った。

 

 

「なんだありゃー? いきなりエリートさんがお出迎えじゃないの!」

 

 隼鷹が放った艦載機から見えた光景は、空母ヲ級エリート率いる艦隊だった。

 空母ヲ級エリート、重巡リ級エリート、軽巡ト級エリート、軽巡ト級、駆逐ニ級2。

 戦艦ル級エリート、重巡リ級エリート、軽巡ホ級エリート、軽巡ヘ級、駆逐ハ級2。

 明らかに先程までとは違う雰囲気が前方から感じられる。エリートがずらりと並んでいようとも、隼鷹は焦るどころか笑みを隠しきれていない。

 それは金剛達も同様だった。巫女服のような衣装と、流れるような茶髪を風になびかせ、不敵に笑いながら後ろ髪をかき上げる。

 

「ではみなさーん、Follow me! とっとと撃滅し、先へ進みマース! Dragons、Hawks、お願いしマース!」

「だからその呼び方はどうなのかなって思ったりするんだけど、まあいいや。全艦載機、発艦!」

 

 金剛の指示に蒼龍が苦笑を浮かべるも、その弓から飛龍と共に攻撃隊を発艦させる。それに対して飛鷹と隼鷹は手にしている巻物を広げた。そこに描かれているのは飛行甲板だ。それに陰陽師が使うような式神を立てると、それらが前へと動き出し、順次艦載機へと変化して飛び立っていく。

 四人の空母からの艦載機となればかなりの数となる。それらをヲ級エリート一隻だけでどうにかなるものではない。圧倒的な物量を以ってして艦載機を叩き落としていき、次々と攻撃を命中させていった。

 それはまさしく蹂躙。

 かつて大鑑巨砲主義を終わらせた要因の一つ、空母による空からの超遠距離攻撃である。中型艦、小型艦にはどうしようもない。なす術なく撃沈していく中、それに追撃するのが金剛と比叡だった。

 

「撃ちます! Fire!」

「主砲、斉射!」

 

 襲い来る戦艦の砲撃を前に、空母によって被害を受けていたル級らはただただ攻撃を受け続けるだけ。例えエリートとなろうとも、練度の高い彼女らの攻撃に耐えられるものではなかった。

 水雷戦隊の出番などなく、蹂躙された二艦隊を尻目に金剛達は更に南下していく。

 その様子を離れた所で見つめていた視線に気づかずに。

 

「…………」

 

 それは静かに海の中へと潜り、そっと指揮艦の下へと近づいていく。だが警備している水雷戦隊の多くが確認されると、気づかれない距離を保ってじっと様子を窺っていた。

 潜水ヨ級である。それもただのヨ級ではなく、黄色いオーラを纏っているフラグシップだった。傍らにはヨ級エリートもおり、その目をきょろきょろと動かしている。

 得ていく情報はぶつぶつと人の耳にはわからない言葉によって、どこかへと伝えられていた。

 一方金剛達はそんな事など知る由もなく、どんどん南方棲鬼の下へと向かっていく。

 前方に展開されている潜水艦隊に気付くと、三水戦のメンバーが前へと躍り出、単横陣へと変化。一斉に爆雷を投射して掃討していく。だがどういうわけか、それでも潜水艦の反応が消えない。

 まるで南方棲鬼を守るように、周囲に多く展開されているようだった。それだけでなく魚雷を発射し、多数の雷跡が接近してくる。

 

「く、ここは五十鈴達に任せ、回り込んで先へ進んでください!」

「OK! 気を付けるネ!」

 

 三水戦がじりじりと移動しながらカバーする中、第二水上打撃部隊と第二航空戦隊が三水戦を盾にしつつ回り込んでいく。魚雷をやり過ごし、カ級とヨ級の群れを探知しながら三水戦が爆雷を投射する中、何とか二隊は抜けきった。

 だが三水戦はそこから離れるわけにはいかない。背後から彼女らが攻撃を受けぬように、この潜水艦隊を撃滅しなければならない。また、そのために指揮艦の方ががら空きとなるため、五十鈴がすかさず指揮艦へと通信を入れた。

 

「こちら五十鈴。南方棲鬼へと金剛さん達が接触しようとしているわ。だけど、その前に潜水艦隊が防衛。彼女達を先に行かせるために私達が盾になってるけど、穴が出来てしまった。もしかすると、そっちに潜水艦が接近しているかもしれないわ」

『了解。警備隊に伝える』

 

 東地からの指示により警備している水雷戦隊が警戒のレベルを上げた。潜水艦が近づいてくる可能性が高いならば、より広範囲を警戒しなければならない。すかさず東地からも凪へと通信が開かれた。

 

「――って事らしい。気を付けてくれ」

『……わかった。が、一つ胸騒ぎがする』

「胸騒ぎ?」

『水上艦じゃなく潜水艦で警戒線を敷いているっていう点やな。さっきも潜水艦が先兵の最後尾にいたし、何かあるかもしれん』

「あー……それもそうかもしれねえな。なんか勘が働いてるのかい?」

『勘ってほどでもないんやが……、うん、妙な胸騒ぎがするから、一つこっちで動いてみていいか?』

「いいよ」

 

 すまない、という風に手を動かして凪が何をするかを説明する中で、水雷戦隊が動き出していく。それに感づいたヨ級フラグシップは静かに後退を始めた。まだ得る情報はあるだろうが、今は一時撤退を選んだのだろう。

 その選択を聞いたらしいモノは、視界に入り込んでくるものを見据える。艦載機が空を覆い、自分を標的にしている事は察知している。だがそれでもそれは笑みを浮かべてこう言うのだ。

 

「イラッシャイ……、歓迎スルワネ……」

 

 ヨ級フラグシップからの通信を切り、両手を軽く広げて金剛達を出迎える、南方棲鬼。

 それを護衛するのは戦艦タ級エリート、空母ヲ級エリートに重巡リ級エリート、軽巡ト級エリート、そして駆逐ニ級エリート。

 軽く見回せばそれらの顔ぶれがあるのだが、それ以上に海を埋めるのが護衛要塞だった。泊地棲姫の下にもいた球体の存在である。軽く見回すだけで六体は見かけられる。

 

「んー、お客人がたっぷりいるようですネ。しかし、だからといって怯む事はないデース。日頃の成果を今、見せつける時デース!」

「ソノ気配、金剛カ……。フッ、貴様ゴトキヲ、ココカラ先ヘ通ス訳ニハ、イカナイノヨ」

 

 二隻のヲ級エリート、護衛要塞、そして南方棲鬼から艦載機が順次発艦。まずはこれらが撃ち合い、いくつかが海へと落ちていく。続いてお互いの巡洋艦らが対空砲撃を行っていく。

 

「ではそれぞれ当たって下さい! Fire―!」

 

 金剛、高雄、吹雪と比叡、愛宕、叢雲の三人ずつに分かれ、南方棲鬼を護衛する深海棲艦へと当たりに行く。それを支援すべく、蒼龍達も艦載機が帰還すると、すぐさま補給を行って次の攻撃隊を発艦させる。

 

「落チロ、艦娘ドモメ……! ソノ程度ノ数デ、私達ヲ落トセルトデモ……?」

 

 金剛を狙い、左腕を挙げればその下にある戦艦主砲が一斉に火を噴いた。空を切り裂き、唸りを上げる凶弾。金剛型が装備する戦艦主砲よりも、更に大きな口径をしたその主砲の弾丸は、距離を取るように航行する金剛らには届かなかった。

 立ち昇る水柱に隠れながら、回り込むように動く金剛らはまず護衛要塞を落とすことにする。船のような艤装にある主砲が旋回して狙いを定める。続く高雄も照準合わせが終わり、「Fire―!」という指示に呼応して斉射する。

 

「ヲ級を止めます。艦載機をこれ以上出させないように! 気合入れて、落としてッ!」

「はいはーい。叢雲ちゃん、あっちのボールへ魚雷撃ちますよ~」

「任せなさい!」

 

 愛宕の指示に従って二人揃ってボール、もとい護衛要塞へと魚雷を発射。更に愛宕は主砲を旋回させて、次の艦載機を発艦させようとしているヲ級エリートへと主砲を斉射。

 金剛と比叡は左右に展開して挟み込むようにそれぞれ動いていた。蒼龍達は金剛達の後ろに回りながら距離を取っている。空母としては主砲の射程内に入らないように遠距離を保ち、艦載機を飛ばし続けるのが役割だからだ。

 護衛要塞をいくつか沈めて余裕が出てきたと思った時、南方棲鬼が不敵に笑いだした。

 

「フン、随伴艦ヲ落トシテ数ノ不利ヲナクソウト? ソレガ、ドウシタノカシラ……? ココハ、我ラノ領域。言ッタハズ、ココハ、トオシマセン……!」

 

 ゆっくりと、まるで我が子を迎え入れるかのように手を広げたかと思うと、赤く染まっている海に、いくつかの波紋が広がり始めた。ブーツでその赤い水面をとん、とん、とその波紋に合わせるように新たな波紋を作りあげる。

 すると南方棲鬼の呼びかけに応えるように、次々と深海棲艦が浮かび上がってきたではないか。ル級エリート、重巡リ級エリートが二隻ずつ。雷巡チ級エリートに軽巡ト級エリートが三。ダメ押しとばかりに護衛要塞が更に増える。

 それに対してこちらは十二。軽く見回せば二倍も差がついている。しかもまだまだ増えそうな気配がしていた。

 

「ココガ、ドコダカワカッテイルノ? ソロモンカラ離レテイルトハイエ、ココハ、多クノ命ト鉄ガ消エタ場所……。絶望シナサイ、艦娘ドモ……!」

「く、これは……ちょっとしたピンチ、というやつですネ……」

 

 練度があるとはいえ、数で押し込まれればさすがに不利である。苦い表情を浮かべながら金剛は、一時的に後退してしまう。比叡もまたどうようであり、主砲の射程内に南方棲鬼を入れはしたが、その前に立ちふさがるル級エリートを前に撃てずにいた。

 護衛要塞が次々と艦載機を発艦させる中、金剛達はじりじりと後退し始めるのだった。

 

 

 



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南方棲鬼2

「三式弾、装填! 目障りな艦載機を落としマース!」

 

 後退しながら戦艦と重巡が三式弾を装填。上空へ向けて発射すると、宙で爆ぜる事で細かな弾が降り注ぐ。これらが敵艦載機を次々と叩き落していくのだ。とりあえずの防空は出来るが、その全てをしのぎ切れるわけではない。

 艦攻から魚雷が放たれ、金剛達へと迫っていくが、後退しながら射線を見切り、全て回避していく。だがそれらをやり過ごしたからといって脅威がなくなったわけではない。

 まるで特攻を仕掛けるように、駆逐ニ級エリートや護衛要塞が急速に接近してきた。あるものは主砲を開き、あるものは魚雷発射管をむき出しにし、迫ってくるのだ。

 

「これ以上近づけさせないように! 体勢をなんとか立て直しマース!」

「吹雪ちゃん、魚雷で迎え撃ちます!」

「はい! 当たって下さい!」

 

 一旦攻めるのではなく、守るための戦いへ移行する。比叡達も金剛達へと合流するために下がっていく中、次々と特攻してくるニ級エリートと護衛要塞を撃沈していくのだ。

 お互いの魚雷が交差し、迫りくる。死を恐れぬ深海棲艦は魚雷が接触するコースだろうと受け入れる。その後ろにいる南方棲鬼やル級エリートへと向かわせないように。一方ここで死ぬわけにはいかない金剛達はそれを避けなければならない。

 だがその全てを避けきれるわけではない。護衛要塞は三連装砲を撃ち、魚雷も撃つ。重巡クラスの三連装砲だ。それが装備されている敵があちこちに並んでいるのだから厳しい。

 

「マダ足掻クカ、金剛……。諦メテ、死ヲ受ケ入レタラドウ?」

「No thanks! ワタシ達はまだ戦えるネー! その隙があるなら、戦闘は続行デース!」

「無駄ナ事ヲ……、死ヲ恐レル貴様ラガ、コノ数ヲ前ニ絶望シナイトハ……見苦シイニモ程ガアル」

 

 南方棲鬼が不敵な笑みを浮かべて戦艦主砲を掲げて狙いを定めてきた。それに対して金剛と比叡は主砲を向けながら合流を果たした。その後ろでは蒼龍達が次の艦載機を発艦させていた。

 

「まったく、少しでも数を減らしていこうとしても、次々とこられちゃあ、ただ資材が減るばかりよ!」

「ソウ、無駄ナ事ヲシテイルト気付クガイイ。堕チルガイイ、金剛。水底ガ、オ前ヲ待ッテイルワヨ……!」

 

 暗い笑みを浮かべて主砲を斉射した。更に下がりながら金剛と比叡も応戦。下がったことで前に着弾した弾丸だが、二発が金剛と比叡のアームにある主砲に着弾して爆発を起こす。

 一方金剛と比叡の弾丸はル級エリートが庇いに行き、命中せず。主を守るために例え沈もうとも奴らは平気で体を投げ出す。それによって沈もうとも、奴らにとって沈む事こそ死ではない。再び水底から蘇るだろう。

 

「沈メ、金剛。愚カナ抵抗ヲヤメロ。助ケハナイ。貴様ラノ仲間ハ、潜水艦ニ気ヲトラレテイルノダロウ……?」

「な、なんでそれを……?」

「……知リタイノカ、比叡? 我ラハアラカジメ、潜水艦ヲ忍バセテオイタノヨ……。大型艦ノ弱点、ソレハ、手出シ出来ナイ潜水艦……! 水雷ニヨッテ防ガレルガ、シカシ逆ニイエバ、足止メガ出来ルノヨ。……デモ、足止メモ万全デハナイ。イクツカハ、逃レラレル。サア、飲マレナサイ、堕チナサイ」

「…………っ!?」

 

 まさか、ここにも潜水艦がいるというのか?

 電探とソナーの反応を探ろうにも、深海棲艦が多すぎて正確に探れない。こんな状況で潜水艦を探し当てるなど至難の業だ。焦りも加わって逃げ切れる余裕が失われる。

 艦載機同士のぶつかり合いも、敵の艦載機を飛ばせる個体が増えてきた事と、蒼龍達の艦載機の消耗が合わさって不利になりつつある。

 

「この状況をひっくり返すには、やっぱり三水戦の手助けが必要です、お姉様……!」

「ですが、あの子達は潜水艦を抑えていマス。それよりも提督に援軍を要請するべきデスネ……」

「では吹雪ちゃん、提督に援軍要請を――」

 

 比叡の言葉を遮るように南方棲鬼とル級エリートが一斉射を行う。反撃するように金剛と比叡も斉射するが、それらはお互いに命中弾を生み出した。

 

「ひぇー!?」

「ぁあ……っ!?」

「ン、グ……!?」

 

 比叡の腹と愛宕の左肩で爆ぜる弾丸、それに対して南方棲鬼は胸と腕を徹甲弾が貫いている。ここにきて初めての南方棲鬼への命中弾。だがこちらにも命中弾が出てくるようになってきている。

 まずい、やはり数で押し切られ始めている。はやく援軍を――

 

「――突撃します。私に続いて」

 

 不意にその声が響いた時、リ級エリートと護衛要塞に魚雷が命中し、爆ぜた。見れば神通率いる水雷戦隊が奇襲を仕掛けていた。全員の視線がそちらに向けられた刹那、反対側からも五十鈴率いる三水戦が突入した。

 

「お待たせしました、金剛さん! これより、反撃の時間よ!」

「Oh!? 五十鈴! それにあの神通は、もしや呉鎮守府の? どうしてここに? Why!?」

『うちの提督が出陣の命を出しました。我が航空部隊も来ております』

 

 神通の通信が金剛へと届けられる。その言葉を噛みしめる前に、頭上を新たな艦載機が通過していった。それは千歳と祥鳳から放たれた艦載機だった。追加の艦載機を以ってして支援する流れに、状況が変わっているのだという事をひしひしと感じさせる。

 艦爆が南方棲鬼へと攻撃を仕掛け、艦攻が護衛をしているル級エリートやヲ級エリートへと魚雷を発射した。ル級エリートとヲ級エリートが致命傷を受け、南方棲鬼も肩にある砲で対空迎撃をするも、爆撃の雨を受けながら歯噛みする。

 

「援軍、ダト……? 潜水艦隊ハ何ヲシテイル……!?」

「殲滅させていただきました。二艦隊で叩けばあっけないものですよ」

「ええ、神通さん達が来てくれて助かったわ。指揮艦の方に向かおうとしていたものまで殲滅していたみたいだし」

 

 凪の胸騒ぎから東地に一水戦を出撃させる旨を伝えると、控えていた四水戦を警備に回してくれた。一水戦と共に第二主力部隊を随伴させ、出撃させたのだ。

 低速戦艦がいる第一主力部隊は残しているため、長門達はいない。二隊とも高速艦で統一し、迅速にここまでやってきたのだ。

 そして今、神通率いる一水戦が群がっている深海棲艦の中を突っ切って状況をかき回す。突然の登場に困惑している護衛要塞やリ級エリート、チ級エリートへと接近していく。

 

「これは、素敵なパーティになりそうっぽい!?」

「ええ、獲物が大勢いらっしゃいます。魚雷を撃ちますね~」

 

 標的がいっぱいいるためにうずうずしている夕立はいいとして、綾波もまた微笑みの中に高揚感を感じさせていた。敵の中を突っ切っているため左右に魚雷を次々と発射させ、高速で突っ切っていく。

 近距離での魚雷を逃れる術はない。次々と周りの護衛が沈んでいく状況に、南方棲鬼はぎりっと歯噛みし、拳をわなわなと震わせる。

 

「ナンダ、コレハ……? 絶望ニ、希望ノ光ガ差シ込ンダ、トデモ……?」

 

 怒りに震えが止まらない。かつての記憶が蘇ってきて、それがより一層南方棲鬼に怒りをもたらした。

 セピア色に染まった記憶だ。

 空から何度も何度も艦載機が飛来し、自身に攻撃を加えていく。同行していた仲間達の姿は思い出せない。だが、彼女らはもう、沈んでいった。生き残りがいたと思うが、それも曖昧だった。

 覚えているのはただ自分がかの敵に執拗に攻撃を受け続け、やがて沈んでいった事だけ。

 冷たい水底が自身を包み込み、先に逝った仲間達の影が薄らと見える中、そして誰も自分達がそうなる前に助けに来ることはなかった無念。だがそれも致し方ない。元より、そういう作戦だったのだから。

 

「数ノ不利……絶望的ナ状況、ソレヲ覆ス仲間ノ助ケ……! 許シ難イ……ソンナモノ、私ハ認メナイゾ、艦娘ドモガァ……!」

 

 ぎろりと航行する一水戦らや三水戦を見回し、怒りのままに指さし、深海棲艦らへと指示を出す。

 

「沈メロ、何トシテモソノ目障リナ奴ラヲ沈メロォ!!」

 

 反転する神通らへと迫るように魚雷が放たれる。だがそれらを砲撃によって落とし、しかしそれらを逃れた魚雷を走り抜けて回避。だがト級エリートの砲撃が追い打ちをかけてきた。

 

「ひゃぁ!?」

 

 回避行動をしていた雪風が反射的に身を屈め、頭上を通り過ぎる弾丸を回避した。だがそこに海中から突然ニ級エリートが飛び出してくる。口から砲門を突き出し、雪風を正確に狙いすましていた。

 

「ぁ……」

「キシャアァァァ――――ァアッ!?」

 

 突如、ニ級エリートが爆発を起こした。見れば、雪風の前を航行していた綾波が振り返り、主砲を発砲していた。更にもう片手に装備している主砲も発砲し、ニ級エリートを撃沈し、「大丈夫ですか、雪風さん!?」と後ろをついてくる雪風に艤装を消した右手を伸ばした。

 

「あ、ありがとうございます、綾波ちゃん。だいじょーぶです、たすかりました」

「いえ、いいのです。ピンチの時は、お互い様です。さ、行きますよ。置いていかれちゃいます」

 

 手を引いて起こし、少し距離を離された神通達へと追いつきに向かう。そんな様子を響は肩越しに振り返り、牽制の魚雷を放ちながら思案していた。

 

(綾波や夕立がさっきから高揚している。綾波の反射的な砲撃がその証。この実戦の影響だけじゃなさそうだ。やっぱり、かつての戦場が近いから、なんだろうか……)

 

 南方、ソロモン海域はこの南。夕立と綾波の雄姿が語られる海域だ。ただ練度が上がってきた影響だけではない。彼女達はこの異様な空気の中で、確かに感覚が研ぎ澄まされている。

 

「……っ!」

 

 夕立が迫りくる魚雷に感づき、砲撃を加えて起爆させる。生き残るために、切り抜けるために、感覚を研ぎ澄まし、迫りくる脅威に対処する。ここは敵陣の真っただ中。その中を生き延びるには確かな移動と、攻撃の技術が必要だ。

 

「夕立ちゃん、煙幕を。まだまだかき回します」

「了解っぽい!」

「金剛さん、聞こえますね? こちら側は対処が完了しつつあります。南方棲鬼の撃沈を。そちらはもう、体勢は立て直していますね?」

『Thanks! 助かりました。主砲の応急処置も完了デス。これより、戦線復帰しマース!』

「五十鈴さん、そちらはどうです?」

『問題ないわ! 護衛要塞も落としている。これで艦載機を発艦するメンツも減らせたはず。空母達もやりやすくなったはずよ!』

「了解です。では、まだまだかき回します。無理せず、お互い動きましょう」

『了解したわ』

 

 艤装を構築する力でマスクを装着し、夕立が立ち昇らせた白煙の中に身を潜める。広がっていく煙に困惑する深海棲艦へと再び肉薄していき、魚雷を装填し終えてから次々と発射。更に砲撃を重ね、追加で浮上してきた戦力を再び海へと沈める。

 五十鈴率いる三水戦もまた神通達一水戦に負けてなるものかと撃沈数を稼ぐ。練度で言えば自分達の方が上なのだ。助けられはしたが、だからといってまるまる全て獲物を持っていかれてはなるまい。

 

「さあ、どんどん行くわよ! ついてらっしゃい!」

 

 それはまるで海のもぐら叩き。どれだけ戦力を逐一投入しようとも、混乱の状況の中では十全に力を発揮する事など出来ない。流れは艦娘側へと傾いた。それを覆すには、より大きな力を以ってして強引に引き戻すしかない。

 

「さあ、Finaleの時間ネ!」

「――ソウダナ、幕ヲ下ロス時ダ」

 

 静かな、言葉だった。金剛達から放たれた弾丸をその身に受けながら、南方棲鬼は耐えている。だがその体から発せられる赤いオーラがより強く、そして暗い色を発し、その傷を治癒していた。

 その変化に金剛は怪訝な表情を浮かべる。

 

「不快、実ニ不快ヨ……コレダケノ不快ナ気持チヲ、再ビ私ニ思イ出サセルトハ……」

 

 赤いオーラは波紋のように周囲に広がり、それによって海に変化が生まれた。沈んでいたはずの深海棲艦が次々と浮かび上がってきたのだ。物言わぬ残骸となっているそれらは、まるで渦に引き寄せられるように南方棲鬼へと近づいていく。

 

「許サナイ、絶対ニ許サナイ……! 貴様ラハココヲ通サナイ、沈メテヤル……!」

 

 残骸は形を変え、一つになっていく。まるでそれはロボットの変形合体のようだ。ぱっくりと頭頂部に穴が開き、南方棲鬼の足を飲み込んでいく。それを止めるように金剛、比叡だけでなく、空母から放たれた艦載機も攻撃を加えていくのだが、海中から伸びた鈍色の腕が攻撃を防いでいった。

 まるでそれは泊地棲鬼の艤装から伸びた右腕のよう。だが完全に筋肉が完成されていないのか、爆撃を受けた箇所が吹き飛び、痛々しい傷として残っている。

 だがそれでも、それは魔物の如き風貌をした艤装と化した。ゆっくりと呼吸をするように口が開き、赤き息吹を吐きながらゆっくりと海上へ姿を現す。

 接続されている南方棲鬼もまた、赤黒いオーラをまき散らし、しかしそれはツインテールを作るゴムへと収束し、まるで蝶の羽根のようなリボンとなった。赤い燐光をまき散らす、二つの羽根のようなリボン。それが彼女が纏っていたオーラが収束した物となったのだ。

 

「……鉄屑ト成リ果テロ……」

 

 ギリギリ、と音を立てて魔物の艤装の肩に接続された戦艦主砲が旋回する。まずい、と金剛が「回避デース!」と叫び、移動する。瞬間、轟音が響き渡り、弾丸が金剛達が居た場所を飛び越える。

 標的は彼女達の更に後ろにいた者、直撃を受けて吹き飛んだのは隼鷹だった。

 

「隼鷹ッ!?」

「――かっ、ふ……やっばいって、マジで……!」

 

 爆ぜた弾薬で服がボロボロとなり、巻物も焼き焦げている。これでは艦載機を飛ばす事も出来ない。中破で踏みとどまったはいいが、当たり所が悪ければ容赦なく大破になっていただろう一撃だった。

 

「睦月、護衛して一旦後方へ下がって! 隼鷹、残っている艦載機、私に回しなさい!」

「へっ、悪いね、飛鷹……。ここは任せた……」

 

 艦載機を作りあげる式神を構築し、それを飛鷹へと手渡すと、睦月に介抱されながら更に後方へ下がる。指揮艦はゆっくりと南下しているとはいえ、それでも距離がある。睦月は「護衛にだれか、お願いします!」と東地に連絡を入れるのだが、どういうわけか通信が上手くつながらない。

 ノイズが走っているかのようで、指揮艦側の言葉が上手く聞こえないのだ。

 

「にゃにゃ!? な、なにこれ……?」

「誰一人、帰スモノカ……。オ前達ハ、ココデ終ワルガイイ……!」

 

 振り返る睦月の視界には、まさしく鬼がいた。

 ぎらぎらと赤く輝く瞳は怒りと憎しみにまみれ、艤装の開く口もまた目の如く赤い光をたたえている。風になびく白髪のツインテールがざわりと広がり、戦場をかき回す水雷戦隊を狙いを定めて重巡砲が唸りを上げた。

 まさしくそれは怒れる鬼、復讐の戦いに身を捧ぐ鬼。

 かの敵が戦姫と呼ばれるならば、彼女は戦鬼。

 

 呼称するならば、南方棲戦鬼だろう。

 

 

 




15夏で南方、ソロモンをやったのに復活しなかった南方棲鬼。
南方ちゃん……この先、復活ありますかね……?


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南方棲戦鬼

 指揮艦に届けられたのは、ノイズが走る映像だった。凪達は確かにそれを見ている。

 艦載機に搭乗している妖精から送られてきているもの。それは映像と音声。

 南方棲鬼が、撃沈された深海棲艦を取り込み、別の姿へと変貌した光景も見届けた。大淀があれを見て資料を確認するのだが、どこにも載っていない。新たな姿だった。

 

「……新たなるカテゴリです。南方棲鬼でも、南方棲戦姫でもないあれは、呼称するならばその中間。南方棲戦鬼でしょうか」

「うん、とりあえずそう呼称しよう。……で、戦鬼を討伐する援軍は送るべきだろうね」

「ああ。うちから送り出すよ。通信はノイズであまり利いちゃいねえが、それでもあれはやばい。加賀さん、出番だ」

「わかりました」

「……それと加賀さん、緊急時だ。あれも持って行ってくれ」

「あれ……なるほど、わかりました。使う事がない状況になる事を願います」

 

 東地の指揮艦から追加の援軍が送られる。秘書艦である加賀率いる第一航空戦隊と、扶桑率いる第一水上打撃部隊。彼にとっての主力だ。凪も送ろうか、と進言したが、温存しておけ、と止められた。

 そして凪から神通達へと通信を行おうとしたが、やはりと言うべきか、ノイズによってあまり相手の声が聞こえない。繋がっているかもわからない状態だった。

 突然、映像が消えた。最後に弾丸が飛来したような気がしたので、映像を送っていた艦載機が撃沈されたのかもしれない。こうなったら凪達はもう無事を祈るしか出来なかった。

 

 

 天秤は、また中間を保った。

 神通達の奇襲によって、確かに艦娘側の有利に傾いたはずのそれは、南方棲鬼が南方棲戦鬼へと変貌した事によって、振り戻されたのだ。

 状況を覆す程の怒り、憎しみが南方棲戦鬼にはある。

 彼女をそうさせたのは、神通達の行動が彼女にとって忘れられない記憶を揺さぶったからだ。セピア色に染まろうとも、深海棲艦へと変貌しようとも、忘れられないかの記憶。

 死出の旅をした最期の記憶なのだ。

 仲間の助けなどない。自分はただ、死を受け入れるしかない。

 自分がそうなったというのに、何故目の前の敵は助けが入っているんだ? それが、どうにも許せない。憎しみが、怒りが、湧き出てくるのだ。

 

「堕チロ、堕チロ……何モカモ、堕チルガイイ……貴様ラモ、染マレ、我ラノ色ニ……!」

 

 そうだ、自分は深海棲艦なのだ。

 その目的は、艦娘達を沈める事。何を迷う事があろうか。その任務に従い、目の前の敵を沈めつくすのだ。例えこの身が絶えようとも、それを果たさねばならない。

 

「No thanks! 生憎ですが、ワタシ達は負ける気はnothing! Youを倒し、生きて帰りマース! 比叡、行きますヨー!」

「はい、お姉様! 徹甲弾装填! 撃ちます!」

 

 だが金剛と比叡の目は死んでいない。この状況を切り抜けるのだと、眩いくらい輝いている。それが南方棲戦鬼の気持ちをより逆撫でる。徹甲弾を防ぐように鈍色の左手が防ぐが、徹甲弾はそれを貫通する。

 威力が落ちた弾丸が人型の腹へと届くが、ほとんどその肉体を貫通しない。

 また攻撃の手は金剛達だけではない。祥鳳、千歳から発艦された艦爆が南方棲戦鬼の頭上に辿り着き、急降下爆撃を行う。両肩にある対空砲がいくつか撃ち落とすも、次々と爆撃が成功する。だが、それらはリボンから発せられる赤いオーラに阻まれ、威力が削がれる。

 その様子を見ていた神通は航行しながら思考する。

 

(艤装は急ごしらえの装着。だからまだ綻びがある。見た目こそ物々しいですが、その装甲はまだ薄いのかもしれませんね。ですが、あのリボンに集まった深海棲艦としての力が生きている限り、南方棲戦鬼の力は回復するのかもしれません……)

 

 分析しながらリボンに向けて砲撃を行うが、艤装の上に立っている形になるため高さが足りず、腹に当たってしまう。そしてオーラがまるで膜のように覆っているため、威力が削られていた。

 まるで小突かれた程度の痛みしか感じない南方棲戦鬼は、視線を落として神通達を睨みつける。

 

「イイ加減、鬱陶シイ……死ニ急ギタイナラ、希望通リニシテヤロウ……」

 

 艤装の大きな口が開き、魚雷が一斉に発射された。続けて重巡の三連装砲が唸りを上げて弾丸を発射。迫りくる弾丸に、神通達は蛇行して回避する。

 

「艤装を落とし、奴を下げましょう。私達がまともにダメージを通すにはそれしかありません。……艦載機か、あるいは戦艦や重巡の砲撃ならば、リボンを狙えるかもしれませんけども」

「それなら、やっぱり魚雷でぶちかますしかないんじゃない? うぉっとぉ……」

 

 付近で着弾した弾丸に北上が軽い悲鳴を上げて振り返る。見れば、新たな深海棲艦としてタ級エリートが現れていた。更にチ級エリートが二隻急浮上し、艤装にライドしながら一水戦に奇襲を仕掛けてくる。

 ぐわっと艤装の口が開かれ、魚雷を発射しようとした刹那、そこに弾丸が撃ち込まれて爆発した。

 

「見えてるよ、残念っぽい」

「気配が漏れてますね。やらせはしません」

 

 夕立と綾波だ。まだ勘が冴えているようで、冷静な眼差しで沈んでいくチ級エリートを見据えている。響も思わず「……ハラショー。さすが、ソロモン組」と呟いてしまった。

 

「そんじゃ、あたしも駆逐艦には負けてられない所を、みせましょうかねー。四連装酸素魚雷、いっきますよー!」

 

 両足にある四連装酸素魚雷の妖精達へと告げれば、それに応えるように妖精達が光を放つ。ぐっと足に力を込めると、二つの四連装酸素魚雷から勢いよく魚雷が発射された。普通に発射されるよりも鋭く、まるで海を貫きかねない程の速さで南方棲戦鬼へと向かっていく。

 反射的に艤装の腕が防御するも、それは魚雷の直撃に耐え切れずに突き破られ、吹き飛んだ。まるで力任せにぶちっともぎ取られたかのように二の腕から先が宙に舞ったのだ。

 艤装が悲鳴を上げるが、南方棲戦鬼は平然とした顔をしている。まるで、それがどうしたのだ、と言わんばかりの表情だ。

 

「愚カナ。実ニ無駄ナ事ヲ……、艤装ガ傷ツコウトモ、代ワリハイクラデモアル。ソウ、水底ニナ……」

 

 また波紋が広がった。それに呼応して深海棲艦のなれの果てが浮かび上がり、艤装が剥がれて肉体が露出する。それが艤装に繋がれると、まるで吸収するように一体化した。

 そうして再生してしまう。

 

「フ、ハハ、ソウ、無駄ナノヨ……。ドレダケ足掻イテモ……ク、フフフ……」

 

 そう笑う南方棲戦鬼の口の端から血が流れ落ちた。ん? と神通がそれに違和感を覚えつつ、反転。やはり、艤装を狙うにしても人型を狙うにしても、あの吸収から再生を行う何らかの力をどうにかしないといけないようだ。

 神通は金剛へと通信を開こうとしたが、こちらもノイズが走っている。ならば仕方ない。彼女達に向けてある艤装を顕現させる。肩に小さく出てきたのは発行信号に使うライトだ。夜戦に使うような探照灯とは違って結構小型なものである。

 何度か明滅させて金剛達の意識を引かせる。

 

「……ん? あ、お姉様。神通さんが信号を送ろうとしていますよ」

「Oh? なんデース?」

「えっと……『リボンを狙え』、だそうです!」

「リボン? ……あの赤いものですかネ? それが攻略のKeyならば、やってやるだけデース!」

 

 主砲の照準を南方棲戦鬼の頭部へと合わせ、一斉射。弧を描いて飛行したそれらは、二発だけ頭部へと着弾した。それ以外は全て外し、海へと落ちていく。

 それに対して南方棲戦鬼はぐっと拳を握りしめ、勢いよく前へと突き出した。

 

「金剛ラヲ落トセ……! 斉射ッ!」

 

 ル級エリート、タ級エリートと共に南方棲戦鬼も反撃するように一斉射。降り注ぐ弾丸を掻い潜りながら南方棲戦鬼へと距離を詰め、高雄と愛宕もまた砲撃に参加。だが代償として、金剛と比叡にもル級エリートとタ級エリートの弾丸が着弾した。

 しかしそれで止まってはいられないのだ。副砲で反撃し、高雄と愛宕が魚雷を撃ちこむ。

 

「さあ、全機爆装! 飛び立って!」

 

 それを援護するように、隼鷹から受け取った艦載機をも補給。飛鷹をはじめとする空母達の艦載機も攻撃に参加し、護衛となる戦艦らが撃沈された。

 

「何故諦メナイ? 何故認メナイ?」

 

 両肩からの対空砲撃で艦載機を撃墜させながら南方棲戦鬼は問いかける。

 金剛らの目が死んでいない事が苛立たせる。この状況で、何故笑っていられるのだと不快になる。

 

「決まっていマス。提督がきっと援軍を出してくれていると信じているからデース!」

「援軍……、援軍、ダト……? 通信ハ使エナイ。オ前達ガ不利ダトイウコト、私ガコウナッテイルコトハ、知ラナイハズダ……! ソンナモノ、来ルワケガナイ……!」

「それでも、私達は提督を信じている! きっと来てくれるって! だから私は、私達は、気合入れて、ここを踏ん張るんです!」

 

 眩しい程に提督を信じた瞳に、南方棲戦鬼は唇をかみしめた。また一筋血が唇を伝い落ちる。飛来してくる弾丸も気にならない。艤装が爆発しても、体を貫かれても、南方棲戦鬼は怒りに体を震わせていた。

 

「――アァ、アタマガ、頭ガ痛イ……! 不快、フカイダ……!」

 

 爛々とリボンの粒子が輝きを増し、今刻まれた傷が回復していく。だがどういうわけか目からも血涙が流れ落ち、そして少しずつリボンの粒子の光が弱まっていくのだ。

 それでも南方棲戦鬼の傷は治癒を進め、口と目から流れ落ちる血は逆に止まらない。

 

「ソウマデシテ、仲間トヤラヲ信ジルナラバ、ソレデモイイ。ドウヤラ、命ヲ失ワナケレバ、貴様ラハ絶望シナイノダナ……!?」

 

 急浮上した駆逐達が金剛達へと喰らいつく。砲撃ではなく、喰らいついたのだ。艦としての攻撃ではなく、生物としての攻撃に、金剛達の反応が遅れてしまった。

 何とかして振り落とそうとするが、がっちりと噛みついているためなかなか振りほどけない。

 

「シッカリ抑エテイロ……!」

「しょ、正気デスカ!? なんて、Crazy……!」

 

 駆逐もろとも金剛を砲撃しようというのか、と驚くも、南方棲戦鬼は容赦なく砲撃した。何とか振りほどいた駆逐イ級を投げつけ、弾丸が着弾して爆ぜる。だが飛来する砲弾は南方棲戦鬼だけではない。

 複数のリ級エリートも砲撃に混ざり、比叡、高雄、吹雪が被弾していく。

 

「みなさん!?」

「空母ニモ、ソロソロ黙ッテ貰オウカ……!」

 

 震える指が示していたのは、艦載機を帰還させていた蒼龍達。思わず金剛がその指を追って視線を動かしてしまう。確かに彼女達はそこに健在だ。だが南方棲戦鬼の言葉の意味を考えれば、彼女達に脅威が迫っているのだろう。

 なんだ? 何が迫っているというのだ?

 それに気づいたのは妙高だった。離れた所から数本の雷跡が迫っているのが見えた。

 

「魚雷です! 迎撃を!!」

 

 撃った深海棲艦が見えない。だがそこに魚雷が迫っているのだ。妙高をはじめとする護衛艦娘が砲撃し、魚雷を爆発させていくが、数本が撃ち漏らされ、飛龍に接触。爆発した。

 

「……ぅぁあ!?」

「飛龍さん!? く、どこから……!?」

「潜水艦だわ……。潜水艦も、呼び寄せたのよ!」

 

 どうして思い至らなかったのか。水上艦ばかり呼び寄せているのならば、潜水艦もまた呼び寄せているはずだ、と。だがあまりに数が多く、正確に位置がつかめずにいたのが災いした。

 異変に三水戦も気づき、五十鈴が潜水艦の反応を探りだす。だが次の魚雷はもう放たれていた。

 

「ま、また魚雷です!」

「何としても止めるのです! 蒼龍さん達はあちらへ!」

「逃ガサナイ……!」

「Shit! これ以上好きにさせてたまるかデース!」

 

 潜水艦から逃げる空母達を狙い撃ちする南方棲戦鬼へ、金剛が砲撃するのだがそれで南方棲戦鬼が止まるはずがない。戦艦主砲が唸りを上げ、飛来した弾丸が今度は千歳へと着弾した。

 

「うあぁぁ!?」

 

 容赦のない一撃中破。更にもう一発が、護衛の初霜まで大破に追い込んでいく。直撃ではなく至近弾だったが、駆逐にとってそれは重い一撃となるものだった。

 巻き上がった爆風で初霜の体が海面を転がり、少し沈みだしている。

 

「――っ、そ、そんな……!?」

 

 自分の体の異変に初霜が恐怖の声を上げる。瞬間、ざわりと空気が変わった。

 深海から暗い気配が初霜へと忍び寄ってくるのだ。少しだけ沈んだ体を更に引きずり込もうとする気配だ。

 恐怖が呼び寄せた幻覚なのか?

 だが、今の海は赤く染まっている。南方棲戦姫が広げた力によって深海棲艦の領域と化しているのだ。そんな恐怖を感じても不思議ではなかった。

 

「初霜、しっかりしなさい! 大丈夫、私が傍にいるから、そんなものに打ち負けちゃだめよ!」

「か、霞、ちゃん……」

 

 霞が呼びかけ、手を引っ張り上げる。その肩を支え、蒼龍達と合流する。だが潜水艦という脅威はどこかにまだいるのだ。三水戦が何隻か撃沈しているようだが、全てではないだろう。

 まだ深海棲艦は水底から蘇ってくる。潜水艦が何隻復活しているのかわかったものじゃない。

 

「サア、震エナサイ……! 死ハ、水底ハ、モウスグソコニ――」

「――恐怖と窮地は、乗り越えるものよ」

 

 風に乗って、静かな言葉が耳に届いた。

 次いで聞こえたのはプロペラの音。

 空を往く翼が頼もしく羽ばたくのが彼女達の目に入った時には、もう攻撃が始まっていた。

 

「ガ、グ……!? ナ、ナニィ……ドコカラ……!?」

「第二次攻撃隊、発艦! 護衛を、殲滅しなさい!」

 

 遠くに見えるのは赤と青の衣。そして迷彩柄をした二人の少女。彼女達が万全の補給を整えている艦載機を次々と飛ばしているのだ。

 何度も攻撃を行った事で少しずつ燃料弾薬を消耗し、力が落ちている艦載機とは違う。万全の状態の、それも高練度の一航戦の艦載機が援軍として現れた。これほどまでに頼もしい援軍はない。

 続いて巫女服のような出で立ちをした二人の黒髪の女性の艤装の主砲が、南方棲戦鬼へと照準を合わせる。

 

「主砲、撃てぇ!」

 

 黒い長髪をした女性、扶桑が命じると弾丸が南方棲戦鬼へと着弾する。追撃として頭上からの正確無比な爆撃が、彼女のリボンへと直撃した。容赦のない攻撃に、ついにリボンが霧散する。

 

「アアアアァァァァァ――――!?」

 

 刹那、甲高い悲鳴が響き渡った。

 両手で頭を押さえ、痛みにもがくように頭を振り回す。周りの護衛要塞やリ級エリートらが一航戦の四人の艦載機によって掃討されていく中、南方棲戦鬼の悲鳴がより一層、その戦場に耳に入る。

 

「アタマ、痛イ……! アタマガ、私ノ力ガ……! 失ワレテ……ク、ソンナ、マサカ……ソンナコトガ……!」

「私の仲間達をよくも可愛がってくれたものね。少し、頭にきています。もう少し苦痛の中においておきたいところですが、今は速急に沈めましょう」

 

 それは、一航戦加賀による死の宣告だった。初撃を喰らわせた艦載機達を回収し、補給を行う中、じっともがき続ける南方棲戦鬼を見据える。

 深海棲艦の力を集めたリボンが失われた事で、ツインテールがほどけてしまっている。とはいえ彼女自身が持っている深海棲艦の力が完全に失われているわけではない。推察だが、失われたのは沈んだ深海棲艦を再び呼び寄せるものや、残骸を艤装へと変える力、そして人型の傷を癒すものではないだろうか。

 つまり、今の南方棲戦鬼は先程までの継戦能力を完全に失った。

 

「待たせたわね、金剛。でも、もう終わるでしょう」

 

 痛みにもがき続ける南方棲戦鬼に攻撃の気配もない。水上艦が全滅した事で、潜水艦の探知も容易となった。三水戦や空母の護衛を務める阿武隈、如月が潜水艦を沈めていく。

 南方棲戦鬼を守る邪魔者はもういない。

 すっと指を突きつけ、「――やりなさい」と一言告げる。

 

「Yeah! 今度こそ間違いなくFinaleデース! Fire!!」

 

 徹甲弾が装填され、放たれた弾丸は南方棲戦鬼の胸を貫いていく。それだけでなく、一水戦の全員が魚雷を装填し、魔物のような艤装へと一斉に射出した。

 次々と襲い掛かる攻撃に、南方棲戦鬼はなす術がない。一面に大打撃を受けてしまったため、装甲が脆い艤装が大爆発を起こし、右へと傾いていく。

 

「本当ニ、援軍ガ……? 嘘ダ、ソンナコト、ガ……。負ケル、沈ム……? 私、ガ? アリ得ナイ……、私ハ、モウ……負ケル、ナド……」

 

 その言葉を言い終える前に、第二撃が飛来し、南方棲戦鬼は爆炎の中に沈んでいった。

 最後まで彼女は仲間が、援軍が助けに来てくれたことを信じはしなかった。そんな現実があるはずがない、と。

 しかし今、こうして来てくれた。東地の主力である一航戦達が。

 

「……間に合ったようね。これを使う事にならない状況で良かったわ。さあ、帰りましょう」

 

 そんな加賀の手元には一人の妖精がいた。それはすぐに消えたが、加賀は心底それを使わなくて良かったと安堵する。被害状況を確認し、無傷の艦娘達が護衛しつつ、指揮艦へと帰還した。

 

 

「――敗レタカ。フン、所詮ハ、私ノ成リソコナイヨ」

 

 彼女は艦隊の中心でその報告を受け取った。

 南方棲戦鬼の敗北、その事実は彼女にとってはまだ痛くもないものである。

 自分がいれば、まだその失態を取り返せるのだから。

 それに南方棲戦鬼はよくやってくれた。敵の戦力を確認する事が出来たという成果がある。それだけは認めてやろう。

 

「トハイエ、マダ一隻ノ艦カラノ戦力ハマダデテイナイノデショウ? 恐ラク、次出ルワ。ソノ戦力ノ偵察ヲ行イナサイ」

「…………」

 

 彼女の指示に海中にいたヨ級フラグシップが一礼し、他のヨ級らを連れて移動していく。

 

「サア、歓迎シマショウ。前ノ艦娘ドモノヨウニ、何度デモ、水底ニ送ッテヤロウジャナイカ。精一杯、モテナシテヤリナサイ、オ前達……!」

 

 不敵に笑う彼女――南方棲戦姫の傍らには、魔物のような艤装に繋がった白髪ポニーテールの女性と、その彼女によく似た風貌をし、別の魔物のような艤装に腰掛けた女性だった。

 そして取り巻くは、多くの護衛要塞に、金色のオーラを発する深海棲艦の群れであった。

 

 

 




今でも思う。
南方棲戦鬼の装甲10って、装甲100の間違いなのではないか、と。
でもそれは、ほとんどのプレイヤーが思っている事でしょうね……。
駆逐より柔らかい戦鬼ちゃん、カワイソス。

またリボンについてですが、これは今は失われたゲージ回復のあれを元にしています。


そして、五十鈴おめでとう。
朝潮ちゃんも大人になっちゃってまぁ……。


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南方棲戦姫

 帰還した艦娘達はすぐさま入渠ドックへ送られた。バケツを使って迅速に治療を行う中、艦橋では東地との通信が開かれていた。

 

「慢心ってこえぇな……まさかあんな事になるなんて」

「辛勝、って感じだろうか」

 

 南方棲鬼から南方棲戦鬼へと変貌、際限なく湧き出てくる深海棲艦の群れ。

 そして何より傷が回復する、という異様な力。

 何も知らない、というのは怖いということを改めて認識した。もしも援軍が間に合わなかったら、を想像すると……最悪の展開になっていたかもしれない。

 この「かもしれない」がより恐怖を感じさせる。

 回避できたが、可能性を示してしまっただけでもアウトだろう。

 

「やっぱり鬼級だろうと、舐めてかかっちゃやばいって事だな。泊地棲鬼や装甲空母鬼に慣れて、感覚がマヒしてしまった」

 

 頭を抱えて渋い表情を浮かべている。それだけ自身の最初の選択が間違っていたのだと反省している。だが反省しているならば、次に生かすことが出来る。

 だがその反省の時間は、長くはくれなかった。

 突然越智が通信に入り込んできたのである。

 

「南方棲戦姫は見つかったのかい?」

「……現在偵察中です。発見したならまもなく報告が来るでしょう」

「そうかい。……やれやれ、まったく。無駄に時間をかけてくれちゃって……もう少し、スマートに勝てないのかい?」

 

 お前が参戦していたらもっと早く撃沈出来たはずだ、とツッコミたいが、凪は心の中に留めておいた。

 南方棲戦鬼との戦いにおいて、越智はずっと傍観を決め込んだ。戦況を見ていたかどうかは知らないが、彼は今の今まで何もしていない。本命である南方棲戦姫との戦いに備え、完全に艦娘を温存している。

 

「だがそれもやむなしだろうね。所詮君達は一年と三か月しか提督をしていない。艦隊練度が足りていないって事なのさ。……今に見ているといい。二年の経験が作り上げる、完璧な艦隊決戦をね」

「……楽しみにしていますよ、越智提督」

 

 少し含みを持たせた言葉だったが、彼は気づいていないだろう。優雅に髪をかき上げて自己陶酔に浸っているのだから。

 ふと、通信が入った。

 偵察を向かわせた艦載機からのものだった。

 

「艦載機から打電です。我、南方棲戦姫を発見せり!」

 

 続けてモニターにそれが映し出される。

 姿は南方棲鬼とよく似ている。白髪ツインテールをなびかせ、右目が前髪に隠れている。だが南方棲鬼はビキニに黒ジャンパーを羽織っていたはずなのに、南方棲戦姫はそれがない。

 パンツではなく、前張りのようなものが股間部に見られるが、服もブラも何もない。胸の所は髪で隠しているという、所謂髪ブラだった。

 大丈夫か? 色々大丈夫か? と突っ込みたくなるスタイルをしているが、その両手にある異様な物が、その気持ちを挫いていく。

 それは手甲と呼べるほど生易しい物ではない。二の腕からすっぽりと覆うように艤装が嵌められている。手は戦艦主砲、手の甲には重巡主砲が魔物の口の部分から生えている。そしてまた一つ魔物の口があるが、その周囲にはまるでハリネズミのように砲門が備えられている。

 それが両腕。重武装を女性の腕にぎっしりとはめ込んでいるのだ。ほぼ全裸の人間の女性の風貌に、あまりにも不釣り合いすぎる不気味な艤装の対比が、見るものの心をよりざわつかせ、そして逆に美しいと感じさせるものがあった。

 南方棲鬼にはブーツがあったが、南方棲戦姫は左足にブースターらしきものを備え付けたブーツを履いているだけ。右足はただの靴らしきものがあるだけ、という対比もある。

 最後にそのツインテールを形作るリボンは、南方棲戦鬼と同じく赤いオーラを放つ蝶の羽根のようなものだった。恐らく南方棲戦鬼と同じく、深海棲艦の力が凝縮されているのではないだろうか。

 

「ふ、ふふふ……ついに姫君が来たか。ならば満を持して僕の出番だね。君達はそこで見ているがいい、僕の雄姿をね!」

「あ、おい。待て、せん――」

 

 東地の言葉を最後まで聞くことなく、越智は通信を切っていった。軽く手を伸ばしている東地が、ゆっくりと手を下ろしながら言葉を続けていった。

 

「――水艦が、って……聞かねえのな」

「……放置しておくか。進言を聞かないっていうんなら、それもいい。ただ、俺達の艦隊をもしもの時のために備えておこう」

「それしかねえな。しかし、俺達の戦いを見ているんなら、潜水艦に対して何らかの対策をするものだけど……」

 

 その時、越智の指揮艦から艦娘達が出撃していった。ざっと見る限りでは、やはり戦艦、空母を主体とした艦隊がずらり。軽巡、駆逐は最低限しか護衛させていないが、まったくいないわけではないらしい。

 それを見届けた東地は「……いることはいるか」と一息つく。

 

「だがさっきの戦いじゃ結構な潜水艦がいたんだよな……?」

「らしいよ。……どうだい、神通?」

「ええ。撃沈数は二十は下りません。どれもがノーマルとエリートだけでしたが、この先となると、フラグシップは必ずいるでしょう。となると、生半可な対潜能力では、どうにもなりませんよ」

「…………終わったな。俺らが何かするまでもなく、自滅するぞ、あれ」

「とりあえず、いつでも出撃できるようにしておいて。緊急時は、出撃する。今出撃したら、あれがうるさそうだ」

「承知いたしました」

 

 一礼した神通が艦娘達の下へと駆けていく。大淀が淹れてくれた紅茶を口に含み、喉を潤す凪は、大淀が提出した資料に目を通す。

 この戦いにおいて消費した資源、バケツ、被害状況。二戦して結構資材が減っている。東地も多く艦娘を出している事から、凪以上に消費している事だろう。

 ふと、艦橋に長門が入ってきた。モニターに映る南方棲戦姫を見上げると、すっと目を細めた。

 

「気になるかい、あれが」

「気にならないわけはない。私にとっては忘れられない敵だ」

 

 赤く染まったかの海で、奴の姿を遠くに見た。奇襲によって壊滅した航空戦隊、それによって我が物顔で飛行する敵艦載機。対空迎撃をしようにも、水上にも無数の敵がひしめいている。

 数の力で上から捻り潰されていく光景。この上ない完敗の中、遠くで奴は不敵に笑っていたのだ。

 

 それが、当然の光景なのだ、と。

 

 海の底へと消えていったかつての艦娘達。もしかしたら、今回の戦いで深海棲艦と成り果てた仲間達がいたかもしれない。……だが、それを考えないようにする。

 それに艦娘が沈んだら深海棲艦となってしまう、という確かな保証はない。その可能性が高い、というだけで、絶対にそうなるとは決まっていないのだ。それがそうなっていてほしいという願望でしかないとしても。

 だが長門はうっすらと考えてしまう。海の底へと沈んだのだ。奴らが目を付けないはずがない。あの無数に湧き出てくる敵の中に、かつての仲間がいた、と考えるだけで胸糞悪くなってしまう。同時に、申し訳なさもあった。

 だからこそ、終わらせなければならない。

 モニターに映る怨敵、南方棲戦姫を沈める事で、この戦いを終わらせる。

 願わくば、この手でケリをつけてやりたい。長門はぐっと拳を握りしめた。その様子を横目で凪がそっと見守っていた。

 

 

 指揮艦を出撃した艦隊は以下のもの。

 第一水上打撃部隊、長門、陸奥、扶桑、山城、高雄、愛宕。

 第二水上打撃部隊、金剛、比叡、榛名、霧島、摩耶、鳥海。

 第三水上打撃部隊、伊勢、日向、妙高、那智、足柄、羽黒。

 第一航空戦隊、赤城、加賀、千歳改二、千代田改二、吹雪、綾波。

 第二航空戦隊、蒼龍、飛龍、龍驤、祥鳳、白露、朝潮。

 第一水雷戦隊、古鷹、加古、球磨、多摩、時雨、村雨。

 第二水雷戦隊、青葉、最上、川内、長良、白雪、深雪。

 合計するとなんと四十二人もの艦娘が航行しているのだ。逆にいえば、これだけの艦娘を保有していながら、この時のためにとっておいたともいえる。全ては南方棲戦姫を撃沈させるため、先程までの戦いに助力を送らなかったのだ。

 すぐさま偵察機が放たれ、敵戦力の動きを確認する。その結果は、数分後に明らかとなった。

 何と先兵として鬼と姫が前へと出てきたのだ。

 人型は白髪のポニーテール、セーラー服らしきものを着込み、足から下は魔物のような艤装と繋がっている。魔物の上あごはまるで鮫のように先端が鋭利に尖り、見方を変えればそれは飛行甲板のようにも見える。

 鋭く曲がった爪が生えた両腕を備え、両肩には単装砲が二基積みあがって装備している

 かの敵は装甲空母鬼と呼称される存在だ。

 周囲には空母ヲ級フラグシップ、空母ヲ級エリート、軽母ヌ級エリートという航空戦隊を編成している。護衛には駆逐ニ級エリートや駆逐ハ級エリートが複数配置されていた。

 そして姫級は、装甲空母姫と呼ばれるものだ。

 人型としては装甲空母鬼と似ているが、こちらはセーラー服はない。南方棲戦姫と同じく素っ裸に近しい。深海棲艦は姫になると裸になるという決まりがあるのだろうか。

 だがこちらも魔物のような艤装が存在し、それに少し腰掛けているかのようだ。二つの口が左右に伸び、上あごはやはり飛行甲板のように平らになっている。

 周りに単装砲がいくつか生え、周囲を囲むように複数の小さな護衛要塞のような球体が飛行しているようだ。

 彼女の周囲には戦艦タ級フラグシップ、空母ヲ級フラグシップ、重巡リ級フラグシップ、そして無数の護衛要塞が護衛している。

 南方棲戦姫を守る最後の先兵というだけあって、その顔ぶれは強力な個体ばかり。むしろ、この艦隊が主力艦隊といってもいい程のものだった。

 

『これが最後の前座だろう。さあ、殲滅するんだ。僕の後輩達に、情けない姿を見せるんじゃないよ』

「はい。では皆さん、用意はいい?」

『はい!!』

「攻撃、開始!!」

 

 赤城の命により攻撃が開始された。空母は艦載機を発艦させ、戦艦や重巡達は射程内へと入れるために更に前へ。敵も装甲空母鬼と装甲空母姫、ヲ級フラグシップをはじめとする空母達が次々と艦載機を出撃させた。

 その数は圧巻と言っていいだろう。まるで空を埋め尽くさんとするばかりの無数の艦載機。遠くで見れば鳥の群れというより虫の群れに見えかねないほどのものが、黒雲を作りあげるかのように飛び立っているのだ。

 それらがお互い射程内に入ると、艦戦がドックファイトを開始。あちこちで爆発が起き、犠牲となった艦載機が錐もみ回転しながら海へと落ちていく。

 そんな中を抜けきった艦載機が次々と攻撃態勢へ移行。対空砲撃を掻い潜って攻撃してくる。

 

「全砲門、開けッ!」

 

 射程内に入った戦艦達が一斉に砲撃開始。続くように数隻のタ級フラグシップと、装甲空母鬼、装甲空母姫が砲撃を開始する。装甲空母と名がついているが、その艤装には主砲が存在しているため、砲撃戦にも参加できるのだ。

 砲撃戦が始まったが、戦艦の数でいえば艦娘側の方が多い。

 また主砲の砲門数でいっても有利だったため、着弾数は艦娘側の方が多い。艦載機の攻撃も含めれば、どちらが優勢なのか一目でわかる。

 その戦いの様子を、手出しせずにじっとヨ級フラグシップをはじめとする潜水艦が見守っていた。相変わらず人間の耳には何を言っているのかわからない言葉で、南方棲戦姫へと報告している。

 

「フン、ナカナカ壮観デハナイカ。ヨホド艦隊決戦ニ自信ガアルト見エル」

 

 遠くで起こっている戦いに目を細めながら、南方棲戦姫は優雅に微笑んでいる。

 護衛要塞を椅子として利用しながら、その時を待っているのだ。

 

「ヨウヤク出テキタノダ。前座クライ楽シムトイイ……、ソレガ最後ノ戦闘トナルダロウカラナ。――サア、行クガイイ。配置ニツキ、ソノ時ヲ待チナサイ」

 

 指示を受け、潜水艦達が移動を開始する。それを見送った南方棲戦姫は文字通り座して待つ。今まで出てこなかった指揮艦の艦娘達はいい気になっている事だろう。いや、いい気になっているのは彼女達の提督だろうか?

 あそこまで育てた自分達の艦娘の力をこれでもか、と装甲空母姫達に見せつけているのだ。その勢いを殺さないままに、自分を撃沈させる心づもりだろう。

 だが、ぬるい。

 そんな思い通りに戦いが上手くいくはずもない。

 それを思い知らせてやろうではないか。

 四か月前に同じ道を辿ったあの提督達のように。

 

 

 まさしく蹂躙といっていいものだった。越智提督が前座と言い切った理由もわかる。

 だが先ほどの凪や東地の時とは違い、出している戦力の差もあるだろう。それでもその戦いは最初から最後まで艦娘の優位に立っていた。

 空母の艦載機が絶えず発艦して航空攻撃を行い、距離を詰めた戦艦と重巡の砲撃が飛び交う。多少の被弾など気にもせず、攻撃によって押し切ってしまったのだ。

 なるほど、ああいうものを見せられては大型艦信者になるのも頷ける。

 小型より中型、中型より大型。大型艦による強力な攻撃で強引にまかり通り、大型艦らしい強固な装甲によって攻撃を耐えきる。

 力こそ正義。

 まさしくそれを信じ、育成した結果がそこにあった。

 今頃越智は艦橋に踏ん反り返ってにんまりとしながら、優雅に髪をかき上げている事だろう。その光景が容易に頭に浮かぶようだ。

 だが何故だろう。

 凪はじわりと痛みを感じていた。こういう時、碌なことがないのだということを凪は知っている。

 不安やストレスを感じた時にも胃が痛むが、今は緊張した時のような胸のざわめき、気持ち悪さを感じている。きゅっと胸が締め付けられるかのような感覚だ。

 それを感じると、何か良くない事が起きるのだと凪は感じる。それは先程の南方棲戦鬼の変化前にも感じていた。だが、あの時よりも強い不快感を凪は味わっている。

 

「……茂樹」

「おい、すんげぇ顔色悪いぞ、凪。大丈夫か?」

 

 モニターに映っている東地が心配そうな表情を浮かべている。隣にいる長門も「大丈夫か、提督。医務室にいくか?」と介抱してくれている。その中で、凪は「……奴ら、動くぞ」と呟いた。

 

「人ってのは、勝ってる時ほど調子づく。あの越智なら、間違いなくそうなる。……その分、叩き落されれば脆い。あの戦姫、それを狙っている……」

「あ、ああ、確かにそうなるだろうな。でも、タイミングが分からねえだろう」

「…………んく、ふぅ……奴らにとって撃沈される事は何も怖い事はない。だからこそ、戦力を潜水艦に偵察させている可能性がある」

 

 大淀が水を持ってきてくれたので、途中それを飲みながら凪は説明する。

 

「どういうことだ? 潜水艦は水雷組が撃沈しているはず。……って、そうか。ここは洋上。周りに島も何もねえ……」

「艦娘達が通るルート、索敵範囲外を通って、潜水艦が偵察に来ている可能性が否定できない。俺達から、戦力がどれだけ出ているのかを探っている。結果、南方棲鬼の前にはずらりと潜水艦隊が待ち構えていた。それによって茂樹の三水戦は足止めを食らい、一時的な窮地に陥った」

 

 あのおかしいくらいの潜水艦の数。あそこで金剛達を沈めるのだ、という意図も感じただろうが、三水戦という戦力をあそこに留めておくという意図もあっただろう。だから二隊で南方棲鬼と当たる事になった。

 水上艦ならば、容赦なく蹂躙されるという事が分かっているため、このような配置をしたのではないかと凪は指摘した。それは今、まさにあそこで起きている出来事でもある。

 装甲空母鬼と装甲空母姫率いる艦隊でも、前座にしかならない程の蹂躙。ならば、南方棲戦姫がとる行動は容易に思いつく。

 

「前座には俺達の持つ艦隊が出た。その光景も見ていただろうさ……二隻の指揮艦から出た艦娘を」

 

 そこまで言えば東地にも何となく見えてくる。冷や汗をかきながら頭を押さえ、「……そして今、三隻目から主力が出た」と絞り出すように言う。

 

「ところが、その主力は対潜水艦の戦力は少ない。大型艦が揃った艦隊決戦の部隊。……潜水艦にとってこれ以上ないカモ。その情報は間違いなく、あっちに伝わっている」

「ってことは、南方棲戦姫の周辺には……!」

「南方棲鬼の時と同じさ。多数の潜水艦が円陣組んでお待ちかねだろうよ……」

 

 

 その戦場に今、赤城率いる艦隊が入場する。あまり被害がない状態での南方棲戦姫との対面。それは普通ならばまだ勝利に希望があるものだ。これだけの戦力を整えているのだ。敗北などそんなに想定するものではない。

 迫ってくる艦載機を出迎えるように、南方棲戦姫やヲ級フラグシップ、ヌ級エリートから順次発艦する。交戦を始める艦載機を気にすることなく、南方棲戦姫は目を細めて笑みを浮かべた。

 

「歓迎シヨウ、艦娘ドモ……ココガ、貴様達ノ死出ノ旅ノ終ワリヨ」

「死出の旅? どういうこと?」

「言葉通リノ意味ヨ。ゴ苦労、ト言ッテアゲヨウ。貴様達ハ、ココデ沈ムノヨ。死ガワカッテイル出撃ホド、無為ナ戦イトイウモノハナイ。……同情スルワ、赤城。貴様ノ提督ノ慢心ニヨリ、貴様達ハ沈ムノダカラ」

 

 降り注ぐ艦爆の攻撃を涼しい顔でやり過ごしながら、南方棲戦姫は不敵に笑うのだ。すっと赤城を指さす腕から生える砲が、対空迎撃を軽々とこなす。それを逃れた爆弾がその身に着弾しようとも、強力な深海棲艦が持ちうる赤いオーラの膜が威力を軽減している。

 

『それ以上の戯言を許すんじゃない。撃て! 沈めるんだ!』

 

 越智提督の命に従い、戦艦達が砲撃を開始する。激しい撃ち合いの中でも、南方棲戦姫はゆるりと動きながら語り続ける。その異様な艤装から生える三連装砲が唸りながら。

 

「ヤレヤレ、愚カナ……何モ気ヅカナイナンテネ。ナラバ、見届ケルガイイ、人間。自ラ送リ出シタ艦娘ドモガ沈ミユク光景ヲネ」

 

 不意に、強い爆発と大きな水柱が発生した。次いで聞こえる女性の悲鳴。見れば、扶桑が大打撃を受けていた。続いて高雄、愛宕と被弾した艦娘の悲鳴が響き渡る。

 

「な、なに!?」

 

 突然の出来事に誰もが困惑していた。だが扶桑達とは反対側、青葉達水雷戦隊側からも被害が発生した。川内、深雪と魚雷が直撃し、大きなダメージを与えていくのだ。

 見れば、次々と魚雷が迫ってきているのがわかった。だが、その方向には誰もいない。それが意味するのは、潜水艦が潜んでいるという事。

 

「そんな、何の反応も……!」

「長距離雷撃……貴様ラ艦娘トハ違ウノヨ……。例エ近クニイヨウトモ、果タシテ貴様達ニ何ガ出来ル? 潜水艦ヲ相手ニスル、ロクナ水雷戦隊ヲ連レテコナカッタ、貴様達ニ……!」

 

 混乱は焦りを生み、焦りは動きを鈍くする。すぐさま長良や球磨が指示を出し、潜水艦の位置を探ったが、そんな時間を与える深海棲艦ではない。護衛要塞が接近し、砲撃を行ってくるのだ。

 だが、それを庇うように重巡や戦艦が前に出、砲弾を受け止めて反撃。少しでも護衛要塞を撃沈していく。その間に対潜攻撃を行うが、それを掻い潜って潜水艦は次弾装填。次の魚雷を撃ちこんできた。

 その様子を見ている南方棲戦姫は軽く上空を見回す。恐らく越智達が見ているだろうという推測をして。

 

「見テイルカ、人間。コレガ貴様ノゴ自慢ノ艦隊ノ終焉ヨ。マタ、コノ海ノ底ニ艦娘ガ沈ンデイク。素晴ラシイ事ダ。我ラノ勝利ノ証ガマタ増エルノダカラ」

『ぐ、こんな、こんなバカな事がぁ……! 早く、早く沈めるんだ!』

 

 歯噛みしながら越智が通信で指示を出す。撤退ではなく、戦闘続行。それはあの日の出来事と同じだった。

 瓦解する艦隊の中で、艦娘達は最期の時まで抵抗を続ける。

 南方棲戦姫はそれを見ながら笑みを浮かべるのだが、同時に歴史が繰り返されるのだと冷めた心を持っていた。

 絶対的な数と戦力を前に、崩れ去る艦隊。抵抗は意味を持たず、出来る事は死期を伸ばす事だけ。飛来する弾丸と魚雷、そして艦載機の群れ。その中心に自分はいる。

 なまじ装甲が分厚いために、被弾し続ける時間は長い。それはすなわち、苦しみの時間が長引いているということだ。

 片道切符を手に、祖国を離れた死出の旅。同行した艦の名前も姿もわからない。覚えているのは襲い来る敵と、自身の出来事。そして、自身と比べたとある戦艦の事だ。

 

「……フフ、苦シミ続ケナサイ。ソレガヨリ強イ負ノ感情ヲ作リアゲ、貴様達ハヨリ良イ深海ノ者トナルノダカラ。サア、モット苦痛ヲ味ワエ……ソウ、ソコニイル、長門ォ!」

 

 南方棲戦姫が視線を巡らせ、長門の姿を確認した瞬間、砲門が唸りを上げる。放たれた弾丸は、回避行動をとっていた長門へと一発着弾し、その服を吹き飛ばした。

 だがそれでも小破で留まっている。高い練度がもたらした強靭な体がそれに耐えたのだ。それを見た南方棲戦姫は薄らと笑みを浮かべた。

 

「ソレデイイ、長門。貴様ハ、タダデハ沈マセナイ。存分ニ苦シミナガラ沈ンデイケ」

「どういうことだ? 何故私に対して……!」

「ソレハ、貴様ガ長門ダカラヨ!」

 

 それは蹂躙と言えるものだった。

 そして同時に、立場が逆転したともいえる。

 先程まで艦娘側がしていたこと。赤城率いる艦隊が装甲空母姫らを相手にしてきた事を、南方棲戦姫が彼女達にしているだけの事だった。

 潜水艦という手出しされないものからの攻撃と、南方棲戦姫が呼び寄せる数にものを言わせた暴力。狩るものと狩られるもの、それらがはっきりと分かれた戦場。

 越智提督はそれを見ている事しか出来ない。南方棲戦姫があえて残した偵察機から送られてくるものを、喚きながら見ているだけだ。

 悲鳴を上げて沈んでいく艦娘達。何とかその凶弾を逃げる事が出来ても、それは嬲られる時間が伸びただけ。それを南方棲戦姫は愉悦にまみれた笑みで見届けるのだ。

 

「滑稽ネ、実ニ滑稽ダワ。普段勝利ノ喜ビニ彩ラレタ顔カラ、死ヲ恐レタモノヘト変ワッテイクノハネ……!」

 

 足を撃ち抜き、長門の体を踏みつけながら南方棲戦姫はじっと彼女の顔を見下ろす。傷口を踏まれて苦悶の顔を浮かべる彼女の顔をじっと見つめ、南方棲戦姫は小さく鼻を鳴らす。

 

「……ダトイウノニ、流石ト言ウベキナノカシラ……。折レヌノネ、長門」

「当然、だ……私は戦艦長門。その最期の時まで、私は私で在り続ける……! お前達などに、情けない顔を見せるわけにはいかないのだ!」

「……腹立タシイ。見事ト褒メタイ気持チモウッスラトアルケド、デモ、ソレ以上ニ憎ラシイ。サラバダ、長門」

 

 至近距離から重巡砲を撃ち抜き、長門の体が海の底へと消えていく。足から彼女の体が消え、沈んでいく姿を見送った南方棲戦姫は、接近してくる新たな気配を感じ取る。

 まだ生き残りは何人かいる。

 だがその奥に、新たな艦娘達が接近してきているのだ。

 どれもがこの艦娘達よりもレベルが低い。しかし明らかに違う気配が多く混じっている。左右へと展開していく艦娘達は水雷戦隊。南方棲戦姫と当たる前に、やるべき事があるとわかっているのだ。

 続いて迫ってきたのは新たなる艦載機。無数の翼が頭上へと迫りくる中、南方棲戦姫はある一点を見据える。

 それは、先程自分が沈めた存在。でも、見た目こそ似てはいても、それは別の存在。

 根本は同じでも、生れ落ちた場所が違うもの。

 

 そうか、まだいたのか。

 

 南方棲戦姫は、知らず笑みを浮かべる。しかもあれは以前感じたものとよく似ているものではないか。もしかすると、あの戦場にいたものではないか?

 はやる気持ちを抑えて、南方棲戦姫はついつい彼女に向けて問いかけてしまった。

 

「ソコノ長門――前ニ逢ッタコトガアルカシラ?」

「ほう、覚えていてくれたのか。ありがたいな、南方棲戦姫。嬉しさのあまり、その憎たらしい顔を殴り飛ばしてしまいそうだ」

 

 彼女は佐世保ではなく呉鎮守府より出陣した長門。鼓舞するように指を鳴らして左手へと打ち付ける。気合十分な姿を見せながら笑みを浮かべれば、南方棲戦姫もまた歓喜に震えたではないか。ぞくりと底冷えする様な殺気が放たれ、目から放たれる赤い燐光が勢いを増して輝きを増した。

 

「奇遇ネ、長門……! 私モ嬉シサノアマリ、貴様に蹴リヲ入レテアゲタイトコロダワ。アノ時、逃ガシタ長門ナノダロウ? ソロモンデ仕留メ損ナッタ二人ノ艦娘ノ片割レ……、ソレガ長門ト聞イテ、屈辱デ数日眠レナカッタワ……! コノ私ガ、ヨリニモヨッテ長門ヲ逃ガスダナンテネ……!」

「ほう、よほど長門という存在が気に入らないと見える。どうしてそんなに私に執着する?」

「ソレハ貴様ガ『戦艦長門』デアルガ故ニ! 私ハ『戦艦長門』トイウ存在ヲ嫌悪スル……! 故ニ私ハ、艦娘ノ長門ニハ、絶対ニ負ケラレナイノダ! 貴様ハ、私ノ前カラ消シサッテヤル!」

 

 湧き上がる怒りと憎しみにより、空気が、海が震える。立ち上る赤いオーラが風を生みだし、白いツインテールを勢いよくなびかせるのだ。その様子を見ながら長門は、南方棲戦姫という存在が何者であるか、大いに気になった。

 戦艦長門という存在を嫌悪する戦艦が、はたしていただろうか。

 だが今、そんなことをのんきに考えている暇はない。

 既に多くの犠牲者が存在する。艦隊を展開し、砲撃戦を開始する。

 その中で彼女達は向かい合い、第二の戦を告げる叫びを響かせる。

 片や勢いよく右手を振り抜いて、片やそのどす黒い狂気を乗せたものを撃つための凶器を敵へと向けて。

 

「ならば私はそれに抗おう! お前に打ち勝ち、お前との因縁にケリをつけてやる!」

「来ルガイイ、長門! 貴様ヲ沈メ、マタ一ツ、私ノ兵器トシテノ箔ヲツケテヤル! ソウ、私ハ――敵ヲ沈メル兵器ナノダァッ!」

 

 二人の強い意志を乗せた言葉と弾丸が、空を走り抜けた。

 

 

 



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南方棲戦姫2

 セピア色に染まった記憶だ。

 だが、彼女にとって、その記憶しか持たずに再びこの世で目覚めたという事でもあった。

 自分が一体何者なのか。

 それが彼女がこの世に復活した時に形成される第一要素。目覚めた時に見えたのは深い海の底の光景。沈んだ場所とは違っていたが、そこは多くの鉄が沈む場所であり、自分の仲間達が存在する場所だった。

 頭によぎったのは何故自分が沈んだのかという理由。

 

 そうだ、自分は二度と祖国へ帰らぬ旅に出たのだ。

 自分は、死ぬために出撃したのだ。

 

 なんと、無念な事だろうか。

 当時の日本において最高の造船技術、軍事技術を込めて作られた存在。その結果、有史において戦艦としては世界最大の排水量と主砲口径を持つものとして生まれ落ちた。

 きっと、それを用いて祖国を守り、敵を撃滅する兵器として活躍する事だろう。

 そう思っていたのに……なんと、なんと無念な事か。

 あまりにも切り札すぎてまともな戦いを経験することなく、そして国民達には秘匿され続けた。

 その結果、戦艦や兵器ではなくホテルとまで揶揄される始末。屈辱的な事この上ない。

 

 その最期は敵に情報を渡さないための散華。

 敵を撃滅する戦いではなく、敵に撃沈されるための出撃。まるで地獄の片道切符のように、帰還するための燃料を考えない補給での出撃だ。

 

 何故こうなったのか。

 まともに戦えない、戦う事が出来ない兵器に、何の意味があるというのか。

 自分は国を守るために生まれたのではないのか。

 このような結末になると言うならば、自分は何のために生まれたのか?

 

 その感情が、彼女を深海棲艦へと堕とす事となった。

 余分な記憶、余分な感情は全て切り捨てられた。かつて共に戦ったはずの仲間、共に死出の旅へと送られた仲間達の名前や姿は全て消えた。

 だが、一つ残ったものがあった。

 

 戦艦長門。

 

 その存在が、より彼女に憎悪というものを増幅させるものとなったのだ。それが彼女を形成する第二要素。

 秘匿され続けた自分と違い、国民に愛され続けた戦艦だ。妹がいるようだが、そんな事は彼女にとってはどうでもいい。世界のビッグセブンの一つであり、日本が誇る戦艦の一つとして名が知られた存在。その結果、終戦まで長門こそ日本が誇る戦艦なのだとまで国民に思われる始末。

 長門もまともな戦闘を経験していないというのに、自分と違って終戦までおめおめと生き延びていった。

 何故自分は死に、長門は生き延びたのか。

 自分と彼女の違いは何だと言うのか。

 その嫉妬心をはじめとする様々な負の感情を増幅させ、深海棲艦としての力を高めるエンジンとしたのだ。

 故に彼女は長門を嫌悪する。何としてでも長門を沈めるのだと闘争心をあらわにする。それが、彼女を生み出したものの意図通りだとしても。

 今回こそは、自分は兵器なのだという事を知らしめるのだ。

 兵器とは、主のために敵を殺すもの。

 敵とは何だ? それは、艦娘だ。

 艦娘どもを殺し、深海棲艦を増やしていくのだ。

 そして何としてでも長門という艦娘を殺しつくす。そうして自分は、長門よりも優れた存在であることを改めて示すのだ。

 

 もう自分は、ホテルなどと揶揄されるような存在ではない。

 かつての日本における最強の戦艦である事を、貴様達に思い出させてやろうではないか。

 

 

「沈メ、長門ォ! 鉄屑ト成リ果テ、私ノ目ノ前カラ消エウセルガイイ!」

 

 長門から飛来する弾丸を回避しながら、南方棲戦姫が砲撃する。重武装を両腕に装備しているが、左足のブースターブーツがエンジンを吹かし、回避行動をとっているのだ。

 その上で頭上に迫る艦載機も肩付近にある砲が迎撃を行っている。例え爆弾が投下されようとも、深海棲艦としてのオーラが威力を軽減し、抜かれたとしても傷を癒していく。

 なんだ、これは。

 こんな敵を、どう倒せばいいと言うのだ!?

 

「おい、聞こえてるか、越智!? さっさと正気に戻って、てめぇの艦隊に指示を出して纏め上げろや!」

 

 東地が声を荒げて越智のいる指揮艦へ怒鳴りつける。だが通信が開いているのかどうかわからない。応答がないのだ。舌打ちして大淀へ「発光信号! 応答しろ、と向こうの馬鹿野郎に送ってやれ!」と指示を出す。

 

「崩すにはリボンを破壊するしかないな。神通の報告によれば、あれが深海棲艦としての力を凝縮したものらしい。あれがある限り、傷が癒えていくみたいだぞ」

「馬鹿かよ……自動回復持ちのボスとか、どこのRPGのラスボスなんだよ」

「……だが、同時に自分の体の内部を傷つけるらしい。南方棲戦鬼が傷を癒し続けとったら、頭の痛みが発生し、口や目から血が流れ落ちたって話もある」

「へえ。つまり、長期戦になればそうなるかもしれないってか? ……馬鹿かよ。あれを相手に長期戦とか、こっちが死ぬわ……」

「せやな……。やはり勝ちの目を取るにはあれを何とかするしかない。空母達に何としても破壊してもらうように通達。あとはそれまで、潜水艦を止め続ける。今はそれしかあらへんな」

 

 そんな相談をする中、東地が送った大淀から「応答ありません……」と報告が来ると、「……これだからお坊ちゃんは……!」とまた何かを勢いよく蹴り飛ばした。

 

「もういい、あの馬鹿野郎はほっとけ! だが、艦娘達は見捨てられねぇ! 大淀さん! あの馬鹿の艦娘達へと通信繋いでくれ! これから、あの娘達を俺達の指揮下に入れる!」

「は、はい!」

 

 凪の言ったとおりだった。

 勝利に浮かれた者が叩き落されれば、脆いのだと。その浮かれ方がより高く、遠くなっていれば、叩き落される距離も長くなり、より強いダメージが精神に与えられる。高みに上るという事はそういうものなのだ。

 凪は胃薬を飲みながら、越智の艦娘達に同情する。完璧な艦隊決戦と謳い上げた艦隊に風穴を開けられ、多くの仲間を失った。まだ混乱している事だろう。だが、何とか持ち直してほしい。そして、共に戦ってほしい。

 東地が艦娘達へと通信を繋ぐ中、少しだけ回復した顔色でモニターを見上げた。

 

 

「そこじゃ、ヨ級フラグシップがいるぞ!」

「クマー! 爆雷投射クマー!」

 

 利根の索敵能力を生かし、球磨達が爆雷を投射して撃沈を図っていく。そこにいるのは神通達一水戦と、足柄を抜いた二水戦。そして阿武隈だ。足柄は砲雷撃戦に参加するために二水戦を離れ、長門達と合流していた。

 重巡は潜水艦相手には無力。ならば、戦闘が出来る長門達と合流したのだ。利根はその索敵能力の高さを生かし、隠れている潜水艦を探すために残っていた。

 東地の水雷戦隊もまた同様の采配を行っている。

 軽巡駆逐が潜水艦を潰しに回り、重巡は南方棲戦姫をはじめとする敵を相手にする。越智の艦娘達も指揮下に入ると、すぐさまそのように配置を変えた。

 結果、左右に軽巡駆逐が展開。中心の前面に重巡、その後ろに戦艦、そしてそのまた後ろに空母と護衛駆逐が配置。これを基本陣形として体勢が立て直された。また負傷者はその都度後方へと送られる事となった。

 

「さあ、準備が出来た子達から順次発艦させなさい。腕に自信のある人は、南方棲戦姫の頭部を狙って。それ以外は、少しでも多く護衛を落としなさい」

 

 空母達を纏め上げるのは、東地の秘書艦である加賀だった。越智の艦隊を纏めていた赤城達空母が沈んでしまったため、その役目を引き継いだのだ。間に合わなかった、という悔しさはあるが、それだけヨ級フラグシップらが行った奇襲による混乱が大きかったとも言える。

 また越智が一時後退ではなく、戦闘続行を指示したのも影響しているだろう。被害を拡大させないために退くのではなく、早く敵を沈めて終わらせるのだ、という思考が仇となった。

 

「次ハ加賀、カ……。イイ加減、目障リニナッテキタワネ。羽虫ガ……落チナサイ!」

 

 対空砲撃を行いながら迫ってくる重巡の砲撃をもやり過ごす。着弾しようともその装甲を完全に貫くことは出来ず、何かしたのか? とでも言うように首をかしげて見せた。

 だが魚雷まで迫ってくるとすっと目を細める。対空砲撃を行っていた砲の仰角を落とし、魚雷を迎撃し始めた。その隙をついて艦爆が爆弾を投下。リボン付近で爆発していくのだが、リボンを霧散させられない。

 でも効いていないわけではない。赤い粒子が宙に飛び散って消えているのだ。ダメージは通っている。

 

「無駄ナ足掻キヲ。ドレダケコイツラヲ沈メタトシテモ、我ラハ再ビ水底カラ蘇ルノヨ!」

 

 南方棲戦姫を中心に波紋が広がっていく。その波紋に呼応するように海の底から何かが反応し、波紋が周囲でいくつも発生していくのだ。

 そして奴らは再び浮上する。しかも奇襲を仕掛けるように、駆逐達が勢いよく飛び出し、喰らいついてくるのだ。南方棲戦鬼の時、金剛達にしたように歯をむき出しにし、その体へと。

 だが長門がその拳で殴り飛ばし、届かない所は副砲で迎撃。その隙をついてきたタ級フラグシップの砲撃を感知して回避し、反撃するように主砲を撃つ。

 

「撃て! どんどん撃てぇ! 長門さん達に砲撃を届かせるんじゃないわよ!」

 

 足柄や妙高をはじめとする重巡達が、再び浮上してきたタ級フラグシップやル級フラグシップを撃沈すべく、魚雷を装填して射出。重巡と言えどもフラグシップの戦艦を相手に砲撃を行ってもなかなかダメージは通らない。

 砲の性能や練度が足りない。それを感じ取ったが故に魚雷で沈める事を選択した。

 東地の下にいる重巡や、越智艦隊から合流した青葉、古鷹もまた同様だ。浮上してくる敵を再び水底へ送り返すために立ち回る。

 そんな彼女達の戦いがあってこそ、長門達戦艦は南方棲戦姫と戦える。

 

「Holy shit! どれだけ硬いんデスか、あれは!? 化け物デスか!?」

「お、お姉様、落ち着いてください! って、ひぇー!?」

 

 やかましい、とでも言いたげな南方棲戦姫の砲撃が比叡へと届き、その体が吹き飛んでしまった。「比叡!?」という金剛の叫びの中、比叡の服が吹き飛び、中破状態で着水する。

 だが南方棲戦姫の意識が金剛達へと向けられたことで、長門、山城、日向の砲撃チャンスが生まれた。三人の徹甲弾が放たれ、次々と南方棲戦姫へと着弾する。右腕の艤装、胸、そして頭部へと貫いた弾丸は彼女のオーラを突き抜けていく。

 まともに通ったか? と思われたそれは、しかしすぐに傷が塞がっていく。だが攻撃を受けた時に生まれた隙をついて、加賀が放った艦載機の攻撃が南方棲戦姫の右のリボンを完全に吹き飛ばした。

 

「――ッ、グ……! ナ、ニ……!?」

「……生まれた隙は見逃さない。戦いの基本よ。不利があろうとも、連携して戦えば勝利は掴み取れる。当然の事よ」

「言ウコトハ立派ネ、加賀……! 流石ハカツテノ日本ノ化ケ物、一航戦トイッタトコロ、カシラ……。ッ、クゥ……頭、ガ……!」

 

 頭を押さえようにも、両腕が物々しい艤装で覆われているためそれが出来ない。ただ苦悶の表情を浮かべて前かがみになってしまう。それもまた隙を晒している事に繋がる。加賀に続くべく、翔鶴と瑞鶴の艦攻や艦爆が攻撃を仕掛けていった。

 それは千歳や祥鳳という軽空母も同様であり、速急に戦いを終わらせるための集中攻撃であった。しかしそんな中で南方棲戦姫はじっと攻撃を耐え続ける。まるでかつての戦いのように、空母の放った艦載機の攻撃を受け続けた時のように。

 それがより彼女にとっての記憶を刺激し、同時に負の感情を刺激した。

 

「ァァァアアアアーーー!! ソレガ、ドウシタァ!? 私ハ、健在ダ……! 私ハ、モウ……ヤラレハシナイ……!」

 

 ぶわっと赤いオーラが球状に膨らみ、降り注ぐ攻撃を全て吹き飛ばした。目から放たれる赤い燐光が勢いを増し、彼女の怒りを如実に語る。左のリボンしかない深海棲艦のオーラの結晶だが、それでも彼女の脅威は完全に失われていない。

 その影響なのか、指揮艦との通信が不能となった。繋ごうとしてもノイズが走って不明瞭になっている。

 サイドテールとなった南方棲戦姫だが、そんな事など気にも留めずに勢いよく海を踏みつける。乱暴な呼びかけだが、それに呼応してまた深海棲艦が浮上する。

 

「鉄屑ハマダマダアル……! ソレトモ、貴様達ノ仲間モ呼ンダ方ガイイカ? ココハ私ノ領域、私ガ呼ベバアレラハ呼応スルゾ……!」

「やめろ!」

「イヤ、モウスデニ遅イカ。モシカスルト長門、前ノ戦イデ沈ンダモノガ混ジッテイルカモシレナイワネ?」

 

 その言葉に、ぴくりと長門が反応してしまった。それを見逃さず、南方棲戦姫が砲撃を加え、長門を中破に追い込んでしまった。「長門!?」と加賀が叫び、少し考えて一つの光を手に、矢を番えた。

 それを放ち、烈風となったそれは真っ直ぐに長門へと向かっていく。海上を滑りながら受け身を取り、体勢を立て直す長門へと烈風妖精が光の玉を長門へと投げつけた。それは一人の妖精となり、長門の艤装の中へと入り込んでいく。

 その様子を見ていた長門は何が来たのだろうかと、肩越しに加賀へと振り返った。

 

「持っておきなさい。どうやらあれはあなたに執着しているようだから」

「……なるほど。すまない、恩に着る」

 

 その妖精がなんであるか、妖精と繋がった事で把握した長門は小さく会釈する。一息ついて自身の被害状況を確かめる。艤装に関しては主砲が一基破損、ダメージとしては中破。だが戦えないわけではない。

 山城も日向もいる、東地や越智の艦娘もいる。まだ希望を捨てるものではない。

 

「主砲、てぇーー!」

「瑞雲も参戦しろ。発艦!」

 

 側面に回り込みながら山城が砲撃し、日向も航空戦に瑞雲を参加させる。瑞雲では微々たるダメージにしかならないだろうが、それでも爆弾を投下する戦力は多いに越したことはない。

 南方棲戦姫に山城の弾丸が着弾し、爆ぜる。右側のオーラが失われた事で、右側の防御力が薄くなっている。山城はそこを見逃さなかった。

 

「調子ニ乗ルナ……欠陥戦艦ガァッ!」

「……突然の罵倒、不幸だわ……。でも、それがどうしたってのよ! もう一度欠陥戦艦とか言ってみなさいよ! どんどん徹甲弾ぶち込むわよッ!!」

 

 やってはいけない指の形をしながら次弾装填を急がせる。青筋を立てる山城に苦笑しながら、日向が山城の装填時間で南方棲戦姫へと攻撃を加えていった。

 それを止めるべく護衛要塞が隊列を組んで浮上、魚雷を一斉に発射した。主砲は使えない。副砲や機銃で魚雷を誘爆させながら退避する。やはりというべきかこの無限ループにも近い、深海棲艦の復活がネックだろう。どれだけ沈めても奴らは何度でも蘇る。その肉壁を打ち破るたびに弾薬を消費してしまうため、少しずつ攻撃の威力が低下していくのだ。

 はやく、はやくその力を奪わなければならない。

 

「負ケラレナイ、絶対ニ、私ハ、貴様ヨリモ優レタ存在デアルコトヲ、証明スルノダ!」

「お前……どうして、そこまで……誰だ、お前は誰なんだ!?」

「察セラレナイ、所詮長門、貴様ニトッテ私トハ、ソノ程度ノ存在トイウワケ」

「違う! お前達深海棲艦というものが、私達にはまだ全てを理解できていない! だからお前が何者なのか、私にはそれに思い至れる情報がないのだ!」

「……ソウ、ナラバ教エテアゲマショウカ。私ガ何者ダッタノカ。私ハ――」

 

 艤装の目が怪しく赤く輝きだす。彼女の怒りに呼応するように呻き声をあげ、機械が軋むような音を立てる。ガシャン、と戦艦主砲が動き、砲門がぎろりと長門を睨むように照準を合わせた。

 

「――日本ノ技術ノ結晶、戦艦大和ッ!! 死出ノ旅ノ果テ、深海ヨリ舞イ戻ッタ! 貴様ラ艦娘ドモヲ、戦艦長門ヲ沈メルタメニ!」

 

 憤怒の叫びと共に轟音が空を切り裂く。長門に届くはずだったそれは、横から引っ張った比叡によって外された。少し呆然としていた長門は、比叡に礼を言うべく口を開こうとするが、それより早く口を開いた者がいた。

 

「Oh my god!? Youが大和ですって!? Holy shit! なんの冗談デース!?」

 

 びしっと南方棲戦姫へと指さしながら金剛が叫ぶ。南方棲戦姫はうるさそうに「冗談? 冗談デコンナコトガ言エルトデモ?」と逆に問う。だが金剛は譲らないようだった。

 

「大和ならば同じ国の戦艦である長門を強く憎むはずがないデース! 何らかの間違いデス! もし本当にそうなってしまったと言うならば、Crazyな現実デス……! Fu○king、深海棲艦ッ! ワタシは絶対に大和をそんな風にしやがった深海棲艦を許しまセーン!!」

「お、お姉様、落ち着いてください! 言っちゃいけない言葉、使っちゃってますよ!」

「これが落ち着いていられるってんデスか比叡! あの大和をこんな、こんな姿にしやがったんデスよ!? Oh my god! マジでFu○kingデスよ!!」

 

 キィー! と金剛が唸り声を上げて比叡の体を揺さぶる。周りが戦闘状態のままだというのに、南方棲戦姫を指さしながらこの現実を受け入れがたいと嘆いている。そのせいか、何やら普通の金剛ならばやらないような言葉づかいになってしまっていた。

 これはある意味東地のキレた時のような、粗暴な言葉づかいの影響と言えよう。

 そして長門はというと、目の前にいるのがかの大和のなれの果てと知り、深いため息をつきながら立ち上がる。その目も敵を睨むようなものではなく、まるで深い悲しみを抱いているかのようなものになっていた。

 

「……何カシラ、長門。ソノ目ハ? 哀レンデイルツモリカシラ?」

「……そうだな。お前がそうなってしまった運命を哀れんでいる。お前が大和ならば、あそこにいる初霜や霞、そして向こうにいる雪風を覚えているものと思ったが、そうではないのだな?」

「初霜? 霞? ……雪風……? …………サテ、知ラナイワネ。貴様ノ言葉カラスレバ、私ニ縁アル存在ナノダロウケド、生憎ネ。私ノ記憶ニハ存在シナイワ」

 

 深海棲艦として蘇ったことで、失われた記憶。

 艦娘としての敵対勢力の情報は、深海側の情報共有で行われるが、深海棲艦になる前に縁がある艦の存在は知識にはない。だから彼女達、坊ノ岬沖海戦において大和と同行した艦についての情報も、南方棲戦姫には存在しない。

 その事が、長門には哀れに思えた。

 艦娘と同じく艦から生まれたと思われる深海棲艦。だが艦娘は艦としての記憶のほとんどを引き継いで生れ落ち、深海棲艦は負の部分を抽出して生れ落ちたとでもいうのだろうか。

 それは、とても悲しい事だ。

 沈んだのは確かに悲しい事だ。でも、だからといってそればかりを記憶にとどめて生まれ変わるなど、哀れでしかない。

 

「――南方棲戦姫、お前の願いは何だ?」

「言ッタハズヨ、長門。貴様ヲ沈メル。ソウスルコトデ、私ハ兵器トシテ、戦艦トシテノ立場ヲ取リ戻ス……! 私達ハ、貴様達ハ所詮兵器! 敵ヲ沈メル兵器ナノヨッ! ナラバ、殺シアウ運命ニアル! ソレカラ逃レラレルコトハナイ! 言葉ヲ交ワス時間ハコレデ終ワリヨ!」 

 

 装填し終えた砲を長門へと向け、南方棲戦姫は再び告げる。怨嗟にまみれた瞳の奥には、確固たる意志が存在している。

 自分達は兵器。否定する事など出来ない確かな現実。

 その運命は敵を滅ぼす武器であるが故に、壊れるまで戦い続けるだけ。

 

「主砲ヲ構エロ、長門ッ! 死ヌナラバ、戦イノ中デ死ネ! ソレガ、兵器トシテノ理想的ナ最期トイウモノデショウ!?」

「そうだな。それは否定しない、南方棲戦姫。私も、戦いの中で死ねるとするならば、それは本望ではある。だがな、一つ反論させてもらおう――」

 

 南方棲戦姫の言通り、主砲が南方棲戦姫へと照準を合わせ、砲撃体勢に入る。中破によって服がボロボロになろうとも、長門の目は死んでいない。先程まであった悲しみを含んだ瞳はなくなり、戦う者としての強い戦意が宿っていた。

 

「――私もいずれは戦いの中で死ぬだろう。だがそれは、今日じゃないッ!」

「ホザケ、長門ォ!!」

 

 砲撃は同時だった。睨みあう二人の纏う空気に誰も手出しが出来なかった中、二人の砲撃が戦闘再開を告げる狼煙となる。お互い放った弾丸はそれぞれ二発ずつ着弾した。

 南方棲戦姫へはリボンと胸。リボンの羽根が一つ飛び散る程のダメージとなり、また深海棲艦としての力が大きく減少した。それだけでなく、南方棲戦鬼と同じく、頭に強い痛みを引き起こし、左目から血涙を流し始める。

 長門へは右肩に腹と着弾し、大きな爆発を引き起こした。それによって右腕が吹き飛び、腹にも大きな火傷の痕が刻まれる。どう見ても大破状態であり、これ以上の戦闘続行は危険と判断出来るものだった。

 

「長門さん!? それ以上は危険です、後方へ下がってください!」

 

 近くにいた妙高が思わず叫び、介抱へと向かった。金剛と比叡も長門を庇うように前へと出、援護射撃を行う。だが同じように南方棲戦姫を守るべくタ級フラグシップが二隻出現し、金剛と比叡を止めにかかる。

 その護衛を振り切り、長門を沈めるべく南方棲戦姫が回り込みながら次弾装填を行う。それだけでなく魚雷を構築し、「トドメダ、長門……!」と宣告しながら長門へと投げつけた。

 高速で長門へと迫る魚雷。まず間違いなく直撃コースだった。

 

「ソノ魚雷ガ、貴様ノ死ヲ告ゲル死神ヨ……! フ、フフ……アッハハハハハハァァァ!!」

「――それは、雪風がゆるしません!!」

 

 突然入り込んだ幼い声、それが長門へと向かっていく魚雷を撃ち抜き、爆発させた。更に白煙が広がっていき、長門と妙高の姿を隠していく。その出来事に南方棲戦姫が混乱し、「ナ、ナニ……?」と思わず動きを止めてしまった。

 その数秒の時間が、南方棲戦姫の命運を分けた。

 

「魚雷装填、よく狙い、撃て!」

 

 静かな指示に従い、彼女達は一斉に魚雷を発射する。潜水艦の処理を終え、今やっと主戦場へと合流を果たした一水戦だ。十を超える魚雷に襲われ、次々と爆ぜるその攻撃に、バランスを崩して右に傾き始める南方棲戦姫。

 何とか転倒する事を耐えるも、そこにいる一水戦の面々に歯噛みする。特に神通という存在は南方棲戦姫にとって屈辱の片割れだった。

 

「神通……アノ時逃ガシタ神通カ……!」

「ええ。長門さんがそうであるように、私もまたあなたには借りがあります。一撃くらいは、と当てさせていただきました。あとは、彼女に譲りましょう」

「ナニ……?」

 

 刹那、白煙を切り裂いて弾丸が飛来した。それは膝立している南方棲戦姫の頭部を撃ち抜き、リボンを完全に霧散させた。凝縮された深海棲艦としての力が失われ、そして南方棲戦鬼がそうであるように、南方棲戦姫もまた悲鳴を上げた。

 そして彼女は白煙の中から飛び出してきた。副砲の照準を合わせ、次々と南方棲戦姫へと撃ち込みながら距離を詰め、勢いをつけて右拳を振り抜く。

 

「ふんッ!」

 

 それは南方棲戦姫の頬を打ち抜き、彼女を海面に叩きつける。最初に言葉を交わした通り、その憎たらしい顔を殴り飛ばしてやったのだ。

 頭の痛みに加えて頬の痛みを感じながら、南方棲戦姫は長門を見上げる。

 先程沈めた長門とは逆の立場だ。

 あの長門よりも弱い、呉鎮守府の長門に自分は倒れ伏し、見下されている。力の大部分を失った事で沈んだ仲間達を呼び出せない。傷の回復も出来ない。

 傷の回復……?

 よく見れば、長門が失ったはずの右腕がある。ボロボロになったはずの服も直り、破損したはずの艤装も修理されている。一体何があったというのだ?

 

「……加賀、トラック提督には感謝せねばならないな。あの時送られたものがなければ、もしかしたら私は沈んでいただろうよ」

 

 妙高によって繋ぎ止められていたが、長門はあれ以上攻撃を受ければ轟沈していた。それだけダメージを受けていたのだが、それによって効果を発揮したものがあった。

 応急修理女神。

 いわゆるダメコンというもので、破損した箇所を修理して戦闘続行を可能とする妖精だ。この応急修理女神というものはとんでもない妖精であり、バケツを使用したかのように破損した部分を完全に修復し、それだけでなく燃料弾薬も完全回復というとんでもない回復をこなしてしまう。

 だがその分貴重な妖精であり、生み出すのはなかなか難しいそうだ。

 その恩恵を受けた長門は、失われた右腕が再生し、艤装も完全修復しただけでなく燃料弾薬も回復。それによって南方棲戦姫に強いダメージを与える事が出来たのだ。

 

「……私達の勝ちだ」

「……ハッ、ハハハ……負ケ? 私ノ、負ケダト……? コンナ、コンナ艦隊ニ……、有利ニ立ッテイタハズノ、私達ガ……!」

 

 怒りか悔しさによって体を震わせる南方棲戦姫。だが艤装は負けを認めていないのか、唸り声を上げながら砲を動かしていた。それに目ざとく気付いた神通が魚雷を投げつけ、右腕の艤装を黙らせた。

 反対側の艤装も金剛が副砲で撃ち抜き、破損させる。赤いオーラという防壁が失われれば、副砲であろうともダメージが通ってしまっている。

 抵抗も無意味。その状況に、南方棲戦姫は完全に敗北を認めざるを得なかった。呻き声を上げていた艤装は、まるで悲鳴のような声を上げながら崩れ落ちていく。それだけでなく、南方棲戦姫の体の傷から絶えず血が流れ落ち、その身もまた細かい破片となって崩れ落ちはじめた。

 

「な、なんだ……それは……?」

「……代償、ヨ。アノ力ハ、深海側トシテモ実験ノ最中。強イ再生力ナドノ効果ヲモタラス代ワリニ、細胞ノ死ヲ早メル……。トハイエ、死ヲ恐レヌ我ラニトッテ、ソンナ代償ハアッテナイヨウナモノダケド……」

 

 答えながら南方棲戦姫の体は次第に沈み始めた。艤装は黒い肉体と砲が分離し始め、次々と深い海の底へと沈んでいく。白髪のロングヘアーとなった南方棲戦姫もまた、艤装の後を追うように、倒れ伏しながらゆっくりと沈んでいく。

 その様子を長門は複雑な心境で見下ろしていた。そんな長門に、南方棲戦姫は小さく笑みを浮かべる。

 

「ナンダ、ソノ顔ハ? 勝者ガスルヨウナ顔デハナイワネ?」

「……最初こそ、お前を必ず沈めるのだ、と考えていたのだがな。お前があの大和だというならば、複雑にもなるだろう。本当のお前がどう思っていたのかは知らないが、私にとって少なくとも大和という存在は、誇りある戦艦の仲間であると認識しているのだから」

「……フン、誇リダノナンダノ、ソンナ綺麗ナ言葉ハ、我ラニハ意味ヲ持タナイ。我ラニトッテ、意味ノアルコトハ、我ラノ敵ヲ全テ沈メル事……。誇リダノ信念ダノ、ソシテ仲間トイウ言葉モマタ意味ハナイノヨ」

「では何故貴様は、兵器としての自分に拘った? 少なくともお前は、兵器で在ろうとしたのだろう? それは兵器としての誇りがあったからじゃないのか? ホテルと揶揄される自分が許せない。兵器としての、世界に誇れる戦艦としての自分を示すために、私という存在を嫌悪し、沈めるのだと意気込んだのではないのか? ……戦艦の矜持がお前の中に確かにあったんじゃないのか!?」

「――――」

 

 長門の言葉に、南方棲戦姫は沈黙し、目を開く。呆然としたその表情に、怒りや恨みという感情は存在していなかった。震える瞳が、そっと長門を見上げる。相変わらずそこには複雑な眼差しをしている長門がじっと見下ろしていた。

 だがその顔はどんどん遠くなる。

 その顔が潤み始めた。涙が浮かんだからではない。気づけば自分はまた海の中へと入っていた。だが長門に触れようと知らず手を伸ばしている。艤装は南方棲戦姫の体から離れようとしていた。

 

(――ソウ、カ。私ニモ、アッタノカ……誇リ、トイウモノガ……)

 

 何度も口にしていた言葉に、戦艦としての意地が、誇りが含んでいた事に彼女は気づいていなかった。それだけ彼女の感情は怒りと憎しみにまみれていたから。

 それが敗北によって取り払われた今、じんわりとその心に染み込んでいた。だがその心を宿す肉体はどんどん崩れていく。まるで壊れた船の残骸のように、細かな破片が海の底へとばらばらになって落ちていく。沈みゆく中で南方棲戦姫は、それでも届かない海上へと手を伸ばし続ける。

 

(戦イ……私ハ、マダ……戦イノ中ニ……。イヤ、ソレハ間モナク叶ウ……。我ラハ不滅……再ビ私ハ、深海棲艦卜シテ蘇ルハズ……)

 

 だがどうしてだろうか。あの時のようなどす黒い感情がほとんどない。まるで落ち着いた気持ちの中で彼女の意識が薄れ始めているのだ。

 光が差し込んだ。小さな光だ。それは長門の回復した右手に殴られた頬へと差し込み、小さな光の粒子となって舞い上がっていく。

 頬には熱がこもっていた。冷たくなっていく体、冷たい海の中で、その熱がじんわりと自己主張している。

 

(ソウ、ワタシモ、ワタシモ……モウ一度、ヨミガエル……。他ノ奴ラノヨウニ……次コソ、負ケテナルモノカ……長門……)

 

 再び深海棲艦として蘇り、長門と再戦するのだと願いながら、南方棲戦姫は完全に崩れ落ちた。

 だがその体から離れた小さな粒子は、南方棲戦姫と分離した一つの艤装へと集まって行き、浮上していく。

 南方棲戦姫が沈みきり、撤退しようとした長門だったが、静かに浮上してきたそれに気づいて振り返った。

 

「これは……」

 

 それは主砲だった。戦艦主砲である三連装砲。だがどういうわけか魔物の艤装ではなく、完全にむき出しとなっている兵器としての三連装砲である。そっと手を伸ばしても、深海棲艦特有の負の力は感じられない。

 辺りを見回しても南方棲戦姫から離れたと思われる艤装や、蹴散らしていった深海棲艦の死体はない。ただ一つ、これだけが浮上してきたのだ。

 

「どうかしましたか?」

「……どういうわけか、これだけがまた浮上してきた。今までこういったことはなかったはずだが……」

 

 戦いが終わって死体や艤装がまた浮上してきたケースはなかったはずだ。深海棲艦は撃沈されれば例外なくそのまま沈んでいく。だがどういうわけか、この主砲はその前例を覆した。これは何かあるかもしれない、と思わせるには十分なもの。

 通信が回復したようで、凪から言葉がかかった。

 

『持ち帰っていいよ。俺が責任を取る』

「わかりました」

『……無事でよかった。お疲れ様、長門』

 

 安堵したような凪の声を聞きながら、長門はそれを持ちあげる。「いえ、運が良かっただけですよ」と応えながら神通達と共に帰還していった。

 苦しい戦いだったが、今回も生き延びる事が出来た。

 一瞬死を覚悟したが、無事に終わって何よりである。新たな実例を手に、南方棲戦姫との戦いは辛勝によって終わりを迎えたのだった。

 

 

 




今でこそダイソンといったらあの人になっちゃいますけど、
たぶん元祖ダイソンって、南方棲戦姫ですよね。
5-3だったり5-5だったりで、壁になりますし。

そんな戦姫ちゃんのイベ復帰、もうないですかね……。
ボス前ブロックをダイソンやお姉さんに奪われ
ダイソンの立場もあの人に奪われ
夜戦火力第一位も、ろでおに奪われ
「戦姫」仲間も増えない……。

南方棲戦姫の明日はどっちだ。


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宴会

 海は元の青さを取り戻していた。指揮艦へと戻った長門達はすぐさま入渠ドックに送られたが、そこに凪がやってきて長門の調子を確かめはじめた。

 通信こそ不能になっていたが、偵察機から送られてきた映像はノイズが走っていながらも健在だった。つまり、声は届かなかったが、長門が轟沈しかけた光景は目にしていたのだ。

 

「……無事なんだな?」

「……ご心配をおかけした。すまない」

「まったく、随分と無茶したものだね。あいつとの因縁を終わらせるためとはいえ、轟沈一歩手前まで対峙し続けるなんて……もう少し自分を大切にしたらどうだい? 俺としては、君に消えられては困る。すごく困るんだからな」

「……はい。以後、気を付ける。本当に、申し訳ない」

 

 長門は何も反論しない。東地の加賀から渡された応急修理女神があったからこそ生き延びられたようなものなのだから。それがなかったら、高確率で轟沈していたと自分でもわかっている。

 だから素直に頭を下げた。

 そんな長門を軽く抱きしめ、凪はそこに彼女がいることを改めて確認する。そして背中を軽く叩き、「入渠してきなさい」と告げ、他の艦娘達の様子を見に行った。

 そんな彼の後姿を見つめ、そっと右手を見下ろす。そこには一瞬失われたものがあった。でもこうしてここに戻ってきている。ああ、生きているのだ、という気持ちと、自分は人ではないのだ、という気持ちが複雑に絡み合う。

 そして彼は変わった。まさか抱きしめられるとは思わなかった。最初に会った時とは違う。生きていてくれることを喜ぶあまりあんな事をするなんて。

 でも凪は深く考えてはいないだろう。恥ずかしいという事よりも、帰って来てくれて嬉しかったという気持ちの方が勝ったからこそああしたに違いない。そんな風に分析できるくらいには、長門も凪の事が少しずつ理解できていた。

 そんな彼をもっと理解する前に、自分は別れの言葉もなしに沈みかけていたのか。南方棲戦姫との因縁を終わらせるために。

 

 そんな事、出来るはずがない。

 

 後悔が浮かんできた。あの時の自分を殴ってやりたい、と今になって思えてきた。

 ああ、自分は彼の下にまだまだ居たいのだ。長門はそう思えるくらいには海藤凪という人物を信頼し始めているのだった。

 

 

 トラック泊地に帰還した凪達はここで一泊する事となる。越智も帰還したようだが、彼は指揮艦に残ったままだった。それだけあの戦いによって憔悴してしまったらしい。

 無理もない。意気揚々と主力を送り出してみれば、生き残ったのは少数なのだから。

 那智、羽黒、千代田改二、吹雪、龍驤、白露、朝潮、古鷹、時雨、村雨、青葉、最上。

 計十二人しか生き残らなかった。

 戦艦、空母、軽巡は全滅。特に戦艦と空母が全滅というのは越智にとっては大打撃と言っていいだろう。彼の信じた大型鑑主義がものの見事に崩れ去り、完全敗北を喫したのだから。

 これはほぼ間違いなく大本営から通達がくるだろう。ご愁傷様としか言えない。

 そして持ち帰った戦艦主砲だが、どういうわけか46cm三連装砲となっていた。深海棲艦の艤装の時は16inch三連装砲だったと思うのだが、何があったのだろうか。長門の報告では南方棲戦姫は自分を大和だと名乗ったそうだが、それが影響しているのだろうか。

 何もわからないが、とりあえず凪は東地の執務室から美空大将へと連絡を入れることにした。

 

「呉鎮守府の海藤です。本日ヒトロクマルマル、南方棲戦姫の討伐に成功いたしました」

「そうか。そちらは東地だな? ……越智はどうした?」

「あー、それがですね、美空大将殿……」

 

 東地が何があったのかを順に報告していく。美空大将は静かにそれに耳を傾け、煙管を吹かせていたが、やがて報告が終わると「大方予想通りというべきか」と煙を吐き出しながら呟いた。

 

「なんにせよ勝利できたことは喜ばしい事よ。ご苦労であった、海藤、東地」

「はっ、ありがとうございます」

「越智はどうなさるんで?」

「さてな、あれは私の下にいる輩ではないからな。だが今までの例を踏襲するならば、首は飛ぶ。犠牲になった艦娘が多いからそれは免れないでしょうね」

 

 東地の問いかけに美空大将は淡々と答えた。自分の下にいないから庇うような事もしない。逆に言えば越智を推挙した誰かの立場が若干揺らぐかもしれないという事なのだが、美空大将にとってそれは歓迎する事なのだろう。

 

「空いた席って……」

「……淵上さんが座る事になるだろうさ。そうなのでしょう、美空大将殿?」

「今年の主席が座るだろうから、そういう流れになるわね。海藤、貴様の近所になるのだからよろしくしてやる事ね」

「善処しますよ」

 

 やれやれ、と小さく息を吐く。

 彼女の本性を知っている身としては少々心配なところがあるが、でもどこかで楽しみにしている自分がいるような気がした。女性に慣れてきた、とは大きく言えないが、多少なりとも免疫が付いてきたのだ。今なら何とかなるかもしれない。

 と、そこで凪は一つ報告する事があったことを思い出す。

 

「美空大将殿、戦果の他に報告する事が」

「なんだ? 聞こう」

「南方棲戦姫を撃沈した際に、戦艦主砲が浮上してきました」

「……ほう? どういうことかしら? 詳しく話しなさい」

 

 凪は長門が拾った物について話し始める。静かに聞いていた美空大将は、少しずつ驚きに目を開き始めた。彼女にとってもそれは前例のない事だったのだ。

 興味深そうに口元に指を当てながら思案し、一つ頷く。

 

「それは貴様が持ち帰れ、海藤。そして呉鎮守府に保管しておきなさい」

「よろしいのですか? 大本営へと送らなくても」

「そんな代物、今の輩に見せびらかすものではないわ。貴様が持ちなさい。後に私がそっちに行って確認する」

「わかりました。厳重に保管いたします」

「貴様の工廠妖精で先に調べてくれていても構わないわよ。得られる情報は早く入手するものだからね」

 

 保管も情報入手も全て凪に任せる、と彼女は言った。確かに凪の趣味の関係で工廠妖精とは仲良くなっている。その力を借りれば多少なりとも調べることは出来るかもしれない。

 一礼した凪へと美空大将は微笑を浮かべ、そして東地にも視線を移す。

 

「貴様達には後日報酬が送られるでしょう。期待しておきなさい」

「もしかして、新艦娘だったりしますかね?」

「さて、どうかしら。それを楽しみに待つ、というのもおつなものよ。ではゆっくり休み、帰還しなさい。お疲れ様」

「はっ、失礼いたします」

「お疲れ様でございます。美空大将殿」

 

 敬礼をすると美空大将は返礼し、通信を切っていった。そこで東地は大きく息を吐いて 椅子に座り込む。柄にもなく緊張しているようだが、彼としては美空大将と通信をするのは初めての事だったのかもしれない。無理もない事だろう。

 

「お前さん、いつもあの人と通信してるんだろ?」

「いつもって程ではないな。報告する時とか、それくらいしかしないぞ」

「……慣れてしまってんだろうなぁ、お前さんは。何あの人。女傑って感じがして雰囲気やばいんだけど。威圧感すげぇぞ」

「今日は越智の件があるからそれが出てしまってたんじゃないか? いつもはもう少し落ち着いとんぞ」

 

 そう言いながらソファーに座る凪。東地も立ち上がり、凪へとお茶を淹れてくれる。いつもなら加賀がしてくれるが、今は宴会の準備をしてくれているようだ。

 湯呑を置き、対面に座ると「女性が苦手だったはずなのに、この三、四か月でどうしちまったんだい?」とにやにやしながら湯呑を掲げる。凪も軽く湯呑を掲げ、「そうでもないって」と首を振る。

 

「まだまだ美人相手にはきつい」

「あー、美人。長門さんとか加賀さんとか妙高姉妹とかあの辺りかね」

「せやな」

「……美空大将殿も見た目で言えば美人に含まれると思うけど」

「……美人である以上に、あの人は気迫がやばい。後、裏に色々抱えているから、それを考えて胃が痛い」

「そっちかー……」

 

 そんな事を話している中、切り出すタイミングを窺っていたが、今がその時だろう。

 お茶で唇を濡らし、一息ついた凪は湯呑を置いて頭を下げる。

 

「……それと、茂樹。感謝する」

「ん? なにが?」

「応急修理女神、長門に渡してくれて。おかげで長門は沈まなかった。ありがとう」

「ああ、それ。別に構わねえよ。それに俺は指示してないしな。女神こそ加賀さんに渡したけれど、それを長門に渡したのは加賀さんの意思さ。礼を言うなら、加賀さんにでも言っておいてくれや」

「わかった。……それと女神の補填は――」

「――それも必要ねえよ。そうだな、一つ貸しにしとくだけでいい。いつか、俺がピンチになった際にでも、返してくれや。それでいいよ」

 

 軽い調子で笑いながらそう言うのだが、応急修理女神はなかなか生み出せない代物だ。そんな高い物を軽々と貸し一つと言うあたり、東地の凪に対するフランクさが窺える。

 だが悪い借りではない。裏表のない貸し借りの関係を築けるのも、東地ならではのいい性格があってこそ。だからこそ凪は彼の事を、凪にとっての唯一の友であり、親友であると思える。

 そんな彼に深く感謝しながら準備が整うのを待ち続けるのだった。

 

 

 そして夜、トラック泊地の敷地で大宴会が行われる事となった。呉鎮守府の艦娘達も混ざっての宴会である。だが、越智はさっさと佐世保へと帰ってしまったらしい。あんな事を言っておいて敗北を喫したのだ。二人の前に顔を出せないのだろう。

 だが凪と東地としてはもうあの顔は見たくもないものだったので、全然構わないのであった。飯がまずくなる要因はいない方がいい。間宮が作ってくれた料理に舌鼓を打ち、ジュースや酒を浴びる程飲む。

 今回も胃が少し痛くなったが、前回のように日々ストレスを感じていなかったので、まだ食べられる凪。そんな彼に付き添うように神通が様子を窺っていた。何を食べるのか、何を飲むのかを訊き、それを取りに行ってくれる。

 倒れた時におかゆを作ってくれただけでなく、食べさせてくれたという経験があるからか、こういう場でも甲斐甲斐しく世話をしてくれている。

 その様子を見て東地は「なんだなんだぁ? 秘書艦って神通さんだっけ?」とにやにやしながらからかってくる。

 

「いや、秘書艦は長門だけど、なんか呼ばれてどこか行ってしまった」

「呼ばれた? 誰に?」

「利根だったかな……向こうに――」

 

 と、指さした先には何やら艦娘達が集まっている。その中心には、何やら肩車をされている誰かが見えた。ぱっと照明が当てられると、その正体が明らかになる。

 それは腕を組み、付け髭とツインテールを揺らし、ご丁寧にマントまでなびかせて勇ましく叫んだ。

 

「ふっはっははははは! 匂う、匂うぞぉ……! ご馳走の匂いじゃあ! 見渡す限りの美味い飯に美味い酒! おっと、隠そうとしても無駄じゃあ。我が索敵からは逃れられんぞ! それらは全てこの吾輩、利根丸が頂こうではないか! そら、ナガト・ナガト! 駆けるがよい!」

「が、がおー……!」

 

 なんだろう、あれは。自分は幻覚でも見ているのだろうか。そう思いたくなるほど、凪は困惑していた。眉間を揉み、もう一度見る。

 幻覚ではない。

 長門がマントをなびかせ、利根を肩車して駆け回っている。

 なんで長門? あれか? 頭の艤装が鬼のようだからか?

 しかも新たに二人の少女が高所から飛び降りてきた。

 

「ふっふーん! 夜戦仮面参上! さあ、利根丸にご馳走を捧げるのよ!」

「従わない子達はどこかしらぁ? ぶっ飛ばされたくないなら、大人しくした方がいいわよ~?」

 

 わかりやすい、実にわかりやすい。

 目元を隠す仮面をつけているようだが、あれは川内と足柄だろうか。艦娘としての衣装を改造している辺り、準備がいい。利根、川内、足柄と今の二水戦メンバーで集結しているようだが、残りの球磨、夕張、皐月は何処へ行ったんだろうか。

 視線を動かして探してみると、皐月は観客として見つけた。球磨ももぐもぐと料理を食べながら見守っている。隣には北上がいた。夕張は……裏方だろうか。照明係でもしているんだろう。

 となると……もしかして、と出てきそうな所へと視線を移した瞬間、「まてぇーーーい!」と勇ましい叫び声が聞こえてきた。

 

「むむ、何奴!?」

「勝利に浮かれる人々の、大切なご馳走を奪おうとする悪逆非道な行為、断じて見過ごすわけにはいかないっぽい!」

「大人しく、正義の鉄槌を受けてくださーい!」

「ええい、吾輩達に楯突こうと言うのか! どこだ!? 出てこい!」

「とぅっ!」

 

 スポットライトがある一点を指し示す。利根と長門、観客達の近くへと降りていった川内と足柄達の視線、そして観客達も一斉にそちらへと見やる。

 そこには四人の人影がいた。一斉に膝立ちし、そして一人が立ち上がって前へと出る。

 

「ソロモンの狂犬、夕立!」

「そ、ソロモンの黒豹、綾波……!」

「蘇りし不死鳥、響」

不沈(しずま)海狸(ビーバー)、雪風!」

「ぶふっ……!?」

 

 いいのか!? 海狸でいいのか!? もっといい異名あるだろ!?

 と、凪が思わず心の中で突っ込みながら酒を吹き出す。恐らく動物系の二つ名で統一しようと相談し合ったのだろうが、雪風と言ったら幸運の不沈艦だったり、あるいは死神だったり、はたまた異能生存艦と動物系がなかなかない。というか後者は物騒というか、雪風にとってはあまりよくない思い出を彷彿させる。

 そこで艦娘としての特徴……鼠系統に行きついたんだろう。あの娘達なりに知恵を出し合った結果……だと信じたい。

 一人ずつ立ち上がって名乗りを上げると、最後にそれぞれポーズを決めた。

 

『我ら、一水戦駆逐カルテット!』

 

 デデン! とどこかで聞き覚えのある効果音と共に、ポーズを決める四人の背後で爆発が起こる。しかも川内と足柄と同じく、それぞれ服をちょっと改造してヒーローっぽく仕上げていた。お、雪風もしっかりスカートを履いている。良かった良かった。

 あ、大淀もいないと思ったら、また裏方をやっていたのね、と思いながら神通に渡されたタオルで口元を拭く。

 

「……いいの? あれ?」

「よろしいんじゃないですか? あの子達の元気さが見られますね」

 

 と、あの娘達の上司である神通はにっこりとしている。

 まるで戦隊ものだ、とあの時印象に残った一発芸が、あそこまで膨らむとは思わなかった。しかも二水戦まで巻き込むとは。いや、もしくは二水戦の三人が乗っかっていったのだろうか。

 

「駆逐艦が吾輩らを相手にするじゃとぉ? 小癪な! やれぃ! 夜戦仮面、餓狼仮面!」

「やっせん! やっせん!」

「アイサー!」

「突撃っぽーい!」

 

 そうして始まった戦隊ものの戦い。ただの寸劇ではあるが、どちらも楽しげに戦いを繰り広げている。そして観客らも楽しそうだ。特にトラック泊地の駆逐艦が、夕立達を懸命に応援している。

 神通もどこか楽しげに見守っていたので、何気なく「参加しなくて良かったのかい? 一水戦旗艦さん?」と問いかけてみる。

 

「いえいえ。私が参加してしまうと、演劇どころでは済まなそうな気がします」

「……はは、ご冗談を」

「ええ、冗談です。本当は私のキャラじゃなさそうなので。あの子達が楽しげにしているのを見ているだけで十分ですよ。それに、いつの間にか姉さんも参加しているようですし、ますます見ているだけで楽しそうですよ」

「おや? 聞いていなかったのかい?」

「ええ。でも姉さんの性格からして、私を巻き込んでくるものと思っていましたが、何もなかったですね。大方利根さんが念入りに口止めしていたのものと考えますが」

 

 ああ、利根ならしっかりと根回しをしてくれそうだ。ところどころ抜けている所があるが、あれでも重巡のお姉さんである。やる事はしっかりやる。今回もそれに従って、とことんやりきるつもりなのだろう。

 この宴会に添える花として。

 

「ぬわー!?」

「ちょ、ちょっと、やりすぎよ! 打ち合わせと違、い、いたっ……!」

 

 今、下っ端役の川……夜戦仮面と餓狼仮面が倒されてしまった。何やら響が足蹴にしている餓狼仮面が喚いているようだが、響は気にした様子もなく、クールな表情を崩さずに指を天へと立てて勝利のポーズをしている。

 その様子を見て利根丸がぐぬぬ、と悔しそうに拳を震わせた。

 

「ええい、情けない! ならばナガト・ナガト、行くがよい! お主の力を見せつけるのじゃ!」

「……ほ、本当にやるのか?」

「適当に立ち回ってやれぃ。こういうのは雰囲気じゃ、流れじゃ」

 

 後ろに飛び降りて指示を出すと、長門が利根へと心配そうに小声で問う。利根もさっさとやれ、とでも言うように小声で打ち合わせしながら、しっしとけしかけていく。

 ああ、慣れてないんだろうな、と凪は少し同情する。

 困惑しながらも今の自分は敵役だ。それをこなさなければならない、と自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟きつつ、長門は「が、がおー……!」と安易な怪獣のようなポーズで夕立達へと向かっていった。

 それでも駆逐艦達にとっては良いヒーローショーになっているようで、懸命に悪役に徹している長門の様子も楽しんでいる。

 

「それにしても、いい娘達じゃねえの。宴会芸まで持ってるなんてよ」

「俺としても驚きなんやけどな。どこからああいう情報を……」

「最初にあれをしたのも、聞いてみればネットとかで見てきたみたいですよ」

「ネットかー……」

「ええ。動画サイトとか、あるいはネットゲームだとか……。休憩の際や休日に巡っているみたいです」

「ネトゲもかい。……神通はそういうのは?」

「少しだけ、ですね。私としてはそれよりも訓練の指導を行っていることが多いので」

「まあ、そうなるか」

 

 艦娘達のプライベートまでは凪も踏み込むつもりはない。ちょっとした驚きを感じながら新しく注いだ酒をいただく。神通も一口含みながら「お二人は何かしてらっしゃいますか?」と問いかけてきた。

 

「あー、海戦ゲームをね。アカデミーの頃にこいつを誘ってからちょこちょこやってるよな」

「海戦ゲーム?」

 

 神通がその言葉の響きに少し食いついた。どういうものかを説明すると、ますます興味深そうにしている。

 

「なんだい? 君もやるかい?」

「ええ、そうですね。帰ったら教えていただけますか?」

「……いいよ」

 

 海戦という響きに興味を示したのだろう。あの神通がのめりこんだらどうなってしまうんだろう、という疑問と興味が凪にもあったので、断る事はなかった。

 見れば演劇は終わりを迎えようとしている。ナガト・ナガトが倒され、ついには利根丸をも討ち倒しにかかっている。

 

「ソロモーン、キィィィック!!」

「ぬわあああぁぁぁ!? ば、ばかな、この吾輩がああぁぁぁ…………」

 

 それ、大丈夫なんだろうか、と思える飛び蹴りを以ってしてとどめとし、見事ヒーローは悪の親玉を倒した。これによって宴会のご馳走は守られたのであった。

 戦隊っぽい集まりをしているのに、とどめはその次のニチアサの必殺技なんだな、と最後まで心の中でツッコミをする凪だった。

 

「それにしても、見事なヒーローと悪役っぷりだなぁ。うちの娘達も真似しそうだわ……」

「え、広めるの? 取り入れちゃうの? 大丈夫?」

「……ま、いい宴会芸だろうよ。そういうのは、じゃんじゃんやってこうぜ」

「お、おう。まあ、そっちがいいって言うんなら、俺は止めんよ。……あの娘達が自発的にやっちゃったもんやけど」

 

 そしてあれが本当にトラックの艦娘達に取り入れられてしまうのかは、提督達にはまだわからない。プライベートや趣味までは口出しする権利はあまりないのだから。

 演劇も終わったようで、艦娘達が一礼してはけていく。それからいいものが見られたと感想を言い合う艦娘達をよそに、提督は提督同士、ゆっくりとこれから飲み明かしていくのだった。

 

 

 

 

「――――情けない。それでも大和の生まれ変わりか。よもやあんな艦隊に敗れるとは」

 

 それは深いため息をついた。

 暗く冷たい世界の中、無数の艦の残骸が散乱している。光も射さない海の底、小さな蒼い灯りだけがその世界を照らしていた。

 ヌ級の頭部のようなものに腰掛け、それは不機嫌そうに頭を掻いている。報告を耳にし、どうしてあんな無様な姿を晒したのかを思案するが、理由があまり思い浮かばない。

 

「だが、あれでも役には立ってくれたか。ソロモンの海に、死体を多く積み上げたのだから。あとは、佐世保の艦隊を崩した。これで奴らの戦力はまた減ってくれたろう」

 

 それの姿ははっきりとは見えない。人のような形をしているが、肉体というものがはっきりとしていないのだ。モヤのようなふわふわしたものが存在し、生物の骨らしきものがうっすらと見られる。

 目らしきものには蒼い光が灯っており、深海棲艦のように燐光の粒子が立ち昇っている。

 そんな不可思議なものが、ヲ級やタ級がするようなマントを頭から被っているのだ。

 

「……ああ、でもあの力はやはり完全ではないな。次、同じようなものを搭載し、それでも上手くいかないならば捨てるとしよう。……誰かある」

 

 呼びかけながら骨の手を軽く叩く。からからと音が響き、それに応えてタ級がすっと現れた。それはタ級へと手を挙げ、「ソロモンの奴らに通達。あれの建設準備を急がせろ」と指示をすると、タ級は一礼して去っていく。

 タ級を見送るとそれはゆっくりと上を見上げる。

 その先には暗くて何も見えない。天井のようなものがあるが、それはその先を見上げているのだろう。

 遠い空は今頃月が出ているだろうか。星は見えるだろうか。

 でもそれにとって、その空は届かず、見えぬもの。

 自分にとっての世界とは、この深くて暗い死の世界。数か月ほど前に目覚めた時にはここに生まれ、頭の中によぎる言葉に従って動くだけの存在となっていた。

 

 仲間を増やせ。

 艦娘を沈めろ。

 死を振り撒き、海を制し、蹂躙するのだ。

 

 逆らう事など出来ない。自分はただ、その言葉に従うだけの存在。

 こうなる前の記憶はそれには持ち合わせていなかった。この現象はある意味、南方棲戦姫や泊地棲姫と同じと言えよう。

 だが、それにとって自分の過去などどうでもいい。ただ頭に響く声に従っていれば、この世界に留まれるのだから。

 

「次は、これを使ってみるか。大和がダメだったんだ。ならば、こっちなら、上手くいくかもしれない。あとはどのように構築するか、だなぁ……」

 

 そこにあったのは戦艦の主砲の残骸だった。他にも船体の装甲に使われたと思われる金属もあり、視線を向けて思案している。その中で、先程の報告が頭にちらっとよぎった。

 南方棲戦姫を落としたのは、呉鎮守府とトラック泊地の艦隊であったと。

 呉鎮守府といえば、少し前に艦隊が壊滅したという情報が共有されている。だというのにたったの三か月で参戦し、生き延びてきたというのか。それが不思議でならない。

 

「呉鎮守府より来たれり艦隊、か。……まあ、いいや。私にとってはまだ脅威に成り得ない存在だろう。トラック泊地やラバウル基地の方が目の上のたんこぶかな。いい加減、落ちてくれないと、私としては困るなぁ……」

 

 ぶつぶつと呟きながら、それはそっと主砲を撫でる。

 果たしてこれからどんな深海棲艦を生み出してくれようか。白髪続きだったから、黒髪でもいいかなぁ。そんな事を思いながら、それは次の作戦を進めるのだった。

 

 

 




これにて2章が終了となります。

次回から3章となりますが、その舞台はお察し頂けているかと思います。
拙作の時系列の流れは、ほぼブラゲー版に沿っております。

お気に入りやUAがまた増えて困惑とありがたさがあります。
感想など頂ければ励みになります。
これからも拙作をよろしくお願いします。



越智提督の艦隊ですが、ああいうやり方は実際当時の南方棲戦姫の攻略部隊でありました。
ボス前の潜水艦を祈ってやり過ごし、戦艦だけ、あるいは戦艦空母だけで殴りに行く。
当時の艦これ的には駆逐艦や軽巡、そして重巡の悲惨さから編成に入れる余裕はなく、
大型艦のみで殴るか、あるいは潜水艦でゲージを削っていく戦法が採用されていました。
しかも当時は中破轟沈説がありましたから、より難易度は高いです。
越智提督はその当時のやり方を行ってもらいました。
ゲームとは違うので、実際潜水艦に当たったらこうなりますよ……となってしまいましたが。
今でこそ色々変わっておりますが、4-5、5-5などでは大型艦正義はまだ健在ですね。(戦艦空母のみ編成)




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3章・ソロモン海域
帰還


 その部屋には、年配の男女が集まっている。会議室と思われる場所で彼らは先日の南方棲戦姫との戦いについて話をしていた。

 その中の一人、美空大将は手元にある書類を手に語っていた。

 

「――との報告がある。もはやそういう輩は、淘汰されるべき段階に入っているんじゃないかしら? ねえ? 戦果稼ぎに現を抜かす大将殿?」

 

 呉の海藤、トラックの東地に前座を任せ、南方棲戦姫が現れれば、彼らの手を借りずに独断で出撃。その挙句に壊滅した流れを説明すれば、周りの者達は渋い表情を浮かべていた。

 だが一人、中年の男性だけは同意するように頷いている。

 

「奴らは変わりつつあるわ。我らも、変わる時が来たという事よ。狩りの時間は終わりよ。艦娘を猟犬、深海棲艦を戦果を挙げるための狩りの獲物。いつまでもその気分が抜けきらないようでは、貴様達、死ぬわよ?」

「ふん、作業員上がりが喚くな。我らは我らのやり方で奴らを止めているのだ。事実、泊地棲姫、装甲空母姫は沈めている」

「では南方棲戦姫だったらどうだったのかしら? 南方棲戦姫という存在に、呉、佐世保にいた提督が敗れたのよ?」

 

 そこに突っ込むと、一瞬口をつぐんでしまった。それで止まるようでは、不安しか出ない。美空大将は一息ついて指を振る。

 

「勘違いしてはいけない。艦娘は獲物を狩るための猟犬ではないわ。敵を沈め、国を守る兵器よ。私を作業員上がりとのたまってくれたけど、それも否定しないわ。私達は艦娘という兵器を、どのように性能を向上させ、どのような艦娘を作りあげていくのかを決める、軍にとってなくてはならない役割を担っている。貴様達がただの狩りやゲーム感覚で、艦娘を使い潰されてはたまったものじゃないのよ。呉と佐世保だけでどれだけ沈んだと思っているの? 五十は下らないのよ? しかも高練度のものがよ? それだけの数、上手く使えばどれだけの敵を殲滅し、どれだけの命が守られたのか。貴様達にわかるのかしらね? ええ?」

 

 怒りに濡れた瞳が周囲を見回している。どちらも艦娘を人扱いしていないが、美空大将の場合は、兵器であると割り切ったうえで大切に思っていることが窺える言葉だった。

 

「これからは真摯に国防が出来る者達を据える時。でないと貴様達の首も危うくなるんじゃないかしらね? いえ、もうそろそろ刎ねられる時なのかしら?」

「改二や大和の構築が出来たからと言って、調子に乗ってきているんじゃないか、美空よ。さぞかしご満悦な事だろう。自分が推した若造が着実に成果をあげているのだからな」

「調子に乗る? ふん、まだそんな事を言っていられる余裕があるのかしら、西守大将殿? もしこの先も強力な深海棲艦が出たとして、同じような犠牲を払っていては、いずれ国が滅ぶわよ? 今の提督らの考えを維持するって言うんなら、滅ぶ手前までいった場合、貴様責任とれるのかしら?」

 

 じろり、と対面にいる初老の男性、西守大将を睨みつける。白髭を蓄え、顔にしわを刻んだ男だ。変革を良しとしない頭の固い男と呼べる人物であり、変革する時だと叫ぶ美空とは相いれない。

 そして美空と同じく変革の時だ、と考えているのが先程頷いていた中年の男性、大島中将だ。第三課に所属している美空大将の部下であり、大和構築をはじめとする作業に携わっている。

 美空大将が何を作るのかの最終決定権を持ち、また改二の根源を作りあげる。それを実際に作りあげる作業員がおり、大島中将はその作業員を監督する役目を担っていた。彼が腕を組みながら口を開く。

 

「横須賀、舞鶴、大湊の輩も危ういじゃろ? あいつらも協力するという事を知らんからなぁ? 南方棲戦姫に敗れた二人は協力しなかったから自滅した。果たして次の姫が出た場合、あいつらが出る際は孤軍で戦うのか、協力して戦うのか……。儂としてはそういう輩にはとっとと退場し、頭の柔らかい若造についていてもらいたいものじゃのう?」

「それはラバウル基地の深山にも言える事だと思うが?」

 

 西守大将の反論も正しい。先の南方棲戦姫との戦いでは、最後まで南下するコースを塞ぎ続けることに専念し、戦いに参加する事はなかった。だが最初こそ戦闘は行ったようで、出足を挫き、西に進む事を防ぎ続けたらしい。

 

「横須賀、舞鶴、大湊の奴らを責めるならば、ラバウルの奴も責めるのだな。とにかく、今の段階では首を挿げ変える事は反対する。だが、佐世保の空いた席には、予定通り美空、貴様の姪を座らせればいい。それに対して我らに異議はない」

「……そう。なら今はそうすることにしましょう。でも次も同じような事になったならば、考えものだという事を覚えておきなさい。深海棲艦の脅威から国を守る。それが私達の役目だという事をゆめゆめ忘れないように」

 

 そう告げる美空大将の目は揺るぎない意志を秘めていた。

 彼女は本気で今の大本営のやり方に不満を持っている。深海棲艦に対抗するには、国を守るためには、どうしたらいいのか。

 奴らが変わると言うのならば、こちらも変わるしかない。そのための変革。実績を積み重ねて大将へと上りつめる事で発言力を高め、ここまでやってきたのだ。止まるわけにはいかない。

 凪を送り込み、そしてこれからは姪である淵上湊も送り込まれる。

 そして間もなく大和の艦娘が生れ落ちようとしているのだ。

 この流れを止めるわけにはいかない。

 凪達がそうであるように、美空大将もまたこちらで戦っているのだ。

 

 

「お疲れ様です、美空大将殿」

 

 執務室へと戻ってきた美空大将を、淵上は一礼して出迎える。不機嫌そうにしている美空大将は舌打ちしてどかっと椅子へと座り、足を組んで煙管を吹かせ始めた。

 

「まったく、頭の固いジジイどもはこれだから好かない」

「壁に耳あり、ですよ? こういうところでそういうのは控えた方が」

「そうじゃのう、大将殿。儂としても今あなたに消えられては困る。せっかく大和の完成が間近じゃというのに、その次の指示や引っ張っていってくれる頭がいなくなれば、完成が遅れてしまう」

「もしものための大島、貴様でしょう? 私が志半ばで追放されようとも、次の世代はいる。貴様や、湊達がね。とはいえ私としてもここで消える気はさらさらないわ。せめてあのジジイらには引退してもらわないとね」

「巻き込んで道連れにする、の間違いじゃないかのう?」

 

 そう茶化しながら自分の顎鬚を撫でる大島だった。そんな彼に「貴様はさっさと現場に戻り、大和の最後の詰めをしてきなさい」と追い出すように手を振る。「はっはっは、承知しましたよ大将殿。ではの、湊嬢ちゃん」と軽く手を振って退出していった。

 

「……さて、あなたにも後に正式に辞令が下されるわ。佐世保就任、おめでとう。湊」

「……はい。ですが、よろしいのですか? 次の補佐はまだ決まっていないのでしょう?」

「少しくらいどうという事はないわ。もしもの時は大淀を呼べばいいのだからね」

 

 すっと煙管を灰皿におき、手を組んで顎を乗せながら湊を見上げる。相変わらず湊は伯母が目の前に居ようとも澄ました顔を崩さない。直立不動で相対する様は、仕事とプライベートをきっちりと分けた出来る女を感じさせた。

 だがそんな彼女を少し崩してみたくなったらしい。美空は目を細めて、

 

「丁度いい機会だわ。佐世保に行く途中で呉に寄っていきなさいな」

「……何故です?」

「海藤に挨拶するのよ。アカデミーでも提督としても先輩でしょう? 提督としてのやり方も教授してもらいなさいな。それと、回収してきた主砲とやらも視察お願いするわ」

「……承知いたしました」

「それと、関西人同士でトークでも――」

「しません。何を言っているのですか」

「だってあなた、素になれる相手って海藤ぐらいしかいないでしょう? そういつもがちがちに凝り固まった澄ました顔、時には崩してみなさいな」

「しません。何ですがそれ、そんなにあたしって澄ました顔してます?」

「してるわよ? ……ああ、自分の顔って鏡で見ないとわからないか。いつまでも仮面をかぶっていられるものではないわよ。時には素を出して発散しないと、たまりにたまったものが爆発した時、反動が怖いわよ」

「…………してますけども」

「え?」

 

 ぼそり、と呟いた言葉に美空が首を傾げる。気のせいか呟いた際に少しばかり表情が崩れたような気がするのだが、一瞬の出来事だった。

 それよりストレス発散しているとは、一体何で行っているのだろうか。姪とはいえ同居しているわけではないし、プライベートには踏み込んでいない。それに大将であるが故に、そういう時間もあまりないので、彼女の事を全て知っているわけではないのだ。

 

「何か趣味でも?」

「……ええ、少々」

「ふぅん。ま、いいわ。それで本当にストレス発散しているんなら良し。さ、異動の準備をしてくるといいわ。お疲れ様。向こうでも健勝で」

「はっ、大将……伯母様も、お元気で。いってまいります」

 

 深く一礼し、湊は大将と部下してではなく、伯母と姪としての立場での別れの挨拶をした

 

 

 

 呉鎮守府に帰還した凪は艦娘達をそれぞれ休ませに向かう。自分も休む、というわけにはいかず、長門が回収した戦艦主砲について調べなければならない。

 埠頭には凪達が乗っていた指揮艦だけではなく、もう一隻の船がいた。大本営から送られてきた防衛部隊だ。待機していた大淀が敬礼してくると、凪も返礼する。

 

「お疲れ様です。これより防衛部隊、帰還いたします。こちら、報告書になります」

「ん。今日までありがとう。美空大将殿にもお礼を申し上げておいて」

「はい。では、失礼したします」

 

 敬礼して乗船し、汽笛を鳴らして出港していった。報告書に軽く目を通すと、呉鎮守府に襲撃はなかったようだ。消費した資材の一部はこちら持ちとなるが、戦闘していないならば出費はそう多くはない。

 それを呉鎮守府の大淀に手渡し、長門によって主砲を工廠へと運ばせると、早速工廠妖精を呼び寄せる。

 海軍の制服から作業服へと着替えると、置かれた主砲に触れてみる。妖精達も触れて調べ始めているようだが、残念ながら彼女らの言葉はわからない。そのため、同席してくれた夕張や大淀が通訳をしてくれることとなった。

 運んでくれた長門は療養させた。応急修理女神で復活したとはいえ、轟沈しかけたのだ。その影響力が残っていないとも言い切れない。休め、と有無を言わせずに寮へと向かわせたのだった。

 

「いったんばらした方がいいか?」

「……ちょっと待ってほしいそうです。えっと、なにかがこびりついているとか」

「こびりついてる? ……なにが?」

「んーと、なんでしょうかね、これは……力の粒子? 深海の力ではないですね。なにか、別の物です」

 

 同じく作業服になっている夕張も主砲に触れながらぶつぶつと呟いている。深海の力が残っていれば、回収している際に気付くはずだ。それに数日かけてトラックから呉に移動してきている。

 異常があれば、その途中でもわかる。それが全くないならば、それはなくなっている証となる。

 では主砲にこびりついているというものはなんだというのか。

 

「……わからないわねえ。機械、部品、そしていじったと思われる艦の情報。これらはわかるんだけど、……うん、艦の情報の部分に付着している、この異分子がわからないの。小さな粒が無数に散らばっていて」

 

 夕張の言う艦の情報というものが、艦から艦娘へと構築する際に触れたものだ。艦が経験してきたものというべきか。それを妖精が解析、回収し、積み上げて構築する。また失われた艦の設計図も解析データとして読み取っていくため、艦の情報と呼べるものは艦娘を構築する際に重要な要素となる。

 恐らくは深海棲艦も同様にして生み出しているものと思うが、それを知る術は全くないので、完全に推論でしかない。

 

「異分子、か……。あの時、海の中で何が起こってたんやろうな……」

 

 思わず関西弁がぽろりと出てしまったが、それに気づく余裕もない程、凪はこの主砲に興味を持っていた。今までに例を見ない事例が起きた、というだけではない。かの大和の生まれ変わりと言える南方棲戦姫の落とし物、という一点が興味を惹く要因となり得る。

 タ級やル級が落としていった、という可能性もあるだろうが、浮上してきた地点が南方棲戦姫が沈んだ所なのだ。そして46cm三連装砲という点においても、これが南方棲戦姫の落とし物である、という可能性をより高める。

 

「大淀、深海棲艦ってどういうものなのか、今の時点でわかっている事ってどんなもの?」

「そうですね、深海棲艦は艦娘と同じく、かつての艦から生まれたと推定されていますが、その在り方が真逆です。それはまさしく艦の怨霊といってもいいでしょう」

 

 怨霊、それはまさしく南方棲戦姫の言動からも窺える。

 あれはまさしく大和の怨霊と呼べるものだった。長門を恨み、戦艦としての自分を取り戻すために暴走する。その過程で艦娘達を自分達の仲間に引き入れようと沈めていく。

 深海棲艦という呼称を取り除いてしまえば、かつて海を駆け抜けた艦の怨霊と呼ばずして何とする。

 

「深海棲艦からやってきますが、沈めても沈めても際限なくやってくるので、どこかに本拠地があってもいいものですが、その場所も不明です。現段階ではソロモンが怪しいとされているのですが、何分深海ですので、我々が調査の手を伸ばす事が出来ないのが難点ですね」

「……潜水艦の艦娘がいないんだっけか」

 

 そうだ。深海棲艦はカ級やヨ級という潜水艦がいるのだが、艦娘側にはまだいない。

 大和を構築中だという噂は聞いているが、それ以外については耳にはしていないので、潜水艦を作っているかどうかは知らない。だが、敵に潜水艦が確認され始めているのだ。着手していてもおかしくはないのだが、それは美空大将が決める事だ。

 

「怨霊……怨霊ね」

 

 その言葉を反芻しながら凪はそっと主砲を撫でていく。

 

「沈め、しずめ……鎮め……。まさかね」

 

 そういう言葉遊びというものは昔から日本人が好きそうなことだ。沈めることは鎮めるに通じる。

 深海棲艦は艦から生まれし怨霊、荒魂(あらみたま)ともいえるものかもしれない。それに対して、艦娘は艦から生まれし守護霊、和魂(にぎみたま)ともいえるだろう。

 荒魂と和魂は別の物ではなく、同一の神における二面性のようなものだ。荒魂は神の荒ぶる姿、神の祟りとも呼べる一面。対して和魂は神の優しさ、慈しみを感じさせる姿、神の加護が表れた一面である。

 神を艦に置き換えれば、それは正しく深海棲艦と艦娘の成り立ちに通じるだろう。

 ならば艦娘が沈める時、深海棲艦の荒ぶる魂を鎮めていると解釈する事が出来る。とはいえそれでも深海棲艦は消えることはない。なのでこの解釈は間違っている可能性もある。

 もし、もしもこの主砲の存在がその解釈が正しいという事になるならば。

 南方棲戦姫はあの時、鎮める事が出来たのだろうか。これがその証明だとするならば、夕張や妖精の言う異分子というものが何なのか、それを推察する材料になるだろう。

 

「ゆっくりやっていこう。焦って作業をしてもいいことはないからね」

「ええ。私もこれには興味あるわ。じっくり、たっぷりといじって、これが何なのか究明しないとね……ふふふふ」

「……落ち着こうね。夕張」

 

 普通の美少女がしてはいけない顔になり、不気味さすら感じさせる笑みを浮かべながら工具を手に主砲へと近づいていく夕張。平賀成分が騒いでいるのだろうが、彼はあくまでも船の設計関係に携わっていたのであって、不可思議な分野向きではないのだが……細かい事は置いておくとしよう。

 美空大将が来るまでの間、少しでも何か分かればいいのだが。

 凪もまた工具を手に作業を始めるのだった。

 

 

 



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来訪

 

 その日、8月5日。青天が広がる夏日和。

 呉鎮守府に一人の来客が訪れていた。直射日光を避けるためにつばの広い帽子をかぶったその少女、淵上湊。夏という事もあってラフな服装をし、じわりと浮かんだ汗を拭いながら、正門をくぐり抜ける。

 着替えなどを詰め込んだキャリーバッグを引きながら歩いていると、彼女に気付いたらしい少女が駆け寄ってきた。

 

「にゃにゃ? お客さんですかにゃー?」

「……えっと、睦月だったかしら。ええ、佐世保に就任する淵上湊。その名前をあなたの提督に連絡してくれれば、わかってくれると思うのだけど」

「淵上湊さん、ですね。わかりました。少しお待ちくださいねー!」

 

 と、敬礼すると、通信を開いて鎮守府に連絡を入れてくれた。そんな彼女の後ろからじっと見上げながら近づいてくる白い少女が一人。こちらは響だろう、と湊は分析する。

 無言のまま観察されるように見つめられると、少し困ったものだ。「何かしら?」と響に首をかしげると、響は小さくこう呟いた。

 

「……見事な仮面だね。疲れないかな?」

「あら、どういうこと?」

「いやなに、うちの司令官も最初は色々と秘めていたからね。それに少し似ていると感じただけさ。違っていたらすまない。私の目が曇っていただけのことさ」

「そう。でもそう心配されるような事でもないわ。別にあたしは疲れるようなことはしていないから」

「そうか。……それと睦月。そろそろ遠征の時間だ。天龍さんが招集かける頃合いだよ」

「にゃ! もうそんな時間ですかー! あ、淵上さん。提督は工廠にいらっしゃるそうですので、そちらへどうぞ! 響ちゃんが案内してくれると思いますので! ではではー!」

 

 びしっと敬礼すると、ダッシュで埠頭の方へと駆けていった。それを見送った響はクールな様子を崩さずに「騒がしくてすまない。最近生まれたばかりだから」と一礼する。

 

「いえ、気にしてないわ」

「では、案内するのでこちらへ」

 

 響の先導に従って淵上も呉鎮守府の敷地を歩いていく。所々艦娘の姿が確認され、二人に気付くと敬礼してくる。南方棲戦姫との戦いの際に参戦したと思われる艦娘だけではなく、新たな顔ぶれも見かけられる。

 先程の睦月がその一例だろう。あれからまた建造によって仲間を増やしたようだ、と淵上は視線を巡らせながら思案する。

 やがて工廠に辿り着くと、響が開け放たれている扉を軽くノックする。

 

「司令官。客人だ」

 

 と声をかけるが、凪は奥で作業に集中していた。夕張も同様であり、黙々と戦艦主砲をいじりまわしている。凪はというと副砲の整備をしているらしく、工具でネジを締め直している所だった。

 

「あ、あっつ……なにここ……」

「夏の暑さとの相乗効果でなかなかのものだからね。あそこ、扇風機とか色々置いてるけど、それでも慣れてないと厳しいね。さて、少し行ってくるのでお待ちを」

 

 一礼して響が凪の下へと駆け寄り、とんとんと肩を叩いて呼びかける。そこで気づいたらしく、凪は響の指さしに従ってようやく淵上に視線を向けた。

 それは意味が分からない、と言う風な表情をしていた。当然だろう、なにも聞いていないのに、目の前にあの淵上湊がいるのだから。

 しかし客人として来たならば応対しなければならない。タオルを手に汗を拭きながら入口へと歩き、

 

「……何してんです?」

「今日、佐世保に就任するから、その途中で挨拶に。あと、美空大将から例の主砲についてどんな感じなのか、訊いてくるように、と」

「ああ、なるほど。今日だったのね。就任おめでとう。色々あると思だろうけど、頑張って」

「どうも。それで、戦艦主砲についてはどんな感じなの?」

「ああ、あれね。あの通り今は置いてある。実際の艦の主砲となったらもっとでかいし、俺らが持ち歩けるものでもなくなる。艦娘の艤装に近しい大きさで助かったね。いったんばらして色々調べてみたんやが、細かな謎の粒子がついている、っていう以外は今んところはわからんね。もっといい設備があるんなら深くまで踏み込めそうではあるんやが、今はほら、あそこ。粒子を抽出して固めるぐらいしか出来んかったね」

 

 そう言って示したのは、夕張の傍らにある球体だ。艦の情報と共に粒子を集めて一つの鋼材に加工したのである。だが球体と主砲を離し過ぎると、主砲が異常な挙動をするので、近くに置いておくしか出来なかった。

 誰も操作していないのに主砲の仰角が勝手に上下したり、がたがたと振動を引き起こしたりと、まるでポルターガイストのような現象を起こしている。さすがに弾薬はないので、主砲をぶっ放すことは出来ないが、あったらおそらく撃ち放っているだろう。恐ろしい事である。

 

「異分子、と呼べるものだね。今まで見た事がないし、公開されているデータにも存在しないパラメータを示している。そして夕張だけやなく、他の艦娘らも感じた事もない力の気配。正直言って、あれ以上俺らが出来る事はほぼないと言っていい状況にある、というのが現状かな」

「なるほど、わかったわ。少し主砲を見てもいい?」

「どうぞ」

 

 先程から関西弁交じりで説明しているが、淵上はスルーしていく。だがぴくぴくと頬が動いている事から、つっこみたいけどつっこめない、という雰囲気だろうか。自然の風に当たりながら、置いてあった水を飲み、淵上に合流する。

 彼女はそっと主砲に触れるが、それで何か分かるわけではない。彼女はあくまでも提督としての知識を学び、そして大将の補佐をした人物。作業員としての知識はアカデミーで少し学んだ程度でしかなく、専門ではないので当然の事だった。

 

「艦娘の艤装というわけではない?」

「ん、違うよ。深海側の主砲が変化したもの、やね。でも、艦娘の艤装によく似たものでもあるね。開発した46cm三連装砲と並べてみたけど、驚くくらいよう似てる。でもうちの長門には適合しなかった。運用できなかったね」

 

 ちなみに開発された46cm三連装砲ならば長門に装備することは出来た。やはり深海棲艦と艦娘は似て異なる存在なのだと改めて証明された瞬間だった。

 

「ま、あの大和の怨霊とも呼べる南方棲戦姫の落とし物。艦娘としての大和ならばあるいは、とは思えるんやけど」

「艦娘の大和、ね。それなら来週あたりにはあんたの所に送られるかもしれないから」

「ん? 完成したのかい?」

「最後の詰めをしているって話。正式発表はまだ先だろうけど、完成したら報酬として海藤先輩と東地先輩に先にデータが送られると聞いているわ。他の艦娘や装備とかと一緒にね」

「なるほど。それは楽しみだね。あー、淵上さん。せっかく来たのだし、お茶でも――」

「いえ、結構。あたしはこれから佐世保に向かいますから。あんたにはあんたのやる事があるのでしょう? それを邪魔する気はないから」

「……あー、そう。別にお茶くらい振る舞うけども」

 

 つれない人だ、と頭を掻くのだが、淵上は気にした風もなく一礼して歩き出す。と思ったら「それに、海藤先輩――」とどこかの大将殿のように付け加えるように呟き、肩越しに振り返って、

 

「仕方のない事かもしれへんけど、それを匂わせながらお茶をしても、しらけるやろ? お茶はまたの機会に」

 

 と、関西弁交じりで言い残して去っていった。

 残された凪はしばらくぽかんとしていたが、そっと隣に来た響に「……あー、そんなに匂う?」と訊いてみる。

 

「うん。しかたないね」

「そうそう、暑い中で何時間もここにいたらねー」

「夕張さんも、結構なものだよ」

「ちょ、私にまで言わなくたっていいでしょー!? 私、一応女性なんですけどぉ!?」

「大丈夫。そういうのは匂いフェチにはうける」

「一握りの性癖に好かれたくないわよッ!?」

 

 親指を立てる響に夕張がうがー! っと吠えるのだが、響は気にした風もない。なんだか最近響というキャラがわからなくなりつつある凪だった。クールかと思いきや、時々ぶっ飛んだ行動や言動をする。

 というか、匂いフェチとかどこで覚えてきたんですかね、このお嬢さんは。

 

「とりあえず見送ってあげて、響。俺が行っても、また匂いにつっこまれそうだ」

「了解」

 

 とてとて、と淵上へと駆け寄っていく響を見送り、また水を飲むと凪は工廠の中へと戻っていく。今日の予定である複数の副砲の調整はまだかかりそうだった。主砲こそ艦娘にとっての一番の火力の要だろうが、副砲もまた重要なものといえる。

 近づいてくる敵への迎撃、あるいは主砲の装填時間における攻撃継続の手段。あるいはジャブとして撃ちこんで、体勢を崩す。意外と大切な存在なのだ。

 命中率向上のための微調整を行っているのである。

 その日、夕方になるまで凪と夕張はずっと工廠に篭って作業を続けていたのであった。

 

 

 そして淵上はまた列車を乗り継いで、佐世保へと向かっていく。

 やがて到着したそこで出迎えてくれたのは、凪がそうであったように補佐を務める大淀であった。

 私服から海軍の制服へと着替えると、執務室へと案内される。そこで顔を合わせたのは南方棲戦姫との戦いで生き残った高練度の艦娘の一部であった。

 千代田改二、那智、羽黒。それに加えて大淀が参列し、淵上へと敬礼する。

 

「初めまして。本日より着任した淵上湊です。まずは犠牲となった艦娘達に哀悼の意を表する。ご愁傷様」

 

 帽子を取って黙礼し、南方に散っていった艦娘達を悼んだ。

 そして帽子をかぶりなおすと、三人を軽く見回し、羽黒へと視線を止める。

 

「あなた達については資料に目を通しておいた。羽黒。秘書艦はあなたに任せるわ」

「えっ、私、ですか……?」

「ええ。先代は赤城だったのでしょう? でも、今はもういない。戦艦も、正規空母もいない。なら、重巡となるだろうけど、今は羽黒、あなたに任せる。よろしく頼むわ」

「わ、わかりました……。精一杯、頑張ります」

 

 羽黒は艦娘としての性格は勇ましいとはいえない。むしろ真逆な気弱で引っ込み思案な性格で、そんなので戦闘が本当に出来るのか、と疑いたくもなる程に弱々しさを窺わせる。だが彼女もまた歴戦の重巡であり、心の奥には秘めたる芯の強さが存在している。

 それにこの佐世保鎮守府においても、長く在籍しているようだったので、淵上は羽黒の知識と能力を信頼し、秘書官に任じたのだ。

 

「出していなかった軽巡の生き残りとして那珂がいたわね? あれを現段階においての水雷戦隊の長とし、軽巡、駆逐を鍛えるように通達。それと千代田、あなたが空母を纏めなさい。出来る?」

「任せて」

「戦艦はこれから取り戻していく。今は資材をかき集め、戦力を整える事から始めようと考えているから、そのつもりで。新米提督ではあるけど、先の戦いのように無駄に戦力を減らすような采配はしないと約束する。あたしについてきなさい。あなた達を鍛え、導き、強固な艦隊を作りあげましょう」

『よろしくお願いします!』

 

 真っ直ぐな眼差しで力強く彼女は宣言する。

 その姿は確かにかの美空大将の姪、彼女の血筋の者だと窺わせるには十分なものだった。幼さはあるが、それでも将来的には彼女に成り得る器を感じさせる。若く、女性ではあるが、それは艦娘達にも伝わっただろう。

 これからどのように淵上湊という人物が成長していくのか。出だしは悪くはない。これから彼女に仕えながら見守っていこう。艦娘達は敬礼しながらそう思うのだった。

 

 

 



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報酬

あるキャラの性格が、シナリオの都合上変化しています。
ご注意ください。


 

 その日の出来事は、恐らく誰も忘れることはないだろう。

 雨が降り注ぐ8月8日、呉鎮守府に通信が入った。執務室で通信を開くと、相手は美空大将だった。

 

「健勝かしら? 海藤」

「ええ、変わりはないですよ」

「湊がそっちに行ったと思うけれど、あの子、挨拶できていたかしら?」

「ぼちぼち、ですね。最低限の挨拶をし、主砲をチェックした後、佐世保へ行ってしまいましたよ」

「そう。あの子からも報告は聞いたけれど、やっぱりそうなったのね。……まあいいわ。今日は貴様に渡すものがあってね。それについて話をしに来たのよ」

「というと、もしかすると……?」

 

 ちょっとした期待を含みながら問えば、美空大将も微笑を浮かべて頬杖をつく。

 軽くキーボードを叩きながら「喜びなさい」と切り出し、

 

「大和の艦娘構築が完成したわ。今からそのデータを送るわよ」

「はっ、有難く頂戴いたします」

 

 すぐさま受信データを確認し、それが確かに大和であることが確認できた。艦娘として生まれる際の姿、能力、そして艤装。その全てが記されている。それを工廠へと送りながら、「ありがとうございます」と頭を下げる。

 だが、美空大将は頬杖をつきながら微笑を浮かべたままだ。

 

「しかし、それを建造することは出来ないわよ」

「……どういうことです?」

「工廠における建造ドックへ投入できる資材の上限、把握しているわね?」

「999、ですよね?」

「ええ。でも大和を作るのに燃料がいくつ必要か。答えは4000よ」

「よ……っ!?」

 

 思わず叫び声をあげそうになったのを何とか堪えるように手で塞いだ。

 流石は大和型、というべきか。投入する資材が文字通り桁違いだ。冷や汗を流す凪に美空大将は調子を変えずに話を続けた。

 

「大和を建造しようと思ったら今の建造ドックを改造し、大量の資材を投入出来るようにしなければならない。だからまずは建造ドックの改造ね。大和を運用するのはそれからよ」

 

 大本営は大和を艦娘化する以前より改造済みのため、問題なく大和を建造する事が出来ただろうが、その特別な建造ドックはそれぞれの鎮守府に常備しているわけではない。

 仕方がないが、呉鎮守府の建造ドックもまずは改造工事からだろう。妖精の力を借りれば数日で済むだろうから問題はない。更に運営費用から出費する事になるだろうが、こういうのは先行投資だ。惜しむ理由はない。

 

「安心しなさい。別に大和だけを送るつもりはないわ。他にも艦娘のデータはある」

 

 そう言ってまたキーボードを叩き、別のデータを送ってくれた。

 ファイルを開いてみると、確かにそこには別の艦娘のデータが纏められていた。

 潜水艦、伊168、伊58。

 重巡洋艦、鈴谷、熊野。

 それらが一気に送られてきたのである。

 というか、ついに潜水艦まで構築に成功していたのか、と凪は驚いた。そして新たな重巡、と頷きながらこれらも工廠へと送る事にする。

 

「これらは通常の建造で出来るから大丈夫よ。潜水艦は確定データをまた送るわ。作りたい、と思ったならばこれを使用し、入手しなさい」

「ありがとうございます」

 

 前の五航戦の時と同じだろう。決められた資材を投入すれば、確実にその艦娘が入手できる手段だ。潜水艦を実際に運用するとどうなるか、気になるところなので入手しておきたい。

 

「最後に装備を渡しましょう」

 

 送られてきたのは装備のデータだ。これもまた妖精の手によって、一回は確実に作ってくれるように手配されている。ラインナップは以下の通り。

 三式水中探信儀。

 33号対水上電探。

 応急修理要員。

 応急修理女神。

 そして46cm三連装砲だ。

 46cm三連装砲に関してはもう既に開発できているが、もう一本持っておくのも悪くはないだろう。

 そして応急修理要員とはダメコンの事だ。応急修理女神は轟沈しかける程のダメージを受けた場合、一気に回復するものだが、応急修理要員は持ち直す程度でしかない。それ以外でも艤装が破損して使えなくなった場合、使えるように一瞬で修復してくれる効果もある。

 艤装の破損は時間をかけることで装備妖精達が修復してくれるのだが、応急修理要員はその時間をゼロにするのだ。だが当然ながらそれを使用した場合、役目を終えて消えてしまう。煙幕や応急修理女神と同じく一回限りの使い捨てである。

 

「以上、これらを南方棲戦姫の討伐報酬とする。何か質問はあるかしら?」

「そうですね……これからまた新たな艦娘であったり、改二であったりを作っていく事になるのですか?」

「そうね。大和を構築する事に成功したから、同じく戦艦として運用された武蔵を予定に組み込んでいるわ。改二は、そうね。これから少しずつ増やしていく事を考えている」

「武蔵、ですか。これはまた大物を……」

 

 大和型戦艦の2番艦、武蔵。大和と同じく秘匿されながら建造され、進水式でもちょっとした逸話を持つ存在だ。それ以上に強力な話と言えば、その最期だろう。どれだけの砲弾、魚雷を受けても沈まず、長い時間をかけて海上に留まり続けた果てに沈んでいった。

 大和もそうだが、武蔵も武蔵で化け物じみた存在であると連合国に思わせるだけの存在感を放っていたらしい。これが艦娘となるとどうなることやら。

 と、思うと同時に、大和が南方棲戦姫となったように武蔵もいずれ深海棲艦と化してしまうのだろうか、という不安も少しある。そうなったらどれだけ苦戦する事になるだろうか。

 

「何はともあれ、無事完成し、データを送る事が出来た。正式発表は建造ドックを改造するように、という報せをした後になるだろうからそのつもりで。早く欲しいならその旨、報告しなさい。工事を手配するわ」

「わかりました。ありがとうございます、美空大将殿」

 

 敬礼して通信を終えるのか、と思いきや「それと、海藤」と久しぶりに感じる展開が待っていた。先日の淵上もそうだったので、やっぱり血筋なんだろうな、と感じながら「なんでしょう」と問う。

 

「時々湊の様子を見に行ってあげてくれないかしら?」

「といいますと?」

「演習という名目でも構わないわ。あの子、どうも人付き合いが苦手でしょう? 貴様と同じで」

「ええ、そうですね。私と同じで」

「伯母だから、というわけでもないのだけどね。両親から面倒みるように言われて数年預かったけど、そこから更にどちらの手も届かない佐世保に行っちゃったものだし、少しばかり心配ではある。だから機会を見て、合同演習を持ちかけて会ってくれないかしら?」

 

 他の鎮守府の艦娘と戦闘訓練を行う合同演習。もちろん実弾ではなく、演習弾を用いての戦闘であり、鎮守府同士の交流も図れるものだ。その名目ならば会いに行けるだろう。つれない彼女でもこういう事は断りづらい、かもしれない。

 って、まるで好きな女性に会いに行くための口実と思われそうだが、そこんところ大丈夫か? と突然の不安に襲われる。あ、少し胃が……と咄嗟にお腹を押さえてしまった。

 

「大丈夫?」

「え、ええ……いらん事を考えてしまっただけですので……」

「そう。でも必ず行ってほしいわけではないから安心しなさい。あの子からも時々近況を知らせてくれるだろうけど、実際に会って様子を見た者の話が聞きたいだけだから。それに、あの子の能力は何も心配はしていない。ただ、その性格から生まれるものが気になるだけで、ね」

「姪っ子が可愛いんですね、美空大将殿」

「ええ」

「……大将殿にはお子さんは?」

 

 ふとした疑問だった。淵上湊は美空大将の妹の娘。美空大将もいい年しているのだから結婚して子供もいるものではないだろうか、という疑問だ。だが美空大将は少し目を細めて遠くを見るような眼差しをした。

 

「ええ、いたわよ。息子が二人、ね」

 

 いた、という言葉に引っかかった。もしかして、訊いてはいけない事を訊いてしまったのだろうか、と後悔してしまうが、気にするなという風に手を振った。

 

「大丈夫よ。私の事を知っている者ならば、ほとんど知っている事だから。でも、本当に人に興味を持たないのね」

「す、すみません」

「構わないわ。……長男は第三課の作業員と護衛船の整備員を兼任していてね、護衛船で出撃し、戦死。次男は来年アカデミーを卒業する歳ね」

 

 護衛船というと、大規模な作戦の際に鎮守府を空けた際における防衛や、その作戦において艦隊を護衛するために追従する船のことだ。昔は今ほど多くの艦娘がいなかったので、大規模作戦の際に共に出撃し、鎮守府だけでなく大本営の艦娘を乗せていき、戦闘していたという。

 当然ながら艦娘の警備がなければ護衛船というものは危険である。武装しているとはいえ、それらは深海棲艦を完全に倒すことは出来ない。深海棲艦を倒す事が出来るのは艦娘だけ。

 もし護衛船が深海棲艦に囲まれでもすれば、死を覚悟するしかない。美空大将の長男はその悲劇に飲まれてしまったのかもしれない。

 

「そうでしたか……申し訳ありませんでした」

「いいわ。時の流れで悲しみはだいぶ薄れてきたわ。それに仕事をしているとその気持ちもなくなってくる。湊もいたしね」

「大将殿……」

「奴らによって私のような者を生み出してはならない、という戒めにもなる。いつまでも悲しんでいられるものでもない。それこそあの子を悲しませる事になるわ」

 

 強いお人だ、と感じた。息子を喪う事は母親にとってどれだけの悲しみをもたらすのか。凪にはわからないが、これ以上この事について何か言う必要もないだろう。彼女はもうその死を乗り越えている。今凪が言葉をかけても無駄に刺激する事になるだろう。

 そういえば時々母親のような言動をしていたような気がする。それはもしかすると、息子に相対するような気持ちで凪を見つめていたのだろうか、とふと感じた。

 いや、まさかそんなわけないだろう。

 それこそ今も生きている次男に悪い。

 

「貴様も、志半ばで戦死するような事がないよう、これからも励みなさい」

「はっ、肝に銘じます。美空大将殿」

 

 通信を終えて一息つく。紅茶を飲みほし、軽く腹を撫でて調子を確かめた。先程感じた痛みはもうない。窓の外は相変わらず雨が降っており、雷の音も聞こえてきている。

 だがやることはきっちりやらなければ。

 立ち上がって工廠へと向かう事にする。

 

 受け取ったデータは更新済み。もう潜水艦などは建造可能になっているはずだ。早速妖精達に指示を出して噂の潜水艦の艦娘の姿を拝んでみる事にしよう。

 妖精から提示された資材は、250、30、200、30だった。安い、レア駆逐レシピで建造できるとは。

 今の呉鎮守府の資材はまあまあものとなる。南方棲戦姫との戦いによって大きく資材が吹き飛びはしたが、まだ1万に少し届かない程度にはあった。

 戦闘における資材消費だけでなく、トラック泊地へ行き来する指揮艦の燃料代も支払われた。ごりっと減ったが、それでもまだ耐えられる数値になっている。だがこれを繰り返すとまずいのは間違いない。

 そのため建造で初期値を大量投入し、水雷戦隊を補強した。

 それによって新たな顔ぶれが加わる事になり、二水戦以下の編成を変える事となった。

 二水戦、球磨、川内、足柄、皐月、暁、時雨。

 三水戦、阿武隈、夕張、吹雪、朝潮、白露、潮。

 四水戦、天龍、睦月、三日月、望月、深雪、初雪。

 第一航空戦隊、妙高、利根、初霜、霞、千歳、祥鳳。

 三水戦と四水戦には主に遠征部隊として行動してもらう。一水戦と二水戦が訓練を終えた後に入れ替わる事で訓練となり、練度を高めていく事となった。睦月型は他の駆逐艦よりも燃費が安いので、主に遠征として活躍しているらしいが、実際に運用すると確かにそれを実感する。

 駆逐艦としては古い艦であるため、能力としては低いだろうが、上手く使えば活躍できるはずだ。それは天龍も同様だが、今は研鑽の時である。

 また新たに戦艦を迎えたことで、第二主力部隊を第一航空戦隊へと改め、顔ぶれを入れ替える事となった。メンバーとしてはこのようなものとなる。

 榛名、比叡、鳥海、筑摩、木曽、村雨。

 高速戦艦と呼ばれる金剛型を二人迎え入れられたのは僥倖だろう。これで前回の戦いの際、東地の救援に向かう際に迅速に戦艦を派遣できない、という事がなくなる。

 一気に仲間が増えたが、これからまだ増える。その分消費資材がばかにならないため、水雷戦隊を増やす事が出来たのもまた僥倖だ。どんどん遠征して資材を持ち帰ってもらわなければならない。

 さあ、潜水艦の艦娘はどのような姿をしているんだろうか。楽しみだ、と凪はじっと建造ドックを見守る。

 資材が投入され、扉が閉まった――かと思った時、異変が起きた。

 落雷である。響く音から距離が近いことをうかがわせるものだった。

 

「うぉっ……近いな。大丈夫か?」

 

 振り返って外の様子を見ようとしたその背後、コト、と小さな音が響いた。それは雷や雨音にかき消される程に小さな音。だがそれは動いたのだ。

 主砲から取り出された異分子が凝縮された球体の鋼材。それがカタカタ、と動き出し、転がり出したのだ。それに従って主砲もまたがたがたと動き出し、何と勝手に分解されて無数の鋼材となる。

 それに気づいている妖精達が騒ぎ出し、なんだ、と凪もまた振り返ると、それは信じがたい光景だった。

 

「――は、はぁ……!?」

 

 宙を飛び回る無数の鋼材。そしてその中心に球体が浮かび上がり、妖精達が保管している資材を巻き込んでいくのだ。これらを取り込んで一気に建造ドックへとなだれ込んでいく。

 

「ちょ、ま……止めろ! 建造中止!! 緊急通信開け! 長門達を呼べぇ!」

 

 突然の出来事だったが、凪は慌てていてもどこか落ち着いていた。本当に慌てていたら何をしたらいいのかわからず固まってしまうだろう。だが凪はそうならず、長門達を呼ぶように指示を出しつつ、妖精達にも建造ドックを動かすな、と指示を出した。

 だが、建造ドックは止まらず、無数の資材を取り込みながら作業を進めていく。一体誰が作業しているのかわからない。いや、むしろ作業員などいないのかもしれない。あれが勝手に資材を取り込みながら動いているのではないだろうか。

 すぐさま長門や夕張、大淀が駆け込み、その様子を見て冷や汗を流す。

 

「な、なんだあれは……?」

「わからない。あの主砲と球体が勝手に動き出してあの有様さ。まるで意志を持っているかのように資材を飲み込んで、ドックを稼働させている」

 

 妖精達が資材を遠ざけても、足りない、もっと寄越せとばかりに吸収していくので、切り離す事すらできなかった。何かを参照しているのか、データにアクセスしている音も聞こえてくる。電源を落とす事も出来ず、ただひたすら何かの意志に従って建造が進んでいった。

 ならば今の凪達に出来る事は、手出しをせず、出来上がったところを迎撃するしか出来ない。

 山城や日向、神通、夕立も駆け込み、それぞれ艤装を展開して建造ドックを睨みつける。

 やがて作業が終わったのか、建造ドックが静かになった。ぷしゅー、と煙を吐き出し、静かに扉が開かれていく。

 

「…………」

 

 誰もが口を開かず、何が起ころうとも危険があればすぐさま動く準備をしている。

 そんな中で、それはまだ動かなかった。

 目も開いていない。だが頬を撫でる空気と、鼻孔をくすぐる匂い、そして外から聞こえてくる雨音と雷によって、自分が再びこの世に戻ってきたことを感じ取った。

 ゆっくりと目を開く。

 見えたのは光だった。自分には縁のない明るい電気の光である。それが疑問を呈する事となった。

 どうして自分は光あふれる場所で目を覚ましたのだろう、と。

 最初に見える光景は、暗い世界のはずだというのに。

 手が動き、それを視界に入れてみる。

 手だ。人間の、手だ。艤装に包まれた手ではない。それが新たな疑問を生み出した。

 

 自分は、誰だ?

 

 そう思いながら、それは歩き出す。

 扉を抜けて外に出れば、自分を囲む存在がいた。

 力と気配からそれらが艦娘であることが分かった。そして見忘れるはずのない顔を見た時、それは思わず口を開いてしまった。

 

「――――長門、なのかしら?」

「…………お前、誰だ?」

 

 長門もまた問い返してしまった。

 そこに立っていたのは紛れもない艦娘であった。

 膝まで届きそうな茶色の髪をポニーテールにし、気の強さを感じさせる切れ長の茶色い瞳が、鋭く長門を睨みつけていた。肩を露出した紅白の制服を着こなし、左腕にはZ旗を模した腕章を巻いている。

 赤のミニスカの下には、特徴的な左右非対称の靴下を履いている。右は普通だが、左は白いラインが入ったニーソックスとなっているのだ。

 そして簪のように挿している電探には桜の花びらを散らしており、それが何ともおしゃれである。のだが、その美しさを感じさせる暇がない程に、状況は緊迫していた。

 ゆっくりと背中や腰に嵌められた艤装の主砲が動き出し、長門へと照準を合わせる。長門もまた彼女へと照準は既に合わせている。周りの艦娘達も同様だ。

 

「その姿、大和、だな……? 艦娘の。何故建造出来てしまった……?」

 

 凪が少し震えた声でそう言う。

 通常の建造ドックでは建造出来ない、と美空大将に言われたばかりだ。

 だが目の前に立っているのは、資料で見た艦娘の大和の姿そのものであった。

 凪の言葉に、彼女は自身の手を見下ろす。艤装も自分の意思に呼応して動いている事も確かめている。その上で彼女は、どこか悲しみを含んだ声色で呟いた。

 

「……そう、私は、艦娘と成ったのね。ふ、ふふ、復活したと思いきや、よもや艦娘と成り果てようとは。しかも? その気配、呉の長門でしょう?」

「……まさか、お前――――南方棲戦姫か!?」

 

 長門の言葉に、一気に緊迫した空気が張りつめられた。

 正しく一触即発の状況の中、大和の姿をした彼女は、小さく笑みを浮かべたのだった。

 

 

 



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大和

 それは凪達だけでなく、南方棲戦姫にとっても想定外の出来事であった。

 あの日、南方棲戦姫は確かに敗れた。長門達によって討ち倒され、深海棲艦としての力の反動によってその身と艤装が崩れ始めたのだ。

 海の底へと沈んでいく中で、復活した長門の右手によって殴られた熱さと、それに対する海の冷たさが妙に覚えていた。

 薄れていく意識の中、その頬の熱さが、何かに導かれるような気がしていた。

 無意識と言ってもいい。

 沈んでいく体に反して、心はまだ生きたいと願っていたのだ。そして叶うならば、もう一度長門と戦いたい、とあの時強く願っていた。だがそれは次の南方棲戦姫か、あるいは別の深海棲艦として叶うものと思っていたのだ。

 だからなのだろうか。それを何かが叶えてしまった。

 立ち昇る光の粒子が、浮上していく戦艦主砲へと集まっていき、それを長門が回収。光の粒子は主砲の中にあった情報データに付着し、同一化した。

 そして今、それは目覚めた。

 建造データにアップデートされた大和の艦娘データと、建造ドックの稼働、そして外の落雷によって凪の意識が離れた瞬間を狙い、それは動き出した。

 生きたい、蘇りたいという無意識に突き動かされ、それはドックの中に飛び込み、大和のデータにアクセス。主砲をばらして鋼材へと変えて再び一体化し、置いてあった資材を数度に分けて取り込みながら変異していったのだった。

 そうして完成したのがこの大和。全ては「生きたい」という生物の本能によって突き動かされた復活劇。そのため、南方棲戦姫の本来の意識は、そこに至るまでの過程が分からない。

 故に、どうして自分がこうなっているのかを理解できていなかったのだ。

 だが、生きたいという願いは他の深海棲艦だって持ちうる感情だろう。どうして南方棲戦姫だけが復活できてしまったのか、その理由も不明だ。

 しかしこうして自分は生きている。再びあの長門と対峙している。その奇妙な運命に感謝せねばならない。

 

「答えろ。どうしてお前がここにいる、南方棲戦姫?」

「さて、私にもよくわからないのよね。どうして自分があれだけ憎み、敵対していた艦娘になってしまったのか。……たぶん、長門。貴様に殴られたせいだとは思うのだけれど」

「私? ……確かに殴りはしたが、あれだけでどうにかなるものでもないだろう」

「――いや、殴ったのは女神で修復された右手だったよね? それが関係したりするか?」

 

 凪がふとした仮説を提示してみる。

 ただ殴っただけでは確かに意味はないだろう。だが長門は応急修理女神によって取り戻した右手で殴った。長門の右手に残っていた応急修理女神の小さな力でしかないそれが、彼女の魂だけ掬い取り、戦艦主砲へと移したのではないかと推察する。

 応急修理女神の効果を発揮した力の影響が、南方棲戦姫が妙に覚えていた熱さだろう。彼女の轟沈によって再び応急修理女神が発揮されたが、しかし彼女は艦娘ではなく深海棲艦だった。

 それでも轟沈という状況と、南方棲戦姫の生きたいという願いが噛み合ってこの奇跡を生み出したのだろう。

 

「ってことは、あの異分子って……南方棲戦姫の魂?」

「かもしれない。こうして南方棲戦姫の意識がしっかり残っているんだからね。でも、彼女の更に前の姿は大和。今日まで大和の艦娘データは存在しなかったが、先程アップデートされた事により、そのデータと魂が呼応した。それによって、無理やり復活を果たした……というのが俺の推理だよ」

 

 無理がある推理ではあるが、実際に目の前で復活してみせたのだ。完璧ではないかもしれないがほぼ当たっているかもしれない、と思わせる推理かもしれない。

 だがそれが正解なのだとすれば、どれだけの低確率の道筋を通ってきたのだろう。

 長門が轟沈手前までいかなければ、応急修理女神は使わなかった。

 そもそも南方棲戦姫に執着されていなければ、加賀が長門へと応急修理女神を渡す事もなかっただろう。

 吹き飛んだのが左腕だったならば、復活した手で殴ろうと思わなければ……。

 様々な「もしかすると」が存在し、それらが上手くかみ合った結果がこの現実だ。どれかが違っていれば成し得なかった奇跡。

 だが奇跡をその身に受けていながら、南方棲戦姫の願いというのはただ一つ。

 

 目の前にいる呉鎮守府の長門と再び戦う、というものだけ。

 

「そんな推理などどうでもいいわ。艦娘である事は計算外ではあるけれど、だからといって長門と戦えないわけではない。……再戦の時よ、長門。次こそ、貴様に打ち勝ち、大和こそが強者である事を示す時」

「なるほど、その願いが、未練が、お前を復活へと導く力となったのだな。……だが、残念ながら断らせてもらおう」

「何故? 戦わないというならば、その気にさせないとだめなのかしら?」

 

 砲門が長門ではなく凪や山城へと向けられていく。だがその途中で大和の意思に反するようにぎちぎちと音を立てて動きを止めはじめた。ん? と大和が艤装へと視線を向けるのだが、砲門は別の方へと向けられる。大和が何とかして照準を合わせようとしても、それらは逆らい続けているのだ。

 

「今の君は艦娘だからね。艤装にはそれぞれ装備妖精が存在する。装填したり撃ったりする事や、照準をしっかりと合わせる作業。それらは妖精達の補佐があってこそ。妖精の力を借りずに出来る事は出来るけど、残念ながら味方を撃たないようにするという役目も妖精が担っているからね。それは出来ないよ」

「…………そう。なら、別のやり方で相手してもらおうかしら」

 

 艤装を解除し、素の艦娘となった大和は長門へと近づいていく。

 これは、やむを得ないか、と長門が苦い表情をしながら凪へと一瞥する。凪もしかたない、と言う風に小さく頷き、艤装を解除して長門は前へと出た。

 ゆっくりと歩み寄っていく二人。一触即発の空気はまだ完全に消えてはいない。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、弾かれたように二人が飛び出し、お互い右ストレートで殴り飛ばした。いい音を響かせるクロスカウンターが頬へと抉りこみ、しかし二人は耐える。

 もう一発、更にもう一発と顔へとお互い殴り合い、どちらも口の端や鼻から血を流し、しかしどちらも退かぬという強い意志を瞳に宿している。

 

「これくらいで倒れてくれないでよ、長門? 存分に、やりあいましょう?」

「まったく、付き合わされる私の身にもなってほしいものだな……!」

 

 お互い胸倉を掴み合い、顔、腹とまた殴り合う。どちらも服を掴んで離さないため、逃げる事すら出来ない中での戦い。それを見守るしか出来ない凪達は、止めるタイミングを失っている。

 目の前で強い戦意を放ち合い、拳を撃ちこみあう戦い。あの中に割って入って止めることなど誰が出来ようか。

 同じ戦艦である山城や日向なら大丈夫か? いや、無理だろう。あの長門と大和の殴り合いに身を挺して止めに入るなど。後ろから二人がかりで羽交い絞めならばあるいは、とは思えども、失敗したら逆にやられそうだ。

 

「くっ……!」

 

 不意に大和がふらついた。そこを見逃さず、長門がボディに一発打ちこんで膝をつかせる。その瞬間、凪の目配せに従って山城と日向が大和を取り押さえに掛かった。

 鼻血を親指で拭き、長門は荒い息をつきながら大和を見下ろす。床に抑えつけられた大和も荒い息をつきながら血を流しており、凪がティッシュを取ってそっと拭いてやった。

 

「で、気は済んだかい?」

「……そんなわけないでしょう? 私は、また長門に負けた……。だからといって、これで終わる私じゃない。何度でも、何度でも長門に挑み続けてやる」

「そう。なら、そうするといい。我々に敵対するのではなく、長門の良きライバルとして在り続けるというならば、我々は君を不当な扱いをしないでおくよ。その代わり、君には我が艦隊の一員となり、従ってもらう」

 

 じっと大和を見据えながら凪はそう告げた。それに対して大和は鋭い眼差しで凪を見返している。その瞳には少しの疑念が宿っていた。

 

「私を、殺さないと? 私は深海側の存在よ?」

「深海側だった、だろう? 今の君には深海の力はない。深海棲艦が持ちうるような暗い感情も見当たらない。君の中にあるのは、長門に対する対抗心。長門に負けてなるものか、という挫けぬ心。……艦娘を沈めなければならない、という衝動はないように見えるのだけど」

「…………」

 

 凪の言葉に、今一度彼女は己の心を確かめる。

 確かにあれだけあったはずの艦娘を沈めるのだ、という声がまったくない。己の中に巣食っていたはずの黒き感情も、衝動もない。存在するのは長門と戦い、勝つのだという戦意と、深海棲艦と戦うのだ、という意思と、人を守るのだという想い。

 ……何故、後者の二つが存在しているのだ?

 大和はそこで初めて気づいた。

 どうして深海側だったはずの自分が、深海棲艦と戦わなければならない、という意思があるのだろう。艦娘は仲間だ、人は守る対象だ、という意識があるのだろう。

 答えは簡単だ。

 自分が、艦娘の大和のデータを参照したからだ。故に艦娘の大和の意思が、感情が、南方棲戦姫の魂と融合してしまっている。

 意識こそ南方棲戦姫のものが上回っただろうが、戦いに赴く理由の根源は艦娘側の意思が優先されたのだろう。

 

「南方棲戦姫ではなく、あえて大和と君を呼ぶよ。大和、君は兵器を自称しているのだろう? ならば兵器は使う側の意思に従わなければならない。では誰が君を使うのか――俺だよ。故に大和、俺の意思に従ってもらう」

「拒否する、と言ったら?」

「それは許されない。君は復活する際に、うちの資源を大量に食いつぶしてくれたからね。……どれだけ減ったの?」

 

 妖精達がその数字を告げ、大淀が翻訳してくれた。

 それによると、4000、6000、6000、2000減ったらしい。

 改めて数字を聞くと少し眩暈がしそうになる。もしかすると美空大将が言っていた建造する際の最低値を、そのままごっそり持っていかれたのだろうか。なんだか胃が痛くなり始めたが、それを堪えて少し震える声で話を続ける。

 

「あのね……この数字って、うちにとっては結構痛い出費なのよね。君はそれに対する働きをしなければならない。故に拒否権はない。君はうちで働いてもらう。でも、従い続けてくれるならば、長門と戦う機会を時々設けてあげよう。それが君の望みなんだろう?」

「…………本当に?」

「ああ。それに艦娘として強くなっていけば、もしかすると長門に勝てる時が来るかもしれないしね? 当然長門も強くなっていくから、完全に追いつくことは出来ないかもしれないけど、戦い方次第では勝てるだろうさ。君が我々を裏切らず、長くここに在籍するならば、その機会もいつかは巡ってくるだろう。……逆にいえば、裏切るっていうんならやむを得ない。俺の権限で君を切る事になる」

「殺すと?」

「いいや、殺すんじゃないよ。解体する」

 

 解体とは殺す事ではない。艤装との繋がりをなくし、ただの人間とする事だ。

 艦娘としては死ぬが、命までは失わない。しかし艦娘でなくなるという事は、人の身では到底出来ない事が出来なくなる。凄まじい力も、水上を航行する事も、驚異の回復力も全て失い、ただの人間となるのだ。

 

「艦娘でなくなるから、海に沈んでも深海棲艦として再び復活する保証もなくなる。ただの人間が深海棲艦になった、という例はないだろうし、考えられない。つまり、君の願いはもう叶わないという事になるね。それが裏切りの代償だ」

 

 凪のその言葉に、大和はふと何かを思い出すように思案した。

 ただの人間が深海棲艦になった例、というのを思い出しているのだろうか。しばらく無言で考え、何かを思い出したかのように少し目を開いたが、しかしすぐに瞑目する。

 

「…………なるほど、それは私にとっては少し痛い代償ね。……わかったわ。人間、貴様……あなたに仕えよう。私という兵器、あなたに預ける」

「受け入れよう、大和。共に、深海棲艦と戦ってもらおう」

 

 二人に目配せすると、そっと大和から離れていった。大和も少し体を払いながら立ち上がり、ちらりと長門へと視線を向ける。また戦うのか、という気配を感じて「待て待て、今日はもう戦ってくれるな」と止めに入った。

 

「これ以上の戦いは許さんよ。修理費だってタダじゃないんだから。今日はもう休んで」

「そうだな。大和、こっちに来るんだ。提督の命令は絶対だ。今日はお前の相手はしないぞ」

「……しかたないわね。人間の命令とあれば、従うわ」

「人間ではない、提督だ。そう呼べ。……その辺りから教育せねばならんか。艦娘として生まれたのに、深海側の意識が強いとこうなるんだな」

「艦娘としての知識も多少は混ざってはいるのだけどね。素直に受け入れづらいのよ」

 

 そんな事を話しながら二人は入渠ドックへと向かっていった。

 まさか、南方棲戦姫が復活する事になるなんて、誰が想像しただろう。美空大将に報告しなければ、という思いと同時に、これからあの大和と付き合っていくことになるのか、という不安が襲い掛かってきた。

 艦娘ではあるが、意識は深海棲艦の方が強い。だからあの資料で見たような、大和撫子を彷彿させる穏やかな女性の雰囲気はない。見た目こそ艦娘の大和だが、纏う雰囲気は少し威圧感の強い女性。知り合いで挙げるならば、美空大将に近しいものだろう。

 どうしてこうなった、と少し痛むお腹をさする。

 

「提督さん、大丈夫っぽい?」

「ん? ああ、うん。まあ……何とかするしかないでしょうよ」

「厄介ごとが増えるなんて、不幸な事ね……」

「確かに厄介ではある。けど、うまく手なずけられたらこの上ない戦力だよ。それに、深海側の情報も上手くいけば入手できるかもしれない、と前向きに考えよう。山城」

「……それは失礼しました」

 

 ふと、大淀が恐る恐る凪へと声をかけてくる。どうしたんだい? と振り返ると、そっとメモを手渡してくれた。そこにはこう書いてある。

 現在の資材量なのだが、大和の復活の際に消費された資源を差し引いた数字がそこにある。

 

「…………マジで?」

「はい……それと、大和さんのデータなんですけども、修理費の予想推移がこちらでして……」

 

 と、印刷されたデータが書かれている。

 レベル1の時点でも結構減るが、このレベルが上昇していった際に消費される修理費の数字が、凪の予想をはるかに超えている。

 ちなみに先程は艤装を用いずに戦ったので、消費されるのはほとんど燃料だけなのだが、もし長門と艤装でやりあった場合はそうはいかないだろう。だが、それでも小破近くまで追い込んでいるから、出費はそれなりにするだろう。

 それを考えると、凪はまた眩暈と胃痛に襲われる。

 

「な、なんてこった……さすが、大和型……」

 

 くらり、と倒れそうになるところを神通に支えてもらったが、これはまずい。非常にまずい。戦力が増えた事などを喜ぶ気持ちが霧散しそうだ。このままでは、鎮守府運営に関わる。

 

「な、なんとしても資材を、資材を取り戻さんといかんぞこれ。それと改めてあの大和に艤装を用いて長門とやりあうな、やりあいたいなら他の事でやってくれ。ときつく、きつく言っておいて。でないと、うちが破産する……!!」

 

 その言葉に、艦娘達が一礼して応える。

 新たに迎え入れた大和、という一癖も二癖もありそうな存在。夏の雨の日に生まれ落ちた彼女は、きっと波乱をもたらすだろう。だがそれでも、上手く付き合っていけるようになれば、これ以上ない頼もしい仲間になってくれるはずだ。

 だが、まずは貯蓄を溜めねばならない。

 空を見れば、雲の切れ間から光が差し込み始めていた。

 雨が過ぎていくようだ。

 まるでこれから行く先に、光があるのだと天が告げているかのよう。

 

「……水雷戦隊を集めて。遠征、よろしく頼むよ」

「承知いたしました」

 

 天の導なんてあまり信じてはいないが、この時は信じてみてもいいかもしれない。

 少しずつ落ち着き始めた空を見上げ、凪は軽く腹をさすりながら思うのだった。

 

 



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喧嘩仲間

 

 美空大将へすぐ報告すると、彼女はやはりというべきか、大いに興味を示しながら笑っていた。深海棲艦の魂と融合した艦娘、なんて前例のない事、作業員上がりと揶揄されようとも、彼女もまた艦娘構築に関わる人物。興味を持たないわけがない。

 

「なんとも面白いことになっているようね、海藤? 残念だわ。そっちに行けない日々が続くなんて非常に残念だわ」

「お忙しいのですか?」

「ええ。色々とやる事が増えたものでね、呉鎮守府へ視察に行く事が出来なくなりそうよ」

「そうですか……」

 

 それはそれである意味助かったかもしれない、とちらりと思ったのは内緒だ。今日だけで結構胃にダメージを受けている。美空大将を目の前にして大和と並べたらどうなるか、想像しただけで恐ろしい。

 自分の体調が守られるならば、美空大将が来てくれない方がいいかもしれない、とひっそりと思うのだった。

 

「でも、何かまずいことになるって言うんなら、連絡してきなさい。その大和を完全に手なずけられない、とかね」

「そうならないように気をつけますよ。でも、まずは資材がやばいんですよね」

「そう? でも私の方からはそれは手助けは出来ないわよ? 資材の危機を何とかするのも提督の手腕が関わるからね。自分で何とかしなさい」

「ええ、わかっていますよ」

 

 言ってみただけだが、やっぱりそうなるんだな、と苦笑する。となればやはり任務報酬や遠征で何とか持ち直すしかない。

 報告を終えれば通信を切る。忙しそうだったので長く話をすることはない。

 現在水雷戦隊は全員出払っている。帰ってくるまでは戦艦や空母達、重巡しか艦娘がいないが、彼女達は自主訓練をしているだろう。

 長門と大和は入渠中のはずだ。さすがに入渠中は何もないだろうと思っていたのだが、「提督! 大変です!」と大淀が慌てた様子で通信を入れてきた。

 

「どうした?」

「あ、あの……長門さんと大和さんが……!」

「二人がどうしたんだい? 入渠していると思うんだけど」

「そ、そうなんですけど……」

 

 こりゃ何かあったな、と思い、「わかった。様子を見に行けばいいんだね?」と言って通信を切る。

 急いで駆け付ける中で彼は気づかなかった。

 入渠とは、いうなれば入浴のようなもの。となれば当然ながら二人は着るものを着ていないのだが、面倒事が起きているんだな、と焦っていたためにそれを頭から追いやっていた。

 

「騒がしいな、と思ったら、二人がまた……」

「ま、またやってるの!? な、なにしてんの……」

 

 と脱衣所の扉を開けてみると、二人は腕相撲をしていた。素っ裸で。

 

「ふんっ……く……!」

「んんんん……!!」

 

 真面目な表情でしっかりと組み合った手を何とか倒そうと、台をしっかりと掴みながら戦う二人。素っ裸で。

 ある意味平和な戦いなのだが、その出で立ちが噛み合わな過ぎて少しシュールだ。というか脱衣所で何をしているんだこの二人は。

 頭を軽く押さえながら凪は「あー……なにしてんの、お二人さん?」と声をかけるのだが、戦いに集中しすぎて二人は気づいていない。視線はお互いを捉えて離さず、どちらも負けられないとばかりに右手の力を緩めない。

 

「……どうしてこうなったん?」

「いえ、私が来た時は手でやる水鉄砲での的当てだったんですけど、何が二人を刺激したのか、同じ手を使うんなら腕相撲だろう、という事になってしまいまして……」

「飛躍しすぎやろ」

 

 湯につかりながら両手を組んで水を飛ばすあの水鉄砲をしていたらしい。たらいやシャンプーが風呂場で的として並んでいたようで、それを使って射的をしていたのだろう。

 ただの射的がどうしてこうなったのか……。

 ふと、凪と大淀に気付いたらしく長門の視線がちらりとこちらを向いた。

 

「――ん、なぁ……!? ていと――」

「――っ!! 好機ぃぃぃ!!」

 

 凪がいる事と、自分の格好が組み合わさって羞恥心が出てきたのだろう。力が緩んだのを大和は見逃さず、一気に勝負を付けにいった。あっけない決着ではあったが、負けた瞬間、長門は素早く体を隠すようにタオルを体に当てながら棚の裏へと逃げる。

 

「な、なぜここに……!?」

「いや、大淀からの連絡でね……。君らがまた騒がしくしてるって……」

「そ、そうか……それはすまない」

「まったく、何を恥じらっているのかしら長門。兵器にそういう感情はいらないでしょう?」

「君は君でオープンにしすぎだよ。見た目こそ美人になってるんだから、もう少し恥じらいというものをだね……」

「そう? でも前の姿もこれに近しいものだったから、どうということはないでしょう?」

 

 そう言われると何も言えない。確かに南方棲戦姫はほとんど素っ裸で、髪ブラで隠している程度だった。今はその髪ブラすらないので、丸見えである。視界に入れないように視線を逸らして対応しているが、もう少し何とかしようか、と言いたい。

 

「で、今日はもうやりあうな、と言ったよね? 何故に戦っちゃってるの」

「……流れでそうなってしまった」

「そうね、流れね。長門も血気盛んで何より。その方がやりがいがあるもの」

 

 もしかして裸の付き合いで気が合い始めたのか?

 未だ隠れながら話している長門に対し、腰に手を当てながら微笑を浮かべている大和。一戦やりあい、勝利したことで気分を良くしたのか穏やかな雰囲気を纏っている。建造ドックから出てきた時に見せた切れ長の目つきは、情報で見たような優しげな眼差しになっている。

 

「あの、提督。そろそろ出ていってくれないだろうか?」

「ああ、ごめん。じゃあ出るよ。……もう戦ってくれるなよ? ゆっくり湯につかって、休んでるんだよ? ええな、大和!?」

「名指しとは失礼ね。……わかったからそんな目で私を見ないで。今日は勝ち越しで終わりたいからもうやらないわよ。安心してくださいな」

 

 手を振りながら扉を開けて風呂へと向かっていく大和に、「頼むよ……」と言い残して凪は入渠ドックを後にした。

 それにしても大和が堂々としているに対し、長門は女性らしい羞恥心を持っているとは。普段から凛々しい姿を見ているだけあって、あの女性らしさを突然見せられると驚きと困惑が襲い掛かってきた。

 だが、それが逆に良かったと思える。甘い物が好きだったし、彼女もやっぱり女性らしいところがしっかりあるからこそ魅力的に感じる。

 逆に大和は南方棲戦姫の成分が多いせいで堂々としすぎる。元の大和の艦娘がどうかはわからないが、あれは……逆に見ていても何とも思えなくなってくる悲しさが出てきた。せっかく美人な見た目をしているのに、残念すぎた。

 

「……あの、提督的に裸を見てしまったのは大丈夫なんですか?」

「……大丈夫か大丈夫じゃないか、といえば、大丈夫ではない。普通ならエロい気分にもなるさ。でも、あの状況と大和の立ち振る舞いからそんなもの吹き飛ぶよ」

「そ、そうですか……」

 

 外に出て、何気なく海へと足を運んでみる。そこでは空母達が訓練をしているはずだった。その状況を見に行ってみようと思ったのだが、何やら様子がおかしい。

 そこにいたのは現在呉鎮守府にいる空母達が揃っている。

 祥鳳、千歳、翔鶴、瑞鶴、加賀、飛龍。この六人だ。

 あれから新しく加賀と飛龍を迎えることに成功していたのだが、第二航空戦隊を組むには他の艦娘が足りていない。だが訓練をすることは出来るので、他の空母達と共に行動はさせていたのだが、問題が起きたのだろうか。

 そして騒いでいるのはどうやら瑞鶴らしい。加賀と勝負していたらしく、それに勝ってご満悦のようだ。

 

「ふっふーん! かつては一航戦と言われつつも、艦娘としては私の方が先輩なんだから当然よね! あとでゴチになりまーす!」

「…………頭にきました」

「ぅがっ!? ちょ、いたいいたい!」

 

 遠くにある的をどれだけ的確に素早く撃ち抜けるかの勝負だったようで、それに瑞鶴が勝ち、対戦相手の加賀をおちょくっていたようだ。しばらく耐えていた加賀だったようだが、それも限界が来たらしい。

 瑞鶴の頭にアイアンクローをかまし、しかも持ち上げてぎりぎりと指を食いこませている。

 

「……そうか。人が増えるという事は、こういう事も増えてくるって事か」

 

 艦娘だからといって誰もが仲がいいというわけではない。人間と同じで、どうしても相性が悪い相手というのは出てくるものだ。

 一航戦の加賀と、五航戦の瑞鶴。どうやら瑞鶴が一航戦、特に加賀を意識し、加賀もまた五航戦の二人を未熟な子として見ている節がある。瑞鶴の性格的にはそんな加賀を見返してやるべく、何かと突っかかっていく、という風に性格が作られたらしい。

 

「いっつつつ……もぉー! ここじゃ先に生まれた私が先輩なんだから、そういうのはなしにしてくれますか!?」

「……ごめんなさい。どうもあなたに先輩面をされると、無性になにかが、ざわつくのよね」

 

 口では謝っているようだが、加賀のその表情からして本当に悪いと思っているのかどうかわかりづらい。響と同じでクールであり、その表情はあまり変わらないのだ。しかし内面的には結構激情家らしく、熱い心を秘めている、と情報にある。

 ぎゃーぎゃーと瑞鶴が騒ぎ、それを加賀が涼しい顔でやり過ごしている。こういうのもまたよくある光景として報告に上がってきているようだった。

 そこで千歳が隣にいる翔鶴へとそっと問いかける。

 

「いいんですか、翔鶴さん? 放っておいて」

「ええ。ああして仲を深めていければいいんじゃないかしら?」

「……そうですか」

「ま、調子に乗っていられるのも今の内ってね。あの加賀さんだから、すぐに追い越しちゃうわよ。そうなったらそうなったで、面白いんじゃないかなー」

「それって、飛龍さんも含んでます?」

「さて、どうでしょう? でも生まれた時期が早いか遅いかだけで決まっちゃあつまらないってね。私達に大事なのは、その実力。この私だって二航戦だしね。五航戦ばかりにいい顔はさせてられないって気持ちも多少なりともあるわよ。ふふ」

「まあ、頼もしい事です。でも私も飛龍さんや加賀さんには、そう簡単には追いつかせる気はありませんから」

 

 ばちばち、と視線で火花を散らす飛龍と翔鶴。こりゃあ藪蛇だったかな? と千歳がちょっと焦りだすと、ぱんぱんと手を叩く音が響いた。その主は祥鳳だった。全員の視線が彼女へと向けると、そこには笑顔で立っている祥鳳がいる。

 

「皆さん、血気盛んなのは結構ですけど、それで不用意に不和を生み出されては困ります。主に提督が。皆さんがそうやっていさかいを起こしてばかりいて、また提督が倒れるような事になってはいけません。わかりますね、瑞鶴さん? そう加賀さんを煽ってはいけませんよ? 先輩風を吹かせるのでしたら、私が吹かせますよ? よろしいですね?」

「あ、はい。ごめんなさい」

 

 そう、空母勢の中で一番の古株は祥鳳だ。瑞鶴が生まれた順で語るのであれば、一番の古株である祥鳳こそ一番立場が上である。そこを突かれては瑞鶴も大人しくなるしかない。

 しかしあの祥鳳がきっちりと纏め上げるとは、頼もしくなったものだ。だが本来ならば凪がしっかりしてやらねばならないことだが、今日だけで色々と腹の調子が悪くなりそうだったので、出ていけなかった。情けない事である。

 

「あ、提督。いらしていたのですか。すみません、お見苦しいところを」

「いや、大丈夫だよ。元気があっていいことだね。ちょっとした煽りあいも、切磋琢磨するエネルギーになるんならいいよ。……やり過ぎは困りものだけど」

「わかりました。……皆さんもわかりましたね? 適度にやっていきましょう」

『はい!』

 

 祥鳳の言葉に、空母達が一斉に返事する。

 本当に、頼もしい事だ。祥鳳も成長しているのだ、と感じさせる出来事であった。

 

 

 そして夕方、執務室に大和を呼び出す。長門は同席せず、戦艦達の指導に当たらせた。

 部屋には凪、大和、そして大淀が揃い、凪は席に着きながら大和へと単刀直入に切り出す。

 

「深海側の記憶、あるね?」

「ええ、ありますよ」

「深海の情報提供を求めれば、君はそれに応えるかい?」

「それが命令とあれば、私はそれに応えましょう。兵器である戦艦大和、それを使役する私の主はあなたなのだから」

「そう。なら命令だ。知っている事を、話してもらおう」

「承知したわ。……そうね、まずはあなた達が深海棲艦と呼ぶ者らがどう生まれるのか。それは大体艦娘と同じようなもの、と言ってもいいでしょう」

 

 沈んだ兵器や装甲などから艦の情報を汲み取り、資材を混ぜ合わせて生まれる。だがそこにスパイスが入り込むのが深海棲艦だった。

 

「恨み、妬み、怒り、悲しみ……様々な負の感情を増幅、あるいは注入され、黒い感情を纏って生れ落ちる。その際に余分なものは切り捨てられるわ。私の場合はその最期と長門に対する負の感情。それ以外は全て消えた」

「ふむ……今は? 艦娘の大和のデータと混ざっているんだろう? 大和の記憶はあるのかい?」

「……少しだけ、ね。坊ノ岬で同行した艦の名前は思い出せたわ。ここにいるみたいですね? 初霜、霞、雪風……あの時長門に言われた名前ね」

「そうか、よかった。……でも、そうか。生まれ方も艦娘に似ているとするならば、作っている誰かがいるってことだろう?」

「ええ、いるわ。あなた達風に言うならば『深海提督』とでも言うのかしら? でもあれはそういう小奇麗な名前で呼ぶようなものでもないと思うけれど」

「というと?」

「あれはね、ただの亡霊。我らに囁きかける何らかの意思によって、この世に留められた亡霊であり、人形。あれの意思に従うために、兵隊や兵器として深海棲艦が作りあげられているだけなのよ」

 

 その姿は黒いもやによって覆われ、生物の骨がうっすらと見える。深海棲艦の目から放たれる燐光のようなものが、目の位置に光るそれは、まさしく海底に蠢く亡霊といっていいだろう。

 だがそれが深海棲艦を次々と生みだし、使役しているのだと大和は言う。そしてその亡霊の上に、深海棲艦にとっての主と呼べるものがいるのだとか。

 どうして深海棲艦が生まれたのか、どうして奴らは戦うのか。

 その理由をもたらす存在がどこかにいるらしいのだが、それは南方棲戦姫だった大和にもわからないそうだ。

 ただ声を聴いたのだ。

 戦え、蹂躙しろ。

 長門を憎め、長門と戦え、と。

 大和はその声らしきものから生み出される衝動に従って、南方を制圧していったのだという。

 

「……とはいえ、僅かに亡霊らにも意思があるかもしれない。私が南方棲戦姫として動いていた際に、あれはちょっとした指示を出した」

「……亡霊、と呼ぶからには、何かが死んだ後に生まれた存在?」

「そうね。詳しくは知らないけれど、恐らくは海に沈んだ人間がそうなったんじゃないかって私は思っている。今南方にいるのは数か月前にやってきたものよ。あれはあなた達の言うところの南方棲鬼を作ったりしていたわね。私を作った者は確か、太平洋の方に行ったかしら。それと入れ替わる形で、南方海域を指揮するようになったの」

「ちょっと待って? 太平洋の方に行った奴もいるって事? という事は、世界中でその亡霊と呼べるものがいて、それぞれの海域を纏めているって事でいいのかい?」

「その認識であっていると思う。とはいえ私は所詮南方海域担当だったから、それ以外の海域については知りませんよ。艦娘の情報こそ共有しているけど、それ以外の海域の制圧状況、所属している深海棲艦の情報なんて、近所のものしか知りませんね」

 

 自分達の事に置き換えれば、深海側には深海棲艦を発生させるに至った大本営に当たる何かが存在する。それらによって海に沈んだ人間が亡霊と呼ばれるものへとなり、深海棲艦を建造して運用する提督的な位置づけとなる。

 それが各海域に鎮守府や泊地のように存在し、それぞれの戦いを繰り広げている。

 と、わかりやすく解釈してみた。

 だとすると、沈めても鎮めても終わりが見えない、というのは仕方のない事なのかもしれない。深海にそれぞれの鎮守府があるならば、それらを全て壊滅させるか、大本営に当たる何かが消滅しなければこの戦いが終わらないのかもしれない。

 

「心が折れました? 深海棲艦は正しく怨霊。冥界の門と繋がった深海から際限なく湧き出てくる怨霊達を、あなた達は相手にしているの。それはまさしく終わりのない戦いといえるものよ」

「……だとしても、戦いを放棄してしまえば、それこそ俺達は終わる。完全敗北を喫するまでは、俺は提督である事をやめるわけにはいかないよ」

「そう。……あなたがそうだからこそ、あの時の長門達も、最後まで抗い続けたというわけね。何となく、私が負けた理由がわかった気がしますね」

 

 小さな悔しさを滲み出しているが、しかし苦笑を浮かばせる程度には大和は落ち着いていた。怒りも何もない、彼女は負けを認め、その上で笑っている。

 そして大和は頭を下げる。まるで臣下の礼を取るかのように、深く頭を下げたうえでこう告げる。

 

「改めて名乗ります。私は戦艦大和。一度深海側に堕ちた身でありながら、第三の生を受け、艦娘と成り果てた存在。このような私を認めてくれるのであれば、私はあなたの兵器として、戦い続けましょう。再びこの身が、壊れ沈むその日まで」

「受け入れよう、大和。共に戦っていこう。……でも、俺は君を壊す気も沈ませる気もない。俺が終わるその時まで、共に在り続けたいと思っているのでそのつもりで」

「甘い夢想家なところもあるのね。でも、どこかできっと犠牲は生まれるわよ。それから目を逸らさないように気をつけるようにね」

「はは、わかっているさ。どこかで俺も誰かを失う時が来るかもしれない。でも、そうならないように努めることは出来るし、備える事も出来る。俺に出来る事はやっていくつもりだよ。……それでも失ってしまえば、うん、君の忠告を思い出すさ。忘れないように、ね」

「ええ。そうするといいですよ。では」

 

 時折敬語が混ざっているのだが、大和自身は果たして気づいているのだろうか。

 もしかすると艦娘の大和成分と馴染んできたのかもしれないが、それでも南方棲戦姫の成分が強いせいで完全ではないらしい。

 だがその表情は完全に艦娘の大和のように穏やかなものになっている。その上で敬礼をすると、長門とはまた違った凛々しい女性であると感じさせた。

 去っていく大和を見送り、背もたれに身を沈めて天井を見上げる。

 大和が語った事は大きな情報だ。これを報告書に纏め、美空大将に送らなければ。

 大淀が淹れてくれた紅茶を口に含み、一息つく。

 

「……夢想家、か。犠牲をゼロにするっていうのはやっぱり甘いかい?」

「ですが、その心構えは大事だと私は思いますよ。現実的にはそれを永遠に続けることは出来ないかもしれませんが」

「だよね。でも可能ならば、最後まで君達を失わずにいきたいものだね」

「ありがとうございます。そのお気持ちがあるだけでも、私達にとっては幸せな事です」

 

 別れというのは悲しいものだ。それが自分の責任で誰かを死なせる事になるなど、悲しいどころではない。前回の長門の際にはとてつもない不安感が襲ったのだ。本当に死んだとなれば……想像したくもない。

 だが、あの大和の言葉通り、本当に轟沈したとなればその事実から目を逸らしてはならない。その心構えだけはしておこう。

 

 8月8日、この日の出来事は決して忘れてはならない。

 

 紅茶を飲みながら凪はそう思うのだった。

 

 



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交流

 夏も終わり、9月に入る。

 鎮守府暮らしというだけあって、毎日海が拝めるため、海で泳ぐという夏らしいありがたみなどまったく感じられない日々。かといって山に行く暇もないので、夏のイベントというものには縁がない。

 そもそも凪という人物はアウトドアというよりインドアタイプである。ほぼ毎日工廠に篭って装備の調整をし、艦娘ごとにあった調整をし続ける事で微量であっても艦娘の性能を上げていった。

 そして水雷戦隊は毎日遠征を行って資材回復に努め、何とか大和が生まれた時に消えた資材は取り戻した。だが毎日の訓練でも資材は消える。特に大和の消費が多いのがじわりじわりと影響している。

 そのため今年の夏は、艦娘達にとっては多くの遠征と訓練の日々で終わってしまった。

 凪も執務室と工廠を行き来する日々であり、時折艦娘の様子を見に行って調子を確かめていった。結果、主力部隊はほとんどレベル50を超えるものとなり、北上は満を持して北上改二へ改装された。

 制服は更に変化して明るいベージュ色を基調としており、へそ出しスタイルをしている。能力も更に雷装が尖っていき、驚異的な数値を見せている。そこから繰り出される雷撃能力はもはやただの能力の暴力だろう。

 

「どうもー、スーパー北上様が更に進化しましたよーっと」

「スーパーが進化したらどうなるんだい?」

「んー、ハイパー?」

「ハイパー北上様、か。じゃ、ハイパーな活躍をこれから期待するよ」

「ほいほーい」

 

 というのが、改装された日に交わされた言葉だった。改装されようとも、北上は相変わらずゆるゆるであった。

 そして千歳も改二となり、その衣装に迷彩が加わった。気のせいでなければ胸も増量されているような気がするが、気のせいという事にしておいた。そこに触れるのはセクハラである。

 また性格もより大人の女性らしく落ち着き、穏やかさが増している。相対していて安心出来る雰囲気なので、凪の胃にとても優しい。

 

「お酒とかって飲みます?」

「好んでは飲まないね。宴会とかそういう時ぐらいしか。え、なに? 飲むの?」

「そうですか……少し寂しいですね。この鎮守府って酒飲み勢が少ないですよね……」

「…………山城とかが相手にしてくれるんじゃないかな?」

「あの人、少し泣き上戸なところがありますので、お世話に回ってしまいそうで」

「あぁ……うん。そうか」

 

 というのが、ある日の会話だった。改二になってプライベートで会話したと思ったらお酒のお誘いとは思わなかった。情報を見てみれば、千歳は艦娘の中での所謂酒飲み勢と呼ばれる人であり、他に挙げられる隼鷹や那智と同じく、プライベートでよく酒を嗜んでいるようだった。隼鷹はわかりやすいし、那智も那智で何かと理由をつけて飲みたがる。

 そして千歳は二人ほどあからさまではないが、時折飲んでいる姿を見かけるようだった。そして宴会ではお酌に回ったり、あるいは自分も静かに、そして大量に飲み進めたりしているのだとか。

 ちなみに凪は適度にしか飲まない人である。酒よりも紅茶をよく飲むのだが、熱心な紅茶愛というわけではないので、金剛のようなティータイムには参加しないのであった。

 そもそも呉鎮守府には金剛はいないし、ティータイムと言えるような時間を設け、誰かと紅茶とお菓子を楽しむ性格でもないので当然の事だった。

 ではコーヒーはどうなのかというと、「コーヒー? 飲まないよ。飲む気になれない」との事だった。コーヒー好きを敵に回しそうな強い拒否であった。

 今日もまた紅茶を飲みながら報告書を眺めていると、通信が入った。

 

「お疲れ様です、美空大将殿」

「ええ、今日も元気そうで何よりだわ。さて、わかっていると思うけど、新たなデータを送るわ」

「最近ペースが早いですね」

「そうね。敵も戦力が増えつつあるから、こちらも何とかしなければならないからね。では、纏めて送るわ」

 

 そう言ってパソコンにそのデータが届く。まずは新たな建造データだ。

 駆逐艦、初風、秋雲、夕雲。

 新たな改二として、駆逐艦Верный、軽巡五十鈴改二。

 これらが届けられた。

 

「Верный……これって、ソ……ロシアへ賠償艦として引き渡された響ですよね?」

「そうね。かの大戦を生き残った後の姿、といえるものよ。それだけに、改装レベルが高くなってしまったけれど」

 

 情報を確認してみると、確かにレベル70という高レベルになってしまっている。今の響は50を超えた所なので、全然足りない。またしても改二が届けられたというのに、改造できない、という状況に陥ってしまっている。

 そんな凪に美空大将は指を立てながら微笑を浮かべる。

 

「近いうちに新たな改二が追加される予定よ。その娘なら貴様でもすぐに改二に出来るんじゃないかしら?」

「そうですか? 誰です?」

「それは出来てからのお楽しみにしておくといいわ。では今日は以上になる」

「はっ、ありがとうございます。美空大将殿」

 

 受け取ったデータを再確認し、今の鎮守府状況と照らし合わせてみる。

 響の改造はレベルが足りていないので不可能。五十鈴はいないのでどうにも出来ない。

 新たに駆逐艦が追加されたが、それを在籍させる意味があるかどうか。

 意味は、ある。

 加賀と飛龍を交えた第二航空戦隊を組む際に護衛として駆逐艦を追加する事が出来るだろう。あと先日建造した鈴谷と別の誰かを加えれば第二航空戦隊は完成するだろうが、とりあえずは四人体制にするだけでもいいかもしれない。

 凪は工廠へと向かう事にした。

 

 

 その途中、駆逐艦が集まっているのが見えた。どうやら休憩時間のようだが、そっと建物の陰に隠れて様子を窺ってみる事にする。

 まずはあの中で目立つ姿、大和だ。その周りには初霜、霞、雪風がいる。どうやら坊ノ岬組で集まっているらしい。南方棲戦姫の時とは違い、艦娘の大和の記憶と融合しているので、坊ノ岬の記憶は蘇っているようだが、どうだろうか。

 

「また長門さんと戦ったそーですね?」

「ええ。今回は大物釣り対決をしたのよ。……負けたけど」

 

 どうやら昨夜クロダイ釣りをしてきたようで、長門の方が大物を釣り上げたので負けたらしい。釣ったクロダイは間宮へと渡され、今夜のメニューに並ぶようだ。

 凪から艤装を用いた戦いは極力しないように、と言われているので、二人は演習ではなく別の何かでよく戦うようになった。平和的だが、それでもいい勝負をしているので大和的には満たされているらしい。

 最近はどっちが勝つのか、という予想もされているようで、呉鎮守府の一種の名物になっている。

 

「勝敗はどんなスコアになっているのです?」

「35試合14勝18敗3分け、ね」

「そ、そんなにやってるの? あなたも飽きないわね……」

「飽きる飽きない、の話じゃないのよ、霞。これはね、最早私達にとっての日常となってしまっているんですよ。私の願いで始まった戦いだけれど、長門もずっとそれに乗ってくれているのだしね。嫌ならばもうとっくに拒否している。長門も、これを楽しんでくれているものと、私は思っているんですよ」

 

 今の大和は穏やかさが存在している。融合は完全に落ち着いたようで、時折丁寧な物言いが混じる口調となっている。だが血気盛んな所もまた抜けきらないらしく、何かと種目を見出しては、長門と戦っているようだった。

 凪としては特に止める理由はないのだが、早食い競争や、大食い対決は流石に止めた。戦艦クラスの食い気を発揮されてしまえば、どれだけの食料がその一回で食いつぶされるかわかったものではない。

 鎮守府の財政に関わる戦いは一切禁止、と触れを出しておいたので、今の所何とかなっているのであった。

 

「司令官、ナズェミテルンディス?」

「うぉう……!? って響か……何故突然切り札になりそうなライダーのセリフを……」

「いやなに、最近ネタ動画で見てしまってね。丁度、向こうから見るとそういう立ち位置に司令官がいるものだから」

 

 そっと大和達の方を指さしながら凪の後ろから出てきた響がそう説明する。その後ろには夕立もおり、ひょっこりと大和達を見ながら、「で、何してるの?」と見上げてきた。

 

「いや、ちょっと様子を見ているだけだよ。……で、最近本当に響がわからなくなってきて困るんだが、どしたのよ。あれかい? またあの一発芸のやつの関係でライダーを?」

「ほう、よくわかったね。うん、次はどうしようか、と時々話しているんだ」

「今のライダーは魔法使いだったっぽい。もうすぐ終わるけど」

「あー、そうだったね。そういえば切り札に出てたダディの人、去年の宇宙の方に出てたっけか」

 

 

 ニチアサは録画して時間がある時に見ているのだが、駆逐艦の子達も生で見ているようだった。その事もあって、一水戦の娘達はあのような一発芸を高めていく事が出来たそうだが、より高度なネタをするための情報を求めているらしい。

 

「てーとくさんはいつからニチアサ見てるの?」

「去年から。というか宇宙ライダーとその次だけだね」

「そうなんだ。その前のライダーから見てるなら、もっとネタが増えると思ったんだけど」

 

 そんな事を話していたら、流石に向こうの駆逐達に気付かれる。

 村雨が騒ぎに気付いて「なになに? 何の話? 夕立」と手を振っている。村雨だけでなく、白露や朝潮、吹雪に潮という現三水戦の駆逐もいる。

 わらわらと集まってくると、夕立が「ちょっとニチアサについて」と説明し始める。彼女の話を聞いて、白露が腕を組んで素朴な疑問を投げかけた。

 

「ってか、夕立達がやってるのって、戦隊なの? ライダーなの?」

「戦隊っぽい感じだよ」

「ふーん、じゃあ一番に決める事あるよね」

「というと?」

「色だよ、色。イメージカラー。戦隊ではいっちばん大事なことだよ」

「そうねー。赤とか青とか、大事なことよね」

「……決めてたっけ? 響ちゃん」

「いいや、聞いてないな」

 

 確かにニチアサの戦隊風にやるならば色は大事だろう。というか基本中の基本といってもいい。それなくして戦隊は出来ない。

 そういえばあの時の名乗りも、獣風に統一はしていたが、色は口にしていなかった。あれではただの二つ名の名乗りである。

 

「じゃあ綾波ちゃんと雪風ちゃんを呼んで、色の打ち合わせしていこう」

「ん。私的にはホワイトを名乗っておきたいところだけど、ホワイトはレアだったかな」

「大丈夫っぽいよ。なんか今年の戦隊なんて、ゴールドとかバイオレットとかシルバーとかシアンとか、普通じゃ全然いなさそうなカラーを出してるっぽいし」

 

 そんな事を話しながら雪風がいる大和達の方へと向かっていく。残った村雨と三水戦の駆逐達は当然ながら凪へと視線を向けてきた。この娘達は最近生まれたばかりではあるが、毎日の訓練と遠征によって改造は出来ている。

 一水戦や二水戦という前例があるので、一月もあればそれくらいは育つ事が出来るプランが出来上がっているのだ。指導する神通の腕があってこそだろうが、それについていく事が出来ているこの娘達も良い素材と言えるだろう。

 

「どうだい? 神通の訓練、大丈夫かい?」

「はい、問題ありません。神通さんの訓練は大変勉強になります」

「朝潮は真面目だねえ。ま、今んところ三水戦の駆逐の中じゃあたしが一番かな?」

「レベル的には確かにそうですけど、でも、訓練の成績では負けてませんよ!」

「戦果を挙げている、となれば、私が良いものであると考えますが……」

「あ、あの……落ち着いてください……」

 

 どうやら白露は「一番」という言葉にこだわりがあるらしい。報告書によれば確かにレベル的には白露が一番だった。だが命中率などの成績でいえば、吹雪もいいところまでいっているし、敵を撃沈し遠征の成果をどれだけ挙げているか、という点では白露との僅かな差で朝潮がトップだった。

 そして潮は控えめな性格で、誰がトップなのかを争う三人をなだめようとしている。彼女的にはどれもトップではないが、それでも悪くない成績ではある。何かが劣っているわけではない。

 

「んー、でも一部分で見れば、潮が一番よね」

「…………」

 

 と、村雨が何気なく指を頬に当てながらそうつぶやいた。左手で右肘を支える際に、自分のそこを持ち上げながら。

 三人の視線が潮のその「一部分」へと向けられる。凪はというと、そこではなく、村雨の方へと向けられた。潮の性格からしてそっちを見てはならないというのはわかっているので、最悪を回避したのだった。

 

「……う、うん。そうだね。潮のそこは一番だね。でも、そう言う村雨だってなかなかのものじゃんかー!」

「そう? 私は普通だと思うけれど」

「改装されて成長したっての、あたし知ってるんだからねー!」

「それは白露姉さんだってそうでしょう? ねえ、提督?」

「いや、そこで俺に振られても困る。色々な意味で危ない。やばい」

「ちょっとちょっと、何騒いでんの? こっちまで聞こえてきてるんだけど」

 

 と、霞がそこに入り込んできた。腰に手を当てながらじっと凪達を睨みつけている。あれ? これは非常にまずいんじゃないだろうか。凪の勘が危険信号を点滅させている。

 雪風を呼びに行ったことで大和達もこっちに意識が向いたのだろう。それによって話が聞こえてきたようだった。

 

「で? 何の話をしてたわけ?」

「何って、誰が一番すごいのかって話」

「すごいって何が?」

「それ」

 

 白露がそれ、と指さしたのは、潮のそれである。

 子供っぽい風貌をする事が多い駆逐艦の艦娘にしては、あまりに大きく、ある意味凶暴で、暴力的なまでの存在感を放つ、それだ。

 霞も最初は何を意味しているのかわからなかったが、静かにそれの意味が頭に染み込んできたのだろう。

 さっと潮がそれを隠すように体を抱きしめた時、白露へと冷たい視線を向けつつ、更に凪にも向けられた。

 

「……最悪ね、あんたら……」

「最悪ってなにさー! 女にとっては一番重要なものでしょー!」

「いや、私的には一番重要なものでもないと思うんだけど……」

「そうですよ白露さん。それだけで女の方の価値が決まるものではないと思います」

「いやいや、男性ってみんなおっぱい好きでしょ! ねえ、提督!?」

「そこで俺に振るんじゃないよ。この状況で答えづらいわ、それ」

「つまらない騒ぎをするものじゃないわよ、駆逐達」

 

 そこで助け舟を出したのは、意外にも大和だった。腕を組みながらやれやれと嘆息している。全員の視線が大和へと向けられると、しょうもないと言わんばかりの表情をしていた。

 

「我らは兵器。女としての価値を示す胸の事で一々騒ぐものでもないですよ。こんなものを一々気にしてどうする」

「……それ、持ってる人の余裕に聞こえるんですけど、大和さん」

「いや、大和は素で言ってると思うから。南方棲戦姫だった時からあれ、フルオープンだったからね。自分を全く女と思ってないから」

 

 昔も今も、全く隠そうともしない彼女の振る舞いを説明すれば、全員があっけにとられた表情をしている。そう、白露の言う通り大和は持っている方だ。戦艦だからかはわからないが、入渠ドックで見たあれはなかなかのサイズをしているし、形も悪くない。

 だが本人はそれを特とも損とも考えていない。女である以前に自分は兵器だ、と考えているため、凪に見られても恥ずかしくはないので堂々としている。と、そこまでは説明しなかった。すれば霞から何を言われるかわかったものではない。

 だが年頃の少女に見える駆逐達に囲まれ、胸の話を振られてじわじわと胃が痛くなってきた。慣れてきたとはいえ、まだまだ女性との付き合いには慣れていない。そんな彼にこういう話題は少しきついものがある。

 渋い表情を浮かべはじめた凪に気付いたようで、大和が小首を傾げた。

 

「どうかしたの?」

「いや、うん……何でもないさ」

「大丈夫? 私ので良ければ、おっぱい揉む?」

「ぶっ……!?」

「ちょ、ま、大和、何言っちゃってんの!?」

 

 自身の胸を持ち上げながら提案してきた大和に、霞が慌てたように叫び、止めにかかる。吹き出した凪もあまりの事に頭痛がしてきた。霞が大和を落ち着かせながら振り返り、凪へと指さし「あんたも、こっち見んな!」と怒りや恥ずかしさに顔を紅潮させていた。

 

「何を怒っているのかしら霞。そう減るものでもないでしょうに」

「減る減らないの話じゃないでしょ! そう簡単に触らせるものじゃないったら!」

「お、落ち着いてください二人とも。大和さんも、見た目は女性なんですから、女性らしい慎ましさを持っていきましょう? ね?」

 

 今度は初霜がなだめにかかったのだが、どこからか「やあぁぁぁまぁぁぁとぉぉぉ……!!」と怒りに震える声が聞こえてくる。見れば長門が勢いよく疾走してきている。

 放たれている怒りの殺気に駆逐達が軽く悲鳴を上げたが、呼ばれている大和はというと腕を組みながら涼しい顔だ。

 

「あら、長門。どうしたの? そんな心地いい戦意をぶつけてくるなんて。今度は殴り合い?」

「それもいいかもしれんなぁ? 貴様、提督に何を口走った!?」

「え? おっぱいも――」

「ええい、言わんでいい! 貴様ぁ! 兵器としての心構えは認めてやらんでもないが、同時に見た目が女である事を理解しろぉ! そして提督は女性に対する免疫があまりない! そう無防備に誘いをかけるな!」

「なに? 嫉妬? 長門もそれなりにあるのだから、貴様も揉ませてやればいいんじゃない?」

「私は今は関係ないだろぉ!?」

 

 注意しにきたはずだが、大和のどこか天然な発言がより長門の怒りを煽っている。大和の腕をつかみ、「来い! 向こうできっちり話をつけてやる!」と引っ張っていく。大和も何故怒られているのか理解していないようで、首を傾げている。

 

「何をそんなに怒っているのやら。私にはまったく理解できないですね」

「これからそれをしっかり教育してやる!」

「やれやれ、その戦意を私との戦いにも向けてほしいものだけれど」

 

 そんな事を言い合いながら二人は去っていった。

 それを見送り、凪は大きく息を吐く。駆逐達によって吹き飛んでしまっていたが、落ち着きを取り戻した事で、緩やかに工廠にいく目的を思い出した。吹雪がそんな凪へと心配そうに声をかけてくれる。

 

「あ、あの、司令官。大丈夫ですか?」

「……うん、どっと疲れたけど、大丈夫さ。じゃあ、俺は行くから……」

「お、お疲れ様です。司令官」

「お疲れ様です、司令官」

 

 吹雪が敬礼すると、朝潮、潮、初霜や霞もさっと敬礼して見送ってくれる。村雨も敬礼しつつ、ちらりと潮と村雨の胸をじっと見つめている白露をみやる。ぺしぺし、と村雨が白露の頭を叩いてやると、白露も慌てて敬礼してくれた。

 やれやれ、元気な駆逐艦もいいけれど、あの大和は本当にどうにかしないといけないかな、と思いながら少しばかり足取り重く工廠に向かうのであった。

 

 

 




昔は平成初代とその次を見ていた気がしますが、いつの間にか見なくなって
宇宙で復帰したというちょっとしたにわかで申し訳ないです。
ブレイブな戦隊は俗に言う「七夕の奇跡」で知った口です。


そしてなんだか大和が勝手に動いて喋ってくれて、長門とかち合う流れが
よく出るようになってしまいました。何だろう、これは。
ここまでのキャラにする予定はなかったのですが、はてさて。


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交流2

「秋雲着任! 提督、よろしくね」

 

 一人だけ作ってみるか、と放り込んだ結果、彼女が生まれた。夕張の時を思い出す一発ツモである。あるいは妖精達が気を利かせて秋雲を寄越してくれたとも考えられるが、妖精は気まぐれだ。深くは考えないでおくとしよう。

 その衣装は情報で見ると、新たな駆逐艦である夕雲型に合わせられているが、秋雲自身は陽炎型で登録されている。これは秋雲が近年まで陽炎型か夕雲型かで議論されていた事が関わっているのだろう。

 

「どうも、よろしく秋雲」

「うーい、よっろしくぅ、提督。お近づきの印に、似顔絵でもどぉ?」

「似顔絵?」

「そうそう~。この秋雲、絵心あるんだよねえ。ぱぱっと完成させちゃうけど」

 

 と言いながら、どこからともなくスケッチブックと鉛筆を取り出してみせてきた。さらさら~っと鉛筆を走らせ、ものの数分で描き上げてきたそれは、ただ絵心があるっていうだけでは説明がつかない出来栄えになっていた。

 渡された紙を眺めながら感嘆の息を漏らしてしまう。

 

「はぁー上手いもんだね」

「どうもどうもー。以後、この秋雲をよろしくぅ~」

 

 それが秋雲との出会いだった。

 彼女は第二航空戦隊へと組み込まれることになる。これで鈴谷と、加賀、飛龍を合わせて四人体制となった。少しずつ戦力は補充されていくのはいいが、資材も資材で増やしていかねばならない。

 まだまだ水雷戦隊の遠征回しは終わる事はない。

 

 

 そしてある日の事、埠頭ではまた騒ぎになっていた。

 そこにいたのは四水戦のメンツ、木曽、鳥海、筑摩、利根、秋雲、鈴谷、初霜、霞だった。一水戦から三水戦までは遠征へと出ているのでここにはいない。彼女達の視線は埠頭へと向けられており、そこには三人の人物が海に向かって何かをしている。

 ベージュ色のカーディガンを着て携帯椅子に座りながら静かに釣り糸を垂らしている村雨、釣竿を垂らして腕組をする大和、そしてじっと静かに釣竿を握りしめている長門だ。

 現場にやってきた凪は「……何してんの?」と問いかけてみる。

 

「釣り対決にゃしー。今回はどれだけ釣れるか、という数勝負みたいだよー」

「長門と大和はいつものだろうけど、何故村雨?」

「何となくだってよ。オレも驚きではあるが、あの二人の戦いに感化されたのかもしれないな。釣りくらいなら気軽に出来るからって、あの通りさ」

 

 同じ第二主力部隊にいる木曽が答えてくれる。

 椅子に座りながらじっとアタリを待ち続ける村雨のその姿、妙に様になっている。先日のクロダイ大物釣りは長門が勝ち、クロダイは夕飯のメインとなっていただいた。

 今回の釣り対決もまた間宮の手によって美味しく調理される事だろう。

 ただし、釣れたらの話だ。

 

「んー、真剣な横顔、絵になるねぇ~! いいよぉ、ペンが走るぅー!」

 

 秋雲は応援というより、絵を描きに来ただけらしい。そして四水戦の駆逐達は長門を応援し、大和の応援は初霜と霞だった。重巡達はどっちにもつかず、様子を見守っているだけ。

 特に利根はラムネを口に含み、ベンチに腰掛けながら足をぶらぶらさせている。そして筑摩はそんな利根の後ろに控えながら、微笑を浮かべて釣りを眺めていた。

 ふと、状況が動いた。

 

「――フィィィィィッシュ!! ふふ、今日は調子がいいわ! そっちはどうなのかしら、長門?」

「静かにしろ、大和。獲物が逃げる」

「そうそう。魚が逃げると困るんですけどぉ~」

 

 釣りは静かに行うものだ。騒いだりすれば魚が逃げてしまう。

 だがそれでも村雨は二匹、長門も二匹釣り上げているのだが、大和は今ので四匹目だ。優位に立ちでもすれば気分も昂ぶるというものだろう。

 それにしても大和のあの変わりようは何なのか。ここに慣れてきた、といえば確かにそうなのだろうが、あれがかつて死闘を繰り広げた南方棲戦姫のなれの果て、と考えると感慨深い。

 変われば変わるのだな、とどこかしみじみとしてしまうと、「あ、てーとくさんだー」と遠くから声が聞こえてきた。ん? とそっちに視線を向けると、誰かが勢いよく背中に飛びついて来た。

 

「何してるのー?」

「おう、帰ってきたのね、夕立。……ぐぇ、ちょ、ま……それ以上乗ってくるな……!」

 

 ベンチに座っている凪に飛びかかって首に抱き付いてきた夕立に続くように、「どーん」と響も前からしがみついてくる。更に夕立の背中へと雪風が続き、非常にまずい状況になってきた。

 ぷるぷると体が震え、前へ前へと体が倒れていきそうになったところで、木曽や天龍、筑摩が三人を離してくれる。

 

「ど、どうも……」

「もー、三人ばかりずるいですよー! 睦月だって、提督におんぶされたいにゃしー!」

「睦月、そうせがむものじゃないよ。司令官もお疲れのようですし」

「三日月ちゃんもそう言って、夕立ちゃんたちの事気になってるんじゃない? 本当は甘えたがってるんじゃ……」

「そ、そんなんじゃありません。って、もっち。こんなところでごろごろしないで。初雪も」

「おいおい初雪ぃ、こんなとこで寝てんなよ。寝るんなら向こうで寝なって」

「……じゃー、深雪が連れてって……」

 

 応援に飽きてしまったのか、望月と初雪という駆逐艦の中でもだらだらしがちなマイペース組が寝そうになっている。そんな二人に注意しながら起こそうとする三日月。睦月型の中でも妹の方に当たる三日月だが、面倒見がいいタイプらしい。

 そして凪は突然飛びかかって来た夕立らに視線を向けて「で、どうしたの? 急に」と問いかける。

 

「遠征から帰ってきたら、提督さん達の姿が見えて、ついやっちゃったっぽい。でも、聞いて聞いて! 今日はいつもより多く持って帰って来たんだよ! ほめてほめてー!」

「おう、そうか。それはありがたい。おつかれさま」

 

 わしゃわしゃと頭を撫でてやると、わはー、と目を細めて大人しく受け入れている。そのままいつものように喉を撫でてやれば、ごろごろと猫のように鳴きはじめる。

 くいくい、と響も無言で催促してきたので、同じように響にも撫でてやった。となれば当然雪風も催促してくる。とりあえず三人とも気が済むまで撫でまわしてやることにする。

 

「帰還しました、提督。こちら、メモとなります。後で報告書に纏めておきます」

「ん。おかえり神通。綾波と北上もお疲れ」

 

 メモを受け取っていると、夕立が甘えるようにまた背中に乗って抱き付いてくる。なんだろうか、今日は甘えたい気分なのだろうか。顎を帽子に乗せられても、凪はとりあえずそのままにしておくことにした。

 でもどうしてそうなったのだろう、と訊いてみることにする。

 

「どしたのよ夕立?」

「んー……なんか、ふっとさみしくなっちゃったっぽい。あと、なんだか胸がざわついてるんだ」

「ざわつく?」

「響ちゃんとか、改二のデータが来てるんだよね? 改二になるって、どんな感じなのかなって。北上さんにも訊いてみたけど、あの人はゆるゆるすぎて参考にならないっぽい」

「あー……うん、まあ、北上だからしかたないね」

「えー? 失敬なー。あたしはちゃんと説明したよー?」

「魚雷がどどーんって撃てたり、何気なく砲撃もばばーんと強くなったり、でもやっぱり鋭い雷撃をちゅどーん! とぶちかましたり、って感覚で説明しすぎて理解できないっぽい!!」

「でも実際そんな感じだしー。あたしはやっぱり、基本雷撃だからさー、これをしゅぱーーん!! とぶっ放して装甲をどどーん! とぶち抜くのが快感よねー」

 

 なるほど、その説明では全然理解できない。というかそれでは改二になって成長した能力しかわからない。確かに能力が成長した部分を感じ取るのも大事だろうが、資料を見る限りでは改二になると身体的特徴や精神なども変化するらしい。

 例えば千歳や千代田の場合は服が迷彩になるだけでなく、どうやら体の一部分が更に成長したように見えるらしい。どこかと言えば、先日話題になった「あそこ」である。

 資料によれば五十鈴改二も同様に「そこ」が急成長したように感じるとか。精神的にはあまり変わっていないが、身体的特徴が変わったのが大きいだろう。

 それに対して北上と大井は最初の改二だからか、制服が変わったくらいしかあまり変わっていないようだ。それは目の前にいる北上を見ればわかってしまう。

 

「あたし、強くはなりたいんだけど、大きくは変わりたくないんだ。成長するのは大事な事だけど、それと一緒に何かを失ったら、どうしようって」

「……気が早いんじゃないかい? まだ夕立が改二になるって決まったわけじゃないし」

「でも響ちゃんはいつかは改二になれるってことでしょ? レベルさえ足りたら、成長しちゃうんだよね。なんだか、置いてかれそうで……」

「別にそんな事はないと思う。きっと私は私。何も変わらないよ」

 

 生き残り組としてВерныйとなる響。確かにそんなに変わりはしないようだが、どうも身長が伸びて大人っぽくなったというか、子供が成長期に入ってぐっと成長したというか。

 子供から大人になりそうな変化を見せるらしい。その情報を見ているわけじゃないので、自分の予想を語っているに過ぎないが、それでも夕立はどこか不安そうな雰囲気が消えていない。

 

「それに提督さん、なんか最近構ってくれないし。わしゃわしゃしてくれたの、随分久しぶりっぽい」

「そうだっけ? ……まあ、でも、そうだなぁ。最近は君達遠征ばかりだし、俺は俺で工廠に篭ったりしてたし……」

「ぶー、だからすっごくさみしかったんだよー!」

「わかったわかった。じゃあしょうがない。このままでいいよ」

 

 資源回復のためとして水雷戦隊は遠征の回数を増やし、遠征が終われば訓練がある。休憩時間くらいしか会えないので、寂しくなったというのもわかる。

 頼もしくなってきたとはいえ、夕立は見た目通り子供っぽい。それもまた駆逐艦の特徴の一つではある。レベルを上げ、強くなっていったとはいえそれでも駆逐艦は子供である。

 ここは気の済むまで甘えさせてあげることにした。

 何かと夕立に甘い気がするが、それは最初に建造した艦娘だからだろうか。初期艦こそ長門と神通だが、初めての建造で生まれた凪にとっての娘みたいな存在は夕立だ。だからついつい無自覚に甘くなってしまう。

 すると、雪風も凪の前にやってきた。それだけでなく、ポケットから飴を取り出してくる。

 

「しれぇ! はい、これどーぞ!」

「飴? どうして?」

「間宮さんからもらいました。おいしいと思います! これを舐めて、元気になってください!」

「いや、俺は元気だよ?」

「でも、最近いろいろなことがあって、疲れてるんですよね? そういう時は、甘い物がいいってききました! だから、どーぞ!」

 

 小さな手に乗っているのはべっこう飴だ。恐らく間宮が作ったものではないだろうか。

 それを手に取りながら雪風を見つめる。「いいのかい? 君のおやつじゃないの?」と訊いてみるのだが、いつものような太陽のような明るい笑顔が凪を見つめ返していた。

 

「大丈夫です! しれぇにあげますので、どーぞ!」

 

 そうまで言われてはもらうしかない。包みを開けて口に含めば、じんわりと甘さが広がっていく。間宮の手作りべっこう飴、これはいいおやつだ。ころころと口の中で転がしながら、その甘さを堪能する。

 ありがとう、と雪風の頭を撫でながら礼を述べると、またにっこりと笑ってくれる。

 しかし駆逐艦にまでわかってしまうほど、自分は疲れていると知られてしまっているのか。これは気を付けなければならない事だろう。トップがそんな事では、味方の士気に関わる。

 もっとしっかりしなくては、と飴を舐めながらとりあえず表情だけでもきりっとしてみるか、と表情を動かしてみるのだが、神通がそっと近づいてくる。

 

「あの、無理してはいけませんよ。提督はありのままでいいかと私は思います」

「……いや、しかし」

「そうじゃそうじゃ。提督よ、お主はありのままでいてくれることこそ、吾輩らにとってはやりやすいのじゃ」

 

 いつの間にかそこに利根が立っている。空になったラムネの瓶をくるくると指でいじりながら、にかっと笑いながら見下ろしていた。

 

「吾輩らもお主と共にいてもうすぐ半年になるかのう。それだけの付き合いとなれば、提督の事もわかってくるというものよ。お主は普段通りの振る舞いをしていれば、心配する事もあるじゃろうが、どう対応すればいいか見えてくるものよ。じゃが、無理な振る舞い、慣れていない表情、これらを見てしまえばより不安にもなろう。普段しない振る舞いというものは、より何かあるな、と我らに思わせるものじゃよ」

「ええ。疲れた時は疲れたと、辛い時は辛いと素直に見せてくれた方がいいのですよ。それを隠し続けていると、あの時みたいに突然倒れてしまいます。そうなってしまえば、瓦解します。それは良くない事ですよね?」

「そうそう。だからあたしみたいに、素直に行動した方がいいっぽい」

 

 ぎゅっと抱きしめてくる夕立の暖かさを感じながら、凪は半年という時間の流れを感じた。そうだ、この娘達とはもう半年近くの付き合いになっていた。凪が何となく彼女達の事をわかってきたように、彼女達もまた自分の事を理解してきている。

 凪が思っている以上に、自分は見守られているのだ。

 それもまた絆の強さがしっかりしてきたという証でもある。

 

 失いたくない、大切な存在になってきている。

 

「……そうだね。うん、ありがとう」

「うむ。さて、筑摩よ。そろそろ時間かの?」

「ええ。鳥海さん、鈴谷さん、木曽さん。行きましょうか」

「はい」

「ほーい」

「ん。じゃお前ら。あんまり騒ぐんじゃないぞ」

 

 釣りを見守っていた鳥海、鈴谷と、四水戦の駆逐達の面倒を見ていた木曽が立ち上がり、利根、筑摩と一緒に別の場所へと移動していく。これから訓練の時間のようだ。

 それを見送っていると、また釣りが動く。

 

「んっ……! よし、また一匹!」

 

 村雨が釣りあげ、続くように長門も釣り上げていく。その流れに大和が目を細め、もう一回釣竿を振るって釣り針を投げる。優位に立っているとはいえ、追いつかれるわけにはいかない。ここで逃げ切らなければ。

 ふと、釣竿に重みを感じた。いきなり食いついたというのか。

 

「ふふ、乗るしかないわ、この流れに……! フイイイィィィィッシュ!!」

 

 立ち上る水が大物である事を示している。一体何を釣り上げ――

 

「――な、なにするでち!」

「…………」

 

 そこにあったのは、魚ではなく水着とその上にセーラー服を着た人であった。

 ピンク色のショートヘアに、桜の花びらを模したアクセサリーをつけている少女だ。釣り上げた大和だけでなく、観客達もしばらく呆然としていた。

 

「ちょ、ゴーヤ! 大丈夫!?」

「これが大丈夫に見えるでちか? いい加減おろしてくだち」

 

 少し離れたところから水面に顔を出したのは赤紫のポニーテールをした少女だ。毛先は水色になっているのが特徴である。彼女も水着を着ているが、釣り上げられている少女と同じく、上にセーラー服を着ている。

 

「……これも釣り上げた数に入れる?」

「それはないだろう。おろしてやれ」

 

 これ、と少女を示しながら大和が言うが、長門は冷静に却下した。

 その少女は伊58と呼ばれる潜水艦の艦娘だ。もう一人の少女も埠頭に上がってくるが、こちらは伊168。どちらも南方棲戦姫を討伐した報酬として送られてきた潜水艦である。

 

「遠征から帰ってきたら、なんでちかこの仕打ちは! ひどいでち!」

「それはごめんなさいね。釣り対決をしていたものだから」

「また戦ってたんだ……。で、今回は……数? 大漁なら勝ちってパターン?」

「そうだ。提督なら向こうにいるから、報告ならばそっちに向かうといい。遠征ご苦労。ゴーヤも機嫌を直せ。間宮におやつをもらうといいぞ。大和のツケで」

「ちょ、さりげなく何を言っているのかしら長門?」

「釣り上げてしまったのはお前だからな。それくらいはいいだろう」

「……わかったわよ。それくらいはいいですよ。私のツケで、何か食べてくるといいですよ、ゴーヤ」

 

 やれやれと息を吐きながら、また釣り針を投げる。伊58、通称ゴーヤもそう言われてはこれ以上怒る理由もない。そもそも釣り上げられたのも事故のようなものだ。「わかったでち」と一礼して凪の下へと報告に向かった。

 潜水艦、という艦娘としては新しく、そして今は使いどころがよくわからない存在。今のところは自主訓練と、遠征だけで運用している。だが今後はその特徴を生かして偵察に向かわせようとは考えている。

 そのための動き方も学んでいかなければならない。遠征はそのための下積みでもあった。

 

「……どういう状況?」

 

 伊168、通称イムヤが首を傾げながら夕立をおんぶしている凪を見つめる。気にするな、と手を振って報告を促す。

 

「弾薬をいつも以上に持ち帰る事は出来たよ。あと軽く駆逐艦とか発見されずに沈める事も出来たかな」

「ん、了解。遠征ご苦労。間宮の所で休んでくるといいよ。おつかれ」

 

 平和だ。

 騒がしくても、これは平和な日常といっていいだろう。

 振り返れば楽しいと思える日々を感じ、甘い味を堪能しながら目を閉じる。

 半年前まではこんな日常を自分が味わうなど考えられなかった。寮と工廠を行き来し、時々東地と会話し、眠る日々。ずっと一人で過ごしていくものと思っていたが、今となっては全く変わっていた。

 最初こそ気乗りしなかった呉鎮守府の提督業。今は、やって良かったと思うようになってきている。

 守らねばならない、この日常を。

 

 

 そう感じる凪とは裏腹に、世界はそう簡単に平和を与えてはくれないらしい。

 

 

 ソロモン海域、ガダルカナル島。

 かつてはここにも人が住んでいたのだが、深海棲艦が跋扈する今となっては無人となってしまった。そしてここにはかつての大戦の名残が存在している。

 ヘンダーソン飛行場。またの名をホニアラ国際空港と呼ばれていた場所である。

 最初に飛行場を作ったのは帝国海軍であったが、後に米軍が占領し、ヘンダーソン飛行場と命名。ヘンダーソン飛行場を何とかするべく帝国海軍も夜間砲撃などを行ったが、結局は撤退してしまう事となった戦場だ。

 そこに今、無数の影が蠢いていた。

 それらは物資を搬入し、少しずつ作業を進めている様子であった。

 中心には白い人物が瞑目しながら座っている。

 近くにはまた魔物のような風貌をした艤装が置いてあるのだが、まだ建造中らしく、多数の人型深海棲艦が動いていた。だがほとんどそれは完成しつつある。ただ深海棲艦の姫級が放つような赤い光を放っていないので、まだ意識はないだけだった。

 しかし、深海で生まれるはずの深海棲艦が、どうして海上、それも陸地で建造されているのか。それは、誰にもわからないことであった。

 ただその白い人物から放たれていると思われる赤い粒子は、今もなお残っている滑走路とまるでパイプのように繋がれていた。何かをくみ取るように、滑走路から白い人物へと光が動いているのである。

 

「…………死、……鉄」

 

 ぽつり、とそれは言葉を発した。それにタ級が顔を上げて白い人物を見つめるが、言葉はもう出てこない。だが意識が少しずつ宿り始めているのだ。作業は順調と言っていいだろう。

 まもなく10月になろうとしている。

 それの目覚めの時は、近い。

 

 

 




夏イベが中規模らしいですね。

中規模ではあるが、難しくないとは言っていない。
16冬のような規模でも、最後がガチな戦いにならないはずがないでしょうね。

16春で資材が結構減りましたが、皆様はいかがでしょうか。
16冬のデータを見る限りでは、
私の場合で消費が大体3万だったようですが今回はどうなる事やら。

まだ時間はあるので、備えるだけですね。


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東地

 

「よーしよし、とどめはもらっていくぜ!」

 

 通話先で東地が威勢よく声を上げ、それに従って戦艦の主砲が唸りを上げる。放たれた弾丸は狙い通り敵の戦艦、扶桑の装甲をぶち抜き、撃沈に成功した。

 

「よっしゃー! これが戦艦の醍醐味だよなぁ、気分いいねえ!」

 

 そう、また凪と東地はあの海戦ゲームをしていた。

 気が向いたらやろうぜ、という風な流れが二人に出来ているので、こうして時間があえば通話しながらゲームをするのもまた日常だった。

 

「これで敵はあと三人か。で、こっちは……さすが、まだ生きてんよ『水門』」

「ってか、一人でかき回して鮮やかに2キルしているし、なんだろうなぁあの人。って待て、向こうも3キルしてる奴がいるぞ。誰だ、この『鬼百合』って」

「さあ? 聞かないプレイヤーやな」

 

 どうやら駆逐艦の神風を使っているようで、戦場を動き回って前線に出てきた戦艦や重巡を密かに処理してきたらしい。動き方が『水門』と似ているらしく、両者は今まで鉢合わせにならず、それぞれの役割を遂行していたようだ。

 凪側はあと四人、数では一人優位に立っているが、それでも状況次第でひっくり返るのがこのゲームだ。

 また、ただ敵を全滅させるだけが勝ちの取り方ではない。

 この広い海だ。隠れている敵を見つけられない事もある。そのため、ポイントが存在している。時間の経過と共にポイントが両陣営に増えていくが、これは敵を倒す事で増減する。

 目標ポイントが達した側が勝利できる、という勝ち方だ。

 勝っている側はこれ以上追撃せず、逃げに徹してポイント勝ちするという戦術も取れる。スマートではないが、これもまた勝つための手段。これは個人戦ではなくチーム戦なのだから、自分がやらかしてしまえばチームメンバーに負け数が増えてしまうという事にもなる。

 さあ、どうするのだろうか、とマップの状況を見てみると、島影から魚雷が複数接近してきていた。それは後ろからきている東地の戦艦を狙ったものらしく、何とか回避行動をとろうとしている。

 凪もそっちへと方向転換し、魚雷を撃った主を探してみると、すぐに敵艦である神風を見つける事が出来た。だが神風はそのまま前進し、隣の島の陰に隠れていく。表示されているプレイヤーネームには『鬼百合』とある。

 見つかったからには何とかしなければならない。駆逐艦は一度見失うと、その高速機動力と、高い隠蔽性によって再発見が困難な事が多い。

 隠蔽性とはゲーム的には発見されない距離の事だ。プレイヤーが見ている画面で、この距離まで近づかなければ見つけられない、という最低距離が艦ごとに決まっている。砲撃すれば露呈してしまうが、逆に砲撃せずに動いているだけならばその最低距離までは全く視認できないのである。

 隠蔽性が高ければ高い程、その最低距離が縮まっていくというわけだ。

 そのため腕のいい駆逐艦プレイヤーは、その隠密行動によって戦場をかき乱していく。『水門』が脅威となっているのはそのせいであり、味方に居れば頼もしい事この上ないプレイヤーと言えよう。

 そしてこの『鬼百合』というプレイヤーも、今まで話題になっていなかったという事は、最近始めたプレイヤーなのだろうか。あるいは別の艦種を乗り回していた可能性もある。

 なんにせよ、一戦で3キルをしてのけたプレイヤーだ。腕がいいのかあるいは偶然か。注意して動かなければならない。

 

「うぉっ!? もう見えん。どこ行った……?」

 

 島の裏側へと回ってみると、もう姿は見えない。向こうに行ったのか、先程まで二人がいた側へと島を回り込んで移動したのか。

 金剛を操作している東地は島の間に入らず、外側を回り込んで挟み撃ちにしようとしているのだろう。だがこちら側にもいない。ならば向こう側へと逃げていったものと考えられるが、どう逃げていったのかがわからないのだ。

 急がなければ次の魚雷が飛んでくるだろう。

 焦ってはいけない。どこかに潜んでいるのは間違いない。距離を詰めれば神風は画面に映るのだから。

 

「ん? 『水門』が来てるぞ。向こうから挟み撃ちしてくれるみたいだ」

「三人がかりか。確実性が増していいねえ。これで勝った!」

 

 『水門』が操る峯風が砲撃を始めた。すると撃ち返したようで神風の姿があらわになる。撃ち合いながら東地がいる方へと逃げていく神風。そこで煙幕を使用し、姿を消した。

 だが出始めているときはまだチャンスはある。凪の白露も合流して砲撃をしていくと、数発だけ命中弾があった。金剛も戦場に入っていき、とどめの主砲を撃ちこもうとする。戦艦は巨大であるが故に舵を変えづらい。合流しようとしたら、しばらくはそのまま進むしか出来ない。逃げようとしたときにはもう遅い、という時がままあるので、注意して進まなければならない。

 それ故に、煙幕の中から魚雷が迫ったと気づいた時は玉砕覚悟で突っ込むしかなくなってしまった。

 

「一発は受けてやる! でもこれで終わりだ!」

 

 魚雷が刺さる前に砲撃を行い、それは瀕死になっていた神風を撃沈させる事に成功した。だが次の瞬間、魚雷が金剛へと刺さり、それは誘爆を引き起こして爆沈してしまった。弾薬庫に甚大な被害を受け、たとえ体力が満タンであろうとも一発で轟沈してしまう、という沈み方である。

 東地的には一発ならば耐えられると考えていただろうが、流石に爆沈までは予想できない。あちゃー、と頭を抱えてそうな悲鳴が聞こえてきた。

 しかし『鬼百合』という脅威が去ればこの戦いはもらったも同然だった。

 程なくして勝利を収めることができ、いい気分でゲームを終える事が出来た。

 

「しっかし、『水門』が2キル、『鬼百合』が4キルか。大したもんだよなぁ」

「と言っているお前も、2キルだけどな」

「そういやそうか。……さて、時間も時間だし、落とすか」

 

 母校画面になっているゲームを落とし、通話画面だけにする。時刻は日付が変わったところだ。もう10月になり、実りの秋といえる頃合いになってきている。

 そんな中で、東地は今もなおソロモン海域を警戒している。

 南方棲戦姫が倒されたからといって、ソロモン海域は落ち着いてはいなかった。あの一帯はまだ海が赤く、完全に深海棲艦の支配下にある。

 南方棲戦姫の力によって赤く染まっていたのは、あくまでも彼女が北上してきた海域だけ。ソロモン海域の一部分こそ数日は青さを取り戻していたようだが、すぐにまた赤く塗りつぶされたらしい。

 つまり、ソロモン海域にはまだ何かがいるのだという証でもあった。

 

「調査の手は入っていないのか?」

「深山と一緒に調べてはいるさ。だが、装甲空母姫や装甲空母鬼、そして泊地棲姫が周囲を徘徊してやがるのさ」

「……もうその辺りの奴らはお手軽量産か」

 

 姫や鬼級とはいえ、これらは最初に生み出された存在だ。何度も繰り返して作りあげれば慣れるというもの。もしかすると深海棲艦にとっての長門型や、蒼龍や飛龍あたりの感覚で作られているのではないだろうか。

 これらを警備に回し、その中心で何をしているのか。そこまではわかっていないようだ。

 

「撃破するのは慣れてきてはいるが、だからといってそのまま奥へと突っ込めば何が待っているかわかったものじゃねえ。しっかり準備を整えて一気に攻め滅ぼさねえといけねえ」

「準備、やっぱり資材とか?」

「そうだなぁ。お前さんからすりゃ、呉からこっちまでくる指揮艦の燃料関係もあるだろうからなぁ。……で、何故かもう大和もいるんだって? 上手く資材回せてるのかい?」

「ぼちぼちかねえ。増えてはいるけど、まだ不安だわ。どれくらい溜めればええのよ?」

「どれくらいかって? 各資材、そうだな。2万で十分じゃね?」

「うそやん……」

 

 つい漏れて出た言葉だが、東地はからからと笑って「冗談でもあり、本気でもあるぜ?」と言う。

 

「この前のような短期決戦を仕掛けるだけならこれくらいでも足りる。前の出撃前のお前さんの資材状況、どんな感じだった?」

「1万6、7千くらいか」

「帰った後は?」

「1万下回ったものやな」

「という事は、差額はだいたい7千から9千くらいだ。そこから大目に見積もっても、ほれ、2万で足りるだろ?」

「まあ、そうなるな……」

「でも長期戦になるようなら2万に迫るだろうよ。だからそこから余裕を持たせて、3万くらいが今んところの安心圏じゃねえかね」

「3万か……あと1万少し、か」

 

 今の呉鎮守府の資材は1万8千くらいだ。ボーキサイトがまだ1万3千くらいになっているが、こちらは溜めづらいので仕方ない。東地の言う2万で十分なのよ、というラインにはもう少しで届くが、彼の説明からしてもう少し増やしておこうか、という気持ちになってしまった。

 こう話しているという事は、凪自身にはソロモン海域の制圧作戦に参加する意思があるという事だ。友である東地の助けになれるならば、当然助けに行きたいという気持ちがもちろんある。長門の時の借りを返すいい機会でもある。

 それだけでなく、あの大和――南方棲戦姫と戦った戦場でもある。彼女にとっても、過去との因縁にケリをつけられる機会にもなるだろう。自分はもう深海棲艦ではなく、艦娘側の存在となったのだ、と示す事が出来る戦場でもある。

 だがまたあの呼び声とやらが聞こえてきた、という状況にならないという根拠もない。深海棲艦の魂が艦娘と融合したという前例がないのだ。そうなってしまえば、凪自身が大和に手を下さねばならない。それを確かめる意味でも、ソロモン海域にはいかなければならない。

 

「ま、でもソロモンに突撃するのはもう少ししたらってところさ。道筋が見えたら一気に叩く予定さ。それまでに準備整えておいてくれ」

「はいよ」

 

 通話を終え、東地は一息ついて別の通話相手を呼び出していく。しばらく呼び出し音が響き、モニターに映し出されたのは無表情な青年だった。

 無表情というよりぼうっとしたような雰囲気である。眠いというわけではない。彼はいつもこの調子なのだ。

 ぼさぼさな茶髪に翡翠色の瞳、寝間着らしいその服装からして、彼が提督であると誰が想像するだろう。しかし彼こそ、ラバウル基地に所属している深山提督である。

 

「よう、調子どうだい?」

「……変わりはないさ。それで? 要件は……? 世間話をしにきたわけではないだろう?」

「そうだな。……ソロモン海域の突入作戦、お前も参加してもらいたいと考えているんだけど、そろそろ腹ぁ括ったかい?」

「……僕もやれと? そんな物騒な作戦に……?」

「前に言ったよなぁ? 美空大将殿の話。あの人、協調性がない輩はいずれ切り捨てる考えを表明しているって。お前さんも、その候補に挙がってるぜ? 確かにお前さんは偵察を行い、情報を大本営に送っている。資源地の開拓も行った。それは認められている。だが、討伐戦には参加しねえ。……そんなに艦娘を失うのが怖いかい?」

 

 その言葉に深山は沈黙する。

 果敢に戦闘を行うという事は、それによって誰かが犠牲になる可能性が高くなっていくという事になる。守りに徹すれば退避させる事で沈む確率が低くなる。だからこそ深山は防衛ばかりに専念し、攻めていく事はあまりしなかった。

 

「……怖いさ。誰かを失うなんて、自分で育てた娘達を好き好んで沈ませるなんて、誰がするっていうんだい……?」

「確かに艦娘を失う怖さがあるってのは理解出来る。だが、それで閉じこもってばかりいてどうするってんだ? ソロモン海域をさっさと平定しねえと、いつまでもあそこは赤い海のままだぜ? 南方棲戦姫が倒れ、今度はそれ以上に強い深海棲艦が出たら、防衛だけで切り抜ける事なんて出来なくなる時が来るだろうよ」

「…………」

「奴らはてめぇの事情なんて知った事じゃねえだろうよ。前回は見逃されても、今度はそうはいかないかもしれねえ。そうなるまでてめぇは、奴らに戦いを挑むことなく、閉じこもり続けるのか? 人任せでやり過ごすってのか? クズいねえ。そんな主を持つ艦娘らの気持ちを考えてみなよ」

「……うるさいよ」

「戦う力があるのに、それを使えない。……かつての艦の生まれ変わりだというのに、もう一度誰かを守るために戦える機会を与えられたはずなのに、閉じこもるばかりの艦娘ってどうなんだろうねえ?」

「黙れ! それでも僕は、彼女達を――」

「――沈ませたくない、と? 佐世保の艦娘らは沈んだぜ? クズい提督に使われて、沈んだよ。かつての呉の艦娘もそうだ。生き残った艦娘らは、泣いたろうさ。仲間を失ってさ。それを、知らんぷりしてやり過ごすと? お前も、戦場に入る事が出来ただろうに」

 

 じっと深山を見据えながら東地は静かに語り続ける。

 深山は無言で体を震わせているようだ。

 失いたくない、という気持ちはよくわかる。それも一種の優しさではあるだろう。だが、それだけで何とかなる程に世界は甘くはない。

 東地の言う通り、敵は待ってはくれない。

 今までは見逃されていたとしても、今度はラバウル基地に一気に侵攻しないという保証などどこにもない。

 

「もう一度言う。その調子だと、てめぇは切られる。そうなりたくねえってんなら、ソロモン海域制圧作戦に参加しろ。沈ませたくねえって言うんなら、てめぇの艦娘達を上手く使え。しっかりと事前準備しろ。それが、提督の腕の見せ所ってやつだろうよ」

「…………」

「おい、聞いてんのか? そこにいるんだろ? 秘書艦の陸奥。お前からもしっかり言い含めておくんだな。でねえと、そこの腑抜けた野郎とお別れする事になるからよ」

「ええ、聞いているわ。……よく、言ってくれたものと私は感心しているの。提督も、そろそろ腹を括る時が来たのね、と私的には喜ばしいことよ」

 

 画面外から聞こえてくる陸奥の声に、はっとした表情で深山が振り返る。そこには信じられない、と言わんばかりの表情がはりついていた。だが陸奥は画面に入ってこないまま深山へと語り掛ける。

 

「私はね? むしろ戦いに出たかったのよ。まともな戦いをせず、謎の爆沈を引き起こしているからね。大事に思われている、という事はわかっているわ。でも、本当に大事に思っているならば、むしろ強くなった力を存分に振るわせてほしいのよ」

「何を言っているんだ、むっちゃん。そんな事、君は一言だって……」

(むっちゃん呼びかよ)

 

 まさかの呼び方に思わず心の中で突っ込んでしまった東地であった。

 

「ええ。強く進言してもあなたは聞かないでしょうからね。でも、こういう機会を私はずっと待っていた。でも、そろそろ限界だったからね、あの子達を抑えるのも。もう少ししたら私から進言する予定ではあったのよ。だから東地さんが言ってくれて本当に助かったわ。これで心おきなく提督に進言できる」

 

 そして陸奥は頭を下げる。その行動を東地は静かに見守っていた。

 呆然としている深山へと、陸奥は静かに願いを告げる。

 

「提督、私達は深海棲艦と戦う兵器。誰かを守るために閉じこもるのではなく、ただ進軍を食い止め続けるだけではない。守るために、我らの敵を討ちに行く事こそ、より多くの命を守れるのよ。だから、私達をかの作戦に参加させて。お願いします」

「…………」

「秘書艦にこんな事言わせている時点で、俺は提督失格だと思うけどな。アカデミーの成績こそ確かに二位だったろうさ。だが、少しばかり優しすぎたな。優しさは時に人を傷つけることがある。それは人だろうと艦娘だろうと変わらねえってこった」

 

 深山という人物は海軍家系に生まれ、当然の流れとしてアカデミーへと進学し、良い成績を収めて提督となった。エリート家系ではあるが、その性格からして他の学生らと違って鼻につくような振る舞いはしなかった。

 それは彼は騒がしさを嫌う人物だったためだ。大人しく従っていれば、良い成績を収めていればうるさく言われることはない。最低限の付き合いしかせず、人との間には壁を作りあげていたのだった。

 彼にとって他人は他人であり、家族であったとしても自らの領域外の存在として認識している。親によって道を定められたが、彼にとってそれは別に構わない事。だがラバウル基地へと配属となった事は、ある意味で彼にとっての救いだった。

 日本を離れ、遠く離れたニューブリテン島へと配属する。自分の事を知っている人が周りにいない。いるのは自分が生み出した艦娘だけ。それはすなわち、自分に何かを指示する人が誰もおらず、ただ自分の命に従ってくれるだけの存在がいるという事だ。

 誰も自分を否定せず、誰も自分を責めない。

 うるさい人の喧噪もなく、毎日静かに暮らしていける場所。

 ラバウル基地とは深山にとっての楽園であり、ここさえ守り続け、最低限の仕事さえすれば楽園は崩壊する事はない。

 

 だが、今その楽園は静かに崩壊していく。

 

 陸奥が自分に反抗した。

 大事に守り続けていたはずの艦娘が、自ら戦場に出ていきたいと自分に願い出てきた。

 

「…………本当に、戦うつもりかい?」

「ええ。ソロモン海域が落ち着けば、本当の意味で静かな日常が提督に訪れるわ。いつまでも緊張状態で日々を過ごすのも疲れるでしょう? 守りの時間は終わり。今は、攻める時よ」

 

 配属された当初こそソロモン海域は落ち着いていた。あそこが荒れだしたのは今年に入ってからだ。その時点で彼にとっての静かな日常が崩壊していただろうが、完全に侵されないように守りを固めることに専念。

 そうして彼にとっての楽園を守り続けようとしたのだろう。そこから外へと自分と艦娘を出させないように。

 沈ませたくない、という優しさを含んだ楽園という名の牢獄。

 それが深山のラバウル基地であった。

 

「……わかった。……参加する。すれば、いいんだろう……?」

「おう。……そう嫌そうな顔をすんな。沈ませないための最大限の努力、それをしっかりやれば何も問題はねえ。てめぇの提督としての力で、守ってやることだな。ほら、ここに参戦の意思を示してくれ。また封鎖とかで参加しました、とか言われても困るからな」

 

 メールでソロモン海域へ攻め入る意思を表明する、という書類を送り付ける。そこにはちゃんとしっかり戦います、という一文が書かれている。これでは前回の南方棲戦姫の時のような参加の仕方は出来ない。

 すぐにサインが書かれ、返信される。それを確認し、東地は頷いた。

 ただ支援するだけではなく、しっかりと戦場に出るという意味での参戦。参戦者が増えるだけでも成功率は上がるだろう。戦力になってくれるならば、という話だが。

 

「じゃあ、作戦開始の日時は追って連絡する。それまで準備はしておけよ」

 

 そこで通話を切り、東地は一息ついた。

 これで参加者は三人だろうか。

 戦力は多い方がいい。南方棲戦姫の時のような大物が出ないという保証はない。備えられる事はしっかりとしていくことで、被害を極力抑える事が出来るのだから。

 こういう作業は凪には向かない。東地は東地の出来る事をしっかりとやっていくのだ。

 もう一人呼べるとするならば、佐世保に就任した淵上だろうが、彼女の場合はまだ一、二か月しか鎮守府を運営していない。それだけでかのソロモン海域を潜り抜けられるのか、という不安がある。

 そこは彼女の力量でどれだけ艦娘を育てることが出来たかによるだろう。それさえわかれば、参戦してもいいか悪いか、判断できるのだから。

 

「さてさて、あのソロモンだからなぁ……準備しすぎるって言われるくらい備えても、なにもおかしいことはねえだろうが。あと何が足りねえかねえ……」

 

 東地はそれからも資料や情報を睨み続け、それは間もなく日が昇る頃合いまで続くのであった。

 

 

 




某ゲームでは日本語ボイスに切り替えること出来るようになってますが
やっぱりバイタル抜くとボンサーイと言いたくなりますね。


そういえば夏イベは中規模とは言われてますが、
まだ舞台って明らかになっていませんよね?
どうなるのでしょうか……。


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改装

 資材もようやく2万を超え、新しく加わった艦娘達も順調に成長してきた10月。

 大和の馴染みっぷりと長門との仲の良い戦いも日常の一端となり、資材が増えた事で水雷戦隊の遠征の量を減らして訓練の時間を増やす。艦隊の練度強化に集中しつつ、凪も凪で装備の調整によって彼女達の戦果向上を図る。

 もちろん開発も怠らず、様々な装備を用意してその時を待ち続けた。

 10月下旬、その日、いつものようにあの人からの通信が入る。

 

「ソロモン海域へ強襲する作戦、参加する意思があると聞いたけれど」

「ええ、東地と共に戦うつもりです」

「そう。ではそんな貴様に餞別という程のものでもないけれど、これらを与えましょう」

 

 そう言ってまた何らかのデータを送ってくれる。それを開いてみると、やはりというべきか新たな艦娘データがあった。

 新規駆逐艦、巻雲、長波。

 駆逐艦改二、夕立改二、時雨改二。

 それを見た凪は少し驚きに目を開いた。よもやここで夕立改二が与えられるとは。確かにソロモンと言えば夕立の最後の活躍の場。一つの大きな花火を咲かせて暴れまわった逸話が存在する。

 

「貴様の下には夕立がいたわね? いい機会だから与えておくわ。時雨に関しては東地の所にいたし、同じ白露型だから同時に進めておいたわ。駆逐艦とはいえ、改二ともなれば良い働きをしてくれると思うわよ」

「ありがとうございます。あの娘も喜ぶでしょう」

 

 かねてより強くなりたいとよく口にしていたのだ。ついにその時が来たのだからきっと満面の笑みで喜んでくれることだろう。それを想像すると、凪も少し嬉しくなってくる。そう考えながらデータを開いてみると、そこに映っていたのは、確かに夕立ではあった。

 

「……? 美空大将殿」

「なにかしら?」

「……ほんとに、これが夕立改二です?」

「ええ。こうなってしまったわ。狂犬成分が表れてしまったのね」

 

 それで済ましてしまっていいのだろうか。レベルとしては55。これは何も問題はない。すぐにでも改造できるレベルだ。早速とりかかってもいいのだが、いつか夕立が言っていた言葉を思い出す。

 

 強くはなりたい。でも大きく変わりたくはない。

 

 そこに映っているのは、大きく変わったと言える夕立の姿であった。

 左の前髪に髪留め、頭頂部から二つに分かれた房はまるで獣耳のように垂れている。毛先は桜色に染まり、そして何よりその目が真紅に染まっているのだ。

 身長も伸びただけでなく、胸も成長している事から子供から成長したようなイメージだろう。そこは響からВерныйへと変わったものを引き継いでいるといえる。

 手にしている魚雷も意識があるかのように目や口が見られ、腰にアームで連結されている艤装にはハンモックが見られる。また首には白いマフラーが巻かれているようだ。

 これらも恐らく史実のエピソードが反映されているのだろう。

 それらは別にいい。

 問題なのは身体の成長と、目の色が変わったこと。もしかするとソロモン海域での獅子奮迅の暴れっぷりを反映した結果なのかもしれない。これに伴う性格変化があるならば、今までの夕立でなくなってしまうかもしれないのだ。それをあの夕立が受け入れるだろうか。

 

「どうかしたのかしら? 悩んでいるみたいだけれど」

「……ええ、少し」

 

 凪は美空大将に夕立の事について話した。静かに聞いていた美空大将だったが、なるほどと頷きながら煙管を吹かせる。

 聞き終えた彼女は小さく「確かに見た目だけではなく、中身も少しばかり変化はある」と答える。

 

「とはいえ貴様のところの夕立ならばそんなに変わらないでしょう」

「と言いますと?」

「好戦的になる、という変化だからよ。狂犬成分が出た事で、通常の夕立よりも好戦的になったのよ。嬉々として敵を討ち取りに行く、とでもいうのかしらね。でもその気質、貴様の所の夕立は生まれた時から持っていたでしょう?」

「……ええ、確かにあの夕立はそんな気質がありますね」

「なら、そんなに変化はないでしょう? 問題なく改造できると思うわよ」

 

 訓練で力をつけ、初陣の時でも嬉々として獲物を求めていたくらいだ。あの時から改二のような好戦的な性格は見受けられていた。そのままならば、何も問題はない。

 だが改二になって更に好戦的にならない、という保証もないだろう。

 そこが心配ではあるが、今は戦力を強化しておきたいところだ。夕立に説明し、改造させてみるとしよう。

 

「わかりました。いつもありがとうございます」

「構わないわ。貴様達の健闘を祈る。では、私もこれから武蔵の調整があるからこれで失礼するわね」

「はっ、お疲れ様です。美空大将殿」

 

 通信を終えて凪は静かに立ち上がる。大淀の呼び出しで夕立を工廠に呼びつけ、自身も工廠に向かった。着いて数分も経たないうちに夕立がやってくると、彼女に改二のデータが届けられたと説明した。

 それに夕立はすごく喜んだ。

 響に改二が与えられたとなった際に羨ましがっていた夕立だ。自分も今より更に強くなる改二になれるとなれば、喜ばないはずがない。

 

「すぐに出来るの!?」

「うん、レベルが足りているからね。すぐにでも改二に出来る。ただ、もう一つ説明する事があるよ」

 

 改二になるとどうなるか、という事を夕立に説明する。それを聞いていた夕立は少しずつ笑顔が消えていく。今の自分と変わっていく事を想像してしまったのだろう。

 力を手に入れる代わりに失うものがある。

 ファンタジーな物語ではよくある代償の話だ。

 それでも、と夕立はしばらく唸りながら考え込んだ結果、改装を望んだ。変わってしまうかもしれない、という怖さはあったようだが、それ以上に凪の役に立ちたいという想いが上回った。

 ドックへと入り、改二への改装を行っていく。数分かけて作業を行い、やがて扉が開かれると、改装された夕立の姿が――出てこなかった。

 

「……あれ?」

 

 そこにたのはただの夕立の姿だ。改二になったら見た目がかなり変わるというのに、あれでは改装失敗を示しているかのようだ。首を傾げて凪は「どうした? 改装されていたんじゃないのかい?」と優しく声をかける。

 

「うん、そうなんだけど……」

 

 すると工廠妖精がわらわらと集まってきて、何かを喋っている。しかしやっぱり妖精の言葉はわからないので、一緒にいた夕張に説明を求めた。

 相変わらずの作業服姿で別の場所で作業をしていたのだが、妖精の騒ぎに気付いてこっちに来てくれたのだった。

 

「えっと、改二の調整は出来ているみたいです。ただ、夕立が変化を受け入れなかったみたいで……」

「……やっぱりあの変化が原因か」

「……うん。なんか、見えたんだ。変わったあたしの姿が。それと、声も聞こえたっぽい」

 

 改装が行われているとき、目を閉じていた夕立はとある光景が視えていた。瞼が閉じているのに視えているとはこれ如何に。だが夢のようにも思えるような光景だったという。

 真っ白な世界の中にただ一人立っていた夕立は、目の前に扉がぽつんとあったようだ。

 それは恐らく今の自分より更に前へと進むための扉。この扉を開けた先に、改二になるための秘められた力があるのだろう。夕立はその扉を開けてみた。

 瞬間、真っ白いキャンバスに色が塗られたかのように世界が一変する。

 暗い海が広がり、遠くでは赤々と燃える何かがぽつぽつと存在し、お互い砲を撃ち合っているかのような音が響き渡る。背後からは強い光が正面を照らしている。

 扉の奥には、その世界の中で風を受けてなびく髪を揺らしながら誰かが立っていた。

 自分によく似ていて、でも違う。夕立を成長させればあんな風になるのだろう、と思えるような後姿が静かにその世界に佇んでいるのだ。

 あれが自分の改二の姿なのだと、直感で分かった。だから夕立は扉の向こうにいる自分へと手を伸ばす。その行動に反応し、彼女は微笑を浮かべてゆっくりと振り返るのだ。

 

「――さあ、始めましょう? 再び、最っ高のパーティを。ソロモンの悪夢を、奴らに」

 

 爛々と獲物を前にした捕食者の如く、燃えるような赤き瞳が夕立を見据える。それを前に、夕立は委縮した。

 誰だ、あれは?

 あれが、自分だというのか?

 あんな風に、自分は変わってしまうのか?

 確かにあの最期の日、夕立という駆逐艦は米軍を相手に大立ち回りをした。春雨と共に突入し、その後は単騎で暴れまわった。帝国海軍の夜戦の力をこれでもかと見せつけてやったが、敵からすればあんな風に自分は映っていたのか?

 

「どうしたの? 自分がそんなに怖い? でも、これが夕立でしょう? ソロモンの狂犬、ソロモンの悪夢……沈むその時まで、ハンモックを張ってでも戦い続けたのが駆逐艦夕立。その戦果はあやふやでも、単騎で米軍を慄かせた活躍をしたことは疑いようもない。あたしは、その一時の活躍を反映された改二。なら、こうなってもおかしくはないっぽいでしょう?」

「……で、でも、あたしは、そこまで変わりたくはないっぽい」

「強くなりたいんじゃないの?」

「強くはなりたい。でもそれは、提督さんのために強くなるの! 変わってしまったあたしを見て、提督さんが嫌いになってしまったら……あたしは……!」

「…………そんな事はないと思うけれど、そう、それが怖いんだ。でも、もう扉は開かれてしまったの。あとはあなたがあたしを受け入れるかどうか。今はまだその姿のままだけれど、あなたの意思一つで、いつでもあたしになれるから」

 

 だが夕立はぎゅっと服を握りしめ、唇を噛む。

 あんな自分を見て凪が嫌いになったら、怖がってしまったら、素直に甘える事が出来なくなったら……そんな思春期の少女みたいな考えが彼女の中に渦巻いていた。

 世界は相変わらず暗い海に包まれている。恐らくあの日の夜の光景なのだろう。

 そんな中で二人の夕立が相対する。

 片や子供のままの夕立、片や成長した夕立。

 改二の姿をした夕立は静かに扉の向こうから夕立を見据え、ぽつりと小さく語り掛ける。

 

「――でも、迷っている暇はないっぽいと思うけれど」

「……どういう、こと?」

「あなたは力が欲しいと願い続けている。ならきっと強く願う日がすぐに来るよ。死ぬか、生き延びるか。このままで過ごすのか、力を手に入れて先へ進むのか。……選択の時、ってやつっぽい。それがきっと、すぐにやってくるから。その時、今のように迷っていたら、もしかすると提督さんを泣かせるかもしれないよ」

「そ、そんな事、ない……っぽい」

 

 言葉に詰まり、目を逸らしてしまった。それを彼女が見逃すはずがない。

 すっと指をさして「今は、悩んでいてもいいよ」と優しく語り掛け、しかしその赤い瞳は真剣さをずっと帯びている。

 

「でも、選択の時は悩まないで、迷わないで。掴んで、勝利を、描いた夢を。そしてその力で守って、愛する人を、友達を。このあたしの姿は、守るべき人を守り、愛する人の敵を殲滅する力の象徴なの。この姿を恐れるのは、あたし達の敵だけで十分なのだから」

 

 その言葉を最後に、世界は消えていった。目が覚めれば、改装が終わっていたのだった。

 それが夕立が体験したこと。確かにそれは夢のような話だろうが、恐らく嘘ではないだろう。夕立が語ったもう一人の自分の姿の特徴は、確かに資料にあった夕立改二の姿と一致していたのだから。

 そして扉というのも、改二が考案されるきっかけとなった、艦娘の中に秘められていた力を解く鍵のようなもののイメージが具現化したものだろう。その扉を開けて先へと進むための作業、それが改二改装のようなものだ。

 話を聞き終えた凪は苦笑を浮かべて夕立の頭を撫でてやる。

 

「そうか。やっぱり変わってしまう自分が怖かったんだね」

「……ぽい……」

「わかった。君の気持ちを尊重しよう。無理に変われ、とは言わない。扉は開かれていて、君の意思一つで改二になれる状況なんだろう? なら、君の意思に任せるよ」

「……いいの?」

「いいよ。改装自体は問題はなかったんだろう?」

 

 工廠妖精に問えば、妖精達は頷いている。ならばあの夕立改二の言う通り、夕立の意思一つで変われるのだ。変わるタイミングは夕立に任せるとしよう。

 しょんぼりしている夕立をまた撫でてやる。

 改二になれなかったのは確かに残念ではある。だからといって無理に改二を望めば夕立との間に歪が生まれるだろう。それは凪が望む展開ではない。

 

「いいんですか、提督?」

「ん。作業を止めてしまって悪いね、夕張」

「ううん、いいのよ。それじゃ魚雷の調整してくるわね」

 

 笑顔で夕張が去り、「それじゃ俺も魚雷調整するか。夕立はどうする?」と訊いてみると、「あたしはもう行くね。自主練してみるっぽい」と力のない笑みを浮かべた。それが気になったが、さっと夕立は離れ、敬礼して走り去っていった。

 やはり改二の件が自分でも気になっているのだろう。だがこれは夕立の気持ちの問題だった。凪の意思を押し付けるわけにもいかないし、かといってあれ以外気の利いた言葉も思いつかなかった。

 

「……大淀、頼めるかい?」

『はい』

 

 通信で夕立の様子を見てほしい、という旨を伝えると、すぐに返事が返ってきた。

 自分が行っても気を使う事になるだろう。どうやら改二にならないのは凪の事が関わっているらしいのだから。ならば同じ艦娘が様子を見てくれた方がいいだろうと考えたのだ。

 空いた時間は装備調整をしよう。と思っていると、携帯電話が鳴りだした。珍しいな、と思ってそれを取り出すと、知らない番号だった。誰だろうか、と思いながら耳に当てる。

 

「はい、どちらさん?」

「……お久しぶりです、海藤先輩。淵上です」

「あら……どうも、淵上さん。ケータイ番号、教えたっけ?」

「調べました。どうやら執務室にいらっしゃらなかったようですので」

「ああ、それは申し訳ない。工廠にいたものだから。それで、何か用かな?」

「ええ、一つ提案がありまして。ソロモン海域を攻め入る作戦があるとの事でしたよね? ……私も参戦しようかと」

「君も? 大丈夫なのかい?」

「それを確認する意味も込めて、合同演習でもどうかと思って」

 

 驚いた。いつか話を持ちかけようかと思っていたのに、まさか淵上から持ちかけられるとは。しかし断る理由はない。それにソロモン海域に突入する戦力は多い方がいい。演習で彼女の艦隊の力量を確かめられるのだから丁度いいタイミングだ。

 

「わかった。では明日伺っても?」

「ええ。大丈夫です」

「では明日そっちに向かうよ。よろしく」

「よろしくお願いします」

 

 通話を終えて一息つく。いつかは行こうと思っていただけに、予想外だった。だが良い機会ともいえる。問題ない戦力ならば淵上を連れていけばいいし、足りなければそれがわかっただけでもいい。

 どう転んでも悪くない。

 それに美空大将に頼まれていた要件も図らずも果たす事が出来るのだ。彼女がどんな風に過ごしているかも見て、聞いてみる事にしよう。

 そう思いながら作業服に着替えるのだった。

 

 




また水着の季節がやってきましたね。
山城はかわいい、姉様は美しい。この認識でいいんじゃないかと思っております。

そして再び夏のラスボスを水着で殴り倒すという事になりかねませんね。
去年乗り越えたあの悪夢。
多くの提督を戦慄させたあの駆逐艦のような何かを、水着姿でとどめを刺す。
今年もそんなフィナーレを飾りたいものですね。


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演習

 佐世保鎮守府へ向かう指揮艦の中、凪は大淀に昨日の夕立の事について尋ねた。

 あの後大淀は夕立の下へと向かったのだが、中庭にいたのは夕立だけではなかった。一水戦の駆逐達が集まっていたのだ。どうやら何があったのか夕立が話しているようで、それを三人が聞いているらしい。

 大淀は四人の下へと向かわず、そっと木の陰から様子を窺ってみることにした。

 

「なるほど。これは確かに変わっているね」

 

 響が工廠妖精から印刷してもらった資料を確認して頷いている。綾波と雪風もそれを覗き込み、夕立が悩んでいるのを納得する事となった。

 改二の情報もある程度は艦娘達にも共有されている。

 最初のВерныйに関しては響は改装出来ないので知る必要はない、と思っていたようだが、後に見せてもらった感想としては「ほう、白いね」と済ませてしまった。この時はクールで通したらしい。

 

「でも夕立ちゃん、それでいいの? 強くなりたいって前から言っていましたよね」

「……そう、なんだけど。あのあたしを前にしたら、ちょっと萎縮しちゃったっぽい」

「そんなにすごかったんですか? 改二の夕立ちゃん」

「すごいっていうか、強そうっていうか、獣っぽくなったっていうか……とにかく、色々変わってて、すごかったっぽい」

 

 獲物を前にして満面の笑みを浮かべる捕食者、あるいは戦士……とでもいうのか。

 無数の敵が存在していたとしても、彼女は笑ってそれに相対するだろう、と思わせる程の気迫を放っていた。そういう部分は自分にも確かにあったかもしれないが、まるで深海棲艦のエリート級のように目から赤い光を放って水上に立っている様は、どこか異様だ。

 

「でも司令官は別に気にしないかと思う」

「ですね。あの司令官はそんな事では嫌いになるなんてことはないと思いますよ」

「あたしもそこは信じてるよ。……うん、信じてはいるんだよ。でも、それでもあのあたしを見てしまったら、そんな不安が出てしまうっぽい。それに、素直に甘えられるあたしでなくなるかもしれない、っていう怖さもあるっぽい」

「すなおさ、ですか。そんなに変わりそうですかね?」

 

 雪風がもう一度印刷されたそれをまじまじと見つめる。写真で見る限りではその夕立改二は不敵な笑みを浮かべて佇んでいるだけだ。喋ってはいないし、戦意を感じ取れるわけでもない。こればかりは実際に目の前にいてくれないとわからないだろう。

 そうしていると、川内と利根が夕立達に気付いて近づいてきた。

 

「どしたのよ、レッド。珍しくしょぼくれた顔しちゃってさー」

「おや、夜戦仮面にボス。こんなところで珍しい」

「珍しいってなんじゃ。吾輩らは共に二水戦をやっとった仲じゃぞ。今でこそ部隊が違ったとはいえ、一緒に居てもなんらおかしくはなかろうて」

 

 二人の手にはお茶が満たされたペットボトルが握られており、タオルを首に巻いていた。訓練が終わった休憩中らしい。そして夕立の話を聞くと、ふーんと頷きながら彼女を見下ろす。

 

「あの提督が私達を嫌いになる性格してるかなー? むしろ逆だと私的には思うんだけど」

「そうじゃのう。吾輩らから嫌われないように、なにかしようとするタイプじゃろ。むしろ嫌うというより、苦手になる……そう、夕立的には変わってしまった自分から距離を置かれる事を怖がっとるんじゃないか?」

「ああ、なるほど。そっちの方がしっくりくる」

 

 響も夕立の悩みについてなにか引っかかるものを感じていたらしいが、利根の説明でそれがとけたようだ。

 女性が苦手という部分はまだ完全に消えてはいない。

 夕立に対しては妹分のように思う事で、普通に接する事が出来ていたが、果たして改二になったあの姿でもそれが続くのかどうか。

 夕立の不安はそこにあったのだろうが、それが「嫌い」になるか、「苦手」になるか、という違いだった。その微妙な違いが夕立にはわからなかったらしい。

 

「夕立よ。主の悩みもわからなくもない。主の素直さは良い長所じゃと吾輩は思うておる。だからこそ、そういう悩みを抱えてしまう事もな。じゃが、吾輩からすればそれはあまり心配するような悩みではないと思うておる」

「どうして?」

「先程も言うたように、あの提督は吾輩らに対して距離を置く理由としては『女性が苦手』という部分じゃ。じゃが、あの性格をした霞相手に何とか距離を縮めた経験があるからの。それを乗り越えている今となっては、初対面の美人くらいしか苦手な艦娘はおらんじゃろ」

「そうそう。しかもあの大和さん相手にも何とか対応できているんだしさ。いやー、着任当初の提督だったら、絶対また倒れてるって。あんな大和さんがいたら」

「確かに。ストレス溜めて寝込むだろうね」

「い、今も若干ストレスで胃を痛めているかと思われますけども……」

 

 綾波が突っ込むが、利根は気にした風もなく屈みこんで夕立と視線を合わせた。

 

「この問題の解決の道筋は、お主の心の持ちようじゃ。お主が本当に提督を好いておるならば、何も問題などありはせん。例え改二になって性格が変わろうとも、お主の心の持ち方一つで良い結果が手繰り寄せられるはずじゃ。もしもそうでなかろうとも、お主の周りを見るがよい。こうして心配してくれる仲間がおるじゃろう」

 

 優しい声だった。利根の言葉と、自分を見守ってくれる一水戦の駆逐達。その存在が夕立に暖かな光を灯してくれる。何度も小さく頷き、静かに涙が零れ落ちる。

 

「あーあー、泣いちゃって。レッド、あんたにそういうのは似合わないって。いつもみたいに、人懐っこいわんこのように笑顔を浮かべなよ。あるいは不敵な笑みだっていいんだよ。でないと、こっちも調子狂っちゃうからさー。夜戦仮面としてもね」

「まったく、発破をかけるにしても言葉を選んだらどうじゃ。こやつは子供じゃぞ?」

「でも、その気になったら成長しちゃうじゃん。私達に近しい見た目くらいにさ。そんな成長期には少しくらいこういう言葉を投げかけたっていいじゃない。それでまた折れちゃったら、提督のために力が欲しい、なんて願いは持てないでしょ。ねえ、レッド?」

「……うん、すぐに調子取り戻すから……。だから、今はこのままで」

「ん、なら良し。ちゃんと復活しとくんだよ。でないと張り合いがないってね。演習でも、さ? 全力でかかってきてもらいたいじゃん? 部下の調子が悪いせいで神通率いる隊が負けるって、姉としてもライバルとしても癪だからさ」

「だーから、言葉を選べと言うに。しかも神通にまで飛び火させるとは、っておい! 待たんか! まったく、それじゃ吾輩も行くからの。静かに泣いてもいいが、あまり周りを心配させるでないぞ。あの大淀にもな!」

 

 隠れていた大淀へと指さして言い残し、利根もまた川内を追って去っていった。しかし川内が夕立を「レッド」呼ばわりしているのはやはり、戦隊ものが関わっているのだろう。それに釣られて、夜戦仮面と呼んでしまったが、それに対するツッコミもないままだった。

 そして発見された大淀はというと、残った駆逐達の視線を受けて、あたふたとしてしまうのだった。慰めなどは全て利根と川内がやってしまった。

 となったら大淀の出番はもうない。そっと振り返る夕立の様子から見ても、これ以上の言葉は不要のようだ。彼女はきっと立ち直ってくれることだろう。

 

 それが、昨日大淀が見て感じた事だった。

 その報告を受け、凪は静かに安堵する。まだ改二にはなっていないが、静かに元気を取り戻すならば心配しなくてもいいだろう。

 そんな話をしていると佐世保に到着する。

 埠頭に降りれば淵上と秘書艦と思われる羽黒が出迎えてくれた。敬礼した淵上が「お久しぶりです」と挨拶してくる。

 

「久しぶり。今日はよろしくね、淵上さん」

「はい。ではこちらへ」

 

 挨拶もそこそこにすぐさま演習を行う場所へと案内される。ぞろぞろと呉鎮守府の艦娘を全員引き連れ、そこに辿り着くと佐世保鎮守府にいる艦娘が既に整列していた。

 あの戦いを生き残った者、そして淵上の手によって建造させられた者。それぞれが混ざった艦隊だ。

 ざっと見る限りでは数は少し戻っているように見える。全滅した戦艦や正規空母も見かけられ、重巡も増えているようだ。

 

「早速始めます?」

「そちらがいいなら、構わないよ。まずは水雷から?」

「ええ。では、一水戦同士で。那珂、よろしく」

「はーい。でも、提督。いい加減『那珂ちゃん』って呼んでくれなきゃ困っちゃうな~」

「そちらの一水戦は、神通でしたっけ?」

「そうだよ。ふむ、奇しくも姉妹対決か」

 

 那珂のコメントは綺麗にスルーし、凪の神通へと目を向ける淵上。

 かつては主力艦隊を護衛する一水戦、前線で先陣切って突撃する二水戦、という役割を担っている。突撃隊ともいえる部隊であったが故に、どちらかといえば強者揃いと呼べるのは二水戦であった。

 だが今の鎮守府的に一水戦というのは、一番鍛えられている水雷戦隊、というものの認識になっている。

 一水戦から順に番号が増えるに従って練度が下がっていき、後になるにつれて主に遠征としての役割を担う水雷戦隊、というのが共通していた。

 そのため演習においてお互い主力をぶつけ合おうという話になれば、それは水雷戦隊だけでなく、どの艦隊でも一番隊を出すのが通例である。

 呉鎮守府の一水戦、神通、北上改二、夕立、響、綾波、雪風。

 佐世保鎮守府の一水戦、那珂、木曽、陽炎、暁、朝潮、大潮。

 生き残り組としては朝潮しか一水戦には組み込まれていないらしい。吹雪をはじめとしたメンバーは二水戦以下にいるようだった。だが元の佐世保鎮守府の状況を考えれば、生き残りであろうとそうでなかろうと、戦闘における練度的にはあまり変わらないだろう。それに戦場に出なかった駆逐艦もいたはずなので、その中から選抜されたのかもしれない。

 そして位置につく夕立の様子を凪はそっと見守った。表情、雰囲気に乱れはないだろうか、と。しばらく彼女を観察してみたが、特に問題はないように見える。戦いとなれば真摯に向き合わなければ自分がやられることをわかっている。

 昨日は励まされて泣いたようだが、こうして見る限りそれを引きずっているようには見えなかった。とはいえこれは凪から見ての感想だ。人付き合いの経験値があまりない彼の評価なので正確ではないだろうが、それでも大丈夫と感じる程には持ち直しているのが見て取れる。

 お互い数メートルの距離を取り合って向かい合う。だが先頭はどうやら陽炎が務めるようだが、はて、これは何の意図があるのか。凪は埠頭から見守りながら大淀から通信機を受け取る。

 

(旗艦は那珂らしいが、先頭は陽炎。駆逐を先頭にする意味は何だ?)

「那珂、準備は?」

『オッケーだよー。で、那珂ちゃんっていい加減よ――』

「海藤先輩、そっちは?」

「……ん、いいよ。それにしても、そっちの那珂とはいつもあんなやり取りを?」

「ええ、そうだけど、なにか?」

「……いや、うん。君がそれでいいんなら俺から何も言う必要はないか。では、大淀。テンカウント」

「はい。では両者構えて。10――」

 

 どちらにも聞こえるように調整した通信機を通して大淀がカウントダウンを始める。そんな中でも凪は静かに口元に指を当てながら思考していた。あの隊列の意味は何なのか、と。

 駆逐の役割として考えられる事。あるいは水雷戦隊としての動き方。

 それらを考える中、「3、2、1――開始!」と大淀の声が響き渡る。瞬間、両者が一斉に単縦陣で動き出す。向かい合っていたため、当然ながら反航戦だ。

 ふと、駆逐の役割について思考を回していた凪は一つの事を思い出した。夕立がその作業をしていたが、陽炎もまたそれらしき素振りを見せる。

 淵上が双眼鏡を手に様子を窺っていた中で、夕立の行動に気付いたようで通信機へと声を発しようとしたと同時に、凪もまた通信機へと叫ぶ。

 

「煙幕注意!」

「煙幕に注意して」

 

 奇しくもお互い同じことを発していた。それに自然と横目でお互いを見つめ合う。

 戦場でもそれぞれの駆逐が白煙を発してその中へと入りこんでいく。だが陽炎が先頭で煙幕を展開したことで、進行しながら後ろに続く仲間達も全員煙の中に消えていく。だがそれでは、煙幕を発している先頭位置がまだわかりやすくなってしまう。

 だが後続の木曽、朝潮、大潮が分散して煙の中から飛び出し、先頭を行く神通へと接近を試みた。至近からの砲撃を敢行するも、神通、夕立、雪風はそれを読み切って回避する。

 煙の中に残ったのは北上、響、綾波だ。こちらも夕立が残した煙の中を移動しながら、木曽達の背後へと回り込んでいくが、陽炎が発する煙が近くに停滞している事に気付き、牽制の魚雷を発射。

 だがそれは向こうも同じだった。電探の反応から魚雷が接近している事に気付いて回避行動をとる。

 

「……まさか煙幕の使い方を仕込んでいたなんてね」

「海藤先輩が作ったそうですね? ありがたいですよ。あたしも水雷戦隊を運用するにあたって、煙幕は使いたいと思っていたもので」

「それはまたどうして?」

「ちょっとした資料があったものですからね。取り入れたかったので。……海藤先輩は、何故これの艦娘装備の実用化を?」

「んー、いや、なに。とあるネトゲからね。駆逐の装備として煙幕があったものだからね。実際に駆逐艦使っていたし、ゲームでもあるのに艦娘にはないのもどうかと思ったから、作ってみた」

「……ゲーム、ですか」

 

 少し驚いたような声色で彼女はそう呟いた。しまった、淵上はゲームあまりしなさそうだ、と凪は冷や汗をかく。あの美空大将の姪っ子だ。仕事や学業に専念してそうで、そういう俗物的な事は手を出さなそうである。

 彼女の性格からして、冷ややかな眼差しで自分を見ている事だろう。そう思いながら、横目で様子を窺ってみる。

 

「……引いた?」

「いえ、別に。……まさか、帝国海軍が使えるやつだったりします?」

「……え? うん、まあ、そうだね。10対10で戦うやつ」

「…………そうですか」

「あれ? ……まさか、君もプレイヤー?」

 

 その問いかけには無言だったが、それはある意味肯定とも取れる反応であった。

 まさかあの淵上湊が? 女性主席の淵上湊が?

 と驚きが頭をぐるぐると回ったが、よくよく考えたら自分を誘った東地も主席じゃないか、と少しだけ落ち着きを取り戻す。その間に戦況は動いていた。

 煙幕が晴れると一気にその実力と経験の差を見せつけていく。

 先代佐世保提督である越智は、水雷戦隊はただの遠征要員として育成していた。それを上手く戦えるように育成し直したのが淵上である。だがそれでも一か月と少しだけ。半年近く凪と神通の手によって育成された呉鎮守府の一水戦には及ばなかった。

 挟み込むように動いたのはお互い様。だが回避と攻撃を上手く立ち回り、神通達の方が被弾を抑えていた。

 

「……こちらの勝ちだね。だけど、見事なものだよ。一か月であそこまで鍛えるなんて」

「どうも。我ながら、喰らいついていけたものと思いますけど」

 

 負けはしたが、健闘したといえる戦いだった。煙幕によって姿を隠し、砲撃と魚雷を放つタイミングを窺って仕掛けていく試み。その機動力を以って一気に距離を詰め、必殺の一撃を叩きこむ。それこそ水雷戦隊だ。

 それがしっかりと叩きこまれている。それを成し遂げられるだけの知識と指導力が備わっている。さすがは女性にして主席を取ったという数少ない逸材。その肩書は偽りではなかったという事か。

 

「うん、素直にすごいと思うよ。じゃあ次は水上打撃部隊で? あるいは主力?」

「そうですね。主力をぶつけ合わせますか」

 

 呉鎮守府の主力部隊となると、彼女達ということになる。

 第一主力部隊、長門、山城、日向、摩耶、翔鶴、瑞鶴。

 主力としては大和も挙げられるだろうが、彼女に関しては今は保留となっている。能力としては確かに素晴らしい。だが、消費資材が痛すぎる。負傷しようものならば一気に鋼材が吹き飛ぶため、どこに入れればいいのか決断がつかないのだった。

 もちろん、佐世保鎮守府も第一主力部隊を出してくる。

 新たに作り出した艦娘と合わせ、扶桑、霧島、羽黒、那智、千代田改二、龍驤。

 これらによる戦いが繰り広げられる。重巡が前に出、戦艦が遠距離から撃ち合う。その更に後ろから艦載機が発艦し、魚雷や爆弾を投下する機会を窺い、それを艦戦らが潰し合う。

 しかしこれもまた練度の差が少しずつ目に見えてくる。

 特に戦艦のレベル差が大きい。佐世保鎮守府の戦艦は全て沈んだのだ。そこから一か月かけて建造から育成に取り掛かっていたのだから仕方がない。

 しかし空母同士の戦いとなれば別だろう。

 どうやら五航戦の二人よりも長い時間佐世保鎮守府に在籍していたようで、練度は五航戦よりも高い。艦載機の操り方は千代田と龍驤の方が上のようだ。それを補佐するための対空砲撃員として摩耶がいるのだが、目の前に二人の重巡がいるので対空砲撃に専念できるはずもない。

 戦艦では凪側が、空母ならば淵上側が優位に立っている戦いだった。

 

「――ん? 茂樹からか」

 

 ふと、携帯電話に通話が入った。画面を見ると東地の名前が表示されている。「はい、もしもし」と通話に出ると、「おう、今どこにいるんだい?」と訊いてきた。

 

「佐世保。淵上さんと演習を」

「へえ、丁度いいなそれ。で、淵上さんは参戦しても良さげなのかい?」

「……せやな。大したものやぞ。よくもまあここまで育てたもんやと。引き継ぎの艦娘もいるやろうけど、それでも水雷戦隊をあそこまで鍛えたってのは認めざるを得ない。戦力として申し分ないと思う」

「そうかい。ならこっちに来てくれ。作戦を開始する」

「マジか。これから?」

「おう。どうもソロモンできな臭いものが発見された。これは早々に潰しに行かないといけねえ。だから、お前さんらが来たら襲撃する。大丈夫かい?」

「ああ、俺は大丈夫ではある。……淵上さん、これからソロモンに向かう事になったけど、大丈夫かい?」

「ええ。あたしは問題ない」

「淵上さんもオッケーだと」

「わかった。では、よろしく頼むぜ」

 

 通話を終え、決着がついた演習を行っていた艦娘達を呼び寄せる。集合している艦娘らへとソロモンに向かう旨を説明すると、艦娘達の間に緊張が走った。だが、中には戦意をたぎらせる者もいる。どんな激戦であろうとも、それを乗り越えてやるのだという気概を見せていた。

 かつての大戦でも激戦区として挙げられるソロモン。たくさんの鉄が沈む海域――アイアンボトムサウンドとも呼ばれるあそこには、もしかすると深海棲艦の本拠地があるのではないかという疑いまである場所だ。

 慢心しては死ぬ。それを心掛けたいものである。

 

「ではこれよりソロモンに向かうよ。みんなの健闘を祈る。舞台はあのソロモンだ。たくさんの怨念が渦巻く場所だけあって、かなり危険な戦いになると思われる。頑張って、生き延びよう」

「無理なき戦いを。命を無駄に散らすような戦いに意味はない。敵を滅ぼし、自らは生き延びる。命あってこそ未来がある。それを心掛けて」

『はい!』

 

 凪と淵上の言葉に艦娘達が一斉に返事して敬礼する。

 すぐにそれぞれの指揮艦へと乗船していき、ソロモン海域を目指して出港するのだった。

 

 

 



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集結

 数日後、トラック泊地を経由すると思っていたが、トラック泊地からは東地が出港して合流してきた。向かう先はラバウル基地との事だった。ソロモン海域とは距離が近いため、ラバウル基地を拠点として攻め入る事になったらしい。

 三隻の指揮艦が航海する中で、東地は二人へと通信を繋ぎ、ソロモン海域突入作戦について説明を始める。

 

『まずはこいつを見てくれ』

 

 モニターに偵察機か艦戦から撮られたと思われる映像が映し出される。

 どこかの島の上空から映し出された映像らしい。そこには滑走路があり、その上に白い女性が座っている。まるで泊地棲鬼が沖の島の埠頭に座っていたかのように、瞑目して滑走路に座っているのだ。

 

「また新たな深海棲艦ってわけか?」

『そうなるな。さて、気になる点、なにかないかい?』

『気になる点? 新しい深海棲艦が生み出されている、それ以外になにかあると?』

「…………滑走路に座っているという点か」

『その通り。滑走路と繋がっていると思われる点が気になる。しかもここはな、ヘンダーソン飛行場だ』

 

 ヘンダーソン飛行場、という単語に凪と淵上は息をのむ。二人も当然ながらアカデミーで史実の戦いとして習っている。夜間砲撃を敢行して飛行場を破壊しようとしたが、さすがは米軍というべきか。修理してまた使えるようにしてしまった。

 両軍が奪い合い、戦いを繰り広げる要因となったヘンダーソン飛行場を、深海棲艦として生み出したとでもいうのか。

 

「飛行場の深海棲艦……ということはやっぱりこの映像で見た通り、陸上にあるんやな」

『ああ、なにかおかしいと思ったらそれですね。こいつ、完全に陸上にいますね』

『そう。だから魚雷は届かねえだろうよ。そしてこいつがいるって事は、奴らも本腰入れてラバウルや、うちのトラックを潰しにかかろうって魂胆だろうって推測できる。だから、そうなる前にこっちから打って出ることにしたわけだ』

 

 深海棲艦とは海の底からやってくる存在。かつての艦が人型となって襲い掛かってくるのだから、砲撃、雷撃、爆撃は全て通る。しかしそこにいる白い存在は飛行場を模した存在と推測できる。飛行場は艦と違って陸上に存在する基地である。故に海を移動して目標に到達する魚雷の攻撃に意味はないだろう。

 

『とりあえずヘンダーソン飛行場だから、能力計測も込で奴の仮の呼称をつける。当面の目標はあの飛行場姫とさせてもらう。あれを潰し、ソロモン海域に跋扈する深海棲艦らを殲滅する。そうすれば、あの海域を赤く染めてやがる主力が出てくるはずだ。そいつを討ち倒してソロモン海域を平定。ここまでを作戦内容とするが、どうだい?』

「異議はない」

『あたしも異議ありません』

「で、どう攻め入る? 飛行場姫がヘンダーソン飛行場を模しているなら、やっぱり夜間艦砲射撃でやるんかい?」

『そうだな。この海図を見てくれ』

 

 そう言って次はソロモン海域の海図を表示した。北西から南東に伸びるようにして島が点在するソロモン海域。その中で南東にある少し大きな島が、ヘンダーソン飛行場があるガダルカナル島だ。ここが最終目標となる。

 

『ラバウル基地を出港し、俺が北から攻め入ろうと考えている。お前さんはどうする?』

「残るは島々を突っ切る中央か、下から回り込むルートってことかい?」

『そう』

「……じゃあ中央を突っ切ろう。俺が囮となって奴らを引き付ける。その間にお前らが目標を砲撃してくれ」

『いいのかい? 中央突破は結構苦しい事になりそうだぞ?』

「ラバウルの深山が参戦したとはいえ、あいつの気質じゃこういう囮はやらんやろ。お前が北から向かうってんなら、俺がやるしかあらへんやろ」

『……では、あたしも同行しましょう。海藤先輩一人だけでなく、あたしの艦隊もいた方が生存率は上がるかと思われますので』

 

 淵上がそのような事を言ってくれる。確かに一人より二人の方がいいだろうが、まさか彼女から乗ってくれるとは思わなかった。意外と作戦の際には付き合いがいいのかもしれない。

 

「助かるよ」

『いえ、構いませんよ。生存率を上げるためのものです。あたしの艦隊では微々たる助力かもしれませんが、やらない理由もありませんので』

『じゃ、深山には南から行ってもらうとするかね。ということで、北から、南から、そして中央から飛行場姫へと接近を試み、深海棲艦が阻んできたら戦闘。その間の通信はラバウルで手渡す暗号を用いて行ってくれ。通信を傍受される可能性も考慮しておかないといけねえからな』

 

 深海棲艦も亡霊という海に沈んだ人間が転じた存在がいることがわかった。ならば、その知識を用いて提督らで行っている通信を傍受し、作戦が筒抜けになっている可能性もある。

 

『誰かが奴を潰せばそれでいい。一人が辿り着いても他の奴もまた支援として目標に何とか接近を。……被害が増えたら無理せずに撤退してもいい。無理して作戦を続行し、それで被害甚大ともなれば目も当てられねえからな』

「了解」

『了解』

 

 話が一区切りし、間もなくラバウル基地へと到着する頃合い。それは同時にソロモン海域にも近くなってくるという事でもある。となると当然ながら奴らが接近してくる可能性もあるという事だ。

 あらかじめ放っておいた偵察機や艦戦。それらが接近してくる敵艦隊を捉えたのだ。

 戦艦ル級エリート、重巡リ級エリート、軽巡ト級エリート、駆逐ニ級3という艦隊や、軽母ヌ級エリート2、軽巡ヘ級エリート、駆逐ハ級、駆逐ロ級2という艦隊。いくつかの艦隊が接近してきているのだが、そのどれもがエリート以下。

 恐らくはこの一帯を警備している艦隊なのだろうと推測される。だが、指揮艦が三隻もいるこちら側の方が数の上ではかなり有利だった。あの程度の艦隊ならば、主力を出すまでもない。

 

『艦載機で蹴散らすか』

「一応残存を狩るための水雷出しておこう。大淀、通信を」

「はい。どうぞ」

「敵艦隊発見。空母組は甲板に上がって艦載機を順次発艦。残存を狩るために二水戦と三水戦は海に降りておいて。残存がなくとも、潜水艦が接近してきている可能性があるので、索敵を念入りに」

 

 ここはすでに敵の領域に入りつつあるのだ。少し離れた海は赤く染まっている。となれば、先の南方棲戦姫との戦いのように、どこかに潜水艦が潜んでいる可能性を捨てきれない。水上艦隊に気を取られている間に、潜水艦が遠距離雷撃をしてくる可能性もある。故にここからは水雷戦隊の警備を出しておくことにした。

 指揮艦三隻から飛び立っていく艦載機の群れ。迫ってくる深海棲艦へと無数の艦載機が向かっていくのは圧巻だ。それは空母がいないエリート以下の深海棲艦に対しては過剰戦力でもあるかもしれない。しかしこれが、ソロモン海域にいる深海棲艦へと告げる、開戦の狼煙となる。

 遠くから聞こえてくる爆発音。それを静かに聞きながら、凪はぎゅっと拳を握りしめた。

 

 

 

「――へえ? 艦娘がまた来たと? やれやれ、奴らも飽きないものだ。で、トラック? ラバウル? どっち?」

 

 亡霊は静かに報告へと耳を傾けながら、そこにいる一人の女性の調整を行っていた。女性というよりは艤装だろうか。だがその艤装も異様であった。女性の傍らに佇むのは、巨大な魔物である。その肩にある戦艦主砲が妙によく似合っている。その片割れの一つを亡霊は弄っているのだった。

 亡霊へと報告を行うは潜水ヨ級フラグシップ。言葉にならない声で静かに亡霊へと報告すると、その手が止まった。

 

「…………三隻? 三隻と言ったのか?」

「――――」

「……へえ。三隻、か。大和の時と同じか? 呉や佐世保がまた、来たと? 呉……佐世保、ああ、何だろうね。この不快な言葉の響きは」

 

 何やら目のような蒼い燐光が何度も明滅する。かたかたと骨が軋み、亡霊の静かに湧き上がってくる怒りを表しているかのように鳴いていた。

 しばらくそれが続いていたが、ぴたりと音がやんだ。骨となっている指をヨ級へと向けると、

 

「ソロモン海域全域に通達。奴らを、ガダルカナル島に近づけさせるな。どうせ、奴らの目的はヘンダーソン。あれが見つかったのはわかっている。ずっと襲撃する機会を窺っていたんだろう。それが今日、開始されるんだ。ならば、全力を以ってして出迎えてやろうじゃないか」

 

 その命にヨ級は一礼して浮上していく。

 ヨ級に代わって、その場に別の深海棲艦が訪れた。泊地棲鬼や装甲空母姫だ。彼女らもまた再びここで建造され、出撃の機会を待っていたのだ。

 

「君達も出番だ。それぞれの持ち場につくがいい。私はこいつの最後の調整を行っておく」

「完成、シヨウトシテイルノネ。メデタイコトダ」

「とはいえ、気を抜くんじゃないよ。せっかくここまでソロモンを制圧したんだ。このまま奪われるつもりはさらさらない。奴らを、いい気にさせるな。潰せ、何としてでも」

「承知」

 

 泊地棲鬼と装甲空母姫が一礼して去っていく。

 亡霊はまた主砲に向き直り、最後の調整を終えた。艤装の大木のような手が動き、主砲を持ち上げて肩へと装着していく中、亡霊は静かに黒い女性を見つめる。

 

「素の能力としては申し分はない。アイアンボトムサウンドの環境と、ブースト能力が噛み合えば、間違いなく勝てる。……そうだ、先代が作った大和は余分なものを付け加えた。だから失敗した。戦艦ならば、戦艦としての力をふるうべき……!」

 

 故にこの新たなる深海棲艦には、戦艦としての機能しか与えなかった。南方棲戦姫に備わっていた雷撃能力、艦載機発艦能力は付け加えず、純粋に砲撃のみで戦わせ、高い装甲を与えたのだ。

 

「私が、そう、私が作りあげた真なる深海の戦艦……! は、はは……私は、もう失敗はしない。失敗など出来るはずがない……! 私が、私が奴らを完膚なきまでに潰すのだ。このアイアンボトムサウンドで!」

「…………」

 

 ぶつぶつと喋っていた亡霊に何らかの気持ちのスイッチが入ったのか、興奮状態でまくし立てていく。その様子を、艤装から伸びたチューブで繋がっていた黒い女性がじっと亡霊を観察していた。

 興奮しているせいなのか、蒼い燐光が激しく明滅している。それを観察していた女性は何気なく、

 

「――過去ヲ、憶エテイルノカシラ?」

「――はは、は……? 過去? 過去って、なんだい?」

「……ソウ、憶エテイナイナラバ、イイノヨ。アナタハ、タダ我ラノタメニ動ク存在デアレバイイ」

「そう、そうさ。そんな記憶なんて、私にはない……不要さ」

 

 その割には「失敗」という言葉に反応して興奮していなかっただろうか、と女性は思う。あとは呉か佐世保という鎮守府の存在だろうか。自分を生み出したこの亡霊の過去など興味はないが、過去を思い出すような何かがそれらにはあるのだろう。

 不完全だ。深海側の意志を遂行する人形として、不安要素は排除しなければならない。だが、自分にはそういう力はない。自分はあくまで艦娘と戦うだけの兵器なのだから。

 深海の主がそれを放置するというならば、それ以上触れることはしないでおこう。兵器は兵器らしく、命令を遂行し、使われるだけの存在であればいい。

 

 

 

 ラバウル基地へと到着すると、深山と陸奥が出迎えてくれる。だが挨拶らしい挨拶といえば「……深山だ。こちらは秘書艦の陸奥」と言葉を発し、すぐに歩き出してしまった。こういうところも相変わらずらしい。

 代わりに陸奥が「ごめんなさいね。他人とは距離を置きがちでね。じゃ、こちらへ」と微笑を浮かべて案内してくれる。

 

「いやー、なんだねぇこのメンツは。人が苦手なのが二人? 三人? なんだろうな! これ! 大丈夫か!?」

「妙なところでハイになんなや……。いや、人が苦手ってのは否定しないけど」

「そうですよ。あたしとしては協力する気はあるんですから、何とかなるでしょう。同じく否定しませんが」

「お前ら……そんな、たこ焼き機があるなしに対する関西人のような返事するなよ。あ、凪は関西人だったか」

「…………あたしもですけど」

「マジかよ!? だったら気にせず関西弁使ってくれていいんだぜ? 俺は気にしねえ」

「いえ、お気になさらず。あたしは別に使おうとは思ってませんから」

 

 そんな事を話しながら建物へと艦娘と共に移動していく。それぞれ食堂へと艦娘を向かわせて夕飯を取らせ、会議室へと凪達は移動した。

 会議室に集まり、ソファーに腰掛けると机に広げられたソロモン海域の海図を眺める。

 

「――ってわけで、深山の艦隊には南から回って飛行場姫へと砲撃を行ってもらいたいわけだが、大丈夫か?」

「……ああ。わかった。それでいいよ」

「決行は今夜、フタヒトマルマル。作戦中はそれぞれこの暗号に従って通信を行ってもらいたい」

「やはり史実通り、夜間砲撃を行うのね?」

「まあな。それに、飛行場姫が動いているなら、昼だと艦載機を大量展開される恐れがあるからな。ヲ級とか装甲空母姫にも一緒に展開されたら消耗戦になりかねない。なら、艦載機同士ぶつけ合わせるより、夜戦で一気に潰しに行った方がマシかもしれない」

 

 夜戦ともなればお互い姿を視認しづらい。奇襲する分には良い機会だろうが、練度が足りなければ簡単に瓦解してしまうデメリットもある。それに夜戦に使える装備が完成されていないのもある。

 

「だが奴らも知識としては知っているだろうよ。それに対して備えてくる可能性も捨てきれんな」

「だとしても、俺らとしては飛行場姫から放たれる空襲を避けるしか選択肢はねえ」

「……それでもこっちには四つの鎮守府の艦隊が……、いや、そうか。空母達の育成は、大丈夫なのかい?」

「うちは先代によって正規空母を失ってますから、ゼロからですけど。練度高いのは千代田と龍驤、あとは鳳翔ぐらいしか」

「こっちも空母の数はあんまりだぞ。今は少しずつ増えてきているな、程度さ」

「…………夜戦でいいか」

 

 不安要素は確かにあるが、それでも乗り越えていかなければならない。

 四人の提督と艦娘達の力を合わせてこのソロモン海域を平定するのだ。

 日が完全に暮れるまで会議は続き、いよいよ深海棲艦とのソロモン海戦が本格的に始まる事となった。

 

 

 



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夜戦突入

お久しぶりです。
イベントが終了しましたので、少しずつ投稿再開していきます。


 

 ソロモン海域へと突入する指揮艦が四隻。東地の艦は北上してサンタクルーズ諸島へと向かい、深山の艦は南へと向かっていく。そして凪と淵上の艦は海峡を潜り抜ける中央のコースへと入っていく。

 指揮艦の明かりは落とし、操舵は全て妖精達が行っている。辺りは真っ暗であり、星と月だけが静かな明かりを灯していた。

 海は赤く染まっているが、夜の闇によってそれはあまり判別がつかなくなっている。だがここはもう既に奴らの領域になっている。

 電探の反応を探りながらゆっくりと進んでいくと、向こうから接近してくる深海棲艦の反応が見られた。ならばこちらも出撃の時である。

 

「敵艦隊接近。二水戦、三水戦出撃を」

 

 凪の指示に従い、指揮艦から二水戦と三水戦のメンバーが海へと飛び降りていく。淵上の艦からも水雷戦隊が出撃し、それぞれ前方へと散っていった。

 

「ふっふっふ……ついに来たのね。夜戦の時がぁ!」

「興奮するのは結構クマが、だからといってはりきりすぎても困るクマ」

 

 夜戦大好き川内としては、これぞ待ちに待った夜戦といえよう。今まで実戦と言えば昼ばかりだった。訓練で夜戦をしたことはあるが、実戦では全然経験はしていなかったのだ。不敵な笑みを浮かべて拳を鳴らす程度には興奮している。

 そして三水戦もまた阿武隈を旗艦として敵艦隊へと接近していく。

 反応を確認できたのは以下の艦隊だった。

 軽巡ヘ級フラグシップ、雷巡チ級エリート2、駆逐ハ級、駆逐ロ級2。

 重巡リ級エリート、重巡リ級2、軽巡ト級エリート、駆逐ハ級2。

 戦艦ル級エリート、重巡リ級エリート2、駆逐ニ級3。

 それぞれを一隊ずつで相手する事にする。

 

「さあ、皆さん。落ち着いていきますよ。あたしの指示に従って、きっちり仕留めていきますよー!」

 

 阿武隈の指示と導きにより、軽巡ヘ級フラグシップの艦隊へと接近。だがその姿はよく見えない。探照灯があれば姿が見えるだろうが、ないものねだりをしても仕方がない。

 電探の反応で距離を探り、狙いを定めなければならない。目を凝らせば闇の中で何かが動いているような影は何とか見える。

 

「砲撃雷撃ぃ! 女と夜戦は度胸が一番ってねぇ!」

 

 先陣を切ったのはやはり川内だった。エリート級ならば、闇の中でもうっすらと光る赤い燐光が目印となる。フラグシップも同様だ。黄色い燐光が輝き、その尾を引く光でどう動くのかは読み取れる。

 それを見切り、川内が放った弾丸はリ級エリートを撃ち抜いていた。続くように二水戦のメンバーが攻撃を仕掛けるも、リ級エリートも負けてはいない。両手に砲を装備し、連続で砲撃を仕掛けてきたのだ。それを援護するようにリ級が砲撃し、ハ級は魚雷を吐き出してくる。

 普段ならば雷跡が見えるものだが、闇のせいで見えづらい。電探の反応、そしてハ級が向いていた方向から推測するしか出来ない。故に、川内が言ったように度胸が試される。

 

「びびって止まってるんじゃないわよ! さあ、ついてきなさいな!」

「血気盛んな奴はこれだから困るクマ。しかし、ここまで来てしまったからにはやるしかないクマよ!」

 

 もうすぐそこまで敵がいる。逃げることなど出来るはずもない。足柄に続くように果敢に主砲副砲を撃ちながら同航で航行し、装填が済み次第にお互い撃ち合っている。こればかりは被弾なしで切り抜けられるはずもない。肩に、体に、時に頭にも被弾し、のけぞってしまうが、それを堪えて撃ち続けるのみ。

 阿武隈率いる三水戦もル級エリートが率いる艦隊に肉薄し、その装甲をぶち抜く魚雷をお見舞いしてやり、後ろに続くリ級エリートにも届く魚雷を放ってやる。魚雷に抜かれてル級エリートが撃沈したが、リ級エリートは魚雷を凌ぎ、砲撃を加えてくる。

 ふと、電探が大きな反応を捉えた。

 闇の向こうに現れたのは泊地棲鬼と思われる反応だ。その周囲にはル級エリート、リ級エリートといった存在が見られる。ここから先は通さない、という意思が感じられる。

 

「ここで泊地か。まあ、いるよね。じゃあ茂樹と深山に電文。『我、泊地オニト邂逅セリ』」

「はい!」

 

 本来の日本語を改良した暗号を用い、先程の言葉になるような電文を送らせる。また被害状況を確認させると、やはりというべきか二水戦の被弾が多いとの事だったので帰還させることにした。代わりに一水戦を出し、二水戦の入渠を行う事にする。

 三水戦は少しずつ後退させて、一水戦を前に出す。更に支援として榛名率いる第二主力部隊も出しておくことにした。

 

「以前とは違い、夜戦での泊地戦だ。各自、注意して当たるように」

 

 この言葉を簡略化し、大淀が暗号にして艦娘達に電文を送る。艦娘との通信も傍受されないように、暗号としてやり取りさせる。淵上の指揮艦からも水雷戦隊が交代で出撃し、警備にあたらせた。

 そうした中で、先程の暗号を受け取った東地はというと、サンタクルーズ諸島へと入っていくところだった。北から回りこむように移動している彼らもまた、深海棲艦と会敵している。

 

「海藤さんからの暗号電文です。『我、泊地オニト邂逅セリ』、との事です!」

「泊地棲鬼か。やれやれ、中央で泊地棲鬼を配置か。……ん? 中央でそれって事は、こっち側とかには何かそれよりも上がいそうだな」

 

 既に警備の水雷戦隊と、攻撃のために出撃している水雷戦隊、そして水上打撃部隊がいる。それぞれが敵の艦隊と当たり、ゆっくりと南下しているのだが、どうやらこちらも大きな敵がいるようだ。

 軽巡ヘ級フラグシップを攻撃していた五十鈴が、それを捉えた。闇の向こうに動く存在、電探の反応と力の波動から、それが装甲空母姫であると察した。それだけではない。別方向からは装甲空母鬼まで接近してきているのだ。

 

「こっちは装甲空母かよ。やれやれ、あいつらに電文! 『我、装甲空母ヒメ、オニト邂逅セリ』。とっとと押し通るぞ! 第一水上打撃部隊も出撃してくれ!」

 

 扶桑率いる水上打撃部隊が指揮艦から出陣し、装甲空母姫の方へと向かっていく。

 装甲空母鬼は複数の水雷戦隊で当たらせ、五十鈴が率いる東地の三水戦が先に装甲空母姫と交戦する。奴の艦載機発艦能力は夜のために発揮不能。純粋に砲撃と雷撃、そして回避能力だけの勝負となる。

 

「大きな的ね。五十鈴には丸見えよ! 雷撃用意っ!」

 

 他の深海棲艦よりも巨大な艤装を持っているためか、その闇に浮かぶ影は一際大きい。そこに向かって魚雷を撃てば何本かは当たるだろう。だが敵は装甲空母姫だけではない。闇に紛れてタ級エリート、ホ級フラグシップが接近してきている。

 軽快な動きをしながら距離を詰め、砲撃してくるホ級フラグシップ。負けてなるものか、とニ級エリート、ハ級エリートが続き、追撃のための弾丸を撃ってくる。

 

「提督、深山さんからの電文です。『我、イクサオニ、装甲空母ヒメト会敵セリ』とのこと!」

「イクサオニ……ああ、南方棲戦鬼か。ってそれまで出してきたんかい。北も、中央も、南も封鎖。どうしてもガダルカナル島には行かせねえってか」

 

 だが奴らは過去に勝ったことがある敵だ。

 昼戦と夜戦の違いはあれど、勝ったことがある敵なのだ。

 ならば勝てない道理はない。その先に用があるのだから、いつものように勝利をもぎ取って進むまで。

 

 

「そこかなー? そんじゃ、いっきますかねー」

 

 弾が着弾し、爆発している場所。影の大きさからも判断し、北上が狙いを定めて魚雷を構える。妖精達が北上の意思に呼応し、その光を放つ。狙いすまされた一撃は収束した光の如く、海を切り裂く弾丸となる。

 雷巡としての高い雷撃能力が集結した一撃は、泊地棲鬼の艤装など簡単に吹き飛ばしてしまった。甲高い悲鳴を上げて傾いていく泊地棲鬼。文字通り、破壊的なまでの一撃が勝利への道筋を切り拓いたのだ。

 駆け引きも何もない。そこにあったのは、暴力的なまでの雷撃能力による勝利である。神通達のとどめの魚雷によって、無残にも泊地棲鬼は大した壁にもならずに沈んでいった。

 

「響ちゃん、報告を。みなさん、先へ進みますよ。索敵も念入りに」

 

 響が暗号電文で『泊地オニ、撃沈。進軍』と報告し、艦娘達は更に進軍する。ガダルカナル島はもうすぐだろう。だからこそ奴らは更に強力な防衛部隊を配置しているはずだ。

 だが泊地棲鬼に対してあれだけの快勝をしたのだ。夜戦であろうとも、彼女達にとってもう泊地棲鬼は脅威でもなんでもなかった。それだけの力をつけたという証でもある。

 だからこそ、少し気が緩んでしまったのだろう。

 闇の向こうから高速で魚雷が迫ってくるのに気付くのが少し遅れた。

 

「――っ、ぁぁ!?」

 

 北上がその直撃を受けて吹き飛ばされる。神通が北上の方へと一瞬目を向け、しかしすぐに前を向いて魚雷が来た方を睨む。

 

「っ!? 魚雷、次来ます!!」

 

 先程北上が放ったような、収束した力を込めた魚雷が高速で迫ってきているのだ。何とか回避した神通だが、吹雪、木曽に魚雷が掠めてしまいバランスを崩す。だがそれだけでも服と肉を削り取るだけの力があった。

 闇の向こうに光るは黄色い燐光。それを放つは、重巡リ級フラグシップ。恐らく北上のような魚雷の一撃を放ったのは、あのリ級フラグシップだろう。それが三人いる。

 

「雪風ちゃん、北上さんを連れて後退! 他の方も、被弾した人を護衛して後退を! 健在な人は、ここで踏ん張ってください! 響ちゃん、電文! 『入渠者、増加。支援求ム』」

「了解……!」

 

 北上、吹雪、木曽に付き添うように雪風、朝潮、村雨が後退する中、残った艦娘達がその時間を稼ぐために戦う事になる。だが、敵はリ級フラグシップだけではない。

 戦艦タ級フラグシップ、戦艦タ級エリート、重巡リ級エリート……恐らくは敵の水上打撃部隊とも呼べるものが、防衛部隊として待ち構えていたのだ。

 主砲が音を立てながら展開され、砲門がじっくりと獲物を見定めるように照準を合わせてくる。だが夜の闇がお互いの正確な距離を判別させない。魚雷の次発装填をしている神通達も主砲の用意をするが、こんなものではタ級に通用しない。もっと肉薄し、狙いすました一撃をぶちかませなければ戦艦の装甲は抜けないのだ。

 

「ここは榛名達にお任せを! 神通さん達は榛名達が引きつけている間に、側面からお願いします!」

「……お任せします」

 

 三水戦も一水戦も二人を失っているので、残る四人ずつで当たらなければならない。それは榛名達第二主力部隊も同様だ。だが水雷戦隊とは違い、戦艦主砲ならば当たれば距離が離れていようとも問題なくタ級にダメージは与えられる。

 

「―――!」

 

 闇の奥に暗い光が揺らめいた。それはタ級フラグシップの主砲に纏わりついており、まるでそれは北上が鋭い魚雷の一撃を放つ前触れのような光の揺らめき。まさか、と榛名が息をのみ、「回避を!」と叫んだ。

 瞬間、タ級フラグシップの主砲から連続して弾丸が飛来してきた。主砲だけではない、副砲もまた連続して火を噴き、深海棲艦らしい蒼のオーラを纏った弾丸が迫ってくる。

 二人のタ級フラグシップから放たれた無数の弾丸が雨のように降り注ぐ中、榛名達は何とか被害を抑えるように回避行動をとる。迫ってくる弾丸は見えない。ただそれぞれが蛇行して動くだけ。そうした中で榛名達もまた主砲で反撃する。

 

「きゃぁあ……!?」

 

 それでも被弾は避けられない。榛名、比叡、鳥海、筑摩は被弾しながらも前へと進み、タ級フラグシップへと砲撃を仕掛ける。

 そんな彼女たちを支援するように背後から砲弾が飛来した。それらは数発タ級フラグシップへと着弾し、攻撃の手を止めた。

 

「攻撃の手を緩めずに! 今が攻め時デース!」

「佐世保のお姉様……?」

 

 そこにいたのは金剛率いる艦隊だった。淵上が出撃させた水上打撃部隊のようだ。

 金剛、青葉、古鷹、最上、初春、不知火の姿が背後から接近。榛名達を助けるように砲撃支援をしていく。

 

「ワタシ達が支援しマス! 水雷戦隊も来ていマース!」

「……わかりました。感謝します、佐世保のお姉様」

 

 タ級フラグシップらと向かいあい、砲撃ながら前進する。続くようにタ級フラグシップとリ級フラグシップへと攻撃をしかける金剛達。更に佐世保の一水戦が突撃する。

 

「那珂ちゃんセンター! 一番の見せ場が到来ッ! 呉の神通ちゃん! 魚雷、どうかなー!?」

「問題ないです。ではみなさん、突撃します」

 

 まるで鶴翼の陣のように左右、斜めに展開する水雷戦隊。そこから魚雷を発射し、クロスするかのようにそれらがタ級フラグシップ、リ級フラグシップへと迫っていく。前方は榛名と金剛達による砲門が睨みを利かせ、後退しようとも逃がすつもりはない。

 死なばもろとも、というつもりなのか。

 リ級フラグシップの魚雷発射管が暗い光を放ちだす。それに気づいた神通が「魚雷来ます! 気を付けて!」と叫んだ。放たれた鋭い魚雷の強撃。それが三発。それぞれが別方向へと一気に突撃していく。

 だが神通達が放った魚雷もまたリ級フラグシップ、タ級フラグシップを捉え、全て撃沈させる。そして奴らが放った魚雷だが、一本は金剛へと迫っていた。それに気づき、古鷹が金剛を庇うように前に出る。

 

「――っ、くぅ……!」

「古鷹っ!?」

 

 鋭い一撃と爆発によりその体が吹き飛び、金剛を巻き込んで海に倒れて滑っていく。もう一本は那珂達の佐世保一水戦へと向かっていき、暁へと直撃した。悲鳴を上げて成す術なく宙に舞う暁。リ級フラグシップが残した置き土産は佐世保の艦娘二人を一発で大破へと追い込んでしまった。

 残りの一本は神通達、呉一水戦へと向かっていった。だがその音で彼女達は見切る。通常の魚雷より勢いよく海を貫き進んでいくその一撃。闇で見えづらいが、だからこそ音に意識を専念。

 故に夕立、綾波は二人の間で魚雷が通り過ぎるように回避する事が出来た。

 

「敵の反応は?」

「…………ないね。とりあえずは凌いだみたいだ」

「ならばすぐさま被害を受けた方々は帰還を。健在な方々はこのまま待機。一時的にここに留まり、体勢を立て直しましょう」

 

 神通は指揮艦にいる凪へとその旨を報告した。

 大淀を通じて神通の言葉を受けた凪もそれに同意する。戦いの様子は見えないが、リ級フラグシップやタ級フラグシップによる被害の数々は想定外だった。

 夜戦だからこそその力を発揮したとでもいうのか。

 北上が放つような魚雷の強撃。妖精の力を加味し、装備の力を最大限に発揮して攻撃を放つ。艦娘に出来て深海棲艦が出来ない道理はない。両者は異なる存在だが、その成り立ちは似たようなものだ。

 深海棲艦に妖精がいるのかどうかはわからないが、それでも奴らには負の力が、深海棲艦ならではの闇の力が存在する。その力を使ってあのような攻撃を放つことが出来たのではないだろうか。

 

「茂樹や深山にも注意を促しておこう。いや、もしかするともう遅いのかもしれないけど……」

「一応伝えてはおきます」

「頼むよ。入渠ドック、治療はどうだい?」

『北上さんたちはバケツで治療はかんりょーしておりますっ!』

「そうか。なら悪いけど、すぐさま二水戦と共に出撃してくれ。大淀、三水戦、榛名達も帰還。治療する」

「はい」

 

 初戦は被害を被ったが、それでも勝利する事は出来た。治療のために一度足を止めることになってしまったが、まだ日付が変わる前。日が昇るまではまだ時間はある。

 ガダルカナル島はもうそこまで迫っている。自分たちでなくとも、東地や深山が目的を達成することが出来ればこちらの勝ちだ。

 まだ、慌てる時間ではない。

 そう凪は考えていたのだった。

 

 

 



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飛行場姫

 その報告を、深山は苦い表情で聞いていた。

 夜戦においてなのか、あるいはこのソロモン海域が深海棲艦に新たな力を与えたのか。

 艦娘が放つ強力な一撃のようなものを、リ級フラグシップやタ級フラグシップが放ってきているという報告だ。

 凪の大淀からではない。それよりも早く、南方棲戦鬼と交戦している深山の艦娘達から聞かされたのだ。

 艦娘達がそうであるように、深海棲艦もまた時を経るにつれて新たな力を得、成長しているようだ。変わらないものなど何もない。もしこのまま放置していたとすれば、この新たな力や新たな深海棲艦を引っ提げてラバウル基地へと襲撃されていたというのか。

 果たして自分達はそれに対して完全に守りきることが出来ただろうか。

 そんな仮定の想像をしてしまう。

 

「……四水戦、帰還。三水戦、交代で出撃を。まったく、どれだけメンツを揃えているんだ、あいつらは……!」

 

 南方棲戦鬼は間もなく崩せそうではあった。

 だが、装甲空母姫、新たに援軍として出てきた南方棲鬼という大きな存在が南方棲戦鬼を護衛している。そしてリ級フラグシップ、タ級フラグシップ、ル級フラグシップなどが立ちはだかってとどめをさせずにいた。

 ソロモン海域という多くの艦が沈む場所という事もあってなのか、次々と取り巻きらが出現して数で来るのだ。これではじり貧である。

 ガダルカナル島はもうそこにあるのに、近くて遠い存在になってしまっている。

 全部出せばすぐに片がつくかもしれない。だがその瞬間を待っていたとばかりに敵が一気に指揮艦を奇襲してきた場合に備えられない。そんなハイリスクなことは、慎重すぎる深山に出来るはずのない選択だった。

 

「……一時後退する。そうして奴らを釣り、小島を盾にして隠れて反撃」

 

 全軍後退、を通達して指揮艦はゆっくりと後退を始める。指示を受け取った艦娘達も攻撃を続けながら下がり始めた。すると深海棲艦は逃げる敵を追うかのように前へと出てくる。

 深海棲艦というものは、艦娘は沈めなければならない、という本能を優先する。そのため逃げるならば追いかけてくる事が多いのだ。だからこそこういった作戦は大抵通用する。

 また深山の戦い方の基本は守りの戦いだ。

 自分から打って出る攻める戦いではなく、ラバウル基地へと近づかせないために守る戦いを主としていた。彼の性格から生まれたその戦い方をずっとしてきたので、今回のような敵を殲滅しに行く戦いが上手く出来ていないのも影響していた。

 本音を言えば支援がほしい。

 凪や淵上がこっちに来てくれれば突破は容易になるだろうが、彼らもまた足止めを受けてしまっている。ならばこのまま耐えつつ少しずつ奴らを切り崩していくしかないのだった。

 

 

「主砲、副砲、一斉射! 撃てぇ!」

 

 伊勢の号令によって夜の闇に轟音が響き渡る。扶桑率いるトラック泊地の第一水上打撃部隊、伊勢率いる第三水上打撃部隊が装甲空母姫へと大打撃を与える。装甲空母鬼は水雷戦隊が撃沈させ、取り巻きらの処理にあたっていた。

 順調そうに見えるが、こちらもまた被害があったのは否定できない。こちらにもリ級フラグシップが現れ、魚雷の強撃を放って何人かを大破追い込みしてきたのだ。追撃を防ぐことができたが、止められなければ誰かが轟沈したかもしれない状況。

 深海棲艦にとっての必殺の一撃を放つ者を足止めに配置する。これが奴らにとっての最高の防衛線と呼べるものだった。

 それでも突き進まねばならない。被害を避けることが出来なくとも、自分達はここで立ち止まっているわけにはいかないのだ。バケツはまだまだある。大破すればすぐさま退避させて治療に当たらせ、代わりの者をよこすまで。

 無情ではあるが、そうでもしなければ戦線を押し上げることが出来ない。

 それにタイムリミットが迫ってきているのだ。

 日付はもう変わってしまった。夜明けになれば自分達が不利になってしまう。

 それまでに決着をつけなければならない。

 

「主砲、副砲! 一斉射撃、よぉい! ってぇー!」

 

 榛名の戦意に呼応するように、妖精達が一気に力を込める。全砲門による強撃が容赦なく装甲空母姫へと襲い掛かっていった。水雷戦隊らが装甲空母姫を足止めした中でのその攻撃は、装甲空母姫の体勢を大きく崩すには充分なダメージをたたき出す。

 扶桑らが追加の砲撃をおみまいして装甲空母姫を撃沈。これによって生き残っている深海棲艦らは指揮官を失ってしまい、じりじりと後退した後、海の中へと潜って逃げていった。

 

「提督に報告を……。被害を受けた人は無理せず入渠に向かってください……」

「一応何人かここに残っといて。逃げたふりしてまた襲ってくるかもしれないから」

 

 扶桑と伊勢の言葉に従い、艦娘達が指揮艦へと一時的に帰還していく。伊勢が扶桑へと「先に入渠してくるよ。ここは任せてもいい、扶桑?」と声をかけてきた。

 

「ええ、構わないわ……。最初から戦ってきたものね。お疲れ様、伊勢」

 

 軽く手を挙げて、伊勢達第三水上打撃部隊が帰還していく。それを見送った扶桑は、今一度ガダルカナル島の方へと視線を向けた。

 静かだった。先程までの戦闘の騒がしさが嘘のように静かな夜である。

 風は穏やかに吹いているが、どこか鉄のような匂いが混じっている。そしてざわりと不安を煽るような気配が周囲に渦巻いている。深海棲艦は去ったが、それでもこの嫌な空気は消えていない。

 そんな中で扶桑達は静かに交代の時を待った。

 

 数十分かけて全員の治療と交代を終え、東地達はいよいよガダルカナル島への接近を試みる。先陣を切るのは一水戦と二水戦、それに続くようにして第一水上打撃部隊、第二水上打撃部隊が海を往く。

 一水戦は川内、大井、島風、雷、霞、雪風。

 二水戦は長良、阿武隈、三日月、若葉、黒潮、電。

 そして第二水上打撃部隊が金剛、比叡、高雄、愛宕、吹雪、叢雲。

 サンタクルーズ諸島の島々の間を抜けるように南下していき、その後に飛行場姫に向かって西へと進む。これが予定しているルートだ。

 順調に何事もなく南下していると、闇の向こうに電探の反応が見られた。

 

「リ級ですっ!」

 

 雪風が叫び、続けてうっすらと暗い光が揺らいだように見えた時、「またあの魚雷がくるよ! 注意ッ!」と川内が叫んだ。「各自、散開! 雷撃注意!」と二水戦旗艦の長良が叫ぶと、それぞれが当たらないように注意しながら進軍する。

 やはりというべきか、リ級フラグシップは艦娘らを通すまいとあの魚雷の強撃を放ってきた。それが四つ。よく反応を見れば、リ級フラグシップだけではない。雷巡チ級エリートもあの強撃を放ってきているようだ。

 

「ここは私達に任せて、金剛さんらは先へ!」

「扶桑さんもお先にどうぞ! こいつらは長良達が抑えますから!」

 

 飛行場姫へと攻撃する役割は戦艦や重巡が望ましいだろう。一水戦や二水戦は彼女達を先へ行かせるために、このリ級らを殲滅し、攻撃させない役割だ。

 

「Sorry、気を付けてくだサーイ!」

 

 二つの水上打撃部隊がガダルカナル島を目指して更に南下。水雷戦隊と指揮艦はそのままここに待機となり、目の前にいる敵を処理する事にした。

 東地の艦隊の練度でいえば、リ級フラグシップなどを相手にするには何も問題はない。今まで見せなかった魚雷の強撃という攻撃手段はあれど、それを凌いだ後は容易に処理が出来る。

 15.5cm三連装砲二基六門の砲撃、20.3cm連装砲二基四門の砲撃、そして10cm連装高角砲二基四門の砲撃。

 両手に構えた砲による連撃で叩き込んでいくのだ。

 一年以上という経験からくる動きにより、夜戦だろうと彼女達は被害を抑えながら戦えている。何をするのかわかったならば、予兆が見えたならば、彼女達はその練度の高さによって切り抜けられる。

 しかし側面からヘ級フラグシップ率いる艦隊が現れ、指揮艦へと向かっていく。指揮艦を護衛している三水戦がその反応に気づき、放たれてくる魚雷を迎撃に向かっていった。

 指揮艦に直撃すれば目も当てられない。軍艦の名残で装甲は少し厚くしているが、当たり所が悪ければ耐えられる保証はない。指揮艦を狙う深海棲艦がいるならば、何としてでも全て撃沈しなければならない。例えその身を投げ出して魚雷を受け止めようとも。

 

「っ、くぅ……!」

 

 五十鈴が処理しきれなかった魚雷の前に飛び出した。中破で耐えたが、ふらりと海の上で膝立ちになってしまう。残った深海棲艦は他の三水戦のメンバーが処理出来たが、負傷したのは五十鈴のみ。

 旗艦を五十鈴から名取へと引き継ぎ、指揮艦へと戻って入渠させることにする。そうして負傷者はすぐさま治療に向かわせて轟沈を避ける。指揮艦の近くにいればそれが可能だ。

 しかし指揮艦から離れ、戦場へと向かっていった艦娘はそうはいかない。

 ガダルカナル島へと西進した金剛達。遠くにうっすらと島のような影が見えてきた。

 

「あれがガダルカナル島ですネ。比叡、テイトクに報告を」

「はい――――あれ?」

「どうしました?」

「通信にノイズが……これは、あの南方棲戦鬼の時と同じです、お姉様……!」

「What!? ……いえ、そうですネ。もう目的地はすぐそこ。考えられないわけではないデス」

 

 歯噛みする金剛だが、じっと目を凝らしてガダルカナル島を睨みつける。背後には扶桑達も続いている。低速戦艦であるが故に、高速戦艦である金剛率いる艦隊とは並走できないのだ。

 通信が出来なくなったという事は、現在の状況は東地達にはわからなくなる。夜戦であるが故に南方棲戦姫の時のように偵察機は飛ばせない。そのため映像越しで確認が出来なくなる。

 つまり、戦闘続行するか否かは完全に金剛達の判断に委ねられる。逃げ切れるかは保証出来ないが。

 

「――来タノネ。コノ海ニ」

 

 ふと、落ち着いたような女性の声が聞こえてきた。次いで響くは砲撃音。「回避ぃ!」と比叡が叫び、それぞれが左右に散ると、そこに弾丸が降ってきた。

 浮かび上がるは白い影。まさに白い女性と言ってもいいほどに上から下まで白い。それが深海棲艦が幽霊のような存在であることを強調しているかのようだ。

 服というものがあまり見えないのは、白いボディースーツを着ているからだろうか。肌との境目があまりわからないのだ。靴も白いショートブーツを履いているらしい。

 頭部には短い黒い角が一対あり、そのつぶらな赤い目がじっと金剛達を見据え、不敵に微笑んでいる。

 全身が白いからというべきか、その右腕には黒い義手のような装備をはめ込んでいるため、対比を生んでいる。それは右に控える魔物の口のような艤装と繋がっているのだろうか。腰元には砲門を備えた艤装があり、その更に横には飛行場の特徴である滑走路が背後から彼女を囲むように展開されている。

 

「サア、始メマショウカ? 悲鳴ヲコノ海ニ響カセテクレルカシラ? 嘆キヲ、悲シミヲ、ソシテ死ヲ以ッテシテ彩リマショウ。コノ、アイアンボトムサウンドニ……!」

 

 ざわりと白い長髪が波打つように広がると、彼女から赤いオーラが立ち上っていく。両目から赤い燐光が放たれ、呼応するように艤装の口が咆哮を上げる。それが彼女の命令なのだろう。海から次々と護衛要塞が浮かび上がり、金剛達を囲むように展開されていく。

 それだけでなくタ級フラグシップ、タ級エリートも飛行場姫を守るように出現し、砲門を展開してきた。

 

「道を切り開く。私に続け!」

「金剛さん達に攻撃させないように!」

 

 扶桑率いる第一水上打撃部隊の那智、鳥海が先陣を切り、五月雨と涼風が追従する。続いて第二水上打撃部隊の高雄、愛宕、吹雪、叢雲も護衛要塞を蹴散らすべく前へと出、それらを見送った戦艦達が三式弾を装填する。

 かつてのヘンダーソン飛行場に向けての砲撃では、三式弾を使って行い、滑走路などを破壊していったという。奴が飛行場の特徴をそのまま引き継いでいるならば、この攻撃は有効ではないだろうか、と東地達は推測した。

 三式弾は重巡も装備可能だが、今は飛行場姫を守る護衛要塞達を処理しなければならない。本来ならばこれも水雷戦隊が行う予定だったが、今は指揮艦を守るべくあそこで戦っているだろう。

 つまり今はこのメンバーで戦うしかない。

 

「魚雷装填! 蹴散らすわよ~!」

「迫る弾と魚雷にも注意を。切り抜けていきますわよ!」

 

 愛宕と高雄がタ級フラグシップへと砲撃を仕掛け、側面から迫る護衛要塞へと魚雷を放つ。吹雪と叢雲も護衛要塞へ砲撃し、タ級エリートへと魚雷を放って対抗する。

 当然敵も自身の電探による感知を駆使し、高雄達の位置を探りながら砲撃を仕掛けてくる。しかもタ級フラグシップは砲撃による強撃を仕掛けてくるのだ。砲門が暗く光り、次々と弾丸が飛来してくる。

 それらを避けていくのだが、全てを回避しきれるわけもない。吹雪と叢雲は被弾すれば一気に持っていかれるので、必死になって回避し、やり過ごす事が出来たが、高雄と愛宕は前に出ているが故に掠めたり、至近弾があったりしていた。

 だがまだ戦える。

 これくらいではまだ撤退するレベルではない。戦えるならば、撃てるならば、その時が来るまで敵を一つでも減らし続けるまでのことだ。

 

「全砲門、Fire!」

 

 金剛、比叡、扶桑、榛名による三式弾の砲撃。頭上から雨のように降り注ぐ細かな焼夷弾子が飛行場姫へと襲い掛かっていくのだ。

 

「キャァアア……!?」

 

 甲高い悲鳴だ。その顔を左腕で庇うようにしながら、じっと攻撃を耐えている。それは三式弾が効いている証であった。

 だが飛行場姫は、すぐに肩を揺らしながら静かに笑い始めた。左腕に隠れた瞳が怪しく光り、じっと自分を傷つけた金剛達を見据えている。

 ばっと左腕を薙ぎ払うと、「ソレガ、ドウシタト言ウノカシラ!?」と叫び、ぐっと左手を握りしめた。

 

「ココハ、アイアンボトムサウンド。タクサンノ鉄ガ、死ガ沈ム場所。ソレラハ全テ、私達ニトッテ力トナリウルモノ……! サア、私ニ命ヲ捧ゲナサイ!」

 

 それは姫君による命令であった。

 彼女の言葉に従うように護衛要塞達が大きく口を開けて闇に吼える。すると、赤いもやが立ち上っていき、それらが飛行場姫へと吸収されていくではないか。もやを放出し終えた護衛要塞らは力を失ったようにくたり、と動かなくなり、沈んでいくが、それと引き換えに飛行場姫の傷が癒えていく。

 

「な、命を、吸い取ったというのですか……!?」

「仲間の死を利用して、そんなの血も涙もないですよっ!?」

「ソレガ、ドウカシタトデモ……?」

 

 榛名と比叡の言葉に、飛行場姫は首を傾げる。

 何がそんなにおかしいのか、と。

 

「死ハ、悲観スルモノデハナイワ。私達ニトッテ、死ハ終ワリデハナイ。マタ、ココカラ始マルノヨ。……ソウデショウ? 船ノ死、スナワチ沈ムコトハ、私達ガ生マレル前段階デシカナイノダカラ。トハイエ、私ノ場合ハ船デハナク、コノ飛行場ダケレドネ」

 

 傷を癒す力は護衛要塞からだけではないらしい。彼女が立っている大地とも繋がっているようで、かつてのヘンダーソン飛行場に満ちる負の力も少しずつ吸収しているようだ。彼女自身がヘンダーソン飛行場の成れの果てだろうが、土地そのものが変異したわけではない。

 その土地に根付いた怨念などをくみ取り、深海棲艦として再構成したのが飛行場姫であり、ヘンダーソン飛行場の特徴をその身に宿したのだ。だがそれ故に、彼女とヘンダーソン飛行場の繋がりは強固なもの。彼女の力の大部分は、恐らくヘンダーソン飛行場周辺に溜まりに溜まった怨念だろう。

 そして、と言葉を続けながら飛行場姫は力強く左手を前に出す。艤装の砲が唸りを上げ、金剛達へと攻撃を仕掛けながら彼女は再び戦場に呼び戻すのだ。自分を守り、自分の傷を癒す兵達を。

 

「ドレダケ死ノウトモ、私達ハ終ワラナイノヨ。舞イ戻レ、我ガ僕達」

 

 沈んだ護衛要塞達とは別の場所から、新たな護衛要塞が浮かんでくる。戦いにも治療にも使える存在として、奴らを利用しているというのか。この、多くの鉄が沈んだ場所、という特徴を生かした深海棲艦の力。

 それは、短期決戦を仕掛けてきた東地達からすれば、頭を抱えたくなる現実だった。

 まずい、と金剛が東地に指示を仰ごうとするが、通信が使えなくなっていることを思い出す。

 

「助ケヲ求メルツモリ? 無駄ナコトヨ。助ケナンテ来ルコトハナイ。ドウヤラアレハ、私ヲドウシテモ落トシタクハナイヨウデネ。念入リニ各所ニ守リ手ヲ配置シタヨウヨ。……貴女達ノオ仲間ハソレニ引ッカカッテイルヨウネ。シバラクハ、ココニ新手ガ来ルコトハナイ。……ソノ間ニ、貴女達ノ悲鳴ヲ聞キツツ、深海ヘト招イテアゲルワ」

 

 どこか狂気にも感じられる笑みを浮かべて飛行場姫は砲撃を続ける。深海棲艦としての力を発揮しているのか、彼女の体からは赤いオーラが立ち上り、目からは赤い燐光を絶えず放ち続けている。

 彼女の意思に応えるように、タ級フラグシップやタ級エリートも金剛達に砲撃を仕掛けるが、それを回避しながら金剛達も反撃する。再び装填された三式弾によって飛行場姫へとダメージを与えるのだが、やはりというべきか、再び回復を始めた。

 しかも今度はタ級エリートを生贄にし、自らを回復させている。沈んでいったタ級エリートに代わり、今度は駆逐ニ級エリートを複数呼び出し、高雄達へと突撃させている。

 魚雷を撃つ者、彼女達へと喰らいつこうとするもの。それぞれが高雄達の動きを一瞬でも止め、護衛要塞やタ級フラグシップが放つ攻撃でとどめを刺さんとする意図が見える。

 

「く、この……!」

 

 高雄がニ級エリートを裏拳で弾き、タ級フラグシップの砲撃を何とか顔を背けて回避した。が、体に来た砲弾までは回避しきれず、一瞬足が止まった。そこを愛宕が引っ張って追撃をやり過ごすことが出来た。

 だが敵の攻撃はやむことはない。ニ級エリート、ハ級エリートが追いかけながら砲撃してくるのだが、迎え撃つように魚雷を放ってやる。

 状況は明らかに不利になっている。攻めるのではなく、若干守りに入っている時点で流れが悪くなっている。

 

「見セテクレルカシラ? 貴女達ノ、絶望スル様ヲ……。ソレモマタ、私ヲヨリ強クサセルノヨ……!」

 

 そう語る飛行場姫の歪んだ笑みを形作る唇からは、一筋の血が流れ落ちていた。

 あれは、恐らく南方棲戦姫らにも見られたものだ。

 深海棲艦の回復力や、次々と仲間を呼び寄せる力を生み出す異質な力。その反動が飛行場姫にはかかっている。

 だが、それは長期戦をすれば勝てる未来がうっすらと見えてくるものだ。あの力も無限に出来るわけではない。自身を傷つける力は、長く使い続ければ身を亡ぼす。

 しかし今回においてはそんな事は想定出来ない。朝が来れば飛行場姫は艦載機を一気に飛ばし、今よりも一層優位に立つだろう。そうなれば、訪れるのは金剛達の死である。

 そうなる前に片を付けなければならないのに、今の状況ではそれが出来そうにない。

 

「――だとしても、やらなければならないのよ」

 

 扶桑が、静かにそう告げる。副砲で護衛要塞の一つを撃沈しながら、彼女は真っ直ぐに飛行場姫を見据えている。その顔にはいつも見せるような憂いを秘めた影はない。

 

「きっと、きっと誰かが来てくれます。川内さん達でも、あるいは呉や佐世保の方々でも、ラバウルの方々でも構いません。私達には、仲間がいるのです。それを信じて、ここは耐え続けましょう……!」

 

 扶桑は信じている。東地の水雷戦隊でなくてもいい。

 誰かが自分達の援軍に来てくれるのだと。

 場所も敵は違えども、彼女にはかつてこのような死地へと赴き、そして沈んでいった。あの日、助けに来てくれるはずの艦隊は来ず、あまりの戦力差の前に扶桑を含んだ艦隊はかの地で沈んでいったのだ。

 自分達だけでは太刀打ち出来そうにない敵を前に、援軍を求める。

 奇しくもあの日と似たような状況ではあるが、今回はいくらでも湧いてくる敵に、回復し続ける強大な敵だ。それでも扶桑はあの日と同じく信じているのだ。もしかすると、あの日を思い出しそうになっているかもしれないというのに、彼女は真っ直ぐな瞳でひたむきに信じ続けている。

 そんな彼女を前に、弱音を吐いていられるわけがない。

 折れそうになる心を奮い立たせ、金剛はぐっと拳を握り締める。

 

「Sorry、情けない姿を見せてしまったネ、扶桑。こんなFu○kingな状況に、へこたれている暇などないですネ! ワタシ達は、ただ戦い続けるしかないデス!」

「はい、お姉様! この比叡も、どこまでもお供し、戦い続けましょう! ですが、また言ってはいけない言葉、使っちゃってますよ!!」

「比叡、気にしてはいけまセン。Fu○kingな状況であることに変わりはないんですカラ!」

 

 だからこそ、と金剛は三式弾を撃ちながら叫んでやる。

 

「このCrazyな戦いを凌ぎ切ってやろうじゃないですカ! 今は笑っているといいですヨ、Crazy princess! そのFu○kingな笑みを消し去ってやろうってなもんですヨ!」

 

 降り注ぐ焼夷弾子を受けながら、飛行場姫は不敵に笑いだす。折れず、口調が悪くなり始めている金剛を睨み返しながら。

 

「…………言ウジャナイノ、金剛。コノ、クソッタレナ状況ニマダ折レナイナラバ、砕ケテシマエバイイ。エエ、ソノダイヤモンドノ心ヲ、砕イテシマエバイイノヨ。簡単ナ話ダワ。フフ、フフフフ……!」

 

 そうして彼女はまた呼び出すのだ。

 無数の護衛要塞がずらりと並び、飛行場姫が砲撃準備を整えれば、追加で呼び出されたタ級フラグシップらも呼応して主砲を構える。

 数こそ力。

 有無を言わせず、波状攻撃によって沈めてみせようと言わんばかりの采配に、一度は立ち直った金剛といえど、引きつった笑みしか浮かばない。

 

「Holy shit……!! やっぱり、Fu○kingでCrazy princessですネ……! 少し調子に乗りすぎじゃないですかネ!?」

「イクラデモ叫ベバイイワ。ソンナモノハ、負ケ犬ノ遠吠エニシカナラナイノヨ。クソニクソヲ塗リタクッタヨウナ状況ヲ覆ス力ガアルナラバ、見セテミナサイ、金剛!」

 

 やはり、あの日自身の滑走路を破壊したメンバーの一人だからか。飛行場姫は金剛に対して他の艦娘より敵意が強い。近くに榛名がいるが、それよりも金剛に意識が向いているのは、東地譲りの苛立てば少し口調が悪くなる性格に惹かれたせいだろうか。

 砲撃だけでなく、言葉でも喧嘩を売ってきたら買ってやろう、という性格をしているのかもしれない。

 だからこそ飛行場姫は、血を垂らしながら再び金剛へと砲撃を仕掛けていくのであった。

 




16夏イベ、お疲れ様でした。
今年の夏はちょっとした癒しだった気がします。

みなさんのイベはどうでしたか?


