オリ大名をブッこんでみた。 (tacck)
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第一部
第一話 星崎昭武


初投稿です。お目汚しとなりかねませんがよろしくお願いします。


「……さ……ふがふが……は……ふが……る」

「わかったわ。『さ……(中略)……る』ね。あんたの名前はサルよ!」

 

相良良晴と織田信奈の出会いから時は少し遡り、所変わって飛騨の国東部、現在の地名で言えば平湯温泉一帯に星崎昭武は住んでいた。

当時の飛騨は概ね三つの一族が覇権を争っていた。

北飛騨を領する江馬家、北西飛騨を領する内ヶ島家そして飛騨南部を有し、飛騨最大の勢力である姉小路家。

星崎昭武が住む平湯温泉一帯は姉小路家の勢力圏の中にあった。

 

「天下はまだ乱れていて泰平は未だ遠い。飛騨もまた三家のもたらす乱で荒れてしまっている……。天下…までは望まぬが飛騨ぐらいは泰平であって欲しいものだ」

 

星崎昭武、当年以って十六歳。

生国は飛騨ではなく越後で、この飛騨には四、五歳の時に養父熊野雷源と義妹瀬田優花と共に移り住んできた、いわば流れ者である。

だが飛騨暮らしが長いのと養父の熊野雷源が昭武の住む村の村長だということで流れ者扱いを受けたことはなかった。

そして今、星崎昭武は熊野雷源の書斎に義妹の瀬田優花と共に集められていた。

 

「今、お前たちを集めたのは他でもない。此度のにゃん向一揆のことだ」

 

「はぁ…」

 

養子達にわざわざ格好つけて語る大男が昭武ら兄妹の養父、熊野雷源である。

苗字のためか熊の毛で織られた陣羽織、肩に虎皮の布切れを乗っけて髪を雑な茶せん髷にしている。

かつては越後でも知らぬ者がいないほどの武勇を持ち、数千の軍を率いたことがあった将であったが、当時の国主に反旗を翻したことを皮切りに流浪の身となり、十年前にようやくこの山国の片隅の村の長に収まった。

 

「お父さん、それぐらい予想がついてるからさっさと話してよ」

 

そんな親父を急かすのは瀬田優花。

昭武と同い年で、弓に優れた美少女として姉小路領に知られ、持ち前の明るく活発な性格で多くの人々から愛されている。

 

「なに雰囲気作りに過ぎんさ、では望みどおり話してやろう」

 

雷源は軽く笑うと話を始めた。

ーー雷源の話の内容はかいつまんで言うとこういったものだった。

今、飛騨全土で猫を愛でるという教義のにゃん向宗が流行っていて、豪族領民問わず信者がいる。かくいう熊野家もにゃん向宗の信者で寺に村の収益の一部を収めたりしている。

そんなにゃん向宗の過熱の中で、飛騨の隣国越中でにゃん向一揆が起きたようで、守護代の神保氏は対応に苦慮しているらしく、武家の統治に辟易してきていた飛騨の人々もそれを聞いてその流れに乗っかろうと既にいくつもの村が一揆の参加を表明していた。

だが、表明した村の人々は皆農民で戦の指揮ができるわけもないので、越後の落武者でなおかつにゃん向宗信者である雷源に指揮してもらいたいと懇願を受けていたのだ。

今回集めたのはその懇願を受けるか受けまいかそれを決めるためだ。

そして雷源は既に答えを決めているらしい。

 

「此度の願い……」

 

昭武と優花は息を飲む。

次の雷源の言葉次第で下手したら自らの首が飛ぶような事態になる。そう考えると緊張せずにはいられなかった。

 

「お前ら二人がやれ」

 

………。

 

「はい?」

 

昭武は咄嗟に聞き返す。

 

(いや、絶対言い間違いだよね?お前ら二人がやれ、じゃなくて俺一人がやる、だよね?)

 

だが、

 

「お前ら二人がやれ」

 

聞き間違いでは、なかった。

 

「いやいやいや、そもそも指揮できないから親父が指揮してくれって請われたんだよな?なのになんでオレたちが?」

 

「そうだよお父さん!あたしたち指揮どころか初陣すら済ましてないんだよ?まだあたし死にたくないよ!」

 

昭武と優花共に雷源に詰め寄る。

 

(あまりにも無茶振りすぎる。馬鹿なんじゃねえのこの糞親父)

 

「まあまあ、お前ら二人の言いたいことは分かる。だが、俺ももう年だ。それにそろそろお前らも初陣をしてもいい年だしな。指揮もそれなりにこなせるやつを連れてきたからさ」

 

「ううーーー!」

 

優花が唸るが、雷源は聞く耳を持たない。

 

「あっそうそう決行は一週間後、松倉の町の西南の松倉山らしいから忘れずにな」

 

話はこれで終わりとばかりに雷源は下女に酒を持ってこさせてぐいとあおる。

それからも優花は雷源に食いついてきたが、雷源は「これから用がある。邪魔してくれるな」と取り合わなかった。

 

(とんでもないことになったな……)

 

昭武はため息を吐くのみであった。




読んで頂きありがとうございました。
9/14に今更感が半端ないですが、改訂を行いました。


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第二話 一揆前夜

前回より文量多めです。


昭武たちにとってついにありがたくない日がやって来てしまった。

松倉山には数百、いや数千の人々が集まっていた。その全てがこれから松倉の町から今回の一揆の目的である、飛騨最大の豪族姉小路良頼の居城、桜洞城で殺し合いをする。

昭武は今まで平湯村にやってくる商人達から様々なことを聞いてこの世を少しは知っているつもりではあったが、それは誤りであったことを知った。

 

「すげえな優花。これが一揆か」

 

「武兄い…こんなに多くの人が殺し合いをするんだよね……。怖いよ…」

 

昭武はまだ感心する分まだマシだったが優花の場合はうずくまってガタガタと震えていた。

 

(優花は弓に優れているからオレよりも平気かと思っていたから意外だ。…いやこれはむしろ優花の性質によるものだな)

 

「優花。オレだって怖いし恐ろしいと思っている。でも賽は投げられたんだ。腹くくって戦うしかねえよ」

 

昭武は南蛮の偉人の言葉を持ち出して優花を励まし、もとい自分を奮い立たせる。

 

「うん」

 

それが効いたかわからないがとりあえず優花の震えはひとまず治まった。

 

「さて、親父の代わりに指揮するやつって誰なんだろうな」

 

優花を励ました後、昭武は指揮する人を一目見るため人混みの中を探し回る。

 

(オレらを指揮するということは実際、オレたちはその人に殺されるということになりかねない。せめてどういう人物なのか見ておきたいな)

 

「すいません、総大将はどこにおられるか知りませんか?」

 

「ああ、あの方のことか。いいとも案内してやろう」

 

昭武は村長格の人に連れられ山の頂に場違いに設営されていた陣幕にたどり着く。

 

「さて着いたぞ。あの方はとても優しいお人だが、くれぐれも粗相をしてはなりませぬぞ」

 

「承知した」

 

昭武は村長格の人に会釈をして陣幕に足を踏み入れる。

踏み入れた先には白幕が張られているため至って質素であるが昭武は不意に足を止めていた。

そこでは少女が一人きりで床机に座り、軍略書を読みふけっていたのだ。

綺麗な黒髪をポニーテールにして、姫鎧を華奢なその身にまとっている。

昭武は姫武将というものをこの時初めて目にするのだが、彼女は昭武の想像と違っていた。昭武は姫武将といえば男勝り、あるいは優花のような活発な女性がやるものだと思っていたのだ。

しかし目の前の姫武将は将にしてはあまりに儚げな容姿で違和感を感じる。だが昭武は容貌で判断するのは愚か者のすることだと弁えている。

雷源の話ではこの総大将は昭武たちと同じ年にして博覧強記として名高く、その智謀は隣国の美濃の斎藤道三に比するらしい。

 

(まぁそんな優秀な人間なら優花同様姉小路領一帯に名が知られていてもよさそうなのだが……)

 

しばらく見ていると総大将が昭武に気づいて会釈する。よくよく見たら優花に勝るとも劣らないくらいに整った顔立ちをしていて、昭武は内心驚いた。

 

「来ていただいたのに、無視してしまいすいません。わたしが此度の一揆の総大将を務めさせていただく琴平桜夜です」

 

「ああ、オレは熊野雷源の息子、星崎昭武と申す。以後お見知りおきを」

 

「まぁ、あなたが雷源様の……。雷源様にはいつもお世話になっておりまする」

 

「父とはどういったお知り合いで?」

 

「わたしは雷源様の菩提寺の尼見習いです。仏の道を学ぶ傍らで雷源様のお造りになられた学び舎で軍学を習いました。そしてその縁で此度の一揆の総大将に推されましたのでお受けしました」

 

「そうでしたか……」

 

「それはそうと星崎様、何の御用でわたしの陣まで来ていただいたのですか?」

 

「いや、さしたる用などありませぬ。ただ一目貴女を拝見したかっただけにございます」

 

「そうでしたか。わたしも星崎様に会えて嬉しいですよ」

 

そう言ってにこっと年相応の可愛らしい笑顔を桜夜は浮かべる。この笑顔も下手したら明日で露と消える。昭武にはそれがとても残念なことに思えた。

 

「琴平殿、勝敗は貴女の双肩にかかっておりまする。なにとぞお頼み申す」

 

「はい。未熟者でありますが最善を尽くします」

 

「では、オレはこれにて」

 

陣幕を出て、昭武は桜洞城の方角の斜面に座り込んだ。

 

(これからあそこで幾千の人々が殺しあうのか………。戦乱の世とはどうにも狂ってやがるな)

 

昭武はそうおもわずにいられなかった。

 

 

****************************

 

数日後に桜洞城から東に現代の単位で三キロほど離れた村で行われた軍議には総大将である桜夜と村長格の人々が集められ、昭武と優花も平湯の村長代理として並み居るお偉方の末席に控えていたが、まだ年少なので発言の機会を与えられずにただ軍議を見守るだけだった。

軍議は最初の部隊の編成、出陣する時刻などはするりと決まったが、肝心のどう敵を攻めるかというところが村長同士で紛糾していた。

 

「下呂村の村長殿、此度は野戦の方がよろしいかと。我が軍は数千もの大軍、それに対し姉小路軍は多くてせいぜい千を越える程度じゃ。策を講じるまでもない」

「神麻の村長よ。それは愚かというものぞ!我らと姉小路軍では兵士個々の強さに差がある。数倍という戦力差など有利にもならぬわ!」

 

「あの…その…」

 

言い合う村長たちを前に桜夜はすっかり気圧されている。

 

(…まったく老害どもめ、指揮を請うたくせに何をでしゃばっているんだ。この場に総大将の琴平殿がいるというのに、それを無視するぐらいなら親父が出ないと知った時点で蜂起をやめるべきだったんじゃないか?)

 

村長たちは雷源が推薦した者と言っても桜夜を総大将として認めることに抵抗があった。しかし、それでも村長たちは蜂起をするためにやむなく桜夜を受け入れたという経緯がある。

 

「かー!このへっぴりごしが!腰が引けすぎじゃ!」

「うるさいわい!このうつけの耄碌じじいが、頭の毛と一緒に知性も抜けたか!」

 

もはや村長同士の論争は軍略から外れてただの口喧嘩に成り下がる。こうなればもう黙ってる必要などない。昭武は老害どもをキッと睨みつけて怒鳴った。

 

「ええい!やかましいぞ老害ども!黙って聞いときゃ勝手に筋道逸れるしよ。黙って琴平殿の話を聞けい!」

 

「ああなんじゃ若造が⁉︎」

「流れ者風情がなんて口の利き方を…許せん」

 

村長二人が昭武を睨みつける。

 

「うるさい、オレは正論を言っただけだ。それにこのまま仲間割れしたまま戦うと、どう戦おうがこちらは壊滅する」

 

「むむむむ……」

「…それならば致し方なし」

 

口うるさい村長もさすがに生き死にを持ち出せば黙る。陣が静かになったのを見計らうと昭武は桜夜に話をするよう促した。

 

「村長様方が策を練っていたたいたのはありがたく思います。しかしわたしは始めからどのような策を用いるか決めていたのです。これからその策をお話ししましょう」

 

桜夜の策は平たく言うとこういうものだった。

夜陰と共に桜洞城の死角に兵の中でも体力のあるものを配置し、それ以外のものが城下町を朝駆けしている間に本丸を落とすいわば強襲策であった。

そしてその死角にはオレと優花の隊が配置されることとなった。

 

「星崎殿に此度の鉾の役目を果たしてもらいます。勝敗は貴方の双肩に懸かっているので頑張ってくださいよ?」

 

「委細承知した」

 

軍議が終わると昭武は桜夜に呼び出されたので陣のさらに奥、天幕で桜夜を待っていた。

 

「すいません、わざわざ残したりして」

 

「構いませぬ。十中八九オレは残されるとわかっておりました」

 

なにぶん昭武たちが担当するのは強襲を実行するという策の中で一番核となる部分だ。これで居残りにならない方がおかしい。

 

「まず初めに感謝をさせてください。星崎様がおられなければ、軍議が進まなかったと思うので」

 

「いや、あれは感謝されるほどのものじゃないでしょう。オレが怒鳴らずとも他の良識ある村長が止めたはずです」

 

「それでもありがたいですよ……。では本題の話に入りましょうか」

 

「そうですな」

 

星空の下で語り合う昭武と桜夜。本題の話はすぐに終わったがなぜかそこで解散しようとは互いに思わなかった。結局二人は朝日が昇り、優花が昭武を呼びに来るまで延々と話を続けていた。

 

「やけに話し込んでしまったな……、徹夜で戦なんてできるだろうか」

 

「できなきゃ困りますよ。まだまだ話したいことがたくさんあるので」

 

「これから兵達のところに行ってくる。じゃあな」

 

「『じゃあな』なんて言わないでください。ここでは……」

 

「じゃあ『今度一杯やろうぜ』ってのはどうだ?」

 

「ふふふ、それでいきましょうか」

 

「ああ、じゃあ今度一杯やろうぜ、桜夜殿」

 

「楽しみに待ってますよ昭武殿」

 

桜夜の声を背に受けて昭武は陣幕の外へと歩き出す。

今度飲む酒が美味く感じられるように、オレは為すべきことをなそう。そう昭武は密かに決意したのだった。

 




次回から戦いの描写となります。

読んで頂きありがとうございました。
9/15に今更ながら改訂しました。


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第三話 桜洞城の戦い 前編

第三話です。文量が多いため前後編にしました。


 

桜洞城は現在の下呂市の小高い丘にある平城で構造としては主郭と四方に空堀がある。東と南の空堀は二重になってはいるものの城というよりは館に近い。西には松倉の町には遠く及ばないが城下町があった。

夜明け前に星崎隊は予定の場所に布陣することができた。

 

「凄い急斜面……。足を滑らしたらただじゃすまないね」

 

「そりゃそうだろ」

 

昭武たちが布陣しているのは桜洞城東方の山の斜面である。あまりに急峻で獣ぐらいしか通らないようなところだが、日頃から険しい山々の中で山菜などを取り生活してきた飛騨の民にはさして問題にならない。

 

「そういえばあたしたちは何をすればいいの?」

 

「おまえ軍議にいたのに覚えてなかったのかよ……。とりあえずオレらは城下町から戦ってる声が聞こえたら東から城内に進入して城門を開けるなり、館を攻めたりする。みなわかったな?」

 

「「おお〜」」

 

「おいこらまだ声出すな、隠れてる途中だろうが」

 

星崎隊八百、布陣完了。

 

****************************

 

一方琴平桜夜率いる本軍三千二百は桜洞城西方の城下町の入り口付近の林に陣を敷いていた。

 

「……これから戦が始まりますか……」

 

桜夜もまた初陣なのだ。そしてその初陣が全軍を預かる総大将である。これで緊張しないほど桜夜の神経は図太くはない。

そんな桜夜に一人の少年が駆け寄ってきた。

 

「宗晴、どうかしましたか?」

 

少年の名は琴平宗晴。桜夜の弟である。

 

「姉上、星崎隊は無事に布陣できたようです」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

「……姉上、あまり思いつめるのはよろしくないですよ。こういうことをやる時は少し気持ちに余裕を持った方が良いと雷源様がおっしゃっていました」

 

「そうですよね」

 

宗晴に励まされるが桜夜の表情は暗いままだ。

(姉上は、尋常なものではない優しさを持っている。だからこれから自分が戦を始めることに引け目を抱いているのだろう)と宗晴は桜夜を慮った。

雲の隙間からすでに光を失った月が見える。もうそろそろ出陣する頃合いだった。

 

「琴平殿、出陣の好機ですぞ!」

 

村長格が促す。

 

(……ついにこの時が来てしまいましたか……)

 

「……わかりました。全軍桜洞城に突撃せよ!進まば極楽、引かば無間地獄、皆にお猫様の加護ぞあれ!」

 

「「「おおおおおお〜〜!!!」」」

 

琴平軍三千二百、桜洞城を目掛けて進撃。

 

桜洞城内

 

「報告!一揆勢三千二百がこの桜洞城に突撃して参りました」

 

「そうか、ご苦労」

 

「はは!」

 

「はぁ……、三千二百か」

 

伝令が去って男が一人ため息をつく。

男の名は姉小路良頼。飛騨最大の勢力である姉小路家の当主である。

 

「この桜洞城は城の造りはさほど硬くはない。四倍近くの兵ではひとたまりもないか」

 

現在桜洞城にいる兵の数は九百。斥候を通じてにゃん向一揆が起きることが知り、あらかじめ領民に動員令をかけたが、思いのほか集まらなかった。

 

「父上、そう悲観することもありますまい。相手は戦の素人であります。我が虎の子の騎馬隊五百を出せば数の差などくつがえせましょう」

 

良頼に対し強気な発言をしているのは良頼の嫡男、姉小路頼綱。何でもそつなくこなせる姉小路家の中核で、飛騨の鷹とあだ名されている。

 

「ふむ騎馬隊五百か、わしはちと出そうとは思わぬ。一揆勢が弱くとも、数は向こうが上だ。城の防備をおろそかにしたくない」

 

良頼は端的に言って臆病で控えめな性格であった。

戦ではまず先陣には出ず、もっぱら本陣に座り指揮をとるか補給を担当している。

 

「しかし父上、このまま手をこまねいていては大軍で圧されるだけにございまする」

 

そんな良頼に対して頼綱は獰猛な性格で積極的に前線に出てきて槍を振るう武将であった。

 

「しかしな」

 

良頼は沈思黙考する。

 

(確かに頼綱の策は理にかなっている。しかしわしの理屈もまちがってはいまい)

 

「父上、ご決断なされましたか」

 

「わかった。お前の言う通り騎馬隊を出そう。しかし五百ではなく三百だ。これ以上は城の防備に響く」

 

「はぁ……、父上は臆病に過ぎます。まぁそれが父上の美点にもなりますが」

 

頼綱はやれやれと肩をすくめながら、良頼の前を辞した。

そんな息子の後ろ姿を見て良頼は、

 

(送り出してしまったが、やけに嫌な予感がするな。杞憂であってくれればいいのだが……)

 

と一抹の不安を感じていた。

 

****************************

 

ところかわって桜洞城東方、星崎隊。

 

「「「おおおおおお〜〜」」」

 

「どうやら桜夜殿が進撃を始めたようだな」

 

「じゃああたしたちも攻めるんだね」

 

「ああ。けど敵に気取られないようにな」

 

「うん、わかった!」

 

星崎隊は森林の影に隠れつつ進んでいくことにした。理由は二つ。高所からの狙撃を防ぐためと、空堀まで可能な限り近づくためである。

なにぶん星崎隊は八百いるものの、胴丸を着込んでいるものはそのうちの半分ぐらいでしかないので空堀で斉射されれば甚大な被害を受けてしまうのだ。

四半刻ほど森林を行軍すると第一の空堀が見えてきた。

 

(……これからが激戦になるな……。檄でも飛ばしておくかね)

 

「皆の者!これより我らは死線へと赴く!だが恐れることはない。いや恐れてはいけない。乱世では臆したものから死んでいくからだ。さあ八百の勇者たちよ!共に悪政を撃ち砕け!」

 

「「「おおおおおおおーー!!!」」」

 

昭武の檄は、一揆勢たちの心に火を灯した。

彼らは今まで飛騨三家の間で搾取され続けてきたのだ。それが彼らにとって当たり前だった。

しかし今、それがひっくり返ろうとしている。

飛騨に新しい未来が来ようとしている。

星崎昭武はそれを端的に示す存在であった。

 

「敵が来たぞー!」

 

「何、敵が来ただと⁉︎くっ!今城内には頼綱様がいないんだぞ⁉︎」

 

「殿!下知をば」

 

「決死隊に矢を射かけよ!奴らを城に上げるな!」

 

星崎隊の来襲は城内の姉小路軍に衝撃を与えた。

良頼も頼綱もまさか一揆勢が数で勝っておきながら奇策を用いてくるとは夢にも思わなかったのだ。

 

(くっ、嫌な予感とはこのことだったか。やはり頼綱を引きとめれば良かった)

 

だが良頼が後悔してももう遅い。

星崎隊は弓の斉射を浴び続け、相応の被害を出したが足を止めず、過半数の兵は第二の堀を突破することができた。

 

「優花、今の突撃でどれくらい味方がやられたんだ?」

 

「さっき、ちらっと後ろ見てみたけど、最初に比べたら随分減ってたよ。今戦えるのは六百ぐらいだと思う」

 

「やっぱり胴丸を半分が持ってないのが痛かったか……」

 

一揆勢は相手に肉薄することができれば、信仰心によって粘り強さと天を衝くような士気で相手を圧倒できるが、練度や装備が脆い。今回の突撃はその欠点がもろに出た恰好となった。

 

 

第二の堀を突破した星崎隊は東門を開け、城内に攻め入る。

 

「隊列を整えるぞ。具足、胴丸を持つ奴は前に、持ってない奴は後ろに下がれ。これ以上弓で被害を出すわけにはいかない」

 

流石に二度も同じ轍を踏むわけにはいかないので今度は防具を持つものを盾にして進んでいく。

そうして館前広場に進軍していくと数百人の守備兵が館の周りを固めていた。

 

「やっぱりここは固めてくるよな」

 

昭武は槍を構え、

 

「じゃあこっちも覚悟を固めなきゃね」

 

優花も、すでに弓を手にしている。

 

「皆のもの!殿を守るぞ!」

 

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」

 

守備兵達が怒号を発しながら突撃してくる。

 

「オラたちもいくべ!」

 

星崎隊も士気は負けてない。

数百人同士の軍勢が入り乱れて戦い始める。 そんな光景はやはり初めてだが、昭武はどこか高ぶっていた。

 

「おりゃあ!」

 

昭武は納屋から適当に持ってきた十文字槍をこれでもかとふるってみせる。すると敵兵の首が三つほど宙を舞った。

 

(わりと前に習ったやつなのに全然なまってないぞ!偉いなオレ)

 

「………………」

 

昭武が奮戦している傍らで優花は無言で敵兵を的確に射抜き続けていた。戦う前の姿からはまったく想像出来ない勇戦だった。

 

「やっぱお前はすごいな」

 

「武兄い、今話しかけないで。すごい邪魔」

 

「……すいません」

 

優花の迫力に気圧されて、昭武は静々と槍働きに戻った。

 

****************************

 

館前広場の守備兵が減ってきたのを見計らって昭武と優花は館に突入した。

館の内部は昭武達よりも先に突入した兵たちにより乱戦になっている。形勢は一揆勢が有利で守備隊をじりじりと押していた。

 

「もう一踏ん張りだ!」

 

槍を刀に持ち替え、檄を飛ばしつつ昭武は守備隊に斬り込む。

昭武の武力はなかなかのもので、ためらいさえしなければ敵兵を一太刀で葬り去る。歴戦の猛将を相手にするには足りないが、良頼の守備隊をまとめて相手にするには十分すぎるほどだった。

 

「オレを止めたいなら、今の二倍、兵を用意しろ!」

 

一歩足を進める度に敵兵に多大な流血を強いるこの少年は敵は絶望を、味方には尊崇と恐怖を与えた。

 

四半刻ほど殺戮の行進をした昭武はやけにガタイのいい兵が部屋の前で集まっているところを見つけた。彼らの足元を見るとそこには一揆勢の兵の死体がいくつも転がっている。

 

(多分ここに良頼か頼綱がいるな)

 

そう直感し、昭武は兵たちを斬り倒してその部屋に優花と共に押し入った。

部屋の中には茶器や屏風が飾られている。ここは誰かの書斎のようだ。

 

「武兄い!あれ!」

 

優花が書斎の片隅を指差す。

指差した方を見ると一人の男が茶を飲みながら静かに外の景色を眺めていた。

 

「……遅かったのう。貴殿らがこの決死隊の大将か?」

 

「そうだ。星崎昭武と申す。貴殿は?」

 

「姉小路良頼」

 

「………!」

 

敵の大将を前にして昭武達は体をこわばらせる。が良頼は逆に落ち着いていた。

 

「そう体を縮こまらせなくてもよい。それよりもわしは貴殿らと話をしたいのだ」

 

「話……だと?」

 

「ああそうだ。そのために今貴殿が倒した者ら以外には書斎には近づくなと厳命させている」

 

良頼はこれから自分を討たんとする者を相手に笑ってみせる。それは昭武達には底知れぬ迫力として映った。

 

(姉小路良頼、なんて人なんだ。なぜ貴方はこの状況で笑えるんだ)

 

「そうだな……まずわしの生い立ちから話そうか……」

 

良頼は静かに語り始める。それを昭武達は背筋を伸ばし正座して耳を傾けた。

 

「わしは元は姉小路ではなく三木姓を名乗っていた。わしの父は三木直頼。それぐらいは貴殿らも知っておろう?」

 

「ああ」

 

三木直頼はもともとは飛騨の一国人でしかなかったが、当時の美濃を支配していた土岐氏と手を組み、飛騨の南半分を征服した戦国飛騨屈指の英雄である。

 

「父は偉大だった。だがその分父が没した後の飛騨は混迷を極めた。江馬の輩との対立は再燃し、内ヶ島もまた兵を進めた。これまで父が抑えつけてきた者が父を失ったことで動き始めたのだ。……そして飛騨の民は塗炭の苦しみにあえぐこととなった」

 

ここで一度良頼は茶を啜る。

 

「わしはその現実を見て、一刻も早く飛騨を統一しなければならんと思った。……だが、わしには軍才がなく、争いでは却って飛騨を疲弊させるばかりだった。権威を傘に着れば、少しは統一に近づけられると思い、飛騨の国司たる姉小路家の名跡を継ぎ、中納言の官位を求めたが、それぐらいでは飛騨はまとめられなかった。やはりこの戦国の世は力を持たねばどうにもならなかったのだ」

 

昭武は「飛騨はわしではもうどうにもならぬ」と諦めたように笑う良頼を見てとても痛ましく思った。

 

「これがわしの足跡じゃ。だが別にわしは古老のようにただ伝えるために貴殿らに話したのではない。……貴殿らに問いたいことがある」

 

「何だ?」

 

昭武が良頼の目を見つめる。良頼もまた昭武の目を見つめ返す。

あまりの迫力に優花が「ひっ」と小さな悲鳴を漏らすが互いに気にも留めない。

 

「貴殿らには飛騨を統一する志はあるか?」

 

「それで、乱が治るのならば」

 

良頼の問いかけに昭武は毅然とした態度で答える。

 

「そうか。ならば星崎昭武。わしの首を持っていくがいい」

 

「良頼公⁉︎」

 

昭武は突然のことに動揺する。

 

「わしは飛騨から乱がなくなるのならば、姉小路の名跡も三木の血も絶やして構わぬ。なに心配するな。死んでも貴殿らを恨むなどということはない。むしろ感謝したいくらいだ」

 

そう笑って良頼は茶の横に置いていた脇差を抜き、それを自分の腹に突き立てた。

ずぶりと鈍い音が聞こえた。

良頼はさらに刀を上下左右に動かし続け、見事におのが腹を十文字にかききってみせた。

 

「うぐっ、む……」

 

「ああ、ああああ、嫌だ。嫌だ……!」

 

「ぐぅ…」

 

昭武も優花も武勇を持って数々の兵を屠ってきたものの、ここまで人の死をまざまざと見せつけられるのは初めてだった。

二人とも正視することは出来なくて良頼から顔を背ける。

良頼は荒い息を吐きながら「早く、早く」と懇願する。

 

(もう良頼公は十分に苦しんだ。なのにさらに苦しめていいのか……!)

 

昭武はその時、覚悟を決めた。

腰から刀を抜き、良頼の首に狙いを定めて大上段に構えた。

 

「武兄い⁉︎」

 

「優花、これからオレは良頼公の介錯をするッ!だから書斎から出て行け!」

 

「ううう…わかった!」

 

昭武が怒鳴りつけると優花は脇目もふらず書斎から出て行った。

そして昭武は良頼に優しく語りかける。

 

「良頼公。時間がかかってすまなかった。これから楽にしてやる」

 

「かたじけない」

 

「おおおおおおおおおああ!!」

 

昭武が悲痛な叫びと共に刀を振り下ろす。すると良頼の首が宙を舞った。

 




読んで頂きありがとうございました。
序章は次回で終わりになります。
誤字、感想、意見などがあればよろしくお願いします。


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第四話 桜洞城の戦い後編

第四話になります。


良頼を斬った後、昭武は伝令を呼びつけて良頼の討ち死にを広く城内に喧伝させた。

 

「なんと……良頼様が……!」

「信じられぬ……!」

 

城内の兵達は最初は信じなかったようだが昭武達が城を去った後に確認の為に書斎へ行った兵が良頼の遺体を発見し、良頼の討ち死にが事実だとわかるとある者は激昂し、ある者は勝ち目なしと悟り桜洞城から脱した。

城内が恐慌に包まれていたその時、昭武は本隊と合流するために決死隊の残存兵力を引き連れて、桜洞城南側の城下町を進軍していた。

そこで昭武達は衝撃的なものを目撃した。

 

「なんだこれは⁉︎」

 

昭武が見たのは一揆勢が騎馬隊に蹂躙されている光景だった。

 

「かないっこねえ……助けてくれ!」

「ぎゃあああ!」

 

「おらおらぁ!死にたくなかったら逃げなぁ!」

 

一揆兵は大体が民兵で戦い慣れしておらず、おまけに防御力がない。精鋭の騎馬隊が出てくれば一瞬で散らされてしまうのだ。

 

(とはいえ、ここまで甚大な被害が出るのか?)

 

そう疑いを抱いた昭武は近くで民家の壁にもたれている村長格と思しき男に問いかけた。

 

「何故このような事態になっているのかお聞かせ願いたい」

 

「おお、お前は熊野の小倅か……。ここにいるということは奇襲は成功したのだな……。だが、この戦は負けだ。お前達が奇襲をしたように敵方も奇襲をしてきたのだ。おかげで本隊の八割が壊滅してしまった」

 

「なに⁉︎」

 

「琴平殿率いる本隊も騎馬隊に襲われておる……!頼む、熊野の小倅よ。琴平殿を助けてやってくれ……。元々彼女はこの戦には関わりがなかったのを我らが無理やり引きずり出したのだ。死なせてしまうのは本意ではない……」

 

村長格の男は言い終えると吐血し、ばたりと倒れてしまう。

 

「おい…!おっさん。死なないでくれ…頼む…」

 

昭武は村長格の男に声をかけるも返事はない。

もうただのしかばねになっていた。

 

「おっさんが伝えてくれたことを無駄にはできねえ……!行くぞ桜夜殿のところに!」

 

****************************

 

時は昭武達が館前広場で奮戦していた頃に遡る。

桜夜達率いる本隊は、桜洞城を西側から攻めるために城下町の中ほどで本陣を設営しようとした時、姉小路頼綱の騎馬隊による側面からの奇襲を受けていた。

 

「にゃあ⁉︎騎馬隊が急に」

「挟み討ちだぁーー!」

 

「はははははは!!一揆勢のなんと脆さよ!」

 

「さすがに騎馬隊にはかないません!みなさん城下町から撤退してください!」

 

「姉上!殿はぼくがやる!姉上は逃げてくれ!」

 

突然の騎馬隊の奇襲で本隊は大混乱に陥る。こうなってしまえば一揆勢はその強みを失い、ただの弱兵集団に成り下がる。逃散する者、虚無感に襲われる者、錯乱して味方を斬りつける者などもはや始末に負えない。

頼綱はそれら全てを馬上から冷酷に刈り取ったのである。

 

(一揆勢は数を頼みにしてる分、回り道をしないだろう。そこを俺の騎馬隊が側面から打つ)

一揆勢は兵数が多く士気が高いが、練度や経験、装備が不足しているため奇襲には脆く、一度崩せばもはや使い物にならない。

それを頼綱は見抜いていた。

だから父相手に強気な進言をしたのである。

 

結局、三千二百いた琴平本隊はその半分を失い、宗晴とその指揮下の兵の奮戦により桜夜自身はどうにか城下町を脱し旧本陣に撤退し現在に至る。

 

「まさか姉小路勢が籠城して来ないなんて…予想できませんでした」

 

桜夜は城を取るためにわざわざ奇策を持ち出したことを悔いていた。

桜夜が昭武達の軍に編成したのは平湯村ーーかつて熊野雷源と共に戦場往来人として槍働きに明け暮れたいわばベテランの兵で彼らはこの一揆勢の要と言える存在だった。

しかしその代償として肝心の防備が疎かになり、一揆勢が潰乱し死体の山を築いてしまったのだ。

 

「わたしはなんてことをしてしまったのでしょう……」

 

「姉上、お気持ちはお察しします。ですがまだ戦の最中です。皆に指揮をお願いします」

 

「すいません宗晴。残りの兵をまとめて本陣を固めてください」

 

宗晴に促されて桜夜は指示を出すが、声が弱々しい。相当に兵を失ったことが堪えているようだった。

 

「委細承知しました」

 

宗晴は桜夜の旗本隊を率いて本陣を後にする。

そして兵を配置しようとしたのだが、手遅れだった。

 

「敵の総大将は目前ぞ!討ちとれぇ!」

 

姉小路騎馬隊が既に城下町を抜け本陣に迫っていたのだ。

 

「みんな早く防備を固めろ!姉上を守るんだ!」

 

「あわわわわ!」

「うわあああああ!」

「逃げろおおおお!」

 

宗晴は慌てて指示を出すが、兵たちは言う事を聞いてくれず、あるものは立ち尽くし、あるものは逃げ出した。

城下町での奇襲がトラウマになっていたのだった。

 

「兵は頼りにならないか……ならば!」

 

もはや軍が機能しないと割り切った宗晴は単騎頼綱に向けて突撃を始めた。

 

(頼綱を前に持ちこたえられなければ、ぼくたちはこの場で残らず騎馬隊に蹂躙されてしまうだろう。しかし星崎殿達の決死隊が来るまで持ちこたえることができれば前後で頼綱を挟撃できる。そうなれば桜洞城はすでに星崎殿達によって落とされているから頼綱にもう打つ手は無い)

 

「ほう。一揆勢は腰抜けばかりだと思ったがなかなかどうして…。良かろうその勝負受けてやろう」

 

単騎で駆ける宗晴を視界に捉えると頼綱もまた宗晴に向かい駆けた。

 

「飛騨国守護代姉小路良頼が嫡子、姉小路頼綱!勇敢なる武人よ、おまえの命この俺がもらいうける!」

 

宗晴の馬とは比較にならない巨馬の上で朱槍を担ぎ、傲岸不遜な笑みを浮かべて宗晴を眺める頼綱の姿は、まだ若いというのに既に飛騨の王の風格が漂わせていた。

 

(これが飛騨の鷹、姉小路頼綱か……)

 

宗晴は少しちびりそうになったがどうにかこらえる。

 

「名乗りは上げたぞ!そこのチビ!名を名乗れ!」

 

「チビって言うな!ぼくの名は琴平宗晴。此度の一揆勢の総大将琴平桜夜の弟だ!」

 

「そうか宗晴とやら。チビでないと証明したいのなら俺を討ちとって見せろ!」

 

「元々そのつもりだ」

 

宗晴が得物の片鎌槍を構えて突っ込む。それを頼綱はひょいと避けた。

 

「攻撃の速さは中々だが、軌道が直線的だな。それでは俺に当てることはかなわぬ」

 

「うるさい!」

宗晴がもう一度槍を振るうが、またも頼綱に軽々と避けられてしまった。

 

「ぬるい。槍とはこういう風に使うものだ」

 

今度はやや呆れた様子で頼綱が朱槍を振るう。本人は緩慢な動きのつもりだったが宗晴には速すぎて避けられない。

 

「がは!う、ぐぅ……」

 

宗晴は姉が軍略を雷源から教わっている一方、武芸を雷源に教わっていた。そのおかげでかなりの使い手に育っている。だが頼綱はそれすらも圧倒していた。

 

「おまえの腕はその程度か…だらしない。興が冷めたわ」

 

痛みに苦しむ宗晴を見て頼綱は吐き捨てた。そして朱槍を強く握りしめる。

 

「もうお前はいい、失せろ」

 

頼綱が朱槍を力強く振るい、宗晴の馬の脚を払って宗晴を落馬させる。

 

「あがっ!ぐっ……」

 

落馬した宗晴は腰を強かに打って動けない。

 

「おまえはそこで姉の首を打たれるのを指をくわえて見ているといい」

 

馬首を翻して頼綱は本陣に向かおうとする、が、次の瞬間なぜか地面に突っ伏していた。

 

(何故だ!奴はすでに戦えないはず、なのに何故俺は這いつくばっているのだ!)

