フリフォール (ベルトのつち)
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第1話 「自由落下」
風の吹きすさぶ平原。
小柄な彼は足を前に踏み出し、全身の体重をそこにかける。それを見て相手も対応しようとするが、彼の方が上手だった。
何せ相手はただのトリオン兵、モールモッドである。そのプログラミングされた動きは、彼によって完全に誘導されていた。
アルバ=フォン=フリードリヒ。
それが彼の名である。
乱星国家「ジルマ」の鬼兵。そう呼ばれる彼に、モールモッド程度では役不足だった。
重心を移動したアルバに対応して、モールモッドがその両鎌を上に持ち上げる。それが狙いであった。
アルバの刀は狙いを外すことなく、二本の鎌を静かに切り落とす。そして彼は後ろへ飛んだ。それが罠だともわからず、モールモッドは追撃を試みる。試みてしまう。そう誘導していたのだから。
アルバにつられ、彼が飛び越えた草地を踏み抜いた時だった。不自然に周りが窪み、モールモッドを囲うようにトリオンの網が張られる。ガタガタと暴れるが網はビクともしない。
「よし、モールモッド鹵獲」
アルバがそう呟いた時、後ろの草木が不自然に揺れた。
「少し時間かかりすぎ」
「師匠、見てたんですか」
蒼く長い髪を揺らしながら、師匠と呼ばれた彼女は続ける。
「ああ、一部始終ね。まず初めの釣り出しが甘い。完全にトリオン兵の体を右に振り切ってから、誘導を開始するんだよ。前も言ったでしょ?」
「はい…」
「それに一度でしっかり誘導を始めないと……」
意気消沈するアルバに、師匠であるサクラはつのつのと続ける。心なしか日が傾き始めた気がする。
「…だからあれも前に言っただろう?」
「師匠…」
「一度言われたらその時に頭に叩き込むんだよ。それに…」
「もうこんな時間なんですけど…?」
誰がどう見ても、そこからは綺麗な夕日が覗いていた。三時間ほど聞いていたのだろうか…
「ん、そうだな。続きは酒場でやろうか」
まだやるんですか…という言葉をアルバは気合で飲み込む。気合もサクラに教えてもらった大切なことだ。ここで反論すれば酒場にすら行けなくなってしまう。
その酒場への道も全てダメ出しと説教で埋まってしまったが。
カラン、カランと乾いた音が鳴り響く。ドアにつけられたベルの音だ。少し時間が早かったのか、そこは空き気味である。
「親父ー、ビールを適当なつまみをあたしとこいつに」
ここの親父は無口なことで有名だ。ただ彼の腕を見ていると、昔は歴戦の覇者だったのではないかと思えてくる。
その腕によりをかけて彼は酒の肴を作る。彼の料理はどれも絶品だ。
「いただきます、って師匠もちゃんと言ってくださいよ」
「あたしは心の中で感謝してるからいーんだよ」
サクラはそういうと一杯目のビールを一気に煽った。つまみを口にかきこんでから次のビールを飲み始める。こういうのを玄界の言葉で「女子力がない」というらしい。
アルバもビールを口につける。強めの炭酸と麦の香りが鼻を抜ける。その後にほんのりとした果実の甘みが追いかけてきた。一息ついた後でアルバは口を開ける。
「ねえ、師匠」
「なによ?」
サクラは手羽元を頬張りながら返事をする。本当に「女子力に欠ける」人だ。
「どうして師匠は剣士になったんです?」
「前も言っただろ?あたしにはそれしかなかったから…」
「理由はそれだけじゃないでしょ?」
「どうしてそう思うの?」
「勘ですよ」
「ううん…そうだね」
サクラはいつの間にか頼んでいたジルマハイボールを少し流し込むと、口を切った。
「あたしにとって剣しかなかったってのは本当の事だよ。でもあたしはそれ以上に、この剣で人を守りたかった」
「敵を殺してでも?」
「ああ。でも人っつっても全人類じゃなくて、あたしの周りにいる一握りなんだけどね」
「そう、ですか…」
アルバはきっと腑に落ちない顔をしているだろう。ただサクラがそれを咎めることはなかった。皆通る道なのだから。
戦うのには理由がいるのだ。
「あと、玄界ってどんなところですか?」