本編はそんな癒しとは程遠い13秋の悪夢。
あのマップ、二度とやりたくはないですね。


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飛行場姫2

 

 

 岩影に息を潜めて隠れ、タイミングを見計らって飛び出した駆逐艦から放たれた魚雷は目標である南方棲戦鬼を打ち砕き、その艤装が悲鳴のような機械音を響かせながら煙を吹かす。まだ周りには多くの深海棲艦が取り囲んでいるが、頭である南方棲戦鬼が崩れれば容易に撃破できるだろう。

 深山はそう睨んで南方棲戦鬼の撃破を優先させた。その甲斐あってようやくそれは果たされる。だが、艤装が爆発して宙に舞い上がった南方棲戦鬼の人型。暗き海に着水し、そのまま沈んでいくものと思われたが、ゆらりと立ち上がって赤黒いオーラを立ち昇らせていく。

 

「……マダ、マダ終ワラナイ……」

 

 身を包む服は戦いによってぼろぼろだ。あらわになっている肌も赤い血や線に彩られ、ギギギ……、とまるで機械のような音を立てながら前のめりになっている体がゆっくりと起き上っていく。

 そうして見えた顔には、赤黒い光を放つ瞳があった。エリート級のような燐光を放つようなものではない。瞳全体が怪しい光を放っているのだ。

 

「止メル、ソレガ私ニ与エラレシ役割……ソレヲ果タセヌ兵器ニ意味ハナイ……!」

 

 その出で立ちはまるで南方棲戦姫のようだ。南方棲戦鬼の時よりも力が増大しているために、余計にそう思える。だがかぎ爪のような手や服が残っているし、艤装も南方棲戦鬼の時のまま。そのため完全に南方棲戦姫になっているわけではない。

 今のあれはまだ倒れるわけにはいかない、艦娘という敵を沈めてやるという妄執によって突き動かされているだけの亡霊だ。だが手負いの獣ほど危険という。油断なく仕留めたいところだが、深山の艦娘達の消耗も大きい。

 もうすぐ日の出になりそうという事もあって、焦りはいよいよもって大きくなってくる。

 

「……作戦失敗、か?」

 

 ぽつり、と漏れて出た言葉だが、それがかき消される流れがその戦場にもたらされる。

 北西から入ってきた艦娘らが、次々と南方棲戦鬼を守る深海棲艦を撃破していった。

 

「前方、南方棲鬼確認クマ! 魚雷用意! 食い破るクマよ、遅れないように」

「突撃突撃ぃ! 大物食いだぁ!」

「盛大な一発を喰らわせてやりなさーい!」

「…………お前ら、ちょっとうるさいクマよ」

 

 夜戦続きでもうテンションがマックスになっているらしい川内と足柄に、いよいよ球磨も呆れを通り越し始めている。これにはずっと一緒にいる皐月もため息をつくばかりであり、新人として新たに加わっている暁と時雨は困惑しっぱなしだ。

 

「いつもあんな感じなのかい?」

「やー……いつもってわけじゃあないんだけどね。今回は、ちょっと異常かなぁ。ボクも見たことないや」

「レディーなら、もう少し落ち着きを持つべきだわ。いいタンメン教師ね」

「……いや、それを言うなら反面教師だよ」

「……駆逐も、目標がすぐそこクマ。攻撃するクマよ!」

 

 接近してくる球磨達に気づいた南方棲鬼が砲撃体勢に入るが、もう遅い。高速で横を通り過ぎながら一斉に魚雷を発射し、そのまま離れていく。まるで辻斬りをするかのように魚雷を置いていった事により、砲撃を受けずに一気に南方棲鬼へと大ダメージを与えていった。

 たまらず膝をついた南方棲鬼。反撃するために歯ぎしりしながら後ろを振り返るも、魚雷を受けた艤装が誘爆を起こし、大爆発へと発展してしまい、そのまま撃沈してしまうのだった。

 守り手が失われていく南方棲戦鬼だが、彼女の思考は危機に陥ったことで単純化されている。

 即ち、敵を止めるために倒せ、というだけのこと。

 反撃のために両手を掲げ、次々と主砲と副砲を放ち、魚雷も発射していく。だが深山の艦娘達の練度は決して低くはない。今までは深海棲艦の邪魔があったために動きが悪くなっていたが、それがなくなれば洗練された動きを見せる。襲い来る攻撃を回避し、次々と砲撃や雷撃を仕掛けていくのだ。それこそ、水雷戦隊の力というもの。救援に来た水雷戦隊よりも練度の高い動きがそこにある。

 

「……誰だ、まさか、呉か?」

「電文です。『呉、佐世保艦隊、貴官ノ救援ヲ行ウ』との事です」

「……やはりそうか。しかし、何故ここに?」

「えっと……『羅針盤ノ狂イニヨリ、導カレリ』、だそうで」

「……羅針盤、か。そういえば強い深海棲艦の力の影響下では、そういった事例もあったんだったか。夜という事もあって、狂いに気づかずここに来てしまった、とみるべきかな。……だが、逆に感謝しよう。呉に電文。『呉提督、ガ島ヘ向カワレヨ。救援ハ佐世保ノミデ良イ』と」

「よろしいのですか?」

「……構わない。救援は欲しかったが、佐世保だけでもいい。……呉の海藤は、友を助けに向かった方がいいだろうさ」

 

 そう呟く深山の下にまた電文が届く。「イイノカ?」と一言だけだったが、それを聞いた深山は大淀の下へと駆け、自ら暗号電文を打ち込んでいく。『我ノヨウニ危機ニ陥ッテイル可能性アリ。疾ク友ヲ助ケロ』と送ってやった。

 そして深山の電文を受け取った凪は一つ息を吐いて淵上へと電文を送らせた。『我、ガ島ヘト向カイ、東地ノ救援ヲ行ウ。貴官ハココニ留マリ、支援ヲ続行セヨ』といった内容で送ると、すぐに『承知』と返事が来た。

 東地との連絡は取れないまま。これは何かあっただろうと思わせるには充分だったため、急いで救援に向かいたいところだった。だがどういうわけか羅針盤が狂い、気づけばガダルカナル島に向かうのではなく南下しており、それが奇しくも深山を助けることになった。

 だが考えを変えれば、深山を足止めしている南方棲戦鬼の方へと誘導されたともとれる。

 となればもしかすると今以上の戦力が送られてくるかもしれないのだが、本命である飛行場姫も何とかしなければならない。

 

「神通、球磨達に通達。ガダルカナル島へ向かう。煙幕用意。奴らを振り切るよ」

「了解。煙幕よーい! 進路変更!」

 

 指揮艦を操縦する妖精達も大淀の言葉を復唱するように、人には理解出来ない言葉を発し、動いていく。窓の外から見える光景を頼りに、進路変更しつつ煙突から煙を立ち昇らせる。

 もくもくと広がっていく煙が指揮艦を隠していくため、外の様子はわからなくなってくるが、進路はもう変更されている。電探の反応と照らし合わせつつ慎重に北上する事が出来た。

 だが戦場を離れていく反応を察知したのだろうか、南方棲戦鬼の視線が北へと向けられる。それを引きもどしたのは、陸奥達戦艦の砲撃だった。

 

「そっちには行かせないわ。第二射、てぇーッ!」

 

 陸奥、長門、霧島による砲撃によって南方棲戦鬼の体勢が大きく崩される。その隙をついて淵上の二水戦が突撃を仕掛ける。龍田が手にしている薙刀のようなものを勢いよく回転させながら先陣を切っており、後ろからは由良、黒潮、初風、舞風、響が続いている。

 

「砲撃、雷撃、いくわよ~。私達も負けてはいられないわ~」

「魚雷発射! 続けて砲撃、てー!」

 

 陸奥達へと今度は意識が向いたことで、龍田達に気づいていない。暗がりの向こうから放たれた魚雷にも気づいていない。そこから移動しながら砲撃を加えるのだが、軽巡や駆逐の砲撃よりも、戦艦、重巡の砲撃の方が奴にとっては痛手だ。

 薙刀の切っ先付近から放たれる弾丸。天龍と龍田の独特な艤装は他の艦娘には見られないものだからこそ、際立っている。しかも砲という役割だけでなく、薙刀としての見た目は飾りではなかった。

 イ級エリートが噛みつきに来ると、薙刀を薙いで迎撃する。それも艦娘としての力で艤装となっているせいか、刃によるダメージはしっかりと通っているようだ。その装甲を貫くように突き刺し、肉へと直に砲撃を与えて吹き飛ばす。

 そうしている内に魚雷が南方棲戦鬼へと到達し、次々と爆発を起こして多大なるダメージを与えた。

 

「ァァァアアア……! マダ、マダ……! 私ハ、役割ヲ……!」

「眠りなさい。見苦しいわ」

 

 それでも南方棲戦鬼は動き続ける。満身創痍であるはずなのに、まるで妄執のように自分に与えられし役割を遂行しようとしている。それは例え敵であったとしても、見ていられるものではなかった。

 副砲を撃ち続けながら接近し、魚雷によって体勢を崩した南方棲戦鬼へと装填し終えた主砲を放つ。距離が縮まったことで狙いどころが暗くてもよく分かる。被弾して脆くなった部分を更に撃ち抜くように放たれた徹甲弾。それは南方棲戦鬼の体力を一気に奪うに充分な力を発揮した。

 妄執に取りつかれた哀れな兵器を、沈めることで戦いから解放してやる。

 苦しげな悲鳴を上げながら、ゆっくりと沈んでいく南方棲戦鬼。間もなく、日の出の時間となる。これから自分達もガダルカナル島へと合流した方がいいだろう。陸奥は残党を見回しながら、ちらりとガダルカナル島へと意識を向けるのだった。

 

 

 その戦いはじり貧どころではないもの。

 飛行場姫へとダメージを与えても、護衛要塞らを生贄に捧げて回復する。そうして一度は沈んだ護衛要塞らは、少しすればまた別の護衛要塞か、あるいはまた命を与えられて復活してくる。

 一方扶桑や金剛らはただただ砲撃を繰り返して弾薬を消費し、動き続けることで燃料を消費する。それが長く続けば、補給した資源は消えていくだけであり、それに従って砲撃の威力が低下していく。

 そして燃料が失われていけば、もしもの撤退すら出来なくなってくる。

 取り巻きらを処理している高雄達も同じことがいえる。どれだけ減らしても復活してくる敵。消費されていく弾薬によって、その処理速度も低下してくる。となれば、数にものを言わせて自分達の被弾が多くなり、前に出ることすら出来なくなってくる。

 

「ダカラ、無理ナノヨ……。貴女達ノ勝利ナドアリハシナイノヨ」

 

 苦しげな表情が蔓延しているが、それでも彼女達は完全には折れていない。それが飛行場姫にとっては不快だった。小首を傾げて「何故、笑ッテイラレルノカシラ?」と金剛へと問いかける。

 

「Youを前にして笑みを完全に消してしまった時、ワタシは負けを認めた事になりマス。それだけは、避けたいものですヨ」

「ソウ。ナラ、笑エナクシテアゲヨウカシラ」

 

 手を挙げながら飛行場姫は砲撃を行う。彼女のサインに従ってタ級フラグシップやタ級エリートが動き、金剛達へと砲撃を仕掛けてきた。特に金剛へと攻撃が多く飛来し、回避しようとした彼女は動きが鈍くなっていることをより自覚する。

 それにより、飛来した弾が金剛の右足を撃ち抜き、たまらず海へと倒れてしまった。

 

「あ、うぅ……!?」

「お姉様!」

「来てはダメです、榛名!」

 

 助けようとした榛名を制止すると、二人の間に次々と着弾し、水柱が上がる。止めなければ榛名も多く被弾していたと思われるコースだった。

 

「諦メガ悪イノネ、金剛。ソンナニナッテモマダ続ケヨウトイウノ?」

「…………」

「フフ、言葉モ出ナクナッタカシラ? ヤット、砕ケ始メタノカシラ? フフフ」

「……No、それは違うわ、Crazy princess。こうなってもワタシは何も悲観はしていないワ」

「何デスッテ?」

 

 金剛の周りに高雄達が集まり、何とか彼女を守ろうとしてくれる。そんな中で金剛は笑みを崩すことはない。宣言したように、こうなってもなお飛行場姫の前で笑みを消す気はないのだろう。

 

「こうして仲間がいる。そして例えワタシ達が倒れても、きっとYouを倒す誰かがここにやってくるワ。意志は、消えることはないのヨ」

「……不快ネ。ヤハリ不快ダワ、金剛。コノ海ニ、ソンナ色ハイラナイノ。黒ク、赤ク、暗イ闇ニ染マレバイイ。ソンナ光ハコノ海ニハ似合ワナイノヨッ!!」

「――それでも光は差し込むってね! 突撃ぃ! 私に続きなさい!」

 

 深い闇夜を切り裂くような、頼もしき声が戦場に響き渡った。

 やってきたのは川内率いる東地の一水戦。だが先頭を往くのは島風だった。周りには彼女の艤装である自立する連装砲が海を航行し、思い思いの方へと砲撃を仕掛けている。

 

「魚雷いっくよー」

 

 背を向けて背負っている魚雷発射管を敵に向け、一気に五連装酸素魚雷が放たれる。そんな島風に続くように川内達も砲雷撃を行いながら金剛達の前に出る。

 その様子を飛行場姫は唇を噛みながら見つめていた。

 

「金剛達は撤退を。私達がその時間を稼ぐよ」

「今回は失敗。そう司令官は判断したよ。あまりに時間をかけすぎたからね」

 

 長良率いる二水戦も合流し、比叡が金剛を支えながら後ろに下がっていく。

 どうやらあの後、東地の指揮艦は付近の島に身を寄せ、側面をカバーしつつ凌いでいたようだ。島を盾にすることで一面を防御し、三方向に対して守りを固めて耐え続けていたらしい。

 足止めしてきた深海棲艦を倒しきり、一水戦と二水戦を支援に向かわせたようだ。

 水雷戦隊の砲撃と魚雷によって少しでも多くの護衛要塞をはじめとする深海棲艦を処理していく。向かって来れば魚雷で迎撃し、道を塞ぐならば砲撃によって壁をこじ開ける。

 それでも追撃してくるタ級フラグシップには、雪風をはじめとした駆逐艦による魚雷の強撃で無理やり撃沈した。

 

「雷撃なら私も負けてられないわ。二十発、発射よ!」

 

 雷巡の大井は北上と同じような装備をしている。ならば一人でそれだけの魚雷を一斉に放つことが可能だ。暗い海に扇状に放たれた魚雷は、群れている敵にとっては逃げ場のない攻撃と言えよう。次々と被弾し、撃沈数が一気に増えることとなった。

 そうして追っ手を減らしていくのだが、逃亡を許すほど飛行場姫は優しくはない。「――逃ガスナ。逃ゲラレルト思ワナイコトネ!」と怒りが篭った声で叫べば、川内達が入ってきた方に突如として伏兵のように多くの深海棲艦が浮上した。

 その中にはリ級フラグシップも交じり、魚雷の強撃を一斉に放ってきた。執拗に金剛を狙う深海棲艦の魔の手から守るべく、比叡と榛名がその身を投げ出した。戦艦の装甲といえど、魚雷の強撃ともなれば一気に中破へと持っていくことは容易い。悲鳴を上げて海に倒れる妹達に、たまらず金剛もまた悲鳴を上げる。

 

「鳴イタワネ? ソウ、ソレガ聞キキタカッタノヨ、金剛……! 貴女ノ嘆キノ声、アア、耳ニ心地良イワ……! モット、モット聞カセテチョウダイ?」

 

 そんな金剛へと飛行場姫も砲撃を加えていく。飛来してくる砲弾になす術なく被弾する金剛は、顔を庇いながら苦い表情を浮かべた。普通ならば一気に中、大破に持っていきそうな砲撃のはずだが、どういうわけか威力が抑えられている。

 手加減しているとでもいうのか、この状況で?

 

「……っ、そうやって嬲り続けるというのですカ……!?」

「エエ、貴女ハタダデハ沈マセナイ。苦シンデ、苦シンデ沈ンデイキナサイ」

 

 金剛だけではない、比叡や榛名にも同じように手心を加えた砲撃が次々と襲い掛かってくる。完全に勝利を確信しているからこそ出来る事だった。一体、どういうつもりだ、と思えども、金剛達にとって反撃も逃げることも出来ない状態。

 川内達が代わりに反撃するが、それでも飛行場姫による攻撃は止まらなかった。やがて彼女はそれまで以上の笑みを浮かべた。

 

「……ホラ、時ハキタヨウネ」

 

 そう言って東の空を指さす。それは立ち位置的には金剛達の背後になる。

 背中に差し込む光。東の海の彼方はゆっくりと白み始めている。

 ソロモン海に暁の時刻がやって来たという証である。

 

「私ハヘンダーソン飛行場。ナラバ飛行場ラシク、貴女達ヲ飛行機ニヨッテ沈メテアゲルワ。モチロン、貴女達ノ取リ巻キモネ。独リハ寂シイデショウ? 安心シナサイ。皆仲良ク、深海ヘ招イテアゲマショウ」

 

 朝がもう間もなく来るのであれば、問題なく翼を広げることが出来る。

 タイムリミットだ。

 飛行場姫の滑走路から次々と深海棲艦の艦載機が飛び立っていく。艦戦の姿はない。空母がいないために必要はないのだろうと考えたのだろう。艦爆と艦攻のみが放たれるという攻撃的な采配だ。それらは一定の高度を得ると、光を放って複数の艦載機へと分かれていき、金剛達へと迫っていく。

 空母ヲ級の放つ艦載機の数など目ではない。飛行場という基地から放たれる艦載機は、彼女一人だけで無数の翼が空を埋めていく。

 それを前に、川内達水雷戦隊がどうにか出来るはずもない。

 そして弾薬尽きている金剛達にもどうする事も出来ない。燃料もないので、逃げる足もない。そもそも金剛は足をやられている。例え金剛以外が逃げることが出来たとしても、彼女だけは犠牲になるだろう。

 詰みである。

 

「オ疲レ様、金剛。カツテノ再現ナド、出来ルハズモナカッタワネ。私達ノ勝チヨ」

 

 唇から血を流しながら、飛行場姫は勝利宣言をした。音を立てて金剛達の頭上を取りに来る艦載機を見上げながら、金剛は静かに目を閉じる。

 せっかく川内達が助けに来たというのに、犠牲者が無駄に増えただけだ。もう少し早く撤退することが出来たらこうはならなかっただろう。

 機会を見誤った。それがこの結末を招いたのだ。

 荒い息をつきながら金剛は自らの不甲斐なさを嘆く。だがそれは彼女だけではない。隣に立つ扶桑もまた同じだった。

 

「……ごめんなさいね、金剛さん。私が、余計なことを言ったから……」

「No、それは違うネ、扶桑。あなたの言葉で、確かにワタシ達は心が奮い立ったネ。それは戦いにおいては大事なこと。……折れることがなかったのは、あなたの言葉があったからこそ、ネ」

 

 だが、それでも結果は変わらなかったかもしれない。でも折れた心で死を受け入れるよりは、少しだけでも戦意が残されたまま死ぬ方がまだマシだろう。

 しかしやはり死ぬとなれば、今まで共に戦ってくれた東地に申し訳ない。そう思うと、静かに涙が零れ落ちた。

 

(――テイトク、どうか武運長久を。ワタシ、Valhallaから見ているネ……)

 

 暁の空に、悲鳴が響き渡った。

 

 



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飛行場姫3

 

 

(――ワタシ、Valhallaから見ているネ……)

 

 東地を想いながらの別れの言葉。それを心に呟きながら金剛は死を覚悟した。飛行場姫から放たれた艦載機によって、次々と爆弾や魚雷を受けて自分は無残に沈んでいくのだろう。飛行場姫の言葉や感情からはそれをひしひしと感じられた。

 目を閉じた金剛はどのように死ぬかは見えない。だから音で何が起こるのかを把握する事しかできない。

 爆発音が次々と聞こえた。艦爆から爆弾が投下されたのだろう。だがそれにしては空の方で聞こえてこなかっただろうか。

 

「お、お姉様……あれは……」

「――え?」

 

 空には確かに飛行場姫の艦載機が無数に存在していた。だが、数が減っている。

 また爆発が起こり、小さな無数の粒が艦載機へと降り注いでいる。あれは、三式弾の焼夷弾子ではないだろうか。

 しかし、どこから三式弾が来たというのか。

 答えは、南の方角に新たなる影が確認されたことで明らかになった。

 

「――よし、制空隊突撃開始! 友軍を助けるぞ! 意地を見せろ!」

 

 生憎とヴァルハラは新たに誰かを迎え入れる用意はしていなかったようだ。暁の海の向こうからやってきた影は、そんなヴァルハラからの受け入れ拒否を伝える使者だろうか。

 その影の正体は長門率いる艦隊だった。

 凪の第一主力部隊や、加賀、飛龍の姿が遠くに見える。

 五航戦、千歳、祥鳳も含めた空母達による艦戦の一斉発艦。飛行場姫は艦戦を護衛につけなかったため、あれらを崩すならば今しかない。

 

「艦戦がいないなら、鎧袖一触よ。送られてくる前に、早急に落とせるだけ落としなさい」

「私達の登場に困惑している今がチャンスよ! 容赦なく蹴散らしちゃって!」

「一水戦、二水戦は壁をこじ開けます。三水戦はトラックの一水戦らの支援を。上手く撤退できるよう、動いてください」

 

 空母達から放たれた艦戦、烈風、紫電改二、零戦52型が飛行場姫の艦載機へと突撃。そんな中でも金剛達へと攻撃しようとするもの、機関砲で抵抗するものもいたようだが、それでも艦戦にはかなわないようだ。

 次々と撃墜されていく深海艦載機に、飛行場姫の拳も震える。もちろんそんな彼女にも攻撃は飛来する。長門ら戦艦が放った三式弾だ。その攻撃に右手で顔を庇いながら長門達を睨みつけ、「オノレ……! 流レヲ変エタトデモ言ウノカシラ!?」と叫ぶ。

 

「マダ終ワラナイワ。援軍ガ来タカラ何ダト言ウノ!? 私ニハ、コノ海ガアル! 私ノ命アル限リ、枯渇トイウ文字ハナシ!」

 

 沈みゆく仲間達の残りの命を喰らい、飛行場姫は傷を癒す。それだけでなく彼女にとっての資源も回復する。つまり、弾薬も撃墜された艦載機も全て回復する。引き換えとして彼女の命が緩やかに削られていくようだが、死を恐れぬ彼女にとって目の前にいる敵を殲滅する事こそ第一の目的。

 怒りによる興奮も相まって血涙を流しながら、飛行場姫は新たなる艦載機を放っていく。今度は艦戦も交じっており、飛行場という特性を生かし数を以ってして更に状況を逆転させんとしている。

 

「補給が済み次第、順次発艦してください!」

「……祥鳳さん、あれは何とかなります?」

「恐らく無理ですね。あちらを見てください。たぶんヲ級かなにかも放ってきています。それが合流するとなると、翔鶴さん、瑞鶴さん、加賀さん、飛龍さんがいたとしても、私達だけでは……」

 

 深海棲艦同士で何らかのやり取りが行われたのだろうか。ガダルカナル島の向こうから艦載機が飛来してきている。ただでさえ飛行場姫が身を削って次々と艦載機を放っているのに、他の場所からも合流してくるとなれば、いくら六人の空母の艦載機といえど、制空権を有利にすることは難しい。

 三式弾という艦載機を落とす装備はあるが、これは一方向に向けて焼夷弾子を放つものだ。そして当然ながら目測を誤れば、味方の艦載機だろうと落としていく。そして一方向に向けて焼夷弾子がばらまかれるが故に、艦載機が通るだろうというコースで爆ぜなければ意味はない。

 先程は金剛達へと向かっていったのを確認していたので、奇襲が成功した。艦戦同士の乱戦となれば、三式弾の援護は難しいだろう。

 凪は東地と連絡が取れないだろうか、と試してみるが、相変わらず通信は機能していない。羅針盤も相変わらずふらふらと針が狂っている。これもまた飛行場姫の力の影響なのだろうか。

 

「煙幕を! これより撤退を支援します!」

 

 阿武隈率いる三水戦が金剛達へと合流し、煙幕を発生させて彼女達の姿を隠していく。川内達トラックの一水戦が退路を作り、足をやられている金剛は比叡が肩を貸して撤退していく。

 その様子を偵察機から送られてくる映像から確認しつつ、凪は腕を組んだ。

 金剛達は何とか撤退出来ている。救援が間に合ったのならば何よりである。だが問題は飛行場姫だ。恐らく一時間以上は戦闘しているはずなのに傷が全然見当たらない事と、口から血を流しているところからみて、深海棲艦の特異な力を行使していることは間違いない。

 ならば南方棲戦姫のようにその力を制御しているものを破壊すれば、再生力は失われていくだろう。だが南方棲戦姫はリボンが赤く爛々と輝いていたというわかりやすい目印があったが、飛行場姫にはそれがない。

 暁の空は次第に明るくなっている。いよいよ太陽が姿を見せようという頃合い。ならばより飛行場姫の姿が鮮明に見えてくる。そうすればどこがそうなのか見分けがつきやすくなるだろうし、そして照準も合わせやすくもなるだろう。

 だが敵もまたより照準を合わせやすくなり、被弾も増える可能性がある。早急にケリをつけなければならないのは変わりない。

 

「少しいいですか?」

 

 ふと、大和が声をかけてきた。「どうした?」と肩越しに振り返ると、大和はモニターに映っている飛行場姫を見上げている。

 

「あれも、あの力を行使しているのは間違いない、とみていいんですよね?」

「恐らくね。だから君の時のような攻略法が通じるだろうけど、あの力を制御している場所がわからない。君にはわかるかい?」

「……角、ですかね。鬼の象徴ともいえるものを生やしたとなれば、そこに力の制御機能をつけるのは何となく理解できますよ」

「角、か。……なるほど。君の時は一対のリボンで賄っていたし、あり得なくはないか。なら、その旨伝えておいて。……君も出る?」

「いいのかしら? 私としては、初陣となるなら喜ばしいものですけれど」

「いいさ。今は戦力を投入する時。温存しすぎるのもどうかと思うしね。大和型の力を、見せてもらおうか」

「いいわ。存分にその目に焼き付けてくださいな」

 

 不敵に笑いながら大和が立ち去り、甲板に上がって海へと飛び込む。指揮艦の護衛をしている四水戦らを尻目に、艤装を展開して秋雲と共に長門達の下へと赴いた。

 長門らも指揮艦からの暗号電文で飛行場姫の狙う場所がどこなのかを知らされ、改めて飛行場姫を視認する。動かないとはいえ、少し離れたガダルカナル島にいる飛行場姫の短い角を狙うとなると、少々難しいか。

 それに飛行場姫の放った艦載機が逃げる金剛達を追いかけるだけでなく、長門達の方にも飛来してきた。

 

「三式弾で迎撃します! 撃ち方、始めっ!」

「でぇぇい! 近づけさせねえよ!」

 

 山城が放った三式弾でいくつかの艦載機が撃墜されたが、それでも艦攻が迫り、魚雷が放たれる。それらを回避しつつ、摩耶も対空砲を駆使して艦爆を撃墜させていく事で、長門達には大きなダメージを受けることなく立ち回れている。

 そんな彼女達の下へ、秋雲の護衛を受けた大和が合流した。

 

「どうも。話は聞いているかしら? 長門」

「角、だろう? そこが本当に力を制御している場所ならば、何としてもへし折りたいところだが」

「ふふ、自信ないのかしら? どちらが早くへし折れるか、競う?」

「はぁ……こんな時まで貴様は……。勝手にしていろ」

「では初撃はいただくわよ。徹甲弾、装填! 一斉射ッ!!」

 

 三式弾ではなく、徹甲弾で飛行場姫を撃つ。今回はただダメージを与えるのではなく、角を折るという目的があるので、一点をぶち抜く徹甲弾を選択したのだ。

 弧を描いて飛行場姫へと迫る徹甲弾は、多くは周りの大地に着弾した。飛行場姫への命中弾としては惜しくも胸や艤装だったが、初撃の成果としては悪くはない。

 だがさすがは大和型の力というべきか。艤装に二発当たった徹甲弾の貫通により、艤装が悲鳴を上げてもんどりうって倒れてしまい、唸りながらもがいている。

 

「調子ニ……乗ッテイルワネ……! コンナモノデハ私ハ終ワラナイトイウコトヲ、貴女達ニモ教エテアゲルワ!」

 

 砲撃が出来ずとも艦載機がいる。護衛要塞をまた生贄に艤装の回復を行う間に長門達へと艦載機を向かわせる。凪の空母達の艦載機は補給のために一度引き戻している。その隙を突かれてしまっていた。

 しかし一度傾いた天秤はそう簡単には戻らないらしい。

 東の方から艦載機が飛来してきたのだ。東といえば東地の指揮艦がいるかもしれない方角だ。金剛達の撤退が上手くいったのならば、今の状況が伝わっているのではないだろうか。

 見れば東から阿武隈率いる三水戦が戻ってきている。その頭上を次々と艦載機が追い越して行き、三水戦の背後にはトラック泊地の空母達がうっすらと見える。

 

「クッ、オノレ……! オノレオノレェ! モット、モット戦力ヲ寄越シナサイ! 私ニ命ヲ捧ゲナサイ!! コレ以上、調子ニ乗ラセルナァ!!」

 

 飛行場姫全体に赤いオーラが纏わりつき、それに呼応するように飛行場姫の体に血管のように赤い紋様が浮かび上がる。大地を力強く何度も踏みつけるのは、苛立った子供が地団太を踏んでいるかのようだ。

 だがそれに従ってタ級フラグシップ、リ級フラグシップ、護衛要塞が大量に浮上し、向かってきた三水戦や、取り巻きらを処理している一水戦、二水戦へと向かっていく。

 

「ここが正念場でしょう。堪えて……っ、ふん! 間をすり抜けながら落としていきます。遅れないように……!」

 

 海中から突然腕へと噛みついてきたイ級エリートを、顎へと一発拳を打ち込み、蹴りを入れながら神通が告げる。北上達も表情を引き締め、夕立も「まさしく、より取り見取りっぽい!」と大量の獲物にうずうずしている。

 

「では、行きますよ」

 

 神通達は両手に主砲を手にしたかと思うと、それぞれ散開して各自、思い思いのコースを辿って航行する。左右に護衛要塞がいれば、両手を広げて撃ったり、回転しながら撃ったりして通り過ぎ、北上は味方の一番外側を航行しつつ魚雷を次々と発射させる。

 スピードは落とさず、敵の間を抜けながらの攻撃でダメージを蓄積し、後から来た誰かが撃沈する。あるいは、単騎で一気に撃沈する。そうやって群れを突き破って合流しながら緩やかに反転するのだ。

 その際に煙幕を焚いて姿を隠し、少し時間をおいて次の弾薬を装填。そうしてまた群れへと突撃する、と戦場をかき乱している。

 その動きは球磨率いる二水戦も可能だった。新人が二人いるとはいえ、彼女達も球磨と神通の教えを受けている。未熟ではあるが、それでも何とか球磨達の動きについていっている。

 夜戦ではなくなったために若干川内のテンションが落ちているようだが、足柄は戦いが出来ればそれでいいので、相変わらず元気である。

 

「向こうに合流します。みなさーん、遅れないようにしてくださーい!」

 

 阿武隈の少し気の抜けるような指示に従い、三水戦も戦場へと舞い戻る。護衛要塞の三連装砲による攻撃が次々と襲い掛かってくるが、回避運動によって被害は抑えられている。生き残るための動きというものを最初に神通からみっちり仕込まれているだけあって、新人とはいえ危なげない。だがこの異質な空気漂う戦場というのは新人にとっては少し毒になる。

 通常の戦いは問題ないだろうが、このアイアンボトムサウンドという戦場は異質だ。普通とは違う空気が、彼女達に緊張をもたらす。だからこそいつも出来ている動きが、ぎこちなくなることはよく見られることだ。

 

「ぁあ……っ!?」

 

 潮がバランスを崩して倒れてしまった。それを見逃さずに護衛要塞が三連装砲を撃ってくる。動かない的などカモでしかない。全弾命中し、潮の体がごろごろと海を転がっていく。

 

「くっ、このー!」

 

 白露と吹雪がその護衛要塞を魚雷で沈めて追撃を阻止したが、リ級エリートが獲物を見つけたとばかりに砲を構えながら接近してくる。「潮ちゃん!?」と朝潮が叫ぶが、それよりはやく夕張に何かを指示した阿武隈が前へと出る。

 リ級の連続した砲撃を一身に受けて潮を庇い、そのまま彼女を抱きかかえて航行する。逃がすものかとリ級エリートが追撃しようとするが、夕張が側面から砲による強撃を喰らわせて阻止した。

 

「あ、阿武隈さん……す、すみません……。私のせいで……」

「気にすることはないの。これくらい、何ともないわ。あなたが無事なら、あたし的には問題ないの。沈まずに帰還する事、それが一番ってね。さ、みなさん。一度指揮艦へと戻るわよ!」

 

 潮を下してやり、阿武隈が先頭で航行する。リ級エリートによる砲撃で中破になり、ぼろぼろの格好をしているが、その顔は頼もしき旗艦のお姉さんを思わせるものだ。

 上空ではヲ級フラグシップの援軍と思われる艦載機と飛行場姫の艦載機、東地から送られてきた艦載機がぶつかり合うが、それでも複数の艦載機はまた長門達へと向かっていった。

 摩耶の援護もあり、被害を抑えつつ長門と大和が飛行場姫へと徹甲弾を撃ち放つ。だがその射撃の反動の隙を突いて艦攻から放たれた魚雷が長門へと迫った。

 

「っ、く……これくらいでは!」

 

 うまく避けてダメージを最小限に留めたが、それでも少なくないダメージとなる。少しよろめいた長門の背中を大和が支えてやると、「すまない」と言えば「気にすることはないわ」と微笑を浮かべて離れ、また主砲を撃つ。

 さすがは46cm三連装砲というべきか。爆音と衝撃波が凄まじい。

 放たれた徹甲弾は飛行場姫の頭部へと着弾したが、角には掠めるに留められた。だが長門が放った徹甲弾が怯んだ飛行場姫の角を吹き飛ばす。

 甲高い悲鳴を上げて頭を抱える飛行場姫。右角があった場所から煙のように赤いオーラが立ち上り、消えていく。

 

「ァ、ァァア……力ガ、私ノ力ガ……! 誰一人沈メルコトナク、負ケルトイウノ……? ソンナコト、許サレルモノデハナイワ……セメテ、セメテ一人ハァ……!」

 

 今もなおタ級フラグシップなどを相手に立ち回る一水戦、二水戦を見据えるが、狙われた事に気付いた神通が「煙幕を!」と指示する。夕立が煙幕を焚き、飛行場姫の砲撃から逃げていく。

 蛇行しながら飛行場姫、タ級フラグシップらの砲撃を避けつつ、装填された魚雷をおみまいしてやる。そうして自分達へと意識をひきつけたならば、飛行場姫へとまた砲撃するチャンスが生まれる。

 それだけでなく、加賀達へと帰還し、補給を済ませた艦載機が再び発艦される。向こうを見れば複数のヲ級フラグシップの姿が確認できる。飛行場姫との艦載機と共に迫ってくる艦載機を迎撃する加賀達の烈風達。

 全てを撃沈し、制空権を奪取する事は出来ないが、敵の攻撃の手を少しでも減らすことは可能だ。

 そして五航戦から発艦された攻撃隊がそんなドックファイトの隙間を縫って飛行場姫へと向かっていき、長門ら戦艦の攻撃の合間に差し込むように攻撃を仕掛けることで、飛行場姫に休みを与えない。

 護衛するはずの深海棲艦は水雷戦隊によって掻き回され、時折艦載機達の攻撃によって蹂躙される。飛行場姫自身は戦艦の攻撃によって確実に被弾を積み重ねる。回復しようにも、片角を折られたことで完全に癒えはしないし、新たに呼び込む力もうまく働かない。

 どうしてこうなったのだ、と飛行場姫は困惑する。

 だが、浮かぶのはやはりトラック泊地の金剛だった。

 彼女の心が折れず、笑みを浮かべている姿が頭によぎるのだ。

 かつてのヘンダーソン飛行場への夜間砲撃の一件で、金剛と榛名に対しては多少なりとも恨みがある。そんな彼女らの艦娘を前にして、沈めるのだという意気込みは嘘ではなかった。

 特にあの金剛はキレた事で挑発するかのように粗暴な言葉を並べてきた。それが飛行場姫の心をよりかき乱したのがいけなかった。ただでは殺さない、そんなちょっとした思いが芽生えてしまったのだ。

 そうせずにさっさと殺せば、沈めれば体勢を立て直したり、休息する時間が得られたりしただろう。夜が明けるまでいたぶり続けたからこそ、凪の救援が間に合ったのだから。

 そういう意味では、金剛のあの言葉遣いは良い結果を生み出したといえよう。飛行場姫の心を揺さぶったという現象が、ここまでの結果に繋げることができたのだから。

 またそれだけの時間をかけることが出来たのも、ある意味では自己治癒の力を持っていたからともいえる。傷を癒すことが出来る、その力を持っているからこそ持久戦が出来る。長い時間をかけて戦えるのだから、敵が疲弊する様を見続けられる。そういう慢心が生まれてくるものだ。飛行場姫にもそれがなかったとは言い切れない。

 金剛達にとどめを刺すために放った攻撃隊。あれらに艦戦をつけなかったのも満身の結果だ。もうすぐ日の出になるとわかっていながら護衛をつけなかったのは、艦娘の艦載機が助けが来るはずがないと驕っていたためだ。

 故に奇襲という形で艦載機が突撃し、一気に攻撃隊を蹴散らすことが出来たのだった。

 様々な要因が重なって、今がある。

 後悔してももう遅い。勝てたはずの戦いを、飛行場姫は逃してしまった。

 数の上での有利、異質な力を持っていたからこその有利。それらが崩れてしまえば、そう簡単には覆らない。

 

「……慢心による敗北。同情はしないでおくわ、ヘンダーソン」

 

 自分もまたそこにいる長門達に敗れた大和がそう呟きながら、次なる徹甲弾を装填し、照準を合わせる。狙いすました砲撃は狂いなく飛行場姫の心臓付近、額を貫き、仰向きに倒れさせた。

 そんな飛行場姫へと容赦なく艦載機による追撃が降り注ぐ。凪、東地の艦隊に所属する空母から放たれた艦載機だ。どちらがとどめを刺しているのか分からないほどに次々と投下されていき、やがてそれは終わりを迎える。

 

「……ガ、フ……ドウシテ……私ガ、コノ力ヲ得タ私ガ……」

 

 太陽の光に満たされていく空を呆然と見上げながら飛行場姫は呟く。角があった場所からは変わらず赤いもやが漏れて出、体中が爆発によって焦げ付き、額と胸からは血のようなものがどろどろと吹き出し続ける。

 傷を癒す力はほとんど機能していなかった。目からは赤く染まった涙が流れ落ち、体中に浮かび上がっている血管のようなものは更に色合いを増して存在感を示している。だが、突如として複数の光が色を失ったのだ。白い肌がまるでひび割れた陶器のように崩れ始めた。それは血管のようなものが作り上げた軌跡に従って崩れている。

 

「……終わりね。過ぎた力がその身を殺し始めたみたいですよ。普通に死ぬだけだから、恐らくは私のようにはならないわ。ヘンダーソンはあのまま崩れるだけ」

 

 じっと飛行場姫の様子を見つめていた大和がそう分析する。

 そして飛行場姫は普通に倒されたので、大和は自分のような現象は起こらないだろうと分析した。応急修理女神を使用していないので、復活の力は何も働いていない。倒れ方は南方棲戦姫と少し似てはいるが、女神が関わっていないのは間違いない。ならば、大和の言う通り、崩れて朽ちるだけだ。

 

「……死ハココニハ際限ナク集マル。私ヤアレラガ死ンダトハイエ、ソレデ終ワリト思ワナイコトネ。覚エテイナサイ。ヘンダーソンハ、イズレ蘇ル……! カツテノヘンダーソンガソウダッタヨウニ、私モ、イイエ、私デハナイ何カガ、貴女達ノ前ニイズレ現レル!」

 

 崩れていく手を震えながらも天へと伸ばしていく。

 死は彼女達にとって終わりではない。機会があるならば再びまた巡り巡って復活するだろう。飛行場姫はそう予感しているのだ。

 だから彼女は崩れていくその手を視界に入れても何も恐れることはない。

 屈して負けたのではないのだから、笑って逝ってやろうではないか、という心が残るほどには彼女の心は折れていない。むしろ、次の機会があるならば、絶対に負けてなるものかとさえ思っている。

 

「金剛……今ココニイナイ金剛……! 誰デモイイ、アレニ伝エテオキナサイ……! イツカ、イツカ今回ノ借リヲ返シテアゲルワ。……ソウ、この後モ生キ延ビラレタラ、ネ……。フフ、フフフフ……ソレマデハ、コノ海ノ底デ待チ続ケマショウ……!」

 

 その笑い声が尾を引きながら、飛行場姫の体は完全に崩れ落ち、風に乗って欠片や粉は消えていった。赤いもやもまた風に乗り空へと舞い上がるが、恐らくはその魂はまた海へと沈んでいっただろう。

 そして飛行場姫によって何度も何度も呼び出された深海棲艦も、生気を失って次々と倒れていく。まるでそれは電源を落とされたロボットのようだ。やはり死した深海棲艦に再び仮初の命を与え、傷を修復して復活させていたのだろうか。

 命を与えた飛行場姫が死んだことでその効力を失い、彼女らはまた海へと沈んでいく。敵ではあるが、何とも哀れなことだろう。今まで交戦していた水雷戦隊の表情は少し陰りがあった。勝利したとはいえ、何かともやもやする勝利である。

 何はともあれ、東地の戦果を横から奪った形になったかもしれないが、飛行場姫を倒すことは出来た。これで当初の目的は果たされることになったと言えよう。

 通信は回復しているだろうか、と東地に『無事カ』と連絡を取ってみる。

 先程までは繋がらなかったが、問題なくそれは通じた。『援軍感謝』と電文が届いた。続けて『借リ一ツカ』と来たので、凪は『以前ノ借リヲ返シタマデ』と返してやった。

 借りとはもちろん長門の一件だ。それに関して、ピンチの時は返してくれ、と口約束ではあるが交わしたのだ。その約束を果たしただけに過ぎない。

 凪は淵上と深山にも飛行場姫撃沈成功の旨を報告するべく、電文を送った。

 

 だが、返事が返ってこない。

 

 首を傾げ、淵上にもう一度送ってみるが、やはり返事がない。

 彼女の性格からしてすぐに返事が返ってくるものだろうが、何もないとなればこれは異常だ。無線を使って連絡を試みるが、どういうわけか繋がらない。

 

「……緊急事態! 偵察機を南へ! 何かが起こっている!」

 

 戦いはまだ終わっていない。それは飛行場姫の最期の言葉からも感じ取れるものだった。

 だが、もうすでにそれは起こっていたのだ。

 千歳から発艦された彩雲が南へと急行し、ガダルカナル島周囲に展開していた艦娘達を急いで指揮艦へと呼び戻す。

 東からは東地の指揮艦が姿を現したが、見ればその船体が少し傷ついている。どうやら深海棲艦に砲撃を受けてしまったらしいが、沈むまでには至らなかったようだ。だが指揮艦にまで攻撃を受けていたとは、それだけ危険な状態にあったという事になる。無事で何よりだった。

 東地へ何があったのかを伝え、共に南へ向かって淵上と深山と合流を試みることにする。

 

 そしてその敵は、アイアンボトムサウンドが生み出した化け物、と呼ぶべきものである事を思い知る。

 

 一体の黒き魔獣を従えし黒き姫君。

 魔獣の太き(かいな)に抱かれ、優雅に黒い長髪を掻き上げる様は妖艶さと、畏怖を我らに抱かせるものだった

 

「――ナニモカモ、全テ、コノ海ニ沈メテアゲマショウ。ソレガ嫌ナラバ、我ガ腕ニ抱カレテ眠リナサイ」

 

 数歩前に出ながら彼女は微笑を浮かべる。その傍らには二人の装甲空母姫が控え、次々と艦載機を発艦させていた。更に無数の護衛要塞、駆逐級がおびただしい群れを形成して突撃していく。それは二十や三十は下らないだろう。何度も復活させる形で数にものを言わせた飛行場姫とは違う、数による暴力。

 そしてやはりというべきかタ級フラグシップにヲ級フラグシップ、ル級フラグシップが護衛につき、盤石の態勢で彼女達は決戦に臨んでいた。

 

「向コウモ気ヅイタノカシラ? ナラバ来ルトイイワ。マトメテ相手シテアゲル。我ラハ兵器。容赦ナド必要ナイワ。主ガ望ムナラバ、我ラノ敵ハ全テ殺シツクスノミ」

 

 ぐっと握りしめた右腕に赤いオーラが収束する。その輝きが球体を形作り、勢いよく海へと叩きつけるように薙ぎ払う。それに呼応して彼女の前に現れるは、深山達が沈めたはずの南方棲戦鬼。

 いや、その姿はそれ以上。

 虚ろな目をしているが、纏う力は本物だ。両腕を覆い尽くす程の艤装が黒き姫君の意思に呼応するように軋みだし、視界に入る敵を認識する。

 黒き姫君を守りし白き戦姫、それすらをも従えて彼女は宣言するのだ。

 

「――サア、アイアンボトムサウンドニ、沈ミナサイ」

 

 ソロモン海の怨念を纏いし姫君による、死刑宣告である。

 

 

 



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戦艦棲姫

 

 それは凪が飛行場姫を倒す数分前の事である。

 南方棲戦鬼を倒した陸奥達は一度指揮艦へと帰還しようとした。だが、深海棲艦はまだその場に留まっており、陸奥達を帰すまいと攻撃を仕掛けてきたのである。

 この一帯の指揮官と思われる南方棲戦鬼が沈んだというのに、どうしてこの深海棲艦らはここに留まっているのか。そんな疑問が浮かんだが、深山達をガダルカナル島へと行かせないため、と考えればまだ納得が出来るだろう。

 向かってくるならば、返り討ちにするまでだ。

 陸奥達は迎撃に出ることにする。

 その戦いは長くはかからない。ただの深海棲艦の群れだけならば、苦労する要素はどこにもない。もちろんリ級フラグシップやタ級フラグシップの強撃に注意する、という一点があるだろう。それでも深山の艦隊の練度ならば、これ以上増えない敵を前にして後れを取る理由はなかった。

 やがて空が白み始めてくる。暁の空の向こう、ガダルカナル島方面で無数の小さな影が空へと飛び立っていく。凪の空母達が艦載機を発艦させたのだ。

 間に合ったのだろうか。そんな事を思いながら陸奥が小さく息を吐く。

 

 そんな彼女の耳に異質な音が届いた。

 

「気を付けてッ!!」

 

 反射的に陸奥が叫び、長門もそれに気づき、反射的に振り返りながら顔を背ける。先程まで顔があった場所に徹甲弾が通過し、髪を何本か持っていった。だが体に飛来したものは回避できず、左の二の腕から先が一気にちぎれて宙を舞う。

 血を吐き出しながら踊るように舞う左腕、それを数秒おいて認識したとき、痛みと熱さが長門に襲い掛かった。悲鳴を上げそうになるのをこらえ、敵はどこだ、と視線を巡らせる。

 

「長門ッ!? 大丈夫!?」

「……ああ、なんとか、な……。それより、敵襲だ! 備えろ……!」

 

 長門を庇うように陸奥が前に出、視線を巡らせると、暁の海の向こうにそれを見つけた。

 例えるならば美女と野獣。

 海を優雅に歩く様は、まさしく彼女は海の姫君と呼べるもの。黒い長髪を軽く掻き上げ、額からは短い鬼の角が短く湾曲して生えている。胸元が開いた黒いキャミソールをしているようで、どこかセクシーさを感じさせるが、その胸元にも四本の黒い角が生えているようだ。

 そして背後に従えるは黒い異形の怪物。両肩には16inch三連装砲が装備され、胴体にも艤装が鎧のように纏われている。両手が存在し、まるで大木の如き太い腕が女性を守るように近くに添えられている。

 見たことのない、新たなる深海棲艦だ。

 ふと、女性が小首を傾げて赤く光る瞳をゆっくりと見回し始めた。

 

「…………少ナイワネ」

「――え?」

「ヨウヤク調整ガ終ワッテ来テミレバ、コレダケシカイナイノ? ……イエ、マズハ前菜カラ、ト言ウモノネ。ドウヤラ呉ガヘンダーソンノ方ニモイルヨウダシ、マズハ貴女達カラ始末スルコトニシマショウカ」

 

 そうして彼女はまるで姫君が配下の者を呼ぶかのように、ぱんぱん、と手を叩いた。するとその音に呼応するように彼女の周りから次々と深海棲艦が浮上してくる。もはや定番となりつつあるのか、装甲空母姫が二人彼女を守るように左右に控え、無数の護衛要塞と駆逐級、軽巡級が先陣切るように前へと躍り出る。

 それだけでなく潜水艦もいるらしく、ひっそりとヨ級フラグシップなどが移動を開始した。

 

「総員、迎撃態勢! 長門は一度帰還を! ここは私達が抑えるわ!」

「……任せる、陸奥」

 

 朧の護衛を受けながら長門が撤退していき、陸奥、霧島、そして重巡率いる水雷戦隊がずらりと並んで迎え撃つ。主砲ではなく、15.5三連装副砲を手にした重巡らが先陣切って深海棲艦の駆逐、軽巡級を迎撃し、深山の軽巡と駆逐が砲撃と雷撃を以ってして更に数を減らす。

 陸奥と霧島が主砲を斉射し、黒き姫君を狙い撃つが、彼女を庇うように魔物の腕がそれを防いだ。

 また攻撃しているのは深山の艦隊だけではない。

 淵上の艦隊もまた戦場へと入り、護衛要塞らを攻撃していた。淵上の龍田率いる二水戦、那珂率いる一水戦が次々と護衛要塞を沈めていくのだが、ここでもやはり龍田が振るう薙刀が少し目立つ。

 だがそれは深山の天龍も同様だろう。彼女が手にしているのは艦首を模したような刀だ。艤装は腰元に背負っており、主砲は両端に存在し、そこから撃てるようになっている。

 天龍は普通に砲撃する分にはそこを使用しているようだが、あまりに敵が接近してきた場合は手にした刀を使っている。すれ違いざまに斬り伏せ、次弾装填し終えれば砲撃していくのだ。

 

「……艦載機、順次発艦。薙ぎ払え」

 

 長門が無事に帰還した事を確認した深山は、待機している空母達に出撃を命じる。このまま数で攻められてはまたじり貧になるだけ。しかし今ならば空母達も戦えるのだ。戦力となるならば出さないわけにもいくまい。

 それにあれがなんであるかを計測しなければならない。どれだけの力を持っているのか、それを確かめなければ。

 凪と東地はどうなったのか、と通信を試みても、予想通り繋がらなかった。向こうがまだ戦い続けているのか、あるいは戦いは終わっているが、今度はあの黒き姫君の影響でこの一帯が通信不能になっているのか。

 答えは後者だ。

 淵上と連絡を試みても出来なかったのだ。その事に深山は舌打ちする。

 空母から放たれた艦載機が次々と敵を殲滅していき、数の優位をなくしていくのだが、当然とばかりに追加が送られてくる。空母の出撃を前にしても、黒き姫君は揺るがない。

 

「――ナニモカモ、全テ、コノ海ニ沈メテアゲマショウ。ソレガ嫌ナラバ、我ガ腕ニ抱カレテ眠リナサイ」

 

 装甲空母姫やヲ級フラグシップからも艦載機が発艦し、空中戦が行われる。そんな中で計測が終わったようで、帰還した偵察機から送られたデータがモニターに表示される。

 黒き姫君は純粋な戦艦のようで、南方棲戦姫のような艦載機を発艦させる能力や雷撃能力は存在しなかった。

 

「……純粋な戦艦としての存在、ランク的には姫、か。なら、呼称するなら、戦艦棲姫か」

 

 黒き姫君、戦艦棲姫。

 飛行場姫が倒れた今もなおソロモン海は赤く染まっている。ならば深海側が用意しているソロモン海における主力の存在は、あの戦艦棲姫であることは間違いないだろう。

 それ以外にもいるならば、同時に出してくるだろうから。

 ふと、ガダルカナル島の方から偵察機が飛んできた。深山や淵上だけでなく、戦艦棲姫もそれに気づいたらしい。

 

「向コウモ気ヅイタノカシラ? ナラバ来ルトイイワ。マトメテ相手シテアゲル。我ラハ兵器。容赦ナド必要ナイワ。主ガ望ムナラバ、我ラノ敵ハ全テ殺シツクスノミ」

 

 ぐっと握りしめた右腕に赤いオーラが収束する。その輝きが球体を形作り、勢いよく海へと叩きつけるように薙ぎ払う。立ち上った水柱から現れるは虚ろな目をした南方棲戦姫。

 これを以ってして戦艦棲姫の主力艦隊が完成したのだろう。

 飛来してくる砲弾を魔獣が体を張って戦艦棲姫を守る中、彼女は改めて宣告する。

 

「――サア、アイアンボトムサウンドニ、沈ミナサイ」

 

 艦載機同士がぶつかり合う中、再び水雷戦隊が突撃を仕掛ける。練度は深山の艦隊には及ばないが、それでも戦力となるならばやるしかないのが淵上達だ。

 凪と東地が来るかもしれない、という希望がある今ならば、少しでも敵戦力を減らしておく意味はある。

 だが水雷戦隊の動きを封じるように潜水艦が展開されている。それらしき反応を感じた龍田が「対潜用意よ~。向こうに反応が見られるわ~!」と薙刀で方向を示した。

 近くには駆逐級のエリートが群れを成して龍田達へと接近してきているため、魚雷を放って牽制しつつ、爆雷の用意をする。支援として那珂率いる佐世保の一水戦が到来し、砲撃して意識を引きつけてくれた。

 

「お触り禁止だけど、アイドルなら客の視線は独り占めしないとねー! 龍田ちゃん、そっちよろしくー!」

「任されたわ~」

「それじゃあオンステージ! みんな、おっくれないように!」

「こんな時まで調子が変わらない奴だ……。だが、逆にそれが頼もしくもある。お前ら、臆すなよ! 寄らば吹き飛ばす気持ちで那珂に続けぇ!」

 

 満面の笑顔で突撃していく那珂に、クールな木曾。どこか戦場に似合わない雰囲気を漂わせる那珂の調子に飲まれないように木曾が引き締めつつ、陽炎以下の駆逐達も咆哮しながら主砲を斉射。

 爆雷を投射し、カ級エリートやヨ級エリートを迎撃していく。龍田達二水戦へと近づけさせまいと、とにかく一水戦が立ち回っていくのだ。

 そんな新米の水雷戦隊が大立ち回りをしているのだ。一年以上のベテランである深山の水雷戦隊も負けてはいられない。ヨ級フラグシップを迎撃するものがいれば、果敢に戦艦棲姫へと突撃するラバウルの一水戦もいる。

 名取の指示に従って一斉に戦艦棲姫へと魚雷を放つが、やはり魔獣が腕で姫君を守り、それだけでなく装甲空母姫もまた盾になってくる。前を守っていた南方棲戦姫は長門達へと向かって交戦しているようだ。だからといって前に躍り出れば挟み撃ちになりかねないので、側面を通過していくしかない。

 だがそれを逃がさないとばかりに魔獣が大きく息を吸い、空気や海を大きく震わせるほどの咆哮を上げる。耳をつんざくような叫びに思わず硬直してしまった名取達に容赦なく装甲空母姫と戦艦棲姫の副砲による砲撃が襲い掛かり、彼女達は吹き飛んでしまった。

 

「……く、退避させ、三水戦らを出撃。……長門の治療は?」

「左腕の修復はほぼ完了しています」

「……可能な限り急がせて。戦姫に戦艦姫、そして装甲姫が二、僕らだけでどうにか出来るか……?」

 

 それだけでなく一般の深海棲艦まで群れている。いくら練度があるとはいえ、それだけの戦力を整えられれば不利だ。空母による艦載機攻撃も、装甲空母姫とヲ級フラグシップとの交戦で少しずつ艦載機が落とされている。

 戦艦同士の撃ち合いも、南方棲戦姫と戦艦棲姫の二つの壁が存在し、なおかつ戦艦棲姫は魔獣にも守られている。何よりもダメージを受けているはずの魔獣の傷が癒えているのだ。戦艦棲姫もまた、自己治癒能力を備えている証であった。

 

「ソロソロ、落チテモラオウカシラ? 私ハ遊ンデイル暇ハナイノ。貴女達ハ前菜デシカナイ。沈ミナサイ」

 

 そっと右手を前に出せば、魔獣の両肩にある主砲が火を噴く。不意打ちとはいえ、長門の右腕を容易に吹き飛ばした威力を持つ弾丸だ。何とか回避し、反撃のために陸奥達も主砲を放つが、それらは南方棲戦姫によって庇われる。

 

「…………シズメ」

 

 戦艦の砲撃を数発その身に受けているというのに、南方棲戦姫は少しよろめくだけ。傷は確かにあり、血を流しているが、虚ろな目のまま継戦しようとしている。以前戦った南方棲戦姫とは明らかに違う。

 ただ戦艦棲姫に付き従うだけの兵器としてここに存在している。

 主である戦艦棲姫を守る盾であり、戦艦棲姫に仇なす敵を滅ぼす矛であるだけ。

 ギシギシと艤装が蠢き、陸奥達へと砲撃を仕掛けた。そんな彼女の体の傷は癒えていない。どうやら自己治癒能力は供えられていないようだ。ならば倒すだけならば出来そうではあるのだが、こちら側の戦力に不安がある。

 空母の艦載機達による援護によって追撃をし、隙をついて陸奥が戦艦棲姫へと砲撃を仕掛けていく。だがそれでは揺るがない。自分を狙っているのか、と気づけば魔獣が防御する。一発が戦艦棲姫へと届いたが、それがどうしたのか、と微笑を浮かべていた。

 

 そんな深山達に、ようやく救いの手が差し伸べられる。

 

 北から無数の艦載機が飛来してきたのだ。深山と淵上の空母達の艦載機と、深海棲艦側の艦載機が補給のために戻された隙を狙ってきたらしい。飛来してくる艦載機を戦艦棲姫は気だるげに見上げ、しかしその口元には笑みが浮かんでいる。

 放たれた爆弾と魚雷を魔獣が守るが、装甲空母姫にはそんなものはない。次々と爆撃を受けて飛行甲板が破壊され、艤装も雷撃によって大きく負傷した。

 

「ヨウヤクオ出マシカシラ。デハ、沈メナサイ」

 

 姫君の命に従い、魔獣の目が一際強く赤い光を放った。怒号のような咆哮をあげると、主砲が旋回して北からくる艦娘達を狙っていく。その後方には二隻の指揮艦があるのだが、と気づいた霧島が「まずい! 止めなければ!」と急速に戦艦棲姫へと接近する。

 

「霧島を援護! あれを撃たせないでッ!」

 

 南方棲戦姫を足止めしつつ、陸奥が指示を出す。重巡が混じる水上打撃部隊が霧島の後に続いて戦艦棲姫へ接近した。高速戦艦であるが故に、急激な接近が可能な霧島は、主砲の装填の合間に副砲で戦艦棲姫へと攻撃を仕掛ける。

 後に続く水上打撃部隊の衣笠や妙高が一斉に主砲を放つが、そんな事で魔獣は揺るがない。ならば主砲を狙うまでだ、と肩に照準を合わせた霧島が撃ち放つと、爆発の衝撃でわずかに砲門の向きがずれた。

 そうして放たれた弾丸は北からくる凪と東地の艦隊へと向かっていくが、僅かなずれは遠くに行くほど大きくずれる。それでも飛来してきた砲弾が、隊の外側にいた艦娘らに当たりかけていたのは危ないところだった。

 中心で先陣を切っているのが凪と東地の一水戦だ。それに続くように二水戦や水上打撃部隊が航行し、その後ろに凪の秘書艦長門率いる主力艦隊が控えている。

 

「目標確認! あの黒いのがそうなのだろう。……南方棲戦姫もいるようだが、我らの力を合わせれば勝てない道理はない! 臆するな! 全軍、突撃する!」

「第二次攻撃隊の発艦を用意。慌てず、正確に放ちなさい。四つの鎮守府がここに集結しているのです。慢心せず、的確に攻めるように」

 

 トラック泊地の秘書艦である加賀が、呉鎮守府の空母達も纏めて指揮している。

 放たれる無数の矢が艦載機へと変化し、再度戦艦棲姫へと向かっていく。続くように水雷戦隊が突撃を仕掛け、深海棲艦の軍勢の腹を食い破るかのように、側面から一気に突き崩す。

 

「ソウデナクテハオモシロクナイ。活キノ良イ獲物ハ好キヨ。喰イ甲斐ガアルワ。出迎エテアゲナサイ」

 

 装甲空母姫の一人が突撃してくる呉の一水戦を迎撃する。タ級フラグシップやリ級エリートを伴うが、神通はそれらを見据えても揺るがない。「煙幕を」と指示すると、響が煙幕を発生させて一水戦の姿を隠す。

 それらは二水戦、トラックの水雷戦隊も同様であり、それぞれ煙幕の中に隠れて一気に距離を詰めていった。

 

「さっきの借りを返す時! みんな、呉に負けず続けぇー!」

「今こそ戦果を挙げる時よ! ここでやらずにいつやるの! 長良に続いて!」

 

 我先にと戦艦棲姫へと接近を試み、煙幕に身を隠しての突撃だ。戦艦棲姫も立ち上る煙幕に鼻を押さえながら、鬱陶しそうに目を細めている。

 戦艦としての一撃の重さは当たってこそ、だ。副砲は魔物の胴体に艤装として存在しているため、戦艦棲姫は魔物の腕へと跳躍して腰かけた。

 また魔物は大きく息を吸い、咆哮する。その衝撃によって風が巻き起こり、煙幕の一部を吹き飛ばしてしまう。だがその時には川内はそこまで接近していた。はっとして振り返れば、戦艦棲姫の背後に砲を構えた川内が跳躍している。

 その顔には煙幕の影響を受けないようにマスクをしており、まるで忍者のような風貌になっていた。

 

「落ちなさい!」

 

 主砲二基による集中砲撃。それらは戦艦棲姫へと直撃し、魔獣の腕から吹き飛ばされてしまう。だがうなじから伸びているチューブによって魔獣から完全に離れることは出来ず、急激にブレーキがかかって海面に急降下する。

 川内も滑るように着水し、離れようとしたようだが、魔獣の手が伸びて川内を捕らえる。その腕と背中へとトラックの一水戦のメンバーが魚雷を次々とぶつけていくのだ。だがそれでも魔獣は戦艦棲姫の恨みを晴らすべく、ぐぐっと川内を握り締め、勢いよく海へと叩きつけた。

 それだけでは収まらない。

 怒号を上げて胴体にある副砲が怒り狂ったように火を噴き、腕を振り回して背後にいる艦娘達にも攻撃を仕掛けている。

 前は副砲の砲撃を、背後は腕で闇雲に攻撃を仕掛けているのだが、その巨体から繰り出される攻撃というだけで脅威だ。暴走するように動くだけで被害を生み出してしまう化け物。

 川内を助けに行く島風や雷が振り回される腕によって殴打され、しかし雪風と霞が何とか川内を回収して離脱した。強く握られたせいか、腕や体の骨が折れているらしく、苦しげな表情をしている。

 殴打によって吹き飛ばされた島風と雷も同様らしく、体を押さえて苦しげだ。だが島風は自立して行動する連装砲が代わりに攻撃を仕掛けているが、しょせん駆逐艦の砲撃。そんなものでは魔獣が止まるはずもない。

 

「魚雷、一斉射! 攻撃の手を緩めないで!」

 

 煙幕の中から長良の声が響き、戦艦棲姫から離れるように緩やかなカーブで移動しつつ魚雷を放つ。特に長良と阿武隈は強撃を放っており、鋭い一撃が戦艦棲姫へと直撃した。

 魔獣の防御もない。これはいっただろう、と思えるには充分なダメージをたたき出したに違いない。

 

「――フ、フフフ……ヤッテクレル。デモ、コンナンジャア駄目ネ。シズマナイワ」

 

 魔獣にもたれかかりながら戦艦棲姫は肩を揺らして笑うのだ。

 これじゃあ足りない。自分を沈めるならばもっと攻撃を決めてくるのだな、と嘲る。

 煙幕の中に消える長良達を狙って魔獣の主砲が照準を合わせ、順次砲撃を開始する。姿が見えないが、戦艦の砲撃だ。一発の重みで当たらずとも至近弾で吹き飛ばそうという魂胆だろう。

 襲い来る弾から逃げる中、長良はその中を掻い潜って接近する気配を感じ取った。

 六門の主砲に交じって副砲の連続した砲撃の中を突っ切る馬鹿げた根性。殺意と怒りにまみれた魔獣の砲撃、それは確かに恐怖だろう。

 だが神通の回避訓練、長門と大和や空母を相手にした突撃訓練、何より南方棲戦姫との戦闘経験が彼女達を強くした。

 甲標的が先行して戦艦棲姫へと攻撃を仕掛ける。側面からの攻撃に魔獣の意識がそちらに向いた隙を狙っていくのだ。戦艦棲姫自身もちらりとそちらの方へと視線が向いた。

 ここを逃さない。

 煙幕に隠れたまま魚雷の強撃を複数叩き込んでやる。先程も受けたのだ。自己治癒が働いているだろうが、まだまだその命を削り取ってやる、という気概でぶっ放し、それらは見事に着弾する。

 

「ッ、ク……! マタ水雷カ……! イイ加減小賢シイワネ……ッ、グ……逃ガサナイワ」

 

 艦載機からの爆弾が降り注ぐ中、戦艦棲姫は神通達を追って動き出す。それを支援するように深海から護衛要塞が浮上し、先行して神通達を追撃していく。

 また煙幕の中に隠れながら逃げるが、護衛要塞もまた煙幕の中に飛び込み、砲撃と雷撃を放ってくるのだ。

 神通達も蛇行しつつ砲撃による反撃を行うが、戦艦棲姫は止められない。

 煙幕の奥に浮かぶ巨体の影。影だけだろうとその威圧感は凄まじい。

 浮かぶ影で位置は分かるが、魚雷でなければ駆逐や軽巡にとって大ダメージを与えるのは至難だ。それがどうしたとばかりにぐんぐん距離を詰め、絶対に捕らえるのだという強い意志を宿した赤い瞳が輝いている。

 充満している煙幕を抜け、戦艦棲姫もそれに続いたかと思うと、彼女に強い砲撃が浴びせかけられる。

 撃ったのは長門や大和といった戦艦達。

 じっと戦艦棲姫を見据えて次弾装填を行っている。そこに神通達が一度合流し、魚雷装填完了しながら対峙した。

 周りを見ればトラックの一水戦は一度入渠を行うために退避し、長良達二水戦は離れたところで体勢を立て直している。

 南方棲戦姫は相変わらずラバウルの主力艦隊と戦っており、足止めしているのはお互い様の状態。その戦いを淵上の佐世保艦隊が支援している状態だった。

 

「……やはりこいつも持っているのか? 自己治癒能力を」

「そうらしいわね。その力の気配を感じる。でもそれだけでは終わらないですね。この妙にしぶとい性格、性能? それでいてどこか懐かしいと感じられる気配。どうも私に縁があるものらしいですけども……まさかとは思うけど、お前、武蔵?」

「……フウン、ワカルモノナノネ。ソウイウ貴女ハ……大和? ナルホド、ソレナラバワカッテシマウモノカシラ。イカニモ、私ハ武蔵ノ残骸ヨリ作レシ存在。故ニ、ソノ程度ノ攻撃デハ沈マナイワ。私ヲ沈メタイノナラバ、モット魚雷ヲ持ッテクルコトネ」

 

 そう告げる戦艦棲姫の傷は少しずつ癒えているようだ。深海棲艦としての特異な力は彼女にも存在しているらしい。またチューブを通じて魔獣にまでその力はおよび、いくつもの攻撃を受けていたはずの魔獣もまた傷が癒えている。

 それを防ぐには深海棲艦の力を制御していると思われる場所を破壊しなければならない。

 

「やはりあの角が怪しいか?」

「ヘンダーソンと同じならばね。ただあれも短いわね。狙っていけるかしら」

「……一ツ、訊イテモ? 貴女達、呉ノ艦娘カシラ?」

「なぜそれを?」

「イエ、私達トシテハ呉ニハ借リガアルモノ。前回ノ大和、今回ニオイテハヘンダーソンモ含ムカシラ。死ハ恐レルモノデハナイケレド、借リハ返シテオカナケレバナラナイワ」

 

 その言葉に長門はちらりと大和を見つめた。

 戦艦棲姫の言う大和というのは、この大和の事だろうが、実質的には南方棲戦姫の事だろう。艦娘として転生した事は知らないだろうから、大和は完全には死んでいない。

 だが向こうとしては仲間を殺された、という借りを返さねば気が済まない、といったところか。

 

「私達の言う飛行場姫や南方棲戦姫というのは、あくまでもこちら側の呼称でしかないの。向こうとしては艦娘と同じで、元となったものを呼称します。南方棲戦姫は大和、飛行場姫はヘンダーソン、といった具合にね」

「ふむ。……で、向こうはお前の仇を討つみたいなことを言っているようだが?」

「戦う理由としては充分でしょう? でも、実際はそれらしい事を言っているだけで、兵士として私達を沈めたいだけだと思いますけどね。所詮、深海棲艦は艦娘を全て沈めたい、という目的が大部分を占めるのだから」

 

 大和としてはもう艦娘に転生して結構経つ。あれだけ心を満たしていた復讐心は蘇らず、普通に過ごしているのだ。深海棲艦に対しては特に思い入れはなく、艦娘の大和として対峙するのみ。

 そして普通に艦娘としての大和と同じく、丁寧な言葉づかいも混ぜてきている。時折南方棲戦姫の時のような言葉づかいになり、半々の口調で喋ることはあるが、交流する分には問題はない。

 こんな大和は深海側としては裏切り者になるだろうが、それを気にするような性格はしていなかった。

 こうなってしまったのは想定外だったが、今の暮らしに不満があるわけではない。問題がないのだから、それを壊す理由も離れる理由もない。恐らく艦娘としての最期を迎えるまで、大和はこの暮らしを続けるだろう。

 この日常が楽しく感じてきているのだ。

 そのためにも、この戦いを勝利で飾らなければならない。

 そして艦娘の大和ではなく、まるで南方棲戦姫の時のような空気を纏い、戦艦棲姫へとこう告げる。

 

「来なさいな、武蔵。姉の胸を貸してあげるわよ」

「フッ、上等ネ、大和。デハ沈ミナサイ、呉ノ艦娘達。冥府ノ呼ビ声ニ包マレテ眠ルガイイワ」

 

 今ここに、ソロモン海における最終決戦が繰り広げられようとしていた。

 

 

 




ここでは武蔵としていますが、夏のおケツさんはプリンスとレパルスなんでしょうね。


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戦艦棲姫2

 

 深山の空母から放たれた艦載機が、凪と東地の指揮艦へとやってきて手紙を置いていった。そこに書かれているのは、先に交戦して得られた情報と、戦艦棲姫と呼称するというものだった。

 それによって目標が戦艦棲姫である、という認識を共有する。

 そして長門から数人の艦娘達へと伝わり、それが凪にも伝わった結果、戦艦棲姫が武蔵である事も認識される。

 

「武蔵、か。なんとまあ出番の早いことで。……戦艦としての能力を高めているなら、そりゃあなかなか沈まないよね。となると――」

 

 少し考えた凪は通信機を手にして待機している艦娘に出撃を命じた。

 自己治癒能力を備えた武蔵となれば、容易に打ち破ることは出来ないだろう。かつての武蔵もなかなか沈まなかった逸話を持つ。

 やはり魚雷をたんと撃ち込んでやるか、鋭い徹甲弾をバイタルパートに撃ち込んでやるかぐらいしか道が見えない。

 そこまで持っていくための道筋。

 真正面からいっても今までとなんら変わりないだろうから、伏兵でも忍ばせておくとしよう。

 甲板から二人の艦娘が飛び込み、また発光信号を用いて東地に作戦を伝えると、了承と返事が返り、甲板から艦娘が飛び込んでいく。

 

「とはいえ、この策は一回ぐらいしかチャンスがないかもしれない。でも、そこから一気に突破口を開けば御の字。……成功を祈ろう」

 

 提督として出来るのは艦娘の育成と作戦考案。実際に戦うのは艦娘達であり、その時に提督に出来る事は無事であることを祈ること。そして撤退するか否かを見極めること。

 指揮艦に座し、凪は静かにモニターを見つめながら艦娘達を信じるのみ。

 

 長門は大和と並び立ち、じっと戦艦棲姫を見据えていた。

 大和だけではない。山城、日向もまた飛行甲板に瑞雲を待機させ、じっと隙を窺っている。前には水雷戦隊が並び立ち、榛名と比叡や重巡達も待機している。

 彼女達の左手にはトラック泊地の艦娘達が待機している。同じように戦艦が後方に、前には水雷戦隊が並び立つ。

 そして後方にはトラック泊地の加賀を旗艦とした機動部隊だ。

 二方向からの突撃体勢を前に、戦艦棲姫は不利を感じさせない佇まいをしている。護衛要塞、タ級フラグシップ、ル級フラグシップ、リ級フラグシップというもはやソロモン海においては恒例となりつつある顔ぶれ。

 後方にはヲ級フラグシップや装甲空母姫といった機動部隊が待機し、動き出すのを待っていた。

 

「オ互イ、戦力ハ出シタトミテイイノカシラ?」

「さて、どうかしらね。お前達はいくらでも下から増えるでしょう? なにかまだ、隠しているんじゃないの?」

「フッ、ソウネ。底ニハイクラデモ鉄ハアル。私ガソノ気ニナレバ、呼ビ出セルノハ否定シナイワ」

 

 でも、と戦艦棲姫は大和を見据えて妖艶に笑う。

 自身の前世は武蔵であり、目の前にいるのは姉の大和の艦娘だ。

 色々と思うところはあるだろう。彼女の一つ前の姿が、南方棲戦姫であることは知らずとも、大和と武蔵という縁は揺るがない。

 

「胸ヲ貸シテクレルノデショウ?」

「ええ」

「私ヨリ上ニイルト自負スルナラバ、ソノ証ヲ示シテミセナサイ!」

「……ふふ、思った通り、喰いついたわね。与えられたのは呉の艦隊を優先的に潰すこと。そこに私がいれば、よりこっちに意識が向くと思ったけれど、当たりね」

「大和、貴様……まさか?」

「あの策には囮がいるでしょう? 私がそれをやってあげるわ。どちらがより優れた戦艦だったのか。兵器としては興味の対象でしょう? 来なさいな。姉より優れた妹など存在しないことを教えてあげるわ」

「デハソノ命ヲ頂戴シ、コノ武蔵ガ大和ヨリ優レタ兵器、戦艦デアルコトヲ示シマショウ。同時ニ果タシマショウ、呉ノ二度目ノ壊滅ヲ。出合エ水雷戦隊!!」

 

 手を何度か叩けば、戦艦棲姫の呼び声に応えて深海の水雷戦隊が浮上してきた。その配置は艦娘達と同じく、ずらりと戦艦棲姫の前、側面をカバーする形となっている。護衛要塞も水雷戦隊に混じるように複数が前に出、艦娘の水雷戦隊と睨み合う形となった。

 

「目的ヲ果タス時ヨ。呉ノ艦娘達ノ命ヲ沈メナサイ。大和ハ、コノ私ガ狩ル」

 

 その命令に水雷組が一斉に装備を構え、目を一層輝かせた。

 それを前に艦娘の水雷戦隊もまた一斉に装備を構えた。

 

「相手しましょう。返り討ちにしてあげようじゃない。終わらせるわよ、皆の衆」

 

 主砲がゆっくりと戦艦棲姫へと照準を合わせる中で軽く髪を掻き上げ、その手をぐっと握りしめる。ばっと勢いをつけて前へと出すと、戦艦棲姫もまた同時に前へと手を出した。

 

「鎮めなさい!」

「沈ミナサイ!」

 

 その号令と共に両軍の水雷戦隊が突撃を開始する。続くように大和も囮役を務めるために微速前進しつつ砲撃を敢行。放たれた徹甲弾は戦艦棲姫を守りし魔獣の腕によって防がれ、戦艦棲姫の砲撃もまた大和の回避行動によって着弾せず。

 体や顔を反らし、被害は数本の髪を持っていかれるだけ。ふわりと髪をなびかせ、上等だとばかりに目を細めながら戦艦棲姫へと振り返る。

 まるでそれは小気味良い効果音を響かせながらかっと睨みつけているかのようだが、戦艦棲姫はそれがどうしたとばかりに胸を反らす。

 水雷戦隊も負けてはいられない。先陣を切って道を切り開かねばならないのだ。

 すれ違いざまに神通が砲撃を撃ち込み、しかしそれを掻い潜って体を張って止めにかかるチ級エリート。それに対しては振りかぶられた砲門による打撃を回避し、胸へと主砲を撃ち込んでのけぞらせる。その際に持ち上がったライドしている艤装の口から魚雷が覗かせるが、それすらも蹴り上げ、後ろに下がりながら魚雷を発射。誘爆を引き起こして撃沈する。

 その勢いを殺さないままに、砲撃の嵐から蛇行しつつ回避し、ぐっと加速して前進する。

 そんな神通に負けていられないのがトラック泊地の二水戦旗艦、長良。手にする15.5三連装副砲を連射しながら前進するも、トラック泊地の水雷戦隊もまた敵の水雷戦隊によって行く手を阻まれる。

 死を恐れぬ駆逐の群れが砲撃しながら距離を詰めてくる中、長良達も回避行動しながら前進前進、ひたすら前進。群れる駆逐や軽巡など、斬って捨てるのだとばかりに突き進むのだ。

 口から砲門や魚雷を覗かせながら飛びかかってくる駆逐。砲門ならば一瞬屈みこんで砲撃を躱し、その腹へと砲を突き付けて斉射。魚雷の場合は後ろへとやり過ごし、裏拳で弾き飛ばした。

 その時、前方でリ級フラグシップが複数立ちはだかる。やはりというべきか、ぐっと力を込めて魚雷の強撃を放ってきた。群れている深海棲艦の間をすり抜けるコースで放ってきたそれは、長良達の足を一瞬止めるには充分な存在感を放つ。

 足を止めたならば、攻撃するチャンスが生まれる。深海棲艦が一斉に長良達二水戦へと襲い掛かり、少しずつダメージを蓄積させはじめた。特にリ級エリートの砲撃が曲者だ。

 両手に二基の砲を構えて次々と砲撃を浴びせてくるのだ。魚雷発射管を消しての攻撃に、長良もたまらず後退する。だが勝負を放棄したわけではない。魚雷を投げつけ撃ち抜くことで目くらましをするかのように爆発を発生させる。そうして怯んだ隙に回り込み、リ級エリートへと魚雷を撃ち込んで撃沈した。

 

「まだ大丈夫!? いける!?」

「私は大丈夫よ!」

 

 少し離れた所にいる五十鈴達の様子を窺い、負傷具合をチェックした長良は、更に前進する事を選択。その後方にはトラック泊地の戦艦や重巡達だけでなく、治療を終えた一水戦が戦場に戻ってくるところも見えた。

 川内は大丈夫だろうか、と気にはなったが、それよりも少しでも敵を減らすことを考えることにした長良。気を抜いたら死ぬ。それは先程の川内の様子からもわかることだ。

 戦艦棲姫の意識は大和にしか向いていないが、周りはそうではない。タ級フラグシップやル級フラグシップが接近しようとしている水雷戦隊を押し返そうとしているのだ。

 呉鎮守府の三水戦、阿武隈率いる彼女達もまた何とか接近を試みていた。神通や長良達よりも練度は低いが、それでも彼女達なりに道を作っていた。

 煙幕を発生させて身を隠し、横っ腹を食い破るように魚雷を放つ。それらは次々とル級エリートやリ級フラグシップを負傷させるが、耐え抜いたリ級フラグシップが目を輝かせる。そこか、と煙幕の一点を見据えて魚雷の強撃を放った。

 それは煙幕の中を航行している阿武隈達を確実に捉え、その中の白露を吹き飛ばしてしまった。悲鳴を上げて海面を転がっていく白露。すぐさま阿武隈が「朝潮ちゃん、退避させて! 他の娘達はすぐにここから離れます、遅れないように!」と指示を出して加速する。

 聞こえてきた悲鳴に目を細めるリ級フラグシップ。捉えたな、と判断すると、次の魚雷を装填するまでの間に砲撃を行ってきた。共にいる駆逐もそれに参加し、阿武隈達へと追撃を仕掛ける。

 だが、煙幕を突っ切ってやってきたのは榛名達だった。

 続くのは比叡、鳥海、筑摩、木曾、村雨だ。榛名と比叡が先んじて砲撃を行い、続くようにして鳥海、筑摩、木曾が砲撃する。その連続した攻撃にたまらずリ級フラグシップらが撃沈されてしまった。

 

「砲雷撃戦、始めます。突撃!」

「主砲、斉射。始めぇ!」

 

 空いた穴を穿つように榛名達が切り込んでいく。白露と朝潮が指揮艦へと退避し、残った四人で三水戦も榛名達に続いていった。押し返すのはタ級フラグシップ、ル級フラグシップ。それに加えて後方からヲ級らの艦載機が飛来してきた。

 艦載機を処理するために村雨と木曾が対空砲と機銃で処理し始める。後ろからついてくる三水戦も同様に対空砲撃を始め、艦載機を迎撃していくが、艦爆や艦攻の攻撃が襲い掛かってくる。

 側面からやってくる魚雷、頭上に落ちてくる爆弾。飛行場姫が健在ならばこれ以上の攻撃が飛来していただろう。やはり潰しておいて良かったと感じられる。

 もちろん艦娘側の艦載機も負けてはいない。山城、日向から発艦した瑞雲、空母達の艦載機がヲ級らの艦載機と交戦。補給した事で飛行場姫との戦闘で失われた分は回復している。飛行場姫の大量の艦載機を警戒しないのだから、いつも通りの空戦を行えばいい。

 そうすれば問題はない。ヲ級らの艦載機の攻撃を掻い潜り、味方を巻き込まないように艦攻と艦爆が護衛する深海棲艦へと攻撃していく。

 だがやはり敵の空母達を潰しておかなければならない。

 熟練の空母がそれを担う。特に装甲空母姫という姫級は潰さねば、と率先してトラックの加賀が艦載機を突撃させていった。

 

「デハ、仕掛ケナサイ。調子ヅクノモココマデヨ」

 

 刹那、急速に深海から複数の気配が浮上してきた。戦艦棲姫まであと少し、というところで接近してきたそれらは、海から飛び出して榛名達へと噛みつきにかかっていく。

 腕や足、体へと喰らいつき、動きを止めてから他の何かが砲撃や魚雷を放ってくるのだ。

 さすがに旗艦である戦艦棲姫周囲の防備は抜かりないようだ。だがその策は敵陣であろうとも放ってくる。戦艦棲姫と撃ち合いながらゆっくりと前進している大和の下にも駆逐が迫っていく。

 それを感知した大和は飛び出してきた駆逐イ級の頭を鷲掴みし、ぎりぎりと握りつぶしながら勢いをつけて海に叩き落とす。水上ではなく、下からの奇襲ではあるが、そのやり方は深海棲艦ならではのもの。

 大和は元深海棲艦であるが故に、その攻撃手段は想定の範囲内であるがために容易に対処できた。次々と喰らいついてくる駆逐達を気配で先読みし、裏拳、蹴り、フックと対処していき、怯んだところを副砲で吹き飛ばす。

 

「小賢しい。こんなものでは、私は落とせないわよ、武蔵? ……ふっ」

「デショウネ。ッ、ク……私トテ、コレデ貴女ガ落チルトハ思ッテイナイワ。所詮コレハ貴女ノ動キヲ止メルタメノモノ」

 

 言葉を交わしている間も二人は主砲を撃ち続けている。それをお互いが回避し合い、あるいは着弾し合っているのだ。何度も撃ち続けていれば精度も良くなってくる。被弾によって己が傷つこうとも、二人は笑みを絶やすことはない。

 その肩や腹を撃ち抜かれても、だ。ぐっと力を込めて徹甲弾を吐き出し、強引に傷口を閉じて止血する。じくじくと痛みがはしるが、それを顔に出すことはない。

 垂れ下がった前髪から覗く目はまるで昂ぶりを抑えきれない獣や戦士の如く。艦娘としての大和では、恐らく見せないようなギラギラとした戦意が宿っている。

 やってくれるじゃない。

 なかなかやるじゃない。

 そんな意味が篭った笑みである。相手が強力な存在であり、そしてその実力を認めているからこそ浮かんでくる笑み。苦しむ顔など見せられるものか。不敵な笑みを相手に見せつけ、自分は負けていない、何としても勝ってみせようじゃあないか。そんな気持ちを表に出し続けながら戦ってやる。

 

「もっと来なさい。その程度じゃあこの大和は沈まないわよ」

「貴女コソソレデ勝ッタツモリデイルンジャアナイデショウネ? コノ武蔵、貴女達ノ攻撃デハ沈マナイ事ヲ証明シテアゲルワ」

 

 戦艦棲姫の言葉に魔獣もまた咆哮して応える。

 再びお互いが勢いよく前へと手を薙ぎ、砲門が火を噴いて徹甲弾を撃ち放った。

 

 

「ラバウルからの発光信号です。『一気に攻め立てる』との事です」

「了解。向こうの様子はどうなっているの?」

「えっと……呉の大和と戦艦棲姫の撃ち合いのようですね。そうして側面から水雷戦隊や戦艦、空母達による攻撃が行われています。ただ、決め手が届いていないようで……まだ戦いは続きそうです」

「そう。なら、ここで決着をつけ、向こうの支援をしなければいけないわね。……龍驤、補給は?」

『今、完了したで。いつでも出撃出来る状態や』

「あれらにとどめを刺させるため、南方棲戦姫の体勢を崩せるような艦攻を。たぶん、那珂が合わせてくれると思うけど」

『せやなぁ。いっつもあんな感じやけど、出来るこたぁ出来るやろな。なんだかんだで付き合い長いし。任せときぃ。千代田と共に、突破口切り開いたるわ』

「期待してる」

 

 通信を終えると早速彼女達は出撃していき、南方棲戦姫と戦う仲間達へと合流していく。

 

「Burning! Fire、fire! 攻撃の手を緩めてはいけまセーン! ここでKillしマース!」

「佐世保の艦隊に負けないように! 私達もここを凌ぎきる意地を見せる時よ!」

 

 佐世保の金剛、ラバウルの陸奥が戦艦ら主力艦隊を鼓舞している。放たれる戦艦の砲撃に、南方棲戦姫やル級、タ級らも反撃するが、その場に縫い止められていた。動けないならば水雷戦隊にも攻撃のチャンスがある。

 

「このステージもいよいよフィナーレってね! アンコールは受け付けないよぉ! さあ、みんなも笑顔でラストダンスを踊り切っちゃおう!」

「む? 那珂、千代田達の艦載機だ。っと、なになに? そのまま止め、可能ならば崩せ。間もなくに補給済の主力が到着する、とのことだとよ」

 

 艦載機の妖精から落とされた手紙を読んだ木曾がそう報告する。それを聞いた那珂が唇に指を当てて少し思案し、離れた所にいる二水戦の龍田へと視線を向けた。

 潜水艦狩りを終えてからは、時折周囲を護衛している敵艦を処理していた彼女達だったが、那珂は一つ案を思いついたらしい。龍田へと発行信号を放ち、龍田もそれを了承するように返答する。

 

「二水戦の龍田ちゃんと共同でやるよぉ! みんなー、那珂ちゃんにしっかりついてくるんだよ! 陽炎ちゃん、煙幕!」

「はい!」

 

 立ち上る煙幕の中に身を隠しながら、一水戦と二水戦が二手に分かれて挟み込むように南方棲戦姫へと接近。戦艦達は次弾装填のために砲撃はやんでいる。その空いた時間を利用して両者が接近を試みているのだ。

 南方棲戦姫も近づいてくる煙幕と水雷戦隊に視線が動く。今の彼女は「敵は沈めろ」という単純な使命で動いているに過ぎない。その敵が近づいてくるならば、意識がそちらに向くのは道理。

 両腕に構えし副砲が煙幕へと向けられるが、一水戦と二水戦は高速で南方棲戦姫の周囲を回っていく。何度か副砲が火を噴くも、着弾した様子はない。逆に煙幕から放たれた魚雷が南方棲戦姫の足に直撃し、ぐらりと体勢が崩されてしまう。

 それでも撃沈したわけではないので、すぐさま南方棲戦姫は立ち上がろうとするも、右腕の艤装へと次々と砲撃が浴びせられる。一発一発は大したことのない軽巡、駆逐の砲撃であろうとも、積み重なれば砲塔は耐えきれなくなってしまい、ついに爆発を起こした。

 それによって大きく体勢が崩れた瞬間を狙い、千代田と龍驤の放った艦載機が攻撃を仕掛けた。

 気づいた時にはもう遅い。流星改から放たれる魚雷、彗星一二型甲から落とされる爆弾。時間経過によって晴れていく周りの煙幕だがまだ薄らと残っている状態。しかし艤装の爆発が目印となり、正確な狙いをつけての攻撃が行われた。そんな優秀な艦載機達による攻撃に狂いはなく、致命傷を与えて去っていく。

 

「オノレ……!」

「追撃するよ! 突撃!!」

 

 衣笠の声がかかり、重巡率いるラバウルの水雷戦隊が二手に分かれて正面から南方棲戦姫へと魚雷を発射。足を狙った攻撃が一気に襲い掛かるのだ。

 今までは体を狙ってダメージを積み重ねるものだったが、とどめを刺すために足を狙う事で逃げる事を封じ込める。反撃しようにも艤装がぼろぼろの状態ではままならない。

 何も出来ず、ただただ集中砲火を受け続けるしかできなかった。

 

「グ、グゥ……! マダ、マダ私ハ――」

「――いいえ、終わりよ」

 

 艤装も含めた体の重みに耐えきれず、横倒しになる南方棲戦姫に陸奥の声がかかった。

 

「終わらせてもらうわ。全砲門、開けッ!!」

 

 命令と砲撃音をソロモンの海に響かせる。

 扇状に立つ戦艦による集中砲撃。守るはずのル級やタ級らもラバウル艦隊に沈められ、南方棲戦姫もまた限界を迎えた。防御する余裕もない中での徹甲弾によるダメージは耐えきれるものではない。

 また陸奥の放った徹甲弾がぼろぼろの右腕の艤装にとどめを刺したらしく、爆発によって体から千切れ飛んでしまった。腕と別れを告げながら、南方棲戦姫は緩やかにその身を深海へと沈ませていく。

 

「……撃沈、確認。負傷者は治療を。健在な人はこのまま戦艦棲姫を叩きにいくわよ!」

 

 佐世保艦隊とラバウル艦隊を足止めする役割を担っていた南方棲戦姫。それが崩されたことにより、一斉に戦艦棲姫へとなだれ込むだろう。

 しかし戦艦棲姫との戦いは、陸奥達の戦いの最中に犠牲者を生み出していた。

 

 



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戦艦棲姫3

 

 事の始まりは指揮艦から放たれた艦娘。気配を殺し、静かに戦艦棲姫へと接近を試みていた二人、伊168と伊58である。

 深海棲艦の駆逐級が海の中から飛び出して奇襲を仕掛けるように、この二人もまた海の中でひっそりと敵へと接近し、奇襲を仕掛ける役割を担った。時折仲間の艦娘へと下から駆逐級が奇襲を仕掛ける様子を尻目に、気づかれないままゆっくり、ゆっくりと魚雷を放つ位置を探る。

 その水着が下から見ても海の色とあまり変わらない事と、気配の殺し方を学ぶことで、ヘマをしなければそこにいるとは気づかれない。何とか位置を決め、魚雷を放つ機会を待っていたのだ。

 そんな中で大和は囮役を続行し、戦艦棲姫の意識を自分へと引きつける。トラック泊地からも二人の潜水艦娘が来ているはず。それぞれが奇襲を仕掛け、戦艦棲姫を混乱に貶めた後に一気に勝負を決める魂胆だ。

 

「威力落ちてきてない? そんなんで私を沈められるとでも?」

「安イ挑発ダワ。補給ノタメニ一々戻ル貴女達トハ違ウノヨ。私ニトッテ、ソレハ僕達デ賄ワレル」

 

 ぐっと右手を握り締め、ばっと薙ぎ払えば護衛についた数隻の駆逐級が赤い煙を吐き出し始める。それらは戦艦棲姫へと吸い込まれ、溶けていった。それと引き換えに駆逐達は静かにその身を横たえて沈んでいく。

 やはり赤い何かが彼女達にとっての力の源なのだろう。溶け込んだ力はチューブを通じて魔獣にも満たされていき、心地良さげな声を漏らしている。

 今だ、と伊168達は感じ取った。

 補給によって気が抜けたこの瞬間こそ狙い目。準備を終えている魚雷らを顕現させ、艦娘と妖精の力を込めた一撃を撃ち放つ。それらは真っ直ぐに戦艦棲姫へと吸い込まれていき、人型と魔獣両方に着弾する。

 

「――ッ!? ナ、ナニ……ィ!?」

 

 水雷戦隊からではない魚雷攻撃を受け、初めて戦艦棲姫に明らかな動揺が生まれた。それを見逃さず、神通率いる呉一水戦が一気果敢に突撃する。護衛する護衛要塞やタ級達に目もくれず、戦艦棲姫の首を取りに行くかの如く接近し、主砲と魚雷を放って追撃するのだ。

 潜水艦の魚雷の直撃によって体勢を崩している戦艦棲姫に躱す術はない。余裕を見せていた微笑は消え去り、息をのんで迫りくる魚雷を見据えている。

 だが魔獣の腕が一発を除いて魚雷を受け止め、しかしついに耐え切れずに魔獣の左腕が吹き飛んだ。止められなかった一発も戦艦棲姫へと直撃し、衝撃によって後ろに飛ばされ、魔獣の体に打ち付けられてしまった。

 とどめを戦艦達に任せるために神通達が戦艦棲姫から離れようとした時、魔獣は失っていない右腕を伸ばした。その太い手は夕立を捕らえ、ぐっと強く握りしめる。苦しげな声を上げる夕立を見た長門達は思わず攻撃するのを止めてしまった。

 

「――ソレガ、貴女達ノ弱サ。仲間ノ死ヲ恐レル貴女達ダカラコソ、コノ状況デ私ニトドメヲ刺セナイ……!」

 

 魔獣がギリギリと夕立を締め上げる中で、戦艦棲姫は再び回復を試みる。その代償として、たらり、と一筋の血涙が流れ落ちたが、それを気にするそぶりはない。

 捕らえられている夕立に誤爆してしまえば、一気に彼女の命を奪いかねない。そんな躊躇の時間が戦艦棲姫に攻撃の時間を与える事となる。

 主砲が旋回し、大和や長門へと砲撃を与え、一気にダメージを与えてきた。だがその痛みで決心したのか、大和が堪えながら反撃の砲撃を放った。それらは魔獣の顔や肩にある主砲に着弾したが、回復し続ける彼女らにとっては少量のダメージにしかならない。

 その隙に神通が夕立を救出するために反転してきた。魚雷を二本手に取り、右腕へと投擲し、主砲で撃ち抜いて爆発を意図的に起こす。その爆風で腕を吹き飛ばそうとしたようだが、足りない。後から続いてきた綾波、響、雪風も同様に魚雷を投げつけて爆破させることでようやく腕が体から吹き飛び、夕立が解放される。

 何度も何度もそうやられては戦艦棲姫の意識も神通達へと向けられるだろう。逃がすな、と指示を出そうとしたところで、背後に回った北上が必殺の魚雷を撃ち放つ。

 が、それは戦艦棲姫には見破られていた。

 先程から神通達一水戦の動きには注意していたらしい。にやり、と彼女からは見えていないはずの北上の動きを予測し、それが的中した事に思わず笑みが浮かんだようだ。

 

「北上……貴女ハ脅威ダワ。ダカラ、備エタ」

 

 必殺の一撃は、魔獣には届かない。

 護衛要塞が浮上して肉壁となり、代わりに受け止めたのだ。雷巡としての切り札といえる攻撃が止められたことに、僅かな動揺が生まれた事が隙となる。

 吹き飛んでいった魔獣の左腕の陰から飛び出す二つの影。リ級フラグシップとリ級エリートだ。リ級エリートが前に出て砲撃を仕掛け、リ級フラグシップはその後ろからあの魚雷の強撃を放つ。

 まずい、と回避しようにもリ級エリートの砲撃が逃げ道を塞いでいく。そうして北上の背後から魚雷が迫り、直撃した。

 

「自身ノ必殺ノ一撃ヲソノ身ニ受ケル気分ハドウカシラネ? ソノママ、沈ムトイイワ。……貴女達モ、イイ加減目障リヨ」

 

 脇腹に移動しながら戦艦棲姫は勢いよく手を前に出す。魔獣の胴体にある副砲が次々と火を噴き、神通達へと襲い掛かる。その様子を見ながら戦艦棲姫は薄く笑う。

 

「コノ状況、覆ルコトハナイ。私ノ敗北ハ濃厚ネ。デモ、ソンナ私デモ出来ルコトハアルワ。貴女達ヲ一人デモ多ク沈メルコト……! ソレガ兵器トシテノ私ノ役割ヨ!」

 

 南方棲戦姫という足止め役は失われた。佐世保艦隊、ラバウル艦隊も間もなくこちらに合流してくる。となれば、四艦隊による集中砲撃を受ける事となり、数の有利も失われて敗北してしまうのは確実。

 後方にいるヲ級フラグシップをはじめとする機動部隊も、ここまで前に出られた水雷戦隊によって壊滅へと追い込まれてしまっている。まだ艦載機を発艦させて抵抗はしているが、それも出来なくなるのは時間の問題だろう。

 負けるのが分かっているならば、おとなしく敗北を認めて死ねばいい、という思考にはならないのが彼女達である。

 どうせ死ぬならば、一人でも多く道連れにしてやる。まずは夕立、次に北上。この調子で沈めてやろうではないか。

 トラックの一水戦が援護に来るも、砲撃しながら戦艦棲姫は回復を試みる。とりあえず優先したのは両腕だ。ここを修復し、回避し続ける神通らを捕らえるのだ。

 その様子を、何とか吹き飛ばされた右手から抜け出した夕立は、苦しげな表情を浮かべながら見ていた。あの剛腕に握りつぶされていたために、全身に痛みが走っている。響が何とか右手から引きずり出してくれたが、立ち上がるのも辛い。

 

「大丈夫か、夕立」

「……ちょっと、きついっぽい」

「すぐに指揮艦に連れていくから」

 

 響が肩を貸してくれるが、そんな響へと砲撃が飛来した。咄嗟に夕立を庇うようにした響に直撃したそれは、彼女を容易に吹き飛ばす。「響ちゃん!?」と夕立が叫ぶが、立っていられず自分も倒れてしまう。

 撃ったのは護衛要塞だ。口から三連装砲を射出しており、次弾装填している様子。

 見れば、修復された両腕を振り回し、強引に海を荒げながら魔獣が暴れている。そうして周りを航行する水雷戦隊のバランスを崩し、砲撃や打撃を繰り出しているらしい。

 こうなったのは誰のせいだ?

 自分だ。

 自分が捕まってしまったから犠牲が増えたのだ。せっかくのとどめの機会が失われたのだ、と自己嫌悪に陥ってしまう。

 

「捕ラエタ……! 呉ノ神通……! 貴女ハ水雷ノ中デモ士気ヲ高メル要因ニナル。……潰シテオカナケレバナラナイワネ」

「っ……く、長門さん、大和さん! 私に構わず、撃ってください!!」

「撃ツノ? 味方ゴト撃テルノ? 呉ノ長門、貴女ハ再ビ、仲間ノ犠牲ノ上デ生キ延ビルノカシラ!?」

「――――っ」

 

 その言葉に長門の脳裏にあの日の出来事が思い出された。

 そうだ、自分はかつての仲間達が囮を買って出、その犠牲の上で生き延びてきたのだ。その戦いの旗艦であった南方棲戦姫は、今では大和として味方にいるが、この海での仲間達の死は揺るがない。

 あの時は深海棲艦らによって死んだが、今度は自らの手で神通を葬りかねない砲撃をしろというのか? 

 あの日、共に生き延びた彼女を、自分が?

 

「――ダカラ、艦娘ハコウイウ時、弱イノヨ」

 

 躊躇は隙を晒す。戦場においてそれは致命的だ。

 容赦のない砲撃が長門へと襲い掛かり、艤装の主砲が一基大破させられてしまった。戦艦棲姫の砲撃をまともに受け、本人もまた一気に大破させられだが、轟沈までいかなかったのは幸いだろう。すぐさま山城、日向がフォローしに行き、長門を庇うように前に立つ。

 

「……まったく、情けないですよ、長門。あの時私との戦いで見せた不屈の心はどこへ行ったのかしらね」

 

 ため息をつきながら大和は夕立と響に迫っていた護衛要塞を副砲で撃沈する。

 戦闘開始時には後方にいたのに、いつの間にやら夕立らのいる前線にまで出てきている。膝を折っている夕立を抱え上げ、響の下へと向かいながら軽く辺りに視線を巡らせる。

 前線だけあってぽつぽつと深海棲艦がいるが、トラックの水雷戦隊が処理し続けている。後ろにいる響も庇うように前に立ちながら、大和はじっと戦艦棲姫を見据えた。

 

「戦いに犠牲はつきもの。それでも犠牲ありきの勝利の味は苦いものでしょう。それが、知性があり、命の尊さを知る人間と艦娘ならではの感性、思考。……今の私ならば、理解できないこともないわ。それでもやらねばならないならば、私はその咎を受け入れますよ。私ならば、問題はないでしょう?」

「……大和、貴女、何ヲ……?」

「生憎と、覚悟を決めている女がそこにいるものでしてね。ならば、それを無碍にすることこそ恥じるべき。残念ね、武蔵。私にその人質は通用しない。私は責められようとも、嫌われようとも、その先に勝利があるならば、それを掴み取る事を選ぶわ」

 

 その言葉に反応したのは夕立だった。

 そして同時に思い出す。あの日、自分の中で対面した夕立の言葉を。

 選択の時はいずれ訪れる。

 悩み、迷い続けた先に、提督を泣かせることになるかもしれない、と。

 このままでは、神通が死ぬかもしれない。北上は向こうで多大なダメージを受けた。長門もさっき大破してしまった。そして自分もまたこのままだと死ぬかもしれない。

 力があれば、こうならなかったのだろうか。

 悩んでいる暇があれば、迷っている暇があれば、受け入れるべきではなかっただろうか。

 凪に嫌われようとも、あの姿となるべきではなかっただろうか。

 だが後悔しても遅い。仲間が死にかけたという現実は、容赦なく夕立の心を抉り取る。

 

 それでも、今からでも取り戻せるならば。

 

 逃げ続けてもどうにもならない。

 諦めることなど、出来るはずがない。

 大和は今こそ神通が捕らえられている中で戦艦棲姫へと砲撃を敢行するだろう。

 待ってくれ、と夕立はぐっと起き上がる。

 折れかけた心を震わせ、燃料をくべて燃え上がらせる。

 今こそ、先に進む時だ。

 

「――主砲、副砲――」

「――夕立、突撃、するっぽい……ッ!!」

 

 軋む骨など意に介さず、夕立は大和の前に躍り出る。その行動に大和と戦艦棲姫の意識が夕立へと向けられ、一瞬砲撃が遅れた。艤装の煙突から白煙が吐き出される中、うっすらと夕立の体が白く光を放ったような気がする。

 白煙は今までと違って小さな規模だ。彼女の姿とその周辺を小さく隠す程度。それでは夕立がどこへ進むのかわかってしまう程だ。

 それでは完全に自分を囮にしているのがわかってしまう。その間に大和が砲撃しろ、とでも言っているのだろうか。

 戦艦棲姫は満身創痍の夕立に何が出来る、と彼女から意識をそらした。

 それよりも大和という驚異に備えた方がいい。神通を握り締めている魔獣の手を前に出し、大和へと砲撃を仕掛けるのだ。

 大和も夕立が一瞬だけ自分に意識を向けさせたのだろう、と判断し、戦艦棲姫が砲撃する前に先手を打って砲撃する。

 砲弾は神通よりも高く、魔獣の頭部や肩の主砲へと着弾。長門がそうであるように、主砲が一基大破させられる。それだけでなく、伸ばされている腕にも着弾し、修復された腕が再び千切れ飛んで神通が解放された。

 宙を舞う手と、手から離された神通。それを回収する小さな影。

 それは白いマフラーを揺らしながら跳躍しており、艤装から赤黒いものを複数射出した。それらはまるでロケットのように火を噴きながら宙を駆け抜け、戦艦棲姫へと襲い掛かっていく。

 大和へと砲撃した事で硬直した戦艦棲姫。また今まで見た事のない攻撃だったために、まともにそれを受けてしまった。

 

「キャァア……!? ナ、何……!? ッ、ナニィ……、誰、貴女……!?」

 

 着水した彼女は神通をそっと綾波へと託しながら戦艦棲姫へと振り返った。

 じっと戦艦棲姫を見据える瞳は炎のように赤く、たなびく髪は毛先が桜色に染まっている。先程放ったものは魚雷なのだが、そこには瞳や口が存在しており、生き物のよう。

 艤装のハンモック、首に巻いた白いマフラーを静かに風に揺らし、手にしている10cm連装高角砲を構えながら、彼女――夕立改二は「――あたしが招いた事態だもん。あたしがしっかり、尻拭いしないとね」と呟いた。

 煙幕の中で彼女は己の中に開いた扉の先にある力を受け入れたのだ。

 先送りにしていた改二改装、それをこの場でその身に適応させた。それによって負傷していたはずの体は改装によって治療されている。よって体に痛みは感じない。

 だが心の痛みはまだ残っている。負傷者を増やしたという責任感からくる、じくじくした痛みをも受け入れ、夕立は自らの手で終わらせてやると戦艦棲姫へと告げるのだ。

 成長した彼女の姿の中にある面影から、戦艦棲姫も夕立なのだと認識すると、ぐいっと口元の血を拭いながら笑みを浮かべた。

 

「フフ、夕立、カ……。サッキマデ折レテイタ貴女ガ、私ノ前ニ立チハダカルト!?」

「決めるのはあたしじゃないかもしれないけど、それでもあなたを止める事はあたしでも出来るっぽい」

「言ウジャナイ、駆逐艦ガ……! コノ武蔵、貴女程度ノ力デハ揺ルガナイワ!!」

 

 副砲が次々と撃ち放たれ、夕立はこの弾幕の中を掻い潜って戦艦棲姫に肉薄していく。神通は綾波の手によって下がらせ、着弾はしていない。トラックの一水戦、川内率いる艦娘達の影、呉の四水戦である天龍達を視界に入れながら、夕立はひたすら前進。

 後方には大和が、その空には機を窺っている艦載機がいる。

 自分は一人ではない。

 だがそれでも戦いを長引かせ、負傷者を増やした責任はとらねばならない。沈めるまでは出来ないだろうが、それでも確かな戦果を挙げて失態をカバーしなければ。

 接近してくる夕立を止めるようにヲ級フラグシップから放たれた艦載機が襲い掛かってくる。だが高速機動によって全ての攻撃を置いていく。艦載機の攻撃に合わせるように戦艦棲姫は副砲を撃ち続ける。それすらも夕立は鍛えられた胆力と回避力を生かし、一、二発被弾するに留めてついに戦艦棲姫の目の前へと躍り出た。

 だが魔獣が怒号を上げ、その衝撃で夕立を押し返そうとしたようだが、心が奮い立っている夕立は止まらない。巻き起こる風に抗うように更に前へ。

 気合一閃。

 戦艦棲姫の腹へと左拳を突き入れ、下がった頭へと右手の砲を突き出して撃ち放つ。ゼロ距離からの砲撃ともなれば駆逐砲といえども小さなダメージにはならない。追撃を仕掛けようとしたが、魔獣が暴れだしたために後退するしかない。

 その暴れている魔獣へと攻撃を仕掛けたのは川内達だった。ぶんぶん夕立へと振り回される腕の範囲の外から砲雷撃を仕掛け、ダメージを与えながら注意をひきつけている。

 手負いの獣そのものである魔獣は唸り声を上げながら振り返る。そんな魔獣に更に追撃するのが天龍達だった。

 戦艦棲姫を守るものはもうほとんどいない。南方棲戦姫は落ち、装甲空母姫もまたトラックの加賀を主とした空母達によって撃沈されてしまっている。そうなれば、艦娘達の水雷戦隊が生きる。

 小さなダメージであろうとも、蓄積したものは戦艦棲姫の中に響いてくる。特異な力による反動も積み重なれば尚更だ。

 また遠方から艦載機が飛来し、戦艦棲姫への攻撃の手は止まらない。見れば佐世保とラバウルの艦娘達が合流しようとしているところだった。いよいよもって戦艦棲姫の不利は強固なものになっていく。

 副砲を回避しながら後退した夕立は天龍の近くまでいくと、「天龍さん、それ、貸してくれません?」と剣を示した。

 

「おぉ? これか? いいけど、まさかまた接近するつもりかぁ?」

「ん」

「おいおい、あんま無茶すんなよな? お前一人でどうにか……っておい!?」

「後で返すから、ごめんなさーい!」

 

 心配する天龍から剣をかっぱらうと、夕立は急加速して再び戦艦棲姫へ接近を試みる。手にしている剣を構え直し、少なくなってきた護衛要塞をすれ違いざまに斬り捨てる。

 その様子を大和は少し感心したように頷いた。

 

「自分のせい、という思い込みが、夕立をあそこまで突き動かすか。でも、一度火が付いた心は激しく燃え盛り、それを力と変えて奮い立ち、戦いに向かう。それもまた、艦娘の力。……あれだけ迷っていた小娘が、吹っ切れたらあそこまで変われば変わるものなのね。また一つ、学ばせてもらいましたよ」

 

 次弾は装填された。後はこれを撃ち放つのみ。

 戦艦棲姫へと接近する夕立が、きっと隙を作り上げてくれることだろう。

 大和の信頼を背に、夕立は苦い表情を浮かべている戦艦棲姫に剣を向ける。戦艦棲姫を守るため、魔獣がぼろぼろになっている腕を薙いでくる。

 それをスライディングで回避し、跳躍した夕立は戦艦棲姫へ剣を振り上げる。咄嗟に後ろに下がった彼女は刃から逃れることが出来たが、夕立は空中で前転しながら剣を振り下ろした。

 体を一文字に斬られた戦艦棲姫は悲鳴を上げて痛みにもがく。そんな中でも、彼女は目の前にいる夕立に怒りの眼差しを向けていた。

 

「コノ、コノ武蔵ガ、駆逐艦ナドニ……負ケルナンテ……! ゥ、ゥァアアアア!!」

 

 深海棲艦としての力を拳に集め、戦艦棲姫は夕立へと殴りかかる。彼女自身に艤装はない。そのため出来る事はその身を生かした格闘戦のみ。

 だが彼女から伸びるチューブという限界が存在する。

 戦艦棲姫が前に出ればその分チューブが伸びる。伸びきってしまえば、魔獣も前に進まなければ戦艦棲姫はそれより前へは行くことが出来ない。

 怒りのままに夕立へと殴り、蹴りを繰り出す戦艦棲姫。一発、夕立の頬を殴り飛ばしたが、ぎりっと歯噛みして夕立は反撃する。天龍から借りた剣が、一つ、また一つと戦艦棲姫へと傷をつける。

 主の危機に魔獣が吼え、主砲を夕立へと向けるが、しかし近くには主である戦艦棲姫がいる。このまま撃てば、彼女をも巻き込むのは必至。かといって副砲もまた位置関係上、戦艦棲姫に多く当たってしまうだろう。

 

「沈メナサイ! 私ヲモ巻キ込ミ、コノ目障リナ駆逐艦ヲ沈メナサイ!!」

「残念だけど、お断りっぽい」

 

 左手で右手の打撃を弾き、右手に嵌めている高角砲が戦艦棲姫の足を撃ち抜く。空いた胸へと天龍の剣を突き刺し、一気にねじ込む。声にならないうめき声をあげる戦艦棲姫から一気に剣を抜けば、血と一緒に赤いもやが噴き出してきた。

 最初に縦に斬られた部分も完全に治りきっていない中での突きは、戦艦棲姫自身にも計りきれなかったダメージを生み出した。咄嗟に回復しなければ、という生きるものならば持ちうる思考に流れたのもやむなきこと。

 死を恐れぬと豪語していても、それでも彼女は生命の危機に直面したとき、生きることを選択してしまった。

 攻撃でも防御でもなく、回復を選んだという道。

 それが無防備な彼女を作り上げる。

 川内達、天龍達、そして夕立も一気に戦艦棲姫から距離をとる。その際に夕立は後ろに飛びのきながらまた魚雷を撃ち放ち、戦艦棲姫の足を封じ込めた。

 はっとしたときにはもう遅い。満を持して、彼女らが決める時である。

 

「さようなら、武蔵。ただ兵器として命じられたまま動くより、強い意志を持つ者が戦場では勝つ。それを再認識した良い戦いでしたよ」

 

 夕立との戦いで魔獣からは離れてしまっている上に、最後の魚雷で足をやられた戦艦棲姫。

 呉の大和、ラバウルの陸奥らの戦艦の砲撃、艦載機らによる攻撃、更には潜水艦らの雷撃からは逃れることは出来ない。

 守るべき仲間は誰もいない。

 響き渡る爆音の中、戦艦棲姫の轟沈は免れないものとなった。

 魔獣もまた力尽きたかのように声を漏らし、横倒しになった後、ゆっくりと沈み始める。

 

(意志、我ラニ意志ナンテ必要……? アレニ与エラレタ命ニ従ウコトコソ、私達ノ存在スル証ダトイウノニ)

 

 沈む中で戦艦棲姫は大和を、夕立を見つめる。

 自分を沈めた姉と、満身創痍からの反撃を見せつけた駆逐艦。

 特に夕立の反撃は戦艦棲姫には理解出来ないものだった。あれは確かに折れかかっていたはずだ。それが何故、あそこまで自分に立ち向かってきたというのか。

 

(ソレモマタ強イ意志ニヨルモノ……? 意志ナキ兵器デアルコトヲ受ケ入レタ私達ト、意志アル兵器デアル艦娘トノ違イ……)

 

 再びその身は海の中へと落ちていく。

 戦艦棲姫にまた死が訪れるのだ。それを恐れることはない。深海棲艦は例え死しても再び蘇る。戦艦棲姫もまた体は死のうとも、魂までは死なない。また戦艦棲姫としてか、あるいは別の何かとなって蘇るだろう。

 だから死ぬその時まで、彼女は疑問を持ち続けることが出来る。

 どうして自分は負けたのだろう。

 どうして夕立は改二に変化し、恐れることなく立ち向かってきたのだろう。

 艦娘と深海棲艦の違いはなんだったのだろう。

 

(呉ノ艦娘、カツテノ敗北カラ、ココマデ成長シタノハ何故――呉ノ、提督……提督?)

 

 そういえば、と戦艦棲姫は自分の中にあるデータを遡り始めた。自分に与えられた情報は少ないが、その中に混ざっていた情報の中には、かつての南方戦において沈んだものも混ざっている。

 あの時沈んだ艦娘達の中には、深海棲艦となって戦いに出たものもいる。だが大半はその記憶はなく、お互いかつての仲間である事を知ることもないまま殺し合う。

 だがあの時海に消えたのは艦娘だけではない。

 先代呉提督もまた海に消えた。

 

(記憶ヲ消サレテモ、何ラカノ魂ノ名残ハ残ルモノ。……ヤハリ、アレハソウナノデショウ。私ノ中ニマデ、アレノ妄執ガ植エ付ケラレタノデショウネ)

 

 戦艦棲姫自身にもどういうわけか呉艦隊に対して思い入れがあった。ラバウルでもトラックでもない。遠方から来ているはずの呉艦隊に対して他の艦隊よりも意識が向いていた。

 作られたばかりの自分にそんなものがどうしてあるのか、と理由を考えれば、作り手であるあの深海提督の影響しか考えられない。

 薄れゆく意識の中で、戦艦棲姫はゆっくりと自らの中にある情報を凝縮する。

 次の自分があるならば、きっとあの呉艦隊へと借りを返してくれるだろう。そうでなくとも自分の経験は次の戦いに生かしてくれるはずだ。

 呉鎮守府に対して思い入れがあるならば、次も動かないはずはない。

 そうだ、次があるなら負けたくはない。いつか、いつかきっとこの借りを。

 

(何度デモ、私達ハ立チハダカロウ――)

「――マタ、逢イマショウ、大和」

「――――そうね。逢う時が来たとしても、私達は再び勝利を掴む。負けるつもりはさらさらないわよ、武蔵」

 

 海の中から聞こえてきたかのような戦艦棲姫の最期の言葉に、大和は静かにそう返した。

 そんな大和の下へと夕立達が集まってくる。その際に夕立は天龍へと借りた剣を返した。何度も戦艦棲姫を斬り、攻撃を捌いたせいなのか、所々傷がついている。「壊しちゃったっぽい?」と少し申し訳なさそうにする夕立だが、

 

「なに、これも艤装の内。修理すりゃあなんとかなるさ。それよりお前はどうなんだよ? なんか改二になってるけど、傷は大丈夫なのか?」

「大丈夫っぽい。改二になった時に、傷だけじゃなくて燃料とかも回復してるっぽい」

「そう。だとしてもよくもまああそこから突撃をしたものですね。いい根性していますよ、夕立。これもまた、神通の教育の成果?」

「んー……それもあるかもしれないけど、あたしは、あたしがヘマをしたから神通さんや北上さん達が傷ついちゃったから……。だから、あたしが、あたしがやらなきゃって思って……」

 

 ぐっと拳を握りしめながら夕立は答えた。改二によって緑から赤へと変化した瞳には僅かな後悔と、確かな戦意が滲み出ている。

 だがやはり後悔は拭えないようだ。

 同じ一水戦であり、共に戦った仲間にして教官である神通、そして北上、響の負傷。他にも負傷者はいるだろうが、夕立にとっては彼女達の負傷が心にきた。

 だからこそ余計に奮い立ったともいえる。悲しみを力に変え、折れた心を強引に持ち直して突撃してみせた。ある意味自己犠牲に近しいものだったろうが、結果的には良い結果になったのは良かったかもしれない。

 

「夕立ちゃん、大淀さんによれば、神通さん達は無事に治療を受けているみたいですよ。だいじょーぶです」

「……そう、良かった……うん、良かった……」

 

 戦っている時は頼もしい戦士だが、それが終わればただ一人の少女に戻る。それは改二になり、見た目が大人っぽく成長した彼女であっても変わらなかった。

 安心したせいなのか、涙が零れ落ち、それを拭う夕立を見つめながら大和は思う。

 自分達は深海棲艦に対抗するための兵器である、という考えはまだ変わらない。だが、目の前にいる夕立のような姿を見ていると、艦娘という存在は深海棲艦とは明らかに違うのだと改めて知らされる、と。

 彼女達は、そして自分もまた、人間のような「心」があるのだ。

 その「心」があるからこそ、強き「意志」が生まれる。

 それが時に力となって敵を打ち砕く要因になるのだろう。

 

「人と艦娘の力、か。……私もまた、あのような意志の力が宿るのかしらね」

 

 深海棲艦だった自分に、果たして彼女達のような心が宿るのだろうか。

 そんな事を考えている時点で、少なくとも心はあると言えるのだろうが、今の大和にはそれに気づくことはない。

 

 遠くから佐世保艦隊とラバウル艦隊が合流してくる。

 ソロモン海域の戦いは終わった。それを証明するかのように、先程からゆっくりと海は元の青さを取り戻しつつある。

 艦娘達は各々抱き合ったり健闘を讃え合ったりして勝利を実感している。潜伏していた伊168と伊58も海面に姿を現し、勝利を喜び合っている。

 長きにわたった南方海域の戦いは、これを以ってしてひとまずの終わりを迎えるのであった。

 

 




初対面や情報公開時 やべえ、どうするんだ。と思える威圧感。
矢矧事件以降 矢矧出してください、とSを取り続ける。意外と勝てるな、と慢心する。

そして悪夢が終わった当初は思いもしませんでしたね。
よもやこの人が、ここまでのイベント常連になろうとは。

今では好きですよ、戦艦棲姫。

でも、16夏E3ボス前ダブルケツはちょーっと頂けない。


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提督

 ラバウル基地へと戻った凪達は艦娘達を休ませ、美空大将へと報告しに向かった。

 指揮艦の中で入渠させ、基地の施設での休息。夜通し行われた作戦に彼女達の疲れもたまっているだろう。

 それは凪達も同じだろうが、実際に戦ったのは彼女達だ。深山に用意してもらった部屋で眠っていることだろう。

 深山の執務室で通信を行うと、しばらく経って画面の向こうに美空大将が映り込む。

 

『珍しいところから来たと思ったら、なるほど、貴様達か。そうして並んでいるという事は、良い報告が聞けそうね?』

「はっ。本日、ソロモン海域の平定に成功いたしましたこと、ご報告いたします」

 

 ガダルカナル島の飛行場姫、武蔵を模した戦艦棲姫の撃破。

 これによりソロモン海域に広がっていた深海棲艦の力が及んでいる証である赤い海はなくなった。

 あの後健在な艦娘と共にしばらく警邏を行ったが、深海棲艦が現れる気配はなかった。

 潜水艦娘らによる海の下の様子を探らせることもしたが、敵が浮上してくる様子もない。そして敵の本拠地と思われる場所も発見できなかった。

 可能ならば発見しておきたかったが、今回は運がなかったと諦めることにする。

 今回の戦いにおける消耗が凪達にとっても大きかったのがいただけない。夜通し戦ったというのもあるが、多くの艦娘が中、大破に追い込まれ、東地に至っては指揮艦襲撃も受けてしまった。

 轟沈がなかったという時点で運が良かったといってもいい。一歩間違えれば、凪達の中から轟沈してしまった艦娘がいただろう。

 飛行場姫との戦いにおける金剛達。

 戦艦棲姫との戦いにおける神通達。

 ラバウル艦隊も足止めによる消耗もあった。佐世保艦隊はあくまでも呉艦隊やラバウル艦隊を支援し続けた、というだけに留まったので、それほどの消耗はなかったが、しかし艦娘達にとっては厳しい戦いだったろう。このような異質な空気を漂わせる海での戦いは、精神的な消耗があったに違いない。

 それだけ、誰にとっても悲劇は訪れた可能性があっただけに、あの後長い時間あの海に留まり続けるのは避けたかった。

 何があったかを美空大将に報告すると、彼女は何度か頷きながら煙管を吹かせる。

 

「……良く、無事に帰ってきた。ご苦労であった。しかし、そう……敵は武蔵をも用意してきたのね。となると、以後の戦いにおいてその戦艦棲姫が再び使いまわされる可能性があるわけか」

 

 装甲空母姫や泊地棲姫という前例、そして今回は南方棲鬼から南方棲戦姫までもが立ちはだかってきた。ならば戦艦棲姫も、次またどこかで現れないという否定は成り立たない。

 飛行場姫においては、あれはヘンダーソン飛行場という場所に生まれた存在だ。他の深海棲艦とは違い、船ではなく土地に生まれた存在なので、使いまわされることはないのではないかと推測された。

 

「敵も強固な存在を作り上げる事が出来ている。となれば、我々もより一層練度を高めなくてはならないわね。今回の戦いについての報告書を求めるわ。敵を知らなければ対策は立てられないし、我々の次なる課題も立てられない。よろしく頼むわよ」

「はっ、承知いたしました」

「後日、貴様達の下に今回の作戦についての報酬を送るわ。とはいえその中の一つについては、海藤や東地にも言ったけど大型建造が可能な設備が必要となる事を伝えておく」

 

 通常の建造ドックではなく、大和のような大型艦を建造するために建造ドックそのものを改装し、規模を拡張させる。そうして完成した大型建造ドックが必要となるならば、やはり完成しようとしているのだろう。

 艦娘としての大和型2番艦、武蔵。

 戦艦棲姫の元となった艦が、深海棲艦に遅れて我々の下に生まれようとしているのだ。

 

「東地と深山、ソロモン海域は平定する事に成功しても、また奪取されては意味がない。貴様達の守りに期待するわ」

「ま、何とか守り通してみせますよ。でも守る戦いなら俺よりこいつの方が向いてるでしょうよ。なあ、おい?」

「……過度な期待はしないでください。今回の戦いで、あいつらの変化を感じた身としては、少々自信が薄れたんで」

 

 砲撃や魚雷の強撃という純粋な戦闘力の強化。

 倒しても倒しても湧いてくる、という深海棲艦の特有の現象も相まって、深山としては頭を抱えたい戦いだった。

 深海棲艦も変わりつつある。それを目の当たりにした戦いと言えるものだった。

 

「そう。ならば凍結していた新たな泊地の建設計画を進めましょうか」

「ん? 新たな泊地?」

「ええ。ショートランド泊地の建設計画があったのよ。でも知っての通り、ソロモン海域が深海棲艦の支配下におかれた。流石に敵の支配下にある海域に泊地は築けない。新人を送り込んだとしても意味はないもの。だからショートランド泊地については凍結された」

「……つまり、今回の作戦成功により、満を持してショートランド泊地が設立される、と」

「そうなるわ。……ブイン基地も、追加で計画しておこうかしら、とも考えてはいるけれどね。深山、貴様としても戦力増強は望ましいでしょう?」

「……可能ならば、欲しいところですね」

「とはいえ、1年も凍結していた計画。すぐに動けるわけではないし、送り込む提督候補も挙げねばならない。……後者に関してはもしかすると来年の卒業生から選ばれることになるやもしれないから、すぐには出来ない事も伝えておくわ。だからそれまでの間、何としてもソロモン海域を守りなさい」

 

 今回の勝利によって浮かれている暇はない。ここを守らねばならない、という新たな任務が与えられたのだ。しかしこれを果たすことが出来れば、ショートランド泊地の建設が進むというわけだ。

 

「守る戦いの方が性に合っているのでしょう? 深山。この任務、果たしてみせなさい」

「……はっ、承知いたしました。美空大将殿」

「海藤、東地、そして湊もご苦労であった。ゆっくり休み、気を付けて帰還しなさい」

 

 労ってくれる美空大将へ敬礼すると、返礼した後通信が切れた。

 モニターの前から離れ、ソファーにそれぞれ腰かけてお茶をいただく四人。ラバウルの大淀に淹れてもらったお茶もやはり美味しい。夜通し戦い抜いて疲れた体に染み入る美味しさだった。

 ふと、深山がコップを手に何かを考えているかのように瞑目している。しばらく逡巡していた彼は、意を決したように口を開いた。

 

「……一つ、頼みがある」

「おう、なんだ?」

「……数日でいい。ここに留まり、演習をしてもらえないかな?」

「ほう、珍しいな。お前さんがそういう事を口にするなんてよ。他人と関わらず、自分の世界に閉じこもるのがお前さんだっていうのに、どういう風の吹き回しだい?」

「……守るための戦い、それが僕の方針。でも、それだけではもう足りないようだ。君達の戦い方を学び、取り入れさせたい。今回はあまり活躍できなかったから、次の機会に備えるために、演習を行わせてくれないだろうか……?」

 

 深海棲艦は着実に戦力を増強させつつある。ラバウル基地周辺だけを守り続けていたラバウル艦隊は消耗戦を強いられたとき、強引に突破するだけの力を発揮出来なかった。

 一時後退し、少しずつ食い破っていくという受けの戦いをする事が多かったのだ。

 だが呉艦隊、トラック艦隊のような側面から一気に食い破り、かき乱していくという戦いを今回見ることが出来た。それはラバウル艦隊には仕込まれていない、攻める戦い。

 もし、また南方海域に強力な深海棲艦が現れた時のために、深山は今出来る事をしなければならないと思い立ったのだ。今までの彼ならば想像出来ない行動。それが深山を知る東地にとっては驚くべき変化だった。

 

「……活躍できなかった、ってこともねえだろうよ。戦艦棲姫との戦いの際、南方棲戦姫を足止めしてくれたじゃねえか。それだけでも、意味ある戦果だと思うぜ?」

「確かに。装甲空母姫に関しては普通に倒す事は出来ているけど、南方棲戦姫に関しては危ういところがあった。あそこで一緒に戦うって事になったら、乱戦になるのは必至。深山達が止めてくれただけでもありがたかったよ。俺達全員が協力し合ったからこそ勝利を得られたんだ。まったく活躍できなかった、というのは卑下し過ぎじゃないかな?」

 

 フォローする凪と東地だが、深山としては後から提督になった凪が大きな戦果を挙げている、という点が気になっているらしい。半年であそこまで鍛え上げたやり方を学びたいようだった。

 だがそう言うと、今度は凪が引き始める。

 

「いや……特にこれといった大きなことはしていないんだけどな。それぞれの艦娘ごとに向いている能力を見い出したら、それを伸ばしていく感じで……」

「……じゃあなぜあそこまでキレキレに攻めているんだい? あの水雷戦隊、どうかしているんだけど」

「回避の動きを仕込ませたからね。特に神通はほら、長門と一緒に生き延びた娘だからさ。二度と仲間を失うまい、と回避をこれでもかと仕込んで生き残らせる術を身に着けさせた。あと対空防御も結構仕込んでいたね。……で、それが終わったらその回避の力を生かして、突撃さ。長門達だったり、空母達だったりを相手取って、弾幕を掻い潜って攻撃する、って具合の訓練を――」

「――それだな」

「――それじゃあないか?」

「――それでしょ」

「…………これか。言ってて自分でもそうじゃないかと思い始めてきた」

 

 三人からの総ツッコミに、凪自身も頷くしかできなかった。

 神通自身も史実からしてなかなかに厳しい訓練を課していたという話もあるので、倒れるまでやらせないように、と言いつけていた。それは守っていたが、しかし確かな積み重ねが艦娘達にみられるくらいには成果を挙げているのは間違いない。

 ではトラック艦隊はどうなんだろうか。全員の視線がそちらに向くのは当然の流れだった。

 

「いや、うちはあれだよ。俺自身がそういう方針だからよ。攻撃こそ最大の防御ってな。影響受け合ってんのか、艦娘達も結構勝気になってるしな。澄ました顔で可能な限り敵を潰せ、みたいなことになってるし。……だからこそ飛行場姫の時はまだ続けようって感じになっちまって、最悪な展開になりかけたけどな」

 

 退くことも大事だが、少しでも相手の戦力を削る、という考えも悪いわけではない。

 また心が折れてしまえば戦いを続行する事も、退くために動くことも出来ない。扶桑による鼓舞は結果的にはあの時、金剛達を動かすことには成功していた。もしそれがなければ、蹂躙されていた可能性もある。

 また東地の性格も一部の艦娘に影響されている。金剛が如実にそれが表れているといえよう。キレた時に口調が荒くなるのがその一端だ。

 

「攻撃こそ最大の防御な感じって、やっぱりあっちでも見られた方針か?」

「ま、そんな感じさ。敵を駆逐し、さっさと戦いを終わらせる。……そのために向こうじゃ大型艦ばっかりやっちまってるけどな! はっはっは!」

「……あっち、とは?」

「ネトゲだよ、ネトゲ。帝国海軍の艦艇を操作して戦うってやつ。深山と淵上さんもやるかい?」

「……ネトゲ、ねえ……」

 

 深山が首を傾げ、教えてもらったタイトルをパソコンで検索し始めた。一方淵上はというと、あまり反応がない。ネトゲなんてしなさそうだ、と東地は思っているので、話題にすべきじゃなかったか? と少し焦り始めている。

 だが凪は佐世保で淵上がこのゲームプレイヤーっぽいんじゃないだろうか、と感じているので、いい機会だと訊いてみる事にした。

 

「淵上さんもやってるんだって?」

「え? マジで?」

「…………一応。暇つぶしやストレス発散に」

「マジかよ。じゃあ一緒にやろうぜ。俺、『East』でやってんだけど。あ、凪は『calm』ね」

「あたしは……『水門』です」

 

 その名前に、凪と東地は固まる。

 水門? 水門と言えば、何度か会敵した駆逐艦乗りのあの『水門』だろうか?

 あのゲームの中級プレイヤーならば、恐らくほとんどが知っている駆逐艦乗りといえよう。

 

「え? マジであの『水門』?」

「ええ、どの水門を示しているかはわかりませんけど、あたしは『水門』でやってますよ」

「……ああ、湊って、水門って意味があったな……。俺達と同じ、名前からのプレイヤーネームだわ」

 

 凪のcalm、東のEastという英語読み。そして湊の別名である水門。

 三人とも本名からのもじりでつけたプレイヤーネームという共通点。

 凪の指摘に、東地も納得したように頷いた。

 

「……しかし、こうして見る限りでは確かに海戦のシミュレーションといった具合だね。そんなに面白いのかい?」

「なかなかよく出来ているし、はまればいい感じだぜ。あと実際の深海棲艦との戦いに全部が全部生かせるわけではないが、それでも何らかのヒントは得られるかね。凪の登録したあの煙幕も、このゲームから持ってきたようなもんだし。なあ?」

「水雷戦隊としては、ちょっと欲しかったからね。事実、役に立っているよ」

「あたしとしてもありがたいものでしたね」

 

 今回においては金剛達の撤退支援や、戦艦棲姫に対しての奇襲に使われた煙幕。

 こうして上手く使えているならば、装備登録した凪としても嬉しい限りだ。なるほどな、と頷きながら深山は公式ホームページを眺めている。

 やがて「……わかった。登録するだけしてみるよ」とパソコンから離れた。

 

「……それで、演習についてはどうだい?」

「ああ、それに関しちゃ構わねえよ。せっかく四つの艦隊が集まってんだ。お互い得られるものは得て帰りたいところだろうよ」

「俺も異論はないよ。元々こっちに来る前までは佐世保で演習してたし、その続きが出来るからね」

「同じく。先輩方の胸をお借りしますよ」

「……感謝する。よろしく頼むよ」

 

 今回のソロモン海域においての戦いは、深山にとっては転換期といえる戦いだった。

 彼自身の閉じた世界を広げるための戦い。

 新たな艦隊練度の強化の仕方を学ぶ機会を得る戦い。

 参戦しなければこうはならなかっただろう。誘ってくれた東地に感謝せねばならない。深山は特に東地に対してゆっくりと頭を下げるのだった。

 

 

 ほの昏き海の底、そこに一人の亡霊が肩を震わせていた。周りにはイ級の頭部のようなものがいくつか転がり、近くには深海棲艦の装甲が机のようなものがある。そこには歯のようなボタンがずらりと並び、モニターらしきものと、複数のコードが伸びていることから、深海のパソコンではないかと思われる。

 目の前には戦艦棲姫だったものが横たわっており、彼女から抜き出した赤い珠を骨の手にしている。

 これには戦艦棲姫の情報が詰まっており、死に際に凝縮したものが珠となって形成されたものだ。それに触れているということは、亡霊にその情報が流れ込んでいるということである。

 

「呉……また、呉なのか……。失敗、また失敗、失敗失敗……!」

 

 戦場で何が起こったのか、戦艦棲姫にとどめを刺したのは誰なのか。

 その全てを把握した亡霊は、青白い瞳を激しく明滅させる。怒り、屈辱、そして困惑。様々な感情が入り交じり、骨の指がカリカリとフードをかきむしる。

 

「呉、呉……私は、私は……!」

 

 全てを把握したという事は、戦艦棲姫が思い至った亡霊の前世も把握したという事。

 記憶を失っていた亡霊にとって前世は不明である。だが深海棲艦の手先として動くという事は前世の事を考える必要はない。ただ深海の意志に従い、奴らのために動くだけの存在でしかないのだから。

 思い出された記憶。

 それはあの日、南方棲戦姫と対峙した戦いで指揮艦が沈んだ後の事。暗い海の底に、苦しみながら沈んでいくのだ。そこから意識が途絶え、気づいたら自分は深海提督として動いていた。

 南方棲戦姫の情報から南方棲鬼、南方棲戦鬼を作り上げ、ソロモン海域の支配領域を広げていったのだ。

 深海棲艦と敵対していた自分が、深海棲艦側で動いているという現実。だがこの亡霊は祖国に対する反逆を行っている事に関して疑念はない。深海棲艦を統べるものに従う事こそ当然のことなのだ、とまるで本能のように刷り込まれている。

 自分が先代呉提督であった事を認識しても、だ。

 

「不甲斐ないねえ、南方。一度ならず二度までも負けてしまったのかい?」

「っ……!? ちっ、誰かと思えば、中部か」

「おいおい、先代南方担当者に向かって舌打ちとは。しかも二度も失敗しておいてその態度はないんじゃないのかい?」

 

 声がした方を見れば、そこにはホログラムのようなものが浮かんでいた。イ級の頭部のような深海のユニットのモノアイから発せられる光が、別の深海提督の姿を映し出しているのだ。

 見た目としては南方と呼ばれた先代呉提督とあまり変わりない。

 フードをかぶっているが、骸骨の顔ははっきり見える。瞳は金色に光っている。先代呉提督と違うのは、顔の右半分の頬から顎にかけては肉が存在しており、表情がうっすらとわかるようになっている。

 黒い手袋をしている右手でそっと指さしてくると、

 

「君が死んだ後に就いた後任にしてやられているそうだね? 僕に負けた君とは違い、やり手なのかな? それとも、あの戦いを生き延びた長門と神通が上手く後輩達を鍛え上げたのかな? どちらにせよ、君にとっちゃあ屈辱だねえ。君が挙げられなかった成果を、後任が挙げているのだから」

「……そうやって私を辱めにきたのか、中部……! だが、私からもお前に言っておきたいことがある!」

「なにかな? 聞こうじゃないか」

「私はお前とは違う……! お前のような中途半端なものは作らなかった、という自負がある! 砲撃、雷撃、更には艦載機と無駄に詰め込んだものよりも、純粋に艦の能力を伸ばしてこその力だ! 大和以前のもの、お前が作り出したあれらは失敗作といえよう!!」

 

 大和以前のものというと、南方棲戦姫、泊地棲姫、装甲空母姫の事だろう。

 あれらは確かに砲撃も雷撃も艦載機を飛ばす能力が備わっていた。戦艦と呼べるようなスペックに、備わっていないものらを詰め込んだ存在だ。

 南方棲鬼、南方棲戦鬼という模倣の失敗作を見て疑念を抱いていた先代呉提督は、戦艦棲姫に関しては純粋な戦艦としての能力を底上げし、作り上げた。

 結果としてそれは成功したと言えよう。今回の戦いにおいては敗北したが、能力自体は南方棲戦姫を超えるものが出来上がっているのだから。

 しばらく無言の時間が続いたが、不意に中部と呼ばれた深海提督は口の端を歪めた。

 

「――そうだね? それに関しては認めるよ。君はとてもいいものを作り上げた」

 

 瞳を形作る金色の燐光も笑うように変化し、手袋が嵌められている両手を叩いて先代呉提督を讃える。その声色はとても穏やかなものだ。

 

「純粋な戦艦としての力を示す武蔵だけでなく、ヘンダーソンを新たな概念として作り上げた。後者に関しては僕にも出来なかった事だ。素直に僕はその成果を認めよう。戦いに敗北はしたが、君は良い成果を挙げたんだよ。これで僕は、僕達は新たな一歩を踏み出せるんだ」

「なに……?」

「――データを寄越せ、南方。君の成果は共有すべきデータだ。拒否は許されない。奴らを潰すために必要な戦力を作り上げるためのデータなのだからね」

 

 一転して威圧を込めた声で中部提督は告げる。

 ヘンダーソン飛行場という場所、施設とその周囲の怨念を取り込み、深海棲艦と化した飛行場姫。泊地棲姫と違い、純粋な陸上型の深海棲艦というのは深海棲艦としては初めての存在である。

 泊地棲姫を作り上げたのがこの中部提督ならば、先代呉提督の言う通りそれは失敗作。泊地を模した存在なのに、普通に海上を航行出来、魚雷も当たる。それでは純粋な泊地といえるものではなく、ただの艦としての深海棲艦だろう。

 だからこそ飛行場姫のデータを共有しろ、と告げるのだ。このデータを生かせば、これからは各地の基地、泊地などといった陸上深海棲艦を作り上げるための参考になるのだから。

 そうすれば深海勢力の力はより伸びる。つまりは深海勢力全体の得となり、南方の行った事はより勢力に対する貢献になるのだ。

 何を迷う事がある?

 どこに拒否する要素があるんだい?

 と、無言で手を伸ばしながら言外に催促する。それに抗える先代呉提督ではなかった。持っているデータを別のユニットに入力し、送信する。すると、ホログラムに映っている中部提督がユニットを操作し、データを確認した。しばらくそうしていた中部提督は何度か頷き、「無事、共有された。感謝するよ南方」とにっこりとほほ笑んだ。

 

「これで、僕の計画は停滞から抜けられる。そういう意味でも感謝するよ」

「……計画? 何をするつもりだ、中部」

「いやなに、かの悲劇を何とか生み出せないか、と少し前からやっているんだけどね。どうにもうまくいかない。空母の方は種は出来たが、島の方がどうもね」

 

 やれやれ、と首を振る中部提督。

 中部提督がいるのは太平洋だ。先代呉提督がソロモン海域の担当になる前は先代の南方提督だったのだが、現在は先代呉提督にその座を譲り、太平洋へと移籍した。

 普段あの広大な太平洋のどこに拠点を築いているのかは知らないが、なんでも米軍相手に小競り合いを続けているとのことなので、恐らくはアメリカ付近にいるのではないかと推測される。

 

「だが、君のおかげで上手くいくかもしれない。感謝するよ」

「……そうか。それは何よりだ」

 

 隠れて舌打ちし、「話は以上か? 私としてはここから離れ、移動したいのだけどね」と背を向ける。そんな背中に「ああ、ソロモン海域を奪還されたからかい?」とどこか面白そうに声がかかった。

 

「どこにいくんだい?」

「……とりあえずはフィジーあたりに身を潜める事にする」

「そうかい。……そういえば君は何やら興味深い力を付与していたね?」

「ああ、あれか? あれはもう使わない。あれを使っても勝てなかったんだ。意味のない、余計な力だったと判断する」

「ふっ、そうだね。死を恐れぬ深海棲艦の命を削り、ひたすら兵を使い潰し、自分の傷を癒す。深海棲艦とは艦の怨霊。その特性を生かし限定的ながらも無限に湧き続け、戦い続ける兵というのは艦娘だけでなく人間にとっても相手にしづらい。実に恐ろしい敵だろう」

 

 だが、と中部提督は指を振る。「実に美しくないし、面白くない」と否定した。ヘンダーソンに関しては素直に称賛したが、特異な力に関してはばっさりと切り捨てる。

 

「彼女らは死兵ではあるが、使い潰されるようなものではない。奴らは純粋に練度を高め、経験を積み重ねて挑んでくる。それに対し、我らはスペック勝負さ。その上戦いに出て死んでいく存在。だからそれを補うためにあのような力をつけたんだろうが、見ていて気持ちのいいものではないね」

「情があるとでもいうのか? 無意味なことを。私達も含めて、深海勢力はあれの意思に従うためだけの存在だ。我らにそんなものは不必要だろう?」

 

 深海提督は深海棲艦を統べるものにとっての手駒だ。沈んだ人間を何らかの力を用いて蘇らせ、記憶を奪い、意思を奪い、深海棲艦を作らせて使役させるという手駒。

 あれに従う事になんの疑念も抱かないが、かといって深海棲艦に対して情を持つという事は深海提督に意思があるようなものだ。奪われたものがどうして存在するんだ? と先代呉提督は問いかける。

 

「つまらないなぁ。だから君は負けるんだ」

「……なんだと?」

「確かに僕らは記憶は失われている。僕だって、生きていた頃はどうしていたのかなんて、あまり思い出せない。でもね、こうして海の底で過ごす日々の中でも、少しでも感じるものはあるさ。完全に僕らはあれの操り人形というわけではないらしい」

 

 そうしてホログラムは別のものを映し出す。そこにあったのは小さな少女だ。

 白髪の少女であり、傍らには焼け焦げた飛行甲板らしきものが転がっている。それを示した中部提督は、「可愛らしいだろう? 空母の種さ」と紹介した。

 

「ああして新たな子を生み出し、調整し、育てる。……そうしているとね、何かが湧き上がってこないかい? 君も提督をしていたんだろう? 感じるものはないのかい?」

「……いいや、何もないな」

「そうかい。よほど提督だった頃にいい思い出がなかったらしいね。……いや、僕だって提督をしていたかどうかは知らないけどね。ああして可愛らしい女を育てる、という事に対して感じるものがないとは。君は実につまらない人間だったらしい」

「私の事はいいだろう。それより、何が言いたいのかはっきりしろ。中部」

「――死兵だから、と最初から捨石にするかのような運用では負ける、と言っているんだよ。南方。いいものを見せてやろう」

 

 そしてまたホログラムのカメラの向きが変化した。中部提督を挟んで白い少女の反対側には、ヲ級が佇んでいる。だがそのヲ級は何かがおかしい。黄色いオーラを纏っているという事はフラグシップなのだろうが。

 はっとした先代呉提督はヲ級の左目に気づいた。

 ゆらゆらと青白い燐光が放たれていないだろうか、と。

 

「な、なんだ……それは?」

「これが、育成、調整の成果さ。どうやら艦娘も改のその先を見出したみたいだからね? 僕も少し出来ないかなって思ってさ。計画もどん詰まっていたから、こっちを進めてみたら――成功したのさ。これが、深海棲艦の改さ」

 

 ヲ級改フラグシップとでも言おうか。それを紹介する中部提督はどこか誇らしげだ。

 ホログラム越しでもわかる。ヲ級フラグシップを大きく凌駕する威圧感を感じるのだ。

 飛行場姫を生み出した先代呉提督を褒め称えていたというのに、自分はこんなものを生み出していたというのか? これでは、自分の貢献が霞むのではないか?

 まさか、最初からこのつもりだったのか!?

 ぐるぐると悪い考えが頭を渦巻き、青白い瞳が激しく明滅する。

 

「装備の調整、この子達の調整、育成……深海に堕ちようとも、僕達に出来る事は何も変わらないさ。小細工など不要。僕達の力で奴らを殲滅してこそ、だろう?」

「……っ」

 

 屈辱からか、先代呉提督はまた背を向けて歩き出す。もう話すことなどなにもない、とその背中が語っている。だが「――それと南方」と空気を読まずにまた中部提督が声をかける。

 

「以前から一つ訊きたい事があってね。せっかく記憶を取り戻したんだから丁度いい。君を殺した僕の事、恨んでいるかい?」

 

 正確には殺したのは彼が使役していた深海棲艦だろう。だがそれでも中部提督はその深海棲艦を束ねていた長として、先代呉提督と戦っていた。

 南方棲戦姫を作り上げたのは彼であり、ソロモン海域へと侵攻し、勢力を広げていたのも彼だ。それによって先代呉提督はソロモン海域を平定するために、いや、正しくは南方棲戦姫を討ち取って戦果を挙げるために出撃する事となった。

 

「――何を馬鹿なことを。さっきまで私は何故死んだのかもわからない状態だった。それにこれは戦争だ。いつ死ぬなどその時にならないとわからない。……そして、わかったからといって、それでお前を恨むなんてこともない。それに心がないのだから、そういう感情が浮かぶなどあり得ない」

「…………そう」

 

 恐ろしく感情が消えた相槌だった。「つまらないことを訊いたね。忘れてくれ」と言うと、どういうわけかホログラムが消えた。突然話しかけてきたかと思えば、さっさと打ち切ってくるとは。

 だが話が終わったならばそれでいい、と先代呉提督はユニットや生き残っている深海棲艦を連れてその場を離れた。

 心がない、と彼は言った。

 深海棲艦にとって心など、意思など存在しない。

 あるのは凝縮された怨念とあれに従うのみ、という精神だけ。そのはずだ。

 だがどうしてだろうか。

 じくじくと胸がかき乱されるこの不快感は。どうして自分は体を震わせているのだろう。

 敗北感、屈辱感。

 

「何故、何故私は……こんな痛みを感じねばならないんだ。戦果を、成果を挙げねば……、私は、私が存在する意味は……!」

 

 それは心があるからこそ感じるものだ。ひどく矛盾しているのに、彼はそれを認めることなく、静かに海底を移動していった。

 

 

「本当に、つまらない人間だ」

 

 通信を終えた中部提督はそう吐き捨てて白い少女を見やる。

 今の彼女に命はない。そこにあるのはただの器だ。それも完成された器ではなく試作品といえるものである。

 そっと髪を撫でてやる。試作品ではあるが、見た目としては良いものではないだろうか。中部提督の言う通り、可愛らしいものだ。

 そっとヲ級改へと手を伸ばせば、彼女は懐から一本の煙草らしきものを差し出してきた。

 火はない。ここは海底であり、そしてそれも煙草を模したものなので、ただ咥えるだけのものでしかない。

 

「意志なきものに強い力は宿らない。恨みだろうと悲しみだろうと、怒りだろうと。そういう力があってこそ、より力を発揮できるというのに。だからあんなつまらない力に頼るのさ。不甲斐ないね、南方」

 

 先代呉提督と違い、どうやら中部提督は深海勢力であろうとも心や意思があると普通に認めるようだ。南方棲戦姫を作り上げた時も、長門に対する強い恨みを持たせることで、強力な力を発揮させた。

 先代呉提督がそれに加えて特異な力を付与した事で、歪さが生まれ、敗北を喫する事となってしまったが、中部提督としては恨みの力は悪くはなかったのではないかと考えている。

 そして彼にとっても前世の記憶というものは曖昧だ。こうしてここにいるということは、海軍か何かに所属していたのだろうが、提督を務めていたかどうかはわからない。

 少なくとも先代呉提督、現在の南方提督よりも長く深海提督を務めているのは間違いない。だからこそ、だろうか。深海提督になって短い南方提督と違って、心というものが再び生まれているのではないだろうか。

 

「でも、ヘンダーソンという存在はありがたい。これで、かの悲劇の再現が出来そうだ」

「…………ヤル、ノカ?」

「いいや、まだその時じゃあない。やるとしても万全を期さなければならないからね。そうだな、試作品が必要だ。どこがいいかな」

 

 そう言いながらユニットに地図を表示させる。この太平洋において試作品が作れそうなのはどこだろうか、と中部提督はざっと見渡していく。

 同時に頭によぎるのは、先代呉提督の後任とされる提督の存在だ。

 一度ならず二度までも彼を下した人物。

 もちろん後任である凪一人の力ではない。どちらも東地をはじめとする友人達がいてこその勝利だろうが、中部提督にとってはどちらも後任が関わってこその勝利ではないかと踏んでいる。

 何せラバウル艦隊やトラック艦隊を相手にする際には、一進一退の戦いをしていたのだ。大規模な戦いとなった際に、呉からわざわざ出張し、勝利を収めてきている。そこには何かが関わっているんじゃあないだろうか、と中部提督は推測する。

 

「呉鎮守府より出張してきた提督の力、僕も見てみたいな。そういえばトラック泊地の提督とどちらの作戦でも協力関係にあったか。となると、それなりにトラックに近いところ……ここか?」

 

 目を付けたのは一つの島。

 そこでもかつては帝国海軍が戦闘していた場所だ。それにここにも陸上施設や滑走路があった。試作品を作るには申し分ない。

 ウェーク島。

 そうと決まれば早速次の計画を立てるとしよう。

 中部提督はうきうきした気分で作業に取り掛かることにした。

 

 

 




これにて3章終了です。

途中夏イベが挟まって遅れてしまい申し訳ないです。
イベは早々に終わりましたが、まるゆやプリンの回収に少し熱が入ってしまいました。

3章では戦姫大和の登場、夕立の改二云々、深山とそれぞれの変化がポイントでした。
深海棲艦から艦娘へと生まれ変わった大和。
深海棲艦と艦娘とは何が違うのだろうか、と感じる事。
一変してしまう改二を前した夕立のちょっとした悩み。
ラバウル基地という自分の聖域を守るだけの日々を脱却するきっかけを得た深山。
といった具合です。

そしてようやく出せたのが中部提督、という深海提督。
ある意味ではこの物語の始まるきっかけを作り上げたキャラですね。
今のところ深海提督というのは、それぞれの担当地域の名前で呼び合う事になっています。
前世を知らない彼らにとって、名前というのは意味のないものですから。
中部提督、本格参戦となります。

さて、4章ですが、13秋の次は13冬。
ということはアルペイベなのですが、そんなものは用意しておりません。
取り入れたらややこしいことになってしまいますので、パスします。
ということで4章はたぶん、ゆるく流していくかもしれません。
その次の5章において、14春と予定しております。

気づけばお気に入りが500になりかけているようですね。
ここまで増えるとは思いませんでした。ありがとうございます。
感想など頂ければより実感し、励みになります。
お気軽に残していっていただけると嬉しいです。

これからも拙作をよろしくお願いいたします。


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4章・冬の艦隊
演習


 

 合同演習と合同訓練。その日々は三日続いた。それぞれの艦隊はお互いの技術を吸収し合い、切磋琢磨して練度を高めていったのだ。

 レベル自体は呉よりもトラックやラバウルの艦娘の方が高いのは間違いない。しかし動き方、戦い方がそれぞれの艦隊ごとに特徴が出ている。その違いは何なのか、どうすればよりあの敵に対して有効な動きが出来るだろうか。

 それをお互い意見を出し合い、実践してぶつかり合う。

 特に深山が学びたかった呉の水雷戦隊の動き。神通はなかなかにハードな訓練を課した。練度自体はラバウル艦隊の方が上なので遠慮はいらないと思ったのだろうか。

 守りの戦いを得意としている彼女達へ、どうすればより攻める戦いが出来るのかをこれでもかと仕込んでいった。

 被弾しないための動き、道筋を見出す観察眼。

 そして何よりも度胸。

 それらを身に着けさせるために長門や大和達へと遠慮はいらないと告げて、容赦のない砲撃を浴びせかけたという。

 最初こそその容赦のなさに引いたが、しかしラバウル艦隊はすぐさまこの訓練に食らいついた。それにより、訓練を始める前と違って攻める戦いがしっかりと身についたのが窺えた。

 

「……変われば変わるものだね」

「元々そちらの艦娘は守りの動きには問題はなかったからね。その特色はある程度は残したみたいさ。仕込んだのは、攻撃を掻い潜って前に出る技術。それさえ身につければあんな感じにもなるってことだね」

 

 ラバウル一水戦旗艦、名取率いる艦娘達が秘書艦である陸奥率いる主力艦隊へと突撃していくのを見守りながら、深山と凪はそう話し合う。

 ラバウル一水戦のメンツは名取、天龍、皐月、初春、吹雪、時雨。

 天龍を除けばおとなしそうな性格をした艦娘達で集まっている。だからこそ守り向きの戦術があっていたのだろうが、今では頼もしさを感じる眼差しで突撃している。

 攻撃が終われば、名取は主砲を肩にかけるように片手で持ちながらメンバーを集め、今の突撃の振り返りを行っていた。

 なんだろうか、艦娘の名取としては普通しなさそうなそのあの佇まいは。

 手にしている主砲の艤装デザインが少しライフルに似ているせいか、女軍人がライフルを肩にかけて仁王立ちでもしているかのようだ。

 

「デェェェェェン」

「おいやめろ」

 

 こっそりと近づいていた響が囁くように何らかの効果音を口にすると、すぐさま凪が振り返って止めにかかる。「どこでネタを知った?」と訊けば「ネットを見たんだよ」と返してくる。

 何の話をしているんだろうか、と深山が首を傾げているようだが、凪は響の口を押えながら「気にしなくていいよ、うん」と流すことにする。

 

「ま、何はともあれ、君が望んだ結果は出せたと思う」

「……ああ、そうだな。これならばもしも何かあった時にでも対処することは出来るだろうさ。改めて礼を言うよ。ありがとう、海藤」

「俺は何もしてないさ。うちの艦娘、神通達がよくやってくれた成果だよ」

「……いい艦娘だね」

「俺にはもったいないくらいさ。で、どうする? 最後にうちの一水戦と演習してみるかい?」

「……いいね。試してみよう」

 

 頷いた深山が通信機へと「……呉一水戦と演習を行う。数分休憩後、開始しよう」と声をかけると「了解しました……」と名取が返事をした。海に出ている艦娘達が休憩のために一旦上がってくる中で、凪の元へと一水戦のメンバーが集まってくる。

 旗艦である神通が「全力でいいのですか?」と問うと、

 

「そりゃあ、全力でやってくれて構わないよ? ……それでいいんだよな、深山」

「……もちろん。これまでの訓練の成果を試すんだ。全力でないと、それを前にして攻めに出られるか否かがわからない」

「だそうだ」

「そうですか。では、全力でお相手いたしましょう」

 

 にっこりとほほ笑む神通だが、その笑顔に反して立ち上る戦意はなかなかのものだ。演習であろうとも、手心を加える気はないようだ。三日とはいえ、訓練の成果を見るならば全力と全力のぶつかり合いでこそ見えてくるものがある。

 日常の中では教官としての立ち位置をしていることが多いが、神通も生粋の水雷屋だ。指導するのは好きだが、やはり戦ってこそと彼女は自覚している。

 そして呉の一水戦は夕立という戦闘好きがいる。先日改二が完全に適応されたので、能力向上が大きくみられる。性格はあまり変わっていないが、見た目はやはり大人っぽくなり、傍目には神通や北上と同年代か少し下の少女に見える。

 だが史実における夕立の最期を参考にした改二だけあって、なかなかの変わりっぷりなのは否めない。最初こそ他の艦娘達も夕立の成長に驚いてはいたが、性格は何も変わっていないので、普通に受け入れていった。

 北上も性格はゆるいが魚雷を撃つのが得意な上にそれが好きなところがある。綾波、響、雪風も穏やかで落ち着いているが、こんな仲間に囲まれては少しばかり影響を受けてしまうのも仕方がない。

 南方棲戦姫だろうが戦艦棲姫だろうが、彼女達は機を見い出せば突撃してみせた。それが出来るくらいには胆力がついているという証である。

 十分の休憩を挟み、二隊は海へと出る。

 それぞれ単縦陣で向かい合い、位置についた。

 

「……それじゃあ始めようか。テンカウント」

 

 ラバウルの大淀が通信機を通じてカウントダウンを始める。それに従って両軍はさっと身構えた。次第に数字が下がっていき、「3、2、1……スタート!」という声がかかった瞬間、両軍は一斉に飛び出した。

 

「撃ち方、始め!」

「砲雷撃戦、始めてくださーい!」

 

 神通と名取がそれぞれ命を出すと、一斉に砲撃が行われる。スピードを落とさず、むしろ加速する中での砲撃。ぐっと距離が縮まり、飛来してくる砲弾を回避しながらの接近戦だ。

 その加速はやはり呉一水戦が凄まじい。ラバウル一水戦はまだ少し躊躇が残っているが、呉一水戦はこれが彼女達の日常だ。かの戦艦棲姫を相手に副砲を回避し続けながら接近していった胆力は伊達ではない。

 あれに比べたら、軽巡や駆逐の砲撃などへでもない。

 すれ違いざまに魚雷を置いていき、抜き去ったあとはぐるりと旋回しつつ、煙幕を発生させる。名取達も魚雷を発射したが、呉一水戦の加速に対応できず、遅れてしまった。だがそれでも呉一水戦の魚雷を回避できたのは、ラバウル一水戦の持ち前の練度があってこそだろう。

 ラバウル一水戦も反転し、煙幕の中に隠れていく。レベルでいえばラバウル一水戦の方が大きく上回っている。1年の差というものはそれだけでも積み重ねた年期というものがある。

 戦い方の方針は違えど、それでも彼女達はこの地で戦い続けた戦士達だ。

 隠れた敵を見つけ出す。それは名取達の方が上回っていた。「そこです!」と指示を出し、砲撃をすれば手ごたえがあった。

 

「捉えられているようですね。ならば、散開。挟み込み、一人は落としましょう」

 

 被弾したのは響らしいが、駆逐砲を二発受けただけだ。まだ戦える。

 煙幕の中で二手に分かれ、ラバウル一水戦を挟み込みながら砲撃する。それだけでなく、神通と夕立は特に単縦陣になっているラバウル一水戦の間を突き抜けるように突撃。両手に主砲を構え、次々と砲撃しながら接近するではないか。この動きに名取は驚き、焦って一瞬指示を出すのが遅れた。

 それを見逃す神通ではない。旗艦である名取へと砲撃を仕掛けていく。だが攻撃を受ければ名取も動く。反撃しながら接近してくる神通へと向き直り、両者はそのまま隊列から離れていった。

 残されたラバウル一水戦はもう一人、突撃してくる夕立と呉一水戦の残りのメンバーに対応するしかない。両軍ともに旗艦と距離が開いてしまったが、それが神通の狙いの一つだろう。

 

「僕が対処しよう。お相手願おうか、夕立」

「時雨……ふふ、悪くない相手っぽい。あたしでいいなら、相手するよ!」

 

 夕立改二と時雨改二。

 同じ白露型にしてどちらも改二という艦娘。突撃してきた夕立を止めるべく、時雨が主砲を構えながら前に出る。周りを処理しようとしていた夕立も両手を前に向けて時雨とのタイマンを引き受ける。

 もはや両軍とも陣形など存在しない。それぞれが入り乱れて交戦する形となり、ある時はタイマン、ある時は二人を狙って砲撃や魚雷を放ち、とすれ違いながら戦い続ける事となる。

 そんな中でも夕立と時雨はずっとタイマンをし続ける。

 主に右手に持つ主砲の撃ち合いだが、夕立は両手に構えて距離を詰めていく。時雨はそんな夕立の足を狙って彼女の動きを止めようとした。しかしそれを察知した夕立は蛇行しつつ薄く笑みを浮かべ、左手に持つ主砲を消して腰元にある魚雷を二本手に取る。

 時雨の進行方向へと投げ、急加速。

 魚雷から逃げるべく時雨は方向転換を考えるが、急加速してきた夕立がそれを追うだろう。ならば逆に時雨は急停止からのバックを選択。本来の艦ならば出来ない芸当。人型である艦娘だからこそ出来る動き。

 急停止の反動で倒れないようにバランスを取り、前を向いたまま後ろに下がりつつ向かってくる夕立へと砲撃。さすがにその動きは夕立も予想外だった。しかも時雨は魚雷発射管を夕立に向けており、息を呑んでいる夕立へと容赦なく魚雷を発射。

 

「ふふ、やってくれるっぽい……!」

 

 機銃と主砲で向かってくる魚雷を起爆させようとしながら、夕立は危機的状況の中で笑みを浮かべた。これだから戦いというのは面白い、と逆に興奮してくる。何発かは起爆判定によって停止したが、それでも数発はまだ健在。そのまま夕立へと向かってくる。

 全速で動いているために方向転換しづらい中で、夕立は右手の主砲を消し、海に手をつきながらドリフトでもするように、滑りながら方向転換。それによって何とかぎりぎり切り抜けたようで、海についている右手付近を魚雷が通過していった。

 だが、やっぱり無茶が過ぎたのか、曲がり切れずにスリップを起こして夕立の体が宙に舞う。が、そんな中でも夕立は獲物を逃さない眼差しを時雨に向けていた。空中で横回転しながら、残った魚雷を一斉に発射。

 戦艦棲姫へと奇襲を仕掛けた、あのロケットのような魚雷が空中から時雨へと向かってくるのだ。だが、狙いも定まらない状態での発射。あちこちにばらまくような軌道で魚雷が襲い掛かってくる。

 

「む、無茶をする……! 血気盛んなのも考え物だよ、夕立!」

 

 それが逆に恐ろしい。どこに落ちてくるかわからないものを相手に避けなければならない。撃ち落とそうとも考えたが、時雨は落ちていく夕立を撃ち抜くことを選んだ。

 そしてその砲撃は落ちていく夕立へと直撃し、そのまま夕立は海に転がっていく。だが落ちてきた魚雷の一発が時雨にも直撃し、両者ダウン判定となったのだった。

 一方旗艦同士のタイマンはというと、それは予想外というべきか、あるいは想定通りというべきか。

 レベルの差はあれど、どちらも軽巡の旗艦だ。それもその鎮守府において水雷戦隊の主力といえる一水戦の旗艦であり、すなわち水雷戦隊全体の長である。

 その肩書に恥じない実力が求められるわけなのだが、その戦いは流石というべきか。

 そこには二つの花が咲いている。

 片や一見可憐な花。見るものをはっとさせるような静かで艶やかな色合いをした花だ。だがその葉は先端が尖り、敵対する意思があるものには容赦なく葉を用いて傷つける。

 片や実に控えめな色合いをした花。周りと比べても自己主張しないような色合いをしているが、しかし大きな花弁を広げる花だ。触れれば折れてしまいそうな儚さを持ち合わせているが、しっかりと大地に根付き、静かに自分なりの色を出して咲き続ける。

 そんな二つの花が、今、見るものを惹きつける様な自分の色を用いてぶつかり合っているのだ。

 右腕についている三基の14cm単装砲、左手に持つ15.5cm三連装砲で神通は砲撃を行っている。それに対し、名取は手に持つ主砲と腰元の艤装の主砲を使い分けながら砲撃している。

 特にアサルトライフルのように見えるその主砲。中にいる妖精達が頑張っているのか、あるいはそういう仕様なのか。結構早く砲撃が行われてくるから少しやりづらい。

 だが上等だ、と神通は余裕を見せる。

 飛来してくる砲弾を回避するように動くが、名取もまた対面で同様の動きで神通の砲撃をやり過ごしている。

 狙い目を変えても、それに合わせてどちらも回避行動が変わる。反航戦で接近しても、蛇行しながら攻め合い、しかし勝負を決める命中弾がない。一発二発は命中するのだが、勝負を決める判定にはならないかすり傷でしかないのだ。

 小気味の良い連射音を響かせながら主砲を斉射し続ける名取。その弾幕を掻い潜り、反撃する神通についに主砲に弾着して左手から15.5cm三連装砲が弾き飛ばされるが、それがどうしたとばかりに更に前へ。代わりの14cm単装砲をまるで拳銃を指で回転させるように顕現させ、両手で撃ち続けながら攻めの手を止めることはない。

 また水雷の華である魚雷を発射しても、やはりどちらも熟練だからか、命中するには至らない。魚雷の動きを読み、どう動けば当たらないのかを瞬時に見極め、回避しながら攻めるのだ。

 左手に持った14cm単装砲がまた撃ち抜かれそうだと察すれば、右手に持ち替え、体を反らして左側の直撃を避ける。持ち替えた手で撃ちながら更に前へと進み、左腕の四基の主砲で追撃する。

 回避行動中も攻める事を忘れない。攻撃の手がお互い止まらない。

 となれば自然とどちらも普段の彼女達では見せないような、鋭い目つきになるのもやむを得ない。

 

「いいですね。教えた身としては喜ばしいものです。ですが、そろそろ終わりにしましょうか」

「ありがとうございます……。私としてはこれでも必死なんですけど……。でも、そうですね……そろそろ決着つけないと、隊全体では勝てないかも」

 

 これでは埒が明かない。どこかで切り込む隙を見出さねばならない。

 不意に神通は右手の主砲を消し、飛来する砲弾から身を屈めてやり過ごし、腰にある魚雷を一本抜いて名取へと投擲した。水面に落ちるのではなく、空中を走り抜けるような軌道で迫る魚雷に、名取は咄嗟にそれを撃ち抜く。

 起爆判定を受けて魚雷はそのまま失速して落ちていく。演習用に調整された魚雷のため、爆発はしないのでこうなるのだが、その防御が神通に攻める機会を与える。

 身を屈めていた神通は海を蹴って飛び出し、名取へと急接近。離れていた距離が一気にゼロにされるのを感じた名取は、逃げるのではなく、むしろ迎え撃つかのように手にしていた主砲を離し、身構えた。

 神通も魚雷を投げたことで空いている右手で名取の腹へと拳を打ち出したが、名取もその神通の頬へと拳を突き入れる。えぐり込むようにして放たれた名取の拳は、綺麗に神通へと入り込んだ。

 それは神通の拳も同じ。衝撃が腹から背中へと届きそうな程に強烈な一撃が名取にも襲い掛かっている。

 だが攻撃はそれには終わらない。いつの間に顕現したのか、神通の左手にある主砲が名取の胸を狙っている。名取もまた腰の主砲が神通を囲むようにして狙いを定めていた。お互い攻撃を放ち、受け合いながらも、次の手を止めていなかった成果だった。

 そして、二人は倒れない。

 今の状態ならば引き分けだが、倒れれば自分が負ける。だから二人とも堪えていた。

 だが二人以外の残りのメンバーが勝負を終わらせていた。

 夕立と時雨は両者ダウン。そして残る四人はというと、それぞれもお互い潰し合って全滅していた。何気に雪風が生き残りかけていたようだが、天龍が意地で討ち取りにいったらしく、刃を潰した剣による投擲で判定勝ちしたようだ。

 それはありなのか、と雪風がちょっと抗議したようだが、夕立が戦艦棲姫に致命傷を与えた前例があったので、ありだと凪が却下した。

 

「なんでしれぇが却下してくるんですかー!?」

 

 と遠くで雪風の悲鳴が響くのを耳にしながら、神通はやれやれと息をつく。

 

「今回は引き分けといたしましょうか」

「……そうですね。ありがとうございました……おかげで、少し、自信が持てたような気がします」

 

 お互い拳を引き、主砲の照準を逸らして向かい合った。そして健闘を称え合うように握手を交わす。

 その様子を見守っていた凪と深山も、お疲れ様と声を掛け合って握手した。

 

「……ありがとう。訓練と、演習の機会を設けてくれて、感謝を」

「なに、同期のよしみさ。こっちこそ、君達との時間でうちの娘達もまた学ぶ時間が得られたんだ。お互い様さ」

「……それでも、感謝を。この礼はいつか返そう。何かあれば、声をかけてくれ」

「そうかい? では、いつになるかはわからないけれど、その時が来たら頼むよ。……それにしても、変わったもんだな。深山」

「……それは君もだろう? 君も人とあまり関わりを持たない学生だったじゃないか。……なにかあったのかい?」

「そう、だなぁ……まあ、色々あったな。うん」

 

 他人に特に大人というものにあまり心を許さず、人とあまり関わらなかった凪は次第に人付き合いというものが苦手になっていった。だからこそ異性との付き合い方も良く分からなかったが、そんな彼でも半年も多数の女性に半強制的に囲まれれば少しは学ぶ。

 加えて中には一癖も二癖もある艦娘がいるものだから、付き合い方を覚えなければ胃を痛める。既に春に胃を痛めて倒れた前例があるのだから、学ばねばまた倒れてしまい、長門や神通達にまた心配をかけてしまう。

 そういう事は凪としても避けたい事だったので、変わっていかねばならなかった。

 そして今、凪としても自分自身の変化はあまり悪いものではないと思っている。こうして学生時代の同期とこうして話せているのだ。あの頃はほぼ関わらなかった彼と、同じ提督として話し、艦娘と共に交流をしている。

 あの頃捨てていたものを、数年越しに回収している。お互い変わってしまったな、と悪い意味ではなく、良い意味で笑い合えている。

 

「これぞ、遅れてきた青春ってやつかねえ。切磋琢磨して共に成長する仲間。うーん、いい響きじゃねえの。おつかれさん、いい演習だったんじゃねえか?」

 

 そう言いながら凪と深山の肩をぐっと抱き寄せる東地。

 二人と違い、人付き合いのとてもいい気さくな青年を地で行くこの男はいったいいつからそこにいたんだろう。離れた所には淵上と秋雲がおり、秋雲は海を見ながらスケッチをしていた。

 

「いつから? ってか君、うちの秋雲? そこで何してんの?」

「ぁん? いやーはるばるラバウルまで来たじゃん? せっかくだし、色々スケッチして残しておきたいって思ってさー。あと、呉以外の艦隊とマジの演習風景ってのも絵になると思ってね。こう、びびっとキタからペンが走りまくったわけよぉ。ほれ、この神通さんと名取さんのスケッチ? どぉよ?」

 

 と、見せてくれた絵はというと、なんというか色々すごかった。

 絵のタッチがそう見せているのか、あるいは秋雲の目にはこう映ったのか。

 そこにはイケメンな女性二人が描かれていた。

 神通と思わしき人物は、きりっとし表情の上に、目元に影がかかっており、その形相で名取を睨みながら主砲を突き付けている。

 一方名取もまた鋭い目つきをした上に顔全域に影がかかり、同じように神通へと主砲を向けている。どちらも一ページに一人、というもので二枚合わせたら向かい合っている、という構図らしい。

 だがそれでも躍動感あふれるものであり、凄まじい戦いのワンカットを切り取って、秋雲のイメージを投影した作品に仕上がっていた。

 

「…………まあ、うん。この全てを否定できないのが、現実だね。うん」

「確かに。だいたいこんな感じであの二人戦ってたな」

「……今まで見た事のない名取の一面を見た、という感じだったし……僕も否定できない」

「でしょ~? 我ながらいい絵が出来たって感じさー。んで? まだ続けんの~? 続けんだったら、秋雲はまだスケッチ描いとくけど」

「そうだな、淵上さん。次はうちと君の一水戦でやりあうかい?」

「……いいですよ。あれを見ては、あたしとしても試したいと感じてしまいましたから。では、那珂達を呼び出しますんで、少しお待ちを」

「よっしゃ! じゃあうちの川内達を呼びますかねえ」

 

 そうしてこの日は、休憩を挟みつつ様々な隊の演習が行われる。得られたものを、成長した力をそれぞれぶつけ合わせる。三日間で得られたものを存分に発揮してやるのだ。

 今までの自分を超えて更なる高みへ。そうしなければいけないと、今回のソロモン海戦でそれぞれが学んだ。

 飛行場姫という新たなる概念の深海棲艦、戦艦棲姫という純粋に強力な深海棲艦。

 この先も現れるならば、実力を上げなければならないというのは当然の認識である。

 

 こうしてラバウル四日目の昼は過ぎていった。

 日が暮れるまで戦い続け、疲れた艦娘達は入渠ドックへと休む。

 その後はお疲れ様と、お別れと、そしてソロモン海戦での勝利を祝しての宴会が行われる事となるのだった。

 

 

 



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宴会

 

 

 ラバウル基地のグラウンドを使用しての大宴会。四つの鎮守府の艦娘が一堂に会しているのだからかなりの規模といえよう。大量の料理が並ぶ様は圧巻だ。食材を大量に発注し、間宮と料理が出来る人の手伝いの甲斐あってこれだけの料理が並ぶこととなった。

 久々の宴会ということもあって、艦娘達は満面の笑みを浮かべて舌鼓を打っている。凪呉の艦娘達の様子を窺ってみる事にした。

 まずは秘書艦の長門はどうだろう、と見ればもはや最近では相方ポジションなのか、あるいは相棒ポジションなのか。大和と一緒にいる。

 

「これが宴会というものなのね。異国の料理というのもなかなか美味しいわね。酒も美味しいし、ふふ、飲んでる? 長門」

「もう少し落ち着いて食べたらどうだ? 別に料理も酒も逃げはしないのだから。それと、絡むな」

「つれないわねえ。酒って人と楽しんで飲んでこそ美味しいと耳にしたわよ? ほら、飲みなさいな、長門。こういうのって無礼講ってやつなんでしょう?」

「いや、私はそんなに飲まない……っておい、注ぐな、絡むな! おい、誰か! こいつをどこかへやってくれ! 千歳!! お前らがこいつを管理しろ!」

 

 くすくすと笑いながら空いたグラスを持ってきて酒を注いでいく。さすがにこうなっては長門も焦るようで、呉の千歳がいる一角へと叫んだ。すると長門と大和の様子を見て微笑を浮かべる。

 

「え? いいじゃありませんか、長門さん。いつも一緒にいるのですから、そちらはそちらで楽しんでくださいな」

「だそうよ。ほら、ぐいっといきなさいよ」

「だから、私はそんなに好んで飲まないと……!」

 

 さて、助け舟を出すべきだろうか、と凪は一考する。

 もしもここで自分があそこに入っていったらどうなるだろう。大和を嗜めてあの振る舞いを止めることは出来るだろう。でもあの二人はいつもあんな感じで過ごしている。大和が何かと絡んでいき、長門もそれを止めるか、仕方がないなという風に相手をする。

 そうやって二人は呉鎮守府で過ごしており、それがあの二人なりのコミュニケーションの一環となっている。かつて敵同士だった二人が、今ではこうしてある意味仲良く過ごしている。

 宴会とは更に知人や友人同士の仲を深める場でもある。

 自分があそこに入って止めた場合、それを壊してしまうかもしれない。酒を飲みかわし、より一層仲が深まるのであれば、それは喜ぶべきだろう。

 

(……うん、やめとこう。でも声だけはかけておくか)

「大和ー、長門はほんとにそんなに飲まないんだから、程々にしておくんだよ。でないと、今日以降もしかすると長門は君に対してかなり辛辣になるかもしれないからさ」

「……それは困るわね。じゃあ、この一杯ぐらいは。乾杯しようじゃない。それくらいは、いいでしょう?」

「…………一杯だけだぞ」

 

 と、お互い妥協したらしい。グラスを合わせる二人に頷き、凪はそこから離れた。

 続いて向かったのは戦艦達が集まる席。呉鎮守府でいえば、山城、日向、比叡、榛名だ。先程の長門と大和も戦艦だが、秘書艦とあの大和型という立場な上に、あの二人は最近ずっと一緒に行動している。

 また血気盛んで長門に対してライバル視している大和がよく長門に絡んでいっているため、あの二人が一緒にいる際には二人にさせておこう、というのが呉の艦娘達の中での共通認識のようなものが出来上がっていた。

 

「あ、提督。どうかされましたか?」

「いや、ちょっと様子を見に回っているだけさ。おつかれ。どんどん食べて英気を養ってくれ」

 

 榛名が声をかけてきたので、凪はそう返した。

 ふと、山城がなんだか憂いの表情を浮かべながら箸を進めているような気がしたので「どうかしたかい、山城?」と訊いてみる。

 

「ああ、気にしないでいい。今回の戦いにおいて、なんだかあまり活躍できなかった気がする、とふてくされているだけだ」

「……後方にいる事が多かった気がしましてね。そりゃあ、私は低速ですから? 比叡や榛名のようにどんどん前に出ることは出来ませんから? しかたがないといえばしかたがないんでしょうけど」

「……と、酒を飲んでからはこの調子というわけだ。それに山城よ、低速なのは私もそうだし、長門や大和もそうだぞ」

 

 ああ、そういえば山城は酒を飲むと余計にネガティブになったり、泣き上戸になったりするめんどくさい酔い方をするんだったか、と凪は思い出した。

 

「ひぇー……こんな山城さん、初めてですよ。どうしたらいいんです?」

「適当に流してやるといい。酒を飲んだらよくあることさ。気にせずお前達はゆっくり食べたり飲んだりするといいさ。それに、山城よ。今回は後輩に花を持たせた、と考えようじゃないか。新たに迎えた新人が活躍してくれたという事を素直に喜んでやろう。それに私達は後方にいたが、それなりに砲撃は出来たし、瑞雲も飛ばせた。私としては、航空戦艦らしい戦い方が出来たのではないか、と多少は満足している」

「……そりゃー瑞雲好きなあんたなら、そう感じるかもしれませんけどぉ? でも、私は、私は航空戦艦になっても、戦艦らしく、戦艦らしく、砲撃で戦果を挙げたいと考えているわけで? ……っくぅ~……! んぐ、んぐ……ぷはぁー……! 次こそ、次があるなら、提督……!」

「お、おう」

「私に活躍の機会を……! 今回は比叡と榛名に前線で活躍する機会があったんだから、次は私達にも、良い出番を与えてちょうだい……! いいわねッ!?」

「お、おう。まあ、その時になってみないとわからないけど、うん、覚えておくよ。あと、そう涙を流しながらすごい形相で俺を睨むな。仮にも美人さんにそうされると、ちょっと、こわい。ひく」

「仮にもってなによぉー!? 褒めるんなら、普通に褒めなさいよぉ……! 不幸だわ……!」

 

 だん! とグラスを机に叩きつけて突っ伏して泣き出した。こりゃだめだ、と思っていると、隣に座っていた日向がよしよし、と子供をあやすように背中を撫でてやる。

 そして「すまないな、比叡、榛名。みっともない姿をさらす先輩で」と謝罪すると、

 

「い、いえ。榛名は大丈夫です。それに、確かに山城さんの言う通り、今回は榛名達がなんだか出番をかっさらっていっちゃったかもしれないので……」

「そんな事はない。お前達はお前達なりの活躍をしてみせた。高速戦艦と低速戦艦という差が私達にはある。そしてその差にそれぞれの役割の違いがあるんだ。お前達はその与えられた役割を果たしただけに過ぎない。そしてそれを見事に遂行し、無事に帰ってきた。恥じる事は何もない。……そうだろう、提督?」

「うん、そうだよ。だから深く気にすることなく、そのままの君達でこれからも成長していってくれ。……それに山城の言葉は、ちょっと酒に酔って山城の性格からきた言葉さ。そう重く捉えることはないからね。ちょっとめんどくさいところが出てきてしまっているけど、仲良くしてあげてくれ」

 

 そう締めくくり、四人の席から離れる。さあ、次はどの席に行こうかと考えていると、何やらすごい勢いで食べ進めている席が視界に映った。呉の空母席である。

 確かに今日は無礼講であり、大宴会なのでそう遠慮せずにやってもいいのだが、そこはなかなか壮観なものであった。

 

「んぅ~、美味しい美味しい……! これも、これも、酒も! いくらでも食べられそう!」

「もう少し静かに食べなさい、飛龍。みっともないわよ。それと、もう少しだけ遠慮はしなさい。そう食べ過ぎるとどうなってもしりませんよ」

「そう言う加賀さんも箸が全然止まってないじゃん。人の事言えないってね」

「指摘するものでもないわよ、瑞鶴。せっかくの宴会ですもの。出された美味しい料理を前にしては、食べない方が失礼というものです。あ、千歳さん。グラスが空いていますよ」

「あら、ありがとうございます。ではお返しに」

「瓶が空きそうですね。すみませーん。これ、もう二本お願いしてもよろしいですか?」

 

 積み上げられる空っぽの皿の山。あの六人でどれだけの料理が腹の中へ消えたというのだろうか。特に飛龍が一番食っていないだろうか? あれだろうか? 多門丸の影響だったりするのだろうか。

 そこは呉の六人の空母の席。

 千歳、加賀、飛龍と翔鶴、瑞鶴、祥鳳という対面で座っているのだが、この六人に対して消費されている料理と酒の量が異常だ。宴会だからとはいえ、こんなに食うのか? と他の鎮守府の空母の様子を遠目で見てみる。

 そうして見えたのは、どこも同じようなものだったという事だ。

 トラックの加賀、赤城達など似たような調子で料理を平らげている。佐世保の龍驤と千代田は少し落ち着いているようだが、それでも結構酒を飲んでいないだろうか。

 なるほど、どこもこんなものなのだな。と凪はひとまずは納得しておくことにした。

 話しかけようかとも考えたが、あそこに入ると酒を飲まされ続けるか、あるいはただひたすら食い続けるかに巻き込まれそうだった。

 瑞鶴の指摘通り加賀も飛龍を嗜めてはいるのだが、自分も静かに、しかし箸を止めることなく料理を食べ進めているのだ。澄ました顔とのギャップがなかなか可愛らしいが、止まらない食事を邪魔しては悪い気もする。

 なので凪は静かにその場を離れる事にした。

 やってきたのは水雷組。駆逐、軽巡、重巡、そして潜水艦の艦娘達がそれぞれ集まっている区画。先程の空母の席と違って、消費されている料理の数は少なく、酒だけでなくジュースなどもある落ち着いた雰囲気だ。

 だが中には性格のせいで盛大に大騒ぎしている娘もいることはいるらしい。

 例を挙げるならば足柄だろうか。酒を飲んで更にテンションが上がっているのか、からからと笑っているのを霞に注意されている。笑い上戸か。らしいな、と思いながら様子を窺う。

 

「司令官、どうかされましたか?」

「ん? いや、みんなの様子を見て回っているだけさ。どう? 楽しんでる?」

「はい。料理も美味しいですし、みなさんとっても楽しんでいらっしゃるようですよ。綾波も、そんなみなさんを見ていると、あったかくなります」

 

 近くに座っていた綾波が声をかけてきた。綾波がいるということは、周りの席は呉一水戦が集まっているということでもある。「あ、てーとくさんだー。んぐ」と料理を噛みしめていた夕立も凪に気づいて顔を上げる。

 神通も「こちらに座りますか?」と空いている席を示してきたが、「いや、大丈夫」と手を挙げる。

 二水戦はどうだろうか、と見れば、足柄に加えて川内が盛大に飲んで騒いでおり、球磨はもう知らんという風にマイペースで飲み食いし、皐月と暁と時雨が困惑している。

 

「もう! 少しは落ち着きなさいったら! 大淀! ちょっと、この人達止めなさいよ!」

「まあまあ、霞ちゃん。今日くらいはいいじゃないですか。あら、足柄さんの瓶が空になりましたか……。では、新しいのを頼みましょうか」

「ちょ、止めないの!? いつもの大淀なら、少しは嗜めるってのに!」

「無礼講ですからね」

 

 なんだろうか。まさか大淀がストッパーにならずにこの空気や流れに乗っていくとは……いつもの大淀らしくない。彼女も仕事から解放されて、宴会というものを楽しんでいるという事なのだろうか。

 だとすれば良いことなのかもしれない。

 

「わかってんじゃない、大淀。ほらほら、霞ちゃんも飲みましょーねー。ほら、ぐいっといこうかー!」

「ちょ、絡むな! っ、司令官! 見てんじゃないわよ! あんたからもこの酔っ払いどもを何とかしなさいよ!」

「いやー……俺としても酔っ払いの相手はあまりしたくないんだよね……。めんどいし」

「見捨てるのか、このクズがぁ……って、ひゃん!? ちょ、どこ触って……足柄ぁ!?」

「はーい、霞ちゃん笑って笑ってー。そうぷりぷりおこっちゃやーよー? 宴会にそういうのは似合わないんだからさー!」

 

 だめだ。完全に酔っ払いのセクハラ親父と化している。

 そして大淀もそれに乗っかっているのか、どこから取り出したのか、そんな霞と足柄の絡みを写真に収めている。「ちょ、撮るな撮るなー!?」と霞がカメラをひったくろうとしているが、大淀もにこにこしながらそれを躱していく。

 大淀ってああいうキャラだっただろうか?

 楽しそうではあるが、霞が少しいじられすぎて可哀想になってきた。

 だが、よくよく考えればあの三人と言えば礼号作戦の組み合わせだ。もしかすると凪が見てなかっただけで、プライベートではあんな感じで過ごしているのかもしれない。

 

「宴会とはいえ、程々になー……」

 

 とだけ言っておくとしよう。

 三水戦や四水戦、他の軽巡駆逐はどうだろうか、と見てみると、こっちは平和だった。

 

「ほら、あんま口の周り汚すなよなー」

「もっち、ほら、あんまりだらけてないで。こぼすから」

「空いた皿はこっちに積み上げてくださーい」

 

 天龍が初雪の口周りを拭いてやり、三日月は望月の世話をし、阿武隈が皿を回収している。世話役の姉のような娘が三人いるおかげで落ち着いた席になっているようだった。

 もう一人軽巡がいたはずだが? と夕張の姿を探してみると、どうやら給仕の手伝いをしているらしい。カートを押してそれぞれの席の皿やグラス、瓶を回収して食堂へと持って行っているようだった。

 自分も宴会を楽しんでもいいのに、ああして手伝いに行くとは優しい娘だ。

 凪としては夕張という娘は共に工廠で作業する仲間、という一面を強く認識している。あそこにいる夕張は作業服を身に包み、嬉々として装備の改造や改修をする機械オタクである。ちょっとアブナイ面も出てくる時もあるのだが、普段の夕張はあそこにいるような優しいいい娘なのは間違いない。

 苦にも思っていないような、いい笑顔で皿を下げ、食堂に持っていくのを見送った。

 そして残るは重巡や潜水艦の艦娘だが、彼女らもまた落ち着いた様子だ。というよりあれこそ大人の女性とでも言おうか。

 妙高、利根、筑摩、摩耶、鳥海、鈴谷という重巡艦娘に、伊168と伊58、そして秋雲が同席している。というか何故秋雲はそこにいるんだろう。軽巡駆逐が集まっている水雷の席にいるものと思ったのだが。

 

「ぁえ? いやー、こっからだと呉のみんなの様子が見えっからさー。いいモノが見えたら、さっと描けるのよ、これが。ほれ、こういうのとか」

 

 と、見せてきたのは、霞の胸を揉む足柄のカットだった。

 

「……それ、絶対霞に見せるなよ?」

「わぁーってるわぁーってる。これは、秋雲の秘蔵コレクションにしまっておくさー」

「……秘蔵コレクションってなにかな?」

「んん? 興味あんのー? でも、今はだーめ。見せてやんないよー」

「んふふ、なに? 提督ってば、むっつり? そういう系を期待しちゃってんの?」

「鈴谷も乗ってこなくていいから。あと別に俺はむっつりとかそういうんじゃないよ」

 

 にやにやという擬音が発せられそうな程にいい笑みを浮かべて、秋雲と鈴谷が口元に手を当てながら凪を見つめてくる。こうなっては凪としては非常にやりづらい。どう回避していいのかわからなくなってしまう。

 困っていると妙高が「そう提督をからかうものじゃありませんよ。そのくらいにしてくださいな」と嗜めてくれた。

 

「ほーい」

「提督、お疲れ様です」

「ありがとう、妙高。この席のみんなも、楽しんでいるようで何よりだよ」

「うむ、日本ではあまり食えぬ南の魚も美味い。吾輩、満足じゃ」

「ほら姉さん、食べながら喋るものじゃありませんよ」

 

 あそこにいる足柄と違って盛大に騒いだりせず、料理や酒の味を楽しみながらゆったりと過ごしている。とはいえ騒ぐのもまた宴会の醍醐味ともいえるのだが、そこは性格の違いだろう。

 ここにいるのは落ち着いた性格をしている艦娘が多い。騒ぎそうなのは利根や鈴谷だろうが、今のところはそれぞれ料理を楽しんだり、楽しげにしている娘達を眺めて楽しんだりしているようだった。

 

「どうぞ、提督。一声お願いいたします」

「そう? じゃ、ゆっくり楽しんでいってね。今回の遠征お疲れ様。乾杯」

 

 妙高から一杯手渡されると、労いの言葉で乾杯する。すると妙高達もグラスを掲げて「乾杯!」と唱和した。

 ソロモン海戦は苦しい戦いではあったが、それを乗り越えた艦娘達は今こうして笑顔でいる。

 そして得られたものも多いだろう。

 戦いによる経験、他の鎮守府の艦娘との交流。

 それらの時間が彼女達をより強くさせたはずだ。

 今だけはそれらから解き放たれ、騒いで楽しむ時。憂いの表情など似合わない。盛大に騒ぐもよし、静かに時間を過ごすもよし。

 それぞれの楽しみ方でこの夜を過ごすのだ。

 みんないい笑顔だ。楽しんでくれているようで何よりである。そうして過ごしてくれることこそ、凪も安心できる。

 一通り呉の艦娘達の様子を見て回り、どこか席についてゆっくりするか、と思っていると、視界に一人の人物が見えたことに気付く。

 少し考え、静かにその人物へと近づくと「相席、よろしいかな?」と声をかけてみる。

 

「…………どうぞ」

「では失礼」

 

 その人物も凪を見上げて何かを考えたようだが、静かに了承した。

 隣の席に座ると、近くにあった冷えた紅茶が満たされたペットボトルを手に取り、グラスへと注いでいく。いる? とペットボトルを差し出すと、小さく頷いてグラスを寄せてきた。

 

「では、遠征と合同演習お疲れ様。乾杯」

「乾杯」

 

 グラスを軽く打ち合わせ、その人物――淵上湊と乾杯した。

 

 

 



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宴会2

 

 思えば、こうして並んで食事をするというのはあの日以来だ、と凪は思う。

 そもそも淵上と顔を合わせる機会というものそんなにないので、そういう事はあまり気にする事でもないかもしれない。

 だが、同年代のしかも女性と一緒に食べるというのは、凪自身はそんなに経験はない。艦娘がいるではないか、というだろうが、彼女達は見た目こそ若い少女のものだが、あくまでも彼女達は「艦娘」だ。

 「人間」でいえば、淵上が凪にとって一緒に食事をした異性というのは家族以外では初めてである。

 

「……それで? 何か用ですか?」

「いやー用があるって程でもないんだけどね。せっかくの宴会だし、こうしてぼっちで食べずに一緒にどうかな? とちょっと思った次第でね」

「そうですか。お気遣いありがとうございます。ですが、お構いなく。一人で静かに食べるというのはあたしにとってはよくあることですので」

「アカデミー時代でも?」

「ええ。知ってるでしょう? あたし、他人というものが苦手なんですから。それにあの頃はうるさい輩が群がってくるものですからね。苦手を通り越して嫌いになってますんで」

「あぁー……そういえばそうだったっけ」

 

 東地と一緒に、アタックして玉砕していく学生を遠巻きに見ていたのを思い出す。

 興味など全くない、という風にばっさばっさと告白してきた学生らを切り捨て、そして何も言わずに、振り返りもせずに立ち去っていく。本当に恋愛というものに対して何の思いも抱いていない、という雰囲気だった。

 しかしふと疑問がある。

 

「なんだって彼らは性懲りもなく君に告白し続けたんだろうね?」

「……それをあたしに訊きますか。あたし自身も知ったことじゃあないですよ。……でも、あえて挙げるとするならば、何となくはこれじゃあないかというのはあることはあります」

「というと?」

「まずアカデミーの中でも女というものは少数。その中でもあたしは、まあ成績はトップだったことと、見てくれは良かったんでしょうね」

「そうだね。君は可愛らしいく、それでいて美人系でもありそうだ」

「別におだてる必要はないです。そしてもう一つ。伯母様が着実に名を上げていたために、姪であるあたしとくっつき、淵上と美空の家とも繋がろうとした可能性も否定できません」

「ああ、あの頃の美空大将殿は中将だったっけ……。って、名を上げる? 美空の家って……」

「おや? ご存じない? 美空の家は別に海軍の中では名家というものでもないですよ。美空の格を上げたのは、伯母様の影響です」

 

 そうなのか? という風な表情をすると、「本当に人に対して興味を持たないのね」とやれやれという風に肩をすくめている。

 

「すまんね。人に、それも海軍の上の人らとはあまり関わり合いになりたかなかったんでね」

「……あんたの気持ちもわからなくもない。父親の件でしょ? 少しばかりは理解しているつもりよ。……そうね、伯母様の事だけど、上層部はあの人を作業員上がりと揶揄している。でも、その言葉は間違ってはいない。何故なら美空の家は、元々は整備系の家系であり、決して中将だとか大将だとかを務めるような人材を輩出する家ではなかったの」

「整備系というと、装備や艦などに携わる?」

「そう。一昔はそれだけだった。でも今は違う。艦娘を作り上げ、調整する役割も担うのが第三課の任務に加わっている。そして伯母様は丁度その才能を発揮する機会に恵まれた」

 

 美空陽子という人物はある意味運命の巡りあわせで成り上がった人物と言えよう。

 妖精を理解し、艦娘がどのようにして生れ落ちるかを理解し、それだけでなく艦娘というものに対して向き合い、どうすれば彼女達を強くさせるのか。それらを踏まえて彼女は着実に成果を挙げていった。

 気づけば彼女はその数年のうちに人を纏める立場へと出世し、それには留まらずに次々と有力な日本の艦娘を海軍にもたらした。少なかった艦娘も今では百を超える。

 そして今では改二という要素も追加された。これもまた美空大将の調整あっての事である。

 そこまで説明されれば凪も理解できる。

 確かにそれだけの成果を挙げたならば、美空陽子は急速に立場を上げるだけでなく、美空という家の格も上がるな、と。そしてエリート家系にとっては、彼女はまさしく一代で成り上がった人物であり、彼女の家系や立場から「作業員上がり」と揶揄したくなるのもわかる。

 

「……年配の輩には疎ましくても、それ以外の奴らにとっては、美空という家はまだまだ伸びそうな家ってわけか」

「そうですね。そして伯母様の子供は男二人であり、女はいない。だから姪であるあたしに近づこうとしたわけですよ。本当に、めんどくさい」

「長男は――」

 

 もう亡くなっている、と口に出そうになったのを慌てて止めた。だが淵上は何となく察したようで「セージさんですか? 気にすることはないですよ」と何てことない風に流しつつ、紅茶を口に含む。

 

美空星司(みそらせいじ)。彼は何といいますか、伯母様と似たような才能は持っていましたが、伯母様と違って高望みはしない感じでしたね」

「というと、普通の作業員?」

「ええ。伯母様は国を守るために艦娘を作り、戦力を整え、更にどうすればより強い力をつけられるか、と探求しました。でもセージさんは与えられた事を淡々と進める性質で、それ以上でもそれ以下でもない。人との間に波風を立てず、静かに過ごすことを望む人でした。……そういう意味では、海藤先輩によく似ていますか」

 

 その美空星司という人は母親である美空大将の成り上がりがなければ、お坊ちゃんでもなんでもなく、普通の人物として過ごしていた青年だったのかもしれない。

 粛々と学生時代を過ごし、アカデミーを卒業した後は第三課に所属し、普通に作業員として過ごしていた。

 だが、彼は亡くなってしまった。

 護衛船に整備員として乗船して戦場へと出た彼は、他の乗員らと共に海に散ったのだ。

 

「でも、セージさんは少し目ざといところや、頭がまわるところがありましたっけ」

「そうなのかい?」

「普段は静かな人ではあったんですが、何らかの異常があった際にはすぐに目をつけ、どうすれば直るのか、解決へと導くにはどうすればいいのか。そういう判断力はありました。……あと、なんか妙な趣味はありましたね」

「……妙な趣味?」

「ええ、なんというか、愛でるんですよね。組みあがっていく機械だとか、作品を。可愛らしいだろう? って自慢してきたり、この光沢とか、起動音とかどうだい? って説明してきたり。機械オタクって、そういうとこあるんですか?」

「………………さあ? どうだろうね?」

 

 自分や夕張の事を棚に上げて凪は素知らぬ顔をしてみせた。

 凪自身は愛でるとかそういうのはしないが、熱中はする。あれらをいじっていると時間を忘れてしまうっていう意味では機械オタクかもしれない。夕張は――何も言うまい。彼女は彼女でいいところはいっぱいあるのだ。

 あんな可愛らしい娘がよからぬ表情を浮かべたり、妙な事を口走りながら作業をする、なんてことはあまり外部に漏らさない方がいいだろう。世の中には知らない方がいいことだってあるんだから。

 

「その美空星司さんのこと、嫌いではなかったんだね?」

「……従兄ですからね。身内を嫌うってことはないですよ。変なところはありましたけど、普段は至って普通の男だったような気がします」

 

 そう語る彼女はやっぱり淡々としている。悲しみを引きずらない性質なのだろうか。

 美空大将もあまり引きずらないようにしていたのだから、それに合わせているのかもしれない。ならばこれ以上話題にするのは避けておくことにする。

 

「そ、そういやこうして君とゆっくり話す機会ってあんまりなかったよね……?」

「……話題変えるの下手ですね。さすが人付き合いが苦手なだけあります」

「……人嫌いに指摘されてはたまらんね。そんな君だってこうして付き合ってくれるんだ。俺に対しては多少は心が開いて――」

「――別にそういうわけじゃあないですから。せっかくの宴会ということもありますし、断って鎮守府同士の付き合いに亀裂を入れるわけにもいかないので、付き合ってあげてるだけです」

「つれないねえ」

「あんたもわざわざあたしに時間を浪費する事もないでしょう。お友達の相手をしたらどうです? あんまり顔を合わせる機会ってないんでしょう? 行ってあげたら?」

「いや、あいつはあいつで飲み交わしているみたいだし。ほら、あそこ」

 

 見れば離れた席で東地と深山が肩を並べて料理を食べ、酒を飲んでいる。というより東地が一方的に深山に絡んでいるような気がしないでもない。あっちはあっちでよろしくやっているのだからそっとしておこう。

 淵上もやれやれという風な表情を浮かべ「あたしに付き合っているのってあれですか?」とグラスを揺らす。

 

「伯母様から頼まれているからでしょう?」

 

 確かに淵上の事は美空大将からよろしく頼まれている。姪が心配だという伯母心もあるのは間違いない。それ以外の思惑も絡んでいるような気がしないでもないが、凪も淵上もその意図はほとんどない。

 

「全くないというわけではないね。でも、それだけではないさ。鎮守府としてはご近所さん、アカデミーで見たら1年後輩。多少は話せるんだから今回だけでなく、これからも組むことになるかもしれないんだから、提督同士仲良くしようって思うのは自然なことだろう?」

「その自然なことをアカデミー時代ではやらない人だったというのに。変わるもんですね」

「人は変わるってのを自分の身で感じたよ。この半年で。というより、たぶんこの半年こそ俺の人生の中でかなりの濃密さを感じている。艦娘達の間で影響を与え合って成長しているように、俺もまたその渦の中にいることを実感しているよ」

 

 人は誰かと繋がり、誰かと共に過ごすことで変わり、成長する。よくある話だが、今まで凪もそして深山も人と関わることを避けていた。

 ラバウル基地に閉じこもっていた深山もまた今回の作戦で世界が開けた。変わらねばならないと自覚し、と成長したのだ。

 そしてこれからも変わり続けるだろう、成長し続けるだろう。そうして前に進んでいき、深海棲艦との戦いに勝利するのだ。もちろん自分達だけで勝利するつもりはない。勝利するための戦力の一つとして恥じない高い練度を身に着ける。それが最終的な目標だ。

 

「君もこれからどうなるかわからないよ?」

「あんた達のように変わると?」

「恐らく美空大将殿も、そういう意味でも期待しているかもしれない。何となく、あの人は身内には少し甘いかもしれないと感じている」

 

 姪の事を凪に頼むくらいだ。東京のホテルでも何かとそそのかしてきたし、佐世保就任時にも様子を見てくれないかと頼んできたのだ。ただ心配、というだけではないだろう、と感じられる。

 凪の言葉に淵上も小さく頷いた。

 

「……そう、かもしれないわね。あんたにも……うん、そうね」

「ん?」

「さっきは何となく口にしてしまったけど、たぶん、そうかもしれない」

「何がだい?」

「――みんなー! 楽しんでるかなー!?」

 

 それを口にしようとした淵上の言葉を掻き消すように、遠くでマイクを通じた那珂の声が響き渡った。なんだなんだ? と会場のみんなの視線がそちらに向くと、即席ステージの上に那珂が立ち、会場を見回して「これから、それぞれ名乗りを上げた子達によるステージが始まるよー!」と叫んだ。

 宴会ならではの出し物というのか。司会をしているのが艦娘のアイドルを自称する那珂というのも合いすぎている。ってことはまさか? と呉一水戦の姿を探してみると、いない。あ、またやるの? と凪は苦笑が浮かんでしまった。

 

「……で、何か言いそうだったけど」

「いえ、なんでも。特に気にすることでもないので」

 

 ステージで「まずは那珂ちゃんの歌を聴けーッ!」と歌いだす那珂を横目に、中断された淵上の話を聞こうと思ったが、かぶりを振って淵上は話を打ち切った。

 ふむ、と凪もそれ以上は聞かないことにする。

 給仕の手伝いをしている夕張がカートを押して近づいてきた。そこには空の皿ではなく、いくつかの料理が載せられた皿が並んでいる。「なにか取ります?」と小首を傾げる中、「いただこうかな。淵上さんはどうする?」と振る。

 彼女も頷いて料理を選ぶ中、先程言いかけた言葉を心の中で反芻する。

 

(伯母様はあんたにセージさんを重ねているのかもしれませんよ。色々と、似ている部分がありますから。だから多少は気にかけ、そして目をかけているんでしょうね)

 

 趣味、考え方、性格……いくつかの共通点は確かにあった。見た目は全然似ていないのは当然だが、中身はよくよく考えれば似ているかもしれない、と淵上自身も感じ取れるものだった。

 星司は提督にはならなかったが、凪は美空大将が引き抜いて据えた事で提督となった。これはある意味、星司がなれなかった提督という立場を凪に代わりに与えたのかもしれない。そんな事を姪である自分がこんな場で口にするものではない。

 それくらいは淵上もわきまえている。

 

(でも、能力がなければいくら似ていようとも提督として据えることは出来ない。そこはあんた自身の力があってこそ。……そして、着実に結果を出し続けている)

 

 力がなければただの贔屓としか思われないが、凪自身も就任後から結果を出している。だからこそ何も言われることはなく、今もなお呉提督を続けられるのだ。

 淵上もそこは認めるしかない。4位卒業をしながら作業員へと自ら進んで身を落とし、埋もれた人材を引き上げた海藤凪。何を考えているのだ、と凪に対してだけでなく美空大将にも思い、あの日淵上は美空大将を問うたのだ。

 呉鎮守府配属命令が行われたあの日、凪とすれ違って部屋へと入った淵上。

 彼女の問いに、美空大将はこう答えた。

 

「あれはな、危機を感じ取る力がある」

「危機?」

「面倒事、いざこざ、そして艦娘に訪れる危機。何でもいい。自分に害があることに対して、妙に勘が冴える事があるようだ。それは一つの才能といえよう?」

「……オカルトを信じるのですか?」

「おや? かの大戦の艦の記憶を持つ艦娘に、艦の亡霊である深海棲艦が存在する今現在において、オカルトを否定するのかしら? 妖精すらもいるのに?」

「……失礼しました、美空大将殿。しかし、それでも……第六感ですか? そういうものはどうにも信じられませんよ」

「では、あなたもこの先、見届けなさいな。海藤凪の行く末を。私は合同演習の時、見えたわ。隠されていようとも、積み重ねたものは隠し切れないもの。あれはあの男の息子だ。仕込まれた技術、そこから生まれる感性。それがこの先どう育つのか。私はそれに期待をしているのよ」

 

 美空大将の見い出した人材はその期待に応えた。淵上もそれを認めねばならない。

 泊地棲姫に対しては釣り上げてからの奇襲で仕留め、南方棲戦姫に関しては越智提督の艦隊の危機を察知し、援軍を早急に送り込んだという。

 今回のソロモン海戦では深山、東地の危機に駆けつけるという形になった。今回は羅針盤の狂いによって起こったものだが、これは強力な深海棲艦による力の影響によるものではないかと推測される現象。故に深海棲艦の力によって結果的にそういう事になったのだろうが、もしかすると凪の持ちうる運命力によって良い結果に転がったとも取れる。

 そこまでいくと淵上の言い放った「オカルト」が増々強みを増す。しかし切り抜けられたのはそのオカルトではなく、彼らが鍛えた艦娘の力によるおかげだ。実力がなければ救助もままならないし、討伐も成功する事も出来ない。これに関しては凪達の腕によるものだと認めねばならない。

 でも、淵上は完全に認められない。

 美空大将が本当に星司と重ねて凪を見ているならば、凪ならではの力をもっと見なければ。それに美空大将の語った凪の才能。危機を回避する力というのは確かに良さそうな力ではある。

 だが、それはこう捉えられる。

 

(艦娘を喪う機会を失っているとも言える。もし、いつか艦娘が轟沈した場合、それが強く楔となって心に突き刺さる。そこから立ち直れるか否か。……それもまた、提督にとっても必要な力とも言えるのだけど、海藤凪……その日が来たらどうするのかしら)

 

 ちらりと横目で凪を見ながら淵上はその小さな危惧をした。

 艦娘の轟沈は避ける努力は出来るが、戦場では何が起こるかわからない。一気に艦娘を落とすだけの力を持つ深海棲艦が現れたらどうするのか。

 それに前回も今回も救援に向かうことが出来る距離だったからこそ出来た事。もしそれが出来ない場所で誰かが、仮に東地が危機に陥っていた場合などは、助けの手を伸ばすことは出来ないのだ。

 

(いけない。あたしの悪い癖か。そういうもしもの事ばかり考えてしまう。こういう場には似合わない)

 

 それに自分ではなく凪の心配をするなど、それもまたらしくない、と淵上は首を振る。

 今日は宴会なのだから、こういう事は後に考えればいい。それに宴会だからなのか酒が入ったからなのか、少し喋りすぎた。まさか星司の事をここまで話すなんて自分でも思わなかった。

 反省反省、と落ち着くために紅茶を飲んでいると、那珂の曲が終わったようで拍手が鳴り響く。

 

「はーい、みんなー、聴いてくれてありがとー! 次は呉の子達による演劇だよー!」

「やっぱりやるのか……」

「……どうしました? なんだか微妙な表情ですけど」

「やー……うん、なんだか宴会やるたびに恒例になってきてるみたいでね、うちの一水戦らのあれ。今回は何をやるのか、とちょっと心配さ」

 

 ふむ? と淵上がステージの方を見ると、出てきたのは一水戦の艦娘ではなく、利根だ。

 前回のあれと同じ出で立ちをしている。付け髭をゆらし、悪役らしいマントをなびかせる様はやはり妙に様になっている。ステージの上ではなく、客席に降りながら「ふっふっふ……」と不敵な笑みを浮かべている。

 

「今宵も良い香りじゃ。何とも美味そうなものが並んでおる。しかもなんじゃなんじゃ~、ベッピンな娘もおるではないか。のぉ? お主」

「ぅええ!? わ、私ぃ!? ちょ、聞いて――」

「聞く聞いてないの話ではないわ。この吾輩、利根丸が目をつけるだけの良さがお主にはあるんじゃ。ほら、こっちに来るんじゃ!」

 

 カートを押して給仕の手伝いをしていた夕張に目を付けた利根が、ずるずるとステージへと引きずり上げていく。あの反応、本当に何も聞いていなかったらしい。元呉二水戦のメンバーという繋がりで連れて行ったんだろうか、あるいは近くを通りかかったせいか。

 何はともあれ、今まで裏方として彼女達を手伝っていたのに、突然ステージで被害者役をやるとは、すごい躍進じゃないか夕張。と、とりあえずその格上げを祝福した。

 あれ? そういえばナガト・ナガトはどうした? と探してみると、まだ大和と一緒にいた。なるほど、ここ最近大和と一緒にいるから練習が出来なかったのかな? と推察する。

 

「ふっふっふ……見れば見るほどなんとも美しい娘よのう。よし、お主は今日から吾輩の側室にしてやろうぞ」

「そ、側室ぅ!?」

「嬉しかろう? 吾輩のものになれば、いくらでも美味いものが食えるし、いいものが着られる。何もかもが思うが儘じゃ。ふっはっはははは!」

「それじゃあ、いくらでも装備開発や改修――じゃなかった、ぇえ!? そんな! いやー!! 誰か助けてーー!!」

 

 ちょっと待て、と思う間もなく、一瞬利根が乗るな阿呆! と言いたげな眼差しで睨み、夕張がちょっと棒読み気味に助けを呼ぶ。となれば、当然彼女らがやってくる流れなのだろう。

 

「まてぇーーーーい!!」

「むむ、何奴!?」

 

 会場に響き渡る勇ましい声。

 お決まりの流れだが、前回のステージを見ている呉とトラックの艦娘が大盛り上がり。初めて見る佐世保とラバウルもそういう出し物なのだな? と各々気づき始めたようで、期待の眼差しで一同は声が聞こえた方へと見やった。

 

「敵は全て喰い散らかす! 真なるソロモンの狂犬! デストロイヤー・レッド!」

「自由にボケを繰り広げる。蘇りし不死鳥! デストロイヤー・ホワイト」

 

 ん?

 流れがおかしいな? と凪と一部の人が首を傾げる。

 だがまだ名乗りは続いていく。

 

「大人しさの中に眠れる獣。ソロモンの黒豹! デストロイヤー・レッド!」

「それは幸運か、はたまた不幸か!? 不沈(しずま)海狸(ビーバー)! デストロイヤー・ホワイト!」

 

 この四人で終わりかと思いきや、四人の前に新たなる一人が舞い降りた。

 四人と同じくヒーローの衣装に身を包み、赤いマフラーを揺らすその人物は――

 

「――立ちはだかる敵はみな殲滅(デストロイ)。華の二水戦。デストロイヤー・レッド」

「――ぶっ……!?」

 

 な、なにしてんですか!? と思わず紅茶を吹き出してしまった。

 いないなーと思ったら、まさか君まで参戦していたのか!? いつの間に!? と、凪は困惑してしまう。

 だがニチアサの戦隊といったら五人だ。北上は……めんどい、という理由で参戦しないだろうが、彼女ならば頼み込めばやってくれるかもしれない。

 呉一水戦旗艦、神通。まさかの参戦であった。

 

「我ら呉鎮守府戦隊! ファイブディーズ!!」

 

 神通を中心として名乗りを上げ終わると同時に、背後で勢いよく爆発が繰り広げる中で決めポーズ。見事な戦隊登場シーンだ。

 色々ツッコミどころがあるが。

 

「さあ! 早く逃げるっぽい!」

「あ、ありがとうー」

 

 夕立が観客席を示して夕張を逃がす中、利根は茫然とした顔で夕立ら……ファイブディーズを見つめる。さて、あれは演技なのか、あるいは素なのか。少し見守ってみる事にしよう。

 

「ぁー……うん、うん? おかしいぞ?」

 

 利根が少し顔に手を当てながら唸りだす。首を傾げ、悩める表情を浮かべると「お主ら、なんじゃって?」と問いかけると、「ファイブディーズ」と響が淡々と答えた。

 いやいや、と肩を竦めながら両手を広げて首を振ると、

 

「ファイブディーズじゃないぞ。お主、何色?」

「デストロイヤー・ホワイト」

 

 と響がポーズを決めると、夕立がすかさず「五人揃って!」と叫び、流れるように全員で「ファイブディーズ!!」とポーズを決めた。また爆発が起こるのだが、大淀さん? ちょっと奮発しすぎじゃないですか? と裏方の方を見てみる。

 

「待てや! 待て、待つんじゃ! な、何? お主、何?」

「デストロイヤー・ホワイト」

「お主は?」

「デストロイヤー・ホワイトです」

「おかしいぞ! なんで白が二人もおるんじゃ?」

 

 あ、なるほど。今回はそういう流れなのね? と凪も納得し始めた。

 無言だった綾波がそっと「デストロイヤー・レッド」と名乗りながらポーズすると、「うん、お主はそうじゃな? で?」と神通に視線を移すと、彼女は静かにポーズを決める。

 

「……デストロイヤー・レッド」

「お主は?」

「デストロイヤー・レッド! 五人揃って!」

「ファイブディーズ!!」

「ちがーーーーう!! おかしいじゃろ! なんでそうなるんじゃ!? なんで赤が三人で白が二人なんじゃ? というかなんでその二色……歌合戦か!?」

 

 もうすぐ年末だしなー、と凪は心の中でツッコミに参加する。

 すると雪風が「あのぉー」と小さく手を挙げる。「なんじゃ?」と利根が雪風を見ると、

 

「雪風達はそのー、色とかそういうんじゃないです」

「いや、色じゃろ。戦隊は」

「ひとりひとりの個性ってのを見てもらいたいです」

 

 うんうん、と雪風の隣で綾波と響が頷いている。だが、それでは利根のツッコミは止まらない。

 

「そんなもんわからんじゃろ。ちびっこは見た目じゃろ」

「それはー、努力で何とかなりますよ。それに見た目は同じ赤かもしれないですけど、綾波ちゃんはとっても優しくて、とってもいい子です!」

 

 雪風のフォローに響はうんうんと何度も頷いている。「とってもいいお話もあるんですが――」と話し続けようとする雪風だったが「それはどうでもええぞ」とばっさりと利根は切り捨てた。

 

「見た目の事を吾輩は言っとるんじゃ。お主ら、自分でおかしいと思わんのか? お主以外で、何で赤が二人も……」

 

 と、綾波から神通、夕立へと指先が動き、視線はじっと神通を見据える。

 しばらくその視線を受け止めていた神通だったが、ぽつりと言葉を漏らした。

 

「…………姉さんと同じこと言ってますね」

「そりゃあお主の姉さんが正しいぞ。しかもお主、デストロイヤー……駆逐艦じゃなくて、軽巡じゃろ? なんでそこにおるんじゃ? それにファイブディーズの『ディー』ってあれじゃろ? デストロイヤーの『D』じゃろ? お主のせいでそれも成立せんぞ?」

「流れでそうなりました。それに、敵は全て殲滅(デストロイ)するので、問題ないですよね?」

「う、うーーーむ……じゃが、自分と同じ色がいるっていうのは、色が目立つ戦隊としては成立せんじゃろ……」

「んー、そこで中身を見て判断してほしいっぽい」

「いや、だから中身なんて――」

「五人揃って、ファイブディーズ!!」

 

 ご丁寧に挟み込んでくる最大の名乗りと爆発。

 大淀さん、ちょっと張り切っているんじゃないですかね? と少し心配になってくる。

 

「待て、待て待てまてまて……待つんじゃ。だから成立してないと……」

 

 いよいよもって利根もツッコミに疲れてきたのか頭を抱えて天を仰ぎ始めた。凪も凪で爆発に使われる資材に頭を抱えたくなってくるのである。

 観客もヒーローショーではなくショートコントとして認識しているのか、あちこちで笑いが出てきている。

 

「私、教官もしていますよ」

「いや、それはプロフィールに関わることじゃろ。見た目ではわからんぞ」

「むーー……じゃあいいよ」

「え?」

「あたし、やめるっぽい!」

「いや、やめるって!? 吾輩のせいでそうなったっぽい流れはなんじゃ!?」

 

 その返しに利根が慌てだすと、うーん、と考え込んでいた雪風がはい! と手を挙げる。

 

「じゃあ、雪風が青やります!」

「む? おお、それはいいんじゃないかの」

 

 うんうん、と初めて利根に笑顔が生まれた。やっと話が進むのか? と思いきや、

 

「じゃあ響も青を」

「なんでやねんッ!?」

「同じ生き残り組だからね」

「違うと言っとるじゃろう! そうじゃない! そうじゃなくて――なんで脱いどるんじゃ!?」

 

 気づけばヒーローコスチュームを脱ごうとしている夕立と神通。マフラーを取り、衣装のボタンを外しているところを慌てて利根が待ったをかけた。「え? だって、中身の話をしてたっぽい?」と首を傾げる夕立に「中身は中身でも、その中身じゃないわい!」と至極真っ当なツッコミをしかける。

 脱ぐな、と改めて念を押し、雪風へと指さすと

 

「お主は青やったらいいじゃろ。お主は……赤で、って何を食うとるんじゃ!?」

 

 綾波と指さし、次に響と指さそうとしたら、いつの間にか小皿を持って来ていた響が料理をもぐもぐと食べ始めている。話の途中じゃろ、とぺしっと軽く叩いて小皿を横へと置かせる。

 

「おかしいと言うとるんじゃ。吾輩はお主らのために言うとるんじゃぞ?」

「ってことはあれっぽい? 今日はもう戦ってくれないっぽい?」

「当たり前じゃろ。納得出来んぞ。なんで不完全な戦隊と戦わなくちゃならんのじゃ。色がしっかりしていない戦隊なんておかしいからのう。もう一回ちゃんと話し合った方がええぞ? いつも一緒におるんじゃろ?」

「えっと……、この人とは今日初めて会ったっぽい」

 

 その言葉に利根もついに吹き出した。

 この人、と示した神通を震える指先で示しながら「仲間じゃないのか、お主らは……?」と笑いを含んだ声色で問いかける。

 

「そうですね。この方々とは初対面ですね」

「そういえば前回おらなんだな? なんじゃい、初対面と組んだのかお主ら? だったら増々いかんじゃろ。もっとちゃんと……練習するとか色々やることあるじゃろう。その結果を次回、見せてもらおうかの?」

「はぁ、次回も会ってくれるっぽい?」

「こんなもん見せられたら、気になるじゃろうが。あともう一つツッコミどころあるぞ?」

「なにかな?」

「ファイブディーズって……危ないじゃろ。お主ら、戦隊なのか、ライダー……っていうか、決闘者なのか。ややこしいじゃろう」

「別にバイクと合体したりはしない」

「知ってるじゃないか!? 知っててやるんじゃない! その辺りの調整もして、次回ちゃんとした結果を吾輩に見せるんじゃ。ええの?」

 

 利根の言葉に夕立達が返事をすると、そこで解散となった。どうやらショートコントはこれで終わりらしい。

 役者がはけると、観客らは一斉に拍手をした。

 なんというか、本当に大丈夫なのか? とか、色々やばいぞ、とか、言いたいことが色々ある。だが何よりも、普通にヒーローショーで良かったんじゃないか? とつっこみたかった。

 一体何がどうなってショートコントになったんだろう。

 長門が参加できなかったからだろうか。でも川内と足柄もいるから普通に戦うだけなら問題ないだろうに。

 そういえば神通が演劇どころじゃない云々の事を話していたような? それで一旦ショートコントを挟んだ?

 どのような理由かはわからないが、それでも観客を楽しませたのは確かだ。

 続いて出てきたのはトラックの艦娘達だが、こちらは真っ当なヒーローショーだ。そういえば東地がうちにも取り入れようとか言っていたが、本当に取り入れてしまったのか。

 

「……何と言いますか。自由ですね」

「ま、プライベートにはあまり口出しはしないんでね。その辺りは緩いよ」

 

 川内が夕立の事をレッドと呼んでいたような気がするし、呼び始めていた時期にはもう下地は出来ていたのだろう。そこから神通を引き入れ、台本を用意し、ショートコントをこっそりと完成させていたとか、恐るべし。

 

「でも君のとこの那珂だって、最初っから飛ばしていたじゃないか」

「那珂はああいう性格で生まれるんですから、どこも似たようなものでしょうに」

「残念ながらうちには那珂がいないもので……。資料でしか知らないんだ」

「ああ、そうですか……」

 

 トラックの川内はヒーロー側らしい。敵役の金剛相手に殺陣を披露し、盛り上げていっている。

 口ではああ言っているが、何となく淵上も楽しんでいるように思える。ステージを見る眼差しはどこか穏やかなものだ。そんな顔も出来るんだな、とこっそり凪は思う。いつも澄ました顔をし、素っ気ない態度が多い淵上だが、それでも顔のつくりは本当に美人と言えるものだ。

 もう少し柔らかい人だったならば良かったのだろうが、残念ながら環境が彼女を硬くしてしまった。普通にアカデミー時代を青春して過ごしていれば、と考えれば非常にもったいない。

 だが今からでも取り戻せるだろう。自分がそうであるように、淵上も良い出会いをすれば変わっていけるはずだ。

 こうして相席で宴会を楽しんでいるのに、そこで自分がその相手になろう、と考えないのが凪という男であった。

 

 宴会はまだまだ続く。

 そこには笑顔が満ち溢れ、それは夜通し消えることはなかった。

 

 




あの頃は色々面白かったですね。
はっぱ隊、軟式globe……色々はっちゃけてました。


ネタを書く際の参考に某MADを見てましたが、それでも笑えるいいネタですね。


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布石

 

 宴会が終わった次の日、凪達はそれぞれの指揮艦で鎮守府へと帰還した。東地はトラック泊地のため短い航行で帰還したが、日本へと帰る凪と淵上は数日かけて帰る事となった。

 やがて淵上とも別れ、凪は幾日ぶりの呉鎮守府へと帰ってくる。

 大本営から送られてきた警備隊からの報告書を受け取り、駐留に掛かった資材や費用の一部を支払う。

 そしてこの遠征に掛かった資材を纏めたものを、大淀から報告書として受け取った凪は――

 

「――たっけぇな。これ、マジ?」

「はい」

「いや、うん……予想よりちょっと上回ってるんじゃないかとは思ったけど、これほどっすか。そうっすか」

 

 ラバウル基地までの往復で移動した指揮艦のものや、艦娘達を動かす際に使った燃料。

 艦娘達を修理に使った鋼材にバケツ。

 何より攻撃などに使った弾薬、ボーキサイト。

 最後に、先程警備隊に支払った資材も加味される。

 それらを全て計上した数値は軽く万を超えた。特に燃料は二万に近くなっている。一番使うかもしれない、と貯めておいて良かったと本気で思う。

 艦娘の中で一番食ったのはやはりと言うべきなのか。史実でもかなり食うためにあまり容易に動かせない存在だったのだから仕方がない。

 

「……大和型はさすがだねえ。後半にしか出してないのに、こんなに持っていったの?」

「囮を引き受けてからが本番だったかと思います。飛行場姫の際はほとんど撃つだけだったのですが、戦艦棲姫との戦いでは……」

「あー……そうだったね。前へ前へと出ていった上に、撃ち合いで被弾を重ねたからか……」

 

 そのため、あの一戦だけでごりっと資材が減ったようだ。艦娘数人分を一人で持っていくのはとんでもないことだが、大和なら仕方がないと思えるだけのスペックなのだから、多少は理解できる。

 理解は出来ても、一筋の汗が流れてしまうのは仕方がないだろう。運用する側としては、ちょっと抵抗が出てしまう。だが、それに見合うだけの力があるのは確かだ。これからも決戦の際には運用する事にしよう。

 続いて凪は報告書の作成に取り掛かることにした。

 ソロモン海戦で戦った敵についての情報を美空大将に求められている。

 それぞれの感じた事、敵の特徴などを書き、情報を共有するのだ。

 その間に艦娘達にはやるべきことを伝えておかなければならない。休息は帰還する間に充分とってあるので問題ない。

 

「いつものプランで訓練を。今日は遠征はなしでいいよ」

「はい。その旨、通達しておきます」

 

 大淀が一礼して去っていき、凪はパソコンで報告書を書き進めていく。外で大淀の通達を聞いた艦娘達が一斉に海へと向かう中、凪は一人で静かに作業を進めていった。

 

 次の日、書き上げた報告書を美空大将へと提出すべく通信を繋いだ。

 それだけでなく以前話していた大型建造ドックの改装工事についてもお願いする事にする。

 それらの書類を提出すると、美空大将からはソロモン海戦における報酬の件について話し始めた。どうやら今回も色々と送ってくれるらしい。

 

「ではまずは艦娘から」

 

 軽巡、阿賀野、能代。

 潜水艦、伊19、伊8。

 そして戦艦、武蔵。

 これらの艦娘データが送られてきた。

 大和の構築が終わった後に、もう武蔵が出来上がっていたとは。だが同じ戦艦なのだ。大和と並行して作っていたならばおかしいことはない。

 しかし今回は作ることは出来ないだろう。

 大和の場合は異例の条件で生まれ落ちたのだ。武蔵の場合は例の大型建造ドックがなければ生まれることはない。

 そして艦娘の次は装備だ。

 応急修理要員。

 53cm艦首酸素魚雷。

 今回は装備に関してはあまり多くない報酬のようだった。だが贅沢を言える立場ではない。前回の大和に今回の武蔵。それだけでもかなり大きな報酬なのだ。

 

「それから、貴様に渡すものがある」

「なんでしょう?」

 

 パソコンに送られてきたのは大型建造可能艦娘、というファイルだった。

 大型建造によって生まれる艦娘は大和や武蔵だけではない。他の艦娘もまた作ることが出来るようにするためのデータのようだった。

 そこにはこう書かれてある。

 揚陸艦、あきつ丸。

 潜水艦、伊401、まるゆ。

 装甲空母、大鳳。

 以上の艦娘が大型建造において、一定の資材を投入した時に生まれる可能性があるようだ。大鳳や伊401はいいとして、あきつ丸やまるゆといえば陸軍関連のもののはずだが、一体どういうことだろうか。

 

「少しばかり陸軍とも交渉したのよ。以前から方々に手を伸ばしていてね、使えるものは何でも使ってやるのが私のやり方なのよ」

 

 出世するために振るった手腕を発揮したという事だろうか。そのチャレンジ精神があってこそのし上がり、改二の技術にもたどり着いたのだろう。そういう所は美空大将ならではの力と才能に尊敬の念を抱く。凪には出来ない事だ。

 

「もう少しすれば新たなる改二のデータが完成する。公開可能になれば貴様達にも送ってやろう」

「ありがとうございます。美空大将殿」

「改装工事の件も手配しておこう。近日、業者が訪れるからそのつもりで。では、私は次の交渉の件があるからこれで失礼するわ」

「まだ何かあるのですか?」

「ええ。遠方の相手だからそんなに機会はないのだけど、せっかくの時間を無駄には出来ないのよ」

 

 遠方? 陸軍というわけではなさそうだが、一体誰と交渉しているのだろうか。

 何にせよ時間が押しているならばこれ以上通話するのも良くないだろう、と「わかりました」と敬礼した。

 そして凪は一息つくと無意識に足が工廠へと向かっていた。

 作業着に着替えると、手持ちの装備リストを確認する。久しぶりの工廠での装備いじりだ。

 

(戦艦棲姫という硬い敵が現れたんだ。飛行場の砲撃の件もあるし、主砲調整でもしてみるか)

 

 妖精達に41cm連装砲を持ってくるように指示すると、艦娘達の意見書を取り出す。基本的に艦娘ごとに合った調整をしているので、使ってみてどうだったのか、何か別に気になるところはないかを意見書に書くように伝えていた。

 この主砲は長門のものだが、遠距離砲撃となればやはり命中率が悪くなってくる。何度か撃っている内に微調整を施し、命中率を上げていくのだが、外す時は外す。

 時に夕張と共に調整を施し、命中率、そして火力を上げるための改修を行ってきた。それは今日これからも続いていく。

 だが夕張も趣味みたいなものでやっているのであり、彼女の本分は戦闘にある。凪もまたこの装備いじりは今となっては趣味であり、提督としての業務こそ彼のやるべきことだ。去年まではこれを仕事としてきたが、この二人だけでは少し足りない。

 そう考えると、誰か一人本当に装備改修が出来る人がいればいいと思ってしまう。第三課から誰かを引き抜いて雇うか、あるいは艦娘の誰かがその技能を持っているか。

 ないものねだりをしても仕方がない。

 

「よし、方針は決まった。やるか、夕張」

「はーい、任せてー」

 

 作業着に着替えた夕張も合流し、意見書に書かれていた命中率向上願いを果たすために、夕張と共に主砲の調整を進めていくのだった。

 

 

 通話を終えた美空大将は書き進めていた書類に判を押す。それを丁寧に封筒に入れると、それを目の前にいる人物へと手渡した。

 立派な顎鬚を生やした中年の男だ。美空大将にとっては長年の付き合いといえる人物である。

 

「手間をかけるわね、大島」

「なに、かまいやしませんよ。大和に武蔵という大物にも携われた上に、今度はこのような大任を任されたのじゃ。儂としても悪い気はせんよ」

「そう?」

「うむ。これが成功すれば、日本海軍に新たなる風が吹くんじゃ。その任務に関われること、誇りに思いますぞ」

「でも、道中の危険があるわ。西の情勢はひどいものと聞いている。気を付けるのよ」

「はっはっは、大将殿に心配いただけるとは。じゃが、リンガの瀬川の手助けもあるじゃろうて。西からの進軍も多少は抑えるだけの力はある」

 

 リンガ泊地に着任した凪と同期だった3位卒業生。

 これから大島は数人を連れて、美空大将から与えられた任務のためにリンガ泊地へと向かう事になるのだ。

 これまで凪が関わってきた海戦には関わってはいないのだが、瀬川はリンガ泊地から西、すなわちインド洋方面に睨みを利かせている。

 話によればヨーロッパやアメリカでは熾烈な戦いが繰り広げられているとの事らしい。それぞれの海軍が何とか押し留めて滅びを回避しているようだが、それが長く続けば苦しいものになる。

 そこで美空大将はお互いの艦娘や装備データの一部を共有し、戦力拡張を提案した。丁度日本は大和と武蔵の構築に成功している。その二つをそっくりそのまま手渡すのも何なので、どちらかを共有する代わりに、向こうからも何かを提示してくれないか。

 その交渉をこれから某国に行おうという試みである。

 

「では行ってまいります」

「気を付けて」

 

 敬礼した大島が退出すると、美空大将は別の書類を確認する。

 そこにはショートランド泊地、ブイン基地の建設計画が記されている。こちらに関しても調整が必要だ。

 また大島には某国への交渉だけでなく、インドネシア方面の他の基地の下見も兼ねている。候補としてはタウイタウイやパラオが挙げられている。

 西の深海棲艦は今のところはヨーロッパ方面、主に大西洋で活発に動いている状況。地中海やインド洋は落ち着いているようだった。つまり今はリンガ泊地周辺で大きな戦いにはなっていないようだが、いつどうなるかはわからない。

 最近までは南方のソロモン海域が活発になっていたが、それはようやく制圧されたのだ。つまり、次はどこが活発になるのかはわからない状態にある。

 日本海軍が出向ける海域は太平洋、南西諸島、北方、そして南方だ。その中の南方が落ち着いたならば、今度は他の三つの海域のどれかになるだろう。

 だからこそ備えねばならない。

 美空大将はこの時間を利用して某国との交渉を進め、同時に新たなる泊地建設を進める事にしたのだ。

 交渉や泊地建設だけではない。

 新たなる艦娘や改二の準備も進めている。それだけやることが増えている今、美空大将に少しずつ疲労が蓄積している。淵上が離れてからは、補佐は大淀が務めている。だが短い付き合いの中でも大淀は美空大将の疲れを感じていた。

 

「美空大将殿、大丈夫ですか? 少し、お休みになっては?」

「気遣いありがとう。でも、大丈夫よ。今は休む時ではないわ。色々とやることが残っているもの」

「この数日お帰りになっていないのでしょう? 香月(かづき)さんはよろしいのですか?」

「親がいなくて寂しがる年頃でもないわよ。それに、時間を見てメールや電話はしているわ。……実際に会って話をした方がいいというのはわかっているけれどね。残念ながら今はそうしている暇はないのよ。これが終わった次は改二調整の具合を確かめるのだったわよね?」

 

 修正すべきところにペンを走らせながら大淀へと確認すれば、スケジュール帳を手に彼女は頷いた。

 そして香月というのは美空大将の次男である。来年アカデミーを卒業見込みの子であり、一定の成績を収めなければ卒業はおろか進級すら出来ないアカデミーの教育方針からいえば、ひとまずは優秀といえる人材といえる。

 だが美空大将はその立場と仕事量から、昔のように家族団欒の時間は取れずにいた。特に長男である星司を喪ってからは、より一層仕事に打ち込んでいるという話もある。

 つまり実の子供である香月より、姪である淵上の方が接している時間が多いという事でもあった。

 

「ですがよろしいのですか? 香月さんは……その、話によれば――」

「――知っているわよ。私としては、そんな理由で提督になるものではないと前から言っているのだけどね。聞く耳持たないのだから仕方がない。……だからこそ、私なりの信頼のおける二人を先に据えておいた」

 

 ふっとどこか悲しい表情で笑いながら美空大将はペンを走らせ続ける。

 星司を喪って変わったのは美空大将だけではない。どうやら次男の香月もまた変わってしまったようだ。

 身内を喪ったならば当然持ちうる感情を胸に、香月は何としてでも卒業するのだと励むようになった。母親としてはそのような理由ではダメだと言い聞かせようとしたようだが、香月がそうであるように、美空大将もまた喪った事で芽生えた感情に突き動かされたかのように出世していったのだ。

 そんな母を知っている香月としては、彼女にだけは言われたくないと反抗したのだろう。最早どちらも止められるものではなかった。

 今では大将の立場へと上がった美空陽子。

 そして美空香月もまた来年卒業し、成績上位ならば提督として着任出来るのだ。目標達成が目の前にある中、美空大将がしたことは、凪と淵上を先に提督として着任させ、力をつけさせたことだった。

 先達として信頼のおける二人がいるならば、万が一の時にでも救援に向かえるだろうという考えだった。そうでなくとも、二人を見て何か感じるものがあれば、少しでも考えが変わるならば、そんな思いもあっただろう。

 これが上手くいくとは限らないが、美空大将としては何かしなければならないという思いの中で動いたことだった。完全な身内の事情による采配だが、それを抜きにしても凪という人材は思った以上によくやってくれている。

 これもまた海藤迅の、海藤家の血の影響なのだろうか。あるいは隠してきていた凪の力が振るわれた結果か。

 何にせよ、何かが起こらなければ当初の目論見以上の成果を見せてくれているのは確かだった。淵上もこれから伸びていくだろうし、今のところは順調といえよう。

 

「――さ、これを渡して来て頂戴。私は改二を見に行くわ」

「……かしこまりました」

 

 話は終わりだ、と言わんばかりに打ち切るようにチェックが終わった書類を大淀に渡すと、美空大将は足早に部屋を退出していった。

 軽く渡された書類に目を通したが、しっかりと最後までチェックが済んでいる。話しながらも仕事はきっちりこなす人だ。ぬかりはない。

 だがこのままでは倒れてしまう危うさがある。

 進言しても、彼女の言うように今はやることが多いのだ。体調管理は本人だけではなく、大淀からも見ていくしかない。ぎゅっと唇を噛みしめて大淀も退出したのだった。

 

 

「私にも……私にだって、出来るはずだ……」

 

 ぶつぶつと囁くような声がそこに響いていた。

 薄暗い空間の中、それは映し出されているモニターと、散らばっているがらくたを見つめている。

 先代呉鎮守府提督。今となっては深海勢力における南方提督と呼称される存在だ。

 ソロモン海戦における二度の敗北により、フィジーへと身を潜めた彼は今、身を焦がすかのような屈辱と怒りにまみれている。だが、それは死した後に生まれたものなのだが、生前に味わったものも加味されている。

 思うように戦果を挙げられず、上からは見捨てられそうになり、焦った挙句の死。死に至る要因の中に、認められなければならない、そのためには戦果を挙げなければならない……そういった承認欲求に突き動かされていた南方提督。

 彼は今もその心の中に承認欲求が存在しているのだが、それを認める事も自覚する事もない。深海棲艦は心がない。死んだ者にそんなものはないのだ、と凝り固まった思考が存在するからだ。

 そんな矛盾を抱えたまま動く彼は、まさしく亡霊と呼ぶにふさわしい。死んだ者が動いているという世の理に反した存在。いや、それをいえば艦娘もまたそうなのだろうが、彼女達は心が存在する。それこそが彼の考えに反論することが出来る生きた証拠なのだろうが、亡霊である彼にとってそんなものを突き付けられれば暴走するだろう。

 それだけ彼には危うさが存在していた。

 その危うさを孕んだまま、彼はまた何かを作ろうとしていた。そんな心で何かを作るなど危険極まりないだろうが、残念ながら彼を止めるものが存在しない。

 

「何を作ればいい……何を作れば、あの方に認めてもらえる……?」

 

 ユニットから表示されているモニターには、今まで生まれた深海棲艦が表示されている。

 周りのがらくたは主に船の残骸や武装だ。これらを組み合わせ、深海棲艦の力の素を注ぎながら細かな調整を繰り返していく。

 飛行場姫に関してはまた別のやり方を用いたが、基本的に普通の深海棲艦に関しては鬼や姫であっても何も変わらない。最終的には調整の仕方にかかってくる。

 そう、鬼や姫を作ろうと思えば調整の腕が関わる。だが、そうまで大きな存在を作るのではなく、一般的な深海棲艦であり、なおかつ新たな道を切り開けばどうだろうか。

 

「……そうだ。中部の残していったあれらを基本とし調整を施せばいい。砲撃、雷撃、航空……あれもこれもとつぎ込むことは無駄ではある。だが、上手くいけばやはりこれは大きな力となるんだ……」

 

 泊地棲姫、装甲空母姫、南方棲戦姫。

 大型艦として生れ落ちた深海棲艦。だがその三種の攻撃方法を備えながら艦娘達に敗れ去った。鬼や姫としては初期型故に仕方がないかもしれない。深海棲艦も艦娘も成長し、変わっていくのだ。あれらは、その波に追いやられた存在なのだと考えよう。

 ならば新たな波を自分が作ればいい。

 言うなれば、深海棲艦の第二世代だ。

 

「ふ、ふふ……ふはははは……! そうだ、私が、私が作るんだ。ヘンダーソンという新たな波を私が作ったんだ! こっちでも、私は出来る、出来るはずだ……!」

 

 意気込む南方提督は、その気合いの入れ方を示すかのように激しく眼の光が明滅している。道を見出した彼は、早速作業に取り掛かるのであった。

 

 冬が訪れる中、それぞれが次なる戦いに備えている。

 ひと時の平穏な時間が訪れるというのに、彼らはもう次を見据えている。

 その手に勝利を掴むために、冷たくなってくる世界の中で、胸には熱い思いが燃えているのであった。

 

 



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偵察機

 大型建造を可能とするための工廠改装工事が始まった。こちらもまた妖精の力を借りての工事なので拡張工事よりも早い、一、二日で完成するだろう。その間は工廠での作業が出来ないので、凪は別の仕事で時間を過ごす事となった。

 艦娘達の訓練の様子を窺い、書類整理を行い、夜は時間を見て東地達と話をする。

 一日目はそう過ごした凪だった。

 工事二日目、凪は鎮守府に備えられている資料室にいた。ここには在籍していた提督らの情報や、集まった情報、そして過去の海軍の軌跡などが収められている。

 その中には深海棲艦が出現する以前、すなわちかの大戦についての情報もまた存在している。

 ソロモン海戦の情報も存在し、そこにはヘンダーソン飛行場に対する夜間砲撃作戦についても記されている。他にも第一次から第三次にかけての戦いなども記され、犠牲になった艦も存在している。

 その中で挙げるならば、今回の戦いは第三次ソロモン海戦といえよう。

 この呉鎮守府に縁のある艦と言えば夕立や綾波などか。

 敵陣に切り込んでいってかく乱させ、多大な被害を与えて沈んでいった夕立。

 単騎で敵と相対し、しかし意地を見せて敵に被害をもたらす。その後乗員全員が避難、救助された後に大爆発を起こし、沈んでいった綾波。

 比叡もまた、かの戦いで沈んでいった戦艦だ。探照灯を使用した事による位置露呈の影響で敵艦隊の標的となり、集中砲撃を受け続ける事となる。その多大な被害を引きずりながら撤退を試みるも、夜明けと共に空襲にあい、なおも混乱状態が続行の果てに沈んでいった。その最期の現場には雪風もいたらしい。

 そういえばソロモン諸島にはコロンバンガラ島もあったか、と何となく思い出した。コロンバンガラ島といえば神通だろうか。彼女もまた雪風とは史実の二水戦で縁深い。

 そしてその雪風、北上、響は終戦まで生き残っていた艦……。

 こうしてみると呉一水戦は妙な繋がりが出来てしまっているな、と不意に気づいてしまった。あまり意図して出来たものではないので、偶然の産物とはいえ驚きだ。

 さて、ここに来た理由としては史実を振り返るという点では同じではあるが、ソロモン海戦について調べる事ではない。

 何か攻めに使える戦術がないかを調べにきたのだ。

 例えば凪が艦娘の装備として構築した煙幕。身を隠して戦域離脱に使用するだけでなく、どこから撃ってくるのかわからなくさせる、という点でも使える代物だ。複数で使用して取り囲めば、まさしく突撃態勢が出来上がり、相手を攻め落とすことが出来るだろう。

 夜間砲撃。飛行場に対して三式弾を撃ち込んだ作戦だ。昼ならば空襲が可能だが、夜となればそうはいかない。その弱点を突き、滑走路や施設を破壊して使えなくしようとしたものだ。今回、深海棲艦はその特徴を引き継いだ存在が生まれたので、もしかするとこの先もそういった敵が現れるのは間違いない。

 だが、それ以外にも何か使えるものはないか。

 装備改修による火力や命中向上だけでは足りない。

 また別の何かが欲しい。歯車と歯車が組み合わさり、一つが回ればもう一つも回る。そうして力が加わって大きな力を生み出すかのような、そんな何かが。

 ふと窓の外、遠くに艦載機が見えた。何となく本棚から離れて窓に近づくと、少し離れたところで空母達が鍛錬しているのが確認できた。模擬弾を使用して艦戦同士でドックファイトをしているようだった。

 少し見てみるか、と何となく凪は思い立って彼女達の元へと赴いた。

 

「くっ、なんか日々追いつかれている気がする……!」

「当然です。あなたがそうであるように、私もまた成長するのですから。いつまでも先輩面出来るものと思わない事ですね。それが嫌だと言うならば、精進しなさい」

 

 現場に着くと、また瑞鶴と加賀がいつものようなやり取りをしていた。どうやらドックファイトは加賀が勝利をおさめたらしい。瑞鶴が随分と悔しそうな表情で唸っている。

 千歳が凪に気づいて「おや、どうかされました?」と声をかけてきた。

 

「いや、ちょっと様子を見にきただけさ」

 

 空を見上げればまた艦戦達が舞い上がっていた。放ったのは飛龍と翔鶴であり、しばらく距離をとってから一気にぶつかり合っていく。

 いかに被害を抑えながら制空権を取りに行くか。被害を抑えれば未帰還の数が減るし、失われた艦載機を補充するための資源も減る。そして再び攻撃に転じる際のこちら側の戦力が残るという事でもある。

 飛行場姫という新たな敵の出現の影響か。空母達の士気が高まっていた。

 あれ一体でかなりの空戦に使える兵が大量展開出来るのだ。今回は奇襲によって勝利したが、次はそうはいかない。まともにぶつかり合えば、制空権を取りに行くことは難しいだろう。

 だからこそ、少ない犠牲で済むように、あるいはそんな中でももぎ取りに行けるだけの力をつけるために。彼女達は日々鍛錬を行っていた。

 

「でもやはりもう少し空母の仲間が欲しいでしょうか」

「他の鎮守府の方々と組める時は問題ないかもしれませんが、呉だけですと少々戦力不足な気がいたしますね」

 

 千歳と祥鳳がそう進言してきた。確かにそれは否定できない。

 呉鎮守府にいる空母は祥鳳、千歳、翔鶴、瑞鶴、加賀、飛龍の六人。その気になればこの空母だけで一隊が出来るが、護衛もつけずにそういう運用をするのは現実的ではない。

 ついでに言えば、戦艦の数も他の鎮守府に比べれば少ないかもしれない。

 長門、山城、日向、比叡、榛名、大和。だが種類で分ければきっちり二人ずつと言えよう。低速に長門と大和、航空戦艦に山城と日向、高速に比叡と榛名という具合だ。

 だがこの少数なのに、資材の減りはなかなかのものだった。今はその減らした資材を取り戻す期間といえる時間である。空母と戦艦だけでなく、他にも艦娘を充実させたい気持ちもないことはない。

 でも今は少しでも回復させておきたいところ、というのが今月の方針だった。

 

「まだしばらくはこのままかな。増やそうとは思うけどね」

「そうですか。ではその時を楽しみに待っていますね」

 

 資源回復に努める日々、それこそ大きな戦いの後に続く日常だ。

 美空大将から送られた新たな艦娘を生み出したい気持ちもないことはない。それよりも問題なく鎮守府の運営をする事こそ大事なこと。

 そう考えながらドックファイトの様子を見守り続ける。

 空を自由に舞う翼。これにより当時の戦法はがらりと変わった。

 大鑑巨砲主義の象徴である戦艦から、その射程外から艦載機を発艦させて敵を討ちにいく空母の時代の到来である。

 人の戦いというものは敵よりも遠くから攻撃してこそ有利とされる。

 素手から武器へ、武器は剣から槍へ、槍から更に遠くから攻撃できる弓へ。

 飛来してくる矢よりも、早く敵を撃てる銃へ。

 銃もまた砲へと変化を遂げ、海戦においては船に砲を装備する時代へ。

 そんな風に人の戦いは変化していった。

 より遠く、より強力な攻撃が出来るように、と変化していくならば、大鑑巨砲主義もまた、一つの時代と変化の中で廃れるのも当然の流れだった。

 だが艦娘の戦いならば、この二つは共存できる。

 空母達が制空権を確保し、その状態の中で戦艦達がその力を十全に発揮するという戦い。

 先の戦いの中でも、戦艦という頼もしき存在がいてこそ戦艦棲姫や飛行場姫を討つ事が出来たようなものだ。

 それに敵対してこそ分かる。

 やはり戦艦というものは、強力な砲を装備し、強固な装甲で身を守る。シンプルさを突き詰めて力を得た存在というのは、強大な敵なのだと改めて実感できる。

 

(――ふむ、空、か)

 

 ふと、凪の脳裏に一つの記述が思い出された。

 制空権を取った後ならば、安全に動けるものが艦載機以外にもいたはずだ。

 空戦が巻き起こっている状態ならば、とてもではないが出すに出せない存在。しかし安全が保障されているならば、悠々と飛び回り与えられた任務をこなすことが出来る。

 それにあのゲームでも確かこのシステムはあったはず。

 煙幕と同じく今の艦娘の戦闘においてはまだ訓練項目が存在していない。そのためどの鎮守府でもこのやり方は採用されていないため、一から仕込むことになってしまうが、幸い今なら時間はある。

 凪は「一つ用事を思い出した。訓練、頑張ってね」と手を挙げて走り去る。

 懐から通信機を取り出して「長門、今出てこられるかい?」と呼びかけると、彼女から是が返ってきた。

 

 

 工事三日目、それは完成した。

 大型建造を可能とするドック。通常の建造も変わらず可能であるが、必要に応じて大量の資材を投入する事で、それに合わせた新たな艦娘を作り出すことが出来るようにしたものだ。

 ついでに工廠も若干拡張、改装を行い、より多くの装備や資材を置くことが出来るようになっている。あまりにも早い工事ではあるが、これも妖精の力によるものだ。相変わらず、謎めいた存在である。

 さて、さっそく大型建造を――というわけにもいかない。これを動かすのは資材が溜まってからだ。

 業者に感謝を述べ報酬を渡して大淀に見送りをさせると、凪はすぐさま海へと向かう。

 そこには昨日に引き続いて長門をはじめとする艦娘達が集まっており、訓練を行っていた。

 いないのは空母達と、遠征に出ている水雷戦隊。それ以外の重巡や戦艦の艦娘達が各々偵察機を発艦させ、離れたところにある的へと砲撃を行っていた。

 弾着観測、というものがある。

 放った砲弾が目標に着弾する様子を確認し、目標とのずれがどれくらいのものかなどを観測するものだ。これは艦娘自身がずっと行ってきたものであり、各々がずれを修正していき、敵へと正確に砲撃を行っていく。

 だが今やっているのは艦娘だけでなく、それぞれが放った偵察機、観測機と共に弾着観測を行っている。あれらに搭乗している妖精達が着弾を確認し、ずれがどれくらいあるのかを艦娘達へと伝えている。

 艦娘の目から観測したものより、目標に近く、なおかつ空からしっかりと確認している妖精達の方が精度が高い。これはかつての大戦におけるものと同じだ。

 例えるならばスイカ割りだ。

 目標がスイカ、目隠しして棒を手にしているプレイヤーが艦娘、そして妖精はギャラリーだ。スイカを見ているギャラリーはプレイヤーへと「右、右! いや、行き過ぎ、もうちょい左!」と指示するだろう。これが着弾を観測した妖精が発する言葉だ。プレイヤーである艦娘はその指示を受け取って少しずつ修正していく。そして目標であるスイカにぴたっと合えば、「そう、そこだ! 全力でいけ!」と妖精が全力を出せと指示し、艦娘はそれを受けてどんどん砲撃を放てるということだ。

 この方法が上手く浸透し、戦術として組み込むことが出来たならば、艦娘達はより素晴らしい戦果を挙げる事が出来るはずだ。

 しかしこれを確立させるには必要なものがある。

 まずは零式水上偵察機や零式水上観測機。これがなくては始まらない。これらを装備できる艦娘の数だけ用意するのだ。

 そしてこの妖精との繋がりを強固なものにしなければならない。波長が合わなければ、妖精が観測したデータを瞬時に受け取り、理解する事が出来ない。それでは意味がない。

 偵察機を放ち、目標付近の上空へと到達し、砲撃してそれを観測。その結果を受け取り、修正して次の砲撃を放つ。偵察機の妖精自身の練度の高さと強固な絆があってこそ成り立つ事象。

 これが出来なければ、今までの弾着観測で充分なのだから。

 つまり艦娘だけでなく、妖精自身も練度が求められる。だからこそ時間が必要だ。

 どのように妖精との繋がりを深め、そして妖精自身の練度を高めるか。このプロセスを突き詰めなければ、大本営へと新たな戦法として報告することは出来ない。

 

「どうだい、長門?」

「方針としては悪くはない。だが偵察機の妖精との繋がり、というものは少々コツを掴むのに時間がかかりそうだな」

「砲の妖精とはまた違うのかい?」

「妖精ごとに個性があるからな。砲ならば普段から扱っているから何となく波長が合う。しかし偵察機は砲と違って今まで意識して使っていこう、と考えたことはない。だから若干合わせづらい」

 

 戦艦というものはやはり主砲や副砲に重きを置く。その一撃の威力で敵対勢力を粉砕していくのだ。だからその主砲や副砲の妖精達とは無意識であっても何となく波長が合い、言葉に出さずとも意思疎通が出来る。次いで相性がいいのは電探の妖精だろうか。

 呉の艦娘が偵察機を放つ、という事をしていたのは主に利根などの重巡や軽巡だ。それ以外の場合は主に空母が索敵を行っている。だから戦艦である長門が偵察機を使う機会は全然なく、意思疎通がしづらいというのはなんとなく理解できる。

 ふと、静かな笑い声が聞こえてきた。見ると、山城と日向が小さく体を震わせながら思わず漏れてしまっている、という風に笑っているのだ。

 

「ふ、ふふ、ふふふふ……これに関しては、どうやら私達に分があるようね、日向」

「ふふ、そうらしい。ようやく来たようだな、航空戦艦の時代が」

「な、なんだお前達。どうした?」

「悪いな、長門。偵察の妖精と波長を合わせる、という事に関しては一歩、いや二歩私達が先を行く。そう、この瑞雲ならな」

 

 と、誇らしげに二人はその手に乗せている瑞雲を見せてきた。気のせいか瑞雲妖精もまたどや顔をしながら腕を組んでいる。一方長門は「なん……だと……」と大げさに驚きながら引いている。

 

「どうやら瑞雲であっても弾着観測は一応出来るみたいでね……ふふふ、私達は偵察機や観測機ではなく、今まで慣れ親しんだ瑞雲でやらせてもらいます」

「瑞雲はいいぞ。最高だ。長門もどうだ?」

「勧められても、戦艦の艦娘である私には使えんぞ。無茶を言うな」

「残念だ。この瑞雲がもたらす快感、長門達にも感じてもらいたかったが、残念だ」

 

 残念だ、と口ではそう言いながらも、日向はどこか誇らしげである。

 長門が偵察機を使わなかった事に対して、航空戦艦であるこの二人は改装してから長きにわたって瑞雲を使ってきている。ならば容易に波長を合わせやすいのも納得というものだ。

 これも一つのデータとしてとることが出来たのは僥倖。

 航空戦艦も瑞雲を用いて弾着観測が可能である、という事と、波長を合わせやすい傾向にあるという事。と考えると、同じく瑞雲を使える最上型の改、航空巡洋艦ならば同じことが出来るのではないだろうか。

 とはいえ鈴谷はまだ改装していないので今はまだ試すことが出来ない。改装したら試してみる事にしよう。

 

「むむむ……、利根。少しコツを教えてもらってもいいだろうか」

「む? おお、構わんぞ」

 

 どんな形であれ先を行かれてしまった事が悔しかったのか、長門が利根の元へと教えを乞いに行った。瑞雲と言ったらこの二人だろうが、偵察機といえば利根だろう。筑摩もそうだが、この鎮守府において初期からの付き合いである利根を頼りに行ったようだ。

 こうして呉鎮守府の訓練に新たな項目が追加されることとなった。

 数日、数週間にかけて妖精とどのように波長を合わせるか。その方法はどうするべきか、そのコツは。

 制空権を取った後、偵察機らを飛ばし、弾着観測を行っていく方法。誤差修正の速さ、目標を撃ち抜く技術。

 これらを何度も試し、報告書へと纏めていく。

 だがこの呉鎮守府だけで成功しても、この方法が使えたのは呉鎮守府だけ、では意味がない。他の鎮守府での成功例が出てこそ、初めて広く使える技術であると証明できる。

 大本営へと報告するには協力者が必要だった。

 その候補者としてすぐに挙げられるとしたら、一人ぐらいなものだった。

 もう一人いるにはいるが、彼はかなり遠くにいる。残念だが、今回は彼ではなく、彼女に協力を仰ぐことにするのだった。

 

 




いつか来るか来るかと待ち焦がれた(?)敵連合実装。
からの秋イベ告知。



何が始まるんです?


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変化

 

 

 妖精。

 一昔ならば、どこのファンタジーな存在だと笑われるものだった。それまでの妖精のイメージと言えば、人型の小さな少女に翅を生やしたようなものが強かっただろう。金髪で尖った耳を持ち、若葉色の服を身に纏った可愛らしい少女だ。そんな彼女らが森の中で自由気ままに飛び回る。

 そんなファンタジーな世界観があっただろう。

 他の妖精のイメージといえば、去年あたりにとあるアニメに妖精が出ていただろうか。あちらもまた尖った耳を持つ小さな人であり、普通ではありえない力を持っている謎の存在だったか。

 そういう点では今現在、世界で確認されている妖精もまた同じようなものだろう。

 艦娘と同時期に確認され、艦娘の装備や工廠などの作業員として動く妖精達。言語は持っているらしいが、人間には理解できない言葉であり、艦娘とならばある程度の会話は可能。だが人間との間でもある程度は意思疎通を可能としている。

 そしてごく一部ではあるが、人型だけでなく動物型も存在していた。これもまた人型と同じく小さな存在であり、よくわからない力を持っているらしい。例を挙げるなら烈風犬や33号ウサギか。

 彼女らは艦娘と共に人類の協力者として共に深海棲艦と戦ってくれている。艦娘と同じく、まだまだ不明な点が多いのは確かだが、この戦いになくてはならない仲間として存在している。

 そう、今もなお、不明な点が多いのだ。

 どうしてそんな摩訶不思議な力を持っているのだろうか、というのが一番の謎だろう。

 艦娘に関わりのあるものならば、時間を一気に短縮して何かを作り上げてしまう。これが一番よく分からない。

 人の技術よりも発達した技術をどこで身に着けたのか、それすらもわからない。摩訶不思議な力であのような早さを生み出しているのだろうが、原理は今もなお不明。

 だがもはや今となってはそれでいいのだろう。妖精なのだから仕方がない。

 これで済ませてしまう事にし、その早さをありがたく思う事にして装備や施設を作り上げていく事となったのだ。

 

「偵察機、観測機、そして瑞雲、ねえ……。確かにかの大戦でも空からの弾着観測はありましたけど……」

 

 凪が纏めた内容を確認した淵上が、置かれている偵察機らの妖精を見下ろす。彼女らは淵上をドヤ顔で見上げており、自分達にある可能性を誇らしげにしている。

 このように人の言葉も理解しているようで、淵上も小さく頷きながら妖精達を横目で見降ろした。

 淵上は凪からの連絡を受け取り、佐世保から呉へとやってきたのだ。

 凪が考案した訓練項目を確認し、自分の艦隊でも問題なく出来るか否か、それをテストするのだ。

 一週間かけて立案した凪のプランを確認した淵上は、佐世保の戦艦や重巡達に伝えていく事にする。

 時は12月下旬、間もなくクリスマスになろうという頃合い。

 町はクリスマスシーズンに入っているが、鎮守府ではまだその空気はない。今日もまたそれぞれの訓練と遠征をこなしていく事になるのだった。

 

「言われた通り、使える艦娘ごとに偵察機とか用意してきましたけど、まずはその妖精との繋がりとやらを確認するということでいいの?」

「ああ。普段から偵察機とかを使っている娘なら、短い時間でも波長を合わせる事が出来るみたいだけど」

 

 佐世保艦隊でその短い時間においてそれを可能としたのは扶桑と最上だった。どちらも瑞雲を扱うことが出来る艦娘である。次いで波長を合わせられたのは佐世保の秘書艦である羽黒だった。

 彼女も偵察として時折発艦させることが多かったらしく、偵察機の妖精と繋がりが他の艦娘より強かったらしい。

 これにより他の鎮守府の艦娘であっても、この工程が可能であることが分かった。

 妖精と心を通わせる。

 人間よりも艦娘の方がそれは容易いだろうが、それでも第一歩は難しい。呉の艦娘達がそうだったように、佐世保の艦娘達もまた言葉では理解しても、どうすればいいのかと頭を悩ませている。

 助言をするために呉の利根や日向達がフォローに回り、コツを教えていった。

 そして一足早く妖精と繋がった三人には、長門と山城が目標に向けて弾着観測射撃が出来るか否かを確かめる。瑞雲と羽黒が放った偵察機が空を舞い、的の上空へと移動していく。

 位置についたところで三人は砲撃を行い、妖精とのやり取りを経て修正していく、という流れだ。そのやり取りの早さ、正確さを確かめていくのだ。

 その様子を埠頭から凪と淵上は見守っている。

 

「それにしても、煙幕といい弾着観測といい、新たな道を次々と思いつくものですね」

「たまたまさ。それに飛行場姫や戦艦棲姫を前にしてしまったんだ。あれらを容易に崩せる方法を模索するのは自然なことだろう?」

「それもそうですが、閃く速さには驚くものがあります。それもまた、海藤先輩の才能の一つ?」

「持ち上げすぎさ。それに、これもまた一種のゲーム脳みたいなもんだよ」

「といいますと?」

「駆逐使いの君はあまり使用する機会はないかもしれないけど、あのネトゲ、観測機を飛ばして弾着観測する砲撃もあるんだよね」

「……あー、戦艦の観測機のあれか」

 

 凪達がプレイしているあの海戦ゲームの事だ。

 砲撃する際には普通画面と、スコープで覗いたかのような拡大画面と切り替えることが出来る。その中で戦艦が観測機を発艦させるというシステムがあり、その際にはまるで観測機が見下ろしているかのような俯瞰画面になるのだ。

 こういう視点変化もゲームならではといったところか。

 きっかけは情報を求めていた際に資料室の窓から見えた艦載機、そして空母と戦艦の繋がりからの連想だろうが、かのネットゲームをプレイしていたからというのもある。根本的には煙幕の時と同じようなものだった。

 

「でもゲーム脳ならあれじゃあない? 観測機から見える、俯瞰視点? あれみたいなのを、艦娘でも見えさせるようにするくらいの波長の合わせ方を試す、とかしてみせるんじゃあないですかね」

「……ふむ?」

「なんでも空母の放った彩雲か何かで、妖精の見えているものが空母にも見えるという事例があるじゃないですか。不可能ではないでしょう? そうすれば、より目標が見え、抜きやすい場所がよりわかるから、一気にダメージを与えられる可能性が――」

「――いい意見だ。確かにそれも一つの手段として採用できる。自分の見えているものと妖精の見えているもの。どちらが上手く命中させられるかは艦娘ごとに違うだろうけど、提案するに値する意見だよ」

 

 感謝するように頭を下げ、凪は祥鳳の元へと向かっていった。淵上が話していたことを伝え、祥鳳も相槌を打ちながら頭の中でイメージしている様子。

 淵上もそれを見ながら、やはり凪は変わっているのだなと改めて実感していた。

 そんな事を思っている淵上を那珂がどこか面白そうな目で見つめている。

 

「海藤さんが気になっているのかな~?」

「……別にそういうわけじゃない」

「好きなの?」

「そっちに持っていくのはいただけないわね。そのおめでたい頭をどうにかした方がいいのかしら?」

「ぢょ、いだっ、いたいって! 顔、頭はやめてーー!?」

 

 那珂の顔にアイアンクローをかましてぎりぎりと指をくいこませていく。たまらず腕にタップをして止めようとするも、淵上はそれでも数秒は締め上げ、解放してやった。

 頭を抱える那珂にため息をつき、「アイドルが恋愛脳ってどうなの?」と呟けば、「那珂ちゃんはNGだけど、提督はいいんじゃない?」とちらりと指の隙間から見上げてくる。

 

「提督をするのもいいけど、プライベートでも女の子しないとさ。そんな風にいつも澄ました顔で過ごしていると、色々逃げて行っちゃうよ?」

「別にあたしはそういうの求めていないし、余計なお世話というもの」

「もったいない。もったいないよ~、湊ちゃん。見た目は可愛いんだから、普通の人間みたいに彼氏の一人くらい見つけなきゃ! いつ、この日々が消えてなくなっちゃうかわかんないんだしさ」

「……そうなったらそれまでよ」

 

 身内の死は知っている。提督が慢心などによって死ぬことも知っている。

 知っていながら、淵上は自分はこのままでいいと望むのだ。

 余計なものがあるから、死を恐れ、判断力が鈍る。それまでの性格もまた変化してしまう。それではいけない。

 そう、美空陽子と美空星司、そして美空香月という身内の変化を知っているからこそ、淵上湊は変わることを良しとしない。親しい人が出来てしまえば、自分もまたそれに引きずられて変わってしまうかもしれない。

 それは提督としての任務に支障が出てしまうだろう。だから彼女はそういう特定の人間を作ろうとは考えなかった。

 幸い自分はあれから他人というものを遠ざけているし、興味を抱かせるような人間にも必要以上に近づこうともしない。

 いや、目の前に確かにその候補になりそうな人物がいるが、そういう関係になろうとは考えていない。彼もまたそんな事を考えていないようなのでこれもまた幸いだ。

 

「どうかしたのかい?」

 

 祥鳳との話を終えた凪が首を傾げて淵上に問う。なんでもありません、と返す淵上なのだが、那珂が「実はですね~」と手を挙げて説明しようとする。すかさずその頭を掴んで無言で圧をかけていった。

 

「ちょ、ま、湊ちゃん……やめ……!」

「なんか凄い目ぇしとんぞ。どうどう、落ち着いて、ゆっくり指を離してやりぃな」

「あたしは落ち着いとるわ。……那珂、さっきの話は触れるな。ええか?」

「おーけーおーけー。それと湊ちゃん、素が出てきてるから……」

「…………海藤先輩に引きずられただけ」

 

 淵上の雰囲気に思わず関西弁が出てしまう凪であり、そして淵上もまた関西弁が出てしまった。那珂を睨む凄味のある眼差しも完全に消えておらず、那珂の言う通り素がじわじわと出てきているようだった。

 

「ま、でもええんじゃねえか? こうして素を出してくれた方が気楽やろ? ほれ、どんどん方言出してこやないの」

「あぁ? こうして関西弁同士で喋ってたらあれでしょ? この言葉の響きのガラの悪さが目立つんじゃないですか。いいんですかそれで? 空気わるくなるのでは?」

「なんやそんなん気にしとるんかい。出身地びいきじゃないから言うけど、そんなん今更やろ。でも方言ってのはね、これはこれで味があるってやつや。それに、こうしてすらすら喋れてるのはいいことじゃあないかい?」

「……あんたもアカデミーに入学してから方言やめた口ちゃうんかい」

「そりゃあね。もろ関西人ってのを出す気はなかったし、そもそもあの頃は人と関わろうともしなかったし。でも今でもそうやけど、茂樹の前ではちょっとだけは出しとったよ。だから君ほど方言をやめてはいない」

「でも提督としては出しとらんやろ」

「まあなあ。艦娘で方言喋るとしたら龍驤や黒潮ぐらいなもんやし、標準語の方が意思疎通はしやすそうやから、使ってないだけではある。……金剛は、あれはキャラやろ?」

「あたしに訊くなや。うちにおるけど、そんなん面と向かって訊けるかいな」

 

 そんな風に関西弁で話をしていると、何となく気になってくるものらしい。数人の艦娘がなんだなんだと二人の方へと振り返っていた。

 それに引きずられただけ、という割にはもう完全に関西弁で話している淵上。少し不機嫌なのは隠しきれていないが、それでも相手しているだけ彼女も優しい。それを近くで見ている那珂としては、面白い光景だ、と思うと同時に、さっき話題にしていた彼氏候補がやっぱり凪ではないかと強く感じ取る。

 

(いつも見せない表情をこんなにも。やっぱり、素を出せる相手って必要だよ。湊ちゃん)

 

 まだ関西弁で言い合いを続ける二人を眺めながらそんな事を思う。

 普段の淵上と違い、そこにいる彼女には感情が、表情が生き生きとしているように思える。それは凪も同様であり、普段以上に活気がある。

 着任する以前よりはマシになっているが、凪もまたどこかで感情を抑えながら過ごしているようなものだ。女性が苦手だったはずなのに、艦娘ではなく人間の女性相手にこんな風に話せるのは意外だ。

 彼からすれば淵上というのは苦手そうな人だというのに、やはり同郷の人間だからだろうか。

 そう考えると、那珂としてはやはりこの二人はお似合いなのではないかと考えてしまうのだ。

 とはいえそんな事を口にする気は今はなくなっている。二度も痛い目にあえば、余計なことは言わないように気を付けるというものだった。

 

 

「――出来た。ふふ、私でも出来たぞ……! これが、次世代の種か……!」

 

 南方提督の眼前に、眠るように瞳を閉じている少女が座っている。

 白いショートカットをした小柄な少女だ。衣装は着ていないので裸だが、深海棲艦としての「種」ならば、子供の姿というのも頷ける。以前中部提督が見せてくれた空母の種とされる存在も、まだ子供の姿だったのだから。

 傍らには彼女が使用するであろう艤装が鎮座しているが、まだ完成には至っていない。駆逐艦のような頭部をもった艤装から、蛇のような長い胴体が伸びているのがポイントだろうか。

 

「くっくくく……あとは艦載機の発艦機能だ。そしてこれらを一つにする……! そうすれば、私はあれらと違い、量産型としてこの兵器を生み出せたのだと証明できる! そうすれば、私を認めてくれるはずだ!」

 

 泊地棲姫や南方棲戦姫のように砲撃、雷撃、航空戦力、これらを搭載した深海棲艦。鬼や姫ではなく、イ級らのような量産型にこれらの機能を持たせた存在。

 南方提督が目指した新たなる深海棲艦。彼曰く、第二世代の深海棲艦の第一歩をこの少女が刻むのだ。

 それ故に今までの鬼や姫のような明確な艦の元となるものは存在しない。量産型のように様々な艦の残骸やパーツを寄せ集め、作り上げられた存在なのだから、彼女に名前はない。

 名もなき彼女の小さな双肩には、南方提督の承認欲求を凝縮した願望が乗せられている。

 自分ならば出来る。

 これを完成すれば認めてもらえる。

 前回の失敗を帳消しにするような成果を挙げなければならない。

 様々な思いが小さな彼女に背負わされているのだ。

 

「くくくく……楽しみだ、実に楽しみだよ。目覚めた君がどんな成果を見せてくれるんだろう。どれだけの力を振るうのだろう。……いや、落ち着け。ここまで上手くいったんだ。失敗は許されない。しっかりと調整して詰めていかなければね……ふふふふ」

「――キヒ」

「――ん?」

 

 今、南方提督に合わせて小さな笑い声が漏れてきたような?

 首を傾げる南方提督はじっと目の前にいる少女を見つめるのだが、動いていない。まだ完成していないのだからしっかりとした意識は宿っていないはずだ。

 気のせいなのだろう。

 そう思う事にして、南方提督は作業を続けていくのだった。

 

 



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聖夜

 

 クリスマス。

 西洋から伝来したイベントであり、12月の中でも老若男女が楽しみにするものといえる。人間がそうであるように、艦娘もまたイベントとなれば心が躍り、駆逐艦らはわくわくしているせいか笑みが抑えられていない。

 本日12月24日、佐世保からやってきていた淵上達も呉鎮守府でクリスマスを迎える事となったようで、共同でクリスマスパーティが行われる事になった。

 両艦隊による演習や訓練により、何となく偵察機を用いた弾着観測が使えるようにはなってきている。しかしぽんぽん、と出せるようなものではない。それに淵上が提案していた妖精からの視点も完全に使えるわけでもないので、まだまだ訓練は続くことになった。

 でもデータは多くとれている。

 艦娘からの報告も多く集まり、どうすれば効率よく訓練が出来るのかがわかってくる。そうすれば後に続く艦娘達がより早くこの技術を習得できるのだ。本当に佐世保艦隊、そして淵上の協力がありがたく感じる。

 だからこそそのお礼も兼ねて、クリスマスパーティが良いものであるようにしなければならない。

 その準備を進めていると、凪のパソコンに通信が入った。相手は美空大将だった。

 

「お疲れ様です、美空大将殿」

「お疲れ、海藤。そしてメリークリスマス。聞くところによると湊がそっちにいるそうだけど」

「ええ、いますよ。呼びましょうか?」

「それもいいけれど、後でプライベートで話すことにするわ。さて、今日は貴様にクリスマスプレゼントを渡そうと思ってね。用意が出来たから送ることにするわ」

 

 そうして送られてきたのは改二データだった。

 金剛改二、比叡改二。

 衣笠改二、木曾改二。

 中でも木曾改二は軽巡から雷巡への変化というオプションがついていた。史実では実現できなかった改装計画を、艦娘の改二として適応させたのだろう。それに伴ってか、あるいは北方迷彩なのか。見た目がまるで海賊風でなかなかかっこよくなっている。イケメンな女性とはこのことか。

 イメージが変わっていると言えば比叡改二や衣笠改二も同様か。比叡は短く髪がカットされて凛々しくなっている。衣笠はツインテールだったものがなくなって髪をおろすスタイルとなり、小さくサイドテールを結うものに変化している。

 これらはやはり改二になって成長するに伴う変化なのだろうか。一方金剛はというと見た目はあまり変わっておらず、艤装のパーツが変化するに留まっている。これは比叡も同様の変化がみられる。

 

「もう少しするとまた別の改二が完成しそうだから、そちらも楽しみに待ちなさい」

「ペースが速いですね。大丈夫なのですか?」

「今はとにかく戦力を整えたいと考えているわ。それは貴様も同じでしょう? 湊から聞いているわよ。力を求めずにはいられないのでしょう?」

「はは、そうですね。あの娘達を喪わないためには、迅速に敵を撃破するだけの力が、戦術が必要だと考えましたから。身を守るためにもやはり力が必要です。……俺に出来るのは、その方法を模索し、提案するだけですよ」

 

 艦娘達を喪いたくはないのは当然の想い。だから飛行場姫や戦艦棲姫のような強固な装甲を持つ敵が現れたとしても、それに勝てるだけの力を、戦術を求める。そうして見出したのが弾着観測射撃。

 的確に敵へと砲撃を仕掛け、更にはウィークポイントへと撃ち込めるだけの技術まで身につけることが出来れば、迅速に深海棲艦を撃破することが出来るのだ。

 恐らくこの戦術は呉や佐世保だけでなく、全ての鎮守府の艦娘達の大きな力となってくれるだろう。

 そうなれば凪は大本営に対してまた一つ貢献したことになるだろうが、別に凪はそういうものに対して興味はない。彼にとって戦果を挙げることや大本営に貢献するというものは執着する要素ではない。

 当然ながら上に上がる事にも興味を抱くことはない。

 彼が求めるのは平穏だけ。

 他人にとやかく言われることもなく、気の知れた友人と時折交流し、時に機械をいじりながら静かに日々を過ごす事。その中に艦娘が含まれるならばそれも良し。誰も喪わないために、彼女らがそれ相応の力が必要だと言うならば、それを用意するまでだ。

 それが彼の思考だった。

 

「それも良いでしょう。艦隊の練度を上げる事に繋がるのだから。貴様なりにあれらを守りなさい。そしてこれからも戦果を挙げなさい。そうすることで立場を守れば、貴様は呉提督として在り続ける。貴様の艦娘達もまた貴様から離れることはないわ」

「……はっ、肝に銘じます」

「それと、海藤」

 

 久しぶりの言葉が出てきた。「なんでしょう」と続きを促してみると、

 

「せっかくのクリスマスだもの。湊をよろしくね」

「…………何をよろしくするのでしょう?」

「おや? そういう気はないのかしら? クリスマスの夜に若い男女。なにか、あるでしょう?」

「あるわけないでしょう。それに、艦娘達も大勢いますから。あと、私としても別に淵上さんに気があるわけでもないです」

「そう? 多少なりともそういう気が芽生えたりしないのかしら? 私としてもぜひおすすめしておきたい可愛い姪なのだけれど」

「いやー、私としても可愛いとは思いますよ? でも可愛い後輩、ぐらいに留まっている状態でして」

「他に誰か気になる娘でもいるのかしら? でも、貴様の周りの女は艦娘ぐらいしかいないか。となると、まさか艦娘の中に?」

「ははは、ご冗談を。まさか艦娘相手にそういう気持ちを抱くなど」

 

 人間と艦娘が結ばれる、なんてあり得るわけがない。

 彼女達は見た目こそ人ではあるが、しかし人間ではない。

 大本営の中でも、そして美空大将も彼女達を兵器として扱っている。

 凪もまた彼女達は人間ではない事を理解しているが、しかし心ある存在としてみている。兵器ではあるが、完全なる機械(マシーン)ではない。

 共に戦う大切な仲間なのだから、当然情は浮かぶ。喪いたくはない、と思えるほどに。

 だからといって一線越えるなんてこと、出来るはずがあろうか。

 

 だが、なぜだろうか。

 頭の中には、彼女らが浮かんでいる。

 

 まさか、彼女達ならばそうなってもいいと潜在的に思っているとでもいうのか?

 そんな馬鹿な。

 

 いや違う。

 大切に思える艦娘として浮かんだだけだ。

 それに彼女達は就任時からずっと共に過ごしてきたんだ。そりゃあ浮かぶさ、と凪は眉間を揉んだ。

 

 そんな凪を見て思う所があったのだろう。

 くすり、と微笑を浮かべた美空大将は「なるほど。誰かは知らないけれど、その娘に湊は負けたか」と面白そうに呟いた。

 

「いえ、そういうわけでは……」

「構わん。だが、そうかそうか。安心した。貴様は普通に女に対してそういう意識を持てる輩なのだとな」

「……私は昔からノーマルなつもりです」

「そうか? いい年頃の男のくせに、浮いた話を一つも聞かないから、多少は心配もする」

「はぁ、そうですか……」

 

 何で美空大将にそういう心配をされなければいけないんだろうか、という言葉は飲み込んでおくことにした。

 しかし「そうか、ふむ……」と美空大将が何かを考え始める。

 

「あれらは兵器ではあるが、人となんら変わりはないものね。絆は生まれるし、情も移る。となれば……」

「美空大将殿?」

「――海藤。貴様、絆とか、想いの力って信じる性質?」

「……突然ですね。どうかされましたか?」

「いえね、ちょっとした思い付きが生まれたものでね。どうかしら? やはり、そんな不確定なものではなく、積み重ねた実力こそが正義かしら?」

「そうですね。戦闘においてそれは必要な要素だと考えています。でも、それだけではないと思っていますよ。鍛えられた力、揃えられた数だけで戦いが決まるものではない。戦っているのが意思や心があるものならば、必ずその力に想いは宿るはずです」

「…………」

「別に根性論を説くつもりもないです。そんなものよりも、誰かを守りたい、生き残りたい、そういう想いからも力は生まれる。特に絶対に助けるのだ、という意志からは信じられないような力が生まれます。でなければ、火事場の馬鹿力なんて言葉は生まれないでしょうから。こんなところで、よろしいでしょうか?」

「……ええ、参考になる意見だったわ。ありがとう。成功すればまた一つ、いいものが出来そうだわ」

「何かの助けになれたのならば良かったです」

 

 最後に挨拶を交わして通信を終える。

 しかし最後の質問は何だったのだろうか。新しいものを作るための参考にすると言っていたが、どんなものを作ろうというのか。

 意志の力。

 獣と違い知性あるものならば、それは生まれるだろう。

 それは深海側にも言えるだろうが、彼らは意志というよりも負の想いを束ねた力だろう。負の感情は時に恐るべき力を生むのは間違いないが、それをも喰らうのが強い意志が生み出す力ではないだろうか。

 

「ん?」

 

 そんな事を考えながら執務室を出ると、向こうから長門が歩いて来ていた。

 その手には白い袋が握られており、クリスマスという事を考えると、まるであの白いおひげが似合うあの人の持ち物に見える。

 

「それ、どうしたんだい?」

「む、いやなに、せっかくのクリスマスパーティだ。より雰囲気を出すべきじゃないか、という意見が上がってな。必要なものを用意してきたんだ」

「なるほど。……君がやるのかい? 長門」

「いやいや、私じゃなくて提督がやるべきだろう。ほら、ここにサンタ服もある。試着するか?」

 

 そう言って袋の中からサンタ帽、サンタ服、白いひげが出された。これをつければ凪も家庭のお父さんのように、仮装サンタの出来上がりだ。

 それを受け取った凪は少し苦笑を浮かべるだけ。

 凪にとってはクリスマスは微妙な気持ちになる日だった。

 かつて海軍に所属し、提督として腕を振るってきた父である海藤迅。

 ただの一度のミスを追及され、その責任を取る形で辞職したのがクリスマスの日だった。

 それまでは海軍として誇れる父親だった彼が、どこにでもいる一般の父親となった日。いつでも一緒にいられるようになったのはいいが、提督でなくなった迅は、どこかそれまで持っていた気迫や元気さがなくなっていたのが子供ながら察することが出来るくらいに、彼は変わってしまった。

 それでも、自分が培ってきた知識や経験などを教える時は少しだけ元気さを取り戻していた。そうでない時はただの海藤迅として過ごす日々。それもまた悪くはなかった。事実、それまで以上に家族が揃って過ごせていたのだから。

 それまではやらなかったサンタの格好をした迅。海軍の制服でも私服でもない格好をした彼。子供らしくサンタが来た! と喜ぶ心のどこかで、それよりも海軍の制服の方が良く似合っている、とうっすらと思う程に海藤迅のイメージには合わなかった。

 やっぱり提督としての海藤迅の活躍を聞いていた時の方が良かったかもしれない、と凪は思っていた。だからこそ、そんな迅を追い出した大本営に対する不信が強まったといえる。

 それが凪にとってのクリスマスの一番の思い出だった。

 

「どうかしたか? 提督」

「――いや、なんでもないよ」

「そうか? 失礼ながら、私の目にはそうでもなかったように映ったが。何かを思い出させてしまっただろうか」

「はは、参ったね。そういうの察されるくらいになってしまったか」

「これでも私はあなたの秘書艦を半年も務めているのだ。最初こそわからなかったが、今ではそうでもないと自負している。話せることならば、事情を聴いても?」

「うーん、そうだね……わかった。別に面白みのある話ではないのだけどね」

 

 そして凪は長門に迅の事について話した。相槌を交えながら静かに聞いていた長門は、やがて呟くように「そうか……」と頷いた。

 

「父君はご存命なのか?」

「うん。今でも大阪で母さんと一緒に静かに暮らしているよ」

「ここで提督をしている事を話すとか、帰郷するとか、そういった事は?」

「んー……年明けにはさすがに帰ろうかとは考えているけれど、でも今は色々とやる事あるしなあ」

「ならば一度は帰って、ゆっくり話してみてはいかがだろうか。こうして提督になって感じた事など、父君とゆっくり語り合う時間は必要だろう。ここの事は私に任せてもらって構わない」

 

 両親に関しては海軍のアカデミーには通うが、提督になるつもりはないと昔から言っていた。第三課に所属し、機械いじりをし続ける事も伝えていたし、両親もそれを承知の上で送り出してくれた。

 だから呉鎮守府に就任する際には母親にとても驚かれてしまった。迅はただ一言「頑張れ」としか言わなかった。

 たまに電話で、手紙で近況は伝えていたが、ゆっくりと話したことはない。鎮守府の仕事と艦娘達の事にかまけてばかりだった。

 今まで揺れていたが、長門の後押しがあるならば、と少し思うようになってきた。

 

「……わかった。じゃあ年が明けたら一度帰郷するよ」

「それがいい。それに提督よ。クリスマスの一番の思い出が、あなたが話したようなエピソードというのもいただけない。もちろんそれ以降は家族団欒の思い出があったかもしれない。それもまたあなたにとっても大事な思い出だ」

「…………」

「私は悪い思い出より、良い思い出を積み重ねてこそ、人はより心にゆとりを持てると思っている。家族団欒の思い出、そしてこの鎮守府で私達と共に過ごした思い出。それを以ってして、クリスマスは良き日であると改めて認識していただきたい。それに私としてはサンタ服を見て、先程のような微妙な笑顔は浮かべるものではないと思うからな。サンタとは人に幸福を運ぶ存在なのだろう?」

「ん、そうだね……」

 

 それに関しては認めるしかない。

 サンタは人を笑顔にさせる存在だ。この服を見てあんな表情を見せるものではない。特に駆逐達の前では。

 

「では、準備を進めるのでこれで失礼する。……ああ、あとそれを着られるのであれば、早めに試着をお願いしたい。サイズに問題があっては困るからな」

「ん、わかったよ」

 

 一礼して長門は去っていく。

 その背中を見送り、凪は手にしているサンタ服を見下ろした。

 昔は父が着ていた服。まさか自分がこの年でこの服を着る事になろうとは。

 遠い未来、子供が出来たら着るかもしれない、などと思った事もない。凪にとってこれは微妙な思い出の象徴なのだから。

 一度執務室へと戻り、鏡の前でサンタ服に着替えてみる。

 サイズ的には問題ないが、これを着ている自分を見て凪は別の意味で微妙な表情を浮かべた。

 

(に、似合ってねえ……)

 

 もう少し年を重ねれば似合ってくるのかもしれないが、今はどうにも首を傾げてしまう。

 でも、パーティなのだからそれでもいいかもしれない。

 時間が来るまではこれは置いておこう、とサンタ服を脱ぐ。制服に着なおした凪は準備を手伝うために、再び執務室を後にする。

 脳裏にはあの日の出来事が思い出されている。

 意識したせいか、あまり思い出したくもないのにちらついてしょうがない。無理に笑みを浮かべて、仕方がないという風に一言報告しながら帰ってきた父親の姿が。

 しかしそれを何とか振り切りながら、パーティ会場へと足を運んだ。

 




今年も来てしまいましたね。

3-3で逸れ逸れ逸れ逸れ!
1-5で爆雷をぽいぽいぽーい!

な、秋刀魚漁。
歌っているのは本当に誰なんでしょう……夕立はいるんでしょうけど。


そして横須賀イベで秋イベの報酬艦の情報解禁。
いやー、何とも豪華そうな気配ですね。
……その豪華さに見合う難易度かな??


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聖夜2

 

 それは青天の霹靂といえるものだった。

 クリスマスイブ、家に帰ってきた海藤迅はただ一言、「クビになってきたわ」と苦笑を浮かべた。母親も「……そう」と返し、鞄とコートを受け取っている様子を、凪は呆然と見ていた覚えがある。

 父親の話は学校の友人にも自慢できるものだった。遠い海で活躍している父親の事は誇らしいもの。寂しいと感じる事はあっても、しかし国のために戦っているのだ、と寂しさを押し殺した。

 そんな彼が、海軍をクビになったというのは信じられない事だった。

 

「おう、凪。……すまんな。父さん、提督じゃなくなってもうたわ」

「ど、どうして……? だって父さん、今まで、ずっと……」

「……ま、しゃーなしやな。それより、今日はイブやろ? 美味いもん食いに行こうやないか」

 

 ぽんぽん、と頭を撫でながらからからと笑う。

 しかし凪は俯き、納得がいかないと体を震わせていた。あれだけ活躍していたのに、どうしてクビにされなければならないんだ。人類の脅威である深海棲艦相手に戦い続けていた海藤迅は、海軍にとっては大事な人材だったはずだ。

 どんな理由があってこんなことになったんだ。

 でもその理由は、数年間凪は知ることは出来なかった。迅が凪に語らなかったという事もあるし、母親に対しても彼の口から語らなかった。彼はただ甘んじてその処分を受けたのだと母親も察していた。凪の頭を撫でてやっている迅の笑顔は、無理に作ったものだと気づいていたらしい。

 その日は外で食事をとり、クリスマスの日は母親が腕によりをかけて作り上げた料理をいただいた。その場にはサンタ服を着た迅が場を盛り上げようと頑張っていた。凪もそれに一応乗りはしたが、やっぱり前日の出来事が尾を引いてしまっていた。

 

 せっかくの家族団欒でのクリスマス。

 心から楽しむことは出来なかったのだった。

 

 

 それから数年は知らなかったが、アカデミーに入学し、資料室で過去の出来事を調べた事でようやく知ることが出来た。

 当時海軍は近海周辺を平定し、新たなる資源地の開拓のためにマレー方面へと手を伸ばしていた。

 海藤迅はその作戦における司令官を務め、二人の提督とその艦娘達を纏める事となっていた。作戦は問題なく進行し、敵艦隊の本隊が集まっていた沖ノ島海域でその事件は起きる。

 それまでの深海棲艦ではエリート級までが確認されており、数は少ないとはいえ艦娘達もまた練度が少しずつ高まってきていた状態。そして提督もまた連戦連勝を重ねた事で浮ついていた状態にあった。

 要は慢心していたのだ。

 海藤迅という頼もしい司令官の指揮の下ならば、自分達に負けはない。

 しかし戦果の大半を迅に持っていかれるのも我慢ならない。迅も戦っているが、自分達もまた戦っているのだ。迅がそうであるように、自分達も今以上の地位を獲得したい。そのために敵本隊を壊滅させる、その大部分の戦果が欲しいと欲を持ったのが仇となる。

 本隊と会敵し、順調に敵を殲滅していた事で更に気分が乗ったのだろう。迅が止める間もなく、部下の一人が更なる追撃を艦娘に命じた。

 その時、海から新たなる戦力が出現した。

 それがル級フラグシップ、ヲ級フラグシップだった。

 今まで見た事のない新たなる深海棲艦。それによって生まれた混乱、困惑が隙を生み、部下の艦娘達が次々と撃破されていく。それを救出すべく、迅の艦娘達も動き、混乱状態にある艦隊を迅が何とか纏めていった。

 敵勢力は退ける事が出来たが、被害は大きかった。先走った部下の艦娘の大半だけでなく、迅の主力艦娘も数人轟沈する事となった。

 作戦自体は沖ノ島海域の平定により成功したが、しかし完全に部下を諌める事が出来ず、多数の艦娘の轟沈という結果もある。

 責任は司令官である迅に向けられ、その責任を取る形で辞職する事となった。

 

 だが、この話の裏ではやはり他の軍人らの思惑もあったらしい。

 ただの海軍の人間だった海藤迅。

 深海棲艦の出現から艦娘との意思疎通の早さ、妖精とも繋がることが出来たという事実。そして持ち前の知識と才能から横須賀鎮守府の提督に任じられる。

 海域平定や資源開拓など様々な実績を残し、なおかつどのように艦娘達を運用するのか、どういう艦娘が求められるかというレポートを第三課にも提出。

 これにより第三課のメンバーからも信頼され、艦娘達にも調整が施されていったという。

 彼の後に続くように呉や大湊、舞鶴に佐世保といった鎮守府も開かれ、提督が着任する。迅が拓き、示した道に素早く乗れたのは少数で、他はまだまだ試行錯誤の中にあった。

 無理もない。

 当時はまだまだ深海棲艦だけでなく、艦娘についても不明な点が多かった。そんな中でいち早く順応し、どのようにすればいいのかまで考えて動いた迅がある意味異常だった。

 順調に出世を重ねていく彼の姿は、同期や上にいる者からすれば羨ましいというより、嫉妬、脅威の対象になっていた。優秀な人間というのは頼もしくはあるが、しかし同時に敵を作りやすい。

 だからこそただの一度のミスだけで退陣しろ、という雰囲気が容易に作られ、そして迅はその空気を察して自ら辞職した、というのが真相に近しいものだったらしい。

 そして迅が提供した情報や資源地などの成果は、そのまま大本営と後に続く提督らの役に立てるのだった。

 

 この事実を知った凪は静かに憤慨した。

 よもや大本営が、同じ海軍の者が父の出世を妬み、排除しにかかったせいで父が海軍を辞める事になっていたなんて。どうして大本営も引き止めなかったのか。あれだけ大本営に貢献した父を、どうして……、と。

 だが、止めなかった者がいないわけでもない。

 第三課に所属する者達が抗議していたらしいが、結局それが通る事はなかった。海藤迅は一般人となり、今も静かに暮らしているのが現実である。

 凪が第三課に所属したのも、こういう背景があっての事だ。趣味という事ももちろんだが、父に味方してくれた第三課ならば、自分も鬱陶しい奴らに会わずに過ごせるだろうと考えての事だった。

 

 でも今はその第三課からも離れ、こうして呉鎮守府にいる。別に今はそれに不満があるわけではない。艦娘達を守らねばならない、という意識もちゃんと持てている。

 だが、今も大本営の上に座する者達はあまり変わっていないらしい。美空大将がそんな彼らを相手に何かしているようだが、詳しい事は知らないし知ろうとも思わない。

 

(……そういえば、美空大将殿も元は第三課出身だったか)

 

 第三課の作業員だった彼女は艦娘を生み出し、調整する事に対して才覚を発揮し、のし上がる事となった。迅もどのようにすればより艦娘の力を振るえるか、扱えることが出来るかのレポートを提出していたらしい。

 となればその頃に二人は知り合っているのではないだろうか。

 

(そう考えると、俺の事を美空大将殿が知っていてもおかしくはないのか)

 

 彼女が凪に目を付けた理由として、あり得ない話でもない。

 ベンチに腰掛けながらそんな事を考えていると、いつの間にか目の前でじっと凪を見つめている夕立がいた。不意に現実に戻ってきた凪は「――ん? うぉっ!?」と肩を震わせるくらいに驚いてしまう。

 危うく落ちかけたが、夕立がさっと支えてくれたのでそうはならなかった。

 

「そ、そんなに驚かれるとは思わなかったっぽい……。大丈夫? てーとくさん」

「あ、ああ……うん、大丈夫。ありがとう」

「何か悩みがあるの? あたしで良ければ聞くよ?」

「そう見えたのかい?」

「うん。ちょっとだけ不機嫌そうな色が見えたっぽい。何かを思い出している風にも見えたし、昔の事を気にしてるのかなって」

 

 そういえばこの夕立はそういうのに気付くところがあった、と凪は思い出した。

 凪の調子の悪さにも気づき、声をかけてきたり見舞いに来てくれたりしていたっけ。

 グラウンドには順調にパーティ準備が整っており、机が並べられるだけでなく、ステージも作られている。工廠の妖精がその作業を手伝っているせいか、かなりの早さでそれが組み上げられているようだった。

 凪も何か手伝おうとしたのだが、「提督はそこで見ているだけでいい」と言われてしまい、こうしてベンチに座っていた。そうしていると、先程の話で昔を思い出してしまい、ぼうっとしてしまったというわけだ。

 

「なに、気にする事はないよ。そうだね、あえて挙げるならこうして手伝いもせずに見ているだけ、というのが気が引けてしまうというのが悩みかな? ははは」

「提督は報告書を書いたり、私達の様子を見に来られたりと忙しかったでしょう? 今はゆっくりしていただきたいのですよ」

 

 そう言いながら神通が、冷えた紅茶が入ったペットボトルを手に近づいてきた。どうぞ、と手渡してくれたそれに軽く口をつけながらお礼を述べ、「ゆっくり……か」と苦笑を浮かべる。

 

「提督は一度倒れられていますからね。仮に倒れたとしても私がフォローいたしますが、そうなるよりかは倒れないようにしていただいた方がよろしいです」

 

 泊地棲姫を倒した後の事を言っているのだろう。前科があるのだから余計に倒れるな、と釘を刺しに来たようだ。

 

「ソロモン海戦の後、ろくに休まずに弾着観測射撃についての訓練、報告書の作成と動き続けておりますよね? 多少は休息をとっていらっしゃるようですが、それでも少しずつ疲労は蓄積します。うっすらと、ついておりますよ?」

 

 と、目元を示してきた。もしかすると、クマが出来始めているのだろうか。と、つい手をやってしまった。

 

「うんうん。提督さんに倒れられたら、あたし達、とっても困るっぽい! クリスマス、楽しむことが出来ないもん」

「ええ、そうですね。私達の為にも、佐世保の方々の為にも、きちんと休むこともまた提督の仕事だと私は思います。どうか、お聞き入れください」

「……わかったよ。そこまで言われちゃあ休むしかないじゃないか」

「ありがとうございます。では夕立ちゃん、続きをしましょうか」

「はーい」

 

 一礼し、夕立を連れて神通が作業に戻っていく。

 このままここで見守るのもいいが、戻って一度横になり体を休めた方がいいかもしれないと立ち上がる。すると、どこからかにゃーん、という小さな声が聞こえてきた。

 なんだろうか、と見回してみると、離れたところで子猫が歩いているのが見えた。白い子猫だ。どこから迷い込んだのだろうか? と凪はそっと近づいて腰を下ろしてみる。

 それにしても小さい。子猫というにもかなり小さな猫であり、その表情が何とも言えない味がある。

 

「……まさか、妖精猫か?」

 

 烈風犬もこのくらいの小ささをしていたため、そう推測した。となると、どの装備妖精の猫だ? と思い返そうとするが、子猫は凪を警戒したのか、じりじりと後ずさりし、たたたーっと鎮守府の方へと逃げていった。

 逃げられてしまったな、と小さく息をつくが、妖精ならば妖精同士で何とかするだろう、と放っておくことにする。工廠妖精とならば多少なりとも通じ合っているが、それ以外の妖精となると凪もまだまだ理解が進んでいるわけではないのだ。

 私室へと戻り、鏡を確認してみると神通が指摘したようにクマが出来かけていた。しかしそれはよく見ないとわからないようなうっすらとしたものなのだが、よく気づいたものだと思う。それだけ、普段の凪の顔を知っていて、微細な変化も見逃さないという事なのだろうが……そんなに心配させてしまっているのだろうか。

 心配といえば、と思い出す。

 年明けて一旦帰る事を親に言っておかないと、と電話を取ることにした。少しコールを置いて「はい」と相手が出てくる。

 

「……どうも、母さん」

「あら、凪。どうしたんよ?」

「まあ、うん。年明けにさ、そっちに一度帰ろうか、と思ってさ。その報告を」

「あらそう。わかった。父さんにも言うとくわ。あ、それと今日はイブやったな。メリークリスマス。なんかお祝いとかするん?」

「ん、一応は」

「そう。……艦娘に囲まれて楽しめるくらいにはなっとるんやろうな?」

「大丈夫や。何度か宴会もしてるしな、艦娘に囲まれるくらいなら、どうということはなくなっとる」

「ふーん、あんたがなぁ。そら半年も提督やっとったら、いい加減慣れるわな。母さん、安心したわ。その調子で、ええ娘も見つけるんやで」

「……母さんもそういう事気にするんかい」

 

 いい歳した女性というのは、どこもそういうものなのだろうか、と辟易し始める。「なんや、他の誰かにも心配されとるんか?」とどこか面白そうな声で訊いてくるので「いや、別に?」と素知らぬ顔をしておく。

 

「そりゃあ母さんも父さんも、そろそろええ歳しとるからの。孫も見たくもなるもんよ。せやかてうちの息子ときたら、ぼっちで青春時代を過ごすっちゅうことをやらかすやん? こんなん心配もするやんか」

「一応完全ぼっちではないと言っておくで、母さん」

「そうやったな。……ま、何にせよあんたがそうやって大勢の人らとパーティしとるんは、親としても成長を喜ぶもんや。色々積もる話もありそうやし、年明けを楽しみにしとるで」

「……ん」

「父さんにも何か言うとこか?」

「……いや、親父とは直接会って話すよ」

 

 電話を終え、一息ついた凪は神通に貰っていた紅茶を軽く飲む。

 何も手伝わないというのはやっぱり気が引けるが、しかし体を休めるというのも大事なこと。凪はベッドに横になり、目を閉じるのだった。

 

 

 その頃、会場の準備を行っていた神通達の下に淵上が近づいていた。

 気配に気づいた神通が振り返り、「どうかされましたか?」と問いかける。淵上はきょろきょろと辺りを見回し「海藤先輩はどこに?」と問い返した。

 

「提督でしたら、先程お帰り頂きました。ここ最近あまり休めていらっしゃらないようでしたので、この機会にお休みになられたら、と」

「まだ昼なのに?」

「一度倒れた事がありますからね」

「ああ、そうなの。そりゃあ二度目を避けたくはなるわね」

「……あなたも、少し疲労の色が見えますが」

「あたしは問題ないわ。恐らく海藤先輩ほどに動いてはいないから。……でも、そう。となると、これはどうしたものかしら」

 

 そう言ってメモ書きをひらひらとさせる。「拝見しても?」と神通が断りを入れると、どうぞと渡してくれた。

 

「うちの那珂がステージを作るなら、と色々とプランを提案してきてね。もてなされるだけでは性に合わない。こっちからも何かをやらせてくれ、みたいな感じで。それで海藤先輩にどうするかを相談しようかと思ったんだけど」

「那珂ちゃんですか。……ふむ」

 

 川内型の三女にして神通の妹。呉鎮守府にはいないが、知識としては共有されている。

 艦隊のアイドルを自称し、元気でなかなかにハイテンションな娘だ。自称しているものの、その見た目や振る舞いはまさしくアイドルといってもいいくらいであり、そういう意味では提督らによく認知されている。

 夜戦大好き長女と艦隊のアイドルの三女、それに挟まれる常識人な次女、というのが川内型の認識となっているのだ。

 例え鎮守府におらず、一度も会ったことがなかったとしても、これらの情報や性格は艦娘ごとに生まれた時から存在している。そのため、メモ書きに書かれている内容や淵上の話を聞いて、那珂らしいと苦笑を浮かべることも出来る。

 

「ステージの出し物とかはいいけれど、勝負まで書いてるから。そちらの艦隊の都合もあるでしょう?」

「――勝負、ですか」

 

 神通の目の色が変わった。

 確かにメモ書きには鎮守府対抗○本勝負、というものも書かれている。どういった勝負内容にするかも提案されており、神通は微笑を浮かべて淵上を見つめる。

 

「私どもとしては構いませんよ。こちらも血気盛んな娘達が多いですからね。例えレクリエーションだとしても、挑まれれば受けて立ちましょう」

「……ああ、そう。で、勝負内容とそれに必要なものとか、色々あるけれど大丈夫?」

「問題ありません。我が鎮守府の工廠妖精達は提督とよく作業をしていらっしゃいますからね。何かを作る事に関して経験値は多く得ているのですよ。小道具なども張り切って作ってくれますよ」

「さすが、元第三課。提督になってもまだやってるんだ……」

「趣味と仰っていますが、それには留まらないのがあの方です。暇があればいつでもやってらっしゃいますので、妖精達も練度を高めて……恐らく他の鎮守府の工廠妖精と比べると差がはっきりするかもしれませんね」

 

 そう言いながらステージで作業をしている工廠妖精を見つめる。「それと」と神通は肩越しに振り返って、

 

「勝負をするならば報酬も必要ですね。その方がより勝たねばならない、と気合が入るというものです」

「確かに。でもいいの? こんなの相談しておいてなんだけど……」

「お気になさらず。それで明日のパーティが少しでも盛り上がるというならば、これくらいどうということはありませんよ。では、場所を変えて細かいところも詰めていきましょうか」

 

 鎮守府へと促しながら神通が先導するように歩き出す。

 ただクリスマスパーティするだけと思っていたが、これは少し楽しくなりそうだ。なんだかんだ言って神通は少し戦いというものが好きらしい。例えレクリエーションだとしても、やるからにはきっちり勝たなければいけない性分である。

 静かな心に、沸々と沸き立つもの。

 冬のメインイベントだが、これは熱くなれそうだ、と感じてくるのだった。

 

 

 



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降誕祭

 

 

「えー、これより、クリスマスパーティを開催いたします。呉も佐世保も関係なく、みんなが楽しんでいただければと思います。乾杯」

『乾杯!』

 

 25日、昼を回った頃にクリスマスパーティが始まった。

 呉だけでなく、佐世保から来た間宮も料理作りに参加し、大量の料理が並べられている。クリスマスらしい料理が並び、中でもメインの七面鳥の丸焼きがどん! と皿に盛られているものが点々と提供されている。なかなかに奮発されている。

 デザートはもちろんクリスマスケーキだが、それは後で持ってくることになっている。

 美味しい料理に舌鼓を打つ艦娘達。特にメインである七面鳥の人気はさすがのものだ。しかしそれを拒否する娘も中にはいるらしい。

 

「ほら瑞鶴。メインのこれ、美味しいわよ。あなたもどう?」

「い、いらない! 私、それだけは食べないから!」

「えぇ? こんなに美味しいのに……」

 

 その様子を離れたところで七面鳥を食べながら眺めていた凪は(やっぱりターキー・ショットネタかなぁ……)と思いながら、もぐもぐと咀嚼する。

 大戦後期となってくると、敵艦隊の練度上昇だけでなく、防空のための装備も整ってきた状況。対して帝国海軍は空母や熟練搭乗員の喪失が詰み重なってきた。訓練もままならない未熟な兵が艦載機に搭乗し、出撃していく事となる。

 そのため次々と艦載機が叩き落とされていき、それを敵兵がターキー・ショットと呼んだようだ。

 そういう史実があるせいか、瑞鶴は七面鳥という言葉に反応する。それが実物であったとしても同様らしい。

 

「牛か豚のメインあったっけ……」

 

 七面鳥の丸焼きがダメなだけで、それ以外の肉ならば瑞鶴は食べられる。机に並んでいる料理を見回してみると、ローストビーフがあったので「瑞鶴ー、こっちに牛があるから、それ食っていきなよ」と呼びかけてやる。

 翔鶴の七面鳥から逃げていた瑞鶴は凪の言葉に振り返り、「じゃ、じゃあそれもらう! ということで翔鶴姉ぇ、それは、いらないから!」と小皿にローストビーフを盛り付けていった。

 

「ありがと、提督さ――って、提督さんのそれって?」

「ん? おお、すまん。七面鳥だわ」

「くっ……もぉーやだぁーーー!!」

 

 ちょっと涙目になって瑞鶴が翔鶴だけでなく凪からも逃げていった。悪い事したかな、と頬を掻きながら瑞鶴が走り去った方を見やる。そちらには両鎮守府の戦艦娘が集まっている。

 大飯食らいが揃っているせいか、他の席よりも多めに料理が盛られている気がする。

 佐世保の艦娘達は大和が気になっているらしく、よく話しかけている。

 だがこの大和の前世があの南方棲戦姫である事は知られていない。大和の事は奇妙な要因が重なって作られてしまった、とされている。その「奇妙な要因」こそが南方棲戦姫が転生した現象なのだが、姪である淵上にも美空大将は教えなかったらしい。

 

「こうしてお会いするのは光栄です、大和さん。霧島です」

「霧島……金剛型の四女ね。……本当に霧島?」

「ええ、何か気になる事でも?」

「いえね、おぼろげながら存在する知識には、戦艦と殴り合いをするほどの猛々しさを持っていたのに、その気配がないものだから」

「ああ、そんな事もありましたね。でも、艦娘としての私は頭脳派な女性でいこうかと」

「そう。でも、そうね。かの二水戦旗艦もあんな性格をしていますからね。そういうものかしら」

(内面はそうでもないみたいだけど)

 

 酒を口に含みながら横目で神通を探す。

 霧島はソロモン海戦において戦艦と戦艦の殴り合いをした過去がある。とはいえ相手をした戦艦サウスダコタは綾波との戦いにおいて負傷していたのだが、それでも数少ない戦艦同士の戦いを繰り広げた艦であることは間違いない。

 そして神通もまた色々と逸話を持っているが、艦娘となった彼女は大人しく控えめな性格をしている。綾波もまた同様だ。

 武闘派だった艦娘は変化する際に大人しくなるように調整されているのだろうか、と推測してしまう程に共通している。

 なお、大和は大本営が発行したデータを引用して艦娘の姿を得てはいるが、中身は南方棲戦姫からの転生なので、性格などは南方棲戦姫が作られた際に形成されたものがそのまま受け継がれている。

 本来の艦娘の大和の性格がどうだったのか、他の鎮守府で生まれなければわからない。

 そのため初対面である佐世保の戦艦娘達もこの大和を普通に受け入れている。

 

「大和さんも戦艦棲姫とやりあったそうですね? 噂は聞いていますよ」

「ええ、そうね。うちの水雷組などの援護があっての戦いだったけれど、なかなか楽しかったですよ。火力と火力のぶつかり合い、戦艦らしくて滾るものがあったかしら。……相手も武蔵だったしね」

「武蔵? あの戦艦棲姫の中身デスか?」

「あれ自身がそう名乗ったわ。私もあれの中に私と似た気配を感じ取ったし、ほぼ間違いない。奇しくも大和と武蔵による戦いが実現してしまった、というわけよ」

 

 艦に関わる者ならば誰もが妄想したかもしれない、大和と武蔵がぶつかったらどうなるのか。艦娘と深海棲艦という形ではあるが、あのソロモンの海で妄想が現実となってしまった。

 その意味を噛みしめていくと、金剛と霧島がごくりと息を呑んだ。

 戦場が違っていたために戦いの光景は見れず、噂に聞くだけだった金剛と霧島。お互い砲弾を撃ち合い、そしてその身に受けながらも戦いを続行したという。大和型ならば主砲は46cm三連装砲。艦娘となったとしても、その威力は金剛型が使用する35.6cm連装砲など比べ物にならない。

 それをお互い撃ち合い、何度も負傷しながらも戦闘続行したのだ。

 それだけでも戦艦娘としてのタフネスさ、装甲の硬さを感じるし、それを以ってして相手を打ち破った火力の高さも感じられる。

 戦艦として正しく尊敬の念を抱くにふさわしい功績だ。

 

「夏に生まれたばかりなのにそれだけの戦果。やはり、持ち前のスペックがあってこそでしょうか?」

「確かにそれもあるでしょう。でも、だからといって研鑽を怠ったつもりもない。私にはね、越えねばならない相手がいますからね」

「それは誰デス?」

「そこにいるうちの秘書艦。競い合う相手がいる、というのはいいものね。越えるべき存在がいるならば今の自分に満足する事はない。だから私は歩みを止める事がない。例えかつての最高の戦艦といえども、私は艦娘となってはまだまだ短い時間でしか過ごしていない。練度でいえば長門に全然負けているもの。……だから、追いかけることが出来る」

「だからといって、何度も何度も勝負を挑まれる身にもなってほしいものだな」

「そう言って、長門も楽しんでいるでしょう? 貴様も負けず嫌いだというのはわかっているんですから。いっつもつれないことを言っている割には、私に付き合ってくれている。……ああ、これが響から聞いた『ツンデレ』というものなのかしら?」

「よし、口を開けろ大和。喋りすぎるその口に酒でも料理でも突っ込めば黙るだろう?」

「あら、酌をしてくれるの? 嬉しいわ、長門。グラスは、ここですよ?」

「ああ、私自らが手酌をしてやるから、口を、開けろッ!!」

 

 日本酒の瓶を手に大和へと接近し、顎に手を当てて強引に口を開かせる長門だが、大和も大和で長門の腕を掴んで口ではなくグラスの方へと注がせようと抵抗する。

 どちらもかなり力を入れているらしく、微妙に体を震わせながら一進一退の攻防を繰り広げている。「ちょ、こぼれ、こぼれますって!」と霧島が止めにかかろうとするが、山城が疲れた表情を見せながら「放っておきなさい。いつものことだから……」とため息をついている。

 

「あの二人はいつもあんな感じだからそう気にする事はない。我々で飲み合うとしようじゃないか。さあ、扶桑。お前も飲むといい。そして瑞雲の弾着観測での動かし方を語り合おうじゃないか」

「ま、まだ続けるの、日向……? もう充分私としては話を聞いたと思うのだけれど……」

 

 隣の席では航空戦艦の三人が飲んでいた。山城と日向、そして佐世保の扶桑である。

 酒が入って饒舌になっていたのか、長門と大和が騒いでいる横で、日向もまた二人へと語り続けていたらしい。

 

「ふっ、まだ上手く爆撃する方法しか語っていないぞ。むしろ爆撃の後、妖精の視界に収めながら観測射撃に移行するのが肝心じゃないか。まだ酒や料理は残っている」

「……何なのかしらね、最近の日向。あんた、少しおかしいわよ? 前はそんなんじゃなかったはずなのに……」

「そうなの?」

「なに山城、心配する事はない。私達は航空戦艦。ただの戦艦ではない。航空戦艦らしく、瑞雲を上手く使って敵を殲滅する事こそ在るべき姿。山城、扶桑よ、瑞雲と共にこの航空戦艦の道を突き進もうじゃないか!」

「あんた、酔ってるでしょ? そうなんでしょ!? ちょっとー! 誰か! この瑞雲バカになった日向を入渠させてくれないかしら!?」

「バカ結構! そんなことよりも、私としては新たなる瑞雲などを開発していただきたいところだ! ただの瑞雲もいいが、これでは物足りなくなってきてな……!」

「同期がこんなにバカになってくるなんて、ふ、不幸だわ……」

 

 そう呟いて机に突っ伏する山城。山城がダウンしたならと、日向は対面にいる扶桑へと更に語り続けていく。彼女の表情が引き気味から無になっていくのも気にすることなく、日向の語りは終わる事はない。

 これはそっとしておこう、と凪はそちらに向かわず、水雷組が集まっている席へと座った。そこには淵上もおり、静々と料理を堪能していた。

 

「どうも、楽しんでるかい?」

「ええ、それなりに。艦娘達の交流もいい感じみたいだし、誘ってくれてありがたいと思っていますよ」

「それは良かった。……で、朝に聞いたけど、この後……やるんだって?」

「みたいですよ。一応準備は問題なく進んでいたはずですし、そちらの神通が色々手回ししたらしいですけれど」

 

 淵上から提案されたレクリエーション。凪は今日の朝にそれを聞き、驚きはしたものの既に準備は完了しており、そしてレクリエーションならば艦娘達も楽しめるだろうと許可した。

 程よく料理を楽しんだところでステージに佐世保の那珂が登壇する。

 

「みんなー! クリスマスパーティ、楽しんでるかなー? 招いてくれた呉のみんな、本当にありがとー!」

「ほんと、那珂はこういう場では率先して動くね」

「自称艦隊のアイドルですからね。……ま、ああいう姿を見ると、らしく見えるから流石です」

 

 那珂の挨拶が進むと、「まずはオープニング! 那珂ちゃんの歌を聴けぇー!!」と叫び、音楽がスピーカーから流れてくる。それだけでなく合いの手まで聞こえてくるのだがどういうことだろうか。

 

「……え? いつこれ収録したの?」

「あたしは知りませんよ。那珂のああいう活動にはノータッチですから」

「しかも妙に上手いし、ダンスもしてるし。相当練習してるでしょ、あれ」

 

 一部の佐世保の艦娘達も合いの手で盛り上がっているから、恐らく佐世保の方で曲などの準備をしていたんだろうが……ここまでいくと自称では収まらないだろう。

 音楽が良く、歌も上手く、観客と一体になって盛り上がる曲となれば、自然と呉の艦娘達も乗ってくる。正しくオープニングとしては素晴らしい流れではないだろうか。

 その曲のテンポの良さから凪も何となく体が乗り始めてきてしまい、「……乗ってます?」と淵上に怪訝な表情で突っ込まれてしまった。「だって、ねえ? なんかいい感じに聞こえてきてね……ははは」と苦笑を浮かべてしまう。

 フルコーラスで歌い終えた那珂は「いい盛り上がりだったよー! ありがとー! それじゃあこれより、鎮守府対抗戦を始めるよー!」と拳を突き上げた。

 いよいよ急遽追加されたレクリエーションが始まる事となる。

 種目は全部バラバラであり、合計三回の勝負を行っていく事になる。

 

「勝利した鎮守府には、間宮さん特製のクリスマスケーキがプレゼントされるよー! 豪華なケーキに仕上がるみたいだから、みんな頑張ってねー! それじゃあ始めていこうかー!」

 

 間宮さん特製のクリスマスケーキ、という報酬に明らかに艦娘達の目の色が変わった。間宮さんのデザート、というだけでも旨味があるが、それもクリスマスケーキともなればどれだけのデザートになるだろうか。何としてでも食べたい、すなわち勝たなければならない、と気合も入る。

 なるほど、確かにこれは効果覿面だ。神通も考えたな、と淵上は神通の報酬設定に感嘆する。

 マイクを手にしながら手でステージの脇を示すと、妖精達が運んできたセットが姿を現す。

 

「まずは一回戦! 水雷戦隊による射的だよー! ルールは簡単! 次々と現れる的を撃ち抜いていくだけ! 三本勝負で二勝した方が勝ちだよ! さあ、参戦する水雷戦隊のメンバーさんを選んでねー」

 

 その言葉に呉と佐世保の水雷組が相談を始める。席は一緒だったが、相談となれば当然距離を取る。

 呉の水雷組はやはりと言うべきか、誰もがやりたいと名乗り出る。特に勝負事が好きな夕立は元気よく手を挙げていた。本気の勝負ならば一水戦のメンバーの誰かを推せばいいだろうが、今回はレクリエーションだ。二水戦以下のメンバーを推しておきたい。

 選ぶのは水雷の長である神通。射的となると、命中率の成績がいい娘を選ぶといい、と考え、吹雪、初霜、三日月を選んだ。

 佐世保は誰だろう? と見れば暁、黒潮、初風だった。

 三人ずつ射的台の前に立つと、那珂がルール説明を始める。

 

「妖精さん達が次々と的を立てるから、制限時間内にそれらを撃っちゃってね~。銃は用意されたものを使ってね。一人ずつ同時にやって、命中弾が多い方が勝ち! 簡単だね!」

「武器が変わっても、いつも通りの射撃をすれば大丈夫ですね。落ち着いてやれば問題ありません。頑張ってください」

 

 にっこり笑ってぐっと拳を握って神通も選手を応援する。

 うん、神通さんは小道具とはいえ武器を選ばず、そしてこういう場だろうと冷静な射撃が出来るんだろうな~と呉の駆逐達は思った。

 何気に那珂も「簡単だね!」と笑顔で言える辺り、同じように出来るんじゃないかと思える。これが、一水戦旗艦を務める軽巡ならではの余裕なのか、あるいは川内型がおかしいのか。

 ちらりと川内の方を見てみるが、当の本人はもぐもぐと料理を堪能していた。視線に気づくと「ん?」と小首を傾げ、ああ、と気づいたように吹雪たちへとがんばれ、と言うかのように親指を立てた。

 

「じゃあ一人目、行ってみよー!」

「では私が」

「ふふ、れでぃーならここで流れを掴むものよ!」

 

 三日月と暁が用意されていた銃を手にする。妖精の力が入っているようで、弾は自動で装填されていく事になっていくようだ。そのため装填の手間は省かれる。カウントする妖精と、時間を確認する妖精が控える中、司会の那珂がカウントダウンを始める。

 

「制限時間1分! 5、4、3、2、1、スタート!」

 

 標的は祭りの屋台にある射的屋のようなものだ。

 三段構成になっている列に無差別に木の的が立てられ、それを撃ち抜けばポイントになる。どれを立ててくるのかは妖精達の気まぐれであり、それがより狙いを定めづらくさせる。

 普段から深海棲艦相手に高い命中弾を出しているならば、落ち着いてやれば問題ないだろう。そこは神通の言うとおりだ。妖精の意図に揺さぶられることなく、立った的を次々に撃てばいいだけの話。

 そういう意味では三日月と暁を比べると、三日月は落ち着いており、暁は表情からして落ち着いていない。むむむ、と頬を少し膨らませながら撃っている。明らかに妖精に揺さぶられている。

 なにせ立てるのか? と思ったらひっかけで下げるパターンもあるのだ。これは中っただろ! と思った弾が下げられた的の上をすり抜ける。それに苛立たせられれば、狙いが少しずつぶれてくる。

 対して三日月は一筋の汗を流している。揺さぶられないように、と自身に言い聞かせながら、落ち着いてポイントを稼いでいる。

 その差が、勝負の分かれ目となった。

 

「しゅーりょー! さあ、ポイントは~? 三日月ちゃん26点、暁ちゃん22点で、一回戦は呉鎮の勝ち!」

「ふぅ……何とかなりましたね」

「むぅー! もぅ! ちょっとひっかけ多すぎじゃないかしら!」

「そりゃあ揺さぶりは基本だよ暁ちゃん。素直に撃たれてくれる敵なんていないんだしさー。そこを何とか落ち着いて処理していくのも大事だよねー。木曾ちゃーん、暁ちゃんにジュースあげちゃってー!」

「はいよ。ほら、飲め、暁。そして後に続く二人を応援してやりな」

 

 司会をやっていても、佐世保の一水戦旗艦としての言葉もかける那珂。

 ちなみに的の操作をしている妖精だが、呉台は呉の妖精、佐世保台は佐世保の装備妖精が動かしている、と那珂が補足した。なので、別に呉の妖精達が呉側を勝たせるためにわざとそういう事をしているわけじゃあない、と告げたので、不正はなかった。

 そう言われてはこれ以上文句の言いようがない。暁は木曾に連れられて、大人しく下がり、渡されたジュースをちびちびと飲み始める。

 

「よく頑張りましたね。おつかれさまです、三日月ちゃん」

「ありがとうございます、神通さん」

「ナイスファイトだったよ、三日月ちゃん。よーし、私も負けてられない!」

「気負わないように頑張ってください」

「……そんじゃ、さくっと勝ち点取り戻しますか。黒潮にバトン渡せないんじゃあ困るもんね」

「よろしゅう頼むでー」

 

 吹雪と初風が位置につく中、凪はいつの間にか傍にやってきた神通に酌をしてもらいながら見守っている。さっきまで三日月を出迎えていたのに、一瞬の移動か? と息を呑むものの、よくある事なので深くは気にしないでおくことにした。

 

「まずは一勝、いい出だしだね」

「ええ。三日月ちゃんは少し落ち着いた娘ですからね。揺らがず、確実に点を取って勝利すると思いましたので、最初に出しましたが当たりましたね」

「そして吹雪で締める、と」

 

 凪が紅茶を口にしながら呟けば、神通も肯定するように頷いた。

 

「それじゃあ二回戦いってみようかー!」

 

 カウントダウンが行われ、吹雪と初風が射撃を始める。

 二人とも悪くない出だしだ。放てば中る。妖精の揺さぶりにも揺らがず、的確にポイントを稼いでいる。

 吹雪はここで勝てば射的勝負が勝つ、初風が勝てば三回戦にもつれ込みだ。吹雪の射撃の成績は三水戦の駆逐の中ではトップ。だからこそ神通はそれを生かせれば、と選んだのだろう。

 この二つの要因が吹雪の両肩にのしかかる。プレッシャーを感じないわけがない。

 一方初風もここで負けたら佐世保は黒星スタート。負けるわけにはいかない、と気負いかねない状況だ。事実、その表情にうっすらと苦味が見え隠れしている。

 勝たなければならない。

 共通する想いはこの一点。

 だからミスは許されない。例えこれがレクリエーション――簡単に言ってしまえばただのゲームだとしても鎮守府対抗戦。鎮守府の代表として戦っているのだから、ゲームだろうと負けられない。

 自分で自分を追い込んでしまっているが、二人はそれでも点数を稼ぐ。

 たったの1分の勝負が、二倍、三倍にも感じられる時間の中、妖精の揺さぶりがここに来て効いてきた。

 

「っ……!?」

 

 外した。

 吹雪がここにきて一点を逃した。

 初風もそれに気づいたらしいが、油断はしない。自分もそれに引きずられては終わ――

 

「ん、く……!」

 

 呉の妖精に続いて佐世保の妖精も揺さぶりなら負けてらんねぇ! と言わんばかりに激しく動き出し、それによって初風もミスをしてしまった。

 吹雪も「えぇ……なにこれぇ!?」と困惑してしまう程の的の動き。ただ立てるか伏せるかの動きだったはずが、横にも動き、上下にも動き出している。

 

「おぉっとなんだこれはぁ!? 的が、しっちゃかめっちゃかに動いてるぅ! ちょっと、妖精さん!? しっかりやってー!!」

 

 これは艦娘同士の戦いだというのに、妖精までそれに乗られてはポイントを稼ぐどころではない。しかしまだタイムアップしていないので、二人は少しでも多く的を撃ち続ける。

 そうしてようやく時間が来た。

 荒い息が二人の小さな口から漏れて出る。呼吸を整えると、先に手を挙げたのは初風だった。

 

「ちょっと、あの妖精達なに!? 途中からおかしかったんだけど!」

「うーん、那珂ちゃんに文句言われてもなあ……。あくまでも那珂ちゃんは司会であって、妖精さん達は舞台裏のスタッフだし……。でも盛り上げてくれるのはいいとして、あの動きは那珂ちゃん的にもどうかと思うし……スタッフ、スタッフぅ~! そこんところどうかな~?」

 

 射的台に呼びかけてみると、的を動かしていた妖精達がそれぞれの段に登ってぎゃーぎゃーと騒いでいる。呉と佐世保がお互いに指さしてなんやかんやと騒いでいるようだが、残念ながら凪や淵上には妖精の言葉は理解出来ない。

 那珂がふむふむ、と頷き、二人のためにある程度翻訳してくれた。

 なんでも、「向こうが気合を入れてんなら、こっちも負けてらんねえ。裏方だろうが演出で勝負じゃワレ!」と、熱が入ったらしい。やっぱりそういう事だったようだ。

 

「んー……、まあ、妖精さん達も戦いの熱気に飲まれたってことなのかな。では改めてそれぞれのポイントを確認してみようかー。えっと? 吹雪ちゃん19点、初風ちゃん18点……! あーっと、惜しくも1点差で吹雪ちゃんの勝利! この時点で2勝している呉鎮が勝利スタートだぁー!?」

「はぁー……良かったぁー……」

「くっ、ごめん……黒潮」

「ええてええて、うちかてあんなんやられたら参るわ。おつかれ、初風」

 

 二本先取なので、射的対決はこれで終了。次の戦いへと移行する事になる。

 まだやんややんやと言い合っているらしい妖精達を乗せた射的台を大淀達が下げていく中で、戦い終えた駆逐達へと神通が「おつかれさまです。良い戦いでしたよ」と労いの言葉をかけてやった。すると吹雪達も「ありがとうございます!」と一斉に頭を下げる。

 そして佐世保の方はというと、

 

「ま、気にする事はないって! ここから取り返していけばいいんだしさ。楽しめたかどうかが一番だよ。でも、今度ちょーっと課題を増やそうかなぁ~?」

「えぇ、マジっすか那珂さん? うちら全員?」

「水雷全員だよ! 大丈夫、那珂ちゃんもそこまで鬼じゃあないからね。命中弾を増やせるかどうかの訓練だからね~」

「絶対ちょっとどころやないやろ……こらあかんわ……」

 

 とほほ、といった表情で席に戻っていく黒潮達を見送り、那珂がレクリエーションを進行させる。アイドルしていても、彼女もこの神通の妹なのだ。そしてかつては四水戦の旗艦を務めていた武勲艦。

 ああ見えて意外と武闘派なのが、軽巡那珂という艦娘である。

 

「えー、呉鎮有利で始まった鎮守府対抗戦だけど、まだまだ始まったばかりだから佐世鎮も頑張っていこー! 二回戦の種目は、これだぁー!」

 

 




秋イベ日時が発表されましたね。

イベで個人的に楽しみにしているのは、
BGMと新たなる深海棲艦なんですよね。
今回のラスボスは誰だろう、とか考えていたりしています。


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降誕祭2

 

 次の勝負に使うものが運ばれてくる。

 今度は一つのボードだ。大きな円形のそれには色分けされて塗られており、それぞれポイントが書き込まれている。中心に向かう程にポイントが高くなっているそれは、

 

「二回戦はダーツ! 使うものは用意されたこの矢だよー。一人二回プレイ、三人でポイントを稼ぎ、最後にその合計ポイントで勝敗が決まるよー。参加条件は誰でも良し! 腕に自信がある娘、名乗り出ていこうー!」

 

 用意されたボードには中心が1000点。そこから外になるにつれて500点、300点、100点というシンプルなものになっている。

 本来のものならば色々と点が分かれており、更に二倍のエリアなども設けられているのだが、そこまで複雑で本格的なものではなく、もっと気楽に出来るようにとこのような点数となったようだ。

 さあ、いったい誰が挑むのか。

 後がない佐世保鎮守府からは、「さっきの借りを返させてもらうか。俺が出よう」と木曾が名乗りを上げる。それに対し呉鎮守府からは「じゃああたしが行こうかな」と阿武隈が挙手する。

 じゃんけんをすると、阿武隈が勝ったので先行は彼女ということになった。

 矢を構え、慎重に狙いを定める。

 中心を狙いたいがそう上手くいくものでもない。だからといってあまりに外すぎるとボードに刺さらずに0点になってしまう。力加減が少し難しいが、安定して点を取りに行く、という狙い方でいいだろう、と阿武隈は考える。

 有利ではあるが攻める必要はない。

 確実に点を取って次に繋げよう。

 そうして放たれた矢は、300点のエリアに突き刺さった。

 

「……ふぅ」

 

 無難だが、これでいいと阿武隈は落ち着くために息をつく。

 そしてもう一本を構え、今のリズムを崩さないためにそう時間をおかずに放った。それは500点と300点のエリアに突き刺さった。

 

「おっと、これはちょっとチェック入りまーす」

 

 那珂がボードへと近づき、矢をそっと抜いて穴を確認した。

 こういう境目が怪しい場合は穴を確認し、穴が広い方のエリアの点を採用する。その結果、300点エリアの方に広く穴が広がっていたので、「これは、300点だねー。ということで阿武隈ちゃんは600点獲得!」と那珂がアナウンスする。

 まずまずの出だしではないだろうか。呉鎮守府の艦娘達もおつかれ、と声をかけて阿武隈を称える。

 その中で木曾が矢を受け取りながら「普通に点を取っていくスタイルか。悪くはないが、良くもないな」と不敵に笑う。

 

「どちらにせよ、こっちは攻めるしか勝ちの目を拾いに行けないんでね。攻めさせて――もらうッ!」

 

 位置について狙いを定めると、すぐさま矢を放った。弧を描いて放たれた矢は、500点エリアの右上に突き刺さる。

 

「おぉーっと!? いきなり500点! 木曾ちゃんやるぅー!」

「そんでもって、こうだッ!」

 

 更に二の矢を放てば、ほぼ中心に向かって矢が飛び、突き刺さる。その命中に佐世保の艦娘達が湧き上がるのも無理はない。これはいったか!? 木曾さんかっこいい―! と、黄色い声援まで上がっている。

 那珂がすかさずチェックに向かう。1000点持っていかれ、合計して1500点にでもなったらまずいことになる。安定を取ったのは間違いだったか? と阿武隈が唇を噛みながら祈る中、矢をそっと抜いて穴を確認した那珂。

 

「……これは、500点だねー。ということで木曾ちゃん、合計1000点!」

「ちっ、僅かに調整が足りなかったか……。俺もまだまだだな」

 

 少し悔しげに右手で矢を放つ動作をする。もう少し中心に寄っていれば、1000点だったのは間違いない。そのもう少しに届かなかったのだ。取れていれば一気に点を離して有利に立てたというのだから仕方がない。

 

「少し守りに入りすぎたねー。堅実なのもいいけれど、やっぱ攻める気持ちも大事よねー」

「むぅー……」

 

 阿武隈が席に戻ると、北上が頬杖をつき、左手を軽く振りながらそう声をかけてきた。少し頬を膨らませながら阿武隈が席に着く中でも、

 

「阿武隈は控えめすぎるんだよねー。もう少し自信を持ってがんがんいかなきゃー」

「北上さんだったらどうしてたの?」

「あたし? まぁーてきとーに、それでもってずばっとやっちまうかなー」

「てきとーって、それじゃああたしより悪くなるかもしれないじゃない」

「それでも悪くない点数を取れる気がするんだよねー。あたしってば、スーパー……いや、ハイパー北上様だからねー。あっちの木曾くらいの点数は最低限取れそうな気がする」

「むぅーなによ、じゃあ次北上さんが行けばいいじゃない!」

「やだよ、めんどくさい。あたしはここでゆーっくり眺めている方が性にあってるのさー」

「ん゛ん゛っ……!?」

 

 はははーと気の抜けた笑い声をあげる北上に、さすがに苛立ってきたのか、阿武隈が先程以上に頬を膨らませて唸りだす。そんな阿武隈を面白そうに見ながら、膨らんだ頬を指で突く。「やーらかいねー。それじゃあ阿武隈じゃなくて、アブゥって感じー?」と、口から出る音を示しながらからからと笑う。

 そうまでからかわれては阿武隈も顔を少し赤くしながらぷりぷりと怒り出し、ぽかぽかと北上を叩き始めた。

 

「さぁー一回戦を終えて呉鎮が600点、佐世鎮が1000点という結果になってるよー。二回戦でこの差がどうなるか、注目だねー! 次のプレイヤー、いってみようかー!」

 

 現在の差は400点。佐世保としてはここから更に差を広げて勝利を確実なものにしたいだろう。となればこういうものに腕に自信がある艦娘が名乗り出るだろう。誰だろうか、と見ていると、「うちが行くわ。任しときぃ」と龍驤が立ち上がる。

 軽空母である龍驤が出るのか、と呉の艦娘達が少しざわつく。ならばこちらも空母の誰かが行くか? という空気になり、「だったら私が行くわ」と瑞鶴が立ち上がる。

 

「大丈夫、瑞鶴?」

「ふふん、任せときなさいって。一気に点数稼いで追いついてやるんだから!」

「今度は空母対決となったみたいだねー。呉鎮からは瑞鶴ちゃん、佐世鎮からは龍驤ちゃんが出る事になったよー! さっきは呉鎮スタートだったから、今度は龍驤ちゃんから投げてもらおうかな」

「うちからか。よっしゃ、やったろうやないの。うちは主力やからな。かるーく点を引き離したるわ」

「ふぅん、言うじゃない。そんなこと言って大丈夫なのかしら?」

 

 腕を組みながら瑞鶴が龍驤に問いかければ、不敵に笑って龍驤は矢を手にしながらこう返す。

 

「大丈夫や、問題あらへんな。うちには佐世鎮の主力部隊に所属してるってゆう誇りがあるんや。なら、それに見合うだけの力を持たんとな。そしてどんな時やろうと、頼もしい姿を他の娘らに見せたらなあかん」

「おぉ、言うねえ龍驤ちゃん」

「ふっ、でも今回はゲームやからな。頼もしいだけやなくて、場を盛り上げるのもやらんとな。いや、どちらかというと笑いもとらんといかんかな。ということは、や、『点数を稼ぐ』『笑いもとる』両方やらなあかんってのが、主力部隊に所属してる艦娘のつらいとこやな」

「いや、普通に場を盛り上げるだけでいいんじゃないかなー」

「なぁに、那珂はそこで実況しとったらええ。まずは一本、やったるから」

「んんん……じゃあ、龍驤ちゃん、佐世鎮の艦娘達の色んな意味が篭った期待を背負った一投、お願いしまーす!」

 

 何度か投げる仕草をして慎重に狙いを定める。自然と凪達の視線は龍驤に集中してしまう。この一投で400点からどれだけ差を作り上げるのか。正しく注目すべき局面だ。

 となれば龍驤にどれだけのプレッシャーがかかっているのか。

 瑞鶴もぎゅっと手を握って外せ、外せ、と心の中で願ってしまう。

 そんな中で、龍驤が矢を放った。

 素早く空を走り抜けた矢は、吸い込まれるように中心に向かい、突き刺さる。

 

「うおおぉぉぉ!? いった、いったぁぁああ!? この空気の中で、さっきの発言の後で! フラグをものともせずにやってしまったよ龍驤ちゃん!? 念のため、那珂ちゃん、確認しまーす!」

「う、うっそ……まじで……?」

「ふっふーん、どや、瑞鶴? これが、主力の力や! それを抜きにしたって、うちは元一航戦やしなあ。これくらいはどうということはあらへんよ」

 

 二本目の矢をくるくると回しながら得意げに小さな胸を反らす龍驤。うぐぐ、と唸る瑞鶴だが、何も言えない。実際に結果を出してしまったのだ。言い返せるとするならば、瑞鶴も点を取らなければならない。

 

「んん! これは間違いなく1000点だよ! 出ちゃったよ! これで差は1400点! しかも龍驤ちゃんは二本目を残している! これはいっちゃったかぁー!?」

「まあ、待ちぃな那珂。ここでうちがまーた1000点出したら瑞鶴がかわいそうやん。確かにここで勝たな三回戦にいかれへんのはわかっとる。でも、これはレクリエーションや。もう少し楽しむ要素も出さなあかん。そこでや」

 

 と、龍驤は右手でいじっていた矢を左手に持ち替える。

 

「二本目は左で投げたるわ」

「あ、あーら、いいのかしら龍驤さん? それですっぽ抜けたり外したりしたら、せっかくの優位がなくなっちゃうんじゃない?」

「その時はその時や。笑いが一つとれただけでええ。それにええんか、止めて? 右手で投げたらマジに一気に点差が開くで? 仮に瑞鶴がもし点とられへんかったら、ほぼ勝機はあらへん状態になる。それじゃあしらけるやろ」

 

 もしまた1000点となれば差は2400点となり、瑞鶴の点数次第では三人目の一投目で試合終了になりかねない。

 だからこそ、ここで左手で投げてやるんだ、と龍驤は言う。

 万が一の勝ちの目より、まだ勝負が分からない、という状況の方が観客は楽しめるだろう? と目が語っている。

 瑞鶴もそれを感じ取り、小さく唸り声をあげながら思考する。恵んでもらったチャンスにしがみつくしか、呉鎮守府がこのダーツで勝てる要素はない。ここは異議を唱えるのを堪え、そのまま投げさせるしかなかった。

 

「そんじゃ、いくで」

 

 また何度か投げる仕草をしてタイミングを見計らう。利き手ではない左手での投擲だ。大きく逸れる可能性があるというのに、龍驤はやめる気配はない。そのままやるつもりだ。

 那珂も「本当に左手でやるつもりだー……。ほんとに大丈夫かな~?」と心配そうである。

 

「でも当てたらマジで龍驤ちゃんすごいよ。輝くよ。こっから更にどれだけ点数を稼いで差を広げられるのか!? 再び、注目の瞬間だよ!」

 

 また龍驤に注目が集まる。

 場を盛り上げるためとはいえ、このまま左手で本当にやるつもりらしい。当たってもおいしい、当たらなくてもおいしいこの状況。さあ、どうなってしまうのだろうか。

 龍驤が投げた瞬間、「いった……!」と思わず那珂が口にする中、放たれた矢は弧を描いて――ボードの端を掠めて下に落ちていった。

 ボードに突き刺されば100点だったが、力が飛距離が足りなかったらしく、無情にも地面に刺さってしまう。

 

「あぁぁーーー!? やっぱりこうなったぁぁあ! 矢は的に届かなかったってことは、ポイント、なし! 龍驤ちゃん1000点突き放しただけ! でも知ってた! 何となくこうなっちゃうんじゃないかって!」

 

 あちゃーと頭を抱える那珂に、佐世保の艦娘達も悲鳴が上がってしまう。一方呉の艦娘達はと言うと大笑い。やったぜ、とこの好機を逃すなと盛り上がっていく。

 

「はっはっは、まあいいハンデになったやろ。どうや、瑞鶴。気軽に点数を稼いでみぃ。差は変わらず1400点や」

「くっ、なにその目は。やってやるわよ。それくらいさくっと点を取って縮めてやるわ! それに私だって呉の主力部隊に所属してる空母よ! その意地を見せてやるわ!」

「おぉー言うねえ、瑞鶴。ほんなら、君の意地ってやつを、うちに、観客達に見せてみぃ!」

 

 負けてられない、と瑞鶴が燃えている。あそこまで言われ、更に結果を出した龍驤。二投目こそ失敗したが、それは手加減したからああなっただけに過ぎない。本当ならもっと差を広げていたはずだ。

 転がってきたチャンスを逃がさずに、ここで差を縮めずしてどうするのか。

 慎重に狙いを定める瑞鶴を、翔鶴が心配そうに見守っている。加賀もじっと様子を見ているが「……あの子、挑発されているのに、大したものね」とぽつりと呟いた。

 

「加賀さん?」

「負けず嫌いっていうのは前からわかっていたけれど、それでもあの子は食いついて来ていた。挑発に苛立っているのは間違いないけれど、それでもまだどこかで冷静な部分はある。……この勝負、わからないわよ」

「瑞鶴の事、ちゃんと見てらっしゃるのですね」

「……あそこまで突っかかられては、多少なりともあの子の事、理解せざるを得ないでしょう」

 

 表情こそいつもと変わらない澄ましたものだが、その言葉には瑞鶴に対する信頼が見える。瑞鶴ならばきっといい点を取ってくれるはずだ、と。

 くすり、と翔鶴が微笑を浮かべると「……なんです?」とどこか気恥ずかしくなったのか、酒を軽く口にする。

 

「いえ、なんでも。さ、瑞鶴が投げるようです」

 

 集中し、狙いすました一投。負けられない、追いつくために放たれた矢は、瑞鶴の想いを叶えるかのようにそこへと向かった。突き刺さったのは中心をわずかにずれた場所。二つの点の境目だ。

 

「あぁーーーっと!? なんということでしょう!? これはチェック、チェック入りまーす!」

「なんやて……? しょっぱなからやるやないか」

 

 すかさず那珂がボードに向かって確認する。

 龍驤も驚いている。まさか自分と同じく一投目から1000点を出すかもしれないだなんて。しかも龍驤の挑発に揺らがずにやってのけたのだ。称賛せざるを得ない。

 

「これは、勝負がわからなくなってきたね。面白くなってきたじゃないか」

「良くも悪くも龍驤のせいでこうなった、といってもいいんですけどね。……でも、盛り上がってきているのは確かですか」

 

 呉鎮守府の艦娘達はこれで勝機が見えてきた、と瑞鶴を褒め称え、佐世保の艦娘達はまじか、と焦りを隠せない。その中でボードに刺さった矢を抜き、穴を確認した那珂は「んんん……1000点! これは1000点だよ!」と告げる。

 

「よっし……!」

「はぁーやるやないの、瑞鶴」

「ふん、どんなもんよ! これが私の実力ってなもんよ! ……それに、私には幸運の女神がついていてくれてるんだから!」

「せやったなぁ。確かに君には幸運の女神がついていてそうや。それが、僅かに1000点エリアに届かせたっちゅうことかな」

 

 しみじみと龍驤が呟き、瑞鶴は二投目の矢を構える。そんな彼女を見て、にやりと龍驤が笑みを浮かべた。「瑞鶴」と呼びかけると、二人の元へと戻ってきた那珂も「お?」と注目する。そして龍驤は左手を軽く振りながら、

 

「左で投げーや」

 

 と言い放つ。それには瑞鶴も思わず、ほお? と龍驤を睨みながら「なによなによ。それで0点取っといて」と返すのだが、龍驤は気にした様子もなく「左で投げーや」と繰り返した。

 

「うちと同じく一投目で1000点やろ? なら、二投目も条件同じくしてみぃひんか? ん?」

 

 不敵に笑いながら小首を傾げてみせる。数秒二人が見つめ合うと、瑞鶴も小さく肩を震わせ、「やってやろーじゃないの!」と叫びながら左手で投げる仕草をした。

 その流れにどっと会場が沸き立つ。

 

「見てなさいよ!? あんたとは違うってのを示してやるわ!」

「だぁいじょうぶかなぁ、これぇ?」

 

 完全に挑発に乗っている。那珂がちょっと笑いをこらえながら二人の様子を見ている。見ている方としてはおもしろいだろうが、翔鶴としては心配でならない。「み、右で投げなさい!」と瑞鶴を止めに入った。

 さすがに翔鶴の言葉には反応するらしく、「ちょっと待っててください!」と龍驤に断りを入れて翔鶴の方を見やる。

 

「右で投げなさい、瑞鶴」

「……右ね」

「右!」

 

 念を押す言葉が瑞鶴の背中に届けられる。

 瑞鶴も何度か深呼吸を繰り返しながら位置についていく。当然、龍驤も視界に入るためとんとん、と胸を叩きながら「熱くなってるのはね、体だけなのよ」と落ち着いた自分を示した。

 

「頭は冷静なのよ。やってやるわ、右で。……っしゃあ、行くわよ!」

 

 と右手に矢を構えて狙いを定める。

 だがそんな瑞鶴に龍驤は腕を組みながら落ち着いた表情で「左で投げーよ」と言い放つ。

 ここにきてまだ言うのか、と瑞鶴は構えを解いてしまった。

 

「なによ二回目の挑発? 二回目の挑発乗らないわよ。ここで点数稼がなきゃいけないんだから」

「…………」

 

 ふーん? とでも言いたげな表情。

 顔でも挑発しているかのような微笑にも見える、見事な表情がじっと瑞鶴を見つめていた。その顔をじっと見ていた瑞鶴は、無言だったが、ぷるぷると次第に体を震わせ、

 

「――やってやろうじゃないのッ!!」

 

 と、左手に矢を持ってしまった。

 またしても会場が沸き立つ中、「ちょ、瑞鶴ちゃん大丈夫!? っ、く……完全に挑発に乗っちゃってるよぉ!」と笑いをこらえきれずにいるが、何とか実況者としての状況を観客に伝えている。

 

「舐めてくれちゃって! 呉主力の力を思い知らせてやるんだから!」

 

 乗ってしまったのはやはり第一主力部隊に所属している、という誇りがあるからだ。

 同じ空母で、同じ第一主力部隊に所属していて、ここまで同じ状況で進んでいる。ならば左手で投げて更に点を取れば、ゲームと言えども龍驤より上に行ったことになる。

 負けず嫌いがここで発揮してしまった。

 そのまま左手で構え、狙いを定めていく。

 

「さぁーどうなってしまうのか? 挑発に乗って左で持ってしまった瑞鶴ちゃん、龍驤ちゃんと同じ轍を踏むのか、あるいは!? 注目の一投――投げたぁ!」

 

 矢はどこへいくのか? 観客の視線も自然と矢を追っていく。

 そうして多くの視線に見守られた矢は弧を描き、ボードに――刺さった。

 

「ふぁ!?」

「いったああああぁぁぁ!! 瑞鶴ちゃん! 左で! 結果を出しちゃったぁぁあああ!?」

 

 とはいえ突き刺さったのはボードの外側。

 100点? いや、もしかすると……。那珂が確認すると、300点エリアのギリギリ内部に刺さっていた。100点エリアの方に穴はない、という状態である。

 

「見たか龍驤さん!? これが呉の瑞鶴の力よ! 覚えておきなさい!」

「……まじかー。そこでやってまうのかー、まじかー……」

 

 そこで龍驤は初めて少し悔しそうな表情を浮かべていた。だが少し苦笑も混じった表情である。笑いを取るだけでなく、結果も出してのけたのだ。その辺りは認めざるを得ない。「瑞鶴ってなんか持っとるわー……」と呟きながら席へと戻っていく龍驤。

 参った参った、と頭を掻く龍驤の背中を見送りながら、「龍驤ちゃん、ちょーっと遊びすぎたね~……。これで点差はなんと100点! 佐世鎮の有利は変わらないけれど、ここまで差を縮めてしまった瑞鶴ちゃん!」と那珂が現状を説明する。

 

「さあ、三人目の戦いだよ。このたった100点という差がひっくり返るのか、あるいは逃げ切れるのか!? プレイヤーは、誰だ!?」

「……では、私がひっくり返しましょうか」

「行っちゃうのかい、神通?」

 

 凪に酌をしていた神通がそっと立ち上がる。神通ならばやってくれるだろう、という思いが呉の水雷組には共通認識として存在していた。凪もまた、この正念場において神通ならば、という信頼がある。

 これはゲームだ。しかし勝負でもある。

 勝負事となれば、神通は気分が乗れば勝たねば気が済まないだろう。彼女もまた負けず嫌いなところがある気がする。しかし、

 

「まあ、待ちなよ神通。ここは私に花を持たせてくれないかな?」

「……姉さん? まだ夜ではないですよ? 珍しいですね」

「いやいや、別に夜だけやる気になるわけじゃないって。あ、なにその目。信じてない?」

「姉さんですから仕方ないですね」

「んー、言ってくれるねえ。でも最近神通ばっかり活躍しちゃってるじゃん? そりゃあ呉の水雷の長だからってのもあるけど、私だってそんな神通の姉っていう立場があるからね。ここでびしっと結果を出して、目立っちゃいたいわけよ」

「そうですか……わかりました。では、ここは姉さんに花を持たせましょう。頑張ってください」

「ん、任せなさいって!」

 

 呉鎮守府からは川内が出陣。那珂から矢を二本受け取り、位置について狙いを定めていく。では佐世保からは誰が出るのか。この勝負を決めるにふさわしい腕を持つ艦娘は誰なのか、まだ相談している。

 そんな佐世保の様子など気にした様子もなく、川内はボードと矢に集中していた。

 狙うはもちろん1000点。ここで一気に点を稼いで優位に立ちたい。その想いの下に放たれる矢。それは、僅かに中心から離れて突き刺さった。

 

「500点! 呉の川内ちゃんの一投目は500点です! んんー危ない! もう少し調整が上手くいっていたら、1000点だった! そうなれば、今度は佐世鎮が危うい状況になっていたよ! でも、今この状況でも400点の呉鎮の優位! 更に点数は広がるのか? 二投目だよ!」

「ふふ、悪いね、那珂~。何となく、感じはつかめた。今度は外さない。1000点、もらうよ」

 

 今の一投を微調整すれば1000点に届く自信が川内にあった。じっとボードを見据えて力加減と投げる角度を調整。ここだ、というポイントで投げたそれは、川内の思い通りのコースを通ってボードに突き刺さった。

 那珂もうわぁ……という表情でその軌跡を見届け、「い、いったぁぁぁあああ……あ? でも、これは?」といそいそとボードに近づいていく。そっと突き刺さった部分を確認し、矢を確認してみると、穴がずれている。

 確かに1000点エリアにも穴はある。だが、それ以上に500点エリアにも穴が広がっているのだ。川内が放った矢は、500点エリアの方に広く穴を作ってしまった。

 

「500点! 残念だけどこれは500点だぁ! さっきよりも1000点に近づいているけど、これはだめだぁ! ということで川内ちゃんの点数は1000点! これまでの点数を合計すると、2900点となったよ~!」

「えぇー、うっそぉ!? これは1000点でしょー!?」

「んー、でもここだよ? 穴、こっち側に広いでしょ?」

「…………うわぁ」

 

 実際に確認し、川内も納得するしかなかった。これは確かに500点と見るしかない。これ以上異論を挟むことは出来ない。

 なんにせよ合計は2900点。佐世保が現在2000点なので、1000点取られればその時点で逆転勝利だ。それ以外ならば二投目をやることになる。

 さあ、勝敗を決めるプレイヤーは誰なんだ?