 

頼綱は痛みに耐えながら起き上がるとそこには後右脚を槍で貫かれた愛馬の姿と体を引きずってまで頼綱を追いかける宗晴の姿があった。

 

「姉上の元に行かせてたまるか……」

 

頼綱は宗晴を見て何故自分が地面に突っ伏していたのか悟った。

 

(なるほどな。お前が槍を投げて俺を落馬させたのか……。腕はまだ未熟だが胆力だけは一流だな)

 

「琴平宗晴、と言ったな。お前の命は今しばらく預けておく。せいぜいそれまで精進するんだな」

 

追いすがる宗晴を一瞥し、頼綱は本陣に向かい歩き出す。

宗晴は「待て」と叫ぶも力つきて意識を失った。

 

****************************

 

一揆勢本陣

 

「琴平宗晴殿が一騎打ちで姉小路頼綱に敗れました!」

 

「何ですって⁉︎」

 

宗晴の敗退は桜夜に衝撃的な知らせだった。彼は桜夜の弟であることはもちろん、この本陣の最終防衛線を担っていたのだ。

 

「それで伝令さん、宗晴は…生きているのですか……?」

 

おそるおそる桜夜は伝令に尋ねる。しかし伝令は渋い顔をしていた。

「頼綱は手心を加えたようなので生きてはいましょうが、頼綱がこの本陣に向かっているため救出するのは困難かと……」

 

伝令はそう伝えたが一騎打ちの後に雑兵に首を取られている可能性があるため宗晴が今も生きているとは限らなかった。

 

「だからといって宗晴を見殺しにはできません!本陣の全軍をもって姉小路頼綱に突撃です!」

 

そう下知を出して桜夜が出ようとすると本陣にやたらと返り血を浴びた頼綱が入ってきた。

 

「ここが一揆勢の本陣か、総大将の琴平桜夜とやらさっさと終わらせてやるから出てこい!」

 

頼綱が野太い声で叫ぶ。朱槍を右手に持ち、瞳は炯炯と輝いている。

 

呼ばれた桜夜は床机から立ち上がり、ゆっくりと頼綱の前に進み出た。

 

「琴平桜夜とはわたしのことですが何か用ですか?」

 

頼綱は桜夜の姿を見て「美しい」と言葉を漏らしていた。

 

(顔立ちが整っていることは言うまでもなく、艶のある黒髪にそれに対照的な白い肌、体つきも華奢で、作法も民とは思えぬほどに洗練されている。こんな女が飛騨にいたとは…殺すのが惜しいな)

 

「俺の名は姉小路頼綱、おまえの弟を下した男だ」

 

「あなたが宗晴を……!」

 

堂々と名乗る頼綱に桜夜は刀を抜いて斬りかかる。が、頼綱が槍を刀にあてて防ぐ。そして同時に体術を用いて刀を弾き飛ばし、桜夜を取り押さえた。

 

「おまえもまた弟に似て血の気が多いな。だが所詮は女、膂力では俺にははるかに劣るな」

 

「う、あ……」

 

桜夜は頼綱の拘束から抜け出そうとジタバタするが、頼綱の力が強くてかなわなかった。

 

「おお、近くで見れば見るほどにいい女だな」

 

頼綱は桜夜を組み敷いて不気味に笑う。

視線が合った。

背中がぞくっと震え上がる。

姫武将は敵に囚われた際、命を助けてもらえる手段が二つある。

一つは出家して尼になること。もう一つは敵将の側室となること。

利発な桜夜はこの時、自らの末路を知った。

 

(いや……いや……!)

 

桜夜が涙した、その時だった。

 

「ぐうッ!」

 

頼綱が呻いていた。肩に矢が刺さっていたのだ。

そして間髪入れずに頼綱の背後から騎乗した昭武が駆けてきて頼綱を斬りつける。

 

「このくそ外道が!」

 

「なっ⁉︎」

 

昭武の太刀を頼綱は受け止めようとしたが、受け止め切れず、四、五メートル吹き飛ばされる。

 

「あぶないところだったね、大丈夫?何かされてない?」

 

「どうにか大丈夫です」

 

その隙を突いて優花が桜夜を助けだした。

 

「なぜだ……?もう奴も動けないはず」

 

何が起こったのか頼綱にはわからなかった。しかしそれを把握する時間を昭武は与えてはくれなかった。

 

「くたばれ!」

 

混乱している頼綱に昭武は近くの兵から借りた槍を投げつける。

昭武の手から放たれた槍は真っ直ぐに飛んでいき、

 

「ぐほっ……」

 

頼綱の胴を貫いた。

 

「うわあああ!」

「大将ーーーー‼︎」

 

頼綱を討たれた姉小路軍は蜘蛛の子を散らすようにして本陣から逃げていった。

 

(あっこいつが姉小路頼綱だったのか。今気づいたわ)

 

自分が討ったのが姉小路頼綱だとわかった昭武は頼綱の亡骸の前に座り込んだ。

 

「お前が姉小路頼綱か。さっきは顔をよく見てはいなかったが、改めて見るとなかなかの風格だな。……もしオレと出会わなければお前が飛騨を統一していたのかもしれないな」

 

けれど、と昭武は続ける。

 

「捕らえた姫武将に乱暴するような奴に飛騨を任せるわけにはいかねえんだ。オレはお前の親父と約束を交わしたからな。お前の親父の代わりに飛騨を統一し、乱を鎮める。ってな」

 

伝えることを伝えて立ち上がると桜夜がおぼつかない足取りで歩いてきた。

 

「昭武殿、此度は助けてくれてありがとうございました。此度の御恩は忘れません」

 

「頼綱を射ってお前を助けたのは優花だろ。だから礼なら奴に言ってくれ」

 

「それはそうですけど、あなたもがんばってくれてたのはわかってますよ」

 

桜夜は可愛らしく笑ってそんなことを言う。

もし彼女があのまま辱められていたらこんな風に笑えない。

もう一度この笑顔を見ることができた。昭武はそれで満足だった。

 

****************************

 

飛騨にゃん向一揆、またの名を桜洞城の戦いは一揆勢の勝利で幕を閉じた。

この戦いで姉小路家は滅亡し、姉小路旧臣は頼綱の弟、鍋山顕綱が城主を務める鍋山城に敗走した。

一揆勢はこれを追撃しようとするも兵力の損害が甚だしくできなかった。

この戦いとはさして関係がないのだが、同刻、飛騨国内で新たな動きが起きた。

 

「父上!お覚悟を!」

 

「おのれ!輝盛ーーーー‼︎」

 

飛騨北部を支配する江馬氏で嫡男の江馬輝盛が親である江馬時盛を暗殺したのである。武田、長尾どちらにつくかで親子の意見が分かれたことが理由だった。

 

この事件は飛騨の民、特に飛騨南部を得たばかりの一揆勢を動揺させた。

姉小路家なき今、飛騨最大の勢力となった江馬家の侵攻を警戒した一揆勢は、熊野雷源に再び乞うて桜洞城に在番してもらうことにした。

 

こうして飛騨にゃん向一揆衆は戦国大名、飛騨熊野家に姿を変えたのだった。

 




これで序章は終わりです。
次章からはようやく原作の人物が登場します。
誤字、感想、意見などがあればよろしくお願いします。


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第五話 金環党

第五話です。
原作キャラはまだ出ません。またオリ武将増えます。



雷源は桜洞城に入城してすぐに「戦国大名熊野家」としての体制を作り上げるべく、桜洞城一帯の豪族と一揆に参加した村の村長を集めて評定を開いた。

評定は豪族と村長が対立していて白熱し中々定まらなかったが、三日三晩をかけて討論して一応の結論をだした。

その結論は大まかに言うと次の二点となる。

一つめに琴平桜夜を宰相にすること。

二つめににゃん向宗を信仰している、内ヶ島家と同盟を結ぶことだった。

どちらも村長側が提案したことで、豪族は抵抗した。だが、それを村長側が勝利者権限を用いて無理やり黙らせた形となる。

 

宰相になった桜夜は内政においては隣国の斎藤道三の手法を参考にして楽市楽座を取り入れる、関の数を減らし関銭を値下げするなど刷新を図った。これにより熊野領に商人が入ってくるようになり、金銭収入を増やすことに成功した。

桜夜はできれば関所自体を撤廃したかったが、それをやってしまうと他国の産物が過剰に入ってきてしまい、まだ未熟な飛騨の産業が衰退してしまうため行わなかった。

軍事面でも雷源の家臣である荒尾一義と宮崎長堯が中心になって平湯村の兵の常備軍化と民兵の訓練を行い成果を挙げている。

 

「あー疲れた……」

 

星崎昭武は仕事を桜夜に押し付けて、馴染みの酒場で畳に寝転んでいた。

桜洞城を落としてからというもの、昭武の日々は忙しいものになっていた。書類仕事はもちろんのこと、兵の訓練、土木工事の陣頭指揮など多種多様な仕事が雨のごとく降りかかってくるのだ。

 

(桜夜の手が空いている時に仕事を押し付けるというのも、じきに限界が来るだろうな……。副将や祐筆みたいなのがいればそういうのを気にせずに済むのに……)

 

昭武が心中で願うも今の熊野家にそんな余裕はない。現状人材の頭数はいるのだが、任用に堪える人材が少ない。そんな下剋上をした勢力にありがちな状態にあった。

 

昭武が店主に酒を頼んですぐ、事件が起きた。

 

「オラァ!わごれ酒をださんかい!」

 

山賊が居酒屋に乱入してきたのである。その数は六十人。入れ墨を入れていたり、片目を潰したのか眼帯を付けているものもいて、かなり個性的な人が多い。姫武将が流行っているこのご時世でも珍しい女山賊もかなりいた。

その山賊の中から一人の少女が進み出て、甲高い声で叫んだ。

 

「客どもよ!私の名を知っているのなら疾くこの場を離れよ。これより我々金環党が暫しの間この場を借り受ける!」

 

少女の年はだいたい昭武と同い年ぐらいだろうか、髪は茶筅に結われていて、湯帷子を片肌脱ぎにしているため白い肌が剥き出しになっている。もっとも胸はサラシを巻いているため見えない。

昭武はこの少女を間接的にではあるが知っていた。

 

(この場で金森長近と出くわすなんてな)

 

金森家は元々前美濃守護土岐頼芸に仕えていたが、斎藤道三の下剋上により没落し浪人となった家である。

長近はそんな家を出て行って、近隣の同じ境遇の浪人達を集めて飛騨で一番の山賊衆を結成した。

以前、姉小路家が度々彼女達を抑えるため軍を率いたが、山賊一人一人が強くて歯が立たなかったのだ。

 

金環党の襲来により、ほとんどの客が酒場から逃げていく。

金環党の悪名は飛騨では随一のものであるが、これは一部金環党を騙る他の山賊のものも含まれている。何れにせよ民にとって恐ろしいことには変わりない。

しかし昭武は逃げなかった。

「そこのおまえ何を惚けている!お前、私のことを知らないのか⁉︎」

 

「いや、知ってるけどね」

 

「ならば、なぜ逃げようとしない? よもや怖気づいて足が動かないのか?」

 

「頼んだ酒がまだ来ていないから。以上」

 

「なんだと⁉︎」

 

長近は怒って昭武の胸ぐらを掴んで怒鳴りつける。しかし昭武は意にも介さず、長近の顔を眺めていた。

 

(目の下に傷があるけどなかなかの美少女だな……。山賊らしくないその華奢な体つきも、すんげえ色っぽい」

 

昭武自身は心の声のつもりだったが、がっつり声に出していた。

 

「げ、げ、下世話なことを言うなこの変態!死んでしまえ‼︎」

 

それを聞いた長近が顔を赤くして昭武に斬りかかる。それを昭武はひらりとかわした。

 

「おいおい、いきなり斬りかかってくるなんて短気だな。長生きしないぞ」

 

「うるさい!こんなに舐められた真似されたの初めてだ。みな得物を出せ!こいつを殺すぞ!」

 

長近が号令をかけるとすぐさま二、三人集まってきて昭武に同時に斬りかかる。

 

「はぁ、面倒くせ」

 

それらを昭武は愚痴りながら一閃した。腹を真一文字に裂かれた山賊達はうつ伏せに倒れる。

 

「てめえッ!」

 

怒った山賊達の一人が昭武に切り込みをかけたのが引き金となり、それからは酒場の中で昭武と山賊達の乱戦になる。

約六十人を相手に昭武は冷静に刀を振るい、次々と山賊を切り倒していく。そして四半刻ぐらい経った頃には戦える山賊の数は八人に減っていた。

 

(あれだけの数の手練れをこうもあっさりと……。なんて強さなの…)

 

戦慄した長近は自分の肩を抱いて体をガタガタと震わせている。だが驚嘆すべきことに残った八人は長近を見捨てずに彼女を守るべく、ささやかな横陣を組んでいた。

 

(すごいな…。これを為すのが長近の力量か。兵を惹きつけることに関しては今のオレでは及びもつかない。こんなやつが山賊だなんてもったいない)

 

「行くぞ!」

 

昭武が感心していると横陣から山賊の一人が突出して昭武の腹を突こうとしてきた。

 

「虎!」

 

長近が虎と呼ぶその山賊は井ノ口虎三郎と言っていわば金環党の副将格だった。

 

(なんだあいつは?)

 

昭武は面食らいつつもどうにか井ノ口の突進をかわす。

 

「かわされたか……」

 

井ノ口は自分の腕のなさに自嘲する。が、昭武はそうは思わなかった。

 

(あぶねえ…長近が叫ばなきゃオレはこいつの一撃を避けられなかった……。こいつはただものではないな)

 

昭武は刀を正眼に構え直す。

 

「そうしょげるな。お前は充分に強い。少なくともそこの山賊女よりかはな」

 

「避けた貴公に言われても嫌味にしか聞こえぬのだが」

 

軽口を叩きながら相手の隙を互いに探り合う。その結果、二人は四、五歩ほどの距離感でにらみ合いをしていた。

昭武と井ノ口の視線がぶつかる。

しかし幾ばくかの沈黙の後、耐えられなくなったのか、

 

「おりゃああああ‼︎」

 

昭武が井ノ口に斬りつけた。

 

「先に動くとは!貴公は愚かだな」

 

昭武の太刀を防ごうと井ノ口は槍を合わせる。タイミングもぴったりでちゃんと昭武の刀を受け止めていた。

 

「やはり強いなお前」

 

昭武がニタリと笑う。

 

「貴公も中々……!だが!」

 

井ノ口は昭武を蹴飛ばし、懐から脇差を取り出して昭武の脇腹を刺した。

 

「があっ‼︎」

 

昭武が脇腹から盛大に血を噴き出して膝をつく。

 

「卑怯とは思うが、頭を守るためだ。許せ」

 

井ノ口は山賊らしからぬ感性の持ち主だった。長近に従い、山賊に身をやつして数年経てども未だに正々堂々と相手を倒すことを好んでいたのだ。

 

「卑怯、か……」

 

脇腹を押さえながら昭武は体勢を整える。だが傷口からはダラダラと血が流れている。顔色もやや悪い。

 

(……今のでかなり血を持っていかれたな。こいつと長時間撃ち合うのはダメだ。まず負ける。短期決戦を仕掛けるしかないな)

 

「そろそろ貴公も終わりだろう。卑怯な真似をした贖罪として最後に俺の全力を食らわせてやろう」

 

井ノ口が槍を構え直す。

 

(ならばオレのやることは決まってる)

 

「だああああ!」

 

昭武は痛む体に鞭を打って駆ける。

 

(少しでも長引けばオレはまちがいなくやられる。やつが槍を振るう前に一太刀で終わらせる)

 

しかし

 

「はああ!」

 

一歩届かず、井ノ口の槍から放たれる無数の突きが昭武を襲う。

 

(やばいなこの突きはやばい。だがやられるわけにはいかないな)

 

昭武は全神経を集中して殺人的な突きの奔流の中に突っ込んでいく。しかしいくら井ノ口が突けども昭武に有効打を与えられない。全てかすり傷の内に収まっている。

 

「なぜ当たらない!なぜだ!」

 

あまりに異常な事態に井ノ口は動揺を隠せない。

 

「今だ!」

 

その心の隙をついて昭武は井ノ口の槍をはねのけて、思い切り刀を振り下ろした。

 

「うぐあ!」

 

昭武渾身の一撃は井ノ口の腹をかっさばいて、井ノ口はよろめきながら倒れた。

昭武もまた脇腹の傷が大きく開き、多量の出血を起こして倒れてしまった。

 

「はぁはぁ……、これで、どうよ」

 

「ああ、参った参った。貴公は強いなぁ……」

 

地面に突っ伏しながらも笑い合う二人。互いに持てる力を振り絞って行われた死闘は二人に互いの武勇を認めさせるには十分だった。

力尽きて床に横たえる井ノ口。だが彼は笑っていた。

 

(初めてだ。こんなに熱い勝負ができたのは。姫様に従って山賊をやるのもそれはそれで良かったが、これからは武芸者として生きるのも悪くないかもしれぬな)

 

負けはしたものの、井ノ口の心には爽やかな風が吹いていた。

 

*************************

 

井ノ口との一騎打ちの直後、騒ぎを聞きつけた宮崎長堯が酒場に駆けつけて、金環党を一斉に捕縛した。昭武は長堯の広い背中に担がれて自室に帰された。

 

「なぁ長堯。あいつらあの後どうなるんだ?」

 

「長近、井ノ口は打ち首。他の連中は賦役が妥当でしょう。首魁二人はそろって一千貫の賞金首、若様には併せて二千貫が入ります」

 

「そうか、二千貫か。あいつらはそれでも安いな」

 

昭武はこの時、一つの決断を下した。

 

「長堯。首魁二人の打ち首をやめろ。被害に遭ってきた連中からは文句を言われるだろうが、やめろ。二人はオレが責任もって預かるから」

 

「若様、今なんと?」

 

長堯が驚いた顔を浮かべている。冷静沈着な彼には珍しい表情だった。

 

「あいつらには万金を稼ぐ力がある。それを捨てる阿呆がいるか」

 

昭武が言うと長堯は破顔した。

 

(雷源様。貴方の御子はどうやらなかなかの器のようです)

 




読んでいただきありがとうございました。
誤字、感想、意見などがあればよろしくお願いします。


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第六話 昭武、美濃に行く

ようやく原作キャラを出せました。ですがキャラ崩壊してそうで怖いです。


桜洞城の戦いから数ヶ月後、熊野雷源は家臣である荒尾一義と宮崎長堯を自室に集めていた。

 

「お前達。よく来てくれたな。十年ぶりの軍属はさぞ疲れただろう。今日お前達を集めたのは我が家の戦略を定めるためだが、まず一杯いこうか」

 

そう言って雷源は小姓を呼びつけて一義、長堯の杯に酒を注がせた。

 

「「ありがたく」」

 

寡黙な一義と謹厳実直な長堯の声がハモる。雷源は苦笑した。

 

「越後時代より出世したというのに、部屋におっさんが三人とは……。あの頃の俺が知ればがっかりするだろうな」

 

「……そう思うのならば桜夜嬢を呼べばよろしかったのでは?」

 

一義がいかつい表情を変えずに言う。彼にとっては冗談のつもりなのだが、誰も笑いはしなかった。

 

「さて、戦略のことだが、今のところ俺は美濃の斎藤道三と組み、飛騨を統一することを考えている。梟雄と名高い男だが利に聡い分、為景よりは話が通じるだろう」

 

雷源は三木直頼のやり方に倣った形となる。このやり方は美濃に飛騨統一を邪魔させず、飛騨国内の勢力の天秤を熊野家有利に傾けることができる。

 

「しかし殿、それでは飛騨を統一した後は美濃への道を塞がれますぞ。美濃は肥沃な土地、諦めるのは少しもったいないかと」

 

反対したのは長堯だった。だが、一義がそれを制した。

 

「長堯、確かに美濃は惜しい。だが、あの地は兵家必争の地。しかるべき国力を得てからでなければ維持できぬ。統一した後は加能越を取ることを勧める」

 

一義は北陸一帯を支配することを提案した。

 

「お前らな……飛騨を統一する前にそんな後のことを考えてるんじゃねえよ……」

 

雷源がため息をつく。

 

(揃いも揃って強気なやつらめ……。まぁ、飛騨を獲る算段はつけてあるから、考えるだけ無駄ってわけじゃないがな)

 

****************************

 

「親父、何かようがあるのか?」

「雷源様、ご命令ですか?」

 

一義達の次には昭武と桜夜が集められた。

 

「昭武、桜夜。お前たちに集まってもらった理由はわかるな?」

 

「いや、分からんよ」

 

昭武は心当たりがないのでややうんざりした表情を浮かべる。

しかし桜夜はそうではなく雷源の瞳を見つめていた。

 

「美濃斎藤家との同盟の話ですか?」

 

桜夜が言うと雷源は「そうだ」と頷いた。

 

「まぁ話がわかってるなら早い。お前たち二人には同盟の使者をしてもらうことにしたんだ」

 

雷源が手をぽんと打つと同時に小姓たちが積み上げられてきた小判の束を持ってきて桜夜の足元に差し出してきた。

 

「ここに五千貫がある。とりあえずこれと、……そうだなこれにしよう」

 

雷源が背後の刀架から一振りの刀を取り出す。

 

「同盟のためにこの名刀、勝定左文字と五千貫をお前らに預ける。相手は斎藤道三だ。相手にすると骨が折れるが利害関係さえ一致すればこれほど頼りになるやつはそうはいないだろうな。ともかくこの濃飛同盟が、熊野の家の未来を左右する。それだけは覚えてといてくれ」

 

「わかりました。行って参ります。昭武殿、わたしは南門で待ってますよ」

 

そう言うと桜夜はそそくさと天守を後にする。

 

「親父、別にオレいらなくねえか?」

 

話の展開にイマイチついていけなかった昭武はそうぼやくも雷源が耳を貸すわけがなかった。

 

 

飛騨の国は北を越中、西を加賀、東を信濃、南は美濃に隣接している。

とはいえ加賀、信濃は二千メートルを越える高山で隔てられているため、観光、湯治客は訪れても交易は行われていない。そんなわけで飛騨は越中、美濃との結びつきが強かった。

昭武達が今回訪れるのは美濃は今、天下三大悪人のうちの一人、斎藤道三によって治められていた。

 

「斎藤道三か……なんかな」

 

斎藤道三居城、稲葉山城の麓にある井ノ口の町の入り口で昭武はぼやいた。

斎藤道三の評判は美濃の隣国である飛騨でもよく聞く。

京の油売りから始まり、謀略を重ね最終的には守護土岐頼芸を美濃から追った一大の梟雄。

雷源と最終的に国を取ったというところは共通しているが昭武は道三に親近感は持ってなかった。

むしろ今、道三と手を組むのは危ういと警戒していた。

美濃と組むこと自体はいい、が背後が安全になるとは思えない。

 

「昭武殿、なにか浮かない顔をしてますね」

 

「ここまで来てまであれだが……オレはぶっちゃけ今回の盟は反対なんだよな……」

 

相手は梟雄と名高い人物。同盟と言っても決して信頼できるようなものであるとは限らない。それ以前に今の熊野家は石高では十万石に満たないのだ。これは斎藤家の五分の一にも満たない。

ここまで差があれば、下手したら謁見すらままならないかもしれない。

 

「気持ちはわかりますが、雷源様にもお考えがあるのでしょう。まずは斎藤道三様に会いに行ってみましょう」

 

「はあ、腹をくくるか……」

 

昭武一行はやや重い足取りで稲葉山城を登っていく。

斎藤道三の居城、稲葉山城は、金華山そのものを天然の要塞とした巨大な山城で、標高は約三百三十メートル。すぐ北には清流・長良川が流れ、東には恵那山と木曽御嶽山。さらに西には伊吹山・養老・鈴鹿といった山々。城下町の井ノ口から南に下ると急流・木曽川が尾張の兵を阻む。

 

「稲葉山城の防御力は凄まじいな。飛騨の城も堅いのは多いが、小城ばかりでこれほどの城はない」

 

「さすが道三様、といった具合でしょうか」

 

「ああ、ここまでの城を作り上げるとはな……やはり敵には回したくないな」

稲葉山城を登ることしばらく、昭武達は門に着いた。

 

「オレ達は飛騨熊野家の使者だ。道三様に取り継いでいただきたいのだが…」

 

「わざわざご足労いただき申し訳ありませぬ。ですが我が主は今、近江国境に出陣しているゆえおりませぬ。すいませんがお引き取りください」

 

「桜夜、道三公はいないってよ、どうする?」

 

問われて桜夜は考える。

 

(近江の戦なんて忍びのものからは聞いてませんね……。やはりまだわたしたちは侮られているのでしょうか…。もしわたしの読みがあっていればおそらく道三様は館にいらっしゃるのでしょう。このまま何もせずに引き返すという選択肢をとっては交渉を終わらせてしまう……せめて引き返すにしてもわたしたちに興味を抱かせねばなりませんね)

 

「昭武殿、勝定左文字はどこにありますか?」

 

「盗まれるとまずいからオレの腰に差してるぞ」

「門番さん。わたしたちは一度帰りますが、この刀を道三様にお届け願えますか?勝定左文字といってとても素晴らしい刀です。お喜び頂けるといいのですが」

 

「承りました」

 

「では昭武殿」

 

「おう」

 

門番に勝定左文字を手渡すと、昭武一行は稲葉山城を下って井ノ口の町に引き返す。

そんな昭武達を遠くから南蛮渡りの遠眼鏡で見ている者がいた。

 

「ふむ……飛騨の小倅共め。そなたたちが我が斎藤家の盟友たり得るのか確かめさせてもらうぞ」

 

稲葉山城

 

「道三様、飛騨の使者が道三様にと」

 

「うむ、大儀である」

 

道三は門番から勝定左文字を受け取ると、早速刀を見やる。

 

「なっ⁉︎これは……!」

 

道三は今は美濃の国主であるが、かつては商人である。その鑑定眼は濃尾近隣で右に出るものはいない。だが、その道三でもこの雷源の送った刀には驚かずにはいられなかった。

この勝定左文字は時の越後守護、上杉定実が雷源に恩賞として鍛冶屋に大枚叩いて打たせた刀だったのだ。

 

(どうやら、熊野家は本気のようじゃのう。姉小路を討った勢いのままに飛騨を平らげるつもりか)

 

「これだけのものを渡されては、無礼な真似は出来ぬのう……。門番よ!奴らを今すぐ追いかけてワシの前に連れてくるのじゃ!」

 

「はっ!」

 

(熊野雷源……熊野と聞いてもしやと思うたが、あの刀ではっきりした。十年前、飛騨に流れたと聞いてもう二度と表舞台に姿を現さぬと思うておったのだがな……。今更何のつもりであろうか?)

 

道三は雷源と直接の面識はない。しかし過去に雷源の活躍はよく聞いていた。

 

「あの頃はよく雷源殿に楽しませてもらったのう……」

 

道三が感慨深げに呟く。されど心は年甲斐もなく興奮していた。

 

******************

 

道三が興奮しているのと同刻、星崎一行の宿で昭武と桜夜は議論を重ねていた。

 

「この同盟は半端なものにしてはダメだ。道三と強固な同盟を組めれば、飛騨国内で熊野家が圧倒的に優位に立てる。そうすれば武田、上杉にさえ注意すれば飛騨は統一できるからな」

 

武田、上杉は度々川中島で干戈を交えている。だが、武田上杉両者の対立は信濃だけではない。飛騨では江馬親子が分かれて争い、越中では武田とにゃん向一揆衆、長尾と神保、椎名がそれぞれ手を結んでいる。

 

「確かにそうですね。しかしどうやって道三様をその気にさせるのですか?勝定左文字を携えて利を語るだけではやはり足りないような気がするのですが……」

 

桜夜が不安げな表情を浮かべる。

 

「それを今から考える。幸いにもオレは書物や行商人を通じて古今東西あらゆる知識を蓄えている。そしてお前もまた博覧強記として名高い教養を持っている。つまりだ。オレ達の持てる知識を使って道三をその気にさせる方法とついでに熊野家のこれからのことを考えようぜ」

 

話し合いは延々と続き、結論を出した時にはすでに朝日が昭武達を照らしている。昭武はその光を背中に受けつつ、口角を吊り上げていた。

 

(これが成れば熊野家は躍進できる。泰平を飛騨以外にももたらすことができるだろう)




読んでいただきありがとうございました。
誤字、感想、意見があればお願いします。
あと、活動報告にオリキャラのプロフィールを載せました。

7/9に次話に入れるにしては半端な部分を加筆しました。


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第七話 濃飛同盟

第七話です。

先ほど第六話の最後に少し加筆しましたので、第七話を読む前に第六話を読み返すことを推奨します。


 

 

数日後の稲葉山城の屋敷。

星崎一行はようやく道三に御目通りが叶い、屋敷の客間で正座をして道三が来るのを今か今かと待っていた。

 

(ここが道三公の屋敷か……)

 

客間には道三が集めた品々が飾られていた。飾られている品々はどれも文化の道に関しては素人の昭武でさえ一見して名品だとわかるものばかりで、元商人である道三の審美眼が優れたものであるかを示していた。

 

(あ、あれは……!)

 

そんな七珍万宝の中の一つを桜夜は指差す。昭武も桜夜の指差す先を見てみる。そこには、昭武一行が贈った勝定左文字があった。

 

(一応は喜んでもらえたみたいだな)

 

昭武一行が安堵して息をもらしたその時、道三が客間に入ってきた。

いかにも歴戦の戦国武将といった感じで武勇で鳴らした雷源とは違う種類の迫力があった。

しかし桜夜を見て「可愛いのう」と少し頬を緩めたあたり、情が通っていないというわけではなさそうだ。

 

「済まぬ、待たせたな」

 

そう言って道三もまた座り込む。

 

「御目通りを許して頂き、ありがとうございました。オレは熊野雷源が嫡男、星崎昭武。隣に侍るは熊野家の宰相の琴平桜夜にございまする」

 

「琴平桜夜です。此度は諸国に名高い道三様に御目通りできて光栄です」

 

「そなたらが姉小路家を打ち倒したのか……なるほどな」

 

道三の視線が平伏する昭武と桜夜に向けられる。

するとなぜか自分の体に何かが這い回っているような感覚に襲われた。

 

(ふむ、美濃の蝮というあだ名はこの体を這い回ってくるような視線からつけられたのかな?)

 

昭武は一人で勝手に納得して、顔を上げる。

 

「さて、昭武殿達はこの蝮に何の用か?」

 

「オレら熊野家と同盟を組んで頂きたく存じます」

 

「同盟か。では問う。昭武殿達はなぜこの蝮と盟を所望する?」

 

道三が先ほどとはまた違った目つきで昭武達を睨みつける。

だが昭武は怯みもせず逆に似たような目つきで道三を睨み返した。

 

「オレら熊野家は飛騨の統一が悲願でな。そのための背後の保証が欲しいんだ」

 

「背後の保証とは言うがそれならばワシではなく武田に頼めばよかろう。武田の方が国力はあるからのう」

 

「それではダメなんです」

 

「ほう?それは何故」

 

興味を惹かれたのか道三がやや前のめりになる。

 

(なかなかの食いつきですね。このまま畳み掛けるとしましょうか)

 

桜夜が笑みを浮かべ、語り始める。

 

「道三公、飛騨は全土を統一しても十五万石にしかならないことをご存知ですよね?」

 

「うむ、確か律令制の世では飛騨は調、庸を免除されておったな」

 

「十五万石しかなければ全てを統一しても、せいぜい濃尾の一豪族程度にしかなりません。それでは襲い来る外の勢力には太刀打ちできないでしょう」

 

「そうじゃのう」

 

頷く道三。

 

「だが、一つだけ外の勢力に打ち勝てる方法がある」

 

「それが盟を組むことであろう?軍事同盟を他国と結んでしまえば、飛騨の国力、いや熊野家の国力は上がるからのう」

 

道三はしたり顔で語るが残念ながら違う。

 

「道三様、確かにそれもまた方策の一つではありますが、しかし私は熊野家の国力というより飛騨の国力の話をしているのです」

 

「飛騨の国力ではワシにはわからぬ。どうやっても十五万石で頭打ちになるじゃろうて」

 

道三は匙をなげる。しかしこれは仕方ない。これから昭武達が言うことは詭弁だ。まともに考えてわかるわけがなかったのだ。

 

「飛騨十五万石の石というのは元々米の単位でございます。確かに飛騨では米は十五万石しか取れない。

ーーだが他の作物ならどうだ?」

 

「とはいえ飛騨は土地が貧しいはずじゃ、他の作物とはいえども収穫が大して変わるとは思えぬ」

 

「変わりますよ。昭武殿が熊野家の家督を継いだらまず南蛮から馬鈴薯を買い付けます。馬鈴薯と言うのは南蛮人が新大陸と呼ぶ地の作物で、なんと荒野でも育つそうです」

 

訝しる道三に桜夜は援護射撃を行う。

 

「なんと!そんな作物が⁉︎」

 

桜夜の情報に道三は目を見開く。

 

(そんな作物が実在するのであれば、日ノ本はひっくり返るだろう。今、日ノ本の大多数の武家は食料収奪のために戦を起こしている。作物ができず領民が飢えているからじゃ。だがしかし、もしその馬鈴薯とやらが普及すればほとんどの戦がなくなるではないか)

 

「ええ、南蛮の地では見栄えが悪いということでまだ食べる習慣はないようですが。もし飛騨で馬鈴薯を栽培出来たなら耕地は米や稗のみを作っていた頃と比べて数倍に広がりましょう。単純計算ですが馬鈴薯を用いれば飛騨は三十万石の国と同じだけの収穫を得ることができます。しかし……」

 

「しかし、なんじゃ?」

 

突然黙る桜夜に訝る道三。

 

「馬鈴薯の種自体、この飛騨ではまず手に入らないのが難点です」

 

「南蛮の作物である以上それは当然じゃろうて……で長々と語っておったが、その馬鈴薯と我が斎藤家と同盟を組むことには何か関連があるのか?今の話を聞いておる限り、ワシにはそなたらがワシと必ずしも同盟を結ばなくてはよいように思えてならぬのだが」

 

「いや、道三公と同盟することは我ら熊野家には必要ですよ。ーーあと織田家もな」

 

(ワシと織田家と盟を組むじゃと?……こやつまさか!)

 

昭武が織田家のことに言及した時、聡い道三は全てを察した。

 

「おぬし、海を狙っておるのか?」

 

「いかにも」

 

道三が尋ねると昭武は首肯した。

 

「飛騨、美濃、尾張はまるで団子のように南北に連なっている。なればその三国と同盟ないしは通商関係を結べば、飛騨でも南蛮の物産が手に入るからな。一応越中も考えには入れたが、彼の国はにゃん向宗の勢力が強すぎて耶蘇教を信仰している南蛮人を寄せ付けない」

 

「なるほど、そなたたちがワシに盟を求める理由はわかった」

 

(それにしても飛騨にいながらして、尾張の海を得ようとするか。なんと遠大な戦略を掲げているのだろうか)

 

道三は昭武と桜夜の構想に打ち震えていた。

 

「道三様。私達と同盟を組みますか?自分の利益ばかり語ってしまいましたが、道三様にもこの盟による利益はありますよ」

 

(溜め込んだ知識と舌をできる限り振り絞った。これで盟を結べなければ、オレはその程度の人間だということだ)

 

昭武は覚悟を決め、

 

(この小僧達もひとかどの人物ということか……。それも内治に関しては雷源をも凌ぐほどの。手を組むには申し分がない。ーーしかしだからこそ疑ってしまう)

 

道三は黙考する。

 

「昭武殿、最後に問う。そなたは早晩飛騨を統べるじゃろう。そして馬鈴薯を用いて飛騨を富国とする。じゃがその先はどうするつもりじゃ?そのまま飛騨を統治して終わりかの?」

 

道三は問いと言いつつも挑発混じりに尋ねる。

 

(果たしてこやつは信ずるに値するか否や)

 

「いや、それはない」

 

それに昭武は胸を張って答える。

 

「オレは今までと違ったものがみたい。こんな乱世なんて手早く終わらせて次の時代を見てみたいんだ」

 

「それは、天下統一ということでよいかの?」

 

天下統一。昭武にとっては耳慣れない言葉ではあるが、それが何であるかおぼろげながら想像はできた。

 

「天下統一よりも天下泰平だな。だが、統一しなければ泰平が成らないというのならオレがそれを志そう」

 

昭武のこの言葉を聞いて道三の疑いは氷解した。

 

(そうか、そなたは乱世に倦んでいたのじゃな)

 

道三は稀代の謀将には似つかわしくない優しい笑みを浮かべる。

端からこの二人のやりとりを見ていた桜夜はただただ瞠目するばかりであった。

 

「道三公、盟を結んで頂けますか?」

 

「うむ、ワシもまた次の時代を見たいと願っておるからな」

 

昭武と道三が固い握手を交わす。

かくして濃飛同盟は成った。

 

 





読んで下さりありがとうございました。
誤字、感想、意見などがあればよろしくお願いします。


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第八話 正徳寺の会見 前編

第八話です。
ついに信奈と良晴が出てきます。しかしやはりキャラ崩壊が心配です。
文量が多かったため分けました。


美濃で道三と昭武の濃飛同盟が成立した日の夜。

昭武は宿で東海と飛騨の地図を広げてこれからの熊野家がどう動くかを考えていた。

 

「とにかく美濃と盟を組むことができたから南は最低限の兵力になるだろうな」

 

熊野家の所領は姉小路家を滅亡させたとはいえ、本拠地である平湯温泉一帯と桜洞城で飛騨の三分の一に過ぎない。

 

「まずカタをつけるなら、鍋山か」

 

鍋山家もまた飛騨では無視できない勢力で、にゃん向一揆の際に討ち漏らした姉小路の兵が逃げ込んだため、名だたる将こそいないがかなりの勢力を持っていた。

 

「予想できてこのぐらいか。これ以上は親父に聞かなきゃな……」

 

桜洞城で姉小路家を滅亡させたのは、昭武と優花、琴平姉弟ではあるが、飛騨の統治は雷源が行っている。昭武や桜夜は熊野家においてかなりの権力を与えられているのだが、決定権は雷源にあるのだ。今回道三との交渉にあげた馬鈴薯も濃飛尾三国の協商も今のところ昭武の独断でしかない。

 

(いくら戦略を考えても、今はまだ実行に移せない。歯がゆい思いだ)

 

昭武は寝ようとしたが、その時宿の看板娘が昭武の部屋に駆け込んできた。

 

「昭武様、来客が来ておりまする」

 

「こんな時間に誰だろうか?ちょっと呼んできてくれるか?」

 

「来客の数が多いので昭武様が広間にお出になった方がよいかと」

 

「それならば仕方ないな」

 

看板娘の促されるままに広間に入ると、彼女の言う通り来客達が待っていた。広間には桜夜もいて来客と楽しげに談笑している。

 

「おお、来たか昭武殿」

 

「道三公⁉︎なんでここに!」

 

昭武は驚いて尻餅をついていた。それもそうだろう。昭武とは身分違いの道三がわざわざ昭武と会うために民が使う宿屋にいたのだから。

 

「同盟祝いの宴をしようと思ってのう、とりあえず来てみたのじゃ」

 

道三が酒を注ぐ仕草をしながら笑う。道三の格好が粋な着流し姿だったのでやけに様になっていた。

 

(確かに同盟祝いというのは間違ってはない…が、何か嫌な予感がする。悪人はまず相手を油断させて、それから謀略を仕掛けると聞くからな)

 

道三の申し出に昭武は躊躇する。だが道三は「策の心配をしておるのか?流石のワシも同盟を結んですぐの相手を謀殺したりはしないぞい」と言って笑っている。桜夜もまた宴を開く気満々でいた。

そんな周りの空気に逆らえず昭武は、

 

「……じゃあ、その申し出を受けるか」

 

と言わざるを得なかった。

 

 

宴は長良川河畔の料亭で執り行われた。

 

「此度の同盟の成功を願って、乾杯!」

 

「「「乾杯!!!」」」

 

道三が音頭を取り、皆が天高く杯を掲げる。

低い長机の上には美濃の料理と魚の舟盛りが並べられていてとても美味しそうである。

これには昭武もかなわず疑うことをやめてここぞとばかりに料理を食べ、酒を飲んでいた。

 

「こんなに豪勢な料理は食べたことがないな」

 

「わたしもですよ。お寺にいた頃は精進料理ばかりでした」

 

「喜んでくれたかのう?料理はまだたんとあるからもっと食べるとよい」

 

昭武達同様に道三もまたご機嫌に酒をかっくらっていて、それを小姓の明智十兵衛が「道三様飲み過ぎですぅ」とたしなめる。

道三の重臣である西美濃三人衆、斎藤一族最年少で家中から親しまれている斎藤利治は言うに及ばず、道三と仲違いしている義龍でさえもこの宴を存分に楽しんでいた。

 

「道三様、呑み勝負でもしませんか?」

「それはよいのう卜全、では十兵衛一献頼むぞい」

「お待ちを親父殿、儂も混じらせていただきたい」

「お、義龍どのもやるのか」

「じゃあオレも飛騨代表ということで」

「構わぬぞい昭武どの。どうせワシが勝つからのう。で利治どのはどうか?」

「僕は酒にさして強くはないので遠慮します」

 

道三、卜全、義龍、昭武以外にも稲葉一鉄、安藤守就も呑み勝負に加わる。女性陣は加わらず料理を食べていた。

 

「殿方達とは別にわたしたちはわたしたちで楽しみましょう」

「そうですね桜夜どの」

 

和気藹々と夜は更けていく。

 

ーーしかしこの宴が道三と義龍の最後の語らいの場になるとは未だ誰も予想だにしていなかった。

 

**********************

 

利治を除いた男たちの呑み勝負はまず義龍が酔い潰れ、次に西美濃三人衆が稲葉、安藤、卜全の順に酔い潰れ、最後に昭武が酔い潰れて道三が勝利した。

 

「言った通りじゃろうが」

 

ややふらつきながらも胸をはる道三。

 

「くっ飛騨一の酒豪(自称)と謳われたオレが破れるだなんて……」

 

昭武は座布団に顔を半分うずめた格好で突っ伏していた。

 

「どちらにしても飲みすぎですぅ」

「ちょっと酒臭いですよ」

 

そんな昭武達に女性陣は苦笑いを浮かべている。

 

「父上、僕は酔い潰れた兄上と西美濃三人衆を家に帰しておきますね」

 

「親父殿にはまだ及ばぬか……」

 

「むむむ……飲み過ぎた……」

 

「すまない利治どの……」

 

利治は酔い潰れた義龍達を連れて料亭を辞した。それを道三は見送ると、昭武にある提案をした。

 

「急に政治の話になってすまぬが昭武殿。明日ワシは尾張のうつけ姫と会見するために正徳寺に向かうことになっておる。昼間お主は確か織田家と通商関係を結びたいと言っておったじゃろう?」

 

昭武は無言で頷く。

 

「お主が望めばじゃが、明日の会見にお主らを連れて行ってやってもよいぞ?」

 

熊野家は織田家とは何の面識もない。いつか通商関係を結ぶつもりなら、早いうちに顔を出しといた方がいい。

道三の提案は昭武にとってはこれ以上にない渡りに船だった。

 

「では明日オレも正徳寺に行く」

 

「決まりじゃな」

 

 

正徳寺。

ここは美濃と尾張の国境にある門前町で、両国の軍隊が立ち入れない非武装中立地帯で、同盟会談にはうってつけの場所だった。

この会談の結果いかんで斎藤道三の娘、帰蝶を織田信奈の義妹に出すことになる。

 

「さて此度も見極めさせてもらうとするかのう」

 

道三は今回も昭武達の時のように信奈を見極めるべく正徳寺近辺の民家から信奈の軍勢を遠眼鏡で観察していた。

 

(な、なんじゃあれは?)