「玄界…。ああ、地球ね」
「地球?」
「うん、言ってなかったっけ。あたしそこの出身だから」
「…え?」
アルバがあんぐりと口を開ける。顎が外れそうなくらい目一杯に。10年ほど共に過ごしてきたのに、全く知らなかったのだ。無理もない。
「あそこはいいとこだよ。さっきの話に繋げるとさ、みんな理由とか目的を持って戦ってる」
師匠はとてもにこやかに、嬉しそうに語る。玄界を思い出しながら、楽しそうに語る。
「それにね、戦争してるくせに安全第一なんだ。笑えるよね。あたしもそこで戦ってたことあるけど、それが当たり前ですごいところだった。だって全部のトリガーに緊急脱出機能がついてるんだよ?すごくない?」
「緊急脱出?」
「あ、知らないんだ。簡単に説明するとね、トリオン体が破壊された時に基地に帰れるんだよ」
「すごい…ですね。基地が落とされない限り絶対死なない…」
「それに……」
サクラが再び喋り出そうとした時だった。外からキィィィンという音が聞こえてくる。そしてそれは鈍い音を発し、こちらに近づいてきた。
「アルバ」
「ええ」
トリガー、オン。
すこしの光が彼らの体を包み込み、生身の身体をトリオン体へと換装する。
「前のを」
「はいっ!!」
サクラに促され、姿を表すのを待つ。
「いいか。今回は鹵獲しなくていいから、思う存分にやれよ」
「わかってます」
木やレンガの諸々を切り崩し、モールモッドが現れる。周りからも現れたらしいが、師匠がなんとかするだろう。そう思いながらアルバは目の前の敵に集中する。
「この体勢で、この位置なら…」
アルバの予想通りだった。モールモッドは二つの鎌を振り上げる。それをかわしてから、足を踏み出して一歩前に。
その鎌が彼を襲う前に、弱点である目を切り裂く。そして重力に従って落ちてきた鎌を叩き斬った。
周りを確認する。計三つのモールモッドが転がっており、二つはサクラが倒したようだ。もう一つは…?もちろん酒場の親父だった。
「うん、速くなったね。行くよ!」
「え、どこに?」
アルバの疑問を置き去りにして、サクラは外へ飛び出した。そこはまるで世界の果て。先ほどの酒場は切り崩されている。それに加え周りの建物は破壊され、燃やされている。そこに血痕が彩りを加えていた。
「ひどい…」
アルバはそう呟くのがやっとだった。それほどまでにひどい有様であった。
「…いいから行くよ。とりあえず敵の場所を教えて」
「行くってどこに!?」
「あたしの家よ!早く!!」
サクラが全力でアルバを急かす。意識を集中させトリオンを察知しながら進む。
「できるだけ避けていく!」
「一本左の通路に三体、奥に一体。あと後ろからもう二体見えるよ!」
「奥を吹っ飛ばして右に曲がる。着いてきて」
「…了解」
迎え撃つための自警団も出ているような感じはするが、押し返されているらしい。
そしてサクラの家の前。彼女の家は町のほぼ真ん中に位置している。そこまではまだトリオン兵は達していないようだった。
軋む扉を開け、サクラが金品を身につけていく。
「あんたこれ持ってて」
「あ、はいっ」
渡されたのは何やら金品の入った袋。そして黒い正方形の塊。ルービックキューブを黒く塗りつぶしたような形状をしていた。一面九つ、計二十七に分かれるようにできているのだろうか。
「さて、とりあえず防衛に参加するから。最前線まで行くよ!」
「はい!」
アルバがトリオンの発生している位置を確認するが、もうそこまで敵が迫っていることが分かる。状況はあまり芳しくない。
中央には行政府が存在している。そこを落とされるということは、この星が侵略者に屈するということになるだろう。
それからここを守るのが自らの役目ではあるのだが、何分敵兵の量が多すぎる。追い返せるかわからない。
「トリガー貸して!」
サクラの声が飛び、アルバがさっきのキューブ型のトリガーを投げる。彼女の口が、トリガーオフという風に動き、
「トリガー、オン!」
左手にかかげた黒トリガーを起動する。名前のないそのキューブが黒い光を放ち、サクラの体を包み込んだ。
「核はあんたが持ってて。お守り代わりよ」
「僕が死ぬとでも?」