 一同が佐世保の艦娘達へと視線を向けると、「――では、私がやりましょう」と眼鏡を軽く上げながらその人物が立ち上がった。

 

「どうやら霧島さんが出るみたいだぁー!」

「1000点、取ればいいのですよね? 問題ないですよ。私の計算力と力をもってすれば、簡単な作業です」

 

 自信満々だ。不敵に微笑みながら眼鏡を光らせている。

 凪がそっと「霧島ってああいうキャラなのかい?」と淵上に訊いてみると「……知的に見えて、意外と肉体派。いえ、戦艦らしく肉体派ですかね」と返ってきた。

 軽く肩を回し、手を鳴らしている霧島を見てしまうと「なるほど、肉体派だ」と納得してしまう。

 しばらく矢を構えてボードを睨んでいた霧島。ここか、ここかと放つ位置を調整すると、

 

「連続でやらせてもらいますよ。ふっ――ふっ!」

 

 間を置かずに放たれた二つの矢。それは霧島の狙い通りなのか、それぞれ500点エリアへと刺さったではないか。那珂が「おおぉ!? 1000点、確かにこれも1000点だぁ!?」とアナウンスする。

 

「無理に中心を狙う必要はありません。それよりも広いエリアである500点に二本刺さればそれでいいのです。簡単ですね。これによって3000点。100点差で我々の勝ちです」

 

 宣言通り、簡単な作業だったとでも言うかのように得意げに眼鏡を光らせて一礼した。

 見事と言うしかない。霧島に惜しみない拍手が送られる事となった。

 お見事、と戦艦の席で霧島に新しい酒が注がれ、手渡される。ありがとうございます、と霧島が大和に一礼してそれをじっくりと味わって飲み干していた。

 

「これでそれぞれ一勝という状態。鎮守府対抗戦はいよいよ最終戦へと移行しまーす! 一体何が待ち受けているのか? そしてどちらの鎮守府が勝利し、間宮さん特製のクリスマスケーキを味わえるのか? 注目の試合は、CMの後!」

「CMってなに?」

「一旦休憩ってことだよ湊ちゃん。突っ込まないでよ、かなしいなー」

 

 てへぺろしながら淵上のツッコミに返す那珂。

 何やら準備があるらしいので、その間に休憩を挟むとの事だった。

 それならちゃんと説明しろ、と少し頭を抱える淵上だが、那珂は気にした様子もない。喋り通しだったのでのどを潤すためにジュースを飲みに行っている。

 やれやれ、と息をつく淵上に苦笑しながら、凪もまた酒と料理をつまむのだった。

 



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降誕祭3

 

 10分間の休憩を挟んだ後、那珂が「お待たせしましたー!」と声を響かせる。

 艦娘達の視線がステージに集中すると、「これより鎮守府対抗戦、最終戦を始めるよー!」と叫べば、一斉に拍手が響き渡った。

 

「最終種目は、これだぁー!」

 

 手で示した先に、大淀が運んできたセットがお披露目される。

 それは一つの台だった。二つのラインが引かれ、手で丁度握れそうな棒も二本立っている。凪は首を傾げてそれが何なのかを考えてみる。どこかで見たような気がするセットなのだが……、

 

「アームレスリング! 要は腕相撲だねー。力に自信がある人で戦う、正真正銘のガチンコ対決だぁー!」

「……それ、大丈夫なの? 馬力勝負にならない?」

「んー確かに馬力が大きい人が勝ちそうだけど、日頃の鍛錬次第で艦娘って変わってくるからね~。耐えきれるかの持久力とか、一気に相手を倒しちゃう瞬発力とか、その辺の駆け引きも関わるし、意外とわからないかもよ~?」

 

 と、淵上の質問に那珂が答えた。

 単に力勝負をするならば戦艦娘を出せばいいだろう。となれば呉鎮守府としては、決め手となるのが大和だろうか。しかし彼女をいきなり出すというのもどうかと凪は思ったりする。

 でも大和と言えば生まれたばかりの頃に、長門と脱衣所で腕相撲してたっけか、と思い出してしまった。しかも素っ裸で。

 そんな事を思い出していたせいで、小さな苦笑が浮かんでしまう。それに淵上に気づかれ「……変な笑いが出てますけど、突然どうしたんです? 気持ち悪いですよ?」とつっこまれる。

 

「いや、うん、ごめん。こっちからはそうだね……」

 

 と、ちらりと隣の席に座っている神通を見る。

 先程ダーツでは川内が代わりに出てしまった。もしそれで発散するはずだったものを今溜めているならば、ここで発散させてやるのがいいかもしれないのだが。そんな凪の視線に気づいたのか、「どうかいたしましたか?」と小首を傾げる。

 

「いや、神通行く?」

「そうですね……私はどちらかというと力というより技術ですからね。出ろと仰るのであれば出ますが……」

「そうか……。いや、さっき出なかったからさ、勝負好きなら一度は戦いたいのかな? と思ってね」

「お気づかいありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。確かに一度は出たいとは考えましたが、また別の機会でも構いません。今回は他の誰かに譲りますよ」

「わかった。じゃあ重巡の誰か、いくかい?」

 

 と、重巡達が集まっている方へと呼びかけてみる。力と言えば戦艦だが、重巡も悪くはない。すると「じゃあ私の出番かしらっ!?」と勢いよく足柄が立ち上がった。

 

「今までうずうずしてたのよねー。行ってもいいのよね?」

「あー……勝負好きなのに静かだと思ったわ……。うん、いいよ。発散しておいで」

「よしっ! さあ、佐世保からは誰が来るのかしら!?」

 

 ぐっと左手で支えた右腕を曲げ、拳を握りしめて気合を示す足柄。台へと向かっていく様子を見つめながら、淵上は軽く佐世保の艦娘達を見回していく。あの足柄の相手に出来そうな娘といえば、と考えていると、とある艦娘が目に留まった。

 

「――羽黒、あなた行く?」

「……え? わ、私、ですか?」

「羽黒? え? マジで?」

 

 羽黒と言えば、妙高型の末妹であり、かなり気弱で大人しい性格をしている。ということは史実では中々に活躍したのではないか、と思われるだろうが、実際その通りである。

 例によって武勲艦が艦娘になった際に大人しくなってしまった艦娘の一人だ。

 報告によれば事あるごとに「ごめんなさい!」と謝り、幼い顔立ちをした瞳に涙が浮かぶという気弱さだ。そういう性格なのか、男性が苦手なのか……こういう娘の扱いに不慣れな人からすれば、どう接していいのか分からない艦娘である。その点女性提督である淵上は同性なので、特に問題なく付き合っているらしい。それは羽黒を秘書艦にしてから一度も変更されていないという点でもうかがえるだろう。

 

「あなたの力を見せてあげなさい」

「は、はい……わかりました」

 

 そして指名された羽黒は拒否する言葉を発さず、頷いて立ち上がっている。

 足柄の対面に立って何度か深呼吸を繰り返してぐいっと袖をまくった。

 

「呉鎮からは足柄ちゃん、佐世鎮からは羽黒ちゃん! 妙高姉妹の対決となったよ~! これは面白い戦いになりそうだね!」

「手加減しないわよ、羽黒?」

「……上等です。私も、全力でいかせていただきます、足柄姉さん」

 

 羽黒相手なら負けられない、と不敵に笑いながら足柄も袖をまくる。その目は完全に獲物を狩る者の目をしている。だが羽黒もその視線を受け止め、じっと睨み返すだけの気迫でこの場に立っている。

 そこにいるのは気弱とされている羽黒ではない。戦う者へと切り替わった一人の艦娘だ。なるほど、あの気迫を纏えるならば、確かに彼女は武勲艦であると認めさせてしまう。

 何も知らない人が見れば、ごくりと息を呑んでしまいそうになるだけのぴりぴりとした空気が二人を中心に渦巻いているのだ。気弱で大人しい女性が発しているのだよ、と説明しても信じられないだろう。でも、現実である。

 

「では両者、構えて!」

 

 がしっと右手が組み合い、左手は供えられている棒へと添えられる。那珂が右手を押さえ、両者の目を確認し「始め!」と告げた瞬間、その手は――動かなかった。

 しかし二人とも力を入れて相手の手を倒そうとしている。その力が均衡しているのだ。

 

「ふっ、く……!」

「んん……!」

 

 二人にそれぞれの鎮守府の艦娘達から声援がかけられる。呉鎮守府からは妙高が「足柄ー! 負けてはなりませんよー!」と背中に声を響かせ、佐世保からは那智が「羽黒! 耐えるんだ! きっと足柄は隙を見せるぞー!」と酒瓶を手に助言している。

 淵上は「瓶は置きなさいよ、瓶は……」とぽつりと漏らしてしまった。

 そんな中で均衡は静かに崩れていく。

 じりじりと羽黒の手が台に近付いていっているのだ。足柄が押し始めたのである。

 優位に立てているからか、にやりと犬歯がちらりと見えるくらい笑みを浮かべ始める足柄。対して羽黒は何とかして耐えるために更に力を入れ、それによって顔が紅潮し始めた。更に目にはうっすらと涙が浮かび始めている。

 見る人が見れば、困惑しそうな表情を今羽黒はしている。

 じわりと汗が滲み、赤くなる頬、目には涙。まるでいじめているかのような気持ちにさせられてしまう。それを間近で見ている足柄からすれば、たまったものではない。

 姉から見てもこの妹は可愛い。そんな可愛い彼女に涙目で力んでいる表情を見せられては力が抜けるというもの。

 

「――っ!!」

 

 それを感じ取れないほど羽黒もバカではない。これを好機と見て一気に盛り返した。「し、しま……っ!?」と足柄が力を入れなおすが、耐え切れずに手が台についてしまい、「ああぁぁぁ!?」と悔しげに叫び声をあげる。

 

「そこまで! 勝者、羽黒ちゃん!」

「や、やりました! やりましたよ、司令官さん!」

「ん。よくやったわ。おめでとう、羽黒」

 

 ぎゅっと両手を胸の前で握りしめながら喜びの声をあげる羽黒に、淵上も微笑を浮かべて拍手を送った。一方足柄は一度台を叩いてまた悔しげに呻いている。「あんな、あんな表情を目の前にしたら力も抜けるってのよぉ~……ずるいわ、羽黒ぉ……!」とむせび泣いている。

 そんな彼女に「え? そ、そう言われても……」と羽黒が困惑した。

 

(まさか、それを狙ったか、淵上さん……?)

 

 ちらりと淵上の方を見ながら凪はそう思案する。だとすると狙い通りの勝ちの拾い方という事になる。やってくれたな、と称賛せねばならない。

 

「まあまあ、落ち着きなさいな足柄。どういう要素があったにせよ、負けは負けよ。ほら、おとなしく帰りますよ。おめでとう、羽黒。いい戦いでしたよ」

 

 長女である妙高が足柄を回収しに向かい、羽黒の健闘も称えて会釈した。いそいそと帰る中でも足柄は悔しさを隠しきれていない。勝負好きだが、ああして感情を豊かに見せるのもまた足柄のいいところだろう。

 妙高がついているからフォローは何とかなるだろう、と任せておくことにする。

 問題は、呉鎮守府にはもう後がないという事。

 

「これで佐世鎮がケーキにリーチをかけた状態だね! この勝負で決着がついてしまうのか!? 二回戦のプレイヤー、出てこいやぁ!」

 

 ここは出し惜しみをしている暇はない。大和を出すのか? という空気になる中、「――私が出よう」と立ち上がった艦娘がいた。自然と視線が彼女、長門へと向けられる。

 

「あら、長門が出るの?」

「うむ。少し興が乗った。それに後がないという状況ならば、私が止めるべきであろう」

「ふうん、こういうのはやらない性質だと思っていたけれど、それは楽しみね。でも長門? 私以外に負けるなんてこと、許さないわよ? やるからには勝ってもらわなきゃ」

「ふん、お前の気持ちはどうでもいいが、負けるつもりはさらさらない。誰が来ようとも私は勝つ。その気概は一時も忘れたつもりはない」

 

 指を鳴らしながら大和に背を向け、その気持ちを表すかのような真剣な表情で勝負の舞台へと上がる。腕を組んで仁王立ちする様はまさに武人が立ちはだかっているかの如く。今の彼女を倒せる艦娘が佐世保にいるのか? と佐世保の艦娘達がざわつきだした。

 

「大和ではなく長門か……。そっちもそっちでこちらとしては強敵ね。でも後がないのだからなりふりかまってはいられないでしょうね」

「そうだね。……出たのは本人の意思だけどね」

 

 よほど間宮のケーキが食べたいんだろうな、と思いながら凪は酒を飲みほした。彼女がかなりの甘党だというのはほとんど知られている。だからこそ自分の手で敗北に向かおうとする状況を止めに立ち上がったんだろう。

 でもそれが佐世保へと圧力をかける事になっている。それだけ長門という壁は厚く頑強だ。それを崩せるとしたら同じ戦艦だろう。

 霧島が出るか? と凪は予測する。しかし先程ダーツで勝負を決めたばかり。また出るのか? という事になるだろうが、他に出るとしたら金剛?

 

「……扶桑。あなたが行くといいわ」

「え……私、ですか?」

 

 羽黒と同じく、まさか自分が指名されるとは思っていなかった扶桑が、困惑しながら自分を指さしている。うん、と頷いた淵上はどうぞと長門の方へと促し、短く逡巡した扶桑は頷いて立ち上がった。

 これには呉の山城も「え? 佐世保の姉さまが?」と困惑し始める。

 

「ど、どうしたら……どっちを応援したら……」

「いや、普通に長門を応援すべきだろう、山城。うちはもう後がないんだぞ」

「しかし、姉さまが負けるところなんて見たくないわ……。所属している鎮守府が違えども、扶桑姉さまは姉さまですもの。ああ、どうしたら……悩ましいわ」

「味方であるはずの艦娘に応援されないとは、長門も不幸だな」

 

 艦娘としての山城はかなり扶桑にべったりな性格をしている。呉鎮守府に扶桑がいないので、日常的にその様子を見る事はないが、しかし扶桑の建造はまだかしら? みたいな事は時々口にしているので、その空気は感じられる。

 そしてその性格は他の艦娘達にも共有されているので、山城がこうなのは日向も理解しているので、これ以上のツッコミはない。が、山城の口癖をぽつりと漏らすだけに留めた。

 

「ふむ、扶桑か。悪くない相手だ。よろしく頼むぞ」

「はい、お手柔らかに、お願いします……」

 

 たおやかに一礼する扶桑に握手を求めると、そっとそれに応えてくれる。那珂が「二回戦は呉鎮守府からは長門さん! 佐世鎮からは扶桑さんとなりましたー!」と選手紹介をする。

 

「戦艦同士の戦い、これはすごいことになりそうな予感だねー! では二人とも、位置について!」

 

 軽く肩を回した長門が構えると、扶桑もぎゅっと手を握り締めて長門を見据える。先程までは儚さを感じさせる和風美人、といった雰囲気だった扶桑だが、今は表情を引き締め凛々しさを感じさせるものに切り替わっている。

 白魚のような手が長門の手を取り、その上に那珂の手が置かれる。

 

「始めッ!」

『――――ッ!!』

 

 開始を告げた刹那、二人同時に力が入る。だがその勝負は長門有利で始まった。負けられぬ、という想いから生まれたパワーが扶桑の手を台へと近づける。しかし扶桑もそれを堪える。必死に耐えて勝負を続けさせるのだ。

 

「おおっと! 長門さん攻める! やっぱりパワーでは長門さんが有利かぁ!? しかし扶桑さん耐える! こういう勝負には似合わなそうな見た目や雰囲気だけど、そんなの関係ねぇ! これが戦艦の意地だとここは耐えている!!」

 

 汗を流しながら扶桑が耐え、そして長門も更に力を入れて扶桑を倒さんとする。じわじわと扶桑の手が台に近づいていくが、まだ扶桑は耐える。なかなか根性があるではないか、と長門が笑みを浮かべ、一息ついて力を入れなおそうとした。

 そこを待ってたとばかりに今度は扶桑が攻めに転じる。ぐいっとその手が開始地点まで持ち上げられていく。「ん、んん……やるではないか……!」と長門が耐えてそれ以上は倒させまいとする。

 

「これはいい戦いだぁー! 扶桑さんが何とか勝負を均衡まで戻したけれど、今の攻防でどちらも結構体力使ったんじゃあないかな? となると若干扶桑さん不利かなぁ? でもまだ勝負はわかりません!」

 

 佐世保の艦娘達が一斉に扶桑を応援している。

 呉の艦娘達も負けてなるものかと長門を応援しており、ライバルを自称している大和は応援していないが、揺るぎない眼差しで長門の背中を見つめていた。口には出さないが、彼女もまた心の中で応援しているのだろう。

 凪もじっと見守っていたのだが、不意にちりっと痛みを感じた。ん? と思っていると、ちりちりと胃が痛み始め、そっと手をお腹に当ててしまう。その様子に神通も気づいたらしく「大丈夫ですか?」と背中に手をまわしてくれる。

 

「ん、ああ……大丈夫。そんなに強い痛みじゃないから」

「……食べすぎですか? 海藤先輩」

「いや、そんなに食べたつもりはないんだけどね……」

「胃薬をお持ちしましょうか?」

「……そこまでではないよ。少し落ち着いてきたし、軽めの痛みみたいだしね」

 

 クリスマスパーティだから、といい料理が並んでいるために自分でもわからない内に食べ過ぎたのかもしれない。それに紅茶や酒もいつも以上に飲んでいるのも影響している可能性もある。

 でもそれだけなんだろうか? と自分でもよくわからない疑問を感じていると、ん? と舞台に別の存在を見つけた。

 

「あれ? いつからあそこに?」

 

 と何気なくそれを示してみる。

 にゃーんと小さく鳴いたそれは、昨日見かけた白い子猫だ。長門と扶桑の対決している台の近くにいつの間にか現れている。実況している那珂の対面、観客側にひょっこり現れ、じっと長門と扶桑を見上げているのだ。まるで自分も観客の一人だ、とでも言うかのように。

 

「なんだかお客さんが一人……一匹増えてるね? ちょっと、そこの猫ちゃん誰か回収してー」

 

 と那珂が子猫の回収を頼むと、戦っている長門の視線もつられて子猫へと向けられる。すると子猫も自分が見られている事に気づいて視線を合わせた。その何とも言えない味のある表情に、長門も息を呑み(か、かわいい……!)と感じてしまった。

 木曾が「ほら、こっちに来るんだ」と子猫を抱き上げようとすると、するりとその手から逃げてくる。しかも長門の足元へと逃げてきたものだから「……っ!」と長門が反応してしまい、思わず力が抜けた。

 

「……すみません……!」

 

 と扶桑が謝りながら、ぐいっと一気に長門を倒しにかかる。「――はっ、ふんっ!」それに気づいた長門も慌てて力を入れ直し、それをギリギリ耐える。

 足元を通り過ぎた子猫は実況をしていた那珂の近くまで逃げてきたため、小さく唸った那珂が屈んで首根っこを掴まえようとしたが、やはり逃げられる。子猫だけになかなかすばしっこい。

 しかしこれ以上二人の戦いの邪魔をさせるわけにはいかない。どうしたものかと思っていると、高速でその場に入り込んだ小さな影がいた。それは逃げている子猫をがしっと掴み、取り押さえてしまった。

 それとほぼ同時に、堪えていた長門も力尽きる。

 その手は台へとしっかりとついてしまっていた。汗を流し、荒い息をつく二人をじっと見ていた那珂が震える声で「し、試合終了―――!」と叫ぶ。

 

「ちょっとしたアクシデントがあったけど、ここで試合終了だぁー! 勝者、扶桑さん! これにより、第一回鎮守府対抗戦の勝者は、佐世鎮に決定だああぁぁぁ!!」

「はぁ……はぁ……くっ、不覚……! 心を乱されてしまったのが敗因か……!」

「すみません……このような形で勝ってしまって……」

「なに、気にするな。あれに気を取られてしまった私の不甲斐なさによるものだ。勝負に何が起こるかはわからない。揺らがずに続けていればまだわからなかっただろうからな。私のこれからの課題とする事にしよう。……また、機会があればぜひ相手してもらいたいものだな、扶桑」

「……私で、よろしければ……」

 

 微笑を浮かべて二人は握手しあう。お互いの健闘を称え合う、よい関係が築けたといえよう。佐世保の艦娘達が歓喜に沸き、呉の艦娘達も残念に思う者がいるが、それでもこれまでの戦いを称えるように拍手を送っている。なんだか山城が「姉さま……さすがです」と涙しているようだが、日向は少し気にした後スルーする事にしたようだ。

 

「……長門―、何負けているのかしら~? 私以外に負けるなんて、残念ですよ?」

「それはすまんな、大和。しかしこれが勝負というものだ。勝つときもあれば負ける時もある。そういうものだろう」

「私としては、私以外に負ける貴様を見たくはなかったのだけれど」

「それはすまんな。だが別に私は、お前を喜ばせるために戦いに出ているわけでもないのでな。……そう絡むな。酔っているのか? だったら休むことを勧めるぞ? 酔っ払いに構う趣味はない」

「つれないわねー、私はこんなにも長門の事を気に掛けているというのに。……そういえば、あの猫はどうなったんです?」

 

 と、大和が足元の方を見やる。そこには力なくぶら下げられている子猫と、その両手を掴んで得意げにしている小人の少女がいた。

 若葉マークが描かれている白い帽子をかぶり、セーラー服を着込んだ出で立ちだ。茶髪には短いおさげがあり、黄色いリボンで結ばれている。

 そしてその表情。

 なんだろうか。子猫が子猫なら、少女も少女だ。ぶらーんと猫をぶら下げながらじっと長門と大和を見上げている。何とも言えない笑みを浮かべて。

 

「……だれ、これ?」

「しらん。妖精のようだが見たことがないな……。どこから紛れ込んだのか、新たに生まれてしまったのか……何分、私達も妖精の全てを知っているわけではないからな。提督、この妖精は?」

「いやー、俺も昨日猫の方を見かけたばかりだからねー……。そっちの女の子の方は俺も初めてかな。……佐世保の方から紛れ込んできた?」

「いいえ、あたしも見た覚えはないですね」

 

 ということは佐世保鎮守府から来たわけではないらしい。ではこの呉鎮守府で生まれてしまったのか、あるいはまた別のどこからか。

 可能性としては大本営だ。

 任務達成報酬や、ソロモン海への戦闘参加の際に呉鎮守府の守りを依頼する際に船がやってくる。そこに紛れ込んでいた、という可能性も捨てきれない。

 そう推察するのだが、それよりもこの妖精本人に訊いてみた方がいいかもしれない。

 

「君はどこから?」

「…………」

 

 それにセーラー服の妖精少女は首を傾げた。言葉は通じているとするならば、妖精自身にもわからない、ということなのだろうか。「何故ここに?」と尋ねても反対側に首を傾げる。ますます謎が深まる。

 

「……その猫は?」

 

 とぶら下げている子猫を指させば、何を思ったか右手で子猫をぶんぶん振り回し始めた。その行動に凪だけでなく長門達もびくっと体を震わせて驚く。ひとしきり振り回すと、まるでヌンチャクを腰元に当てるかのように、子猫を腰元に当てて左手を前に出し、親指を立てた。しかもその表情はどこか得意げで、それでいて先程以上に謎めいた微笑を浮かべている。

 もしかすると、笑うのが下手なのか? そう思えるくらい、邪悪さを感じさせる笑みなのだ。

 

「…………」

「……ふっ」

 

 何を突っ込めばいいのだろう。少女妖精がまた笑みを浮かべて両手で猫をぶら下げる。

 わからない、この妖精は一体何なのだろう。

 

「とりあえず、鎮守府に置いておいたらいいんじゃないですかね?」

「……この妖精を?」

「船と猫って昔から縁があるものですからね。ネズミ取りとして猫を乗船させて一緒に旅をしていたくらいですし。でもどうやらその猫は一癖あるかもしれないですから、その猫を監視する妖精としてそれも一緒に置いておく、という感じで」

「なるほど……」

 

 一癖あるのは猫だけでなく少女の方も、と言いたいが、飲み込んでおくことにする。

 それに色々謎な妖精がまた増えた、と考えれば心境的に楽かもしれない。妖精自身は今まで人間に対して害をなしたことはない。

 艦娘と共にこの世界に現れ、艦娘がそうであるように妖精もまた人間達に対して敵意をあらわにすることはなかった。

 扱い方を間違えなければ、この妖精も静かに暮らしてくれるだろう。

 

「それにしても猫か……」

「ん? 何か猫に思い入れが?」

「いえ、あたしではなく、セージさんがですね。あの人、猫二匹飼ってましたから」

「そうなんだ。どんな猫だったんだい?」

「黒猫のオスカーと白猫のアンドーでしたか。結構可愛がっていたと聞きましたよ。昔一緒に写っている写真が送られてきたことがありますし。……護衛船にも連れて行って、ネズミ取りを任せていたとも聞きましたね」

「…………ドイツのあの猫? それともベル○ら?」

「さあ? 由来は聞いていませんが、たぶんオスカーの方はそうじゃないですかね? 確かオスカーの方が先にセージさんのとこに居た気がしますから」

 

 子猫を見下ろしながら遠い目をする淵上。

 もしかすると護衛船に乗った猫は、美空星司の最期の時も……と推察してしまう。流石にドイツのオスカーのように猫が生き残った、ということはないのだろう。主人と共に、海に眠っているのかもしれない。

 淵上がそっと指を出せば、少女妖精はそのまま猫をぶら下げたまま待機している。軽く喉をいじってやれば、子猫はごろごろと音を鳴らしている。少女妖精が捕まえているせいで、逃げることが出来ないために大人しくしているのだろうか。

 凪もそっと頭を撫でてやるのだが、なぜかいやそうに頭を振っている。

 

「嫌われているんですかね」

「……まあ、いいさ。とりあえずこの子らは置いておくということで。じゃ、待たせて悪かったね。勝者に報酬を」

「おっとぉ、そうだったね。あ、丁度間宮さんが持ってきてくれたよ! 勝者である佐世鎮には、間宮さん特製のクリスマスケーキを食べられるよー!」

 

 カートを押しながら間宮がやってきているようだが、その姿は三段重ねになっているクリスマスケーキによって隠されている。それくらい大きく、豪勢な出来栄えになっている。

 当然それを見た佐世保の艦娘達は歓喜に盛り上がっている。対して呉鎮守府の艦娘達はあれを食べられないのか、と消沈してしまっている。

 

「それでは皆さん、お召し上がりください」

「やったー! ケーキだー!」

「うま、うまぁー!?」

 

 先に駆逐達がケーキを切り分け、頬張っていく。その甘さと美味しさに頬が緩み、表情がとろけている。すぐそこに美味しいものがあるのに食べられない悲しみ。

 だがもう一人の間宮がもう一つケーキを持って来ていた。それは特製のケーキと比べると豪華さは劣るが、それでもクリスマスケーキであることには変わりない。

 

「で、こっちが敗者に振舞われるケーキだねー。材料とか色々グレートが落ちているけど、こっちもクリスマスケーキなのは変わらないよー。ということでここからはケーキを食べる時間! 那珂ちゃんもいただきまーす!」

 

 対抗戦が終わったので、那珂も司会ではなくただの艦娘としてクリスマスケーキを食べに向かった。呉の艦娘達も普通のクリスマスケーキをいただくために集まっていく。

 確かにグレートは落ちている。しかし、それでも間宮が作ったケーキだ。それだけでも価値のある甘味である事には違いない。普通のケーキ屋に並ぶ、いやもしくはそれ以上の味が口の中へと広がっていくのだ。

 笑顔でそれをいただく艦娘達は、当然ながらきらきらとした粒子が立ち上っている。うお、まぶしっ!? と凪と淵上が一瞬視界を防ぐために手で庇ってしまうくらい、光が舞っていた。

 

「……はは、それじゃあ俺達もいただきますか」

「そうですね。では、そちらよりも美味しいケーキとやらをごちになります」

「おう、どうぞどうぞ」

 

 凪と淵上もまた鎮守府の一員。クリスマスケーキを食べる権利はある。

 そしてあまりにも大きなケーキのため、鎮守府の妖精達もまたケーキを食べようと集まってきた。

 日が暮れていく中、またあちこちで談笑が始まる。

 メインの料理をあらかた食べ終えれば、デザートが待っているのがパーティの常。笑顔が咲く会場を見回しながら、凪はこの平穏な日常を噛みしめる。

 クリスマスということは、今年もあと一週間で終わるのだ。

 今年は凪にとって激動の一年だったと言える。だからこそこの落ち着いた時間、平和な時間と言うのがいかに大切なものなのかが実感できてきた。

 そして守らねばならない人が生まれるというものを知った。

 

 彼にとっての世界が広がったのだ。

 

「お疲れ、長門」

「……ん、ああ。提督か。すまんな、負けてしまった」

「いいさ。そういう時もある。どうだい? 久しぶりの甘いものは」

「とても良いものだ。あちらのケーキも惜しいが、しかしさすがは間宮。これでぐれーととやらを落としているというのだから。うん、美味い」

 

 普段は凛々しい長門も間宮のお菓子の前では一人の女の子となる。そのギャップもいいものだ、と感じられるほどに凪も女性に慣れてきている。

 そんな長門を優しい微笑で見つめていると、「む? なんだ? そんなに食べるところを見つめないでほしいものだが」と、少し長門が照れてしまった。

 

「いや、ごめん。……今年も終わるんだな、とふと思ってね」

「む? ああ、そうだな。早いものだ」

「ほんとに。君と出会った春からあっという間だったように思えるよ」

 

 自然と二人であの日の事を思い返してしまう。

 執務室で顔を合わせた、あの日の事を。

 片や乗り気ではなかった新米提督。

 片や仲間を大勢喪った艦娘。

 そんな二人が出会った当初は厚い壁があったのだ。

 

「いやー、君はアカデミーで習った通りの印象だったね。こんな凛々しい人と本当にこれからやっていけるんだろうか、って不安だったよ」

「それはすまないな。私としても、まさか人付き合いの苦手な提督が来るとは思わなかった」

「ははは……でも、今では君と過ごせて良かったと思っている。君と言う存在は頼もしくあり、それでいて時に女性らしいところが見えるいい人だと思っているよ」

「……突然なんだ、提督? らしくもない」

「いやなに、クリスマスだし、もうすぐ今年も終わるからね。酒も入っているし、少々口が軽くなっているかもしれない」

 

 そう言って気恥ずかしさに苦笑を浮かべてしまう。長門も少し顔が赤くなり、視線を外してケーキをぱくついてしまっている。そんな長門を示すように「そうして褒めれば普通に赤くなるところとか、甘いものが好きなところとか」と指摘してやれば、「か、勘弁してくれ……!」と止めにきた。

 その手から逃げるように後ろに下がり、さっと机に置いてあるグラスを二つ取り、伸ばした手に一つを持たせてやる。

 

「まあ、なんだ……。今年はありがとう、というのと、来年もよろしく、という事を言いたいわけですよ、はい。……ちょっとばかし改まって言うのが恥ずかしくてね。ごめんね、さらりとこういうのが言えなくて」

「…………ん、そうだな。全く、提督のそういうとこには少し参っているよ」

 

 やれやれ、と長門は首を振る。「少しは女性に慣れてきている、というのは良い事だが、会話に関してはまだまだといったところだな」とケーキを机に置き、置いてあるジュースの瓶に手を伸ばした。

 凪のグラスにそっと注ぎ、自分のグラスにも同じように注ぐ。

 

「でも、それがあなたなのだと理解している。そのままのあなたでも構わないし、もう少し慣れても構わない。佐世保の提督を相手にすればもっと慣れてくるんじゃないか?」

「そうだね。あの娘のおかげで更に経験値は稼いでいる気はするよ」

「ふふ、ならいい。では改めて、来年も私達を導いてほしい。私も全力であなたを支えよう」

「ん、来年もよろしく。長門」

 

 軽くグラスを掲げ「乾杯」と唱和して合わせる。ぐいっとグラスを傾けて飲み干すと、自然と視線が合い、どちらともなく微笑が浮かんだ。

 そんな二人に「二人だけで乾杯ですか? ちょっと妬けますね」と声がかかる。そちらを見れば、神通がケーキとグラスを手に苦笑を浮かべていた。

 

「む、神通か。どうした」

「いえ、ケーキを受け取っているとお二人の姿が見えましてね。何だか二人だけの空間、というものを感じていたので、そっとしておいたのですが……仕方ありませんね。長門さんは秘書艦ですからね」

「いや、そんな事は気にせずに声をかけてくれて良かったのだが。それに肩書きこそないが、神通こそ提督のもう一人の秘書艦のようなものではないか」

「そうですか?」

 

 長門は呉の艦隊全体の指揮権を持ち、南方棲戦姫や戦艦棲姫との戦闘の際には前線に出て艦隊を鼓舞する立場にあった。それは秘書艦という立場が、その鎮守府における艦娘達のリーダーであるためだ。

 鎮守府での訓練では全体の内容を確認し、淀みなく行われているかのチェックをする。体調を崩している者がいないか、訓練はどのくらい進んでいるのか、あるいは自分が指揮して訓練を行うか。

 艦娘全員の上に立つ者として、日々動いてくれている。

 神通はその中で、水雷組の長としての立場がある。長門は戦艦組の長でもあり、他には空母組の長として現在は祥鳳がついている。つまり立場の序列でいえば神通と祥鳳は同列でナンバー2となる。

 だが実質的には祥鳳より神通の方が上だろう。

 呉鎮守府において長門と同じく先代から引き継がれた艦娘。練度……レベル的には長門よりも上になっている。そのため神通が本当の意味での呉鎮守府のナンバー2だ。

 そして凪のお世話をしているという事で、長門よりも最近は一緒にいる時間が多い。宴会の際には自然と凪の隣に座り、酌をしているのが普通になってしまっている。

 後は凪の体調管理もしている。昨日の一件でも、普段から凪を見ているからこそ、休むように進言できたのだ。

 鎮守府運営や艦隊での秘書艦が長門であり、凪個人での秘書艦は神通。

 そう捉えている艦娘もいるらしい。

 

「まあ、そうだねえ……。ほんとに神通には頭が上がらないよ」

「そんな、私は普通に提督を支えているだけですよ。それはあの日、あなたに申し上げた言葉のまま、変わらぬ心で仕えているだけです」

「あの日の言葉?」

「……ああ、あれか」

 

 長門が首を傾げ、凪もどれだと考えてすぐに思い浮かんだ。

 それは恐らく、凪が倒れ看病してもらった際に神通が告げた言葉なのだろう。

 

『あなたのために、この身を捧げ、あなたの兵器となり深海棲艦と戦いましょう』

 

 その言葉に偽りはなかった。神通にとっての誓いの言葉。騎士の如く膝をつき、礼をとって口にした言葉の通り、戦闘となれば水雷戦隊らしく勇敢に立ち向かい、戦場を駆け抜けてくれた。

 そしてプライベートではその身を捧げて凪を神通は支えてくれていた。神通との距離が縮まったのはまさにあの日以降といってもいいのだから。

 本当に、感謝してもしきれない。

 だからこそ、あの日美空大将のあの言葉によって浮かんだ数人の姿がこの二人だったとしても、仕方のない事なのだ。それだけ距離が近い存在なのだから。

 

「じゃあ改めて三人で乾杯しようか」

 

 とジュースの瓶をとりながらちらりと視線を巡らせる。二人以外、もう一人浮かんだ姿を探してみると、どうやら他の艦娘達と一緒にケーキを食べているようだった。

 なら邪魔をするのも悪いので、そっとしておく。

 さっきは長門だったが、今度は凪が二人のグラスにジュースを注ぎ、「ではこれからもよろしく。乾杯」とグラスを合わせる。

 あの日の壁はもうない。

 崩れた壁の先に繋がり、強く結ばれた絆はもう解ける事はないだろう。

 来年も、良い年になりますように。

 このクリスマスの日、凪はそう願わずにはいられなかった。

 

 




いよいよ来週から秋イベとなりましたね。
タイトルも明らかになったということで、増々イベが始まるんだと実感してきます。

……で、モチーフ的に2年の眠りの果てに目覚めるのですかね?
いや、改では出たらしいですけど、本家では出なかったじゃないですか。
空母水鬼さんが。

ここで出なかったら、もう空気どころじゃないですよ……。


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大淀

明けましておめでとうございます。
少しずつ更新していきます。


 

 

 一夜明け、淵上達は佐世保へと帰還する事になった。

 弾着観測射撃の訓練とデータ収集のためとはいえ、佐世保鎮守府をこれ以上空けておくのも良くない。そのためクリスマスパーティが終われば帰るという話を前もってしていたのだ。

 撤収準備を終え、指揮艦に艦娘達が乗船し終える。埠頭には見送りに来た呉の艦娘達がずらりと並び、甲板に上がった佐世保の艦娘達と手を振りあっている。

 

「長らくお世話になりました」

「いや、こちらこそ。協力、改めて感謝するよ。そちらの鎮守府の事情もあるのに、一週間近くも滞在させて悪かったね」

「構いませんよ。あたしとしても得るものはありましたからね。……有意義な時間を過ごせたと思っています。あたしからも感謝するわ」

「おお……」

「……なに?」

 

 そういえばお嬢様に近しい立場にあるんだった、と凪を思い出させる綺麗な一礼だった。そしてうっすらとではあるが、微笑んでいたような気もする。

 それを見てしまっては、呆然としたように息をつくのも仕方がない。

 

「いや、随分と親しみを感じさせるようになったなぁ、って思ってね。最初の頃はそれはもうつんけんとしていて……、硬かったよねえ」

「……別に変わらないと思いますけど?」

「自分では変化はわからないもんだよ。これからもご近所さんとしてよろしくね」

「……ま、それに関してはよろしくしてやってもいいですよ」

 

 小さく肩を竦めながらそう返してくれる。そういう所は変わっていないが、初対面の頃に比べたら応対してくれる雰囲気が柔らかくなっているのは間違いない。

 最初の頃は分厚いコンクリートの壁が存在していたようなものだ。他人を嫌う彼女の心にはそれが存在し、アカデミー時代から他人を拒絶していた。

 今はコンクリートの壁は強度の高いガラスになったようなものだろう。

 相変わらず壁はあるが、しかしお互いの姿が見える。それくらいの距離の縮まりがある、という変化だと思っている。

 

「じゃあさ~親愛の証として呼び方を変えてみるとか、してみたり?」

 

 と、いつの間にか淵上の背後に回っていた那珂が少し切り込んでみると、わかりやすく淵上は苦い表情を浮かべてきた。何言ってんだ、とありありと表情で語っている。やっぱりこういう距離の縮め方は彼女にとっては望まないことなのだろうか。

 更に那珂が「湊ちゃん、呉提督さんにはずいぶんお世話になったんだし、それくらいはね~?」と肘で腰を突いている。

 そんな那珂の顔を掴み、指を喰いこませながら小さく嘆息した淵上は「……ま、それもそうですね」と小さく呟いた。

 

「名前呼びしていただいても構いませんよ。恐らくこれからも長い付き合いになるんでしょうし、伯母様もうるさそうですからね。それくらいの距離になったんだ、といつか示すためにも許可します」

「はは、そうだね。ありがとう、淵上……いや、湊さん」

「さんづけですか、年下相手に」

「やー、いきなり呼び捨てと言うのもどうかと思ってね」

「艦娘相手には普通に呼び捨てなのに?」

「……じゃあ、湊で」

「……結構。では、よいお年を――凪先輩」

 

 淵上――湊もまた名前で呼びながらまた一礼する。おぉ……と凪だけでなく見送っていた長門達も驚きの表情を見せる。そして那珂は目をキラキラさせながらにんまりと笑い、そして顔を上げた湊に気づかれ、アイアンクローをされながら指揮艦へと連れていかれた。

 汽笛が鳴り、指揮艦が出港していく。

 お互いの艦娘達が別れを惜しみ、声高らかにさよならを叫んで手を振った。それは見えなくなるまで続き、去っていく戦友をいつまでも見送った。

 

 

 佐世保の者達が去れば、呉鎮守府も本来の日常へと戻っていく。

 弾着観測射撃も大事だが、停滞していた遠征を行わなければならない。訓練によって消費した資材を取り戻さなければ。ということで水雷組は続々と遠征へと出ていき、残りの面々は自主練や休息をとる。

 凪もまた書類整理を大淀と共に進める事となった。

 執務室で二人っきりの状態で作業を進めること数時間。「少し休憩をとりますか?」と紅茶を持ってきた大淀が声をかけてくる。

 

「――ん? ああ、そうだね。丁度いい時間だし、そうするか」

 

 と、体を伸ばしながら返事する。

 そういえば久しぶりにじっくりこの業務をしているせいか、大淀とこんなに長時間一緒にいるのもまた久しぶりに感じる。

 紅茶を飲みながらちらりと大淀の様子を窺った凪はふと気づいた。いつもと違ってどこか大淀の表情に陰りがある気がする。

 訊いてみるべきか?

 そう思った凪はカップを置くと大淀に呼びかける。

 

「なにかあったのかな?」

「え? 何がです?」

「いや、気のせいならいいんだけど。悩みがあるような表情をしているような、気がしてね」

 

 その言葉に大淀は何度か眼鏡に触れる。光に反射して眼鏡が光り、大淀の目を隠すが、それが大淀にとっての動揺の表れだった。

 しばらく無言だった大淀は、静かに「……そうですね」と呟いた。

 

「こう考えるのもおこがましいですが、神通さんが羨ましく思っているのです」

「羨ましい?」

「戦闘においても、提督のお世話をするにしても、神通さんの方が提督のために動けているような感じがして……。私は、このままでいいのか、と」

 

 その言葉に凪は息を呑んだ。

 彼女の言葉の通り、最近は大淀よりも神通と一緒にいることが多い。そして活躍しているのは神通なのも確かだ。提督を支えるために生まれ、配備されている大淀より神通が目立っているとなれば、大淀は何のためにここにいるのか。

 彼女がそれを強く感じたのは長門と神通と乾杯していた姿を見た時だった。

 大淀といえば各鎮守府に最初に送られる艦娘だ。その役目は戦闘ではなく、提督としての業務を補佐する、鎮守府の副官としてのもの。

 それが大淀と他の艦娘達との大きな違いだ。

 艦娘として作られた際に戦闘用に調整されていないので、彼女は戦いに出る事はない。

 こういう書類整理などの業務には神通は関わらないため、大淀の仕事が完全になくなっているわけではない。それだけではなく、艦娘達の体調管理も大淀がしている。何か異常はないか、日々の変化の中でおかしなところはないかなどをチェックしているのだ。

 しかしもっと凪の役に立ちたい、と考えるからこそ、悩みが生まれてしまった。

 もっと出来る事はないだろうか。

 神通と同じくらい、とまでは言わないが、今以上に何かをしたい。

 そんな大淀の想いに、凪は言葉を失った。

 同じ軽巡であり、それでいて呉鎮守府の艦娘においてはナンバー2である神通。大淀もこの序列の中では副官という事もあって高い位置にある。というより凪に次いで本当の意味でのナンバー2だろう。

 だが序列が高くても、神通の活躍の前では立場も霞み始めている。

 その証として、呉鎮守府の艦娘ですぐに思い浮かべるのは? と訊かれれば長門と神通がぱっと浮かんだが、補佐をしてくれている大淀はすぐには浮かばなかった。それくらい二人の存在が凪にとって大きいのだ。

 何故なら大淀とはそういう存在。

 アカデミーでもそう教わってきている。

 大淀は艦娘ではあるが、秘書艦と言う肩書ではなく副官である。どこの鎮守府にも存在し、提督を支えるための存在である。いて当たり前の艦娘であり、何かと助けになってくれるだろう。

 業務をこなす上ではなくてはならない存在。しかし黙々と書類整理を共にする人より、戦場で華々しく活躍する人の方が印象が強い。それも就任時から活躍してくれている長門や神通、夕立、最近では何かと個性を光らせている大和も、凪の中で強烈に存在感を刻ませている。

 振り返ってみて凪もまた動揺してしまった。その表れとして少し声が震えながらも、何とか言葉を返すことにする。

 

「お、大淀は今でも十分ありがたい人だと思っているよ」

「ありがとうございます。……すみません、余計な事を言って提督を惑わせてしまいました。私はあくまでも補佐が役目。必要以上に出しゃばることはしてはいけませんね」

 

 と、困ったように微笑を浮かべる。そんな大淀を見ては、そのままにしておけないと思うのも当然の流れだろう。だが今以上に大淀に仕事を与えるだけで解決する、というわけでもない。

 大本営から発せられる任務管理、資金や資材管理、その他諸々の仕事を今はしている。鎮守府運営のために必要な業務を凪と一緒にやっているのだ。裏方ではあるが、必要な仕事でもある。

 この全てを大淀以外の艦娘が出来るのかといえばそうではない。手伝いとして多少は出来ても細かな調整や数字の変化の完璧な把握までは出来ないのだ。これは、副官である大淀だからこそ任せられる仕事である。

 戦闘出来るようにするか?

 でもその調整をしていない彼女を戦闘させていいのか?

 しばらく考え続ける凪。大淀もじっとしている気分ではなくなったのか、休憩を切り上げて自分の作業を進め始めた。そんな大淀を見て「――訓練する?」と問いかける。

 

「え?」

「俺に調整できるかどうかわからないけど、君も戦闘出来るようにしてみる?」

「私が、ですか? でも……」

「あー、でも戦闘するにしても艤装の問題もあるのか。艤装はあるの?」

「え、ええ……ありますよ」

 

 と、立ち上がって艤装を展開する。

 右腕にはカタパルト、左手に主砲。そして目を引くのは背中にある大きな水上機格納庫だろう。格納庫の上には電探、無電用の電波塔がいくつか建っているのも特徴だろう。

 艤装としては立派に再現がされているのだろうが、しかし彼女自身が戦闘用に調整されていないので、艤装はあっても上手く戦えない、というのが現状だ。

 それどころか、長時間艤装を持てないのだ。艤装の重さに体が耐えられないらしい。体が戦闘向きに作られていないので、武器をきちんと持てないというのが正解か。

 訓練すればいいだろうが、その結果が体に反映されづらい、とでもいうのか。ゲーム的に言えば内政キャラとして設定されているため、戦闘キャラのように能力が伸びない、というのが今の大淀である。

 

「なるほど。じゃあ戦闘訓練の前に、まずは体つくりからかな。……この先、戦闘をするなら、だけれども」

「…………」

「君が望むというならば止めはしない。君にその悩みを持たせることになったのは、俺の責任でもあるからね。だから君が戦いたいと言うならば、可能にするために動くのもまた当然の事だろう」

 

 大淀も艦娘だ。他の艦娘達と同じように育て、導くのもまた提督としての役目ではないだろうか。考える時間はたった数秒。今の状況を変えることが出来るならば、と大淀はそれを受け入れた。

 

「わかった。では早速、と言いたいところだけれど、艦娘に対しての調整の仕方を全て知っているわけではないからね……。少し、美空大将殿に訊いてみるよ」

 

 第三課に所属していたが、凪は装備などの機械整備を担当していた。艦娘を作り上げたり、調整したりする部署に入っていないのでそちらに関しての経験はない。

 そのため経験者である美空大将に大淀の調整について報告も兼ねて訊いてみる事にした。

 しばらく呼び出し音が響き、相手が出たようだがそれは美空大将ではなかった。

 

「はい、こちら美空大将執務室ですが」

「ん? 大淀? 私、呉鎮守府の海藤ですが、美空大将殿は?」

「海藤提督ですか。美空大将殿は現在第三課におります。しばらくはそちらで主に作業をするとの事ですので、こちらにお戻りになるのはわかりませんが……」

「そうですか……」

 

 新たな改二の調整をしているのか、あるいは新たに思いついたらしい何かを組み立てているのか。それはわからないが、第三課にいるということはなんらかの作業をしているのだろう。

 こういう作業員というのは思いついたら満足するまで篭りっきりになることが多い。

 

「何か用があるのでしたら言づけておきますが」

「いや、緊急の用件ではないので、また後日改めてお電話します」

「わかりました」

 

 さて、どうしたものか。

 美空大将に訊くことが出来ないとなれば、凪が自主的に大淀の調整をすることになる。その経験がないというのに。それで何か問題が起きたとなれば、全て凪の責任となる。

 もちろんそうなった場合は責任はちゃんと取るつもりでいる。でなければ大淀にそんな提案はしない。

 今凪の頭の中に浮かんでいるプランとしては三つある。

 戦術や訓練については神通に一任する。彼女はこの呉鎮守府で様々な駆逐、軽巡、そして時に重巡の艦娘達を指導してきている。彼女に任せれば大淀を鍛えることは出来るだろう。

 そして基礎能力向上としては建造の際に出てきたレーションを使用する。建造の失敗作ではあるが、レーションごとに艦娘の基礎能力を底上げする効果を秘めている。これを食べさせることで、戦闘用に調整されていなくても、力を伸ばすことが出来るはずだ。

 だがまずはまっさらな状態の大淀を神通に見てもらった方がいいだろう。そこからどのように大淀を鍛え、戦わせられるようにするのかを決めるのがいいはずだ。

 となれば今、凪に出来るのは最後の一つしかない。

 

「大淀、工廠に行こうか」

「あ、はい」

 

 執務室から工廠へと移動すると大淀から艤装を受け取った。

 主砲は15.5三連装主砲。副砲として10cm連装高角砲があるみたいだが、微妙に何かが違う気がする。駆逐達が装備できるものと大淀が持っているこれは別の装備なのだろうか。

 装備妖精は存在しているので動かすことは出来るみたいだが、大淀が戦闘用として生み出されていないために上手く扱えるかが不安だ。このまま海に出したとしても、大淀がしっかりとこの装備を使うことが出来ない。これではただの物騒なお守りでしかない。

 軽くチェックしてみてもどこにも問題はないようなので、試しに裏にある射撃場で撃たせてみる事にした。

 結果は、ダメだった。

 全弾外すどころか、しっかりと構えられていないので、射線がぶれぶれ。

 艦娘なのにこれとは、本当に戦闘することを考慮せずに生み出されているのだな、と見せつけられた。

 

「こちらにいらっしゃいましたか。何をしていらっしゃるのです?」

 

 神通が工廠から顔を出しながら声をかけてきた。遠征から帰ってきたはいいが、凪と大淀がいなかったので探していたようだ。

 大淀が艤装を持っている事に驚いていたので、神通に説明する事にする。話を聞き終えた神通は「なるほど、戦闘技術を……」と艤装を解いた大淀を見る。

 

「指導するのは構いません。大淀さんも軽巡の艦娘である事には変わりありませんからね。ですが、あえて言わせていただきたく思う事もあります」

 

 真剣な表情で神通は大淀を見据える。「副官としての役割を放棄してまで戦闘に関わりたいと願いますか?」と問いかけた。

 

「私も提督の業務を手伝う事はあります。しかし大淀さんほど多くは関われません。細かい事は私よりも大淀さんが把握していますからね。大淀さんの役割は業務補佐、私達は戦闘や水雷組の指導に携わる、と明確に分担されています。そうして呉鎮守府は回っています」

 

 しかし、と神通は指を立てる。

 

「大淀さんも戦闘面に関わってくるとなると、業務補佐は誰がするのでしょう? 誰もいません。大淀さんほどの知識、経験を持っている艦娘はいないのです。戦闘においては誰かが代わりを務められますが、副官に関しては大淀さんが唯一無二なのです。それを放棄し、あなたも戦う力を手にしたいと願うのですか?」

「そ、それは……どちらもきちんと」

「出来ますか? 戦う力を維持するには継続した訓練が必要です。しかもあなたは戦闘用に調整されていません。力が付き始めるまでにも時間が必要でしょう。そうするくらいならば、美空大将殿にお伺いを立て、彼女が調整したデータを送ってもらった方が幾分かマシかと思われます。何も今ここで訓練を始める必要はないでしょう」

 

 確かにその通りではある。美空大将に説明し、彼女に大淀が戦えるようにするためのデータを作ってもらい、それを配布してもらった方がいい。だが今は忙しそうなので、それを入手出来るとしたら結構な日数が経ってしまうだろう。

 時間はかかるだろうが、確実に戦う力は備えられる。何せ向こうは艦娘を作り、調整できる技術がある。それが何もない凪の手でやるよりは安全で正確だ。

 

「それに勝手にやってもし提督の首が飛んだらどうするのですか。大淀さん、あなたのわがままのためにそれが出来ますか?」

「…………」

「……厳しい事を申し上げました。ですが、その可能性があるという事を改めて認識していただきたく思います。それに、私は訓練する事に関しては拒否は致しません。その前に美空大将殿にお伺いは立てるべきだと申し上げます。あと提督」

「はい」

「艦娘の願いを叶えるために是を出し続けるだけが良い事ではありませんよ。時にはきっぱりと否を出す事もまた大切です」

「……はい、わかりました」

 

 まるで姉のようにしっかりと説教をした神通に凪はただ頭を下げる事しか出来ない。大淀もまた「すみません……」と頭を下げる。だがそんな彼女に「いえ、こちらこそ。あなたをそう悩ませた原因は私にもあるのですね? すみませんでした」と頭を下げる。

 そんな様子を工廠妖精達が陰から見つめていた。なぜかその中にあのセーラー少女妖精もいる。

 

「……美空大将殿に改めて連絡を取り、大淀の事について話す、ということで。それまでは君の戦闘面での訓練は保留でいいかな?」

「はい。お手数をおかけして申し訳ありませんでした」

 

 美空大将の第三課の用事がどれくらいかかるかはわからないが、これからは年末年始、という忙しい時期でもある。ということは少なくとも年明け後にならないと話が進まなそうだ。

 それに年明けには凪も帰郷するだけでなく、海軍の新年会がある。これは提督であろうとも出席する事になるので、凪も東京に行かなければならない。

 美空大将もそれには出席するだろうが、会えるかどうかは分からない。何せ彼女は海軍のお偉いさんという立場だ。多くの人に挨拶をしなければならないだろう。話が出来る機会があるのだろうか、と不安になる。

 それが叶わなければ大淀の件は新年会よりも後になるだろう、と推測する。

 大淀もそれを了承し、それまではいつもと変わらずに過ごす事となった。

 

 推測は当たり、後日美空大将の秘書を務める大淀から、美空大将と落ち着いて話が出来る見込みが立つのは年が明けてから、と連絡が来る。だが運が良ければ新年会で話を聞く、との事だった。

 

 

 




最初期は任務娘だけだったのに、
ダブルロケラン、漁船、礼号面白お姉さん……。

今では色々キャラがたってる大淀さん。
頼りになりますね。


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新年会

 

 

 年が明け、鎮守府も正月仕様となる。門松を立て、間宮特製のおせちが並び、餅をつく。三が日という事で艦娘達も訓練や遠征をやめてゆっくりとしている。

 一方で凪は年明けの挨拶や報告も兼ねて東京へと飛び、去年の事を纏めた書類を大本営へと提出した。その後は提督や海軍の者達を集めた新年会に出席。その場にはトラックの東地茂樹や佐世保の湊、ラバウルの深山も出席している。

 

「よ、明けましておめでとうさん」

「明けましておめでとう。今年もよろしく、茂樹」

 

 気さくに手を挙げ、そして一礼する茂樹。続くように綺麗なお辞儀をしながら挨拶する湊に、ぽつりと呟くように挨拶した深山にも返礼した。

 それぞれグラスを手にしており、軽く乾杯して辺りを見回してみる。

 新年会という事で多くの人であふれている。現在の海軍において立場がある人がずらりと並んでいる。末端の人でも招待されれば出席している。人ごみが苦手、人が嫌いな人からすれば、少々苦痛に感じるくらいだ。

 そう、凪や湊、深山である。

 揃って顔をしかめながらパーティに出席しているのだ。

 

「……はぁ、はやく帰りたいもんです」

「淵上さんって一応お嬢様だろう? こういうパーティって結構顔を出すんじゃないのかい?」

「ええ、出しますけど、それでも慣れないですね。こういう場でも美空や淵上と繋がりたい輩が群がることありますし」

「ああ、やっぱりあるんだ、そういうの」

 

 そんな美空の家のトップである美空大将はというと、会場の前方にいるようだった。周りには第三課の者達だけでなく、海軍の上層部の人間と思われる顔ぶれもある。彼女と対立しているらしい西守大将はその反対側にいるようで、同じように人に囲まれながら何かを話しているようだった。

 お互い視線を合わせることなく、それぞれ人を相手にしている様子。あれはお互いの間に城壁が聳えているかのようだ。

 そんな事を思っていると、湊に気づいたらしい青年達がグラスを手に「淵上湊さんですか?」と声をかけてきた。彼らに背を向けていた湊は舌打ちしながら苦い表情を浮かべている。

 とりあえず表面上は何ともない風に見せながら挨拶をすると、適当に聞き流しながら応対していく。

 

「ま、嫌でも相手せざるを得ないのがお嬢様の辛いとこだよな」

「……たいしたもんだよ。僕なら無理だね」

「お前さんはそうだろうな」

 

 軽くグラスを傾けながら苦笑を浮かべる茂樹だが、ちらりと凪へと視線を向けると「そういやさー」と話を切り出した。

 

「なんか最近新しい戦術を試しているんだって?」

「ああ、弾着観測射撃のことか? 今はいい感じに形になっているから、これを上手く習得できるようにするための方法を纏めているところさ」

「淵上さんと協力しながらやっていたって聞いたけど、それマジかい?」

「本当だよ」

「へえ、あの凪がねえ……。やるじゃん、順調にお近づきになっているじゃあないの」

「……なんだい? 海藤と淵上さんはそういう関係なのかい?」

「ねえよ」

 

 誰もがそういう風に見始めているようだが、それを彼女が聞いたらまたあの渋い表情を浮かべてくるだろう。彼女のためにもやめといた方がいい、と凪は嘆息した。

 青年達をあしらった後、不機嫌さを隠しきれない湊がワイングラスを手にすると、ぐいっと一気に飲み干してしまった。「……全く、どこ行っても男はこんなものか」とぶつぶつと呟いている。

 

「シャットアウトしたいんならさ、特定の相手を作ってやればもうそういう事はなくなるんじゃね?」

「おい、茂樹」

 

 やめとけって言ったろうが、と表情で文句を言うが、まあまあ、と茂樹は手を挙げる。「要は弾除けさ」と指を立てる。

 

「仲のいい誰かに頼めばいいさね。そうすりゃ少なくとも君とくっついていい思いをする輩はいなくなるんじゃねえか」

「仲のいい誰かと簡単に言いますがね、あたしはそういうのいないんですけど」

「……クラスメイトとか」

「はっ、アカデミー時代からあたしはぼっちでしたんでね。残念ながらいませんね」

「……それはそれは」

 

 とりあえず、と挙げてみた深山もその返しには肩を竦めるしかない。となると彼女にとって仲のいい知り合いというとここにいる三人ぐらいしかいないようだ。自然と茂樹と深山の視線は凪に向けられる。

 

「狙ったか? お前ら」

「まさか、そんな。でも俺としてはいい案だとは思うぜ? 一時しのぎとはいえ、これ以上言い寄られるのは回避できるわけだし」

「…………検討しておきましょう」

(却下しないんかい)

 

 凪的には何を馬鹿な事を、とか言いながら拒否するものと思っていたのだが、意外だった。それだけ言い寄られるのには辟易していたのだろうか、と思いながら紅茶を口に含む。

 そうしているとステージに音楽隊が集まっており、これから彼らによる演奏が行われる事となる。司会が演奏していく曲をいくつか紹介し、メドレー形式で演奏されると伝えられる。

 人々の視線がステージに向けられると、音楽隊による演奏が始まった。

 音楽はいいものだ。

 時に安らぎを与え、時に士気を高めてくれる。

 凪だけでなく、周りの人々も音楽隊が奏でる音に耳を澄まし、溢れくる音の奔流に身を任せている。

 しばらく聞き惚れていた凪の肩をそっと叩いてくる人がいた。誰だろうと振り返ってみると、そこには美空大将がいた。声を上げようとするが、美空大将は口に人差し指を当てて後ろへと首をしゃくった。

 会場の隅に移動すると、「明けましておめでとう、海藤」とまずは新年の挨拶をしてきた。

 

「明けましておめでとうございます、美空大将殿。……よろしいのですか?」

「なに、構わん。こういう時でないとしばらくは話も出来そうになかったのでな。年末に何やら私に話があったそうじゃないか。今ならそれを聞ける。何用だった?」

 

 わざわざ話す機会を設けてくれたことに感謝し、凪は大淀の事について話した。音楽隊が奏でる音の波の中、静かに話を聞き終えた美空大将はなるほど、と頷く。

 

「大淀か。貴様のところだけでなく、過去にも少なからず戦力になりたいと望む大淀はいた。しかし大淀はあくまでも各鎮守府においての副官という立場。提督の業務を補佐し、艦娘らの状態をチェックする役割を担わせていた」

「だから戦う力はあまり与えていなかった、と?」

「そうだ。いずれは、という意味で艤装までは作ったがな。……そもそもの始まりは艦娘の事をしっかりと見てやれる誰かが必要だった」

 

 艦娘を作ったはいいが、不明な点が多い存在だ。大本営や第三課との繋がりを持ち、艦娘の変化を提督だけでなくもう一つの目で確認し、変化を把握できるだけの存在。

 それは人間ではなく同じ艦娘にその役割を担わせた方がいいだろう、と考えたのだ。ではその艦娘を誰がするのか、となると候補に挙がったのが最後の連合艦隊旗艦、軽巡大淀だった。

 連合艦隊旗艦として機能できるように改装された設備、新型の偵察機を装備できるという能力。これらを踏まえて艦娘として作る際には高い事務能力にも上手く目覚めさせることが出来た。そのためそちらにパラメータを振り、戦う力にはあまり振られる事はなかったという。

 そうして生まれた大淀は計画通り、艦娘の黎明期における提督らにとってなくてはならない存在となった。各鎮守府で副官として見事に役割を果たし、提督らを支えてきた。それは今もなお変わることはない。

 

「……だが、情勢は変わりつつあるのも確かだな。大淀もまた戦力に加える時が来たのかもしれない」

 

 昔は大淀一人がいなくとも、他の艦娘達という戦力がいたから戦いは問題なかった。しかし深海側も力をつけている今、大淀もまた新たな軽巡枠として力を得る時だろう。

 少しでも戦う者がいた方がいいのだから、各鎮守府に一人は必ずいる大淀もまた緊急事態に対応出来るようにするのがいいだろう、と判断する。

 

「大淀の調整はこちらでしておく。完成したデータは工廠で大淀にアップデートする事で対応できるだろう。そこからは貴様が好きに育てるといい」

「承知しました。……お手を煩わせることになり、申し訳ありません」

「構わん。これもまた必要な事だろうからな。他に気になる事や変わった事はないか?」

 

 変わった事、といえば最近変わってきているのが湊だろう。でもこれは別に改めて言う事ではない。他に何があったのかというと、あの猫やセーラー少女妖精だろうか。

 しかしこれも別に言う事はないだろう。妖精が一人二人増えたところで対して違いはない。害があるようなところはないようだし、放っておいても問題はなかった。

 なので凪は特にはない、と答える。

 

「……そういえば海藤。貴様、実家に帰る予定はあるのか?」

「はい。明日、帰る予定です」

「そうか。では、貴様の父に新年の挨拶と、後で使いをよこすから土産を渡しておいてくれ」

「お知り合いなのですか?」

「昔のな」

 

 ふっと笑う美空大将の雰囲気は、とても柔らかいものだった。

 

 それからはまだしばらくパーティが続き、いくつかのプログラムが消化されていく。美空大将も元の場所へと帰っていき、また偉い人と話をしながら過ごしていた。

 凪も茂樹達と共に飲み明かしていき、新年会は終わりを迎えた。

 終わったからといってすぐ帰るわけではなく、東京で一泊する事となる。

 一夜明けて茂樹達とは一旦別れる事になる。彼らの実家はこの関東にあるので、それぞれの列車で帰郷する事になった。そして湊と凪もまた関西へと向かう列車に乗り、帰郷する。

 途中の別の駅で軽く挨拶をして別れ、凪は実家へと足を進めた。

 その造りは和風なもの。庭があり、見た目はちょっとした屋敷風。代々海軍をしていただけあって格式があるように見えるが、金持ちというわけでもないので屋敷の規模としては下の方だろう。

 横開きの扉を開けて「ただいま」と声をかければ、「おぉ、よぉ帰ってきたねえ」と母親が出迎えてくれた。

 

「お帰り、凪。お父さん、凪が帰ってきたで」

 

 居間へと向かえば、着物を着こなしていた父親、海藤迅が静かに酒を呑んでいた。凪に気づくと「……お帰り」と言ってくれる。「ただいま」と返しながら手にしている鞄からいくつかの包を出していく。

 

「これが呉土産で、こっちが新年会の土産」

「おお、そうか。後でありがたくいただいとくわ」

「それと親父、美空大将から明けましておめでとうという言葉と共に、個人的な土産も受け取っておいた」

「さよかい。……ああ、久々に食う事になりそうやな。懐かしい」

 

 中身を確認すれば、ちょっとしたお菓子だったようだが、迅は目を細めて微笑を浮かべている。やはり昔の知り合いだったのだろうか。そう思っていると「あいつが第三課に居た時からの知り合いや」と凪の疑問に答えるように話し出した。

 

「俺が提督やってた頃に色々と艦娘の事とか話し合っててな。あいつ、今でもそういう方面で力振るっとるやろ?」

「せやな。改二とか新艦娘とか、色々やっとる」

「大将になってもそういうとこは変わらんのお。……ま、息子喪ってから変わりはしたようやがな」

「……美空星司?」

「そうそう、そんな名やったな。その頃は俺はもう海軍辞めとったから、実際どんな感じなんかは話を聞いただけやったんやが、美空と会って雰囲気が変わったことはわかっとった。そして、それからの美空の動きもな。それまで知っていたあいつとは明らかに違っとった。何か目的をもって大将の地位を得ようとしているとな」

 

 こたつを挟んで対面に座ると、迅が空いているグラスにポットに入っていた紅茶を淹れてくれる。凪が来るということであらかじめ用意してあったみたいだ。

 母親が下ごしらえしてあった料理を運んで来てくれる中、迅は昔を思い返すような目をする。

 

「いつの時代も我が身可愛さに立場を守ろうとし、本来の役割を放棄する奴はいるもんさ。小さい綻びはやがて大きな軋みとなり、歪な体制が出来上がる。それに伴って悪意も生まれてくる。そうした穴が本来できるはずやったもんが出来なくなる。割りを食うんは現場に出た奴と、普通にやってきた奴。そして優秀な奴」

「…………」

 

 迅の事か、と凪は思う。

 彼もまた人の悪意によって海軍を辞めさせられた人間だ。

 

「なに、俺はもうあまり気にしとるわけじゃあないけど、美空はそうではないようやな。あいつは今もなお自分に出来る事なら、と歪な体制を変えようとしとる。あいつを動かしたんは俺の一件と美空星司の一件。他にも色々な事が重なって、やらなあかんってなったんやろうな」

「やっぱりそうなんか……。俺をスカウトしたのも?」

「俺の息子ってのは前から知っとったよ。俺が話したことあるし、美空からお前の事について訊かれたこともあるな」

「って事は、公開演習以前から俺は目ぇつけられとったってことか」

「そうなるな」

 

 いつから凪の運命は決められていたのだろう。

 凪にとっては公開演習の時に決められていたものと思っていたが、まさかそれ以前からフラグがあったなんて思いもしなかった。しかしそれを気にしても仕方がない。

 グラスを傾けながら「提督、どうなんよ?」と切り出す。

 

「最初は不本意やったんやろ? 今は、どうや?」

「悪くはないと思ってるよ。色々考える事ややる事があって、毎日充実してる」

「さよかい。それなら良かった。昔と比べて変わっとるやろうが、何か教えられることは教えるで?」

 

 料理を頂きながらゆっくりと二人は話をする。母親も一緒に卓を囲んでいるが、口を挟まずに穏やかに二人を見守っていた。

 昔ならば考えられない。

 この親子が提督について話をする事なんて。

 迅が現役の頃とどう変わったのか、から始まった会話は料理を食べ終えても続き、最近の事についても話題に上がってくる。

 

「大淀か。……確かに俺ん時は完全に事務方面での仕事が主で、それが当たり前になっていく流れやったな。あの娘は艦娘というより、本当の意味での人間の秘書って感じやったわ。それ、今も変わらんかったか」

「いるのが当たり前。その仕事をするのが当たり前。……そうなったら簡単には変わらんよな」

「だが、永遠に変わらんもんはない。状況が変われば自ずと変わらんといかん。いい機会やったと考えるべきやな。大淀もまた艦娘。それも最後の連合艦隊旗艦。それ相応の力を発揮できるよう、美空も調整するやろう。……が、一つ気に留めておく事がある」

「というと?」

「大淀の件もそうやが、当たり前であるからこそ、見落とす事や気が向かない事があるっちゅうことを忘れんなや」

「……深海側の変化とか、か」

 

 深海勢力における提督の存在。

 いつからいるのかはわからない。もしかすると深海棲艦が生まれた時から存在していたのかもしれない。

 だが、それは存在している。

 その存在によって深海勢力はこの数年で変化が生まれてきているようだった。

 ならばその戦術も変化するだろう。

 

「俺が現役の頃はあいつらは正しく獣のようやった。自分の領域に入ってきたもんは何だろうと沈める。艦娘やろうと輸送船やろうと、な。侵せば出る、ほんで食らいついてくる。そこに思考はなく、本能のままに暴れる獣」

 

 だからこそ脅威だった。

 突如現れ、瞬く間に数多の海を奴らの領域として勢力を広げていった。だが艦娘の登場と当時の海軍の努力により、何とか制海権を奪還していく事に成功した。

 どう戦えばいいのか、という戦術も確立していけば反撃の手段も構築できた。

 そうなれば奴らは獲物と化す。

 いつしか一部の者達は艦娘を猟犬とし、どれだけ深海棲艦を沈められたか、を競う狩りへと変化していく。

 時の流れは残酷だ。

 一時は脅威だった存在相手に慢心が生まれ、地位を獲得するための獲物として見るようになる。

 対して知性なき獣にして人の獲物だったはずのそれらは、いつしか知性を獲得する。

 変化を遂げた彼らは群れた獣ではなく、軍といっていいだろう。

 深海提督を得て統率された軍、と。

 

「最近じゃあ新たな個体も出とるって聞いてるな。それくらい奴らも変わったっちゅうことやろう」

「姫、鬼級の出現か……。そして深海提督」

「深海提督?」

 

 大和の事は隠し、それらしき存在がいるかもしれない、という事だけ話した。

 美空大将にも話していない深海提督の存在。迅はどういう反応をするだろう、と思っていると、

 

「ほぉ……それが獣が変わった原因か」

 

 と、特に存在を否定する事はなかった。むしろ納得したように頷いている。

 

「群れを統率する誰かがいるんやないかとは思ってたよ。昔やったらル級だったり、ヲ級だったりやろうな。一体誰が奴らを生み出してるかは見当もつかんかったが、なるほど、最近はその深海提督って奴か」

 

 となると、と迅は少し思考する。

 最近の大きな戦いはなかったか、と聞かれると南方における戦いについて凪は話した。今までの深海棲艦だけでなく、陸上基地である飛行場姫という新たな存在も生まれた事も。それらを踏まえて、迅はこの先どういう可能性があるかを話す。

 

「――俺やったら実験する」

「実験?」

「陸上基地という新たなものを作り上げた深海提督。だが、そいつは前回の戦いで負けたんやろ? 深海側も海軍と同じように作った艦のデータを共有してるんやったら、別の深海提督はその陸上基地のデータを入手して、じゃあいきなり大きな戦いに投入する、ってことにはならへん。まずどういうものなんかを把握するために試すやろう」

「……確かに。ということはいずれどこかでまた陸上基地の深海棲艦が出てくる、と」

「その戦いは恐らくは小規模やろうな。本番はその次、と俺なら考える。……ま、俺の場合や。その深海提督とやらが何を考えているかは知らん。が、可能性として挙げておくわ」

 

 あり得ないという事はないだろう。

 飛行場姫、という誕生は深海側にも大きな影響を与える。南方提督は敗れたが、飛行場姫というデータは残るのだから。

 凪としてもまた別の形で出てくるだろう、という事は想定している。だからこそこちらもまたそれらを早急に撃破できるだけの力を磨いているのだ。

 だが迅の語った想定される未来、というのは気になるところだ。

 

「本番って、何があり得る?」

「さぁな。今の情勢を詳しく知っとるわけじゃあらへんからな。知るというのは大事な事や。攻略する敵がどういうものなのか、どういう戦力を持っているのか、どういう思考をしているのかとか……何でもええ。その情報を知っているだけでも結構変わる。……その点においては人類は難しいな。奴らは海から来る。どんな新たな顔を作ってきているのか、対峙してみないとわからんというのは辛いとこやろう。……が、敵はそうじゃない」

「死に出しが出来るとか、そういうのか」

「その気になればな。消耗品としてこっちにぶつけてくるだけで、こっちの戦力が割り出される。もしかするとさっき言った実験の件でされるかもしれんで? そうなったら次の本番、気を付けんと多く持ってかれるかもな。……ま、その本番がどこでやるのか、本当にそのプランで来るのかはわからんけどな。ははは」

 

 今はただ、備えるしか出来ない。

 敵の動きが読めないならば、どういう手で来ようとも対処できるようにするしかない。

 これからの方針が改めて固まると同時に、迅が語った可能性を心に留めておくことにし、凪はこの久しぶりの家族団欒の時間を過ごしていった。

 

 



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平穏

 

「――異常なし。帰還しなさい」

 

 加賀のその指示に妖精達が応える。

 日本近海にやってきた加賀から放たれた艦載機による哨戒だ。護衛として摩耶を旗艦とした水雷戦隊が周囲を警戒しているが、どこにも異常はない。

 異常がないのはいいことなのだが、最近はそうでもない。

 

「今日もまた異常なし、か。どうなってんだかね」

「静かなのはいいことよ。何事もないなら、それでいいわ」

「ま、そうなんだけどさ。それがここまで続くと、不気味さを感じるってもんだぜ」

「……そうね。それには、同意するわ」

 

 静かな海。

 それはいずれ叶えるべき人類と艦娘達の希望にあふれた夢。擬似的ではあるが、目の前でそれが叶っている。

 しかしその海を見つめる加賀や摩耶の眼差しは疑心に溢れていた。

 

 呉鎮守府へと戻ってきた凪。

 新年を迎えてもやる事は変わらない。三が日の休日を終えれば、また遠征を行って資源を増やし、空いている艦娘達は訓練を行って力をつけていく。

 大淀の件は美空大将に伝えたので、調整完了を待つのみ、と大淀に伝えたのでひとまずはこれで置いておくことにする。

 朝は大淀と書類整理を行い、時に弾着観測射撃についての書類を書き進めていく。昼からは工廠に向かって装備いじりをする。

 それを一月の大半で過ごしてしまった。新年を迎えはしたが、それまでのばたばたした空気はなく、実に平穏で変わり映えのしない日常となってしまったのだ。

 弾着観測射撃のために主砲の調整を日々行っているが、凪と夕張の手だけではそろそろ限界が見えてきた。

 二人に出来るのは微調整と補修ぐらいなもの。艦娘ごとのクセを加味して使いやすくし、命中率向上などに努めるだけだ。装備の性能向上も多少は出来るが、大きな変化が起きるわけではない。それにも限度がある。

 それが出来るとしたら艦娘の装備を構築できる第三課のスタッフだけだろう。それも当時凪がいた部署よりも更に上の部署のスタッフだ。

 凪がこうして装備をいじることが出来るのは、第三課にいた経験に基づいて作業しているおかげ。だが第三課全体でみれば下の方なので、これくらいしかできないのだ。

 それでもやらないよりはやった方が少しでも良い結果になる。凪自身の趣味という事もあって、今日もまた工廠で作業をする。

 

「――ふぅ。主砲調整はこれで全部かしら?」

「……ん、そのようだね。悪いね、夕張。君も訓練があるのに」

「いいのよ。私もこういう作業、好きだしね。……それに弾着観測射撃に関しては、私は参加できないからこっちで腕ふるっちゃうわよ」

 

 夕張は残念ながら偵察機を積むことが出来ない。

 そのため最近の訓練に追加している弾着観測射撃に関しては夕張は戦力外となっている。

 通常の砲撃や雷撃訓練などを終えれば、こうして工廠にやってきては凪と一緒に整備をする。

 去年から変わらない、夕張の日常。最初は驚いた作業着姿の夕張ももはや慣れたものであり、むしろ似合っていて自然体だと思えるくらいになっている。

 

「お茶にしますか? 提督」

 

 手が止まったのを見計らって大淀が声をかけてくれる。机には淹れたてのお茶がカップから湯煙を立ち上らせていた。作業もひと段落ついたのでありがたとうと礼を述べて頂くことにした。

 以前もそうだったが、工廠での休憩時間には大淀が淹れたお茶を頂くようになっている。大淀にも他の仕事があるのだが、手が空けば凪の様子を見に来てタイミングを窺っているようだった。

 恐らく年末の件があってのことだろう。

 少し積極的になっているらしい。

 凪としても何となく察しているので、仕事などに不都合がない限りは大淀の好きにさせておくことにしている。

 

「――ここにいたか、提督」

 

 入口から顔を出したのは長門だった。その手には報告書らしきファイルを手にしている。

 席についている凪に近づくと、それを手渡してくれた。

 内容としては弾着観測射撃の訓練方法のまとめである。何も知らない艦娘達が、どのようにして一から弾着観測射撃の技術を学んでいき、身に着けさせるかを項目にわけて書かれている。

 それを踏まえ、呉鎮守府の艦娘達がどれだけ身に着けたのかの報告書も同封されていた。

 大淀が新しく淹れてくれた紅茶を飲みながら内容に目を通していく。

 その間長門も紅茶を頂きながら待ち、大淀や夕張と談笑している。数分かけて目を通し終えた凪は小さく頷き「オーケー」と口にした。

 

「ご苦労様。ほぼ全員が習得し終えたようで何よりだよ」

 

 呉鎮守府の艦娘達で、弾着観測射撃が可能な艦は身に着けた。近海の敵相手にそれを成功させるだけの実戦経験も積んでいるが、確実に成功するわけではない。これもまだまだ実戦を繰り返していけばいいのだが、問題が発生している。

 それまでは近海にもぽつぽつと駆逐艦や軽巡の深海棲艦が見かけられたのだが、ここ最近は見かけられなくなった。

 深海棲艦の脅威が取り払われたのならば喜ぶべきことだが、奴らはまだ存在している。

 四国から先に進み、太平洋近くまで出ても以前に比べて明らかに少なくなっている。

 佐世保にいる湊に訊いてみても、同じ結果だった。

 九州方面も深海棲艦が確認されていないというもの。少し遠出してもあまり確認されず、実に平和な海が広がっているようだった。

 では南方はどうなのだろうか、と茂樹に訊いてみると、普通に深海棲艦が確認されるようだ。深海棲艦が完全に殲滅されているわけではない。

 ということは深海側が日本近海から撤退したのではないか、と考えられる。理由は分からない。

 

(いや、親父が言っていたな。準備を整える、と。ということは、いったん日本から離れて何らかの準備をしようとしているのかもしれない)

 

 知性がないただの化け物ならそんな行動はあり得ない。

 しかし凪には奴らには深海提督がいる、という情報がある。深海提督が思考し、作戦を立てるのであれば、深海棲艦へ指示を出して撤退させることが出来るかもしれない、と推測が出来る。

 何かを準備し、実行に移そうとしているのかもしれない、と懸念しても、それをどこでやるかまではわからない。陸上基地の深海棲艦を作ろうとしているならば、太平洋にあるどこかの島でやろうとしているのだろうか。

 あるいは北方、それともフィリピン方面?

 どちらにせよ、次の前兆が見られるはずだ。それを見逃さなければ出遅れる事はないだろう。

 そんな風に考えていると「――難しい顔をしているな」と長門が声をかけてくる。

 

「あまり一人で考え込むものではない。詰まるようならば、私達も話を聞くが」

「……そうだね。と言いたいけれど、今はあまり情報がないからね。ただ推測するしか出来ないのが現状だろう」

 

 と、何に悩んでいるのかを話せば、長門達も納得するように頷く。

 そう、わかっているのは奴らには深海提督がいて、次なる陸上基地の深海棲艦を作る可能性がある、ということだけ。

 南方海域からは大きな反応が消え、現在の日本近海ほどではないにしろ、深海棲艦の数は減った。だからといって南方提督がいなくなったわけではない。次の手を出さないという保証はないが、大和的にはあれだけの大敗を喫したのだから、多少は懲りるだろうと考えていた。

 

「だから備えるしかない。基地対策に三式弾の人数分の量産、砲などの装備の整備……現状で俺に出来るのはこれくらいだからね」

「そして新たな戦術の考案。これもまたあなたの成果でしょう」

 

 長門がファイルを指さして微笑する。

 今では形になりつつある弾着観測射撃。湊の協力もあってここまでまとまったのだ。他の鎮守府でも問題なく力を発揮すれば艦隊の戦力向上につながり、それはこの戦術を考案した凪の成果として認められるだろう。

 新米提督ではあるが、こうまで軍に貢献したのだ。長門も秘書艦として誇らしく感じるものである。

 凪も微笑を浮かべて頷きはするが、諸手を挙げて喜ぶような事はしない。

 上に行く欲がないし、大本営に取り入ろうとも思わない。

 ではなぜこのようなものを立案したのかといえば、他の鎮守府の艦娘達にも少しでも力を得、生き残ってもらうためだ。

 決して勲章が欲しいとかそういう思いでやっていることではない。

 

「成果には報酬が与えられるべきだと私は考えるのだが……あなたはそれを望まぬのですね」

「今の大本営にそれは望まないよ。もう少しまともになったんなら考えなくもない。あー、でもそれでもあっちに行こうとは考えないか。うん、俺はこっちでゆっくり過ごす方が性に合ってる。あるいは第三課のような日々でもいいわ」

「確かに、提督が大本営で活躍しているイメージってあんまないかも。それよりも機械いじりしている方が似合ってる感じ」

「……それはお前がよく工廠で共に活動しているせいだろう、夕張。とはいえ……私も大本営の会議室などに座っている提督を想像できんな」

 

 軽く頭を押さえる長門に、そうだろうそうだろう、と頷く凪。自分の事ながら、それに対して同意している辺り、その場に似つかわしくないのは自覚しているようだった。

 そんな風にまったりしていると、工廠に大和の姿が現れる。凪と長門を見つけると、「ようやく見つけたわ」と軽く駆け寄ってきた。長門はまた何かめんどうな事になりそうか、と軽くため息をつく中で、

 

「提督、最近出撃がないから体が鈍ってしまいます。何かないかしら?」

「んー、そうは言ってもね、近海に敵がいないんだから仕方がない。かといって遠洋まで出撃する案件もない。となればこうなるのも当然の流れというものだよ」

「長門と遊んでばかりでは刺激が薄くなってしまうのが困りものですよ」

「……あれが遊びか、ふふ、そうか……」

 

 脳裏に思い出されるのは「遊び」で片づけていいものか、と思えるものと、確かに遊びだと言えるもの。腕相撲や普通の相撲はいいとして、殴り合いを交えた格闘戦に模擬弾での演習……これらもそうだというのだろうか。

 さすがは元南方棲戦姫。血気盛んなのはいいが、度が過ぎれば困りもの。

 艦娘の大和の成分が出てきても、それは決して消えない個性として今も残り続けているようだ。

 

「んー、大淀。何か任務とかあるかい?」

「少しお待ちを」

 

 そう言ってタブレットを操作し、大本営から発令されている任務を調べ始める。

 しばらくそうしていたが、小さく首を振った。「緊急の案件とかもないようです」と言うと、大和はわかりやすくつまらなそうに息をついた。

 そんな大和に「こうまで平穏な空気。逆に何かある、と思ってもいいのかな、大和?」と訊いてみる。

 

「……そうですね。私は南方の下についていたから他の輩の特徴はあまり知らないけれど、日本近海は中部、そして北方の管轄。主に米を相手にする中部に、露を相手にする北方。比率でいえば北方の方が日本に意識を向けていたかと思うけれど、最近は中部も日本へと動き出していた、ような気もしますね」

「じゃあこの平穏を作り上げたのは中部か北方か、どちらかはわからない?」

「ええ。私には判別つかないです。……あー、でも」

 

 と、何かを思い出すかのように唇に指をあてながら思案し始める大和。

 少しして「――おぼろげに思い出したんだけれど」と前置きし、

 

「――中部って、南方よりも多少人臭かった」

「…………つまり、どういうことなのかな?」

「いえ、そのままの意味なのだけれどね。南方って、魂と骨ぐらいしか形を保ててないし、思考もただ与えられた任務を成功させようとする人形でしかなかった」

 

 南方棲戦姫だった頃の南方提督はそういう印象だった。

 今では敗北に敗北を重ねて負の感情が溢れ出ているが、それもまた亡霊らしい反応といえる。

 

「というか、それが深海提督の一番の特徴。でも、中部は少し違う」

 

 目を閉じて思い返す。

 自分が南方棲戦姫として生み出されようとしている過程の中で、南方提督と中部提督が会話をしている事があった。魂が新たな肉体に定着し、少しずつ目覚めに向かっている中での出来事だった。

 だからそんなにはっきりとは覚えていない。

 でもそれでも、両者には違いがあった事が何となくわかる。

 

「中部は、感情があったように思える。……うん、あなた達を半年見てきて、それがよりわかる。負の感情だけではなく、自分の意思を持って思考する人のような感情、魂があったように思えるわ」

「だが深海提督は、深海棲艦を生み出したものの意思によって生み出された人形だとお前が言わなかったか?」

「ええ、そういうもののはず。……もしかすると、少しずつ人間だった頃の記憶が戻る事でそうなっているのかもしれない。中部は」

「ということは、中部提督が生きていた頃が海軍の、それも提督だった場合は……」

「その知識を思い出していてもおかしくはないわね。そして、それを生かして今回の一件を命じたなら」

「…………やっぱり何かをしようとしているわけだ」

 

 では何かを仕掛けてくるのは中部提督ということなのだろうか。

 少し近海から太平洋の様子を定期的に見て回る事を検討しようか、と考えていると、大和はまたうずうずと体を震わせ始めている。

 

「あー、やるならやるでさっさとしてほしいわね。このままじゃこの溢れてくるものが発散出来ないわ」

「平和なのが一番だというのに。それじゃあまた佐世保と演習でもするかい?」

「それも悪くはないけれど、他の鎮守府との交流はしないのです?」

「他はね、どこも大本営のアレだからねえ……」

 

 横須賀、舞鶴は昔から大本営の上層部と繋がっている提督が務め、大湊は大湊で中立ではあるが、協調性はない。少し前の深山のように面倒事には関わらず、自分の思うが儘にやっているようだった。

 しかし最近は大本営から警告がいったのか、多少は表に出てきているという話がある。最低限の戦果を挙げて提督の地位を守っていたかの提督は、近海から深海棲艦がいなくなったのを知ると、戦果を求めて少し北方へと手を広げているのだとか。

 

「……ダメもとで大湊にでも声をかけるか。新しい相手なら、多少は満足するかい? 大和」

「ええ。悪いわね、催促してしまって」

「なに、これをいい機会と考えるとしよう。……たぶん、乗らないと思うけど」

 

 小さくため息をついて立ち上がり、執務室へと足を運ぶことにする。その後を大淀、夕張が続き、長門と大和はまた何かを言い合いながら工廠を後にするのだった。

 呉鎮守府より広められる新たなる戦術。

 そして新しい縁の繋がり。

 新年という新しい門出の祝いを祝福するかのように、冷たくも爽やかな風が凪達を吹き抜けていった。

 

 

 




これにて4章終了となります。

また間が空いてしまいましたが、何とか終わらせられました。
お待たせしてしまいすみません。
今回は色々と先のためのフラグをいくつか用意する章でした。

次回より14春が絡む5章となります。

これからも拙作をよろしくお願いします。


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5章・新しい風
小サキ者


 

 太平洋のいずこか。

 深く冷たい世界の中で、彼は椅子に座りながら小さく笑みを浮かべ、ホログラムを見つめていた。

 表示されているのは様々な数字、グラフ。そしてその奥には小さく呼吸をしながら眠っている少女がいる。

 以前もいた小さな少女だ。だがあの時より成長しているようだった。

 

「悪くない成長だ。経過は良好。問題なく融合しているようだね」

 

 これに至るまで複数の失敗があった。

 その失敗を積み重ねている間に南方提督が次々と作戦を推し進め、そして敗れていたのだが、中部提督はそれもまた良しと考える。

 何せ新たなデータが提供されたのだから。

 このデータと、この少女の完成品。

 これらを用いて前から考えていた作戦を遂行するのだ。

 しかしそれでは足りない。

 テストが必要だ。

 問題なくこのデータ、陸上基地の深海棲艦を動かせるかどうかを見極めなければ。

 試験場は定めたが、ただテストするだけでは面白くはない。そのために日本近海から手を引かせ、戦力を移動させたが、戦力を増やすだけでは芸がない。もう一つ、何かが必要だ。

 

「――提督、報告ガ、アル」

「何かな?」

「南方、新タナ、モノヲ……作ッテ、イル」

 

 報告したのは左目から青白い燐光を放っているヲ級、ヲ級改だった。

 それを聞いた彼、中部提督は実に興味深そうに目を細めて振り返った。

 

「なんだい? 彼、また何かをしようとしているのかい?」

「何デモ……今マデノ、モノヲ、越エルモノ……ダトカ」

「ほう、今までを越える。また随分と大きい事を口にするものだね。では、引き続き監視を続けさせて」

 

 中部提督としては南方提督がまだ何かをしようとしている、という点においては別に驚くことではない。一度拠点を移したとはいえ、敗北に敗北を重ねた事であれに消されないようにするために何かをするのではないか、という予想はしていた。

 何をするのかを知るために彼の拠点に偵察を送っておいたのだが、まさかまた新たな深海棲艦を作ろうとしていたとは。

 戦力増強は大事なことだ。

 艦娘に、人間に勝つにはより強い兵を持たなければならない。

 深海棲艦にとって戦力は作ろうと思えばいくらでも作れるが、新たな顔となると艦娘と同じく少々時間を必要とする。

 中部提督のように失敗を重ねる事もざらではない。とはいえ中部提督が今作ろうとしているのは少し特殊な作り方だった。

 南方棲戦姫や戦艦棲姫のような一つの艦と様々なパーツから作り上げたものではない。二つの艦を一つにし、力を高めるという試みの下で作られている。そうなれば当然二つの艦に宿るものが融合を拒否し、失敗が続くのだった。

 だが、今回は違う。

 そんな失敗を重ねた事でついにここに種が生まれ、育ってきている。

 そうしている間に南方提督はまた新たなものを作っているという。本当に、その執念だけは認めよう。それが上手く成果に結びつかないのが彼の不幸なところか。

 それに何も新たに兵を作るだけが戦力増強に繋がるわけではない。今ある兵を鍛える事もまた必要だ。こうして作業を進めている間も、中部提督はこの拠点にいる深海棲艦同士による演習を行わせていた。まるで、艦娘のように。

 

「ウェークはどうなっているのかな?」

「問題ハ、ナイ……。人間モ、オラズ、準備ハ……順調」

 

 かつては軍施設があったウェーク島であったが、深海棲艦が出没してからは無人島となってしまった。となれば陸上基地の深海棲艦を新たに作るには、うってつけの場所となっているということでもある。

 その他の狙いもあるので、中部提督はここを攻撃拠点と定める事になった。

 あとは陸上基地を作り上げ、戦力を整えるのみ。

 だがその作戦を決行する前にもう少しやらなければならないことがある。

 

「となれば、あとは情報、か」

 

 ユニットから表示されているホログラムに様々な文字が表示される。

 人間が使用する言葉に近しいが、少し異なる文字の羅列に目を通しながら、中部提督は静かに呟いた。

 

「――呉提督、君はどんな人間なんだろう。何を思って戦っているのだろう。実に、興味深い」

 

 二度も南方へとやってきた凪。先代呉提督である南方提督の座っていた席につきながら、短い時間の中で急成長し、勝利をおさめた新人提督。

 黒い手袋で自身のあごに触れながら中部提督はじっとホログラムを見つめる。

 金色の燐光を放つ目がすっと閉じられると、彼の足もとにそっとすり寄ってくる小さな存在。

 それは黒猫のようなものだった。

 しかしその顔は深海棲艦のような硬質さを感じ、瞳に赤い燐光が小さく放たれている。ふわふわの毛並だったかもしれないその体をそっと撫で、抱え上げて肩に乗せてやる。

 小さく鳴き声をあげるその猫もまた、じっとホログラムを見つめていた。その際に開かれた口元には猫らしい牙ではなく、深海棲艦に共通するような少し太めの歯が並んでいた。

 

「僕は知りたい、君を。君と君の艦娘の情報を。その上で、沈めよう。君から、大事なものを奪ってやろう。そうなったら、君はどんな顔をするのだろう。その時が、楽しみだね」

 

 その言葉にヲ級改が頭を下げ、肩にいる黒猫もまた小さく同意するように鳴いた。

 凪達がそうであるように、中部提督もまたその時のために準備を進めている。

 冷たい海の底で、静かに、確実に戦力を整え、情報を集めていた。

 しかし凪達とは違い、彼らの拠点は不明だ。だから人間達には気づかれない。反対に凪達は居場所が割れているために、調査される恐れがある。

 そう、今この時もまた、情報収集されている。

 

「春を目途に進めていこう。……赤城、例のデータを」

 

 赤城、と呼ばれたのはヲ級改だった。傍らにあったコンソールをいじると、中部提督の前に映し出されているホログラムに、一つのデータが表示された。

 そこにあったのは戦艦棲姫のデータだ。

 南方提督が作り上げた深海棲艦の武蔵である。陸上基地のデータだけでなく、戦艦棲姫もまた他の深海提督達に共有されている。その気になれば、中部提督もまた彼女を使役できる。

 

「武蔵も作っておくとしようか。強力で、それでいて純粋な戦艦、というだけでも十分な戦力になりえる。でもパーツが足りないな。赤城、輸送部隊の派遣を要請。南西から持ってこさせて」

「御意。……ソウイエバ、提督。南西ト、イエバ、去年……日本カラ、西ヘ、向カッタ……モノガ、イタ」

「ああ、12月あたりにそんな事があったっけか。南西、あれをスルーさせたんだっけ」

「……ン。リンガノ、提督ノ……艦隊、護衛シテイタ、トカ」

「なるほどね。ま、西は西で向こうの管轄だ。僕には関係ない」

 

 フィリピンやインドネシア、マレーシア方面を担当している南西提督。ここから西、ベンガル湾やアラビア海周辺を担当する印度提督。更にヨーロッパ方面を担当するものがおり、現在は深海側が有利な状態で戦いが続いているとか。

 そこまでいくと距離が遠いために中部提督としては話に聞くだけに留め、介入はしない。

 だが護衛があったとはいえ、西に向かったものをスルーしたのは少し気にはなる。人間の目的もそうだが、見逃したとでもいうのだろうか。

 少し調べてみると、途中でリンガの艦隊だけでなく、イタリアやドイツの艦娘達も合流し、移動していったようだ。

 安全のためとはいえ、二つの国の艦娘が護衛についてくるか。

 とはいえこの二国といえばかつては日本と同盟を組んでいた間柄。その縁が今も続いていると考えれば何もおかしなことではない。

 とすれば日本側が西に向かった理由として考えられるのは何か。

 

(……これもまた戦力増強。兵器、あるいは艦娘データのやりとり、か)

 

 日本側は最近新たな艦娘の構築に成功している。深海棲艦がそうであるように、艦娘もまた着実に新たな顔を揃えてきている。その新たなデータを持ち込み、異国の艦娘を取り入れようとしているのではないだろうか。

 

(西の艦娘が太平洋に来るのか。ふふ、それはそれで面白いね)

 

 新たな刺激として胸が躍る。

 骨とモヤしかない肉体ではあるが、魂が震えるのだ。

 そんな感情を抱くなんて、やはり自分はただの深海側の人形ではなくなってきているらしい。

 それに何だか最近は記憶にノイズがかかっているような気がする。

 いや、違う。それは正しくない。

 そう、今まで封じられていたものがゆっくりと開けられていくかのようなもの。その際にノイズがはしっている、といった方がいいだろうか。

 生前の記憶なのだろう。

 久しく見ていない陸上の景色。頭上には澄み渡った青空が広がっているらしい。

 そんな中に立つ自分。

 だが、別に昔の自分に興味はない。

 今はただ、こうして深海棲艦を弄っている方が有意義だ。

 自分の手で変わっていく彼女達。

 成長していく姿を眺めている時間。

 ああ、死した先でも、こうして心を躍らせる時間があるのだ。それで、十分ではないか。

 だからそんな時間をこの先も続かせるために、それを邪魔するものを潰すのだ。

 

 

 南方、フィジー付近に作られた南方提督の新たな拠点。

 そこでは南方提督の手によって新たなる深海棲艦が作られていた。

 彼が考案したものは南方棲戦姫らのように、砲撃、雷撃、航空の攻撃手段を保有しつつ、それを鬼以上ではなく量産型として作り上げる事。

 それが成功すれば確かに深海棲艦にとっては大きな戦力向上に繋がるもの。失敗続きの南方提督にとっては、この上ない成果として認められるものだろう。

 それが今、目の前に完成しようとしている。

 姿は相変わらず少女のもの。それに水着のようなブラにフード付きのコートのようなものを着ている。背中にはリュックサックのようなものがあり、首にはストールを巻いているようだ。

 尻からは武装ユニットが伸びているのだが、胴体が蛇のように長く、その背中に艦載機を飛ばすための飛行甲板のようなものが分割されて装着されている。蛇の頭部には主砲が存在し、開かれた口の奥から魚雷を撃つのだろう。

 

「――ふ、ふふ……ふははは……! 完成した、完成したぞ……!」

 

 コンソールを叩き終えた南方提督は両手をゆっくりと広げて歓喜の声を上げる。

 少女にはいくつかのチューブが繋がれており、モニターにはいくつかのグラフと数字が並んでいた。それらが彼女の状態を示しているのだろうが、どれもが彼にとって理想の数字となったようだ。

 

「どこにも問題はない。大和のデータを参考にここまで圧縮できたんだ。ふはは、私もやれば出来るではないか……!」

 

 大和、すなわち南方棲戦姫からこの新型を作ったのだろうか。

 とはいえ南方棲戦姫自身を作ったのは南方提督ではなく、中部提督だ。南方提督が作ったのは南方棲戦姫のデータを参考に、南方棲鬼を作っただけに過ぎない。

 つまり、一度だけではなく、二度も南方棲戦姫のデータを参考にしているということなのだが、歓喜に沸く彼はそこまで細かい思考は回っていなかったらしい。

 

 そして、同時に見逃した。

 

 完成し、喜びに浸ってしまった事で、その小さな変化に気づかなかった。

 そう、彼女は完成していた。

 あとは起動を待つのみ。

 だが、彼女は――自ら起動し(目覚め)た。

 

「――キヒ」

 

 いつか聞いたような気がした声が彼女から漏れて出た。

 気のせいだったとあの時は流したその声は、次第に連続してその小さな口から発せられ、ゆっくりとその目が開かれる。

 

「――破壊、殺戮、ソノ手ニ、勝利……」

 

 ゆっくりと立ち上がりながら、自身に繋がれているチューブを引きちぎっていく。尻尾のような艤装も鎌首を持ち上げるように起き上がり、頭部がじっと南方提督を見つめてきた。

 起動させていないのに自ら動き出したそれに驚いた南方提督だったが、起きたのならばいい。彼女に主は誰なのか、そしてこれからどうすればいいのかを教えなければならない。

 

「目覚めたようで何よりだ。新たな個体、私がお前の主である、南方――」

「――アンタノ、願イハ……ワカッテイル」

「――何?」

「――勝利ヲ、戦果ヲ。キヒ、キヒヒヒヒヒヒ!! ソノタメニハ、殺戮ヲ……! 全テヲ、沈メテヤンヨ」

 

 紫色の瞳から一際強く青い燐光が放たれ、勢いよく跳躍した。

 天井をぶち破り、頭上から水が流れ落ちてくる。悲鳴を上げる南方提督を意に介さず、それはまるでイルカのように体をくねらせながら暗い深海から光を目指していく。

 しかしすぐに海上へと出るのではなく、ある海域を目指しながら浮上していくのだ。

 

「マズハ、ソロモン奪還。艦娘達、平穏ナンテ許サネエ、ソンナモノ、ブッ潰シテヤンヨ……!」

 

 見た目通り、子供のような無邪気な笑みで物騒な事を口にする。

 そうして彼女はただ一人、ソロモン海域を目指していった。

 一方、頭上から降り注ぐ海水を止めるために、深海棲艦らを使って応急処置として何とか穴を塞ぎ終えた南方提督。水浸しになった拠点の工廠で、続いて排水を指示する中で、出ていった彼女を放置するわけにはいかないと何とか思考を回す。

 カリカリと骨の指で骸の頬を掻きむしりながら「まずい、まずいぞ……」と呟きだす。

 まさか評価を取り戻すための個体が勝手に出陣とは。これでは暴走を起こしたと思われるに十分な出来事じゃないか。

 何とかして抑え込み、連れ帰らなければならない。

 

「予備戦力を出陣させろ……あれを止めるんだ……!」

 

 よもやこんなことになろうとは。

 だがどこにも問題はなかったはずだ。モニターに表示されていたあれの数字もグラフも異常は見られなかった。今までの量産型と変わらず、安定して起動できるはずだった。

 一体何がダメだったのか。

 それが南方提督にはわからなかった。

 

(原因究明は後でいい。一刻も早く連れ戻さねば……。こんな事、中部にでも知られれば、今度こそ私は……!)

 

 焦る気持ちを押さえられない南方提督。そんな中で予備戦力として眠らせていた深海棲艦が出撃していく。あの新艦を抑え込むために。

 その様子を、静かに見つめている深海棲艦がいることなど、南方提督にも出撃していった深海棲艦も気づく余裕はどこにもなかった。

 

 



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レ級

 

 

 暖かな日差しが差し込むその日、陸奥達はショートランド島へとやってきていた。

 日本からやってきた船には多くの作業員と妖精達がおり、拠点を築き上げていく。

 ショートランド泊地を建築する認可が下りたのだ。陸奥をはじめとするラバウル基地の艦娘達は日本からやってきた彼らを護衛するために同行し、作業をしている間もショートランド島周辺を警戒する任務を与えられた。

 妖精の不思議な力で工事は普通にやるよりも早く終える事が出来るが、ここはまだ深海棲艦が確認される海域。また日本からも大本営が編成した艦娘がいるにはいるが、それでも多くを送れるものではない。

 トラック泊地まで護衛し、交代してトラック泊地からはそこの艦隊が、そしてラバウル基地に来てからはラバウルの艦隊が護衛と交代して行われた。

 これからはラバウル艦隊と大本営の艦隊が交互に警戒する事になっている。

 今回はショートランド泊地の建設だが、これが終われば日を置いてブイン基地の建設が予定されている。

 ここに新たな提督が着任すれば、ソロモン海域の守りはより強固なものになるだろう。

 そのことを想像し、少し胸を躍らせていた。

 

「それにしても、ほんとに妖精の力ってすごいわね」

「いったいどういうものなのかしら、ほんとに。すごく気になるなあ」

 

 作業を進めていく妖精達を見つめながら陸奥と衣笠が呟く。衣笠は通常の姿ではなく、クリスマスに更新された改二データを適応させたようだ。

 そんな二人が見守る妖精達。

 ショートランド泊地の名残として残されていた港をまずは整備しなおすところから始まった作業。不思議なパワーによって高速化されているその作業に淀みはなく、資材がある限り、瞬く間に傷は塞がり、しっかりとした埠頭に生まれ変わっていく。

 艦娘であっても妖精の力はよくわかっていない。しかしその不思議なパワーで拠点が築かれていくのだ。ありがたくその恩恵に与り、この作業を邪魔させないようにするのが陸奥達の役割である。

 

「何事もなければいいのになあ」

「ダメよ、衣笠。そんな事を言っていると、何かが起きてしまうから」

 

 苦笑しながらツッコミを入れていると、「陸奥さん、緊急!」と声が響く。

 

「何事!?」

「南西、ガダルカナル島方面から急速に北上する敵影確認! 数……1、です!」

「1!? 単騎で来てるの!? 一体、誰!?」

「……これは、見た事のない深海棲艦です!」

 

 蒼龍からの報告に陸奥が驚きながらも、奇妙だ、という疑惑の表情を浮かべる。だが敵が来るのならば対処しなければならない。「えぇ……フラグ回収はやいよ~……」と焦る衣笠の背を慰めるようにぽんぽんと叩きつつ、待機している艦娘達へと指示を出す。

 

「出陣用意! 一水戦は先行して敵を確認! 第一水上打撃部隊、第一航空戦隊は私に続いて! 残りはここで待機。周囲の警戒を怠らないように!」

『了解!』

 

 こうして陸奥達は未知なる敵と会敵するため、ショートランド島を後にした。

 

 

 蒼龍をはじめとする空母が放った偵察隊。ショートランド島を中心とした警戒網に引っかかったのはその謎の深海棲艦だけ。他にも伏兵がいるかもしれないので、まだ偵察隊は展開させたままにしておいた。

 何せその一人だけというのが妙だ。

 新型とはいえ、護衛もなしに単騎で突っ込んでくる理由が分からない。新型の反応をチェックした結果は量産型と変わらないシグナルを発している、というものだった。新たなる量産型、ということで、慣例に従ってこの新型をレ級と呼称する事にする。

 艦種についてだが、艤装についている主砲が戦艦が装備するような代物だったため、暫定的に戦艦である、と定める事とした。

 

「では、目標は戦艦レ級と呼称するわね。新型のようだけど鬼や姫級ではないようよ。だからといって油断なく対処。見えているのは一人だけでも、下に隠れながらついてきている可能性もあるわ。気を付けて」

 

 通信先に語り掛けるように陸奥が語り掛ける。低速戦艦のため、先行しているラバウル一水戦と距離が空いてしまっているのでこの形で指示する。

 一水戦のメンバーは呉と佐世保との合同演習で見られたメンバーと変わらない。

 旗艦名取、天龍、皐月、初春、吹雪、時雨改二だ。

 今もなお頭上には空母から放たれている艦載機がおり、先行している偵察機から送られてくる情報を中継してくれている。

 戦艦レ級は相変わらず北上していた。しかもその進路は名取達が航行している方向。

 まるで彼女達の位置がわかっているかのように迷いなく航行していた。気配を感じ取っているとでもいうのだろうか。

 ふと、艦載機の妖精が見ている視界に奇妙なものが映った。

 それは、魚のようなもの。

 艦載機と同じ高度を、ヒレを広げるようにして飛行している十を下らない群れをした魚だ。それをじっと見て正体を探った蒼龍は「……トビウオ?」と呟く。

 だがそれをすぐに否定する。

 ただの魚にしては機械的だったからだ。何より、尾びれ付近に物騒なものをくっつけているのだ。

 

「いや、違う。あれは艦載機……! 迎撃!」

 

 飛び魚艦爆、とでもいうのか。

 今までの深海の艦載機とは違う、新たな艦載機だった。すかさず艦戦を前に出し、ラバウル一水戦を守るべく交戦させる。

 

「対空迎撃用意……! 何とか撃ち落として!」

 

 名取の指示に従い、10cm連装高角砲を手に砲撃する。艦戦の攻撃を掻い潜って接近してきた飛び魚艦爆から放たれる爆弾すらも撃ち落とさんとする。

 それぞれ回避行動をとりながらの迎撃。敵の攻撃をやり過ごす事が出来たが、頭上に意識が向いていたせいか、遠方から飛来してくる砲弾に気づくのに一歩遅れた。

 

「――ちぃ……!」

 

 天龍が何とか吹雪の服を引っ張ったが、飛来した砲弾が水面に着弾し、巻き上がる水柱に二人は悲鳴を上げて飲み込まれる。思わず二人の方へと視線を向けてしまう中で、名取は飛来した方を確認する。

 そこには、目標と思われる戦艦レ級らしき小さな影が存在していた。

 蛇のように長い尻尾がこちらを向いており、砲門らしきところから煙が立ち上っている。

 

「アァ……? 外シタ? 外シチャッタ……? デモ、イイカァ。マダ、始マッタバカリ。モット、楽シマナキャア、損ッテモンダヨネェ?」

 

 喋っている。

 量産型が喋っているというのか? 深海棲艦が喋るケースは鬼以上の個体だったはずだ。深海棲艦も成長してきているのだろうか。

 ごくり、と生唾を呑み、冷や汗を流しながら、名取は口を開く。

 

「……たった一人で、何をしようと?」

 

 その手に持つアサルトライフルのような主砲をレ級に向けながらそう問うた。

 だがレ級は何がおもしろいのか、小首を傾げながら小さく笑い出す。

 

「決マッテイルジャナイカ」

 

 すっと右手を自身の首に当てて掻き切るようにし「――殲滅、撃沈――要ハ、戦イ……!」と告げながらかっと目を見開いて敬礼する。

 紫色の瞳に強い殺意を宿し、青い燐光を放ちながら笑みを浮かべるその様は、今までの量産型とは一線を画す恐ろしさを放っていた。

 見た目は駆逐艦のような幼げな少女の姿をしているのに、その笑みは子供の無邪気さと狂戦士のような残酷さを感じる。そのアンバランスさによる歪な空気、そして尻尾の艤装から漂わせる「絶対に相手を沈める」という死刑宣告の如き物騒な空気と相まって、名取達に強いプレッシャーを与えてくるのだ。

 

「ボクハネ、アンタラヲ沈メナクチャアイケナイ。キヒ、ソレガボクガ作ラレタ理由ナノサァ……! ダッタラ、ソレヲ遂行シナクチャアネエ! 喜ビナヨ、アンタラガボクノ最初ノ獲物ダァ! 迅速ニ、デモド派手ニ! ボクヲ楽シマセルヨウナ死ニ様ヲ見セテクレヨォ!」

 

 艤装の口が開かれ、魚雷が次々と発射されつつ、背中の飛行甲板から新たな飛び魚艦爆が発艦されていく。とても戦艦とは思えない行動だが、その主砲は間違いなく戦艦級が装備するような大型主砲だ。

 

「南方棲戦姫みたいなタイプなのかな……。っ……でも、ここで引けない。みんな、何とか体力を削るだけでもいい。私達でやれるだけやってみよう……!」

「おうよ、一水戦としての意地ってもんを見せてやろうぜ!」

 

 天龍が歯を見せながらにっと笑う。レ級の初撃を回避したとはいえ、僅かにダメージを受けているというのに、だ。怯んでいる姿を見せまいとしているのだろう。

 迫ってくる飛び魚艦爆を撃ち落さんと対空射撃を継続しながらレ級へと接近を試みる。当然ながら飛び魚艦爆だけでなく、レ級からも砲撃が飛来する。

 だが戦艦主砲のため、次発装填に時間がかかるのも共通していた。その間に近づける。

 そして何より奴は一人だ。他に深海棲艦がいない。守るものも、邪魔をしてくるものもいない。集中砲撃も可能ときたものだ。この優位を以って奴を倒せばいい。

 単縦陣でレ級へ突撃。

 六人からの砲撃の雨にレ級は回避行動をとる。軽巡や駆逐の砲撃とはいえ、こうまで多くの弾丸が飛来すれば鬱陶しい。バックしながらの蛇行、そうしている間も尻尾は名取達へと向けられている。

 三連装主砲が唸りを上げれば、三発の砲弾が飛来する。直撃すればひとたまりもない戦艦主砲の砲撃だ。それを前にしながら、名取達は冷や汗を流しながらも回避する。

 これも呉鎮守府との合同演習によって身に着けた胆力と回避訓練の成果だ。あの日々は無駄ではない。

 レ級もまさか避けてくるのか、と僅かな驚きを見せたが、しかしすぐに喜色に塗りつぶす。回り込み、急加速して名取へと突撃しようとした。

 それを見切り、名取が左手に抜いた魚雷を一本手にし、投擲。呉一水戦との演習において、神通が披露した技術だ。

 海に落ちるのではなく、弾丸のように空を切りながら魚雷が迫ってくる現実。レ級もたまらず反射的に尻尾の胴体を盾とした。直撃したそれは爆発を起こし、肉が抉れたように穴が開く。レ級の側面を通り過ぎながら「……雷撃!」という名取の指示に従ってレ級へと一斉に魚雷が発射される。

 

「……ハッ、ヤッテクレル!」

 

 それを前に、レ級はまたバックしながら身を捻り、尻尾を海面に叩きつけた。

 立ち上る水しぶき。まるで青のカーテンを作り上げるかのように尻尾を薙いでいき、魚雷を躱しながらその姿を隠してしまう。

 たった数秒でしかない時間だったが、その数秒で戦況は変えられる。

 視認されない、という優位を以ってしてレ級は行動する。戦術などという概念は彼女にはない。艦娘から放たれた攻撃をどのようにして回避し、どのようにして反撃の一撃を叩きこみ、沈められるのか。

 それを感覚だけで判断し、行動しているだけ。

 

「……っ、煙幕!」

 

 という名取の指示に従って皐月が煙幕をはる。ラバウル一水戦の姿が煙幕の中に消えていくが、そんな事レ級には関係ない。落ちてくる水しぶきの奥から突撃し、吹雪の首を右手で掴みながら単縦陣から引き離した。

 悲鳴を上げようにも喉を押さえられているために声も出せない。煙幕によってお互いの姿が隠されているが、マスクとゴーグルによって艦娘達は視界は一応得ている。それにより、時雨の前から吹雪が消えた事はわかった。

 

「吹雪ちゃん!?」

 

 時雨の声によって遅れて何が起こったのかがわかる。

 レ級は手にしている吹雪を海に叩きつけ、背を向けている状態。でも尻尾が煙幕の中にいる名取達を狙い、副砲を順次発射させる。

 

「イタイ? クルシイ? ナラ、ソレニ似合ウ表情(カオ)ヲシナヨ」

「っ、カハッ……ごほ……」

 

 ずぶ濡れになった顔と髪。そこに容赦なく拳を叩きこんで、血化粧を施していく。そんな中でも吹雪はただ呻き声を上げるしかできず、痛みの言葉は出てこなかった。

 充分にそれを楽しんだレ級は、大人しくなった吹雪をじっと見つめながら、今気づいたように首を見る。

 

「…………アア、ソウダッタ。喉、ヤッテタンダッタネ。デモ、鳴キ声ガナクテモ、オマエハ充分ニイイ表情(カオ)ヲシテイタ。マズハ一人、向コウニ旅立チナヨ」

「――てめええぇぇぇ!!」

 

 そんなレ級へと憤怒の顔で天龍が突撃した。吹雪が凄惨に傷つけられているのを見て我慢出来なくなったらしい。そんな天龍へと歪んだ笑みを浮かべて振り返り、手にしている吹雪を投げつけてやる。

 攻撃しようとしていた天龍だったが、飛んでくる吹雪を前に主砲を消して抱きとめにいくしかなかった。例えその機を狙うようにレ級の艤装が天龍を狙っていたとしても。

 

「二人……!」

 

 宣告しながら放たれる主砲。天龍は抱きとめた吹雪を庇うように自身を壁にしながらそれを受けた。「天龍さん!」という皐月の叫びが響く中、名取は歯噛みしながら前に出る。

 

「皐月ちゃん、初春ちゃん、二人を……! 時雨ちゃんは私に続いてください!」

「ヤルノカ? イイヨ? マダボクノ相手ヲシテクレルッテンナラ、ヤッテヤンヨ……!」

 

 吹き飛ばされる天龍と吹雪の下へと皐月と初春が向かう中、レ級を止めんと名取と時雨が出る。レ級もまた迎え撃つようにして次発装填、そして艦載機回収を行いながら航行する。

 そんな彼女へと向かうのは名取と時雨だけではない。

 補給を終えた蒼龍達の艦載機が到着したのだ。自分の艦載機ではないものが空にある。それに気づいたレ級が目を細め、「目障リナ鳥ガイル……」と呟く。

 艦載機の攻撃を避けるためにまた回避行動をとり始めるレ級だったが、そこに回り込むように動きながら、名取と時雨が魚雷を発射。挟み込むように艦攻が動き、レ級が避けようとも一本は当たるコースで魚雷がレ級に向かっていく。

 

「……イイネエ、面白クナッテキタァ……!」

 

 迫ってくる魚雷を見てレ級は舌打ちするでも悲観するでもなく、むしろ狂気が混じった笑みを浮かべた。一発どころか二発の魚雷を受け、水柱が立ち上る。だがレ級はそれでは倒れず、よろめいた体を持ち直して名取へと迫る。

 そうはさせまいとどこからか砲弾が飛来した。

 駆逐や軽巡の主砲では届かない距離、それでいて重いものが海にぶつかったかのような強力な水柱。

 それがなんであるかわかった名取と時雨に小さな安堵の表情が浮かぶ。

 

「――待たせたわね。下がっていいわ、名取!」

 

 ラバウルの秘書艦、陸奥率いる主力艦隊が到着したのである。

 



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レ級2

 頼もしい声が聞こえてくる。

 レ級も陸奥達の姿を確認し、更に頭上を飛行する艦載機の群れにどこか鬱陶しそうながらも、笑みは消さない。数の上でも戦力的にも不利だというのに、彼女は悲観しない。

 レ級の方を向きながら、名取と時雨は距離をとっていく。背を向ければそこを撃たれかねない。そのための退避方法だった。

 入れ替わるようにして陸奥が前に出ると、レ級は挨拶代わりに副砲を数発撃ち放つ。それを躱しながら「あら、随分なご挨拶ね」と涼しい顔をする。

 

「どうやらうちの子達が世話になってみたいだし、まとめて熨斗を付けて返させてもらおうかしら?」

「……? 言ッテイル意味ガワカンネエナ。難シイコト、言ワナイデクレル? デモ、オマエガ言イタイノハ、ボクヲ必ズ沈メルッテコトデイイ?」

「わかってるじゃないの」

「ナラ、素直ニソウ言イナヨ。二人沈メルダケジャア足リナインダ。モット、モット沈メナキャアイケナイ。ソノタメニボクハ作ラレタンダ」

 

 そう言いながら軽く左手で自分の頭を押さえる。

 狂気が滲み出る笑みの中に、どこか苦しげな表情が混じっているんじゃあないだろうか。あのレ級を見て、陸奥はそんな変化を感じ取った。

 

「――囁クノサ、ウルサイクライニサ。ソノ手ニ勝利ヲ、戦果ヲ……! 沈メロ、艦娘ヲ多ク沈メロッテ、眠ッテイルアイダモ、今モ……! アノ野郎ガ、ソシテ誰カガ! ボクニ! 囁イテクルンダヨォ!」

 

 カッと見開いた目には怒りが篭っていた。

 勝利、戦果、沈めること……野郎ということは恐らく南方提督のことだろう。

 陸奥達は知らない。

 南方提督が敗戦に敗戦を重ねた事で、勝利に執着している事を。そのためにレ級を作り上げたのだが、その負の感情が絶え間なく溢れる中での作業だったのだ。

 彼の体は骨とモヤだけ。魂の器である肉体がない。器がないのだから、魂から滲み出る感情をせき止める壁がない。彼の感情がレ級が作られている間も彼女に取り巻き、こびりついたのだろう。

 結果、レ級は南方提督が生み出した負の感情に影響されるだけでなく、まるで脅迫概念のように目的を囁かれることになる。

 

「アンタラヲ沈メタラ、コノ声カラ解放サレルンダロウナア……ダカラサ、沈ンデクレナイ? ボクノタメニサァ……?」

「残念だけど、お断りね。逆に私達があなたを沈めてやるわ――それで解放されるといいわ。その苦しみから」

「ハッ、ボクラガ沈ンデ解放サレルトデモ? アリ得ナイネ! 生マレタバカリノボクデモワカル! 死ハ、ボクラニトッテ解放サレルコトジャアナインダヨォ!」

 

 装填を終えた主砲から陸奥へと主砲が放たれた。それだけでなく、補給を終えた飛び魚艦爆も次々と発艦されていく。

 蒼龍達の艦載機と渡り合えるほどの数を並べた飛び魚艦爆。レ級一体だけでどれだけの飛び魚艦爆を保有しているというのか。色々馬鹿げたスペックを持っているようだが、それでも単騎でこの数を相手にするのは不利だというのは変わらないはず。

 落ち着いてダメージを積み重ね、撃破すればいい。

 

「主砲、全砲門、開け!」

 

 陸奥、長門、霧島という三人の戦艦から放たれる砲撃。数発は躱せても、一発、二発、いや三発は直撃した。艤装ではなく、人の体の方へと貫通する徹甲弾。その痛みにぎりっと歯噛みしながら、レ級は後退する。

 艤装の口から幾多の魚雷が吐き出される中、レ級は「イタイ、イタイナァ……!」と苦痛を紛らわすかのように呟いた。

 

「アンタラモ喰ラウガイイヨ……! ソラァ!」

 

 バックから回り込むように移動しつつ、副砲を斉射。そうしながら陸奥へと急加速して接近する。低速戦艦には出来ないような動き。側面に回り込まれれば主砲を旋回させるか、自分の体をそっちに向けるしかない。

 振り向くより早くレ級が主砲の装填を終えて砲撃しようとしていた刹那、レ級の側面から魚雷が飛来した。爆発を起こしたことで主砲の照準がずれ、あらぬ方へと砲撃が飛ぶ。

 魚雷を放ったのは下がったはずの名取だった。

 

「名取!? あなた、下がったんじゃあ……」

「……私達も支援します。それくらいは、させてください……!」

「何も出来ないまま下がるのは性に合わない。僕も、ここで終わるような真似は出来ないよ!」

 

 よく見れば、二人の目には小さな雫が浮いていた。下がっている間に何かあったのか? と思う間もなく、時雨と共にレ級へと奇襲を仕掛け、主砲を手に砲撃も加えている。戦艦の装甲を持つレ級にとってあまり痛くない攻撃ではあるが、再度魚雷を撃たれてはたまらない。

 

「チィ……ドレダケ邪魔ヲスレバ……! サスガニ目障リダナア!」

 

 ぐっと手を握り締めると、魚雷が構築された。それを先程名取がやったように投擲した。自分が披露した技術をいきなりやり返してくるというのか!? という驚きがあったが、神通の時と同じように反射的に主砲で魚雷を撃ち抜き、爆発させる。

 その爆風の奥からレ級が迫り、吹雪にしたように名取の首を狙って右手が迫ってきた。だが名取もそれを予測していたようだ。その手を躱し、カウンターを放つようにレ級の頬へと拳を突き入れた。

 呻き声を上げながら吹き飛び、海上を滑っていくレ級。そんなレ級の頭上から艦爆が迫る。気づくのが遅れたらしいレ級に容赦なく爆撃という追撃が刺さるかと思われたが、どこからか機銃が掃射され、艦爆は攻撃を成功させることが出来ずに墜落していった。

 

「――――!」

「……ァア?」

 

 見れば、ヲ級が保有する艦載機がレ級の後方から接近していた。次いでヲ級やル級のフラグシップが深海棲艦を率いてきている。

 レ級を回収するために南方提督出した予備戦力だ。今になって追いついてきたらしい。

 そんな事情など知らない陸奥達からすれば、レ級を助けにやってきた戦力なのだろうと判断する。

 ル級フラグシップがレ級の隣にやってくると、何かを喋りだす。しかしそれは人語ではない。恐らく深海棲艦同士が判別できる言葉なのだろう。

 

「帰レ? アソコニ? ……何ヲ言ッテイルンカナ? 帰ルワケナイデショ? ボクハネ、奴ラヲ殺ラナキャナラナインダヨ! コノ傷ノオ礼モアルシサァ! オマエタチダッテソウダロウ!? ボクラハ艦娘ヲ沈メルタメニ存在スル! ホラ、戦イナヨ!」

 

 近くに来ていた駆逐イ級を鷲掴みにすると、まるでボールを投げるかのように振りかぶって陸奥へと投げつける。突然の事だったが、イ級は口から砲門を出して陸奥へと砲撃する。

 だが今までではあり得ない流れであっても、陸奥は飛来するイ級の弾道から避けて副砲で撃ち落とした。その隙にレ級はル級の艤装の一つを奪い取り、名取へと突撃する。

 何かル級が叫んでいるようだがそれを無視する。盾のような艤装を左手に構え、ル級の砲門から名取へ砲撃を仕掛けていった。

 それを避けつつ、反撃の砲撃を与えるが、ル級の艤装を盾にしてレ級は更に接近してくる。充分に加速したレ級はその勢いのまま跳躍し、名取へと飛び膝蹴りをしかける。

 

「はぁっ!」

 

 それを躱しながら跳躍し、背中へと手刀を当てようとしたが、尻尾が鞭のようにしなって名取を弾き飛ばした。魚雷による傷があるというのに、それを気にした風もなく尻尾を振り回し、滑っていく名取へと追撃するように副砲を斉射。

 だがそれを止めるように時雨が魚雷を放ち、レ級はそれから逃れるように後退。

 そんなレ級へと追い打ちをかけるのが霧島と長門だった。主砲と副砲を織り交ぜて砲撃をしかけるも、ル級の艤装と回避行動によって被害を抑えていった。

 

「ホラ、ボサットシテンジャナイヨ。オマエタチモヤレヨ! 盾クライニハナットケヨ!」

 

 近くにいた軽巡ト級を蹴り上げて飛来してくる砲弾の盾とし、爆発が起こる。悲鳴を上げるト級を意に介さずに攻撃してきた艦娘の一人、霧島へと突撃を仕掛けた。尻尾の艤装ではなく、ル級の艤装での攻撃。

 並行してやってきたロ級を掴んでまた投げつけると、霧島がそれから避けるように横に移動する。その動きを見てから急加速し、副砲で更に逃げ道を塞いで殴りかかった。

 まともに胸に受けたその一撃。呻き声をあげる霧島に更に腹へと一発拳を突き入れ、尻尾で頭部を殴打して海面に叩きつける。離れた所にいる長門に牽制をかけるように尻尾の主砲で砲撃しつつ、ル級の艤装を霧島へと向けて副砲を浴びせかけていく。

 

「ちぃ、ふざけた動きを……!」

「コレデ三人カァ? 足リナイ、モット、モット犠牲ヲ! サア、モット暴レナヨ! デナキャ、ボクガオマエタチヲ沈メルゾ?」

 

 霧島を足蹴にしながらぎろりとル級達を睨みつける。見開いた瞳には殺意があり、本気で仲間であるはずの深海棲艦をも沈める、という意志が見えた。ご丁寧にこうしてやるぞ? と何度も霧島の体を踏みつけ、ル級の艤装を持ち主であるル級へと向けている。

 戸惑うル級だったが、やらなきゃやられると察したのだろう。味方であるはずのレ級に沈められてはたまらない。艦載機を展開しているヲ級にも指示を出し、陸奥達と交戦する構えをとった。

 

「ソレデイイ。サア、ドンドン殺ッテイコウジャナイ」

 

 一際強く霧島を踏み抜き、彼女を海中へと叩き込んで次の獲物である長門へと迫る。だが、その足を掴む手があった。

 普通の足ではない。足首から先がないという歪な足。どこか尖ったようにも見えるその足に何度も踏まれていたはずなのに、海中から霧島がレ級の足を掴んだのだ。急加速して前進しようとしたレ級だったために、勢いを殺せずに前のめりに倒れてしまった。

 

「……行かせません、よ……」

 

 口から血を流し、濡れた髪を目元に張り付けながら霧島が呟くように言った。彼女の艤装がぎちぎちと音を立てながら副砲をレ級へと向けていく中、レ級もすぐに起き上がろうとする。

 

「ハナセ……」

「離しません、よ……私とて、帝国海軍の戦艦。……金剛型四番艦、霧島……例え沈みゆく運命にあろうとも……ただで散るほど軟ではないです……」

「……ハナセェ!」

 

 尻尾が霧島へと向けられるが、しかし主砲を撃たない。それを見て霧島が不敵に笑った。

 

「撃てません、よねえ? これだけ近い距離です……撃てば、自分をも巻き込むでしょう……ふんっ!」

 

 ぐっと足を掴んでいた手でレ級を引っ張り、左手で海中からレ級の腹へと一撃当てる。そうしながら海上に出ている副砲でレ級の頭を撃ち抜いた。しかし副砲だ。戦艦級の耐久を持つレ級にとっては大きなダメージにはならない。

 が、瀕死の霧島に殴られ、砲撃までされたというのがレ級の癪に障った。

 

「フザケヤガッテェ!」

 

 レ級の拳が霧島の眼鏡もろとも顔を打ち抜いた。割れたレンズがレ級の拳を傷つけるが、その傷すら意に介さずにもう一撃、もう一撃と霧島を殴り倒す。

 そうして完全に意識が霧島に向けられているのが仇となった。

 さっきまで目標に定めていた次なる獲物が、レ級へと照準を合わせていたのだ。

 放たれた弾丸はレ級の背後から貫通。それも四発以上。長門と陸奥が放った徹甲弾だ。

 その攻撃に、吐血しながらレ級が目を見開く。ふらり、と体がぐらつき、後ろを振り返る。その過程においても攻撃の手は止まらない。

 艦爆から投下された爆弾が襲い掛かってくる。霧島が足を掴んでいるせいで避ける事すらできない攻撃に、レ級は無抵抗で受け続け、やがてその身が沈んでいく。

 

「――ハッ、タッタノ、三人……カ。残念ダ……実ニ、残念ダヨ……艦娘、ドモメ……」

「声は、聞こえなくなったのかしら?」

「イイヤァ……マダ、ウルサク響クネエ。マッタク、コレジャア眠レヤシナイ……。ダカラ、サ?」

 

 沈みながらレ級は陸奥を指さし「次ガアルナラ、マタ遊ンデモラウヨ?」と最後まで狂気に満ちた眼差しで笑みを浮かべていた。

 そんなレ級と共に霧島もまた沈んでいく。どこか申し訳なさそうな表情を浮かべながら「……すみません。司令に、よろしくお伝えください……」と瞑目しながら頭を下げる。

 陸奥達も沈んでいく霧島を見送る。彼女の傷はもはや治らない。引き上げたとしても、まるで深海へと落とすかのような見えない手に引っ張られるようにして沈んでいくからだ。

 見守っているのはル級達も同様だった。

 戦え、と告げたレ級はもう見えない。レ級を連れ戻しに来たのに、轟沈してしまってはその任務は果たせない。戦闘しに来たわけではないので、これ以上の戦闘に意味があるのか否か。

 今までの深海棲艦ならば、何も考えずに陸奥達を襲っただろう。

 だがこのル級達には多少の意思があった。

 任務を果たすためにレ級を説得していたという点でもそれが見られた。こういう所でも深海棲艦の変化が感じ取れる。

 

「――――」

 

 聞き取れない言葉でル級は周りの深海棲艦達に指示を出し、バックしながら潜航しはじめる。どうやら撤退を選んだようだ。

 それを見て陸奥達は攻撃しない。

 戦意がない敵を撃つ事は陸奥達の性に合わないものだった。元々ラバウル基地の方針は攻めるより守る戦いが主だった。攻めてこないならばこちらからは攻撃しない、というのが染みついているため、つい見逃してしまった。

 完全に敵が見えなくなり、気配が去っていったところで大きく息を吐いて戦闘態勢を解くと、「被害報告を……」と指示を出す。

 

 結果は、轟沈が三人。

 霧島、天龍、吹雪、というものだった。

 初春と皐月が二人を助けに行ったまでは良かったが、しかし二人の傷は深刻なものだった。何とかショートランド島まで連れていこうとしたものの、まるで深海へと連れていかれるかのように、二人の体は何度引っ張っても沈まんとしていた。

 最期は、もういいという言葉と、感謝の言葉を残し、天龍は吹雪と共に沈んでいったという。

 

 ショートランド島へと帰還し、ラバウル基地の深山へと報告する陸奥。

 三人の犠牲者が出たことに深山は深く悲しんだ。

 犠牲を出すまいと積極的に戦いを挑まず、基地に閉じこもっていた深山。凪と茂樹と共にソロモン海域奪還作戦を成功させ、更に攻める戦いを覚えたばかりだというのに、新型一人に三人がやられてしまった。

 また、心を閉ざすのか、と陸奥は不安を覚える。

 

「…………詳しい報告は帰ってからだ、むっちゃん」

「……提督?」

「……その、レ級についての情報を纏めて報告だ。そして次に出るようなことがあれば、今度は不覚を取らないようにしなければね」

「提督……あなた」

「……また、閉ざすようでは東地に何を言われるかわかったものじゃあない。それに、沈んだ三人も、そういう事は望んじゃあいないだろう。なにせ、ショートランド泊地が建設されようとしているんだ。僕が任務を放棄すれば、後に続くものがここに来ない。……そうだろう?」

「……ええ、その通りよ。提督。安心したわ」

 

 陸奥の心配は杞憂に終わったようだ。

 あの頃の深山に戻ることはない。やはりソロモン海戦の一件が彼を変えたようだ。改めて凪と茂樹に感謝する。

 同時に気を引き締める。

 今回の犠牲を無駄にしないためにも、より一層の研鑽を。深山を、そしてラバウル基地の艦娘を悲しませないためにも。

 秘書艦として固く誓うのだった。

 

 

 そしてレ級と霧島が沈んだ地点に、複数の影が入り込む。

 それらは沈んでいた二人をそっと抱き寄せ、離脱していく。何かを伝えるように言葉らしきものを発すると「……か。ご苦労。帰還……」と、ノイズが混じったような声が小さく聞こえた。

 指示に応えるように声を上げたそれは、周りの影らに指示を出し、深海を静かに移動していった。

 あとには何も残らない。

 海上で戦闘があったなど感じさせない、静かな海底だけがそこにあった。

 

 

 



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大湊

 

 

 いい機会が巡ってきた。

 今動かないでいつ動くの?

 

 今日もまたあの女、夕張が作業をしている。作業着に着替えて装備をいじくり回しているその後ろ姿。何度も見てしまっては慣れてくるものだけれど、それでも長くそれをしていたら匂ってくる。

 女がしていい匂いじゃあない。

 とはいえ夕張よりもあの人間の方が少しきついか。ここにはいないけれど。

 静かに後ろを通り過ぎ、工廠を後にする。目指すは鎮守府。それもあれがあるところだ。

 

 いつもと違ってこの呉鎮守府は静かなもの。

 それも当然。

 海藤凪、そして主力に属している艦娘達は出払われている。

 ここに残っているのは遠征を主とする水雷戦隊や、主力として選ばれなかった艦娘だけ。海の方では自主練をしている艦娘がいるが、それ以外はこっち側にはいない。

 だから動ける。

 それでも気を付けながら移動していき、鎮守府の中へと入り込む。

 足音を消し、気配を殺し、廊下を駆け抜けていく。

 場所は把握している。

 狙うは提督執務室。

 そこを目指して走り抜ける途中で、誰かが向こうから歩いてくる気配がした。瞬時に柱の陰に入り込み、そっと様子を見てみる。

 大淀だ。ファイルを手に静かに歩いてきている。

 どうする、と考え込み、いや、自然体でいいじゃないか、と結論付けた。

 

「あら?」

 

 と大淀が気づいて見下ろしてくる途中で、駆け抜けていった。足元をすり抜けていくそれに大淀は振り返り、角を曲がって消えていくそれを見て、いつもの事か、と苦笑を浮かべて歩き去る。

 うまくいった。

 やればできるじゃあないか。そのために日常風景として見られるようにしておいた甲斐があったというもの。

 目的通り執務室へとやってくるが、さてどうやって入るか。

 問題ない。チューブのようにそれを伸ばして鍵穴へと挿入。形状を変化させて一捻りすれば、問題なく鍵が開いた。

 部屋へと侵入すると、一目散にパソコンへと接近。鍵と同じようにチューブを伸ばし、パソコンを起動させてアクセス。パスワード? そんなもの関係ない。体を揺らしながら様々な音を口から発しつつ、チューブらしきものを通じて解析し、ロックを解除。

 

「―――?」

 

 今度は小さく軋むような音を響かせながらデータを閲覧。モニターに次々と立ち上がっていくフォルダを見つめながら、何度も小首を傾げつつデータをコピーしていく。

 海藤凪の情報。

 艦娘達の情報。

 最近の訓練に上がっていた弾着観測射撃についての情報……。

 この呉鎮守府についての様々な情報が盗まれていく。

 やがてひとしきり得られるものを得たそれは満足したように一鳴きする。

 

 電源を落とし、執務室を後にすれば向かう先は埠頭だ。

 この時のためにここに潜入したのだ。失敗があってはならない。

 埠頭まで行けば、自主練している呉の艦娘達が見える。彼女達から見えない方へと移動していき、手にしているものを海へと投げてやる。沈んでいったそれを見送り、小さく笑みを浮かべる。

 実に、実に簡単な作業だった。

 とはいえまた新たな情報が生まれればそれを入手し、送り付ければいい。自分はまだまだここでやることがある。それまで呉の者達に気づかれずに振舞い続けなければ。

 

「――何の音かと思えば、ここで何をしている?」

 

 不意に背後から声がかかった。思わず体が硬直する。

 そっと振り返れば軽巡の天龍が立っていた。

 何故ここにいるのだろう?

 まさか、ばれたのか?

 焦ってしまうが、それを知られるわけにはいかない。何でもない風に手を振るが、「そうか? 何かが水に落ちる音がしたような気がするんけどよぉ」と首を傾げて辺りを見回し始める。

 そうしている彼女へと気のせいさ、と仕草をしながら通り過ぎようとすると、

 

「そういや、いつものあれはどうした?」

 

 あれ? と天龍を見れば、何かを手にしているような仕草をする。両手で持っているかのようなその手の動き。それがなんであるかは容易にわかる。

 あれは今いない、と言うと、「ふぅん?」とちらりと海の方を見る。

 

「落ちてないよな?」

 

 そんなまさか、と首を振り、石を蹴り飛ばしたんだ、と返すとどこか納得していないながらも、そうか、と頷いた。

 

「危ないから、お前も落ちるんじゃねえぞ?」

 

 と、言い残して天龍が去っていく。

 危ないところだった。ばれたかと思ったけれど、そうでもないらしい。でも、疑惑が生まれたような気もする。

 知られたら一巻の終わり。慎重に動かないといけない。

 少し流れた冷や汗を拭い、それはいつもの日常へと戻っていった。

 

 

 

 寒い。

 さすがは北国といったところか、と凪は思った。

 今、凪達がいるのは大湊警備府。場所は青森県にあり、2月ということもあって寒い。北国に慣れていない凪としては服を着込んでも寒く感じてしまう気温だった。

 頬にあたる風が冷たすぎる。手袋をしているからいいものの、素手だったらどれくらい冷えてしまうだろう。たぶんものを上手くつかめなくなるくらいになってしまうんじゃないか、と思ってしまった。

 そしてこの大湊で提督をしているのが、凪の目の前にいる少し小柄な人物。

 提督帽を目深に被り、茶髪を肩まで伸ばしている。じっと凪を見つめる視線は厳しく、凪達をあまり歓迎しているようには見えなかった。

 

「お初にお目にかかります。今回の申し出を受け入れてくださり、感謝いたします。呉鎮守府の海藤凪、ただいま到着いたしました」

「よろしくお願いします。一応、名乗っておきます。ここ大湊を任されている宮下灯(みやしたともり)と言います。本日ははるばると、こんな北までようこそいらっしゃいましたね。ごゆっくり過ごされるといいですよ」

 

 丁寧な物言いだが、どこか皮肉めいた棘を感じる。

 寒がっているのをわかっていて「ごゆっくり」と言ったのならば、わかりやすい毒だ。

 彼女、宮下灯は凪から見て二期先輩にあたるアカデミーの卒業生である。ここ大湊に配属されたのは卒業してすぐなので、三年も提督を続けているということになる。

 そして何より女性提督だ。

 現在においては淵上湊と合わせて二人しかいない女性提督の片割れでもある。

 首をしゃくってついてこい、という風に言外に言うと、先頭を歩き出す。その後に凪達がついていく事になった。

 何故大湊に来ることになったのかというと、発端はやはりあの大和にある。

 佐世保以外で演習をしてみたい、という願いを叶えるために、ダメもとで宮下に連絡を取ってみると、渋々ながらも彼女は承知したのだ。天気がいい日を選び、こっちに来いということなので、凪達はこの日、大湊を訪れる事になったのだ。

 

「しかし宮下殿、失礼ながらも言わせていただきますと、私どもの演習願いを引き受けてくださるとは、全く思いませんでしたが……」

「そうね。わたしとしてもあまり引き受ける気はありませんでしたよ。ただ、流石に動かなすぎて大本営からそろそろ何かしろ、と五月蠅くなったものでしてね……どうしたものかと思っていたところに、後輩からの演習願い。ありがたく思っているのはこちらもですよ」

 

 と、肩ごしに振り返りながら笑みを浮かべる。

 

「可愛い後輩に胸を貸してあげる。そういうポーズくらいはとってもいいんじゃないか、と思った次第ですよ。それに、噂に聞く呉の主力も見てみたいと思っていましたし、色々とわたしとしても得がある。おわかりかしら?」

「それはそれは。正直に答えて頂きありがとうございます。しかし私どもの噂と言われましても、まだ一年にも満たない若輩者ですよ。こんな北まで噂とやらが届くほど、あまり活躍した覚えなどないのですが」

「無理な謙遜はするものではないですよ。あなたの世代はなかなか曲者が揃っていらっしゃる。あなたは自ら作業員になった第三課上がり、主席はちゃらちゃらした熱い馬鹿、ラバウルにいったのは引きこもり。そしてリンガはリンガで肉達磨でアレな馬鹿。……わたしの一年後輩のあれらに比べたらマシだけど、それでも曲者揃いよね。いつからアカデミーの首席らはこうなったのかしら?」

「……さあ、私にはわかりかねます」

 

 ちなみに一年後輩、というのは先代呉提督や先代佐世保提督にあたる。彼女の物言いだと、あの二人に対してあまりいい印象を抱いていないようだった。とはいえ凪としても先代佐世保提督、越智に関しては同意見だ。

 南方棲戦姫との戦いにおいて彼の振る舞いは目に余る。あれを普段からしていたと考えると、嫌悪しか抱けない。

 そして彼女の自分達に対しての物言いもまた否定しきれないのが困る。

 何せ事実なのだから。

 

「しかし、ラバウルの深山に関しては引きこもりから脱却しつつある、とフォローいたしますが」

「あら、それはわたしが引きこもりから脱却できていない、と言いたいのでしょうか?」

「い、いえ、別にそのような……」

 

 いかん、藪蛇だったか、と口をつぐんでしまった。

 彼女もまた最近までずっとあまり作戦には参加せず、北海道周辺などを警邏し続けるだけの方針だった。それから外には出ていかず、やるとするならば遠征ばかりという、ラバウルほどではないにしろ、大湊に引きこもっていたのだから。

 

「まあ、わたしとしましてもあまり動く気になれませんでしたからね。それなりに泊地棲姫だとか装甲空母姫だとかを相手にするだけで充分でしたので。あ、そこ滑りやすいので注意を」

 

 と、階段を示しながら忠告する。

 演習として利用する埠頭まで来ると、そこには大湊の主力艦隊が簡易的に作られた区画の中で暖をとっていた。「そこがあなたたちのスペースです。少し温まってから演習しましょうか」と示してくれたので、感謝を述べる。

 

「それと、変に畏まられ続けるのも性に合わないので、素で結構。その方が楽でしょう? ストレスも溜まらないでしょうし。ね?」

「……それも、ご存知でしたか」

「ええ。人付き合いの苦手な提督、と耳にしていますよ。それでよくもまああの美空大将の下につけるものか、とある意味尊敬の念を抱いていたりしますよ。あの人、きついでしょうに」

「いえ、別に美空大将の下についているわけでは」

「違うのですか? 美空大将と懇意にしていると聞いていますよ? 姪である淵上湊とも仲がいいとか。それに第三課にいたあなたを引っ張ってきたのも美空大将。となれば、あなたは美空大将の派閥に属しているものとみなされますが」

 

 第三者の視点から見ればそうなるのか、と凪は口を閉ざす。

 自分がどれだけ否定しようとも、他人の目から見た印象というものはどうにもならない。それにきっぱりと否定出来るというわけでもない。凪は確かに呉鎮守府に就任した後も彼女から早くに改二データをもらい、建設の依頼をしているし、戦果報告も彼女にしている。

 それは紛れもなく彼女の部下である、と示しているかのようだ。

 

「正式な取り決めはしてないかもしれませんが、海藤凪、あなたはかの美空大将の派閥に属する提督である。それがわたし達から見たあなたの立ち位置なのですよ。となれば、西守大将の下についている横須賀、舞鶴とは対立関係になります。向こうからも、特に何も言われる事、ないでしょう?」

「……ないですね」

「それはあなたが就任した当初から、向こうからすれば美空大将から送り込まれた駒としか見られていないからです。もし合同演習を申し入れていたとするならば、却下されるか、全力で叩き潰されるか、ふふ……どうなっていたでしょうね」

 

 どこか面白そうな笑みを浮かべながら宮下は席に着く。そんな彼女を横目で見ながら凪も席に着き、ふと気になって「――あなたはどちら側に?」と問いかけてみる。

 すると足を組みながら帽子のつばをいじりつつ「わたしはどちらにも」と返ってきた。

 

「中立です。わたしはそういう面倒な事に関わりたくはありません。その点でいえばあなたと同じではあります。が、あなたと違い、誰にも尻尾は振りません。わたしはわたしの意思でこの鎮守府の提督として動くのみです」

「…………」

「引きこもり、大いに結構。あの五月蠅い奴らにいいように使われるなんてまっぴら御免なのですよ。だってそうでしょう? 深海棲艦を狩りの獲物とし、戦果を挙げつつ自分の立場を守り続けるだけの輩。時代、敵が変わろうと、人というものは変わらない。なんとも愚かで悲しいことでしょう。そんなものの下になどつきたくありませんわ」

「……その点に関しては同意します。ですが、いつまでもそうしていては目を付けられるのでは?」

「幸いわたしはそれなりに戦果を挙げ、大本営にもいくらか貢献しているので首を切られるのは免れています。わたしはね、西守大将、美空大将という個人や派閥の下にはつきません。大本営という大きな組織に従うだけです。その中でわたしなりの時間を過ごすだけですよ。ですが――」

 

 ぱちん、と指を鳴らすと、大湊の艦娘達が一斉に動いて整列する。

 言葉はいらない。指のアクションだけで艦娘達が動くくらいには統率がとれているという証だった。

 

「――使う兵器の調整を怠ってはいませんよ。こちらはいつでも結構。覚悟が出来たのならば、始めましょうか? 海藤凪」

 

 にっこりと目を細めながら微笑む宮下だが、そこには確かな自信が存在していた。

 これは演習だ。轟沈の恐れはない。

 しかしそれでもお互いの力を推し測り、実力を示す場でもある。

 引きこもり、と自分で口にした彼女ではあるが、それでも卒業してから三年大湊で提督として在り続けた人物でもある。

 その時間に裏付けされた自信があるのだ。

 一年にも満たない時間を過ごしている後輩に後れを取るはずがない、という確かな自信。

 まさに勝てるものなら勝ってみろ。このわたしが胸を貸してやろう、という思いに満ちた、笑っていない笑顔がそこにある。

 

「では、よろしくお願いします。宮代さん」

 

 例え勝てなくても、ぶつかり合う事で何かが得られるかもしれない。

 出来る事をやりきってみせるだけだ。

 長門をはじめとする呉の艦娘達に戦意がみなぎる。一歩も引かぬその意思に、宮代は薄く微笑を浮かべた。「結構」と呟くと、

 

「まずは一水戦からお相手してあげましょう。軽く揉んで差し上げなさい、多摩」

「にゃー、お任せにゃ」

「では胸をお借りしましょうか。お手柔らかに、多摩さん」

「よろしくにゃ、神通。全力でくるといいにゃ。その方が、後腐れがないからにゃ」

 

 両手を組んで指を鳴らす多摩を前に、神通が目を細めつつ礼をする。

 戦う前からもう戦いが始まっている。一水戦旗艦の二人の間には火花が散り、ひとしきりお互いの目を見つめ合うと、揃って海へと向かっていった。

 これは演習だ。沈め合う実戦じゃあない。

 だというのに、なんだろう、この空気は。

 大丈夫だよな?

 久しぶりに胃が痛い気がする。

 軽くお腹を押さえながら、凪は無事に終わる事を祈った。

 

 



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演習

 

 

 その演習は、経験の差が物を言うものだった。

 

 大湊の一水戦の戦い方は、アカデミーで教えられている戦い方とは違っていた。

 単縦陣などの基本的な陣形に囚われず、各々が独立して動いていた。まるで深海棲艦のように、それぞれがそれぞれの標的を相手にする。

 最初こそ基本的な戦いをしていたのだが、ある程度呉の一水戦の実力を確認した事で、自分たちのやり方を見せてやろうとでも言うかのように戦術を変えた。

 

「では改めて散るにゃ」

 

 右手を挙げれば多摩が先頭だったものがそれぞれ左右に散り、まるで鶴翼の陣のように左右から包囲しようとする動き。

 挟まれる、と感じた神通は北上達へと左右に魚雷を放ち、砲撃しつつ抜けるように指示した。そして自分は先頭にいる多摩へと突撃を仕掛ける。

 北上は夕立と響を連れ、左へ抜けようとした。放たれた魚雷は木曾と電へと接近する。近づいてくる魚雷に木曾は臆さず、余裕を持って間をすり抜けて回避する。飛来する弾に対しては、驚くべき手段で防御した。

 

「ふっ、ぬるいなあ。それでは俺を止められねえ。道を拓く。電、抜けていけ!」

「了解なのです」

 

 その木曾は改二を適応させていた。マントをなびかせ、佩いている軍刀を抜き放つと、飛来してくる演習弾を次々と斬り払い、あるいは受け流していくではないか。

 後ろに続いてくる電にも、木曾自身にも命中弾はなく、全くの無傷状態で初撃を凌いだ木曾。次弾装填の合間に、電が木曾を抜いて前に出ると、魚雷を次々と発射させる。

 そして木曾自身もまた雷巡と化したことで高まった雷撃能力を生かし、放たれる演習用の魚雷の数。両者の位置はたった数秒で魚雷が到達できるところまで接近していたのだ。

 砲撃を軍刀で捌かれる、という驚きの方法を見たことで隙が出来てしまった北上達。

 はっとした時にはもう遅い。

 魚雷が到達し、三人は魚雷命中判定によって戦闘不能となった。

 

「こんなんで終わりか――ぁ?」

 

 拍子抜けだ、と言わんばかりの表情で首を振る木曾に飛来してきた一本の魚雷。空を切るように直進してきたそれが、木曾の胸に中る。

 それは魚雷が命中する前に北上が投擲したものだった。え? と疑問に感じている木曾に「木曾、撃沈」というアナウンスが流れる。

 

「ふっふっふ、こちとらただではやられない北上様なのだよ。残念だったね~木曾ぉ。相討ちってことで、一つよろしくぅ」

「な、ぐ……ふ、ふふ……やってくれるじゃあないか、呉の北上姉さん……。ということで、俺も終わりだ。電、後は任せた」

「任されたのです」

 

 肩を竦めながら仕方がなさそうに微笑を浮かべ、生き残っている電に後を託す。敬礼した電は他の仲間の方へ航行していった。

 そんな様子を見ていた凪は冷や汗をかきながら問いかけざるを得なかった。

 木曾が見せたあれは何だったのか、と。

 

「改二になったことで木曾は軍刀を手にしました。木曾だけではありません。天龍、龍田、叢雲と艦としての艤装だけでなく、人が使うような武器も艤装として手にしています。砲や魚雷だけではない武装に意味を持たせただけですよ」

「それがあの剣術、ですか」

 

 よもや艦娘にそれを仕込むなど考えもしない。

 艦娘の戦い方は砲撃、雷撃、航空戦だけという固定概念を壊した光景だった。

 神通が見せたあの魚雷の使い方も、大まかに言えば雷撃の一種でしかない。ただ海に放ち、敵へと攻撃するだけではなく、その手から苦無のように投擲して敵の体へと命中させる。

 魚雷も爆弾の一種だ。その威力は艦娘の武装となっても決して低いものではない。

 艦爆から放たれる爆弾のように、足元だけでなく体に命中させることが出来れば、多大なダメージを与えるのは間違いない。

 だからこそ神通は水面下からだけでなく、海上においても砲撃だけではない攻撃手段の確立を目指した。これが出来れば砲撃能力が低い駆逐艦であったとしても、一発で敵に致命傷を与える可能性が生まれるのだ。

 難点としては基本的に一発しか撃てない事。手に持ち、狙いを定めて投げつけるのだから仕方がない。また投擲力が低ければ射程距離が短いという点も挙げられる。普通に雷撃した方が、射程距離が長いのだ。

 なのでこれをするのは敵に対して思いもよらない攻撃として放つのが基本となる。あとは敵が自分に向かって接近しようとしていた際に、カウンターとして放つ方法だろうか。

 なんにせよ、この攻撃手段は艦娘が人型だからこそ出来る事。

 艦と違い、手足が存在するからこそ、武器を投げる事が出来る。それを生かして神通が確立した攻撃手段。

 

 だが宮下はそれをも超えた。

 手足が存在するのだから、普通に人が積み重ねた武術も行使できるはずだ、と。

 その佩いた軍刀を飾り物にさせないために、剣術を教え、飛来する砲弾を受け流す技術を身に着けさせた。

 ただ剣や薙刀を振るうだけなら天龍や龍田もやっていた。

 先のソロモン海戦でも、夕立が天龍から借りた剣を戦艦棲姫相手に振るったことだってある。でもそこに真っ当な技術なんて存在しない。ただ斬り、突いただけのもの。木曾が見せたような洗練された技術はなかったのだ。

 誰が考えるだろうか。

 人の武器の扱いを高めようなんて。そうするくらいなら砲撃や雷撃の技術を磨けばいいのだから。

 

 一方、綾波と雪風が相手にしていたのは雷と子日、荒潮だった。二対三という状況ではあるが、二人は何とか三人に喰らいついている。

 必要以上に接近せず、砲撃を主に仕掛け、時折雷撃をするという形で撃沈されずに戦いを続行させていた。

 

「あらあら、案外粘るのね~。そろそろ、終わってくれないかしら?」

「数の有利をひっくり返す隙を、そちらも晒してはくれないようですが……!」

「そりゃあ、子日達だって、落とされたくはないもん」

 

 三方向から二人を狩るべく前進してくる。雷は肩から、荒潮は右手から砲撃するが、子日はと言えば両手に主砲そのものをはめ込んでいる。他の艦娘には見られない主砲の装備の仕方らしい。反動が直に腕を伝わるだろうが、気にした風もなく子日は次々と砲撃を仕掛けてくる。

 そんな攻撃を避けるため、雪風は煙幕を焚く。綾波と共に白煙の中に身を隠すが、当然子日達も警戒する。

 広がっていく煙から目を離さず、いつ攻撃が来てもいいように備える。

 その中で雪風は魚雷発射に力を注ぐ。

 水雷の華、雷撃。

 訓練用といえども、通常の雷撃だけでなく、渾身の一撃も適用される。

 通常よりも遥かに早いスピードで放たれる魚雷。それが煙幕の中から突然現れるのだ。例え気づけたとしても、魚雷は認識よりも早く自分に向かってくる。息を呑む間もなく、子日に直撃する魚雷。それが致命傷となり、子日は撃沈判定を受けた。

 

「あうぅ……今のは無理だよぉ……。雷ちゃん、荒潮ちゃん、あとは任せた」

「任せなさい! 仇くらい、さくっととってあげるんだから!」

 

 そう意気込む雷を煙の中から見つめる綾波。

 もう少しすれば煙幕が消える。その前にもう一人討ち取りたい。ふんす、と意気込んでいる雷が狙い目だろうか、と静かに距離を縮めていく。一発魚雷を放ち、そのまま加速。

 煙幕の中から飛来してくる魚雷に気づき、雷がそれを避けるべく動く。そこを突くように素早く煙幕から脱し、回り込みつつ砲撃。

 気づいた雷が応戦してくるが、その航行ルートを予測し、残った魚雷を一斉に発射。だがそれは雷も同様だった。お互いの魚雷が交差し、しかしそれらを撃ち落さんと機銃を斉射。

 命中判定を受けた魚雷が停止していく中、一発の魚雷が雷に命中する。当たり所が悪かったのか、それによって撃沈判定を受けた雷。よし、と思わず表情が綻ぶ綾波の背後から、高速で接近する影が一つ。

 その水を切る音に気付いた綾波が振り返る間もなく、その更に背後をとっていくそれは、静かに、確実に綾波の後頭部へと砲を突きつけつつ、綾波にぶつかる勢いのまま押し倒した。

 

「――討ち取ったのです」

「ぇ、ぇえ……!?」

 

 冷たい海に顔を押し付けられている、という事以上に、いつの間に電がそこまで来ていたのか。そしてどうして押し倒されているのか、という驚きが勝ってしまい、変な声が出てしまった。

 疑いようもない詰みに、綾波も撃沈判定を受ける。

 

「ま、マジですか綾波ちゃん……。ってか、今いったい何が?」

 

 少しずつ薄れていく煙幕の中から雪風が呆然としたように呟く。電といえば木曾と共に向こうに行っていたはずだが、と確認してみれば、向こうの戦いは終わっていたことを今更ながら知る。

 煙の向こうから荒潮が雪風の影を確認したのだろう。微笑を浮かべて「そこねぇ?」と主砲を向けてきた。電も綾波から離れ、荒潮と挟み込むようにして位置をとりつつ、主砲を構えた。

 

「むむむ……まずいですねえ。でも、そう簡単には落ちませんよぉ!」

 

 雪風にも意地というものがある。不利だとしても、最後まで抵抗し、喰らいついてやるのだ、という気概を見せつけてやった。

 

 

 そして一水戦旗艦、多摩もまた神通を相手に余裕を見せていた。

 

 放たれた砲撃を涼しい顔をして回避していく。しかも最低限の動きで、海上を滑り、体を反らして弾を回避しているのだ。前進、後退、旋回と小さな動きを刻むようにして動く様はまるで踊っているかのよう。

 気のせいかタ、タン、とステップを刻んで海に波紋を作り上げる余裕すら見えている。

 左肩の上に展開されている主砲。それは元々多摩が艦娘として構築された際に持っていた14cm単装砲だ。踊るように避ける合間に照準を合わせ、神通へと砲撃を仕掛けている。

 それだけではない。与えられた別の主砲である20.3cm(3号)連装砲を両手に顕現させ、砲撃を加えていくのだ。

 対抗するように神通も15.5三連装砲を手に砲撃するが、命中弾は多摩の方が多かった。

 神通の回避能力は決して低いわけではない。日々の訓練の中で機動力は磨かれている。

 だがそれ以上に多摩の命中力が高かった。

 純粋に中てるだけではない。どのようにして中てるのか、という技術も多摩には存在していた。

 相手がどのように避けるのか、どのようにして中てる場所へと誘導させるか。

 その調整をしつつ、本命の弾をぶち込む。

 神通もその技術を磨いてきたつもりではあったが、多摩の方がその練度がより上回っているという証だった。

 だからといって大人しく敗北するほど神通も軟ではなかった。

 接近して命中率を高めるために急加速。それは多摩からしても命中率がより高まるという事でもあるが、そのリスクを恐れていては勝利を手にする事は出来ない。

 ほう? と言う風な表情を浮かべた多摩はそれに乗る。

 お互い接近しながら砲撃し、飛来してくる弾を掻い潜っていく。だが距離が近づいてくるにつれて被弾しはじめる。命中するたびに服に着色料が付着していくが、その数は多摩より神通の方が多い。

 被弾はしているが、撃沈判定はない。これくらいで終わるほど耐久力がないわけでもないし、お互いの火力的にもまだ余裕はある。しかし数を積み重ねればそうはいかない。このままでは神通が負ける。

 逆転の一手を打つために、至近距離からの魚雷を撃つ。

 腰に装備している発射管を動かしつつ、右手にも一本、いや二本持つ。少々きついために命中率に難があるだろうが、距離が近ければ問題ない。

 

「諦めてはいないようだにゃ? その意気や良し。では、これはどうかにゃ?」

 

 主砲を撃ちながら左右に素早くステップを刻む。右手、左手と構えた主砲を前に出しながら牽制しつつ、飛来してくる砲弾を躱していく。右に行くのか、左に行くのか、と揺さぶりをかけ、一撃必殺の威力を持つ魚雷の発射を躊躇させる作戦か。

 一撃の重みは主砲より上回るが、その分次発装填時間がかかるのが難点だ。外すわけにはいかない。

 ならばより距離を詰めるまでだ。

 腰を低くし、急加速の構えをとる。

 力を溜めれば足を中心として強い波紋が連続して刻まれていく。そうして溜めた力を解き放ち、多摩へと急接近。そうして手にした魚雷を放つのだ。

 

「――残念にゃ」

 

 刹那、多摩の姿が消えた。

 息を呑みながら何が起こったのか、と視線を動かす。

 一瞬困惑して思考が止まったが、すぐに頭を回す。この一瞬の隙を突かれれば終わるのだから。

 水面を見れば、多摩が作ったと思われる航跡が見えた。それは弧を描いて神通の側面に向かうように作られている。

 そっちか、と主砲を航跡が向かった先へと向ける。

 ここまでで数秒。普通ならば理解出来ずに硬直するだろうに、神通はその数秒で反応し、動いた。

 反応できたのは前例があったからだ。

 そう、呉の夕立である。ラバウルとの合同演習でも見せていたドリフトによる急カーブの動き。夕立の場合は無理なドリフトをかけてしまったために、制御できずに盛大にスリップしてしまった。だがこの多摩ならば出来るのではないか、と推測した。

 この航跡の意味を考えるならば、多摩は目にも止まらぬ速さでドリフトし、回り込んでいるんじゃないかと思ったのだ。

 それは当たっていた。しかし航跡は、側面に回り込むだけでは終わらなかった。更に弧を描いて、神通のすぐ後ろにまで回り込んでいた。

 続けて音が聞こえてくる。滑るように水を切る音だ。

 

「見事なもんにゃ。初見で予測し、動けるだけでも神通の練度の高さを感じられるにゃ」

 

 体勢を低くしている多摩が視界の端に映りこむ。ブレーキをかけるように手を水面につけているのだが、多摩の主砲は肩の上に存在している。手に持つ主砲はなくとも、多摩は砲撃できるのだ。

 容赦のない砲撃が神通の背中に浴びせられる。防御も何もない。背後からの砲撃に歯噛みし、神通は何とか振り返って多摩に反撃の魚雷を投げつける。

 一本は砲撃によって撃ち落とされた判定となったが、もう一本は多摩の足元に着弾。これにより大きく耐久を削ったという判定が下された。

 だがそれ以上に無防備な神通に仕掛けられた砲撃のダメージが存在していた。

 苦い表情を浮かべながら、神通は眼前にいる多摩を見つめる。その体には多くの直撃判定を示す着色料が付着している。かといって痛みがないわけではない。威力を押さえているとはいえ直撃すればそれなりに痛い。

 多摩もまた着色料があるが、神通ほど多くはない。

 そして何より表情に余裕がまだ存在していた。

 

「勝負ありかにゃ?」

「……そう、ですね。お見事です」

「いいや、そちらも大したもんだにゃ。この多摩にこれだけ命中弾をやってのけたんだからにゃ。誇っていいにゃ」

 

 軽く着色料を示しながら首を傾げる多摩。その背後では大湊の一水戦の艦娘達がおつかれ、と言葉を掛け合いながら埠頭へと向かっていく。どうやら荒潮と電は問題なく雪風を落としたらしく、雪風は悔しそうに膝をついていた。

 演習を見守っていた凪も腕を組みながら今の戦いを思い返していた。

 練度に差があるとわかっていたが、これほどとは……と唸らざるを得ない。深海棲艦の姫級を相手にし、勝利を収めてきたことで多少は自信がついてもいいだろうと思ってはいた。

 事実、それは神通たちにとっても自分を奮い立たせるに値する戦果と言えるものだった。それに加え、弾着観測射撃という新たな戦術も習得している。これに関しては神通だけが使えるものではあったが、その訓練においても更に練度を高める要因にはなっていたのだ。

 しかし、それでも届かない。

 

「なかなか育っているようですね。大したものです。わたしとしましてはもう少し早く決着がつくものと考えていましたが、存外粘ったようで。よく鍛えられているものと判断しますよ」

「それはどうも。うちの娘達は喰らいついたら仕留めねば気が済まない性質が多くて」

「結構なことです。そのしぶとさが、時にあなたの艦娘達を生かし、多くの戦果を挙げるでしょう。同時に引き際を弁えない愚かさも生み出しますが、その辺りは教育の仕方に出るとだけ言っておきましょう」

「覚えておきますよ。そちらの一水戦も、なかなか特徴のある戦い方を身に着けているようですが」

「艦と違い、あれらは人型ですからね。ならば、人らしい技術も覚えておくものではないかと考えた結果です。それに深海棲艦も昔はただの獣でしかなかった面がありましたから。まさに、喰らいついてくる所とか、ね」

 

 それは今も時折見られる攻撃方法だ。

 海中から飛び出し、艦娘達へと噛みつきにかかる駆逐級の深海棲艦。そうして奇襲を仕掛けて足止めを行い、遠距離から戦艦などが砲撃を当ててくる、という連携をとってくるのが見かけられる。

 だがそれは近年になって確認されはじめたものであり、初期の深海棲艦らは海藤迅や宮下が言っているように獣でしかない。連携なんてものはなく、思うが儘に行動しているだけ。

 

「それに最近の北方の深海棲艦、どうも人臭いんですよね」

「……? どういう意味です?」

「昔は獣のようでした。少し前は人に近づいてはいたけれど、それでもどこか人外の要素が多く、亡霊のような印象を抱かせていました。でも、北方のそれは亡霊から少しずつ脱却しつつあるように思えます」

 

 その言葉に凪も少し思い返してみる。

 深海棲艦も変化しつつある、というのは最近話題に挙がっている内容だ。恐らく北方だけではないのだろう。

 姫級の登場という大きな変化もそうだが、人語を解し、その立ち振る舞いもまた亡霊ではなく人のような印象を感じさせるものだ。だがその内面から発せられるのは強い恨みと悲しみ、怒りという亡霊、怨霊のようなものである。

 宮下が言うのは姫級だけではなく、通常の深海棲艦の個体らにも変化がみられる、ということなのだろうか。

 

「ただ砲撃、雷撃するだけでなく、突撃して殴りかかってくるとか、そういう行動が見られ始めたんですよ。例を挙げるならばリ級の右手の艤装、あれを盾にしたり殴打武器として使用してきたり、のように。ですので、わたしの方も新たなやり方というのを模索し、これに至ったわけです」

「そういうの、聞いていませんが……」

「調べてみたら北方だけでしたので、わたし達が気を付けていればいいと思ったもので。それに、その行動が見られ始めたのはたしか、去年の秋あたりでしたでしょうか。まだ最近ですよ」

「それでも、情報は共有すべきだと考えます」

「ふむ、でしたらそちらが持っている情報を提供出来ますか?」

 

 その返しに、出来る、とは口に出来なかった。

 深海提督の情報である。

 それに大和が元深海棲艦である、という事も公になっていない。当の大和は次はいよいよ私の出番か、とウキウキしている。

 そんな大和を横目で見る宮下。細まった目が、何かを見通すかのような色を見せているのは気のせいではないらしい。

 

「……色が、違いますね。あの大和」

「色、ですか?」

「ええ、こう見えてわたし、神社生まれですので。一説に挙がっている『艦娘は和魂(にぎみたま)、深海棲艦は荒魂(あらみたま)』というのを信じている性質なのですよ。何故かと言えば、わたしは魂の色が何となく視えるのです。一種の霊感ですね。ところがあの大和」

 

 と、長門と何かを話している大和を指さしつつ、「和魂の色の中にぼやけたように荒魂の色が視えるのです」と、はっきりと言った。

 

「他の艦娘達は和魂の色しか視えません。深海棲艦もまた荒魂の色しか視えません。あの大和のように二つの色が存在するというのは初めてのことです。はて、これはいったいどういうことなのでしょう?」

「…………」

「艦娘が深海棲艦の力か何かを取り込んだのか、あるいは深海棲艦が艦娘に転じたのか。どちらにせよ、なかなか興味深いものを持っているようですね。あれについて、何か言うことは?」

「……機密事項です」

「なるほど。ではそれ以上は突っ込まないでおきましょう。わたしも言いふらすような真似は致しません。我が神に誓いましょう。ですが、わたしもまた持っている情報は伝えないでおきましょう。それでいいですね?」

 

 それに言いふらすような誰かがいるわけでもないですし、と微笑を浮かべながら呟き、話を打ち切ってくる。そしてぱんぱん、と手を叩くと、暖をとっていた主力部隊が立ち上がる。

 いよいよ主力部隊同士がぶつかり合う事になる。始まるのか、と不敵な笑みを浮かべる大和を窘める長門。そんな彼女達を少し不安な眼差しで見守る。

 先ほどの一水戦の演習での力の差もそうだが、よもや非現実的な要素で大和の秘密に突っ込んでくる人が現れるなど想像もしていなかった。

 表情に出るくらいには動揺していただろう。となれば彼女の挙げたものに対する無言の肯定ととられたに違いない。

 でもそれを広めるつもりはないようだ。

 確かに彼女の交友範囲は狭いらしいので、話す相手はいない。それに加えて、神にも誓うと口にしている。神社の生まれだけあって、彼女にとって神に誓うというのはとても大きなものではないだろうか。

 その誓いを自ら口にしたのだから、違える事はないと信じたい。

 だが公表していない大和の秘密に気づいただけでなく、黙っていてやる、という流れになったと言う事は、ある意味彼女に弱みを握られたような感じがする。妙なことにならないよな? というちょっとした不安に駆られそうだった。

 

「提督、このメンバーで問題ないか?」

 

 長門が六人を連れて確認を求める。

 いつもの主力艦隊ではなく、控えの大和を入れての演習となる今回。大和の代わりに誰かが抜ける事になる。そこにいたのは長門、山城、大和、摩耶、翔鶴、瑞鶴だった。日向が抜け、一水戦の娘らと共に暖をとっている。

 ちらりと大湊の艦娘達を確認し、「うん、それでいこうか」と是を出す。

 こちらの艦隊ならば今まで鍛えてきた新たな戦術、弾着観測射撃が試せる。まだ正式に新戦術として発表されていないので、大湊に定着していないものだ。

 向こうが他にはない戦い方を見せるならば、こっちだってやってやろうじゃあないか。

 一矢報いてみせる。

 凪だけでなく長門達もやる気にあふれていた。

 

 




イベントが始まりますね。
去年と同じく三海域のようですが、問題は中身です。

とはいえ何が来ようとやることは変わらないのです。
落ち着いてクリアしていきましょう。



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道ヲ拓ク者

 

 

 南方提督は唸っていた。

 レ級を連れ戻しに行ったル級の報告により、レ級が撃沈された事を知る。せっかく新たな個体が出来上がったというのに暴走を起こし、あまつさえ撃沈されるとは。

 三人の艦娘を葬ったらしいが、それはどうでもいい。

 作り上げた新型が早々に喪われる。それが問題だ。

 

「どうすれば……作り直すか……? また暴走を起こせば……その原因がわからなければ同じことの繰り返しだ……!」

 

 瞳の光が激しく明滅する中、傍らに置いてあったユニットが突然投影を始めた。そこに映っていたのは中部提督だった。唸り続けている南方提督を確認すると、わざとらしく大きなため息をつく。

 その声に気付いた南方提督が振り返ると、

 

「やれやれ、哀れなことだね、南方。どうしてそんなに唸っているんだい?」

「と、突然何だ、中部……?」

「いやなに、面白いものを見せてもらったなぁ、と礼を言いたくてね」

 

 と、映像がゆっくりと他を映すように動いていく。そこには物言わぬガラクタと成り果てたレ級があった。それを見た南方提督が息を呑む。そして震える声で「ど、どうしてそれが……」と指さす。

 

「どうして? 回収したからに決まっているじゃないか」

「回収、だと……? 現場にお前の手の者がいたとでも? い、いつから……!?」

「いつからだろうね? しかし、嘆かわしい。せっかく面白そうな子が出来たのに暴走を起こしたんだって? もう少しうまく調整しようじゃないか。そうすればこんなことにならずに済んだろうに」

 

 と、慈しむようにレ級を撫でる。その目が南方を射抜くように細められると「データを寄越せ、南方」と有無を言わさぬ声色で告げる。

 

「ふ、ふざけるな! よこせ、だと? これは私が作り上げた新型だ!」

「こうして完成し、戦ったんだ。艦娘側に存在が知られてしまっている。ならば、これは君だけのものじゃあない。我らのものだ。となれば、この子のデータは共有されるものだろう? 僕らにも使えるように、さ」

 

 そう言ってコンソールを叩く。するとレ級の姿が映し出され、その呼称もまた表示されている。「戦艦レ級、だってさ。こうして向こうに姿、武装、特徴と登録されてしまっているんだよ?」と丁寧に見せてくれる。

 

「な、人間側のデータ、だと? どこからそんなものを!?」

「さあ? そんなのどうでもいいじゃないか。問題なのはこうして存在が明らかになってしまっているっていう事実だよ。暴走したんだから仕方がない? それは通用しないよ、南方。暴走を起こしたのは君の調整不足によるものだ。責任は君にある。その責任を果たすために、いったい何がダメだったのか。それを知るためにも、データは共有されるものだと僕は考える。故に、データを寄越せ。秘匿するんじゃない」

 

 新たな深海棲艦が作られれば、それを提督同士で共有するのは当然のこと。艦娘であっても、深海棲艦であっても兵器であることには変わりなく、どういう性能をしているのか、作り方はどうなっているのかをデータとして知りうる権利がある。

 そして新型を作ったならば、それを共有するために提供するのは当然の義務である。失敗すれば破棄することもあるだろうが、もうすでに人間側へと知られてしまったのだから、破棄ではなく新型として提供する義務を果たせ、と中部は告げるのだ。

 このレ級を用いて新たな戦果を獲得するという南方の目論みはもう崩壊している。これ以上渋っていては余計に自らの立場を危うくするだろう。ここは素直に従うしかない、と諦めの中、データを送信した。

 

「確かに。……さて、南方。君に少し頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」

「これ以上、何をしろと言うんだ?」

「なに、簡単なことさ。春あたりにちょっとした作戦を実行しようと計画しているんだけどね、君にも参加してもらおうかと考えているんだ」

「作戦? ずっと何かを作っていたお前が動くというのか?」

「そうだよ。とはいえ、ちょっとしたテストを兼ねているけれどね。君には、南方でラバウルやトラックの提督の目を引いてもらいたい」

「……囮をしろとでも言うのか? この、私に……!?」

「拒否するのかい? それじゃあ仕方ないな。君の小噺でも作って語ろうかな? 東に、西に」

 

 南方と中部だけに留まっていた不祥事を広める、と暗に語っている。南方提督にとっての恥を広められてはたまったものではない。完璧に弱みを握られている。無駄にプライドの高い南方提督にとって屈辱以外の何物でもなかった。

 唸り、骨をカタカタと鳴らしながら「……わかった、引き受けよう……!」と苦虫を噛みしめるように呟いた。

 

「ありがとう。では、その作戦の肝は陸上基地だ。そっちで……そうだねえ。ソロモンはヘンダーソンというデータが取れたからいいとして、どうせなら人がいるところにでも作り上げてもらおうか。そうすれば、十分に囮としての役割を果たせるだろう?」

「人がいるところ? 港にでも作れと?」

「その辺りのことは君に任せよう。新たな陸上基地のデータが欲しい。それでいて囮として機能できるように、人間にも被害を与えかねないところに作り上げ、ラバウルやトラックの提督をそっちに向かわせてもらいたい。それが君に頼みたいことだ」

「お前はその時何をするんだ?」

「僕かい? トラックに奇襲を仕掛け、潰そうかな? と考えている。そうすればトラックを中継として南下することは少々難しくなるだろうからね。他のルートでいえば台湾、フィリピンと経由して回り込むしかないだろうし、日本にとっては苦しくなるだろう?」

 

 パラオはまだ泊地として機能していない。トラック泊地が落とされれば、中継なしで日本とラバウル基地を行き来することになる。

 現在行われているショートランド泊地やブイン基地の工事は間もなく終わるので、工事の邪魔はされないだろう。それでもトラック泊地という存在が失われれば、南北に伸びたラインに、支配権を奪われるという穴を開けられてしまう事になる。

 

「お前がトラックを落とすと? どういう風の吹き回しだ? お前はアメリカを主に相手にしているというのに。そっちはどうなっているんだ? 北米との合同作戦のはずだったが?」

「北米は相変わらずアメリカとやりあってはいるよ。ただ向こうもかつての時のように、数を揃えているからね。僕だけでなく北欧と共同しているけれど、どうにも展開に面白みがない。だからこそ僕は何か進展できそうなものを作っていたんだけど、もう一つ味が欲しいからね。そのためのテストが必要だ。それが今回の作戦だよ。それに君が協力するんだ。僕らの戦いに新たな流れを生み出すためにね」

「…………」

「ああ、別に僕はね、トラックを落とせなくても何も問題はない。君もラバウルやトラックの艦隊を完全に潰さなくても問題はない。あくまでもこれはデータをとるためのテストでしかない。陥落が果たせればそれはそれでいいが、失敗しても僕は責めないよ。ただその分、良い能力を持ち合わせた新たな陸上基地を作り出し、動かしてくれればいい。そうして得られたものを、僕に送ってほしい。それだけのことだよ」

 

 つまり南方提督には囮とデータ収集しか期待していないという事だ。東地と深山に勝利する、という事に関しては全く想定していないように聞こえた。それが余計に腹立たしい。

 二度も敗北を喫している、という事実があるからこその期待のなさなのだろうが、それを大人しく受け入れる南方提督ではなかった。見返さねば、と思いながら俯くも、今の彼に何が出来るというのか。

 

「では、よろしく頼むよ南方。進展があったら連絡よろしく」

「……わかった」

 

 通信を終える。

 俯く南方提督から、じわじわと黒いもやが発せられる。

 怒りが、嫉妬心が、恨みが、そのまま放出されているのだ。そうしている姿はまさしく怨霊のよう。最初こそ普通の亡霊だったのに、敗北を重ね、中部提督に色々弄られるうちに、深い闇の存在へと堕ちていっている。

 

「……いいだろう。今は大人しく動いてやろう。覚えておけ、中部……いつか、貴様を……逆にこき使う程の立場を得てやる……!」

 

 怨嗟に満ちた声が、静かに響いた。

 

 

 通信を切った中部提督は一息つき、改めてレ級を見下ろす。

 物言わぬ存在となったレ級。人や生き物で言えば死んでいるのだが、一度死した存在のため、木端微塵にでもならなければ終われないのが深海棲艦なのだ。体という器があれば、魂を再び定着させるか、体や艤装を修復すればいいのだから。

 そして少し離れたところには艦娘の霧島がいる。レ級を回収する際に一緒に沈んでいたため、ついでと言わんばかりに一緒に持ってきてしまったらしい。

 

「霧島か。ふむ、戦艦……か」

 

 少し考える中部提督。

 沈んだ艦娘を量産型の深海棲艦へと変えたという事例はいくつかある。艦娘から深海棲艦へと転じる技術はもう何年も前に確立されていた。深海棲艦から艦娘へと転じたという事例はないが、その逆は彼らにとっては当たり前となっていた。

 そのためいくらでも仲間を増やすことが出来る。艦娘らを沈め、自らの仲間を増やし、より多くの艦娘を沈めていく。これが深海棲艦にとって初めて成立させた戦術といえるものだった。

 この霧島もまたル級かタ級にでもするんだろう、とレ級を回収してきたカ級やヨ級は思っていた。

 

「試してみるか」

 

 だが、中部提督はそのどちらも選ばなかった。

 霧島を深海棲艦の工廠区画に連れてこい、と指示する途中で、ヲ級改が話しかけてくる。

 

「ナニヲ、スルツモリ?」

「ふふ、ちょっとしたお試しさ、赤城。こちらには戦力が必要だ。かといって量産型をこれでもか、と増やすだけでは面白みがない。そんなありふれたものではなく、ちょっと踏み込んでみれば、新たな道がみえるというものだよ」

 

 霧島を機械へと繋ぎ、電源を入れる。使用するデータを読み込むと、表示されたのは戦艦棲姫のものだった。深海棲艦でいえば武蔵なのだが、まさか霧島をこれに改造するつもりなのか、とヲ級改は驚きに目を開く。

 

「霧島ヲ、武蔵ニスルノ?」

「向こうでいうところの姫級へと引き上げる。確か呼称は『戦艦棲姫』だったか。……ふふ、同じ戦艦なんだ。上手くいけば大いに強化して戦力へと加える事が出来る。材料が届けば、武蔵を二人並べることが出来るんだ。これは大きいだろう?」

「確カニ、ソレハ大キイ。……デモ、加賀ノ事モアル。作業、増エル」

「なに、加賀に関しては今は手を付けなくても問題はない。彼女に関しては本格的に動かすのはかの作戦の時。春の作戦ではないさ」

 

 加賀、と呼称しているのは白い少女の事だ。今もなお眠りについているが、その意識はすでに存在している。二つの艦の魂を融合させ、落ち着いた彼女の主人格は加賀となっているため、中部提督らは加賀と呼んでいる。

 それに、とコンソールを叩けば、別の映像が表示された。そこには大部分が完成している艤装が存在していた。全身が漆黒の装甲に覆われ、サメのように突き出るかのような頭部、その大部分は口となっており、びっしりと人の歯が生え揃っている。

 空母の特徴である滑走路が左右に二つ装備されているのだが、後部にはまだ作業途中の艤装が存在していた。どうやら砲門を作っているようで、装着されていない砲門が床に転がっている。

 

「艤装に関しても完成は近い。あの子に関してやることはほぼ終わっている。今は待つだけなのさ。あの子が成長するのをね。だから、こっちに手を向けられる。いい機会と考えようじゃないか、赤城。僕が新たな道を拓く機会が転がってきた、とね」

「……御意」

 

 手を胸に当てながらヲ級改は礼をする。

 そんな二人へと、一人のヨ級が礼をして近づいてきた。何事かを話すと、中部提督は彼女から一つのチップを受け取った。「ご苦労」と労いの言葉をかけ、コンソールにチップを挿入し、データを確認する。

 そこには呉鎮守府のデータがびっしりと表示されていた。

 そう、執務室から盗まれたデータがそこにある。

 

「……ふふ、いいね。よくやってくれたよ。やはり情報というものは大事だね。あの子にはそのまま、任務を続けろと伝えておいて」

「――――」

 

 ヲ級改がしたような礼をとってヨ級は去っていく。

 表示されているデータは凪についての情報がずらっと並んでいる。どのようにして呉鎮守府に配属されたのか、その性格、特徴などを確認していった中部提督。ふと、その動き続けていた瞳の燐光が止まった。

 見ていた情報は凪が呉鎮守府に配属された理由。

 美空大将によって第三課から抜擢され、配属命令によって着任したとある。

 そこに何か気になることがあったのか、とヲ級改はそっと中部提督の顔を覗き見る。相変わらずそこには骸の顔、右の頬から口元に少しだけ肉が存在するという歪な異形の顔がある。

 

「――――ああ、そうか。僕は……ふふ、なるほどなるほど」

 

 囁くような声で呟き、そっと自分の手を見下ろす。そこには手袋をはめた骨の手がある。その手で肉がついている頬を撫で、そのまま顔を覆う。

 面白くて、おかしくて、今までもやがかかっていたものが晴れたような気分だった。カラカラと骨をこするように体が揺れる程に笑いがこみあげてくる。

 心配になって「……提督?」とヲ級改が声をかけると、顔を上げた中部提督の顔に変化が生まれた。ざわりと冷えるような空気を孕んだもやが吹き出し、その顎から首、右腕へと伸びていく。

 まるで骨を隠すかのようにもやが動き、纏わりついていくのだ。

 やがてもやが消えれば、そこには肉が存在していた。顔の下半分、首、胸から右手へ、というまだ完全ではないが、確かに生きるものの証である肉がある。しかし死んでいるのでその肉には温かみはなく、血色も悪い。いうなれば深海棲艦のような肉体の色をしていた。

 そっと顎をさすり「なるほど、思い出したから、こうなったのかな?」と、呟き、モニターを見る。顔の上部分がないので、完全とは言いがたいが、それは自分の顔なのだろう、と何となくわかる程度には復活していた。

 

「思イ、出シタ……? 提督、生キテイタ、頃ノ、記憶ノコトカ……?」

「そうだね。やれやれ、実につまらない最期だったんだな、と実感するよ。しかし、それによってこんな第二の人生を歩んでいるんだ。悪くはない。それに、呉提督との奇妙な縁もあったようだし、やる気が出てきたような気がするよ」

「縁? 彼ト、提督ニ……ソンナモノガ? 会ッタコトガ、アルノ?」

「いいや、ないよ。会ったことはないけれど、繋がりはあったようだよ」

 

 その口は笑みを形作っている。凪との縁が嬉しく思っているようだ。

 

「第三課出身、それでいて……ふふ、そうかそうか。あの子もいるんだったね。楽しみが増えたよ、赤城。記憶を思い出すと色々と縁を感じられる。それだけでこんなにもウキウキな気分になれるなんて」

「気分ガ、上ガルノハ、イイコト……」

「この乗ったテンションのまま、作業を進めていこうか。手伝ってくれ、赤城」

「御意」

 

 現在戦艦棲姫を作るための資材が輸送されている。届くまでの間に、霧島の体を深海棲艦へと変えていく作業は可能だ。深海の力を集めて霧島へと纏わせ、外から内からそれをなじませていく。そうすることで艦娘である肉体に変化が訪れ、血色を失った肌はより深海棲艦の肌へと近づいていく。

 霧島の魂は彼女が死んだとしても完全に消滅はしていない。どうやら艦娘は死んでも魂が完全にその器から抜けきることはないというのが、深海棲艦から見た現実だ。

 元々深海棲艦と同じく、艦の記憶を持ってこの世に戻ってきた兵器。艦の時に過ごした記憶はその船体、武装などに染みついた経験に基づくもの、言うなれば付喪神のようなもの。

 それを妖精の不思議な力によって、人とあまり変わらない程にまで洗練された魂へと変化し、艦娘の肉体という器へと定着させた。そのため艦娘が轟沈による死を迎えたとしても、妖精の力によって繋げられた魂は完全に器から消えることはない。それだけ艦娘ごとの器に深く馴染み、乖離しづらくなっている。

 だが深海棲艦にとって魂が残ろうと残るまいと関係ない。

 残らなければ新たな魂を用意すればいいし、残っていれば艦娘の記憶を消し去り、こちら側も思うが儘に操ればいいのだから。でもどちらかといえば、艦娘の記憶が残っていてくれた方が中部提督にとってやりやすい。

 何故ならば艦娘の時の経験を引き継げる。

 新たに魂を用意するとなれば、艦娘の時に培った経験が全て消え、ゼロの戦闘経験のまま送り出すことになる。そうするよりかは経験をそのまま引き継ぎ、深海棲艦として戦ってくれた方がより戦力になる。

 中部提督はこのプランで霧島を戦艦棲姫へと変える事を選んだ。

 

「魂は?」

「残ッテイル……。コレヨリ、抽出ヲ開始スル……」

「そうか。まだ冥界に行っていなかったか。……いや、そもそも冥界なんてあるんだろうか」

 

 不意に中部提督が呟く。自分はこうして亡霊になってまでこの現世に留まっている。そのため冥界というものを見たことがないし、そもそも存在するのかすらわからない。

 艦娘の魂は人や動物らと同じく冥界に行くのだろうか。そんな謎もある。

 しかしこうして死者が蘇って動いている、というのを自身で証明してしまっているし、艦娘や深海棲艦もまた死した艦が人の姿をとって動いている。作られた魂でも、あるかどうかわからない冥界に行くのだろうか。

 

 それ以前に、いったい自分や深海棲艦を作ったかの存在は何者なのだろう。

 

 誰もが持ちうる大きな疑問。

 いったい誰が深海棲艦という存在を生み出し、制海権を奪っていったのか。

 声だけしか聞こえないあの存在は何なんだろうか。

 何を思って、自分のような人間達にもう一度命を与え、深海提督なんてものをさせているのだろうか。

 記憶を取り戻したせいなのか。

 以前ならば深く考えなかった事が、少しずつ頭に浮かんで問いかけてしまう。

 

(かの存在に対して疑問を抱くのに、裏切る気になれないというのがある意味恐ろしいね。人間側を裏切っているのに、舞い戻ることを許さない。僕は再び死ぬまでこっち側なんだろう)

 

 姿を見たことがないのに、あれに従おうという気持ちが完全に刷り込まれている。

 深海棲艦は敵だったのに、彼女達を滅ぼそうという気持ちも存在していない。逆に今では彼女達に愛着すら湧いている。

 彼女達の成長を見るのが楽しい。

 彼女達をどのように強くさせていくのかが楽しい。

 そして新たな彼女達の仲間を作るのもまた楽しい。どんな姿をさせようか、どんな艤装を組み立てていこうか。そんな構想もまた楽しめるのだ。

 そんな日々を過ごせば、愛着が湧くのも当然のことだった。

 

(生前出来なかった提督をやれている、というだけでもいいものだね)

 

 あの頃の日々も悪くはなかったのは確か。

 第三課で裏方に徹し、整備と製作を続けられた。彼の性分からしてその作業は苦ではない。むしろ好きな部類。それは今もなお変わることはなく、こうして深海棲艦を調整する日々へ変わっても何ら問題はない。

 とはいえ生前は多少周りの声がうるさいのが問題だったように思える。親の影響というものだ。同じ第三課に所属していた親が行っていたプラン。彼もそれにいずれ参加するのだろうと期待されていた。

 彼としても興味がないわけではないが、新人の自分にとってそれに触れられるのはまだまだ先だろうと思っていたものだ。結局、それは叶う事がなかったのだが、艦娘ではなく深海棲艦に対してそれが叶えられているのが今の状況だ。

 そして今の自分が望むもの。

 

(この子達に、本当の勝利を。アメリカではつまらないシーソーをしてしまったからね。勝利の味を知らないまま終わるわけにはいかない。一つ、また一つと勝ち星を挙げ、その果てに――静かな時間をゆっくり過ごす。赤城達と一緒に)

 

 それを果たすには、この人類と深海棲艦の戦いが終結する時なのだろうが、それをわかった上での願望なのだろう。そもそも中部提督側が勝つという事は、人類側の誰かが負けるという事でもある。

 自分が何者だったのかを知ってもなお、失う事のない勝利への望み。

 例え知人が敵となったとしても、手を緩めることなどありえない。もう自分は身も心も深海側の存在となってしまったのだから。

 

 




とりあえずイベは終わりました。


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宮下灯

今回、独自解釈満載の内容となっています。
実際の艦これの設定と大きく異なるでしょう。
あくまでもこういう解釈をした、という事例の一つとしてご覧ください。

そういうのは結構という方はブラウザバック推奨です。


 

 

 夜、演習を終えた凪達はそのまま大湊警備府に泊まることとなった。

 結果的に演習は全戦全敗。主力艦隊、そしてそれぞれの第二戦においても彼女達に勝利を収める事は出来なかった。

 練度の違いということもあるが、普通の艦娘達が持ちえない技術を仕込まれているという事も重なった結果だった。一人、二人は倒す事は出来るが、隊としての勝利を得る事が出来ない。

 その事に意気消沈するのかと思われたが、呉の艦娘達は逆にやる気を見せていた。

 まだまだ自分達は強くなれる可能性がある。ここにその未来の結果が存在している。ならばそこを目指して進めばいい、と。

 

 風呂を終え、夜風に軽く当たろうかと考えた凪は廊下を歩く。しかし寒い。さすがは北国、夜になると結構冷え込む。火照った体を冷やすどころではなかった。ふと、庭に人影を見る。誰だろうと思うと、向こうも凪に気付いたようで「提督か」と声をかけてきた。

 

「ここで何をしているんだい? 長門」

「ふむ、少し考え事をしていた」

「中でやればいいのに。寒いだろう?」

「少し寒いのがちょうどいい。あまり熱くならずに済む」

 

 そう言って壁にもたれかかった長門。いったい何を考えていたのだろう、と疑問に感じたが、思い浮かぶとしたらやはり今日の演習のことだろう。全戦全敗、という結果に終わってしまったのだから。

 秘書艦として、主力艦隊の旗艦として、もっと何か出来たんじゃないだろうか。責任感のある長門だ。そんな悩みを持っても不思議ではなかった。

 

「……演習の敗北が効いているのかい?」

「……ふっ、全くないとは言えないな。確かに練度の差はある。そしてどれだけ実戦経験を積んできたか、という差もある。それは承知の上だ。だからといって大人しく敗北を受け入れるわけでもない。足りない部分は何だったのか、それを振り返っていたのだ」

「そういう事なら俺も呼んでくれたらいいんじゃないか? 俺だって考え、提案するくらいのことはするさ。神通もそれを聞いたら参加してくるだろうし、一人でやるものではないんじゃないかな?」

 

 その言葉に「確かに、そうだ」と長門は苦笑を浮かべた。

 二人で演習のことを思い返す。

 長門達は訓練を重ねて身に着けた弾着観測射撃という、大湊の艦隊が知らない戦術を用いて戦った。通常の砲撃より高い命中率が発揮される砲撃。そのためには相手よりも制空権が有利な状況を保ち続けなければならないが、五航戦の奮戦によって前半は呉主力艦隊が優勢な戦局だった。

 どういう戦術を使っているのかを把握した大湊主力艦隊は、制空権を奪いにくるだけでなく、一気に勝負をつけにきた。比叡と霧島という高速戦艦の特性を生かして飛来してくる砲弾を回避し、摩耶と山城を落としてきたのだ。

 二人を守るために大和が出たが、大湊の伊勢、赤城、鳳翔による艦載機の援護が加わってじわじわと追い込まれていったのだ。

 驚くべきは正規空母ではなく軽空母として登録されている鳳翔が主力艦隊に属していたという事。日本において最初の空母、そして軽空母として作られたということもあって、鳳翔は他の空母達と比べると少々能力に差があるところがある。

 だが大湊の鳳翔は練度が高いだけではない。長く在籍しているために、多くの経験を積んだ猛者としてのオーラを纏っていたように見えた。彼女の回避行動だけではなく、繰り出される艦載機の動きもまた凄まじい。最初に制空権をとれたのは彼女が様子見として手を抜いていたからではないのか? と思えるほどだった。

 そこまで考えると、やはり時間というものは覆すことの出来ない要素なのだと実感できる。強くなるための近道はない。あの領域に達するには同じように経験を積み重ねるしか道はないのだろうか。

 

「そういえば記録はしてもらっているのだったな?」

「うん。一水戦の戦いからして想定外だったからね。君達の戦いからカメラを回してもらった」

「ならばそれを見返しつつ、得られるものは吸収していく。技術は見て盗め、のような言葉もある。独特の技術ならば、こちらにも使えるように盗んでみるのもいいだろう」

 

 ちなみに宮下に撮影許可は貰っているので盗撮ではない。彼女も撮影のことを聞くと何となく意図は察したようで、微笑を浮かべながら「どうぞどうぞ。特に見られて困るようなものでもありません」と手で示してくれた。そして「わたしからは教える気はありませんのであしからず」と付け足されてしまった。

 すると、

 

「――おやおや、本当に盗むつもりですか。その向上心、嫌いではありませんよ」

 

 という声がかかる。廊下から宮下が姿を見せ、「寒いでしょうに。何をしているんです?」と先ほどの凪と同じようなことを言う。凪が軽く説明すると、小さく頷き「中にお入りくださいな。わたしの部屋でよければ多少話す時間は設けますよ」と首をしゃくる。

 部屋に通されると大湊の大淀がおり、三人分のお茶を用意してくれる。奥には宮下が使っているのであろう机があり、その上には書類に交じって長方形の紙、水の入った器が置いてあった。何か作業をしていたのだろうか、と思いながら席についてお茶を頂くと、冷えた体を温めてくれた。

 

「さて、今より強くなりたいと望んでいるのは結構なことです。でも一つ訊きたいこともあります」

「何でしょう?」

「あなたは元は提督になることを望んでいなかった人。しかし今では艦娘のために力をふるい、強さを求めている。あなたはその果てに何を望んでいますか?」

「望み、ですか?」

「ええ。ある者は地位を求め、ある者は名声を求めます。艦娘とはそのための戦力。彼女達を強くして勝利を積み重ね、自らの望みを叶えるのです。要は横須賀だったり舞鶴だったりの輩ですね。不本意ながら提督となった海藤凪。あなたは今、望みはありますか?」

「……静かに暮らしたい。提督になる前も、そして今も、それは変わりませんよ」

 

 荒れた人生は望まない。高みに上る気がないのは、そういった想いがあるからだ。

 この戦いが終わったら、落ち着いた時間を過ごしたい。時に趣味に没頭し、それなりに仕事をし、平凡な家庭でも築いて年をとっていく。それだけでいいのだ。

 

「煩わしいものはいりません。平和な時代が来たら、平凡な一般人になっても構わないとさえ思っています」

「それは無理でしょう。あなたは力を示した提督の一人です。そう簡単には軍人をやめられないかもしれませんよ? 平和になったとしても」

「……それでも、望みを持つくらいはいいでしょう」

「失礼ながら、あなたはどうなんだ? 宮下提督。あなたには望みはあるのか?」

「わたしですか?」

 

 長門が問いかけると、お茶を口に含みながら視線で応える。唇を少し濡らし、瞑目すると「わたしは特に望みはありません」と答えた。

 

「望みは、ない?」

「ええ。わたしは望んで海軍に入った、というわけではありませんので」

「では何故提督をしている?」

「それが、わたしが巫女だからです」

 

 巫女? と凪と長門は首を傾げる。

 

「わたしの実家は海神を祀る神社です。その家に生まれたわたしは、海神の巫女です。全ての海を守りし海神様を信仰するわたしたちにとって、海の平穏を荒らす深海棲艦というものは許されざる存在といえます」

「だから、海軍へ?」

「ええ。海神様の治める海からあれらを排除するには海軍に所属するしかありません。とはいえああして深海棲艦と対峙すると、見えてくるものは違いますね。あれはまさしく艦艇に宿りし魂の荒ぶる姿です」

「和魂と荒魂の話でしょうか?」

「そうです。神の二面性を示すものです。海神様でいえば、穏やかな海と荒れ狂う海です。自然も神も気まぐれ。人に良い面ばかりをみせるものではありません。人々に畏怖を植え付けるのもまた神らしい一面といえるでしょう」

 

 そして神の怒りを鎮めるのもまた巫女の役割の一つ、と彼女は語る。だがこの戦いは海神を相手にしているのではない。どこから来たのかわからない深海棲艦を相手にしているのだ。

 

「わたしが戦う理由は深海棲艦というものを見極めるためです。わたしにはこの目がありますからね。どういったものなのかを視ておきたかったのです」

 

 魂の色を視る事が出来る特異な目。大和の異質さすら見抜いてみせたその目で深海棲艦を視る。でもそれは彼女の中に秘められていたものだった。

 当然だろう。艦娘や深海棲艦というオカルトなものが知られるようになったとはいえ、魂の色を視る事が出来る、なんてことがそう受け入れられるものではない。

 艦娘や深海棲艦は一般の人にもわかるもの。見て、聞いて、触れる事が出来る異常なもの。でも彼女の目は彼女にしかわからないもの。だから易々と受け入れられるものではなかったので、秘するものだと彼女は判断したのだ。

 

「では、あなたは深海棲艦がどういうものであるか、理解したのですか?」

「…………わたしなりの答えは得られたとは思っています。それが真実であるかは別にして。でも大っぴらにするつもりはありませんし、それを語って聞かせる気もありません。あれらを沈めるのは提督であるわたしたちの役割であり、あれらを敵であると認識しているからこそ出来る事。わたしの解釈を鵜呑みにしたせいで引き金を引く手を躊躇ってしまう、なんてことになったら目も当てられません」

「それに関して心配は無用だ。私は敵を沈める兵器。深海棲艦は敵、そこに躊躇いが生まれるはずはない。我ら呉鎮守府の艦娘も同様だ。問題などあるはずはない」

「言いますね。でもそれはあなたの心構えでしかありません。あなたたちには心があります。わたしたち人間と変わらぬ心が。ならば艦娘ごとに違う心があって然るべき。あなたの精神は軍人らしく立派ではありますが、それが他の艦娘達にも同様に備わっているとは限りません」

「それも否定しない。なればこそ、私と提督の心に留めておくだけにしよう。それならば問題はあるまい?」

「そんなに興味があるのですか? 深海棲艦というものに」

「敵を知ることは重要だ。あれらには未だ謎が多い。少しでも情報が欲しいと思うのは当然のことだろう? それが個人の解釈であれ、一歩でも深海棲艦の謎に近づけるならば、知るべきだと私は考える」

 

 長門の真っ直ぐな眼差しに、宮下は沈黙した。さすがは長門、揺るがない精神を持っている。ビッグセブンの名を背負い、日本海軍や日本国民の期待を背負った戦艦というだけはある。そして凪もまたじっと宮下を見つめていた。彼も聞く気はあるらしい。

 宮下は考える。別にこれは彼女個人の解釈であり、真実とは限らない。それを誰かに話す気はないのは変わりなく、知る権利があると言って語って聞かせろと言われても、黙秘権を行使してやるまでのこと。

 呉鎮守府は最近本当に躍進している。実力は大湊には及ばないが、これからも伸びていくだろうと思われる。この話を知ることで彼らの歩みが止まるのか、あるいはより足を速めるか。

 そういえばあの大和を持っているのだ。

 凪は語らなかったが、宮下自身はあの大和がどういう存在であるかは見当がついている。

 恐らくは深海棲艦から転じたものなのだろう。大和が呉鎮守府に在籍した時期から考えると、南方棲戦姫あたりが転じたのではないか。そう睨んでいた。

 すでに深海棲艦の謎の一端に触れているのならば、特に問題ないだろうか。

 それに気がかりなのは先ほどの一件。凪達を招く前にやったものの結果。果たしてこの話をしたところで何かが変わるとは思えないが――

 

「……まあ、いいでしょう。ならばここだけの話とさせていただきたいんですが、よろしいですか?」

「わかりました」

「わたしは海神様に仕える巫女。故に神というものを艦娘や深海棲艦が生まれる以前より信じている人間です。そして神はなにも海神様だけではありません。冥界の神もまた存在します」

「死の世界の神、ってことですか?」

「そうです。先ほども言ったように神と言うのは人にとって良い面を見せるだけではありません。悪しき面もまた見せるもの。それは時に祟りであり、災いであり、試練を課す時もあります」

「試練? 試練だと? まさか、深海棲艦はその冥界の神による試練だとでも言うのか?」

「そう結論を急がないでくださいな。まだわたしの話の途中ですよ? 長門」

 

 落ち着くためにお茶でも飲め、と言わんばかりに手で示してやる。彼女の性格からして「お茶を飲んで黙って聞け」とその目で語っているかのようにも感じた。長門も空咳一つをし、お茶を大人しく飲むことにした。

 

「神の中には人に寄り添う神と、人に敵対する神が存在します。後者のものは人のことを増えすぎた生き物だとか、星を滅ぼす害ある存在であるとみなしている神です。そういう神は昔から天災を引き起こして滅ぼしにかかった事例があります」

「ああ、神話にあるようなやつかな。大洪水とか」

「今回もそのようなもの。ですが時代を経て人は神を信仰する心を失っていった。神は信仰されなければ、あるいは畏怖されなければ力を保つ事は出来ません。昔こそ天災を用いて事象を引き起こしましたが、今ではそれもありません」

 

 科学の発展により利便性が普及した。神に祈るより自分で何かをした方が結果を得られると人は学んだ。次第にオカルト的なものは衰退したのが現実だ。宗教こそ残ってはいるが、神話に語られる神々に対しての信仰は一部の人間にしか根ざしていない。

 また科学の発展によって神秘も失われていっている。日本でいえば退魔士、ヨーロッパなどでいえば魔法使いといったものは現実に存在するとは思われず、創作の世界で認識されるものとなってしまった。人の超常現象が消えれば、神の力も現実に認識されることはない。非現実的なものとして広まってしまったため、神の力も低下することにつながってしまった。

 

「なので、手段を変えたのでしょう。人が作った兵器に命を与え、人を滅ぼす。これはある意味戦争を繰り返し続けた人に対する咎なのでしょう。また海路を封鎖する事も出来ますし、この策は人に対して有効でした」

 

 水運は古来より人の発展に不可欠なもの。この水運の要である海路を深海棲艦は奪いつくした。今でこそ取り戻しつつあるが、島国である日本にとって海路を封鎖されるのは絶望に等しい現実だった。

 海路が使えないならば空路がある、と考えるだろうが、それを封じるのが空母の存在だ。艦載機によって飛行機は殺される。深海棲艦は護衛艦で倒せないし、戦闘機を用いても倒しきれない。海路、空路が封じられ、陸路しか残されていない現実。ユーラシア大陸ならばまだ問題ないが、これもまた島国にとっては痛手でしかない。

 日本が死ぬのは時間の問題だった。

 

「ですが、神は人を見捨てなかった。艦娘の登場です。深海棲艦と同じく死した艦艇が転じた存在。どうして同じような存在を遣わせたのか。ここが気になりました」

「確かに。でも、同じような存在だからこそ、和魂や荒魂という説が上がったともいえますね。彼女達は一種の付喪神のようなものである、と」

「そう、神が放った人を滅ぼす兵としての付喪神。ならば艦娘とはそんな敵から人を守る神が遣わした付喪神。そういう見方が出来ます。が、そうではないのです」

 

 そこで一つ間を置くように宮下はお茶を飲む。瞑目した彼女は、そっと長門に目を向ける。それはどこか同情するような色を含んだ眼差しをしていた。

 

「あれらにとってただ沈むことは死ではない。時を経てまた同じ敵が現れる。それをわたしの目を通して知りました」

「……そうですね。沈んでも修復して戻ってきます」

「それだけではありません。同じ魂が別の深海棲艦として出てきたことさえあります。死はあれらにとって終わりではない。それを知ったのは提督となってそう時間を経ていない時期でした。ですがとある戦闘の最中、完全に魂が消滅ないし浄化されたことがあります。そこでわたしは一つの推論を打ち出しました。艦娘とは、深海棲艦を鎮める巫女である、と」

「……巫女?」

 

 長門がその言葉を反芻する。凪も頭の中で反芻しながらちらりと長門の横顔を見た。

 

「古来より巫女は神に仕えるものでした。時にその身に神を降ろし、時に魔を祓うもの。艦娘とはその身に艦艇の魂を降ろし、その力を以ってして深海棲艦の魂を浄化する巫女ではないか。わたしはそう推測しました」

「共通点は確かにありますね。それに浄化した例も……」

 

 神をその身に降ろすように、艦艇の魂をその身に降ろす。そうすることによって自身に艦艇としての特徴を付与させる。これで海の上を航行出来るし、艤装を装備することが出来る、と解釈したらしい。

 浄化に関しては南方棲戦姫に対して長門がしたのがそうだろう。そう説明されると、もしかするとそうなのかもしれない、と思い始めてくる。

 

「では深海棲艦とはなんだ? 私たちが巫女ならば、あれらは」

「冥界の神に仕え、神の意思を代行する巫女。あるいは式神でしょうか」

「式神? ……陰陽師のあれですか?」

「漫画とかで知るとそういう認識になりますね。あの中身は鬼神や低級の荒ぶる神といったものになります。簡単にいえば神を降ろし、使役したものが式神と考えてください。神を相手にしているのですから、普通の人間達では太刀打ちできない。だから巫女である艦娘達が荒ぶる神を鎮めに行くのです」

 

 人は神の前では無力だ。それも荒ぶる神ならばなおさら。だから巫女の立場である艦娘でなければ対抗できない。これが現代兵器で深海棲艦を倒せない理由、と考えたらしい。

 ではこの戦いの果ては何なのか。人が増え、争い続けて星を疲弊させる人の業に怒りを覚えた冥界の神による神罰ならば、どうすればこの戦いは終わるというのだろう。

 

「神を鎮めるのが巫女の役割。そして古来より神の怒りを鎮める方法として挙げられるものと言えば何か。有名なものがあるでしょう?」

「……まさか、生贄?」

「ええ。古来より生贄というものは何度も行われてきました。あるいは神に対する供物でもいいでしょう。それによって神の怒りを鎮めようとした例はあります。可能性として挙げられるでしょう」

「そんな馬鹿な。生贄は……生贄、は……」

 

 もうすでにいる。深海提督とはある意味それではないだろうか。

 海に沈んだ人間が深海提督と成り果てる。それは深海棲艦が生れ落ちる海へと捧げられた人間を、冥界の神とやらが変異させたのだ。深海棲艦が式神ならば、深海提督はそれを使役する陰陽師、という立ち位置で見る事が出来る。

 

「何か思い当る事でも?」

「……いえ」

「南方棲戦姫から何か聞きました?」

「……はは、どうやって話を聞くのです?」

「ふむ。まあ、あくまでもここまで話したのはわたしの推論でしかありません。これが真実かどうかはさておき、それでもあなたにとって思い当る節があったらしいですね。となればあながち間違いではないかもしれない、と思ってしまいますね」

 

 懐からコインを取り出し、裏を見せてくる。「神を降ろすように艦艇の魂を降ろす。艦娘は艦艇の魂を宿す巫女として鬼神である深海棲艦を浄化する」と言いつつ、裏から表へと返す。

 

「あの大和、南方棲戦姫でしょう? どうやったのかはわかりませんが、浄化に成功しただけでなく、艦娘へと転じさせた例があれなのではないですか?」

 

 完全に見破られている。今までの話からしても否定出来ない。

 彼女はその目と知識を以ってして一人でそこまで思い至れたのだ。沈黙しても意味はない。ため息一つついて凪はそれを認めた。すると宮下は目を細めて小さく頷き、「生贄に反応しましたが、何かご存知で?」と問いかけてくる。

 少し逡巡したが、凪は深海提督について話した。ここまで話を聞かされたのだ。こちらからも情報提供しなければ割に合わないと考えた結果だった。

 

「なるほど。冥界の神が本当に関わっているとするならば、死者を再利用することも可能でしょう。供物とされた人間、そして艦娘を自軍へと引き入れる。考えられることです」

「供物……深海棲艦からすれば普通に戦いに勝ったような認識なのでは?」

「ええ、人間と変わりないでしょう? 狩りで仕留めた獲物を神へと捧ぐ供物とする。なんの違いがありますか? あれらにとっては憎き艦娘を仕留めただけ。そこに含まれる感情は違えど、全体で見たプロセスに違いはありません」

 

 これまで彼女が話したことをまとめるとこうなる。

 これは人間に怒りを覚えた冥界の神によって引き起こされた戦いである。神は人を滅ぼす手段として、人が作った兵器の再利用として深海棲艦を生み出した。

 深海棲艦は海路、空路を封鎖して人の補給線、移動手段を封じ込め、海から人の領域へと攻め入った。

 深海棲艦とは冥界の神が作り出した式神のような存在であり、低級でありながら鬼神に値するもの。神に人の攻撃手段は通用しないため、現代兵器を以ってしても完全に倒す事は出来ない。

 これに対抗する手段として、何らかの神の意志により、艦娘などが人の手に生れ落ちた。

 神を降ろすかのように、艦艇の魂を宿した巫女である艦娘。神は巫女によって鎮められる、あるいは鬼神は巫女によって祓われる。この理により、艦娘は深海棲艦を倒す事が出来る。

 どちらも魂を降ろした身であり、魂は善にも悪にも成れる。そのため深海棲艦から艦娘へと転じる可能性があるし、その逆もあり得る。

 冥界の神の力として、死者の魂を再利用することが出来る。そのため近年では深海提督を生み出し、式神のような存在である深海棲艦を使役させる任を与え始めた。

 といった感じとなる。

 冥界の神が深海棲艦や深海提督が口にしている「存在はするが、声だけが聞こえてくるもの」と考えられる。

 そこで気になるのはやはり、艦娘を人に与えたのはいったい誰なのだろうかということだ。人を助けてくれる誰かがいたからこそ、人は深海棲艦とこれまで戦ってこられたのだから。

 

「それはわたしにもわかりませんが、わたしとしては海神様であってほしいと願っていますね」

「海神様が?」

「深海棲艦は海から来た。海神様としては自分の領域から魔が生まれてきているようなもの。冥界の神による人に対する審判であったとしても、それは許容できないものだったのかもしれません。なので元の海へと戻すために、人に対抗手段を与えさせた。……わたしはそう考えています」

「では人を助けるためではない、と?」

「神というのはそんなものですよ。その行動全てが人に対して優しいものであるとは限りません。何らかの思惑があって行動し、それが人に対して良いものである事があれば、悪いものである事もある。それだけのことです。神の意志など、人に推し量れるものではないのです」

 

 更に言えば、とコインを弾き、その手に取る。「運命がどっちに転ぶかを神に問うても無意味です。神はただ道を示すか、あるいは気まぐれに加護を授けるだけ。運命の結果を決めるのは」と手を開けば、コインは表を示していた。

 

「いつだって人の手によるものです。人の行動が、運命を決めるのです。海藤凪、あなたの望みは理解しました。そしてわたしなりの解釈も耳にしました。あなたが手にしている情報と併せて整理し、敵が何であるかも自ずと見えてきたことでしょう。その上で、あなたは運命を切り開く覚悟がおありですか?」

「……ありますよ。俺はもう引き返す気もありません。ただ前に進み続けるだけです」

「そう。何があったとしてもその心を持ち続けるのであればいいのですが」

「提督であれば大丈夫だ。仮に何かがあったとしても私達がそれを支えればいい」

「……そうですね。支える誰かがいれば大丈夫でしょう。さあ、今日はもうこれくらいにしておきましょう。思った以上に話してしまいました」

 

 もう日付が変わりかけている。残っていたお茶を飲みほし、一礼して凪と長門は部屋を後にした。それを見送った宮下は机へと向かい、そこに置いてあるものに目を落とす。お茶を片付けていた大淀がそっと「――伝えなくてよろしかったのです?」と問いかける。

 

「伝えて、何になると? わたしに出来る事など何もありはしませんよ」

「知ることで備える事が出来るのでは?」

「確かに備える事は出来るでしょう。それでも、運命というものは神と同じく残酷なものです。それが一時的な回避になることもあれば、何も変わらない事もある。回避できたならば、それはそれで素晴らしいものではありますが、あの男にそれを手繰り寄せるだけの力があるかどうか。わたしには判別つきませんね。彼のこと、ほとんど知りませんし」

 

 そこには器に満たされた水があった。夕食、というわけではない。それは何の変哲もないただの水であり、宮下の顔を映し出している。何気なく手をかざせば、静かに波紋が発生し、揺らめき始める。

 その波紋の動きをじっと見つめていた宮下は、やれやれといった風な表情を浮かべてため息をついた。

 

「――やはり、見間違いというわけではないようですね」

「凶兆は変わらず、ですか?」

「いつ起きるかはわからないけれど、起きる事には変わりはない。……まあ、せいぜい頑張ってもらうしかないですよ。わたしはただ視るだけですから」

 

 それは占いの一種だった。凪達を招く前に宮下は凪について占っていた。理由としてはただ単に見てみたかっただけだ。新米ながらいくつかの姫を倒し、自分の艦隊相手にも退かずに喰らいついてきた気概を持つ艦娘達。それを纏める提督の進む道を視るだけのこと。

 結果は、いつかはわからないが凶事が彼に訪れるというものだった。

 日数が分からないのは凪についての情報が宮下にはそんなにないせいだ。正確性を求めるならばもっと凪についての情報を必要とする。しかし宮下は知る気はない。これは単なる個人的な興味による占いでしかないのだから。

 

「ですが、あなたは彼らよりも強い。助けになるはずでは?」

「残念ながら、わたしはそこにはいないようですね。手の届かないところに凶兆が出ています。結局のところ、それを回避するには彼ら自身の力が必要なのですよ。彼ら自身が、強くなるしかない。どうやら向上心だけはあるようですから? そこに期待するだけですよ」

 

 大湊との演習を録画していたのだ。それを何度も振り返り、技術を盗んでいくならばそれでもいい。宮下自身は凪達を助ける気はない。指導する気もない。彼らが己の力だけで強くなることを良しとする。

 彼女が仕える海神のように、自ら手を差し伸べるような真似はしない。あくまでも道を示すか、起こりうる可能性を視てやるだけだ。

 

「……そのまま力を得て駆け上がるか、転落するかは彼次第。ようやくまともな人材が現れたとは思っていますが、この手で助けてやる義理はありません」

 

 一つの鎮守府を任せられているのだ。男ならば、己の力で切り抜けてみせろ。

 宮下灯とはそんな風に考える女性だ。

 この大湊で他の鎮守府と関わらず、独自に動いてきた。自分の目で視た深海棲艦の秘密を抱え、どうすればこの戦いが終わるのかを考えてきた。しかし一つの鎮守府で出来る事は限られる。手を組もうにもまともな提督はそんなにいない。だからより単独行動になる。

 海藤凪、そして彼と繋がっている淵上、東地、深山。

 彼らの世代がこの歪んだ海軍をまともな方へと舵を切ってくれるならば、多少は期待を持ってもいいだろう。そのためにも自らの運命を切り開けるだけの力を見せてもらいたい。

 静かにそう願うのだった。

 

 



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帰還

 

 一夜明け、凪達は大湊鎮守府を後にする事になった。これから数日天気が悪くなるとのこと。雪が本降りになり始める前にここから離れる事になった。埠頭では見送りに宮下と大淀、そして大湊の秘書艦である鳳翔が来てくれた。

 本来なら今日も大湊と演習をする予定だったが、天気が変わってしまっては仕方がない。

 相変わらず宮下は帽子のつばの影に隠れた瞳で凪を見上げている。

 

「一日だけでしたが、お世話になりました」

「お礼は結構。わたしとしても大したことはしていませんので。ですがそれでもあなたにとっては何か得られるものがあったようで」

「ええ。あなたの艦隊の力を参考にし、我が艦隊の更なる強化を図るつもりです。……興味深いお話も伺えましたし、それらに関してはお礼を述べるに値するものと考えます」

「……本当に、その向上心は立派なものです。ですが上や遠くを見るばかりではいつか足元を掬われますよ。気を付ける事です。それとこれも持っていきなさい」

「これは?」

 

 渡されたのはお守りだった。赤を基本とし落ち着いた柄をあしらわれた袋である。もしかすると彼女の実家にあるようなものを渡してくれたのだろうか。

 

「中身は見ないように。大した効果はありませんが、悪しきものを寄せ付けないといったものです。とはいえ深海棲艦相手には意味はありません。ないよりはましでしょう」

「ありがとうございます。大事にします」

「結構。でははやいところ帰りなさい。天気は神と同じく気まぐれです」

「はっ、失礼します。またお会い出来る日を楽しみにしています」

 

 敬礼をし、指揮艦へと乗船する。汽笛を鳴らして去っていく指揮艦を見送りながら、大淀はそっと「伝えないのではなかったのですか?」と問いかけた。

 

「……ええ、伝えませんでしたよ。直接的なことはね」

「だから忠告に留めた、と」

「ふふ、本当に素直ではありませんね。提督としては彼にそのまま成長してほしいのでしょう? つまずかず、自分のところまで駆け上がってほしいと期待している。だからこそ、何かを言わずにいられず、あれを渡したのではないですか?」

「そこまでは考えていませんよ、鳳翔。それに深く期待するだけ無駄なのです。確かに近年の中で彼の世代はまともな方と言えますが、落ちる可能性は捨てきれない。期待して裏切られるというのはよくあること。故に、結果を見るまでは昵懇な関係になどなりません」

 

 小さくなっていく指揮艦に背を向け、昨夜のことを少し思い出す。

 凶兆を見た後、宮下は置いてある長方形の紙に筆を走らせた。出来上がったその退魔の札をお守り袋に入れたものが、凪に渡したものだった。ちゃんとした札に比べれば確かに効果は落ちる。深海棲艦相手にこれを向けてもあまり意味はないのも事実。

 だがないよりはましだ。それに小さな存在ならばしっかりと効果はある。

 

「さて、今日の予定を消化していきましょうか。鳳翔、今日は何がありました?」

「はい、本日は――」

 

 そして彼女達は再び北の地で静かに力を蓄えていく。

 今回のように他と交流するのは珍しいケース。新たに得た情報も蓄積し、深海棲艦という謎の敵を見極める大湊警備府は単独で行動し続ける。だからこそここの艦娘達は、個の力が際立つのだろう。

 鎮守府に作られた道場では艦娘の声が聞こえている。体力づくりのためだけでなく、木曾など人の武器も艤装化されている人が武術の鍛錬を行っている。天気が悪くなっても鍛錬できるように、と始めたことだったが、ここまで成果があるものに仕上がった。

 独特ではあるがしっかりと実を結んでいる。それは誰にも否定出来ない現実なのだ。

 

 

 呉鎮守府に帰還した凪達。艦娘達は早速得た情報を鎮守府に待機していた艦娘達と共有することにした。録画していた大湊艦隊との演習映像を視聴することにした艦娘達。

 その時間で凪は一度執務室へと戻ることにした。パソコンを立ち上げる中、何かを感じ取るように部屋に視線を巡らせる。

 大淀が部屋の掃除をしたのだろうか? それなら気にすることもないだろうが、そうでないならば机の上の物が移動しているのはなんだ?

 

(……ん?)

 

 しかも昨日パソコンを立ち上げたというログイン記録がある。ファイルのアクセス履歴もある。これは外からアクセスされたのか、あるいは鎮守府内で誰かがこのパソコンを操作したか。

 すぐさま大淀を呼び、昨日誰かがここに来たのかを問いかけた。

 

「いいえ、誰も来ていません。私も軽く部屋の掃除をした程度で、提督のパソコンには触れていませんよ」

「……ということは、誰かが侵入したということになる」

 

 外からネット回線を使ってアクセスされたとなれば、さすがにわからない。そこまで専門的な知識があるわけではない。しかしこの鎮守府内で誰かがこの部屋に侵入し、パソコンを操作したとなれば、その誰かはスパイ活動をしたということになる。

 この鎮守府にそんな存在がいるなんて……と凪は冷や汗をかく。そして懐にしまっていたお守りの感触で、宮下の忠告を思い出した。

 足元を掬われる、と。足元、すなわち近くにいる誰かに気を付けろ、という忠告だったのではないだろうか。とすれば、宮下は何かを知っているのだろうか。

 

「昨日、妙な奴はいなかったのかい?」

「いえ、特に異常はなかったかと……」

 

 大淀から昨日あったことを一から説明される。その間横目でパソコンのデータを確認していく。データ改竄なんてことがあったら非常に困る。呉鎮守府に関するデータや弾着観測射撃についてのレポートなどがここにあるのだから。

 やがて説明を終えた大淀。彼女の話を思い返し、何か意識を向けるべきものがあっただろうか、と考える。

 残された艦娘達の中に離反の意志を持つ娘は? 他に注意すべき何かがいたか?

 可能性を考える凪は、ふと大淀の話で微細な可能性を持つものがいたような気がした。

 

「提督? どうしました?」

「…………大淀。注意すべきものがいた。さりげなく、こいつについて監視を頼みたい」

「はい。誰でしょうか?」

 

 凪はその名前を挙げ、大淀は了解する。そして艦娘達からも話を聞くことにする。スパイ疑惑が出たのだ。大淀だけでなく、他の娘達からも話を聞くべきだろう。今は情報が欲しい。

 でも、もうすでに情報は盗まれているのだろう、と凪は考えていた。いったいどこに情報が渡ったのかはわからないが、敵に先手を打たれていることは間違いない。何としてでも見つけ出さなければ。

 

(盗んでいったのは誰だ? 西守大将の派閥の誰かなのか? 俺のところから情報を盗んで何の得が……)

 

 美空大将を蹴落とす何かがあるとは思えない、と凪は考えるが、疑惑が持ち上がっただけの今、答えを得るには難しかった。

 

 

「ただいま、帰還いたしましたぞ。成果は上々。こちらの報告書にまとめてある」

「ご苦労、大島。……なるほど、三人か。いいものを持ってきたじゃない。これは大きいわね」

 

 渡された報告書に軽く目を通した美空大将は微笑を浮かべる。

 大島の任務の一つであるドイツ遠征。同盟国であるドイツに大和の建造データを渡す代わりに、ドイツ艦の誰かのデータを入手するというものだった。

 結果は、駆逐艦Z1、Z3。そして戦艦ビスマルク。

 実際に艦艇が活躍した時期としては、今の日本で主に艦娘化しているものよりも昔ではある。だがその名前は海軍に関わる者としては有名な艦艇ではないだろうか。

 そんな艦娘のデータを入手できたのだ。大和一人に対して三人というのは良い結果と言えるかもしれない。

 また欧州の戦況についても詳しい情報が得られた。実際に大島が見てきたものと、ドイツの情報などを加味した詳細なものだ。

 

「そしてこちらがパラオとタウイタウイの視察結果じゃ」

「ありがとう。貴様の目から見てどうだったのかしら?」

「ふむ。リンガの瀬川のおかげでタウイタウイ周辺は落ち着いてはおるが、深海棲艦どもに基地は破壊されて放置されていたのう。その修復からになる」

「修復さえできれば、建設には問題はない、か」

「ついでにブルネイも見てきた。こちらも泊地の補修が出来れば問題なく使えそうじゃ」

「……パラオは?」

「国としてはまだ生きているのう。トラック泊地の東地が時々警邏しておるようじゃからな」

 

 リンガからは距離があり、トラック泊地からはほぼ直線に西へと進めばパラオに着く。そのためパラオの警邏はトラックの東地が担当していた。そのおかげでパラオは小さな島国ではあるが、まだ国として存続している。

 しかしこれからは、このフィリピンやインドネシア周辺の守りを強化できる見込みが出来る。リンガの瀬川がずっと一人でやってきたことを分担できるようになったのだ。

 

「わかった。問題ないならばプランを立ち上げましょう。長旅ご苦労だった。ゆっくり休みなさい」

「承知。……それで儂がいない間、何かありましたかな?」

「変化があったものといえば、新しい道が拓けそうではあるわ」

「ほう? どういうことですかな?」

「これよ」

 

 と、計画書の一部を大島に手渡す。拝見、と呟いた大島がさっと目を通していき、興味深そうに頷きながら顎髭を撫でていく。「……これが今以上の練度にするための方法、というわけかの?」と首を傾げる。

 

「そうね」

「驚きじゃのう。よもやあなたがこういう要素を絡めてくるとは。絆の力、なんてものには興味はないと儂は思っておったんじゃがのう」

「それは否定しないわ。不確かなものより、ちゃんとした形あるものこそ信頼できる。でも、時にそういうものが、予想もしない結果を生みだす時があるのも確か。意志の力、絆の力……艦娘というオカルトな力を絡めたものを使っているのだから、そういう要素にも目を向けてみようと考えたまでのことよ」

「それがこの指輪、か。システムの命名は決まっているんですかな?」

「それはまだね。気の利いた名前、貴様は浮かぶ?」

「そうですなあ。指輪で絆ときたら、結婚が連想出来るんじゃが、艦娘とそういう関係になる気がない輩からしたら、いらない名前かもしれんのう」

 

 艦娘は見た目こそ人に近しいが、人間ではない。彼女達をただの兵器として見ている者もいるし、提督の中には湊や宮下のように女性提督もいる。同性婚が認められていない日本で、女同士で結婚というのも妙な話だ。

 だから、と大島は計画書を返しながら「補足して命名するとしたら、仮初の結婚、という感じかのう」と答える。

 

「仮初の結婚、ね。なるほど、参考にさせてもらうわ」

 

 その言葉を計画書にさっとメモする。

 敬礼して退室した大島を見送り、パソコンを操作する。そこには最近出来上がった改二の艦娘や、これからとりかかる艦娘のデータがあった。また新しく構築に成功した艦娘もおり、そこにドイツからの艦娘も加える事になる。

 とはいえドイツと日本では設備が異なるため、ドイツ艦を他の鎮守府で運用させるのは少し後になる。問題なくこのデータで建造できるかどうかをチェックしなければならない。

 やることが増えたが、気にするようなことでもない。戦力増強は以前より継続した課題であり、新たなる泊地建設もまた最近追加された目標である。それが増えたところで何も変わりはしない。ただ着々と一つずつ片づけていくだけだ。

 全ては勝利のために。そして再び平和を手にするために。

 当初から変わらぬ目的を果たすために、ただ突き進むだけだ。

 

 



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感情

 

 スパイ疑惑については艦娘達から話を聞き、スパイと思われるものを絞り込む事は出来た。だが本当にスパイかどうかは確固たる証拠がないので捕まえる事は出来ない。現行犯として現場を押さえる事が出来れば御の字だろうが、データを盗んだすぐ後に、また動くのか? という疑念がある。

 情報収集されているのは間違いないだろうが、今までずっとあからさまな動きをしてこなかったのは凪がいたからだろう。凪がいないタイミングだったからこそ大きく動いたのだと思われる。

 ならば次に動くとするならば、また凪がいなくなるタイミング。そこを捕まえる事にした。それまではちょっとした監視を続ける事にする。

 

 艦娘達は新しい訓練プランを相談している。大湊の戦い方を参考に呉の艦娘達にも使えるように取り入れてみる事を考える。弾着観測射撃の訓練を終えたが、すぐさま新しい訓練を開始することになるが、艦娘達は特に不満の声を挙げることはなかった。

 そして凪は新たな艦娘を建造することにした。

 今いる艦娘達でも十分戦えているが、やはり数を揃えた方が安心感はある。資材に余裕が出てきているし、多少無理をしても問題はない。それにトラック泊地やラバウル基地、大湊警備府とみていくと、やはり艦娘の数が多いというのがよくわかる。高みを目指すならば、数を揃えてこそなのだろう。

 また大本営から新たな艦娘データが届いている。

 駆逐艦、弥生、卯月。軽巡、矢矧。

 改二艦として、神通改二、那珂改二がアップデートされた。

 那珂は呉鎮守府にはいないので無理だが、神通に関してはレベルが足りていたので改二を適用させることになった。

 そうして出てきた神通の姿は今までと打って変った印象を抱かせるものだった。

 オレンジを基本としていた衣装は白と混ざり、ノースリーブになっている。後頭部にあった緑色のリボンは大きくなっただけでなく、額に鉢巻を締めている。白が大きく目立つボックスプリーツスカートの方へと視線を落とせば、左足には探照灯が装備され、腰元にはまるで日本刀のように魚雷発射管を二本差しにしている。

 イメージとしては「侍」だろうか。表情も凛としており、美しい女性剣士がそこに佇んでいるように思わせるものだった。そう、凪が静かに見惚れるのも仕方がないほどに。

 

「――提督? どうか、しましたか?」

「――ん、いや、なに。なんでもないよ」

「そうですか? どこか、おかしなところがありましたか?」

「何もないよ。ただ綺麗だと思っただけさ、うん。おかしいところは何もない。そうだね?」

 

 改二改装をした妖精たちに訊けば、問題ないという風に身振り手振りをしてくる。ほら、何も問題はない、と言う風に神通に視線を戻すと、少しばかり照れるように口元に指を当てて視線をそらしていた。

 何かあったか? と首を傾げる凪だが、先ほど少し慌てたように口走ったことを思い出せずにいるらしい。神通も蒸し返す気はないようで、どこか気まずい空気が流れる。

 

「……さ、さて。次は建造に移ろうか」

 

 原因がわからないまま時間を無為に過ごしても仕方がない、と凪は建造ドックへと向かう。そんな凪の背中を見送り、そして視線を工廠の鏡へと移した神通。慌てたように自分でもわからないままに、無意識に神通を褒めた凪。

 確かに神通自身も変わったとは思っている。衣装だけではない。この身体も成長したように感じるし、それに伴って大人っぽくなったのだろうとは思う。それが「綺麗」という言葉に繋がったのだろうか。

 自分も女性ではある。そう褒められて悪い気はしないし、嬉しくも感じてしまう。

 無意識とはいえ褒められたのだ。困惑してしまった神通自身にも驚いていた。まさか自分がそういう人間らしい困惑の仕方をしてしまうなんて、と。

 この身は凪の兵器である。敵を穿つ刃であり、凪を守る盾である。そんな自分にそういう言葉は似合わないと思っていた。兵器なのだからそんなことを言われても平気だと思っていたのに、やっぱり人の心というのは自分にもしっかりと備わっていたらしい。こんなことで心を少しでも躍らせてしまう、少女らしい心が存在していた。

 ぎゅっと胸の前で手を握り締め、はやる気持ちを抑え込む。

 こういう感情は持ってはいけない、と神通は自分を律した。

 

「そんじゃ大型二回やってみようか。レシピは……」

 

 空母を増やすことを考え、大鳳が出そうなものを指示する。現在の空母は五航戦、加賀、飛龍だけ。将来的な事も考えて、もう少し空母を増やしてもいいだろうと判断した。

 さあ、資材が投入され扉が閉まる。問題なく建造ドックが稼働し、表示された時間は――

 

 04:30:00

 

 02:30:00

 

 悪くない時間だが、これは大鳳が出る時間なのか? と資料を確認してみる。だが残念ながらはずれらしい。しかしそれほど悲観するような結果でもないようだ。バーナーを使用し、すぐに彼女達と対面することにする。

 

「航空母艦、赤城です。空母機動部隊を編成するなら、私にお任せくださいませ」

「自分、あきつ丸であります。艦隊にお世話になります」

 

 正規空母の赤城。今まで回った鎮守府などで空母枠としてほぼ必ず見かけた艦娘だ。加賀と同じく一航戦に属し、色々と逸話を作り上げた空母といえるだろう。これで五航戦に続き、一航戦も揃えられた。あとは蒼龍だけだろうか。

 そして揚陸艦のあきつ丸。彼女は海軍ではなく陸軍所属の船だ。艦艇ではなく船である。

 陸軍の方からデータを持ってきて艦娘化させたらしいが、こういう風になってしまったか、とまじまじと見てしまう。

 白い。

 全身モノクロ調で顔や手も白粉でも塗っているかのように白い。恐らく史実でモノクロ迷彩を施されていた影響なのかもしれない。

 戦闘を想定された船ではないので、武装は控えめだ。彼女の役割は輸送にこそある。彼女が持参してくる大発動艇も輸送に関わるものなので、そちら方で運用することにする。

 

「よろしく、赤城、あきつ丸。赤城は祥鳳に任せる事にして、あきつ丸は……どうするか」

 

 陸軍所属の船だったので縁がある艦娘はあまり思い浮かばない。輸送に関わるから水雷組に任せるか? と神通の方を見やると、彼女も意図を察してくれたらしい。「お任せください」と一礼した。

 

「君には主に輸送任務で頑張ってもらいたい。そこの神通に色々指導してもらって」

「了解したであります」

 

 去っていく三人を見送り、凪は工廠にあるパソコンで呉鎮守府の艦娘達をもう一度確認する。ここからメンバーを増やすとなると、どういう艦娘がいいのかを改めてシミュレーションするのだ。

 大鳳チャレンジは失敗したが、赤城という悪くない艦娘が増えたから良しとする。

 主力艦隊、水雷戦隊、水上打撃部隊……増やすとすると誰がいいか。

 輸送戦力としてあきつ丸が増えたから、もう一つ水雷戦隊を増やすか、あるいは少し編成いじって組み替えてみるか。

 色々考え、所属していない艦娘のことも考えた結果、少しばかりいくつかの狙い目を定める事にした。

 水雷組を増やす。つまりは軽巡や駆逐を作れるレシピを回すことにする。

 少し資材を回復させた後は、戦艦を狙い目にしたレシピを回すことで大型艦も増やす方向にする。

 無理なく数を増やすための順序が必要だ。先ほど大型建造を二回回したのだからその分軽めで増やすしかない。

 投入資材の数値を指示する凪の様子を、何かが陰でじっと見つめていた。息を潜め、彼が何を作るのかを探っている。

 

「…………?」

 

 稼働した建造ドックを確認した時、不意にその視線に気づいたのだろうか。凪が後ろを振り返るが、そこには誰もいなかった。

 工廠の外から見ていたのだろうか。あるいは視線を感じたのは気のせいだったのか。

 いや、恐らくいたのだろう。

 凪はまだスパイと思われるものが、自分のことについて調べ続けているんだろうと推測した。

 

(今俺が向かっていっても逃げられるだけか。監視されているかもしれないって考えるといい気はしないな)

 

 自分の行動をずっと見られている。それは充分にストレスがたまるものだ。

 今捕まえたとしても、たまたまだとか偶然だとかで言い逃れが出来てしまうのも腹立たしい。ここは我慢の時。いつか確実な証拠を手に縛り上げるのみ、と凪は建造を続けた。

 

 

 埠頭にやってきた神通達。新しく迎えた二人に気付いた艦娘達は早速自己紹介をするが、同時に変わった神通にも湧き出す。一水戦のメンバーは旗艦である神通の変化を大いに喜んだ。

 

「うわぁ、神通さん綺麗になったっぽい!」

「改二、ですか? おめでとうございます!」

「ハラショー、これはいい改装だね」

 

 と、夕立、綾波、響が神通を囲んで祝福した。雪風もぽーっと見惚れている。艦娘になる以前から両者には縁があり、旗艦である神通が更なる変化を遂げたことに感動して声も出ないようだった。

 

「どしたの、雪風」

「……うぅ、とっても、とっても綺麗じゃあないですか。いや、前も美人さんだと思うのですけど、これはもう、なんて言っていいのか……北上さん、何かいいことばないです……?」

「あたしに振られても困るな~。とりあえず、一言おめでとう、とでも言っておけばー?」

 

 そんな北上のゆるいアドバイスに従い、涙目で祝う雪風に神通は苦笑を浮かべながら礼を述べた。

 赤城は祥鳳へと渡され、あきつ丸は他の水雷組に合流する。まだどの水雷戦隊に所属するかはわからないので、顔合わせだけはしておこうと、この場にいる水雷組と自己紹介をしあった。

 その中で神通へと長門が「改二か。おめでとう、神通」と声をかけてくる。

 

「ありがとうございます、長門さん」

「少しずつ改二が増えてきたな。響ももうすぐ改二改装可能な練度になるんだろう?」

「ええ。そうなると、一水戦だけで四人ですか。主力としては充分な顔ぶれになります」

「頼もしい限りだ」

 

 腕組みをしながら頷く長門だが、ふと僅かな疑問を感じたように「私の気のせいならばいいが――」と呟いて、

 

「改装した際に何かあったか?」

 

 と問いかけてきた。神通は首を傾げて「何か、とは?」と問い返す。

 

「いやなに、こっちに歩いてくる際に私の見間違いならばいいのだが、神通の顔が紅潮していたように見えてな。工廠で何かあったのか、と感じたまでのこと」

「……何もありませんでしたよ」

「そうか?」

「ええ。長門さんの気のせいではないですか? 恐らく改二による影響で多少興奮していたのかもしれません。その影響でしょう」

 

 神通はごまかしてしまった。自然と凪とのやり取りのせいで赤くなってしまった、と言わなかった。そんな自分にまた驚いてしまう。何とも人間の少女らしいごまかし方だろうか。

 こんなのは自分らしくない。しかも長門に対して嘘をつくなんて。

 

「そうか、なら良かった」

「…………いえ、違います」

「ん?」

 

 と、神通が首をしゃくり、少し離れたところで話そうと言外に告げる。長門もそれを察し、従うように場所を移動した。

 そして神通は自分の胸に手を当てて「……私は、変わってしまったのでしょうか」と自分にも長門にも問いかけるように呟いた。

 

「改二になって心に、変化が生まれてしまったのでしょうか。自分で自分が分かりません」

「ふむ? 悩みがあるならば聞こう。どうしてしまったんだ、神通?」

 

 神通は先ほどと違い、工廠であったことを正直に話した。長門は静かにそれを聞き、何度か相槌を打ちながら考える。

 やがて、長門は少し空を見上げて静かに告げる。

 

「別に何もおかしいことではないだろう」

「え?」

「確かに私たちは兵器だ。提督に付き従う兵器としてこの世界に目覚めた。……しかし、そんな私たちには心がある。ならば私たちもまた一個の生きた存在として様々な影響を受け、変化するだろう」

 

 そして神通の胸に長門は軽く握り拳を当てる。

 

「自分は兵器だと自負していようとも、心は、感情というものは豊かに形を変えるものだと私は考える。神通、お前は艦娘という兵器である前に、一人の女としての存在が強まったのだろう。ならばあるがままを受け入れ、そのまま歩いていけばいいさ。その先については残念ながら私はあまりよくわからないが、お前ならば自然と理解するかもしれんな」

「あるがまま、ですか」

「そうだ。神通という艦娘であり、神通という名の一人の女として過ごせばいい。難しく考えず、気楽にやればいいさ。その浮かんだ感情を否定せずに過ごせば、それがなんであるかは自ずと理解するだろう」

 

 詳しいことは長門には理解できない。彼女自身がそうなった経験がないし、そういうものは噂程度でしか耳にしていない。それは彼女が誇り高い武人気質をしているせいで、こういったことに自分から触れていこうと考えなかったせいだった。

 だからこれ以上の助言は出来ない。しかし彼女の気質から生まれる考え方は、神通にとってはこの状況を打破するには充分な助言となっただろう。

 これを否定することなく、受け入れて前に進め。

 否定することで停滞するよりも、こちらの方が楽だろうという考え方だ。それは神通にとっても、どちらかといえば合っているかもしれない考え方といえるもの。どこか吹っ切れたような表情で「わかりました」と頷き、

 

「ありがとうございます、長門さん」

「うむ、私程度の言葉で道が見えたならばいい。しかし神通、お前は提督に対して好意は抱いていたのだろう? それがなぜ悩むことになるんだ?」

「……いえ、長門さん。好意を抱いているのは確かですが、好意というものにもいろいろあるものなのですよ?」

「ふむ。私も提督には敬意を抱いてはいるが……ん? 何だ神通? 恋慕か?」

「はたして本当にそうなのか、という悩みだったのですが……」

「なんだなんだ、そういうことか。それは、なるほど、ふむ……仮に私だったとしても、確かに多少は悩みそうな感情だな。すまんな、少しうっかりしていた」

 

 大湊で宮下から艦娘についての推測を聞いていた長門。神が作りし艦娘という存在ならば、人となんら変わらない心を持つのは当然のことだろうと考えていた。それでも自分が提督に付き従い、深海棲艦と戦う兵器であるという自負は変わらないが、心や感情については特に否定はしない。

 人と同じ心を持つならば、自然とそういう感情が芽生えるのも当然だろう。神というものが本当に存在し、艦娘という存在を人間に与えたのならば、姿と同様に心も人と変わらぬように作ったのも自然なこと。

 神通がそういう感情を意識するのも自然なことなのだ。長門にとってはまだ自覚したこともなければ、縁がないものだと考えてはいるが、否定するものでもない。逆にそれも成長の一つだと喜ぶものだろう。だから前を向けと背中を押すのだ。

 

「……長門さんはそういう感情は?」

「む? 私か? 先ほども言ったように敬意はある。が、恋慕はあるかと訊かれてもよくわからんな。……まあ、多少なりとも女の部分をからかわれたことはあるがな」

 

 甘いものが好きな部分に触れられたことや、美人だと言われたことなどについてなのだろう。それに対して意識をしたことはあるが、そこから発展したような感覚はないらしい。

 この先芽生える事があるかもしれないが、今はまだそれはない。

 

「なに、別に私としては敬意であろうと恋慕であろうと関係ない。ただ提督の下で一人の艦娘として在り続けるだけ。終わりを迎えるその時まで戦い続けるだけだ。神通もその気持ちは提督を信頼したあの日から変わっていないのだろう?」

「――ええ、それは変わりありません。この身は提督の矛であり、盾です。どんなことがあろうとも、それだけは変わることはありません」

「それだけを胸に在ればいい。心があるからこそ、それを原動力とし、力を発揮することが出来るはずだ。改めて、改二おめでとう。神通」

「ありがとうございます。相談にも乗ってくれて、感謝します」

 

 握手を交わし、微笑み合う。

 先代からの縁がある二人だからこそ、こういう話をすることが出来る。だが長門は大湊で聞いた話を神通には話していない。宮下にここだけの話、と口止めされているせいだ。長門自身は神通には話してもいいという信頼を預けているが、凪に断りもなく話すのもどうかと思っている。

 それに彼女の話が真実とも限らない。ただの個人の推測でしかないのだから。

 それ以外のことなら、気軽に話してもいい。埠頭へと戻る際に「では、これからのプランを考えるか、神通。新しい仲間も増えたことだしな」と言えば、「ええ、そうしましょうか」と微笑を浮かべて言葉が返る。

 呉の秘書艦と呉の水雷の長。先代から結ばれた絆はそう簡単には断ち切れない。

 片方が改二となってさらに先へと進もうとも、共に歩み続ける事に変わりはない。そして共に後に続く艦娘達を育て、導いていくのだ。



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心ノ在リ方

イベントは終わりました。
今回は比較的癒しな方だったのではないでしょうか。


 

 

 静かな闇の中でそれは形を変えていた。元より艦艇であったものが人の姿へと変えたものだったが、それは更に彼の手によって変化した。地上の人々が知る「艦娘の霧島」ではなく、彼女らが敵対する勢力の存在である、「戦艦棲姫」へと。

 戦闘によって傷ついた体は修復され、そこから戦艦棲姫の体へと変化したのだ。ショートヘアだった髪は伸び、額からは角が生えている。

 彼女の艤装は解体され、深海棲艦らの資材と化した。その代わり、戦艦棲姫としての艤装が用意される。

 中部提督が申請していた資材の輸送は完了されている。元霧島の戦艦棲姫だけでなく、一から作り上げられる戦艦棲姫もまた用意されているのだ。それに合わせ、二つの異形という艤装が生み出されている。

 

「順調だね。パラメータも問題なし。これで、艦娘から姫級への変異のデータが取れた。実に良い結果だ」

 

 モニターに映し出されているものを見つめて、満足げに頷いている。彼が姫級と呼称しているのは、人間達の情報も入手しているせいだ。彼はあえて戦艦棲姫らを複数で呼ぶ際には姫級と呼称する。

 それは自分が人間だった頃の事を思い出しただけではない。人間の情報も得ているため、両者の差異を少しでもなくすために、わかりやすくしているためでもあった。彼らがこう呼称しているが、自分たちは違う呼び方をしている。それではどっちがどっちの事を指しているのかがわからない。情報を扱う以上、間違いを減らすことは大事なことだ。

 だから中部提督は、あえて人間の呼び方へと合わせにいった。

 ただし、個人を指す際には、自分達の呼び方で呼んでやっている。

 

「さてさて、武蔵については順調。加賀に関しても順調。ウェークの方はどうだい?」

「基地型ノ種、成長シテイル……。ヘンダーソン……トハ、違ウ方向ニ……ナリソウ、ダトカ……」

 

 ウェーク島に生まれた陸上基地型深海棲艦の種はすでに少女の姿をとっている。そのまま成長すればヘンダーソンのような白い少女ではなく、戦艦棲姫のような黒い少女になりそうなものだった。

 またウェーク島にあった基地を参考に艤装が組み上げられているが、ウェーク島の戦いの記憶すらも引き継いでいるのか、少々外観が歪になりそうだという報告が上がっている。

 ウェーク島における戦闘準備は順調に整っているといえる。だが中部提督はまだ足りないと感じていた。今回はテストだ。データ収集のための戦いである。

 陸上基地型の更なるデータ。

 艦娘から深海棲艦の姫級への変異とその戦闘能力。

 他にも何か欲しいデータはあるだろうか、と考える。

 現在の戦力を改めて確認する中部提督は、何気なくヲ級改へと振り返る。中部提督が生まれて以降、人の提督でいうところの秘書艦として長く付き合ってきた存在だ。練度が高まり、こうして深海棲艦の改へと成長するくらいに実力をつけている存在である。

 改か、と中部提督は呟く。

 

「今いるメンツでそこまで力をつけたものといえば……なるほど。いけそうではある、か」

 

 中部提督が保有している戦力の名簿を確認し、中でも高い練度を誇っているものをピックアップ。そのステータスを確認した中部提督は一度シミュレーションしてみる。

 ヲ級改のように改装が出来るかどうか。一度ヲ級改へと改装した経験があるので、その応用をすればいいのだが、失敗すれば一つの戦力を失う事になりかねない。

 だが、失敗を恐れては成功例を生み出すことなどできはしない。

 ヲ級改や霧島という成功例が生まれたのも、失敗を恐れずに実行に移したからだ。ここで躊躇する意味はない。戦力を増やすために、ただただ前へと進むのみ。

 

「赤城。この二人を呼んで」

「御意」

 

 そうして呼び出されたのはル級とリ級だった。当然ながらどちらもフラグシップであり、中部提督を前にして膝をつく。

 モニターにはヲ級改のデータが表示されており、二人に振り返った中部提督は「これより改装を行う」と告げる。

 

「この先の戦力増強を図るための改装だよ。君達の能力ならば恐らく問題なく改装出来ると思われるが、失敗する可能性もある。ま、僕としては失敗する気はないけれどね、一応言っておくだけさ」

「――――」

「うん、そう言ってくれると信じていたよ。では早速とりかかろうか。そこにどうぞ」

 

 二つの席へと示し、ル級とリ級がそこに着く。機械から伸びたチューブなどが二人と接続され、最後にメットのようなものが頭部に装着される。モニターには二人の体調やステータスなどが表示され、その数値を確認しながら中部提督は作業に取り掛かっていく。

 戦いによって鍛えられた高まった力をもとに、更なる力を発揮できるように調整。深海棲艦としての力を高め、より大きな力を溜められるようにする。同時により強い装備を得ても問題のないような体へと成長させる。そうするにつれ、纏うオーラはより色合いを深めていく。

 順調だ。自分の計算に過ちはない。

 ヲ級改と同じ道をこの二人は歩めるだろう。

 そう期待しながら作業を進めていると、「提督」とヲ級改が声をかけてくる。

 

「どうした?」

「通信、入ッタ。南西、カラ……」

「南西? ふむ、いいよ。開いて」

 

 作業をしながら指示すると、端末を操作して画面を投影させる。それは中部提督のそばへと移動し、そこにはフードをかぶった骸が映っていた。ぼうっとあまり光を発さない虚ろな緑の瞳を表す光がじっと中部提督を見据えている。

 

「やあ、南西。輸送ありがとう。おかげで戦力補充が出来たよ」

「それは、何より。が、今回は、その旨の話ではない」

「ではどうしたんだい?」

「我、終わりを迎える。その報告だ」

「…………なるほど。リンガを遊ばせすぎたせいかな?」

 

 コンソールを叩く手が止まり、中部提督は南西提督を見つめる。

 終わりを迎える、それはつまり南西提督は切り捨てられるということになる。深海棲艦や深海提督を作り出した何かによって、処分されるのだ。

 南西提督の担当はフィリピンやマレーシアを含んだ海域だ。そこには日本から派遣された瀬川が在籍するリンガ泊地がある。しかも最近はタウイタウイやブルネイに、新たな拠点を作るための作業が始められようとしている。

 リンガ泊地へ一人でやってきた瀬川。ある程度の戦力を与えられた上での着任だったが、以降は自らの戦力でずっと守ってきた。そんな瀬川を潰すのは容易なはずだったが、南西提督は積極的に潰さなかった。

 他の深海提督へと輸送を行って支援することを主にしてきたのである。

 資源は大事だ。海底に沈む資源をもとに生まれる深海棲艦もいる。南西提督は今回の輸送のようにそんな資源や素材を各提督に輸送し、戦力増強の支援を行っていたのだ。いわゆる後方支援タイプの提督といえる。

 もちろん戦闘もこなすがそれを第一に行ってはいなかった。だから少し前の大島のドイツへの遠征の際、リンガの艦隊が護衛をしていた一件でも南西提督はスルーした。

 帰還の際も同様だった。それが最後のチャンスだったのかもしれない。

 

「君の後任は決まっているのかい?」

「知らぬ。我はただ、終わるのみ。しばらくは、印度が兼任。その後は、何も」

「そうか。しかしいずれはこうなるってわかっていたんじゃあないのかい? リンガを遊ばせすぎたってのは僕でも何となくは理解していたけれど。少しはまともに相手してやってもよかったんじゃないかい?」

「それを口にするか? 主も、我と同じ。ならば、理解しよう? 我の行動は、我が決める。誰に否定されようと、ただ進む」

 

 中部提督も戦うよりは何かを作る、研究するほうが性に合っている。だからアメリカを相手にする際は最低限の戦力だけ出し、ほとんどは新たな深海棲艦の構想を練っていた。

 今もそれは変わらない。基地型のデータなどをとるためだけの戦いをしようとしている。

 それが彼の進もうとしている道である。

 

「我は、支援する。その道を最期まで進むのみ。それで終わるのだ。悔いなど、ない」

「そうか。他の奴らが理解せずとも、僕は君の考えを否定はしないし、理解するよ。南西、今までありがとう」

 

 通信を終え、中部提督は一息つく。

 南西提督が消える。その光景は見ることはないが、終わりを告げられたのだ。消える事は揺るがないだろう。

 深海提督を生み出したのだ。消すこともその気になれば可能に違いない。

 相変わらずその正体は想像もつかないが、深海棲艦や艦娘と同じく人ならざるナニカなのは間違いない。自分もかの存在の思惑で消される可能性はある。

 だが、次に消されるのは少なくとも自分ではないだろう。自分よりも消されかねない候補はいると中部提督は考えていた。

 南方提督である。

 彼は敗北に敗北を重ね、さらに新型を露呈してしまうだけでなく喪ってしまっている。そこまでやってしまうと、さすがにそろそろ何か成果を上げないと彼も消されかねない。だからといってこちらから何かをしてあげる気はない。そうなったらそれまでだ、と中部提督は考えていた。

 

「――提督」

 

 さて、作業を続けるか、と思ったところでヲ級改が声をかけてきた。今度は何だろう? と肩越しに振り返ると、彼女は少し真面目な表情を浮かべていた。

 

「南西ハ、ドウシテ、ヤリ方ヲ変エナカッタ……?」

「……ふむ、気になるのかい?」

「死ヌトワカッテイテ、続ケテイタ、ト……?」

「そうだね。あれは最期まで自分が決めた道を進んだだけ。いずれ消されると理解していながらね」

「……深海提督ハ、深海勢力ノタメニ……動ク存在」

「そう。だからその点においては揺るがない。後方支援もまた大事なもの。あれはそうすることで我らの勢力のために動く人形で在り続けた。でも、完全な人形ではなかった。だから最近までずっと輸送を主にし続けたんだ」

 

 基本的に深海勢力に意志や感情はほぼない。深海提督も元は人間ではあるが、感情は乏しい。深海棲艦を生み出し、ある程度の指示を出して行動するだけ。

 しかしそうして時を過ごすうちに人としての感情が蘇るか、負の感情に突き動かされる。前者が中部提督であり、後者が南方提督といえよう。

 そうして意志が生まれれば、深海提督としての行動パターンがそれぞれ決まる。中部提督は深海棲艦の研究を優先し、南西提督は輸送支援を優先した。南方提督は自分のプライドのために戦果を挙げようと躍起になっている、といったところか。

 

「意志ハ……感情ハ、私タチニトッテ、不要? ソレトモ、必要?」

「僕的には必要だと考えているよ。意志なきものに力は生まれない」

 

 ル級とリ級の調整を進めながら中部提督は答える。

 

「確かに何も考えず、ただ命令に従うだけの存在というのも何らかの強みはある。こちらの意志に忠実に従ってくれる安定した戦力。感情がないから力の増幅も低下もない。そして、成長もない。ただただ安定した存在。……だから、つまらない」

「ツマラナイ……」

「そんなものより、感情を有していた方が面白みがある。そして戦力としても期待を持てる。感情から、意志から生まれる力が時に凄まじい力を発揮する。それが敵を倒す力にもなるし、生き延びる力にもなる」

 

 中部提督は振り返り、そっとヲ級改の胸を叩いた。

 

「赤城、そうだな……何か強い想いを持てそうなものって浮かぶかい?」

「…………ワカラナイ」

「敵を倒したい。生きたい。そういった想いさ」

「……私ハ、提督ノタメニ……戦ウ。デモ、ソレダケジャア……ダメナ、気ガシテキタ」

「なるほど。それが、君の成長だ。心が、感情があるから悩み、迷いが生まれる。でもその思考が、自分に足りないものとかを埋めようとする。それが成長だと僕は考える。赤城、君は今このとき成長しつつある。自分で考えようとしているからこそ言えるんだよ」

「…………」

「大いに悩むといい。そして、そこから生まれるものを否定しないように。君とは長い付き合いだ。そんな君がさらに成長しようとしている。僕はそれが嬉しい」

 

 肩に優しく手を置いて微笑を浮かべる。

 しかしヲ級改はまだ少し困惑したような表情を浮かべている。自分の中に生まれようとしているものについてまだ悩んでいた。

 彼女は中部提督の艦隊の中でも古株。まだ初期の深海棲艦として生まれているため、感情はほとんどない。人の言語を話せるほどにまで変化しているが、まだ姫級らのように感情の振れ幅が大きくはない。

 それに中部提督はこう考えている。

 感情がないものはひたすら安定しているし、自主的な成長もそんなにしない。外からの影響で成長する。どういうことかといえば、ロボットのように火力も装甲も自分からではなく、誰かの手によって成長させられるものだと考えているのだ。

 そうすることでしか心なきものは基本的な成長はない。自分から変化しようとする心がないために能力が停滞する。故に誰かの手が加えられることで変化が生まれるのだ。

 しかし心あるもの、意志あるものは自主的な成長がある。誰かの手による成長もあるが、自分で変化することが出来る。心無いものと違って安定していないが、だからこそ面白い。これが中部提督の持論だった。

 

「……さあ、成功かな」

 

 改装作業が終わり、メットが外れる。チューブも外れていき、ル級とリ級は静かに瞳を開けていく。金色の瞳がそこにあるが、ヲ級改と同じく左目からは青い燐光が放たれている。

 これがル級改フラグシップとリ級改フラグシップと呼ばれる個体となる。

 ステータス面では変化はまだない。あくまでも内包する力の枠を増強させ、見た目の変化をつけただけだ。装備している主砲や魚雷発射管、装甲に変化はない。

 

「これによって君達も更なる高みに昇ることが出来るようになった。兵装についてはこれから調整していくことになるよ。その目安のため、軽く演習をしてみようか」

 

 中部艦隊に所属している深海棲艦のメンバーは結構多くいる。現在海上で動いている深海棲艦を除き、ここに残っているメンツの中から演習メンバーを選定していく。もちろん海中での演習ではなく、ちゃんと海上に上がって行う。

 この演習の成果を見て改装による変化を記録し、どのように装備をいじるか、能力の向上はいかほどのものかを見るのだ。その結果を踏まえて、正式に深海棲艦の改として記録する。

 とはいえまだ正式に改として深海棲艦が共有しているネットワークにあげるつもりはない。ヲ級改にしてもまだ同様だ。レ級の件では南方提督にデータをよこせと脅迫まがいのことをしたが、あれはレ級を人間側に知られたからよこせと言ったまでのこと。

 ヲ級改は未だに知られていない秘匿情報だ。正式な実戦をこのヲ級改は経験していない。艦娘との戦闘記録をとってから他の深海提督と共有する予定である。それはル級改とリ級改も同様のつもりだ。

 

「この子達で演習を。他の奴らには知られないように頼むよ」

「御意」

 

 ヲ級改に連れていかれる様子を見送り、中部提督は軽くメモを取る。

 榛名改、古鷹改と記入し、暫定のステータスを記録、と端末に入力していった。これがル級改とリ級改のこちら側の名ということになるのだろう。本格的な能力設定はこれからという形となる。

 それに、彼女達を改装して終わりではない。

 レ級が暴走しないようにするための調整や、霧島の調整に新たな戦艦棲姫の用意。まだやるべきことはある。

 

「そういえば南西から届けられたものって他にもあったな……」

 

 戦艦棲姫を作るための素材の他にも色々持ってきてくれた。恐らく自分が消える事が分かっていたため、最後のサービスのつもりだったのだろう。

 持ってきてくれた資材や素材を少し確認してみる。

 多くの燃料や鋼材がずらり。沈んだ残骸もいくつか届けてくれている。巡洋艦に戦艦、そして潜水艦らしきものもある。これらから今までの深海棲艦を新たに補充する手があるし、新しい装備を作る手もある。

 ふと、あの黒猫が一鳴きして近づいてきた。その黒猫を抱きかかえ、肩に乗せてやると甘えるようにすり寄ってくる。

 

「……兵装も何か考えるか。そういえば艦娘の兵装も新しいのを構築していたか……」

 

 この間入手した呉鎮守府の情報から、艦娘達の兵装に新たなものが加わっていることを把握している。それに合わせてこちら側も深海棲艦だけでなく、兵装にも手を入れるべきか、と思案する。

 

「新しい兵装を作るにしても、何から作るかな。お前は何がいいと思う?」

 

 と何気なく黒猫に問いかけるが、黒猫はわかっているのかわかっていないのかよくわからない返事をするだけだった。

 きたる時に備え、中部提督もまた手を抜かずに作業を進めていく。求めるデータを充実させるために。

 




まるゆが釣れません。


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新人

 

 

 3月。それは春の訪れ。

 新しい命が芽吹き始める季節。白く、寒い冬が終わり、少しずつ暖かくなってくる頃。

 呉鎮守府もまた春を迎えるだけでなく、以前と比べると新しい顔を多く迎えていた。

 大本営から全鎮守府に様々なデータが送信された中には、大島が持ち帰ったドイツの艦娘も問題なく日本の建造ドックで生まれる事が出来たため、彼女達も含まれるようになった。

 また同時に駆逐艦浜風のデータと、霧島改二のデータが更新される。これほどまで次々と新しいデータを更新するとは、第三課や美空大将はしっかり休んでいるんだろうか、と気になるところだ。

 そして呉鎮守府もまた変化を迎えている。

 工廠で作業している凪の手元にはいくつもの艦載機があった。それまでは主砲、副砲の調整に勤しんでいたが、これからは艦載機へと手を付けていくことにする。空母の数も増えたことでより高性能な艦載機の開発と調整が必要になってきた。

 そこにあったのは烈風、彗星十二型甲、流星改という現時点において最高とされている艦載機。開発で生み出し、装備させる空母の艦娘に合わせて微調整を重ねていく。工廠の妖精たちも手伝うためにちょこちょこと道具を持って来たり、調整が終わった艦載機を渡す空母のラベルが貼ってある箱へと持って行ったりしている。

 その中で、工廠の入り口に一人の艦娘が現れる。

 

「失礼するわ、提督。ここにいるのでしょう?」

 

 よく通る声だ。なんだなんだ、と妖精たちが入口へと視線を向けるが、凪は作業に集中しているせいか、振り返らずに黙々と烈風をいじっていた。軽く持ち上げてじっと細かいところを確認している凪を見つめるその艦娘は、自分に気づいていないらしい凪に少し苛立ったように「――提督! こちらを向きなさい、提督!」と何度も声をあげる。

 妖精の一人がぺちぺちと凪の足を叩いて呼びかけると、その妖精が道具を渡そうとしているのか、とそちらを見ずに手だけ伸ばして、どうぞと手を開く。ちげーよ! とその手も叩くと、ようやく凪の視線が妖精へと向けられた。俺じゃないよ、あっちだよ! と入口の方を指さすと、そこには腕を組んで苛立つように足で床を何度も叩いている金髪の美人が立っていた。

 気の強さがうかがえる碧眼はじっと凪を睨み付け両肩を露出した、グレーの軍服のようなボディスーツのようなものを着用している。頭には電探と思わしき突起が付いた将校の帽子をかぶり、首元には錨のようなアクセサリーを首輪にして付けている。

 一目見て軍人だ、と思わせるに相応しい身なりといえる。それにしては少々変わった服装ではあるが、軍に関わりのある金髪美人だ、と周囲に認知させるには充分な雰囲気を纏っている。

 

「ようやく気付いたわね。この私が何度も呼びかけているというのに、手を煩わせないでちょうだい」

「やー悪いね、ビスマルク。この通り、作業に集中すると周りが見えなくなる性質でね。で、何か用かな?」

 

 ビスマルク。これが彼女の名前だ。

 ドイツが誇る戦艦ビスマルクの艦娘であり、最近のドイツとの取引によって日本海軍が迎え入れた三人のドイツ艦娘の一人である。美空大将によって日本の建造ドックでも建造できるように調整され、全ての鎮守府で建造可能な艦娘として共有された。これが3月に入った頃のこと。

 ちょうど呉鎮守府の戦力拡張の時期だっため、建造可能になったのならばとりあえず作っておくか、と放り込み、いくつかの失敗と別の艦娘の登場を経てビスマルクが建造されたのだった。ちなみに別の艦娘は同じ戦艦である扶桑や陸奥が含まれた。特に同じ5時間という建造時間だったので、ビスマルク来たか? と思ったら陸奥だった、というのは他の鎮守府でも見られた現象らしい。そんな話を湊や東地から耳にした。

 

「そう、用件なのだけど、あの大和を何とかしてくれないかしら?」

「というと?」

「どうにも規律というものを知らないのね。あんなのが旗艦というのは私的には受け付けないわ」

「ふむ? まあ、うちの大和はちょっと他の大和とは違うというのはわかっているけどね」

 

 生まれが生まれなのだからしかたがない。

 しかしビスマルクは頭を掻きながら「それで片づけられても私は困るわ!」とずんずんと凪に近づいてくる。

 

「部隊変更か、旗艦変更を要求するわ。あれと付き合っていくことなど無理よ!」

「そうは言われてもね。具体的に何が受け付けないのか、まずそこから聞かせてくれないかな?」

「いいでしょう。では聞かせてあげるわ」

 

 そして彼女は語る。大和との話を。

 

 それは第二水上打撃部隊のことである。

 戦力拡張に従って艦娘を増やした結果、凪はそれに合わせて艦娘達の編成を変える事にした。既存の艦娘と新たな艦娘を組み合わせていき、その第二水上打撃部隊は以下の編成となった。

 旗艦に大和、以下日向、ビスマルク、鈴谷、木曾、村雨とした。

 新入りはビスマルクだけだが、割と何とかなるんじゃないかと凪は思った。ビスマルクのお堅い性格を多少は和らげるだろうと思われる日向や鈴谷、村雨。少々問題児かもしれない大和に、木曾というもう一人の真面目役。日向も真面目役かもしれないが、一点において崩壊するため、和らげ役として扱った。それに普段はきちんとしているし、大丈夫だろうと思ったのだ。

 が、大和の問題児は凪の予想を少し上回ったらしい。

 

「遅いわね。何をしているの、うちの旗艦は?」

「たまにあることだ。今木曾が連れてきてくれている。もう少し待とうじゃないか」

「日本は時間はきっちりしていると聞いていたけれど、こういうこともあるのかしら?」

「人によるってやつよ。だれもかれもが、きっちりしているわけじゃないし~。ま、まったりいこうじゃん? ずっと気を張り詰めてるのもつかれるでしょ?」

 

 日向と鈴谷がビスマルクをなだめているが、ビスマルクは苛立ちを隠せていない。「ドイツの人って、堅苦しいな~……」と鈴谷が呟いているが、村雨がまあまあ、と鈴谷も落ち着かせている。

 やがて道の向こうから二つの人影が近づいてきた。大和と木曾のようだ。どこか眠そうな表情を浮かべて頭を掻いている大和。そんな大和を睨み、「どうして遅れたのかしら?」とビスマルクが問いかける。

 

「ごめんなさいね。ちょっと昨夜は寝るのが遅かったものでしてね」

「何をしていたのかしら?」

「ただの自主練よ。ちょっと体を動かしたくなったものだからね。それがちょっと熱が入ってしまったもので」

「いつものあれをやったらしい。それで負けたとさ」

「あぁ、いつものか。昨日は何を?」

「ちょっとした模擬戦よ。全く、追いつけそうで追いつけない。だから追いかけ甲斐があるものだけどね。だから自主練に熱が入ったともいえる。あんまり寝てないのよね」

「……いつもの?」

 

 ビスマルクは最近入ったばかりなので、大和の「いつもの」を知らない。どういうことかを鈴谷が説明すると、「……長門と?」と訝しげな表情を浮かべる。

 

「秘書艦とそんなことをしているの?」

「何か問題が? 秘書艦といえども、長門も一人の艦娘。共に研鑽を重ねる同胞ですよ。ならば、ライバルと認識するのも自然の流れ。そしてライバルを越えたいと願うのも自然の流れ。私はそれに則って行動している。それに熱が入ってしまっただけですよ。……ま、お前たちを待たせてしまったことは申し訳なく思いますけども」

「……だからといって、身だしなみをきちんとしないのはどうなのかしら?」

 

 急いできたからなのか、艦娘としての服装が少し崩れてしまっているし、髪も寝癖がついてしまっている。それを指摘された大和は「……別に? 気にするようなものでもないでしょう」と手を振る。

 

「軍人が身だしなみを整えないというのはどうなのかしら?」

「お堅いわね、ビスマルク。私たちは軍属ではあるけれど兵器であり、軍人ではない。それにここに身内はいても他人はいない。そう身だしなみなぞに気を配り続けるものではないでしょう」

「我らの旗艦がそうずぼらになられても困るわね。部下である私たちが低く見られるわ。それに服装の乱れは心の乱れという言葉もある。もう少しまともに出来ないのかしら? それでも日本が誇る戦艦大和なの?」

「確かに私は戦艦大和の艦娘、という兵器。兵器に見てくれなど意味はないでしょうに。兵器はどれだけ性能を上げ、敵を倒せるかにかかっている。……さすがはドイツの戦艦。ドイツらしい思考を持っているようですね。でも、それを大っぴらに持ち込まないでくれます? 新人さん」

 

 じっとビスマルクを見つめながら大和はそう返す。新人さん、という言葉にビスマルクが反応したように眉を動かす。

 

「ここは日本、そして呉鎮守府。ドイツではない。私たちには私たちなりのやり方があります。新人であるビスマルクが、自分の思想を押し付けないでほしいものですが?」

「…………」

「どうしてもと言うならば、力を示してもらいましょう。そんな怒気をまき散らすものではない。私にとってはそんなものは涼しい風でしかないけれど、そんなに溜めこむものでもない。発散する機会を与えましょう。文句があるならば、演習で聞く形でどうです?」

「いいわ。それが、日本式ならば。あなたの挑発に乗ってあげましょう」

 

 そこまで話し終えると、凪は「まって?」と手を軽く挙げる。

 

「君ら、やりあったの??」

「ええ、やりあったわ」

「…………後で報告書提出させるか」

 

 予定にない大和とビスマルクという組み合わせでの演習。本来ならば今日はビスマルクの弾着観測射撃の訓練だったはずだが、どうしてこうなったのか。燃費でいえば大和もかなり食うが、ビスマルクもなかなか食っていく。水雷戦隊が増えたことで遠征効率が前に比べて更に上がり、呉鎮守府の資源は余裕が持てるようになっている。

 だからといって余計な出費を重ねていいわけではない。抑えられるものは抑えておきたいのが凪の考えだった。

 

「それで、結果は?」

「…………負けたわ」

「でしょうね」

「な、なによ! そんな、わかってたみたいな表情を浮かべて!」

「いや、うん……練度的に勝てるビジョンが見えないもんでね。で? 今のところ君がそこまで受け付けないとキレるまでのことは起きていないように感じるのだけど」

 

 凪の感覚的にはそこまで拒否反応を起こすまでのことではない、としか感じていない。規律に厳しい真面目な性格をしているビスマルク的にはそうではないのかもしれないが、まさか負けた腹いせってわけでもないだろうし、と考えている。

 

「……目が、気に食わないわ」

「目?」

「そう。何か別のものを見据えているかのような目。自分を兵器と語り、旗艦としての心構えもなく、そんな立ち振る舞いを見られようとも何とも思わないような不敵な目。それでいて私を見下すかのような目、雰囲気。……日本の大和の艦娘というのはああいうものだったの、と失望しているわ」

「あー……まあ、あれは他の大和とは違うから、と一応フォローしておく。そして、君の語った印象も、それ故の生まれた性格、個性だとも言っておくよ」

「個性で片づけていいものなのかしら? あれを旗艦にしておけば、うちの部隊はまともにやっていけるとでも?」

「補佐の日向がいる。突出しすぎるのを諌める日向、そして木曾がいるからね。個性が強すぎてもいけない。そのあたりのバランスはとったつもりだよ。……そして、君もいる。そうやってぶつかり合い、研鑽を重ねるならばそれでいい。いきなり演習をしたというのは驚いたが、それを大いに咎めることはしない。そうやって切磋琢磨すれば、君はより成長するだろう。大和のことを知るだけではない。演習によって少しでも得られたものはあったんじゃないのかい?」

 

 凪の言葉にビスマルクはまだ小さな怒りを抱えた表情のまま沈黙する。そして、思い返してみる。確かに負けはしたが、大和の実力を推し量れた。彼女の戦い方は自分にとっては新鮮なものとして受け止められるものではある。

 いや、あれは艦娘としても異質なのではないだろうか。

 艦娘としての艤装の一種である赤い和傘。電探の機能としても使われているそれを艤装化したと思われるその和傘を閉じ、まるで槍のように振り回してきたのだから。それはありなのか? と困惑する間もなく、大破判定を受けて負けてしまった。

 あんな戦い方は納得がいかない、というのも、怒りの要素の一つになっている。

 

「あー……最近なんかしていると思ったら」

 

 と、大和のことをきいた凪が苦笑を浮かべながら目をそらす。恐らく大湊の一件による影響だろう。艤装を人の武器のように扱った技術を模して、大和なりに自分に当てはめたのだろう。

 さすがに電探を武器にするとは思わなかったが、その外観は和傘だ。和傘を武器にしてみた話もないわけではない。隠し刀というものがあるくらいなのだから。

 

「君の意見は分かった。が、君達を異動させるつもりはないよ」

「…………そう」

「まだ組んでから数日。君にとっては悪い面ばかり映ったかもしれないが、それが大和の全てではない。……確かに俺にとっても扱いが難しい娘ではあるよ。でも、戦果は挙げられるだけの力を持っているのも確か。日常の中では気に食わない点が多いだろうけど、実戦の中じゃそうでもないかもしれないよ?」

「その実戦はいつになるのかしら?」

「さてね。近海は相変わらず静かなもの。奴らが動いた時、その機会は巡ってくる。それまでは今日のような研鑽を続けるといい。その時間の中で、もっと交流してみようか。判断を下すのはそれからでも遅くはない」

 

 そう言いながら、工廠にある冷蔵庫からいくつかの缶を取り出してビスマルクに渡してやる。それは建造によって生み出された妖精たちによるレーションである。艦娘の基礎能力を底上げしてくれるものであり、一緒にお茶のペットボトルも手渡してやりつつそれでも食って落ち着けと言ってやる。

 日本のレーション? と怪訝な表情を浮かべるビスマルクを尻目に、凪は工廠に備え付けてある電話をとって「大淀、大和を見かけたら演習についての報告書を提出するように言っておいて」と伝える。

 だが、「失礼しますよ」と工廠の入り口から声が聞こえる。見れば、噂の人物である大和が立っていた。大淀に「こっちに来たわ」と伝えていると、

 

「私を呼びました?」

「ああ、呼んだというか、君のことについて話をしていたというか」

「そう。噂されるほどになりましたか、私も。って、なぜビス子がここに?」

「あー、君のことでね……ってビス子?」

「待ちなさい。何かしら、その呼び方」

「勝者の特権というものかしら。今日は色々と私に突っかかってきたじゃない? 結構な怒気をぶつけながら。それがあまりにも涼しくて、可愛らしいものでしたからね。親しみを込めて、ビス子と呼ぼうかと」

「喧嘩売っているのかしら? このビスマルクに対して」

「あら、またやるんですか? いいですよ。私としてはそうして戦う機会が巡ってくるのは喜ばしいもの。これもまた経験となり、私を強くさせる。相手してあげますよ」

「待て待て待て、ここでやるな。ってかもうやったんだから却下する。それと大和、好戦的なのはいいけど、必要以上挑発してしまうと、艦娘同士の関係にひび入るからやめようね? 今度は人間関係について学ぼうか?」

 

 二人の間に割って入りながら止めてやる。大和の腕や肩を掴んで前に出ようとするのを引き留めつつ、どうどうと落ち着かせるように背中をたたいてやる。「長門に続いてビスマルクまでライバル認定かい?」と小声で問いかけると、「ビス子はライバルってラインじゃないですね。今はただの新人でしかないですよ」と返ってくる。

 

「じゃあ新人いじめはやめておきなって」

「新人を相手にするのってこういうものだと知りましたが」

「それはちょいと間違った印象じゃないかな? 情報源を変えようか。もう少し新人には優しくしてあげなさい」

「ふむ……しかたないですね。わかりました。あなたをこれ以上困らせるのも私的には望ましくないので、やり方を変えましょう」

 

 ようやく落ち着いてくれたので、やれやれと息をつく。長門との関係から好戦的なのはわかっていたが、それがビスマルクにも発揮されるとは。悩みの種がまた一つ増えてしまったと頭を掻く。

 ビスマルクも凪の後ろでじっと大和を睨みつけているが、大和が落ち着いたのならば、こっちから仕掛けることもないだろう、と矛を収めてくれたようだ。ビスマルクとしても、提督である凪を必要以上に困らせる理由はない。大和が気に入らないのは変わらないが、ひとまずは様子を見るのだ、と先ほど決めたばかりだ。売られた喧嘩は買う性質だが、相手が引くならこちらも引くだけのこと。

 そして、「で、何の用でここに?」と凪は思い出したように訊いてみる。ああ、と大和も頷き、その手に艤装を顕現させた。

 

「修理と補強を頼もうかと思いまして」

 

 と、和傘の電探を渡してきた。

 無理な使い方をしたのか、和傘の部分が欠けていたり、電探の部品がへし折れていたりしている。

 

「…………修理はまあ、いいとして、補強って何かな?」

「もう少し強度を上げてくれます?」

「あのね? これ、電探だよ? 強度を上げろって言われても」

「だったら和傘部分の領域拡張しつつ補強でどうでしょう。この辺りまで伸ばすとか」

「それじゃあ電探としての機能損なわれない?」

「他が索敵するでしょう」

「…………」

 

 本気かお前? だったり、だめだこいつ、だったりした意味合いを含んだ眼差しで大和を見つめていると、「……なるほど。提督も苦労しているのね」とビスマルクがどこか納得したように呟いた。

 そんな中で大和が自分が考えている和傘の改造プランを凪に伝え続けている。

 出来上がりが今の小さな和傘から大きな和傘になるのは変わらないが、強度を上げるとなると、傘の素材から変えていかないといけなくなるだろう。

 出来ないことはないかもしれないが、ちょっと素材を購入しなければならないかもしれない。それに凪にも出来る事と出来ない事がある。本当に無理なら無理と却下する。

 とりあえず要望だけは聞いておき、それが終わると演習についての報告書を提出するように指示して、二人を見送った。去っていく二人は若干距離が離れたまま歩いていたが、何やらまた口論になりそうな雰囲気のままだった。聞こえた限りでは「ところで、入渠したわりには服装に乱れが見られるようだけど?」とか、「そんな細かいこと気にするのね」とか聞こえてきたが、やっぱりビスマルクはきっちりしていないと気が済まない性質らしい。

 凪としても、別に見えていなければ多少は許容するのだが、そういう空気はビスマルクには合わないか、と推察する。必要以上に風紀が乱れるならば注意はするが、締め付けすぎるのもどうかと思う人なのだ。

 こういうのが気になる人は本当に気になるんだろうが、この1年はそれでやってきて大きな問題は起きていないからなー……と考えつつ、どうしたものかと頭を掻きながら席に戻る。

 ビスマルクでこれなら、もしかすると他の新人でも何か起きているかもしれない。

 一息ついて立ち上がり、ちょっと見てくるかと首にタオルを巻きながら「ちょっと出てくるよ」と工廠妖精に声をかけて工廠を後にするのだった。

 



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相談

長門改二おめでとう。


 

 

 埠頭に到着するとそこには一水戦と五水戦の艦娘がいた。また大淀もおり、神通から指導を受けているようだった。美空大将から大淀の調整データが配布され、大淀を育成することが可能になったのだ。

 ただし、育成可能になったとはいえ、彼女は戦闘に関しては本当にまっさらな状態だ。いきなり実戦投入しても何も出来ないので、しばらくはここで戦闘訓練を積み重ねるしかない。

 新たに大淀を生み出せば多少は戦える大淀となるだろうが、そんなことのために今までいた大淀を切り捨てるのは道理に反する。凪や湊達は今いる大淀を改めて育成する方針をとった。

 また響の改二であるВерныйを適用したことにより、響の姿が成長している。上から下まで白を基調とした外見になっているだけでなく、少し手足もすらっとしたような印象がある。

 発表当初はかなりの高レベルだと感じたВерный改装だったが、こうして適用出来るほどまでに響達が成長したのだと思うと感慨深い。

 そして五水戦だが、旗艦は矢矧。以下鬼怒、長波、Z3が所属していた。四人とも新たに迎えた艦娘であり、大淀と同じように神通からの直接指導によって練度を高めている最中だった。

 二人の空白があるが、ここに大淀が入るか、また別の新しい艦娘を入れるかはまだ正式には決まっていない。もう一人の空白として、現在は第二航空戦隊があり、そちらは飛龍を旗艦とし、以下秋雲、五十鈴、赤城、大鳳が所属している。こちらの方に実戦投入を可能とした大淀を入れてもいいかもしれない、と迷っているのだ。

 まだ大きな実戦が起きる気配もないので、悩む時間はある。大淀の成長の経過を見つつ、新たな艦娘を増やすか否かを考えて決める事にした。

 

「はい、構えて。視界クリア。偵察機の妖精と意識を繋げて――撃ち方始め!」

 

 神通の指示に合わせて大淀と矢矧と鬼怒がターゲットを狙って発砲する。弾着観測射撃の訓練だ。これが行使できない駆逐艦である長波とZ3は同じ駆逐艦である夕立達が付き合っている。

 見たところ彼女らに関して問題は見当たらない。そもそも五水戦は全員新人だ。そのため第二水上打撃部隊のように新人と先輩という関係は隊の中にはない。あとは気が合うか合わないかについてだが、そこで気になるのはただ一人のドイツ艦娘であるZ3か。

 ビスマルクと同じくドイツからの艦娘。ただ一人水雷組の中に放り込まれている状態だが、夕立達との様子を見る限り大丈夫そうだ。

 性格としてはクールな印象があるZ3。しかし協調性がないわけではない。長波と一緒に先輩である夕立達と共に訓練に励んでいる。夕立達も仲良くしようと積極的に話しかけているので、大丈夫そうだと安堵できる。

 

(この娘達は大丈夫そうか。あきつがいる四水戦も問題はなさそうだったし、あれは天龍の力によるものか)

 

 あきつ丸は天龍が旗艦である四水戦に編入させた。四水戦は天龍、三日月、望月、深雪、初雪、あきつ丸としている。戦闘訓練も行っているが、彼女達には主に遠征を行ってもらい、資材回復に努めてもらっている。ならば、輸送を得意とするあきつ丸は四水戦に入れる事で力を発揮するだろうと考えた。

 現在二水戦から四水戦には遠征に出てもらっているのでここにはいない。しばらく様子を窺って問題なさそうだ、と判断した凪は、次の部隊の様子を見に行こうと考えると、鎮守府の方から大和が近づいてきた。

 

「ん? どしたのよ、大和」

「あら、あなたこそ。……私はちょっとそこの人らに用があってね」

「ビスマルクは?」

「日向達と休憩していますよ。私はその間に、訊きたいことがあってね。……神通! ちょっといいかしら?」

「はい?」

 

 海にいた神通を大和が呼び、神通は矢矧達に続けるように指示した後、埠頭に上がってくる。そんな彼女へと近づいた大和は、「少し訊きたいことがあるのだけど」と切り出すと、「構いませんよ。どうぞ」と頷く。

 

「旗艦についての心構えとかを知りたいのですが、あなたなりのものを教えてもらっても?」

「旗艦、ですか? ふむ、どうしてまたそのような?」

「いえね、ちょっと朝に色々ありましてね。私にはどうにも人が持ちうる常識的な思考を持っていないものでしてね。今まではちょっと欠落していてもそれなりにやっていけたんだけど、これからはそうもいかなくなりそうでして。改めてそれを学んでいこうかと。神通、あなたは主力である一水戦を長く務めている。ならあなたに訊いてみようと考えましてね」

「なるほど。良い心がけです。……しかし、欠落しているのはやはり生まれの影響ですか?」

「そうね。余分なものは削られる。例えこっちになろうとも、完全に取り戻すには至らないというものですよ」

 

 呉鎮守府の大和は、元は深海棲艦の南方棲戦姫だ。このことを知っているのは、大和として生まれ変わったあの8月8日に呉鎮守府にいた者たちだけ。それ以降に生まれた艦娘で大和の事情を知っているのはそういない。

 そして南方棲戦姫として生まれた当初、長門に対する深い憎悪を持たせるために、余分なものは切り捨てられている。普通は持ちうる感情、考え方、人としての常識など、持ち合わせることなく生まれ、死に、そして再び生まれ落ちた。

 艦娘としての大和のデータも混ざっているが、それでも完璧ではない。だから彼女には戦いに関する感情がほとんど強く、それ以外に関してはあまり理解がない。長門に対する感情にはライバルという認識をはじめとした好戦的な面が目立つのは、そういった事情によるものだ。ビスマルクに対しても同様である。

 

(いい変化だ。とりあえずは、予定通りの流れかな)

 

 神通に対して旗艦としての心構えを教えてもらおうとする。それは、凪にとって想定していた流れだった。

 凪もまた大和が色々と足りない部分があることはわかっていた。それを直すにはどうすればいいかを考えたところ、部隊編成の流れに乗せて大和を第二水上打撃部隊の旗艦に据えることにした。本来ならば日向が務めるところだが、あえて大和を旗艦にした。

 旗艦として動くことで、足りないものが何かを考えるきっかけになるかと思ったのだ。事実、ビスマルクとぶつかり合い、大和は考えるきっかけを得た。とはいえ凪が考えるように促したところもあるが、結果的にはこうして神通に教えを乞うている。

 

「――といったところですね。とにかく、部隊に所属している仲間達の事を知りましょう。共に過ごすことで、お互いのことを理解し、動きやすくなってきます」

「なるほど。ちなみに神通は一水戦のメンバーについては?」

「間もなく1年は組みますからね。主力ですので、ほとんど変わりません。なのでほとんど把握していますよ」

 

 第一主力部隊と一水戦については凪が所属した当初からほぼ変化はない。第一主力部隊は五航戦が入ってからそのままだったが、今回日向が第二水上打撃部隊へと移動したため、そこに鳥海が入ることになった。

 一水戦については千歳と雪風が入れ替わってからは変化がない。そのため神通から見た仲間達だけでなく、その逆もまた然りだろう。

 夕立ならば他の夕立と比べてどこか好戦的だ。改造する前から突撃するだけの度胸もある。

 北上は緩いが、やるときはやる。その雷撃能力は侮れず、それでいてフォローするだけの器量もある。口では気乗りしなくても、神通と同じく駆逐を支えてやれるだけの力を持っていた。

 と二人のことを挙げてやると、ふむと大和が腕を組んで海を見やる。残りの一水戦のメンバーは神通がいなくても訓練を続けている。普段においても、戦場においても、確かに彼女達は神通のことを慕っている。

 大和から見ても理解出来るくらい強い信頼関係が築いているように感じられる。あそこまで結ばれれば戦場でも動きやすいだろう。

 信頼関係か、と大和は呟く。日向らはいいとして、今日の一件でビスマルクとそれが築けるか? と首を傾げそうだ。これから築くとなると、自分の振る舞い方も見直さなければならないかもしれない。

 が、大和はそうまでして築くものなのか? と逆に疑問を感じる。

 自分は自分だ。兵器ではあるが、かといって自らの個性を失ってまでそこまで徹するか? と最近は考え始めている。敵を倒す兵器が個性を持つというよりも、意志の力について考え始めているせいだ。

 意志を持つとは、その人独自の力を有することでもある。独自の力、すなわち個性を完全に失えば、そこから生み出される力も失われる。兵器とは力が大事だ。ならば、意志の力とやらを得るには、自分自信を失わない事。個性を殺すならば、自分の進化を捨てる事になるだろう。

 

(となると、ビスマルクと完全に上手くやっていけそうにないかもしれないか。なるほど、旗艦とは、上に立つ者とはなかなか難しいものがあるのね)

 

 自分が強く在り続け、なおかつ部下にも気を配る。人というものは難しい、と大和が頭を掻き始める。そんな大和を見て「悩みがありますか?」と神通が問う。「ビスマルクと少しね」と返すと、神通は口元に指を当てる。

 

「ああ、真面目なドイツ人って感じがしましたからね。……相容れませんか?」

「そうですね。あれはどうにも堅い。私にとってはやりづらい」

「あなたにも譲れないものがあります?」

「私が私を否定するわけにもいかないものでね。他の大和と少し違う。でもそれが私よ。前を引き継いで生まれ落ちた私だからこそ、出来るものがあると考えている。私はこのまま高みに昇るつもりですよ」

「それはそれで良いものですね。かといってそれではいつまで経ってもビスマルクさんとは完全に打ち解けないでしょう。……しかし、それでも良いパターンもあります」

「そうなの?」

 

 くすりと笑った神通はあなた、と大和を示し、「と、長門さんとの関係ですよ」と語る。

 

「初めて会った時と比べると、あなたは少しは柔らかくなりましたが、それでも自らの個性を完全に捨ててはいません。その上で何度も何度もぶつかり合っています。でも、劣悪な関係を築いてはいませんよね」

「まあ、そうですね。私自身が長門をライバル視しているから、ついついやりあってしまいます」

「そして長門さんもぶつくさ言いながらも、あなたを邪険にはしていません。付き合っています。そういう関係が成立しています。長門さんもビスマルクさんほどではありませんが、真面目で軍人たる立ち位置を崩していないのに」

 

 お互いがお互いの性格を崩していない。初めて相対した時からぶつかり合ってきているが、完全に仲が悪いわけでもない。これはこれで良い関係を築けているのではないだろうか、と神通は指摘する。

 

「とはいえ長門さんとビスマルクさんとでは違うかもしれません。ですが、こういった前例が確かにあるのです。ならば、あなたなりにビスマルクさんと仲間として少しずつ絆を深める事は可能でしょう。……まだ組んでから日は浅い。これからですよ、大和さん」

「そうね。そう考えれば少しは気も楽になりますか。感謝するわ、相談に乗ってくれて。ありがとう、神通」

「いえ。また何かあればいつでも」

 

 どこか納得したように頷き、握手した大和は来た時と違って晴れやかな表情で去っていく。その際凪と視線が合ったが、ふっと笑って目だけで礼をしてきた。がんばれよ、という風に拳を握ると、瞬きで返してくる。

 そういうやり取りが出来るくらいには凪ともいい関係を築けている。

 神通も凪に一礼すると海へと向かい、指導へと戻っていった。やはり頼りになる艦娘だと感じる。先代から在籍している艦娘だが、彼女の存在は現在の呉鎮守府においても大きな存在になっている。

 そんな彼女が改二改装を行った際にはちょっと妙な空気になったが、あれ以降は特にそのようなことにはなっていない。変わらず水雷戦隊の長として指導に当たっている。

 立ち上がった凪も埠頭を後にすることにする。

 軽く最後にもう一度様子を見ようと海を見やると、神通が凪の方へと視線を向けていた。遠くにいるが、視線が交差したのかと何となく感じ取る。見送ってくれているのか、と凪が軽く手を挙げると、神通はもう一度一礼してくれる。

 結構離れているのに視線が合ったかもしれないなんて、とちょっとした驚きがあったが、凪はそれ以上深く気にすることなく埠頭を去る。彼女はただ見送ってくれただけなのだと結論付けて納得したためだ。

 一方の神通は去っていく凪の背中を見送っていると、夕立に「神通さん? どうかしたの?」と声を掛けられる。

 

「いえ、何でもないですよ」

「そう? 何だか横顔がいつもと違って見えたっぽい」

「……そうですか?」

「うん、なんて言えばいいのかわからないんだけど……とにかく違って見えたんだよ」

 

 夕立の言葉に神通はそっと自分の頬に手を当てる。自分ではよくわからないが、人から見れば違いがわかるのだろう。しかしそんなことがあるのだろうか、と神通は自分で自分がわからない。

 でも、やっぱり自分は変わっているというのはわかってきた。

 改二による影響か、あるいはそれ以前から続いていた人らしい時間の経過による変化なのか。

 

(意識が変われば、認識が変わればこうまで変わるということなのでしょうか)

 

 長門とのやり取りで自分の在り方は変えないつもりだった。しかし、無意識とでもいうのだろうか。気づけば凪の方へと視線を向けてしまっている。

 どこの生娘だというのか。こんな人間の少女のようなそぶりをしてしまうなんて。しかも夕立に変化を気づかれるくらいあからさまだったのか?

 そうまで変わるとは思わなかった。

 

(大和さんではありませんが、確かにこれは兵器として在る、と自分で強く認識しなくてはいけませんね。私がこれではこの子達に示しがつきません。自分で自分を律しなくては)

 

 大和が何かと口にしている「自分たちは兵器である」という言葉が生きてくるとは思わなかった。あれは自分の立ち位置を言葉にする事で、精神の揺らぎを生み出さないようにしていたのかもしれない。

 心が揺らげば不備が出る。それは戦う者としてはあってはならないもの。

 己を律すれば何も問題なんて起きないのだから。

 ぎゅっと拳を握りしめて胸に当てる。すると、いつもよりも少しだけ高鳴る鼓動が感じられた。それを落ち着かせるように呼吸を整える。そんな姿も当然夕立は不思議そうな表情で見つめていた。

 

 そして凪は鎮守府へと戻ろうとする帰路の途中にある間宮食堂に差し掛かっていた。ちょっとだけつまむか? とそっと中を覗いてみると、そんな凪に気付いて「いらっしゃいませ~」という間宮の声がかかった。

 気づかれてしまったか、と苦笑を浮かべながら頭を掻く。「何か軽く食べられるものと、紅茶を」と頼みつつ中を見回すと、一人で食べている艦娘がいる事に気づく。

 

「ん? あれ? いたんだ」

「――む? んぐっ……!? な、なぜ……!?」

 

 そこには羊羹とアイスを食べていた長門が少しわななきながら凪を見上げていた。

 




しずま艦改二の一番手としても長門改二は嬉しいですね。
このまま増えてるとなれば、むっちゃんと雪風あたりでしょうか。
サラトガもあるらしいという話もあったような。


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長門

 

 とりあえず長門の対面に座る。長門は少しばかり縮こまって困ったように俯いている。そんな彼女は普段の様子からは考えられないくらい少女のようだ。まさか、まだ気にしているのだろうか。

 

「俺のことは気にせず、食べるといいよ?」

「……いや、しかしだな。こんなものを好んで食べるというのは、イメージに合わなくないか?」

 

 と、空になっている皿に視線を落とす。食べている途中の羊羹とアイスの他にも、4つほど空の皿が積まれている。つまり、それくらい甘味をここで食べているということなのだろう。どれくらい食べているのだろうか。

 というか他に客の姿がない。もしかすると、それを見計らって甘味を食べに来ていたとか?

 

「さっき大和さんと食べてましたよ。実際にはこれ以上ですね」

 

 間宮が凪の分のアイスと紅茶を持ってきながらそんなことを言う。「え? 大和ここに来てたのかい?」という言葉と「ちょ、間宮、何を……!?」という言葉がかぶってしまう。

 思わず見合わせてしまう二人に苦笑し、空いている皿を下げていく間宮をよそに、こほんと空咳一つした長門は、「……ああ、まあ、なんだ。大和と一緒にちょっとした話をしただけだ」とここで食べている理由をごまかすように話す。

 

「旗艦について訊かれたかい?」

「む? どうしてそれを?」

「さっき神通にも同じようなことを訊いていたからね。なるほど、長門にも相談していたか」

 

 長門は秘書艦であると同時に主力艦隊の旗艦だ。神通と同じく不動の旗艦であり、ずっと主力部隊を纏め続けている。ちょくちょくメンバーが入れ替わっているが、問題なく旗艦として動いている。

 それは秘書艦でもあるからでもあり、呉鎮守府に在籍している艦娘らから強い信頼を寄せられる対象として在り続けている。それは凪と変わらないが、人間と艦娘という大きな違いがある。

 そして同時に、艦娘同士であるがために、共に戦う戦友としての信頼関係も存在している。

 ライバル視しているが、旗艦として在り続ける様は参考になる。ということで大和はここで長門に訊いてみたらしい。

 

「驚いたろうね」

「うむ。まさかあの大和がこの私に旗艦について相談してくるとは思わなかった。いつも何かしら名目を作っては挑んでくるものだから、ここに呼ばれた際には身構えたものだ」

「早食い対決とか言いそうだね」

「ふっ、まさしく」

 

 長門と大和の二人だけでも結構な数を注文し、食べ進めながら話をしたとか。甘味とはいえ戦艦クラスの艦娘ならばかなりの量を消費したようだった。

 相談としては長門も驚いたようだったが、相談ならばと真摯に答えたらしい。秘書艦であり、主力艦隊の旗艦らしい心構えを答えたようだ。しかし大和は長門だけの意見ではなく、もう一人の相談相手として神通のもとへと向かったのが先ほどの出来事だった。

 

「大和の変化は提督の狙い通りか?」

「ある程度はね。呉鎮守府に慣れてきただろうから、大きな変化が必要だろうと思ってさ。戦いだけではなく、それ以外のことにも考えを回してくれるようになったのはいいことだね」

「これで多少は落ち着き、私に対しての行動も改めてくれればいいのだがな」

「んー……それはどうだろうね。あの性格自体は簡単に直るものでもないかと」

 

 あれはあれで味がある。それが呉鎮守府の大和なのだから。

 紅茶を口にしながら「それに長門としても、もう慣れてしまったんじゃない?」と首を傾げてみる。

 

「否定は……しない。変わりはしたが、根は変わっていない。ならばそういうものだと受け入れるしかあるまい」

「うん。南方棲戦姫だったものが、今では艦娘の大和として普通に過ごせている。艦娘として学習し、他人と交流を図っている。その変化を俺は純粋に喜ばしく思っているよ」

「……私も、喜ばしくないわけではないけどな」

 

 日常的に大和に絡まれ、何かと戦ってきているのだ。変化しているのは嬉しいが、普段の言動が消えるわけでもないだろう。他者との交流を積極的にはかり、上に立つものとして成長することも嬉しく感じるが、果たしてそれも上手くいくものかという心配もある。

 諸手を挙げて素直に喜べないのが長門だった。

 残っている羊羹を平らげ、お茶を飲んで一息つく。「変化といえば……」と思い出したように呟くと、

 

「あなたもどうなんだ?」

「ん? 俺?」

「もうすぐここに来て1年だ。他人と関わる、女性と話す。これらについて慣れてきたのだろう? あなたもまた、ここで変わっているじゃあないか。そのあたりについてはどうなんだ?」

「あー、それね」

 

 ここに来るまでは他人とあまり関わりたくなかったし、女性相手に長く話せるものでもなかった。こうして長門と対面に座りながら話すなんてこと、1年前の凪なら出来るはずもなかった。しかも視線を合わせて、だ。

 こんな美人相手に話し続けるなんて考えられないことと言える。彼女の言う通り、自分もまた変わっているのだ。

 

「うん、確かに変わったかな。気分も悪くはない」

「おいおい、そこまで言うことか?」

「腹痛からの気分の悪さって意味さ。結構来るんだよ? ストレスからのものって、なかなかのもんだよ、うん」

「そういうものか」

 

 いつからだろうか。腹痛をあまり感じなくなったのは。

 こうして会話していても体に異常が出なくなったのはいつからだろう。

 自分でもよくわからない内に、ストレスを感じるというものがほぼなくなってきていたらしい。

 とはいえ大湊で宮下と会話していた際には若干痛みを感じたことはあったので、完全に他人や女性に慣れているわけでもない。だが、艦娘相手ならそれはなくなっていると言えるのではないだろうか。

 提督としてはそれでいいのだろう。艦娘相手にストレスを感じながら続けるというのは、どうしようもない欠陥だ。早急に直すべきものであり、それが果たされたのだから喜ばしいもの。

 秘書艦としても、実に安心出来るものである。

 

「女性に慣れていったならば、いつかあなたにとっての善き人が現れるのを待つばかりか」

「…………ん?」

「なんだその顔は? あなたも若いのだ。今のうちに伴侶となる者を見定めておくのがいいのではないか?」

「まあ、そうなのかもしれないけど、なぜ長門がそんな心配を……」

「秘書艦だからな。提督の未来のことも多少は気になるというもの。女性に慣れていないとなれば、いつまでも結婚出来なさそうではないか。人としてそれは悲しいものだろう?」

「そうかもしれないけど、俺は別に結婚なんて考えてないよ」

「そうか?」

「そうそう。それを考えるのはまだちょっと早い。まだ成人してちょっとだよ?」

「ふむ、そのくらいならば、考え始めるものと思うが」

 

 真顔でそんなことを口にしながらお茶をすする長門。軽く頭を抱えながら凪は、ちょっと紅潮した顔を落ち着かせるようにアイスを口にする。いったいどうしてそんな話になってしまったのか。長門はこういう話題を口にするような人だっただろうか。

 

「何故またそんな?」

「む? いや、ちょっとな……」

 

 と、視線をそらしながら頭の中に浮かべるのは神通の変化だ。改二改装してから神通は変わった、と長門は感じている。相談もされた。

 そして凪もまたこの1年で変化している。艦娘と、女性と自然と話せるようになるくらいに変わっているならば、神通の好意に対して何らかの返事をしてもいいのではないかと考えている。

 だが当の二人ではなく、第三者である自分がそれに触れていいものかと悩んでいる。

 その前段階のアクションとして、凪自身が彼女を持てるか否かに触れようとしたが、あれ? どうして結婚まで飛躍してしまった? とふと冷静になってみると、話題の広げようを間違えていることに気づいてしまって口を抑えた。

 しょうがないじゃないか。

 人の恋愛事情なんて長門にとってはあまり縁のないことだ。自分自身のその事情にすら気に留めない人が、うまく話題を転がせられるはずもない。

 凪の怪訝な視線に慌ててしまい、

 

「いや、ちょっとな。提督の恋愛観? というものを知りたくてな、ははは」

 

 と、わかりやすく焦った言葉を発してしまう。

 

「…………なんか誰かにそういう話を吹き込まれたかい?」

「いや? そんなことはないぞぉ。これは私自身の単なる興味さ。女性に不慣れな人が、彼女を持ちたいと思えるか否かについてのな」

「はぁ。まあ、いいけどね。……で、答えとしては同様だね。彼女もあまり考えていない。そもそもそんな暇もなさそうだ」

「相手はいそうだが?」

「だれ」

「佐世保の」

「……はぁ、君もかい、長門。湊にそんな話をしたら言葉とかの棘をぶち込まれるって」

 

 傍から見ているとそういう風に映るのだろうか、と凪はため息をつく。

 しかし当の本人としてはその気はない。

 淵上湊という少女は、凪にとってはただの後輩でしかない。本音を言えば確かに可愛いとは思っているし、最近仲良くなってきているかもしれないとは思っている。

 でも、それまでだ。それが恋愛感情に繋がるかどうかはまた別の話。

 彼女にしようなんて思ったことはない。

 見た目でいえば好みの部類かもしれないのは確か。同じ関西人なので、その点で気が合うかもしれないとは思う。話してみると、意外と悪くはない時もあるだろうが、しかし時々話しづらいところもある。

 それは彼女自身が人嫌いな部分があるからだろう。

 打ち解けてきてはいるが、根本的に彼女自身の性格が誰かと恋愛するという方面へと向いていない。それでは彼女が凪でなくとも誰かと付き合おうなんてことはあり得ないだろう。

 凪はそう分析している。

 

「いい娘だとは思っているよ。でも、付き合うことはないさ」

「そうか。でも艦娘で女慣れしてきているのだ。その調子でいけばきっと善き人が現れるか、あなたが心を奪われた相手が現れたとしてもうまい対応が出来るだろうさ」

「…………なあ、長門さんや?」

「なんだ?」

「本当にただの興味でこんな話題吹っかけてきているのかい?」

「も、もちろんさぁ。私とて色恋の話くらい興味は持つさ。おかしいか?」

「甘いものを食っている姿が恥ずかしい人が、色恋の話題を自分から振るかね? 自分のキャラじゃない、女性らしいところを見せたくない、という君が?」

 

 じっと長門の顔を見つめながら凪はそう問いかけていく。

 長門の性格からしてこういう話題を自分から振ってくることはほぼあり得ない。日常会話をしたことはあるが、それでも恋愛関係のことを踏み込んでくるようなことはしない人だと思っている。

 それが珍しく話題にしてきたのだ。妙だと感じるのは自然なこと。

 

「やっぱり何かあったんでしょ? 君がそういうのを話題にしてしまう何かが」

 

 ほぼ確信めいた口調で問いかける。

 しかし長門は視線をそらして何かを考え込むように唸っている。言うべきか、あるいは言わないでおくべきかを悩んでいるのだろうか。

 長門を悩ませているものは何だ? と凪は考える。

 軽くアイスを口に含みつつ、これまでの呉鎮守府における様子を振り返ってみるか、と思い返してみることにする。

 ここ最近で何か変わったことはあっただろうか。

 大きな変化といえば改二改装をしたり、新たな艦娘を生み出したりしてきた。

 他にはスパイ疑惑が出てきたとか、大湊に行ったくらいか。

 宮下はそういう感情が浮かぶような付き合いをしていない。なので大湊の件は関係ないだろう。

 となるとこの呉鎮守府内で何かが起きたのだ。

 しかしあまり思い浮かばない。色恋の話をするような変化は起きていないように感じる。

 なら長門は何故こんな話を……とわからないなりに考えた結果、凪は一つの推測を打ち立てる。

 

「――まさかとは思うけど」

「なんだ?」

 

 と、視線をそらしながらお茶を口に含む長門。

 

「――俺に惚れてしまった、とか?」

「ぶぶっ……!? な、なぁ!?」

「だから俺が恋愛するのか否かとか、気になっている人がいるとかを訊いてしまったとか?」

「ち、ちが……私じゃない! いや、別に嫌っているとかそういうことではなくてだな! 少なくとも敬意はあるが、そんな恋愛感情など持ち合わせてはいない!」

 

 間宮が肩を震わせながらタオルを持ってきて長門に手渡してくる。見れば、今にも吹き出しそうだというのに、何とか堪えている状態だった。受け取ったそれで口を拭いている長門に「ごめんごめん」と謝りつつ、

 

「でも『私じゃない』ってことは、君以外にそれを抱いている誰かがいるってことかい?」

「……む」

 

 確かにそのように捉えられる。

 ということは、長門はその誰かの事を知り、凪に恋愛の話を持ち掛けてきたと考えられる。その誰かに頼まれたのか、あるいは長門が自主的に訊いてきたのか。

 どちらにせよ、自分は艦娘に好意を持たれているという事実が浮かび上がったのは間違いない。

 誰だ?

 夕立に好かれているというのはわかる。でもそれは恋愛を含んだものではなく、まるで父か兄に甘える娘って感じがする好意だろう。

 他の駆逐艦達も似たようなものと見ていい、と思う。少なくともそういう部類の好意は感じられない。

 では巡洋艦? 自分に近しい艦娘といったら神通や大淀だろう。大淀は補佐として共に過ごしている。それ以上でもそれ以下でもない。最近ちょっと色々あったが、それは恋愛関係に発展するようなものではない。

 神通は……神通?

 と、思考を巡らせたところで、はたと気づく。

 そうだ、何やら視線が合うようになっているような気がするじゃないか。あれは、凪を見ているからこそ起こったこと。

 どうして見ている?

 その意味を考えたところで、「――神通か?」とぽつりと口にする。

 長門はその名前を聞いてぴくりと反応した。言葉は、出ない。ただ焦りは少々落ち着き、すっと視線を下に向ける。その反応で凪はそうなのだろう、と答えを得る。

 

「そうか、神通だったか」

 

 と、もう一度その名前を口にする。

 先代から呉鎮守府に在籍し、提督に就任したその日からずっと共に過ごしてきた艦娘だ。

 そしてあの日以降、彼女は真摯に凪に仕え、凪と呉鎮守府を支えてきている。長門と双璧を成す呉鎮守府の主力艦娘であり、そして同時にもう一人の秘書艦のようでもある。

 そう、彼女はまるで凪に仕える騎士の如く彼を主と定めて行動している。それでいて日常においては、長年連れ添った女性のように甲斐甲斐しく凪の世話をしたことがある。

 宴会の時が如実にそれを示している。いつの間にか自然と凪の隣の席に座り、静かに酌をしているのだ。拒否するのもなんなので、そのままにしていたが、傍から見たらあれはどういう風に映っていたのだろう。

 また倒れた際にはただのお見舞いというより、お世話をしに来ているようなものだった。あそこまですることはないのに、彼女は嫌な顔を一つせず、それが当然とでも言うかのように行動していた。

 もしかすると、あの日からなのだろうか。

 自分の心情を吐露したあの日、神通の中で何かが起きたのだろうか。

 そんな彼女に対して、自分はどう応えればいいのだろう。

 

「……長門はいつから知ったんだい?」

「……つい最近だ」

「となると、改二?」

「そうだな。神通自身も困惑していたようだったが」

 

 困惑? と凪が首を傾げる。

 あの日、長門と神通が話したことを教えられると、凪はそうなのか、と腕を組む。

 

「とはいえ、私がこうしてあなたに訊いているのは、神通に頼まれたことではない。私が独自に訊いてみようと考えただけだ。……そして、提督もまた神通に今、応える必要はない」

「そうなのかい?」

「神通自身も自分の気持ちを上手く処理することが出来ないでいる。例えそれが本物の愛情だとしても、彼女自身がそれを抑え込む性格をしているだろう。自分からは決してそれを口にしないだろうから、お節介ながら私があなたに問いかけてみた次第だ」

 

 確かに、あの神通ならそうするだろう。自分はただ一人の艦娘としてここにいるだけ、とその気持ちを告白することはしない。そんな性格をしている。

 

「提督、あなたが仮に神通に対して愛情を持っていたとしても、今は告白しなくてもいい。ただゆっくりと考えるだけに留めておいてくれ。いつか神通が自分の気持ちを処理し終え、あなたに打ち明ける時が来たとき、それに対する答えが出せるようにな」

 

 そうして残っているお茶を飲み干し、アイスも片づけていく。空の皿を下げていた間宮も話の内容に興味津々で聞き耳を立てていたようだが、今は真面目な話題になったことでキッチンに控えている。

 凪も残っているアイスを食べ進めながら今の言葉をかみしめる。

 答えを出す。

 それはつまり、神通の気持ちに応えるか否かというだけではない。

 自分は人、相手は艦娘。

 ただの好意だけなら夕立達に接しているようにするだけでもいいだろう。しかし恋愛感情となれば少し話は変わってくる。

 彼女達は人のようで人ではない。深海棲艦と戦う心を持った兵器である。そこを忘れてはならない。

 いや、あるいは宮下の言う通り深海棲艦を浄化する力を持った巫女だったとしても、その体のつくりは人間ではないということは明らかになっている。

 自分は人外の存在の好意をしっかりと受け止められるか否かを自信に問いかける必要がある。曖昧な答えではだめだ。それではこの先どう付き合っていけるかわからなくなってしまう。

 今はまだ提督と艦娘だけの関係で済んでいる。例え彼女の気持ちを知ったとしても、それはまだ変わらずにいられる。

 でも、彼女がはっきりとそれを口にした場合、その関係は揺らぐ。受け入れたならば提督と艦娘の関係から一変するが、拒否すればそのまま関係は続く。しかし曖昧なままならば、この関係も曖昧だ。それだけは避けなければならない、と長門は念を押したのだ。

 

「……わかった。俺なりの答えを用意しておくよ」

「感謝する。……いやはや、慣れない話題は難しいものだな」

「ちなみに、ほんとに敬意だけでいいんだよね?」

「そうだ。好意は好意でも敬愛する提督に対する好意だ。だから神通の邪魔をする気はないし、提督が他の人間相手に恋愛をするとしても応援する気でいる。その場合神通が告白した際には、はっきりと振ってやるといい」

「わかったよ。じゃあ時々また君をいじっても問題ないわけだね」

「……それは控えていただこうか?」

「そう? 間宮。長門は今日どれくらい食ったんだい?」

「えーそうですね……」

「そこに触れないでもらえるだろうかッ!? 別にいいだろう!? 私が甘味をどれくらい食おうと!」

「うん、全然かまわないよ。ほんと、こういうところはただの女の子で大変よろしい。そのギャップが君の良さと言ってもいいよね」

 

 にっこりと笑って首を傾げれば、頭を抱えた長門が大きくため息をつく。

 

 

「……提督、本当に変わったものだな。しかしそれを素直に喜べない私はどうしたらいいんだ?」

「笑えばいいと思うよ。そして、もっと食べたいならどうぞ食べてくれ。今回話をしてくれたお礼として追加を許可する」

「それでごまかすつもりか?」

「いやいやまさか。純粋なお礼だよ長門。疑うのかい?」

「まあ、いいだろう。今回はそれで許すとしよう。間宮、追加だ!」

「はーい」

 

 そう、ちょっと気恥ずかしくていじってしまったが、お礼をしたい気持ちは本当だ。

 話してくれて感謝している。

 前もって話を聞いていなければ、純粋な驚きで何を言えばいいのかわからなかっただろうから。おかげで前もって心の準備が出来る。

 何せ女性から告白されるなど、凪の人生で一度もない。恋愛すらもしたことがないのに、神通から突然そんな話をされたらどう返していいのかわからず、ずるずると引きずり続けていただろう。

 それを避けられたのならば、充分に感謝するに値することだった。

 メニューを広げて間宮に追加分を頼む長門を見て、凪は小さく笑う。そして言葉ではなく、ただ心の中で感謝の言葉を述べる事にする。

 ありがとう、君が秘書艦で良かった、と。

 神通の事だけでなく、自分の事も考えて慣れない話を持ち掛けてきたのだろう、と感謝する。素直にそれを口にするのが気恥ずかしくて、ついつい甘味のことでいじってすまない、と謝罪する。

 でもいじりはしても、言葉は本気でもある。

 時折見せる女の子らしさは魅力的だ。気づいていないかもしれないが、次第にメニューの甘味を選ぶ表情が砕けてきて、どこかキラキラしたような目で吟味しているその様もいつもの長門らしくない可愛さがある。もちろんこんなことを面と向かって言えるわけもないので、心の中に留めておくことにするのだった。

 

 

 



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美空

 

 

 凪は悩んでいた。

 神通から好意を抱かれていると長門は言う。それも普通の好意ではなく、恋愛感情を含んだ好意なのだと。

 神通自身の口から打ち明けられてはいないが、その時に備えて答えを用意しておかなければならない。

 神通のことを思い返す。彼女とはここに着任して以来の付き合いだが、その距離が縮まったのはやはりあの日以降だろう。

 泊地棲姫との戦いのあと、宴会で自分の気持ちを吐露した日だ。あの日、彼女は凪の本心を知った。見舞いの席では、彼女は凪に膝をついて誓いを立てた。艦娘と提督は部下と上司の関係だが、それはまるで騎士が主に忠誠を誓う一幕のようだった。

 そう、あの日は恐らくただの主従の関係を改めて認識するだけのものだっただろう。

 それでも二人の距離がより縮まったのは確実だ。関係は違えど、その心の距離は確かに近くなっていたのだから。

 実際、神通がまるで秘書艦のように日常においても凪を支え、世話をするようになっている。そうでなくても戦いとなれば水雷の長としての目覚ましい活躍を見せ、頼もしさを示していた。それは部下である水雷組らの指導においても変わらない。

 呉鎮守府がこの1年でこれだけの戦果を挙げられたのは、凪や長門だけでなく神通の功績があってのものといえる。

 そんな彼女の好意を自分は受け止められるのか。

 凪は、難しく考え続けている。

 何せ誰かと付き合ったことすらない人生を歩んできたのだ。元より女性と話すことすら苦手としていた。こういうシチュエーションを考えたことすらない。

 もっと単純に考えれば楽だったろうが、そうすることが出来ないでいた。

 人間と艦娘、もとい人ではない存在との恋愛という構図が、凪を難しく考えさせていた。

 素直に好きか嫌いか、と考えることが出来ないのだ。

 それでいえば嫌いなはずはない。むしろ好きな部類に入る。

 見た目も改二によって更に美人になり、無意識にそれを褒めてしまうほどに好印象。こんな美人と付き合えるとなれば誇りに思えるだろう、というくらいには思っている。逆に自分が付き合ってもいいのか? と感じるくらいには美人である。

 なら付き合えばいいだろう、と第三者は思うだろうが、でもな……となってしまうのだった。

 そうして唸り続け、作業にも手が付けられない。

 そんな凪の思考を止めるのはパソコンに入った通信だった。

 

「健勝かしら? 海藤」

「ぼちぼちですね。おはようございます、美空大将殿。本日はどのような?」

「前々から調整していた新しいシステムが完成したから、配布を開始するわ。受け取りなさい」

 

 そう言って一つのデータが送られる。結構容量が大きいファイルだ。

 そこには「ケッコンカッコカリ」という名前が付けられている。

 

「……ケッコン?」

「ええ。海藤は知っているでしょう? 艦娘の練度には限界があるということを」

「はい。数字でいえばレベル99でしたか。そこが最高練度となっているのでしたね」

「しかし艦娘の力を調べてみれば、改二とはまた別にその奥に更なる力が眠っていることがわかっていた。私はそれを何とか引き出せないものかと考え、色々と試行錯誤を重ねたわ。その結果、ようやく一つの手段を確立させた。それがこれ、『ケッコンカッコカリ』よ」

「ケッコンって……やっぱりあの結婚ですかね?」

「そうね。この名前を付けるに至ったきっかけは私ではないのだけど、システム的にこういう形で落ち着いたわ。では、説明するわよ」

 

 結婚か、と凪は苦笑を浮かべる。その前段階のことで今まさに悩んでいるのに、よもやその上のものがいきなり放り込まれるなど誰が想像するだろう。しかし新たなシステムとなれば説明を聞き逃すわけにはいかない。こほんと空咳一つして気持ちを落ち着かせ、拝聴することにする。

 美空大将によるとこのシステムは限界レベルを引き上げるものになっている。

 それを可能とするのが艦娘との縁の力、それからもたらされる絆という繋がり。主である提督と、部下として付き従う艦娘との間に結ばれた縁による絆の力によって、艦娘の力を更に増幅させるという。

 このシステム上、艦娘をただの兵器としかみなしていない者にとって、限界レベルを引き上げることは不可能となっている。

 二人の繋がりを形として証明するのが特殊な指輪であり、またそれに伴う書類である。そこに二人の名前と血判を押し、二人の間には確かな縁の力が存在することを証明する。これを以ってして指輪を通じ、艦娘の奥底に眠っていたものが解放されるのだとか。

 

「…………ますますオカルトじみてますね。よくこんなシステムを確立させましたね」

「とある神社の力を借りたものでね。海神のものと、縁結びのものと……まあ、色々と伝手を回ったのよ。オカルトと科学の融合はもう艦娘自体がそのようなものだし。今更というものでしょう」

 

 神社? と首を傾げるが、海神を祀る神社というと大湊の宮下がそうだったか、と思い出した。そういったところに協力を求めることで確立させたシステム。

 それが、ケッコンカッコカリだという。

 

「……カッコカリというのは?」

「結びつきの強さを証明して力を解放させているけれど、あくまでもシステムによるもの。結ばれてはいるけれど本当の結婚ではないわ。だからカッコカリ。既婚者であっても未婚者でも大丈夫。人間の伴侶をこれから見つけても問題ないわよ。そしてシステムでの結びつきだから、艦娘と何人ケッコンしても問題なし。強い絆で結ばれている練度最高の艦娘と、どんどんケッコンカッコカリしていっていいわよ」

「つまり、重婚オーケーと」

「いうなればジュウコンカッコカリね。その分、艦娘につける指輪を多く必要とするけれど」

「私の指輪も増えるんですかね?」

「提督には指輪は必要ないわよ。指輪は艦娘の中にある秘めた力を解放させるものだから。提督が付ける必要はないの。形だけでも欲しいというなら、ただの指輪を送るけれど?」

 

 システムでの結婚。だが、そのシステムを確立させるには、提督と艦娘の間に確かな絆を必要とする。故に両者の感情は必要不可欠。少し矛盾しているが、これは艦娘がさらに強くなるために必要なもの。

 より上を目指すのであればこのシステムを利用するしかない。必要ないならば現時点での最高練度に留めるだけでも問題はない。選ぶのは提督だ、ということかと凪は考える。

 だが名前が名前なのでどうしても結婚がちらついてしまう。しかも神通の気持ちを知ってしまったのだ。意識せざるを得ない。

 だが考えようによっては、このシステムによって神通の気持ちに答えを出すことが出来るだろう。いや、神通のことだ。これはあくまでも更に上に行くための結婚なのだ、とどこかで遠慮したように考えてしまいかねない。

 しかしこのシステムを成功させると、両者の間に確かな絆があることを証明することになる。

 とはいえケッコンカッコカリをするには練度が最高の状態でなければならない。今の神通はそれに届いていない。長門も同様だ。つまり呉鎮守府がこのケッコンカッコカリを実施するのはまだ先ということになる。

 だが、神通のことで悩んでいた凪に一つの解決策が示されたのは間違いない。そう考えていた凪に何かを感じたのか、美空大将が首を傾げて「何か悩み事でも?」と問いかける。

 

「いえ、特には……」

「そういう風には見えないわね。ケッコンカッコカリをする相手についてかしら? それともまた別の何かか。よければ話を聞くわよ?」

 

 少し逡巡したが、凪は美空大将に神通のことを打ち明けた。静かに話を聞いていた美空大将だったが、凪が悩んでいる様子を見るとやれやれとこれ見よがしにため息をついた。

 灰皿に置いていた煙管を手にすると、何度か紫煙を吐き出し、「実につまらないことで悩んでいるのね? 青臭いわ、海藤」と呆れたように言う。

 

「こういう男と女の問題はね、結局は愛しているのか否かで答えが出るものよ。艦娘だろうと人外だろうと同じ事。最終的にはそれが答えを出すものよ」

「そんな単純でいいんですか?」

「いいのよ。しかも今回は艦娘なのでしょう? なら立場をとっぱらって考えればいいじゃないの。海藤、貴様は神通の事を愛しているのか否か。それで答えを出せばいい。どうなのかしら?」

「そりゃあ、嫌ってはいないですよ。むしろ好きですけども……」

「好意はあるのね。ならばそれが愛情に至っているのか否かで結論を出しなさい。それにケッコンカッコカリがある。愛しているならばその気持ちを添えて施しなさい。神通の好意を受け入れられないならば施さなくて結構。それで、しまいよ」

 

 ね? 簡単でしょう?