 

道三は目を疑った。信奈の格好が義父に会うためのものとは思えないからだ。

 

(茶せん髷に片肌脱ぎ、袴の上には虎の毛皮。まさしくうつけ姫といったところじゃのう。果たしてそんなうつけにワシの同盟の相手が務まるじゃろうか)

 

だが傍らの星崎昭武は違った感想を抱いた。

 

(格好はともかくとしてあの長槍と鉄砲の量はすごいな。鉄砲は確かえらく高いものじゃなかったか?)

 

「うむ、信奈どのも見れたことじゃしワシは正徳寺に戻る。昭武どの達は別の間で待つとよいぞ」

 

 

「信奈とやら遅いのう」

 

正徳寺の本堂にて道三は小一時間待ちぼうけを食らっていた。

格好は先程信奈のうつけ姿を見ていたので軽い着流しの服装で、座布団にねっころがり扇子で自らを扇いでいる。

 

(信奈とやら道三公をここまで待たしてまずいとは思わないのか)

 

昭武は襖の隙間から、飛騨名物みたらし団子を桜夜と頬張りながら本堂を覗いている。

 

「昭武殿。団子一本もらいますね」

 

桜夜が団子に手をつけた、その時だった。

 

「美濃の蝮!待たせたわね!」

 

突然、織田信奈が本堂に姿を現した。

 

「ぶふお‼︎」

 

道三は、口にしていたお茶を噴いた。

昭武は「ウソだろ」と漏らし、桜夜は団子を取り落とした。

信奈の姿は昭武が見た時とは明らかに違っていたからだ。

つやのある茶色がかった長髪を下ろして最高級の京友禅の着物を着こなしたその姿は、いかにも姫大名といった風情がある。

顔立ちもまた優花や桜夜に肩を並べられるほどに整っていて、何よりその大きな瞳からは彼女達が持ち得ない覇気が宿っている。

 

(容姿の可憐さはともかくとして大名を志す以上彼女のような覇気が欲しいものだ)

 

昭武が心中で感想を述べる一方で、

 

「う……うおおおおおおおっ?な、な、な……なんという……美少女っ⁉︎」

 

道三は見たまんまのことを思い切り声に出して叫んでいた。

道三が唸っている間に優雅な足取りで本堂の中を進み、道三の正面に腰を下ろした。

 

「わたしが織田上総介信奈よ。幼名は『吉』だけどあなたに呼ばれたくはないわね。美濃の蝮!」

「う、うむ。ワシが斎藤道三じゃ……」

 

道三は年甲斐もなく照れてしまい、まともに信奈と目を合わせられない。

 

(道三公の美少女好きがたたったな……。織田信奈、これをわかってやっていたならば恐ろしいやつだ)

 

昭武は勝手に思い込んで戦慄する。が、信奈にとってはただ正装に着替えただけであった。

 

「蝮!今のわたしには、あんたの力が必要なの。わたしに妹をくれるわね?」

 

「さて、それはどうかのう。織田信奈どの。いや、尾張のうつけ姫。そなたがはたしてワシと同盟を結ぶにふさわしい姫大名かどうか確かめねばな」

 

その言葉を聞くと同時に道三の表情は真剣なものとなる。とりわけ目力が凄まじい。

その目力には昭武も桜夜も覚えがあった。

 

「道三殿、わたし達の時もあんな表情でしたね」

 

「ああ、まさしくへびにらみってやつだ。まぁうつけ姫は意にも介さないだろうがな」

 

「ふん。何を確かめるというの?」

 

昭武の言うように信奈は道三に対して逆に睨み返す。

それに対して道三も「ふふ」と笑った。

 

「そなたの力量、いくつか疑問があるのでな。尾張一国もまとめられぬうつけという評判を聞いておるでのう。……場合によってはこの場でそなたのお命を頂戴するやもしれぬ。くっ、くっ、くっ」

 

(オレ達の時と比べるとやや厳しめだな…やはり信秀公の娘相手では慎重にならざるを得ないか)

 

織田信奈の父、織田信秀と斎藤道三の戦いの日々は昭武達もよく知っている。加納口の戦いをはじめとして両者は幾度も鉾を交えていた。

 

「あんたほどの器なら、わたしの実力のほどは一目見ればわかるはずよ」

 

「ワシはな、武将を見た目だけでは判断せぬのよ。ワシ自身の下剋上もそうだが、つい先日も見た目だけでは測りきれぬやつと顔を合わせたからのう」

 

「へぇ、あんたにそこまで言わせるとはなかなかのやつね」

 

「うむ、やつはいかにも粗忽な田舎者と思いきや山の中にいながらにして海の向こうをも戦略の一部分に組み込んでおった。ーーはたしてそなたは、かの者に比肩するほどの実力を有しているのかのう?」

 

道三が昭武達が留まっている部屋をちらと見る。その表情は少し柔らかい。

 

(つーか粗忽な田舎者ってひどくね)

 

あくまで覗いているという体なので昭武は口にはださなかった。

 

「さてと、うつけ姫にいくつか尋ねてもよいかのう?」

 

「いいけど、何かしら?」

 

真剣な眼差しの信奈と道三が至近距離から激しく睨み合う。

今にもお互いの喉元を食い破ろうと激突しかねない、そんな迫力だった。

 

(うつけ姫と道三公の一対一の戦。どうなるか目をはなせないな)

 

昭武達が見守るなかいよいよ二人の舌戦が始まった。

 

それから会談は信奈と道三が問答をする形式で進んで行き、その結果なぜだか抜き差しならない展開へと進んでいった。

 

「ふ、ふ、ふ。老いたとはいえど、ワシは蝮と呼ばれた男。それはできぬ相談よ」

 

「でしょうね。そう言うと思っていたわ。わたしもタダでくれとは言わないわ」

 

(どうしてこうなった)

 

「昭武殿、頭を抱えたくなるのもわかりますが、まずは二人を止めましょう」

 

昭武が頭を抱えて、桜夜が二人を止めようと襖に手をかける。しかし襖が開かれることはなかった。

 

「思い出したぜ!こら、爺さん!そこの斎藤道三!お前が今何を考えているか、俺にはわかる!どうせ美濃の将来が見えているくせに、頑固爺みたいにひねくれてるんじゃねえ!」

 

良晴がひとり声を張り上げたからだった。

 

「道三、お前はこの後、家臣にこう言うんだ!「ワシの子供達は、尾張の大うつけの門前に馬をつなぐことになる」ってな!」

 

あんまりにも失礼な言葉である。

昭武も桜夜も(この足軽は道三に斬られるだろう)と思った。

しかし……。

 

「なんと?」

 

道三は驚いてしまい、足軽を斬れるような状態ではなかったのだ。

良晴は続ける。

 

「爺さん、あんたは自分の息子たちが信奈の器量に及ばないことに気づいているんだ。だから美濃に帰ったらひそひそと信奈に美濃譲り状をしたためるつもりになっている。違うか?」

 

「しかし、美濃の蝮として、信奈どのと潔く一戦交えたいと願うのも我が本心」

 

道三はそう言うが、昭武はそれが決して道三の本心ではないことがわかっていた。

 

(何が我が本心だ道三公。あんたもうさっきみたいな毒蛇のかおをしてねえじゃねえか)

 

良晴はさらに続ける。

 

「いやっ!本当は信奈と戦をしたくねえんだ!あんたの夢「天下統一」を継いでくれるのは信奈だけだからな!それができなけりゃあんたの人生は無駄になる!とはいえ自分は美濃の蝮、そんなお人好しなんてしたくてもできねえ!どうだ!」

 

道三はずっと刀の柄に手をかけていたが、その手をようやく放し、苦笑した。

 

「当たりじゃ小僧。もはや隠しだてはできぬな…」

 

そして信奈の方を向いて言った。

 

「信奈どの、この場で譲り状をしたためよう。そしてワシは隠居するわい」

 

「ま、蝮⁉︎」

 

信奈があまりの展開に驚く一方、昭武は小さな声で呟いていた。

 

「あの道三公相手によくもまあ舌が回る。相良良晴といったか。その名きちんと覚えておこうか」

 

この時、初めて昭武は相良良晴という男を知った。

 




読んで下さりありがとうございました。
ちと今回は規約違反になりそうで怖いです。
誤字、感想、意見などがあればよろしくお願いします。


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第九話 正徳寺の会見 後編

第九話です。
ようやく信奈達が出てきますが、やはりキャラがうまくつかめてなさそうで怖いです。


 

正徳寺の会見の第一幕は濃尾同盟成立と織田信奈の美濃継承という結果に終わった。

 

(これで濃尾、濃飛はつながった。あとはオレらと信奈公を結びつけるのみ)

 

今のところ、昭武と桜夜が立てた計画は順調にいっている。この尾張、美濃、飛騨の三国同盟(位置的には合縦同盟と言うべきか)は熊野家の雄飛または飛騨の統一の前提となる極めて重要な政策なのだ。

しかし計画が軌道に乗りかけた段階になって桜夜はこの計画のその先に不安を覚えていた。

 

(確かにこの計画をもってすれば、飛騨の統一及び平穏はなるでしょう。しかし代わりに昭武やわたしたちをさらなる戦乱の渦に招く、その端緒となってしまうかもしれません)

 

「昭武殿。やはり織田と盟を組むのはやめませんか?海を求めるならば、伊勢志摩の諸勢力と組めば十分です」

 

「なんでそんなことを言うんだ。オレらが話し合って計画したことだろう?」

 

「確かにそうですが、盟を組むにしては信奈様はかなり危険な相手だと思います」

 

「……それは否定できないな」

 

今回の会見の裏の成果は織田信奈がただのうつけではないことを示したことだ。

尾張の財力を利用しての鉄砲の大量購入。

海外を見据えられる戦略眼。

極めて合理的な思考。

まとめるとこの三つになる。

昭武は会見中この三つの要素からして織田信奈は熊野家の最高の同盟相手と考えていた。だが桜夜はこれらを違う視点から考えていた。

 

「わたしたちが考えている同盟案は確かに飛騨に大きく利するものではあります。しかしそれは織田家も同じことです」

 

昭武もまたバカではない。桜夜がそこまで言ったところで桜夜が言わんとすることがわかった。

 

「つまりオレらに旨味があるが、それ以上に織田家が強くなりすぎてしまうということか」

 

「そういうことです」

 

桜夜は首肯し、続ける。

 

「信奈様は天下統一を掲げています。天下統一は全てを力で従わせる、いわば覇道です。彼女と手を組んだ以上その戦いにわたしたちが巻き込まれるのは自明の理です。それでは飛騨はまた彼女によって荒れるでしょう」

 

桜夜はそこで一旦切って、昭武を見つめる。その瞳は少し潤んでいた。

 

「私事ですがわたしは必要以上に昭武殿や優花殿を戦乱に巻き込みたくはないんです。……今ならばまだ引き返せます。昭武殿、もう一度よく考えて決断を下してください」

 

桜夜の真剣な眼差しに昭武はたじろぐ。しかしそれは一瞬のことで、逆に桜夜の目を見据えて、優しく語りかける。

 

「桜夜がオレ達のことを思って言ってくれてるのはわかる。

かくいうオレとて今は親父の養子になってはいるが、元は戦災孤児だった。もし戦乱の渦中に身を置くことになれば、そういったことが再び起こり得るかもしれない。

オレはとにかくこの乱世が嫌いだ。人が人を殺し、村を焼き、オレのような戦災孤児を生み出し続けるこの時代を。

だがな、だがな、桜夜。だからこそオレはあえて戦乱の渦中に飛び込もうと思う。なぜならばオレはこう信じているからだ。

 

ーー時代を動かすのはいつだってその時代を嫌い抜いた人である、ってな。

 

オレは泰平の世を迎えるために戦う。乱を鎮めるために乱を広げるだなんて、矛盾しているかもしれないが、その覚悟はとうにできている」

 

「そうですか。ならばもう止めはしません」

 

そう言うものの、桜夜は不安げな表情で昭武を見ていた。

 

********************

 

正徳寺の会見、第二幕は第一幕と同じく本堂で行われていた。

 

「飛騨熊野家嫡男、星崎昭武だ」

「飛騨熊野家宰相の琴平桜夜と申します」

 

「わたしが織田上総介信奈よ。まさかこんなにすぐに飛騨の獅子に会えるなんてね」

 

「飛騨の獅子?そりゃ誰のことだ?」

 

「あんたのことよ。あんたは知らないようだけど、飛騨最大の勢力を一揆で潰したあんたの名はいまや東海中に知られているわよ」

 

「まさかオレの名がすでにここまで売れていたとはな……」

 

信奈は言うが昭武には自分がどれだけのことをやったのかという自覚はない。ただ桜夜に言われた通りに奇襲して敵総大将を討ち取ったという認識があるだけである。

 

「それはそうと信奈殿、先ほどの会見をオレたちもまた拝見していたが、あの足軽は一体何なんだ?」

 

昭武は道三を論破せしめた足軽、相良良晴のことを気にかけていた。なぜだかわからないが、何か違和感を感じていた。

 

「あー、サルのこと?あんたもなかなか酔狂ね」

 

「ああ、あいつはなんか足軽と言っても見ているものが他のやつとは違う気がするんだ」

 

「確かにサルは他の足軽とは違うわ。槍をめったやたらに振り回して数人を倒したたりもしてるわ。ちょっと怪しいけどそれなりの力はあるようだし……」

 

顎に手をやって考え込む信奈。

 

「それにしても未来から来たというのは本当なんだろうか?」

 

「それについても一切わからないわ。けどさっきの蝮との会見の時、いかにも蝮のことを知ってるように話していたから、完全な否定はできないわね」

 

(どうやら信奈公もまだはっきりとはわかっていないようだな)

 

「未来、か」

 

(もし相良良晴が本当に未来から来たというのならば、やつに一度問いたい。百年後は果たして泰平なのだろうか。あるいは戦乱止まず、未だに殺しあっているのだろうか)

 

「……信奈様、そろそろ本題に入りませんか」

 

このままではしばらく相良良晴の話が終わらないと見て桜夜は仕切り直した。

 

「そうね、あのエロジジイに散々詰め寄られて疲れているから助かるわ」

 

道三は実は美濃譲り宣言の後からは信奈に「おっぱいもませてくれんかのう?」「おっぱいがダメならお尻で」といった具合で、信奈は暴力で道三をねじ伏せて防いでいたのだった。

 

「……それはお気の毒に」

 

正直優花や桜夜がそんな目にあわなくて良かったと安堵する昭武だった。

 

「では信奈様。私達は今のところ信奈様と同盟を組もうと考えております。いわば飛尾同盟でしょうか」

 

「飛尾同盟ね……あまり旨味があるとは思えないわ」

 

同盟を提示された信奈の様子は好感触とはいえなかった。

 

(信奈公の言うことはもっともだ。信奈公が道三から美濃を譲られると言っても飛騨は尾張にとっては遠くの国でしかなく、同盟を組んだとしても派兵に手間取ってしまう)

 

「まぁ援兵には期待できないだろうな」

 

「それに飛騨は国力自体が貧弱じゃない」

 

信奈も道三と同じように断じた。

 

「痛いところを突いてくるな。……だが貧弱と断ずるのは早計だ」

 

「どういうことよ?」

 

信奈が身を乗り出す。(上々の反応だ)と昭武はほくそ笑んだ。

 

「飛騨は確かに国力は貧弱だ。とりわけ人が他国に比べてかなり少ない」

 

飛騨は甲斐や美作と同じく内陸の山地に位置し面積的にも小さく、さらに海がない立地としては最悪の場所ではある。

 

「だからまず、オレは住まわせるとまではいかなくても飛騨を訪れる人々を増やしたいと考えている」

 

「結局、何が言いたいわけ?」

 

やけに焦らす昭武に信奈はいらだちを隠せない。

 

「まぁ最後まで聞け、オレは飛騨を訪れる人を増やすために中継貿易を始めたいんだよ。飛騨は国力は貧弱と言っても北の越中、南の美濃とある程度大きな街道がある。その街道をうまく使えば山海の産物が流れていき人の往来が盛んになる。あと道三公にも話したことだが、馬鈴薯を栽培させるつもりでもある」

 

「なるほど……悪くはないわね。飛尾同盟を組めば尾張もその流れに混じることができるのかしら?」

 

信奈が尋ねると昭武はいたずらがばれた子供のように笑った。

 

「ああそうとも。この飛尾同盟、いや濃飛尾三国同盟は厳密には同盟というより、むしろ三国が一緒に商売をするというのに近いだろうな」

 

「わたし達は今、関所の削減と関銭の値下げを進めています。物と人がよく流れるようにするためです。もし、信奈様が同盟を組んでくださるなら尾張の商人に関銭を課さないようにします」

 

「もっともこの同盟案は今のところはオレの独断でしかない。が、桜夜と頑張って親父と交渉するつもりだ。この場で答えてくれなくてもいい、熊野家の連中はこう考えているとだけ覚えて帰ってくれればそれで十分だ」

 

(正直この三国同盟で利するのは会見前に桜夜が言ったとおり織田家だ。斎藤家もそうだが、義龍の代になれば、政策を往時のものに戻すだろう。この盟は関銭を取らないことを前提にして組まれているからそうしてしまったら意味がなくなる。

織田家が領する尾張はもともとが東海道と伊勢路、美濃の東山道につながる街道が交わる追分で人口も多く、産業も発達している。それに対して飛騨は街道があるだけで産業はまだない。だからどうしても濃尾の方が利を得てしまう。だが、ここまで譲歩しなければ国力の差で聞き流されるだろう。

熊野家の為に考えた計画を実行するために必要なことであるが、個人の感情としては少しクるものがある。悔しいが、これはネギを背負っている鴨の居場所をおしえたようなもんだ)

 

昭武は密かに歯噛みする。

だが信奈は昭武の提案に飛びつかなかった。

 

「星崎昭武、あんたの案はかなりわたし好みだわ。けど飛騨熊野家はまだ飛騨の一部の小大名に過ぎない。……だから同盟の締結はもう少しあんたたちが勢力を拡大するまでは見送ることにするわ」

 

信奈はまだ熊野家の力を信用してはいなかったのだ。

 

「そうか。頑張らないとな……」

やや苦笑いする昭武。やはりうつけ姫を相手にするのは骨が折れると心中で毒づいた。

 

******************

 

「サル、あなたは星崎昭武をどう見る?」

 

正徳寺からの帰路。信奈は召抱えたばかりの足軽、自称未来人の相良良晴に問うていた。

 

「すまん信奈、俺の未来知識には星崎昭武はいないんだ…。俺の知識では飛騨は姉小路頼綱が天下人勢力の侵攻までは支配していたはずなんだ。飛騨で一向一揆があったことは知っていた、けど守護代を倒せるレベルではなかったはずなんだ……!」

 

「なら熊野雷源や瀬田優花、琴平桜夜はどうなのよ?」

 

「その三人も知らない。熊野家の家臣団の中で俺がわかるのは星崎昭武の副官、金森長近だけだ。といっても名前だけで、他は俺の知識とは違うみたいだ」

 

相良良晴は戦国時代に来てからでも指折りの恐怖を感じていた。

 

(織田家臣のみんなから聞いたところによると熊野家のメンバーは皆、相当強いみたいだ。略歴を少し聞いたけど、正直信じられないものばかりだった。未来知識が通じない強敵だなんて絶対に敵に回したくない)

 

「ちっ、使えないわね……」

 

そんな良晴を尻目に信奈は吐き棄てる。

 

「濃飛尾三国同盟ね……。流石のわたしもこれは思いつかないわ。隣にいた琴平桜夜、彼女も侮れない。戦はそうでもないけど彼女が宰相になってからは松倉の町や桜洞城下が飛躍的に発展したそうだし組むには悪くないわ。楽市楽座を取り入れたのもなかなかね。おそらく内政の面ではわたしと考えを共有できる、けれど力を持たれると厄介ね……」

 

熊野家と同じく織田家も同盟には難儀していた。

 

(星崎昭武が容易ならざる人物であることはわかった。しかし昭武の提案は互いに利益が出過ぎている。とりわけ尾張にね。あまりにもわたしが欲さんとしているところを理解し過ぎている。普通、あんなに他国を利する同盟案は提示してこない。何か企んでいるのかしら?)

 

「とにかく、星崎昭武には注意しておくべきね」

 

この時、信奈の頭脳に星崎昭武という名が深く刻まれることとなる。

 

正徳寺の会見の第一幕は濃尾同盟の締結と織田信奈の美濃継承。第二幕は熊野家と織田家の修好という結果をもたらした。

この会見は後に濃飛尾三国に良くも悪くも大きな影響を及ぼすことになる。

 




読んで下さりありがとうございました。
次回からは舞台は飛騨に戻ります。
誤字、感想、意見などあれば、よろしくお願いします。


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第十話 復帰戦


第十話です。
今回は文量少なめでまたオリキャラが増えました。




 

 

正徳寺で道三、信奈との会見を済ませた昭武と桜夜は桜洞城に戻って雷源に報告をしていた。

 

「そうか、濃飛同盟は成ったか……。よくやったなお前たち。馬鈴薯と三国同盟には驚かされたぞ。こんなの俺たちでは絶対に考えつかねえ……。馬鈴薯と三国同盟については認める。お前たちの思うようにやるといい」

 

昭武達の報告を聞いた雷源は終始ご機嫌だった。

 

「それで親父。このあと熊野家はどう動くんだ?」

 

「そうだな……。実はお前たちがいない間に鍋山がこちらに攻め込もうとしているみたいでな。多分お前らがいないのを好機と見たのだろう。お前たちも出世したな。飛騨国内では俺よりも影響力があるようだぞ」

 

昭武の問いに雷源は可笑しみを感じながら答えていた。

 

(知らねえ間に人は育つものだな、ちょっと前までは村のガキどもと鬼ごっこに興じていたやつがこんな立派になりやがって)

 

「じゃあオレたちの出番というわけか?」

 

「いや、お前たちは美濃から帰ったばかりだろう、休め。桜洞の尻拭いは大人がしておいてやるから」

 

雷源はそう言うと昭武たちを下がらせる。代わりに集められたのは、荒尾一義、宮崎長堯といった最古参の将であった。

 

「雷源様、動員令はすでにかけ申した。どこで鍋山勢を迎え撃つので?」

 

「長堯。鍋山勢は箕輪砦で迎え撃つ。一義が砦に陣取り、俺たち二人が遊撃に回る。まぁ昔と同じやり方だな。この場にはいないが白雲斎にはすでに話している」

白雲斎……戸沢白雲斎もまた一義、長堯と同じく越後時代から雷源に仕えている。だが白雲斎は武士ではなく忍びの者なので軍議に顔を出すことは少ない。

 

「白雲斎殿を動かしたということはあの策を用いるのですか?」

 

「その通りだ一義、ちと鍋山じゃあ役不足な気がするが、俺たちの復帰戦だ。派手にいこうじゃねえか」

 

一義の問いに雷源は意地悪い笑みを浮かべて答えた。

 

********************

 

熊野雷源率いる熊野兵五百は鍋山顕綱との境にほど近い箕輪砦に進軍した。箕輪砦は渓谷地帯に作られた砦であるが、渓谷を通る道が狭いため実際は関に近い。砦自体の作りは普通の砦とさして変わらないが、周りの地形により攻めるに難く、防衛戦にうってつけの場所だった。

鍋山顕綱は自ら二千五百の兵を率い箕輪砦に進軍してこれを包囲していた。

城攻めは守城側の三倍を持ってあたるべし。今回攻めるのは城ではなく砦だが顕綱はこの古来よりの基本を守り三倍どころか五倍の兵力差を持って箕輪砦に攻勢を仕掛けていた。

 

「者共!我が一族の仇、討つのはいまぞ!」

 

鍋山方の士気は高い。兵数が勝っていることもあるが、何より将から一兵卒に至るまで一揆勢によって貶められた三木一族の誇りを取り戻すという意識を持っていたのである。

 

「鍋山の兵が狂ってやがる。存外歯ごたえがありそうだな」

 

そんな鍋山兵を見ても雷源は笑っている。

 

「長堯に伝令、櫓の射点が重なるところに敵をおびき寄せよ。手段は問わぬ」

 

その隣で一義が冷静に指揮をとる。荒尾一義は守りの戦における指揮のうまさは雷源、長堯をゆうに越える。

 

「一義殿の指揮か!皆の者、一射浴びせた後に後退せよ」

 

長堯が命令を受け取った後、やられた振りをして巧妙に敵を誘い込む。

 

「よし、引き込んだな。反転して一射だ!」

 

「な⁉︎うわああああ!」

 

長堯隊の斉射と三つの櫓からの射撃で鍋山家の分隊は潰乱し、半数が命を落とし、もう半数が逃走する。

その流れに乗っかる形で雷源隊が、新手の鍋山兵に逆つけ込みを行い、かつて越後に轟いた武勇で鍋山兵に多大な流血を強いた。

 

(十年ぶりの戦だが、皆思ったよりも衰えてねえな。いいことだ。さて、白雲斎よ。うまくやってくれているんだろうな?)

 

熊野家はこの三位一体と言える部隊運用を他の分隊にも行い、鍋山勢の大攻勢を頑強にはね退け、下馬評では一日たりとも持たないといわれた熊野方は夜を迎えていた。

雷源は一義を呼び出して報告を聞いていた。

 

「さて、夜を迎えたわけだが……。一義、兵の被害はどれくらいか?」

 

「死傷者は五十名。そのうち死者は八名、重傷者は十二名、残り三十人は軽症です」

 

「上出来だな。やはりお前たちは練兵が上手いな。あの弱兵達をよくもまあここまで……。まぁ平湯兵なら死者を出さなかったと思うが」

 

今回雷源が連れてきた兵は先の桜洞城の戦いの時に本隊に所属していた兵が中心である。彼らは皆、自らの不甲斐なさで桜夜を危険に晒したことを恥じていた。顕綱達にとって今回の戦が復讐戦であるなら、元本隊兵にとっては禊の戦であった。

 

「お褒めに預かり光栄です。しかし殿、平湯兵は替えが利きませぬぞ。なるべく温存した方が良いかと」

 

「わかってるさ一義。平湯兵はできる限り、あいつらの為に遺してやるつもりだ。……それで、白雲斎から何か来なかったか?」

 

「先程、全ての準備が出来たと伝える使者が来ました」

 

「そうか。では兵に胴丸と鉢金を着けるように伝えよ。出陣するぞ!」

 

「ははっ!」

 

(白雲斎も変わらずか。鍋山顕綱、同情するぜ。俺たち四人が揃い踏みでは勝ち目なんてねえからな)

 

雷源は不敵に笑う。されどその笑みに慢心はない。

 

*****************

 

「落ち着け!落ち着くのだ!」

 

鍋山本陣は恐慌状態に陥っていた。

山側から突如として現れた伏兵百に、一日目の戦いで共に連れ帰ってきてしまった偽鍋山兵三十が兵の宿舎や兵糧庫に火をつけまわったからだった。

 

(ふふふ、愉快な景色である)

 

そんな鍋山勢を山側から悠々と眺める白髪の総髪の男が一人。彼の名は戸沢白雲斎。今、眼下に広がる光景を現出した張本人である。

 

「おのれ!熊野の獣が!卑怯な策ばかりもちいやがって!」

 

憤慨する顕綱。そこに白い巨馬に乗った武人が駆けてくる。

 

「三木のガキどもよ。俺と白雲斎の策の味はどうだったか?」

 

茶筅にした髷に黒い南蛮羽織、長大な段平を右手に持つ姿は宣教師がみれば死神と呼ぶだろう。

 

「熊野雷源……!」

 

「ははは、昭武でなくて残念だったな!」

 

「いい。お前を倒せばいいだけのことだ」

 

「なかなか豪快なことを言う。が、いまいち現実味に欠けるな」

 

雷源はつまらなさそうに吐きすてると段平を一閃する。三木氏最後の男は斬られたことにすら気づかずに絶命した。

 

「皆の者、敵将鍋山顕綱は、この熊野雷源が討ち取った!勝鬨を挙げよ!」

 

「「えい、えい、応ォーーーーーーー!」」

 

宵闇の戦場に勝鬨がこだまする。この時、かつて北陸に武威を轟かせた豪傑、熊野雷源は完全復活を果たした。

 

***************

 

この箕輪砦の戦いにより鍋山家は滅亡。

戦後、宮崎長堯が追撃し鍋山城を落とした。

旧姉小路家臣もそのほとんどが長堯の残党狩りに遭い、熊野家は飛騨の南半分を掌握した。

一方、飛騨北部でもまた変化が起きていた。

 

「ぐはははは、勝鬨だ!勝鬨を挙げよ!」

 

飛騨の最大勢力である江馬家が内ヶ島家の本拠、帰雲城を攻略したのである。

内ヶ島家当主の内ヶ島氏理の行方は不明。民草の噂では江馬輝盛に捕らえられた、帰雲城落城の際に自害したとされる。

しかし、それは事実ではない。

 

「ウッチー絶対にあの糞豚を許さない!許さないんだから!」

 

一人の少女が山中を叫びながら駆けていた。少女の年は昭武達よりやや年少といったところであろう。緩い曲線を描く茶髪に、整った顔立ち。服装は上質な暗緑の着物だが、無残にも太ももの中ほどから下の部分が斬り落とされていて少女のすらりとした脚が覗いている。

 

「桜洞、いや松倉の町まで急がなくちゃ……!」

 

帰雲城落城の報は合戦終了から二日後に熊野家にももたらされた。

 

「ついに江馬が動いたか……」

 

雷源は呟くとすぐ、小姓に下知を与えた。

 

「斎藤家に援軍を出すよう使者を出せ。長堯に武器庫から例の物を全て出すように伝えよ。あと昭武と金森長近、井ノ口虎三郎の三人をここに呼んでこい」

 

そしてこう付け加えた。

 

「内ヶ島を平らげた以上、江馬は南侵してくるのみ……決戦だな」

 




読んで下さりありがとうございました。
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第十一話 いざ決戦へ

十一話です。
今回も文量少なめですが、次話多めにするので勘弁して下さい。


 

 

飛騨国、高原諏訪城。

 

「氏理を捕らえられなかっただと⁉︎ このたわけが!」

 

江馬家当主、江馬輝盛は報告にきた足軽を怒りのあまり蹴り飛ばしていた。

 

「輝盛様……お許し、を……」

 

輝盛は現代の単位で言えば、2メートルを超す体躯を持つ。その巨体から繰り出される蹴りは、元服して間もない足軽には耐え難いものがあり、足軽は呻きながら許しを懇願する間に失神した。

 

「せっかく内ヶ島を潰したというのにこれでは楽しさも半減ではないか……。美貌で知られる氏理を侍らせて楽しもうと考えていたのが台無しだな…」

 

輝盛の性格は兇悪の一言に尽きる。捕らえた姫武将を幾度も犯し、商家から財貨を徴発したこともしばしばといった具合で、姉小路頼綱が存命の時でも彼がその凶行から飛騨で一番恐れられていた。だが、そんな彼でも一つ踏み越えない一線を定めていた。

 

(認めた相手には仏のように)

 

もっともそれに値する相手は飛騨国内では初陣の頃から幾度も互角の戦いを繰り広げた姉小路頼綱しかいなかったのだが。

 

「頼綱め、我との決着をつけぬままに逝きおって……、飛騨の王は我かお前以外には認めぬ。余所者共を皆殺しにしてそのことを示してくれよう」

 

輝盛は酒を片手に、決意を固めるのであった。

 

***************

 

飛騨桜洞城の空気はひりついていた。

桜夜や長近といった文官の働きができる者は、新しく得た鍋山旧領の統治と対江馬決戦の準備に忙しく、優花、一義、長堯、井ノ口ら武官は兵の訓練の熱を入れている。

昭武もまた桜夜に引きずられて書類仕事をさせられていた。

 

「なぁ桜夜、この仕事はいつになったら終わるんだ?」

 

「いつ終わると言えば、対江馬決戦の戦後処理が終わるまででしょうか? 江馬家が戦わずして降伏でもすれば短縮はするでしょうが……」

 

「ようは当分終わらんということか……」

 

「まあ頑張って下さい。大名家の当主になれば、好む好まざるとに関わらず書類仕事は付いてきますから。此度でその経験を積むことが出来ると考えればいいんじゃないでしょうか?」

 

「んー、大名になればアレを使いたいもんだな。関東で北条家が使ってるやつ」

 

「印判ですか?あれは熊野家にはまだ無理です。あれは主家に絶対的な権力があってはじめて効力を発揮するのです。仮に今、熊野家が印判を使い始めれば、侮られてるとみて豪族の反感を買いますよ?」

 

「マジか……」

 

「昭武殿が大名になった時に印判を使いたければ、此度の戦で江馬家を完膚なきまでに叩きのめすことです。そうすれば印判を使うに足る権勢を熊野家が持つことができますよ」

 

「そうか、なら話は簡単だな。そうだ桜夜、少し井ノ口のところに行ってくる。兵の訓練の仕事もオレの仕事の範疇だ」

 

「ちょ、昭武殿待ってください。まだ書類終わってないですよー?」

 

「訓練終わったら行くわ」

 

昭武は桜夜を顧みず、練兵場に駆け込む。ここで一度顧みてしまうと書類仕事から逃げられなくなることを分かっていた。

 

一方、熊野雷源は厄介な人間と対峙していた。

 

「雷さん、聞いてよ〜。輝盛の豚野郎がウッチーのお城を分取っちゃったんだよ〜。許せなくな〜い?」

 

「まあ許せることではないが、落ち着いてくれると助かる」

 

「これが落ち着いていられるか〜!」

 

(はぁ……。ガキの相手は今までにも結構してきているが、どうにもこいつは苦手だ……)

 

雷源が心中でぼやく。

 

(まさか殿のこんな姿を見ることになろうとは……、天下とはかくも広大なのだな)

 

普段、相手を振り回す側の雷源が頭を抱えているのを長堯は驚愕の目で見ていた。今雷源を振り回している少女こそが、行方不明だった内ヶ島家当主、内ヶ島氏理であった。

 

「それで、氏理どのの用件は内ヶ島旧領の奪還ということでよろしいか?」

 

「うん!あとできれば豚野郎の首も見てみたいな〜」

 

「それならば多分叶うだろうよ。近々、江馬が南下してくる。その時に迎え撃てばよい。奴を潰す算段はすでにつけてあるしな」

 

「わ〜!さっすが雷さん!北陸無双の侍大将!」

 

「と、言うわけだから落ち着いて待ってろ。寝るのもいい。諺でも言ってるだろ? 果報は寝て待てってな」

 

「わかった!で、私はどこで寝てればいいの?」

 

「長堯、案内してやれ」

 

「はっ」

 

長堯に引き連れられ氏理は謁見の間を後にする。それを見送ると、雷源は足をひょいと投げ出し、寝転んだ。

 

「姦しいガキだった。無害っちゃ無害だが、身近に置きたくはないな……。戦後は帰雲城だけ与えて放置、だな。だがまぁこれで江馬家の領土を食う大義名分は出来たからよしとするか……」

 