「そうは言ってないわ。でもあんたの介入する余地はないってこと」
言っている意味が彼にはよくわからなかった。路地の奥に佇む、黒のトリオンに気づくまでは。相手も黒トリガーであったのだ。
「黒トリガー…!?」
アルバが狼狽するが、サクラは落ち着いていた。
「ヴィザ…」
「お久しぶり、ですな。玄界のお嬢さん」
影が月明かりと炎の明かりに晒され、姿を現した。
「ヴィザ翁…ならここ「攻めているのはアフトクラトルなのか!?」
「下がって、アルバ」
サクラが焦るアルバを制する。苛立ちの募る顔をしながら、アルバは向こうに現れたトリオンへと向かった。
そして彼女の周りに浮かんでいるキューブ。それのうち一つが鍔となり、一つの刀を形成する。それが彼女の周りに二十六本。核を除く全てを刀としていた。師匠が本気で戦う、そういうことであったのだ。
「準備はいいですかな?」
「ああ、構わない。後ろは任せたわ」
サクラの大地を揺るがすかのような、第一歩。ただし、二歩目は地面についていなかった。彼女は矢のようにヴィザに突き進んでいく。いや、ただ落ちているだけであったのだが。
「…ッ、星の杖」
ヴィザが呟き、手の添えられた杖に四つのリングが現れる。次の瞬間、辺りの路地一体が切断されていた。サクラを除いて。
彼女に襲いかかる刃を刀で受け止め、すり抜け、ヴィザへと迫る。
「はぁぁあ!!」
「…ふむ」
堪らずヴィザも抜刀。勝負は超近接戦へとシフトしていく。
一方アルバ。
モールモッドを切り裂き、バムスターを叩き落とす。時折キューブの核が光るのが見えるが、気にしている場合ではない。
彼のサイドエフェクト「トリオン察知」はトリオンがあると思われる場所、そのトリオンの密度、量がわかるというものだ。
例えばスナイパーの放つ弾丸。これもトリオンでできているため、理論上はかわすことができる。理論上は。
辺り一帯の敵を粗方片付けたため、アルバはサクラの元へと向かう。
彼女のところまであと一つ角を曲がるだけと言うところだった。
爆音を響かせて目の前をトリオンの塊が横切ったのだ。そして周りの家々が滑らかに斬られていく。アルバも全てのブレードを避けることはできなかった。左手を肩から、そして左足首を取られてしまう。それを見て咄嗟に数メートル下がった。
「アルバ!」
サクラがそう叫び、接近していたヴィザを刀を飛ばして牽制した。二本をヴィザの前をちらつかせ、二本をアルバの近くに置く。
アルバが左手に握っていたキューブの核はふわふわと飛び、アルバの横で止まった。
「ふむ、なかなかお強い」
「それはどうも…」
強い、というのは位置取りのことだった。
アルバは家の切れ端と地面が直角に交わっているところにいた。しかも倒れこんだ状態で。そこにサクラの刀が二本。一本は頭の先、もう一本は足の後ろにあった。
ヴィザの攻撃方法は円の円周上をブレードが滑るというものだ。アルバを倒そうとなると刀を突っ切って倒すか、地面を抉りながら倒すかのどちらかとなる。
しかもアルバは動けないわけではない。星の杖で攻撃するときも、彼には抜刀術があるが隙がないわけではない。
そしてアルバの隙のなさ。地に伏せているにもかかわらず、いつでも攻撃できると言わんばかりの気迫。それをヴィザは一瞬で判断し、後ろに下がったというわけである。
そのアルバの前にサクラが仁王立ちになった。
「…敵は?」
「真ん中に黒いトリオンが二つ、ここに一つ、僕らの後ろに大きいトリオンが一つ」
「そろそろ潮時ってわけね。さてと…」
そう言うとサクラは満面の笑みでアルバの頭に触れる。
その時だった。
アルバの足元が抜けた。
彼は滑るように、その虚空に従って落ちていく。
「し、師匠ー!!」
アルバが叫ぶ。しかしサクラは飛び込まなかった。彼女の口が何かをなぞる。そして三つに斬られ、彼女の換装が解けた。
アルバは続いて落ちてきた二つのキューブと、一つの核と、滑らかに落ちていく。
こんなに書くのむずかったっけ…
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