 そう言わんばかりの眼差しでの答えだった。

 そして貴様は色々と考えすぎる、と呟いて煙管を咥える。こうまではっきり、ばっさりと切り捨てられれば爽快だ。今まで悩んでいたのは何だったのか、と思えるくらいのもの。

 

「それにうじうじと悩む男は見てられないわ。それでは気持ちも冷めてしまいかねない。だからこそさっさと結論を出しなさい」

「…………」

「ま、愛してなかろうと限界突破をするだけなら、貴様達でも問題なくケッコンカッコカリは出来そうではあるけれどね」

「……いや、それを言ってしまえば色々とまずいのでは?」

「所詮カッコカリよ。愛はなくとも深い忠誠心や信頼感があれば成立するわ。これはあくまでも両者の想いがあって初めて成立するもの。貴様が曖昧な感情はあっても、信頼感や好意はあるのでしょう? ならば問題なく成立する。限界突破可能な艦娘がいれば、どんどんジュウコンカッコカリをしても問題はない。当然神通にはその旨を伝えねばいけないけれどね?」

 

 愛憎劇なんてされれば目も当てられない、と冗談めかして手を広げる。

 凪もこれには「最悪だ……」と心の中で思うしかない。これは擬似的な一夫多妻だ。一夫一妻の日本においてはあまり歓迎されないものである。

 しかも君の気持ちは受け入れられないけれど、一応妻とするよ。同時に他にも妻を娶っておくね。という形なのだ。言葉にしてみるとよりこの最悪なイメージが浮かびやすい。

 

「私はあくまでも更に力を得る方法を提示しているだけに過ぎない。判断はそれぞれの提督に委ねられる。一夫多妻をするも良し、一人に定めるも良し、ケッコンしないも良し。あくまでもシステムと捉えるのか、感情を含めて考えるのか。それは貴様らの心に任せられるわ。……そんな風に言ってしまえる私のことはどうとでも思うといい。所詮私は提督というよりも職人気質なものでね。出来上がったものをどう使うかは使う者の心次第よ」

「やはりあなたにとって艦娘は兵器ですか?」

「そうね。でも心があることは認めている。あれらは私達の手で作られた兵器だが、私なりにもあれらに対して愛情はある。道具は使う人次第と人は言うけれど、正にその通り。道具が幸福であるかどうかもまた、使う人次第。そして作った側としては、道具も兵器も幸福であってほしいと願うのもまた当然でしょう?」

 

 故に、と紫煙を吐きながら美空は微笑を浮かべる。

 

「貴様の神通にもまたしっかりと答えを出しなさい。私にとって艦娘は兵器であると同時に我が子も同然。子の恋愛沙汰となれば、どちらかといえば愛ゆえに崩壊した結末よりも、良き結末を迎えてほしいと願うのも当然のこと。曖昧なもので終わらせることは許さないわよ、海藤?」

 

 艦娘達は兵器であると認めつつ、その上で自分の子供のようにも思っているときたか、と凪は瞑目する。確かに世の中には自分が作った道具や作物、そして育てたペットなどに対して自分の子供のような感情を抱く人がいる。

 美空大将は艦娘を兵器と口にしているが、その内には我が子と捉える心があったのだ。黎明期より艦娘というものを構想し、次々と生み出してきた美空大将。それでいて彼女達を更に改装する技術や装備を作り上げ、今回は新たなシステムも構築した。

 大将まで上り詰めてもなお、第三課で作業もする根っからの物づくりの職人のような人物。ならばそのような感情を抱いても不思議ではなかった。

 ならば彼女の想いもまた裏切ることなど出来ない。神通が打ち明け来た際には――

 

「――承知しました。しっかりと答えを出させていただきます」

「よろしい。……さて、海藤。今回は他にも要件があってね。時期が時期だから察していると思うが、本年度のアカデミー卒業式は無事終えているわけだけれども」

「ええ、確かにそんな時期ですね」

「成績上位者は提督就任の権利を得る。これにより、間もなく運営開始となる新たな泊地などに着任してもらうことになっているわ」

 

 そういえばこの冬にショートランド泊地などが建設されていたか、と思い出した。ということは今年の卒業生らはそこに着任していくことになるのだろう。

 

「貴様にはその卒業生の一人である私の息子の移送を頼みたい」

「息子……そういえばいらっしゃるという話がありましたね。そうですか、提督になられるのですか。おめでとうございます」

「ありがとう」

 

 だが、美空大将の表情はその息子の提督就任を喜んでいるようには見えない。視線を落とし、渋い表情を浮かべている。どうしたのだろうか、と凪は「……どこか不満でも?」とつい問いかけてしまった。

 

「……私としては香月(かづき)には提督にはなってほしくはなかったのだけどね。しかし、結果を出したのだから仕方がない」

「その香月さんには問題でも?」

「……あれは恨みや怒りを抱えて上位に食い込んだ。確かに、それらは己を成長させるための燃料としては機能する感情。しかしそれを主として提督としての業務に当たるものではない。そうしていれば、いずれ歪む。それを矯正出来ないようでは、提督になどなるものではないわ」

 

 恨み、怒り……つまり、美空大将の長男である星司(せいじ)の死による影響なのだろう。美空大将がただの第三課の作業員だったのが、大将という地位にまで上り詰めたのもまた、星司が死んだことによる影響だ。

 彼の死によって彼女は変わり、それまで以上に仕事に明け暮れて結果を出し続けてきた。同時に大本営の在り方を変えるためにも動いてきた。

 だが変わったのは彼女だけではなかったのだ。次男である香月もまた、兄の死によって強く提督になろうと決意したのだろう。それは兄を殺した深海棲艦を殲滅するために、という強い恨みや怒りの感情からくる動機だ。

 復讐のために提督になろうとしている。

 美空大将はそんな感情で提督になるものではないと感じているから、いい気分ではないということか、と凪は推察する。

 

「その事は、香月さんに伝えたのですか?」

「ええ、伝えているわ。しかし、聞く耳は持たないわね。……仕方ないわよね。私もまた星司の一件があったからこそ、大将にまで上り詰めたのだから。それを知っているのだから、香月もまた自分もそう在ろうとしている。例え復讐だったとしても、それによって深海棲艦が減るのならば何も問題ないのだとね」

 

 提督の目的は深海棲艦との戦いに勝利すること。例え復讐であったとしても、それで大きな目的が果たされるのだから許容されるべきだ。それが美空香月の言らしい。

 人類の共通の敵なのだから、自分の復讐は許される戦いである。

 何より、それで成績上位で卒業したのだ。自分の行動原理は間違っていない、とある意味証明してしまっている。止められる謂れはないのだろう。

 

「……ま、そんな香月をよろしくしてやってちょうだい。何ならパラオに行く前にトラックに寄ってもいいわよ。ちょっと近い方なのだから、トラックの東地と会わせて、近所付き合いをさせなさい」

「わかりました」

 

 それで今回の通信を終えた。

 移送の日程は追って伝えるとのことだったので、指揮艦の整備を近日中にさせることにしよう。

 久しぶりに茂樹に会えることになるのだ。それについても少しだけ楽しみになってくる。

 そして美空香月か、と凪はその名前を思い返す。

 あの美空大将の息子。復讐に囚われているようだが、いったいどのような人物なのだろう。

 そして、母親と弟を変えてしまうほどの影響力を持っていた美空星司とはどんな人物だったのだろう。

 他人にあまり興味を持たない凪だったが、ちょっとだけ気になってしまう。

 従妹である湊も少しだけ彼について話していたが、何でも凪と少し似た人物だったらしい。生きていたらもしかするといい友人になれたのかもしれない。そう考えると、あまり詳しくはないが惜しい人物を亡くしてしまったのかもしれない。

 

 

「――――へえ? 確かにそんな時期だったけど、そうか。その日は迎えていたんだね」

 

 報告を耳にした中部提督は目を細める。

 その手は常に動いており、視線はずっとモニターに映し出されているものに向けられている。

 

「そうかそうか。アカデミー卒業の時期か。となると? 泊地の建設は順調だし、新たな提督着任のためには、提督を送らなければいけないね」

 

 タン、とコンソールを叩く手が止まる。少し考えるように腕を組み、後ろに控えているヨ級へと肩越しに振り返り、指を立ててやる。

 

「日本近海から引かせていた戦力を戻して。提督を泊地に着任させるためには海路を使うしかない。となれば、護衛のために呉鎮守府が動くはずだ。恐らく、あの人ならば彼に依頼するだろう。呉鎮守府が動いたその時こそ、戦いの始まりだよ。そのタイミングを見逃すな」

「――――」

 

 御意、という風にヨ級が一礼し、移動していく。だが中部は「――あ、それと」と呼び止める。

 

「呉鎮守府に潜ませているあの子に可能ならば伝えておくように。そろそろ一時帰還を。こちらから別の者を入れ替えて潜ませるから、とね」

「――――」

 

 中部提督は予感していた。気づかれていないのならば僥倖だが、勘がいいならば何かがおかしいと思われる頃合いだろう、と。スパイとして捕まえられる前に、可能ならば逃げておくべきだと。

 スパイは正体を知られないように立ち回り、可能な限り情報収集して伝える役割だ。腕利きならば気づかれるヘマはしないだろうが、生憎と潜ませているのは別に潜入の心得が大いにあるというわけではない。頃合いを見てどうか逃げ切ってほしいと願うばかりである。

 さて、と作業に戻る中部提督。

 陸上基地の艤装の詰めはもうほとんど済んでいる。レ級の調整は間に合わなかったが、今回はあくまでもデータ収集という名の実験でしかない。そのためレ級が投入出来なくても特に問題はないだろう。

 あとは新武装だろうか。

 ウェーク島の陸上基地の武装の一つとして、艦載機の一種を作ってみた。

 それは見た目でいえば護衛要塞のような球体に歯がついているものだ。だが色合いは黒く、角のような、あるいは見方を変えれば獣の耳のような突起が二つ付いている。

 それは彼に時々すり寄っているあの黒猫のようなものに近い。つまり、黒猫の頭部を模したようなものにも見える。

 

「んー……とりあえず形は出来たか。新たな艦載機モデルとしてはこれが下地でいいかな。これもテスト飛行を経て、データ収集のために運用してもらうとしようか」

 

 ヲ級らが使用している艦載機も長く使ってきたものだ。エリート、フラグシップ、そして改フラグシップとヲ級が変化し、それに合わせて艦載機もグレードアップを図ってきた。

 しかし艦娘達もまた改二となり、装備もまた新たなものを追加してきているという報告が挙がっている。

 となれば深海側もまた新たな装備を整える時だ。

 レ級が何やら飛び魚のような艦載機を持ち出しているが、あれは形状からしてレ級にフィットしているものだ。ヲ級らには積み込めないので却下する。

 限定的なものではなく、汎用的なものが必要だ。その一歩として艦載機の開発から始めたのだ。そのプロトタイプがこれだ。

 見た目がこうなったのは、いつもすり寄ってきている黒猫を見ていたら、これもいいかもしれないと形成していった結果である。それに今まで使っている艦載機と同じような大きさにしてあるので、搭載問題も解決する。

 

「実に楽しみだね。その時は近いよ、呉鎮守府。良いテストになるといいね」

 

 微笑を浮かべてそう独り言をつぶやく。

 中部提督の準備はほぼ完了している。あとは南方提督による陸上基地のテストデータの用意だ。それと囮として充分な戦力も必要だろう。ソロモン海戦で多くの戦力を失っていたが、果たしてそれを補充できているのだろうか。

 足りなければこちらから深海棲艦のデータを送って補充させるのもいいか。

 となると彼にもテスト運用をしてもらうのも手だろうか。

 そんなことを考えながら中部提督は作業を進めていくのだった。

 

 



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間諜

お久しぶりです。

なついべ とても つらかった


 

 

 4月、また桜が咲く季節になってきた。呉鎮守府に植えられている桜も、ピンク色の海を作るほどに一面に咲き乱れている。

 そして凪が呉鎮守府に着任してから1年が経ったということでもある。

 それを祝うパーティが企画されたが、美空大将からの依頼の件があったために日程をずらすことになった。出港のために指揮艦を調整する中で、東京から件の美空香月が今日訪ねてくることになっている。

 それを出迎えるために凪は今日は工廠に篭らず、きっちりとした身だしなみにしている。

 ただ前日には美空大将から香月を移送する礼として新たな改二のデータと、それに必要なものを特別に支給してくれた。

 利根、筑摩の改二である。

 これにより重巡洋艦から航空巡洋艦へと艦種が切り替わっている。また今までの改二と違い、特殊な改装を施しているため改装設計図というものを必要としている。

 適応する艤装を切り替える、あるいは大きく追加する改装のため、この改装設計図というものを同時に使用することになっているようだ。今回は利根と筑摩の分を支給してくれたが、今後は美空大将に願い出て注文することになるらしい。

 それを使用し、改装レベルに達していた利根を改二にするように工廠へ通達した。筑摩はあと少し足りなかったようなので見送りとなる。

 そして今回の移送だが、従弟が来るということで湊も同行することになった。二人は従姉弟ということもあり、話を聞いた湊が同行を願い出たのだ。

 もう一つの理由としては近海に深海棲艦が戻ってきたということもある。太平洋では深海棲艦は確認されていたが、日本近海では最近までは確認されないままだった。理由はわからないが近海からいなくなっていたために、日本の鎮守府はほぼ暇な状態にあった。

 何せ太平洋にまで出なければ実戦が出来ない状態。遠征となれば交戦する機会はあるだろうが、戦う機会が少なくなったのは好戦的な艦娘からすれば暇でしかない。しかし帰ってきたならば訓練漬けの日々から脱却される。

 だが同時に日本国内を海路で移動する際には深海棲艦に備えて艦娘が必要になるという事だ。近海から脱する際にも襲撃を受ける可能性が高くなったため、それに備えた意味でも湊が同行することになった。

 

「失礼します。淵上さんが到着されました」

「わかった」

 

 大淀の連絡に頷き、凪は埠頭へと足を運ぶ。

 そうして埠頭に足を運んだ凪の陰で、その存在は機を窺っていた。数時間前、暗号が届けられた。艦娘、いや人間達が未だ解明していない深海側で使われている秘匿の暗号だ。

 それによれば、機を見て撤退しろとのことだった。

 あの日以降もちょくちょく情報収集をしていたので、新たな情報を持ち帰ることは出来る。そして今日は凪が呉鎮守府から離れるようだ。ならばその後にでも逃げることが出来るだろう。

 あとはばれないように動けばいいだけ。簡単なことだ。

 埠頭に一つの指揮艦が見える。あれは佐世保のものだろう。

 淵上湊。見覚えのある人間だ。

 どこか懐かしいような匂いを感じる人間だが、気のせいだろう。あの人間もいるとなれば、今は逃げることは出来ないかもしれない。その旨を伝えておくとしよう。

 手にしているものを使って一定のリズムで押し込む。それによって深海側で使われている暗号が発せられる。海に向かってそれが人の耳には聞こえない音となって響くのだ。

 

「――何をしているんだい?」

「――――」

 

 不意に、声がかかった。落ち着いたその声に息をのみ、振り返ればВерныйがじっと自分を見つめていた。思わず足が動く。だが後ろには綾波がひっそりと佇んでいる。

 いつの間に回り込まれていた?

 そもそも、いつから自分は見られていたんだ?

 わからない。わからないが、ここを切り抜けないといけない。

 何でもない、これと一緒に海を見ていただけだ、と伝える。

 

「そうかい? その割には妙な音が聞こえたね? 綾波」

「はい。ノイズのような、モールスのような。普通ならば響くはずがない音でした。……それ、ただの猫じゃないですね」

 

 と、手にしている白猫を指さされる。

 人間の耳には聞こえないが、艦娘ならば聞こえる可能性がある。だから周りに気を付けて暗号を発していたのに、どこからこの二人は現れたというのか。思わず苦虫を噛みしめるような表情をわずかに浮かべてしまった。

 それが、自分に掛けられている嫌疑を認めてしまいそうになるというのに。

 

「さて、もう一度訊くとしよう。なにを、していたんだい? セーラー」

 

 改めてВерныйは問いかける。

 白猫を手にしているセーラー少女妖精へと。

 

 

「いらっしゃい。早かったね、湊」

「どうも。香月はまだ?」

「ん。到着していないね。彼が来るまで少しゆっくりしていくといいよ」

 

 近くにある休憩場所にでも案内しよう、と示したとき、じわりと腹に痛みが走った。ん? と首を傾げて思わず手で押さえてしまう。その動きに湊も疑問を感じ「おなかの不調?」と訊いてしまう。

 

「ストレスでも抱えてるの?」

「いや、別にそういうわけでもないんだけどね。……んん? この痛み……前にも」

 

 と、こうした小さく、じんわりと広がるような痛みは少し前にも感じたことがあった。呉鎮守府に着任した当初だったり、美空大将と直に相対したときだったり、あるいはこの湊と会話している際だったりといった痛みとは違う。

 ストレスによるものではない。これはまた別の何かによる痛みだと、こういった痛みに慣れている凪にはわかる違いだった。

 そう、例えば南方棲戦姫との戦いに感じるようなもの。あの時は強く感じたものだった。じんわり……そう、痛みが広がるような感覚。対人ではきりきりと一点において痛みを発するが、これはじわりじわりと広がるようにして伝えてくる痛みだ。

 南方棲戦姫の際にはそれが強く感じたために、きつい痛みとなって襲い掛かっていたが、弱いパターンを少し前にも感じたはずだ。

 それはクリスマスの日だ。

 決して食べ過ぎ、飲み過ぎという意味で痛んだのではない。あれは呉鎮守府に異物が紛れ込んだから、凪の体がそれを察知して腹痛という形で知らせたのだ。所謂虫の知らせというものである。

 そして美空大将が目をつけていた凪のオカルトな部分だ。

 海藤凪は自分に害があること、自分の危機に対して妙に勘が鋭いところがある。それは正しい。凪はこの虫の知らせを腹痛という形で感じ取ることが出来るのだ。

 それが今、発揮されている。

 今ここで、何かが起きているのだ。

 

「提督、Верныйちゃんから通信です。動いたので、捕まえたとのことです」

「……なるほど。では、ここに連れてきて」

「動いた? なにが?」

 

 事情を知らない湊からすれば何の話かは分からない。そんな彼女に「いやね、スパイがうちに入り込んでいてね」と簡潔に伝える。それを聞いた湊は「ん?」といった表情を浮かべ、後にその意味を理解したのだろう。気の抜けたような疑問の声を漏らしてしまった。

 数分もせずにВерныйと綾波がそれを連れてくる。

 セーラー少女妖精だ。湊はそれを見て首を傾げるが、間をおいて思い出したのだろう。クリスマスの時に見かけたあの妖精なのだと。

 セーラー少女妖精は白猫もろとも縄で縛られている。そんな彼女へと凪はじっと見下ろし、「さて、どうして捕まっているのかわかるよね?」と問いかけるが、セーラー少女妖精は何も返さない。

 

「君、どこから来たのかな? そして、どこに情報を流していたのかな?」

「…………」

「ちょっと、本当にこの子がスパイだっての? 妖精だけど」

「俺も少し信じられないんだけどね」

 

 しかし根拠はある、と凪は説明する。

 まず、どこから来たのかわからない点。それは初めて会った時からの謎だった。しかし妖精だからと、とりあえず置いておいた。妖精だから大丈夫という固定概念で信用してしまったのを突かれたのだ。

 次に大湊へと演習しに行った時に隙を突かれ、凪のパソコンからデータをコピーされた形跡があった事件。凪の部屋には当然鍵がかかっているが、誰かが解錠して侵入したのだ。

 それが出来る誰かが呉鎮守府にいるのか否かで調べていた際、大淀が凪の部屋へと向かっていくセーラー少女妖精とすれ違っている。もちろんどうやって解錠したのかはわからないが、どこから来たのかわからない存在が、あの日凪の部屋の方へと去っていったという証言があるのだ。

 そのため容疑者としてあの日以降、セーラー少女妖精には代わる代わる艦娘が監視するようになっている。

 結果、息を潜めるようにして凪を見ているセーラー少女妖精を、何気ない日常生活のふりをしたり、同じく息を潜めて艦娘が監視したりする状況が成立していた。

 

「…………っ!?」

「おや? 自分が監視されていたことには気づいていなかったかな」

「少し前に先ほどのような暗号を発する素振りが見られたからね。もう少ししたらなにかするんだろうと警戒度を上げていた。すると暗号らしきものを出していたから、今度はこうして話しかけてみたんだ。すまない」

 

 暗号自体の解明はされていない。初めて確認される暗号を、心得のないものが一発で解読できるはずもない。なのであの時どんなやり取りが行われていたのかはわからない。

 しかし怪しい素振りを見せたのだ。その疑惑を問いたださねばならない。

 

「この猫を使って暗号を発していたけれど、やっぱりこれはただの猫の妖精ではないね?」

「もしかすると司令官のパソコンからデータをコピーしたのも、この猫さんだったりしますか?」

「…………」

 

 両脇を固めているВерныйと綾波がセーラー少女妖精へと問いかけていく。セーラー少女妖精は何も答える気はない、と瞑目しているが、同じように縛られている猫妖精は違った。

 ふるふると体を震わせていたかと思うと、猫が威嚇する時のような声を上げて暴れだす。いつも見せていた妖精のような可愛らしくとぼけたような表情ではなく、牙をむき出しにし、黒々とした目を細め、縦横無尽に首を振り回している。

 その暴れっぷりにВерныйは驚き、セーラー少女妖精を縛っていた縄を離してしまった。すると猫妖精の尻尾がぐっと伸び、縄を尻尾の先端で切ってしまう。

 

「いけないっ!」

 

 綾波が何とかセーラー少女妖精へと手を伸ばすが、自由になった手で猫妖精が綾波の手を引っ掻く。凪と大淀も負けじと手を伸ばすが、猫妖精の尻尾が二人の手を弾き、セーラー少女妖精は猫妖精の足を掴みながら距離を取るように後ろに跳んだ。

 

「――――」

 

 何事かをセーラー少女妖精は喋っているが、凪と湊の耳には言葉として認識されない。言葉が通じていないのなら、とセーラー少女妖精は目を細め、手にしている猫妖精を振り回し始める。

 そしてもにゅもにゅと口を動かしたかと思うと、自分もまた猫妖精のようにがたがたと体を震わせ、首が壊れたロボットのようにあちこちへと向いていく。あまりにもホラーな光景に凪たちの進むはずだった足が止まり、絶句してしまう。

 

「――――」

 

 最後に首の動きが止まったかと思うと、ぽつりとまた言葉を漏らし、勢いをつけて猫妖精を投げ飛ばす。それは勢いよく埠頭へと飛び、そのまま海へと落ちていった。凪はセーラー少女妖精か、猫妖精かと一瞬迷ったが、すぐに「潜水隊、埠頭に白猫が落ちた! 捜索を!」と通信で指示を出し、セーラー少女妖精へと駆け寄る。

 だがセーラー少女妖精は近づいてくる凪に何の反応も示さない。どうした? と思う間もなく、セーラー少女妖精は静かにその場に倒れ落ちる。なんだ、と驚いているとВерныйが「待った」と凪を引き留める。

 

「触れてはいけない」

 

 と、セーラー少女妖精を指さすと、小さな煙が立ち上り、その体が溶けていく。残されたのは被っていた帽子やセーラー服だけ。その肉体は跡形も無くなってしまっていた。

 

「……最期の言葉、上手く聞き取れなかったけれど、恐らく『ご主人はきっと、お前を打ち負かす』と言っていたよ」

「ご主人? 打ち負かす……? 俺と戦う……はっ、まさか、深海側だったとでも?」

 

 その呟きに、またじわりと腹が痛みを発する。軽くお腹を押さえるが、虫の知らせが疼いたのならば、それは正解だったのかもしれない。

 深海側から送られたスパイ。

 艦娘側で共有されている妖精の姿を真似て入り込んでくる。それが真実だったならば、もしかすると呉鎮守府だけではなく、他の鎮守府、最悪なパターンならば大本営にも妖精の姿となってスパイが入り込んでいる可能性があるということだ。

 そうなると、深海側にどれだけ情報が流されているのか想像したくもない。

 湊もその危険性に気づき、冷や汗を流している。

 

「……すぐに伯母様に報告しなければ」

 

 携帯電話を取り出して美空大将へと報告するために凪たちから距離を取る。セーラー少女妖精だったものからはまだ小さな煙が立ち上っている。それを見下ろしていたВерныйは綾波に視線を向ける。

 

「綾波、あの言葉は聞こえていたかい?」

「……はい。たぶんですけれど、わかっています」

「言葉? そういえば最初に何かを呟いていたね。俺にはわからなかったけれど」

 

 拘束から解放され、距離をとった後にセーラー少女妖精は何かを口にしていた。そのことを言っているのだろう。Верныйは少し困ったように首を傾げつつ、あの時何を口にしていたのかを語る。

 

『枠を空けて、私』

 

 そう、口にしたのだとВерныйは言う。

 

「枠? 私?」

「はい、綾波の耳にもそう聞こえました。たぶん、これであっているとは思うんですけれど……」

「私? ……枠……。猫に向けて言ったのかな? だとしても猫が私って……なんだよ」

 

 その猫は海に向かって投げ飛ばされている。そしてセーラー少女妖精はこの通り、溶けてなくなってしまっている。

 枠……空けるということは埋まっているもののスペースを空けるという意味だろうか。空いたスペースには何が入る?

 そして語りかけた猫はここにはいない。

 猫妖精は凪のパソコンからデータをコピーした疑惑がある。とすると、あれは妖精というよりも機械と考えてもいいかもしれない。

 妖精を真似た機械。機械として考えれば、枠というのはメモリーの事だろうか。メモリーを空ける。空いたメモリー……データ。そのデータに――

 

「――ああ、信じられないけれど、信じたくはないけれど。機械(マシーン)として考えるならば、まんまとしてやられたかもしれないね」

 

 やれやれとため息をついて凪はセーラー少女妖精が被っていた帽子に手を伸ばす。その質感は普通の帽子と何ら変わりない。小さな雫が落ちたが、それはコンクリートの地面に染み込んで消えていく。

 肉体は確かに消えてなくなっている。セーラー少女妖精だったものは衣装を除いて何もない。だから凪が立てた仮説を証明するものはない。衣装では証拠にならないだろう。この仮説はまさに肉体が必要なのだから。

 

「司令官、何か気づいたのかい?」

「……あんまり信じたくはないんだけどね。あのセーラー少女妖精はここで死んでいない。逃げられたかもしれない」

「どうしてですか? だって、ここで溶けて……」

「うん、溶けたね。肉体は。でも、意識はたぶん……あの猫に」

 

 そう呟いて海を見る。

 あのホラーじみた首の動きをしている間にでも何かをしていたんだろう。動きばかりに意識を奪われ、その内で何をしでかしているのかを悟られないようにしていたのかもしれない。まさに、まんまとしてやられた。

 

 

 呉鎮守府に一隻の指揮艦が入港しようとしている。その近くを、一匹の白猫が航行していた。海上ではなく、海底を。尻尾はまるで船についているスクリューのように高速で回転しており、猫とは思えないスピードで海底を往く。

 この指揮艦には今回凪が移送する美空香月が乗船していたが、この猫妖精は知る由もない。そもそも今はただここから離れることしか考えていなかった。

 

(やれやれ、何とか逃げ切ることは出来たかな)

 

 呉鎮守府にいた潜水艦の艦娘が凪の指示を受けて海底を捜索していたが、その網から素早く逃げ切ることが出来た。伊168、伊58の二人だけではこの小さな猫を素早く見つけ出すことは出来ないでいた。

 それに二人は普段から埠頭近くにいるわけでもない。出動が少し遅れてしまったことにも原因がある。指示を出すのは早かったが、それよりも猫妖精が逃げるのが早かったのだ。元々深海で生み出された存在だ。海の中こそ、この存在にとっての本領発揮の場である。潜航されれば、そして沖合へと出てしまえばこんな小さな存在は見つけられるものではない。

 

(さて、私。今回の情報はどれくらい取れた?)

 

 その問いかけに応えるように、脳裏にいくつかのデータがピックアップされていく。前回送り付けたデータに比べると少々少ないが、あの頃から変わったものを持ち帰ることが出来そうだ。

 

(うん、いいわね。これならご主人も喜んでくれるでしょう。あんなクソッタレな姿で潜り込んだかいがあったってなもんよ。よくやったわ、私。では、元に戻ろうかしら)

 

 そうして瞑目する。

 可愛らしい白猫の姿だったそれは、少しずつ変化をもたらしていく。小さな機械の駆動音のようなものが響き、それは電子音へと切り替わる。

 意識が、同調する。

 まるで今まで別々に動いていたそれらが、本来のものへと戻っていくかのように、それは変貌していった。

 

(――おかえり、私。そしてごくろうさま、私。さあ、帰ろう。ご主人の下へ。オスカーの下へ)

 

 そこには可愛らしい白猫の姿はない。

 笑みを浮かべて開かれた口からは、鋭い人のような歯が生え揃い、丸々とした顔にある目は不気味なほどに丸く、赤い光を放っている。そして何よりその顔には傷が浮かび上がってきたではないか。

 これが本来の顔なのだとすれば、傷付きのものも含まれているのだろうか。

 左目や鼻付近には割れたように裂けた傷が刻まれており、白い毛皮の下には黒々とした肉と赤いシミが浮かび上がっている。いや、シミというよりも血管なのだろうか。まるでマグマのように静かにシミのようなものが明滅し、それを血管のようなものが繋いでいる。

 猫耳は角のように鋭利に、そして硬質化している。それは猫のような毛並みも同様だ。ふわふわとしたような毛並みは鉱物のような質感を感じさせるものになっている。

 こうして見ると中部提督の下にいた黒猫のようだ。両者には共通点がいくつか見られるものだった。しかしそれを凪たちが知る由もなかった。

 そして凪の推測は当たっていた。

 セーラー少女妖精と猫妖精はもとは一つの存在。意識を分離させ、白猫は妖精のような姿をとり、もう一つの意識はセーラー少女妖精の肉体を作り上げ、そこに意識を宿した。それぞれが独立して動くことを可能とし、情報収集をしたあとは海に潜航した白猫がデータを沖合にいる仲間へと渡し、セーラー少女妖精の下へと帰還するといった手法で情報を流していた。

 また猫妖精自身は深海棲艦と同じく機械的な要素を持っているため、パソコンに繋いでデータをコピーすることが出来るし、その内部のデータを処理することが出来る。意識をデータとして処理することが出来るため、逃亡の際にデータを圧縮して空き容量を作り上げ、分離させていた意識をデータとして受け取ることが出来たのだ。

 あとは分けていた意識を統合させる。それが先ほどの電子音の正体である。

 

(さて、聞こえる? 呉鎮守府から脱出成功。今から帰還する)

『――――』

(了解。ではそっちで落ち合いましょう)

 

 沖合で待機している潜水ヨ級と暗号通信を行い、針路を定める。

 こうして呉鎮守府に潜り込んでいた中部提督のスパイ、セーラー少女妖精だったものは、捕まることなく情報を中部提督の下へと持ち帰ることに成功した。

 

 

 



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出陣

 

 

「それは本当かしら?」

「はい。妖精は我々の味方である、という固定概念を突かれた策でしょう。恐らく深海側が妖精の姿をとってそちらにも潜り込んでいる可能性があるかと……」

「だとすると、厄介ね。うちには色々と工廠妖精がいる。その中の一人にでもなられたら、見つけ出すのは困難だわ。見分ける手段でもあればいいのだけれど、海藤はその手段を確立することなく、ぼろを出したところを捕まえただけ、と?」

「そのようです」

 

 伯母である美空大将へセーラー少女妖精について報告する湊。妖精に化けた深海側の戦力、というのはとんでもない異常事態だ。そもそも深海の何者かが人間側に潜伏してくるなど想像していなかったのが失態だろう。

 最近では知性を感じさせはしたが、それでもスパイ活動までするとは思わなかった。何せ最初はただの獣のようにしか思えないような行動ばかりしてきたのだ。ここまで成長し、知性を感じさせる動きを見せるほどになるとは。

 それは深海提督のことを美空大将に伝えていなかった影響でもある。大湊の宮下には話したが、まだ美空大将には報告していなかったのだ。湊にも話していないので、彼女から美空大将にも伝えられない。

 

「わかった。私としても出来る限りのことはしてみましょう。……今回のことで一時撤退されそうな気がしないでもないけれど」

「お気をつけて」

「それと湊。香月の事、よろしく頼むわね?」

「……はい」

 

 電話を切って海を見れば、ちょうど指揮艦が埠頭へと到着したところだった。入港した指揮艦から降りてきたのは一人の少年だ。少年と感じたのは童顔で男性にしては小柄だったためだ。しかしああ見えて彼はもう成人している。

 湊も出迎えるために凪の隣に並ぶ。そんな二人の前に立ち、敬礼した彼こそが美空大将の次男、美空香月その人だった。

 

「お初にお目にかかります。美空香月、到着しました。以後よろしくお願いします」

「呉鎮守府の海藤凪です。ようこそ、美空香月さん。歓迎するよ」

「……どうも。お久しぶり。一応挨拶として、あたしは佐世保の淵上湊。今回の旅に同行させてもらうわ」

「……どうも。見間違いじゃあなかったようで。よろしく頼みますよ、湊」

「ああ、そうかしこまらないでいいよ。気を楽にして。俺はそう固くなるのはあまり好きじゃないんで。湊に対してもいつも通りで構わないよ」

「そうですか? じゃあ――ま、よろしく頼みますよ」

 

 と、きちっと敬礼してきた時とは違い、大きく肩の力を抜いて姿勢も崩し始めた。

 

「それで? すぐに出発するんで? オレとしてはちゃっちゃと自分の勤める場所に行って、ちゃっちゃと提督業を始めたいとこなんですけど」

「仕事熱心なことね、香月。いや、それは正しくないか。話には聞いてたけど、あんた、復讐心で提督目指してたんだって?」

「ああ、そうだよ。でも、それのどこがいけねえってんだ湊? 深海棲艦は殲滅すべき人類の敵ってやつジャン? オレもまたそれを望んでいらぁ。そしてようやく自分の戦力を持てるようになったってなもんよ。嬉しくねぇわけないジャン。そして、ちゃっちゃと戦力補充をし、力をつけたいと考えるのは自然なことだろう? はっ、復讐上等。それが人類のためになるってやつってねえ。むしろ褒めてもらいたいところだねえ」

 

 ぎらついた瞳でそう語る香月。なるほど、これは美空大将も心配になる雰囲気だ。深海棲艦を迷いなく敵と断じ、それを殲滅すべきだと意気揚々になるのは結構なことだろう。それは兵士としては充分な精神であり、迷いなく行動出来る要素になる。

 だが人としてはどうだろうか。上に立つものとしてはどうだろうか。

 その精神の在り方ではどこかで歪みが生まれてしまうのではないか、と母親としては心配になるところなのだろう。

 

「体は小さいくせに、よくもまあそんな大層な心を育んだものね。アカデミーでは友達出来なかったでしょ?」

「あぁ!? 体はかんけえねえジャン!? つーか、ダチいねえのは湊も同じだろうがよぉ!? そんな奴にそこを指摘されるいわれはねえぞ、オラァ!?」

 

 並べてみると、湊よりも身長が低いらしい。どこか面白そうな目で湊が香月を見下ろしているのがよくわかる。そんな眼差しを受けて少しばかり上目づかいで香月が言い返している。

 というかどこかのヤンキーっぽい口調が素なのだろうか。あの美空大将の息子がヤンキーとは……いや、ある意味あの覇気に近しい雰囲気はあの人の息子らしいのかもしれない。

 

「あたしは人嫌いだし。あんたは違ったでしょ? あの一件以降、友達、捨てた?」

「はっ、ま、そうだな……。あれからただただ提督になるべく走り続けてきたってなもんよ。それに必要ないもんは、そうだな。捨ててきたよ。でも、おかげさんでこうして提督になる資格を得たんだ。とりあえずの目的は達成したってねえ。だからこそ、ちゃっちゃとパラオに行きたいところジャン? 海藤サンよぉ、ということでお願いしていいですかね?」

 

 じっと見上げてきているその瞳を凪はどこか危ういものだ、と感じてしまう。言葉通りに受け止めればなんと仕事熱心なことだろうと感じるだろう。休む間もなく、今度は数日かけての船旅だ。それを苦にも感じることなく、早く提督を始めさせろと願い出ている。

 美空大将も心配するわけだ、と納得してしまいそうだ。

 

「わかったよ。準備は出来ているし、行きますかね。じゃあ大淀。うちの娘達を集めて。出発しようか」

「はい」

「では香月さん、うちの指揮艦へ。大本営の大淀、留守は任せたよ」

「はい。いってらっしゃいませ」

 

 留守の間はいつも通り大本営が用意した艦隊が呉鎮守府の警備に当たる。

 移動の際に香月が「それと海藤サンよぉ」と声をかけてきた。やっぱり美空の血筋的なものなのだろうか、と感じてしまうと、

 

「オレのこたぁ呼び捨てで構わねえぜ」

 

 と言ってきたので、頷いておく。呉鎮守府にいた戦力が全て乗船し、二隻の指揮艦が呉鎮守府を出港する。

 セーラー少女妖精の一件があったが、香月に話すようなことでもない。美空大将には湊が報告しているので、一旦この件は置いておくことにする。他にもスパイがいるかもしれないという危険性はあるが、他の妖精達もまた監視に回ってくれることになってくれている。

 艦娘の目が届かない内は、同じ妖精同士でこっそりと見張らせておいていた。残念ながら凪に直接報告しても言葉が分からないという欠点があったので、そのチャンスは短いものだったし、妖精自身も気まぐれなところがあるので多くは頼めないでいた。

 スパイがあのセーラー少女妖精だけとは限らない。しかし何となく呉鎮守府にいたのはあれだけなのかもしれない、という気がしないでもない。虫の知らせはあれ以降起きていない。

 経験上、虫の知らせの腹痛はほぼ100パーセントの確率で当たっているといってもいい。これが起きた時には何かが起きている。あるいは起きようとしている。

 今はそれがない。ということは少なくとも呉鎮守府には危機はないといっていいだろう。

 

(……ま、希望的観測でしかない。深海側がスパイを複数送り込んでいる可能性だってあるんだし。うちにまた来るかもしれない。その時はその時か)

 

 深海との戦いは色々と後手に回っている。奴らはどういうわけか色々と先手を打ってきている。スパイもまたその内の一つだ。

 そろそろ人間側からも先手を打ちたいが、その手段が思い浮かばない。何せ奴らの拠点の場所すらわからない。今回の妖精のように探りを入れることすら出来ないのだ。

 悩みは尽きないが、今は周囲を警戒しつつ太平洋へと出る。水雷戦隊が指揮艦の周囲を警戒しつつ、二隻の指揮艦は太平洋を南下し、トラック泊地を目指すのだった。

 

 

(――――)

 

 それをヨ級が見守っていた。呉鎮守府から逃亡した白猫はすでに中部提督の下へと向かっている。だがヨ級はその場にとどまり、凪達の警戒網の外からじっと彼らの行く末を見張っていた。

 じりじりと後退しつつ、深海棲艦同士で通じる暗号を発する。

 

 呉鎮守府より、二隻の船、出港。

 トラック泊地方面へと南下。

 

 このような言葉を送り届ける。

 いくつかの深海棲艦を経由して暗号が中部提督のもとへと届き、彼は小さく笑みを浮かべる。

 

「時は来た。ではテストを始めるとしようか。戦力は整ったかい、南方?」

「……ああ。改とやらも建造出来た。陸上基地も送り込めば目覚めるだろうよ」

「よろしい。では、作戦通り動いてもらおうか。わかっていると思うけれど、君はラバウルと、可能ならばトラックも引きずり出してもらう役だよ。そのために可能な限り、目立ってもらうからね」

 

 そうして南方の戦力が暴れている間に、中部提督がトラック泊地へと接近。攻撃を仕掛けることで、トラック泊地に向かっている凪達を釣りだし、彼らの戦力とぶつかり合わせる算段だ。

 今回の戦いは人間戦力を潰すことではない。

 色々なことを試運転し、データをとることが第一の目的。

 そして最近躍進しつつある呉鎮守府の戦力と一戦交えてみることで、彼の力を実感してみることが第二の目的だ。

 そんな本気ではない戦いの場に、もう一人加わっている。それはもう一つの画面に映し出されているものだ。モノアイのユニットから映し出されているのは肌白い何者かだ。紺色のぼやけた光を放つ瞳を持つそれは、中部提督よりも人に近しいものになっていた。

 中部提督や南方提督と同じようなフードをかぶっているが、顔は全て深海棲艦の皮膚に覆われていて骸の部分はない。フードの陰に隠れているのでよく見えないが、中世的な顔つきをしているのがわかる。

 

「それで、なぜ北方がいる?」

「いやなに、この作戦の成果如何では次の作戦に参加してもらう予定だからね。陸上基地について知ってもらうため声をかけたんだよ」

「……我としては期待半分で見学させてもらうのみ。使えるものであれば我も使うだけ。それなりの結果を示すがよい、南方」

「ちっ、北の女狐が……お前にとってはただの見世物だろうに」

「戯れも後々役に立つならば有意義なもの。その点中部の計画は先を想定していよう。戦いに敗北しても得られるものがあるだろうよ。なればこそ我はその過程も含めて楽しませてもらうのみ。上手く舞い踊るといい、南方。良きデータを我らに残しなさい」

 

 北方提督はどうやら女性らしい。傍らには護衛要塞らしき球体が浮いており、そこには湯呑が置かれている。時々そちらに手を伸ばして湯呑を傾けているのは様になっている。

 フードに隠れている虚ろな紺色の光の奥にある瞳が細められるが、その口元も小さく笑みを浮かべている。それはまさしく怪しげな雰囲気を漂わせる妖艶な微笑のよう。魔女というものが存在するならば、彼女こそ魔女と呼べる存在に相応しい。

 それが自分を馬鹿にしているとでも感じたのだろうか。南方提督がぎりっと骨の手を握りしめる。今の彼にとって色々なものが自分を嘲笑っていると感じているほどに卑屈になっているのだ。

 北方提督の事を女狐と呼ぶのもそのためだ。

 

「行ってくる。お前もちゃんと動いてくれるんだろうな?」

「もちろんさ。安心するといいよ。ちゃんとデータを取らなくちゃあいけないからね」

「ならいい。……せいぜいお望み通りに暴れてやる」

 

 そして彼は出陣する。色々思うところはあるだろうが、一旦それを何とか胸の内にひそめ、補充された戦力に指示を出し、彼の艦隊はソロモンへと舞い戻る。

 中部提督も北方提督へと視線を向け、「ではあなたはゆっくりと鑑賞していってください」と一礼すると「上手くいくと良いのだがな」と言葉が返ってくる。

 

「そうですね。呉の提督が釣られてくれるかどうかってところが気になるんだけどね。ま、そのあたりは実は心配してないんですよ」

「ほう、左様か?」

「調べによれば現在トラックの提督は、ショートランド泊地とブイン基地に就任する提督を送り届けている。そしてトラックの提督は情に厚い。ラバウルの危機となれば、友のために駆けつけるでしょう。空いたトラックに僕達が攻撃を仕掛けるとなれば、呉の提督もまた黙っちゃいない。こっちも友のために打って出る。全ては友のため。それが、彼らを戦場へと向かわせる要因となる。人間とはそういうものさ」

「……ふむ、否定は出来ぬな。何にせよ人ではない我にとっては、どうでもいいことに過ぎない」

 

 つまらなそうに北方提督はそう口にする。湯呑を口にし、護衛要塞の体へと肘を立てて頬杖をついた。そんな姿を見て「そういえば北方さんは、大部分を思い出していたんでしたっけ?」と何気なく問いかける。

 

「さて。思い出したとも云えるし、そうでもないとも云える。我にとって前世は道具として動き続けていただけのモノ。そんなに思い出すものはないと云うもの。中部、もしかすると(なれ)も耳にしたことがあるかもしれない。その程度には名を残していると云われるであろうよ。我とはそう云う存在だった」

「……ふむ? その割には暗い感情を強く宿していらっしゃる。見た目も随分と人に戻っていますし」

「それは我からも云えるというもの、中部。汝、人に戻っていよう。それにどこか生き生きとしたような感情が見える。我と違ってクソッタレとやらな人生ではなかったようだが? そんなに充実して笑える人生だったのか? それはそれで憎らしい。もう一度死ねばいいのでは?」

「いやいや、別にそういうわけでもないですよ。ただ、そうですね……確かに今の僕は生き生きとしているかもしれない」

 

 不意にどこからか明るい陽光が差しこんでくる。こんな深海にそのようなものが差し込むはずはない。これは幻覚だ。はっきりとそんなことが言える状況の中で彼は言葉を続ける。

 

「でもそれはこっちの人生の方が面白味があるからと言えるからですよ。北方さん、僕はね。一度死んで良かったとも思えるようになっているんですよね」

 

 光の幻覚の中でそんなことを晴れ晴れとした表情で言える中部。静かにチャイム、あるいは鐘のようなものが一つ、また一つと鳴らされるかのような幻聴が聞こえてきそうだった。その光景に訝しげに北方提督が首を傾げている。

 

「それくらい今が充実している。この子達が可愛くて仕方がない。成長していくことに喜びを感じている。そして計画を構築し、進めていくことが楽しい。どれも人間だった頃よりも面白味がある。あっちはあっちでそんなに悪くはなかったけれどね。だから北方さん、僕が生き生きとしているように見えるのならば、それは僕にとっての褒め言葉でしかないよ」

「ほう、それはそれは、大層素敵なことではないか。汝を蘇らせてくれた誰かにでも感謝するといい。とはいえ、その誰かはこの間南西を消滅させてしまったが」

 

 そう、輸送に徹していた南西提督は見切りをつけられた。現在は印度提督が南西提督が担当していた海域を兼任しているが、新たな南西提督が生まれない限りはずっとこのままだ。

 深海棲艦、深海提督を生み出した何者か。深海提督ですら知らない存在の心ひとつで、深海提督ですら切り捨てられる。それを改めて深海提督に思い知らされる一件である。

 

「気をつけることだな、中部。机上だけ練りに練り続け、誰かに見限られないように」

「なぁに。これからその机上の計画を現実のものにしてくるんだ。しばらくは大丈夫さ。でも心配してくれたことには感謝しましょう」

 

 それを体で表すように一礼し、中部提督は振り返る。そこにはヲ級改と二人の戦艦棲姫が待機していた。片方の戦艦棲姫は何やら緑色の縁をした眼鏡をかけている。恐らくラバウルの霧島を改造した戦艦棲姫なのだろう。艦娘の霧島がかけていた眼鏡をそのまま引き継いだようだ。

 三人を見回した中部提督は微笑を浮かべ、

 

「では、これよりウェーク島に向かうよ。それぞれに当てた艦隊、そして君たちの作戦、把握しているね?」

「……問題ナイ。私タチハ、アクマデモ引キ立テ役。死ナナイ程度ニ、立チ回ロウ……」

「作戦ハ、全テ頭ノ中ニ入ッテイマス。オ任セヲ」

 

 ヲ級改はそう言って一礼し、霧島の戦艦棲姫は眼鏡に指を添えながら瞑目する。そんな彼女に「ウェークノ守護ヲスルノデショウ? 大丈夫、ナノカシラ……? フフフ」ともう一人の戦艦棲姫が微笑を浮かべる。

 こちらは武蔵のデータを用いて作られた純粋な戦艦棲姫だ。艦娘から転じた戦艦棲姫だということはわかっているようで、そんなお前にウェークは守れるのか? と少々見下しているらしい。

 それを感じ取った霧島の戦艦棲姫――深海霧島はじろりと目を細め、眼鏡のレンズを光らせる。

 

「オヤ? 確カニ私ハ転ジタ存在デス。ダカラトイッテ、見クビッテモラッテハ困リマスネ……。今ノ私ハ深海棲艦。艦娘デハアリマセン……。司令ノ命ノモト、任務ヲ果タスマデノコトデス。ソレヲ疑ウトイウノナラバ、イイデショウ……。私ノ力デモココデ示シマショウカ……?」

 

 ぎりっと拳を握りしめ、不敵に笑みを浮かべてみせる。艦娘の頃は頭脳派を自称していた深海霧島。先ほどまでの雰囲気もそれが見えていたが、今のその言動は頭脳派というより武闘派だ。

 纏うオーラも静かに熱を持ち、戦艦棲姫へと纏わりついていくかのようだ。両者とも艤装である魔物を今は引き連れていない。力を示すというのであれば、文字通りその肉体で示すことになるが、深海霧島がそこに佇んでいるだけで強者としての雰囲気が存在している。

 やはりラバウルの霧島として積み重ねてきた経験があるからだろうか。ここで建造された戦艦棲姫と違い、艦娘から転じているため、彼女には戦いの経験値というものが存在している。

 転じた存在だと見下した戦艦棲姫だが、それは誤りであったことに気づく。

 転じたからこそ彼女には自分にはないものを持っている。それを発揮されれば、敗北するのはどちらなのか火を見るよりも明らかだ。

 振り上げた拳をそのままひっこめるしかない。

 

「……悪カッタワ。ウェークハ貴女ニ任セルワ。先ホドノ言葉ハ謝罪シマショウ」

「理解イタダケタナラ結構デス。門番ハ任セマスヨ」

「ヤレヤレ。味方同士デ、イガミアッテ……ドウスル。ソレデハ、先ガ思イヤラレル……」

「なに、そうして言葉を交わしあい、絆を深められるならば僥倖さ赤城。それに霧島、君の前世としての経験は残してある。それを活かしてウェークの艦隊の指揮を任せるんだ。それなりに立ち回り、それぞれの戦闘データを取ってほしい。期待しているよ」

「御意。私ニ全テオ任セヲ、司令。アナタニ第三ノ命ヲ授カッタ身。故ニアナタノ期待ニ応エテミセマス」

 

 深海霧島は完全に中部提督に忠誠を誓っている。それだけ中部提督の調整の腕がいいと窺えるものだ。艦娘の頃の戦闘経験値は残し、転じた存在であるという自覚も残しつつ、その忠誠心を自分へと向ける。並大抵の腕では出来ないものだろう。

 裏切りの危険性は必ず排除しなければならない。艦娘の頃の記憶をどう処理したのか。それによって危険性は抑えられるだろうに、彼の微笑からはその不安が感じられない。裏切られることはないという自信さえ感じさせるものだった。

 

「ではウェークに赴くとしようか。赤城、霧島、武蔵。君達の活躍に期待しているよ。今回の戦いにより、ウェーク、榛名、古鷹、そしてアルバコアのデータ収集が出来る。後に繋げるための戦いだ。可能ならば生きて帰ってくるように」

『御意』

 

 彼女らもまた出撃する。

 この数か月で整えられた戦力を率い、ウェーク島へと向かうのだ。

 榛名はル級改、古鷹はリ級改、そしてアルバコアと呼んだのはヨ級ではないまた別の個体だ。開発された新装備を手に、彼女達は戦場へと赴く。

 その戦場に中部提督も足を運ぶ。モニター越しや誰かの口から報告を耳にするのではなく、己が目で耳で凪達を知ろうと考えたのだ。

 彼が移動するために必要なもの、チ級の足元と接続されている機械部分を改造したものが運ばれてくる。座席があり、エンジンも搭載されているそれは一見してバイクのようなものだろう。

 モノアイのライトが怪しく光り、後部には海を移動するためのスクリューがある。それに乗った中部提督がハンドルを回せば、エンジンが唸りを上げる。

 

「出撃する」

 

 その言葉に、彼に付き従う深海棲艦達が鬨の声を上げる。先導する中部提督に続くように無数の深海棲艦達が拠点を離れて海底を往く。それを見送るのは観戦する北方提督。通信を繋ぎ、カメラの役割をしているユニットもまた移動しながら中継を続けていた。

 

(気合が入って結構なことだ。しかし……あの音が鳴ったということは、中部もまた確実に気に入られてはいるのか)

 

 あの音、というのは中部が死んで良かった、と語った後に聞こえてきた幻聴だ。さすがに晴れ晴れとしている彼に光が差したように見えたのは幻覚でしかないが、どこからともなく聞こえてきたチャイムのような音もまた幻聴だろうと思えるだろう。

 しかし、それは幻聴ではない。

 その音は一部の深海棲艦や深海提督が耳にしたことがある、という報告がある。

 こんな何もない海でチャイムのような音が聞こえるなんてことがあるはずはない、と当初は虚ろな存在、精神からくる幻聴だろうと言われていたが、それにしては様々なところで報告例があるので、秘匿情報として陰で伝えられている。

 中部提督はこの情報を耳にしたことはなかったが、北方提督は耳にしていた。それもただ又聞きしたものではない。

 

(我らが更なる成長をするための鍵を握っているというのは確か。中部の試行錯誤により、艦娘と離された距離を縮めていく未来は想定出来る。しかし中部があれに気に入られるだけの戦果を挙げてはいない。所詮は補佐として立ち回り、建造開発を続けてきただけの存在。指揮官というよりも、ただの雑用。新たな駒や装備は、あれが気まぐれに生み出すようなものだったというのに、よもや深海の提督が生み出そうとは。我と同時期に生まれた奴らはなにを思うのか)

 

 南方提督として過ごしていた間も、中部提督として過ごしていた間も戦果という戦果は挙げていない。ほとんどの時間を深海棲艦の建造や調整に費やし、それなりに深海棲艦を戦わせていただけ。

 もちろん南方棲戦姫を生み出したり、アメリカ相手に他の深海提督と共同で戦っていたりはしたが、後者に関してはほぼサポートしていただけに過ぎない。

 とはいえ南方提督として先代呉艦隊を壊滅させ、提督を殺害した戦果はある。その提督が今代の南方提督となっているのだが、でもそれだけだ。それ以外に目立った戦果はない。

 

(いや、何も思わぬし何も云わぬか。あの時期の奴らは語るような言葉は何も持たない存在。……我も含めて。ただ蘇らされ、使い捨てにされるだけの木偶人形。形としての提督と云う存在でしかなかったか。そこから脱却したのは我と、欧州のみ)

 

 現在欧州方面で活動している深海提督。噂で耳にする限りではなかなかの活躍をしているらしい。それによって欧州戦線は五分五分に近しい状態となっている。欧州は艦娘を保有している国が複数存在しているのに、それがただ一人の深海提督が展開している戦力と互角に近しい状態にあるのだ。深海提督としては北方提督と同じく古参であり、他の深海提督と違って今もなお生き続け、それでいて戦果を挙げている。

 さすがはあれのお気に入りかもしれない存在、と北方提督は陰で思っている。

 

(だがほんっと、胸糞悪い。ずっと眠っていたというのに、よもやこのような第二の生を与えられるなど、運命と云うものはどうかしていよう。呪うしかあるまいよ)

 

 苛立ちを隠せぬように荒々しく湯呑を護衛要塞へと叩きつける。湯呑程度では痛みはあまりないだろうが、護衛要塞は小さく声を漏らしてしまった。第一の生の意味を終えて眠り続けていた北方提督と欧州提督。あれの意志によって無理やり体を与えられ、眠りから覚まされた存在。

 意思ある存在となってから何度も思ったことだ。どうして自分なのかと。やめようと思ってもやめられない。ただ深海の勢力として行動することを強いられる。いつしか思考も深海寄りになっていき、自分の行動にわずかな不満があろうとも、人類の敵対者で在ることをやめられず、行動し続けるだけの存在。それが今の北方提督だ。

 つい八つ当たりした護衛要塞や、付き人である何者かに気も向けず、思考がそれてしまったことを恥じるように呼吸を落ち着かせ、中部提督のことへと思考を戻した。

 

(中部の外見が人に戻りつつあるところから見ても、あの音が鳴らされる条件は整ってきていると云えよう。あそこまでいけば、生前が何者かだったのかは察している。それでいてあんなことを口に出来るんだから、言葉通り今の自分の方がいいものと考えているのだろう。はっ、よほどつまらない人生だったんでしょうね。今のこんな暮らしをいいものと捉えられるくらいには)

 

 基本的に光差さない地での生活だ。太陽の光と縁遠い拠点の中で日常生活をする。普通の人間ならばそれはあり得ないことだろう。そして彼女にとってもそれは生前ではあまり考えられなかったものだった。

 付き人の手から新しい茶が湯呑に満たされる。それを口にしながら紺色の光がゆっくりと細められる。

 

(何にせよ今回の結果次第であれの真意が少しでも見えてこよう。果たしてあの音をこれからも中部に鳴らし、力を授けるのか否か。……ん?)

 

 ふと、背後にヨ級が控えた。何かを報告すると北方提督はやれやれと言いたげに嘆息する。湯呑を置くと、「――早いところ追い返すとしようか」と告げる。

 

「大湊も最近妙に張り切っているものね。どういう風の吹き回しか。我が拠点には絶対に近づけさせるな。わかっていよう?」

「――――」

 

 最近では北方提督の拠点付近にまで大湊の艦隊が出てきている。数か月前から妙に活発になってきているようで、北方提督としては気分がよくない。それまではあまり動きはなかったというのに、どういうわけか就任したての頃のようによく北方海域を艦隊が動き回っている。

 ここ数日は拠点としている海域付近にまで近づいてきているため、潜水艦でも使われれば発見されかねない状態になっている。

 拠点を変えれば発見されることはないだろうが、それでは大湊の提督、宮下から逃げたようなものだ。北方提督としてはあまりいい気分ではない。最終手段としては考慮しておくが、今はその時ではない。

 

「いけ好かない女ね、大湊め……。我が平穏をこれ以上脅かそうものならば……雌雄を決してくれようか」

 

 呟きながら傍らに置いてある刀のようなものを手にする。暗き色をたたえた一品だ。本来は光を反射するだけの刀身がそこにあっただろうに、ゆっくりと抜かれたそれは何も映さぬ漆黒に染まっている。

 まるでそれは彼女の心を映しているかのようだ。その刀身を見つめる紺色の光は、あたかも己が心を覗きこんでいるかのよう。そうなると今の彼女はこんなにも暗い色になるほどに闇に染まっているということになる。

 歴史に名を残すほどの存在だった自分がこうまで黒く染まるなど、かの時代に生きた人々は何を思うだろうか。

 カチリ、と刀身を鞘に納めて握りしめる。今更己を振り返ってもしょうがない。宮下は北方提督にとっては好ましくない存在だが、北方提督の敵はロシア艦隊も含まれる。

 少し前に戦力をそぎ落としておいたからこそ、今回は観戦に回れるだけの余裕が生まれている。だが大湊が動いてきたなら仕方がない。中部提督の計画における実戦はまだ数日の間がある。

 なにせ凪達が現場に着くのはそれだけの時間が必要なのだから。

 故に大湊の艦隊を追い返すための軽めの指示をするため、北方提督は立ち上がり移動していった。その立ち上がった姿は彼女の所作や口調に比べると、意外なほどに小柄な少女であった。

 

 




鳴らされた音のイメージは、深海BGMで時々流れてくるあの音のイメージです。
わかりやすいのは15春後段作戦、道中戦BGMですね。


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開戦

 

 

 その日のことは、まさに青天の霹靂といっていいだろう。

 日本では春だが、オーストラリアでは4月は秋の時期。ダーウィンという街には秋の穏やかな空気が包まれていた。海沿いの街であり、ここにはオーストラリア海軍基地があった。現在も深海棲艦の存在があるため、オーストラリアで使われていた艦艇によるオーストラリアの艦娘が滞在している。

 とはいえ日本などに比べれば艦娘化されているものは少なく、その数を埋めるためにイギリスやアメリカの艦娘がデータとして共有化され、建造されている。

 戦力としてはラバウルの艦隊に劣っているが、彼女達の守りによってオーストラリア北部の海域は比較的安定を保っていた。

 

「いやー、最近は比較的落ち着いてるな~」

「そうだな。あれだけ騒がしかったソロモンも日本のおかげで平和になったんだ。この調子で深海棲艦が消えてくれたら万々歳なんだけどな」

 

 そんなことを話しているのはオーストラリアの海軍兵士だ。艦娘達と共に海を守る兵士である。煙草を吹かし、ゆったりと視線を海へ巡らせながら穏やかな時間を過ごしているようだ。

 これだけ平穏な時間を過ごせているのは、やはりソロモン海域の平定が関係している。あそこが荒れていた時期は時々オーストラリア周辺にも深海棲艦が進撃してきていた。

 それに対抗するためにオーストラリア海軍も何とか艦娘を取り揃え、人と共に戦ってきたのだ。深海棲艦に通常の人間兵器はあまり効果がないが、ないよりはマシ。怯ませることで足を止め、艦娘がとどめを刺すという体制で戦っていた。

 これもオーストラリアの艦娘が少ないせいだった。艦娘が少ないからこそまだ人間も戦う形が残っている。その証として埠頭に点々と武装が配置されており、深海棲艦に対する備えもしっかりしている。万が一このダーウィンに接近されようものならば、抵抗する用意があるということだ。

 

「日本提督には本当に感謝だな」

「まったくだ。あのラバウルの提督はあまり動かなかったというのに。他の日本の提督が来たおかげで何とかなったようなもんだったか? だとしたらそっちに感謝したいもんだな」

「最近じゃあラバウルも動いているみたいだけどな。それにショートランドとかにも泊地が出来るんだってよ。これでより安全になるってもんさ」

 

 そんなことを話しながらグラスを傾ける。これだけ穏やかになっているのはソロモン海域が平定したからに他ならない。だからこそオーストラリア海軍の兵士達は緊張を解いていた。

 平定する前は常に緊迫した状況にあった。いつソロモン海域からオーストラリアへと深海棲艦が襲撃してくるかわからない状態にあったのだ。

 突然奇襲を仕掛けてきたことが何度もある。そのたびに艦娘と兵士達が出撃し、深海棲艦と交戦してきた。倒しても倒しても湧いてくる謎の敵。いつ来るかわからない不安、恐れ。それを常に感じていた。

 だが、それはもうない。

 平定後も少数が確認されているが、そのたびにラバウルの艦娘達が討伐に当たっている。おかげでオーストラリアへと接近してきた例は、あの日以降ゼロに近しいものだ。

 こうして監視はしているが、一度もダーウィンが襲われていないことで兵士達はようやく心の安息を得たのだ。緊張し続ける日々から解放されたおかげで、煙草を吹かし、秋の穏やかな空気に包まれてお茶を楽しめる。

 心が落ち着きを求めているのだ。それに応えるように、心身ともに安らいでいる。

 このまま何事もなく一つ、また一つと深海棲艦から海を取り戻してもらえたらと願うばかり。

 

 しかし、それは崩される。

 

 突如ダーウィン北部に多数の深海棲艦が出現。海中の潜水艦たちによって放たれた雷撃が警邏していた艦娘に直撃。何が起こったのかわからないままに、撃沈される。混乱状態に陥っている艦娘達へ水雷戦隊が突撃し、空母の艦載機が一気に放たれる。

 

「しゅ、襲撃だ! 深海棲艦だ! 警報を鳴らせぇ!」

 

 双眼鏡で何が起こっているのかを確認した兵士がそう叫び、それを受けて兵士が通信機で屯所へと伝える。少し間をおいてダーウィンの街に警報が鳴り響く。兵士達が埠頭へと集まり、設置してある機銃に向かっていく。深海棲艦より先に街へと到達しつつあるのが空母の放った艦載機だ。

 

「撃ち落とせー!!」

 

 機銃を掃射して何とか艦載機を撃墜させようとする。艦載機も深海棲艦の兵器のため、通常兵器に多少ながらも耐性があるが、機銃によっていくつかの艦載機は撃墜できた。そうして兵士達の視線を空へと向けさせ、艦娘達もまた注意をあちこちに逸らさせる。

 ダメ押しとして水雷戦隊にはリ級改フラグシップを旗艦として据え、改としての力を存分に発揮させた。それに続くようにル級改フラグシップもまた投入し、その主砲に火を噴かせる。

 彼女達は中部提督が改造した本人達ではない。改としての能力をとりあえず数値化させ、南方提督の下へとデータを送りつけたものだ。それを元にして資材で建造したのである。

 戦闘経験はゼロだが、能力だけは改としての性能を発揮できる。南方提督の役割は囮としての戦力なのだから、穴埋め程度にはなるだろうと貸し与えられている。

 

「――――」

 

 ル級改が指示を出すと、別働隊として待機させていた部隊が海中から姿を現し、ダーウィンへと接近。リ級らの手によって引かれているのは、瞑目している白い少女だ。水雷戦隊が前に出て埠頭へと急接近。

 守護についている艦娘達と交戦している中で、白い少女を連れたリ級やタ級が埠頭に乗り込んでいく。陸上へと上がった彼女達へと銃を手にした兵士達が押し返そうとするが、その程度では戦艦の装甲をしているタ級が止まるはずもない。

 轟っ、とフラグシップのオーラを輝かせ、副砲で兵士達を文字通り吹き飛ばしていく。悲鳴を上げる間もなく砕ける体。弾丸は道を破壊し、機銃もまた破壊される。リ級フラグシップと共に街を破壊しながらゆっくりとした歩みで港へと進み出、白い少女を座らせる。

 機銃の数が減ったことで艦載機達も次々とダーウィンの街への上空に迫り、爆弾を投下して街の破壊に当たる。

 逃げ惑う人々、兵士達や艦娘達の声。そんな中で、白い少女は傍らに置かれた艤装に繋がれる。それは駆逐級の頭部のような顔を持つものと、それに連結した主砲だった。陸上基地らしく頭部には滑走路が設置されている。

 ダーウィンの港と繋がりを持った白い少女は、自らの力と交流させ、ダーウィンに渦巻く記憶を掘り起こしていく。

 周りは交戦状態にあるため、護衛としてタ級フラグシップやリ級フラグシップをはじめとした深海棲艦が守りを固めている。それだけでなく街へと砲撃を仕掛け、破壊の後押しをする。

 埠頭にあった全ての機銃はもうない。奇襲が成功したため、港を守っていた艦娘もまた全滅状態に陥ろうとしている。

 ダーウィンは、壊滅した。

 その報せを行うため、何とか生き延びている兵士の一人が、ラバウルへと通信を試みようとしている。どこかをぶつけたのだろう。頭からは血が流れ、外からは爆発音が響いている。警報もまた鳴り響く中で、通信がつながったところで兵士は叫ぶ。

 

「はい、こちらラバウル基地です」

「SOS! SOS! こちら、ポート・ダーウィン……! 深海棲艦の奇襲にあい、街は壊滅状態にあり! 至急、救援を求む……!」

「ポート・ダーウィンですね?」

「そうだ……! 突如海中から深海棲艦が……っ! 抵抗する間もなく、街に上陸を……!」

「わかりました。至急提督に伝え、救援に向かいます!」

「頼む!」

 

 外からの爆発で所々言葉が被さったかもしれないが、何とか大事なことはラバウルの大淀へと伝えられただろう。深海棲艦は街の内部までは入ってきていない。彼女達は埠頭、そして港周辺から砲撃を繰り返している。

 やはり奴らは海の近くからは離れることが出来ないのかもしれない。それなら何とか逃げられるかもしれない。

 通信機を手に兵士は周りを見回しながら建物から抜け出す。生きていればまた出来ることがある。そう思いながら駆け抜けるが、背後から何かが近づいてくる音が聞こえてきた。

 それを認識したときにはもう、大きな爆発が起き、体が熱風を受けながら舞い上がっていることすらわからないままに意識を飛ばしていた。

 

「――――」

 

 そしてそれは、変化を遂げていく。

 繋がっている艤装に力が注がれていき、戦闘が落ち着いたことでワ級が持ち込んでいた資材を取り込み始めていく。艤装の頭部が唸り声をあげる中、取り込まれた資材を用いて体が作られていく。

 まるでそれは要塞の如し。しっかりとした壁が作られ、砲門が穴から突出しているものもある。頭部からは長い首が形成され、要塞の右側から蛇のように伸びるようになっている。左側にはクレーンが形成され、まるで港湾の施設のような艤装へと仕上がった。

 その艤装と繋がれていた白い少女もまた身体に成長がみられる。少女というよりは一人の女性だろう。身長が伸びるだけでなく、その胸には豊かなものがどんと形成されている。額からは一本の角が上に緩やかに湾曲するように長く伸び、白い長髪は背中にも届くほどにまで伸びている。

 何よりその手には鋭い爪を形成した手甲がはめられている。白い女性には似つかわしくない荒々しさを感じさせる武装だ。

 

「――――嗚呼、ナンテ……悲シイ……」

 

 ぽつりと漏らした言葉と共に、瞑目している瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

 ダーウィンの街から汲み上げた力と共に、彼女は今回の奇襲を受けて逃げ惑う人々から漏れ出た感情もまた、一気に汲み上げていた。

 レ級が南方提督の憎悪などの負の感情を受けて性格を形成したように、彼女もまたダーウィンの人々の感情に影響を受けてしまっているようだ。タ級フラグシップが首を傾げて白い女性に振り返ると、ゆっくりと目を開けた彼女は街を見る。

 港は何もかも破壊され、あちこちから火の手が上がっている。街の方も艦載機がまだ爆弾を投下し、人々から反抗する意思を奪い続けている。

 抵抗していた艦娘の姿はもうない。海での戦いは終わりを迎えている。撃沈された艦娘達は深海棲艦に回収され、南方提督の下へと届けられることになっている。

 街の奥からは人々の嘆きの声があがっているのだろう。港には兵士の死体が点々と存在している。人の死体には深海棲艦は興味を示さない。あれらが深海提督となるのかどうかは、謎の存在が決めることだ。一部の深海棲艦は人の死体を喰ったことがあるようだが、知性を得始めた深海棲艦にとって人の死体はもはや食糧になるものではなかった。

 それらの惨状を見て彼女は、怒るのでもなく、喜ぶのでもなく、ただ悲しそうな表情を浮かべていた。

 

 

 ダーウィンから救援要請を受けたラバウルの深山。大淀から切羽詰まった様子だったことも伝えられる。何せ通信の向こうから爆発音も聞こえてきたのだから、ただ事ではないことは明らかである。

 救援に向かうのは当然として、自分達の艦隊だけで大丈夫か? とも考える。ちょうどショートランドへと今年の卒業生を二人送り届けている東地茂樹がいることを思い出し、すぐさま連絡を取る。

 状況を伝えると、茂樹は快く参戦を了承した。ラバウル近海で合流する形となり、深山は艦娘達に出撃命令を発する。指揮艦へと集合し、ラバウルの守護隊をいくつか振り分け、出撃する艦隊を選別。

 

「……緊急出撃となったけれど、やることは変わらない。敵を殲滅し、勝利をもぎ取る。……積み重ねた訓練の成果を発揮する時だ。頑張ろう」

『はい!』

 

 一方茂樹はラバウルへと向かう道すがら、凪へと連絡を入れていた。ショートランドに待機していた大本営の艦娘達に卒業生らを一旦預けておき、そのままラバウルへと向かっているところだ。

 本来なら提督について少しアドバイスなどをするところだったが、緊急事態なので仕方がない。

 

「――つーわけで、帰るの伸びてしまったわ。トラックで待っててくれや」

「そういうことなら仕方がないやろ。お前が悪いわけじゃない、気にするな」

「そう言ってくれるとありがたいねえ。ま、軽く終わらしてくるからトラックでのんびり休んでいるといいぜ」

「そうさせてもらうよ」

 

 通信を切ると、腕を組んで背もたれに預ける茂樹。思案するように軽く天井を見上げながら傍らに控えている加賀へと軽く「――で? どう思うよ、今回の」と訊いてみる。

 

「不可解ですね」

「あー、やっぱり? どうもきな臭いよなあ、これ」

「ソロモンの一件以降はレ級の件もありましたが、これもまた突発的。レ級は……ラバウルの報告によれば、想定外のように感じられたようですが、今回は意図的でしょう。そうでなければ、港に攻め入るようなことはしません」

「ポート・ダーウィンはソロモン海戦以前からも何度かあったようだけど、平定後は一度もねえ。だというのに、今回はやってきた。しかも奇襲という形でだ。ソロモンの戦いで減っちまった兵力を取り戻したから、憂さ晴らしでもしてえのかねえ? だとしてもどうして俺たちじゃなくてダーウィンなんだぁ?」

 

 埠頭に兵器を置いていた艦娘の拠点を潰したかったのか、とも考えてみるが、それでもあそこにいたのはラバウルやトラックの戦力に比べれば若干劣る。それにダーウィンが落とされたと知れば、すぐさまラバウルをはじめとする拠点から戦力が来るのは明白。ダーウィン以外にも深海棲艦がオーストラリアの拠点を複数襲撃していたならばそれも防げるだろうが、それはない。

 つまり、ダーウィンに絞って襲撃を仕掛けたのだろう。

 何のために?

 

「絶対何かがあるんだろうが、情報が少ねえ……今はとにかく、ダーウィンを取り戻すことだけを考えることにするか……」

「そうしましょう。念のため索敵を出しておきます。こちら側にも敵が来ている可能性がありますので」

「頼むぜ」

 

 

「――ふむ、一先ずは予定通りかな」

 

 ダーウィンの様子、茂樹の動向、そして凪の動向と複数の地点からの報告を耳にした中部提督は満足そうに頷いた。彼はもうウェーク島までやってきており、ウェーク島にはすでに陸上基地の深海棲艦が待機している。

 ダーウィンの襲撃からラバウルへの救援要請、そして茂樹への援護要請。中部提督が立てた計画通りに進行している。あとはウェーク島へと凪を呼び寄せるだけだ。

 それに関してはもう少しトラックへと近づいたところで行う予定だ。

 今のところはダーウィンの惨状でも眺めているとしよう。

 そういえば出来上がった陸上基地とやらはどんな感じなのだろう。南方の部隊へと送り込んでいたユニットから映像を拾ってもらおうと見てみることにする。

 画面越しではあるが、ある程度は見立てが出来る。艤装の出来、本体の出来と目を移らせていく。相変わらず白い女性はダーウィンの惨状をどこか悲しげに見守っていた。その間もダーウィンから力を汲み取っており、少しずつ力を蓄積させている。

 モデルとしてはポート・ダーウィンにあった基地だろう。あそこでも海戦はあった。深海棲艦として生まれる要素は備わっている。

 

「見た目は問題なさそうだね。気になるのは浮かぶ感情と、能力のデータか」

 

 開発関係に携わっている者としては新たな深海棲艦には興味が出るのは当然のこと。彼女はどんな風に仕上がったのだろう。どんな性格なのだろう。どんな能力だろう。映像越しとはいえ興味は尽きない。

 しかし今は堪える。次は戦闘データをとってもらわなくてはならないのだから。

 ふと、そんな中部提督にあの白猫がすり寄ってくる。呉鎮守府に潜入していたあの白猫だ。逃亡した後はウェーク島に合流してきたようだ。ごろごろと喉を鳴らす白猫を撫でてやり「おつかれ」と労った。それに対してにゃーんと猫の鳴き声で応える。

 見た目は深海棲艦の要素が混ざった白猫だが、それでも中部提督にとっては黒猫同様ペットのような存在らしい。黒猫も交え、ホログラムに映し出されている光景を見守りながら出番を待つ。

 南方提督の艦隊が上手く立ち回ってデータ収集してくれることを願いながら。

 

 

 



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水雷戦

 

 

 茂樹と深山が合流するとすぐさまダーヴィンに向けて進路を取る。どういうわけか道すがら深海棲艦が襲ってくるようなことはなかった。偵察機を放ち、周囲を警戒してみても、深海棲艦の影すら見当たらない。

 それがより疑惑を生み出していた。

 今までならば少数であっても航行を妨害するように現れたというのに、それがまったくない。これは何かがあるんじゃないかと思ってしまう。

 

「……深海棲艦が策を弄している、と?」

「確証はねえけどな」

「……知性を感じられるようになっているとはいえ、そこまでか? にわかには信じがたいけれど……しかしこの前のレ級のようなこともあるしな……。変化があるというのは確かか」

 

 深海提督の事は知らずとも、深海棲艦が昔と比べると何かが変わっているというのは感じられる。それは次々と新たな深海棲艦が生まれてきていることからも窺える。これも昔に比べると進行が早いのだ。

 最近の深海棲艦は何かがおかしい。

 だから今回の件も警戒しながら戦っていくことにしたい。そう思いながらダーウィンへと近づいていくが、偵察機が何かをとらえたようだ。それがトラックの加賀に伝えられる。

 

「水雷戦隊が確認されました。……その中に新たな個体が確認されています」

「いきなりかい。モニターに」

 

 偵察機から送られてきている映像には、確かにダーウィンを守護するように水雷戦隊が展開されていた。その中に一人、茂樹達が見たことがない個体が悠然と佇んでいる。

 リ級改フラグシップである。

 フラグシップ特有の金色のオーラを纏い、左目からは青い燐光を放っている。

 

「なんだありゃ? 新型か?」

 

 ヲ級改フラグシップとしては以前から中部提督の下にいたが、戦場には出ていない。新たに生まれたリ級改とル級改が今回人間達にお披露目となるので、深海棲艦の改型は茂樹と深山が初の目撃者となった。

 能力を分析してみると、リ級フラグシップとしての能力が更に向上されていることが分かった。フラグシップのオーラを纏っているのは確かだが、それに加えて左目からの青い燐光が特徴的だ。これにより、とりあえず茂樹はリ級フラグシップが改造されている、として仮の呼称としてリ級改フラグシップとした。ここから人間側の間で深海棲艦に改型が現れた、と認識を持つようになる。

 そのリ級改が率いる水雷戦隊の数は目視出来る限りでは五隊はいるだろうか。もちろん水雷戦隊を越えた先にも艦隊が確認できる。恐らく主力艦隊だろう。戦艦や空母らしい影を確認できる。

 それらで守りを固め、超えた先には目的地であるダーウィンがある。

 

「今回は非常事態だ。早急に突破するぞ。一水戦、二水戦で出撃。後方から一航戦の艦載機で薙ぎ払っていけ。主力艦隊は待機。水雷戦隊を突破したらすぐに出られるように」

 

 ラバウルの艦隊も同様であり、指揮艦からそれぞれ水雷戦隊が出撃していく。それに続くようにして空母を基準とした部隊、第一航空戦隊……一航戦が出撃する。だが水雷戦隊のように前に出ることはなく、指揮艦の近くに留まり、艦載機を次々と発艦させていく。

 当然ながら深海棲艦側もまた艦載機を放ってくる。ヲ級が発艦させたものだけでなく、彼女らの後方、すなわちダーウィンの方からも艦載機が舞い上がってくるのが見える。

 

「……ダーウィンからも放たれているよ。港にでもいるのかい?」

「いるんじゃねえかねえ。偵察機をもう少し前に出せばダーウィンの港の状況がはっきりとわかるだろうが、艦載機まで出されたらここまでってやつだ。とりあえず、蹴散らして前に進むまでだぜ。川内、いけるな?」

「任せといて! 夜戦じゃないけど、さくっと蹴散らしてくるからさ! 一水戦の力、ここで見せてやるよ!」

 

 トラック泊地の一水戦は旗艦に川内、以下大井改二、島風、雷、霞、雪風だ。それに並行するように突撃しているのが二水戦の長良、阿武隈、三日月、若葉、黒潮、電である。

 もちろんラバウルの水雷戦隊も出撃している。主砲を肩に乗せるようにしながら先陣切って出撃していく川内達を見送っているのは、ラバウル一水戦の旗艦、名取である。

 レ級の一件で天龍と吹雪を喪い、新たなメンバーが補充されている。現在の一水戦は名取、鬼怒、皐月、初春、時雨改二、初霜だ。主砲に込められた弾薬を確認し、トラック一水戦らの出方や艦載機の動きを確認した敵の水雷戦隊の動きを見据え、名取は自分達のとる進行ルートをシミュレーション。

 

「――では、漏れた敵を殲滅します。鬨の声を……張り上げてください。突撃、殲滅こそ……水雷の華です!」

『おおおぉぉぉぉ!!』

 

 名取以下、ラバウルの一水戦、二水戦がそれぞれの進路をとって加速する。艦載機の先制攻撃によって深海棲艦の水雷戦隊の一部が瓦解する。対空射撃、敵の艦載機との交戦で数を減らされようとも、放たれた爆弾と魚雷が深海棲艦らを貫く。

 そんな中で川内達が一番槍とばかりに突貫する。手にした15.5三連装砲で次々と駆逐級を撃ち抜き、強引に道を作ると後に続く大井改二などが魚雷を発射。特に重雷装巡洋艦である大井に装備されている魚雷はかなりの門数を誇る。

 それらを側面に放てば、群れになっている深海棲艦であればどれかに当たるだろうというものになる。とはいえ次弾装填には時間がかかるため、その間は砲撃するしかない。

 トラックの二水戦も、大井の雷撃に巻き込まれぬように少し遅れて突撃を仕掛け、深海棲艦の陣形に乱れを生み出す。そうして零れ出た深海棲艦を、ラバウルの一水戦、二水戦が仕留めていくという算段だ。

 

「――――ふっ」

 

 名取が元より持っている主砲で狙いを定め、引き金を引く。放たれた弾丸は狙い狂わずチ級エリートの頭部を撃ち抜き、一撃のもとに仕留める。側面から仕掛けられた事に気づいた残りのリ級らが名取達へと標的を変え、続けとばかりに声を上げる。

 それを見て名取は主砲を一旦消し、副砲を手にした。スイッチを切り替えてやると、腰元に展開されている主砲が別々に照準を合わせるように動いていく。

 

「切り込みます……各個撃破……!」

 

 腰を落とし、一気に加速。引き金を引けばマシンガンの如く弾丸が放たれ、名取に砲撃を仕掛けようとしていたリ級の手が止まる。そんなリ級へと一本の魚雷を手にし、投擲。呉の神通仕込みの魚雷術により、リ級を撃沈。

 それでは止まらず、軽巡や駆逐級の群れへと飛び込んでいく。副砲を連射して駆逐イ級やロ級を沈め、軽巡には足止めさせ、主砲で沈めていく。

 当然ながらやられてばかりの深海棲艦ではない。たった一人の軽巡にここまで被害を出されてはたまらない。吼えながらイ級エリートが喰らいついてくる。

 

「――――っ!」

 

 旋回、転身。

 軽やかに身を捻って躱し、まるで格闘術のポージングするように副砲を突き出し、発砲。演武という言葉があるが、そこに銃撃が加わっているような光景である。その場で踊るように立ち回り、両手に持った副砲と腰元の主砲で寄ってくる駆逐級、軽巡級を薙ぎ倒していた。

 

「なんていうか、変わったねラバウルの名取。戦い方も、雰囲気もさ」

 

 ちらりと名取の様子を窺い見た川内がぽつりと漏らした。以前の名取ならばああいう戦い方はしなかった。ラバウルの元々の方針通り、慎重で守りを重きにおいていた。呉鎮守府などの合同演習で攻めを取り入れたことが影響しているのは間違いないだろうが、あそこまで変わるだろうか。

 変わる理由はあった。

 あのレ級の一件だ。

 ラバウル基地はその方針から轟沈艦を出すことは極力避けられていた。名取が指揮する一水戦だけでなく、その他の隊でも轟沈艦は出しておらず、被害が大きくなれば退避し、艦娘は守られていた。

 故にあの戦いにおいて三人もの轟沈艦を出したことは名取にとって大きな衝撃を生み、そして傷となった。一水戦からは天龍、吹雪という脱落者。共に長く戦ってきた仲間を二人も喪ってしまったのだ。

 自分を責めた。もう少しうまくやれたのではないか、と責め続けた。

 その果てに、彼女は変わった。

 上手く立ち回ればいい。呉鎮守府との演習や訓練、そしてもたらされた技術を上手く組み合わせ、殺られる前に殺ればいい。元より水雷屋はそういう部隊だ。これ以上仲間を喪うわけにはいかない。心が傷つき涙を流すのはここまでだ。

 そうしてレ級の一件後に名取率いる一水戦だけでなく、他の水雷屋もまた名取が考案した訓練を積み重ね、このような戦い方へと変わっていった。

 気弱な名取はそこにいない。戦闘となれば鋭い眼差しで敵を見据え、屠っていく一人の戦士がそこにいる。

 

「名取さん、上空!」

 

 皐月が叫び、名取の視線が上を向く。敵艦載機が編隊を組んで名取へと迫っていた。これ以上暴れさせるわけにはいかない、と撃沈させにきたらしい。名取は向かってくる駆逐級らから距離を取るように後ろに跳び、武装を消す。

 続けて両手を肩へと当てるようにすると、そこには一つの兵器が顕現した。12cm30連装噴進砲と呼ばれるものである。艦載用対空ロケットランチャーであり、今のところ通称ロケランとして艦娘の艤装に登録されている。

 ぐっと構え、狙いをつけて引き金を引けば30連発という連続発射される弾が敵艦載機へと向かっていく。それだけでなく腰元の主砲近くにも機銃があり、弾幕を張って対空防御に当たっている。

 

「こっちは大丈夫。あなた達は敵艦を……! 旗艦はあの青い目をしたリ級! あれを仕留めれば、敵水雷戦隊は瓦解する、はずだから……! トラック一水戦たちの援護を!」

 

 自分が標的にされているなら、と名取は他のラバウル一水戦の仲間へとターゲットが切り替わらないように離れていく。バックしながら弾が装填され次第、ロケランをぶっ放して弾幕を張る。

 名取を心配そうに見る鬼怒だったが、意を決した皐月が肩を叩き、「行くよ、鬼怒さん。ボク達はやるべきことをやらなきゃ!」とトラック一水戦らに続いていく。

 トラック一水戦旗艦、川内がリ級改フラグシップへと向かっていく。自分が狙われていることに気づいたらしいリ級改フラグシップは左目の燐光を輝かせる。

 

「あんたを沈めればとりあえずは一つの壁を抜けられる! 仕留めさせてもらうよ!」

「――――」

 

 川内達から放たれた砲撃。それをリ級改フラグシップは避けていく。その中で川内が放った一発がリ級改へと着弾していくが、左腕にある装甲で防御した。

 従える駆逐級や軽巡級と共にトラック一水戦を迎え撃つ。艦載機の第一陣が引き、第二陣が遠くから飛来してくる中、リ級改は川内めがけて突撃してきた。

 

「おっとぉ!? やってくれるなぁ!」

 

 航行の勢いを殺さないままに右手で殴りかかってくるリ級改。急旋回で躱した川内だが、左手の主砲で追撃を仕掛けてくる。バックしながら蛇行し、砲撃を避ける川内。そこに駆逐級や軽巡級が砲撃を仕掛けていく。

 彼女を援護するように大井達が砲撃、雷撃を仕掛けて攻撃の手を妨害する。その中でも大井がリ級改へと雷撃を仕掛け、無数の魚雷が扇状に広がっていくのが脅威だろう。それを見たリ級改は副砲でいくつかの魚雷を起爆させようとする。二、三発は起爆させられたが、それでも間に合わない。

 身を守るように両腕を交差させながら突撃し、魚雷の爆発を受ける。魚雷の一撃は重いが、リ級改の装甲は硬いらしい。多少よろめきはしたが、平然としたように大井へと迫っていく。

 

「――――ッ!?」

 

 だが、リ級改の頭部を撃ち抜くように弾丸が飛来した。見れば15.5三連装主砲で狙いを定めている川内がいた。結構距離が離れているというのに、よもや頭を撃ち抜くとは、とリ級改は目を細める。

 そんな彼女に、今度は額へと弾丸が撃ち抜かれて仰け反ってしまう。続けて二発飛来し、反射的に左腕で顔をかばった。

 どうしてそこまで頭を撃ち抜けるのかといえば、リ級改の上空に偵察機が飛んでいる影響だ。お互いの艦載機が引いている今、偵察機を落とされる確率は減っている。

 呉鎮守府がもたらした技術、弾着観測射撃だ。偵察機の妖精から見える光景と照らし合わせ、リ級改の細かいところまで川内は見えている。そこに照準を合わせ、発砲しているのだ。

 その技術を知らないリ級改からすれば、川内が優れた命中技術を持っている艦娘なのだと感じてしまう。脅威を感じたならば潰さなければならない。

 ターゲットが川内へと再度切り替わり、副砲をマシンガンのように連射した。川内は副砲の弾丸の雨を掻い潜り、リ級改へと迫る。川内が手で指示を出し近くにいた島風と雪風が、川内と挟み込むようにリ級改へと迫っていく。

 ちらりと二人へと視線を向けたリ級改だったが、バックしながら仲間へと指示を出し、島風と雪風を排除するように仕向ける。そうしながら主砲へと切り替えて川内へと砲撃しつつ、右手に力を込めるように握りしめた。

 ラバウル一水戦の皐月達も援護するように砲撃を加えていくが、それではリ級改は怯まない。その硬い装甲が彼女にダメージを通さない。

 空を見れば第二陣の艦載機が飛来してこようとしている。もちろん加賀達が放つ艦載機も援護に向かってきている。両者が交戦する前に、可能ならばリ級改を撃沈し、敵水雷戦隊を瓦解させたい。

 戦いを見守っている茂樹はモニターを見つめながら一考していた。確かに現在水雷戦隊同士が戦っている。残している水雷戦隊が指揮艦を護衛しつつ、対潜の警戒網を張っている。いくつか引っかかり、撃沈させているため潜水艦の脅威は一先ずは落ち着いたといってもいい。

 が、奥にいる主力艦隊と思わしき部隊は前に出てこない。空母が艦載機を放っているが、戦艦ル級などは出てきていないのだ。おかげでこちらもまだ主力艦隊を出すことはないが、深海棲艦の今までの行動から考えると少し首を傾げてしまう。もちろん主力艦隊を出せば一気に薙ぎ払うことは可能だろう。しかしそうすればその分弾薬は減り、ダメージを受ければそれを引き継いだまま主力艦隊に当たる。

 全力を出させるにはここはあえて「温存」する。その方針でやっているのだが、まさか深海棲艦も「温存」しているとでもいうのだろうか。あの深海棲艦が?

 

「水雷は水雷、主力は主力で分けてんのか? あっちが前に出てこねえな。どういうつもりだ?」

「……手加減、というわけでもないだろうに。やはり何かの意図を感じる。……ただダーウィンを落としに来たというだけではないのかもしれない」

「新型投入しているのに拠点つぶしに全力出してねえってか? いや、戦闘じゃ全力は出してんのか……? あのリ級改は……」

 

 リ級改から放たれている殺気は本物だ。あれで手加減していると言われても信じられない。それだけリ級改は川内に対して敵意を持っている。

 左手で砲撃する中で、右手はまだ力を溜めている。川内はそれに気づいており、以前の戦闘経験からあれが何をしようとしているのかは察していた。いつ放たれてもいいように備えながら弾丸を装填し、リ級改へと迫る。

 川内の左右に弾丸が通り抜ける中、足元を狙った一発でバランスを崩そうとする。それを避けるが、着弾による水しぶきの発生に川内が僅かに巻き込まれる。そこを見逃さないリ級改。右手の艤装から深海棲艦のエネルギーを込めた魚雷を一斉射撃する。

 ソロモン海戦で見せた魚雷による強撃だ。複数の魚雷が一直線に標的へと高速で向かう一撃である。艦娘ならば妖精の力を借りて解き放つ必殺の一撃。深海棲艦の場合はエネルギーを一点に集中させての一撃なのだろう。

 初見ならば問答無用で直撃を受けていただろうが、ソロモン海戦で何度か見てきた川内は冷静だった。

 バランスを崩されそうになっていたがそれを立て直しつつ、向かってくる魚雷の強撃のライン上から身を翻すように避ける。紙一重で通り過ぎていく魚雷は背後で爆発し、強い水柱が立ち上る。それに煽られるようにして川内の体が吹き飛ぶのだが、これを利用して一気にリ級改へと肉薄。

 

「雪風、島風! とどめはよろしくぅ!」

 

 空中で体を制御しながらリ級改の顔へと手を当て、目潰しをしながら跳躍。ついでに主砲を撃ち放ち、リ級改から離れていく。川内による頭上を押さえられてからの至近距離の砲撃。いくら装甲が硬くとも、体を使われての跳躍や主砲を撃たれればバランスも崩される。

 海に倒れていくリ級改へと、雪風と島風は魚雷を放った。強撃ではないが、二人から放たれた魚雷はリ級改の硬い装甲を撃ち抜くには充分な威力を誇っている。やはり主砲より、一撃必殺の破壊力を持つ魚雷の威力は侮れない。

 しかも海に倒れるようにしていたため、側面を何発も魚雷が刺さったのだ。これはいいダメージになった。

 呻き声をあげるリ級改。立ち上る水柱の中、動く気配はない。

 どうやら撃沈に成功したようだ。

 警戒するように川内がリ級改がいた場所を旋回しながら移動していたが、気配を感じられないので視線を他の水雷戦隊のメンバーへと向ける。

 だが何やら軽巡級やリ級が言葉を発しているようだった。お互い顔を見合わせ、撤退するかのように潜航を始める。やはりリ級改がこの水雷戦隊らを纏める長だったようだ。頭を失ったことで、戦闘を続ける意味を失ったらしい。

 

「リ級改撃沈。敵水雷戦隊、撤退していくよ。……ん? と同時に向こうで動きが」

 

 と、偵察機を通じて見えてきた光景を伝える川内。

 ダーウィンに向かわせまいとする防壁となっていた主力艦隊。今までヲ級らから発艦される艦載機しか送ってこなかったが、ここで主力艦隊全体が動き出したようだ。

 偵察機から確認出来るメンツには、主力艦隊らしいル級やタ級が視認できる。その中で、リ級改のように左目から青い燐光を放つル級フラグシップを確認した。これを茂樹や深山にも共有させた。

 

「リ級改フラグシップの次はル級改フラグシップってか? そっちにも新型がいるってんなら、どうして同時に放たなかったんだ?」

 

 艦娘を倒すだけならば、奪ったダーウィンを守るためならば、リ級改とル級改を同時にぶつければいい。水雷戦隊と主力艦隊という二つの戦力をぶつければ、問答無用で艦娘の戦力を潰せる。

 南方提督にとっては目障りなトラックとラバウルの基地の戦力を削れるだけでなく、ソロモン海戦の借りを返せるだろう。とはいえ茂樹や深山にとってはそんなことは知る由もない。

 そして偵察機、放たれた艦載機が前進したことで、よりダーウィンの様子を探ることが出来た。

 港は破壊され、瓦礫が散乱している。埠頭に並んでいたと思われる機銃は襲撃の際に破壊されたが、深海勢力の資材を投入したのか、人の手で作られたような外見ではない機銃へと生まれ変わっていた。

 深海棲艦の装甲のような黒い装甲を持つ機銃がじっと空をにらんでいるのだ。

 そんな埠頭に静かに座する存在が一人。

 白い女性とその背後に佇む城壁のような艤装。首長の蛇のような艤装の魔物が、ダーウィンの港湾に入り込もうとしている艦娘達を睨んでいた。

 

「……あからさまに艦艇の艤装じゃないね。ダーウィンの港にあがっているし」

「ヘンダーソンのような深海棲艦ってか? 陸上基地型ってやつか。ってことは、また三式弾が効きそうかね。それでいてあの飛行場姫のように多くの艦載機を抱えてそうだな。こりゃあマジで短期決戦仕掛けた方がいいな」

 

 あの時は夜間突撃によって飛行場姫の優位性を奪いに行ったが、今回は完全に昼での戦いだ。あの無数の艦載機で空を埋め尽くされてはたまらない。早急にル級改率いる主力艦隊を撃破し、そのままダーウィンへと向かった方がいいだろう。

 

「とりあえずあの白い奴が今回の一件の最終目標と見ていいだろうよ。とりあえず……ダーウィンの港湾に座する陸上基地ってことで……、分析は?」

「――――完了しました。ランク的には、姫です」

「――じゃあ最終目標、ポート・ダーウィンの港湾棲姫! 奴を仕留めれば俺達の勝ちだ! 水雷戦隊は一時帰還し、修復にあたってくれ。そして主力艦隊、出撃! 敵主力艦隊を撃破する!」

 

 茂樹の言葉に礼を取り、艦娘達が出撃していく。彼らの戦いを観戦するものがいることに気づかないまま、ポート・ダーウィンにおける戦いは佳境を迎えることになる。

 



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港湾棲姫

 

 ダーウィンにおける戦い。水雷戦隊同士の戦いはトラックとラバウルの連合艦隊の勝利となった。撃沈した水雷戦隊の旗艦リ級改は物言わぬ残骸となって沈んでいく。

 彼女の役割はこの水雷戦隊を率いて艦娘と交戦し、戦闘における力はどれほどのものかのデータを得ることにある。そのため敗北し、撃沈したとしても役目を果たしてはいる。あとはそのデータを中部提督に届けるだけ。

 残骸となったリ級改へと複数のヨ級やカ級が接近する。沈んでいくリ級改の体を留め、体の中から何らかの球体のようなものをヨ級は取り出した。

 深海棲艦の核のようなものである。

 深海棲艦の体を構成するものであり、そこに深海棲艦としての記録を蓄積する。魂とはまた別のデータを溜めこむ物体であり、同時にエネルギーを生み出し、循環させて体を動かし、艤装を動かしている。

 これを砕かれたとしても深海棲艦は活動を停止するが、体に宿っていた魂までは影響しない。あくまでも核はこの世にある深海棲艦の体、器を動かすためのものでしかないのだ。

 リ級改の魂は海に漂う青白いモヤとなる。核を失ったリ級改の残骸はぼろぼろに崩れ落ち、モヤは静かに核へと纏わりつき、同化していく。これによって二つに分かれて保存されていたリ級改の戦闘データが一つとなる。こうすることでこのリ級改は新たな体を得て蘇ることが出来るのだ。

 リ級改の魂は彼女自身の思考や特徴から生み出された経験を、核は体を動かし、どのように艤装を扱ったのかという物理的、現実的な記録を。この二つのデータで、より詳しいことがわかる。

 頷いたカ級がヨ級から核を受け取り、中部提督の下へと向かっていく。

 残ったヨ級らはまた静かに浮上し、ダーウィンの戦闘を見守っていくのだ。

 

「――――コレ以上……クルナ……。止メテ、近ヅケサセナイデ……」

 

 ダーウィンの港に陣取っている港湾棲姫が静かにそう命を出す。彼女の性格なのか、今までの姫や鬼と比べれば小さな命令の声だったが、ヲ級やチ級へと伝わり、そして主力艦隊の旗艦を務めているであろうル級改へと伝わっていく。

 ぎらりと左目の青い燐光が輝くと、彼女もまた改めて命令を出す。その声は司令官らしく大きく響き渡り、展開して待機していた主力艦隊の深海棲艦へと伝わっていった。

 主力艦隊に所属する水雷戦隊が先陣を切り、続くようにル級やタ級が率いる隊が前に出る。後ろではヲ級、ヌ級が艦載機を発艦させるが、その更に後ろ、港湾棲姫もまた艦載機を発艦させた。

 

「わらわらと鳥が群れてやがるな。こっちも惜しまねえ。一航戦だけじゃなく、二航戦も発艦だ。深山、そっちも頼むぜ」

「……わかっている。こちらも一航戦、二航戦を使おう」

 

 艦載機同士がぶつかり合う前に、戦艦による三式弾の砲撃で敵にある程度のダメージを与える。三式弾が炸裂することで細かい弾がばらまかれ、艦載機を多数撃沈させる試みである。

 先陣切って出撃していたトラックの主力艦隊。戻ってくるトラック一水戦、二水戦と交代し、前に出ていくのはトラックの第一水上打撃部隊旗艦扶桑。高速戦艦である榛名も前に出、那智と鳥海もまた三式弾を装填しながら前に出る。

 重巡砲では戦艦主砲よりも飛距離で劣る。その分前に出て距離を縮める試みだ。第二水上打撃部隊である金剛、比叡、高雄、愛宕もまた同様に三式弾を装填し、背後から迫る艦載機よりも先に三式弾を炸裂させるため、扶桑が号令をかける。

 

「三式弾、一斉射!」

 

 一斉に火を噴く主砲。放たれた三式弾が空へと舞い上がり、敵艦載機の進路上で炸裂する。だが敵もまた同じ意図をしていたようだ。

 ル級らが艤装を空へと向けると、一斉に砲撃してきたではないか。それらは同じように弾が空へと舞い上がり、炸裂する。深海棲艦もまた三式弾を開発していたとでもいうのだろうか。

 加賀達が放った艦載機の一部が、三式弾によって瓦解する。だがそれは敵艦載機も同様で、海へと落下していく艦載機らを見送りながら、艦載機同士がまた交戦する。

 空の戦いを繰り広げる中で、前に出るは三水戦や四水戦。主力艦隊よりも速い航行力を以って前に出る。

 トラック三水戦旗艦の五十鈴が「砲雷撃戦、よーい! 蹴散らすわよ!」と声を上げる。ラバウルの三水戦らも側面から当たりに向かい、水雷戦隊がぶつかり合う。そんな中で重巡らが砲撃をはじめ、満を持して戦艦も砲撃に参加する。

 

「徹甲弾装填。全砲門開き、薙ぎ払って!」

「――――!!」

 

 扶桑、そしてル級改の号令に従い、戦艦らが主砲を放つ。放たれた弾はそれぞれの艦隊へ弧を描いて飛び、落下する。艦娘達は回避行動をとりながら距離を詰めていくが、その中の数発が直撃する。

 呻き声を上げながら体をかばったのは高雄、涼風。特に駆逐艦である涼風にとって、恐らく戦艦の弾丸だったそれの一撃はほぼ致命傷だった。よもや機動力のある駆逐艦の涼風に命中させるなんて、偶然か? と思われたが、離れたところにいる第二水上打撃部隊にも直撃させるだけの腕を持っているル級改の実力を示してきた。

 

「涼風さん、高雄さんは無理せず後退を! 五月雨さん、指揮艦にその旨報告を……!」

 

 扶桑の指示に従い、五月雨が指揮艦へと二人が撤退することを報告。庇うように扶桑と榛名が撤退していく二人の射線上に立ち、副砲で深海棲艦へ牽制する。

 扶桑達が放った徹甲弾ももちろん深海棲艦に直撃している。その一撃でリ級は撃沈し、ル級やタ級はダメージを通している。だがル級改にも直撃弾はあったらしいが、少しよろめいた程度で、あまり効いている様子はなかった。

 

「攻撃機、港湾棲姫に接触します!」

 

 攻撃機が主力艦隊の頭上を通り過ぎ、ダーウィンへ到達。港湾棲姫の視線が攻撃機へと向けられると、その異形の手がゆっくりと持ち上げられる。手のひらを上に向け、くいっと指を曲げると、埠頭に配置されている機銃らの砲身が合わせて動かされる。

 深海棲艦の襲撃によって破壊された機銃は、深海棲艦の資材を以って修復された。これによって人間の兵器ではなく、深海棲艦の兵器となったのだろう。港湾棲姫の意思に従って動かされるようになっているようだ。

 艦攻、艦爆という攻撃機が港湾棲姫へと攻撃を仕掛けるはずが、埠頭に並べられている機銃の対空射撃によって次々と落とされていく。もちろん港湾棲姫の艤装にある機銃も斉射され、放たれた攻撃は2、3発程度にしかならない。

 

「――――ッ、コノ程度……」

 

 直撃はしたが、大きなダメージにはなっていないようだ。その様子を攻撃機を通じて加賀は感じ取り、ダーウィンと港湾棲姫の様子を報告し、艦娘達へと共有する。

 艦戦による航空戦はお互いそれなりの打撃を与えあい、一旦下げていく。第一次の艦載機の補給が終わり、再びそれらを放ちながら加賀は攻撃機を通じて見えた港湾棲姫の様子を思い返す。

 今までの深海棲艦の姫と言えば、誰もが笑みか怒りの表情を浮かべていた。

 自身の優位性を示すような笑み。

 艦娘を相手に戦えるという笑み。

 艦娘に対する憎しみをあらわにした怒り。

 仲間を傷つけられたことに対する怒り。

 こういった感情をその顔に張り付けている。姫級だけでなく鬼級も同様だろう。深海棲艦というものは艦娘や人類の敵対者だ。艦娘や人類にとって見慣れた表情を浮かべ、艦娘達の前に立ちはだかる。

 だが港湾棲姫はどちらでもなかった。

 

(……悲しみ、でしょうか。あるいは恐れ?)

 

 攻撃機を見上げていたあの表情は加賀にはそう見えた。どうして今回ダーウィンに侵攻したはずの深海棲艦の陸上基地の姫が、悲しみや恐れの表情を浮かべているのだろう。

 わからないが、そのような表情を浮かべているからといって攻撃の手をやめることはない。このままダーウィンに居座られれば北から順番にオーストラリアの都市を落とされる可能性がある。放置することは出来ない。

 指揮艦に帰還してくる涼風と高雄、それを護衛している吹雪に視線を向け、通信で三人が帰ってきたことを報告。それを受けた茂樹は「水雷、修復はどんなもんだい?」と入渠区画へと問いかける。

 

「傷は修復完了。補給もあと数分で終わる感じだよ」

「そうかい。じゃあ補給が済み次第、再出撃よろしく。入渠ドックが空いてるようだから、高雄と涼風バケツで修復! 攻めの手は緩めねえ。奴らの壁をぶち抜き続けてやれ!」

 

 何としてでも早急に決着をつける。

 その意図により扶桑達はル級改へと攻撃を仕掛けていくことにする。ラバウルの主力艦隊もそれに乗り、ル級改は視線を動かして自分がターゲットになっていることを悟る。

 だが、それで怯むようなル級改ではなかった。

 何か指示を出すと順次砲撃を始める。飛来してくる砲弾は扶桑率いるトラックの主力艦隊へと届いていた。メンバーが落ちているトラック艦隊を壊滅させ、攻撃の手を落とそうという試みか。

 そしてやはり高命中力を持っているのだろう。あるいは装備している電探の性能がいいのだろうか。放たれた弾丸が、扶桑や榛名へと直撃してくる。回避行動をとっているのに、それを読んで中ててきているのだ。

 しかしまだ戦える。当たり所は悪かったわけではない。ダメージとしては小破に抑えられている。

 

「陸奥さん、そちらはどうです……?」

「狙いはつけているわ。隙をつければ、一気に削りきれるでしょうね」

「では、側面からお願いします。それまでこちらが引きつけましょう。皆さん、踏ん張りどころよ」

 

 扶桑がラバウルの陸奥へとそうやり取りし、ル級改に狙われたまま前に出る。副砲で牽制しつつ、隙あらばリ級やチ級を撃沈する。

 その後ろにいるル級タ級はそんな扶桑達を追いかけていくが、ル級改は警戒しながらその後に続いていく。

 ダーウィンの方からヲ級やヌ級、港湾棲姫が艦載機を放って支援するが、当然ながら加賀達も抑えにかかる。向かってくる敵艦載機を近づけさせまいと、榛名などが三式弾を再度装填。

 上空に向けて発射すれば、空で破裂した三式弾が小さな弾を大量にばらまく。それによって敵艦載機を迎撃するが、上空に視線を向けている榛名達へとル級達が砲撃を仕掛ける。

 ル級改も砲撃に参加し、飛来してくる砲弾らに扶桑達は回避行動をとる。その側面から敵水雷戦隊が突撃を仕掛けてくるが、そこにトラックの三水戦らがカバーに入る。

 そしてル級改らにラバウル主力艦隊の陸奥らが砲撃を仕掛ける。向こうへ意識を向けている今こそ、一気に攻め落とす好機。

 

「主砲、撃て!」

「――――」

 

 が、ル級改はそれを読んでいたらしい。主砲は左手のものしか使用しておらず、右手の艤装を楯のようにして防御する。が、陸奥も防御されるのは読んでいた。堅い艤装だということは何度か見せた防御で分かっている。

 徹甲弾で一点突破するため、弾着観測射撃の連撃によってほぼ同じ位置に着弾するように調整。それにより、貫通した徹甲弾がル級改の右肩を貫く。

 

「――ッ!?」

「今よ! 一気に叩け!」

 

 右肩を貫かれてよろめいたル級改。堅い守りを見せていたル級改に綻びが生まれたのを見逃すわけにはいかない。戦艦重巡という高火力にして砲撃距離に優れた艦娘達が一斉にル級改へと攻撃を仕掛けていく。

 その中で名取率いるラバウル一水戦が突撃を仕掛けていく。

 名取はまだロケランを担ぎながら敵艦載機を撃墜するように立ち回りつつ、魚雷で深海棲艦へと攻撃を仕掛けていく。鬼怒、時雨がそれに続いて雷撃を行うが、時雨は魚雷に力を収束させた強撃を放っている。

 通常の雷撃よりも高速で敵艦へと向かっていく魚雷。ル級改へと迫るそれに気づいたらしく、咄嗟に後ろに飛び退いて回避した。が、後から追いついてきた魚雷の一本がル級改に着弾する。

 

「――ッ、……!?」

「覚悟を……!」

 

 いつの間にそこまで来たのだろうか。

 主砲を構えた名取がル級改へと照準を合わせていた。だが軽巡ごときに自分の体を撃ち抜けるはずもない。魚雷によって体の右側に大ダメージを受けているル級改だが、左の艤装で迎え撃たんとする。

 ル級改の主砲が放たれる前に名取の主砲が放たれる。それは艤装に指を掛けている左手へと着弾した。こんな細かいところへと命中するだと? とル級改の手が止まる。その一瞬で名取は手に魚雷を顕現させ、投擲。

 ル級改の眼前へと迫ったそれに主砲をもう一発撃ちながら名取が離脱していく。

 反射的にル級改は左の艤装を放り投げて防御態勢をとった。爆風が艤装に当たったおかげでル級改へと直に届かなかったのが幸いした。しかし左右の艤装を失ったル級改。

 戦闘を続けるにしても戦艦の命である主砲がない。

 歯噛みしながら後退し、残ったタ級らに名取を討てと命じる。

 

「ル級改を逃がさないで! 戦線を押し上げるわよ!」

 

 ル級改が後退するならば、自分達は着実にダーウィンへと近づいている証拠だ。

 空には名取が放ったように偵察機が飛行している。弾着観測射撃のおかげで細かいところへと命中できるだけの射撃が出来る。

 それだけでなく扶桑からは瑞雲が飛んでいる。急降下爆撃によってタ級フラグシップの目を潰した後、扶桑からの追い撃ちによって撃沈される。

 順調だ。

 ここまで力をつけたのか、と自信が持てるだけの戦闘が出来ている。

 慢心は禁物だが、積み重ねた訓練によって大きな犠牲を生むことなく有利に運べているのは喜ばしいもの。

 そして港湾棲姫を目視で確認出来るだけの距離まで接近出来た。

 ダーウィンの港に居座る白い女性。しかし戦いを見守っている彼女の眼差しはやはり悲しみを抱いている気がしてならない。

 

「射程内に入るわ。隙を見て、三式弾を撃ち込むわよ。ヲ級達の処理は……」

「任せなさい。ここまで押し上げたならば、一気に叩き込める。すでに何人かは落としている。流れはこちらにあるわ。鎧袖一触で蹴散らします」

「ふ、頼もしい限りだわ。……でも、そうね。いい波が来ているなら、それに乗り切らなければ損というもの。頼むわよ、加賀」

「了解。では、発艦させなさい」

 

 後方から加賀達が艦載機を発艦させる。

 ダーウィンでの戦いに決着をつけるための攻撃機だ。ル級改も後退し、主力艦隊も瓦解している。もはや敵の勝利はほぼ見えない状況。

 だというのに、港湾棲姫は悲しげな表情でこう言うのだ。

 

「――帰ルト、イイ……。コレ以上、コチラニ来ルナ」

「なんですって?」

 

 怨嗟でもなく、怒りでもなく、陸奥達へと帰還を勧めてきた。その意味が少し理解できなかったが、少しして陸奥は停戦を要請したのか? と考える。

 

「戦いをやめろと? まさかあなた達がそういうことを口にするとは思わなかったわ」

「無意味ナ、犠牲ハ……望マナイ。トラック……失イタクナケレバ……来ルナ」

 

 重苦しい音を立てて艤装の主砲が持ち上げられる。照準は陸奥たちに向けられていたが、彼女自身の瞳はあまり戦意を宿していなかった。まるでそれは仕方なく武器を向けている女性、という雰囲気を醸し出している。

 深海棲艦にも変化が生まれていると感じてはいたが、よもやあまり戦意を持たぬまま生まれてくる存在がいようとは。いったい何がどうしてこのような深海棲艦が生まれたのか。

 だが彼女に戦意はなくとも、このままここに深海棲艦の艦隊を留まらせておくのはよろしくない。元より今回は深海棲艦から仕掛けてきた戦いだ。奪われたダーウィンを取り戻すためには、港湾棲姫を討つしかない。

 

「……警告するわ。疾く、ここから去りなさい。去らないならば、私たちはあなた達を沈めなければいけない。無意味な犠牲を望まないならば、あなた達から去りなさい。そうすれば、これ以上血を流すことはないでしょう」

「――――」

 

 それに対して応えを返したのは港湾棲姫ではなく、負傷していたル級改だった。彼女の目には戦意がある。ル級へと手を伸ばせば、彼女の艤装を手渡される。どうやら彼女は戦う気があるらしい。

 そんなル級改へと「……榛名、続ケルノ……?」と問いかける港湾棲姫。逆にル級改は「続けないのか!?」とでも叫んだのだろうか。艤装を手渡したル級もどこか困惑したような表情を浮かべ、陸奥へと視線を向けている。

 あのようなル級、以前にも見かけたような気がした。そう、レ級の一件のことだ。

 レ級を迎えに来たル級は、レ級をたしなめるようなそぶりを見せていたし、レ級が沈められると状況を整理し、やむなく撤退を選んだ。どこか苦労人のような雰囲気を見せていたが、まさかあの時のル級だろうか?

 そうしていると、ル級改は陸奥へと主砲を撃ってきた。飛来してくる砲弾。それを陸奥はすっと手をかざすと、拳で弾き飛ばす。海面へと叩き付けられ、爆発するそれを背景に、「――続けるのね?」と静かに呟く。

 

「――仕方ガナイ。所詮、私達ト、アナタ達はソウイウ関係。コノママ戦ウナラ、私ハ役割ヲ果タシテ、消エマショウ……」

 

 護衛要塞が港湾棲姫の傍らへと現れ、カチカチと歯を打ち鳴らす。埠頭に並んだ機銃も上空を睨みつけたまま、艦載機の接近を阻む構えだ。

 

「……何モ、何モワカッテイナイ……。所詮、私ハソウイウ役割。コノ戦イニ意味ハナイ。悲シイコトネ……」

「どういうこと? あなた、何を知っていると?」

「……来ルナ、帰レ……。ソノ先ニ、答エガアル……。帰ラナイナラ……私ハ、アナタ達ヲ討トウ……!」

 

 そこで初めてその気弱そうな瞳に戦意が宿ったように見えた。蛇のようなものもまた高らかに咆哮を上げ、一斉に艦載機が発艦されていく。

 言葉の意味はやはりわからなかったが、戦う気になったならばやむを得ない。「三式弾、一斉射!」という陸奥の号令に従い、三式弾が一斉に放たれる。続けて加賀達の艦載機達も到達し、ダーウィンの守りを崩すべくル級改らへと迫っていく。

 

「――――!!」

 

 負傷はしていてもそこは改としての意地があるのだろうか。

 ル級改は自ら前に出て残った主力艦隊を率いる。艤装は改としての艤装よりも性能は落ちるが、そんなことは関係ない。ル級改にとってこの戦いを続ける意味は一人でも多くの艦娘を倒し、この傷の借りを返すことにある。

 怒りという感情に支配されているらしい。とても深海棲艦らしいわかりやすい行動原理だ。

 

「ふん、効かぬよ!」

 

 ラバウルの長門に飛来する砲弾。いくつかは躱し、二発が被弾したが傷は浅い。だが追撃してきた副砲の連打。それを掻い潜り、接近した上で主砲を斉射。だがル級改もカウンターを撃ち込むように長門へと弾を残していた砲門で撃ってくる。

 鍛えられた装甲を誇る腹筋で耐える一撃。それでも弾頭が抉りこみ、衝撃が長門へと襲い掛かっているが、倒れるほどではない。

 逆にル級改にはほぼ致命傷になる攻撃だった。馬鹿正直に突っ込んできたのが不幸といえる。その高耐久に硬い装甲を以ってしても、主砲の全弾命中は傷を負っていたル級改といえども耐えきれるものではない。

 よろめき、力尽きたように倒れ伏す。そんなル級改を介錯するように、鬼怒達が魚雷を放ち、撃沈させる。

 硬い装甲、中ててくる砲撃。一つ一つは脅威と感じる要素を備えていたが、まだ戦いに慣れていない雰囲気を感じたような気がする。それはやはり生まれたばかりの個体故の未熟さにある。

 艦娘達はそれを知る由もないが、そこに勝利を掴めるだけの要素があった。

 それは、この港湾棲姫にも変わりはない。

 彼女もまたここ最近生まれたばかりの存在だ。能力こそ量産型ではなく姫級らしいものを備えているが、実戦経験はそんなにない。その上性格が戦いに向いていない。

 三式弾を受けながらも、砲撃を放ってくるがル級改と違って少々命中に難があるらしい。

 いや、中てようとはしていないのだろうか。まるで威嚇射撃のようだ。先ほどから何発も撃っているというのに、まともなダメージを与えるような着弾がない。

 

「……やっぱり何かがおかしいけれど、手を抜くわけにもいかないわね」

「ええ。容赦は必要ないわ。やらなければこちらがやられるだけ。仲間を喪って後悔するのは、そう何度も味わうものではないわよ」

 

 陸奥の呟きに加賀が通信越しに言葉を掛ける。レ級の一件はトラックにも伝わっている。となれば三人の艦娘を喪っていることも知っている。

 非情ではあるが、悲しみを繰り返す必要はない、と陸奥を気にかけているのだ。言葉を証明するかのように、艦攻が次々とヲ級やヌ級、ル級らを攻撃していく。ダーウィンの守りの手はもう僅かにまで削られていた。

 あれだけいた深海棲艦もここまで減っている。ソロモン海戦の時はどこか均衡したような戦力だったが、今ではここまで差をつけてしまっているのかと少々驚きを感じる。

 長門や囮を務めていた扶桑達が傷を癒すために一時撤退する中、修理を終えたトラック一水戦らが戻ってくる。だがもうほぼ出番はないような状況だ。それを感じ取ったのか「ぶー、なんかつまんない感じー?」という川内のふてくされたような声が聞こえてくる。

 

「……いいえ、やることはありますよ。対空射撃、始めてください……!」

 

 と、ラバウルの名取が再びロケランを構えて上空へ放つ。港湾棲姫から放たれる艦載機への対処だ。砲撃は当たらず、艦載機も対空射撃によって防御される。港湾棲姫を守る者は少なくなり、残るはタ級や護衛要塞ぐらいしか戦力になるものがいない。

 対する艦娘側はほぼ脱落者はなし。戦力差も歴然だ。

 

「せめて苦しまないように、一息で終わらせてあげるわ」

「――――ソレハ、アリガタイモノネ。デモ、ソレデモ私ハ役割ヲ少シデモ果タシタ。願ワクバ、私ノ存在ガ……少シデモ意味ガアッタト……思イタイ……」

 

 瞑目する港湾棲姫は降り注ぐ三式弾の弾を防御することなく受け入れる。これ以上の足掻きに意味はない。与えられた役割はトラック艦隊とラバウル艦隊を引きつける囮。少しでも時間稼ぎをすることにあるが、彼女としては戦闘自体あまり乗り気ではなかった。

 これ以上無様に抵抗し続けることは、港湾棲姫にとっては苦痛でしかなかったのだ。

 だからおとなしく死を受け入れる。

 艤装の蛇は抵抗しようとしているが、本体である白い女性が動かないために何もできない。傍らにいた護衛要塞も埠頭から飛び出して陸奥達へと砲撃しようとしているが、それを川内達が押しとどめる。

 

「嗚呼、悲鳴ガ……嘆キガ、遠ザカル……。ソレデイイ……、悲シミナド、ナクテイイ……。イツカ……戦イノナイ、日々ニ……私モ、カエル……」

 

 知らず手が空へと伸びる。ダーウィンの人々の悲しみの感情を取り込んで生まれた港湾棲姫は、最期まで戦いに対して積極的になれなかった。一般人の悲しみという負の感情から生まれたからこそ、深海棲艦としてはあるまじき戦闘行為に否定的な性格を形成してしまった。

 攻撃こそしていたが、彼女の攻撃が艦娘に対して有効打を与えたのはそうなかっただろう。戦闘テストとしては不合格、姫の完成系としては失敗作もいいところだ。

 三式弾によるダメージが蓄積し、艤装が爆発して炎が発生する。燃え盛る炎に包まれながら、港湾棲姫は静かにその身を海へと投じた。

 崩れ落ちていく艤装と体。だがそのまま彼女が眠りにつくことはない。失敗作としかみなされない戦果ではあるが、彼女というデータは回収されなければならない。戦闘データは役に立たないが、港湾棲姫としてのスペックだけは良いものではある。

 中部提督が派遣した深海棲艦が港湾棲姫から抜き取った核を回収し、持ち帰る。その中に紛れるようにして、残存している深海棲艦も潜航して撤退を始めた。普通ならば追撃するところだが、ダーウィンの埠頭に並んでいる深海棲艦の武装兵器や、街の様子を探らなければならない。

 ここは撤退する彼女達を見逃すことにする。

 だが、あまり腑に落ちない。

 ソロモン海戦に比べるとあっけなさすぎる。

 それは陸奥や加賀だけでなく、茂樹もまた感じていた。

 確かに新たな戦力を投入してきている。だが、それ以外の層はあまり補強されていないため、容易に守りを突破してしまった。それに港湾棲姫もあっけなく散り過ぎている。彼女が戦闘向きの性格をしていなかったということもあるが、それにしてはおとなしくやられ過ぎだ。

 せっかくダーウィンを攻め落としたというのに、どうしてこうもあっさりと取り返すことが出来たというのか。

 自分たちが強くなった、というだけにしては納得がいかない流れだった。

 

「……出来過ぎている、と?」

「普通深海棲艦が港町を攻め落としたってんなら、もう少しまともな戦力を揃えてくるだろうよ。あるいは、他にも侵攻するさ。だが、ダーウィンを落としたかと思ったらそのまま待機だ。まるで俺達を待っていたかのようにな。かと思えば、あっけなく壊滅。何がしたかったんだ? って思うだろうよ」

「……確かにね。二つの鎮守府での戦力、姫級は一のみ。そんな状態でのこの戦いだ。……ソロモン海戦での被害をまだ回復しきっていない状態でのダーウィン侵攻だったならば、ますます意図が読めないね」

 

 何にせよダーウィンから深海棲艦は退けられた。指揮艦二隻はダーウィンの港に接舷し、街の様子を探りに行く。

 そしてダーウィンの戦いを見守っていた深海棲艦のユニットもまた静かにダーウィンから離れていく。戦いを見物していた北方提督は、静かにこの戦いを振り返り、ぽつりと呟く。

 

「――良かったのか、これで? 戦闘記録はまともに取れずに終わったと云えよう。終始囮で終えたようなもの。ダーウィンの個体は失敗作と断じられるものと烙印を押されよう」

「戦闘記録に関してはその通りだけれど、生み出す際の注意点ははっきりした。それだけでも得られるものはあったと言えるよ、北方さん。……そう、少なくともあのシステムよりはずっとマシさ」

 

 思い出されるのは南方提督が構築した力のシステム。深海棲艦の命を削り性能を向上させ、己の傷を修復し、何度でも量産型を修復して戦線復帰させるあのシステムだ。艦娘側からすれば悪夢としか言いようがない、まさに亡霊としての在り方を示すものといえる。

 だが中部提督からすればそれは認められないシステムだった。

 

「あれは消していいものだね。あれこそ一番の失敗作。復活出来ない死兵に意味はない」

「……あそこでも死んでいるが?」

「死んではいない。沈んでいるだけさ。例え沈もうとも、魂があればあの子達は蘇る」

 

 あの戦場で沈んだ深海棲艦は魂さえ残っていれば別の体を得て蘇る。しかし南方提督のあれは魂やコアを傷つけ、摩耗させる。まさに命を削っている力だ。あのソロモンの戦いで散った戦艦棲姫や飛行場姫の魂は回収を試みたが、すでに消え去っており復活することはない。

 飛行場姫は最後にいずれ復活するようなことを口にしていたが、それは叶わぬものとなってしまった。データは残っているが、あそこで戦った飛行場姫とはまた別の存在となるだろう。

 だから中部提督はそれを認めない。戦いに負けることはあっても次のチャンスを用意すべきだ。そうして負けを、失敗を積み重ねても最終的に勝てばいい。魂が流転する余地があるならここで沈んでも何も問題はない。

 

「失敗を、敗北を恐れてはいけない。開発というものは失敗を積み重ねて成功例を生み出すもの。失敗もまた良きデータになる。それがこういった事に携わる者の心得さ」

「左様か。我はそういうことは疎い故な。それで? ウェークでも戦闘はあの通り始められた。何か命を出さなくても良いのか?」

「なに、問題ないさ。今回は敗北しても問題なし。最後までそれなりに立ち回るだけのことってね」

 

 そう笑みを浮かべる中部提督の視界には、艦娘と深海棲艦との戦いが行われている。

 ダーウィンで戦いが繰り広げていると同時に、中部提督の方――すなわち、ウェーク島の方面でも戦闘がある。その相手は、凪と湊率いる艦隊。こちらでも中部提督の予定通り進行しているのであった。

 

 

 




あまり戦いがすきそうじゃない、というイメージと
イベで実際にやってみるとあっけなくクリアできたというものが組み合わさり、
こちらではスムーズな勝利となりました。

なお、4-5は……。


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誘致

 

 

 南方提督によってダーウィンの囮作戦が行われている少し前まで遡る。

 トラック泊地へと向かっていた凪と湊の指揮艦は、目的地であるトラック泊地が近くなってくる頃合いまで来ていた。日本を出て数日という旅路。ちらほらと深海棲艦が確認されはしたが、大きな戦いにまで発展することはなかった。

 美空香月は湊の指揮艦に乗船している。初対面の凪より従姉弟同士の方がまだ気が楽だろうということでそうしておいた。

 また湊なりの提督としての在り方もレクチャーしているようだが、香月としては参考程度に留めているらしく、自分の方針は変える気はないらしい。今はまだ提督を始めてすらいないので、とりあえずは話だけはしておくことにしたようだ。

 実際にやることで自分の方針が正しいのかそうでないのか。少しずつわかってくるだろう、という希望的観測をしておくことにする湊だった。

 

「それにしても、ダーウィンがやばいって……南方って、この間のソロモン海戦とやらで落ち着いたんじゃねえの?」

「この間といっても去年の秋の事。あれからそれなりに経っているのだから、戦力立て直しの時間はあったといってもいいんじゃないの? あたしは深海側じゃないし、鎮守府も南方担当じゃないから詳しくは知らないけれど」

「深海の拠点とやらが見つかれば存分に叩きに行けるってぇのに、それも見つかってねえらしいジャン?」

「見つけられるとでも? どこから来るのか未だにわかっていないし、拠点も海の下にあると思われているのに、去年まで潜水艦が出来ていなかった海軍よ? しかも数も揃っていないのに、大規模捜索なんて出来るはずもなし。深海憎しってのはわかっているけれど、もう少し現実を見ろってのよ」

 

 身内相手だからか、湊がいつもより容赦なく感じられる。しかし実際その言葉通りではある。

 そもそも南方だけでなく、世界中で深海棲艦は確認されているし、拠点もどこかにあるはずだとは思われている。だがその位置を完全に特定するには至っていない。

 そのせいで深海棲艦に色々と先手を打たれ続けているのが現状。それを打破しようとはしているが、その策を考えても現実的に無理なのだ。

 故に今は現れたところを叩き続けるしかない。歯噛みしているのは香月だけではない。艦娘を生み出し続けている美空大将をはじめとする第三課や、凪、湊だってそうなのだ。

 

「そういうわかりきったこと、改めて言わせないでくれる? そんなんじゃあパラオの提督、上手くやっていけないわよ?」

「ふん、わかりましたよっと」

 

 そんなやり取りをする中で、周囲を警戒していた加賀から報告がくる。

 それぞれの指揮艦上には偵察機を放っている空母が待機しているのだ。日本近海ではなく、ここは太平洋。周りに何も見えず、深海棲艦の拠点があったとしてもアタリをつけることすら困難な海。

 そしてどこからともなく下から襲ってくることもあれば、遠方から接近してきている可能性もある。そのためここに来れば自然と空母に索敵をさせることになる。

 加賀の索敵に何かが引っかかったようだ。偵察機と繋いだ視界から見えるものを凪へと報告する。

 見えたのは、深海棲艦の艦載機。それが東の方角から南東に向かっているようだ。凪達ではなく南東に向かっているとはどういうことなのか。それはすぐにわかる。

 南東には凪達の目的地であるトラック泊地があるのだ。とすればトラック泊地へと向かっているのだろうと推察できる。艦載機がいるならばその近くに放ったヲ級かヌ級がいるはずだが、今のところそれは見られない。索敵の範囲外にいるのだろう。

 トラック泊地は現在茂樹がいない。主がいない隙に攻撃を仕掛けるつもりなのか。

 

「タイミングがいいのか、あるいはそれを狙っていたのか。何にせよ艦載機をそのまま向かわせるわけにはいかないね。艦載機発艦、敵艦載機撃墜せよ!」

「艦載機発艦。敵艦載機を撃墜します」

 

 命令を復唱し、加賀達が艦載機をトラック泊地方面へと放つ。湊の空母たちは加賀の偵察機の方へと艦載機を放ち、敵空母の索敵を改めて行うこととする。

 状況が動き出したことで何やら香月がそわそわとしはじめる。「マジの戦いか? いよいよ始まるってのか?」とモニターを見ながらうずうずとしているようだ。

 

「落ち着いたらどう? あんたが戦うわけじゃあるまいし」

「授業じゃ演習ばかり、実戦はデータを見ているだけだったからしょうがねえジャン? 実戦はやっぱり肌で感じねえとな」

「そうウキウキするようなものじゃあないけどね。それに今回の事、空き巣をやってるとするなら、向こうも相当頭を回している可能性が否定できないよ」

「何言ってんスかね、海藤サンよ。奴らが頭を回すなんてありえねえでしょ」

「それは昔の話。今はそうではないわ。……その辺り、まだテキストに追加されてないの? だとしたら授業内容はもう前時代のものになってるわね」

 

 この1年で深海棲艦が変化しているというのは現場が体験しているし、体感レベルで判断できるくらいになっている。凪も父である迅へと意見交換をすることにより、昔と比べて深海棲艦に知性があることを認識した。

 その一因として深海提督が関わっているだろうが、実際にそれを見たわけではないので報告していない。だがそれを抜きにしても、深海棲艦のそれぞれの行動に知性を感じるというのは間違っていない。

 凪、湊、そして大湊の宮下、更にこの南方の茂樹や深山もまたそれを口にしている。

 現場がそう感じているが、まだアカデミーではその旨を伝えきれていないようだ。テキストを更新することが出来ないというだけでなく、大本営側が「それは体感であり、実際にそれによって大きな被害が出ているわけではないだろう」などと処理している可能性がある。

 現場と上との間で認識の相違が生まれているのかもしれない。

 

「ダーウィンで騒ぎを起こして茂樹をトラックから遠ざけ、その隙に横からトラックを攻め落とす。までを想定しているのなら、立派に戦略が出来ているよね。基本的な釣りからの奇襲だ。どこから来るかわからない深海棲艦がそんなことをやってきたら、不利どころじゃあないよね」

「ま、今回はあたし達がいるから何とかなっているけど。……いや、そもそもあたし達がこっちに進路とってるってのは、途中の襲撃でわかっているようなものだと思うけれど、そこどうなの?」

「確かに。それに今か、ってのもあるね。俺達がトラックに着くのはまだ少しかかるってのはわかるはず。なのに今、艦載機を飛ばしている。茂樹が離れたすぐ後にやればいいのに、攻めるにしては遅いような気がするね。……まさか、わざわざ俺達と会敵するつもりだった?」

「……は、はは。だとしたら海藤サンよ。どうして向こうはそんな真似をしてまでうちらと戦いたがるってんだ? わざわざ空き巣するチャンスを作り出しておいて、トラックを落とすんじゃなく、海藤サンらと戦うって? バカバカしい。そんなことをして何の得があるってんだよ?」

「――そう、普通ならあり得ない。でも敵は深海棲艦だ。人間として普通の考え方をするようではわからない」

 

 と、モニターに映る香月を指さしながら凪は言う。

 そして手を出してくるっと反転させる。

 

「普通ではない考え方をする。トラックを攻め落とすつもりなど最初からない、と発想を変えてみるのさ、香月」

「――なるほど。そこであの猫、か」

 

 湊はふと思い出したように呟いた。猫、呉鎮守府に潜り込んでいたスパイと思わしき存在だ。

 

「本当にあれが情報を抜いていたのなら、あたし達がトラックに行くことはあらかじめわかっていた。その上でトラックを空けさせつつ、今ここで姿を見せたってのなら、最初からそういう意図の下で動いていた可能性があるわけね」

「うん。奴らの目的は、俺達にある。……あるいは、俺かな? 俺と戦うために、今、姿を見せたんだよ」

 

 大湊で宮下から言われたことを思い出す。

 足元を掬われる。気をつけなさい。

 内側の胸ポケットに入れている宮下からもらったお守りに思わず手が伸びる。もしかすると、危険は今ここに訪れているのだろうか。だが虫の知らせを告げる腹痛はない。まだその時ではないのだろうか。

 それに、仮に凪と戦うためだとしても、どうして凪なのか。

 凪より長く提督を務めている横須賀や大湊、舞鶴の鎮守府の提督もいるというのに。そんな提督を相手にするのではなく、凪を相手にする理由。

 新人狩りかな? と不意に推測してしまった。

 そうでないならば、最近ちょくちょくと大きな戦いに参加して戦果を挙げているせいだろうか、とも思い至れる。その噂を耳にした太平洋の提督が凪と戦ってみようか、と南方提督にでも声をかけて、今回の策を講じたのだろうか。と、凪は分析して結論付ける。

 そうしている内に加賀達の艦載機が敵艦載機と交戦しようとしていた。だが敵艦載機はそのまま反転し、帰っていくではないか。

 空戦は発生せず、敵艦載機が逃げるように東へ去っていく。

 その様子に凪だけでなく湊も訝しむ。

 

「釣りかな? 湊はどう思う?」

「でしょうね。トラックを攻撃しようとしているのを見せておきつつ、何もせずに去っていく。あたし達を誘っているんでしょ、これは。こっちの偵察機も向こうが潜んでいそうなところまでは向かっているけど、まだ見えないらしいわね。これはヲ級らも一旦潜航しているんじゃない?」

「あちらさんは空母だろうと潜航出来るからなぁ……。しかしこのまま放置しておけば、またトラックに接近するだろうし。招待されるしかないか。二水戦、三水戦は対潜警戒として出撃を」

 

 進路を変更し、東に向かうことにする。同時に水雷戦隊を出撃させ、指揮艦周囲の潜水艦の警戒に当たらせる。そんな中で湊は「二水戦は前方に出て警戒。三水戦、四水戦は指揮艦について」と命を出す。

 

「おや? 君が前に出すのかい?」

「敵が本当に凪先輩を狙っているのだとしたら、そちらの主力は温存する方向になります。となれば、前方警戒するならあたしがいいでしょう。あたし的にも多少は艦隊を鍛えている自負はある。二水戦だからといって、後れを取る気はないですから」

「では、君の艦娘達を信じよう。お願いするよ」

 

 佐世保の二水戦のメンバーは旗艦を龍田に、由良、黒潮、初風、舞風、響となっている。空には入れ替わりで放たれた偵察機や艦載機が舞い、空から周囲を警戒させている。

 敵艦載機はまだ逃げの一手をとっており、それを追いかける艦載機の一隊によって見失わないでいるのだが、いつまで逃げ続けるのかという疑念がわく。

 仮にヲ級フラグシップが見つかったとしても、水雷戦隊という足の速さを活かして立ち回ればまだ勝機はあるだろう。直援隊もいるので問題はないはずだ。

 

「ではみんな、張り切っていくわよ~」

 

 龍田の緩やかな声の中、佐世保二水戦が指揮艦から出撃していく。

 敵艦載機の追跡、周囲の潜水艦の警戒と二つの様子をモニターしつつ、慎重に指揮艦二隻は前進し続ける。

 一見穏やかに見える広々とした海。

 変わり映えしない景色だが、その下から来るのが深海棲艦だ。龍田達は装備している電探やソナーに意識を集中させながら航行する。

 数分もの間、何もないまま進軍し続けたが、不意に由良が「……! ソナー、感あり! これは……魚雷です!」と報告する。由良が指し示した方へと意識を向ければ、確かに数本魚雷が迫ってきていた。

 すかさず砲撃を行い、魚雷を落としにかかる。方向からして指揮艦を狙ったものではなく、佐世保二水戦への先制攻撃のようだが、水上艦らしき影はどこにもない。ということは潜水艦が間違いなくいるのだ。

 幸い魚雷は落とせたので着弾することはなかった。

 続いて潜水艦を探しに向かうと、そう時間をかけず潜んでいると思われる反応が静かに伝わってきた。深海棲艦が放つ反応から分析し、恐らく潜水カ級のエリート以下と思われる。

 直ちに処理しに向かうことにする。手に爆雷を持つと反応が見られたポイントへと投擲。沈んでいく爆雷が間をおいて爆発することにより、カ級らを撃沈させるのだ。

 だが潜水艦はどうやらこちら側だけにいるわけではないらしい。

 

「――むむむ。向こうから魚雷反応クマよ。何としてでも落とすクマ!」

 

 呉の二水戦旗艦の球磨が指揮艦に直撃コースと思われる魚雷反応をキャッチ。すぐさま球磨と暁、吹雪が魚雷の処理に向かうことにする。川内、時雨、白露は指揮艦付近に残り、他にも魚雷がないかを探る。

 いつの間にか潜水艦が近づいてきていたのか、あるいは元からこの海域に潜んでいたのか。龍田達佐世保二水戦は素通りさせ、ゆっくりと息を潜めながら浮上してきたのかもしれない。

 迫ってきた魚雷は落とし、続けて撃ったと思われる潜水艦を探る。だがその中で急速に接近する反応を捉える。

 それは魚雷の強撃だ。

 通常の雷撃よりも速いスピードで指揮艦へと迫ってきている。

 主砲で迎撃しようにもその速さから着弾した頃にはもう魚雷はその先にいる。このままでは指揮艦に直撃してしまう。それだけは避けねばならない、と球磨は咄嗟に魚雷の方へと加速しようとしたが、それより早く身を投げ出したものがいた。

 

「――ッ、くぅ……ぁぁああ!」

 

 川内だ。その反応速度と咄嗟の行動が結びつき、魚雷の強撃をその身で受け止めることに成功した。だがさすがに強撃という一撃には耐えられず、その制服と共に体も吹き飛ばされてしまった。

 

「川内さん!」

「っ、来るんじゃない、吹雪! そこで待機……!」

 

 海面に叩き付けられて滑りながらも、川内は助けに入ろうとした吹雪を留める。じんわりとその体が沈み始めているが、川内は膝をつきながらも立ち上がろうとする。

 

「この一発だけとは限らない……あんた達は、ここで次の一発に備えて警戒を続行……! 私に気にかけるんじゃなく、自分の今やるべきことを見誤らないで」

「……は、はい……!」

「わかったよ!」

 

 吹雪と白露が川内の言葉に頷くと、指揮艦から縄が投下される。川内はそれに手を伸ばし、合図をすると指揮艦へと引き上げられていった。それを確認しながら「四水戦、五水戦も出撃。守りを固める! どうやら敵さんもやる気になっているみたいだからね。注意して!」と凪が命を出した。

 同様に湊も残りの水雷戦隊に出撃命令を出していく中で、モニターを見ていた香月が冷や汗を流していた。

 

「な、なんじゃあ!? あのスピード!?」

「強撃、あるいは渾身の一撃。まだ決まった名前はない。艦娘でも装備妖精との同調とかで撃てるけど、深海棲艦もまた撃てるようになっているわ」

 

 これもソロモン海戦の時から見られる深海棲艦の攻撃方法だ。もしかするとまだ更新されていないため、アカデミーのテキストに載っていないのかもしれない。

 

「見ての通り、奴らも日々進化を続けている。戦場に出ないとわからないこともある。それを把握せず、舞い上がっているようではとって食われるのはあんたよ、香月。気を付けることね。四水戦、五水戦も出撃。護衛隊、潜水艦警戒を厳に! もうそこまで来ている可能性があるわ!」

 

 指揮艦の装甲はそれなりにあるが、魚雷の当たり所が悪ければ沈められてしまう。そのために艦娘の護衛が必要だ。潜水艦の群れとなれば、水雷戦隊を各所に配置して位置を探らなければならない。

 負傷した川内などはすぐさま入渠させ、欠員を補充するように他の艦娘が配置につく。

 指揮艦に備えられている探知機にも、少しずつ敵潜水艦の反応を捉え始めた。潜水カ級、それもノーマルからフラグシップまで揃えられているようだ。その群れに囲まれているため、前進ではなく一時後進をしながら処理していくことにする。

 だがそこで前に出ている龍田達から通信が入る。

 

「遠方に島が見え始めたわ~。あれって何の島だったかしら~?」

「島? ……この辺りの島というと――ウェーク島のようね」

「ウェーク島? いつの間にウェークまできていたのか」

 

 トラック泊地から見てウェーク島は北東にある。二つの島は結構な距離がある。とはいえ凪達はもうトラック泊地に到着するというわけでもなく、途中で進路を変えた。だがそれでも結構な距離を誘い込まれていたことになる。

 そして今まで追跡を続けていた敵艦載機が緩やかに降下し始めた。それを出迎えるのは、海の中から出てきたヲ級である。

 だが、ただのヲ級ではなかった。

 左目から青い燐光を放つ、ヲ級改フラグシップ。

 帽子のように被っている艤装が口を開き、艦載機を収納していく。手にしている杖のようなものをとん、と左手に叩くとヲ級改の周囲に次々と深海棲艦が浮上していく。その中にはタ級フラグシップも存在していた。

 

「どう見ても主力艦隊ね……。一時離脱するわよ~!」

 

 状況判断は迅速に。この水雷戦隊では不利だということをすぐに察すれば、敵前逃亡だろうと命を出す。勝てない戦いにわざわざ挑みに行くメリットはどこにもない。

 しかし敵もおとなしく逃がしてくれるほど優しくはない。すっと杖で龍田達を示すと、どこからともなく魚雷の反応が見られたではないか。方向からしてヲ級改らの方ではなく、別の場所。まさかまだ潜水艦がいたというのか。

 それも魚雷のスピードが他の潜水艦よりも早く感じられる。使われている魚雷の性能がいいのだろうか。

 逃げる佐世保二水戦のメンバーを追いかけ続ける魚雷。そして背後からはもう一つ、ヲ級改から放たれた別の艦載機が追従している。それらについては直援についていた艦載機が交戦に当たり、何機かを撃墜させている。

 魚雷からも振り切るように加速し、水雷戦隊らしい足の速さを活かして逃亡を開始。そんな彼女達を見捨てるわけにもいかない。

 

「今回の敵の拠点はウェーク島とすると、あれで敵戦力の全力ということもないだろう。が、むざむざとやられるままというわけにもいかないね」

「主力艦隊、二航戦、一水戦を出していくわ。短期決戦を狙っていく形で!」

「では、こちらは主力艦隊、第二水上、一水戦を。一航戦は艦載機補充が終わり次第出られるようにしておいて」

 

 いよいよ出番か、と嬉々とした顔で大和が甲板へと躍り出、勢いよく飛び降りる。艤装を展開して着水すると、その衝撃で水が舞い上がる。そんな大和に「張り切り過ぎですって大和さん! ちょっとは自重ってもんを知っとこうじゃん?」と鈴谷がため息をつきながら着水する。

 

「久しぶりの実戦ですよ? 腕が鳴りますよ。鈍った体をほぐすにはちょうどいいだろうしね。さて、全員そろったならさっさとウェークに向かいますよ。長門に先を越される前に、敵を撃滅してやろうじゃないですか!」

「あ、やっぱりそうなんだ……。これも大和さんなりの長門さんとの勝負なのね……」

「仕方があるまい、村雨。これはそういうものだ。……ビスマルクも、少しずつわかってきただろうから、これ以上の説明はいらないな?」

「……ええ。まったく、せっかくの私の初陣だというのに、しょうもない」

「何を気落ちした顔をしているのですか。前を向き、敵を捕捉し、砲撃をする。そして死なずに帰還する。それだけを胸にいざ出撃の時です! 私についてきなさいな」

 

 旗艦である大和を先頭に第二水上打撃部隊がウェーク島を目指していく。だが後ろから追い越していくのが、神通を旗艦とする呉一水戦と、那珂を旗艦とする佐世保一水戦だ。水雷戦隊らしい高速航行で一礼しながら「お先に失礼します」と神通がウェーク島を目指していく。

 その際に指で位置を示すと、Верныйや夕立が爆雷を投げつけていった。すると静かに忍び寄っていたらしいカ級の反応が一瞬だけ見られ、そして消えていった。

 那珂の方も迫ってきている魚雷を処理するために砲撃しつつ、爆雷を投げつけてカ級エリート達を処理。「護衛は必要かなー?」と肩越しに振り返るが、「こっちはこっちで何とかやるから、そっちの仕事をしてくれて構わねえよ!」と呉の木曾が周囲を警戒しつつ応える。

 第二水上打撃部隊には木曾や村雨という対潜要因がいる。日向や鈴谷も瑞雲によって軽めではあるが潜水艦に対抗する手段がある。また後ろからは呉主力艦隊、佐世保主力艦隊が追従してきている。

 その中でも潜水艦に対抗する手段を持つ艦娘がいる。それぞれがフォローしあうだろうから大丈夫だと木曾は言う。

 

「わかったよ。それじゃあ行ってくるねー」

 

 敬礼した佐世保一水戦は加速し、呉一水戦に続いてウェーク島を目指す。それを追い越すように呉、佐世保の主力艦隊の空母や佐世保二航戦が放った艦載機が空を往く。艦娘達のスピードよりも速く佐世保二水戦の救援に駆けつけるのだ。

 湊が「すぐに艦載機の助けが入る。それまでは耐えて」と龍田に通信を入れる。

 

「了解したわ~。私達の根性を見せましょう」

 

 と、龍田は背後から追いかけてくる艦載機を肩越しに見上げる。空には艦載機、海上にはタ級ら、そして下には潜水艦。普通に考えてまともにやりあえるはずはない。

 だが身を守ることは出来るだろう。

 龍田はヲ級改へと振り返り、バック航行しながらその手に高角砲や機銃を展開。彼女に続いて佐世保二水戦のメンバーもまた対空防御の艤装を展開する。

 

「対空射撃、開始! 凌ぎ切るわよ~!」

 

 攻撃のために降下しようとしている艦載機に向け、対空射撃を敢行。直援機はもういない。ヲ級改らが放った艦載機と、深海棲艦の対空射撃によって全滅していた。

 また攻撃の手は艦載機だけではない。遠距離から砲撃してくるタ級らの弾丸を回避し続ける。今、仲間がこちらに向かっている。それまでの間、佐世保二水戦はこの窮地を乗り切ろうと踏ん張るのだった。

 

 



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会敵

 

 

「――追跡、続行。敵戦力ヲ、引キズリ出ス。アルバコア、調子ハ、ドウ?」

「――――」

「ソウ。ナラ、今ハマダ適度ニ……攻撃ヲ」

 

 佐世保二水戦を追いかけるヲ級改率いる深海棲艦の艦隊。装填を終えれば、タ級フラグシップやル級フラグシップが砲撃していく。海中からはヲ級改がアルバコアと呼んだ個体率いる潜水艦が雷撃を仕掛ける。

 砲撃や雷撃は足の速さで何とか切り抜けているが、いつまでも全速力で逃げ切れるものではない。足の速さが売りではあるが、常にフルスロットルを出せるわけではない。

 人間も地上を全速力で走り続ければ息が切れる。それと同じように、艦娘もまた息が切れる。そのため時折速度を落とし、蛇行をしながら回避行動をとっていた。

 それにいつかは合流できることがわかっている。それまでの間、時間を稼げばいいのだ。希望がある分だけ、気持ちに少しだけ余裕が持てる。

 

「魚雷反応、ですね。また撃ってきたみたいですね」

「迎撃は出来そうかしら~?」

「出来んことはないけど、やっぱ他の魚雷と比べたら早いわぁ」

「それに数、多いですよ。潜水艦、集まってきているんじゃないかしら」

 

 後ろを確認する黒潮と初風がそう答える。そんな中で「戦艦撃ってきたよ。回避を」と響が警告した。蛇行する龍田達の近くに着水していく弾丸。その威力は立ち上る水柱が物語っている。

 そうして体勢を崩したところを、追撃してくる魚雷がとどめを刺す、という試みか。最後尾にいた響が迫ってくる魚雷に覚悟を決め、左肩にあるシールドのようなものを構えた。

 

「…………っ!」

 

 直撃。防御態勢をとっていたおかげで吹き飛びはしなかったが、それでも炸裂した魚雷の威力に飲み込まれた響の艤装はダメージの大きさを物語るものになっていた。

 構えたシールドは破損し、衝撃が響にも伝わったのかセーラー服が一部弾けている。「響!」と後ろにいた初風が響を抱きかかえ、舞風と黒潮が響を庇うように前に出る。

 とはいえ今は逃亡中だ。前に出はしても、移動はバック航行となる。

 響のダメージは中破に留められたのが幸いか。その体が沈みはしていないのでその点では不幸中の幸いといえる。さすがは不死鳥という異名を与えられた駆逐艦。耐えることに関しては何らかの加護があるのかもしれない。

 しかし敵の攻撃の手はこれには留められない。

 

「駆逐艦、仕留メキレナカッタヨウネ。……マダ、主力ハ来ナイカ。ナラ、モウ少シ……攻メヨウカ」

 

 とんとん、と杖を手に叩いて一点、また一点と杖の先で示す。それに従って帽子から艦載機が発艦され、それぞれの方角へと飛行する。艦載機で挟み込むようにして攻撃するつもりか。

 響を連れて航行する初風。これはいわゆる曳航しているようなものだ。両手が塞がっているため艤装を手にすることが出来ない状態。守りは龍田達に任せる形になってしまう。

 対空砲撃の構えをとるが、左右から挟み込まれればまた被害が出るのは確実。それぞれが対処するから一点に集中するよりも守りが薄くなってしまう。更なる犠牲の覚悟。犠牲は自分が受けるか? と龍田は冷や汗をかきながら思案する。

 仲間が傷つくよりは自分がそれを受け、逃がしてやるのも手だ。

 そんな自己犠牲を考えているとき、ヲ級改がすっと目を細めて「――キタカ」と呟いた。

 次いで空に更なる飛行音が響いてくる。見上げれば、多数の艦載機が敵艦載機と交戦を始めていた。航空支援が到着したのである。

 呉と佐世保の主力空母達が放った艦載機。それを見届けたヲ級改は「一度補給スル。計画通リ、進メテ」とタ級フラグシップに伝えて潜航を始めた。

 交戦している敵艦載機は次々と撃墜されていく。数では艦娘側の方が圧倒的だ。落ちるのははじめからわかりきっているので、見捨てるようだった。それにこれはただ艦娘を釣りあげるための囮でしかない。最初からこれらの犠牲は想定内である。

 本番はこれ以降。そこに力を注ぐだけだ。

 

「お待たせしました。……無事ですか?」

 

 呉一水戦の神通が龍田へと寄り、響の状態を見て問いかける。「ええ、何とかね……。ありがとう、呉の神通さん」と頭を下げる。続いて佐世保一水戦の那珂が到着し同じように龍田達を心配する。

 

「ここまでで敵影はなかったよ。まっすぐ行けば指揮艦に行けるから、撤退していいよ」

「そうさせてもらうわね~。敵は今のところあれらと、新しい魚雷を使う潜水艦がいると思われるわ~。気を付けてね」

「わかりました。お気をつけて」

 

 一礼する神通は鋭い眼差しで敵戦力を見据える。ヲ級改はいなくなったが、それでも主力艦隊と呼べるだけの戦力があそこにいる。そしてまだ見ぬ潜水艦もいるのだ。

 ソナーの感を広げ、どこにいるかを探る。

 そうしながら神通はその手に主砲を構え、軽く肩を回した。

 

「こちらの主力艦隊の到着はあと数分といったところでしょうか。それまでに削れるだけ削ってみましょう」

「わぁお。呉の神通ちゃん、やる気満々だね。那珂ちゃん的にはちょっと立ち回って潜水艦でも落としていければ、って思ってたんだけど」

 

 そう言う佐世保の那珂は改二の姿になっている。神通改二と似たような服装になっているが、なんというかよりアイドルらしい衣装になっていると言うべきだろうか。しかし水雷戦隊の長らしい能力を持ち合わせた改二になっているので、充分と言っていい。

 

「それも結構でしょう。では、そちらには潜水艦をお願いしましょうか。タ級らは私達が引き受けますので」

「あ、そのまま役割分担しちゃうんだ。うーん、ま、それもいいけれど、ここで負傷するという危険性は考慮しないんだね」

「その時はその時です。そう簡単に落ちるほど軟な訓練はしていませんよ。何せうちの子達はどうも血気盛んな子達ばかりでしてね。最近上の戦力とぶつかったことで先を見据えてしまっています。彼女達に追いつくためにも更なる実戦経験を、と望んでいるのですよ」

 

 大湊の一水戦。彼女達と会うまでは自分達も強くなったつもりでいた呉の一水戦。

 その驕りを砕かれてしまっているのだ。更なる強さを、と訓練を重ねたが実戦はほぼない状態で日々を過ごしていた。

 悶々とした気持ちをいよいよ張らせるのだから、気力が漲っているのも当然の事。

 完全に夕立達は獲物を狩る者の目をしている。

 

「では行きましょうか。水雷の魂の見せ所です!」

『応ッ!』

 

 突撃を仕掛けていく呉一水戦を見送る那珂は「うーん、ほんと呉の一水戦って血気盛んだねえ」と若干引き気味だ。だが那珂もまたそんなに悪くはない、とは思っている。彼女とて艦艇の時は四水戦を預かる水雷の長だった。

 その時の記憶はあるため、突撃や魚雷命の水雷魂は彼女の中にも存在している。

 が、今はそれを発揮する時ではない。未確認の潜水艦という脅威がこの周囲に存在している。それを処理するのが今の那珂達の役割だ。

 

「タ級達は神通ちゃん達が引き受けている。その間に、早急に潜水艦をやっちゃうよ! 探知に集中! 一刻も早く位置を特定!」

『はい!』

 

 先ほどからどこかに潜んでいる潜水艦。ヲ級改がアルバコアと呼ぶ存在はどこにいるのか。それを探っている間にも敵は動いている。

 タ級フラグシップへと接近する神通達へと、どこからか魚雷が迫ってきていた。綾波が「魚雷接近です!」と声を上げる。神通もちらりとそれを確認し、「……なるほど、早いですね」とぽつりと感想を漏らす。

 同時に被弾しないルートを見出しつつ、タ級フラグシップらの砲撃を避けるルートも絞り込む。「ついてきなさい」と一声上げて進路を変更。

 そんな神通達へと軽巡や駆逐級が接近してくる。それぞれ砲門を神通達へと向け、砲撃を仕掛ける。その砲撃からずらすようにタ級やル級も砲撃。回避先へと当ててくる算段だろう。

 しかし神通達は回避してみせる。飛来してくる砲弾に怯まず、加速と減速を交えて砲撃を切り抜けていく。だがそれでも全く被弾しない、というわけにもいかない。一撃が重い戦艦の砲撃は当たらないように気をつけはしたが、それ以外の砲撃は掠めていく。

 この程度ならまだいける。そんな夕立らの目はより生き生きとしていた。

 これぞ戦い、これぞ実戦。

 判断のミスが、行動のミスが死に繋がる。己の力で生きるか死ぬかが決まるのが実戦だ。

 

「突破します。砲雷撃戦、開始!」

「ひっさしぶりの素敵なパーティの始まりっぽい!」

「あたしの魚雷が唸りをあげますよっと」

 

 回避ルートを通ったことによって前進する深海棲艦の前を横切るような形になった呉一水戦。それを追いかけてきている敵水雷戦隊へと砲撃と同時に、北上による雷撃が行われる。

 20門の魚雷が一気に広がるように放たれ、敵艦隊へと進軍。それに加えるように神通達による砲撃が行われる。北上の雷撃の恐怖は敵だけでなく味方でもあり得る。佐世保一水戦への被害がないように放たれた魚雷。

 それを追いかけるようにして進路を変更。改めて敵艦隊へと突撃を開始する。

 加速する勢いを殺さないままに夕立と神通が先陣を切る。そんな彼女へと軽巡ヘ級が砲撃したが、頭部へと迫る弾丸を回避するために神通は海面を滑るようにスライディング。そのまま副砲を連射してヘ級を足止めし、夕立が頭部へと砲撃して仕留める。

 スライディングから勢いよく飛び上がりつつ、周囲の駆逐級へと砲撃しながら旋回。神通の砲撃に巻き込まれないように一旦飛び上がっていた夕立が、その手に魚雷を手にして投擲。

 意思を持つかのように顔があるその魚雷が火を噴くと、頭上から一気に降下してくる一撃と化す。海面からは北上の魚雷が、上からは夕立の魚雷が襲い掛かってくる。

 潜水艦による雷撃とはまた違った魚雷による攻撃。

 だがそれに怯んでどうする、とタ級フラグシップとル級フラグシップは立ち向かう。戦艦らしい装甲で一撃くらいは耐えてやる、と受け止めた。

 水雷の意地があるように、戦艦にも意地がある。

 重装甲で一発は耐えて見せたタ級は着水する夕立へと砲撃をしかける。そうして夕立、神通へと意識をとられてしまったのが運のつき。二人が逃げる方へと意識を向けている間に、残っている北上、綾波、雪風、Верныйが側面から雷撃を仕掛けた。

 あの二人が先陣を切って注目を集め、残った四人が詰めていく。

 こうした形が呉一水戦の戦い方の一つとして確立していた。

 上手くいけば、タ級フラグシップがいたとしても前に出て切り崩せる。それがここに証明されている。残る脅威はル級フラグシップと、まだ見ぬ潜水艦か。

 そちらはどうだ? とちらりと神通は那珂達の方を見やる。

 すると向こうでも動きがあったようだ。

 

「ソナー感あり。発見したわ!」

 

 陽炎が一点を指さす。すると確かに複数の潜水艦の反応が見られる。それを分析すると、潜水カ級やヨ級に交じって一つ、見知らぬ反応を見せるものがいた。

 それは確かに潜水艦だ。しかしカ級でもヨ級でもない反応を見せているのだから、新たなる深海棲艦であることは明白だろう。鬼や姫級ほどの反応の強さを見せていないので、量産型と思われる。

 慣例に則り、暫定的にかの反応を見せる深海棲艦を潜水ソ級とする。

 しかも能力的にはエリートではないかと思われる。新型からいきなりエリート級のものを出してくるとは。

 

「――――」

 

 深海側はアルバコア、艦娘側はソ級と呼称されたその存在。

 カ級やヨ級と同じく長い髪を揺らしている女性という印象を持たせる。その前髪は左目を隠すように垂れ下がっていた。だがその二人と違い、頭部にはヲ級が被るような帽子をしている。左手には小さな駆逐級のようなものを二つ抱えているようだ。

 ぼうっと暗き赤の燐光を右目から発しているが、それは帽子についている四つ目や駆逐級の開かれた口からも発されている。

 感づかれたか、と察したらしいソ級は静かに潜航する。だがそんな彼女らを逃がさないとばかりに那珂達は爆雷を投げつけていく。

 炸裂する爆雷にカ級やヨ級が撃沈していく中、ソ級は被弾はしたが堪えている。ぐっと耐えつつすっと魚雷を構えて撃ち出した。このままやられるくらいなら、と瀕死の状態での雷撃。

 しかし位置と探知さえ出来ていればそんな雷撃は脅威ではない。いつ来るのか、と備えていれば対処は出来る。那珂は飛来してくる魚雷を躱し、もう一発爆雷を投げつける。

 だがすでにソ級はその影響を受けないところまで深く潜航していた。どうやら逃げ切ったらしい。

 かくして大和達呉の第二水上打撃部隊が到着する頃には、そこに深海棲艦の艦隊はいなくなっていた。彼女達の手を煩わせる必要はない、とばかりの処理の速さである。

 

「本当に水雷でやっちゃうんだ……すごいね、神通ちゃん達は」

「慣れれば那珂ちゃん達も出来るでしょう。研鑽あるのみです」

「簡単に言ってくれちゃってまあ。とりあえず周囲に敵影はないね。最初に逃げたヲ級の新しいものは帰ってくる様子もないし……」

「新たなヲ級……確認されたあのヲ級ですね。フラグシップではなかったの?」

「フラグシップ特有のオーラに加えて、左目から青い光を放っているタイプだったよ。見間違いじゃなければ」

「ふぅん……興味深いですね」

 

 新しい敵に胸が躍っている大和にやれやれという表情を浮かべる日向と木曾。その後ろから長門率いる呉主力艦隊や、扶桑率いる佐世保主力艦隊が合流してくる。それぞれの主力が揃ったところで、いよいよウェーク島へと移動しようというその時。

 ウェーク島の方から艦載機が接近してくるのが確認された。

 空を埋め尽くすかのような艦載機の群れ。あの光景には覚えがある。

 ソロモン海戦の際、飛行場姫と交戦した時のような艦載機の群れである。かつてウェーク島には基地が存在していた。もしかすると飛行場姫の時のような陸上基地があるのかもしれない、と思わせるような類似性。

 これは一筋縄ではいかないかもしれない。

 

「三式弾装填! 近づけさせるな、てぇーッ!」

 

 長門の号令に従い、戦艦や重巡が三式弾を撃ち放つ。空へと舞い上がるそれぞれの三式弾が炸裂し、敵艦載機の前方で弾をばらまく。それによって多数の艦載機を落とすことに成功したが、全てを落とすには至らない。

 呉主力艦隊の鶴姉妹をはじめとする空母達による艦載機の発艦が行われるが、それより早く敵艦載機が長門達へと到達しそうだ。そんな敵艦載機から艦隊を守るため、摩耶や水雷戦隊が対空防御の射撃を行う。

 改装されている摩耶の対空能力は高い。それを活かすように艤装には多数の機銃が並んでいる。またこちらの水雷戦隊にもロケランが装備されており、神通や那珂がロケランを担いで30連射の弾丸を撃ち放つ。

 そうして対空防御に勤しんでいる間に、敵は次なる手を打っていた。

 意識が上に向かれている隙を突き、多数の深海棲艦が浮上してきている。同時に対空防御をすり抜けて艦攻、艦爆が長門へと迫ってきた。

 

「ふんっ!」

 

 だが長門の艤装にも少数ではあるが機銃が装備されている。長門の艦隊には摩耶がいるが、距離が離れているためにカバーしきれていない。艦攻が放った魚雷は回避できたが、艦爆による爆弾は回避しきれず被弾してしまう。

 持ち前の装甲でダメージ的には軽微に抑えられたようだが、続けて飛来してくる弾丸の気配に気づき、艦爆は足止めのための攻撃であると悟る。咄嗟に身を捻ると、そこに弾丸が通過してきた。

 背後で立ち上る水柱にこれは戦艦級の砲撃だと察する。

 見ればいつの間にか戦艦棲姫が現れていた。近くには補給を終えたらしいヲ級改もいる。それらを見据えた大和が小さく笑みを浮かべた。まるでそれは今回の獲物を見つけた獣のようである。

 

「……武蔵、か。やはり向こうも次の個体を用意するだけのものはあったということでしょうね」

「大和、まさかとは思うが、私達でやろうと?」

「そのつもりですよ、日向。むしろ私達がやるべき相手ともいえるでしょう。本命はあれらの向こうにある。残念だけど、主力と比べたらまだ私達は力が足りません。しかしあれらを相手には出来るでしょう。ビス子的には少々心配なところはあるけれど」

「ビス子と呼ぶんじゃないわよ。って、心配ってどういうことかしら? この私ではあれと戦えないとでも?」

「ええ、そうですよ。はっきりと言うけれど、あれは前回のソロモン海戦における艦隊旗艦の姫級。能力も恐らくそんなに変わりはないくらいに仕上げてきているでしょうね。今回が初陣のビス子では到底まともにやりあえるとは思っていません」

「……っ」

 

 ばっさりと大和は切り捨てる。しかしそれは正しいということをビスマルクは察している。戦艦棲姫が放つ気配はそこらにいる深海棲艦に比べるとはるかに大きい。今回が初陣であるビスマルクは、量産型の深海棲艦相手には普通にいられたが、そこに戦艦棲姫まで現れたのだ。

 自分の練度と比較するとその力の差は歴然としている。訓練を積み重ねて練度を上げているとはいえ、実戦を経験していない中でいきなりあれと戦えと言われても無理だろう。

 だからこそ「いや、出来る」という心と「大和の言葉は正しい、無理だ」という心がビスマルクの中でぶつかっている。自分の中にあるプライドがそうさせるのだ。おとなしく受け入れるほどビスマルクは単純ではなかった。

 

「だからこそ、経験すべき。フォローは私達がしますよ。ビス子、私達はここに留まり、あれらと戦りあう。そうして知りなさい、深海棲艦を、姫級というものを。沈まぬように立ち回り、生き延びて戦いを己の糧としなさい」

「大和、あなた……」

「長門! ということだから、ここは私達に任せ、あなた達はウェークに行きなさい!」

「大和さんだけじゃないよ。那珂ちゃん達もここに残らせてもらうよ。羽黒ちゃん、そっちは任せた!」

「……うん。気を付けてね、那珂ちゃん。扶桑さん、行きましょう」

「わかったわ。……では、道を切り開きましょう。主砲、装填……!」

 

 前方には戦艦棲姫率いる深海棲艦の艦隊が集結している。旗艦は見たままだろう。ウェーク島に行かせまいと、戦艦棲姫が旗艦として立ちはだかろうとしているのだから。

 扶桑率いる佐世保主力艦隊だけでなく、長門率いる呉主力艦隊もまたそれぞれ主砲に弾丸を装填。空母達も次なる艦載機を放とうとしたその時、

 

「――行クナラ、行クガイイ……」

 

 と、ヲ級改が軽く手を挙げて砲撃を押し留める。そのことに長門達は思わず砲撃の号令を口から発することを止めてしまった。ヲ級が喋ったことだけではない、よもや戦艦棲姫ではなく、ヲ級改が口を出してくるとは思わなかった。

 立場は彼女の方が上だというのか。

 しかしそれを示すかのように、戦艦棲姫がヲ級改に譲るように下がっている。

 

「どういうつもりだ?」

「ドウモ、シナイ。オ前達ノ目的……ソレハ、コノ先ニアル。……ナラ、行ケ。一部ハ、通ルコトヲ許ス」

「ふっ、わざわざ通すって? 理解に苦しみますね。どういう罠があるのかしら? えーと――――覚えがありますね、あなた」

 

 おぼろげに大和の頭によぎったヲ級改の気配、力の雰囲気。

 南方棲戦姫として生まれた時にでも会っているのか? と大和は首を傾げる。あの頃のことはあまり覚えていないが、このヲ級改にどこか懐かしみを感じているということは、会った回数はそれなりにあったのかもしれない。

 それがどうしてここにいるのか。

 

(そういえばあの南方での一件以降、私を作り出した奴は移籍したような。あの時沈めたのが南方担当になって、それまでの南方担当が……中部、でしたか。なるほど、ならこいつがここにいることもおかしくはない)

 

 薄い記憶の残骸を何とか拾い上げて理由を推察する。南方棲戦姫として行動した際に、先代呉提督率いる艦隊を撃沈したことを思い出す。それがあったからこそ南方提督は代替わりし、中部提督へと移籍したのだ。

 となればこのヲ級改はその時からずっと中部提督と共にいた。随分と長生きしているヲ級なのだろう、と大和は不敵に笑ってみせる。戦艦棲姫という縁もあるし、戦い甲斐がありそうだ。

 

「長門達を通すというのは、そちらの主の策略?」

「……ソウダ」

「そう。つまり今回のウェーク、そして南方のあれと、全てそちらの主が組み上げた作戦というわけですか」

「ダッタラ、ドウスル……?」

「癪だけれど、乗ってあげましょう。こちらとしても実戦経験は必要。乗った上で、全て潰す。勝利をこの手に掴み取る。それが私達のやるべきこと。……だから長門、砲撃は中止。そのまま素通りしなさい」

「……いいだろう。艦隊、私に続け。……ここは頼むぞ、大和」

 

 通っていいならおとなしく通る。妙な展開になったが、呉主力艦隊、呉一水戦、佐世保主力艦隊はヲ級改率いる艦隊を何事もなく通過した。深海棲艦は手を出してくることはなく、そして艦娘側も手を出さない。

 どちらかが手を出せば、通過中に戦いが発生し、混戦となるだろう。そうなればウェーク島にいる敵主力艦隊を叩く前に無用な傷を負うことになる。それは避けたいところだった。

 深海棲艦側も驚くことに何もしなかった。そこにいるのは知性なき魔物ではなく、ヲ級改を中心として纏まった群衆である。手を出すな、というヲ級改の意思に従った規律のある集団。一昔では考えられない光景であり、モニターで見ている香月もただ呆然と口を開くだけ。

 そんな中で凪は大和とのやり取りで思案していた。

 大和は「そちらの主」と口にし、ヲ級改はそれを否定しなかった。

 普通ならば深海棲艦の姫級か何かの策略だろうと思うだろうが、情報を持っている凪は主=深海提督であると読み取れる。ということはダーウィンで騒ぎを起こしてトラック泊地から茂樹を遠ざけ、凪達をわざわざウェーク島まで誘導したのは、ヲ級改を従えている深海提督の作戦ということになる。

 ここまでやっておいてウェーク島に呼び寄せているのだ。ただ交戦するだけで終わるはずがない。指揮艦周囲の潜水艦は対処し終えたが、ヲ級改らがいるためにウェーク島の方へ進軍することは出来ないだろう。

 出来ることは新たな戦力を送り出すことだけ。

 そして、同時に気づく。

 入渠のために艦娘を呼び戻すことは出来るが、ウェーク島に向かった艦娘らは戻ることは出来ない。無事に戻るには、ヲ級改らを早急に退けなければいけない。そのために、戦力を送る。

 佐世保二水戦も無事に湊の指揮艦へと帰還している。潜水艦を対処し終えた水雷戦隊と一緒に回復、補給のために数隊残して一時帰還させている。その中からヲ級改に当たらせる艦隊を選出するわけだが、このままここに留まっているのも良くないだろう。

 

「湊、俺達も前進する」

「前進ですか? それではあのヲ級らに当たりますけど」

「そうだね。だから、南に迂回しつつ前進する」

 

 自分達は今、ウェーク島まで直進するコースで航行している。その途中にヲ級改の艦隊が立ちはだかっている。これによりウェーク島に当たる主力艦隊らが負傷し、帰還するとなればヲ級改らとまた当たることになる。いわゆる挟み撃ちの状態になっている。

 もちろんこれをなくすためにはヲ級改を早急に対処する必要があるが、それが出来ないことも想定する。

 だからこそ凪達も移動するのだ。南に向かうのはウェーク島から見てトラック泊地が南西にあるためだ。その道に楔を打つように凪達が入り込みつつ、ヲ級改と当たっている大和達や、ウェーク島に向かった長門達が帰還出来るようにする。

 どちらの艦隊でもある程度カバーできるという期待が持てる位置取り。この戦場で凪達に出来ることだろう。何かあった時のために艦娘達を入渠出来るようにするというだけでも、彼女達の気持ちの負担を和らげられる。

 もちろん前進するのだから、自分達の身を自分で守るための戦力も残さなければならない。

 

「出せるのは? ……うん、じゃあ第一水上、二水戦、一航戦。出撃よろしく。二航戦は周囲の警戒を。敵が接近してきたらいち早く知らせて」

 

 艦内にいる者から入渠状況を教えてもらい、出せる戦力を選出して大和達のところに向かわせる。湊も同様にし、指揮艦から援軍を送り込んだ。

 出せる援軍が出撃したことを通信で把握した大和は、「……通信状況も良好ですね。ソロモンとは本当に違う」と呟く。飛行場姫の周囲などでは通信状況は悪く、指揮艦との連絡は取れなかった。そのせいでトラック艦隊の金剛達は茂樹からの撤退命令が届かず、戦い続けてしまっていた。

 だが、ここではそういったことはない。この周囲でも海は赤く染まっていない。

 指揮する者……深海提督が違えばこうも違うのか。

 そういう疑問は、凪達において答えを得られる。人それぞれ個性が違う。それは当たり前のことであり、そんな彼らの下についていれば部下達にも少しずつ違う個性が生まれるだろう。それは戦術にも表れてくる。

 だから深海提督が違えば戦場も違うというのは当たり前のことかもしれない。

 

「さて充分に長門達は離れたでしょう。本当に何もせずに通してしまうとは思わなかったけれど」

「我ラニトテ、目的ガアル。ソシテ、矜持ガアル。通スト決メタナラバ、通シテヤル。……逆ニ問ウ、大和。ソレダケノ戦力デ、我ラト戦ウト?」

「意外と何とかなるかもしれないわね。沈む気はないわ。来なさいな武蔵、そして……誰かしら?」

「――赤城。私ハ、中部ノ赤城。ソノ名ヲ胸ニ刻ミ、沈ムトイイ大和! 全軍、戦闘開始……!」

 

 杖を掲げ、前を指し示すヲ級改の号令に、深海棲艦が一斉に声を張り上げる。

 戦艦棲姫も髪をかき上げ、優雅に艤装の魔物に手を添えると、左手で大和達へと示して砲撃を命じる。

 

「上等! 呉の大和、ここにあり! 我が名を覚えて消えなさい! 全軍、砲撃開始ぃ!」

 

 呉第二水上打撃部隊、佐世保一水戦、佐世保二航戦がそれらを迎え撃つ。援軍が到着するまでの間、出来る限り敵戦力を減らせれば御の字。戦艦棲姫やヲ級改は自分に任せろとばかりに、大和が前に出て注目を集めていく。

 そんな大和をフォローするように、日向や鈴谷が立ち回り、ビスマルクもまた自分に出来ることをやるのみと援護していくのだった。

 一方、ウェーク島に向かった長門達。

 先行している艦載機らがいよいよ敵の本体を確認し、長門へと報告していく。

 それによればウェーク島の前方に守護するように艦隊が展開されているようだ。その中で目立つのは戦艦棲姫。どうやらこちらにも戦艦棲姫を配置しているらしい。だがよく見ると先ほどの戦艦棲姫や、ソロモン海戦で戦った戦艦棲姫と違い、眼鏡をかけているのが気になる。

 またル級フラグシップのようだが、左目に青い燐光を放っている個体も確認された。ヲ級改と同様に改型なのだろうと予測される。

 そして恐らくこれが敵の本命なのだろう。

 ウェーク島に座する黒い存在。

 ゴスロリというのだろうか。黒を基調としたフリル満載の服装をした少女が艤装にもたれかかるようにして座っている。カチューシャの横から小さく鬼の角が生えているのがうっすらと見えた。

 艤装からは少女を迂回して左側へと伸びるように滑走路が伸びており、そして艤装の魔物は大きな顔だけのもののように見える。頭部からは砲門が生え、鼻先や頬の部分にも砲門が確認される。

 顔の大部分を占める口からは紺色の舌が犬のように出されており、そして魔物の顔の左側には交戦したのかあるいは元からなのか、無数の弾痕が存在していた。

 そんな彼女達の周囲には小さな黒い球体が浮いている。護衛要塞を小さくしたような存在であり、鬼の角なのかあるいは耳なのかわからない小さな突起が生えているようだ。それは中部提督の近くにいる黒猫のようなものを模したようにも感じられる。

 偵察しに来た、と感じ取ったらしい少女は艦載機を見上げ、そして長門達の方へと見やりながら目を細める。

 

「――ココマデ、来タヨウネ……。イイデショウ、デハ……私達ノ役割ヲ、果タシマショウ……」

 

 ゆっくりと立ち上がり、軽く左手を挙げる。するとそれに反応して眼鏡の戦艦棲姫、深海側の霧島が眼鏡を上げながら「客人ガ来タヨウデス。全軍、戦闘用意!」と声を上げる。

 少女の艤装からも滑走路を通って艦載機が次々と離陸。ヲ級らからも発艦されていき、たちまちウェーク島上空に展開されていく。

 

「最終目標はあれか。ウェーク島の基地を模した個体なのかな。分析は?」

「――完了しました。……って、え?」

「どうしたんだい?」

「……いえ、波長的には……鬼級なのですが、能力的にはそれにそぐわぬようなもので……」

 

 モニターには偵察機の妖精からの分析情報が映る。今までの鬼級や姫級と比較すると、かの少女が持ちうるオーラ、波長は鬼級のものに近い。だがその内包された力は姫級のものに近いとの結果が出た。

 これはどちらに寄せて呼称した方がいいのか、と凪は考える。

 

「……オーラに寄せよう。これよりかの個体を離島棲鬼と呼称する。長門、気をつけるように。無理せず、かの敵の撃滅を」

「承知した。ではこれよりウェーク島攻略作戦を開始する! 各艦娘の奮戦を期待する! 誰一人欠けることなく、任務達成を目標にせよ!」

『応ッ!』

 

 呉主力艦隊の鶴姉妹や佐世保主力艦隊の千代田、龍驤から発艦される艦載機らが、ウェーク島上空に展開されている艦載機らと交戦開始。長門達も射程に収めた瞬間から砲撃を開始し、ここにウェーク島海戦が幕を開けるのであった。

 

 




離島ちゃんは当時からしてこれで姫じゃなくて鬼?
という疑問はありましたね。
長い時を経て姫も出てきたようですが、それまではイベ後は空気状態だったのもいい思い出です。
……いや、イベ中も戦艦棲姫の存在感である意味空(ry


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ヲ級改

 

 大和達とヲ級改との戦いは若干ヲ級改側が優勢だろうか。佐世保一水戦の那珂達が敵水雷戦隊をかく乱し、大和達がヲ級改や戦艦棲姫へと砲撃を仕掛けていく。その後ろから佐世保二航戦の赤城と飛龍が艦載機を放っていく形をとっている。

 艦載機が深海棲艦の数を減らせればいいのだが、そうはさせまいとヲ級改らの艦載機が交戦する。もちろんその逆も然りだ。上空でその戦いが行われている中、煙幕を焚いて那珂達が敵艦隊へと突撃する。

 

「これじゃあ神通ちゃんのことをとやかく言えないけど、今こそ突撃の時だよ! 那珂ちゃん達の独壇場でいっちゃうよー!」

「応さ! でもいいのかぁ那珂? 煙幕焚いてちゃあ、観客に勇姿を見せられないぜ?」

「それは仕方ないね。でも陰で戦果を挙げるのもまたアイドルの嗜みってもんだよ。例え見られていようと見られまいと、結果を出していくのがアイドル道! 舞台の上の華の時もあれば、バックダンサーの時もあるってね!」

「はっ、そんじゃあ俺達は、しっかりとバックダンサーとして盛り上げていこうじゃねえか! 往くぞお前ら! 遅れんじゃないぞ! 雷撃よーい!」

 

 佐世保の木曾もまた改二となり、重雷装巡洋艦となっている。その見た目が海賊っぽいこともあり、まるでアイドルと海賊船長とその部下達という雰囲気を醸し出している。重雷装巡洋艦ということもあり、木曾から放たれた魚雷は一人で多数のものを撃ち出している。陽炎達のものも合わさり、煙幕の中でそれほどの魚雷がばらまかれているのだ。被害は相当なものを生み出してしまう。

 しかし見えない状況を活かすのは煙幕を焚いた那珂達だけではない。

 敵もまた見えないならばと砲撃や魚雷を撃ち放ってきている。

 

「魚雷接近反応ですよー!」

「下がるぞ!」

 

 大潮が叫び、木曾が命じる。煙幕を抜けるように下がると、奥から魚雷が姿を現す。だがその時にはもうすぐそこまで迫ってきていた。直撃を受けたのは朝潮と陽炎だった。不幸中の幸いか、当たり所が良かったので大きなダメージにはならなかったが、しかしそれでも苦悶の表情を浮かべてしまう。

 深海棲艦にもそれなりの犠牲は出たが、反撃に成功したことで士気が向上したらしい。少しずつ晴れていく煙の中から果敢に敵が突撃を仕掛けてきている。

 

「水雷、一時後退! 体勢を立て直しなさい! 二航戦護衛隊、届くなら援護射撃を」

 

 佐世保二航戦を護衛している阿賀野や三隈に指示を出す大和。自身もまた砲撃で敵を那珂達に近づけさせないようにフォローしつつ、下がってくる那珂達の前に出ていく。

 そういったフォローを許さないのが戦艦棲姫だった。どこかが崩れるならそこを容赦なく突いてくる。自ら的になるのなら、そこを撃ち抜くのみとばかりに大和へと砲撃を仕掛ける。

 しかし大和をフォローする日向や鈴谷がそこに瑞雲の爆撃を仕掛け、中断させる。目障りな、と睨んだ戦艦棲姫へ弾着観測射撃を行い、主砲を潰しにかかった。すなわち魔物の右肩にある主砲を狙っていったのである。

 主砲が潰れれば攻撃は出来ない。それは当然のことだ。その当然のことは以前は叶わなかった。どうも先ほどからソロモン海戦でみせたような自己治癒能力を行使していないのだ。

 自身の命や周りの深海棲艦を代償に、傷の修復を行ったり沈んだ深海棲艦の復活を行ったりするような力を使っていない。あれを使われれば問答無用で大和達は押しつぶされていただろうが、そういった気配が全くない。

 南方方面と違い、中部の指揮下にある深海棲艦はその力を持っていないのだろうか。凪や大和はそんなことを考える。

 しかし使わないならばそれでいい。修復をしないということは、艤装を潰せばそのまま使えないということでもある。攻撃の手を潰せば生存の確率が上がる。

 妙に中ててくるな、と戦艦棲姫が感じるのだが、主砲だけでなく、体や戦艦棲姫を狙った弾も混ぜているので、主砲潰しを狙っているとまで思考が回らなかった。

 そうしている内に那珂達の退避が済み、朝潮と陽炎の傷の具合を確かめる間に大和達が彼女達の壁となる。それを援護するように阿賀野や三隈が砲撃を加えていた。

 

「……オ前達ガ壁カ。状況ハ、コチラノ有利。マダ……抵抗、スルカ?」

「戦う意志は折れていませんよ。それに致命傷もない。戦闘は続行可能です。そちらこそ仲間がまた沈められていますが、大丈夫ですか?」

「問題ナイ。例エ沈モウトモ……魂ガアレバ、ソレデイイ」

「……ええ、そうでしたね。そういうものでした。死は、撃沈は終わりではない。それが深海棲艦」

 

 元深海棲艦だから理解出来る。南方棲戦姫という体は失われたが、魂だけは生き残り、こうして艦娘の大和として転生している。自分自身が、深海棲艦を撃沈させても問題はないのだと証明しているのだ。

 だから彼女らは死を恐れない。

 いくらでも攻めてくることが可能なのだ。

 

「無駄ナ、抵抗……ソレマデニスルトイイ。アル程度ハ力ヲ測レタ。終ワラセルカ」

「終わらせるものか……!」

 

 そこでビスマルクがヲ級改へと砲撃を仕掛ける。だが戦艦棲姫の魔物がそれを庇う。大木のような腕がビスマルクの放った弾丸を受け止め、反撃としてビスマルクへと砲撃を仕掛けた。

 

「サア、沈ミナサイ」

 

 砲撃の反動でビスマルクは若干硬直状態にある。避けることが出来ない。

 まさか、ここでやられるというのか?

 まだ何も出来ていないというのに、とビスマルクは目を見開き、飛来してくる弾丸を見ていることしかできない。初陣で、まともな戦果を挙げられずに倒れるなど、自らの誇りが許さない。

 しかし現実は無残にもビスマルクの体へと戦艦棲姫の弾丸が貫き――はしなかった。

 

「――ッ!」

 

 弾丸は、その拳によって横へと弾かれ、水柱を噴き上げる。

 思わず顔をかばったビスマルクの腕の先には、彼女が思いもしなかった背中があった。

 彼女の在り方が許せず、認めることをしなった隊の長、この艦隊の旗艦である大和である。左手からは摩擦によって煙が立ち上っている。

 展開されている艤装の重厚さと、彼女の頼もしい背中がまるで巨大な城塞が聳え立っていると思わせる。そんなものではこの壁は打ち砕けることはない。決して退くことはしない、という彼女の意思を象徴するかのように凛々しく、堂々とした佇まい。

 それがビスマルクの眼前に存在していた。

 

「――はっ、情けない顔をしているんじゃないですよ。……ま、初陣ならば致し方ない。例えその胸に崇高なる誇りがあったとしても、あなたはまだまだ未熟な艦娘。身に染みてわかったでしょう。あなたは味方のフォローが必要なのだと」

「大和……あなた……っ」

 

 ビスマルクは気づいた。

 飛来した弾丸は二発だ。一発は横に弾いたが、もう一発はどこに行ったのか。

 水柱は一本しか立っていない。となれば弾丸の行く先は明白だ。大和の血に濡れた手が、一つの弾丸を手にし、海へと軽く放り投げる。

 彼女の腹からは血が出ていたのだ。ビスマルクを庇って被弾したのがよくわかる。

 

「何故、あなたが私を……!?」

「決まっているじゃない。あなたは私の部下。旗艦というものは部下を守るもの。気にすることはないですよ、ビス子。そういうものなのだと、私は教えられました。ならば私はそれを実行に移すまでのこと」

 

 振り返ることなく大和は答える。それが当然のことだと堂々と答え、実行に移す。以前の彼女ならばそうすることはしなかっただろう、ということをビスマルクは知る由もない。

 知っている日向達は大和の在り方に、この状況だというのに思わず微笑が浮かんだ。

 だが気を緩めることはない。

 今もまだ劣勢であることに変わりはないのだから。

 

「この大和、未だ健在よ。沈めたいならもっと撃ってきなさいな。その分、お前達に更なる弾丸を喰らわせてあげましょう」

「ヨク吼エルワネ、大和。イイデショウ……、ソンナニ沈ミタイナラバ、コノ武蔵ガ、沈メテアゲマショウ……!」

 

 ビスマルクを撃った左の主砲は装填中だ。そのため右の主砲で大和を沈めようとしている戦艦棲姫。しかしそれは先ほどから日向達が狙っていた主砲。まだ使用不可能には至っていないが、それでもどこかがおかしくなり始めている頃合いだ。

 そして今、上空には日向が放っていた瑞雲が静かに飛行している。大和に照準を合わせ、主砲を撃とうとしている戦艦棲姫へと一気に急降下。「沈ミナサイ!」と意気揚々と砲撃を放つ彼女へと爆撃を仕掛けていく。

 爆弾は右肩の主砲に着弾。爆発は弾丸を放とうとしているその時に発生し、連鎖するように主砲内でも発生。曲がった砲塔からもエネルギーが漏れ、それが余計に歪みを生み出し、魔物の肩へと爆発の影響が及んでいく。

 

「ナ、ナニ……!?」

「ふっ、これぞ瑞雲の力というものだ! 着実に積み重ねたダメージがここで実を結んだというものよ! 瑞雲はいいぞ!」

「はいはい、いいぞいいぞってね。ほら、今がチャンスじゃん! 一気に攻め立てる時ってやつよ!」

 

 一緒に瑞雲で攻撃を仕掛けていたはずの鈴谷があまり乗っていないのは、日向のテンションについていくのに疲れたからだろう。そんなことよりもこの好機を見逃すわけにはいかない。

 それは佐世保の那珂達や瑞鶴らもわかっている。

 今こそ反撃の時である。

 主砲の射程的に先に撃てるのは瑞鶴と飛龍を護衛している三隈だ。鈴谷と日向に続くように砲撃を仕掛けていく。それを見て、那珂もまた奮い立つ。

 

「チャンスは見逃さない。それもアイドルに必要なもの! 援護(アンコール)の期待に応えるその時こそ、ファンの心を掴む好機! 戦場(ぶたい)に上がるよ、みんな! ここが踏ん張りどころだよッ!」

「と、旗艦殿が仰せだ、お前ら! 無理はするものではないが、こんな時も後ろで見ているだけというのも一水戦の名が廃る! 俺は往くが、お前らはどうだ?」

「訊くだけ野暮というものよ、木曾さん」

「レディたるもの、期待を裏切らないようにしたいものだわ」

「心配をおかけしましたが、大丈夫です。最後くらい、活躍してみせますとも」

「ドーンと、盛り上げてみせますよぉ!」

 

 負傷している陽炎、朝潮も引く気はないらしい。「頼もしいじゃねえか、お前ら」と木曾はにっと笑い、那珂へと目配せする。彼女達の覚悟を見せられては那珂も笑うしかない。

 拳を突き上げ、「ファン(呉のみんな)も見ているんだ。かっこ悪いところは見せられないよ! みんな、那珂ちゃんについてきて!」と戦艦棲姫らへと突撃する。

 劣勢においてなお笑みを浮かべて突撃してくる艦娘達。それを見たヲ級改に困惑が生まれる。

 深海棲艦ならば理解出来なくもない。死ぬことに、沈むことに恐怖はない。体が失われようとも魂が残っていれば再び彼女らは生まれ出る。だから劣勢だろうと突撃出来る。そういうことは中部提督にとってあまり好ましくない戦術なのだが、深海棲艦全体で見れば珍しくもないもの。基本戦術といってもいい。

 だが、沈めばそれで終わりの艦娘が、どうしてこの状況でも笑って突撃出来るというのか。戦艦棲姫やリ級らが那珂達を迎撃するが、高速で動く彼女らは着実に距離を詰めていく。

 ヲ級改もまた艦載機を放って援護するが、佐世保二航戦の艦載機がそれを食い止めていく。そんな中でヲ級改自身が深海棲艦らへと指示を出していくのだが、腹から血を流しながら大和が前に出ていくではないか。

 理解出来ない出来事に、深海棲艦らへの指示が遅れる。

 

「困惑が見て取れますよ、赤城。それではうまく戦えないんじゃないですか?」

「……ッ、ウルサイ、武蔵……! アレヲ、早ク沈メテ……!」

「遅いですよ」

 

 すっと左手を前に出し、くいっと指を曲げればそれに従って大和の艤装が動いていく。素早く狙いを定めた主砲が次々と火を噴き、戦艦棲姫の左肩の主砲を破壊する。それだけでなく、破壊する弾丸の後に続く弾丸が戦艦棲姫へと直撃する。

 戦艦棲姫が誇る主砲を二基も破壊されては強力な一撃を撃てなくなる。魔物の胴体に備えられている副砲などでしか撃てないのだ。

 更に大和の主砲に撃たれたことでよろめき、その隙を突かれて佐世保二航戦の追撃を受ける羽目になる。

 

「大物喰い、いくよー! 魚雷、一斉射!」

 

 体勢を崩されているところに魚雷の群れ。一撃必殺級のものが一気に来たのだ。躱せるはずもなく、出来るのは魔物が腕で戦艦棲姫を庇うことだけ。だがその巨腕も次々と魚雷が刺さることで粉砕され、後から続いた魚雷が戦艦棲姫へと直撃していく。

 悲鳴を上げる戦艦棲姫にヲ級改は焦った表情を浮かべる。そんな彼女に「――慢心、それは赤城について回る因縁のようなものなのでしょうか?」とぽつりと大和が呟いた。

 

「――ナニヲ……ッ!?」

「そう隙を晒すものではないですよ」

 

 副砲がヲ級改の頭部に着弾し、艦載機を吐き出す帽子が壊される。戦艦棲姫という自分を守ってくれる存在がいなくなれば、旗艦であるヲ級改へと標的が移るのは道理。よもや優勢に立っていたはずの自分達が、一気に劣勢に叩き落とされるなどヲ級改にとっては想定もしていないことだった。

 血を流しながら迫ってくる大和の気迫に圧され、後退しながらヲ級改は手にしている杖を構える。それに対し、大和はあの電探の和傘を構えた。

 

「窮地に立たされる私達に対し、勝ったと慢心したのが運の尽き。何を目的としているのかは知りませんが、勝負は何が起きるかわからないもの。赤城、かの戦いにおいて慢心故に敗北を喫した存在。その因縁、因果は深海棲艦となってもついて回るものなのですね?」

 

 繰り出す和傘と防御のために振るわれる杖が打ち合わされる。そんな中でじっと大和はヲ級改を見据える。一合、二合と打ち合う艦娘と深海棲艦の武器。電探だというのにそうして振るわれていいのか、と思いそうになるが、大和はこの電探を改造するように凪に願い出ている。

 渋い表情こそしたが、凪は何とか資材などを用意し、大和の希望するようなものへと仕上げてみせた。

 

「そんなあなたに、私は訊きたいことがありましてね」

 

 と、打ち合う最中でそう口にし、足を刈ってヲ級改を転倒させる。和傘の先端をヲ級改の眼前へと突き立てながら「中部はどこにいますか?」と冷たい眼差しで見下ろした。

 ヲ級改を助けるべく周りの深海棲艦が大和へと攻撃を仕掛けようとするが、瑞鶴と飛龍の艦載機や、大和の艤装による副砲が応戦して近づけさせない。

 もちろん呉第二水上打撃部隊である日向や鈴谷による瑞雲、木曾や村雨による魚雷の援護もあり、大和へは敵が接近出来ないようにしている。ビスマルクもあの場面からここまで詰めていけるのか、と驚きを見せながらも彼女なりに援護をしていく。

 その中で、大和は更に問いを重ねていく。

 

「あなたは中部の赤城と名乗った。中部……元南方所属のあなたの主。それはどこにいるのかと私は訊いているのですよ」

「…………艦娘ガ、私ノ主ヲ知ッテイルト?」

「ええ、知っていますよ。おぼろげに私は覚えている。何せ私はただの大和ではないのでね。言いましたよ? 私はあなたを知っていると。中部の秘書艦、赤城でしょう?」

 

 ぐっと和傘の先端をヲ級改の顎に当て、くいっと持ち上げながら視線を合わせるように近づける。

 艦娘なのに自分を知っている大和。

 深海棲艦で大和といえば南方棲戦姫だが……、と考えたところで、まさかとヲ級改は目を開く。南方棲戦姫は去年の夏の戦いによって倒された。その頃にはもう中部提督となっていたが、戦いのことは耳にしている。

 南方棲戦姫は凪達によって倒された。まさかその南方棲戦姫だとでもいうのか?

 それにこの南方棲戦姫は中部提督が生み出した存在だ。ならばこの大和が自分達を知っているのもおかしくはない。

 

「マサカ、オ前……提督ガ作ッタ大和……ダト?」

「ええ、そうよ。だから訊いているのですよ。私を作った中部はどこにいるの? 答えなさい。あれの秘書艦であるあなたが知らないはずはない」

「アノ人ニ、会ッテ……ドウスル、ツモリ……?」

「決まっているじゃあないですか――艦娘は、人に使われる意思ある兵器。その目的は、人類の敵である深海棲艦の撃滅。となれば、あなた達の主である中部も殺らなければならない」

「――ッ、ソレハ……ソレダケハ、許サレナイ……! ソレニ、オ前……! 自分ヲ蘇ラセタ存在ヲ、殺ストイウノカ……!?」

 

 中部提督の殺害を口にしたことで、ヲ級改は今まで見せたことのないような表情、感情で叫ぶ。自分がこんな気持ちで叫んだことすらないのに、という気持ちすらも浮かばないくらい取り乱していた。

 だが大和は和傘でヲ級改の頬を打ち据えながら「頼んでいないですよ、そんなの」と冷静に告げる。

 

「いらない復讐心まで植えつけられてまで眠りから覚めたくありませんよ。とはいえ蘇ったからこそ、あの人達に会えたという点では感謝することなのかもしれませんが……それでも、いらない犠牲を出した点などを考えると、やはり眠りから覚めるべきではありませんでした。だからこそ、その礼をしたいのですよ。……話す気がないならば、拘束しましょうか?」

 

 それとも、と和傘を左手に持ち替えて右手を握りしめる「その魂を浄化した方がいいでしょうか?」と、自分が長門にされたことをヲ級改にもしようか、と考える。

 何せ自分が南方棲戦姫から大和に転生できたのは、長門に殴られたことによって魂が46cm三連装砲へと移った影響だ。正しくは応急修理女神による効果も加味されるだろう。しかし自分が中部提督によって生まれ変わったことを思い出している内に苛立ち、ただ長門のように殴り飛ばせば魂を浄化出来るだろう、という肉体言語による解決へと頭が働いていた。

 

「何にせよ、あなたを中部の下へは帰さない。覚悟を決めなさい」

「イ、 イヤダ……! アノ人ノトコロニ……帰レナイナンテ……ソンナコトハ……!」

 

 一方のヲ級改もただ子供のように目じりに涙を浮かばせ、あたふたと後ずさることしかできない。手に持っている杖を振り回しても和傘によって軽くあしらわれ、「動くな、狙いがずれて殺しそうになる」と副砲で足を撃ち抜かれる。

 これではどっちが悪役かわからない光景だ。痛みに呻きながらヲ級改はあの日のことを思い出す。ヲ級改が中部提督へ意志の力について訊いていた日のことだ。

 

『赤城、そうだな……何か強い想いを持てそうなものって浮かぶかい?』

『…………ワカラナイ』

『敵を倒したい。生きたい。そういった想いさ』

 

 生きたい。

 そうだ、今こそヲ級改は強く想える。

 何としてでも生きたいと。

 何故生きたいのか? 決まっている中部提督の下に帰りたいからだ。彼の下でまだ生きたい、戦いたいからだ。その心を強く持つ。するとどうだろうか、なんだかわからないが、力が体の奥底から湧き出してきそうな気がしてきた。

 帰れなくなるという冷たい恐怖の奥底から、熱く燃えたぎるような一筋の流れが、体の中心から枝分かれして全身に巡っていきそうな感覚を覚える。

 そうか、これが意志の力の一つなのだな、とうっすらと思う中でこの言葉が頭によぎる。

 

『可能ならば生きて帰ってくるように』

 

 中部提督はこう言って見送ってくれた。その言葉に、命令に応えるためにも自分は生きて帰らなくてはいけないのだ。だが現実は容赦なくヲ級改を窮地へと貶める。一度傾いた流れは容易に取り戻せないらしい。

 凪が放った大和達への支援艦隊がここにきて到着したのだ。複数の艦隊の旗艦のような立場にある榛名が「主砲斉射! 敵艦隊を撃滅します!」と命じれば彼女が率いる直接の部下である比叡や利根をはじめとした艦娘達が砲撃を始める。空には呉一航戦の空母達が放った多数の艦載機が舞い、深海棲艦の残存兵を攻撃していく。それはすなわち、自分を助けてくれる存在はこの水上にもういなくなってしまったということだ。

 抵抗するための杖も弾き飛ばされ、大和の渾身の一撃がヲ級改の顎を捉える。容赦のない一撃に海に倒れ伏す。何とか立ち上がろうとしたが、がくっと力が抜けたように倒れてしまう。

 

(ナ……力ガ……ドウ、シテ……マサカ、死ヌ? ココデ……?)

 

 正確には顎を強く揺さぶられたことによる影響なのだが、それがわからないヲ級改は自分の魂が大和の拳によって削り取られたことで力が入らないのか、と誤認した。それだけヲ級改の精神は追いつめられており、正常な判断が出来ないでいる。

 そんなヲ級改を示して「武装解除させて拘束を。提督のところへ連れていき、主の居場所を吐かせます」と指示する大和。任せろ、と日向が近づく中で、大和は少し苦悶の表情を浮かべて膝をついた。

 見ると、先ほどよりも出血の量が増えている。それに気づいたビスマルクが「あなた……ちょ、傷が……!?」と介抱に向かう。

 

「こんなになるまでやりあってたって言うの!?」

「……退くわけにもいかなかったものでしてね。こういう機会はそう巡ってはきません。それを逃すわけにもいかないでしょう」

「だからといってあなたがやる必要はないでしょう!?」

「……私じゃなければ意味はない」

 

 元南方棲戦姫だったからこそ、ヲ級改はあそこまで釣れたのだ。ただの艦娘ならば適当にあしらわれて逃げられるだけだろう、と大和は考えていた。だから傷を気合で塞いだ状態でヲ級改と交戦した。

 それを終えたことで気が緩み、傷口が開いてしまったらしい。気のせいか痛みもぐっと押し寄せてきている気がした。しばらく立てそうにないかもしれない、と苦笑する。

 そんな状況の中、不意に接近してくる反応が複数見られた。それは突然のことだった。気づいたのは佐世保二水戦の那珂であり、「魚雷接近! や、大和さん! 逃げてーッ!」と叫んだ時には遅かった。ビスマルクがカバーしようとしたが、それを強引に横に押しやり、艤装の装甲で防御態勢をとる。

 

「大和ッ!? な、なぜ……!?」

 

 自分が庇ったというのに、どうして負傷している大和が庇ってきたのか、とビスマルクは困惑する。一度ならず二度までも、あれだけ毛嫌いしていた存在に守られるなど、と大きな困惑と焦りがビスマルクへと襲い掛かった。

 そしてヲ級改を拘束しようとしていた日向をはじめとする艦娘らが大和へと視線を向け、更に次々と襲い掛かってくる魚雷の群れに意識が向けられる。

 まさか、潜水艦が現れたのか? と警戒態勢に入る。あの新型であるソ級が戻ってきたというのだろうか。

 しかしそれでもヲ級改を拘束しなければ、と日向が彼女へと手を伸ばすが、それよりも早くヲ級改の体が沈んだ。いや、正しくは海の中に引きずり込まれたというべきだろうか。当のヲ級改もまた驚いた表情で海の中に沈んだのだから。

 

「なに……!? っ、あれは……!」

 

 ヲ級改がいたところの海を覗きこんでみると、沈んでいくヲ級改の後ろには長髪を大きく揺らしながら沈んでいく存在がいた。頭部には帽子が被されており、虚ろな光をたたえながら海上にいる日向を見つめている。

 ソ級だ。

 先ほどのエリート級ではなく、通常のソ級なのだろう。彼女が下からヲ級改を引きずり込んだらしい。魚雷の群れで大和達を混乱状態へと貶めた隙に彼女を救出していったのかもしれない。

 

「――――」

「……ク、感謝、スル……コノママ、撤退ヲ……」

 

 傷に呻きながらも、ヲ級改はソ級に礼を述べた。周りにはソ級だけでなく、ヨ級やカ級もおり、彼女らが魚雷を撃ち込んだのだろうと推察できる。

 だがヲ級改は大和との対面が脳裏に、その心に刻まれた。

 今回の戦いはただの情報収集である。呉鎮守府や佐世保鎮守府の艦隊を撃滅する戦いではない。だから別に敗北しようとも問題はない。それ以上に得られるものがあったのかどうかが大切だからだ。

 

 得られたものはあった。

 

(大和……! 提督ノ手デ生マレタ存在……ソレガ、艦娘トナルダケデナク、我ラニ、提督ニ、牙ヲ向ケルトイウノカ……!)

 

 今までにない感情がヲ級改の中で生まれている。乏しかったものが、ようやく人並みになってきたとでもいうのだろうか。何にせよ、ただ忠実に中部提督の命で動くだけの兵器ではなくなっている。

 生きたいという想い。

 敵を倒したいという想い。

 中部提督が口にした想いが、ヲ級改の中で生まれている。これが意志の力に繋がるというならば――感謝しなくてはならない。奇しくもあの大和が、自分が持つべきものなのだろうか、と疑問視していたものを持たせてくれたのだから。

 

「次ニ、会ウトキハ……必ズ沈メテヤル……提督ニ仇ナス敵ハ、コノ私ガ、許サナイ……!」

 

 それはまさに一人の艦娘の如く。

 姿かたちが艦娘の赤城であったならば、敵に対して怒れる存在としておかしくはない一幕。だが彼女は深海棲艦であり、向かう先は海の底にいる中部提督の下。傷を庇いながら、今回の敗北と感情を胸に、ヲ級改はいつか再戦を必ず果たすと決意するのだった。

 一方、大和も大和で最後に受けた魚雷が響いていた。ビスマルクを二度庇ったが、先ほどの魚雷は三発も受けてしまっている。そこまでされては一気にダメージが蓄積し、大破状態にまで追い込まれてしまった。それを証明するかのように若干足が沈んでいる。

 ヲ級改が芽生えた殺意など関係なく、今ここで彼女が轟沈しそうな勢いだった。

 

「大和さん、大丈夫ですか!?」

 

 呉第一水上打撃部隊旗艦の榛名がさっと近づいてくる。傷の具合を見て少し顔を青ざめてしまうが、大和は気にするなという風に手を挙げる。そして「私のことはいいです。それよりも、ウェークに向かい、長門達の支援を頼みます」と自力で何とか立ち上がろうとするも、それがうまくいかずに日向に支えられてしまった。

 無理をするな、と日向が肩を貸してやり、反対側はビスマルクが支えた。

 

「……この通り、私は手を貸してくれる人がいるものでね。だからさっさとそれらを引き連れてウェークに行きなさい。そして戦いを終わらせる。それが今のあなたに出来ることでしょう?」

「……わかりました。お気を付けて。皆さん、私達はこのままウェーク島に向かいます! 榛名についてきてください!」

 

 呉の第一水上打撃部隊をはじめとする援軍が榛名に率いられてウェーク島へと進路を変える。それを見送りながら大和達、呉第二水上打撃部隊や佐世保二水戦、佐世保二航戦は指揮艦へと帰還することにする。

 日向とビスマルクに支えられながら、大和は何とか航行を開始する。ヲ級改率いる深海棲艦を撃滅したとはいえ、ここはまだ敵が存在するかもしれない海域だ。佐世保二水戦らが周囲を警戒してくれているとはいえ、絶対に安全とはいいがたい。

 そんな中でビスマルクはぽつりと、「……ごめんなさい。あなたのこと、少し認識を誤っていたかもしれないわ」と漏らした。それを聞いた大和は、

 

「あら、殊勝ですね。どういう風の吹き回しでしょうか、ビス子?」

「……く、そういうところは気に食わないけれど、それでも、私を二度までも庇ってくれたことには感謝しているし、礼を述べるべきだとは思っているわ。……ありがとう。おかげでこうして無事でいられたわ」

「気にすることはないわ。私がそうすべきだと判断し、行動したまでのこと。初陣で部下が死ぬなど、あってはならないことです。旗艦として、長として、私は部下を守らねばなりません。それを実行したまでのことだと言いましたよ。礼を言うくらいならば、強くなりなさいビス子」

 

 そう言いながら、軽くビスマルクの肩をたたいてやる。苦しげな表情を浮かべているが、大和はうっすらと笑みを浮かべている。ビスマルクは少し驚いたような表情を浮かべて、大和の顔を見つめた。

 

「いつの日か私とこうして肩を並べられるくらいに強くなってみせなさい。そうして共に戦果を挙げられるようになって、初めて私はあなたを守れて良かったのだと胸を張れるのです。それに強くなることは、ひいては提督の役に立てる兵器であると証明することでもある。つまりは提督のためにもなります。だからビス子、これからも生き延び、強くなり続けるのです。いいですね?」

「……わかったわ。じゃあ、それを実現するためにもあなたが引くくらい強くなってみせるわよ。そうなった時、私を焚きつけたことを後悔しないようにしてちょうだい!」

「ふっ、それは楽しみですね。あ、別に私としても追いつかれる気は毛頭ないのであしからず。私とて追いかける背中があるものでしてね。そう簡単に肩だけでなく、背中を捉えさせてはあげませんから」

「っ、く……本当にあなたって人は、どこまでもいらない言葉を重ねてくれるわね!? やっぱりあなたとは気が合わないわッ! 少しでも助けてくれてありがとうと思った私が馬鹿みたいじゃないの!」

 

 と、貸していた肩を離してやりながら叫んでしまう。バランスを崩した大和を慌てて抱え直す日向が「まあまあ、落ち着けビスマルク。大和もそうからかうものじゃない。というか、このままだと沈みかねんから、助けてやってくれ!」と二人をなだめてやる。

 忘れてはいけないが、ここはまだ敵がいるかもしれないところだ。こんな気が緩んでいいところではないのだが、多少なりとも大和とビスマルクの距離が近づけたのは良いことだ、と思わなくもない。

 大和に対して怒ってはいるが、日向に言われては仕方がないと抱え直してやるビスマルク。その後ろでやれやれという風に肩をすくめる木曾と鈴谷。村雨も苦笑を浮かべながらあとをついていく。

 こうしてヲ級改らとの初戦は終わりを迎えた。

 だが戦いは終わっていない。

 ウェーク島では、長門達と離島棲鬼が交戦を続けているのだから。

 

 



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離島棲鬼

 

 初撃、それはお互い牽制といった具合のものであった。

 放たれた弾丸はどちらも直撃はせず、それぞれ回避したことで海へと落下し、水柱を生む。艦載機もそれぞれが交戦し、対空射撃によって撃墜されたことで直撃するものはなかった。

 ウェーク島に展開されている艦隊は想像していたよりも少ないものだった。ソロモン海戦の時のような無数の深海棲艦、というわけではない。

 深海霧島が率いているのはル級改、ヲ級フラグシップが2、リ級改フラグシップ、リ級フラグシップといったところか。離島棲鬼を守るように護衛要塞が複数配置され、そして前方に水雷戦隊が複数といった具合だ。

 佐世保の主力艦隊、扶桑からは瑞雲も発艦される。爆撃によるジャブは水雷戦隊に期待出来るだろう。霧島も偵察機を発艦させ、弾着観測射撃を試みる。

 そんな中で偵察機から見える深海霧島の風貌に目が留まる。ソロモン海戦でも見かけた戦艦棲姫だが、見覚えのあるというか自分のつけている眼鏡によく似たものを使っているじゃないか、と霧島は気づいた。

 

(何故戦艦棲姫が、あの眼鏡を……?)

 

 くい、と自分の眼鏡に指を当てながら思わず思案してしまう。よもやあの戦艦棲姫がラバウルの霧島が転じた存在だと思い至れるはずもない。だが向こうの深海霧島がそんな霧島の様子に気が付いたらしく、視線を彼女へと向けてくる。

 思案している最中でも霧島は砲撃を行っている。そんな彼女の様子に深海霧島はそちらに手を示す。艤装の魔物はそれに応え、主砲を斉射した。飛来してくる弾丸に、羽黒が「霧島さんッ!」と呼びかけながら体を抱きかかえて海へとダイブする。

 

「――っ、羽黒さん……!」

「戦場でぼんやりしては……いけませんよ……!」

「す、すみません、気になるものが見えたものですから」

 

 すぐさま立ち上がってその場を離れる。そこに水雷戦隊からの砲撃が飛んできていたので危なかった。それだけではない。ウェーク島にいる離島棲鬼からも砲撃が飛来してくる。距離があるというのに届いてくるとは、性能のいい砲をしているようだ。

 反撃として霧島が三式弾を装填し、離島棲鬼へと撃ち放つ。陸上基地型ならば飛行場姫と同じようにこれが通用するだろう。爆ぜた弾が離島棲鬼へと降り注ぐかと思われたが、その射線上に深海霧島の魔物が仁王立ち。一部しか離島棲鬼に届かず、大半が魔物に降り注いだ。

 

「ヤラセマセンヨ……。ウェークヲヤリタイナラバ、私カラ仕留メテミナサイ」

「く、戦艦棲姫が庇うですって? いえ、それもあり得ることですか。ならそちらから早急に仕留めるだけです!」

「出来ルノカシラ? フフ……自分ニ殺ラレル、トイウノモ貴重ナ経験カモシレマセンガ、大人シク殺ラレルホド、私モ……甘クハナイツモリデス、ケレドネ……!」

 

 眼鏡のレンズを光らせながら霧島に照準を合わせるように指示する。負傷しながらも魔物の主砲は霧島に狙いを定め、発砲していく。三式弾程度では魔物は大してダメージはない。平然としたように唸り声を上げながら攻撃を敢行していく。

 それを回避しながら霧島達は深海霧島が口にしたことを頭の中で反芻した。

 自分に殺られる、それを霧島に向けて口にしたのだ。

 

「……あなた、私なのですか?」

「――エエ、私ハ霧島。……ソウダッタヨウニ思エマスネ。ソレヲ示スコノ眼鏡ガ、私ガ元ハ霧島ダッタト……教エテクレマス。ソレニ沈メロ、沈メロト囁イテクルノデスヨ。霧島、アナタヲ見タ時カラ、ソレハ強クナッテ……イマスネ……!」

 

 軽く頭を抑えながら深海霧島が叫ぶ。

 ラバウルの霧島から転じた戦艦棲姫。霧島だった頃に培った戦闘経験は残っているが、艦娘として過ごしてきた記憶の大半は失われている。その分のデータを空け、戦艦棲姫としての記憶を蓄積していくためだ。

 必要なものは残し、不必要なものは削除する。そうした分だけ艦娘から深海棲艦へと転じさせる成功率を上げたのだ。おかげで素材から作り上げた戦艦棲姫と遜色ない能力を得るに至っている。

 だが艦娘の霧島と相対したことで、元の自分が頭をよぎったのだろう。

 堕ちる前の自分と同じような存在。

 深海棲艦が持ちうる恨みなどの負の感情が溢れてきたと思われる。

 

「――うろたえるな!」

 

 そこに凛々しい声が響き渡った。続いて深海霧島へと弾丸が飛来し、魔物の腕が彼女をかばう。見れば長門が腕を組みながら堂々と立っているではないか。

 

「例えあれが霧島が転じた存在だとしても、うろたえるな、ためらうな。任務云々関係なく、艦娘である私達に出来ることは深海棲艦を沈め、鎮めることだ。臆せば飲み込まれるぞ。気を強く持て、霧島!」

「…………勇マシイデスネ、長門。我ガ心ニ反応シテ……怯ンデクレレバ、御ノ字デハアッタケレド……、ソレガ叶ワヌナラバ……致シ方ナイデス。純粋ナ力比ベト、イキマショウカ……?」

 

 腕に隠れた深海霧島が眼鏡を光らせながら姿を現し、ゆっくりと手を前に出して左から右へと流れるように動かす。それに従ってル級改やリ級が砲を構えていく。深海霧島が率いている深海棲艦だけでなく、離島棲鬼や護衛要塞もまた砲門を動かしていくではないか。

 

「力比ベナラ……結構ナコトデス。兵器トシテノ性能ヲ試セルノデスカラネ……! 力ヲ示ス、ソレガ私達ノ役割ナノデス……!」

「力、力と、お前達は何のために力を示す!? 私達を呼び寄せ、力を示すためだけにこの戦いを仕掛けてきたとでも言うのか!?」

 

 撃ち合いながら長門は叫ぶように問いかける。今回の戦いは明らかに敵が凪達に誘いをかけてきた戦いだ。その目的がただの力比べ、力を示すためだというのか。ダーウィンには犠牲者も出ているというのに。

 

「長門」

 

 だが深海霧島は砲撃しながら静かに長門の名を呼ぶ。

 そっと眼鏡に指を添え、「ソレガ、兵器」と答えを告げる。

 

「兵器ハ深ク、考エル必要ハ……アリマセン。主ノ命ニ従イ、持チウル力ヲ発揮シテ……敵ヲ撃滅スレバイイノデス。ソウシテ、積ミ重ネタ経験ガ……主ノ役ニ立ツノデス。ソノタメニハ……敵ガ必要デス。戦ワナイ兵器ニ、意味ハナイ。……ソウデショウ?」

「……所詮、お前達も兵器を自認するか。兵器であることに徹するか……!」

「アナタ達ト、何ガ違ウノデス……? 我ラハ艦娘ヲ滅シ、艦娘ハ我ラヲ滅スル。ソノタメノ、兵器……! 怒ルノナラバ良シ。ソノ分、力ガ上ガルデショウ。ソレヲ討チ倒セバ、良キデータガトレルト……イウモノデス!」

 

 長門の頭に大和の姿が浮かぶ。

 最近では落ち着いているが、彼女もまた兵器であることに誇りを持っており、事あるごとに口にするくらい自認していた。兵器であるならそれは必要だ、それは不必要だと頑ななところがあった。

 あの頃から思っていたが、やはり深海棲艦というのはそういうものなのか、と長門は歯噛みする。

 確かに艦娘とて兵器であり、多少は兵器であるならば、という前提で考えたことがないわけではない。凪との初対面時でも兵器としての自負を口にしたことだってある。

 しかし凪は長門達を兵器とはみなさず、一個人としての艦娘とみなした。艦娘というより一人の人のようにも感じられる。そういう扱いをされてきたせいか、自分は艦娘という兵器であるということを自分で思うことは少なくなってきた。

 ある意味凪に毒されたといってもいいだろう。それでも悪い気はしないあたり、感化されているのかもしれない。

 自分は自分だ。

 長門という艦娘の兵器ではなく、長門という一個人としてここに立っている。

 しかし艦娘であることを捨ててはいない。戦艦長門という誇りも失っていない。中途半端と笑うがいい。だがそれが呉鎮守府に所属する艦娘なのだ。

 それに影響されているのか、元深海棲艦である大和もまた軟化しているのだ。いい方向に変わり、成長していると長門も感じている。

 それでいい。

 それが凪の方針であり、呉鎮守府に所属している艦娘としての誇りである。

 艦娘は深海棲艦と戦う「兵器」。それもいいだろう。

 だがその上で長門はこう自負するのだ。

 

 呉の長門として、深海棲艦を鎮めるために戦う一人の「戦士」であると。

 

 「兵器」に意思は必要ない。

 だが、戦士ならば「意思」がある。己で道を見出し、戦うことが出来る存在であると長門はここに示すのだ。

 

「私を討ち倒せるものなら、討ち倒してみるがいいッ! この長門、ただでは沈んでやらんぞッ!」

 

 狙いすまされた砲撃。それを連続して敢行する。飛行した弾丸は庇った魔物の腕に突き刺さったが、続けて飛来した弾丸がそこを貫通し、深海霧島の胸へと届く。徹甲弾という貫通に優れた弾丸に貫かれ、血を吐き出しながら吹き飛ばされ、魔物の体に叩き付けられる。

 

「ガ、フ……ッ、ク……ナニ……コノ砲撃……!」

「砲撃を続行する! 休む暇を与えるな! 流れはこちらにある! 壁を崩し、離島棲鬼を撃滅するッ!」

 

 弾着観測射撃による狙いすまされた砲撃なのだが、その情報がない深海霧島の頭には混乱が生まれる。魔物の守りは充分なものだったはずだ。それなのにどういうわけか腕を貫通するほどの威力を発揮して、この身に徹甲弾が届いてきた。

 わからない、わからないが――新たな情報が入手出来ている。それをこの身で証明出来ている。今はわからなくてもいいが、次の戦いに役立てればいい。

 そうだ、その調子で力を示すがいい、長門。

 血を拭いながら深海霧島は魔物に手を当てて立ち上がり、戦いを続行する。

 だが不意に違和感に気づく。徹甲弾で貫かれた痛みだけではない何かを深海霧島は感じていた。なんだろうか、これは? と強引に塞いだ傷口近くに触れながらその違和感が何かを考える。

 

(痛ミ、トイウワケデハナサソウデス……痛イ、トイウヨリモ……温カイ? 何故、ソンナモノヲ感ジルトイウノデショウ……?)

 

 不気味だ。どうしてそんなものを感じ取るのか。

 血が温かい、というわけでもないだろう。それに深海棲艦としての自分は血というよりもオイルといってもいいかもしれない。見た目こそ血のようかもしれないが、作られた存在である自分達は兵器として認識している。だからその流れる血潮はオイルなのだ。

 その手に触れる少し黒みがかった赤い液体。それを握りしめながら深海霧島は長門へと反撃。それに続くようにル級改や護衛要塞、離島棲鬼も砲撃する。

 

「榛名! アノ長門ヲ沈メルワヨ! アレハ……何カヲ持ッテイル……!」

「――――」

 

 ル級改は彼女らにとっては榛名である。深海霧島の命に従い、二人で長門へと砲撃を仕掛ける。狙われるとなれば、一旦後退するしかない。反撃しつつも長門は無理に前に出ることはしない。

 代わりに山城、鳥海が砲撃しつつ、翔鶴と瑞鶴が艦載機を放っていく。

 

「――ッ、――!」

「なかなか硬いじゃないの。それとも入りが甘いのかしら」

 

 山城が弾着観測射撃を用いて攻撃するのだが、ル級改が構える艤装が思った以上に硬い。ル級フラグシップもそれなりに硬かった印象があるが、改になることでより硬くなっているように感じられる。それだけ深海側の艤装の技術が上がったのだろう。あるいは深海棲艦が持ちうる力が、艤装の装甲を底上げしている可能性もある。

 どちらにせよ、新たな鬼や姫が生まれるだけでなく、量産型にも変化が生まれているのは明らかだ。

 周りの水雷戦隊を相手取っている神通率いる呉一水戦も、リ級改と交戦を始める。青い燐光を左目から放ちながら、数体の深海棲艦を率いて高速で航行するリ級改。神通を見据えると、腕を構えて砲撃を仕掛けてくる。

 深海霧島の隊にいたような気がするが、ウェーク島を守る水雷戦隊の旗艦なのだろうか。

 だが量産型の改なのだ。ル級改と同じく、それ相応の力を秘めていると見ていい。

 

「あれは私が抑えましょう。皆さんは周りのものをお願いします」

「任されましょー。じゃ、とりあえずあたしについてきて」

 

 鋭い目つきでリ級改へと向かう神通を見送り、北上が残ったメンバーを連れて水雷戦隊に当たる。リ級改も神通とやりあう気らしく、水雷戦隊に指示を出すとそのまま神通へと砲撃を仕掛けていった。

 高速で回避し続ける神通はその手に魚雷を手にし、リ級改へと投擲。だがそういう使い手だということは伝わっているのだろうか。リ級改は神通がそれを手にしたときには既に動いていた。

 副砲で向かってくる魚雷を起爆させ、その手にある装甲で爆風を凌ぎつつ突撃。肩から神通へとタックルを仕掛けていく。

 

「っ、く……!?」

 

 装甲の硬さとリ級改のスピードが乗ったタックル。それに弾き飛ばされ、更に構えた砲門が神通を狙い撃つ。だが神通も受け身をとり、咄嗟の回避で弾丸をやり過ごす。そのまま海を転がりつつ起き上がり、すぐさま移動。

 牽制として砲撃をするがリ級改の装甲を抜くには至らない。リ級フラグシップでも重巡とは思えないような装甲をしていたが、改になることでより硬くなっているらしい。

 

(なるほど、これは骨が折れそうですね。だからといって、諦めるような真似はしませんが……!)

 

 両手を後ろにやりながらの航行。まるでアニメで見るような忍者走りのようだ。だがその腕にはカタパルトがあり、こっそりと偵察機がスタンバイ。反対側の手に魚雷を掴むと、またしても投擲をする。

 そんな見え透いた手には乗らないとばかりに途中で起爆させるが、その爆風で隠すように偵察機を発艦。すぐさま主砲を手にし、リ級改の周囲を回るように移動。

 向こうでは北上達が水雷戦隊を相手に戦っていることを確認しつつ、自分の目と偵察機から見えるものを確認。どこか装甲が薄いところはないかと隙を窺う。

 リ級改も神通が主砲を構えつつ隙を窺っているのだろうということは見て取れる。だが軽巡の主砲如きに自分の装甲が抜けるはずはない、と高を括っていた。だから前に出られる。

 ぐっと力を込め、加速して弾丸のように飛び出す。その勢いを殺さないままに神通へと殴りかかっていった。横に跳び退って回避したが、その先に砲を構える。

 だが神通もただ跳び退っていたわけではない。殴りかかったことでリ級改の頭が若干下がり、そして軽く跳んでいるために神通の足がちょうどリ級改の頭の高さに合っていたことが結びついた。

 神通の左足には探照灯が装備されている。その光は昼であっても強い光が放たれているのがわかるほどの光量。

 

「――――ッ!?」

 

 まともにその光を見てしまったことでリ級改が悲鳴を上げて目を覆う。そんな彼女へと腰元にある魚雷発射管が照準を合わせ、一気にそれらを撃ち出した。音で気づいたらしいリ級改は何とかその場から動こうとするが、それを止めるように神通が弾着観測射撃を行う。

 足を狙うように放った弾丸だが、やはりそこも装甲によってまともに入らない。若干の足止め程度にしかならず、魚雷が刺さったのは三本ほどか。普通ならば充分なダメージになるだろうが、目を潰されても防御に力を回したことで硬化した装甲に守られたらしい。

 次の魚雷が装填されるまで少々時間がかかる。防御したとはいえまったく効いていないわけではないだろう。まだ探照灯の効果は発揮されているはずだ。

 

(ここで仕留めます)

 

 魚雷によって砕かれた装甲がある。そこを狙い撃てばいい。放たれた弾丸はまだ見えぬ目にもがいているリ級改へと着弾、そして貫いていく。魚雷によって砕かれた装甲を狙いすました一撃は、リ級改が侮った神通の砲撃を通したのだ。

 その痛みにリ級改の心に火が付いた。まだ完全とはいいがたいが、何とか世界が見えるようになる。改造を受けて強くなったのだ。改二とはいえ軽巡に負けるようでは重巡の、古鷹の名が廃る。

 ウェーク島から戦場を見ている離島棲鬼はそんなリ級改の支援をするように、艦載機を次々と放っていく。飛行場姫と同じく保有している数は多い。空戦によって潰されはしても、数では負けてはいない。

 放たれた艦載機は神通の上空へと移動し、彼女へと攻撃を仕掛けていった。

 これにはさすがに神通も苦い表情を浮かべる。リ級改へととどめを刺そうとしたが、艦載機の攻撃をやり過ごすために後退する。更に機銃を備え、手にはロケランを顕現させて迎撃に当たる。

 その時間稼ぎによってリ級改は体勢を立て直した。タイマンに水を差されたようなものだが、しかしそれに苦言を呈するリ級改ではなかった。

 この傷の礼が出来るというならば、時間稼ぎであろうとも構わない。一時的な応急修復、そして武装へと力の注入、充填。カッと青い燐光が輝き、再びリ級改は神通へと突撃する。

 今の神通は離島棲鬼によって対空装備をしている。それをリ級改へと有効な攻撃武装に切り替えるにしても時間を要するだろう。仮に切り替えが間に合ったとして、この高速移動ではまともに照準を合わせることなど出来はしない。

 

(決めに来たという感じですね。これでは主砲に切り替える時間はない。うまく突かれた、という具合でしょうが――)

 

 主砲は間に合わない。主砲は、だ。

 腰元にある魚雷発射管には新たな魚雷が装填されている。

 

「――次発装填済みです。その突撃では躱せないでしょう。頭から魚雷に突っ込むようなもの!」

 

 魚雷発射管の一つがリ級改へと狙いを定めている。その手にはロケランが存在したままだが、一撃必殺の威力を誇る魚雷でリ級改へとカウンターを決める算段だ。

 しかしリ級改とてただ無策に突撃しているわけではない。

 その青い燐光を放つ左目が、一際強く輝きを増した。それを見てしまった神通は思わず目を閉じてしまう。

 

「――――!!」

 

 ざまぁみろ! とでも笑ったのか、リ級改のその顔に笑みが浮かんだ。

 彼女は古鷹である。艦娘の古鷹といえば左目は探照灯のように光を放つようになっているのだ。どうやらこのリ級改にもその機能が搭載されているらしく、青い燐光に乗せた青い光が神通の視界を塗りつぶした。

 まさに先ほど神通にやられたことの意趣返しと言えよう。

 しかもいったんスピードを落とし、神通の側面へと回り込んでいく。咄嗟に神通が魚雷をそのまま発射するかもしれない、と警戒してのことだろう。側面、いや更に背後へと弧を描くようにして回り込んでいく。

 そうした上で神通へととどめを刺すべく、エネルギーを込めた主砲の一撃を叩き込み――

 

「――その手は、経験済みなのですよ」

 

 静かな呟きがリ級改の耳にすっと入った。

 更に気づけば、神通の姿がいつの間にかそこにいない。はっと気づけば、目を閉じたままの神通がいつの間にか自分の側面にいる。弧を描いた航跡が綺麗に先ほどまで立っていた場所と、今、腰を低くして水面に手をついている神通の足元に存在していた。

 手にしていたはずのロケランは手にはなく、先ほどまで立っていた場所にそのまま置いていっている。そして今のリ級改は振り下ろす主砲の手を止められず、ロケランへと強撃を放ってしまった。

 しかもよく見れば、魚雷も一本ロケランに添えられている。ロケランの爆発に反応して誘爆し、右手はそれに耐えきれずに装甲を砕かれる。

 

「――ッ、――!?」

「何故、とでも言っているのでしょうか。先ほども言ったように、経験済みなので、それに反応出来るように訓練した、としか言えませんね。私としましても、やられたことをそのままにしておく性質ではありませんので」

 

 と、目を閉じたまま神通は魚雷を発射する。それらは次々とリ級改へと到達し、爆発の連鎖を起こす。だがリ級改とて意地があるのだろう。倒れそうになる体を無理に動かし、無事な左手で神通の体を捕まえる。

 リ級改がまだ動いている、ということはわかっているが、よもや自分の体を掴みに来るとは思わなかった神通。まだ視界が回復していないのでそれを避けることは出来なかった。

 何とか引きはがそうとするが、リ級改はそんな神通へと頭突きをする。装甲はない、素の体での頭突きだが、充分に神通にダメージは通る。そのまま膝蹴りで神通をうずくまらせるつもりだったようだが、それを神通は堪えた。

 次発装填した魚雷は撃ち尽くした。次の装填まで魚雷は撃てない。そもそもこんな至近距離では爆風に巻き込まれる。更に言えば目もまだ見えていない。

 そんな中でリ級改は狂ったように神通を殴り、蹴り続ける。ここまで神通一人に負傷するなど、彼女の重巡としてのプライドが許さない。

 この体は、この艤装は中部提督が作ったものだ。深海棲艦の重巡といえば、このリ級だけ。深海棲艦に一種しかいない重巡に更なる高みを与えてくれた中部提督。それだけでなくより強く、より性能を高めた艤装まで用意してくれた。リ級改はその恩に報いなければならない。

 一種だけの重巡としての活躍をし、そして重巡としての更なる力を示さなければならないのだ。

 だというのによもや軽巡如きにここまでやられるなど我慢がならない。

 リ級改を憤怒たらしめたのはプライドを傷つけられたというだけではない。中部提督が作ってくれたこの素晴らしき艤装を、軽巡である神通にこうまで破壊されたというのが許せなかった。

 軽巡よりも強い砲門を備え、軽巡よりも強固な装甲を備えた重巡。同じ重巡であろうともそう易々と抜けはしない装甲を手にしたというのに、この右腕が、この体が砕けている。その現実がリ級改を怒りへと導いた。ある意味ヲ級改が理解しようとしていた意志の力をリ級改は発揮している。

 軽巡にこうまでやられたことが許せない。だから痛めつける。

 そんな思いに駆られた怒りの感情を以ってして神通をサンドバッグにしていた。

 水雷戦隊を片づけた北上達が見たのは、そんなやられっぱなしの神通の姿だった。

 

「神通さん! 早く助けなきゃです!」

「しかし魚雷だろうと砲撃だろうと、あんなに近くでは誤射しかねない。近づかなければ」

 

 雪風が指さすが、Верныйは冷静に告げる。その通りだ、と北上は頷き、「助けるにしてもあたし達が向かわなきゃね。って夕立!?」と言葉の途中で夕立が飛び出していく。

 慕っている神通がただやられてばかりでいるのが我慢ならなかったらしい。まだ殴り続けているリ級改に照準を合わせるが、やはり神通にも中りそうなほどに近い。でもとにかく近づけばいい、と全速力を出す。

 リ級改も助けの手が近づいてきていることに気づいたようで、いい加減に沈めとばかりに大ぶりでパンチを繰り出した。

 

「やれやれ、まったく……仕方のない」

 

 と、ぽつりと漏らしながら神通はその拳を受け流しつつ、リ級改を投げ飛ばす。その目は未だ閉じられ、美麗な顔は所々痛々しく腫れ、血に濡れている。海に倒れたリ級改は何が起こったのか理解出来なかったが、すぐさま起き上がりながら回し蹴りを放つ。

 だが神通は見えているかのように少し下がって回避する。追撃するように繰り出される拳も躱していくではないか。

 

「……ただやられてばかりの私ではないのです。少々時間がかかりましたが、あなたの力の雰囲気を記憶しました。……そしてその時間は、うっすらと私の目が回復する時間でもある」

 

 と、弱々しく目を開く。だが完全ではないらしく、軽く目元を手で押さえてしまった。その隙を突くように魚雷を撃ち出したが、神通はそれを横に跳んで回避した。だが痛みが出たらしく軽く体勢を崩してしまうが、すぐに持ち直す。

 

「最初からそうしていれば良かったのに、私に時間を与えるべきではありませんでしたよ。それだけあなたのプライドとやらを傷つけてしまいましたか? それは申し訳ないですね。ですが敵を前にさっさととどめを刺さないのは頂けない。……敵と定めれば、すぐさま処理。いたぶるような真似はするものではありません」

 

 それに、と神通は言葉を続けながら、目元を隠す指の間から冷たい眼差しをリ級改へと向ける。そこには怒りが静かに滲み出ているような気がした。「――あの子達を前に、これ以上無様な姿を晒し続けたくもないので」と、言いながら装填を終えた魚雷を撃ち出した。

 怒りの対象はリ級改もそうだが、自分にも向けられていた。

 水雷の長たる者は敵を殲滅してこそである。そして同時に部下である者達に対して不甲斐ない様を見せるものではない、と神通は考えていた。

 突撃し、敵の前線を切り崩す水雷戦隊を纏める長だからこそ、後に続く者達を鼓舞するような勇姿を見せねばならない。戦場は実力がものを言うが、士気も高めてこそ勝率が上がる。士気を上げるにはやはり前に出る者の勇姿があってこそだろう。

 それがみっともない姿を晒してしまえば、士気が向上するどころか低下してしまう。そうなれば戦線は瓦解する。そうなれば多くの仲間達を喪いかねない。それはあってはならない。

 かつての南方の出来事はもうこりごりだ。

 多くの仲間を喪うことを繰り返してはならない。

 仲間を守るには自分は仲間に勇気を与える存在でなければならない。

 それが仲間を守ることであり、同時に提督である凪を守ることに繋がるのである。

 それが自分が強く在るための理由なのだ。

 中破状態であろうとも、その目は、その戦意は揺るがない。どれだけリ級改に殴打され続けようとも、その心までは傷つけられなかった。

 これが軽巡だというのか?

 これが艦娘の強さだというのか?

 その戦鬼の如く発せられる気迫に圧されながら、リ級改は魚雷を受け続け、ついにその体は耐えきれずに爆発四散し、沈んでいった。

 

「神通さん! 大丈夫っぽい!?」

「――ええ、どうにか、といったところですが……すみません、夕立ちゃん。少々肩を貸してくれませんか?」

「それくらいお安い御用っぽい」

 

 まだ完全に視界を取り戻していない状態であり、リ級改に殴られ続けた体もぼろぼろの状態だ。ああしてリ級改を圧倒するような気迫を放っていたが、戦いが終われば気が抜け、少し立っていられない状態にまで追い込まれている。

 それでもあの大湊での一件以降、磨き上げた己の技能が発揮出来たのが良かったとはいえる。

 リ級改が探照灯で目を潰し、背後に回り込んだ動き。

 探照灯はされなかったが、あれは大湊の水雷の長、多摩にやられた動きだ。目で追えない動きをされ、アタリを付けたと思えばそれよりも更に速く動き、背後から主砲を突き付けられてしまった。

 まさに一瞬の出来事。戦場ならば自分は撃ち抜かれている。

 それに対処するため、神通は目で追うのではなく気を、オーラを、力の波動を辿る訓練をした。仮に大湊の一水戦と、あの多摩ともう一度戦うことになった際に、今度は追いつけるように。

 もしもあの演習がなければ、自分はあの時リ級改に背後から撃ち抜かれていただろう。よもや探照灯の下りをやり返されるとは思わなかった。何せリ級改の左目がああなるなんて思わなかった。完全に不意打ちであった。

 だが、だからこそ出来たとも言える。目を潰されたからすぐに力を、オーラを辿って回避できた。そしてその後のサンドバッグ状態もその手が、その足が放つ力を記憶するための時間でもあった。

 だからこそ目が回復していなくても攻撃を躱すことが出来たのだ。とはいえ覚えるのに少々時間をかけすぎた感はある。もう少し早く出来ていれば、無駄なダメージを積み重ねることはなかったはずだ。そこは課題としよう。

 

「大丈夫ー? いったん下がろうかー?」

「いえ、ここで下がれば敵に付け入る隙を与えます。出来ません。とはいえ私はこの状態。なので北上さん、あなたに一度指揮を預けます。旗艦として、敵を引っ掻き回すように」

「んーそれはいいけど、神通は一人で大丈夫なの?」

「護衛として雪風を傍に置きます。……夕立ちゃん、あなたは北上さんについて前線に出てください。雪風さん、しばらく私の護衛を。よろしく頼みますよ」

「任されました! 雪風がしっかりお守りいたします」

 

 びしっと敬礼し、夕立と入れ替わるようにして神通の傍に立つ。夕立も神通が心配だったが、この戦いが終わらないことには帰ることもない。本音を言えば指揮艦に戻って入渠してもらいたかったが、神通はそうはしないだろう。

 本当に危険ならば退くだろうが、まだ大丈夫だと彼女は判断した。それに呉一水戦にはまだ出来ることがある。それを放棄して退くことは出来ないと考えているのだろう。

 

「神通さん、本当に危なくなったら退いてね?」

「……ふふ、大丈夫ですよ。私とてここで沈むつもりはありません。雪風に倣うならば、絶対に大丈夫。夕立ちゃん、あなたはあなたのやるべきことを成してください。いいですね?」

 

 その言葉に、夕立は逡巡したが静かに頷いた。北上が率い、彼女達は前線へと戻っていく。その背中を見送りながら神通は深呼吸を繰り返す。雪風に支えられているが、やはり少し苦しそうだ。それに雪風はつい「やっぱり指揮艦に戻った方が……」と声をかけてしまう。

 

「雪風さんの言う通り、普通はそうすべきでしょう。ですが私の勘が告げるのです。今は退くべきではない、と」

「勘、ですか?」

 

 そうだ、と頷く神通と雪風の付近には静かな気配を持つものが忍び寄っていた。それは機を窺っている。リ級改と交戦し、体力を消耗している神通を沈める必殺の機会を。

 もし彼女達がすぐに撤退しようものならばその背後から、あるいは側面から魚雷を撃ち込もうと考えていたが、どういうわけかそこに留まっている。

 それならそれでいい。その背後から魚雷を撃ち込むまでのことだ。

 

「――む? いやな予感が――っ、神通さん、魚雷反応です!」

 

 雪風がそれを察知した。それとも感じ取ったのは殺気だったのかもしれない。背後から高速で迫ってくる魚雷に気づき、神通と共に横へと飛び出して回避する。神通も押し倒されながらも探知に意識を集中させ、それが何であるかを解析。

 それはソ級だった。それもエリート級であり、もしかするとここに来るまでの間で足止め役として配置されていたソ級だったのかもしれない。あの時負傷はしたが耐え抜き、一時撤退していった個体の可能性がある。

 押し倒されるが、すぐさま神通は起き上がり、爆雷を手にして投げつけた。体に痛みが走るがそんなことを気にしている暇はない。動きを止めればこちらがやられるのだから。

 よもや気づかれただけでなく反撃してくるとは、とソ級エリートは一時後退する。しかし爆雷の効果範囲から完全に逃げられず、僅かにダメージを受けて体勢を崩してしまう。そこに雪風からの追撃が入り、大破状態に陥ってしまった。

 

「…………!」

 

 あそこまで追い込まれてもこちらに喰らいつけるだけの根性がある。呉の水雷の長、神通。史実でも半身を失ってもなお抵抗し続けただけのことはある。それに類する根性を持ち合わせているのだろう。

 そしてまさか気配を消して近づいていたというのに、どういうわけか気づいてしまった雪風。あれが幸運艦か、あるいは何かそれに比類する第六感を秘めているのか。それが成長してきているのだとすれば、厄介である。

 他の鎮守府にも雪風は在籍しているだろう。そうなると、あの雪風のような第六感を持ち合わせていると考えた方がいいだろう。そのポテンシャルがそれぞれの鎮守府の雪風に備えられ、磨き上げられているなら奇襲に気づかれてしまう可能性がある。

 情報は得られた。これ以上の戦闘は無意味だろう。情報を持ち帰るために撤退し、次の機会が巡ってきたら仕留めるとしよう。そう考えたソ級エリートは深海へと撤退していった。

 



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離島棲鬼2

 

 

 離島棲鬼との戦いは佳境を迎えていた。戦いの中で長門達は離島棲鬼を分析。少しずつ彼女の特徴を見定めていく。

 離島棲鬼が持ちうる雰囲気、オーラは鬼級に値する存在だが、能力は姫級に値するものだ。何度か三式弾を撃ちこんだが、大きなダメージには至らない。それは深海霧島による護衛もあったが、他にも彼女を守る存在がいた。

 離島棲鬼の周囲を舞う小さな存在。黒い浮遊ユニットだ。黒猫の顔のようなものが、離島棲鬼を守っているのである。護衛要塞よりも小さなあれがどう守っているのかといえば、口から機銃を出して艦載機を迎撃したり、どういうわけかオーラのようなもので楯を展開して砲弾を防御したりしているのである。

 凪はあれを見て「創作とかでよくある障壁とかいうやつなのかな……」と推測した。

 深海霧島による守りと黒いユニットによる守り。もちろん離島棲鬼自身の装甲も加味すると、なかなかに硬い存在なのかもしれない。

 

「だが道はある。硬いというならば、それをも抜く技量や攻撃を見せつけるまでのこと。山城、私が合わせてやる。恐らくまた戦艦棲姫が庇ってくるだろうよ。一発お見舞いしてやるといい」

「わかりました……!」

 

 ぽんと山城の肩に手を当ててやりながら頼もしげに指示をする長門。山城が放っている瑞雲は深海霧島の上空を飛行している。弾着観測射撃のためのものだが、当然機を見て爆撃する算段もある。

 離島棲鬼へと狙いを定めていたところ、佐世保の霧島と交戦していた深海霧島は、不意に山城へと視線を向けた。砲門が動き、離島棲鬼を狙っていることを察したのだろう。

 何故気づいたのか。

 守るべきものに害なす気配でも察知しているとでもいうのか。主砲が霧島へと砲撃しつつ、深海霧島は魔物へと山城の射線上に動けと指示を出す。そのほぼ同時に山城が三式弾を撃ち放った。

 それを迎撃させるように魔物に装備されている機銃が連射し、途中で弾が炸裂する。だがそうして三式弾に意識を向けている間、長門が狙いを定めて深海霧島へと徹甲弾を撃ち放った。

 機銃での迎撃は少々想定外ではあるが、それによって深海霧島に対する守りが弱くなるのは想定していた。その隙を突く形で彼女を撃沈させる。それを狙った一撃だったが、魔物が危機を感じ取って守りを固めて腕で深海霧島を抱き寄せる。

 防御を高めたが、数弾腕に着弾し、一発がそれを貫いていく。しかし深海霧島に対してはわき腹を貫くだけに留まり、先ほどのような大きなダメージには至らなかった。だがそれでも深海霧島はこの痛みに対して違和感を覚える。

 

(ヤハリ、熱イ……。コノ熱イトイウモノハ、ナンダトイウノ……?)

 

 霧島や扶桑との交戦の際にもいくつか被弾はしているが、熱いと感じたことはない。他のダメージでも熱いというものを感じることはないだろう。ではこの長門の攻撃だけ感じるものはなんだというのか。同時に先ほどのものは気のせいではないこともわかった。

 これは調べる必要がある。データとして取得し、残していかなければ。

 

「榛名、アナタハアチラヲ。私ハ、長門ヲ討ツ……!」

「――――」

 

 ル級改はこちらでも高命中を誇る砲撃を放っている。佐世保の扶桑や霧島と砲撃戦を行う中で、ル級改へと命中させるようにル級改もまた扶桑や霧島へと命中弾を生み出している。回避することで至近弾にも抑えているが、妙に中ててきている。

 艦娘は弾着観測射撃を以ってして高命中を生み出すが、ル級改はその技量かあるいは装備している電探の性能がいいのだろう。高命中の戦艦の砲撃というのは敵に回すと厄介この上ない。

 そして深海霧島は長門の攻撃がどういうものなのか自らの体でデータをとることを改めて決意。長門が離島棲鬼を倒すために深海霧島を沈めようとするのに対し、深海霧島は長門が何を持っているのかを知るために長門と交戦しようとする。

 向こうから来てくれるなら、と長門は次弾装填。そのさ中、北上達が側面から深海霧島へと接近していく。それを食い止めるために深海霧島についているリ級やル級、ヲ級が攻撃を仕掛けていくが、高速機動で回避していく。

 彼女らは長門や瑞鶴達の艦載機によって何人か沈められているが、どこからか新手として現れているらしい。もちろんウェーク島を守護するように護衛要塞も存在しているので、北上達の接近に気づいて動き出す。

 

「さてさて、長門さん達を支援しますよっと。雷撃よーい!」

「水雷……古鷹ハ落チタノカシラ……? 止メナサイ、私ハ長門ヲ――」

「――喰らいつくっぽい!」

 

 飛来してくる砲弾の雨を掻い潜り、深海霧島へと突撃していく夕立。以前のソロモン海戦では戦闘中に夕立改二へと進化を果たし、戦艦棲姫へと接近戦を仕掛けていった夕立だ。今回もまた深海霧島へと接近戦を試みるつもりらしい。

 手には顔がついている魚雷が一本。魚雷発射管にも装填されており、いつでもそれを撃ち放つ用意がある。

 北上も「しょうがないなー綾波、フォローしちゃって。響、君はあたしと周りやるよー」と肩を竦めつつも指示を出す。北上も夕立や神通がそういう役割だということは理解している。

 そしてВерныйとなっても北上などは彼女を「響」と呼ぶ。北上としてはВерныйと呼ぶよりも響の方が言葉の通りがいいというのもあるが、呼びやすい方で呼んだ方が楽というのも含んでいた。Верныйも元々の名前である響と呼ばれても問題ないということで通している。それにやっぱりВерныйよりも彼女としては生まれの名である響という名前を大事にしていた。

 綾波が夕立の後を追う中、そこを側面から撃とうとしているリ級フラグシップへと素早く砲撃。それによって砲撃の手を止め、その隙に魚雷を撃ち込んでやる。その中で北上は魚雷の強撃を遠距離にいるヲ級フラグシップへと発射した。

 妖精と北上の力が込められた魚雷は高速で接近し、ヲ級が逃げる間もなく着弾する。

 強い水柱が発生する中で夕立もまた深海霧島へと突撃。深海霧島も「……駆逐、夕立……? 一人デコンナ近クマデ……無謀デスネ」と副砲の照準を合わせていく。

 更に魔物の腕が夕立を払うように動くが、それすらも掻い潜って肉薄。手にしている魚雷を深海霧島へ投擲した。

 しかし副砲で迎撃し、深海霧島に着弾する前に爆発する。その爆風に煽られる深海霧島だが、それに隠れるようにして夕立は更に距離を詰める。というよりも魔物の腕を使って跳躍し、深海霧島へ飛び蹴りを放った。

 それはまさしくあの寸劇で演じているようなヒーローのような飛び蹴り。よもやそんなことをされるとは思っていなかった深海霧島は、その一撃をまともに受けてしまい、魔物の体へとたたきつけられる。

 追撃を食い止めるように魔物が腕で夕立を払いのけ、更に手で捕まえようとするが、着水した夕立はすぐさま距離をとってそれを躱す。綾波からも魚雷の支援が入り、次々と爆発が発生。その中で一本強撃を織り交ぜ、右腕の肉を一部粉砕してみせた。

 響く魔物の悲鳴の中、深海霧島は拳を震わせながら夕立と綾波を睨む。

 

「ヨモヤ、駆逐艦ニ切リ込マレルトハ……!」

「あたし達はソロモンの狂犬と黒豹だよ。あまり舐めないでほしいっぽい」

「ナルホド。シカシ私トテ、ソロモンニハ縁アル存在。ソレデ勝ッタツモリナラバ、ソノ自信、打チ砕キマショウカ……!」

 

 ヘイトは稼いだ。深海霧島の意識は長門から夕立に向けられている。そのことに綾波は背後にいる長門達へと合図で示し、離島棲鬼を攻撃してもいいと知らせる。あくまでも目標は離島棲鬼であり、深海霧島はそれを守護する存在だ。最優先目標を見誤ってはいけない。

 もちろん深海霧島も撃破すべき存在だ。だからこそ夕立と綾波も彼女を沈めるつもりで戦っている。魚雷が装填されるまでの間、夕立と綾波は深海霧島へと砲撃を敢行。そうしてまだまだ二人で深海霧島を引きつけ、長門達に離島棲鬼を攻撃するチャンスを生み出す。

 艦載機が離島棲鬼へと攻撃すればすかさず護衛要塞や黒いユニットが守りに入る。上空へと意識が向いたところに、呉の長門達や佐世保の扶桑達が徹甲弾や三式弾を撃ちこんでいく。

 まだル級改は中破に留められて健在だが、離島棲鬼へと攻撃するチャンスが生まれたならばそちらにも攻撃の手を伸ばしてやるのだ。

 

「――フッ、多少ハ道筋ヲ見出シテキタ、トイウコトデスカ……。イイデショウ、モット、アナタタチノ力ヲ示シナサイ」

 

 飛来する徹甲弾を見切って躱すが、その際に舞い上がったウェーブ状の黒髪を穿つように徹甲弾が通り過ぎる。笑みを浮かべたまま離島棲鬼が艤装の魔物に指示を出し、反撃の砲撃を行う。

 その際には黒いユニットもまた副砲を口から出し、砲撃していく。夕立達ほどの早さを出せない長門ら戦艦。一部はその装甲で耐えるしかないが、一気にダメージをもらわずに立ち回ることは出来る。

 だが離島棲鬼の攻撃手段はまだある。陸上基地らしく次々と艦載機を発艦させてくるのだ。瑞鶴や翔鶴らによる艦載機による交戦、摩耶などの対空射撃で結構落としたはずだが、まだあるとばかりに艦載機は襲い掛かってくる。

 こうなってくると不利になるのは艦娘側だ。一人一人の空母が運用できる艦載機の数には限度がある。そして補給もなしに戦っているため、艦載機が撃墜されていけば数はどんどん減っていく。

 対して離島棲鬼は基地型ということもあり、一人で大多数の艦載機を保有。撃墜もしているが、なかなか減っている感じがしない。もしかすると艦載機を何らかの手段で補充できている可能性がある。

 

「くっ、少しずつ押され始めてるわ。まずいかも、翔鶴姉」

「佐世保の千代田さんと龍驤さんも頑張ってはくれているみたいですが……早急に片を付けるにも守りに入られては……」

 

 佐世保の主力艦隊には千代田と龍驤がいる。これらを含めた合計ならば離島棲鬼に負けない数にはなる。が、鶴姉妹が正規空母に対し、千代田と龍驤は軽空母に値する。その能力や搭載数では正規空母に劣ってしまうのは仕方がない。

 その分練度では負けず劣らずなのだが、数に物を言わせられればじりじりと押され始めるのは仕方がない。

 もちろん敵艦載機の攻撃に対抗するように摩耶達などが対空射撃を行っている。それによって大きなダメージに繋がるものを受けてはいないが、これもいつまで続くのか。常に空を警戒し続けるのも体と心が疲れる。艦載機的にも、対空防御的にも長期戦は望めない。

 だからこそ早急に片を付けたいところである。

 

「短期決戦? ソウ急グモノデハ、ナイデショウ。モット、戯レマショウ」

 

 離島棲鬼としてはもっと長門達の力を見たい。そうしてデータを蓄積させたいのだ。だから長門達が弾丸を装填し、射撃に移ればすかさず守りに入る。この守りを崩して抜いてくるならそれも良し。その攻撃の力を記録するだけのことだ。どう転ぼうとも、離島棲鬼にとっての任務が遂行する。のだが、妙に違和感がある。

 長門が放った徹甲弾によって負傷したところが、奇妙な熱さを訴えかけている。貫かれた左肩に手を当てれば、血のようなものが流れ落ちる。それは深海霧島と変わらない。だが痛みと同時に熱さがそこにある。それに離島棲鬼は首を傾げた。

 山城が放った瑞雲による艦爆は黒いユニットによって防がれるが、次いで飛来してくる三式弾は止められない。いや、わざとそれを止めなかった。扶桑や霧島から放たれる攻撃を防ぐと見せかけて、山城の攻撃をわざと通したのだ。

 持ち前の装甲で受け止める。そうして傷を負ってみるが、痛みはあっても熱さを感じない。深海霧島がそうであるように、離島棲鬼もまた長門からの攻撃には何かがあるのだ、と推測する要因を得た。

 それも深海棲艦にとっては良くない何かなのだろう。沈めなければならない。データ収集は大事だが、長門を残しておいてはいけない。ここで沈めておかなければ後々深海棲艦にとって良くないことになりかねない。

 艦載機を次々と発艦させ、長門へと集中攻撃を試みる。

 突然自分に向けて多数の艦載機を送り込んできた離島棲鬼に長門は違和感を覚えるが、迎撃しなければいけないとばかりに機銃を展開。摩耶も何とか守りを固め、艦載機を撃墜していく。

 だが酷使し続けたせいか、機銃にガタが生まれ始める。妖精達も疲労が積み重なってきているようだ。そうして生まれた穴を突いて艦爆から投下された爆弾が摩耶や長門へと命中し始める。

 

「くっ、まずいぜ長門さん……! 弾薬もやばいことになってる」

「堪えろ。もうすぐ、好機は訪れる。それまで時間を稼ぐんだ。一時後退しつつ、牽制弾を撃ちこんでおけ! 扶桑! そっちからの攻撃はどうだ!?」

「通る時は通りますが……っ! 向こうからの反撃も通してくるようになっています……!」

 

 言葉の途中で撃ち込まれてしまったが、至近弾に留められた。回避しつつも砲撃を入れているが、そのたびに護衛要塞や黒いユニットが楯になってきている。守る、いや耐えることに関して離島棲鬼は本当にかなり厄介なものかもしれない。

 その上長門に標的を定めてからは執拗に長門へと攻撃を続けている。守りは護衛要塞や黒いユニットに任せ、自分はただひたすらに照準を合わせて長門へと攻撃を続行。いくつもの艦載機を撃墜されても問題はないとばかりに、次々と滑走路から飛び立たせていく。

 それを止めるように鶴姉妹や千代田、龍驤が空戦を試みているが、その艦載機の数も少なくなっていた。被害は長門だけでなく彼女を護衛する摩耶、そして鳥海にまでおよび、中破状態へと追い込まれていく。

 爆弾による影響で艤装に火の手が上がり始めた。装備妖精が必死に火消を行っているが、砲塔がいくつもおじゃんになる。これでは砲撃だけでなく守りの手が失われていく。

 

「フフ、想像以上ノ成果デスネ。ヤハリ、我ラガ司令ハ良イモノヲ作リダシテクレマス」

「司令……そっちの提督さんっぽい?」

「エエ、誇ラシイデスヨ。良イデータガ取レマス。ソノ点ニオイテハ、アナタタチニ感謝シマショウ。ダカラ、ソノ礼トシテ、沈ミナサイ……駆逐艦ッ!」

「お断りっぽい!」

 

 副砲の斉射を夕立はまた高速機動で回避し続ける。時に体を捻り、回転しながらの回避行動をとりながらも一度離れた深海霧島へと距離を再度詰め、機を見て砲撃を行う。綾波も同様に回避しながら隙を窺い、魚雷を撃ち込んでいった。

 夕立という明らかな脅威を近づけさせまいとする深海霧島の側面を突く攻撃だ。二方向からの接近に、深海霧島と魔物という二つの意識が対応するが、完全に防ぎきれていない。何せ魔物の体が大きい。そのため的になりやすいのだが、その分防御面を高めている。だがそれを撃ち抜くのが魚雷である。

 爆発を起こして体勢を崩す魔物。それに潰されないようにと深海霧島は腕の上に跳躍したが、それを追うように夕立も手に乗る。そんな夕立にこれ以上好きにさせないように深海霧島は夕立へと跳び蹴りを放った。

 先ほど自分がされたようなことをやり返してやる。だが夕立も両腕を交差させて防御。ぐっと歯噛みして耐え、着地した深海霧島へとボディへ拳、わき腹へと蹴りを放ち、顎へと掌打を放った。

 それがどうしたとばかりに、「オラァッ!」と気合の入った声を張り上げて夕立の頬へと拳を入れるばかりでなく、肘打ちまで入れてくる。防ぎきれずに魔物の腕から落とされてしまった。

 だがただで落ちてやる夕立ではなかった。腰にある魚雷発射管から深海霧島へと魚雷を射出。数本は深海霧島へと迫ったが、多くは飛距離が足りずに海に落ちる。それでも魔物の腕へと進行し、着弾した。

 深海霧島に迫ったものも直撃はしなかったが、それを回避するために移動した際に魔物の腕がやられることでバランスを崩して落下する。そんな彼女へと綾波が跳躍し魚雷を投擲。人型である彼女への直接的な魚雷攻撃。距離も近かったために咄嗟の防御も間に合わず、まともに受けてしまった。

 爆風によって体が大きく負傷しただけでなく、眼鏡も吹き飛び海に落ちる。

 

「ァ……アァアアア……ッ、眼鏡……私ノ、眼鏡ガ……!」

「夕立ちゃん、とどめいきますよ!」

「了解!」

 

 眼鏡を失ったことによる錯乱、魚雷の直撃とこれ以上ないほどの好機。魔物も深海霧島を守るために砲門を向けようとしたが、夕立でも綾波でもそれを撃ち込んだら深海霧島を巻き込みかねない。

 ならばと左手で振り払おうとするが、その判断が遅い。その時間は夕立と綾波が深海霧島へと砲門を向けて発砲するには充分な時間だった。二方向からの砲撃。それは深海霧島に着弾して爆ぜる。だがその爆風の中で深海霧島は動いた。

 焼けた肌から煙を立ち上らせながら強い殺意を向け「駆逐艦……夕立ィ……綾波ィ……!」と恨みが籠った声を上げる。伸ばした手で夕立を捕まえようとしたが、寸でのところで夕立は後ろへと跳ぶ。

 だが目から赤い燐光を輝かせる深海霧島はそれを追うように走り出した。夕立と綾波の攻撃によって首の後ろから魔物に伸びているチューブが破損しており、勢いをつけて走った影響で千切れてしまった。その際にぴくりと体が反応したが、それをも抑えるような怒りによって深海霧島は動いていた。

 対して魔物は深海霧島との繋がりを失い、呻き声を上げるだけに留まってしまった。

 

「眼鏡……負傷……、敗北……? コノ、私ヲ……コノ、霧島……ヲ……」

「あんまり駆逐艦を舐めないでほしいっぽい。見敵必殺、敵艦は全てデストロイ。例え戦艦が相手だろうと、ぶちのめすデストロイヤーなんだから」

 

 そう言いながら深海霧島にやられたことで垂れてきた鼻血を拭う夕立。そんな彼女の傍に立ちながら綾波もぐっと拳を握りしめる。

 

「そ、それに夕立ちゃんは一度あなたと同じ存在を相手に立ち回りましたからね。その経験も生きたんですよ。小さな存在と侮った、あなたの負けです!」

「フ、フフフ……ナルホド、呉鎮守府……私ノ想像以上ノ情報デス……。データ以上ノ存在、記録」

 

 いつものクセなのか、眼鏡があったところで指をなぞってしまった。くいっと上げるべき物はそこにはないが、そんなことは関係なく、深海霧島はそのしぐさをし、じっと夕立と綾波を睨みつける。

 あるいは見えていないのか。まるで視力の悪い人がよく見ようとするかのように、目を細めているようにも見える。

 顔から、胸から血を流し、煙を立ち上らせながら深海霧島は一息つくように大きく息を吐く。まだやるつもりか、と夕立と綾波が身構えたが、そのまま深海霧島は後ろへと倒れていった。

 

「勝負ハ、預ケマショウ。イツノ日カ、コノ借リヲ返シマシス……夕立、綾波。共ニソロモンニ散ッタ駆逐艦……!」

 

 その言葉を残しながら仰向けのまま深海霧島は沈んでいった。長門達との交戦のダメージもあっただろうが、夕立と綾波によって深海霧島は撃沈された。魔物もまた力を失ったように前のめりに倒れ、沈んでいく。これはこの戦いにおいて大きな壁を打ち破ったことに等しい。

 深海霧島が離島棲鬼の楯の中で一番大きな存在だったのだ。それがなくなっただけでも大きな進展といえる。「長門さん、戦艦棲姫を仕留めたよ」と報告すると「よくやった。あとで褒美をやる」と返事が来る。

 長門が言っていた好機の一つがこれだ。彼女は夕立達がやってくれると信じていた。二人の成長は長門も知っている。神通の指導の成果もあるが、夕立や綾波の向上心によって自分を鍛え上げているのだ。それが実を結ぶだろうと信じていたのだ。

 そしてもう一つの好機。それは上空から離島棲鬼へと突っ込んでいく艦載機の群れが証明した。それらは離島棲鬼が展開している艦載機に奇襲を仕掛け、次々と撃墜させていった。

 次いで飛来する砲弾が驚きの表情を浮かべている離島棲鬼へと襲い掛かっていく。何事だ、と振り返れば、そこには援軍として航行してきていた榛名達が存在していた。

 

「呉支援艦隊として第一水上打撃部隊、一航戦、二水戦到着しました!」

「佐世保からも第二主力艦隊、三水戦到着! これより支援を始めます!」

 

 それぞれ榛名、瑞鳳が支援到着の声を上げる。艦載機は呉一航戦所属の祥鳳、千歳、加賀や、佐世保第二主力艦隊所属の瑞鳳、飛鷹から放たれていた。これだけの空母が揃い、艦載機が放たれたのだから、劣勢だった空戦はひっくり返される。

 この航空支援は離島棲鬼にとっては痛手でしかない。艦載機の数という有利が塗り替えられたのだから。補充の手が間に合わず、対空防御も間に合わない。黒いユニットや護衛要塞の守りの機銃では艦攻の全てを落とすには至らず、次々と魚雷が投下されていった。

 障壁を展開しても雨のように機銃、魚雷、爆弾が降り注ぎ、ついには綻びが生まれ、崩壊。それを見逃す長門ではなく、「皆の衆、これまでよく耐えた。これより反撃の時である! 全主砲斉射、てぇーッ!」と艦娘達に命を出す。

 そこにいる戦艦、重巡級の艦娘達は一斉に離島棲鬼めがけて砲撃を敢行。守りの手を失った離島棲鬼はただそれを静かに受け止める。

 

(――コレデ役割ハ終ワリ。多少ハ時間ヲ得ラレタケレド、終幕ダケハ予定ト変ワラナイ。ソレデイイ。私ハ後ニ続クモノタチノタメノ、礎ナノダカラ)

 

 敗北することは決まっている。護衛要塞も黒いユニットも、それがわかっているために抵抗はしない。守りを突き破られた時点でこの戦いに決着がついているようなものなのだから。

 なるほど、この戦いどちらも耐えれば勝ちというものだったのかもしれない。

 離島棲鬼側は耐えに耐えて戦闘を長引かせ、情報収集し続ける。

 長門は一定の敵を破り、時間を稼ぐことで援軍到着を待ち続ける。そうして支援を得ることで状況をひっくり返し、勝利を得る。

 仮に離島棲鬼側が攻める手を増やしていれば、もしかすると一人二人は艦娘を撃沈させていたかもしれない。そう、例えばあそこにいる神通とか……と離島棲鬼は燃え盛る自分自身の体を感じながら考える。

 しかし彼女はただ忠実に任務を遂行しただけである。

 陸上基地としての能力、戦闘力を示し続け、攻撃を受けることで装甲の良さや艦娘の攻撃を記録する。自分だけでなく艦娘の力すらも記録し続ける。それを持ち帰り、次の作戦の役に立てるようにする。

 ただそれだけの存在である。

 果たして自分に次があるのかはわからない。今回の戦いだけの存在だけかもしれない。

 ならば離島棲鬼という存在は、後に続く存在のためだけのもの。それだけの意味を孕んでこの戦乱の世界に生まれたのか。

 

(ダトスルト、少々物悲シイモノデスネ……。次ガ、モシモ私ニ次ガアルトスルナラバ――)

 

 再び離島棲鬼として生まれ変わるのか、また別の深海棲艦として生まれ変わるのか。あるいはもう戦いの時代は終わりを迎えているのか。

 いや、そんなことはあるはずはない。艦娘と深海棲艦との戦いに終わりはない。例え中部提督がそのようなことを望んでいたとしても、恐らく世界はそれを許さない。海に満ちる負の感情は世界を蝕んでいる。この太平洋だけでなく、大西洋にまでそれは存在しているのだから。

 中部提督。深海棲艦側の勝利で終わり、静かに時を過ごすことを望んでいる離島棲鬼の主。そのような願いが叶うとは思っていないし、そのための礎となってしまった自分の運命は変わることはなかった。

 ある意味使い捨てのような扱いをされたといってもいい離島棲鬼。彼女は中部提督にも恨み節を言ってもいい権利を持っているだろう。

 だが何故だろうか。

 燃え盛る体は熱さを訴えかけている。当然だろう、燃えているのだから。しかしこの熱さは炎に焼かれている熱さだけではない何かを持っていた。そっと自分の手を見下ろす。

 僅かな光の粒子が存在しているように見えた。

 ひび割れた体、吹き出す血。その裂け目、穴から小さな粒子が一つ、また一つと空に昇っている。炎にまかれて舞い上がっているように見えるそれを見つめていると、なぜか知らないが、負の感情が和らいでいるような気がしてならない。

 これはいったい何なのだろう。

 だがそれを記録する気力はもうない。そうするだけの機能が死んでいる。

 さあ、海に還る時だ。燃える体はウェーク島から海へと落ち、役目を終えた体からコアが抜き出され、中部提督へと届けられるだろう。だからこのような感情はもうそれに上書きされることはない。

 

(次ガ……仮ニ次ガアルナラ……静カナ、静カナ時代……安ラカナル……時ヲ……。私ノ、犠牲ニ……意味ヲ求ムナラバ……、ソノ願イヲ……キット……)

 

 恨み言は、彼女の中から生まれなかった。

 自分の犠牲によって中部提督の願いに近づけるならばそれで良しとした。その願いを叶えた先に、もう一度自分が生まれることが出来れば良しとした。だが彼女は最期までその粒子の意味にたどり着けなかった。当然かもしれない。命が終わる寸前にそこまでの頭は回せるはずもない。

 その粒子はかつて南方棲戦姫が沈みゆく際に立ち上っていたようなものと同じだった。言葉にするならば、浄化の光の一部のようなものである。それが離島棲鬼の中から負の感情をある程度和らげていた。

 だからこそ、ただ純粋に自分の死を受け入れるだけに留められていたのだ。その心の奥では死にたくない、ただの犠牲で終わりたくない。むしろ生まれたばかりなのだからこそ、まだまだ生きていたいと思っていたのに。

 そのような歪な死を迎えていたが、そんなことは関係なく、沈みゆく彼女の体から今回の戦いを記録していたコアが抜き取られていく。そしてコアを失ったゴスロリ少女の体は、ゆっくりと崩壊しながら海底へと沈んでいくのだった。

 

「――ウェーク島攻略作戦、終了だ。各員、周囲の警戒を続行。敵戦力が完全に確認されなくなり次第、帰還する」

『了解』

「おつかれさま、長門。無事で何よりだったよ。誰一人欠けることなく、今回も作戦を終えられた。感謝する。そしてよくやってくれた」

「はっ、ありがとうございます」

 

 労いの言葉をかけると、大きく息を吐いて背もたれに身を預ける凪。どうなることかと思ったが、何とか今回も切り抜けられることが出来た。だが色々と不可解なことがあったのは確かだ。

 すると佐世保の指揮艦から通信が入り、モニターに湊が映し出される。

 

「おつかれさまでした、凪先輩」

「ん、そちらもおつかれ。何とかなってなによりだよ」

 

 そう言葉を交わしあっていると、「あんな奴らと戦っていたんすか、あんたら……」という香月の声が聞こえてきた。そんな彼を横目で見ながら、「何? 怖気ついたの?」と湊が鼻で笑った。だが、香月は興奮した様に画面に入り込んできた。

 

「いいや~……むしろわくわくするジャン!? 深海棲艦、殺しがいがあるってもんじゃねえの!? ああいう奴らを相手にするためにはオレもそれだけの艦隊を揃えなくちゃいけねぇってもんジャン!? あぁ……何から始めるべきか……新入りとはいえ、やることが色々思いついて、震えが止まらねえよ……!」

「……ああ、そっち? やる気があるってのはいいけれど、それだけでやっていけるもんじゃないわよ」

「湊や海藤サンは1年でこれだけの力をつけられたってことだろ? オレもそのくらいの時間でこの艦隊を揃えられる、あるいはあんたらよりも早くここまで上り詰められるかもしれねぇって楽しみもあるジャンよぉ! ははは……とりあえずあんたらを目標に走り始めれば、オレの目的に近づけるってわかっただけでも、今回の出会いに感謝ってなもんですよぉ!」

「……ま、何を目指すかは人それぞれだよ。そのための課題を自分に課すのもまた大事さ。俺もまた新たに見出したしね」

 

 そう、香月の目標にされてしまった凪にもまだ課題があることにも自分で気づかされる戦いだった。艦娘達の練度は高くなっているのは確かだが、最終的には数で押した形といえる。それを否定する気はない。数こそ力は昔からある戦術なのだから。それで勝利を得られたのならばそれはそれで良しとする

 しかし大多数を動かして勝利を得ればその分資材が減る。またその運用に慣れてくると、多くの艦隊を遠方に派遣し、守りを柔くさせることにも慣れてくる。そうすると、今回のような敵のやり方をされれば、いつか隙を突かれかねない。

 一点に集中させる、あるいは分散させられ、本拠地を手薄にさせることによる敗北。それは避けなければならない。だからこそある程度の数、あるいは少数で勝利を収められるならばそれに越したことはない。

 少数で攻め切る、あるいは守り切る。それが出来るならば少ない戦力で、少ない資材で着実に勝利を積み重ねられる。それもまた一つの戦術である。

 呉鎮守府に所属する艦娘も以前に比べると増えてきているのは確かだ。だが増えたとはいえ新入りはまだまだ実力不足。だから指揮艦に待機しているのは仕方がない。そんな彼女達を守りに配置するしかない、という自然と決められた選択肢。

 もしもあの潜水艦らがもっと数で攻めてきたら。それ以外の戦力も追加されてきたら、を考えれば負けていたのはこちらの可能性が出てくる。何せ支援艦隊としてウェーク島に戦力を派遣したのだから。

 そうして実力ある艦隊を前に出したところを突かれたら、それだけで詰みになる。前に出ている艦娘達はそれを知らずに戦い続け、そして時間をかけてなぶり殺しにされかねない。

 だからこの勝利に慢心することはない。新たな課題が出来た、と先を考える。

 

「そうしなければ、変わっていく深海棲艦にいずれ敗北を喫しかねない。日々成長、日々研鑽、さ。そうでなければこの先生き残れない」

「それだけは心に刻むといいわ。隙を見せれば、油断すれば喰われるのは自分。トラックやラバウルとの協力関係は強固なものにしておくことね」

 

 これだけ実力を備えていても、気を緩めることはない凪と湊。そんな真面目な空気に香月はこれ以上言葉を重ねることはせず、ただ小さく頷いたのだった。

 やがて長門達は帰還し、入渠していく。ウェーク島における戦いは終わりを告げ、指揮艦はトラック泊地へと進路をとる。去っていく指揮艦を遠くから観察する存在もまた、自らの拠点へと反転していった。

 最初から最後まで、この戦いは全て中部提督が思い描いた通りの運びとなった。多少は想定外のことはあろうとも、ウェーク島、そしてダーウィンにおける戦いで得られるものは得たのだ。

 戦いにこそ敗北はしても、内容においては敗北していない。

 そのことに、彼はとても満足していたのである。

 

 

 



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変貌

 

 トラック泊地にて、凪達と泊地に戻ってきた茂樹は会食をしながら話をしていた。そこにはパソコンのモニターもあり、通信によってラバウルの深山が映し出されている。テーブルの上にはトラック泊地の間宮が用意してくれた料理と飲み物が置かれており、それをいただきながら今回の戦いについて振り返っていた。

 茂樹と深山が経験したポート・ダーウィンの戦い。

 凪と湊が経験したウェーク島の戦い。

 これらは中部提督とやらが計画したものであり、凪達はその計画に乗せられていたのだ、ということが明らかとなった。それは大和があのヲ級改を通じて得た情報であり、深海提督という存在と共に共有されることとなる。

 それはすなわち、後に美空大将にも報告されることとなる。このような戦いとなった以上、深海提督という存在はもはや秘匿すべき存在ではない。元深海棲艦である大和からの情報だけでなく、彼女と深海棲艦との会話によって得られた情報なのだ。普通ならば深海提督など馬鹿馬鹿しいと切って捨てられるような与太話だろうが、深海棲艦からそういう存在が口に出されている。

 虚言の可能性も捨てきれないが、このような大々的な計画を深海棲艦がやってのけたのだ。知性が上がっているような気がする、というだけではすまされないようなものを深海勢力が行使した。それは無視できるようなものではない。

 また美空大将は大和がそういう存在であることは既に知っている。深海提督の存在を複数の提督が認知した上で大本営に報告する。上の多数は錯乱したか? と思われるかもしれないが、この正式な報告は美空大将は無理なく受け入れられるかもしれない。

 とはいえここにいる湊達はこうして改めて聞かされてはすぐに信じられるようなものではない。大和が元深海棲艦ということも、彼らにとっては驚くべき事実なのだから。実際深海棲艦憎し、という感情を隠そうともしない香月にとっては憤慨する事実だった。

 

「つまりなんですかね? 元深海棲艦を味方に引き入れてるってんですかい?」

「そうだね」

「そうだねって、それで済ませていいもんですかね!? 敵だった存在っすよ!? 裏切るかもしれねえじゃねえですか!」

「だが、この1年それはない。今回だって大和から戦いの全容に近しい情報を得られた。恐らく元深海棲艦である大和だから得られた情報だよ。その点は評価に値することだ。……なるほど、君は少々頭が固く、視野が狭いらしい。それは致命的だよ、香月」

「言われてしまったわね。……とりあえず座りなさい、香月。食事の最中でもある。むやみに立たないで」

 

 黙々とお茶を飲む湊が静かに香月をたしなめた。そう言われてしまっては香月も舌打ちしつつも従うしかない。だが香月の反応は何も知らない他の提督や海軍の者からすれば当然の言葉でもあるだろう。

 自分達と敵対している存在が艦娘になった、味方となったなんておとなしく信じられるものではない。スパイではないのか? 裏切らないのか? という不安を抱えるのは自然なことだ。

 しかしあれからもう秋、冬、そして春と迎えている。多少のいさかいはあったかもしれないが、大きな問題に発展するものではない。裏切るというならばもうすでに凪の命を奪ってもおかしくはないだろうし、凪でなくとも艦娘の誰かを沈めてしまっているだろう。

 そういった行動はせず、するような予兆すらない。ここに来る前はスパイ問題すらあったのだ。その際にも大和は特に関わるようなことをしていない。

 そして今回の戦いでは自分を蘇らせた中部提督に明確な敵意を示している。それも彼の秘書艦に値するヲ級改に対して告げているのだ。裏切る心づもりがあるならば、そのようなことは絶対にしない。なにせヲ級改が大和に対しても明確な敵意を発揮したのだ。そうまでしたのに深海棲艦側に寝返るなんてことはあり得ないだろう。

 

「それに、何も驚くことでもない。その逆もあり得るんだから」

「逆?」

「深海棲艦が艦娘になるなら、艦娘が深海棲艦になることも考えられるでしょう? ……実際、いたんだし」

 

 湊が淡々とそう口にする。いたのはあの戦艦棲姫、深海霧島だ。彼女が自らそう名乗っている。戦艦棲姫はソロモン海戦の時から大和が「武蔵」と呼称していた。武蔵の残骸を元に作られたのだろうと推測出来、そして戦艦棲姫もそう名乗っている。

 また足止めのヲ級改の艦隊にも戦艦棲姫がおり、それに対しても大和は武蔵と口にしていた。だが、ウェーク島のあの戦艦棲姫は霧島と名乗り、艦娘の霧島がかけているような眼鏡をしていた。ならばあの深海霧島は艦娘の霧島が転じた存在だろう、と推測出来る。

 

「ソロモンにおいて戦艦棲姫が生まれたんだから、それ以降沈んだ霧島がああなったんじゃない?」

「ソロモン海戦以降の霧島って……おい、まさか」

 

 湊の補足に茂樹が恐る恐るモニターの方を見やる。そう、ラバウルの深山だ。

 レ級の一件でラバウルの艦娘は三人轟沈している。霧島はレ級によって沈められ、中部提督によって回収された。それによってあの深海霧島が生まれたのだ。その詳しい流れまではわからないが、何かがあってあの深海霧島が生まれたのだろうとは推測出来る情報がある。

 

「…………そうか。うちの霧島が……」

 

 沈んでしまった悲しみがあったというのに、よもや深海棲艦にまでなっているとは思いもしないことだ。帰ってきたともいえるが、果たしてあれは帰ってきたといえるのか。思考まで深海棲艦寄りになり、完全に敵対しているならばもはやあれは沈めるべき敵である。

 不幸中の幸いなのは彼女が深山の艦隊の前に現れなかったことだろう。よもや元自分の艦娘を仲間の手で沈めるなんて苦しいことこの上ない。

 

「艦娘だったものが深海棲艦になる。とんでもねえ事実だな。いや、それ自体は昔から噂話だとか与太話であちこち言われてはいたっけか」

「そうだね。深海棲艦がどこから来ているのか、どうやって増えているのかという謎の中で、沈んだ艦娘がそうなっている。そういうのは囁かれていたよ」

「……でも、それが事実の一つとして現実に表れた。出来ることならそんな事実はあってほしくはなかったけれど」

 

 認めたくはない現実だが、それを受け止めるしかない。そして叶うならば、霧島には安らかな終わりを迎えてほしいと願うばかりであった。

 だが深海霧島は恐らく次の戦いにも参戦してくることだろう。あの様子では完全に撃破しているはずはない。修復を受け、再び艦娘達の前に現れるはずだ。その時こそ、終わらせてやるしかない。深山にはつらいことだが、いつまでもそれを引きずるわけにもいかない。ここは一つ、切り替えていくことにする。

 そして問題はそこだけではない。いや、艦娘が深海棲艦に転ずる可能性があるという事実はかなりの大問題かもしれないが、それ以外にも問題はあるのだ。

 

「今回の件で一番の問題は、その中部提督とやらが一連の戦いの全容を思い描き、ほぼその通りに実現出来てしまったって点じゃねえのか?」

「……だろうね。ダーウィンの港湾棲姫は思ったよりもあっさりと落ちた。そして残存戦力は特に大きく抵抗することはなく、あっさりと撤退していった。……となると、ただダーウィンを占領することが目的ではないかもしれないと考えられる」

「でもって、凪は凪でウェークまで誘い込まれ、交戦した。その流れはただ凪と戦いたかったというだけのようにも感じられたってんだろ?」

「そうだね」

 

 茂樹と深山がそのように振り返る。

 港湾棲姫においては彼女自身の性格も影響し、茂樹と深山の保有する艦隊が大きな打撃を受けるには至らなかった。あの戦力の中では一番戦意があったのはル級改といえるだろう。ル級改だけが恐らく作戦に関係なく、ただ艦娘を叩き潰したいという意志が見えていたかもしれない。

 仮にダーウィン占領もしくは殲滅が目的でないとするならば、わざわざ騒ぎを起こして茂樹と深山を呼び寄せた理由は何なのか。それはトラック泊地を空けさせ、そこに向かっている凪と湊をウェーク島に引き込むのが目的だろう。

 何せトラック泊地に艦載機は向かっていたが、艦隊そのものはトラック泊地に向かっていなかった。とするとトラック泊地の壊滅もまた主な目的ではなかったと推察出来る。

 

「ダーウィンという囮。そしてトラック泊地攻撃に見せかけた釣り。ウェークの艦隊。この一連の流れを以ってして凪と戦うだけの作戦――だけじゃねえ何かがあったとは思うんだが、それが何かが分からねえ」

「その点に関しては、うちの夕立とかが考察出来そうな情報を得ている」

 

 深海霧島などがデータ収集という言葉を口にしていることを彼女達は聞いていた。データ収集、つまりこの戦いを記録しようとしていた可能性があるということだ。

 深海棲艦はここ最近急成長している。それはすなわち戦いの中で奴らもまた学んでいるのだ。そして頭脳を担当する深海提督も存在している。これらの作戦を立案した中部提督はもしかすると、

 

「すると、なにか? 奴らはデータ収集のためだけの戦いをしていたってことになるわけだが」

「は、はは……そんなバカげた話、あるわけねえジャン? あいつらはオレ達人類の敵対者であり、がむしゃらに突っ込んでくる異形の存在なんだろ? 異形が、艦艇の亡霊が人類のように考えを回す頭なんて持ってるわけねえジャン!?」

「でも、そうではなくなっているのが最近の深海棲艦。それは今回の戦いを見たあんたも実感したはず。そんなはずはない、と目を背けるものじゃない。認めなさい、香月。アカデミーで学んだもの、それまでの常識は過去のものになりつつあるってことを」

「ま、香月坊ちゃんの気持ちもわからねえわけでもない。俺だって正直信じられねえ気持ちはある。何せ奴らがこうまで作戦を展開させておきながら、その目的が情報収集のためだけってのはやりきれねえ。……俺達の戦力とか、色々見られてしまったってことだからな」

 

 茂樹がやれやれと肩を竦めながらそう言う。全力を出し切ったというわけではないが、基地型相手だろうと上手く立ち回れるだけの力を備えたことは知られた。

 そして砲撃技術は弾着観測射撃を見られた。妙に中ててくるな、というのは深海棲艦側も感じ取っていたものだ。それを上手く分析されては、向こうも弾着観測射撃をしてくる可能性が出てくる。そうなると向こうの戦力増強の手助けをしたことになる。

 今までならばそういう心配はなく、惜しみなく新たな技術、戦術を出せただろう。凪としてもこちらの戦力増強のために技術を編み出し、広めたつもりだ。だが今回のような作戦を展開できる頭が向こうにあることが分かった。そしてデータ収集をされた可能性が出てきたならば、弾着観測射撃という技術を盗まれたかもしれないという不安が出てくるのは当然のこととなる。

 

「確かにそういった不安もあるでしょう。しかしあなたはこちらの攻撃技術を押し上げたのは間違いないです。だからこそ前回少々苦戦することになった戦艦棲姫を、問題なく倒せるようになったのですから。その点は誇りに思ってもいいんじゃないです?」

「そうそう、淵上さんの言う通りだ。あんまり自分を責めるもんじゃねえぜ、凪」

 

 そのフォローがありがたい、と凪は微笑を浮かべた。それに「戦いなんだから自然と新たな技術や戦術を使うのは当たり前さ」と茂樹は言う。

 

「どれだけ相手より有利に立ち回れるか。それが肝心ってな」

「……そうだな。海藤のおかげで前回苦戦した相手と渡り合えたのは確か。再び陸上基地を相手にしても、気圧されることはないだろう」

「自信がついたのはいいことだね。……でも、相手もまた成長していたよ」

 

 と、離島棲鬼について情報を共有する。

 陸上基地型であり、それでいて守りの力を高めており、しぶとさを前面に押し出したような力を秘めていた。そのせいで陸上基地型の弱点である三式弾を何度も撃ちこもうとも、なかなか倒すことが出来なかったことを伝える。

 弾着観測射撃は命中率を上げることは出来たが、障壁を撃ち抜くことに関しては関係ない。撃ち抜けるかどうかは使用している弾丸や砲に関わってくる。あくまでもこれは標的に中てられるか、装甲の薄いところはどこかを見抜くことに関わるのだから。

 前回の飛行場姫から改良を重ねているのがよくわかる。

 改良といえばル級改やリ級改、ヲ級改という新たな存在も出てきている。レ級やソ級といった新たな量産型だけでなく、既存の量産型である彼女らをも改良してきている点を見ても成長、進化が窺える。

 もしかするとデータ収集というのは、こういった新たな個体の調子を確かめるという点も含まれているかもしれない。

 そういうことを考えていると新年に父親である迅との会話が頭に蘇ってきた。

 陸上基地という新たな存在をソロモン海戦において作り上げた。とはいえ生み出したばかりの陸上基地。わからないことはまだまだあるから、実験をするかもしれないということを迅は言っていた。

 

『――俺やったら実験する。その戦いは恐らく小規模やろうな。本番はその次、と俺なら考える』

 

 実験、迅の読みは恐らく当てはまっていたのではないだろうか。ならば「本番」の戦いがいずれ訪れるのだろうか。茂樹達も本番のことを考えると、少々不安そうな表情を浮かべてしまう。

 今回の戦いを元に更なる戦力増強を図ってくるのは間違いない。となると準備期間を経て夏か、あるいは秋にその時が訪れるのだろう。

 

「だとしても俺達のやるこたぁ変わらねえだろ」

「そうだね。いつだってやることは変わらない」

「あたし達はただ、艦娘達を鍛え上げる」

「……そして必要なものを取り揃える。資源、装備……それらを以ってして艦娘達を強化し、万全の状態を保つことだ」

 

 そうやって一歩ずつ進んできた。どれだけ深海棲艦が変わろうとも、提督のやることは何も変わることはない。どんな戦況であっても揺るがずに構え、育てていった艦娘達を送り出していくのだ。彼女達が十全の力を発揮出来るように準備を整えて。

 

 

 

「ご苦労様、南方。データは確かに受け取った。君の協力もあり充実したデータ収集が出来たよ。感謝する」

「……それは何よりだ」

 

 中部提督からそのように労いの通信が届けられる。ダーウィンの戦いにおいて港湾棲姫やリ級改、ル級改の戦闘データやスペックなどが計測された。全てのデータ、コアは問題なく中部提督へと届けられている。

 今回の戦いは南方提督の敗北を積み重ねたが、予定通りに進行したことで中部提督としては不満はない。例え南方提督の腹に様々なものが抱え込まれていようとも、何も問題はないと受け流すだろう。

 

「ゆっくり休むといい。ああ、何か必要なものがあれば礼として届けよう。要望があるなら申し出るといいよ」

「……いいや、必要ない。それは全て私が用意する。お前の手は借りない」

「そうか。余計なお節介だったか。気が変わったなら遠慮なく声をかけてくれていいよ。では」

 

 そうして通信が切られると、またしても南方提督の体の骨が軋みだす。屈辱などの負の感情が吹き出し、体が怒りに震えることで骨が鳴り響いているのだ。

 言われるがままに戦い、データを中部提督に届ける。敗北を積み重ねてまであのような若い存在に思うとおりに動かされるなど、南方提督にとっては屈辱なことこの上ない。

 だが得られたものはあった。今回の戦いのためにル級改やリ級改のデータは届けられている。それを元に建造して生み出したが、この戦いで沈められた。コアは中部提督に届けられたが、データベースには二つのデータは残っているので、再び建造することは可能だ。

 でもまた生み出したところで何も変わらなければ、その結末も変わらないだろう。

 何か一つ、いや二つでも新たなものが必要だ。

 そんな時、拠点に帰還してくる深海棲艦から通信が入った。

 

「何事だ?」

 

 報告によると、海底に異様な反応が見られるとのことだった。どういうことかとモニターに映してみると、そこには赤くぼんやりと光るものが存在していた。海底にそんなものがあるなんて確かに異質なことだ。

 だが深海棲艦側としてはそう驚くことではない。海底に沈む残骸などから深海棲艦が自然に生まれ出るケースは稀にあることだった。南方には色々と残骸が沈んでいる。これもまた自然発生したものなのだろう。

 確認するように、と命令しモニターに映し出してくれるユニット共に海底を目指す。

 そこには二つの残骸があった。いや、残骸というのは正しくない。

 それは、死体である。

 二人の人影が折り重なるようにして沈んでいたのだ。そして赤く光りを放っているのは上に乗っている人物。深海棲艦へと変質していることを表しているように、その髪は白く染まっている途中であり、元々の黒髪の名残が存在している。

 

「……艦娘、か?」

 

 南方提督がモニターを見つめながらそう呟いた。背中を向けているが、セーラー服に少女のような姿をしているとなれば、艦娘の可能性がある。周囲には彼女がつけていたものと思われる艤装の残骸が散らばっている。

 下になっているものも艦娘なのだろう。仰向けになっているその艦娘の右手には、剣のようなものが握られており、その上に折り重なっている少女の左手が重ねられている。そのせいなのだろうか、左腕が剣を取り込むように変質していっている。その影響か、左腕が黒く変質し始めているのだ。

 ヨ級がそっと上に重なっているものを引きはがしてみるが、それについていくように仰向けになっているものの死体が浮いてきた。まさか、融合でもしているというのか? と思ったその時、死んでいるはずのその艦娘の左目がじろりとヨ級を睨みつけた。

 深海棲艦へと堕ちた影響か、赤い瞳となっているそれはじっとヨ級を見つめているのだが、その口からは何も言葉が出ない。何かを言おうとしているが、声になっていない雰囲気だった。

 仰向けになっている艦娘も、目覚めている艦娘の右側に重なるようにくっついていたのだが、やがて崩れ落ちるようにしてぱらぱらと海底に沈んでいく。そちらの方は深海棲艦へと変質していない。ただ目覚めた艦娘の方へと取り込まれていったようだった。そのせいで、顔や体の一部が欠損し、バラバラになってしまっている。

 

「あの艦娘は確か――」

 

 モニターに映し出されている深海棲艦へと変貌しつつある艦娘。南方提督は艦娘のデータを思い返しながらも、これは使えるかもしれないと静かに胸を躍らせた。

 艦娘から深海棲艦へと堕ちる新たな個体。それはきっと不遇にまみれた南方艦隊に新たな風をもたらしてくれるはずだと期待せざるを得ない。

 やがてその名が彼の口から紡がれる。

 共に沈んだ艦娘――天龍を取り込みながら変貌しつつあるその艦娘の名は――吹雪である、と。

 

 

 



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歪ミヲ持ツ者

 一方中部提督の方ではウェーク島から撤退し、拠点へと戻っている途中だった。その間にも北方提督との通信は続けられており、今回の戦いの振り返りを行っていた。

 中部提督としては満足のいくものである。様々なデータが取れた上に、一つの成長を感じられる喜びがあった。それはヲ級改についてである。

 今回ヲ級改は大和との戦いで意志の目覚めがあったのを実感している。それまで乏しいものをようやく獲得したのだ。喜ばないはずはない。その上中部提督の下に帰還した際には、彼女にしては珍しく興奮した様に申し出てきたのだ。

 

「――提督! 力ヲ……私ニ、新タナル力ヲ……ッ!」

「おいおい、無事に帰ってきたと思ったらどうしたんだい、赤城。そんなに興奮するなんて、そんなにあの大和との戦いが悔しかったのかい?」

「ソレダケジャ……ナイ! 私ハ、アノ大和ヲ沈メナケレバナラナイ……。ソノタメノ力ガ、私ニハ必要。……今ノ力ジャア足リナイ。モウ少シ必要ダ……ソウ、実感シタ」

 

 とても悔し気で、そして更なる高みを望む向上心まで芽生えている。この戦いを始める前と比べると、とんでもない成長っぷりを見せている。ただただ機械的に戦ってきたヲ級改はそこにはいない。

 中部提督に害を成す存在である大和と対面したことで、中部提督を守るために大和を討つという意志を獲得した。それは必ず成さねばならない目的であり、あの大和と渡り合えるだけの力を得ることが目標だ。

 

「わかった。計画はある。もうすぐ加賀が完成するからね。それを元に、君にもその改造を施すとしよう。同じ空母だ。それでいて、共に一航戦を務めた間柄。相性はいいはずだよ。どうだい?」

「……オ願イシマス」

「いいとも。帰還したら加賀の最終調整を進めていこうか」

 

 去年から進めていた深海棲艦の加賀の新たなる建造。素体となる白い少女の成長や艤装の調整も問題なく進行している。この戦いには間に合わなかったが、特に問題はない。この加賀は次の戦いのための存在だ。

 だからもう少しで完成するものとして進めていた。そこにヲ級改が意志を獲得し、更なる力を望むのはとてもタイミングが良い。加賀が完成した暁には、そのデータを基にヲ級改に更なる改装を施していいだろう。

 とても得るものはあった。中部提督はとても満足している。その様子はモニター越しでもわかると北方提督も感じていた。だが、

 

「――茶番。とても茶番な戦いでしかないわ、こんなもの」

 

 という女性の声がかかった。北方提督ではないまた別の誰かの声である。バイクのようなものを走らせながら中部提督は辺りを見回す。すると北方提督と繋がっているユニットとはまた別のユニットが奥にあるのがわかった。

 そこには暗い景色が存在していたが、誰かが座っているのがおぼろげに見える。

 

「えっと、どなたでしたっけ?」

「…………これは珍しいこともあるものよな。よもやはるばると西の彼方から送り込んでこようとは。暇を持て余していたか、欧州?」

「暇ではない。多少の興味が湧いたから、北米に頼んで送り届けさせただけのことよ。しかしその結果がこれとは、何とも馬鹿馬鹿しい。噂に聞く中部がこれとはね。正直失望だわ」

「ナンダオ前ハ……提督ヲ馬鹿ニシテイルノカ……!?」

 

 中部提督に対する言葉に怒りをあらわにするヲ級改。だが彼女はモニターの向こうにいる。そして北方提督が欧州と呼んだということは、「落ち着いて、赤城。彼女はかの欧州提督だ。敵対する存在じゃない。それに傷に障る」とヲ級改を落ち着かせる。

 欧州提督。文字通り欧州周辺の海域を担当する深海提督だ。北方提督と同じく女性のようだというのは声から判別できる。そして彼女は古くから存在している深海提督でもあるのだ。

 

「噂は耳にしていますよ。欧州戦線において五分五分に近しい状況に持ち込んでいると。あのイギリスやドイツの艦娘だろうと押し負けることがないとは、末恐ろしいものですね」

「世辞は必要ない。私は私に与えられし役割を果たしているだけのこと。それに私としてはその気になれば一気に瓦解させるつもりではある。だけどそれには足りないものがある。だから今は今の状況を存続させる状態にある。その片手間としてこっち側の様子を見に来ただけのことよ」

「足りないものとは?」

「上陸。深海棲艦において陸上では海上に比べて力が劣る。艦砲で陸上施設を破壊することは出来ても国の奥までは手が出せない。故に人間の国に海岸付近以外では良くて航空機ぐらいしか攻撃が出来ない。でも、聞けば陸上基地の個体が生まれたそうじゃない。それが私の興味を惹いた。陸上基地の良い情報が聞けるかと思ったら、この新米は期待出来そうもないわね」

「僕が新米、ですか」

「違うとでも? 所詮お前は2、3年程度の亡霊。そんな若き亡霊風情がいい気にならないでくれるかしら?」

 

 欧州提督を映し出しているユニットは依然として中部提督に近づかず、少し離れたところで並走している。よく見ればうっすらとだけその姿が見えるようになってきている。

 その風貌は深海提督共通のフード付きのローブを羽織っているようだが、顔にはフードがない。そのため欧州提督の顔は完全に露出している状態にある。

 もみあげの長いボブカットのような白髪、白い肌と深海棲艦のような顔がそこにある。深海提督に共通しているような骸の部分は見当たらない。それはフードに隠されているが、北方提督と同じだ。彼女もまた骸の部分はなく、深海棲艦のような顔つきになっているのである。

 だが彼女はフードによって隠されているために瞳があるかどうかまでは見えず、ぼやけたような紺色の光を放っているのだが、欧州提督は青白い光を瞳から燐光のように放っている。まるでそれはヲ級改の左目のようなものだが、欧州提督の場合は両目から放たれているのだ。

 人の骸から蘇った深海提督。その最終的な姿は深海棲艦と変わらないような姿となるのならば、彼女はその完成形なのかもしれない。つまりそれだけの時を深海提督として生きていることにもなる。

 

「そう威圧するな欧州。汝の云う通り、中部は所詮深海の者としては若造。しかしその才は確かなもの。我もまたこの茶番の中で、多少なりとも道は見えた。もう少し中部を遊ばせておいても良いかと考えている」

「あら、あなたがそうまで言うとはね。珍しいことがあるものだわ。……だとしても私としては中部に未来はないと見る」

「ふむ、その根拠は?」

「中部、お前の願いは何かしら?」

「突然なんです?」

「いいから、答えなさい」

 

 モニター越しでもわかる有無を言わせない強い言葉に、中部提督はやれやれといった風に答える。それは戦いに勝利した暁には静かにヲ級改らと暮らすことだ、と。それを聞いた欧州提督は小さく笑ったような気がした。

 

「なるほど、とてもいい夢だわ。とても人間らしい。……でも、そのために今回の戦いで捨て駒をぶつけたわね?」

「…………というと?」

「例えばウェーク。今回のために陸上基地の実験体として生み出し、運用した。艦娘と戦わせ負けても問題なしとするプランの下に。コアや魂を回収すれば深海棲艦は再び蘇る。それは間違いないでしょう。でも、死ぬ苦痛は逃れられない。そしてもしも魂の回収が成功していなければあれは二度と復活しない。つまりお前の言葉だけ綺麗な夢のためにウェークは生まれ、そして死んだの」

 

 淡々と欧州提督はそう述べ、そして嗤うのだ。「アッハハハハ! 馬鹿みたいじゃないの!」と青白い燐光をぎらつかせながら闇の中で中部提督を指さす。

 

「お前の言う『みんな』とやらはそこにいる赤城達だけの存在なのかしら? 新たに生まれた個体はその『みんな』に含まれない捨て駒かしら? だからデータ収集という名の下に使い潰されてもいいと? なんて、なんて残酷なことなのかしら。……とても人間らしい素晴らしいプランだわ。だから、茶番だと、私は言うのよ」

「ソコマデニシテモラオウ……! コレ以上、提督ヲ侮辱スルナ……!」

「あら、こんな輩にご執心なの? 赤城。馬鹿なの? 多少は体を取り戻しつつあるようだけど、だからこそこいつは人間らしい思考も戻りつつある。故にこんなプランを練り上げる。いつかお前も使い潰される可能性だって出てきているわ。ウェークやダーウィンのようにね。そういえば加賀のデータを今度お前に盛り込むんですってね? それにしたって、新たな実験が出来るからと今回のようなプランを考案し、捨て駒にされかねないわよ。それでもいいって言うのかしら?」

「ソレデモ! ……ソレデモ私ハ、提督ノモノダ。私ハ、コノ提督ニ仕エルト決メタ……。ソシテ私ハ……提督ノ兵器。兵器ハ、使ワレテコソノ存在。ソコニ、異議ハナイ」

「ああ、そういえば……そうだったわね。そっちではそんな感じだったか」

 

 ヲ級改の言葉に不意に欧州提督は目を細め、小声でそう呟いた。深海棲艦は誰もかれもが自らを兵器と認識し、艦娘を撃滅する存在であるとされているはずだが、欧州提督はそうではないのか。

 いや、それは中部提督も同様だ。「赤城、僕は君を兵器として扱うつもりはないよ」と止める。だがそんな彼を見てまた欧州提督は笑みを浮かべざるを得ない。「どの口がそれを言うのかしら」と鼻で笑うのだ。

 

「目的のために、夢のために、古くから抱え込んでいるものには愛情を示し、新しく生まれたものは容赦なく散らせる。それはウェークだけじゃないわ。共に戦った護衛艦隊もそう。どうあがいても戦いというものには犠牲が生まれる。それはきちんと認識しているのかしら?」

「当然さ。犠牲は避けられない。だからこそ僕は更なる力を用意し、一気に奴らを殲滅するための用意をしている」

「どうだかね。では聞かせてもらおうかしら。今回の犠牲の上に達成しようとしているお前のプランとやらを。それは散っていった者達に意味があるものなのかしら?」

「……いいでしょう。陸上基地のデータを収集し、加賀を用意し、その他にもいろいろ調整してまで成功させようとしている僕の計画。その主戦場は――」

 

 それはかの地で行われた海戦であった。恐らくあの戦争において大きな転換期を生み出したであろう戦いであり、歴史書の中にも記されるほどの大きな戦いだったといえよう。

 かつての日本においては悲劇でしかない結果となりはて、以降はただただ苦しいものでしかない戦いに移行してしまったその戦いの舞台。そこを中部提督は計画の中枢に据えた。

 それを耳にした北方提督はなるほど、と頷き、欧州提督は無言で瞑目する。

 

「それ、北方も巻き込むのかしら? だから共に観賞を?」

「であろうな。確かにその戦いは我も関わることになるだろうよ。いや、あるいは北米をも巻き込むか?」

「可能であれば。そうして戦力を結集させ、奴らを釣り上げるのです。かの地での戦いです。奴らとしては見過ごすわけにもいかないでしょう。それが人間というもの。一度屈辱を味わった歴史を打ち破らんと、攻め込んでくるはずです。そこを、突く」

「――喰い破るのは、呉でしょう?」

 

 だが欧州提督は鋭くそこを突いた。

 中部提督もそこを突かれるとは思っていなかったようで、少し呆けたように欧州提督が映るモニターを見つめてしまう。そんな彼に頬杖をつきながら欧州提督は言葉を続けていった。

 

「どういう思惑があるのかは知らないが、お前は呉に対してなんらかの感情を含んでいる。大層な思惑を描いているようだけれど、最終的にお前が標的としているのは呉だ。人間的要素を取り戻しつつあっても、未だにお前は亡霊的要素を残している。そこに歪みが生まれるのよ」

 

 それは妄執と言ってもいい、と欧州提督は指摘する。

 人間だった頃のことを思い出した途端、中部提督は凪に対して強い興味を抱いた。それが小さな歪みの始まりだ。興味を抱いた理由は至極単純なもの。生前所縁のある人に近しい存在であり、新米提督でありながら戦果を稼いでいる者であり、何より自分に近しいものを持っていたからだ。

 だが立ち位置は違う。凪は艦娘の提督であり、中部提督は深海棲艦の提督だ。似ていながら、真逆の位置に存在する者。だからこそ強い興味を持ち――そして、潰したくなる。これには中部提督も知らない理由が絡んでいるのだが。

 

「お前は期待している。呉がお前の思い描いた通りに動いてくれることを。その上で、喰い破りたいと願っている。……それ自体は問題はない。我らはそうして艦娘を、人間を抹殺するための存在だ。しかしそのために周りを、お前の戦力を利用しつくし、使い捨てにするつもりだ。そこが私は気に入らない」

「……問題ありますか? 勝利のために、夢のために、そう振る舞うのは」

「いいや、時に非情になるのもまた選択の一つではある。だがそのために我が同胞をもいいように巻き込むのが気に入らないだけよ。お前個人の思惑で北方を、南方を、北米を巻き込むな。犠牲込で考えるならば、お前の戦力だけ突っ込んで散りなさい。お前のような若き亡霊が、我が同胞の北方をも巻き込むなど10年早いわ。身の程を弁えなさい」

 

 欧州において欧州提督の戦果は中部提督とは比べ物にならない。戦果だけではない、彼女が欧州提督として過ごした時間は中部提督が蘇ってからの時間の倍以上ある。それだけの時を過ごしているため、容姿は深海棲艦に近しいほどのものになり、欧州戦線も一人の深海提督が保有する戦力であろうとも維持できている。

 他の深海提督からも一目置かれる存在になっているのも当然のことだった。そんな立場だからこそ、このような言動をしていても問題はない。

 更に欧州提督は歪みについて指摘する。

 

「それに知っているかしら中部? 歪みというものは亡霊にとって必然的に生まれる要素。当然でしょう、死した者が蘇るなんて、その時点で世界にとっては大きな歪みだわ。でも亡霊は意思なき存在として蘇り、それによって歪みを抑えられる。だけど時を経て、そしてきっかけを得て、亡霊は人に近づく。深海棲艦としての外見的要素を得ながらね。その際に、歪みが生まれるということをお前は知っているの?」

「……いいえ、知りませんね。初耳です」

「そう。ならお前は無自覚だったのかしらね。お前には夢がある。それと同時に、執着するものがある。その執着は何か? 作ること、もっと言うなれば開発すること。それはお前がお前たらしめる要素なのでしょう」

「欧州、そこを突くのか?」

「あら、その様子だと北方は気づいていたのにあえて踏み込まなかったという感じ? 優しいのね。でもこの愚者には自覚してもらわないと。自分の歪みにね」

 

 どこか嗜虐的な笑みを浮かべながら欧州提督はそっと中部提督を指さす。

 

「お前はどうやら日常的に赤城達に愛情を注いで接している様子。そんなお前の夢は赤城達と静かに暮らすこと。そのためには人類との戦いに勝利しなければならない。一方お前が執着するのは開発すること。新たな深海棲艦を作り、調整し、改良し、様々な能力を高めたいと考えている。それは確かに我ら深海勢力にとって益となるもの。でも、そのためにお前は今回――戦いの中で沈むことを良しとした。沈むだけでは深海棲艦は死ぬことはないが、死ぬ苦痛は味わうことになる。そこにいる赤城や新たに生まれたものも含めて、お前はプランの中で多くのものを容赦なく殺したのよ。さてここで問いを投げかけよう」

 

 右手に「赤城達」左手に「開発」と掲げ、「――お前はどちらを優先するの?」と中部提督に問いかける。

 

「勝利のために赤城達の命を守るのか、沈むことを良しとして開発や改良を優先するのか」

「…………」

「何故思考するの?」

 

 答えを考えるために数秒間をおいたのをすかさず欧州は突いた。中部提督がそれに対して口を開こうとするが、「お前が本当に赤城達を大事に思っているなら、思考するまでもなく赤城達を選ぶでしょう?」と言葉をかぶせていく。

 

「思考したということは、開発をしたいという欲求が肥大している証。それがお前の歪みよ。赤城達に対する愛情は本物でしょうけれど、比例するようにお前の欲求である開発に対する想いもまた増幅している。お前の夢を侵食するように」

「それが、亡霊。死んだ者が抱えていた生前の願い、欲望、未練。人格を排除した後に残されたものがそれであり、亡霊はそれを抱えて行動する。例え人に近づこうとそれもまた肥大化し、行動原理の根本に位置する。夢と云うものは人の特徴。そんなものでは根本に位置するものを覆い隠すことなど不可能と云うもの。中部よ、お前はその欲望に飲まれつつあるようだな」

「故にお前はいずれ赤城達をも犠牲にするでしょう。新たな兵装、新たな個体、そして新たな改良をするために。それに加えてお前は呉に興味を抱いた。亡霊たる根本の欲求に加え、人に近づくことで生まれたものも含め、そして混ざったのでしょう。となると呉に興味を抱いたのはお前の欲望に関連し、自分と似た存在だからという可能性があるわね。違う?」

 

 あっている。凪と自分には共通した要素がある、と中部提督は感じていた。だから凪に対して親近感を覚え、そして潰すべき敵とも認識した。だから彼に対しても執着心が芽生えていた。

 それは自分の根本に存在している開発したい、という執着心と結びつき、凪を潰すために更なる開発を、更なる改良をという方針に向いている。そのために北方提督や南方提督をも巻き込んで。

 

「深海勢力を強化するのは結構なこと。だがその根本にあるのは、お前の歪みから生まれたお前の自己満足に他ならない。そも敗北を前提としたプランというのが私は気に食わない。データ収集であろうとも勝とうという気概を持たぬなど腑抜けている。敗北とはすなわち死を意味する。お前の部下だけでなく、南方の部下達にもお前は死ねと命じたのだ。データ収集、そしてその先にあるお前の夢のために死ねとな。『みんなで静かに暮らす』だと? そのために部下達に死を前提とした戦いに送り出すとは何とも傲慢なことね。更に言えば夢ではなく自己満足だったという答えに帰結するとは笑い話にもならない。故に私はこの戦いを茶番と断じ、お前を認めることはない。そうではないと分を弁えずに私に反論するというのであれば――結果を出しなさい。所詮亡霊に出来ることなどそれしかない」

「…………」

「お前の言う本番とやらで、確かなる結果を示せ。あの御方のために勝利を、栄誉を捧げよ。それが出来ないようであれば、歪みを抱えて亡霊のまま朽ち果てよ」

 

 有無を言わさぬ言葉を積み重ねた欧州提督。途中から沈黙していた中部提督は、静かに「――了解しました」と返事した。いつの間にか彼の拠点へと到着しており、バイクを止めると欧州提督のユニットの前に立ち、フードの下からじっと欧州提督を見つめる。

 そこにはいつから存在していたのだろうか。深海提督が持ちうる金色の燐光の奥には瞳が存在していた。瞳には強い意志が存在しているように見える。だが同時に昏い色合いも存在していた。

 まるで見るものを不安たらしめるような昏い感情。中部提督の感情を押し殺しているかのようなものがそこにある。欧州提督にいいように言われ続けたことは彼にとっては様々な感情が去来していただろう。

 だが彼の立場は欧州提督に比べればとても低いもの。言い返せるものではない。

 だから静かにそれを押し殺すしかない。だがそれによって彼はまた一つ、人に近づき、瞳を手に入れた。彼の心を映し出す鏡のようにその瞳には静かな感情が含まれていたのだ。

 それを欧州提督は無言で感じ取ったのだろう。モニター越しであっても、その観察眼は彼の心を捉える。そうして彼女はまた鼻で笑う。実に滑稽なことだと。

 

「……では、僕はこれにて。この子達を休ませなければいけませんし、次のための準備を始めなければいけませんので」

 

 と、中部提督は欧州提督と北方提督に一礼して拠点の中へと入っていく……のかと思いきや、思い出したかのように「それと欧州さん」と肩越しに振り返った。「なに?」と応えると「色々と貴重なお話ありがとうございます。この胸に刻み込み、覚えておきますね」と目だけ笑わない笑顔でそう言い残した。

 多くは自分を否定し、貶すようなものばかりだというのに、わざわざ覚えておくと笑顔で言ってのける。先達からのありがたいお言葉として胸に刻んでおくのだ。色々な感情も含めて。中部提督に続くようにヲ級改らも拠点に入っていくが、ヲ級改は最後にまた欧州提督を憎らしげに睨みつけていった。

 その様子にやれやれと北方提督は肩を竦め「嫌われたものだな。若い奴らだ、多少は気を遣ってやるといい」とモニター越しの会話を始める。だが欧州提督は「何故? 私の部下ではないわ。他所の輩に、それもこうまで距離の空けた輩に遣ってやる気などありはない」とにべもない。

 

「しかし同胞よ。お前はあの愚者のプランに乗るつもり?」

「もう少しだけは付き合ってやってもいいと考えておる。汝から見れば愚者であろうが、我はその中でも多少は光るものはあると見ている。我とて目標はある。それに近づけるために必要な要素であれば、あの若造を利用するのもやぶさかではない」

「ふん、お前もあの御方に完全に忠誠を誓っているわけではなかったな。その点においては、生き残りし我が同胞としては悲しく思う」

「はっ、汝は昔から我を同胞と呼ぶが、生憎と我らは前の時から顔を合わせたことはなかったはずよな? いい加減別の呼び方をしたらどうか?」

「さて、その際にはどちらで呼ぶべきかしら? 前の名前? 今の名前? 前はお互い顔を合わせたことはないけれど、それぞれの名は知っていよう」

「この姿だ。今のもので良かろう」

 

 そう言って北方提督は護衛要塞に置かれている湯呑に満たされた茶を口にする。欧州提督もまた誰かに運ばせたカップを口に運んでいる。その所作は実に優雅さを感じさせるものであり、まるでティータイムを楽しむかのようにとても様になっていた。

 

「私としてはお前には消えてほしくはないと考えている。故に同胞……いや、昔馴染みとして忠告するわ。ロシアでも、大湊でも構わない。早く大きな戦果を挙げなさい。さもなくばあの御方からいつ消されてもおかしくないでしょう」

「我としては別にそれでも構わないがな。元より望まぬ目覚めよ。こうして長く亡霊として在り続けたが、そうしているのも疲れてきたと云うもの。……しかしそんな我でもついてきてくれた存在がいる。歪ではあるがあれらもまた艦艇のなれの果て。それらを見捨てるわけにもいかない故に、我は今もなお亡霊として在るだけのこと。欧州、この際だ。一つ訊いておくことにしよう。汝はどうだ? どうして自分なのだと考えたことはないか?」

 

 それは北方提督にとって長く感じていた疑問である。自分は役目を終えた道具であり、ただ長き眠りに落ちていた状態にあった。それがどういうわけかこうして亡霊として生まれ変わってしまっている。

 意思を持たぬ亡霊として活動し続け、少しずつ人のような姿、思考を得るに至った。同じようにして生まれた他の深海提督も各地で活動していたが、一人また一人と消えていき、北方提督と同じ時期に生まれた深海提督はこの欧州提督のみとなった。

 意思を、思考を得ることによって生まれたのは「何故自分がこうなったのか」というものである。だがその疑問は問いかけても返ってくることのない答え。自問自答しても答えは得られず、自分をこうした存在はどこにいるかもわからない謎めいた存在。

 だから答えを得ることは出来ないまま時間だけが過ぎていく。この機会を利用し、同じような存在である欧州提督に問いかけてみるのだ。

 何故、自分なのだろうと。

 

「私としてはどうでもいいことに過ぎない。栄誉を捧げるべき相手が切り替わっただけよ。私はただ一介の兵として戦うだけのもの。……前と違って私が指揮を執り、部下を率いることになっているけども。しかし根本的には変わらない。仕えるべき存在がいて、敵がいるならばこれを撃滅する。そうでしょう?」

「汝にとってはかつての祖国を滅ぼすことになるが?」

「慈悲はない」

 

 きっぱりと欧州提督はそう言った。揺るがぬ意志で、揺るがぬ言葉を紡ぎ出す。

 カップを手にする所作は優雅であることに変わりないが、その眼差しは一人の騎士のようであり、あるいは多くを束ねる王のようにも感じる。恐らく彼女とて一度は苦悩したかもしれない。かつての自国と戦うことになった現実に。これが彼女が亡霊として抱えた歪みの一つかもしれない。

 だが一度苦悩し、答えを出したならばもう揺らぐことはない。だからこそ欧州戦線を今の状態にすることが出来たのだ。そうでなければ足を止めてしまい、劣勢になってしまうだろうから。

 

「敵と定めたならばそこに情けも慈悲も必要ない。私は人類の敵対者となったのだ。そう決めたならかつての祖国であろうとも弓を引こう。我が兵どもを差し向けよう。それが再び戦う理由を与えられた私の使命。何故私なのか? そこに悩みを挟む必要を感じないわ。そんな思考はどのように艦隊を強化するか、敵を撃滅できるかに割いた方が効率がいい」

「……なるほど。久しぶりにこうして顔を合わせたが、昔と比べるとより一層兵士に近づいたものよな」

「お前が変わらないだけのことのように思えるわ。いいかしら? 私としてはこのままお前が消えていくのは忍びない。生まれは違えども、やはり私にとってお前は親しみを感じる同胞よ。共にこの戦乱の世を越えていきたいと思っている。故に、何もせぬまま消えることも、戦いの中で死ぬことも望んでいない。もしもあの愚者のプランの中で死ぬようなことがあれば――私は恐らくこの手であの愚者を殺しかねない。例えどこへ逃げようとも追いかけて殺すほどにね」

「左様か。ではせいぜい死なぬように立ち回るとしよう」

 

 欧州提督の言葉は本気だろう。かつてそうだったように彼女はそれを実行するはずだ。こんなところで深海提督同士が殺し合うなどあってはならない。そんな未来が訪れぬように気を付けなければ。

 

「――それにしても、どうしてここなのかしらね。愚者の拠点は」

 

 そう言って欧州提督は上を見上げる。ここは海底。上を見上げても空は見えない。

 だが遠く彼方にあるものが浮いている。

 それはまさしく異形といってもいいだろう。この世界にあのような禍々しさを感じさせる生物がいるのだろうか、と思えるようなものだった。だがそれは生きていない。海に沈んだものに海洋生物が多数纏わりついたことで生まれた存在である。

 また他にもこの海域には多くの艦艇が沈んでいる。だからこそ深海棲艦の拠点になり得る海域だ。辺りには多くの素材が転がっているのだから利用しやすい。ただ上にある存在が少々目立つだけ。

 しかしここは戦いによって艦艇が多数沈んだわけではない。だから欧州提督はどうしてここなのか、と色々な意味を込めて呟いた。

 

「さてな。トラックに少し近いが、ここはかの事件の海域故な。トラックの輩もよもやここに拠点があるとは思いもしない、という隙を突いたのやもしれんぞ」

「どうかしらね。後々あれを利用したいという考えもあるかもしれないわね。あれから生まれたものはさぞかし優秀な兵となるかもしれないけれど……今の姿があれだから色々とまき散らすかもしれないわね。愚者には到底扱いきれないか」

「反応兵器のことか? ふっ、それは我らすら滅ぼしかねない諸刃の剣と云えよう。その特性まで引き継いで生まれるようなことになれば、ここは終わりか。……そうでなくてもあの存在は隠れ蓑に相応しいやもしれぬな」

「……まさか、そこまで考えているわけもない。冗談にもならないわ」

 

 随分と中部提督の評価が低くなっているらしい。北方提督の言葉に欧州提督はまた鼻で笑うのだった。

 最後にあいさつを交わし、通信を終える。

 ユニットもまた中部提督の拠点の中に入っていく。またいずれそれぞれの提督から通信が受け取れるように。

 

 こうしてウェーク島、ポート・ダーウィンにおける中部提督の実験による戦いは終わりを迎えた。凪達にとっては弾着観測射撃をはじめとする技術の実戦運用や、新人達の実戦経験を積む戦いとなった。

 一方で中部提督らにとっては陸上基地型や改型の運用、記録を主とした戦いである。それだけでなくヲ級改にとってはまた一つ大きな成長を遂げる戦いとなった。

 それぞれに得るものはあった。そして先を見据えた新たな道を見出すきっかけを得る。

 誰かにとっては茶番でも、誰かにとっては成長を実感出来、そしてその先に光を見る。示された道筋に沿って進んでいけばやがて目的地に到達出来るのだ。

 風は吹いた。

 背中を押し、その道を歩むことを助けてくれる風が。そして風は連れてきてくれる。共に歩む新たな友を、仲間を。時に風は逆風となり、歩みを阻害するだろうが、それもまた旅に必要なものである。

 しかし歩みを止めるわけにはいかない。目指すべき場所へと至るために。

 その風をも巻き込み、進むだけだ。

 

 そうして彼らは迎えるだろう。

 やがてきたる、その夏の日を。

 

 




これにて5章終了となります。

色々あって大きく空いてしまいました。
何とか14春のイベを終えられました。
こうしてみるとダーウィンに行ったと思ったら、いきなりウェークに行ってしまってますね。
今ならこれは札がついていることでしょう。
そのため凪組と南方組で分けることになりました。

あと深海側で色々増えていますが、当然ながらこの作品での設定です。
元より公式での深海勢力がどうなっているのかは謎めいています。
そもそも日本以外がどうなっているのか全然わかりませんからね。
海外から艦娘増えていますが、海外勢力ってどうなっているんでしょう。
しまいには今回、欧州まで行ってしまいましたし……。

何はともあれ、次の6章はかの戦いとなります。
当時の提督さん達にとって運営の呟きで察した人もいれば、
いざイベントが始まって最後に涙した人もいるでしょう。
それ以前に悪夢の前半戦もありました。色々な思いがあったことでしょう。
そんな14夏な6章、この作品を書くに当たって最初から決めていたものを書ききれるか。

感想などいただければ励みになります。
これからも拙作をよろしくお願いします。


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6章・ミッドウェー海戦
動キダス計画


お久しぶりです。
時間が空きすぎましたが、何とか帰ってきました。
様々な事情により、書く時間と気力が生まれましたので、投稿再開します。



 

 パラオに美空香月を送り届けると、初期艦として初めての建造が行われる。建造ドックに初期値が投入されバーナーを使用すると、生まれてきたのは駆逐艦叢雲だった。これが香月にとっての初めての艦娘ということになる。

 補佐として新たな大淀もパラオ泊地に着任し、これで凪達の本来の仕事が終わることになる。まだ少し不安はある。香月がどういう風に運営していくのか気になるところだ。

 今回の一件で何かしら思うところがあればいいのだが、それがいい方向か悪い方向かは香月のみぞ知る。大本営からの資材の搬入も済み、香月に別れを告げて日本へと針路をとる。

 パラオ泊地はパラオという国に存在している泊地だ。香月は現地の人々との交流も自然とすることになるだろう。日本と同じ島国だが、大きさはかなり小さい方だ。そんな国が今まで深海棲艦に滅ぼされていなかったというだけでも奇跡的かもしれない。

 あるいは小さな国だからこそ抵抗する力がないとして見逃されていた可能性もある。今回香月が入ったことで標的になる可能性も否定出来ない。だからこそトラック泊地などとの連携が必要になってくる。香月にそれが出来るだろうか。

 遠くなっていくパラオをモニター越しに見つめる湊。深海棲艦に強い憎しみを抱く新たなる提督。従弟である彼はどんな提督になっていくのだろう。一抹の不安はあるが、彼が歩む道少しでも良いものであることを願うのだった。

 

 

 

 中部提督は拠点の工廠で無言で作業していた。だが彼の頭の中には今行っている作業のことだけでなく、欧州提督に言われたことが存在している。

 曰く、深海提督という亡霊は歪みを抱えて活動している。根本に存在しているものが深海提督を動かす要因であり、それぞれの深海提督によってそれは異なる。思えば南西提督もまた輸送による支援が彼の根本に存在しているもの。戦うことではなく、支援こそが第一の行動原理だった南西提督。深海提督に与えられた第一の任務といえば人間や艦娘を撃滅すること。それに反した行動が亡霊が抱える歪みといわれるものなのだろう。

 中部提督にとってそれは開発。提督ならば工廠で行う作業が中部提督にとって一番の欲求であり、行動原理ともいえる。彼にとって深海棲艦を改良し、新たなる深海棲艦を生み出し、装備を開発することこそ喜びであり、日常である。

 亡霊として生まれ、意思を獲得してからはずっと工廠にこもって作業をしていた。その噂は他の深海提督に知られるほど。時折戦いを行ってはいたが最低限だった。それ以上に工廠にいた時間の方が長い。

 それでも彼が生み出した成果は存在している。

 南方棲戦姫をはじめとする鬼、姫級である。

 量産型は深海棲艦の基本だが、それを超える鬼、姫級の登場は近年になってからだ。始まりこそ泊地棲鬼、泊地棲姫だが、その構想は砲撃、雷撃、航空を一つの個体で行うものというコンセプトにある。

 それを改良した装甲空母姫も登場しており、日本の海軍はいくつかの個体を発見している。だがコンセプトは悪くないがどうにも中途半端に終わっていた。だから日本の鎮守府の提督は新たに生まれたこの姫級らすら大きな脅威と感じなかった。

 そんな中で生まれた南方棲戦姫。泊地、装甲空母というプロトタイプやその改良を経て、大和の残骸を利用して作られた南方棲戦姫が、三つの攻撃方法を獲得した深海棲艦の一つの完成形に至った。

 これにより呉鎮守府の先代提督を釣り上げ、始末することに成功。それが認められて中部提督に移籍となり、呉の先代提督は亡霊・南方提督となった。

 彼の根本に存在しているものが深海棲艦の成長に繋がったのだ。鬼、姫級の登場という形で。だから彼はそういう意味では深海勢力にとって有益な存在であり、消すには惜しい逸材といえる。

 だが中部提督として行動していく中で、今代の呉鎮守府の提督である凪を知った。それが中部提督にとって人に近づくきっかけであり、歪みを促進させる要因になってしまったのは皮肉だろう。

 何せ呉鎮守府の先代提督を殺さなければ、凪がそこに座ることはなかった。彼は今でも第三課の作業員として日々を過ごしていただろうから。

 しかし運命は彼を提督として据え、中部提督はそれを見つけてしまった。

 ならば中部提督がこうなるのもまた運命といえるかもしれない。

 己の歪みを指摘され、自覚した。故にそれを改善するのか? と問われようとも、彼はそれを否と答えるだろう。何故ならこうして開発や改良に携わるのは生前からの趣味であり、彼が彼たらしめる要因なのだ。こうして亡霊と化してもなお変わることはないし、変えるつもりもない。

 白い少女、加賀の調整が間もなく完了する。コンソールを叩き終えると、彼女を目覚めさせることにする。彼女と繋がっている複数のチューブが外されると、彼女の意識はゆっくりと目覚めに向かっていく。

 

「――――」

「おはよう、加賀。調子はどうかな?」

 

 優しく声を掛ければ、加賀と呼ばれた少女はじっとその赤い瞳で見つめた。己の体を確かめると、そこには成長している少女の体がある。髪は白い長髪、女性としての特徴を兼ね備えた白い身体。

 元は艦艇であった自分の鋼鉄の体が、こうして人の身体へと変化しているのは驚きに値するだろう。加賀は軽く左手を動かすと、そこに黒い粒子が集まっていく。自分の体に巡る深海棲艦としての力を行使しているのだろう。そうして作られたのは黒い紐だった。

 何をするのかと思えば、それを使って左の髪をまとめ上げ、一房縛って垂れ流した。所謂サイドテールと呼ばれる髪型にしたらしい。

 

「――私ヲコウシテ目覚メサセタノハ、何カノ理由ガアルトデモ?」

 

 中部提督にかけた最初の言葉はこれだった。自分がどうしてここにいるのか、中部提督が何者なのかは問いかけない。その必要すら感じない、といった雰囲気である。

 

「君の力が必要だ、加賀。僕達と共に戦ってほしい」

「私ノ力、ツマリ世ハ再ビ戦イノ日々ガ繰リ返サレテイルトイウコトカ」

 

 ヲ級改のように途切れ途切れに喋るようなことはなく、深海棲艦ながらの言葉の響きの中でも流暢に喋っている。これもまた姫級の調整がうまく進んでいる証かもしれない。

 肩を竦めながら首を振る加賀に、「協力してくれるかい?」と改めて問いかければ、

 

「必要トアラバ使ウガイイ。ソノタメニ私ハ再ビコノ世ニ生ヲ受ケタノダロウ。オ前ガ私ノ提督デアリ、私ハオ前ニ使ワレル存在。ソノ立場ハ認識シタ。故ニ、私ハオ前ノ矢トナリ、敵ヲ射抜キ、沈メヨウ。オ前ハ弓トナリ、私ヲ撃チ放ツガイイ」

「感謝する、加賀」

 

 微笑を浮かべて手を出せば、加賀はその手を握りしめる。

 去年から始まった彼女の調整はこうして完成を迎えた。だが完成したのは素体の方であり、艤装との繋がりがまだ残されている。また加賀には服がまだなく、裸体のままだ。彼女に服も着させてあげないといけない。それらを終えて初めて完成したといえるのだ。

 それに加賀の外見的要素も自分で髪型を変えてしまっている。小さな変化だがこれもまた素体としての特徴の表れ。登録する際はこの変化も一緒にしなければいけない。

 まだやることはある。

 それに手を付けようとしたところで「……修復、完了シタ」とヲ級改が入ってくる。そして動いている加賀を見て「完成、シタ?」と問いかけてくる。

 

「いや、完全ではないよ。素体を目覚めさせただけさ。君も修復出来て何よりだよ。あ、加賀。紹介しよう。この子がうちの赤城だ。前は一航戦の相方だったね。仲良くしてあげてね」

「ホウ、オ前ガ赤城カ。ナルホド、確カニ赤城ノ気配ヲ感ジル」

「目覚メタカ……ヨロシク、加賀……」

 

 二人もまた握手を交わす中、中部提督はヲ級改に「戻ってきて早々だけど、君達からの報告もチェックしておいたよ」と話を切り出した。コンソールを操作し、ヲ級改だけでなくあの戦場で戦った深海棲艦らの報告をまとめたファイルを映し出す。

 

「気になることを言っているね。呉の長門からの攻撃に何かがあると」

「……ン、霧島、ウェークナドガ、ソウ言ッテイル……」

「そして君からは呉の大和についての報告。……僕の大和だということだけれど」

「……ソウ……! アレハ、生カシテ……オケナイ……!」

 

 大和のことを思い出して興奮し始めるヲ級改。そういった反応を見せるだけでも変わったと感じられるが、中部提督は腕を組んで大和の情報を見つめる。元は南方棲戦姫として生み出した存在だ。南方での戦いで呉の先代提督を殺害し、その後深海提督となったあとは、南方を任せるために彼に譲渡した。

 そして南方提督はあのシステムを生み出し、南方棲戦姫にもそれを施している。ということはそのシステムを使った南方棲戦姫の魂やコアは、代償として傷ついているはず。傷ついた魂は死した時に霧散する。コアもまた失ったとなれば、南方棲戦姫の情報は摩耗する。その個体が復活することなど出来はしないはずだ。

 

「本当に僕の大和だったのかい? 艦娘に転じるという例は考えられないわけではないけれど、あのシステムを使ったんだ。大和が艦娘になる可能性はほぼゼロに近い。あり得ないなんてことはあり得ないという言葉もあるが、一概に信じられるものではないよ」

「……アノ大和ガ、ソウ名乗ッタ。艦娘ナノニ、提督ノコトモ知ッテイタ。普通、艦娘ガ……ソンナコトヲ知ッテイルハズガナイ……。深海側ニ通ジル……艦娘、イルワケガ、ナイ……」

「……なるほど。そして大和の艦娘も情報によればあの戦い以降生まれる存在。呉に大和が所属したのも……8月8日。随分と早いものだね。そして何より、あの海域での落し物を拾っている。これだけ揃っていれば、あれが僕の大和だったというのはほぼ確実か」

 

 呉鎮守府から奪った情報も鑑みて整理すると、あの大和が南方棲戦姫ではないという要素はほぼなくなってくる。信じられないがあのシステムを使っていながら大和は艦娘へと転じたのだ。

 それだけ応急修理女神の秘められた力が凄まじかったのだろう。だがそのことを知らない中部提督らは、南方棲戦姫と交戦した長門の方を注目する。今回の戦いでも長門からの攻撃には何かがあったという報告が上がっているため、長門に意識が向けられるのは自然なことだった。

 

「呉の長門には何かがあると見ていいのかな。大和を転じさせたのが長門の力ならば、ウェークや霧島などが感じたのはその力の一端を受けてしまったんだろう。実際に霧島修復の際に調べさせてもらったけれど、若干深海の力を失っている。それはデータが証明している」

 

 傷の周囲には全身を巡っているはずの深海の力が弱まっていたのだ。熱いと感じたのは浄化の力を受けたサインだろうと中部提督は推測する。南方棲戦姫に発揮していた応急修理女神の浄化の力が未だに残っていたらしい。

 あるいは長門自身が無意識にその力を自分のものとしてしまったのかもしれない。だが全てではない。時間が経つにつれて弱まったのか、それとも一部の力しか取り込めなかったのか。何にせよ長門も自覚していないその力を中部提督に気取られてしまった。

 応急修理女神のことを知らない中部提督は更なる推測を重ねていく。

 

「艦娘は深海棲艦を浄化する巫女のようなもの。なるほど、そんな説が浮かび上がるのも納得だよ。あの長門はその巫女としての力に目覚めつつあるんだね。ならば、何としてでも潰さなければならない。……そうだ。僕は執着でこうするのではない。あの長門をこれ以上野放しに出来ないから潰すんだ」

 

 欧州提督に言われたことを引きずっているらしい。自分と似たような存在である凪がいる呉鎮守府への執着。決して自分と似ているというのが全てじゃないと自分に言い聞かせる。ある意味それが余計に認めているようなものだ。欧州提督の言葉が案外効いているようである。

 頭の中で元から立てている計画に必要な兵力を計算。ヲ級改と加賀が揃い、深海霧島も修復する。大和と戦った戦艦棲姫も体は失ったがコアや魂は回収済みなので、もう一度体を用意すれば戦えるだろう。

 レ級の調整も良い感じに進んでおり、次の作戦には戦線に出せる見込みがある。量産型だが能力は姫級に迫る。その分コストも高いので、他の量産型のように多く生み出せるようなものではない。

 また調整出来たからといってあの性格を矯正出来るようなものではないらしい。暴走は抑えられるが、あの危なっかしい性格まではどうにも出来ない。あれは生まれた時に固定されたようなものであり、その辺りは艦娘と変わるものではなかった。

 なので使う際にはあの性格と上手く付き合っていくしかなくなった。兵器としては有能だろうが、扱いづらい存在となったといえる。そのため進んで量産する気には少しなれないのが欠点かもしれない。

 そして計画に必要ともいえる存在。それはかの地に座する陸上基地型の深海棲艦。

 そのための素体も用意しなければならない。種としては加賀のデータを再利用しても問題ないだろうと中部提督は考える。そこから陸上基地型向けに調整していけばいいだろう。

 予定は夏。

 間に合うようにスケジュールを調整しなければならない。これから忙しくなりそうだが、それを楽しんでいる自分もいる。また計画には北方提督や北米提督の協力も必要だ。そちらとも改めて連携をとっていかなければならない。

 近いうちに北米提督と連絡を取らなければ。中部提督は再び作業を進めるためにコンソールと向き合うのだった。

 

 

 

「――と云うわけだ。故にそちらからアトランタ級の素材を輸送してもらいたい」

「オーケー、ノープロブレム。アトランタ級のものならば余っている。あなたが有効活用出来るってんなら、自分は喜んで差し出すとしましょうかネ」

 

 北方提督はモニター越しに一人の人物と言葉を交わしていた。映し出されているのは深海提督らしい風貌をした存在。骸の部分が残されているが、深海提督としてはその肌は少し濃いようだ。話し方の雰囲気的にもどこか陽気な外国人を思わせる。

 彼こそが北米提督であり、アメリカ西海岸やカナダ周辺の海域を担当している。

 そしてアトランタ級といえばアメリカの軽巡の一種だ。とある特徴を兼ね備えた軽巡であり、その点においては敵に回すと脅威になりえる存在である。北米提督は部下の深海提督に輸送の件を伝え、そしてモニターに映る北方提督を横目で見る。

 

「しかしなんだってあなたが開発を? そういう趣味は中部の青臭いギークがやっていることでしょう? あなたには似合わないんじゃあないですかネ?」

「うむ、それは我も思う。仮に成功したとて、どこか歪なものが生まれる予感もある。が、今回の件は少々手を出してみたくなった」

「んんーどういう心境の変化で? ずっと北の海で静かに事を進めていた小さなあなたが何かをしようと自分から出てくるなんて、自分の短い時間の中でも初めてのことかもしれませんネ」

「大したことではない。先日の件があったからな、少々手を貸す気になっただけだ」

 

 映し出されている北方提督は頬杖をつきながら微笑を浮かべているのだが、その昏い瞳は怪しい光を宿しているような気がした。

 どういう意味か、と訊いてみると「欧州はあれを愚者と云った。その点において、我も異議はない」と一間おく。

 

「深海棲艦を更なる進化へと導く賢者にして、愚者のようでもあるあの小僧。あの小僧がどのような道を歩むのか。小さな興味が湧いた。だが、その全てに関わる気はない。所詮あの小僧は我の行く道とは違う方向を向いているからな」

「HAHAHA、要は歪みを抱えているギークを観察したいと! 何とも悪趣味なことですネ! ですが歪みといえばあなたの歪みは何でしたっけ?」

「我か? ……我は至極単純よ。『当時選ばれるはずのないものが選ばれ亡霊と化した』、それこそが歪み。亡霊という存在からして世界の歪みではあるが、そこに我が含まれていることもまた当時からしてあり得ぬこと。それが我の抱える歪みよ。歪みに歪み、捻じれたようなものよな」

「ふむー、わかるようなわからぬような。ま、かのクイーンと同じ初期勢であるあなたと違う自分が、深く気にするようなことでもないでしょう。ですが祈りましょう。あなたの行く道に祝福あれと」

 

 と、北米提督はごく自然に指で十字を切る。北方提督はモニター越しにその様子を何気なく眺める。北米提督とはそれなりに長い付き合いをしているが、彼はごくたまに無意識にあのように口上を発し、指で十字を切る仕草をする。

 その仕草があまりにも自然で、そんなことをしなかったかのように、北米提督はそのまま言葉を続けた。

 

「とりあえず希望のものは輸送させたので、到着をお楽しみに」

「うむ、改めて感謝しよう北米」

 

 そこで通信を終え、北方提督は一息つく。中部提督から持ちかけられた計画。そのための準備として彼女は北米提督に必要なものを輸送するように願い出た。これを用いて新たな戦力を作り出そうという試みだ。

 北方提督が求められたのは北方において陸上基地型の深海棲艦の新たなる建造だが、それに加えた戦力を考えていたのだ。かの計画において北方提督の戦力は囮のようなもの。前回の南方提督のような立ち位置だが、ただ黙ってやられてやるほど北方提督はお人よしではない。

 彼女としては仲間の深海棲艦は出来る限りは生かしておきたいと考えていた。また作戦の中で自分の拠点を発見されるのも困る。そのためには力が必要だ。

 陸上基地型と新たな量産型。今までやったことがない開発に携わるのだ。どんなものが生まれるかはわからない。素体は中部提督が用意しようと提案したが、どうせなら最初から自分の手でやらせてほしいと北方提督は言った。

 万が一に備えて北方提督の分の素体も中部提督は用意するようだが、北方提督が作ったものが問題ないならば、それについてはまた別の機会に流用することになる。

 まずは飛行場姫の素体のデータを用いて種を作るところから始めなければならない。

 参考にする基地はどこにするのかはある程度目星はつけている。アリューシャン方面にある軍港を利用すればいいだろう。あそこには過去にちょっとしたエピソードがある戦いがあったはずだ。それを取り込めばいいものが生まれるはず。

 

(――やれやれ。生まれが歪んでいるとは云ったが、その後の我もまた歪んでいる。死にたいのか生きたいのか……ちぐはぐになってきていると云えるな)

 

 工廠に向かう道すがら北方提督はそう考える。

 望まぬ目覚めというのは本当。だからまた眠りにつきたいというのも本当。

 しかし部下である深海棲艦らに対して思うところがあり、見捨てられないという気持ちもまた本当だ。この辺りはかつて北の海で艦隊を纏めた存在が影響しているのだろう。長としての意思が、自分についてきている部下達を見捨てるんじゃないと、思考をある程度縛っている。

 果たして自分は生きたいのか死にたいのか、それがわからなくなっている歪さが存在している。その自覚はある。だからこそ自問自答してしまう。どうして自分なのだろう、と。

 どうにも欧州提督のようにきっぱりと決めることが出来ない。彼女と同じ時期に深海提督となり、意思を獲得し、この時まで生き延びてきたが、そういう点で差が生まれている。

 この見た目の子供らしさのように単純であればいいのだが、中身は子供というよりも成熟した大人という歪さもあるだろう。見た目が子供のようだというのは生前の外見が関係していると思われるが、それはそれでどうなのだろうか。

 様々な悩み、歪みを抱えているのが北方提督という存在だった。だからこそ意思を獲得してからはこのように陰で苦悩し続けている。人だから苦悩するのか、意思があるから苦悩するのか。こんなことになるならばやはり蘇るべきではなかったと思わずにはいられない。

 それに最近は中部提督が呉鎮守府の凪に執着する心に感化されたのか、自分もある感情が芽生えてきている気もする。様々な感情が生まれてくる、それもまた自分にとって不可解な現象だった。

 

(人に近づくのも厄介なものだ。このような悩みを生み出すなど……だが、人らしいと云えばらしいか。人というものは真、難儀なものよ)

 

 そんなことを考えながら北方提督もまた、夏の計画のために静かに動き出していった。

 

 



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悪夢

 

 

 夢を見ていた。

 いや、これは夢といっていいのだろうか。辺りを見回しても何も見えない白い世界。そんな中に自分は立っていた。一歩前に足を踏み出しても進んでいるのかどうかわからない空間。そんな中にぽつんと一人だけ立っているのは異質。

 これが夢でなくてなんだというのだろう。

 

 誰かいないのか?

 

 そう辺りに呼びかけてみるが、自分の声が遠くに消えていくだけで、何も返ってこない。

 そんな世界にただ一人というのは、とても孤独だ。心がざわつきそうになる。

 夢なら早く覚めてくれ、そう願いたくなる中でひたすらに歩みを進める。

 どれだけの時間が流れたのかもわからない。1分だったのか、5分だったのか、あるいはそれ以上? 短いような長いような、そんな時間を経てようやく世界に変化が訪れ始める。

 

「――――?」

 

 誰かが立っているようだ。

 でもその姿はよく見えない。目を凝らしてみても輪郭がぼやけたように映っている。ただ自分に対して背を向けているのではないかということだけはわかった。

 そこにいるのは誰だ?

 そう呼びかけてみる。すると、

 

「――――」

 

 声がようやく返ってくる。しかしその声はよくわからない効果が付与されているかのように判別がつかない。それでいて何を話しているのかも認識できない。

 

 何を言っているんだ? そもそも聞こえているのか?