この戦乱の世と言えど大義名分は馬鹿にならない。特に熊野家のような下剋上で成り上がった家には必要である。大義名分がなければ、たとえ善政を敷いていたり、他家と公正に付き合っていたとしても他家からの信用を得られなくなるからだ。

 

(あいつらには才がある。俺がまだ生きていられるうちにあいつらが十二分に才を振るえるように整えなくちゃな……)

 

近年、心の臓の痛みが再発しつつある。あと何年俺はあいつらと一緒にいられるのだろうか。雷源は一抹の不安を感じていた。

 

***************

 

美濃、稲葉山城。

 

斎藤道三、利治親子は雷源からの使者が持ってきた書状とにらめっこしていた。

 

「父上、雷源どのからの援軍要請、如何いたす?」

 

「援軍を出す。迷うこともない。ワシと利治どので兵は五百じゃ」

 

「即断即決とはあの二人に随分と情が移りましたね」

 

「いやいや、まだそこまで老いた覚えはないわ。十年前、北陸無双とうたわれた男を直で見たいと思うただけよ」

 

利治にからかわれるが、道三は言い返す。

 

(利治どのの言う通り、ほんの少しだけ、あの小童らを助けてやろうとは思うたがな)

 

「そうですか。ならば早く出陣をしましょう、父上。時間はあまり多くはないようです」

 

「うむ、そうじゃな」

 

利治に促されるような形で、美濃兵五百、出陣。

 

ここで舞台が戻って高原諏訪城。

 

「これより桜洞城に進軍する!この戦に勝てば、飛騨の統一は我に帰する!進めぇ!」

 

(頼綱よ。此度の戦はお前への手向けだ。お前亡き今、最早我らの戦いに決着をつける手段はお前が成しえなかった飛騨の統一を果たすことだけなのだから)

 

やや感傷的に、江馬軍三千、出陣。

 

そして桜洞城。

雷源の前で戸沢白雲斎が左右に配下の忍びを連れて、報告をしていた。

 

「そうか斎藤と江馬、どちらも出陣したか……。白雲斎、江馬家がどこから松倉の盆地に入ってくるかわかるか?」

 

「大坂峠ですな」

 

大坂峠は松倉の町北方の峠である。街道が通っていて、熊野家と江馬家の勢力の境目でもあった。

 

「うむ、なら道三殿には、松倉の町に布陣してもらうよう伝令を出せ。そこで我が軍と合流する」

 

「勝定よ。ということはあれか? 儂は国府のあたりで奴らの進軍を邪魔すればよいのだな?」

 

「察しが良くて助かる白雲斎。だが、その名はもう捨てた名だ。雷源と呼べ」

 

「ふふふ、からかって悪かった。では行ってくるとしよう」

 

白雲斎は笑いながら雷源の目の前から消えた。

 

「さて、俺らも松倉の町に向かうかね」

 

熊野軍千五百、出陣。

 

この時、松倉盆地に向かう二頭波頭、三つ鱗、四つ菱を掲げる軍の長それぞれの脳裏にある一つの地名が浮かんでいた。

 

八日町。何の変哲も無い場所だが、ここが決戦の地となることを鋭敏な感覚を持つ彼らは感じ取っていた。

 




読んで下さりありがとうございました。

二頭波頭は斎藤家、三つ鱗は江馬家、四つ菱は熊野家の家紋です。あと次話で一章が終わりになります。

誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第十二話 八日町の戦い

十二話です。
前話の前書きで言った通り文量は多めです。
輝盛に感情移入し過ぎて当初の予定より輝盛の出番が増えてしまいました。
では、どうぞ。



 

八日町に一番最初にたどり着いたのは江馬輝盛であった。と言っても輝盛は本心から八日町を目指していたわけではない。

 

(熊野家め……、小賢しい戦いをする)

 

輝盛は熊野家が体勢を整える前に松倉の町を奪る腹積りだったが、白雲斎とその配下の忍びによるゲリラ戦により頓挫して泣く泣く八日町に退却せざるを得なかったのだ。

輝盛はこれ以上は退かぬという意思表示を含めて八日町に本陣を設営した。

 

輝盛に遅れを取った形で、熊野・斎藤連合軍が八日町にたどり着いた。

 

(白雲斎。よくやった。これで算段通りに行きそうだ)

 

八日町にはいま、江馬軍二千五百、熊野・斎藤連合軍二千が布陣している。

八日町は大坂峠の麓にあたり坂上側に江馬家、坂下に連合軍がいる。騎馬隊を多く配置している江馬家に有利な布陣と言えるだろう。

主な将の配置は江馬家側は先陣に江馬輝盛。

連合軍側は先陣に斎藤道三、利治親子と宮崎長堯。中陣に星崎昭武、瀬田優花、琴平桜夜、宗晴姉弟。後陣に熊野雷源と荒尾一義がいる。金森長近と井ノ口虎三郎は前陣東の山中にいた。

 

「錚々たる顔ぶれだな……」

 

昭武は武者震いをしていた。

 

(熊野家重臣全員に、斎藤道三。江馬輝盛。あまりに役者が揃い過ぎている。間違いなくこの戦いで飛騨の統一の成否が決まるな。良頼公、どうやらあなたの悲願はもう少しで叶うようだ)

 

「あまりこういうことはしない質だが…。神よ!あんたが本当にいるのなら、オレたちを勝たせやがれ!」

 

昭武は祈った。自らのために、また良頼のために。昭武はにゃん向宗も他の宗派や神道も、まして耶蘇教を信仰しているわけではない。だから神の存在については未来人である良晴のスタンスに近いものがある。

 

「あはは、武兄。そんなことをしなくてもあたしたちは勝つよ。本気のお父さん達に、美濃の蝮に、あたし達がいれば絶対に負けないんだから!」

 

優花が猛々しく弓を掲げる。もう初陣の時のように怯えたりはしない。

 

「それもそうだな優花。……さて開戦はいつだ?戦闘狂じゃないが身体がうずうずして耐えられねえ」

 

本人が関与しないところであるが、昭武の願いはすぐに叶えられた。輝盛が騎馬隊を率いて突撃を始めたのである。

 

「進め進めー!」

 

輝盛自ら大長刀を振るって切り進む。

 

「これが、飛騨の戦いか。なるほど美濃の戦いとは随分違うのう」

 

「いや、道三様。今回の戦いが特別なのです。普段の飛騨の戦いはもう少しのんびりしたものですよ。しかし、これほどの攻勢は為景や宗滴と戦って以来ですな」

 

戦巧者である道三や長堯でも手を焼くほどに輝盛の突撃は激しかった。輝盛自身の武勇もあるが、地形的に坂落としになっていること、この戦いの結果如何で飛騨の統一が決まることが大きいだろう。

輝盛達は戦闘開始から十分も経たない内に中陣に到達した。

 

「来たか、輝盛!」

 

昭武は目の前から猛然と迫って来る輝盛を視界に収めていた。

 

「んじゃ、優花。大将首獲ってくるからつゆ払い頼むな」

 

「はいはい」

 

軽く返事をする優花だが、この僅かな間に三本の弓を射っている。これだけでも充分優れた腕だが、驚くべきことに全て敵の急所を射抜いていた。

 

「なんだお前は?」

 

「オレの名は星崎昭武、まぁ姉小路頼綱を討った男と言えばわかるか」

 

「お前が、星崎昭武か……!」

 

輝盛は目を細めて昭武を見やる。平均よりやや高い身長、やや整った顔立ちに鬱金色の羽織をしている。十文字槍は二十を迎えていない若者にしてはしっかりと使い込まれているように見える。

 

(確かに少しは出来そうに見える。だが、頼綱を倒せるほどとは思えんな……)

 

「我の名は、江馬輝盛。飛騨最強の男とは我のことよ」

 

輝盛が名乗りを上げ、昭武に大長刀を振り下ろす。昭武はそれを受け止めた。

 

「これぐらいなら、受け止められるぞ!」

 

「なんの、肩慣らしに過ぎぬわ!」

 

輝盛が二撃目として大長刀を横薙ぎする。昭武はまたも受け止める。

 

(なんとか受け止められたが、手が少し痺れるな……)

 

「そういえば星崎昭武。お前に一つ問いたいことがあった。お前は頼綱を討ち取ったと言っていたな、奴の最期はどうであったか、我に聞かせろ」

 

輝盛が昭武に問う。輝盛は桜洞城の戦い以後、常にこのことが脳裏にあった。細作を送り、何度か調べさせたがどこか納得ができずにいた。

 

「わかった。姉小路頼綱の最期は総大将を組み敷き、とどめをささんというところをオレが背後から斬りつけ、刀を振るわせないままに投槍で身体を貫いたってものだ。正直真っ当な手段で討ち取ったとは言えないな」

 

「そうか、そうか……」

 

輝盛は昭武の話を黙って聞いていた。が、次第に身体を震わせていく。

 

「奴は、奇襲されて死んだのか……」

 

(なぜだ!どうして飛騨の鷹たる奴が、我の好敵手と認めた奴が、こうも惨めに死んでいかねばならなかったのだ!)

 

輝盛は昭武の手前こう叫び出したい衝動に駆られた。

 

(いくら戦乱の世と言えど、あまりにあんまりではないか!武士には器に足る死に様を与えられねばならぬ。そうでなくてはあまりに救われないではないか)

 

「教えてくれたことを感謝する……!」

 

輝盛は声にならない叫びをあげながら、昭武に三撃目の斬撃をくりだした。

 

********************

 

「輝盛の進撃は中陣で止まったか……」

 

雷源は後陣でつぶやいていた。

 

「一義、先陣の状況はどうなっている?」

 

「白雲斎どのからの伝令曰く、先陣は利治どのが輝盛の軍の後方を叩いておりまする。道三どのと長堯は兵を休ませているようですな。兵の被害は利治どのはそれなり、他の二軍は軽微です」

 

「そうか、そうか」

 

雷源はニヤリと口の端を吊り上げた。

 

(長堯、道三どのは流石だな……!俺の意を伝えずしてわかっている。利治どのは及第点というところか、まぁ理にはかなっているがな)

 

「一義、元金環党の隊に合図を。道三どのと長堯の軍には伝令を送れ。この戦、少々早いが詰みにいく」

 

「はっ」

 

前陣東の山中には、元金環党の長近、井ノ口が布陣していた。

 

「頭、雷源どのから合図がきました」

 

「そ、そ、そうか。虎三郎。じゃあ出陣だな⁉︎」

 

長近はものすごくテンパっていた。

 

「頭……。緊張するのは分かりますが、少し落ち着いてください」

 

「だって虎、雷源様から「お前たちの働きが今回の戦いの勝敗を決する」と言われたんだよ?昭武様や優花様、一義様あたりならわかるけど、新参の私達がこんな大役なんてできるわけが……!」

 

「頭、某はこの上なく滾っておりまする。それに雷源様から預かったアレがありまする。心配することはないかと」

 

そう言って井ノ口は、雷源から預かったアレの一つを弄ぶ。

 

「それにしても、これは結構いいものだな…。戦が終わったら恩賞でこれを貰うのも悪くない」

 

「虎がそこまで言うのなら信じよう……!全軍、進め!」

 

元金環党部隊進軍開始。

 

 

昭武と輝盛の一騎討ちは輝盛が優勢だった。

 

「くそ、輝盛め!膂力がでたらめすぎる!」

 

二メートル越えの身体から繰り出される一撃は、昭武が相手であっても確実にダメージを与えていた。また頼綱が奇襲で討ち取られたことに対する憤りが輝盛の一撃に鋭さと重さを増していた。

 

(このまま防戦にまわったままじゃ、確実に競り負ける。かといって攻勢に出るには隙がねえ)

 

「どうした星崎昭武!動きが鈍いぞ!」

 

「ぐああっ!」

 

考えている隙を突かれ、昭武は輝盛の一撃をもろに食らってしまった。

 

(しまった…!)

 

「武兄!」

 

優花は思わず輝盛に弓を構えていた。

 

「優花……。やめろ……。こいつは正々堂々の勝負を望んでいる……、邪魔をしてくれるな」

 

昭武が斬られた箇所を手で押さえつつ、優花を制止する。

 

(この後に及んで、我の土俵に立つというのか……。面白い……!)

 

「星崎昭武、お前は我が認めるに足る男だ……!見くびっていてわるかったな!」

 

輝盛はさらに闘気を増す。それは昭武も同様だった。

 

「オレには大望がある……! 飛騨統一は良頼公と交わした約束ではあるが、終着点ではない。お前を正々堂々と戦って倒せねばどのみち無理な話だがな」

 

昭武と輝盛は互いに向かい合って叫ぶ。

 

「さっき我が軍の伝令がお前たちの軍が我が本陣に東側から迫っている、と言っていた。だからいつまでもお前に拘っているわけにはいかぬ。よってこの一太刀で勝敗を決してくれよう」

 

「輝盛公、心配することはない。一太刀で終わるのはあんただ!」

 

昭武と輝盛、両者の得物が交錯する。

 

「ぐお…!」

 

ぶつかり合いの末、輝盛が得物を落とした。

 

「武兄が打ち勝った……!」

 

優花が声を漏らす。中陣全ての熊野軍が歓声をあげる。

 

「輝盛公!その首もらった!」

 

昭武が輝盛にとどめを刺そうと一突きするが、何者かに阻まれた。

 

「星崎昭武、殿の首はやらんぞ!」

 

昭武の前に立ち塞がったのは牛丸又太郎。昭武と同い年の若武者だった。

 

「又太郎、勝負の邪魔をするな!」

 

勝負に水を差された形となった輝盛は又太郎を怒鳴りつける。だが又太郎は動じない。

 

「殿……勝負はもうつき申した。殿の負けです。これよりは武士としての江馬輝盛ではなく、将としての江馬輝盛として振る舞ってください。殿はそれがしが務めます」

 

「ぐぬぬ……わかったぞ又太郎。だが、高原諏訪城に帰った時は覚えていろ…!」

 

悪態をつきつつ、輝盛は自陣に向かって進撃を始めた。昭武達は輝盛を追ったが、又太郎を含む十三人の武者が命を捨てる覚悟で抵抗し、先陣の道三や長堯なども輝盛に大した攻撃を仕掛けなかったため輝盛は本陣前の坂まで容易に撤退することができた。

しかし、そこで待っていたのは元金環党の部隊であった。

 

「江馬輝盛が来たぞ!皆の者撃て!」

 

長近が号令をかけると、凄まじい轟音が辺りに響く。

元金環党に雷源が預けたのは百丁の鉄砲だった。

 

「皆の者、突っ込め!的になってはならぬ!」

 

「駄目です!轟音のせいで馬が驚いてしまって動けませぬ!」

 

坂上からの鉄砲は騎馬での坂落としよりも強力で二、三回斉射しただけで輝盛の軍の半分が討ち取られていた。

 

(なんだこれは…!手塩にかけて育てた武者達が次々と……!これが戦か?いや、こんなものが戦であってはならん!認めるか!認めてたまるか!)

 

輝盛が最期の突撃を仕掛ける。輝盛は元金環党の部隊が生み出す弾幕の中を果敢に突き進む。

 

(武士には器に足る死に様を。それを我が体現してみせる。鉛玉に撃ち抜かれるなんて我の死に様にはふさわしくない)

 

「単騎、ものすごい勢いでこちらに迫ってきています!」

 

「あれが江馬輝盛だ!撃て!」

 

「頭、お待ちください」

 

長近が輝盛に射点を集中させる。がそれを井ノ口が押しとどめた。

 

「虎、どうして止める。輝盛を討ち取る好機ではないか!」

 

「確かに好機ではあります。しかし鉄砲で討ち取るのはおやめください。あれはまるで虫を殺すように敵を葬ることができる極めて有効な武器ではあります。兵に用いるのは良いでしょう。ですが将にはやはり敬意をもって応じるべきと考えます」

 

そう言うと井ノ口は輝盛に突っ込んでいく。

 

「それがしは元金環党副将、井ノ口虎三郎!心得ある者はかかってくるといい!」

 

(相手にも中々心意気があるやつがいるではないか)

 

井ノ口の心遣いを感じ取り、輝盛は破顔した。

 

「我こそが、江馬家当主、江馬輝盛!井ノ口虎三郎とやら我に挑んだこと後悔するなよ!」

 

両者が互いに渾身の一撃を繰り出す。が、体力満タンの井ノ口とすでに昭武と一戦してきた輝盛ではあまりに分が悪く、輝盛が押し負けた。

 

「グオオオオオォ……!」

 

衝撃に耐え切れず、馬上から輝盛が転げおちる。

 

(……もはや、身体が動かぬ……!我は、死ぬのか……)

 

輝盛の視界が暗転していく。

 

(この死が我の器に足るのか否か、いざ我が身となるととんとわからぬ。だが、不思議と一定の充足を感じている……。ならば悔いる必要はないだろう……)

 

八日町にて江馬輝盛死す。享年二十八。

かつて飛騨の覇権を争った二人の英雄は今や新たな英雄に道を譲ったのである。

 

***************

 

輝盛死後、江馬家を継いだ江馬信盛は降伏し、飛騨は熊野家のもとに統一された。

大坂峠は後世、牛丸又太郎ら十三人の武者の奮戦を偲んで十三墓峠と呼ばれるようになる。

 

昭武は八日町の戦いから数日後、姉小路良頼の墓を訪れていた。

 

「良頼公。飛騨は今、オレ達熊野家によって統一されました。これからは善政を敷き、飛騨を豊かにして参ります。そして、しかる時に飛騨国外に勢力を広めます。これで飛騨をまた乱すことになるかもしれませんが、オレは飛騨以外にも泰平をもたらしたいと考えております。どうかこれからも見守って下さるとありがたいです」

 

「昭武殿、報告は終わりましたか?」

 

「ああ、桜夜か。何か用か?」

 

「今から旧江馬領の統治をするので、お迎えにあがりました」

 

「いやいや、お迎えって……」

 

「行きますよ?」

 

昭武の口ごたえを桜夜は認めはしない。

 

「はい……」

 

結局、昭武は桜夜に逆らえず、高原諏訪城の政務室に数日間軟禁されることとなった。

 

 

美濃への帰路、道三と利治は問答をしていた。

 

「父上、雷源様を見てどう思いましたか?」

 

「うむ、十年前からの情報から考えてはじめワシは雷源どのを武辺者だと思うておった。……しかしそれは間違いであった。雷源どのは、中々の知恵者でもあった」

 

「それはどういうことです?」

 

「今回の戦は、江馬家が主導権を持っているように見えた。だが、ワシらが雷源どのの軍に合流した時にはすでに雷源どのが主導権を握っていた。合戦の時もそうじゃ、雷源どのはどうも輝盛の突撃を読んでいた節があるのう……。そうでなくては軍を受け流すのが上手いワシと長堯どのを先陣に配置し、中陣に輝盛が個人的な因縁を持つ桜洞城の時の将達を配置はしないだろう。雷源どのはおそらく輝盛が内ヶ島家を滅ぼしてからは今回の合戦の図を目指して行動していたように思う」

 

「もし、父上の言葉が事実ならば……熊野雷源とはとても恐ろしい武将ですね」

 

もしも敵対した時は、と考えて利治は震えた。

 




読んで下さりありがとうございました。
今話で一章は終わりとなります。
申し訳ないのですがストックの残量がカツカツなためこれからは更新頻度がガクンと落ちます。
誤字、感想、意見などがあればよろしくお願いします。

9/5 旧雷源伝(第十三話〜第十八話)は外伝の要素が強いため外伝に移設しました。


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第十八話 動乱へのいざない


二章突入です。
今話は導入兼会話イベントであんまり話が進みません。

では、どうぞ


 

 

尾張、清洲城にて。

 

「サル、熊野家が飛騨を統一したみたいよ」

 

「マジか……」

 

信奈は面白そうに語るが、良晴は気が気でなかった。

 

(今のところ同盟を組もうと言いだして来ているから、多分織田家の敵ではないと思う。けれど、飛騨の統一を果たしたということは少なくとも史実での姉小路家以上の力は持ってるんだよな……)

 

「信奈、同盟の件はどうするんだ?」

 

「そうね、まだ様子見といったところかしら」

 

飛騨が熊野のもとで統一された一方、尾張は信奈の実弟信勝や、守護の斯波家に忠誠を誓う者といったまだ信奈に反旗を翻している勢力がある。

 

(正直、今は遠国と外交を展開できる時期ではないわ。最近今川義元が上洛の準備を進めているという情報もある。一刻も早く尾張を固めなければならない)

 

外患だけでも中々に織田家は苦しい状況にある。また家中でも信奈が行っている楽市楽座や関所撤廃に反発する家臣達がいた。

 

(熊野家は勢力を確立するまでの過程で豪族や国人を排斥するのに成功しているわ。飛騨自体が相当な貧国という縛りはあるけれど、統治のやりやすさでは他の追随を許さない。これは今の熊野家の持つ最大の利点と言っていい。飛騨を統一した以上、かなりの速度で内政を整え、発展する)

 

そんな熊野家に対して尾張の大うつけは未だ雌伏の時を過ごさざるを得なかった。

 

(星崎昭武。今はまだあなたに遅れをとっているけれど、近いうちに必ず挽回してみせるわ)

 

正徳寺で一度だけ見た鬱金色の青年に信奈は対抗心を燃やしていた。

 

********************

 

舞台を飛騨に戻す。

八日町の戦いの後、まずは論功行賞が行われた。

 

「今回の戦は昨今稀に見る中々に厳しいものだった。輝盛を討ち取ったことで、俺たち熊野家が飛騨を一統した。だから今回はいつもより奮発してやるぞ!」

 

「「「おおおおおおおおおおおおおお!!!」」」

 

雷源の剛毅な宣言で並み居る将が沸き立つ。

 

「さて、普段なら第一功から褒美を渡すのだが今回は趣向を変えて第三功から渡してやろう。第三功は昭武、お前だ!」

 

雷源に言われて昭武が諸将の列から進み出る。

昭武は輝盛の突撃を食い止め、輝盛の首こそ逃すも追撃で輝盛の隊に大きな被害を与えていた。

 

「んー、あそこで牛丸又太郎に邪魔されなければ、オレが第一功だったのにな……」

 

「戦にたらればはないぞ昭武。お前には褒賞として銀二百貫をくれてやる。だが、無駄遣いをするなよ」

 

「この場で子供扱いしないでくれよ親父……」

 

恥ずかしくなってそっぽを向く昭武。それをさらりと流した雷源は続ける。

 

「んじゃ次は第二功、これは長堯だな」

 

「はっ!」

 

「よく伝令を飛ばしてもねえのに俺の考えていることを分かったな。お前と道三どののおかげで、綺麗に輝盛を嵌めることができた」

 

「殿、そんな大層なことではありませぬ。それがしが勝手に陣容から判断したまでのこと。此度はたまたまそれが当たりだったというだけです」

 

「まあ十年以上共に戦ってきたからある種当然というべきか?長堯には銀五百貫を与える。では次、第一功は長近と虎三郎だな」

 

「あ、あたしが第一功かぁ……」

 

おずおずと長近が前に進み出る。長近は事ここに至っても恐縮していた。

 

「頭、あの役を任された時からこうなることは分かっていましょうに……」

 

長近に対して井ノ口は堂々としていた。

 

「さて第一功は銀千貫をやるが、あと追加で何か欲しいものがあるか?無理なものは無理だが欲しいものがあるなら言ってくれ」

 

「頭は何か欲しいものはありませんか?」

 

「いや、いらないよ。正直なところ第一功だけでもあたしには過大だし」

 

「そうですか?であれば雷源様。それがしに鉄砲をいただきたい。あの弓ですら届かない場所にいるものを射抜けるという快感には抗い難く……」

 

「そうか!ならば虎三郎、後で武器庫に来るといい。それで長近は本当に欲しいものはないのか?」

 

雷源に問われて長近は黙り込む。

 

「恐縮するところには謙虚で好感が持てるが、功に見合った褒美をもらうのも武家に必要な素養だぞ。長近、お前への恩賞は預けておく。あと此度の功でお前達はそれぞれ正式に侍大将を昇格させることにする」

 

長近と虎三郎はこれで熊野家中では同列になった。

同列のものを自らの家臣にすることは明確に禁止されているわけではないが、慣習上よろしくはない。つまりこれは金環党出身者が一所に集まることができなくなったことを意味する。

 

「雷源様お待ちを!あたしから虎を取るつもりですか⁉︎」

 

これには流石の長近も黙っていられない。金環党に対する愛着もあるが、何より幼少の折より付き従ってきた井ノ口から離れることに耐えられなかったのだ。

 

「その通りだ。侍大将になったからには長近には桜夜の補佐役を、虎三郎は一義、長堯と共に軍奉行に就いてもらうつもりだ」

 

突き放すような物言いをする雷源に長近は「じゃあ、恩賞で虎を……」と言い募るが雷源は「ダメだ」と一蹴した。

 

「そうですか……!」

 

この時、これ以上何かを言っても雷源を翻意させることはできないと長近は察した。

長近は銀千貫を受け取るとすぐに自らの陣所に引っ込んでしまった。その表情は端から見ても沈痛なものであった。

 

「虎三郎、お前は何も言わなかったが、どう思っているんだ?」

 

長近が出て行った後、雷源は井ノ口に問うた。

 

「それがしも頭、いえ長近殿とは離れがたいです。何分幼き時分からの仲ですし。ですが、雷源様の処置は正しいと思います」

 

井ノ口は冷静に雷源の問いに答えるが、その表情には寂寥感が漂っていた。

 

「……言い訳にしかならないと思うが一応言っておく。長近はどうにもお前に依存している節がある。お前ら二人は中々いい組み合わせではあるが、それにかまけてずっと一緒に扱ってはお前達の為にはならない。たまには分けたほうがいい、と思ってな」

 

余計な老婆心、あるいは職業病だがな、と雷源は苦笑いを浮かべる。

 

「雷源様。おそらく長近殿もその意図はわかっていると思います。ですが……」

 

「感情では割り切れなかった。そうだろう?」

 

井ノ口は黙って首肯する。

 

「ともかく、自らの主君にあれだけ愛されるなんて、立場こそ違うが羨ましいし十分誇るべきことなのは言うまでもないな」

 

そこまで言って、雷源はふと軽い嗜虐心が沸き立ってきた。

 

「今回の侍大将への昇格で、お前と長近は身分上対等になった。……だから、前のように主と家臣という形は無理だが、お前が長近を嫁に貰うなんてことはできるぞ?」

 

「雷源様、それは流石に……」

 

井ノ口が苦笑いを浮かべる。そんな井ノ口を見て雷源は「はは、ようやく笑ってくれたな」と笑うのであった。

 

 

雷源が高原諏訪城に入ると新たな人事が諸将に知らされた。

昭武と桜夜と長近が旧江馬領の統治に、井ノ口と一義と長堯が軍奉行に、優花と山下時慶、塩屋秋貞が松倉の町の整備についた。また昭武の副将は長近の代わりに山下時慶の娘、氏勝が担当することになった。

新しく加わった武将はほとんどが内ヶ島の一族や旧臣で秋貞と氏時はかつて雷源に教えを受けていた。同じく雷源から教えを受けていた内ヶ島家当主の氏理は帰雲城に返り咲いていた。

 

********************

 

熊野家が飛騨を統一して数週間が経った頃、稲葉山城では変事が起きていた。

 

「うつけ姫に美濃を継がせるなど、親父殿も耄碌したものよ」

 

道三の長男、斎藤義龍が美濃の豪族を糾合して稲葉山城から道三を追ったのだ。

追われた道三は明智光秀、斎藤利治など一部の家臣を率いて長良川に押し寄せ稲葉山城を攻めようとしたが、斎藤義龍は道三の十倍近い大軍を率いて長良川に出陣し道三を散々に打ち破った。

道三は討ち取られる寸前まで追い詰められたが、相良良晴と川並衆に助けられて尾張に亡命し、光秀は西進して関ヶ原を抜けて畿内に逃亡した。

そして斎藤利治は北東に向かい、今桜洞城にて雷源、昭武、一義、桜夜の四人の前に平伏していた。

 

「すでに見知った人がちらほらおりますが、僕は斎藤道三の末子斎藤利治でございます」

 

「稲葉山城の変から長良川の戦いまでのことは、細作から聞いている。利治殿、よく我が熊野家を頼ってくれた」

 

雷源は利治の顔を上げさせようとする。だが、利治は「まだ顔を上げるわけにはいきませぬ、と断った。

 

「もはや美濃は兄上、いや義龍一色にございまする。受け入れて頂いた身でこんなことを頼むのは恐縮ですが、雷源様。元同盟国のよしみで僕を稲葉山城に復帰させていただけませぬか?」

 

「ふむ……」

 

雷源はしばし考える。

 

(この斎藤利治は熊野家の美濃進出の神輿として使うことができ、美濃も肥沃な土地なので後で見返りとして一部領土を割譲してもらえば熊野家の国力を上げることもできるだろう。しかし肥沃な分、今の熊野家ではかなり不利な戦いを強いられる。飛騨からでは補給線もかなり長くなり維持することさえ困難だ。仮に熊野家が美濃に援兵を出して、まともに戦えるのは長くてもせいぜい二ヶ月といったところか。それにまだ熊野家は飛騨を統一したばかりで体制が整っているとは言い難い……。援兵を出すのは、悪手だな)

 

「利治殿、すまないが……」

 

そういったことから援兵は出せぬと雷源は言おうとしたが、待ったを掛けた人物がいた。

 

「殿、それがしに一つ考えがありまする」

 

「一義。それはどういったものなんだ?」

 

「尾張の織田信奈と足並みを揃えて軍を進めると良いかと。道三を受け入れた以上、織田信奈には道三を担いで美濃に攻め込む心算があるはず。西濃は織田信奈に、中濃、東濃は某達で攻めこめばよろしいでしょう」

 

「だが、織田信奈はまだ尾張国内の統一すら果たせていないだろう。それに今川が上洛軍を起こす気配がある。海道一の弓取りの大軍勢を相手にして生き残れるとは思えないが」

 

訝しる雷源。しかし昭武がそれに反論する。

 

「親父、そう言い切るのはまだ早い。朝倉宗滴のように自軍の三十倍の相手に勝てる場合だってある。言わずもがな勝てない場合の方が多いけども、信奈公は多分勝てるんじゃないだろうか」

 

「昭武、確かにそういった場合もある。が、当人ならまだしも第三者がその奇跡に近い状況を前提にして策を組んじゃまずいだろう」

 

「まあそうだが、どうにも信奈公は何かとんでもないことをしでかしそうなんだよな……」

 

昭武は正徳寺の会見で信奈を見てからずっとそのように思って来た。実はあれからも時々白雲斎の弟子である出浦盛清に頼んで、尾張について色々調べさせている。

 

「しかし昭武。お前やけに織田信奈に入れ込むな……もしかして惚れたか?尾張は美人の産地だし、おまけに織田家は美男美女の一族だしな」

 

「殿、身内だけならともかく、利治殿がこの場にいることをお忘れなきよう」

 

雷源が昭武をからかうが、一義に制止されてしまう。

 

「とにかく、織田家が美濃攻め出来る状態になるまで出陣はなしだな」

 

雷源がそう結論して、この場はお開きとなった。

 

 




読んで下さりありがとうございました。
次回は合戦をやります。
あと、雷源伝までの登場人物の一覧を作っておきました。こちらは話が進み時間に余裕があれば、改訂と追加を行います。
誤字、感想、意見などあれば、よろしくお願いします。


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第十九話 美濃動乱①【堂洞合戦】

第十九話です。
サブタイを美濃動乱でこれから数話一貫させるか、一話ごとにつけるか悩んだためにああなりました。

では、どうぞ


 

 

利治を受け入れてから二週間後、織田信奈が今川義元の上洛軍を桶狭間で撃破したという報告が雷源にもたらされた。

それを聞いて雷源はただ一言「嘘だろう?」と言い、昭武は「だから言っただろ」とドヤ顔を浮かべる。と言っても昭武自身、信奈が勝つとは本気で思っていなかった。

 

(買い被り過ぎかと思ったが、まさか本当に勝っちまうなんてな。オレも中々見る目があるじゃねえか)

 

その後の報告で、織田家と三河で今川から独立した松平と手を組んだと聞くと雷源はすぐに織田家へ書状を送った。

しかしそれより先に織田家からの書状が届いたのだった。

書状が届いた時、雷源は思わず「これはいい!正直出来過ぎだな!」と大笑いしたという。

書状の内容は、自分は西濃を攻めるから熊野家には中濃を攻めてほしいという援軍要請だったのだ。

一度そうと決まると雷源の行動は早い。次の日には美濃組と残留組を決めて、豪族、村長に動員令を出し、兵が全て集まるとその日のうちに軍の編成を済ませて、美濃組は桜洞城南門に集められていた。

美濃に行くは斎藤利治、星崎昭武、瀬田優花、琴平桜夜、琴平宗晴の五将で兵数は四千。

今現在の熊野家の動員兵力の限界が五千五百程度であることを考えるとほぼ総力戦と言える。

 

「雷源殿、このご恩はいつか必ず」

 

「いいってことよ。個人的な感情だがな、俺は義龍が気に入らねえんだ!血が繋がってるとかないとかその程度のことでてめえを育ててくれた人間を殺すなんざ許せねえ」

 

雷源は義龍とは相容れなかった。片や親を殺された人間、片や親を殺そうとした人間。風聞では義龍の実父は道三が追放した前守護、土岐頼芸とされているが、それでも雷源は嫌悪感がするのは否めなかった。

またかつての自らと似たような境遇に陥っていた利治に親近感を覚えていた。

 

「お気持ちお察しします」

 

自らに入れ込んでくれている雷源に利治は深々と頭を下げた。

 

一方昭武は桜夜に何やら尋ねていた。

 

「桜夜、美濃の豪族に忍びや細作を出していたようだが、誰かこちらに力を貸してくれる豪族はいなかったか?」

 

飛騨から稲葉山城に進軍するにはどうしても中濃を通らなければならないため根回しや工作は必須である。豪族を一つ一つ叩き潰して進軍することもできなくはないのだが、それではあまりに被害が出すぎるし、何より稲葉山城は天下の堅城なので兵数は残しておく必要があった。

 

「加治田城主、佐藤忠能がこちらに梅村良澤なるものを寄越してわたしたちに内応する旨を伝えて来ました」

 

加治田城は中濃三城といわれる城の一つで、中濃三城は互いに義龍政権を外敵から守るために同盟を組んでいた。この三城の一角が崩れたことは熊野家にとって僥倖だった。

 

「加治田城が味方についたのは大きいな。他はどうだ?」

 

「すみません。他にも中濃三城の一角、堂洞城主の岸信周に長近さんと盛清さんを派遣したのですが、内応を拒否されました。実際には盛清さんたちが会ったのは信周ではなく、その息子の岸信房でしたが、彼は私たちに自らの決意を見せつけるために自らの息子を斬り捨てました。他の諸侯はみな日和見です」

 

「なっ⁉︎そこまでするか?」

 

昭武には信房の行為に驚きを抱かずにはいられなかった。

 

「昭武殿、どうしますか?」

 

「どちらにせよ中濃三城は獲る必要がある。……そんなに戦いたいならまずは堂洞城から、だな」

 

「昭武殿、準備はよろしいか?」

 

話が済んだと見て利治が昭武に声をかける。

 

「ああ」

 

昭武は頷くと、利治は美濃組四千の前に立ち檄を飛ばした。

 

「これより美濃に進軍する!謀反人の義龍よ!首を洗って待ってるといい!」

 

「「おおおおおおーー!!」」

 

利治の檄に兵が猛々しく吠える。彼は父道三から義龍にはない将としての華を受け継いでいた。

 

斎藤・熊野連合軍四千、出陣。

 

 

数日後の美濃・堂洞城

 

「伝令!加治田城主佐藤忠能が我らを裏切り、熊野方につきました!」

 

「何だと⁉︎」

 

堂洞城主岸信周は伝令のもたらした報に憤っていた。佐藤忠能とは長井道利を通じて同盟関係にあったのだ。

 

「おのれ忠能……!中濃三城をもって義龍様を支えると誓ったあの言葉は、偽りであったか!」

 

「信周様、どうなさりますか」

 

近習が問うと信周は底冷えするような表情でこう言い放った。

 

「八重縁を引っ立てろ」

 

八重縁は忠能の娘で、信周と忠能と道利が同盟を組む際、信周の息子信房が道利の勧めで娶った姫である。

 

「わかりもうした」

 

信周は八重縁を家臣に連れてこさせると、縁を後ろから刺し殺し堂洞城に面した長尾丸山に磔にした。

 

「関城の長井道利殿に援軍を出してもらうよう使者を出せ。準備が整い次第、あの裏切り者を始末してやる」

 

使者が関城に着くと長井道利は援兵を承諾し、援兵二千を連れて岸信周と合流するために堂洞城に出陣した。

 

しかし、堂洞城に先に辿り着いたのは昭武と利治が率いる熊野・斎藤軍と加治田城から出撃した佐藤忠能軍だった。

熊野・斎藤連合軍は美濃に入ってから利治が周辺豪族に要請して五百の兵を借り受け、飛騨を出た頃は四千だった兵力が加治田城の兵力の五百も足して五千人という大所帯になっていた。

この数は、昭武どころか雷源すらも率いたことがない。

 

「オレは高畑山に陣取って、道利の軍を遮断する。西側に利治殿と琴平姉弟、南側に優花、北側は忠能殿に任せる」

 

「はっ」

「任せてください」

「承知しました」

「わかったー」

「わかりもうした」

 

五者それぞれ返事をする。昭武はそれを見て鷹揚に頷くと下知を下した。

 

「ではみんな持ち場についてくれ」

 

堂洞城は西は地形が険阻で守りが堅い。が、だからこそ敵が油断して防備がおろそかになるため、西が狙い目である。

昭武はそう読んで西側の利治隊と琴平隊に全兵の半分の二千五百を配していた。

 

「行くぞっ!」

 

先陣は琴平宗晴が切った。

五百の兵が西側の険阻な地形を進んでいく。

西側を守るのは岸信周。道三の下剋上の頃から戦ってきた猛将で加納口の戦いで織田信奈の従兄を討ち取っている。

そんな彼に昭武の甘い読みは通用しなかった。

 

「かかったな小僧共!かかれーー!!」

 

信周が険阻な地形を生かして至る所に伏兵を配していたからだ。

 

「うわーーー!!」

「みな、落ち着け!落ち着くんだ!」

 

熊野軍に動揺が広がる。如何に雷源に伸びしろがあると言われても今のこの時点では、経験を積んだ凡人にやや勝る程度。星崎昭武、琴平姉弟では歴戦の猛将に挑むにはまだまだ役者不足であった。

利治隊も熊野家の部隊ほど乱れてはいないが苦戦を強いられていた。

 

高畑山本陣

 

「全体の戦況をお伝えします。南側の優花様が単騎で数十人の敵を打ち取ったとのこと。北側の佐藤勢はほぼ互角といったところです。しかし西側の利治様、琴平桜夜様、宗晴様はすでに六百ほど死傷者が出ております」

 

西側の予想以上の惨状に昭武は冥目した。

やはり自分はまだ将としては半人前だということを痛感させられる。

 

「長井の援軍はどうだ?」

 

「ただいま津保川を渡河している最中です。おそらく高畑山東側の林を通り入城するつもりでしょう」

 

「よい、下がっていいぞ」

 

昭武は伝令を下げると自ら槍を持ち、高畑山の東側の林に向かった。本陣の兵も昭武を討たせるまいと後に続く。

それから数刻後、高畑山東の林に長井道利率いる援兵二千が通行していた。

その時、突然側面から矢の雨が長井道利軍に降り注ぐ。

 

「なっ⁉︎これはどういうことぞ!」

 

姿が見えない敵の恐怖に長井道利軍は浮き足立つ。

ーーその隙を昭武は逃さなかった。

 

「今が勝機だ、かかれ!」

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

昭武隊八百が坂上から叫び声を上げつつ長井道利隊二千に突撃する。

 

「敵だ、敵だ!応戦しろぉ!」

 

道利は声を枯らして兵に指示を送るが、昭武隊の怒号にかき消されて聞こえない。

結果道利が率いてきた援軍二千はもはや使い物にならず、道利はほうほうの体で関城に敗走した。

 

道利隊を撃破した昭武は高畑山の本陣に一度戻ると部隊を再編して西側の援軍に駆けつけた。

 

「桜夜と宗晴、利治殿の隊はまだ敗走してはいないな。間に合ったか」

 

「昭武殿、援軍に来てくれましたか」

 

利治が昭武を見つけ、駆け寄る。かなりの混戦になっていたからだろうか、利治の具足は泥まみれだった。

 

「とりあえず敵の援軍は叩き潰してきた。これで向こうには後詰めがない。安心して攻められるぞ」

 

「それはありがたい。しかしどうやって敵の援軍を叩き潰したんですか?本陣には八百の兵しかいなかったはずですが」

 

「奴らが通る林の中に伏兵を配して、奴らが通った時に矢の雨を降らせて、槍を持って突撃しただけだ」

 

「そうは言っても敵は二千、兵数差は二倍半はありますよ」

 

「一度攻撃して相手が反撃する前にもう一度攻撃をかければ、二倍の兵を率いているのと同じだろ」

 

「簡単に言ってのけますなぁ……」

 

昭武の放言に利治を苦笑する。そんなことは自らの父たる斎藤道三ぐらいの将が言ってはじめて真実味を帯びるというのに、なぜまだ十も戦をこなしていない若者の時点でこうも説得力があるのかと。

 

「そうそう利治殿、余裕があれば兵にこう叫ばせておいてくれないか?道利の援軍は叩き潰した。援軍はもう来ないってな」

 

「承知いたした」

 

この時、昭武も利治も傍目で見たらギョッとするぐらいに悪い笑みを浮かべていた。

 

昭武隊は今度は琴平隊の援護に回る。

琴平隊は昭武隊の援護を受けると奮起し、信周の軍勢を押し返し始めた。

 

 

 

堂洞城の戦いは佳境を迎えていた。

北の佐藤勢は勝手知ったる山道を進んで北側の守将岸信房と一進一退の攻防を繰り広げ、西側の三将は序盤こそ苦戦していたが昭武の督戦と援護により奮起し、信周軍を押し返し始め、南側では依然瀬田優花による猛攻が行われていた。

 

「進まば生き、退かば死す!皆の者奮起せよ!」

 

「「おおおおおおおおおおお!!」」

 

信周は檄を飛ばし、兵は沸き立つ。

だが、戦況は日暮れになると決定的なものとなる。

北側の信房の兵が継戦不能なほどに消耗し、信房自身も傷を負い、切腹して果てたのだ。また援軍が来ないという事実は岸勢の士気を著しく低下させた。

 

「そろそろ頃合いだろう」

 

これ以上岸勢の抵抗は不可能と見て、昭武は攻撃の手を緩め、信周に降伏を進める使者を出した。

しかし信周は降伏を受け入れず、使者に書状を持たせて帰らせた。

書状には『我々、既にあなた方から差し出された手を振り払いました。それなのにもう一度手を差し伸べていただいたことはありがたく思っております。しかし降伏を受け入れるつもりは毛頭ありませぬ。我々が臆するところは死ぬることではなく、変節漢と蔑まれることゆえ』と記されていた。

信周は城を枕に討ち死にするつもりだったのだ。

 

「もう翻意は無理か。琴平と利治殿、そして優花に伝えよ。堂洞城を叩き潰せ、と」

 

戦闘を再開した信周の軍勢は西の四将と優花を相手に十八回にわたるかけ合いをしたが、優花の攻勢がとりわけ激しくついに城内に後退し、それを四将と優花が追い立てて敵味方の区別がつかないほどの乱戦になっていた。

その中で信周は自らの妻、坂額と共に刀を振るっていた。

 

「信房はどうしているか?」

 

「北の方は既に打ち破られていると思います」

 

「そうか……!」

 

信周の瞳から涙がはらりと落ちた。

 

「武士が戦場で命をおとすのは世の習い。さあ私たちも討死を急ぎましょう」

 

そう言った後、坂額が一首歌う。

 

先立つも暫し残るは同じ道、この世の隙をあけぼのの空

 

信周が返すには、

 

待て暫し敵の波風きり払い倶に至らん極楽の岸

 

「裏切り者を始末できなかったことが心残りであるが……致し方なし」

 

「では御前様」

 

「ああ」

 

二人は互いに向き合って刀を構え、そして互いの心の臓を貫いた。

 

********************

 

堂洞城の戦いは岸信周夫妻の自決と堂洞城兵の玉砕により幕を閉じた。

その日の晩、昭武と優花は加治田城の佐藤忠能、忠康親子の屋敷に宿泊していた。

 

「昭武殿御自ら我らのお屋敷に来ていただけるとは光栄の極み!不肖佐藤忠能、稚拙なれどおもてなしをさせていただきまする!」

 

佐藤親子は飛騨の獅子と名高い星崎昭武が今自らの屋敷にいることに激しく感激、興奮していた。

彼らは一庶民から飛騨の大勢力の二代目に成り上がった昭武に若かりし頃の斎藤道三の影を見ていたのである。彼らは保身のために長良川の戦いの時は道三側ではなく義龍側についたが、けしてそういった下剋上を嫌っているわけではなく、むしろ好んですらいた。

 

「なんかすまないな」

「いいえ、お気になさらず」

「そうだよ武兄い、せっかくの宴、楽しまないと損だよ!」

 

佐藤親子の熱烈な歓迎に未だに自分の影響力を自覚していない昭武は申し訳なさを感じ「やっぱ自分の陣で寝泊まりした方がよかったかな」と苦笑い。一方此度の戦いで一番手柄をあげた優花はひたすら佐藤親子の出した料理を貪っていた。

 




読んで下さりありがとうございました。
誤字、感想、意見、質問などあればよろしくお願いします。
次話も合戦になります。


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第二十話 美濃動乱②【加治田城の戦い】

第二十話です。
今回でついに原作のあの娘が出てきます。

では、どうぞ、


 

加治田城の空気は一晩にしてがらりと変わっていた。原因は桜夜が放ったくノ一、出浦盛清がもたらした情報が原因だった。

 

「織田信奈は二度に渡り稲葉山城に攻め込みましたが、撤退しました!織田信奈を退けた義龍は関城にとって返し長井道利を助けるために三千の兵を率いて加治田城に迫ってきています!」

 

「信奈公が敗れただと⁉︎それは本当か?」

 

桶狭間にて今川義元を降伏せしめた信奈の敗報に昭武は驚きを隠せなかった。義龍相手に一度ならともかく二度も負けるとは思っていなかったのだ。

 

「義龍が、それほどの将だったというのか……?」

 

「いえ、殿。織田信奈を義龍が独力で倒すことは叶いません。されど今の義龍の麾下には竹中半兵衛という天才軍師がいるのです」

 

「竹中、半兵衛?知らねえ名だな。仮にそれほどの人物がいるなら道三公がすでに家臣にしているだろう」

 

「殿のおっしゃる通り、道三は半兵衛を麾下に加えようとしました。ですが、半兵衛はずっと道三の仕官願いを断ってきたようです。しかし半兵衛は長良川の戦いには義龍側で参陣し、道三を破りました。織田信奈との戦いでは十面埋伏の計と石兵八陣を用いて織田勢を撃退したようです」

 

十面埋伏の計、石兵八陣はどちらも三国志演義で使われた戦術で前者は程昱、後者は諸葛亮が用いた。ただどちらの策も大掛かりなもので実戦で使うには手間がかかる戦術だった。

 

「そうか…、そんな軍師が敵軍にいるのか……」

 

昭武は眉をひそめる。

 

「こちらの戦力は二千五百、向こうは五千ぐらいには膨らむだろうな。加治田城自体は堅城と言っていいが、オレや利治殿に守城戦の経験はない。なかなかに厳しい戦いになりそうだ」

 

昨日の堂洞合戦は多大な被害を連合軍に与えた。死者は四百を越え、重傷者は千に迫る。手傷を負ってない者の方が少ないぐらいで逃亡兵も後を絶たなかった。

 

「殿、いかがしますか?」

 

「籠城して迎え撃つ。忠能殿、義龍軍を防ぐにはどこに兵を配置した方が良いでしょうか」

 

「最優先は西にある絹丸ですな。あそこを獲られてしまえば街道が向こうの手に落ちこちらは守り難くなりまする」

 

「そうか、ではまずは絹丸に弓と鉄砲をうまく扱える者五百名を置こう。指揮は利治殿、忠康殿あと優花と桜夜に任せるか」

 

「昭武殿。我が息子や利治殿や優花殿はともかくとして桜夜殿を激戦地になるであろう絹丸に配置するのは……」

 

忠能が不安げな表情を浮かべる。

忠能は桜洞城でのことが気にしていた。

端から見た場合、桜洞城での桜夜は策の出来は良いものの、兵を多く死なせ、敵に本陣まで迫られた頭でっかちという印象を受けることが多いからであった。

だが、昭武は頑として桜夜の配置を変えようとはしなかった。曰く、

 

「確かに桜夜は現在は頭でっかちの将に見えるかもしれない。だが、けして愚将ではない。きっちり失敗を学び取る力は持っている。しかるべき場しかるべき時に用いれば彼女は強い」

 

「要は使いようだとおっしゃるのですな」

 

「ああ、彼女は兵の支持を常に得ている。桜夜の隊は昨日一人の逃亡兵も出なかったらしい」

 

(桜夜の持ち味はおそらく惹きつける強さ、守る強さ、迎え打つ強さだ。これは長近もそうだが、桜夜のそれはさらに強い。昨日の激戦で逃亡兵が出なかったのはその一端に過ぎないし、桜洞城の時に彼女の近衛兵だった者が言うには桜夜はあの姉小路頼綱の前に出頭し臆さずに一太刀を浴びせようとしたらしい。自分より強い宗晴を軽くあしらったと前もって聞いていたのにもかかわらずだ。弓の名手である優花でさえ、まぁあれは初陣だったが出陣する前は怯えていた。なのに桜夜は違った。詰まるところ琴平桜夜は総括すれば、かなり肝が据わった将と言えるかもな)

 

「昭武殿がそこまで言うのなら信じましょう」

 

忠能はそう言うと自らは加治田城の北東部に鉄砲、弓兵五百名を引き連れ布陣した。

 

 

「利治めなかなかやる……、いや正確には星崎昭武の力か?とかくまさか加治田城、堂洞城が奴らの手に落ちるとは思わなんだ」

 

斎藤義龍は悠々と加治田城へ軍を進めていた。その表情に焦りなどはない。

 

「義龍様、寡兵と雖も油断は禁物。星崎昭武、いや熊野家の名だたる将の多くは寡兵での戦に長じております」

 

その義龍の隣に侍る男は淡々と義龍に言う。

 

「そうか、だが如何に星崎昭武が強いといってもお前には及ぶまい。そうであろう?半兵衛よ」

 

竹中半兵衛、今孔明と呼ばれる陰陽師軍師。彼こそが義龍の自信の根源と言えた。

 

********************

 

翌日の早朝、斎藤義龍軍三千が加治田城を攻め立てていた。

北東部には義龍の妹の斎藤龍興を置き、絹丸には第一波として長井道利と竹中半兵衛が攻め、義龍は少し離れた本陣で待機していた。

 

「敵は連合軍である以上指揮する将が多い。少なく見積もっても熊野軍、残党軍、加治田城軍の三つで三将。一つ崩せば戦線が乱れ、二つ崩せば烏合の衆に成り果てる。三つ崩せば言うまでもなかろう?」

 

半兵衛が采配を振るう。その先には忠康率いる加治田城軍がいた。

 

「くっ!さすが今孔明。なかなか手厳しい攻めをするッ!」

 

忠康は馬に乗って縦横無尽に指揮をして半兵衛の攻めを防ぐがやはり半兵衛の方が優勢だった。

 

「あの騎馬に射点を集中し、射かけよ!」

 

半兵衛が采配を振るうと同時に総数にして数百になろうかというほどの矢が忠康に降り注ぐ。

 

(嘘、だろ?)

 

忠康の意識が暗転する。

身体から力が抜けていき、ついに忠康は落馬した。

 

「うわああああ!若殿ーー!!」

 

忠康の落命は加治田城兵の士気を大幅に削ぎ落とした。

 

「将亡き兵など恐るるに足らず、三斉射せよ」

 

天才軍師によって統率された兵が行う斉射三連は抗いがたい力の暴雨となり忠康の一軍を容赦なく吹き飛ばした。

 

 

絹丸の優花・桜夜隊では、盛清が優花達に戦況を知らせていた。

 

「大変なことになりました。忠康殿が討たれてしまいました!加治田城の兵はすごい動揺しています!」

 

「え、うそ⁉︎」

「……!盛清さん。それは本当なんですか?」

 

戦闘が始まってまだ二、三時間ほどしか過ぎていない。優花達はまだ加治田城兵は持ち堪えているだろうと考えていたのだ。

 

「私自らこの目でしかと見た情報です。間違いとは思えません」

 

出浦盛清は雷源が軍略や武芸を桜夜達に教えたのと同様に白雲斎から忍術を教えられていた少女で、昭武達よりも年少ながら既に技量は一流の域に達していた。

 

「そうですか……まずいですね」

 

桜夜は頭を抱える。佐藤忠康は加治田城兵の士気の源であった。それが討たれた以上、忠能が出張らない限り軍は壊乱したままだ。

桜夜は一寸目を閉じる。

 

(されど忠能殿は北東の兵を預かっている。西の絹丸に来ていただくのは無理、ですね)

 

そして目を開くと同時に命を下そうとしたが、優花に止められた。

 

「盛清さん。わたしの隊と、そして加治田城兵の足軽頭全員にこう伝えてください。蜂矢の陣を組んで全軍……」

 

「ちょっと待ってよ桜夜ちゃん。あたしにいい考えがあるんだけど乗らない?」

 

優花は悪戯を企んでいるような笑顔を浮かべている。その後、優花の考えを聞いた桜夜もまた「それはいいですね」と意図を知らなければ、そこらへんの男がうっかり惚れかねないほどの笑みを浮かべていた。

優花の策が行われてから三時間ほどが経つと半兵衛の軍の攻勢が次第に弱まっていた。

三時間前はまとまって攻撃を仕掛けていたが、今は散発的にしか行われておらず、兵の体力も少なくなってきた。

 

(兵の中に俺の命通りに動けぬ者が増えてきたな…)

 

さらに半兵衛の指揮についてこれない隊も出てきている。

優花の考えは、優花が自ら育ててきた弓隊で敵の分隊長を狙撃しまくるというものであった。

 

「いくら将の知能が高くとも、兵を動かせねば意味はありません。優花殿、お見事です」

 

「桜夜ちゃん。本当はこの策はお父さんの策を改変しただけのものなんだ。櫓の射点が重なるところに誘い込んで分隊を使い物にならなくする……。これがお父さんたちがやっている戦法。でもあたしはそんな器用じゃないし、堪え性がないからあたしにはできない。あたしでもお父さんと同じように戦うためにはどうしたらいいんだろうって考えたらこの策が出てきたの」

 

優花は少し照れ臭そうに解説する。されどそれから一時間が経つと城内に霧が立ち込めてきた。

 

(ここまで俺の指揮が伝わらないとなると、敵は分隊長を狙撃していたと考えるのが自然。これ以上分隊長をやらせはせぬぞ)

 

この霧は半兵衛が陰陽道の呪を用いて作り出したものであった。

霧が出てしまえば、優花はともかく優花兵は分隊長を狙撃できず、優花の策は早くも頓挫した。

しかし熊野軍の将はなにも優花だけではない。

 

「霧が出たのなら柵や櫓の陰に兵を潜ませましょう」

 

今度こそ桜夜が命を下した。霧が出たとしても、守城側である熊野軍は城内をある程度把握しているため潜むにはなんら問題はない。

霧の中、半兵衛の兵に熊野軍は奇襲を仕掛ける。霧により視界が悪くなり、いつ襲ってくるかわからない。その恐怖は半兵衛隊を着実に追い詰めていた。

 

 

絹丸の別の場所にて一人の武士が槍を振るっていた。武士の名は湯浅讃岐。ようやく二十歳になったばかりの若武者であったが、槍さばきの巧みさに定評があった。

 

「敵の動きが鈍くなっている……!これを天祐と言わずしてなんというか!各々、この湯浅讃岐に続けぇ!」

 

「湯浅讃岐?誰だそりゃ」

「けどあの槍さばき、ただ者じゃねえぞ!」

 

「つべこべ言うな!進めったら進めーー!!」

 

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおお⁉︎」」

 

湯浅讃岐が愛馬にまたがり駆ける。右に千鳥槍、左に軍配、背に霧の中でも目立つ赤旗。その後ろには事態が良く飲み込めていないものの、著しく士気が上がった加治田城兵がいた。

 

「加治田城の兵の士気がなぜか上がった。これはいい機会だ!利治隊も進めーー!」

 

便乗する形で利治も半兵衛の軍に攻勢をかける。

 

「ほう…」

 

半兵衛は目を細めていた。

集中射撃で忠康を討ち取ることで加治田城兵を戦略的に使い物にならなくさせたつもりだったのに、加治田城兵が組織だった反攻に出たのだ。そしてその反攻を指揮しているのが、将ですらない湯浅讃岐だったからだ。

 

「血迷ったか?まあよい、向かってくる敵に斉射せよ」

 

「皆の者、馬脚、走力を上げろ!」

 

先ほど忠康を屠った矢の雨が讃岐たちを襲う。だが、讃岐隊は死に物狂いで走り、うまく射点の前方に逃れたために損害は軽微だった。

 

「あんまりにも粗雑に過ぎる……」

 

讃岐の脳筋突撃に半兵衛は絶句する。自分では絶対こんな真似はできないし、しないと。

斉射をすり抜けた讃岐隊は半兵衛に肉薄し、後続も高い士気をもって突撃してくる。半兵衛隊は優花の策によって分隊長を多く始末され、さらに弓兵をかなり多く編成していたためになすすべもなかった。

 

(まさか主の策が馬鹿力に打ち破られるとはな)

 

今この場で式神を召喚すれば戦況を義龍方に取り戻すことができただろう。しかし今ここにいるのは「本物」の竹中半兵衛ではなく、ドーマンセーマンの護符もこの偽半兵衛を召喚するので使い切ってしまっていた。

讃岐隊の突入から三十分弱、半兵衛隊はいよいよ収拾がつかなくなる。

 

「退くしかない、か」

 

半兵衛は渋々撤退を決意した。

 

竹中半兵衛率いる第一波を退けた後、昭武は城に残った兵の半数を率いて突撃し、義龍軍に多大な流血を強いてこちらもまた撤退に至らしめた。

援軍を撃破された長井道利は自らの居城の関城に退き、籠城の準備を整える。昭武たち連合軍は連戦による兵の疲労を鑑みてそれを追うことが出来なかった。

 

********************

 

これにて加治田城の戦いは熊野・斎藤・加治田城連合軍の勝利で終わった。

しかし加治田城に昨日の様な活気はない。忠康の死が色濃く尾を引いていた。

「忠康……!忠康……!」

 

忠能が何度も息子の名前を呼ぶ。八重縁の時は信周への闘志に転化させることでやりきったが、二度目は無理だった。

利治は自らの意思で始めた戦において明確な犠牲者が出てしまったことを悔やんでいた。無論、だからといって稲葉山城への復帰をやめるつもりは毛頭ない。

 

(いつか必ず忠能どのには報いなければ。僕は責を負わなければいけない。この戦を起こした者として)

この時、利治の人生に一つの指針が付け加えられた。

 

「……武兄、やっぱ悲しいね」

「……ああ」

 

昨日ただ一度夜を共にしただけの昭武達にも悲しみが広まっている。昭武の脳裏に昨日の宴の光景がよぎる。

 

(こうなることがわかっていれば、恥ずかしがらずにもっと楽しめば良かった。……俺たちは友足り得る人物をまた一人失ったのか……)

 

昨日の友が今日の死者になる。これは戦国の世ではありふれたことではあるが、だからこそ泰平の世を実現しなければならない。そう昭武は決意を新たにするのであった。

 

 




読んで下さりありがとうございました。
ここで昭武たちを負けさせてしまうと話が続かなくなるので仕方なく半兵衛ちゃんには負けてもらいました。ちと無理やり感が否めません。
次回からはしばし原作に沿わせます。
誤字、感想、意見、質問などあればよろしくお願いします。


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第二十一話 美濃動乱③【竹中半兵衛の真実】

第二十一話です。
作者は話をどうにも原作に沿わせるとやたらと文量が増えるようです。正徳寺が前後編になったのがその一例ですね。

では、どうぞ


 

尾張、清州城にて信奈は細作から報告書を受け取っていた。内容が熊野家の中濃攻略の進捗具合だったため、一人で中身を見ずに、織田家の諸将を集めてから中身を見ることにした。

 

(長政と結婚せずに美濃を獲るには稲葉山城を浅井家の力を借りずに落とさなければならない。だけど今の織田家では不安があったから、以前盟を組もうと言ってきた熊野家に助力を頼んだけど……)

 

信奈は熊野家を友好国と言えど警戒していた。熊野家と織田家を比べると国力は織田家が大差をつけて勝っているが、将兵の質では大きく後れを取っていた。

無論織田家にも人材はいる。柴田勝家の武勇は尾張最強で近隣諸国の中でも上位に当たるし、丹羽長秀の内政能力も同じこと。相良良晴の未来知識も役に立つ。前田犬千代だって武勇は充分。

されど熊野家と比べると器は同じでも練達具合が違いすぎた。片や日の出の勢いの若い大名家と片や戦乱渦巻く北陸の地で何年も戦ってきた古強者の一団を比べるのはさすがに酷だろう。

織田家の重臣たちの前で信奈は報告書を開く。

報告書には概して熊野家が中濃三城のうち加治田城と堂洞城を落とし、次は関城攻めの準備をしていると書かれてあった。

 

「義龍政権の要をそこまで落とすとは……。義龍政権の兵力分散は充分果たせていますが、熊野家の勢いが強すぎます。五十点」

 

内容を聞いて始めに口を開いたのは長秀。米五郎左とあだ名された信奈のお姉さん的な存在で、逐一点数をつける癖がある。

 

「なぁ長秀、それはどれぐらい凄いんだ?」

 

長秀に問うたのは勝家。尾張最強の武将であるが、脳筋だった。

 

「事実上、美濃の半分を抑えたようなものです。我々織田家が稲葉山城を抑えれば、熊野家の大義名分がなくなりますが、その後に熊野家が敵対すれば美濃を領国に出来ません。長期戦に持ち込めば国力差で我々が勝てますが、上洛は相当後にもつれ込み、場合によっては浅井家と婚姻同盟を結ばなくてはならないでしょう。そうなれば零点です」

 

熊野家の進撃は信奈の立場を苦しいものにさせていた。

信奈が熊野家の力を借りてまで稲葉山城を獲ろうとするのは、美濃の大部分を織田家の国力として同盟相手になる浅井家に対して格上となり、長政と結婚する必要をなくすためである。しかし、今現在は熊野家が中濃のほとんどを抑え、稲葉山城との連絡が絶たれたために東濃の諸豪族が熊野、あるいは武田家に靡き始めている。

(美濃を獲るには、少なくとも二つのことを為さねばならないようね。一つは浅井家、出来れば熊野家の力も借りずに稲葉山城を落とすこと。もう一つは熊野家に中濃を手放させなければならないこと。片方だけでも大変だというのに、もう一方もやらなければならないなんてね……)

 

信奈が頭を抱える一方、相良良晴もまた考えていた。

 

(稲葉山城を獲れば、恩賞で長政との結婚をやめさせられる。今まではそれで全てうまくいくと思っていた。けど、状況が逼迫してきているからな……。ただ獲るだけじゃダメだ。もっと早く、もっと楽に稲葉山城を獲れれば……。いい方法は…)

 

そこまで考えると、良晴は一つの策を思いつく。

良晴は評定が終わると犬千代のもとに向かっていた。

 

********************

 

一方、飛騨桜洞城にて雷源は昭武からの報告書を読んでいた。

 

「織田信奈が尾張で足踏みし、ガキどもが美濃を席巻する、か……。少し深入りし過ぎたな」

 

利治を担ぎ上げて美濃に侵攻したとはいえ、雷源には美濃全てを獲る意思はなかった。

 

「昭武達の言う濃飛尾三国同盟、いやもう飛尾三合従同盟か?これを行うためには、織田家に美濃を獲らせなければならない。此度の浅井からの同盟申し込みの対応を見るに、織田信奈は誰かの風下に立つことを良しとはしないだろうからな。仮に俺たちが美濃を奪ってしまえば、必ず敵対する。また武田が上洛を目指している以上やはり美濃を獲ろうとする。浅井も織田と協調して美濃を攻めるだろう。美濃全土は確かに魅力的ではあるが、俺たちには必ず持て余す。落とし所としては郡上郡と飛騨からの街道の出口近くをもらうのが最良だろうな」

 

「それでは旨味が少なくないでしょうか?」

 

長堯が雷源に言うと、雷源はニヤリと笑った。

 

「長堯、戦で得られるものが土地だけだと思うなよ。幸いなことにこの報告書には美濃全土には今一歩劣るが、中々に面白いものが記されている……。分からねえか?」

 

「名声でしょうか?本来それがし達に利治どのを助ける義理はありませぬ。しかしそれがし達は利治どのを助けるために美濃に侵攻しました。此度の戦いで間違いなく殿は義将という評判を得ることになります」

 

「確かにそれも得られるが今回は形あるものだ。答えを出す一助としては武田信玄の語録の一つを思い出すといい」

 

「まさか、殿……!」

 

「その顔は答えが分かったようだな。すでに白雲斎に美濃へ行くように伝えた。もちろん昭武達にもな」

 

 

昭武たち連合軍は加治田城で兵を休めていた。数日前の堂洞城の力攻め、その翌日に行われた加治田城の守城戦は勝ちはしたものの、連合軍に疲労と損耗を大きく残すものであったからだ。

桜夜や利治といった文官職もやる人物はともかく、昭武たちのように槍働きをする将にとってはこの期間は退屈せざるを得なかった。

 

ただそれは、とある晩に白雲斎が昭武が間借りしていた部屋に訪れるまでの話であった。

 

「昭武だけか。まぁいい。先ほど勝定が新しい命を下した。儂が出向かねばならぬ命ゆえ、わざわざ足を運んでやったぞ」

 

「そうか白雲斎。で、その命とはなんだ?あんたが出るとは生半な命じゃないだろう」

 

「竹中半兵衛を熊野家に遊降させることよ」

 

「半兵衛を遊降だと⁉︎」

 

「ああ。勝定には斎藤利治を稲葉山城に入城こそさせても自らが美濃全土を獲るつもりはない。だが、これだけの遠征をして得たのがたかが一郡と猫の額ほどの領地では攻め損になると考えた。……ここまで言えばわかるだろう?」

 

「確かに半兵衛を遊降できれば、美濃全土が獲れなくとも旨味はある……。けどオレたちはすでに美濃をここまで攻めとって随分義龍政権の恨みを買った。さらに言えば、オレは濃飛同盟の時に義龍たちに会っているから顔も割れてるぞ」

 

「だからこそこの儂が来ているのだ。儂が掴んだ情報だと三日後、井ノ口の鮎屋という料亭で竹中家の仕官面談が行われる。どうやら一週間後に稲葉山城に初出仕するらしいな。とかく、仕官面談の時に半兵衛を説得し遊降させろ」

 

「大体は分かった。今すぐ動いた方がいいか?」

 

「そうしてくれ。儂にも下準備があるのでな。お前たちは今から井ノ口の町に移動して待っていろ」

 

要件を全部話したため、白雲斎は一陣の風となって部屋を去る。その後、昭武は寝ていた優花を強引に叩き起こし、井ノ口の町に向かった。

 

時は流れて、竹中家仕官面談の当日を迎える。

 

「思い出した。ここには以前桜夜と来ていたな」

 

竹中家の仕官面談の会場となっていた鮎屋は斎藤家一同と濃飛同盟成立の宴をやった会場でもあった。

 

「武兄、こんないい感じのところに行ってたの?なんかずるくない?」

 

「仕方ないだろう。いきなり道三公が宿にやって来て「飲もうぜ」と言ってきたんだ。断れるわけがない」

 

昭武が言うが、優花がやや不機嫌になる。そして「ああー鮎食べたいなー!鮎の塩焼き三皿食べたいなー!」と昭武の耳元で何度も壊れたラジオのように繰り返した。それも大音量で。

 

「あーもううざったいな!おっちゃん!鮎の塩焼き五皿頼む!」

 

ついに昭武が優花に根負けして鮎五皿を頼む。昭武としては優花に三皿、自分が二皿と思っていたら、一皿目を食べ終えた頃には他の四皿は全て優花の腹の中に入っていた。それを知った昭武は優花に対し「てめー食いすぎだ!オレも鮎食いたかったんだぞ!」と怒り始める。

食い物の恨みほど恐ろしいものがないのはいつの時代でも同じことだった。

だが、そんな二人に割って入るものがいた。

 

「これはこれはお若いの、中々の食いっぷりですな。その腰の物を見るに半兵衛に仕官するために来られたのかな?」

 

見なりがかなり良く、狷介そうな顔つき。外面は良さそうだが、内面は何かを企んでいる。

昭武はこの中年の侍に見覚えがあった。

 

(西美濃三人衆の一人、安藤守就。いきなり来たか!)

 

突然の大物の登場に昭武は動揺する。だが、そんなことをおくびに出さず自己紹介(偽名)をした。

 

「はい、小生は越後からの浪人、星野弥兵衛」

「あたしは妹のせたゆ……」

 

一方、優花は馬鹿正直に名乗ろうとしたところを昭武に口に手を回されて止められる。

 

(馬鹿優花!偽名を名乗れ阿呆!)

 

「こちらは妹の勢多乃と言います。小生たち、越後から仕官先を求めて各国を回っておりましてな。おかげでかの山本勘介ほどではありませぬが、諸国の事情に通じております」

 

「なるほどのー」

 

(やべえ。優花の馬鹿のせいで確実にばれた。もう無理じゃないか?)

 

半ば諦める昭武。

 

「あい分かった。わしは半兵衛の叔父、安藤守就。此度の仕官面談はわしが開催したものよ。星野どの、ついてきてくだされ。わしが半兵衛の元へ案内しよう」

 

しかし昭武の予想に反して守就は昭武たちをどうこうすることはなく、半兵衛のいる部屋に引き入れたのだった。

 

********************

 

部屋の中には昭武たちより先に良晴と犬千代と浅井長政が入っていた。

 

「ああ、あんたたちも半兵衛どのに仕官しに来たんだな。オレは星野弥兵衛、隣にいるのは妹の勢多乃だ」

 

(相良がここにいるということは織田家も半兵衛の遊降を狙っているということか)

 

「お前は星崎昭武!そうか熊野家まで半兵衛を遊降するつもりなんだな!」

 

昭武の姿を一度正徳寺で見たことがある良晴が昭武を指差す。

 

「そこの若いの、分からないから猿面と呼ぶが、オレは星野弥兵衛だ。星崎昭武とは名字が似ているが人違いだぞ?」

 

「そうか?俺の勘違いだったかな……?や、でも見覚えのある顔なんだよなぁ……」

 

長政の時は結構食らいついていた良晴であったが、昭武は正徳寺で一度ちらと見ただけで、面と向かって話したことがないので本当に昭武か判断できず、深追いはできなかった。

 

(熊野家までということは別の家、この場合は浅井家がいるということか)

 

昭武は先程の良晴の言から現在の状況を整理していた。

良晴たちの左隣に昭武と優花が正座すると、守就が入室してきた。

 

「実家に銭の蔵が三つあるという近江商人の猿夜叉丸どの。豪快に遊ぶ銭を持っておられる尾張の浪人の相良良晴どのと犬千代どの。そして名刀をそれぞれ腰に下げておられる越後の浪人の星野弥兵衛どのと勢多乃どの。わっちはこの五人を半兵衛の家臣として雇うことに決めた」

 

「待てやおっさん!あんた、金を持ってそうな順に雇っただろ!はじめから銭目当てだなっ」

 

良晴の指摘に守就は「……気のせいじゃ」とそっぽを向いて口笛を……吹けなかった。

(あ、ぜってえこれ相良の言う通りだ)と昭武は思った。

 

「騙されちゃダメだぜおっさん!そいつは近江商人なんかじゃねえ、近江の大名浅井長政だ!」

 

「何を根拠にそのような。実はそちらこそ織田家を出奔なんて真っ赤な嘘ではないか?」

 

「あ、オレたちは本当に浪人なんで」

 

「どさくさに紛れて何を言ってんだっ!あんたも熊野家の武将、星崎昭武だろーがっ」

 

「それでは、わっちは下の貧乏浪人どもを解散させておくとする。じきに半兵衛が参るであろう」

 

守就は良晴たちの争いを一切も気にしていないかのように下の階へと降りていった。

それを見送ると昭武が未だに言い合う良晴と長政に割って入る。

 

「相良どのに長政公。お前らは本気で半兵衛を遊降するつもりがあるのか?お前らが互いを邪魔しようとするのは勝手だが、少々露骨すぎる。このままでは半兵衛がどこにもつかず義龍政権に留まったままになってしまう。オレたちは稲葉山城は要らねえし半兵衛もお前らほど必要というわけではないからいいが、お前らはそれでは困るんじゃないか?」

 

「昭武、お前稲葉山城はいらないのか⁉︎」

 

「親父曰く、美濃全土を獲る気はないらしいからな。援軍要請通り中濃三城で十分」

 

「熊野家の真意はともかくとしていい策だ。私はその話に乗ろう」

 

「俺も乗っかる。しかし半兵衛を味方につけるのはこの俺だからな!お前なんかに信奈も渡してたまるか」

 

「信奈どのも、貴様のような小汚いサルにつきまとわれるとは不幸よな」

 

「てめええええ!」

 

「待てやお前ら、早速ケンカしてんじゃねーよ!」

 

いがみ合う良晴と長政を仲裁しようと昭武が奮戦している最中。

 

「お初にお目にかかる。いかにも、俺が竹中半兵衛重虎」

 

いつの間に現れたのか、部屋の中央に白面長身の青年が寝そべっていた。

 

「優花、こいつであってるか?」

「うん、あたしが加治田城で見た半兵衛はこんな感じだった」

 

昭武が優花に小声で確認をとる。

 

「そなたとは数日ぶりよな、瀬田優花どの。加治田城では実によい勉強をさせてもらった」

 

「武兄!いきなりばれてるよ!」

 

突然の身バレに優花は動揺する。しかし昭武はそうではなかった。

そんな昭武を見て半兵衛は「ほう……、中々冷静沈着な御仁だ」と感心するが、実際には(既に守就にばれてるだろうからなー)と開き直っていた。

 

「方々。遠路はるばる、井ノ口までよくぞお越しなされた。まずはみたらしだんごと粗茶をどうぞ」

 

半兵衛が手を叩くと、オオカミ耳の町娘姿の少女がだんごを山と積み上げる。だんごには三河名物の八丁味噌が塗られていて、さらにお茶もなみなみと器に注がれる。

 

「俺の好物、飛騨特産のみたらしだんごにございます。飛騨は米があまり美味しくない。ゆえに、わざわざ米をだんごにして食べるものが多いのですな。ちかごろはこの美濃でも流行っておりまする」

 

と、半兵衛が得意げにだんご講釈、ただし一人静かに聞かなかった人物がいた。

 

「訂正してよ!飛騨のお米は美味しいよ?あたしおかず無しで六合食べられるもん!」

 

戦場並みの気迫で優花が半兵衛に詰め寄る。

 

「そうだ。飛騨のお米は美味しい。水が美味い以上米がまずくなる道理はないではないか」

 

さらに昭武が援護射撃。

 

(よく言った昭武、優花)

 

白雲斎も姿を現さないものの、うんうんと頷いていた。

そんな飛騨勢をよそに良晴が「って今は米はいいだろ、だんごを食べようぜ」とだんごをぱくり。犬千代も良晴に続いた。長政は名古屋めしが嫌いなので手をつけず、飛騨勢も「お茶碗に入った米を出せー!」と取り合わなかった。

良晴と犬千代は美味しそうにだんごを食べ、お茶を飲んでいた。

しかし。

 

「くっくっくっ、あーははははっ!」

 

突如半兵衛が良晴と犬千代を指差しながら人が変わったように大笑いをはじめた。

 

「んな⁉︎」

 

これには一堂顔を見合わせる。

 

「わが十面埋伏の計と石兵八陣を破った尾張侍には期待していたが、この程度のいたずらにだまされるとはな!」

 

半兵衛の顔が次第に狐になっていく。

 

「竹中半兵衛は狐狸だったのかっ⁉︎」

 

流石にこの域に至れば昭武も驚かざるを得なかった。

 

「いいいいたずらって、ままままさかお茶とだんごに毒でも盛ったのかっ?」

 

だんごと茶を口にしてしまった良晴がビビりながらたずねる。

 

「ただのいたずらだ、毒ではない」

 

半兵衛は身を起こしながら答える。

 

「陰陽の術で目くらましをしたまでのこと。そなたらが茶だと思って飲んでおったのは馬のゆばり。だんごに塗ったのは馬糞よ」

 

「うげええええ〜!」

 

事実を知った良晴がえづき始める。

 

「てめえぇ〜、よくもこんな真似を!俺は怒ったぞっ」

 

「ほう。調略の使者が俺を斬る?これは笑止」

 

「ぐっ……」

 