 

 その誰かは自分の呼びかけに応える気配もなく、恐らく淡々と言葉を発し続けている。しかし相変わらず言葉がわからない。

 そんな中で、世界に少しずつ異変が訪れた。

 何もない白い世界だったそこに色が付き始めた。自分が立っているそこに暗い蒼が差し込みはじめ、頭上は宵の黒に染まっていく。その中にぽつぽつと光があることから、頭上は星空ではないかと推測出来る。

 自分は夜の海の上に立っているのだとわかるのに、そう時間はかからなかった。では目の前にいる誰かは海の上に立つもの、艦娘ではないだろうかと推測出来る。あるいは、深海棲艦なのではと。

 世界が色づくにつれてその誰かはゆっくりとこちらに振り返ってくる。でも完全に振り返らない。顔は自分に向けられているようだが、やっぱりその顔が誰のものなのか、声すらもはっきりと判別がつかない。

 君は、誰なんだ?

 じっと目を凝らしてみてもその顔がはっきりと像を結んでくれない。

 世界が夜に染まっているからだけでは説明がつかない。まるで自分はその誰かの姿を見たくないとでも思っているのだろうか。

 見えないなら、近づけばいい。

 でもその誰かに近づこうと足を踏み出しても、どういうわけか距離が縮まらない。走っても走っても水を踏みしめて跳ねる音が聞こえてくるのに、まるで自分はその場で走り続けているかのようだった。意味がわからない。

 そんな自分に振り返った誰かは、まだ淡々と自分には認識できない言葉を続けてくる。

 

「――ッ!?」

 

 はっと気づけば、いつの間にか自分の足に何かがしがみついていた。虚ろな目をした何かが数人、海の中から手を伸ばし、体を出し、海に引きずり込もうとしている。抵抗しても影が次々と海の中から現れて、両足にしがみついてきた。

 その影もまた目の前にいる誰かのようにはっきりとした形を持っていない。だがそれでも影の輪郭からして、どこか見覚えのあるような姿をしているような気がした。

 気のせいでなければ艦娘のような姿を形作っている。色づいていないが、輪郭だけでそうではないかと思えるような姿をしている。それが自分を海の中に引きずり込もうとしているのだ。

 悪夢だ。

 本当に艦娘だとするならば、どうして彼女達が自分を海に引きずり込もうとしているのか。

 やめてくれ、と叫びながら振り払おうとしても、影は何も応えない。

 目の前にいる誰かも止めはしない。

 

 思わずその誰かに助けてくれと手を伸ばしてしまう。

 するとどういうわけかその誰かはそっと右手を前に出してくれた。

 もしかして助けてくれるのか? そう小さな希望を持った刹那、

 

「――――沈め、何もかも」

 

 空間にそんな不穏な声が残響を伴って響いた。右手を伸ばしてくれている誰かの後ろからも不穏な影がやってくる。海の中から伸びる無数の手が背後から誰かの身体を掴んでいく。同時にどこからか反響するような声が聞こえてくる。

 

 帰りたい。

 沈みたくない。

 消えたくない。

 

 どうして?

 どうして自分だったの?

 どうして助けてくれないの?

 

 死にたくない。

 

 死ぬがいい。

 沈むがいい。

 あなたも、私達と一緒に――

 

 悲しみ、疑問、そして怒りと憎しみ。

 様々な感情を含んだ声があちこちから聞こえてくる。その声に乗せるように無数の影の手が誰かの頭、肩、体と触れていく。そのまま自分と同じように海の中へと沈めていくように。

 待て、と強く手を伸ばす。

 その誰かの正体が分からないのに、反射的にあれを連れていってはいけないと止めようとしてしまう。

 でも体は前に進んでくれない。

 自分もまた影達に足を掴まれているのだから。

 

 取り巻く影の手に体が見え始める。無数の手を作り上げているものもまた、艦娘の誰かのような輪郭を形作っていた。それだけでなく、深海棲艦のような輪郭も見える気がする。そんな影に、未だ姿がはっきりと見えない存在はその体を奪われていく。

 待ってくれ、行かないでくれ。

 でもその後に続く名前が出てこない。あれはいったい、誰なんだ?

 

「――――」

 

 だが、どういうわけかその誰かは最期に口元に小さな笑みを浮かべていた。まるで自分を安心させるかのような柔らかな微笑。

 それを認識する一瞬の時間にその誰かは完全に影に包まれ、海の中へと連れ去られた。

 それを目にして叫んでも、言葉にならない音の響きが口から出る。連れ去られたものの名前は、やはり出てこないままにただ無情に手を伸ばすだけだった。そんな自分もまた足から伸びてくる影に包まれていき、視界は完全に海の闇に消える。

 

 

「――――ッ!?」

 

 目を開くと、見覚えのある天井がそこにあった。体からは冷や汗を流し、その右手は何かを掴もうと伸ばしている。

 あの悪夢と体がリンクしていたのだろう。

 覚えている。

 荒い呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻そうとしている間でもあの悪夢の様子を思い返せる。ふと視界の端に誰かが自分に向けて声をかけているのだと、ゆっくりと気が付いた。

 

「――く、提督……! わかりますか?」

 

 ゆっくりと落ち着いてくると、その誰かの正体が分かった。続いて声も次第に耳に入ってくるようになる。それだけでなく、伸ばされた手を握りしめられていることもわかった。冷や汗で濡れているはずなのに、彼女は構うことなく両手で包み込んでいる。

 

「……神通、か」

「はい、大丈夫ですか?」

「……なぜ、ここに?」

「時間になってもいらっしゃらないので、迎えに来ました。するとうなされていたようでしたので、何度も呼びかけ続けていました。……大丈夫ですか?」

「ああ、うん……そうか。すまない、心配かけたね……」

 

 手を離そうとすると、神通はぎゅっと握りしめてくる。「……無事で何よりでした……」ととてもほっとしたように呟き、両手を額に当てて安堵する。本当に凪を心配していたようだと窺える様に、凪はまた心がざわついた。

 神通の気持ちは聞かされて把握している。これもまた彼女の愛情からくる献身なのだろう。だからこそこんなに心配かけてしまったことを申し訳なく思う。

 同時に未だに彼女の気持ちに応えられていないことにも申し訳ない。でも今それを口にするのもどうだろう。そのタイミングではないだろう。

 そんなことを考えていると、扉が開かれて「神通、色々持って……おお、目が覚めたのか提督」と長門が顔を出した。その手にはたらいなどがある。後ろからは大淀がついてきている。

 

「神通さん、訓練の時間が迫っていますがどうしますか?」

「……行きます。役割は果たさないといけませんから。では、提督。失礼します。お大事になさってください。お二人ともここはお願いします」

「了解した。心配せず行ってこい」

 

 凪が心配なのは確かだが、しかし神通は自分の仕事や役割を放棄するようなことはしない。そこに私情を挟むことを良しとしない艦娘だった。だからこそ信頼して長を任せられる人物でもある。

 一礼して去っていく神通に入れ替わるようにし、大淀が書類のファイルを手にして凪に今日の仕事について質問した。こうして凪が倒れているのだ。凪の判断に委ねるところは訊き、それ以外は大淀が処理してくれることになった。

 今ここで処理できるものは処理し終え、「ではそのように進めます。お大事にしてくださいね」と大淀も敬礼して退出した。

 残ったのは長門であり、傍に置いてあったたらいからタオルを取り出し、ぎゅっと絞り込む。どっと水がしたたり落ちる中で「汗をかいたろう。私でよければ拭いていくが」と少し絞りすぎな気がするタオルを見せてくる。

 

「あー、うん。お願いしようかな」

 

 それを無碍にするのも気が引けたので、寝間着を脱いでいく。あらわになった凪の身体を優しくタオルで拭いていく長門だが、まじまじとその体つきを見つめているようだった。見た目が女性だからか、どこか気恥ずかしく感じてくる凪。

 出来る限り意識しないようにとしていたが、どうにも気になってしょうがない。

 

「……そう見つめないでくれるかい?」

「む? いやすまない。まじまじと見つめるものではなかったな」

「見ていてもおもしろくないでしょ」

 

 アカデミーに通っていた頃は鍛えることもあったが、呉鎮守府に着任してからは鍛えるというよりも趣味に走ったり、デスクワークをしたりする日々が多くなっている。

 そうなると自然とどこかたるんでくるものだ。軍人らしい体つきとはいえなくなっているんじゃあないだろうか。

 それに対して長門の腹筋といったらどうだ。艦娘は誕生時からある程度身体的特徴は決まっているが、長門のそれは男性と比べてもがっしりしている。重武装である戦艦の艤装を纏いし艦娘という特徴を出すためだろうか。

 当時の艦娘の調整をしていたであろう美空大将。これだけの艤装を纏っても何ともない女性というイメージを形にしたのが、この長門の姿なのだろう。それだけでなく武人然とした性格まで備えたのだ。

 だがそれでもなお長門らしいと思えるのは、彼女の在り方が違和感ないためだろう。

 腹筋が割れていようと、たくましい女性という在り方が崩れていないからこそ、これでいいと思えてくる。

 

「そうでもないぞ。こうして男性の身体をまじまじと見る機会が訪れようとは思わなんだ。多少なりとも興味深い。が、そう恥ずかしがられては奇妙な感覚になりそうだな。すまない、控えよう」

 

 が、そんな風にどこかお茶目さも見せてくる。それが親しみを生み出してくれる。

 苦笑を浮かべつつ先ほどよりも控えめな視線で体に浮かんだ汗を拭っていく。時々たらいでタオルを洗いつつ、胸、腹と両腕と終えれば、背中へと移っていく。その中で「これだけの寝汗。よほど良くない夢でも見たらしいな」と心配そうに言う。

 

「……まあ、うん。よくわからないけれど、良くないものではあったかな」

「虫の知らせの一種か?」

「どうだろうね。俺の腹痛はそういう性質ではあるけれど、さすがに予知夢とかそういうのは今までないよ」

 

 それにあれが予知夢であってたまるものか、という思いもある。

 飲み込まれたのは誰かはわからないが、しかしあれをそのまま捉えるならば、誰かが轟沈する暗喩だ。

 最期まであれが誰かはわからなかったし、何を言っているのかもわからなかった。

 そんな形で轟沈を示唆するような悪夢まがいの予知夢を見せられても困る。

 しかしそんな凪の思いとは裏腹に、その体は悪夢によって苦しみをあげた。それは腹痛とはまた違った形で彼の心身を蝕んだのは確かである。

 

「こうしてあなたが倒れたのは去年以来か。あの頃はまだあなたのことがよくわからないままでの事だったが、今回は違う。……何があった、提督。良ければ聞かせてほしい。私で助けになるのであれば、喜んで手を貸そう」

 

 逡巡したが凪は長門に夢のことを話した。自分自身もよくわかっていない夢だったが、長門は特に笑うこともなく、静かに耳を傾けていた。やがて話し終えると、長門は口元に指を当てながらその内容について考える。

 確かに凪が推測した様に見えたものは艦娘か深海棲艦のどちらかなのだろう。前者ならば轟沈を暗喩する夢と捉えられる。しかし後者ならばどうなのだろうか。深海棲艦が何者かに捕らわれて沈められる。これは何を意味するのか。

 しばらく考えたが、思い浮かぶような答えといったら一つぐらいだった。

 

 すなわち、大和轟沈。

 元深海棲艦だった大和がやられてしまうという暗喩である。一度は沈んだ彼女が蘇り、そしてまた沈む。そうなってしまっては今度はどうなるかはわからないが、そもそも彼女を、いや艦娘を誰も沈ませるわけにはいかない。

 そんなこと、この長門が許さない。

 

「安心してくれ、提督。そのような悪夢を実現させる気はない。もしもそんなことがあろうとも、この身に代えて私が皆を守り抜いてみせよう。ここに誓う」

「はは、それはありがたい誓いだね。でも俺としては君にも沈んでほしくはないんだけども」

 

 それだけの強い意志で誓ってみせるという証なのだということはわかっている。秘書艦としての責務であり、彼女の気質からくる言葉だということも理解している。

 だが頼もしい。

 彼女がそう言ってくれるだけで、こんなに心強いことはない。

 安堵するように目を閉じる凪に、タオルをたらいに沈めた長門は新しい寝間着を着せてやるとベッドに横たえた。大事をとって朝は寝かせてやることになったらしい。凪としては気分は落ち着いたのだが、去年のこともある。

 それにここ数週間は色々と忙しかったため、ここで一度休息をとるのもいいだろうということになった。

 ふと、ベッド脇のデスクにお守りらしきものが置かれていることに長門が気づく。神通が用意したのだろうかとそっとそれを手にしてみると、ただのお守りではないことがわかった。

 何らかの力がお守りの中に秘められているのだ。

 その力は手にした長門に反応したのか、一瞬だけ力を発したが、また落ち着いていく。

 

「提督、これは神通が?」

「ん? いや、それは大湊の宮下さんから貰ったものだね」

 

 大湊警備府の宮下といえば元神社出身の提督だったかと長門は思い出す。ただの巫女というよりはオカルト方面の力も持ち合わせている彼女だ。もしかするとこのお守りにも何らかの力が込められていたのかもしれない。

 短い付き合いだったが、あの宮下が凪にお守りを渡したのかというちょっとした驚きもあったが、長門は元の場所に戻してやる。

 しばらく凪の様子を見守り、今度は穏やかに眠り始める凪を見届けると、長門も自分の役割を果たすために静かに退出した。そのまま彼は昼過ぎまでゆっくりと眠り続けるのだった。

 

 



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成長

 

「ダメですね、全然ダメ。もう少し反応を早めなさいな」

「これで遅いって言うのかしら?」

「遅いですよ。それでは神通に殺られます。接近されればおしまい。それを意識しなさい」

 

 埠頭に行けばそんなやり取りが聞こえてきた。見れば大和とビスマルクが訓練をしていたらしい。敵は神通率いる一水戦らしく、一戦した後の反省をしているようだった。

 大湊の演習から誰も彼もが更なる力をつけるべく訓練を重ねており、新入りであるビスマルクだろうと大和は容赦していない。ビスマルクもついていってはいるようだが、それ以上を大和は求めているらしい。

 

「んー気合入ってるってか、入り過ぎてるっていうかー。旗艦という立場を気負いすぎてるって感じ」

「あれの目標が長門だからな。あそこを目指す以上、自分にも自分の後に続くものにも一定のレベルを求めているようだ」

 

 と、彼女の隊に所属している鈴谷と日向が語る。また「それにウェークの一件もあるしさー」と鈴谷が目を細めていた。

 あの戦いで大和はビスマルクを庇って戦った。そんな背中を見てビスマルクは、強くなってみせると啖呵を切る。そう、大和よりも強くなってみせるから後悔するなと啖呵を切ってみせたのだから、これくらいで根を上げるなよ? と言外に言っているのかもしれない。

 それがあの訓練光景に繋がっているのではないだろうか。

 

「さあ、神通。もう一戦お願いします」

「わかりました」

 

 大和とビスマルク、木曾と村雨の四人と、神通夕立、Верныйと雪風による四対四の演習ではあるが、高速で接近する水雷組と迎え撃つ戦艦と護衛という構図。護衛の二人が上手く神通達の中から数人足止めし、抜けてきた誰かを大和とビスマルクが迎撃するという形。

 迎撃を切り抜けて重い一撃を入れられたら水雷組の勝ち、迎撃出来れば戦艦組の勝ちである。

 身構える大和とビスマルクめがけて持ち前の高速機動で接近を試みる一水戦。それを食い止めるべく木曾と村雨が魚雷と砲撃をしかけていくが、致命傷を避けるように回避する。

 演習なのでもちろん模擬戦用の装備になっているため、当たっても少し痛いだけだ。だからこそそこまで恐れる必要はないが、かといって慢心して踏み込み過ぎれば痛手を受ける。演習とはいえ実戦を意識した行動をしなければならない、と神通によって釘を刺されている。

 

「この……っ!」

 

 一番手に抜けてきたのはさすがの神通か。ビスマルクが副砲で砲撃をしていくも、向かってくる弾丸に怯まずに巧みな動きで抜けてくる。

 またやられるのか? と歯噛みするも、出来る限りの抵抗をしなければ、とビスマルクは主砲を織り交ぜる。だがその反動を見逃す神通ではなかった。隙を晒したビスマルクに対し魚雷を構える――と、その視線がちらりとビスマルクから横にずれた。

 するとどういうわけか一瞬神通が硬直する。演習でしかもビスマルクを落とせるこの好機にいったいどうしたんだ? とビスマルクは思うも、突然降って湧いた好機を彼女も見逃さない。

 副砲を斉射して神通を撃ち抜くだけでなく、一気に距離を詰めてぶち当たりに行く。そのまま足を刈って転倒させて副砲を突き付ければ、神通は撃沈扱いとなった。

 旗艦であり、そしてあの神通が真っ先に落ちたという事実が意外すぎて、夕立達も困惑する。戦場でそんな隙を晒してはいいようにやられるだけだ。これが演習で良かったといえる現状に、大和は演習の中止を告げる。

 

「隙を晒すなんてあなたらしくもないですね。どうしたんです、神通?」

「いえ、なんでも……」

「何でもないわけないでしょう。付き合いが短くとも、あなたの実力はわかっています。ビス子をとるチャンスがあったというのに、それを逃すわけがない。それともビス子が何かしたので?」

「いえ、何も。あの時の私は隙だらけだったわ。間違いなく落とされると思っていた、恥ずかしながらね。……でも、そうね。視線が、少し……」

「視線?」

 

 と、ビスマルクが視線がずれた方へと軽く指で示すと、大和もそれに従ってそちらを見やる。その先は埠頭だ。演習を見守っている艦娘たちがいる。そこに紛れて凪もいるが、よもや凪を見てチャンスを逃したわけもあるまい。

 というか朝は休んでいたはずだが、起きて大丈夫なのだろうか? そんなことを大和は考える。

 

「…………まあ、いいでしょう。で、大丈夫なの? 少し休む?」

「いえ、結構です。続けましょう。心配をおかけしました」

「そう。ビス子も切り替えていきましょう。まぐれではなく、しっかりと勝ちを拾えるように」

「わかってるわ。……というか、やっぱりビス子ってのはどうなの?」

「かわいらしくていいじゃない。私から言っておいてなんだけど、いいあだ名だと思っていますよ、ビス子。それがいやなら、そうですね、早いところ成長していきなさいな」

「くっ、腹立たしいわね……!」

 

 拳を震わせるビスマルクだが、それを大和に振るうわけにもいかない。これでも大和は旗艦であり、ビスマルクの性分的にもここは逆らうところではないと理解している。それでも言わずにはいられない。彼女的にはそういうあだ名は許容できない。だからこそすぐにでも成長し、大和の鼻を明かしてやる。

 下に見られず、対等に並んでみせる。少しでも経験値を積んでやる。あの戦い以降持ち前のプライドから生まれる向上心に突き動かされているビスマルクである。そのためにはこの一水戦にも喰らいついてやる。幾度敗北しようとも。

 そんな様子を埠頭から凪は書類を手に見つめていた。

 内容としてはそれぞれの艦娘のデータである。現在はどれくらいの練度をしているのか、能力、技術はどれほどのものか。艤装の調子はどんなものかなど、それぞれの記録が記されている。

 ぺらり、ぺらりと目を通しながらめくり、ビスマルクのデータが出てくると、じっくりと目を通してみる。あれから演習も重ねて練度自体はなかなか向上している。大和に言わせればまだまだということのようだが、大和ももう少しすればここに再誕して一年になろうという頃合いだ。

 今となっては改となり、艤装にはハリネズミのように対空装備が設置されている。史実における艤装の変化を感じさせる改装といえる。

 

(でもビスマルクも改造出来る練度にまで成長しているんだよな。この急成長は確かに彼女の努力が垣間見える)

 

 資材を投入ればすぐにでもビスマルクを改にできるだろう。とはいえ大和の改造に比べればましな方だろう。彼女の場合は非常に高い練度と非常にたくさんの資材を必要としていた。

 さすがは大和型というべきだろう。もちろん改造したことに後悔はない。その分能力は向上するし、基礎能力も底上げされる。更に伸びしろも上がり、最終的な強さも期待できる。

 

(数日もすればビスマルクを改造するか。……ん? その先もあるのか。いつの間に)

 

 資料を見てみるとビスマルク改のその先に改二に相当するzweiが用意されている。最初はなかったと思うが、いつの間にか美空大将がzweiを実現させていたらしい。

 ドイツから提供されてからそんなに経っていないというのに、異国の艦娘もなんのそので改のその先を開花させるとは。それだけでも美空大将と彼女の部下たちの技量に震える。

 そんなことを考えていると、海の方から船が接近してくるのが見えた。船の色や掲げている旗からして大本営の船のようだ。定期便というわけではないらしいが、何かあったのだろうか。

 なんにせよ出迎えないわけにはいかない。船が停泊する埠頭へと移動し待機すると、汽笛を鳴らしながら入港。そこから降りてきたのは大本営所属の大淀と数人の人影。その中には見慣れない人も混じっていた。

 

「お疲れ様です、海藤提督。突然のこと、お許しください」

「おつかれさま。それでどうかしたのかな? 美空大将からなにか?」

「はい、先日の一件についての報酬と、新たなるデータの手渡しをとのことです。まずはこちらを紹介しましょう」

 

 そっと後ろに控えていた女性を示してくれると、当人は一礼して一歩前に出てきた。

 ピンク色の髪をした女性だ。セーラー服がよく似合い、微笑を浮かべている様は明るい印象を思わせる。軽く敬礼した彼女は「初めまして、工作艦明石です。泊地での修理や整備はお任せください」と自己紹介してくれる。

 

「明石、工作艦? ああ、いたねそんな艦も。え? 明石の艦娘ってことかい?」

「はい、生まれたばかりですが、よろしくお願いします」

「うん、よろしく。……でも大丈夫なのかい? 間宮と同じく戦う艦ではなく、サポート寄りの艦娘なのだろう?」

「その通りです。史実に基づいた能力を備えており、自己紹介の通り修理を行うことができます。軽傷であれば彼女の手によって応急手当てが可能です。ほかには艤装の整備ですね。こちらは特に海藤提督にとっては非常に合った能力ではないでしょうか」

 

 大淀の言葉の通り艤装や装備をいじることを趣味としている凪にとって、工廠に篭るのはよくあることだ。夕張も最近ではいい相方になっていて、一緒に整備をしている。とはいえ夕張は本来は軽巡。整備をしっかりとするタイプではないが、平賀譲の影響を取り込んでいることで、こういったことにも手腕をある程度発揮するようになっている。

 が、凪ももう一人くらいは専門家に近しい誰かの手が欲しいと考えていたところだ。そこに明石が加わるのであればありがたいことこの上ない。

 

「なるほど、わかった。歓迎しよう明石」

「はい!」

 

 握手を求めると、満面の笑顔で応えてくれる。実に気持ちのいい性格だ。こうしたフレンドリーさは凪にとってもありがたいものである。

 そうしている間にも船からいろいろと積み荷が降ろされていく。大淀はそれらを示すと「これまでの任務と、先日の一件の報酬です」と目録を手渡してきた。それをさっと確認して呉鎮守府の大淀に回す。

 

「報酬には香月さんを送り届けたことに対するお礼も含まれているようです」

「そうですか。ありがたいことです」

 

 多少色を付けてくれたということなのだろう。あの戦いで消費した分の何割かの資源が戻ってきたようだ。また装備もいくつか入れてくれたらしく、新しいものも混じっている。

 その中で大淀が直接手渡してくれたものがあった

 それは小箱と書類だった。表紙には「ケッコンカッコカリ」とある。

 

「お、大淀さん。これはまさか……?」

「ええ、美空大将が組み上げた新たなシステムです。こちらを報酬として提供するとのことです」

 

 と、にっこり笑う大淀。これを使うにしてもまだ自分は迷っている最中だ。答えをまだ出していないのに、結実させるものを手にしてもどうしていいか困ってしまう。そんな凪に大淀は言葉を続ける。

 

「美空大将はこのように仰っています。『決断したなら使いなさい。単婚にしろ重婚にしろそれは必要になるもの。いずれ答えを出すにしろ、現物があれば話は早い。男気はしっかりと見せるべきよ』とのことです」

 

 小箱を凪の手にしっかりと握らせ「それに、難しく考える必要はありません。僭越ながら意見を申し上げますと、感謝の気持ちを示す、それだけでもありがたいものであると私は思います」と凪の目をまっすぐに見つめながら大本営の大淀は言う。

 

「今までありがとう、これからもよろしく。それを言葉と贈り物に添えてくれるだけでも、女性としては嬉しいものではないでしょうか。いえ、一介の艦娘が言うことではないかもしれませんが、しかしそういうものだと私は考えています。でなければ美空大将もこのようなシステムは組み上げないでしょう」

 

 人の感情が絡む要素をシステムに組み上げた理由。美空大将にしては珍しいことであることは間違いないだろうが、大淀の言葉の通り艦娘に対する感謝を示すものでもあるのは間違いない。

 本当に結婚するわけではないのだから、湊のような女性提督でもケッコンカッコカリができる。だから本当にそこまで難しく考える必要はないと、改めて大淀の口から言わせたのかもしれない。

 ぎゅっと小箱を握りしめ、凪は目を伏せる。

 考えすぎるのも悪い癖なのだろうが、考えてしまうのは仕方がない。こうして必要なものを手にしてもまだ考えてしまうのは、それだけ神通が大切な仲間だからに他ならない。

 彼女を傷つけたくないのは確かだが、こうして悩み続けるのも彼女を困らせることになるだろう。ならばやはり答えを出すべきか。

 

「最後に、新追加のデータです。こちら、酒匂のデータです」

「酒匂? 阿賀野型の?」

「はい。こちらを使用していただければ酒匂を建造できます。他の新艦娘としては駆逐艦ですね。天津風、谷風、浜風、浦風となります。まもなく工廠データがアップデートされるかと」

 

 工廠アップデートに関する通知書も手渡される。そこには大淀が語った通りの艦娘が建造可能になる旨が記されている。そして下には改二予定の艦娘の名前もあった。

 予定なので今はまだ改二にできないようだが、以前に比べると早いペースで改二を見込んでいることを窺わせる。これだけ改二予定が詰まっているとなると、なるほど美空大将自身がいつものように連絡してくることはできなさそうだ。

 というよりも大将を務めているような人が、毎回毎回わざわざ連絡してくるというのもどうかとも思っていたところだ。大淀に通知を任せるのが自然なことだろうに、今までが特別だったように思える。

 

「以上が本日の通達となります。そちらから何かありましたら伺いますが」

「そうですね。……大本営では太平洋の様子については?」

「太平洋ですか? ウェークの一件以降、定期的に派遣は行っています。またアメリカ海軍のパールハーバー基地やサンディエゴ海軍基地との連携も行っており、かの海域周辺の偵察情報も共有されています。それによって確認されたのは確か……北方方面に輸送部隊が移動していたことでしょうか。宮下提督が落としてはいるようですが、北方海域にそれ以外の変化は今のところ不明です」

「北方……」

 

 パールハーバー基地というと、ハワイにあるアメリカの基地だ。かの大戦の始まりを告げたところでもある。現在ではハワイの基地として、北太平洋の深海棲艦に対するアメリカの戦力が集まる場所とされている。

 そしてサンディエゴ海軍基地はアメリカ西海岸にある大規模な海軍基地。こちらもまたアメリカにとっての主力艦隊が集う場所であり、パールハーバー基地と協力する形で太平洋やアラスカ方面の深海棲艦と幾度と戦っているとのことだ。

 そして大淀の言う輸送部隊というのは太平洋の中部提督からか、あるいはアメリカの方から北方提督へと何かを輸送しているのだろうと推測される。それが何かはわからないが、輸送しているということは何か計画が立てられているのだろう。

 宮下提督もそれはわかっているだろうから、備えるのは想像に難くない。元より彼女は北方担当だ。実力的にも彼女をそう心配することはないだろう。

 人のことより自分のこと。

 今はまだ太平洋に何もなくとも、これから何かがあるかもしれない。注意しておくに越したことはない。

 

「わかった、ありがとう。任務ご苦労様」

「はい。積み下ろしも終わったようですので、私たちはこれより佐世保へ向かいます。海藤提督のこれからの活躍を祈ります」

 

 敬礼をし、大淀たちは乗船していき、汽笛を鳴らして去っていった。それを見送りながら凪は手元にある小箱の存在を指で確かめていた。控えていた呉の大淀も凪の小さな心の揺らぎを感じ取っていたらしく、横目で静かに凪の表情を窺い見る。

 だがそれも数秒。降ろされた積み荷を妖精たちに運ばせる作業を続けていく。凪もその作業に加わり、ポケットに小箱を入れて工廠へと自分も箱を持っていくことにするのだった。

 

 



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相談

 

 日常が帰ってきた。

 工廠に篭り、思うがままに物を弄りまわす。いつもなら妖精や夕張と一緒にそうして時間を潰していたが、最近はここにもう一人顔ぶれが増えた。工作艦明石である。彼女もどうやら装備を扱う心得があるようで、凪と夕張の作業を共にしていた。

 朝から、あるいは昼から工廠に篭り、それぞれの艦娘の装備を調整していた。それぞれの艦娘のクセに合わせ、微調整あるいは大きく調整を施し、それぞれの艦娘がより装備を上手く使いこなせるようにしていく。

 以前まではそうだったが、ここに明石が加わることで、より改良が進むこととなった。どうにも使いやすくなるだけでなく、より性能が向上しているように感じられる。これが明石が持ちうる能力の影響なのだろう。彼女が携わった装備だけが、その傾向が見られる。

 砲なら以前は命中率が向上するような調整結果だったが、火力も同時に向上。魚雷もまた同様に命中した際の爆発の力が上昇している。

 素直に艦隊の更なる強化に繋がるのならと、調整できる装備はとりあえず全部手を付けていく勢いで、この数日凪は着手すべき仕事を終えてから、ずっとここに篭り続けていた。

 

「それにしても提督、ここ数日見ていて思うけれど、そうしているのが自然体って感じがしますね」

「そうかい? 俺としてはやっぱりこっちが性に合っているって、自分でも思っているからね。そう言ってもらえるなら、嬉しく思うよ」

 

 いつもの作業着姿に加え、汗をぬぐうために首元にはタオルを巻いている。夏が近くなってきているため、これも必需品になっている。

 調整を終えた装備には、改めて誰の装備かを判別するために、名前を書いた付箋を貼る。それぞれの傍らには艦娘たちの意見をまとめたメモ書きの手帳があり、終えたものには横に印をつけていく。

 これだけ装備調整に熱中しているのは、もちろん艦隊を強化するためということもあるが、やはりこの先のことに備えるためということが大きい。推測の域は出ないが、しかし中部提督は何かをしようとしており、それが近いうちに起きるのではないかという懸念は拭えなかった。

 ウェーク島での戦いにより、こちら側の戦力は推し測られており、ある程度の目途は付けられているだろう。それに対抗するためには、敵側の推測をも上回るものを用意しなければならない。

 元より深海棲艦の拠点はわからないし、わかったところでそこが深海ならば、こちら側に手出しはできない。全ての戦いが先手を打たれ、それに対抗するために戦場に赴いているのだから、できることは限られている状態だ。

 だからこそできうることをやり切るしかない。凪にとってそれが装備の調整だった。明石が加わることでより高い成果を得られるのであれば、それに全力を出さずして何になるというのか。

 そうして進められた装備の調整、改修。成果は上々で、訓練で使用された感想としては、より使いやすくなったと好評だ。火力の上昇については、近海などの警邏で遭遇した深海棲艦相手との戦いにより、計測されているが、近海ではそこまではっきりとしたデータは出ない。

 確かなデータを求めるのであれば、やはりエリート、またはフラグシップ、そして鬼や姫級といった強力な敵が望ましい。

 兵器の性能比較はやはり標的もそれに見合うものが求められる。そんな風に考えてしまう凪は、少しずつこの状況によって変化しつつあった。以前までならばただ弄り回すだけで満足していたのに、結果を求めてしまうほどになっている。

 それだけ敵が脅威ということもあるが、敵――いや、中部提督がデータを求めるために色々と手を回しているかもしれないと推測し、それに共感の念を抱いていることが影響しているだろう。

 兵器の進化は倒すべき敵がいてこそ。そのために戦場を作り上げ、敵を呼び寄せる。実際に戦場に出すことでどれだけ以前のものより優れたものになったのか。それを計測する。

 そうした開発者ならではの思考を、凪は理解を示す。だが、

 

(理解はするし、どことなく共感もする。が、全てを認められない)

 

 自分も敵に勝つためにこうして装備を改修しているが、必要に駆られてのことだ。何よりこうして強化させて艦娘たちの戦力を向上させることで、彼女たちを守るためというのが一番の理由である。

 敵を倒すため、というのも理由に含んでいるが、それが第一理由ではない。そこを間違えてはならない。そして、そこが恐らく中部提督との違いだろう、と考える。

 

(中部提督……お前は誰だ? ここまで色々と手を回し、深海棲艦を強化させ続けるお前は、どこの誰だったんだ?)

 

 装備の調整をしながら同時に考えていたこと。それは中部提督が人間だった頃は誰だったのかということだ。

 大和曰く、元は南方提督で、現在は中部提督として行動する者。戦うよりも鬼や姫級を作り上げ、深海棲艦の強化に力を注いでいる深海提督の変わり種。しかしその行動が、今や人類に対して大きな脅威になるほどにまで影響を及ぼしている。

 確かなのは自分と同類なのだろうということ。工廠に篭り、作業を黙々と進めるような人間が死んだのだろう。だが自分以外にそんな人物が、海に出て死んだのか? という疑念がある。

 

(いや、最近なら考えられないけど、昔ならあり得るか)

 

 今でこそ各地の提督とそこで鍛えられた艦娘たちが戦いに出ているが、昔はそうではない。艦娘の種類や数が少ない時代は、まだ船が運用されていた。指揮艦だけではなく護衛艦も出撃していたため、そこに整備員もまた乗船していた。

 当然ながら護衛艦の攻撃も深海棲艦にはあまり効果を発揮しないため、無情にも撃沈されたケースも多く、乗船していた整備員の誰かが深海提督になったとしてもおかしくはない。

 その中の誰かが中部提督の正体だろう。

 そこまでは至っても、では一体誰なのかとなると話は別だ。護衛艦に乗船する整備員も一人や二人ではないし、昔はそれこそ少ない艦娘に代わって護衛艦もいくつか運用されていた。ならば、海に出た整備員もまた増大する。その中の一人を当てるのは難しい。

 推測は推測の域を出ず、結局はどん詰まる。

 もう少し推測ができるような情報があればいいのだが、と考える。何かあったかと思い出してみるが、あるとするならば恐らくあの猫ではないだろうか。

 呉鎮守府に潜り込んできたと思われる妖精猫とセーラー少女妖精。まんまと逃げ去ったあの白猫が中部提督から送られてきたスパイなのだとすると、それが中部提督の正体を探る鍵になるかもしれない。

 でも白猫から何を推察しろというのだろう。深海的な要素を含んだ猫がいたからなんなのだろうか。中部提督の趣味だとするなら、中部提督は猫好きということがわかるが、それだけだろう。猫が好きな人はたくさんいそうなものだ。

 ぼんやりと考えていると、開け放たれている入り口から、そっとこちらを覗いている人がいることに気づいた。

 

「おや、どうかしたかい? 神通」

「佐世保の淵上さんから通信です」

「ありがとう。すぐに向かおう」

 

 湊から連絡とは珍しい。汗を拭きつつ、作業着の胸元を少し開けながら工廠を後にし、執務室へと向かった。その際、神通の横を通り過ぎたが、突然胸元を開けられたことに少し驚き、頬を赤らめたが、凪はそんな彼女の様子に気づかず、駆け足で走り去ってしまった。

 

「ん? どうしたの、神通さん?」

 

 夕張が何の気なしに声をかけるが、「い、いえ……何でも」と首を振るが、それにしては妙に落ち着きがないように思える。首を傾げつつ夕張はそっと神通に近づくと、やはり頬が赤いことに気づく。

 そっと頬に手を当てると、小さな悲鳴を漏らして神通が離れてしまうが、きょとんとした顔で「提督と何かありました?」と問いかけてしまう。

 

「い、いえ、そんな何も。私が少し意識してしまっただけです」

「意識?」

「……急に服をはだけてしまうものですから……」

「ああ……そりゃあそうしますよ。まだ6月とはいえ、じめっとした暑さですからね。作業していたら熱も篭りますし、汗もかきます。ああ、それで胸の所を開けたとか?」

「…………それで」

 

 と、納得したように呟くが、ただ胸元がはだけただけではそうはならないだろう。夕張は気づいていなかったが、凪はそうしつつ神通のすぐそばを通り過ぎた。熱が篭り、解放されれば、自然と匂いも立ち上る。

 急に至近距離で汗とともに匂いも感じ取ってしまえば、それが意識している相手ともなれば、こういう反応になってしまうのも無理らしからぬことだった。

 しかし、それでもと神通は自制する。抑えれば抑えるほどに、想いは肥大するものだが、それでも彼女は自制し続ける。

 

「…………」

 

 これは、少しまずいのでは?

 何となくではあるが、これまでの事情を見続けていた夕張も、そう感じ取らざるを得ないほどに、神通は変わっている気がしていた。

 

 

「はいはい、お待たせしてすまないね」

 

 と、軽くシャワーを浴びて汗を落としつつ、タオルで髪を拭きながら凪は席に着く。作業着も新しいものを着たが、それでも上は留めないラフなスタイルだ。画面に映る湊も、これには渋い表情を浮かべてしまう。

 

「……あんた、気を遣わなくなってきたわね。ええけどさ」

「これでも連絡を受けて急いできたからね……少々だらしがないのは目を瞑ってくれると嬉しい。申し訳ない」

「はいはい、どうせまた工廠に引きこもっていたんでしょ? 不本意ながら、そろそろ付き合いが長くなってきたから、そういうのは察するわよ。でも、こちとらこれでも女なわけで、それは忘れずに」

 

 凪という人物を理解し始めている湊も、ため息こそつくものの、それ以上に責めはしない。そんな彼女にもう一度謝罪すると、「それで、用件はなにかな?」と本題を促す。

 

「演習を。そして可能ならばあたしの艦隊の装備も調整していただけます?」

「ああ、それくらいならお安い御用さ」

 

 お互いの艦隊の強化を図る。それはウェーク島での一件の後で、東地たちとも共通の目的として確立されている。断る理由はない。「もしかすると凪先輩の装備を後回しにするかも、と思っていましたが」と、少し懸念を口にするが、

 

「いやなに、こっちのはいつでもできるからね。そちらとは、実際に顔を合わせないとできないことや。なら、湊の方を優先させてもらうよ。それに俺としても色々やれるっていうのは喜ばしいこと。そうした機会を増やしてくれるってんなら、これ以上ないほどにありがたいことでもある。ありがとう、弄らせてくれて」

「……妙な誤解を生むような発言、やめてくれる? 傍から見たら危ないから、あんた」

 

 そして湊の言葉も以前に比べて遠慮がなくなってきている。それだけ凪に対して気を許している証であり、二人の距離が縮まっていることでもあった。

 だからこそ、画面越しではあるが何となく凪の様子が少し違うことに湊は気づく。

 

「……ねえ、なんかあったん?」

「ん? なんかとは?」

「どうにもいつもと違った顔に見える。……そう、何かに悩んでいるかのような、そんな違いを感じる。いつものあれ? 腹痛とか?」

「いやはや、他人が嫌いな君にそう指摘されるとはね。素直に驚くよ。それとも俺がわかりやすかったりするのかな?」

「まあわかりやすいところはあるかもしれないけど、なんだかんだであんたは色々と隠し通すでしょうね。のらりくらりと。でもわかる人にはわかる違いは覗かせる。たぶん、あんたの艦娘の一部は気づいてくれるかもしれないけど、まさかあたしもなんとなく察するくらいには、あんたのことをわかってきてしまったみたい」

 

 傍らに置いてあった飲み物が満たされたカップを傾ける。喉を潤しつつ、どこか素っ気なさそうに視線を逸らす湊だが、それだけ凪に気を許してくれていると、言外に語る。「ほら、言ってみなさいよ。あんたの悩み事を」とカップを置きながら促してくる中、凪は逡巡する。

 この悩みを言っていいのだろうか、それも年下の異性に相談するようなことなのだろうかと。

 あの湊がこうも促しているのだ。気が変わらない内に相談した方がいいだろう、眉間を少し揉みつつ、「実はね」と前置きをし、

 

「美空大将が打ち出した新しいものが、だね……」

 

 と、歯切れ悪く話し出す。美空大将が新しいシステムとして運用するケッコンカッコカリ。これに対して悩んでいることは、言いづらいことではあったが、何とか説明した。とはいえ神通のことについては話さず、単にこのシステムをどうしようかと悩んでいるのだという体で打ち明けた。

 

「要はあれ? 単なるシステムと捉えず、感情が絡んだことだから悩んでいるってやつ?」

「まあ、そうやね」

「見てくれは人の女やからなぁ。伯母様もケッコンなんて名称を付けるから、そんな風に悩む要因にもなったってことでしょ?」

「まさしく」

「でも、結局はシステムでしょ?」

 

 と、ばっさりと切り捨てる。驚くくらいに淡々と、彼女は言い切った。

 

「システム的に二人の絆とやらの結果を打ち出すだけで、実際にするわけじゃない。だから女のあたしでも使えるシステム。そう聞いている。なら、そこまで深く悩む必要はないでしょ? でもあんたがそこまで悩んでいるということは、候補がいる。そうでしょ?」

「…………」

「あー、いるのね。誰? ……まさか、神通?」

 

 なんでバレるんだ? と凪は冷や汗をかいてしまう。そんなに傍から見てわかりやすかったのだろうか。これは自分じゃなくて神通の感情がわかりやすいパターンだったのかもしれない。

 

「何かとあんたの世話をしていたし、気にしていたし、話にも聞いているのよね。うちの那珂から」

「……あー」

 

 姉妹艦でもある那珂なら鎮守府は違えども、たびたび連絡を取り合っていることは容易に想像できる。そうでなくても那珂のあの性格だ。神通でなくとも川内から聞いているかもしれないし、他の艦娘とも仲がよさそうだ。そこから湊に伝わったのだろう。

 多くの艦娘を擁する提督だからこそ、色々と耳に入ってくるのは凪にもわかることだ。

 

「人のように愛情を向けられることで、それに真摯に応えるべきかどうか悩んでいるわけだ」

「……そんなところだね」

「クソ真面目ね、あんた。人嫌いが恋愛関係に悩むとは。でもやっぱりあたし的にはそこまで深刻に悩むことではないと思うけど。結局はシステム的なものなのだし」

「当事者になると割り切れないんだよ」

「……ま、そうね。あたしは当事者にはならないから、そういうのはよくわからないわ」

「告白されまくっとるのに?」

「思い出させんといてくれる? クソったれな野郎どもに言い寄られたってのは、忘れ去りたい記憶なんだけど」

 

 それは失礼、と軽く両手を上げて謝罪する。そんな凪に湊はふと「でも実際にあんたが、誰かに告白されたらどうすんの? そんなんで」と何気なく問いかけた。

 

「告白?」

「そう、艦娘じゃなくて人に」

「なに? それは湊が俺にって話?」

「は? しばくぞコラ」

「冗談だよ冗談。そんな、視線だけで殺れそうな目をしないで」

 

 冷え冷えの視線を向けられ、モニター越しだというのに背筋が凍ったような気持ちにさせられる凪。冗談で少しでも和ませようとしたが、やはり湊には通用しないようだった。

 手を振りつつ「別に俺の恋愛事情はええやん」と終わらせようとするも、

 

「ケッコンカッコカリの話題を出すんなら、凪先輩の恋愛事情にも当然触れるでしょ。縁がないってのはわかりきっとるからええとして、実際にそういう場面になったらどうすんのってイメージくらいはしときぃな」

「……波長が合う相手でもなけりゃあ、断るかな」

「そう。そういう気持ちはあるわけだ。じゃあ神通はどうなのよ? 合うの?」

「まあ、合っているとは思う」

「じゃあ断る理由はないやん? システム的なケッコンカッコカリをしておしまい。それでええやろ? 問題解決やん。感情論を振りかざそうとするからこじれるし、悩みを深くすんのよ。悩むのは、それだけ神通のことが大事なんだっていうんは、何となくあたしでも理解できるし、それだけ想われてるってのは神通も喜ばしいことやろうな」

 

 でも、と両手でそれはそれ、これはこれ、と分けるようにする。

 

「あの神通は、感情を殺すでしょう。そうして溜め込んでしまうタイプと見た。だからこそ早々に答え出す時やとあたしは見る。大事だからこそ、しっかりやっときなさいな。あんたのその悩みや気持ちを打ち明けつつも、割り切って成就させなさい。うじうじ悩み続けるのもみっともないことよ。何なら今すぐでもやってきなさいな」

「さっぱりしてるなあ……さすがあの大将殿の親戚だ。わかったよ、うん、君にもそこまで言われるのであれば、答えを出してくる」

「そうしなさい。他に悩み事は?」

「あるにはあるけど、今はとりあえず動くだけ動くよ。相談に乗ってくれて、そして背中を押してくれてありがとう」

 

 自分が推察する中部提督についても意見を聞いてみたかったが、凪は神通に会いに行くことを優先した。湊も「そう、じゃあもう一つの悩みとやらは、演習ん時にでも聞くわ」と了承してくれた。

 

「すまないね、こんな情けない相談事をして」

「別に、凪先輩には色々世話になっているから、それくらいの礼は返すわよ」

 

 あの不愛想な人嫌いの湊がこうまで付き合ってくれたのだ。本当に、変われば変わるものだが、それを指摘すればまた素直じゃない反応を返すだろう。礼を改めて述べて通信を切り、凪は意を決して歩き出す。

 一方湊も大きく息をついてカップの中身を飲み干すと、天井を仰ぎ見た。

 

(なにやってんだかな……あたしは)

 

 自分でも困惑がある。確かに色々お世話になった。

 初めて会った時からどうにも気に食わない男だとは思っていたが、自分と同じく他人が嫌いであり、親しい関係を築くのはごくわずか。提督業にも熱が入ることはないと言われていたのに、実際にはここ最近だけでも目覚ましい成果を挙げている。

 やる気がないように見えて、興味の対象には熱中し、それが道を拓く成果に繋げている。あれでもアカデミーの卒業生という肩書に偽りはなく、積み重ねた実績は伯母である美空大将も満足している。

 後は自分と同じ大阪出身だからか、そういう意味でもどことなく気が合うのは間違いない。湊自身は認めてはいないが、しかしなんだかんだと馬が合うし、彼と過ごした時間は、振り返ってみれば悪くはないものだったかもしれない。こんな性分でなければ、彼もあんな性分でなければ。いうなれば普通の男女であれば、間違いなく自然とくっつくような間柄だろう。

 

(何を考えているんだ? あたしは。恋愛脳に侵された?)

 

 これでは那珂のことを笑えない、と頭を振って切り替える。こんな調子では、できることもつまらないことで失敗しそうだ、と頭を冷やすべくシャワーを浴びることにするのだった。

 頭を切り替えれば、こんな年頃の少女のような想いは消えるだろう。そう信じて。

 

 



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告白

 

 神通はどこにいったのだろう、と呼びに来られた工廠への道を歩きながら、もう一つのことを考える。それはどのようにして話を切り出そうかというものだ。感情論を抜きにするにしても、こういうケッコンカッコカリについて打ち明けるのは、少しくらいはムードがあった方がいいのだろうか。それともすぱっと切り出すべきか。

 こういう経験値が全くない凪にとって、これすらも高いハードルだった。いざやるぞと意気込んでも、心臓がバクバクで汗もかいてきた。年頃の少年が初めて異性に告白するようなものだ。そんなことを、まさか自分がするとは思ってもみなかった。

 これが青春をする少年の気持ちというやつかと、どこか他人事のように考えていると、夕張が向こうから駆けてくるのが見えた。一体どうしたというのだろうかと考えていると、そのまま腕を取られて道を外れ、木陰に連れ込まれてしまう。

 なんだなんだと混乱していると、「ちょっといいですか?」と夕張が呼吸を整えながら切り出してくる。それに頷くと、

 

「ちょっと神通さんがやばそうなんですけど……」

「やばいとは?」

「神通さん、色々と自分の中に抑え込む性格しているじゃないですか。それがいよいよもって抑え込むことで、悪い影響が出そうになっているんですよ」

「…………その、抑え込む感情ってまさか……」

「あ、提督も気づいていました? そうです、あなたへの……想いです」

 

 最後は言いづらそうにしたが、夕張ははっきりとそれを告げた。湊の予測通りのことに、凪もついに頭を抱えてしまう。だが逆に言えばタイミングはいいかもしれない。今まさにそのために動こうとしているのだから。

 

「それで――」

「――わかった。今、神通と話がしたかったところだよ。都合がいい。神通はどこに?」

「埠頭にいます。話っていうのは、もしかして? 提督、腹くくりました?」

「そうだね。湊に背中押すついでに尻も叩かれたんで、少し話をしてくる。ありがとう、夕張。知らせてくれて」

 

 礼を言いつつ片手を上げ、埠頭に向けて走り出す凪の背中を、夕張は少し考えつつ見送る。あの凪をいよいよ動かしたという湊。聞けば美空大将や長門にも相談していたらしいが、それでもはっきりとした答えを出せずにいたが、湊に尻を叩かれたとは。

 あれだろうか。年下女性にも相談したことで、いよいよ腹をくくったというやつだろうか。だとするとやはり、凪と湊は割と相性がいいのかもしれない。それはそれで興味深いのだが、いよいよ凪と神通の話が動くのだ。

 これは見届けなくてはいけないとばかりに、どこかおもしろそうな表情で夕張もまた静かに駆けだした。

 

 

 埠頭の先で海を眺めながら物憂げな表情を浮かべている神通を見つけた凪は、少し呼吸を落ち着かせながら、しかしその儚げながらも美しいと感じる様に、少し見惚れていた。改二になった時もそうだったが、どうにも神通は以前よりも美しいと素直に感じてしまう。

 女性に元々慣れていないということもあるが、より美人になったことで、この一年で慣れたとは思っても、美人には近づきづらいというコミュ障ならではの意識が蘇ってしまった。しかも今の自分はそんな彼女にケッコンカッコカリについて打ち明けようとしている。どうしても意識せざるを得ない。

 緊張で生唾を飲みつつも、「神通」と呼びかけながら彼女に近づいていく。

 

「あ……提督」

 

 驚きながらも、一礼を返してくれる神通。彼女に向かい合いながらも、まだ切り出す言葉を探し続けていた。頭を掻きつつ神通の隣に並び、埠頭の先に広がる海を眺める。二人で海を眺める形になってしまったが、神通がちらちらと凪を伺うように見てくるのを感じるが、とりあえず話を始めなければいけないだろう。流れに任せれば何とかなる、沈黙は良くないと判断して凪は口を開く。

 

「君には本当に世話になっている。一水戦旗艦というのもそうだけど、プライベートでも本当に世話になりっぱなしだ」

「いえ、私は私の務めを果たしているだけです」

「それでも、俺は改めてお礼を伝えたい。ありがとう」

 

 そうして頭を下げれば、照れたように視線を逸らす。それは意識している女性の顔のようにも感じる。しかしそれを口にはしないという控えめな性格が伺えるが、今日はそれを解消するために来たのだ。

 

「今日はお礼を伝えるだけではない、謝罪をするために来たんだ」

「謝罪、ですか? それは何故でしょう? あなたが謝るようなことは何も」

「俺がなかなか意を決しなかったから、君に色々溜め込ませてしまった。打ち明けることをさせず、俺のためにそれをひた隠しにさせてしまった。そのせいで、君は色んな人に心配されるようになってしまった。それは、全て俺の責任だ」

 

 意識していても、それを伝えることをしなかったのは、神通の性格もあるだろうが、凪が女性が苦手ということもあるし、提督と艦娘という関係性もそうだろう。それを崩すようなことは、彼女の性格上考えられることではなかった。

 凪がするべきことは、そんな控えめな神通が立ち止まることなく、前に進ませるきっかけを与えてやることだ。今日凪の尻を叩くことで前に進ませた湊のように。

 

「待たせてすまなかった。神通、君の抑えたものを、今ここで打ち明けてほしい。本当の気持ちを解き放ってほしい。俺は、それを聞く義務がある」

「……しかし、私は……そうすることで、あなたに重荷を背負わせることになります」

「それは君の考えだ。重荷になるかどうかは俺が決めることだ」

 

 今ここで聞くのだという強い意志で神通を促すと、少し俯いて瞑目してしまう。だが辛さによる瞑目ではない。本当にそうしていいのかという困惑と、気持ちを伝えることに対する気恥ずかしさ、彼女自身の控えめさなど、色々な感情がごちゃ混ぜになってしまい、頬に赤みがさしている。

 しかし凪はここまで促すだけであり、急かすようなことはしなかった。彼女にも改めて気持ちを整理させる時間が必要だ。待たせはしたが、伝えるためにも準備は必要だ。

 どれだけの時間が経っただろう。時間の感覚もあやふやだが、それでも、彼女は一歩踏み出す勇気を振り絞った。「――は」と、蚊の鳴くような声が漏れて出る。

 

「……私は、困惑していました。改二になったとき、私の中でそれまでの気持ちが増幅したように感じられました」

 

 俯いたままではあるが、神通は言葉を選ぶように、ゆっくりと語りだした。それを凪は静かに耳を傾ける。

 

「これが改二の影響かと最初は思っていましたが、それにしては自分の中で大きな変化が起きすぎて、どうしていいかわかりませんでした。長門さんなどにも相談をしてしまい、心配をかけてしまいました」

 

 そうだね、と凪は相槌を打つ。実際凪も長門と話をすることで、神通がそんなことになっていることを知り、凪もまたどうしていいかと悩むことになってしまった。お互いがお互いを意識し、立ち止まることになってしまったのだ。

 

「……それでも、自分の中で高まるこれは、本当にそうなのかと私は判断が付きませんでした。提督をお慕いしているのは確かです。私の気持ちはあの日から変わることはなく、あなたを主と定め、全力でお支えすることを誓ったのですから」

「……うん」

「ですが、これがただの敬愛ではなく、愛情、恋慕であるならば、その誓いは崩れる。一線を越えるような感情の大きさを認めてしまえば、自ら立てた誓いを自ら破り、艦娘として支えるのではなく、まるで人間の女性のような立ち位置を私が、この私が求めてしまうことなど、私自身が許せません。あの子たちの模範にもなれない一水戦旗艦など、どうしてなれましょうか!?」

 

 堰を切ったように、神通は顔を上げて叫ぶ。その頬は興奮にも似た赤みが差し、目には雫が浮かぶ。そこまで思いつめたのかと凪もまた胸が痛んだ。そうまで悩ませたのは自分に責任だと、自責の念すら浮かぶ。

 

「だから私は、抑えるしかなかったのです。あなたを支える一人の艦娘として在り続けるために」

「……わかった。でも、それでは君自身が苦しむことになる。それを知ってしまった以上、君をそのままにはしておけない」

 

 ハンカチを取り出し、その涙を拭ってやりながら「俺はね、神通」と切り出し、

 

「改めて言うまでもなく、女性の扱いってやつを全く知らないからさ、正直どうしていいかわからないんだよね。こうして告白を聞き、涙を拭い、そうしてどうすればいいか、その正しい答えが全く分からない。そんなダメな奴なんだよ。普通に女性に好かれる要素ってやつをおよそ持ち合わせていない、そんな風に自己評価を低く見積もるくらいに、縁もないからね。経験値を積む機会すらない、クソ野郎さ」

 

 でも、それでも前に進まなければならない。これ以上神通を苦しませるわけにはいかないのだから。「そんな俺でも、できることがある」と、ポケットからあの指輪を取り出し、神通に見せると、彼女は驚きに目を見開く。

 

「美空大将が確立させた新たなるシステム。『ケッコンカッコカリ』、それを君と果すことで、俺の答えとさせてほしい」

「え、でもそれは……」

「実際にするわけではない、それは俺もわかってはいるけれど、しかしこれ以外に確かな形として君の気持に応えられるものはない。言葉とともに、確かな証を送ることで、君の気持を受け入れよう。それに、これを結ぶことで君の誓いは崩れることはない。愛情を前面に押し出したとしても、艦娘として変わることなく、あの日の誓いを維持したまま俺のそばに居続けられる」

 

 それは間違いない。艦娘として支え続ける、あの日交わした誓いが崩れることなど、凪もまた望んではいない。凪だけでなく、この呉鎮守府にとって神通はかけがえのない存在なのだ。彼女のいない呉鎮守府はもう考えられないものになっている。

 このケッコンカッコカリを成立させても、彼女との関係は変わることはない。

 

「これは君と俺を結ぶ信頼の証だ。気持ちを抑える必要もないし、恥じる必要もない。ありのままの君のままでいてほしい。俺はそう望んでいる」

「…………よろしいのですか?」

「作った人も、相談した人も所詮はシステム的なものなのだ、と言ったけれどね……俺はシステムとはいえ、指輪まで用いるし、名前もあれだし、と悩み続けたんだよね。でも、うん。結局行きつく先は、俺が君を受け入れるかどうかだし、俺が君をどう思っているかでしかないと結論付けた。……時間はかかったけどね、本当にすまない」

 

 色々と回りくどい言い回しをしたが、それも気恥ずかしさからだ。神通もまた、着任当初のような視線のせわしなさと、汗をかき続ける凪を見て、察した。彼もまた、人付き合いの慣れなさから、こうして今もなお惑い続けているのだと。

 

「俺はね、神通。最初に言ったように君には本当に感謝している。そんな君を好きにならないはずはないし、君から好意を向けられて嬉しくないはずもない。こんな自分にはもったいないと思ってさえいる。君に対する好意の証、これを送ることで、君の好意への返礼とさせてほしい。……受け取ってくれるかな?」

 

 たった二文字すら言えない回りくどさ、それもまた凪らしいとさえ思えるその様に、どこからかイラついたような空気を感じる。ちらりと神通が視線を逸らすと、なるほど、心配をかけた人たちがそこにいるのだろうと察した。

 こんな自分たちに、彼女らにも申し訳ないことをした。それにあの凪が覚悟を決めて差し出してくれたのだ。受け取らないという答えはどこにあるというのか。

 

「――喜んで。変わることのない忠誠を、そして、それ以上にあなたへの親愛を。この神通、どこまでもあなたと共に歩き続けましょう」

 

 そっと胸に手を当て、返礼をする。左手を差し出せば、嵌めるべきところにケッコンカッコカリの指輪を通してもらった。すると、その指輪が静かに光を放ち、神通を温かく包み込んでいった。

 自分の中で、新しい何かが開かれるような感覚。今まで抑えていたものが、指輪から放たれる光を通じて解放される感覚。そうして自分は新たなる一歩を踏み出すのだ。

 感情も、力も、このケッコンカッコカリによって前へと進むための力となる。

 それ以上に、愛おしさが、嬉しさが溢れて止まらない。さっきまでは自分の感情に苦しみながら涙を流したが、今は違う。そっと左手と、嵌められた指輪を撫でながら、それをかみしめる神通。

 顔を上げた神通のその顔は、涙に濡れながらも、嬉しさを隠しきれない少女のような可憐さと、愛に溢れた女性の顔で、またしても凪の言葉を失わせる程の美しさがあった。

 

 

「やれやれ、ようやくか」

 

 と、嘆息しながらも、嬉しさを隠しきれない長門をはじめ、夕張や夕立など、凪と神通の様子が気になって仕方がない面々が、港の陰からそっと隠れた。先ほどまでそっと顔を出しながら様子をうかがっていたが、上手くいったことで、全員が安堵していた。

 夕張が凪の後を追いかける中、途中で長門や一水戦のメンバーと出会い、何をしているのかと訊かれたが、これから神通に事件が起きそうだと端折って言ってしまったことで、全員が心配のあまりついてきてしまった。

 だが雰囲気が雰囲気だったので、声を掛けずにとりあえず隠れて様子を見ようと意見が一致し、今の今までずっと陰で見守っていたのだ。

 しかしあまりの凪の回りくどさと歯切れの悪さに、夕張がもどかしさに飛び出していきそうだったが、それは長門が抑え込んだ。そして成就した際には喜びのあまり夕立と雪風が飛び出しそうになったが、それを北上と綾波が抑え込んだ。Верныйは相変わらずクールに様子を見守るだけだったが、成就の際には表情こそ変わりはしなかったが、嬉しさは滲ませていたようで、うんうんと頷きながら喜びをかみしめるように、どこか体がうずうずとしている。本当は神通のもとに行って喜びを共有したいだろうという気持ちが伺えた。

 

「これでひとまずは安心ってところかしら?」

「うむ。気持ちを抑える必要はもうなくなったのだからな。ありのままの神通として、これからも過ごしてくれることだろう」

「そうね。私もそうだけど、長門さんも肩の荷が下りたって感じ?」

「まさしく。本当に世話の焼ける提督だ。……今回は神通も、だがな。これで後は訓練などに熱が入ることだろう」

 

 そういえば、と長門は空を見上げる。

 今月は6月、梅雨の時期。しかし幸いにも空は快晴で、今日の善き日にはぴったりの空模様だ。

 同時に6月と言えばジューンブライド、システムとはいえ、あの二人が結ばれるにもぴったりの月と言える。

 様々なタイミングの良さもあり、今日という日は二人にとって、いや呉鎮守府にとっても、間違いなく善き日になったに違いない。あの二人に心からの祝福を、長門は微笑を浮かべながら静かに夕張たちを促した。しばらくはあの二人をそっとしておくべきだろう。そう信じてその場を去っていった。

 

 



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祝福

 

 凪と神通がケッコンカッコカリを行ったことは、自然と呉鎮守府に広がった。戻ってきた神通に一水戦の艦娘が改めて出迎えるだけでなく、水雷戦隊の顔ぶれもまた祝福の言葉をかけていく。

 照れて恥じらいながらも、一人一人にお礼を述べていく神通に、「吹っ切れたようで何よりだよ」と北上が安心したように微笑む。緩い北上ではあるが、彼女もまた心配させてしまったのだろうと、神通は頭を下げる。

 

「ご心配をおかけしました。あなたたちを心配させるほどに、私は色々と溜めていたようですね。恥ずべきことです」

「そう気にすることでもないよー。神通さんにも立場ってものがあるからさ。それに性格のこともあるしね。こればかりは、どちらかが動くしかなかったわけで。それにさ、こうしてようやっと進めたんだもん。謝る必要はないよ。これから存分に提督といちゃいちゃすればいいって」

「そうですよ。抑え込んでいた分、存分に提督との時間を過ごせばいいのです!」

 

 頭の後ろで手を組みつつ、どこかにやつきながら北上が言えば、同意するように夕張も拳を握り締めて頷いた。二人の言葉に、駆逐艦たちが「おー」と口を開け、期待するような眼差しを向ける。

 

「そ、そこまではしませんから。あなたたちも、そんな目をしないでください!」

 

 どうやらこうしたいじりはしばらく続きそうだ。

 その様子を離れたところから見守る長門に、「人も、なかんか面白いシステムを組むものですね」と呟きつつ、大和が並んでくる。「興味深いか?」と視線だけ大和に向ければ、彼女は小さく頷いた。

 

「今もなお、私は自分を、艦娘を兵器であると自負しているけれど、しかし人はこういうシステムを組むほどに、私たちを人としても扱うのですね」

 

 だが、と大和は腕を組みつつ、「悪くない」と認めるような発言をした。そのことに長門はほう、と小さな驚きを見せる。少しずつ大和は変わっていると感じていたが、やはりいい方向に成長してきている。

 

「愛情、なるほど、それもいいでしょうね。あの神通があのような、人の女の顔を見せる。私にはまだ深い理解はできないけれど、あそこにいるのは一人の女に見えるし、そこに集まる子たちも、年相応の人の女に見える。決して兵器ではありませんね」

「ああ、そうだ。私も同意見だよ。あそこに集まっているのは、戦場で戦う者たちではない。ああいう顔ができるのは、彼女たちにそういう振る舞いができる環境が与えられているからだ。だからこそあの雰囲気を守りたい、尊いと思える。そう感じられるお前もまた、決して兵器などではない。大和、お前もまた一人の人として、成長している証だ。それを私は喜ばしく思う」

「……そう。あなたにそう言われるのも、悪くないものです。これが、人の感情か」

 

 大和自身もこの一年で自分が変わっているのを自覚している。かつての南方棲戦姫だった自分は、どこか遠い過去のようにも思えている。自分を兵器とまだ自認している点については抜け切れてはいないが、呉に所属した当初よりは薄れているし、長門をはじめとする艦娘たちや、凪との交流で、人らしさというものも獲得している。

 かつての自分が今の自分を見れば、その変わりよう、その丸くなった様に違和感すら覚えてしまうだろう。

 でも、そんな変化を「悪くない」と受け入れてしまっている自分を、大和は良いものだと心から認識している。南方棲戦姫だった自分でも、今は同じ艦娘として対等に接してくれることのありがたさ、今なら素直に噛みしめられる。

 中でも一番感謝しているのは、なんだかんだと付き合ってくれている長門だろう。大和として在り続けることができたのは長門のおかげだ。もはや長門がいない艦娘生活など考えられないくらいに、大和にとって長門は近い存在であり、目標でもある。

 

「……訊きたいのだけれど」

「なんだ?」

「あなたは提督とはあれをしないの?」

「私が? まさか、しないさ。私は秘書艦であり、それ以上でもそれ以下でもない。別に提督のことが嫌いというわけではない。ただ神通のような愛情ではなく、支えたいと思える存在、それまでだ」

「そう? あなたと提督との関係も悪くはないと思うのだけれど」

 

 と、大和が首を傾げていると、「そうそう。長門さんだって悪くないじゃん?」と鈴谷がすっと入り込んできた。

 

「ケッコンカッコカリって複数とできるから、別に神通さんだけで終わらないじゃん? 提督がその気になれば、いくらでもできるわけだし、長門さんが選ばれないってことはないと思うけど」

「仮にそうだとしても、神通が良く思わないだろう」

「いえ、別に私は構いませんよ。提督が選ばれるのでしたら、私はそれを尊重します」

 

 と、神通までいつの間にか会話に混ざってきた。後ろでは話題に耳を傾けるべく、興味深そうな眼差しで艦娘たちが見守っている。長門も少しひきつった笑みを浮かべつつ「本気か?」と問いかけてしまう。

 

「ええ。提督と強い絆が結ばれていればできること、それがケッコンカッコカリというものだと聞いています。長門さん、あなたと提督もまた絆……強い信頼関係が築けているものとみます。提督にとってなくてはならない大切な存在、あなたもまたそうであると思います」

「うーむ、言わんとすることはわかるが、しかし……」

「ええ、ですが私に遠慮してしまうという気持ちもわかりますよ。私は、信頼関係だけではなく、この気持ちをも尊重してもらったこと。そして仮にこの先、ケッコンカッコカリを結ぶ子たちが現れたとしても、最初に私を選んでくれたこと。その事実が揺らぐことはありません。だから私は、遠慮なく練度がその域に達し、提督と結びつきたい子がいるならば、どうぞやってくださいと言うだけです」

 

 微笑を浮かべながらも、ちょっとしたのろけに聞こえるような言葉を混ぜてくる。彼女の言葉に、「おぉー……」と感嘆のような声が漏れて出る。本当に吹っ切れたのだ、そう思わせるものが今の神通にはある。

 以前までならば控えめに、自分の気持ちを押し殺していただろうに、やはり前に進めたのはいいことだと感じられる。

 

「ただ、このケッコンカッコカリは提督との信頼関係を象徴する儀式だけではありません。自分でもわかります。今までの領域から、更なる先へと進めたという感覚があります。より前へ、より高みへと自身を研鑽する心構え。それができないような子は、私としてはどうかと思いますよ。もちろんケッコンカッコカリをしなくてもどうかと思いますが。その場合は少々、私の手から直々に指導をさせていただきますので、ええ。そのつもりでいるようにと、補足をさせていただきます」

 

 と、今までの女性の顔から、教導官としての顔を覗かせる。相変わらず微笑を浮かべているのだが、じわりと滲ませる雰囲気は、神通の訓練を受けたことがある艦娘たちが、思わず小さな悲鳴を漏らすものだった。

 普段から艦娘として恥じない力を備えるように、としっかりと鍛える神通だが、ケッコンカッコカリを経て解放される新たな領域への到達。その先へと進んだ呉鎮守府における第一人者として、自身が恥ずべき姿を見せないようにと、研鑽を重ねるのは自明の理といえる。

 だからこそもし、後に続くものがいるならば、更なる先へと進むものとしての心構えや、実力を保持し続けるのだ。それを求めてくるのは神通らしいといえるだろう。

 

「ふっ、神通らしいといえばらしいか。自他ともに厳しい様は、どこか安心感すらある。いつものお前に戻ってくれたのだと、喜ばしく思えるぞ」

「……本当に、その節は心配を掛けましたね、長門さん。ですが提督がそうであるように、私もまたあなたには強い信頼を置いています。私の後に続くものがいるならば、あなたは相応しいのだと、私は思えるのですよ。もしその気持ちがあるならば、契約を交わしても良いのではないですか?」

「…………考えておくとしよう」

 

 他ならぬ神通に後押しをされるのなら、と長門はそのように答えた。神通も頷き、「あなたも」と、大和を見つめる。まさか自分にも振られるとは思わず、大和はあまり見せない、目を少し丸くするような驚きの顔を見せてしまった。

 

「あなたも、私は信頼していますよ、大和さん」

「この私を?」

「はい。良き旗艦となるように努力する様を、私は嬉しく思います。この間のように、私にできることはしてあげたく思いますよ。自分だけでなく、誰かのために強くなろうと研鑽する姿は、私は十分に信頼できる姿だと評価できます。ですので、時が来れば、あなたもまた、私の後に続いても良い人だと思っています」

「……そう。あなたにそう評価されるのは、少しこそばゆく感じます。でも、そうですね。それを嬉しく思う自分もいます。ありがとう、神通。その時が来るとするなら……ええ、私もその時までに考えておくとしましょう」

 

 一つの兵器ではなく、「艦娘の大和」として接し評価してくれる相手がいるということ。通常の大和ではない自分だが、しかしありのままの自分を認めてくれ、支えてくれること。それがどれだけありがたいことか。めでたく、祝いの言葉を掛けられるはずの神通だが、しかし大和もまたそれに続いていいのだと、認めてくれること。

 本当にいい人ばかりだと大和は瞑目し、心の中で感謝する。見方を変えれば実に甘い人ばかりだと笑い飛ばそうが、そんな気は起きない。それだけ自分がここに馴染んできており、呉鎮守府の一人だと自覚している。

 守らなければならない。

 素直にそう思えるほど、大和は彼女たちに対して好意を抱いていることを否定できなかった。

 

 

「そう、それはよかった」

 

 全てが落ち着いた夜、凪は長門と神通と食事を共にしていた。様々な人から祝いの言葉を掛けられたのは神通だけではない。凪もまた任務などの報告に上がった艦娘たちに、最後に祝いの言葉を掛けられ続けていた。

 仕事がすべて終わり、一息ついたところでこの二人と一緒の時間を過ごすことにした。長門はさすがに二人の時間を邪魔するわけにはいかないと遠慮したものだが、凪と神通から構わないと言われてしまい、引き下がれなくなってしまった。

 そして、話題は凪と神通のことから大和のことへと移る。変わっていく彼女については凪も認識している。時折凪もまた相談されることもあるため、その変化には素直に喜べるものだった。

 

「実際、大和の成長をどう見るんだい? 長門」

「目覚ましいものがあるな。もちろん大和としてのスペックもあるが、それに加えて本人の向上心が凄まじい」

「目標にしている人が近くにいますからね。それは伸びますよ」

「それをいえば神通も同じだろう。旗艦としての手本はお前も同様だ」

「と、このように目標に定める人がいるおかげで、大和さんはこれからも伸びるでしょう。案外、長門さんを追い抜いてしまうこともあるかもしれませんね」

「ははは、面白い冗談だ。私はそう易々と背中から抜かれるような真似はしないさ。目標にされるというのは喜ばしいが、かといって私を抜くのはまだ早い。私とて成長しているのだ。まだここを譲ってやるつもりはないぞ」

 

 と笑いながら語る長門だが、しかしと、グラスを揺らしながら少し遠い目で微笑を浮かべる。思い返せば南方棲戦姫の時から、奇妙な縁で結ばれたものである。よくわからないが、自分の手で大和として再誕するきっかけを与え、それからは切磋琢磨する日々。気心の知れた後輩ができたようで、あるいはライバルができたようで、そしてもしかすると、お互いを認めあえる戦友(とも)ともいえるかもしれない。

 そうだ、いつしか長門にとって大和はかけがえのない戦友(ゆうじん)と呼べる存在になっていた。大和から色々とちょっかいかけてはきたが、でも楽しい日々だったのは間違いない。うざったい後輩だが、でも彼女との交流は楽しかったのだ。とはいえこんなことは本人にはとても気恥ずかしくて言えたものではないと、心の中にしまっておくことにする。

 

「うん、まだ譲れないさ。いつか全力でお互いの艦隊を旗艦として率い、ぶつかり合う。そうすることで、大和が私を越えたかどうか。それがわかるだろう。その時まで秘書艦として、主力艦隊旗艦として席を守り続けるさ」

「ふふ、お互いがお互いを意識しあえる関係。切磋琢磨できるのはとてもいいことです。そうして刺激しあえば、それは他の子たちにも広がり、自然と艦隊の底上げにつながります」

「そして二人のぶつかり合いは良い刺激になりえる。どこか楽しげな雰囲気というのは、他のみんなにも伝わるから、それもまた大和が認められる空気につながる。うん、やっぱり大和のことを長門に任せて正解だったね」

「まったく、全てが上手くいったから良かったものの、私としては厄介ごとを押し付けられたようなものだったんだぞ」

 

 ぼやいてはいるが、全てが嫌だったわけではないのは先ほどの言葉からして明らかだ。今なら笑って話せる、そういう思い出となっている。ふと長門が「そういえば神通、お前も後に続きそうなものはいるのか?」と何気なく話題を振る。

 長門にとっての大和のように、神通にも誰か良い後輩はいるのだろうか、という疑問だ。神通も少し思い出すように視線をそらし、「どうでしょう」と苦笑を浮かべる。

 

「それぞれの旗艦で見ても、クセがありますからね。球磨さんは実力こそ確かですが、あの雰囲気です。いえ、個性的でいいと思いますし、普段は緩くともやるときはやるのは確かでしょう。阿武隈さんは……ええ、愛らしさが目立ちますが、伸びしろはあります。天龍さんはそうですね、しっかりしている点でいえば問題なく任せられます。が、少し抜けているところがありますか……。補強する補佐がついていれば安定するでしょう。一番若い矢矧さんは、今はまだはっきりとした評価ができませんね。しかしあの矢矧さんです。これからに期待ですね」

「要は、一水戦旗艦を譲る気は全くないってことか。やれやれだ」

「でも水雷組のみんなからそれだけ信頼されているという点でいえば、誰にも負けていない。それは揺るがない事実だろうね。みんなから認められた一水戦旗艦。神通についていけば安心だという信頼感。それは君が築いた関係性だ」

 

 部下に信頼されているリーダーは確かなアイデンティティであり、一番に評価されるポイントだ。それが確立されている神通は、それを誇りに思っていいだろう。しかし逆に言えば、神通という確かな柱をもとに呉の水雷戦隊が築き上げられていることでもある。その柱を失ってしまえばどうなるか、それが不安な点でもある。

 

「それを大切にするのは決して悪いことではない。……まあ、でも、長門の言うように、後に続く誰かがいるのかというのは、俺も気になるポイントだ。みんな神通についていけばいいと、神通の下につくことを良しとしているものばかり。本気で神通を追い抜こうという気概を持つ誰かが現れるかどうか、それが少し楽しみだね」

 

 それぞれが刺激しあえる関係を築けるのは喜ばしいこと。呉鎮守府という内部だけでなく、最近では外部の存在として大湊という大きな目標ができた。それによってより強くなるのだという気概が高まっている。

 でも神通という大きな柱は揺らがない。その柱の周りを支えるものたちはいても、彼女に迫ろうという誰かがいない。それがちょっとした不安要素ではある。同じ一水戦の北上は旗艦になるような雰囲気は感じないし、夕張は実力はあるが工廠で過ごす様がよく似合っている。とすれば神通が挙げなかった旗艦ではない艦娘でいうと、川内が残っているのだが、火が付くかどうかがわからない。優秀な妹が頑張っているからいいという感じで、二水戦旗艦の球磨を支える現状を良しとしている感じがする。後は五十鈴と木曾だろうか。彼女たちもまだまだこれからという感じだが、基本的に水雷戦隊ではなく、別動隊の組み込まれた軽巡のため、水雷戦隊の長を目指すことは恐らくないかもしれない。

 今の呉鎮守府には、神通と本気でぶつかり合える軽巡がいない。演習では確かに力をぶつけあえるが、一水戦旗艦をいずれもぎ取ろうという気迫を持つ誰かがいないのだ。

 でも内部にはいなくとも、外部にはいる。それが他の艦娘たちと同様、大湊の艦娘であり、あちらの一水戦旗艦の多摩といえる。神通以外の誰かではなく、神通自身が多摩へと迫ろうという気持ちがあるし、超えてみせるという目標にも定めている。

 でも違う鎮守府の艦娘のため、常に会える相手ではない。近くにいるライバルが神通には必要かもしれない。そうすれば、もしかすると長門と大和のように、よりお互いを高めあえるかもしれない。

 凪はそう考えるのだった。

 

 



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開戦ノ刻ハ来タレリ

 

 暗い工廠の中で、それは静かに目覚めた。それを見守るものは、困惑したように息をつく。初めてのことではあったが、その成果がこれとはどうしたことだろうか。

 そこにいるのは幼い少女だ。上から下まで全てが白い少女。あらかじめ用意されていた飛行場姫と港湾棲姫のデータを参照し、新たなる深海棲艦を作り出すこととなったのだが、どういうわけか完成した少女体は、幼女のままで体の成長を停止し、しかし能力としては参照したデータに近しいものとして成立することとなった。

 

「歪な……やはり我が手を下すと、このような歪な形として成立するか」

 

 元より自分はこうして生まれるはずもない存在だ。沈んでいないものが、深海側としての形を得るなどどうかしている。その疑念を常に抱え続けている北方提督が、新しい命を作り上げるなど、本当ならあまり気乗りはしなかったのだが、ものは試しと中部提督の手を煩わせることなく、自分で新戦力を作ろうかと考えた。

 その成果がこれだ。

 恐らくこの小さな少女を、新たなる基地型の深海棲艦として運用、登録することになるだろう。小さな少女となったのも、恐らくは自分のこの容姿と関係しているだろう。元より自分は小さな存在だ。時代が時代ということもあるが、その小ささはやむなしともいえる。この体を得た時も、歪ながらも小さい理由を推察し、一応の納得はした。

 だが作ったものまで小さいとはどういうことだろうか。苦い表情にもなるものである。

 そしてもう一つ。北米提督から輸送された資材をもとに作り上げた新たなる軽巡型の深海棲艦。アトランタ級の性能を引き継いだこの個体は、これまでの軽巡個体と違って、完全な人型となっていた。

 しかし人型にしてはその両手の大きさが異質だ。体に対して手の大きさの比率が違いすぎる。グローブに覆われた両手の上には艤装があるが、左手には連装砲が二門搭載されているに対し、右手には連装砲と魚雷発射管が搭載されている。

 頭部にはフルフェイスのバイザーを被っており、素顔が全く見えない。体の露出度は高く、胸元と腰元に布が巻かれている以外は晒している状態だった。

 人型なのは良いが、その両手の大きさはなんなのだろう。異形ではあるが、深海棲艦は元から異形の存在だ。これについては気にすることはないかもしれないのだろうが、しかし北方提督はこれについても「歪な……」と漏らしてしまった。

 だが能力的には成功と言えるだろう。アトランタ級ならではの対空性能の高さは、装備を加味しても頷けるものだ。深海勢力にとって少し薄めだった対空面を補強する、防空巡洋艦としてのデビューが期待できるだろう。

 この二人の完成をもって、北方提督側の準備は整ったといえる。その旨を中部提督に連絡すべく、通信をつないだ。通信は時間を置かずすぐにつながり、モニターに中部提督の姿が映りこむ。

 

「報告だ。こちらの建造は完成を迎えた。なりはあのように、データはこれより送る。確認されたし」

「了解しました。……なるほど、これがあなたが作り上げたアトランタということですか。そしてあちらに見えるのが、ダッチハーバーでよろしいですね?」

 

 アリューシャン列島にあった軍港ダッチハーバー、あの少女が真の意味で目覚める予定の名前を中部提督は口にした。ということはもう計画はすでに立てられていることを意味する。北方提督もまたそれを了承しており、そのために必要な基地型深海棲艦をこうして完成させたのだ。

 見た目が幼女という点が、北方提督だけでなく、それを確認した中部提督もまた少し複雑そうな表情を浮かべてしまう。思わず「……あれで完成でいいんですか?」と訊いてしまうほどに。

 

「やむなしだろう。我はこういった作業は初めてであるし、元より生まれるはずのない我が、命を作るという点も歪だ。当然の結果とも云えよう」

「ふむ……」

 

 その返答に中部提督は口元に指を当てながら、少し思案する。以前より北方提督は自分についてそのような言葉を繰り返している。それが彼女の悩みであり、深海提督、亡霊としての歪みといえるだろう。

 データによれば深海勢力が活動を開始した黎明期から、欧州提督とともに生きているとされているようだが、それが深海提督としての拍を付けている。

 だがその黎明期から深海提督として活動しているという点が、中部提督は気になっていた。今でこそ深海提督は海で死んだ人間が亡霊となることで務めているが、初期ではどうだったのだろうと。

 それが北方提督が言う「自分がこうして在るのはあり得ない」という言葉につながるのではないか、そう考えたのだ。

 

「……ずっと考えていたのですが、質問をしてもよろしいでしょうか、北方さん」

「何だ?」

「あなたの前世は人間ではなく、他の深海棲艦と同じく艦ではありませんか?」

 

 その問いかけに北方は沈黙しながら瞑目する。答える気はないということなのだろうか。だが息をつきつつ椅子に座り、手にしていた刀を椅子に立てかける。その刀にも視線を向けた中部提督は、自分の推察があながち間違っていないだろうという確信に近いものを感じながら頷いた。

 北方提督はとんとん、と傍らにあった台を指で叩くと、控えていたリ級が湯呑を差し出し、それをぐいっと飲み干した。

 

「一つ問おう。小僧、(なれ)がそれを知りたいのは、単なる興味本位か?」

「否定はいたしません。疑問は解消したい性分でして。……で、いかがでしょう? あなた、そしてあなたを同胞と呼んだ欧州さんも、前世は艦だったという僕の推察は当たっているのでしょうか?」

「問いを重ねたところで、汝はもうすでに我が何だったのかも推察していよう? ならば重ねて確認する必要もなかろう」

 

 彼女は否定をせず、答えを促していた。これ以上の問答を避け、きっぱりと答えを告げろというのだ。ならばそれに従うだけ、中部提督は静かにそれを口にする。

 

「その小さな体、古めかしい言い回し、そしてあり得ない自分の存在。それは恐らく他の深海棲艦のように、沈まなかったからと考えるなら、今も現存している艦と推察されます。現存艦でいえばいくつか候補はありますが、先の要素を含めて考えると、あなたは戦艦三笠ですね?」

「…………」

「その刀はあなたに乗船した東郷元帥が賜った刀、それを模したものでしょう。あるいは三笠刀とも考えられますか……。また北方提督に据えられたのも、かの日露の戦いの縁とも考えれば……と、色々と推察するだけの要素は揃っています。いかがでしょうか」

「……ふん、確かにそれだけのものが揃えば、小僧とて我が誰であるかは至れよう。だが、それがどうした? 我が三笠だから何だと云うのか? 他の深海棲艦とは確かに違う点はあろうが、人類に仇なす存在であることに変わりはない」

「ええ、ですが知りたいのですよ。あなたのように黎明期は艦から深海提督となったものがいる。ですが今は、人の亡霊が深海提督となる。では、もう艦が、深海棲艦が深海提督となることはなくなったのかと」

 

 その問いかけに、北方提督は沈黙する。ここ数年、その例はない。深海提督が消えることはあっても、また亡霊があてがわれるだけだったため、その例は彼女も耳にすることはなくなった。しかし、深海提督を決めるのは、自分を蘇らせた存在が主であり、北方提督が知ることではない。

 

「我は知らぬ。深海提督の在り様が変わったにすぎぬだけであり、今もなお亡霊ではなく、深海棲艦が汝らの座に就くことはあり得よう。そう、例えば汝の赤城が、仮に汝が死した後に、その座に就くこともあり得ることだ」

「なるほど、わかりました。ありがとうございます」

「……なんだ? よもや次なる作戦にて、死ぬことを考えているのか?」

「いえいえ、もしものことを想定しているだけです。計画の成功は想定しますが、考えうる最悪も考えておくのも大切でしょう。ましてや次の計画は大きなものになります。こちらも失敗すれば大きな打撃になることは間違いない。だからこそ、もしもを考えてしまうのです。とはいえ僕としても奴らに一刺しする予定ではありますがね」

 

 中部提督だけではなく、北方提督や北米提督をも巻き込んだ作戦だ。これだけの戦力を用いての作戦なのだから、勝つことだけではなく、もしも敗北したときも考えてしまうのは無理からぬこと。

 今までも深海勢力は敗北を重ねてきているが、今回ばかりは最悪すら想定してしまう。あの日欧州提督に色々言われたことも考えると、今回敗北すれば南西提督のように消滅すらあり得るのだから。

 

「そうか。慎重になるのも当然であろうな。我の下準備は報告の通り整ったが、汝はどうなのだ?」

「問題ありません。僕もまた準備は整っています。後は各々が位置につくだけです。それに暦でいえば今は6月。予定通り、かの日を奴らに意識させるにも十分でしょう。そちらがよろしいのでしたら、作戦の位置まで移動してもらっても?」

「よかろう。……最後に改めて確認するが、此度の戦い、我らは囮で間違いないな?」

「はい。日本からアリューシャンへ艦隊を呼び寄せる囮です」

「ならばその後の戦いに関しては、汝の関与はいらぬな? どう戦うかは我が決める。それでよいな?」

「お好きにどうぞ。彼らをできる限りアリューシャンに留めてくれるのであれば、僕からは何も言いません。どのようにやるかは、あなたに全てお任せします」

 

 言質は取った。ならばあそこでどう戦ったのか、その戦果については中部提督から何も文句は言わせない。全てはどのようにして訪れた提督をその場に留め続けられるか。それだけがポイントならば、北方提督としてはやり方はほぼ決まったも同然である。

 

「ではアリューシャンに到着次第、改めて連絡を入れるとしよう」

「よろしくお願いします」

 

 通信を切り、新しく注がれた茶をまた飲み干すと、「全軍に通達、集合せよ。その後、アリューシャンへと移動する」と命令を下すと、リ級は礼を取って移動する。それを背中に感じつつ、アップロードされたデータからアトランタを参照し、建造を行うことにする。

 生まれたてのため大きな戦力にはならないだろうが、防空面でいえば大きな力を発揮できる見込みはある。実戦に出すことでどれだけ力を振るえるかも確認できるため、他の深海提督らも満足するだろう。

 続けてコンソールを叩けば、白い少女がポッドの中から解放される。今まで沈黙しながら事の流れを見守っていた小さな少女は、じっと北方提督を見つめている。そんな少女へと近づき、そっと頭を撫でてやる。どこか気持ちよさそうに目を細める少女に、僅かばかりの胸の痛みを感じたが、しかしそれには北方提督もまた違和感を覚えることだった。

 今も前世も人ですらない彼女、戦艦三笠である自分が、どうして人のように少女に対する憐みを覚えているのだろう。やはり深海提督として長く過ごしてきたせいか、人のような心がしっかりと自分の中に息づいているのだろうか。

 人からすればこのような少女が戦場に出ることはあり得ない。可哀そうだ、という気持ちを持つのは自然なことだろうが、三笠の亡霊である自分が、しかも自分の手で産み落としておきながら憐みを持つなど、笑い話にもならない。

 

(やはり我は目覚めるべきではなかったのだろう。この戦い、勝利しようと敗北しようと、我はまた、一つの罪を重ねよう。ダッチハーバー、苦痛しか与えられぬ幼子よ、許せとは云わぬ)

 

 これまでも自分の存在について苦悩し続けた。

 自分は何故ここにいるのだろうか。さっさと消えてしまいたいと思い続けていた。しかし仲間が増え、部下としたことで、彼らを放ってまで死ぬべきかと、小さな感情が生まれた。この時点で人らしい感情は彼女の中には存在していたのだ。

 そして今、新たな個体を生み出した。生み出すことによって、より放っておけない感情が増えることは懸念材料ではあった。でも所詮は他の深海棲艦と変わらない。そう思っていたのに、生まれたのはこのような少女だ。それが彼女にとって大きな計算違い。

 天秤が不安定な状態の彼女にとって、幼子を戦場に出すことは、大きな揺らぎとなる。死にたいのか、生きたいのか、その芯が揺らいでいる彼女にとって、これは大きな歪みをもたらす。

 そんなに死にたいのならば自死すれば簡単だが、生憎と深海提督ともなればそういうことは許されないらしく、何かによって阻まれるように刀が自分を貫くことを阻止される。

 自ら死を選ぶことができないのならば、終わりをもたらす存在に、自分の命を委ねることにする。それを以ってして自分は罪を背負ってまだ生きるべきか、それとも罪を清算して死ぬべきかを裁定することにした。

 

(せめて、せめて我もまた、共に戦場に在るとしよう)

 

 瞑目しながら心の中で決意を固めた北方提督は、工廠の奥へと進む。そこには一つの艤装が設置されていた。重厚な兵装が搭載されている艤装だが、しかしそれにしてはコンパクトにまとまっている。

 深海の姫級らのように、魔物のような異形はなく、まるで艦娘のように兵装のみで構成されているシンプルな艤装だった。それに触れれば、金属が擦れるような音を響かせ、艤装に光が灯り、北方提督の背後へと回り込み、装着される。

 一度脱却されたマントが改めてまとわれるも、今まで彼女の顔を隠していたフードは取り払われ、隠されていた素顔があらわになる。中世的な顔に、肩を超える程度にまとまった黒髪、紺色の光を放つオーラは、薄く両目から発せられており、その奥にある瞳には、今まで何事にもあまり乗り気ではなく、傍観者に徹してきたとは思えないほどに戦意を宿していた。

 自らの生死を問う機会に恵まれたことに、心は少しだけ踊っている。今回の役割的に本気になることはないが、少しだけは乗り気になっている。限られた時間の中でどれだけやれるのか、それに興味を覚えていた。

 

(恐らく向こうから出てくるのは大湊だろう。いずれあいまみえるものと考えていたが、思いの外早くなったもの。……ならば確かめようか、大湊の提督。汝は果たして我を討ち滅ぼせる存在なのか否かを)

 

 北方海域で何度か彼女の艦娘と交戦してきた北方提督の深海棲艦たち。最初こそいけ好かない女とは思っていたが、幼子の誕生による感情への刺激により、急にやる気になったことで、じわりじわりと自分に迫ってくる死の感覚に、スリルが感じられる。

 錆びついた心が磨かれ、感情が芽生え、そして次第に研ぎ澄まされる感性。ああ、自分は戦場に身を置いていた艦だったのだということを、緩やかに思い出させてくれた。

 これが自分と競い合う相手を得ることなのだろうか。中部提督が凪に覚えた様々な心、それに北方提督は少しずつ共感を覚えていた。

 ずっと北方の海で燻り続けていた過去の自分。一時的かもしれないが、そんな自分と別れを告げよう。歪みが進んだことで、より生き生きとし始めるのは皮肉かもしれないが、しかし悪くはない。

 ぐっと拳を握り締める手に力が篭る。それが今、自分はここにいる、生きているということを強く訴えかけている。戦場が、自分を呼んでいる。ずっと後方に座していた時とは違う気持ちのはやりが、今まで揺らいでいた北方提督の気持ちを固めていく。

 大湊の提督と戦場で会うことができるようになるこの機会を逃す術はない。あの少女の付き添いという理由の他にもう一つ、ここから出る理由ができた。ただの顔合わせで終わるか、あるいは艦娘が自分を殺すのか、試そうではないか。

 

(死を想定する。……いいだろう、小僧。汝がそれを考えるというならば、我も一つ想定しよう。欧州には悪いが仮にかの地を我の死に場所とするのも良かろう。それがあのような幼子を生み出した我の咎とするならば、運命よ、我を上手く殺し、三笠の一つの終焉を飾るが良い……!)

 

 

暗い部屋の中、南方提督は作業を行っていた。背後にはポッドの中に白い少女が眠っている。ぶつぶつと何かを呟く南方提督、彼もまた白い少女の調整を進めている。

 

「……順調だ。何やら中部が作戦を進めているようだが、ふん、向こうが失敗すれば儲けものだ」

 

 個人的な恨みが篭った呟きだが、それをポッドの中の白い少女は、薄く目を開けてじっと南方提督の背中を見つめる。何を考えているのかわからないが、その赤い瞳が、何度か明滅する。

 

「私は止まらんぞ……! この吹雪で、挽回の機会を得るのだ……! ふふふ、この新しい個体が上手くいけば、きっと成果を挙げられるはずだ」

 

 その背中からゆらりと黒いもやが立ち昇る。彼の負の感情が溢れている証だろう。そんな彼の背中を、白い少女はじっと見つめ、数度赤い光が明滅。すると、どこからか小さく鐘のような、チャイムのような音が静かに響いてくる。

 それは南方提督には聞こえていないようだが、白い少女はその音に反応するように、視線を上へと向ける。音は規則正しく響き、やがて消えていくと、白い少女もまた眠るように瞼を閉じる。

 その小さな唇からは、短く「……止マル、終ワル……」と、微かに言葉が紡がれた。

 

 

 通信を終えた中部提督は、北米提督へと通信をつなぐ。すぐに彼は応え、「そちらの準備はどうかな?」と中部提督が問えば「問題ないネ。作戦通り、自分がミッドウェー諸島に赴こう」と、頷いてくれる。

 

「イースタン……いや、こちらの方がお似合いか。あれをミッドウェーと呼称しようかネ。素体の出来は?」

「問題なし。現地で目覚めさせることで、これまでの基地型と同じように馴染むでしょう。こちらからは加賀を送ります。そちらの戦力と合わせ、盛大に奴らを引き付け、もてなしてください」

「いいだろう。パーリナイを派手にしてくるとしよう。だが自分と北方さんが参加しているんだ。ギーク、お前さんも上手くやるんだな。自分はクイーンだけでなく、北方さんもリスペクトしているんだ。あの人たちを失望させるような、そんな結末にだけはさせないようにしてほしいネ」

「心得ていますよ。では僕は移動します。良き戦を」

 

 通信を切り、中部提督は辺りを見回す。そこには彼が保有する戦力が一堂に会していた。

 彼にとっての秘書艦である赤城は、これまでの姿と一変している。すでに生み出していた新しい深海の加賀と同じ姿を取っているが、加賀がサイドテールを左に作っているに対し、赤城にはサイドテールがなく、ストレートヘアーのままにしている。

 また戦艦棲姫も二人、霧島だったものと合わせて修理されており、復帰を果たしている。それに加え、フードを被った小柄な深海棲艦、かの南方提督が作り上げたイレギュラー、レ級もそこに居合わせている。南方提督の調整不足によって暴走を果たし、敗北を喫したレ級だったが、中部提督が回収し、更なる調整を施すことで、フードの下からエリート級のような赤いオーラを滲ませつつ、静かにそこに佇んでいた。

 

「諸君、いよいよこの時が来た。奴らにとって悲劇といえる戦場に、奴らを引き寄せ、空いた日本へと僕たちが襲撃をしかける。ミッドウェーには加賀部隊を、日本へは残りの部隊が赴く。成功すれば、日本は壊滅的な打撃を受けることになり、もはや戦線は維持できない。日本が落ちることで僕らは勝利を得る。そうなれば、後はウィニングランさ。これまでと違い、比較的平穏な日常を得るだろう」

 

 これまで思い描いていた、勝利による平穏の獲得。これが目前にあるだろうという希望を与えることで、絶対に勝つのだという士気の向上につなげる。中部提督の狙い通り、集まった深海棲艦たちは意気軒昂と声を上げる。勝利を、我らに勝利を、日本を落とせ、とあちこちで高らかに叫んでいる。

 

「とはいえ懸念はある。ミッドウェー海戦を意識させるために、アリューシャンとミッドウェー、どちらにも顔を出し、奴らを釣り上げなければならない。希望としては日本の各鎮守府から一斉に二手に分かれての出撃だが、本国を留守にするわけにはいかないと、どこかの鎮守府が待機する可能性が否定できない。……だからこそ、僕率いる艦隊が、完膚なきまでに叩き潰す。それだけの戦力にしたつもりだ。赤城、霧島、君たちには期待している。それに応えてほしい」

「承知シテイル。私モ、コレ以上ノ敗北ヲスルツモリハアリマセン。アナタニ勝利ヲ、提督」

「私モ力ヲ存分ニ振ルイマショウ。……計算通リニイクカ、ワカラナイ要素ハアリマスガ、ソレデモ、司令ノタメニ勝利ヲ引キ寄セマショウ」

 

 深海霧島がちらりとレ級を見やる。調整されたとはいえ、一度は暴走した存在だ。量産型とはいえ、その力が高いことは明白ではあるが、しかし本当に大丈夫なのか? という不安はぬぐえない。

 当のレ級は相変わらず静かなものだが、これまでの話を聞き、理解しているのだろうか? それすらも不安要素の一つだった。

 そして赤城だが、今までと違い、その喋りが普通になっている。量産型から昇格を果たしたことで、そちらのスペックも向上したのだろう。響きは深海棲艦のそれから抜けきらないが、しかしはっきりとした物言いで、中部提督の言葉に応えている。

 

「そしてもう一つ、サブプランについて。事前に通達していたように、海域で対象を発見した際には、優先的に攻撃を。あれを生かしてはおけない。メインの目的は重要だけれど、サブプランについても常に頭に置いておいてほしい」

 

 中部提督の言う「サブプラン」。これについては、中部提督の下につく誰もが内容を理解している。それぞれの艦隊が今回の作戦においてメインとしている目的が与えられているが、同時進行として対象の艦娘を撃滅する。これが中部提督の言うサブプランだ。

 

「では各々、持ちうる力を存分に発揮し、第二のミッドウェー海戦を我らの勝利で飾ろう。いざ、出撃せよ!」

 

 中部提督の号令に、一同が了解と唱和する。出撃のために動いていく深海棲艦の中で、中部提督は加賀へと近づいていく。彼女に「少しいいかな?」と声をかけ、

 

「一つ、確認のために言っておくよ。加賀、君は赤城と違い、最近生まれたばかりのものだ。そのため加賀モデルとして生み出したけれど、赤城の方が高いスペックを発揮している。それは生まれたてであるが故に、まだ高いスペックに体が耐えられないと判断してのことだ。それは理解しているね?」

「承知シテイル。私ノ中デ、力ガ封ジラレテイルノヲ感ジテイル」

「君の意思、そしてミッドウェーに満ちる力を組み合わせれば、一時的にその封印は解除できるだろう。しかしそうすれば君の体がどうなるか、それも予測できるね? もしもやるならば、ここぞというときに留めるように。基本的に僕はそういう捨て身のやり方は好ましくない」

「……ワカッタ」

 

 中部提督の言葉に、加賀は小さく頷いた。そして中部提督はもう一つ、と指を立てる。「ミッドウェーもまた、先を考えている」と語る。

 

「基本スペックに上乗せする形で運用ができるけれど、基本スペックでも十分に戦えると僕は判断している。でも可能ならば上乗せした状態のデータも欲しいところではある。どうするかは、君の判断に委ねよう」

「ミッドウェーハ体ニ耐エラレルノカ?」

「基地型の個体として、耐久性には気を配っているからね。計算上ではいけるものと考えている。……ま、万全を期すなら後半で詰めとして上乗せする形でいいんじゃないかな?」

「ワカッタ。デハ、ソノヨウニシヨウ」

 

 これで話は以上だ、と言うと加賀は敬礼する。そして「健闘ヲ祈ル、赤城」と声をかけ、加賀が一部の戦力を率いてミッドウェー諸島を目指して出撃していった。それを見送る赤城に、「体はもう馴染んだね?」と改めて問いかける。

 

「問題ナイ……アリマセン。艤装モマタ、私ノ意思ニ従ッテイマス。敵ヲ焼キ滅ボス力ハ、我ラガ目的ヲ成就サセルニ支障ハナイデショウ」

 

 黒い鎧の一部が手足を覆い、しかし露出した手足は黒い肌となっているだけでなく、赤い亀裂のような線がいくつも走っているのが特徴的だった。この赤い亀裂は加賀と呼ばれた元の個体にはなく、ヲ級改から改装された赤城の特徴として表れている。

 その右手をぐっと握りしめる赤城には、強い戦意が伺える。これまでの戦い、特に呉鎮守府に対しては強い復讐心を抱いている。それが彼女にとって強い力の源となっているだろう。それを上手く引き出すことができれば、今回の戦い、彼女は驚異的な力を発揮するに違いない。

 そう推測している中部提督だが、それをあえて指摘することなく、小さく頷いて赤城の方を叩き、「期待している。君なら大丈夫だと、僕は信じているよ。赤城」と優しく声をかけてやる。

 その言葉に静かに歓喜するように、赤城は赤い瞳を潤ませ、礼を取る。

 すると何かの視線を感じ、中部提督は辺りを見回してみる。すると小柄な存在がじっと中部提督を見つめていた。レ級である。フードの下から虚ろに感じられる瞳をじーっと向けてきている。目から出ている赤い燐光も併せ、まさにホラーじみた雰囲気を漂わせていた。

 

「……どうしたのかな?」

「……イイヤァ、別ニ」

 

 と言いながらも、ゆっくりとレ級は中部提督へと近づき、至近距離から上目遣いに、ねめつけるような雰囲気で見上げてくる。調整は上手くいっているものと考えているが、その雰囲気は中部提督としても、少々恐怖心を感じてしまいそうだった。

 無言で見上げるその瞳は、勘の感情も窺わせない。でもまるで心の中を見透かしてくるかのような空気に、思わず生唾を飲み込んでしまう。

 

「ウン、マアイインジャナイ? 作戦、上手クイクトイイネエ」

 

 いったい何だったのだろう。何事もなかったかのように、レ級は拠点を後にしていく。少し冷や汗が流れ、それを拭いながら中部提督は、やっぱり彼女はよくわからないと、少しざわつく心を落ち着かせる。

 拠点の外に出て、停めてあるバイクのようなものに搭乗すると、すでに出撃していった加賀の艦隊と、霧島の艦隊に続くように、中部提督もまた赤城の艦隊と共に昏き海底を往く。

 目的地は日本。

 中部提督にとって、長く積み重ねた計画の成否が、自分の未来を決める運命の戦いとなる。だからこそこの戦い、絶対に負けるわけにはいかないのだ。操縦桿を握りしめるその手は、意図せずして強い力が込められているのも、無理はないことだった。

 

 



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出撃

 

 その日の呉鎮守府は平穏そのものだった。佐世保から湊たちが訪れ、各々演習を行うなど、交流を進めており、両艦隊共に力を付けている。同時進行として、演習を行っていない艦娘の装備を預かり、凪たちが工廠で調整を行っていた。あらかじめ艦娘から意見を聞き、どのように調整するかを確認した上で行ったが、まずはものは試しと那珂の装備を調整した。

 結果的には那珂のクセに合わせた調整により、彼女には大満足してもらえたようで、佐世保の艦娘たちにも凪たちの調整の腕が評価されることとなった。湊もまた改めて凪の腕を再評価し、さすがは第三課で一年過ごしただけはあると、納得するほどのものだった。

 

「何はともあれ、上手くいったようで良かったですよ」

「おかげさまでね。君のおかげだ、ありがとう」

「別に。あたしはただ、ちょっと尻を叩いたくらいでしょう。決めたのはあんただ。おめでとうございます」

 

 ぶっきらぼうではあったが、神通とのケッコンカッコカリのことを祝福してくれる。凪もそれを素直に受け入れつつ、それ以上は言葉を重ねなかった。本心でいえばあそこで促してくれたからこそ、最高のタイミングだったといえる。

 あのまま、まだ悩み続けていたら神通はどうなっていたことだろうか。もしもの話ではあるが、悪い結果が起こっていたかもしれない。そう考えれば、あそこで相談し、促してくれたからこそ、湊にはそれ以上の感謝の言葉を送ってもいいだろう。

 しかし彼女の性格を考えれば、それは望まないに違いない。これは、胸の内にしまっておくことにした。

 

「それで、以前の話なのですが。他にもまだ悩み事があるとか」

 

 扇風機に当たりつつ、湊が話題を振る。艦載機を様々な角度から確かめながら、「ああ、それね」と凪は相槌を打つ。翼を少し調整しつつ、凪はどう言ったものかと少し考えるも、ゆっくりと話し始める。

 

「中部提督の正体について少し考えていたんだよ。最初は南方提督として、あの大和の前身である南方棲戦姫を生み出し、先代の呉提督を落とし、中部提督へと移籍。積極的に戦うのではなく、色々と深海棲艦の調整を進める性質。それが大和が朧気ながらも覚えている中部提督の特徴らしい」

 

 加えて前回の戦いからして、こちら側の戦力を推し量りつつ、基地型の深海棲艦もあわせて取るかのような戦いを進める。今までにない深海棲艦の戦い方をする中部提督は、一体何者なのか、それが気になって仕方がないと語れば、湊も同意するように頷いた。

 推察するポイントは、猫も含まれるだろうと言うと、湊は「……猫」とぽつりと呟く。

 

「うちに潜り込んできた白猫。あれがもし中部提督からのスパイと考えるなら、中部提督が人間だった頃、猫が好きだったとも考えられないかい?」

「…………白猫、機械いじり、海で死んだ……」

 

 何かに気づいたように目を細め、小さな雫が彼女の頬を伝った。それらの条件に合致する人物を、湊はよく知っている。もしも彼が中部提督だというのならば、それは何という運命のいたずらだろうか。

 白猫だけならまだいいが、もし黒猫もいるならば、ほぼ間違いはないだろう。しかし黒猫については目撃例がない。だからまだ確信は得られない。それでも何故だろうか。湊は胸のざわつきを止められない。

 そうなのではないか? と一度でも疑ってしまったら、それが溢れて止まらない。本当にそうならば、伯母の美空大将になんて報告すればいいだろう。そんな不安すら覚えていた。

 湊の異変に、凪も艦載機から彼女へと視線を移して気づく。机にそれを置くと、「心当たりが?」と問いかけてしまう。

 

「……ええ。凪先輩にも話したことがあるでしょう――」

 

 その続きを言おうとしたとき、二人の懐からアラームが鳴り響く。それは緊急通信を知らせるものであり、すぐさま通信機を取り出すと、「――大本営より各鎮守府の提督へ通達する」という男の声が聞こえてきた。

 

「二つの海域にて、深海棲艦の大勢力が確認された。一つはアリューシャン列島、もう一つはミッドウェー諸島。この時期に、これらの海域にて活動する深海棲艦、これを見過ごすわけにはいかない」

「ミッドウェー諸島……!」

 

 通信から聞こえてきた二つの海域に、思わず凪も声を漏らし、湊も息をのむ。通信の向こうの男もまた怒りに震えるような声で、言葉を続ける。

 

「かつて我らが敗北を喫したミッドウェー海戦、それを彷彿とさせる敵の動き。明らかな挑発であろう。だが! 我ら日本海軍はそれを打ち砕いてこそ、あの悪夢を真の意味で打ち払えよう! 日本の鎮守府に属する提督たちよ、今こそ力を結集する時である! アリューシャン列島、ミッドウェー諸島へと赴き、敵勢力を殲滅せよ!」

 

 今、大本営は何と言った? と凪は思わず湊と顔を合わせた。日本に属する提督の力を結集させ、かの海域へと赴けと、そう命令を下したのか?

 確かにかつての大戦においてミッドウェー海戦は、日本海軍にとって悪夢のような戦いと言えるだろう。だが、だからといってまさか日本の鎮守府の力を全て使って、新たなるミッドウェー海戦を行うというのか?

 これは確認しなければならないと凪と湊は工廠から走り出し、執務室へと駆け込んだ。すぐさま美空大将へと通信をつなぐと、先ほどの通信について問いただした。

 

「これは正式な命令として発令された。アリューシャン列島、ミッドウェー諸島へと、それぞれの鎮守府の戦力をぶつけ、深海棲艦を殲滅する。それを以ってしてミッドウェー海戦を勝利で飾ろうということらしい」

「しかし伯母様、それでは本国をがら空きにすることになりますよ?」

「大本営が抱える艦隊が守備を務める。完全に無にするわけではない、というのがあれらの言だがな、私としては賛同できん。ミッドウェー海戦に対する思いを利用した挑発、それを捨てきれない」

 

 煙管を吹かしながら、美空大将は苦い表情を浮かべている。彼女としても、反対したかったらしいが、会議において多数決によって、総力を挙げて深海棲艦を殲滅する方針が決まったようだ。

 多数決で決められたならば、異議があったとしても覆すことはできない。やむなく、先ほどの内容で命令が下されることとなったようだ。

 

「……親父が懸念した流れが、こういう形で定まったのならば、文字通り深海棲艦はこの戦いで、ある意味決着を付けようとしているでしょう。かつてのミッドウェー海戦に見立てた作戦というのが憎い演出です。だからこそ、私は奴らの動きをこう推察します」

「聞かせてみろ」

「かつてはアリューシャンに敵戦力を誘い込んで集め、本命であるミッドウェーを叩こうと考えた日本海軍。しかしその作戦は読まれ、ミッドウェーにおいて艦隊決戦を行い、更に采配の不備により、一航戦をはじめとする多大な犠牲を出して敗北した。それをなぞるような動きをすることで深海側は我々を誘い、かつての悲劇を覆させようとしているのは間違いないでしょう」

「ミッドウェー海戦という大きな餌がありますからね。絶対に大本営は乗ってくるだろうと考えて、ミッドウェーに我々の戦力を集め、逆にアリューシャンに敵主力が集結。アリューシャンに向かっていた艦隊を殲滅し、更に側面から叩いてくる、とか?」

「それも考えられるね。でも、アリューシャンやミッドウェー、どちらも囮だとすると?」

「――本命は、ここか」

 

 カン、と煙管を灰皿に叩きながら、美空大将が頷く。絶対に誘いに乗る、その推察は今、大本営の決定から的中されている。全力を以って悪夢を晴らしに行くつもりが、更なる悪夢が忍び寄ってきている状況。考えられないものではない。実際に本国の守りを薄くすることは、美空大将も懸念していることだ。だからこそ反対していたのに、それは叶わなかった。

 元より深海棲艦は人類の敵だ。人間同士の戦争ではない。深海棲艦の目的は人類の滅びである。敵戦力を撃滅し、力を削ぎ落し、降伏を促す戦争ではない点を間違えてはいけない。人類の滅びが目的なのだとしたら、日本海軍の中枢である大本営を直接攻め入る可能性を考慮するのは自然なことだ。

 現在は大本営を中心に各地に鎮守府があり、国を守っている状態だが、ここでミッドウェー海戦を意識させ、それぞれの鎮守府から戦力を送り出したとするならば、国の守りが薄くなる。そこを狙ってこない理由がない。

 

「でもどうするんです? あたしたち、出撃命令が大本営から下されているんでしょ? それを無視してここに待機すれば、命令違反として逆に処分を受けてしまう。その上、本当に奴らが来なかったら、目も当てられない」

「命令は遂行してもらう。だが、艦隊の一部を置いていく。それならば命令違反にはならないでしょう。海藤、湊、あなたたちの戦力の一部を、そこに置きなさい。それによって向こうでの戦力は落ちるでしょうが、しかし複数の鎮守府による作戦なのだから、大きなマイナスにはならないでしょう」

「私としては許可していただけるのであれば、ぜひともそのようにいたしますが、よろしいのですか? 確かに命令違反にはなりませんが……」

「かまわない。第一にすべきは国を守ることだ。深海棲艦を殲滅することは大事ではあるが、国防を疎かにするわけにはいかない。当たり前のことだ」

 

 そして出撃する際の動きについても説明される。

 アリューシャン列島には大湊と舞鶴が、ミッドウェー諸島には横須賀、呉、佐世保が出撃することになったようだ。大湊の宮下提督は冬に会ったことがあるが、横須賀と舞鶴の提督は凪と湊は会ったことがない。

 そもそも美空大将と派閥が異なる西守大将の派閥に属している提督とのことなので、馬が合わないだろうし、敵意すらあるかもしれないといわれているくらいだ。余計な諍いが発生しかねないため、会わないようにしていた。

 しかし今回の作戦では、ついに横須賀の提督と顔を合わせるだけでなく、肩を並べて戦うことになってしまう。それもまた不安要素になってしまう。

 

「こればかりは二人が上手くやってくれとしか言えん。私はお前たち二人だけなら心配はしてない。それほどの信頼を預けている。……が、横須賀の北条に関してはわからない。あれは西守派の中でも長い輩だからな。だが……うむ、もしかすると、万が一に上手くいく可能性もあるやもしれん。確証はないが」

「……承知しました。何とか、上手くやってみましょう」

「健闘を祈る」

 

 頭が痛いことだが、しかしやらなければならない。ため息をつきながらも、二人は放送を流し、艦娘たちを一堂に集めることにした。広場に集まった呉と佐世保の艦娘たちに、凪はミッドウェー海戦が始まることを告げる。すると、その作戦名に艦娘たちがざわつきはじめた。

 無理もない。一部の艦娘にとってもまた、艦だった時から刻まれる、重大な海戦なのだから。一航戦と二航戦の四人にとっては、戦没した戦いでもある。その表情に影が差し込んでいた。

 

「だが君たち全員を出さない。一部の艦隊は、ここで待機してもらい、敵の奇襲から日本を守る役割を担ってもらう」

 

 何故そうするのかについての説明も行われた。推測が混じる話ではあるが、最近の深海勢力の動きからしてあり得ない話ではない。特にミッドウェー海戦となれば、ウェーク島の戦いを指揮したと思われる中部提督が関わっている可能性も捨てきれない。

 ならば、奇襲を仕掛けるのが中部提督という可能性が高い。それを防ぐための戦力を残すという意図に、艦娘たちも納得した。

 

「呉からは主力艦隊、一水戦、二水打を残す。が、二水打から木曾、君が外れ、大淀と入れ替える。大淀、君にはここに残り、俺の代わりとして長門と共にまとめてほしい。部隊として出撃するのも許可する」

「承知いたしました。お任せください」

「うちからは主力艦隊、一水戦、二航戦を残す。……上手く呉の部隊と組み合わせて戦って」

 

 それぞれが残した顔ぶれは以下の通りとなった。

 呉鎮守府より、

 主力艦隊、長門、山城、鳥海、摩耶、翔鶴、瑞鶴。

 第二水上打撃部隊、大和、日向、ビスマルク、鈴谷、大淀、村雨。

 第一水雷戦隊、神通、北上、夕立、綾波、Верный、雪風。

 

 佐世保鎮守府より、

 主力艦隊、扶桑、霧島、羽黒、那智、千代田、龍驤。

 第二航空戦隊、蒼龍、大鳳、瑞鳳、大井、天津風、夕雲。

 第一水雷戦隊、那珂、木曾、陽炎、暁、朝潮、大潮。

 

 以上の艦娘たちがこの呉鎮守府に残されることとなった。残された艦娘たちのリーダーは、自然と呉鎮守府の秘書艦でもある長門が務めることとなり、呉の大淀と合わせて、それぞれの艦娘をまとめることで合意した。

 そんな彼女を呼び出し、少し離れたところに移動すると、凪は懐からお守りを取り出す。大湊を出立する時に宮下から渡されたお守りである。彼女曰く、悪しきものを寄せ付けないお守りだそうだが、しかし神社生まれで、色々視える人だ。思った以上の効果は秘められているだろう。

 

「このお守り、良いのか? こういったものは神通に持たせてやるのがいいだろう?」

「もちろん神通も大切さ。でも、彼女にはあの指輪がお守りとなってくれるだろう。しかし君にはない。……他の艦娘たちも大切だが、長門、君もまた俺にとって大事な存在だし、君にもたくさん世話になったし、支えられた」

 

 呉鎮守府の秘書艦として、実に多くのことをしてくれた。そんな彼女の近くにいられない戦いは、今回が初めてだ。だからこそ凪は、神通とはまた別のお守りとしてこれを持たせたかったのだ。

 

「俺から渡せるのはこれだけだ。これを胸に、どうか無事に戦いを終えてほしい。何事も起こらないことを祈るけれど、もしも本当に襲撃が来た際には、よろしく頼むよ」

「任された。提督がいなくとも、あなたの意思はしっかりと私の胸にある。国を守るため、全力を以ってして対処しよう。あの宮下提督によるこのお守りもあるのだ。きっと何があっても大丈夫だろう」

「心強いよ」

 

 不安はあるが、胸に手を当てて不敵に笑う長門は、やはりこの上なく頼もしい。それに加えて宮下のお守りがあれば、何があったとしても大丈夫だろう。

 でもなぜだろうか。胸がざわつくし、妙に腹も痛む。ああ、これはいつもの不安による虫の知らせだけではない。何かが起きようとしているのだ。来ないでくれと願おうとも、恐らく敵は動いている。

 その不安が的中するのはミッドウェー海戦なのか、それともミッドウェー海戦に対処すべく戦力を投入し、空いた本国を奇襲する部隊によるものか。それは凪にもわからない。ただ幼いころから嫌な予感というものは、彼にとって否応なく的中し、凪に現実を見せつける。今回もまたそれから逃げることはできないだろう。

 せめて最悪だけは避けてほしい、そう願わずにはいられない。

 

「ご安心ください、提督。大淀さんだけではありません。戦場では私もまた、長門さんを支えます」

 

 そう言って神通も話に加わってくる。その左手にはあの日渡したケッコンカッコカリの指輪がきらりと光っている。めでたい日からあまり日数は経っていないというのに、まさかこのような大きな戦いが起きるとは思いもしなかった。

 だがミッドウェー海戦でなくとも、いずれ艦娘は戦場に赴くものだ。規模の大小はあれど、常に死と隣り合わせの戦場で戦う存在であることは避けられない。提督に出来るのは、彼女たちが無事であることを信じる、それだけである。

 

「うん。そうだね。君たち二人が揃えば、きっと大丈夫だろう。みんなをよろしく頼む。そして全てが終わったら、生きて俺たちをここで出迎えてくれ」

「もちろんです。私たちは沈みません。あなたのいないところで、消えるような真似はいたしませんよ」

「そうだ。……それに不本意ながら、まだまだ面倒を見なければならないやつもいるからな。あれも成長しているのだし、良き旗艦に成長するまでは、私もおちおち沈んでもいられん」

 

 と、苦笑を浮かべながら長門は大和を見やる。この一年で不思議な縁が結ばれ、いい関係を築けている相手だ。第二水上打撃部隊の旗艦として任されることで、より成長をしているが、長門から見ればまだまだといえる。そんな彼女がどこまで成長するのか、長門としても楽しみで仕方がない。

 長門が認めるくらいのものにまで成長するのを見届けるまでは、死ぬわけにはいかない。そう心に決めているからこそ、このような状況であろうとも、自分に任せろと、頼もしく笑えるのだ。凪の不安を吹き飛ばすように、ぐっと拳を握り締める長門。その手には、紐で結ばれたお守りが静かに揺れている。

 信じよう。ここにいられなくなった自分にできるのは、そんな彼女の手を握りしめ、自分の額に当てて静かに祈るのみ。そして神通の手も握りしめ、ただ静かに彼女もまた無事であるようにと祈るのだった。

 

 

「――そう、これが運命」

 

 命令を受けた彼女、宮下灯は静かに頷いた。彼女のもとにも大本営からの通信による命令が下された。了承はした、したが、彼女とてそれを全面的に納得したわけではない。

 アリューシャン列島に自分が赴くのは構わない。大湊警備府の位置から見ても、北方海域に出撃するならばこの大湊は地理的に言っても合理的だ。だが、なぜ舞鶴を加える必要があるのだ?

 更に言うならば、ミッドウェー諸島にも呉と佐世保が行けばいいのだ。二つの鎮守府は提督同士が親密な関係にあるのだから、上手く連携を取って戦うことができるだろう。なぜそこに横須賀を加える必要があるのだ?

 これはやはり、西守派閥の思惑が絡んでいるのだろう。この一年で呉の凪が戦果を次々と挙げ、先日はウェーク島での戦いで呉と佐世保の連携の良さも示してしまった。美空派閥からすれば、この二人の活躍は彼女らにとっても大きなプラスとなっている。

 対して西守派閥にとってはなんのプラスにもなっていない。この一年だけで大きく差を付けられたようなものだろう。そんな時に、このミッドウェー海戦が行われるとなれば、それに食いつかないはずがない。

 横須賀と舞鶴をそれぞれの戦場に加えたのは、絶対に戦果を挙げるのだという派閥の意図が感じられる。そのためによもや本国の防衛を疎かにしようとは。大湊と呉と佐世保、この三つで事に当たり、横須賀と舞鶴で本国を守れればそれでいいだろうに。横須賀が太平洋方面、舞鶴が日本海で睨みを利かせられるだろうに、それすらも捨て去るとは、愚かとしか言いようがない。

 

「これだから派閥の争いは面倒なんですよ。余計な意図が入るから、大事なものを取りこぼす」

 

 ぼやきつつ、机の上に置かれている器から視線を外した。器に満たされた水には、黒いしみがじわじわと広がり、揺らめいていた。宮下が手を振れば、その黒いしみは消え去ったが、先ほどまで視ていたものは、もう彼女の脳裏に残っている。

 あの日見た凶兆はより大きくなり、その時が近いのだということを知らせていた。まさかミッドウェー海戦とは宮下も思いはしなかったが、納得はいく。彼女とてミッドウェー海戦という大きな事件は意識せざるを得ない。

 というよりも、凶兆は誰にでも訪れるものだろう。もしかすると宮下にとっても良くない未来が待ち受けているとも捨てきれない。

 だが、それがどうしたと気を引き締める。どのような形であれ戦場に赴くのだ。常に死は付きまとう。占いは道を示してくれるツールでしかない。吉兆や凶兆を占いはするが、その全てに宮下は従うわけではないのだ。

 彼女にとって占いは心構えをするための前準備でしかない。凶兆が示されたなら、それを現実のものにしないよう、注意して事に当たろう。そう意識するためのもの。

 

「鳳翔、皆に通達を。我らはこれより、アリューシャンに向かいます。迅速に準備を整えてください」

「承知いたしました」

 

 一礼して鳳翔が部屋を後にすると、宮下は窓の外を見やる。

 北方海域は何度も彼女の艦娘が哨戒し、戦場としてきた海域だ。アリューシャン列島にも何度か赴いたが、今回ほどの規模の艦隊が結集したことはあまりない。

 元よりなぜか北方海域の艦隊は、積極的に日本へと攻撃を仕掛けてくる様子はなく、ロシア方面を主に戦場としていた節がある。とはいえ、何度かロシアと連絡を取った限りでは、北方海域からは規模の大きな攻撃もそんなにはなかったとか。強かったのはロシア北方からの襲撃くらいで、それと比較すると小さめだったらしい。

 それから推察するに、北方海域の深海棲艦に積極性はなく、様子見程度に戦いを行うだけの存在だろう。それがいよいよ牙を剥いてきた、そう考えられる。

 

(深海提督……その一人、北方提督とやらがいるならば、今回その影を捉えることができるでしょうか。このわたしの艦隊と何度も争った勢力の主。はてさて、如何ほどのものでしょうか)

 

 知らず、胸が躍る宮下だが、その表情に笑みはない。ただ静かに、小さく、北方提督への戦意を昂らせるだけだった。

 



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集結

 艦隊を集めた宮代の下に、一つの通信が入る。相手を確認すると舞鶴鎮守府の提督、渡辺とあった。名前を確認した宮下は渋い表情を浮かべた。無理もない、彼は西守派閥に属する提督であり、提督就任時期でいえば宮下よりも先輩にあたる。

 先輩であり、派閥に属する提督、その立ち位置が宮下にとって敵とみなすに十分なもの。しかしそんな相手とこれから協力して戦場へと赴くことになる。一つ呼吸を整えて通信をつなげると、「はい、こちら大湊の宮下です」と応答する。

 

「こちら舞鶴の渡辺。現在大湊付近へと進行している」

「随分早いですね。あらかじめ準備でもしていました?」

「迅速な対応こそ、戦に求められるもの。先ほど通信したところ、ミッドウェー方面の艦隊も結集しようとしているとのこと。であれば俺たちも遅れるわけにはいかない。宮代、今回ばかりはお前も本気でやってもらわねば困る。この戦い、我が国の威信をかけて勝利をせねばならない」

「承知していますよ。わたしも準備は整っています。合流し、アリューシャンへ向かうとしましょうか」

 

 さっさと通信を切るべく、淡々と告げると、渡辺も同意して通信を切ってくれる。やれやれとため息をつき、軽い頭痛がするのか頭を押さえる。そんな彼女に鳳翔が「大丈夫ですか?」と心配そうにする。

 

「ええ、大丈夫。あのような命令が下された時点から、こうなることはわかっていることでしょう。さ、行きましょう。わたしとしては早いところ事を済ませて帰りたい気分です。……例え、そのようなことにはならなかったとしてもね。ですので、鳳翔。やるからには全力を以って敵戦力を叩き潰すように」

「承知いたしました。そのようにいたしましょう」

 

 恭しく一礼した鳳翔は集まった艦娘たちに指示を出し、指揮艦へと乗船していく。宮下もまた乗船し、一抹の不安を抱えたまま大湊の艦隊は進路を北東へと定め、渡辺の艦隊と合流を目指す。

 その後は北東へと進軍し、アリューシャン列島を目指していった。

 

 

「ふぅん。君たちが呉と佐世保の提督か。若い、若いねえ。そんな君たちがこの一年で華々しく活躍していること、私は喜ばしく思う、うん。だが今回ばかりはどうだろうねえ?」

 

 通信の向こうで、ひげを蓄えた男が手を組みながらじっと凪と湊を見つめている。20代後半ほどの男だ。少しふくよかに見えるが、鍛えられているようにも見える。横須賀鎮守府の北条、それが彼の名だ。

 長く横須賀の提督として活動してきたと同時に、西守派閥として活動している。近海だけでなく、太平洋の一部を哨戒し、時に出撃して対処に当たっている。そのためアメリカとの繋がりも維持する役割を担っている。

 

「君たちの活躍は確かに素晴らしい。良き後輩が育っていることを喜ばしく思うよ。しかし今回は話が違う。事前にパールハーバーの偵察機が見たものらしいが、見たまえ、これを」

 

 と、モニターに映し出したのは一つの映像だ。艦載機から見下ろした光景がそこにある。赤い海が広がる中で、一つの島が存在している。少しずつその島がアップされていくと、島の周りを多くの深海棲艦が取り囲んでいるのがわかった。

 そして島の飛行場らしきところに座しているのは一人の女性。かつての飛行場姫や、港湾棲姫と同様の白い女性だ。だがそれらと違い、彼女には巨大な白い球体が後ろに存在している。球体の前面には大きな口のようにがばっと開かれているのが目を引く。また女性の周りには、三つの滑走路がそれぞれ彼女を交差するように取り囲んでいるのも特徴的だろう。

 

「君たちの報告に照らし合わせるならば、新たなる基地型の深海棲艦と言えるだろう」

「これが、イースタン島に座していると?」

「その通りだよ。ミッドウェーを用いて呼称するならば、中間棲姫としようか。奴らがかつてのミッドウェー海戦を意識した布陣を取るならば、今回の作戦はこやつを撃破することが我々の任務といえよう。だがそれだけではない。見たまえ」

 

 と、艦載機から映し出した映像が少し切り替わる。

 イースタン島を取り囲む深海棲艦の中に、見慣れない個体が存在していた。中間棲姫と同じく白い女性だ。だが左側にサイドテールを作り、鮫の頭部のように、先端が少し尖ったような大きな艤装に腰かけている女性がそこにいる。セーラー服と、両手両足に黒い鎧を身に着けた、どこかアンバランスながらも、整った容姿は美しいとさえ感じさせる。艤装の上で足を組んだ姿は、まるでモデル女性のようだ。

 また艤装に砲門はあるが、両側に一つずつ展開されている飛行甲板が存在しているのが目を引く。砲門はただの対空砲と考えるならば、その二つの飛行甲板こそが、彼女の一番の武器と考えるべきだろう。

 

「いよいよもってお出ましだろう。このミッドウェー海戦になくてはならない空母の亡霊さ。偵察した段階での能力計測で見た限りでは、鬼級に類していたため、空母棲鬼と呼称しよう。奴を中心に、空母機動部隊が展開されている。ぞくぞくするねえ、まさしくミッドウェー海戦の再来さ」

 

 今までも艦載機を繰り出してくる鬼級、姫級はいた。装甲空母系や、南方棲系がそれに当たる。装甲空母と呼称しているが、あれは砲撃も雷撃もできる種類。純粋な空母とはいいがたい。そのため本格的な空母としての存在はヲ級やヌ級といった量産型のみであり、それ以外にはいなかった。

 しかし深海側もついに空母系の上位個体を持ち出してきたというわけだ。よりにもよってこのミッドウェー海戦に合わせて、と考えると、深海勢力……いや、中部提督の意図がよくわかる。

 まさにミッドウェー海戦の再来を演出している。これ以上ないほどに撒き餌として機能しているといえよう。

 

「崩すプランはおありで?」

「敵が空母機動部隊で来るならば、こちらも空母機動部隊で迎え撃たねば、艦載機によって蹂躙されるだろう。君たち、空母はいかほどに?」

「それなりには」

「あたしも、一応育っています」

「ふむ、ならば後方に空母を中心とした編成を、そして前面に水雷戦隊を。この組み合わせで艦隊を組み、イースタン島を目指す。もちろん装備は対空を意識し、艦載機によって落とされないように心がける。奴らの攻撃の手を凌ぎ、着実に前へ、前へと進軍し、可能ならば空母棲鬼を沈め、そして中間棲姫をも撃破する。一つのプランとしてはこのように打ち立てよう。事前の索敵は厳とし、敵からの奇襲にも備える。ミッドウェー海戦の再来とはいえ、あの時と同じ轍をわざわざ踏む必要もあるまい。我々は勝利しに来たのだ、確実な勝利をね。だからこそ慢心せず、守りを固めつつ前進あるのみだよ。わかるね?」

 

 考え方としては悪くない。派閥争いを抜きにして考えれば、あの戦いの再来だからこそ、慢心せずに敗北しないための方法を取る。そうすることで大きな被害を出さず、勝ちの目を拾えるようにする。

 長く横須賀で提督をしているだけはある。堅実なプランに、凪と湊も特に異論をはさむことはない。

 

「久しぶりの大きな敵だ。しっかりと撃破、イースタン島を奪還し、アメリカにも一つ恩を売る。そういう意味でも負けられない。だからこそ、我らが勝利のために、私は君たちにも期待している。これまでの戦果が偽りではないこと、そして美空大将が目を掛けたものがどれほどのものか、私の目でも確かめさせてもらうよ?」

「……承知しました、北条提督」

 

 確かにイースタン島は距離的に言えばアメリカの領土の一つ、ハワイに近い。イースタン島を占拠した深海棲艦の艦隊を撃破することによって、アメリカに対する恩を売る、その考えはわからなくはない。

 だが少し気になることがある。パールハーバーの偵察機と言っていたが、そのパールハーバーの戦力はどうしたのかと。ハワイのパールハーバー基地の方が近いのだから、そちらが対処した方がいいのではないだろうか。

 

「質問よろしいでしょうか?」

「どうしたのかね?」

「先ほどパールハーバーの偵察機とおっしゃいましたが、ミッドウェーとなればパールハーバーの方が近いでしょう。向こうの艦隊はどうしたのです?」

「ふむ、良い質問だね君。確かにこれはアメリカが対処すべき問題だ。しかしそのパールハーバーとの連絡が取れなくなっている」

 

 どういうことかと首を傾げると、「パールハーバーは攻められたらしい」と言葉が繋げられた。

 

「事前に放たれていた偵察機がイースタン島の様子を見はしたが、帰還する時には既にパールハーバーは深海棲艦に襲撃を受けており、艦隊もまた出撃できない状態にあった。が、その全てを落としたわけではないらしく、艦隊に十分に被害を与えた後、深海棲艦は去っていったらしい。そのためパールハーバーからの戦力は期待できない」

「パールハーバーが落ちているって、それ大丈夫なんですか?」

「向こうと深海棲艦との戦いは日本に比べるとなかなか苛烈らしくてね、そのため基地の兵器も年々強化されているようで、それによって基地陥落だけは免れているようだよ。あくまでも艦娘がやられただけにすぎないというのが、偵察機の情報と共に送られてきた向こうの言葉さ。そしてイースタン島の情報を送ってきたのがサンディエゴでね。……私から改めてサンディエゴに連絡を取ってみてはいるんだが、こっちも怪しい状況だ」

「……まさかサンディエゴもやられてるんですか?」

 

 サンディエゴとはアメリカ西海岸にある海軍基地であり、北太平洋などを担当している。

規模はかなり大きく、アメリカ海軍が誇る主力基地といってもいい。そこもやられているとなれば、今回の敵の作戦の本気度が伺える。

 アメリカからの援軍の手を潰したうえで日本海軍を挑発しているとなれば、この戦い本当に危険なのではないだろうか。というよりも、そのままアメリカを落とした方が深海勢力的にはおいしい気がするのだが、何故それをしなかったのかも気になる。

 北条提督の言うように、基地の武装を強化することによって、多少の艦隊が落とされようとも、基地までは落とせなくなっているのだろうか。アメリカの抵抗力や戦力の立て直す力は、かの大戦でも大きな要素を秘めている。現代までそれが受け継がれているならば、耐えて反撃される形で、襲撃艦隊がジリ貧になり、基地の完全陥落までには至らなかった。そう考えるべきなのだろうか。

 

「もう少し連絡を取れるかどうか、試してみるつもりではあるがね。最悪、このまま私たちでやるしかないけれど、そこは君たちも意地の見せ所だ。共に奮戦しようではないか」

「……承知しました」

 

 共に奮戦しようって、あの西守派閥に長く属している提督らしからぬ言葉ではないだろうか? 湊も何やら違和感を覚えているようで、困惑した表情を浮かべている。

 これから出撃しようというときに、士気が低下しそうなことが並び、色んな意味で頭や腹が痛くなりそうな凪だった。

 

 

 移動し続けている中部提督らは、海底で一時休息をとっており、艦隊を待機させていた。すでに潜水部隊が、日本から出撃していった艦隊を確認している。普段からあちこちに潜ませていた潜水部隊と連絡を取っており、移動の合間も、日本の鎮守府の動きを確認している。

 日本へ移動している間にも暗号として連絡を受けており、大湊から出撃したアリューシャン方面の対抗部隊、そして先ほどはミッドウェー方面へと出撃していった艦隊についても確認している。

 ただ出撃していっただけではなく、どの鎮守府から出撃したのかについても確認しているあたり、抜かりがない。連絡を受けた中部提督はなるほど、と頷き、

 

「舞鶴と大湊がアリューシャン、横須賀、呉、佐世保がミッドウェー。つまり、日本を守るのは大本営の艦隊だけか」

 

 凪と湊が呉へと残した艦隊について把握していないのは、呉鎮守府近くまで潜り込んでいないためだ。呉鎮守府方面から、呉と佐世保の指揮艦が出撃し、横須賀の指揮艦と合流してミッドウェーへと出撃したということだけを確認して、中部提督へと報告したのである。

 

「さて、攻撃の際には部隊を二つに分けよう。赤城、君は機動部隊を率いて進軍を」

「承知シタ」

「霧島、君は武蔵、アンノウンと共に進軍を」

「了解シマシタ」

 

 アンノウンと呼称したのはレ級のことだ。色々な要素を混ぜ込み、制御不能と化したこの個体は、元となるものがわからないほどに不可解な調整を施されてしまった。中部提督にとっても解析しきれなかったため、アンノウンと呼称されることとなったのだ。

 二つに分けられた艦隊は赤城を中心とした空母機動部隊と、霧島を中心とした水上打撃部隊として成立している。

 

「それに加え、水雷戦隊などを前に置き、このような布陣で進軍しよう」

 

 海底で集めた石を用いて、軽く布陣を示す。それらを確認する赤城たちは、了承するように頷く。

 日本到着まではまだ時間がかかる。北方提督や北米提督と違い、中部提督は拠点から日本近海まで移動する必要があった。少々急ぎで移動しているが、少し休息したとしてもまだ余裕があるとみている。

 また実際に日本襲撃をするならば、アリューシャンとミッドウェー、それぞれの艦隊が接敵し、交戦を始めてからの方が望ましい。その方が、背後を突かれたという衝撃をより強く与えられるだろう。救援に向かおうにも、自分たちもまた戦闘中だ。それぞれの敵に背中を見せるのか? いや、それはできないだろう。しかもミッドウェー海戦を意識させているのだ。おめおめと尻尾を巻いて逃げるという選択肢など、日本海軍としては取れるはずもない。

 確実な勝利のため、休息も与える。

 負けられない思いを持っているのは中部提督も同じだ。移動のために使っていた奇妙なバイクのエンジンを止め、近くにあった岩に腰かけている。傍らにはいつも近くにいる黒猫と白猫がおり、甘えるように顔をこすりつけている。

 生前のようなふわふわとした毛並みではない、鎧のような硬度を持つ体にはなっているが、しかし生前から共に過ごしてきた家族のようなものだ。これから向かうのは戦場とはいえ、かつてもまた船に共に乗っていたほどだ。環境は変われども、どこに行くにも一緒である。

 しかも今回は生きるか死ぬかの戦いでもある。また死ぬことがあるならば、と今回はこの二匹も一緒に連れてきてしまった。

 

「……お前たちも見届けてくれ。僕の、僕たちの戦いを。勝利で飾るその様をね」

 

 二匹をそれぞれ撫でながら、言葉を掛ければ、二匹はそれぞれ一鳴きする。

 かつて朧気だった記憶は、もうほとんど鮮明になっている。自分が何者なのか、この二匹の猫は何なのか。それがはっきりしている。

 骨が露出していたこの体や顔も、すでに深海棲艦らしい皮膚が覆っている。そこにいるのは虚ろな亡霊ではなく、自己をしっかり確立させた深海棲艦といってもいいだろう。

 違うのは彼女たちのように艤装を持たず、戦う術がなにもないことだけ。戦場では指揮することしかできない存在だが、しかし彼がいるからこそ戦場に出る赤城たちは、誇りと意思をもって戦うことができるだろう。

 

「呉の提督……ここで会えないのは残念だが、仕方がない。大本営を潰した後、留守の合間に君の拠点をまとめて潰させてもらうとしよう」

 

 細められたその目には、強い戦意が存在している。同時に左目からは金色のオーラが静かに灯っている。欧州提督や北方提督と違い両目からではないが、しかしその金色のオーラが、彼の戦意や覚悟を表していた。

 戦いのときは近い。

 それまで静かに、中部提督は待つ。溢れ出る戦意はそのままに、二匹の猫を撫で続けることでリラックスしていた。

 

「――フゥン」

 

 ふと、近くで声が聞こえ、そちらを見やると、思った以上に近い距離でアンノウンが中部提督の顔を下から覗き込むように首を大きく傾げていた。目の前に赤い燐光を灯らせる二つの瞳があったことに、「うわぁ!?」と驚く声を上げてしまう。猫二匹もまた、中部提督の声に驚いて離れてしまった。

 

「キッヒヒヒ、ナニ面白イ声アゲテンノ?」

「上げてしまうでしょ、急にそんなところで覗かれてたら。……何だい、アンノウン? 何か用かな?」

「イイヤ、特ニ理由ハナイサア。タダ、ソウ。随分ト気合ヲ入レテイルナト思ッテサ」

 

 と、ゆっくりと目を細めていくと、どこからか小さく鐘のような音が響く。だが中部提督や白猫、黒猫、そして中部提督の驚いた声に反応した深海棲艦たちはその音に気づくことはない。

 一回、二回と音が響く中「ソレダケアンタハコノ作戦ニ全テヲ賭ケテイルンダナァト思ッテサ」と顔を上げ、じっと中部提督と目を合わせる。

 

「そうだね。文字通り僕の存在が懸かっているようなものさ。大本営を落とす、それを以ってして日本に敗北を与える。それができなければ、僕は消えるかもしれない。必死にもなるさ」

「夢半バデ散ルッテヤツカイ。ソレハトテモ悲シイコトダ」

「だからアンノウン、君にも期待をしている。君の戦力は疑いようもない。その力で、敵艦隊を蹂躙してほしい」

「……ボクナンカニ期待シテイルッテ? バグッテ頭飛ンデルボクニ?」

 

 レ級として生み出されたときの弊害により、暴走を果たしたアンノウン。その力は紛れもなく本物だが、思考回路は欠陥品に近しい程にバグっている。そこを中部提督が調整をしたことで、こうして普通に会話ができるようにはなっている。

 だが彼女としては未だに頭がおかしいと自覚をしているらしい。自覚した上で、妙なふるまいをしているかのようにも見え、どこまでが本当で嘘なのかは、中部提督にもわからない。

 

「しているさ。僕が君たちを信じないでどうする? 頭が飛んでいようと、少しはまともになっているはずだ。そうでなければこうして君をここに連れてはこないさ」

「ハッ、自分ノ調整ノ自信ノ表レッテヤツカイ? キッヒヒヒ、中々ニ傲慢ダァ。アア? デモ傲慢ナトコロハアルカア? 色々トアマァイ夢ッテヤツヲ見続ケテイルシ、アレモコレモト叶エヨウトシテイル。実ニ人間ラシイ、欲望ニ塗レタ存在ダア」

 

 にんまりと唇を笑みに歪めながら、アンノウンは気の抜けたように手を叩いている。そうしている間も、どこからかあの音が響くのだが、誰もがその音に反応していない。アンノウンもまた、その音が聞こえていないかのようだ。

 

「それでも構わない。何と言われようと、僕は生きるために、夢を叶えるために、やることはやる。できることはやる。君もそうだよ、アンノウン。使える子だと思ったから、君を手に入れ、調整し、艦隊に加えた。君自身が何と思おうと、僕は君を信じて使うまでさ」

 

 真面目な表情でアンノウンの目を見つめ返し、真摯にそう答えた。笑みを浮かべたまま固まるアンノウンは静かにそれを聞き届け、大きく息を吐く。同時に、誰にも聞こえない音もまた、ふっと消え去った。

 

「――イイヨ、ラシクテサ? ソンナアンタノタメニ、ヤルダケヤッテヤルヨ」

 

 すっと真顔になったアンノウンは、そう言って指を立てる。先ほどまで中部提督を煽っているかのような笑みだったのに、それが急に消え去り、何の感情もなくそう言ったのだ。その急激な落差に、中部提督自身も困惑する。

 

「どうしたんだい、急に?」

「イヤ、チョットシタ確認ッテヤツ。ホラ、ボクッテ頭イカレテルカラサ? コウシテ改メテ確認シテミタカッタンダヨネエ。コンナボクヲ使オウトスルアンタノ気持チッテヤツ? ウン、ボクデモ何カヲ感ジタネ。ヨクワカラナイケド、マ、イイヨウニ使ワレテアゲルヨ」

 

 と、座っている中部提督の傍を通り過ぎ、その後ろに座って、岩に背中を預けた。長い尻尾をゆらゆらと立ち昇らせる。先端の顔がじろりと中部提督の顔の横で見つめているように感じるが、瞳がないためわからない。ただカタカタと、歯を打ち鳴らして何かを伝えようとしているようだが、言葉がないため判別がつかなかった。

 しかし、何となくではあるが、尻尾は感謝を伝えているような気がしないでもなかった。艤装の魔物に個別の意思があるらしいが、詳しいことはわからない。独立した意思があるのか、主の深海棲艦から分離した意識かはわからない。だが、この尻尾は少なくとも、アンノウンの扱いに対し、悪い印象を中部提督には抱いていないだろう。

 

「……うん、よろしく頼むよアンノウン」

 

 と、尻尾の顔を軽く撫でながらそう言うと、また小さく尻尾が揺らめき、小さくカタリ、と歯が打ち合わされる。そういう反応が返ってくるあたり、少なくとも中部提督の調整が失敗に終わっていることはないだろう。

 ならば戦場での心配もそこまでする必要はない。安心した中部提督は、静かに瞼を閉じ、休息を取るのだった。

 

 



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北方提督

 

 アリューシャン列島を目指す二隻の指揮艦。一定の周期で偵察機を出し、進路に深海棲艦がいないかの確認を行いながらの進軍だった。だが、移動の間、一隻も出会うことはない。驚くくらいに安全な移動に、宮下は違和感を覚えていた。

 こういった作戦の際には、艦娘を邪魔するべくどこからか深海棲艦が襲い掛かってくるものだ。それは基地型の深海棲艦との戦闘記録でも確認されている。飛行場姫との戦いや港湾棲姫との戦い、離島棲鬼の時でも長門たちを通しはしたが、ヲ級改率いる艦隊が立ちはだかっていた。

 しかし今回はそれがない。偵察機の一部は間もなくアリューシャン列島が視認できるほどにまで接近しているのだが、それまでの航路には深海棲艦の艦隊が布陣されていない。

 まるでこちらをアリューシャン列島まで招いているかのようだ。進行を邪魔する気はなく、アリューシャン列島での決戦を望んでいるような意図が感じられる。

 それが、とても不気味に思える宮下だった。

 

「……どう見る? 鳳翔?」

「今まででしたらあり得ないことでしょう。深海棲艦は艦娘の気配を感じ取れば、すぐさま現れては戦いを挑んでくるもの。拠点へと接近されれば、そうはさせまいと止めにくるもの。そういった異形の存在だったはずです。しかし、それがないとなれば、異質に感じられるのも無理ありません」

「でしょうね。良かった、わたしと意見が一致して。では、そうまでしてわたしたちを招き入れる理由を考えるとなれば?」

「一つ理由を挙げるとするならば、アリューシャンの拠点で待ち構え、私たちを引き付けるつもりではないかと。途中でミッドウェーの部隊と合流を許さず、各個撃破を目論んでいるのか、あるいは――」

「――ただの時間稼ぎか。わたしたちを引き付け、押し留め、どこにも行かせまいとするのか。どちらにせよ、向こうとしては絶対にアリューシャンに来てほしいという意図があるのは間違いないでしょうね」

 

 話している間に、偵察機がアリューシャン列島の一つ、ウラナスカ島へと到達する。上空から見下ろした光景は、なかなかに壮観なものが広がっている。

 深海棲艦が規模の大きい艦隊を組む際には、決まって赤い海が周辺に広がっているが、ウラナスカ島でもそれは変わることはない。そしてウラナスカ島の前面に深海棲艦が多数存在している。どうやら宮下たちを出迎える準備は万全といった風だろう。戦艦ル級や空母ヲ級もいる中で、見慣れない深海棲艦がいることに気づく。偵察機から送られてくる光景を見つめていた宮下はそれに気づき、拡大を指示した。

 北方提督が新たに作り上げた軽巡級の深海棲艦だ。それがヲ級の近くに配置されている。

 

「新しい量産型でしょうか。手のあれは……対空砲かしら。重巡ってなりではありませんね。軽巡、それも防空意識の高い軽巡ですか。今はソまでいっていましたから、ツ級と呼称しましょうか」

 

 新しい量産型として、軽巡ツ級とデータに打ち込みつつ、偵察機からの情報を渡辺へと送信し、共有する。さらに偵察機はウラナスカ島にいるものへと視点を切り替える。

 そこには小さな白い少女が遊んでいるように見えた。艤装もまた小さいし、黒い球体が少女の近くにふわふわと浮いている。

 当の少女は、手にしている艦載機らしきものを、自分の手で飛んでいるかのように動かして遊んでいるようだ。いわゆる小さな子供が、おもちゃのプラモデルを使ってブンドドしているのである。その様子をまるで黒い球体が見守っているかのようだ。

 黒い球体は離島棲鬼でも見られたタイプの護衛要塞だろうか。角のような、耳のような、そんな小さな突起が頭頂部に一対生やし、球体の下部の大部分を占める大きな口が特徴的だ。

 そして白い少女は上から下まで白く、色合いでいえば飛行場姫や港湾棲姫に近い。頭に黒く小さな角が一対、白いワンピースにミトンのような手袋をしている。頭からはぴょんとアホ毛のようなものが小さく跳ね、くりくりとした赤い瞳が、ブンドドしている艦載機に向けられている。

 

「子供ですね」

「ええ、子供にしか見えないですね。あれが目標でしょうか」

 

 前例の基地型深海棲艦と照らし合わせるなら、あれがアリューシャン列島のウラナスカ島に築かれたダッチハーバーの深海棲艦と考えられる。近くにある艤装も砲門だけではなく、滑走路が付いているし、クレーンのようなものもある。

 偵察機から観測したデータによれば、姫級に該当する力を有しているとのことだった。ここ一帯が北方海域に指定されている点から見て、あの少女を「北方棲姫」と呼称することとした。

 そしてもう一つ、気になる点がある。それは北方棲姫を見守っているのは黒い護衛要塞だけではないということだ。

 少し離れたところに、フードを被った誰かが座っており、静かに北方棲姫が遊んでいる様を見守っているのだ。フードで顔がわからず、体もフードからつながるマントで覆われていて判別がつかない。

 何より北方棲姫は観測できたが、この謎の人物は観測しようにも結果がブレていて定まらないのだ。しっかりとした焦点に合わせようにも、その焦点すら定まらず、霧の中を覗いているかのように何もかもが覆い隠されているのである。

 ふと、その何者かは北方棲姫から視線を外し、空を見上げる。どこまでも広がる青い空、点にしか見えない偵察機を、それはじっと見上げていた。

 

「――来たか。さあ、遊びの時間は終わりだ、童女。客人だ」

 

 立ち上がったその人物は北方棲姫に声をかけると、彼女もまたその人物に合わせるように空を見上げる。左手で庇を作り、じっと見上げればようやく偵察機が見えたようで、ぐっと左手を握り締めて気合を入れたようだ。

 艤装の二つの顔も声を上げ、北方棲姫へと跳ねながら近づき、装着される。彼女の戦闘準備が整うと、小さく頷いたその人物は「さて、大湊に舞鶴だったか」と呟きつつ、陸地から海へと歩みを進める。

 立ち上がったその姿も、小柄だということに宮下は驚きを見せる。そして彼女もまたじっとモニターに映るその人物を見つめるのだが、深海棲艦の魂を視るその目を以ってしても、はっきりとはわからなかった。

 モニター越しでもある程度の魂を確認できるのだが、その人物はよく視えない。偵察機の妖精と同様、何かが観測を邪魔している。

 

「来るがいい、二つの鎮守府の提督よ。我らはここにいる。ここで汝たちを出迎えよう。ミッドウェーの敗北を塗り替えると云うのだろう? 果たしてそれが、実現できるのか、試すがいい」

 

 偵察機の妖精にはその言葉が届かないが、何かを喋り、歓迎するかのように手を広げていることはわかった。敵は迎え撃つ態勢が整っているから逃げるようなことはしない。

 そして敵の艦隊があそこだけとは限らない。自分たちが来ていることが分かったならば、潜ませている艦隊に指示を出す可能性も捨てきれない。

 

「鳳翔。指揮艦周りに偵察機を改めて展開。伏兵を探ってください。二水戦、三水戦は対潜警戒で出撃を。主力、一航戦、一水戦は出撃準備。いつでも出られるようにしてください」

 

 判断し、命令を下す流れが素早い。宮下の命令を受けた鳳翔と、通信の向こうで待機していた艦娘たちが返事をすると、一斉に動き出した。また渡辺に対しても偵察機の状況と、彼女の判断を伝える。

 それを受けた渡辺も特に反対することなく、向こうでも甲板から対潜部隊が出撃し、展開していった。

 偵察機でウラナスカ島に艦隊が集まっているというのを見せた上で、伏兵による奇襲で沈めてくる。そういった可能性を考慮しての指示だったが、どういうわけかそれすらもないまま、ウラナスカ島を目前といった距離まで近づくことができた。

 あまりにも、あまりにも平穏すぎる。こちらの接近をおとなしく許すなど、向こうは一体何を考えているのか。不気味すぎて宮下は色々な面を疑ってかかってしまう。

 

「おかしいと思わないのです、渡辺? あの深海棲艦がここまで何もしてこないという事実に」

「確かに異質だろう。だがそれがどうしたというのか? それでも我々がやることは変わらない。逃げ場のない獲物を、ことごとく狩りつくすだけだ。例え敵が進行を阻んだとしても、その全てを沈めただろう。数でいえば、どこで沈めても変わらん。ならばやることは一つである。全力で敵を沈める。全てだ。よもやここまできて臆したのではあるまいな、宮下?」

「…………いいえ。そちらがそう判断したのであれば、わたしもそれに続くとしましょう」

 

 確かに変わらない。

 道中で遭遇したとしても、こちらはその全てを倒すだけ。それは間違いない。

 戦力を小出しにせず、最初から全力で潰しにかかってくるということも意味しているだろう。敵は背水ならぬ、背陸の構えでこちらを迎え撃つ態勢。加えてその陸には基地型の姫級だ。万全の状態であることは間違いない。

 そして謎の人物がいるという点も気になる。あれがまた別の新たなる姫級ならば、この戦い今までにないようなものになるだろう。

 

「鳳翔、出撃してください。くれぐれも油断せず、用心しつつ戦闘を。気になる点があれば報告を。わたしからも何か気づけば伝えましょう」

「承知しました。行って参ります」

 

 甲板にいた鳳翔が了承すると、その脇に控えていた主力艦隊も戦闘態勢に入り、海へと飛び降りていく。その間にも宮下は複数のモニターに映る光景を見つめていた。指揮艦の艦橋の窓からも、遠くに見えるウラナスカ島が見えるようにはなっているが、上空からの艦載機が映し出す光景の方が鮮明だ。

 敵側も指揮艦の存在がより近くなっていることはわかっているだろうに、まだ展開されている艦隊を動かす気配がない。だがヲ級やヌ級、そして北方棲姫は違う。次々と艦載機を発艦させ、ウラナスカ島の上空へと展開し始めた。

 しかもその艦載機は今までのものとはタイプが違う。白い球体に耳のような角のような突起が一対。あの黒い護衛要塞に近いような形だ。拡大してよくよく見てみると、機械質ではあるが、白い猫のように見えなくもない。あの新型の艦載機は白猫型艦載機とでも言おうか。

 装備しているものから見て、艦戦、艦爆、艦攻の全てが揃っている。恐らくこの作戦に向けて、新型の艦載機を開発していたのだろうと推測できる。よもや新型の深海棲艦だけでなく、装備まで生み出すとは。この計画を立てた者は、よほどこの戦いに全てを懸けたとみえる。

 そしてフードを被っている何者かが、その手に刀らしきものを握り締める。左手で柄を弾き、そして納刀する。静かに響く音は、深海棲艦たちを黙らせ、ただ波が寄せる音と、艦載機の飛行音だけが、その一帯を支配した。

 その中で、それはよく通る声で告げる。

 

「――この海に集いし精鋭たちよ。見るがいい、かつての海戦の再来を演じるあの小僧の計画に、まんまと二つの艦隊が首を揃えてお出ましだ。片や大湊、我らが幾たびも相対した敵だ。ならば手の内は理解していよう。片や舞鶴、時たま相手にすることがあったか。我らを獲物としか見ぬ輩よ」

 

 よく通る声は宮下が派遣した艦載機にも届き、そしてそれをモニター越しに見ていた宮下にも届く。深海棲艦にあるまじき、滑らかな人の言葉を、少女のような、あるいは歳を重ねたような人が持つ風格を孕んだ声が聞こえてくることに、宮下は小さく息をのむ。

 

「聞こえていよう? 大湊と舞鶴の人間よ。我がこのように人の言の葉を解し、なおかつ円滑に紡ぐ様は、汝らにとっては想定外の事柄であろう。だが、これは現実である。我はこうして、汝らの前に姿を見せた。これは些か予定外ではあるが、しかしいずれ訪れる事態。それが少々早まっただけのことだ。我はいずれ、汝たちと矛を交える気ではあったからな。特に大湊、汝との決着はつけねばならない事柄故に」

 

 艦載機を見上げながら、その人物は言葉を続ける。艦載機を通じて、宮下と渡辺が自分たちを見下ろしていることを理解した上で、彼女は言葉を発しているのだ。そのことに渡辺は不可解なものを見るかのような眼差しで見つめている。

 どうして深海棲艦がこのような言葉を発するのか。深海棲艦をただの狩る獲物としか捉えていない西守派閥に属する提督は、こういった情報を共有していない。そのため初めての体験に、静かに困惑を重ねるしかない。

 だが宮下は凪から話を耳にしている。このようなことを話してくるということは、ただの深海棲艦ではない。それでいて展開している深海棲艦をまとめるような立場を思わせるような立ち位置、振る舞いを考えれば、該当するのは一つしかないだろう。

 

「そう、お前がそうなのですね。わたしと何度か艦隊をぶつけあった相手――」

「――我は汝らが北方海域と呼ぶ一帯を管轄する者。我が出撃するのだ、少々楽しませてもらうとしよう。皆の衆、戦の時である! 各員、奮励努力し、我らが艦隊の力をここに示すが良い! 北に潜みし(つわもの)どもの脅威というものを、奴らの脳裏に改めて刻み付けよ!」

 

 高らかに声を張り上げ、檄を飛ばせば、深海棲艦たちは一斉に声を張り上げ咆哮する。幾多もの声がその一帯に響き渡り、相乗して風を産む。その風にあおられ、不意にそのフードが捲れてしまった。

 下から現れたのは深海棲艦らしい肌を持つ、黒髪の少女だ。理性的で、気が強そうな瞳には、紺色のオーラが両目から発せられている。中性的で整った顔つきは、まさに上に立つ者を思わせるような風格を備え、それが少女らしい見た目とのアンバランスさを産んでいるのだが、どうにもそれが様になっているようにも感じられた。

 マントの下には黒をはじめとする暗い色を基調とした和装。紺色の袴にブーツと、どこか一時代の女子学生の服装を思わせる。これらを着こなしているのもまた、彼女の風格や気品を感じさせる。

 体が小さくとも、その佇まいと雰囲気がそう思わせるのだ。見た目が少女でしかない存在でも、彼女は確かに群集、いや軍隊の上に立つ資格を得た女性。刀を携え、マントをなびかせ、司令官のように号令を発し、味方全体を奮い立たせる。

 深海棲艦という無数の艦船の中で、彼女こそが艦隊旗艦であると疑う余地もない在り方に、宮下は改めて彼女こそが北方提督であると確信を得る。

 

「北方提督、あれを倒してこそ、わたしにとっては真なる勝利といってもいいでしょう。未だに能力などが計れないのが気にかかりますが、しかしあれも目標に加えてください。ですが気を付けて、深海の提督直々の号令を受けた艦隊です。どれだけの戦力上昇が起きたのか、それが不安要素。落ち着いて処理しつつ、前進を」

 

 艦娘たちに指示を出しながら、改めて北方提督を見つめる。相変わらずはっきりとは視えないが、しかし深海提督なら妖精の計測に引っ掛かりづらいのは何となく頷ける。

 妖精の計測はあくまでも深海棲艦の能力を計る力だ。海で死んだ人の亡霊の力を計るものではない。そして宮下の目も死んだ後に蘇ってきた亡霊を視たことはない。前例がないのだから上手く視ることができないのも頷ける。

 と、宮下は考えているのだが、実際にはそれらとも少し違うのが北方提督だった。それを知ることはなく、警戒心をあらわにしながら宮下は戦場を見つめる。

 北方提督もまた、宮下が自分を侮ることはないだろうと勘づきながらも、戦闘態勢を取っていく部下たちを見守る。

 今ここに、ウラナスカ島の戦いが始まるのだった。

 



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北方提督2

 

 それぞれの指揮艦から、それぞれの鎮守府にとっての主力艦隊が出撃する。合わせて一水戦という練度が高い水雷戦隊も出撃するだけでなく、北方棲姫らから発艦した艦載機に対抗するため、空母機動部隊も出撃。まさに持てる戦力を出しての艦隊決戦である。

 宮下の主力艦隊、一航戦、そして一水戦。これに加えて水上打撃部隊や二水戦も同行させつつも、三水戦や四水戦で指揮艦を警備させている。

 渡辺の指揮艦からも主力部隊や一航戦、水雷戦隊と彼の鎮守府の中でも練度の高い部隊が出撃し、一同揃ってウラナスカ島へと進軍する。加えて空母からは一斉に艦載機が飛翔し、艦娘たちの護衛と、ウラナスカ島への攻撃の部隊へと分かれた。

 もちろん深海棲艦側も飛来してくる艦載機を前に何もしないわけではない。あらかじめ発艦させていた艦載機の群れは、空を埋め尽くしている。その中から向かってくる艦載機を迎撃すべく、旧型と新型の艦載機が進行する。

 しかもよく敵の布陣を見れば、ヌ級フラグシップも確認できる。今まではエリート止まりだったはずだが、まさかヌ級も強化してきたのかと思わざるを得ない。

 戦いの火ぶたを切ったのは、砲撃による弾丸や、発射音ではない。空に響き渡る飛行音と無数の銃撃だった。それぞれの艦戦が制空権を奪取するべく、敵方の艦載機とドックファイトを繰り広げる。

 だが今までと違うのが、新型艦載機の白猫艦戦だ。旧型よりも強化された性能と装備を用いて戦闘している。この戦場で初めての敵ということもあり、今までと違う感覚が要求されている。艦戦の妖精たちも何とかついていこうとしているが、しかし被害も次第に大きくなり始める。

 敵の優勢に傾き始める中、白猫艦爆と白猫艦攻が次々と艦娘たちへと迫りくる。それらを迎撃すべく対空射撃を敢行。この戦いに合わせ、水雷戦隊も対空を意識した装備をしており、機銃や対空砲を装備させている。

 それらが火を噴いて艦載機を落としにかかるが、それらを振り切って白猫艦載機が突撃してくる。よもやここまで性能に違いを見せてくるのかと驚くが、何も対空射撃だけが防御手段ではない。

 敵の動きを読み、回避行動をとることもまた大事なことだ。

 

「各々、しっかり回避するにゃ!」

 

 速度の緩急をつけて艦載機から逃げつつ、対空射撃を続行。落とされる爆弾や魚雷から避けきる大湊一水戦。そこには確かな練度の高さが伺える。だがそれは舞鶴一水戦も同じことである。

 

「避けきってみせなさい! ここで落ちるようじゃ、一水戦の名折れよ!」

 

 舞鶴一水戦旗艦の五十鈴の檄に、一水戦のメンバーが応える。それぞれの水雷戦隊が防御のために走る中、後方から重巡や戦艦から放たれた三式弾が飛来し、爆ぜる。まき散らされる焼夷弾が敵艦載機へと襲い掛かる。

 上空で繰り広げられているドックファイトも一旦落ち着いたが、それでも敵艦載機が上空で旋回し続けているため、最初の制空権は奪取されたものとみていいだろう。

 そんな中で、ウラナスカ島から次々と深海棲艦が迫りくる。

 左右に展開された水上打撃部隊らしき艦隊が広がる中で、真ん中を水雷戦隊が進軍してくる。その後ろに戦艦や空母、そして北方提督と北方棲姫が居座る、という布陣を取っている。

 左右に広がるのは、艦娘たちを包囲し、じわじわと嬲りにくる意図があるのか。それならば包囲されるわけにはいかない。

 

「そちら側の敵艦隊は任せられるか?」

「言われずとも。包囲が完成する前に落としますよ」

 

 渡辺の言葉に、宮下は淡々と応える。一旦引き戻した艦載機を補給させ、再び発艦させる鳳翔たちを見つめ、制空権の奪取のために主力は動かせないと思考する。一航戦の空母もそちらに回すしかないだろう。比叡や霧島という戦艦はいるが、長距離砲撃で支援させるしかない。

 ならば水上打撃部隊で対処するしかない。加えて潜水艦も出撃させ、適度に横槍を入れさせて、包囲を崩していくしかないだろう。

 包囲をさせまいとこちらが動かしてくることは、北方提督も考えているはずだ。あのような効果的な檄を飛ばすような輩だ。ただ単に包囲させようと動かすだけでは終わらないはず。

 宮下は何度か北方提督の艦隊と戦っている。これまではのらりくらりと戦うばかりではあったが、しかし敵の拠点を探られないようにするような意思は感じられた。

 それでいて大湊に直接的な攻撃をしてくることはなく、ロシアの艦隊と長く小競り合いを続けていたような存在だ。ロシアからも決定的な壊滅の報告は耳にしていないため、それだけ自身も、そして敵も大きく戦況を動かすような戦いを仕掛けてこない性質だと見て取れる。

 今回の戦いにおいてそれは大きな障壁となるだろう。

 どちらに対しても大きな動きを見せないということは、膠着状態に陥らせる術に長けている。そうして戦闘時間を長引かせ、ますます宮下と渡辺をここに足止めさせてくることが考えられるのだ。

 そうなれば北方棲姫を落とせず、ミッドウェー方面への支援もできない。それが向こうの意図だとするならば、この上なく面倒な敵に思えてくる。

 

(まさにここに派遣されるにふさわしい敵。だからこそ、隙を見出だしたら一気にケリをつけなくてはいけませんね。……ん?)

 

 先ほどよりも距離が離れてしまったが、しかし何とかウラナスカ島の様子を見せてくれる艦載機の妖精から送られてきた映像を見た宮下が目を細める。何やら北方提督が指示を出しているかのようなそぶりを見せている。

 それに従ってか、包囲をしようとしているそれぞれの艦隊が反転し、迫ってくる水上打撃部隊と同航状態でウラナスカ島へと戻っていく。いや、それにしては緩やかなカーブを描き、水上打撃部隊の前を横切るような航路を取っている。

 

「……! 進路を変えなさい! T字戦法を取られますよ!」

 

 気づいた宮下が通信に叫ぶが、敵の動きはそれだけではない。戻ってくる敵艦隊とすれ違うように、水雷戦隊もまたその背後に動いている。曲がる艦隊のその後ろを航行し、仮に艦娘たちがT字を嫌って反航しようとも、その前を横切るように移動している。

 どう切り返してもT字になるような航路で自分たちの優位を揺るがなくさせる中、深海棲艦たちが一斉に砲撃を開始する。

 だが現場の艦娘たちもまた、ただやられるだけではなかった。進路を変えつつも、最初にT字有利を取ろうとした艦隊の進路に向けて魚雷を放っていた。決して防戦一方にはならず、反撃の手を用意する。それが大湊の艦娘たちの意地だった。

 また水上打撃部隊の窮地を察知した二水戦のメンバーも、魚雷の被害を何とか切り抜けてきた艦隊めがけて砲撃支援を行っており、たまらず敵艦隊はまた進路を変え、ウラナスカ島へと一時撤退していく。

 そこを追撃しようにも、ウラナスカ島から遠距離砲撃をしてくるル級フラグシップや、ヲ級フラグシップとヌ級フラグシップからの艦載機が絶えず飛来しており、ただ追撃するだけではこちら側の被害を増やしかねない状況だった。

 だが二重のT字有利のために後方に回ったもう一つの敵水雷戦隊は逃がさない。

 孤立を避けるために、速やかに反転する敵水雷戦隊を追うように、水上打撃部隊も追撃を行っていくが、遠方から救援のためにまた敵艦隊が横切ってくる。臨機応変にそれぞれの部隊を動かし、隙あらばT字戦法を取ってくる。

 上空は艦載機を展開し、水上ではそれぞれの艦隊が展開し、状況に合わせてそれぞれの敵へとぶつけてくる様。しっかりと訓練された深海棲艦の部隊だと感じさせられる。

 

(T字戦法。艦船の時代では側面からの砲撃を活かした戦いではありますが、人型となった今でも、ある程度は有効ではある。同じように砲門を敵へと向け、単縦で並んで一斉射するだけでも、一気にダメージを与えられるのは間違いないですからね)

 

 だが、こうも上手く艦隊が動き、T字になるかどうかは、実は難しいことだ。両陣営共に絶えず動き続け、なおかつ航行スピードもまたそれぞれ違う中で、上手くT字になるようにするなど、数分、下手すれば数秒にしかならない。

 その数秒を成立させ、攻撃を浴びせかけられるかどうか。それは艦隊を指揮するものと、現場の練度がものをいう。敵の動きに合わせて動くのは、実際に戦うものたちの練度にかかっているのだから。

 

(深海棲艦が意図的にT字戦法という、まさに人類が考えた戦法を使ってくるなど、今までならば考えられないことでしょう。それを成立させたのは、間違いなくあの北方提督。それだけの切れ者の女性が海で死んだというのでしょうか? そんな馬鹿な、近年でもそんな報告は聞いていない)

 

 昔の海兵といえば男性が主で、女性が所属していたという話は耳にしないし、近年でもそれだけの優秀な人材が、海で死んだという話もない。一体誰なのだ、あの北方提督は、と宮下は困惑する。

 

「クル……止メテ……!」

 

 ふと、北方棲姫が空を指さすように短く命ずる。すると上空の白猫艦戦と、艤装の対空砲が迎撃のために攻撃を仕掛けた。ウラナスカ島の上空まで迫った艦爆と艦攻による攻撃が行われていたのである。

 深海棲艦側の防備を潜り抜けての突撃だが、飛行機は次々と落とされるも、爆弾は北方棲姫へと迫っていく。だが、それを最後に防ぐのが軽巡ツ級だった。かのアトランタ級の装備を艤装に反映しているツ級は、とにかく対空面の強化が図られている。

 白猫艦載機という新たなる装備に加え、対空面もツ級で賄う北方提督の艦隊に、宮下だけでなく、渡辺もモニターの様子に苦い表情を浮かべる。

 

「ふむ、アトランタ、ジュノー、サンディエゴの守りは悪くないか。装備の不備もなし、その調子で防空を果たせ」

 

 三人のツ級の働きに、北方提督も満足げに頷く。ちなみに彼女が口にしたのはアトランタ級の一番艦から三番艦の名前である。

 艦載機の攻撃が完全に防がれる中、飛来してくるのは戦艦の砲撃。そればかりはツ級や艦載機でもどうしようもない。それぞれが回避するしかないが、それは北方提督も同様だ。戦場に出ているならば、砲撃は自分で避けるしかない。

 

(さて、そろそろ指揮するばかりではなく、我が生死の裁定の頃合としようか。旧世代の砲とはいえ、深海ならではの調整が施されたもの。久方ぶりに唸らせることになるが、どれ、どのような輩に相手をしてもらうか)

 

 軽くなびかせるマントを払えば、彼女にとっての艤装が装着される。発砲の影響を受けないように、ギミックによってマントの外へと展開される砲門は、深海棲艦らしく黒を主体としたカラーリングをしているが、異形のものはない。他の深海棲艦のように特異な風貌ではなく、口がある生き物のような存在もない。

 まるで艦娘の艤装のような主砲に、位置を変えるようなギミックが付いているだけだ。その艤装に宮下は目を細める。主砲の形状も艦娘と同じく、かつての艦船が載せていた主砲と似通っている。ならば主砲から北方提督を推測できるのではないかと、驚きを胸の内に抑えながら見定める。

 よもや北方提督が艤装を展開するなど想像もつかないが、深海提督が人の亡霊だけとは限らない可能性も考慮できる。元より深海棲艦は艦の亡霊のようなものだ。それが提督のように振る舞ったとしてもおかしくはない。大きな疑問を感じることではないだろう。優秀な女性が海で死んだということより、深海棲艦の中で優秀な存在が、あるいは異質な進化を果たしたものが深海提督となったと考えた方がまだ納得しやすいものだ。

 

(連装砲、2基4門……口径からして小さめ? 金剛型のような35.6cmの大きさではないですね。それよりも小さく感じられる。金剛型の主砲よりも小さい規模の連装砲……ん? あれは……魚雷発射管? 主砲は小さいながらも戦艦らしいなりをしているのに、魚雷発射管。それではまるでかつての大戦よりもさらに昔の戦艦のような――)

 

 ふと、気づいた。主砲だけではなく、北方提督もまた小さな少女のような風貌をしているのは、元となった艦もまた小さめのものだったのではないかと。大戦で活躍した戦艦と比較すれば小さな船体をした戦艦という点を考えても、それはより昔の時代の戦艦だと考えられる。

 それに加えて携えた刀に、小さな体に似合わない上に立つ者の雰囲気を保有し、檄を飛ばせる毅然とした存在。ならば大一番の戦において、艦隊旗艦を経験したことがあるような戦歴を保有した艦。

 そしてT字戦法を実行したことがあるとされる戦いを経験しているとなれば、一隻の艦が思い浮かべられる。いや、かの戦いではT字戦法は実行されたかどうか、後の話ではあやふやになり、創作面が強く出てきているらしいが、だが実際に奴はT字戦法を一時的にとはいえ披露してみせた。

 

(東郷元帥の影響を受けた深海棲艦の三笠……! そう考えるならば、なるほど、わたしはとんでもない化物と戦っている気にさせてくれますね。あれが本当に三笠ならば、ですが)

 

 そうしている内に、戦場の上空で再び両軍の艦載機が交戦する。制空権を奪取すべく、艦娘側の艦載機が先ほど以上に奮戦し、白猫艦載機を次々と撃墜させにかかる。妖精たちも先ほどの戦いによる経験を反映させ、目に見えて被弾の数を減らしている。

 その下を渡辺の艦隊が進軍し、ウラナスカ島を防衛する艦隊を射程内に収めた。これ以上近づかせまいと、重巡リ級フラグシップ率いる艦隊が砲撃しながら前に出るが、それを支援すべく、北方提督もまた照準を合わせ、砲撃を始めた。

 それだけではない。北方棲姫もまた射程内なのか、彼女の艤装もまた唸り声を上げながら砲撃に混ざっていく。

 

(それではこちらの守りを破れぬな。膠着状態、大いに結構。状況を変えられず、疲弊し続けるならば良し。無理に突破し、被害を増やしつつ我らを食い破るも良し。あるいは尻尾を巻いて逃げるも良し。選ぶがいい、大湊、舞鶴)

 

 三笠の主砲は古い戦艦ということもあり、射程距離は他の戦艦に比べれば短い。実際ル級の砲撃よりも短く、長距離砲撃をしているル級に対し、北方提督が今まで指揮だけに徹していたのはそのためだった。

 だがその威力は戦艦だけあって、リ級の砲撃よりも高い。射程内に入ったならば、その高い威力を次々と繰り出すことができる。魚雷発射管も備えているが、これは付近にツ級などの味方がいるため、今は使用できない。また空母が運用された時代の戦艦でもないため、対空装備もない。

 それを補完するためのツ級の配備ともいえるだろう。自分に出来ないことは、他の誰かが肩代わりする。それを実行しているだけである。

 

「まだ食い破って来る雰囲気を感じぬな。ならば舞鶴から落とそうか。慣れ親しんだ相手より、新たなる顔ぶれから落とし、余裕を保つとしよう。童女、補給は?」

「問題ナイ……次、出セル」

 

 北方提督の指示に従い、北方棲姫の艤装から次の艦載機が発艦する。ヲ級フラグシップだけでなく、ヌ級フラグシップからも次々と艦載機が発艦され、第三波として迫っていく。完全に制空権は譲る気はない布陣だが、そうはさせまいと遠方から三式弾が放たれる。

 それは展開されようとする艦載機を次々と撃ち落とすだけではなく、北方棲姫へも迫っていく。

 

「…………ッ!?」

 

 ばら撒かれる焼夷弾に、北方棲姫が両手で頭を守りうずくまりながら苦悶の声をあげる。それはまさに、痛みから逃れようとする幼子の反応だった。北方提督もマントで顔を庇いながら、どこから飛来したのかを探ろうとする。

 見れば、水雷戦隊が警備する一帯が煙幕で覆われており、見えなくなっている。いつの間に煙幕が焚かれたのだ? と疑問に思ったが、あの方角は大湊の艦隊が展開されている方だ。渡辺の艦隊へと意識を向けていた間に、接近を試みたとするならば、あの僅かな時間でよくもそのような判断をしたものだと、敵ながら見事な采配だ。

 

「前進にゃ。混乱している中、できる限り切り崩すにゃ!」

「雷撃は任せなぁ! 戦果の挙げ時を逃がすんじゃねえぞ!」

 

 煙幕の中で多摩と木曾が声を上げる。特に改二になって雷巡となった木曾の雷撃は、より威力を増して敵に刺さることだろう。後方からは重巡や戦艦の三式弾が、装填次第発射されており、側面から敵艦載機や北方棲姫へと攻撃を仕掛けている。

 このように大湊の艦隊が攻め込む隙を得られたのは、舞鶴の前進があったためだ。大湊の艦隊は制空権の奪取に意識を向けつつ、じりじりと前進していたに対し、舞鶴は制空権争いには程々にし、とにかく敵陣へと切り込み、敵の守りを崩そうと試みていた。

 そのため深海棲艦側も向かってくる舞鶴艦隊に、少しずつ意識が向けられていた。北方提督もまた、最初こそ戦場を俯瞰し、T字戦法や部隊の切り替えなど、適宜指示を出していたが、膠着状態になった中で、どちらから崩すかを考え、舞鶴へと少し意識を移してしまい、大湊の艦隊から少し意識を逸らしてしまった。

 それだけでなく、次の攻撃をするために後ろにいる北方棲姫を見てしまい、戦場から目を離した。そこが決め手となった。

 視線を逸らしてしまったのを見逃す多摩ではなかった。食らいつけるときに食らいつくのが水雷魂。すぐさま煙幕を指示し、一帯の視界を奪うことで、被弾覚悟で一気に切り込んだのだ。

 また煙幕は付近の視界を閉ざすだけではない。立ち上る煙によって白いカーテンが構成され、北方提督から見ても、遠くにいる水上打撃部隊を視認できないようにしている。そのためどこに艦娘がいるのか、北方提督だけではなく、その付近にいるル級などからも、正確な射撃を封じ込めている。

 

「はっ、やりおる。一時的な隙を見逃さない感性、嫌いではない。やはり我を眠らせるのは汝か、大湊よ。例えそうだとしても、果たしてそれは今なのかどうか。我をも沈めると云うならば、乗り越えてくるがいい」

 

 迫りくるであろう大湊一水戦を前に、北方提督は不敵に笑いながら、前に出る。それに追随するように、一人のツ級とリ級フラグシップやル級フラグシップが同行する。

 

「童女、我も一時前に出る。汝はそのまま、攻撃を続行せよ」

「ワカッタ……デモ、スグ帰ッテキテネ?」

 

 まるで親を見送る子供のような言葉だが、北方提督はこの戦いにおいて自分は生きるべきか、死ぬべきかを問う戦いでもある。もしもあの大湊の艦娘たちが自分を殺せるだけの力量を備えているならば、彼女は戦いの中で死ぬことを考えている。

 ということは北方棲姫の願いの通り、帰ってくることはできない。可能性として挙げられる未来だが、北方提督はそれを悟られることなく、穏やかな声色で語る。

 

「心配するな。汝を一人にはせん。ジュノーやサンディエゴもいる。大丈夫だ、安心しろ」

 

 不敵な笑みから、どこか子供を安心させるような柔らかな笑みを残し、北方提督は迫りくる大湊一水戦を迎撃すべく、自らもまた本格的に戦場へと身を置く。

 その動きに、宮下は首を傾げる。旗艦なら旗艦らしく後方で最初のように檄を飛ばせばいいのに、わざわざ迫ってくる一水戦に向かってくるとはどういうことだと。それだけ自信があるというのか? 一水戦の後方にも艦娘がいることは予想がついているだろうに。

 

(好機か、あるいは罠か。北方棲姫の方は? 敵の防衛線は? 制空権は?)

 

 この戦い、色々と気を配る点が多い。どれかが欠ければ、すぐさま突かれるだろう。今の一水戦の奇襲のように。でもこの奇襲によって北方提督へと大きくダメージを与えれば、事態は大きく好転するはずだ。

 潜ませている伊401などの潜水艦にも「隙あれば差し込んで」と短く指示を出しつつ、「二水戦、後退。補給と修復を。三水戦前へ」と被弾報告が増えた水雷戦隊を戻すように指示。更に「鳳翔、隼鷹、補給しなさい。交代で加賀、龍驤、出撃し艦載機を発艦」と空母たちにも指示を出す。

 どれかを欠けさせるわけにはいかない。そのためにも指示を出せるものは、こうしてどっしりと構えているべきだろうが、北方提督はそれを一時的に放棄した。それが疑問で仕方がない。

 

「見定めさせてもらいますよ、北方提督。その行動の意味を」

 

 未だその魂の色が視えない、という点でも興味を惹かれる北方提督。

 宮下は、彼女に対する興味と警戒心を、より引き上げ続けていく。北方提督もまた自分と競り合う宮下に興味を覚える。両者は戦場においてまるで磁石のように惹かれあい、海戦を通じて理解を深めていく存在となっていた。

 



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北方提督3

 

 数分前、舞鶴艦隊を落とせという北方提督の指示を受け取った後のこと。ウラナスカ島の防衛線を少しずつ切り崩し、北方棲姫へと迫ろうとする舞鶴艦隊だが、展開される艦載機と、リ級フラグシップとル級フラグシップの砲撃により、一進一退の状況にもつれ込んでいた。

 水雷戦隊を撃破して戦線を押し上げても、装甲が強固なリ級フラグシップとル級フラグシップの壁と、強力な砲撃で押し返され、ダメ押しとして白猫艦載機の攻撃が飛来する。

 また北方棲姫の射程内なのか、彼女からの砲撃も加えられている。小さな体で他の姫級に比べて小さな艤装をよっこらしょと構え、砲撃を仕掛けてくる姿は可愛らしくはあるが、しかし彼女は姫級だ。その威力はル級フラグシップに引けを取らない。

 しかしこの艦娘と深海棲艦の攻防にも、少しの間が生まれる。弾を装填する時間、魚雷を装填する時間、そして艦載機の攻撃が落ち着き、補給に戻る時間など、それぞれの間がある。

 そこを見逃さず、舞鶴一水戦や大湊の鳳翔などの空母が切り込む。一気に距離を詰めての雷撃を敢行し、ル級フラグシップを撃沈させて更に前へ。それを援護すべく鳳翔らから放たれた矢が、艦載機へと変貌し、追加の魚雷を放り込む。

 防衛線の一角に空いた穴。そこになだれ込む艦娘たち。それを何とかして留めようとする深海棲艦たちだが、進軍する一水戦らに向きなおれば、先ほどまで正面で向かい合っていた立ち位置が、艦娘たちが側面から攻撃を仕掛ける形に切り替わる。

 砲門もそちらに向けられているため、T字有利を取られないならば、単に横っ腹を晒している状態にしかならない。

 

「とおおぉぉぉ!! つげきですわー!」

 

 気の抜けるような掛け声と共に熊野率いる水上打撃部隊が、その横っ腹を食い破る。膠着状態はここに破られた。この好機を逃すまいと、士気を上げて前進する舞鶴艦隊。だがそれを止めるべく、北方棲姫も動く。

 ミトンの手を合掌し、ぐっと力を込めれば、赤黒い力が結集する。それを頭上に掲げれば、その赤黒いオーラをまとった白猫艦載機が出現し、ぶんっ! と音を立てて分裂した。天に掲げた手を勢いよく振り下ろせば、その軌跡に従って白猫艦載機が出撃する。

 過去見たことない発艦方法に、モニターで見ていた渡辺は「何だ今のは!?」と驚きを見せるが、前進する足を今止めるわけにはいかない。対空を意識するように命じる中で、距離が近くなっていたため、すぐに艦娘たちへと迫りくる。

 今までよりも早い航行速度に、対空迎撃も万全とはいかない。次々と降り注ぐ爆弾と、機銃の雨。爆弾が爆発することで立ち昇る水柱。いくら回避などに力を注いだとはいえ、被弾ゼロで切り抜けられるはずもなかった。

 

「一旦退避! 態勢を立て直すわ!」

 

 五十鈴の命令に従い、一水戦が反転するも、後方でも白猫艦載機が攻撃を仕掛けていた。三式弾を放って対抗する熊野ら重巡だが、赤黒い力をまとった死を運ぶ風の如く、白猫艦載機が次々と水上打撃部隊へと襲い掛かる。

 駆逐艦や軽巡に比べると、速度で少し劣る重巡や航巡では、一水戦に比べて被弾を増やしてしまっていた。空母の艦載機によるカバーも限界があり、被弾を重ねて悲鳴を漏らす。

 すかさず周りにいる深海棲艦らも追撃を行い、せっかく前進した艦娘たちは、反転して後退するしかなくなった。

 

「カエレ……カエレッ!」

 

 北方棲姫による追撃の砲撃と艦載機の展開。それらも加わり、指揮艦へと退避する艦娘たちの背中にも容赦なく攻撃を加えてくる。それをカバーするために主力艦隊や、二水戦、三水戦などもフォローするが、敵陣の中からの撤退だ。被弾を重ねてしまうのも無理なかった。

 そして、撤退戦こそが被害を産みやすい。

 回避行動を取りながら対空射撃をするも、その合間を潜り抜けてくる白猫艦載機。やはり今までの艦載機とは違うのだということを、ありありと見せつけてくる。開かれた口、ぎらぎらと輝く赤い瞳。気のせいでなければ、艦載機の飛行音に加え、獣の鳴く声も聞こえるようだ。それが迫りくることに、一筋の恐怖心が煽られそうになる。

 

「――っ!」

 

 撤退する熊野たちの背中に、次々と投下される爆弾。殿を務めていた熊野は、はっとした顔で前にいる鈴谷の背中を押し、防御態勢を取る。「熊野っ!?」という鈴谷の驚く声が、爆発に飲み込まれる熊野に向けられる。

 だが熊野は爆風の中から、「お行きなさい、鈴谷! 次が来ますわよ!」と、振り返ることなく撤退するように檄を飛ばす。それでも、と鈴谷は手を伸ばそうとするが、しかし迫りくるリ級フラグシップに歯噛みし、舞鶴の指揮艦を目指した。

 追いついてきたリ級フラグシップは、燃え上がる艤装から離れる熊野の体を見下ろす。被弾を重ねていた中で、白猫艦爆の直撃を受けたのだ。艤装はもう使えず、その服も焼け焦げ、呼吸も乱れている。

 そんな熊野を回収できぬよう、改めて防衛線が築かれる。リ級フラグシップはぐっと熊野の髪を掴んで、その顔を覗き込んだ。その目はまだ死んではいない。鈴谷たちが無事に撤退することを祈り、そして改めて戦線が築かれ、この戦いを勝利で納めてくれるだろうと信じている。

 無言で見つめていたリ級フラグシップだが、後方にいるリ級エリートに熊野の体を放り投げ、連れていけと人には理解できない言葉で指示する。残骸となっている艤装も他の深海棲艦が回収し、それぞれ海中へと沈んでいった。

 

 

 煙幕の中、大湊一水戦は盛大に暴れる。視界を閉ざし、敵からの攻撃から身を守る煙幕戦法だが、これは自分たちも同様に敵の位置が正確にわからないという弊害をもたらす。そのため敵もでたらめに攻撃を仕掛けてこようものなら、こちら側も危険が増す。

 短期間の間に、どれだけ被害をもたらし、迅速に移動できるかにかかっているが、水雷戦隊ならではの雷撃の連打により、こちらでもウラナスカ島の防衛線の一角を切り崩すことには成功した。

 リ級フラグシップ率いる水雷戦隊を複数壊滅させ、煙幕を抜けて側面から回り込もうとした多摩たちだったが、多摩は第六感による危機察知により、手を出して「回避にゃ!」と叫ぶ。その場から飛びのくようにすると、進路上と先ほどまでいた場所に次々と砲弾が撃ち込まれた。

 海上を滑るようにしながらも、何とか態勢を立て直せば、視界にじっと多摩たちを見据えている存在が佇んでいるのがわかった。

 

「ふむ、獣の感性か? あるいは部下を率いてきたものだからこその察知力か。どちらにせよ、悪くない。だからこそやりがいがあろう」

「にゃ……お前が、この艦隊の頭かにゃ?」

「然り。故にこそ、我を沈めることができれば、汝らの勝ち。わかりやすかろう。とはいえそう簡単に沈むのかといえば、それは否である」

 

 淡々と語る北方提督の目は、紺色のオーラを放ちながらも、その瞳は冷えている。言葉を紡ぐ唇は微笑を形作っているのだが、別に彼女は笑っているわけではない。ただありのままの事実を語っているだけに過ぎない。

 この戦いで自分は沈められるかどうかという点は考慮しているが、果たして目の前にいる多摩たちがそれを実現できるのか? そういった疑問と期待、そしてこの戦いにおける一番の目的。複雑な心境を抱えながらもそれを抑えている。

 三笠は古い時代の戦艦ではあるが、深海棲艦ならではのスペックの底上げも少なからず施されている。それを打ち破れるかどうか、大湊一水戦で試してみよう。

 その心で静かに携えている刀を抜く。

 

「斬り込むなら、来るがいい。汝らの全力に我は応えよう」

「なら、俺が斬り込む! 多摩ぁ、その間に周りを処理しろ!」

 

 木曾もまた抜刀し、果敢に北方提督へと斬りかかり、北方提督もまた小さく笑みを浮かべてそれを受け止めた。木曾が自分から斬り込んでくる、その勇気に彼女は笑った。そしてすぐさま多摩も「散開!」と指示しつつ、北方提督に追従してきたリ級フラグシップや、ル級フラグシップへと砲撃を仕掛けた。

 軽巡や駆逐では、リ級フラグシップやル級フラグシップの装甲を砲撃で抜くのは難しい。そしてそれは旧型とはいえ戦艦である北方提督の装甲も同様だ。大きくダメージを通すならば、雷撃を行うしかない。

 しかし先ほどの煙幕で雷撃を行っているため、再装填するまでは使用できない。その時間を稼ぐための砲撃と、木曾の斬り結びだった。

 一合、二合と刃が打ち合わされる。初太刀こそ自分を引き付けるための大きな振り下ろしだったが、そこからは突き、払いと素早い刀の軌跡を披露するも、その全てを北方提督は防いでいる。

 迷彩柄の木曾のマントと、漆黒の北方提督のマント、お互いにマントをなびかせ、海上で繰り広げられる人ならざる者の、人のような刀の戦い。大湊で凪の艦隊と戦った時に見せたような戦いよりも、遥かに切羽詰まった斬り合いだ。

 当然である。あれは演習であり、こちらは命のやり取り。刀の捌きを間違えれば斬られてしまう。

 

「ふんっ!」

 

 刀を弾きつつ距離を取り、副砲による砲撃を仕掛けるが、それがどうしたとばかりに刀で弾く北方提督。その隙をついて回り込み、再装填された魚雷を撃ち込むが、見抜いていたとばかりに、副砲で処理される。

 爆発によって立ち上る水柱によってお互いの姿が隠されるが、それを待っていたとばかりに木曾は手にした一本の魚雷を投擲した。水柱を貫き、その奥にいる北方提督に着弾する魚雷だが、翻したマントによって爆発のダメージを体に全て届かせるのを防いだ。

 

「大したやり方だ。だが、それを我は知っている。奇しくもあれを意識する輩がデータを共有してきたからな。残念だ」

 

 事前に中部提督から情報共有はある程度行われていた。基地型深海棲艦などのデータだけでなく、呉鎮守府や佐世保鎮守府の艦娘や、その戦い方も共有されていた。この一年で伸びてきたというだけでなく、中部提督が呉の凪を強く意識していたために、スパイまで送り込んでいたのだ。

 それによって抜き取られたデータには、戦い方をまとめた演習データも含まれている。それをも共有していたため、魚雷を投擲するというやり方も、北方提督へと伝わっている。また、北方提督もまたウェーク島での戦いを観戦している。全てではないにしろ、実戦の中で披露されたものも、彼女は認識している。

 煙幕を用いた戦い方、立ち上った水柱によって隠された姿の奥からの攻撃、それらからどうしてくるのか。考えられることを認識していれば、それに対して備えるだけでいい。

 

「そこか」

 

 落ち着く水柱から飛び出すであろう方向へと、北方提督は先んじて砲撃を行う。だが水柱からは何も出てこない。はて、また回り込んでくるものと考えていた北方提督は、少し怪訝な顔をする。

 そんな北方提督へと迫るのは、遠距離から飛来してくる砲弾の音だった。それに気づいてからの反射的な行動は、彼女が積み重ねた経験によるものだった。先ほどまで立っていた場所だけでなく、多摩が押し留めていたル級フラグシップにも、徹甲弾が貫通し、ル級フラグシップが悲鳴を上げる。

 煙幕の奥にいた水上打撃部隊が、隙を見逃さずに砲撃を仕掛けてきたのだ。陸奥や金剛という戦艦の長距離射撃に加え、艦載機の援助を防ぐための三式弾を、妙高や古鷹が空に打ち上げ、北方提督を支援する艦載機の動きを阻害している。

 そうしてこの一帯だけ制空権を得れば、主力艦隊の鳳翔や赤城が送り込んだ一部の艦爆と艦攻が、北方提督を落とすべく飛来してきた。対空装備を持たない彼女にとってそれは一番の危機だが、それを止めるのがツ級だ。

 アトランタ級ならではの自慢の対空砲が一斉に火を噴き、迫りくる艦爆と艦攻を落としていく。ツ級によって守られる北方提督はいったん距離を取りつつも、ツ級を守るべく雷と電の前に立ち、彼女たちを遠ざけるべく砲撃を仕掛ける。

 戦艦の砲撃だ。駆逐艦である雷と電にとっては当たり所が悪ければ致命傷になる。雷撃を仕掛けようとしたが、副砲もまた狙いを定めていたため、断念せざるを得なかった。

 

「善き哉、大湊。木曾、だったか。水雷戦隊から抜けて一騎打ちと見せて、水上打撃部隊の接近と照準合わせの時間を確保か。それだけではないな」

 

 と、副砲の一部がツ級の奥の方へと向けられ、水面に向けて砲撃を仕掛ける。そこにはいつの間に接近していたのか魚雷があり、副砲の砲撃を受けて爆発する。一水戦や水上打撃部隊の雷撃ではない。潜んでいた潜水艦による静かな雷撃だった。どうやらそれも見破られたらしい。

 

「いいぞ。その殺意、心地よい」

 

 持ちうる手段を駆使して、なんとしてでも北方提督を落とすという宮下と、それに従う艦娘たちの意思。それを感じ取って北方提督は笑みを浮かべる。それらの果てに自分を沈められるならばそれで良し、素直に受け入れる心づもりではある彼女だが、同時にここを任せられているという自負もある。

 また自分に付き従っているものたちや北方棲姫もいる。それらがいる中で大人しく沈むというのも性には合わない。どうせならばお互いの力をぶつけあう苛烈な戦いの果てに沈めばいい。それがかつて沈まず、今もなお日本に現存している三笠としての意地だ。

 手にした刀を一振り、そして目の前に持ち直し、その刀身をゆっくりと撫でながら、「では礼の一つとし、深海らしいものの一つを披露しよう」と不敵に笑う。

 

「っ! 散開、防御態勢にゃ! まとまっていると、一気にやられる予感がするにゃ!」

 

 刀身に目のオーラと同じく紺色の淡い光がまとわれていく。続けて刀を片手で回転させ、艤装の右側に装備されている魚雷発射管へと刀の柄を当てる。すると、装填されている魚雷の一本が光り、魚雷そのものが一筋の光と化す。

 その瞬間、北方提督の一本の魚雷は、敵を貫く武装ではなく、刀を強化させる光のパーツとなった。突き立てた刀の柄へと吸い込まれ、柄から刀身へと光が立ち昇る。

 刀を両手で構え、ぐっと引いたそれを神速の突きとして放つ。すると、切っ先から紺色の鋭い光が多摩たち一水戦へと迫っていく。反応が遅れれば間違いなく貫かれる昏い闇だが、あらかじめ多摩が一水戦のメンバーに声を上げていたため、直撃を避けることができた。

 だが放たれた闇の閃光は海を巻き込んで空を走り、多摩がその激流によって体の右半身が巻き込まれ、体勢を崩して吹き飛ばされる。周りに指示を出している時間と、それを見越した北方提督の微調整により、巻き込まれてしまったようだ。

 

「多摩ッ!? ちぃ……子日、荒潮! 多摩を連れて撤退しろ! ここは俺が止める! 雷、電! 援護しろ!」

「わかったわ! 子日ちゃん、私が肩を貸すから、周りをお願いね」

「わかりました!」

 

 荒潮が多摩に肩を貸し、子日が護衛しつつ撤退する。それと入れ替わるように、妙高ら水上打撃部隊が前に出、木曾が撤退ルートを防ぐように回り込みつつ、雷と電のフォローを受けつつ北方提督に迫る。

 北方提督は刀を軽く振りながら、何かを呟いていたが、迫ってくる木曾が振るう刀を受け止め、じっとその顔を見つめる。

 

「てめぇ……さっきのあれはなんだ!?」

「あれか? 手遊(てすさ)びのようなものだ。汝らで云えば妖精の力のような、摩訶不思議な力の使い方よ。深海の力をこのように――」

 

 ぐっと力を込めれば、また刀身に鈍い光がまとわれていく。このまま鍔迫り合いをしては危険だと察知した木曾が下がるが、北方提督はその光を霧散させ、代わりに艤装の砲門を木曾に合わせて砲撃する。

 砲撃に切り替えられたことで、何とか直撃を避けるべく、バックしながら蛇行しつつ、魚雷を北方提督へと放つ。高速で射出されたその一本が北方提督へと直撃したが、大して揺るがず、少しバランスを崩す程度に留められた。

 しかし側面から雷と電が追加の魚雷を差し込み、バランスを崩した北方提督へと複数着弾する。これは流石に効いただろうと思われたが、それもまた大したダメージを受けているような顔をしていない。

 

「さて、どれだ?」

 

 逆に何かを気にするように視線をあらぬ方へと向けている。

 しかし、それでいて砲撃もこなしているようで、雷撃をこなす木曾と、放たれた魚雷に副砲を斉射していた。雷撃を止めつつも、どこか隙を晒しているかのような余裕を見せる北方提督についに堪忍袋の緒が切れたのか、木曾はぐっと力を込め、雷撃の強撃を放つ。

 狙いを定めた渾身の一撃。その気配を察知した北方提督の視線がやっと木曾に向けられた時には、すでに高速で放たれた魚雷が迫っていた。だが、北方提督はそれでも笑みを隠さない。

 迫ってくる魚雷のギリギリのタイミングを見極め、身体を捻りながらその場から跳ぶ。推進によって舞い上がる水しぶきを受け、旋回する身体に合わせてなびくマントを翻しながら、直撃だけでなく推進の余波すら切り抜ける。魚雷は背後数メートルにいた深海棲艦に直撃し、爆発する様を背中に受けながら綺麗に北方提督が着水する。

 その動きに「てめぇ……」と思わず木曾が声を漏らすのも仕方がない。だがそんな木曾でも予期せぬことがあった。離れたところにいた鳳翔が着水の瞬間を狙ったのか、鋭い眼差しで北方提督を見据え、低姿勢から矢を放つ。

 今までに出したことがないほどの高速で水面を滑り、矢を放つ鳳翔の手には、淡く光る燐光があった。いつもの穏やかな表情と打って変わり、鋭い眼光には気のせいか手と同じような淡い光が灯っているように見える。

 

「……!?」

 

 その戦意に反応し、北方提督も視線を向けるよりも早く、反射的に身体を逸らしていた。刹那、矢が通り過ぎ、それは複数の艦載機へと変化しながら空へと舞い上がる。だが飛来する矢はそれだけではなかった。

 もう一射、鳳翔は放っていた。それは海面を滑るように飛行し、これもまた複数の艦攻へと変化する。今までにない程のスピードを出し、北方提督へと雷撃を仕掛けていく。加えて空へと上がったのは艦爆だ。反転し、急降下してくるそれらは、次々と爆弾を投下していく。

 上と側面の二方向からの攻撃に、知らず北方提督は笑みを深くした。

 

「やりおる」

 

 と、素直に鳳翔を称賛し、魚雷だけを避けて爆弾の数発を甘んじて受けた。そのダメージは、先ほど受けたものより重く体に響いた。恐らく放ったときのあの光が関係しているのだろうと推測し、分析する。

 そして至った答えが、自分が多摩へと放ったものの模倣か、あるいは多摩が落ちたことに対する怒りで無意識に振るったか、というものだ。どちらにせよただの艦娘がここでその力を振るえたことに、北方提督は希望を得る。

 先ほどの自分の攻撃を見て、瞬時に自分もまた近しいものを行使できる大湊の鳳翔。彼女の持ちうる才能と、行使できる力量。それでこそ披露してみせた甲斐があるというもの。

 もしかすると、本当にいずれやってくれるのではないだろうかという、胸の高鳴りが抑えられなかった。

 ぱんぱん、と軽く服やマントの汚れを落とすようにはたきながら、

 

「見事なり、そこな空母。我は素直に汝を称賛する。今のはなかなかに効いた。それができるのであれば、いずれ至れよう。そして――ああ、これか?」

 

 と呟けば、木曾たちの耳に宮下の驚いたような声が聞こえてきた。

 

「聞こえるな? 大湊の提督。聞こえるなら応答されたし」

「……何故」

「なに、戦場を見渡し、指示を出すために通信を繋いでいよう? 幾度かやり取りをしていれば、我とて朧気ながらも察知する。そこで介入を試みたまでよ。汝とは、一度話をしてみたかったからな」

「わざわざわたしと会話を? そうして有利を取っている中で? どういうつもりでしょう? 先ほどからあなたの行動は不可解です」

「不可解か?」

「ええ。最初から最後まで後ろで指揮していれば良いものを、わざわざ多摩たちの前まで出てくるその行動。更には通信に割り込み、わたしとの会話を望む。深海棲艦らしくない行動です。先ほどの妙な攻撃も、多摩に致命傷を与えるという意図があったでしょうが、大きな危機を与えることで、わたしが反応することを読み、割り込み成功の確率を上げるのが本命と見ましたが、如何?」

 

 その問いかけに北方提督は笑みを浮かべて応える。

 手にしている刀を納め、軽く拍手をすることで宮下を讃えた。

 

「然り。ああすればこ奴らに通信を繋ぎ、精度が上がると判断した。目論見通り、こうして汝と言の葉を交わせた。それだけで我は満足である」

「どうしてそこまで?」

「興味。我と幾度と戦い、時には我が拠点付近まで迫ってきた大湊の提督がどのような者か知りたかった。それがこのような声色をした女子とは、より興味が湧こうもの。なるほど、あの小僧が抱いた感情とはこのようなものかと、今更ながら我も感じている」

 

 だが同時にまた人に近づいているのかもしれない、と複雑な心境も抱いていた。やはり自分もまた歪になってきている。このような戦場においてこのような感傷を抱くなど、どうかしているとしか思えない。

 

「今回こうして顔を出したのは、あの童女の付き添いだったが、汝という存在をより身近に感じたかった理由もある。果たして汝は、我を討ち滅ぼせるだけの力を持つ存在か否か。その片鱗を知りたかった」

「……わたしは北方海域の担当ですから、いずれはそうなるかもしれませんが、もしやわたしを改めて試したと?」

「だが、それは今ではないな。あの空母の先ほどの攻撃ならばあるいはと思えるが、その他の艦娘では、どうやら我の守りを貫くには至らないらしい。残念だ、まだ汝らは我を沈められない。眠りにつく時はまだ先らしい。……一つ問おう。汝、我のこれを見て感づくだけの知識は?」

「そう問いを投げかけるということは、本当にあなたは……三笠だと?」

 

 返ってくる問いかけに、ふっと北方提督は微笑を浮かべ、木曾たちに背を向けた。その背中に立ちはだかるように、ル級フラグシップやリ級フラグシップ、ツ級が固める。そして北方提督は「童女、もう一つ見せてやれ。ん、お手玉だ」と指示を出し、北方棲姫の下へと航行する。

 

「ワカッタ……」

 

 遠く、北方棲姫が北方提督の命令に従い、両手を胸の前にかざす。バチバチと赤黒い力が、ミトンが嵌められた両手の間で凝縮されると、次々と白猫艦載機が生み出され、北方棲姫はそれを次々と宙に投げる。

 赤黒い力は投げられる白猫艦載機にもまとわれ、北方棲姫はそれをお手玉のように両手で何度も何度も回しながら投げていく。その様は、まさに子供の遊びそのものだ。しかしお手玉するにつれて白猫艦載機に集められた力が蓄積されるのは、不穏な空気を次第に高めていく。

 やがて何度かのお手玉の後、パンと合掌すると、弾けたように一斉に白猫艦載機が空高く舞い上がり、一斉に分裂した。艦戦、艦爆、艦攻と三種類の白猫艦載機が無数に展開され、それぞれが楕円を描くように宙を旋回。

 赤黒い力が白猫艦載機の軌跡に従って楕円を実際に描き、それが無数に空に描かれる様は、まるで小型のハリケーンが形成されているかのようだ。

 高まった力を解き放つように、北方棲姫がそのつぶらな赤い瞳を爛々と輝かせ、バッと勢いよく右手を前に出す。

 

「……カエレッ!!」

 

 それは艦娘たちに向けられた怒りの言葉。その声に従うように、一斉に白猫艦載機がウラナスカ島の防衛線を再び崩そうとする艦娘たちの上空に迫る。

 異質な力をまとった艦載機の群れだ。そのもたらす被害は甚大なものになるだろう。先ほども見た攻撃に、渡辺も「一時後退して防御態勢! 空母たちは艦載機を展開! 三式弾も放て!」と指示を出し、宮下も同様の命令を出す。

 そんな中で宮下の通信に未だに割り込んでいる北方提督の声が、宮下と大湊の艦娘にだけ届けられる。

 

「時間稼ぎはこれまでだ。今回の我の役目は汝らをここに引き寄せる囮である。本気でやるならばより多数を沈め、戦力を削るべきだろうが、正直我としてはどちらでも良いこと。そもそも我自身が出撃する予定はなかった故な」

「待ちなさい! どういうつもり? これだけの優位を得ておいて撤退するというのですか!?」

「囮と我は云ったぞ? 囮らしく、時間を稼ぐだけで役目は果たした。だが最後の童女のものは、お披露目だ。今の深海が持ちうる力を示した。それにより汝らが後の戦いに役立てるか否か、その機会を与えたに過ぎない」

 

 今までの深海棲艦の鬼級や姫級では見せなかった能力。その一端をいくつか披露し、自戦力の力を示す。深海勢力はこれだけの力を付けているのだと誇示し、それを見ることによってどうするのか。

 北方提督はこの点でも、宮下を試している。心が折れるのか、あるいは情報を得、分析し、後々自分たちを打ち破るべく成長するのか。後者であれば願ったり叶ったりである。少なくとも鳳翔は片鱗を見せた。今は自分に届かずとも、いずれ彼女たちが全力の戦いの果てに自分を殺してくれればいいと期待する。そんな彼女の意図が隠されていた。

 

「そも、今回の我は小僧の作戦に付き合っただけに過ぎない。その時点で我は本気で汝らと戦う気など初めからない。童女を目覚めさせ、その遊びに付き添っただけである」

 

 と、北方棲姫の下へと帰ると、とてとてと北方棲姫が北方提督へと飛び掛かる。そんな小さな彼女を、その小さな体で優しく抱きしめてやると、軽く頭を撫でてやりつつ、今もなお白猫艦載機の攻撃から身を守り続ける艦娘と、その向こうにいる指揮艦を見やる。

 いや、正しくは宮下が乗船しているであろう大湊の指揮艦へと。

 

「またいずれ戦場であいまみえる時が来よう。……ふむ、来るかどうかははっきりとはわからぬが、その時が本当に来るならば、また矛を交えよう。その機会において果たして我が、最初から戦に乗り気になっているものかどうかはわからぬがな。そのために一応汝の名を聞いておこうか、女子」

「……宮下。宮下灯です」

「宮下灯、その名、覚えておくとしよう。今の我に名はないが、北方、そう他者から呼ばれている。かつて人から呼ばれていた名は――三笠。沈むことのなかった艦が、このように魔に堕ちた存在である」

 

 名乗りを終えると、北方棲姫を抱きかかえていない手で指を鳴らす。すると、攻撃態勢を解いた深海棲艦が次々と潜水を始めた。北方提督もまた北方棲姫を抱えつつ潜水し、それに追従するように北方棲姫の艤装もまた海へと飛び込んだ。

 空母から放たれた艦載機と交戦をしていた白猫艦載機の群れもまた赤黒い軌跡を描きながら、次々と海へと飛び込んでいき、呆然とする艦娘たちを置いて、何もかもが消え去ってしまう。

 いったい何だったのか。

 この戦いは何だったというのだろう。

 時間稼ぎ、そう北方提督は口にした。やはり自分たちはこのウラナスカ島におびき寄せられ、そして足止めされていた。そう考えるのが自然だろう。最初から最後まで、あの北方提督にいいようにもてあそばれた。

 道中何もしてこなかったがために、何もかもを疑ってかかったが、それすらも手のひらの上だったならば、完敗としか言いようがない。

 思わず椅子の肘掛けに手を打ち付けてしまうほどに、宮下は苛立ってしまう。あの北方提督にだけではない。それに引っ掛かり、不甲斐ない戦いをしてしまった自分に対しても腹が立っている。

 しかし足を止めてはいられない。敵は撤退したようだが、そう見せかけて奇襲をしてくる可能性も無きにしもあらず。恐らくそんなことを指示するような気質は北方提督にはないだろうが、渡辺はそれを疑っている。そのため警戒を艦娘に命じていた。

 宮下はこの戦いについて一旦報告するため、ミッドウェー方面に進軍した凪たちに通信を繋ごうとした。

 だが、繋がらない。

 まさかミッドウェー方面は通信阻害の力が働いているのだろうか? ならば日本の方に通信を繋いでみようと、大本営へと宛先を切り替える。だがどういうわけか、日本の方にも通信が繋がらない。

 

「どういうこと……? ミッドウェーならまだしも、何故日本にまで……」

 

 何故なのか、その理由を考える宮下の額と手に、知らず汗が浮かぶ。色々混乱させられる出来事が続いているが、それらを崩しかねない大本営への通信途絶。

 思い出される出陣前の凶兆。

 その真の意味はまさか、と思わざるを得ない兆候だった。

 

 



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ミッドウェー海戦

 

 アリューシャン列島の戦いと同時刻、凪と湊、そして北条はまもなくミッドウェー諸島に到着しようとしていた。偵察機妖精による情報によれば、イースタン島周辺は変わらず赤い海が広がっていて、そこに深海棲艦が艦隊を組んでおり、イースタン島には中間棲姫が座している。

 改めて中間棲姫と呼称することになったその白い女性を観察してみる。見た目でいえば飛行場姫、港湾棲姫によく似ているといえるが、彼女たちよりもさらに成長した大人の女性を思わせる。

 大きく波打つロングドレスに、同じくウェーブがかった白い髪が美しい。が、その口元から首元にかけて、黒い突起のようなものが覆われているのが異質だ。また背後にいる巨大な白い球体も異質さを助長している。大きく開かれた口は中間棲姫を丸呑みできそうなほどに巨大。しかし体の所々ひび割れており、艤装の砲が複数突出している。

 イースタン島の滑走路をモチーフにした三つの滑走路に囲まれた彼女は、静かに瞑目してその時を待っているかのように見える。艤装の巨大な球体は呼吸をするように、何度か口を動かしているだけ。

 だが離れたところで待機をしている空母棲鬼は、艦隊を共にしているヲ級らに指示を出し、周囲の索敵を行うかのようにたびたび艦載機が発着艦している。その艦載機はあの白猫型のものだ。ウラナスカ島での戦いで宮下と渡辺はすでに交戦しているが、通信不良のため、凪たちの下には情報が届いていない。

 

「さて、そろそろ出撃させるとするかね。連合艦隊、出撃したまえ!」

 

 横須賀の指揮艦から次々と艦娘たちが海に出る。凪と湊の指揮艦からも艦娘を出撃させるが、一部の艦娘は呉鎮守府に残してきている。それぞれの鎮守府にとって大きな戦力が減っているが、それでも育成はきちんとこなしている。

 呉からは第一水上打撃部隊、一航戦、二航戦、二水戦、三水戦が出撃する。だが二航戦にいた大淀、第二水上打撃部隊の木曾、四水戦のあきつ丸をそれぞれ入れ替える形となり、二航戦にあきつ丸を加えている。

 なぜあきつ丸なのかといえば、彼女を改装することによって艦戦を装備できるようになったからだ。見た目も全身白が中心となったものが黒に変化しており、手にしているのは走馬灯だろうか。巻物のような飛行甲板と合わせて艦載機を発艦させている。

 また艦戦だけではなく、対潜哨戒機、オートジャイロのカ号観測機も運用可能で、制空争いだけでなく対潜を担うこともできる艦娘となっている。そのため今回二航戦へと組み込み、制空や対潜の補助を任せることにした。

 佐世保からも主力部隊、第一水上打撃部隊、一航戦、二水戦、三水戦が出撃。それぞれが持ちうる艦隊を出来る限り出す形となった。

 総勢50人を下らない艦娘たちが、一斉に海に勢ぞろいする様。今は人型だが、これが本来の艦艇の姿ならば、壮観な光景となっていただろう。駆逐艦、巡洋艦、戦艦に空母と、あらゆる艦艇がミッドウェーを目指す光景。かの大戦の時よりもさらに数を増した大艦隊が、かつての悪夢の敗戦を覆すべく、今再びこの海にかえってきた。

 

「艦載機発艦。敵の奇襲を防ぎつつ、航行せよ。敵艦載機の兆候は見逃すな。潜水艦にもだ。くれぐれも気を付けたまえ」

 

 北条の命令に従い、空母たちが艦載機を発艦させる。それらはあらゆる方角に散り、それぞれの空や海を偵察する。敵に空母棲鬼をはじめとした存在がいることはわかっている。そのため警戒するのは自然なこと。

 悲劇を繰り返さないという心は北条とて変わりはない。失敗するわけにはいかない。それは北条も心得ている。ミッドウェー海戦を勝利し、成果を挙げるのが自分の成すべきこと。それを果たすためにはできうることはやる。手を組みモニターを眺めながら、静かに開戦の時を待っていた。

 

 

「ンー、首を揃えてお出ましネ。パールハーバー、サンディエゴからは何もなし。……うん、それでこそ、前もって戦力削っておいた甲斐があるというものさ」

 

 イースタン島の海底にて待機していた北米提督は、何度か頷いた。彼の前には複数のモニターが展開されており、別々の視点からイースタン島周辺を映し出している。迫ってくる無数の艦娘を前に、どこか楽しげな様子を隠さない。

 だが同時に、東方面を映すモニターも確認しており、何もないことに目を細めている。この作戦のために戦艦棲姫らを伴う艦隊で攻撃を仕掛けた。日本の艦隊を相手取る場合、アメリカを背後に取る形になる。もしもアメリカの艦隊が攻め入った場合、日本の艦隊と挟み撃ちにされることになる。

 それを避けるために、前もって二つの基地を襲撃しておいたのだ。

 だがアメリカの艦隊の回復力は馬鹿にならない。もし回復したとしたら、ここに襲撃を仕掛けてくる可能性があるため、たびたび東の方角を意識している。

 

「さてさて、ギークも位置につき、北方さんも動いた。では自分も始めるとしようか」

 

 指先に昏い光が灯り、まるで指揮をするように動かしながら、「ミッドウェー、加賀、共に発艦。コロラド、メリーランドはミッドウェーの防衛、ウエストバージニアは前へ」と指示を出していく。

 彼が口にしたのはコロラド級の戦艦3隻の呼称だ。コロラド級、日本の長門やイギリスのネルソンなどと合わせてビッグセブンと呼称される戦艦らの一つである。

 北米提督がこの3隻の名を与えた個体は、今やそれぞれの深海提督の間で、共同で艦隊に配備されるようになった戦艦棲姫だった。だがそれぞれちょっとした違いを与えることで個性を持たせているようで、コロラドと呼ばれた個体は黒いショートボブ、メリーランドは長い髪をポニーテールにしており、ウエストバージニアは右肩へとまとめて流すスタイルにしている。

 彼女らは北米提督の指示を受けて一礼し、それぞれ浮上していった。

 また海上でも命令を受け、中間棲姫と空母棲鬼らが動く。中間棲姫を取り囲む三角滑走路が浮上して彼女の前に展開し、その全てに白猫艦載機がずらっと並ぶ。中間棲姫の鋭利な鉤爪のような手を前に出せば、三角滑走路から一斉に白猫艦載機が発艦する。

 同時に空母棲鬼もまたその手が艤装に装備されている飛行甲板を一撫ですれば、それに従って白猫艦載機がずらりと位置につく。撫でた手を勢いよく前に出し、それらもまたイースタン島の空に舞い上がる。

 追従するようにヲ級フラグシップやヌ級フラグシップからも艦載機が発艦し、イースタン島もまた新旧混ざる艦載機が上空で旋回する。まるでその軌跡によってイースタン島が深海棲艦による結界が張られたかのようだ。

 

「タイプ・アルバコア、順次接近。機を見て攻撃し、かき乱すように」

 

 次に各地に待機させているソ級に命じ、潜水艦隊がゆっくりと動き出す。ウラナスカ島方面では潜水艦隊を北方提督は用意していなかったが、北米提督は待機させていたようだ。

 海中に潜むスナイパーたちが、各々の狙撃位置を探るように移動していく中、「ウエストバージニア、水上打撃部隊、水雷戦隊を前へ」と指を動かしながら、流れるように指示。

 それに従ってウエストバージニアと呼ばれた戦艦棲姫は浮上しながら前に出る。海上でも命じられた部隊が動き出し、戦艦棲姫を迎えながらゆっくりと前進していく。

 

「艦載機の接敵タイミングに合わせ、奴らを迎撃。可能な限り、敵戦力を削り、疲弊させろ」

 

 イースタン島を結界で閉ざしたように旋回する艦載機の一部が、順次西へと飛行する。空を往く白猫艦載機。飛行音だけでなく、軋むような獣のような声を響かせながら、イースタン島を目指す艦娘たちの上を取らんとする。

 

「――さあ、来るがいい、艦娘たち! ミッドウェー海戦を再演しようじゃないか! 自分らが囮だったとしても関係ねえ、派手に盛り上げようゼ! Let’s party!」

 

 モニターに向けて今まで指揮をしていた指を勢いよく鳴らし、北米提督はミッドウェー海戦の始まりを、昏い海の底で高らかに宣言する。だがそのすぐ後に、すっと真顔になり、「そして――神よ、我が艦隊を守りたもう」と、静かに手を組んで頭を垂れた。

 

 

 イースタン島を偵察していた艦載機は全て、展開された敵艦載機によって撃墜された。これによりイースタン島の様子はモニターに届けられることはなくなった。しかし敵が動いたということを、最後に伝えてくれた。ならばこちらも動くしかない。

 空母たちが飛ばした艦載機が連合艦隊の上空に展開し、敵の奇襲に備える。展開されている偵察機もそれぞれ目を光らせ、どこから敵艦載機が来るのかを警戒。もちろん頭上だけではない。足元もまた潜水艦が潜んでいる可能性があるため、水雷戦隊もソナーを用いて潜水艦を警戒。

 いつ、どこからくるのかわからない緊張感。ミッドウェー海戦の再来という緊張感も合わさり、常人ならこの緊張感だけで圧し潰されそうな状態の中、艦娘たちは進軍する。

 そんな艦隊の中、この戦いが大きな戦いのデビューとなった艦娘も少なからずいる。呉のあきつ丸もその内の一人だった。彼女は改造によって改となったことで艦戦と対潜の装備が運用可能となったため、加えられることとなった。

 艦戦の一つ、烈風や紫電改二を飛ばして支援しつつ、対潜哨戒機も飛ばすことで、潜水艦に備える。艦隊後方からそれぞれの警戒ができる艦娘という立ち位置で艦隊の支援を行える艦娘、それがあきつ丸だった。

 

「潜水艦など、自分がいれば近づけさせないであります」

「お、言うねぇあきつ丸さん。いいデビューを飾れそうじゃん?」

「……たぶん!」

「ですよねぇ~。ま、無理に気負わずにできる限りのことをやればいいっしょ」

 

 同じ呉の二航戦に属している秋雲が茶化すように笑い、あきつ丸の緊張をほぐしてやる。この二航戦はあきつ丸の他にも大型建造の導入によって加わった大鳳という新顔もいる。彼女にも秋雲は声をかけており、同じように緊張をほぐしていた。

 二航戦の中で、秋雲はそれなりに長く活動している。その上彼女の性格と言動から、いいムードメーカーになってくれているため、新顔であるあきつ丸や大鳳、そして今は呉にいるが、大淀も無理なく動いてくれるだろうという意図をもって組まれている。

 適度な緊張と適度なリラックス、それらがあれば何とか戦えるだろう。しかし今はやや緊張が上回っている状態だ。それはあきつ丸だけではなく、他の艦娘も同様。デビュー戦だろうと、歴戦だろうと、変わらずこのミッドウェー海戦という舞台を意識する。

 そんな中で、前方に戦艦棲姫率いる水上打撃部隊が確認されたという報告が届いたとき、ぴりっと空気が張り詰めた。北米提督がウエストバージニアと呼んだ個体だ。凪たちにとっては、いつもの戦艦棲姫と違い、髪型が変わっている程度の認識の差しかない。観測された限りでは、能力は今までの戦艦棲姫と大差がないためだ。

 

「あれが噂の戦艦棲姫とやらか。なるほど、確かに戦艦らしい肉体言語を感じさせる力だ。……が、それを見せつつ上や下から攻めてくるだろう。仕掛けるならここのはず。各員、対空、対潜用意!」

 

 北条の命令に従い、身構えたところでソナーに感ありの報告が届く。次いで戦艦棲姫がいる方角とは別の方向から次々と魚雷が接近してきた。後ろの空母らを狙った雷撃だが、素早く感づいた水雷戦隊により魚雷が爆破されていく。

 しかしそうして対処に動いたのを見計らい、戦艦棲姫をはじめとする戦艦と重巡らが長距離砲撃をしかけてくる。下を意識したところに前からの攻撃。加えて水雷戦隊の突撃もあり、最前線にいる水雷戦隊も応対せざるを得なくなった。

 

「Let’s party……! 何モカモヲ、沈メナサイ!」

 

 ウエストバージニアの号令に従い、深海棲艦らが咆哮を上げる。咆哮に上乗せされるような砲撃音も海に響き渡り、一気に戦場と化したこの海で、艦娘もまた士気を上げるように吼える。

 自身の中にある緊張もまとめて吹き飛ばすように、叫びながら突撃する水雷戦隊。その中には呉と佐世保の二水戦も含まれている。呉二水戦旗艦の球磨、佐世保二水戦旗艦の龍田もまた、前線で突撃を敢行。

 雷撃すれば誰かには当たるだろうと深海棲艦の群れを相手に、次々と雷撃と砲撃を浴びせかける。加えて龍田は手にしている槍も振るい、飛び掛かってくる駆逐艦を薙ぎ払う。

 もちろん空では艦載機も動く。艦攻と艦爆は側面から敵水上打撃部隊へと攻撃を仕掛けていく。だがそれを待っていたとばかりに、その上から敵艦載機が雲の中から急降下する。

 白猫艦載機というだけあり、全身が白に覆われているため、雲の中に紛れてその時を待っていたようだ。旧型艦載機もそれに紛れこみ、白猫艦載機と合わせて、艦娘の艦載機へと躍りかかる。

 

「そこで来るだろうと思っていた! 仕掛けたまえ!」

 

 あらかじめ展開していた艦載機に加え、指揮艦の甲板で待機させていた軽空母らからも艦戦を飛ばしていく。航空隊の支援攻撃だ。戦場に出していた艦娘だけではなく、指揮艦で待機させていた艦娘もまた、支援部隊として戦場に投入する。これが北条の作戦だった。

 絶対に負けられない戦いだからこそ、北条もまた備えていることを窺わせる采配だった。

 迫りくる敵艦載機を迎撃するべく、ドックファイトを繰り広げる。その中を潜り抜けてくるのは、やはり白猫艦載機だった。旧型艦載機は次々と撃墜されるが、艦戦の攻撃や艦娘の対空砲を躱しながら迫りくる白猫艦載機。ウラナスカ島と同じような結果が、この戦いでも表れている。

 加えてすでに敵水上打撃部隊とも交戦中だ。容赦なくウエストバージニアという戦艦棲姫と、ル級を前線へと投入したことで、遠距離から砲弾も飛来してくる。上と前、そして下からとどこからでも攻撃が飛来してくるという緊張感の中、被弾を重ねてしまうのは無理のないことだった。

 

「あの戦艦棲姫とかいう旗艦を落とせば、あそこの艦隊は瓦解するのかね?」

「さて、どうでしょう。水雷戦隊は瓦解するかもしれませんが、ル級やタ級らは撤退を選ぶ可能性があります。本命はイースタン島。そちらの部隊に合流するでしょう」

「だが、道を切り開くならば、あれを落とすだけでいいんだろう?」

「できるのなら、ですが」

 

 それを防ぐのが水雷戦隊だ。あの群れがまさに防壁となり、戦艦の長距離射撃を実現させている。その防壁を切り崩すにはどうすればいいのか。その答えは力業だけではどうにもならない。それに加え、技術も必要だ。

 

「その艦、もらったあー!」

 

 呉の第一水上打撃部隊、利根の叫びが響く。放たれた弾丸が、正確にリ級フラグシップを貫き、撃沈させる。利根に負けじと筑摩、そして戦艦の榛名や比叡もまた砲撃によって次々とリ級フラグシップを沈めるだけでなく、戦艦棲姫の近くにいたル級フラグシップや、タ級フラグシップに有効打を与えた。それによって攻撃の手が止まり、攻め込む隙を生み出す。

 佐世保の第一水上打撃部隊からも、金剛や古鷹の砲撃が敵艦隊に的確に刺さる。次々と戦果を挙げていく艦娘たちに、北条は興味深そうな眼差しでヒゲを撫でながら、モニターに映る凪と湊を見やる。

 

「この混戦の中、よくもまあ中るものだね。訓練の成果かね?」

「ええ、よく訓練していますよ。まだまだ新米の身ですからね。先輩方に追いつくには、そうするしかありません」

「そうかね。それだけではないように思えるのだがね」

 

 命中させているのは弾着観測射撃の影響が多少ある。敵艦載機の攻撃の第一波が落ち着いたところで、観測機を飛ばし、砲撃を行えるようになった。第一波が落ち着いたとはいえ、それでも敵艦載機の全てが撃墜されたわけではない。

 生き残った艦載機はまた空へと上がり、イースタン島の方角へと消えていった。恐らく補給のために帰還したのだろう。その間に第二波が来ないとも限らない。それまでにはこの戦いを終わらせ、前に進まなければならない。

 迅速に終わらせるには、攻撃を当て続け、戦艦棲姫の撃沈が望ましい。そのための弾着観測射撃だが、呉と佐世保の艦娘にはそれに加えた要素が効いていた。

 

(調子が良い。これが提督の手によって整備された結果か。やりおるのぉ、本当に)

(中る。以前より間違いなく中ります)

 

 利根と榛名が砲撃しながら、そのようなことを思う。彼女たちの主砲は凪らの手によって整備され、改修されたものだ。彼らの手によって、より中りやすく、そしてより火力が出るようにと調整が施されていた。

 近海の敵ではあまりその成果が強く実感できなかったが、この戦場は違う。強大な敵を相手に、調整された主砲の火力を存分に試すことができる。これにより、成果を強く実感できるようになった。

 戦艦棲姫を相手に長距離砲撃を仕掛けても、どこかしらに中り、ダメージを与えている。よもや敵もこの距離から正確に中ててくるとは想定していないようで、どこから来たのかと困惑が見て取れる。

 

「コノ痛ミ……戦艦? ドコカラ……?」

 

 自分の艤装の魔物の砲撃は攻撃というよりも、今は牽制やかく乱を目的とした砲撃を行っている。遠距離から飛来する戦艦の砲撃を何とか躱そうとも、潜水艦や艦載機、そして水雷戦隊の雷撃が本命として差し込まれる算段だった。

 しかし艦娘の戦艦の砲撃は、まるでこれが本命と言わんばかりに正確に中ててくる。おかげで後ろでどっしりと構え、砲撃をするというプランが崩れた。それだけではない。思った以上に前線が崩れるのが早すぎる。

 第二波、第三波の艦載機の攻撃を加えて、艦娘を疲弊させるはずだったが、それが叶う前に前線が崩れてきており、艦娘の連合艦隊が前進してきている。少なからず艦娘を被弾させているのは確かだ。事実、後方にいる空母や、前線で戦っている水雷戦隊の艦娘が指揮艦に帰還している様子が見られる。

 だがそれ以上にこちら側の被害が大きい。これでは予定時間よりも早くこちらが撤退せざるを得ないだろう。

 

「加賀、攻撃ハ?」

「スデニ向カワセテイル。マモナク攻撃ガ行ワレル見込ミダ」

 

 イースタン島にいる空母棲鬼に連絡を取れば、そのような返事が返ってきた。

 自分の役割はイースタン島に向かう艦娘たちを疲弊させること。叶うならばいくつか沈めることだが、艦娘もまたこの戦いに士気を高めている。それは初戦では叶わないだろうと、除外しているウエストバージニアだ。

 ならば疲弊させ、いくらかの戦力を削ることができればと考えたが、ここでは難しくなってきた。

 計算が狂った要素は何だ? とウエストバージニアは砲撃しながら考える。飛来してくる弾丸の方角と、あらかじめ入手している情報を照らし合わせてみる。

 

「…………アソコハ、佐世保……呉、カ」

 

 指揮艦から展開された艦隊から考えたところ、そのような答えに至った。呉だけではなく、佐世保の艦娘もまた、一部の装備は凪らの調整を受けている。佐世保の金剛なども主砲を調整されたことにより、火力と命中率に補正がかかった状態だ。実際砲撃している彼女たちも、呉の艦娘と同じように、その成果に驚きに目を丸くしつつも、気分を高めて砲撃を敢行し続けている。

 攻撃を受けているウエストバージニアも、気分が乗ってきた様子を感じ取り、これは疲弊させるのは難しいだろうと判断した。このまま続けても、無駄に戦力を削がれるだけだ。ならば本陣に戻り、まとめて相手にした方が効率的だろう。

 

「総員、撤退スルワ。置キ土産を残シ、イースタン島ニ帰還シナサイ。加賀、第二波ヲヨロシク」

「承知。総員、急降下!」

 

 ウエストバージニアの命令に従い、水雷戦隊が魚雷をばらまきながら転身、イースタン島へと引き上げ始める。駆逐や軽巡の雷撃だけでなく、雷巡チ級の雷撃も混ざったその雷撃の群れは、前線にいる水雷戦隊の艦娘たちにとって、最悪の置き土産となる。

 すでに乱戦の中で魚雷を発射し、装填中の深海棲艦もいたが、それでも雷撃を行えた個体は多い。撤退のために一斉にばら撒かれた魚雷の群れは、砲撃で対処するにも数が多すぎる。

 加えて撤退を支援するために空から艦載機の第二波も加わるだけでなく、ウエストバージニアらの戦艦の砲撃も合わさることで、追撃ではなく回避に専念するしかなくなる。

 むしろこの撤退のための置き土産の方が、被害が甚大になるかもしれない。それくらいの物量の攻撃が行われている。

 

「気合でみんな避けるクマー!」

「こんなの気合でどうにかなるもんじゃないっての! 駆逐たち! ありったけのロケランぶちかましといて!」

「わーん! こんなのエレガントじゃないわー!」

 

 球磨の激に、川内と暁が叫ぶ。駆逐艦に装備されていた12cm30連装噴進砲による弾幕で、何とか白猫艦載機を撃墜させようとしつつ、ばら撒かれた魚雷も回避する。必死になって守りに徹する様に、レディらしからぬ姿を想像してしまったようだが、それでも生き残るためにやらなければならない。

 しかしそれでも被弾はする。対空にばかり専念してしまったことで、迫ってくる魚雷を避けきれず吹雪が被雷し、吹き飛ぶ。吹雪だけではない。呉三水戦の睦月や曙、佐世保の由良は初風を庇う形で被弾と、あちこちで被弾が重なっていく。

 撤退を支援する中で砲撃をしていたウエストバージニアは、あらかた味方が撤退したため、自分も下がろうかというとき、そのような艦娘の被害を見て、少し欲を出した。

 最後の数発くらいは、しっかりと命中させて一人は沈めておこうか。そのように考え、狙いやすい由良に照準を合わせる。小さな体躯よりは、成長している少女の身体の方が狙いやすい。そう考えての標的選びだった。

 

「シズメ……!」

 

 狙いすました一撃はしかし、横から由良を押し倒した初風の手によって救われた。だが砲弾は至近で水面に着弾し、立ち上る爆発で二人の身体が海上を転がる。それぞれ庇い、庇われ、二人の艦娘の命が繋がれることとなった。

 その眩い絆の在り様にウエストバージニアは目を細めるが、現実は無情だ。彼女の視線が上に移れば、そこには倒れる二人に迫る白猫艦載機があった。カラカラと機械質な鳴き声と共に、白猫艦爆が急降下し、二人へと次々と爆弾を投下する。

 響き渡る爆音と悲鳴。それを背にウエストバージニアは微笑を浮かべ、イースタン島へと帰還する。引き上げる白猫艦載機と共にしながら、また空母棲鬼へと通信を繋いだ。

 

「マズハ二人、確認シタ。感謝スルワ、加賀」

「ドウトイウコトハナイ。ソレニ、マダ始マリニスギナイ。更ナル犠牲ヲ積み重ネヨウ。ウエストバージニア、カツテハ敵デアッタ私タチダガ、今ハコウシテ共ニ戦場ニアル。更ニ艦娘ヲ沈メラレルコトヲ期待スル」

「モチロンヨ、加賀。コレデハ終ワラナイ。何モカモヲ沈メヨウ……コノ海デ」

 

 その体の被弾は少量程度、これならば戦闘続行に支障はない。自らの損傷具合を軽く確認しながら、ウエストバージニアをはじめとする水上打撃部隊は、その数を減らしながらも一時的な撤退を果たした。

 だが同時に艦娘側もまた、犠牲を払いながら前進する。ミッドウェー海戦は、お互い被害を出しながら初戦を終える形となった。

 

 



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ミッドウェー海戦2

 被害を受けた艦娘は指揮艦へと戻され、修復を受けることとなったが、それでもどうにもならないものはある。大破で留まっていればまだ回復の見込みはある。しかし轟沈ともなれば、そこで終わりだ。回復どころか引き上げることもできない。

 それぞれの指揮艦で艦娘を治療しつつ、モニターで凪たちは被害報告を行う。小破、中破、大破、そして轟沈報告だ。最初の白猫艦載機の時からそれぞれの鎮守府の艦娘に被害は出ていたが、一気に増加したのは最後の撤退の際に放たれた攻撃だった。

 佐世保の由良と初風は白猫艦爆の攻撃に耐えきることはできず、轟沈となってしまった。そのことに旗艦龍田は強い責任を感じた。二水戦から一人ではなく二人同時に喪ってしまったのだ。

 しかも本戦ではなく、前哨戦といっていい戦いでの出来事である。それなのに一部隊から二人も喪われた。龍田が今までに見せたことないほどに重苦しい表情を浮かべるのも無理はなかった。

 だが湊は彼女を責めはしなかった。大切な艦娘が喪われたのは悲しいことだ。しかしその責任を今追及する時ではない。戦いはもう始まっているし、引き返すこともできはしない。今はこれ以上被害を出さないように気を付けつつ、前進するときだ。全てが終わった後、改めて責任を問うかもしれないが、今はただその苦しみを噛みしめ、力に変え、敵を撃滅することを考えるべきである。

 そう諭すと、龍田はしばらく考え込み、了承した。

 だが犠牲者は二人だけではない。白猫艦載機の攻撃は後方にまで及び、しかも指揮艦にまで迫る勢いだった。それを止めるべく、空母などが止めに入ったが、その中で横須賀の翔鶴が轟沈してしまったらしい。

 白猫艦攻から放たれた魚雷を受けつつも、返しの攻撃で白猫艦爆を全て撃墜させる相打ちという形だったようだが、それができなければあわや指揮艦の轟沈まで有り得たという。その可能性を潰した翔鶴の奮戦に、感謝してもしきれない。

 被害報告を終え、北条は瞑目して何事かを考えているようだった。

 現在指揮艦は微速前進でイースタン島を目指している。健在な艦娘が護衛をする形となっているが、ここはまだ敵地のただ中だ。あまり時間をかけてはいられない。一時撤退した深海棲艦らが補給を行い、攻撃をしてくる可能性がある。それを考えれば、速やかに体勢を立て直したいところだった。

 また一部の偵察機が何とか再びイースタン島の様子を窺いに行くと、そこには先ほどの戦艦棲姫に加えて、二人の戦艦棲姫、合計三人がイースタン島の防衛にあたっていることがわかった。

 かの戦艦棲姫を三人揃えているということに、奴らの勝利への意思を感じさせるが、空母棲鬼が一人だけというのは、新たに生まれた存在だからだろうか。ミッドウェー海戦を意識するなら、もう一人くらいは戦艦棲姫のようにイースタン島の防衛に当たらせるものと思ったが、その様子はないようだった。

 つまりイースタン島には中間棲姫、空母棲鬼、戦艦棲姫が三人と、量産型で守りを固めているということになる。それらを崩し、中間棲姫を倒すということに、凪と湊は頭を痛める。

 ソロモン諸島での戦い、ウェーク島での戦いと、戦艦棲姫とは二つの海戦で相対したが、どちらでも強敵と呼べるだけの力を備えていた。ソロモンでは自己治癒を備えていたが、ウェーク島ではそれはなかった。先ほどの個体もまたそれは見られなかったため、あれはソロモンだけの現象だったのだろうかと疑問に思うが、どちらにせよ純粋な戦艦としての力を備えたかの存在は、大きな壁として立ちはだかるだろう。

 

「――これだけの戦力を揃えてくるだけでなく、一時撤退もする。なるほど、どうやら奴らが変化しつつあるという報告、偽りではないらしいね」

 

 今まで瞑目していた北条がそう言いながら顔を上げた。モニター越しに凪と湊を見つめるその瞳は、彼の真剣さが伺えた。

 

「君たちの提出している報告の一部は私も目を通している。深海棲艦が変化しつつあるという話も、私も少なからず感じてはいたが、しかしそれでも眉唾ものだった。あれだけ獣らしい動きをし続けていた存在が、そうまで統率されたような艦隊の動きをするものか? そういった疑念が拭えなかったものでね」

 

 「加えて、私の上の者たちが、ね」と北条は肩をすくめる。西守派閥に属している彼が、そんなそぶりをするとは、と凪と湊は少し驚いたような表情をしてしまう。彼は長く西守派閥に属している提督のはずだ。よもや派閥のトップである西守大将を煩わしく思うような口ぶりをするとは思ってもみなかった。

 

「あれだよ君、現場と上の人間とでは見方が違うというものさ。実際に戦場に出ている人間でなければわからないことってあるだろう? 事実、今回もそうだ。私の目で君たちの言う変化とやらを確認した。あれだけの優位に立ちながら、一時撤退など昔の深海棲艦はやらないことだ。最後まで食らいついてくる、それが奴らだよ」

 

 長く横須賀の提督をしている彼にとって、昔と今を比較できるという蓄積された経験が活きた。大将などの高い立場に座し、挙がってくる報告に目を通すだけではわからない、現場の空気などを感じていた北条は、そんな認識のずれを感じ続けていたのだ。ずれから生まれる上の者たちとの隔たりが年々大きくなるにつれ、心もまた離れ始めていたようだ。

 それが今回の戦いの初戦でダメ押しとなった。深海棲艦は変化している。その証拠を目の当たりにしたことで、西守派閥の中で共有されている深海棲艦は成果を挙げるための獲物という認識は、もはや意味を成さないものとなる。

 派閥の思想との乖離は以前からあったが、奴らは人類の敵、その根幹たる認識を確固たるものとする。なんとしてでも討たねば自分たちが危うい、そんな当たり前のことは、実際に戦場に出なければ得難い感情だ。指揮艦が落とされるかもしれない、そんな一番の危機を、翔鶴に救ってもらったのだから、それを無駄にするわけにはいかない。

 

「命を懸ける、そういうのをあの人たちはしないからねえ。安全な場所で指示を出し続けるだけ、そんな派閥に長く関わってみたまえよ君ぃ。心も離れるというものさ」

「でも、派閥をやめなかったんですよね?」

「そう簡単に言わんでおくれよ。簡単にやめられるものなら、私だってやめてるわぁ! 本音を言えば、近年株を上げてきている美空大将の方に、私だって付けるものなら付きたかったがね! ……でも、わかるだろう? 西守大将と美空大将の関係性をさあ」

 

 二人の大将による派閥は、深海棲艦や艦娘に対する思想的相違によって対立している上、本人同士もまた相手を良く思っていない。というよりむしろ西守大将が美空大将を嫌っている節がある。そんな西守大将の下についている北条も、本心ではこう思ってはいても、美空大将の下に鞍替えするというのは、その後のことを考えると、難しいものだったことは察せられる。

 つい問いかけてしまった湊も、そう言われてしまっては何も言えなくなる。バツが悪そうに視線を逸らすと、北条もこほんと空咳一つして、

 

「ま、そんなわけで私も少なからず思うところは常々あったわけだよ。そして今回ばかりは本当に、全力で敵を潰しにかからないとまずいというのが、先ほどの戦いで判明した。偵察結果からもそれは揺るがないだろう。その上で問おう。海藤君、淵上君、君たちの力をそれまで高めたものは何かね? 先ほどの艦娘の戦い、ただ練度を高めただけではない何かがあるのではないかね?」

 

 その言葉に凪は小さく頷いた。弾着観測射撃のことと、自分が装備を改装することで、艦娘ごとに合った微調整の成果により、よりダメージを通しやすくなっていることを説明する。弾着観測射撃は美空大将にも報告を上げていたのだが、北条のところにまでは届いていなかったらしい。それもまた、派閥による対立の影響だろう。

 

「装備の調整ね。さすがは元第三課といったところかね。そのような小技も盛り込むとは。しかしそれで成果を挙げるのだから大したものだ。なるほど、君を採用した美空大将の慧眼というやつかね」

「どうでしょう。私としましては、自分の好きなことをやっていただけですので。自分にできること、それをやりつくした結果です」

「謙遜かね。だが、納得はいく。装備の質が高まれば、自然と敵に対する有効打も増えよう。それに加えてより中るような技術が加わるのならば、君たちが積み重ねた戦果にも納得だ。やはり若者こそが新しい風を次々と呼び寄せるのだね」

 

 しみじみと頷く北条だが、凪と湊を若者と言うほど彼も年を重ねているわけではないのではないか、と心の中でぼやく凪だった。

 そうこうしている間に艦娘たちの修復も終わり、再び出撃できるようになった。これまでの間、敵からの攻撃がなかったのが気にかかるが、またイースタン島へと攻め込むことになる。だが、敵戦力のことを考えると、何らかの作戦が欲しいところだろう。

 そのことを打ち合わせすることになると、北条は意を決したように肘掛けを叩く。

 

「まだ早いと思ってはいたが、ここで出すしかあるまいよ。私は大和、武蔵を出撃させる」

「確かに決戦に相応しい艦娘ですが、大和と武蔵を用いてどのように?」

「……火力こそパワー! あの二人の火力を最大限に活かせるように、空母もまた充実させ、護衛する。その上で大和型主砲を叩き込む! 以上だ」

 

 なるほど、わかりやすい。わかりやすいが、それでいいのだろうか? と凪と湊は目を細めてしまう。そんな二人の視線を受けて「仕方がなかろう! 私は君たちの提示した二つのものがないのだからねえ!」と、弾着観測射撃と装備の件をボヤいた。

 

「第一のやり方としては大和型の力を叩き込むことだが、それ以外については臨機応変としか言えないね。それぞれがカバーしあい、戦いを進めていくしかあるまいよ。細かいところは各々の判断に任せよう」

「……それしかないですね」

 

 北条の艦娘たちとのコンビネーションは、湊の艦娘たちほど上手くいくとは思えない。佐世保とは交流しているが、横須賀とは全くなかったのだ。初対面の状態で、戦場でいきなり息を合わせて動けるとはとても思えない。

 だから大まかの方針だけ決めておき、ある程度合わせるように動くしかないだろう。

 一つの方針という柱を立て、それを支えるように臨機応変に対応すれば、突破口が開けるだろう。そう信じて今は動くしかない。北条は大和と武蔵を加えた編成を組み、改めて連合艦隊を出撃させることにした。

 二度目の出撃、これがイースタン島における、ミッドウェー海戦の戦いの終わりを飾るものでありますように。そう願うばかりだった。

 

 

「補給、修復は終わったか。なら、まだ行けるネ?」

 

 北米提督は帰還したウエストバージニアに対し、そう問いかける。彼女は小さく頷き、自らの体の具合を確かめる。初戦で受けた傷はなくなり、消費された弾薬も補給されている。

 だが共に戦った仲間たちの大半は沈んでいる。とはいえ深海棲艦にとって、ただ沈むだけでは終わらない。残骸は回収され、このイースタン島の深海に築かれた仮拠点に収められている。その際に、前哨戦で撃沈した由良、初風、翔鶴の亡骸も回収され、運ばれてきた。

 北米提督にとって轟沈した艦娘に対してあまり興味はないのだが、事前の中部提督との打ち合わせの際に、もしも艦娘を撃沈させたならば、その亡骸も回収するように頼まれていた。どうやら中部提督はラバウルの霧島のように、何かに使えるだろうという算段があるようだが、詳しいことは北米提督にとってよくわからない。

 わからないことを考えるのは北米提督の性分ではなかった。ただ頼まれたからこうして回収だけはしておこう。そう考え、撤退の際に回収を指示しておいた。そして戦いが終わるまではどうにもしないということで、拠点の隅に放置されることとなる。

 

「艦載機の補給の完了、これで次の戦いも問題はなくなる。敵も恐らく先ほど以上の戦力が来るに違いない。……前線の対処に必死で、ミッドウェーまで攻撃が届かなかったというのが気になるが……ま、それだけ奴らは慎重になっているということだろうネ」

 

 北米提督の推測では、前線の戦いに対処しつつも、一部の艦載機は中間棲姫まで送るかもしれないと考えていたのだが、その気配は全くなかった。彼らが慎重になっていたということもあるが、恐らく中部提督が開発した白猫艦載機の影響もあるだろう。

 

「新型艦載機、か。ふん、ギークがこれだけの性能に仕上げてくるとは。やはりこれに関しては自分も認めざるを得ない。前世はどれだけの腕利きの技師だったのやら。……ま、自分が深く気にすることはないんだけどネ! HAHAHA!」

 

 少しだけ真剣な表情で中部提督に思いを馳せたかと思いきや、ころっとテンションを切り替えて笑い飛ばしてしまう。それだけ彼にとって中部提督という存在は、あまり興味の対象となっていない証だ。

 では何が彼を動かすのか。所謂亡霊の歪みは、北米提督の中ではどのようなものなのか。それは中部提督、北方提督も詳しくは知らない。ミッドウェー海戦の作戦に参戦しているが、二人は北米提督のことをそれほど詳しくは知らないのだ。

 ただ陽気で、色々なことを笑い飛ばす、深海勢力に属しているのに奇妙なほどに明るい人物。そう認識されている。だが彼はかの米国を相手にそれなりに長く戦っている深海提督であることは間違いない。その経歴が彼の実力を証明しているのだ。

 

「ではウエストバージニア、君もミッドウェーの防衛を。コロラド、メリーランドと共に壁となるんだ。でも、気が乗ったら先ほどの戦いの借りを返すべく、前に出てもいい。そこは君の判断に任せるよ」

「……ワカリマシタ。ソノヨウニ」

「OK! Good luck!」

 

 陽気に指を鳴らして両手で彼女を指さすと、そんな彼に苦笑を浮かべ、一礼して浮上していくウエストバージニア。彼女を見送った北米提督は、モニターを切り替えて中部提督に通信を繋ぐことにした。数度のコールの後、モニターに中部提督の姿が映る。彼は岩に座っているようで、北米提督と同じように複数のモニターを眺めているようだった。

 

「どうかしたかな?」

「こっちは初戦を終えたところだ、ギーク。三隻の撃沈、回収を行っている」

「へえ、さすがは北米さん。初戦からそのような戦果を挙げるなんて、大したものです」

「いやいや、そう褒めても回収した三隻ぐらいしかやるものはないってね。それで? そっちの戦況はどのような? そっちもパーティタイムしているんだろう?」

「ええ。間もなく交戦開始(エンゲージ)ってところですよ。北方さんからの連絡はありませんが、手筈通りなら向こうも始めている頃合いでしょう。作戦は成功です」

「それは何より。では、自分らはもう少し奴らに手傷を負わせるとするかね」

 

 確認すべきことはした、とばかりに通信を遠慮なく切ると、再び戦場へと映像を切り替える。こうしたすぱっとした対応もまた、北米提督の特徴だった。元より彼は中部提督を「ギーク」と呼んでいるところから見ても、格下と捉えている。似たような意味合いの言葉がもう一つあるが、ギークと呼ぶという点からして、白猫艦載機だけでなく、それ以前でも成果を挙げている点に関しては、中部提督のことを認めてはいる。

 認めてはいるが、それでも自分より後に生まれた深海提督であり、自分と比較して戦果はそれほどないのは間違いない。そこを踏まえた上でのギーク呼びだった。

 

「次なるステップに至るためにも、自分たちも実戦を積まなきゃならない。この戦いはその一つでしかない。コロラド、メリーランド、ウエストバージニア……どれでも構わない。小さな兆候を見せてくれたなら、自分は次に進める……!」

 

 北米提督がこの戦いに参戦した理由がこれだ。深海提督もまた、何らかの先がある。ただの亡霊から前世の記憶を思い出し、歪みを抱えながらも自己を確立する。それは中部提督だけでなく、北米提督もまたそれが存在している。

 だが深海提督にはその先があるという話だ。それは北方提督や欧州提督のように、両目からオーラが立ち昇り、より深い闇を抱える姿から見ても明らかだろう。だがそれは北方提督が、元が艦という影響も少なからずあるのだが、それを北米提督は知る由もない。

 しかし北米提督は信じている。

 自分が深海で蘇り、かつての祖国を相手に戦っているのには理由があるのだと。こうして二面性のある顔を持ちながら、深海で活動し続けているのは蘇った意味を求めているからだ。

 死からの復活は、かつて信仰していた宗教にもあるように、一種の救済の側面がある。善き人も悪しき人も、等しく死からの復活し、何らかの救済がもたらされる。善き人は新たなる命の復活へ、悪しき人は裁きを受け、罪を洗い流す。

 では自分は? 昏い海の底で死から復活した自分の今の行いは何だろう?

 沈んでも蘇る異形の存在に囲まれる自分は、深海から人類へと差し向けられる、死への誘いの手をもたらすものだろうか? ならば全ての人類に等しく死を与え、自分と同じように死からの復活をもたらす先兵となったのだろうか?

 そんなことを、思考の片隅に置いているのだ。

 でも何かがおかしくないだろうか? いいや、おかしくない。死が救済をもたらすための第一歩ならば、等しく祖国の人類たちにも与えるべきだろう。

 信仰していた神がおわすならば、どうして大地の上ではなく、海の下で自分は目覚めたのだろう? 神は存在する。稀に自分に囁きかけるかの声が、神託でなくて何だというのか。

 そんな二つの思考が、声が、時に北米提督を惑わすことがあった。だからこそたまに彼は、死からの復活の意味を問う。その瞳の光が明滅し、ぼうっと虚空を見つめながら動きを止め、やがて何もなかったかのように、深く考えることはないと笑い飛ばすのだ。

 それが彼の歪み。

 生前から持ち続けていた信仰。彼の祖国では当たり前のように国民が信仰していた一つの宗教から生まれる考えに引きずられ、今の自分に疑問を持つことによって生まれた歪み。

 それが彼の性格と合わさることでより「北米提督」という人の思考が乖離し、より歪みを促進させていた。

 だが彼はそれを気に留めない。ただ深海提督の一人として、自分のやるべきことを遂行する。そうすることで、自分が抱いている疑問を思考の隅へと追いやる。中部提督などと同じように、深く気にする事柄ではないと処理してしまうのだ。

 しかし名残はある。一度額に指を当て、軽く手を組み、頭を垂れて祈りを捧げる。無意識ではあるが、時に指がそうして祈りを形作る。それだけ生前は信心深かったことを窺わせる。記憶としては復帰しているが、彼の信仰心はかつての神と、今の自分を存在せしめた何かに向けられている。二つのものは両立することはないが、ふと過去に引きずられたときは、戦いの前にかつての神へと祈りを捧げるような仕草をするようになっている。

 祈りを終えればモニターに映る戦場を見据え、再び彼は指を鳴らして宣言する。

 

「Let’s party! 艦娘どもを歓迎しようじゃないか! メインディッシュを見極め、たらふく食らいつくしてやれ! 総員、戦闘開始!」

 

 北米提督の声が響き、海上の深海棲艦たちが声を上げる。

 ミッドウェー海戦は本格的な戦闘状態へと移行した。

 



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ミッドウェー海戦3

 

 空母から発艦した艦載機がイースタン島へと飛び立つ。イースタン島への攻撃隊と、艦隊を守る護衛隊が展開され、じっくりと前進する。同時に潜水艦に対しても警戒する。事実、先ほどもどこからか差し込んできた潜水艦を改めて発見し、それぞれの水雷戦隊が撃破にあたった。

 潜水艦の発見にはソナーが役立つが、あきつ丸の放った対潜哨戒機もまた活躍する。潜水艦撃破の支援を行った、という点だけでもデビュー戦としては十分な成果を挙げたといえる。もちろん艦戦のサポートもまたこの状況においては重要だ。ある意味あきつ丸にとって華々しいスタートを切ったといっても過言ではない。

 だが道行は険しい。イースタン島が見えてくる頃合い、前方に展開されている深海棲艦の艦隊が一斉に突撃を仕掛けてきた。そして後方、イースタン島では中間棲姫が三角滑走路を前方に展開し、そこにずらりと白猫艦載機を出現させ、発艦させた。

 

「何度デモ、何度デモ攻撃ヲ。敵戦力ヲ削リトレ」

 

 空母棲鬼の命に従い、展開されている艦載機が艦娘たちに向けて移動を開始した。また凪たちがあらかじめイースタン島へ偵察機を送っていたが、空母棲鬼もまた艦載機の群れの中に偵察機を混ぜていたようで、艤装に腰かけながら偵察機から送られてくる光景を確認する。

 この偵察機からの光景は北米提督が見ているモニターにも映されており、潜水艦から送られてくるものと合わせて確認しているものだ。空母棲鬼は頬に手を当てながら、向かってくる艦娘たちの様子に目を細める。

 

「先ホドハイナカッタモノガイルナ」

 

 偵察機から見えた光景に、初戦ではいなかったものが後方に確認できた。横須賀の艦隊にいる大和と武蔵である。迫ってくる艦載機に対し、三式弾と機銃で対抗する二人の様子を確認した空母棲鬼は、あの艦娘は誰か、と北米提督に問いかける。

 

「こちとらアメリカ相手に動いていた存在だよ? 日本艦については詳しくは知らないネ。一応中部からデータは送られてはきているが……っと、ああ……片割れは大和らしい」

「大和。……フム、ナラバモウ片方ノ重武装戦艦ハ武蔵トイッタトコロカ? ナルホド、艦娘ノ武蔵ハアレカ」

 

 空母棲鬼の知る武蔵は戦艦棲姫のことだ。今でこそコロラドなどの名を与えられているが、モデルとしては武蔵を参考に作られている。艦娘としての姿はああなるのか、とどこか興味深そうだ。

 ちなみに自分と同じ加賀に対しては、初戦で遠方から確認しており、同じように興味深そうにはしていたが、それ以上は何もなかった。艦娘としての自分を見たところで、今の彼女にとっては等しく潰すべき敵でしかない。

 感傷を抱くような性格をしているわけではない空母棲鬼は、1隻の艦として戦場に在るだけである。

 

「ナラバ艦載機、コノルートヲ通レ」

 

 と、空母棲鬼が一部の艦載機に向けて航行ルートを指示し、それを受けて放たれた艦載機の一部が部隊から離れる。残った部隊は向かってくる艦載機に目掛けて飛行し、ドックファイトを展開した。

 

「撃チ落トセ。ミッドウェーニ近ヅカセルナ」

 

 艦載機同士の交戦や深海棲艦の対空射撃を掻い潜り、中間棲姫に迫る艦載機を迎撃すべく、空母棲鬼が命令する。イースタン島上空に残っていた艦載機と、護衛のために残っている深海棲艦が対空射撃を行う。

 突撃した攻撃機は少数だが、その少数がさらに対空射撃などによって削られる。それでも中間棲姫へと届いた機体が、彼女へとダメージを与え始めた。腕で顔を庇いながらも中間棲姫に備わっている艤装が反撃する。

 基地型のため艦載機を発艦させるだけでなく、砲撃をこなすこともできる。向かってくる艦載機を撃ち落とす機銃だけでなく、迫ってくる水雷戦隊に向けて主砲からの砲撃。前と上、どちらにも対応する基地型の深海棲艦だが、今回は周りの深海棲艦の圧が強い。そのため飛行場姫や離島棲鬼の時のようにはいかない。

 

「頃合いを見て補給をしたまえ。使い切るまで攻撃をしなくていい。そこを突かれれば終わりが見える」

 

 何度も艦載機を展開している空母に向けて北条がそう言葉をかけた。凪もモニターと艦橋から見える光景、そして広げられている海図を眺めながら、思考する。

 海図の上には駒が並べられており、ある程度の現状を反映されたものになっている。ここには大淀がいないので、妖精たちが懸命に駒を動かしているようだが、ここにはないものとして、艦載機の動きがある。

 そればかりはモニターや、艦橋から見えるもので判断するしかないが、こうして自分が遠方から見ていることを、敵側もやっていないわけがないと凪は考える。もしここに中部提督がいるならば、絶対に戦況を眺めつつ指示をしているはずだと推測していた。

 その上で考えてみる。この状況を一気に変える手段は何か。

 一つは指揮艦を直接狙ってくること。それは潜水艦でやってくる可能性が高いため、護衛として水雷戦隊の一部を指揮艦に配置する。これは以前から行っていることであり、ソナーの感も高めて警戒している。その甲斐あって、いくつかの潜水艦の撃破を行えているため、今のところ指揮艦は守られている。

 ではそれ以外に考えられることは何か。

 

「ミッドウェーなら、上もあり得る」

 

 敵艦載機による奇襲。上を取られることで対空射撃が間に合わない中での撃沈を考えるならば、指揮艦はこれ以上ないほどの的だ。装備は一応あるが、艦娘の艤装ほどの力は発揮できないし、深海棲艦にはほとんど通用しない。敵艦載機にも同様だ。

 だからこそこの指揮艦にも控えの空母や、対空射撃を行う艦娘を待機させている。その備えは行っているから安心とはいいがたいのがこの戦場だろう。

 そしてそれは、艦隊後方にいる主力部隊も同様だ。空母や駆逐艦などの守りを付けているが、万全と胸を張って言えるわけではない。仮に空母の補給のタイミングを狙われたらどうするのか、そう考えると、こちらの切り札を先に潰したいという敵の思惑が叶うことになる。

 こっちが大和と武蔵を切ったという情報、果たしてそれを敵に知られたのかどうか。

 この戦い、大和と武蔵を守り切れるかどうかに、決着のタイミングが変わってくるに違いない。生憎凪の大和は呉に置いてきた。だからこそ横須賀の二人を守らねばならない。

 

「横須賀の護衛についた子、タイミングを見て、できるだけ早くこっちに戻ってきて補給を。三水打は対空装備をチェックして、横須賀の護衛へ。恐らく来るかもしれない。……それと、一水打はそろそろ前に。前に出れば、恐らく向こうも仕掛けてくるはず」

 

 こういうのは、先に向こうから切り札を切らせた方が有利だと凪は言う。もし想定した通りの動きを見せてくるならば、それを防ぎ切り、大和と武蔵を含めた主力部隊が切り返すことができれば、それだけ戦いの終わりが早まるはずだ。

 問題は防ぎ切り、なおかつ切り返せるだけの被害に留められるかという点だが、こればかりはその時にならなければわからない。凪はそのためにも第一水上打撃部隊に、攻撃を指示した。

 

「道を作ります、全主砲斉射!」

 

 榛名の掛け声に従い、戦艦らが一斉に砲撃。水雷戦隊の頭上を飛び越し、リ級、ル級、タ級へと命中。それによって怯んだところに、水雷戦隊が一斉に雷撃。それによってイースタン島前面の守りが崩れるが、それをカバーするようにイースタン島の三つの大きな壁の一つ、ウエストバージニアの戦艦棲姫が前に出てきた。

 雷撃を行ったことで魚雷装填に時間がかかる水雷戦隊では、戦艦棲姫に対して有効打は与えづらい。一旦前進をやめ、砲撃しながら迂回するしかない。「……! 対空意識! 艦載機が来ます!」と、呉の三水戦旗艦の阿武隈が叫ぶ。

 カラカラと笑うような音を響かせながら上から迫る白猫艦載機。カブトガニのような旧型の艦載機は、純粋に兵器として運用されているかのような無機質さがあったが、機械の白猫のような見た目に加えて、意思があるかのような目の光や口の動きをしているため、見た目に加えてより不気味さが増している。

 それが頭上から迫ってくるのだから、駆逐艦などにとってはたまったものではなかった。思わず小さな悲鳴が出てしまうのもやむを得ない。投下される爆弾をかわしながら、一時後退をする呉三水戦。

 逃すまいとウエストバージニアが砲撃を仕掛けるが、それよりも早く遠距離からの攻撃が届いた。

 

「突撃せよ! 奴らより先手を取って攻撃じゃ!」

 

 呉第一水上打撃部隊の利根の声に従い、それぞれの重巡らが砲撃を浴びせかける。戦艦の装填時間よりも早く終えた彼女たちの攻撃は、ウエストバージニアの動きを止めることに成功した。

 その間に三水戦が一時離脱に成功し、入れ替わるように佐世保や横須賀の水雷戦隊が前に出て、次の壁を打ち破りに行く。魚雷の装填時間に合わせ、それぞれが入れ替わりつつ前進を重ねる。それをフォローするのが後方の艦隊。その形がここに成立した。

 加えて白猫艦載機に対応してきた艦戦の妖精により、少しずつ制空権を奪取し始めている。隙を見出だした戦艦や重巡の三式弾の援護もあり、展開されていた敵艦載機が撃墜され、いよいよイースタン島への攻略の目途が立ってきた。

 

「切り込むわよ~。さっきの借り――返させてもらうわ」

 

 その中の一人、佐世保二水戦旗艦の龍田が、いつもの緩やかな声色から一転、静かな怒りを込めた宣言と共に、手にしている艤装武器の槍を握り締める。二水戦から由良と初風という犠牲者を生み出したウエストバージニア。とどめを刺したのは白猫艦載機だが、そのきっかけを生み出したのは、目の前にいる彼女である。

 ウエストバージニアも殺気を伴って迫ってくる龍田に気づくが、軽巡に何ができるのかと首を傾げている。「雷撃、斉射!」という龍田の指示に従い、一斉に魚雷が放たれるが、それだけでは意味がない。

 ウエストバージニアも馬鹿正直に受けるはずもなく、回避行動を取りつつ、魔物が直撃してくるものから女性体を庇う。いくつかの魚雷が腕に着弾し、勢いよく水柱を立ち昇らせるが、そこを狙って龍田が急激にウエストバージニアへと接近した。

 水柱の陰に隠れながら、ぐっと槍を握り締めると、彼女の怒りに呼応してか、薄く光が手から柄を伝い、切っ先へと伸びていく。加えて龍田自身も、自分の中から力が湧いてくるだけでなく、足元から何かがせり上がってくるかのような感覚を覚えていた。

 踏みしめる赤い海、そこから力が汲み上げられているというのだろうか。まるで井戸に桶を下ろし、そこに力のようなものが満たされ、汲み上げられているかのようだ。ただその量は井戸水のように豊富ではなく、少量のものをゆっくりと時間をかけて上がってきているようなもの。

 それが自分の中で巡っている力と反応し、手を通じて槍の切っ先に集められているかのようだった。

 

「貫き、爆ぜろ……! 吹き飛びなさい!」

 

 雷撃を受けた箇所目掛けて突き出せば、驚くほどに刃が通り、槍に備えられている砲門から砲弾が射出され、勢いよく爆ぜる。それはいつもの砲撃よりも明らかに威力が向上したものだった。

 凪や明石による調整の成果もあるだろうが、それでも先ほどまで行っていた砲撃よりも数段強い威力。その爆風によって思わず龍田自身も目を瞑ってしまうほどである。

 それは女性体を庇う腕を吹き飛ばし、女性体をあらわにしてしまうには十分なものだった。驚きに目を見開くウエストバージニアと、龍田の視線が交錯する。そのまま龍田がウエストバージニアへと追撃を行うかと思われたが、龍田はぐっとこらえてバックしつつ、砲撃を行う。

 とどめを刺すのは自分ではない。雷撃も行っている自分では、彼女へととどめを刺すことはできない。自分にできるのは、こうしてウエストバージニアが龍田へと意識を向けさせることだ。

 

「標的、戦艦棲姫。全主砲、薙ぎ払え!」

「全砲門、開けッ! いよいよこの武蔵の戦いの始まりだ!」

 

 大和と武蔵の号令に従い、大和型の主砲が一斉に火を噴く。二人の大和型により全砲門斉射は、他の戦艦らによるそれとは音圧が大きく異なる。空気が痺れ、海も震える。そして遠方にいるウエストバージニアもまたその響いた衝撃に気づき、龍田からそちらの方を見やり、咄嗟に防御態勢を取った。

 だが魔物の片腕がない中で、完璧な防御が取れるはずもない。降り注ぐ弾丸が次々とその黒き身体を貫いていく。主砲も、身体も、そして腕で庇ったその女性体もまた貫通し、彼女に大きなダメージを与えた。

 

「――ッ、ク……!? 今ノハ……何ダ……!?」

 

 ウエストバージニアは状況を把握しようとするが、攻撃の手は止まらない。制空権を奪取した艦載機による追撃が襲い掛かっていく。大和型二人の攻撃によって大きく負傷した魔物では守り切れず、ふらりと力なく崩れ落ち始めた。

 そこに目掛けて佐世保の三水戦、阿賀野と能代が魚雷を放ち、それがとどめになった。雷撃による爆発でその身体が吹き飛び、艤装の魔物の腹へと叩きつけられる。呻き声を上げながら、混乱する頭の中で、自分は負けたのだと悟る。

 遠方にいる大和と武蔵、それを投入してきた。そしてその砲撃によって簡単に自分はこうまで追い詰められる。その情報を荒い息を吐きながら何とか後方に送り、そして自分は海に沈んでいく。

 また龍田が軽巡にしてはおかしい力を振るったことも併せて送信した。これに関しては不可解すぎたため、確証がないままあやふやな情報として送られることとなる。

 

「マダ、終ワリデハナイ……私ガ落チテモ、マダイル……。後ハ任セタワ、コロラド……メリー……」

 

 力を失い、崩れ落ちていく魔物が頭上から覆いかぶさる中、ウエストバージニアは静かに海中へと沈む。だが、その命は繋がれている。艤装や魔物こそ二人の大和型の砲撃を受け続けたことで、ボロボロにはなっている。だが彼女自身は数発の徹甲弾の貫通と、雷撃を受けただけで、撃沈に至る程の負傷ではなかった。

 その代わり、この魔物はもう駄目だ。身体はどんどん崩れ落ち、ただの残骸と成り果てながら海底に沈んでいく。魔物の振る舞いからして艦娘たちにはウエストバージニアを撃沈させたと思わせられただろうが、女性体はこうして撤退には成功している。その上、敵の戦力の情報をその身で体感し、共有したという成果もある。それだけの仕事をこなしたのだから十分だろう。

 

「よくやった、ウエストバージニア。後はゆっくり休むといいさ」

 

 頭に聞こえてくる北米提督の労いの声を受け、ウエストバージニアは一人、戦線離脱を果たした。

 

「やった、やったわ能代! 私たち、大戦果を挙げちゃったかも!」

「落ち着いて阿賀野姉ぇ! まだ戦いは終わってないから! みんな、魚雷装填しつつ一旦下がりますよ! 呉の三水戦の皆さんの所へ!」

 

 ウエストバージニアを落としたところで、まだ戦いは終わっていない。遠方から攻撃を仕掛けてくる二人の戦艦棲姫に、艦載機を展開する空母棲鬼、そして目標である中間棲姫は健在だ。

 加えて中間棲姫は奪取された制空権を取り戻すために、再び三角滑走路を前へと展開し、一斉に発艦させる。これで何度目の艦載機の発艦だろうか。一部生存して帰還した艦載機の補給も行っていることを考えると、かなりの数を用意していることは間違いない。

 だがこちらも指揮艦という拠点が存在する。艦娘の艦載機が少なくなれば、指揮艦へと一時帰投し、補給を行うことで回復ができる。現在も一部の空母が指揮艦へと帰投し、控えの空母が交代して位置につこうという時だった。

 その様子をずっとイースタン島で艤装の上に腰かけ、腕を組みながら偵察していた空母棲鬼が見つめていた。

 

「頃合イカ――カカレ、敵機直上、急降下……!」

 

 指を立ててすっと上から下へと下ろしながら命令する。すると、雲の中に隠れてその時を待ち続けていた白猫艦載機が、一斉に艦隊の後方にいた主力部隊へと躍りかかる。先行して放っていた白猫艦載機を雲の中へと隠し、艦隊を守る一部の空母がいなくなるタイミング、それを待ち続けていた空母棲鬼。

 まさにここぞという奇襲のタイミング。

 死神が鎌を構え、笑いながら獲物へと襲い掛かるかのように、白猫艦載機が凪たちの切り札、大和と武蔵を撃沈させるべく急降下。頭上を取った白猫艦爆は爆弾を、側面を取った白猫艦攻は魚雷を放ち、一気にダメージを与えんとする。

 だが、それを読んでいた北条が、護衛隊に対空重視の装備を充実させていた。凪と湊もまた大和と武蔵の護衛に向かわせていた艦娘にも、対空面を意識させている。特に12㎝30連装噴進砲というロケランに加え、25㎜三連装機銃などの機銃の配備。加えて対空電探も用意することで、絶対に敵艦載機から大和と武蔵を守るのだという意気込みを見せる。

 それでも、それでも白猫艦載機は止まらない。襲い来る機銃の弾と、ロケランの弾すら掻い潜って攻撃を仕掛け、大和と武蔵を、加えて主力部隊に属している空母すらも戦闘不能にさせるべく次々と襲い掛かる。

 

「ハッ、備エルカ。当然ノ采配ダ。ダカラトイッテ、ソレデ終ワルトデモ?」

 

 すっと空母棲鬼が艤装の飛行甲板を撫で、もう一度空へと手を伸ばす。するとバチバチと赤い稲妻のようなものが腕を伝って指へと至り、その先に白猫艦載機が円環のような陣を形作って顕現した。

 

「ミッドウェー、続クガイイ」

「了解。全機、飛ベ」

 

 中間棲姫が頷き、両手をぐっと組み合わせて力を込める。すると彼女の周囲に白猫艦載機が赤い閃光を放ちながら点々と顕現。何度か彼女の周囲を飛び回る白猫艦載機は、赤黒い力を込めた中間棲姫の伸ばした右手の前へと集まり、螺旋を描きながら一気に飛びあがる。

 渦を巻きながら上空前方へと突き進むそれは、まさに赤黒い竜巻の如く。深海棲艦ならではの力の粒子が弧を描き、勢いを殺さないままに両陣営がぶつかり合う前線へと到達。一部の白猫艦載機がそのまま急降下し、前線の艦娘へと攻撃を仕掛けるも、残りの大半は前線を通過して艦娘の艦隊の後方、主力艦隊へと迫る。

 その上には空母棲鬼が放った白猫艦載機が高高度を保ち、迫っていた。またしても二人の上空から急降下し、攻撃を仕掛ける算段のようだ。

 

「全機、発艦してください! とっておきを食らわせてやって!」

「鎧袖一触とはいかないでしょうが、それでも、食らいつきなさい。培った経験、ここで発揮しなさい」

 

 呉一航戦の千歳と加賀の言葉に従い、大和と武蔵を守るために艦戦が一斉に放たれる。加えてそれぞれの指揮艦に待機、補給に戻った空母からも艦戦が放たれ、それぞれの方角から合流するように白猫艦載機へと迫る。

 敵が深海としての力を付与したならば、艦娘の艦戦は積み重ねられた経験。それにプラスするならば、呉と佐世保には小さいことかもしれないが、凪や夕張、明石の手による改修強化が施されている。

 凪の手でより艦娘にフィットし、夕張と明石の手でより設備の効果が発揮されるように施された調整。それによって通常の艦戦よりも高い性能を発揮できる。烈風や紫電改二などに搭乗している妖精たちの目が光り、迫りくる不気味な敵艦載機を捉える。

 

「こちらもタダでは落ちてやらん! 私はここだ! 当ててみるがいい! もちろん、抵抗させてもらうがなぁ!」

 

 武蔵も空に向かって高らかに挑発するように叫びながら、機銃を連射。同時に主砲には三式弾を装填し、一直線に向かってくる白猫艦載機へと砲撃する。敵が武蔵の言葉に乗ってきたならば、向かってくる軌道は容易に推測できる。あとはそれに合わせて三式弾を炸裂させればいい話だ。

 更なる力を備えて攻撃をしてくる艦載機の群れ。それを前にしてもなお、艦娘たちは折れることはない。ここで敗れれば、後ろにある指揮艦も無事では済まない。自分たちを守ると同時に、指揮艦に乗船している提督をも守るために、ここで落ちるわけにはいかないのだという気持ちが、彼女たちに力を与えている。

 大和も機銃で抵抗するも、その瞳は遠くにいる敵を捕らえていた。武蔵や空母たち、そして周りの護衛をしてくれる駆逐艦の対空射撃によって防空態勢は整っている。だが守ってばかりではじり貧になるのは間違いない。どこかでこちらからも反撃の一手を打たなければならない。

 ではここで誰を撃てばいいのか。

 遠方から敵を探りつつ、照準を合わせる相手を探っていた横須賀の大和。偵察機から届く情報を横須賀の指揮艦を経由して共有する中で、大和は中間棲姫が敵艦隊の旗艦というより、敵の作戦の中心に据えられている存在ではないかと推測した。

 先ほどから繰り返される艦載機の攻撃は、確かに基地型の中間棲姫から放たれるものの数は多い。だがそれを指示している存在が別にいる。それは少し離れたところで全体を見渡すようにしつつ、攻撃の機会を窺っている空母棲鬼ではないかと考えた。

 中間棲姫の前にいる二人の戦艦棲姫はただの護衛だろう。今もなお、前線に向かって遠距離砲撃を行っているが、大和たちまで砲撃を届かせていない。やろうと思えばできるだろうが、中間棲姫を守るならば、前線に食い込んできている部隊を攻撃する方が確実だ。

 また空母棲鬼は最初からあそこに居座るだけで、動いてはいないようだった。誰かと話しているそぶりを見せ、時に艦載機の発着艦を行い、指示を出す。それの繰り返しをしているようだった。ならば、彼女を何とかすれば、敵艦隊の指揮系統は若干の乱れを見せるだろう。

 もちろん、空母棲鬼を落とすことができれば、艦載機の数も減ることが期待できる。それを踏まえた上でも、彼女に攻撃を仕掛けるのは反撃の一手として悪くないはずだ。

 

「照準合わせ、ヨシ。全砲門斉射! てぇーーッ!!」

 

 一方空母棲鬼は、変わらず艤装の上に腰かけながら、帰還してくる艦載機を回収し、補給を行っていた。放っている偵察機と、潜んでいる潜水艦からの通信で、艦娘たちの様子を窺いながらの戦闘。

 この戦いが彼女にとってのデビュー戦ではあるが、深海棲艦が蓄積しているデータと、加賀としての戦歴を参照し、ある程度の知識を備えてはいる。だがデータや知識はあっても実戦感覚はゼロに等しい。そんな中で、このような大きな戦いでどっしり構えるのは、空母として全体を見渡せるだけの装備や力が備わっているのが関わっていた。また後方に座していれば、とりあえずは安全という北米提督の采配もあった。

 ふと、視線が中間棲姫へと向けられ、

 

「ミッドウェー、次ハ出セルノカ?」

「イイエ、今ハ全部出シテイル」

「……ン? サッキノ『全機飛ベ』ッテ、本当ニ全機出シタノカ? ……ソウ、妙ニタクサン飛ンダト思ッタガ、イイダロウ。トリアエズ、マダ膠着状態ハ続クノハ間違イナイ。引キ延バシ、時間ヲ稼グ。次ノ部隊――――何ダ、コノ音ハ?」

 

 また右手に深海の力を集め、艦載機を発艦させようとした空母棲鬼だが、不意に耳に届く謎の音。それに首を傾げていると、空から降り注ぐ徹甲弾にその身を貫かれる。

 横須賀の大和が放った主砲の弾丸。超遠距離からの攻撃のため、時間をおいて今、空母棲鬼へと届いたのだ。だが超遠距離のために照準は合わせてはいても、ズレが発生してしまう。ましてや奇襲の一撃のため、前の砲撃を参考に照準合わせもしていない、文字通り一発勝負の一撃だ。

 何発かは直撃せずに海へと落ち、水柱を立ち昇らせるが、それでも二、三発は空母棲鬼とその艤装を貫いた。しかも丁度深海の力を行使しようとしていたところだったため、空母棲鬼へとダメージを与えた拍子にエネルギーが乱れ、暴発を起こしてしまう。

 

「ガァ……グ、馬鹿ナ……誰ガ……!?」

 

 力の暴発、暴走によって、身体のあちこちから連鎖的に力が爆発を起こし、彼女の手足を覆っていた鎧のようなものが吹き飛ぶ。加えてセーラー服のようなところも焼け焦げ、吐血しながらも、空母棲鬼は自分を撃った何者かを探った。

 

「イヤ……コノヨウナ遠距離砲撃、デキル奴ハ限ラレル。フ、フフ……ヨモヤ一瞬ノ隙ヲ突イテコンナ真似ヲスルトハ。流石ハ大和型、単ナル時間稼ギノツモリダッタガ、私トシテモコレデ退場スルナド、カツテノ一航戦ノ一翼ノ面目ガ潰レル」

 

 暴れる力を何とか制御し、ぐっと拳を握り締めて、改めて赤黒い力を全身に巡らせた空母棲鬼。焼け焦げた服の修復はできないが、今はそんなことはどうでもいい。自分を撃った大和、あるいは武蔵に、今まで以上の矢を放つ。

 そのために自分の中で更なる力の向上を。深海の加賀として新生した空母棲鬼、その中に埋められていたリミッターを限定解除。中部提督が調整したこのモデルの中に秘められたそれを浮き彫りにし、一時的な力の制限を外すことで、短期間ではあるがより艦載機の性能を向上させることができる。

 この力はすでに中部の秘書艦である赤城が発現している。そのため手足に赤い亀裂のような線が走っているが、あれは深海棲艦の力が強く巡っている証だ。この空母棲鬼にはそれがなく、それが彼女は鬼級として存在している理由である。

 新生してからそれほど時間が経っておらず、また実戦経験も積んでいない身では、その全力の力を行使しては、身体に不備が生じるからと、中部提督が一旦封じたもの。

 そして今回はミッドウェー海戦の再来を演出するため、ここに艦隊を引き付ける囮として派遣された身。時間稼ぎをするためだけの戦いなのだから、必要ないものとして眠らせたもの。

 しかし彼女は加賀だ。姿を変え、深海側に身を堕としていたとしても、この海で沈んだ加賀である。かつての自分が沈んだ海で、感情を昂らせ、敵を沈めるために力を振るったのならば、彼女のその意志に応え、それが目覚めさせられる条件は十分に揃っているといえよう。

 彼女は、解放する。

 

「大和、武蔵、オ前タチノ時代ハモウ終ワッテイル。カツテノ主力戦艦ガ、再ビコノ海デ幅ヲ利カセルナ。火ノ塊トナッテ、沈ンデシマエ!」

 

 加賀としてのプライドの火が赤く燃え上がり、その身を、艤装を赤く染めながら、この海に本当の意味での深海空母の鬼姫が降り立つ瞬間である。

 



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ミッドウェー海戦4

 

 その瞳から赤い燐光を迸らせ、握りしめた拳を再び天へと掲げる。座している艤装もまた、焼けた体の一部を赤く光らせながらも、彼女の意を汲んで吼え、飛行甲板から次々と白猫艦載機を発艦させる。

 それらは彼女の手の動きに従い、旋回しながら手に集まり、伸ばした指から放たれる閃光に従って急上昇。赤き粒子の軌跡を残し、三度白猫艦載機は彼女にとっての敵を討つために空を駆ける。

 その一連の流れを、次発装填しつつ白猫艦載機の攻撃を回避し続ける大和が、そして偵察機を通じて凪たちは見た。

 味方である中間棲姫、戦艦棲姫のコロラド、メリーランド、そして海底から北米提督も見届けた。

 

「自らの意思で先に進む。そのための種も用意している。……なるほど、ギーク。やはりお前は、単なる夢見がちなギークじゃないな。参考にさせてもらうよ。自分たちが国を落とすための鍵の一つとして」

 

 敵味方関係なく、彼女の進化が目に焼き付けられる。

 かつての泊地棲鬼から泊地棲姫への変化、ソロモン海で南方棲鬼が南方棲戦鬼へと変化したそれとは違う形ではある。前者は艤装魔物のパージ、後者は艤装魔物の追加という形だが、空母棲鬼のそれはどちらでもない。純粋に自分の中の力が昇華されたもの。

 言うなれば人間が窮地に陥って、火事場の馬鹿力のようなものを振るっている状態だ。まさに人間らしい。あれは元が艦とされている深海棲艦であり、前も今も人間ではない存在だ。それが火事場の馬鹿力を発揮するなど……と、否定するのも妙な話だ。

 艦娘もまた同様の存在だが、彼女たちもまた危機に瀕すればその力を発揮できる存在なのに、どうして深海棲艦がそれを振るえないといえようか。

 

「計測完了。鬼級から姫級相当への力の上昇を確認できました」

「となれば、前例に倣って空母棲姫と呼称しましょうか」

 

 佐世保の大淀の報告を受け、湊がそう提案する。凪と北条は同意し、そして戦況を確認して唸る。空母棲姫となった今、これであそこにいるのは姫級が四人だ。中間棲姫を討つという一番の目的を阻むのが空母棲姫と戦艦棲姫二人。

 しかも空母棲姫が放った白猫艦載機はより強力な攻撃を備えて主力艦隊に迫っている。それを防ぐために艦娘の空母らと、対空射撃で乗り切っているが、それも無限ではない。空母棲鬼だった時でも膠着状態を脱しきれなかったというのに、姫級になったならば、それは崩れる可能性がある。

 

「中間棲姫がメインというのは変わらないが、空母棲姫も討つことを考える必要があるのではないかね? 可能ならば全て倒せばいいが、あれもこれもとやるのは今の私たちには無理がある。だからとりあえず道を作り、中間棲姫を討てればと思っていたが、これでは……」

「戦艦棲姫の二人がそれを阻むでしょう。今でこそ離れた位置にいますが、空母棲姫を狙っていることがわかれば、一人は盾となるべく動くでしょう。……あるいは、それを狙い、それぞれ二・二で分散させ、どちらか一点に集中的に攻撃するというのもありですね?」

「向こうがあたしたちの思う通りに動いてくれるか、っていうのがありますが」

「その時は空母棲姫を今度こそ討てばいい。艦載機の数が減る、それだけでもマシになる。それにもう一つ、戦艦、空母、基地という姫級がいるのは確かだけど、それ以下の規模の鬼や姫がいない。前線に出てくるのは今までと変わっていないんだ。大型の存在が落ちれば、俺たちの艦娘の練度なら、十分押し込めると信じられる」

 

 それは今もなお前線で戦っている水雷戦隊が証明している。戦艦棲姫の砲撃が時折飛んでは来るが、それでも前線で戦っている水雷戦隊は、何とか戦線を押し上げている。とはいえ長期戦になっているため、雷撃後の交代というスパンは、指揮艦まで戻り、補給を行うという行動が含まれるようになっている。

 空母たちが艦載機を消費しているように、水雷戦隊もまた長く戦い続ければ弾薬を消費する。いくら練度があったとしても、装備が全力を出せないようでは戦いにはならない。そのためそれぞれの二水戦や三水戦が折を見て下がり、穴を埋めるようにそれぞれの水上打撃部隊などがフォローに入る。

 やがて補給を終えて前線に戻った後、また別の水雷戦隊が補給に戻る、そのようにしている。だが、これには当然ながら時間がかかる。いくら均衡状態と言えども、そうまで時間をかければ、敵も黙ってはいないようだ。

 また装備の補給はしても、体力的には消耗続きである。休みはなく、精神的な疲労も蓄積する。そもそもここまでの長期戦を経験したことはあっただろうかと考えてしまう。

 ソロモン海での戦いでも夜から朝への移行はあったが、それでも移動時間も含めてのものだ。このミッドウェー海戦のように、初戦からイースタン島の戦い、そして現在に至るまでほとんど休みはなく、前に出ては下がりを繰り返し続けている。

 それでいて戦況的には戦艦棲姫一人の撃沈と、空母棲姫へと変化したことぐらいしか、敵の変化がない。こんなことは凪や湊だけではなく、北条にとっても初めてのことだった。

 しかし好転しないからと言って戦いを放棄するわけにもいかない。中間棲姫をイースタン島に残したままでは、ここで力を付けて勢力を拡大させ、米国が落ちる可能性がある。それは避けなければならないことだ。

 

「……思ったんですけど、米国からの艦隊は望めますか?」

 

 湊の素朴な疑問に、北条は眉間に皺を寄せる。腕を組みながら苦い表情を浮かべているところから見て、凪と湊は答えを察した。無言だが、彼の表情が雄弁に物語っている。

 

「……何度か連絡を入れようとしたのだがね、繋がらないのだよ。米国だけではない、本国にもね。通信は封鎖されている」

「やはり今回も封鎖されていますか」

「で、出国の際にサンディエゴへ連絡を入れてはみたんだがね……途切れ途切れでしか繋がらなかった。聞こえてきた言葉を何とかつないだところ、サンディエゴもやられているのは間違いなさそうだが、しかしあちらさんはやる気に満ちていたよ。ミッドウェーを私たちだけに任せるつもりはないと、艦隊の再編成を急いでいる、みたいなことを言っていたねえ。だが、いつ来るのかまではわからない」

 

 また米国は英国と同じく、深海棲艦にとって日本と同じく大きな敵とみなされているようで、軍港への襲撃がよく起きているという話だ。太平洋に面した西のサンディエゴ海軍基地だけでなく、大西洋に面した東のノーフォーク海軍基地もまた、深海棲艦と交戦しているとの報せが入ったことが何度もある。

 パールハーバーはあらかじめ襲撃され、サンディエゴ海軍基地もまた襲撃を受けていたならば、普通は米国からの援軍は望めないかもしれない。しかしかつての大戦でもかの国の艦隊はただでは終わらない。

 驚異的なダメコン技術により撃沈判定を受けていた艦が、何度も何度も戦場に現れていたこともある。また数を減らしたと思ったら、新たな艦が次々と建造されていたこともある。それだけ艦隊を立て直す力は凄まじいものだった。ならば、ただで終わらないという意地だけは、かの国を信頼していいだろう。

 艦隊の回復力が本領発揮したならば、援軍を期待していいかもしれない。そうした微量の希望を胸にしてもいいだろう。

 

「となると、今はまだあたしたちだけでやるしかないわけですね」

「なら、私の部隊が空母棲姫を落としに行きましょう。戦艦棲姫が一人、カバーに入ったら、その隙にそちらの艦隊で中間棲姫へ。それでいきましょう」

「大丈夫かね? 君が出している戦力だけで穿てるのかね?」

「誰かがやるしかないなら、戦艦棲姫と交戦経験がある私たちが引き受けるしかないでしょう。中間棲姫の撃破、よろしく頼みます」

 

 自分からやると言われては、北条もそれを飲むしかない。湊の艦隊もウェークでの戦いで経験はある、と言えたものだが、しかし凪が率先して引き受けたため、彼の意を汲むことにした。

 どちらの艦隊も主力部隊などを削った上での参戦だ。その状態で果たして空母棲姫と戦艦棲姫、そして周りを囲む深海棲艦と戦えるのか? それに疑問を感じてしまっては、名乗り出ることはできなかった。

 ならば、少しでも可能性が高い呉艦隊に任せるしかないだろう。そう湊は判断した。

 

「出撃している子たち、応答願う」

 

 凪は艦娘に向けて通信を繋いでみる。大本営への通信は妨害されているようだが、艦娘たちはどうだろうかと改めて確認してみた。結果としては、先ほどと変わらず艦娘とのやり取りはできるようだった。

 ということはこの海域内では通信ができ、外に向けられた通信はできないのか。あるいは、日本と米国、それぞれに通信妨害がかけられているのか。後者だとするならば、日本と米国それぞれに敵が潜んでいるということになるのだが、と考えたところで、それを振り払う。日本においては最悪の場合、残してきた長門たちに任せる他ない。今は、この戦場で勝利を掴み取るための行動を起こさなければならない。それに集中することにする。

 

「呉は空母棲姫へと標的を切り替える。中間棲姫は横須賀、佐世保が担当することになった。空母棲姫を狙った場合、戦艦棲姫がカバーに入るかもしれないけれど、それも含めて撃破を試みる。それを以ってして、この戦いを少しでも有利な状況へと切り替えられるようにする。簡潔にそちらの状況を聞かせて」

 

 戦いながらも艦娘たちは状況を凪に伝える。海図の駒の配置も更新し、どのように空母棲姫へと切り込むか、考えてみる。艦載機は相変わらずドックファイトを繰り広げ、制空権を奪取していた状況から、また均衡状態へと戻される。

 言うなれば終わりのないシーソーゲーム。姫級が四人、いや最初にもう一人戦艦棲姫がいたから五人の状態からずっとシーソーゲームが続き、どちらかに極端に傾くことがない。

 今もそうだ。空母棲姫になったのだから大和屋武蔵を撃破するより、その更に先へと進ませ、指揮艦を狙えばいいのに、そうしてこない。撤退する艦娘を追い回せれば、それは叶うだろうに、それがない。

 最初こそ潜水艦が指揮艦を狙うそぶりを見せていたが、対潜を警戒して先んじて防いでれば、ぱったりと消えてなくなった。一応忘れたころに戻ってくる可能性があるからと、警戒は続けているが、今のところ潜水艦が迫っている様子はない。

 もしかすると、この均衡状態を続けさせようとしている可能性が出てきたのではないだろうか。

 

「……囮、か」

 

 最初に考えたこと。アリューシャン、ミッドウェーは囮で、本命は日本急襲。それを果たすための時間稼ぎに使われているのならば、この戦いを引き延ばそうとしている敵の意図は納得がいくものだ。

 でも、それでも完全勝利を狙うならば、指揮艦を狙わない理由はないはずだ。そうしない敵の意図が見えてこない。

 だがそうした一手を打ってこないというならば、こちらとしても意地がある。そうした舐めた態度を取るというならば、食らいついてみせようではないか。

 

「三水打、出番だ。ここと横須賀の守りはいい、前へ。二水戦、壁を破り、三水戦が切り込んで、一水打が空母棲姫を穿つ。それまでの護衛隊を一航戦、二航戦が展開。時に支援攻撃をよろしく」

「対空装備はそのままでよろしいの?」

「そのままで。恐らく向こうも変わらず横須賀の主力に投げてくるはず。進軍中に邪魔をしてやる機会はあるはず。ルートは扶桑、君に任せる。それぞれフォローできる射程をキープしつつ、前進していい」

「承知しました。では扶桑、出撃します」

 

 第三水上打撃部隊の旗艦扶桑に指示をし、凪はモニターを睨む。映るのは次の艦載機を発艦させる空母棲姫の姿。空母棲鬼だった時と比べて、露出度が増し、両手両足を覆っていた装甲が剥がれ、黒い肌に血のような、あるいは火のような色合いをした線が、血管のように浮かび上がっている。それはまるで焼け焦げた肌に火が走っているかのように見える。

 艤装も同様だ。黒々としていたその体は、所々今もなお燃えているかのように赤く迸っている。まさに攻撃を受けて炎上している船、それを表しているかのようだ。

 しかしそれでも動いている。今にも沈みそうな外見をしているが、沈むことなく健在のまま戦っているようだ。瀕死の獣ほど怖いものはない。沈むその時まで、恐らく彼女は戦うだろうという気概すら感じる。

 もしこの状態が安定した個体として深海棲艦のデータに残ったならば、恐らく戦艦棲姫同様に後々他の海域でも出陣することになるのだろう。それを考えると頭が痛いが、だからこそ今、空母棲姫を倒せるだけの実戦経験、そして戦闘データを得なければならない。

 そういう意味でも、この戦いを落とすわけにはいかないのだ。

 

「切り込むクマ! また艦載機が来ているクマが、煙幕準備はできているクマか?」

「はい、いつでもいけます!」

「なら吹雪、やるクマ。阿武隈、これに乗じて後に続くクマ!」

「任されましたー!」

 

 二水戦の吹雪が煙幕を焚き、部隊の姿を覆い隠す。その上で周りにいた敵水雷戦隊を砲撃で牽制、あるいは撃破を行い、意識を引き付ける。その中で阿武隈率いる三水戦が脇から煙幕の中へと飛び込み、また朝潮が煙幕を焚いてその範囲を広げつつ、三水戦が前進。

 より広がっていく煙幕を怪訝に思うまでの時間の間、それぞれの水雷戦隊が前線をかき回し、その脇から第一水上打撃部隊が砲撃を敢行する。深海棲艦らの視線は煙幕のどこから二水戦か三水戦が飛び出してくるのか、それに意識を取られている。その僅かな時間だけでいい。その時間が、榛名と比叡という戦艦の砲撃を空母棲姫へと通す時間となる。

 大和ほどの射程距離がないため、彼女よりも近づいた状態。その上、着弾までの時間も縮まるだけでなく、この距離ならば外しようがないという自信もある。空母棲姫自身もまた、横須賀の大和に一矢報いるという気持ちが強まっていたため、よもやその横っ腹を狙われているとは思いもしなかっただろう。そう思っていたが、

 

「ハッ、ソウマデ殺意ヲコノ距離で向ケラレテ、気ヅイテイナイトデモ? 可愛イナア? コノ私ヲ狙ッテイルトイウノハ、大和ノ砲撃カラワカッテイル。オ前タチガ前ニ出ルナラ、私モ標的ダロウ。私ヲ落トセバ、少シデモ変ワルト考エタカ?」

 

 だが、と空母棲姫は笑みを浮かべる。優雅に足を組み替え、すっと指を立てながら前に出す。すると、上空を旋回していた艦載機の一部が榛名たちへと襲い掛かっていった。それだけではない、周りにいるヲ級たちにも指示を出す。それを受けてヲ級たちは艦載機へと指示を出し、煙幕の中へと攻撃を仕掛けていく。

 

「変ワラナイ。オ前タチハ無力ダ。コノ海ガ、歴史ガ、オ前タチニ敗北ヲ与エル。何度デモ繰リ返ス、敗北トイウ運命ヲ。ソノ絶望ヲ、ソノ身ニ受ケテ沈メ!」

 

 殺意を隠さない冷酷な笑みを浮かべながら、空母棲姫が高らかに告げる。その言葉を受けて艦載機が煙幕へと攻撃を仕掛けるその瞬間、それを防ぐべく呉の一航戦と二航戦の艦戦が迎撃にあたった。

 それにより敵艦載機の攻撃の手が防がれ、その空いた時間に煙幕の中から三水戦が飛び出す。進軍を防ぐリ級やル級へと砲撃を仕掛け、意識を引き付けながら蛇行し、空母棲姫へと少しずつ接近をする。

 それを防ぐべくリ級フラグシップとル級フラグシップが砲撃を仕掛けるが、そうして隙を晒す側面へと、第一水上打撃部隊が砲撃するのだ。それに第三水上打撃部隊も加わり、榛名と比叡が装填をしている間の攻撃の手とし、扶桑と陸奥が一斉射する。

 

「これがあなたの言う敗北の運命を打ち破る砲撃となるかしら!? てぇーッ!」

 

 陸奥の掛け声と共に主砲が火を噴き、空母棲姫へと次々と弾丸が襲い掛かる。だが空母棲姫は笑みを隠さないままに、進路を変えて回避行動を取った。燃えるような艤装は見た目に反して軽快に動き、隙を見て発艦している艦載機を回収している。

 

「無意味ニ抗ウナ、艦娘。コノ状況ヲ長ク打開デキナイオ前タチガ、希望ヲ胸ニ抱ク意味ガナイダロウ?」

 

 イースタン島の前へと回りつつ、艤装が反転して空母棲姫は呉の艦娘の方へとその身体を正面に向けてくる。だが艤装は前進ではなく後退し続け、そして彼女の背後には戦艦棲姫の一人が迫っていた。魔物に備えられている主砲が陸奥や扶桑を捉え、反撃の一斉射を敢行した。

 「回避!」と陸奥が叫び、戦艦棲姫の砲撃を躱していく中で、空母棲姫はちらりと中間棲姫へと視線を向ける。

 

「艦載機ハ?」

「回収シテイルワ。ソレデ? オ前ガソウナッタノナラバ、フェーズハ進メテモイイノカ?」

「イイダロウ。北米、時間稼ギハモウ十分ダロウ? 提督モ交戦シテイルノダ。ナラバ、私タチモ本腰ヲ入レテ、艦娘ヲ沈メル流レデイイノデハナイカ?」

「それは君がやられたからやり返したいという気持ちの表れではないか? 自分としては別にかまいやしないがネ。しかし加賀の言う通り、時間はもう十分だ。自分としては、これで戦いを終えて、拠点に戻りたい気持ちはある」

「ココデ帰ル? 何故?」

「自分たちはあくまで囮。それに自分はアメリカ担当であり、別に日本の艦隊を壊滅させる役割は担っていない。それはギークらの役割だ。自分はアメリカをメインで相手にするのに、こっちもずるずる長引かせて疲弊するつもりもないし、ギークの獲物を横取りする趣味はないからネ。そして帰るもう一つの理由だけど、どうにも胸騒ぎがするんでねえ」

「胸騒ギ? 何ヲ不安ニ思ウコトガアル?」

 

 北米提督の言葉に、空母棲姫は訝しげに首を傾げる。呉の艦娘たちがこの状況を打開してくるとでもいうのだろうか。あるいは横須賀や佐世保が食らいついてくると? 今まで状況を打開してこなかった彼らが、どうして今になってそのような事態を迎えることができようか。そう空母棲姫が考えるのも仕方のないことだ。

 その様子に、「加賀、それが慢心というものだよ?」と北米提督が言う。

 

「かつての悲劇、加賀、君に対してもそれは刃となってその身を貫くだろうよ。お前の言葉を借りるなら、この海が、歴史が、お前に敗北を与えるのだろうさ。何てったって、お前もまた、この海で沈んだ艦なんだからねえ」

 

 モニターの前でついつい指で十字を切る北米提督。言葉による通信だけなのでその様子は空母棲姫には届かなかったが、それでも北米提督が自分を貶していることだけは伝わった。それに目を細め、うっすらと青筋を額に立てながら、「……忠告、胸ニ刻モウ」と返し、

 

「ソレデ? 胸騒ギヲ起コス要因ハ?」

「勘、かな? 早いところ終わらせないと、崩される気がするのさ。お前と違って、自分は実戦を重ねてきているからネ。何となく、感じ取ってしまう。だから加賀、やるなら数分だけにしておくんだね。それで気が済む、済まないにかかわらず、この戦いを終えようじゃないの。パーティタイムは終わり、お片付けの時間ってやつさ。もうとっくに盛り上がりの最高潮ってやつは過ぎ去っているんだよ?」

「……ワカッタ。デハミッドウェー、最後ニ溜マッタ力ヲ振ルエ。提督ハソノデータモ求メルダロウ」

「了解」

 

 頷いた中間棲姫は艤装に指示を出し、その胸に力を収束させる。深海棲艦ならではの赤い光だ。この戦いの中で会得した経験、力など、それらを積み重ね、加えてこのイースタン島を中心とした海域に満ちた力を、基地型ならではの広げた感覚の網で掬い取り、蓄積した力と混ぜ合わせる。

 そうして凝縮された力を、自分の身体ごと巨大な艤装の白猫が、その巨大な口内へと収めた。彼女を中心として展開されていた三角滑走路もまた口内へと消え、その様子に艦娘たちだけでなく、モニターで成り行きを見守っていた凪たちですら驚きの表情を浮かべる。

 当然だ。標的である中間棲姫が、まさか艤装に食われるなど誰が想像するだろう。

 しかし、彼女はただ食われたのではない。数秒経った後、閉じられた口から白い腕が突き破る。ゆったりとした動作で艤装から出てきたその様は、まるで蛹から成虫へと至る脱皮のようだ。

 その胸に集めた力が全身を強く巡った影響か、白い腕や足、そして優雅なドレスから覗く白い肌に、赤く明滅する血管のような線が浮き出ている。それはまるで、空母棲姫の手足に火のように浮き出ているそれと似たようなものだ。

 それだけではない。中間棲姫の身体から、絶えず赤黒いスパークのような電光が弾けている。この戦いで見せたものを考えるならば、深海棲艦としての力が、より強く溢れ出ている影響だろうか。

 白い艤装も中間棲姫が脱皮した影響で左右に弾け、白だけではなく黒い肉の部分が燃えるような赤の線がいくつも走っている。それはまるで空母棲姫の艤装のように焼け焦げたかのように見える。

 まだそれほど有効打を与えていないのに、艤装自身がボロボロのようになっているのだが、しかし計測される力としては先ほどより向上している。中間棲姫が溜め込んだ力を解放した影響だろう。内部であふれた力によって焼かれたとでもいうのだろうか。

 

「力ノ出力向上ガ確認デキル。コレデ、アレラヲ沈メレバ良イノダナ?」

「エエ、私タチノ初戦ハソレデ終ワリ。ナラバ、華々シク終エルトシヨウ」

「ヨカロウ。提督ヘト捧ゲルデータノタメニモ、最後ノ一仕事トイキマショウカ」

 

 手に弾ける力を握り締め、白猫艦載機に指示を出すかのように優雅に薙ぐような仕草を見せ、中間棲姫は黒いマスクの下で気品のあるような笑みを浮かべた。

 



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ミッドウェー海戦5

 

 この局面で更なる敵の変化は、凪たちの精神をさらに追い詰めるには十分な要素だった。標的である中間棲姫の進化、それは奴をより倒しづらくさせることと同義である。そも、まだ十分な攻撃ができていないのに、敵がより強くなるなど、一体どうしろというのか。

 じわりと艦娘たちの中で、暗い感情、雰囲気が広がっていく。誰も言葉には発しないが、冷や汗が流れ、生唾を飲み、身体が震えてくる。その様子を見て、空母棲姫はより笑みを深くして、それだと言わんばかりに指をさす。

 

「敵ヲ前ニ心ヲ屈スル、絶望ガソノ身ヲ犯ス。自分タチハ無力ナノダト悲観スル。オ前タチハコノ海デ、再ビ敗北ヲ刻ムノダ。沈メ、ソノ無意味ナ誇リト共ニ。冷タキ海ガ、オ前タチヲ呼ンデイルゾ!」

「照準合ワセ、砲撃ッ!」

 

 空母棲姫の指示に従い、艦載機が呉の水雷戦隊へと迫り、戦艦棲姫もまた魔物に指示して砲撃を行う。飛来する攻撃を前に、三水戦旗艦の阿武隈は震える心を鎮め、「回避!」と普段の彼女からは考えられないほどの強い言葉で叫ぶ。

 訓練されていた三水戦のメンバーは、旗艦のその叫びに身体が反応し、姫の攻撃を避けきった。二水戦のメンバーもまた、咄嗟に身体が動き、煙幕を途切れさせないようにと白露が吹雪から引き継いで煙幕を焚く。

 

「ここで止まるわけにはいかないんです! ここであたしたちが止まっては、誰がこの状況を覆す一手を打てるってんですか! みなさん、あたしに続いてください! 他のみなさんがやれるように!」

「そうね! でも阿武隈ちゃん、他ができなかったら?」

「そんときゃあ、あたしたちがぶち込むだけでしょ夕張ちゃん! あなただって、提督と装備改修、してるんでしょ? その力、自分で見せつける時でしょ!」

「ふふ、言ってくれますねえ! それじゃあ、色々試しさせてもらうと、しましょうかっ!」

 

 普段は大人しく、自信なさげな少女のような阿武隈だが、しかし彼女も歴戦の軽巡であり、かつては旗艦を務めたこともある艦娘だ。ここ一番という時には、やるときはやる、その気概を見せつけている。

 その勇ましさに夕張も乗らざるを得ない。それに阿武隈の言う通り、彼女もまた改修をした装備を身に着けている。それを思うがままに振るえる時が来たのならば、存分に振るわずして膝を折るなどできるはずがない。

 そんな軽巡二人の背中を見ては、駆逐たちも乗せられる。朝潮、潮、曙、睦月も、意を決したように声を上げて二人に続く。そうして三水戦全員を鼓舞させるきっかけを作った阿武隈は、まさに旗艦としての務めを十分に果たしている。

 

「あの勇ましさ、さすが阿武隈って感じね。で? あんなの見せられて黙ってられるの、球磨?」

「んなわけないクマ。こっちも切り返す時クマ! いい気になっているあの白い横っ腹を叩きに行くクマよ。魚雷装填終えているクマ?」

 

 その問いかけに、川内たちが返事する。それに頷いた球磨は恐れを吹き飛ばすように檄を飛ばす。

 

「では、ぶっこみかけるクマよ! ついでに黒い横っ腹も吹き飛ばせば儲けものクマよ! 水雷の意地、ここで見せてやるクマー!」

「応ともさ! 駆逐、遅れるんじゃないわよ! 邪魔する奴らは砲撃だ! 荒らしに荒らし、後ろの奴らに重い一撃食らわせやれるようにしてやるわよ!」

『応!』

 

 煙幕の中、二水戦は一気に加速する。ここで引けばいつまで経っても変わることはない。中間棲姫の変化という圧に飲み込まれて足を止めれば、それで終わりだと阿武隈と球磨は悟ったのだ。

 だからこそ、前に出る。最前線で戦う水雷戦隊旗艦だからこそ、前に出る。そうすれば後に続くものがいる、そう信じている。

 事実、同じ水雷戦隊のメンバーは続いた。彼女たちも怖いだろうに、でも、旗艦に身を預けるだけの信頼関係がある。例え最悪な事態になったとしても、前進することに意味があるならば、それに続こう。そう思えるだけの背中がそこにある。

 

「次発装填完了、前に出る皆さんの援護を。敵艦載機の妨害をよろしくお願いします」

「オーケー! 三式弾、発射!」

 

 扶桑の指示に、足柄と最上が三式弾を放つ。更に扶桑と最上は瑞雲も発艦させ、後ろから飛行してきた艦戦の中に紛れ込ませた。一航戦と二航戦の援護を受け、空母棲姫やヲ級らの艦載機と交戦する。

 遠距離ではただ攻撃されるだけでしかないが、あそこまで距離を詰められれば、空母棲姫もただではすまない。姫級ではあるが、それでも空母である。力ある砲門を持たない彼女は接近戦には弱いはずだ。それをカバーするための戦艦棲姫だろうが、それでも一人だけでは分が悪いだろう。

 それをもカバーするのが、あの中間棲姫だった。一方で艦載機を飛ばし、一方で砲門を空母棲姫をカバーするように向けてきている。空母棲姫に迫る三水戦を狙いすまし、「捉エテイルワ」と目を細めながら砲撃を指示。

 飛来する砲弾を前に、三水戦は高速で蛇行しながら前進。もちろんスピードの維持はせず、阿武隈が手で加速減速を示し、緩急をつけた上で戦艦棲姫の砲撃にも対応している。三水戦ばかりに意識を取られていては、側面から迫る二水戦にも対応できない。

 リ級率いる水雷戦隊が抑えにかかるが、それでは止まらない。経験を積んだ二水戦の砲撃が的確に急所を貫き、迅速な撃破を成功させている。これまでの戦いの経験だけではない。引き延ばしたこの戦いにおいて、敵がどう動くのかも学習した。引き延ばしは敵にとっての時間稼ぎであると同時に、艦娘たちにとっての学習の時間でもあったのだ。

 

「突撃の時間よ~、いい加減に終わらせてもらうわ」

「疲れているだろうけど、もうひと踏ん張り! 阿賀野に続いてー!」

 

 佐世保の二水戦と三水戦旗艦、龍田と阿賀野の声に従い、中間棲姫へと続く道を開きに行く。それに続くのが佐世保と横須賀の第一水上打撃部隊や、大和と武蔵擁する横須賀主力部隊。先ほどの空母棲姫への砲撃から見ても、もうすでに中間棲姫は射程内だ。

 空からくる艦載機の攻撃もひとまずの落ち着きを見せた今、狙いすました一撃が再び火を噴くときである。大和と武蔵の掛け声に従い、それぞれの主砲の妖精が弾丸を発射した。再度轟音が響き、空気が大きく震える。

 中間棲姫も響く音に反応し、大和と武蔵が砲撃をしたのだと察した。両手や身体から発せられる深海棲艦の力の電光。バチバチと弾けるそれを両手に集め、組み合わせ、右手を前に出せばそれは盾となり展開される。

 放たれた弾丸は次々と中間棲姫へと迫るが、盾に勢いを殺される。かと思いきや、徹甲弾の特性によって次々と盾に突き刺さったそれは、盾を突き破って中間棲姫にダメージを与えた。

 

「グ、サスガ大和型主砲……私ノコレデハ止メラレナイカ……!」

 

 この防御策を行使したのは中間棲姫が初だろう。ミッドウェー海域に満ちた深海棲艦の力の源である負の感情。ミッドウェー海戦という大きな戦いの舞台となった海域ともなれば、ソロモン海域に迫るほどに満ちている。

 だが初めての試みであるが故に、完璧なものではなく、高性能ともいいがたい。進化を果たしたことで力の行使ができるようになったとはいえ、大和型の主砲を止められるほどの強固な盾とはならなかった。

 

「ダガ、マダ終ワラナイ。私ハ健在ダ。コロラドモ健在ダ。コノ身デ受ケテワカルゾ。出力ガ落チテイル。疲弊ハ隠シキレテイナイ!」

 

 ぐっと拳を突き上げて白猫艦載機を発艦させ、大和と武蔵へと反撃する。コロラドの戦艦棲姫もまた迫りくる佐世保と横須賀の艦娘に向け、同じく中間棲姫の護衛をしているル級フラグシップ、タ級フラグシップと共に砲撃を仕掛けた。

 

「耐えられているぞ、大和。やはり弾薬の消費が効いている」

「予想はできていたことです。それでも、やるしかないでしょう。それにあくまでも私たちは切り札ではありますが、あれを撃てるのは私たち以外にもいます。私たちが気を引いている間にも、誰かがあれに攻撃できます!」

 

 対空射撃を長くしている以外にも、何度か主砲を撃っているため、大和と武蔵の弾薬は減っている。補給ができればいいが、二人とも低速なうえ、戦線から離脱する時間すら、敵艦載機は許さなかった。

 そう、今もそれは許されていない。何度でも、何度でも迫りくる敵艦載機。何度目かわからない艦戦のドックファイト。耐える時間がまたやってきてしまった。

 だがその耐えている時間の間、佐世保と横須賀の水雷戦隊が前進し、水上打撃部隊が中間棲姫と戦艦棲姫へと攻撃を仕掛ける。先ほどよりも距離が縮まっているため、重巡の砲撃も十分に届いている。

 しかしそれを魔物の太い腕が払い、防御する。先ほどの大和型の砲撃は止められなかったが、それ以外ならば止められるとばかりに、中間棲姫に届く弾丸を防ぎ切っていた。

 戦艦棲姫の壁の後ろ、中間棲姫もまたバチバチと右手の力が電気のように弾け、それは背後の巨大な艤装へと伝わる。すると勢いよく砲門が飛び出、電気のような赤黒い力がチャージされていく。機械音のようなものが連鎖して響く中、右手を前に出しながら狙いを定め、

 

「一斉射!」

 

 大和型の砲撃の重低音に加えて、甲高い音のような尾を引く音も響かせ、勢いよく発射された砲弾。電気のようなものが込められていたため、よもや超電磁砲でも発射するのかと思われたが、それでもあれは今までと変わらない基地の砲だ。

 しかし深海の力が粒子となって尾を引いているのが何とか見えるほどに、弾丸の速度が速く、気づいたときには大和と武蔵が貫かれていた。大和型の装甲を容易く抜く一撃が、高速で飛んでくる。そのことに大和屋武蔵だけでなく、凪たちも戦慄する。

 

「こ、このような技を今まで隠していたとは……!?」

 

 貫かれはしたが、その一撃だけで落ちるほどではない。だが、苦痛に顔を歪める武蔵と大和は、一旦追撃から逃れるように体勢を立て直しつつ後退。彼女たちを守るように護衛の艦娘が前に出て、追撃しようとする敵へと攻撃を仕掛けていく。

 だが中間棲姫も撃った主砲を見てみると、砲撃の反動か煙を立ち昇らせるだけでなく、深海の力が何度も弾けてスパークしている。

 

「一発斉射スルダケデコレカ。マダ、実用的デハナサソウダ。修復ニ回スカ」

 

 今回は中間棲姫として更に力を解放したことで、中部提督へとデータを提出するために、色々とやってみようという意図がある。もしも力を注いだ上で斉射をすればどうなるか、その威力と反動結果を一度に取れたのは上々だろうと、中間棲姫は頷いた。

 コロラドの戦艦棲姫も中間棲姫の力の使い方を肩越しに確認し、自分もまた真似をするように右手から力を発し、艤装の魔物へと伝えていく。迫ってくる艦娘たちを見据え、

 

「止メナサイ。ソシテ、反撃。コレ以上、イイ気ニサセナイデ。ソウネ、アノ辺リニ撃ッテ」

 

 コロラドが右手を前に出し、どれにしようかとゆったりと標的を探れば、主砲もそれに合わせて動いていく。やがて佐世保の金剛に定めた時、魔物が装備している主砲が火を噴いた。照準を合わせている間に十分な力が込められていたのか、今まで以上の加速度を見せる弾丸は、狙い通りに佐世保の金剛に着弾し、彼女の身体が勢いよく吹き飛ぶ。

 

「金剛さん!?」

「Shitッ!? ここにきて、今までよりも鋭い攻撃なんて……! でも、私のことは気にせず、攻撃を続行! 古鷹、指揮権をあなたに預けます! 攻め時は失われていません!」

「……はい! 目標、戦艦棲姫! あの壁を崩してください!」

 

 そう言い残し、身体を庇い額や腕から血を流しながら、不知火の護衛の中、金剛が撤退していく。金剛だけではない。他の部隊でも、少しずつ被弾が増えていくのは、それだけ敵の抵抗も強まってきている証だ。

 それに距離が縮まれば中てやすいのは敵も同じこと。戦艦棲姫以外にも、ル級フラグシップやタ級フラグシップという、重い一撃を放つ存在はいるし、何より中間棲姫の基地型主砲も十分に重い。避けられなければ、被害が大きいのは確実だった。

 長期戦による疲労が蓄積している中で、果たしてこの距離で躱しきれるのかと問われれば、難しい問題だといえる。

 それでも、退くことなどできない。勝てるのだという希望を胸に、それぞれの艦娘が奮戦する。その光景に、空母棲姫や中間棲姫は目を細める。

 

「強イ意思、眩イ光……目障リナ……。カツテノ悪夢ヲ前ニ、ソンナ眩イ光ノ意思ヲ固メルナド……私ニハ理解デキナイ。落チロ……堕チロ、オ前タチナド、コノ海ニオチテシマエバイイ!」

 

 空母棲姫の咆哮に、艤装もまた咆哮して応える。迫ってくる呉の三水戦や二水戦に対し、艦攻と艦爆で対抗するが、動きのパターンを読まれて回避され、より距離を詰められる。そうして外さない射程まで接近した後、それぞれが魚雷を発射した。

 前方からと、側面からという二方向から迫る魚雷。メリーランドの戦艦棲姫が副砲で対抗しようにも、それぞれの隊の六人に加え、複数魚雷を放っているため、全てを処理することはできない。

 やむなしと戦艦棲姫の魔物が庇うが、被害は甚大だ。魔物で守り切れなかったものも、空母棲姫へと直撃し、大きくバランスを崩してしまう。それだけではない。被弾した影響で燃えた部分に再度やられたことで、大きく艤装が傾いてしまった。

 

「オノレ……! ココマデダト? イヤマダダ、私ガ――」

「――加賀。時間切れだネ」

 

 ダメージコントロールのために力を注いで修復しているところに、無慈悲な北米提督の言葉が届いた。時間切れ? と怪訝な顔を浮かべてしまう空母棲姫に対し、北米提督は続ける。

 

「レーダーを見てみるんだネ。さっさと離脱準備をしないと、いらない犠牲を増やす。コロラド、メリーランド、全軍に通達だ。撤退を。ミッドウェーもだ」

 

 レーダー? と空母棲姫がそれを確認してみると、東の方角から何かがたくさん迫ってきているようだ。この反応は、と疑問に思うが、すぐに答えは思い至る。艦載機だ。

 

「東カラ? 馬鹿ナ、ソッチハオ前ガ崩シタノデハナイノカ?」

「崩しはしたよ。でも、かの国はそれでも修復が早い。……ああ、君はその歴史をあまり知らないままここで落ちたんだったね。でもその一端は知っているものと思っていたのだけど、まあいいか。それよりも早く撤退しなよ。もうそこまで来ているんだからさ」

 

 そうして急かされている間に、第一陣がイースタン島上空に飛来してきた。

 空を舞うのは日本の艦載機ではない。デザインからして違う艦載機の群れが空を駆け、深海棲艦の艦載機を次々と撃墜させている。その様子に、空母棲姫ら深海棲艦だけではない。艦娘や凪たちもまた、驚きに空を見上げる。

 特に空母棲姫にとって、その艦載機は因縁を感じるものだ。加賀としての自分の記憶が呼び覚まされる。かつてこの海で相対した敵が放つ艦載機。それに自分は負けたのだ。

 同じ海で、違う自分となり、そして負傷している身で、あの日と同じ艦載機が舞う空を見上げる。否応なく記憶が刺激され、この胸に今までには感じられなかったモノが揺さぶられ、燃え上がる。

 先ほどの自分の言葉が、北米提督の言葉が頭によぎる。

 この海が、歴史が、お前に敗北を与える。

 北米提督の言葉通り、刃となって空母棲姫の感情を突き刺した。

 

「オノレェ……! ヨモヤ、ヨモヤコノ海デ、再ビ見ルコトニナルトハ……! ダガ、イイダロウ。コノ戦イ、シバシ預ケヨウ。次ニアウソノ時、オ前タチヲ沈メルコトニシヨウ!」

 

 そう言い残して、艦載機による攻撃から逃れるように空母棲姫は海中へと身を沈めていった。メリーランドの戦艦棲姫もそれに続き、周りの深海棲艦らも続いていく。

 中間棲姫もまたやれやれと嘆息するように息をつき、首をしゃくって艤装を促すと、彼女もまたイースタン島を駆け、海へと飛び込んだ。コロラドの戦艦棲姫はその間、中間棲姫を庇うように立ちはだかっていたが、中間棲姫がダイビングし、艤装もまた大きな水柱を上げて沈んでいくのを確認すると、自分もまた最後の砲撃を行った後に沈んだ。

 空にはまだ敵艦載機の残党が戦っていたが、それらも全て東からやってきた艦載機が駆逐し、敵勢力は全て消え去る。

 それをモニター越しに見届けた北米提督は、撤退してきた仲間の顔ぶれを見渡しながら、「お疲れ」と労いの言葉をかける。

 

「やれやれ、嫌な勘というのは当たるもんだネ。まさかあいつらがこんなに早く介入してくるとは。本当に、いくら被害を与えてもしぶとく蘇ってくるもんだ。まるで自分たちみたいじゃないか! HAHAHA!」

 

 沈めても沈めても蘇ってくる深海棲艦みたいだと、そんな軽いブラックジョークで笑い飛ばしてみるが、屈辱を感じている空母棲姫は不快な表情を隠しもしない。そんな彼女に嘆息しつつ、もう一度モニターを見る。

 そこには東の方角からやってくる艦娘らしき影を多数映し出していた。北米提督にとっては馴染みが深い顔ぶればかりである。

 

「……さ、自分たちの今回の囮作戦は終わりだ。囮らしく、それなり~に戦いを演じることができたんじゃないかな? みんな、帰るよ。アメリカとの戦いのために、戦力拡張を目指そうじゃないか。……ああ、その前に加賀と一緒に贈り物を届けさせないとね」

 

 と、今回の戦いで轟沈した艦娘の亡骸を持ってこさせる。翔鶴、由良、初風だ。それら三人と共に、空母棲姫と中間棲姫の護衛として何体かの深海棲艦をつけ、「ではお疲れさん。戦いの結果はどうあれ、悪くはない情報が得られたと自分は思うよ」ととりあえずのフォローの言葉をかけてくる。

 

「特にミッドウェー、君はいい。うん、自分にとっても、こうすればいいんじゃないかという指針は持てた。そうだねぇ……パールハーバー辺りにでも役に立てようかネ。それに力の使い方、それも参考にさせてもらおう。今回ギークの作戦に参加するの、あまり気乗りはしていなかったけれど、終わってみれば得るものは大きかったよ。ギークに感謝の言葉を伝えといてくれる?」

 

 指を二本立てて、すっと挨拶するように横に振ると、彼の連れてきた深海棲艦を率いて北米提督は東へと去っていった。残された空母棲姫は変わらずダメージによる苦痛、死に起因する記憶の刺激による苦痛に顔を歪めたままだが、中間棲姫が肩を貸してやる。

 

「帰還シヨウ、加賀。私タチノ戦イハ終ワッタ。後ハ提督ガ全テヤッテクレル。私タチノ得タ記録ヲ役立テテクレルハズ」

「……ソウダナ。不満ハイクツモアルガ、私タチガ無事ニ帰還デキルコトヲ喜ブトシヨウ。ソシテイズレ借リヲ返ス。日本ニモ、カノ国ニモ……! 今回ハ単ナル時間稼ギ。次ハ総力ヲアゲテ潰ス。絶対ニ……!」

 

 怨嗟の声を上げる空母棲姫に、中間棲姫はまた小さく嘆息を漏らした。艤装や随伴の深海棲艦らを促すと、ゆっくりと昏い海底を移動し、中部提督の拠点へと帰還していった。

 

 

 そして海上。戦いを終えた凪たちの下に、どこからか通信が入る。最初こそノイズが混じり、途切れ途切れでしか声が聞こえなかったが、イースタン島周囲に展開されていた赤い海が消えていくと、やがてそれが落ち着いてくる。

聞こえてきたのは流暢な英語だった。言葉に応えたのは北条だ。北条もまた英語で応答し、何者かを問う。

 

「こちらサンディエゴ所属、主力艦隊旗艦サラトガ。改めてそちらの所属をお尋ねします」

「こちら日本横須賀鎮守府提督、北条。この海域を制圧していた深海棲艦撃破のため、馳せ参じたものである」

「OK、Mr.北条。提督から聞いています。そして迅速に海域へと駆けつけられなかったことを謝罪いたします。詳しい話は、そちらに私たちの提督が合流してからでもいいかしら?」

「問題ない、ではイースタン島で落ち合おう。そちらは今どこに?」

「まもなくMr.北条からも確認できるでしょう。ああ、今、私からもそちらが確認できました」

 

 と、英語でのやり取りの中、北条らが艦橋から様子を窺ってみると、東の方角からたくさんの人影が見えた。サンディエゴ海軍基地から派遣されたと思われる米国の艦娘たちだろう。艦載機から送られてくる映像から見るに、凪たちが出撃させている艦娘たちと並ぶほどの人数が艦隊を組んでいた。

 そして少し離れた後方に、凪たちと同じく指揮艦と思われる船が航行している。そこにサラトガが言うサンディエゴ海軍基地の提督が乗船しているのだろう。

 こうしてミッドウェー海域における戦いは幕を閉じる。不可解なことが多く、中間棲姫が撤退したとはいえ、勝ったという気持ちも起こらない程の結末。

 だがどうしてだろうか。

 凪は妙な不安に苛まれる。この戦いが妙な終わりを迎えたことだけではない。最初に考えていた予想、それが的中しているのではないかという不安が再度よぎる。

 通信は相変わらず大本営と繋がらない。赤い海が消え、サンディエゴに所属している艦娘との通信はできても、本国との通信は未だ不良のままだ。あそこで一体何が起きているのだろうか。

 

(無事でいてくれよ、みんな……)

 

 ただ、そう祈ることしかできないことに、歯噛みするしかなかった。

 



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本土防衛戦

当時の仕様上、厳しすぎた
体感難易度E6>AL>>MIくらいに涙したやつ


 

 静かな海が広がっている。アリューシャン列島、ミッドウェー諸島とそれぞれで戦いが起きている中、日本近海は落ち着いた雰囲気を保っている。交代制で偵察機を近海から太平洋方面へと複数飛ばし、警戒に当たっているのだが、今のところ何もない。

 大本営、正しくは美空大将が用意している艦隊も横須賀鎮守府で待機しており、そちらからも艦載機が飛ばされ、偵察に当たっている。

 それぞれの鎮守府から提督らが出撃してから、交代制で警戒に当たっているものの、何も起きていないのは喜ばしいことだ。このまま彼らが帰ってくるまで何も起きなければいい。そう願うばかりである。

 

「――と、思っているのだろうね。偵察機をこうも飛ばしているとは、余程何かが起きると想定しているらしい。……用心深いことだ。だからこそ、潰し甲斐があるというもの」

 

 中部提督は近くで浮いているモニターで海上の様子を窺いながら、そう言葉を漏らす。懐から取り出した懐中時計を確認し、「頃合いかな」と頷くと、周りにいるメンバーに視線を向ける。その中には彼の赤城も含まれており、移動しながら彼の命令を静かに待っている。

 

「赤城、霧島、時が来た。それぞれ伝えた布陣で進軍を。大本営を潰せ」

『御意』

 

 一礼した二人は、任された部隊を率い、一斉に海上へと浮上を開始する。

 ついにこの時が来た。以前から計画はしていたが、記憶が蘇ってからはより強く意識せざるを得ない。これから自分は、今まで以上に祖国に対して仇なす行為をすることになる。それだけではない、運が悪ければ彼女すら殺すだろう。

 それを意識すると少なからずバツが悪そうな感情が浮かぶが、それを塗りつぶすかのように昏い感情が蓋をする。今の自分は深海側の存在だ。人間ですらない。生前の縁がある人間を想って何になるというのだろう。

 どこからか鐘のような、チャイムのような音が聞こえてくるような気がする。それが頭によぎれば、不思議と先ほどまで考えていたあの人のことを忘れる。大事なことはこの作戦であり、成功させるために全力を尽くすことだけ。

 そう、全力で大本営を潰せばいい。

 そのために他の深海提督を巻き込んだのだから。

 

 ゆっくりと浮上する深海棲艦の艦隊。同時に展開される海を赤く染める深海棲艦の力が発揮され、赤城と霧島の艦隊を中心としてそれぞれ波紋が広がっていく。少しずつ赤が広がっていく様を、偵察機が見逃すはずもない。すかさずその報告が大本営へと届けられる。

 

「八丈島より北の海域で赤い海を観測! 深海棲艦の艦隊が北上しています!」

「来たか……! 一応向こうの艦隊を回収しておいて正解だったな! 向こうの艦隊を乗せた船を八丈島方面……いや、時間的に見て三宅島か? そちらに向かわせろ! それまでは私たちの艦隊が迎撃に当たる!」

 

 大淀からの報告に美空大将がそう指示を出す。加えて、「警報を鳴らせ! 深海棲艦が攻め込んできているのだ。出せるものは出し、国家防衛に当たるぞ!」と叫びながら、自分もまた部屋を早歩きで出る。

 すぐに警報が基地全域で鳴らされ、深海棲艦が北上していることがアナウンスされる。その放送に警報でざわつく人々も、深海棲艦が攻め込んできているという事実に困惑と焦りが見て取れる。

 

「美空! どういうことだ? 深海棲艦が来ているだと?」

「ええ、偵察機が確認している」

 

 と、廊下で西守大将が美空大将へと問いかける。馬鹿な、と信じられないような表情を浮かべる彼に「現実よ」とはっきりと告げる。

 

「あれの通り、八丈島から北上している。数時間もすればここも奴らの射程内に入るわ」

「こんな急に奴らが攻め込んでくるなど、あり得んだろう!? 奴らはミッドウェーに戦力を――」

「――それは推測でしかないでしょう?」

 

 と、美空大将は鋭く遮った。「確かにアリューシャン、ミッドウェーとどちらにも戦力は確認できた」と頷くが、しかしと美空大将は指を立てる。

 

「それが奴らの全戦力と誰が言えるのかしら? 世界のどこでも現れる奴らだからこそ、戦力の最大値は私たちには計れない。隠し持っている戦力を回してくる采配も考えられる」

「采配? 采配だと? ふざけるな、そんな人のような知性を奴らが有していると、まだそんなバカげた話を」

「では、この現実は何かしら? かつてのミッドウェー海戦を意識させて、お前たちに全戦力をあれらにぶつけさせる。その裏をかいてきたかのような、今の動きはどう説明すると? それが知性なき怪物の群れにできるのかしら?」

 

 そう問いかければ、西守大将は言葉に詰まるしかない。否定したいが、それができない現状が今だ。ミッドウェー海戦の再来を演出し、艦娘たちをそれぞれの海域に呼び寄せ、その隙に本拠地を襲撃する。そんな戦術めいた動きを今、深海棲艦が行っているのだ。

 知性がない存在に、そのような動きができるはずがない。

 

「この戦いが終わった後、本国をがら空きにさせたお前たちの首は飛ぶのは確実ね。今までお前たちがしてきたことだ。よもや自分たちがそれを避けようなど考えないでしょうね?」

「バカな、この戦いが終わったらだと? どこにそんな戦力があるというのだ? まさか、お前が抱えているあれらだけで対処しようとでも?」

「ご心配なく、戦力はそれ以外にも存在する。優秀な人材というのはどこかに隠れているものでね、対処は可能よ。では、失礼する。国の危機、よもや邪魔をしようなどとは言わないわよね?」

 

 その言葉に西守大将は何も言えず、彼を背にまた美空大将は早歩きする。今は国の危機だ。彼にかまっている時間はない。基地内にある指令室に向かい、展開されている偵察機から送られてくる映像を、複数のモニターにそれぞれ映し出されているのを確認。

 そこには深海棲艦の艦隊から発艦されている艦載機が北上している様子見て取れた。予測される航路としては三宅島を通過し、東京湾へと侵入しようというもの。ほぼ間違いなく東京を、大本営を狙ってきている。

 それを防ぐために美空大将が抱える艦娘たちを、待機させている横須賀鎮守府から出撃させる。補佐するための指揮艦も出撃し、美空大将は彼女らに全てを託す。ここから先は美空大将にできることは祈ることだけ。

 撤退を指示することはできるが、そうすれば国の危機。凪たちの残した艦娘が交戦するより早く東京に達すれば終わりだ。美空大将の艦娘が倒すことはできなくとも、時間を稼げれば希望はある。

 いや、まだもう一つ、やれることがあるじゃないか。

 

「溶鉱炉を回せ。練度はなくとも防衛のために力を注ぐことはできるはず。空母、戦艦、対空に秀でているもの、それを重点的に建造し、埠頭へ。ここまで来られたら終わりだけれど、最後の抵抗ができる程度の顔ぶれは揃えなさい」

 

 そう指示すると、工廠へと大淀が連絡を入れる。そして美空大将は煙管に火をつけ、用意されている椅子へと深く腰を下ろした。表情はまだ苦いままだが、モニターを見つめ、見守ることにする。

 もしかすると敵が進路を変えるかもしれない。その可能性は低いだろうが、その場合にまた対応しなければならないため、ここを離れるわけにはいかない。

 神に祈るときというのはこういう時なのだろう。普段は祈らない神に、美空大将は静かに祈りを捧げるのだった。

 

 待機していた指揮艦は、美空大将の連絡を受けて進路を東に取る。この指揮艦は呉鎮守府へと長門たちを迎えに行った後、瀬戸内海を抜けて和歌山南の海で待機していた。ここから各方向へと偵察機を飛ばし、警戒態勢を取っていたのだ。

 

「大本営襲撃、か。本当に来るとはな」

「偵察機が確認できた顔ぶれからして、私たちで対処ができるでしょうか?」

「ふむ、神通がそのような弱音を口にするとは。珍しいこともあるものだ」

「弱音というより、懸念ですね。今回は遠征先での戦いではなく、国防のための戦いです。だからこそ、彼我の戦力差について考えたいものです」

「なるほど、それは同意する。……が、正直言うとそれはわからないな。戦艦棲姫はいいとして、新たな顔ぶれがいるらしい」

 

 と、偵察機が届けた報告をメモしたものを神通に手渡してやる。そこには脅威度が高い深海棲艦の個体として、戦艦棲姫が二人、空母の姫級一人、エリートのオーラを纏うレ級が挙げられている。空母の姫級の呼称として、こちらでも空母棲姫と呼称することにした。この四人以外は量産型の深海棲艦が艦隊を組んでいるとされているようだ

 だがそれぞれ艦隊が分けられているようで、戦艦棲姫とレ級エリートは一つの艦隊に三人とも属しているが、空母棲姫の方は航空戦隊として別行動をとっているらしい。戦艦棲姫の艦隊にはヲ級しか空母系はいないようで、そこが隙の突きどころになるだろうかと考えたが、レ級は艦載機も飛ばせるおかしな性能をしていることを思い出す。

 何にせよこの戦艦棲姫の艦隊こそが敵の奇襲部隊の主力と見て間違いなく、これを撃滅すれば敵の作戦は頓挫するだろう。もちろんだからといって空母棲姫の艦隊も放置はできない。こちらもまた艦隊をぶつけ、撃滅させることで日本に向かう艦載機の脅威をなくすことができるだろう。

 

「敵の主力艦隊には私たちが当たるとして、空母棲姫の艦隊には佐世保に当たらせるか。それぞれの鎮守府の艦隊ごとに当たれば、上手く回るだろう」

 

 同じ鎮守府の艦隊ならば連携も上手くいくだろうという采配だ。ここには凪や湊がいない。いつもは提督が部隊をどう動かすかを指示するが、今は長門が二つの鎮守府の艦隊を動かす立場にある。

 

「私としても、特に異存はありません。先に空母棲姫を落とすことができれば、そちらに合流し対処する方向でよろしいでしょうか……?」

「ああ、それで問題ない」

 

 佐世保の秘書艦である羽黒の確認に、長門は頷いた。残された艦隊から見ても、それぞれが当たるのは問題ないだろう。

 呉鎮守府は戦艦が多めな主力艦隊、二水打、一水戦。

 佐世保鎮守府は空母が多めな主力艦隊、二航戦、一水戦。

 ならば呉が戦艦棲姫へ、佐世保が空母棲姫へ当たるのがいいと判断できる。ただ形式としてはこれで行くが、もしかすると状況に応じて配置を変えることもあり得る。その時は戦場で連絡することになる、ということだけ前もって認識しておくことにした。

 

「では皆さんに伝えてきます」

 

 羽黒が敬礼して佐世保の艦娘たちの方へと駆けていく。長門も「私たちも行こうか」と神通を促し、神通も頷く。ふと、長門が左胸をそっと押さえた。それを見て「どうかしましたか?」と小首を傾げる。

 

「いやなに、ちょっとした願掛けだ。無事に帰れるようにと」

 

 左胸、いや正しくはその胸ポケットに入っているお守りを撫でているのだ。大湊の宮下が作ったお守りであり、凪が長門の無事を祈って手渡したもの。今回のような不測の事態において、どこまでお守りが効いてくれるかはわからないが、今だけは長門もお守りを通じて神に祈りを捧げたい気持ちだった。

 

「そう、ですね。私も無事に帰れたらと思います。いつもそう思っていますが、今回ほど強く願うことはないでしょう」

 

 神通もまた左手の薬指にある指輪をそっと触れながら祈る。以前よりも凪に対する想いが強くなったからこそ、帰らなければならないという気持ちもまた強くなる。もちろん自分だけではない。自分を信じてついてきてくれている一水戦のメンバーもまた、戦いに勝利して無事に連れて帰らなければならない。

 手先は器用なのに人間関係は不器用なあの凪を、悲しませるようなことはしたくはない。そう胸に誓って神通は歩き出す。

 その背中を見つめながら長門は小さな懸念を胸に抱いていた。いつだったか、凪が誰かが轟沈する悪夢を見てしまったことを聞かされていた。虫の知らせで腹を痛める人だ、誰かが沈む夢を予知夢として見てしまったのではないかと凪自身も不安になっていた。

 もし、あの悪夢が示していたのが今回の戦いならば、誰かが沈むというのか。

 

「……いや、そんなことを現実にしてはいけない」

 

 それは長門が許さない。秘書艦としての責任もあるが、かつてのソロモン海の悪夢のようなことは二度と起こしてはならない。自分と神通だけが生き残り、他の全員が沈んだあの忌まわしい日。それを繰り返すようなことなどあってはならない。

 お守りとはまた別のもう一つのものを、もう片方のポケットに忍ばせる。万が一のことがあるならと、あらかじめ神通と相談して用意しておいたもの。それを使うことになるかもしれないが、備えあれば患いなしともいう。

 

「そんなことになるくらいならば……」

 

 いっそ、自分の身に変えてでも……、長門はそんな最悪のパターンを頭の片隅に置きながら、指揮艦の甲板を目指す。そこにはすでに艦娘全員が揃っており、長門が姿を見せると一同揃って敬礼をした。

 長門も敬礼を返しながら前に立ち、揃った艦娘たちを軽く見回す。誰もがこの戦いに対する気合が入った、凛々しい表情を浮かべている。呉と佐世保の練度が高い艦娘を集めたということもあるが、この国難に対して自分たちが何とかしなければならないと、誰もが強い思いを胸に強く抱いている。

 不安はあっても、それを覆い隠すだけの戦意が彼女たちには備わっていた。

 

「話は耳にしているだろう。敵は三宅島を経由し、東京湾を目指している。我々はこれより三宅島近海を目指し、敵深海棲艦の艦隊と交戦、これを撃滅する。敗北は許されない。我々の敗北は、すなわち東京陥落である。それだけは絶対に避けなければならない」

 

 東京陥落という言葉に、艦娘たちに緊張が走る。緊張によって体が固くなるかもしれないが、しかし自分たちは負けるわけにはいかないのだという気持ちを高める効果もある。

 ぐっと拳を握り締め、「我々が到着するまで、大本営の艦隊が足止めを引き受けてくれるようだ」と告げ、その拳を自分の胸に当てる。

 

「できうる限り、全速で現場に駆け付け、敵艦隊を退ける。今こそ日々の訓練の成果を遺憾なく発揮する時だ。艦隊、抜錨! 暁の水平線に勝利を刻み込め!」

『応ッ!』

 

 長門の言葉に全員が声を上げる。いつも以上に気合の入った声と引き締まった表情。今ここに、艦娘たちの心は一つとなった。指揮艦の甲板から次々と海へと飛び込み、それぞれ三宅島を目指す。

 全速力を出しての移動となるが、陣形が崩れないようにするため一部は少しスピードが落ちる。しかしそれでも迅速に三宅島に到着できるような速さで移動する。

 間に合ってくれ、無事でいてくれ、そう心に願いながら、長門たちは国防のために、本土急襲を行う深海棲艦の艦隊を目指していった。

 



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本土防衛戦2

 

 大本営が抱えている艦娘は他の鎮守府にいる艦娘と比較すると、練度が劣るのが共通の認識だ。関東には横須賀鎮守府があり、関東近辺での実戦は横須賀鎮守府が請け負っている。積極的に戦場に出たことがある艦娘と、訓練だけに終始した艦娘と比較すれば、練度が劣るのは仕方がない。

 また大本営の艦娘は主にアカデミーの生徒たちの訓練のために働いている。艦娘とはどういう存在なのか、実際に提督としてやっていくにあたり、どのようにして艦娘を動かしていけばいいのかという演習。それらのために配備されている。

 緊急時の国防のために控えているという役割も担っているのだが、その緊急事態は艦娘が生まれてからの黎明期を過ぎれば、そう起きたものではない。各地に鎮守府のそれぞれの提督が日本を守ってきたため、大本営の艦娘がますます実戦に出ることは減ってしまった。

 とはいえそれぞれの鎮守府が遠征に出た際には、その穴を埋めるために大本営の艦娘が派遣される。また遠方の鎮守府に着任する際には、大本営が送り届けるために護衛をするため、その際にも戦闘経験を積むことはある。

 だがやはり、それでもそれぞれの鎮守府の艦娘と比較すれば、練度が劣ってしまうというのが結論になってしまう。

 この戦いが本当の意味で実戦を初めて経験したという艦娘も多い。そんな彼女たちが、戦艦棲姫、空母棲姫、そしてレ級エリートを相手にするのは酷な話だ。

 出撃した艦娘たちもまた、深海棲艦の顔ぶれを耳にし、多くは無事では済まないだろうと覚悟を決めた。呉と佐世保の艦娘たちが合流するまでの時間稼ぎ。何としてでも深海棲艦の進軍を阻止し、押し留めなければならない。

 与えられた任務を胸に、彼女たちは海を往く。そうして三宅島近海までやってきたとき、放っていた偵察機が遠くに深海棲艦の先陣を切る部隊を確認した。その後ろには空母棲姫率いる航空戦隊が確認できる。

 ふと、空母棲姫が視線を上げ、偵察機を確認する。偵察機を撃墜させるために動くのかと思いきや、右手の指先に力をため、赤黒い電光を迸らせる。すると指先に赤黒いオーラを放つ白猫艦載機が顕現した。

 まるでそれを勢いよく放つかのように右手で薙ぐようにすれば、勢いよくその白猫艦載機が飛翔し、深海棲艦の艦隊の前へと躍り出る。たった一機の白猫艦載機で何をするのかと思ったが、その口がカタカタと音を鳴らしながら何度か開閉すると、赤黒いオーラを通じて何かが聞こえてきた。

 

「聞コエテイルカ、艦娘」

 

 それは女性の声だった。突然聞こえてきたそれに艦娘たちは困惑する。それをよそに、声は言葉を続ける。

 

「私ハ赤城。オ前タチヲコレカラ沈メ、東京ヲ陥落サセルモノ」

 

 偵察機を通じることで、その言葉は大本営にて見守っていた美空大将にも聞こえていた。深海棲艦の中でも姫級などは喋るということは彼女は知っていたが、深海棲艦がただの人類の敵としか思っていなかった人にとっては、ここで初めて深海棲艦が喋るものがいることに驚きを示していた。

 

「コウシテ国ノタメニ守リニ出テキタコト、実ニゴ苦労ナコト。デモ、ソレハ無意味ニ終ワル。我々ハオ前タチヲ許シハシナイ。艦娘ヨ、今一度海ニ還レ。光アルトコロニ留マルナ。オ前タチモマタ、我々ト同ジク、一度沈ンダ身。人ニ使ワレルベキデハナイ」

 

 艦娘たちは、赤城と名乗る空母棲姫の姿を、白猫艦載機を通じて幻視する。オーラのその向こう、じっと自分たちを見つめている空母棲姫。艤装の上で足を組みながら、静かに、そして言葉の端に怨嗟を込めて彼女は告げる。

 

「人ナラザル我ラハ、所詮兵器。国ヲ守ル艦トシテノ姿ハ、今ハ遠キ過去ノ姿。我ラモオ前タチモ、タダ敵ヲ討ツタメノ存在。敵ハ人ダ。人型ニ姿ヲ変エテモナオ、オ前タチヲ使ウ人。守ル価値ナドドコニモナイ。サア、ソレヲ思イ出スタメニ、モウ一度冷タキ海ニ沈メ。立チハダカロウト、逃ゲヨウト、我ラハ全テヲ沈メヨウ!」

 

 その言葉が告げられると、深海棲艦たちが一斉に咆哮をあげた。その溢れ出る闘志を胸に、深海棲艦が突撃してくる。だがそれを前に臆してばかりではいられない。国の危機を回避するために、艦娘たちは派遣されたのだ。

 空母棲姫にあのように言われたからなんだというのだ。自分たちは今も昔も、国のために戦うだけだ。この胸には誇りがある。人の体を得てもなお、誇りは失われることはない。例え沈む未来が見える戦いでも、誇りをもって戦ったという事実は変わらない。

 かつての戦いと同じく、国のために戦い散っていった。その雄姿は再び語り継がれよう。

 

「愚カナ、沈ムトワカッテナオ、国ノタメニ命ヲ懸ケルカ。ソンナモノニ何ノ意味モナイ」

 

 抵抗しても無意味だと、空母棲姫は突撃を命じる。これでさっさと艦娘たちを捻り潰し、北上を続けるのだ。そう考えていたのだが、空母棲姫の予想に反して、艦娘たちの抵抗は激しかった。

 確かに実戦形式は初めての艦娘は多い。しかしそれでも、積み重ねてきた練度は本物だ。何度も何度も演習を繰り返し、新たな装備も迅速に配備され、それをも使った演習で体に覚え込ませる。

 深海棲艦との戦闘の経験はなくとも、戦いという形式は体に記憶されている。何とか体が動いている状態ではあるが、それでも大本営の艦娘には、敵の攻撃を捌き、反撃するだけの技術はあった。

 かくして時間稼ぎは成立する。犠牲はあった。一人、また一人と仲間が沈んでいく中、それでも彼女たちは歯を食いしばり、戦い続けたのだ。たくさんの艦娘が、耐えきれずに沈んでいったが、それでも彼女たちはギリギリの綱渡りをしつつ、深海棲艦の北上を阻止した。

 西の方角から飛来する艦載機に気づいたのは、なかなか艦娘たちを沈められずにイライラした雰囲気が広がりつつあるときだった。艦載機が深海棲艦の艦隊に次々と突撃し、爆弾と魚雷を用いて被害を与えていく。

 新たなる勢力が現れたことに驚く空母棲姫や戦艦棲姫が見たのは、国の危機を救うべく立ち上がった、別の艦娘の艦隊。最前線で突撃を仕掛けるは呉と佐世保の一水戦の艦娘たち。雄たけびと共に、深海棲艦の艦隊の横っ腹から食い破りにかかった。

 艦載機の攻撃と一水戦の突撃による混乱が深海棲艦の艦隊に広がる。それを止めるべく、中部提督が「落ち着いて。西からの奇襲だ。直ちに艦隊を再編成し、西からの攻撃に対応を」と指示する。

 だが、どうして西から艦隊が来たのか? そういう疑問が中部提督の中に生まれる。偵察の情報では西の鎮守府、すなわち呉や佐世保の指揮艦もミッドウェーに向かったはずだと記憶している。

 しかし乱入してきた水雷戦隊の顔ぶれは見覚えがある。旗艦神通と那珂が率いる水雷戦隊は、間違いなく呉と佐世保の一水戦だろう。

 続けて戦場に現れる主力艦隊。長門や大和などの戦艦による長距離砲撃が、戦艦棲姫へと仕掛けられる。加えて第一波の攻撃を終えて帰還する艦載機と入れ替わる形で、第二波の攻撃隊が送られる。

 そんな中で、佐世保の那珂たちが大本営の艦娘へと声をかけた。

 

「今のうちに撤退を。向こうに指揮艦があるから、そこで体を休ませといて!」

「ありがとう。でも、ここはあなたたちで大丈夫?」

「大丈夫! 那珂ちゃんたちにお任せだよ! それより、ここまで持ちこたえてくれたことにこそ、那珂ちゃんたちがお礼を言わなくちゃいけないよ。……さ、早く行って。ファンのみんなに見られることはなくとも、ここからは那珂ちゃんたちの戦場(ステージ)だよ。その胸の中で、那珂ちゃんたちを応援してほしいな」

「……わかったわ。健闘を祈るわ、那珂。艦隊、全員撤退! 動ける子は、動けない子を何とか連れて撤退を!」

 

 那珂の促しに頷き、大本営の陸奥が残った艦娘たちへと指示し、那珂たちが乗ってきた指揮艦へと撤退していった。その際に後方にいた主力艦隊とすれ違い、陸奥が後は頼むと会釈をすると、長門もそれを受けて会釈を返す。

 次弾を装填しながら、長門は偵察機を通じてそれぞれの深海棲艦の位置を確認。そしてそれぞれの艦隊に向けて号令を下す。

 

「では、あらかじめ決めていた通り、それぞれの艦隊で敵艦隊を撃滅する。油断なく、事に当たれ! 作戦開始ッ!」

 

 その声に従い、呉と佐世保の艦隊が分かれ、それぞれが戦艦棲姫の艦隊と空母棲姫の艦隊へと向かっていく。その様子を見ていた中部提督は改めて艦娘たちの顔ぶれを確認し、やはりと頷いた。

 

「呉と佐世保の艦娘だ。……まさか残していったのか? 僕たちが奇襲を仕掛けることを予測していたと?」

 

 大本営のあの人が予測したのか、あるいは呉鎮守府の海藤凪が予測したのか。どちらにせよ自分たちの作戦はこうして阻止されようとしている。それは、それだけは許されない。

 こうして長く準備をし、他の深海提督をも巻き込み、日本へと奇襲を仕掛けたのだ。それぞれの鎮守府の提督が出払っている今こそが、最上の好機だというのに、まさか阻止されようなど、どうして許しておけようか。

 しかし阻止しようとしている存在が、まさか自分が意識している相手かもしれないともなれば、少しだけ、ほんの少しだけ笑みが浮かぶ。立ちはだかる存在、それがいてこそ成し遂げる快感は高まるものではある。

 だが、それは物語の中だけにしてほしいものだ。特に今回は自分の存在の是非を問われかねない事態が絡んでいる。スマートに作戦を終えようとしているのに、よもやまたしても呉と佐世保が絡んでくる。

 

「それほどまでに縁があるか。……そうだね。死んでもなお縁が深い、それは多少は納得がいくものだね、湊」

 

 だが、と中部提督はそれをも乗り越えようと意気込む。

 

「赤城。どうやら呉と佐世保が来たようだ。君の望む相手も、どうやらいるようだよ?」

「……!」

 

 中部提督の言葉に空母棲姫が反応し、再度艦載機を通じて艦娘の顔ぶれを確認した。すると彼の言葉の通り見覚えのある顔が戦艦棲姫の方へと進軍しているのが見えた。呉の艦娘たちと混じっていること、そして彼女の中にある力の反応パターンの照合をすると、まず間違いなくあの時戦った大和だと、空母棲姫も確信を得る。

 

「ソウ、ココニ残ッテイタノカ、大和……! 今回ハ会エナイモノト諦メテイタガ、ソレナラバ話ガ変ワル。総員、反転! 我ラハアノ大和ヲ沈メル! 全力ヲ以ッテシテアノ裏切リ者ニ、再ビ死ヲ与エル!」

 

 突然の命令だったが、空母棲姫に率いられる深海棲艦らは、それに呼応して全員標的を変え、進軍する。展開されている深海棲艦の艦載機も、大和に向かうように方向転換し、立ちはだかろうとしている佐世保の一水戦には次々と砲撃を仕掛けて、進路を確保しようとしている。

 

「え、何!? 急にこっちじゃなくて向こうに……!」

「俺たちじゃなくて、後ろの主力を狙ってやがるようだな。だからといって、そのまま大人しく通すわけにゃあいかねえぞ!」

「邪魔ヲスルナ……! 道ヲ開ケロ、艦娘ドモ!」

 

 佐世保の一水戦も砲撃を回避しながらも、そのまま空母棲姫の艦隊を通さず、雷撃や砲撃を交えて押し留める。特に雷撃は護衛の深海棲艦を容易に落とすだけの力を発揮していた。だが、その中でも今までとは違った個体が、すいすいと雷撃を避けて反撃してくる。

 見ればそれは駆逐級の深海棲艦だが、どうにも肉体が、足が生えているように見える。今までは無機質な機械の体だけだったように思えるが、見間違いでなければ肉の部分が出てきている。

 足を得たことで素早く動けるようになったのか、驚きの回避の力を見せつけている。その上で強化されている兵装による砲撃と雷撃を行ってくるため、純粋に深海棲艦の駆逐艦として、今までよりも発展したタイプの敵として場を荒らしている。

 

「……ん? この殺気」

 

 離れたところにいる大和も、遠くから感じられる殺気に気づき、空母棲姫の方へと視線を向ける。戦艦棲姫へと砲撃を行い、次弾装填している合間ではあるが、敵からの反撃に備えて回避体勢は崩さない。

 だが、どこからか向けられ続けているその思念が気になって仕方がない。突然自分に向けられた純粋な殺意。深海棲艦らしい「艦娘を沈める」という大まかな殺気とは違う。「大和を沈める」という、明確なものに感じられる。

 視線を上に向ければ、長門たちに差し向けられた艦載機が飛来してくるのが見えた。戦艦棲姫へと攻撃を仕掛ける主力艦隊への攻撃だろう。そう思っていたが、妙に大和にばかり攻撃が向けられている気がした。

 しかし落ち着いて機銃を向け、対空射撃を行う。他の艦娘たちも対空射撃を行い、艦載機による攻撃から身を守る。呉の主力艦隊には翔鶴と瑞鶴の二人の空母、そして摩耶という対空防御に優れた重巡がいる。多少の艦載機程度であれば、どうということはなく防御することができる自信が満ちている。

 しかし第二波が放たれ、加えて佐世保の一水戦を切り抜け、空母棲姫の艦隊が大和の視界にその姿をはっきりと見せる。主力艦隊を、否、大和を視認した空母棲姫はよりスピードを上げ、大和へと突撃を仕掛ける。

 彼女の興奮によるものか、手足には深海棲艦らしい赤い光のラインが浮かび上がっている。艤装もまた力を巡らせた影響で、所々が赤く燃え上がるように発光している。空母棲鬼から空母棲姫へと変貌したミッドウェーの加賀は、炎上の影響による赤い光だが、赤城の空母棲姫は力が溢れた影響という違いがあるようだ。

 

「大和……! 見ツケタゾ。オ前ハ、絶対ニ沈メル!」

「……何やら血気盛んな奴がいますね。誰かしら、アレは」

 

 自分に殺気を向けているのがあの空母棲姫なのだと気づき、大和は首を傾げる。彼女たちからすれば、新たなる深海棲艦、空母棲姫との初対面になるのだが、その中身は大和も知っているはずではある。

 しかし彼女の記憶の中にいる姿とはまるで違う。そのため気づくことはなかったのだが、それでも自分を狙ってきているということは見てわかる。迎撃のために戦艦棲姫から照準を外し、空母棲姫へと合わせる。

 

「目標、かの空母。全艦、砲撃! 前に出てくるような空母に、思い知らせてあげましょう」

 

 大和率いる第二水上打撃部隊の日向、ビスマルク、鈴谷と同時に砲撃を敢行。向かってくる空母棲姫と、随伴してきたヲ級フラグシップやタ級フラグシップらへと砲弾を浴びせかける。だが空母棲姫は緩急をつけた速度変化で、数発は被弾するも被害を抑え、その上で赤い瞳をぎらつかせながら大和へと迫る。

 そこまで自分を意識されれば、大和も気になるもの。あの空母棲姫は誰なのかと、少し彼女の力に探りを入れてみることにした。姫級らしい深海棲艦の高い力を感じるのは確かだ。その波長に触れてみると、何となく覚えがある気がした。

 

「あなた、誰です? そこまで私に殺意を向けてくるなんて、何かしらの縁があると思うんですけど?」

 

 つい問いかけてみると、空母棲姫は「私ヲ忘レタトハ言ワセナイ」と、怒気を強める。第二波の攻撃が到達し、再び大和たちを襲うが、第一波で対応したことで、難なく切り抜ける。だが空母棲姫の艦隊がより近くに来たことで、戦艦棲姫の艦隊と二面で相手することになる位置関係になっている。

 また空母棲姫の艦隊の背後から佐世保の一水戦、そして側面から佐世保の主力艦隊と二航戦が攻撃を仕掛ける形になっているが、それを防ぐように深海棲艦の水雷戦隊がぶつかりに行っている。

 佐世保の二航戦の蒼龍、大鳳、瑞鳳が放つ艦載機を、空母棲姫が展開していた白猫艦載機と、ヲ級フラグシップの艦載機が迎撃し、空母棲姫へと届かせないようにしていた。

 その混戦状態の中、空母棲姫が叫ぶ。

 

「私ハ赤城! アノ時、オ前ト対峙シタ赤城ダ!」

「赤城……? ああ、中部の赤城? これはまあ、何とも。随分とイメチェンをしたものですね、赤城。そして私に向けるその殺気。よほどあの時のことが腹に据えかねたと見えますよ。そんなにもプライドを傷つけました? それほどにまで己を強化させ、姿を変えてしまうほどに」

「アア、ソノ顔ヲ苦痛ニ歪マセ、オ前ヲ冷タキ海ニ沈メルタメニ、私ハコノ力ヲ手ニシタ! 大和、我ラ裏切リ者ノ、オ前ニ勝ツ、ソノタメニ!」

 

 裏切り者という言葉に、大和は小さく嘆息する。日向は大和がそれに怒りを覚えるのかと気になり、彼女の顔を窺うように肩越しに振り返るが、それに大和は軽く手を挙げて気にするなと返す。

 そして空母棲姫の言葉が、あまりにも心外で、その言葉を発するのがあまりにも哀れに感じるように首を振る。

 

「確かに二度目の生まれはそちらでしょうけれど、いいですか、赤城? 深海の私は、あの日、南方の海で終わっているんですよ。今の私は三度目の生を呉で授かっている私。深海を裏切ったのではなく、新たなる始まりを刻んでいます。……そも、かつては人類の兵器だった赤城、あなたが深海の手先として人類に刃を向けている。それが人類に対する裏切りといえるんですけどね、あなたの理論でいうのであれば」

「…………!」

「そんなあなたが、私を裏切り者呼ばわりするなんて、片腹痛いものです。はっきり言ったらどうです? 中部の手で作られた存在が、艦娘として自分たちに歯向かってきているのが気に入らないと。その方が清々しますよ」

「ソウダ! 私ハソレガ気ニ食ワナイ! オ前ニ備ワッテイタ昏イ力、ソノ全テヲ失イ、眩イ力ヲ持チ、私タチノ前ニ立チハダカル! アロウコトカ、オ前ヲ再ビ海ニ蘇ラセタ提督ヲ滅ボソウナド、私ガ許サナイ!」

 

 指を立てて勢いよく薙ぎ払えば、その軌跡に従って赤い力を秘めた白猫艦載機が顕現。その全てが一直線に大和へと迫っていく。加えてタ級フラグシップやリ級フラグシップも砲撃を行うが、大和は「わかりやすい」と砲撃を回避し、対空砲で迎撃する。

 日向らも各々が回避行動を取り、空母棲姫へと攻撃を仕掛ける。佐世保の艦隊も背後から、側面から攻撃を仕掛けるその様は、空母棲姫の艦隊が三方向から攻められる形になっていることを如実に表している。

 だがそれを食い破る存在がいる。

 

「――キキ、獲物ガ揃ッテイルナ? ヤッテモイインダロウ?」

「エエ、仕掛ケ時デス、アンノウン」

 

 二人の戦艦棲姫の片割れ、霧島が許可を出すと、戦艦棲姫の艦隊から勢いよく飛び出していく影が一つ。長い尻尾からあちこちに魚雷をばらまき、長い尻尾を伝って勢いよく艦載機が飛び出し、先端の砲門から砲撃を仕掛ける。

 追従する駆逐艦や軽巡もあちこちに魚雷を吐き出し、空母棲姫の艦隊を包囲する艦娘に防御態勢を取らせる。そうして包囲の時間をずらしつつ、戦場を荒らす赤いオーラを放つ影は、じろりと大和や長門、そして佐世保の那珂、扶桑、蒼龍と顔ぶれを見回す。

 

「誰カラ沈ミタイ? ソノ望ミ、叶エヨウカ? アア、沈ミタイジャナクテ、沈メタイカネ? 赤城? 霧島? 武蔵? ソレトモ、誰デモイイ? ココニイル奴全テ? 全テ? 全テ、スベテ、スベテヲ、シズメヨウ、ゼ?」

 

 問いを投げかけておきながら、自分の言葉に対する疑問で首を傾げる。中部提督の手によって調整は施されたが、それでも色々と詰め込まれ、小型化したことで無理がたたり、南方提督による歪んだ怨嗟や憎悪の影響を受けたことで狂ったレ級の思考回路を、正常なものとして完璧にすることはできなかった。

 だが多少はマシになったのではないか、そういう願いを込めたテストとして、エリート化した彼女、レ級が投入される。フードの下、赤い燐光を両目から発しながら、じっと大和を、長門を見つめるその目には光があるが、どこか虚を見つめているかのようだ。

 放たれた魚雷、砲弾、艦載機と全てを躱しながら、長門たちはかつて南方の海で確認されたというレ級に戦慄する。量産型の一つとしてレ級と呼称された彼女の脅威度は、他の深海棲艦の量産型よりも高い。下手をすれば鬼級、姫級に迫るだけの可能性を秘めながらも、あれから一度も戦場で確認されてはいなかった。

 狂ったような雰囲気を見せていたため、深海勢力も持て余していたと思われたが、ここで出てくるとは、と覚悟は決めていた。本格的に動いてきたのならば、レ級エリートは優先的に処理しなければならない敵だ。

 

「あれを沈める! 各員、攻撃に注意しつつ、なんとしてでもあのレ級には退場願おう!」

「来ル? 来ルノカ? ジャア、予定通リ、オマエカラ消エテモラオウカ、長門!」

 

 大和と長門と交互に見ていたその目が、しっかりと長門を捉え、レ級エリートは長門目掛けて突撃を仕掛ける。霧島の戦艦棲姫もまたレ級エリートをフォローするように、長門ら呉の主力艦隊と本格的に交戦をする構えを取る。

 

「赤城、大和ハ任セマス。アノ火力、コチラニ向ケサセナイヨウニ願イマスヨ」

「ワカッテイル!」

「ヤレヤレ、デハ、サブプランノ通リ、標的ヲ呉ノ長門ヘ切リ替エマス。アノ力ヲ使ワレル前ニ、奴ヲ沈メナテクダサイ! アンノウンノ動キニ何トカ合ワセ、ソレゾレ動イテクダサイ」

 

 それぞれが、それぞれの思惑を持ち、今ここに、本格的な海戦が始まる。

 日本防衛のために動く艦娘と、個人的な怨嗟による空母棲姫と、日本奇襲から呉の長門を第一目標に定める戦艦棲姫の艦隊。

 空母棲姫とレ級エリートが本格的に動き出すことで、それぞれの艦隊の前線が押し上げられ、全ての艦隊が交差し、より混沌としたものへと変貌する。

 水雷戦隊が前に出るよりも、後方にいるはずの戦艦や空母すら前に出る可能性がある。そんな中での戦いとなり、誰もが高威力の攻撃の射程内に晒される。まさに、何が起きてもおかしくはない。そんな状態へと変化させられてしまった。

 



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本土防衛戦3

 

 彼らが長門に抱いた危機感は、作戦開始前から共有されていた。それはもちろん、調整を終えたレ級エリートにも共有されている。今回の作戦において、中部提督は呉の艦隊はミッドウェーに向かうだろうから、日本で戦うことはなく、次の機会があればという認識でいた。

 そのため呉の長門を沈めろというサブプランは、今回の作戦では発動しないものとしていた。

 何故呉の長門を沈めろという認識が共有されたのかといえば、やはり南方棲戦姫が影響している。長門がとどめを刺したことで、南方棲戦姫は呉の大和として再誕した。それを知ったのはウェーク島の戦いであり、直接対峙している中部の赤城が証言している。

 またウェーク島の戦いにおいて、深海霧島と離島棲鬼が長門の砲撃を受け、違和感を覚えている。深海棲艦としての力が削ぎ落とされ、謎の力が微力ながら働いていることをデータで示した。

 もし南方棲戦姫が大和になったような事例が、この先もどこかの機会で発生するようなことがあれば。そして長門の力が解明され、他の艦娘でも発揮されるようなことがあれば、それは深海棲艦にとって非常に不都合なことになる。

 呉の長門を何としてでも沈めなければならない、その認識は異議なく共有される。レ級エリートもまた、静かにそれを了承し――現在、三宅島近海における海戦にて、それが行われることとなる。

 

「ハハハハ! サアサア、眠ル時間ダヨ? 長門。ボクノ手デ永久ニオヤスミノ時間サア!」

「しつこいくらいに食らいついてくるな。ふんっ!」

 

 スケートをするように小柄な体を活かし、高速で接近してくるレ級エリートに長門は砲撃を仕掛けるが、レ級エリートは体を大きく後ろに逸らして飛来する弾丸を回避する。加えて旋回しながら尻尾の先端を長門に向け、お返しとばかりに砲撃する。

 さらに砲撃の反動を活かして体を捻り、勢いを乗せたまま尻尾を薙ぎ、口から魚雷を扇状にばら撒く。多数の魚雷が広い範囲にばら撒かれるが、距離が離れれば離れるほどその距離は自然と開けてくる。

 砲撃を躱しながら魚雷の間を抜け、副砲でレ級エリートへと攻撃。そんな長門に続くように、主力艦隊の山城、摩耶、鳥海が砲撃を仕掛け、レ級エリートの接近を阻む。レ級エリートに何とかついていこうとするリ級や軽巡へ級フラグシップ、そして新型の駆逐級の群れもまた、フォローをするように砲撃を仕掛けるのだが、振り回される尻尾に当たる個体が何体かいる。

 レ級エリートの艤装はあの尻尾一つに集約されているといってもいい。その手足は普通の人型と少し違う形状をしているように見られ、艤装は嵌められていない。体にも水着のように薄い布があり、フードと一体化した黒いコートのようなものが体を覆っている状態で、首元にストール、背中にリュックサックと、人としてのファッションがあしらわれている。

 それらのファッションに武装は感じられないため、やはりあの長い尻尾だけが彼女の武装なのだろう。リュックサックの中に何かを隠し持っているなら、それを使うだろうが、今のところそれを披露することがない。

 そのちょっとイカしたファッションに、飛来する砲弾が何度か命中するが、レ級エリートは気にした様子がない。小首を可愛らしく傾げながら、軽く燃える肌を撫でて疑問を浮かべるのだ。

 

「ハッハァ! 痒イ、痒イナァ、ソレデボクヲ終ワラセルッテ? 兵器トシテノ質ガ違ウナア? 練度? 成長? 兵器ガ人ノ真似事ナンテ、ヤメチマイナア! 生ミダサレタ兵器トシテノ力ァ、ソレガ全テサア!」

 

 ぐっと力を込めるように膝を折ると、圧縮された力を解放して海上を跳ねるように前へと跳び、一気に長門へと肉薄し、勢いを殺さないままに蹴りを胸へと食らわせた。足首から先がないため人としての足がなく、どこか鋭利に尖ったようなものを思わせる足での跳び蹴り。

 突然の攻撃に対応できず長門はまともにそれを受けてしまったが、それでも逃がさないとばかりにレ級エリートの首を掴み、引き寄せながら頭突きを仕掛ける。続けて拳をその顔へとぶちかました。

 見た目が子供のように見えるため、少しばかり長門はためらいのような痛みを胸の中に感じるが、しかし今は命を懸けた戦いをしている真っただ中。ためらえば死ぬ、その精神を維持して一発、もう一発と殴りつけ、海に叩きつけるようにその腹へと強い一撃を放った。

 だがレ級エリートはそれがどうしたとばかりに、呻き声を上げながらも、海中から伸ばした尻尾の先端を長門の背後に回し、その口から至近距離で長門の背中へと多数の魚雷を放った。

 

「――――か、は……ッ!?」

「長門さんッ!?」

 

 無防備な背中に、たくさんの魚雷。レ級エリートとのゼロ距離での格闘戦のため誰もが手出しできなかった。それこそが狙い。

 艦隊戦は基本的に遠距離での戦いであり、特に戦艦は如実にそれが出る。だから接近戦を仕掛けられれば、艤装で攻撃できるはずがない。そうすれば味方にも被害が及ぶ。

 そしてレ級エリートは、南方でのレ級における記憶を有している。自分が霧島を引き剥がそうと何度も殴りつけている間に、長門と陸奥が放った徹甲弾を受けてしまったこと。そして霧島にばかり意識を取られていたからこそ不意をつかれたこと。それが自分の敗因だと認識している。

 ならばそれをここで、自分一人で再現すればいい。長門はきっと自分が距離を詰めればそれに応えてくれるだろう。最後の一撃に合わせ、長い尻尾を活かして海中から背後を取り、魚雷を至近距離でぶっ放せばどうなるか、その答えがこれだ。

 

「キ、キキ、ハハハハハ!! マズハ一人!」

 

 仰向けから起き上がりながら、レ級エリートは高らかに勝利を笑う。哀れな不意打ちを受けた長門を嘲笑う。山城の呼びかけと呼応し、その海域に声は響き渡った。

 

 

 レ級エリートの笑い声と山城の声が響く中で、呉の一水戦は戦艦棲姫の艦隊の中を進んでいた。主力艦隊の翔鶴と瑞鶴による艦載機のサポートの中、二人の戦艦棲姫を相手に立ち回っていた。

 通常水雷戦隊だけで二人の戦艦棲姫を相手に、沈めるまで戦えるのかという疑問が浮かぶが、実際に戦艦棲姫を沈めるまで戦った経験がある呉の一水戦であれば、経験からくる自信がついて回る。

 そもそも夕立などからすれば、「もう見飽きたっぽい!」と言いそうなくらいである。砲撃では確かにその硬い装甲を抜き切ることはできないだろうが、雷撃ならば目はある。特に呉一水戦のメンバーは、魚雷による強撃のコツを掴んでいる。敵が隙を見せれば、強力な雷撃を撃ち込む、その気概で戦っている。

 だがレ級エリートが長門を倒したような雰囲気になり、一水戦のメンバーに困惑が生まれる。神通もまた「まさか……」といったような焦りが生まれていたが、何とか平静を取り戻そうとした。

 その中で深海霧島が笑みを浮かべて眼鏡を押し上げる。

 

「ヤッタヨウデスネ。フフ、サブプランハ順調。不安要素ハアリマシタガ、予定通リアンノウンニヨッテ、達成サレタヨウデ」

「……予定通り、長門さんを沈めることが計画に含まれていた。そう、ですか。だとしても、ここで終わるわけにはいかない。あなたたち、気を張りなさい! ここで私たちが足を止めれば、調子づいた敵によって押し上げられます。私たちはそれをさせるわけにはいかないのです!」

 

 困惑によって戦線を瓦解させる、それだけはあってはならない。自分もまた揺らいでいたが、声を張り上げることによって、神通はいつもの自分を取り戻す。夕立たちもまた神通の言葉によって落ち着きを取り戻し、その目に戦意を灯らせる。

 長門が負けたかもしれない、だがまだ沈んでいないかもしれない。はっきりとその様子を見ていないのだから。

 ならば今、自分たちにできることを遂行するだけだ。この戦艦棲姫の艦隊を壊滅させる。それが今の自分たちのやるべきことである。レ級エリートの勝利に勢いづかれれば、艦隊が壊滅させられて北上を許すことになる。

 そうはさせまいと、ここで呉の一水戦が戦いの流れを取り戻すのだ。

 

「戦艦棲姫の霧島。あなたにはここで迅速に消えていただきましょう。もう一人も一緒に」

「調子ニ乗ラナイコトデス、神通。ウェークデハ勝チヲ譲リマシタガ、ソウ何度モ負ケル私デハナイ!」

「ううん、またあなたは負けるっぽい!」

 

 神通へと砲門を向けている深海霧島の側面に回り込んでいた夕立が、その手に魚雷を握り締め、勢いをつけて発射させる。いつも以上の速度で跳ねるように飛ぶ顔の付いた夕立の魚雷。それは狙い通り艤装の魔物の腕へと着弾し、勢いよくその装甲を破砕した。

 その威力はウェーク島の戦いで受けたものより明らかに向上している。耐えきれず、バランスを崩してしまう魔物に、深海霧島は驚きを隠せない。

 眼鏡の縁に触れながら「データガ合ワナイ……タダ成長シタダケデ、コレダケノ威力ニナルハズガ……!?」と困惑している。そんな隙を晒していれば、狙ってくれと言っているようなものだ。

 神通もまた魚雷発射管を、人型の深海霧島へと向けたが、殺気を感じてその場から飛びのく。そこに砲弾が次々と着弾し、見ればもう一人の戦艦棲姫、深海武蔵が神通や北上へと狙いを定めていた。

 それだけではない。タ級フラグシップや新型駆逐艦も砲撃を仕掛け、駆逐艦は雷撃も行い、戦艦棲姫をカバーしている。駆逐艦に対してはВерныйや雪風が砲撃を仕掛けて対処しており、タ級フラグシップには艦載機が攻撃する。

 迎撃に当たるのがヲ級フラグシップの艦載機なのだが、各海域でヲ級フラグシップと交戦を積み重ねてきた経験により、それでは止まらない翔鶴と瑞鶴の艦載機。自軍の撃墜を少数に留めつつ、敵艦載機を多数撃墜させた上で、ヲ級フラグシップなどを次々と撃破させていく。

 艦載機の攻撃によって深海武蔵の視界から神通と北上が消え、代わりに綾波が入り込む。駆逐艦ならではのスピードで深海武蔵や護衛の深海棲艦の攻撃を回避しながら、深海武蔵へと砲撃を続けていた。

 

「長門ガ落チテモナオ健在、随分ト逞シイ艦隊ダ。ソレデコソ、崩シ甲斐ガアルガ、長引ケバ鬱陶シイ……!」

 

 長門という呉の頭を失えば、艦娘たちに動揺が広がり、より撃沈させやすくなるものと思っていたが、そうはならない。それでも戦う意思を失わず、自分に対して攻撃を仕掛けてくる様子に、深海武蔵は困惑する。

 また綾波が深海武蔵の視界に何度も入り、砲撃や雷撃を仕掛けていると、深海武蔵が苛立ったようにボヤいてしまう。駆逐艦の砲撃など、深海武蔵にとって痛くも痒くもないが、こうも何度も動かれては気にもなる。

 しかしそれこそが綾波の狙いだった。

 

「敵には食らいつけるだけ食らいつけってのが、うちらのやり方なんでねーっと。いきますよっと!」

 

 ありったけの魚雷を発射してもなお余る魚雷。流石は雷巡が保有する魚雷発射管の数といえるが、牽制用の一射に対する深海武蔵の動きを見てから、本命の一撃を撃つ構えだ。

 牽制用とはいえ、それは味方にとっても脅威。牽制の一射が味方に誤爆してしまえば、それだけでも撃沈させてしまう危険性を孕んでいるため、撃つタイミングは気を付けなければならない。

 しかしそこは呉一水戦の連携。囮である綾波に気を取られている隙をつき、誰も巻き込まないタイミングを見計らっての射出だ。ここで下手を打たないのが、北上である。

 迫ってきた魚雷に気づき、咄嗟に防御態勢を取るが、爆発の向こうで撃ったのが北上だと気づくと、深海武蔵は目を見開く。自分を狙いすましている北上へと砲門を旋回させるが、発砲するよりも早く北上が魚雷の強撃を放つ。

 

「ではでは、いっちょでかい花火、いっときますか、ねっと!」

 

 力が込められたそれぞれの魚雷発射管が光を放ち、反動を耐えるように身構えた北上から勢いよく発射される。迫ってくるフルスピードの魚雷の群れ。狙いを定めるのもそこそこに、北上へと砲撃を仕掛けた深海武蔵だが、反動を耐えてすぐさまその場を離れた北上に命中することはない。

 そして着弾する一波。魔物の腕は牽制用の魚雷だけでも致命傷だったが、その強撃の一波で吹き飛び、勢いが殺されないままに人型へと着弾。続けて第二波の魚雷が致命傷を与え、大爆発を起こしてしまう。

 

「おぉう、思った以上に威力出してる。さすがは提督たちの調整、すごいわー」

 

 凪たちの酸素魚雷の調整の成果か、事前に聞かされていた以上の威力を振るわれる。ソロモンでは脅威に感じた戦艦棲姫が、あっという間に撃破出来たことに、撃った北上も目を丸くしてしまう。

 首の後ろから伸びるケーブルも吹き飛び、悲鳴を上げる間もなく魔物から人型の深海武蔵が引き剥がされ、海中へと沈んでいく。主を失ってしまえば、魔物も力を失い、その身体を崩れさせてしまう。一つの大きな脅威はこうして迅速に取り除かれた。

 その様子を見届けた北上は満足そうに頷く。戦艦棲姫はどう切り崩すか、その流れを把握していれば、後はそれを当てはめるように動けばいい。確かに装甲は厚いが、それぞれのメンバーが気を引き、隙をついて雷撃を決めることができれば、このように沈めることができる。今回はうまくいったものだと、砲撃で気を引いてくれていた綾波に礼をするように手を振る。

 

「うんうん、これぞ雷巡の力、まさにハイパー北上様ってね。もう一人もこのままいきましょ。さっさとケリをつけないとね」

 

 発射した魚雷を装填する時間が必要だが、その一撃は戦艦の砲撃に匹敵する。雷巡らしい力を振るえて満足そうにしながらも、気は引き締める。油断することなくもう一人の戦艦棲姫、深海霧島を倒さねばならない。

 言葉は緩やかだが、まじめな表情で綾波と合流し、深海霧島へと迫った。

 

 

 レ級エリートの笑い声は、少し離れたところにいる大和と空母棲姫の耳にも届いた。もちろん山城の呼びかけもまた届き、大和はまさか、といった表情を浮かべ、空母棲姫はやったのか、と期待を込めた表情を浮かべる。

 

「ヨクヤッタ、アンノウン。流石、スペックダケハ優秀ナダケハアル」

「バカな、長門が負けたと?」

 

 驚きの中、大和の頭の中に、これまでの一年の思い出が去来する。呉鎮守府で様々なことがあった。その思い出の中には、たくさんの長門との思い出がある。多数は自分が仕掛けて競い合った記憶しかないが、それでも楽しかった。

 自分の無茶ぶりに、やれやれと苦笑を浮かべながらも応えてくれた長門。少しずつ普通の艦娘らしい感情が芽生え、実力も付けて成長していく姿を、近い距離で見守ってきた暖かな存在。

 自分がここにいることを許してくれ、同じように見守ってくれた凪と同じように、大和は長門にとても感謝している。いつか彼女と全力で競い合い、本当の意味で彼女の背中を超える。

 そんな長門が、負けたというのか?