「相良良晴、浅井長政、星崎昭武。その糞だんごを残らずたいらげて土下座すれば、俺は斎藤家を辞してそちらに仕官してやってもよいぞ?」

 

(これは困ったことになったな……やめとこうか)

(ただでさえ味噌が苦手なのにあれを食べねばならぬのか……。ううむ)

(もう俺は食べちまったが、次からは吐きそうだ)

 

三者それぞれ逡巡する。

その時だった。

 

「悪ふざけはこれで終わりか?もう見飽きたぞ」

 

突如天井裏から白雲斎が現れ半兵衛に斬りかかる。半兵衛はこーんと一際高く鳴くと倒れ伏した。

 

「なんて真似を⁉︎」

「ここまでする必要はなかっただろ⁉︎」

 

長政と良晴が怒りを露わにする。が、白雲斎は気にも留めず今度は昭武達の後ろの柱を一刀両断した。

 

「ひ、ひうう〜〜!」

 

切り倒された柱の陰から小柄な女の子がよろよろと四つん這いで出てきた。そこを白雲斎が取り押さえる。

 

「お前たち何を踊らされている。先の男もまた式神。この小娘こそが正真正銘の竹中半兵衛よ」

 

「この美少女が?」

「こんなに気弱そうな娘が?」

 

「「竹中半兵衛だとぉーーーー⁉︎」」

 

思いもよらぬ竹中半兵衛の真実に一同は素っ頓狂な声をあげておったまげるのだった。

 




読んで下さりありがとうございます。
話を原作に沿わせたつもりですが、熊野家の参戦により原作とは異なり、若干織田家にとってハードモードになってしまいました。

誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第二十二話 美濃動乱④【相良良晴という男】

二回目の第二十二話です。
急に削除して申し訳ありませんでした。
見返したみたところ書きたかった部分の内容が思いの外薄っぺらくて嫌になったので、大規模な編集をしました。……といっても話の大筋は変わってないです。文量は過去最大になってしまいましたが……。



 

その後、白雲斎は縄で半兵衛の四肢を縛った上で、ドーマンセーマンの護符と名刀「虎御前」を取り上げて事情聴取を行った。

半兵衛曰く、自分は身体が弱くて本来は故郷の菩提山で晴耕雨読の日々を送っていたが、叔父の守就が元道三の片腕ということで義龍の心象が悪かったので、家名向上のために自分が義龍に知恵を貸したとのこと。

しかしその結果として半兵衛が軍師の地位に急に上り詰めてしまったので初出仕の際に半兵衛を妬んだ義龍の家臣に暗殺される可能性が浮上。それを防ぐために今回護衛を集めることとなったという次第であった。

 

「……くすん、くすん。白雲斎さん、これでわたしの知ってることは全て話しました。だからといってころさないでください……ぶるぶるぶる」

 

「よかろう」

 

「へう、ああ、ああ……」

 

白雲斎によって四肢の拘束を解かれると半兵衛はそのまま床にへたり込んでしまう。白雲斎の事情聴取は泣き虫の半兵衛相手でも容赦のないものであった。拷問こそ行われてはいないものの、半兵衛の心には深い白雲斎への恐怖を刻みつけられた。

その様子を見て他家の良晴、犬千代、長政はもちろん主家の昭武と優花でさえ引いていた。

 

仕官面談から三日が経ち、ついに半兵衛の初出仕の日を迎えた。

半兵衛主従は今、金華山……稲葉山城がある山を登っている。金華山という名は椎の花が咲き誇ると山全体が黄金色に輝いて見えることからきている。金華山は井ノ口から見れば北東に位置し、これは京の北東にそびえる比叡山に比すことができる。また井ノ口の町の東西に山地が、南北には川が流れている。

 

「このような事柄からこの井ノ口の町と稲葉山城はまさしく背山臨水。陰陽道の理にかなった王都といえます。天下を望む蝮さまや織田信奈がこの城にこだわるのもわかりますね」

 

「そういえば、親父も松倉の町の北東に新しく寺を建ててたな。それも結構大きなやつ」

 

「そうでしたか。熊野雷源はもしかすると陰陽道の理を知る側の人なのかもしれませんね」

 

「そういえば半兵衛ちゃんはさー、なんで今まで道三どのに仕えなかったの?話も何度か来てたんじゃないの?」

 

優花が半兵衛に尋ねると半兵衛は震えつつ、答えた。

 

「先代の蝮さまがとてもとても怖かったんです……」

 

「なるほど。確かに、あの爺さんはおっかねえよなぁ」

「だな」

 

良晴と昭武が相槌を打つ。

 

「でも戦に出るのはもっと怖いよ?よく仕える決心がついたよね」

 

「……尾張には蝮さまと第六天魔王の織田信奈、怖い人が二人もいるんです。その二人がいる国に攻められるなんて恐ろしくて恐ろしくて……」

 

「その点、近江の浅井長政は義に厚い勇将として人気が高いと聞くが」

 

「けっ、この女たらしのどこが義将なんだよ」

 

「勇将って言っても親父よりだいぶ格下の端武者じゃねえか」

 

ちゃっかりと売り込みをかけた長政に良晴と昭武が揃って長政に反発する。

 

「昭武どの、小国の勇など大国の前にはいつかは下されるもの……、将の器量だけで乱世は乗り切れまい」

 

「そうやって増長して魏の曹操、前秦の苻堅のように全軍壊滅の憂き目にあった大国もある。長政公もそうならないとよいがなぁ?」

 

意地の悪い表情で長政に言い返す昭武。会ってわずかではあるが、昭武もまた良晴と同じく長政を快くは思っていなかった。

 

「あのう……相良どの、浅井どの、星崎どの。わたし、尾張にも近江にも飛騨にも寝返りませんから……寝返ったりしたら義龍さまに恨まれていぢめられます……尾張には蝮さまと織田信奈がいますし、飛騨には戸沢白雲斎、さんがおられますし、お味方するのは絶対無理です……ぐすん、ぐすん」

 

「げっ俺らの魂胆ばれてる」「貴様の声が大きいせいだ尾張ザル」と良晴は慌て、長政は唸るが、昭武は「や、あんな露骨に言い争いをしてれば馬鹿じゃなければ分かるだろ」と冷靜にツッコミを入れていた。

 

 

時間はやや遡って稲葉山城内、義龍の屋敷。

稲葉山城では義龍と道利、その他義龍政権の重臣が集まって密かに評定を行っていた。評定で話し合うのはもちろん半兵衛の処遇であった。

 

「竹中半兵衛は西美濃三人衆が一人、安藤守就の一族。あの道三の片腕と謳われながら、恥知らずにも義龍様に寝返った者の一族です。必ず奴の背後には守就がいます。信用するべきではないでしょう」

 

初めに発言したのは長井道利、中濃三城の一つ、関城主で義龍政権の柱石で、そしてあまり知られてはいないが、義龍が道三に対して謀叛を起こすように仕向けた張本人であった。

 

「しかしな道利よ、半兵衛の軍略はもはや美濃を守るに欠かせないものになっておる。守就が邪魔だというのなら幽閉してしまえばよいではないか」

 

道利に対して義龍は半兵衛を手放すのは惜しいと思っていた。

 

(無論半兵衛の才に恐怖はある。守就との軸帯も警戒は必要だ。だが、だからといって半兵衛を手放すわけにはいかぬ)

 

長良川の戦いでは半兵衛の能力無くして義龍は道三に勝利を収めることができなかった。ゆえにここで半兵衛を手放すことは義龍、そして義龍政権にそこまでの力はないと自ら認めてしまうこととなる。

 

「……義龍様。その判断、いつか後悔することになりますぞ」

 

しかして道利は義龍の言に納得してはいなかった。

 

(義龍様がやらぬのであらば、わしがやらざるを得まい。それも義龍様が直々に手を下さねばならぬ状況に追い込むのよ。相手は今孔明と呼ばれてこそいるが小娘に過ぎず、なにしろわしはあの道三を稲葉山城から追放させた男。それぐらいのことはできよう)

 

そして仄暗い笑みを浮かべつつ、道利は義龍の屋敷を辞したのであった。

 

 

半兵衛一行はついに稲葉山城二の丸の義龍屋敷前にたどり着いた。

 

「これはこれは半兵衛どの。加治田城以来ですなあ」

 

半兵衛一行が到着したのを待ち構えていた道利が屋敷の中から歩き寄る。その腕には柴犬が抱かれていた。

 

「この犬はわしの愛犬です。ほら、可愛らしいでしょう?」

 

そう言って半兵衛のに犬を抱かせた。そして、

 

「今孔明とあろう者が油断したな!今よ、思い知れ!」

「わおん!」

 

道利が叫ぶと犬がくるりと半兵衛にお腹を見せて、何やら黄色い液体をぶっかけた。

 

「え…え…え……!きゃあああああああああああ!」

 

半兵衛の悲鳴が城内に響く。

 

(さあ、怒れ、怒るのだ、竹中半兵衛よ。怒って刀を抜くなり式神を召喚するなりして謀叛を起こすのだ!)

 

泣き叫ぶ半兵衛を見て道利がニヤニヤと汚らしい笑みを浮かべていた。

 

「これは……?」

「何事ぞ⁉︎」

「あれは半兵衛どのではないか?」

「おお、なんと愛らしい少女ではないか!」

 

半兵衛の悲鳴を聞いて義龍たちが次々と門前に現れる。彼らは心配半分好奇心が半分で半兵衛に近づく。

 

「ぐすん……ぐすん…ぐすん、いぢめられますいぢめられます、いやあああああああああああああああああ!!」

 

しかし錯乱してしまった半兵衛は義龍たちが自分を始末するために集まってきたと勘違いし、手持ちのドーマンセーマンの護符を全て辺り一面にばらまいた!

護符から現れる式神の総数は十四体。これら全てが義龍たちに襲いかかる。

 

「「「なんじゃこれはーー!」」」

 

あまりの光景に義龍たち半兵衛主従問わず仰天する。驚かなかったのはこの混乱に紛れて式神と共に暴れた白雲斎だけであった。

 

「なっお前は何者か⁉︎」

「死にゆくものが知っても仕方なかろう?」

「ぐはあああああ!」

「式神も恐ろしいが、あの忍びも相当だ!とにかく逃げろーー!」

 

式神と白雲斎に追われながらも義龍は必死に逃げた。その結果、一刻後には白雲斎によって始末された長井道利、斎藤飛騨守を除いて義龍政権の将は稲葉山城から全て逃げ散ってしまった。

 

********************

 

「んで、稲葉山城を取っちまったみたいだが、どうするんだお前ら?」

 

最初に稲葉山城を取っていたことに気づいたのは昭武だった。

 

「半兵衛どの。行きがかり上このような事態になってしまいましたが、今からでも稲葉山城を手土産に私、浅井長政に仕えませんか?もちろんいじめませんとも。それどころかあなたをいじめる悪い男たちからこの猿夜叉丸が生涯お守りしましょう」

 

「待った。稲葉山城はいらねえからオレたち熊野家に仕えないか?白雲斎が怖いと言っていたが、味方になれば厳しいけど優しいんだ。白雲斎の愛弟子がそう言ってたから間違いない」

 

「おや、星崎どの。私の愛の告白を邪魔しないでいただきたい」

 

「なーにが愛の告白だ。やたらと気障ったらしいだけの仕官願いじゃねえか。稲葉山城を手土産にって言ってる時点で愛もひったくれもねえだろう」

 

昭武と長政がおでこを突き合わせていがみ合う。

 

「そうだ、愛はないけど政略結婚しましょうって言うような奴に半兵衛ちゃんが仕官しても幸せにならないぜ!」

 

そこに同じく長政を嫌う良晴が援護射撃をする。

 

「黙れサル。私は確かに信奈どのを愛してはいないが、半兵衛どののことは愛しているさ」

 

「うさんくせえ、本当に半兵衛どのを愛しているというのなら稲葉山城をあきらめろよ」

 

「なんだと、星崎どの。あなたも半兵衛どのを愛しているわけではないではないか」

 

「ああ、そうとも。確かにオレは半兵衛どのを愛しちゃいねえよ。ただ愛を語りつつ、ちゃっかり城まで獲ろうとしてるあさましい奴に仕官するよりかは幾分マシだろう」

 

「良いぞ昭武!この女たらしにもっと言ってやれ!」

 

「サル。お前はまだわからないのか、お前の様な氏素性もわからぬ足軽上がりが大名の姫君に懸想しても無駄だと」

 

「おおおお俺はな、ののの信奈が誰と結婚しようがどうでもいいんだからなっ!た、ただ長政!てめえはいけすかねえ!女の子たちを出世の道具扱いしやがって!それでも男かっ」

 

「良いぞ相良!この気障ったらしい人でなしにもっと言ってやれ!」

 

三者入り乱れて延々と罵倒の応酬を繰り返す。その間、優花と犬千代はお風呂で濡れ鼠になった半兵衛の身体を洗っていた。

 

********************

 

昭武たちはしばらく屋敷で休んでいた。罵倒の応酬を繰り広げている内にいつの間にか夕刻になっていたからであった。

その晩に事件が起こる。

長政が守就と面会をすると言って近づき、夜陰に紛れて誘拐したのだ。昭武たちはそのことを犬千代が長政の書き残した手紙を見つけ出したことで初めて知った。

手紙は「墨俣に半兵衛一人で来い。そうすれば守就を返そう」という趣旨で書かれていた。

 

「しまった……!半兵衛を調略できないと見て搦め手に出たか……!」

 

「昭武よ。どうする?」

 

いつの間にやら昭武の隣に白雲斎が立っていた。

 

「白雲斎。長政に守就が攫われたんだが、見ていないか?」

 

「いや、儂が稲葉山城に戻ってきたのはつい先ほどだ。先までは琴平姉弟と斎藤利治と共に関城攻めをしていた。関城は城主が死んだからか内通者が出た様でな、さして戦うことなく熊野家に降伏したぞ」

 

「なっ⁉︎これで中濃三城の全てが熊野家のものじゃねえか!」

 

白雲斎の報告を横で聞いていた良晴が呻いた。

 

「白雲斎、お前は単独で長政を追って守就を奪回してくれ。オレたちはしばし相良たちと共に行動する」

 

「よいのか?守就を放っておいてそこのサル小僧に稲葉山城をくれてやれば、半兵衛を浅井に取られることなく、美濃の戦いは全て終わるぞ?熊野家も半兵衛を得られずとも、稲葉山城を盗る助力をしたということでもっと多く美濃の割譲を織田信奈に迫れる」

 

これは実に白雲斎らしい非情かつ最良の策であった。だが、ここには黙して首を縦に振れない男がいる。

 

「白雲斎といったな……。俺はそんな策を認めねえぞ!」

 

良晴が目を怒らせて白雲斎を怒鳴りつけたのだ。

 

「ほう、何故か?」

 

「俺はな、木下藤吉郎という男の夢を継いだ!モテモテハーレムという夢だ。その夢を志すからには女の子に悲しい思いをさせられるかっ!ここは稲葉山城を捨てて安藤の親父を助けに行く!」

 

怒鳴りつけられた白雲斎は不思議とふふ、と楽しげに笑っていた。

 

「そうか。お前はそう答えるのか……。甘い。甘いと言わざるをえないが、よかろう。守就は儂とそこに隠れている小娘が助けに行ってやるとしよう。それでよいか?」

 

「うにゅ、やはりかの名高き戸沢白雲斎を前にして隠れきれるわけがなかったでごじゃるにゃ……」

 

白雲斎に看破されていた五右衛門もやや肩を落としながら出てきた。

 

「すまない、恩にきる!」

 

白雲斎の助力に良晴は頭を下げて謝意を表す。

その傍らで昭武は(白雲斎は本来そう易々と他人に力を貸すようなやつじゃない……。だというのに、この相良良晴という男は……!)と戦慄していた。

 

「しかし、そうなれば信奈どのと浅井氏の婚儀はいかがいたちまちゅか?」

 

かみかみになりながら五右衛門が問う。この蜂須賀五右衛門、台詞が約三十字を越えるとどうしてもかみかみになってしまう。

 

「ぐっ、なんとかなる、はずだ……!」

 

「なりますかな?」

 

「だがな、信奈を巡る長政との勝負に半兵衛は巻き込めねえ!野郎とはいずれ正々堂々決着をつけてやる!」

 

「やれやれ。全部の実を獲ろうというのは厚かましいでちゅな、相良氏。いつかはどれかを捨てることになりましょう」

 

「長政みたいなことをいうんじゃねえよ」

 

そう良晴が返した時にはすでに五右衛門は良晴の前から消えていた。

 

「長政との結婚を取りやめさせても、俺が信奈を嫁にする日なんて来ないさ」

 

誰にも聞き取れないぐらいの小さな声でつぶやく。

 

(なんでだろうな、あいつのことが好きなわけじゃないのに、どうしてこんなに胸がズキズキと痛むんだろう……)

 

良晴は知らず、心の臓に手を当てていた。

その姿を半兵衛が痛ましげに見ていることに気づきもせずに。

 

 

半兵衛一行は守就を救うと決めると墨俣に急行した。しかし墨俣に長政と守就の姿はなかった。ただ、またも砂地に書き置きが残されていた。

そこには「相良良晴が稲葉山城にいると義龍に城を返すことができないため、一計を案じて墨俣におびき出した。加えて今更半兵衛が義龍政権に帰参するのは無理なので、浅井に下れ。下れば守就を返す」といった意図のことが書かれていた。

長政は半兵衛のためと言いつつ、義龍を稲葉山城に復帰させて織田家の邪魔をしたのだ。

 

「やられたな……。長政相手にはどうしても後手後手に回らざるを得ないか……」

 

「どうして長政はこんなに信奈に執着するんだ!好きでもないくせに!」

 

「長政は多分、半兵衛さえ手元に置ければ自力で稲葉山城を獲れると考えているんだろうな。そうでなくては稲葉山城を捨てはしないはず」

 

「けど、どうするの?これじゃ織田家は……」

 

「ああ、稲葉山城を落とせねえから長政と婚姻をせざるを得ないな」

 

昭武は頭を抱えていた。

此度の美濃出兵は美濃の一部の割譲を受けるのもそうではあるが、織田家に恩を売りつけることも目的だった。

全ては織田家を核とする同盟を結び、新たな商業圏の確立をもって飛騨を豊かにするため。

しかしこのままでは織田家自体が浅井家にとってかわられるため、同盟の前提条件そのものが雲散霧消してしまう。それに加えて……ああも主のために奮闘する飼いザルに思うところがあった。

しばしの間考え、昭武はついに決断した。正徳寺に引き続き、あまり気の進まない決断であった。

 

「相良、オレたちはお前らが浅井に吸収されてしまうと非常に困る。だからだな、稲葉山城を獲るのにオレたちの軍勢を好き勝手に使っても構わない。半兵衛もこの際いらん」

 

「武兄⁉︎そんなことして大丈夫なの⁉︎」

「昭武⁉︎」

 

突然の昭武の独断、雷源からの命令無視を含んだ宣言に一同は驚きを隠せない。

 

「ああ、かまわん。このまま長政に転がされるよりは幾分かましだしな」

 

「ありがとう昭武!少し光が見えてきた!」

 

良晴が昭武の手を取って頭を下げる。昭武はそれを顔には出さないが、やや複雑な心境で見つめていた。

 

「では、オレたちはそろそろ加治田城に戻る。さすがにこれ以上軍にいないと変な噂とかが流れそうだ。動かしたい時はまぁ使者を出してくれ」

 

昭武と優花はそう言って墨俣から去った。その後、半兵衛がおずおずと良晴に近づく。

 

「あの……、良晴さん。少しよろしいでしょうか……?」

 

半兵衛の声はかすかに震えている。良晴の心意気が、昭武の決断が少しばかり早く半兵衛の背を押した。これより半兵衛は以後の自らの道行きを変えてしまうようなことを行おうとしている。しかし、半兵衛の心に迷いはない。

 

***************

 

加治田城への帰路にて昭武と優花は馬首を並べて語り合っていた。話の種はもちろん昭武のあの決断についてだった。

 

「武兄、どうしてあんなことをしたの?」

 

優花が問うと昭武は苦々しげな表情を浮かべる。

 

「織田家が長政に取って代わられるとまずいという理屈があるがこれは言い訳にしかならない。要するにだ、要するにオレは、相良良晴に負けたんだ……!」

 

「どうして?武兄と相良くんはあんまり論戦とかしてなかったじゃん」

 

「違う、舌先の話じゃない。武将としての器量でオレはやつに負けたんだ……。オレは、はじめはあいつらに半兵衛を渡すつもりはなかった。だが、相良がああも頑張るのをみてしまうとな……」

 

「確かにね……」

 

それは優花も思い至ったのかうんうんと頷く。

 

「オレはやつに絆された。見兼ねてつい手を差し伸べてしまった。こればかりはいくら武を鍛え、知を磨いたとしてもどうしようもない」

 

昭武が見るに、良晴には何やら不思議な力があった。良晴が信奈に尽くせば尽くすほど、周りが良晴に惹かれていく。

長政は利害が衝突するためその例には漏れるが、前田犬千代、蜂須賀五右衛門、竹中半兵衛そして戸沢白雲斎までもが個人差はあるものの、良晴に惹きつけられていた。

昭武は惹きつけられながらもその力に気づき、恐怖した。そして気づいていながらもついに力を貸してしまったのだ。

 

「大丈夫だよ、武兄。まだ悔しく思えるうちはまだ勝ち目があるんだってお父さんが言ってたの。だから、まだ武兄は完全に負けたわけじゃない」

 

悔しげに歯嚙みする昭武に優花が優しく諭す。普段は昭武が優花に対してこのような振る舞いをするのだが、たまにこの兄妹は役割が逆転する。

 

「そうか?なら今日のこの気持ちを大事にしなきゃな」

 

昭武の表情に笑顔が戻る。

先が見えぬ夜道を二人の愛馬が緩やかに進む。

 

(今はまだ、オレは相良の器量には遠く及ばない。だが、このまま素直に負けてやりはしない。オレにも意地があるからな)

 




二回目にもかかわらず読んで下さりありがとうございました。
犬千代は結局地の文でしか出せませんでした。多人数がひとところにいるとどうにも誰かの出番がなくなってしまいます。研鑽が必要ですね。
誤字、感想、意見などあれば再度よろしくお願いします。


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第二十三話 美濃動乱⑤【墨俣】

第二十三話です。
今話でこの二章・美濃動乱編が一章・飛騨統一編の字数を超え、最長の字数になりました。一章が大体32,000字で二章は今話終了時点で35,000字です。今話で二章が終わるわけではないので二章は40,000字越えぐらいでしょうか?ともかくこれからもよろしくお願いします。

前置きが大分長くなりました。では、どうぞ


半兵衛を良晴に譲った昭武たち一行は一路加治田城に帰城した。

昭武たちが調略に行っている間に加治田城の兵は五千から八千に膨らんでいた。中濃三城全てを獲ったことにより利治側優位と見て日和見をしていた豪族たちが一斉に参陣したのである。

城内の士気は軒昂で、今にも戦いたくてしょうがないといった具合であった。

さらに人事でも変わったところがあり、利治が佐藤忠能の一族である佐藤堅忠を娶って加治田城主になっていて、さらに加治田城で半兵衛に突撃を仕掛けた湯浅讃岐が利治の幼名新五郎にちなんで湯浅新六と改名し、利治の配下となっていた。

 

「いやー、利治どの。オレがいない間に祝言を挙げるなんてあんたもなかなか隅に置けねえな」

 

「お戯れを、昭武どの。これが僕が果たすべき役割なのです。佐藤家を継ぐはずだった忠康どのはもういない。僕が自分のために起こした戦のせいで。本来佐藤家はこれからも続くはずだった。失ったものを贖うにはこうするほかなかったんです……」

 

「そうは言いつつこの人ってば、私にベタ惚れなんですよ昭武どの。この人の言うことは今でこそ半分はしみったれた本音ですが、徐々に照れ隠しの割合が増えていきますよ」

 

「堅忠、僕は真面目な話をしてるんだぞ…」

 

「はいはい、わかりました。それでいつまで惚気ずにいられるんでしょうかね〜」

 

しんみりとした話をしようとしている利治の横で堅忠がいちいち茶々を入れる。利治は邪魔されて怒ってみせてはいるが、本当に嫌そうには見えない。

これを見て昭武は(なるほど、中々にいい嫁を貰ったじゃないか)と温かい気持ちになるのであった。

 

 

昭武が加治田城で良晴からの連絡を待っている間に、織田家の美濃侵攻は新たな局面を迎えていた。

本城を清洲から小牧山に変え、主として墨俣に築城を試みるようになった。

墨俣は稲葉山城の西にある地点で長良川などの河川の中洲に位置する。ここは稲葉山城を守るにあたっての要地であり、さらに稲葉山城と西濃をつなぐ街道も通っている。仮にここに城を建てることが出来たなら、稲葉山城と西濃の豪族たちの連絡が途絶え、義龍政権を孤立せしむることができる。

それゆえに警戒が厳しく、一度柴田勝家が築城を試みたが、あっけなく追い散らされて失敗した。

その報が昭武たちに届くと共に、良晴の忍びである蜂須賀五右衛門が昭武のもとに姿を現した。

 

「相良氏からの出陣要請でござる。星崎氏、軍勢を率いて稲葉山城にしゅちゅじんしちぇくじゃちゃれ」

 

「ん?承知したが、墨俣じゃなくていいのか?」

 

「墨俣で相良氏はなにやら大かがりなことをしようとしているようでごじゃりゅ。しょりぇはじょうやらきゃわにゃみちゅーじゃきぇじぇおきょにゃうにょう………」

 

五右衛門がかみかみで昭武にはもはや何がいいたいのかわからなかった。

 

「要は墨俣に援軍はいらない、とそういうことだな」

 

「左様でござる。では、拙者はこれにて」

 

要件を告げると五右衛門が昭武の前から去っていった。

 

「昭武殿、今の方は?」

 

「桜夜か、今のは相良の忍びだ。出陣の要請をされた」

 

「要請先は稲葉山城、ですか?」

 

「そうだ、といっても相良のために城攻めなんてしてやらねえ。稲葉山城を包囲するだけで十分だ」

 

昭武はなにやら考えついたようで口の端を吊り上げて笑みを浮かべていた。

 

翌日の早朝、昭武たちは軍の編成を終え、六千の兵をひきいて稲葉山城に進軍を始めた。

当然、義龍側も進軍を止めようと何度か迎撃を試みたが、義龍と半兵衛の不在が大きく不利に働き、義龍政権の軍は義龍と共に良晴による墨俣築城を阻止すべく出陣したものを除けば、全て稲葉山城に押し込められた。そこを連合軍が包囲することで蓋をする。

 

「織田信奈様からの使者が来ております」

 

信奈の使者が昭武のもとに到着したのは稲葉山城の包囲が完成してすぐの頃であった。

 

「信奈様は昭武様に墨俣へ援軍に赴いてほしいとおっしゃっております。承知して下さりますか?」

 

「却下だ。むしろ信奈公が自ら墨俣に後詰めすることをお勧めする」

 

「何故ですか?」

 

「稲葉山城に織田家が攻め込んでも落ちはしない。それはオレたち連合軍も同じことだ。だが、幸いにも義龍が墨俣に行っている。織田家が墨俣に行けば、わかるな?」

 

良晴の構想にはないことであったが、昭武は墨俣と稲葉山城に軍がいることを利用し、即席の挟撃策を練り上げていた。

即席だけあって昭武たちが義龍を討つために出たと同時に後背の稲葉山城の兵が昭武たちに攻めかかり、挟撃を受けるという大穴こそあるが、それは盛清率いる飛騨忍びたちが稲葉山城内で破壊工作を行うことでごまかした。

 

「……!承知しました。信奈様にはそのように伝えておきます」

 

「あと一つ、信奈公に「相良良晴こそ真の忠臣、決して奴を粗雑に扱うことなかれ」と伝えておいてくれ」

 

「はっ、承知しました」

 

使者が昭武の陣中を去ってのち、昭武は墨俣の方を見やってぼやいた。

 

「さて、相良。お膳立てはしてやった。無駄にしてくれるなよ」

 

***************

 

墨俣では、良晴と川並衆ができかけの墨俣城で義龍軍と戦いを繰り広げていた。

墨俣城は城といいつつ、実態は良晴と川並衆が一晩で組み上げられるように作られたひどく簡易的な砦であるため防御力に乏しく、義龍軍が侵入すれば一時間も経たずに落城してしまう。そのため、墨俣城外で義龍の侵入を防ぐ必要があった。

しかし、義龍軍の兵は八千ほどだが、良晴方の兵は川並衆だけなので二百にも届かない。さらにいえばそのうちの約半数は墨俣城の普請にあてなければならないため、事実上の兵力差は約百倍となる。

 

「くそ、間に合わなかったか!」

 

迫り来る義龍の大軍を見て良晴は独語する。

 

(やっぱ俺じゃ藤吉郎のおっさんの代わりは荷が勝ちすぎるのか⁉︎)

 

良晴はそう思うも口にしない。

自らの目の前で五右衛門と川並衆が多勢に無勢の中戦っている。弱気な言葉を吐いては彼らを裏切ることとなる。

 

「相良氏!」

 

「ああ、五右衛門。種子島をくれ、俺も戦うっ!」

 

五右衛門から種子島を受け取り墨俣城の櫓の上から義龍軍に照準を合わせる。

良晴は未来でも戦国に来てからもを含めて水鉄砲しか鉄砲を撃ったことがないど素人だ。しかしこの圧倒的な数の差ならば川並衆に誤射する心配はない。

 

「この墨俣城を壊させてたまるかよっ!」

 

良晴の撃った銃弾は美濃の将の眉間を見事撃ち抜いた。

 

(よし、イケる!)

 

種子島が有用だとわかると良晴は種子島を何発か義龍軍中に撃ち込む。いずれも見事命中した。しかし種子島を持っているのは良晴だけではない。

 

「あ、危ないでござる、相良氏!」

 

五右衛門が叫ぶと同時に種子島の発砲音がする。

さすがの球よけのヨシも銃弾相手には通じない。

良晴は食らったと思ったが、食らっていなかった。

 

「外した、のか?」

 

良晴がつぶやく。しかしそれは間違いであった。

良晴の目の前で戦っていたはずの五右衛門が良晴の足元でうずくまっていた。

それを見て良晴は自分を貫くはずであった銃弾を五右衛門が代わりに受けたのだと悟った。

 

「……ごえ、もん?」

 

良晴が恐る恐る声をかける。話しかけられた五右衛門は良晴に向けて顔を上げる。

 

「……相良氏……ご無事でござるか……。やはり……すべての実を拾うのは、無理でござったな……」

 

途切れ途切れながらも五右衛門が余力を振り絞り、良晴に話しかける。

 

「ちょ、まてよ五右衛門。マジかよっ?嘘だろ⁉︎」

 

「……おのこは、いずれ……選ばねばなりませぬ……選ぶ勇気を持たれよ、ちゃがらうぢ……」

 

そこまで口にすると五右衛門の頭ががくりと地に沈んだ。

静かに瞳を閉じた五右衛門の小さな身体を抱きながら良晴は慟哭する。

 

「これじゃ、話が違うじゃねえか……!」

 

墨俣一夜城を発生させたはずなのに五右衛門が死んだ。

やはり俺では藤吉郎のおっさんの変わりは無理だったのか⁉︎

口に出さまいとしていた思いが次々と漏れ出ていく。

 

「許さねえ、許さねえぞ斎藤義龍!!」

 

良晴はゆらりと立ち上がり、種子島を構え直して義龍の軍中に何発も何発も撃ち込んだ。

だが、弾薬にも限りがある。四半刻あたりで全て使い切らんとしていた。

何もあきらめないものは結局は全てをあきらめねばならなくなるのか。良晴にはもはや打つ手は残されていない。そう思われた時だった。

 

「た、竹中半兵衛重虎、義によって……いえっ、義より大切なもののために良晴さんに助太刀します……!」

 

「ににに西美濃三人衆筆頭安藤守就も仕方なく相良の坊主にお味方いたす……」

 

「やれやれ、無謀な戦いをしておるな」

 

半兵衛と救出された守就と白雲斎が義龍軍の背後から戦場に割り込んで来た。

 

「なっ、今孔明が敵方にっ!」

「西美濃三人衆の筆頭も敵方だぞ!」

 

半兵衛と守就が良晴についたことは義龍軍に強烈な衝撃を与えた。半兵衛は言うまでもなく、守就も中濃三城無き義龍政権にとっては貴重な戦力であった。

衝撃の余波は将にも広がる。

 

「おうおう……!あの半兵衛が……」

「ついに仕えるべき主君を得たか!」

 

西美濃三人衆の残りの二人、稲葉一鉄と氏家卜全はかねてより半兵衛の将来を嘱望していた。ゆえに彼らは半兵衛が良晴の加勢するやいなや義龍側から良晴方に寝返った。

これで義龍政権から中濃三城と西美濃三人衆が失われ、将兵が動揺し、敗色が濃厚になる。

 

「儂は絶対に負けぬ!この儂こそが美濃の国主!親父どのよ、弟よ、うつけ姫よ、儂が生きてある限り美濃は奪えぬと思い知れい!」

 

しかし、義龍はそれでも苛烈な攻勢を維持した。

化け物じみた義龍の執念が美濃の兵に伝播する。一貫した恐怖が再び義龍軍を統制し、組織的な攻勢が再開された。

その攻勢の前に良晴たちは善戦するも、じりじりと押されざるを得なかった。

 

(ここまでやってもダメなのか?未来知識をもってしてもダメなのか?あと一押しで義龍軍が墨俣城に侵入してしまう……!)

 

気づけば良晴は種子島を槍に持ち替え、築城の前に信奈から預けられた瓢箪を兜に縛り付けて義龍に向かって突撃を始める。

良晴の槍は未だ拙い。だが、諦めたくないという思いが良晴の背を押し、力となる。気力と気迫だけで何人もの義龍兵を討ち取った。

しかし、数の前には如何ともし難く、良晴は城内に後退を余儀なくされる。

だが、もう一度良晴方に追い風が吹き始める。

義龍軍の左側に突然木瓜と永楽銭の旗印の軍勢が現れ、そのまま攻撃を始めたのだ。その先頭にいるのは……。

 

「あれはわたしの瓢箪!墨俣城はまだ落ちていないわ!」

 

「墨俣築城失敗の汚名を挽回すべく柴田勝家ただいま見参!全軍、姫様に続け〜!」

 

「昭武どののおかげで間一髪間に合いました。満点です」

 

「良晴……今、助ける…」

 

信奈に勝家、長秀、犬千代といった織田家オールスターズだった。

 

「信奈⁉︎なんでここに⁉︎なんで稲葉山城に行かなかった⁉︎これじゃ昭武たちを動かした意味がねえ!」

 

良晴は自分が墨俣城を築城し囮になることで、稲葉山城を手薄にして織田軍と昭武たちに稲葉山城を落とさせるつもりだったのだ。しかし肝心の織田軍が墨俣に来てしまえばこの策は意味をなさない。

一方先頭で指揮を執っていた義龍は「まさか」と唸り声をあげていた。

 

「全軍で墨俣を救援だと⁉︎稲葉山城に手勢を割いて向かわせぬのかっ⁉︎」

 

用心深い義龍は、稲葉山城にもたっぷりの守備兵を残しておいた。信奈は野戦には強いが、城攻めを苦手としている。その上、兵力が少ない。だから自軍を墨俣と稲葉山城とに分断しても織田勢を各個撃破できると考えていた。

無論、連合軍に援軍を頼んで稲葉山城を攻城したり、墨俣に援軍として向かわせる可能性も考えたが、中濃三城に引き続き、稲葉山城や墨俣築城まで連合軍に手を貸されては織田家の面子が立たない。ならばこの戦に連合軍は参戦する可能性は低い。そうまで読み切ってのこの布陣だった。

しかし実際は織田勢全てが墨俣に、連合軍が稲葉山城を包囲して義龍の退路を塞いでいる。

連合軍は兵数こそ織田勢と同等だが、主体が精強であることを義龍自身が知っている美濃兵と数年間に及ぶ三木直頼没後の動乱を戦ってきた飛騨兵に、雷源と共に北陸の戦乱の最前線で長年戦ってきた平湯兵で、事実上織田勢の四、五倍の戦力を誇っていた。そして織田勢も柴田勝家や前田犬千代などの猛将がこぞって攻めかかり、義龍軍に多くの被害を強いている。

この時、義龍は自らの敗北を悟った。

 

(儂はついに親父どのにも、弟にも、飛騨の山猿にも、うつけ姫にも勝てなんだ。結局は親父どのの眼鏡が正しかったということか。儂はただ飛騨の山猿のように、織田のうつけ姫のように。親父どのに実力を認めてもらいたかった。そして儂が美濃の後継にふさわしい者であることをもな。そうでなくては儂の存在に意義はない……。負けた以上、もはやその願いも叶わぬか……!)