 轟沈するというのか?

 そんなこと、そんなことは許しておけない。

 

「イイ表情ヲ浮カベテイルナ、大和」

 

 不意に、空母棲姫がどこか愉悦を覚えながら大和に声をかける。先ほどまでは憎悪に塗れた表情を浮かべ、大和へと攻撃を仕掛けていた空母棲姫だったが、長門が負けたかもしれないと大和が不安そうな表情を浮かべたとたん、彼女の顔には笑みが生まれていた。

 

「ソレガ、ソレガ見タカッタ。大事ナ仲間ヲ喪ウカモシレナイ不安。オ前モマタソレヲ感ジテイル。実ニ艦娘ラシイ感情ダ。ソンナモノ、目障リデシカナイガ、今ハソレガ見ラレテ、私ハトテモ喜ンデイル。ソノ感情ヲ抱イタママ沈メ。長門ノ後ヲ追ワセテヤル!」

 

 そして空母棲姫は攻撃を指示する。長門が沈んだかもしれないという事実に呆然とし、棒立ちしている大和に、これらの攻撃を回避することはできないだろうという確信を得ていた。

 周りにいる日向やビスマルクもまた長門の敗北に動揺しているため、反応が少し遅れている。それでも日向や鈴谷、村雨が動けたのは実戦経験を積んでいたためだ。ビスマルクと大淀は経験不足のため、体がうまくついてこれないでいた。

 彼女たちが艦載機を迎撃している中、大和は「――黙りなさい」と静かに呟き、手にしている傘を艦載機へと向ける。すると、配備されている機銃らが次々と迫りくる艦載機を迎撃し、投下される爆弾や魚雷を何とか回避していく。

 だがその間、大和は俯いたままでその目元は垂れ落ちた前髪によって隠されていた。

 

「……あなたたちが長門を狙った理由は、呉の秘書艦というだけではないでしょう? 頭を潰せば下の艦娘たちは大きく動揺する。その理由は納得がいくものです。ですがそれだけではないはず」

 

 そこで一間置き、「私ですね?」とどこか確信をもって問う。

 

「ソウダ。オ前ヲソコニ立タセタ要因。深海棲艦ヲ浄化シタカモシレナイ可能性。ソレヲ潰ス、当然ノ理由」

 

 その答えに日向は「そんな……」と動揺を重ね、大淀は何とか動揺しながらも、長門が無事かどうかを確かめるために向こうに通信を繋げようとしている。そんな中で大和は俯きながら、大きく息をつき、そして顔を上げる。

 すると、前髪の向こうで静かに赤い光が灯り始めた。

 

「なるほど、納得がいく理由です。あなたたちからすれば目障りな力でしかない。だから潰す、当然の帰結です」

 

 それは深海棲艦の上位個体に近しい者や、深海提督の中でも自分を確立させたものが持つ、目に灯る燐光。かつての南方棲戦姫のものと同じ、赤い燐光が大和の両目に浮かび上がっている。

 ゆっくりと髪をポニーテールに束ねるそれを解けば、茶髪のロングヘアがさらりと流れる。だがそれは手から溢れた赤い光の粒子によって再び左側へとまとめ上げられ、赤い粒子のリボンによってサイドテールと化す。

 その赤い粒子のリボンを見た日向は、一年前を思い出した。かつて南方で戦った南方棲戦姫。彼女の場合はツインテールだったが、しかしその生まれ変わりである大和が、またしてもその容姿に近づいたことに、思わず「おい、大和」と呼びかけずにはいられない。

 

「大丈夫ですよ、日向。私は私、怒りを覚えてはいますが、ここにいる私は、呉の大和です。不安というのであれば、どうぞ私のフォローを。鈴谷、ビス子、村雨、そして大淀。あなたたちも、どうぞ戦闘態勢を崩さぬよう。戦いはまだ続いています」

 

 肩越しに振り返る大和の表情は、小さな笑みが浮かんでいるのだが、目には静かな怒りが渦巻いている。絶えず明滅している赤い燐光の奥にある怒りは、長門が敗北させられたことに対する怒りだけではない何かが秘められている、そう日向は感じ取った。

 恐らく自分に対する怒りも含まれている。自分のせいで長門が狙われたのだと、大和は責任を感じているかもしれない。

 

「赤城、先ほどの言葉、訂正しましょう」

「何?」

「私は裏切り者といえるかもしれません。深海から鞍替えし、ここに生まれ落ちた裏切り者。その咎がこのような形となって発揮しようとは、自分で自分が許せない。この一年、私にとって長門はこれ以上ない大切な存在と化した。この私をここに立たせる原因となったであろう存在だというのに」

 

 始まりは憎悪の存在。南方棲戦姫として生まれ、戦う理由を定めるために長門を憎悪するように調整させられた。

 次に自分を生まれ変わらせた存在。南方の海で敗北させられ、艦娘の大和として生まれ変わらせる何らかの介助をしたかもしれない。今もなお、詳しい理由はわからない。

 次に競い合う仲間。長門に負けてはいられない、そういう気持ちをはやらせ、自分を高めさせてくれる先達。

 そして最後に、いつかは並び立つ大切な――戦友(とも)。いつの日か、自分はここにいて良かったと、大切な思い出を語り合い、気兼ねなく笑い合える友人として在りたかった。始まりこそ敵同士だったとしても、いつかはそんな日が来ればいいと、未だに彼女に対してはっきりと言えなかったその言葉。

 長門は大和にとって戦友(ゆうじん)なのだと、胸を張って言える日を心待ちにしていた。彼女に実力で追いつき、後輩であるビスマルクを一線級にまで育て上げ、導くことができれば言えるだろう。そう思っていたのに、それは叶わないというのか。

 ならば大和にできることはただ一つだった。

 

「裏切り者という咎を清めるなら、やはりやらなければならない。あなたを、中部を滅ぼす。そうして初めて、私は私を生み出したその責をあなたたちに取らせましょう。中部を出せ、赤城。私がこの手で殺してくれよう」

「断ル! ソンナニ会イタイトイウナラ、オ前ガ沈ンデ、ソノ先デ会エ! オ前ハ焼キ滅ボスダケデハ止マラナイ! 焼ケテ溶ケテ、物言ワヌガラクタトナッテ、沈ムガイイ!」

 

 静かに怒りを見せる大和と、再度中部提督を殺す発言に怒りを燃やす空母棲姫が、再びお互いを攻撃しあう。指先から赤い粒子を迸らせながら前へと突き出し、砲撃を命ずる大和と、飛行甲板を撫でて赤い粒子を指先から迸らせ、勢いよく前に突き出しながら艦載機に攻撃を命ずる空母棲姫。

 両者とそれに従う艦隊のメンバーのぶつかり合いは、まだまだ始まったばかりだった。

 



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本土防衛戦4

 

 大和率いる第二水上打撃部隊と空母棲姫率いる航空戦隊、お互いの旗艦が怒りをあらわにし、お互いを潰し合う状況へともつれ込んでいる。だが空母棲姫の背後からは佐世保の一水戦が迫っており、完全に挟み撃ちの形になっていることは忘れてはならない。というより那珂が、自分たちが意識の外にいるというシチュエーションが気に入っていないようで、少し膨れ面になりながら空母棲姫へと雷撃を仕掛ける。

 しかしそれを新型駆逐艦らが対処し、空母棲姫へと届くことを阻止する。だがそれは先ほどの北上でいうところの牽制用だ。本命は木曾改二による強撃である。改二になって雷巡となった彼女の強力な雷撃ともなれば、例え空母棲姫といえどもただでは済まないだろう。

 

「おらぁ!」

 

 放たれたハイスピードの一撃に、空母棲姫は肩越しに振り返る。その目の燐光をぎらつかせ、艤装を軽く叩きつつ、飛行甲板に手を引っ掛けながら深く腰を下ろした。すると艤装の後部から勢いよく水が噴き出し、急速で旋回しつつ、木曾の一撃を回避する。

 あまりにも突然の急加速。手でしがみつきながらも軽くその体が浮かび上がる程の勢いだったが、木曾の一撃を回避できたことに比べれば気にすることでもない。また急ブレーキをかけながら旋回すれば、ドリフトの影響で艤装から勢いよく水が吹き出、木曾たちへと視界を潰すように小さな波が発生する。

 その中でじろりと大和を見れば、回避行動を取っている空母棲姫をずっと砲門が追尾していた。隙があれば空母棲姫へと砲撃を仕掛ける構えであり、その隙を作るべくビスマルク、鈴谷、大淀が砲撃を仕掛けている。

 タイミングを合わせれば、一撃を以ってして空母棲姫へと引導を渡すつもりだった大和だが、背筋を冷たい息を吐きかけられたかのような感覚を覚え、咄嗟に傘を持ち換えて力を込めつつ開く。すると広げられた傘に赤い粒子がまとわりつき、赤い光がコーティングされる。

 本来の大和が持つ和傘は傘布が小さいため、盾としての機能に乏しいが、凪の手による改造により、傘布はより大きな範囲を占めている。その傘へと次々と砲弾が直撃。しかし傘を回転させて力を逸らし、弾丸を受け流せば、何とか横の海面へと複数の弾丸が落ち、水柱が立ち昇る。

 見ればレ級エリートが長門の首元を掴みながら、尻尾を大和へと向けていた。どうやら攻撃を仕掛けてきたのは彼女らしい。そして手にしている長門は背中から大量の血を流しつつ、力なく四肢を垂らして俯いていた。どう見ても死んでいる、そんな様子をありありとレ級エリートは見せつけている。

 

「ヨク気ヅイタナア? 勘? 第六感? マア、イイヤ。次ノ獲物ハオマエニスルカ」

「舐められたものですね。アンノウンといいましたか? あなたが私を沈めると?」

「獲物ハ誰デモイインダ。デモ、ドウセナラ沈メガイノアル奴ガイイヨネエ? 第一目標ガコウシテ落チタカラサア、次ハオマエデイイヨネ?」

 

 小首を傾げなら言うレ級エリートに、大和もまた静かにこめかみに青筋を立てながら、目を細めてレ級エリートを睨む。大和の怒りに呼応してか、目から立ち昇る赤い燐光の輝きも、少しずつ高まってきている。それだけでなく、サイドテールにしている赤い粒子のリボンも、より強く明滅している。

 そんな大和へとさらに攻撃を仕掛けるべく、レ級エリートが接近しようとしたが、そんな彼女を止めるべく動いたものがいた。

 

「――ふん……ッ!」

 

 それはレ級エリートに首元を掴まれている長門だった。口から血を流しながらも、気合を込めた拳が、レ級エリートの胸へと打ち込まれ、その威力にレ級エリートの動きが止まる。何故だと問うかのように、絶えず狂気を孕んだような笑みが浮かぶ瞳に困惑が生まれているが、そんな彼女へともう一発拳を打ち、掴まれている腕を振り払い、海へと身体を投げ出す。

 だが艤装の砲門はレ級エリートへと向けられており、海に四肢を付きながら射角を調整した長門は、レ級エリートへと砲撃を仕掛けた。それをまともに受けたレ級エリートの小さな体が吹き飛ぶも、空中で受け身を取った彼女は、滑るように海面に着水。

 そして尻尾を振り回しながら、艦載機を発艦させ長門へと反撃を仕掛けた。

 

「何故、ナゼ、ナゼ?? 生キテイルハズガナイ。アレヲマトモニ受ケタンダ。死ンダハズ??」

「ああ、死んだろうな。……だが、死ぬほどの攻撃を受けたから何だ? 私が、戦艦長門が……そう簡単に沈むものかよ……! 私一人の力ではないにしろ、ダメージコントロールがあれば、私は数分だけだろうと持ちこたえてみせようじゃないか……!」

 

 艦娘にとってのダメージコントロールとは、所謂応急修理要員だ。特殊な妖精の一つであり、艦娘が轟沈するようなダメージを受けたとしても、緊急修復を行うことにより、大破状態にまで持ちこたえさせる力を働かせる。

 それをさらに発展させ、ほぼ無傷の状態にまで緊急修復させるのが応急修理女神と呼ばれる妖精であり、かつて南方棲戦姫との戦いで長門の窮地を救った妖精だ。またその力の残滓が南方棲戦姫を大和へと変える要因になったとされているが、詳しいことは現在も不明である。

 またこうした応急修理の妖精は貴重な存在でもある。そもそも轟沈までいくようなダメージを修復させる力というだけでも人智を超える力であり、原理が全く分からない。開発でも生み出すことができない妖精、装備だが、ただそのような妖精がどこかに生まれ落ち、人類や艦娘に力を貸してくれる、そうした存在として認知されている。

 長門の背中の傷も今は塞がっており、流血は止められている。だが体力まで十分に回復されたわけではない。気が抜ければ、あるいは更に被害を受ければ、今度こそ轟沈する危機がある状態だ。

 そんな中でも、長門は不敵に笑ってみせる。自分は健在なのだと、レ級エリートに、そして艦娘たちに示している。

 長門が無事、そのことに喜ぶのもつかの間。山城は彼女のもとへと駆け寄ろうとした。だがそれを阻止するようにレ級エリートに追従してきた深海棲艦が立ちはだかる。ここは通さないとばかりに砲撃を仕掛けていくのだ。

 そうして時間を稼ぐ間に、レ級エリートが再び長門へと肉薄しようとする。そんなことを許してはおけないと、山城は目の前で立ちはだかるル級フラグシップや、タ級フラグシップへと砲撃を仕掛けていく。

 

「どきなさい……! 邪魔よ、道を開けろぉッ!!」

「……!!」

 

 力強い叫びと共に砲撃を仕掛ければ、鳥海と摩耶もまた同じく咆哮しながら砲撃する。だがそうはさせまいとル級フラグシップと、タ級フラグシップは歯噛みして砲撃を耐え、反撃の一撃を放っていく。

 長門のもとへと駆けつけるべく、山城は彼女たちと距離を詰め、次弾を装填するまでの間は副砲で砲撃しつつ、拳を握り締める。

 

「どうしても道を開けないって言うんなら、力ずくでも押し通らせてもらうわッ!」

 

 加速のスピードを乗せた拳がル級フラグシップの頬を捉えるが、そんなことではル級フラグシップは倒れない。両手に構える艤装で山城の体を弾き返し、鈍器を扱うかのように山城へと殴りつけてくる。

 タ級フラグシップも接近する鳥海や摩耶と格闘戦を繰り広げ、両者の手が組み合ってその場へと留められる。そんな味方の動きにレ級エリートは「キキキ、ゴ苦労サン」と声をかけて長門へと迫る。

 

「くっ、長門さん……!」

「寝ツキガ悪イノモ考エモノダア、長門。今度コソ眠レ」

「――そうして私たちから意識を外されては困ります」

 

 と、声が響き、レ級エリートの進撃を止めるように砲撃の雨が降る。どこから来たのかと見れば、佐世保の主力艦隊が長門を保護するべく接近してきていた。何故あれらがここにいるんだ? とレ級エリートは疑問を浮かべる。

 佐世保の主力艦隊は空母棲姫へと攻撃を仕掛けるべく動いていたはずだ。しかし、現在この海域はそれぞれの艦隊が混戦状態にある。前線がどこになっているのかすらわからない状態になっているのは、明らかに空母棲姫が前に出て大和へと接近したせいだ。それをフォローするべく航空戦隊が動き、元より空母棲姫を倒すべく動いていた佐世保の主力艦隊や一水戦、二航戦も、その動きに対応するべく動いた。

 だが航空戦隊の一部がそれぞれの佐世保の艦隊を止めるべく動き、ここで一つの戦線の歪みが生まれる。

 それにプラスしてレ級エリートもまた長門を沈めるべく動き、艦隊の一部がそれに追従。元から大和がいる第二水上打撃部隊と、長門がいる主力艦隊が一緒に行動していたため、二つの意思が絡んだ艦隊によってそれが乱され、それぞれの艦隊が入り乱れるものになっていた。

 だが少なくとも佐世保の主力艦隊は空母棲姫の向こう側におり、空母棲姫を挟んで反対側にいるレ級エリートや長門の方にくるはずがないと、レ級エリートは考えていたが、簡単な話だ。大和たちの背後から回り込み、長門の救出に向かっていただけの話だ。

 それに主力部隊が離れたところで、二航戦がまだ側面から攻撃できる。二航戦の戦力だけでも、十分に空母棲姫の艦隊の横槍を入れることができる。今もなお、艦載機を放って敵艦載機を抑え込む役割を担っている。

 更に長門への救いの手はもう一つ届く。

 レ級エリートが放つ艦載機は長門に攻撃を仕掛けるだけではなく、周りの艦隊にすら攻撃を仕掛けていた。あの小さな体のどこに艦載機が収められているのかわからないが、たった一人が持つにしては多すぎる艦載機を展開しており、一人で複数の空母が保有するほどの数を秘めていることを示していた。

 それに対処すべく、翔鶴と瑞鶴が艦戦を放って対応していたのだが、ヲ級フラグシップらの艦載機は対応できても、多すぎるレ級エリートの艦載機には全てを対応することができないでいた。

 それを救ったのが、西から飛来してきた艦載機の群れだった。その艦載機は次々とレ級エリートが放った艦載機を、翔鶴と瑞鶴、佐世保の二航戦の艦載機と協力して撃墜させていく。一体誰がこの艦載機を放ったのかと疑問だったが、西から来たことでもしかしてと気づく。

 

「航空支援隊、到着したようで何よりだわ。補給を済ませた空母が、一足早くあなたたちの救援に当たります。艦そのものは現場に向かえずとも、艦載機ならばあなたたちの助けになるはずです」

 

 聞こえてきたのは、大本営の陸奥の声だった。指揮艦から通信を送ってきているようで、生き残った艦娘の中で、空母の補給を済ませ次第、艦載機だけを発艦させて支援隊としてくれたらしい。

 次々と撃墜されていく艦載機、長門を救うべく動いてくれた佐世保の主力艦隊。それを前にレ級エリートは、静かに笑みを深くする。まるで口が裂けたかのように、歪みを深くした笑みを顔に貼り付け、ぐっと拳を握り締める。

 

「ハハハハハ!! 仲間ノ助ケ、実ニ、実ニ、ジツニィ眩シイ! ソンナ虫ノ息デモ、誰カガ助ケテクレル! 救ワレルト、ソウ思ッテイルンダ! 涙ガ出ルネエ! 温カイ絆ッテヤツカイ? 感動的ジャナイカ! タダノ兵器ガナァニ絆サレテンダァ!?」

 

 力強く海面に拳を叩きつけ、尻尾もまた海面へと叩きつけ、長い胴体が海中に沈みながら、何度も何度もレ級エリートは、狂ったように笑い続け、拳や尻尾を叩きつけていく。まるで癇癪を起こした子供のような姿を見せる彼女だが、長門は体を庇い、荒い息をつきながら油断はしなかった。

 ゆっくりと後ろに下がりながら、長門は言葉を紡いでいく。

 

「挑発のつもりだろうが、それには乗らないぞ。それに結果的には救われた形になったかもしれないが、私としては、ここで本当に斃れるのだとしても、割り切って受け入れる気持ちはあった」

 

 静かな言葉だった。「ア?」と顔を上げるレ級エリートに、長門は何とか言葉を続けていく。そうしている間も、レ級エリートが展開している艦載機が周囲を攻撃し、レ級エリートに届いてくる砲撃の盾になっている。

 

「……戦場では何が起きるかわからない。気を付けていたとしても、死ぬときはあっけなく死ぬものだ。我々が全力で深海棲艦と戦うように、お前もまた全力で私を沈めようとしている。そのぶつかり合いだ、どっちが斃れてもおかしくはない」

「ヘエ……?」

「例えここで、本当に私が力尽き、斃れたとしても、私の後に続くものは現れる。私が消えても意思は残り、受け継がれる。それが人であり、艦娘が単なる兵器ではない証だ」

 

 レ級エリートを見据えて語る長門を支えるべく、扶桑がその体に触れる。長門を保護することに成功したのだ。そのことに山城たちは小さく安堵の息を漏らす。

 これで大丈夫だ。後は撤退してくれればいい。山城の願いを受けたのか、扶桑がル級フラグシップと組み合っている山城の視線に気づき、そっと頷いてくれる。

 

「それでも我らを単なる兵器と嘲笑うというならば、覚えておくがいい。その嘲りが、いずれお前に返ってくる。お前に敗北を刻み込むだろう。私にはできずとも、私の仲間たちがそれを成し遂げる。必ずだ……!」

「――――ソウ。デモ、ソレデモボクハサ? オマエノ全テヲ笑イ飛バソウ」

 

 静かな言葉だった。

 長門の静かな言葉に応えるように、それまで張り付けていた気味の悪い笑みが消え、無を見つめるような真顔で、レ級エリートはそう言った。

 刹那、海中から迫る冷たい殺意に、長門は咄嗟に体を支えてくれている扶桑を突き飛ばす。次いで大きな爆発音。連続して響く爆音と、立ち上る水柱に誰もが唖然として見つめるしかできない。

 

「何トシテデモ沈メル、長門ヲ。ソレガウチノマスターノ意思ダ。ボクハソレヲ全力デ果タシタダケサ。……笑エヨ、長門。笑エヨ、艦娘。全力ヲ尽クシ、達成シタボクノ勝利ヲ笑ッテ賞賛シナヨ。オマエタチノ助ケタカッタ長門ノ言葉ノヨウニサア!!」

 

 そうしてレ級エリートは海中に潜らせた尻尾を引き出し、挑発するように叫んだ。

 海中にいた艤装の先端から撃ち出した魚雷が、時間をおいて長門に直撃したのだと気づいたのは、力なく長門が倒れ伏し、海中へと沈んでいく姿を見た時だった。

 扶桑の悲鳴が響く。その体を引き上げようと伸ばすが、それよりも早くレ級エリートが無防備になっている扶桑へと砲撃を仕掛け、それら全てが着弾する。

 とどめとばかりに艤装を高速で滑った艦載機が、扶桑へと接近するが、「それ以上は許さないッ!」と叫ぶ山城が三式弾を放って撃墜させる。長門を沈められ、佐世保所属とはいえ、姉である扶桑まで沈めようとしているレ級エリートに対し、強い怒りを隠さないかのように、見たこともないような形相になってしまっている。気のせいか、その目に深い蒼の光が灯り始めているようにも見えた。

 

「ハッ、イイ顔ダ、山城。扶桑ト一緒ニ沈ム? ソレモイイネエ」

「許さない……お前は絶対に許さない! よくも、よくも私たちから……長門さんをッ! その上姉様まで手にかけようなど、ここで沈むがいいわ!」

 

 山城の怒りに応えるように、副砲が火を噴いてレ級エリートへと攻撃を仕掛けるが、笑いながらレ級エリートは全てを回避する。返しの砲撃が飛来するが、山城もまた凄まじい形相のまま回避し、レ級エリートへと接近。

 主砲に高速で装填すると同時に、主砲にも力が集中し、意図せずして主砲の強撃をぶっ放す。大和型に迫る程の衝撃音が響き、それまで以上の速さでレ級エリートへと弾丸が迫るが、紙一重でそれを回避した。

 だが弾丸の勢いはレ級エリートの髪や肌を焼き焦がし、背後で発生した爆風を背に受けながら、「ヘエ?」とそっと髪と肌を撫でながら興味深そうな眼差しで山城を見つめる。

 今の山城の形相はまさに鬼の如く。彼女の憤怒に反応して両目から蒼い燐光を放つそれは、まるで敵対している存在のようだ。怒りによって堕ちる、それを本人が自覚している様子もなく、日向が「落ち着け山城!? 飲み込まれるぞ!?」と叫ぶ声にも耳を貸さない。

 

「ハハハハ! 言葉ダケ聞ケバ、山城、オマエ立派ニコッチ側ダァ。素質、アルヨ、ウン。山城ノ堕チタモデル、イイ働キトカ性能ヲ秘メタ兵器ニナリソウダナア?」

「戯言を……!」

 

 ぎりっと噛みしめた唇から血が流れ落ちる。まさに怒髪天を衝く山城を嘲笑するように、カタカタと艤装が歯を打ち鳴らし、レ級エリートが照準を合わせるように手を揺らめかせていると、高速で飛来してきたものがレ級エリートを貫いた。

 赤い粒子が流星の如く軌跡を描きながら、艤装の主砲ごとレ級エリートを貫く砲弾。少し遅れて爆発を起こしたレ級エリートの主砲と、自分の身体を貫いた砲弾の痛みを感じ取ったレ級エリートは、小さく呻き声を漏らしながらも、その顔から笑みは消えない。

 

「ヘエ……? ヤッテクレルナア、大和……! ソノ撃チ様、オマエモ明ラカニ艦娘ノモノジャアナイ。コッチ側ダァ」

 

 無言でレ級エリートを見つめるその瞳孔は小さく、静かに燐光を輝かせる大和は、明らかに山城と同じく怒髪天を衝いている。その隙をついて空母棲姫が大和へと攻撃を仕掛けようとしているが、那珂たち佐世保一水戦がそれを阻止するべく動いていた。

 彼女たちが空母棲姫の邪魔をしていたからこそ、大和はレ級エリートへと奇襲を仕掛けられた。もちろん佐世保一水戦もただ邪魔しているだけでは終わらない。彼女たちにも一水戦としての意地がある。

 魚雷の強撃を撃ち出し、空母棲姫へと大きなダメージを与えているのだ。先ほどの木曾の一撃は回避されたが、空母棲姫の動きを何度も見ることで予測がつきやすくなり、誘導するように攻撃を仕掛け、強撃を当てることができるようになっている。

 少しずつ追い込まれていることを実感しはじめた空母棲姫は、苛立ちを隠さなくなってきている。自分の獲物である大和に有効打を与えられず、状況が不利になっていくことなど、耐えられないといった様子だった。

 そんな中、一つの艦載機が戦場上空にやってくる。それは赤い粒子を纏ったものであり、最初に空母棲姫が声を届けたものと似ているものだった。

 

「――作戦終了だ、みんな。帰還を」

 

 聞こえてきたのは、男性とも女性とも判別つかない、加工されたものだった。明らかに声の主を判別させない意図が見える。だがその声に空母棲姫やレ級エリート、そして深海霧島と量産型の深海棲艦が反応する。

 

「賞賛しよう、呉と佐世保の艦娘たち。僕の作戦が潰された。実に残念だよ。こうまで時間を取られ、被害を出されては撤退せざるを得ない。主がここにいないのに、よくぞここまで戦えたものだね」

 

 声が語る中で、レ級エリートは最後に大和や山城などを一瞥すると、我先にと海中へと身を沈める。レ級エリートに追従していた深海棲艦もそれに続き、深海霧島もまた、身体を庇いながら「……デハ、マタドコカデ会イマショウ。良イデータノ提供ニハ、感謝シマスヨ」と言い残して撤退した。

 どうやら神通たちにやられたようで、撃沈はされなかったものの多大なダメージを受けたようだ。深海武蔵を早々にやられたことで、呉一水戦全員で戦ったことにより、あと一歩ほどまで追い込まれたらしい。

 それでも、ウェーク島よりも明らかに強化されている攻撃の比較データは十分に取ったらしく、その点だけを勝ちの要素として言い残していくあたり、負けず嫌いな点が見え隠れする。

 

「赤城、気持ちはわかるけれど撤退を。今回はそれまでにしておくんだね」

「……ッ、御意……!」

 

 一礼した空母棲姫もまた護衛の深海棲艦と共に海中へと消えていく。全ての深海棲艦が撤退してもなお、謎の声を届ける敵艦載機は上空に残ったままだ。

 その艦載機はゆっくりと大和の上へと近づき、「艦娘に転じてもなお、名残は残っているものと思っていたけれど。うん、名残という程のものでは収まらないね、それ」と興味深そうに大和を見つめている。

 それを受けても大和は落ち着いており、じっと見上げながら、

 

「あなたが中部でしょうか?」

「そうだね。君が殺したいと思い描いている存在だよ」

 

 じろりと睨みつけながら、手持ち無沙汰に両手で傘の柄をくるくると回し続ける。怒りのあまりにあの艦載機を撃ち落としたくなる衝動に駆られているが、中部提督がわざわざこうして話しかけてきたのだ。

 深海提督がこうして存在を示してきたのだから、話す機会を自分からなくす必要もないだろう。だからこそ、大和はその理由を問いかける。

 

「何故わざわざこうして出てきたのでしょう? 存在を示すメリットがあなたにあると?」

「単に挨拶と礼をしたいだけさ。僕としてはこの作戦の成否で運命が変わりそうなものだったからね。結果的に作戦は失敗した。しかし、得たものがある。その礼だよ」

 

 と、艦載機がじっと大和を見下ろしているかのように、先端を少し下げてきた。

 

「転じた存在が、再びその力を振るうケース。そう見られるものではない。そしてもう一つ、呉の長門を落としたこと。この二つの件に対し、僕はこうして存在を示し、礼を示すのさ」

「……やはり、目障りだったようですね? 私をこのようにした元凶が」

「当然だよ。ただでさえあり得ざることと考えていたものだというのに、それがまさかこのような力を振るうなんて。そんなケースをこれ以上増やすわけにはいかない。だが、ある意味希望を見いだせる。……大和、君が再び転じるようなことがあれば、僕たちの勝利は近づくだろう」

「それはない。こうはなっているけれど、すこぶる私は冷静ですよ。今でさえ、あなたを落としたい気持ちに溢れているけれど、こうして抑え込めている。私はそちらには付かない。いつか……貴様の首を取る。覚えておきなさい」

「残念だ。しかしそれでこそ君らしい気もする。今回のことで僕の存在が許されることがあれば、いずれまた会おう」

 

 そう言い残して飛び去るのかと思いきや「――ああ、そうだ」と何かを思い出したかのように振り返ってくる。その仕草に大和は首を傾げ、神通は目を細め、佐世保の那珂や羽黒がはっとしたような顔を浮かべる。

 

「――それと海藤凪と湊によろしく言っておいてくれるかい? 僕としては、その二人に対してもきちんと礼がしたいものでね。去年からのことを考えると、どうやらこの先も縁が続きそうな予感がするからね」

「……そうですね。貴様を潰す提督はあの二人となる。私もそうありたいものですから、伝えておきましょう」

「感謝するよ。良いデータが取れたことにもね。これを活かし、再び君たちの前に現れるとしよう」

 

 今度こそ艦載機は勢いをつけて海中へと飛び込み、消えていった。残ったのは疲労困憊の艦娘たちと、長門を喪ったことに悲しみを浮かべる艦娘たち。

 日本を守ることには成功した。しかし、代償として喪ったものが大きすぎる。呉鎮守府にとっては、凪がついてから再建した艦隊のトップに立ち、艦娘たちを見守り、導いてくれた偉大な先達が喪われたのだ。その悲しみの度合いは計り知れない。

 大和もまた静かに両手で弄っていた傘を下ろし、これまで静かな怒りを燃やしていたものを、この一瞬だけ解放する。言葉にならない声がその口から吐き出され、勢いよく傘を海へと叩きつけた。

 立ち昇る巨大な水柱が、どれだけ彼女の感情と気持ちの大きさがあったのかを表している。怒りと同時に、悲しみが、悔しさが、やるせなさが押し寄せてくる。それ以上に、色々伝えられなかったことや、どうして守れなかったのかという後悔も溢れて止まらない。

 それが今もなお灯り続けている赤い燐光の下から、熱い雫となって流れ落ちる。

 

「――く、ぁ……ぁあああ……!!」

 

 怒りの叫びは慟哭に変わり、こんなにも、こんなにも苦しい感情があるのかと、大和は膝を折り、今まで見せたことがない程に感情をあらわにしていた。先ほどの一撃で折れてしまった傘を投げ、行き場のない拳を何度も、何度も海へと叩きつける。

 あの大和が、これほどまでに長門の死を悲しんでいる。その姿に、また艦娘たちも悲しみを深めるが、大和の慟哭に反応して高速で近づいた神通が、大和の手を止めた。

 

「それ以上はいけません。お気持ちはわかりますが、これ以上手を痛めることもないでしょう。……ですが、そうして声を上げることは、許してくれるでしょう。それほどまで、あなたがあの人のことを想っていた証ですから」

 

 神通もまた長門の死を悼み、悲しんでいるが、それでも彼女は気丈だった。大和の頭を抱きしめ、胸で泣かせてやるが、その神通の顔には涙はない。堪えるように苦し気な表情を浮かべて、声にならない声を小さく漏らしているだけだ。

 長門が落ちた今、呉の艦娘の序列でいえば神通が最も高い位置にいる。そんな彼女が、大和のように声を上げて悲しみをあらわにすれば、まとまるものもまとまらない。だから大和を胸元で泣かせ、自分もまた静かに長門の死を悼む。そうするだけに留めていた。

 大和もそんな神通の気持ちを汲み、先ほどよりも落ち着いた声で、しかし涙を流して悲しむ。こんなにも、こんなにも自分が誰かの死を悲しむなど、誰かの胸で泣くなど、考えたこともなかった。

 神通の言葉で、頭の中では冷静さを取り戻したかもしれない。しかし体はまだ、彼女の死を悲しみ続けている。そっと神通の体を引き離したい気持ちはあったが、何故だろうか。今はその温かさに包まれていたい気持ちがあった。

 

「…………ごめんなさい、神通。あなたの方が、悲しみは深いでしょう。私のために、いえ、立場のために泣けずにいる優しいあなた。……本当に、申し訳ないのですが、もう少し胸を借りても?」

「ええ、かまいませんよ。あなたもまた、それほどまでに感情をむき出しにするのは初めてのことでしょう。それを咎める人はここにはいません。存分に、吐き出してください」

「……ごめんなさい」

 

 こうまで感情が抑えきれないなんて、どうかしている。こんな自分はもはや「兵器」ではない。心無い道具、敵を討つためだけに運用される「兵器」であるはずがない。

 ああ、自分はこんなにも変わってしまった。

 大和ははっきりと自覚する。喪って思い知らされる。

 大切な戦友を喪う悲しみと、あんなにも輝いて見えたこれまでの日々に対する喜びがあったことを。

 人類を滅ぼす「兵器」にして「怪物」である深海棲艦に似た力を、怒りのあまり再現してしまったとしても、心はこんなにも「人」になっていた。

 もう否定することはない。

 呉の大和は「兵器」ではなく一人の「艦娘(ひと)」として在る。

 ならばこそ、決意を固めよう。

 いずれ中部提督と中部の赤城、そしてレ級エリートに引導を渡してやるのだと。この悲しみと痛みを胸に刻み付け、絶対に果たす想いとして噛みしめるのだった。

 



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報告

 

 戦いが終わり、日本は守られた。深海棲艦の本土への奇襲に対し、大本営の艦娘と呉と佐世保の艦娘が、多大な被害を出しながらも食い止めることに成功したのだ。守られはしたが、日本の鎮守府全ての提督を出撃させ、ミッドウェーとアリューシャンへと対応に当たらせ、日本の守りを薄くしたという責任は問われなければならない。

 少しでも守りのために残すべきだという意見は多数決によって却下され、ミッドウェーの悪夢を乗り越えるという目的を優先させた。その提案をした西守派閥は、この日を以って解散させられ、西守大将などはその籍を失った。

 今まで彼らがしてきたことが、自分たちにも適用されただけにすぎない。いつかの海藤迅をはじめとする、様々な優秀な人材が、責任を問われて除籍されたことにも関わってきた彼らだ。人に対して行ってきたことが、よもや自分には適用されることはない、と逃げの道を作らせることなく、美空大将などの決議によって、その処分は下された。

 これにより美空大将の目的である、大本営を蝕む膿は取り除かれる。これからは正しく評価が下され、深海棲艦への対応を迅速に行い、正確なデータをもとに判断を下せるようになるだろう。そう期待されることとなる。

 

 帰還した凪たちは、ミッドウェーの出来事を報告。とはいえ主に報告を行ったのは北条だ。軍の階級でみても、北条の方が二人よりも高いため、自然なことである。どのような戦いがあったのか、そしてミッドウェーに座していた中間棲姫は撃破できなかったことも、偽りなく報告した。

 だが美空大将は、

 

「……そうか。構わない。戦闘データはしっかり取れたのだろう? 次の機会があれば、それを活かして、再度戦えば良い。今回の戦いは、各地で想定外のことが起きすぎた。撃破失敗について責を問うことはない。それに、サンディエゴのウィルソン提督からも話は聞いている」

 

 ミッドウェーの戦いの後、イースタン島で合流したサンディエゴの海軍司令、ウィルソン提督と会い、言葉を交わした。金髪を整え、北条と同じく髭を蓄えた、30代ほどの男性である。背筋もしっかりとしており、北条のように少し太っていることもなく、引き締まっていて鍛えられた体をしている。アメリカの地位ある将兵といえば、こういう人物なのだろうと思わされる提督だった。

 その後のやり取りも全て英語で行われていたが、アカデミーを卒業した身であれば、英会話については何も問題がない凪と湊である。聞いている限りでも、問題なくウィルソン提督の話が理解できていた。

 ウィルソン提督曰く、数日前にサンディエゴ海軍基地に深海棲艦が襲撃を行い、基地や艦娘に被害を与えていた。こうしたケースはサンディエゴ海軍基地だけでなく、ハワイのパールハーバー基地や、ノーフォーク海軍基地もまた、大西洋から襲撃を何度も受けた過去がある。

 今回もまたサンディエゴ海軍基地の戦力を削りに来たものと思われたが、戦力回復の間に件のミッドウェーの報告が届いたという。加えてパールハーバー基地も襲撃を受けており、ミッドウェーへと援軍を送らせないようにしていた点についても、情報に差異はなかった。やはり日本とアメリカに挟まれることを避けるため、二つの基地を襲撃し、戦力を削いだ上で、日本を挑発したと考えられる。

 パールハーバーからミッドウェーに敵艦隊が集まっているという知らせを受け、より早く戦力回復を試みたサンディエゴ海軍基地だったが、日本からミッドウェーの深海棲艦を撃滅するという通信も不安定な中で受ける。日本も参加するならばと速やかに戦力回復を試みたが、結果はこのような形となってしまった。

 

「本来は我々アメリカ海軍が対処すべき問題だった。日本海軍にここまで遠征させ、戦闘を任せてしまうことになったこと、重ねてお詫びする」

「いえ、そんなことはありません。最終的にはあなた方に助けられました。我々だけでは、あの大艦隊を撃滅させることができなかったこと、ミッドウェーに座す姫級を撃破出来なかったことに関しては、こちらも詫びなければいけません。あの個体が、いや、あの艦隊がいずれまたあなた方を脅かすことになるやもしれません」

「何、その時は今度こそ我々の手で滅ぼしつくすのみでしょう。何度も襲撃を受けてばかりの我々ではありません。それに奴らの拠点はおおよその目星はつけてあります。艦隊を揃えた上で、今度はこちらからと考えていたところです」

 

 どこか不敵に笑うウィルソン提督の目には確かな自信があった。今までやられてばかりだった借りをまとめて返すのだという意志が見えていた。彼に従うアメリカの艦娘たちもまた、同様に自信が見える。

 彼女たちにもアメリカ海軍としての意地がある。何度も何度も基地を攻められるという受け手ばかりではいられない。攻め手へと転じる用意があるのだろう。

 もしそれが成功するようなことがあれば、アメリカ西海岸、太平洋方面の深海棲艦の勢力の一つが落ちることになる。そうなれば今まで以上にアメリカとの連携が強まり、もしかすると中部提督をも落とせる希望が見出せるだろう。

 北条だけでなく、凪もまたウィルソン提督らサンディエゴ海軍基地の面々の健闘を強く祈った。

 

「報告、ご苦労。後で報告書にまとめ、記録しなさい。……そして、もう耳にしていると思うけれど、本土が急襲を受けた件について」

 

 その言葉に、凪と湊は表情を暗くする。

 日本に戻り、大本営へと足を運ぶ際に、何があったのかをすでに耳にしていた。戦いのこと、そして被害のこともだ。

 

「海藤、湊。あなたたちのおかげで日本は守られた。このことについて、あなたたちにはどれだけ礼を尽くさねばならないか。今は褒賞についてまとまっていないけれど、いずれ与えるつもりでいる」

「……いえ、私はやるべきことを提案したまでです。礼は現場で奮戦した彼女たちにこそ与えられるべきでしょう」

「もちろんよ。あなたたちだけではなく、あの海域で戦った彼女たちにも礼をするつもり。でも、あそこまで戦えるだけの力へと育て上げた、海藤と湊もまた賞賛されるべきでしょう。……よくやってくれたわ」

「……はっ」

「ありがとうございます」

 

 

 美空大将への報告を終えると、改めて北条と会話する。やはりミッドウェーでの戦いの中で感じたように、どこか気さくなおじさんという風な雰囲気を感じさせる。普段の言動からして地位のある男性という面はあるのだが、それでも親しみを感じるため、嫌な感じがしない。

 人嫌いな気がある凪と湊でも、強い嫌悪感を抱かない男性という点でも、北条に対するイメージがぐるりと変化している。

 

「うーむ、帰ってきてみれば、すでに西守派閥が消えていたとは。実にあっけなかったものだね」

「西守派閥に属していたあなたに対して、美空大将から何もなかったという点で見ても、もしかするとあの方は、あなたの事情を把握していたのでしょうか?」

「さて、どうだろうね。私の心境に関しては誰にも話してはいない。話せば首が切られていた可能性があるからねえ。本当にあそこで君たちに話したのが初めてさ。……だから私自身も驚いている。派閥とまとめて首を切られることを覚悟していたからねえ」

「そうすれば横須賀を守る提督がいなくなる。伯母様からしても、今の状況を照らし合わせれば、そのようなことは不都合極まりないと判断したのでしょう。恐らくこれから先、あなたは伯母様から働きをチェックされるかもしれない。だから、改めて機会を伺い、伯母様に西守大将に関することを報告しておいた方がいいかも」

 

 湊の言葉に、北条は「確かに」と頷く。少しでっぷりとした腹を一度、二度と叩いて、気合を入れるようなそぶりを見せると、「善は急げという。早速伝えてくるとしよう」と踵を返して歩き出した。

 

「今回、君たちと組めて良かったと思っているよ。本当に、いい後輩が育ってくれたものだと、私も嬉しい気持ちだ。何かあれば遠慮なく声をかけてくれたまえ。凪君、湊君。また会おう」

 

 では、と手を挙げて美空大将の部屋へと戻っていく北条に、凪と湊はそっと目を合わせる。本当に彼に対するイメージが変わったものだ。出撃前は憂鬱な気持ちだったというのに、今はそんな気持ちは彼にはない。

 人生の先達としても、相談できそうなおじさんという感じに思える。人のイメージというものは伝聞や雰囲気だけで決まるものではない。他人が苦手な二人にとって、そんな当たり前のことを忘れていた。

 建物を出てそれぞれの指揮艦を泊めている埠頭へと移動すると、そこには呉と佐世保の艦娘たちが待機していた。二人に気づくと、彼女たちは一斉に敬礼する。ミッドウェーで戦った艦娘だけでなく、日本防衛のために戦った艦娘もそこに揃っている。

 修復を受けたことで傷は癒えているが、しかし大切な仲間を喪ったという心の傷は癒えていない。敬礼を返した凪と湊へと真っ先に駆け付け、そして勢いよく頭を下げたのは大和だった。

 

「……申し訳ありません」

「……何の真似かな、大和?」

「私のせいで、長門を喪うことになりました。どれだけ詫びても詫びきれない。呉鎮守府にとって大事な存在を、私という存在が喪わせるきっかけとなりました。本当に、申し訳ありません」

「やめてくれ。君のせいではない。……きっかけがなんであれ、俺たちは命を懸けた戦いをしている。確かに長門を喪うことは悲しい、君が責任を感じる気持ちもわからなくもない。だが、そうして自分ばかりを責める必要はないし、俺から罰を受けようなどと考える必要もない」

 

 その肩に手を当てれば、いつもきりっとしている大和の表情が、自分を責めているような、思いつめたような瞳が凪を見つめるように顔を上げた。こんな大和の表情は初めてだ。それだけ、彼女が真剣に長門のことを想っていることがよくわかる。そんな大和の変化に、どこか凪は嬉しく思う。こんなにも大和は変わったのは、喜ばしいことこの上ない。

 だからこそ、そんな顔をしないでほしいと願わざるを得ない。

 

「きっと長門ならこう言うだろう。『立ち止まるな、大和。悲しみや責任に潰れて立ち止まるのではなく、それを飲み込み、胸に刻んで前に進む力としろ』とね。……それは、君だってきっとわかっているだろう?」

「……はい、……決意はこの胸に。ですが、それでも私はあなたに謝罪したかった。どこか弱いあなたを支えるべき柱を喪わせてしまったことを。……だからというわけではありませんが、これまで以上に、私はあなたに尽くしましょう。支えましょう。この大和の力、全てを以ってして、あなたの敵を討つ存在となります」

 

 その胸に手を当て、深く大和は一礼した。あの戦いの後に刻んだ決意を表明し、改めて凪に誓ってみせた。それを見届けるは湊と、呉と佐世保の艦娘たち。「兵器」としてではなく一人の「艦娘」として、誓いを立てた大和の姿を、彼女たちは証人として立ち会った。

 かつて南方で戦った面々は、最初の頃の雰囲気も知っている。だからこそ理解する。誰もが大和の変化を認め、大和の決意を尊重したのだ。

 それぞれ指揮艦へと乗船し、呉鎮守府へと帰還する中で、通信を繋ぎながら、防衛戦での出来事を改めて確認することになる。大和の決意は聞いたが、それでも気になることはある。それは南方棲戦姫の名残のような、あの力の存在についてだ。

 あれについては大和自身も怒りのあまり発現させてしまったものだが、その後は自分の意思でその力を操作し、戦っている。

 

「確かに見た目でいえば深海棲艦の力の発現にすぎません。ですが、原理としては艦娘にとっての強撃とそう変わりはありません。……言うなれば艦娘が潜在的に持っている力や、妖精の力を引き出し、扱ったものです」

 

 と、艦橋内にも関わらず、大和は手本を見せるように右手に赤い粒子を集める。ふわふわとした赤い粒子が集まり、球体を形作る。それをぐっと握り潰し、続けてその両目を一度閉じ、見開けば赤い燐光が灯る。

 

「こういうのはあくまでも見た目がわかりやすい、といったものですが、同時に自分の中にある力を上手く引き出せている証でもあります。内から外へ、中心から外側へ。巡る力を上手く操作できている証です。……そうですね。神通や夕立など一水戦は魚雷の強撃を撃てますが、その際にこういう力を無意識に扱っていると思います」

「あれですか。あれは確か、妖精との波長を合わせ、より強く、より早く魚雷を発射させ、通常よりも高い威力で敵を撃破するものですね。同様に、確かに自分の中から何かを引き出しているような感覚もあります」

「そうでしょう。これも同じようなものです。撃てばより加速度や威力を増した砲弾に、纏えば敵の砲弾を防ぐ装甲に。今回の戦いの記録によれば、空母棲姫などが、艦載機にも力を添えて発艦させていましたね? あれらも原理は同じことです。艦娘も深海棲艦も、似たような存在なのですから、似たような力を振るえるのは自然なことでしょう」

 

 空母棲姫、中間棲姫、そして記録によればウラナスカ島の北方棲姫も、こうした力を振るっていた。今回新たに出現した姫級全てがこの力を使えるということは、この先もまた新型が出てくるなら、使えるものと考えた方がいいだろう。

 艦娘が新たなる力や技術を会得するように、深海棲艦もまた同様に力を会得している。どちらの勢力も順調に力を付けている。そうなればより強い力と力がぶつかり合う。今回のような戦いが想定され、そしてまた誰かが喪われる可能性も高くなる。

 だが、それを恐れていてはいつまで経っても事態は変わらない。進まなければならない。より良い未来のために。

 そしてこの力の説明を聞き、佐世保の龍田も自分の手を見下ろした。ミッドウェーの戦いの中で、ウエストバージニアの戦艦棲姫へと攻撃を仕掛ける際に、今までにない力を振るっていたように感じられた。いつも以上に力が巡り、槍に力が付与されたかのようなもの。

 もしかするとあの瞬間、大和の言う力を自分は無意識に扱っていたのだろうか。だがそれにしては自分の中から巡る力だけでなく、足元にあった赤い海から力を汲み上げていたかのような感覚もあり……と、考えたところで、ぞわりとした感覚に襲われる。

 

(なにかしら、これ……?)

 

 自分は、何か良くないものに触れてしまったのではないだろうか? 冷静になった今だからわかること。ぴりっとした何かが、手から微量漏れて出ているかのような錯覚。相談すべきではないかと考えたが、凪たちは次の話題へと移っていた。

 

「もう一つ、気になることがある。ウラナスカ島では北方提督が姿を現し、三宅島近海では声だけとはいえ中部提督が姿を見せた」

「……そういえば中部提督と会話をしたそうね、大和」

 

 モニターの向こうで、少し真剣な表情を浮かべて湊が問いかければ、大和は頷いた。「朧げな記憶だけれど」と前置きし、

 

「たぶん、あれは間違いなく私を生み出した中部でしょう。声は加工していたけれど、雰囲気は似ていたように思えます」

「他に気になることはなかった? ……喋り方、言葉の雰囲気、クセ……」

 

 と、並べたところで、湊の方で那珂が手を上げる。どうしたの、と湊が問いかければ「クセだと思うけれど」と那珂が少し震えた声で言葉を続ける。

 

「いったん話を終えて、思い出したように振り返りながら、もう一つ話題を提示してたよ……」

 

 その言葉に湊は目を開き、ああ、やっぱりという風に深く息を吐いた。肘掛けに腕をつきながら頭を抱えてしまっている。佐世保の秘書艦である羽黒もこくこくと頷いており、「あれって……湊さんたちと同じです」と呟く。

 その言葉に、凪もはっとする。

 湊、そして美空大将がよくやっているクセだ。特に美空大将との通信などでそれをよく耳にしている。「それと海藤」と、何度美空大将に言われたか思い出せないくらいに言われている。

 

「何よりあの中部提督は言いました『それと海藤凪と湊』と。海藤提督はフルネームでしたが、湊さんは湊と呼び捨てにしていました……。ということは、近しい間柄にあるのではないか、と……」

「……決定的ね」

 

 重苦しいため息をついた湊はうなだれるが、モニター越しに少しだけ視線を上げて凪を見つめる。凪ももう察しがついている。ミッドウェーへの出撃前でも、湊はどこか察してはいただろう。しかし信じられない事実だと、もう少し確証を得るための情報を求めていたようだった。

 だが、ここに最後のピースが嵌められた。これ以上の疑う余地は恐らくない。

 

「中部提督の正体は、美空星司。かつて海で亡くなった伯母様の息子でしょう」

 

 美空大将の長男、美空香月の兄、そして湊にとっての従兄。

 美空大将や香月の運命を狂わせた星司の死。本来ならば二度と会えないはずの存在が、中部提督として再び現れるだけでなく、凪や湊の前に何度も立ちはだかり、今回は日本を急襲した首謀者。

 これらの事実は、またしても二人を中心に重苦しい空気を生み出すこととなった。

 



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虚ロナ命ニ裁定ヲ

 拠点へと戻ってきた中部提督は、今回の戦いにおける労いを、深海棲艦たちへと行った。日本の大本営を落とすことには失敗したが、しかし重要な目的の一つは達成できた。その証である、呉の長門の亡骸を改めて確認する。

 もう動くことがない艦娘の長門。それを見下ろす中部提督の眼差しは、どこか期待が込められているように見える。それを見たアンノウンは目を細め、

 

「何ヲ考エテイル?」

「いやなに、改めて考えていたのさ。どうして呉の長門が深海棲艦を浄化できる力を持っていたのかをね」

 

 そう言いながら屈みこみ、そっと亡骸に触れてみる。しかし長門は動くことはないし、浄化できる力とやらも感じない。だがデータが証明している。ウェーク島での戦いにおいて、長門は確かに何らかの力を秘めており、発揮していたことを。

 その力の源は何だったのだろうか。死んでしまった今では何もわからない。こうして呉の長門は落としたが、もし他の艦娘にもそれが現れたらどうするのか。その懸念をするのは自然なことだろう。

 そう思っていたのだが、うっすらと何らかの力を感じ取る。その力のありかを探るために長門の亡骸の上を滑るように手を動かしていると、長門の胸元にそれを感じ取った。触れようとすると、バチっと電気で弾かれたように手を離してしまう。

 

「……これは?」

 

 浄化の力に近い、聖なる力が中部提督を弾いたらしい。浄化の力そのものか、別の何かはわからないが、こんなものが死んだ長門から感じられるとはどういうことだろうか。興味本位でもう一度触れようとするが、やはり同じように弾かれる。

 アンノウンも真似をするように勢いをつけて、力のありかへと手を伸ばすのだが、カウンターを決められたかのように、勢いよく弾かれた。

 

「何かが守っているかのようだね。実に興味深い。今となっては浄化の力を究明することはできないと思っていたのに、こんな置き土産があるとは。最後まで心を躍らせてくれる」

「キキ、サスガ元技術職。ヤッパリアンタハ提督トイウヨリ、技術屋ダア。ドコマデイッテモ、ソウイウコトバカリ気ニシヤガル。ダカラコソ、ボクヲ多少マトモニシテクレヤガッタ。頭スットバシタママノ方ガヨカッタノニサア?」

「今でもすっ飛んでると思うけれどね?」

 

 その返しに、ハッと乾いた笑いを浮かべる。で? とアンノウンは長門を足蹴にして「コイツ、ドウスンノ?」と改めて問いかける。

 

「決まっている。向こうは僕の大和を味方に引き入れたんだ。ならば、僕もまた向こうの長門をこちらに引き入れさせてもらうだけさ。より強い戦艦、それが今必要な存在だ。どうやら南方が生み出した武蔵モデルは、簡単に攻略される存在となってしまったようだからね」

 

 本土防衛戦において呉の一水戦はいとも簡単に深海武蔵を撃破してみせ、深海霧島も追い込んでいる。それには魚雷の強撃を上手く扱えていることが鍵のようだが、しかしソロモン海においてあれだけ戦ってみせた戦艦棲姫が、ウェーク島での戦いを経て、今回で容易な攻略対象に格下げともなれば、新たなる戦艦タイプを考案する必要が出てくるのは自然なことだろう。

 その核となるのがこの呉の長門だ。幾たびの戦いにおいて簡単に沈まず、誇り高い精神を以ってして戦いを進めてきた長門。その耐久力と指揮力、そして戦闘力を中部提督は高く評価している。

 深海棲艦を浄化する力を発現したことで抹殺対象になりはしたが、しかし純粋な長門としての個人で見れば、素晴らしい存在だと認めている。だからこそその敬意を表し、素晴らしい深海棲艦として生まれ変わらせるのだ。

 

「長門を工廠へ。改めてデータを解析し、新たなる戦艦モデルのプランを組み立てるとしよう。僕らを弾いたものが何かも、合わせて解明するよ」

 

 長門を運び出すことを指示すると、ああ、と思い出したように「それと、他の艦娘も運び入れて。艦種ごとに分けて保管を」と、ミッドウェーからも運んできた艦娘の亡骸も運び入れるように指示した。

 イースタン島では佐世保の由良など、そして三宅島近海では長門だけでなく、大本営の艦娘が多数轟沈している。その全ての亡骸は回収されており、ここに運び込まれた。

 その作業の中で、空母棲姫……中部の赤城が中部提督へと駆け寄る。

 

「提督……私ニ更ナル強化ヲ……!」

「おいおい赤城、また力を求めるのかい? 量産型からそれへと強化をしたばかりじゃないか」

「足リナイ。アノ大和ハ、以前ヨリ更ニ力ヲツケテイタ。シカモ、戦イノ中デ、更ナル成長ヲシテイタ! ワカラナイ、私ニハワカラナイ……! ドウシテアンナ風ニ成長デキルノカ……!」

「……赤城、それが意思の力だよ。あの大和は怒りによってあの力を振るった。長門を喪うことによる怒り、悲しみ、それらからあれが生まれた。僕らの作戦が大和を一時的に強くさせ、もしかするとそれを定着させたのだろうけど、だが関係ない。赤城、あの大和から学ぶといい」

 

 赤城をたしなめるようにその肩へと手を置き、じっと彼女を見据える。聞き分けのない子供に叱るように、教えるように中部提督は優しく語りかけていく

 

「ただ外から強くさせるばかりではない。自分の中から力を作ることもまた大切なことだよ。あの大和にはそれができている。僕の手から生まれ落ち、艦娘に転じてもなおあれはそうして成長している。ならば同じく僕の手から生まれた君ができないはずがない。……学びなさい、赤城。君の中に蓄えられている力が、きっと目覚めの時を待っているはずだよ」

 

 赤城と目を合わせ、そう語りかけると、赤城の目が赤やオレンジに明滅する。それは思考している暗示なのだろうか。しばらく固まっていた赤城だったが、「……ワカッタ」と頷いた。それにうん、と頷いた中部提督は工廠の方へと足を進ませる。

 そして全てを見守っていたアンノウンは興味深そうに目を細め、「フゥン……」と腕を組む。ふぅ、と息をつけば、どこからか小さく音が聞こえてくる。

 一定のリズムで聞こえてくるそれは、鐘のようなチャイムのような音だった。少しずつ大きくなっていくそれは、中部提督の耳には届かない。しかし赤城はその音に反応して顔を上げる。

 また両目の赤が明滅する。チャイムの音に合わせ、一回、二回と明滅するそれは、まるで音と光が同調しているかのようだ。やがてチャイムの音がやむと、だらんと赤城の両手が力なく下ろされる。

 一歩、また一歩とゆっくり中部提督の背後に近づいていき、

 

「――――ッ、ぐっ……!?」

 

 その首を掴まれ、勢いよく床に叩きつけられた。顔面を強打されたことで怯んだ中部提督は、一体何が起きているのか理解できなかった。もう一度床へと顔を叩きつけられ、そして仰向けへと転がされたとき、自分を攻撃しているのが赤城だと気づく。

 だがその様子が明らかにおかしい。いつも以上に深紅に光る瞳。赤い燐光はない、ただ純粋にその目が赤いのだ。元より感情が薄く、表したとしても怒りに連結する一面ばかりが目立つ赤城だったが、今の彼女は何もない。

 虚無を顔に貼り付けたまま、じっと中部提督を見下ろしている。それがひどく不気味だった。

 仰向けにした中部提督の首を絞めるように、ゆっくりと手に力が込められていく。それを引き剥がそうにも、深海提督へと堕ちてもなお、その力は人間の頃とあまり変わらない。しかし相手は違う。人智を超えた海の怪物であり、兵器だ。元から持っている地力が違う。振り払おうとしてもびくともしない。

 視線を逸らせば、じっとアンノウンが成り行きを見守っている。その表情もまた虚無であり、先ほどまで浮かべていた笑顔がどこにもない。

 

「何……の、真似……かな……?」

「………………」

 

 何とか声を絞り出して問いかけても、言葉は返ってこない。アンノウンも何も言わない。

 だが、何かが聞こえてくる。

 チャイムのような音だ。先ほどは聞こえなかったそれが、中部提督の耳にも小さく届いた。このチャイムの音に関することを、確か耳にしたことがある気がした。

 深海勢力の中で、提督や深海棲艦が、何かの拍子にその音を聞いたことがあると。そうすることでより深海棲艦としての力が高められるのだと。

 それは啓示である。

 深海棲艦を生み出した何者かによる啓示に違いないと、いつかの誰かがそう記録に残したらしい。

 だがその音はめったに聞けるものではなく、深海勢力の間でも眉唾の噂話としても語られている。

 

(これがそうなのだとすれば……そうか。赤城、君が僕を滅するのだね)

 

 どうやら南西提督のように、何者かの力によって消滅させるのではなく、赤城の手を以ってして処分を下すのだろう。何とも小憎らしい処分方法だ。よもや秘書艦によってこの世から再び別れを告げられようとは。

 やはり日本の大本営を落とせなかったことが大きかったのだろう。長門のことなど、色々気になることはまだたくさんあったというのに、歩みはここで終わるのか、と中部提督は諦めて力を抜く。

 そういえばと思い出した。戦いを始める前、北方提督に訊いたのだった。

 深海提督は深海棲艦から生まれるのかどうか。三笠である北方提督のようなケースはあったのかと。答えとしては彼女から見てないらしいが、可能性はある。もしここで自分が死んだら、中部提督の座はこの赤城が引き継ぐのだろうか。

 そう考えていると、気のせいか力が弱まり、締めている手が震えているような気がした。

 目を開けば、無表情な赤城が、何かを言おうとしているように唇を震わせている気がする。どうしたのかと思っていると、アンノウンがそっと近づき、赤城の顔を覗き込むように屈んできた。

 震える唇と手、そして体。明らかに躊躇いが見て取れる。数秒アンノウンがそれを観察していると、「――そう、できない 」と、今までにないほどに流暢な言葉が出てきた。

 一度チャイムが鳴れば、力を失ったかのように中部提督へと倒れてくる。咄嗟にその体を抱き留め、何度も咳き込んでしまう。しかしよくよく考えれば自分は死んだ身だし、ここは海底だ。人間のように首を絞められて、どうしてこんなにも苦しくなったのだろう、と根本的な疑問が浮かんでしまうが、それよりも大きな疑問がある。

 じっと中部提督を見下ろすアンノウンは、今までのような雰囲気を全く感じない。そっと赤城を横たえ、震えながら立ち上がる。

 

「……君は、誰だい?」

「 なるほど、そうした疑問はある 」

 

 と、小首を傾げるその様はアンノウンらしいが、しかし表情だけは真顔のままだ。じっとつぶらな瞳が中部提督を見上げ、

 

「 そう、(われ)其方(そなた)たちに仮初の命を与えしもの 」

 

 無機質に、淡々とそう言葉を紡いだ。その言葉に中部提督は目を見開き、自然とまた体が震え始める。それは恐怖によるものか、あるいは未知との遭遇に興奮しているのか、それは彼にもわからなかった。

 ただその得体の知れない存在を前に、一つの生命として震えが先にきてしまったのだ。

 

「 赤城は、其方を殺せなかった。それは、その個体が其方に対し、何らかの感情を有していたからか 」

「……もしかして、試したのですか? 僕を、赤城を」

「 試す? そう、試したと取るか、ヒトよ 」

 

 反対側にまた首を傾げ、小さく目を細めた。まるで何を言っているのだ、と鼻で笑うかのようだったが、実際にその笑いがその小さな体から出ることはない。

 

「 吾は促し、赤城はそれに乗った。深海が元来有する力、怨嗟や憎悪に去来する原動力。それからは、どの個体も逃れられない 」

「赤城は僕の言葉に反発心があったと?」

 

 だがわからなくはない。一応納得はしたけれど、それでも赤城が力をすぐにでも求めている気持ちは本当だ。そうした小さなしこりを増幅させたというのだろうか。するとまたチャイムが一つ鳴り、アンノウンにいる何かはゆっくりと両手を広げる。

 

「 意思の力。ヒトが語るその力。吾にとって不要なるもの。怪物に、兵器に、それらは搭載する必要なし。しかし、そこなる赤城は意思で抗った。衝動を振り払い、其方を殺さなかった 」

「……やはり試したんじゃないんですか? 赤城が僕を殺せるかどうかを。それで僕のこれからを決めようと、そうなんですね?」

「 三笠らは、其方に対してそれぞれ違った考えを有する。吾も然り、赤城も然り。あれより陳情は耳にしたが、今回の一件においては、赤城より手を下すものとした 」

 

 陳情? と疑問に思ったが、もしかすると欧州提督あたりから聞いたのだろうか。彼女は中部提督に対して良くない感情があったものと捉えている。それらを踏まえた上で、赤城の手によって処分されるか否かを決めたのだろうか。

 それから逃れられたのならば、今回の処分に関しては先送りされた、そう判断していいのだろうか。中部提督は目の前のものに対して、油断なく見据え、考える。

 そんな彼の感情を知ってか知らずか、代わり映えのしない表情のまま、アンノウンの瞳は工廠へと移る。

 

「 ヒトよ。其方の手によって、深海が強化されたという点においては、評価されよう。今までになかった歯車、それは間違いなく上手く回っている。赤城の手で消えなかったのであれば、其方の歯車は、まだしばらく回り続けよう 」

「ありがとうございます」

「 ヒトよ、未だ楽園(シャングリラ)を夢見るか? 」

「…………ええ。僕は静かに時を過ごしたい。昔も今も、それは変わることはない」

「 ヒトよ、楽園(シャングリラ)はどこにもない。そんなものは、ヒトが夢に描くだけのもの。仮に吾が世に降り立つことがなき世であっても、楽園(シャングリラ)は世に生まれ落ちることはなし 」

 

 自分だけの時間を作り、その中で暮らし続ける。それが彼にとっての楽園(シャングリラ)だ。気の合う仲間と、そんな場所で気ままに時間を潰せるだけでいい。それだけでいいのだが、どうやらこの存在にとって、楽園(シャングリラ)とはもっと崇高な場所なのだと勘違いしているのではないだろうか。

 そうした考え、認識のすり合わせができないのであれば、やはり自分とこの存在は、決定的には相入れない存在なのかもしれない。そう考えて、中部提督は感情を消した。

 

「ないのであれば、作るだけでしょう。楽園(シャングリラ)を」

「 そうか。それがヒトか。与えられるのではなく、作るもの。なるほど、確かにヒトらしい。特に其方はそれが強い。だからこそ其方を、気まぐれにあそこで命を与えた 」

 

 はっきりと言った。やはりこの存在が、自分に第二の人生を与えたのだ。

 ならばと、問いたい。

 

「そんなあなたは、誰なのですか? 深海棲艦を生み出し、僕たちに命を与えたあなたは」

「――――名乗る名はない。それはヒトが決めるもの。いつの時代も、ヒトが吾らに名を与えよう 」

 

 それより、とそれはまた首を傾げる。「 名、其方は、誰であったか? 」と、今更ながら問いかけてきた。やはり、この存在とは相入れそうにないと再確認しながら、ずっと名乗らなかったその名を告げる。

 

「僕は、美空星司ですよ」

 

 その言葉に、それはただ一言「 そうか 」と頷くだけだ。名前など大して意味はないものだと、さらりと流しつつ、一歩下がって肩を竦める。

 

「 此度は、其方の命は繋がれた。しかし、不必要なものとなれば、破棄されよう。あれのように 」

「……南西のように、ですか?」

 

 輸送だけに終始したことで、消滅させられた南西提督のことを挙げたのだが、何を言っているのだ? とそれは真顔のままだ。そのことに、中部提督が首を傾げることになる。

 

「 此度のことは、所謂世代交代。不要なものを破棄し、新たなるものを据える。生命(いのち)あるものも、兵器も必要に応じて流転する。其方は逃れられたが、逃れられなかったものもいる。此度の世代交代で、よりあの勢力が伸びることを願う 」

 

 その言葉を最後に、一際大きくチャイムが鳴らされ、アンノウンの目が閉じる。少し間をおいてゆっくり開かれれば、静かにその目から赤い燐光が灯り、首に手を当てて何度か音を鳴らすように左右に振り始めた。

 

「……ァー、アー、アーアー……マッタクサア、突然ダヨネエ?」

「…………アンノウンでいいんだね?」

「近クニイル頭ガスットンデル個体ニサア……アー、あー……嗚呼、気軽にほいほいと乗り移られてもさあ、ボクとしても困るわけだ。そう思わないかい?」

 

 首を鳴らし、喉の調子を確かめるように、合間で声出しをしていると、不意に淀みなく言葉が紡がれだし、不敵に横目で流しながら見上げてくるアンノウンに、中部提督、美空星司は、知らず冷や汗を流す。

 その様子にアンノウンも笑みを深くして、「どうしたんだい?」と問いかける。

 

「いいや、急に流暢になれば驚くものだろう?」

「そうだろうねえ。でも、実際にさっきまでこういう風に喋ることができていたわけだ。なら、それに倣えばなんてことはない。そうだろう? こういう風にできるのも、あんたがボクを上手く調整してくれた成果だ。誇りなよ、自分の実績をさあ? あんたは自分が思っているより、十分腕のある技術屋さあ。つーか、ぶっ飛んでたボクをまともに見せるように仕上げたってのも、それはそれは誇れる実績の一つだろうにさあ。キッキッキ」

 

 流暢に喋りだしてもなお、色々と相手を煽りそうなトーンで喋ることに変わりがない。だがそれでも少なからずアンノウンからは、純粋に星司を尊敬するような雰囲気がある気がする。

 色々とアンノウンに関してはわからないことが多いのは確かだが、彼女のその気持ちに関しては疑わなくてもいいのだろうか。

 

「しかしかの神の裁定を生き延びたってのはいいよねえ。何だかんだで、赤城とは確かな繋がりがあったわけだ。うん、ボクにはよくわからないけど、あんたの思想ってのはあながち間違ってはいなかった。それもまた、褒められるべきだ。どうやら、裁定によって落ちた奴もいるわけだしねえ」

「……それなんだけど、誰が裁定とやらを? それに、かの神って……やっぱりあれは神だと?」

「『かの神』なんて言っちゃあいるけど、ボクらにだって詳しくは知らないさ。そして誰が裁定を受けたかについては、たぶんそろそろ答えが向こうからくるだろうさ」

 

 その予測に外れなし。どこからか通信が繋げられる。

 ボタンを押してモニターに映像を映してみると、そこにはでかでかと何かが覆いかぶさっているようだった。カメラとの距離感を誤っているというよりも、誰かが力なく倒れ伏しているように見える。

 何かが擦れるような音がする。よく見ると刃が抜けていくかのようだった。ずいっとそれがカメラから離されると、星司ははっとした顔を浮かべる。

 

「南方……!?」

 

 胸を貫かれていたらしいそれは、南方提督だった。その瞳からは光がすでに消えており、死んでいるというのは明白だった。まさか、彼が裁定とやらを受け、処分されたというのだろうか。

 しかし一体誰がそんなことをしたのだろうか。その疑問もすぐに明らかになる。

 

「――処分、完了シマシタ。記憶、記録、全テ吸収完了。不必要ナモノハ削除シ、必要ナモノヲ残シマショウ」

 

 それは上から下まで真っ白な少女だった。中間棲姫のようなドレスを身に着け、ふわりと波打つ裾が美しい。首元にはちぎれた鎖があり、左腕から伸びていた刃は変化し、白と対照的な黒一色に、所々赤いラインが無数に伸びている。そして手もまた黒く細長くなっており、その間にはまるで魚のヒレがついたようなものになっている。

 肩近くで揃えられた白い横髪に、後ろはゴムで一房まとめられた髪型だ。額近くから二本の短い角が生え、静かに赤い燐光を放つ赤い瞳が、モニター越しにじっと星司を見つめている。

 このような深海棲艦は星司も見たことがない。深海棲艦のデータ内にも存在していない、全く新しい個体だった。

 

「君は誰だい?」

「私、私ハ……エエ、記憶ニヨレバ、ソウ――――私は、吹雪。ラバウルの吹雪。そして、天龍としての力もある」

 

 と、自らの左腕を見つめながら、彼女はそう名乗った。そのことにアンノウンが思い出したかのように息をつく。とんとん、とこめかみを叩きながら興味深そうな眼差しを向けるアンノウンに、「覚えが?」と星司が問うと、

 

「覚えている。ボクが沈めた吹雪と天龍だろう。そう、南方に引き取られたわけだ。で、そんな吹雪が、南方を殺ったと」

 

 天龍の艤装の一つである剣は、吹雪が南方提督に回収される際に、すでに吹雪の左腕と一体化、吸収されようとしていた。元より二人の亡骸は重なり合っており、深海の力の影響か、どちらの身体も吸収されてもおかしくない状態にあった。

 結果的に吹雪の体に天龍が艤装も含めて吸収され、あのような深海化を果たしたと思われる。

 

「この男は不必要な存在となった。だから私が処分を下すこととなりました」

「そう、で、その後は? 南方提督が消えて、どうなるんだい?」

「決まっています。その座は、私が引き継ぐ」

 

 倒れ伏し、消えていく南方提督からフード付きのマントを拾い上げ、深海吹雪は勢いをつけてそれを纏った。刃によって貫かれた箇所は、すでに粒子によって修復されていた。白い体に、深海らしい紺色が重ね合わされる。

 フードを被ることなく、その顔をあらわにしたまま、深海吹雪は星司とアンノウン、そして背後で成り行きを見守っていたらしい、一部の南方の深海棲艦に向けて宣言した。

 

「これよりソロモン海は私の管轄下に置きます。しばらくは記録の確認が主となるでしょうが、中部先輩、ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。ぜひ、あなたのお力添えの下、改めて南方勢力を拡大させてください」

「……これはご丁寧な挨拶をありがとう。しかし僕でいいのかい?」

「ご謙遜を。先代はあなたが気に食わない存在として見ていましたが、記録を軽く見る限りでもわかります。あなたは深海勢力にとって、都合の良い存在であると。様々な発展に貢献してきた存在であるならば、良いお付き合いをすることこそ、私たちにメリットがありましょう」

「言うねえ。都合の良い存在か、まあ、うん、そうだろうね」

 

 だからこそかの神とやらも、単に処分するのではなく、赤城の意思が介入できる余地を与えたのだろう。自分は生かされたのであれば、もしかするとこの深海吹雪が導く新たなる南方勢力を再建することも、想定された未来の一つなのかもしれない。

 それに大人しく従うのは癪かもしれないが、しかし自分の最終目的である落ち着いた時間を過ごせる場所の確保のためにも、この戦いは早く終わらせておきたい。そのためには味方が必要だ。

 先代となってしまった南方提督は、利用し利用されるだけの間柄に終始したが、果たしてこの深海吹雪はどうだろうか。人が変わってもその関係は変わらないのか、あるいは信頼できる味方勢力として付き合えるか。

 彼女との繋がりを断ち切るのは簡単だ。しかし、何もしないままにそうするのもあまりメリットを感じない。しばらくは様子見として、とりあえずのお付き合い、お友達から始めてみるのがいいだろう。

 そう判断し、星司は小さく頷いた。

 

「いいよ、吹雪。新たなる南方提督の就任を祝いましょう。僕に協力できることがあれば、協力しよう」

「感謝します、中部先輩。以後、よろしくお願いいたします」

 

 かの神の言う世代交代、それが行われた瞬間を図らずも見届けてしまった星司。そして同時に、三笠の北方提督と、恐らく欧州提督以来の、人ではなく艦の過去を持つ深海提督。それも深海棲艦からではなく、艦娘から転じたタイプの深海提督の誕生でもある。

 ある意味深海勢力の歴史がまた一つ変わった瞬間と言える。

 日本海軍としても色々あったが、深海勢力もまた大きな変化が起きたミッドウェー海戦は、これにて幕を閉じる。

 次は果たしてどうなるのか、それは一つの大きな計画を終えた星司たちにもわからない。

 しばらくは小さく動くことになるだろう、そう推測するだけに留めておくのだった。

 




これにて6章終了となります。

この作品を始めるにあたり、ここで長門の脱落は最初から考えていました。
加えて翔鶴もどこかで落ちることも考えていました。
ただどこまで犠牲を出すか、出さざるべきかについては、悩ましい問題でした。
犠牲多数ルートか、抑えた上で何か後に繋げるものを出すかを考えていたところ、色々あって時間が経ちすぎてしまいました。
そして今年に入り、またプライベート関係の事情が変化してきました。
しかし時間が取れたことでようやく構想がある程度まとまり、書くことができました。
待っていた方がいらっしゃれば、申し訳ありませんでした。
長門と翔鶴が何故落ちることが予定されていたか、ある程度当時のイベを知っている方がいれば、想像はつくかもしれません。

深海提督についても、今回で色々明かされることとなりました。
中部の中の人はもしかすると想像できた人は多かったかもしれません。
最後に出てきた吹雪のモデルはアレです。

次は14秋となります。
舞台は再び南方方面となるでしょう。
今回もそうですが、基本的にある程度執筆してから、微修正をかけて投稿していくスタイルをとっております。
また期間が空いてしまうかもしれませんが、投稿を始めたら連続して投稿されるかもしれません。
また投稿されたら、次の章ができたんだなと捉えていただければと思います。

復帰してからまた多くの方に見ていただけるようになったこと、喜ばしく思います。
感想などいただければ、モチベーションにつながります。
これからも拙作をよろしくお願いします。


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7章・先輩と後輩
在りし日の記憶


お久しぶりです。
これより新章に入っていきます。
また、物語的には第2部に入ったともいえる段階です。


ついに雪風改二、おめでとう


 中部提督は美空星司。

 その推測を改めて美空大将へと伝える。母親である彼女にこのような推測を伝えるべきかどうか、少し考えることにはなった。しかし深海提督の存在は明らかなものとなった現状、報告はするべきではあるし、正体もまたほぼ確定している。上司である彼女に報告すべき案件であることは間違いない。

 湊と共に伝えると、美空大将は苦い表情で瞑目した。

 そうして沈黙してから数分は経っている。当然だろう。彼の死によって彼女を取り巻く環境は変わってしまった。悲しみを胸にしまい込み、ただひたすら第三課での仕事に打ち込み、大将という地位まで上り詰めたのだ。加えてもう一人の息子である香月は復讐心によってアカデミーで優秀な成績を収め、現在はパラオ泊地の提督に就任している。二人の関係性も変わってしまったほどに、美空星司の死は影響を及ぼしている。

 そんな彼が、よもや人類の敵として再び舞い戻ろうなど、誰が想像するだろうか。

 死んだ人間は蘇らない。その前提を覆す深海提督の存在。そこに彼が座すというだけではない。日本海軍の中でも重要な人物である美空大将の縁者が敵対しているというだけでも、これ以上ない程にウィークポイントであり、美空大将の地位を脅かしかねない傷にもなる。

 そうして時間をかけて、彼女の中で気持ちの整理がつき、重く閉ざされた唇が開く。

 

「…………海藤、湊」

「はっ」

「はい」

「仮に中部提督とやらが星司だったとして、躊躇する必要はない。殺せ」

「はっ、よろしいのでしょうか?」

 

 つい問いかけてしまった凪だったが、煙管を灰皿に一度、強く叩いて美空大将は大きく息を吐いた。立ち上る紫煙、その揺らめきをじっと見つめながら、美空大将は「……構わない」と頷く。

 

「あれはもう死んだのだ。奴がどんな存在でも関係はない。本人だとしても、それを名乗るモノだったとしても、奴が人類の敵であるという点に変わりはない。ならば私たちのやるべきことは決まっている。そうでしょう?」

「深海棲艦は全て滅する。例えセージさんだったとしても、その対象から外すべきではない。そうおっしゃるのですね?」

「その通りよ湊。慈悲はない。私のことを気にすることなく、奴を滅し、眠らせなさい。二度とこの世に舞い戻らせることなく」

 

 仮に息子だったとしても、あれはもう息子の姿をした何かとして処理する。それが大将という地位にある美空大将の決断である。それを凪と湊は尊重し、彼女の命令を受諾した。

 敬礼した二人に対し「では、話は以上よ」と促し、二人が通信を切ってもなお、美空大将は椅子に深く腰掛け、紫煙を揺らめかせたまま瞑目し続けた。決断し、命令してもなお、彼女の心はざわついたままだった。

 ふと、引き出しを開けて一つのフォトフレームを取り出す。そこには家族写真らしい構図で三人が映っている。椅子に座っているのは現在の美空大将よりも若くしたような美しい女性。

 その隣に立つ青年が星司で、二人の前に立つ少年が香月だ。星司は海軍の制服を着ている。香月は普通の礼服だ。これは星司がアカデミーの学生を終え、第三課として海軍に入隊したことを祝う家族写真である。

 その写真に美空大将の夫がいないのは、もうすでに亡くなっているためだ。彼もまた海軍所属の軍人だったが、深海棲艦との戦いにより、戦死している。まだ艦娘が導入されつつある時期における戦死であり、人類にとってまだまだ不明な点が多い時期だったため、やむなきことだった。

 星司が第三課に入隊した時期は鎮守府の数はまだ少なく、卒業時に成績優秀な学生が提督に就任するという流れはなく、それぞれが希望する部署への配属となっていた。

 美空大将と同じく手先が器用だった星司は、希望通り艦娘や装備などに携わる第三課に入り、その才能を遺憾なく発揮するものと思われた。だが当時は護衛艦などの整備にも携わっていたため、星司はそちらにも関わることとなる。

 

「ま、問題ないさ。僕としてはこういう世界で地道に弄り回しているのが性に合ってるからね。いずれ母さんの下につくか、あるいはまた別の人の下につくか。それらは人事次第ってね」

 

 元より卒業してすぐの話。まずは下積みから始まるものだ。星司の腕をしっかり評価され、第三課のどのチームに入るかは人事が決めることである。だが星司はアカデミーに入学する前より、母親である美空大将の下で、艦娘に携わる仕事がしたかったというのは本音だ。

 母親と同じ道を歩みたい子供の気持ち、よくある話である。

 その上で星司の力量は誰もが認めるものだった。開発、修復、改修など、様々な点において十分な働きを見せていた。

 同時に、彼の風変わりな様もまた、他の人たちに明らかになっていくことにもなる。

 

「うーん、いいよねえ、こういうの。僕の手で磨き上げられて、照り返す光。整えられたフォルム。我ながらいい腕をしているもんだ、うん。いい調整だろう? そう思わないかい?」

「……え、なにコイツ??」

「あー、気にしないでください、先輩。こいつ、のめり込むとバカになるタイプなんで。でも、しっかり調整はできるんで、任せられるところは任せてしまって問題ないです」

 

 演習で使われた装備の調整をしているところの一場面である。アカデミーから一緒に過ごしている同期は慣れたものだが、先輩らにとって、星司のこの一面は面を食らうものだった。

 しかし同期の青年が言うように、腕は確かである。手際よく整備し、調整していく星司は期待の新人といえるだけの人材だ。あの美空陽子の息子だが、よくいる有名人の息子という立場を笠に着ることもなく、純粋な技術屋としての一面性のみ見せていた。

 母親は母親、自分は自分と分けている。それどころか技術屋として腕を振るい続けることを良しとし、その日々の中でずっと生き続けるとまで思わせるほどに熱中する。一つ一つの調整に手を抜かず、それどころかどのように改良すれば、より良い性能を発揮できるかの探求もするほどに、星司はこの世界にのめり込む。

 優秀ではあるが変人、根っからの職人。それが美空星司という男であった。

 

 

「これ、僕の所感をまとめたやつね」

「ご苦労、星司。……ほんと、あなたは細かいところまで気にするわね、毎度毎度」

 

 ざっと軽く渡された書類に目を通し、その文の密度に呆れたような息を漏らす美空大将。いや、当時は大将ではなかったが、それでも第三課の中では重要なポジションで働いていた。帰宅したところ、同じく帰宅していた星司に部屋まで訪ねられ、こうして書類を渡されるのも、よくある日常となりつつある。

 艦娘に関することはあまり関わることはないが、彼女らの装備については、演習終わりなどで触る機会がたくさんある。そうして一つ一つ手を加え、気になったところをまとめるようになり、それを反映して改良する。

 それによって良くなることもあれば、あまり変わらないこともあるし、逆に悪いことになることもある。まだまだ艦娘について謎が多かった時期ということもあり、こうしたトライ&エラーを積み重ねるのも日常的だった。

 しかし星司と美空陽子にとって、それは決して悪くない日常だった。特に星司にとっては充実していたともいえる。自分の好きなことを気の向くままにやり続けられるのだ。

 

「で? この再現度は何かしら?」

 

 と、手にした書類の一部分を見せるようにひらひらとさせながら目を細める。そこには、何とも言えない艦橋が描かれている。驚くほどリアルに描かれたそれは、コンパクトにまとめられた髪飾りになっている。

 

「ああ、よく出来てるでしょ? 扶桑と山城のアレだよ。あの独特すぎるフォルムをそのまま艤装に持ってくるのもあれだからね。そうしたワンポイントに留めれば、識別はできるでしょ?」

「……艦娘に落とし込んでも、これからは逃れさせないと?」

「そりゃあ世界でも一部で大人気のアレだからね。外すわけにもいかないでしょう、母さん」

 

 冗談めかして肩を竦めつつ微笑む星司だが、単なる落書きではなく秀逸にデザインされたものになっているあたり、彼の本気度が伺える。しかも髪飾りとしてのデザインもそう悪くはないものだ。

 艦娘を識別しつつ、おしゃれさも加味したそれは、女性の目から見てもそう悪いと一概にいえないものに仕上げられている。手先が器用な彼は、こうしたデザイン技術もそう悪いものではない。趣味に関連する物であれば、培われた巧みな技術を用いて楽しみながら完成度を上げてくる。そうした才能は、母親の目から見ても少し羨ましく感じられるものだった。

 

「いいでしょう。扶桑と山城を生み出す際には、これも考慮することにしましょう」

「お、採用ありがとう、母さん」

 

 髪飾りがデザインされた一枚をファイルにしまい込むと、星司は思い出したように、「ああ、それと母さん」と指を立てる。何か? と引き出しにファイルを入れた美空陽子が視線を上げ、

 

「扶桑と山城を生み出す際には、ぜひとも航空戦艦モデルも取り入れようよ。史実じゃできなかったこと、こっちなら叶えられるんじゃあないかな?」

「航空戦艦? 伊勢と日向ならできたことだけど、扶桑と山城では実現できなかったことよね?」

「そう、だからこそこっちでは、構想にあったものを実現させられる夢がある。単なる戦艦として運用は他の艦娘でも十分にできる。でも航空戦艦は伊勢と日向しかできない。選択肢はたくさんあった方がいいだろう? 切ることができるカードは、たくさん持っておいた方が損はないと僕は思うけどな」

 

 星司の言葉に、美空陽子は確かにと一つ頷く。実際に戦艦は長門と陸奥、そして金剛姉妹が完成している。戦艦だけでもこれだけ揃っているのだから、単に戦艦を増やすだけというのも味がない。

 別の戦力を揃えておいた方が、色々な艦隊を組む上で有効に働くだろう。史実ではできなかったことを、艦娘ならばできるかもしれないというのは、そこまで悪くない考え方だ。もしも計画だけが持ち上がり、頓挫したことを、妖精らの摩訶不思議な力で実現させられるなら、この先の艦娘誕生や改装にも大きな影響を与えるかもしれない。

 

「いいでしょう。その案を採用しましょう」

「お、言ってみるもんだね」

 

 どこか満足そうに頷いた星司はにっこりと笑い、「じゃ、おやすみ母さん」と挨拶して退室した。するとリビングでテレビを見ていた香月が肩越しに振り返り、「いつもの話、終わったのか兄貴?」と声をかけてくる。

 

「ほんと、自宅でも変わんねえジャン、兄貴。いっつも何かと作るもののこと考えてんな?」

「そう? ……うん、そうかもね」

「器用だし発想力もあるし……うん、第三課は合ってるよな。オレにはそこまでの器用さがねえからなあ」

「香月は僕と違って、提督への道を歩くといいよ。それぞれできることをやっていけばいい」

 

 と、冷蔵庫からお茶を取り出し、グラスに注いでいく。「僕には提督は無理だ」と、肩を竦めながら微笑を浮かべ、ぐいっとお茶を飲み干した。その言葉に香月は「そうかあ?」と疑問だ。

 

「兄貴は何かと器用だし、意外といけるかもしれないんじゃね? いやまあ、最終的には兄貴の意思次第ってのはわかってるけど」

「無理さ」

 

 と、どこか確信めいて言う。それだけ言い切るには理由があるんだろうと香月は、何故と問う。その疑問に、当然だろうというかのような表情を浮かべ、

 

「僕は所詮、作る側の人間だ。指揮する側、表に立つ側じゃない。裏から支える立場が合っている。技量的にも、性分的にもね。僕はただ作っていたいのさ。色々と手を加え、生み出し、改良し続けたい。今は装備だけだけど、いずれは艦娘も作ってみたい。そういう気持ちもある。だけど、それらの成果を使い、艦娘を従わせるなんてことは似合わないのさ。自分でそうわかってしまっている」

「言い切るジャン。……でも、まあそうだなあ。作業している時の兄貴は、本当に生き生きとしてらあ」

「うん、そうだろう? 僕はあの時間だけが幸福さ。……ああ、もちろん、君らと構っている時間も悪くはないよ」

 

 と、足元にすり寄ってきた白猫と黒猫を軽く撫でてやる。その表情はとても優しく、リラックスしているようだった。そのまま二匹を抱え上げ、両肩に乗せてやりながら自室へと歩いていく。

 

「だから僕は最初から最後まで第三課で過ごすよ。いずれ母さんと一緒に、第三課を盛り上げていければと思っている。だから香月、頑張ることだね。いずれ君が提督となったときには、僕が作った誰かと会わせてあげたいものだ」

「ハッ、そりゃあ楽しみだよ兄貴。兄貴が一から艦娘を作れるくらいに昇格しているってんなら、オレも負けちゃあいられねえジャン。……数年後になるだろうけど、アカデミー卒業して、どっかの鎮守府に着任したら、そんときゃあ兄貴がデザインした艦娘、迎え入れさせてもらうよ」

「ああ、その時が楽しみだね」

 

 

「――――終わってしまったものだと思っていたけれど、終わらなかったようね、星司」

 

 思い出された家族のひと時。今、思い出されたもの以外にも、様々な思い出が彼女の中にはある。二度と戻らない日々、失われた時間、未来。思い出は思い出のまま、それを胸にしまい込んで、ここまでひた走ってきたというのに、よもや闇の中からひっそりと戻ってくると誰が想像しただろう。

 しかしそんなものを認めるわけにはいかない。中部提督の称号を背負い、美空星司という名を騙るもの。それが自分たちの敵として立ちはだかるというのならば、美空陽子は母として、大将としてこれを認めるわけにはいかない。

 立場上、自分の手で終わらせることはできないが、幸いにして彼女の代わりに手を下してくれる人がいる。全ては彼らに任せることになってしまうのが心苦しいが、彼らならばきっとやってくれると信じている。

 

「扶桑と山城か」

 

 そういえば、と思い出した記憶のことを振り返る。いつかの日、かの姉妹のヘアアクセサリーのデザイン案を出してきた。最終的にはあの案を採用し、艦娘としての彼女たちを産みだしたものだ。

 そんな彼女たちも、今では各鎮守府で航空戦艦として、その力を十全に発揮している。史実では実現されなかった架空の力だが、その力をより伸ばしていくプランが立ち上がっている。

 まだ初期段階のプランではあるが、煮詰めていけば秋には完成することができるだろうと踏んでいる。

 これも何かの縁だろう。

 いくつかの改二プランを進め、それぞれの鎮守府の戦力増強に努める。大本営にとって煩わしい問題は解決された。今ならスムーズに色々なことができるはず。美空大将にとっての戦いは、派閥争いという時間が消えたことで、第三課の作業に大きく時間を割くことができるようになる

 色々な計画が一気に進められる。彼女の戦いは、ここから大きく動き出すことになるのだった。

 



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喪われたもの

 

 呉鎮守府に帰還し、まずは改めて長門をはじめとする犠牲者に対し、黙祷を捧げる。先のミッドウェー海戦の犠牲者は長門だけではなく、各鎮守府と大本営の艦娘もまた犠牲になっている。彼女たちの死を悼み、胸に刻み、我々はまた前へと進まなければならない。

 黙祷を終えると、今日から数日は休息期間とする旨を伝える。身体だけでなく、心もまた休みが必要だろう。遠征や訓練を休み、それぞれ英気を養うか、あるいは個人で死を悼み、気持ちの整理をつけるか。正式な訓練日は設けないが、自主練をする程度であれば構わないものとし、それらの選択を艦娘たちの自由とした。

 そう伝え終え、神通などの旗艦や、主力の艦娘などを残し、凪は新たな振り分けを伝える。

 

「主力艦隊旗艦に、山城を据える。これからは君が率いるように」

「……私、ですか? 私でよろしいのですか?」

「君だよ。俺はそう心配していない。君もまたみんなを率いるだけの力があると見ている。実力も申し分ない。……報告によると多少不安な点はあれど、しかし君以外に主力艦隊旗艦に合う誰かがいるかというと、今はいない」

「不安な点とは?」

 

 神通が問いかけると、報告書の一部分を指す。

 レ級エリートと対峙し、長門を沈められ、扶桑を沈められかけた際に、激昂状態となる。その際に怒りのあまり、蒼い燐光を発し、力が急上昇している現象が観測されている、とあった。

 そのことを山城自身に問いかけてみると、

 

「……確かに、あの時は頭に血が上っていたのは間違いありません。ですが、そういった現象を自覚していたかというと、わからないというのが正直なところです。大和が説明したような力の操作をしていた記憶もない。……自然に、私の怒りに呼応してそれが表れたとしか」

「うん、それが不安な点だね。艦娘としての力を無意識に操作していたのなら、何も問題はない。しかし君の怒りと、深海の影響下にあった海域と呼応し、深海の力を呼び覚ましていたとなれば、話は別だよ。この不可思議な現象を解き明かさないと、君だけではなく、他のメンバーも不安になる」

 

 だが、と凪は肩を竦める。「かといって、今の戦力で主力艦隊旗艦を他の誰に任せられるかというと、誰もいない」という結論に至る。

 大和は第二水上打撃部隊の旗艦、日向はそんな大和を補佐するために必要な存在だ。

 榛名と比叡はそれぞれ第一水上打撃部隊を任せているし、第三水上打撃部隊は育成中といえる扶桑や陸奥が所属している。動かしづらい。

 では空母として旗艦を任せるかというと、翔鶴と瑞鶴がいるが、どちらもペアとして動かしたい。後ろに控えるという意味で旗艦を任せられそうだが、今までずっと二人で動かしてきたということもあり、崩すのも忍びないところだった。

 

「だから不安な点はあるが、山城に任せる他ない。もう一人の枠は、現在検討中だ。この休息期間の間に答えを出すんで、待っていてほしい」

「……わかりました。では主力艦隊旗艦の命、謹んで請け負います。力に関しても、大和などと相談し、答えを探ってみます」

「うん、よろしく。……で、秘書艦は神通、君に任せる」

「承知しました」

 

 秘書艦に命じられた神通は恭しく胸に手を当てて礼を取る。元より神通は呉鎮守府にとって重要な位置に座していた。それに異を唱える艦娘は誰もおらず、秘書艦となった神通へと山城達もまた礼を取る。

 その後はそれぞれが提出したミッドウェー海戦における報告書について、再確認のための意見交換を行うことになった。現場にいた艦娘だからこそ感じられたもの、それらについて意識を共有していく。

 ウェーク島の戦いから数か月で、深海勢力もまた更なる力を手にしている。新型を生み出していくのもそうだが、深海棲艦としての力を振るった技術。それについて大和だけではなく、他の艦娘からの感想も求めた。

 空母棲姫が振るったもの、中間棲姫が振るったもの、そして戦艦棲姫が振るったもの。

 艦載機に纏わせた力、大和型の弾丸を一時的にでも防いだ力、弾丸に纏わせた力。

 さすがに艦載機の推進力を上げたと思われるハリケーンのようなものは再現できずとも、防御の力と弾速を上げる力は再現できるだろうと考える。実際それは、本土防衛戦において大和が行使している。

 やはり彼女に師事を求めて、他の艦娘も使えるようにしておくと、これからの戦いで頼れる技術になるに違いない。

 ただ今はこれくらいにしておき、後は神通たちも休むように伝え、今日は解散となった。

 

「私も退出してよろしいのですか?」

「かまわないよ。君も、ゆっくり休むといい。おつかれさま。この機会に、溜め込んだものを十分に吐き出しておいで」

「……はい、失礼します」

 

 恐らく神通も立場上、感情の発露はしていないだろうと凪は考えた。彼女の性格を考えればあり得ないことではない。たぶん神通と親しい艦娘もまた、察しているだろう。この機会を逃せば、また溜め込んだまま放置され、どこかで爆発する可能性がある。それは避けたい。

 だからこそ念を押すように伝え、神通を見送った。

 

「…………ふぅ」

 

 大きく息をついて天井を見上げる。誰もいなくなった執務室に、ただ何も考えずにぼうっと過ごすのは、恐らく初めての事だろう。神通も大淀もいない、秘書艦だった長門もいない。

 真っ白な思考の中、ぼんやりと頭に浮かびあがるのはこの一年の出来事。

 不本意ながら命じられた呉鎮守府所属。南方から生き残ってきた長門と神通。そして補佐の大淀から始まった凪の提督の歩み。初めての建造から生まれた夕立など、初期からいた艦娘もいるが、様々な場面で支えてきたのは、やはり長門、神通、大淀といえる。

 業務では大淀に、身の回りは神通に、そして力強さで支えてもらい、艦娘たちをまとめ上げたのが長門だ。でも彼女はその頼もしさだけではない。時折覗かせる女性らしさもまた、彼女の魅力でもあった。

 提督として過ごしてきた日常の中に、確かに長門は存在していた。なくてはならない呉の柱だったが、凪にとっての精神の二柱の一角でもあった。それが喪われたことに、一人で過ごすことで、じわりじわりと凪に現実感を与えてくる。

 不意に、いつかの夢を思い出す。

 顔も声もわからなかったが、深海へと引きずり込まれていく誰か。あれは長門が喪われるという暗示だったのだろうか。だが何もわからなかったのだから、仮に長門ではなく別の誰かだったとしても、あれはその誰かだったのかと疑問点が変わるだけに過ぎない。

 そう、結局長門が生き残ったとしても、他の誰かが喪われていた可能性もある。そうなった場合でも、恐らく自分はこのような状態になっていたに違いない。

 親しい人が喪われる。その喪失感は慣れたものではない。他人が苦手な自分にとって、親しい人は限られる。その分、凪にとって親しい人とは、綿密な関係を築く。艦娘でなくとも、茂樹が亡くなったら、このように悲しみを深く刻み込まれるに違いなかった。

 

(…………はっ、できてないじゃないか……自分が)

 

 大和にあんな言葉を言っておきながら、当の自分が前に進めそうにないことを自嘲する。提督になる以上、艦娘がどこかの戦いで轟沈する覚悟は決めていた。そのことに嘘はない。だがこうして初の喪失艦を出してしまった今、その覚悟は完璧ではなかったことが浮き彫りになった。

 この悲しみを噛みしめ、前に進むことの難しさよ。初めて喪ったからだろうか。それとも覚悟が足りなかったのか。こんなにも大きな傷になるなんて思いもしなかった。

 ぽっかりと胸に穴が開き、頭が真っ白になる感覚。その中で浮かんでは消えていく思い出。こんな傷を、これから先、もしも他の誰かが喪われるたびに繰り返されるのならば、なんて、なんて辛いことなのか。そうした不安すら浮かび上がってくる。

 恐怖、悲しみ、痛み、様々なものがじくじくと頭と胸をかき乱す。そんな中において、凪は、ただ瞑目して、これらの感情を何とか鎮めようとして、

 

「――――……?」

 

 不意に、外が真っ暗なことに気づいた。

 何となく、このまま堂々巡りのままではいけないと、目を開けて窓の外を見れば、ぽつぽつと街灯の明かりが付いているだけで、真っ暗な闇が広がっていた。時計を見れば深夜という時間帯。

 そんな馬鹿な、さっき艦娘たちを帰したばかりではないのか? と疑問が浮かぶが、事実時計は深夜を指し、外は暗闇である。嘘だろと、椅子から立ち上がろうとして、がくんと床に倒れ伏してしまった。

 長時間座りっぱなしで、足が痺れていたらしい。身体もバキバキに固まってしまっており、足に力が入らないまま立ち上がることができず、だらしなく床で伸びているだけの状態となってしまった。

 なんと無様な姿だろう。時間の感覚も忘れるほどに茫然自失としていたなんて。

 しばらくうつぶせの体勢のまま時間を過ごし、呼吸を整え、何とか足に力が入るようになったところで、ゆっくりと立ち上がる。力が抜けて倒れたことで、床に体や腕を打ち付けて痛めてしまったが、これくらいは大丈夫そうだった。

 とりあえず風呂に入ろう。

 そして、頭を何とか切り替えよう。

 そう思って、重い足取りで執務室を後にした。

 

 

 寝た感覚があまりない。

 朝を迎えた凪が思ったのは、その言葉に尽きる。何とかゆっくりと風呂を済ませ、ベッドに入ったのだが、瞼を閉じていたら、気づけば朝になっていたようなものだ。意識が落ちたような記憶はなく、ただ時間が過ぎただけでしかない。

 もしかしなくてもまずいのではないだろうか。この状態が数日続くようなら、艦娘たちの休み明けがどうなるか、わかったものではない。下手をすれば作業中にミスを犯してしまう。

 寝ていないせいか頭も重く感じるし、身体も思うように動いている感じがしない。明らかに体調不良だ。精神的な不調から身体にまで異常をきたしている。だが、これを治すために寝ようとしても眠れなければどうにもならない。睡眠薬でも処方してもらい、無理にでも寝るべきだろうか。

 そんなことを考えながら、近くにあるデスクに置いてあるパソコンの電源を入れる。備え付けの冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、ゆっくり口に含んでいく。

 水分が体に染み渡るのを実感しつつ、茂樹に通話しようかと、ふと思い立った。自分より一年長く提督をしているのだ。もしかすると、艦娘の誰かを喪った経験があるかもしれない。いや、こういう経験はするものではないが、していてもしていなくても、何らかの助言をもらいたい心境だった。

 そんなことを考えて茂樹に連絡を入れようとしたのだが、それより先に誰かから通話が求められる。相手を確認してみると、意外なことに湊からだった。どうしたのだろうと首を傾げつつ、拒否する理由もなかったので通話に出る。

 

「おはようございます。突然の通話、すみません」

「いや、かまわないよ。それで、どうしたのかな?」

「ええ、少し――――ん?」

 

 と、画面の向こう側で湊が目を細めながら首を傾げる。ずいっとカメラの方へと顔を近づけ、無言で指で凪もカメラに近づけ、とでも言いたげに何度か促してきた。困惑しつつもそっとカメラに近づくと、

 

「――ひどいわね、あんた」

「ひどいとは?」

「昨日、寝たの?」

「…………寝た気がしないね。ベッドには入ったけど」

「そう。わかった、じゃあこれからそっち行くから」

「…………え?」

「拒否するな、逃げるな。あたしらが行くまで、もう一回ベッドに入るなりして休め。いいわね?」

 

 有無を言わさないかのように指で示しながら言い切ると、すぐに通話が切れて、呆然としたような顔をした凪が、うっすらとモニターに映る。あまりにも早い展開に頭が追いついていなかった。

 恐らく自分の顔を見て、湊はああいうことを言ったのだろうということだけは察した。それほどひどいのだろうか、と洗面所に向かい、鏡を見てみたのだが、

 

「……はっ、こりゃひでえ」

 

 自分でも笑ってしまうくらいに、ひどいものだった。目にはクマがあり、表情からして死んでいる。生気をあまり感じない、今まで自分でも見たことがないくらいにひどい面構えをした凪がそこに映っていた。

 




足の痺れとかで、立ち上がっても力が全然入らず、
踏ん張ることもできないまま崩れ落ちる時って、自分でも何が起きたのかわからないやつです。
じんわりと打ち付けた痛みが広がって、立とうとしても全然立てずに、
しばらく呆然と床に倒れたままになってしまいます(経験談)


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不器用な二人

 

 昼過ぎに佐世保から船が来航する。せかせかと降りてきた湊が出迎えに来た凪の姿を確認すると、顔を貸せと言わんばかりに首をしゃくり、親指で一点を示して歩いていく。

 先導するように歩く湊の背中に、「他の子たちはいいのかい?」と問いかけると、「羽黒にやることは言ってある。那珂にも任せているから、問題ない」と返ってくる。付け加えるように指を立てながら、

 

「前もって神通に話は通してあるから大丈夫だと思う。秘書艦になったんでしょ、あの子?」

「そうだけど、随分と話が早いね。いいけども。昨日、みんなに休みを伝えてあるから、俺としては自由にしてかまわないけどね」

 

 と、確認を取るために通信を神通に繋ぐと、本当に前もって神通と話が済んでいるようだった。神通も希望する艦娘には演習をしてもいいということで話がまとまり、他の艦娘らと共有することになった。

 そして湊に連れていかれた先は、意外にも間宮食堂だった。ここで何をするのだろうか? と疑問に思う間もなく、「失礼するわよ」と湊は中へと入っていく。

 

「いらっしゃいませ。あら、佐世保の淵上さんですね。あ、提督も。どうされましたか?」

「台所借りても? あと、食材も見ても?」

「え? ええ、かまいませんが、料理を?」

「作らせてもらう。で、食わせるから。いい?」

「作るの? マジで?」

 

 いったい何がどうしてそうなったのだろうか。まるで意味が分からない展開に凪は困惑するばかりだ。湊が作るということは、年下女性の手料理をこれから食べるということだろうか? しかもあの淵上湊からだ。疑問ばかりが頭を回ってしまう。

 

「確認だけど、食えるの? 食欲は? 腹の調子は?」

「え? あー……ちょっと食欲は薄めかな……。そんなに食べられる気はしない」

「そ。じゃあそんなあんたに入りそうなもので。ほら、ぼさっと突っ立ってないで、そこにでも座んなさい」

 

 と、冷蔵庫を確認しつつ、指で席を示すと、言われるがままに着席した。間宮も目をぱちくりとさせつつ、そろりそろりと凪に近づいて、「何かあったんです?」と小声で問いかけてくる。しかし凪としても「いや、俺にも何が何だか」と、首を傾げるばかりだ。

 

「何だってこのようなことに?」

「いや、うん……俺の顔を見るなりこっちに駆けつけてきたものだから」

「そうなのですね。……確かに、あまり良いものではありません。私でも眠るなり、何かお腹に入れておくなりをさせたい顔をしてらっしゃいます。なるほど、淵上さんが呉へと駆けつけてきた気持ちは理解できます」

「間宮から見てもひどいか。うん、自分でも理解はできるよ。……でもそれを湊がするのが……」

 

 今でこそ距離は縮まっているだろうと言えるかもしれないが、元は人嫌いで素っ気ない女性として知られている淵上湊が、まさか自分のために手作り料理を振る舞うなど、想像できるものではなかった。

 いや、素っ気ない一面もまた、年下女性という枠で見ると、少し可愛い所があると見られるくらいには軟化しているかもしれない。何せ神通とのケッコンカッコカリについても、何だかんだでしっかり相談に乗ってくれただけでなく、後押しまでしてくれたのだ。

 初対面の時と比べると、言葉を交わす時間もだいぶ増えたし、いい先輩後輩、友人関係といえるのではないだろうか。となれば、手作り料理を振る舞われるくらいには――いや、それは急に距離を縮めすぎじゃないだろうか? そんな風にまた自分で疑問を感じてしまうくらい、凪は困惑していた。

 しばらく経っていい匂いがしてきた頃、「お待たせ」という声とともに出来上がった料理が運ばれてきた。白米、卵焼き、玉ねぎのみそ汁、豆腐サラダというシンプルなメニューである。軽めのものということで、肉や魚といったものは省いたらしい。

 

「どうぞ」

「いただきます」

 

 促されたので手を合わせ、まずはみそ汁から手を付けることにする。豆腐と玉ねぎを具としたみそ汁だ。口に含み、軽くしゃきっとした玉ねぎと豆腐と一緒にいただくと、じんわりと優しい味が口に広がっていく。

 続いて卵焼きに箸を入れてみると、じゅわっと汁が滲み出てきた。もしやと思い、卵焼きを食べてみると、卵の旨味と一緒に手が加えられている出汁の味がゆっくりと広がってきた。まさかのだし巻き卵に、少しだけテンションが上がっている自分がいる。やわらかく、それでいて出汁の旨味と卵の旨味が溶け合ったものが口に広がる感覚。これだけで十分なおかずだ。白米も心なしか進んでしまう。

 そんな様子を、対面に座っている湊がじっと見守っている。野菜と豆腐とともにドレッシングが和えられている豆腐サラダにも手を付けたところで、はっと凪が湊に気付いた。今さらながら、夢中で食べていることに気恥ずかしさを覚え、「とてもおいしいよ、ありがとう」と、感想とお礼を述べる。

 

「そ、ならいいけれど」

 

 小さく頷いた湊は、じっと凪の顔を見つめ、「で? そんなしょうもない面構えになってる理由は?」と、真っ向から切り込んでくる。みそ汁をすする手を止め、ゆっくりと机に椀を置き、

 

「急に来たのは、やっぱりそれが理由かな」

「それもある。昨日、どっかのお節介さんがわざわざ連絡をよこしてね。あんたのこと、気遣ってやってくれってさ」

「お節介さん?」

「本人のために、あえて誰かは言わない。で、とりあえず朝に通話入れたら、まあ予想通りというべきか、それ以上というべきか。モニター越しに見てもひどい顔。連絡よこした奴も、そりゃあ心配もするわと。しょうがないから、わざわざ来たわけ」

 

 と、そこでお茶を含んで一息つく。やれやれと、しょうがないという風な表情を浮かべているが、やっぱり以前までの彼女ならやらなさそうな行動には違いない。連絡を受けたからといって、それに従う義理はないと拒否しそうなものだったが、こうして来てくれたのだ。そのことに、感謝したい。

 

「そうなった理由だけど、それだけ、長門の喪失が辛かったと?」

「……まあ、そういうことになるのかな。自分でもここまでクるとは思わなかった」

「誰か近しい人が死ぬのは初めて?」

「……初めてだね」

 

 そういえばと思い出す。湊は身内を亡くしているのだ。従兄である美空星司を喪った経験がある。だからこうして心配してくれるのだろうか。少し俯いてしまう凪だった。

 

「そう。なら自分が思った以上に心にきてしまうっていうのは理解できる。でも、本当に難儀な性格してるわね、あんた」

 

 ぐいっとお茶を全部飲み干すと、すかさず間宮がお代わりを注いでくれる。それに軽く礼を述べながら、湊は凪の目を見つめる。その眼差しは、どこまでもまっすぐで、曇りのない綺麗な瞳をしていた。

 

「人と接するのが苦手なのに、親しい人にはできる限り真摯に対応しようとする。アンバランスなようでいて、しかしそれは歪なもの。親しくなったからには、自分にできることなら支えてやりたいという気持ちがある。一見人が良いように感じるけど、でも、それってどこか危ういわよね」

「…………」

「本来人と接するのが苦手なタイプって、うまくコミュニケーションが取れない奴らなのよね。だから極力いい関係を築けるのって、少数なのよ。それで満足する。でもその少数に対して、自分との縁が切れないように、何とかうまく対応して、繋ぎとめようとする。失いたくないから。そして、失ったその時、自分の中で大きな存在が消えてしまい、しばらく壊れる。……今のあんたね」

 

 その指摘に、凪は大きく息をついた。その通りだろう、と納得するものだった。一人になったときに気を抜き、時間の感覚を忘れるほどに茫然自失とし、崩れ落ちてしまった。それほどまでに自分自身というものが、わからなくなってしまっていた。まさに、ぽっかりと自分の中で穴が開いてしまったかのようなものだ。

 

「心とか、自分の中で築いてきたものが壊れたときって、直るもんじゃないのよね。直ったように見えて、実は歪に補強されているものでしかない。たぶん、あんたもそうでしょう。その空白、喪失感は、もう直らない。ごまかすのってあたし、あまり好きじゃないから、こうはっきり言ってしまうけど。凪先輩、あんたは、この先もその喪失感が小さくなったとしても、どこかに残り続ける」

「…………うん、そうだろうね」

「だから、それを埋めるのは、あんたの気力。そして、現実。失ったものは戻らない。これから積み重ねるもので、新しく補強するしかない。その歩みを取り戻すためにも、しっかり食べて、眠り、回復しなさい。そのために、あたしが来た」

 

 そう言うと、凪はやはりどこか意外そうな表情を浮かべてしまう。それに対して「何か?」と湊が首をかしげると、「いや、ね……」と歯切れ悪そうにしつつ、

 

「本当にありがたいし、世話になっておいて何なんだけどね、湊がそうしてくれるっていうのが、本当に意外でね。これは夢なんじゃないかと、今でもどこかで思ってしまっている」

「……ああ、ま、あんたの気持ちもわからないでもないわ。あたしとしても、たぶん以前までならこういうこと、絶対にしないし。そんな申し訳なさそうな顔をされても、怒らないわよ。否定できないから」

「では、何故そのようなことに? 何が、君をこういう行動に移させたんだい?」

 

 純粋な疑問だったが、その問いかけに湊は少し困ったように視線を逸らす。右へ、左へと視線を彷徨わせ、何かを思い出すように目を閉じながら天井を見上げる。もしかすると彼女もはっきりとした理由を整理できていないのだろうか。

 やがて瞳を開けた彼女は、「そうね、言うなれば、惜しいからかしら」と、小さく答えた。

 

「あんたがこの一年で築き上げた成果は素晴らしいもの。そして、伯母様によって大本営から西守派閥が取り除かれた今、よりあんたの成果が認められる環境になったのに、あんたをこのまま歩みを止めてしまうのが惜しい。伯母様もそうだけど、あたしもあんたのことは素直に認めてるのよ」

「それは、どうも」

「そりゃあ伯母様だって、最初はあんたのことは『海藤迅の息子』だから、ここに据えたんでしょうけど、でもあんたはそれ以上の成果を見せた。これは、たぶん深海側、特に中部のセージさんが脅威に感じるほどにね。そう、今のあんたは誰もが認める『呉の海藤凪』なのよ。だからここで脱落してもらうわけにはいかない」

 

 かつて優秀な海軍提督だった海藤迅の息子として見られていたものが、今は一個人として認められている。敵にも、味方にも、誰もが父を通して自分を見ているのではなく、ありのままの自分を見ている。普通ならば喜ばしいことなのだろうが、しかし凪は素直にそれを喜ぶことはない。

 でも、ちょっとばかりの嬉しさはある。目の前にいる湊が、自分のことを素直に認めている。その事実に対しては、嬉しさを感じている自分がいる。何故だろうか、人の評価などあまり気にしない性質だったはずなのに、何故彼女に認められることに喜びを感じているのだろう。

 自分で自分が今、少しよくわかっていないことに首を傾げていると、それをどういう意味で捉えてしまったのか、湊が大きく息をついた。

 

「……はぁ、でも、ま、それは建前になるのかしらね。……間宮、そんな目で見るな。気持ちはわからなくもないけど、向けられる当の本人としては、腹立たしいわ」

「あら、それは失礼しました」

 

 どこかいたずらっぽく笑いながら口元に手を当てる間宮。彼女は何かがわかっているらしいのだが、凪にはよくわからない。先ほど建前と言っていたが、凪としてはそれでも十分納得できるような理由だと感じたのだ。

 凪自身としては少し不本意ではあるものの、色々と成果を挙げているとは感じているし、それもしっかりと評価されるに値するものだとは思っている。だがそれによって地位を向上させようとは考えていない。評価は受け取るが、昇進などは別に求めていないのだ。

 もしかすると湊もそれを承知の上で、こういうわかりやすい建前を口にしたのだろうか? だとすると、間宮があんな笑みを浮かべるほどの本音とは何なのだろう? そんな疑問を浮かべる中、どこか言いづらそうにしていた湊が、意を決するように空咳を何度かし、そのまま少し手で口元を隠しながら視線を逸らす。口だけではなく、鼻の周りも隠されているため、どうにも表情が読み取りづらいが、目はどことなく素直なもののように見える気がした。

 

「――純粋にあんたが心配やったから。そんな理由では納得せん?」

 

 驚くほどのストレートを突然投げられ、凪は硬直する。耳から入ってきた言葉が、本当にあの湊が口にしたのだろうかという疑問すら浮かんだ。だが幻聴ではなく、夢でもない。彼女は、凪を心配してここに来てくれたのだ。

 

「……いいや、そんなことはない。とても嬉しいよ。ありがとう」

「……そ。ならええけども」

 

 何だか気恥ずかしい空気になってしまい、お互いに視線を逸らしてしまう。手が止まっていた食事を再開する中で、湊はそのまま視線を逸らしたままお茶を口に含んでいる。そんな様子を見守っていた間宮も、静かにその場を離れ、台所へと入っていった。

 胸がざわつくような、くすぐられるような奇妙な感覚だが、それほど嫌悪感はない。こういう感覚を、少し前に感じた気がする。湊も同じような感覚を覚えているのだろうか、どこかそわそわしたような感じがする。

 先ほどまではまっすぐ凪を見据えていたのに、今ではそっぽを向いて座っている。居心地が悪そうにも見えるが、席を立つ様子はない。さっきまでの会話はぴたりと止まり、静寂の空間となってしまったのだが、どちらからも会話を始めるような雰囲気はなく、ただ静かに箸を進める凪と、そっぽを向いたまま、間宮が置いたお茶のおかわりを時折注ぎながら飲み進める湊。

 台所へと退いた間宮はそんな二人をそっと眺め、やれやれといった風に肩をすくめて苦笑を浮かべる。ふと、鍋に残っているみそ汁が目に留まり、ちょっと味見をしてみようかと小皿にとって口に含んでみる。

 

「……あら、これはこれは」

 

 優しい味わいだ。それでいてただ味噌を溶いただけではない。恐らくだし巻き卵に使った出汁も使っているかもしれない。こうしたところから手が込んでいる。普通みそ汁を出汁から手を加えるような手間はしないのだろうが、彼女はそうしなかった。

 単に凪を心配しに来たというだけではここまではしないだろう。あるいは料理から手抜きはしない気質なのだろうか。どちらにせよ、ここまでしてくれているのに、あんな風に遠回りから話を進めるとは、と間宮は目を細める。

 

「案外、似た者同士なのかもしれませんね」

 

 あの二人のこの先が、楽しみになっている間宮だったが、自分があれこれと口に出すことではないだろうし、他の人に広めることでもない。静かに見守り続けよう、そう決めるのだった。

 



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大和の教え

 

 海では呉と佐世保の一部の艦娘たちが集まっており、それぞれ自由なスタイルで演習を行っていた。その一角では、大和のもとに何人かの艦娘が集まっており、彼女に何かを教わっていた。

 それは艦娘が秘めたる力の一端。大和の場合、赤い粒子がその手に集まり、手にしている和傘へと纏わせることで膜を作り、盾のようにする。レ級エリート、アンノウンの砲撃を防ぎ、受け流した技術を披露する。

 真似をするように呉の夕立や佐世保の那珂がぐっと手に力を込めてみるが、大和のように粒子が集まる気配がない。一方雪風は感覚を掴んだのか、青い粒子がゆっくりと小さなその手に集まっていく。ぎゅっと握りしめ、右手を前に出せば、そこから光がだんだん強さを増し、右手、右腕と淡い光が伝っていく。

 

「へえ、やりますね雪風。やはりあなたは天才肌というものでしょうか?」

「うーん、どうでしょう。何となくこの力かな? と思ったものを操作してみた感じです」

「感覚派でしたか。ではそのまま全身に巡らせるような操作感を覚えてみるように。他には……おや、あなたも一度発現させたからか、問題はなさそうですね山城」

 

 山城の目からは深い蒼の燐光が灯っており、動かす両手には同じ光が纏われている。それだけではなく、全身を巡らせることができているのか、全身にも光が纏われていて、まさに大和が考えている力の第一段階は終えているといってもいい状態だった。

 これでいいのか? と問うように首を傾げると、それでいいとばかりに親指を立て、自分の隣に立たせる。そして「これが防御に使うもので、これが攻撃です」と、副砲を海に向け、一発だけ射撃する。すると赤い粒子の尾を引きながら、高速で弾丸が射出され、遠方に着水した。

 

「戦場でレ級エリートが撃っていたものですね。砲門に力を込め、炸裂と同時に力も弾けさせ、より加速度を増して射出する。言うなれば主砲の強撃と同じようなものを、妖精のもたらす力と同時に、己の力も加味させる。そうすることでより威力を向上させるものです。山城は主砲の強撃は?」

「実際に撃ったことはあまりないわね。妖精との相性があまりよくないのかどうかわからないけど」

「ふむ、強撃については個人差があるとは聞いていますね。私もあまり、という感じですし。どちらかといえば、こっちの方が大部分は自分だけでやっているので、やりやすいですし」

 

 強撃の際には装備妖精と艦娘との相性が関係しているようで、上手く力の波長などを合わせることができれば、スムーズに強い力を放つことができる。コツさえつかめば、相性がそれほどでも、撃てることは撃てる。だが相性が良ければ、より強い力と化して攻撃できるので、できる限り妖精と上手くやっていくことが望まれている。

 今でこそ呉の一水戦のメンバーは強撃を習得しているが、習得が早かったのは雪風や北上、そして神通だった。神通は技術で会得し、雪風と北上は感覚で覚えたらしい。艦娘の力の操作といい、こういうことに関しては、この二人はその才能を発揮しているといえるだろう。実際雪風に続くようにして、北上もなるほどと頷きながら、その手に光を灯している。

 

「この力……そうですね、陰陽の関係で陽とするか、あるいは艦娘を青、深海を赤とするか。まだ上手く仮称が付けられませんが、とりあえず青の力としますか。私の色、赤ですけど」

 

 と、ちょっとしたジョークを織り交ぜ、「自身の力、妖精の力を上手く把握し、扱えれば、間違いなくあなたの力は伸びるでしょう」と改めて山城の目を見てはっきりと告げる。それを受け止め、山城も静かに頷いた。

 

「青の力は自分の力が約8割、妖精の力が2割といったところです。強撃はとんとん、あるいは妖精の方が多めですが、青の力は違います。たぶん神通からすればどっちも扱えてこそと言うでしょうが、山城的には青の力が合うかもしれません。ですが注意すべきこともある」

「……深海に、赤に転じる可能性もあるってことでしょ? 改めて言わずともわかっているわ」

「なら結構です。違和感があればすぐに報告を。私にできることであれば、対処します。では、訓練を続けて」

「はいはい。……ふっ!」

 

 気合を入れるような声とともに、艤装の主砲がそれぞれ唸りを上げる。しかしまだ上手く青の力が扱えていないせいで、弾丸を発射しても今までと変わらない射速になっているか、あるいは最初は速いが、途中で力が消えて一気に勢いを失って落下してしまう。

 コツを掴むまではとにかくトライ&エラー。繰り返しやってみることで、どのように力を注げばいいかが見えてくるだろう。大和は山城から離れ、他の艦娘たちの様子を確認することにした。

 そこで目についたのが、佐世保の龍田だ。彼女も青の力を纏うことができているようだが、表情を見る限りでは、何やら焦っているような雰囲気も感じた。何となく気になったので、龍田へと声をかけてみることにした。

 

「どうかしたの、龍田?」

「あ……ええ、そうねえ……。少し、相談してもいいかしらあ?」

「ええ、どうぞ」

 

 あの日起きたことを、龍田は告白する。ウエストバージニアの戦艦棲姫へと攻撃仕掛けるとき、無意識に何らかの力を引き出したのではないかと。その際に足元の赤い海から力を汲み上げているかのような感覚に襲われ、良くないものに触れてしまったのではないかという恐れも告白した。

 それを聞いた大和は小さく唸る。赤い海は深海棲艦特有の力であり、彼らの力が海へと広まり、深海棲艦により有利に戦えるような力を与えるような効力がある。深海棲艦の中から生まれる赤の力と似たものが、海を汚染しているようなものだ。それを汲み上げたというのならば、龍田の中に深海棲艦の因子が組み込まれたともいえる。

 ぱっと見た限りでは、龍田にそのような気配はない。青の力を操作しており、その中に深海の気配を感じることはない。だが龍田は、あの日の戦いの出来事を思い返し、恐れている。深海の一端に触れてしまったのではないか、知らないうちに自分はそれに侵されているのではないか、その見えない何かに怯えているのだ。

 

「あの日、確かあなたは二水戦の仲間を喪っていましたね?」

「ええ。戦艦棲姫に率いられたものたちによって、喪ったわ」

「それに対する怒り、悲しみの感情に突き動かされた。それが、触れてしまったかもしれない要因といえるでしょう。……揺さぶられた感情、それに引きずられて表に出てくる可能性は捨てきれません。これに関しては、うちの山城も同様の可能性を秘めています」

 

 山城もまた激昂することによって、赤の力に近しい気配を見せていた。二人に共通するのは、負の感情を高めることによる力の増強。怒り、悲しみ、憎しみ、それらの感情によって引き出されたそれは、まさに深海棲艦らしい力といえる。

 だからこそ艦娘は決してそれに飲み込まれてはいけない。赤の力を恐れるならば、それらの感情に飲み込まれないように、自分の感情を律するしかない。

 

「……私は元があれですからね。深海の力を浄化することは恐らくできません。何せ自分の中に残っているものも併せて行使できますからね。扱う力の色も、この通り赤ですので。一体化しているそれを除去できないでいる以上、あなたの中にあるかもしれないものを除去するイメージがわきません。申し訳ないですが」

「……そうですか」

「私から言えるのは一つだけ。感情を律し、飲み込まれないようにすること。青の力の制御を果たし、負の感情ではなく、強い戦意などによって戦いに勝つ、そのようなイメージで戦いに臨むことです。そうすれば、最悪の事態は免れるかもしれません」

「わかったわあ。何とか、乗り越えてみせるわね」

 

 不安はまだあるが、とりあえず自分がどうするべきかの指針を得られた。怒りによって一部を行使できていたこともあり、青の力の操作については山城と同様に一端を掴んでいる。精神と力、この二つを自らの意思で律すれば、自分はより上を目指せる。もう、あの時のような悲しみを起こさない。仲間を守るためにも、何としてでもものにする。龍田はそう決意を固めた。

 頷いた大和はそっと龍田から離れ、次に指導する艦娘を探す。すると、埠頭に神通が現れたのを見つけ、彼女に近づいた。彼女の名を呼び、振り返った彼女の顔を見て、大和は小さく息をつく。

 

「少しは隠してはいるけれど、まだ残っていますね。溜まったもの、上手く吐き出せたのかしら?」

「……どうでしょう。あれほどまで長く、そうし続けたのは初めてのことですので、自分ではよくわかりません」

「そう、でもわかるわ。私とて、あなたの胸の中であれだけ感情をあらわにしたのは、自分でも想像したことなかったもの」

 

 神通の目元には泣きはらしたような跡がうっすらと残っていた。恐らく一人で、長門の死を悼んだものだということがわかる。先代の呉鎮守府からの生き残りは、神通ただ一人となってしまった。

 多くを喪った原因は、前世とはいえ目の前にいる大和だが、神通はそれを口にすることはない。前世は前世、今は今、大和はこの一年で呉鎮守府に貢献し続けている。今もなお、だ。南方棲戦姫はあの海で死んだ。死んだ相手の罪を、現世の彼女に問う理由は神通にはなかった。

 

「そういえば、佐世保から那珂たちが来ていますが」

「そのようですね。佐世保の子たちにも力について教授を?」

「ええ、望むのならばできる限り広めた方がいいでしょう? 各鎮守府それぞれがより力をつけることこそ、今の私たちに必要なことだと考えたので」

「結構です。私にも、改めてよろしくお願いします」

「もちろんです。どうやら提督もしばらく戻ってこないようですので、じっくり教えてあげましょう」

「提督が?」

「ええ。佐世保の提督が連れて行きましたよ。気になりますか?」

 

 そう問いかけたのだが、神通は微笑を浮かべて首を振った。「いいえ、それは良いことです」と海に出る。その様子に大和は首を傾げる。システムとはいえ、凪とケッコンカッコカリをしているのだ。別の女と二人きりになることなど、人でいえば気になる要因ではないだろうかと、人の感情について少し学んだ大和としては疑問に思うことだった。

 

「今の提督には、淵上提督は必要な存在です。今の私では提督を支えることはできませんから」

 

 自分もまた、感情を発露する時間が必要だった。そんな自分では、凪の傷を癒すことなどできはしない。そう見切りをつけていたのだろう。しかし自分がそうであるように、凪もまた早急な回復の時間を必要としていたため、湊に全てを任せることにした。

 だから湊が凪を連れて行ったと聞かされても、特に動じることはない。凪にとって必要なことなのだから、止める理由はないのだ。

 大和も突然佐世保が来たことについて何事かとは思ったのだが、口元に指を当てて少し考え、「あなたが佐世保を呼んだのです?」と問いかけた。

 

「ええ、昨日連絡を入れまして。あなたがこうして力について指導してくれることも想定し、それぞれの子たちがより成長する機会を自主的に得られればとも考えました」

「そうですか。……ですが、あの二人が人間としてより関係を深めれば、あなたとしてはどうなのです?」

「何か問題が? 私は艦娘としてのケッコンカッコカリとしての儀式を終えましたが、しかしそれはシステム。本当の意味でのそれではありません。それに私はもうすでに誓いを立てています。提督が人としての相方を将来的に得ようとも、私は私が立てた誓いが揺らぐことはない。艦娘として彼を支え続けます。同時に、人として彼を支える誰かも必要でしょう。それが彼女になるかどうかは、本人たち次第ですが、私としては彼女がそうなったとしても、何も問題はありません。心より祝福するだけです」

「……そう。人の感情とは本当に難しいものですね。今の私では、あなたのそれを全て理解することはできませんが、しかし何故でしょう。私にはあなたが強く見える」

 

 素直な感想だった。以前までなら理解できないと切り捨てたそれではあるが、今の大和は違う。可能ならば理解してみようと思っている。純粋な力としての強さではない。これが誰かを支えるのだという意思、感情による強さなのだろうか。

 この感情を理解できれば、自分も誰かのために力をふるえるのだろうか。あの時、長門の死を前にして沸き立った静かな怒りの力。それを、誰かを守るために発揮できれば、自分もまた青の力を以てしてより高みへと昇れるのではないだろうか。

 そう考えると、神通という一人の艦娘の強さが、スペックだけでは推し量れない要素を秘めているように感じられる。強さの深み、その度合いの違いが、自分とは比較にならない。そう考えると、神通がとても眩しい存在に思えてきた。

 

「ありがとうございます。では、大和さん。そんな私に、新たな力の使い方の教授を。私の強さを更に引き上げてくれますか?」

「喜んで。私があなたに教えられることがあるなんてね。もちろん、私もまたあなたから学びましょう。誰かを支える力、それを教えてくれますか?」

「もちろんです。共に学び、高めあいましょう。それこそが、私たちが今、必要とすることです」

 

 微笑を浮かべあう二人、揃って青の力の修練をする艦娘たちに合流する。その日は日が暮れる頃まで、大和たちはただひたすらに、力の研鑽を続けた。その結果として、青の力の第一歩を踏み出す艦娘は、始めた頃と比較して、随分と増えることとなる。

 後から合流した神通もまた、魚雷の強撃が使えたこともあり、すぐにコツを掴むことに成功し、次の段階へと移行した。誰もが青の力の修練に熱を入れていたため、昨夜の神通のこと、そして目元にうっすらと残っている跡について、大和以外の誰もが気付くことはなく、その日の訓練を終えることとなった。

 




今さらですが、強撃はゲームで言うところのカットインです。
カットインは艦娘の運で発動率が変わります。
運が高い北上様や雪風は出しやすく、運が低い山城などは出にくいもの。
そういった面がこちらにもでています。

今回出てきた青の力は、今では大体導入されている特効のようなものです。
各イベごとにみられた○○特効、○○パンチとかのアレです。
思い出すのはクロスロード神拳や栗田パンチとかでしょうか。

赤の力に関しては前回のミッドウェー海戦で、ほっぽちゃんとかが攻撃の際に出していた描写は、アーケードのカットイン攻撃を参考にしていました。


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パラオの演習

 

 パラオ泊地に一隻の船が停泊する。降りてきたのはトラック泊地の東地茂樹とその艦娘たちである。迎えたのはパラオ泊地の大淀と、その提督の美空香月だ。今日ここに茂樹が訪れた理由は、パラオ泊地の艦娘たちと演習をするためだ。

 これは珍しいことではない。香月が着任してから何度か茂樹はパラオ泊地を訪れており、その度に演習を行うことで、パラオ泊地の艦娘たちの練度を確認し、底上げを図っている。新人だから面倒を見ているということもあるが、パラオ泊地は立地的にも南西海域や南方海域に足を運べる。

 今はそれぞれの海域で戦うだけの戦力とはいえないが、いずれは彼にも戦力として加わってもらい、それぞれの海域を対処する任務を負うことになるだろう。日本からわざわざ凪たちに遠路はるばると来てもらうような、非効率的な手段をとることを避けられる。

 パラオ泊地の戦力増強は将来的に見ても有効的だ。そのために茂樹が足を運び、演習の相手を務めることを自ら名乗りを上げたのだ。

 

「さぁて坊ちゃん、演習のお時間だ。今日はどれだけ食らいついてこれるか、見させてもらうぜ?」

「ハッ、そう先輩ヅラさせ続けるのも癪なんで、こっちも最初から飛ばさせてもらいますわ。吠え面かくのを楽しみにさせてもらおうジャン?」

「いいねえ、その生意気ヅラから伸びた鼻、へし折らせてもらおうジャンってな。……んー、やっぱこのとってつけたような語尾、ねーわ坊ちゃん」

「いきなり何言ってくれやがるんですかねえ!? やっぱあんた、気に食わねえわ!」

 

 そんなやり取りをしながら、船を迎える埠頭から演習に使う水域のある浜辺へと移動し、それぞれの艦娘が二人の背後に待機する。用意されている席へと腰かけた茂樹は、「それで坊ちゃん、全力ということは主力艦隊? それとも一水戦?」と問いかける。

 

「主力だ! あれから鍛えたオレたちの力、見せつけてやる!」

「いい気迫だ、坊ちゃん。その意気だぜ。んじゃあこっちは、水上でいきますかね」

 

 そのメンバーは金剛、比叡、高雄、愛宕、吹雪、叢雲だ。しかも金剛と比叡は改二に改装されている。つい最近、金剛型の四人に改二改装のプランが実を結び、鎮守府へとそのデータが配信されたのだ。

 四人それぞれに何らかの優位性を持たせつつ、スペックの底上げが施されており、十分に主力として奮戦が期待されるような改装となっている。だが改二になっているということは、それだけ金剛と比叡の練度が高いという証左だ。香月はそれに複雑そうに顔を歪めはしたが、しかしそれに食らいついてこそ自分たちの力量が示されるということでもある。

 それにこの水上打撃部隊は空母がいない。そこに付け入る隙を見いだせればいいだろうと前向きに考えた。

 そんなパラオ泊地の主力艦隊は、伊勢、赤城、飛龍、瑞鳳、衣笠、那智と、どちらかといえば空母主体の艦隊といえる。戦艦らの遠距離砲撃を回避し、放たれた艦載機が敵艦隊を撃滅させれば優位を取れるというスタイルで攻めれば、万が一はあり得るだろう。

 それぞれの艦隊が位置につき、大淀の号令とともに戦闘開始となる。先手を取ったのはパラオ泊地の主力艦隊の空母らだ。改装されている伊勢もまた瑞雲を発艦させ、空母の艦載機とともに、トラック泊地の水上打撃部隊へと向かっていく。

 金剛と比叡の砲門が狙いを定め、砲撃するよりも早く、艦載機らが到達し、攻撃を仕掛けていく。それに対抗するために対空射撃をこなし、金剛と比叡に砲撃のために集中してもらう。

 もちろん金剛と比叡もただ狙いを定めるだけではなく、回避行動を取って対空射撃を掻い潜ってきた艦載機の攻撃を避ける。先手を取れるのが艦載機の特徴だが、対空射撃によって防がれる。

 艦載機がそれを掻い潜って攻撃を届かせられるかどうかは、やはりそれぞれの練度に関わる。大部分の艦載機が落とされたことに、双眼鏡で演習を見ている香月は小さく歯噛みするが、それは最初からわかっていることだ。

 それに、落とされている数は前の時より減っているような気がしないでもない。そこに自分の艦隊の成長を実感できるが、そろそろ一矢報いてやるタイミングではないだろうかと、内心ドキドキしている。

 艦載機の第一波の攻撃が終わり、生き残った艦載機がそれぞれの艦載機へと戻っていく。攻撃が止まったことで、トラック泊地の艦娘の攻撃のチャンスとなる。照準を合わせた金剛と比叡が、いざ砲撃を仕掛けようとしたその時、二人の頭上から迫る影が複数。

 爆弾を備えた艦爆が金剛と比叡へと不意打ちを仕掛けていく。第一波よりも高高度へと位置取り、敵艦隊の意識から逸れ、攻撃を終えて油断をしたその時を狙ったのだ。ちょうど発射しようとしていた主砲へと投下された爆弾。爆発したそれと、発射されようとした主砲と反応し、危険弾と判断されて金剛は戦闘不能判定を下された。

 

「へぇ……、いったん中断!」

 

 双眼鏡で確認した茂樹は笑みを浮かべてそう告げる。まだどちらかが全滅したわけではないのに、ここで中断するのかと香月が異を唱えるが、そんな香月にまあ待てと、手で制する。

 艦娘たちが戻ってきたところで、茂樹は先ほどの攻撃について問いかける。

 

「お前さん、あれは先日のミッドウェー海戦でも参考にしたか?」

「まあ、そうっすね。敵の空母が使ってきた戦法だって話じゃないっすか。編隊の一部を高高度に上げて、雲に隠し、時間差で奇襲を仕掛ける。そうして敵を崩し、追撃の隙を作りだすってやつでしょう?」

「はっ、やるもんだ。憎らしい敵であろうとも、盗み取るものは盗み取るってか」

「あんたらが言ったんでしょ? 敵には思考する存在がいる。最初こそオレも認めたくはなかったが、あの一連の流れがあれば、否が応でも意識するわ。だったら、使えるものは何だって使ってやる。それで奴らを滅ぼせる力が得られるんなら、オレは全て食らいつくし、上にのし上がってやるだけさ」

「おう、怖い怖い。そういう気概があるんなら、坊ちゃんは成長すらぁな。うちの金剛相手に、よくもまあ危険弾をぶち当ててくれたもんだ。あれが演習でなければ、うん、中破近くは持ってかれている。それは認めざるを得ない」

 

 練度の差、加えて改二ではあったが、それでも有効打を与えられたという事実は揺るがない。春に着任したばかりの新人が、こうも食らいついてきたのだ。彼を突き動かすものが復讐心であろうとも、その向上心は褒めねばならない。どのようなものであれ、その向上心がなければ、こうした勝利のチャンスを手繰り寄せるだけの力に成長させるだけの環境は作れない。

 今のところパラオの艦娘たちに、香月の復讐心の影響は見えないが、少なからず悪い影響を与えていないだろうかという心配はある。しかし向こうで談笑している様子から、そのような兆しは見られない。

 茂樹がこうして何度かパラオ艦隊と交流をしているのも、そうした危惧があってのことだが、取り越し苦労で済むならば良し。万が一にも悪い影響が生まれでもすれば、あの美空大将の息子だけあり、色々と心配になるものだ。

 それに、ここに来る前のことも思い出される。

 

 

「――――それ、マジ?」

 

 目を丸くしながらあっけにとられてしまうが、通信相手の凪は本当だと頷く。パラオに向かう前に、凪と久しぶりに連絡を取ろうと茂樹が通信をつなぎ、ミッドウェー海戦についてや、他に何があったのかの雑談の中で、凪は中部提督が美空星司の可能性があると打ち明けたのだ。

 

「これって、秘匿情報ってやつか?」

「美空大将には報告しているが、それ以外で情報が広がっている様子はないから、いったんは秘匿情報かもしれんね。だからこれをあの香月に伝えるかどうかはお前に任せる」

「はぁ……どうしたもんかねえ。兄貴の死が、あの坊ちゃんを変えたっぽいし、ひとまずは黙っとくか。俺が伝えるよりかは、母親である大将殿から伝えた方がいいだろうし」

 

 腕を組んで唸りながら茂樹はそう決める。もしかするといつまでも隠せるようなものではないかもしれない。タイミングはあくまでも美空大将に任せ、自分は危うい道に進ませないように見守る、そういう立ち位置をキープした方がいいだろうと考えた。

 そしてもう一つ、中部提督が美空星司ならば、果たして彼はどこを拠点としているのかが気になるところだ。深海提督が意思ある存在であることは聞いていたが、美空星司という具体的な人物像が見えてくるならば、彼の思考を読み取れるかもしれない。

 美空星司がどういう人物だったのか、それを湊から聞き出せれば、中部海域と定めている太平洋の一帯を捜索し、拠点になりそうなポイントを見つけ出し、襲撃を仕掛けられる可能性が出てくる。

 これについては南方提督とやらも気になるものだ。ソロモン海一帯をかつて支配していたと思われる存在。去年の秋に行われたソロモン海域の戦い以降、あまり動きがみられないため、どこかに潜伏していると考えられる。

 凪たちがミッドウェー海戦などで活躍しているのだ。茂樹もまた、やるべきことをこなし、成果を挙げなければならない。

 そのための香月との演習だ。

 香月との演習を繰り返し、彼の艦娘たちの練度を向上させ、より強力な深海棲艦と戦えるようにしなければならない。戦力向上は日本海軍にとって喫緊の課題だ。新人とはいえ、一定の練度まで鍛え上げなければ、パラオ泊地で安全に艦隊運営はできない。

 その見通しができるくらいに香月らを鍛え上げる、それが香月が着任してから茂樹が心の中で定めたやるべきことだった。

 

 

「次の演習、お願いしても?」

「やる気あるねえ坊ちゃん。いいことだ」

「あんたを驚かせることには成功したんだ。次は吠え面かかせてやりますよ」

「いいよ、そういうの。俺としてはやる気のある奴は歓迎さ。そうして食らいついてくれば、坊ちゃんの望み通り、艦隊の練度はぐんぐん上がるってもんだろうよ。実に楽しみだね。一年でどこまで成長してくれるのかってね」

「……あと、その坊ちゃん呼びもどうにかしてぇもんだよなあ!?」

「おや、気に入らないかい? 俺としてはもうなじんじまったよ。この身長差もあるし、美空大将殿のお坊ちゃんってね」

 

 香月は男性としては童顔で小柄な部類に入るため、この身長差から見る「坊ちゃん」という意味合いと、年下だからというだけでなく、半人前ならば、まだ「美空大将のお坊ちゃん」という意味合いも兼ねているのが見え、香月はぐぬぬと歯噛みする。こうして煽るのも、彼のやる気を失わせないために、あえてやっていることだ。

 このまま食らいついてくれるならば、彼はまだまだ成長できる。ついでにトラック艦隊も戦いの勘を失わせない。ついてくる誰かがいるというだけでも、彼女たちに慢心を生ませないだろう。

 いずれ追いつき、追い抜かれるかもしれない。そうした存在が近くにいるだけでも、トラック艦隊には良い刺激になる。今まではラバウル艦隊がそれに該当したが、彼らは後輩というより同期だ。同期同士での切磋琢磨も悪くないが、後輩というわかりやすい存在が生まれたことが、新たな刺激になってくれる。

 凪にとっての湊がそうであるように、茂樹にとって香月が良い相手になってくれる。茂樹は色々な意味で香月に期待を寄せているのだ。だからこそ、折れないでほしいし、道を誤ってほしくはない。

 いつか中部提督が自分の実兄かもしれないという現実に当たった時も、せめて彼を支えてやれるように、先輩として常に近くで、前を歩いて行ける存在となる。

 小生意気な後輩には、少しうざったいテンションの先輩として振舞えば、いい感じの距離感で接していけるだろう。それは茂樹の性分的にも無理はない。この距離感をキープし、茂樹はこの日は幾度も演習を重ね、パラオ艦隊の練度向上に努めていった。

 



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三笠ノ提案

 霧の中、航行する人影が複数。ここはアラスカ湾付近であり、時折自然現象として霧、もやが発生する海域だった。しかし以前より奇妙な報告がたびたびあがっており、サンディエゴ海軍基地から調査隊が派遣されていた。

 レーダーを用いて周辺海域を探査しようとしているのは、アメリカの軽巡ヘレナ。高性能なレーダーを保有している艦娘だが、どういうわけかもやの中ではこのレーダーが機能していない。何も捉えないかと思いきや、妙なものを捉え、瞬時に消えるなど、正確な観測ができていない。

 別動隊として行動しているアメリカ軽巡、クリーブランドも同じようにレーダーで観測しているのだが、正確にできず、二つの水雷戦隊はゆっくりと航行しながら調査を進めていた。

 

「そちらはどうかしら、クリーブランド?」

「ダメだね、全然見えない。報告にあった通り、入った船を強制的に迷わせる海域と化しているようだ」

「どう考えても自然なものじゃないようね。ということは深海の力が働いているに違いないわ。……それにしても、私自慢のレーダーが機能しないって、本当に面倒ね。実に腹立たしいったらありゃしないわ」

「まあまあ、落ち着きなよヘレナ。周りに気を付けつつ、じっくり調査を進めよう。こうまでして奥へと入らせないようにしているんだから、きっとここには何かがあるのは間違いない。それが何度もうちに攻め入り、先のミッドウェーで逃がした敵戦力であることを祈るばかりだね」

 

 もやで見えづらいからこそ、スピードを落としてヘレナたち水雷戦隊はもやの中を往く。方向感覚すら怪しいため、細心の注意を払いながらの航行になる。加えてここで敵襲を受ける可能性すらあるため、精神をすり減らしながらになってしまう。

 それでも彼女たちは、きっとここに探し求めているものがあるに違いないと信じ、この日だけではなく、その後も繰り返しこの海域を訪ね、調査を進めていくこととなった。

 

 

「つまり、次はもう見据えているということか」

「そういうことです。いやぁ、ギークの作戦に一応乗ったかいがあったというもんですよ。参考になるものと出会い、この目で確認できましたからネ」

 

 思い出すようにくつくつと笑うのは北米提督だ。傍らにあるコンソールを叩き、それに呼応して何かが動く。電子音のようなものを響かせ、ポッドの中にいるものが調整されていく。それは飛行場姫や港湾棲姫のような白い女性のようだ。今までの基地型の深海棲艦を踏襲した種となる存在から調整しているらしい。

 ここから北米提督が得たものと、彼の考えを含んだ何かへと進化していくのだろう。つまり彼が想定しているのは新たなタイプの基地型深海棲艦ということだ。これを用いることで、アメリカ西海岸を落としきる算段らしいが、急に張り切りだしたなと、北方提督は少し冷ややかだった。

 今までサンディエゴ海軍などと小競り合いを繰り返していたようだが、それだけ中部提督の美空星司の作戦に感化されたのだろうか。同じ元人間同士、影響しあったのかもしれない。と、自分を外してはいるが、彼女もまた星司によって自ら出撃しようと動き出した、いわゆる感化された一人だ。人のことは言えない。

 

「それで? その種はどこで芽吹かせると云うのか?」

「今のところ想定しているのはパールハーバーですよ。かつての大戦の始まりを告げた基地、いい感じに花が開きそうだと思わないですかネ?」

「……ああ、パールハーバー。なるほど、悪くはない選択肢と云えよう。だが、あそこは現在も活動中、先の作戦でも汝は前もって戦力を削いでいったうちの一つだ。芽吹かせるならば、削ぐには留まらぬだろうよ」

「ええ。ですから作戦時は、完全に落としきる。そのための戦力も揃えねばなりません。だから決行日は数か月先になりそうです。それまで自分はここで小さく動くだけになるでしょう」

「左様か。米国での作戦となれば、我としては汝がどのような動きをするか、ここより見守るしかあるまいよ。健闘を祈る」

「感謝します。あなたも、神の加護があらんことを」

 

 と、コンソールを操作する手を止め、北米提督は静かに指で十字を切り、祈った。相変わらず様になっているものだと感じながら、通信を切った北方提督、三笠は静かに息をつく。傍らに置いてあった湯呑に手を伸ばし、軽く口に含むと、「カアチャ、終ワッタ……?」と後ろから声がかかる。

 肩越しに振り替えれば、そこには北方棲姫がとてとてと近寄ってくるところだった。その後ろには、以前まではいなかった少女がゆっくりと後をついてきている。湯呑を置けば、三笠の胸元に北方棲姫が飛び込み、くりくりとしたつぶらな目で見上げてくる。

 

「ああ、終わったが、どうした童女よ」

「遊ンデホシイソウデスワヨ」

「ふむ、遊びか。とはいえ童の遊びは粗方やりつくしたろう。熊野、現代はどのような遊びがあるか?」

「……ソレヲワタクシニ訊クト? アナタガ?」

「時代の違いよ。我は所詮、汝らと比べれば昔の存在。加えて、蘇ってもなお、こうして海の下で行動するばかり。上のことなど知らぬ。それに対し熊野、汝ならば少なからず現代に触れている。何かあろう?」

 

 その少女を、三笠は熊野と呼んだ。先のウラナスカ島での戦いの折、舞鶴の艦娘の中で撃沈された熊野が回収され、深海棲艦として復活したのが、この少女だった。

 深海棲艦となったことで、その髪は黒髪を主としつつも、所々が白髪に染まるという二色タイプとなっている。長さは変わらずロングヘア―のポニーテールままだが、自分の置かれている状況を認識していると同時に、艦娘の熊野としての記憶もある程度保持しているのか、最初から不機嫌そうな表情を崩していない。

 全体的に栗色のカラーだった彼女の出で立ちは、黒と白のカラーリングをしたブレザーの学生服となっていた。戦いの中で受けたダメージの名残として、点々と服が焼け焦げた跡があり、そこから青白いお腹の肌が見えている。

 そして深海棲艦となった影響か、瞳もぼんやりとした青に変化し、額からは小さく一対の角が生えかけていた。

 

「知リマセンワ。知ッテイタトシテモ、ワタクシハアナタ方ニ与スルヨウナ真似ハ致シマセン」

「左様か。だが、汝の気持ちは理解できる。堕ちてから日が浅い。まだまだ艦娘としての意識は残っていよう。だからこそ我は汝を比較的自由にしている。それはつまり、今ここで汝が我を討ちに動いたとしても、何ら問題はないということだ」

 

 と、北方棲姫を横に置いて、熊野を挑発した。三笠の言葉に、小さく熊野は息をのみ、横目で彼女の様子を窺った。三笠は自然体を貫いている。戦闘態勢を取っているわけではない。

 ただ微笑を浮かべて椅子に座っているだけだ。だが、熊野はそれでも彼女を殺せるイメージが浮かばない。艤装は取り上げられていない。どういうわけか深海なりの修理を施されて返却されており、彼女の意思一つで艦娘の時のように顕現し、動かすことができる。

 それでもなお、熊野は三笠の雰囲気に呑まれている。指一つ動かし、主砲を構えて撃ち放つ、そのイメージができても、それが目の前にいる三笠に通じるのか? その疑問ばかりが頭を埋めていた。

 北方棲姫も二人の雰囲気を感じ取ったのか、おろおろと二人を交互に見上げて困惑している。「カアチャ、ネエチャ?」と舌足らずな呼びかけだが、それに二人は反応しない。

 

「どうした熊野。殺るのか、殺らぬのか? そうした迷いを抱いていては、どうにもならぬな」

 

 と、つまらなそうにため息をつくと、ゆっくりと立ち上がる。その動きに呼応するように、熊野は意を固めて動いた。瞬時に主砲を顕現させ、引き金に指を添えて発砲。だが、三笠はそれを読んでいたかのように瞬時に距離を詰め、主砲の先端を床に向けさせた。

 そのまま彼女の腕を極めて主砲を手放させ、流れるように床へと這いつくばらせる。呻き声を漏らす熊野の上に位置取りながら、「それではダメだな、熊野」とたしなめるように言う。

 発砲音に反応したのか、深海棲艦がぞろぞろと集まってくるが、三笠は静かに、

 

「何も問題はない。去れ」

 

 と、熊野を押さえつけながら言う。本当に大丈夫なのか? と何人かが身構えたが、「問題ない」と再度言う。三笠がそこまで言うならば、と構えを解いて去っていき、三笠は熊野へと視線を落とした。

 

「迷っていてはダメだ。それでは敵を殺せない」

「……ッ、コノヨウナワタクシニシタノハ、アナタタチデショウ!? 何故、何故ワタクシニ、コノヨウナ二度目、イイエ、三度目を与エタノデス!? ワタクシハ、アノママ眠ッテイタ方ガ良カッタデスワ!」

「そうだな。我にもその気持ちはよくわかる。どうして我はこの世に、このような形で目覚めてしまったのか。今でもわからないままだ」

 

 その声色は、本当に彼女の深い悩みを感じさせ、熊野は疑問を深めた。どうして三笠がそのような反応を示すのだ? 深海棲艦が自分の在り方を悩んでいるのか? 予想だにしないことに、思わず熊野は自分の上にいる三笠を見ようとした。

 

「こうして活動はしているが、我としては不本意なことだ。本音で言えば、さっさと眠りにつきたいとすら考えている。だが、それにしては我は色々抱えすぎた。今もなお増えている。この童女然り、汝然り。汝らを抱えておきながら、勝手に消えることなど、どうにも我の中に息づき、影響を与えている存在が許さぬらしい」

 

 と、三笠を心配するように寄り添う北方棲姫を撫でながら肩を竦める。小さく呻きながらも、熊野は立ち上がり、二人の様子を窺った。攻撃を仕掛けたというのに、三笠も北方棲姫も敵意を感じない。北方棲姫は敵意を持ってもおかしくはないだろうが、彼女はそれよりも、三笠を心配し、熊野に攻撃はしないでと、目で訴えかけるように見上げてくるだけだ。

 こんな深海棲艦を、熊野は知らない。

 

「だから我は戦場で死ぬ。我を殺せるだけの戦力を求める。先の戦いにおいて大湊に可能性を見出した。故にいずれ、大湊が我が艦隊を打ち破ることを期待している。……熊野、汝が先ほどのように個人で当たり、我を殺してくれても構わんが、それではできるはずもないな」

「ドウシテ、死ニタイト? 深海棲艦ハ、人類ヤ艦娘ヲ殺ス存在デショウ? 今マデ見テキタ存在ハ全テ、攻撃的ナ存在デシタ。アナタノヨウニ悩ミヲ抱エルヨウナ素振リハナカッタハズデス」

「深海に染まりきらない、それが我の歪みの一つよ」

 

 あっけらかんと、三笠は言い放った。

 

「最初期に目覚めた我は、他と同じく量産型の一つでしかないものだった。だが、その中で自己を確立し、最初期の深海提督として活動し、ここに回された。それからも戦い続けたが、艦としての記憶も取り戻していく過程の中で、どういうわけか深海としての意識から抜け出たのだ。我以外のものらは、変わらず深海らしい澱みの中に在ったというのにな。時を経て、最初期の存在は我と欧州だけになったが、欧州は澱みの中でもなお自己を確立している。欧州の振る舞いこそ我らを生み出した存在が想定している最高の個体であろうよ」

 

 深海棲艦として活動し、自己を確立してもなお、原初に定められた方針から揺るがず、自己の在り方を疑わず、行動し続ける。だからこそ欧州提督は強い存在だと、三笠は彼女を称賛する。対する自分はどうだ。深海棲艦としての在り方から逸れ、力こそ保有しているが、目的は深海棲艦のそれとは違い、自己の消滅である。

 かの神が想定したような深海棲艦ではないだろう。優れた兵器ではあるが、重大なバグを抱えた欠陥品、それが北方提督だ。

 

「そのような存在だから、このような童女を生み出すし、汝のような新たな深海棲艦を生み出してしまう。どうやら我が抱えた歪み(バグ)は感染するらしい。汝を悩ませるようなことになってしまったこと、謝罪しよう。我を気に入らぬ存在だからと、殺しに来ても納得しよう。……ただでは死なぬがな?」

「死ニタインジャアリマセンノ?」

「死に方は選ばせてもらうというものよ。しょうもない終わりを迎えるなど、我が名の名誉や沽券に関わる。終わりを迎えるのであれば、せめて綺麗な形で終わらせてほしいという、古い存在ならではの意地だ。だから熊野、我が汝に力を与えても構わない」

「……何デスッテ?」

 

 その言葉に、熊野は眉をひそめた。力を与える? こんな反抗心をむき出しにしている相手に? 敵に塩を送るどころの話ではないのではないかと、熊野は警戒心を強めた。そんな彼女に笑みを浮かべ、

 

「すでに大湊にはいくつかの技術を披露している。この童女も習得している技術だ。それを汝にも教えてやろう。それを以てして我を殺しても構わないし、別の場面で活かしても構わない。猶予をやろう、熊野。そうだな、来年の年末。それまでに我を殺せたら汝の勝ちだ。大湊の手を煩わせるまでもなく、深海の北方勢力は汝の手によって滅び去る」

「失敗シタラ、ドウナリマスノ?」

「さて、どうするか。そこまでは考えていない。しかし少なくとも来年の年末以降、我は大湊の様子を見に行くだろう。そこが一つの分かれ目よ。果たして汝はそれまでに我を殺せるだけの技術を得られるか否かの勝負だ。……だが、もう一つの懸念はあろう」

「ワタクシガ、思考マデ深海ニ堕チルカ否カ、デスワネ?」

「その通り。今はまだ染まりきっていなくとも、これからの一年で汝が我のように変化しないとも限らない。深海に染まれば自然と我の戦力の一つとして確立し、二年後の戦いに同行するだろう。果たして重巡の量産型か、あるいは新たなる深海のタイプ、熊野型として確立されるのか。その全ては汝にかかっているのだ。これは、そういう戦いだ」

 

 三笠のように自分を残したまま力を得て、三笠を殺せる機会を窺うのか、あるいは身も心も深海に堕ち、深海北方艦隊の一員となってしまうのか。しかも敵である三笠から、より強くなるための技術まで教え込まれるというわけのわからない特典までついている。

 色々と熊野にとって頭を痛め、悩まされる情報が目白押しだ。現状についても悩みが多いのに、この先についてもよくわからないことになってしまっている。一体どうすればいいのかと、判断に悩むところだった。

 しかし艦娘として考えれば、深海棲艦を倒すことこそ、自分たちに課せられた使命である。図らずも自分は、深海北方艦隊の拠点の中にいるのだ。三笠を倒せずとも、この拠点を破壊することはできるのではないだろうか。そうすれば彼女の艦隊を削り、大湊艦隊に優位を与えることができるだろう。

 だがこの思考はきっと三笠もしているはずだ。ただ自分を殺せるチャンスを与えていると口にしているが、言わないだけで拠点に対する攻撃も想定しているはず。彼女の目を見れば、その辺りについての考えは読み取れるかと考えたが、やはりというべきか、読み取らせない。

 今ここで問いかけてもはぐらかすか、認めたうえでやってみろと言外に挑発するだろう。恐らく彼女はそういうタイプだ。

 では彼女の誘いに乗らないで動くか? いや、それは色々と無理がある。周りはすべて敵だらけ、乗らないということは彼女からの保障を受け取らないということだ。となれば完全に敵陣で孤立し、攻撃を仕掛けられ、何もできないまま死ぬことになる。

 ある意味そうした終わりを迎えてもいいかもしれないが、艦娘としての矜持を失って死ぬことになる。それは、熊野としては恥ずべきことかもしれない。どうせ散るならば、一矢報いる機会を窺い、当たって砕ければいい。そのチャンスを向こうから提示されたのだ。

 ならば、それに乗り、自分をこんな姿にしたことを後悔させてやる。

 

「――乗リマショウ。後悔シナイコトデスワ、コノ熊野ヲ、手中ニ収メタコトヲ」

「いい覚悟だ。そういう気概、我は嫌いではない。学ぶがいい、熊野。そして見事、我を殺してみろ。我の期待、裏切ってくれるなよ?」

 

 そこで三笠は今まで見せたことがないような、見え透いた挑発を含んだいけ好かない笑みを浮かべてみせた。わざとらしく、熊野の精神を逆撫でし、自分に対してより反骨心などの感情を煽ってみせる。

 その見え透いた行為に、いよいよもって熊野がブチ切れる。今まで抑え込んでいた感情を爆発させるように大きく息を吸い、

 

「……ジョオォォトオォォデスワヨ、ワカリヤスク挑発シテクレヤガリマシタワネ、コノ――エエト? アナタ、誰デス!?」

「多数は北方と呼ぶが、いいだろう、汝はかつての名、三笠と呼んでくれて構わん」

「三笠……ソウ、カノ三笠デシタカ。……ダトシテモ、コノヨウナ挑発ヲサレテハ、三笠トイエドモ許シテハオケマセンワァ! コノワタクシ、熊野ガ引導ヲ渡シテクレヤガリマスワヨ! オ覚悟ハヨロシクテ、三笠サン!?」

「いい啖呵だ、熊野。この我についてくるがいい。教えられること、全てを教えてやろう」

 

 どこか楽しげに三笠は笑う。これまでの深海提督としての時間の中で、これだけ心を躍らせるようなことはなかったかもしれない。そんなことをふと感じながら、首をしゃくって北方棲姫とともに、工廠を後にする。熊野もそれについていくが、三笠と手をつなぎながら、北方棲姫は二人を見上げて、「カアチャ、ネエチャ……トテモ、楽シソウ」と、少し羨ましげな呟きが漏れて消えていった。

 



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繋ガル勢力

 

 夜闇に紛れ、それらは静かに動いていた。長らくそこ周辺は平穏そのものだった。定期的にラバウル基地から巡回が行われており、建設された基地は維持されていた。まだ人は住んでいないが、いずれ近い将来、そこを運営する誰かが訪れるその時を待ち続けていた。

 そうなったのも、去年の秋、ソロモン海域が人類の手に取り戻されたからだ。南方提督の敗北により、ヘンダーソン飛行場の飛行場姫、強力な戦艦である戦艦棲姫擁する艦隊が落とされ、南方提督はその海域から撤退することとなった。

 以降は怨嗟を溜め込みながら、レ級などを生み出しはしたものの、ソロモン海域を奪還するには至らず、ラバウル基地の深山とトラック泊地の茂樹が主にソロモン海域の哨戒を行い、深海棲艦の排除が行われている。

 その合間に妖精を送り込むことで、このショートランド泊地やブイン基地の建築が行われていた。完成し、提督が着任すれば、人類による戦線拡大が行われ、よりソロモン海域は人の手によって安寧を取り戻すだろう。

 だが、それはこの新たなる南方提督にとって許されないことだった。

 

「襲撃開始」

 

 命令に従い、一斉に深海棲艦がショートランド泊地を守る艦娘たちへと襲い掛かる。突然の夜襲に艦娘たちの反応が遅れ、先手を許してしまった。敵襲の声が上がるが、それは砲撃の音にかき消される。

 だが発砲音や爆発音は響き渡り、待機していた艦娘たちも動き出す。しかし流れはもう新たなる南方提督率いる深海艦隊にある。その中で一つ、赤い燐光を闇の中で灯らせ、動く白い影が、一気に防衛艦隊に肉薄していく。

 彼女は深海棲艦へと堕ちた吹雪。

 駆逐艦ならではの夜戦突撃、装填された魚雷の一斉射により、複数の艦娘が撃破されていく。かつての仲間であったはずの艦娘を、この手で沈めていく。そこに思うところは少なからずあるが、しかし彼女は最早、感覚、感性までも深海棲艦と成っていた。

 もしかするとここを防衛していたのは、まさにラバウルの艦娘だったのかもしれない。自分もまたラバウルの艦娘だったのだから、より思うところはあるかもしれない。

 

 だが、だがである。

 かつてはそうだったかもしれないが、今の自分は深海側の存在だ。

 

(堕ちてしまえば、楽なものです。割り切ればいい、自分はもう、艦娘ではない)

 

 先代の南方提督をこの手で殺した。彼の持ちうる記憶や情報を取り込み、整理し、その過程でさらに深海の情報も蓄積される。そうしたからか、もう自分の構成するものは、深海のもので埋め尽くされている。

 艦娘の吹雪はもうどこにもいない。自分と融けあった天龍の要素も歪な左手へと変貌し、跡形もない。このような異形の存在となったのに、どうして自分が艦娘だと名乗れようか。

 一人、また一人と艦娘を沈め、有力な戦力は粗方消えたところで、深海吹雪は一息つくように辺りを見回す。残りは全て他の深海棲艦が片を付ける。後方からは戦艦ル級やタ級が砲撃を行い、建てられた基地を破壊していく。

 炎上していく未来のショートランド泊地を前に、深海吹雪は目を細めた。そして通信を繋ぐように右手を髪に当てると、「こちら南方。ショートランド泊地の破壊に成功しました」と報告する。

 

「こちら中部。僕もブイン基地の破壊を終えたよ。作戦は成功だ、お疲れ様」

 

 北の方角、遠方にうっすらと燃え上がるような赤が見える。ブイン基地と呼ばれるところもまた、星司率いる艦隊によって破壊されたようだ。夜の奇襲により、二つの拠点が一気に破壊される、何ともあっけないものだった。

 

「これほどまで簡単にできてしまうとは、これなら何故先代はさっさと実行しなかったのか。理解に苦しみますね」

「作戦失敗続きで色々あったらしいからね。彼が動かなかったのは、僕としては詳しくは読み取れないし、今となってはいない存在に思いを馳せても無駄だろう。彼の記憶を吸収した君ならばわかるのでは?」

「彼の感情はいらないものとして処分しました。あのような怨嗟、私にとっては不要なものです。卑屈な人間の感情など、使い物にならないでしょう。求めるのは純然たる成果。そのために私は、あなたに協力を求めたのですよ。こうしてソロモン海域を取り戻すために」

 

 そのための作戦はこうして大成功を収める。防衛していた艦娘も全滅し、さあ帰ろうとした時、「ああ、そうそう吹雪」と、思い出したように星司が声をかけてきた。

 

「落とした艦娘は、忘れずに回収してきてくれるかい?」

「持ち帰ってまた色々するのですね?」

「そうだよ。得られるものは全部得ておきたいものだからね。よろしく頼むよ。ああ、持ち帰る場所は、先代が使っていたあそこで構わない。ソロモン海域を手中に収めるならば、あそこがいいだろうからね。引っ越しだ」

「了解しました。ではそちらで落ち合いましょう」

 

 

 しばらくして、打ち捨てられた深海拠点で合流した星司と深海吹雪。残されていた工廠で、星司は軽くコンソールをいじってみる。時間は経過しているが、手を加えれば問題なく使える程度に、機能は生きていた。

 運ばれてきた艦娘の亡骸は自分がそうしているように、種類に応じてまとめるように指示を出し、深海吹雪が見守る中で手を加えていく。手持無沙汰になってしまっている深海吹雪は、少し考えた後、ゆっくりと口を開く。

 

「そういえばあの作戦の後だというのに、手を借りてしまったこと、申し訳ないです」

「なに、かまわないよ。そりゃあ確かに戦力回復のこともあるし、新たに調整すべき個体もいるにはいる。でも、後輩に頼られたんだ。手を貸してやるのも先輩冥利に尽きるというものだよ」

 

 誰かに頼られるというのはそれほど嫌いではないらしい。どこか楽しげにコンソールをいじる様子は、嫌々やっているようには全く見えない。そんな現場にやれやれといった表情で入ってきたのは、星司のもとにいるアンノウンだ。

 両手を頭の後ろで組みながら、「ほんと、人が良いよねえ、あいつってばさぁ」と、どこか呆れたような、しかししょうがないなという風な色を含んだ声色だった。

 

「でもマスターも、自分の欲求には正直だよねえ。ああいうのをいじるのが本当に好きなんだからさ。そしてここの機能を直すことで、お前がここで戦力増強に励める。深海側としては良いことだ。そうだろう?」

「まあ、そうですね。戦力増強は大事です。ソロモン海域を完全に手に収め、ラバウルを落とすためにも必要なことでしょう」

「だがラバウルはなかなかの戦力だあ。伊達に一年以上、あそこで活動していないってね。南方の座をもぎ取ったばかりの吹雪じゃあ、少々荷が重いんじゃないかな? おっと、ボクらに協力を求められてもってやつだ。うちのマスターの標的はラバウルじゃないんでねえ。どうにも呉にご執心ってやつさあ。そのための戦力増強に努めている。そっちと手を組んで拠点を落とすのは、今は無理ってやつだねえ」

「そこまで呉が気に食わないと? 日本を落とすのに失敗したのですから、いったん日本から離れ、こちらなどに手を回すべきでは?」

 

 その意見にも一理ある。あの作戦の失敗により、日本海軍はより警戒心を上げたはずだ。二つの派閥の一角が消えたことで、一丸となって戦う構えもできている。この状態で呉に襲撃をかけたとしても、すぐさまどこからかフォローが入り、逆に深海側が食い破られかねない。

 ならば日本から離れた拠点を潰すべきだろう。それが今回のショートランド泊地やブイン基地を破壊したことに、より意味が生まれる。この二つを落としたことで、次はラバウル基地かもしれないと、ラバウル提督である深山が警戒をするかもしれないが、その上で襲撃をかけるのか、あるいはトラック泊地を攻めるかの選択肢も生まれてくる。

 

「そうだね、その意見も頷ける。だがどちらにせよ、今の僕は新たなるモデルを作ることを優先する。今回は君がここで自立し、戦力拡大ができるようにするまでは手を貸す。そうすることで、君が自分で考え、ソロモン海域から行動できるようにできるのだから。ああ、それと新たなるモデルを作れるコツも教えておこうか。君の手からも生まれ落ちるようにするのもいいだろうからね」

「それはありがたいことです。お願いします、中部先輩」

 

 と、話ながらいじっていた手が、最後に力強くキーを叩くと、電子音が静かに響き渡り、モニターに次々と光が灯っていく。深海勢力が利用するネットワークと繋がり、彼らがやり取りするデータの閲覧が可能になった。

 建造可能な深海棲艦の情報も確認でき、先の戦いでアップロードされたツ級のデータや、星司が作った空母棲姫のデータも使用可能になっている。だが中間棲姫のデータや、北方棲姫のデータは上がっていないようだ。

 中間棲姫についてはミッドウェーに適合したタイプであり、他の地域に使い回せないものとして、建造はできないようになっているようだ。北方棲姫もまた同様にウラナスカ島に適合したタイプだからか、あるいはデータ的には問題なさそうだが、他の深海提督に使わせないようにロックがかけられたのか、はたまた三笠がデータを上げなかったのか。どちらにせよあの見た目のため、星司も北方棲姫は使う気にはなれないため、事情に触れることはしなかった。

 

「さて、新たなモデルの開発のコツだけど、やはり種をうまく育成し、素体を生み出せるかどうかにかかっている。で、種からどうするかだけど――」

 

 と、深海吹雪へと説明始める後ろで、小さく欠伸をするアンノウンは、あちこち視線を動かし始める。使われていないポッド、整理された艦娘の亡骸と、戦いだけに専念する自分にとっては気を回す必要のないもの。

 建造や調整の時間となれば、暇となってしまうのもやむなしだった。と、そこに中部艦隊に属する潜水艦が工廠に入ってくる。何かを報告しようとしているようだが、星司と深海吹雪がコンソールを前に色々と打ち合わせをしているため、声をかけづらそうだった。

 

「報告かい? ボクが聞こう。何々? …………うん、へぇ……トラックとパラオ?」

 

 それはトラック泊地の提督が、パラオ泊地の提督と交流を進めているという報告だった。パラオ泊地といえば、今年の春に新しい提督が着任したという話がでている。名前については聞いていないが、この新人を教育するように、たびたびトラック泊地の提督が、パラオ泊地の提督と交流しているというのは、アンノウンも情報で確認している。

 最近もまたそれが行われているようで、アンノウンとしては特に気にする要素でもない。新人提督が強くなるというのなら、より戦いが楽しめそうだという期待が持てる。だが中部艦隊の標的はずっと呉だったため、パラオ泊地やトラック泊地については、意識の外にあった。

 しかし深海吹雪の言うように、日本からいったん手を引くというのならば、中部艦隊が相手をするべきはトラック泊地やパラオ泊地になるのではないだろうか。中部の拠点的にも、一番近いのはトラック泊地である。この機会に手を出すのもありではないか? アンノウンはそのように考え、

 

「そういえばさあ、トラックやパラオの人間の名前って何だっけ?」

「…………」

「トラックは東地茂樹、ああ、うん……そんな感じの名前だっけねえ。で、パラオは?」

 

 こちらについては、呉に潜り込んでいたスパイである白猫が奪った情報には入っていなかった。だがどうやら茂樹の通信を傍受していたようで、名前は入手できたらしい。

 パラオ泊地の提督の名は、美空香月。

 その名前を聞いたアンノウンは、静かに視線を上げ、思い出すようにこめかみに指をとんとん、と当てる。

 

「美空、ねえ?」

 

 浮かぶのは日本海軍の大将の名前。

 そして先日のかの神の前に名乗ってみせた、自分のマスターの名前。

 はてさて、人間の名前としてはよくある名前なのだろうか。そうでないならば、縁者なのだろうか。だとすれば、これを聞いた星司はどういう反応を示すんだろう。

 そういった興味が小さく芽生えるが、今は深海吹雪とよろしくやっている様子。あの先輩と後輩の時間を邪魔するのはやめておこう。

 報告してきた潜水艦に退出を促し、「ふぅん……そっかぁ……」と、にんまりと目を細めて笑みを浮かべ、どこか楽しげな呟きを漏らし、アンノウンも二人きりにするべく、工廠を後にした。

 



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変わりゆく情勢

 夏が終わり、秋へと入っていく。それぞれが、それぞれにできることをこなし続けた。呉鎮守府と佐世保鎮守府は資源確保と同時に戦力増強に努め、特に大和からもたらされた青の力の習得は、大いに推奨された。習得速度にはばらつきはあったものの、コツを掴んだ艦娘は段階を踏んで技術を磨いていき、砲撃などの強撃、弾着観測射撃に続く第三の戦闘技術として己のものとしていった。

 また呉と佐世保だけではなく、どのように習得していけばいいのかという一連の流れを、艦娘たちからのリサーチも加味し、レポートとして美空大将へと提出。それぞれの鎮守府でも習得できる技術として共有された。

 西守派閥という、それぞれの鎮守府が水面下でいがみ合うような環境が取り払われたことにより、強撃、弾着観測射撃、そして青の力と深海棲艦と戦うために必要なものは、日本国内の鎮守府だけではなく、トラック泊地などの遠方にある鎮守府でも技術を磨けるように取り計らわれた。

 そして大本営からも各鎮守府に成果を発信する。

 一つは改二の実装である。第三課が張り切ったのか、その数は多いものだった。金剛型の四姉妹の改二を配信されたばかりだが、蒼龍、飛龍、川内、綾波、扶桑、山城の六人の改二のデータが完成したとのことだ。

 続いて新たな艦娘として春雨、早霜、清霜、時津風、磯風、大鯨が加えられた。大鯨は潜水母艦という新たな艦種として生まれ落ちたが、改装することで軽空母の龍鳳へと変化するようだ。

 新たな顔ぶれとしては小型艦が主となったが、改二艦としては大型も混じっている。特に扶桑と山城は航空戦艦として活動する時点でかつての戦歴とは異なる道を歩んでいるが、そこに更なるスペックの上乗せをすることができた点で、美空大将ら第三課の気合の入れようを感じさせる。

 そして最後に、なんと指揮艦を改装し、スペックを向上させたというのだ。妖精の力を借りて改装を施したらしく、特に推進力など、移動に関することを向上させたという。艦娘が装できる設備として高圧缶とタービンがあるが、この二つを装備させることによって、より高速で航行できるという特徴を得られる。

 こうしたいわゆる装備によるシナジーは、妖精の力による不思議なパワーの恩恵によるものだと考えられている。この妖精の恩恵を指揮艦にも与えられないかという研究が、以前より第三課で行われていた。

 指揮艦がより速く航行できるようになれば、迅速に戦闘海域へと赴き、事態の対処に当たれるためだ。海外とのやり取りも、今までよりも速やかに行えるようになるという利点も得られる。

 そして、研究は実を結んだ。高圧缶、すなわちボイラーとタービンの改良により、今までよりも速い速度で航行できるようになったという。もちろん素早く航行できるということは、敵の攻撃から回避できる確率も上げられるため、指揮艦の生存にも繋がる。色々な面でメリットが感じられる研究成果となった。

 また、高速化するだけではなく、指揮艦全体のバランスなども改良を加えることで、長時間の高速航行に耐えられるように調整された。それはすなわち指揮艦の装甲などにも手が加えられたということだが、それでも深海棲艦の攻撃に完全に耐えられるほどではない。以前よりも被弾を重ねても沈まないかもしれない程度には強化されたが、全幅の信頼がおけるほどではない。そのため、高速化による回避行動で危機を凌ぐことが推奨される。

 この指揮艦の改装もまた、工廠データにアップロードされ、工廠の妖精の手によって各鎮守府で指揮艦を改装できるようにしたとのことだ。これにより全鎮守府の指揮艦の性能向上が図られることとなった。

 艦娘の強化と、指揮艦の強化。

 ミッドウェー海戦の後から行われたそれぞれの変化。

 これが日本海軍の戦力増強の策だった。

 

 

 一方で深海側もまた、何もしていなかったわけではない。

 深海北方艦隊は三笠と深海熊野による賭け事により、三笠から直々に深海の戦闘技術を仕込まれている。三笠曰く、自分を殺せるだけの力を得てくれればいいとのことだが、来年の年末までにそれを実現させられるかどうかの賭け。それを果たすために深海熊野は、三笠に食らいつき、その腕を磨き続ける。

 深海南方艦隊は星司の指導を受けることで、建造と演習を繰り返しており、この二つの深海勢力の交流によって、各々が少しずつ艦隊練度を向上させていた。だが深海中部艦隊は最初だけ南方に協力はしたものの、その後は中部海域に留まっており、南方は自分たちだけで力を向上させることとなった。

 最初こそ道は示したが、その後は深海吹雪が考えて艦隊運営をすること、その言葉に偽りはなかった。失った戦力を増強させ、新たなる種を生み、素体へと育てる。星司の助言に従って深海吹雪が生み出したのは二つの種だった。

 一つは駆逐艦に成長しそうな少女、もう一つは軽巡に成長しそうな少女である。特に軽巡は深海吹雪が想定していた結果を導くために、二つの艦を用いた。

 どういうことかといえば、深海吹雪はラバウルの吹雪という素体に天龍が融けて混ざり、左手に天龍の因子だけが残された。まるで機械のアタッチメントのように外から力を付属し、更なる力を得たような結果が生まれたのだ。

 自分と同じような結果を、果たして新たなる深海棲艦にもできるだろうかという検証のため、軽巡の種にはとある二つの軽巡を混ぜ合わせ、一つの素体として育てることにしたのだ。

 結果としては今のところ問題はなく、順調な成長をしているように感じられた。

 ちなみにこのことを星司へと報告すると、

 

「それはまた、新たなる着眼点だね。普通ならやらないことだよ」

「やらないようなことを、あえてやってみることで、新たなる道が拓けるようなものでしょう。少なくともあなたはそのような人間だと推測いたしますが?」

「……否定はしないよ。僕とて、大和に魚雷や航空兵器を搭載させようなんて、ぶっ飛んだことをやらかしたからね」

 

 その結果があの南方棲戦姫なのだが、スペックで見てみれば、今運用されている深海棲艦と比較すると、そろそろ格落ち感が否めない。それに記憶もいじってもいる。あの頃は色々と試し、そして無理をしていたようにも感じる。その影響でスペックも少し控えめになったような気がする。

 だがそうした先例や失敗を積み重ねることで、より良いものが作れるようになっていく。そうした積み重ねが大事なのだと考える性質のため、星司は自分のやってきたことに対して、負い目を感じることはないし、深海吹雪が普通ならばやらないようなことをやっていると聞かされても、そういうやり方もあるのだと肯定する。

 とはいえ認められないものに対しては認められないと口には出す。命を削り、力を得るシステムをもたらした先代南方提督のアレについては、今もなお星司は認められないシステムだと考えていた。

 

「中部先輩はまだ改良を進めているのです?」

「ああ、そうだよ。とりあえず長門と翔鶴については素体は問題なしだ。ここに搭載する艤装の出来次第で、今までの戦艦と空母モデルの進化の是非が問われるだろうね。……長門に関してはもう一つの問題があるけれどね」

「問題とは?」

「それについてはこちらの都合だ。君に話すことではないので、控えさせてもらうよ」

「そうですか。ではこれ以上何かを問うことはやめておきましょう」

「助かるよ」

 

 長門の問題というのは、彼女の中に感じられる聖なる力のことだ。大湊の宮下が作ったお守りのことだが、今もなお長門の亡骸から取り出すことはできず、そのまま新たなる深海の戦艦としての調整が施されてしまっているらしい。

 本音としては後顧の憂いを取り除くため、何としてでもこのお守りを抜きたいところだが、深海に堕ちた存在として相性が悪いようで、どうにもならない。力の調査をしようにも、深海が保有する計器では、自分たちにはどうにもならないものと計測され、詳しい分析もできず仕舞いだった。

 ならば長門を完全に処分し、別の素体から新たなる深海の戦艦モデルを作った方がいいだろう。リスクを考えればその方が都合がいい。あの戦いによって他にも艦娘の戦艦の亡骸はあるし、何ならそれぞれの海域に沈んでいる艦から生み出してもいい。

 日本艦だけではなく、アメリカ艦からも作れるのだから、そうした方が絶対にいいだろう。

 しかしそうした思考はあるにはあるが、星司はそうはしなかった。それはやはりこの長門が「呉の長門」だからに他ならない。呉は自分の大和である南方棲戦姫を艦娘の大和として転生させ、戦力に加えている。だから星司も呉の長門を転生させ、深海長門として運用し、呉鎮守府に意趣返しをしなければならない。

 今もなお、星司が呉鎮守府と海藤凪らに執着している心によって突き動かされる行動であり、この思考がどのような結末になるのか、それは星司にも、それを見守るアンノウンや深海吹雪にはわからないことだった。

 深海吹雪との通信を切り、作業に集中する星司は、コンソールを叩きながらふと思い出したように、アンノウンに問いかける。

 

「……ああ、そういえば北方さんのところにも新たな個体がいるらしいし、北米もまた何か動いているということだったね?」

「ん? ああ、そうだねえ。熊野だったかねえ、あの戦いで撃沈した奴を、北方は取り込んだとか何とか。北米は……知らねえなあ。加賀がなんか北米が思いついたことがあるって、どこか楽しげに帰って行ったとか言ってたけど」

「楽しげにね……、何を思いついたのやら」

 

 何度か首を傾げながらも、コンソールを操作し長門と翔鶴の調整を進めていく。他の深海提督の事情も気になるのは確かだが、今はこの二人の調整を進めるのが先だ。次の作戦に間に合うかどうかはわからないが、しかし成功すればまた深海勢力の戦力が増す。

 戦力向上に繋がるからこそ、星司はこの調整に全力を尽くす。また集中しだした彼の後姿を見て、そういえばパラオ泊地の提督の名前はいつ伝えようかとアンノウンは考えるが、今はいいかと流すことにした。

 それよりも星司の様子が最近変化しつつあるのが、気になるところだった。以前までは深海赤城などにも気を配っていた星司だったが、最近それがない。彼女はミッドウェー海戦の敗北から、深海加賀などと演習を繰り返しており、自分の力を高めることに専念している。そのため、星司の元へと訪れる時間が以前より少なくなっている。

 以前まではべったりだったのが、少しずつ自立し始めたのかと思われるが、それにしても星司から彼女に対するアクションがそんなにないのも気になるのだ。自分の手から離れていくのを見守るという感じではない。まるで関心が失ったかのようである。

 星司の変化を表すもう一つのポイントが、作業光景にある。

 

「……こうか? いや、こうか……? これを加えて……いや、それではバランスが……チっ、あと少しが遠いな。早いところ完成させて、次に進みたいのに……もどかしい」

 

 手を走らせて何かを描いているそれは、デザインだった。艤装の成長パターンを絵にして完成形を見定めている。生前より絵に関しても多少の心得があった彼は、いくつかのラフ画を描いており、それに沿って完成を目指している。

 別段それにおかしな点はないのだが、彼を纏う雰囲気が以前と違っていた。

 

(あんなに黒かったっけかなぁ?)

 

 開発や調整をしている彼はいつもどこか楽しそうにしていたらしい。アンノウンもそれらしき様子を見たことがある。生前から変わらない、彼にとっての生きがいなのだから、楽しく作業をしているのは確かだった。それによってもたらされたデータも、今では深海勢力に大いに貢献している。

 だがどうしてだろうか。

 ミッドウェー海戦の後から、少しずつ星司は変わっているような気がした。深海吹雪の前ではいつも通りに見えたのは間違いない。できた後輩に頼られている様子は、まだ以前までの彼に思えた。

 しかし一人で工廠に篭り、作業を進める彼は、どこか暗い気配を漂わせるようになっている。呉鎮守府に対する妄執が、いよいよもって彼に悪影響を与えているのが浮き彫りになってきているのかもしれない。

 

(でも、ま。それが人間ってやつさ。どんなに輝いていたって、こういう勢力に属していたら、いずれは黒く染まる。マスターも何も変わらなかったってやつだろうねえ)

 

 アンノウンとしては、星司が変わろうが変わるまいが、自分を上手く使ってくれる主であることに変わりはない。自分を楽しませてくれるのであれば、どんなに変わろうがかまわない。堕ちるとこまで堕ちるなら、自分もそれについていくまでだと、静かに見守るだけだった。

 

 

 そして北米提督、ミッドウェー海戦の後、拠点に戻ってから中間棲姫を参考にして一つの素体を作り上げていた。基地型深海棲艦らしく白を基調とした女性だ。髪の毛先が緩やかに桃色に近しい色へと変化していくという、ロングヘアスタイルであり、瞑目した状態で膝を抱え、ポッドに浮かんでいる。

 種となる白い女性は港湾棲姫のデータから引用したようだが、その後の調整によって見た目はがらりと変わっている。気のせいか足の太ももに赤いラインが走っている。まるで鋭い爪によって引き裂かれたような痕として浮かび上がりかけているのだ。だが見方によっては、何らかの意匠のような痕のようにも見え、まだ彼女は調整中であることを窺わせる。

 

「順調だ。ふふ、自分にもできる。ギークのように速やかな完成には至らないだろうが、しかし時間をかければ、パールハーバーとして完成するだろう。そうだ、ウエストバージニアも併せて調整すれば、いい感じになるかもしれないな。新たな戦艦モデルとして新生できるかもしれない。……ふふ、そうか。ギークもこういう風に悦を感じていたのかもしれないネ。おお、神よ。このような愉悦、お許しください」

 

 ついつい気持ちが逸ってしまい、自制するようにそっと手を組む。自分の考えたものが、自分の手によって順調に実を結んでいることに喜びや楽しみを見出すなど、北米提督にとってはあまり歓迎するものではなかった。その辺り、恐らく生前の敬虔な教徒だった名残を窺わせる。

 こほんと空咳を一つし、再び白い女性の調整を進めていた時、突如、どこからか轟音が響き渡り、拠点が揺れた。

 

「――!? 何事だ!?」

 

 と、辺りを見回したその時、すぐそこの壁が大爆発を起こし、壁と近くにあったポッドがまとめて吹き飛ばされ、瓦礫となったものが北米提督へと襲い掛かる。反射的にその場を飛び退いたことで、瓦礫の直撃は避けられたが、今まで調整を進めていた白い女性は、吹き飛んだ瓦礫に飲み込まれてしまった。

 

「な、ぁ……パールハーバー!? っ、ぐ……!? あつっ……!?」

 

 次いで弾丸の炸裂によって火が付き、ポッドに満たされた液体などに引火したのか、辺りが火に包まれる。その時、背後から「報告……! 敵襲、デス……!」と、戦艦棲姫の一人が伝えてきた。

 

「敵襲だとぉ!? 馬鹿な!? ここは人間たちによって見つからないようにしていたはずだ!」

「シカシ、襲撃サレテイルノハ、事実デス……! 敵ハ、サンディエゴノ艦隊ト思ワレマス!」

「サン、ディエゴ……だとぉ!? 何故だ、どうやってきた……どうやって……?」

 

 燃え上がる拠点を指揮艦の艦橋から確認するのは、サンディエゴ海軍基地の提督、ウィルソンだ。辺りは不可思議なもやに包まれていたが、拠点周囲は晴れているため完全に見えないほどではない。どうやら拠点周囲は晴れ、その周りがもやに包まれるという、まるで台風の目のような状態となっていたようだ。ここに至るまでは指揮艦に搭載されているレーダーは狂いに狂い、方位磁石も針が暴れまわっており、正確な方角などは掴めない状況。周囲を把握するには、自分たちの目で確かめるほかなかった。

 そんな海域に、サンディエゴ海軍基地の艦娘たちは足を踏み入れていた。

 サンディエゴ海軍基地から北西、アラスカ湾付近に、妙な一帯が確認されたというのが、ミッドウェー海戦以前に報告が上がっていた。自然現象として時折もやがかかり、辺りがよく見えなくなってしまうことがたびたびあるところだった。そしてこの自然現象を活かし、深海棲艦ならではの力を混ぜ合わせた天然の姿隠しを行ったのが、北米提督の拠点だった。

 敵が迷い込んだら、レーダーを狂わせ、拠点に近づけさせず、外へと追いやらせる。例え近づこうとも、もやによって視界の不備を活かし、近づけさせない。そうして今まで拠点である人工の島を維持していた。

 地図にも載っていないそれは、北米提督が活動を開始して以降、誰にも気づかせなかった拠点だった。

 だが、ウィルソン提督は自分たちを時折攻撃してくる深海棲艦が、どこから来ているのか、それをずっと疑っていた。そして奇妙な一帯があるという報告を耳にし、偵察として航空機や偵察のための艦娘を派遣し、それが確かなものであるかどうかを精査した。その折、基地がまた襲撃された上に、ミッドウェー海戦が行われてしまったのは誤算だった。

 しかし、戦いを終え、偵察隊が持ち帰った報告を確認し、やはり何かがあるのだと目星をつけたところを改めて捜索。ヘレナやクリーブランド率いる水雷戦隊や、アルバコアなどの潜水艦隊を派遣し、情報を整理した上で襲撃を行う手はずを整えたのだ。

 北条提督との会話の際に、奴らの拠点はおおよその目星はつけてあると口にしていたが、このことだったのである。

 

「遠慮はいらない。今まで辛酸をなめつくされた借りを纏めて返す時だ! 徹底的に攻撃しつくし、奴らを撃滅したまえ!」

 

 戦艦の主砲が唸りを上げ、拠点の外壁をどんどん破壊し、炎上させる。そうして空いた穴に向けて艦載機が爆弾を投下し、更に被害を広げていく。もちろん外壁だけではない。周囲の地上や、攻撃に対して反撃のために出てきた深海棲艦に対しても、艦載機が次々と攻撃を仕掛ける。

 接近戦のために水雷戦隊も肉薄していくのだが、アメリカ海軍らしくその数はかなりのものだ。かつての大戦でも数による脅威というものを知らしめたものだが、今の深海北米艦隊は、まさにその脅威を味わっている。

 

「提督、ココハ撤退ヲ……! 殿ハ私ガ」

「……くっ、やむなしか……! 任せる、メリーランド」

「承知シマシタ。コロラド、ウエストバージニア、後ハ任セルワ。提督ヲヨロシク」

 

 力強く頷いたメリーランドの戦艦棲姫が出撃していき、それを見送った北米提督とコロラド、ウエストバージニアの戦艦棲姫をはじめとする護衛の深海棲艦が、別方向から脱出を試みる。

 サンディエゴ艦隊も出てきた戦艦棲姫に気付いたが、ウィルソン提督は目を細める。敵が保有している戦艦棲姫の数を知っていたからだ。サラトガに「別地点にも目を光らせろ。出てきた奴が囮の可能性がある」と指示を出す。

 サラトガをはじめとする空母らが放った艦載機が拠点周囲を飛行し、誰が拠点から出てきたのかを把握できる。

 読みは当たり、拠点の裏口から出てくる人影が確認され、艦載機からの報告を受けてサラトガから指示が飛び、拠点の包囲を行っていた艦隊が動いていく。しかし敵も北米提督を守るために奮戦する。

 歯噛みし、慌てたように手をばたつかせながらも、何とか北米提督は空いたスペースを目指して脱出を試み、潜行しようとする。それを塞ぐように遠方から砲弾が飛来し、艦載機からも攻撃が飛んでくる。

 戦う力のない元人間の深海提督相手だろうと容赦の欠片もない。今ここで、北米提督を討つという気概が、殺意が、飛来する攻撃に込められている。一度死んだ身である北米提督も、この迫りくる死の気配に、乾いた笑みが浮かび上がる。

 

「は、はは……おお、神よ。これが自分に与えられた試練だというのですネ……!? このような、このような終わりを与えると? まだ、まだ自分は大いなる使命を果たしていない。その道を、これから歩もうというその時に! このような終わりなど……!」

 

 必死に足を動かし、艦娘の攻撃による直撃を避ける。背後で爆発する砲弾の煽りを受け、体勢を崩しそうになるが、それでも彼は海を走る。十分に距離を取ったところで海に飛び込み、海域から脱出しようとしたが、追手は海中にもいた。

 背後から迫ってくるのは複数の魚雷。見れば、アルバコアなどの潜水艦の艦娘が何人か北米提督を追っていたのだ。やられる!? と思った刹那、庇うように戦艦棲姫の艤装の魔物が盾となる。その隙に北米提督を抱えて一気に距離を離すように潜水していく。

 

「ウエストバージニア……!」

「アナタヲココデ喪ウワケニハイキマセン。アナタハマダ、ヤラナケレバナラナイコトガアル。コノ屈辱ハ、イズレ返シマショウ。……素体ハ失イマシタガ、マダヤリ直セマス。ソウデスネ?」

「……ああ、向こうからすれば借りを返しに来たのだろうが、それは自分とて同じこと。パールハーバーを完成させ、サンディエゴに礼をしなくてはな……!」

 

 艤装の魔物と繋ぐチューブが切れており、力の供給は失われているが、それでも仲間を守る盾にはなれる。北米提督とウエストバージニアなど、護衛する深海棲艦が逃げ切る時間を稼ぐため、魔物は吼えながら潜水艦らが放つ攻撃を止め続けた。

 これでは追いきれないと判断し、潜水艦らは撤退するが、魔物もまた去っていく脅威を前に、最後までその場にとどまり続け、命を燃やし尽くした。

 海上もまた、炎上する北米提督の拠点を前に、無数の残骸が転がる。北米提督を逃がす単に時間稼ぎをした深海棲艦たち。メリーランドの戦艦棲姫もまた、その命が尽きるまで役割を果たし続けた。

 立場が変わり、種族が変わってもなお、主を守るために配下がとる行動は変わらない。その忠義を前にウィルソン提督は目を細める。思うところはあるかもしれないが、しかしこれは生存を賭けた戦いだ。

 拠点としての在り方を失った人工の島は、無数の砲撃を前に跡形もなく崩れ落ちた。ここに残されていたデータは失われ、そして密かに生み出されようとしていたパールハーバーの素体も炎にまかれて消える。

 しかし一番の目標である北米提督の命は繋がれた。撤退してきた潜水艦の報告を耳にしたウィルソン提督は、

 

「そうか。戦力を削るだけに留められてしまったか。仕方がない、作戦は終了だ。今回のことで敵は恐らく体勢を立て直すのに多くの時間が必要になるだろう。新たなる拠点を構えるだろうが、その場所もまた探さねばならない。しかし、勝利は勝利だ。こうして拠点を潰すことに成功したのだからね。それを喜ぶとしよう。我らがアメリカ海軍は、やられ続けるだけでは終わらないということを、ここに証明した! 諸君らの健闘を私は称えよう!」

 

 そう結び、艦娘たちを大いに称賛した。あちこちで艦娘たちが拳を天へと突き上げ、勝利の声を響かせる。我々は勝利したのだという証を、その胸に刻み込むように海域に少女たちの声が響き、空を艦載機が飛行する。

 ウィルソン提督率いるサンディエゴ海軍艦隊による、北米提督の拠点陥落の報せは、アメリカだけでなく後になって日本にも届き、深海棲艦の拠点は海上に隠されている可能性が示唆された。これは一種の希望にもつながり、それぞれの海域に座する深海提督の拠点も、どこかの隠されているのではないか、そんな推測を改めてたてられることとなる。

 同時に深海提督の間でも、北米が敗れて撤退したという報せが後日届けられ、ある者は驚き、ある者は興味なさげに頷き、ある者は不甲斐なしと嘆く。

 まもなく季節は秋になろうとしている。

 季節の変わり目を迎える前に、それぞれの提督らの周辺もまた、色々な形で急変していくこととなった。

 



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その感情は

 

「なるほど、順調に強くなってきているんだな。喜ばしいことじゃねえの」

「おかげさまで。そちらも、あの香月相手によく付き合ってくれてること、従姉として感謝しますよ」

「なぁに、あれくらいどうってこたぁねえよ。色々と向上心あるからなあ、驚くくらい成長してらあ。それは、この前配信されたレポートのおかげでもある。俺も使わせてもらっているが、目に見えて成長を感じられる。ありがたいことだよ本当に」

 

 そうして会話をしているのは、通信を使ってのものだ。呉鎮守府では凪と湊が一緒におり、それぞれのモニターとカメラを使って、トラックの茂樹とラバウルの深山と通信をしていた。それぞれの鎮守府での変化などを話し合う機会を設けたものだが、湊としては香月が茂樹の手助けを得て、どのようになっているのかが気になるものだった。

 直接話せばいいだろうが、まずは師事をしている茂樹の意見を聞きたいというのが彼女の弁だった。

 

「とりあえずあの坊ちゃんの艦娘は、弾着観測射撃と強撃を少しずつ習得し始めている。青の力ってやつはまだだな」

「……もうそこまで? 大したものだね」

 

 技術習得のためのレポートが各鎮守府に配信されているが、あの新人がそこまで成長するのは驚きだ。どちらも艦娘と妖精との繋がりが重視される技術だ。青の力はその最たるもののため、習得が難しいのはわかるが、しかしあの二つを使えるようになる艦娘がもう現れていることに、深山は素直に驚いている。

 茂樹が驚くくらい成長しているという言葉は、本当なのだと思わせてくれるものだった。

 だがそれは湊の艦娘たちも同様だ。実際に大和に師事してもらえるという恵まれた環境だからか、呉と佐世保の艦娘の大半は、めきめきと実力を伸ばし、高練度の艦娘ばかりとなっている。青の力も主力艦隊や一水戦ばかりではなく、それぞれの主要艦娘は使えるようになっていた。

 

「大した成長だなあ、そちらさんも。なんか二人で色々やりまくってる感じかい?」

「そうだね。以前に比べて交流する機会を増やしているね。その甲斐あってお互いの戦力はより高まっているさ」

「ほぉーん、こうして見ている感じでも、なんか以前よりも距離の近さを感じるし、こりゃあお二人さんのこの先がますます楽しみな感じだなあ! わっはははは!!」

 

 カメラ越しに二人の様子を見た茂樹が、大層に笑う。それぞれのノートパソコンとカメラを並べ、隣り合って座っている凪と湊の距離は、確かに以前に比べても物理的だけでなく、精神的な距離の近さを窺わせる。

 これは茂樹としても突っ込みたいポイントであり、色んな意味で二人の未来が楽しみなところだった。だが、こうして口に出せば、また何かしらの否定が入るだろうと、茂樹としては予測しつつの言葉だったのだが、

 

「…………」

「…………」

「――――おや?」

 

 予想外に、二人からは何も言われない。視線だけでお互いを数秒見たが、それだけで何もない。深山は首を傾げていたが、茂樹は「なるほど、人は変わるもんだな」とどこか納得したように頷いている。

 これ以上は二人のことは突っ込まず、二人の気持ちに任せてやることにし、話題を切り替えるように、「そういえば」と視線を深山の方へと移した。

 

「ソロモン海域がきな臭いって話だったよな、深山?」

「……ああ、そうだね」

「ショートランド泊地とブイン基地が襲撃されたという話?」

「……そう。警備していた艦娘の報告がないため、確認しに行ったところ、二つの拠点が襲撃されていた。加えて、ヘンダーソン飛行場のあるガダルカナル島一帯があの赤い海に染まっており、以前ほどではないけれど、深海棲艦が活発に行動しているみたいだ」

 

 去年にあったソロモン海域の決戦により、平定されたと思われていたが、一年の時を経て再び動き出したということなのだろう。その初撃としてソロモン海域に建てられた日本海軍の基地を破壊していくあたり、敵の戦意を窺わせる。

 凪たちにとって深海吹雪へと南方提督が代替わりしていることは知らず、深海吹雪は経験を積む一環として動いている。拠点を破壊した後も、ソロモン海域を中心として動き続けており、ラバウル基地の艦娘とも何度か交戦しているようだ。

 その動きが以前とは違うということを、戦った艦娘からの報告を深山は受け取っており、この一年で何かがあったのだろうと推測していた。

 

「つまり、この先ソロモン海域、南方提督が活動する可能性があるということか」

「そうなるな。その際にはもちろん俺も出るさ。そして、可能ならばあの坊ちゃんにも本格的な実戦ってやつを経験してもらおうってね」

「いいんじゃない? 演習もいいけれど、実戦に勝る経験はないわ」

「そんなわけで、南方方面は俺たちで何とかするから、そちらはそちらで体勢を立て直し、ゆっくりしててくれや。春に夏と、凪たちは活躍しっぱなしだからよ。この機会に、やれなかったこととか、色々やっときな」

 

 ぐっと親指を立てて言うのだが、凪としては「ゆっくりできるかどうかは、敵の動き次第なんだがなぁ……」と苦笑するしかない。それにできなかったことと言われても、何があるのかとすぐには浮かばないものだ。

 浮かぶことはどのように艦娘を強化させるか、あるいは装備をどのように調整するかなど、この先を見据えた行動ばかり。気乗りしなかったはずの提督業に色々と染まってしまったことに関しても苦笑が浮かびそうだ。

 提督をやる前といえば、何をしていたんだったかと、少し記憶の奥を手繰り寄せてしまう程に、昔の自分から遠ざかってしまっていたらしい。

 

「じゃ、今日のところは以上でいいかい?」

「ああ、何かあれば連絡を。気を遣ってくれるのはありがたいけど、万が一ということもあるから」

「はいよ」

 

 軽く右手を挙げてすっと前に出し、通信を切る茂樹と、会釈をする深山が通信を切り、隣にいる湊も通信を切り、一息ついた。イヤホンを取って顔を上げれば、海で演習をしている艦娘たちが見える。

 習得している青の力を絡めた戦術の確立。実戦になったとき、果たしてどこまで使えるのかの見極めなどを訓練していく段階だ。強撃よりも鋭く重い一撃を放てる青の力だが、その代償か長く使えるような代物ではない。

 大和は解放から数分はあの状態でいられたが、それは前世から引き継いだ力があり、同時に体に対して馴染んでいた影響もある。扱い方も心得ていたため、状態をキープしつつアンノウンと空母棲姫という二方向に対応することができていた。

 それぞれの敵に対して睨みを利かせることには成功していたが、もし一方だけの敵であれば、あの戦いが乱戦状態でなければ、味方を巻き込まないように慎重さも加味して動いていたかもしれない。

 だが長門が落とされたというアンノウンへの怒りと、それを抑えようとする理性がせめぎ合っていたため、先の戦いでは抑え目な青の力の行使に留められていたといえる。

 そして今、その青の力は他の艦娘たちへと伝授され、使い手が増えた。それぞれができることが増え、敵の攻撃に対処する方法や、硬い装甲を抜くことができるかもしれないという希望を得た。

 とはいえずっと同じ顔触ればかりと戦うというのも、慣れが出てきてしまう。違う動きなどの新しい刺激が欲しいところだ。それは艦娘たちも実感しているようで、神通がそっと近づいてきた。

 

「少しよろしいでしょうか?」

「何かな?」

「都合がつけばでよろしいのですが、他の鎮守府との演習を希望いたします。これは私だけではなく、他の子たちも求めていることです。佐世保の子たちも同様で、部隊を変えて違うケースでの演習も行ってきましたが、これまでの訓練と演習でお互いがお互いを色々と知り尽くしてしまい、無意識にパターン化がされてしまっています。ここで新しい動きなどを取り入れるため、他の鎮守府との交流ができれば、と」

「なるほど、わかった。では横須賀や大湊に声をかけてみようか。あちらさんの了承が取れたら、時間を作って向こうでやってみよう。佐世保の艦娘も希望しているんなら、湊も一緒ということで?」

「あたしとしては異論はない。強くなる意思をわざわざ挫くようなことはしないわ」

 

 湊も同意したため、凪が「ではまず北条さんのところに連絡を入れてみる」と、先日もらった連絡先を使って通信を繋いだ。しばらくコール音が響き、繋がると「おつかれさまです、北条さん。お時間よろしいでしょうか?」と頭を下げると、

 

「おお、凪君ではないか。おや、湊君もいるのかね。どうかしたかい?」

 

 とそっとカメラの向こうで覗き込むようにしながら、横にいる湊も確認し、気さくな笑みを浮かべてくれる。「実は――」と話を切り出したところで、神通がそっと湊に近づき、「少々よろしいでしょうか?」と小声で言う。

 湊はちらりと話を進める凪を確認し、首をしゃくって立ち上がった。離れたところまで移動をすると、神通は丁寧な一礼をする。

 

「こうした時間を設ける機会がなかったため、随分と遅れてしまいましたが、改めてお礼を。ありがとうございます、提督を支えてくださいましたこと、感謝します」

「……別に。あの顔を見たら、何とかしなくちゃいけないってなるでしょ。あたしにできることっていったら、ああいうことぐらいなものだっただけ。それにあんたたちの心境も考えれば、長門という存在の大きさ、重さも理解できる。となれば、あんたがあたしを頼ってきた気持ちもわからなくもない。そういう気持ちを無下にするほど、あたしは人でなしじゃないわ」

 

 腕を組み、倉庫の壁にもたれかかりながら、少し素っ気なく湊は答えた。どうして湊があの日、呉鎮守府を訪ねてきたのかは、神通の依頼によるものだった。神通もまた凪の様子がおかしいことに気づいていたが、彼女自身も先代からの生き残りである長門を喪った悲しみに暮れていた。

 こんな自分では凪と一緒に大きく沈んでしまいかねず、あるいは凪の調子は戻せても、自分の感情を吐き出す機会を失い、大きな歪みを抱えてしないかねなかった。そのため外に助けを求めることを考え、白羽の矢が湊に立ったのだ。

 神通の期待通り、湊は凪の見舞いに来てくれただけでなく、彼の調子を戻してくれた。でもそれだけでは終わっていないような気がする神通である。人と人の繋がり、一年という時間の積み重ねをしてきた二人の男女、戦いだけではなくプライベートでも少なからず親交を深めたのは確かだ。

 じっと湊の顔を観察するように窺っている神通の視線に気づき、「何?」と目を細める湊。

 

「いえ、最近少々気になっておりまして」

「何が?」

「淵上さん、何だかんだと提督との仲を深めておりますね。以前は素っ気ない態度が目に付いておりましたが、今、それはなりを潜めています。心の壁も感じられませんし」

「そりゃあこの先も組んで戦うことになるでしょうから、そんなもの立てる必要もないでしょう。あたしは変わらずあまり他人は好きじゃあないけど、個人の感情よりこの先の作戦のためってやつよ」

「そうですか。私としましては、提督とは良き関係を築いていければと思っておりますよ。あの人には、人間の相方も必要でしょうから」

 

 と、微笑を浮かべる神通に、湊は真顔になってその微笑みを見つめる。彼女の左手には伯母が作り上げたシステムの形、ケッコンカッコカリの指輪が光る。形式上とはいえ、システムで結ばれた相方が、そのように笑う。

 恐らく、本心から神通はそう望んでいる。自分以外の誰かもまた、彼を支えてくれれば安心だと、彼女は願っているのだろう。

 

「……ほんと、献身的ね、あんたは。自分一人で支えれば、あの人を独り占めできるってのに、そうはしないのね」

「それはするべきではないでしょう。提督は私一人ではなく、他の子たちみんなを纏め上げねばなりません。独り占めなど、そのようなことをしては隊が成り立ちません」

「でもプライベートがあるでしょう?」

「それは、私が享受するものではありません。あの人のプライベートは、提督ではない時間です。ならば同じ人間と共に過ごす時間を与えるべきでしょう。淵上さん、あなたならば、何も問題はありません」

「神通……」

 

 その言葉に、湊は目を細める。

 自分は艦娘であり、人ではない。ケッコンカッコカリはし、心を通わせたが、公私をはっきりと切り分けている。そうした実直な態度が、しかしどこか悲しさを湊は感じ取った。

 恐らく長門が消えなければ、こうはならなかっただろう。深い悲しみに沈むようなこと、自分もまたいずれ死ぬかもしれないということを、長門の死を前にして神通は感じ取ったのだ。

 せっかくケッコンカッコカリによって凪と結ばれたのに、そこから女性らしい付き合い、ふるまいをするはずだったのに、先のミッドウェー海戦がその機会を奪った。ケッコンカッコカリの相方としてではなく、新たなる秘書艦として凪を支える。あるいはその両方を以てして支えはする。

 でもプライベートは誰かに委ねる。神通はそう考え、湊に任せているのかもしれない。凪にとって一番近しい異性は、湊なのだから。

 

「……はぁ、あんたも不器用ね。あいつに影響でもされた?」

「といいますと?」

「別に譲ってもらおうなんて思っちゃいないわよあたしは。少なからずあたしも、あの人のことは悪くはないとは考えている。だけど、あんたの思いやりだの、献身にあたしを巻き込むな。素直にあんたは、プライベートでもあの人の傍に寄り添い、女としての幸福でも感じていなさいな」

 

 とん、と神通の胸に指を突き立て、「素直な心で動きなさい、あんたは」とじっと神通の目を見据えて湊は言葉を重ねる。鋭く切れ長の目が、神通の目を捉えて離さない。その瞳に、湊の偽らない心が映っている。

 

「いずれ死ぬかもしれない、そういう弱気な心も、長門が沈んだから一気に浮上したのかもしれないけれど、それをはねのけるだけの力も仲間も、あんたにはいるでしょう? なら、負い目を感じず、あんたが好きな相手と一緒の時間を過ごしなさい。……まあ、いずれあの人にも、人としての彼女ってやつはできるかもしれないけど、それまでは気兼ねなくやっていけばいいでしょう」

「…………そんな風に花を持たせてもいいんですか?」

 

 自分の胸にある湊の手を取り、神通もまたじっと湊の目を見据える。

 

「あなたもまた、素直な心というものを浮かび上がらせてはいかがでしょうか?」

「…………」

「生れ落ちた感情、それを素直に表さず、私を焚きつけていいのでしょうか?」

「あたしがいいと言っているんだから気にすることはないわよ。少なくとも今は、神通の心を癒す時。あんたが不調になれば、他のみんなにも影響する。それは呉にとって大きな損失よ。だからあんたのメディカルチェックは万全にしときなさい」

「……わかりました。では今は、そのようにいたしましょう」

 

 握りしめていた手を、握手のように組み換え、神通は軽く握りしめる。時間にして数秒、そのように交わされた握手を解いたのは湊だった。何故か、このまま握手し続けるのに気が引けてしまった。

 その様子に神通は小さく、「不器用なのはお互い様ということでしょうか」と呟いた。湊はそれに肩を竦め、

 

「……長くこう在り続けた人間だからね。そう簡単には変わらないわよ」

「そのようで。ですが、私はあなたなら、信頼できます。これからも色々とよろしくお願いいたします」

 

 最後に綺麗な一礼をし、神通が去っていく。その様子を見送りながら大きく息を吐き、また倉庫の壁にもたれかかる。透き通るような青い空を見上げ、湊は軽く胸の前で腕を組む。

 わかってはいる。神通に言われずとも、今までの自分にはない感情が浮かび上がっているのを、湊は自覚していた。ただしそれを認める気にはなれなかった。今までの人生が、その感情を否定する。

 全てのそれを幼少の時より拒絶し続けたのだ。それが自分の中で生まれるなど、想像したことすらない。そんな自分が、よもやそれを自覚するなど、何の冗談だと拒絶したくなる。

 だが、ちらついてしかたがない。以前よりも会う機会が増えたことで、感情の片隅に、それがちらついているのは間違いない。否定はしたいが、否定しきれない存在感となっているそれが、どうにもほろ苦く、小さく湊の心を突き刺していた。

 

「――青春だねえ、湊ちゃん」

「……ああ? 全て見とったんか?」

 

 どこからか聞こえてきた声に、今までにないくらい低くドスの利いた声が響いてしまった。それにびくっと体を震わせながらも、倉庫の陰から佐世保の那珂が姿を現す。あたふたと両手を動かしながら、「全てじゃないよ! 途中からだって!」と弁解するも、「盗み聞きしとったんは否定せんのやな?」とじろりと睨む。

 

「いやだって、神通ちゃんとこそこそと話してるのを見ちゃったら、気になるじゃん」

「……さよか。で、何か言いたそうやなあ、那珂?」

「うん、告ろう、湊ちゃん。そうしてすっきりしよう!」

「しばくぞワレ」

 

 と、反射的に那珂にゲンコツを入れる湊だが、「しばきながら言うことじゃないよねえ!?」と頭を押さえながら抗議される。地味に本気で痛かったらしく、涙目になっている那珂を半眼で見下ろしながら、「気軽に告るとか言うなや、事はそう簡単やないんやぞ」と呆れたように湊は大きく息を吐きつつ、ゲンコツしたところを軽く撫でてやる。

 

「なんでためらうの? 神通ちゃんに悪いから?」

「それもある。あの二人がケッコンカッコカリしたんは、あたしがけしかけたからやしな。そんなあたしが、あの人に告る? アホか、あんたは。つか、なんであたしが惚れてる前提で話進めよるか」

「え? 違うの?」

「違うわ」

「ほんとにぃ?」

 

 ニマニマといたずらっぽく笑う那珂に、「一発じゃあ済まんようやなあ?」と拳を握りしめれば、「暴力反対~!」と両手でその拳を包み込んで抗議する。しかし口は軽いようで、

 

「でも、実際湊ちゃんの中には確かにそれはあるんでしょ~!? それを否定することないじゃん! 湊ちゃんだっていい年した女の子だし、見ている限りじゃ呉の提督さんとお似合いだよ」

「――そう。だとしても今はいいわ」

「どうして!?」

「言ったでしょう? 事はそう簡単じゃない。あたし自身がこの感情をどう処理していいかわかんないのよ。今までそういうのに関わらないようにしてたし、興味もなかったしね」

 

 だから時間が必要なのだと湊は言う。本当に人や本の言うような感情なのだとしても、自分でそれを噛みしめ、受け入れられるかどうかが問題だった。そうしないまま闇雲に走ったとしても、上手くいくものではないだろう。

 もし上手くいかなかった場合、この先の戦いで呉と佐世保の間で妙なしこりが生まれかねない。それは避けたいものだ。艦娘同士が問題なくとも、提督同士で遠慮などが生まれたらどうするのだ。

 せっかく派閥間のいざこざが解決し、日本海軍一丸となって深海棲艦と戦おうという空気にまとまったのに、個人間の問題でまた崩れたら、どう責任取ればいいのだろう。

 故に湊は時間を必要とする。冷静になり、自分自身と向き合えばきっと答えが出るはずだと。

 

「……人のこと言えんな」

 

 いつだったか凪に相談されたときは、さっさと答えを出せときっぱりと言い切ったのに、当事者になったらこれかと自嘲する。彼のことをみっともなく、うじうじと悩むなと言ったのに、自分自身に返ってくるとは思わなかった。

 そうか、こうも苦しいものかと、今さらながら実感する。でも、少しばかり気が楽になる。凪と同じ悩みに当たってしまった自分に自嘲したからか、彼に対して若干のシンパシーを感じた。

 とすれば、やはりこれはそういう感情に近いのだろう。後は感情の度合いがどれほどのものか、どのように彼と付き合っていくのかを考える。

 

「湊ちゃん、やっぱりそれって――」

「――恋ではなく、愛でもない。今実感するのは、うん、あの人に抱いているのは、今までの成果を認め、あたしにとって嫌悪感を抱かない人と思える親しい感情。今は、それでいい」

 

 軽く首を振れば、括られた黒髪がさらりと静かに揺れる。現段階での結論はこれでいい。倉庫から離れ、まだ何か言いたそうな那珂の肩を叩いて促し、埠頭へと戻っていく。北条との話はついたようで、微笑を浮かべて指を立てる凪に、湊も頷いて応える。

 お茶を用意した神通からカップを受け取り、礼を言うと、神通は一緒についてきた那珂の表情に気づいて、首を傾げる。だが少し考えて察したようで、お盆を手に那珂に近づき、「何かありました?」と声を掛ければ、

 

「神通」

 

 と、湊自身が手で制する。そのまま口元に指を当ててやると、なるほどと湊、凪へと視線を移し、わかったとばかりに一礼する。その様子に凪も首を傾げるのだが、「気にせず。今は横須賀とのことを聞かせて」と湊がそれ以上凪からは踏み込まないようにと制した。

 

「うん、わかった。日程だけど――」

 

 横須賀鎮守府との演習について話を進める二人と、それを見守る神通と那珂。あの後、那珂と何らかの話をしたのだろうが、恐らく那珂の性格的に湊を促しはしたのだろうと推測した。しかしそれについては何も言うなと言わんばかりに制したのだから、少なくとも湊の中で何らかの答えは出したのだろうと、神通は考える。

 ならばそれを尊重しよう。自分も当事者ではあるが、悪い方向に話が流れることは神通も望んでいない。湊の意思に委ねることにし、那珂を促して二人きりにさせることにした。

 



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闇ノ中デ目覚メル

 

「――私をこのような姿にして、どういうつもりだ?」

 

 それが目覚めた彼女の第一声だった。他の深海棲艦と違い、最初から滑らかに人の声を発し、今の状況を理解した上で、前世の記憶も保有している。その出来栄えに、調整を施した星司も、思わず笑みが浮かんでいた。

 

「もちろん、君をうちに迎え入れるためだよ、長門」

「私を、お前の艦隊に? 冗談も大概にしてほしいものだな。お前の命令に私が従う道理はない」

「だろうね。でも、自分の体を見ての通り、君はもうすでに深海の力によって蝕まれている。艦娘としての長門は先の戦いで死んだ。今の君は、深海側の長門となっている」

 

 艦娘としての長門はもうそこにはいない。黒い髪は相変わらず長髪のままだが、前髪は中心で交差するような独特なものとなり、左の額から一本の湾曲した角が生えている。その深紅の瞳はより深い色合いを増し、両目ともに燐光を灯らせている。

 膝を抱え、ポッドの中で浮いている状態のままだが、星司やアンノウンの視線に臆することなく、堂々とした雰囲気を維持しているのは、長門だった頃の性分を失っていない表れと言えよう。

 

「身体はもう深海のそれだ。ならば、次はその心、精神もまた深海のものとなるだろう。果たしてどこまでその気質が維持できるのかな?」

「挑発のつもりならば、残念ながら乗る気はない。染まろうが染まるまいが、私は静かに、あるいは派手に消え去ろう。私をこのまま調整し続けたとして、お前に得はない。さっさと殺した方が身のためになるだろうよ」

「…………」

「気づいていよう? 私はどうやらまだ持っている。これがお前たちにとってのガンになることは明らかだ。それによって自陣を破滅させたくなければ、今のうちに殺しておくのだな、私を。そうすれば後悔することはないだろう」

「本当に、色々と癪に障るね君は。だが、それでも僕は君を用いて、呉を次こそ壊滅させると決めている」

 

 長門の言葉に、何度かその瞳が明滅し、頭を何度かガリガリと掻いたが、まるで自分に言い聞かせるような言葉に、アンノウンは静かにため息をつき、長門もその瞳に憐れみのような感情を忍ばせた。敗北を重ねた彼にとって、どのようにして呉を落とすのか、その目的にすがっているように思えた。

 まさに妄執だ。自分を突き動かす歪みの衝動にとり憑かれている。その手段の一つとして自分が利用されようとしていることに、長門は苦々しい感情が浮かぶのだが、じわりと頭痛が響いている。

 気を抜けば、自分の意思が沈みかねないような感覚。どうやら星司の言う深海の力とやらが、自分を蝕んでいる影響なのだろう。もしかするとそう遠くない時間、自分の意思は沈み、深海側の自分が生まれるかもしれない。そうなれば、深海長門として星司の手先として動くことになる。

 それだけは何としてでも避けたいところだが、思うように体が動かない。顔は動く。目や口は動くのだが、あまり力が入らず、手足が動くことがない。これでは自殺することすらできないだろう。

 

「まあいい。君の調整は問題なく進んでいる。素体ができたのだから、後は艤装をどのようにするかだね。では、いったん長門を置いておき、翔鶴の完成に移るとしようか」

「……翔鶴?」

 

 視線を移せば、工廠の奥から歩いてくる人影が一つ。銀色に近しい白髪の長髪に、カチューシャのようなものを付けた女性だ。肩を出した黒を基調とした縦セーターに、黒のオーバーニーソックス、そして三弾に分かれた黒のブーツと、髪や肌の白さに反し、身なりは全身黒一色である。

 ぼうっとしたような赤い瞳を軽く長門に向けたが、何も言わずに星司へと視線を移した。星司は彼女に向けて「では、艤装展開」と指示する。命令に従って軽く右手を薙ぐと、傍らに赤い雷光が発生。何度か閃光を走らせながら、そこに何かが出現する。

 サメの頭部のような巨大な顔の魔物が浮かび上がるそれは、いつか見た空母棲姫の艤装の魔物に酷似している。だが空母棲姫のものと比較すると、一対の対空砲に加えて機銃らしきものが装着されている。魔物を中心として左右に分かれた黒い飛行甲板には、赤いラインが三本走り、二基のスクリューも装着されている。

 星司は艤装と翔鶴と呼んだ女性との相性、調子をくまなくチェックしている。手にしているタブレットらしきものと、艤装の様子を何度も比較しており、恐らくそれが最終チェックなのだと察せられる。

 

(翔鶴、つまり空母型? だがあれは空母棲姫よりも更に上。この間、空母棲姫を出したばかりだというのに、もう上位種を生み出したというのか?)

 

 あまりにも速いペースに冷や汗を流すが、その様子を気取られたのか、アンノウンがじっと見上げている。長門もそれに気づき、アンノウンと視線を合わせると、どういうわけかにやりと笑みを浮かべられた。

 

「不甲斐ない? 新しい個体の誕生を目の当たりにしながら、何もできない自分ってやつが。ま、しょうがないさ。お前は今、深海側に堕ちていく存在。見た限り、今だってゆっくり侵されている。そんなお前に何ができるってんだぁ?」

「…………っ」

「ボクに殺され、こんな所に堕とされ、死ぬこともできないままってやつさあ。長門は沈まない、だったかぁ? そうだなあ、沈まない、ここで終わらない。終わらないからこその苦しみを味わえ、長門。その果てにどうなるのか、お前を殺した責任ってやつで見届けてやるよ」

 

 子供のような見た目で、精神を逆撫でするように笑いながらアンノウンは言う。そうして長門を煽るのは、怒りを誘って心の守りを崩そうという意図があるのだろう。歯噛みしながら長門はそれを耐える。そうしながら、何とか手足が動かないかと試したが、どうやっても動くことはなかった。

 そうしている内に、「完成だ」と星司が告げた。アンノウンと長門もそれに反応し、星司の方を見やると、「新たなる空母、翔鶴モデル、ここに成立した」と笑顔で宣言する。それにアンノウンはいいことだ、と拍手して頷いている。

 

「で? その翔鶴を実戦投入はすんのかあ?」

「さて、どうしようか。今は戦うよりも長門も完成させつつ、戦力補強に努めたいところだね。戦力の小出しはできない。確実に呉を落とすために、ひたすらに開発を進めたい」

「そうかい。じゃあこの情報はいらないか」

「ん? 情報?」

 

 と、小首を傾げる星司に、アンノウンはこれまで黙っていたあのことについて話し出す。

 

「パラオ泊地ってあるだろう? あそこに着任したっていう新人提督の名前がさあ、美空香月って名前らしいんだよね。あんた、知り合い?」

「――――」

 

 可愛らしく小首を傾げながら問いかけ、しかしその瞳はじっと星司の表情を捉えて離さない。その僅かな感情の揺らぎすら見逃さないという風に。そして星司も、美空香月という名前に反応し、僅かに目を見開き、息を呑んだ。

 知っている。その名前は知っている。

 忘れていたけれど、今の自分ならばそれがわかる。

 血を分けた弟だ。それがパラオ泊地の提督に?

 

「――そうか、それくらい時間が過ぎていたか」

「知り合いみたいだねえ?」

「ああ、そうだね。そうか、香月がパラオに……そう、そうか……」

 

 と、ふらりとアンノウンから離れ、工廠にあるコンソールへと向かう。手を滑らせ、何らかの操作をすると、モニターに映像が表示される。そこには、作業をしているらしい深海吹雪が映っていた。

 深海吹雪もモニターに気づいたようで、「ん? どうかしましたか、南方先輩?」と、星司を見つめる。

 

「吹雪、君は実戦を求めていたね?」

「ええ、実戦に勝る経験の積み重ねはありません。それが?」

「なら、パラオ泊地を攻め落とすというのはいかがかな?」

 

 その提案に、深海吹雪は目を細め、アンノウンは楽しそうな笑みを浮かべた。長門もポッドの中で目を見開き、「何の――」と叫びかけたが、アンノウンの目に強く光が灯り、尻尾の艤装が吼え、長門に力が注ぎ込まれた。

 

「黙ってな、いいところだからさあ」

 

 と、そっと口元に指を当てつつも、爛々と輝く目を長門から星司へと向ける。星司の提案を受け、深海吹雪は考える。ソロモン海域からパラオ泊地へと攻め入ることに、少しの疑問を感じているようだ。

 

「ラバウルではなく?」

「パラオは提督が今年着任したばかりでね。しかも新人だから、それほど戦力は育っていないだろう。育っていたとしても、今の君たちならいい感じに戦えるものと推測される。戦いの経験を積むにはいい相手だと思われるよ」

「そう言われれば、多少の納得はできますが、もう一つ気になる点があります」

「何かな?」

「パラオと言えばあなたから見て西にある。トラック泊地が途中にありますが、あなたからの方が攻めやすいでしょう。実戦経験を私に積ませるためとはいえ、あなたからすればより容易に落とせる拠点でしょう。私に譲るのですか?」

 

 今の深海吹雪が保有する艦隊でいい感じに戦えるレベルならば、星司が保有する艦隊ならいとも簡単に落とせるのではないか? ならば自分がやるより星司がやり、深海勢力に貢献すればいい。そう深海吹雪は語る。

 だが星司は首を振る。自分ではなく、深海吹雪がやればいいと、再度告げるのだ。

 

「君の艦隊が成長することが肝心だ。それに今の僕は先の戦いで戦力が減っている。確実に攻め落とせる保証はない。ならば君の実戦経験を増やす機会を与えた方が、その先に繋がるだろう。あと、僕にも得るものはある」

 

 と、近くにいる翔鶴を示す。「翔鶴モデルが完成した」と紹介し、

 

「この子を君の戦力に加える。どうか役立ててほしい」

 

 コンソールを操作して翔鶴のデータを転送すると、内容を確認した深海吹雪が驚きに目を開く。すでに共有されている空母棲姫のデータと比較して、明らかに全ての能力が高いのだ。これだけのものを、この短期間で完成させたのかと、星司の腕の良さに感嘆の声が漏れる。

 

「そちらで建造すれば、翔鶴をそちらで運用できるだろう。いかがかな?」

「翔鶴……空母ですか?」

 

 空母を譲られるという点に、深海吹雪は少し思うところがあるらしい。長門やアンノウンも何となく深海吹雪が気になる点に気づいているようだが、星司は気づいていないようだ。だが、長門はそれを指摘する気はないし、アンノウンも面白そうだと笑みを浮かべながら沈黙。深海吹雪は言おうか言うまいか考えたが、先輩である星司の顔を立てることにしたのか、それを飲み込んで頷いた。

 

「わかりました。では、ありがたく頂戴し、パラオ泊地に襲撃をかけましょう。私ももうすぐ春雨モデルが完成しますので、それらの準備が整い次第行います」

「了解した。健闘を祈るよ、吹雪」

 

 敬礼する吹雪と通信を終えると、今まで黙して様子を見守っていたアンノウンが、高らかに笑い声をあげる。本当に面白く、そしておかしく感じて、アンノウンの瞳から小さな雫が零れるほどだ。

 

「いやぁ、残酷だねえキッヒヒヒ! うんうん、とても人間らしいじゃないの、なあ?」

「そうかい?」

「ああ、確認だよ、マスター。美空香月って、あんたの何なんだい?」

「弟だよ」

「そうかい。そんな弟を自分の手ではなく、吹雪に殺させるのか。さすがに自分の手で肉親の血で汚したくはなかったってかい?」

 

 その言葉に、少しだけ星司は瞑目する。

 自分の手で香月を殺したくはないか、そう言われれば確かにそんな気持ちはある。だが、それでもパラオ泊地を襲撃するのは、自分ではなく深海吹雪がいいという気持ちは揺らがない。

 彼女の実戦経験を積む丁度いい相手だし、出来上がったばかりの翔鶴のデータが取れるいい機会でもある。自分が動かないのは、呉との決戦のためにあまり動きたくないからというのも本当だし、戦力を温存したいという気持ちも本当だ。

 でも、パラオ泊地を攻め落とすのを決めたのは、あそこに香月がいると聞いたからだ。そう決めた理由は、

 

「――そうだね。さっさと消えてもらった方が、後顧の憂いがなくなる。自分で殺さなくて済むという憂いがね」

 

 深海勢力の勝利のためには、全ての拠点を潰すのは揺るがない。ならば、提督になった香月はいつかどこかの機会で死ぬかもしれない。どこかの海域で出会うのか、あるいは何も知らないままパラオ泊地を攻め落とす時に知るのか。

 いずれそうなるのだから、今、この時消えてもらった方がいい。自分ではない誰かの手で死んでくれた方が星司としては気が楽だ。こうして気持ちを動揺させる要素が生まれたなら、早いところ排除した方がいい。

 丁度よく、深海吹雪が戦いを求めているのだから、彼女をけしかけたらいい。彼女にとって得にもなるし、一石二鳥だろう。それが星司の考えだった。

 

「香月とは二度と会うことはないだろうと考えていたからね。こんな自分を見たら、香月と色々と面倒ごとになりそうだ。なら、僕が行くより吹雪がやった方がいい。そうだろう、アンノウン?」

「ま、そうだろうねえ。人間ってものはそういうものかもしれない、うん。でもそうかあ、弟ねえ。ちょっと興味が湧いてきたなあ」

「行くのはやめてくれよ。君が行ったら吹雪の経験にならない。色々と滅茶苦茶に壊して終わりそうだ」

「はいはい、今回は我慢しときますよ」

 

 手をひらひらとさせて工廠を出ようとしたが、ちらりとポッドの中にいる長門に目を向け、「……そう時間もかからなそうだ」と、ぽつりと呟き、退出していった。星司も翔鶴に「じゃあ君も他のみんなに紹介しよう」と、先導して案内していく。

 残されたのはポッドの中で膝を抱える長門だけ。しかしアンノウンによって口をつぐまされ、成り行きを見守るだけになってしまってから、より頭痛がひどくなっていた。アンノウンの力による影響か、より深海の力による浸食が強まったように思える。

 胸には意識を得てから感じる光の力が生きてはいるが、それにはこの深海の力をどうこうするようなものはない。ただ静かにそこに在るだけの力であり、長門を救うものではなかった。

 

(もうすぐ、私も消えるのか。……すまない、提督、神通。もう戻れそうにはないようだ)

 

 死んだと思っていた自分がこうして海の底で再び意識を得ても、蘇る希望にはならず、苦しみが続くだけ。何とか耐え続ければ道は開けるかと思ったが、それもない。命を絶とうにも、体が動かないようではどうにもならない。今の長門にできるのは、完全に堕ちた自分が大きな被害をもたらすことがないようにと祈るしかない。

 

 それから数日、耐えに耐え続けた長門。時折立ち上る泡の音が、静かに闇の中で響く中、長門の意識も落ちていく。

 沈む、沈む、沈んでいく。

 まるで撃沈されたかのように、暗い闇の底へと堕ちていくような感覚。かつては艦として、今は艦娘として撃沈されたのに、また意識が消えていく。抵抗する力はもうない。闇に抱かれるように、闇と泡の中に消える、そう思っていたのだが、ふと奇妙な感覚があった。

 おぼろげな感覚の中、どういうわけか沈む闇の中に、小さな暖かさがあるような気がした。それが何かは、思考する気力もなくなっていた彼女にはもうわからない。でも、冷たく暗い闇よりは、そちらに落ちた方がいいと、無意識に思ってしまった。

 すると、緩やかに沈む感覚が、その小さな暖かさに引きずられるように、そちらに流れていくような気がした。それでも長門の意識は消えていく。でも、ようやく終わりを迎えられるのならと、小さな笑みが唇に浮かび、艦娘としての長門は再びここで終わる。

 空虚になったその体は、ポッドの中で動かなくなる。だが、空虚になったからこそ満たされるものがある。長門を塗り潰していく赤黒い力の波長。より強固に、黒く染まる左の一角は艶やかに闇に光り、その体には漆黒のドレスが纏われる。肩から胸の上部まで露出した艶やかなドレスは、まるで死装束のようだ。

 蝕み続けた深海の力は、骸となったその体に蓄積し、静かに脈動を繰り返した。小さなそれは胎動の如く、少しずつ存在感を示すかのように大きくなっていく。もうすぐ生まれるのだと主張するかのように、新しい意識が蠢き始めた。

 その骸にあるべきはずの魂は消えた。空いたそこを埋めるのは、別の魂であるべきである。外から持ってくる、あるいは何かが入り込む余地はあったかもしれないが、もうそれを埋めるべきものは、自分がそれになると主張し始める。

 動かない体に再びエンジンをかけるかのように、骸を満たしている深海の力が、オイルの如く熱を持つ。それは循環し、より生れ落ちるべきものに力を注ぐ。それに応えるかのように、どくん、どくんと心臓のように音を響かせ、緩やかに自己を確立させていく。

 見ていた。それは、全てを見ていた。

 深海の力が満たされていくたびに、再び目覚めた長門の目を通じて、それは記憶する。同時に、艦娘だった頃の長門の記憶も共有し、それは自身はかつてはそうであったのだと理解する。

 しかし、それは艦娘として行動することはない。艦娘だった長門の記憶は、自分がこれから行動するための糧でしかない。かつてはそういう道を通ったのだと振り返るだけのもの。その先へと進む道は、自分で決める。艦娘ならばこう歩んだかもしれないという、その先の道は、それにとっては脇道でしかないのだ。

 作り上げられた道を糧に、満たされた力を掌握し、闇の中で目覚める。

 目を開けば、先日の長門よりも深く、鮮血に似た色合いの燐光を放つ。そんな彼女を見て、星司とアンノウンは笑みを浮かべる。

 

「おはよう、長門。気分はどうかな?」

 

 その問いかけに、彼女は静かに応える。

 

「――悪くはない。ようやく、わたしも、らしくなったと言うべきか」

 

 と、今まで動かなかったという手足をゆっくりと動かす。がちがちに凝り固まっているその体を動かせば、軋むような音を響かせ、しかしそれを意に介した風もなく、彼女は星司が止める間もなく、ポッドを手で突き破った。

 割れた破片が腕に刺さるが、それすらも気にした風もなく、軽く手を振ってそれを振るい落とす。濡れた髪をかき上げ、じろりとアンノウンを見下ろすが、アンノウンは笑みを浮かべたまま、彼女を睨み返した。

 

「耳障りな頭痛、ざわつくノイズもなし。ここに、改めてわたしは新生した。お前の望む新たなる戦艦モデルとやらの素体、ここに完成を迎える。気兼ねなく、わたしの艤装制作に励むがいい」

「そうさせてもらうよ。思ったより、早い終わりにはなったけれど、まあいいだろう。おめでとう、長門。歓迎しよう」

 

 と、手を差し伸べるが、深海長門はそれを一瞥するだけで、手を取ることはなかった。もう一度アンノウンを見下ろし、小さく息をついて工廠を無言で退出する。かと思いきや、肩越しに振り返り、

 

「寝床はそこで構わない。用意ができたら呼べ」

「……ん? 寝床って、ここ工廠だけど」

「わたしが構わないと言っている。そこなら、色々と見えるものがあるからな。今まで通り、観察させてもらう。お前の作業とやらをな」

 

 その言葉に、アンノウンは何かに気づいたように、どこか面白そうに笑った。どういうことかと首を傾げる星司に、「せいぜい気を付けるこったなぁ」と腰あたりを何度か叩いて、深海長門の後を追った。

 工廠に居座り、作業を観察。

 そうする理由は何かを考えると思い浮かぶのは一つぐらいしかない。先日も長門は言っていたではないか。自分を生かしていても意味はない、ガンにしかならない。

 それはすなわち、いずれ星司を殺して乗っ取る可能性があるということだろう。アンノウンはそうはさせまいと、深海長門の近くにいるつもりなのだろうか、彼女の後を追っていった。

 自分の妄執のせいとはいえ、自分はろくでもない戦力を加えたかもしれない。だが、それを承知の上でやったことだ。上手く飼い慣らし、呉との決着に向けて動き続けるだけだ。思った以上のガンになるかもしれないが、予定に大きな変更はない。

 あの深海長門に合う艤装制作に取り掛かる前に、休憩しながら長門の寝床の用意をしておこう。とりあえずそうしなければ、目覚め早々から裏切られかねない。あの気質なら、恐らくそうするだろうと、星司はいそいそと動きだした。

 



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広がる技術

 

「Burning Fire!!」

 

 ぐっと拳を握り締め、狙いを定めた一撃が主砲から発射される。気合の入った掛け声の通り、勢いよく放たれた弾丸は、今まで以上の速度を以てして標的へと迫り、着弾、炸裂する。榴弾らしい爆発と、燃焼物がまき散らされ、勢いよく炎上する様は、今までの榴弾の一撃とは威力が比べ物にならない。

 これが訓練の成果。トラック泊地の金剛の成長の証である。双眼鏡越しに確認した茂樹も、その一撃に破顔し、金剛を称えるように拍手する。改二になってスペックが向上したことで満足していたが、青の力という更なる伸びしろを示された。金剛もそれを確認し、自分はまだまだ成長できるのだと笑い、訓練し、その成果があれだ。姉の一撃を目の当たりにした比叡も、「さすがですお姉様! 見事な砲撃です!」と拍手して自慢の姉を称えている。

 標的の消火が済み、新しい標的を用意されたところで、「さあ、比叡。あなたもやってみるネ」と金剛が促す。

 

「では……ふん! 斉射ッ!」

 

 放たれたのは榴弾ではなく徹甲弾。だが、主砲に纏われた青の力のサポートを受け、その加速度は凄まじい。敵を貫く重く鋭い一撃は、標的を速やかに撃ち抜いてしまった。榴弾のような派手さはないが、その一撃の重さが徹甲弾の力だ。硬い装甲をも貫き、その内部にある機構にさえダメージを与える。当たり所が悪ければ、爆発物に刺激を与えて爆破させてしまう程だ。

 狙いを定め、発射する時間も早めれば、その鋭い一撃が相手にとって奇襲となるだろう。遠方からこの一撃を放てれば、良い先制攻撃となる。茂樹はそれを実現させてくれそうな比叡の射撃に、満足そうに頷いた。

 そんなご機嫌な様を見て、秘書艦である加賀も静かに口を開く。

 

「満足そうですね、提督」

「そりゃあな。いい感じに力を得てきているのは喜ぶべきことさ。加賀さん、お前さんもそうだろう? 色々と打ち方を試しているじゃないか」

「そうね。呉や佐世保の先例に、深海側の攻撃と、参考にするものは幸いにも複数あります。その中から、私なりの方法をまだ模索している途中です。実戦で使えそうなものを絞り込めればよいのだけど」

「そうかい。俺なりの案を提示すると、そうだなあ……艦爆や艦攻に何らかの力を特化させるってのもいいと考えてるんだが、どうかな?」

 

 青の力はまだまだ不明な点が多いが、確かなことはそれぞれの攻撃にはより威力や速度を高め、防御にはより硬さを増す。艦載機なら速度を上げ、敵への到達時間を縮めることで、攻撃や帰還の時間短縮に使えそうだ。

 だが茂樹はそれだけではない点に注目していた。

 

「例えばより敵の設備などを破壊する力を高められるとかね。機関を破壊するといった一面を特化させれば、敵主力の足を奪い、一気に攻撃を畳みかけられると考えられないかい?」

「それはまた限定的な力の特化ね。単純に威力を高めるだけではなく、機関への特効の力を高めると? それは最早、概念の付与ね」

 

 一定の条件さえ整えれば、攻撃の威力を高められる特効の力。青の力とやらでその条件に反応させるには、まさしく妖精がもたらすファンタジーやオカルトの力が必要不可欠といえる。

 攻撃を中てた場所が条件ならば、その判別は科学で実現させるのは果てしなく難しい。だがオカルトの力で条件に紐づけるならば、判別はもしかするとできるかもしれない。条件の設定と効果の発現、それを両立させる概念の付与。それができれば間違いなくより深海棲艦に対する大いなる武器となるだろうが、どうやってそれを実現させられるかが問題になるだろう。

 加賀がこの概念の付与に関する例を考えたところ、いつか読んだ一つの戦いについての記述を思い出した。

 

「あれかしら? 記録によれば欧州の空母、アークロイヤルの放った艦攻がビスマルクの舵を破壊したとか。そういう話でしょうか?」

「ああ、概念の付与……そうなってしまうかい。ははは、妖精の力を借りるものとはいえ、概念の付与なんて、そこまでいったら摩訶不思議どころじゃねえな。オカルトを通り越して魔法の域だな!」

 

 自分で例を提案しておきながら、冷静にそう返されてしまっては茂樹も笑うしかなかった。だが、内容としては悪くはない着目点ではある。艦娘という人型になったことで、舵というものはなくなった。自分の意思で航行するのだから、舵を切るというものは想定しない。

 その代わり、艤装の足はある。深海棲艦の艤装で言えば、一部の鬼や姫はあの魔物に騎乗する形で航行している。ならばあの艤装の足を奪えるような一撃を放てば、文字通り棒立ちになる。

 ミッドウェー海戦で猛威を振るった空母棲姫、その戦力を大きく削ぎ落せるならば、悪くはない狙い方といえる。欧州、イギリスの空母の一つ、アークロイヤルに倣うならば、艦攻にそういった力を与えれば、この攻撃は成り立つだろうか。加賀は手にしている流星をじっと見下ろしていた。

 

 

 横須賀鎮守府に移動した呉と佐世保のメンバーは、横須賀艦隊と演習を行っていた。今は佐世保と横須賀の艦娘同士がぶつかり合っており、それを湊と北条が見守っている。凪は横須賀の工廠におり、横須賀の明石の作業を見守っている。

 凪と呉の明石の力により、横須賀の装備の調整を進める予定だったが、ここで北条は仮に凪たちがいなくなっても、横須賀の明石だけで何とかする方法はないかと問いかけた。それに対する回答として、凪は呉の明石が蓄積した経験をアップロードできるかを試した。

 艦娘のデータが蓄積されるデータベースは各鎮守府の工廠にある。そこから明石のデータにアクセスし、呉の明石の経験を追加し、それを横須賀の明石へとダウンロードできるかどうかをテストした。初めての試みであり、事前に美空大将への許可を仰いだが、彼女からも提案の内容を確認してもらい、許可をもらった。

 ダウンロードの結果は、上々だった。横須賀の明石に、呉の明石が蓄積した装備の調整経験が追加され、呉でやっていたような作業をこなすことができるようになったのだ。どのようにして調整するか、艦娘ごとにどう合わせていくのか。こうした観察眼と調整技術、そして装備の強化方法など、装備の面から艦隊強化を図る技術が、呉から横須賀へと瞬時に伝えられたのだ。

 凪が今もついているのは、不備なく装備をいじれているかどうかを確認するためだが、今のところ問題はない。ならば横須賀だけではなく、他の鎮守府全てにいる明石にも、アップロードされたデータをダウンロードすることで、それぞれの鎮守府で装備の強化を図れるだろう。

 

「これだけの技術をもう培っているなんて、呉の私ってどれだけこれをやったんです?」

「んー……結構やったね。暇があれば工廠に篭ってるからね」

「そうなんですね。……あ、ここはもう大丈夫です。提督のところに戻っていただいてもいいですよ」

「そう? 何かあれば呼んでくれて構わないから。ごゆっくり」

 

 会釈を一つし、工廠を後にした凪は一息つく。これで呉の明石から始まる新しい技術革命が各地で起きるだろう。自分が好きでやっていたことに明石が付き合い、蓄積されたものが他の鎮守府で活きる。

 凪としては別にそういった結果を想定してはいなかった。ただ純粋に好きなことをしていただけだった。それがこんな結果をもたらすとは、人生何が起きるかわからないものだ。

 これもまた一つの成果として評価されるのだろうか。海軍の地位などの見返りを求める性分ではない凪はそれを考えると、少しばかり気が引けてしまう。

 湊と北条がいる浜辺へと戻ると、置いてあるタブレットを手に取り、データを確認する。自分の艦隊のデータを再確認する中で、これまでの訓練によって会得した技術などに目を通していった。

 ちらりと視線を上げて浜辺の一角を見ると、呉の艦隊が集まっているのが見える。その一人、ビスマルクが大和の指導の下、力を行使している様子だ。ビスマルクの向上心は相変わらずで、青の力に関しても積極的に教えを請っている。

 そのせいか教えている大和も、ビスマルクが気付けばすぐ後ろまで迫っていることを実感しているようで、先日もこのようなことを言っていた。

 

「ビス子、本当にすごいわね。あそこまで急成長できるのかって、びっくりしていますよ」

「そこまで? 君も長門に急激に迫ったように思えるけども」

「そう言われると面映ゆいですが、……そうですね、私と同じか、あるいは……。青の力という特異性もあるから、もしかすると私と並ぶ日もそう遠くないかもしれません」

「素直に認めるんだね。でも、そうだね……こうしてデータで見る限りでも、君の言葉通りな気がするよ。それに聞くところによれば、美空大将はビスマルクのその先を完成させる日が近いとか」

「それはそれは。私のところから巣立ち、主力艦隊へと配備された甲斐があるというものです」

 

 微笑を浮かべる大和。彼女本人に対しては色々と煽ったりしているが、本心としてはここまで食らいつき、成長していることを喜んでいる。自分が育てたということも相まって、思い入れも強いだろう。

 実際にビスマルクの改装が実装されるならば、もちろん可能ならば行うところだ。長門の穴を埋めるために主力艦隊に転属させ、山城たちとの連携も少しずつ良くなってきている。この早さも、ビスマルクの生真面目な性格が活きていた。

 主力艦隊の穴埋めに関しては、大和を動かすという采配もありえたが、主力艦隊と大和の第二水上打撃部隊を分けて行動させるというのも悪くはない選択だった。そしてビスマルクが抜け、そこに陸奥を据える。扶桑率いる第三水上打撃部隊に関しては、新たな戦艦を迎え入れるか、あるいは別の艦種を据えるかは、この先の新人次第ということで調整を終えた。

 タブレットへと視線を戻し、どうするかを考えていると、夕立が凪の近くまでやってきて、屈みこむようにしつつ顔を覗き込んできた。だが凪はタブレットに映る情報に目を通して考え込んだままだ。

 すると夕立が凪の傍らに座り込み、膝へと顎を乗せていく。そんな彼女の行動に意を介していなかった凪だったが、無言のまま夕立の頭や頬、喉へと手をやり、撫でまわしていく。まるで構ってほしい犬か猫に対する扱いをしているのだが、撫でてもらっている夕立は目を細めて喜びを前面に出した反応を示しており、完全にペットのそれである。

 こうしてゴロゴロしている夕立も今ではもう最高の練度に達しており、青の力も習得してより戦力を高めている。戦場に出れば頼もしい存在として活躍する一水戦の主力だ。

 

「夕立ちゃん、そんなところにいては司令官のお邪魔になりませんか?」

「んー? 別に大丈夫そうっぽい」

 

 そう言って窘めにきたのは改二を施された綾波だった。改二になったことでより髪が伸び、ポニーテールの尻尾が長くなっている。顔立ちが少し精悍なものになり、身体的にも若干成長を感じる。そして装備として腰元に探照灯が追加されており、かつてのソロモン海戦の出来事を思い出させる。

 だが本人の性格は全く変わっておらず、穏やかでおしとやかな一面は崩れていない。おずおずと夕立を窘めているところから見ても、以前までの綾波のままだと感じさせられる。しかし能力で見れば、明らかに大きな変化がみられる。

 ソロモンの黒豹、鬼神の異名は伊達ではないと感じさせる火力面の上昇。短期で敵に大打撃を与えていった逸話に沿った強化が施されているのが見て取れ、夕立と並んで一水戦の戦果に貢献してくれそうな逸材になってくれることが期待できる。

 もちろん強化されたのは一水戦だけではない。他の水雷戦隊も順調に強化が施されており、加えて新顔も追加されている。期待されるのは五水戦に加わった酒匂だろうか。阿賀野型の末であり、呉の五水戦旗艦矢矧の妹だ。末っ子らしい非常に明るい性格をしており、時折妙な鳴き声を発するが、凪は特に突っ込むことなくスルーすることにしている。ついでに容姿の一部分についても、どうして酒匂だけああなったのだろうと、密かに首を傾げたが、そこもまた触れないでおくことにした。

 ミッドウェー海戦における戦いの傷跡は時間がたつにつれて回復し、艦娘たちは各々が前を向き、着実に力をつけてくれている。横須賀艦娘との演習も気合十分。それぞれが全力を出して切磋琢磨していた。

 

(青の力、か……)

 

 一度、一水戦全員がそれを解放した光景を見たが、あれを思い返すと艦娘と深海棲艦が表裏一体という説もあながち間違いではないと思わされる。一水戦のメンバーが両目から燐光を発し、各々が身構えて海上に佇む様。まさしくそれは深海棲艦の中でも、姫級や量産型の改型の目から発する燐光と何ら変わらない。

 今こうして膝の上でゴロゴロしている夕立や、やれやれといった表情を浮かべる綾波も、力を解放すればまさしく戦士の顔となる。以前よりも相手に与える圧を強めるその力。戦いに勝つためとはいえ、より遠い存在になってしまったような気持ちも浮かんでくる。

 それを払拭し、繋ぎとめるかのように、凪は静かに夕立を愛でる。こうして甘える姿は犬や猫のようで、年相応の女の子のようで、とても安心する。この日常を守らなければならないと思わせてくれる。

 ふと、いったん夕立から手を離してタブレットへと持ち替え、空いた手をひらひらさせて綾波へと「やる?」と問いかけてみる。

 

「え!? あ、えっと……じゃあ、せっかくなので……」

 

 あちこち視線を彷徨わせて色々考えた結果、恐る恐る座り込み、そっと頭を差し出してきた。その頭を夕立にしたよりも少し優しめに撫でてやると、最初こそ困惑が浮かんでいたが、静かに身を任せている内にとろけてきたらしく、ふにゃふにゃになってきた。

 綾波の変化に夕立も「うんうん、そうなるよね~」と頷いており、どうやら二人にとって凪の撫でる技術は十分お気に召すもののようだ。工廠でよく作業をしているせいで、一般的な男性の手より少々歪な点があったりするかもしれないが、それでも気に入ってくれていることに、凪は少し安心する。

 それからしばらく、片手でタブレットを操作しながら撫で続けることになったところ、どこからか遠くから様子を伺っていた艦娘たちが一人、また一人と集まり、情報確認どころではないものになってしまったのはまた別の話である。

 




所謂、各鎮守府での明石の工廠の始まり


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北条が語るもの

 

 横須賀鎮守府で過ごした夜、凪と湊は北条が主催する宴会に招待された。最初こそ凪はそこまでしてもらうわけにはと遠慮した。だが北条はぜひにと宴会を勧める。間宮だけではなく、伊良湖という艦娘も一緒になって料理を作っているようで、おもてなしの気合の入りようが違っていた。

 

「君たちには感謝の意を表したくてね、ぜひともお礼をさせてくれたまえ」

「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。私たちから演習をお願いしたのに」

「確かにそうだね。しかし先輩として胸を貸すつもりが、君たちからは色々と学ばせてもらっている。先輩後輩、年の差など関係ない。学ぶべきものがあるならば、誰からだろうと学ばねばなるまい。それに凪君、君からは明石のことに関してもお礼をせねばならない。だからこそ、こうして準備をさせてもらっているのだよ」

 

 提督をやっている期間は北条の方がかなり長いが、しかし弾着観測射撃などの技術はまだ習得していない艦娘が多い。ミッドウェー海戦でもそこに差ができていたのは記憶に新しい。

 それはやはりかつて日本海軍が二つの派閥に分かれており、二つの派閥の間でしっかりと技術などが共有されていなかったのが原因だ。それが取り払われた今、北条にも技術が伝わり、戦力強化へと繋がることとなる。

 ミッドウェー海戦による変化は良くも悪くも様々な面に影響を与えた。伝聞や印象でしか図れなかった北条も、このような人柄だったとわかったこともあり、交流も進むようになったのも好影響となっている。

 年上だとか、位が高いとか、そういったものを取り払い、学ぶ姿勢を忘れず、それを編み出し広めた凪たちに敬意を払う。そんな当たり前のような心構えをとる北条に、凪や湊も折れてしまい、せっかくならばと申し出を受けることにした。

 そして夜、用意された料理と飲み物を前に、艦娘たちがそれぞれ談笑しながら頂く宴会が始まる。凪も湊と北条と席を共にしながら料理に舌鼓を打っていた。その中で北条は色々な話題を提供し、会話も行っていたが、湊は多くは相槌を打つに留められていた。

 そしてふと、北条はワインを傾けた中で、思い出したように話し出す。

 

「そういえばこの間、サンディエゴのウィルソン提督と話したのだがね、どうやら深海の拠点を破壊したそうだが、耳にしているかね?」

「そのようですね。非常に興味深い話です」

 

 その話に凪だけでなく湊も興味深そうに頷いた。深海の拠点というのは、発見報告は滅多にない。海中から姿を現すことが多い深海棲艦の拠点となると、海底にあると予測されているためだ。

 人間にとって海中、深海は未知の世界だ。潜水艦の艦娘の登場により、捜索範囲は広がったものの、拠点発見の報告は相変わらず少なめだ。そんな状況は日本だけではなく、世界中で同様の状態になっている。

 だからこそサンディエゴ艦隊が深海の拠点を破壊したという話は、十分に驚きに値するものだった。

 北条から詳細な経緯を耳にし、凪と湊は考える。自然現象の霧の中に隠した拠点というポイントは、なるほどと頷けるものだ。それに加える形で深海の力という不可思議な要素を盛り込むことで、誰にも今まで見つけられずにいたというのも、まだ納得のいくものだ。

 侵入者を迷わせ、自分の拠点を発見させない手法というのは古来より行われているもの。それをよもや深海勢力がやろうなど、考えつかないものだろう。だからこそウィルソン提督は霧に巻き込まれ、中々先に進めないという点に注目し、何とか切り抜けられないかという点で捜索を行い、そして尻尾を掴むことができたのだ。

 

「サンディエゴ艦隊が撃滅したのは、中部というよりはアメリカ側により近いものでしょうか」

「アラスカ近くまで行ったのならば、アメリカ側を担当する深海勢力と考えられるだろうね。少なくとも太平洋一帯を勢力下においている中部ではなさそうだ。深海側の認識はどういうものかは、私たちにはわからないがね」

 

 となると、中部提督の拠点が潰れたわけではないだろう。太平洋ならどこに拠点を隠すかとなると、海底が有力候補になる。だからこそ今まで中部提督の拠点らしきものは発見できなかったのも頷ける。

 ソロモン海域で活動再開したと思われる南方提督の拠点も気になるところだ。活動再開に伴って、どこかに隠れた拠点を築いている可能性が出てくる。恐らく深山や茂樹もそれを想定し、動くだろう。見つかることを願うばかりだ。

 そして北方海域の北方提督は、先の戦いで姿を見せている。三笠と名乗り、自身も戦う存在であるということを示したことから、中部提督の美空星司と違い、深海棲艦から昇華した深海提督。その認識は共有されているが、目を掛けられている大湊の宮下は、未だに彼女の拠点を見つけられていない。

 もしかするとアラスカで潰された拠点と同じく、どこかの霧の中などに隠している可能性があるかもしれない。あるいは流氷などの中に隠している可能性もある。その捜索は、宮下とロシア海軍に委ねられることになるだろう。

 

「何にせよアメリカ海軍は、攻められるばかりではなく、一矢報いたという事実に沸いているそうだよ。報せを受けたノーフォーク海軍基地も、気合を入れなおし、欧州方面で跋扈する深海勢力を撃滅せんとしているそうだ」

「欧州……厳しい状況が続いていると耳にしていますが」

「うむ。イギリス、フランス、ドイツ、そしてアメリカ東海岸のノーフォークと、多方面を相手にしているのに、未だに尻尾を掴ませず、戦線を維持しているばかりか、それぞれの港に対しても攻撃を仕掛けているという話だ。赤い海が欧州海域に広まって数年、未だに消えないのだから末恐ろしいよ」

 

 赤い海は深海棲艦の力が満ちている証であり、常に深海棲艦にとって力を与え続ける環境といえる。かつての黎明期では欧州海域も優位性を取り戻したことはあったらしいが、数年前からはそれはなくなり、常に赤い海が大西洋一帯に留まることとなった。

 まるで鮮血のような赤が広がる海を前に、欧州の人々の心は折れかけていたが、しかし東方の日本海軍が少しずつ戦果を挙げ、欧州との連絡線を繋いでくれたこと。またノーフォーク艦隊というアメリカ海軍の助力や、サンディエゴ艦隊やパールハーバーの戦力も太平洋などで抵抗し続けていることもあり、ここで欧州戦線が折れてどうするのかと奮戦したようだ。

 その甲斐あって、シーソーゲームのような戦績を繋ぎ、それぞれの国の艦隊が補強しあうことで、何とか欧州の国は保たれているようである。

 

「欧州方面の状況はなかなかこちらには届かないがね、しかし最後に耳にしたものでいえば、状況はまた悪くなっているようだよ。こちらで見かけた新たなる深海棲艦も欧州に配備され、勢いづいているようだ」

「戦艦棲姫や空母棲姫などでしょうか?」

「恐らくはね。だがそれだけではない何かが、あそこにはいるらしい。霧の向こうから飛来してきたというエイの艦載機は、こちらでは見かけないだろう?」

「エイ? エイが飛んだの?」

 

 確かにシルエット的には飛んで滑空しそうな感じがするが、そんなことはない。だがミッドウェー海戦では新たに白猫艦載機と呼称された、新型艦載機を飛ばしてきた。最初がカブトガニ、次が白猫の顔だけのようなものときて、欧州ではエイ。カブトガニから白猫は全くわからないが、エイへと繋がるのならまだわかるかもしれない。

 

「それを放った存在って、確認できていない感じなのかしら?」

「艦載機として攻撃してきたため空母型の何かだとは思われるが、はっきりとした報告はまだのようだね。少なくとも姫級の何か、あるいは北方の三笠のような深海提督の可能性もある。この場合は欧州提督となるのだろうかね」

 

 何にせよ、太平洋の深海勢力が様々な新型を用意し、襲撃態勢を整えているように、欧州もまた戦いを経て戦力が強化されているということだろう。

 そんな深海欧州艦隊に襲撃され続けているというのが現状。拠点も見つかっていないため、終わりの見えない戦いを続けている欧州戦線が、末恐ろしく感じられる。

 

「欧州やアメリカでは日常的になっている襲撃だが、ついに我々もかつてのように鎮守府襲撃が発生した。ソロモン海域でも活発化しているようだし、もしかすると以後も我々は深海勢力による襲撃を受ける可能性が出てきたかもしれない。それに備えるために、基地防衛のための設備などが検討され始めているようだよ」

「アメリカでは砲門が基地配備されていると耳にしましたが」

「そのようだね。加えて航空機も試作されつつあるようだ。純粋な人の兵器では通用しないため、妖精の力を借りた上での制作物なら通用する。そこに着目し、試運転されつつあるようだよ。試作から完成に至れば、基地防衛はより強化される。そこからの人類反撃の道が見えそうだと思わないかね」

 

 空を往くのは空母から発艦される艦載機だけだが、ここに基地から発進される航空機も加われば、より人類側の攻撃の手が増やせる。より強力な武装を搭載し、超遠距離からの支援攻撃を望めるようになる。これによって新たな突破口が開ける可能性も出るだろう。

 そのため、試作段階ではあるが、北条は近日中にアメリカへと赴き、技術交換を行う予定とのことだ。日本海軍からも提供できる技術を以てしての技術交換を行い、お互いの海軍をより発展させる見込みである。

 と、色々なことを話したのだが、多くは当然というべきか、それぞれの鎮守府などの話になってしまう。せっかくの宴会だが、話題はこれらのことばかりになるのはやむなしだった。しかし凪と湊にとっては、国内のことだけでなく、アメリカや欧州の話というのは耳にする機会は少なく、北条から聞かされるのは新鮮だった。

 そう思っていたところに、「いやはや、酒の勢いに任せて色々喋ってしまったね」と、またワインを傾けながら苦笑する。

 

「いえ、興味深い話でした。欧州方面はあまり知らなかったもので」

「そうかね。では話題を変えるとしようか。そうだねぇ……次は君たちのことについて聞かせてもらえるかな」

 

 せっかくの宴会なのだから仕事に関する話はこれまでにし、少しプライベートに踏み込んだ話題へと切り替える。ミッドウェー海戦で知り合った間柄のため、お互いのことはまだよく知らない。

 この機会にお互いをよく知り、距離を縮めていこうという北条の意思をくみ取り、凪も酒に口を濡らし、これまでのことを振り返りつつ、自分のことについて話し始める。湊はあまり自分のことは話したがらなかったが、それでも合間合間に少しずつ会話に混ざり、自己紹介する。

 

「ああ、かの海藤迅さんの息子さんだったのか」

「やはりご存じで?」

「そりゃあ当時は色々と有名人だったし、何ならうちの先々代の提督でもあったからねえ。……うちの派閥では目の敵にされていたがね。私個人としては純粋に尊敬に値する人物だった」

 

 と、遠い目になったり、

 

「何だってそんなに手先が器用な息子さんに? 色々な事情が絡んでいたんだろうとは推測はできるが」

「趣味としか言えませんね。後は、煩わしいことを忘れて作業に集中できるからというのもありますか」

「趣味がここまで活かされるのもそうそうないだろうに。海藤迅さんといい、親子そろって何か持っているんじゃないのかい?」

「ああ、それはあたしも思いますね。凪先輩は何か持ってますよ。良くも悪くも」

「……悪い方だと思うんだがなあ……不吉なことが予測できるとか、そんなもの持っててもしょうがないと思うんだけどね」

「何それ詳しく」

 

 と、趣味のことを突っ込まれたかと思いきや、虫の知らせについて目を光らせたり、

 

「湊君は何か話のタネになりそうなものは?」

「ありませんよそんなもの」

「…………」

「……先輩は何考えてんです?」

「いや、うん……やめとくわ。アカデミー時代の話ぐらいしか俺はタネとして浮かばなかったけど、これは……ねえ?」

「賢明ね。語りだしたら殴ってでも止めるわ」

「何それ詳し……おっと、やめておこう。私は止まれる男だ。次の話題にいこう」

 

 尋常ではない雰囲気をした目に睨まれたことで、これ以上追及するのをやめておく。彼女にとってアカデミーでのエピソードはあまり触れられたくないものだろう。いくら酒の席とはいえ、いじっていいものと悪いものがある。

 そこで「じゃあ今の湊君は?」と踏み込んでみると、「……あたしから離れません?」と視線を逸らしてしまう。凪も腕を組んであらぬ方を見やり、北条はどことなくこれは面白そうな匂いを感じ取った。

 

「ふむふむ、少しばかり興味が出てきたが、いいか。希望通り湊君には触れないでおこう。ではそうだねえ、ここで私の若い頃のことなど――」

 

 と、この空気を変えるために自分のことを話しだす。ありがたいことだが、これは話が長くなりそうだと苦笑する凪。だが、こういうのも悪くはない。気を楽にし、余計なことを考えずに、誰かと飲み食いできる時間というのは大切だ。 湊も自分のことが触れられないならと、静かに舌鼓を打っている。

 離れた席では、艦娘たちの笑い声が聞こえてくる。各々も戦いのことなどを忘れ、この何でもないような時間を楽しんでいる。それはきっと彼女たちによって安らぎを与えてくれるだろう。

 美味しい食事と談笑が心のしこりをほぐしてくれるのは、人間と何も変わらない。この時間がきっと彼女たちにとって良いものになると願ってやまない凪だった。

 



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始まりは突然に

 

 装備の強化が各鎮守府に広まったことで、それぞれの鎮守府の明石が、それぞれの鎮守府の艦娘の装備を次々と強化、調整を行う日々となる。鎮守府に一人明石がいるなら、どこでも装備強化の恩恵が受けられ、各鎮守府で共有された戦闘技術の訓練に加え、装備調整までかけられたことで、目に見えて日本海軍の艦娘の戦力は向上する。

 ネットワークを通じて明石の強化が施されたことにより、国内だけではなく、トラック泊地やパラオ泊地などにも、明石のもたらす装備強化を享受できる。ここ、パラオ泊地でも工廠で明石が艦娘たちの装備の調整を行っており、強化された装備を受け取った艦娘たちは、その変化に驚きを隠せなかった。

 単純な威力の向上だけではなく、命中精度が良くなったり、純粋に使いやすくなったりと、扱いやすくなったことで変わるものもある。そうした艦娘たちの喜びの声を聞いた香月は、この明石の強化を施す元となった人物、海藤凪について思いを馳せる。

 今年の春、パラオ泊地へと着任する際に同道した提督だ。去年呉鎮守府に着任した時から各地で成果を挙げているが、それ以前は母親である美空大将が抱える第三課で働いていたという。

 しかもアカデミーの卒業後に、望んで第三課に入ったのだから驚きだ。そんな彼が美空大将によって引き抜かれ、一年でこれだけの成果を挙げるなんて信じられない。しかも戦果を挙げるだけでなく、明石やその前に共有された戦闘技術も彼から広められたという。

 弾着観測射撃、青の力、明石の調整、色々と日本海軍に貢献しながら、彼は驕らず、自分のペースを崩さない。そんな人間を香月は知らない。いや、いるとするなら恐らく、兄である星司が重なるかもしれない。

 彼もまた自分の好きなことをしていたい性質であり、機械いじりが好きだった点も凪に重なる。しかし彼は香月が覚えている限り、幼少から自分から提督になろうとはしなかった。第三課に志願し、そしてそれ以降もずっとそこで働き続ける人間だった。

 だからもしも美空星司が提督だったらどうなっていたか、という想像に意味はない。星司だったら凪よりも上手くやる、このような成果を挙げているなどの比較に意味はない。

 あの日の言葉通り、第三課で過ごし、散っていった。いつかの日語っていた、「僕が作った誰かと会わせてあげたいものだ」という言葉は果たされない。あの有能な星司のことだ、生きていたら今は第三課でも上の地位を獲得し、艦娘開発に携わっていただろう。そうすれば彼がデザインした艦娘が配信され、それを香月が建造し、艦隊に加えていただろうに。

 その約束は果たされず、しかし星司にどこか似ている凪が広めた技術を取り入れる今日。意識せざるを得ない、海藤凪はどういう人間なのかを。

 

「…………なんだこいつ」

 

 配属されてから間もない期間で、泊地棲姫と遭遇し、撃破。その後は佐世保の越智とトラック泊地の茂樹と組み、南方棲戦姫を撃破。秋にはソロモン海域の平定の一助となり、その頃にはすでに今の艦隊の戦力は十分に固められていた。

 こうした戦果を挙げることと並行して趣味を活かして工廠に篭り、装備いじりもしていたとか。ただ艦娘の練度を上げ、指揮するだけではなく、こうした影の助力も微々たるものだが、戦果を挙げる要因の一つとなっていただろう。

 運はあったかもしれない。しかしこうした小さな積み重ねがあってこそ、呉鎮守府は戦果を挙げることができたのは間違いない。

 果たして自分は、あんな風にできるだろうか。星司を殺された恨み、復讐心で提督となった自分に、あんなことができるのか? 日々研鑽を積み重ねているが、呉鎮守府の海藤凪が辿った道に比べれば平穏だ。大きな実戦をこなし、大きな経験を積む機会がない。

 別に戦いを求めているわけじゃない。平穏なのはある意味いいことだ。しかし演習ばかりというのも暇に思えてしまう。

 要は焦っているのだ。

 星司を殺した深海棲艦、深海の勢力はどんな奴らなのか。そいつに対する復讐を成し遂げるには、強くならなければいけない。

 星司は南太平洋で死んだ。ソロモンへ向かう途中で死んだのだ。当時はまだトラック泊地やパラオ泊地はない。護衛していた艦娘の抵抗もむなしく全滅したという。深海提督とやらがいるならば、中部提督か南方提督か、どちらかが星司を殺したに違いない。大きな個体がなく、ただの量産型ならば、どちらかの海域一帯の深海棲艦を駆逐する。

 そういう気概で臨んでいるが、こうも何もないと焦ってしまう。ミッドウェー海戦からしばらく経った現在は10月末、変化があったのはソロモン海域がまた動き出したということだけ。しかしそちらはラバウル基地の深山が対処しており、香月が出ることはない。深山からも助力は必要ないという言葉がかけられており、今は大きな戦いに備えて力を蓄える時だとも言われている。

 一方南西海域、いわゆるフィリピン方面だが、こちらも大きな動きがない。あちらはリンガ泊地があり、瀬川という提督がいる。彼は茂樹や凪の同期であり、卒業とともにリンガ泊地へと着任したそうだが、南西海域だけでなく西方海域も担当しているようだ。

 たびたび西方海域に遠征し、深海勢力と艦隊決戦をしたことがあるらしい。去年は装甲空母姫率いる艦隊、今年はインド洋で小競り合いをしたとのことだ。また欧州から来る提督の出迎えや、欧州へと出張する艦隊の護衛もしているようで、西との繋がりを途切れないようにする大きな役割を担っているようだ。

 その割には茂樹が語る瀬川の印象が気になるところだ。

 何でも彼曰く、

 

「瀬川? ああ、あいつを一言で言ったら『バカ』だよ」

「バカ? でもアカデミーを卒業したんでしょ? それなりに優秀なんじゃねえんすか?」

「まあ、成績で言えば優秀かもしれねえな。でも、やっぱりバカだよ、あいつは」

 

 香月は知らないが、大湊に行った凪も、宮下からこう聞かされている。「主席はちゃらちゃらした熱い馬鹿、ラバウルにいったのは引きこもり。そしてリンガはリンガで肉達磨でアレな馬鹿」と。

 話したことはないが、一体どんな人物なのだろうかと気になるのだが、凪と比べるとそれほど大きな動きをしているわけではないため、よくわからない。

 自分と誰かを比較し、その結果として自分は劣っているのではないか、成果を挙げられていないということに、頭がいっぱいになっている。これは優秀だった兄を追いかけ、そして追いかける相手だった兄を失い、がむしゃらに走り続けてきた結果だった。

 目標だった人物を奪った敵が憎い、こうした感情に気持ちが集約。しかし念願の提督になったというのに、その敵と戦う大きな機会がないもどかしさ。敵の拠点でも見つかれば話は早いのだが、それもない。

 ついガリガリと頭を掻きむしりながら唸ってしまう香月に、「失礼します」と声がかかる。パラオ泊地の秘書艦、赤城だった。

 

「気持ちが荒れているところすみませんが、報告です。本日の朝の演習がすべて終わり、その結果をまとめてきました。目を通しておいてくださいね」

「……ああ。そこに置いといて」

「……ふぅ、やれやれ。そんなに戦果や成果を求めるのですか、提督? 戦いなどなく、平穏に過ごせていれば問題ないでしょう」

 

 報告書を机に置き、やれやれと嘆息した赤城はそう言うが、香月にとってはそれは苛立ちの要因でしかない。強く机を叩き、「それじゃああの人らにいつまで経っても追いつけねぇジャンかよ!」と叫ぶ。

 

「オレはな、一刻も早く一戦級の力を手にし、大きな作戦の中でも足を引っ張らずに戦えなきゃなんねえんだよ! ソロモン海域がきな臭ぇことになってんのに、オレは待機だと? 冗談じゃねえ! オレらも動き、原因究明することができれば、素早く解決できるだろうよ。でもそれができねえってことは、オレたちがまだよえぇってことだ。認められてねえんだよ!」

 

 ウェーク島での戦いを実際に見てきたからこそわかる。あの時戦っていた艦娘たちを思い出せば、自分たちの艦隊がどれだけ差があるかがわかる。加えてトラック泊地との演習でもまざまざと差を突き付けられている。その差を埋めることは、未だにできていない。

 弾着観測射撃や強撃を習得し、青の力も習得している艦娘がいないというのも、拍車をかけている。だが、トラック艦隊と比べるというのがそもそも無理がある。彼らは二年の月日を経験しているのに対し、パラオ艦隊はまだ半年だ。それで差を縮めようというのが気が早すぎる。

 でも、実戦を経験すれば、その差を大きく縮められるかもしれない。その願望を抱いているからこそ、香月は戦いを求めている。

 彼の叫びとその心境を察した赤城は、また嘆息一つつき、「そうして気をはやらせれば、痛い目を見ますが?」と窘める。

 

「急く気持ちは理解できます。……いえ、私は目標にされる側なので、追いすがる者の気持ちを完全に理解することはできないかもしれませんけれど、それでも、気持ちに寄り添うことはできましょう」

 

 一航戦というかつての海軍における両翼の一角、赤城。その実力は当時においては化け物級であり、敵国からも恐れられた存在だ。一航戦の兵士を目標にしていた人たちも大勢いたことだろう。

 でも、だからこそ追う側ではない。香月が抱えているものの全てを推し量れないかもしれないけれど、しかし赤城はそんな彼の秘書艦だ。焦ったからこそ失敗する可能性が生まれるならば、それを止めるのが彼女の役割である。

 

「冷静さを失ってはなりません。もどかしくとも、今は着実な一歩を少しずつ進める時です。大丈夫です。焦らずとも、チャンスというものはいずれ転がってくるものです。大事なのはそれを見逃さないようにすること。焦り、冷静さを失っては、そのチャンスすら取りこぼします。そうなっては、何も得ることはできませんよ。あなたもそれは本意ではないでしょう?」

 

 静かに言い聞かせるように、赤城はそう語る。その言葉に香月も少しずつ落ち着きを取り戻したのか、ゆっくりと深呼吸をし、「……ごめん、言い過ぎた」と小声で呟く。その様子に、「結構です。お茶にしましょうか」とにっこりと笑って準備をする。

 お茶を淹れ、香月の前に置く。香月もそれに息を吹きかけ、静かに口をつけたその時、

 

「ん? これは……」

「どうした、赤城?」

「――――敵襲ッ!! 大淀さん、警報を鳴らして!」

 

 通信をすぐさま繋いで大淀へと叫ぶ赤城の言葉に、香月も横を向いてお茶を吹き出し、「何ぃぃーーー!?」と叫んでしまう。次いで基地全体へと警報が鳴り響き、

 

「東南東より敵艦隊出現! 艦載機が飛来しています! 空母は迎撃機を上げて!」

 

 と、すかさず赤城が通信先へと指示を出し、基地からは大淀による放送が響く。

 

「深海棲艦が出現しました! 艦隊、戦闘態勢へ! 民間人は誘導に従い、シェルターに避難を!」

 

 そうした放送が繰り返される中、香月と赤城は執務室を飛び出し、指令室へと走る。移動中でも香月は赤城に聞かずにはいられなかった。

 

「おい、本当に襲撃が!?」

「ええ、巡回している偵察機より確認されています。敵は少なくとも機動部隊、水上打撃部隊、水雷戦隊と艦隊を組んでいます。……その中には、未確認の個体もいますね」

「間違いなく、ここを目指してるってのか?」

「はい。良かったですね、提督。戦いが、敵が向こうから来ましたよ? あなたが求めていたものが、都合よく転がり込んできた形です。考えられる最悪な形ですが」

 

 と、どこか冷たく、皮肉めいた声色で、赤城が言う。そのことに香月は、冷や汗とは違う何かが頬を流れるような感じがした。確かに戦いを求めていたし、深海棲艦との遭遇は求めていただろう。

 しかし、よもやここが襲撃されるなど想定していなかった。自分が着任する前も襲撃されていなかったという、比較的平和なパラオ。それが今、襲撃を受けようとしているのだ。

 求めていたものが向こうからやってきたことを喜んでみせろと、静かな赤城の瞳が語っている。それに対し、香月は瞑目し、拳を震わせる。

 

「……ハッ、素直に喜べやしねえよこんなの。悪かった、赤城。さっきは馬鹿なことを言った。許してくれ」

「結構です。では、できうる限りのことを致しましょう。私は出撃します。提督も、ご武運を」

「ああ、よろしく頼む」

 

 敬礼をし、赤城は基地の入り口から駆け出していく。香月も指令室へと急ぐように警報が鳴り響く基地内を走り抜ける。パラオ泊地への襲撃、それは下手をすればこの基地が壊滅し、自分もまた死ぬ可能性があるということ。

 いや、死ぬ可能性はどこだって変わりはしない。海上で指揮艦に乗船していたとしても、敵の攻撃が飛来したらそれで終わりだ。あちらに比べれば、こっちの方が死ぬ確率は低いかもしれない。

 でも、切り抜ける。いや、切り抜けなければならない。

 ここで戦果を挙げ、経験を積めば、茂樹たちに少しでも近づけるかもしれないのだから。そして死んだ兄である星司の仇を討つ、長い旅路の始まりでもある。

 

(兄貴、見ていてくれ。こっからがオレという提督の始まりだ!)

「やってやる……! 負けたらそれで終わり、背水ってやつジャンよぉ……! 逆に滾るシチュエーションじゃねえかこんちくしょうがよぉ!」

 

 自分を鼓舞するように、香月は吼えながら指令室へと飛び込み、

 

「オレは腹ぁ括った! お前らも気張っていけよ! 全戦力を以てして、パラオを守りぬくんだ!」

 

 と、通信を通じて艦娘たちへと檄を飛ばした。

 

 

「そう、いよいよ始まるんだね。頑張るんだよ吹雪。ぜひともパラオを落としてくれ」

 

 深海長門の艤装の制作をしながら、報告を耳にした星司はそう言った。彼の背後にはソファーベッドに腰かけ、じっと作業を眺めている深海長門がいる。工廠の入り口には、その二人が見えるように位置取って佇むアンノウンがおり、報告を終えて退出するソ級を見送っている。

 深海長門の要望通り、工廠には彼女の寝床としてソファーベッドが設置された。普段はあそこに座り、眠るときは背もたれを倒して、そのまま眠っている。背もたれに腕を回し、足を組んで座る様はどこか優雅だが、その眼差しは冷たく、無言でじっと観察する姿はどこか圧すら感じる。

 でも彼女はそれ以上何かをする様子を見せることはなかった。無言で、星司の作業の全てを観察するだけであり、攻撃を仕掛ける様子も、口を出す様子もない。それが逆に不気味である。

 そして星司は最初こそ見られていることに居心地の悪さを感じていたものの、何もしないならそれで結構とばかりに、彼女の艤装である魔物の制作に集中した。あらかじめ用意してあったラフ画、設計図に従ってできあがっていくそれは、戦艦棲姫の艤装に似ているが、魔物の進化の様子が異なり始めている。それが戦艦棲姫の武蔵モデルとの差になってくるだろう。

 その作業の中、アンノウンがふと口をはさんでしまう。

 

「いいのかい? 本当にパラオを攻め落としてしまってさぁ」

「何も問題はない。成功しても失敗しても、それが吹雪にとって良い経験になるだろうね」

「でもあそこにいるのは弟なんだろう? 人間ってやつは、あー……家族? そういうのって大事にするんじゃないのかい?」

 

 その言葉に、星司は手を止める。

 そう、家族だ。記憶を取り戻している今なら、香月がどういう存在なのかを理解している。でも、それがどうしたのだと、星司は作業を続行する。家族だからこそ、弟だからこそ、吹雪にとって良い経験値稼ぎをする好都合な相手なんだと、割り切った。

 

(香月、抵抗は程々にして、吹雪の手で死んでくれ。そうなってくれれば、僕としては非常に助かる)

 

 できることなら知りたくはなかったとは思う。その点でいえばアンノウンは余計なことを言ってくれたものだと思う。でも、知ってしまったのならばそれはそれでいい。昔のやり取りの通り、香月は提督を目指し、その目標を達成した。それは喜ぶべきことだ。

 でも、それは同時に悲しいことだ。深海勢力に属する今の自分にとって、香月が提督になるということは敵対するということなのだから。提督にならず、海軍の別の地位にあれば、戦うことはなかったというのに。どうして提督になるくらい頑張ってしまったんだろう。そんなことを思ってしまう。

 

(僕たちがパラオを攻め落とすのは心苦しい。僕の手で君を殺すなど、そのようなことを進んでやろうとは思わないさ)

 

 だから、と星司は静かに天を仰ぐ。その先にある海上、パラオ泊地を想いながら、彼は静かに笑うのだ。

 

「いつかどこかの戦場で、僕たちが出会うことがないように、今日、パラオで死ぬのが幸せなことだろう?」

 

 星司は香月のことを知っていても、香月は星司のことをまだ知らない。知らないままに終わることができれば、それはどれほど幸福なことか。無知ゆえの安らかな終わりを、星司はこの冷たい海の底で願わずにはいられなかった。

 




14秋は使われたBGMがどれも好きなやつ
難易度的にも程よいのも良かったです


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パラオ防衛戦

 

 飛来してくる艦載機に対抗するため、赤城たちが放つ艦載機が舞い上がる。先行して東南東へと飛行する艦載機に追従するように、パラオ泊地の艦娘たちが次々と海へと向かう。迫りくる深海艦隊の先行隊として、水雷戦隊が向かってくる。

 ならばこちらも素早く行動できる水雷戦隊をぶつけることにする。パラオ一水戦には香月にとっての初めての艦娘である、叢雲をはじめとする艦娘が所属していた。旗艦に阿武隈、以下五十鈴、叢雲、浦風、浜風、谷風という構成となっている。

 一水戦に続くように二水戦、三水戦も出撃し、向かってくるであろう敵水雷戦隊を迎え討ちに出る。その後に続くようにパラオ泊地の主力艦隊らも航行するが、主力艦隊に属する赤城が、先行する艦載機の視界を確認。

 それによれば、もう接敵するところまで飛行していたが、敵艦載機の群れも迫ってきていた。従来のカブトガニのような艦載機に加え、ミッドウェー海戦で確認された白猫艦載機も混じっている。

 高性能の艦載機とされている白猫艦載機は、噂通り動きに大きな違いがある。赤城たちの艦載機は従来の艦載機相手ならば問題はなかったが、白猫艦載機の動きについていけず、次々と艦載機が撃墜されていく。

 空戦をしている合間を縫って、先行してくる深海水雷戦隊が下を通っていく。その中に一人、見慣れない個体が混じっていた。

 

「あれは、新型でしょうか?」

 

 白髪には黒い帽子らしきものが被せられ、左側でサイドテールを流している。ノースリーブのセーラー服を着こなし、その目からは青白い燐光を光らせていた。何より目を引くのは下半身が艤装に覆われており、そのまま海を航行しているという点だ。艤装の高さから見て、足は完全に海水に浸かっているようなのだが、それらしき影がない。ということは、あの深海棲艦は足がないように見える。

 艦載機に混じった偵察機を通じて観測したところ、かの敵は駆逐型の姫級との結果が出た。そのため呼称として駆逐棲姫とした。その旨を報告したところで、白猫艦載機が次々と艦載機を撃墜させて前へと出る。追い抜かれた敵水雷戦隊を追い越し、やがてパラオ泊地の水雷戦隊へと迫っていく。

 

「対空射撃用意、てぇー!」

 

 阿武隈の声に従い、水雷戦隊が一斉に白猫艦載機に向かって砲撃する。だが白猫艦載機は不快な声を上げて歯を打ち鳴らしながら、余裕を見せて回避していき、水雷戦隊へと降下してくるものと、パラオ泊地へと向かっていくものへと分かれていく。

 カラカラと音を立てながら降下してきたそれらは、次々と爆弾を落とし、水雷戦隊を攻撃。その動きの早さと、爆発の威力は阿武隈たち水雷戦隊にとって脅威的だった。

 

「っかぁー!? なんだいこいつぁ!? とんでもねえ艦爆じゃねえか!」

「落ち着きぃ、谷風。慌てず対処すれば、切り抜けられるけえな」

 

 実戦経験は少ないが、それでも訓練だけは積み重ねている。練度に大きな差があるトラック艦隊と何度も戦ってきたものだ。回避の仕方、防御の仕方と色々と仕込まれているため、大きな被害だけは避けられた。

 爆弾を投下した白猫艦載機は、補給のために飛来した方へと帰還していく。パラオ泊地に向かったものもいるが、そちらは主力艦隊に任せることにし、水雷戦隊は迫ってくるであろう敵水雷戦隊を相手にすることにする。

 一方パラオ泊地前では、飛来してきた白猫艦載機に対処するべく、戦艦らが三式弾を発射し、空母たちは艦載機を放つ。ここを切り抜けられれば泊地へと攻撃を仕掛けられる。それだけは避けなければならない。

 しかし現実はそう甘くはない。全てを落としきることはできず、何機かの白猫艦載機がパラオ泊地へと到達し、攻撃を仕掛けていった。「いけない!」という声を上げるのも束の間、投下された爆弾が建物の一角を破壊し、炎上させる。

 

「っ、ちぃ……! 消火急げ!」

 

 指令室にいるのは香月と大淀と間宮、そして伊良湖だ。彼女たちはオペレーターのような役割を担っており、それ以外の作業は妖精たちと、出撃していない艦娘が行っている。消火作業も艦娘に加えて、妖精たちが小さな体を必死に動かし、ホースをつないで消火作業に当たる。

 パラオ泊地へと到達した白猫艦載機の数は少ないが、それでも機動力が高く、艦載機の攻撃を掻い潜る。この機動力についていけるかどうか、そこに練度の差が表れていた。だがそれでもと、赤城たちは食らいつく。

 一つ、また一つと爆弾が投下され、基地が揺れる。幸い指令室付近には落とされていないようだが、それでも次来ないとは限らない。その恐怖に冷や汗を流すが、香月はたびたび揺れる指令室から飛び出して逃げるようなことはしなかった。

 それは戦っている赤城たちを信じているからだ。彼女たちならばやってくれる、そう信じて、恐怖に呑まれないように堪え、指示を出す。

 そして赤城も、これ以上はやらせるものかと気合を入れる。

 

「止めます。これ以上は、超えさせない!」

 

 その覚悟を持った宣言とともに、弓を引くその手に力が篭り、それは番えた矢にも伝わった。彼女の意思を反映したかのような力は空へと上がった艦戦にも伝わり、それまで以上の機動力を以てして白猫艦載機へと迫る。

 明らかに今までよりも動きが違うそれに、白猫艦載機から困惑が見られた。それは白猫艦載機を放ったであろう存在にも伝わっている。困惑によって動きが鈍り、次々と撃墜されていく。今まで避けられ続けたのが嘘のように、パラオ泊地へと向かおうとしていた白猫艦載機は全て撃墜された。

 周辺空域を確認したところ、追加で送られてくる艦載機の姿は確認できなかった。「襲撃してくる艦載機は全て落としました。ひとまずはこれで泊地への脅威は取り除かれました」と赤城が報告すると、

 

「……ありがとよ。もうしばらくは防衛のための艦隊は残しておき、一部を前へ。偵察機はまだ生きてるか?」

「ええ、離れたところで旋回させています。もう少しすれば、後方にいる艦隊も視認できそうですね」

「わかった。じゃあ敵の全ての艦隊を把握してけ。オレはトラックに援軍要請を送る」

「援軍要請ですか? 私たちだけでやろうとは言わないのですね。提督の性格を考えれば、言いそうなものだと思っていましたが」

 

 冷静な赤城の疑問に、小さく唸りはしたものの、しかし香月は落ち着いて答える。「状況が状況だからな、オレの意地を貫くところじゃねえ」と、拳を握り締めた。

 

「どう考えてもオレたちだけじゃ守り切れる自信がねえ。プライドを優先した結果負けたら、オレだけじゃなく、この国が滅ぶ。それは避けなければならねえのは、誰だってわかることだ。だから勝ちの目を拾うために、援軍要請をする。当然のことだろう、赤城?」

「結構です。そこであなたの意地を通すのであれば、私としては失望するところでした」

「ふん……ん、あ? 繋がらねえ」

「繋がらない? ……なるほど、敵の通信妨害ですか。これは本気でパラオを滅ぼしに来ていますね」

 

 トラック泊地へと通信を繋ごうとしても、ノイズがはしるばかりで、繋がる様子が全くない。他の鎮守府などに繋ごうとしても同様だ。艦娘との通信は問題ないが、それ以外には不可能という現象は、ミッドウェー海戦などでも確認できていた。

 パラオ泊地はここに孤立する。その上で拠点襲撃を仕掛けてきているのだから、敵の殺意が十分に感じられるものだった。その現実に香月はまた頭を掻き始める。

 

「あー、クソが! やってやる……! やらなきゃどの道終わりだ! 赤城! 改めて敵の戦力の確認、報告を! 阿武隈、敵水雷戦隊は!?」

「まもなく視認できるってところです……!」

「なる、こちらの被害は?」

「微々たるものです。戦闘継続に問題はありません」

「そうかい、では健闘を祈る! あーっと、武蔵。水上打撃部隊が後方から砲撃できるように前進を。対空にも対応できるようにしていけ」

「承知した」

 

 パラオの武蔵率いる水上打撃部隊が前進し、水雷戦隊を追いかける。だがその速さは水雷戦隊に比べれば大きく劣る。大型戦艦であるが故の低速であり、武蔵の速さに合わせれば全体の移動速度も低下する。

 全速を出したとしても、少しずつ前にいる水雷戦隊から引き離されることになるが、やむを得ない。

 そして阿武隈の視界に、それが飛び込んでくる。

 スケートをするように両手を振りながら赤い海を航行する影。左手には駆逐艦の主砲のようなものを握り締め、下半身の艤装の左右には、深海棲艦らしい頭部と、魚雷発射管が装着されている。

 敵もまた阿武隈たちを視認したようで、青白い燐光を放つ目を細め、右手を軽く挙げた。そのまま薙げば急加速をして阿武隈たちへと迫る。

 

「戦闘開始です! 各自、奮戦を! ここで押し留め、通すわけにはいかないことを忘れずに!」

 

 阿武隈の言葉に艦娘たちも鬨の声を上げる。響き渡る声に深海棲艦側も呼応するように人の声というよりも、魔性のものがあげるような叫び声を上げ、先手とばかりに砲撃を仕掛けてきた。

 降り注ぐ砲弾の雨を掻い潜り、阿武隈たちもまた反撃の斉射を放つ。それらもまた軽々と敵、駆逐棲姫は回避する。海上を踊るスケーターの如く舞い、くるりとターンをしながら左手を前に突き出し、阿武隈を狙って砲撃を仕掛けた。

 追撃するように艤装のユニットも歯を打ち鳴らしながら魚雷を発射し、扇状に広がるようにばらまかれる。一度は隠れた魚雷の群れだが、航跡を見逃さないように立ち回る。位置取りは駆逐棲姫がパラオに向かわないように立ちはだかるようにし、迂回させないように左右から挟むように二水戦、三水戦が動く。

 駆逐棲姫もそれぞれの艦娘の動きを一度確認するように視線を動かすと、「止メルト? フン、ヤラセハシナイヨ……!」と拳を握り締め、じろりと阿武隈を睨む。

 

「オ前ガ旗艦ダナ? ナラ、オ前ヲ落トス。コノ私、春雨ノ進軍ヲ阻ムナ!」

「春雨?」

 

 春雨という名前に阿武隈が反応する。つい数か月前、ミッドウェー海戦の後に追加された新しい艦娘にも、春雨がいた。下半身はないものの、航行するあの姿、風貌はどことなく白露型の駆逐艦である艦娘の春雨に似ていないだろうか?

 どのようにして艦娘の姿かたちが整えられているのかは、艦娘自身にはわからない。全ては第三課の艦娘開発のグループが決め、作業が進められていることだ。作業員の意思が加わっているのか、あるいは大本は妖精などの不可思議な力の働き、あるいはそれ以外の何かの手によるものかはわからない。

 でも、その不可思議な力によって艦娘の風貌が決められているならば、艦娘が堕ちたような存在、あるいは艦娘が反転したかのような表裏一体の存在である深海棲艦の風貌もまた、そういった不可思議な力によって決められているのならば。

 

「……似ているというだけには留まりませんね。あまりにも似すぎています」

「そうね……顔つきだけならまだしも、サイドテールまで同じってどうなのかしら」

 

 阿武隈の呟きに叢雲も同意する。あそこまで似ていると少々やりづらいが、やらないわけにはいかない。ここで止め、倒さなければパラオが危険だ。ぐっと主砲を握り締め、「皆さん、行きますよ! あたしの指示に従ってください!」と声を上げ、展開した水雷戦隊も応じるように了解の意を示す。

 

「来ルガイイ。全テヲ沈メテ、私タチハ先ニ進ム!」

 

 阿武隈率いるパラオ水雷戦隊と、駆逐棲姫率いる深海南方水雷戦隊の激突がここに幕を開けた。

 



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駆逐棲姫

 

 偵察機が敵艦隊から距離を置きつつ、進軍してくる戦力の確認を行っている。駆逐棲姫が率いる水雷戦隊より後方には、敵の水上打撃部隊らしき戦力が固められていた。旗艦らしきものには戦艦棲姫がおり、その周囲にはル級やタ級のフラグシップに、ヲ級やツ級が配備されている。だがその中で一人、見かけない存在がいた。

 漆黒のフード付きマントを纏った白い少女だ。左腕は黒く変色したような異形のものとなっており、赤い瞳を光らせ、額から伸びる一対の角が、ただの深海棲艦ではないことを表している。鬼級や姫級に見られる角があることから、あの白い少女は新たなる鬼級か姫級と推定されるのだが、フード付きマントを纏っているのが気になる点だった。

 

「マントを纏った深海棲艦?」

「はい、それが戦艦棲姫率いる水上打撃部隊に存在しています」

「……フードが付いたマント? おい、それってまさか……、間宮! ミッドウェー海戦の報告書出せるか?」

「は、はい。少々お待ちを」

 

 香月の命令を受けて間宮がキーボードを操作し、ミッドウェー海戦の出来事が纏められたフォルダにたどり着くと、「フード、マントを纏った奴、どっかにいたはずだ」と香月の言葉に従い、その単語で検索を掛けると、すぐにそれはヒットした。

 大湊の宮下が提出した報告書にそれはいた。ウラナスカ島に現れ、自身を深海提督の一人、北方提督の三笠と名乗った存在。彼女もまたフード付きのマントを纏っており、戦場で深海棲艦を指揮し、なおかつ艤装を展開して戦闘もこなした実力者として、その存在感を示してきたのだ。

 ではあの白い少女は何なのか。北方提督と名乗った存在に似たマントを纏うあの白い少女も、深海提督の一人なのだとすれば、このパラオ泊地に深海提督自らが乗り込んできたということになる。

 一体どのような存在なのかと、かの白い少女を観測、計測しようとしたが、どこからか飛来してきた白猫艦載機が、偵察機を撃墜させたことで、観測が途切れてしまった。その様子は、もう一つの偵察機が捉えていた。

 水上打撃部隊より更に後方に配置された、空母機動部隊である。パラオ泊地へと直接攻撃を仕掛けてきた白猫艦載機は、ここから発艦したものだろう。空母棲姫やヲ級改、装甲空母姫と、これまで確認されてきた空母型が揃っているだけでなく、その旗艦として新たな存在が確認できる。

 白い長髪に黒い縦セタにスカート、そしてブーツといった容姿をした女性が、空母棲姫よりも更に強化されたと思われる魔物型の艤装に騎乗している。恐らく空母棲姫を更に強化した存在ではないかと匂わせるには十分な雰囲気を纏っていた。

 あれは何だと、計測したその結果、確かにかの女性は空母系の存在であることが分かった。その能力もまた空母棲姫のものよりも高い反応を示しており、棲姫という呼称では収まらないものになっている。

 

「棲姫よりも高い能力だぁ!? なんだそれ、冗談も程々にしろってんだよ……そんな奴らが、来ているってのかよ……!?」

 

 そもそもこのパラオ泊地の戦力だけで、その新型空母を抜きにしても、戦艦棲姫に深海提督、空母棲姫にヲ級改まで投入されている時点で戦力過多のように感じられる。それだけ敵方の本気が伺えるものだが、攻められている方からすればたまったものではない。

 

「とりあえずその新型空母擁する機動部隊は一番後方、そして水上打撃部隊に敵の頭らしき存在がいる、そういうことでいいんだな?」

「そうです。いったん生き残った偵察機を下げ、後方の動きに目を光らせておきます。また、艦載機がパラオ目指して飛んでおりますので、防空させておきます」

「頼む」

 

 先ほど撃墜させられた偵察機を攻撃した艦載機の群れが、敵水上打撃部隊を追い越してパラオ泊地を目指していく。赤城たちもまた補給を終え、対抗するべく艦載機を発艦。両軍の艦載機が交戦するのは、両軍の水雷戦隊が交戦している上空となってしまった。

 

 

「沈メ、旗艦! 道ヲ開ケロ……!」

「お断りです! 何としてでも止めてみせます!」

 

 時折右手で左手に持つ主砲を支えながら、駆逐棲姫は阿武隈を狙って砲撃を繰り返す。阿武隈もまた蛇行しつつ、被弾を避けて反撃するように主砲を撃つ。駆逐棲姫もまた、器用に腕と上半身でバランスを取りつつ、海上でターンしながら前進、後退しながら阿武隈の砲撃から避けていた。

 両軍の水雷戦隊の旗艦がお互いを意識している間に、随伴している他のメンバーが他のメンバーを抑えている。パラオ一水戦の五十鈴が敵のツ級を狙うように指示すると、それに従って谷風たちが砲撃を仕掛けた。

 ツ級は上空にいる赤城たちの艦載機を狙って対空射撃をしていたが、狙われたことに気づいて回避行動を取る。守るように駆逐ハ級などが前に出てくるが、よく見るとその駆逐艦たちはただの駆逐型ではなく、足が生えている後期型だった。

 本土防衛戦で確認された新型駆逐タイプだったそれらは、新型と呼称するのではなく駆逐後期型と呼称されることとなった。足が生えることで機動力が増したのか、今までよりも速い動きで海上を往き、砲撃と雷撃を仕掛けてくるが、五十鈴たちはそれに翻弄されることなく何とか撃沈できている。

 ツ級の位置を確認するべく視線を動かした五十鈴は、離れたところで駆逐棲姫を追う阿武隈が、一瞬五十鈴を見てハンドサインを出したことに気づく。更に敵水雷戦隊が側面から抜けないように、二水戦と三水戦がそちらで戦っているが、そちらも順調に抑え込めてはいる。

 だが駆逐後期型がその機動力を活かして動き回り、更に後方から水上打撃部隊による遠距離砲撃や、戦力の追加が近づいてきているのが見える。ここで止めることに成功したとしても、水上打撃部隊に追いつかれたら戦力差によって状況はひっくり返るだろう。

 

「叢雲、浜風、私についてきて。浦風と谷風は向こうから。阿武隈を支援するわよ」

「了解じゃ」

「武蔵さん、砲撃は?」

「射程はもう少し前進すれば収められるだろう。だが、阿武隈も駆逐棲姫も動きが速い。中てられるかという点と、お前たちすら巻き込みかねない懸念がある。狙うとすれば、後方からの援軍に狙えるかといったところだ」

「わかったわ。なら、敵の動きを止められれば中てられる?」

「やれというならば、やってみせよう。ここでやらねば武蔵の名が廃るというものだろう」

「頼もしいわ。では、よろしく頼むわね。……よし、じゃあ行くわよ叢雲、浜風」

 

 後方にいる武蔵との通信を終えて、五十鈴は二人を連れて回り込んでいく。浦風と谷風も対面に回り込み、それぞれが駆逐棲姫と阿武隈を挟むように動くのだが、当の二人は高速機動で海上を動く。

 砲撃の合間に雷撃もこなす阿武隈だが、駆逐棲姫は阿武隈を見据えたまま後退し、広がった魚雷の間を抜けるようにして前進してやり過ごす。お返しとばかりに雷撃を仕掛けるが、阿武隈もそれを、何とかやり過ごしていく。

 絶対に自分を抜かせるわけにはいかないと、一定の距離から離れられないのが難儀しているが、今のところ致命的なダメージを受けていない。だがそれは駆逐棲姫も同様だ。決定打を与えられず、お互いが健在のまま時間だけが過ぎていく。

 

「シツコイナ、オ前。イイ加減ニ諦メタラドウダ?」

「それができたら苦労はしませんよ。しませんがね!」

 

 両手の主砲を時間差で撃ち放ち、駆逐棲姫へと接近するが、それだけでは捉えられない。だがそこに五十鈴たちからの援護射撃が入る。くるりくるりと連続ターンをして回避するが、鬱陶し気な表情を隠しもせず、舌打ちして下半身の艤装が一斉に五十鈴たちへと雷撃を放った。

 そこを見逃さず、阿武隈は一気に距離を詰めて側面から飛び込み、狙いすました一撃を放つ。それは駆逐棲姫の体を射抜き、大きく呻いてよろめいた。目の前へと着水したところでもう一発、拳を腹に打ち込んだ後に連続射撃を放ち、容赦のない追撃を放った後、とどめとばかりに雷撃を放つ。

 その連続攻撃にたまらず駆逐棲姫が、くの字に折れたが、それで攻撃が終わるわけではなかった。離れた阿武隈を巻き込まないようにと狙っていた五十鈴と浦風たちが一斉に魚雷を放ち、更には武蔵たち水上打撃部隊も射程内に収めたことで援護射撃が放たれる。

 一人の駆逐棲姫相手にこれだけの攻撃。容赦のないものだが、こうでもしなければ今のパラオ泊地の戦力ではどうにもならないというのが現実だ。

 

「痛イ……ジャナイカッ……! 舐メルナァ……!」

 

 彼女の怒りを表すかのように目から放たれる青い燐光がより一際輝き、その場でターンしながら副砲や機銃を放ち、迫りくる魚雷を処理し、そのまま下がって遠距離から来る武蔵たちの砲撃をも避ける。

 立ち上る水柱でその姿が隠される中、上空で争っていた艦載機の一部が、駆逐棲姫が体勢を立て直す時間を稼ぐかのように阿武隈たちへと攻撃を仕掛けてきた。守るように赤城たちの艦載機も動くが、敵の攻勢は止まらない。

 落ち着いてくる水柱の向こうから、重巡リ級などが迫り、阿武隈たちへと攻撃を仕掛けてくる。水上打撃部隊の前線が到達してきたのだ。その後ろから、怒りに震える駆逐棲姫の姿も見え、阿武隈たちは歯噛みする。

 だが五十鈴をはじめ、三水戦のメンバーが阿武隈を守るようにリ級らの前に躍り出た。

「行って、阿武隈! あなたに託すわ!」と五十鈴が促し、三水戦旗艦である鬼怒も「鬼怒たちが時間を稼ぐから、よろしく頼んだよ!」と阿武隈の背中を押す。

 そうだ、負けるわけにはいかない。

 一水戦旗艦として、パラオ泊地を守るためにここで奮い立たずして何とする。

 勝てる確率なんて考えている暇はない。押し留められている深海棲艦らから回り込み、駆逐棲姫の前へと再び相対する。その向こうからは少しずつ接近してくる新たなる深海棲艦の影が見える。それらと合流される前に、何としてでも駆逐棲姫を落とす。

 

(強撃、そして青の力。今のあたしにそれができる?)

 

 強撃は習得している。先ほどの飛び込みからの砲撃が強撃だ。それは確かに駆逐棲姫の体に対し、高いダメージを叩き出しただろう。これに加えて最近開発されたという青の力が加われば、より駆逐棲姫に対して、今の自分でも落とせるほどの攻撃ができるだろう。

 でも、これまでの訓練で阿武隈はその力に目覚めてはいない。この土壇場で力を発揮できるかどうか、それに頼るよりは、強撃で落としきる方が安定感はあるだろう。

 

(妖精たち、あたしに力を……!)

 

 冷や汗をかきながらも、装備に宿る妖精に静かに祈る。深呼吸を一つし、身を屈めて駆逐棲姫へと突撃する。駆逐棲姫もまたこれまでのやり取りから阿武隈の脅威度は察しているようで、何としてでも倒すべく前に出てきた。

 

「私ノ道ヲ阻ム、目障リナ奴……! イイ加減ニ落チロ!」

「お断りです! あなたこそ、諦めたらどうなんです? これ以上の進軍はあたしたちが許しません!」

 

 砲撃をしつつ、距離を詰める阿武隈に駆逐棲姫もまた躱しながら距離を詰める。両者の距離がどんどん縮まり、それぞれの砲撃が回避できそうにない距離まで縮まったとき、二人は同時に砲を突き出して撃ち放つ。

 それらはお互いに被弾し、一瞬の怯みをもたらした。だが阿武隈は歯噛みして堪え、雷撃も放つ。それは駆逐棲姫も同様だ。魚雷を躱しながら阿武隈めがけて雷撃する。放たれたそれらはすぐに相手へと到達せんとする距離。それらを、阿武隈はバック転しながら何とか回避し、駆逐棲姫もまた艤装についているユニットがぐるりと海を向いて空気を吐き出し、体を浮き上がらせて直撃を避ける。

 

「ふんんーーァッ!」

 

 着水と同時に意気込むような声を吐き出し、また阿武隈は距離を詰め、今度は回り蹴りで駆逐棲姫の顔を捉えようとする。だが駆逐棲姫は顔を逸らし、距離を取りながらその右手に力を込める。離れながらも、左手の砲でその場に留め、牽制するように砲撃をしながら、笑みを浮かべた。

 

「馬鹿メ、功ヲ焦ッタナ……!」

 

 深い蒼の力が収束し、その手に一本の魚雷が形成される。その行動に、阿武隈は息を呑んだ。ミッドウェー海戦でも見られた深海棲艦の力の行使の一つ。色は違えども、紛れもなくそれは深海棲艦の赤の力。

 着水したところを狙われ、砲に撃たれながら、阿武隈はそれを見ているしかできない。顔、体、足と弾が貫き、出血する中、形成された必殺の一撃が放たれる。

 

「サア、落チロ!」

 

 勢いをつけて投擲される魚雷。迫りくるそれに阿武隈は目を閉じることなく、ぎりっと唇を噛みながら撃たれた痛みを堪え、反射的に動いた。全ての動きがスローモーションに見えるような感覚。それはある種のゾーン突入か、あるいは死ぬ前に見える走馬灯のようなものか。どちらにせよ、それによって阿武隈は反射的に動きながら、何とか切り抜けるための道を模索した。

 投擲によって今までよりも速い速度で迫ってくる魚雷。赤の力によってきっと威力も押し上げられているだろう。躱したところで無傷ではすまないはずだ。それを許容し、どのように次に繋げる?

 

(やるしか、ないかなぁ……。でも、やらなきゃ終わる! それだけはダメ。あたしがここで落ちたら、他のみんなが危ないんだから!)