 

「斎藤義龍!おまえの首はあたしが貰う!」

 

「軍を稲葉山城に返す。負けると決まった戦、これ以上兵を無駄に死なせるわけにはいかぬ」

 

驀進してくる勝家を睨み付けながら、義龍はついに墨俣から退却を決めた。

 

相良良晴の墨俣一夜城は終わった。

戦後の墨俣城にて良晴は信奈に平伏した。が、それはやはり形だけですぐに信奈に食ってかかった。

 

「なんでここにいるんだよ信奈?稲葉山城を攻めろと言っただろうが!長政とそんなに結婚してえのかよっ!」

 

「ふん。あんたを捨て殺しにする気まんまんだったんだけど……どこかの誰かさんのせいで急に気が変わったのよ。運が良かったわね、サル」

 

「しかしなあ……」

 

「わたしもね、あんたと一緒で欲が深いの。墨俣に城も建てたかったし稲葉山城を盗るつもりよ。何もあきらめない主義なんだから」

 

「まあ、義龍は城にも兵を残していたくさいけどな……思ったより寄せ手の兵数が少なかった」

 

とにかく良晴は、命を拾った。五右衛門もまた忍び装束の下に鎖帷子を着込んでいたため、気を失うだけで済んだ。

 

 

義龍はその後どうにか墨俣を離脱するが、井ノ口の郊外で昭武たち連合軍に捕捉されていた。

 

「即席の割にはうまくいったな。信奈公が墨俣に行くかどうかは正直分からなかったが、行ってくれて良かった。やはり相良が大事だったと見える」

 

信奈による強襲ですでにかなりの被害を受けていた義龍軍はもはやかろうじて軍勢としての体裁を保っているだけの集団に過ぎない。

義龍は連合軍相手に墨俣同様奮戦したが、大勢は変わらず優花の矢に射られて落馬したところを捕らえられた。

その後、連合軍は稲葉山城に急行。そして大手門で捕らえた義龍を稲葉山城の将兵に見せつけ、ついに降伏せしめた。

 

こうして美濃動乱は織田軍と熊野・斎藤連合軍の勝利で幕を閉じる。

されど、まだ全てが終わったわけではない。

織田信奈と浅井長政の婚姻。織田家と熊野家の間の美濃の分配などまだまだ解決しなくてはならない問題が山積していた。

 




読んで下さりありがとうございました。
二章・美濃動乱編は残り一、二話を予定しております。
稲葉山城攻めは昭武が包囲した以上義龍は逃げ込めないのでカットし、アニメに近い終わりかたになりました。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第二十四話 動乱の後始末

第二十四話です。
今回は結構の難産でした。今までに比べると質が悪いかもしれません。
あとがきにお知らせがちらほらあります。

では、どうぞ


昭武による「稲葉山城降伏」の報はすぐ信奈に伝えられた。

信奈たちは、はじめ稲葉山城が熊野家に取られてしまうと慌てたが、昭武は信奈が入城すると信奈に稲葉山城を引き渡した。

その後、稲葉山城二の丸の屋敷にて信奈の手で戦後処理の評定が進められる。

まず議題に挙がったのは白雲斎に捕らえられた義龍への始末であった。

白雲斎に引き連れられて噂にたがわぬ六尺五寸の巨漢・義龍が信奈たちの前に現れる。

義龍は死を覚悟して神妙な表情で正座していたが、悲しいかな、もともとのまんがのらくがきみたいな顔の作りのせいで館内はくすくす笑いに包まれた。

 

「ごめんなさい義龍さま……」

 

「よい、儂にそなたを使えるだけの器量がなかった。ただそれだけのことよ」

 

半兵衛が罪悪感から義龍にぺこぺこ頭をさげる。それを義龍は笑って許していた。

 

(義龍もまたひとかどの武将だったってことか……。オレたちの敵にしかならないというのが、少しもったいないな)

 

義龍のそんな様子を見て昭武はふと思う。三木良頼、江馬輝盛、岸信周。この乱世には敵ながら見事な武将があまりに多い。しかしそうした武将に限って命を落としていった。

 

「で、斎藤義龍。何か言うことは?」

 

「儂はそなたと蝮と星崎昭武に敗れた。家臣領民の命を助けてもらえるのなら何も言うことはない」

 

「そう。命乞いはしないのかしら?」

 

「儂にも土岐家としての意地がある。こうなった以上潔く腹を切るまでよ」

 

「蝮と、新五(利治)は、何か意見がある?蝮は隠居、新五は他家の人間だけど一門でしょう。意見があれば聞くわ」

 

問われた道三と利治はしばし考え込む。二人の中で先に口を開いたのは利治だった。

 

「兄上を、義龍をお斬り下さい。確かに義龍は我が斎藤家の一門です。されど父上に謀反を企て、美濃に無用の乱を起こしました。情けは一切無用です。落とし前をつけていただきたい」

 

利治の態度は毅然としたものではあるが、口の端が微かに震えている。誰から見ても利治が無理をしているのは一目瞭然だった。

利治に続いて道三が苦々しげな表情で扇子を開いたり閉じたりしながら声を振り絞った。

 

「……そやつは顔に似合わぬ知恵者。放逐すれば後々、信奈どのの天下盗りの障害になろう。始末せよ」

 

(そんな、お父さんが自分の子供を殺すように頼むなんて……!)

 

そんな道三たちを優花は信じられないような目で見ていた。

優花も江馬家の例をすでに聞いているのでこれが戦乱の世の習いだということはわかっている。わかっているのだが、心が納得できなかった。

 

「……あたしには、理解できない」

 

小さな声で優花は独語する。昭武はそれを聴き取っていた。

 

(優花の言葉はまだ武将稼業に入って少ししかないからこそ言えることだ。武家にとって一門とは、家族とは、決して絶対の信頼を預けられるものだとは限らない。当主と普通の一門ではずいぶん違うからなぁ。一部の一門はそれが嫌で当主になりたがる。それに当主の交代が下剋上によるものではなく、一門の中でふさわしいものに選び直したという話なら非難するものもそれほど多くはならない。だから当主とか嫡男はそれを恐れて、謀略に手を染める。まぁ理屈じゃ優花も納得はできているんだろう。気持ちはオレも分かる。だが、邪魔していいもんじゃない)

 

「信奈公、しばしオレたちは屋敷の外に出ている。ちょっと外の風を浴びたくなってな。連合軍絡みの議題になったら呼んでくれ」

 

「そう?わかったわ」

 

昭武は優花を半ば強引に引っ張りつつ屋敷を出る。その後ろ姿を幾人かが様々な感情の混じった瞳で見送った。

 

 

屋敷の外に出て数分後。昭武は信奈によって放逐された義龍と出くわしていた。

 

「……これは驚いた。あんた生かしてもらえたのか」

 

「そうだ。どうやらうつけ姫は初めから儂を斬る気がなかったらしい」

 

「そうか、案外甘いんだな。まぁオレが信奈公の立場でも斬らなかっただろうけどな。オレたちの親父は家族が…と言っても誰も血が繋がってはいないが、離散することを何よりも嫌う」

 

「甘いな、それでも戦国の武家か?」

 

「ははは、オレはその甘いのが大好きでね。実は半兵衛の調略の時も相良の甘い心意気に絆されて、つい半兵衛を譲ってしまったよ」

 

昭武は自虐ネタで話を逸らすが、ネタをひねくり出すついでにふと脳裏によぎったことがある。

 

(思うに相良の持ち味はあの甘さではないだろうか?この乱世は基本的に辛酸を舐めざるを得ない。そこにあんな甘い飴を与えられてしまえば、今まで辛酸を舐めて来たのも相まって相手を籠絡できてしまうのかもしれないな……)

 

思索の海に昭武は沈みかけたが、義龍が昭武にジト目を向けてきたため我に返る。

 

「まぁ、あんたに言っても栓なきことばかりだったな。なんでこんなことばかり……、どうやらオレは少しおかしくなってしまったみたいだ。それで、やはりこれからも信奈公に反旗を翻すのか?」

 

昭武が問うと義龍は迷わず首肯した。

 

「無論。生き残った以上、儂は美濃を取り戻す。土岐の嫡男たる儂と親父どのは倶に同じ天を戴くことが出来ぬ間柄、その義娘たるうつけ姫も同じこと。ゆえに儂はこれからも織田家に争い続ける。……昭武どのは儂をここで殺さずとも良いのか?」

 

「いや、殺しはしない。信奈公が決めたものをオレの一存で覆すわけにもいかんし、何よりあんたほどの武将が早々とこの世から退場するのはちと勿体無いからな」

 

「そうか」

 

「義龍公、オレが思うにこれからの時代は「甘さ」だ。今までの武家が捨てて来たものが、実は次の時代を拓くための鍵になり得るかもしれない」

 

「次の時代か、親父どのに時流が見えていないと叱られたな」

 

「道三公がそんなことを言っていたのか。まぁ妥当だな。昔のやり口が行き詰まったからこそのこの乱世だ。だのに昔のやり口を改善すらせずに行うのは愚かとしか言えねえ」

 

「昭武どのは、儂が土岐家を再興することについてはどう思う?愚かと思うか?」

 

「いや、土岐家を再興させるのはいいと思う。だが、明応の政変以前、幕府が権威をまだ持っていた時代の土岐家を目指して再興させようというのなら愚かだな」

 

「そうか……、面白い話をいくつか聞かせてもらった。礼を言うぞ昭武どの」

 

義龍は微笑を浮かべつつ、昭武に礼を述べる。昭武はその微笑になにやら見覚えがあった。

 

(まさかの話だが、義龍公は実は土岐家の血を引いておらず道三公の実子だったってことはないよな?育っていくうちに養父の笑い方が移っただけだよな?)

 

この昭武の疑念が真か嘘かは分からない。調べるにしても、道三の下剋上以後の美濃はあまりに情報が錯綜し過ぎてしまっていた。

 

 

優花が落ち着くと昭武たちは謁見の間に戻った。

昭武たちが戻った時にはすでに織田家の論功行賞のほとんどが終わっていて信奈が石兵八陣にひっかけられた時、やけっぱちに言った「稲葉山城を獲ったものは恩賞自由」をどうするかという詮議に移っていた。

 

「わたしの公正な見立てによれば、恩賞自由の功労者は一番槍をつけた勝家ね」

 

「そうですよね、姫さま!あたしが勲功一番だ!やったああ!」

 

「姫。それでは筋が通らないです二十点。墨俣築城、三人衆と半兵衛の調略。恩賞自由の褒美は、これらの大功を立てた相良良晴どのにお与えなされませ」

 

「それもそうね。じゃあサル、あんた何が欲しいの?」

 

信奈が身を乗り出して良晴に顔を近づける。

 

(こいつ、顔だけは綺麗なんだよな……)

 

良晴は思わず見惚れてしまっていた。

 

「何を呆けているの、早く言いなさいよ」

 

良晴と信奈は無言で見つめあっていた。だが、この時良晴の脳みそは急回転していた。

 

(ダメだ。なんでか知らないが、信奈が俺の嫁になりたそうな目で見ているような錯覚が……!でもダメだ。半兵衛ちゃんにああ言った手前、信奈を貶めるような要求はダメだ。ああ、でも、長政の鼻を明かしてやりたいし……)

 

「ねえ、サル。早く言ってよ」

 

焦る良晴に急かす信奈。

 

(なんでだ。こんな生意気で凶暴な女、好きでもなんでもないのに、どうしてこんなにこいつを俺の胸に抱き寄せたくなるんだろう……)

 

だが、良晴はぐっと飲み込んだ。耐えた。そして口を開く。

 

「信奈、浅井長政と結婚するな!」

 

「サルっ⁉︎」

 

「恩賞自由だからいいだろ!これでお前は独り身だ!ざまーみろ!」

 

「わ、わ、わたしはそのっ!」

 

信奈は口をもごもごさせて何か言おうとしているが、勝家が「姫さまの操が守られた」と信奈の横で大はしゃぎしたため誰も気に留めなかった。ただ一人、長秀だけが「……お二人お気持ちを思えば手放しでは喜べませんが、八十点」と複雑な笑顔でうなずいていた。

 

「これはいったいどういうことですか、信奈どの⁉︎」

 

梯子を外されたような形の長政が信奈に食いかかる。

 

「どうもこうもわたしは稲葉山城を盗ったものには、恩賞自由、と約束していたの。厳密に稲葉山城を落としたのは昭武たちだけど、それを指図したのはサルだからサルに恩賞を与えた。そしたらサルがわたしにあんたとの婚姻破棄を要求してきただけよ」

 

「まさか、そんな馬鹿馬鹿しい恩賞をお認めになるつもりではありますまいな⁉︎」

 

「約束した以上、認めるしかないわよね♪」

 

信奈はもはや喜色を隠そうともしない。だが、長政はこれしきのことでは諦めない。

 

「しかし、信奈どのは上洛をするのでしょう?美濃半国を得た程度では我が難攻不落の小谷城は落ちませぬぞ」

 

次に長政は北近江と手を組まないと信奈の上洛が不可能になることをちらつかせた。だが、ここで昭武が一歩歩み出る。

 

「信奈公、今ここで濃飛尾、いや飛尾三合従同盟を組まないか?オレの言う条件を全て飲んでくれたなら、中濃南部と中濃三城を信奈公にくれてやってもいい」

 

飛尾三合従同盟はかつて昭武と桜夜が構想した濃飛尾三国同盟の訂正版でその名の通り、飛騨の熊野、尾張の織田、三河の松平がそれぞれ経済と軍事の両面で協力し合う同盟である。

同盟内では基本的に関銭は撤廃、楽市楽座でこれらは新たな商業圏を形成するものであった。

このタイミングで昭武が同盟を提案してきたことは信奈にとって渡りに船と言えた。

昭武が信奈に出した条件は以下の三つであった。

 

一つ、熊野家に郡上郡と飛騨川の木曽川との合流点以北の両岸一里の土地を割譲すること。

二つ、米や塩、鉄などの生活必需品の関銭を残すこと。

三つ、尾張の津島に熊野家の商館を置くこと。

 

一つ目は単純に此度の援軍の報酬で、二つ目は飛騨の最低限の自給の保証。三つ目は昭武の新しい政策の礎となるものである。

これらは信奈になかなかの譲歩を強いるもので、受け入れるのに抵抗を覚えた。

 

「仮に、わたしが盟を組まないと言えばどうするつもり?」

 

「親父の方針には反するが、飛騨の全軍を持って美濃を切り取る。中濃さえあれば、中濃三城を橋頭堡として稲葉山城や東濃、あるいは尾張の犬山城に自在に軍を進められる。補給も中濃を領国化できれば、さほど困らないしな」

 

稲葉山城を獲るにあたっての要地は墨俣だが、濃尾を獲るにあたっての要地こそが中濃三城一帯であった。ここを熊野家が持っている限り、織田家は美濃の領国化以前に滅亡する可能性までもが出てくる。

要するに昭武は信奈の足元を見て交渉を行っていたのだった。

 

「……わかったわ。あんたたちと同盟を組む。竹千代には後で伝えておきましょう」

 

聡い信奈はそれが分かっていた。しかし嫌々ながらも頷かざるをなかった。こうしなければ、長政との結婚を完全に回避することができなかった。

 

「長政。これでわたしは濃尾両国を合わせて約百万石の大名になったわ。これなら浅井家なんて上洛のついでに潰せるけど?」

 

笑顔で長政に問う信奈。それに対して長政の顔色が蒼白になる。

 

形勢は逆転した。

 

 

その後一悶着あったが、織田家と浅井家の同盟は信奈以外の織田家の姫を長政に嫁がせることで決着がついた。ちなみに加治田城が織田領になったため、利治と佐藤家は織田家臣になった。

外交問題が全て片付き、稲葉山城は宴の喧騒に包まれる。

 

「なぁ昭武、少しいいか?」

「ああ、いいぞ」

 

昭武の了承を取って、良晴は昭武の隣に腰掛ける。

此度の宴は織田、浅井、熊野三家合同のものであるが、やはり距離感があるのか、参加者のほとんどが自らが所属する大名家で固まっていた。

 

(昭武の家臣って今思えば美少女ばっかりだよな、くそっ!うらやましい)

 

ゆえに昭武の近くには優花や桜夜といった美少女たちがいて、良晴から見れば両手に花だった。良晴の家臣にも五右衛門と半兵衛がいるので両手に花と言えなくはないが、あまりにも年齢と発育具合が違いすぎた。

 

「昭武にはすごい助けてもらったよ」

 

織田家が美濃を獲るのにあたって昭武たち連合軍が果たした役割は大きい。もし、連合軍がいなければ織田家の美濃の領国化を完了させるには優に五年はかかったかもしれないと思うほどには。

だからこそ良晴は感謝と共に一つの疑問があった。

 

「だけどどうして、こんなに織田家に協力してくれたんだ?」

 

熊野家のというより、昭武の行動はいささか以上に織田家に利するものばかりだった。せっかく獲った中濃のほとんどを織田家に引き渡したり、軍の指揮権を良晴に貸したりとことごとく定石から外れている。

 

「決まってんだろ。全部、この同盟のためだ」

 

昭武は冷静に答えるが、実際は違う、とどこかで思った。

 

(もしかしたらオレは思った以上にお前たちに魅せられているのかもしれないな……)

 

そう思っても昭武は口には絶対出さない。言ってしまえば、いよいよ負けを認めてしまうことになりかねない。

これが昭武が定めた最後の一線であった。




読んで下さりありがとうございました。
今話で二章は終わりとなります(もしかしたら熊野家と織田家を絡ませての日常話を書くかもしれないですが)。

お知らせ

①三章に備えて登場人物一覧の模様替えを行います。
②今話でまたストックを使い切ってしまったのでしばらく投稿スピードがガクンと落ちます。申し訳ないです。

追記 9/30に後半を少し加筆。昭武が若干黒くなる。

誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第二十五話 十年

第二十五話にして三章の始まりです。
今話ではまだ上洛は行いません。幕間のような感覚で見ていただけると幸いです。

では、どうぞ


織田信奈が稲葉山城と井ノ口の町を岐阜城と岐阜の町に改名した頃、飛騨では雷源宛に二通の書状が届けられていた。

一通目は、織田信奈から室町幕府十三代将軍、足利義輝が松永久秀と三好三人衆に襲われるものの、命を拾い「松永と三人衆への仕置は他日を期す」と言い残して、敦賀港から一族と一部の家臣を引き連れて明国に逃走したという知らせで、これは雷源を大いに驚かせ、「一つの時代が終わった」と痛感させた。

二通目は、越中守護代である神保長織と越中の一揆衆の頭目が連名して書かれていたもので、杉浦玄仁率いる加賀の一揆衆が神保氏と越中一揆衆を圧迫しているので、救援してほしいというものであった。

雷源が十年前に加賀一揆衆を抜けて以来、加賀一揆衆と越中一揆衆は同じにゃん向宗でありながら対立を続けている。戦況は基本的には加賀一揆衆が優勢なものの、越中一揆衆はここぞというところで逆転勝利を収め続け、今日まで存続してきた。

しかし近年になるとそれもやや厳しいものとなる。越中東部を中心に豪族が越後の軍神、長尾景虎に服従し始めたのだ。これにより越中一揆衆の力が減退し、越中最大の武家の神保氏が一揆衆に味方しても、玄仁の前に膝を屈しようとしていた。

雷源は二つの書状を並べて見やる。

 

(一つ目に関しては言うまでもない。この機に織田信奈は上洛を実行するのだろう。幸いにも織田家は今川義元を手元に持っている。吉良家は絶えて久しく、御所はなし。今川義元が将軍になっても反発はあるだろうが、問題はない)

 

二つの書状のうち雷源を困らせたのは後者、越中からの援軍要請であった。

 

(これは、織田信奈からの書状とは両立するには難しいものだ。上洛するには熊野の名だたる将と大軍が必要となる。それに織田信奈は即断即決の将であるからおそらく一月後には上洛が始まるだろう。それまでに玄仁を追い返すのは至難の技だ)

 

だが、雷源はあまり断る気にはなれなかった。雷源は今の一揆衆に対して忸怩たる思いを持っていた。

 

(たとえ自ら望んで植えたものではないにしても、対立の種を蒔いたのは俺だ。そして俺は育むでもなく引っこ抜くでもなく放置した。そのツケが今の事態だ。けじめをつけるべきではないか?)

 

数時間か雷源は悩んだ末、ついに小姓に命じる。

 

「越中一揆衆と神保長織に加勢する。兵は四千で俺と長堯と虎三郎が出る」

 

昭武たち美濃組約四千は未だ飛騨に戻って来て間も無く、連戦はさせられない。されど長近や塩屋秋貞、山下氏勝による内政のおかげで今の飛騨の動員兵力の限界が統一直後より遥かに膨れ上がっていたため、まだ大軍を出すだけの余力があった。

 

「皮肉なもんだ。戦を嫌って飛騨に逃げたというのに、昔より大きな軍勢を率いて戻るとはな……」

 

そうボヤく雷源。雷源は天命だとか運命というものを信じる性質ではないが、ここまで舞台を整えられると何やら不思議なものを感じざるを得なかった。

 

********************

 

雷源の軍勢は松倉の町、高原諏訪城を経由して神保氏の富山城に入城した。

城内に入った雷源を越中一揆衆は大歓迎した。一揆衆の大部分が「北陸無双」熊野勝定の帰還を待ちわびていた。勝定さえ帰って来てくれたなら今まで圧迫してきた加賀衆の頸城から抜け出せると信じていた。

 

「勝定、いえ雷源様、あなた様の帰還をわたしは心待ちにしておりました!」

 

その例の一つとしては、雷源の前で感極まって涙を流している二十代前半ぐらいの女性が挙げられるだろう。彼女に雷源は見覚えがあった。

 

「お前は、確か四万だったか。朝日山城でよく昭武たちに手料理を振る舞っていたな。あの後、越中一揆衆になっていたか」

 

高知四万。雷源が越中にいた頃、雷源の侍女をしていた少女であった。高知氏という越中でかつて没落した名家に生まれた高貴な血筋の持ち主ではあるが、なぜか同時にどこにでもいそうな町娘と同じ雰囲気を持つ彼女を雷源は好んで重用していた。

 

「はい。わたしは飛騨には越中にいた一族が反対して行けませんでしたが、どうにか首が繋がって今日に至ります。そして恥ずかしながら今はこのわたしが越中一揆衆の頭目を務めさせていただいてます」

 

「四万が頭領だと⁉︎書状には別の名前で書かれていたが」

 

四万の話は雷源を驚かせた。十年前の彼女はまだ子供に過ぎず、昭武と優花のいたずらに振り回されている姿ばかり目についていた。だが、その彼女が越中国内では神保家、椎名家に並ぶ勢力の長に成り上がっていたのだ。

 

(昭武たちにも思うことだが、時の流れとはこうも人を変えるものだな…)

 

しかし、雷源に懐かしさに浸ることは許されなかった。

玄仁率いる加賀衆六千が朝日山城を越え、富山城に軍を進めており、策を考える必要があったのだ。

 

(富山城の西には神通川が流れていたな……。上手く使えないものだろうか)

 

そう考えている時、井ノ口が「殿、臣に策がありまする」と言って雷源の部屋を訪れた。

井ノ口の策を聞いて雷源は「それが良い」と鷹揚に頷いていた。

 

 

雷源が入城して三日後、玄仁率いる加賀衆は神通川の西岸に本陣を築いていた。対岸に当たる東岸では、熊野菱と高知の四つ目結の旗が翻っている。

加賀衆もまた雷源が抜けてからの十年間で幾ばくか変遷があった。

頭目が玄仁なのは変わらないが、雷源が去ってすぐに宗滴が大聖寺城を抜いて尾山御坊を攻囲したり、竜田広幸が玄仁に反旗を翻して失敗し、能登の荒野に開拓村を築き上げたりなど様々であった。

 

「まさか勝定、いえ雷源が北陸に帰ってくるなんて……」

 

三十路間近となった玄仁は恐怖していた。この十年間で玄仁が恐れていたことが現実となりつつある。あの熊野勝定が力をつけて自らと相対している。

十年前、玄仁は初めは味方、最後は敵として熊野一党を見て来た。ゆえに雷源の恐ろしさをもっとも知っている人物の一人である。

 

(けれど、十年前とは私も戦い方もだいぶ変わった。だから勝定のその実力が今になって通じるとは限らない)

 

玄仁は自らにそう言い聞かせ、身体の震えを抑え込んでいた。

 

翌日の早朝。戦は神通川を挟んだ射撃戦から始まった。

両軍の鉄砲と矢玉が水面上を飛び交う。鉄砲もまた雷源がいない十年間の間に北陸に普及したもので、上方からやってきた鈴木重泰という姫武将が持ち込んでから今に至る。

両軍の鉄砲の数はそれぞれ五百艇はくだらない。練達した兵が少ない一揆衆の中で鉄砲は古強者と新兵の差を帳消しにでき、弱点の補完ができるために北陸は九州と並んで日の本の中でも早く普及が進んだ。

 

「この十年の間で本当に戦のやり方が変わったのだな……」

 

長堯は竹束の陰に隠れて銃弾をやり過ごしながら呟いた。

今までの自分たちの戦の作法がこの銃撃戦では全く通じないのである。戸惑いを隠せないのも無理があった。

 

「射点、敵右方に集中!」

「熊野軍と射点を合わせて!」

 

それに対して井ノ口と四万は堂々と鉄砲隊を指揮していた。井ノ口は八日町の後の論功行賞で熊野家が持ち得る鉄砲の全てを与えられていた。初め、井ノ口は鷹狩りなどで銃を撃つことそのものを楽しんでいたがすぐに物足りなくなり、いつしか金環党の兵を精鋭鉄砲隊に作り変えることに心血を注ぐようになった。その結果今では織田信奈麾下の滝川一益の鉄砲隊と同等の練度を誇っている。

四万もまた鉄砲隊の運用で度々越中衆を勝利に導いた将であり、本猫寺全体の中でも上位の実力を持っていた。

 

「熊野一党は鉄砲隊までもこんなに強いのか……!」

 

井ノ口の奮戦は玄仁の隊の動揺を誘った。この十年間で北陸の戦のやり方も変わっていたが、熊野一党の顔触れも変わっている。そこに玄仁は気づけなかった。

また、満遍なく銃撃を行った玄仁軍に対して井ノ口は敵左翼を集中的に狙ったため、後半になると敵左翼が使い物にならなくなり、中央の部隊は前と左から銃撃を受け、大きな被害を受けた。

 

夜になると暗闇で鉄砲が撃てなくなるために、両軍は帰陣した。

だが、熊野軍は帰陣してすぐに玄仁軍に攻撃を仕掛けた。

両陣の間に流れる神通川を雷源と井ノ口の騎馬隊三千が渡河する。

 

「やっぱり来たわね!密集して神通川の方角に向かって斉射!」

 

玄仁はこの夜襲があることを織り込み済であった。雷源の用兵の癖として最終局面はおおよそ奇襲を用いることを知っていたからである。

玄仁は暗夜の中、弓隊を率いて神通川に向けて斉射した。

 

(このあたりの神通川の水位は平均的な足軽の胸までの高さがあるわ。これだけの水位があれば鉄砲を担いで渡ることもできない。夜襲はあったとしても速度を重視して騎馬で行うのはわかっていた。さすがの勝定でも渡河中に逆撃を被ればひとたまりもない!)

 

しかし。

玄仁の予想と反して神通川の方角から銃声が聞こえた。

玄仁の兵が次々と銃弾に倒れていく。

 

「どうして?渡河中に鉄砲が使えるわけがないでしょう⁉︎」

 

この渡河中の銃声にはタネがあった。

先ほど井ノ口が金環党を精鋭鉄砲隊に作り変えるのに心血を注いだ、と書いた。だが、育てられていたのは人間だけではない。騎馬もまた鉄砲の轟音に耐えられるようになっていた。

これは井ノ口の意図するところではなく、ただ厩の隣の敷地で射撃訓練を行ったことによる余禄であった。

ともあれ、これに気づいた井ノ口は簡素なものであるが、鉄砲騎馬隊を創設した。この鉄砲騎馬隊以下略して鉄騎隊が此度参戦しているのである。

神通川の水位は足軽では胸まで浸かる。されど馬ならば騎乗する兵の足が水に浸かる程度に収まる。馬上から鉄砲を撃つことに支障がなかった。

 

「あの松明が我々に敵の居場所を教えてくれる!皆の者、撃て!」

 

井ノ口が軍配を振り下ろす。

暗闇の中で松明を掲げている玄仁の陣はよく目立つ。それに対して玄仁が神通川の井ノ口隊に向かって銃弾や弓を放っても暗闇のため精度が格段に落ちる。もはや玄仁軍はただの的に成り下がっていた。

 

「虎三郎がよくやってくれたみたいだな」

 

さらに雷源が神通川の上流を渡河して玄仁の背後に回り込んで陣を包囲し、攻撃を仕掛けたため玄仁軍は潰乱した。

 

********************

 

夜が明けると、玄仁の陣には多くの兵が横たわっていた。その数は千はくだらない。それに対して熊野軍は百人程度死傷者が出た程度で稀に見る大勝利と言える。

戦後、雷源は朝日山城まで進軍してこれを占領した。玄仁は敗残兵を率いて加賀に撤退するのに必死で雷源の進軍を止めることが出来ず、結果的に越中から玄仁の勢力は一掃された。

またこの大勝を知って長尾家に敵対している越中の豪族が次々と雷源に降った。神保家と四万率いる越中にゃん向一揆衆も雷源に降ったのもその好例で、これらの豪族たちは雷源を反長尾の旗頭として担ぐことが目的であった。

かくして熊野家は主に越中西部の豪族をまとめる立場となり、北陸への地歩を固めるのだった。

 

 

所変わって越後、春日山城。

 

「勝定が、越中に戻ってきたか」

 

宇佐美定満は軒猿からの報告を受け取っていた。

定満と雷源はかつて親友同士だった。しかし雷源の一族が当時の越後守護代で長尾景虎の父、長尾為景が熊野家を雷源だけを残して滅ぼしたことがきっかけに為景に対する対応で仲違いし、ついに親不知で袂を分かった。

 

「あいつが越中じゃなくて越後に帰ってきてくれたなら、楽でいいんだが」

 

されど、定満は雷源との友誼を捨てきれずにいる。

 

「宇佐美さま。熊野勝定は為景さまを討ち取った男です。お嬢様が義将を名乗る以上、必ず倒さねばならない相手ですよ?あなたの気持ちはわかりますが、彼が越後に帰参することはかないません」

 

直江大和が定満のつぶやきを否定する。

 

「そりゃあ分かってるがな直江。俺はなぜ今、勝定が越中に舞い戻ったのかわからねえんだ。あいつは戦を厭っていたはず。だのに、越中を自らの手に収めた」

 

「おそらく、星崎昭武の意向でしょう。熊野勝定は文武両道の将ですが、自ら乱世に乗り出そうとはしませんでした。しかし、星崎昭武は違うようです」

 

「熊野雷源、おとちゃを討ち取り、越後を再び乱した男……」

 

定満と直江の議論をよそに一人の少女が物憂げな表情を浮かべていた。

銀髪に紅の瞳、色素のない体躯。

この少女こそが長尾為景の娘、長尾景虎。

越後の龍、あるいは軍神と称される不世出の戦巧者であった。

 

(わたしは必ずこの者と戦うことになるだろう。この男は武田晴信とはまた違った形でわたしと相容れない)

 




読んで下さりありがとうございました。
今話でついに彼らが登場しました。雷源伝を書いたのも当時、二章の後半で彼らと戦うことを予定していたからです。ですが、三章では彼らの出番はこれっきりです。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第二十六話 上洛

第二十六話です。
今回は導入部なのでやや文量は少なめです。

では、どうぞ


雷源が神通川で玄仁を撃破して一月、稲葉山城改め岐阜城下に三種の旗が翻っていた。

もっとも多いのは黄地に黒の永楽銭。次に多いのは白地に黒の三つ葉葵。残りの一つは黒地に黄の四つ割菱であった。

三旗の軍勢を合わせて、四万八千。内訳は永楽銭が三万、三つ葉葵が一万、四つ割菱が八千だった。

 

「わたしたちはこれから上洛を果たすわ!全軍進めえ!」

 

永楽銭の旗の主、織田信奈が高らかに命を下すと、万軍が整然と西への行軍を開始する。

此度の上洛は建前上は今川義元を足利家なき後の将軍につけることが目的であった。

 

「ぐずぐずしている暇はないわ。速攻で京まで一直線よ!」

 

信奈は上洛において美濃、北近江、南近江を通る中山道を用いた。信奈たちは伊勢から東海道を用いて上洛することもできるが、飛騨の熊野家と北近江の浅井家に対する配慮で中山道に決めた。

此度の上洛軍に参加する将は多い。いちいち名を連ねる尺がないため有名どころのみ紹介すると、織田家から信奈と勝家、長秀、良晴、犬千代、五右衛門といった尾張時代からの家臣に道三、利治、半兵衛といった美濃組。さらに此度の上洛案を持ってきた新参者の明智光秀の計十一人。熊野家からは雷源や昭武、優花といった一門に一義、長堯、白雲斎といった最古参。加えて桜夜、宗晴、塩屋秋貞、山下氏勝といった雷源の生徒たちと井ノ口と長近の元金環党と盛清と四万の計十四人。松平家と浅井家は当主以外に有名どころを連れてきていなかった。

 

「ははは!こりゃ実に豪華なこった!」

 

雷源は馬上で呵々大笑していた。今この場には飛尾三における多士済々の将が勢ぞろいしている。こんなのを見せられて生来の傾奇者の性がおとなしくしているわけがない。

雷源は行軍の合間合間にこれ幸いとばかりに勝家や犬千代といった織田家の猛将と一騎討ちに興じていた。

 

「や、なかなかのもんだ。かかれ柴田の名は伊達ではないな」

 

結果は雷源の全勝であった。それを自慢げに語られた一義は「羽目を外しすぎです」と苦笑いを浮かべて、影でこっそり四万に雷源の夕餉を減らすよう命じていた。

その夜、雷源の腹が一晩中鳴り響き、起き出した優花に「うるさい」と怒鳴られるのであった。

 

雷源が遊んでいるうちに、上洛軍は長政との集合場所である佐和山城に到着した。

佐和山城で待っていた長政は信奈の姿を見つけるやいなや馬上から降りて信奈に「義姉上」と恭しく頭を下げていた。

信奈たちはやや違和感は感じたものの、それはまだ信奈たちの想定内であった。しかし次に「共に天下へ参りましょう」と優しげな表情で言った時には、信奈たちは面食らった。とりわけ半兵衛の調略の際に居合わせた面々はそれが顕著だった。

 

「なあ相良。お前長政公に薬とか盛ってないよな?」

「なんでだよ⁉︎俺もなんで長政がこうなったかわからないんだぞ」

「じゃああれか、なんかの策か?」

「策じゃない。で、でももしかしたら長政って……」

 

ここから先は良晴は口にしなかった。信澄が織田家の姫に扮して長政に嫁いでいることを昭武に勘付かれかねなかったからであった。

 

 

ともあれ、これで織田連盟(長政が入ったためもう飛尾三合従とは言えないため)の軸帯が確かなことは証明され、上洛軍の兵力は五万八千にまで膨れ上がった。

今、織田連盟の上洛を阻むのは南近江の六角義賢ただ一人。

この六角家という大名家は義賢の前の当主、定頼の代には楽市楽座や本城への家臣集住などの革新的な政策を道三や信奈よりも早く導入している。また外交では中央との関係が深く何度か畿内の勢力争いに介入しており、浅井家とは初代浅井亮政の代からの因縁があるという中々に語る点が多い大名家であった。義賢の居城、観音寺城の堅牢さもその一つで長政は何度か観音寺城まで攻め込んだことがあるが、ことごとく追い返されていた。

 

「義姉上。六角の兵はさして強くないですが、観音寺城はかの稲葉山城にも匹敵する難城。一旦野陣を構築し、支城をひとつずつ気長に落としていくのが上策かと思います」

 

長政がそう献策したが、信奈は難色を示した。

 

「ならば、義賢を釣り出して会戦で破ることはできないのか?」

 

これは雷源の言である。しかし長政は頭を横に振った。

 

「義賢は観音寺城からは出てこないでしょう。約六万の兵を相手に野戦を行うのは、臆病な義賢にはできません」

 

「そうか。ならば敵の身動きを別の方法で縛ることにしよう。例えば六万を十八に分けて全支城を包囲するとかな」

 

「雷源、それでは時間がかかりすぎるわ。織田軍の長所は速さと勢いよ。包囲だけじゃ足りない。陥落させるのよ」

 

「はは!なるほど。了解した!」

 

信奈の案に雷源は頷き、織田連盟が一斉に進軍する。

六角の将兵は一家がひとつずつ丹念に城を落としていくと勝手に考えていた。しかし信奈の取った作戦はそれを逆手に取るような形であったため、普段より城と城との連携が取りづらい状況に陥った六角家は苦戦した。

普通は余程の将が率いていない限り大将なき軍団は強くないためこの作戦を取れば却って自分を不利にする。だが、織田連盟に関しては事情が異なる。

 

「長政。織田家には、わたしの代わりに大将を任せられる武将が少なくとも六人はいるわ。六(柴田勝家)。万千代(丹羽長秀)。今は伊勢にいるけど、左近(滝川一益)。新たに加わった十兵衛(明智光秀)。この四人の次に新五(斎藤利治)。そしてこの中では一番格下だけども、サルよ!」

 

「うちにも俺の代わりができる奴は何人かいるぞ。一義。長堯。昭武。優花。桜夜。一月前に部将にしたばかりだが虎三郎。もっともうちは兵数が少ないから昭武、長堯、虎三郎の三軍だけだがな」

 

信奈と雷源が言い放つ。

6+3で大将の数は九人。大将が九人いれば、支城の攻略速度も九倍となる。

五万八千という大兵を率いていても、名だたる将全てに兵が行き渡らないぐらいに織田連盟は人材が飽和していたのだ。

 

「……お見それしました」

 

長政は戦慄した。自らを今まで苦しめ続けてきた六角家がああも簡単にやり込められてしまうとは思わなかった。

 

(潤沢な人材に、兵法の常道を逆手に取った大胆な用兵。やはり私はこの方たちには敵わない…)

 

天下布武を掲げる織田信奈とかつて北陸無双と謳われ、あの朝倉宗滴ですら勝星を上げられなかった熊野雷源。

この二人を味方にできてよかったと長政は心底思った。

その後、織田連盟は六角家の支城を半日で全て陥落させ、観音寺城を再び囲んだ。

義賢は(もはやこれまで)と織田連盟に観音寺城を明け渡して、自らは一族を引き連れ甲賀に退去し、戦は終わる。

此度の戦で水際だった活躍を見せたのは、光秀と井ノ口であった。光秀は正確無比な鉄砲隊で敵将を撃ち抜き、井ノ口は圧倒的な制圧力を誇る鉄騎隊で、迂闊にも迎撃に出てきた守備隊を蹂躙した。

この二人の活躍を信奈は絶賛し、光秀には恩賞としてういろう一月分を与え、井ノ口には「あんた織田家に来ない?」とわりとねちっこく勧誘をかけるほどであった。

 

********************

 

信奈率いる上洛軍は、ついに京へ入った。

岐阜を出発してから二十日余りという、神速での上洛であった。その早さから松永久秀は降伏し大和に撤退。三好三人衆は摂津に撤退した。

織田連盟の上洛は今まで武家の内訌に振り回されてきた京の人々は初め否定的だった。「成り上がりの武家の連合」「一種の山賊」など悪しざまに言われることもあった。

しかし、信奈が兵たちに民に対して極めて優しい軍規を徹底させ、雷源が桜夜や飛騨三奉行(金森長近、塩屋秋貞、山下氏勝)を総動員して京の寺社やインフラの復興を進めるにつれて京の人々は好意的になっていった。

文官が京で辣腕を振るう一方、武官は京周辺の平定に充てがわれていた。

勝家と雷源、白雲斎が摂津で三好三人衆に追撃。昭武と優花、利治、長堯が大和の平定。五右衛門と犬千代、井ノ口が京周辺の盗賊の掃討を担当した。

 

 

昭武と利治は三千の兵を率いて大和に向かった。昭武たちの任は大和の平定とあるが、大和の過半が織田家に降伏した久秀の勢力圏で、残りは興福寺や東大寺といった寺社勢力が根を張っていて安易に手を出せないため、大してやることがなかった。

 

「この任はおそらく松永久秀への威嚇が目的なんだろうな」

 

上記の事柄から昭武は任の趣旨をこのように判断した。

松永久秀は美濃の斎藤道三、備前の宇喜多直家と並んで戦国三大梟雄に数えられる危険人物で、降伏したと言えど、あまり信用が置けない。

九十九髪茄子を差し出して安堵している隙に信奈の背後を刺すことも充分考えられた。

 