 

 魚雷は頬の傍で紙一重で通り過ぎ、背後へと着水、爆発する。摩擦と力の余波によって阿武隈の頬が焼けるが、それを気にする間もなく、爆発によって背後から勢いよく押し出される。

 それに阿武隈は逆らわず、足から下半身にかけて爆風によって焼かれる感覚を味わいながら、駆逐棲姫へと強制的に飛び込む形になる。撃たれたことで体中に痛みが走っているはずなのに、放たれた渾身の攻撃回避せしめたことと、その動きによって駆逐棲姫が困惑する間もなく、今まで見せたことがないような形相をした阿武隈が迫ってくる。

 その目からは覚悟を決めた者の戦意とともに、オレンジ色の燐光が薄く光っていた。それが駆逐棲姫が見えた光景。

 

「んん、ん゛ん゛ん゛ん゛――――ッ!!」

 

 爆風によって飛ばされる勢いを殺さないまま、阿武隈が駆逐棲姫へと気合の入った頭突きをかます。鈍く響き渡る衝撃音に、一瞬誰もが唖然とし、駆逐棲姫もまた頭から伝わる衝撃に意識を飛ばす。

 

「艦首直撃って、阿武隈……あんたそれ、一種のトラウマじゃないの……?」

 

 思わず五十鈴も突っ込んでしまうが、すぐさま目の前のリ級フラグシップへと攻撃を仕掛け、撃破する。阿武隈もそのまま駆逐棲姫へと馬乗りとなり、その胸に主砲を合わせ、力を込める。妖精の力で威力を底上げしたそれは、強力な砲撃となって駆逐棲姫の胸を撃ち抜いた。

 一発、二発と撃ち込んだことで、セーラー服は焼け焦げ、その胸も露出して穴が開く。強力な頭突きによって意識を落としたまま、駆逐棲姫はとどめの二連射によってその身を海の底へと沈めていった。

 だが阿武隈もまた、蓄積したダメージと下半身から焼けたことで、力が抜けたように膝をついてしまう。額もまた割れており、血を流してその童顔を赤く濡らしていた。そんな阿武隈を狙わない理由がない。

 深海側の水上打撃部隊の援軍が次々と阿武隈を狙いを定め始めた。「阿武隈さん!」と浦風と谷風が救出に駆け付けようとするが、それよりも早く砲撃が阿武隈に直撃しそうだった。

 しかし、救いの手はある。

 武蔵率いる水上打撃部隊による砲撃がすでに行われていた。飛来してくる砲弾の群れが、阿武隈を狙う深海棲艦へと襲い掛かったのだ。それによって攻撃の手が止まり、救出する時間を得られる。

 すかさず浦風と谷風が阿武隈を抱え上げ、後方へと下がっていく。その際に武蔵とすれ違い、「よく戦った阿武隈。後は私たちに任せるがいい」と労いの言葉をかける。

 

「……任せます、武蔵さん」

「ああ、任された」

 

 一水戦のメンバーがパラオ泊地へと下がっていき、入れ替わるように水上打撃部隊が二水戦、三水戦とともに迎え撃つ形となる。加えて主力部隊と空母機動部隊も前進しており、彼女たちの援護も期待できる距離にある。

 だがそれは敵も同様だ。戦艦棲姫率いる水上打撃部隊と同時に、新型空母擁する機動部隊もまた前進している。上空で行われていた空戦も、それぞれの犠牲をもたらしながら互いに撤退するが、敵の攻撃の手は止まっていない。

 彼方の空からまた、新たな艦載機が迫ってきている。純粋に、空母の数がパラオ艦隊のそれより上回っているのだ。一度、二度は止められたが、果たして三度目以降はどうなるか。様々な危惧があるが、臨機応変に対応していくしかない。

 

「まだやれるか、お前たち?」

「何とかね。鬼怒たちが気張らなきゃだめな場面っしょ」

「ここが頑張りどころってね。行きましょう、武蔵さん」

 

 武蔵の言葉に、三水戦旗艦鬼怒と、二水戦旗艦由良が応える。所属している艦娘たちも主砲を構え、じっと迫ってくる深海棲艦を見据えた。その中には優雅に微笑む戦艦棲姫と、その前で佇み、マントをなびかせる白い少女もいる。

 白い少女が立ちはだかる武蔵の姿を確認した時、軽く首を傾げて「武蔵……でしたか?」と呟き、後ろに控える戦艦棲姫を見やる。

 

「艦娘の武蔵と、武蔵モデルとの戦いとなりますか。良いことです。その方が気合も入るでしょう、扶桑?」

「ソウデスネ。カノ名ヲ借リテイル身トシテハ、無様ナコトハデキマセン」

「では参りましょうか、皆さん。春雨は落ちましたが、敵もまた戦力が減っています。あれらを撃破すれば、パラオ陥落は目前です。迅速に事を成し遂げ、私たちの勝利を華々しく飾りましょう。この吹雪についてきてください!」

 

 南方提督の深海吹雪の言葉に、深海棲艦たちが一斉に吼える。その咆哮に飲み込まれないように、艦娘たちもまた鬨の声を上げ、戦いは次の段階へと進むこととなった。

 



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迫りくる危機

 

 それぞれの先陣を切るのは水雷戦隊。パラオ艦隊から二水戦と三水戦、深海艦隊からはツ級やリ級率いる水雷戦隊が前に出る。見た目の印象からして水雷戦隊に属していそうな白い少女は、戦艦棲姫の近くから動かず、戦いの成り行きを見守っている。

 そして武蔵と戦艦棲姫がお互いに照準を合わせ、主砲を斉射。空気を震わせる振動音を響かせ、放たれた砲弾はそれぞれの体を貫くが、武蔵はそれがどうしたとばかりの笑みを浮かべる。それは戦艦棲姫も同様で、不敵な笑みを浮かべたまま次弾を装填させる。

 戦艦棲姫の近くにいた少女も降り注ぐ砲弾に巻き込まれないように少し離れ、交戦する水雷戦隊を眺め、そして動いた。空には再度送り込まれた艦載機が舞うが、制空権を争うだけに留められている。

 制空権を奪取できれば、もたらされた技術の一つ、弾着観測射撃を行える余裕が出てくるだろうが、今はまだそれができない。水上打撃部隊に属する重巡や戦艦が三式弾で援護をするも、機動力の高い白猫艦載機の全てを落とすには至らない。その漏らした艦載機を、艦戦たちが撃墜させる流れとなっていた。

 そのことに赤城は不甲斐なさを感じていた。数の不利は読み取れたが、それを覆すだけの練度が自分たちにはまだ足りていない。パラオ泊地が生まれて半年では、これだけの戦力しか備えられていない、という言い訳は、戦場では通用しない。敵は待ってくれないのだから。

 だからこそ、できることをする。訓練した成果を示すだけだ。

 

「一部部隊、プランBを遂行させます。実行はタイミングを合わせて」

 

 出撃している艦載機の一隊に対し、そう指示する。空戦を行っている艦載機の中から、敵の攻撃を回避し、逃げるようにして少しずつ距離を取り始めた。それをカバーするように他の部隊が動き、更に追加の部隊を送り込んでごまかしていく。

 それが通用するかはわからない。だが、やらないよりはマシだ。この部隊による攻撃が、きっと何かを変えることができることを信じ、赤城は敵空母の艦載機との戦いに専念した。

 

「状況はこちらが有利。では、より有利な状況へと持ち込みましょうか。丁度、私の力を試すに相応しい獲物もいるようですし、お相手願いましょうか?」

 

 黒い異形の左腕を軽く振ると、手のひらから刃の切っ先が生え、一振りの剣が握られる。左腕の色合いと同じく黒を基調としているが、それは艦娘の天龍が手にしていた刀のような艤装に似ている。艦首を模したような刀身には、見覚えのある艦娘もいるだろう。どうしてあんなものを取り出したのかという驚きが生まれるが、しかし来るならばやるしかない。

 パラオ三水戦旗艦鬼怒が「敵機接近! あの白い奴に気を付けて、てぇー!」と、主砲を斉射するが、飛来する砲弾を彼女は手にした刀で打ち払っていく。

 

「うえぇ!?」

「なるほど、こんな感じですか」

 

 払いきれずに一、二発は被弾したようだが、そのダメージの具合、そして払ったことによる刀の損傷具合を確かめて頷き、「では、沈めさせてもらいますよ。この私の戦果となってください」と赤い瞳を静かに輝かせ、冷たい笑みを浮かべる。

 マントを翻せば、その下から彼女の艤装が生えてくるかのように顕現する。

 それは魔物のような右腕。手の甲の上に駆逐艦の主砲が搭載されており、腕には対空砲らしき機銃が並んでいる。また足に巻き付いたベルトには魚雷発射管があるのだが、その艤装の装備の仕方には見覚えがあった。

 その顔といい、駆逐主砲と魚雷発射管を合わせると、一人の艦娘の姿が思い浮かんだ。魔物の腕から放たれる主砲を回避したが、接近して振りかぶられる刀を何とか切り抜けた鬼怒は、「君、まさかと思うけど、吹雪?」と問いかけてしまう。

 

「ええ、そうですが、何か?」

「まじか……さっきの春雨といい、どうしてこんな……!?」

「ああ、でも私をただの深海側の吹雪と思わないでもらいたいです。私は、南方を管轄する存在。先代には消えてもらい、自らその座に就いたもの。それが今の私、南方提督の吹雪です!」

 

 そう宣言した南方提督、深海吹雪の渾身の一撃、構えた刀を鋭く突き刺す攻撃が、鬼怒の腹へと到達した。そうして捉えられた鬼怒を狙い、小脇にある腕の主砲が火を噴き、刃から無理やり引きはがされる。

 勢いよく吹き飛びながら、その軌跡に従って血が吹き上げる。刀身についた血を払うように、左腕を振り払い、次の獲物を探すように赤い瞳が動く。深海側の水雷戦隊と交戦している残りの三水戦を狙うか? と考えたが、そんな彼女へと飛来する弾丸に、深海吹雪は回避行動を取る。

 

「そこまでです。これ以上はやらせません」

「次の相手はあなたですか。えっと……? ああ、古鷹」

 

 記憶を探るように首を傾げ、艦娘のデータを思い返した深海吹雪は、目の前にいる少女が古鷹であることを思い出す。薄く光る左目で、三水戦の艦娘が鬼怒の救助に当たり、それをカバーするように他の艦娘が動いているのを確認しつつ、艤装の主砲が深海吹雪を捉えて離さない。

 傍らには青葉が控えているが、その二人を見た深海吹雪は静かに目を細めた。どことなく、嫌な記憶を思い出しそうだった。深海側に堕ちた存在として、何かが疼いているような気がするのだが、深海吹雪はとりあえずそれを流す。

 

「次はあなた方が沈みたいのです?」

「そうなる気はありません。これ以上の被害は出させるわけにはいかないわ」

「ですねえ。こちらとしてはここで押し留め、あなたたちには帰っていただきたいんですがねえ」

「はいわかりました、となるとでも? これらの優位性を捨て去るなど、どうしてできましょう? 私たちは何としてでもパラオを落とします」

「何故です? 今まで何もなかったのに、急に拠点攻めなんて、深海側に変化があったんですかねえ? ああ、そういえば先ほどおっしゃっていましたね? 先代がどうたらと」

 

 記者魂が震えるのか、青葉が主砲を構えながらも、ついついそれについて問いかける。背後では砲弾が飛び交い、それは両者の間にも飛来しているため、攻撃こそしてはいないが、それぞれが動いている中でだ。

 問われたことに関して思うところがあったのか、ゆらりと腕と魚雷発射管が動いた。それに合わせて古鷹と青葉も主砲の引き金を動かす。だがまだ攻撃は放たれない。撃てば次の攻撃までのタイムラグが生まれる。そこを突かれれば、形勢を変えてしまいかねない。

 一定の距離を保ちながら、深海吹雪は問われたことに答えず、攻撃の隙を伺っていた。すると古鷹の左目が、何度か明滅する。あれは何をしているのか? と深海吹雪が疑問を抱く。光の明滅で暗号でも打っているのかと、解読しようとしたその時、頭上から妙な音が聞こえてきた。

 はっとした刹那、頭上から爆弾が投下され、強い衝撃と爆風が襲い掛かってきた。

 

「っ、くぅ……!? 何が……!?」

「青葉! 今です!」

「応ともさあ! 主砲、魚雷、一斉射ぁ!」

 

 艦爆の攻撃に撃たれ、動きを止めてしまった深海吹雪めがけて、古鷹と青葉による主砲と魚雷の強撃が放たれる。先ほど赤城が動かしておいた艦載機の一隊が雲の中から急降下し、深海吹雪へと奇襲を仕掛けたのだ。

 青葉の問いかけによって意識を逸らしつつ、お互いがお互いを警戒して動き続ける緊張感。加えて古鷹の左目が意味深に明滅することで、赤城へと合図を送ると同時に、深海吹雪がその意味を探るように意識を狭めることで、艦爆の奇襲に気づかれる時間を遅らせる。

 それぞれがかみ合ったことで成功した、この奇襲の一手を逃すわけにはいかない。だが数発は深海吹雪へと届いたものの、戦艦棲姫が深海吹雪を守るように立ちはだかり、艤装の魔物へと残りが命中することとなる。だが盾になったそれにとっても、主砲と魚雷の強撃は無傷ではすまない。

 加えて盾になったことで攻撃の手が止まってしまっている。それを見逃さない武蔵ではなかった。

 

「好機! 全主砲、一斉射! ここで一気に落としきる!」

 

 武蔵の号令に従い、出撃している戦艦たちの主砲が一斉に火を噴いた。狙いを定め、武蔵をはじめとした一部の戦艦は強撃の構えで砲弾を撃ち出す。勢いをつけて空を切るそれらが、戦艦棲姫と庇っている深海吹雪へと到達する。徹甲弾ならばその体を貫き、その先にいる深海吹雪へと到達しうる。

 飛来する砲弾の嵐に、戦艦棲姫といえども耐え切れまい。そう思われたが、戦艦棲姫は耐えてみせた。体はボロボロだが、それでも彼女はここに健在だと言わんばかりに海上にいる。

 

「残念デスガ、私ハ吹雪ヲ守ルノガ役割デス。アナタタチノ力ヲ出サセル、ソレガ狙イデシテネ。デハ、後ハ任セマスヨ、山城」

「オ任セヲ、姉上。後方ノ翔鶴タチモ準備万端。反撃ノ時ヨ吹雪。力ハ充填サレタカシラ?」

「ええ、ありがとうございます。扶桑、山城」

 

 ふっと笑みを浮かべた戦艦棲姫が沈んでいくと入れ替わるようにして、その背後から現れたのはもう一人の戦艦棲姫。今まで海中で出番を待っていたのか、その姿はどこにも傷はなく、至って健在。そして深海吹雪もまた、呼吸を整えて調子を取り戻したのか、戦意をあらわにした眼差しで古鷹たちを見つめている。

 

「翔鶴、放ってください。彼女たちに終わりをもたらしましょう」

「承知」

 

 深海吹雪の命令に、通信越しに返答がくる。彼女の後方にて赤い力の放出が視認できる。稲光を纏って放出されたそれらに追従するように、無数の白いものが一斉に空に上がる。

 誰もが理解する。深海の力を付与された白猫艦載機が送り込まれようとしていることに。今までも何とか対応してきたというのに、それらよりも更に上の性能を発揮するものが送られてくる絶望感。それに加えて、何とか戦艦棲姫を一人退けたかと思ったら、もう一人現れるという絶望感。

 そして体勢を立て直した南方提督、深海吹雪という艦隊の旗艦がいるということ。誰もが言葉にはしないが、焦りと恐怖、敗北感がパラオ艦隊に広がっていた。通信越しで見守っていた香月もまた、歯噛みして机を叩く。

 

「ここで戦艦棲姫を叩き、あの白い奴を落とせば、まだいけると思ったのに……これか……ッ!」

 

 一筋見えた希望は、あっけなく潰える。何とか戦おうと奮い立ったが、前線に出ている艦娘たちに迫る赤の力を纏った白猫艦載機を目の当たりにしたことで、香月は折れかけていた。

 いや、もう折れてしまっているというべきか。

 もう一度机を叩き、力なく椅子に崩れ落ちる。だが戦場では何とか迫ってくる脅威に対し、赤城が指示を出していた。

 

「飛龍、瑞鳳、いけますか?」

「やるっきゃないでしょ。できないなんてこんな状況で言えるわけないわ」

「私も、やってみせます!」

「いい目です。他の皆さんも、いきますよ」

 

 主力艦隊に属する空母、飛龍と赤城が、それぞれ弓に矢を番え、空へと向ける。引き絞るその手から自分に出せる力を込めるが、しかし彼女たちの矢へと青の力は込められない。訓練を積み重ねても、自分の意思でその力を扱う領域までは達していなかったのだ。

 しかし赤城は信じている。一瞬ではあるが、先ほどパラオを守るために僅かに青の力の一端を引き出せたのではないかと。あの感覚がもう一度この手に宿ることができれば、みんなを守れるかもしれない。

 

(お願い、応えて、妖精たち……!)

 

 祈りを込めた一射が、空へと放たれた。矢に光が纏われ、それぞれの艦戦へと変化し、迫りくる白猫艦載機へと突撃する。だが、赤城たちにはわかっていた。渾身の一射となったそれらに、青の力はない。

 その上で赤の力を纏った敵艦載機と戦うのだ。状況が不利なことには変わりはない。それでも持てる力を出し切るしかない。残っている矢も空へと上げていき、主力艦隊に属する伊勢なども、瑞雲を発艦させて援護させる。

 矢を撃ち尽くした赤城は、唇を噛みしめてパラオ泊地へと戻るため、戦場に背を向ける。妖精たちは自分の祈りに応えられなかった。あるいは、応えてはくれたが、自分の力が足りなかったのかもしれない。どちらかといえば、後者かもしれないと、赤城は自分の不甲斐なさに拳を震わせる。

 

「……補給に下がった子たちはどう?」

「出られるようになっています。一水戦も修復も終えているようです」

「そう。では、それぞれ出撃を。私もいったん戻ります。伊勢、ここは任せます」

「わかった」

「……提督は?」

 

 指令室にいる大淀との通信は、そこでいったん途切れてしまう。言葉に詰まった大淀の様子から、赤城は何となく察したようだ。小さくため息をつき、しかし仕方がないという気持ちもあり、「そちらにも伺いましょう」と通信を切る。

 飛龍と瑞鳳とともに全速でパラオ泊地へと帰還する中で、放たれた艦載機たちが、ついに白猫艦載機と交戦を開始する。その下で、深海吹雪は刀を構えて宣告した。

 

「楽になることです。翔鶴たちの艦載機により、あなたたちは蹂躙されるのみです。抵抗は無意味。おとなしく敗北を受け入れてください」

「そんなこと、できるとでも!?」

 

 機銃で迫ってくる白猫艦載機に対抗しながら、古鷹が声を上げる。カタカタと歯を打ち鳴らし、高速で迫ってきた白猫艦載機から放たれる魚雷が、古鷹へと襲い掛かり、被弾してしまった。追撃するように艦爆も迫ってきたが、それを青葉の機銃が撃ち落とす。

 しかし山城と呼ばれた戦艦棲姫が、姉の礼を返すかのように狙いを定め、「撃チ抜イテ」と一言告げることで、艤装へと命令を下した。海面に手を添え、狙いすました一射が、的確に二人を撃ち抜き、呻き声を漏らしてその華奢な体が吹き飛んだ。

 一人、また一人と中破、大破へと追い込まれていき、中には耐え切れずに轟沈までしてしまう艦娘もいる中、しかし彼女たちは抵抗をやめない。きっとこの状況を切り開けるはずだと信じて戦い続ける。

 その涙ぐましい戦いぶりに、純粋に深海吹雪は疑問を感じた。

 

「何故無駄な抵抗を続けるのです? あなたたちの敗北は揺るぎません。抵抗しても無駄だとわかりきっているこの状況で、見苦しく足掻き続けるのは見ていられません。潔く終わりを迎えてはいかがですか?」

「はっ、生憎と、私たちはしぶといのが売りでなあ。お前も吹雪だったのならば、その胸にあったはずだぞ? かつての私たちの誇りというものがな」

 

 疑問に答えたのは武蔵だった。機銃をフル稼働させて迫りくる白猫艦載機を撃ち落とし、主砲や副砲で戦艦棲姫やタ級などを撃ち抜きながら、彼女は不敵に笑うのだ。飛来する砲弾を避けるも、避けきれずに被弾を重ねても、その身に赤い血が流れようとも、彼女はそこに在り続ける。

 かつて艦としての終わりの時のように、しぶとく海上にその存在感を示し続けていた。

 

「私たちの後ろには守るべきものがある。ここで戦いを投げ出せば、蹂躙されるとわかっているならば、私たちが踏ん張らずして何とする? 何もできずに終わる? それも良いだろう。しかし、ここで耐え続ければそれだけ時間が稼げる。何かを変えるきっかけというものはな、この時間の中で生まれるものだ。そこに希望があるならば、私は喜んでこの身を盾としよう! この武蔵を沈めるというならば、ありったけをぶち込んでくるんだなぁ!」

 

 その勇ましく吼える姿は、この絶望の中で戦い続けるパラオ艦隊にとって、強く、眩しく映った。この状況の中であそこまで啖呵を切れる姿を見せられては、奮い立たずにはいられない。

 一水戦や、三水戦の一部がいない中で、何とか戦ってきた由良率いる二水戦や、武蔵率いる水上打撃部隊、そしてその他の今まで耐え続けてきた艦娘たちも、震える体に鞭を打ち、戦意をみなぎらせる眼差しで敵を見据える。

 この様子に、後方にいる翔鶴と呼ばれた新型空母も、どこか興味深そうに呟かずにはいられない。

 

「……失ワレナイ誇リ、守ルベキ存在。ソレガ、光在ル側ニ立ツ存在ナラデハノ、戦ウ理由ッテコトカ」

 

 艤装の上で足を組み、その上で手を組む深海翔鶴は、そう分析した。守るべきもののために戦う、それは何とも人間らしい理由。いつの時代も、戦場に出る人間というものは、そうした大切なもののために戦ってきたものらしい。

 そうして胸に誇りというものが宿るのだ。その誇りがあれば、いつだってくじけずに戦える、精神の柱になるのだという。あの艦娘たちにもそれがあるのだろう。

 

「私タチニハナイモノダ。生マレタバカリノ私ニトッテ、ソンナモノハナイノカモシレナイケレド、ウン、トテモ眩シインジャナイカ? デモ、悲シイコトダ。ソウダネ、吹雪?」

「ええ、とても悲しいことです。誇り? そんなものでこの状況をどうにかできるとでも? おめでたいことです。では望み通り、武蔵に引導を渡しましょう」

 

 かっと見開いたその赤い瞳から、ひと際強く燐光が輝く。足にある魚雷発射管から飛び出た一本の魚雷を手にし、ぐっと握りしめれば目から放たれた燐光の一部がその手に宿り、魚雷へとまとわりついた。

 それはまるで魚雷を圧縮するように光が煌めき、数秒も経たずして右手に赤黒い玉へと変換される。それを左手に持つ刀へと強く当てれば、その刀身へと力が注ぎ込まれた。艦の艦首を模したその刀身、黒と赤のラインに分かれたその色。この内の赤のラインが、まるで力を受け継いだかのように脈々と明滅し始める。

 

「かの北方さんの真似事ですが、試し斬りするにはいい獲物となるでしょう。おさらばです、武蔵!」

「艦爆、艦攻、総攻撃!」

 

 両手で構え、腰を低くした深海吹雪。攻め込んだ艦載機の内、武蔵へと攻撃を仕掛けるべく指揮する深海翔鶴。それらを前に、いよいよ最期の時かと覚悟を決める武蔵。

 だが、それでも彼女は信じていた。

 この絶望の中でも、きっと自分たちが稼いだ時間には意味があるのだと。

 

(そうだろう、赤城、提督。例え今、この私が死んだとしても、意味のあるものにしてくれよ)

 

 死を告げる黒い刀から放たれる眩い(ひかり)。ウラナスカ島で見せた北方提督、三笠の赤の力による剣技。彼女の場合は突きだったが、深海吹雪のそれは振り下ろしの構えだ。

 空からは気味の悪い笑い声を響かせながら白猫艦載機が降下してくる。上から、前から、二方向から迫る死の気配。それにおとなしく身を委ねる武蔵ではない。例え山城の戦艦棲姫が庇おうとも、主砲を正面に向け、機銃を空に向け、最期の時まで抗うだけだ。

 そしてひと際強く、光とともに強い音が発せられたとき、運命はここに終わりの時を告げた。

 



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窮地を変えるもの

 響くのは衝撃音。立ち上る(ひかり)とともに、水柱が立ち上った。

 次いで響くは爆発音。それらは赤の力を纏った白猫艦載機による攻撃ではなかった。その白猫艦載機らが次々と攻撃され、撃墜していく音だった。

 何が起きているのか?

 それは、攻撃を受ける覚悟を決めていた武蔵だけではなく、これから試し斬りをするべく構えていた深海吹雪自身もそうだった。何故自分は攻撃を受けて体勢を崩してしまっているのか。

 それによって解き放たれるはずだった刀の一撃、纏われた力が行き場を失い、一部は霧散し、一部はあらぬ方へと飛んでしまう。何事かと深海吹雪を庇うはずだった深海山城も振り返り、しかし暴れる赤の力の一部が飛来し、その体を焼いていく。

 熱い、痛いと思わず手を振り払ってしまうが、それだけ彼女も困惑していた。何故とどめの一撃が止められているのだろうかと。そうして困惑している深海山城を巻き込むように、最期の抵抗をしようとしていた武蔵は、そのまま砲撃を敢行。放たれた一撃は、深海山城と深海吹雪を捉え、吹き飛ばす。

 

「ふぅ……いったい、何が起きている……?」

 

 攻撃を受けず、こちらの攻撃を通したことに小さく安堵の息をついた武蔵だが、混乱はしている。襲い来るはずだった白猫艦載機は撃墜され、深海吹雪の体勢を崩させた攻撃がどこからかやってきたことに間違いはない。

 でも、一体誰がそのようなことをしたのだろう?

 見上げれば、光を纏う艦戦が次々と白猫艦載機を撃墜させているのが分かった。あれだけの動き、練度、そしてあの淡い光を纏うもの。どう考えてもパラオ泊地のものではない。

 吹き飛ばされた深海吹雪も、何とか受け身を取って起き上がり、攻撃を吟味する。奇襲の一撃は足元にきた。ということは自分は雷撃を受けたことになる。だがどこから雷撃を仕掛けてきたというのか。

 雷撃をしてくるであろう存在は自分の前にいた。側面から攻撃を受けたのだから、それらは除外される。味方からの誤射? それもありえない。そのようなヘマをするような状況ではなかったはずだ。

 

(まさか、潜水艦? 一体誰が、どこから……!?)

 

 候補に挙がったのは海中から忍び寄るスナイパー、潜水艦という存在。今回の戦いにおいて深海南方艦隊は、それらを連れてはこなかった。迅速な作戦遂行を考えており、また拠点攻撃をする予定だったため、潜水艦は必要ないだろうと考えていたためだ。

 だが、それによって自軍の潜水艦の反応を考えなくて済む。深海吹雪はソナーを用いて走査する。すると、潜水艦らしき存在が素早く離れていくのを感知した。どうやら潜水艦の艦娘の一人、伊19のようで、方向からして北東であり、それは今、白猫艦載機を撃墜させている艦載機らが飛来した可能性がある方角と一致している。

 北東には何があるのか、その答えはすぐに届いた。

 

「吹雪、敵襲ダ。艦娘ノ援軍ガ襲撃を仕掛ケテキタ」

「何ですって? どこにそのような存在が」

 

 と、驚きの表情を浮かべる深海吹雪へと、艦載機の一部が急降下してきた。察知した深海吹雪と深海山城が回避するも、放たれた魚雷によって逃げ先を誘導され、そこに合わせて艦爆による爆弾投下が命中する。

 その艦載機の動きは、明らかにパラオの空母の放つ艦載機のそれとは違う。洗練され、なおかつ幾多の戦いを経てきた猛者ならではのものだった。今までの余裕が崩れ、深海吹雪の表情に苦々しさが浮かび上がる。

 戦場の空気が、一気に変化しつつあった。

 

 

「援軍? 一体誰が……?」

 

 パラオ泊地の指令室の中で、香月は茫然としたように呟いた。よもやここで誰かが助けに来てくれるとは思ってもみなかった。こちらからの救援要請は妨害によって外へとつながらなかったため、どこにも届いていないはずだ。

 パラオ泊地のピンチを一体誰が察知して駆けつけてくれたのだろうか? そんな疑問を感じていると、ノイズが走り出す。伊良湖が何とかそれを繋ごうとすると、少しずつノイズが収まっていき、「――よう、聞こえているかい、坊ちゃん?」と、聞きたかったような、聞きたくなかったかのような声が聞こえてくる。

 

「まさか、あんたは……」

「そう、ピンチの時に駆け付けてくれる頼もしい男、それが俺だよ。いやぁ、指揮艦の航行性能が上がったのが幸いしたなあ、おい。お前の母ちゃん、美空大将に感謝するんだぜ? おかげさんで迅速に駆けつけることができたんだからよお。以前までのものだったら、絶対間に合わなかったぜ」

 

 モニターには気さくに笑う東地茂樹の顔があった。親指を立ててみせる余裕さもあり、その姿が、今までにないくらいに頼もしく香月は見えた。思わず息を呑み、そして声を震わせ、安堵の息をついてしまう。

 今まで抱いていた緊張感が少しずつほぐれていく感覚もあった。それほどまで、絶望感に包まれていた空気が、ゆっくりと霧散していくのを感じていた。彼という援軍が、どれだけ頼もしく感じるのか、それを香月は知っている。

 これまでの演習によって彼の実力は十分に理解している。トラック艦隊による援軍到着、それはきっと、この状況を大きく変えられることを信じられるものだった。

 でも、一体どうしてだろうかという疑問もある。

 

「どうしてここに? 援軍要請は送れなかった。あんたが、この状況を知る術なんて……」

「おいおいおい、俺を舐めてもらっちゃあ困るなあ。南方の様子がおかしいってのは知ってたからなあ。定期的にソロモン方面、そして一応お前さんの方にも、偵察隊は派遣させてたんだよ」

「……え?」

「南方が動いたってのは先日の一件で理解していた。それに乗じて中部も動くかもしれないってのはあったからなあ。奴らが拠点攻撃をしてくるんなら、危ないのはラバウル、トラック、そしてまだ運営が始まって間もないパラオ。どれかが狙われるだろうってのは何となく予想できた。だから俺は備えていたのさ。そちらに何度も向かってたのも、お前さんに力をつけてもらうってのはもちろんだが、襲撃されないかどうかを確かめるためってのもあった」

 

 果たしてその懸念は的中した。今日もまた演習でもしてやろうかと移動しつつ、偵察隊を各方面へと放っていた。その中の一つの偵察隊がパラオ泊地へと向かう深海棲艦の艦隊を捉え、茂樹のいる指揮艦へと報告。それを受けてすぐさま強化された機関をフルに稼働して駆けつけてきたのだ。

 こうした動きができたのも、茂樹の言う通り、指揮艦の航行性能が上昇した成果である。仲間の危機に対し、迅速に現場へと駆け付けられるようになったことで、こうして間に合ったのだ。大いに喜ばしいことである。

 

「……で、でも、オレなんかを助けるために……」

「はっ、気にするこたぁねえ。確かにお前さんは色々と面倒な坊ちゃんだし、生意気だが、俺にとっては大事な後輩だ。後輩のピンチに駆けつけねえ先輩がどこにいるってんだ? 少なくとも俺は、そんな薄情な振る舞いをするつもりは全くねえぞ。だから、諦めんじゃねえぞ後輩。お前が折れたら、艦娘たちの士気に関わる。顔を上げろ、前を向け。そして檄の一つでも飛ばしてやんな」

 

 その言葉に、香月は知らず、一筋の雫を零した。一度下を向き、呼吸を整え、顔を上げればそこには、強い意志を瞳に宿した顔があった。その変わりように、モニターの向こうの茂樹や、振り返っていた間宮と伊良湖に微笑が浮かぶ。

 

「各員、希望が来た。トラック泊地より、東地先輩が助けに来てくれたようだ。流れはこちらに傾くだろう。だから、耐えてくれ。艦隊が到達するまで耐えれば、勝ちの目が拾える。もちろん、危機的状況になれば、無理せず撤退を。その穴を何とか埋め、奴らをパラオ泊地へと到達させるな。ここが意地の見せ所だ。ここを凌ぎ切り、我らが救世主を熱く迎え入れてやろうじゃねえか!」

 

 香月の通信越しの言葉に、パラオの艦娘たちの心のエンジンにより火が灯る。補給へと戻った赤城も、指令室に向かって香月を何とか奮い立たせようとしていたが、その必要もないだろうと、再び戦場へと足を向ける。

 微笑を浮かべながら「出番、取られちゃったかしら」と、冗談めいたことが頭に浮かぶが、しかし自分よりも余程いい結果になったのは間違いない。航行しつつ補給した艦載機を放ち、戦場へと戻ることにする。トラック艦隊が来るまで耐えればいい、今までなかった目標が定められたことで、心に少しだけ余裕を持てるようになった。それだけでも、自分たちにとって大きな違いがあるのだから。

 それは赤城たちだけではない。実際に戦っている艦娘たちにも、その心の余裕が生まれ始めている。

 

「お待たせしたわ、武蔵。いったん下がる?」

「叢雲か。ああ、そうさせてもらおう。ここからは主力艦隊や援軍に任せよう」

「そうしなさい。お疲れ様。希望は来たみたいだし、何とか持ちこたえてみせる。あなたたちが作った時間、無駄にはしないわ」

 

 一時、パラオ泊地へと戻った一水戦の叢雲が、武蔵の前に出た。他にも阿武隈を除いた顔ぶれが揃い、加えて主力艦隊に属している空母三人以外のメンバーなども、いよいよ前線に出る。それと入れ替わるようにして、水上打撃部隊のメンバーとともに、武蔵が補給と修理のために一時パラオ泊地へと帰島する。

 他の艦娘にはないような武装を手に、叢雲は深海吹雪を見据える。マストを模したかのような長い得物を一度回転させて構えれば、「あなた、吹雪……ですってね?」と問いかけると、深海吹雪も叢雲を見据える。

 

「そういうあなたは……叢雲ですか。何か?」

「いいえ、このような形で対面することになるなんて、戦場(いくさば)とは数奇なものよね。先ほどは途中離脱したからと、押っ取り刀で駆けつけてみればこの状況。少しは落ち着いて砲を交えられそうね。いえ、それとも刃を交えた方がいいかしら、吹雪?」

 

 切っ先を深海吹雪へと向ければ、その言葉とともに噛みしめ、深海吹雪は目を細めた。叢雲のその佇まいからして、明らかに彼女は誘いをかけているのが目に見えてわかる。深海山城も何を言っているのだ、と言わんばかりの表情であり、制空権を奪われた空を少し確認し、いつ艦載機がまた攻撃を仕掛けないかと警戒している。

 

「古鷹や青葉がやられたからと、仇を討とうとでも? それに易々と乗る理由が私にあると思っているのですか? 援軍が来たからと、調子に乗っていますか? 私たちは今までと変わらずあなたたちを全て蹂躙すればいいんですよ。それだけでも、まだ襲撃を仕掛けた甲斐があります」

「そうね。でも、そうすればあなたは、私の誘いを蹴ったことになる。安易な成果を取り、悠々と逃げ帰るんでしょうね。そういうのって、南方提督だったかしら? その肩書に見合う成果なのかしら? 私、これでも吹雪型の5番艦よ。堕ちた存在とはいえ、吹雪型の長姉として、未熟なれど姉妹艦の申し出を蹴る、そのような恥を晒すなんて、情けないとは思わないのかしら? 少なくとも私はそんな屈辱を進んで受けようなんて思わないし、敵方とはいえ、そんな長姉は認めたくはないわね」

「…………」

 

 不敵に笑いながら語る叢雲の言葉に、僅かに深海吹雪のこめかみや頬が揺らぐ。

 理解している。安い挑発だ。それに乗ることによるメリットなどない。

 だが何故だろうか。

 胸が疼くのだ。誇りなど存在しないのに、あのような言葉をそのまま許してはおけないと、自分の中で何かが囁いている。他の誰かならばこのような感情を抱くことはなかっただろう。

 叢雲が、あのような事をのたまうから、このような感情を抱いているのだろうか。

 古鷹、青葉、そして叢雲……これらの顔ぶれと顔を合わせたことも、深海吹雪の中で何かが疼く要因となっている。

 ざわついて、ノイズが走って仕方がない。同時に自分の中から何かが這い上がっているような感触もある。

 

「吹雪、サッサト排除スレバヨイデショウ。コノママ調子ヅカセテハ、姉上ガアナタノ盾トナッタ意味ガナイ!」

「……そうですね。それは理解している。だけど山城、申し訳ありません。理屈ではない、効率でもない。私たちには不必要とされる感情論が訴えかけるのです。これにケリをつけなければ、しこりとなって私の中に残り続け、次の作戦にも影響を及ぼすでしょう。快適な戦闘のため、そのような不穏分子は排除せねばなりません」

 

 そう宣言し、刀を構えて叢雲と向かい合った。その選択に深海山城は表情を歪める。先ほどまでの優位性を崩される援軍に加え、艦隊旗艦である深海吹雪がわかりきった挑発に乗ってしまったことで、流れが完全に変わってしまった。

 深海棲艦が感情論を振りかざすなど、深海山城にとっては受け入れがたいことだ。一騎打ちをする流れになっているようだが、そんなことは自分には関係がない。あのような駆逐艦一人など、戦艦主砲で容易に吹き飛ばせるものだ。魔物へと照準合わせを命令しようとしたとき、それを阻むように伊勢から砲撃が飛んでくる。

 

「おっと、邪魔をされては困るわね。あなたの相手はこっちだよ。あたしたちに付き合ってもらおうかな」

「目障リネ……!」

 

 遠距離からの砲撃に加え、一水戦などの接近戦をこなす艦娘に近づかれ、深海山城の意識は叢雲からそちらへと移らざるを得ない。そうして場が整えられ、叢雲と深海吹雪が一気に距離を詰め合い、お互いの得物の刃が交わる。

 叢雲は長物、深海吹雪は刀という形であり、間合いの広さで叢雲が勝る。加えて叢雲の艤装は手で持つタイプの主砲ではなく、ユニット形式による特殊なものだ。マジックアームのように伸びた先に主砲があるタイプのため、両手で得物を振り回そうとも、主砲を撃てるようになっている。

 つまり、得物で敵の足を止め、主砲で追撃する流れを無理なく組み込める。だが、それは深海吹雪も同じことだ。艦娘の吹雪と違い、両手で刀を振るおうとも、背中から伸びる魔物の腕のような艤装の先に主砲があるため、刀で届かない先へと主砲や対空砲を撃てる。

 得物の間合いでは勝っても、お互いの主砲によって更に間合いが伸びる。隙を見せれば、足を止めれば、すかさず主砲が相手へと放たれる。それをお互い理解した上で、一合、二合と打ち合わされ、すかさず離れて主砲で狙われないように動き回る。

 駆逐艦ならではの高速機動での一騎打ちが繰り広げられることとなった。

 

 

「タリホー! どうやらあそこが敵機動部隊のようですネー! Follow me!」

「お姉様、あれは新たなタイプの空母のようですよ!?」

「Oh、マジデスか。ついこの間空母タイプの姫が出てきたと聞いていますが、もう新しいのが? マジFu〇kingデスね。それで、あれはどんな感じデスかね? 加賀」

「今あそこを飛んでいるのは私の子たちではないわ。隼鷹、どのようなものかしら?」

「あぁ、聞いて驚きなよ。アレは姫級を超えてらぁ。棲姫じゃあ納まらねえ力の波動を感じるねえ。提督、新しいランクってやつが必要になってきたってもんだあ」

 

 と、隼鷹から振られた。北東から速度を落とし、ゆっくりと航行する指揮艦の中で、茂樹が腕を組んで唸る。送られてくるデータからして、確かに隼鷹の言う通り、空母棲姫のそれより上回るものだった。

 艤装のアップデートか、あるいはあの人型が有する力の上限を拡張したのか。それについては茂樹には推し量ることはできないが、それでも純粋な強化が施されたものと考えられる。

 南方提督はあれを開発したから動き出したのだろうか。それとも、中部提督がミッドウェー海戦の後、あの短期間で開発できるだけのノウハウが蓄積されたのか。どのような形であのような新型を生み出したのか気になるが、棲姫を上回るランクを呼称するとするならば、

 

「……暫定的ではあるが、船幽霊の意味合いを持つ『水鬼』をあてがうとしようか。これよりあの新型空母を空母水鬼と呼称する! 各員、目標は空母水鬼率いる機動部隊! 迅速に蹴散らし、あいつらの元へと駆け付けろ!」

「OK! では一発お見舞いしてやりますヨ! 全砲門、Fire!」

 

 金剛の号令に従い、彼女率いる水上打撃部隊の艦娘たちが一斉射する。飛来してくる砲弾の嵐に、空母水鬼は艤装に腰かけたまま、その身なりに合わない動きで回避する。空母棲姫にはない、艤装のスクリューを上手く動かし、加速減速を巧みに変えてやり過ごしている。

 お供の空母棲姫やヲ級改、装甲空母姫は回避しきれずに被弾しているようだが、それらを意に介さずに空母水鬼はじっと金剛たちを見据えた。向かってくるのは川内率いる一水戦や、長良率いる二水戦。金剛率いる水上打撃部隊、加賀率いる主力艦隊、蒼龍率いる機動部隊といったところか。

 援軍たる彼女らを通せば、状況は完全にひっくり返り、パラオ泊地襲撃作戦は失敗に終わる。これは何としてでも防ぎ切らなくてはならないと、空母水鬼は組んだ足の上で、強く手を握り締めた。

 

「威勢ガイイナ、艦娘タチ。進ミタイノカ? ソンナニ」

「ええ、通さないというならば、押し通るまでデース!」

「イイダロウ、ヤッテミルトイイ。トハイエ、ヤラセハシナイヨ。威勢ダケデハドウニモナラナイ、ソウイウノヲ教エテヤロウ」

 

 おもむろに指を立てれば、その先に赤い光が灯りだす。それは空母棲姫も同様だ。前に出した指先に、同じような赤い光が発生する。空母水鬼がゆっくりと弧を描くように、左から右へと動かせば、軌跡に従って赤い光を纏った白猫艦載機が発生する。空母棲姫もまた、前に出した指を勢いよく薙ぐことで、光の軌跡に従ってそちらにも同様の現象が発生した。

 

「進ムトイウナラ、コレラヲ乗リ越エ、私ヲ沈メテミルンダネ!」

 

 空母水鬼の声が響き渡り、歯を打ち鳴らしながら赤い力を纏った白猫艦載機が一斉に金剛たちへと襲い掛からんと、空を往く。対抗すべく加賀たちが艦載機を発艦させ、それぞれの空戦を繰り広げる。

 その下で、嬉々とした表情で往くのは、トラック一水戦の旗艦川内。彼女に追従する二水戦とともに、一番槍とばかりに突撃する。

 

「さあ、行くわよあんたたち! 華々しく敵を撃滅し、トラック艦隊ここに在り! ってところをパラオの後輩たちに見せつけてやろうじゃないの!」

 

 川内の言葉に島風や雪風などが声を上げ、大井や霞がやれやれといったような表情を浮かべるが、しかし戦意がないわけではない。迅速に片をつけ、この戦いを終わらせなければならない。

 水鬼という新たなランクを与えられた敵であろうとも、やることは変わらない。脱落せず、的確に敵を撃滅する。戦場を駆ける水雷戦隊として、この戦いを大いに引っ掻き回してやろうではないかと、彼女たちは表情を引き締め、旗艦川内の後に続いた。

 



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空母水鬼

 

 深海翔鶴、茂樹たちより与えられた名は空母水鬼。彼女が放つ白猫艦載機は、空母棲姫が放つそれよりも高い機動力を保有していた。左目から青い燐光を放つヲ級改と、装甲空母姫が放つカブトガニのような艦載機を置いてけぼりにし、先陣切って艦娘の放つ艦載機へと突撃する。

 迎え撃つは主力艦隊に属する加賀や赤城の放つ艦載機。赤の力を纏う白猫艦載機と戦うため、青の力を纏った艦載機が空を切って接敵する。機銃を撃ち放ち、敵の攻撃をぎりぎりのタイミングで避けて、それぞれの艦戦が交差する。後ろを取られないように旋回すれば、お互いがお互いの後ろを取るべく、上下左右、あるいは斜めと、立体的な軌道で入り乱れる。

 青と赤の粒子がまるで流星のように尾を引き、戦場の空を二色に染め上げる。それに加味するは、それぞれの攻撃が命中し、爆発するという劇的な色。連続して響き渡る機銃音に、時折混じる爆発音が、空から響く中、水を切って川内たちが空母水鬼へと接近を図る。

 それを阻むように、空母棲姫が放っている艦載機が急降下し、攻撃を仕掛けてくる。それに対して対空砲や機銃で対抗し、加えて後方から三式弾が飛来し、撃墜に貢献してくれた。だがそれすらも乗り越えてきた白猫艦載機が、どういうわけかそのまま川内たちへと降下してくる。

 

「くっ、こいつ……!」

 

 そのまま体全体で体当たりをしてきたではないか。これまでの加速度を乗せた体当たりは、それだけでも十分な脅威となる。人からすれば野球の球が投げられた衝撃を受けるようなものだ。それが、爆弾を抱えたまま突撃してくるのである。機体そのものの一撃と、反応によって爆発したそれで、ダメージを与えようという魂胆か。このような攻撃、まるでかつての嫌な攻撃方法を思い起こさせる。

 

「表情ガ歪ンデイル。気ニ障ルカ? ソレデイイ、ソウシテ、気ヲ乱セ。動キヲ止メロ。楽ニシテヤル」

「頭に来ました。そのような使い方、許されません」

 

 艦載機による自爆特攻のような攻撃を見た加賀が、静かにそう告げる。呼吸を一つ落ち着かせ、改めて弓を構えれば、その両目からざわりと青い燐光が発せられる。サイドテールをなびかせ、美しい構えから放たれる一射は、鋭く速く空を駆け、瞬時に艦載機の一隊を形成した。

 新たな艦載機が送り込まれたことを察知した空母水鬼だが、動揺することはない。前方には水雷戦隊が自分たちを守るべく壁となり、また空母棲姫やヲ級改らもいる。彼女たちがタイミングをずらして艦載機の発艦と補給を行っているため、こちらからの艦載機の攻守は万全だ。加賀が静かな怒りを燃やして青の力を込めた艦載機を送り込んだとしても、届くことはない。

 気にするべきことは、戦艦の射撃だ。先ほどからどうにも金剛などの砲撃が届いている。ここは彼女らの射程内だということは明らかで、安全な後方に座していたはずが、先ほどからずっと動きっぱなしだ。潰すべきは彼女たちであろう。そのためにも、展開している艦載機の一隊を、金剛たちへと向かわせるように手を動かす。

 

「お姉様、来ます!」

「問題なしデース! 高雄たち、頼みますよ!」

「お任せを! 三式弾、機銃、斉射を!」

 

 高雄と愛宕の主砲から三式弾を発射し、艤装に備えられた機銃も稼働させて、水上打撃部隊に近づこうとする白猫艦載機から守りを固める。随伴している吹雪と叢雲もまた対空砲と機銃を構えて守りを強めていた。

 その守りの中で、金剛改二と比叡改二による主砲の攻撃が空母水鬼や空母棲姫へと放たれていく。主力艦隊に所属している扶桑、榛名も徹甲弾を斉射し、着実にダメージを稼いでいく。

 被弾による隙が生まれたのを見逃さずに切り込むのが、一水戦と二水戦だ。好機と見るや否や、川内が手にした魚雷を勢いよく投擲する。彼女は改二となっており、あたかも忍者のような衣装となっているのも相まって、その投擲が様になっている。

 加えて青の力を纏わせた魚雷だ。その一撃は、呉の神通などが今までやっていたような、ただの投擲魚雷の威力とはわけが違う。青の力によって魚雷には青白い光が包み込まれており、握り締めていた川内の手をも焼きかねないものだ。飛来してきたそれを避けきれず、装甲空母姫の脇腹へと着弾し、一気に爆ぜる。魚雷の強撃と同格か、それ以上の威力を以てして爆発し、艤装の爆発と相乗したことで撃破されてしまった。

 かつては鬼姫級の登場として驚異的な存在となっていた装甲空母姫も、今となっては量産型と同じような感覚で撃破できる存在となっている。練度の高さ、装備の充実、そして戦闘技術。これらが加味することで、余裕をもって対処できる敵となった証だった。

 軽く焼けた手の熱を払うように何度か振りつつ、

 

「はい撃破っと。次、行くよ! 大井! 右側の群れ、やっちゃって」

「はいはい。長良、巻き込まれないように!」

「りょうかーい!」

 

 後ろからついてくる二水戦旗艦の長良へと注意を促すと、大井は一気に魚雷を扇状にばらまいた。彼女も北上の改二と同じく、非常に多数の魚雷発射管を備えている。そこから放たれる魚雷の群れだけでも、集団で迫ってくる深海棲艦にとっては脅威となる。

 事実、その魚雷の数に気づいた何人かは足を止めてしまったが、突然そのように止まってしまえば、標的となるだけだ。主砲を構えた大井と川内、そして島風や雪風によって狙い撃ちにされてしまう。

 雷と霞は反対の左側と上空を警戒し、対空砲を構えて艦載機を迎撃していた。後ろからついてくる二水戦も同様で、前を往く一水戦が道を拓き、二水戦が守りを固めるという形で空母水鬼を目指していく。

 止まらず、反転しない彼女たちに、さすがの空母水鬼も少しずつ余裕が失われる。接近されれば弱いというのは、空母水鬼とて変わりはない。だが彼女の艤装は空母棲姫よりもブラッシュアップされている。

 彼女の艤装の後方にも一門の砲が左右に一基搭載されているが、空母棲姫はそれに加えて二門の方が中央に備わっている。対空砲を模したものだが、その威力は軽巡や駆逐艦相手なら、十分に威力を発揮するだろう。

 

「調子ニ乗ルナ……!」

 

 それぞれの砲門が接近してくる川内たちに向けられたその時、側面から急接近してく影に気づき、急旋回によって体ごとそちらに向けて射撃を行う。それは、青い光を纏った艦攻だった。

 反射的な迎撃だったが、何発か放たれた弾丸によって何とか撃墜させるも、すでに魚雷は放たれていた。その艦攻の狙い通り、魚雷は空母水鬼へと到達し、強い爆発を起こす。

 

「ッ、イツノ間ニ接近ヲ……? マサカ、アレラヲ越エテキタト?」

「それらだけで終わったとでも? 一の矢、二の矢、足りなければ何度でも射掛けてみせましょう。あなたへと届くものあれば、飛び立つ翼に我が力を込めるまでです」

 

 すっと前に出した二本指を下ろせば、彗星の如く急降下する影が空母水鬼へと迫る。青い光とともに鈍く光るは抱えられた爆弾。それらを一斉に投下させて致命傷を与えんとする。

 だが迫りくる危機を前に空母水鬼が何もしないわけがない。咄嗟に手を前に出せば、鋭く雷光の如く音を鳴らして弾ける赤の力。それに従って複数の白猫艦載機が盾のように陣を構える。

 まさかと思う間もなく、投下された爆弾が白猫艦載機によって防がれ、いくつかの機体が爆風によって吹き飛ばされていく。艦載機を盾として危機を乗り越えたのかと、加賀はまた苛立ちを隠せぬように目を細める。

 仕事を終えた艦爆たちが帰還しようと反転するが、それを追いかけるように空母棲姫が艦載機を発艦させていく。ヲ級改もそれに続こうとするが、飛来してくる戦艦の砲撃に飲み込まれ、やむなく後退を始めた。

 通常のヲ級よりも装甲などが強化されているといっても、姫級をも貫いてくるほどに強化された戦艦の砲撃ともなれば、ヲ級改とてただでは済まなくなっている。気づけばじりじりと攻め込まれている中、空母水鬼はちらりと空母棲姫へと目配せをした。

 

「ヤルノカ?」

「ココデヤラズ、イツヤルト?」

「デハ、合ワセヨウ」

 

 ぐっと組み合わせた空母水鬼の手から、少しずつ赤の力が増幅され、また雷光のようにバチバチと音を立て始めた。空母棲姫もまたぐっと握りしめた拳に赤の力を増幅させていく。そのまま天へと突き上げれば、一機、二機、三機と増えていく白猫艦載機。赤の力を纏って螺旋を描くように少しずつ空へと舞い上がっていく。

 空母水鬼も開いた手から一機の白猫艦載機がふわりと舞い上がると、一機を中心として、五、九と、まるで花が開くように中心から外へと一周の数を増やして広がっていく。それら全てが赤の力を纏い、それぞれが二人の手から離れて空へと上がる。

 カタカタと音を鳴らし、黄色い瞳を爛々と光らせて空を往くそれらが形成するは赤の嵐。何としてでも近づいてくる艦娘たちを排除するという意図を隠そうともしない、強い力の暴力である。

 

「飲ミ込マレテ落チロ、艦娘ドモ!」

「大人しくやられるほど、私たちは軟じゃないってねえ! あんたたち、ここが気張りどころだよ! 強敵撃破作戦、発動! 上手く立ち回り、とどめの一撃に繋げるんだよ!」

 

 そう言って川内は、懐からいくつかの玉を取り出し、主砲へと込めて空へと打ち上げた。それらは白い煙の尾を引いて十分な高さへと到達したとき、炸裂して強い光を発する。本来ならば明るい時間帯ではなく、夜の闇の中で使う、照明弾と呼ばれるものだ。

 夜間であれば少し離れた敵艦であろうとも、その姿を光に照らされて影のように浮かび上がらせることができる。その光の強さは人であれば、近くで見ればあまりの眩しさに目が眩むほどであり、それはつまり、上空で接近しようとしている艦載機であれば、その眩さに混乱を招きかねないほどのものだ。

 光にやられた艦載機の動きが乱れ、攻撃到達までの時間が狂う。それと同時に、後方にいる金剛たちにとっても、照明弾が炸裂した数から、川内が何をしようとしているかが、言葉なくしても伝わる。

 

「Oh、やる気ですね川内。ならばやってやりましょう! 空母水鬼の動きを阻害させるのデス!」

「了解です、お姉様! 次弾、装填! その足を狙わせていただきますよー!」

「加賀さん、照明弾です。その数、三。やる気ですよ、川内さんたち」

「そうですか。敵もなりふり構わなくなってきたようですし、あの子たちに決めていただくことにしましょうか。蒼龍、飛龍。脇はよろしく頼むわね。丁度良いので、私はアレを試してみることにします」

 

 機動部隊に所属している蒼龍と飛龍に、空母棲姫などの相手をするように指示すると、空母水鬼らの艦載機に対抗するための援軍を放っていく。照明弾によって動きが乱れた白猫艦載機らだが、全てではない。光に眩まなかったものらが、川内たちを落とすべく攻撃を仕掛けてくる。

 それらを前にして、川内たちは退くことはしない。覚悟を決めた眼差しで、高速移動で空母水鬼を目指す。放たれる爆弾や魚雷、それでも止まらないならとまた体当たりをしてくる白猫艦載機を、瞬時に見切って回避する。

 だが、一機二機ならいいが、それ以上の数が次々と迫る。それによって避けきれず、被弾をする艦娘も出てきた。雷や霞、二水戦の電などだ。川内は見切り、島風はその速さで切り抜け、雪風は冴えわたった感覚で凌いでいる。

 大井も切り抜けようとしたが、避けきれなかった。そこを、雷や霞が庇う形で守られており、何としてでも大井を生かそうとする意志が見える。それはつまり、大井に何かを託そうとしているということだ。

 

「こんなもので私たちを止められると思わないことね! 水雷魂燃やせば、窮地に在ってなお道を切り開いてみせようってねえ!」

 

 首に巻くマフラーのようなものをなびかせ、川内は機銃や対空砲をフル稼働させ、迫ってくる白猫艦載機を撃墜させていく。加速と減速を使い分けるだけでなく、移動しながらターンをし、周囲に弾幕を瞬時に張って大量の撃墜数を稼ぐなど、一水戦旗艦ならではの練度の高さを見せつけていく。

 その頼もしさに、後に続く艦娘たちも負けてなるものかと対空射撃と回避を必死にこなし、川内に置いて行かれないようにと後に続く。止まらない彼女たちに空母水鬼は困惑する。どうしてあそこまで突っ切ってくるのか、理解しがたい。そして何故自分は彼女たちの気迫に圧されているのだろうか。

 

「気に迷いが見えるよ。それじゃあ殺ってくれって言っているようなもんだよ?」

「……ッ、戯言ヲ。コノ私ガ、オ前タチナドニ落トサレルモノカ……! ヤラセハシナイ!」

「そう。でもお生憎さま。私たちは、あんたの先に進まなくちゃいけないんだ。早いところ後輩たちの元に行くために、あんたという壁は邪魔なんだ。水鬼だかなんだか知らないけど、これ以上時間をかけてられないんだよね。だから、夜を待たずしてお別れの時間よ」

 

 くすりとどこか艶やかに、しかし戦意を隠さない微笑みを浮かべると、「雪風!」と声を上げれば、すぐさま煙幕が広がり、川内たちの姿を隠した。煙幕の中に消えていく川内は雷へと手を伸ばし、何かを受け取ったような気がしたが、何かを確かめる間もなく完全に姿を消す。ここまで接近した上で煙幕による隠遁。川内の言葉の通り、まさに自分を沈めにかかる必殺の時を狙っている。

 自分を守ってくれる水雷戦隊は、川内たちによって沈められている。加えて遠方から金剛と比叡の砲撃が飛来し、深い警戒の時間を取らせず、気を散らされる。空母棲姫は蒼龍や飛龍によって狙われているだけでなく、川内たちの後ろを追従していた長良たち二水戦が向かっていた。そちらもまた煙幕によって姿を隠し、いよいよとどめを刺しにかかっている。

 

「負ケル? ココマデキテ? イヤ、マダダ」

 

 ぽつりと漏れて出た言葉に、自分で否定する。終わってはいない。まだここに健在だ。

 煙幕は前方にある。いったん距離を取るように下がればいい。少し深海吹雪の方に近づくがやむを得ない。奴らから距離を取り、前から、あるいは側面から煙幕の中から飛び出して攻撃を仕掛けてくるなら、対応してみせる。

 

「総員、突撃。守り切り、繋げなさい」

 

 展開している艦戦にそう告げながら、加賀は狙いを定めて引き絞った矢を放つ。青き粒子の尾を引いて飛ぶ流星の如きそれは、まさにその名を冠する艦攻。川内たちを狙う敵艦載機をと交戦する艦戦の脇を抜け、空母水鬼の側面を取って一気に距離を詰めていく。

 狙うは一点。流星隊がいざ攻撃を仕掛けようとしたその時、空母水鬼も迫りくる脅威に気づいたのか、はっとした顔で流星隊を見上げ、そちらへと対空砲を向ける。先ほど撃墜させた艦攻に似た気配を感じ取ったのだろう。艦載機が落とされ、川内たちがいつ仕掛けてくるのかわからないという緊張感で、視野が狭まっているものと思ったが、逆に研ぎ澄まされていたらしい。

 

「何ヲ狙ッテイタカハ知ラナイケレド、ソノ手ハ食ワナイ……!」

「そう、残念ね。今回は試せなかったけれど、意識は逸らせたから良しとしましょう」

 

 以前に茂樹と話したことを、ここで実現させようかと考えていた加賀である。敵の足を止める、概念に関する力の作用は果たして使えるのか否か、そのデータを取れるまたとない機会だったが、先送りにするしかない。

 流星隊が全て落とされたことで、加賀の攻撃は届きはしなかった。しかし、加賀のその攻撃によって空母水鬼の警戒心はそちらに向けられたのが幸いする。彼女の足を止める役割は、また別の誰かが担っていたのだから。

 急にスクリューへと何かが着弾し、強い爆発を起こして体勢を崩してしまう空母水鬼。あまりに突然の奇襲に、何が起きたのか頭で理解できなかった。何故背後から攻撃を受けたのだろうか? そちらには艦娘や艦攻もいなかったはずだ。

 いや、このようなことはさっきもあったではないか。深海吹雪がどこからか攻撃を受けたことが、空母水鬼にも起きたのだ。

 

「足、止まったねー?」

 

 不意に聞こえた気の抜けるような声。すいーっとスケートをするように煙幕の中から飛び出してきたのは、白髪に近い長髪に、黒いうさ耳のようなリボンを付けた少女、島風だった。

 背中に背負う五連装魚雷発射管を向け、少し気を込めるように唸りながら発射させると、高速で空母水鬼へと迫っていく。スクリューをやられたが、それでも空母水鬼は大人しくやられることを良しとしなかった。

 炎上するスクリューと反対側のものを稼働させて急旋回し、全弾直撃だけは避けたものの、一発を艤装の横っ腹にもらう。だがカウンターとばかりに、急な動きをする艤装にしがみつきながら、島風へと指を向け、赤い力を込めてやる。

 すると白猫艦載機が顕現し、そのまま島風へと体当たりを仕掛けていく。向かってくるそれによって攻撃を受ける島風ばかりに気を取られているわけにはいかない。空母水鬼は艤装の砲門を旋回させ、周囲を警戒した、その時、

 

「ッ、フン……!」

「わぁっ!? あぶないあぶない」

 

 対空砲によって撃たれかけたのは、雪風だった。魚雷を構えており、今から撃とうというところを、気づかれたらしい。いや待て、あの雪風は煙幕を出していたはずだが、何故煙幕から離れたところにいるのだろうか?

 艤装からはもう煙幕は昇っていない。よく見れば、少しずつ煙幕が晴れていっている。だからそこから離れたところで、とどめを刺すタイミングを狙っていたということか。と、考えたところで、あの川内はどこにいった?

 その疑問も束の間、ゆらりとまるで影のように背後を取りつつ跳躍した川内によって、首から肩にかけて足で挟まれ、捻りを加えた勢いのまま海へと叩き落される。あまりに鮮やかな背後取りからの攻撃に、忍びめいた何かを感じるが、川内はそのまま手にした鎖を空母水鬼の首元から彼女の腕に巻き、そして大きな錨の先端を艤装の腹へと突き刺した。

 

「ナ、何ヲ……!?」

「数秒でもあんたを止めていればそれで良し。イクや島風の足止め、加賀さんや雪風の囮、そして私が雷の錨であんたを縛る。そうしてお膳立てをして、とどめは彼女って寸法よ。じゃ、さようなら」

 

 見れば、静かに力が高まっていく気配が一つ、晴れていく煙幕の中から姿を見せていく。

 装備されている魚雷たちの力を一つに収束させる青の力。それを手にするのは、雷巡という高い雷撃性能を有する大井改二。彼女や北上から放たれる魚雷の強撃は、姫級であろうとも致命傷に追い込むほどの威力を有している。それは、本土防衛戦で呉の北上が、戦艦棲姫相手に放った魚雷の強撃が証明している。

 では、その魚雷の強撃をも超えるであろう、青の力による雷撃はどうなるのか。

 攻撃方法は、魚雷の投擲を改良したもの。一本の魚雷だけに行使した先ほどの川内の時とは違い、五連装酸素魚雷を全て射出し、一つに束ねて纏める。一本だけでも強力なそれを、五本を一つにすることで、一点に集中させる強大な力を形成する。扱いを間違えれば、誘爆して自分だけでなく周囲をも傷つけるそれを、慎重に操作し、握り締める。荒れ狂う雷のようなそれは、絶えずバチバチと周囲に青の力の余波を放つが、それを制御してまるで投擲槍の如く構え、ぐっと引き絞っていく。

 淡い蒼の燐光を両目から発し、青白い光の雷槍を構えるそれは、まるで鬼神の如く。立ち上る力の影響によって発生した風で、栗色の髪が強くなびく中、狙いを定めた大井は、勢いよくそれを投擲した。

 雷巡ならではの超強力な一撃、その威力は命中していないのに、投擲した大井の右手が証明している。力を溜め込んでいる間もそうだが、右手が青の力によって焼かれており、衣装もまた焼け焦げて腕が露出している。訓練の時からそうだったので、腕が焼かれることには少々慣れてきていたが、実戦の中でこれをするのは、大井にとっても初めてのことだった。それだけに失敗は許されず、誤射も今まで以上に許されない。味方へと当たれば、一撃の下に撃沈させることは間違いなく、力に巻き込まれるだけでも多大なダメージは免れないだろう。そのため川内の手によって空母水鬼の動きを完全に止めるべく、艤装へと縫い付ける手段を取った。その艤装もまた、深海吹雪へと奇襲を仕掛けた潜水艦、伊19の手によって、スクリューを破壊し、足を奪っている。

 もう一基のスクリューも、縫い付けた後に大井の攻撃の余波から逃げるべく離れる際に、さりげなく破壊されており、艤装を動かすことすらできなくなっていた。

 

「コノヨウナ、コノヨウナ手段ヲ確立サセルナンテ、艦娘、トラック泊地……驚異的ナ――」

 

 その言葉の続きを口にする前に、空母水鬼は大井の放った攻撃の光に飲み込まれていった。直後に発生する大爆発。それは離れたところにいる深海吹雪にも届くほどのものだった。何事かと振り返る深海吹雪の頭に、空母水鬼が最後に残した情報が送られる。途中で途切れたものだったが、しかし自分を撃破せしめた彼女たちの一連の行動が記録された情報として、深海吹雪へと届けられることとなった。

 だが、同時に知る。

 生まれたばかりのものを運用したとはいえ、新たなる空母の存在が、こうも早く撃破されたという事実に。

 

「翔鶴、負けたというのですか? そんな、私の作戦が……先輩の依頼を果たせずに……」

「先輩? 深海提督の先輩ってやつかしら? それが、あんたがパラオを襲撃してきた理由ってこと? 詳しく聞きたいものね、吹雪!」

 

 動揺する深海吹雪へと、叢雲は強い一撃を与える。それによって刀を構える体勢が崩れ、すかさず追撃を放ってその手から刀を弾き飛ばした。更にマジックアームの先にある主砲を加え、深海吹雪に体勢を立て直す隙を与えなかった。

 しかし深海吹雪も、刀こそ弾かれたものの、叢雲の主砲の直撃を受けても、それほど大きなダメージを感じてはいなかった。咄嗟に身を庇うように腕を顔の前にやったが、その威力に少しの安堵を得る。

 すぐさま刀を回収するように動き、更に距離を取って辺りを見回す。空母水鬼が落ちたならば、トラック艦隊が合流するのも時間の問題だろう。業腹だが作戦失敗を受け入れ、撤退するしかない。

 だが、それでも目の前にいる叢雲に対し、何らかの傷を負わせたいという感情が燻っている。深海山城も叢雲に感情を揺さぶられていることを咎められたし、自分でも良くないことだということは理解している。

 でも、この気持ち悪さは何だというのか。どうすればこれを晴らせるのかを考えれば、叢雲を傷つければ、沈めれば晴れるのではないかと、頭をぐるぐると回っている。

 そんな感情を向けられていると知らず、叢雲は相変わらず真っすぐに深海吹雪を見据え、問いを重ねる。

 

「答えなさい吹雪! あんたたちは、誰の命令でこっちに来たっての!?」

「……うるさいですね、叢雲。今の私に、あなたのその叫びは癪に障る」

 

 不愉快そうに顔を歪め、異形の左手で前髪を掻き毟る。額から生える一対の角の片割れの根本、左目を手のひらで隠し、白い髪をがりがりと乱し、そして隠されていない右目は、彼女の感情の乱れを表すように、激しく赤く明滅していた。

 どこか鬼気迫るような表情に、叢雲も少し言葉に詰まるが、しかしここで退くわけにはいかなかった。問わねばならない、知らねばならない。彼女にパラオを攻めろと言ったのは誰なのかを。

 

「あんたは先輩と言ったわね。南方に口出しできる先輩って誰? アメリカを担当している奴? それとも、先の戦いを引き起こしたっていう中部なの?」

「……そうですか。パラオもそういう情報は知っているんですね。ええ、そうです。中部先輩の依頼により、ここに来ました。あなたたちがこれ以上力をつける前に、私の手で消えてもらうことを望んでいたそうですので」

「そう、中部の輩が。そっちが動かなかったのは、先の戦いの影響ってやつかしら。で、あんたもあんたで、最近張り切っているみたいだけど、以前までの南方の静けさはどこいったってのよ?」

「それもそうでしょう。先代の南方提督には私の手で消えていただきましたので。動かず、妄執に囚われる存在は必要ありません。私の手で、もう一度南方の勢力を拡大させる。パラオ襲撃はその大きな一歩になるはずだったのに、よもやこのような結末とは、失態です。あなたたちのしぶとさ、見誤りました。反省せねばなりません」

 

 言葉にすることで少しずつ落ち着きを取り戻してきたのか、瞳の明滅の回数が減り、荒かった呼吸も緩やかになっていく。手にしていた刀を左手へと収めていくと、「総員、撤退です」と命令を出す。

 

「叢雲、そしてパラオにトラック。この勝負、預けることとします。次の機会があるならば、そこで決着をつけたいものですね」

「いいわ。私としてもあんたとの戦い、決着つかずというのも性に合わないもの。また戦場(いくさば)で会いましょう。次の戦いでも、私の心の(つるぎ)は折れず、あんたを打ち破る様を見せてあげるわ」

 

 その言葉にまた額に青筋が浮かぶほどの苛立ちを見せる。再び戦場に舞い戻ってからというもの、叢雲は最後まで気高く、気位が高い姿を崩さず、堂々とした在り方で深海吹雪と向かい合っていた。

 それが堕ちた存在である深海吹雪にとって、強く眩く見えて仕方がない。かつての自分がラバウルの吹雪と天龍の混ざりものであるが故に、意識せずにはいられない。今も艦娘だったならば、後輩であり、姉妹艦であるはずの叢雲を前にして、撤退を選ばなければならないなど、より感情を逆なでする現実だった。

 

(どうして、どうして私はこのように揺らがなければならない? このようなもの、先代の南方のようじゃないですか……! 私は、どうしてしまったというの? このようなもの、切り捨てなければ)

 

 そうだ、南方提督として目覚めた時のように、自分の中で必要なものと不必要なものを整理しなければならない。そうしてようやく、自分は正常になるはずだ。

 

(こんなもの、いらない。消去しなければ。消去して、もう一度やり直すのです。そうすれば私は元に戻る。きっと……)

 

 揺れる心のまま、深海吹雪は拠点へと帰還していく。その揺れる姿をじっと深海山城に観察されたまま。

 

 

 戦いが終わり、パラオの艦娘たちは大きく息をついて緊張感を解いた。周囲一帯に敵の反応は消え去り、戻ってくる気配もない。自分たちは生き延びたのだと、お互いの無事を喜び合った。

 香月もやれやれと息をついて汗をぬぐう。

 この勝利は奇跡的なものだった。茂樹の援軍がなければ、どう考えてもパラオは壊滅していたに違いない。

 本当に、助かった。

 そう実感すると、体の震えが止まらなくなってくる。

 自分は死にかけたのだ。

 自分だけではない。艦娘たち、そしてパラオに住まう国の人々も、恐らく皆殺しにされていただろう。それを回避できたのは、本当に喜ぶべきことだ。

 そして叢雲の手によって、深海吹雪から情報を引き出すことに成功した。

 今回もまた中部提督とやらが裏で糸を引いていたのだという。何者なのだろうか。今年だけでもウェーク島、ミッドウェー海戦と、二つの戦いにおいてその存在が関わっている。今回もまた関わってくるとなると、香月としてもその存在や正体が気になって仕方がない。

 そして茂樹もまた、偵察機から送られてきた映像によって、それを耳にしていた。小さく汗の雫が落ちる。

 中部提督が南方提督にパラオ襲撃を依頼した?

 それが意味することを、茂樹は理解している。香月は知らないが、茂樹は知っている。

 

(マジかよ……美空星司、お前……)

 

 本当に中部提督が美空星司ならば、彼は実の弟の殺害を依頼したことになる。自分の手でやるのではなく、誰かの手で始末してもらおうとしたという点がどう響くかはわからない。だが、それでも彼の意思として、美空香月の死が望まれていることに、茂樹は息を呑むしかなかった。

 



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先輩と後輩

 

 戦いが終わり、茂樹たちはパラオ泊地へと入港する。基地の所々は空母水鬼らの放った艦載機によって攻撃を受け、破壊されているが、妖精たちの手によって修復が行われている。速やかな消火によって火の手が大きく広がらなかったのが幸いした。また、第一陣などは通しはしたが、その後の攻撃を少数に抑え込められたのも大きい。それがなければ、基地は大規模な壊滅に追い込まれていただろう。

 茂樹を迎え入れた香月は、まず頭を下げる。

 

「……ありがとうございます。おかげでみんなを守りきることができました。助力に大変感謝します」

「おいおい、いつもの口調はどこいったよ? やめな、むず痒くなる」

 

 礼を尽くした言葉に、茂樹は苦笑を浮かべて何度も香月の肩を叩いた。気軽な態度を前にしても、「こういうのは誠意を見せるもんでしょう。文字通り、命を助けてもらったんですから」と、頭を下げたままだ。

 

「ま、そうだがね。しかし俺は言ったぞ? 先輩が後輩を助けるのは当たり前のことさ。そして身に染みて思い知っただろうよ。敵は以前までとは違う。明確な知性と意思を持ち、行動している。お前さんらがこれ以上力をつける前に、叩けるうちに叩いておく。ただ命を奪うのではなく、こういう理由で奪いに来る。それを実行してきたんだ。どれだけやばい奴らか、思い知っただろう?」

「……そうっすね。そして、オレたちはまだ弱い。ただ耐え忍ぶことしかできなかった。不甲斐ない」

「そうでもないだろうよ」

 

 悔しさに拳を震わせる香月に、茂樹は加賀から受け取った記録を確認する。そこにはパラオの大淀らが簡潔にまとめた、襲撃からの一連の流れが記されていた。その中の一角を指で示す。

 

「ここに、駆逐棲姫の撃破とあるじゃねえか。新たな姫級の出現確認と撃破、それをこなしているってだけでも、十分誇れる戦果だろ?」

「それは、そうっすが……」

「何もできなかったわけじゃない。この点に関しては、胸を張ってけ。でなけりゃ、この戦果を挙げた艦娘たちを否定することになる。それは提督のお前さんがやっちゃいけねえことだ」

 

 その言葉に、香月は顔を上げて茂樹を見上げる。そんな彼に、無言で一つ頷いてやると、香月も、そうだとばかりに頷いた。彼女たちはただやられてばかり、守ってばかりではなかった。

 阿武隈たち一水戦の奮戦により、敵艦隊の先陣を切ってきた駆逐棲姫を撃破したのだ。それに一人の戦艦棲姫も撃破している。その戦いの成果すら否定してはいけないだろう。

 弱かったのは間違いない。でも、弱かったとしても、これまで積み重ねてきた訓練の成果は確かにあった。この半年近くの積み重ねてきた時間は、決して無駄ではない。敵に勝利し、泊地を守ることができた。この二つを成立させるだけのものは、彼女たちに備わっていたのだから。

 

「胸を張れ、美空香月。俺が到着するまでよく頑張った。お前たちの戦いを、俺は評価する。見事にパラオを守り切った戦士たちだと、俺は認めてやる」

「…………」

 

 いつもは「坊ちゃん」としか呼ばない茂樹が、しっかりと名前を呼び、認めてくれた。パラオを守ったのだという実感も合わさり、また香月の目に熱いものがこみ上げてきた。体を震わせ、声を殺して感情を発露させる彼を一人にさせようと、最後に一つ肩を叩いてやり、茂樹はその場から離れた。

 そんな彼に付き添っていた秘書艦である加賀が、少し逡巡したものの、小さく問いかける。

 

「あのことは話さないままで?」

「……話せるもんかよ。今も、この先もな。それにまだ確定情報でもなし。確かめるには実際に奴と会うしかないんだからな」

 

 頭に浮かぶのは中部提督が美空星司ではないかということだ。いくつかの情報から、湊はそうではないかとほぼ確信しており、母親である美空大将にも報告はされている。しかし実弟である香月にはまだ伝えられていない情報だ。

 今回の一件を引き起こしたのが中部提督ならばと考えると、どうにも話しづらい。色々と感情が弱っている彼に追い打ちをかけてしまいかねない。また、言葉を交わしたのはあの本土防衛戦の時だけであり、その際には彼は星司と名乗ってはいない。まだ確定情報ではないため、これを伝えて、本当はそうではなかったとなったら、今伝えることによる感情への追撃の痛みだけが残るだけだ。それは避けたい。

 

「後は、南方提督が代替わりしたって可能性か」

 

 最後に深海吹雪は中部提督の関与を口にしたが、それだけではなく先代の南方提督を消したような旨を口にしていた。ということは、去年のソロモン海戦の時はその先代の南方提督であり、今年のどこかで代替わりをしたと考えられる。

 タイミングとしては、先日のショートランド泊地やブイン基地の襲撃前だろうと推測できる。今まであまり動かなかった南方の深海棲艦が、急に基地襲撃を始めたのだから。明らかにそれまでの行動と大きな違いを感じるものだ。

 では、今回の失敗を受けて南方提督である深海吹雪はどのように動くだろうか。

 

「しばらくは戦力回復をするとして、その後はどう動いてくるか。またパラオを攻めるか、ラバウルに向かうか」

「トラックまで一気に北上することは? 今回のことで恨みは買ったと推測できますが」

「それもあり得そうだが、ラバウルと南北で挟まれるからなあ……。いや、そこで中部も動いてきたら、不利か」

 

 パラオ壊滅の邪魔をしたことで、今回の作戦を依頼した中部のヘイトも買ったことを考えると、中部が動いてくる可能性もあるだろう。今はミッドウェー海戦の回復期間と考えれば、近い将来動いてくる可能性があるかも知れない。

 そこに深海吹雪が便乗してくれば、いくらトラック艦隊とはいえ危険だろう。あり得ない話ではないため、これに関する備えをしておく必要が出てきた。

 

「帰ったら少し泊地に手を入れるか。アメリカとかじゃあ日常的な基地襲撃をこっちでもやられ始めれば、俺たちもただ黙っているわけにゃいかねえな」

「ですね。アメリカや欧州の情報の再確認をしておきます」

「頼む」

 

 トラック泊地の改装を今後の予定に新しく組み込むことを決め、少しパラオの艦娘の様子でも見て回ろうかと考えたところで、「あの!」と背後から声がかかった。振り返ると、香月がじっと茂樹を見据えていた。

 

「どうした?」

「……あーっと、今回のこと、そして今までの演習、改めて感謝を。そして、今までのことに謝罪を。色々言って、すんませんでした」

「あん? 別に気にしちゃいねえさ。年頃の坊ちゃんとかはそんなもんさ」

「その上で、改めてお願いしたい! パイセン、改めてオレたちを鍛えてください! あんたから色々と学びたい! でなけりゃ、オレたちはいつまで経っても、あんたの助力を請わなければ、何も守れねえ、戦えねえ! そういうのは、もうごめんだ。だからパイセン、よろしくお願いします!」

「……パイセンね。いいじゃねえの、そういうの。今回のことで一皮剥けたってか」

 

 ただ先輩と呼ばないというのが、少々香月らしいかと、茂樹は笑みを浮かべて、頭を下げている香月の頭をくしゃりと撫でる。そして無理やり顔を上げさせ、その目を見た。じっと茂樹を見据える彼の瞳は、確かな意思が宿っているように思えた。

 今までのような、どこか気に食わなさそうな、生意気な少年の気配は薄れている。それだけ今回の戦いが堪えているのが感じられたが、その意識の変化とともに、あの小生意気な少年がなりを潜めるというのも、少々寂しく感じられた。

 

「かまいやしねえよ。改まって願われるまでもない。これからも俺はお前さんを鍛えるつもりでいる。だがそうして言葉に出すってのはいいことだ。お前さんの本気を感じられるからなあ。どの道、パラオにも強くなってもらわないと、この先どうなるかわかったもんじゃないからな。もしかすると、いずれお前さんに助けられる時が来るかもしれない。それを楽しみにしつつ、相手になってやるよ」

「うっす、よろしくお願いします、パイセン!」

 

 勢いよく頭を下げる香月だが、今までの香月の振る舞いを思い返せば、その変わりように苦笑しか出てこない。素直になったのはいいことかもしれないが、茂樹にとっては困惑しか出てこないものだった。

 

「うん。だがまあ、そうして舎弟みたいになるってのも、少々気味が悪いな。以前までのような付き合いでも俺はかまわないんだぜ? 俺としては気さくに、気楽に付き合いたいんだよね」

「あー、そうっすか。でも、パイセンに対する色々なあれって、傍から見たらっどうなんだってのもあるんじゃねえんすか?」

「自覚あるんかい。マジで反骨精神で付き合ってたんだな、坊ちゃん。それでこそ生意気坊主って感じがするなあ、おい」

「勘弁してくださいよ……まじで申し訳ないっす。だから改めるって言ってんですから、それでいいじゃないっすか」

 

 肩を組んで軽く腕で首を絞めてくる茂樹に、あたふたしながらこれまでのことを謝罪するも、どことなく年が離れた兄弟がじゃれあっているように見えなくもない。これが本当に星司と香月という兄弟だったならば、と思わなくもないが、しかしようやく仲を深めた先輩と後輩という図でも、何も問題はないだろう。

 そのまま並んで歩き、これからのことを話し合おうという茂樹に、何とか肩組みから離れ、隣を歩く香月は同意した。その後ろを数歩離れて歩いていく加賀も、これから先の二人のことが楽しみだと、微笑を浮かべる。

 少し先に、パラオの秘書艦である赤城がいた。二人に一礼し、加賀へと近づくと、二人の様子に少しの期待感を込めて、「もしかして、うちの提督が礼を尽くしましたか?」と問いかけた。

 

「ええ。これからは素直に付き合っていけそうですよ」

「それは結構。ここまで長かったですね。これまでのこと、私からもあなたに謝罪を。そして、提督の新しい始まりを迎えられることに感謝を。パラオの艦娘代表として、私からもお礼を述べます」

「トラック代表として、謹んで受けましょう。これからも良き付き合いができることを望みます。私からも赤城さんに色々と教えることがありますし、これからが楽しみですね」

「ええ、私もですよ。今回の実戦においてあなたの技術は見ごたえがありました。同時に、練度の差も実感させられましたからね。ぜひとも多くを学ばせていただきます」

 

 かつての一航戦の二人が並んで提督の後に続く。戦いの中で失ったものはあったが、しかし結束が強まったという大きな結果もあった。これまで以上に真摯に演習や訓練に取り組み、パラオ艦隊は以前よりも更に力をつけることになるだろう。

 歩みを止めるか、遅い足取りで進むことになると思われたパラオ艦隊は、この日以降、歩みを止めず、駆け足のようにトラック艦隊という大きな背中を目指し、道の先を目指して進み続けることになる。

 同時に、美空香月という少し捻くれた少年は消え、一人の男の背中を追う青年がパラオ泊地より生れ落ちることとなった。

 



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闇ノ中ヘ堕チル

 アリューシャン列島、ウラナスカ島。その海底に彼らはいた。ミッドウェー海戦の際に、北方提督が戦場として定めたこの地に、北米提督たちが逃げ延びていた。戦場となった際に一度、深海棲艦の力がこの海域に広がったため、仮の拠点を築くには問題なかった。

 しかし、かつての拠点と比べると大いに差がついている。まず設備がない。緊急時として、最低限の設備を深海棲艦の力を用いて用意はしたが、それでも戦力を増強するには時間がかかるだろう。

 何より、パールハーバーを攻め落し、その基地を奪還するために用意した基地型の深海棲艦の素体。これが拠点襲撃によって失われたのが大きい。

 しかも育成途中だったため、これまでの育成データがデータベースに保存されておらず、バックアップもない。また一からやり直さなければならないことに、北米提督は屈辱などによって体を震わせていた。

 今まで拠点が見つからなかったのに、発見されたことだけではない。次のための準備を全て無に帰されたことがとても痛い。メリーランドも撃破され、喪われた。深海棲艦にとって、単に撃破されただけでは問題はないが、死体はあの場に残ったままだ。あるいは、残骸だけ残し、魂となる核は消滅してしまったかもしれない。そうなれば、これまで長く共に歩んできたコロラド三姉妹の次女のメリーランドは、あの場で死んでしまい、二度と帰らない存在となった。

 

「……おお、神よ。このような試練を与えようとは。しかし、この試練、苦難を乗り越えてこそ、自分は神に近づく、そうなのでしょうネ……。これまでが順調すぎた。サンディエゴ、パールハーバーを完膚なきまでに叩き潰す道が見えたからと、慢心してはいけない。そうなのでしょう」

 

 手を組み、跪きながら北米提督はそう呟いた。確かに思い返せば、ミッドウェー海戦の中でヒントを得、それを基にして素体を作り上げた。ここまでの流れが順調だったからと浮かれていただろう。

 だからサンディエゴの艦隊が自分の拠点について気づき、侵攻してくることに気づくことがなかった。これは反省すべきことだ。

 だから次は間違えない。

 もう一度、このウラナスカ島から再出発をする。しばらくは静かに行動し、資源を確保する必要があるだろう。相談する相手は、恥を忍んで北方提督にするべきかと考える。中部提督の星司には頼れない。今までギークと呼んで接してきた彼に助力を求めるなど、何となく釈然としなかった。

 また屈辱や怒りによってか、以前のようなハイテンションな北米提督はなりを潜め、敬虔な信徒としての顔がずっと浮き出ている。こちらが生前の頃の性分であり、あちらが歪みによって生まれた顔ではあるのだが、精神に大きなショックを受けたことで正常に戻ったとでもいうべきか。

 しかし戻ったにしては、深海勢力に属するものとして行動し続けるという妙さもある。神に祈りを捧げる、その対象は生前からのものか、あるいはかの神へのものか、それに対して疑問を抱いたことがあったというのに、今の彼は奉ずる神を疑っていない。

 

「神よ、我らを導きたまえ……この苦難の先にこそ、自分は安息を得る。全ての人類を神の御許へ導く。それこそが我が使命。ええ、ええ、成し遂げますとも」

 

 ぶつぶつと呟きながら、しかしどこか苦痛に瞳が歪み、頭を押さえている。時折、バチバチと何かが弾け、赤黒い電光が髪から発せられているが、彼は気にも留めない。その様子に、コロラドやウエストバージニアが心配そうな表情を浮かばせるが、どこからか聞こえてくるようなチャイムの音が、彼女たちからそれを消す。

 何も問題はない。そう、どこからか聞こえるその音が告げているかのようで、二人は北米提督から指示があるまで、待機となった。

 深海北米艦隊の当面の予定は資源を増やし、設備を整えてから艦隊の再編成と育成に努めなければならないこととなった。これにより北米提督によって計画されたパールハーバー襲撃作戦は、これにより実行日が未定とならざるを得ない。パールハーバーに迫っていた危機はこれにより先送りとなる。

 

 

 北方提督、三笠の手による訓練は、日々継続されている。彼女を殺すために力をつけるのに、彼女から手ほどきを受けるという構図は、最初こそ困惑していた深海熊野だったが、しかし彼女の教えは的確で、じっくりと自分に力がついていることを実感していた。

 艦娘としての力、動きだけではなく、深海棲艦の力、すなわち赤の力の扱い方もこなれてきており、自分の意思で両目に赤い燐光を発し、手にその力を収束させることもできていた。だがそれを以てして彼女に攻撃を与えても、三笠を殺せるようなイメージがわかなかった。

 攻撃は以前に比べて通せるようにはなっているが、それまでだ。通じるようになっただけで、致命傷を与えるようなダメージにはなっていない。砲撃も雷撃も、平然としたように捌いているし、当たっても動じていない。

 それだけの差があることに、深海熊野は歯噛みする。自分が殺せるイメージがわかないということは、今の日本海軍の艦娘たちに、この三笠を殺せるだけの力がないのではないかという懸念も浮かんでしまう。

 自分よりも巧みに赤の力を行使し、立ち回ることができる実力者。それが北方提督の三笠だ。このような化け物を相手に、どう戦って勝てばいいのだろう?

 そもそも、これだけの実力があるのに、どうして三笠は本気で戦おうとしないのだろうか。そのような疑問も浮かんでしまう。

 

「どうした熊野。何か訊きたそうな顔をしているな?」

「……コレダケノ力ガアッテ、アナタハ何故、積極的ニ動ナインデスノ?」

「ふむ、以前我は云ったと思うがな? 我自身としては、そこまで積極的に動く気はない。人類との戦いなど、他の輩に任せる。我は眠りたいのだとな。だからこうして、汝を手ほどきしているのだが?」

「本気デ人類ニ敵対シテイナイノナラ、何故ミッドウェーデハ動イタンデスノ? ワタクシノヨウナ犠牲モ生ミ出シテオイテ……」

「大湊が我を殺せるか否かを確かめに行ったまでのこと。戦いを通してしかわからぬこともある故な。結果的に大湊はその域にはなく、汝という成果を手にした。また、大湊にヒントを与えた。この力があり、技術を磨けば高みに至れる。それを披露する場も、やはり戦場にしかない。故にこそ、我が動くしかない」

 

 肩を竦めながら三笠は椅子に座り、置いてあった湯呑を口にする。近くには北方棲姫がおり、二人のやり取りをずっと眺めていた。手には艦載機のようなものもあり、時たまブンドドをしながら時間を潰している。

 こうしていると子供にしか見えない北方棲姫だが、彼女もまた赤の力を行使できる。ウラナスカ島での戦いではそれを用いて深海熊野たちに強力な攻撃をしてきたものだ。人は見かけによらないというが、このような子供でも、赤の力を用いれば十分に驚異的な力を発揮できる。

 自分でもわかる。この力は凄まじい。

 上手く力を循環できれば、より強い力を振るうことができるのが分かる。だが同時にそれは、より深海棲艦に近づくことでもあった。事実、今の深海熊野はここで目覚めた時から更に変化を見せている。

 額に生えていた一対の角は、左側がより大きく成長し始めており、左右非対称になってきている。髪も白を含む割合が増えてきており、それがより自分が深海棲艦化していることを実感させられる。

 だが、心はまだ艦娘の熊野のままだ。それは間違いない。頭痛もなく、何かが囁きかけてくるような気配もない。精神を侵されているような感触はなく、ただ体だけが深海棲艦に近づいている状態だ。

 

「それにしても、汝もなかなかの変わり種よな。未だに精神が艦娘のままとは。苦痛も感じておらぬのか? 珍しいこともあるものよ。親和性が良いのか悪いのか」

「ソコマデ言ウコトノモノナノ? デモ、ソウデスワネ、ワタクシ自身モ、ドウシテココマデ自分ヲ保ッテイルノカ、気ニナルトコロデハアリマシタワ」

「通常ならば、一月もあればほぼ全てがまとめて堕ちる。だが汝はどうだ、あれから一月以上経過している今でも、艦娘の熊野の精神を維持している。汝に何らかの特異性があるのか、はたまた別の要因か。我にはわからぬが、珍しいことに違いない」

「……アナタカラ教エヲ受ケテイルノガ原因ダッタリシマセン?」

「なるほど、あり得よう。……ふむ、どちらが幸福か?」

 

 ふと、三笠が目を細めてじっと深海熊野を見据えた。どちらとは? と深海熊野も目を細めて三笠を見据える。新しい茶のようなものを注いでもらい、また喉を潤すと、一息ついて、「もちろん、精神の話よ」と頷いた。

 

「身も心も深海側に堕ちるか、あるいはそのまま精神を艦娘で維持しつつ、体だけが深海に堕ちるのか。前者であればある意味楽であろう。それまでの汝は死に、新たなる熊野として転じるだけだ。……しかし、精神だけ艦娘となれば、今のように苦悩し続けよう。始まりは違えど、我と同じ苦悩を抱いているようなものだ。となれば、いずれ汝も我と同じ答えに至るやもしれんな?」

「…………」

「早く眠りにつきたいと、殺してもらいたいと願わずにはいられない。しかしこの身は深海側だ。故に誰かに仕留めてもらわねばならない。そのような結末を望むやもしれん。そうなったら、どうだ? 我を殺すと同時に、我が汝を殺してやってもいいぞ?」

「…………ソウイウ結末モ良イモノカモシレナイデスワネ。ワタクシトテ、イツマデモ深海ノ存在トシテ在リ続ケタクハアリマセンワ」

「良かろう。もしも汝が我を殺せると感じたら、共に眠りについてやろう。……ああ、もちろん童女、汝もだ」

 

 じっと自分を見つめている北方棲姫の視線に気づき、三笠は彼女にも目配せをした。自分で生み出してしまった小さな少女。彼女を一人にするのは忍びないことだ。とてとてと近づいてきた北方棲姫の頭を優しく撫でてやりながら、三笠は改めて言う。

 

「どちらにせよ、我は汝を鍛えてやる。我らが終わりを迎えるためにな。熊野、いずれ汝が我を殺せるだけの力を得た後にどうするか、それも考えておくことだ。眠るか、あるいはまた別の道を歩むのか。どうするにせよ、我は汝の意思を尊重しよう」

「…………ワカリマシタワ」

 

 自分のことについて悩ましいのは確かだが、これまでの日々の中で、三笠と北方棲姫の親しみもまた、彼女に迷いをもたらすものだった。深海棲艦に堕ちたからか、普通に交流しているのだ。

 三笠も北方棲姫も敵だと認識している。今もそれは変わりはない。

 でも、普通に話せる相手だし、日々の生活も共にしていては、敵だとわかっていても、小さな情が生まれる。特に北方棲姫は小さな少女だ。彼女を改めて敵だとしっかり認識できるのだろうか?

 

(コウイウコト? コレガ、アナタガ抱エル歪ミデアリ、悩ミダトイウノ、三笠サン?)

 

 深海に染まらぬ心がもたらすもの。いずれ殺せるのかどうかがわからない。悩み続けるのなら、今のうちに死んでおけばいいのではないか。そのようなことを考えてしまう。

 でも、今ここで死んだら、この先三笠を殺せる誰かが現れるのかどうかすらわからない。そのような悩みが生まれてくる中、じっと深海熊野を観察する三笠。彼女の表情からして、自分と同じようなものを感じ取ったのだろう。北方棲姫を撫でながら、

 

(これで心が堕ちるなら、熊野もそれまでの存在だったということ。楽な道に逃げるのも良いだろう。しかし、苦悩しつつ歩みを止めぬのならば、我は改めて汝を買おう。我と苦悩を共にする同志として、汝を認めよう。我を終わらせる可能性を秘めた存在とし、より鍛えてやるとも)

 

 三笠は静かに期待している。これまでの鍛錬で深海熊野は確かな力をつけている。伸びしろも感じられる。順調に成長すれば、もしかすると自分を殺せるだけの力をつけてくれる期待感があった。

 だからこそ願わずにはいられない。

 深海熊野が、自分を終わらせてくれる存在になってくれることを。

 

 

 拠点に帰還した深海吹雪は、回復を図ると同時に、自分の中から叢雲に対する感情を削除した。叢雲に対する執着によってこの先の作戦に支障をきたす可能性は高い。事実、今回の作戦において、執着したことで悪い方向に流れた感じはあった。反省すべきことだ。

 感情によって動くのは深海棲艦らしくない。どのように動くのが効率が良いのか、損なく物事を進められるか、今の自分たちに必要なことはそれだ。先代と同じ轍を踏まないためにも、決してやるまいと思っていたのに、何故あの時、感情に従ってしまったのか。

 推測しようにも、彼女の中で記録がなくなっている。古鷹、青葉、叢雲が深海吹雪を狂わせた。恐らく、吹雪としての何かが刺激されたか、思い出したくもないことが蘇りかけたか。彼女が今いる海域、ソロモンにて起こった戦いの一幕、そしてかつての大戦において吹雪が沈んだ夜の出来事。そこにこの二人が関わっているのだが、自分が沈んだ出来事だからか、思い出したくないものとして、ブロックされているのかもしれない。でも、思い出せなくとも不愉快さなどは感じてしまう。それが疼きとなって胸を痒くさせている。

 ふと、澱んだ空気が深海吹雪のいる部屋にうっすらと立ち篭ってきた。部屋にいる深海吹雪は気づいていないが、確かにそれはゆっくりと彼女に忍び寄るように、少しずつ充満していく。

 

「荒レテイルワネ、吹雪」

 

 不意に深海山城が声をかけた。すると、澱んだ空気がすっと晴れていき、何事もなかったような雰囲気に戻る。胸を押さえて屈みこんでいたのが、少し顔を上げ、部屋に入ってきた深海山城を見つめる。

 

「不調ハ取リ除ケタノカシラ? アノヨウナ行動、私トシテハ許サレザルコトダワ」

「…………? ああ、私の不調の原因となったことでしょうか? 削除したため、どのようないきさつがあったのか、私には自覚はないのですが」

「……ソレモソウネ。コレ以上怒ルニ怒レナクナッタジャナイノ」

「あなたがそのような素振りをしたということは、今回の作戦において、私は腹立たしいことをしてしまったのでしょう。申し訳ありません。ですが、私が不調をきたした要因を取り除いたのでしょう。ならば、次は同じ轍を踏むことはありません。次の作戦の際には、上手く立ち回ることを約束しましょう」

「……ソウネ。私タチガ全テ上手クヤレルト考エルノハ早急ナコト。何ガアッタノカ、私ト姉上ガ説明スルワ。ソノ上デ次ニ活カストシマショウ」

 

 そう言って、現在治療を受けている深海扶桑を示した。隣には駆逐棲姫と空母水鬼もおり、撃破された後にしっかりと回収されていることを示している。深海吹雪の作戦は失敗に終わりはしたが、だからといってこれで終わりではない。彼女にとって南方提督はまだ始まったばかりなのだ。

 それにトラック艦隊の援軍がなければ、あのまま押し切り、パラオ泊地を壊滅させることができただろうというのは容易に推測できる。これは深海山城も認められる。全ては、あの援軍が台無しにした。あれがなければ、自分たちの作戦は、華々しい勝利を飾ることができたのだ。

 だからこそ、全てを深海吹雪が悪いと言えない。頭ごなしに責め立てないのはそのためだった。

 今はとりあえず彼女たちの回復を待つ。深海吹雪も休息が必要だろうと、いったん解散の流れにした。部屋を出ようとする深海山城は、ふともう一度深海吹雪を振り返る。

 先ほど澱んだ空気があったような気がしたが、気のせいだろうかと確認をしようとしたのだ。あれから何もないし、今も何もない。やはり気のせいだったのだろう。苛立ちのあまり、妙な錯覚を起こしたのかもしれない。そう考えるのだった。

 

 

 深海長門のための艤装の調整は順調に進められていた。装備する魔物の素体も成長している。戦艦棲姫を基にしただけあり、その出で立ちは巨漢を思わせるものだが、戦艦棲姫のものとの差異として、頭部が二つに分かれ始めたのが異質だ。

 双頭の巨躯、それだけでも異質な存在として際立つ。だがそれでこそより強い装備を身に纏えるといえよう。戦艦主砲もより大きなものを搭載できるようになる計算となっており、その開発も順調だ。

 何もかも上手くいっている。ミッドウェー海戦のリカバリーとして、申し分ないものといえる。作業を見守っている深海長門も、自分に与えられる艤装の出来栄えは気になっているようで、どこか興味深そうな眼差しをしている。

 普段からずっと与えられたソファーベッドに腰かけ、起きている間はずっと星司の作業を眺めているだけという奇妙さがあるが、問題行動を起こしているわけではない。だが他の深海棲艦との交流をせず、日がな一日、ソファーベッドで過ごしているのはどうなのだろうか。

 中部の赤城、空母棲姫と中間棲姫が日課としている訓練を終えて、工廠へと入ってくる。あの戦いの後、彼女たちと深海加賀などは、より実力を高めるために、深海棲艦同士で訓練を行っているようで、より巧みに赤の力を行使するための研究も行っているようだ。

 入室した深海赤城は、深海長門を一瞥し、作業を進めている星司へと近づく。

 

「帰還シタ。今日モ訓練ハ問題ナク終エラレタ」

「そうか、それは何よりだよ」

 

 振り返ることなく、星司はそう応える。目の前には戦艦主砲があり、それを様々な角度から確認しているところだった。モニターには耐久性や、推測される火力などが算出されており、その傍らには艤装の完成形と思われるデザインのラフ画が映し出されていた。

 それによればこの三連装主砲は両肩に一基ずつ搭載予定であり、その腕などに副砲を隠し持つスタイルを想定している。魔物の素体としてはラフ画とそう大きな差を見せておらず、彼の言う通り順調に開発作業が進められていることが伺える。

 そんな彼に、深海赤城は少し言いづらそうにしていたが、意を決して「報告ガアル」と切り出した。

 

「何かな?」

「パラオ襲撃作戦ハ、失敗ニ終ワッタソウダ」

「…………失敗?」

 

 と、意外そうな声色で作業の手が止まり、肩越しに振り返る。その目には純粋な疑問が浮かんでいる。

 

「僕の想定では、吹雪率いる艦隊が勝利に終わっているものと思っていたんだけどな。パラオは攻撃の一波、二波は止められても、三波以降は防ぎきれず、飲み込まれるものと考えていたんだけど」

「ソレガ……モウ少シデパラオヲ守ル艦娘タチヲ倒シキリ、パラオヘト至ロウトイウタイミングデ、トラック泊地ノ艦隊ガ援軍トシテ到着。後方ノ翔鶴率イル機動部隊ヲ撃破シ、吹雪率イル艦隊ヘト至ロウトイウトコロデ、撤退ヲ選択シタトノコト」

「――――トラック?」

 

 トラック艦隊が援軍として参戦したことに、星司はまた疑問を覚えた。

 何故そこでトラック艦隊が参戦できるのだ? そんなことは想定していない。仮にトラックの提督がパラオの襲撃に気づいたとしても、現場に辿り着くことは不可能なはずだと考えた。

 そう、彼らは知らない。

 何故間に合ったのかといえば、美空大将らが開発した高圧缶とタービンのおかげだ。指揮艦の速力を向上させる他、性能向上に伴う耐久性などの調整もあり、以前よりも高速で移動できるようになった指揮艦の変化を知らない。

 よりにもよって、実弟である香月のピンチとなった、星司が企てたパラオ襲撃作戦の失敗。実際に救ったのは茂樹だが、その陰のサポートを果たしたのが実母である美空大将ら第三課の存在というのが、何とも因果な話である。

 

「……トラック泊地、そう……そこで奴らが邪魔をしたのか。……そう」

 

 がり、と、軽く頭を掻く。静かな呟きだが、星司の内心はゆっくりと、そして緩やかに段階を上げていくように激しくざわつきだした。それを表すように、その瞳の光が何度も明滅する。次第に何度も頭を掻き毟り、一度強くコンソールを叩いて、今までに見せたことがないような咆哮を上げた。

 その姿に、ずっと彼に従ってきた赤城が驚きに目を見開く。中間棲姫も息を呑み、深海長門はその変化にあまり動揺することなく、じっと後姿を眺めるだけだ。声に気づいてどこからかアンノウンも駆けつけ、「何だなんだぁ? どうしたのよ?」と問いかけるが、誰もそれに答えることはない。

 失敗に次ぐ失敗で、星司の心に余裕がなくなってきている。ウェーク島はただの情報収集だが、準備をしっかり整えたのにミッドウェー海戦での失敗で大きく崩れ、今回もまた裏で指示したのに失敗した。

 加えてウェーク島の後は欧州提督に、ミッドウェー海戦の後はかの神と呼ばれた謎の存在に圧を掛けられたこともあり、彼のメンタルは知らないうちに大きくストレスを抱えてガタガタだった。

 彼にとっての癒しの時間であるはずの開発の時間も、まるで何かに迫られるかのように作業を進めているかのようで、癒しとは呼べないものになっているため、メンタルの回復にもなっていなかった。生前や深海提督の初期段階では、あんなにも楽しく作業をしていたのに、今ではその影もない。

 そんな時に、また失敗ともなれば爆発するのも無理はなかった。

 しかし失敗した要因の一つはトラックの援軍以外にも考えられる。それは、アンノウンや深海長門、そして口には出さないだろうが深海吹雪も気づいている。星司が深海翔鶴を渡す際に、彼女らが小さな反応を示した。

 あの時は星司の顔を立てるために、深海吹雪は何も言わずに受け取りはしたものの、断るべきだっただろうとアンノウンと深海長門は考えていた。

 空母を受け取るということは、その力を最大限に活かすために昼に戦いを仕掛けることになる。だが、拠点襲撃をするからには、夜に襲撃を仕掛けた方が効果的だろう。事実、ショートランド泊地とブイン基地を襲撃した際は、夜だった。

 敵に気づかれずに接近し、一気に艦砲で拠点を破壊していく。その方が作戦成功率が高い。だが深海翔鶴を受け取るのならば、せっかく作ってくれた先輩の顔を立てるために、深海翔鶴を活かせるような作戦で行動することになるため、夜の襲撃とはならない。

 また今回はトラックの援軍が入ったため失敗したが、これも夜ならば援軍到着時間も遅れただろう。トラックの偵察機が深海南方艦隊を見つけることができず、夜闇に紛れてパラオ泊地へと接近し、ショートランド泊地のように基地を破壊しつくし、香月たちは死亡していた。そのような結末も想定できる。

 全てはたらればの話だが、あり得ないことではない。しかしこれは星司が余計な提案をしたから崩れた未来。そのような哀れな報告をするのは忍びない。そのためアンノウンと深海長門は、狂う星司を何も言わずに見守るだけだった。

 

「ああ、残念だ……実に残念だよ。ここで死んでくれれば、少しは気が楽だったんだけどね。そうかそうか、台無しだ」

「トラック艦隊ハ、報告ヲ聞ク限リ、以前ヨリモ更ニ力ヲ付ケテイル。今マデニナイ技モ確認サレテイルラシイ」

「ああ、そう。そうかあ。じゃあ、しかたないな」

 

 ゆらりと立ち上がった星司は、しかたない、しかたないと呟きながら、コンソールを操作した。彼にとっての先の計画を映し出し、ぶつぶつと呟きながら、それに修正を加えていく。

 深海長門の正式な完成は変わらないが、それに伴う彼女の初陣の計画を中止させ、そこに付け加えたのが、

 

「――トラックには消えてもらうか」

 

 トラック泊地襲撃作戦である。

 それを耳にしたアンノウンは、にんまりと口を歪めて楽しげに笑いだす。大仰に拍手も加え、「ついにやるってのかあ! いいねいいねえ!」と頷き、

 

「じゃあ早速行こうじゃないの」

「まだだよ。今留守なんだろう? 誰もいない基地を襲撃したところで意味はない。少し時間を置き、気が緩み始めた頃合いを狙って、奇襲を仕掛ける。奴らを逃がさないためにも、包囲するだけの戦力も用意しておこうか。そこまで考えれば、うん、時間が必要だ。その期間を上手く使い、長門の完成なども加味して、年明け辺りに実行に移そう」

「年明けぇ? 結構待たされることになるねえ。でもそれだけの時間があれば、赤城、加賀、翔鶴と、少しは強化できそうかねえ。どうかな、赤城? これからボクと遊ぶか?」

「ワカッタ。ヨロシク頼ム。私ハモット強クナラナクチャイケナイカラ……」

「おうおう、その意気だ。そのスペック、より高めていこうじゃないの」

 

 そう言ってアンノウンは深海赤城と中間棲姫を連れ立って工廠を後にする。星司はまた作業に戻り、トラック襲撃作戦に向けてのプランを練っていく。その中でふと思い出した情報があった。

 トラック泊地の提督は、かの呉鎮守府の提督と友人関係にあったはずだ。凪についての情報にそれがあったことを思い出し、冷たい笑みを浮かべていく。

 

「そうだそうだ。海藤凪……君にとっての親友でもあったね。なら、長門に続いて親友にも喪ってもらうとしよう……ふふふ」

 

 知らず声とともに、暗い感情が漏れて出る。無言でずっと成り行きを見守っていた深海長門は、肘掛けに腕を乗せて頬杖をつきながら、ぽつりと「――危ういな」と呟く。その目には、ずっと星司の背中が映し出されている。彼女はずっと作業光景もそうだが、星司の様子も見続けていた。

 だからこそ感じ取れる。

 今の彼は、これまでとは違う何かが存在している。

 

(溜まりに溜まった鬱憤の爆発、力の流れ、果てへ繋がる……。かつての実験場故か、繋がりやすいともいえようか。無意識ならば、哀れなことだ。その終わりまでは、付き合いきれないな)

 

 呉鎮守府に対する妄執はわかりきっていることだが、それに加えて今回の作戦失敗に関する怒りなどの負の感情も付け加えられた。怒りのあまり、咆哮をあげた星司だが、その際に深海長門は別の何かも感じ取った。

 具体的にはこの拠点の頭上、多くの残骸が今も漂う周辺で、何かがざわついたのだ。それはまるで、星司の負の感情を伴う叫びに呼応したかのようだった。今までは緩やかに進行していた何かが、今回のことで大きく刺激されたと考えられる反応だった。

 星司としては今まで通りと言いたいところだろうが、深海長門にはわかる。以前よりもより深海に属する者らしく、負の感情に呑み込まれて変質してきている。生前の自分を思い出したことで、人らしくなりはしたが、それによって感情の機微も取り戻したことで、負の感情に呑まれやすくなったというべきか。

 人に近づくことで、より人外の存在へと堕ちていく、まさに負のループと言えよう。実に、実に哀れなことこの上ない。これでは彼の抱える夢とやらを叶えるのも難しいのではないだろうか。同情はするが、だからといって彼を救う義理は深海長門にはなかった。

 

(南方も今はソロモンか……ここも、向こうも危ういが……まあ良い。かつての終わりの下で過ごすよりはマシか)

 

 暗く閉ざされた記憶の彼方にある、かつての戦艦長門の終わり。今の彼女にとってもあまり思い出したくはない終わりではあるが、どのように迎えたのかは知っている。知っているからこそ、その現場でずっと過ごすのは、表面上では隠していても、彼女にとって不快な時間であることに違いはなかった。

 だからこそ感覚も少し鋭敏になっており、それを活かすことで変化を見て取れたともいえる。深海長門として完成された暁にはトラック襲撃作戦に参加することになるだろうが、その先については未定だろう。

 それに自分の中にも僅かな違和感はある。未だに取り除かれない長門の忘れ形見。深海長門にとってもそれは、奇妙な感覚として残り続けている。深海化したことで触れることは叶わないが、これについてもどうにかしなければならない問題となっている。

 全てはトラック襲撃作戦に委ねられる。今までの時間を無駄にしないためにも、星司などに気づかれないまま、その先に至らなくてはいけない。深海長門もまた、腹の中で静かに計画を練り続けていたのである。

 




これにて7章終了となります。

拙作の2部のスタートとなりましたが、それに伴って少しタイトルの付け方も変えてみました。
今回はそれぞれの先輩と後輩の様子、変化をピックアップしました。
凪と湊、茂樹と香月、そして星司と深海吹雪。
それぞれに触れつつ、14秋を超えていくこととなります。
14秋はゲーム的には渾作戦ですが、拙作ではラストのE4がパラオ沖なので、パラオ襲撃作戦として一つにまとめました。
ついでに14秋で思い出すのが某提督だったので、フィニッシャーが大井になる裏話。

次回は15冬、トラック泊地のあれですね。
放送されたため新規提督がたくさん入ったり、甲の呪いが始まったり、トラックが壊滅しただの言われたり、ついでに甲は主題歌が一種のトラウマ曲となってしまったり……ンンンン色々あったものです。

期間が空くことになりますが、投稿され始めたらよろしくお願いいたします。


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8章・戦友
報告と予兆


お久しぶりです。
難産ではありましたが、再び投稿していきます。



 

 パラオ泊地防衛戦に関しての報告書が、大本営へと提出される。防衛戦が終わって落ち着いた後、美空大将へと報告を行うこととなった。その際、美空大将は香月の無事を確認した。すでに星司を亡くしている彼女にとって、香月まで喪うことになるなど、耐えられないことだ。

 だからこそ、香月の窮地を救ってくれた茂樹に対し、多大な感謝の言葉を述べる。モニターの向こうで頭も下げており、それに対して茂樹が逆に恐縮してしまうほどだった。

 

 そのやり取りから日を置かず、襲撃から決着までに至る流れを纏めた報告書を提出することで、一連の流れを把握できるようにした。内容を抜粋し、他の提督も確認できるようにする段階に進んだことで、凪たちはこの戦いにおいて、新たな深海棲艦が登場していたことを知る。

 

 新たな駆逐艦タイプの深海棲艦、駆逐棲姫。

 妙に艦娘の春雨と容姿が酷似している点が気になるが、ついに深海棲艦も駆逐艦の姫級を生み出してきた。また今までと違い、赤いオーラではなく青いオーラという点もまた気になるところではある。深い意味はないかもしれないが、こうした差異についても気を配ってみたいところだった。

 

 新たな空母タイプの深海棲艦、空母水鬼。

 ミッドウェー海戦でようやく空母の鬼姫が登場したかと思いきや、新たなる空母級を生み出してくるペースの早さ。なおかつ姫級すら超える力の内包により、水鬼という新たなる呼称を付けるに至る個体だった。

 

 だがトラック艦隊の尽力により、水鬼という新たなる個体からもたらされる被害は、想定よりも抑えられたといえるだろう。内包した力こそ姫級を超えていたが、それを最大限に上手く発揮できていたかどうかが疑問点だった。

 

 もしかすると、力の扱いに慣れていなかったか持て余していたか、あるいは戦いの経験が未熟だったか。これらを埋めてきたならば、改めて驚異的な存在になるかもしれない。

 今回は上手く力を扱えていなかったことが幸福だったと捉えることとし、もしもこの先、驚異的な存在が現れた時、慣れていないながらも、溢れ出る力を暴力的なまでに振るうような存在が現れた場合を想定する必要が出てきたと考えさせられた。

 

 南方提督の座を得た深海吹雪。

 こちらに対しては彼女が南方提督と名乗ったので、現段階においてはそう呼称することにしたが、彼女は吹雪とも名乗っている。そのため、南方提督とは別にもう一つの呼称として、深海吹雪棲姫という名も与えられた。

 

 また彼女の証言により、中部提督との繋がりがあり、彼からパラオ襲撃を促されたようなことも報告書に記載されている。これについて美空大将は苦い表情を浮かべた。当然だろう、彼女は凪たちから中部提督が美空星司の可能性があると報告を受けている。それはつまり、星司が香月を殺せと指示したようなものだ。

 

 知らずにそうしたのか、あるいは知った上でそうしたのかで大きく変わってくる。後者ならば、やはり星司は深海側に完全に堕ちていることを示唆する。覚悟を決めた美空大将ではあったが、しかしこのような出来事があったと聞かされれば、胸がとても痛む。

 

 だが同時に理解する。

 星司はもう死んだのだ。中部提督を名乗るあの輩は、最早息子である美空星司ではない。その名を名乗る別の存在にして、自分たちの敵なのだと。

 切り替えなければならない。もう、それが自分にはできるはずだと、呼吸を落ち着かせて、もう一度報告書を確認した。

 

(それにしても、空母水鬼ですって? 空母をこれだけ早く強化させてきたのなら、こちらも対抗策を講じなければいけないわね)

 

 より強力な空母を用意するという手もあるが、それだけでは意味がない。向こうもまたより空母を、となればキリがない。別方向から対策を講じる必要がある。強力な艦載機に対抗するには、それを迎撃するだけの装備や艦娘が必要になるだろう。

 対空面を強化させる装備はいくつか配備しているが、機銃や対空砲を新しく用意するだけでなく、対空が得意な艦娘を用意する選択肢を取った方がいいのではないだろうか。

 幸いその用意は以前から進んでいた。

 

(対空面に秀でた艦。後期の大和を反映した改、対空面を強化した五十鈴改二。……改二で調整するなら摩耶が候補に挙がるか。そして新しく艦娘として――)

 

 と、パソコンを操作して、現在進められている計画を表示させる。対空能力に優れた防空駆逐艦として開発された存在。駆逐艦の建造のノウハウはもう十分に得られていたため、対空面をより特化させた存在の開発は、大部分進められている。もう少しで完成に至ろうという段階だった。

 

 並行して摩耶の改二を進めることができれば、駆逐と重巡、そして軽巡に戦艦と、ある程度の防空のカバーはできる。が、その全てを満たしたとしても、運用するには艦娘の数が足りない。

 

 ならば対空面を強化するシステムが必要になる。対空砲を用意するだけではなく、何かを組み合わせることで、より効果的な防空ができるようなシステムができれば、敵空母の攻撃を大いに防ぐことができるだろう。

 

(単に戦力を増やすだけでは足りなくなってきたわね。……とりあえず、いくつかの改二案を処理しつつ、こちらにもリソースを回しましょうか)

 

 一息ついた美空大将は、執務室を後にして作業場へと向かう。忙しいが、必要なことに違いはない。自分たちの頑張りがあってこそ、現在の日本海軍は成り立っているようなものだ。

 とはいえ歳のこともあるし、無理のし過ぎは気を付けなければならない。まだ大丈夫だろうとは思うが、後々のことを考慮しなければならない案件も出てきた今、休んではいられない。気を引き締めて作業に当たらねばと、足を速めるのだった。

 

 

 

 ラバウル基地で、深山と秘書艦である陸奥もまた、そのまとめられた報告書を確認し、息を呑んでいた。よもやあの南方提督がラバウルではなく、パラオへと襲撃を仕掛けてくるとは思わなかった。

 

 だが、陸奥はそれに加えてある一点について目を見開いていた。

 南方提督は吹雪と名乗ったという点である。加えて深海吹雪について触れている項目にはこうあった。異形の左手から刀を現出させ、それを武器として振るったと。その刀の特徴についても記述されており、それには見覚えがある。

 なおかつ、ラバウルは春にレ級によって失った艦娘がいる。それらを照らし合わせれば、陸奥はおのずと気づいてしまうのも無理はなかった。

 

「まさか……吹雪、天龍……あなたたちなの?」

「……むっちゃん、それってまさか……?」

 

 陸奥の呟きに深山もはっと気づく。改めて内容を確認し、情報を整理して考えることで、その可能性に思い至った。信じられないし、信じたくもない。あの時失った霧島は、もうすでに深海霧島の戦艦棲姫として、ウェーク島での戦いから活動している。

 それだけでも気持ちは沈んだというのに、時間をおいてよもや吹雪まで深海勢力に与したとでもいうのだろうか。ただ艦娘を喪っただけではなく、敵戦力として立ちはだかる。それが二人も現れれば、とても心が重くなるし、悲しみの度合いも高まるというものだ。

 

 だが、陸奥はぎゅっと拳を握り締め、その手を見下ろす。

 自分たちは活動している深海霧島には会敵していない。彼女は深海中部艦隊に属しており、奴らは呉に執心していた。だからラバウル艦隊と出会う機会は、春にも夏にもなかった。

 

 しかし深海吹雪は深海南方艦隊だ。加えて彼女自身が深海提督の一人、南方提督の座を継承しているという。南方海域を拠点としているのだから、どこかで会敵する機会はきっとある。

 

「……提督。腹を括りましょう。吹雪、天龍は深海に堕ちた。……天龍はどういうわけか姿を見せず、刀を吹雪に譲ったみたいだけど、でも吹雪はここ最近積極的に活動しているのは間違いないわ。なら、きっと遭遇する機会はそう遠くない未来に訪れる」

「……そうだね。霧島に関しては東地たちに任せる外ないけど、吹雪は僕たちの手でケリを付けなければ。あの子を眠らせられるのは、僕たちだ。いや、僕たちでなければならない」

「そうよ。これ以上、被害を生み出す前に、私たちが眠らせる。ソロモン海域の哨戒をより高めるなどして、あの子たちの動きを探りましょう。今は回復のために行動ペースが落ちるかもしれないけど、再び増えてくる時がきっとくるはずだわ。それを見逃さないようにしましょう」

「……うん、それでいこう。早速名取たちに通達しよう」

 

 次を見据えて行動をする。深海吹雪に対する対処法を考えたことで、ラバウル基地の今後の方針が定められていく。深海南方艦隊を最優先目標とすることは変わらないが、この敵戦力がパラオでの戦いで明らかになったというのが収穫だ。

 戦艦棲姫や空母棲姫に加え、駆逐棲姫に空母水鬼、そして南方提督である深海吹雪と、敵戦力が割れれば、どのように対抗すればいいのかを考えられる。訓練に加えて明石の工廠も活かし、戦力拡張に努めることとした。

 

 

 

「不吉な……」

 

 そう呟くのは、大湊警備府の宮下だ。その日の仕事が終わり、たびたび行う占いをしたところ、最近見ることがなかった予兆を視た。

 それは小さな染みである。じわり、じわりと器に満たされた水の所々に、小さな黒点が浮かび上がり、少しずつ水を侵食しようという凶兆を視た。視たままを捉えるならば、各地の深海勢力が文字通り水面下で活動を行っており、何かをしようとしていると考えられる。

 

 だが、それだけではないものを宮下は感じ取っている。

 確かにじわりと闇が忍び寄るかのように動いている。だがそれだけではない何かが存在している。その闇はじっと覗き込もうとすると、まるで底なし沼のように、果てが見えない。視れば意識が吸い込まれそうなほどに澱んだ闇が、静かに闇へと忍び寄っている。

 

(これは、深海勢力が動くだけではありませんね。何でしょう、この闇は……ただ強力な深海棲艦が生まれるだけではないでしょう)

 

 深海勢力が活動するたびに、何らかの新型が登場しているが、恐らくそういうものではないだろう。加えてこのような闇、今まで視たことがない。つまり新たな何かが水面下で起こっていると推測できる。

 あくまでもこれは占いだ。吉凶を確認し、その度合いがどれだけのものかを推し量るものではあるのだが、視え方である程度推測できる。何度も何度も繰り返してきたからこそ、視え方に対する考え方は理解できる。

 だがこれは……、

 

(各地の澱み、それに忍び寄る闇。考えられるものとしては、恐らくどこかの深海勢力から、何かが始まろうとしているのかもしれませんね)

 

 澱みは複数。

 北に一つあるため、恐らくこれが自分との因縁を持つ深海北方艦隊だろう。これに対しては気になる闇の気配はないが、しかし何かが胎動するかのように小さく明滅している。はてさて、深海北方艦隊でも何かが動こうとしているのだろうか。

 

 あの三笠と名乗った北方提督、自分たちを意識しているかのような言動をしていたが、位置関係的にも無理はない。ロシア艦隊とも交戦をしているはずだが、ロシア方面から援軍要請などは来たことはない。恐らくロシアのプライド的に自国のみでケリをつけるつもりなのだろう。

 

 以前までならばそれでも良かったが、目を付けられたからには備えなければならない。配信された技術も導入し、大湊艦隊も青の力とやらの訓練を積み重ねている。先の戦いではあからさまに特異な力を見せつけてきたこともあり、この技術の習得を期待している節もあった。

 ならば次に会敵するときは、習得した技術をこれでもかと見せつけ、深海北方艦隊に完全勝利を収めてみせる。そうすれば、この胎動する何かもまた、その力を見せつけようとも、力と力のぶつかり合いの果てに、ねじ伏せることができるだろう。

 

(このような凶兆、共有する意味はあるか否か。……いえ、今の海軍なら、多少は耳を貸してくれそうではありますか)

 

 北方以外にも澱みが見えるため、大湊以外でも備える必要があるだろうが、以前までならまだしも、今の海軍ならこのような突拍子もない進言でも、ひとまずは聞いてくれる可能性があるかもしれない。

 意を決した宮下は大本営へと通信を繋ごうとしたが、自分から果たして耳に入れてくれそうな人へと届くだろうかという疑念が浮かんだ。浮かぶ人物は美空大将だが、宮下とは直接の繋がりはない。連絡を入れるとするならば美空大将の下にいる誰かになるが、この情報を伝えたところで頭がおかしい人と捉えられかねなかった。

 

 だが、美空大将と繋がりそうな人は他の鎮守府にいる。

 以前この大湊で演習を行った呉鎮守府の海藤凪。

 彼からならば、美空大将へと話を繋いでくれそうだった。少し考えた宮下は、大本営ではなく、呉鎮守府へと通信を繋ぐことにし、この占いについて話すことにしたのだった。

 



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宮下の相談

 

 その日、凪は思わぬ通信に困惑していた。

 冬に演習を申し込んで以降、あまり絡まなかった大湊の宮下から繋いできたのだから無理はなかった。思わず居住まいを正し、通信に出ると、「お久しぶりですね、海藤凪」と、微笑を浮かべる宮下の姿がモニターに映し出された。

 

「お久しぶりです、宮下さん。突然のこと驚いております」

「でしょうね。わたしとしても、このような時間にあなたのところに通信を繋ぐ予定はなかったのだけれど、考えたところ、あなたぐらいしか話す相手がいなかったものでして。お付き合いいただけるかしら?」

「はぁ……わかりました。私でよろしいのでしたら、拝聴いたしましょう」

「感謝します」

 

 そこで一つ、宮下はお茶で唇を濡らし、一間置いて話し始める。

 以前に大湊で話したように、彼女は海神を祀る神社出身であり、ひと昔であればオカルトと言われるようなことにも携わっていた経歴がある。大湊を去る際にお守りを受け取った凪だが、それ以外にも占いをすることを凪に話す。

 そしてその占いにて、凶兆を視たとも。そのことに、凪は目を細めた。

 

「凶兆、ですか」

「ええ。ついでに言えば、もう終わったことかもしれないけれど、あの日、あなたの未来に凶兆を視ていたのですよ」

「私に?」

「その結末は恐らく、本土防衛における一連の流れだったのではないかと、今なら振り返れるわね。わたしでは助けにならないとも出ていましたから、ほぼ間違いないでしょう。わたしはウラナスカにいましたからね、どうにもならないため、あなたに伝えるようなことはせず、せめてものとお守りだけ渡すだけに留めました」

「あのお守りはそういう……」

 

 どうして突然お守りを渡されたのだろうとずっと疑問だった凪だったが、そういう理由だったのかと得心がいった。しかしあのお守りは長門に渡し、そして沈んでいった。そのことについて宮下に伝えると、彼女もそう、と目を伏せる。

 

「お守りとはいっても、急ごしらえですからね。そう大した効果が秘められているわけではありません。ですが、そうですか……長門と共に。お守りによって守られるというような効果を発揮できず、すみませんね」

「いえ、良いのです。……辛い現実ではありますが、いずれは訪れるかもしれないことではありました。それを受け入れ、前に進むだけです」

「それは結構。止まることなく進めるだけの気力があるのでしたら、わたしとしてはあなたに対して少し評価を付けましょう。そんなあなたに伝えるべきこと、それは先ほど行った占いの結果です。わたしは再び、凶兆を視ました」

 

 どのような凶兆なのかを凪に話しだす。

 複数の海域に見出した澱み、それが凶事の訪れを暗示しているとのこと。数としては四つ、それに加えて離れた場所に二つ、合計六つの澱みが視えたらしい。

 更にいくつかの澱みに対して、より深い闇の兆しを視たようだ。詳しく視ようとしても底が見えない程に深い闇。それこそが自分が真に気にするべき凶兆ではないか。そう思える何かを、宮下は視てしまったのである。

 

 澱みの位置を考えれば深海北方艦隊は深い闇ではなく、別の何かを感じるものだったようだ。この深い闇の兆しは、二つあるそうな。少し離れた位置に、近い位置で二つ。それから南に離れた方に一つある。深い闇ほどではないが、深海北方艦隊と似たような雰囲気で、何らかの力の胎動を感じられるらしい。

 そして西には小さな澱み、そこから更に西には、力強い闇が脈動しているという。

 

 占いに使う器に満たされた水に映し出された凶兆。このような結果が出たということを一から説明すると、凪は小首を傾げて唸る。実際に見ているわけではないため、説明されたことを頭の中で想像する形にはなったが、彼女の丁寧な説明から想像するに、凪でも少し考えれば何となくこう捉えればいいのではないかと考えられる凶兆だった。

 

「…………深海提督について視えた感じですか?」

「わたしはそう考えています」

「西にある大きなものが欧州勢力を相手取る強大な存在、北がミッドウェー海戦で姿を見せた三笠。となると東で闇が迫っているというのが、中部とアメリカを相手にしている存在、南が先日現れた南方。残る一つが、何ですかね。リンガと戦っている存在でしょうか」

 

 そう考えると、深海勢力の残りは六つあると考えていいのだろうか。それらが占いによって視えたのであれば、何も知らない人からすればにわかに信じられないものだろう。今もなお謎めいている深海棲艦の勢力図が、急に明らかになったようなものだ。それも占いなどというオカルトじみたもので判明したなど、頭がおかしいとされかねない。

 なるほど、確かにこれは報告しづらい案件だ。話す相手に困るのも理解できる。

 

「単に奴らの勢力図が明らかになったというだけではないわ。それだけならば、わたしは凶兆とは言わない。重要なのは、深い闇。澱みすら食いかねない何かが、東に存在している点ですよ」

「澱みを食う闇? ……より強力な深海棲艦が現れる予兆のようなものでしょうか?」

「さて、そこまではわたしにはわかりません。これが何かについては情報があまりにありません。あくまでわたしは占っただけであり、千里眼で全てを見通したわけではありませんので。現時点で言えることは、東の勢力には注意するべし、ということだけです」

 

 ただ、と宮下は指を立てる。

 以前にアメリカのサンディエゴ海軍が、アメリカと敵対している勢力の拠点を潰している。深海提督らしき存在は逃亡したが、敵艦隊はほぼ壊滅に追い込んでいる。ならば、この勢力が動き出すことは、しばらくはないだろうとみられている。

 

 注意すべきは中部提督ではないかと推測されるが、かの勢力も先日のパラオ襲撃において、裏で指示を出した疑惑がある。自分で動かなかったのはミッドウェー海戦の影響が考えられるが、この期間に戦力を回復させたのならば、動き出す可能性はゼロではないだろう。

 今はまだ、深い闇が澱みを食うような感じはないが、いつそれが果たされるかはわからない。そのためより注意すべき存在だろう、と宮下は説明する。

 

「なるほど、忠告、承知しました。ですが、疑問があります」

「何でしょう?」

「何故それを私に? 大本営には伝えづらい話であることは理解できます。このような突拍子もないこと、真面目に取り合ってくれないだろうということも。……ですが、そこで何故私なのでしょう?」

「いい質問ですね。あなたの疑念も理解できます。ですが、簡単な話です。わたしと繋がりがあり、なおかつこのような話を笑い飛ばさずに聞くような輩が、あなたぐらいしかいなかっただけの話です。以前、こちらで艦娘と深海棲艦についてのわたしの見解、あなたは耳にしていたでしょう?」

「ええ、そのようなこと、ありましたね」

 

 長門と一緒に話を聞いたことを思い出す。

 艦娘と深海棲艦はそれぞれ艦の魂をその身に降ろすことができる、巫女や式神のような存在である。巫女や式神というからには、上には神が存在すると考えられ、艦娘は海神、深海棲艦は冥界の神がそれに当たると推測される。

 

 両者は光と闇で表裏一体の関係であり、何らかのきっかけがあればどちらかに反転する可能性がある。これについては実際の例があるので、疑う余地はない。

 色々聞いたが、重要な点はこれらだろう。凪は思い出しながら頷いた。

 

「あの時話したこと以外にも色々想定できることはありますが、それはひとまず置いておきましょう。わたしはこの話をしたことがあるからこそ、この占いをあなたに話しました。そしてもう一つ、理由があります」

「それは?」

「あなたが美空大将との繋がりがあるためです」

 

 そのことに、凪は目を瞬かせる。そういえば以前、大湊に訪れた際にも、傍から見れば凪は美空大将の派閥に属する提督に思われると。

 実際、凪は幾度となく美空大将と直に通信を繋いだことがあるため、言伝があったとしても、誰かを経由することなく、直に伝えることができる。そのことに宮下は目を付けたのだろう。

 

「下を経由すれば、妄言と切り捨てられる可能性がありますが、あなたから直に伝えていただければ、美空大将に情報を届けられることが期待できます。わたしとしても、にわかには信じられない情報ではありますが、しかし今まで視えたことは少なからず実際に起きる確率は高いものでした。そのためわたしとしても切り捨てるようなことはできません。加えて、これからの戦いに影響があることのため、報告しないわけにもいかないと、悩ましい問題でした」

「だから、私に伝え、なおかつ私から美空大将殿へと」

「そういうことです。よろしくお願いします、海藤凪」

「わかりました。あなたの占いについて、私から伝えましょう。あなたには演習をお願いした身でもありますからね。それに、本当にこれが敵勢力についての情報ならば、伝えておかなければならないのは間違いありません」

 

 どこから来るのか、どのような勢力なのか不明な点が多かった深海棲艦。各地で現れる情報からある程度推測できるようになっており、なおかつここ最近の戦いによって深海提督が明らかになったことで、勢力の絞り込みができるようになった。

 この情報によってそれを確定できれば、それぞれの勢力に対処すべくしっかりと指針を固めて行動できる。わからないことに怯えることで迷いを生むよりも、はっきりとした対象に向けて行動した方が安心感がある。

 

 何より深海勢力が残り六つという具体的な数字が良い。潰すべき数がわかる、それすなわち最終目標が明らかになったともいえる。日本としては北方、中部、南方を撃滅すればいいのではないかと考えていたが、それ以外にも勢力がいるのかどうかが疑問点だった。だが、数が分かればこの三つを潰し、それ以外の勢力へと支援へと移れる。

 少々西にある澱みとやらも、日本側か欧州側かで気になるところだが、日本側に近いとなれば、リンガ泊地の瀬川の担当になるだろうか。その辺りの具体的な方針も、美空大将に報告した後に決めることになるだろう。

 

「お話は以上でしょうか?」

「ええ、時間を取らせてすみませんね」

「いえ。……個人的には先ほど、ひとまず置いておくという話も多少気になるところではありますが」

「これですか? 別段、はっきりとした情報もない、推測多数の説ですよ。面白味はあるものではないかと思いますが」

「今までも十分興味深い話ですし、突拍子もなくとも、聞くだけでも損はしないでしょう」

「そうですか。……では、これも神々に関する話ですが、あなたは神を信じますか?」

 

 その問いかけに、凪は少し考える。ひと昔は神とは縁のない生活をしていた。凪だけではない、恐らく多くの人々がそうだろう。初詣などで、神社にお参りをすることはあるだろうが、日常的に神を信じるかどうかといえば、否と答える。

 

 だが現在はどうだろうか。

 艦娘と深海棲艦という人外の存在、妖精というファンタジーから抜け出たかのような個体と、彼らがもたらす現象が当たり前に存在する世の中になった。その世界で、神を信じるかどうかと問われれば、

 

「……多少は信じるようになったかもしれません」

「現在はそうでしょう。しかし以前はそうではなかった。かつては世界にその力を示し、姿も見せていたかもしれない神々が、何故世界から消えたか。その理由の一端をあなたは想像できますか?」

「そうですね……やはり、信仰されなくなったからでしょうか? 科学の発展により、神を信仰する機会が失われたからと考えます」

 

 昔は自然と共に生きていた人類。自然現象などに神を見出していた人類にとって、神々は身近な存在だった。しかし科学の発展により、人は自然と触れ合う機会を少しずつ失う。それでも、まだ神を信仰する人は存在していたが、古代ほどではない。

 

 加えて神を見出していた自然現象なども、科学によって解明されるようになった。様々な事が科学で説明がつくようになってしまったこともあり、それが人が神から離れる要因の一つとなっただろう。

 

 またかつては神託という言葉もあった。何かあった際に神に祈り、教えを乞う。そうして行動を決めていた時代もあったが、人が文明を発展させるにしたがって、神託を受けることも減った。人は、神の手から離れ、自立した存在になったのだ。

 

「信仰も神々にとって大事な要素ですが、それだけではありません。畏敬という言葉が示すように、ただ敬われるばかりではなく、畏れられる存在でもある。信仰と畏れ、二つがあってこそ神はその存在を保つのです」

 

 神の祟りというものがあるように、神は人にとって良いものばかりではない。神の奇跡と、神の罰。これらがあってこそ、神々は畏敬の念を抱かれた。人々からそうした念を受けることで、神の存在が許されたが、人々からそれが消えれば、神の力は地上では振るわれない。

 

 超常の力を示し、畏敬の念を受け、神の力が保たれる。この循環があった古き時代は、まさに神々にとって良き時代だったろう。だが人類が成長と発展を遂げた現代において、そうした超常の力を持つ神々は不要の存在となった。

 だから人々から受ける畏敬の念を失い、神々の存在は地上から消えたとされている。

 

 そのはずだったが、何の因果か、その超常の力は再び地上を覆う。

 人類に牙を剥ける形で始まったそれらと、人類は戦い続けることとなった。

 

「再び神々の存在を匂わせるようになった今、どのようにして始まったのかは問うべき問題ではないでしょう。もはやそれに意味はない。わたしとしては、恐らくもうその時は近いものと考えていますので」

「近い? 何がです?」

「――神の裁き、とでも言いましょうか。そうした、大きな何かが振るわれる時ですよ」

 

 いたく真面目な表情で、宮下はそう言った。

 凪としてはそれは笑い飛ばしたいことだったが、あまりにも真面目な空気のため、そのようなことはできなかった。

 

「そう思い至る理由はあるのでしょうか?」

「先ほども言ったように、畏敬の念が神の存在を保ちます。それすなわち、力が振るわれる土壌が再び構築されているということです。深海棲艦はまさに、人類にとって脅威的な存在であり、畏れを振りまく重要な役割を担います。ただの不可思議な現象として、人類に恐怖を与えているわけではないというのがいいですね。異形の存在というのもそうですが、兵器として見ることができるからこそ、具体的に恐怖の度合いがわかります。異形の存在が兵器を行使し、人類と敵対している。この構図が摩訶不思議な出来事でありながら、リアリティさを保ち、迫りくる死と恐怖を想像させます」

 

 そして、と宮下は二本目の指を立てる。

 

「兵器は、改装して強化できるものです。深海提督という存在が手を加えれば、よりアップデートが容易になるでしょう。人が手を加えて改装、拡張ができる。ここがポイントですよ」

「……?」

「以前わたしは説明しましたね。深海棲艦は冥界の神が遣わした巫女、式神のような存在であると。これらは神をその身に降ろし、神の意志を代行する存在でもある」

「…………っ、神を、降ろす、そこですか……!?」

「通常はできません。そも、この現代において神が降りることなど不可能です。かつての時代ほど神秘性がないですし、神に対する信仰も畏れもなかった。ですが、深海棲艦によって畏れは高まっている。……ただ、信仰心については冥界の神ではなく、艦娘側の神に向けられているかもしれませんが、畏れはただ募るばかりでしょう。そして戦いの年月を経るごとに、艦娘も深海棲艦もより強化されていっている。いい意味でも悪い意味でも」

「強力な個体が作られることで、神を降ろす個体の誕生に近づいている、そういうことですか?」

「ええ。ここまで想像しておいてなんですが、わたしとしてはほぼ無理だとは思っています。良くて神そのものではなく、神の力の一端が降りてくるだけでしかない」

 

 理由は簡単だ。

 畏れは確かに満ちているが、それでも神そのものが降りてくるほどではない。神々が存在したとされる神代と比べても、この世界は神が存在を保てるだけの神秘性はない。

 

 また、神を降ろす器が耐えられない。神という強大な存在を収めるだけの深海棲艦となれば、それだけでも十分強力な個体である必要がある。神が発揮する力に耐えられる体であると同時に、神をその身に満たすだけの器の容量が必要だ。

 

 何かを入れるには器が必要だ。水を満たすにしても、器には様々な形が存在するが、コップ、タイル、ボトル、樽とこれだけでも色々ある。タイルに満ちた水をコップに入れれば、誰が見てもタイルの水全てがコップに入らないのはわかるだろう。入りきらないものは溢れてしまい、コップの質によっては水の勢いに負けて損傷する。

 神も同様だ。これだけ強力な存在が、果たして誰かの体に全てを収められるはずがない。

 そうした理由を説明すると、凪もなるほどと頷いた。

 

「ですが、敵は『水鬼』という存在まで作り上げてきました。計測された力の波動も、空母水鬼は空母棲姫のそれを上回っているようです。あなたの仰る器の制作は順調と見えましょう」

「それは否定できないのが痛いところですね。まったく、敵の作り手は相当腕がいいのでしょう。恐らくそれを見込まれて深海提督とやらに抜擢したのでしょうが、これまでのわたしの推測が当たっているのでしたら、冥界の神とやらの選択は大したものですよ」

 

 美空星司は生前よりそういった技術を保有する人物だった。仮に宮下の想像通りの動きを期待されているならば、かの星司が大きな鍵を握っているやもしれない。ならばこそ、早急に星司を倒す必要がある。

 トラック泊地の茂樹を中心とした艦隊で事を進めれば、空母水鬼以上の強力な個体が生れ落ちるスピードが低下するかもしれない。奴を討つ理由が、また一つ増えたようなものだが、あくまでもこれは宮下の推測によるものだ。でも、懸念すべき事柄ではあるし、当たっていれば目も当てられない。

 

「では、トラックの茂樹にも伝えておきましょう。中部提督の拠点を発見し、全てを滅する。それが叶えば、あなたの思い描く未来は遠ざかるやもしれません」

「そう願います。……長々と話してしまいました。時間を取らせてすみませんね」

「いえ、実に興味深い話を伺いました。美空大将殿へは明日、お伝えします」

「よろしく頼みます」

 

 お互い頭を下げ合って通信を切る。一息ついて冷めてしまった紅茶を口に含みながら、彼女の話を思い返す。色々と興味深い話だった。にわかには信じられないことばかりであったことは間違いない。

 だが彼女が不思議な力を持っていることは間違いないことだ。それは、彼女の目によって大和のことを見破られたことが証明している。ならば彼女が視たという凶兆、そして彼女が思い描く未来のことも、多少は信じられることだろう。

 

 深海提督のことを考えた時、一つ思い出されたことがあった。

 本土防衛戦の最後、大和へと中部提督が声をかけてきたことがあった。その場にはおらず、艦載機を通じたものだったが、呉にとってはそれが初めての深海提督とのやり取りだった。

 

 また宮下も北方提督とやり取りをしたのだとか。しかも指揮艦へと直接通信を繋いでのものである。中部提督は間接的な、北方提督は直接的なもの。この前例を活かしてみてはどうだろうかと、凪は考えた。

 

 北方提督の場合は、宮下の協力が必要になるが、中部提督の場合はあの時の波長の記録が残っていれば使いようがあるかもしれない。これらのデータを用いれば、もしかするとこちら側から深海側へと繋ぐことができる可能性が出てくるのではないか。

 この新しい推測と課題をクリアすれば、次に邂逅する機会があれば……と考えてしまう。

 

 そして翌日、早速美空大将へと宮下の話を報告しようとしたのだが、通信に出たのは彼女を補佐する大淀だった。どうしたのだろうかと首を傾げると、大淀の話によれば、美空大将は連日工廠に詰めていて忙しいとのことだった。

 

 色々な計画を同時に進めているようで、忙しい日々が以降も続きそうな目途とのことである。これらの計画を完遂させれば、色々な艦娘の追加や強化を望めるので、止められない。ただ本当に忙しそうなので、大淀もブレーキをかけなければならないと、他の部下と一緒に美空大将に交代制で付いているようだ。

 

「急ぎの報せでしたら、私からお伝えいたしますが」

「いえ、そこまででは。時間が取れましたら俺から大将殿へお伝えしますので、その際には連絡いただければと」

「わかりました、そのようにします」

 

 宮下の願いについていきなり出鼻をくじかれてしまったが、元より彼女は大将の地位にある人だ。気軽に連絡がつくような相手ではないのだ。今までがスムーズに取り次げることが多かったのが、運が良すぎただけのような気がしないでもない。

 今日のところは美空大将への報告は先送りにするとして、トラック泊地の茂樹へと通信を繋ぐことにするのだった。

 



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トラック基地の改装

 

 

「なるほど、なかなか面白い話じゃねえの」

 

 通信の向こう、茂樹が腕を組みながら頷いている。宮下から聞かされた話を伝えると、不敵に笑みを浮かべている。そばには秘書艦である加賀も控えており、クールな表情をしていながらも、その目は実に興味深い話を聞いたとばかりに、少し輝かせている。

 

「それが本当に当たっているんなら、この先やばいことになるってのは間違いねえ。早急に拠点を発見し、潰さなきゃならねえな」

「目星はついているのか?」

「そうだなぁ……。ウェーク島周辺は調査したが、見つからなかった。ミッドウェーは恐らくない。戦場になったからな。となると、マーシャル諸島あたりかね、と考えている」

 

 マーシャル諸島は太平洋上にある島国、だったのだが、深海棲艦が跋扈する現在は、国としての機能は失われている。パラオがかろうじて残っているのは、深海棲艦に狙われていなかったという理由があった。しかしマーシャル諸島は頻繁に深海棲艦が現れる海域と化していた。

 

 マーシャル諸島には深海棲艦に対抗する手段を持たず、アメリカ海軍かトラック泊地からの援軍がなければ生き残る術はなくなっていた。常駐という選択肢もあったが、その頃にはもうマーシャル諸島は深海棲艦によって崩壊していた。

 

 現在においてマーシャル諸島は人が住まない無人島となっており、周辺の海域には時折深海棲艦が姿を見せる。恐らく中部提督の戦力か、あるいはアメリカを攻めている戦力が巡回しているのだろうか。

 そしてマーシャル諸島と言えば、一つ思い出すことがある。

 

「ビキニ環礁か?」

「そう、ビキニ環礁。かつての実験場」

 

 大戦の後、アメリカが行った実験により、ビキニ環礁には多くの船が沈んでいる。深海棲艦の性質を考えれば、そこから生まれてくる可能性は高いだろう。南方のソロモン海域と似たいような性質を持つ海域といえる。

 となれば、中部提督の美空星司が拠点としている可能性はある。

 

 茂樹が調査した海域もかつて戦場となった海域だ。ウェーク島、ミッドウェー、どちらも日本海軍が戦った海域であり、深海棲艦が好みそうな負の空気が沈んでいそうなところと考え、拠点があるかどうかを調査したのだ。

 結果は発見できず。

 潜水艦の艦娘で海底方面も調べたが、何もなかったようだ。北米提督の拠点のように海上にあるのかと、島周辺も調査したのだが、それでも見つからなかった。

 

「ま、中部提督の拠点が本当にビキニ環礁にあるなら、念入りに準備しないといけないな」

「そうですね。とはいえ私たちが攻め入るだけではなく、向こうから攻められる可能性も考慮しなければいけませんが」

「攻められる……トラックが?」

「ああ。先日はパラオが襲われ、それを俺が止めた。その恨みを買ったのなら、こっちにも来る可能性があるだろ?」

 

 パラオ泊地への襲撃を計画したのが美空星司ならば、彼らが機を窺ってトラック泊地へと襲撃を仕掛けてくる可能性が考慮される。この話はラバウルの深山や、パラオの香月とも共有しており、お互いが無事を確認するために、一定周期で連絡を取り合うことになっている。

 

 完全にタイミングを決めることで、深海棲艦に感づかれるようなことを避けるため、連絡の時間をそれぞれずらすようにしている。連絡が取れれば問題なしとし、取れなければ無事を確かめるために駆け付けることとした。

 そうした防衛体制をお互い築き合う構えを取っている。

 

「襲撃に備えて、色々準備を進める予定さ。俺だってただやられる気はしねえよ。妖精を使ってちょっくら改装を考えているところさ」

「そうなのか。……無理はするなよ? 俺としては、無事に事を進めてほしいところだ」

 

 その言葉に茂樹は小さく肩を竦める。敵の攻撃も以前に比べて激しくなっている。それに対して勝ちを拾えているが、どこまでそれが続くかはわからない。「ああ、気を付けるさ」と頷くだけに留める。

 その後は少し世間話をして通信を切り、加賀に淹れてもらったお茶を飲む。そうしつつ、計画書を改めて確認。

 

「さて、妖精たちは問題ないかい?」

「ええ、位置につかせているわ」

「よし、じゃあ工事を始めるか」

 

 加賀を伴って茂樹は執務室を後にし、階段を下りて基地の一角へと歩いていく。そこには妖精がたくさん集まっており、茂樹に気づくとそれぞれ敬礼をした。他にも何人かの艦娘もついているが、多くは戦艦などの力に優れた艦娘ばかりだった。彼女らも敬礼をすると、茂樹も敬礼を返す。

 

「さて、これから基地改装を始める。通常ならかなり時間をかけて行うもんだろうが、そこは妖精らの力で結構短縮できるものとみているが、どうだい?」

 

 その問いかけに妖精たちは任せろとばかりに盛り上がる。艦娘に関する技術だけではなく、建築に携われる技術も有している妖精たちは、このトラック泊地の建築を行ってきたものだ。

 

 ここに暮らす人間は茂樹だけであり、それ以外は全て艦娘か妖精だけ。食料になる野菜などを作る農業などにも、妖精や艦娘の手を回し、それ以外の物資は外から持ってくることで賄っている。

 

 色々なことを妖精の力を借りて生活しているため、茂樹の妖精に対する信頼は厚いものだ。その力を大いに活かすこの作戦は、トラック泊地に住まうものたちにとっての、生き延びるために必要なものである。

 

「じゃ、始めてくれ」

 

 その命令に従い、妖精たちは廊下の床へと工具を振るう。すると、一気に人が一人通れるほどの穴が開き、どんどん掘り進めていく。後に続く妖精が穴に階段を作っていきながら後に続き、最後に残った妖精がその穴を隠すように隠し扉を設置する予定だ。

 それまでは掘った通路を固めていく作業を行う。基地が崩れたとしても、地下の通路が崩れないように補修を行うのである。

 

 元よりそれぞれの基地には緊急避難のためのシェルターは用意されている。だがかつて呉鎮守府に深海棲艦の手のものが潜入し、情報を抜き取っていったことがある。そのためもしトラック泊地にも同じようなことが気付かれない内に起きていたと考えれば、すでに用意しているシェルターの位置が知られている可能性があった。

 ならば、新しく緊急脱出のための道を用意した方が、もしも敵の襲撃が成功し、侵入された際にも、多少の時間稼ぎにはなるだろうと、こうして今のうちに緊急脱出路を作っておくことにした。

 

 掘り起こした土は戦艦の艦娘が纏めて外へと持ち出していく。奥へ奥へと掘り進めたことで、地上まで土が運びにくくなったところで、妖精が土を輸送するためのゴンドラを生み出し、そのためのケーブルも天井へと繋いで、迅速に土を輸送してくる。

 手際が良い。人の手だけではここまでの作業も時間をかけて行うことだろうが、妖精の不思議な力でこうまで容易く工事が進行する。

 

 改めて茂樹は思う。

 世界は変わってしまったのだと。科学では説明がつかないような現象をいくつも披露し、事を進めていく縁の下の力持ち適菜存在、妖精。人の手によって作られたわけではない彼女たちは、気づけば増えているし、色んなことができる存在だ。

 

 艦娘の装備にいるものばかりではなく、工事もするし、整備もする。農業もするし、その他にも知らないだけで、何かをしているかもしれないものもいるだろう。艦娘が現れてから一緒にいるあの妖精、色々やっている彼女らが敵対すれば、こうした僻地にいる提督にとってはまさに生命線を失うようなものだ。

 

 今のところ妖精が敵対するようなことは起きていない。近しいものといえば、白猫妖精は中部から送られてきたスパイであり、妖精のふりをして過ごしていたようなものだ。この一件を除けば、敵対ケースはないのが安心できる。

 

「今はどれくらい? ……へえ、早いな。もうここまで。後は裏の海への道か」

 

 計画では地下へと掘り進み、いくつかの地下室で避難した茂樹や艦娘たちが過ごせるようにし、別のルートで海へと出られるような水路を設けるというものだ。水路は直接海と繋がるようにしているが、普段はカモフラージュとして海から来ても、この緊急脱出路が深海棲艦に見つからないようにするように取り計らわれる。

 

 この地下水路は基地と埠頭がある方を正面にして、別方向から島を脱出できるようにする、あるいは回り込んで攻めてきた敵艦隊の死角から奇襲ができるようにするといった意図もある。

 進捗を伝えてきた妖精に案内してもらい、点々と設置されたランプに照らされた地下通路を歩いていく。それほど歩くこともなく、広々とした空間に出る。もう机などが設置されており、妖精の不思議パワーで執務室で使うようなものが揃っている。

 

「……ほんと、やばいな人外の力って。数日はかかるかと思ってたけど、こうまで順調に進むかよ」

 

 手乗りサイズの妖精なのに、茂樹が余裕が通れるほどの地下通路を、数時間ですぐ掘り進められるのだ。今はいくつかの部屋を作っているようで、それらが終わり次第、海に出る水路を作っていく予定だ。

 実際に部屋に訪れ、椅子に座ってみたりして、万が一避難してきたことを想像する。最低限の家具などがある状況だが、それほど悪いものではない。

 

「えっと、こっちが物資保管所か」

「そのようです。こっちが食料、あっちが燃料などになりますか」

 

 避難してきた後の生活に必要な物や、ここからでも出撃できるように予備の艦娘用の物資を保管しておくための倉庫として利用する予定だ。物資搬入ルートも水路から直通だけでなく、別ルートも一応用意している。

 

 もちろん艦娘を治療するためのドックに使うスペースも掘り進められている。スペースが確保できれば、妖精の力によって脱衣所から風呂が設置されるだろう。基地にある大浴場ほどの大きさにはならないが、あるとないとでは大違いだ。

 そうして工事の進行具合を確認していると、加賀が懐中時計を確認し、「提督、時間よ」と短く知らせてきた。

 

「おっと、もうそんな時間か。わりぃ、俺上がるわ」

 

 と、近くにいた妖精たちに言うと、わかったとばかりに妖精たちが手を挙げてくる。見送られながら地下から執務室へと戻り、通信を繋ぐ。その先には、パラオの香月とラバウルの深山が映っていた。

 

「うーっす、定期通信っと」

「おつかれさまっす、パイセン」

「……うん、無事で何より」

 

 日替わりで通信を繋ぎ、お互いの無事を確認する。軽く雑談をしていると、「……少し汚れているように見えるが、何かあったのかい、東地?」と深山が問いかけてきた。「ああ、緊急のシェルターを地下に作っていてね」と、何をしているのかを説明する。

 

「ああ、あの話、もう進めてるんすね」

「……僕もやっておかないとな。こっちも色々ありそうだし」

 

 二人にも緊急の脱出路や地下シェルターの話をしてある。パラオ泊地に襲撃を深海南方艦隊が仕掛けてきた上に、裏で計画を立てたのが中部提督なのだから、備えをする必要が出てくるのは当然だ。

 深山もソロモン海域が近いラバウルを拠点としているため、いつこの深海南方艦隊が襲撃を仕掛けてくるのか、と緊迫した状況にある。「……工事のプラン、後で参考にしてもらっても?」と茂樹に持ち掛けると、二つ返事で了承する。

 

 今日のところはこれでお開きということにし、深山は通信を切っていく。だが香月は通信を切らずに話を続ける。話題は演習など、艦娘をより強くする方法へと移っていき、その中でふと香月が思い出すように言った。

 

「そういや、パイセン以外にも演習した方がいいっすよね。深山さんとか、あー……リンガの、誰でしたっけ?」

「ああ、瀬川? 位置関係的にも、そう悪くはないかもしれないけどよ、うーん……どうだろうねえ。引き受けてくれるかどうか、怪しいもんだ」

「何か、パイセンが馬鹿って言っているのを覚えてるんすが……」

「まあ、うん、色々とアレだからな、あいつは。んん、ちょうどいいか。ちょっくら話をしてみるか」

 

 茂樹がマウスを動かし、登録しているリストから瀬川を選び、通話を掛けてみる。チャット欄に瀬川が追加され、何度か呼び出し音が響くと、「はいはーい」と少女の声が聞こえて、カメラが映し出される。

 そこには村雨が映っていた。

 どういうわけか、一定のリズムで上下に動きながら。

 その様子に、香月が首を傾げ、茂樹は「ああ、今日は村雨か」と何事もないかのように呟く。

 

「えっと、東地さんと、誰かしら?」

「ああ、こいつはパラオの美空香月だ。ちょっと瀬川に話があってね」

「そう、よろしくね。美空提督。うちの提督だけど、今は日課の最中ってね」

「日課ね。道理でうっすらと聞こえてくるわけだ」

 

 耳をすませば、時折呼吸音が村雨の下から聞こえてくる。まるで村雨が上下に動いているのに合わせて発せられているかのようで、香月が疑問からまさかといったような表情へと変化していく。

 

「……え? マジで? え?」

「あー、坊ちゃん。そう勘繰りたくなる気持ちもわからんでもないが、そうじゃない。おい、日課の腕立てなのはわかるが、誤解されてんぞ。さっさと出てこいよ瀬川」

 

 と、少し大きな声で呼びかけると、村雨の動きが止まり、手が机の下からちらっと見える。何度か振ると、村雨がそこから動き、ぬっと肌色のものが上がってくる。

 

 それは日に焼けた肉体だった。じわりと汗が滲み出ていて、少してかって見える、鍛え上げられた肉体だ。運動した後を思わせるように、うっすらと蒸気も立ち上っているように見える。

 そして、でかい。

 立ち上がった彼はカメラが映り込むのを超えて顔が上に行っている。そのため、鍛え上げられて引き締まり、汗に濡れた上半身が、どんとアップになって映し出されている状況だ。それに茂樹が「おいやめろ。野郎の裸をドアップで映すな馬鹿野郎」と、呆れたように言う。

 

「――ん、んんんんん、それは申し訳ない。だが、だがだが、ワシの日課の最中に掛けてこられては、こうなるのもやむなしというものじゃないか。ワシ、悪くないよなあ?」

 

 と、体を伸ばし、村雨から渡されたタオルで汗を拭きながら、彼、瀬川がそう返してくる。ある程度拭き終えると、服を着ることなく、タオルを首にかけてそのまま椅子に座ってくる。そうして映されたのは、短く揃えられた黒髪と、糸目のように見えるくらい細い目をした青年だった。

 凪や茂樹と同期で卒業したのだから、彼らとは同い年だろうが、それにしては少し年齢が上に見える。それくらい、濃い人物に香月は感じられた。

 

「で、何用か? お前さんから話しかけてくるとは珍しいこともある。思うに、そっちの坊主のことか?」

「ああ、こいつはパラオの美空香月」

「パラオ? ああ、先日の一件の坊主か。なら、初めましてになろうか。ワシは瀬川吾郎。リンガ泊地を任されていて、そこの東地の同期。主に西方から来る輩の相手を務めている提督よ」

「初めまして、美空香月っす。若輩者っすが、よろしく……」

 

 と、頭を下げる香月に、あごに手をやりながら首を傾げ、

 

「ふむ。ところで坊主――おっぱいは好きか?」

「――――は?」

 

 突然の問いかけだった。

 そして、香月は、茂樹や宮下がこの男を馬鹿といった理由を知ることになる。

 



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異質な提督

 リンガ泊地の提督、瀬川吾郎のことを知る人は、彼をこう言う。

 同期の茂樹は「バカ」と一言で言い、大湊の宮下は「肉達磨でアレな馬鹿」と評した。

 実際に会わないと、顔を見ないとわからないことだったが、今こうして画面越しで対面して香月は理解する。

 

 この男は、間違いなく馬鹿な野郎だと。

 

「今、何て?」

「坊主はおっぱいは好きかと、問うてみたのよ」

「…………何で? 何でそこで??」

 

 わからない。さっぱりわからない。何でそこでおっぱいについて聞かれているんだろうか、と頭の中で疑問符が埋め尽くしていく。一方で茂樹はやれやれといったような表情になり、茂樹の後ろに控えている加賀も、いつも以上に冷たい眼差しで瀬川を見つめている。

 しかし瀬川はそれらを気にした様子もない。真面目な表情で香月を見つめているようだった。

 

「坊主、おっぱいはいいぞぉ。豊かなものは、ワシらの心を満たしてくれる。母性の象徴! 柔らかく暖かなもの! 鍛錬で疲れた心と体を大いに癒してくれるおっぱいを、誰が嫌いになるだろうか!? そうだろう、坊主?」

「………………」

「ま、この通り、こいつはおっぱいバカだ。加えて、筋肉バカでもある。頭ン中は筋肉とおっぱいで満たされているっていっても過言じゃねえ。で、そんな輩ってのを、うちの同期とかはみーんな知ってるってやつだ。だからこそ思う」

 

 一つ区切りを入れるように、こほんと空咳を一つして、

 

「どうしてこんな馬鹿野郎がアカデミーを卒業して提督になれたんだ!? ってな。卒業した後、噂になってなかったか?」

「あー…………そんな話があったような、なかったような。オレ、そういうの全然耳に入れてなかったから……」

「さよかい。で? 今日は村雨ってか? まーだ続けてんのかい、交代制秘書艦」

「やらないか? 色んな嬢を近くにやるってのは、男の夢物語であろう? んん?」

「ああ、それはわからんでもないが、てめえの場合は嗜好がダダ洩れだろうがよ。とりあえず気に入ったおっぱい艦娘を愛でながら仕事ってやつだろ? そこまでバカ正直に突き抜けると、ある意味尊敬するわ」

「んっふっふっふっふ、お褒めに預かり恐悦至極ってな。だが、そうもしたくなろうというもの。日本から離れて娯楽も縁遠い僻地での毎日だ。好きなことを好きなようにやらねば、ストレスも溜まろうというものよ。だから、ワシは!」

 

 と、村雨を示し、何の恥も感じることなく、堂々と宣言するのだ。

 

「おっぱいを愛でるんだよぉ!! 目の保養!! それなくして、ワシはやってられんわ、この毎日ぃ! 欲望を満たし、体を動かし、美味い飯を食う。それをしてこそ、ワシはこうして二年もの間、リンガでやってきたようなもんじゃい」

「……と、まあ、こういう奴だ。理解できたかい、坊ちゃん?」

 

 なるほど、これほどまでに色々と正直な性格をしていれば、馬鹿と言われても仕方がない。でも、あのアカデミーを卒業し、二年もの間リンガ泊地で提督をしているという事実も確かだ。その手腕もまた疑う余地もないのだろう。

 どんな感じでやってきているのかを問うと、「主にフィリピンからインドネシアを担当している」と瀬川は答える。

 

「海域でいえば南シナ海、ベンガル湾、足を延ばせばアラビア海ってところか。その先から来る欧州の艦を迎える役割もワシが担っているというのは耳にしているか?」

「うっす。でも最近って欧州は……」

「色々とやばいことにはなってるな。んん、危機的状況にはあるのは確かだが、何とかワシらの方へとつなぎを付けようとはしている。妖精が設ける回線は日本と欧州との間では少しずれがあるから、万全とはいえんがね」

 

 かつての大戦の縁があったドイツが主だが、イタリアやイギリスからも使節として派遣されてきたケースは少なからずある。瀬川はアラビア海、あるいはベンガル湾で彼らを迎え、日本まで護衛をするか、あるいはそこで交わされた書類などを、持ち帰ることを役目としている。

 ある意味欧州方面への日本の窓口、あるいは顔役といってもいいのかもしれないが、その中身がコレというのに、香月は本当に大丈夫なのか? と思わずにはいられなかった。

 

「わかる。坊ちゃんの気持ちはわかるぞ~うん。でも、驚くことに、そういう場面では問題を起こさずに事を進めるからなこいつは。オンとオフの差が激しいってやつだ」

「ワシとてそこら辺はわきまえているとも。だが、プライベートではこうだ! おっぱいを愛でる紳士たれ! 体を鍛える紳士たれ! 坊主も肉を食え! 体を鍛えろ! そして、女を愛でろ!! そうした欲を余さず解放し、すっきりとした気持ちで何事も進めれば、全てはうまくいくのだよ! んっふっふっふふふふ……フハハハハハハ!!」

「………………パイセンの世代ってこんなんばっかなんすか?」

「おいおいおい、俺もこいつと一緒にしないでくれるか? 俺は別にこいつほどはっちゃけてねえだろうよ」

「んんんん? 我らが主席殿よ、お前さんもアカデミー時代は色々とアレだったろうよ。一人だけ逃げようったってそうはいかんぞ? そら、何だったか、んんん、そう、あれだ。後輩女子に告って振られた男衆相手にいじり倒したら、乱闘騒ぎを起こしたよなあ? ワシも後から混ざったから覚えているぞお」

「あーそんなこともあったっけなあ。だがそれは可愛い方だろうがよ。てめぇ、合宿ん時に部屋で性癖暴露しまくった奴らと何かしてなかったかおい? 若気の至りってか?」

「何を言うか! 好きなものを思うがままに語って何が悪いというのか!? 大きいおっぱい、夢いっぱい! 心は一つ、おっぱいは二つ! いいか東地、坊主、おっぱいというのはだな――――」

「語るな語るな、ここではやめろや! というか、そういう話をするためにてめぇに繋いでんじゃねえんだわ! おい、村雨嬢、他の子ら呼んででも、そいつ黙らせろ!」

 

 意気揚々と、上半身裸の青年が語りだすのを、何としてでも止めるべく、控えていた村雨が他の艦娘を呼びつつ、止めにかかる。連絡を受けてすぐさま愛宕や高雄がやってきて、タオルで瀬川の口を塞ぎにかかった。

 その他にも浜風や浦風、潮などが駆けつけてきたのだが、それらの艦娘がどたばたとカメラの向こうで騒いでいる様子を見て、何となく香月はあることに気づいた。

 

「……パイセン、もしかしてだけど、あの人ってただおっぱいが好きなだけじゃなくて……」

「お? 気づいたか坊ちゃん。そう、ただおっぱいが好きなんじゃあない。奴は、巨乳好きだ。いわゆるおっぱい星人ってやつだな。で、あそこにいる子らが、代わる代わる秘書艦を務めてるって話さ」

「……問題ないんすか、それで?」

「秘書艦としてやることは一通り教育されているって話らしいから、仕事で問題を起こしたことはないらしいな。能力的に問題がないんなら、誰がやったって変わることはない。なら、好みの子を近くに置いた方がモチベーションが上がるってのが、あいつの弁だ。……理解できなくもないのが、悲しいところだねえ」

 

 軍人をやるのにモチベーションというものを求めるのも、何だか気になるものではあるが、しかしこれがあるのとないので遂行能力に影響するとなれば、必要になるだろう。ないよりあった方が、しっかり作戦を完遂できるのであれば、自らモチベーションを上げるために必要なものを用意した方がいい。

 

 それに彼自身も日本から離れたことで娯楽に飢えていると口にしている。これによってモチベーションが下がり、作戦を失敗してしまうようなことがあれば、リンガ泊地周辺の深海棲艦が、各地へと跋扈していたと考えれば、目も当てられない。

 

 ならば、傍から見て眉をひそめてしまうようなことをしていたとしても、それによって全て上手くいっているというのであれば、それはきっと意味のあることなの……かもしれない。そう香月は何とか自分を納得させてみせた。

 

「さて、落ち着いたか、バカ野郎」

「ん、んんんん……で、何用か?」

「今さらキリっとした顔をしても遅いぞ。ってか今のタイミングで服着ろや。野郎の裸なんて見てもしょうがねえって言ったよなあ?」

「我が筋肉に恥じることなどありはせんわ! そら、我が筋肉を拝みつつ、用件を述べるがいい」

 

 と、無駄にポージングをしながら促してくる。ツッコミを入れたいところだが、それではいつまで経っても話が進まなそうなので、茂樹は香月が演習相手を求めていることを伝える。

 香月がより強くなりたいとう気持ちは画面越しでも何となく伝わる。だが瀬川は腕を組んで少し眉をひそめていた。何か問題があるのかと茂樹が問うと、「ワシはここから離れられんでな」と小さく息をつく。

 

「パラオへと行くことはできん。故に坊主からこっちに来るのであれば、演習の相手ができる。望むんなら、連絡を。ワシの予定が空いていたらやってやろう」

「ありがとうございます。じゃあ、明日明後日にでもいいっすかね?」

「ふむ……ん、空いているな。特に急ぎの案件もなし、相手しよう」

 

 村雨へと視線を向けて確認を取ると、香月の申し出を引き受けた。それから指を立てて「ああ、ならもてなしのものでも用意せねばな。それ用の食料のリストを用意してくれ」と棚を示すと、「いや、別にもてなしてもらうほどでは」と遠慮する。

 

「んんん? 気にするな、せっかく遠方から後輩が来るんだ。ただ演習をして終わりというのも寂しかろうよ。さっきも言ったであろう? 美味い飯を食って、筋肉を鍛え、いい女と過ごす。それでこそ健康的な心身ができるというものだ。ワシがその辺りも仕込んでやろう」

「いや、そこまでは求めてねえってか……」

「んっふっふっふ……ワシなりのもてなしで、坊主をよりいい男へと仕上げてやろう。もちろん艦娘にもだ。何やら海藤が広めた技術があったろう? あれからワシなりの発想で色々と試している技術があってなあ、それも教えてやるとも。目覚めるがいい、筋肉の良さというものを。そうしてお前と、お前の艦娘は新たなる一歩を踏み出し、成長するのだぁぁあああ、っはっはっははは!!」

 

 ぐっと腕を前に出しながら、鍛え上げられた上腕二頭筋を見せつけてぴくぴくさせる様は、香月と茂樹を引かせるには十分なものだった。画面越しから伝わる圧力に「頼む相手、間違えてんじゃないんすか、これ?」と小声で言うも、

 

「……これで実力とかは確かなんだ。バカだけど、とてつもないバカなんだけど、できる人間だから。そこは、信じてやってくれ……俺も色々諦めてるから、それ以上は何も言えん」

「おおん? 東地よ、褒めても何も出んぞ?」

「褒めてねえよ!」

 

 そんなやりとりをしばらくして、改めて明日よろしくと挨拶して通信を終える。

 香月は大きく息をついて椅子に深く腰を掛けて天井を見上げた。思っていた以上の人物だった。あんな輩が提督をしていたなんて信じられない。というか、本当に彼が今までリンガ泊地で色々と実績を上げてきたというのだろうか?

 

 調べたいところだが、今の通信でたっぷりとエネルギーを使った気分だ。心が疲れている。何もやる気が起きなかった。今までずっと赤城が控えていたのだが、彼女もお茶を用意して、「……本当にお疲れ様です」と、心からの労いの声をかけてくれた。

 

「……どうも。……オレ、あの人に会いに行くのか……?」

「そうなりますね」

「……キャンセルしてえ……でも、あれでも学ぶことはありそうだしなあ……いや、あるのか?」

「どうでしょう。実際に会い、見てみないことには判断はつかないでしょう」

「だよなぁ。……はぁ、腹、くくるか」

 

 もう一度大きく息をつき、受け取ったお茶を何度か分けて飲み干した。それでも完全に心は落ち着きはしなかったが、それでも少しは楽になったような気がした。「そっちで指揮艦とか、積むものを確認を。オレは連れていくメンバーの選出をする」と、赤城に伝えると、

 

「承知しました」

 

 と一礼して、赤城が退室する。それを見送り、また湯呑を傾けたが、飲み干してしまっていることに気づき、重い腰を上げて新しく淹れに行くのだった。

 

 一方、通信を終えた瀬川は何度か首を鳴らして立ち上がり、掛けてあったシャツを着る。そこにはさっきまでのテンションが高い青年はいなかった。糸目になっている目からは、何も感じられはしないが、村雨が手にしている書類を見せてもらいつつ、置いてあったダンベルを手持無沙汰に動かしている。

 

「……ふぅん、あの美空大将の息子さんか。彼がねえ」

「そして先日のパラオ襲撃の件の被害者でもあります。東地提督の助けがなければ、パラオは落とされてたかもって見解で」

「んんんんん、それは哀れなことだ。だが、やむなしともいえようよ。着任から半年と少し、それで水鬼とやらがいる艦隊を相手など、運が悪いとしかいえぬなあ」

 

 一定のペースでダンベルを動かしつつ、そんな話を続ける。先ほど彼を止めにきた艦娘の大半は退室しており、残っているのは村雨と高雄だけだ。高雄は先ほどまで瀬川が座っていた椅子に着席し、パソコンを操作しているようだった。

 

「ま、そんな坊主をどう鍛えるかは、連れてきた艦娘たちを見てからだな。いい感じに肉も熟成してきているようだし、楽しみができて何よりだ。んっふっふっふ」

 

 と、置いてあるリストに笑顔が浮かぶ。確認できたものを使って、間宮の手で美味しい料理へと変わる。その味を想像するだけでも楽しみな瀬川だ。こうしたことに楽しみを見出し、素直に感情を露にする。そうすることで、余分なストレスを抱えることなく過ごすことこそ、ここでやっていくコツだと瀬川は感じているのである。

 ふと、パソコンを操作していた高雄が、そっと耳元に手を当てた。

 

「はい、こちら高雄。……はい、え?」

「んん? どうした高雄」

「……はい、わかりました。……ドイツから暗号です。途切れ途切れでしか届かなかったようですが、恐らく、近いうちに動きがあるのではないかと。行く、みたいな言葉はあったようですが……」

「ほーん? ここにきて、南に西と、客人か。このところはこっち側は大きな動きはなかったが、んんん、ふっふっふ、どうやらワシもまた、きな臭い深海の動きに関われそうだ」

「……提督、久しぶりに悪い顔をしているわよ? 自重なさいな」

 

 と、高雄が指摘するように、相変わらず糸目ではあったが、口元とその表情に指す影で、そう捉えられてもおかしくはないようなものになっていた。「そうか?」とダンベルを置いて軽く口元などを撫でるが、彼は小さく頷いて、

 

「仕方ないだろう。海藤に東地と、作戦に関わっているのに、ワシはそれほど大きな相手がいなかったんだからなあ。そりゃあ、姫級の相手は心躍るものではあったが、今となっては小さな存在だ。鍛え上げたものが、大いに発揮できるものじゃあない。不完全燃焼というものだろうよ」

 

 だが、と、南からは後輩が、西からは久しぶりに異国の客人が来るのだ。

 香月は新しい演習相手として、存分に胸を貸してやれるだろう。それが新しい刺激になってくれるかもしれない。

 

 欧州の情勢を考えれば、西からの客人からは興味深い話が聞けそうだ。とはいえ、今の欧州から上手く脱出できるのか、その点が気がかりだ。もしかすると、近くまで足を延ばすことになるかもしれない。その際には西の追手と一戦交える可能性がある。そこから、欧州の戦力の一端を確認できるだろう。

 

「退屈な毎日を吹き飛ばすような刺激こそ、ワシには必要だ。命の危機迫るような刺激ならなお良い。生きているって感じがするからなあ……それを、鍛え上げた力、筋肉でぶち壊す。それこそがワシの悦びよ」

 

 自分自身が戦うわけではないのに、という点が一番の変わったポイントなのだろうが、しかし瀬川はそうした刺激を感じていたいという癖の持ち主だった。それ故に、いつ死ぬかわからない。だから欲望に忠実に生きる。

 

 美味いものを食べたい。

 体をどんどん鍛えていく。

 寝たいときに寝る。

 そして、好みの女は侍らせる。

 

 そうした、様々な欲望に忠実に生き、いつ死んでも悔いはないようにする。

 その上で、戦いに勝つための努力は惜しまない。艦娘を強くすると同時に、自分もまた強くする。風変わりな癖を持ちつつも、しかしわかりやすい生き方をするのが、瀬川吾郎という男だった。

 

「そのドイツからの暗号、返事としては『いつ来ても構わない。我らは、貴官の来訪を待つ』としておいてくれ。そして明日以降は、西方面の偵察の距離を少しずつ伸ばしていこうか。数を増やせば、敵にこちらの変化を気取られそうだ」

「はいはーい、そのようにしときますね」

「わかりました」

 

 指示を出すと、またダンベルを手にして動かしつつ、村雨が持つ書類に目を通していく。香月の演習、ドイツから来るかもしれない誰か以外にも、リンガでやるべきことはある。

 色々な情報が日本から発信され、リンガでも確認できるようになっている現在、今までの出来事を振り返り、情報を重ねることで見えてくるものはあった。

 

 深海提督と呼ばれる存在がいることが共有されたことで、瀬川は思い当たる節があった。フィリピン周辺ではよく輸送を行うワ級が見かけられたのだが、ある日からその数を大きく減らした。

 その代わり、ベンガル湾やアラビア海の深海棲艦が少し活発になり、インドネシアやフィリピンにまで出張してくるかのように、勢力図を拡大させるような動きがしばしばみられるようになっていた。

 

 それはまるで、一つの集団が消え、別の集団が穴を埋めるかのように動いているように感じられたものだった。これを深海提督という存在で当てはめるならば、知らない内にフィリピン周辺にいたそれが消え、アラビア海方面にいる深海提督が活動範囲を広げてきたように見える。

 それは同時に、西からの繋がりを途切れさせないようにするならば、この一帯の海域に座する深海提督を撃破する必要があるということになる。

 

 また、アメリカ海軍が深海提督の拠点を撃滅させたというニュースも、リンガまで届いている。そのためベンガル湾やアラビア海に、それらしきものはないか、捜索も行っているのだが、今のところ見つかっていない。

 やるべきことがある、それはとても充実している感じを瀬川に与えてくれる。いつ見つかるだろう、あるいはいつ敵が仕掛けてくるだろう。そんな小さな、大きな刺激が、絶えず自分に与えられる。

 

(んんんんん……! 今はまだ下準備でしかない。いずれ、いずれ最高の昂ぶりへと至ろうというもの。お前は、きっとそこにいるはずだ。果たして、ワシにとって最高の相手になってくれるだろうか? 生き死にを賭けた、スリリングな時間をもたらしてくれるだろうか? うずく、筋肉がうずいて仕方がない……早く、会いたいものだなぁ……んっふっふっふ……!)

 

 抑えられない情欲を発散するかのように、一定のリズムでダンベルを動かしながら、そのようなことを想う。ただ腕を鍛えるだけではない、こうした小さな欲求不満を解消するかのように動かすこともまた、彼にとってのクセとなっている。

 それを知る村雨や高雄という、秘書艦を務めたことがある艦娘は、このクセと彼が隠しきれていない表情を見て、いつものアレだなと察するくらいには、彼との付き合い方を理解していた。

 

 どうしようもないところはあるのは間違いないが、そのまま放置していては、とんでもないことになる。だからこそ自分たちというブレーキ役が必要なのだとも理解した。そういう意味で目を離せず、捨てられない男。それが瀬川吾郎であり、二年もの間、リンガ泊地を陥落させず、運営し続けた提督であった。

 



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リンガでの演習

 

 リンガ泊地へとやってきた香月率いるパラオの艦隊。所属している艦娘の全員ではなく、一部ではあるが、リンガ泊地の艦娘と演習を行うために、はるばると足を運んできた。

 彼らを出迎えるのはリンガ泊地の瀬川と大淀、そして高雄だった。どうやら今日は彼女が秘書艦なのだろうか。そんなことを思いながら香月は瀬川へと敬礼をする。

 

「美空香月、参りました。今日はよろしくお願いします」

「ん、よく来た坊主。歓迎しよう。……ふむ」

 

 瀬川も返礼し、じっと香月を見下ろしてくる。頭一つ以上の身長差があるため、下がる視線は結構なものだ。糸目のためその視線の強さはあやふやだが、それでもじろじろ見られているような気がするのは、気のせいではないだろう。

 つい「な、なんすか……」と怖気ついてしまう。

 

「いいやぁ、何というか、聞いていたような話とは少し違う目をしていると感じてな。んんん、変わったのかね、坊主?」

「目? ……変わったといえば、変わったとは思うかな」

「先日の一件か? それで、なりを潜める程に変わるか。ふむ、あれか。東地の影響か?」

「…………そうっすね」

「なるほどなるほど、んっふっふっふ、あいつもやりおるわ。良くも悪くも、あいつは引っ張っていくからなあ。ならば、んんんんん……! ワシもまた、坊主を引っ張ってやるとしよう!」

 

 と、ぐっと丸太のように太い腕を引き締め、親指を立ててみせる。その暑苦しさに「……やっぱり相手を間違えたか、オレ?」と不安になってくる。そんな香月の気持ちをよそに、「さあ、こっちだ」と先導する。

 

 訓練に使う埠頭へと到着すると、そこにはすでに席が用意されていた。そこへ着席すると、少し離れた席に瀬川も座る。備え付けの小型の冷蔵庫からドリンクを取り出し、口を付けて「坊主もそこから自由に飲んでくれて構わない。好みのものがなければ用意させよう」と、香月の席の近くにある小型冷蔵庫を示した。

 どうも、と礼を述べると、瀬川はドリンクを小さなテーブルに置き、一度手を叩いた。

 

「よーし、では始めるとしようか。誰から出す?」

「主力艦隊からで」

「よかろう。坊主らの本気をぶつけてくるがいい。青の力込みで構わん」

 

 青の力込みといっても、パラオの主力艦隊で青の力を完全に掌握している艦娘はいない。先の戦いでも青の力を振るったケースは少数だった。そういったことを話すと、瀬川はそうかと頷いた。

 

 それでも今、持てる力を全部発揮してぶつかってきて構わないと告げ、リンガ艦隊から水上打撃部隊を出してきた。両者が海上で向かい合い、大淀の号令に従って演習が始まる。

 パラオの主力艦隊は赤城、伊勢、飛龍、瑞鳳、衣笠、那智。先手として赤城、飛龍、瑞鳳の艦載機と伊勢の瑞雲が発艦され、リンガの水上打撃部隊である高雄、霧島、比叡、摩耶、村雨、潮へと攻撃を仕掛けていく。

 

 それに対し、水上打撃部隊は各々が回避行動を取りつつ、対空射撃を行う。追撃するように伊勢、衣笠、那智が砲撃を仕掛けるも、有効打は与えられていない。いくつかの攻撃は命中しているのだが、平然とリンガ艦隊が攻撃へと転じていく。

 彼女らが放った砲撃がパラオ艦隊へと襲い掛かり、それぞれが回避しつつ次弾を装填する。だが回避した先に時間差で飛来してきた砲弾が飛来する。

 

 そうしてお互いの攻守が入れ替わっていく中、伊勢が霧島を狙いすます。装填した砲弾に意識を集中させ、何とか青の力を引き出せるかを試してみた。

 

「……ッ! ふんっ!!」

 

 体に巡る力を主砲へと詰め込み、重い音を響かせ砲弾が放たれる。それは青いオーラを纏い、空を切って霧島へと飛行する。霧島は自分に迫ってくる砲弾を見つめ、それに青の力が込められていることに気づいて、微笑を浮かべる。

 

「丁度良い機会です。ここで披露しておきましょうか」

 

 眼鏡に指をかけて軽く押し上げ、右手を前に出すと、霧島の艤装もまたぐっと前に展開される。すると船体を模した部分が軽く前に出され、霧島の力に呼応して船体に青いオーラが纏われていった。

 双眼鏡を通じて演習を見守っていた香月も、「何だあれは……?」と困惑する。それは伊勢たちも同様だ。何をするのかと困惑する視線を受けながら、

 

「バルジシールド、展開!」

 

 その掛け声に従って、青の力を纏った船体、バルジと呼ばれた部分を中心に、青いオーラによって形成され、肥大化して展開される。それがまるで盾のように飛来する砲弾を受け止めた。

 

 青の力によって砲撃が強化されたというのに、それを余裕で受け止めたのだ。まるでそれは、いつかの戦場で披露された深海棲艦の防御手段に近しい。艦載機の攻撃は対空射撃で防ぐことができるが、戦艦の砲弾ともなればそれは叶わない。

 だからこそ回避行動が重要とされていたのだが、よもや正面から受け止める手段を確立させるなんて、しかも未熟ながらも青の力込みでと、香月は唖然とするしかない。

 

「んっふっふ、どうだ? あれがバルジシールドだ」

「あれも青の力ってやつですか?」

「そうだ。参考にしたのは中間棲姫が主よ。最近は敵も防御手段を見せつけているからな。レポートによれば先の戦いでも空母水鬼だったか? あれも艦載機で盾を作り上げたそうじゃないか」

 

 その言葉に、香月も思い出す。茂樹が参戦し、加賀が放った艦載機の奇襲を、空母水鬼が自分の艦載機を密集させて盾にしたことを。あれもまた一応盾といえなくはない。だがあからさまに艦載機を消耗させる手段だから、あのようなやり方は何も参考にはならないだろう。

 だが、瀬川はあれも参考になったと語る。何故かといえば、

 

「中間棲姫は純粋に赤の力のみで作り上げた盾、いわゆる障壁と呼ばれる物だろう。一方、空母水鬼は艦載機という武器から作ったもの。これらを組み合わせ、ワシは見出した。バルジという設備から、艦娘を守る盾、障壁を作り上げるのだとな」

 

 つまりバルジを触媒として、青の力を用いて砲弾を防ぐ障壁を展開する。純粋な力のみではなく、設備を通じることで具体的な形をも素早く展開、固定化できるため、コツさえつかめばリンガ泊地で多くの艦娘が習得できたとのことだ。

 

「青の力は何も攻撃ばかりではない。防御手段もまた、使える代物だということを、ワシはここに証明したのよ。んんんん、戦艦の砲撃すら防ぐ盾、強固なりし壁、これぞ筋肉パワーよ!」

「いや、筋肉関係なくない?」

「だが残念ながら青の力を用いるが故に、そう何度も使えるものではない。普通の攻撃に対しては回避が主だが、敵の赤の力など、強力な攻撃に合わせて展開するというのがメインになるだろうな」

「スルーっすか、そうですか」

 

 バルジシールドの説明をする中でも演習は進み、結果はリンガ水上打撃部隊の勝利で終わる。しかし得るものはあった。あのバルジシールドを習得できれば、艦隊の防御が向上するのは間違いない。

 敵も強力な個体が登場してきている。攻撃方法もより苛烈になってきているのだから、バルジシールドを習得することで、継戦能力が上がるなら覚えておきたい技だった。

 だが、この有力な技はどうして広めていないのだろうかと疑問に思う。それを問いかけてみると、

 

「んん、ブラッシュアップが必要と考えていてな。もう少し詰めてから広めようかと。何せ大本営から与えられたのは、通常のバルジと大型バルジという違いよ。それに艤装としてのバルジと、設備としてのバルジの違いもある」

 

 艦娘それぞれに与えられている艤装には、金剛型のように船体を模したものが元々付いているものや、主に駆逐艦のように主砲などの一部分が再現されていて、船体がない艦娘もいる。前者なら艤装の船体からできそうだし、後者ならバルジを付けなければバルジシールドができないのではないか、となってしまう。

 

 そのためバルジシールドと銘打っているが、これらがなくても展開できるようにすれば、もっと使い勝手がよくなるのではないか。まさに、あの中間棲姫のように。そう考え、技術をより高めている最中なのだとか。

 

「だが、ふむ……そうだな。バルジを通じたものはほぼ完成といっても良い状況だ。坊主らが研鑽を重ね、先にバルジなしでも展開できるようにするコツを会得するのを期待しても良いか。書き進めているレポートのまとめを詰めて、提出することにしよう」

 

 予定としてメモをした瀬川は、いったん演習を終えた艦娘たちを呼び戻させ、次は空母の艦娘たちを呼び寄せた。「では、次の技術でも紹介しようか」と空母の一人、蒼龍に目配せする。すると矢筒から一本の矢を抜き、それを弓に番えるのかと思いきや、握り締める。

 その手から溢れた光が矢全体へと纏われ、一つの光の玉となって右手に収束した。その光は手全体、手首、腕へと伝わっていき、その腕を引いて、

 

「――烈風拳ッ!」

 

 掛け声とともにそれを解放すれば、海へと強い拳圧が放出され、海を割る。そのあり得ない光景に香月だけでなく、秘書艦の赤城も開いた口が塞がらない。だが瀬川はどうだと言わんばかりに表情を緩ませ、腕を組んで何度も頷いている。

 

「これぞ、我らが筋肉パワーよ!」

「いやいやいやいや、なにしてんすか? 何で、何でパンチ? 空母があんな、拳の飛び道具とかどういうつもりっすか!? 別に空母が格闘戦する必要ないでしょ!?」

「何を言っているのかね、坊主? 空母が格闘戦をするな? んんんんんんんん、笑止ッ! 戦場では何が起きるかわからんぞぉ? 時に矢を番えて撃つ暇すらない時もあろうよ! そんな時に何もできずにやられていればいいと? 否ッ! 否であるぞ! その状況を解決する秘策! それこそ筋肉! それこそ己の拳である! 筋肉を鍛えれば、パワーが全てを解決するッ! そのための、この技よぉ!」

 

 と、自分の腕の筋肉をぴくぴくさせてアピールするのだが、別に瀬川の筋肉をアピールされてもと、引き気味だ。しかし彼の言葉も少しはわからなくもない。空母は接近されれば不利だ。攻撃手段が艦載機によるものというのが大きく、副砲が装備できず、機銃では攻撃力が物足りない。

 

 超遠距離から攻撃を仕掛けられるという強みと引き換えに、接近戦が不利というわかりやすい弱みを持っている艦種だが、それをカバーする格闘戦の技術を仕込まれれば、戦術に幅が生まれる。

 

 ちなみに、と手であきつ丸を示すと、彼女もまた烈風をはじめとする艦戦を装備できるため、烈風拳などができると披露してみせた。他の艦娘と違って戦闘に重きを置いている艦娘ではないため、火力不足が否めない彼女だが、烈風拳ができるなら、火力に貢献できるだろうと紹介する。

 

「火力こそパワー、筋肉は全てを解決する。戦艦もほれ、ご覧の通りよ!」

 

 興が乗ってきたのか、戦艦の一人である大和がその手に徹甲弾を握り締めてぐっと力を込めれば、眩いばかりの光が溢れ、先ほどの二人の烈風拳よりも凄まじい拳圧が海を割る。その有様に唖然としつつも、とりあえず問わずにはいられなかった。

 

「……必要ですか?」

「必要だろう。最後には拳で語れば良い。殴り合い、海。戦艦ならではの火力を乗せたパンチが、きっと世界を救うと信じて!」

「縁起わりぃわその言葉はよぉ!? ってか、徹甲弾別に握る必要なくねえっすか!?」

「力、属性を引き出す触媒のようなものだ。別になくても、ほれ、あの通り。青の力を乗せたパンチだけでも十分よ。ただ、徹甲弾があれば、衝撃の貫通力が上がる、みたいな違いが出てくるのが検証結果にあってな。そこら辺で使い分ければよかろうて」

 

 筋肉信奉者らしい技と考えれば、こういうのを編み出した経緯も理解はできるだろうが、それでも今までの戦闘技術とはまるで違うものに、困惑を隠せない。艦娘はやはり砲撃は砲撃、艦載機は艦載機、そして雷撃は雷撃と、それぞれの技術を伸ばしていくものだ。呉鎮守府から広まった青の力も、それぞれのタイプに合わせた攻撃方法が編み出されている。

 バルジシールドはまだしも、それぞれのパンチは今までのものとはわけが違う。すんなりと受け入れられるかといえば、それは否だろう。

 

「不服か?」

「不服っていうか、何というか、所詮はパンチっていう単純さが……」

「だが、今までの戦いでも何の変哲もないパンチで危機を乗り越えたことはあろうよ。それに大湊や呉でも、それぞれの艤装の武器を振り回した。剣だの槍だの使ったのだろう? それらはその艦娘の艤装がないと意味はないが、パンチは己の拳よ。誰でもいける技術。そこに大きな意味がある! やはり武器よりも、筋肉で解決よ!!」

 

 心配だ、とても心配だ。

 今までにない新しい刺激を求めてリンガ泊地に来たし、実際に新しい刺激、技術を目の当たりにしている。期待していたもの以上のものがそこにある。ただし、その方向が香月にとって斜めすぎるのが問題だった。

 

 突拍子もないものすぎる。これで何ができるのだろう? 敵がどんどん強くなっていく中で、拳で解決できることってあるのだろうか? 距離を詰めて殴れば解決といえど、その距離を詰めることが戦艦などにできるのか? 良くて水雷戦隊ぐらいではないだろうか?

 戦艦が接近戦をするなど、それは敵から攻められた時――と考えたところで、香月ははっとする。

 

 距離を詰められれば、戦艦主砲の旋回などが間に合わなくなる。副砲だけで対処しきれない時もあるかもしれない。その時に役立つのが拳?

 バルジシールドもそうだ。艦娘を守るための技術である。ならばこの拳の技も、攻撃を仕掛けるのではなく、攻められた際の技術として仕込んだのならば、それはある意味守りのための技術といえる。

 

 そういうことか?

 彼は、艦娘を守るためにこれらの技術を編み出したというのだろうか? 香月はそう考え、ちらりと瀬川を見上げた。

 その視線に気づいたのか、瀬川はまた己の筋肉を誇示するように、ぐっと腕で胸筋を強調する。はちきれんばかりの肉厚に、少しだけ浮かんだ尊敬のような何かは、たちまち霧散してしまった。

 

「……わかりましたよ。じゃあ、よろしければ、それらの技術を教えていただけますかね?」

「よかろう。坊主も我らが筋肉に学び、筋肉を鍛え、より高みへと昇っていこうではないか! そして知るだろう、最終的にはパワーで解決こそが真理であると! んんんんっふっふっふっふ、フハハハハハハ!」

「暑苦しい、暑苦しい! オレはそこにはいかねえからな! そこまではやらない! 絶対に!」

 

 そんな叫びをする香月に、瀬川はまるで菩薩のような微笑みを浮かべる。元が糸目ということもあり、口元に優しい微笑みを浮かべ、雰囲気をそれっぽくするだけで、毒気が抜かれそうな笑みがそこに完成する。

 

 だがどうしてだろう。

 顔だけで見れば穏やかなものだが、その下が強い圧がある。ミシッと軋む筋肉が、軍服の上からでも見て取れる。組まれた腕から覗く胸筋と、右手がサムズアップを形作り、「最初は誰もがそういうのだよ、坊主」と、丁寧な言葉で語り掛け、

 

「ワシらが仕込めば、お前もまた筋肉のすばらしさを理解するだろう。さあ始めよう! 楽しい楽しい筋肉祭りだ!」

 

 演習、あるいは鍛錬のことをそう言い換えるのがらしいといえばらしいのだが、そのテンションが彼の見た目と相まって暑苦しいことこの上ない。それが自分よりも一回りガタイが大きい彼から迫ってくるから、少し怖い。

 

 それでも香月は、腰こそ引けるが、撤退することはなかった。何とか、何とかやり過ごしつつ、艦娘たちを今よりも強くさせる。そのためにリンガ泊地を訪ねたのだから、その目的を放棄するわけにはいかない。

 例え、この瀬川の調子が自分には全く合わない輩だとしても、その実力は紛れもなく本物なのだから。

 



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ティータイムハ昏キ海ノ底デ

 

 道が見えない。

 彼は、昏い底で思い悩んでいた。

 

 悩む要因はいくつかあったが、一つは、南西提督が消えたことだ。輸送を繰り返すことに努め、勢力拡大も敵の撃破も進んで行わなかった彼は、かの神によって粛清された。

 近隣の深海提督が粛清によって消えたことに、彼もまた圧を感じた。自分も下手をすれば南西提督のように消えてしまう。それを感じ取ったからこそ、何とかしなければと思わざるを得なかった。

 

 一つは中部提督と、代替わりした南方提督の戦力拡張だ。特に中部提督である美空星司の躍進は大きい。襲撃の作戦自体は失敗に終わっている。しかし彼がもたらした水鬼の開発は、深海勢力にとって大きな躍進をもたらすきっかけとなるだろう。

 

 先代南方提督をその手で殺し、代替わりした深海吹雪もパラオ泊地襲撃作戦こそ失敗しているが、彼女自身も戦い、戦力となることを示した。星司から与えられた空母水鬼も保有しているし、戦力拡張は果たしている。次に向けて準備を進めればきっと他の艦隊に劣らない戦力となることは間違いない。

 

 そうして動きを見せている二つの勢力に比べると、印度提督はあまり大きく動けていない。

 印度提督は瀬川が睨んだ通り、ベンガル湾やアラビア海周辺を担当する深海提督だ。欧州から逃げてくる、進出してくる艦隊や、アジアやインドから欧州へと渡ろうとする艦隊を撃破する役割を担っている。

 

 だが、現在はリンガ泊地の瀬川によって、その活躍を大きく奪われていた。順調に力をつけてきた瀬川率いるリンガ艦隊は、立ちはだかる深海印度艦隊を何度も撃破してきた。時に泊地へと迫ってくる艦隊もあったが、それを全て退けた。

 

 もし次に粛清するようなことがあれば、印度提督がそれに選ばれるに違いない。そうしたプレッシャーが、印度提督をずっと苛んでいた。

 戦果を挙げなければ。

 その思いの下に新しい深海棲艦を開発しようとしているのだが、その心得がない彼にとって、どのように開発、調整を進めればいいのかわからない。そのジレンマも襲ってくる。

 

 彼の感情の乱れを表すように、何度も何度も瞳が明滅している。フードの下には骸の部分が口元に残ってはいるものの、それ以外は深海棲艦らしい肌が覆っている。紫色に光る瞳の明滅が、昏い部屋を何度も照らしている中、不意に通信が繋がれてきた音が響いた。

 びくっと肩を震わせ、恐る恐る振り返る印度提督。

 一定のリズムで響く音に、とりあえず出なければと、通信を繋ぐと、出てきたのは白い女性だった。

 

「久しいわね、印度。調子はどうかしら?」

「欧州……!? あ、ああ……問題ない。何の用だ?」

「……下手ね。そんな様子で問題ないと? 何も知らずに私がこうして通信を入れたとでも思っているのかしら? だとしたら、ええ、随分と調子が悪いようね。思考回路はきちんと動作している?」

 

 と、そう言ったところで、ふと気づいたように一つ頷いた。「ああ、ごめんなさい」と感情のこもらない謝罪をした後、

 

「お前は私たちと違って人から転じたものだったわね。元々思考回路は持っていなかったから、動作も何もなかったわね」

 

 その言葉の通りか、あるいは上手く回るような頭をしていないのだろうなと、皮肉ったような言い回しか。くすりとも笑わず、真顔でそのような毒を吐く。しかも彼女は優雅に椅子に座り、紅茶を飲みながらである。

 

「そんなお前に通信を繋いだ理由、それは時が近いということを警告するためよ」

「時……ま、まさか……」

「この世との別れ、永遠なる眠り。そっちの海域が空席になるということよ。ああ、でもただ空席になるだけでなく、そこにある椅子もなくなるでしょう」

「南西だけでなく印度も消えると……!? そんなことをすれば、リンガは増々増長するはず! それを許すというのか、欧州?」

「今もなお増長し続けるでしょう。お前が消えたところで、何の影響もない。仮に増長のままに西へと進出したとしても、私が潰す」

 

 堂々とそう宣言し、カップを掲げる。その所作は実に優雅で、それが出来ると自負して疑わない。自信に満ち溢れた彼女は間違いなくそれをやってのけるだろうと、印度提督も感じてしまう程だ。

 

 故により感じる。

 自分は、もう死ぬのだと。

 人間としての死を経て、深海提督としての死も迎えようとしている。二度とない、永遠の終わりが、そこまで来ていることを実感し、より恐怖に震え始める。

 

「いやだ……死にたくない、お、俺は……まだ死にたくない!」

「何そのありきたりな命乞いは。人は、追い詰められれば、もう少しまともな抵抗を見せるのではないのかしら? それすら出来ないとは、人以下の存在か? ああ、そも、今のお前は人でなしだったか」

「チャンスを、生き延びるチャンスをくれ……! いや、ください……消えたくない、俺はまだ……」

「チャンス? 私にチャンスを求めるか。粛清の是非は私が決めることではないのだけど」

 

 新しく紅茶を追加して、また口に含みつつ、視線をモニターから逸らして何かへと見やる。ソーサーへとカップを置き、コンソールへと指を滑らせた。すると、印度提督側のモニターに何かが表示される。

 

 そこには基地型の深海棲艦のデータが表示されていた。港湾棲姫のデータらしいのだが、少し改良が加えられているようだった。これを送り付けられて、どうしろというのだろうかと首を傾げていると、

 

「私が改良したポート・ダーウィンのデータよ。これを更に改良し、好きに使いなさい」

「ダーウィン? 基地型でどうしろと……?」

「それ以降は自分で考えなさいな。思考回路がなくとも、回せる頭くらいはあるでしょう。それもないというのならば、チャンスを掴めず、そのまま消えるだけ。他にも配信されているデータはあるのだし、どうにかすればいい」

 

 それに、と紅茶を口にしつつ、言葉を続ける。

 

「私としては、お前が消えようが消えまいがどうでもいいのよ。一つのデータは与えたけれど、これは情けでしかない。あまりにもお前が哀れだから、お前の求めるチャンスになりえるものをくれてやったに過ぎない。だから、これを活かして這い上がるかどうかは、お前次第。……でも、私はお前に期待はしていない。足掻くだけ足掻いて、消えたとしても何も心は痛まない。それだけは言っておくわね」

「…………っ」

 

 残酷な言葉に、小さく拳を震わせることしかできない。彼の感情に呼応してなのか、赤黒い電光が、小さくバチッ、バチッと何度か弾ける。その様子に、欧州提督は目を細めた。「では、話は以上よ。せいぜい消えないように奮戦しなさい」と言い残して通信が切れる。

 

 だが、通信を終えても印度提督は動けなかった。自分は今、崖の一歩手前にいる。失敗すれば足を取られて奈落の底へと真っ逆さまだ。上手くやれば崖から離れることはできるだろうが、果たして自分にそれができるのか?

 

「……やら、なくては……俺は、俺は……戻る。生きて……人に……帰らなくては」

 

 震える声で呟きながら、同じく震える両手を見る。そこには生前のものとは違う色合いをした手がある。動揺する心を表すように目の光が明滅する中、ふらりとコンソールの前に立ち、送られてきたデータを確認していった。

 

 一方、欧州提督は「追い込みは上々」と息をついてカップを傾ける。あのように厳しく追い込んだのは彼女の予定通りだった。そして、想像通りの反応を見せた。精神が追い詰められ、赤黒い電光を発した。恐らくあのまま進行すれば、狙い通りの結果に導けるだろうと踏んでいる。

 

 この一連の流れも含めての粛清だ。目指すべき状況に導くために必要な手順だと命じられたならば、欧州提督はそれに従うまでである。そこに自分の感情を含める理由はない。かの神の意思に従い、行動する。それが欧州提督である。

 

「土壌は成熟し、種も育ち、祈りは底へ、しかし器は未だ至らず。あれも少し追い込んだことで、多少は進行したようだけれど、未だ足らず。でも……ふむ、翔鶴は悪くはなし」

 

 モニターに映る現在の状況を再確認し、欧州提督はそう呟く。そんな彼女へと「着実に進行、しているといっていいのかしらぁ?」と声がかかった。あら、と目だけでそちらを見やり、手にしているカップをソーサーに置くと、もう一つのカップを出してやる。

 

「あなたも飲むかしら、リシュリュー?」

「ええ、頂こうかしら」

 

 台の向こうの席に座ったのは、欧州提督と同じく白髪の女性。リシュリューと呼ばれた彼女は豊かな胸元と、他の深海棲艦の姫級らと比べて多くの髪の量を持つ女性だと見て取れる。

 欧州提督が用意したカップへと紅茶を注ぐと、深海リシュリューは小さく礼を述べて口に含む。その味に小さく息をついて、

 

「本気で印度には消えてもらうことになる流れなのよね?」

「リンガに何度も敗れ、奴らが幅を利かせるようになっている。最早、印度に止める力はない。そうして蓄積された負の力。無駄にするよりは、あの方のために礎とする方がまだ価値があるもの」

「無駄な犠牲は望まないのではないかしらぁ?」

「中部とのことかしら? ええ、確かに犠牲ありきの作戦は是とするべきではない。でも、此度のことはあの方の意思。それに、元が人であり、我らと違う存在ならば、心が痛まないのも事実。南西に続き、印度も空席となるでしょう」

「フリーとなったあの海域、南西の残党や印度の残党も回収するのかしらぁ? 上手く纏まるのかしらね」

「纏まるのかではない、私が、纏める。全てを」

 

 その強い言葉に、深海リシュリューは目を細める。確かな自信を孕んだ言葉に、彼女ならばやってのけるだろうと思わせてくれる。それだけのものを、彼女は持っているのだ。そうでなければ長年欧州周辺を相手に戦い続けていない。

 深海リシュリューも今の姿へと進化を遂げたのは最近だし、目覚めたのも欧州海域が赤く染め上げられた後のことだが、それだけでも十分欧州提督の強さを目の当たりにしている。

 

 彼女は強い。

 深海棲艦が跋扈する黎明期から活動し続ける女王であり、今もなお成長し続ける怪物だ。その彼女がやるというのならば、必ず成し遂げるだろう。

 

「それに必要とあらば、私自身も向こうに行くこともやぶさかではないわ」

「あなたが遠征? 大丈夫なのかしらぁ?」

「問題ないでしょう。いくら私の担当がこことはいえ、スカートを上げれば走れるもの。地中海を超えて向こうに行き、戦闘するのも苦ではない。その際にはあなたにも来てもらうつもりでいる。私たちという双璧があれば、増長する輩など物の敵ではないでしょう。違う?」

「いいえ、そう信頼を預けられれば、悪い気はしないわぁ。例えかつては国同士の関係がこじれていたとしてもね」

 

 その言葉に、欧州提督も笑みを浮かべる。

 彼女の言う通り国同士は仲が悪いだの微妙な関係と言われていたりするものだが、それは人間同士の話だ。人ではない彼女たちにとって、そういった人間関係は気にするものではない

 

「こじれるといえば、ずっと気になっているのだけれど」

「何かしら?」

「混ざりものである身って、どんな感じなのかしらぁ? あなたのその強さは、それによるものなのかしらぁ?」

「そうね。最初こそ確かに不調は続いたけれど、それは最初だけの話。今の私は何も問題はない」

 

 と、欧州提督は自分の手を見やる。最初期に生まれたものとして、色々と実験体が生れ落ちた。純粋な深海棲艦ばかりではなく、二つの艦の要素を混ぜ合わせたものも作られていた。欧州提督も元はそれに当たる。

 実験体としての宿命か、多くは不調を起こして使い物にならず、破壊されたものが多かったのだが、彼女はその苦境を乗り越え、自我を獲得し、進化して今に至る。

 

「今の私は空母主体にして、戦艦の要素を含むもの。どちらもロイヤルネイビーに縁あるものだから、大きく破綻することがなかったのが幸いしたともいえるけれど、最終的には私の意志がこの身を制御した。悪くはないわよ、こういうのも。遠方から二つの手段で敵を撃滅する。接近されようとも、装甲が防ぐ。穴を埋めるように立ち回れば、まず敗北はない。……結果、私の深海欧州艦隊(ロイヤルネイビー)は大きな敗北を喫することなく、今に至る。この実績が、私の歩みを証明している」

 

 だからと、拳を握り締めて彼女は自負するのだ。

 自分こそが、かの神における一番の戦力であり、かの神の意志を成し遂げるために全幅の信頼を預けられた戦士であると。

 その信頼に応えるために、何としてでもかの神の願いを叶えなければならない。長きにわたる戦いの最終目的が、それにあるのだから、果たさねばならない。それが例え、かつての祖国を滅ぼすことになろうとも、慈悲はない。

 

 かつても今も、誰かに使われるための兵器である自分は、そう在り続ける。

 かつては人間に、今はかの神に。使う誰かが変わっただけであり、その敵は同じ人間である。そこに艦娘という新たな敵が加わった。少し砲を向ける相手が増えただけに過ぎない。ならば深く悩み、考える必要もない。敵がどうであれ、兵器は使う主の勝利のために動くのみ。

 

「故に、私の道の先にこそあの方あり。遅れることなくついてきなさい、リシュリュー」

「いいでしょう。我らを導きたまえ、我らが深海欧州艦隊(ロイヤルネイビー)の旗艦様」

 

 二人はそっとカップを掲げ、改めて誓いを交わす。

 欧州のとある海の底で、静かに事が進められていく。彼女らの目指す先には、どのようなことが待っているのか。それは、まだ誰も知らない。人間や艦娘だけでなく、同じ深海勢力もまた知らないことだった。

 



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憩いのコタツ

 

「何かしら、これは?」

 

 疑問を呈する声が静かに部屋に流れる。それを受けた大和は、声の主へと視線を上げて「ああ、そういえばビス子がここに来たのはこれ、しまった後だったわね」と気の抜けた声で頷いた。

 

「寒くなってきたから、これを出すことになったんですよ。コタツってやつ、聞いたことありません?」

「こたつ? ……日本の何かだったかしら。そして、その恰好は?」

「これ? これはどてらよ。丹前とも言うのでしたっけ。日本に古くからある防寒具の一種。あなたも着る?」

 

 と、首をしゃくって重ねて置いてあるどてらを示した。少し考えたビスマルクは、郷に入っては郷に従えという言葉を思い出し、不慣れながらもどてらを着てみることにし、そしていそいそとコタツに入ってみる。

 じんわりとした暖かさが感じられ、なるほど、日本人はこういうもので冬を過ごすのかと実感していく。

 

 冬になり、もうすぐ年末シーズンと呼ばれるような時期となった。相変わらず呉鎮守府では、それぞれの艦娘が鍛錬を重ね、青の力をはじめとする新しい戦闘技術の開発から、今までの技術の向上に努めていった。

 それは他の鎮守府などでも同様だ。特に最近はリンガ泊地からもバルジシールドと呼ばれるような防御術も発信された。攻撃術ばかり磨き上げてきた呉鎮守府からすれば、この防御術の発信はとてもありがたいものであり、すぐさまそれを取り入れて鍛錬していくことになる。

 

 あの瀬川が出したレポートだから、筋肉に関した微妙な言葉が並んでいるかと思われたが、意外にもしっかりとしたレポートにまとまっていた。そういうところはしっかりしている輩である。

 

「今日もよく頑張りました、と。どう? 主力艦隊は。そろそろ馴染めてきたんじゃないかしら?」

「そうね。いい刺激になっているわ。この改三の体、艤装も理解してきたしね。今ならあなたともいい感じにやり合えるような気がしないでもないわ」

「へえ、言ってくれますね。その気概をまたぶち壊すのもやぶさかではないのですが?」

 

 お茶を淹れ、コタツの上に用意されていたみかんをビスマルクに渡しながら大和は不敵に笑う。ビスマルクの言うように、彼女には先日改三改装が施された。美空大将率いる第三課の力により、ドイツが進めた改装に更なる手を加え、ドイツ語で三を示す言葉、ビスマルクドライと呼称された。

 改二であるツヴァイまで変わらなかった衣装は、ドライによって変化し、艤装にも新たに魚雷発射管が追加された。この魚雷発射管の操作の感覚が追加されたことで、最初こそ不慣れさはあったものの、今は遠距離の主砲、近距離の副砲と魚雷と選択肢が増えたことで、戦術に幅が広がった。

 

 春にウェーク島で戦ったビスマルクと比べれば、大いに成長しているとビスマルク自身も実感している。今なら、大和といい勝負できるかもしれないという気持ちも、疑う気持ちはない。

 だが、大和にしても、

 

「あなたが成長しているように、私もまた成長しているのですよ、ビス子。明日、それを教えてあげましょう。あなたが追いかける背中との距離は、どれだけ縮まっているのかをね」

「楽しみにしているわ。……で、こういう感じで過ごすのが日本の冬って感じなのかしら?」

「そうねえ……戦艦組も休みのときはこんな感じかしら。ここに日向がいれば、しばしば瑞雲の話を聞かされ続けるけど」

 

 そこで口を挟むのが大和の対面に座っている山城だった。彼女もどてらを着こみ、ちょこちょことみかんの白い部分、アルベドを取り除き、静々と食べ進めていく。彼女もまた改二改装が施され、強化された。

 戦闘時にはより洗練され、ごつさや圧迫感を増したように感じられる艤装に囲まれた姿となっている。また艤装を装備した際には額に白ハチマキが巻かれるようになる。その髪には少しウェーブがかかり、少し大人びたような雰囲気を見せるようになっている。

 

 改装をすると少し成長をしたように感じられる。そういった変化が山城にも見られたものだが、ビスマルクも同様だ。ドライへとなったことで、どことなく、より美人になったように見える。佇まいなどが、より大人の金髪女性になったと感じるのは気のせいではないだろう。

 

 そんな山城とビスマルクは現在、大和が旗艦を務めている第二水上打撃部隊から離れ、主力艦隊の一員として活動している。加えて山城は長門が務めていた艦隊旗艦という立場も引き継いでおり、主力艦隊だけではなく、他の艦隊の動向などもチェックしている。

 今日は休日のため、こうしてコタツで羽を伸ばしているが、凪や神通と共に色々と行動するようになっていた。

 

「ほんと、早いものですね。夏が終わり、秋が過ぎて、もう冬ですか。どう? 艦隊旗艦殿? その立場はもう慣れたものでしょうか?」

「……慣れるしかないでしょう。そりゃあ最初こそ、私ができるのかって不安でたまらなかったわ。胃がキリキリするわ、胸焼けするわで不幸かって話よ。でも、うん、神通も秘書艦として提督を支えているし、何より長門はそのどちらもやっていたのだしね。泣き言は言ってられないっての」

「そう。……ええ、あなたの頑張りは、私も見ていて理解しています。他の皆のことだけでなく、自分のこともしっかりやってのけている。よくやってくれているものです」

 

 青の力の訓練の際には、大和はそれぞれの艦娘の指導のために出ずっぱりだ。だからこそそれぞれの艦娘の成長具合も、頭の中で比較ができる。山城の成長は問題なしといえる。妖精との繋がりについては、他の艦娘と比較して相変わらず不安定ではあったが、少しずつそれも安定に近づいてきていた。

 

 あの戦いの際、激昂状態によって赤の力に近しいような雰囲気を見せていたため、一時期は不安なところがあったのだが、山城自身も二度とああはなるまいと、自分を抑えていた。これらが組み合わさり、山城は赤の力に傾くことなく、自分を高め続けられている。

 

 とはいえ、これは訓練だからだ。実戦で因縁の敵と相対した時、感情が乱れないとは言い切れない。あの戦い以降、大きな敵は呉鎮守府の前に現れていない。もし、呉鎮守府にも襲撃してくるようなことがあれば、試すにいい機会だが、それもない。

 因縁の相手となれば中部提督率いる艦隊だが、最近の深海勢の動きからして、恐らくトラック泊地や南方方面へと襲撃を仕掛けていく可能性が高いかもしれない。ならば、因縁を果たす機会は当分はないかもしれない。

 

 だが彼ら以外にも敵はいる。それらと相対してもなお、問題なく戦えるならば、正しく成長していることの証明となる。大和は山城に期待している。彼女なら、しっかりと艦隊旗艦として、潰れることなく皆を率いてくれるだろうと。

 

「どうも。あなたもまあ、よくやってくれていると思ってますよ。最初こそどうなることかと思ったけど、立派にやっているじゃない」

「おかげさまで」

 

 小さく会釈しながら湯呑に口を付ける。ビスマルクも同じようにしつつ、大和を旗艦として行動していたことを思い出す。がむしゃらに大和に食らいつきはしたが、しかし大和も旗艦としてビスマルクをうまく育てようと頑張っていたように思える。

 初めての旗艦だったとのことだし、何かと煽っていくスタイルではあったが、そこまで悪くはなかった。

 

 ただ、ビスマルクとしては最初から最後まで、大和のその性格は性に合わなかった。規律に従うドイツ人気質が、たびたびそれからずれる大和の性格、行動は馬が合わない。こうして休日に席を共にするようにはなったが、未だに大和の中身については認めてはいなかった。

 

「育てがいのある子がいれば、ふふ、人は大いに変われるものだと実感しましたよ」

「あら、それは私のこと?」

「ええ。あなたが来てくれたことは、私にとって良い経験となりました。感謝していますよ。あなたを育てられたからこそ、今こうして青の力を円滑に指導することができているのだから」

「そう、それは何よりね。人の上に立つことで少しは規律に従い、しっかりとしたリーダーたらんとする姿が見られるものかと思ったけれど、結局そうはならなかったのは残念ね」

「ルールにガチガチなのは性に合わないのですよ。そこまで縛られたくはありません。自由があってこそ、行動に幅が出る。私はそう在りたいものです」

「本当に、その点だけはあなたとは相容れそうにないわね。この先もどうにもならなそうな予感しかしないわ」

「はいはい、相容れなくていいけど、手だけは出さないでくれる? あ、足も……やめ、やめなさい! 私の足もあるんだから、やめろっつってんでしょ!?」

 

 ため息をつきながら山城が前もって止めようとしたのだが、早速大和がコタツの下でビスマルクの足へとちょっかいをかけていたらしく、手を出すなと言われたためビスマルクも足で応戦し始める。

 

 そのまま山城の足も巻き込んで、軽い蹴りやくすぐりが見えないところで繰り広げられるが、間に挟まれている山城としてはたまったものではない。ついつい普段は出さないような口の悪さを出しつつ、コタツ机をダンッ! と叩いた。すると、その衝撃でコタツ机がひっくり返り、机の上に置いてあったみかん籠や、それぞれの湯呑が宙に舞い、

 

「――――あっ」

「あ、あっつーーッ、い、いだっ……!?」

 

 かぶったお茶にたまらず悲鳴を上げて反射的に立ち上がろうとしたが、コタツに足を入れたまま立ち上がったため、ぐいっとコタツもろとも立ち上がりかけてバランスを崩し、加えてひっくり返る机が山城の顔へとぶつかり、と、見事なまでに連鎖的に悲劇が襲い掛かる。

 

 芸術的なまでの出来事に、大和とビスマルクは何も言えない。こたつ布団でかかったお茶を拭い、重い、重いため息をついた山城は、「……ねえ?」と冷たく低い声で二人に呼びかける。

 たまらずビスマルクは「はいっ」と正座し、大和もこれはいけないとばかりにいそいそと正座した。

 

「何してくれんの、これ? ん?」

「本当に、ごめんなさい山城」

「すみませんね、山城。いや、まさかここまでとは思いませんでしたよ、私も」

「ええ、私としてはね? これくらいは慣れたものだけどね、でもね? 慣れてはいても、辛いのよ? わかるわね? 今日はね、休日。休みなの。わかる? 今日くらいはね、安らいでいたいわけ、私も。それを、まあ、こんな風にしてくれてさ。ええ、ため息もつきたくなるわよ」

「つくと幸運が逃げるらしいですよ」

「つかせたのはあんたたちでしょうが!?」

 

 大和の言葉に、すかさず山城が吼えつつ、大和にゲンコツを落とした。なかなかいい音がする程だったが、大和は小さく目をつむり、大人しくそれを受け入れた。さすがにそれをやられるくらいのことをしでかしたので、それ以上の反論はしないようだ。

 

 山城もそれ以上怒るようなことはせず、「……それなりにやり合うのは結構だけど、場所や状況を考えてやりなさい」と言い残し、通信を繋いで、「家具職人、ちょっと出てきてくれる?」と呼びかけた。

 壊れたコタツを家具職人の妖精に直してもらうのだ。加えて、「掃除、任せたわよ」と言い残して部屋を出て妖精を迎えに行く。二人も返事をし、立ち上がって崩れたコタツを戻したり、散らかった湯呑などを片したりしていく。

 

「ああいう性質はいつまでもついて回るものね」

「やっぱり、不幸体質というものかしら?」

「忘れた頃に、何かが起きてしまうみたいですね。今のところ、戦いの中ではそれほど起きていないのが不幸中の幸いでしょうか」

 

 お茶に濡れたコタツ布団を抱え上げ、ビスマルクも空になってしまった湯呑を持って大和と一緒に部屋を出た。廊下を歩きつつ、大和はふとビスマルクを見やる。

 

「だからこそ、もしも戦場でそういった何かが起きたら、よろしく頼みますよ、ビス子」

「そうね。願わくばそんなことは起きてほしくはないけれど、何が起きるのかわからないのが戦場というものだわ。頼まれたからには、やってやるわよ」

 

 その答えに、結構とばかりに微笑を浮かべる。

 誰かを守るために動く、それは大和自身もビスマルクへとしたことだ。自分のやったことを、万が一の際にビスマルクも実行できるのなら、とても安心できる。自分が教えたことは無駄ではないと。

 そうして自分の意思を下へ、次の誰かへと伝えていく。それもまた人が続けてきたこと。知らない内に、自分もまたそうした系譜に連なる道を歩んでいることに、少しだけ誇らしくなる大和だった。

 



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クリスマス前

 

 いくつか上がってくる報告書を秘書艦である神通とやり取りしつつ、つつがなく進めていく。彼女のサポートの力は申し分ない。元から支えてくれる気質だったというのもあるが、長門が秘書艦だった時でも、補助をしていたことがよくあったため、自分で本格的に秘書艦を務めるようになっても、スムーズに作業を進められている。

 

 遠征の成果の報告となれば、持ち帰ってきた資材の確認と、どれくらい消費されたかのチェック。同時に水雷戦隊の練度の向上具合も確認。特に新入りとなったメンバーの成長は注目に値する。

 五水戦旗艦として活動している矢矧に加え、酒匂も順調に成長している。旗艦であり、姉である矢矧だけでなく、他の軽巡である球磨や阿武隈からも指導を受けているため、しっかりと実力を伸ばしていた。

 

 以前なら暇があれば神通が軽巡や駆逐艦の指導に当たったが、秘書艦である今は、その時間が減っている。酒匂のケースのように、球磨や阿武隈がその役割を引き継ぐ形になっている。

 一水戦には北上もいるが、彼女は軽巡ではなく雷巡として活動している。雷撃能力に特化した艦種のため、雷撃については指導できるだろうが、それ以外についてもうまく使いこなしていくなら、今は球磨や阿武隈に指導を受けた方がいいこととなった。

 

「次はこちらです」

 

 報告書を確認し終え、判を押すと次の報告書を手渡してくれる。そして空いたカップに新しい紅茶を淹れてくれる。少しぬるめの飲みやすい温度で淹れてくれる神通に礼を述べ、報告書に目を通しながらちまちまと飲み進める。

 

 現在の青の力の修練具合について大和が纏めたものだった。

 トップは赤の力ではあるが大和、次いで一水戦のメンツが並ぶが、そこに並ぶのが瑞鶴だった。瑞鶴はどうやらトラック泊地が出した空母に関する青の力のレポートを参考に、修練を重ねたようだ。これを纏めたのはトラックの秘書艦である加賀を筆頭とした空母たちのようで、高速で艦載機を飛ばすもの、雷撃や爆弾の威力を高めるものなどが書かれていた。

 

 この調子で青の力を高めていけば、きっと深海棲艦に対して有効打を与え、人類の勝利へと大いに近づくことになるだろう。

 こちらも判を押し、次のものを受け取って読み進めていく。

 

 深海側の通信に関する試みも、順調に進められている。宮下から通信記録を共有してもらい、その解析も行われている。こちら側から接続や妨害ができるか否かについては、実際に彼らと対峙してみなければわからない。

 敵の通信機器そのものはこちら側にはないため、テストはできないためだ。しかし通信記録から色々と試してみることはできるため、新しい通信機器の開発を進めている段階にまで手を付けることとなっている。

 

 確認作業を昼近くまで進め、最後の報告書に判を押して、大きく体を伸ばした。

 

「……ふぅ、これで終わりかな?」

「はい、お疲れ様でした」

 

 朝に処理すべきものを終え、残っていた紅茶を飲み干して一息つく。時間も時間のため、昼食へと向かおうかと考えたが、凪は処理した書類の中から、一つを抜き取ってもう一度確認する。

 それは第三課からの報せだった。そこにはこれからの予定が記されており、間もなく配信するデータと、現在進められている計画についてまとめられていた。

 

 以前に美空大将は忙しくしているため、宮下から聞かされた話を報告できなかったことがあるが、この報せにあることを進めていたのならば、忙しくしていても無理はなかったと感じさせられる。

 

 調整を終えて完成し、配信されるものとしては妙高型の改二、摩耶鳥海の改二だそうだ。また現在改装計画に挙げられているものが、吹雪、叢雲、初霜の駆逐艦三人らしい。

 新たな艦娘の建造計画としては、雲龍型空母の三姉妹と、秋月型駆逐艦が進行中とのこと。特に秋月型は敵空母の強化に伴い、こちら側の防空の力を高めるためにミッドウェー海戦の後に立ち上がった計画のようで、摩耶改二も防空性能に目を付けて進められることとなったのだ。

 

 また日本海軍の艦娘の戦闘データを集め、新たなシステムの開発も試みているという記述もあった。これも防空に関するデータを集めており、より艦娘たちの防空の力を高められるような技術、システムの開発に力を入れることとなっている。

 

 基地の防衛に関する設備に関しても、北条の交渉によってアメリカから参考になりうる設備情報が入手できたらしい。同時に日本からもいくつかの設備が交換されることとなった。

 これにより深海棲艦が基地へと襲撃を仕掛けてきた際に、艦娘だけではなく設備を用いての反撃体制に期待が持てるようになるとか。これに加えて第三課では防衛だけではなく、基地から攻撃ができる航空機関連の開発計画を立ち上げることを進めているとか。

 妖精による滑走路の整備、深海棲艦に通用する航空機の開発と輸送など、いくつか問題があるが、これらをクリアすれば基地関連の計画は円滑に進むかもしれないと期待されている。

 

 新たな艦娘、新たな改装、新たな装備、そして新しい技術やシステム。様々なものに関わる第三課が、今までよりも忙しくなっていることを大いに示している報せの内容。これだけ色々な事を進めているのならば、美空大将も連絡が取れなくなっているのも仕方ないことだった。

 

 同時に、休めているのだろうかと美空大将を少し心配してしまう。倒れなければといいのだが、と思いつつ書類を戻し、「じゃあ飯に行こうか」と神通に声をかける。彼女も頷き、二人そろって退室した。

 

 昼の賑わいを少し過ぎる時間帯だったためか、間宮食堂にはそれなりの数の艦娘が各々、食事をとっていた。入ってきた凪と神通に気づくと、それぞれが挨拶の声をかけてくる。彼女らに応えつつ、神通と席に着くと、伊良湖が注文を取ってきた。

 それぞれ済ませて、お茶を飲みつつ神通と軽く雑談することにする。最近のことなど、他愛もないことを何気なく話していくが、以前に比べたら神通と一緒にいる時間は大いに増えた。

 

「そういえば、大本営から新年会のお知らせが来ていましたよ」

「ああ、もうそんな時期だったか。早いものだね」

「ただ昨今の事情を鑑みて、全員参加ではなく、出席できるもので行うとのことでした。案内に出欠の是非を記入し、返信する必要があります」

「わかった、では後で答えておくよ」

 

 そして新年会という言葉に、凪ももうすぐ今年が終わっていくのかということを実感していく。去年から始まった呉鎮守府の提督という立場も、そう遠くない内に二年目が終わりを迎えるのだ。

 去年は色々あったが、今年も同様だ。目の前にいる神通とも関係性が変わったし、新しい戦術を開発し、横須賀の北条や大湊の宮下とも繋がりができた。

 

 そして、長門の喪失もあった。

 前に進んだり、人との繋がりの広がりができたり、嬉しいことばかりではなかった。初めての喪失という谷もあった。思った以上に精神的な辛さを感じたが、湊のおかげで立ち直り、神通の補佐もあって何とか提督として再び立ち直ることができた。

 

 年末年始というイベントもあるが、その前にはクリスマスというイベントもある。去年は湊たち佐世保と合同で宴会を楽しんだが、今年はどうするかと考える。彼女には本当に世話になったのだから、感謝を伝えたい気持ちがある。たぶん誘ったら来てくれるかもしれないという予感もある。

 

 それにクリスマスといえば、やはりそういうことも意識する。湊に感謝を伝えるのもいいが、ケッコンカッコカリをしたのだから、そろそろ神通にもそういう話を持ち掛けるべきだろう。ずっと仕事ばかりでそういうことをしてきたことがないのだから、少しは何かをしてあげるべきだ、

 

「おう、お疲れ様じゃの、提督よ」

 

 ――と考えていたところに、食堂に入ってきた利根が声をかけてきた。隣には川内もおり、軽く手を挙げて挨拶をしてくる。凪も会釈し、「お疲れ様です、利根さん、姉さん」と神通も応えた。

 相席を求める利根に了承すると、利根が凪の、川内が神通の隣にそれぞれ座り、伊良湖へと注文する。待っている間、利根が「もうすぐクリスマスになるかのう」と今、凪が考えていたことに触れてくる。

 

「ああ、もうそんな時期かー、早いもんね」

「提督よ、もうすぐ休日じゃったかと記憶しとるが、神通と何かあったりせんかの?」

「いや、特に予定は……」

「ないのかお主!? あれか? いつもの工廠篭りでもするつもりか!?」

 

 実際、あれからも休みの日は工廠で作業を進めることが多く、神通ともあまり過ごしてはいなかった。長門の喪失から立ち直り、青の力に関するデータを集めるために色々と作業を進めていたことなど、提督業へと専念していたせいだ。

 

 凪は装備面から、神通は訓練からそれぞれデータを収集し、休みにはそれぞれが蓄積したデータなどを照らし合わせ、大和などからも意見を聴くなど、本当に休日の過ごし方をしているのかという風な日々を送っていた。

 それを聞いた利根と川内は呆れたように肩を竦め、「神通はらしいといえばらしいけど、提督もずっとその調子かー……」と頬杖をつきつつ、川内がため息をつく。

 

「一緒にいる時間、増えてんでしょ?」

「ええ、増えてはいますけど……」

「ずっと仕事? うーん、こりゃあダメだ。多少強引にでもそういう方向に持っていかなきゃ何も進まないね」

「そうじゃな。ということで提督よ、次の休日は神通と街に繰り出してくるんじゃな」

「……言われてしまった」

 

 丁度考えていたことを、利根と川内に言わせてしまった。こういうのは自分から言い出すべきだろうに、と凪自身もため息をついてしまう。しかしこれはいい機会だと考えることにする。

 

「そうだね。神通、どうかな? 次の休み、呉の街へ……で、デートでも」

 

 すらっと言えなかったが、デートに誘う言葉を口にすることができた。それに神通は少しだけ紅潮した顔を逸らすも、一つ呼吸を落ち着かせ、「はい、喜んで」と、返事は小さく、そして承りの言葉ははっきりと返してくれる。

 

「うむ、それでよい。提督も年頃の男じゃ。仕事に明け暮れるのも結構なことじゃが、休みらしい休みを過ごすことも大事なことじゃぞ。というかお主は少々根を詰めすぎであるな。必要なことじゃというのは吾輩も理解しておるが、リフレッシュする時間というのも大切じゃ。神通もじゃぞ。当日は、ゆっくり羽を伸ばすがよい」

 

 

 そして当日、凪は呉の街で神通を待っていた。街で相手を待つなど、増々デートであることを意識させ、どうにもそわそわと落ち着かなかった。とはいえ、したことがないわけではない。

 

 東京へと出張した際と、呉まで湊が来た際に、湊と一、二回は一緒に街を出歩いたことがある。後者は呉の街を案内した程度だが、少なくとも異性と一緒に歩くことがそれに当たるのならば、数に入れていいのかもしれない。

 

 だが、どちらもデートと意識はしていなかった。

 こうまで心が落ち着かないなど、年頃の思春期男子かと自分でつっこみたい気分だった。また、利根の言葉が頭によぎってしかたがない。

 

「提督よ、お主はもう少し自分に自信を持つと良いかもしれんのう」

「自信……かい?」

「うむ。幼少の頃よりの影響か、自分というものを出すことや、異性との関わりなど、色々なことが積み重なり、他人との付き合いが控えめになってしまっている。それがお主であろう? だから人との付き合いでは、自分から何かを仕掛けるようなことはせず、受け身の構えじゃ」

 

 とはいえ、これまでの提督の仕事で、少しは改善はされているだろうと利根は評価している。だがあくまでそれは仕事か、普段の付き合い程度であればという話だと、利根は語る。これが男女の関係ともなれば、全く活かされていないとため息をついていた。

 

「神通も神通で控えめで相手を立てるタイプじゃからのう。それがお主らの関係にもどかしさが生まれ、何にも進まなかった結果じゃろう。正直、吾輩らとしては、多少は変化しろと言いたい。前に進むにしろ、後ろに進むにしろな」

「……そうだね、何も変わらなかったね」

「じゃから、今回のことで変化をつけるんじゃな。そのためにも、お主が何か仕掛けねばならん。自分に自信を持つがよい。変化をもたらすなら、自分の意思が必要じゃ。お主はこれまでの歩みで、十分成果を挙げている。それだけのことを成し遂げた歩みがある。そしてそれは、吾輩らだけではなく、神通からも大きな信頼を得ておる。ならば、多少がつんといったところで、信頼が大きく崩れるようなことはせんじゃろう」

 

 少し小柄な利根が、ぽんと凪の胸を軽く小突いた。そうして「男を見せい、提督」といたずらっぽく笑う。更にもう一度叩いて、

 

「控えめな自分の殻を破り、草食系……? とやらから脱却し、男になれ。何なら今日は……えーと、帰ってこなくてもいいぞ?」

「…………誰かに言わされてないかい? 誰だ、君にそういうの吹き込んだバカは」

「いいい、いやあ、何もありゃせんぞ? 別に吾輩は何も調べておらんし、何も関係はない。気にせず、男になれ提督よ!」

「……そうか、何か調べたのか。うん、まあ、いいよ。そういうの調べさせてしまうくらい、俺がアレだったわけだね。すまない」

 

 ああして背中を押されたのだ。この機会に、少しは変わらなければという気持ちにさせられる。服にしても、いつも着ているようなラフなものではなく、少しだけいい感じなものにしてきた。詳しいことはよくわからなかったので、大淀や間宮などに相談して取り寄せる形になったが、そう悪いものではないだろう。

 そうして待つこと数分、「――お待たせしました」と声がかかり、そちらへ振り返ると、

 

「……っ」

 

 思わず、息を呑んだ。

 見慣れた艦娘としての衣装ではなく、まさに年頃の女性が今日のために着飾ってきたと言わんばかりの出で立ちだった。白いブラウスに膝にかかるほどの長さをしたサスペンダースカート、その上に川内型の衣装に近しい赤のコートを羽織っているようだ。

 

 いつも降ろしている髪はリボンで結い上げてポニーテールにしており、その顔にもうっすらと化粧を施している。またその白いブラウスもいつもの神通ならしないであろう、胸元を少し開けるようにされており、ネックレスがきらりと光っている。

 今日のために気合の入ったおしゃれを見せつけられ、言葉を失った。目もいつもより開いているだろうし、その反応が逆に神通を困惑させてしまったようで、

 

「あ、あの……ダメだったでしょうか?」

「いや、決してそんなことはない。むしろ、驚きすぎて言葉を失った。俺の想像以上の美人さんになって、どう褒めていいかわからない。……ごめん、今の俺には、今の君を上手く褒められるような言葉がない。それくらい、綺麗で似合っている」

 

 経験値が豊富な人は、彼女を喜ばせるくらいに褒め称えるのだろう。初めての自分にはそんな真似はできない。そう困った顔をしてしまうのだが、そんな不器用な凪でも、謝罪と共に、褒めることは褒めている。それが逆に彼の真意が表れていることをわかっている神通にとっては、十分な賞賛だった。

 

「いえ、ありがとうございます。それだけでも、私にはもったいない言葉です」

 

 そう微笑む神通に、またしても小さく唸ってしまう。いつものような微笑とは違う、少し紅潮し、嬉しそうな雰囲気を感じさせる美人にして、少女のような微笑みだった。待っている間でもいっぱいいっぱいな凪にとって、容赦のない追い打ちである。

 

 これはいけない、攻められ続けてまた受け身になってしまっている。これでは利根の後押しも何もない。何とか調子を取り戻そうと、空咳を一つして、「じゃ、じゃあ行こうか」と誘った。それに頷き、神通は一歩だけ凪から下がりつつ横につく。

 そうして二人にとっての初の街での休日が始まった。

 



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穏やかな休日

 

 年末が近いということもあり、少し肌寒い風が吹く日だった。凪と神通はコートを羽織り、呉の街を歩く。クリスマスシーズンのため街の所々は飾り付けられており、大きな店ではキャンペーンを知らせていた。

 

 商店街を歩けば多くの人で賑わいを見せている。いくつかの店を見て回り、ウィンドウショッピングを楽しむ。商店街の人々は当然ながら凪と神通のことを知っており、店に訪れれば声をかけてくれる。

 中には二人で歩いているからか、デートかと微笑ましそうに見守ったり、話しかけたりしてくれる。神通はそのたびに恥ずかしそうにしていたが、それ以上の冷やかしはなく、色々な商品を見て回った。

 

 その中の一つ、服飾の店へと足を運ぶ。艦娘は基本的に艦娘に与えられた制服で生活する。とはいえ体を休める時などのプライベートではそうもいかない。大和たちが着ていたどてらのように寮などでは私服で過ごすこともよくあるため、いくつかの服飾の店はひいきになっている。

 

 もうすぐクリスマスということもあり、ちょっとしたお得な価格で購入できるようになっている。となればプレゼントとして、神通の新しいものを買ってあげるのはどうだろうか。

 服そのものをあげるのは重いかもしれないが、小物なら気軽にできるだろう。例えば、と軽く見回してみると、

 

「これは……」

 

 リボンに使えそうな布がいくつか売られていた。神通はいつも髪にリボンを結んでいる。緑色のリボンをいつも使っているが、別の色のリボンをあげてみるのはどうだろうと考え、棚をチェックしてみる。

 

 赤いリボンに紺のリボン。無地のものだけでなく、ストライプが入ったり、柄があったりするものもある。神通に似合いそうなのはどれだろうと考え、いくつかのリボンをピックアップしてみる。

 

 川内型のイメージカラーの暖色のものか、あるいは寒色にしてみるか。色々見て回って考えたところ、赤の下地に、緑色のラインが入ったリボンを見つけた。川内型のカラーに近しい赤で、今使っている緑に近い色の二色タイプ。

 今の神通のイメージに合うカラーになっていて、それほど印象が崩れない。それを手にしていると、店員が「プレゼントですか?」と声をかけてきた。

 

「ええ」

「先ほどからずっと考え続けていらっしゃいましたね。そちらになさいますか?」

「……はい。これを包んでいただけます?」

 

 頷いた店員が神通に見つからないように案内し、会計を済ませてリボンをプレゼント用に包装してくれる。ちらちらと神通に気づかれないかと店内を見てみたが、離れたところで店員と何やらやり取りをしているのが見えた。

 

 もしかすると神通をひきつけて時間稼ぎをしてくれているのだろうかと、包んでくれている店員を見てみると、くすりと笑って口元に指を当ててくれた。自分たちを知っているからこそ、こうした粋な計らいをしてくれる。ありがたいことだった。

 

「お待たせしました。良きクリスマスをお過ごしください」

「ありがとうございます」

「あ、そうそう。冬ですからね、乾燥にも気を付けてくださいね。手とか、唇とか、渇くことが多いですから」

「……まあ、そうですね」

 

 暗にそういうことを意識させるようなことを言われ、凪は思わず目をそらしてしまう。初々しい反応に店員もくすりといたずらっぽく笑い、「今回はリボンにしたみたいですが、女性への贈り物の一つとして、この季節はバームとかクリームとか、そういうのもいいですよ」と提案してくれた。

 

「乾燥対策として?」

「ええ。彼女さんへの贈り物にもいいですし、そうでなくともお手軽に渡せるプレゼントですから、クリスマス会にもいいんじゃないでしょうか。特にバームって、ただ潤いを与えるだけじゃなくて、最近はいい香りをするものもあって、そちらも人気なんですよ」

「へえ……」

 

 冬用のアイテムとして贈る、そういう風にすれば、親しい異性にもクリスマスプレゼントとして重く感じることはない。そう考えると、こちらもそう悪いものではないのだろう。でも神通へのプレゼントはもう購入した。この話は、ちょっとした情報として頭の片隅に置いておくことにする。

 

 そっと迂回しつつ神通らの後ろを通り、入口の方へと移動して少し待つ。すると店員との話が終わり、一礼した神通がきょろきょろと辺りを見回し、凪を見つけて小走りで近寄ってきた。

 

「すみません、お待たせしてしまったでしょうか?」

「いや、そんなには。話盛り上がっていた?」

「ええ、これからの季節に合いそうなものを色々紹介されてしまいまして……。こういうのが似合いますよ、といくつか見せられてしまいました」

 

 そうして時間を引き延ばし続けていたんだろうな、と凪は店員たちのコンビネーションに改めて感謝した。鞄に入れたプレゼントは然るべき時に渡すことにして、今はウィンドウショッピングを続けることにした。

 

 次は食べ歩きでもしようかと、飲食に関係する店を見て回る。どれかをチョイスして、公園でゆったりとした時間を過ごすことを提案した。神通もそれに同意し、どれを食べようかと見て回ったところ、公園で移動販売車が来ているという話を耳にする。

 いったい何が来ているのかと聞くと、珍しいことにピザの移動販売車だそうだ。きちんと車にピザを焼ける窯を搭載したもののようで、頻繁には現れないため、公園などに来た際には、話題になるそうだ。

 

「へえ、行ってみる?」

 

 頷いた神通と共に、公園へと行くと、確かに一角で人がそれなりに集まっていた。移動販売車からはいい匂いが漂っており、ピザの香ばしい香りが近づいていくと、鼻腔をくすぐってくる。

 少し待つと、並んでいた客の注文の品が出来上がり、満足そうな顔をして客が離れていく。そして凪と神通の番が来たところで、「いらっしゃい、何にしましょう?」と店員の男がにこやかに声をかけてくる。

 

「色々あるね。……あ、サイズもそう大きいものじゃないんですね」

「ええ。なので、女性でも一枚普通に食べられるものになっています。……あ、よく見たらあなたは艦娘でしょうか? 呉の?」

「あ、はい」

「となるとあなたはその提督さんですか? これはこれは、お疲れ様です。休日でいらっしゃいます?」

「そんなところです」

「ならいいタイミングですね。ぜひとも、うちのピザを召し上がっていただきたい。一枚サービスでもいたしましょうか?」

「いやいや、お構いなく。神通、何か食べてみたいものはあるかい?」

 

 ピザのラインナップは定番のものが揃っている。サイズが普通よりも小さめだからか、値段も手ごろなものだ。これが移動販売車で売りに来てくれるのだから、評判になるのも頷ける。

 飲み物もお茶にコーヒー、紅茶と揃っているため、一緒に頼むのもいいだろう。少し考えて、定番のマルゲリータとハムとチーズの二種類に、紅茶を頼むことにした。二種類にしたのはそれぞれを一つとし、半分にすることで、二つの味を楽しめるようにという計らいだった。

 

 窯を用意しているだけあって、一から作る本格的なもののようで、その分時間はかかる。だがその分、ピザができていく過程が見えるようになっているため、出来上がりに期待が持てるのも、移動販売車ならではのメリットかもしれない。

 

 やがて出来上がった品物を受け取り、近くのベンチに移動していただくことにする。アツアツのピザを一ピース、かぶりついてみれば、ハムの旨味とチーズのとろけるところと、外側のカリカリの部分が楽しめて、とても美味しい。出来立てというのもまた美味しさに拍車をかけているだろう。

 

「ピザ久しぶりに食べたけど、美味いなこれ」

「ですね。良い巡り合わせです。……あと、すみません。お金を出させてしまって」

「気にしなくてもいいさ、今日くらいは俺が出すよ。せっかくの……だしね。だから、気にせず食べてくれ」

「はい、いただきますね。……あ、この紅茶も美味しい」

 

 公園でゆったりと時間を過ごす。肌寒い季節だが、日差しの下で近くにある噴水の水の音を聞き、誰かと一緒に軽食を摘みつつ、なんでもないような話をする。こんな穏やかな時間はどれくらいぶりだろうか。

 

 思えばずっと仕事にまつわることしかしていない。穏やかな日常は、ミッドウェー海戦の後から過ごした記憶がほとんどなかった。だからこそ、そろそろこうした時間を過ごそうと神通を誘えたのは良い機会だった。

 

 やがてピザを食べ終え、紅茶を飲み進めながら、ベンチに背中を預けて公園を眺める。子供は元気なもので、噴水近くで遊びまわっている。その近くには母親らしい人が雑談をしていた。

 こういう平和な時間があるのはいいことだ。世界は深海棲艦の脅威に晒されているが、しかしいつでもピリピリした空気の中で過ごしていいはずがない。ついには本土襲撃の危機も訪れたが、それを守り切ることができた。

 

 あれから襲撃の危機は一度も起きていないのは幸いだ。呉鎮守府をはじめとして、改めて国を守るために目を光らせ続け、深海棲艦の脅威から街を、国を守り続ける。その信頼を預けられているからこそ、ああして子供たちが遊びまわれる日常が存在している。

 穏やかな休日ではあるが、あの光景を見れば、少し気持ちが引き締まる。子供たちが安心して遊べる日常を、本当の意味で取り戻す。そのために自分たちは戦うのだ。

 そんな風に考えていると、神通が微笑を浮かべて自分を見ていることに気づいた。

 

「何かな?」

「いえ、守らなければならない。その気持ちを新たにする。良いことだと思いますよ」

「はは、顔に出ていたかな」

「最初期のあなたでしたら、そのような気の引き締めはなさらなかったでしょう。あなたが変わっていく様を、近くで支え、見守り続けてきた身としては、喜ぶべきことです。人は守るべき存在がいて強くなれる。あなたもまた、その志を持てる人だと実感する喜びもあります」

 

 だからこそ、と神通は心の中で呟く。自分は凪を慕ったのだと。

 穏やかな表情を見せる横顔を見て、凪もまた何となく彼女の気持ちを感じ取った。言葉にしなくとも、今はもう気持ちは通じ合っている。

 渡すなら今だろう。あの店で購入したものを、凪は静かに取り出した。

 

「神通、これを受け取ってくれないかな?」

「これは……」

 

 綺麗に包まれたそれを見て、神通も察する。街だけではなく、店でもクリスマスという雰囲気を感じ取っていたのだから、このプレゼントも凪のその気持ちが込められているのだ。

 静々と受け取り、「開けてもよろしいでしょうか?」と訊き、凪はそれに頷く。開けられたそれから取り出されたのは、凪が選んだリボン。それを見て神通は息を呑む。

 

 いつ購入したのか、リボンの柄を見てわかったのだ。先ほど足を運んだ店で見たような記憶があった。やけに店員におすすめを紹介されていたとは思っていたが、凪がこれを選ぶ時間を取っていたのかもしれない。

 自分たちのことは呉の街の人たちに知られている。そんなちょっとした気を回されながら、このクリスマスプレゼントを用意してくれたことに、神通は一滴の涙を流した。

 

「ありがとうございます。大切にしますね」

「うん、そうしてくれると嬉しい」

「……すみません。私からは何もなくて」

「気にしなくてもいいよ。むしろ俺としても今までこうした時間をなかなか作ってやれなかったことに、申し訳なさもあったからね。こうして一緒に過ごせる時間を楽しんでもらう。それだけで十分だよ」

 

 そうは言うが、神通の性格的に受け取ってばかりというのも忍びない。リボンを包んだ箱を鞄にしまいながら、神通はどんなお礼をするべきかとこっそり考えながら、「わかりました。では、この後はどうしましょうか?」と次のことを提案する。

 

 昼食もとったことだし、このまま公園でまったりと過ごすのもいいが、それは少々落ち着きが過ぎる。ある意味忙しい日々を主に過ごしている二人にとって、こうした時間が大切なのかもしれないが、デートとしては味気ないかもしれない。

 でもゆっくりとした時間を過ごすのも嫌いではない。そのため、近くの映画館でもどうかと、凪は提案し、神通もそれに了承した。

 

 実に穏やかな時間だった。

 映画館では新しい映画は近年あまり出ていない。撮影する暇がそんなにないというのが主な理由だ。そのため映画は過去の名作などを上映しているのが通例となっていた。

 今日はファンタジーの名作映画をチョイスした。かつて人気のあった映画というだけあり、リバイバル上映でも客の入りが良い。

 

 内容はさすが名作と言われただけある面白さ。2時間少しにぎゅっと詰め込んだ内容に、ドキドキハラハラ、時にロマンスと、王道の内容に心を躍らせた。家で視聴するよりも、こうしたスクリーンという良環境で見られるというのも、より楽しみに拍車をかけてくれる。

 鑑賞が終わり、満足感と高揚感、そして充実感を噛みしめて映画館を後にする。程よい時間になったので喫茶店へと足を運び、映画の感想などを話しながらお茶にする。

 

 一日の中で、こんなにゆっくり過ごすのも久々ということもあり、昼の公園の時よりも穏やかな時間を過ごせている。かつての自分が今の自分を見たら何を思うだろう。一人の女性相手にこんな風に過ごしているなんて、想像もできないことに違いない。

 提督としての成長だけではなく、人として成長してきていることを実感する。仮のシステムでとはいえ、女性とそういう関係になっていることもまた、凪としては驚かされることであり、クリスマスデートもあり得ないものだった。

 

 どう過ごせばいいのかもわからないようなものだったけれど、今のところいい感じに進められている。初デートとしては大きな失敗をしていない、むしろ成功といってもいいだろう。

 初デートから失敗したらどうしようと少し不安だったが、凪は紅茶を飲みながら今日のことを振り返りつつ、ふと利根たちのこともつられて思い出してきた。

 

 彼女は男として仕掛けていくだけの気概を見せろと言っていたが、仕掛けるにしてもタイミングというものがあるだろう。いや、そもそも初デートで本当に仕掛けていいのか? 助言をした利根の口ぶりからして、彼女の考えというよりは何かを参考にしたか、誰かに言わされた感が否めなかった。

 助言はありがたく受け取りはしたものの、神通相手にそれを実行して良いものか。わからない、初めてだからこそ本当にやっていいのかわからない。

 

 話の途中で小さくうんうんと唸ってしまう凪を見て、神通も少し首を傾げるも、深く踏み入ることはない。ああした反応は小さな悩みについて考えているものであり、本当に困った時は相談する人だということを神通は知っている。

 

 でもこうした控えめな性格だからこそ、神通から何かをすることはなかったし、凪も同様だからこそ何も起きない。

 お互いが控えめだからこうしてデートの機会を持ち掛けられたというのに、この穏やかな雰囲気でいい感じに過ごすだけで良くなっている。

 

 なら、これでいいんじゃないだろうか。

 それ以上を望むのは初デートにしては求めすぎている。服装を褒めてもらい、リボンも貰った。それで十分ではないか。

 時間は十分ある。進むにしても、ゆっくりと進んでいけばいい。神通はそう思うのだった。

 

 

 鎮守府に戻った二人。最初こそ神通が一歩引いた形で歩いていたが、せめてこれくらいはしておかなければならないと、喫茶店の後で凪は神通の手を取った。最初こそ驚いた神通だったが、「そうして一歩引く形は神通らしいけれど、今は横に並ぶのはどうかな?」と提案し、神通もこくりと頷いた。

 小さな仕掛けだが、凪としては手を繋ぐのを自分から提案するだけでも大きな一歩と言える。知らず体温が上がり、手に汗をかいてしまいそうだった。それを知られるのも少し怖いものがある。

 

 神通からは何も言われなかった。繋いだ手の柔らかさや、自分とは違う体温を感じ取るので精一杯だった。こんな子供じみた反応をしてしまうあたり、自分は本当に経験不足だと思い知らされた。

 夕暮れの呉の町並みを少し歩き回り、戻ってきた二人を出迎えたのはやはり利根と川内だった。お帰りと声をかけてきた二人は、手を繋いでいるのを見て、どこか嬉しそうに頷いている。

 

「ふむ、どうやら良いデートだったと見えるが?」

「まあ、それなりには」

「神通は?」

「ええ、私としてもいい一日だったと感じていますよ」

「善き哉。吾輩らは少々神通に用がある故、提督は先に戻っているがよい」

「……あまり困らせるんじゃないよ?」

「まあまあ、気にしない気にしない」

 

 凪が建物へと入っていく後ろで、神通は利根と川内に近くのベンチへと移動していく。デートで何があったのかを話す神通に、相槌を打っていく利根と川内だったが、二人が聞きたかったような大きなことがなかったことに、二人そろって首を傾げた。

 

「え? 手を繋いだだけ?」

「ええ、ですが十分でしょう、姉さん。それほど大きなことは求めませんよ。あの人のことを考えれば、これだけでも頑張った方でしょう。それに、色々と悩んでいらしたようですし……」

 

 思い返した神通は、手を繋ぐ前に喫茶店で考え事をしていたのは、手を繋いだりそれよりも更に進んだ一手を打つかどうかを考えたりしていたのだろうと推測した。考えた末に勇気を出して一歩を踏み出した、それだけでも神通は嬉しいことだった。

 彼女が満足しているならと思えども、利根はやはりそうなるかと、あらかじめ予測を立てていた通りの流れになることに、小さくため息をつかざるを得なかった。

 

「やはりお主らは相性がいいのか悪いのか、といった感じじゃの」

「相性ですか?」

「提督もお主も受け身じゃから、お互い踏み込まずにずるずると事を長引かせおる。穏やかな日常を愛するという面では、良いのかもしれんが……それでは遠慮して口に出さず、溜め込み続けるという危惧がある。あの控えめな提督には、尻を叩いたり引っ張っていったりする輩がお似合いかもしれんの」

「……そう言われれば否定はできませんね」

「そして、実際そういう人は提督の近くにいるんだよねえ……」

 

 三人の頭に浮かぶ女性。彼女なら、きっと凪にとって良きパートナーになるのは間違いないだろう。神通としてもそれを考えていたものだ。特に問題視することではない。

 でもそれではせっかくケッコンカッコカリをした神通が、身を引くことになるのではないか。そうなる前に、一回くらいはデートをしてみて、どのように過ごすのかを確かめつつ、それらしい一日を過ごしてもらいたい。

 

 そう考えた二人がけしかけたのだが、結果はこの通りだ。それほど悪い結果ではない。むしろいい感じに終わっている。でも、やはりお互い踏み込まず、手を繋ぐだけに留められた。初キスくらいはしとけよと川内は思ってしまうくらいにもどかしいものだった。

 

「神通からも仕掛けなかったわけ?」

「しませんよ。姉さんはがっつきすぎです。心配してくれるのはありがたいことですが、こういうのは私たちがタイミングを計るものでしょう」

「そうしてずるずる先延ばしにしたら、もしもの時どうすんのさ。あの時済ませておけばよかったって、後悔しないの? 私はそれが心配なんだよ」

「……その時はその時ですよ」

 

 いつ死ぬかがわからないのが艦娘だ。それに夏に長門が轟沈したばかりというのもある。呉で建造された艦娘たちにとっては初の轟沈だったが、神通にとっては長門だけではなく、先代の最後の戦いでも、多数の轟沈艦娘を背負ってきている。

 いつ、自分もそれに続くかはわからない。だから今のうちにやるべきことはやっておけという川内の心配もわかる。

 

 でも神通は一度に多くを求めない。戦場では苛烈に攻め立てる神通だが、日常は穏やかさを好む。だからこそ今日の穏やかな時間を思い返し、噛みしめるだけでも幸福感に包まれていた。

 

 一度に多くを手にしてしまえば、やがてそれに満足できずにもっと、もっとと求めるだろう。それでは感情が追い付かず、飢えるだけだ。その状態で戦場に臨むなど、あってはならないことである。

 だから少しずつ進んでいけばいい。次の楽しみとして生きていくことで、絶対に生き残るというモチベーションに繋げればいい。そう神通は語る。

 

「そう、それなら仕方ないか。じゃあそれ以上は何も言わないでおくよ」

「そうしてください」

「神通はそのままでいいとして、提督が仮にイケイケのタイプにイメチェンするってのはあり得る?」

「ないのう。あの提督が行動的、積極的になるなぞ、想像もつかんわい。何せ怒ったところすら見せんからのう。積極的なのはモノづくりのときだけよ」

 

 ツッコミとかはする凪だが、本気で怒ったところはない。去年の夏の作戦でも同行していた茂樹が越智に激怒していたが、凪はそのようなことはなかった。苛立ちはしていたが、虫の知らせによる腹痛に苦しんでいたことの方が印象深い。

 そんな凪が激怒することはあるのだろうか?

 あるとするならば、それはどんな時だろうか。

 

「……すぐには想像できないかもしれませんけれど、あの人が怒るとすればそれは――」

 

 そんな中で、神通はどこか確信めいたように、呟くのだ。

 

「――恐らく、誰かが傷つく、もしくは誰かが死ぬところに立ち会う時ですよ」

 

 だからこそ、と神通は手を握り締める。「そのようなことは起こしてはいけません、絶対に」と、固く誓うのだ。怒り慣れていないあの人を激昂させるような事態を引き起こしてなるものか。

 

 利根と川内もまた、その仮定の未来を想像する。怒り慣れていない凪が、今までに見せたことがないような形相で激昂するシチュエーションを。

 はっきりとした光景はイメージできない。艦娘の誰かが死ぬ光景、それだけでも苦しいが、それを前にしている凪を想像するのも心苦しいものだった。

 なら、そうならないように尽力するだけだ。色々いじりはしたが、穏やかで自分の趣味のこととなると一直線な凪を二人は好ましく思っている。

 

 故にそのような事態は引きこさせない。そう決心するのだった。

 



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想定外ノ進化ノカタチ

 

 深き海の底で音が幾度も響き渡る。鈍く響く発砲音、次いで聞こえてくる着弾音。狙いすました砲撃を前に、軽やかな動きで回避し続ける彼女を前に、その人物は苦虫を噛みしめたかのような顔を浮かべてしまう。

 射撃の精度は以前に比べて上昇したと自負している。艦娘として行動し続けた時の経験は死んでおらず、堕ちた今でも発揮できている。変化した艤装でも、変わらない感覚で扱えるようになり、更に磨きをかけたつもりだった。

 

 それでも彼女に有効打を与えられない。まるで自分がどこを狙って撃っているかを見切っているかのように、北方提督である三笠は回避し続けるのだ。時折、「ダメだな」と呟き、ここだぞ、と狙うべき場所を示してくるのだが、どうにもそれが煽ってきているようにしか感じられない。

 

 彼女としてはもっとよく狙え、と指導しているつもりなのだろうが、敵である彼女にあからさまな指導を受けるなど、彼女、熊野にとってはどうにも苛立ちを募らせるものだった。

 それによって頭に血が上り、少し狙いがぶれてしまうのだが、それすらも三笠は見抜いているようで、ため息をつかせてしまう。

 

「いったん落ち着こうか、熊野よ。少し、頭を冷やせ」

 

 と、一気に距離を詰めて主砲を構える手を取り、熊野の額へと掌を当てて打ち放った。急に襲い掛かる頭への衝撃に、熊野は悲鳴を上げる間もなく、意識を飛ばされてしまった。

 

 目が覚めた熊野は、自分がまた負けたことを悟る。あれから日々、三笠に師事してきた。深海側の艤装についても教えてもらうだけでなく、赤の力に関する力も教わった。深海が持ちうる力の使い方とのことだが、これは艦娘にも備わっている力だとも教えられた。

 二つの相反する属性ではあるが、その力の源は似たようなものだ。故に堕ちた存在と言えども、熊野でも扱える技術だということで、仕込まれたものだが、それでも中らなければ意味はない。

 

 小型とはいえ、戦艦があれだけ俊敏に動けるなど信じられないものだ。自分たちよりも古い時代の戦艦だ。出せる速度も全然違っているはずなのに、どうしてあれだけ動けるのだと疑問に思う。

 その目が三笠の足に向けられているのを察したのか、三笠は「我の速さが気になるか?」と問いかけてきた。

 

「汝はどうにもわかりやすい。素直な性格をしている」

 

 どうしてわかったのか、と言おうとしたが、先んじてそう言われては口を閉ざしてしまう。その指が目を示しているものだから、目は口程に物を言うとでも言外に語っているかのようだった。

 

「深海の力をこのように工夫をすれば、加速、減速と自在に操れる。戦艦特有の足の遅さは、これで賄える。特に我は元は汝らより旧式故な。備えられているモノの世代が違う。故にその差は、こういった技術で賄うしかない」

「……トイウコトハ、色々ナ面デ力ヲ使ッタ上デ、アレダケノ実力デ競リ勝ッテイルト?」

「古き存在でも、やり方次第で新しい世代にも勝れる。それを証明し続けたからこそ、今の我の立場があるというものだ。……それ故に悩ましくもある。力をつけすぎたが故に、戦場で散るという我が望みは遠ざかっていくばかりよ。適度にやって終わりを迎えておれば、こうも悩まずに済んだのだがな」

 

 しかしそれは三笠を構成する要素の一つである、かの提督の欠片が許さなかったのだろう。戦場で手を抜くなど、祖国を守るために強大な艦隊と戦った、かの雄姿を見せた誇りが許さない。

 祖国を害する存在と成り果てようとも、彼女の中にあるその誇りだけは穢すわけにはいかなかった。最期まで全力で戦い抜き、討たれる。それこそが、三笠が望む終わりの形である。

 

「攻撃、防御、そして補助。いくつもの使い道がある。汝はもう力の扱いは出来ている。後はそれをどれに回し、我を落とせるかを考えれば良い」

 

 そう言われる熊野の手には、赤く光るもやが浮かんでいる。深海の力である赤き光は彼女の意思に応えるように手から腕、体へと巡っていく。その力に呼応するように、彼女の額から伸びる片角も、亀裂に沿うように赤く光っている。

 一部の深海棲艦特有の生えた角。左側だけ少しずつ肥大している彼女の角は、より長く伸びて、先端が少し湾曲し始めていた。

 

 深海棲艦に堕ちて以降、少しずつ伸びてきていたその片角が、熊野にとって自分がより深海側に傾いてきている証に感じられた。しかしどういうわけか意識は艦娘の熊野のままで、それが目の前にいる三笠と同じ道を辿っているようでもある。

 三笠としても、未だに精神まで堕ちていないのは珍しいことだと以前言っていたが、今もなお精神が侵されているような自覚はなかった。

 

 安心していいのかはわからない。しかし精神が堕ちていないなら、それはそれでいい。艦娘として目の前の脅威である三笠を仕留めることに、一層集中できると考えれば、悪い話ではない。

 この目的意識を強く持っていれば、自分は深海に屈しているわけではないと自覚できるのだから。仮にこれを失った時が、本当の意味で熊野が深海に敗北し、屈した証となる。

 

 そうなっていないのだから、自分は完全敗北はしていない。この日々も、三笠を討ち倒すために必要なこと。甘んじて受けよう、と考えられるようにはなった。

 どれだけ辛酸を舐めようと、この昏い海の底で、自分は戦い続けるまでだ。

 それが熊野が今もなお、こうして生きている理由である。

 

「――ハァッ!」

 

 早速教えられたことを実践する。頭はこの数分で冷えた。不意打ち気味だろうと、三笠を仕留めるために、熊野は赤き力を纏った手で三笠の背後から強襲を仕掛ける。

 しかし背を向けていたはずの三笠はそれに気づいていたかのように体を逸らし、熊野の足を払って投げ飛ばす。

 

「悪くはない。しかし、殺気が透けて見える。少しは隠せ」

 

 やれやれと嘆息しながら注意するのだが、投げ飛ばされている熊野の手に主砲が構えられ、宙で反転しながら狙いを定めている。それにハッとした時には、引き金は引かれ、弾が三笠の体へと着弾した。

 一発、二発と着弾するそれを受けてよろめく三笠。主砲の反動で少し飛ぶ距離が増えた熊野も、何とか滑りながら着地し、三笠を見やる。

 

 立ち上る煙の中で、三笠は特に動じた様子もなく、一歩、また一歩と進み出てきた。

 どこか嬉しそうに頷きながら、「良い射撃だ。多少は効いた。多少はな?」と、小首を傾げてみせた。

 

 小柄な女性が体から煙を立ち昇らせ、更に血を流しているのに、笑って近づいてくるのだ。余裕のある出で立ちをしていることも加味して、それだけで凄みを感じさせる。

 

「力を込めた今の射撃。中ればこのようなものかと、体で感じさせてもらった。着実に力は成長しているようで何より。しかし、まだ足りない。そうだな……」

 

 と、おもむろに腰に佩いている軍刀に手をかけ、抜いてみせる。その黒い刀身にそっと手を添えると、すっと彼女の赤の力が纏われていった。

 

「今の汝の力でいえば、このくらいか。だが、我に致命傷を与えるのであれば、このくらいはやらねばならん」

 

 と、目安を教えるかのように重ね掛けをする。その赤の濃さは、先ほどまでとは比べ物にならない。深紅の光は重苦しく、彼女がもたらす重圧を示しているかのようだ。刀に纏われている力だというのに、息苦しさを感じさせた。

 その重い空気を軽く刀を振って霧散させた三笠は、「そら、そこで止まっているようでは目的は果たせまい。来るがいい」と、戦いの続行を告げた。

 

 重い空気に圧された熊野は、口に溜まった唾を飲み込み、移動しながら主砲と副砲を放つ。先ほどは移動して弾を回避していた三笠だったが、今度はその場から動かず、体を逸らしたり、手にした刀で捌いたりすることで、有効弾をなくしている。

 ウラナスカ島での戦いでも、刀を振るって弾を斬る、逸らすといった防御手段を取っていた。これまでの訓練でも、時折この手段を見せている。動かなくてもこれで自らの身を守れるし、中ったとしても戦艦特有の防御の高さが防ぎきる。

 

 だからこそ赤の力で威力を底上げが必須となるのだが、未熟な熊野ではそれを抜き切れない。より洗練されたものでなければ、刀の守りを貫通出来ないのだ。

 それはわかっている。わかってはいるが、その壁があまりにも厚い。

 

 戦艦は海に浮かぶ要塞と例えられるが、彼女も同様だ。

 小さく、旧式の戦艦とはいえ、彼女の洗練された力によって具現化したそれは、まさしく要塞。堅牢な守りに破壊力抜群の砲門。その両方を兼ね備えた小さくも堅牢な要塞を粉砕するイメージが全く湧いてこない。

 

(ソレデモ、ダトシテモ、私ハ折レルワケニハ、イカナイノデスワ……!)

 

 ここで折れて目的を見失えば、自分はきっと深海に身も心も堕とされる。それだけは何としてでも避けなければならない。屈してしまえば、この第三の生が全くの無意味に成り果てる。そんなことはあってはならないのだ。

 

 動かずに重い一撃を放つのみと、熊野は足を止める。赤の力を自分が扱える力、そのままを込めてやる。

 赤の力の訓練であると同時に、運が良ければそのまま三笠を貫くだろうという万が一の希望。後者にはそこまで期待はしないまでも、今の自分が出せる全力をぶつければ、希望の種は芽吹くだろう。

 

 そんな熊野の決意を感じ取ったのか、三笠も微笑を浮かべて構える。彼女の目には主砲に集まる熊野の赤の力がよく視えている。

 先ほど見せた刀に纏わせた赤の力の動き、それを熊野はよく真似ている。力の込め方、纏わせ方は何度も見せた。こうしてやればいい、と手本になりそうなことはいくらでもしてみせた。

 

 後は落ち着いて、自分にできることを、真似ながら高めればいい。それが三笠の教え方である。自分はいくらでも手本を見せるし、受け止めてやる。それがやがて自分を殺すことになろうとも、それはそれで構わないのだから。

 

「さあ、撃ってみろ。あるいは、この身に届くやもしれん」

「言ワレズトモ、届ケテサシアゲマシテヨ!」

 

 十分に詰め込まれた力を解放した砲撃は、赤い流星の尾を引いて三笠へと迫っていく。

 向かってくるそれを前に、三笠はほう、と感嘆の息をついた。それは確かに今の熊野が出せる全力の一撃なのだろう。自分への致命傷にはならずとも、いくらかの装甲を削り取り、内部を露出させるには至れるものだった。

 

 やればできるじゃないかと、褒めてあげたい気持ちにさせる一撃を前に、物は試しと三笠は刀を構え、先ほどと同じように斬ろうとした。

 だが予想に反し、軍刀は瞬時に弾を斬れなかった。その回転が滑らかに刃を通ることを阻んでいた。ガリガリと不協和音を響かせて、弾は刀を弾き返すように推進力を失わない。

 

(やりおる。我が刃に対抗もするか。少し焚き付けすぎたか? 嬉しいことをしてくれる)

 

 こうも喰らいついてくれるなら、相手のし甲斐がある。若者の成長の速さを感じされるものほど、三笠にとって嬉しいことはない。思わず力も篭ってしまうものだった。

 だから、少々やりすぎた。

 

 その弾を完全に切り伏せるために力を込め、それは目論見通り切り裂かれ、二つに分かれて三笠の両側面へと流れていった。その際に腕が裂かれてしまったが、その程度では動じるものではなかった。

 

 しかし斬ると同時に刀から風が放たれ、それは熊野へと迫っていき、その体を斬ってしまった。何が起きたのかは熊野だけではなく、三笠も一瞬わからなかった。

 少しの間をおいて、「いかんっ!? そこの者ら、手を貸せ!」と同じように訓練をしていたリ級らを呼びつける。

 

 斬られた熊野も、体だけでなく口からも吐血し、苦悶に顔を歪める。その体を抱き上げる三笠とリ級。体から流れる血が、二人の手に付着していく。

 

「すまん、少々やりすぎた。すぐにポッドへと連れていく。空きはあるな?」

 

 と、通信を繋いだ三笠が確認を取る。そのために熊野から視線を外した中で、熊野は痛みの中で何かを感じ取っていた。

 痛みの奥、体の奥から何かが動く感覚があった。斬られた傷は腹から縦に一文字。流れる血も深海に堕ちたことで、濁った色合いをしている。艦娘の時とは違うのだとより感じさせるものだった。

 

(何……? 何カ、ガ……私ノ中ニ……?)

 

 自分ではない何かが、体の奥で息づいているかのようだった。リ級の手で治療ポッドへと運ばれていく。その移動している間、熊野は濁った視界の中で、自分たち以外の何かの気配を感じ取っていた。

 間違いない、それは外にいるのではない。自分の中にいるのだと。

 

 開かれた部屋の中にある治療ポッド。そこへと熊野を入れて治療をするはずだったが、その前に、それは生れ落ちる。

 

「ウ、グ……ァ……」

 

 痛みに悶える熊野の声の中に、困惑の色が含まれたかと思った刹那、それは熊野の傷の中から生えてきた。白く長い蛇のようなもの。いや、あるいはウツボと呼ぶべきだろうか。それが二匹、この世へと生誕の産声を上げるかのように不気味な音を響かせた。

 それによってまき散らされる腹部からの血を、熊野の体を運んでいたリ級が受けてしまう。

 

 先んじて治療ポッドを操作していた三笠も、驚きの表情を浮かべながらその様子を見ているしかできなかった。何が起きているのか、三笠自身にも理解できていなかった。

 熊野の苦痛の声と、喚くような二匹のウツボの声、そして血を受けて困惑しているリ級の声が、その部屋に響いている。

 

 そして、異変はこれだけに収まらなかった。血を濡れていたリ級もまた、困惑したように自分の体を見つめていた。やがて彼女もまた腹を押さえて苦痛の声を上げ始める。床に身を伏せ、苦痛を耐えるかのように体を折り曲げるのだが、震えるその体から、何かが引き裂かれるかのような音が響き始めた。

 

 そうして食い破るかのように、それもまた生れ落ちる。

 リ級の腹から生えてくるのは黒いもの。ウツボのようにしっかりとした肉付きではなく、駆逐級のような顔つきに不完全さを感じさせるような肉が数メートルにわたって、リ級の腹から伸びているようだった。それが熊野のウツボのように二つ、艤装を備えて生まれてきた。

 

 苦痛に歪むリ級の顔。その頭にあった黒髪は、白く変色して右側へとより長く伸び、サイドテールのようになっている。パキ、パキと肌を覆い隠すように甲殻のようなものが首周りを覆っていき、右目を隠すようにして眼帯のようにも形成されていく。

 そこにいたのはもうリ級と呼ばれるような存在ではなかった。まるで熊野の血を受けて進化したかのようにも思える変化である。

 

「何が、起きたと云うんだ……」

 

 これらの変化を三笠は知らない。想定もしていなかった出来事だ。

 ふらつきながらも、治療ポッドから離れて熊野へと駆け寄る。大丈夫かと、声をかけていくと、

 

「――そう、騒がないでくださいまし。聞こえておりましてよ」

 

 先ほどまでとは違う、はっきりとした声色で、彼女は応えた。

 苦痛に顔を歪め、頭を押さえながらも、三笠の手によって抱き起される。重いため息をついた熊野は、じっと自分の体を見下ろし、そして伸びる白いウツボを見やる。

 

 それで理解する。

 どうやら自分は危機的状況に陥ることで、より深海側に傾いたのだと。

 だというのに精神は艦娘の熊野のまま。やはり目の前にいる三笠と同じ道を辿っているのだと理解した。

 

 心は正常なのに、体はより敵対する存在へと傾いていく。このような恐怖を三笠は感じていたのかと、より我が身を通して理解することになろうとは。確かにさっさと死にたくなるのもわかる。

 自分が自分でなくなっていく。もしかするとこの心も、いつかは本当に堕ちてしまうのではないかと、常に頭のどこかで感じてしまう。

 

 生き地獄とはこのことなのだろうか。

 それをより実感することになろうとは。

 

「そう、私、ここまで進みましたのね」

「……すまない。我としても想定の範囲外だ。よもや我が手によって汝をより堕とすとは」

「謝罪の必要はありませんわ。確かにより進んだのは事実でしょう。……巻き添えを受けたものもいるようですが、まあいいでしょう」

 

 ちらりとリ級だったものを見ながら、熊野は一息つく。

 

「でも、より堕ちたことで、力も増加した様子。これなら、あなたとの約束も果たせる目途が立ったとも言えましょう」

 

 そう言って、熊野は立ち上がり、そっとウツボの艤装を撫でる。そのウツボの顔の先端には、重巡の主砲が二門生えている。これが熊野にとっての新たな艤装の形であることに違いはなかった。

 黒と白の二色だった髪は白一色に統一され、その目も金色へと変色。そんな瞳で三笠を見据え、

 

「この姿を以てしてあなたを討ち倒せば、借りは全て返せるでしょう? 私、折れている暇はありませんの。折れてしまえば何もかも屈することになる。そんなこと、私の性分ではありませんわ。早速お相手いただけるかしら? どこまでも喰らいつきますわ。あなたを倒すその時まで」

「…………ふっ、本当に強き女よ、汝は」

 

 本来ならばもっと三笠を責めていいはずだ。どれだけ罵詈雑言を浴びせても仕方のないことだというのに、こう言い切るとは。胸の痛みを感じながら、三笠はその熊野の言葉と在り方に、感謝の意を送らずにはいられない。

 敵同士ではある。こうして師事はしているが、命を狙われている立場なのは変わりない。

 

 それでも三笠は熊野のことを良き存在であると認めているし、彼女の性格全てを慈しんでいる。そして今、彼女の性格に救われている。その真っすぐな在り方は、深海に堕ちた側としては、とても眩しい。

 

 他の深海棲艦にとってこの性格は不愉快に感じられるだろう。

 しかし三笠にとってはそうではないのだ。昏い海の底でも、熊野や北方棲姫のような性格は、彼女にとって陽の光を思い出させる暖かさを感じさせる。

 

「よかろう。少しの休みをとる。その間に、それについて少しでも把握しておけ。そっちの……鈴谷か。鈴谷、痛みはまだあるか?」

 

 進化によって倒れ、苦痛を堪えていたリ級だったもの、鈴谷と呼ばれていたものは、三笠の呼びかけに何とか応えている様子だった。何度か言葉を交わし、とりあえず治療ポッドに入れつつ、変化した体の調子を確かめることになったらしい。

 

 その様子を眺めていた熊野は、進化したリ級は鈴谷だったのか、と密かに思わずにはいられなかった。ここで鈴谷と妙な縁を結ぶことになるとは、これもまた何かの運命なのだろうか。

 そんなことを思いつつ、体を巡る力と、ふよふよと浮いている二つの艤装について意識を巡らせるのだった。

 



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想定内ノ目覚メノカタチ?

 

 静かに響く電子音。時折響く電気が弾ける音。立ち昇る泡の音。

 暗く静寂に満ちた部屋の中で、それらが不気味なほどに響く中で、印度提督は小さく唸り声をあげた。

 募る苛立ちに呼応するように、黒い電気のようなものが、一つ、二つと弾ける。それを気にした風もなく、彼はガリ……と指を噛む。

 

 そこに肉はあまりない。所々骨が露出しており、それを彼は噛みしめていた。ストレスの証か、頬を伝う汗には腐臭が混じり、部屋に少しずつ充満していく。

 欧州提督から渡されたポート・ダーウィンのデータの改良は、進んでいるようで進んでいない。元より印度提督はこうした深海棲艦の改良の知識はあまりない。中部提督の美空星司が行った一連の流れのちょっとしたデータは共有されているが、それを見ても彼には深い理解に及ばなかった。

 

 ポッドの中には育ったらしい深海棲艦の素体がある。ポート・ダーウィン、すなわち港湾棲姫の素体から改良をしたため、陸上基地型の力を備えている。だがその髪の色は反転し、黒髪となっている。

 黒髪の陸上基地型といえば離島棲鬼という前例があるが、それに似ているわけでもない。トップスは白いドレスのようなもの、角は白い一対のものが側面から冠状に生えている。

 

 見た目で言えば今までの陸上基地型の女性たちとはまた違う、新たな個体として成長している。慣れない中でここまで素体を生育できたのは褒められるべきだろうが、しかしここから艤装をどのように組み込ませるか。

 印度提督はこの女性を深海棲艦の強い個体として性能を発揮させる手順がわからなかった。港湾棲姫のデータをそのまま適応させたところで、あまり意味はない。

 

 データをよこした欧州提督は口にした。その時は近い、これは最後のチャンスに等しいのだと。ならばこの素体を主軸にして、成果を挙げられるだけの艦隊を作らなければならない。

 そのためにも過去のデータをなぞるだけではなく、それを発展させた個体を生み出さなければならないのだ。

 

「……っ、クソッ! ここまで、ここまではできた! でも、ここから、どうすれば……!?」

 

 表示されているデータは、港湾棲姫のデータとあまり変化がない。どのように調整して能力を伸ばせばいいのかわからない。印度提督にとって、こういった作業は未知の領域だ。

 最後のチャンスだからと、今までにない力が覚醒するといううまい話があるわけもない。わからないものはわからないのだから。

 

 足りないものがあるのはわかる。それが素材なのか、パーツなのか、別の何かなのか。それすらも目途が立たない。

 できることは、今まで生まれてきた個体のデータを参照することだけ。

 港湾棲姫、飛行場姫、果ては泊地棲姫と、それらしきデータを並べてみる。ミッドウェーの象徴である中間棲姫はどういうわけか共有データには上がっていないため、参照することはできなかった。

 

「艤装? 艤装を別に作って組み合わせる? 艤装ってどう作るんだ……?」

 

 そんなもの、ここにあるはずもない。どこから持ってくるのか。ゼロから作るのか。

 作るとしても作り方が分からない。こうして手間取っている間に、海上で動きがあったらどうするのか。その対応に遅れたら、文字通り何もできずに終わってしまう。

 その焦りも加わって、余計に印度提督の精神が侵されていく。

 

「クソクソクソクソ……! 欧州め……! 俺が、俺が何をしたっていうんだ……! 俺は、こんなの望んじゃいない! 深海の事情なんて、俺には……!」

 

 元人間である印度提督にとって、この立場は望んで得たものではない。わけもわからないままに印度提督の立場を押し付けられ、わからないなりに動き続けただけである。

 望むのは人としてもう一度生きること。戻れるものなら戻りたい、そういう生に執着した願望だけだ。

 

 そんな願いが果たされるはずもないのに、願わずにはいられない妄執である。こんなに腐臭を漂わせているのに、もう一度戻りたいなど、愚かな願いだと笑われるだけだ。

 その愚かな願いが、近くで眠る彼女の意識を少しずつ呼び覚ましていく。

 

 ポッドの中で眠るもの。まだまだ調整の途中ではあるが、素体としてはほぼ完成している状態だった。先ほどから弾ける電気の音と、深海らしい負の感情、欲望、願いの気配が、彼女の意識を揺り動かしていた。

 うっすらと目を開けた彼女は、微睡みの中で親を求めるように、何度か瞳を動かして、状況の把握に努める。

 

 揺らめく泡の向こう、そこに、コンソールの前でうなだれている誰かがいることに気づいた。ポッドの中で膝を抱えて眠っているだけだった彼女。垂れ下がる黒い髪の奥で、ぼやけていた瞳に少しずつ力が宿っていく。

 

「――――願、イ……オモ、イ……」

 

 親を、光を求めるように、ゆっくりとその手が動く。ぺたり、とポッドに手が触れ、ゆっくりと力を込めれば、少しずつひび割れていく。その音に気付いて印度提督が彼女の方を見た時、大きくポッドに力が込められて、破裂した。

 流れていく液体に押し出されるようにして、彼女もまた印度提督の方へと倒れていく。「ひぃぁっ!?」と情けない声を上げて驚く印度提督だが、倒れ伏す彼女は震える手を印度提督へと伸ばしていく。

 

 濡れた髪が顔に張り付いた白いドレスの女性、それが自分の方を見ているのだから、どこかのホラー映画のような不気味な恐ろしさがある。

 

「ネガイ……イノリ……、……ヘト、届ク」

 

 ぶつぶつと彼女が呟きながら、床を這うように印度提督へと近づいていく。何が起きているのかわからず、印度提督は首を振り、後ずさるしかできない。「誰か、誰か、来てくれぇ!」と助けを求めるが、その手がついに印度提督へと届いた。

 すると、その手から何かが吸われていくような感覚を覚えた。足に触れた手、それが腰、体と這い上がっていくのだが、そうしている間も、何かが吸われていく。

 

「あ、ああ……ぁぁあああ……!?」

 

 消える、消える。自分の中の何かが消える。

 力? 想い? いや、それら全てが、自分をこの世に繋ぎとめていた全てが彼女の手に吸い込まれていく。

 

 彼女はもう、立ち上がっていて自分の顔をじっと覗き込んでいるようだった。しかし何かが吸われていくにつれて体を支える力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 立場が逆転する。

 膝立ちしかできない状態の印度提督の顔をそっと抱えながら、彼女はじっとその赤い瞳で、覗き込んでいた。

 

「やめ、やめろ……俺を、俺が、俺おれ……オレ? オレハ……ダレ?」

「――――――願イ……戻リタイ、アノ、空ノ下ヘ。ツマリ、生キル? 生キル……フ、フフ……」

 

 何かを咀嚼するかのように、彼女は何度か目をしばたたかせ、つい、漏れて出たように小さく笑い声をあげた。そうしている間も、ずっと印度提督だったものの顔を抱えながら。

 やがて全てを吸い尽くしたようで、印度提督だったものの目の光が消え去った。何度か頷き、噛みしめて、そっと手を離せば、重みに従って印度提督の屍が崩れ落ちる。

 

「――――フフ、フフフフフフ……ナル、ほど? 生きる。もう一度、私は、俺は? 俺……私? ……ええ、私は、戻らなければならなかった、と?」

 

 自分でそれを口にしておきながら、彼女はがりっと指を噛む。そのような願い、バカげていると、湧き上がる感情が抑えきれず、ガリガリと指を噛みしめた。

 自分の中に流れ込んできた情報。印度提督だったものが抱えていた想いという名の、情報、電気信号。死んだものの魂に記録されていたそれは、人からすれば解明できない不確かなもの。

 

 それを、彼女は機械らしく、流れる電気信号に変換して己のものとする。生まれたばかりの無の存在。最低限のものとして深海の情報だけがあったそこに追加するように、それらが次第に満たされていく。自分のものではない別の誰かの情報が満たされることで、彼女は、自分ではない誰かを模倣したのか。

 他人の情報、記録、記憶……自分ではないそれら全てが頭の中に羅列されていく。だが、大部分のものは印度提督になったものであり、元人間という証明である彼が生きていた時代の記憶は、ほとんどが破損している。

 

 正常に再生されないその記憶が、果たしてどこまでが本当の記憶なのか、疑いそうになるそれらを認識し、自分の意識に彼の情報を重ね合わせる。そうして生まれてくる新しい意識、感情。生まれたばかりの意識に、正常と呼べない喰らったモノからもたらされる感情。

 人の魂という不確かなものを取り込んだ結果、彼の魂が彼女に宿っているのか、模倣したことで演算し、彼ならそうするだろうと真似ているのか。それすらもわからないままに、自分の中に生まれる感情に突き動かされていく。

 

「戻れるわけがないッ! 堕ちたものが、戻れるわけがないわッ! こんな、こんな闇の底で蠢くものが、どの面下げて光を望めるの!? ああ、ああ……、愚かな。愚かとしかいえないわ。そんな願い、叶えられるものじゃないでしょうに。もはや正常な思考はできていなかったとはいえ、最期まで欧州に踊らされて、情けないったらありゃしない」

 

 荒ぶる感情に呼応しているのか、角から赤黒い電光が迸る。印度提督からも見られたような現象だが、彼女の場合、よりその発光が強まっているように見える。

 物言わぬモノに成り果てたそれを蹴り飛ばし、彼女はコンソールを見つめる。次いで自分の体を見つめ、自分が持ちうる力を確かめた。そうしている間に、先ほどの印度提督の助けの声を聞いた深海棲艦たちが駆けつけてきた。

 何事かを問う彼女たちに振り返ると、「何でもないわ。ただ、私が目覚め、提督が死んだ」と、落ち着いた声色で応える。

 

 そっと屈んで深海提督の証と言えるローブを手に取ると、軽く払ってそれを纏う。

 そんな彼女を、訪れた深海棲艦たちは茫然と見つめていた。

 

「これより先は、私がここを纏めるわね? ……大丈夫、先代の魂は、私の中に。全て、全て私が、食べたのだから」

 

 と、さっきまで噛み続け、血を流しているその指を、ぺろりと煽情的に舐める。

 

「私は、理解している。これは、所詮、先駆けに過ぎないのだと。後に行われる本番に向けた準備。ええ、祈りは彼方へ。願いは叶えられる。……ええ、反吐が出ますわ。フフフ……」

 

 ああ、ごめんなさい。本音が出てしまったわ、と彼女は誰かに謝罪する。取り込んでしまったものの感情が混じっているせいか、彼女自身もまた深海勢力に対して思うところがあるようだ。

 生れ出たばかり故か、染まりやすい。熱心に深海勢力に対して動いてこなかった印度提督の思いに染められているため、自分がどうしてこうなったかに対する結論に対しても懐疑的だ。

 

 それでも、こうして生まれてきたのだから、それらしく振舞おう。

 ちらりと視線を向ければ、じっと自分を見つめている小さな存在が一つ。いつからそこにいたのだろう、駆逐級にそっくりなものが、彼女を観察するようにそこにいた。

 

 それを確認した彼女は、コンソールを操作して通信を繋いでみる。

 それほど時間をおかず、相手は画面に映し出された。そこにいたのは、欧州提督だった。

 

「何用かしら?」

「白々しい。全て見ていて、全て想定通りのクセにそのような言葉を。……それで? 目論見通りの結果に満足?」

「ええ、印度の魂は取り込まれた。私が見る限りではそれに関して不調は起きていない。……それでいて、お前は生まれ出た時よりも成長している。性能、器の拡張、順調に事は運んでいるようね。おめでとう、アッドゥ。あるいはポートTと呼ぶべきかしら?」

「……私のモデルとしてはそれで正しいのかもしれないけれど、フフ、今の私は印度を継承した個体。例え今回限りのものであったとしても、その立場として動くのだから、印度と呼称してもらえる?」

「ではそのように。おめでとう、印度。お前の存在により、あの方の計画は一歩先に進む。後は好きになさい。艦隊を再編させてリンガを攻めるか、あるいは私の下に合流するかは自由よ。私はお前たちを迎え入れる準備はあるわ」

 

 死んでしまった先代印度提督とは対応が違う。よもやこの深海印度艦隊を迎え入れようと提案してくるとは。記憶にある対応の差に、アッドゥと一度呼ばれた印度提督は思わず吹いてしまった。

 苛立たし気に指を噛みながら、首を傾げて「どの口が言っているの?」と呟いた。

 

「フ、フフフフフフ……! さすがは欧州! 力ある存在は違うわぁ……! (おれ)は所詮捨て駒! あの時、そう決められた存在よ! 目論見通り喰われたその時点で印度は終わっているのよ! ええ、(おれ)は思考回路がないし、お前たちに対する思いもないわ! このままお前たちに対して最後のあがきってやつを見せてもいい!」

「……へえ? 吼えるわね、印度。取り込まれたとはいえ、そうまで妄執を残すの? 人間の意地かしら? そればかりは想定外ね?」

「でも、そうはしないわ。私が持ちうる戦力では、お前たちに届かない。勝てない戦いをするのは趣味じゃない」

「…………」

「お前たちは予定通り、事を進めるといいわ。私の結果を受けて、あれらにもやればいい。そうしてかの願いを成就させるといいわ。かの神のお気に入りらしく、ね」

 

 指を噛んでいたその口から、赤い舌を出しつつ、噛んでいた指とは違う指を立てて通信を切った。その上で、自分を監視していたものを、赤の力を以てして破壊する。

 苛立ちは収まらない。取り込んだ印度提督の魂から来るものだけではない。自分の生まれた意味など、所詮はそんなものだ。計画の全体像の中で、事を進めるための礎である。

 

 無垢な存在として生まれたばかりの自分は、印度提督を取り込んで不調を起こすかどうかを確かめるかどうかの素体でしかない。本来ならばこの成功を以てして自分たちを回収し、欧州勢力の末端に加えられたのだろうが、そうはならなかった。

 欧州提督が想定した以上に、印度提督が抱えた負の感情に染まりすぎた。

 

 負の感情こそ深海棲艦の力の源と言っていい。だからこそ欧州提督は前もって印度提督を煽り、より負を撒き散らすようにして、目覚めたばかりのアッドゥを誘えるようにしたのだろう。

 餌に誘われたアッドゥはそのまま印度提督を取り込む。そこまでは良かったのだろうが、結果はご覧の有様である。印度提督が持っていた深海勢力に対する反感の意思まで引き継いでしまった。

 

「戻れない、(おれ)は人にも、空の下にも戻れないの。どうせ消えるこの命なら、ええ……一矢報いて終わらせましょうか……フフフフフ」

 

 

 

 通信を切られた欧州は一息ついて紅茶を飲む。どのような状況であれ、紅茶を飲むことをやめないのは、彼女の祖国の影響だ。とはいえ、今の紅茶の味は、少々苦みが強く感じられる。

 予定通りことが進んだかに思えたが、僅かばかりの歪み(バグ)が残ってしまったらしい。本来ならばあれで印度提督は消え、深海印度艦隊は欧州に吸収される予定だった。

 

 深海提督が強力な深海棲艦に取り込まれる。それはこの先に必要な事象だ。

 深海棲艦を器とし、別の魂を取り込んでも不調が起きない。その検証は今までも何度かあった。しかし、どれも失敗していた。

 

 原因は明白となっていた。

 器の大きさが足りていない。一つの魂だけが限界であり、別の魂を取り込めるだけの容量がなかった。それでは、最終目的は果たせられない。

 

 故に、より大きな器になりえる深海棲艦が必要だった。

 そのための、彼である。

 

 そうして今、一つの大きな一歩が踏み出された。

 深海提督という元人間の魂が、アッドゥの中に収められても、大きな不調を起こさずに行動できている。それだけ器の大きさが拡張された証ではあったのだが、取り込んだ魂に影響されるとは。想定内に事を進めても、僅かな想定外が起きるというのは世の常なのだろうか。

 

「アッドゥは何をする気かしらね」

 

 あれだけの捨て台詞を吐いたのだ。何かをするつもりだろうが、生憎と欧州は追い込まれた人間が、この局面でどういう動きをするのかを想定できない。

 何かをしようとも、その上の力を以てしてすりつぶしてきたのだ。そもそも、何かを起こそうという気配を感じ取れば、先手を打って動いてきた。

 

 その結果が欧州戦線の深海有利という現状である。そしてそれを大きく崩すようなことも起きていないし、起こさせない。

 東方では深海に対して勝利を積み重ねていることで、希望を見出し始めているようだが、西方ではそうはいかない。この欧州戦線の現状を維持することで、深海勢力に対する畏怖を残す必要がある。

 かつての黎明期のような、世界に満ち満ちる深海勢力に対する恐怖の度合いが薄れていても、まだまだ大きいこの負の気配を消すわけにはいかなかった。

 

「監視の目は潰された。もう一度派遣……いえ、もう警戒態勢は敷かれているでしょうね。忍び込ませるのは難しいか。となれば、手の空いた部隊を――」

「いいかしらぁ、欧州?」

 

 考え込んでいたところに、深海リシュリューがノックをしながら声をかけてきた。「どうしたの?」と視線をそちらに向けると、「監視から伝達。ドイツとフランスが動いたらしいわ」と報告してくる。

 

「やれやれ、また反抗する気かしら。飽きないものね」

「私も出ましょうか?」

「そうね、フランスもいるならうってつけかしら。任せましょう」

 

 その言葉に深海リシュリューは敬礼をし、退室していく。

 その背を見送った欧州提督は新しい紅茶を淹れて口に含みつつ、思案する。

 

 ここでドイツとフランスが動く。動くことは別に珍しいことではない。時にイギリスやイタリアが動くこともある。規模は小さくともそれ以外の国も抵抗してくることもある。

 それほど欧州は機を見て抵抗してくるのだ。

 

 今回はどうだ? 単に戦力が回復したから動いてきたのだろうか?

 ただ戦力をぶつけてくるだけでは深海欧州艦隊が崩れないことは、この数年でわかっているはずなのだが、と欧州提督は考える。

 

「いいでしょう。その時が来るまで、何度でも付き合うだけ。湧いて出てくる虫たちはそういうものだから、仕方がないわよね。虫潰しの戯れは、気分がいいものだもの」

 

 と、陰の入った笑みを浮かべながら、紅茶を飲み干した。

 表情と言葉が少々一致していないが、そういうものだ。気分がいいと言いつつ、彼女の言葉の真意としては「気分が悪い」と言っているようなもの。

 今の欧州を維持するために、煩わしくともやるしかない。何度やっても無駄なことを繰り返し、わからせ続けるだけである。

 

 勝ち続けたが故の退屈な作業は、紅茶を飲みながらでもできてしまうものだ。

 今は深海リシュリューをはじめとする深海棲艦たちの、実戦での鍛錬のようなものになってしまっている。

 

 そんな中で、欧州提督はその時を待つ。

 計画が更なる一歩が進むように、彼らにはしっかりと役立ってもらわなければならない。

 そっと瞑目し、彼女にとっての主へと届くように、祈りを闇へと捧げるのだった。

 



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感謝の気持ち

 

 年が明けても、呉鎮守府の様子はあまり変わらない。新年を祝う会は呉鎮守府内では行われたが、それ以外特に大きな催しはなかった。

 大本営で行われる新年会には、結局出席はしなかった。今はとにかくこの先、起こりうると想定される大きな戦いに向けて、日々力をつける時だと判断したためだ。

 

 これは呉鎮守府だけではなく、各拠点に属する提督らも同様の判断を取った。そのため大本営で行われる新年会は、提督以外の出席を表明した海軍の将兵らが出席し、新年を祝うこととなった。

 

 それぞれの艦娘による青の力の鍛錬は滞りなく進み、それぞれが演習において力をぶつけ合うことも珍しくなくなってきた。とはいえ、長く使えるものではないという点に変わりはない。

 だがそれでも、攻撃と防御に使えるというポイントは抑えられたため、使うべき時に使えるように反復訓練は欠かせなかった。

 

 放たれる砲弾、魚雷。その威力の底上げと推進力の向上。

 飛来する攻撃を防ぐ障壁。その展開の速さと防御の厚み。

 

 特に防御に関しては障壁展開だけではなく、艤装にあるバルジの硬さの向上にも使えないかとも検証された。まるで自身の筋肉をぎゅっと締めて硬くするように、バルジもまた瞬間的な装甲の硬さを高めるために、青の力を巡らせる。

 この検討も行われた。

 試せるものは何でも試す。こうした検証がより技術の発展に繋がるものだ。

 

 そんな日々を送っていた凪たちは、恒例となっている佐世保の艦隊との演習を行っていた。それぞれが積み重ねた経験をぶつけ合い、より切磋琢磨する。

 演習の成果を確認し、意見を出し合う。こうした関係も、もう慣れたものだった。

 

「そちらも主力とかはもう使えている感じだね」

「ええ、そうですね。決定打は持っておいて損はありません。問題は中てられるかにかかっていますが、それも精度を高めていけばいいでしょう」

 

 いかに強力な力を持っていても、それを敵に中てなければ話にならない。推進力の向上で着弾時間が縮まってはいても、それをも上回る回避力で避けられるか、あるいは防御力で防がれてしまっては、いかに青の力といえども意味はなくなる。

 動く敵に中てられる技術。それをサポートするための設備。これらが重要になってくるのだが、後者に関しては凪の領分だ。

 

「そこで最近調整を進めてきたのが、電探の改修なんだけど」

 

 と、サンプルとして出したのが水上電探と対空電探だ。

 水上電探は22号、対空電探は21号と、艦娘が装備できる電探の中ではポピュラーなものを用意している。

 

 水上電探は改修することでより索敵範囲を広げられること、命中精度を高めてくれる効果を艦娘にもたらしてくれる。

 対空電探は水上電探より少々効果の伸び幅が小さい代わりに、対空に対する反応精度を高めてくれる。

 

 この対空電探に関しては、美空大将が現在システムを組んでいるという対空面に関するパーツとしても重要な役割を担うとのことだ。

 もうほぼシステムは完成しているようで、テストが終わり次第、各鎮守府にデータを配信すると告知されている。

 その準備として凪はこうして電探の改修に着手し、そのサンプルをこの機会に湊へとお披露目することにした。手を加える前と後の検証データをまとめたものを湊に渡して説明している。

 

「これが素の電探の性能で、こっちが改修したもの」

「へえ、これは思ったより差がありますね。これくらい差があると、命中精度により期待が持てるじゃないですか」

「君もそう感じるかい? 今はこの22号と21号だけだけど、いずれは大型にも着手しようと考えている」

「大型……32号とか?」

 

 それに凪は頷く。大型の水上電探である32号対水上電探は、他の水上電探と比較して、より索敵力と命中精度の向上に寄与してくれる。設備として備えているだけで、これらの恩恵にあずかれるが、大型というだけあって駆逐艦には装備できない。

 また大型であるが故に、他の電探と比較して改修に技術が必要とされると予感させる。色々と手間がかかりそうだが、その分、凪にとっては燃える案件ともいえる。

 

「……楽しそうですね」

「え、そう?」

「目がそう語っていますよ。ほんと、あんたはどこまでいってもそういう人なんだって思わせる」

 

 今でこそ呉鎮守府の提督としての手腕を大いに発揮しているが、一番似合っているのは開発に関する作業をするときだというのは変わらない。そういう作業が楽しくて仕方がない少年のような瞳だ。

 

「その楽しみが、技術が、ここまでの発展を促した。大したものです。もうすぐ配信される伯母様のシステムとも噛みあい、より戦力増強に繋がるんでしょうね」

「そう願わずにはいられないね」

「あたしにはそういうのがないから、より羨ましく感じますよ」

 

 小さく息をついてそう言う彼女に、少し凪は驚きの表情を見せる。そんなことはないだろう、そう口に出そうとしたが、それは慰めにもならないだろう。

 湊自身がそう感じている。

 凪は開発周りを、北条はアメリカ海軍との繋がり、交渉を請け負い、宮下は神社の娘ならではの特異な力を持つ。加えて北方海域を長く防衛してきた実績もある。

 

 だが湊は去年首席で卒業し、佐世保の空席に収まっただけだ。それ以降は凪と共に行動し、それぞれの戦いに参戦して戦果を挙げてはいるが、目立ったものはない。共同の戦果を挙げるだけに留まっている。

 また凪などのような突出した何かがあるわけでもない。首席で卒業したといっても総合成績の良さなどを評価されただけに過ぎないのだ。

 

「……でも俺からすれば、よくやっていると思うけどね。着任当初の壊滅的な戦力から、秋までによく立て直したものだし、それ以降もよくついてきている。脱落者がうちと同じくミッドウェーまでいなかった、それだけでも褒められるべきところだと思うよ」

「それは、そうかもしれませんけれど……」

「それにさ、俺としては君の存在はありがたいものだよ」

「え?」

 

 見上げてくる視線に凪はそっと目を逸らす。

 こういうことは気恥ずかしいものだが、湊が自分を卑下することはないと伝えるために、何とか言葉を続けていく。

 

「こうして付き合いも長くなったし、悪くない関係を築けていることは、俺にとって大きな支えになっている。あの頃は北条さんがああいう人とは知らなかったし、舞鶴や大湊とも繋がりはなかったからね。近くに切磋琢磨ができる友人がいてくれる。それは俺にとっても、艦娘たちにとっても良い影響を与えてくれた。君という存在は、俺たちにとって必要不可欠だよ」

「…………」

「突出した何かがなくてもいい。互いに支え合う存在になれた、それでも十分じゃないかな。佐世保にとっても、呉にとっても、君はもうなくてはならない存在になっている。俺だけではなく、北条さんらにとっても、もう君は『佐世保の淵上湊』。かの美空大将の姪御さんじゃないはずさ」

 

 いつだったか、湊が自分を立ち直らせるために語った言葉を少し引用したようなものを口にする。湊もその言葉に思うところはあったようで、少し目をぱちくりとさせた後、ふっと微笑みを浮かべて、なるほどと頷く。

 軽く頭を掻き、恥ずかしそうに視線を逸らして「……気を遣わせました」と小声で謝罪する。

 

「ええ、そうですね。少し情けないことを口にしてしまいました。すみません」

「いや、いいさ。そういう時もあるだろうさ。恥ずかしがることはない。誰かにそうして弱みを見せてしまうのも、誰にでもあることだよ」

「あたしとしては、そういうのはなしにしたかったんですけどね」

「俺だってそうさ。でも、俺はもう君に見せてしまったからね、その逆を体験出来て、少し嬉しく思ってるよ」

「……自分からそれを口にしますか。ってか、どうしたんですか今日は? 妙にらしくないように感じられますが」

 

 よもや神通とケッコンカッコカリをして、少々そういうのに慣れてしまったのか? と、男としての経験値でも積んだかと湊が考えていると、凪は腰に提げている作業用バッグから一つの小袋を取り出した。

 小袋は丁寧に梱包されているようで、まるでちょっとした贈り物のように見える。それに気の抜けたような反応を示していると、

 

「……ま、これのタイミングを見計らっていたともいう。今まで世話になってきているし、特に去年は去年で、本当に君には色々助けられた。そのお礼も兼ねて、クリスマスのあれを用意していたんだけど、まあ、ほら、去年はクリスマス会は合同でやらなかったもんだから、日にちが全然違うけれども」

 

 と、長々と口上を垂れ流した後、「それでも、感謝の意を示したかったんで、用意していました。どうぞ」とここで向き直って頭を下げて差し出した。

 受け取った湊は「開けても?」と問い、頷く。袋から取り出されたのは、掌に収まる一つのケースだ。ケースに書かれているものを確認した湊は、「保湿バームですか」と呟いた。

 

 神通と呉の街を回った際に、凪がとある店員に教えてもらったものだ。肌などが乾燥しやすい冬の季節に、保湿バームは女性が貰って嬉しい物の一つに挙げられる。

 値段としてもそれほど高いものではなく、かつ安すぎるわけでもない。プレゼントとしてのコンパクトさもさることながら、使いやすく消費しやすい。そういう意味で友達など親しい間柄でも贈りやすい。

 

 そういった心遣いも感じられる。開けてみれば、柑橘系の爽やかでふわっとした香りが鼻腔をくすぐる。嫌いな香りでもないので、気兼ねなく使えそうだと湊は感じ取った。

 こういうちょっとしたおしゃれな贈り物ができる人なのかと、そういう驚きも感じた。

 

「じゃあ、まあ……そういうことで。これからも何卒よろしくってところで、はい」

 

 贈るものを贈ったことで、気恥ずかしさが湧き上がってきたのだろう。置いてあったサンプルの電探を回収して、凪は足早にその場を去ってしまった。その後ろ姿を見て、こういうことはできても、慣れないことをして恥ずかしいのは変わらないのだなと、苦笑を浮かべる。

 でも、出会った頃と比較すれば、こういうこともできるようになったし、口に出すこともできるようになったのだなと、どこか嬉しく思う。

 

 そして、遅れてしまったとはいえ、クリスマスプレゼントを貰って嬉しく思っている自分を自覚しているのもわかった。親愛と感謝の証だとわかっても、嬉しいものは嬉しいものだ。

 そっとバームを手に取り、手に軽く塗ってみる。さっと溶けて馴染んでいく手を、鼻に近づけて改めて香りを楽しむ。

 

「……うん、やっぱり普段使いしやすい。やるじゃん、こういう気の利いたプレゼントができるようになるなんてね」

 

 その声色は少し隠しきれていない嬉しさが滲み出ていた。

 手だけではなく、そっと唇にも塗り、馴染ませていく。冬の感想は唇も乾かしてしまう。それを防ぐために保湿バームを使う人もいる。

 リップを使う人の方が多いイメージだが、こちらもこちらで悪くはない。

 

「お礼、か」

 

 確かに去年は凪に対して色々してきたような記憶がある。それに対する感謝の気持ちというのも理解できる。

 でも湊としてはお返しを貰って終わりというのも性分ではない。かといって物をお返しするのも、また恩の押し売りのような気がしないでもない。凪の性格からしてまたお返しがくる可能性が大きい。

 

 となればそれほど大きなものじゃなくていい。

 気軽にこれで終わり、とできそうなものというと、

 

「……何か作ってあげますか」

 

 あの時と同じように、手料理でも振舞ってやるか。

 妙なこともあったけれど、料理自体はとても喜んでくれていた。味についても本当に美味しかったと褒めてくれたものだ。

 手料理を喜んでもらうのも嬉しかったし、次は何を作ってあげようか。そんなことを考えながら、湊は用意してくれていた部屋に、贈り物をしまいに行くことにした。

 



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リンガが動く時

 

 一日の始まりは、軽い筋トレとジョギング。それが彼にとって清々しい朝を迎えるものとなっている。

 健康的な肉体と精神は筋肉を鍛えることにあり。

 鍛えた筋肉は裏切らない。

 それが彼の信条だ。故にこの日課は欠かすことができないものである。

 

 焼けた肌に流れる汗が、朝の陽ざしを受けてきらりと光る。タンクトップ姿で浜辺を駆け、穏やかな海を眺めながらメニューをこなしていく。

 そうして流した汗をシャワーで洗い流すことの気持ちよさよ。

 こうした朝の時間だけ見れば、肉体美のある好青年で終わるのだが、彼の中身を見ればそれでは収まらない。

 

 それが、リンガ泊地に所属する瀬川吾郎という男である。

 

「うむ、今日も美味い」

 

 朝から肉を食べるのは、人によっては胃が疲れるものだが、彼にとっては日常的だ。元より肉好きを公言しており、朝からしっかり食べてこそ動けるものだと考える性質である。

 結構なボリュームのある朝食を食べ終えれば、艦娘たちの訓練の監督や、資源、報告のチェック、周辺状況の変化の把握など、提督としての仕事をこなしていく。

 

 その合間にも、暇があれば筋トレをする。体を動かしていないと落ち着かない性分で、何かと筋肉をいじめていく。加えて仕事には常に秘書艦が控えているものだが、時には彼女たちを背に乗せて腕立てやプランクもする。

 負荷をかけてこそ効果的な鍛錬ができるものとしている彼が、こういうことをするのはもう珍しいことではないが、乗っている彼女たちも、手持ち無沙汰な中で通信機をいじったり、本を読んだりと各々好きにやっているので、慣れたものだった。

 

「対空の調子はいかほどに?」

「システムのコツは掴めてきたところかな~。これなら、確かに艦載機の迎撃はやりやすいと思う」

 

 先日、第三課から新しいシステムとして対空射撃を支援するシステムが公開された。

 対空に向いた装備と対空電探を組み合わせ、より対空防御に力を注げるものである。高角砲、機銃、対空電探を揃えることで、このシステムが働き、艦隊を守るために精度の高い対空射撃を可能とするというものだった。

 

 また併せて秋月、照月という防空駆逐艦が建造に追加されることとなった。防空と名がつく通り、駆逐艦の中でも対空性能をより高めることで、艦隊を防空する意図をもって建造された駆逐艦だ。

 秋月には10cm高角砲+高射装置という小口径主砲が与えられており、これは駆逐艦にとっての主砲の一種として使えるものも開発された。

 

 元々ある10cm高角砲に、94式高射装置という防空のために組み込まれた装置が合わさった装備である。この94式高射装置も単体で開発できるようになっており、それぞれ別々に装備できるようになっている。

 ただこれは二つを一つにすることで、防空のために必要な装備をコンパクトにまとめられたものだ。

 そのためこれさえあれば、後は対空電探を備えるだけで対空射撃システムを使えるようになる。

 

 秋月型も他の駆逐艦と比較して対空性能が非常に優れている代わりに、他の能力が少々抑え目という明らかな違いが見られている。だがこれは元からしてそういう意図で作られているため、問題にはならない。

 むしろその対空性能を遺憾なく発揮してもらい、艦隊の守りを高めてもらいたいところだった。

 

「んっんー……明石の手による改修の手も足りなくなってきたか。こういう面では、呉の海藤は有利よな。あいつの手も加えれば、改修の進み具合では負ける」

 

 明石の改修知識が呉鎮守府の明石から発信され、全ての鎮守府の明石に共有されたことで、装備改修が場所を選ばずにできたという大きな発展はある。

 しかしこれは明石だけができることであり、それ以外の艦娘にできることではなかった。手先の器用さで夕張も助力できることはできるが、明石の方が専門的な知識と技術が備わっていた。

 

 そのため全ての艦娘が所持している装備に手を加えるとなると、膨大な時間がかかる。また、必要な資材も用意しなければならないのも当然といえば当然だった。

 また何でもかんでも改修できるわけでもなかった。性能を伸ばせる余地を見出し、的確に手を加えられるかどうか。それも必要になってくるため、それぞれの鎮守府の明石らと第三課が知識と技術を共有する必要もあった。

 改修のアップデートも時間をおいて情報を纏め上げ、全てに共有しなければならないという問題もある。

 

 それでも現在手を加えられるところは、リンガ泊地の艦娘の装備にはしてきたが、主力艦隊と一部の艦娘の装備にのみ適用されているだけで、全艦隊ではなかった。

 可能ならばみんな強くさせてやりたいところではあったが、もどかしい問題である。

 

「んんんんん、色々手を加えるところは手を加えたが、ここで一つ、何かが起きることで、刺激を味わえるのだが」

「まーたそういうこと言っちゃってさ。そういうのって、何だっけ? フラグっていうんだっけ? 起きちゃうんじゃない?」

「フラグでも何でも構わん。ワシは色々溜まっているのだ。どうにもここ最近は静かだ。不気味なほどにな。かといって、アラビア海を超えて向こうに行くには少々距離がある。フィリピン回りにいたと思われる輩がいなくなったような気はするが、あっち方面にはまだいるだろうからなあ。それを消して平定しない限りは、ワシらも大きく動けんわ」

 

 艦娘たちのデータを確認しながら、瀬川はそうぼやく。

 そんな彼にタイミングが良いのか悪いのか、通信が入った。少し気だるげに「どうした?」と問いかけると、

 

「暗号です。欧州からこちらへと向かってきている船が二隻。しかしインド洋方面から深海棲艦が足止めに来ているとのことで、援護をお願いしたいと」

「――――ほう? 少し前に連絡をよこした客人が来るか。いいだろう。出迎えに行ってやろうではないか」

 

 大淀からの言葉に、笑みを浮かべて瀬川は通信を切り替える。

 

「諸君、出撃準備! 欧州からの客人の援護要請だ。これまで培った新技術を大いに試せる時が来たぞ! んっふっふっふっふ、胸躍る時間よ! 客人に我らが力を存分に披露してやろうではないか!」

 

 その言葉に呼応して、艦娘たちが声を上げる。訓練は中断され、一斉に海から港へと上がり、それぞれ指揮艦や工廠へ向かい、必要な物資を運んでいく。

 基地からも艦娘や妖精が動き出し、出港に向けて準備を進める中で、瀬川もいったん執務室へと向かいながら、連絡がきた状況を大淀に問う。

 

「暗号は間違いなく西から?」

「はい。発信源も紅海方面からです。……ただ、以前と変わらず通信状況は悪く、途切れ途切れの暗号を繋げて解読したものです。それと、定期的に放たれている監視の目からの報告も届いているのですが」

「ですが?」

「コロンボ基地から届けられた情報によると、南西方角の海が侵食され始めているとのことです」

「ほう……?」

 

 コロンボ基地とはスリランカの南西にある基地であり、インド洋の深海棲艦の動きに目を光らせている。かつては何度か深海棲艦の危機に晒されていたが、瀬川率いるリンガ艦隊の防衛の甲斐あって、守られることとなった。

 現在では瀬川が育成した艦娘を派遣させることで、基地の守りを任じており、引き換えとしてインド洋やアラビア海の状況把握に努めている。

 

「ではアラビア海で客人らへと知らせるものと、侵食具合を確かめるもの、それぞれに鳥を飛ばしておくように伝えておけ」

 

 指示を出しつつ、執務室で出撃のための服へと着替え、持っていく物を纏めて退室。

 鍛え上げられた筋肉を紺の制服が覆い、帽子もしっかりと被った彼は、朝に見られた筋肉が映える好青年という印象はどこにもない。

 

 背筋を正し、足早に廊下を歩くその出で立ちは、いかつい印象を与える軍人といえるものだった。

 いつか茂樹が語った言葉、普段は筋肉バカだが、やるときはしっかりやる。

 その言葉に偽りはなし。

 瀬川が指揮艦へと乗船し、出港の準備を整えたリンガ艦隊は、「出撃!」という彼の号令のもと、欧州からやってきた客人らの援護のためにリンガ泊地を後にしていった。

 

 

 トラック泊地の地下で行われていた工事は終わりを迎え、必要な物資も運び入れたことで、緊急時のシェルターは完成を迎えていた。

 作りはしたものの、ここが使われることがないように願うばかりである。

 

 島の裏側へと抜ける水路も作られており、普段は崖の岩肌によって隠されている。これも妖精による摩訶不思議な力によって、まるで漫画の世界のようにスライドして開閉する仕組みが採用されている。

 

 これによって深海棲艦がこの水路を見つけて侵入してくるということは防がれているらしいのだが、どうやってこれが動くのかについてはまったくもって謎である。

 もう妖精だからで話を終えた方が、難しく考えすぎないで楽になるだろう。

 

「それにしても、よくもまあここまで成長したもんだ。誇らしいよ」

「あざっす。パイセンたちのおかげです」

 

 今日の演習を終えて、茂樹は香月へと感想を述べる。

 リンガ泊地で瀬川から色々鍛えられただけでなく、新しい刺激を艦娘たちに与えられている。その成果をこうしてトラック泊地でも発揮した。

 結果は茂樹から見ても驚くべきものと言える。

 

 リンガ泊地で何を見たのかは、香月の艦娘たちが教えてくれる。

 もちろん瀬川が改良をし、纏め上げたデータはもう配信されてはいるのだが、実際に艦娘が使ってきた技術の方が目で見られるからわかりやすい。

 

 短い時間の中でも仕込まれた技術を、演習という場で披露してくれたのだから、それだけでもリンガ泊地で得たものは大きかったことを教えてくれる。

 そしてリンガ泊地で瀬川が考案し、磨き上げた技術がどんなものだったのかも。

 

「あいつが防御術をなあ。でもま、それも大事なのは間違いねえ。あいつはバカだが、大事なもんに対しては男気を見せるからなあ。こういうのを考案するってのも理解できる」

「そうなんすか?」

「おう、欲望に忠実な奴だからな。その欲望を叶えるために色々やるってのがあいつの性分だ。で、その欲望は好みの女を侍らせるってのもあったろう? 侍らせる女がいなくなっちゃあ、欲望は叶えられねえ。だから守る技術を仕込む、ってところだろうよ」

「……あ、そういう」

 

 原動力がわかってしまえば呆れてしまうかもしれないが、それでもしっかり成果を挙げられるものをやってのけるのが瀬川という男だと、肩を竦める茂樹。

 そしてその技術をしっかりとパラオの艦娘たちにも伝えられている。

 奇妙な男ではあるが、その能力は疑いようもない。それは数日共に過ごし、指導を受けた香月も理解はしている。しているのだが、

 

「……どうしてああいうことに?」

「さあ? 人の性格のあれこれまでは俺は言えねえなあ。アカデミーにいた時からあんなんだから、子供の時からああなんじゃねえの? 知らんけど」

 

 あの強烈なキャラは忘れたくても忘れられないインパクトとして、時間が経った今でも脳裏に刻み込まれている。

 彼の語る男の在り方とやらも、無理やり覚えさせられたようなものだった。

 

 曰く、男たるもの受けた恩、借りは返さなければならない。

 曰く、欲望には忠実であれ。

 曰く、筋肉を鍛えていれば裏切らない。

 

 イメージに刷り込まれたのはこれらの三つだが、三つ目は別にいらないだろう。

 しかし一つ目のものは、あの見た目に反して義理堅い考えととれる。恩はそのまま恩を返すととれるし、借りはいい意味でも悪い意味でも受けたらいずれ返してやるととれる。

 そして茂樹としても、これに関してはよく理解していた。

 

「アカデミーでやんちゃしていた頃だったかねえ。親しかった後輩がトラブルに巻き込まれてたから仲裁しに行って、そしたら手を出されたから、『ワシにも手ぇ出したなワレ?』って感じで逆に相手全員殴り倒したことあったな。先手が相手だったこともあるし、原因も原因だったこともあって、あいつ自身は軽めの懲罰で済んだけどな。そういう親しい身内に対しても甘いとこはある、本当に義理堅い奴さ」

「人は見かけによらないって感じなんすね」

「……ま、そういう話をすると、決まってあいつは筋肉が人数差をひっくり返したのだ、とか何とかで話を締めてくるけどな。こういうちょっとしたいい話はあまりされたくはないんだよ。でも、やるときやるし、手も伸ばしてくれる。そして掴んだ手を引っ張り上げる。そういう輩さ」

 

 だから困ったときは頼っていい相手だと、茂樹は頷いた。

 

 

 数日の演習を終えてパラオへと帰還していく香月たちを見送り、茂樹は改めて香月の成長をデータで確認する。

 秋のパラオ襲撃から立て直し、より力をつけるべく尽力した彼らは、目に見えて成長しているのが分かる。

 

 まだまだ発展途上で、粗削りなところはある。でも、期待が持てる伸び率をしているのは間違いない。

 それに茂樹たちと違い、成長するための要素が以前と比較して多いのもポイントだ。

 様々な新技術が登場しているし、環境も異なっている。そして、近くに切磋琢磨ができる先達がおり、新技術を用いてぶつかり合うこともできる。

 これらが、より香月たちの成長速度を早めていた。

 

 トラック艦隊、リンガ艦隊と演習をしたが、ここにラバウル艦隊も交えて演習をしたいところだった。そして機会があれば、日本の呉や佐世保も交えてみたい。

 以前に香月と顔を合わせた凪と湊は、今の香月を見て何を思うだろう。そんなことを思いながら、時間を作って会えないだろうかと連絡を取ってみることにした。

 

 とはいえ、今は何かときな臭い状況にある。わざわざ日本から来てもらうのも、日本に行くのも難しいだろう。新年会の件についてもこの状況下で離れられないということもあって、茂樹たち海外組は出席しなかった。

 演習もトラック、ラバウル、パラオのどこかでやるだけに留められている。

 

 取り決めていた互いの無事を知らせる通信もまだ続いており、今もなおこの三つの拠点は深海棲艦からの襲撃を警戒している。

 今のところ襲撃が来る気配はない。タイミングを窺っているのか、パラオ襲撃によって失った戦力の補充をしているのかはわからない。でも、あんな大それた動きをしてきたのだ。もうしてこないという保証はどこにもない。

 

 夜も交代で警備隊を待機させ、周辺を警戒するようにしている。こうするだけでも、自分たちは警戒しているのだと、深海棲艦らに示すことで、少しでも被害を減らすように心がけていた。

 

 提案についてメールにまとめ、それぞれラバウル、呉、佐世保へと転送する。

 もし凪や湊がこの提案を受け、なおかつ都合がついたらここまで来てもらうことになったら、より香月に経験を積ませることができるだろう。

 

 それぞれの鎮守府の艦娘たちにとってもいい刺激となってくれるに違いない。

 そう願ってやまない茂樹だった。

 



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腹ニ抱エルモノ

 

 時は遡り、深海欧州艦隊がドイツとフランスから出撃してきた艦隊と交戦状態にある中、イタリアではアジアへと向かっている船と暗号通信を行っていた。前に秘密裏に出港していた船が、無事にスエズ運河を超え、いよいよアラビア海へと出ようという頃合いだと、通信が返ってくる。

 

 欧州戦線が厳しい状態にある中、各国では海路はもう表立って国を行き来するには使えなくなっている。それは同時に、地中海を超えてアジア方面へと出ることも、大西洋を南下してアフリカ方面を回ることも、難しくなっているということだった。

 

 幸いなことに、深海棲艦は陸路までは手が回らない。そのため欧州各国では陸路を使ってそれぞれ人や資源を回し、情報などをやり取りすることになっていた。

 それによってドイツから陸路を伝い、イタリアへと渡った提督らがいた。彼らはイタリアの港からイタリアの提督と共に出港し、リンガ泊地を目指すこととした。

 

 彼らの船出は欧州の深海棲艦らには気づかれていないようだった。彼らの目を欺くために、他の国々が協力して深海欧州艦隊へと抵抗を示し、気を引かせていたおかげだった。

 第一の関門は突破できたといってもいいだろう。

 そんな彼らの行く手を阻むのが、印度提督が抱える艦隊だ。紅海を抜け、アラビア海へと出てきた彼らの航海を邪魔するように、艦載機が飛来する。

 

「くっ、こっちにも深海棲艦が……! マルクス、リンガへ暗号を。ここからなら、少しでも精度の良い状態で送れるだろうからね」

「わかった。グラーフ隊、こちらからも対空の援護をしてあげて」

「承知した」

 

 ドイツ人の女性提督がドイツ空母艦娘、グラーフ・ツェッペリンへと指示を出す。艦橋に設置している通信機を用いて暗号を打ち、リンガ泊地へとメッセージを送る。これがリンガ泊地へと途切れ途切れながらも届き、救援要請として受け取った瀬川が出撃することとなった。

 

 グラーフ・ツェッペリン率いる艦隊と、イタリアの艦隊が迫ってくる艦載機を迎撃していく。日本やアメリカの空母らと比較すると、グラーフ・ツェッペリンやイタリア空母のアクィラは性能を比較すれば劣ってしまう。

 また巡洋艦などの対空性能で見ても同様だった。二国が保有している装備面で見ても、対空性能は劣っている。

 

 それを補完するために、両国は欧州の繋がりを活かし、イギリスの艦娘や装備を取り入れている。いや、正しくは欧州で艦娘を運用している国は、全て艦娘と装備に国境はなしとし、全てを織り交ぜて艦隊を作り上げていた。

 

 事実、グラーフ・ツェッペリン率いる艦隊も、アクィラ率いる艦隊も、ドイツやイタリアの艦娘が主流というわけではなく、イギリスの艦娘が在籍しており、共に戦っている。

 劣っている対空を補完するイギリス空母やイギリス巡洋艦が、どちらの艦隊にもいるところからも、それぞれの国はイギリスの艦娘に対して高い信頼をおいているのがわかる。

 

 それはやはりかつての大戦の中でも、イギリスの海軍の強さは欧州でも際立っていたことに起因していた。元よりイギリスは海軍が強く、世界各地へと艦隊を派遣していた時代があった。

 スペインとはその強さを争ったこともあるが、近代ではイギリスが優勢だったと言われており、イギリスに比肩する海軍といえばアメリカや日本とされていたほどだ。

 

 それは艦娘の時代になっても変わることはなかった。その強さを頼るため、そしてともに欧州を守るために、欧州の国々が技術交換をする中でも、イギリスのレートの価値が高い中での取引となったほどだった。

 

 深海の艦載機はイギリス艦娘の奮戦の甲斐あり、難なく迎撃することができたが、その様子を観察していたイタリアの提督が首を傾げる。

 妙に手ごたえがないように思えたのだ。これは欧州で強力な深海艦隊を常々相手をしてきたことによる影響なのかと疑問を覚える。

 

(あまりにもあっけない。東の方はこちらと比較してマシだと聞いてはいたけれど、こんなもの?)

 

 と小さく唸るが、それも数秒。

 

「そんなもの、かな。欧州から出てきた自分たちを見に来ただけってこともあるだろうからね。こっからが本番と備えればいいか」

「のんきなものですね。初めての遠征と、欧州戦線から離れたことで気が緩みすぎではないでしょうか? しゃんとしてください」

「そう固いこと言わないでよ~。綺麗な顔が台無しだ。ピリピリした顔だと、幸運の女神さまが逃げてしまうってもんだよ、マルクス」

「残念だけれどブランディ、そういうのは好みません。グラーフ、念のため周辺の偵察を出してください。警戒は怠らずに」

「んー、さすが、つれないねえ」

 

 ブランディと呼ばれたイタリアの提督は苦笑を浮かべて肩を竦める。

 生真面目なドイツ人らしいマルクスと、少しナンパな雰囲気があるイタリア人らしいブランディ。

 この二人が日本を目指して密かにイタリアから出港した提督たちであった。

 

 

 

 派遣された艦載機が落とされていく中で、情報を送り届けてきた艦載機が混じっていた。届いた情報を確認したアッドゥは、頃合いかと考える。片方の指揮艦から何らかの電気信号が発せられたという反応も見られたため、恐らくはリンガ泊地にでも助けを求めたのだろうと推測する。

 

 欧州から来た指揮艦は、リンガ艦隊が出迎えた上で護衛する。そういう役割を担っていたことを、アッドゥは自分の中に取り込んだ印度提督の記憶から把握している。

 今回もまたリンガ泊地から艦隊が出向いてくるだろう。

 その前にコロンボ基地から少数ではあるが、艦娘が助力に上がる可能性もある。

 

 だがどちらにせよ、ここでアッドゥが動くことはない。そのまま二隻の指揮艦には東進してもらうことにする。

 そしてアッドゥ環礁の北へと到達したところで、こちら側に来てもらうことを想定する。

 

 本来ならばこの拠点の位置を知られない状態で、進軍を阻むように襲撃を仕掛けて仕留めるところだろうが、そのようなことはしない。

 最早アッドゥに、深海側の事情を酌み取った行動を取る気はさらさらない。

 

(欧州の意図は読み取れる。この私に埋め込んだ情報と、(おれ)の記憶を繋ぎ合わせれば、答えは見えた)

 

 どうして欧州提督が印度提督にデータを渡してチャンスを与えたのか。

 それはアッドゥのような新しい器を作り上げさせたうえで、喰わせるためだった。つまり印度提督の死は、その時点で確定したようなものだ。

 口では生き延びるチャンスを与えておきながら、死刑宣告をしたのである。

 

(生まれた私を艦隊に加えさせ、手駒として保有しつつ成長させ、(うつわ)の更なる進化を期待するか、そのまま経過を見守るかのどちらかだろうけれど、何にせよその先はずっと欧州の手の中でしょうね)

 

 この素体の更なる成長を促して器の拡張を期待するも良し。成長しないならしないで、一つの例として経過を見守ってデータの収集を行うも良し。どちらにしても欧州提督にとっては、損をすることはない。

 もしも成長した場合は、彼女が想定していた計画が進行していただろう。その場合はどうなるのか。

 

(私というコアは抜き取って成長した(うつわ)は、本来の目的に活用されるでしょう。私は私で別の体にでも埋め込まれて転生する、といったところかしら)

 

 深海棲艦にとって魂はコアにある。人間から堕ちた存在にはそれはない。魂という不確かなもの全てがなくなればそれまでであり、またそれを抜き取って別の体に移すようなこともできない。

 蘇った際に与えられた体から離れることは絶対にない。

 

 しかし深海棲艦は違う。体が大きく破損したとしても、コアが生き残っていればそれを保護し、別の体へと移し替えることができる。その例は今までにいくつもある。

 アッドゥも恐らくはコアを抜き取って別に移せるだろう。別の魂が入れられる空きを作るために。

 

(本来の私なら、その役目を理解し、大人しく受け入れていた。……フフフ、でも残念ねえ欧州。生憎と、(おれ)はそうはいかないわ。どうせ死ぬ命なら、お前の思い通りになどさせてやらない。派手に散ってあげる。最初から(おれ)を殺すつもりだったお前に遺すものなんて一つもないわ……!)

 

 計画通りに事が進めばこんなことにはならなかったろうに、歯車が狂ったのはどこからだったのか。

 トライ&エラーこそ開発の常ではあるが、このエラーは致命的といえる。よりにもよって悪い方向へと無垢な魂が染まりすぎた。印度提督のストレスを限界突破させすぎたのが要因だろう。アッドゥに喰わせるためとはいえ、あまりにも追い込みすぎたのである。

 

 ストレスに苛まれ、窮地に追い込まれた人間が何をするのか。

 人間ではなく、また弱者ではなく強者として今日まで在り続けた欧州提督に、そのような思考を読むことなど出来はしない。普通はやらないことをやってしまう可能性があるのが、追い込まれた人間というものだ。

 

 それをも取り込んだアッドゥだからこそ、欧州提督が予想だにしない動きをする。

 これから始まるのは、そういう事件なのだ。

 

 

 

 中部の拠点でも、事は進められていた。深海長門のために調整された艤装も完成し、運用テストも済んだため、これで深海長門が完成といえる段階に達した。一つの懸念材料があるとはいえ、前線に出しても問題のない状態だ。

 深海中部艦隊の戦力も揃っており、先日は北方から新しい量産型として鈴谷が配信された。

 

 あの北方提督からアトランタだけでなく、鈴谷も配信されるなんて、と驚きを隠せないが、使えるものは使っていく。それにこの鈴谷は最新の量産型らしく性能は高水準にまとまっている。

 近日想定されている戦いでデビューさせるには申し分ないものだろう。

 

「調子はどうかな、長門?」

「悪くはない。わたしとしても、この艤装は良いと考える。……最初こそ使い心地はどうかと思ったが、武器は使いようだ。この感覚も、手の馴染みも、慣らしていけば問題はなくなる。役に立たぬガラクタにはならぬだろうよ」

「それはよかった。君は次の作戦の要になる。期待しているよ」

 

 濁ったような光を放つ目が、じっと深海長門を見据える。彼の言う作戦は深海長門も把握している。だが深海長門はそれだけには留まらない。この先起こりうるであろう出来事もまた想定していた。

 

 星司が放つ闇の気配は留まるところを知らない。彼の抱えたストレスは、あれから少しも癒されていない。ただコツコツと作戦のために作業を進めているだけであり、沸き立つ闇の気配は、この工廠に留まらず、上へと流れていっている。

 かの実験によって沈められた船たちの元へと。

 

(得られたものはたくさんあった。もう十分だろう。問題はどのように切り抜けるか、そしてその後どうするかだが……)

 

 と、深海長門が思案し、ちらりと近くにいるアンノウンへと目を向ける。

 相変わらず子供のような顔に気味の悪い笑みを張り付けた少女だ。何かと自分を監視しているかのような気配もするが、そうしたくなるのもわからなくはない。

 

 元はといえば艦娘の長門が転生した存在だ。不穏な種も抱えているため、離反するか否かを監視したくなる気持ちはわかる。そしてそれを請け負うのが、このアンノウンが適任だということも。

 深海中部艦隊の中でも高い戦闘力を保有する彼女なら、難なく自分を止めてみせるだろうが、それは以前までの話だろう。調整を終えた今の深海長門を、果たして止められるのだろうか。

 

 そんなことを考えていると、「キッヒヒヒヒ、やる気かあ?」と、こっそりと問いかけてきた。すっと近づいてきて、下から睨め上げるように視線を向けてくる様に、深海長門も目を細める。

 その場から離れ、工廠に用意されているベッドへと近づくと、アンノウンもそれについてくる。まるで二人して星司から離れて、陰で話すかのように。

 

「作戦のやる気はあるとも。それがあれの望みなのだからな」

「ああ、それについては結構なことさあ。でも、それだけじゃあない気もするけどね? ボクの目から見ればさ」

「さて、何のことか。わたしとしては、あの気配に対して、お前からは何もないのかと逆に問いたい気持ちでいっぱいだ」

「気配?」

「とぼけるな。深海のものならわからないはずもない。あの負の気配……いや、それには留まらない闇の気配だ。お前ほどの個体なら、見逃すはずもない」

 

 そう言い切ると、どこか楽しそうにアンノウンは目を細める。楽しいおもちゃを前にするかのようなうきうきとしたような雰囲気すら漂わせていた。

 

「わたしという生まれたての存在すら気になるものを、お前が何もしないというのもどうかと思うが?」

「何もしないって、あれを前にして何をしろってんだあ? 何もしないさ。あれはあれでいいんだからさ。深海のものとして、存分に垂れ流せばいい。それが、ボクたちにとっていい結果をもたらすもんさあ。逆にあれがどうしても気になるってんなら、それはお前が元艦娘だからだよ」

 

 と、アンノウンははっきり言う。

 

「光に属する存在だったからこそ、気になって仕方がないだけさあ! 実に、実に簡単な話ってね。うん、それで話は終わり?」

「…………で? そのいい結果とやらはただ深海を強くするだけじゃあないだろう? 次に進ませる、その種か?」

「――――」

 

 その言葉に、アンノウンはにっこりと笑う。表面上は。

 深海長門も問いかけたまま、アンノウンの出方を窺っていた。

 ゆらりと、アンノウンの長い尻尾が動いている。ゆらり、ゆらりと、静かな空気の中で、まるで獣のように、何の気なしにゆらゆらさせている。

 

 それを見ながら、「――哀れなものだな、あの提督も」と呟くと、「――ああ、哀れさ」とアンノウンは同意した。その顔には、先ほどまでの笑顔はない。

 今まで見せたことがないような、真顔だった。何の感情も篭っていない、貼り付けたような笑顔もどこにもないものだった。

 

「本当に、哀れでさあ、普通なら見てられないもんさ。でも、付き合うしかないよねえ。ボクらはあの人に作られた兵器だからさあ。持ち主がいる限りは、どこまでも一緒ってやつよ。例え行きつく先が終わりでもさ?」

「生み出された兵器だから、追従すると? 自分の終わりを変えるようなことはしないと?」

「それは意思や感情の話かあ? ボクらにそれを求めると? はっ、あの人みたいなことを言う! キッヒヒヒヒ! ボクもさあ、そんなものは必要ないって思ってるんだよねえ!」

「…………」

「いやなに、一時はそれも悪くはないかもしれないって思ったことはあるよ?」

 

 でも、とアンノウンは目を細めながら、それを子供のようで、でもどこか歪んだ笑みで否定する。手を軽く広げ、肩を竦め、そしてそんなものに意味はないのだと立ててはいけない指を立てる。

 

「でもそれは人の話さあ! ボクたち兵器に意思も感情もそんなにいらねえってね。使う奴の意思に従って、役割を遂行すればいい。そしてボクの役割ってやつは、敵を殲滅すること。わかりやすい兵器の使い方の結晶! 歪な組み合わせの兵器だからこそ、わかりやすい役割がお似合いさ!」

 

 だから、とアンノウンはベッドに座る深海長門の肩を軽く叩く。「妙な探りはやめておくんだ」と警告を入れる。

 

「余計な知識は兵器の質を下げるってね。思考を乱すノイズはいらない。そこから生まれるバグもいらない。そんなものは邪魔なんだよ。艦娘からこっちに堕ちてきたんだからさ、ボクとしても、またお前を殺したくはないんだよ。わかってくれるよね?」

「――ああ、もちろんだともアンノウン」

 

 と、そっと置かれた手を払いのける。逆にアンノウンの肩に手を置いて、深海長門は出来る限りの笑みを浮かべてみせる。

 

「わたしとしても、お前に前世の借りは返したくはないと考えている。今はおとなしく、次の作戦に向けての準備を進めておこう。どうやらわたしは重要な役割を担うようだからな? 慎重に事を進めていくことにするとも」

 

 だが、その笑みは穏やかそうに見えて、じわりと何かを瞳や腹に忍ばせるような笑みだった。

 お互いに表面上では笑っていても、真の意味で笑いあえていない。

 冷たい気配がお互いの中で渦を巻く中、アンノウンもまたそっと深海長門の手を払って「それでいい」と頷いてみせる。

 

「いやあ、楽しみだね! いよいよ人のいる拠点が消えようって時だ! こっち側も大きく勢力図を塗り替える段階ってやつだねえ。ワクワクするよな、キッヒヒヒヒ!」

 

 と、話を終えることを示すように、笑い声を上げながら歩き去っていく。

 その背中を見送りながら、深海長門もまた表面上では笑みを浮かべながらも、決して油断をしていなかった。

 去っていくアンノウンの尻尾が、ゆらゆらしながらも、じっと深海長門を見つめている気がしたから。

 

(最早ここには居られない。中部にも、アンノウンにも付き合っていられるものか。わたしは、わたしのために動くまでだ。何も成し得ないまま、三度目の命は捨てられん。そのためにも)

 

 ぎゅっと胸の前で手を握り締める。そこにある僅かな力を感じながら、深海長門は唇を噛みしめる。

 ずっと自分の中で違和感を放ち続けるそれ。居心地の悪さを感じさせるそれこそが、一番の懸念材料といってもいい。

 

(これをどうにかすることから始めなければならない。でなければ、真の意味でわたしは、わたしとして生きられないだろう)

 

 段取りを考えねばならない。

 深海の誰もが触れられないものならば、一体誰がこれを取り除いてくれるのかを想定する。そこから、深海長門にとっての真の始まりを迎えるために。

 



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それぞれの準備

 

 ラバウル基地の深山は、茂樹から受け取ったメールを秘書艦の陸奥と確認する。内容としてはパラオの香月を交えて演習を行おうというものだが、これに関して深山は異を唱えることはない。むしろ歓迎すべきことだ。

 

 しかし彼もまた深海棲艦の基地襲撃を懸念している。力を付けることは大事だが、基地を守ることもまた大事なことだ。どちらかを欠けさせてはならない。

 陸奥がリストをチェックし、演習に連れていくメンバーと、基地を防衛するメンバーを振り分ける。

 

 襲撃してくるかもしれない深海棲艦。前回それを行ったという南方提督が見た目は完全に艦娘の吹雪に酷似している。彼女が振るった刀は、どこか天龍が手にしている艤装の刀に似ている。

 恐らくラバウルの吹雪と天龍を基にして深海棲艦と化してしまったのだろうと、想像するに難しくない。

 

 そんな彼女がラバウル基地を攻めてくるとなれば、何の因果だろうか。

 だがここに攻めてくるにしても、他の基地へ攻め入るにしても、陸奥たちのやるべきことは変わらない。

 深海棲艦と化してしまったかつての仲間がそのようなことをするのであれば、

 

(止めるなら私たちしかない。私たちの手であなたを介錯する。これは情けじゃない、私たちが果たすべき一種の責任。吹雪をよく知っている私たちが介錯することで、あなたにとっても意味のある終わりといえるでしょう)

 

 艦娘としての吹雪と長く一緒に活動してきている過去がある。ラバウル基地が開かれた後、それほど時間が経たない中で仲間に加わった艦娘だ。戦いだけでなく、プライベートでも親しい関係を過ごし、時間を基に過ごしてきた。

 深山が新米の提督だった時からの付き合いだったのに、深海棲艦に堕ちたのだから、その心境は計り切れない。

 

 人類の味方だった存在が、人類の敵対者となる。ましてやそれが自分の戦友だったなら、自分の手で終わらせてやることこそ、彼女にとっての救いとなるだろう。

 深海霧島もまたそれに該当する。呉の艦娘たちは彼女と何度も対峙し、倒しているようだが、それでも彼女を完全に滅することができていない。これに関して気になるところではある。二度と復活させないための方法があるのかもしれない。

 

 深海吹雪に関しても、他の誰かが終わらせるのも一つの手ではある。でも、意図してそうするならば、それは楽な道を進むことだ。

 戦場に遅れてしまい、誰かがもうすでに討ってしまったなら仕方のない部分はあるだろうが、できるのにできなかったとなれば、自分の中に僅かなしこりを生むだろう。

 

 他の誰かが成し得てしまった。

 彼女を終わらせてあげられなかった。

 

 そんな風に、どこかで小さな後悔として残ってしまう。それは、とても悲しいことだろう。

 だからこそ、ラバウルの艦娘の誰かが、特に自分が深海吹雪に、そして可能ならば深海霧島にも引導を渡すのだ。

 これ以上の敵対的行為を許すわけにはいかない。今度戦場に現れることがあったならば、永遠の眠りを与えてやる。

 ラバウル秘書艦として果たすべき責務であると信じて。

 

 

 

 茂樹からメールを受け取った凪もまた、演習の提案には乗り気だった。とはいえ、凪たちもまた、今鎮守府から離れるべきかと思案する。

 本土防衛戦から半年が経過したとはいえ、懸念すべき時期というのは間違いない。あれから深海中部艦隊の動きは表立っては確認されていない。

 

 半年経ったから安全だと言えるというのは、深海棲艦相手には言いづらい。だが今はミッドウェー前と違い、海軍が一つにまとまっている。大本営でもしっかりと艦娘が鍛えられており、国防のために戦える艦娘が増えてきている。

 各地の鎮守府だけに任せられていた戦力が、大本営でも揃えられ始めたのだ。

 

 大本営で大きな派閥が二分されていたこともあり、それぞれの意見が分かれた場合、大本営所属の艦娘の連携が崩れる。それが懸念材料ではあったが、現在はそれもない。

 アカデミーの学生の教導と、大本営を守るためだけだった艦娘ではなくなった今なら、時間を取ることはできるだろう。

 

 それに、指揮艦の強化のこともある。以前に比べて航行速度が上がっているため、往復の時間が縮められたのも魅力的だ。予定を組み立てる日程を短くすることができるので、鎮守府を空けておく日数もまた減らされる。

 

「申請すれば通るかな」

 

 一月の予定は大部分は演習と遠征となっている。湊だけでなく、北条や宮下との演習も行っているが、直近の予定はない。そのため、空いた日にトラックまで遠征をするのは問題はない。

 

 凪としても茂樹たちとの演習をするのは喜ばしいことだ。艦娘たちにとって新しい演習相手は大事な存在。それが新しい刺激となって、一つの壁を乗り越えられる可能性も生まれる。

 また香月の変化についても注目している。去年の春に送り届けたあの少年が、果たしてどんな風に成長しているのか気になるところだ。

 

 それは湊も同じだろう。従弟の変化が気にならないはずもない。

 彼女にもメールは届いていたようで、返事をどうしようかと考えているようだった。

 

(前向きに考えればいいんじゃないかっと)

 

 時間も時間なので通話ではなくメールでそう返事を送る。

 そして大本営にもトラックまでの遠征の許可を求めるメールを送る。許可が下りれば準備を進めて久しぶりのトラックへの遠征となるだろう。

 

 紅茶を口にしつつ、これまでの演習の成果を振り返る。

 青の力の練度も進み、習得者も増加している。それに加えて装備の改修が合わさることで、去年と比較して高い性能を発揮できるようになったのは間違いないだろう。

 

 問題はそれを実戦で発揮する機会がそこまでないこと。

 日本周辺は以前と比べてまた穏やかな海域となっている。時々偵察でもするかのように深海棲艦が現れることがあるが、そこまでだ。

 大々的とはいわず、中規模な戦闘レベルとまでもいかない。小競り合いでもするかのような戦いがたまに起こる程度である。

 

 日本の領海を侵してきた侵入者を撃退するかのような、そんなこじんまりとした戦いに終始しているため、青の力を十全に発揮する機会は、あの夏の防衛線以降、日本近海では起きていなかった。

 

(俺たちも、奴らも今はまだ静かな状態。大きな闇の気配とやらも、動くようなそぶりはなし、か)

 

 北方、北米、そして中部とあれから動いた様子はない。北米に関してはアメリカ海軍が拠点を攻め落したとニュースになっていたが、それ以降のニュースはなかった。

 奴らがこちらの拠点を攻め落そうとするように、海軍からも拠点を攻め落したいところだが、まだ拠点が見つかったという報せはどこからも上がっていないのが悩ましい話だ。

 

 闇が動く前に事を終わらせるなら、拠点を攻め落す方が手っ取り早い。

 しかしその手っ取り早い策を実行するための前段階でつまずいている。それが非常にもどかしい。

 

(探索しようにも手がかりがないことにはな……。茂樹は目星をつけたという話だったけれど)

 

 少し前に話をしたことを思い出す。ビキニ環礁へと調査の手を伸ばすと言っていたけれど、あれはどうなったのだろうか。

 それを考えた時、ピリッとした痛みが僅かに胸を走った。一瞬のことだったため、首を傾げた凪だったが、久しぶりの虫の報せという割にはあまりにも一瞬過ぎる。

 

 少し胸を掻き、また痛みやむかむかが来ないかと確認するが、何もなかった。

 気のせいと処理するべきか? と首を傾げるも、横に置いておくのも気持ちが悪い。

 

 もう一度メールを開き、茂樹へともう一度文面を作成することにする。

 ビキニ環礁への調査についてと、気を付けるようにという言葉を添えて、送信することにした。

 

 

 

 南方提督の目の前には一人の少女が、今まさに完成の時を迎えようとしていた。駆逐棲姫、深海春雨と呼ぶべきものと同じ時期に制作が開始され、しかしその新たな試みによって完成時期がずれていったもの。

 駆逐棲姫は春雨をモデルとして作り上げられたが、こちらの少女は違う。二つの軽巡の種を混ぜ合わせて成長させた素体である。

 

 南方提督、深海吹雪が生まれた要因になぞらえた試みがなされた結果だ。吹雪という体に天龍の要素を組み込まれたことで左腕が変質した深海吹雪。この結果を基に、二つの軽巡が反発しあわず、上手く溶け合わせて一つの個体へと仕上げる。

 その調整が懸念材料ではあったが、思いの外うまく成長し、素体と艤装も上手く組み合わせることにも成功した。意外なほどにあっけなく、深海吹雪が想定した新たなタイプの個体は、ここに完成の時を迎える。

 

「おはようございます。調子はどうでしょう?」

「……エエ、特ニ問題ハナイ。違和感ヲ発スル個所ハナシ。私ハコノ通リ、無事ニ生マレタ」

 

 落ち着いた声色だった。見た目は10代の少女然としていて、黒い長髪に側頭部にはお団子のように纏められた髪がある。服装は黒系に染められたセーラー服、両腕には鋭い爪を備えた手甲が肘近くまで嵌められていた。

 スカートの下にはすらりとした足があるかと思われたが、それはない。駆逐棲姫のように足がなく、鮫のような頭部だけの魔物に、砲門が備えられた艤装が連結されている。

 

「さて、あなたのことはどう呼びましょう? 那珂? 阿賀野? それとも二人を混ぜ合わせた那珂野としますか?」

「好キナヨウニ。私タチニトッテ名前ハアマリ意味ハナイト思案スル。……デモ、ソウデスネ。確カニ私ハ那珂デアリ、阿賀野デモアル。ソノ意識ハ自覚シテイル」

 

 そう言って彼女は自分の胸に手を当てて瞑目する。頭の中をよぎる記憶は、かつて海を往く那珂、そして阿賀野の記憶がおぼろげに感じられた。そして両者の終わりの海である、トラック泊地の戦いのことも。

 その際に那珂の船体が真っ二つにされた記憶も感じられた。恐らく足がないのはそれを反映した結果だろうか。人の体を得ても、かつての終わりを表すかのような形として反映されようとは、これも因果かと彼女は冷たく笑みを浮かべた。

 

「……ナルホド。デアレバ、気ガ変ワッタ。私ノコトハ、那珂ト」

「わかりました。では那珂、早速ですがその体のテストを。春雨や神通がいます。彼女たちを相手にどれだけ動けるか、艤装の調子などを確かめてください。近いうちに召集がかかります。あなたにも出てもらう予定ですので、その体を仕上げていくようにしてください」

「承知シタ」

 

 一礼して深海春雨らと去っていく背中を見送り、コンソールを操作した深海吹雪は、星司と連絡を取る。出てきた彼へと「以前お伝えしていた軽巡が完成しました。取れたデータがこちらです」と、完成した時に計測したデータを送信する。

 それを確認した星司はなるほどと頷き、「問題はみられないね。……大したものだよ。まさかここまで上手く仕上げてくるなんてね」と、素直に感心したような言葉を贈った。

 

「それほどでもありません。先輩のご指導の賜物です。私だけではこのように上手くできたはずはありません」

「それはどうも。で、彼女はテストかい?」

「はい。演習をこなしてもらい、戦いに慣れてもらいます。その後でしたら、先輩の作戦に参加できます」

「わかった。では問題ないと判断したら連絡を。こっちも最近、トラックの偵察隊がうろうろし始めていてね。いつ見つかるかわかったものじゃない。本格的に目障りになってきたところだよ。だから、本音で言えば早く決行したいところなんだ」

 

 それに、今なら香月たちもいないからね、とぽつりと呟く。

 香月を以前殺そうとしていた彼の言葉ではないと一瞬思うところだろうが、この真意は香月たちパラオ艦隊がいない今なら、トラック艦隊だけを相手にすればいいということでもある。

 

 数の優位を取れれば、トラック泊地を潰すことは難しくないだろうと見込んでいるのだ。

 前回は深海南方艦隊だけでパラオを攻めたからこそ、援軍として現れたトラック艦隊に押し切られて負けたのだ。

 

 ならば、今度はトラック艦隊を相手に、深海中部艦隊と深海南方艦隊で奇襲を仕掛けて、反撃を許さずに殲滅する。これが星司が思い描いた勝ち筋だ。

 懸念すべきは、パラオ艦隊とラバウル艦隊の援護の手が及ばない時期であるかどうか。この二つの艦隊が参戦してくれば、勝ち筋は薄くなってくる。そうなる前に事を起こしたいものだった。

 

「わかりました。なるべく早めに仕上げていきます」

「よろしく頼むよ、吹雪」

 

 軽いやり取りだけをして通信を切り、吹雪は次にすべきことを考える。

 新たな戦力の追加、今までの深海棲艦たちの練度上げなどをリストアップしていき、そのどれをもうまくこなせてきただろう。

 

 戦艦棲姫の一人である山城の補佐もあって、淀みなく進行出来てきた自負がある。先の戦いで失態を演じたが、次の戦いでそれを取り戻していけばいい。そう思って事を進めてきた。

 失態の原因について、詳しいことは思い出せない。あの時自分の中から消去されたまま、思い出されることはない。

 山城に聞けばそれがわかるだろうが、彼女は吹雪がそうした理由を知っているため、何も語らずにいた。

 

 無様な姿はもう見せられない。

 その思いは薄っすらと自分の中に残されている。

 先輩である星司がたてた作戦を絶対に成功させる。その思いを胸に、深海吹雪は準備を進めていくのだった。

 



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アッドゥの招待

 

 コロンボ基地近海まで進んできた欧州からやってきた指揮艦二隻。その姿を確認したコロンボ基地から発艦された艦載機が、基地へと連絡を送る。それを受けてコロンボ基地から艦娘たちが出迎えに上がる。

 コロンボ基地に務めている艦隊の旗艦である飛龍が、指揮艦へと通信を送ると、すぐにマルクスが応答する。

 

「こちらコロンボ基地の飛龍です。リンガ泊地へと暗号通信を送った方々とお見受けしますが?」

「はい。こちら、ドイツより参ったマルクスです。もう一隻はイタリアのブランディが乗船しています。こちらに関しては初めての顔合わせになるでしょう」

「ハイ、揃えられた黒髪にたなびくハチマキが似合うお嬢さん。僕はブランディ。イタリアより使者として参上した者さ。この出会いに感謝を」

「いきなり口説くなたわけめ。今はそんな場合ではないでしょう? わきまえてもらえるかしら?」

「はは……うーん、これがイタリア男性ってやつなのかしら? こほん、ただ今、うちの提督がコロンボ基地を目指しています。もうそれほど時間をかけずに到着される見込みですので、ひとまずはコロンボ基地へと案内させてもらいます」

 

 苦笑を浮かべながらも、飛龍は指揮艦と合流するべく前進する。そこで周辺を警戒している艦載機の妖精からの連絡を受け、目を細めた。

 南の方角から敵艦載機が飛来してきているというのだ。

 

「敵機接近! 迎撃態勢を!」

 

 素早く指示を出しながら、弓を構えて南へと艦載機を放つ。飛龍だけでなく、共に来た祥鳳などからも艦載機が放たれ、一斉に接近してくる敵艦載機を目指していく。

 敵艦載機は見つかったこと、迎撃のために飛来する艦載機に気づいたのか、一度その場を旋回し、あっさりと南へと転進していく。

 

 なりふり構わず交戦してくるものと思っていた飛龍は、その身の引き方があまりにもあっさりしすぎて怪訝な表情を浮かべた。今までの深海棲艦なら、艦載機だろうとそのまま突っ込んでくるものだ。

 艦娘や海軍兵を見たら攻撃してくるようなもの。ましてや今回は指揮艦を襲撃してこようというタイミングだ。お構いなしに攻めてくるものと思っていたのに、すぐに反転するなど、考えられないことだった。

 

「一部はそのまま追いかけて。残りは反転して指揮艦の護衛に」

 

 飛竜の指示に従って艦載機がそれぞれ別に動いていく。分けはしたが、それでも追跡する艦載機の方が数が多い。襲撃して来た分の敵艦載機に圧し負けない程度には優位を取るためだ。

 

「提督たちはそのままコロンボ基地へ向かってください」

「援護をしなくてよろしいのでしょうか?」

「私たちの任務はあなたたちを無事に基地へと送り届けることです。敵の脅威があるならば、これに対処します。今は、敵の本隊を叩くことではありませんので。脅威が去るまでは、私たちはこの先へと敵を行かせませんし、あなた方が無理に向こうへと行かせることもしません」

「……わかりました。健闘を祈ります」

「うーん、凛々しい。いいじゃないか、日本の艦娘というものも。あれがブシドーというものなのかな?」

「だからのんきか、ブランディ!? 妙なことを口走っていないで、指揮艦周りにでも艦娘を出しなさい! 守られてばかりというのも、私たちとしては恥ずべきことですよ!」

 

 それぞれの指揮艦からも護衛のために艦娘が出撃し、並走するようにコロンボ基地へと向かっていく。その様子を確認するように、何機かの敵艦載機が旋回したが、またすぐに南へと向かっていく。

 それを追いかけていく艦載機ではあるが、どうにも追いつきそうで追いつかないような速さを保たれているような気がした。

 

 スピードを変えてみても追いつかないのだ。まるで一定の距離を保ってきているような、そんな意図を感じさせる。

 まるで強制的に追わされているかのような流れに、飛龍は不気味さを感じた。

 

 海は少しずつ変化する。

 気づけば青い海ではなく、広がり始めている深海の力が満ちている赤い海へと突入ていた。それに従って空気も変質していく。

 そこはまさに、強力な深海棲艦が海域を支配していることの表れだった。

 

(これはまずいかもしれないわね。いったん引く……?)

 

 引くタイミングを見誤ったかもしれないと、飛龍は冷や汗をかく。無理に追わされたのなら、この先に敵の本拠地があるだろう。そこから追加の敵艦載機が発艦してしまえば、成す術なく呑み込まれてしまうだけだ。

 

 だが、ここで追跡を続行すれば、敵の本拠地が分かるかもしれない。

 深海棲艦の拠点はどこも見つけづらいものだ。奴らとの戦いも数年にわたる長い時間をかけているが、拠点を見つけ出したのは少し前の北米の事例だけ。

 

 深海と名がついているだけあって海の下にあるのではないかと推測されており、潜水艦型の艦娘もなかなか生まれなかったこともある。それだけに、拠点がようやく見つかっただけでなく、壊滅まで追い込んだというのは、世界中のニュースになったほど。

 だからこそ、今ここでこの海域にあるかもしれない深海の拠点が見つかるとなれば、これもまた大きなニュースとなる。そのチャンスを逃していいものか。

 

 飛龍は考える。艦載機が全滅するかもしれないリスクを冒してでも、追跡して拠点を見つけるというリターンを取るか。

 

(……ここは、押し切る。誘われているのだとしても、ここを見逃して好機を失ったら、次いつチャンスが巡ってくるかわからない!)

 

 追跡を選択した飛龍。艦載機の妖精たちに、しかし警戒は怠らないようにと改めて伝えつつ、指揮艦の方はどうかと問いかけると、無事にコロンボ基地へ到着したと返ってきた。

 護衛任務は無事に果たされた。それについては喜ぶべきだ。

 

 しかしこちらはまだ油断できない。

 赤い海の上空を飛行し続ける艦載機は、やがて一つのエリアを捉える。

 

 遠くから見てもわかる、円状に変色している海域。

 赤い海の中でもひと際濃い影が見られる一帯。それを囲むように点在している島々。

 

 アッドゥ環礁だ。

 その島の一角で、浜辺に腰かけてじっと空を見上げている人影が一つ。

 それは遠くに飛龍らが放った艦載機が接近してきたことを認めると、静かに手を挙げる。

 

 その合図に従って、アッドゥ環礁の周りに深海棲艦らが一斉に浮上した。

 姿を現したその数は、まさに本拠地を守る深海棲艦。眼下に見える景色そのものが、アッドゥ環礁がかの深海棲艦の本拠地であることを如実に語っている。

 

 手を挙げた深海棲艦が、その手に赤い力を込めれば、逃げていた艦載機の一機が反転し、ノイズを発する。まるでチャンネルを合わせるかのように、一定のリズムで発せられるノイズに、艦載機の妖精が思わず顔をしかめてしまった。

 やがてノイズが少しずつ落ち着いてくると、

 

「――聞こえる? 艦娘、あるいは妖精」

 

 流れてくるのは高い女性の声。それに戸惑いの声を上げる妖精だったが、飛龍はいったん追うのをやめて、その場で旋回するように伝えた。

 敵艦載機もまた、反転はしてきたが攻撃はしてこず、その場で旋回している。何かを話そうという意思が感じられたのだ。

 

「話を聞いてくれる気があるようで何より。私はアッドゥ、あるいはポートT。はたまたこれを纏っているからこうも名乗るべきかしら。印度提督、と」

 

 そうして浜辺にいる女性、アッドゥは身を包む黒いマントをなびかせる。

 それに対して飛龍は何の反応も示さない。妖精が見ている光景を通じて飛龍も見えてはいるのだが、マントが何を示すものなのかは知らなかった。

 

 しかし、印度提督と名乗った意味は何となく察せる。

 深海勢力が提督と名乗る意味は一つしかない。その周辺の海域を担当する深海棲艦を束ねる存在だ。

 

「……反応がないわね。聞いてはくれているみたいだけど、そちらからは何も伝えられないということ?」

「いえ、どう反応していいかわからなかったのよ。名乗っておくべきかな? 私は飛龍。提督と名乗ったということは、あんたがここらを束ねる存在でいいのよね?」

「肯定しましょう。故に、私を討ち倒せば、おめでとう艦娘。フィリピン周辺だけでなく、アラビア海にわたるまで、この一帯は人類の手に取り戻されることとなる」

「そう。それは何とも魅力的な言葉だけど、そうして姿を現すってことは、ただでやられない自信があるとみていいのかしら?」

 

 飛竜の問いかけに、アッドゥは微笑を浮かべるだけで何も答えない。

 ただ静かに手を動かし、アッドゥ環礁に浮上した深海棲艦の中の一隊、空母機動部隊に指示を送る。

 すると艦載機が発艦され、空へと舞い上がる。旧型の艦載機だけだった空に、新型である白猫艦載機が混じり始めた。見れば、空母棲姫が混じっているようだった。深海印度艦隊にも、かの空母棲姫が参入したという証だった。

 

「今回は我らの戦力を知らしめるための顔見せよ。去るならそのまま去りなさい。でも、こうして私が姿を現したのだもの。あなたたちとしては、これを見逃す手はないのでは? 飛龍といったわね、あなた、リンガのものでしょう? そして、西からの客人がいる以上、リンガの提督も動いている」

「……何が言いたいの?」

「リンガの提督に伝えなさい。顔合わせといきましょう。望むのであれば、一戦交えても私は構わない。覚悟を決めたのであれば、ここまで来なさい。来ないのであればそれも結構。リンガの提督はそれまでの存在だったということ。ならば私は、動かせてもらう。コロンボ基地から順次、殲滅に動くとしましょう」

 

 あからさまな挑発。乗ったとしても乗らなくても、戦いは避けられない。戦場が変わるだけだ。

 今まで大きく動かなかったというのに、ここで大きく動くなんて何かがあったとしか思えない。

 

 でも、今ここで飛龍たちだけで動くわけにはいかない。

 挑発してきた彼女に対し、飛龍は一つ呼吸を落ち着かせて返答する。

 

「わかった、こちらの提督にあなたからの言葉を伝えることにするわ。わざわざここまで連れてきてそんな言葉を伝えてくるんだもの。提督へと連絡し、どう動くかを待つ気はあるのかしら?」

「ええ、もちろん。それほど時間の猶予は与えるつもりはないけれどね。私たちはお前たちを見ている。コロンボ基地でどう動くか、見物させてもらうわ。フフフフ……」

 

 

 飛龍たちの艦載機は、あっさりとコロンボ基地へと撤退を許された。

 追加で放たれた艦載機も、空母棲姫らの上空にいただけで、要は見せかけだけのものだった。自分たちの戦力を誇示してみせただけのものだったらしい。

 

 今までの深海棲艦の動きならばあり得ないことが連続している。これが深海提督とやらを擁する深海棲艦の動きなのだろうか。

 それぞれの深海提督ごとに動き方が異なるのならば、まさに深海棲艦は深海提督の意思一つで行動が変わる軍隊のようなもの。

 

 そして印度提督は、今までが静かすぎただけで、何かのきっかけを得て、今こうして動き出したと考えていいのだろうか。となればここ最近に何かがあったと考えられるだろう。

 そんなことを思いながら、帰還してきた艦載機を回収し、飛龍たちはコロンボ基地へと入港する。

 

 すでに入港していたマルクスとブランディが飛龍たちを出迎えてくれるが、何事もなかったのかと少しだけ疑問を感じているようだった。彼らにはアッドゥ環礁で起きたことは何もわからない。

 あくまでのあのやり取りは、飛龍との間でのみ成立したものだからだ。

 

「詳しいことは我が提督が到着されてからでいいですか? 長旅で疲れたでしょう。基地でお休みになってください」

「よろしいのかしら? 深海棲艦の危機は、もうそこまで来ているのでは?」

「いえ、そうでもありません。……先ほども申し上げた通り、詳しいことは後程で。到着されてから、お二人を交えて話をさせてもらいます」

「ふむ、ではそのようにしようじゃないかマルクス。基地の守りは、変わらず君たちが行ってくれるのだろう?」

「はい、そのように」

「わかった。では僕たちは休むことにするよ。マルクス、ここは彼女の顔を立てて、申し出通りにしよう。ここはごねるところじゃない」

 

 深海棲艦は標的を見つけたら攻撃してくるものだ。特に欧州ともなれば、常に危機に晒されていた。そんな日々を過ごしていたのだから、先ほどの敵艦載機が本隊に知らせてきたと考えるのも当然だろう。

 

 しかし先ほどの話を、飛龍だけが伝えたとしても、信じてもらえるかどうか。欧州戦線との差異に、非常に困惑するだろう。その状況で瀬川なしで事を収める自信はない。

 そのため瀬川たちが到着してからというのが飛龍の考えだった。

 

 マルクスも納得はしていなかったようだが、意外なほどすんなりとブランディはそれを受け入れ、マルクスを促した。女性を立てるというのだろうか、あるいは問い詰めて困らせるようなことはしたくないという心遣いか。

 何にせよ、すっと話を打ち切ってくれて助かった。

 

 マルクスとブランディ、その艦娘たちはコロンボ基地で休息を取り、飛龍たちは近海へと出て警戒に当たる。

 アッドゥはあんなことを言っていたが、言葉を違えて攻め入ってくる可能性もゼロではない。偵察機も展開して、周辺をあたってみたが、深海棲艦の影すら見えなかった。

 

 結局、瀬川が乗船する指揮艦が入港するまで、深海棲艦の襲撃は起きなかったのである。

 

 瀬川を迎え入れ、マルクスとブランディと顔合わせをすると、瀬川はにっと笑みを浮かべて「んんん、久しいな、マルクス。元気そうで何よりだよ」と握手を求める。マルクスもそれに応え「あなたこそ、相変わらず暑苦しそうで」と、少し皮肉めいたことを口にする。

 

「こちらがイタリアのブランディ。今回、私と共に日本へと取引と、情報交換のために同行することになったわ」

「初めまして。噂はかねがね。いやはや、聞いた以上の雰囲気だ。よろしく頼むよ」

「うむ、存分に我が筋肉に見惚れるといい。よろしく頼む、ブランディさん」

 

 それぞれ挨拶を交わし、瀬川が促すと二人が席に着く。瀬川も着席し、その後ろに飛龍と今日の秘書艦である高雄が控えた。

 瀬川が視線で促して飛龍が一礼すると、敵艦載機を追いかけていった先で起きたことを説明する。

 

 警備をしている間に、飛龍から瀬川に簡潔に何が起きたのかの報告は行っていた。瀬川はそれを興味深そうに聞き、この先起こるであろうことに胸を躍らせていた。

 今、改めて詳しい状況を耳にし、胸の棚借りはより強くなっていた。よもや深海提督からここまではっきりとした挑発、挑戦状を受けることになろうとは思わなかった。

 

 一方、欧州戦線で戦ってきた二人からすれば、深海提督がそのような提案をしてくるなど、意味が分からない。会話をしているところからしておかしいが、待ってやるから攻めないと言いつつ、本当に攻めてきていないという現状も信じられない。

 そんな深海棲艦がいるのかと、衝撃を受け続けていた。

 

「罠じゃないの? あなたたちを呼び寄せて、万全の状態で迎え討とうっていう魂胆では?」

「だろうよ。だが、それに臆していては、奴らに人類が勝利するなど、夢のまた夢。そも、この一帯の海域を根城とする深海棲艦は、ワシがずっと探し続けていた相手よ。それが顔を出してきた上に招待状を出したのだ。ここで乗らねば漢ではない」

 

 瀬川の言葉にブランディはなるほどと頷いているが、マルクスはそれでも渋い表情を浮かべている。彼女から見れば、男の矜持を胸にして、まんまと罠に飛び込んでいくようにしか見えないのだろう。

 そんな彼女の気持ちも理解できるようで、瀬川は安心させるように笑みを浮かべる。

 

「なぁに、ここで行こうが行くまいが、戦うことには変わりない。だが、考えてもみろマルクス。飛龍」

「はい」

「奴の名乗りを復唱してみろ」

「最初にアッドゥ、次にポートT、最後に印度提督と名乗っていました」

「ポートT、これはかつての戦いの際に、イギリスが構えていた基地の名前だったな? 場所はアッドゥ環礁。艦載機が発見した場所と一致している。ならば奴は基地型の深海棲艦と推測できよう」

 

 そこで指を立てる。「今までの例からして、基地型は海上を移動して戦いに出てきたことがない」と、日本海軍の戦闘例を出した。

 飛行場姫、港湾棲姫、離島棲鬼、そして中間棲姫。そのどれもが、島の上に立ちながらの戦闘だった。基地型らしく、海上で戦うよりも、島の上の方が十全に力を発揮できるものと推測できる。

 

「んん、となればワシらが罠を警戒して動かなかった場合、攻めてくる艦隊に印度提督とやらは出てくる可能性が低いであろうよ。深海棲艦を束ねる存在が戦場に出ないのであれば、ワシらは再び海中に身を潜める奴らを捜索する手間を抱えることになる。それは避けたいものだろう?」

「…………確かに」

「ではこちらから打って出た場合はどうか? 基地型らしく奴は島の上に座して戦うだろう。ならば、ワシらができることは、防衛にあたる深海棲艦を蹴散らし、印度提督を討ち取ることにある。そのチャンスを、どういうわけか奴は自ら提供してきた。故にこそ、ワシらは防衛に当たるより、リスクを承知の上で攻めに出るのよ」

 

 出撃する理由を説明すると、ブランディは納得したように頷く。マルクスも口元に指を当てて思案するが、理由をもう一度吟味し、出ていく際のリスクとリターンを考えれば、まだ出る価値があるかもしれないと結論が出た。

 一応の納得の意思を示し、その上でマルクスは手を挙げる。

 

「あなたたちだけで戦うと? 私たちも出た方が良くないかしら?」

「んんん、そのつもりだが? ワシとてリンガだけで事に当たろうとは思わんよ。勝つために、何より我が艦隊を崩壊させないために、敵より優位を取れる方法があるならば、それを採用するのはやぶさかではない」

「そう。愚問だったわ。なら、私たちは共に戦いましょう」

「もちろん僕も共に行こう。ここで守ってもらうってのも性に合わない。それにこっちの深海棲艦の顔ぶれにも興味があるしね。噂の……インド提督? いったいどのようなジェンティルドンナなのか、興味深いよ」

「あんたはそういうことばかり言っていると、いずれ痛い目を見るわよ?」

 

 どこまでいってもイタリア男性らしい言葉を発する様に、マルクスが呆れた表情でたしなめる。

 そんな様子を前にしながらも、瀬川もまた腕を組んで少しばかり上を見上げながら思う。確かに飛龍が見たというアッドゥはどんな姿をしていたのだろうかと。願わくばいいおっぱいをした、いい感じの女性像ならいいなあと、そんな風に思っていると、

 

「提督? 異国の方々の前です。特にマルクスさんの前です。自重された方がよろしいのではなくて?」

「――む? 別に声に出しておらんだろう?」

 

 高雄に後ろからそっと耳打ちされ、瀬川もまた小声で応える。その際、屈んできた高雄の豊かなものが、ふわりと後頭部に感じて、つい表情が緩みそうになってしまったのはご愛敬だ。

 

「あなたは目は人から心を読まれづらいですが、その分、鼻や口、耳が少々読まれるポイントになるのですよ。気が緩めば、出てしまうくらいにはね。ほら、マルクスさんから見られていますよ」

「…………どうかしたのですか?」

「いいや、何もないとも。仲がよろしくて結構なことじゃあないか」

「別に仲がいいと思ったことはないのですけれど」

「おいおいマルクス、こんなところでもつれないなあ君は。僕は君にこんなに親しみを感じているというのに」

「やめなさい、そういうのは」

 

 そんなやりとりをしながらも、とりあえず明日の出撃のために、それぞれの保有する艦娘たちについての情報交換を行った。マルクスに関しては何度か顔を合わせたことがあるため、ある程度は知っている瀬川だが、ブランディは初顔合わせになる。

 どのような艦娘がいて、練度がどれほどのものか。それを知っておく必要があった。

 もちろん瀬川のリンガ艦隊についても、今出せる情報を提示し、すり合わせを行っていく。

 

 それぞれの戦力を確認し、アッドゥ環礁を海図で確認しながら、どのように動いていくか。いくつかのシミュレーションを行いつつ、その日は終えていった。

 



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泊地水鬼

 

 打ち合わせを終えてそれぞれ眠りにつき、艦娘たちと指揮艦の準備を整えた瀬川たちは、アッドゥ環礁を目指してコロンボ基地を出港する。

 出港後ほどなくしてマルクスとブランディは驚く。瀬川が乗船する指揮艦の速さが、二人の指揮艦のそれよりも大きく上回っていた。全速でも出しているのかという速さで海を往く指揮艦に、たまらずマルクスは通信機を手に取る。

 

「ちょっと瀬川。スピード出しすぎではないかしら? 逸る気持ちもわからないではないけれど、私たちと距離を離しすぎよ!」

「ん? ……ああ、そうだった。すまない、ワシらの指揮艦は改装されていてな。全速を出さずともこれだけの速さを出せるようになったんだわ。速度、落とせ」

「改装? 指揮艦の改装によって、それだけの速さが出せるようになったというのです?」

「おう。ワシだけじゃない。日本の指揮艦全てにこの改装が施されておるからなあ、移動時間はぐっと短縮されている。……ふむ、なるほど。これくらい落としてほぼ同じくらいの速度か。移動はこのくらいでいいか」

 

 速度を落としたことで、二隻の指揮艦と足並みを揃えて航行できるようになった。

 マルクスは瀬川が乗船する指揮艦を見て、そういえば見た目も以前に見た時と比べて少し変わっていると感じた。エンジンだけではなく、船体そのものにも手を加えたのだろうかと推測する。

 

 日本人は何かと出来上がったものに対して、色々と手を加えてより良くしたり、改造したりしたがるものだと思い出す。近代からそうなったわけではない。それ以前の時代から、日本人というものは、モノづくりに関して色々とやってきている。

 指揮艦をより速く航行させるために、色々な検証をしたのだろう。それとなく問いかければ、「第三課が頑張った結果だろうなあ」と、しみじみとした答えが返ってきた。

 

 そう口にした瀬川の内心では、その分、スタッフや美空大将の寿命が削られてそうだが、と彼らの仕事の負担の多さに合掌していた。特にここ最近の第三課はやることが多そうで、しっかり休めているのかと心配になるほどだった。

 日本から遠く離れたリンガ泊地の瀬川でさえ、そう思ってしまうのだから、第三課の忙しさは察するに余りある。

 

 そんなことがありつつも、時間をかけてアッドゥ環礁付近まで航行した三隻の指揮艦。

 先んじて放たれていた偵察機がアッドゥ環礁の様子を窺ってみる。妖精が見ている視野は、指揮艦のモニターで共有されており、それを確認した瀬川たちが見たのは、アッドゥ環礁に展開されている深海棲艦の艦隊だった。

 

 前方に水雷戦隊、後方に主力艦隊と空母機動部隊と、セオリーのような布陣を構え、アッドゥ環礁にある一つの島に、アッドゥが昨日と変わらず座していた。

 彼女の姿を認めたブランディは「これはこれは、想像していた以上のジェンティルドンナかもしれないなぁ……」と、どこかうっとりするように呟いており、マルクスがこれ見よがしに顔をしかめて舌打ちしている。

 

 瀬川は瀬川で、「新しい個体だの」と呟きつつ、妖精が計測したデータを確認する。内包している力の強さなどを表した数値を見てみると、パラオ泊地を襲撃してきた深海棲艦の中にいた空母水鬼に似たものだということが判明した。

 棲姫級よりも高い能力を備えた個体に設けられた、新たなランク。深海側がどういう位置づけをしているのかはわからないが、印度提督を名乗ったあの深海棲艦は、この水鬼級に匹敵する程の個体であることは、妖精の目が曇っていなければ間違いない。

 

「……あの艤装の主砲、泊地棲姫と似ているな。以前まで見られていた泊地棲姫は水上でも航行できる存在だったが、あっちはそうでもなさそうだ。……とはいえ、泊地と名付けたのも、かつての海軍の誰かだし、今のワシらには関係ないか」

 

 艤装の一つとして確認できる右に備えた一門の主砲の類似点から、瀬川はとりあえずの呼称として、彼女を泊地水鬼とすることにした。

 それぞれの指揮艦が別方向へと進路を変え、アッドゥ環礁を目指しつつ、指揮艦から次々と艦娘たちが出撃する。一部は指揮艦の護衛として残し、水雷戦隊、主力艦隊と水上打撃部隊など、それぞれの持ちうる戦力を投入する。

 

 展開されていく艦娘たちにアッドゥはいよいよかと、少し胸を躍らせる。あらかじめ放っていた艦載機の一つに力を込め、飛龍の時と同じように通信を試みた。程なくして瀬川が放っていた艦載機の妖精と繋がり、それを超えて指揮艦へも通信が届く。

 突然入ったノイズに何事かと思われたが、「聞こえる? お客人」と高い女性の声が聞こえた時、瀬川は察した。

 

 すぐに二隻にも通信をリンクさせ、「通信は良好だ。んっんー……名前は聞いているが、どれで呼ぶべきかな?」と問いかける。

 

「私としてはアッドゥが通りが良いわね。こうして深海提督の証は身に付けてはいても、ええ、(おれ)自身としては、アッドゥが望ましい」

「……? なるほど、ではアッドゥ」

 

 一人称が変化したことに首を傾げた瀬川だったが、とりあえず話を進めていくことにする。一方のマルクスとブランディは、あの深海棲艦と会話をしているという現実を目の当たりにして、もう何度目かの驚きを隠せないでいた。

 そしてマルクスは、何の澱みもなく、落ち着いたように話を進めていく瀬川に対しても、どういう胆力をしているのかと、僅かな呆れも感じている。

 

「昨日はわざわざ招待状というシャレたものを送ってきおったからなあ。その意図を聞かせてもらえると助かるが?」

「気に入らなかった? そちらとしては、ぜひとも私を滅ぼしたいと思っているでしょう? こうして私がわざわざ顔を出せば、乗らずにはいられない。私としてもね、あなたには用があったものだから、お互いメリットがある。Winwinの関係といえるじゃない?」

「んんんん、確かにそうだ。ワシとしても、お前のようななかなかの美人に招待されたとあれば、悪い気はせんわ。だからこそ解せない。どうして今、こうして顔を出す気になったのか。今までずっと尻尾を見せなかったというのに、このタイミングなのか。そう疑ってかかるのは当然のことではないかな?」

「フ、フフフフ……! ええ、ええ、そうでしょうとも。そういう感性は大事にした方がいいわ、ええと……ごめんなさい。名前を聞いていなかったわね、リンガの提督よ」

「瀬川、瀬川吾郎だ」

 

 そう、とアッドゥが頷き、「瀬川、ここで決着を付けましょう」と、手を指し伸ばしながらアッドゥは口にする。

 

「あなたとしても、我々が身を潜め、どこかに逃げ去ることは良しとしないでしょう。なればこそ、ここで私を討ち取る好機を逃しはしない。私は私で、こうして釣り上げた我らが敵を逃しはしない。欧州から逃げてきたそれらも含めてね。欧州が見逃したのか、気づかなかったのかはさておき、欧州側の艦隊を私が沈めれば、欧州に対しても貸しとなる。こんな美味しいことはないわ」

「なるほど、確かにどちらにとっても、この会敵はメリットを得られるわけだな。だが、アッドゥ。お前たちだけで、我々に勝利できるだけの自信があると?」

「試してみる? 私は構わない。このように、提督として指揮するだけではない。私自身もまた、戦える。欧州と同じようにね……!」

 

 そう口にしながら、差し伸ばした手をゆっくりと弧を描くように広げた。すると、艤装から伸びる滑走路から、次々と白猫艦載機が発艦していく。その全てがアッドゥの上空へと展開すると、赤い光を纏い、目を爛々と光らせながらカタカタと歯を打ち合わせた。

 

「さあ、ここまでおいで。私を消し去り、人類の希望とやらを取り戻してみせなさい! あなたにできるものならねえ……フフフフフ!」

 

 挑発は開戦の狼煙。勢いよく突き出したアッドゥの手に従い、白猫艦載機が他の艦載機と共に空を舞う。深海棲艦もまた鬨の声を上げて、一気に三方へと散った指揮艦を目指して進軍を開始した。

 それに対して艦娘側もそれぞれの方角から、アッドゥを目指して進軍を開始。白猫艦載機を迎撃するためにそれぞれからも艦載機が上がり、迫ってくる艦載機を目指す。

 

 ドイツとイタリアの艦娘だけでなく、イギリスの艦娘も目立つ。噂通り、欧州はそれぞれの国の艦娘が混ざった艦隊を形成している。フランスなどもいるようだが、特に多いのはイギリス。そういった編成は、事前の打ち合わせで把握しているが、傍から見れば、欧州人の顔つきの違いは、すぐにはわからない瀬川だった。

 モニターでそれぞれの進軍の様子を確認しつつ、僅かに狂わされているレーダーに目を向ける。

 

 この一帯は深海棲艦の力が満ちる赤い海。こうしたレーダーや通信は阻害されて調子を落としてしまうが、完全に機能が停止しているわけではない。これも深海棲艦との戦いが長引いたことで、どのように阻害されているのかの解析が進んだ結果だ。

 指揮艦の改装の甲斐もあり、接近してくる敵影や攻撃はまだ見えている。

 

「んっふっふっふ、敵も本気で殺しに来おるわ。護衛隊、下に注意せい! 潜水艦、邪魔してやれ」

 

 瀬川が命令を出すと、周囲を警戒していた指揮艦周りの艦娘たちが警戒を深める。伊58などの潜水艦も赤い海の下へと潜っていき、敵の接近を探っていく。すると、アッドゥ方面の海底から上がってくる気配を察知した。

 海上に展開している深海棲艦だけでなく、海中に潜めていた深海棲艦も進軍させていたようだ。

 

 伊8が波打つように動きながら海中へと潜っていけば、奥の方から勢いをつけて昇ってくるチ級らが見えてきた。雷撃能力の高いチ級を海中から奇襲させてくるなど、殺意が高いにも程がある。

 手にしている本を開けば、どういう理屈か複数の潜水艦用魚雷が展開され、眼鏡でそれぞれの魚雷の照準を合わせる。「発射!」という掛け声を一つ、海中であろうと突き進んでいく魚雷が一斉に放たれる。

 

 チ級もまた砲を突き出し、自慢の魚雷を発射するが、潜水艦用の魚雷程、海中の深度の中で推進力を発揮できていない。深海棲艦であろうと、水上艦と潜水艦の艤装には、海中では差が生まれるということか。

 迫ってくる魚雷たちをかわそうにも、迎撃を先にしたことで遅れが出てしまっている。それにより、何人かのチ級は魚雷が直撃し、再び海底へと沈んでいく。

 

 放たれたチ級の魚雷は、伊8だけでなく、近くまで来た伊58が迎撃のための砲撃を行う。とはいえこちらは、基本的に海上に上がって使用する武装だ。海中では、深海棲艦と同じく十全に力を発揮しないが、魚雷の迎撃のために撃ちまくる程度はできる。

 それにこれを回避した場合、推進力が失われない限り上へ上へと進んでいく。そうなれば、指揮艦へと届いてしまうかもしれない。それは避けなければならなかった。

 

「討ち漏らしたのは任せるの~」

 

 逃げたチ級は、少し離れたところにいる伊19が狙いすまして放たれた魚雷によって落とされる。チ級の奇襲は防がれたが、かといって危機を脱したわけではない。その他の地点からも、潜水艦が忍び寄ってきており、そちらには水雷戦隊がソナーでキャッチし、爆雷を投射している。

 

 水上の深海棲艦ばかりに気を取られていたら、明らかにこれらによって指揮艦そのものを落とされ、戦いはそれで終わっていた。アッドゥの挑発や白猫艦載機は、意識を水上から上空へと向けさせるためのものだったのかと、僅かに戦慄する。

 

(フフフ……いいですねぇ……、先手の一手は防いできたみたいだけど、それでいい。そうでなくては意味がない。わざわざ呼び寄せた甲斐があったというもの。あれで死ぬようでは、期待外れもいいところよ、リンガの瀬川)

 

 奇襲に失敗したというのに、何故かアッドゥは嬉しそうに笑みを深める。

 そうでなければこの戦いを始めた意味がない。迫る危機を回避し、なおかつ自分へと喰らいつく。そうしてくれないと、この先に困る。

 

 飛ばしている白猫艦載機を操作しながら、次の白猫艦載機の準備をする。

 自然体で立っている彼女は、両手の指を時々動かしたり、曲げたりして、赤の力も少し込めて簡易的な指示を出す。

 

 艦娘たちが放った艦載機が白猫艦載機含む敵艦載機と交戦を開始。それを上空に感じながら、先陣を切って突撃していく艦隊が、深海棲艦の水雷戦隊とぶつかり合う。

 リンガの水雷戦隊の旗艦は神通。どうやらこちらの神通もまた静かな人でありつつ、戦いとなれば内に闘志を燃やしてぶつかるタイプのようで、「10時方角、一斉雷撃を」と指示を出し、魚雷を発射する。

 

 反航で向かってくる敵水雷戦隊へと砲撃を加え、敵が回避する進路を誘導させた結果、見事に先頭のリ級フラグシップから続々と雷撃が命中。大きな被害を与える。

 そのまま速度を落とさずに神通たちは進軍。その際に目だけ動かして神通は周りの状況を確認。遠方にいるドイツ艦隊、イタリア艦隊のそれぞれの動きを把握しようと試みる。

 

(ドイツ水雷戦隊、旗艦は……カールスルーエでしたね。同じように塞がれてはいますが、抜けるのは問題なさそう。イタリア水雷戦隊は……? …………名前が長すぎる人、えっと、アブルッツィ、でしたか。あちらは……先んじて前に出ている。あれだけ前に出て、大丈夫なんでしょうか)

 

 イタリア軽巡の正式名称が長すぎる艦娘、ドゥーカ・デッリ・アブルッツィ。この前にもまだ名前があるが、長すぎるせいで、こう区切られがちな艦娘だ。

 あちら側は深海棲艦がそれほどいない。日本やドイツの艦娘が相手をしている数と比較すれば少な目、広げられた前線の穴と言っていい空白帯。そこを突いて前進しているらしい。

 

 イタリアの水雷戦隊から水上打撃部隊と前に進んでいるが、水雷戦隊の速さが上のため、少しずつ隊列が伸びてきているように思える。そうまで伸びてしまえば、側面から突かれるのではないかと神通が心配になるくらいだ。

 

「なぁに、問題はないよ。後ろからカバーしてやるといい。恐らく外側からくる。さっきの瀬川への指揮艦のように忍ばせているのだろうね。観測機は放っている。感知はできるだろう?」

「ええ、こちらでも感知しました。ローマ、撃ちますよ」

「わかった。主砲、照準合わせ」

 

 イタリア戦艦のリットリオ……を改装してイタリアと名付けられた戦艦と、その姉妹艦のローマ。二人が今は何もいない赤い海へと主砲を向けるが、程なくしてそこに深海棲艦が浮上してきて、奇襲を仕掛けるようにイタリア水雷戦隊へと迫っていく。

 だがその付近を飛んでいた観測機によって、その奇襲は察知されており、なおかつ観測機によってより照準が定まっている二人の砲撃が放たれる。

 

 轟く砲撃音、狙いすまされた一撃は、漏れなく奇襲部隊へと降り注ぎ、次々と撃滅する。それを横目に速度を落とすことなくイタリア水雷戦隊が進軍する。

 まさに互いの動きを信頼している動きだった。撃ち漏らしなどするはずもなし、とアブルッツィらは進軍を続行している。

 

「ざっとこんなものさ。僕たちとて欧州で戦ってきたからね、あれくらいはやってのけるさ」

「なるほど、大したもんだわい」

(だが、逆に言えば、ああいう奇襲も察知し、先んじて動けるくらいでなければ、欧州ではやっていけんということか)

 

 肘掛けに腕を乗せ、頬杖をつきながら、元から細い目を細くし、眉間にしわを寄せる瀬川。欧州戦線が厳しいという話は聞いているが、その分、戦っている艦娘や提督たちもまた、否が応にも鍛えられるというものか。

 

 上空の艦載機とのぶつかり合いは、進軍している艦娘たちの対空砲や、三式弾の援護もあって、敵艦載機の数は減らされている。追加で送られてくる敵艦載機も見えているが、応じるように艦娘側からも艦載機を追加していく。

 そして進軍しているイタリア艦隊は、アッドゥ環礁の外周にいる機動部隊を目指す。そこには空母棲姫の姿もあり、彼女からもより強力な艦載機が展開されている。

 

「アクィラ、ヴィクトリアス、艦載機はまだいけるかい?」

「ええ、まだいけますよー。ただ、ここから見える限りでは、敵戦力も少し多めに見積もっていいかもしれません。もう一つ、機動部隊の援護があれば、余裕を見られるかと」

「なるほど、ではこっちからも追加でイラストリアス隊を送るとしよう。瀬川、マルクス。空母はこっちが引き受ける。君たちはアッドゥを叩きに行くといいよ」

 

 先んじて切り込んでいったのは、敵空母の無力化を迅速に行うためだろう。アッドゥ環礁に展開されている深海棲艦の配置を確認し、それぞれの指揮艦の移動ルートを照らし合わせ、その役目を引き受けてくれたようだ。

 

 制空権の争いはミッドウェー海戦でも激しいものだった。敵の陸上基地、中間棲姫と、この戦いで登場した空母棲姫含む機動部隊から送られてきた艦載機との戦いは、絶えず行われていた。

 撃墜し、数を減らしたとしても、まだ次を送ってくる。そうしてどちらもぶつかり合い、そのすき間を縫って赤の力で強化したものを指揮艦付近へと詰めてきたものだ。

 

(さあ、プレゼントを贈るわ)

 

 そう、今まさに、アッドゥが操作した白猫艦載機が、強く瞳を光らせて、交戦宙域から抜けて瀬川の指揮艦へと接近していく。対空射撃を掻い潜り、指揮艦の直上から急降下していくそれらに、船内から飛び出してきた榛名が空を見上げる。

 投下される爆弾。それは狙い通りに艦橋を狙いすましていて、避けられないものとなっている。それを見上げながら、榛名は拳を突き上げて青の力を解放。

 

「そうはさせないッ! シールド、展開!」

 

 展開されるはバルジの形をした障壁。それがぐっと上空へと展開され、爆弾と接触し、船上で大爆発を起こす。その爆風は降下していた白猫艦載機をも巻き込み、バランスを崩して錐もみ回転する。

 制御を失った動きをする白猫艦載機に対し、待機していた秋月と照月が対空射撃を行って撃墜。それは、煙を噴きながら指揮艦へと墜落した。

 

「榛名さん、向こうからも抜けてきています!」

「ブリッジ! 後退を! とりあえず距離を取りつつ、迎撃を行いましょう!」

「了解、一旦後退。取舵一杯。榛名の他にも、シールド展開可能な艦娘、護衛に当たれ」

 

 榛名の提言を受け取り、瀬川が指示を出す。九死に一生を得るとはこのことか、バルジシールドを習得していなかったら、自分はもうこの世に生きていないかもしれない、そんな恐怖をじわりと感じ取る。

 だが、同時に背筋に走った悪寒を心地よくも感じていた。このひりついた感覚、久しぶりだった。

 

 そうだ、自分はこういう刺激を求めていたのだと、瀬川はぞくぞくする感覚を味わいながら笑みを浮かべていた。どうにも最近は退屈していたのだ。勝ち戦ばかりで、張り合いがないとさえ思っていた。

 欲望に忠実だからこそ、得るものばかりではどうにも満足できない。満たされ続けても意味はない。刺激に慣れてしまえば、人は堕落する。

 

 女を侍らせるという快感に相反するは、生死をかけた戦いだ。

 いつ死ぬかわからないという、ひりついた戦場で生きてこそ、こうした快楽はより甘美な刺激となる。

 

(んんんんん……! それでいい。ワシが求めていたのはこういうのだよ、アッドゥ。もっと、ワシをひりつかせろ。そして、今まで鍛え上げた成果を発揮させてくれ)

 

 これまで積み重ねてきたものに、意味のないことなどない。自分が考案したバルジシールドも、こうして窮地を脱するだけの力を発揮できた。それを実感できたというだけでもありがたい。

 もっと、他にも試させろと、瀬川は心の中で思う。

 一歩間違えれば死んでいたというのに、しかし瀬川は次を考える男だった。

 

 自分たちを守る艦娘たちの動き、敵艦載機の動き、そして前へと進んでいく攻撃部隊の動きと、応戦する敵部隊の動き。アッドゥへと至るまでには、どうやら島の前に布陣している戦艦棲姫含む主力艦隊もいるようだ。

 ドイツの艦隊も順調に上がっているようで、彼女らともうまく連携を取って対処すべきかと思案する。

 

 対するアッドゥは、瀬川の指揮艦への攻撃が失敗したことに対して、悲しみや悔しさは感じていなかった。浮かぶのは、とりあえず成功はしたという思いである。

 送り込んだ第一陣の中で、必要だったものはいくつかあったが、そのうちの一つは成功した。それだけでも良しとする。

 

 問題は後々、果たしてそれに気づいてくれるかどうかなのだが、とりあえず戦いを続けなければならない。その合間として、滑走路をまた撫でつつ、赤の力を込めて白猫艦載機を発艦させる。

 

(さて、真面目に戦いつつやるというのも面倒ね。でも、そう……フフフ、艦娘側も守りを展開する術を会得したのね。あれで死なれたらどうしようかと思ったけれど、信じて良かったわ)

 

 死なれれば、こうして戦っている意味が失われる。ある意味あの攻撃はアッドゥにとって賭けだった。

 ああいうやり方は、欧州ならばやる。艦娘相手だろうと、その後ろにいる指揮艦へと狙いをつけて、艦載機を送り込んで提督を殺害する。あの欧州は隙を見出せばそういうことをする女だ。

 

 さすがはかつて戦艦相手に決定打を与えた空母。艦載機を操る腕は堕ちた今でも磨かれ続けている。そんな彼女に倣った攻撃ではあるが、それを防ぐ手段を会得しているならば、それはそれでいいとアッドゥは考える。

 艦娘たちはより自分の元へと近づいてきている。砲撃の射程内に入ってくるのも時間の問題だ。こっちもやらなくては、と頬に手を当てながら、小さく息をついた。

 

(でももう一つ、いえ、二つは保険として入れておくとしましょうか。戦いの途中か、終わった後か。……終わった後となれば、少々遅いから、せめて拾い上げて、気づいてほしいものね?)

 

 そんな祈りを込めて、アッドゥは次の白猫艦載機に指示を与えるのだった。

 



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泊地水鬼2

 

 制空争いを続ける艦載機たち。よく観察し続けていると、見えてきたものがあった。特にリンガ艦隊で一航戦を担っている加賀は、艦戦の妖精を通じて観察したことで、それに気づいたのだ。

 赤の力を纏っている白猫艦載機、すなわちアッドゥから送られてきているのは、主に艦爆に類するものだった。制空争いをする艦戦は別の空母から放たれたものが主であり、特に空母棲姫が送り込んでいる艦戦型の白猫艦載機が主力だった。

 

 ではアッドゥが送り込んでいる白猫艦載機は何をしているのか。

 一番の目的はやはり指揮艦へと直接攻撃を目論んでいることだろう。先ほどは一機が到達したが、榛名がそれを防いだ。

 

 それ以外の白猫艦載機は、ただ逃げ回っているのが主で、小型銃で時折反撃はしてきているようだが、必死の抵抗とは思えない。艦戦型の白猫艦載機に比べれば、まるで豆鉄砲のようだ。

 そうして激しく動き、艦戦型のものと混乱させ、彼らの代わりに撃墜される役目でも担っているのか。そう思わせるかのような目立つ動きをしている。

 

 いわゆる囮だ。

 主目的を定め、それを達成させるべく赤の力を纏うことでより機動力を高めた上で、目立った動きを続けて気を引かせる。そうして主目的を担う白猫艦載機を覆い隠し、本命を送り込む。

 そういう意図が見えてきた。

 

「何故そんなまだるっこしいやり方を?」

 

 艦戦を備えていないからだろうか?

 送り込むのは全て艦爆型のみ。艦攻型も見えていない。それも空母棲姫が送り込んできているものだけだ。

 

 空母棲姫らが送り込んできている艦載機は、時々航行している艦娘にも攻撃を仕掛けている。それに追従しているアッドゥの白猫艦載機もいるが、少数だ。

 しかも追従しているというのがミソだ。あの機動力なら追い抜いて攻撃を仕掛けられるだろうに、後ろからとりあえずついていこうという、そんな意図が見える。

 

 傍から見れば、きちんと戦っていますというアピールでもしているかのよう。

 そこからも、アッドゥがこの戦いに妙に本気になっていないような、そういう何かを感じ取る加賀である。

 

(不気味ね。あのような口上を述べておきながら、艦載機の戦いは本気ではなく、かと思えば指揮艦へと上から下から奇襲を仕掛ける。……いえ、見方を変えれば、艦娘を眼中に置かず、ただ提督を殺すことだけに集中しているともとれる)

 

 一瞬の隙を見出して、針の一刺しを行うかのように、白猫艦載機を接近させて必殺を狙う。先ほどの攻撃はまさにそれに値するだろう。

 その好機を作り上げるためだけにこのような戦いをしているのであれば、アッドゥはまさに道化に見せかけたアサシンといえるかもしれない。

 

 だが、手口がわかれば、対処のしようはある。抜けさせないために艦載機を動かせばいい。

 また、空母棲姫へもイタリア艦隊が向かっている。この作戦は艦戦型を投入している空母棲姫らがいなくなれば成立しない。

 

 護衛する艦戦が失われれば、艦爆の脅威は大きく落ちる。道が見えたなら、守りを厚くして抜かせないように時間を稼いでいけばそれで十分だ。

 指揮艦を守るために、ここを超えさせはしないと、加賀は決意を胸に弓を番えた。

 

 

 

(敵の艦載機の動きが少し変わった? ……そう、気づいた誰かがいるのかしら。想定より少し早め。頭が回るのか、観察眼がいいのか、どちらにせよいい艦娘がいるようね。フフ、結構なこと)

 

 艦載機の戦いを観察するアッドゥは静かに微笑む。防がれてはいるが、観察眼が優れた誰かがあそこにいる。その成果だけでも良いことだ。

 リンガとドイツの艦隊は順調に距離を詰めてきている。このままいけば、数分で交戦が始まるだろうが、二方向から攻められてくるというのも、ぱっとしない。

 

 そこで自分を守っている戦艦棲姫に対し、「レパルス、あなた、ドイツの方へと相手をしてあげて」と指示を出す。その命令に、レパルスと呼ばれた戦艦棲姫は首を傾げて振り返った。

 

「ココデ守ラナクテイイト?」

「あの勢いでは、私たちは二方向に対処しなければならなくなる。それは面倒なこと。だから、あなたたちが、ドイツを抑えておいて。私と護衛隊が、リンガを相手にする。その方がまだ戦いやすいわ」

「……ソウ、ソレガ命令ナラ、受ケマショウ」

 

 命令を受諾した戦艦棲姫が、ドイツ艦隊の方へと航行を始める。その動きに、リンガの神通は目を細める。戦艦棲姫らが向かったのはドイツ艦隊の方だ。となれば、敵は二正面で相手をするのを嫌ったと見える。

 その気持ちはわからなくはない。それぞれの隊でぶつかり合った方が戦いやすいというのは理解できる。

 

 アッドゥはいわゆる敵本隊。それを守るための部隊をここで分けてくるという一手は、果たして正解か?

 それだけアッドゥらの実力に自信があるというのか。だとすれば、

 

「舐められたものですね。驕りか、正当な自信か、それを確かめさせてもらいましょうか」

 

 合図を送るための照明弾を頭上に放つ。それを受け取った背後の水上打撃部隊の旗艦、高雄が命令を下す。「敵基地型深海棲艦、泊地水鬼を確認! 各自、弾薬装填!」の声に従って、一斉に主砲へと弾が装填される。

 それぞれが放っていた偵察機も、アッドゥの姿を捉え、弾着観測射撃のための照準合わせも行っていく。射程内に入れば、いつでも撃てる構えだ。

 

 射撃を邪魔するための深海棲艦は、水雷戦隊と水上打撃部隊の護衛の艦娘が処理する。ここまでの戦いを切り抜けてきた彼女たちに、単なるエリート級は止められない。

 足の生えた駆逐艦、後期エリート型であれば、その機動力を以てして一気に距離を詰めてくるのが問題だったが、村雨をはじめとする主力の駆逐艦が、それを抑えにかかる。

 

「見えているって、ねっ!」

 

 村雨の目からは、オレンジ色の燐光が放たれている。青の力の扱いを心得、より自分の力を高めている艦娘らが放つ現象の一つだ。強力な深海棲艦と同じ現象であり、より強い艦娘を計る指針の一つとして確立されたもの。

 それを発現している村雨は、さすが瀬川の秘書艦の一人にふさわしいといえるかもしれない。高速機動をする後期エリート型のイ級だろうと、動きを読み切って主砲で撃ち抜き、追撃の一発を叩きこんで沈めていく。

 

 村雨と同様に力を高めている艦娘が、それぞれ止めに来るリ級フラグシップなどを迎撃し、アッドゥまでの道を作っていき、距離を詰めていく。

 だがそれは同時に、神通たちがアッドゥの射程内に入っていくことに等しい。艤装の中でも目立つ一門の主砲。もちろんアッドゥの攻撃武装はそれだけではない。彼女の背面に展開されている艤装からも、副砲が数門設置されており、それぞれが狙いを定めていた。

 

 目覚めた当初には備えられていなかったアッドゥの艤装。深海のデータベースを参照し、拠点にあった素材を用いて制作されたものだ。データを漁った際に艤装制作についての手段も自分の中にダウンロードしたことで、何とか自分に合わせて調整したものだが、それほど悪くない仕上がりにはなっている。

 だが、参考にした例をもとに水鬼級の自分へと無理に調整した面もあるため、十全なスペックを発揮できるかどうかは怪しいところではある。それでも、自分の目的を達成させるために、それなりに戦うために動かす分には支障はない。最低限の戦闘ができればいいだけなのだから、最善を求めるつもりは彼女にはなかった。

 

「さあ、始めましょう。しっかり抵抗してきてね? でなければ、(おれ)が困るから」

 

 主砲の向きを伸ばした右手で調整し、ぐっと拳を握り締めれば、一斉に砲門が火を噴いた。勢いよく飛び出していく弾丸一つと、追従してくる複数の弾丸。それらが神通たちへと降り注いでいく。

 主砲の一発は旗艦である神通を狙ったもののようで、響く轟音に気づいた神通がすぐさま弾に気づき、「回避ッ!」と叫びつつ、主砲の弾の直撃を避けた。

 

 しかし至近弾ではあったようで、空を切る勢いと、爆発によって発生した波風に煽られて少し体勢を崩す。それをすぐに立て直しはしたが、追撃してくる護衛のフラグシップの戦艦たちがいる。

 アッドゥから遅れて斉射することで、回避行動を取った彼女たちに追い打ちをかける。それは十分プレッシャーになるだけでなく、バランスを崩したところを狙うことで、よりダメージを与えやすくなる狙いもあった。

 

「主砲、副砲、一斉射! 先手は取られはしましたが、相手を調子づかせないように!」

 

 だが、その追撃も十全には行わせない。すでに狙いを定めていて、距離を詰めてきた高雄たちが、彼女の号令に従って攻撃を開始する。降り注ぐ水上打撃部隊の砲弾の雨。それは狙い通りにアッドゥへと届くだけではなく、ル級やタ級らにも襲い掛かっていく。

 

「っ、く……フ、フフ、痛い、痛いわ…………フフフフフフ……!」

 

 体に命中する戦艦主砲の弾丸に、アッドゥは苦悶の表情を浮かべたのも束の間。何故か彼女はその苦痛を感じながら、笑っていた。ぐっと力を込めれば、体に入り込んだ弾丸が血と共に吹き出し、その白いドレスを赤黒く染めていく。

 べたり、と付いたその血を指で遊び、じろりと赤い瞳が後ろにいる高雄たちを見据える。

 

「それでいい、それでいいのよ。もっと、私に傷を付けなさい。もっと抵抗しなさい」

 

 どこか狂気を含んだような笑みを浮かべ、震える瞼に揺れる瞳。チカチカと赤い光が明滅したかと思えば、瞳孔が収束したり拡大したり、白い冠状の角に赤い電光が走ったりと、明らかにアッドゥはまともには見えなかった。

 今までに見られない強力な深海棲艦の個体の様子に、神通たちだけでなく、モニターを通じて見ていた瀬川、マルクスも引き気味だった。

 

 そんな彼らを置き去りにしながら、アッドゥは震える手で自身の顔を押さえ、

 

「私を――(おれ)を破壊してみせてよッ! 出来ないなんて言わせないッ! 今のあなたたちなら、こんな器でも砕けるでしょう? フフ、フフフフ……! 私という脅威を乗り越える様を、見せつけなさいな、艦娘ども!」

 

 その叫びは宣告のようにも、慟哭のようにも聞こえた。口上を述べながら次弾装填したアッドゥが砲撃を仕掛けてくるが、それを回避しながら神通たちは、彼女の言葉の意味を考えざるを得ない。

 

 狂気に感じられる振る舞いと表情をしておきながら、あのような叫びをするなど、普通ではないのは間違いない。最後はできるものならやってみろと煽っているようではあったが、捉えようによっては、やってみせろと鼓舞、激励をしているようにも思える。

 

 何故敵である彼女がそのようなことをする意味が分からない。

 そもそも、この戦いははじめから彼女の意図がまるで読めない。

 どれも今までの深海棲艦らしくなく、それが瀬川たちを混乱させる要因になっていた。

 

 だが、今は戦いの真っただ中。神通たちに考える余裕はどこにもない。

 敵の攻撃を回避し、反撃の攻撃を仕掛けることに精一杯だ。そうした考えをするのは、瀬川たちの役目である。

 

(何かが引っ掛かる。この違和感は拭うべきじゃない。あいつの言葉のどこかに、引っかかるものがある)

 

 開戦を告げる言葉から始まり、先ほどの叫びを振り返る。どこか深海棲艦らしくないことをしでかしてくるアッドゥ。その時点で何かがおかしいことは明らかではある。

 だが、瀬川が引っ掛かっているのはそこだけではない。言葉のどこかに手がかりがあるはずだ。

 

 考えている間にも、敵の攻撃の手はやまない。

 加賀が抑え込んでいる艦載機の進軍。相変わらず一部の白猫艦載機は隙を窺いながら飛び回っている。艦戦が迎撃を試みているが、邪魔する手は止まらない。

 

 それは敵の艦戦だけではなかった。

 敵艦載機もまた、この守りを厚くしているのは加賀だということを見抜いており、加賀たちへと攻撃を仕掛けてきている。自分の身を守るために動く必要が出てきたため、艦載機を操ることだけに集中できなくなった。

 

 彼女らを守るために護衛艦が付いているが、それでも敵の追跡は執拗だ。空母の機動力は駆逐艦程高速ではない。追いつかれれば攻撃を受けるだけ。それだけは避けなければならない。

 

(かといって、大人しくやられるだけの私ではないのです、がっ!)

 

 矢を一本取り、ちらりと背後を肩越しに振り返って位置を確認すると、スピードを乗せたまま跳躍。そのまま体を上下反転させて、背後へと弓を射掛け、艦戦を発現。それは機銃を放ちながら迫ってきた艦爆へと奇襲を仕掛けていき、迎撃に成功した。

 それを確認する間もなく、前へと宙返りをした加賀は、海を滑るように着水する。このようなアクロバティックな動きができるのも艦娘という人型であると同時に、瀬川が体で語るような育成方針を取り入れているためだ。

 

 全ては筋肉が解決する。その教えの下、空母が接近された場合の対処法の一つとして、このような動きも仕込んでいたのだ。これもまた、彼なりの防御術の一つ。

 青の力での防御術を主に考案したのは、こうした艦娘が身を守るための技術を主に仕込んでいた下地があってこそだ。

 

 しかし、この自衛のための動きをしている隙をついて、アッドゥの白猫艦載機が守りを抜け、旋回しながら後退していた瀬川の指揮艦へと迫っていく。

 再び接近する危機に、甲板にいる榛名たちも迎撃のために身構える。対空射撃で牽制するが、白猫艦載機は一度指揮艦の頭上を通り過ぎ、背後で旋回していく。

 戻ってきた白猫艦載機はタイミングを見計らい、爆弾を投下。それは指揮艦へと落下していくのだが、指揮艦は回避行動のために旋回を行っていた。落下していく爆弾は狙いがずれ、指揮艦へと直撃することはない。

 

 それを見切った榛名は、白猫艦載機を狙って対空射撃を行い、指揮艦から離れようとする白猫艦載機を撃墜する。煙を噴き上げ、体勢を崩した白猫艦載機は、何度か左右に揺れたかと思うと、そのまま回転しながら指揮艦めがけて落下していく。

 しかもその先には、艦橋がある方角だった。まさか爆弾が失敗したから、機体そのものをぶつけようというのか。

 

 艦橋にいる瀬川たちが息を呑むのが見えるが、白猫艦載機は艦橋ではなくその下の壁へと直撃し、甲板へと落下していった。直撃の際に機体が爆発するのかと思われたが、それはなく、ひとまずは二度目の窮地を脱した。

 

 秋月が駆け寄り、壊れた機体を見下ろす。先ほど撃墜された機体も照月が回収していたが、これで二つ目が甲板へと落ちてきた。「これもひとまず、中に入れておきます?」と榛名へと伺いを立て、「そうですね、敵艦載機を回収する機会はそうはありません。二つ目も得られたのなら喜ぶべきことでしょう。気を付けて持って行ってください」と、榛名が指示を出す。

 

 そうして得られた二つの白猫艦載機。連続して襲い掛かってきた危機に冷や汗はかくが、しかし瀬川は身震いしながらも笑みが浮かんでいる。そんな中で頭を回していた。

 モニターには、アッドゥへと攻撃を仕掛けている艦娘たちが映っている。別モニターではアッドゥの護衛を離れ、ドイツ艦隊と戦闘している戦艦棲姫の姿がある。

 

 そちらではビスマルク、ティルピッツといったドイツ戦艦をはじめとした主力艦隊と交戦していた。戦艦同士の殴り合い、もはや見慣れた光景といっても過言ではないだろう。

 戦艦棲姫らに押し込まれている雰囲気ではなく、そちらは心配することはなさそうだった。

 

「フフ、いいわぁ。でも、最高ではない。もっと、もっと力を発揮しなさい。出し惜しみなんて許さない。あなたたちは、そんなものじゃないはず。でなければ私を落とすことなんてできない」

 

 不意にアッドゥがそんなことを言いながら、その手を開く。角に走る赤い電光と同じものが、その手からも発せられる。

 深海のより強い力の証である赤の力。それを発揮したアッドゥは、滑走路からではなく、弾ける電光から白猫艦載機を発現させる。

 

「持っているのでしょう? この力を。研鑽されたその力で、(おれ)に至りなさい。生憎と私という器は、そこのレパルスなどとは違うのよ。軟な攻撃では、届かないわ。ただ、私に苦痛を与えるだけでしかないの……フフフフ」

 

 白猫艦載機だけではない。主砲と副砲の照準もまた動き続ける神通らを追尾している。護衛する深海棲艦の数は神通たちによって減っており、その数も残りわずか。これでは神通たちもまた、アッドゥの攻撃に加わるのも時間の問題だ。

 だが、それがどうしたとアッドゥは余裕の構え。神通たちの魚雷はアッドゥには届かない。投げるしか意味はないが、それだけでは無理がある。

 

 倒すべきは後ろの高雄たち。故に白猫艦載機をぶつけるだけでなく、赤の力を主砲へと込め、撃ち放つ。響く轟音と赤い流星の尾を引いて、それまで以上の弾速で大和へと迫っていく。

 それを前に大和はぐっと身構える。回避行動は間に合わない。ならばそれを受け止めるだけだ。

 

 艤装の船体を前に出しつつ、バルジをより前へと展開。そこからバルジシールドを顕現させて、赤の力が込められた弾丸とぶつかり合う。激しい音を響かせながら、弾丸はバルジシールドを突き破らんとする。

 主砲だけではない。副砲から放たれた弾も次いで飛来し、次々とバルジシールドへと到達した。

 

 だが、大和のバルジシールドは、それらを耐える。一発だけなら耐えきれるだろうが、五発以上の弾が突き刺されば危ういだろう。それでも、大和の船体は健在だ。

 世界に誇れる日本の戦艦。その守りは鉄壁である。それを、青の力によってより強く引き出された守りが、現代でも証明されている。

 

 それを目の当たりにしたアッドゥの目は、大きく見開かれている。しばらく呆然とそれを見ていたアッドゥは、ぽつりと、「――素晴らしい」と呟いた。それは聞こえなかったが、神通は口の動きで「素晴らしい?」と首を傾げる。

 

「……神通、何を言っていたのかわかったんか?」

「ええ、彼女は素晴らしいと、口にしました。大和さんの守りを見て、自分の攻撃が防がれたのに」

「防がれて褒める? あり得んな、深海棲艦なら、あり得ない。あれだけワシらにも攻撃を届けておいて、自慢の攻撃も撃ち込んで、防いだ様を見て褒める? まるでこっち側に与するかのような物言いじゃないか」

 

 だが、そうだとするならば?

 瀬川たちと戦っている様を見せつつも、内心ではこちら側に寄っているのだとすればどうするのか?

 それこそあり得ない。人類の味方をする深海棲艦がいるはずがない。その可能性は万に一つもない。

 

 その時、艦橋へと通信が入った。出てみると、それは白猫艦載機を運び込んだ秋月からだった。

 

「提督、少しいいですか?」

「どうした?」

「持ち込んだ艦載機なんですけど、なんか、データが入っているんですよ……」

「データぁ? 何の?」

「それが……共有しますね」

 

 展開されたのは、瀬川たちが息を呑むものだった。

 アッドゥ、泊地水鬼の姿とその性能のグラフ、艤装など、様々なデータだ。

 そして、そこに付け加えられているもの。亡霊のような姿をした何者かが、アッドゥと重ねられていく動きが繰り返されている。

 

 それを見た瀬川は、今まで思案していたことが、少しずつ繋がっていくような感覚を覚えた。点と点が線となる。断片的な情報たちが、一つの答えへと指し示すかのように、まさかといえる仮説が、真実味を帯びていくかのようだった。

 

(……そうか、深海棲艦らしくないっていうのは、正しかったわけか)

 

 深海棲艦だけなら、あり得ることではない動き。そこに別の要因が付け加えられたからこそ、あのアッドゥはこのような行動をしている。

 別の要因のヒントはもう、提示されている。アッドゥが時折一人称がおかしいことになっていること。それが何を示しているのかはわからなかったが、これでわかった。

 

「深海提督と融合した個体。別の意思が、この戦いを引き起こしたんだな。そして、それが深海の意図を裏切る動きをしている。それが、今までの違和感の正体……! アッドゥ、お前さんは――――自分を破壊してもらうことで、深海側の意図を砕こうとしていやがるな?」

 



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泊地水鬼3

 

 瀬川が乗船する指揮艦を襲撃し、撃墜されて甲板に落下し、回収された二機の白猫艦載機。その一つから艦娘側が閲覧できる形式に保存されているデータが見つかった。最初こそ、敵の艦載機を鹵獲できたと喜ぶべき事案だったが、よもやこのようなことが起こるとは思わなかったものだ。むしろ想像するはずもない。

 

 だが、まさに敵に塩を送るようなこのような行動を、深海棲艦がとるはずもない。ましてや深海棲艦の中でも、特に強力な個体が、印度提督と名乗った存在がやるはずもない。

 しかし、閲覧できたデータは、そうするかもしれないという推察を生む可能性を見せてきた。

 

 深海提督を取り込んだかのようなイメージ映像。それから始まる仮説の連鎖が、一筋の答えを生み出す。

 すなわち、深海提督の意思を汲み取ったか、あるいは思考すらも融合したことで、元の印度提督がアッドゥを動かし、こちら側に与するような行動を取っているのではないかという仮説だ。

 

 どういう理由があってのことかはわからない。でも、このようなことをするからには、何らかの理由があるのだというのは間違いない。彼女が、あるいは彼がそうするだけの理由を持って行動しているのだということはわかる。

 ならば自分たちにできることは、あのアッドゥから、より何らかの情報を引き出した上で、破壊することだろう。

 

 瀬川は通信をアッドゥへと切り替える。まだ繋がっているかどうかはわからない。しかし、向こうから繋げてきたものを、再度合わせることで、繋がるかもしれないと考えて調整し、通信機を手にする。

 

「聞こえるか? こちら瀬川、応答されたし」

「ええ、聞こえているわ。何かしら? 降伏勧告?」

「それもいいだろう。だが、それはお前の望む結末ではないだろうよ。ワシらは、お前を破壊する」

「……それは結構なこと。で? わざわざそれを言うために?」

「いいや、その前に問わせてもらおう」

 

 いくつかの断片的な情報から導き出した推測。それを彼女に直接問う。

 

「お前は、印度提督とやらと結びついたことで、奴の意識を共有している。だからこんならしくない行動を取っている。そうだな?」

「…………それに肯定して、どうすると? 手心でも加えてくれると? フフ、だとしたら意味のない問いかけだわ」

「いいや、そんなことはせん。ただ冥途の土産に知りたいのよ。お前をそうさせるだけの理由をなあ。いつそういうことになったのかはワシらには知らん。お前の口から聞かねばな。だが、今、こうして戦い、死にゆかんとするお前が、何故そう思い至ったのか。その理由を知れば、ワシらはこの先の戦いに熱が入るかどうか、それがわかるやもしれん」

「理由、理由ね? フフフ、それは単純なものよ、瀬川」

 

 くつくつと笑いながら、砲撃を続行するアッドゥ。反撃の砲撃が飛来してくるが、アッドゥはそれを避けることはせず、大人しく受け入れている。一発、一発と受けるが、それはダメージとはなっているが、大きく傷つくものではない。

 少しよろめいただけで、首を傾げながら弾を排出し、己の血で白いドレスを赤く染める。防御態勢を取っていないのに、その程度のダメージで済んでいるのだ。素の耐久力が今までの深海棲艦とは違っている。

 

 顔へと飛来してくる弾に対しては、軽く顔を逸らし、白い肌と黒い髪、そして角を掠めるだけに留める。だがそれでも弾速によって生み出された衝撃波で所々に傷が生まれ、小さな出血を生む。

 そうして瞳の近くに垂れた血を拭うようなことはせず、どこか狂気じみた笑みを浮かべて、アッドゥは口にする。

 

「――欧州に対しての嫌がらせよ」

 

 はっきりとした敵意だった。今まではどこか飄々としたような、気持ちがあまり乗っていない言葉ばかりを並べていたアッドゥが、この言葉だけは確かな彼女の意思を感じ取れるものだった。

 

「このまま欧州の思い通りにさせたくない。ただそれだけの理由で、(おれ)は動いている。これで満足?」

「んん、欧州ってのは、欧州海域を牛耳っている深海提督でいいんだな?」

「そうよ。あのドイツやイタリアの提督が倒さなければならない存在。辛酸を舐め続けている相手。(おれ)はね、このまま順調に事を進められるのは、気に入らない。だから丁度いい機会。このまま(おれ)を破壊しなさい。一片たりとも残すな。何も遺すわけにはいかないの」

 

 一人称が(おれ)の場合は、恐らく取り込んだ印度提督の意思が働いている時だろう。つまりこの戦いを始めたのも、印度提督の意思。実際に戦うのはアッドゥだが、その戦いぶりが本気度を感じさせるのは、目の敵にしている欧州が情報収集する際に、違和感を持たれないようにするためか。

 突発的な思い付きによるものなのかもしれないが、それでも最低限の不備を出さないために対策もしている。アッドゥ自身もまた、印度提督の意思に影響されることで、この戦いの意味を理解している。

 

 作戦の果てに自分が死ぬというのに、彼女自身はそれを良しとしている。

 己が死ぬ事を厭わないのは深海棲艦らしいといえばらしいが、それでも彼女の意思は印度提督の意思を尊重した上で、そう決めたのだと感じ取れる。

 

「アッドゥ、お前がそう動くのは、印度提督がそう決めた。その遺志に従っていると考えていいと?」

「――――そうよ。私を作った彼の遺志。彼を喰らい、その記憶を取り込み、思考を模倣した結果。それによって導き出された私としては、その作られたこの体を、いいように使わせないようにすることにした。作られた兵器をどうするかは、人の勝手。でもね? 使われる兵器(がわ)にだって、どう動くか決める権利はある」

 

 すっと指を艦娘たちへと向ければ、白猫艦載機が赤の力を纏って突撃を仕掛ける。艦爆を備えているのに、それを落とすことなく、ただ自爆特攻をするかのように突っ込んできた。

 まさにそれは玉砕。アッドゥが今、やっていることと同じだ。

 死ぬために戦っているその行動は、まさしく玉砕にふさわしい。

 

「私は兵器として戦い、兵器として散るでしょう。フフ、でも後悔はしないわ。(おれ)はもう人には戻れない。(おれ)が願ったことは、最初から叶わない。なら、最後に大きな花火を打ち上げて散るだけよ。あなたたちには、それに付き合ってもらう。私という花火から、得るもの全てを得て、先に進みなさい。それが、(おれ)が生きた証となるのよ」

 

 だが、それは意味のある玉砕だ。無作為に突出して散る行動ではない。

 作ったものの思いを背負い、己の役割を果たさんとする兵器。

 彼女の示す覚悟に、瀬川はうっすらとその細い目を開く。

 

「――善き哉。神通、高雄。彼の者の覚悟を受け止めよ。その意志に報い、全力を以て破壊せよ」

 

 迫る白猫艦載機に対して対空射撃で迎撃していた神通は、その命令に対して受諾の声を返そうとしたが、対空射撃の雨を切り抜け、突っ込んでくる白猫艦載機に気づき、防御態勢を取った。

 それでも白猫艦載機はそのまま突っ込み、艦載機とは思えない力で、防御する神通をそのまま押し込んでいく。後ろに跳んで衝撃を殺そうにも、跳んだ分以上の推進力がそれにはあった。

 

 腕を交差し、手には対空砲を構えている神通。そこにめり込むように赤の力を纏った白猫艦載機が突っ込んでいるのだ。数十メートルも後ろに跳びつつ、海上から浮いていただろうか。着水し、何とか堪えて砲にめり込んでいる白猫艦載機を振り払おうとするが、そこで気づいた。

 この白猫艦載機もまた爆弾を備えているはずだが、どうしてそれを爆発させようとしないのか。自爆特攻でもするものと思っていたが、機体もめり込むだけで、爆発する気配がない。

 

 艦娘だけではなく、深海棲艦らからも離れたところで、神通は止まり、めり込んでいる白猫艦載機もまた推進力を失い、いやに静かになっていた。

 恐る恐るそれを取り、確かめてみるが、さっきまで元気だったそれは、壊れたように動いていなかった。爆弾に触れても、嫌な気配はしない。

 そこではっとしたようにアッドゥの方を見れば、高雄たちと砲撃戦をしながらも、横目で神通の方を見ていた。手にしているものを示すかのように軽く指をさして笑みを浮かべ、高雄たちへと視線を戻すのが見えた。

 

(……なるほど。最後の情報ってところでしょうか。ありがたく)

 

 先んじて指揮艦へと提供した白猫艦載機と同じようなものを、神通へとくれてやったというわけだ。その割には随分と手荒な行為だったが、こうでもしなければ、わざと鹵獲されに行ったようにしか見えない。

 神通は爆弾と白猫艦載機を分けて、それぞれポケットへと入れて戦場へと戻っていく。

 

 再び砲撃の撃ち合いとなった戦いだが、アッドゥは飛来する砲弾を体で受け止め、少し痛みに反応したように見えても、それは数秒だけ。何事もなかったかのように次弾を装填して撃ち放つのを繰り返している。

 その様子を見て、瀬川はこのままでは破壊すら困難になることを察する。

 

(水鬼級へと性能を高めているというのは厄介なもんだな。基地型らしい耐久の高さもそうだが、それが水鬼級ともなれば、単に砲弾ぶち込んだところでどうにもならん。三式弾を撃ち込んでもあんなんとはな……。やはり、青の力を込めて撃つしか道はないか)

「んんん、大和、一発あれを撃て」

「あれですね? わかりました」

 

 その命令の意味を理解し、大和は主砲へと意識を集中させた。己の中から高められていく青の力。赤い海から力を汲み上げるのではなく、自身の中から練り上げ、艤装へと注ぎ込むような感覚。

 かつての日本の誇りの結晶。戦艦大和としての最大火力をここに具現化させる。

 

 その気配を感じ取ったアッドゥは、今まで以上に笑みを深めた。

 ようやく、それを披露する気になったかと、待ち焦がれたそれに歓喜する。

 

(フフフ、それを受け止めたら、今まで以上に痛みを感じるでしょうね。ええ、ええ、私が生きている証を実感できたでしょう。でも、ただでは通さない)

 

 カッと見開いた目から、赤い燐光が発せられる。白い角から発せられる電光も激しくなり、それは顔を伝い降り、伸ばした手へと到達する。明らかに何かをしようとしている動きだった。

 それを前にしても、大和は力を込める手を止めない。アッドゥが何をしようとも、その全てを撃ち抜かんとする意志をこの一手で示す。

 アッドゥはその一手を前にして、逃げも隠れもしない。ただ、この力を以てして応えるのみ。

 

「主砲、一斉射――てぇッ!」

 

 今まで以上の激しい音と衝撃が、辺り一面に広がった。海をも震わせる一撃は、狙い通りにアッドゥへと迫っていく。それを前に、アッドゥは伸ばした手から赤い力を顕現させ、己を守る基地の壁を作り上げる。

 広げられた赤い力の障壁は、飛来する砲弾全てを受け止めた。青の力を込めた弾丸だ。ただの砲撃の時よりも、推進力を高めたそれは、いかに硬い壁であろうとも貫き、強い爆発を生むだろう。

 

 しかしその目論見は、破綻する。

 弾は障壁へとめり込みはした。でも、障壁の一枚、二枚を破壊し、まだ回転しながら先へと進もうとしても、それ以上に進めなかった。

 後一枚が近くて遠い。アッドゥが作り上げた基地を守る壁の具現化は、大和の全力を防ぎ切った。

 

「…………残念ね。私のこれを破れないようでは、欧州には届かないわ。欧州は私よりも長く戦場に立った猛者。この力の経験値も段違い。私を超えたとしても、欧州に届かないようでは、欧州奪還は夢のまた夢。課題ができたわね、艦娘」

 

 ぐっと拳を握り締めて、飛来した弾丸全てを破壊する。

 返す刃として、力を込めた主砲と副砲から、再び赤い流星を放つ弾丸が斉射された。回避しながら、先ほどと同じように障壁を出そうとしたが、青の力の連続使用により、ひりついた感覚を手に覚える。

 

 展開できない。己の身を守れないという危機感に大和の表情がこわばる。

 盾は別のところから割り込んだ。高雄である。両手でしっかりと青の力の障壁を展開して、大和たちを狙った弾から守ってくれた。

 

「手、大丈夫ですか……!?」

「は、はい。痺れはありますが、使えない程ではありません。……ですが、連続的な力の使用で、反動がきています。これでは、攻撃に使うにしても、一発が限度かと」

「そうですか。大和さん一人ではあれを抜き切れないというのがわかりましたが、かといって複数で斉射するとなれば、横に広がってそれぞれのタイミングを合わせる必要があります。それで抜ければいいですが、抜けなければ終わりです。……もう一手間があればいいのですが」

 

 高雄が道を模索していた時、瀬川の乗船する指揮艦へと通信が入った。繋いでみると、「やあ、お待たせ、待ったかい?」と、ウインクしながらブランディが指を額に当てて、前に出すという、挨拶をしてきた。

 それに対して、「進展が?」と彼の振る舞いをスルーして問いかける。

 

「こっちは敵空母隊を撃滅した。ACプリンセスもしっかりと片を付けたよ。そちらの戦いに合流するけど、問題ないね?」

「こちらもBSプリンセスを処理したわ。私の艦隊も援護するわね」

 

 ACは空母を表す「Aircraft carrier」を、BSは戦艦を表す「Battleship」を示している。そしてプリンセスは棲姫を示している。英語圏では彼女らのことをそう呼称しているようだ。

 別動隊としてそれぞれの敵艦隊に当たっていたが、彼らの艦隊は勝利を収めたらしい。気づけば指揮艦へと迫っていた脅威の一つである、白猫艦載機らは空にいなくなっていた。空母棲姫らが送り込んでいた艦載機も全滅しており、制空権はここに確保と相成った。

 

「加賀」

「ええ、すでに送り込んでいるわ。攻撃態勢にはいつでも入れる。でも、今撃ち込んでいいものかしら? さっきの防御は私も見えていたわ。無闇に仕掛けても、また防がれるでしょうね」

「だろうなぁ。んっんー、さて、どう崩すか」

 

 筋肉で全て解決できる、と語る瀬川ではあるが、こういう時には真面目らしい。青の力という連発出来ない力だからこそ、撃ち時を見極めなければならないという冷静な頭があった。

 そんな時、マルクスから「少しいいかしら、瀬川」と声がかかる。

 

「先ほどアッドゥと何かを話していたようだけれど、何かあったのかしら?」

 

 アッドゥが繋いでいたのは瀬川の指揮艦のみの通信だった。そのためマルクスやブランディへと話は伝わっていなかった。またどういうわけか、アッドゥは日本語で話していたこともあり、例え聞こえていたとしても、話の大部分を彼女は理解しえなかっただろう。

 この三人での会話も英語を用いていた。マルクスもブランディも、日本語は所々しか理解しておらず、日常会話ができる程ではなかったのだ。

 

 瀬川は少し考え、「いや、今話すことじゃない。あまりに複雑な問題でなあ。この戦いに余計なものを挟ませることになる」と、少しぼかした。特にマルクスという生真面目な人であれば、なおさらいらない世話を焼かせてしまいそうになることを憂いた。

 

「それで、戦いに合流するって話だが、補給に戻さなくていいのか?」

「問題ないよ。最初に合流するのは、すでに補給を終えている部隊さ。足の速い水雷戦隊が間もなく援護の一射を送り込むよ」

「水雷戦隊? いや、気持ちはありがたいが、それではあいつには……」

 

 駆逐艦や軽巡の砲撃では、あのアッドゥに対して有効打は与えられないだろう。戦艦の砲撃を受けても平然としたようにしているのだから、砲撃力で大きく劣るこの二つの艦種に何ができるのか。

 瀬川の不安も尤もなことだった。そんな彼の不安をよそに、モニターに映りこんできたイタリアの水雷戦隊が起こした行動は、瀬川の目を大きく開かせるには十分なものだった。

 

 彼女たちが構えていたのは、主砲ではなかった。少なくとも瀬川が見たことがなかった、別の何かである。

 両手に構えたそれから煙が連続して噴射し、何かが撃ち出された。それらは大きく弧を描いてアッドゥへと迫り、次々と降り注いでいく。アッドゥも今までにない攻撃に困惑していたようだが、それ以上に困惑したのは、戦艦の攻撃では痛みは感じても、大きく体を損傷しなかったというのに、今の攻撃に対しては、強い不快感と共に体の奥へとダメージが浸透したことだった。

 

「ッ……!? なに、これは……? フ、フフ……まさか、フフフ……よもや、戦艦ではなく、駆逐や軽巡に私が……?」

 

 イタリアの駆逐艦と、イギリスの軽巡らが構えているそれは、日本海軍では配備されていない装備だった。次弾を装填し、もう一斉射を行ったそれらをよく見てみると、ロケットランチャーのようだった。

 日本でも対空装備の一つとしてロケットランチャーが開発されているが、恐らくあれは対空に向けられた装備ではないだろう。先ほどのアッドゥの様子からして、あれは、

 

「対地のロケラン?」

「正解だよ。これはドイツのUボートに配備されていた、WG42というものでね。Uボートだけでなく、駆逐艦や軽巡などの水上艦にも配備できるように調整されている」

「欧州でも近年では陸上基地の深海棲艦が出てきたから、対策として何かないかと開発されたものよ。それをイタリアなど、欧州各国にも共有され、対基地型の装備として運用されているのよ」

「これにより、水雷戦隊であろうとも、基地型相手でも立ち回れるって寸法さ」

 

 つまり欧州ではもう基本的な装備の一つに数えられているということか、と瀬川は推察した。対地兵器だからこそ、普通の砲撃よりも高い効果を発揮できているのだろう。いわゆる三式弾と同じ特効が発生している。

 となれば、切り崩す道筋が見えそうだ。問題は、単に特効が発生したからといって、あれを打ち破れるか否かを試さなければならないということだが、考える瀬川の口から、今まで二人の前ではできる限り出さないように抑えていた笑い声が、漏れて出る。

 

「……んっふっふっふ、やらないより、当たって砕けろってなあ。最終的には力ずくで壁をぶち破れってもんだ」

「何か見えたかい?」

「ああ、やり方としてはこうだ」

 

 打ち合わせしている間も、イタリア艦隊だけでなく、ドイツ艦隊からも対地ロケランが発射されている。タイミングはずらされており、アッドゥが反撃に転じようという段階で撃ち込むことで、アッドゥに何もさせないようにしていた。

 たまらず島を駆け、ロケランから逃げる手をとるアッドゥ。それによって反撃のタイミングを得、ドイツ艦隊へと砲撃を撃ち込んでいく。それに対して、ドイツの戦艦もまた反撃の一手を打ちに出る。

 

「ティルピッツ、合わせなさい」

「ええ、主砲照準合わせ、良し。いつでも」

「……っ、今! てぇー!」

 

 WG42を撃ち込まれたタイミングに合わせ、ビスマルクの号令に合わせてティルピッツと共に主砲が斉射される。飛来する弾を前に、アッドゥは一度視線を巡らせた。

 展開されている艦娘たちの位置、構え、更に空にまで目を向けて艦載機の動きも確認した。ほんの一瞬の時間ではあったが、その一瞬はアッドゥにとって数秒にも感じられる思考の波だった。

 

 三つの艦隊が揃って自分を討ち取りに来る状況だからだけではない。

 アッドゥは期待もしていた。

 先ほど見せた壁を、彼らが打ち破る様を見なければ、この戦いの本当の締めくくりとはならない。

 

 そして、彼女らはその道筋を見出すだろう。その期待を込め、自分がとるべきことはこれしかなかった。

 角から発せられる電光は、戦いが始まった時と比較して激しさを増している。

 艦娘が青の力を使えば自身にも影響を及ぼすように、アッドゥもまた赤の力を行使するたび、反動が体を蝕んでいた。

 

 角から伝わる力の発散によって、頭痛は激しさを増している。体に対する負傷だけではない。元から記憶に異常があったが、過去の映像にノイズが走っている。

 印度提督が保有していた記憶。恐らく人間だった頃の光景はセピア色に染まり、映像には亀裂が走って正常に再生されることはない。人の情報も失われ、名前も思い出せないでいた。

 

 それでも彼は人に戻りたいと願っていた。わけもわからないまま死に、わけもわからないまま深海提督の役割を押し付けられた誰か。そんな彼が最期に抱いたのが、こんな運命を押し付けた深海勢力に対する復讐。それはこの状況に叩き落された誰もが持ちうる負の感情だ。

 

 深海棲艦は負の感情を糧に動く。負の力が強ければ強いほど力を増す深海棲艦だからこそ、広い目で見ればアッドゥもまた深海棲艦の特性に従っているに過ぎないことだ。

 例え、このように自身を蝕む力の反動があったとしても、最期まで兵器として主の遺志の成就のために動くだけ。

 展開されるは大和の青の力を込めた主砲すら止めた壁。青の力もないビスマルクとティルピッツの主砲は容易に止められる。

 

 そこに飛来するはイタリア艦隊から飛来してくるWG42。障壁へと着弾していくが、アッドゥ自身に特効が発生しても、展開されている障壁にはそういった特効は発生していないらしい。

 一枚も破ることはできず、無情に爆発して消えるだけと思われたが、よく見れば障壁にひびが発生していた。

 

「特効はないと一瞬思ってしまったけれど、そうでもないのかしら。どちらにせよ、作戦開始ということでいいのね?」

「ああ、頼むぞ加賀。撃ち抜け」

「イラストリアス、ヴィクトリアスも後に続いていこう。加賀が作った好機を見逃さず、打ち砕け」

 

 青の力を纏った艦載機が、展開されている障壁に向かって旋回、急降下する。タイミングを窺い、放たれた爆弾はひび割れた部分へと直撃し、通常の艦爆の攻撃と比較して大きな爆発を起こした。

 一発、二発と連続して撃ち込まれるだけで終わらない。ダメ押しとして艦攻が魚雷を発射し、割れた障壁へと突っ込まれていく。これもまた障壁を一枚打ち破り、アッドゥを守る障壁は残り一枚。

 

 追い打ちをかけるのはイラストリアスとヴィクトリアスの艦載機。青の力は込められていないが、それでも欧州戦線を戦っていた装甲空母の操る艦載機だ。その熟練度は亀裂が入っている部分へと攻撃を届かせるには十分なものである。

 

 守っているアッドゥはこの攻撃は更に亀裂を広げるが、破壊には至らないと分析した。熟練度は確かなものだが、しかし威力を高めるには達していない。ここが青の力を有しているか否かの差なのだろう。

 彼らは知る機会を得た。自分たちが持っていない技術を日本海軍が有していることを。それだけでもこの戦いに意味が――

 

「――え?」

 

 そこに放り込まれたのは、WG42の弾だった。見れば、撃ったのはドイツの水雷戦隊。カールスルーエや、イギリスのベルファストも見える。彼女らが手にしたWG42から放たれたものが、ここに来て追撃してきた。

 それだけならいい、その程度で破れるものではないとアッドゥは思っていた。

 

 撃ち込まれたのも障壁の前からだ。しかし、それだけに留められていない。

 角度を変えて撃たれたものが、頭上から襲い掛かってきたのだ。

 障壁は伸ばした手の先から展開されている。まさにそれはアッドゥを守る壁といっていい。

 

 だがそのWG42の弾は、その壁の上を越え、ぐっと曲がってアッドゥの頭へと直撃した。爆発と共に角へと衝撃が伝わってくる。赤の力の反応による頭痛だけではない。WG42による特効のダメージが、アッドゥの想像以上の苦痛を与えてくる。

 それにより、障壁の展開力にぶれが発生した。咄嗟に頭を押さえて歯を食いしばってしまう。そうした隙が、彼女たちの最後の一撃へと繋げられる。

 

「時は来た。総員、溜め込んだものを今こそ解き放ちなさい! 全主砲、一斉射!」

 

 最後の一発として青の力を込めた大和が号令を出して主砲を撃ち放つ。戦場に出ているリンガの戦艦、重巡がそれぞれの全力を込めた一撃をここに示した。

 空に響く轟音と、青い流星が空を裂く。それを見上げたアッドゥは、少し呆然としたようにそれらの星を眺める。

 

 深海棲艦である自分が作り上げた赤い流星と異なる星々の煌めき。自分に死を与えるものなのに、アッドゥは自然と笑みを浮かべていた。

 障壁に流星群が降り注ぐ。

 WG42によって体勢を崩され、最後の一枚に注ぐ力を狂わされたのだ。防ぐ力はもう残っていない。一瞬にして壁は破られ、体へと次々と砲弾が突き刺さり、貫通していく。

 

「――――見事。それでいい……あなたたちは、力を示した。課題はあれど、私を……超えていった」

 

 体から血が噴き出る。それに従って、点々と爆発が起きる。小さな爆発はやがて大きな爆発へと繋がっていき、連結されていた艤装も瓦解し始めた。

 体を支える力も失われ、アッドゥは力なく倒れ伏す。でも、ただじっと島を、海を眺めたまま終わりたくはなかった。

 

(……ああ、赤い海とは違って、なんて美しい空。結局、(おれ)は……)

 

 体を反転させて、仰向けになってアッドゥは空を見上げる。

 自分の名前も思い出せない程に記憶に障害を抱えた彼が、どうして人に戻りたかったのか。

 いつこうなったのかはわからない。何らかの理由で海で死んだ彼は、きっと故郷に家族を残していたはずだ。親兄弟なのか、伴侶か、伴侶がいたなら子供がいたのか。それらも彼にはわからない。

 

 けれど、故郷に家族を残していたなら、きっと自分は帰りたかったはずだ。この空のどこかの下に、帰るべき場所があったはずなのだ。

 だから、彼は人に戻り、故郷に戻りたかった。

 

 でも、戻れない。

 ここまで堕ちてしまった自分が、自分のことすらわからなくなった存在が、戻れるはずもない。

 それでもと、彼は力なく手を伸ばす。どこまでも高く青い空へと、消えゆく命と願いを託して。

 

(すまない、名前も知らない誰か……。(おれ)は、人にも、そっちにも……戻れなかった。でも、(おれ)が最期にやったことは……きっと、人に希望を繋いでくれる……。あとは、頼んだ……艦娘たち)

 

 そうしてアッドゥは、その想いの全てを声には出さず、静かに爆発の中に消えていった。アッドゥ環礁の一つの島で発生した大爆発は、文字通り先ほどまでそこにいたアッドゥの全てを無に帰した。

 アッドゥが望んだ通り、その体を一つも残すことはなかっただろう。爆発が落ち着き、念のために確認に赴いた神通たちからも、そこには何も残されていないことを報告した。

 

 ここに、アッドゥ環礁での戦いは終わりを告げる。

 アッドゥが残したのは三つの白猫艦載機。しかしそこには、彼女から提供した深海の情報が込められていた。

 

 そのことをマルクスやブランディが知るのは、コロンボ基地へと帰還してからであり、そして内容すべてが共有されるのも、そのまた後の話である。

 欧州からの使者を出迎えるだけだった瀬川の遠征は、思わぬ収穫をたくさん得る形で幕を閉じるのだった。

 



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月夜に燃ゆ

 

 その知らせは茂樹にとって喜ばしいものだった。凪がトラック泊地へと来てくれるというものだった。今回は湊は同行せず、日本に留まるということだったが、でも友人である凪と久しぶりに会えるというのは、これほど嬉しいことはない。

 メールに対して返信し、うきうき気分で茂樹は提督としての業務をこなしていく。その様子を秘書艦である加賀は微笑を浮かべて見守っていた。

 

 処理した書類を受け取りながら、「抑えきれていませんね」とつい口をついて出てしまう。ペンを走らせながら「ああ、すまんねえ、加賀さん」と、軽く謝罪すると、

 

「でも、こういう時期でも、会いに来てくれるってのは、嬉しいもんさ。誘った身ではあるけどね」

「良き友人というものは、何物にも代えがたいものです。今回の演習もまた、楽しいものになりそうですね」

「ああ、違いねえ」

 

 凪率いる呉の艦隊との演習も久々だが、前回の時と違って青の力の修練も加わっている。お互いにより強くなった状態で、それぞれの艦娘の力を試せるのだ。それがトラックだけではなく、ラバウルやパラオの艦娘たちにとっても、良い経験になってくれるはず。

 そう信じて疑わない茂樹と加賀であった。

 

 

 数日の時が過ぎた。

 夜も更けてきて、誰もが寝静まる時間帯。

 

 トラック泊地では、夜の番をする艦娘たちが島の外を警戒しながら過ごしていた。

 基地への襲撃を警戒し、交代制でトラック泊地を警備している。

 いつ来るかもわからない。本当に来るのかもわからない。そんな中で、彼女たちは夜の浜辺を過ごしていた。

 

 静かな夜だ。

 空には月が浮かび、僅かな灯りだけが海と浜を照らすのみ。

 基地の方は灯りが落とされており、基地へと続く道などに点々とある街灯だけが、トラック泊地内の微かな灯りだった。

 

 穏やかな波の音がその場に流れ、何も起きる気配など微塵も感じさせない夜。

 各所で配備されていた電探が周囲を警戒するために回転している。昼間と違い、夜となれば艦載機からの目はあまり利かない。そのため、この電探から発せられる反応が、異常を知らせる目と耳となる。

 

 その範囲から更に向こう。

 闇より深い底から、静かにその影が浮上する。

 

 静寂の海に浮かび上がるその影は、滴り落ちる水滴を気にする素振りもなく、じっとその赤い瞳で標的を確認する。

 ざっと様子を確認。何人かの人影が、トラック泊地の近くだけでなく、海にも出て電探を回している。まだこちらには気づいていないようで、何よりだ。

 

 標的はこの艦娘か? それは否である。

 艦娘を奇襲するだけでは意味がない。襲撃するのは、本命を撃ち放ってからだ。

 

 電気は落とされているが、ぽつぽつと灯る街灯の位置関係と、月明かりに僅かに照らされて浮かぶ大きな影から、標的の位置を推測できる。

 何よりこの身は転生体。積み重ねた前世の経験も加味すれば、これらの情報からでも標的を撃ち抜く確率はそれなりにある。あとは、己の技量を自ら信じて実行するだけだ。

 

「――さて、弾丸装填」

 

 と、気だるげに手を挙げて指示を出せば、ゆっくりとそれは現れた。

 闇の中で蠢く二つの頭を持つ魔物。それが備えた主砲が、しっかりと彼女の狙い通りの方角へと砲門を向ける。

 

 遠方で異常に気付いたらしい艦娘がいたようで、連絡のために動いているようだが、それよりも早く彼女は動いた。溜め込んだエネルギーを解放するように、すっと相手へと差し伸べるかのように、手を伸ばす。

 

「主砲、一斉射」

 

 命令は至極単純。

 だが、それに応える音は盛大に。

 

 放たれた弾丸は警報が鳴り響くトラック泊地へと容赦なく降り注いだ。

 

 

 炎上するトラック基地に、次々と攻撃の手が降り注ぐ。

 最初の攻撃だけで、司令部やドックは破壊されていた。警報はけたたましく基地全体へと鳴り響いているが、それを鳴らすものもまた、飛来してくる攻撃によって破壊されていく。

 

 そんな中で、茂樹は何とか避難を進めていた。

 秘書艦である加賀と共に、崩れ、燃え広がっている基地の中を降りていく。低い姿勢で鼻と口を押さえ、燃える煙を吸い込まないようにしながら、本当に来るとはと小さな焦りを感じていた。

 

(クソッたれ……! まさかこのタイミングとは、ついているのかついていねえのか)

 

 遠くでまた砲弾が飛来し、爆発して基地が揺れ動く。思わず体勢を崩してしまいそうになるが、左側で支えてくれる加賀のおかげで転倒はしなかった。「大丈夫ですか?」と、不安げに、でもしっかりとした手で茂樹を支えてくれている。

 そんな彼女に、「大丈夫だ。今は、とにかくあそこに急ごう」と促す。

 

 この緊急事態での動きは、すでに艦娘たちに周知させている。それぞれのルートから、隠し通路を伝って、地下に作った避難シェルターへと隠れるのだ。

 それだけでも、奇襲に対してトラック泊地の艦娘が脱落することを防ぐことはできる。警備に当たっている艦娘たちの犠牲はあるかもしれないが、そこは仕方がないと割り切るしかない。

 口惜しいが、彼女たちまでは救うことはできない。それよりも基地で休んでいる艦娘たちが生き残り、反撃のための戦力を温存する必要があるためだ。

 

 そして茂樹もまた避難しなければならない。反撃のための旗印までも失ってしまえば、文字通りトラック泊地は終わりを迎える。完全敗北として基地が陥落することになる。それだけは絶対に避けなければならないことだった。

 戦わなければならないが、それを表に出してはいけない。それをぐっとこらえながら、今はとにかく生き残ることだけを優先しなければならない。その歯がゆさに、茂樹は唇を噛む。

 

 敵の攻撃の手は止まることを知らない。文字通りトラック泊地の基地を全壊させるつもりで、砲撃が続行されている。

 そんな中で一階まで降りてきた茂樹は、もうすぐ隠し通路へと差し掛かろうとしたとき、嫌な気配を感じ取った。

 

 それは咄嗟のことだった。

 自分を支えてくれている加賀を、突き飛ばしてしまったのだ。その行動に加賀は意味が分からないといった表情を浮かべて茂樹へと振り返っている。

 そんな光景がやけにスローモーションに感じられた中で、茂樹の背後の上部で激しい爆発が発生し、二階の床が崩れ落ちていった。

 

 それを見た加賀の口から、聞いたこともないような悲鳴が響き渡る。その声すらも、あちこちで響く爆発音と、今はもう数を減らしていた警報に呑み込まれていった。

 

 

 

「十分撃ち込んだね、長門。どうだい、基地は?」

「もう、ほぼ全てが炎上している。基地そのものも形を留めていない。人がいれば、間違いなく崩落、炎上に巻き込まれて死んでいるだろうよ」

「そう見るかい。だとしても、油断はできないよ。アンノウン、そっちはどうかな?」

 

 その声は艦載機から発せられたものではなかった。

 星司の体は、この暗い海の上に立っている。いや、正しくは彼が乗っているバイクが、この海の上に留まっていた。彼はそのシートの上に座りながら、アンノウンへと視線を向けていた。

 

「キッヒヒヒヒ、ボクとしても同意見かなあ。あれで生きていたら人間じゃないよ」

 

 長門、アンノウン、そして霧島をはじめとする戦艦棲姫などが、何度も何度も砲弾を撃ち込んでトラック泊地を破壊しつくしたのだ。恐らく中にいた艦娘たちも崩落に呑み込まれていっただろう。そう思わずにはいられない惨状である。

 浜で警戒していた艦娘たちも、夜襲によって沈められていった。最初こそ抵抗していたが、すぐに先陣を切っていった深海南方艦隊の水雷戦隊と、深海吹雪によって蹴散らされていった。

 

 しかし彼女たちは上陸できない。できたとしても、海からそう遠くまで離れられない。

 そのため崩壊している基地へと近づき、被害状況を確認することができないでいた。

 

 そのため彼女たちが今回やるべきことは、港で警備を行っている艦娘たちの撃破だ。深海長門が砲撃を開始した後、連絡や迎撃のために動き出す彼女たちの前に現れ、速やかに対処に当たること。

 そうすることで、トラック艦隊にとっての最初の犠牲者となってもらうと同時に、こちら側の戦力を僅かでも生き残りへと届かせないようにするのだ。

 

「報告します。警備にあたっていた艦娘、全てを撃沈。ここから確認できる限りで、他に艦娘は存在しません」

「ご苦労様、吹雪。僕もそっちへ行こう」

 

 島の奥へと上陸できそうにないことは、深海へと堕ちた星司自身も同様だろうと、何となく感じていた。こうして海の上に上がるのも、心のどこかで忌避感があった。

 海の上に立つ、それは死んでしまった自分がやることではない。だから移動も全て海底で行ってきたが、こうして上がってみてわかったことがある。

 

 日の当たるところに、自分は居たくなかったのではないかと。

 夜なら問題ないのかというとそうでもない。胸がざわついて仕方がない。

 原因はやはり、自分は死んでいる身だからだ。一度命を失った存在が、再び日の当たるところ、すなわち空が見えるところへと上がってきていいはずがないと、心の中で制限をかけていた。

 

 見上げる空には、闇を照らす優しい月明かり。太陽のように強い光ではないけれど、闇を往く命あるものたちを、暖かく包み込むような淡い光が、世界を照らしている。

 かつての自分なら、いい月夜だと思っていたのだろうが、今の星司にとって、そのような思いは胸にはない。

 

 ああ、自分はもう、人でなしだ。

 この体も、思いもそうだ。そして、今夜起こした行動もまた、人でなしを助長する。

 

 でも、だからどうしたというのだろう?

 自分はやらなきゃいけないことがある。

 平穏な日々を取り戻すのだ。こんな戦いをさっさと終わらせて、元の静かな暮らしを取り戻すのだ。

 

 かつて自分が持っていたもの。ただひたすら好きなことをし続けられる楽園(シャングリラ)を再び作り上げることが、自分の生きる理由なのだ。

 そのことを考えると、どうにも最近頭にノイズが走るような気がするが、そんなことはどうでもいいと横に流す。

 

「さあ、行こうか。作戦を次の段階へと進める。潜水部隊は島の周囲に展開を。万が一逃げ出すような艦娘がいれば、連絡と攻撃。一人たりとも逃がさないようにして。日が昇れば、トラック島を中心に周囲の警戒を行う。ラバウル、パラオが動いてきたら、迎撃へ。それまでは、各自休息を」

 

 そう指示を出せば、アンノウンたちが了承の返事をする。移動し始める彼らの後ろからついていきながら、深海長門は静かに目を細める。

 作戦は開始された。だが、彼女にとっての作戦はまだ息を潜めている段階だ。

 動き出すのはまだまだ先になるだろう。果たして彼女の目論見通りに事が進むかどうかは、まさに神のみぞ知るといったところだろうか。

 



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友のために

 

 不定期な通信を日課としていたラバウルの深山と、パラオの香月。定期通信にして、深海側に通信を気取られることで、不利益が生じないように、それぞれの周期を決めてお互いに通信を行い、無事を確認する。

 そう決めてから欠かすことはなかった日課だった。その日もまた、二人は時間が来たことを確認し、通信を繋いだ。モニターに映るお互いの顔、朝の挨拶を交わして、そこで二人はもう一人がいないことに疑問を覚える。

 

「パイセン、どうしたんすかね?」

「……こういうのに遅れてくる奴じゃないんだが」

 

 と、パソコンの通信でコールを送りつつ、携帯電話でも同時にかけてみる深山。しかし一向に電話に出ないため、そこで二人は悟った。瞬時に表情が引き締まり、それぞれの秘書艦へと指示を出す。

 

「……むっちゃん、空母にすぐさま艦載機の発艦を。同時に指揮艦の準備を!」

「赤城、出港の準備だ!!」

「承知したわ」

「承知いたしました」

 

 すぐに二人が執務室を出て、それぞれの基地の艦娘たちへと指示を飛ばす。その間に、深山と香月は出撃する艦娘たちをリストアップし、それぞれ指揮艦へと移動するように指示を出した。

 その合間に、「まさか、本当に奴らが動くなんて……」と、ぽつりと香月が漏らしてしまう。つい頭に手をやって、

 

「オレのせいか……? オレが、守られたから、パイセン、奴らに目を付けられて、襲撃する理由を……」

「……違う」

 

 このままぐるぐると自責の念に苛まれ続けるだろう香月を止めるべく、いつもより強い声色で、深山が言い切った。顔を上げる香月を、深山はじっと見据えて、「……それは違う」と、もう一度否定する。

 

「……どのような形であれ、敵は機を見計らって動くだろう。たまたま、今回はそういう理由に見えただけだ。何せ奴らは人類の敵だ。海上だけで戦うに飽き足らず、最近は僕らに対しても基地攻めをしてくるようになったんだ。君が自分を責める理由など、どこにもない。奴らは自分の敵を潰しに来た、それ以上でもそれ以下でもないんだよ」

 

 そして、と深山は立ち上がり、「……僕たちは、敵の目的を遂行させない」と、強い意志を込めて口にする。

 

「……攻めてきたのなら迎撃する。友人の危機は助け出す。これが、今回の僕たちのやるべきことだ。行くよ、美空香月。共に、我らが友人を救い出すんだ」

「……うっす! 全力で戦います!」

 

 ぐっと拳を握り締め、顔を上げて立ち上がり、モニターに向けて香月は敬礼する。それに頷きで応えた深山は、パソコンを落として執務室を後にした。

 決めた出撃部隊を大淀に伝えて放送で流し、それぞれの指揮艦へと乗船し、出撃準備を整えるまでも迅速。できる限りの速さで事を進め、載せる物資もまたあらかじめ決めておいた分を積み終えて、二人はラバウルとパラオを出港する。

 

 二隻の指揮艦もまた、改装が施されているため、そのスピードは他の船よりも段違いに早い。その速さでも指揮艦にガタがこないようにと改装されていることもあり、まさに波を切れ味の良い刃で切り裂き、突き進むかのように海を往く。

 すでに放ってある偵察機の連絡を待ちながら、それぞれの進路をトラック泊地へと向けて、彼らは茂樹のもとへと救出のために動いた。

 

 

 

 一方、トラック島では、星司が決めた布陣に従って深海棲艦が展開されていた。

 お試しとして星司は埠頭に上がり、基地の方へと歩いていこうかと思いはした。しかし、海から離れていくにつれて、足取りが重くなっていった。

 

 勢いが落ち着いているとはいえ、今もなお燃え続けている基地はまだ遠い。それでも、この足は大地に根付いているかのように、重く動かなかった。呼吸も苦しくなったように感じてしまうため、仕方なく基地に背を向け、海の方へと戻るしかなかった。

 こういう反応が出るのもまた、星司は自分が人間ではないのだと実感する要因の一つとなる。自分は海から離れることができない。懐かしい地を踏むことも出来なくなっているのだと、改めて思い知らされる。

 

 陽の光は思ったより、どうということはなかったように思えた。太陽の光は、少々鬱陶しく感じる程度で、これで苦しくなるほどではなかった。怖い感じがしたのは、恐らく自分が死んだから、怖がってしまうのではないかという思い込みに過ぎなかったらしい。

 やれやれとため息をついていると、空母棲姫の深海赤城がどこか心配そうに声をかけてくる。

 

「ドウシタ、提督? ドコカ、悲シソウナ顔ヲシテイル」

「ん? いや、何でもないさ、赤城。それより、ミッドウェーは定着しそうかい?」

「難シソウダ。ヤッパリ、適性トイウ問題ナノダロウカ。アノ地ニ特化シタ影響? ソレノセイデ、ドウニモ力ガウマク合ワセラレナイ、トイウ話ダッタ」

「そうか。うーん、ミッドウェー海戦に向けてひたすら調整したのが仇になった感じかな。しかたないか」

 

 トラック泊地に攻め入ったのだから、基地型の深海棲艦を配備することも当然行った。しかし星司が保有している基地型深海棲艦は、中間棲姫のミッドウェー。彼女は特に念入りに調整に調整を重ねた一品物といっても過言ではない。

 そのためかミッドウェーに完全に適応しているようで、他の島への配備ができないピーキーな性能に仕上がってしまったようだ。

 

 飛行場姫や離島棲鬼は深海中部艦隊にはいないため、トラック島には基地型の深海棲艦を配備することはない。だが、それがどうしたというのか。

 すでにこうしてトラック泊地は壊滅した。朝になっても艦娘たちが反撃に出てくる気配はない。基地の方へと艦載機を飛ばし、確認もさせたが、誰かが動いている様子はまるでなかった。

 生きている誰かがいる気配もない。隠れているなら艦娘の反応も見られるはずだが、それもなかった。

 

 つまり、トラック泊地は死んだも同然だ。

 念のためずっとトラック島の上空で偵察は続行させている。しかし、誰かが出てきたという報告はまだ上がってきていない。

 無駄な行為ではないかと思うかもしれないだろうが、そうして手を抜いたところを突かれたらどうするのか。ここで慢心はしない。そのため、交代制で、常にトラック島の上空から警戒は続行させるつもりだった。

 

「なら、ミッドウェーは下に戻していい。赤城、パラオやラバウルからの目はどうなっているかな?」

「今ノトコロ、マダ敵影ハ見エナイ」

「そうか。引き続き、探りは入れておくように」

「了解シタ」

 

 一礼して深海赤城が去っていくと、近くで寝転がっているアンノウンが、ちらりと視線を向けてくる。何か言いたげなその瞳に、「……何かな?」と先んじて訊いてみると、

 

「いいやぁ、油断してねえなあってね。いいよ、とてもいい。今まで負け続きだったからねえ。ここでようやく勝ちを拾ったんだ。この調子で勝ち星をあげていこうじゃない」

 

 うんうん、と頷いてアンノウンが星司が次のために動いていることを褒めてくれる。だが、その視線はすっと海上にいる深海長門へと向けられる。遠くで艤装である双頭の魔物へと背を預けながら佇んでいる様は、腕を組んでいることも相まって、クールな美人を思わせる。

 今回の作戦は、まさに彼女がいたからこそ成功したようなものだ。超遠距離から砲撃を届かせ、基地を破壊していった様は、まさしく強力な戦艦の在り方といえる。

 

 アンノウンよりも射程距離が長いため、初撃こそ譲ったが、距離を詰めた後はアンノウンも基地砲撃に参加した。とはいえ、射程距離だけでなく、火力もまたアンノウンより上回っているのは、星司の調整あってのものだろう。

 より強力な深海棲艦へと生まれ変わった深海長門は、まさに深海中部艦隊の新たなる戦力としてふさわしい船出を飾った。このままいけば、彼女こそ新たなる旗艦として立つのもおかしくはないほどのものだった。

 

(何事もなければいいんだけどねえ)

 

 今のところ問題は何もない。

 敵が迫ってきたとしても、ここには深海中部艦隊だけでなく、深海南方艦隊もいる。それに深海吹雪曰く、今回の作戦では新たなる深海棲艦の完成に至り、デビューを飾ろうとしている個体がいるとか。

 それはアンノウンにとっても実に楽しみなことだ。

 

 また、星司も北方から発信された新たなる量産型として、鈴谷を導入している。彼女たちもまた、現在深海長門の部隊などに配備されている。彼女たちの性能についても楽しみなところだった。

 今は勝利を飾っている作戦だが、ここからどう転ぶのか。久しぶりの戦いということもあり、アンノウンは寝転がりつつ、静かにその時を待っていた。

 

 

 

「トラック島を確認しました。深海棲艦が布陣しています」

 

 偵察機から見える光景を確認した赤城が、そのように報告する。時間をかけて航行した指揮艦は、少しスピードを落としつつ、モニターに島の様子を映し出した。その映像はラバウルの指揮艦にも共有され、二人は現在のトラック島の様子を知ることになる。

 

「埠頭は完全に奴らの手に落ちてるっすね……。それだけじゃない。そちらの方にも艦隊が布陣しています。奴ら、あなたの方にも警戒心を向けてますよ、これ」

「……そのようだね。旗艦らしきものは……あれは、空母水鬼かな? それに……ん? あれは」

 

 ざっと深海棲艦の顔ぶれを確認していく深山は、ある一点を見て目を細める。気になったところをより映せないかと申し出、偵察機がそのように動き、拡大していく。

 そこに映っていたのは、深海提督の証らしきマントを羽織っている少女、深海吹雪だった。それを確認した深山はぎゅっと拳を握り締めて、唇を噛みしめる。

 

 本当に、彼女も出陣していたとは。そしてよもや、このラバウル艦隊を警戒するように布陣するとは、とこの数奇なる巡り合わせに複雑な思いを感じてしまう。

 しかし、これは好都合ともとれる。自分たちの手で、あの深海吹雪を終わらせることができるのだ。そう決めていた深山たちにとって、これ以上ない好機といえよう。

 何としてでもここで深海吹雪を仕留める。それを改めて決意させるのに十分な布陣だ。

 

「……こっち側は任せてくれ。何としてでも早急に決着をつけ、そちらに合流するよ。それまでは、トラック島の方の敵艦隊を押さえておいてくれ」

「任せてください。オレたちが奴らを仕留めていきます。オレたちだって力をつけてきたってところを、あいつらに見せつけてやりますよ」

 

 ぐっと拳を握り締めて、どんと胸を叩く。

 そんな彼はまだ知らない。トラック島を落とした敵艦隊を統べるもの、香月が戦おうとしている艦隊の主が、兄である美空星司であることを。

 

 知らないまま、これから戦おうとしているのだ。これもまた数奇な運命のいたずらによるものなのかもしれない。

 だが、もうすぐ両者は相まみえる。

 深山は大きく深呼吸をし、通信機を手に取って告げる。

 

「……これより、ラバウル艦隊とパラオ艦隊による、トラック島に展開した深海棲艦との交戦を始めるものとする。出陣する部隊はあらかじめ伝えておいた通り。各自、持ちうる力を出し切り、トラックの東地たちを救うべく、奮戦することを期待する! 総員、出撃せよ!」

 

 その号令に従い、次々と艦娘たちが海へと飛び込み、トラック島に向けて航行を始めた。

 展開される布陣は、秘書艦である陸奥率いる主力艦隊をはじめとする、ラバウル艦隊の文字通りの全力での大艦隊である。

 もちろん、指揮艦周りには護衛のための部隊も残されており、万が一空母水鬼から艦載機が送り込まれたとしても、対処できるようにしてある。

 

 同様に、パラオ艦隊もトラック島へ向けて艦隊が出撃する。こちらもまた秘書艦である赤城たちから、艦載機が発艦され、艦隊に先んじてトラック島へ向けて飛行を始めている。

 ここに、ラバウルとパラオの連合艦隊による戦いが幕を開けることとなる。

 

 その動きは、当然ながらトラック島でも把握された。

 警戒していた偵察機からの連絡が深海赤城へと届けられ、「提督、奴ラガ来タ」と報告される。それを受けて、星司は「いよいよか」と腰を上げる。

 

「向こうからパラオ、あっちからラバウル。それでいいんだね?」

 

 問いかければ、肯定の意が返ってくる。それを聞いて、星司は静かに肩を震わせる。

 笑いがこみ上げて止まらない。よもやあの時、深海吹雪に任せて仕留めそこなった相手が、こうして出撃してくるとは。

 想定していた通りの展開ではあるが、まったく、自分の手でやりたくはなかったから、パラオ襲撃作戦を任せたというのに、と星司は声には出さずに思わざるを得ない。

 

(でも、仕方ないよね、香月。あの時死んでくれなかったから、この僕の手で君を殺さなくてはならない。悲しい、実に悲しいことだよ、香月……!)

 

 悲しみに手が震えている。否、そうではない。

 目から金色の光が明滅し、全身を震わせながら星司は、己の手を見下ろしている。

 

 湧き上がる感情は――怒りだ。

 どうしてこうなったのかという、運命への怒り。

 どうしてあの時死んでくれなかったのかという、香月への怒り。

 まんまとここまで来てしまったという、愚かしさへの怒り。

 

 そして、どうして自分は、そんな香月を殺そうとしているというのに、口は笑みを形作っているのだろうという、己への怒り。

 

「は、はは、ハハハハハ……! ああ、嗚呼、どうしてだろうねえ……!? どうして僕はこうして笑っているんだろうねえ!?」

 

 ぐっと口元に手を当てながらも、その手に伝わる感触が、はっきりと自分は笑っているのだと如実に伝えてくる。かつては骨しかなかった己の手は、今は深海棲艦を構成する皮に覆われていて、感触がわかりやすくなってしまっている。

 ああ、どうしようもなく、自分は歓喜している。自分で作り上げた艦隊が、血を分けた弟を殺そうとしている現実を嘲笑っている。

 

「いけないんだぁ……、ダメだよ、香月。僕の思う通りに動いてくれるな、香月。僕の手で終わらせたくなかったのに、ハハハハハ……、終わらせないといけないなあ。君の夢もろとも、この手で命を終わらせてしまう」

 

 知っているとも。記憶が蘇っている今ならわかる。

 自分は第三課へ、香月は提督への道を歩もうとしていた。時を経て夢を叶えて、提督着任を果たした香月は、ただ深海棲艦との戦いを続けているだけに過ぎない。

 

 だからこそ、こうして戦場で相まみえる。

 彼は提督として、自分は深海棲艦として。

 こうなってしまうのは自然なことだ。

 

 彼は知っているのだろうか?

 自分がこうしてここに在ることを。つい、深海提督のマントについているフードを深く被り直してしまう。香月にこの顔を見られたくはないと、心のどこかで思ってしまっている。

 

 でも、だからといって戦う手を緩めるつもりはない。トラック泊地陥落の勢いを殺さず、のこのこと出てきたパラオとラバウルの提督もここで仕留めるのだ。

 それを実現させることによって、ソロモン海域からトラック、パラオまでの海域を深海勢力の手中に収めてしまう。南方海域を、完全に深海勢力のものとすれば、欧州海域と共に、二大勢力として成長させ、より深海勢力の優位性を示すことができるだろう。

 

 この戦いは、まさに深海勢力にとっても、大きな節目となるだろう。何としてでも勝利を収めなければならない。

 

 だからこそ、星司はフードの下で笑みを浮かべながら告げるのだ。

 

「――諸君、敵がやってきた。哀れにもパラオ艦隊がトラックを助けるために僕たちの前に出てきてしまった。吹雪率いる艦隊に負けそうになったというのにね? そんな奴らに、僕たちが負ける道理があるかい?」

 

 その問いかけに、深海棲艦たちは、否、否、否と声を上げる。

 

「そう、あり得ないことさ。トラックの提督や艦娘を救い出そうなど、思い上がった忌々しい艦娘たち。まだまだ未熟な奴らに、現実ってものを教えてやるといい。迎え撃て、諸君! 奴らに、敗北を思い知らせてやるんだ!」

 

 星司の言葉に、深海棲艦たちが湧き上がる。我先にと先陣切ってパラオ艦隊の方へと出撃していき、空には深海赤城たちが放った艦載機が舞い上がる。

 浜辺で寝転がっていたアンノウンも海へと降り立ち、すっと航行して、静かに佇んでいた深海長門の方へと向かっていった。周りで出撃していく深海棲艦らを見ても、深海長門は動かない。どこか冷めたような眼差しで、遠ざかっていく背中を見つめている。

 

「乗り気じゃないなあ、長門? 何か思うところがあるのかい?」

「……いいや、何も。ただ、そうだな……」

 

 少し言葉を考えるかのように、首を傾げつつ口元に手をやる。その考えるしぐさもまた様になっていて、小柄なアンノウンはそれをじっと見上げていた。その視線を合わせてくるのが、双頭の片割れの魔物で、低く唸りながらじっとアンノウンを見下ろしている。

 やがて答えが出たのか、「――ああ、そうだ」とぽつりと漏らした。

 

「――わたしに、弱者をいたぶる趣味はない。ただ、それだけのことだ」

「はっ、なるほど、そりゃあ崇高な性分だあ。でもさ……」

 

 と、アンノウンはとん、と長門の腰に軽く手で叩くようにしつつ、目を細める。

 

「それは人の性分だ。兵器にとっちゃあ、何の意味もないことだな? 兵器は使う側の意に応え、平等に敵を葬るだけ。強者も弱者も、平等に、さ? お前もそういう存在に堕ちたんだからさ、つべこべ言わずに敵を葬ろうじゃない。折角性能を上げたんだぁ、使わずに戦場を去るってのは、兵器としては無駄極まりない」

 

 と、深海棲艦らしい言葉を並べていく。それに対して深海長門はまた、どこか不機嫌そうにも見える表情を浮かべる。だが、そんな彼女から出たのは「確かにそうだな」と、意外にも同意の言葉だった。

 

「わたしは兵器だ。どのような敵であれ、戦って性能を示す。それには特に疑問はない。つまらない言葉だった。それについては謝罪しよう」

 

 と、どこか素直な様子に、逆にアンノウンが訝し気に目を細めた。

 そんなアンノウンへと軽く頭を撫でてやりつつ、すぐに離れて前へと出ていく。自分の調子を確かめるように、軽く肩を回し、首を傾げ、指を鳴らしつつ、艤装である主砲が唸りを上げて旋回する。

 

「だが、こうも言いたくなろう。簡単に兵器だったものが、ただのガラクタに成り下がる。性能を示すにはあまりにも脆い相手に使うなど、兵器としてはつまらない光景というものだ」

 

 何の気なしに、そう告げながら、照準を合わせた深海長門が、気だるげに手を伸ばす。

 瞬間、轟音が海域に響き渡り、数秒の時間をおいて、遠方で爆発する。アンノウンもそちらを見やると、深海長門と共に見えたものは、立ち昇る水柱と共に、吹き飛んでいる人の影だった。

 この長距離から正確に標的を射抜く技術。それはトラック泊地襲撃の時からわかっていたことだが、よもや艦娘相手でも成功させるとは。

 

(こいつ、まさかボクの想定した以上に進化しやがったか……? はっ、さすがは長門だったモノ。あいつ、とんでもないものを仕上げたなぁ、おい……)

 

 涼しい顔をしている深海長門を改めて横目で見上げながら、苦笑しか浮かばないアンノウン。呉の長門を称えるべきか、そんな彼女を堕とした上で、ここまで調整しきった星司を褒めるか。

 どちらにせよ、星司にとっての最高傑作と呼ぶにふさわしい仕上がりだ。この戦い、万事うまくいけば、勝利は揺るがないだろう。

 

 そう思わせる初撃に対して、アンノウンはとりあえず、拍手を送りながら自分もまた戦場に飛び込んでいった。

 



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深海吹雪

 

 ラバウル指揮艦は航行スピードを落とし、距離を取って戦場を眺められる位置を取っていた。出撃していった艦隊は、間もなく敵の水雷戦隊と交戦しようという段階に入っている。

 一見すれば敵の旗艦は背後にいる空母水鬼だろうが、恐らく真の旗艦は水雷戦隊と程近い位置にいる深海吹雪、またの名を南方提督だろう。

 

 彼女は後方に陣取って指揮をするだけに留まるかと思われたが、どういうわけか自分も戦場に出てくるタイプらしい。前回のパラオ襲撃では後方に陣取って指揮を行っていたようだが、今回は違う方針を取ったのだろうか。

 何にせよ、自分から出てくるのであれば、好都合ととれる。何せ旗艦である彼女を仕留めれば、深海南方艦隊の指揮系統は崩れる。それだけではなく、南方提督が落ちることは、敵にとっても大きな痛手となる。

 

 何より、ラバウルの艦娘たち、特に深山と陸奥にとっては深海吹雪を必ず仕留めると意を決していたのだ。標的が自分から出てきてくれるものほど、好都合なことはない。

 陸奥の拳に力が入ろうというものだった。

 

「敵の中に新型を確認しました。姫……いえ、鬼級の何かです」

 

 ラバウル一水戦を率いる名取がそう報告する。

 そこにはあの深海那珂がいた。中身的には那珂と阿賀野の合体ではあるが、深海吹雪が那珂と呼称しているため、そのように表記することとする。しかし一見して名取たちには、そういう存在には見えないだろう。

 

 何となく頭の横についているお団子が特徴的だとか、駆逐棲姫のように足に艤装があって、人の足がなさそうだという風にしか見えない。

 深海那珂は雷巡チ級や軽巡ツ級、そして脚付きの駆逐艦後期型といった面々を引き連れ、先陣を切って突っ込んできている。

 彼女もまた先頭にいる名取に気づき、好戦的な笑みを浮かべてきた。

 

「フフ、獲物ネ。イヨイヨ私ニトッテノデビュー戦トイッタトコロカ。サア、道ヲ開ケナサイ。拒否スルナラ、沈ンデイケ」

「ふぅ……あからさまな殺気……。でも、やるしかない、ですね。みんな、気を引き締めてかかろう。砲雷撃戦、開始ッ!」

 

 最初こそ困ったように眉をひそめ、弱々しい声色だったが、すぐに表情が引き締まって、名取は戦闘態勢に入る。肩から提げているアサルトライフル状の主砲を構え、深海那珂へと砲撃。

 後に続く皐月たちも砲撃を開始し、弾丸は次々と深海那珂へと迫っていく。それを深海那珂は足の艤装を巧みに操り、旋回、速度変更と流れるような回避行動を取り、被弾したのは名取の砲撃のみとした。

 

 それも腕で防御した上で突き抜け、手に顕現した主砲で名取へと反撃の砲撃を行う。形状からして14㎝単装砲。飛来する砲弾を避け、滑るように移動し、回り込みつつも、深海那珂に随伴してきたチ級らへと軽く視線を向ける。

 狙ったように魚雷発射管を構えているチ級フラグシップ。あれをまともに受ければひとたまりもないが、腰に備えた副砲がすぐにそちらへと向き、魚雷発射管へと砲撃を加える。

 

 エネルギーが溜まっているそこへと狂いなく着弾し、傷がついたことでエネルギーが暴走。艤装の爆発によって体勢が崩れたところを、片手で持ち直した主砲を放って撃破する。

 これまで視線は軽くチ級に向けただけで、しっかり見据えているのは深海那珂のみ。鋭く切れ長の眼差しをした名取は、さっきまで見せていた普段の気弱な彼女ではない。このオンとオフの切り替えの二面性が際立っているのが、ラバウルの名取だった。一水戦旗艦を任せられているだけある。

 

「計測完了。その深海棲艦は軽巡棲鬼と呼称します。名取さん、軽巡棲鬼の背後より、あの吹雪が迫ってきています。注意を」

「わかりました。……援護はどうです?」

「間もなく射程内に入るわ。艦載機も空母水鬼のものと交戦開始。しばらくは上空もうるさくなるわよ」

 

 大淀からの通信で、深海那珂は軽巡棲鬼と呼称されることとなった。離島棲鬼以来の鬼級といえるかもしれない。

 鬼級らしく軽巡ではあるがその装甲は厚く、腕で防御した名取の砲撃の傷はそう見られない。何でもない風に軽く腕を振り、足の艤装が口を開けて魚雷を発射してきた。

 

 しかしそれらは名取に随伴してきた皐月たちが砲撃で処理する。ラバウル一水戦はかの戦いのとき、天龍と吹雪を喪い、新しく那珂と夕雲が参加している。彼女たちもまた一水戦の名に恥じないほど鍛えられており、魚雷を処理しつつ軽巡棲鬼へと牽制の砲撃を撃つ。

 その隙をついて、後方から陸奥たちが放った砲撃が飛来し、追撃を行う。軽巡棲鬼といえども、戦艦の砲撃ともなれば顔をしかめ、いったん後退した。

 

 入れ替わるように前に出てきたのが、深海吹雪だった。彼女は状況を確認するように一度、視線を巡らせて、名取が一番強い艦娘と判断したようで、迷うことなく主砲を名取に向ける。

 向けられた殺気に名取も反応し、主砲を構えて距離を詰める。先んじて砲撃したのは深海吹雪だった。放たれた弾丸は瞬時に顔を逸らした名取の傍を通り過ぎ、ボブカットのなびいた髪を貫いていく。

 

 鋭い眼差しが少し大きくなり、かわした軌跡に従ってうっすらと青い光が流星のように尾を引く。だが、名取は止まらない。右、左とステップを踏むように、どっちに行くかを悟らせない動きをするに従って、青い流星もまたその軌跡を描いていく。

 その動きに深海吹雪は何か嫌な予感を察したのか、異形の左手を構えて対応しようとする。それよりも早く、名取は身を低くして、一気に距離を詰めた。

 

 爆発的な加速に深海吹雪は反応が遅れる。気づけば、名取は深海吹雪の目の前におり、加速した勢いのまま深海吹雪へと飛び膝蹴りをしていた。腹に伝わる強い衝撃に、呻き声を漏らす間もなく、浮いた体に腰の副砲が追い打ちをかけていく。

 そうして打ち上げた深海吹雪の眉間を狙うように主砲を構え、名取が力を込めた弾丸を撃ち放つ。だが、それは咄嗟に深海吹雪が顔を動かし、弾は額から生えている角を抉る形となった。

 

 撃たれた衝撃のまま深海吹雪の体が後ろに飛ぶ。仕留めきれなかったことに、名取は小さく舌打ちする。今の奇襲で一気に仕留められれば流れはこちらのものだった。

 先手を譲りつつ、後手からカウンターを決める。あの一瞬の出来事が、名取にとっての必殺の構えだったのだが、それを失敗すれば、少し困ったことになる。

 

「討ち損じました。すみません……」

「いいわ。次の手に移りましょう。軽巡棲鬼か南方提督か、どちらかをこっちが抑えましょう。一水戦はどっちをやる?」

「……そうですね、では、当初の予定通り、軽巡棲鬼を。こちらなら、私たちでも問題なくいけそうです」

「わかったわ。あなたがそこまで言うなら、信頼できるもの。では、南方提督は私たちが。……譲ってくれたのなら、感謝するわ」

「いえ。健闘を、祈ります」

 

 少し後ろに来ていた陸奥たちが、ラバウル一水戦を迂回して、飛ばされた深海吹雪の方へと向かっていくのを横目で見送りつつ、名取は主砲に次弾を装填して、肩にかけるように持ち直す。

 ざっと展開されている敵深海棲艦らの位置を確認すると、「那珂ちゃん、皐月ちゃん、初春ちゃんは左側を、時雨ちゃん、夕雲ちゃんは右側を任せるね」と指示を出す。

 

「私は、あれをやる」

「了解!」

 

 指示を受けた艦娘たちが応える中、体勢を立て直して、名取を完全に敵とみなした軽巡棲鬼が不敵な笑みを浮かべて名取を見据える。その視線を受け止めながら、軽く首を鳴らすように首を傾げ、とん、と一度手に持つ主砲を肩に当てて、「……さあ、早いところ終わらせなきゃ」と、自分に言い聞かせるように呟く。

 

「前哨戦で、消耗してられませんからね」

「……ッ、舐メタ口ヲ……! イイワ、オ前ハ、二度ト浮上デキナイ深海ニ堕トス……!」

 

 その言葉を挑発と受け取った軽巡棲鬼が一気に興奮し、復帰早々突出する。冷静さを失ったその様に、名取は思わぬ好機と微笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 指揮艦の艦橋で深山は現在の戦況を確認しつつ、どうするかを思案する。名取の言うように、軽巡棲鬼は前哨戦に過ぎないかもしれない。新たなる深海棲艦が現れたとはいえ、鬼級に該当する存在。姫級が目立ってきた上に、水鬼級も登場した今、鬼級は格下のような印象を受けてしまう。

 とはいえ、新たに軽巡級も登場したとも考えられる。駆逐、戦艦、空母と埋めてきた中で、軽巡が登場したのだ。となれば重巡も近い将来出てこないとも限らない。深海棲艦も順調に戦力拡大を図ってきていると推察されるデータである。

 

 軽巡棲鬼を抜き、深海吹雪を撃破すれば、中部提督である星司と戦うことになる。深山は彼がそうであることは知らない。知っていたとしても、星司については美空大将の亡くした息子であるぐらいしか知らない程度の間柄だ。

 ここで本格的に対峙したとしても、思い入れは何もない。あるとすれば、香月は大丈夫かと、少し心配になる程度である。

 

「……空母水鬼についてはどんな感じ?」

「現在均衡状態かな。押し切れるわけでも、押し切られるわけでもない。というか、下からツ級でしたっけ? あれらが対空射撃してきているせいで、若干こっちが不利になりかけているみたい」

 

 そう報告してくるのは飛鷹だ。表情が渋いところから、彼女はほぼ確信をもってこう報告している。アトランタを種にして生み出されただけあり、ツ級は高い対空性能を有している。

 深海北方艦隊に配属され、深海の間でも共有された新たなる量産型は、半年が経ったということもあり、こちら側にも順調に配属されている。通常のツ級だけでなく、エリート級も登場しており、より優れた対空性能を発揮して、艦娘が放つ艦載機を撃墜させていく。

 

 空母水鬼という高い性能を有する空母と、性能の高い艦載機。これに加えて高い対空性能を有する軽巡が随伴するとなれば、艦娘側にとってまたしても不利な状況に追い込まれはじめることを予感させる。

 せっかく対空射撃に関する新たなるシステムが広められたというのに、敵もまたツ級という量産型がそれを実現させてくる。いや、正しくはツ級が先に登場したからこそ、後から並び立ち、そして上を取られているというべきか。

 何もかもが後手になっているため、じわりじわりと食い破られているかのような感覚を覚える。

 

「……ツ級を迅速に落としていかないとまずいか。むっちゃん、敵の随伴艦の処理は?」

「それが、ツ級を守るように、駆逐棲姫だけじゃなくて新しい誰かがいるみたい。たぶん装甲の感じからして、重巡かしら」

「……新しい量産型だって?」

 

 これもまた先日、北方で事故によって生み出された存在。深海では鈴谷と呼称した艤装からして異形なる存在。いろは歌になぞらえるなら、ツの次であるネ級に該当する量産型深海棲艦だった。

 二つの異形に砲門が生えたそれを、陸奥たちに向け、手で指示を出すネ級から、次々と砲撃が行われ、飛来する砲弾はツ級を庇うように立ち回る。しかも重巡でありながら、どこか身軽に動くため、装甲で耐えるだけでなく、ひらりと踊るようにかわすのだから意味が分からない。

 

 これは思ったよりも手こずりそうか? 早いところ中部提督の方に行き、香月を援護したいのだが、と深山が少し焦りを見せていると、通信が入ってきた。香月から何かあったのだろうかと、通信に出ると、そこには思わぬ顔があった。

 

「……はい、こちら深山」

「深山か、突然すまない」

「……海藤? どうしたんだい急に」

 

 こういった戦いをしている際は、外からの通信は入りづらい印象だった。通信が妨害されているせいで、戦場となっている海域内でも、通信妨害のせいでやり取りがしづらかったこともある。

 それがまさか凪から通信が来るとは、呉で何かあったのだろうかと深山は首を傾げた。

 

「茂樹と連絡が取れなくてな。ラバウルの方にかけてみたら、お前が出撃しているっていう返事がきて、そっちにかけてみた。……何かあったのか?」

「…………あったといえば、あったね。僕は今、トラック島近海にいる」

 

 そして深山はこれまでの経緯を説明する。それを凪は静かに聞いていたが、その表情は明らかにこわばっていた。中部提督がトラック島の埠頭を占拠しているという話を聞いている時は、次第に手や体が震え始めていた。

 話している内に、深山は少し疑問を感じた。凪の背景が執務室ではなかったためだ。経緯を話し終え、「……ところで、海藤。君は今どこにいるんだい?」と尋ねると、

 

「――そうか。タイミングが良いのか悪いのか。待っていてくれ、俺も、なるはやでそっちに駆け付ける。それまで持ちこたえてくれ」

「……それって」

 

 と、言葉を繋げる間もなく、凪は通信を切る。あんなことを言えるということは、凪は呉鎮守府にはおらず、海上にいるのだろう。凪を交えた演習を予定していたのだから、その可能性はあったが、こんなことになろうとは。

 だが、これは光明だ。凪という呉の戦力が加われば、この戦いの活路を開くことができるかもしれない。それまで持ちこたえる、否、そんな受け身の考えでどうするというのか。

 

 可能な限り戦況を優勢へと持ち込んだうえで、凪たちを迎え入れる。そうでもしなければこの戦いに勝利という星を挙げることはできないだろう。

 陸奥へと通信を切り替えて、「……むっちゃん。呉から援軍が到着する見込みが出たよ」と伝えると、陸奥は少し驚いたが、小さく頷いて笑みを浮かべた。

 

「そう。なら、ここで臆してはいられないわね。飛鷹、衣笠。可能な限り援護お願い。朧、あなたは私についてきて。二人であの吹雪を押さえる」

「わかりました、お供しますね」

 

 衣笠率いる第二水上打撃部隊が深海吹雪に随伴しているツ級たちを押さえにかかり、敵の数を減らす目論見だ。当然ツ級を守るネ級とも相対するが、同じ重巡なら戦いようがある。

 飛鷹たちが放つ艦載機は相変わらず空母水鬼の艦載機と交戦し、陸奥が率いる第一水上打撃部隊の長門や霧島は遠方へと砲撃し、空母水鬼に随伴する深海棲艦へと攻撃を仕掛ける。

 

 他の艦娘たちも軽巡棲姫、深海吹雪と交戦しない顔ぶれは間を縫って前に出、空母水鬼へと距離を詰めていく。その流れに乗って陸奥と朧も共に深海吹雪へと接近。名取に吹き飛ばされていた深海吹雪は体勢を立て直しており、向かってくる二人を見て、相手をするのは彼女らと悟る。

 

「……そう、あなたたちが相手をしてくれるのですね? でも、どうでしょう? 私の相手が務まりますか?」

「自信があるようね。では、その自信を砕くとしましょうか?」

「戦艦が私に大口を叩くと? 私たちの魚雷の前に成す術なく沈むしかない戦艦が、よもや私の前に立ちはだかろうなど、思い上がりも甚だしい。そんな駆逐艦を一人連れてきたところで、どうにもなりはしないことを教えてあげます」

 

 冷たい笑みを浮かべながら、目から赤い燐光を放つ深海吹雪。風になびくその白髪と、その顔立ちは、まさにかつての艦娘、吹雪の生き写しと言える。

 しかし彼女はもうあの頃の吹雪とは違うのだ。

 その思考も、立ち位置も、そしてその異形の左腕も、彼女は吹雪ではないことを如実に語る。

 

 左腕をかざせば、そこに光が灯り、右手で手の中から生える刀を抜く。同時に腰から展開されている艤装が陸奥たちを狙い、彼女が戦闘態勢に入ったことを知らしめる。

 

「朧、私が吹雪の気を引くわ。その隙に、あなたは雷撃を仕掛けていって」

「いいんですか? 私がお守りするのでは……」

「いいえ、今は、私が。あの様子からして吹雪は私を落とせばいいと思っている。それを利用させてもらうわ。それに、そう簡単に抜かれる程私も軟ではないつもりよ。信じて」

 

 確かに一説では深海吹雪の言う通り、戦艦は接近された駆逐艦による雷撃には弱いという話はある。駆逐艦の速さに戦艦の砲の旋回が追い付かず、一方的に雷撃を撃たれて沈められる可能性は否定できない。

 だが、追いつきさえすればその火力によって駆逐艦を返り討ちにできる。それに艦娘は人型だ。艦ならまだしも、人型であればやりようはある。

 

 不敵な笑みを浮かべて陸奥が前に出ると、その様子が気に食わないのか、深海吹雪は舌打ちをする。じわりと頭にノイズが走る。この感覚、どこかで覚えがあった。

 今はもう消し去ったパラオ襲撃戦の出来事に似通っている。かつての駆逐艦吹雪が轟沈した際に同行していた艦と相対したことで、無様を晒すこととなった流れだが、深海吹雪はそれを思い返すことはできない。

 

 ただ、煩わしいノイズが走っていることを自覚するだけで、その理由を追求することはない。それは余分な思考にリソースを回すことになるのだと、無意識にブレーキをかけた。

 その上で深海吹雪は陸奥と対峙する。かつての自分が所属していた基地の上司を前にしていることも露知らず、因縁の対決を演じるのだ。

 

「早いところ消えてもらいますね。あなたを倒し、さっさとあの船を沈めさせてもらいます」

「そうはさせないわ。他でもないあなたの手でそのようなこと、断じて許すわけにはいかない。私が、あなたを終わらせるわ、吹雪」

「あなたが私を捉えられるのなら、できるかもしれません――ねっ!」

 

 一息で陸奥との距離を詰め、その刀で陸奥の胸を突かんとする。反応できたのは、深海吹雪の動きに細部まで気を配っていたおかげだ。半歩ずれ、脇を通り過ぎる刃と深海吹雪の腕。それに対して手を当てつつ、もう片手で深海吹雪の首を掴もうとしたが、深海吹雪の腰の艤装にある副砲が自分を狙っていた。

 かわす間もなく砲撃を浴びる。駆逐艦の副砲にしては威力が高いそれに撃たれ、彼女を掴み損ねる。加えて距離を取りながら刃を振られ、軽く胸に傷が入った。

 

「ふんっ!」

 

 更に距離を取りながら魚雷も放っており、それは真っすぐに陸奥へと迫る。その動きは予測していたようで、すぐさま横に逃げて魚雷からは直撃を受けない。だが、距離を離したのなら、陸奥の砲撃のチャンスでもある。

 装填や旋回の早い副砲で攻撃を仕掛けるが、それがどうしたとばかりに回避していく。その程度ならまだいい、予想通りだ。避けつつ反撃してくるその一瞬の隙をついて、一発深海吹雪が逃げる足元を狙って撃ちこむと、狙い通りに深海吹雪の体勢が崩れた。

 

 アイコンタクトを送れば、準備をしていた朧が力を込めて魚雷を撃ち放つ。叫ばなかったのは奇襲を仕掛ける手を悟られないためだ。こういう時に無駄に叫んで敵に気づかれるようでは、全てをぶち壊す。

 横槍の一手こそ、静かに、しかし全力で行うべきだ。事実、深海吹雪は陸奥が向けている主砲の砲門を見つめており、高速で迫ってきている魚雷に意識が向いていない。

 

 防御するように手を伸ばしたのも、陸奥の方角。戦艦の主砲の一撃を防がんとしているが、魚雷の防御は全くない。となれば、どうなるかは目に見えていた。

 僅かな異音に気づいたのも束の間。何の対策もしないまま、深海吹雪は朧が放った魚雷の強撃をまともに受けてしまうのだった。

 



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深海吹雪2

 

 魚雷の強撃の威力を示すかのように、大きく立ち昇る水柱は、深海吹雪の姿を覆い隠す。防御する間もなくまともに受けたのだから、全く効いていないことはありえない。少なくとも深海吹雪へと大きなダメージは与えただろう。

 かといって目を離すようなことはしない。陸奥、朧は落ち着いていく水柱を見据え、その中で動く影に気づき、身構えた。だが、攻撃はそちらからではなく、別方向からやってきた。

 

 朧のもとへと飛来してくる砲弾は、朧に次々と命中し、吹き飛ばす。何が起きたのかと陸奥が咄嗟にそちらへと視線を向けた刹那、水柱の中から先ほどのお返しとばかりに魚雷が一斉に放たれた。

 避けるのは間に合わない。そう判断し、陸奥は艤装の船体を前に出して青の力を顕現。バルジシールドを用いて、次々と被雷するそのダメージを最大限に抑え込んだ。

 

「おや、その守りが使えるのですか。なるほど、艦娘側も進化をしているのですね。そればかりは計算外でした。だからといって、何も変わりませんが」

 

 余裕を感じさせる言葉に、艤装の奥で陸奥の目が細まる。赤い燐光を放ちながら佇む深海吹雪。その出で立ちは、確かに先ほどの攻撃など効いていないとアピールしているかのようだった。

 

 だが陸奥は見えている。その足元から赤い電光が時折放たれているのを。それは機械でいうところの、不調を示すかのような前兆の迸りだ。それに、足に僅かに垂れている血のようなオイルも、無傷ではないことを示している。

 その上で深海吹雪は、自分は健在だと陸奥に示している。そうすることで、共に戦う深海棲艦たちの士気を維持しているのだろう。上に立つものとして、それはある意味間違ってはいない在り方だ。

 

(朧は……)

 

 吹き飛ばされた朧はどうだろうかと、視線を巡らせれば、離れたところで起き上がっているのが見えた。被弾はしたが、戦えなくなるほどではないようだ。しかしその砲撃はどこから来たのだろうか。

 それを探れば、離れたところにネ級がいるのが見えた。腹から生えている二つの砲の艤装がうねうねと動き、朧か、陸奥かと顔が探りを入れている。

 

「私相手に二人でかかるのですから、こちらとしてももう一人加えても文句はないでしょう? そも、戦場に卑怯という言葉は不要です。勝つか負けるか、それしかないのですから。さて、あなたは……最上ですか。ええ、最上はそのままあの駆逐艦を。私は予定通り、この戦艦を仕留めます」

「ふふ、ええ、別に文句はないわ。最終的に勝てばいい。戦場において勝者こそが正義なのだからね。だからそうして、勝ったも同然といった顔をどこまで維持できるのか、見物よ、吹雪」

 

 どうあっても自分優位を崩さない深海吹雪と、それを前にしても不敵さを隠さない陸奥。どれだけ言葉を投げかけようとも、表情を崩さない陸奥に苛立ちが少しずつ募ってきたのか、ぴくぴくと眉や口元が反応する。

 気合一閃。力を込めて接近して振りぬいた刃が、陸奥の首元へと迫っていくが、陸奥は青の力を腕に纏わせて刃を受け止める。ガリガリと青の力が纏われている部分で刃が唸るが、それを抜き切ることはできない。

 

 そうして刃が止められており、深海吹雪が自分から接近してきたのだから、それを見逃す陸奥ではなかった。ぐっと力を込めた右拳で深海吹雪の頬を殴り飛ばす。

 だが深海吹雪もただ殴られているだけではなかった。彼女の腰の艤装が殴られる寸前に陸奥の腹へと狙いを定めており、カウンターを決めるかのように砲撃を行っていた。刃を止めるのに集中していたため、そちらは無防備だった陸奥は、まともに砲撃を受けてしまう。

 

 ただの駆逐艦の主砲ではない。深海が調整し、性能を高めた特別製の駆逐砲。その火力は戦艦陸奥であったとしても、その腹を穿ち、大きく出血させるには十分な威力を備えていた。

 たまらず吐血し、腹を押さえてしまう程のダメージに、陸奥はふらりと体勢を崩してしまう。殴り飛ばされた深海吹雪も、頬に手をやって、ぺっと口から血を飛ばす。殴られた自分に対し、陸奥は明らかに撃たれた傷だ。ダメージで言えばあちらの方が上だろう。後はこの隙に雷撃を仕掛ければ陸奥は終わる。

 

 そういう見込みで立ち上がり、装填し終えた魚雷発射管を向けたところで、ふらりと体勢が崩れる。「!?」と、疑問の声を上げる間もなく、咄嗟に手を海に付けて支えるが、上手く立ち上がれない。

 何故と思っていると、下がった視界の奥で、ネ級が朧と戦っている様子が見えた。あっちもさっさとネ級が朧を仕留めている頃だろうと思っていたが、どういうわけか戦いが続いている。

 

(駆逐艦相手に何を手こずっているのです、最上?)

 

 頬の痛みを感じながらそう心でぼやく深海吹雪だが、この頬の痛みに連動するように、頭がぐわんぐわんと揺れている。そこで気づく。人型だからこそ、頬、いや、顎をやられて頭がおかしくなったのだと。

 

(こんな時に、体が動かないなんて……! いえ、落ち着くのです、私。私なら、この距離、この体勢からでも中てて――)

 

 そんな吹雪の耳に届いたのは、やけに大きく聞こえてくる甲高い音。上から降ってくる死神の笛の音だった。

 

 

 

「……誤差修正、斉射!」

 

 構える銃の狙いを修正しながら、ぶつぶつと名取が呟き、腰の艤装の砲と共に射撃を敢行。狙い通りにそれらは軽巡棲鬼へと命中し、軽巡棲鬼は浴びせられる弾に苦い表情を浮かべている。

 自分が手にしている砲を的確に狙ってくるその攻撃で、軽巡棲鬼は攻撃のタイミングを阻害され続けている。それはまるでじわじわと自分の牙や爪を削ぎ落していくかのよう。着実に詰めてくるその戦いに、軽巡棲鬼は恐れを感じていた。

 

(何、コイツハ……!? 最初ノアノ顔ヤ雰囲気ハ何ダッタノ? イエ、ダメヨ、那珂。私ハ、違ウ。負ケテハイラレナイ。ココデ勝ッテ、次ニ繋ゲテイクノ。再誕シタ私ガ、結果ヲ出シテイカナケレバ、私ハ何ノタメニコノ海ニ出テキタノ……!?)

 

 何の因果か、那珂と阿賀野が終わった海で軽巡棲鬼としての道を歩み始めることになったからこそ、この戦いで勝利を飾り、かつての終わりから再出発するのだ。敗北から勝利へと塗り替えることで、自身の終わりを塗り替える。

 そうして軽巡棲鬼は運命を変えて、進化した兵器として素晴らしい船出を飾るだろう。そう決めていたのに、どうして自分はこうも着実に迫りくる敗北に震えているのか。

 

(コウナッタラ……!)

 

 と、軽巡棲鬼は破壊された砲を後ろへと投げ捨て、そのまま手を挙げる。名取は一瞬降伏のための手の挙げかと思ったが、そんなことはあるはずはないと、瞬時に切り捨てる。彼女の意図に気づくのに数秒。だが、その数秒でも十分だった。

 構えている銃から手を離し、背中に手をやって武器を顕現させて、肩に構える。対空砲に分類されているロケットランチャーを軽巡棲鬼の背後の空へと向ければ、名取に向かって降下してくる艦載機が見えた。

 

 だがそれらを迎撃すべく弾が一気に放出され、次々と上空から攻撃をしようとした艦載機が撃墜されていく。そうして完璧な対処をした名取に対し、軽巡棲鬼は笑みを浮かべて足元の艤装に力を込める。

 開かれた口に赤い光が灯り、強化された魚雷が一斉に放出。迅速なスピードで海を割り、突き進んでいく魚雷たちが名取を沈めるべく唸り声を上げる。

 

「馬鹿メ! 足元ガオ留守ッテヤツヨ!」

 

 ロケットランチャーを撃った反動で動けない名取を、軽巡棲鬼は勝ちを確信して嘲笑う。それに加えて、念には念を入れるために副砲を構えて名取へと狙いを定めていた。さっきまでの動きからして、万が一に備えていた。

 そこに、絶対に勝たなければいけないという軽巡棲鬼の強い意志すら感じさせる用心深さがある。

 

 名取は迫ってくる魚雷に対し、少し焦ったような表情を浮かべてはいた。しかし頭の中は冷静だった。普段気弱で自信なさげな彼女ではあるが、だからといって何もかもに臆しているわけではない。どのようにすれば生き残れるのか、被害を抑えて皆を生還させられるのか、そういったことに常に気を配っているのが、ラバウルの名取だった。

 

 一水戦旗艦という立場は、艦娘の名取の性格からして重荷である。自分より他の艦娘の方が適任だ。自分には無理だ、降りたいというのを、口にしてしまう程だ。

 それでも深山は名取に任せた。そんな自信のなさげな素振りをしながらも、他の皆に対して気遣いができる彼女だからこそ、守り抜いて生還できるだろうと信頼をおいていたためだ。

 

 事実、守りに重きをおくかつてのラバウル艦隊において、名取は生き残らせることに長けた動きを身に着けた。艦娘の犠牲を出さず、ソロモン海域で立ち回り続けた。

 かのソロモンの戦いを経て、交流を再開した後も、それは変わることはなかったが、アンノウンとの初戦によってついに犠牲者を出す。そのことに関して、名取は激しく自分を責めることとなる。

 もう少しうまく立ち回れば、こんなことにはならなかったのにと、後悔し続けた。

 

 でも、名取はそこで立ち止まることはなかった。ひとしきり責めた後、より洗練した守りと攻めの技術を磨き上げることとなる。

 そうして進化したのが、現在のラバウル一水戦旗艦、名取である。

 

(足の一本は最悪持っていかれるかなぁ……でも、それで済むなら、まだ安い)

 

 想定されるリスクを考慮した上で、名取は腰の副砲を下に向ける。体は動かなくとも、艤装は動くのだ。タイミングを見計らって、通常の砲撃よりも威力を高めた射撃を行い、その反動によって体が浮かび上がり、迫ってくる魚雷の直撃を避ける。

 だが複数飛来した魚雷の内の一本が、浮いた足に直撃し、爆発する。その爆発によってより一層名取の体が浮かび上がり、立ち昇る水柱に呑み込まれた。

 

 加えて水柱の中で何かが爆発する音が聞こえたが、水柱にかき消されてしまう。何が起きているんだと軽巡棲鬼は、つい呆然と見上げてしまった。

 戦場においてそんな風に隙を晒すなどあってはならないことだ。目で追ってしまう気持ちも敵ながら理解できるかもしれないが、それでは攻撃してくれと言っているようなものである。

 

 軽巡棲鬼に随伴している深海棲艦の対処を行っていた那珂が、そんな軽巡棲鬼を狙いすまして、魚雷発射管に青の力を込める。この好機は持って数秒。照準合わせも最低限の速さで行い、射出。

 

(何だかあの子を見ていると、心がざわつくけど、関係ないよねっ! 名取ちゃんが作り上げた時間、使わせてもらうよー!)

 

 放たれる必殺の一撃。深海棲艦が放とうと、艦娘が放とうと、水雷戦隊にとって魚雷とは艦に対する必殺となる。それが強撃ともなればより恐るべき一撃となるが、青の力を込めればどうなるのか。

 それは火を見るよりも明らかだろう。中れば文字通り致命傷を相手に与えかねない一撃となり、それは今、深海側の自分の一端を顕現させた軽巡棲鬼へと到達する。

 

 脅威となる名取に気を取られすぎ、離れたところにいる自分を構成する片割れを象徴する艦娘が放ったそれに気づかなかった軽巡棲鬼は、悲鳴を上げる間もなく致命の一撃を受けて倒れ伏す。

 広がる爆風に煽られ、足元から胸元まで焼ける一撃に、海上を転がり、髪にあったお団子もほどけて乱れる。足元から広がる痛みが、かつての自分の終わりを想起させ、苦しみの中で呼吸も乱れる。

 

 瞳の光が明滅し、苦悶の声が漏れて出る。自分の下半身が失われる痛み、体だったものがなくなっていく不快感。燃え広がる熱さと、冷たい底に沈む感覚。様々なものが頭をよぎる中、感情と共に自分だったものが組み替えられていく。

 震える手が自分の胸を掻き毟る。セーラー服があったところは、爆風に焼かれて肌を露出しており、直に己の肌に爪が食い込む。じわりと血が滲むが、荒い呼吸を何とか次第に落ち着かせていけば、誰かがそこに立っている気配がした。

 

 見上げれば、名取が静かに歩み進んでいた。その片足は魚雷にやられたことで、焼けただれているようだが、気にした風もなく歩いている、ように見えるだけだ。自分の目がおかしくなっているようで、実際には少し足をかばいながら、よたついたように歩いている。

 でも、今の軽巡棲鬼には、一人の戦士が自分に死を与えるべく歩いてきているようにしか見えていなかった。

 

「ハ、ハハ……ナルホド、オ前ヲ倒セレバト、思ッテイタノニ、ヨモヤ別ノ誰カニヤラレルナンテネ。コレダカラ戦場ハ……」

「私一人が目立てば、自然と他の皆は意識から外れる。大きく傷つくのは私でいい。それが、私たちの戦い。あなたは最初から私の作戦に乗せられていたんですよ」

 

 そう宣告して、名取は銃口を軽巡棲鬼へと向けた。

 せっかく新型軽巡として作られたのに、いいところは何もなし。あったとすれば、それは名取の足を負傷させた程度でしかないとは、新兵器として悲しいことこの上ない。

 自分の不甲斐なさに歯噛みしていたが、

 

「――でも、一矢報いてきたのは見事です。私としては、被害を抑えて終えたかったのに、その目論見を打ち砕いたんですから」

 

 射撃をしながら名取がそう告げる。言葉を全部聞いていたのかどうかはわからないが、何もできなかったと自分を卑下した軽巡棲鬼に対して、名取は敵ながらも称賛した。小さくとも救いはあったのかもしれないが、額を撃ち抜かれて海に沈んでいく軽巡棲鬼に、その全てが伝わっていたかは、誰にもわからなかった。

 

 敵水雷戦隊の旗艦を討った。そこで名取は大きく息を吐きつつ、負傷した左足をかばう。戦いが終わったことで、意識しないでいた痛みが襲い掛かってきた。それに気づいた那珂が「名取ちゃん、大丈夫!?」と駆け寄ってくる。

 それに手で制し、「大丈夫です。……ですが、これでは私は戦いを続けられません」と、正直な状況を告げる。

 

「私以外で大きな負傷は? 補給の是非は?」

「負傷に関しては、中破以上になっている子はいないよ。ただ、補給は必要かな。結構撃って敵を減らしたから」

「わかりました。では一水戦は補給と修復のため一時帰還。それまでの間は二水戦以下が場を持たせ、私たちが戻り次第交代して補給に当たるようにしましょう」

 

 この先のことについても決めておき、那珂に庇われながら名取は指揮艦へと一時撤退を行うのだった。

 

 

 時を少し遡る。

 深海吹雪へと迫っていたのは、爆弾を投下した艦爆だった。上空では空母水鬼らの艦載機と制空争いをしていたはずだが、何故艦爆が攻撃を仕掛けてきているのか。そのタイミングが生まれるほど、押し込まれているのかと、刹那の思考の中で、深海吹雪は咄嗟にその場から飛び退いた。

 背後で爆発するそれに煽られたが、すぐに体勢を立て直す。見上げれば、艦載機の交戦はまだ続いてはいたが、お互いに艦爆や艦攻が戦いの合間を縫って敵へと攻め込んでいた。

 

 深海吹雪だけではない。陸奥にも艦爆が襲い掛かっており、それを対空射撃で迎撃を行っている。何が起きているのかと背後を見れば、空母水鬼へと攻撃を仕掛けている艦娘が何人かいる。

 随伴艦がその艦娘から守ってはいるが、少し押し込まれて不利な状況か。そこで空母水鬼はラバウル艦隊の旗艦である陸奥へと攻撃を仕掛けたらしいが、それでは思考する選択肢が多すぎて混乱するのではないか。

 

 迫ってきている艦娘の対処、制空争い、からの陸奥への攻撃と、自ら行動を増やしてどうするのか。いや、それくらい状況が移り変わり、ややこしくなっているということ。それは同時に、やり方次第ではひっくり返る余地はあるのだ。

 そう、今ここで陸奥を仕留めれば、ひっくり返ること間違いない。艦隊旗艦同士の戦いだ。ここでやらねば、自分の価値を大きく証明できないといってもいい。

 

(この私が、一度ならず二度も負けるなどあってはならないんです。私は南方提督。この先、ソロモン海域を収め、勢力図を広げる存在! そのためにも、ラバウルには消えてもらわなければならないんです!)

 

 自分に言い聞かせるようにして奮い立たせる。ひと際強く両目の燐光が輝いた。

 ぎゅっと刀を握り締め、カタカタと歯を打ち鳴らす艤装がじっと陸奥を見据える。

 対して陸奥は腹に受けた砲撃の痛みを堪えつつも、その目は死んでいない。ぎゅっと肉を締めて止血はしており、艤装の主砲と副砲、そして対空砲もフルに展開した状態で、深海吹雪と上空からの艦載機の攻撃に備えている。

 

 痛みは我慢すればどうということはない。問題は痛みに反応して、体が上手く動くかどうかだ。それさえクリアすれば、勝ちの目は拾える。布石はもうすでに打っている。それが機能すれば、勝てる段階にある。

 

(……さあ、来なさい、吹雪)

 

 深海吹雪なら、来るだろう。彼女としてもここで攻め込み、陸奥を討って勝ちを拾わなければならない理由があり、その意思は目に見えて明らかだ。陸奥はそこに合わせてカウンターを決めればいい。

 だからこそ陸奥は待ちの構えを取る。痛みを堪えながら静かに深海吹雪の動きに集中する。

 

 二人が睨み合うこと数秒。感覚的には一分以上にも感じられるほどの時間の中、ついに深海吹雪が動く。真っすぐ来るのではなく、一度迂回するように動く。

 上空で戦っている艦載機も相変わらずお互いを潰し合っており、時折攻撃のタイミングを窺うような動きをしているが、それを止めるべく飛鷹たちが放っている艦戦によって止められている。

 

 上からの攻撃はない。その中で深海吹雪は己の力のみで陸奥を討ち破らんと海上を動く。彼女の気は昂ぶり、呼応するように手にする刀に赤の力が込められていく。同時に艤装にも赤の力が込められていき、まさに必殺の一撃に備えている。

 陸奥もまた、全身に青の力を込め、高めていく。その両手、その艤装にそれらが纏われ、陸奥もまたその両目に蒼い光をたたえていく。

 

「――ッ! はぁッ!」

 

 海上を滑ってブレーキをかけつつ、刀を振りかざして、海を割る赤い刃を放った。パラオ襲撃の時に放とうとしたものに比べれば、威力は落ちる。あの時と違い、魚雷の力を込めていないためだ。

 それでも振り下ろした軌跡に従って、赤い刃が弧を描いて海を断ちながら突き進むそれは、まさにファンタジーにおける剣の攻撃を実現させている。

 

 赤い光を放つそれは、いわゆる風の刃に等しいだろう。速いが、高速で迫っているわけではない。飛来する弾丸の速度に近しいものだ。ならば慣れた速度であり、反応ができる。

 青の力を纏わせて構えた腕で弾きながら前に進み、反撃の砲撃を撃ち放つ。深海吹雪は自分の放った刃がいともたやすく弾かれたことに驚いた表情を浮かべたが、しかし飛来してくる砲弾を避けるためにまた動く。

 

 駆逐艦らしいその航行スピードの速さは、砲門が旋回するスピードを上回る。それを補うのが、陸奥の体の向き。自分もまた深海吹雪の動きに合わせて体の向きを合わせ、砲門が照準を合わせる時間を短縮させる。

 だが、深海吹雪はただ動いているだけではなかった。艤装の口から魚雷を発射しており、陸奥がその場に居続けるなら、これに呑み込まれるだけという状況を作り上げる。

 

 敵が来るのを待つという受け身の構えでは、雷撃に対しては弱い。動かない的にとって、まさに必殺の一撃となりうる。それは艦娘でも深海棲艦でも変わりはない。陸奥が動けば、それに合わせて深海吹雪も動いてくる。

 赤の風を防ぐなら、と深海吹雪は一本の魚雷を手にしてぐっと握りしめる。パラオ襲撃戦ではトラック艦隊の乱入によって不発に終わってしまった技。

 武蔵を討つために放つはずだったものを、改めてここで実現させるのだ。

 

「これで――――っ、え?」

 

 バチッと、足元から弾けた音がして、がくんと力なく深海吹雪は膝から崩れ落ちる。何が起きたのかわからないという表情で、そちらを見れば、足から幾度となく電光が弾けている。

 足が、上手く動かない。力も入らないから立ち上がることもできない。

 いったい、自分の体に何が? その疑問を感じる間もなく、深海吹雪へと砲撃が中てられる。

 

 かわすこともできない深海吹雪はまともにそれを受けてしまい、手から刀が放され、無様に海上を転がってしまう。受け身も取れず、荒い息をついて状況を把握しようとしたが、起き上がろうとする前に、目の前に砲門を突き付けられた。

 見上げれば、冷たい眼差しをしている陸奥が自分を見下ろしていた。

 

「ど、どうして……」

「どうして? 簡単な話じゃない。あなた、朧に雷撃受けたでしょう? その傷が効いてきただけよ。駆逐艦は足の速さが命。逆に言えば、足を失えば、駆逐艦はただの的よ。戦艦でも簡単に対処できるわ」

 

 あの時受けた朧の雷撃。小さな違和感に過ぎなかった傷が、今になってまるで時限爆弾のように効いてきた。しかもさっきは勢い良く動いていたうえに、海上を滑りながらブレーキもかけている。そんな足の使い方をしていれば、小さな傷だったものも広がってしまうものだ。

 紐解けば、実に簡単な話だったのである。

 

「あんな駆逐艦に何ができると、あなたは言っていたけれど、できたみたいね? 少し私たちを侮りすぎではないかしら? そうした驕りを生んだのは、やっぱり堕ちたせい? あなたはそういう子じゃなかったものね、吹雪」

「くっ、何を……」

 

 と、頭に時折走るノイズの向こう。朧げに浮かんできた映像に、深海吹雪は顔をしかめる。それでも次々に断片的に流れてくる映像(きおく)は、深海吹雪にとっては知らないもの。

 青空の下で活動している自分視点のそれは、きっと吹雪や天龍だったものが見ていた光景だと悟るのに、時間はかからなかった。

 どうしてこの状況でそんなものを思い出してしまうのか。その意味の分からなさの中で、陸奥は静かにこう告げる。

 

「慈悲よ、吹雪。最期の言葉くらいは聞いてあげるわ。言い残すことはある?」

 

 最期の言葉?

 その意味を理解しようとする中で、自分の意思とは関係なく動いている艤装が、唸り声をあげて陸奥へと振りむこうとする。だが、それより早く陸奥の副砲の一つがその艤装を撃ち抜いた。

 

 深海吹雪に向けている砲門ではない、別のもののため、相変わらず目の前の死は健在だ。無言で艤装を止めた上に、その目は真っすぐに深海吹雪を見下ろしたまま。

 本気だ、本気で自分は目の前の艦娘に命を握られている。

 

 言葉なんて、遺すものは何もない。深海提督である自分が、艦娘に遺す言葉なんてあるはずがない。

 そうだ、敵である存在にくれてやる言葉なんて、何一つあるものか。そう思ったら、口元に笑みが浮かんでいた。

 

「――――は」

 

 漏れ出たのは、掠れたような笑い声。小さなそれは、やがて、「は、はは……はははハハハハ……!」と、自分の哀れさに、陸奥への嘲りに大きさを増す。それに対して、陸奥は表情一つ変えなかった。

 

「ハハハハ――――助けてください!」

 

 と、突然の言葉。あまりにも豹変だが、顔をあげた深海吹雪の目からは、赤い燐光ではなく、一滴の涙が流れ落ちていた。

 

「陸奥さん、こんなの、私じゃないんです! 私は、こんな風にはなりたくなかった! 私の意志でやったんじゃない! 深海棲艦は恐ろしい、それはわかってくれますよね!? だから、たす――」

 

 言葉は、続かなかった。縋りつこうとする深海吹雪に対し、陸奥の答えはただ一つ。

 無慈悲に頭を撃ち抜いた青の力を込めた砲撃。それも一発ではない。追撃するように、念入りに胸、腹と撃ち込まれていく砲弾が、深海吹雪が哀れにも続ける命乞いの言葉を打ち切った。

 

「――その顔で、その声で、そのようなことを? 舐めてくれたものね? それで手を緩めるほど、私の覚悟は柔いものではないわ。眠りなさい、吹雪。永遠に」

 

 倒れていき、力なく海に沈んでいく深海吹雪だったもの。赤い瞳が垂れ下がった髪の下から陸奥を見上げているが、そこに意思の光はない。口から、体から血を流しながら、深海吹雪だったものは、昏い海の底へと還っていく。

 

 命乞いの言葉を吐いたのは、深海吹雪なりの呪いだった。

 こうすれば、僅かなりとも陸奥は、ラバウルの吹雪を自分の手で殺したことを記憶にこびりつかせる。

 本当に命を助けてもらえるなんてことは、深海吹雪も思ってはいない。自分はこの戦いに負けたことは、揺ぎ無い事実だった。

 

 一度ならず、二度までも負ける。しかも相手はかつて自分が所属していた基地の秘書艦だ。自分と縁深い相手が自分にとどめを刺すのなら、せめて最後に何か一つ、贈り物をしたかった。

 ご丁寧に最期の言葉を残せとのたまうのだから、自分を殺す陸奥へとびっきりのお祝(のろ)いを。わざわざ艦娘の吹雪だった頃の記録を断片の中から引っ張り上げて、出力してやったのだ。

 

 あれは、いい走馬灯だった。あれがあったからこそ、最高のお祝(のろ)いを残せたことだろう。それで時々苦しんでくれれば、自分の負けにも意味があるだろう。

 

(ふ、ふふ、あははははは……! 南方提督はただでは死なない、死んでやらない! 短い間だったけど、私が生きた証をあなたに刻ませてもらいましたよ……! さようなら、ラバウル。もしあなたたちから堕ちる誰かがいたら、ええ、またお祝いさせていただきますよ。海の底から、ね……)

 

 冷たい眼差しで見下ろしていた陸奥が、どのような顔を浮かべてこのことを思い返すのだろう。

 そんな未来に思いを馳せながら、光を宿さない瞳で赤い海に揺れる空を見上げ、赤い闇の底へと消えていく。血を立ち昇らせながらも、深海吹雪は笑みを浮かべ続けていた。

 

 

 そうして、二人の旗艦が戦場から消えた。特に南方提督である深海吹雪が敗北したことで、深海南方艦隊そのもののトップが消える。空母水鬼は単なる空母艦隊の旗艦に過ぎない上に、現在は攻め込まれていて不利な状況。

 高い装甲によって現状を維持することは出来ているが、突破されるのも時間の問題だった。

 

 回復のために名取が指揮艦へと戻っていく中で、陸奥もまた失った弾薬と傷の修理が必要な状況にあることを理解していた。そのことも併せて報告すべく、「提督、聞こえるかしら?」と通信を繋ぐ。

 

「吹雪、南方提督は撃破したわ。これより、修理のために一時帰還したいのだけど、いいかしら?」

「……もちろんだ、むっちゃん。ありがとう。よく頑張ってくれた。気を付けて戻っておいで」

 

 許可は得た。よし、と一息ついて、「それじゃあみんな、私を含む第一水上打撃部隊で、修理――」と、指示を出そうとしたところで、陸奥は嫌な悪寒を感じた。

 そのまま咄嗟に体が動いたのは、染みついた感覚によるもので、思考を介する余裕はほぼなかった。

 展開されるはずだったシールドを張るよりも早く、弾丸は飛来してくる。それは防御の構えを取る陸奥の腕を貫通し、そのまま脇腹を抜いて反対側へと通り抜けていく。

 

 硬い装甲を抜く徹甲弾が、遠距離から飛来してきたのだと気づくのに時間はいらない。

 そしてそれを撃った主が、遠く、トラック島の埠頭前にいる存在。自分へと指を指している双頭の魔物を従える黒い女性だということを、よろめいた陸奥は何とか知るのだった。

 



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戦艦水鬼

 

 遠方から撃ち抜かれた陸奥は、よろめきながらも何とか距離を取って撃った方を見やる。相変わらずどこか気だるそうにしながら、静かに佇んでいる黒い女性、深海長門。双頭の魔物に搭載されている主砲は、また照準を微調整しており、陸奥を追撃する構えだった。

 だが、深海長門は興味なさげな表情で陸奥から視線を外し、とりあえずといった風に戦艦棲姫と交戦している艦娘の方へと手を向ける。それに合わせて照準がまた切り替わり、砲撃を行った。

 

(見逃された? 何故?)

 

 疑問は尽きないが、見逃されたならこの借りは修復を終えた後に返すまでだ。体を抑えながら陸奥は何とか指揮艦へと帰還する。その様子を深海長門に見守られながら。

 彼女の後ろには星司がおり、「何故とどめを刺さなかったんだい?」と当然の疑問を投げかけられる。

 

「あの一発で沈めば良かった。わたしなりの手向けだったからな。生き延びたのなら、あれにはまだ運が向いていたのだろうよ。ならば、わたしと改めて戦うチャンスがある。そのチャンスもろとも、身も心も砕けば陸奥はこちらに堕ちるだろう」

「……なるほど、妹はこちらに招きたいってやつかな。戦力を増やそうという気概はいいね。なら、陸奥に関しては何も言わないでおこう。それに、君はこの戦いだけでも十分活躍している。このくらいは誤差に収まるだろう」

 

 そんな深海長門がこの戦いで何をしたのか。

 それは戦闘を開始したところまで遡る。

 

 初撃で向かってくるパラオ艦隊の水雷戦隊へと砲撃を成功させた深海長門。立ち昇る水柱に煽られて駆逐艦が二人舞い上がる。弾に直撃はしていなかったのは幸いだが、それでもその威力だけで、これほどの爆風を叩き出すのは、さすがは戦艦というべきか。

 しかしそれだけではないだろう。フラグシップのル級やタ級であっても、これほどの威力を計測したことはない。加えて射程距離も二種よりも長いことは明らかだった。

 

 戦艦棲姫をも超える性能を有した存在。それが深海長門であることは疑いようはなかった。そうして計測された数値は、姫級をも超えるもの、すなわち水鬼級。

 深山や香月にとっては二人目の水鬼級との出会い、戦艦水鬼と呼称されることとなる。

 

 だが、この深海長門は計測されている数値以上の何かを秘めていた。この戦場で初めて顔を出した存在なのは間違いないが、それにしては妙にその佇まいが様になっている。気だるげであまり物事に興味を向けている様子もない目をしているが、戦艦の遠距離砲撃を初撃で中てかけているのがおかしい。

 それが中部提督である星司の近くに控えている。奴を倒さなければ星司を何とかできない。加えて、深海赤城の空母棲姫だけでなく、レ級のアンノウンも前に出てきている。

 

 これらをパラオ艦隊だけで対処しようというのが厳しい状況だが、それでも何とかしなければならない。ラバウル艦隊はこの時、軽巡棲鬼と深海吹雪と交戦を始めた段階にあり、こっち側に手を回す余裕はなかった。

 

「ヒャッハー! さあ、こいよ、新しい獲物はワクワクすんなぁ、おい!」

 

 深海長門をおいて前に出てきたアンノウンは、目を爛々とさせながら尻尾を軽く振り回している。先んじて放たれていた空母棲姫らの艦載機に追従するように、アンノウンが保有している艦載機も、尻尾の飛行甲板を伝って発艦していく。

 対抗する赤城たちの艦載機がぶつかり合うが、少し圧される形になっているのが、積み重ねてきた練度の違いが表れているかのようだった。

 

「みなさん、アンノウンをまずは抑え――っ!?」

 

 向かってくるアンノウンに対処すべく、パラオ一水戦旗艦阿武隈が指示を出そうとしたところで、またしても遠方から飛来してくる砲撃を回避する。どうしてそんな遠くから正確に中ててくるのか、疑問が尽きない。

 練度が高いなら理解できる。だが新型の深海棲艦なら、この戦いは初の戦場のはず。練度は十分に高められているとは考えづらい。

 艦娘ならば戦艦が遠距離から中てていく技術として、弾着観測射撃ができるだろうが、深海棲艦にそれがあるとは思えなかった。

 

 アンノウンは体勢を崩した阿武隈めがけて飛び掛かり、その首を掴み上げる。ぎりぎりと食い込む指に阿武隈は声を上げることすらできない。そんな中で阿武隈を助けるべく、叢雲がアンノウンへと砲撃を仕掛けるも、尻尾で弾を弾き返す。

 気にしたそぶりも見せないそれが、叢雲の接近を許した。手にした槍状の艤装に力を込め、その体へと突き出せば、アンノウンの体はそれに貫かれながら吹き飛ぶ。

 

「……あぁ?」

 

 いったい何が起きたのかと、アンノウンは首を傾げつつも、空中で受け身を取って海上を滑っていく。よもや自分が駆逐艦の攻撃で吹き飛ぶなど、想像もしていなかったことだった。

 しかもまだまだ新米と言えるパラオの艦隊に所属している艦娘で、だ。改めて自分の体を見下ろし、傷を確かめる。流れる血を指で掬い、ぺろりと舐めて低く笑った。

 

「よもやボクを傷つけるくらいの力があるなんてね。ただただやられるばかりではなかったってか? いいねえ、この短期間で兵器としての質を上げてくる。その気概は嫌いじゃない」

 

 だが、とアンノウンは目を細めた。実力を高めたからといって、それで自分たちに並びうるのかというと、それは否だろう。捕まえていた阿武隈は手から離れ、体勢を立て直してはいるが、それがどうした。

 駆逐艦たちが雷撃を撃ってきたが、それがどうした。単に広い面で展開し、進軍を阻むだけならば、アンノウンを止めることなど出来ない。

 

 その手に副砲を顕現させて海へと撃ち放ち、向かってくる魚雷を爆破させて道を無理やり切り拓く。長い尻尾は自分の背中を越えて頭上に顔を出し、阿武隈を守ろうとする駆逐艦たちを狙う。

 だがその彼女たちの後ろから、砲撃が飛来してきたため、咄嗟にアンノウンは転進する。それに合わせてくるように、また別の砲撃が飛来し、アンノウンへと直撃してきた。その威力の重さからして、こちらが本命だといわんばかりの砲撃だった。

 

 頭を揺さぶり、意識を飛ばしかねない一撃の重さには覚えがある。かつて日本で戦ったあの戦艦、大和に迫る砲撃だ。空中で回転しながら、そんなことを思い返しつつ、しかしアンノウンは笑い続ける。それが彼女の異常性の表れだった。

 

「はっはぁ……、そういえば、いたっけ? 武蔵」

「今です! 一気に叩き込んで!」

 

 阿武隈の命令を受けた水雷戦隊が、渾身の雷撃を撃ち放つ。先ほどの牽制のための魚雷とは違う。先に見せておくことで油断を誘い込み、この一撃に結び付ける。

 自分たちは弱いと思わせておいて釣り上げ、逆転の一手を決める。これがパラオ艦隊の戦い方の一つとして確立させたものだ。

 

 狙い通りにアンノウンへと向かっていく魚雷の群れ。強撃らしく高い推進力と威力を以てして、アンノウンであろうとも仕留めきれると期待できるその攻撃。

 それは、アンノウンへと次々と直撃し、大爆発を引き起こす。彼女の小柄な姿など、爆風と湧き上がる海水によってすぐに覆い隠されてしまった。

 加えて広がる爆風は離れたところにいる阿武隈たちへと届くほどで、咄嗟に顔を庇ってしまう程のものだった。それが、たくさんの魚雷の強撃の威力を物語る。

 

 そしてそれは、彼女にとって格好の的にもなる。

 

 広がる爆風と共に、爆音も周囲を脅かす。耳から爆発音以外の音をかき消すほどのものであり、それはすなわち、接近する音も隠してしまう。

 気づいたときにはもう遅い。アンノウンを仕留めたと心を緩めた阿武隈たちは、飛来する砲弾の対処に遅れた。

 

 立ち上る爆発と、悲鳴。

 アンノウンという強力な敵を倒したと喜ぶ彼女たちを、一気に叩き落す絶望の爆発。

 それを放った深海長門は、じっとその様子を見届け、一息つく。

 

「あれで気が緩むなど未熟。戦場においてそれは悪手。さて、次の標的は……」

 

 淡々とした言葉だった。後方で戦場を見回し、狙えそうな敵がいれば照準を合わせ、砲撃。命中すれば簡単に吹き飛ぶだけの火力を有している。その一撃だけで戦闘不能に追い込むのだから、まさに狙撃手の役割を担っていると言える。

 それを可能としているのは、あらかじめ放っておいた観測ユニットだった。深海赤城が放った艦載機に紛れ込ませた小型のユニットであり、双頭の魔物になぞらえて、二つのユニットがそれぞれ別地点で滞空し、戦場を見下ろしている。

 

 己の目と、ユニットからの目。この二つを活かして対象を捉え、照準を合わせて砲撃する。それはまさに、艦娘が行う弾着観測射撃に他ならない。

 元は呉の長門であり、その時の自分の記憶も有しているが故に、深海長門もまたその技術を行使できる。これが作られたばかりだというのに、高い練度を有している秘密だった。

 

「おい、アンノウン。生きているのだろう? いつまでも隠れていないで、動いたらどうだ?」

「……そう急かさないでくれるかなあ? 結構痛かったし、お前の砲撃の煽りも受けてんだ。ちょっとは休ませろって話だよ」

「そうか、それは悪かった。だが、お前の代わりに何人か仕留めたのだ。文句を言われる筋合いはない。相手を舐めて痛手を負ったのだしな。何なら、そのまま退場してくれても、わたしは別に問題はないが?」

「言ってくれるねえ。お生憎だけど、ボクとしてはまだ戦えるさ。なに、この通り――」

 

 攻撃を受けたところから離れたポイントで、アンノウンが浮上する。所々焼け焦げたところが見られるが、大きく負傷しているようには見えない。咄嗟に防御として赤の力による障壁を展開し、雷撃の被害を軽減させた結果だ。

 とはいえ咄嗟に作り上げた壁が、全てのダメージを防ぎきれるはずもなく、数秒程度しか持たなかったが、その数秒だけでもいくつかの魚雷を受け止め、爆風からアンノウンを守ったのは事実だ。それがなければ、致命傷を負っていたのは確実。

 

「――大事なところは守れた。うん、大したもんだよ。まさかボクらが使う力に近いものを、こいつらが使うなんてさ」

 

 魚雷の中には青の力を込めたものもあった。先んじて突っ込んでいった魚雷から遅れることで、万が一障壁を展開していたとしても、強撃が打ち破り、青の力の本命が直撃すれば良いという狙いだった。

 果たしてそれは成功した。が、それは脇腹を抉りとるだけに留めていた。緊急の応急処置で済まされているが、それでも、どこか苦し気にしているアンノウンは、いつものような笑みを浮かべていない。

 

「いやいや、舐めていたねえ。遊びはこれくらいにしておこうかな、武蔵?」

「こちらとしては、そのまま遊び気分でいてほしかったがな。そのままくたばってしまえば、深海側でも笑い種になっていただろうよ。舐めてかかった結果、返り討ちにあった愚か者ってな」

「はっ、何も言い返せねえなあ。でも、だからこそ終わらせてやるよ。ボクの手で消えちまいな。あの大和と違って、数分も持たせなくしてやる」

 

 深海長門の砲撃を受けたことで、阿武隈たちは吹き飛んだ。その穴埋めをするために前に出てきた武蔵たち。複数で当たろうとするが、それを制して武蔵がアンノウンと対峙する。

 高い装甲と火力を持つ自分が引き付け、隙をついて攻撃を入れる。その形にするためだった。それにこの戦いだろうと、きっと深海長門はまた遠方から撃ってくるに違いない。あの狙撃手をどうにかしなければ、意味がない。

 

 加えて空ではまだ深海赤城らによる艦載機が健在だ。赤城たちが何とか持たせてはいるものの、いつ崩れるかわからないような状況にある。どこを取ってみても、パラオ艦隊は劣勢であることに疑いようはない。

 それは、指揮艦で見守っている香月の目から見ても明らかだった。

 

 悔し気に歯噛みしながら、何とかならないものかと思案するが、道が見いだせない。深山に入った通信から、凪がここに向かってきているという希望は見えたが、果たしてそれまで持たせられるのかも怪しい。

 深海長門に撃たれた艦娘たちが修理するも、負傷が激しく治療に時間がかかっている。バケツを投入してはいるが、それを繰り返したところで、深海長門をどうにかしなければ、消耗戦になってしまう。

 

 阿武隈も、撃たれたときに咄嗟に青の力による障壁でダメージを抑え込むことで、大破に至らずに済んだ。遠方だったことと、爆風で姿を隠したことで、深海長門に気づかれているかどうかはわからない。

 視線を外し、次の標的を探している様子から、気づかれていないことを祈るしかないが、それを繰り返しても道は拓けることはない。防戦一方であり、なおかつ艦娘たちにいたずらに苦痛を与え続けるだけに他ならない。

 

(あいつを……あいつを倒せば、変わりそうだけど……)

 

 モニターに映る一つの存在。深海長門に守られるようにして埠頭にずっと控えている中部提督の星司だ。深海長門を倒すことでも変わりそうだが、奴を倒せるビジョンが浮かばない。それは同時に、星司に至るまでの道筋の中で、絶対に阻んでくる深海長門をどうにもできないという意味でもある。

 まさしく大きく変えられるチャンスを秘めている、星司を守る最終防衛ラインといえる。

 

(クソ……アンノウン、空母棲姫、戦艦水鬼。どれかを崩せれば……っ!?)

 

 思案している途中で、指揮艦が大きく揺れ動いた。何事かと見れば、指揮艦上空で敵艦載機が旋回しているのが見えた。甲板には障壁を展開している護衛の艦娘がいる。

 

「敵艦載機が、指揮艦へと到達し始めました!」

「なにぃ!? 赤城、抜かれたのか!?」

「すみません、物量に押し込まれています。敵の空母戦力が、増加しています。奴らは恐らく、こちら側を落とせばいいと判断したようで……」

 

 敵艦載機は空母棲姫が所属する艦隊だけではなく、ラバウル艦隊を相手にしている空母水鬼らからも、一部送り込まれていた。つまり一方を相手にしていた赤城たちの艦載機は、別方向から送り込まれてきた艦載機にも対処する必要が出始め、なおかつ、空母水鬼らの艦載機が悠々と交戦空域を抜け、指揮艦へと到達してきたのだ。

 

 艦載機の攻撃は直撃しているわけではない。それでも放たれた攻撃による爆風で船が揺れている。甲板にいる駆逐艦らが対空射撃を用いて迎撃を行い、被害を抑えこんでいるが、いつまで続けられるか。

 青の力による反動も、回数を重ねれば重くなる。数を用いて送り込まれれば、落とせない機体も出てくる。そうした一発が、障壁を抜けて指揮艦へと直接落とされ、甲板をぶち破っていくのだ。

 

 大きく揺れる指揮艦。燃え上がる甲板と抜かれた層の船内。「慌てるな! 直ちに消火を!」と、指示を出す香月だが、その表情は陰り、冷や汗が流れてくる。甲板だったから助かったが、今のが艦橋に当たればどうなっていたか。そう考えると、肝が冷える。

 

(落ち着け……落ち着くんだ)

「いったん距離を取る! 取り舵いっぱい!」

 

 トラック島を正面にする形から進路を北へ。そうすることで、北から来るかもしれない凪たちと、速やかに合流できるようにしつつ、空母水鬼方面からくる艦載機からも距離を取れる。そう考えての指示だった。

 

 方向転換し、逃げるように動く指揮艦を見て、星司は笑みを深めた。船の一部が燃えていることから、攻撃は順調のようだと、気分はうきうきだ。

 

「いいぞ。そのまま押し込んで、香月を殺すんだ。早いところ消えてもらえば、後は消化試合さ。そうだろう、長門?」

「……そうでもなさそうだが?」

「ん? どういうことだい?」

 

 星司の問いかけに深海長門はあっちを見ろとばかりに首をしゃくる。だがそれは彼女の背後に立つ魔物によって見えないので、意味はなかった。「……ああ、そうだった。あっちを見ろ」と、数秒して気づいたようで、そっと魔物から見えるようにと動いた後、指を差してやる。

 そこでは、星司にとって計算外のことが起きていた。

 

 軽巡棲鬼の撃破と、深海吹雪の脱落である。よもやこんなに早く軽巡棲鬼が落ちるだけではなく、深海吹雪まで落ちていくなど、想定外だった。思わずあっけにとられてしまうが、深海長門は冷静だった。

 

 深海吹雪を倒し、気を抜いている陸奥が背を向ける。負傷を回復するために指揮艦へと戻ろうとしているのだろうが、それは深海長門にとって隙以外の何物でもなかった。そんな風に背中を向けるのならと、星司のために指さしてやったそれに合わせて照準を調整し、砲撃。

 そうして、陸奥をここから狙撃してやったのである。

 

 こうして、冒頭へと時は合流する。

 陸奥はそのまま見逃し、星司も計算外ではあったけれど、とりあえず香月は追い詰めている状態だからと、状況はまだ五分五分ではないと、帳尻を合わせる。

 まだ空母水鬼は抜かれていない。ラバウル艦隊がここまで到達するまでには時間はあるはずだ。それに深海長門が空母水鬼を援護するようにまた砲撃を続行している。時間稼ぎにはなるはずだと、星司も落ち着きを取り戻しながら思案した。

 

 それに香月の指揮艦が逃げていく方向は、あらかじめトラック島を包囲するように展開している潜水艦が潜んでいるところへ接近している。そちらからの狙撃も期待できる。むしろ、それをこそ期待する。

 上空に意識を取られている間に、潜水艦が指揮艦を雷撃すれば、それで片が付く。

 

「アルバコア、ラバウル指揮艦がそっちに向かっているだろう? 上手く立ち回って雷撃するんだ。そういうの、得意だろう?」

 

 笑みを浮かべながら、潜ませている潜水ソ級へと指示を出す。だが、返事が返ってこない。首を傾げた星司は「アルバコア? どうしたんだい?」と呼びかけるが、やはり返ってこない。

 まさか、もう気づかれて対潜攻撃を受けたのかと、顔をあげた。望遠鏡を手にしてじっくりと観察するが、艦娘たちは上空に気を取られているようにしか見えない。では、いったいどうしてアルバコアから通信が? と疑問に思ったところで、妙なものが見えた。

 

 北の方角から艦載機が飛来し、香月の指揮艦を攻撃している艦載機を撃墜していくのだ。動きからして香月の赤城たちの艦載機よりも高く、まさに鎧袖一触という言葉が似合っている。

 瞬く間に指揮艦を守り抜くと、その勢いのままに深海赤城たちの艦載機の交戦空域へと飛び込んでいき、交戦を始めてしまった。

 

「なんだ? あの艦載機は? どこの……はっ、そうか! トラックの艦載機だな!?」

 

 と望遠鏡から顔をあげ、「潜水艦隊! どこかにトラックの空母……そう、加賀たちがいないか!? 熟練の艦載機がこっちに来ている! どこかから動いているんじゃないのかい?」と問いかけるが、一部の潜水艦からはそのような影は見当たらないと返事が返ってくる。

 全員ではなかった。一部の潜水艦から、やはり返事がきていない。トラック島を包囲する潜水艦の中で、欠員が出ているのだ。ということは、どこかの艦娘が包囲を抜けてきていることを意味している。

 

「おかしい、異常があれば知らせてくるはずだ……なのに、なぜ今の今まで、異常を知らせる報告がなかった……!?」

「知らせてはいたけれど、お前がそれに気づかなかったというのは考えられるが?」

「そんなことはないだろう! わかりやすいコール音を設定している!」

「……なら、通信を妨害されていたとか? 深海側がそうであるように、艦娘側からも妨害の術を身に着けたということも考えられる」

「それは……それは? ありえ、なくもないのか……?」

 

 自分たちがやっているのだから、敵もやってくる可能性はある。そういうのはどの戦いでもあり得ることだが、深海側の通信を解析し、それに対する妨害を行うことを、このトラック艦隊がやれるのかという疑問が少なからずある。

 そんな技術を離島であるここで生まれるのか? 日本ならば考えられないわけではないが、と星司は強く疑問視する。

 

 その時、空母水鬼を援護していた深海長門が何かに気づいたように振り返った。ぐるん、と後ろを首を逸らすようにして振り返る。角度の利いたその振り返りだが、さらりと髪が顔に張り付くのも気にせず、一方を睨みつけるように目を細め、そして開かれる。

 今まで気乗りしなかった表情を浮かべ続けていた深海長門が、ここで沸々とやる気と共に、喜びの感情が湧き上がってきていた。

 

「――は、来ないものと思っていたが、縁というものは実に奇妙なことだ。このような場所で逢えたことを喜ぶとしようか」

 

 深海長門が振り返った先。星司もそちらへと見やる。トラック艦隊が出撃してきたのだろうかと、少し苦い表情を浮かべて。

 

 遠く、北の方角から現れたもの。それは予想通り艦娘だった。

 先陣切って出てきた水雷戦隊に他ならない。トラック艦隊なら一水戦旗艦が川内だったため、彼女が先頭にいるものと推測した。

 見えたのは川内型らしいオレンジの色合いをした服装。だがそれと同時に白も目に付く。何より風になびく髪の長さが違っている。

 

「――な、に……?」

 

 信じられない。何故彼女がここにいるのか?

 いるはずがない、いたとしても、そんなに早く来るはずがない。

 いや、来てくれた方が嬉しいのか? 奴らもまた、自分にとっては倒すべき敵だ。

 獲物が自分から来たのだ。なら、喜ぶべきだろう。

 

 色々な感情がごちゃまぜになってしまい、星司の目の光が激しく明滅する。

 だが見間違えるはずがない。自分にとって最大の敵。その一水戦旗艦が、目から流れる星の光の尾が陽の光を浴びて海上に溶け落ちる。凛とした眼差しは真っすぐに深海長門を見据え、そして近くにいる星司へも向けられる。

 

「標的、確認しました。強力な個体……ええ、あれが一番の敵でしょう。その近くにいる深海提督のマント、あれがそうなのでしょう。であるならば、私たちがとるべきことは一つです」

 

 最後に深海赤城の位置を確認した一水戦旗艦、神通が号令を下す。「迅速に敵艦を無力化します。みなさん、ついてきなさい」と告げれば、「了解!」と返事が返る。

 背後からは砲弾が炸裂し、神通たちを飛び越えて深海長門へと向かっていくが、その全ては魔物の腕によって阻まれた。慌てることのない、冷静な対処。真っ先に敵が近づいてきていることを察していた彼女は、かわすことなく受け止めるだけの余裕を見せる。

 

 撃ったのは大和。水上打撃部隊の旗艦として、自慢の砲撃を放ったが、余裕を持った防御に目を細める。だが、気になったのはそれだけではない。

 深海長門から感じられる気配が、妙に気にかかった。遠くからでも見て取れる何か、そして発せられる気配の類似性。それが大和の心をざわつかせた。

 

 ざわつくのは敵も同じ。神通、大和とくれば疑いようはない。

 震える声で、「どうして……」と呟いていた星司は、

 

「どうしてここにいるッ!? 呉……海藤凪ぃ!?」

 

 届くはずのない疑問の声。だが、それに対して、ノイズが返ってきたことは、星司の心をよりざわつかせた。何のノイズだ? と星司は首を傾げる。やがて、ノイズはクリアになっていき、

 

「――――聞こえるか?」

「っ……君は……」

「初めましてになるんだろうか。夏はうちの子たちが世話になったね。お前が大和へと話しかけてくれたこと、そして北方の通信記録を基に試しに調整してみたよ。繋がったようで何よりだ」

 

 お互いに声は知らないが、それが誰であるかは、お互いに理解していた。

 困惑が目立ったが、しかし相手がだれかを理解し、星司は呼吸を落ち着かせていく。

 

「……そう、あの戦いのことを有効活用したんだね。ふふ、さすがは噂に聞く手先の器用さと機転の利かせ方というものかな? しかし、何故ここに? 遠く離れたこんなところまで、しかもこんな時に来てしまうなんて。全て、終わったというのに」

「……終わった、か。本当に終わったと思っているのか?」

「思うとも! 基地は全壊! 今もなお燃え続けている! この戦いが始まる前、念入りに調べておいたとも! あれで生き残っているなどあり得ない! だが、万が一隠れ潜んでいることも考慮し、島を取り囲み、隠された道も探した!」

 

 だが、ないと星司が断言した。そんなものが見つかったという報告はなかった。トラックの艦娘たちは一向に現れず、なおかつ逃げ出した痕跡も見つからない。埠頭にいた艦娘たちを助けに現れることなく、基地の崩壊と共に全て死に絶えたのだろうと、星司は語る。

 

「お気の毒だよ。君のお友達と、艦娘たちは、僕たちの手で死んだ。お友達を助けに来たんだろうけど、間に合わなかったね」

「お前が、指揮し、この戦いを……トラックの殲滅を行ったんだな?」

「そう、僕さ! 僕が君の大切なお友達を殺したのさ! どうだい、海藤凪? 長門に続いて、君にとって大事なものが喪われたんだよ」

 

 あからさまな挑発だ。煽るようなその声色を耳にし、次第に凪の手が震え始める。

 それでもまだ、声を荒げるようなことはしない。

 堪えている。彼は、挑発だと理解しているが故に、感情を爆発させていなかった。

 

「俺憎しで、このような真似をしたんだな?」

「はっ、そうさ、よくわかっている。僕は君が気に入らない。僕と似たような力を持ち、僕の大和を奪っていった君が憎くて、憎くてたまらない。だからッ! 君の大事なものを奪うのさ! そして最後に君も殺してやる。君もまたこの海で死に絶えるがいい。先に逝っているお友達のもとに連れて行ってあげよう」

「――よくぞ言ってくれたな、中部――いや、美空星司ッ! てめぇこそ、この海で散るがいいッ! 俺の戦友(ダチ)を殺したその戦果を、塵にして返してやったろうじゃねえか!」

 

 今までに発したことのないほどの声量。そこに含まれた熱量が、言葉と共に発せられた。

 艦橋にいたものも、通信に耳をそば立てていたものも、一瞬びくついてしまうほどの凪の感情の発露。

 

 今まで堪えていたもの全てが爆発した。顔は怒りのあまり紅潮し、怒鳴り慣れていなくとも、それだけで彼が溜め込んでいたものを、ここでぶつけているのが理解できる。

 それをストレートにぶつけられてなお、星司は笑みを隠せなかった。そうした負の感情をぶつけられてこそ、堕ちた魂は喜びに震えるのだ。

 

「いいよ、来なよ、海藤凪……! 呉鎮守府よりはるばると死にに来た我が宿敵! ずっと、ずっとずっとずっとずっと目障りだったお前たちを消してこそ、僕は……僕はようやく前に進めるってもんだ……! 全て、全て全てぇ――全てを沈めてしまうがいい、長門ぉッ!」

 

 その命令に、深海長門は呉艦隊へと振り返り、全身から立ち昇らせる紅き深海のオーラと、より輝きを増す目の流星を以てして応えた。

 



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戦艦水鬼2

 

 通信によるお互いの口上をぶつけ合った際に、どさくさ紛れに凪は美空星司と叫んだが、それに対して星司は否定も肯定もしていなかった。特に「誰のことだ」といったような疑問の声もなかったため、ほぼ彼が美空星司であると、凪は当初の推測が当たっていたことを察する。

 幸いにもこの通信は凪が乗船する指揮艦と星司との間に結ばれたもののため、香月や深山には聞こえていないものだった。特に香月からすれば、兄の名を叫ばれたようなものだ。寝耳に水の話だろう。

 

 神通率いる一水戦は空母棲姫の深海赤城へと向かう。艦載機を展開され、制空権を奪われたままの状況を脱却するためだ。空母は接近されると弱い、そこを突いていく狙いである。

 迫ってくる神通に気づいた深海赤城だが、彼女を守るのがツ級やネ級だった。フラグシップのリ級などもいるが、ここでも新世代へと順次入れ替わってきているのが、深海棲艦らも順調に強化の手が及んでいることを窺わせる。

 

 ネ級の情報をまだ知らない神通らは新しい顔ぶれに気づきはしたが、それでも高速で接近することをやめない。今更標的を変えるのも遅い。まずは牽制とばかりに雷撃を放つが、それらをツ級とネ級が砲撃で邪魔し、狙いを狂わせてくる。

 それだけでなくネ級が前に出て神通を狙い撃ちにしてきた。旗艦である神通を潰しに来たのだろう。

 

「なるほど、いいでしょう。あなたたちはそのまま空母棲姫へ。すぐに合流します」

「はいはいっと。決め手はこの北上様か夕立ってところで進めますよ~。とりあえずツとリをどかしていきましょうかー」

 

 ネ級を惹きつけるように北上達から離れて動けば、ネ級もそのまま神通へと接近するために、ツ級たちから離れていく。そのまま砲撃を交わしながら一定の距離を保ちつつ海上を動き回る。

 北上達もツ級とリ級らを相手にしつつ、深海赤城へと攻撃を仕掛けるチャンスを窺っていく。深海赤城もこのまま接近されたままでは不利なのを理解しており、急遽飛行甲板から白猫艦載機を発艦させ、北上達へと攻撃を仕掛けた。

 

 それを防ぐのが雪風やВерныйの対空射撃。先日導入されたばかりの対空射撃のシステムを有効活用し、より迅速に、正確に艦載機を迎撃していく。まだまだ慣れが必要な技術ではあるが、それでも以前よりも速いペースで迎撃できているため、システムの恩恵は大きかった。

 

「ナニ……? ソンナニ早ク? 更ニ練度ヲ高メタトデモ?」

 

 当然システムが導入されていることを知らない深海赤城からすれば、急に腕を上げたとしか思えない光景だ。だがそれでも深海赤城は次々と艦載機を送り込み、なおかつ副砲で接近を阻むしか道はない。

 

 アンノウンはどうしているのかと見やれば、パラオの指揮艦を追跡しているところだった。パラオの武蔵が立ちはだかっているが、防戦一方の傾向にある。アンノウン自身が小柄で、なおかつよく動き回るということもあり、火力は高いが速さに劣る武蔵にとって、少し相性が悪いらしい。早いところそちらを終わらせて合流してほしいと願うところだが、そちらもまた、目的達成を阻む戦力が投入されていた。

 

「ここから先は行かせないわよ」

「おや、おやおやおや……久しぶりの顔じゃないの。また、ボクの前に立ちはだかるんだ。そう、そんなにあの時のこと、根に持っているってか?」

「ええ、そうね。あの時の借りを返さないと、胸のつっかえが取れそうにないわ」

 

 山城率いる呉の主力艦隊が、パラオの指揮艦を守るためにアンノウンの前に立ちはだかる。アンノウン一人に過剰戦力のように感じるが、それくらいしなければこのアンノウンは止められそうにない。

 そう感じたのは気のせいではないだろう。コキ……と、軽く肩を鳴らしたアンノウンから、急激に圧が高まり始めた。指も一本、一本と鳴らしながら、ゆらめく尻尾も舌なめずりするように軽く口を開けて舌を覗かせている。

 

「そう。じゃあ、更にその胸にしこりを残してあげよう。ボクとしてもさあ、弱い相手ばかり嬲るってのもどうかと思ってたんだよねえ」

「気にすることはないわ、武蔵。私たちが受け持つから、修復に戻りなさい。むしろ、一人で良く抑え込んだと私はあなたに敬意を表する」

「……すまない、後は任せる。そして、感謝する。その言葉をもらうだけでも、私も戦った甲斐がある」

 

 一人で守り抜いたのも、大和型らしい装甲の硬さを活かしたからというのもある。攻め込むチャンスをなかなか掴めなかったが、その分香月が乗船している指揮艦へと攻撃を向かわせず、標的となり続けた上に、耐え抜いた武蔵は、十分称賛される結果を残しただろう。

 こうした守るための戦いをやり抜いた武蔵を、山城たちは敬意を払うように、目で礼を送る。

 

 だがアンノウンにはそういった敬意も、称賛も響かない。鼻で笑い、「守る戦い……ハッ、確かに兵器にはそうした一面もあるだろうさあ」と、前置きし、その上で表情を歪めて嘲笑う。

 

「でも、やっぱり兵器は敵を殺してこそさあ……! あの時は長門を仕留めたけど、さあ、今日は山城、お前にするか? それとも、その部隊の誰かを沈め、お前に再び誰かを守れなかったという傷を負わせるか? そっちの方がいいかもしれないねえ……その方が、いい顔をしてくれそうだぁ……!」

「――黙ってくれない、アンノウン? そのキンキン響く声で喚くな。耳障りで苛立つ」

 

 まるで火が灯るように、山城の目から青白い燐光が発せられ、その火の粉のような粒子が、彼女の髪に巻かれたハチマキへと届く。柔らかなウェーブがかかった黒いボブカットと、白いハチマキ、そして青白い光が風に揺れる。

 山城が展開している艤装も、少女が背負うにしては巨大だ。広げれば山城が二人並ぶほどに大きな艤装は、山城改二という改装を象徴している。

 そういえば夏に戦った時と比較して、変わったなあと、今更ながらアンノウンも感じ取った。改装を施されたのだろうと思い至るが、それでもアンノウンは余裕を崩さない。

 

「いいねえ。そうやって戦意を高めていな。その分、ボクも楽しめるってものさ」

 

 何故なら、アンノウンもまた夏から今にかけて、また力をつけているのだから。

 立ち上る圧は、赤の力の発露によって具現化される。アンノウンの両目から深紅の燐光が発せられ、それは艤装の顔にある目にも赤い光が宿る。

 

 量産型の中でもエリート級に見られる赤のオーラだが、アンノウンのそれは単にエリート級に収まるものではない。何せ他の量産型と違い、アンノウンは海軍からすればレ級と呼称されてはいるが、実質姫級らと同格の力を有した存在である。

 その上、レ級は他の深海艦隊では登場していない。量産型に分類されているが、そもそも量産されていない一品物といえる。そんな存在が更なる力を解放したことにより、山城たちが肌で感じているのは、姫級だったものが水鬼級に昇格したかのような圧に等しいものだった。

 

「来いよ。遊んでくれるんだろう? ボクを楽しませてくれよ。お前たちの兵器としての強さ、しっかり見せつけた上で――沈みな」

 

 その言葉と共にアンノウンは飛び出し、山城へと殴りかかる。向かってくるアンノウンを、山城は迎え撃つように己も拳を突き出し、お互いの拳は打ち合わせるのではなく、それぞれの頬へと打ち込まれた。

 瞬間、衝撃が二人の間を突き抜け、強い風圧によって環状に水が割れて吹き飛んでいった。

 

 

 

「さあ、行くんだ長門! あいつらをみんな、沈めてしまえ!」

「騒ぐな、耳障りだ。それに、言われるまでもない。沈むかどうかは奴ら次第だが、少なくとも簡単にはそうなってはくれない顔ぶれだ。……そうだろう?」

 

 興奮したように命令を下してくる星司に対し、深海長門は非常に冷静だった。うんざりしたような顔で返しつつ、ちらりと大和へは微笑を浮かべて問いかけていく。

 前進しながら大和は胸に感じるこの違和感に疑問を覚えつつも、「ええ、そうですね」と頷いた。

 

「簡単に負けてあげられない理由はあります。でも、そちらは一人で大丈夫なのかしら? たった一人でそいつを守りつつ、私たちを抑えると?」

「もちろん、そこまで驕っているわけではない。わたしとて、戦力の差は感じている。だから、今まで隠してはいた。お前たちがそっちから来るのであれば、わたしもここで出さざるを得ない」

 

 と、合図を送ると、深海長門の周りにネ級をはじめとする量産型が浮上していく。それだけでは止まらず、離れたところでは戦艦棲姫が二人現れた。深海中部艦隊の戦艦棲姫といえば、深海霧島と深海武蔵だろうか。すっかり顔なじみとなってしまった感じがする二人である。

 

「お前たちがここで一気に戦力を投入するのであれば、こういった壁は必要だろう。必然、わたしに対処する艦娘の数も減る。さて、どうする? このわたしの相手を務められる自信があるのはいるのか?」

 

 そう問いかけながらも、深海長門の視線は大和に向けられていた。それは彼女が、お前がわたしの相手をしろと、目で語っている気がしてならない。あからさまな挑発、誘いに乗る義理はあるのかと、少し考えてしまう。

 

「考える必要はなかろう、大和。お前は、わたしの相手をしなければならない。こうして奇縁が結ばれているのだ。結局のところ、わたしたちという関係は、こうなる運命なのだろうよ」

「…………奇縁、つまりあなたは、以前から私を知っていると」

 

 大和はそう返しつつ、手で日向たちに指示を出す。すでに敵は動いている。二人の戦艦棲姫をはじめとした深海棲艦は、凪たちのいる指揮艦へと攻撃を行うべく動いていた。それを防ぐために、応戦するようにという指示だ。

 その上で大和は深海長門へと砲を向けつつ、ゆっくりと前へと進み出る。深海長門もまた、魔物を連れつつ、前に出ていく。その親指は自分の胸を指し示し、「そうとも」と大和の言葉を肯定する。

 

「わたしは作られたのではない。生まれ変わったタイプだ。あれがわたしを何と呼んだか、聞こえていたか?『長門』、そう、わたしは、長門だ。これが意味することを、お前はわからないはずはあるまい?」

「――――そう、そういうこと。確かにそれは、奇妙な縁と言えますね。よもや、よもやあなたがそっちに堕ちるのですか……長門……ッ!?」

 

 その言葉に、指揮艦にいた凪たちも、近くにいた日向たちも呆然とする。

 生まれ変わった長門、そして大和を知っている風の口ぶり。導き出される答えは一つしかない。

 

 あの本土防衛戦でアンノウンによって沈められた長門が、目の前にいる戦艦水鬼として生まれ変わり、こうして立ちはだかっている。仇敵である中部提督、美空星司を守る最後の砦として。

 そのことに、凪はより怒りを溜め込んだ。よもや長門を殺しただけに飽き足らず、深海棲艦として使役するとは。だが、その可能性は全くなかったわけではない。すでにラバウルの霧島を戦艦棲姫として生まれ変わらせた実績がある。むしろ、その実績を活かしてこないはずがない。

 

 だが、可能性があっただけで本当にそうしてくるなど、信じられないし、信じたくもなかった。それだけ長門を喪ったという傷は大きく、凪の心を一気に沈めた。この可能性を考慮したくないという気持ちと共に。

 だからこそ、こうして目の前に事実を突きつけられて、またしても凪の心の傷が開き、疼きだす。呼吸を荒げ、怒りと悲しみ、そして憎しみに心と思考をかき乱される。

 

「そうさ、海藤凪……! 僕の大和を奪われたと知った時の僕の気持ちを、そのまま味わうがいい! 君の長門は僕の手の中にある! そして、再び大和と長門が、この海で戦うのさ! 立場は違えど、あの時の再戦をここに演じようじゃあないかッ!」

 

 かつての南方棲戦姫と呉の長門が、ソロモン海域で戦った。その時は長門側が勝利し、大和のデータを回収し、艦娘の大和が再誕する。

 だが今は、その立場を逆転させた。

 呉の長門は戦艦水鬼として生まれ変わり、艦娘の大和が敵として彼女の前に現れる形となった。これを奇縁と呼ばず、何とする。

 

「大和、君はもう僕のもとに帰ってこないのなら、それはそれで構わないさ。この長門によって沈め、強引に僕の手に取り戻すだけだからねえ! 君にとっては屈辱的かもしれない。二度(・・)も戦場で長門と本気でぶつかり合った末に負け、敵の手に落ちるんだからね」

「…………」

「でも、仕方ないよ。そういう運命の流れってやつだ。おとなしく、受け入れてくれるかい?」

「――黙れ」

 

 底冷えする声が響く。彼女の周囲の温度が下がったかと思えるほどに冷たい空気が流れ、感情の発露を示すかのように赤い炎が目から放たれた。

 確かにあの時、大和は、南方棲戦姫は長門に敗北した。だからこうして、彼女は艦娘としてここに在る。それは変えることのできない過去であり、長門と、凪たちと敵対したのも事実だ。

 

 しかし、現在は構図が違う。立場が違う。

 かつては人類の敵対者だった大和が人類の味方をし、かつては人類の味方だった長門が人類の敵対者として在る。

 ここで大和があの時と同じように敗北したらどうなるか。代わりに誰かが、あの長門を仕留めにかかると?

 

「――私は、お前の下には降らない。敗北も喫しない」

 

 そのようなこと、断じて許すわけにはいかない。

 あの長門と戦うのは、自分でなければならない。

 あの時の再演をここに執り行うためではない。かつて受けた敗北を塗り替えるためではない。

 

「あの時負けて、鎮守府でも何度もやりあって、どれだけの戦いをしてきたでしょうね。最初と違うのは、命を懸けた戦いではなかったこと。そこが、大きな違いだった」

 

 僅かに望みはした。でも、それは許されないこと。

 己の誇りを懸け、命を懸け、お互いの全力を以てしてぶつかり合う死闘。

 いつの日かそれを果たしてみたいと、心のどこかで思っていた。

 

 よもや、それが果たされるなど、嬉しさよりも悲しさの方が勝っているのは、やはり大和は心から深海側ではなく、艦娘側へと傾いている証だった。

 

「――戦友(とも)よ、あの時の借りを今ここで返します。私の手で、あなたを、討ち倒す」

 

 結局長門本人にはそれを呼びかけることはできなかった言葉。

 心の中にしまい込んでいた長門との関係を表す言葉。それを、大和はここで彼女にあえて告げる。

 それを受けて、深海長門は僅かに瞳に揺らぎが生じる。胸に去来する痛みの訳を分析しようとしたが、とりあえずスルーする。今ここで、思案すべき事柄ではないことだ。

 

「それでいい、大和。わたしは、お前を待っていた。わたしの記録(きおく)の中で、お前の存在は大きかったからな。わたしが兵器として全力でぶつかり合える相手は、お前だ」

 

 立ち上る赤いオーラがひとしきりエネルギーを高めていったかと思えば、急激にそれらは収束し、深海長門の中へと消える。軽い電子音のようなものが何度か鳴ったかと思うと、エネルギーが流れるような音が少しずつ大きくなっていく。

 最初は低かった音も少しずつ高音となっていき、音に合わせて赤いエネルギーの波紋が深海長門の両腕を流れていくではないか。それが今までどうでもよさげだった雰囲気から、本気で戦う意識へと切り替わる証となる。

 

「――戦友(とも)よ。わたしを殺してみせろ。でなければ、わたしは、お前たち全てを殲滅する」

 

 とん、とまた己の胸を親指で指し示し、「わたしを止められるなら、止めてみろ、大和!」と、改めて告げた。

 その姿に、大和は深海長門とかつての呉の長門を重ねてしまう。堂々とした佇まいに、自分を見据える真っすぐな眼差し。流れる黒髪とその顔つき、重ねてしまえばより理解してしまう。

 

 あれは紛れもなく、長門なのだと。

 だからこそ、終わらせてやらなければならない。

 かつての戦友(とも)を、この手で殺すのだ。

 

 ぎりっ、と歯噛みし、「主砲、一斉射ッ!」と告げれば、合わせるように深海長門も「斉射ッ!」と告げる。響き渡る轟音と共に、反動による衝撃が海に波紋を広げる。

 最上の戦艦による一騎打ちの始まりを告げる銅鑼にしては、あまりにも強すぎる音に、空と海も震えずにはいられなかった。

 



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戦艦水鬼3

 

 飛来する砲弾を、お互いに前に出てやり過ごす。それでも届いてきた砲弾に対しては、大和は腕に赤の力を込めて振り払い、弾道を逸らした。深海長門も手に力を込めて、文字通り叩き落す。

 そうして両者は目の前まで迫り、勢いをつけてお互いを殴る。深海長門に至っては途中までは魔物と繋がるコードを維持していたが、自らその接続を断ち切った。否、切ったというより切った上で、魔物の手を一時の足場とし、そこから跳ぶことで一気に加速をつけて大和を殴りに行っている。

 

 そのため、大和の拳よりも深海長門の拳の方が深く相手へと突き刺さり、そして、大和は押し負ける。よろめく大和に対して反対側から一発、もう一発と殴る。そのたびに重い打撃音が響き、そして大和の顔を掴み、海へと叩きつける。

 

「ふんっ!」

 

 ただ叩きつけるだけでは飽き足らず、がりがりと海に顔を付けたまま海上を走っていく。地面なら顔が削られていくような痛みが走るだろうが、海上だろうとそれは似たようなものだ。

 艦娘は海上を自由に動けるが、潜水艦と違い、大和は戦艦。顔を水につけたままであれば、呼吸ができない。がぼがぼと口から泡を出し、反射的に目を閉じたままの状態で、海上を深海長門の手で引きずられている。

 

 そうして勢いを乗せたまま深海長門は大和の顔を勢いよく投げ飛ばす。舞い上がるその体はトラック島の崖へと叩きつけられるだけに止まらず、その投擲の勢いを知らしめすかのように、岩肌へとめり込み、穴をあけている。

 そんな大和へと更なる追撃をするべく、深海長門は離れたところにいる艤装へと「撃て」とただ一言命じる。

 

 戦艦棲姫の艤装と同じく、コードを用いて繋がっている素体と艤装だが、深海長門の場合、例え物理的な繋がりがなかったとしても、命令を下すことは出来ている。あくまでもコードは艤装の魔物を動かすエネルギーのやり取りをするためのものであり、バッテリーに蓄積されたエネルギーを消費すれば、動くことは不可能ではないということだろうか。

 放たれた弾丸は狙い通り大和へと届く。めり込んでいる大和は防御する間もなく、その砲弾を受けてしまい、力なく海へと落下する。

 

「ざっとこんなものか。初撃からわたしが競り勝った形となったが、よもやこれで終わりと言うまい?」

 

 後ろから艤装が合流してくる中で、軽く手を振りながら深海長門は大和へと問いかける。しかし海に落ちてから大和から返事がこない。まさか、本当に終わったのかと僅かに疑ってしまう。

 それは少し拍子抜けにも程がある。これくらいで終わる戦いとなれば、一体自分は大和に何を期待していたのだろうと、逆に自分の観点を疑いそうになる。

 

 少し困ったようにしていると、殺気を感じて咄嗟に右手で防御態勢を取った。刹那、炸裂音に次いで腕に弾丸が撃ち込まれた。一瞬赤の力によって防がれたが、しかし弾丸はそれを貫通し、深海長門の胸へと到達。

 そのまま体を貫いてくるかと思いきや、胸に弾がねじ込まれるだけに留められた。腕の防御がなければ推進力を削がれることなく、体を貫通していたかもしれない威力。

 

 ぐっと力を込めて体に入った弾を全て排出し、貫かれた腕の具合を確かめる。軽く振って流れる血の具合を見て、深海長門は少しばかり考え込み、そして唇の端を歪めた。

 

「初撃は確かにそっちの勝ちでしょうけど、最終的に勝てばいいのでしょう? ええ、それなら問題ありません。むしろ、最初にこうして痛みを知っておけば、目が覚めるというもの。頭に昇った血が流れて、頭も冷えます。ありがとう、適度な血抜きをしてくれて」

「ふっ、鳴くな鳴くな、大和。それは血抜きというには少々量を盛っている」

 

 微笑を浮かべつつ肩を竦めてみせる深海長門。彼女が指摘しているように、体からだけではなく、額からも血を流しており、少し体を庇いつつ海上に立っている形だ。

 何度か深呼吸を繰り返し、呼吸を落ち着かせると、なんてことがない風に立つ。自分はまだ戦える、そんな風に示しているが、それを見ている星司は「無理はいけないなあ、大和」と離れたところから声をかける。

 

 相変わらず埠頭の近くにいる星司だが、量産型の深海棲艦が護衛をする形だ。そして、何かあった時にはすぐに逃げられるようにバイクも備えている。その上で星司は大和へと話しかけていくのだ。

 

「大人しく負けを認めておこうじゃないか。このまま続けても、意味がないだろう? あの長門は僕にとって最高の仕上がりだ。君との一騎打ちがなければ、早急にこの戦いを終わらせられるだろう。……いや、むしろ今からでもそうしてもらいたい気分だけど、どうなんだい長門?」

「断る。殲滅戦ほどつまらないものはない。己が性能を最大限に発揮し、撃ち合う戦いこそ、己の価値を示し、何よりも勝ちを掴み取る実感を得られる。……そも、敵に敗北を植え付けるなら、こうして戦ってこそだろう。心をへし折り、屈する時ほど闇が高まる状況はない」

 

 そしてまた深海長門は己の胸を示すように指を立てた。その行為に、大和はついつい指の先を見てしまう。彼女がそうしてクセのように繰り返すため、深海長門の胸を見てしまうのは仕方がないことだった。

 だからこそ、深海長門の胸にある違和感に気づいてしまう。ご丁寧に指のすぐそこに不明な箇所が存在しているため、恐らく深海長門自身がこの違和感を知りながら、あえて指で示しているかのように邪推してしまう。

 

「大和の心をへし折り、完全に敗北感を与える。そうすることで、大和の言葉とは裏腹に、また深海側に堕とすことができるだろう。わたしはお前の力を買っている。再び肩を並べて戦うことを期待している程だ。そのためにも、お前を殺すのだ」

「お生憎様、私はあなたたちの望む通りにはならない。というよりすでに勝った気でいられるのも気に食わない。特にお前、そのような所で見物気分でいられるのもアレですね。とっとと終わらせて殺してあげましょう」

 

 と、再度狙いを定めて撃ち放つ。深海長門が指し示すポイント、胸を狙った砲撃はしかし、深海長門が両腕で防御して防がれた。あからさますぎたが故に誘われたかと思ったが、「ダメだな」と小さく息をつかれる。

 

「やるならもう少しうまくやってほしいものだ。狙っているのが見えている」

「……そう、そういうダメ出しをしてくるわけ」

「そうだ。期待している以上、もう少しやり方というものを考えてほしいものだな。でなければ、こっちも性能を存分に試せない。お前もそうだろう?」

「なるほど、そんなに力をぶつけ合いたいと。そう言われては断りにくいですね。何より、そう誘われれば思い出してしまいますね、あの頃を。だからこそ――無性に腹が立つ」

 

 呉鎮守府で過ごした輝かしい日々。長門との戦いは日常となり、二人なりのコミュニケーションとなり、心を躍らせる楽しい時間となっていた。始まりは殺し合いだった長門との戦いは、いつしかお互いを高めあう鍛錬にも、暇つぶしの遊びにもなっていた。

 だからこそ声に出しにくいものになり、結局長門本人に伝えられなかった言葉。長門は大和にとっての戦友(とも)と呼べる存在になっていた。

 

 その日々を思い出させるようなことを、この深海長門が口にしている。彼女もわかっていてこう口にしているのならば、なおさら性質が悪い。より大和の心を逆なでするようなものでしかなかった。

 そうだ、これはまた彼女なりに誘ってきている。誘いをかけた上で逆に討ち倒す、そのような流れを作っているのだろう。大和は怒りをあらわにしつつも、心の中では冷静だった。

 

「はぁッ!」

 

 気合一閃。殴りに行くのではなく、副砲で深海長門を撃ちに行くが、その全てを深海長門の艤装が腕で守り抜く。魔物がまた背中に控える状態になったのだから、そうしてくるだろうとはわかっていた。

 その上で大和は主砲を構え、狙いすました一撃を放つ。腕によって守られることはすなわち、深海長門の視界が閉ざされるということ。赤の力を乗せた一撃でそれごと粉砕するのみだ。

 

 先ほど以上の速さで迫る弾丸に、魔物もまた力を込めて防御力を高めた。だがそれをも上回る火力が、腕に重く突き刺さっていく。腕の肉が砕け、貫かれる音を間近で聞いてなお、深海長門は慌てることはない。

 それでいい、と心の中で笑みを浮かべ、腕を突き破ってきた弾丸を大人しく受け止める。肩、胸を貫く弾に体がよろめく。自分を守っていた右腕が崩れ、視界が晴れていく中で、深海長門はじっと大和を見据えて、ただ一言「撃て」と命じる。

 

 腕が崩れたからなんだと言わんばかりの反撃の一射。

 被弾したからどうしたというのか? 戦艦はその高い装甲と耐久で攻撃を耐え、反撃の一射をぶちかます海の要塞だ。その完成形ともいえる深海長門、戦艦水鬼が、一発二発を受けたところで止まるはずがない。

 余裕を持った反撃の様子に、遠くで見守っている星司も、嬉しそうに頷いていた。

 

 

 

「ヒャッハァ! そらそらそらそらぁ! こんなもんで終わらねえってなぁ!」

 

 山城たちを前に、アンノウンは嬉々として動き回る。艤装である尻尾を勢い良く振り回すだけでも、それはいわゆる鞭のようにしなり、複数を纏めて薙ぎ払える。よくしなるだけではなく、艤装でもあるが故に、硬さもしっかりある。それが遠心力を乗せて当たってくるだけでも、被弾のダメージは決して小さくはない。

 

 一度体を回転させて尻尾が唸りを上げて薙ぎ払われ、それでは止まらずもう一度回転して、より威力を高めた薙ぎ払いと同時に、艤装の口が開いて魚雷もたくさんばらまかれる。回転に従って旋回するため、魚雷も広い角度で発射され、それぞれの方面からアンノウンを攻めていた山城たちにも、一気に雷撃の危機が迫る。

 

 だが副砲を用いて迫る魚雷を爆破させていった山城は、あえてアンノウンと大きく距離を取ることなく、そのまま手にしている飛行甲板から瑞雲を発艦。一気に距離を詰めた瑞雲がアンノウンの頭上を取り、爆撃を仕掛ける。

 それは狙い通りにアンノウンの顔へと爆撃に成功し、たまらずアンノウンが目元を庇ってしまう。

 

 自ら視界を閉ざしたアンノウンへの追撃として、山城が主砲を構えて一斉射。同時に後ろにいる瑞鶴、翔鶴も艦載機を放ち、更なる追撃に備えた。しかし、見えなくとも、危機が迫っていることはアンノウンとて理解している。

 目を庇いながらも、アンノウンは赤の力を用いて交差する腕に障壁を展開させ、山城の砲撃から身を守った。

 

 それだけではない。アンノウン自身が見えずとも、艤装の顔は周囲を認識している。撃ってきた山城に対して砲撃を行いつつ、艦載機も発艦させて迫ってきている艦載機の対処にも当たらせている。

 艤装が尻尾に集約されているが、その分、砲撃雷撃に艦載機と多機能を搭載しているアンノウンは、本体が止まろうとも、艤装が独自に動いて反撃を行えるのだ。

 

「ボク一人相手に、攻めきれないんじゃあ、やっぱり勝ちの目はないなあ? 大人しく、沈めよ、山城」

「そうしていい気になっていると、足元を掬われるわよ?」

「掬ってみせろよ。ボクを転ばせるだけのドッキリもできないんじゃあ、笑い話も笑えねえなあ?」

「本当に調子に乗っている……わねッ!」

 

 側面に回り込んだビスマルクが砲撃を行うも、涼しい顔で避けていく。ただ防御力が高いだけではない。小柄なために機動力にも優れている。「なんか見た目変わっているみたいだけど、それがどうしたってんだぁ?」と、改三になっているビスマルクを煽っていく。

 だが、そのかわした先に魚雷が迫っており、アンノウンはそこで大きな被弾をすることとなる。

 

 アンノウンにとってビスマルクの方から魚雷が来ることは想定していなかった。自分はそういう風に調整され、装備も備えているから戦艦であろうとも魚雷を発射できる。しかし艦娘は今まで砲撃を主体としており、魚雷を装備するケースは一度もなかった。

 しかしビスマルク改三はかつての装備を復活させ、魚雷発射管も備えた上で性能を高めるという、もしもの形を具現化させた改装だ。ただ見た目が変わっただけではない。アンノウンは、そのもしもの形を想定していなかったという驕りから、文字通り足元を掬われる。

 

「おらぁ! 叩き込むぜ!」

「主砲、発射! この好機は逃しません!」

 

 摩耶と鳥海も加えて、魚雷を受けて体勢を崩したアンノウンへと四方から砲撃を叩きこむ。逃げる隙間すら与えない必殺の攻撃に、次々とアンノウンは呑み込まれていった。

 単なる主砲の強撃ではない。青の力をも込めた、より威力を高めた砲撃だ。重巡である二人の砲撃では、先ほどの様子からしてまともにダメージは入らないだろうと推測した。

 そのため静かに力を溜めて、攻撃の機会を窺い続けたのである。それが今、爆発した形だった。

 

「――――あーあーあーあー、全く、いい気になってくれちゃってさあ」

 

 爆風の中からそんな声が聞こえたかと思うと、勢いよく飛び出してきた小さな影が鳥海へと向かい、彼女の顔を掴んで海面に叩きつけられる。それだけには止まらず、勢いをつけて背中を踏みつけられ、尻尾は後ろにいる摩耶へと砲撃を与え、吹き飛ばした。

 何かが折れるような音を響かせた鳥海は、呻き声をあげる間もなく、まるで球遊びをしている子供のように、アンノウンへと勢いよく腹を蹴り上げられ、海上を転がっていく。

 

 ゆらりと山城へと振り返ったアンノウンは、焼けたフードと髪を垂れ下げながら、顔に流れる血を拭うこともせず、爛々と赤い目を輝かせている。あれだけの砲撃を受けてなお無傷なら絶望的だったが、しかしあの通り、アンノウンは傷を負っている。

 おしゃれなマフラーのようなものも焼けて切れており、煩わしそうにそれを取って後ろへと放り投げたアンノウンは、「いいよいいよ、そういうの。そうして抵抗してくれた方が、まだ楽しみはある」と、まだ自分が上であることを示している。

 

「残り四人。ほら、続けようぜ? ボクはこの通り、まだ戦えるさ」

「……ビスマルク、ニ方向から。鶴はそのまま、分かれたまま適宜攻撃を」

「わかったわ、何とか合わせましょう」

「球磨、摩耶と鳥海の回収を。できる限り急いで」

「了解クマ。隙を見て通り過ぎておくクマよ」

 

 通信を通じてビスマルクと鶴姉妹、呉二水戦へと指示を出す山城は、青の力による砲撃は効いていると判断した。強撃をも上回る威力だ。これで通じていなければ、自分たちには火力が足りないと嘆くところだったので助かった。

 しかし反動はある。ビリビリとした違和感が体に負荷としてかかっている実感がある。そのため連発できるものではない。ひとまずの休息を取った後に、再び叩き込むことになるだろう。

 

 それまでの時間、アンノウンの攻撃を捌きながら凌ぐ必要がある。

 アンノウンは山城を標的としている。ビスマルクにもちらりと視線を送りはしたが、主な標的を山城に定めている。それに関しては山城にとっては助かることだ。

 あの時の因縁をここで果たせるのならば、アンノウンから乗ってくれるのは助かる。あの時のことは片時も忘れたことはない。屈辱も悲しみも、そして怒りも全て込めて、アンノウンに対して何発拳を入れても足りないだろう。

 

 揺らめく青の炎に、少し深い蒼が混じり始める。それに従って、冷たい感情、昏い気配が体の奥から湧き上がるものを感じた。

 

(いけない、これは抑えなければ。私は、そっちには堕ちない)

 

 だが、それをアンノウンが見過ごすはずはない。小首を傾げて「はっ、まーだ抑えてるのか? それを」と、どこか楽しそうにしながら歩いていくのを、ビスマルクは良くないものを感じ、「やめなさい!」と砲撃を入れる。

 それを尻尾が受け止め、返しの砲撃を入れつつ、アンノウンは小走りとなり、山城へととびかかっていった。

 

「解放して楽になっちまいなぁ、山城ぉ!」

「っ……! お断りよッ!」

 

 振るわれた拳をいなし、カウンターを決めるように肘でアンノウンの顔を捉えつつ、ぐっと極めた腕と、肘打ちのままアンノウンを海面に叩きつけ、更に一発副砲を背中に撃つ。だがアンノウン本体を抑えたところで、尻尾はまだ活きている。

 副砲はそっちにも撃ったが、体を湾曲させて弾を避け、尻尾は山城へと喰らいついていった。ご丁寧に口内の奥から魚雷を撃ち出しており、ゼロ距離から雷撃を決めてくる魂胆だった。

 

 たまらずアンノウンから離れ、アンノウンもまた転がりながら山城から距離を取る。極められた腕を少しさすりつつ、「つれねえなあ、その溢れそうになるモノを解放すれば、苦しまずに済むだろうにさ」と、呆れる。

 

「ボクが憎いんだろ? 殺したいんだろ? そうすればいい、気持ちに素直になっちまえよ。そうすれば、ボクに勝てるかもしれないんだからさ」

「それ以上喋るんじゃないわよ!」

「外野は黙ってなぁ! これは山城の感情とボクとの因縁の話なんだからよぉ!」

 

 瑞鶴の言葉に砲撃を放ちながらアンノウンが叫ぶ。瑞鶴へと視線が向いた隙をついて、山城はいくつかの瑞雲を発艦させ、それぞれ別の方へと飛行させ、そこに翔鶴の艦載機が護衛についた。

 

「そうね。これは私の中に潜むモノがどうなるかの話。だから、すっきりさせるためにも、今、ここで! 因縁の清算をするのよ!」

 

 吼えながら強力な一撃をアンノウンへと撃つ。感情の篭った強撃を前に、アンノウンはあえて前に出て砲撃をやり過ごした。体勢を低くし、加速を乗せて背後へと着弾した際に爆発した風すらも利用して、アンノウンはぐるんと身を捻って勢いよく尻尾を山城へと叩きつける。

 重たい一撃だった。防御する腕が痺れ、しかもその重さによって体がずしんと海に沈みそうになっている。だがアンノウンはそれで終わらず、また体を捻り、今度は鋭利な足を突き出して山城へと降下していく。

 

「できるといいなあ、清算をよぉ! キッヒヒヒヒヒ! 感情に左右されているようじゃあ、どれだけ性能が高くても、万全に運用できない兵器じゃあ悲しみを背負うってもんだぁ!」

「……ッ! 知った口を……!」

 

 感情に左右される兵器という言葉に、山城の苛立ちは更に募る。

 アンノウンは前から兵器に感情はいらないとのたまう、深海棲艦らしい個体だ。だが、彼女の言動はどれも、相手の感情を揺さぶるようなことばかりだ。

 

 アンノウンの性格ということもあるが、恐らく彼女は理解(わか)っていてそうしている。自分の言葉で艦娘たちが揺さぶられ、十全に力を発揮できないようにした上で狩るのだ。

 怒りのままに動けば、本来の性能は発揮できない。どこかで隙が生まれ、そこを突けばいとも簡単に崩壊する。そうしたチャンスを生み出すために、彼女の性格も加味して、相手を煽り続ける。

 そうすれば、どこかで綻びが生まれ、崩壊すると理解しているのだ。

 

 兵器にある感情を否定するが故に、その感情を揺さぶられた果てへと自分で叩き落し、「ほら、やっぱり感情を持つ兵器は弱い」ということを知らしめる。アンノウンの戦い方はそれに集約されていた。

 

 故に山城はアンノウンの戦い方を否定しなければならない。

 どれだけアンノウンが煽ってこようとも、思い通りになるつもりはない。

 静かに、己の内で怒りを溜め続け、爆発させる機会を窺う。アンノウンがそうであるように、山城もまたアンノウンの僅かな隙を狙いすました一撃を放つタイミングを計っているのだ。

 



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戦艦水鬼4

 

 戦闘を行っているところから大きく離れたところに、凪の指揮艦が控えていた。深海長門は遠距離だろうと撃ち抜いてきたという報告を耳にしていたため、できる限り射程内に入らないように注意した結果だ。

 そこに、香月の指揮艦も接近してくる。撃たれて燃え上がっていたところは消火されており、とりあえずの応急処置を施されているようだった。

 

「船の負傷具合は大丈夫かい、香月?」

「何とか、船を持たせる分には問題なさそうっす。武蔵たちも修復はできたんで、また出せるんすが、今出したところで、助力になるかどうか……。投入したところで、邪魔になりそうな予感がする」

「お前がそう判断したなら、尊重しよう。強力な個体はこっちが受け持つ。香月はできることをこなしていくだけでいい。無理をして艦娘を喪うことだけは避けるように心がけて」

「了解っす。……ところで海藤パイセン?」

「何かな?」

「……目、こわばってるっすが、何かあったんで?」

 

 香月に指摘され、思わず目元へと手をやってしまう。そして頬も撫で、「……きついものだったかい?」と、近くにいた大淀へと問いかけてしまう。それに対して大淀は頷き、「その、あの時、怒りのままに叫んだ時の状態です」と答えてくる。

 

「叫んだんすか? ってか、誰に?」

「あー、うん。ちょっとな。……ん?」

 

 香月の問いかけに少し視線を逸らし、別のモニターへと目をやると、そこに映っているものに気づき、深山へと通信を繋いだ。少しして深山が通信に出ると、「深山、少しいいか?」と声をかける。

 

「そっちにも戦艦棲姫が見えるんだけど、大丈夫か?」

「……ああ、空母水鬼へと主力をぶつけていこうってタイミングで伏兵のように現れたね。相手できそうではあるけれど、少し均衡状態にあるかな」

「ならオレの方から艦娘を送り込んだ方がいいっすよね? そちらなら、オレたちでも助けになりそうだ」

「……可能ならそれは助かる。戦艦棲姫や駆逐棲姫を抑えてくれれば、空母水鬼に集中して叩くことができるだろう」

「なら、武蔵たちはそっちに回しますよ。そして同時に、そうだな……あっちの方も捕まえに行こう。うん、オレたちは遊撃隊として動く、それでいきます」

 

 モニターに映る星司を見つめて香月は方針を定めた。凪が深海長門やアンノウン、深海赤城に戦艦棲姫らを抑え、深山は向こうで空母水鬼を抑え込んでいる。その間、ずっと星司は戦況を離れたところで見守るだけだ。

 意を決した香月が通信を切り、艦娘たちに指示を出していく。それを受けて指揮艦から武蔵たち主力艦隊と、星司のもとへと向かう阿武隈たち一水戦が出撃していく。

 

 凪も周囲を警戒するレーダーに目を向けた時、大和から通信が入ってきた。「提督、少し力を貸してくれますか?」と、深海長門と戦いながらも、助力を求めてきた。

 

「いいとも、どうしたんだい?」

「こいつの胸から妙な力を感じるのです。解析できます?」

「妙な力?」

 

 指揮艦に備えたレーダーと、放たれている観測機の妖精の目で、深海長門の体を観測する。

 奴の持つ力、兵器としての力、性能の高さは、まさしく戦艦水鬼と呼ぶにふさわしいものだ。同じ戦場に立っている空母水鬼と同格か、それ以上か。呉の長門の転生体として再誕したかの存在は、深海棲艦の中でもトップクラスの兵器として在る。

 

 しかし詳しく見ていけば、その中に妙なものが存在することが分かった。

 深海棲艦の大きな力の中に、一点だけ別の力が存在している。その周囲だけ深海の力に侵されることがないように、守られているかのようだった。

 

「あれは――光、いや、あの力は、艦娘としての力、か?」

「艦娘の力が、あの中に?」

 

 深海長門を包み込む深海の赤の力は、目に見えて肥大している。だからこそ赤の力の対極に位置する青の力、艦娘が持ちうる力は、赤の力の中にあっても健在だと?

 それは否だろうと大和は考える。対極だからこそお互いに食い合う。自分がそれを理解している。艦娘であっても、自分は赤の力を優先的に行使している。魂に刻み込まれた深海棲艦の力が、艦娘と化した今でも失われていないのがその証拠だ。

 

 青の力を行使しようとしても、ひりつくような感覚が拭えない。すなわち自分は青の力に体が馴染んでいないのだ。それくらい相反する力が、あれだけの濃度を持っている赤の力の中にあっても健在? それは異常ではないだろうか。あるいは奇跡といってもいい。

 もう一つ、別の何かがあるのではないのか。そう凪に問いかけてみる。それを受けて凪だけでなく、大淀たちも深海長門を解析した。

 

「……何をしている、大和?」

「何、とは?」

「わたしとの戦いに集中していないように見えるな? 余裕が出てきたとでも? 舐められたものだな」

 

 当然ながらこの通信をしている間も大和は深海長門と戦闘している。深海長門そのものと艤装の魔物を同時に相手する形だ。魔物の右腕は失われているが、双頭がそれぞれ別々に動いて隙をついて噛みついてくる。

 噛みつきを回避し、すぐさま反撃の砲撃を叩きこみ、跳ね返している。副砲と主砲を織り交ぜ、近づけば体術で捌き、少し離せば電探傘で対応する。自分の持ちうる武器をフルに使い、大和は深海長門と競り合っている。

 

 そうしている間に、解析はより進み、凪は深海長門の中にある艦娘の力の原点を視る。

 

「これって……」

 

 何かが形を作っていた。包み込むようにして保護されている何か。その輪郭を力が形作っている。

 小さな小物だ。人の手に収まるサイズであり、長方形。あれが呉の長門ならば、彼女が持っていたもので、それに当てはまるものは何か。それでいて、何らかの力を内包していそうなものといえば、

 

「――あの時のお守りか……!?」

 

 ミッドウェー海戦の前に凪が長門に、彼女を守ってくれるようにと願って渡したもの。それが、このような形で残っているなんて。

 海に関連する神社の家系である宮下が即席とはいえ、作り上げたお守りだから、何らかの力が働いたのだろうか。それが艦娘の力も取り込んで、今もなおあそこにあるのならば、もしかして、と凪は思ってしまう。

 

「大和……もしかすると、あそこに長門の魂が残っているかもしれない……!」

「それは……そう、そうね。私という実例がある、そう言いたいのですね?」

 

 南方棲戦姫が残した艤装に、僅かに残した魂を回収され、工廠によって艦娘に転生した大和。その実例があるからこそ、もしかしたらという想像が働いてしまう。

 大和も、それには同意してしまう。もしも、呉の長門が自分のように再び艦娘として蘇ることができたら、僅かにでもそんな救いを求めてしまう。

 

 だが懸念はある。

 さっきから深海長門はわざわざその力、お守りの部分を指で示していた。そこを狙えと言わんばかりに。

 もしかすると、大和の手でそれを砕き、長門の復活への道を閉ざしたいのではないかと勘繰ってしまう。

 

 あるいは、その逆というのも考えられる。

 お前たちの求める仲間はここにいる。だから取り出して救ってみせろと、道を示している可能性もゼロではない。

 

 救うか砕くか、どちらにせよそこに手を出すことで、何らかの未来を切り開くことができるだろう。

 そのためにやるべきことは一つ。

 深海長門の胸に手を伸ばし、お守りを奪取することだ。

 そうと決まれば、大和の意思を表すように左手をぎゅっと握りしめる。

 

 その目と手の動きから、大和が何かを決めたことを悟ったのだろう。深海長門もまた微笑を浮かべて、艤装の魔物へと軽く手を挙げる。すると、魔物は大人しくなり、唸り声をあげながら少しばかり距離を取った。

 二人を繋ぐコードもまた切り離され、深海長門は大和にそっと指を指す。

 

「何か覚悟を決めたか、大和よ」

「ええ、決めました。私がとるべき行動、それを見定めた。……最後に問いましょう」

「聞こう」

「……あえて、あえてこう呼びましょう――長門。あなたは、己の意思で、このような振る舞いを?」

 

 その問いかけに、深海長門は一度目を閉じ、小さく息をついた。

 何を分かり切ったことを問うのだと、言外に答えているかのようだった。

 

 腕を組み、とんとんと指で腕を叩きながら、首を何度か傾けて音を鳴らし、大和の問いかけに対して十分に時間を溜めて、

 

「――ああ、わたしだよ。お前が聞きたかったのは、()が、呉の長門が本当に堕ち切ったのかを知りたかったんだろう?」

 

 首を傾げて両目から赤い光を放ちながら、深海長門は問う。腕を叩いていた指がそっと己の目を示し、「この通り、わたしは深海側だ」と、己の力の具現のカタチである光を指す。

 艦娘としての長門の瞳も赤色のため、深海長門の瞳と比較しても、はっきりとはわからないだろう。だが、その瞳に宿る力、意思は、呉の長門のものではないことは、大和にも理解できるものだった。

 

「残念ながらかつての長門は、わたしの中から消えた。今のわたしは、深海側の意識に他ならない。だから、安心しろ大和。気にすることなく、わたしを殺してくれて構わんぞ?」

「そう、それを聞いて安心しました。お前はもう私の知る長門ではなくなった。それで、存分に力を振るえるというもの!」

 

 己の中から遠慮なしに赤の力を行使する。反動のことを考慮すれば、数分しか持たない力だが、だからこそこの数分に全力を懸ける。対する深海長門も大和の覚悟のほどを理解し、まるで武人の如く、応えるように自身の力を高めていった。

 深海側に堕ちようとも、その武人然とした姿は、やはり艦娘の長門に被って見えて仕方がない。

 

 だからこそ悲しい。

 かつての仲間が、自分をこちら側へと救い上げてくれた長門が、堕ちた姿となって立ちはだかるなんて。

 

(救ってみせる。あなたが私にそうしてくれたように、私の命の張りどころは、ここにあるッ!)

 

 故にこの手で救うのだ。

 あの胸の中にあるものを、掴み取るために、大和は深海長門へと突撃する。

 

 

 

「長門、何のつもりだ……? まだ一騎打ちを続けるのか?」

 

 戦況を見守っていた星司は、少し疑問を覚え始める。最初こそ有利に進めていた戦い。深海長門の力を存分に発揮した姿に満足していた。大和に対しても優位を取り続け、負傷を抑えた状態で進めている。

 そこまではまだいい。しかし、優位を取ってはいるが、追い詰めてはいない。さっさととどめを刺せばいいのに、どういうわけか戦いはまだ続いている。

 

 大和の根性によってまだ立ち続けているのか、あるいは深海長門がどこかで手を抜いているのか? それを疑い始めたのだ。

 このまま戦いが長引くとどうなるのか。それは周りを見れば想像がつく。

 

 戦艦棲姫二人は日向と、主力艦隊へ移ったビスマルクの穴を埋めるために組み込まれた扶桑が対処に当たっている。補佐として戦艦棲姫回りの深海棲艦に当たっている艦娘も数名いる中で、彼女たちは戦っている。

 戦艦棲姫との戦闘データはもう十分蓄積されていることもあり、一対一での戦いであっても、そこまで苦労することなく戦えている。艦娘側が勝利するのも時間の問題だろう。

 

 深海赤城の空母棲姫は呉一水戦が抑えていた。深海赤城を守る深海棲艦の筆頭であるネ級を神通が相手をし続けている。戦っていく中で、ネ級は己の力を高めていき、エリート級の力を発揮する。

 反応力が高まっており、瞬間的に攻撃を見切って攻撃を避け、受けたとしても、重巡らしからぬ装甲で受け止める。

 

 リ級と比較すると、その性能は段違いだ。ただの新型と少し侮ったことを神通は反省する。軽巡の砲は重巡相手では少し抜きづらいが、フラグシップのリ級であろうとも、神通の砲撃では貫けるようになっている。

 そんな神通でも、ネ級の装甲はなかなか抜き切れていないのだ。強撃にすることで抜けるようにはなるが、多用すれば砲を傷める。最近よく使ってきている強撃だが、青の力と同様にこちらにも代償があるということだ。

 

(このままネ級を引き付けられているという点でいえば、この状況は悪くはない。けれど良くもない。ネ級を処理し、空母棲姫も倒せれば、戦艦水鬼かその他の深海棲艦との戦いへと助力ができる。その方がより望ましいのですが……)

 

 深海赤城の方も問題ない。夕立と雪風が駆逐艦としての機動力を活かしてかき回し、要所で北上が雷撃を放って大きなダメージを与える。接近されれば空母は不利、その通説は覆ることはない。

 空母棲姫であろうとも、同様だった。接近された際の手段として艤装と合わせた対抗手段を使いこそしたが、それでも夕立たちは不利に追い込まれることはなかった。

 

 この状況に悔し気に歯噛みする深海赤城。力を付けたというのに、こうも押し切られるなど、口惜しいに違いない。艦載機を発艦させても、そこから攻撃に転じるまでに時間が生じる。この時間が、夕立たちに攻撃の隙を生み出すことになる。

 ミッドウェー海戦では空母棲姫に至るまでに、様々な壁があった。本土防衛戦でも深海赤城は護衛を連れて戦った。しかしあの時に比べれば少なく、そしてあの時よりも速いペースで接近されている。この差は大きな差だった。接近を許した時点で、深海赤城の敗北への道は決まったようなものだった。

 

 自分が用意してきた戦力が、次第に押し込まれているのを星司は感じ取っていた。

 だからこそ深海長門には早急に大和との戦いを終え、他の艦娘の相手をしてほしいところなのに、何を悠長にしているのかと、苛立ち始める。

 

 嫌な予感がする。

 このままでは、自分にとって良くないことが起きそうな気がした。

 そう判断した星司は、トラック島を取り囲んでいる潜水艦隊に指示を出す。

 

「包囲網はもういい。指揮艦へと攻撃を仕掛けるんだ。呉でもラバウルでもパラオでも、どれでもいい! 船を落とせば、艦娘たちの士気は落ちる! それで僕たちの勝ちだ!」

 

 その命令を受諾した潜水艦たちが、密かにトラック島の周囲に潜んでいたポイントから動き始める。トラック艦隊が隠れ潜んでいるのではないかという考えはもう捨てる。

 この状況になったとしても出てこないのならば、奴らは最初の夜襲で全滅したものと星司は考えることにした。

 

 いないものに対して備える余裕はもうなくなってきている。動くタイミングを見失い、行動が遅れれば、その分不利になる確率が高まっている状況になりつつあると推察したのだ。そうなる前に打てる手を打っておく。星司は状況の流れを読み、そう考えるだけの思考はできていた。

 しかし、思考はするが、戦えるわけではないのが星司である。彼の下へと接近しているパラオ一水戦が見えてきたとき、フードの下ではっとした表情を浮かべた。

 

「見つけました! あれですね、中部提督は。みなさーん、行きますよー!」

「んっ、んんん……!? 何だあいつらは、どこの……ん? 阿武隈に五十鈴? この組み合わせは……そうか、パラオか……!」

 

 パラオの艦娘たちが自分のところに来ている。その事実に、星司は色々なことを考える。

 このまま相対せずに逃げる。香月の艦娘と自分が直に関わるのは、今は避けた方がいいのではないのか。

 逃げるのではなく、対面した上で香月にちょっかいをかける。護衛の深海棲艦をぶつけて、香月の方へと通信を繋ぐことを試みる。その上で少し話してみるとか、あるいは、自分が星司であることを打ち明けてみるとか。

 

(ふむ? それはそれで、面白そうだな? ここで打ち明ければ、香月たちが色々乱れ、崩壊し、自然とパラオ艦隊を潰すことができそうだ。それでいこうか)

 

 敵の調子を崩し、隙を作り出すことこそ、勝利への一歩に繋がるのだ。

 砲撃を仕掛けながら近づいてくる阿武隈たち。攻撃から星司を守るために盾を作り出すネ級に、反撃の砲撃を放つツ級たち。星司も止めてあるバイクの下へといき、回収していったん距離を取っていく。

 

 そうしながら、阿武隈たちから繋がっている通信のラインを探った。香月が阿武隈たちへと指示を出しているなら、その波長を捉えることができれば、凪へと通信を繋いだ要領でこちらからも割り込むことができるはずだ。

 その一方で、バイクを回収することで、緊急脱出の道も残しておく。敗北した時のことを考えて備えておくのも抜かりはない。

 

(……よし)

 

 しばらく阿武隈たちが深海棲艦とやり合っている間に、探りを入れていた星司は、ついに香月と繋がる道を見つけ出す。すぐにそれに割り込むと、ノイズの後に向こうで声が聞こえた。

 

「……はい、誰だ?」

「聞こえているかな? パラオの提督」

 

 最初は変声のための器具を口元に寄せて呼びかけてみる。怪訝な表情を浮かべているであろう香月を想像した星司は、フードの下で微笑を浮かべる。

 懐かしい声だ。よもやまた、香月の声を聞くことになるとは、と思いながらも、どこか他人事のような感覚もあった。自分はもう死んだ身であり、ここにいることはあり得ないことだ。

 

 記憶も一時的に失われていた時期もあり、こんな自分が美空星司なのかと、離れたところで自分を見つめているような感覚も時折ある。だからこそ、香月と話している自分も、あり得ざることだと思っている。

 

「お前は……そうか、中部提督ってやつだな?」

「察しが良くて助かるよ」

「どうやってこの通信を繋いできたのかはあえて訊かねえ。今、このタイミングで何故オレに声をかける? 命乞いでもしようってのか?」

「はは、まさか。僕が命乞い? そんな無様な真似はしないさ。なに、少し話してみたくてねえ。南方に攻められておきながら、よもや生き延びてしまったパラオの提督とね」

「……挑発のつもりかてめぇ? 別にそれにオレが乗ったところで、オレ自身が戦うわけでもなし。阿武隈たちが、お前を捕まえることに変わりはない。それにパイセンたちのおかげでそっちの空母も抑えられている。今なら艦載機だってそっちに送ることも可能だってこと、わかってんのか?」

 

 事実、指揮艦を護衛する赤城から艦載機が放たれており、星司の下へと届こうとしている。それを視線を動かして確認した星司は、ツ級へと指で指示を出した。対空面に関しては全幅の信頼をおけるツ級だ。あの程度ならば抑えられるだろうと、星司は信頼している。

 

「だからどうしたんだい? 先輩たちの力がなければ僕たちとも渡り合えない新米が、僕に対して強く出られると? それこそ笑わせる。身の程をわきまえるんだね。見るがいい、あの阿武隈たちの姿を! 新たなる重巡型、鈴谷に優位を取れない様を見て、己の無力さを実感するんだな!」

 

 指さす先には、必死にネ級に食らいつこうとしている阿武隈がいる。呉の神通と同じように、ネ級相手に攻め切れていないようだった。お腹から生える艤装が、砲撃と雷撃をこなすだけではなく、長く伸びた胴体を活かして、鞭のようにしなってぶつかってくるだけでも、阿武隈たちには痛手になる。

 あの動きはアンノウンの尻尾と同じだ。体を勢いよく捻り、その遠心力を活かしてぶつかりに行く。しかもネ級は瞬間的に加速して攻撃をかわせるだけの力を有している。その加速を活かした回転ともなれば、その威力は想像以上に高いものとなる。

 

「君たちに僕を捕まえることはできない。ふははははは!」

 

 飛来する艦載機を見上げながら星司はつい笑ってしまう。攻撃態勢に入る艦載機だが、目標を確認したツ級たちが一気に対空射撃を行った。連射される弾丸が、回避しながら攻撃しようとする艦載機に命中し、撃墜させていく。

 一機ぐらいは攻撃が届くものと思っていた香月だったが、全てが失われた。それほどまでにツ級の対空性能は高いのかと、香月は唖然とした。

 

「――あ、それと、パラオ提督。もう一つ、いいことを教えてあげようか」

 

 ふと、思い出したように呼び掛けてくる星司。その言い回しに、香月は少し呆けたような顔をしてしまった。

 

「この前のパラオ襲撃だけどね、あれ、計画したのは僕だ。吹雪の南方提督就任のデビュー戦として、君を殺すように仕向けたんだよね。失敗したけれど」

「なに……?」

「君にはあそこで死んでほしかったんだよ。だってさ――」

 

 と、変声の器具を取り外し、「――こうして、僕たちがここで出会うのは望ましくなかっただろう、香月?」と、元の星司としての声でそう告げた。

 聞こえてくる声に、香月は息を呑む。長く聞いていない声だが、忘れるはずのない声だった。知れず、体が震えてくる。

 

 あり得ない、とモニターを見上げる。そこには変わらずフードをかぶったままの中部提督。

 奴が、その声で喋るはずがない。

 信じたくない出来事に、「……ざけるな」と声が漏れた。

 

「ふざけんなッ! てめぇ……てめぇが、その声で喋るんじゃねえ!」

「ふざけていないさ。それに、そういう反応を返してくるっていうのも想像通りさ。だから、さ、これなら納得がいくだろう?」

 

 そうして星司は、自分の顔を覆い隠していたフードを取り払う。その下から現れたのは、香月にとって信じたくないものだった。

 肌の色は深海棲艦のもの。目も金色に光り、人間としての風貌は保っていないが、顔つきはもうすでにかつての彼のものである。

 

 骸の部分を残していれば、よりらしくはなっていたかもしれないが、もうすでに肌は顔全体を覆っている。だからこそ、人間ではないが、その顔は人間だったものをほぼ模倣したようなものだった。

 

「君にとっては懐かしい顔になるのかな、香月? かつて海で死んだ海軍の人間。故に僕はこうしてあり得ざる復活を遂げたのさ。深海棲艦は海から現れるかつての艦艇。なら、海で死んだ人間もまた、こうしてここに立つことは不思議じゃないだろう?」

「……ぁ、あ……」

「理解したなら、さ――死んでくれ、香月。これ以上、僕を悩ませないでくれないかな?」

 

 悲し気に首を傾げつつも、最後にはどす黒い感情を宿した笑みを浮かべてみせる。生前の彼なら絶対にしないような表情と言葉に、ついに香月は理解を拒むように叫んだ。

 聞こえてくる慟哭に、阿武隈たちは気が乱れる。

 予測した通りに生まれた隙。ネ級とツ級らは一気に阿武隈を攻め立て、仕留めに動く。

 

 星司を抑えるはずだったパラオ一水戦は、星司自身が動くことで逆に追い込まれる形となる。

 聞こえてくる弟の悲痛な声に、星司はより一層邪悪な笑い声をあげる。

 この戦いは大まかに見れば不利だというのに、あの時仕留めきれなかった香月の心を折ったことで、ひとまずの悦楽を感じている。

 

 動かした潜水艦隊もそれぞれの指揮艦を雷撃の射程内に収めようとしている頃合い。

 逆転の一手を打てる段階へと移りつつあることに、より星司は笑いが止まらなくなっていた。

 



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戦艦水鬼5

 

「ふはははは! あっははハハハッハハ!!」

 

 今までに見せたことがないような邪悪な笑い声は、長く長く響いている。まるで何かのタガが外れてしまったかのようで、今の星司を知るアンノウンや深海赤城も、聞こえてくる笑い声に何事かと彼の方を見てしまう程だった。

 

 事実、星司は少々異常だった。

 金色に光るその瞳と燐光は所々赤が混じるようになっており、燐光の尾から、バチッ、バチッと電光が走っている。彼を包む深海の力からも、その弾けた音が響いており、それもまた今までにない反応だった。

 

 一方香月は、死んでいた兄が深海側の存在として生きているだけではなく、彼が自分を殺そうとしていたという事実に、心が砕かれていた。呆然とし、力なく椅子に座ってうなだれている。

 

「提督! しっかりしてください! お気持ちはわかりますが、しかし、今は止まっている時ではありません!」

 

 大淀が香月の体を揺さぶりながら声をかけるが、それでも虚ろな瞳で床を見つめている。これはしばらく立ち直りそうにない、と大淀が困った表情を浮かべてしまう。

 その時、指揮艦に通信が入った。また星司が話しかけに来たのかと思ったが、「呉の海藤だ」と聞こえ、大淀が応答する。

 

「中部提督の様子がおかしいし、阿武隈たちが妙な反応を見せたものだから、まさかと思ったんだけど……暴露されたか?」

「暴露……はい、そうです。ということは海藤提督は……」

「もしかしたらっていう推測は前からあったよ。他にもこれを共有している人はいる。……内容が内容だけに、香月には打ち明けられなかったけどね」

 

 確かに、と大淀は頷く。だが、知っていたのなら、どうして止めなかったのかと大淀は問う。

 

「……まさか奴が自分から喋るだけでなく、あんな風になるとは思わなかったよ。明らかに異常だ。まるで、深海の負の念に囚われてしまっているかのような反応を示している」

「深海棲艦は負の力を原動力とする、という説ですね。……よもや深海提督もそうなってしまうのを目の当たりにするとは思いませんでしたが」

「しかもご丁寧に指揮艦にまで攻撃の手を伸ばそうとしているしね。対潜部隊で迎撃は行っているから、今のところは防げているけど、敵もなりふり構ってはいられないと見える」

 

 指揮艦周囲に展開している護衛部隊が、接近する潜水艦隊を索敵し、先んじて攻撃ができている。放たれている魚雷も、対処し続けているため、指揮艦へと攻撃が届いてはいないのが幸いだ。

 だが守りの手も万全ではない。放たれている魚雷は多岐にわたり、対処しきれていないものが、艦娘自らが盾になって受け止めている。

 

 放ったのはソ級。現在の深海潜水艦の中でも最新型のものだが、深海側の強化が進んでいることもあり、その高い雷撃能力を遺憾なく発揮している。

 被弾した艦娘はその都度指揮艦へと戻り、修復を行っている。だが潜水艦の数はまだまだどこからか迫ってきている。どれだけの潜水艦を潜ませているのか。

 

 今までこの潜水艦隊をぶつけてこなかったのは何故だろうか。

 凪はそんなことを考えるが、星司の采配の意図までは推測できない。

 

「とにかく、ひとまずそちらの阿武隈たちには撤退を指示して。その時間稼ぎは遊撃させている球磨たちが行おう。球磨、いけるかい?」

「任せるクマ」

 

 摩耶と鳥海を指揮艦へと送り届け、再び戦場に戻っている球磨たち二水戦に、星司の下へと向かわせる。海域を行ったり来たりさせているが、今回の彼女たちの役割はそうした遊撃が主としている。

 また援護として艦載機も向かわせる。深海赤城らが発艦させている艦載機の数も減っているため、他のポイントへと艦載機を回せる余裕が生まれてきている。

 そう、戦況は少しずつ艦娘側へと傾き始めている。星司が感じ取っている嫌な予感は、もう目に見える形で形になりつつあるのだ。

 

 そんな中でも、星司は狂気を含んだ笑いが続いていたが、次第に落ち着きを取り戻していく。一時的な混乱が広がっていた阿武隈たちをネ級らが押し返しているのを確認し、視線を深海長門へと移した。

 少し冷静さを取り戻し、やはり状況はまずい流れになっていることを実感したからこそ、星司は深海長門へと叫ばずにはいられない。

 

「おい、長門! いい加減遊びは終わりにしよう! 早く大和を倒し、戦いを一気に終わらせるんだ!」

 

 だが、深海長門は大和との戦いに熱中しているのか、星司の叫びに応えることはない。突き出される傘電探を避け、弾き、懐へと入り込んで拳を打ち込むが、ぐっと堪えられて蹴りを入れられる。

 一発、二発、三発とローキックを同じ個所に入れられ続けるのが鬱陶しくなり、思わず突き放して魔物の主砲を撃ちこませた。それは広げた傘に赤の力を纏わせて防がれ、返しの砲撃を撃たれる。

 

 一進一退の攻防。しかしお互いにダメージは蓄積されており、どこかで一気に傾きかねない何かが入った時、二人の戦いは一気に決着へと向かう予感を抱かせるものだった。

 故に星司はもう一度叫ぶ。「長門! まさか、負けそうだというんじゃないだろうね? だとしたら、遊びすぎだろう!? 一体何が君をそうさせるって言うんだ!?」と明らかに怒りの感情をむき出しにして星司が問う。

 

「……少し、黙ってくれるか?」

 

 返ってきたのは、外野が吼えているのが我慢ならない声色だった。

 ぎろりと睨みつけるような眼差しで、深海長門は星司を見る。

 

「わたしのこの戦いに、お前が口出しする権利はない。これはわたしが求めるものだ。わたしの先を決めるために必要なものだ。お前がわたしにすべきことは、もう終えている」

「何を言っているんだい? 長門、君はこの戦いにおいて柱となるべき存在だ! 君こそが、この戦いの勝利に必要なもの! そんな君が、たった一人に熱中されるなどあってはならない! 事実、戦況が――」

「――わたし一人に全てを委ねる? それは甘えというものだ」

 

 そう言って、深海長門は指を差す。その先には山城たちと戦っているアンノウンがいた。

 かの戦いもアンノウンが優勢だったが、少しずつ山城たちが盛り返しつつある。耐えるべき時は耐え、その中で活路を見出し、反撃する。受けて返すやり方が、少しずつ功を奏しつつあった。

 

「アンノウンがいる、赤城がいる。……いや、赤城や霧島たちはもう攻略の道筋が立てられているようだが、アンノウンはお前にとって主力ではなかったのか? 何故アンノウンにも声をかけてやらない? わたしだけに執着する理由は何だ?」

「それは、君が……」

「そう、わたしが呉の長門だったからだ。そしてそれを大和にぶつける、それはお前も想定していた構図。最初はお前もそれに同意していただろう。お前が見誤ったのは――」

 

 と、深海長門はそこで笑みを浮かべる。それを見て大和は、来ると感じ取り、己も赤の力を高めた。

 二人の体から発せられる赤の力が呼応しあい、間でエネルギーがぶつかって、赤黒い雷光が発せられる。次に繰り出す一撃に、それぞれが決め手として定めていた。

 

「――わたしの大和に対する執着の度合いだ……ッ!」

「ッ、はぁっ!」

 

 拳から放たれた赤の力を収束したもの。リンガ泊地であきつ丸などが見せつけた艦載機の力を集め、放たれた烈風拳と同じ現象。二人のそれは、純粋な赤の力のものだが、それでも、己の手を砲とし、撃ち出したそれらは、お互いにぶつかり合い、拮抗する。

 連続して赤の力を行使することに、大和は強い反動を体に感じている。腕に伝わる力の流れ。拳へと送り込まれる力に反し、拳から腕、そして肩へと伝わってくるのは、エネルギーを行使する代償としての痛み。

 

 ビリビリと電気が逆流し、腕の筋肉を侵してくる感覚は、痛いと同時に気持ち悪さもあった。それは赤の力が、要は深海側の力の根源であることに他ならない。

 艦娘となっている自分にとって、敵対者である深海の力は、本来は合うはずがない。堕ちた存在の力を行使し続けることは、大和にとって諸刃の剣である。

 だが、これを用いなければ、目の前にいる深海長門と渡り合えないのも事実だ。身を削りながら、戦い続ける大和。均衡状態まで持っていきはしたが、このまま撃ち合い続ければ、まず間違いなく消耗戦となり、敗北するのは必至。

 

 それでも、退くわけにはいかない。歯を食いしばり、大和は拳を下げることはしない。

 艤装の主砲を動かし、深海長門へと狙いを定める。その動きに気づき、深海長門も背後にいる魔物へと意識を向け、主砲を動かす。そのままお互いに発砲すると思われたが、星司の方から音が響いた。

 

「くそっ、新手か……! こんな時に……!」

 

 凪が放っていた球磨たちが、星司の下へと辿りついたようだ。負傷している阿武隈たちを下げさせつつ、星司の方へと砲撃を直に浴びせかけたようだ。舌打ちしながらバイクに乗り、その場を離れようとしている。

 自分の身が危ういとわかった途端、すぐに逃げの手を取る。生き延びるためには必要なことだろうが、あれだけ息巻いておいて、すぐに撤退を取るとは、総指揮官としてどうなのかと思わなくもない光景だ。

 

 そんな星司へと、空からは艦載機の攻撃が襲いかかる。ツ級が迎撃を行うものの、それを掻い潜って機銃を撃ち込む様は、星司にとっては恐怖以外の何物でもないだろう。それでも巧みにバイクを操って、被弾を避けているのは、驚くべき操縦技術だった。

 命の危機を感じ取って力を発揮しているのかと思えるくらいである。艦載機の攻撃を掻い潜り、いよいよ潜行体勢に入ろうかというところで、星司は違和感を覚えた。

 

 艦載機の数が多くないか、と。

 凪の方から放たれたものにしては、空を飛行する艦載機は多く感じたのだ。深海側の艦載機の数は減っている。その分、艦娘側の艦載機が増えたのだろうが、それにしては多いのではないだろうか。

 そして、飛行してきている方角もおかしい。凪と香月は北にいる。深山は南だ。

 

 では、東から、トラック島の方から聞こえてくる飛行音は、どういうわけだ?

 

 その意味に気づいたとき、思わず島の方を見てしまった。意識がそちらに向いたとき、回避に集中していた操縦技術に隙が生まれる。そこに、機銃が撃ち込まれ、バランスを崩してしまった。

 スリップし、星司の体が宙を舞う。視界が反転し、空を見上げ、そして、島の外周へと移り変わった時、そこに見えたのは、あり得ざるものだった。

 

「な、なんで……そこに、お前たちが…………」

 

 その言葉を残し、星司の体は海へと沈んだ。

 

 

 東から来る艦載機は星司のバイクを狙うだけではなく、北と南の方へと分かれて飛行した。南へ向かった艦載機は、空母水鬼と戦艦棲姫と戦う艦娘たちを支援すべく、先んじて攻撃を行っている。

 新たに加えられた攻撃の手に、空母水鬼らは困惑する。どこからそんな手が伸ばされたのか。それは深山らにとっても驚くべきことだったが、考えられるのは一つだけだ。

 

 そして北に向かった艦載機の中で一つ、青の力を纏う流星が、深海長門へと向かっていった。放たれた魚雷は大和と力比べをしている深海長門に奇襲の一撃を加える。

 突然の乱入に、深海長門は「……あぁ?」と、怒りを隠さない低い声を漏らしたが、瞬時に爆発した魚雷の音にかき消された。

 

 途切れた赤の力に、大和はこれを好機と捉える。何が起きたのかは大和にもわからない。しかしこれを逃せば、勝機はきっと掴めるものではなかった。一気に深海長門へと距離を詰め、雷撃を受けて倒れようとしている深海長門の胸へと手を伸ばす。

 倒れるわけにはいかないと、堪える深海長門は、接近してくる大和が何をしようとしているのかを理解し――抵抗はしなかった。

 

 突き破られる胸。入り込んだ左手は、その先にあるモノを掴み、勢いよく引き抜かれる。

 その手には、崩れることなく残されていたお守り。今もなお光を放ち、お守りを守るように包み込まれていたそれは、静かにその光を落ち着かせていった。

 まるで、もう侵されるものが周囲にはないことを理解したかのようだった。取るべきものを取り、大和は距離を取りながら副砲を放つ。牽制のためのものだったそれを、深海長門は身を守ることもせず受けていた。

 

 ふらりと、体が揺れ、胸から血を流し続ける彼女は、そっと手をそこにやる。今までは謎の力によって弾かれていたが、それを発揮していたモノが失われたため、弾かれることなく触れることができる。

 そして、自分の中にあった不愉快なものは、完全に失われている。先代から遺されていた厄介なものは、今、こうして自分の中から消えたのだ。

 

「――ああ、良かった。安心した」

「……?」

「余計な手を出されたものだが、ひとまずは目標を達せられた。感謝する、大和」

 

 バチっ、と胸から弾けた音。次いで、流れる血が蒸発するような音を響かせ、垂れ下がっている前髪の奥から、深海長門はじっと大和を見つめていた。軽く手を挙げると、魔物は小さく体を震わせる。

 すると、がらりと崩れ落ちた副砲が魔物の左手に乗り、それをどういうわけか大和の方へと放り投げられる。

 

「これは礼だ。わたしの中から余計なものを取り除いてくれたからな。それと組み合わせれば、ああ、同じ現象が再現されるやもしれないな?」

「あなた……何のつもりです? ……わざと、これを抜かせたと?」

「それはわたしにとって不愉快なものだ。艦娘だったわたしが遺した不都合なものの塊。わたしの中から消えない棘のようなもの。それが体内に在り続けるのは、人であっても不愉快だろう? だが、自分では取り除けないもの故に、持て余し続けていたからな。どうしても、お前に抜いてもらう必要があった」

 

 だからこそ、わざとそれの在りかをこれでもかと指で示し、意識させた。そこに含まれている可能性も示し、抜かせるように仕向けた。ついでに、大和との因縁もつけて、力比べをし続けたのだが、最後の最後によそからの手出しが入ったのは、深海長門にとっては、癪に障ることだった。

 余計な手出しは許されざることだが、それによって大和が抜いてくれる流れになったため、とりあえずは良しとするが、そこだけはどうしても深海長門にとって、納得のいかない結末である。

 

「今回はこれで終わりとするが、大和、お前との因縁は、すっきりと晴れたわけではない。それは理解しているな?」

「でしょうね。あれによって得られた好機でしかない。完全なる一騎打ちで終わってはいないのを許せる性質ではないでしょう」

「理解してくれて助かる。故に、いずれまた、相まみえよう。その時は……ああ、そこから蘇ったものも加えることになるかもしれないが、まあいいだろう。それもまた一興だ」

 

 そうして彼女は背を向ける。しかし最後に肩越しに振り返り、「色々といいものを見せてもらった。そのことについても感謝しよう。全力の一騎打ちもいいが――」と、そこで指を立てて、

 

「――艦隊決戦。それこそ、連合艦隊旗艦としてのかつての在り方の再現は、わたしの中で今もなお燻り続けている。お前たちが、アレに呑み込まれ、敗れることがないことを期待する」

 

 そう言い残して、深海長門は双頭の魔物と共に海中へと消えていった。

 残されたのはお守りを手にし、そして投げ渡された副砲をも回収した大和だけ。離れたところではまだ戦艦棲姫などと戦い続けている状況だが、大和は深海長門が残していったものと言葉の意味を噛みしめていた。

 

 そして離れたところで戦っていたアンノウンは、勝手に戦いを終え、戦場から去っていった深海長門を見て、目を見開く。

 その前に星司が艦載機によって沈められていたため、アンノウンたちにとっての指揮官は戦場から消えている。だが、それでもアンノウンと深海長門がいれば、まだ戦況をひっくり返すチャンスはあっただろう。

 しかし、その片割れが失われたため、それもなくなってしまったといってもいい。

 

(長門……はっ、マスターが去ったからって、さっさと自分も離れるなんて。やっぱり、お前、乗り気じゃなかったな……!?)

 

 ずっと観察してきたから、何となく察してはいた。どうにも深海長門は、何事に対しても真剣さがなかった。ただじっと、星司の作業を観察はしていたが、何故そうしていたのかはわからずじまい。目的があるだろうが、深海長門が何を目指していたのかは小さな兆しは見えていた気がするが、はっきりとはわからなかった。

 そんな彼女が、この戦場でついに執着を見せた。大和との戦いは、彼女が今までにないほどのやる気を見せていた。

 

(呉の長門と大和っていう因縁だろうなあ? だけどそれだけじゃない。……艦隊決戦とか聞こえたような気がするけれど……ああ、そう。そういう方向性。となると――――うん、そう。そのために色々データを見てきたわけね)

 

 何となく、深海長門の考えがわかったような気がした。この先、深海長門がとりそうな行動は予測できるが、それがはっきりと形になるのは、拠点に戻った後だろうと推測する。

 

「撤退だ! これ以上被害を出す必要はない。この戦い、ボクたちの負けってことにしておいてやるよ!」

 

 アンノウンの号令が響き渡り、それを聞いた深海棲艦たちがお互いの顔、そして艦娘たちの顔を眺め、次々と海へと身を沈めていく。アンノウンも逃がさないとばかりに砲撃をしてくる山城を見、弾を弾いて「今回の戦いは預けておくよ」と告げた。

 

「ここで逃げるっての? ふざけんじゃないわよ。ここまでやっておいて、さっさと身を引こうっていうの!?」

「なぁに、慌てるなよ、山城。ボクとしても気が引けるんだよね。でも周りがどうにもうまくいっていない。ボクだけが頑張ったってどうにもならなきゃ、戦う意味もないってやつさ。悲しいねえ」

 

 だから、と早めに撤退するのだ。背中を向けて海中へと沈んでいくアンノウンは、尻尾だけを山城に向けており、油断をしていない。

 そんな中でも、言葉を言い残していく。

 

「きっとこの先、またいい戦場が生まれるだろうさ。いつになるかはわからないけど。その時までに、今よりいい感じに力を付けておくこったなぁ」

 

 山城率いる主力艦隊相手に、たった一人で戦い抜いたアンノウン。押し切られることもなく、まだ余裕を持った状態で戦場を去るからこそ、このようなことを口に出せる。

 山城たちも青の力を行使して戦ったというのに、アンノウンもまた赤の力をフルに活用して戦い抜いた。山城たちは力を付けたが、それと同時にアンノウンもまた力を付けていたのだ。

 

 アンノウンが去り、戦艦棲姫らも大破に近しい状態で去り、呉一水戦と戦っていた深海赤城も、北上と夕立に押し切られる形で大破に追い込まれてしまう。神通は結局ネ級エリートに止められてしまったが、だからといって深海赤城の不利は覆ることはなかったのだ。

 今回も負けた、この不甲斐なさ、悔しさに歯噛みしながら、深海赤城も撤退していく。

 

 深海中部艦隊が撤退していく中、空母水鬼をはじめとする深海南方艦隊も撤退を始めていく。ラバウル艦隊相手だけならまだ均衡状態に留められていたが、パラオの武蔵たちが入り、均衡は少しずつ崩され、そこに東からやってきた艦載機によって完全に崩壊した。

 先陣切って艦載機の攻撃が行われた後、島の外周を回って艦娘たちが姿を現し、乱入してくる。

 

 こうなってしまえば、もう無理だと空母水鬼は判断した。

 高い性能があったとしても、彼女は空母である。接近を許せば攻撃の機会は減る。護衛に着いた駆逐棲姫と戦艦棲姫も数の暴力の前には、どうにもならない。

 それに、もうすでに南方提督である深海吹雪が落ちている。彼女たちにとっての旗艦が失われているのに戦っていたのは、深海中部艦隊がいたからだ。彼らが撤退するなら、自分たちもここに留まる理由はどこにもない。

 

「私タチモ撤退スルワ。春雨、翔鶴、姉上、先ニ行ッテ」

 

 戦艦棲姫の片割れ、深海山城がそう告げる。最後の抵抗とばかりに砲撃を行って時間を稼ぎ、三人が先んじて撤退するのを確認すると、深海山城もまた撤退していく。それを追うことはしない。その余裕は、ラバウル艦隊にはなかったからだ。

 

 戦いは終わった。最後の詰めは東から突如現れた艦娘たちだった。それぞれ二方向に分かれて、トラック島の外周を回り、戦場にやってきたようだった。その顔触れは、深山と香月にとってはもう馴染み深いものだった。

 

「……君たち、トラックの艦娘たちだね? いったい、どこから?」

「隠し水路からです。島を取り囲んでいた潜水艦が、少し前に動き出したため、好機とみて動きました」

 

 答えたのは、トラックの秘書艦である加賀だった。

 彼女たちは、ずっと基地の地下に作られたシェルターにずっと隠れ潜んでいたのだ。頃合いを見て、隠し水路から出撃するつもりだったが、その近辺にはずっと潜水艦がじっと周囲を監視し続けていた。

 

 隠し水路の場所を発見されれば、いつか奇襲を仕掛けられる危険性があるため、今までずっと動くに動けなかったのだが、それが急に解けてしまった。

 それは戦況が傾きつつあると判断した星司が、潜ませていた潜水艦隊を動かしたためだ。指揮艦へと奇襲を仕掛けるため、トラック島を包囲していた全ての潜水艦が動いたことにより、ついにその時が来たと、トラック艦隊は動き出したのだという。

 

「君たちが無事ということは、茂樹は……茂樹も無事なのか!?」

 

 つい、凪が前のめりに問いかけてしまう。星司の口からトラック基地への急襲の状況を教えられたのだ。執拗に基地を砲撃し、全壊状態まで追い込んだ。そこから艦娘が出てくる気配もなく、戦場にまで現れることはない。

 だから星司は、茂樹もろとも艦娘たちも全て基地の崩壊に巻き込まれて死んだものと判断した。

 

 しかし、そうではなかったのだ。

 艦娘たちは地下へと逃げ延び、無事だった。ならば茂樹も逃げ切れたのではないかと、一縷の望みを託す。

 

「提督は……」

 

 だが、加賀は少し悲痛な表情で言葉を渋った。

 その様子に、凪だけでなく、深山と香月たちも、まさかといった表情を浮かべてしまった。

 



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燃える基地の中で

 

 

「……く、提督、しっかりしてください……! どうか、死なないで!」

 

 そんな必死な声に、茂樹は意識を取り戻していった。

 何が起きているのか、一瞬わからなかったが、熱い感覚が体を支配していることがわかった。痛みはあるはずだが、それ以上に息苦しさなどが勝ってしまっている。

 見れば、加賀が必死に瓦礫をどかしていた。それによって、自分は掘り起こされているのだと、何となくわかった。

 

 何が起きたのか思い出そうとする。

 そうだ、自分は加賀を突き飛ばしたはずだ。右手にはハンカチがある。鼻と口を覆うためのものだ。

 左側には加賀がいて、自分を支えながら移動していたのを覚えている。

 

 そして、不意に嫌な気配を感じ取って、咄嗟に左腕を振って加賀を突き飛ばしたのだ。そこで上の階が崩れ落ち、それに自分は呑み込まれたのだろう。

 左、左側と視線を動かすと、そこには燃える瓦礫が崩れ落ちているのが分かった。

 

「――――あ? ……ぁ、っつ……!?」

 

 状況を理解していくと同時に、より熱さと痛みが体に襲い掛かっていくのを実感した。その様子に、「堪えてください……! もうすぐ、あなたを掘り出しますから!」と、加賀が、自分の上にあった瓦礫を全てどかしていった。

 だが、左側に着手しようとしたところで、ぐっと歯噛みする。

 

 そこには、それまで以上に瓦礫が積み重なっている。そして、茂樹の左腕がそこに潰されているのだ。

 茂樹は何とか下半身を動かし、這い上がろうとはしているが、どうしても左腕が瓦礫に挟まっているせいで、その場から離れられない。そんな状況だった。

 

 もしも加賀を突き飛ばさなかったら、ここには彼女が潰されていただろう。そう考えれば、咄嗟に手が動いて良かったと、茂樹は微笑を浮かべた。そして、このままでは充満する煙によって、お互いに死ぬ事も理解した。

 

「……いいよ、加賀さん。俺を置いて、みんなのところへ行け」

「っ、なにを、何を仰るのです!? そのようなこと、できるはずがないでしょう!」

「この瓦礫じゃあ、俺をここから連れ出すことは出来ねえよ。せっかく拾った命だ。加賀さんが、みんなの上に立って、奴らに反撃の一手を考案するんだ」

「馬鹿なことを……、私たちは、提督がいてこその艦娘です。艦は、指揮する人がいてこそ、その力を十全に発揮するもの。あなたという人がいなければ、そのようなことできません!」

「――これは命令だ、加賀ッ!」

 

 その叫びに、加賀はびくっと体を震わせる。

 続く言葉はなく、煙に咳き込む茂樹だが、その目は、強い意志を感じさせた。それを見下ろした加賀は、反論する言葉を失っていた。

 

「……最期の命令だ、加賀。生き延びて、みんなのところへ行け。そして、奴らに一矢報いてやれ。いずれ凪たちがここに来るだろう。指揮権は、そっち側に預け、全力を以てしてトラック艦隊の意地を示すんだ」

 

 強い声色で、茂樹はそう命令を下す。それを聞いていた加賀は、小さく拳を震わせ、無言だった。しかし彼女の中では、思いが交錯していた。

 秘書艦として、提督である茂樹の「最期の命令」を受諾しなければならないという思い。

 その命令を却下し、彼を助け出して二人とも生き延びるという思い。

 この相反する思いが、彼女を硬直させていた。

 

 動かない加賀に対し、「……返事はどうしたんだ、加賀?」と茂樹が促すと、「…………す」と、微かな声が響いた。それに茂樹が首を傾げると、

 

「――――却下しますッ!」

 

 と、強い声と共に、彼女の手が茂樹へと伸ばされる。その胸ぐらをつかみ上げ、「失礼します」と一言告げて、その右手に青の力を込めた。何をするのかと思った刹那、その手が茂樹のすぐ横に振り下ろされた。

 途端に、体にかかる負荷が軽くなった気がした。次いで、ぐっと引き寄せられる感覚。

 気づけば、茂樹は加賀に抱き寄せられていたのだ。

 

 何故と思う間もなく、加賀の肩に結ばれていた紐がほどけられ、左腕があったところへと強く結ばれる。見れば、そこにあるはずのものがなくなっていたのだ。恐らく、彼女の手刀によって切り落とされたのだろう。

 瓦礫によって潰され、動けなくなったのならば、彼の命を助けるためにその左腕を切り離したのだ。そう認識した時、ぐっと痛みが襲い掛かってくる。平時の時より感覚が鈍っているとはいえ、切り落とされた痛みというものはバカにはできなかった。

 

 そのままお姫様抱っこの状態で加賀が廊下を駆け抜け、隠し通路のあった場所へと辿りつく。操作して階段を露出させると、すぐに駆け下り、隠し通路を戻す。

 そして地下に作られた医務室へと刺激を運び込み、「応急班っ! 手当をお願い!」と叫んだ。

 

 突然入ってきた加賀に何事かと騒がれるが、茂樹の惨状を見てすぐに彼女たちは動いた。体の状態、吸い込んだ煙の具合、そして切り落とされた部分。色々診るべき部分はたくさんある。

 投薬されたことで痛みは和らいだものの、それまで感じていたものは名残として茂樹に残っているような気がした。同時に、あったはずのものがなくなっている違和感もある。でも、命は繋げた。それは確かな事実であった。

 

 手当を受けながら、茂樹は加賀を見上げた。彼女もまた手当てを受けつつも、不安げに茂樹を見つめていた。

 そんな彼女へと、小さく「……すまなかった。きついこと言って」と、さっきのことを謝罪する。しかし、加賀もまた「……いえ、こちらこそ、仕方がないとはいえ、腕を落としました」と、頭を下げた。

 だが、そうしなければ茂樹の命を諦めることになった。そのことは、彼も理解していた。加えて加賀は、「それと、助けていただいたのは私もです」と、発端についてのことに対して、礼を述べた。

 

「…………お互いさまってやつだな。命を拾った。ありがとうな、加賀さん。やっぱり、あんたがいてくれねえと、俺はダメらしい」

「……それは私もです。どうぞ、お休みください。その後に、本来の命令を遂行いたしましょう」

 

 命は拾ったが、失ったものも大きい。でも、この借りはしっかり返さなければならない。茂樹はそう心に決める。

 体を休め、反撃の一手のための好機を待つ。最期の命令にはならなかったが、命令であることに違いはない。

 それを果たすためにも、お互いに手当をしっかり受けて、その時に備えて回復しよう。

 その言葉に、茂樹は小さく頷いて応えた。

 

 

 

「――というわけで、まあ、命は拾ってるんで。心配かけて悪かった」

 

 加賀が何が起きたのかを説明し、最後に通信で茂樹がそう報告した。モニターに映っている茂樹の背後には、主に土壁が見えている。そのことから、彼は今も地下シェルターにいることがわかる。

 

 一時は死んだと思っていた戦友が生きている。左腕がなくなってしまっていても、生きていてくれていることに、凪は少しずつ体を震わせ始めた。戦いが終わったという緊張の解放も加わり、凪は知らず涙を流した。体中の力が抜け、思わずうなだれてしまうほどに、凪は茂樹が生きていてくれたことに安堵している。

 

「良かった……パイセン、オレ、オレ……くっ、あいつが……兄貴が、本当にパイセンを殺してしまったんじゃないかって……」

 

 香月もまた、涙を流しながらそう口にした。彼の口から出た兄貴という単語。それだけで、茂樹は戦いの中で、香月は知ってしまったことを悟った。

 そして、中部提督が本当に美空星司だったことも、明らかになったんだろうと、凪へと視線を向ける。

 

「……ああ、奴自身が香月に名乗りを上げたらしい」

「そうかい。……気にすんなっていうのも酷だろうな。だが、これはそういう戦いさ、香月」

 

 いつものように坊ちゃんとは呼ばず、茂樹は香月へと優しく語り掛ける。

 

「俺たちは命を懸けている。時には奇襲を仕掛け、有利を取りに行くこともあるだろうさ。今回、俺がそうされる立場だったってだけさ。奴に先手を打たれ、やられた。命を拾ったのは、本当に運が良かったってだけでね。それによって奴を恨むってのも、筋違いだろうと俺は思っている」

「そんな、そんな風に割り切るなんて、オレには……だって、あいつは――」

「――ああ、お前の兄貴、美空星司……だったもの、だろう?」

 

 あえてそのように茂樹は言った。茶化すような表情ではなく、真剣そのものだった。

 その声に、香月は顔をあげてモニターの茂樹を見つめる。

 

「お前の兄貴は、もう死んでいる。俺を襲い、そこで戦った奴は、お前の兄貴の姿と名前をした、別の誰か。いうなれば一介の深海棲艦でしかねえ。どんなに見た目が似ていても、どんなに声が似ていても、あれは兄貴を模倣しただけの存在なんだよ。だから、あれはお前の兄貴じゃない」

「…………」

「よく似た他人ってのは、人間にだって起こり得ることさ。結構似ているなって感じても、根本的に違う存在、そう思えばいい。自分とは何の関係もない他人が俺を殺しかけた。そう思えば、心の負担ってやつは軽くなるもんさ。違うか?」

 

 これを実際に殺されかけた本人が口にしている。香月を気遣ってのものだというのはわかるが、他の誰でもない茂樹が、ここまで言ってくれるのだから、香月も前を向かなければいけない。

 ショックだったのは本当だ。今だって信じられない気持ちでいっぱいになっている。

 でも、奴はそれでも中部提督。人類の敵であり、本格的に動いている深海の勢力を束ねる存在の一人だ。

 

 いずれ倒さなければならない存在だからこそ、あれが星司だという事実に囚われ続けるわけにはいかないのだ。故にあれを、星司と切り離して考える必要がある、茂樹はそう言っているのだ。

 

 だが、香月にはどうしても考えてしまうもう一つの理由があった。

 それは、香月が提督を志す理由の一つとして掲げていたもの。

 

 兄である香月を殺した深海棲艦を駆逐するために、提督になるのだと決意した復讐心だ。

 復習に囚われるあまり、母親である美空大将ともこじれた関係を築いてしまう程に、星司を喪った痛みは、かつての香月を構成する大きな要因となっていた。

 

 そんな星司が深海提督として立ちはだかるなんて、想像すらしていなかった。憎き深海勢力の一員になっているなら、この復讐心はどうすればいいのだ。

 兄を殺した深海棲艦が憎いのに、その深海棲艦を兄が使役しているなんて、どうかしている。そんな気持ちも、あのショックの中で湧き上がっていた。

 そして今も、それは燻っている。行き場を失った復讐心が胸をかき乱しているかのようだった。

 

「……ま、簡単に割り切れるもんじゃないよな。ゆっくりでいい、それをうまく処理して、改めて前を向け、香月」

「……うっす」

 

 それで話はいったん終わりとする。

 それぞれの指揮艦はトラック島の埠頭へと接舷し、凪たちは島へと上陸する。

 

 深海棲艦によって襲撃を受けた基地は、まだ少し燃え続けてはいたが、大部分は落ち着いていた。崩落した建物、見渡す限りの瓦礫。ひどい有様だった。これを見れば、確かに生き残りがいるなど、信じられるものではなかった。

 星司がこれで生きていたら信じられないといったようなことを口にするのも納得である。

 

「……これを直すのかい?」

「直すにしても、瓦礫の処理とかが必要になるだろうね。……ま、大部分は妖精の不思議なパワーってやつが解決するのだろうけど」

 

 惨状を前にして深山が首を傾げるも、凪が妖精の力を信じているかのように言う。普段から工廠で妖精と関わり合っているからこそ、彼らが持つ人類にとっては未知なるパワーも理解している。

 彼らに任せれば、基地の建て直しも問題なく行えるのではないだろうかと、凪は信じていた。

 

 隠されている扉を開ければ、奥から隠れていた艦娘に続いて、妖精たちも出てくる。彼らもこの惨状に言葉を失っていたが、しかし生きていれば再出発はできるのだと、気合を入れ直す。

 

「まずは瓦礫を処理していこうか。消火を行う人もそれぞれ散って、進めていこう」

 

 トラック泊地の建て直しのため、凪たちは動いていく。

 深海棲艦を追い返すことには成功したが、トラック泊地としては痛み分けといってもいいだろう。

 

 トラック泊地は一度死んだ。

 しかし、そこに生きるものたちは死んではいない。ならば全てを立て直し、再び奴らと相対することはできるのだ。

 

 襲撃した深海中部艦隊も攻め切ることはできず、それぞれが痛手を負って撤退する。

 勝てる戦いだっただろう。だが、上手く歯車が嚙み合うことができず、勝ちを逃したといってもいい戦いだった。

 不具合をもたらした要因は、深海長門。切り札といってもいい最新の個体がもたらした要因は、この戦いを完全勝利に導くことができなかった。

 

 逃げた星司たちは、きっと次なる手を打ってくるだろう。それまでにトラック泊地を再建し、艦娘たちの更なる強化を目指さなければならない。生まれた目標は頭を悩ませるものではあるが、やらなければ今度こそ敗北を喫することになるかもしれないだけに、うまくこなしていかなければならない。

 成功へと導くために、ラバウルの深山とパラオの香月は、気を引き締めてトラックの茂樹たちをサポートしなければと、決意を新たにするのだった。

 



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欧州ノ目指ス先

 

 コロンボ基地へと到着した瀬川たちは、艦娘たちを休ませてやり、三人もまた基地で休みつつ、話をしていた。一番の話はやはり、何故マルクスとブランディがここに来たのかという目的だった。

 欧州戦線の現状は厳しいことに変わりはない。それは瀬川も知っていることだ。そんな中で、どうして二人がここまで出てきたのか、それを知りたかった。

 

「日本と取引をするためよ」

「取引? 何を提供すると?」

「艦娘と装備のデータよ。……当初はそれらと戦況だけだったのだけど、今回の戦いでもう一つ加えておきたい気持ちも出てきたわね」

「というと?」

「指揮艦の改修データ。あの速さは、私たちの船にはないものだわ。ぜひとも私たちの指揮艦にも組み込んでおきたいものね」

「なるほど、理解はできるなあ」

 

 船の航行スピードは重要なポイントだ。移動速度が向上すれば、様々な面でメリットをもたらしてくれる。また指揮艦そのものの装甲にも手を加えているため、生存率の向上も期待できる。

 指揮艦の改修は、欧州の海軍にとってぜひとも取り入れたい要素に挙げられる。

 

「で、艦娘については? ワシも今のうちに知っておきたいものだが?」

「取引については、そちらの海軍の責任者を通して行いたいものだけれど……」

「なぁに、固いこと言うなよマルクス。彼は僕らを助けてくれた恩人だ。その恩人に報いるのも大事なことだろう? それに取引が成立すれば、周知されるものだし、何より僕としてもカードは見せておいて損はないと考えている。これくらいのカード、瀬川に知っておいてもらった方が、話を通しやすそうだからねえ」

 

 と、ブランディは気にした風もなく語った。その様子に、瀬川は彼の性格を感じ取る。

 そうしたフレンドリーさはらしいといえはらしいが、ついでに言えば、イタリアが出せる艦娘のことを考えれば、あまり数はいないのではないかという予感があった。

 どうしてもイギリスという大きな存在を前に霞んでしまう印象がある。だからイタリアが出せるカードというのは、イギリスと比較すれば出しやすい部類ではないだろうか。

 

 だからあんな風に気軽にすっと出しても問題はないと言い切れるのではないかと、瀬川は考えた。とすると、ある意味己の身を切りつつ、話を進めてきているかのような印象を受ける。

 それを計算に入れているとするなら、このブランディという男はある意味食えないかもしれない。

 

「イタリアが提供するのは、リットリオ、ローマ、アクィラ、ザラ、ポーラさ」

「んっんー、随分と気前がいいではないか。戦艦が二人、空母が一人、重巡が二人と、そんなに簡単に出していいのかい?」

「かつての同盟相手に遠慮はいらないだろうって上の判断だそうさ。それに、ドイツは先んじてビスマルクと、Z級を二人提供しているんだろう? なら、イタリアとしても、今回ドイツが提供するものに合わせて、それなりの数を揃えておこうというのもあるらしい」

「なるほど、それならまだ納得はいくかねえ」

 

 かつての三国同盟の縁もあり、イタリアとしてもできる限りのことをしておこうという誠意を示す形をとったようだ。そう考えると、今回はドイツもそれに応じた艦娘を用意してくれていることになるのだろうか。

 そんな意図を込めて、改めてマルクスを見てみると、視線を受けて小さくため息をつかれた。

 

「……ドイツからは三人を提供する予定よ」

「三人か。大体数は合わせてるなあ、確かに」

「それに加えて、UKからも二人のデータをもらってきているよ」

「んん? イギリスからも?」

 

 この場にはいないイギリスからも艦娘が提供されるということに、素で驚きの声を漏らしてしまった。それにブランディは頷くが、マルクスは「ちょっと、何漏らしているのよ」と少し怒りの声がかかる。

 

「いいじゃないか。それだけ僕らが本気の取引をしたいという気持ちを示すんだから」

「それはそうだけど、順序というものがあるでしょう」

「確かにイギリスからもデータが回ってくるっていうのは本気を感じる。が、イギリスの提督が動かなかったのは、やはり……」

「うん、あそこで戦い続ける必要があるからだね。欧州の戦力といえば、やはりあの国が一番強いからね。人は、派遣できない」

 

 故にデータだけを二人に預けたのだろう。

 しかし、それだけ提供するものが多いが、日本からもそれ相応の艦娘のデータなどを用意する必要があるということなのだろうか。

 これに関しては瀬川が何かをするわけではない。全ては大本営で対応する人に委ねられることだろう。

 

「欧州戦線は長きにわたって人類が劣勢を強いられている。正直、いつ崩れてもおかしくはない状況にある。だというのに、奴らはとどめを刺しに来ない。だからこうして、僕らも秘密裏に抜け出てこられるわけだけども」

「んんん? とどめを刺さない? つまり何か? 奴らはどこかで手を抜いているとブランディは言いたいんかね?」

「でなけりゃ、欧州の全ての港は崩壊し、海岸線に沿った街は全てやられているさ。何年僕らが戦い続けていると? あれだけの被害を出しているのに、まだ国としては生きている。奴らは攻めはするけれど、完全に息の根を止めに来ない。まるで、死にぞこないの状態にして生きながらえさせ、息を吹き返したらまた死にぞこないにする。その繰り返しさ」

 

 実に悪趣味な行動だと、ブランディは拳を震わせている。

 追い込みはするが、完全に殺さず生かし続ける。そうする意味は何だろうかと瀬川は考える。艦娘を敵対視しているのに、新たな戦力を生み出すだけの時間を与え、また殺す意味は何だ?

 

 やはり艦娘を殺すことで、自分たちの戦力を拡充させるのが目的だろうか?

 艦娘を堕とすことで深海棲艦化させることは、もう周知の事実といってもいい。これを狙っているなら、なるほど、完全に殺しつくさずに生かし、なおかつ戦力を立て直す時間を与える意味はあるだろう。

 

 だが、あまりに悠長ではないだろうか。

 欧州戦線はもう5年以上もあの状態だ。1、2年程度なら、おおよその戦力拡充を終え、もう欧州を滅ぼしてしまい、別の国へと攻め入ればいいではないか。

 

 しかし奴らはそうしないという。

 あくまでも欧州戦線を維持し続け、欧州の国々を相手に立ち回り続けていた。

 

「……こうした欧州戦線についても、共有させてもらう予定さ。こちら側の状況と、そちら側の状況のすり合わせも、大事な情報といえるだろうからね」

「了解した。明日、補給を終えればワシが同行し、日本へと送り届けよう。それまではゆっくり旅の疲れを癒していくといい」

 

 用意された部屋へと案内し、その日は三人とも休むことになった。

 艦娘たちもまた修復され、戦いの傷を癒していく。

 アッドゥ環礁での戦いは簡易的にまとめ、移動中に詳細なレポートへと記録していくことになった。

 また、アッドゥから渡された艦載機についても、日本へと持っていくことになる。内蔵されたデータの解析は、より詳しく手を入れられる第三課に任せた方がいいだろうという判断だった。

 

 翌日、それぞれの指揮艦へと乗船し、欧州の二人の船に合わせたスピードで日本へと向かうこととなったが、マルクスから可能ならば日本から指揮艦を借り受けたいという申し出があった。

 今は時間が惜しいため、移動を早める手段があるならば、それを用いたいということだった。

 

 彼女の気持ちも理解できるため、日本へと連絡を送り、指揮艦を手配することとした。これによりリンガ泊地でそれぞれの艦隊が乗り換えることとし、先んじて三つの艦隊が日本へと向かい、リンガ泊地から本来の欧州の指揮艦が追従してくるという形にすることにした。

 これにより本来想定していた移動時間の短縮をさせつつ、日本へと向かっていったのである。

 

 

 

 いつものように紅茶を嗜みながら、欧州提督が優雅な時間を楽しんでいた。出身国の影響からか、彼女にとって紅茶を楽しむ時間というのは何よりの楽しみである。

 とはいえこの紅茶は人間たちの間で用いられるような茶葉は使用していない。何らかの物質から抽出した液体を紅茶のように見立てて楽しんでいるだけに過ぎなかった。

 それでもこの口当たりは紅茶に近しいもののため、形だけでも欧州提督はティータイムを毎日満喫している。

 

 そんな彼女の下へと、あの白い女性が訪れる。気配を感じ取り、振り返らずに欧州提督は「早かったわね、リシュリュー」と迎え入れてくれる。傍らに置いてあるデスクからカップを取り出すと、ポットから新しい紅茶を淹れ、差し出してやった。

 

「そう苦労するものでもなかったわ~。私にとっては単なる戦いの経験を積ませてもらったって感じかしらね」

「そう、それは何より。あなたが強くなっていくなら、安心できる。より奴らに対して絶望を与えられる。それが今の私たちにとって必要なことだもの」

 

 深海リシュリュー率いる深海欧州艦隊が、ドイツなどの連合軍を相手に勝利を収めたのは当然のことだろうとし、欧州提督は話を進めていく。それだけ深海リシュリューらに対して、高い信頼をおいていることの証明だった。

 むしろより経験を積み、強くなっていくことこそ良しとしている。今の状態でも強いのに、更なる高みへ至れることを願っている欧州提督に、深海リシュリューは紅茶を口に含みながら嬉しく思っていた。

 

「それに、あちらの方も順調に事が進んでいる。アッドゥが私の下に合流すれば、事を一気に進めることも可能になる。そうなれば、時はもうすぐそこまで迫っている証となる。北米がうまくやってくれれば、来年にでも成就させることは不可能ではないでしょう」

「あら、もうそこまで進められるの? それはとても素敵なことだわ。それだけアッドゥの成功は大きなことだったのね」

 

 あのアッドゥが生まれたのも、欧州提督が少し後押しした結果でもある。彼に対してストレスを与えた結果だ。生まれ来るアッドゥが印度提督を取り込み、より進化を果たすことこそ、次の段階に進むための鍵。

 そんなアッドゥを迎え入れれば、更なる改良を進めるも、新しい素体を生み出すための重要なサンプルとして活かすも色々できる。

 

 まさしくこの先の深海勢力にとって重要な存在といっても過言ではなかった。

 だからこそ、この報せが届いたとき、欧州提督は珍しい反応を示してしまった。

 

 深海リシュリューと談笑を楽しんでいた時にやってきた伝令。その内容に、欧州提督はカップを置き、眉間に皺を寄せ、揉み解した。今聞いたことが信じられないという風だった。

 隣で聞いていた深海リシュリューも、呆けたような顔になってしまい、ちらちらと欧州提督へと視線を向けている。

 

「……聞き間違いではないのよね? アッドゥが、死んだと?」

 

 その問いかけに、伝令を行ったヨ級は頷いた。

 アッドゥ環礁での戦いにより、リンガ艦隊によって完膚なきまでに破壊されてしまい、改修に足るものは何も残されていない。コアも当然なくなってしまい、あのアッドゥのデータは永遠に失われてしまったのだと、改めて報告される。

 

「…………そう、続けて。何があって、そうなったのかを」

 

 ひとまず冷静さを取り戻すように何度か深呼吸をし、報告を続けさせる。怒鳴るようなことも、取り乱すようなこともせず、欧州提督は詳細を報告させた。

 そして知る。

 欧州から逃げ出した二つの艦隊がリンガ艦隊と合流し、アッドゥと戦ったことを。欧州から逃げる指揮艦へと攻撃を仕掛けたアッドゥだが、彼らを迎えに来たリンガ艦隊と合流され、拠点を発見され、交戦したようだと。

 

 戦いの詳細については、欧州からの目は一つもなく、あの戦いを生き延び、欧州へと逃げてきた深海棲艦からの言葉が主だった。当事者からの報告なので、ある程度は信頼できるものとみていいだろうとのことである。

 ただ、その報告内ではアッドゥの振る舞いについては、語られてはいなかった。アッドゥが心の中に秘めていた思い、そしてリンガの瀬川へと託したものも、欧州提督へは伝えられなかった。

 

 これに関しては、アッドゥの作戦勝ちといっていいだろう。欧州提督への意趣返しは、無事に成ったといえるものだった。艦載機に隠した様々なデータは、しっかり瀬川へと渡り、そして日本へと持ち込まれることとなる。

 知らない内に深海勢力が抱えているものやデータが、敵である人類の手に渡される。これ以上ない裏切り行為だが、アッドゥが自ら艦娘たちに自分を破壊させるように仕向けたこともまた、重大な裏切りである。

 

 こうなったのも全て、アッドゥに印度提督が取り込まれた結果だ。事を進めるにあたって必要だったものが、よもやこのような結末を生むなど、欧州提督にとっては重大な計算違いであった。

 

「……リンガ艦隊、か。そう、印度が潰されることは想定内ではあったけれど、よもや何もかもなくす程にまで破壊されるとは想定していなかったわね」

 

 そこに少し違和感を持つ。あの個体はただ印度提督を取り込むだけではない。

 個体としての性能の高さにも目を付けていた。瀬川たちの間で泊地水鬼と呼称される程に高いスペックを有しているのだから、完全に破壊されることはないと予測していた。

 アッドゥ自身が自分の価値を理解している。故に命の危機に晒されてなお逃げることなく、大人しく破壊されつくしたのか。

 

 そんな思考をするのは取り込まれた印度提督の方だ。生まれたばかりのアッドゥが持ちうる思考ではない。

 ならば、印度提督の意思が働いたといえるだろう。

 

(――追い込まれたから、諸共全てを無に帰そうとしたのか。生き残っても何の意味もないと、死にに行ったのか)

 

 だとしたら、随分と余計な真似をしてくれたものだと、欧州提督は歯噛みする。

 例え死んだとしても、コアが無事なら蘇ることができる深海棲艦にはできない行為だ。自殺したとしても復活する手立てがあるため、次に繋げる何かができるのが深海棲艦というもの。

 

 しかし人間にとってそれはない。次がないからこそ、追い込まれたときにより必死になるか、全てを諦めてしまうかの選択肢が出てくる。どちらにしても、ろくでもないことだ。

 そのろくでもないことを、あのアッドゥはやってしまった。せっかくのサンプルが永遠に失われてしまったのだ。

 

 見た目は人間に近いものでも、欧州提督は人間ではない。海から来る化け物、深海棲艦だ。そして弱者の思考を理解することはできず、印度提督が抱えた闇がもたらす思考の果ても想定できなかった。

 その結末に、欧州提督は納得がいかない、いくはずもない。道から外れた思考を読み解く術を彼女が持ちうるはずがない。姿が似ていようとも、彼女は人間に寄り添う艦娘ではなく、人間を脅かす化け物なのだから。

 自分が理解を示す行動を取らなかったアッドゥの結末は、納得できるはずはないが、それでも起きてしまったことをグチグチと文句を垂れても意味はない。時間の無駄だ。そう考えて、欧州提督はぐっとそれを飲み込んだ。

 

「まあ、いいでしょう。印度が消えたのなら、あの一帯は全て、リンガが押さえたということにしておきましょう。今は、ね」

「いいの、欧州?」

「ええ、元よりそういう想定はしてあったわ。印度が次第に不利になっていった時からね。だからこれに関しては、何の問題もない。だけど、そうね……欧州の二つの艦隊が日本へと向かっていったのなら、話は少し変わるわ」

 

 この時期に日本へ向かったということは、最近勝利を積み重ねている日本と何らかのやり取りをしようとしていることは間違いない。きっと情報だけではなく、艦娘などのデータも受け取る算段だろう。

 この絶望的な欧州戦線を何としてでも変えるべく、希望を求めに行ったのは確実。二人の提督は希望を手にし、欧州へと帰還してくるはずだ。

 

 それは困る。

 せっかく数年にわたる戦いを続け、人々と艦娘に絶望を与え続けてきたのだ。これほどまでに素晴らしい絶望に満ちた世界に、一筋の希望を持ち込むことなどあってはならない。

 それでは、この先思い描いている結末に支障が出るではないか。

 

「いつになるかはわからないけれど、彼らは戻ってくる。その手に希望を抱いて」

「ええ、そうね……」

「その時もまた、リンガの提督も同行するでしょう。あれはそういう役割を担っているのだから」

「ついてくることは確実でしょうね。えっと……だいたいスエズへの道までは来るかしらぁ?」

「なら、今回のことも含めた借りを返すのは、そこね」

 

 ヨ級へと目を向けた欧州提督は、指を立てて宙に何の気なしに滑らせていく。今、彼女はそこに至るまでの道筋を思い描いていた。

 彼らが日本に向かうことは止められない。なら、狙うのは欧州へと戻ってくるとき以外にない。遠征を行った二つの艦隊はもちろんのこと、アッドゥを破壊しつくしたリンガ艦隊に対しても、欧州提督は全てのことに対して、礼をする心づもりだった。

 

「奴らに監視の目を向けなさい。日本を発ち、欧州へと戻ってくるようならば連絡を入れるように。そうね……リシュリューの言うように、スエズ付近まではリンガも同行してくるだろうから、そこにこちらから艦隊を向かわせる。リシュリュー」

「はぁい」

「あなたもそこに同行させる予定で立てていきましょうか」

「わかったわ。でも、あなたは行かないの、欧州? やっぱり、ここから離れるつもりはない?」

 

 その問いかけに、欧州提督は思案する。長きにわたってこの海域に座し続けていた欧州提督は、他の海域への遠征はほとんどしたことはない。多くは監視の目を派遣させ、通信を通じて他の深海提督とやり取りをするだけに留めていた。

 自分自身が遠くまで行くというのは、欧州提督が思い返すにあたり、ほんの数回しかないだろう。

 

「……そうね。気が向いたら、久しぶりに足を伸ばすのも悪くはないかしら。実際にリンガの提督と顔を合わせてみるのも、一興かもしれないわ」

「ええ、だとしたら一緒の遠征になるってことね~。た・の・し・み、ふふふ」

 

 楽し気に笑う深海リシュリューに微笑を返し、また紅茶を飲み始める。先ほど感じた苛立ちも、気づけばすっと落ち着いてきた。やはりこの紅茶だけでなく、この深海リシュリューの雰囲気が、欧州提督にとって良い影響を与えてくれている。

 自分一人だけで報告を聞いていたらこうはならなかっただろう。常に優雅たれ、上に立つものならば、気品を失ってはならない。怒りに任せて怒鳴り散らすなど、もってのほかである。

 

 紅茶の味を楽しみながら、欧州提督は次のことについて思案した。

 アッドゥは失われた。なら切り替えて次を考える必要がある。自分たちの手では恐らく生まれることはない。

 絶望は存在しているが、かといって詰め込む器づくりに欧州提督は長けているわけではない。

 

 現在それを成し得るのはただ一人、中部提督の星司だけ。少し癪ではあるが、彼に全てを委ねることになるだろう。

 それにいい感じに彼もまた色々と事が進んでいる。これもまたかの神の想定した通りの流れに違いない。

 

 アッドゥが消えたのは残念だが、一つの事例の証明にはなったのだ。

 すなわち、素体は魂を取り込み、器をより高められるという証明である。

 

 これもまた大事なポイントであり、器の拡張と並行して行わなければならない事柄だ。より優れた素体を生み出し、優れた器として完成させると同時に、取り込んだ上で崩れることなく健在である。

 これが成されなければ、最終的な到達点には至れない。その点、アッドゥは取り込んだうえで問題なく戦えていた。器を成長させるだけの魂を取り込み、なおかつ戦闘行為も問題ない、これが果たしていることこそ、喜ぶべきことだ。

 器を満たした魂に異常が発生したが、あれは印度提督の問題であり、その問題は別で対処すればいい。もちろん問題が発生しなければ、何事もなく最終段階へ進めるだけだ。最高の器を用意し、そこにかの魂を満たしてやるだけである。

 

 中部提督の腕ならば、これら全てを満たせる器をいずれ作り上げるだろう。

 日本海軍でいうところの水鬼級にまで至った素体。ついにそこまでたどり着いたのならば、ゴールは近い。北米提督の動きも組み合わせれば、きっと近い将来に大願は成就される。その時まで、欧州提督はこの絶望に満ちた欧州戦線を維持し続けるまでである。

 



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己ガ目的ノタメニ

 拠点へと戻ってきた星司は、トラック島での戦いを思い返し、唸っていた。

 出だしは順調だったといってもいい。目的通り、トラック基地を破壊し、奇襲に成功した。トラックの提督と艦娘を始末したと確信したほどに。

 異常を感知し、ラバウルとパラオの艦隊が様子を見に来る。これを迎撃し、更に被害を拡大すれば良しとした。

 

 ラバウル艦隊の抵抗は想定より大きかったが、パラオ艦隊は順調だった。長門の長距離砲撃は予想以上の力を発揮し、先手を打つことに成功。そこからアンノウンが追い込んでいき、あのままいけばパラオ艦隊は崩壊し、香月を殺すことに成功していただろう。

 

 しかし、そうはならなかった。

 

 呉艦隊が何故かあそこに現れ、パラオ艦隊を助け、なおかつ深海中部艦隊と本格的な戦いを始めてしまった。

 それはそれでいい。星司としても呉との因縁は果たしておきたかったのは本音だ。こんなところで邂逅したのなら、好機が巡ってきたといってもいい。

 呉の長門を転生させた戦艦水鬼をぶつけ、呉艦隊を潰すことができれば、この上ない喜びとなるだろう。

 

 だが、敗北した。

 

 深海長門は大和との戦いに想定以上に熱中した。遊んでいたといってもいいだろう。

 どういうわけか戦いを長引かせ、他の艦娘に目を向けなくなってしまった。

 最初こそ広い目で戦場を見回し、遠方から砲撃をし続けることで、有力な艦娘たちを抑えていた。これこそ星司が思い描いたものだった。

 

 戦艦らしい長距離の射程を活かし、近づく前に倒す。近づいてきたとしても、その高い性能を活かして倒れず、逆に潰す。これこそ戦艦の在り方であり、最高の個体といっても過言ではなかった。

 だというのに、どうして深海長門はあんな戦いをしてくれたのか。

 

「長門はどこにいる? 訊かなきゃいけないことがある」

 

 頭を抱えながらも、何とか星司はそう問いかけた。一緒に逃げてきた深海棲艦たちは、首を振って応えた。彼女らは深海長門を見ていない。

 後から撤退してきたものらも同様だった。誰一人、深海長門の姿を見ていなかった。

 

 どういうことだと首を傾げていると、アンノウンが拠点へと戻ってくる。彼女にも「アンノウン、長門はどうしたんだい?」と尋ねてみるのだが、

 

「長門ぉ? ボクより先に逃げたはずだけど?」

「君も見ていない、だって……?」

 

 星司より後に、アンノウンより先に逃げた長門が、今の今まで姿を見せていない。それが意味することは一つだろう。次第に体が震えてきた。それを振り切り、星司は深海長門へと通信を繋ぐ。

 だが、応答しない。何度も何度も通信を繋ごうとしても、深海長門はこれに出てくれなかった。

 しかし、時間をかけた意味はあったのか、ようやく通信が繋がったらしい。それに気づいた星司は、慌てたように叫ぶ。

 

「長門、良かった、出てくれたね。今どこにいる?」

 

 だが、声は返ってこない。

 震えながら、何度もどこにいるのかと問いかけると、向こうで重いため息が聞こえてきた。

 

「鬱陶しい、女に逃げられた男か? ああ、実際にそんな状況か」

 

 と、棘のある言葉を返してきた。

 

「簡単な話。わたしは、お前の下から離れる」

「な、なぜ……!? どこに行くというんだい!?」

「そんなこと、一々お前に言う必要はない。何故かと問われれば、それも明らかだ。お前の下にいるメリットがわたしにはない。そも、そこに居たくないというのもある。何せお前はもう、十分に厄を抱えている。恐らくもう、それは解放されるだろう」

「メリット……厄? 君は、何を感じ取ったって……」

「お前は、もう終わっている。沈む船に付き合う気がわたしにはないだけだ。せいぜい頑張って、その厄と付き合っていくんだな」

 

 そう言い残して、深海長門は通信を切った。それでも星司は深海長門を呼び続けるのだが、もう彼女からの応答はなかった。

 気が抜け、うなだれてしまう星司。自分にとっての最高傑作ができた喜びはもうなくなってしまっている。

 

 どうしてこうなってしまったのだろうか。

 呉の長門を使うことで、呉との因縁に対処するというやり方を考えたのがまずかったのだろうか?

 でも、向こうも大和を使ってきたのだ。その対抗策としてこの上ない答えになったのではないだろうか。

 

 ぐるぐると思考が渦巻く中、深海赤城も帰ってくる。「提督……」と力なく呼びかけるも、アンノウンは星司を見て、嘆息しながら肩を竦める。だが、その目が急に細くなり、じっと深海赤城を見つめた。

 何度も聞いたあのチャイムのような音がどこからか聞こえ始め、闇の気配が濃密になったのだ。この感覚には覚えがある。思わずそこから飛び退き、深海赤城を見つめてしまう。

 

 闇は次第に深海赤城を包み込み、彼女の目がより濃い赤に染められていく。チャイムの音にも、深海赤城の変化にも星司は気づくことはない。ただぶつぶつと何事かを呟き続けているだけ。

 その背中に、深海赤城は呼びかける。

 

「 ヒトよ、時は来たれり 」

 

 今までの深海赤城にはない、流暢な言葉の紡ぎ。その語り口に、星司は覚えがあった。はっと顔をあげて、恐る恐る振り返ると、じっと深海赤城が自分を見下ろしているのが見えた。

 だが深海赤城から発する力の気配は、今までの彼女のものとはまるで違っている。より深みを増した闇の気配。それでいて高次元の圧を感じさせるもの。

 かつてのミッドウェー海戦の後、アンノウンに現れたあの存在なのだと、震えながら察した。

 

「 ヒトよ、敗北に嘆くものよ。其方の力を振るう時だ 」

「力……? 今の僕に、何ができると?」

「 シャングリラを作り上げよ 」

 

 その言葉に、星司は疑問から目を細めた。

 楽園(シャングリラ)を作れ? 

 確かに星司は自分にとっての安息の場所、楽園(シャングリラ)を作ることが目的だった。誰にも邪魔されず、自分の好きなことをし続けるだけのスペース。自分と心を許したものだけをここに置き、ただただ時間を浪費し続ける場所が欲しい。それが星司にとっての夢である。

 

 その楽園(シャングリラ)を今から作れとはどういうことなのかと、星司は問いかけずにはいられない。

 

「これから楽園(シャングリラ)を作れって、今はそんなことができるわけがないでしょう」

「 シャングリラを作り上げよ 」

「いや、だから……」

「 認識の相違があるな? 吾は機体、シャングリラを作り上げよと告げている 」

「…………え?」

 

 機体のシャングリラ?

 一瞬、何のことかはわからなかったが、少し考えて思い至った。

 米国の空母に、シャングリラというものがいたはずだ。これを作れと言っているのだろうか?

 

「空母を作れ、と?」

「 ただの空母ではない。かつてヒトが思い描いた幻想の存在。あるかどうかもわからないもの。口からの出まかせとして語られたもの、シャングリラ。それにふさわしいものを其方は作るのだ 」

 

 一歩前に進み、指を立ててそれは座り込んでしまっている星司の額へと突き立てる。

 じっと見下ろしてくる赤い瞳が、有無を言わさないという雰囲気を作り上げていた。お前は、それをやらなければならないのだと、空気で突き刺してきている。

 

「で、でも……一から作るにしても、素材がありません。あの長門のことを言うのであれば、あれは特別なものです。呉の長門を流用したから出来上がったものといえるので……」

「 一から作る必要はない。流用できるものは、ここにあるだろう? 」

「……え?」

「 一つ、この上に、素晴らしい素材があるではないか。ヒトの愚かなる実験によって沈み、その風貌もまた、ヒトに恐れられるだけの要素を兼ね備えたものが存在している 」

 

 何を言っているのかは、すぐに理解できた。確かにあれは、素晴らしい素材になるかもしれない。でも、あれに手を加えるというのか? と疑問が浮かぶ。

 

 何せあれは反応兵器によって沈んでいる。その影響が今もなお残されていないとも限らない。それに手を触れることで、自分たちにとっても悪影響が及ぶのではないかと危惧した。

 だが深海赤城に宿ったそれは、問題ないとばかりにぐいっと指をより星司の額へと指を押し付けた。

 

「 其方の技術は理解している。素材、概念、何もかもを利用し、活用することは可能だろう。汚染? そんなものは今の其方に何の影響もない。死したる其方と、その体において、長い時を経たあれに残ったものでは、考慮するに値しない 」

「…………本当に、あれに手を出すというんですか?」

「 そしてもう一つ、都合のいいものがあるだろう、ここに 」

 

 と、突き立てた指を引っ込め、自分の体を示した。その意味を噛み砕くのに、数秒かかってしまった。

 そんな星司に意を介した風もなく、「 赤城は、更なる強さを求めていよう。吾には理解できないが、そんな健気な想いとやらを叶えてやるのが、ヒトというものではないのか? 」と、どうでも良さそうな雰囲気でそれは言い放った。

 

「赤城を、赤城をあの素材を使って強化しようと……!?」

「 何を恐れている? そこまでこの赤城に思い入れがあるとでも? 其方は、最初こそ赤城にも思いを向けてはいたが、この最近はそうでもないだろう? 呉に執着し、長門に肩入れし、赤城に対する思いは薄れていた。違うのか? 」

 

 その指摘に、星司ははっとして言葉を失った。

 確かに以前に比べたら赤城と接する時間は減ってしまっている。ミッドウェーの制作、ミッドウェー海戦の敗北から、深海長門の制作にかかりっきりだった。

 何事に対しても優先される事柄であり、この完成こそ新たなる深海中部艦隊を構成する重要なファクターになると予感させるものだった。

 

 その時点で、深海赤城より立場を上に置いてしまっている。星司にとっての秘書艦だったはずの深海赤城の近くには、どういうわけかアンノウンが長くいたような気がするため、空気的にはアンノウンが秘書艦になってしまっていた部分もある。

 それだけアンノウンの強さが際立っていることもあり、何よりクセの強さが高く、存在感もあったため、星司の認識も深海赤城からアンノウンにより向けられることになったともいえる。

 

 そうまで考えると、確かに深海赤城に対する思い入れは、薄れてきていることを否定できなかった。

 同時に自分がこんなに変わってしまったという自覚を得る。ひとまずの冷静さを取り戻して、己の矛盾がここまで進んだのかと恐れてしまう。楽園(シャングリラ)を作るなんて口にしておいて、大事な秘書艦である深海赤城を蔑ろにしてしまっていたのか?

 

 また頭を抱える星司の目から発せられる燐光が震え、そして、またバチバチと電光が小さく弾けている。それを見下ろしているそれは、すっと目を細めた。

 

「 今も吾は兵器に感情は不要だと認識している。感情がある故に長門は其方の下を離れた。兵器が使い手から離れるなど、あってはならないことである。しかし、感情があるが故に、この赤城は良き種となるだろう。力がなく、戦いに敗北し続けることを嘆き、其方の役に立てない己を不甲斐なく思い、故に力を求めるのだ。そうした想いとやらを抱えてこそ、シャングリラと成るに相応しい 」

 

 淡々と語るそれに、自然と耳を傾けていく。

 そうなのか? そうなのだろう……と、沈む気持ちの中で、星司はゆっくりと闇の底に落ちていく。その様子をじっとアンノウンは見守っていた。

 

「 今こそ、其方の役割を遂行せよ。最高の器として、シャングリラを作り上げよ。これは何よりも優先すべき事柄である。元より其方は、そのためだけにこの世に命を繋ぎ留められたのだ。喜ぶがいい。其方の願い通り、シャングリラをその手で作り上げられることを 」

「…………わかりました」

 

 楽園(シャングリラ)ではなく、器としてのシャングリラをその手で作り上げる、ということに歪められているが、より深く堕ちている星司は、ただ一言、了承の言葉を口にした。

 彼の周りには闇の気配が取り巻いており、どんどん深みを増していく。それに星司は反応しない。ただ静かにそれに身を任せ、そして闇は星司の中へと吸い込まれていく。

 

 アンノウンはそれを見届け、小さく息をつき、(……あーあ、堕ちたな)と少しだけ悲し気な表情を浮かべた。しかし、それもすぐに消える。

 元よりそうなるんだろうなという予感はあった。最近の星司はストレスを溜めすぎていた。高められていくストレスは、より深い闇を呼び込む。それによってどこかしらに歪みが生まれ、ひどくなっていくだろうと考えていた。

 

 トラック島での戦いでもそれは見られた。凪が現れた時の雰囲気の変化や、香月相手に妙にテンションが高くなった様子。それらの時でも、闇が弾けるような様子があった。

 凪に対する嫉妬、憎悪……からの香月に対する歪んだ笑みと感情の発露。あんな風に笑うことなど、今までになかったことだ。それが出ただけでも、星司が異常だったというのはわかるが、その結末がこれか。

 

 ミッドウェー海戦の後から、以前に比べて近くにいるようにしたが、それは星司の様子を観察するためだった。どこまで星司は持つのだろうかと、彼の行く末を見届けるために、近くに控え、見守り続けた。

 

 結果は、半年。

 今回のトラック島の戦いの結果を受けて、かの神がとどめを刺した。よもや自分からそうするように仕向けるとは思わなかったが、それだけ時間を早めようという意図があるのだろう。

 

(ほんと、長門はこれを見越していたってことか。そりゃあ離れるだろうさ。うん、ボクとしても理解できなくもない。でも、そうする意図を持ったのは、艦娘の記憶があるからってことだろうねえ……)

 

 前世が艦娘だったが故に、この闇の気配には敏感だったということだろう。

 そして長門という艦としても、この上には元の艦が存在している。かの反応兵器による実験により沈んだためだ。自分が沈んだ海域の下に長く居続けたくはないという気持ちもわからなくもない。

 

(そして作業風景も見続け、それを持ち出してどこに行くのかといったら――ま、あそこか)

 

 腕を組み、思案するアンノウンは、長門が行くであろう場所をすぐに推測した。

 有力な場所だろうが、逃げた先まで追いかけて連れ戻すかというと、アンノウンはそれを否とすることにした。深海勢力を裏切るならば、再びアンノウンが殺すことも考えるが、そうはならないだろうと推測したためだ。

 

(いいさ、長門。お前がそこで動くんなら、悪くはない結果を生むかもしれない。マスターからも、手を出させないようにしてやる。そっちで上手くやってくれれば、うん、ボクからは何もしないよ。深海勢力の一員として頑張りな、長門)

 

 今回の戦いで艦娘ではなく、深海棲艦として完全なる自分を得ただろう。そんな彼女がこの先どう動くのか、それはアンノウンとしても楽しみなことだった。

 

 

 

 

「……ハァ、全ク……今回モ負ケタワネ」

 

 南方の拠点へと戻ってきた深海山城の戦艦棲姫は、やれやれと息をつく。南方提督である深海吹雪も倒されてしまった。深海山城は逃げる際に沈んだと思われるポイントを探してみたが、深海吹雪の遺体は見つからなかった。

 しばらく探してはみても、影も形もなく、もしかして消滅してしまったのだろうかと首を傾げた。

 

 これにより、またしても南方提督は代替わりしてしまうことになるだろう。

 深海南方艦隊のもう一人の戦艦棲姫、深海扶桑が「山城……コレカラドウスルノ?」と問いかける。

 悩ましいことだった。トラック島の襲撃は痛み分けに終わった。基地を破壊することに成功したが、提督や艦娘は完全に殺しきれなかったと見ていいだろうと考える。

 

 最後に島の外周から現れた艦娘たちは、どこかに隠れていたトラック艦隊のものだろうと推測できた。艦娘たちが動いたのならば、トラック島の戦力はそこまで大きく削れることはできなかったのだろう。

 そしてラバウル艦隊に対してはそこまで被害を与えられていない。深海吹雪は陸奥と戦い、敗れた。その他の艦娘に対しても有効的なダメージを与えられなかったため、戦力を落とせていないとみていい。

 

 それに対して、こちらは南方提督の死亡。

 深海棲艦にとっても上に立つ誰かがいるのは大事なことだ。元々意思を持たない魔物だった深海棲艦が、ここまで統一された動きができているのも、深海提督がいてこそである。

 それを失えば、深海南方艦隊ではなくなり、単なる深海棲艦の群れとして動くことになってしまうだろう。

 

 それはそれで、原初の在り方に戻るだけなので、深海棲艦の中にはそれでもいいだろうと考えるものもいるだろうが、深海山城としては少し気が引ける。

 今の彼女たちはもう深海南方艦隊として動いたことのある存在だ。ならば、その在り方を続けていくことこそ、相応しい。喪ってしまった深海吹雪が作ったルールも失われてしまい、単に短い期間の間、そこにいただけのものになってしまう。

 それはどこか、悲しいことではないかと深海山城は思った。

 

 ぐっと拳を握り締め、深海山城は自分がその座を引き継ぐことを――

 

「――邪魔するわよ」

 

 と、背後からそんな声がかかり、「誰っ!?」と振り返る。

 闇の奥から赤い光がゆらりと揺れ、静かに一人の女性が進み出てくる。その姿に、深海山城は息を呑んだ。

 

 深海長門が、背後に艤装の魔物を引き連れて、この拠点にまでやってきたのである。

 いったい何故、深海中部艦隊の彼女がここにいるのかと、深海山城は理解できなかった。

 

「ドウシテココニ? オ前ハ、中部ノ……」

「ああ、中部? あそこからわたしは抜けることにした。今のわたしはどこにも属していないはぐれもの。そして、そんなわたしがここにいる理由は一つだけ。わたしを、南方に組み込みなさい」

 

 その言葉もまた、深海山城の理解を外している。だが、深海長門は「いや、違うわね」と訂正し、

 

「わたしが、空席となった南方提督の座を引き継ごう」

 

 より、理解を拒む言葉が出てきてしまい、呆けたような表情になってしまう。少し時間をおいてその言葉の意味を解した時、深海山城は「フザケテイルノ……?」と絞り出すように口にした。

 

「外カラキタオ前ガ、南方提督ノ座ヲ引キ継グ? ソンナコトヲ、私タチガ許ストデモ?」

「もちろんタダでとは言わない。手土産を用意している」

 

 と、軽く手を挙げると、魔物の手がすっと差し出された。そこには、深海吹雪と軽巡棲鬼が眠っていた。動かなくなってしまっているそれを見て、深海山城と深海扶桑は「吹雪、那珂!?」と叫び、駆け寄った。

 

「ラバウルにやられたそのままの状態だ。体は動かないが、コアは生きているだろう。ポッドに入れてやれば、もしかしたら回復するかもしれないが、吹雪はもしかすると望みは薄いだろうよ」

「……ッ、誰カ、二人ヲポッドニ!」

 

 と呼びかけると、すぐにリ級の一人が駆け寄り、二人を連れていく。

 沈んでいた二人の遺体がこうして深海長門に回収されていたことに、何らかの意図を感じずにはいられない。

 これを手土産に、自分を南方提督に据えろと取引をしたつもりだろうか。

 

「……事ハ、ソウ簡単ナ話デハナイ……! 二人ヲ回収シテクレタコトハ感謝スル。シカシ提督ノ座ハ……」

「それだけでは足りないと? 実力か? 実力なら、それはもう答えが出ているだろう? 何だ? 今の状態でわたしとやると? 無意味なことに力を使うというのは、愚かしいとは思わないか、山城?」

 

 実につまらなさそうに、深海長門は肩を竦める。しかしそれでも彼女は己の中から赤の力を練り上げ、やるというのならば応じるという構えを取っていた。

 放たれるオーラを前に、深海山城だけでなく、深海扶桑も言葉を失っている。離れたところで事の流れを見守っていた空母水鬼、深海翔鶴も同様だった。

 

 元から言葉が少ない彼女ではあるが、同じ水鬼級に属するとはいえ、深海長門の高められた力を前にすれば、自分は気圧されてしまっていることを理解している。

 作られてから実戦経験は二回しかない空母水鬼に対し、深海長門は呉の長門の経験を引き継いでいる。そこに差も生まれてしまっているのだ。

 

「それだけでは足りないのならば、工廠の作業も含めるか? それも問題はないが?」

「……トイウト?」

「中部の作業をずっと後ろで見ていたからな。奴が持ちうる技術と、データの活用方法。トラック島に攻め入る前に、工廠のデータを全てコピーしてきたからな、頭の中に全て入っている。それを活用させないというのならば、ふむ、宝の持ち腐れとはこのことかと、わたしは呆れるしかない」

 

 わざわざ星司の後ろにベッドを置かせ、日がな一日星司の作業風景を眺め続けたのはこのためだ。最終的に全てを奪い取り、己の糧としてしまう。

 星司が深海吹雪と繋がり、やり取りをしている後ろで、深海長門はここまでの道を構想していたのだ。

 

 ここにはいられない。

 しかしはぐれもののままでもいられない。それは己の在り方に矛盾している。

 長門として動くならば、どこかに所属していなければならないからだ。ご丁寧に南方という拠点が近くにあり、なおかつ乗っ取るには十分な力量の差があるのは目に見えていた。

 故に深海長門は、いずれ自分が南方提督の座を深海吹雪から奪い取るつもりでいた。

 

 でも、そうはならなかったのは幸いかもしれない。戦いの中で深海吹雪は敗れ、あの通りしばらく動けない状態にある。自然と空いた席ならば、すんなりとそこに自分を収めてしまった方が、余計な諍いを生まなくて済むだろう。

 そう、このまますんなりと自分を受け入れるがいい。深海長門は目に力を入れてそう言外に訴えかける。

 

「このまま南方提督の座を空席のままにすると? それとも、お前がわたしの上に立つか? お前に、わたしを扱えると?」

 

 まるでそれは脅しだった。従わないなら、その高められた力を振るって力を示し、南方提督にふさわしいだけの力を有していると、改めて周知させるだろう。

 深海長門もまた胸から血を流した跡がある。大和に手を突っ込まれ、抜き取られた時のままだろうか。傷は塞がっていたとしても、大和との戦いで傷ついていることに違いはない。

 それでも、彼女は勝ってみせるだろう。それだけの性能を備えた存在だ。深海山城と一対一で戦ったところで、勝ち目などあるはずがない。

 

 そして仮に深海山城がこのまま南方提督の座に収まったとして、彼女をうまく従え、扱える自信もない。常に下剋上に怯え続ける日々を過ごすことになるのは目に見えている。

 となれば、選択肢は一つしかなかった。

 

「……ワカッタワ。オ前ヲ……イエ、アナタヲ南方提督ト認メマショウ」

「ん、無駄な時間を浪費させずに済んだこと、感謝する。ではまず、この艦隊の主力といえる個体を改めて教えてもらおうか。ざっと見た限りでは、お前たち三人か?」

「エエ、私ハ山城、コチラハ姉上、ソシテアソコニイルノガ翔鶴ヨ」

「山城、扶桑、翔鶴か。ふむ……」

 

 その名前を聞いて、深海長門は目を細める。彼女の脳裏によぎった二人の影。それと重ね合わせてしまった。口元に指を当てて思案し、「そういえば、さっき運ばれていったあれを那珂と呼んだな?」と問いかけると、

 

「アレハ少々特別製。那珂ト阿賀野ノ要素ヲ混ゼ合ワセテ作ラレタモノヨ。表ニ出テイルノガ那珂ダカラ、那珂ト呼ンデイルワ」

「那珂か……ふぅん……」

 

 そしてまた脳裏に浮かぶ一人の背中。たなびく長髪を揺らした彼女の背中に、先ほど浮かんだ二人の背中も重ね合わせていく。すると、もう一人の背中もまた自然と浮かんできた。

 とんとん、と頬を指で叩いていた深海長門は、深海山城へと問いかける。

 

「有力な軽巡と駆逐、そして空母はいるか?」

「軽巡ト駆逐ト空母? 駆逐ナラ春雨ガイルワ。ソノ他ハ探セバイルダロウケド、ソレガ?」

「この先、うまくやっていくにはこの艦隊を牽引する強力な個体が必要になるだろう。春雨というのは……ああ、パラオ襲撃の際にいた個体か。あれもいいが、新しく作った方が早そうだ」

 

 ここにいる四人と深海春雨の駆逐棲姫と、深海那珂の軽巡棲鬼。これらだけではもう、艦娘たちに対抗できなくなっているのは、今回の戦いでわかったことだ。

 なら新しく強力な個体を揃えることが大事な要素になるのはわかっている。しかし深海長門はそれだけではまだ足りないと、指摘する。

 

「その上で、艦隊全体の能力の底上げを行う。具体的には空母だな。あれの改を量産する勢いで鍛え上げる。わたしがな」

「エ……アナタガ?」

「また、アトランタと鈴谷の性能に関しては、わたしも観察した限りでは申し分ない性能をしていると判断した。これも取り入れていきつつ、そうだな……水雷組の強化として後期駆逐にも力を入れるとしよう」

「……少シ待ッテクレルカシラ?」

「何だ? 疑問点が?」

「エエ、アナタガソウシテ私タチノ強化ヲ図ルトイウノハ、南方提督トシテハ正シイノデショウ。ダカラコソ疑問ガアル。何故ワザワザ中部ヲ離レテココニキテ、ソウシテ振ル舞ウノカ、ソレガワカラナイ」

 

 その問いかけは尤もだった。トラック島での戦いは、あまりやる気を見せてはいなかった。

 大和との戦いで熱を感じたが、ここまで真剣になって艦隊の強化を図ろうという熱とはまた違ったものに感じられる。

 わざわざ所属先を変え、なおかつこうして力を入れる原動力はどこにあるのか。深海山城はそこが知りたかった。

 

「艦隊決戦のためだ」

「艦隊決戦?」

「わたしは、長門。連合艦隊旗艦長門。かつて果たせなかった艦隊での戦いの勝利を、今ここで果たす。我らが兵器として最上の力を発揮し、勝利をこの手に掴み取る。あれらの思惑など、わたしにとってはどうでもいい。わたしはただ、自分たちが兵器としての性能を示した上で、戦いに勝利を収める。それこそが、この世に再び長門として在る自分の理由と定めたのだ」

 

 兵器として在るべき形。敵を屠るというのが兵器としての在り方だろうが、深海長門はそれ以上に、かつての戦いで敗れ去ったという結末に、己が納得していなかった。

 大和との因縁も確かにあるだろう。彼女から売られた喧嘩を買い、勝利するというのも大事かもしれない。

 だが、それ以上に長門は、自分が率いる艦隊で、己の敵と戦い、勝利することこそ最上の目的としていた。

 

 その過程の中で、大和と、呉鎮守府との因縁のぶつかり合いができれば良しと考えている。

 呉鎮守府に勝利するためにはどうすればいいのか。

 自分だけが強く在っては意味がない。艦隊ならば、所属する艦全てがそれ相応の力を備えなければならない。そのために必要なことならば、自分の力を振るうことにためらいがあろうはずもない。

 そう、深海長門は語った。

 

「わたしが想定する、今必要な艦。それは、瑞鶴、夕立、そして――神通だ」

 

 深海長門が見据えるもの。

 背を向けて髪をなびかせていた四人の影たちが、それぞれ自分へと振り返る。

 

 まずは二人の影に光が差す。翔鶴がすでにいるならば、瑞鶴も必要になるだろう。力強い瞳で自分を見据えている、かつて共に主力艦隊として在った空母の姉妹。

 

 そして前列で振り返った二人の影。

 呉一水戦として数々の戦果を挙げた二人。かつては頼もしい味方だった彼女たちは、この先は敵として立ちはだかるだろう。

 一水戦に恥じない力を有する彼女たちと戦えるだけの水雷戦隊を組むならば、深海長門が構想する形として生まれ、育て上げた方が早い。そのためにも、夕立と神通を作り上げる必要があると考えた。

 

 自分をじっと見据えている四人の艦娘の姿。太陽の光を背に受けて海上に立つ頼もしい仲間だった彼女たち。その姿に、陰りが生まれていく。

 太陽は沈み、夜の闇が包み込む。代わりに差す光は、月光。それを受けて浮かび上がるのは、黒を基調とした彼女たちの姿。赤い燐光を目から発する、深海棲艦としての四人の姿である。

 

 そんな彼女たちに、自分を含めた深海棲艦たちが並び立つ。

 山城と扶桑。扶桑はあまり関わりはなかったが、山城は呉で親しい関係を築いていた。戦艦として共に肩を並べて戦ってきたものだ。そんな山城は、戦艦棲姫としてそこにいる。

 だが、深海長門は戦艦棲姫としてではなく、更なる進化を果たすべきだろうと考えていた。

 

 最終的な深海南方艦隊の完成形において、より強くなった二人の戦艦は必要になるだろう。もちろんそれは、自分も同様だ。

 最前列には深海長門を。その後ろに、深海に堕ちた四人と、深海山城や深海扶桑たちを並べていき、新たなる深海南方艦隊を作り上げるのだ。

 

「幸いにも、夕立、神通は近くの海域に眠っている。何せここはソロモンだからな。拾えるものは拾っていこう。その上でわたしが作り上げよう。だがもし、すでに夕立と神通の名を冠する誰かがいるならば、それを改装するというのも時間短縮にいいだろう。だから先ほど訊いたのだ、いるか? と」

「ナルホド、ワカッタワ。神通ハイル。後デ紹介シマショウ。今ハ、アナタガ南方提督。思イ描クモノニ関シテ、私トシテモ特ニ異論ハナイ。ソノヨウニ事ヲ進メテイクコトニスルワ」

 

 そう言って、深海山城は礼を取る。それに続くように深海扶桑と深海翔鶴も礼を取る。

 それを受け取り、深海長門は一つ頷いた。

 有力な個体が三人、このように礼を取ったことで、他の深海棲艦たちも彼女が新たなる南方提督であることを認めるだろう。

 ここに、己の目的のために必要なことの第一歩を踏み出すことに成功した。歩き出す彼女に付き従うように、三人もまた拠点の奥へと進んでいく。

 

 己の中にあった不都合なものはもうない。

 呉の長門であったものは、頭の中にある記録だけとなった。

 

 ここにいるのは一人の強力な深海棲艦、長門。

 またの名を、戦艦水鬼。新たなる南方提督を背負う存在。

 深海勢力が掲げる目的を遂行するのではなく、己の目的のためだけに動く深海提督である。

 

(さあ、始めようか。中部や欧州、北方の事情など、わたしには知ったことではない。わたしは、わたしの戦いを進めさせてもらうだけだ)

 

 その結果として、人類にとっての深海棲艦に対する戦力が全て失われるなら、それはそれで構わない。深海長門にとっての艦隊決戦の勝利とは、すなわち艦娘全てに勝利を収めることにある。

 これにより深海棲艦を生み出したものが思い描く流れが実ろうが、頓挫しようが、それも全て、深海長門にとって知るところではないのだ。

 




これにて8章終了です。

また時間が空いてしまいましたが、何とか終えられました。
こうしてまだ先が続く形となっていましたが、プロトタイプではそうではありませんでした。
ここで長門とプロトタイプの南方提督と決着をつけて、俺たたエンドで完結というものでした。

ですが当時、何か良さそうなボスが登場して、こっちで因縁の提督と決着付けさせた方がいいか? と改良を始めていったのが始まりです。
プロトタイプから随分と大きく変化した結果、この作品はまだ先があります。

あれから長い時間が経ってしまいましたが、とりあえず形にし続けられてはいますが、今回は少々時間がかかりました。
欧州方面も少し動かさなければと考えた結果、一つの章で15冬だけでなく、15春も消化させることになってしまいました。
ということは、次は15夏。アレの登場です。

完結までの道はもう決まっています。
大体十何章で終わるだろうなという予測は立てていますが、また一つの章を書き終えてからの投稿となるでしょう。
投稿され始めたら、またよろしくお願いいたします。


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