「こんなめんどくさい任につけやがって……。あれか?足元見て難題を無理やり飲ませたことを根に持っているのか?」

 

「多分そうだと思うよ武兄。信奈どのってすごい負けず嫌いだろうし」

 

「若殿が難題を飲ませたからこそ漸く飛騨の発展の基盤を築けたのです。必要な対価のうちだとそれがしは思いまする」

 

「優花と長堯がそう言うなら致し方なし、か」

 

ここまで宥められると昭武は愚痴を言う気すら無くす。

 

「ちょっと皆さん?巻き込まれた僕には何にもないんですか?」

 

この四人の中で一番悲惨なのは昭武たちに連座させられる形となった利治であった。

昭武たちはしばし筒井城にて久秀の動向を探ろうと盛清の手の者を多聞山城や信貴山城に放ったが、ことごとく返り討ちに遭い、何の情報も得られなかった。

 

「やはり梟雄相手では厳しいか……」

 

忍びによる情報入手に手詰まりを感じかけていたその時、筒井城に一人の来客が現れた。

 

「私は筒井順慶と申す者。昭武様と利治様にお願いしたき儀があって罷り越しました」

 

筒井順慶。

昭武たちが在城している筒井城の前の城主で、松永久秀と戦い続け、そして敗れた大和の雄。

そんな彼女の願いは昭武たちを新たな争乱へ引きずり込むものであった。

 




読んで下さりありがとうございました。
いよいよ昭武たちが上洛を果たしました。熊野家を盟友に引き入れたので、信奈たちは二章とは対照的にイージーモードに入っております。これから数話はオリジナル展開となります。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第二十七話 多聞山城

第二十七話です。
書いていてわかったことですが、三章は雷源伝や二章と比べるとどうしても字数が少なめになる傾向があるようです。
ただ、少なくし過ぎるのはアレなのでどうにか3,500字以上で仕上げるようにします。
では、どうぞ


順慶の願いは、筒井家と松永久秀の戦いの末に久秀側に捕らえられ多聞山城に抑留された姫武将、島左近を救出することであった。

 

「左近はこんな私によく仕えてくれた武将です。能力もあり、何より未来がある。ですが、そんな彼女だからこそ久秀は敗戦した私を再起させぬように私から左近を取り上げたのです。私にはもはや再起するつもりなどありません。折を見てあなた方に降るつもりです」

 

順慶はかなり熱量をもってまくしたてた。それを昭武は冷静に聞いていた。

 

(現状、松永の動きはちっとも分からない。順慶の願いは松永を探るには使えるだろうが、これで織田と松永に軋轢を作る可能性があるな……)

 

話が徐々に順慶と左近の思い出話になるのを聞き流しつつ、昭武はリスクリターンを計算する。

 

(まぁ、今のままではじり貧か。虎穴に入らずんば虎子を得ず、松永を訪ねるぐらいのことはしよう)

 

「わかった順慶どの。ひとまず松永どのと交渉して来よう」

 

躊躇しても何もならないと判断し昭武は順慶の願いを快諾した。

 

********************

 

順慶との話が終わると昭武は軍を利治と優花に任せ、長堯と数十人の兵を引き連れて多聞山城を訪ねた。

優花を連れて行かなかったのは、策を行なっている間に優花がボロが出して久秀にまとめて謀殺される危険性があったからであった。

 

「これはまた……奇怪な城だな」

 

久秀の居城、多聞山城は日の本のどの城よりも特異な城であった。

一部分鳥兜や芥子が植えられている牡丹の庭園に、波斯の絵物語を題材にとった壁など異国情緒に溢れている。

 

「星崎昭武だ。任務で近くまで来たので挨拶に伺った」

 

「うふ。これはご丁寧に。この城にはさぞ驚かれたことでしょう」

 

突如押し掛けた形となる昭武たちだったが、久秀は構わず屋敷に案内した。

久秀の容姿は褐色の肌に露出度の高い服とこれまた居城に恥じない特異なものだった。

 

「ああ、驚いた。まさか日の本に南蛮にも唐国にもない祆教の絵を描いている場所があるとは思わなかった」

 

祆教……ゾロアスター教は現在のイランを中心にイスラム教以前の時代に広く信仰された宗教であった。火を聖なるものとして扱うため、別名は拝火教、中国では祆教と呼ばれる。

 

「うふ。祆教をご存知とは昭武どのは博学ですね」

 

昭武がまさかゾロアスター教を知っているとは思わなかったため、今度は久秀が驚くばかりであった。

 

「飛騨は田舎だと世間に思われがちだが、松倉の町には公家が住んでいる区画があってそこの公家を相手にたまに南蛮商人が訪れる。ガキの頃のオレはその南蛮商人が来るたびに南蛮や新大陸、土耳古の話をせがんでいた。だから少しは日の本の外の話を知っているんだ」

 

「なるほど、そういうことでしたか。納得です」

 

「それで、先ほど 挨拶に来たと言ったが、実は一つ松永どのに頼みたいことがあってこちらに来たのだが良いだろうか?」

 

「ええ。わたくしに出来ることであれば、という条件がつきますが」

 

「ならば松永どのが捕らえている姫武将、島左近の解放をお願いしたい。かの者は優秀な将だと聞く。来たるべき今川幕府の藩屏に彼女ほどの将が連なってくれれば、これほど頼りになることはない」

 

「昭武どの、それはなりませんわ。確かに彼女は有能な将なれど、彼女の忠誠は信奈さまを認めぬ方に捧げられておりしかも厚い。わたくしが彼女を捕らえたままにしているのはそれを危険視したからに他なりません」

 

「その信奈公を認めぬやつが、降伏を打診して来ている。それならば、左近どのを解放しても問題ないだろう?」

 

「そうでしたか。しかしその降伏が心からのものであるかの確証はありますか?東海道の武家であるあなた方には知らなくとも無理からぬことですが、畿内では降伏したからといって戦が終わるわけではありません。その降伏を布石として逆転を図ることがしばしばあります」

 

「そういうものなのか……、では左近どのの解放は置いといて大和について色々聞かせてもらえないか?上洛したばかりで織田連盟の将は京畿一帯の土地勘がない」

 

久秀の弁舌は昭武をあしらうには十分以上のものだった。昭武は自らの不利を悟り、別の話を切り出す。

 

(これ以上言を尽くしたとて、オレには松永を説き伏せるのは無理だ。だが、これは本命ではない。果たして盛清はうまくやっているのだろうか?松永相手に話を続かせるのは中々に骨が折れるぞ)

 

久秀の話すことに冷や汗をかきながら相槌を打つ昭武。

昭武の策は始めは久秀と交渉し、久秀が交渉に応じなければ、長話をして久秀を引きつけつつ時間を稼ぎ、その間に盛清に左近を救出させるというものであった。

 

 

昭武が戦々恐々と久秀と対峙している一方、盛清は単独で多聞山城に侵入を果たしていた。

 

(なかなか不気味でなおかつ、複雑な城ですね)

 

城内にはあまり人影がない。

多聞山城は用途という観点で考えれば、城というよりは広大な館と言う方が正しい。そのため盛清の侵入は容易であった。

ただ侵入が簡単なだけで中は迷宮のように入り組んではいたのだが。

 

(殿から聞いた限りでは島左近はうら若い姫武将だと言う。捕虜であるから地下牢にいるのだろうか)

 

しかし、盛清ほどの忍びならば地下牢を探すことなど造作もない。入り口が隠されてはいたものの、すぐに見つけて地下牢に入り込んだ。

 

(あれか⁉︎)

 

盛清は地下牢の最奥の区画の牢に鎖に繋がれている少女を見つけた。

艶やかであっただろう長い黒髪はパサついていて、端正な顔立ちもやや頰がこけてしまっている。着衣も乱れてしまってはいるが上質なものであった。

 

(外形は殿の言う通りだけど、これはひどい……!)

 

盛清は少女改め、左近に憐憫を覚えた。

 

「……誰なの?」

 

駆けてくる盛清に気づいた左近が誰何の声をあげる。その声は今にも枯れそうであった。

 

「忍びゆえ名は名乗れません。されどさる方の命で貴方を助けに来ました」

 

「そう、ありがたいけどこっちに来ちゃダメよ」

 

左近は盛清を制止するが、盛清はすでに左近の牢番を気絶させて鍵を奪い左近の牢の鍵を開けた。

 

「さあ、左近どの。外に出てくださいな」

 

そう盛清が優しく声をかけた時だった。

 

「あんたっ!後ろ!」

 

左近が声を枯らして叫ぶ。盛清が振り返ると背後に十数体の若く美しい幼女を象った傀儡が出現していた。

 

「これは……!松永どのは殿が引きつけているのではなかったのですか⁉︎」

 

「あんたの言う殿が誰かは知らないし聞かないけど、松永の傀儡は本人がいなくても充分動かせるわ。数的に言えば、これは警備に回していた傀儡を全てこの一所に集めたみたいね」

 

「左近どの、傀儡を倒す手段はないのですか?」

 

「私は術者ではないから倒し方は分からない。けれど四肢を切断すれば使い物にならなくなるわ」

 

「わかりました!」

 

傀儡の中に盛清は突っ込み、次々と左近に言われた通り傀儡の四肢を斬りとばす。盛清の実力はあの白雲斎ですら一流と認めざるを得ないほどのもので傀儡の十数体などものの相手にならない。

 

「左近どの、傀儡は切り飛ばしました。さあ今度こそ……⁉︎」

 

左近に対して再度呼びかけたと同時に盛清は宙に吊り上げられる。

傀儡が新たに二、三十体出現していたのだ。そしてそのうちの五体が盛清に四肢を回して拘束していた。

 

(この傀儡は無尽蔵なのか⁉︎私としたことが……)

 

傀儡が徐々に怪力で盛清の四肢を締め上げていく。

 

「あああ、いたい、いたい、いたい……」

 

「ああ、なんてこと……。だから私は来ちゃダメと言ったのに……!」

 

苦悶の表情を浮かべながら呻く盛清を左近は直視できなかった。

 

(松永、久秀…こんな恐ろしい人間がいたなんて……!)

 

盛清は自らの関節が外れる音を聞きながら、ついに意識を手放した。

 

 

「うふ。今日は楽しい時間でしたね……」

 

「ああ、そうだな……」

 

昭武は表情にこそ出さないものの、少しやつれていた。

 

(策のためとはいえ稀代の梟雄相手に時間稼ぎをするとはな……。相当神経を使ったぞ……)

 

苦心しつつも、昭武はどうにか夕方まで久秀の前に居座ってみせた。

 

(これだけ時間を稼げば、盛清も何らかの働きが出来ただろうな)

 

昭武が安堵して立ち去ろうとした時、久秀は昭武を呼び止める。

 

「そういえば昭武どの。忘れ物がございましたよ」

 

久秀がぱちんと指を鳴らすと地中から二、三十体の傀儡が姿を現われた。

 

「松永どの、某たちを謀ったな!」

 

昭武を守らんと長堯が薙刀を構える。

 

「うふ。わたくしを謀ろうとしたのはあなたたちではないですか?」

 

そう凄惨な笑みを浮かべて久秀がもう一度指をぱちんと鳴らす。

 

「なっ⁉︎」

 

次に現れたのは五体の傀儡によって拘束された盛清であった。未だ意識が戻っていないようで、昭武が呼びかけても反応はない。

 

「見破られていたか……!」

 

「そのくノ一はお返ししますわ。わたくしと熊野家が相争うのは信奈様も望むところではないでしょう?」

 

「ああ、無論だ…」

 

結局今日一日、昭武はずっと久秀の掌の上で踊らされていたことを知った。

 

意気消沈して筒井城に戻った昭武と長堯だったが、すぐに筒井城を出ることとなった。

信奈から中間報告のために京に来るように召喚命令があったからであった。

 




読んで下さりありがとうございました。
今話で久秀さんが出てきましたが正直なところ、キャラが掴みきれていない気がしてなりません。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第二十八話 銭の壁、銭の町

第二十八話です。
かなりの難産でした。
今話ではあまり話は進みません。



昭武たちが信奈が滞在している九条の東寺に入った翌日。

畿内各所から駆けつけた諸将が成果を報告していた。

勝家と雷源は摂津で三好三人衆を破り見事摂津を平定。三好三人衆の一人岩成友通を討ち取ったが、他の三人衆は四国に逃走しておりやや消化不良な結末を迎えた。

犬千代と五右衛門、井ノ口の京周辺の盗賊狩りは五右衛門と井ノ口が経験を生かしてかなり大きな規模の盗賊団をも一網打尽にしていた。

中間報告と銘打っているが、過半の将がすでに任を終えているようだった。

昭武たちは「大和に織田連盟に表立って反抗している者もなく、筒井家など一部の国人は降伏を打診してきている」と多聞山城に関することをひた隠しにして報告した。

織田連盟による周辺地域の平定は一部不手際があったものの概してうまくいったと言える。しかし、一番の重大事である今川義元を将軍につけるための朝廷工作がうまくいっていなかった。

朝廷工作を担当した光秀が青ざめた表情で身体をぶるぶる震わせつつ信奈の前に平伏していた。

 

「申し訳ございません信奈様。関白近衛前久どのは怒りが収まらないご様子で今川義元の将軍就任するには今月末までに十二万貫を御所に納めよと言われました」

 

「「十二万貫だと⁉︎」」

 

これにはその場の諸将全員が驚愕した。

前久が織田家に要求した十二万貫は途方もない大金で、 今の織田連盟の加入国の蔵の金子を全て放出してギリギリ払えるか払えないかといった金額だった。それを今月末……一週間と数日で払えというのは無理難題で前久が義元を将軍職につけるつもりはないことの証左と言える。

弱り目に祟り目と言ったところか、織田連盟にさらなる凶報が齎される。自らの下剋上のツケを払わされそうになって美濃に逃げ帰っていた道三からの早馬だった。

 

「川中島でにらみ合っていた長尾景虎と武田信玄が突如和睦いたしました!両雄が相争う隙をついた織田軍の強行上洛を見て、これ以上争っている場合ではないと両者の意見がめずらしく一致したようです!」

 

「早すぎるわ…、三ヶ月はにらみ合ったままだと思っていたのに、おかしいわね……上洛を目指している晴信はまだしもその晴信を目の敵にしている、あの長尾景虎が……」

 

「いや信奈どの。景虎が、というよりは長尾家が和睦に応じる可能性はあるにはあったぞ」

 

景虎が和睦に応じたことで首を傾げる信奈に対して雷源は断定的だった。

 

「どういうことよ?」

 

「景虎は関東と信濃で二正面作戦を繰り広げているが、越後の諸将は関東派と信濃派の二つの派閥に分かれている。越後の諸将はたとえ軍神を戴いて戦っていたとしても自分たちが如何に不利な戦いをしているかの自覚があるわけだ。それに戦に強くても金の使う量が減るわけではないし、景虎は新しい領土を得るようなことはしない。つまり景虎が戦えば戦うほど越後の財政は悪くなるばかりだ。景虎の意志はともかくとして越後全体を考えれば、信玄と和睦するのは得になる。おそらく定満か直江、あるいは関東派の政景が和睦を強行したのだろうよ」

 

織田連盟の中で最も長尾家に造詣が深い雷源の言は、他の諸将を納得させるに足るものであった。

 

「情勢は十三点というところです。いかがいたしましょう、姫」

 

長秀が信奈に問い掛ける。

 

「いくら蝮が留守番してくれていると言っても、兵力が足りないわ。それに武田騎馬隊の異常なまでの強さ。おそらく織田連盟の全軍でかかってようやく勝ち目が出てくるぐらいの相手よ。上洛する意欲が湧く前に美濃を固めた方がいいわね」

 

「たたたたいへんです〜信玄さんが上洛するとなれば、三河はその行軍路になってしまいます〜」

 

「景虎が関東ではなく越中に攻めてくる場合もあるな。俺は長尾為景を討ち取った。もしかしたら親の仇と見て襲い掛かられるかもしれん」

 

元康と雷源が互いに顔を見合わせる。

この二家は武田長尾両家が和睦した場合北条に次いでそのあおりを受ける立場にいた。

 

「これ以上本国を空にはしておけないわね。三好掃討が一段落した京は十兵衛に任せるわ」

 

「待て。明智光秀だけじゃ人手が足りない。こっちは昭武たちと兵二千を置いていくからそれを使え」

 

雷源の言葉に信奈は意外そうな表情を浮かべる。

 

「雷源。ほんとに昭武たちと兵を二千を畿内に置いてきていいの? 兵が足らなくなっても援軍は出せないわよ?」

 

「少し堪えるが、どうやらガキどもは畿内でまだやりたいことがあるらしい。またいつ上洛できるかわからない以上、やり切らせた方がいいだろう」

 

(ん? 親父に左近のことは言ってなかったはずだが)

 

この雷源の発言に昭武は首を傾げるが、あまり気にしないことにした。

 

「そう、ならいいけど……。ともかく十兵衛の下に、犬千代をつけるわ。サルの軍団もそのまま残って。わたしたちは全軍で岐阜城に帰還しましょう。雷源と竹千代と長政も、急ぎそれぞれの居城へ」

 

「「御意!!」」

 

信奈の命で、浅井・松平は領国へ帰った。熊野家もまた雷源や一義、長堯、四万、金環党が帰国し、残りは京に残留した。

 

****************

 

雷源達の出発を見送った昭武たちは堺に足を運んでいた。

まだ左近の問題が片付いていないが、今のところは八方塞りでどうにもならず、他の優先すべき事柄を行った方が良いと判断してのことだった。

昭武たちが堺に来た目的は馬鈴薯の種芋の調達である。

馬鈴薯の栽培は飛騨の国力を上げるためには不可欠で、飛尾三合従同盟締結後、昭武たちは津島の熊野商館で種芋を手に入れようとしたが、尾張には馬鈴薯を扱っている商人が来なかったため頓挫していた。

本来昭武たちは畿内に来てこれを真っ先にやろうとしたが、取り掛かる前に信奈に大和平定を命じられて今に至る。

堺に来ているのは同盟の原案を考えた昭武と桜夜、それに加えて優花と塩屋秋貞。宗晴は京にてポロポロになった盛清の面倒を見ている。

 

「堺に集まる南蛮の産物の数は日の本一! ここなら必ずや馬鈴薯を扱っているはずですよー!」

 

堺の案内をするのは出自が商人であった飛騨三奉行の一人、塩屋秋貞。塩屋家はもともと家名の通り塩屋をやっていてその縁で秋貞は何度か堺に足を運んだことがあった。

 

「まず、うちの知り合いの商人を訪ねます。あいつなら馬鈴薯を扱っていると思いますから」

 

「秋貞、その商人ってどういうやつなんだ?」

 

「うちと同じ十九歳だけどすでに商人として一定の成功を収めています。確か去年には堺の会合衆の一人になってましたし。しかし、それでも飽き足らずにどうにかして銭を稼ごうとしていますね」

 

「なんか銭の亡者みたいだな……」

 

「殿。確かにあいつは銭の亡者です。けれどどこかカラッとしてるところがあってみっともなさを感じるような部類ではないですね」

 

秋貞は能吏として熊野家中で内政、主に楽市楽座や関所関銭削減など数々の経済政策の運用に携わっている。

そんな彼女がこうまで語る男に昭武と桜夜は興味深いものを感じた。

秋貞に引き連れられて昭武たちはその男の屋敷にたどり着く。この屋敷は他の商家と違って堺の南端に位置し、屋敷の大きさも堺の他の商家と比べると小さい。

これは秋貞の知己が銭の亡者であっても、冨貴を誇り見せつけようとする人種ではないことを示していた。

秋貞が一人先行して男の屋敷に入る。しかし少しすると戻って来た。

 

「あいつはどうやら納屋の今井宗久どののもとへ行っているみたいですね。うちはここであいつが帰るのを待つので殿達は好きに時間を潰していて下さい」

 

 

秋貞に促された昭武は優花と桜夜を伴って堺の街をぶらついていた。

 

「井ノ口の町と比べると大分違いますね」

 

「桜夜、今は井ノ口じゃない岐阜の町だ」

 

多聞山城も特異な城であったが、堺の町もまた特異な町であった。町の周囲を環濠で囲まれたこの町はこの日の本の中で最も戦が起こらず、全てが武ではなく銭の力で治められており、往来には寧波商人や南蛮商人が日の本人と混じって闊歩している。

その繁栄から東洋のベニスと謳われた商業都市、それが堺であった。

 

「日の本全てがこの堺のように泰平と繁栄を享受する。これがオレたちの夢の終着点と言えるな」

 

「そうですね」

 

昭武と桜夜が二人並んで感慨に浸る一方、優花はあっちらこっちら堺の名物を食べ回っていた。

 

「武兄、桜夜ちゃん。あれ美味しそうだよ!」

 

優花がとある屋台を指差す。そこにはタコの絵が書かれていた。

 

「たこ焼きか……、確か納屋の名物だったか」

 

昭武は優花と共に屋台の主人にたこ焼きを注文する。

 

「オレとあいつには一隻づつ、このアホには……三隻頼む」

 

「この可愛らしいお嬢ちゃんが三隻も食べはるんか。欲張りはいけまへんで」

 

「大丈夫だおっちゃん。このアホはさっきまでイカ焼き、ベタ焼き、鉄板焼きを二つずつ食べても食べ足りないという馬鹿げた腹をしている。むしろ三隻じゃ足りないと言われるかもな」

 

「武兄、その言い方はひどくないかな?確かに食べ足りないかもしれないけど」

 

優花の言を聞いて主人が豪快に笑う。

 

「愉快な方たちでんな。せや、お嬢ちゃんに二隻おまけでつけときまっせ!」

 

「ありがとう!」

 

主人に礼を言った後、優花は昭武と桜夜と共にたこ焼きを頬張りつつ、人混みの中に消えた。

その背中を主人が先ほどと打って変わって冷静な視線で見やる。

 

「あれが星崎昭武とその腹心二人でっか。やはり英傑の類は他のお人らとはえらくちゃいますなあ」

 

このたこ焼き屋台の主人が実は堺有数の豪商、今井宗久であることは昭武たちには知る由もなかった。

 




読んで下さりありがとうございました。
数話ほど心が痛みますが左近はあのまま放置して堺になります。
三章のうちに必ず救済するので勘弁して下さい。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第二十九話 銭の開拓者たち

第二十九話です。
久々に五千字以上書いた気がします。

では、どうぞ



昭武たちが堺に到着した頃、多聞山城の地下牢にて松永久秀と島左近は相対していた。

 

「うふ。左近どの。ご機嫌はいかがでしょうか?」

 

「不機嫌に決まってるじゃない。こちとらもう一週間も食事を摂っていないのだから」

 

「あらあら、食事は逐一差し上げているはずなのにおいたわしいこと……」

 

「あんたの出す食事なんて怖くて食べられないわよ。毒が入ってそうじゃない」

 

左近の牢の隅には今まで運ばれて来た食事の盆が積み重ねられている。食事自体は掘った厠の中に捨てられていた。

 

「毒は入れてないですけどねえ……」

 

「そうでなくても妖しげな薬が入っているんでしょう?」

 

そう左近は断言する。実際、左近に与えられた食事の中には精神に作用し幻覚を見せる薬が入れられていた。

 

(それにしても何故今になって松永は私の前に現れたのかしら)

 

訝しる左近を気にも留めず、久秀は話を切り出す。

 

「さて、左近どの。いつまでそうしているつもりでしょうか。あなたの才は仕えた主君の才幹に応じて箍が外れる。ここに朽ちさせるには惜しいですし、あの小娘が持つにしても宝の持ち腐れにしかならないでしょうから」

 

「私が死ぬまでよ。いくら褒められたって私は二君に仕えるつもりはないわ」

 

「頑固ですね……あなたのお友達の柳生宗厳どのはすでに私に仕えてくれているというのに」

 

柳生宗厳は左近の親友にして上泉信綱から新陰流を習い、免許皆伝した上に自ら新たな奥義を生み出した大剣豪であった。

 

「宗厳は私ほどに義理堅いわけじゃないけど、あんたに仕えるほど節度のない武将ではないわ! おおよそ私に「あなたが牢にいる限り、筒井順慶を追撃しない」と取引したように「あなた(宗厳)が松永家に仕えている限り、私(左近)を処刑しない」と取引を持ちかけたのでしょう⁉︎」

 

「ご明察ですわ。益々わたくしの麾下に欲しくなりましたわ。しかしよろしいのですか? あなたが死んでしまえば筒井順慶はあっさりとわたくしの手にかかって死にますわよ」

 

「はっきり言うわ松永、もう私が命を繋ぐ必要はすでにないのよ。あんたには分かっているでしょうけど、この前私のもとに忍びが来た。それもかなり腕の立つくノ一だった。順慶様がこれほどのくノ一を雇えるとは思わない。つまりそこそこの勢力に今、順慶様は所属していることになるわ。それだけの勢力ならあんたでも簡単に手を出せないはずよ」

 

「うふふ、憎らしいほど頭が切れる。あなたの予想は当たっていますよ。今、筒井順慶は織田連盟の一翼、熊野家の庇護を受けていますわ」

 

「あの飛騨の大名家がどうして畿内にいるの?織田家もそうよ。あれは確か美濃を切り取ったばかりじゃなかったの⁉︎」

 

信奈たちが上洛している間に久秀に捕らえられた左近は外界から遮断されていたため、動揺した。

 

「うふふ、わたくしはそのくノ一が来た折に、その嫡男、星崎昭武と談話をしましたの。さて、ここまで言えば明敏な左近どのには十分でしょう。わたくしはこれから京に行かねばならないのでここでお暇させていただきますわ」

 

そう言って久秀は左近の前から去っていった。

左近は久秀の背中を眺めながら沈思黙考する。

 

(ついに私が死ぬことによる不利益が解消された。これで私は心おきなく死ねる。宗厳に心ならずも剣を振らせずに済むんだわ……。けど、星崎昭武。なぜ私を助けようとしたの?順慶様に頼まれたのは予想できる。狙いは筒井を取り込んで松永に対抗するためかしら?いえ、その線はないわね。私を助けるなんて危険を冒してまで味方につける価値は筒井にはもうないわ。筒井三家老ももう私がただ一人残るだけだし……。松永から与えられた情報だけじゃ星崎昭武の動機がわからないわね……)

 

左近は暗闇の中思索を巡らせる。

飢餓により身体が朽ち果てんとしてもなお、未だ軍師としての能力は衰えるところを知らなかった。

 

********************

 

ここで舞台は堺に戻る。

頃合いを見て秋貞の知り合いの商人の屋敷を昭武たちが再び訪れたところ商人はすでに帰って来ているようで、昭武たちは屋敷の中に案内された。

客間に通された昭武たちはそこで一人の青年の姿を捉える。対して青年は昭武たちが入室すると平伏した。

 

「小生の名は半田為五郎と申す。昭武様、優花様、桜夜様ついでに秋貞。遠路はるばるよくお越しになされた」

 

「ついではひどいよ五郎丸」

 

「誰が五郎丸ですか。小生があなた相手に畏まるのは違和感しかないでしょうに」

 

ぞんざいな扱いをされ、軽口を叩きつつ抗議する秋貞にそれに丁寧な語調で言い返す為五郎。

為五郎の容姿は整ってはいるものの、どことなく相良良晴を連想させるもので、人当たりの良さはすぐに伺い知れた。しかし良晴と比べるとはるかに頭が回る。それが為五郎を弱冠十九歳にして堺の会合衆に食い込む新進気鋭の商人と成さしめていた。

 

「小生は一月前から昭武様と桜夜様にお会いしたくて仕方がありませんでした。あの四カ国の大合従はおそらく日の本史上類を見ないでしょう」

 

「いや、あれは武田信玄公のやり口を拝借しただけだ」

 

武田信玄と山本勘助の二人が主導した甲相駿三国同盟は締結後の東国の情勢を変えた。

武田は海港の獲得が困難になったが、信濃平定に専念できた。北条もまた関東の反北条の大名に兵を集中できるようになり、今川は上洛にあたっての後顧の憂いを無くした。

同盟自体は桶狭間で義元が信奈に捕らえられて瓦解したが、その間に個々の大名家は力を蓄え、それぞれ東国を代表する大名家に成長を果たしたのだった。

 

「いやいや、ご謙遜を」

 

為五郎は織田連盟を発足させた人物が昭武と桜夜の二人だと知ってから熊野家に入れ込んでいた。

 

(複数国が盟を結ぶ仲介だけでも昭武様が有能な人物と分かります。しかしその程度の人物は乱世になれば一人は必ず現れるものです。だが、昭武様は一味違う。仲介から発展させて加盟国の商人に対する制度を統一し、そのまま新しい市場と為した人物を小生は他に知りません)

 

昭武と桜夜の考案した同盟は熊野家の越中への版図拡大でさらに高い効果を上げていた。

西越中が熊野家のものになったおかげで鯨海(日本海)と三河湾を縦断する無関銭(一部例外)の回廊が出来上がったのである。

開通からわずか一月ほどしか経っていないが、この回廊はすでに北陸から東海への物資の流れの主流となりつつある。

 

(このままいけば、岐阜の町、松倉の町はその中継地点として栄えるでしょう。同盟内の基準にする制度に少し熊野家の制度を混ぜた印象があるものの、自家ではなく先代からの積み重ねがある織田家のものを採用したことも見事の一言に尽きます。世間では新たな天下人に名乗りを挙げんとする織田信奈様と北陸無双の名を欲しいままにする養父の熊野雷源様に隠れて目立ちませんが昭武様もまた類稀な大器であることは間違いありません)

 

為五郎は昔から目立たないものの、高い実力を有している人物を好いていた。

今や織田四天王または五人衆に数えられる明智光秀を放浪時代に気に入り、路銀を工面してやったこともある。

そんな為五郎が昭武と桜夜にのめり込まないわけがない。

為五郎は興奮しているのをどうにか隠しながら、話を切り出す。

 

「それはそうと昭武様方は今日は如何様でここにいらしたのですか?」

 

「ああ、馬鈴薯が欲しくてな」

 

「馬鈴薯ですか。茶室に飾るといいですよ」

 

「いや違う。オレたちが欲しいのは花じゃなくて種芋だ。これを栽培して稗の代わりにするんだ」

 

「食べる……のですか? 馬鈴薯を? あれは食べる用途のものではないすよ?」

 

昭武の言を聞いた為五郎が呆然とするのは無理もない。この当時馬鈴薯は日の本に伝来したものの、総じて取引に使われたのは芋の部分ではなく花で主に観賞が目的だった。

 

「日の本では食べるという話は聞かないのはわたしも承知の上です。しかし、南蛮で自らの屋敷で馬鈴薯を栽培した者曰く、調理をすれば食べられるようです。さらには新大陸に住む人々は馬鈴薯を主食としていたらしいのです。奇しくも新大陸は飛騨に似て山がちな土地柄ですから栽培するにあたって問題はないでしょう」

 

桜夜が昭武の言に理論的な肉付けを施していく。これは為五郎の動揺を収めるに役立った。

 

(なるほど、理には叶ってはいますね。しかし……)

 

「食えるとしても味はどうなのです。舌に合わねば育てても意味はないでしょう」

 

「あ……」

 

為五郎のこの一言は昭武たちをフリーズさせた。

昭武たちの持つ馬鈴薯の知識は全て人から聞いた知識である。

今まで昭武たちは馬鈴薯そのものを見たことがなかったのだ。無論、馬鈴薯を食したこともない。

 

「どうしよう武兄!」

「仮に不味ければ机上の空論に成り下がるし、全ての計算が狂う!くそっ盲点だった!」

 

これには種芋を手に入れれば、万事解決だと考えていた昭武たちは大慌て。

そんな昭武たちに為五郎は優しく語りかける。

 

「皆様方、案ずることはありません。馬鈴薯の芋の実物は小生の盟友、納屋助左衛門が持っているので彼から買い付けます。明日、また小生の屋敷に訪れていただきたい。そこで馬鈴薯の試食を致しましょう」

 

この為五郎の一言をもってこの場はお開きとなる。

 

 

翌日、昭武たちは為五郎の屋敷に再集合した。

 

「これが、馬鈴薯の芋でございます」

 

為五郎が昭武たちに馬鈴薯を見せる。

 

「これが馬鈴薯?里芋が丸くなったような感じだね」

 

優花はおっかなびっくり馬鈴薯に触れる。

 

「為五郎はん、本当にこれが食えはるんどすかい、噓言っちゃるわけじゃなかとね?」

 

そんな昭武たちに冷ややかな目を向けているのが、為五郎の盟友、納屋助左衛門。

もともとは今井宗久の納屋で働いていたが二十代前半で独立を果たした気鋭の商人だった。

各地方の方言が混じってよくわからないことになっているのは宗久から与えられた仕事で日の本全土を回った経験が尾を引いているからである。

 

「食えると聞いたから仕入れたまで。……といってもタダでくれましたね」

 

「こげん品物になるかようわからんもんをいつまでもほたくってちゃ置き場の無駄やからのう」

 

「為五郎どの、助右衛門どの。これを品物にするのが今日のオレたちの務めなんだ」

 

「そう言われてしまうと商人として奮起せざるを得ないですね」

 

昭武の言が為五郎の心に火をつけた。助左衛門もそれは同様であった。

かくしてやや張りつめた空気が漂う半田屋敷にて馬鈴薯の実食実験が行われる。

今、この場にいる中で料理ができるのはにゃん向寺で尼見習いをしていた時分に何度か料理を作ったことがある桜夜だけだったため、桜夜が調理を担当した。

桜夜が作ったのはふかし芋。味付けは塩を少しばかりふりかけただけである。

 

「料理としては質素ですが、馬鈴薯が我々日の本の民の口に合うか確かめるのが目的ですからこれぐらいがちょうど良いでしょう」

 

桜夜がやや緊張した面持ちで為五郎と助左衛門にふかし芋を差し出す。

 

「見てくれは兵糧丸に似てますな」

 

「匂いは十分食えそうじゃがのう」

 

恐る恐る為五郎と助左衛門がふかし芋に歯を突き立てる。

 

(歯ごたえは芋にしては柔らかいな)

 

咀嚼しながら二人は考え込んでしまう。

紛れもなくこの一皿に飛騨の運命がのしかかっている。昭武たちは不安な面持ちで二人を見やった。

 

(無言か、まずいな。舌に合わなかったのか?)

 

結局何も言わずに二人はふかし芋を食べ終えた。そして為五郎が口を開く。

 

「昭武様、大丈夫でした。馬鈴薯は充分我々でも食用に堪えるものでした」

 

「なかなかに美味かったぞ。あと一つ出されてもわいは喜んで食べられる」

 

二人の表情は綻んでいた。

 

「ああ、よかった……!」

 

桜夜が安堵して一息つく。

 

「これで、飛騨は豊かになるぞ!」

 

昭武は嬉しさのあまり高々と拳を振り上げていた。

これにてようやく昭武と桜夜が組み上げた計画が動き出す。

 

 

馬鈴薯が食用に耐えるとわかったその日の夜、昭武たちが去った後に為五郎と助左衛門は話し合っていた。

 

「馬鈴薯が食用に耐えるとは思うておらなんだ。あれは素でもいけるが、里芋より調理の幅が広そうじゃき」

 

「助左衛門。小生も同じ意見ですよ」

 

「これならば、もしや……」

 

「まだあれには時間がありますね。昭武様たちは宿に帰ってしまいましたが、小生たちが試行錯誤を重ねておきましょう」

 

為五郎がいかにも面白くてたまらないという表情を浮かべる。

 

「おんしが入れ込むのは初め、知り合いの女商人が仕えているからだと思うていたが違ったな。わいも今日魅せられたかもしれん」

 

「ははは、あなたはいつも手厳しいですね。とにかくせっかく最上の市と我々史上最高の商品が揃ったのですからこの商機、逃すわけにはいきませんよ」

 

「おうよ、あさってが楽しみや」

 

堺の夜に二人の男の野心が滾る。

 

(ただの新大陸の芋がこうも人々の運命を揺るがすとは。小生はあまり非合理なことを信じる質ではありませんが、運命とは面白いものですね)

 




読んで下さりありがとうございました。
作者が言える立場ではないですが、序盤と中盤・終盤の落差が激しいですね。
堺は次話で終わります。

*馬鈴薯は史実では1600年前後に日本に伝来したようですね。信長の時代で馬鈴薯はありえませんが、信奈の世界では見せブラっぽい何かや名古屋こーちん、ソースがなぜかあるので馬鈴薯が既に伝来してても大丈夫でしょう、多分。

誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第三十話 三つ巴名物対決

第三十話です。
いや、まさかここまで小説の投稿が続いているとは序章を書いていた時には思いませんでした。皆様が読んでくださったおかげです。
まだ未熟な部分もあるかと思いますが、これからもよろしくお願いします。

*10/23に次話に入れるには半端な部分を加筆。

では、本編をどうぞ


開口神社の境内に、三十六人の堺の会合衆が一堂に会していた。

こたび開口神社では為五郎曰く「最上の市」が開かれていた。この市で取り扱われるのは、堺に新たな風を吹かせる名物。客は日の本屈指の富商たち。なるほど確かに最上の市と言えよう。

境内には三つの屋台が建てられている。二つが「新味たこ焼き」と書かれたのぼりを立て、残りの一つが単純に「新名物」と書かれたのぼりが立てられていた。

 

「場違い感半端無いな……」

 

「織田家の方々は此度の対決が義元様の将軍宣下の成否だけではなく、自らの進退もかかっています。それゆえに堺の商人の誰もが欲しがるたこ焼きを選んでいるのでしょう」

 

ボヤく昭武と説明する桜夜。

新名物の屋台はこの二人が調理を担当することになっていた。

 

「しかし、オレが料理か……」

 

織田家の二人と違って昭武と桜夜は為五郎と助左衛門に頼まれてこの対決に参戦している。

そのため昭武はあまりやる気が湧かなかった。

 

「昭武殿。こたびの対決を制することが出来たなら、我々熊野家にさらなる利益が生まれます。嫌がらず手伝ってくださいよ?」

 

それに対して桜夜は乗り気である。

 

(この対決でわたしたちの名物が勝てば、馬鈴薯の需要を増やすことができますね。昨日の為五郎様たちの反応からして馬鈴薯が食用に堪えることを知っているのは残念ながらわたしたちぐらいしかいないのでしょう。こうした形で人々に知ってもらわねば、馬鈴薯が根付かずに終わるという場合もあり得ます)

 

この桜夜の思考はそのまま為五郎たちが昭武たちを名物対決に割り込ませた理由でもあった。

 

「とはいえ、全てを手伝って頂くのは無理なのは分かっているので、昭武殿は食材を切る役をお願いしますね」

 

「分かった」

 

料理経験のない昭武はこの場においては桜夜の言に従わざるを得なかった。

 

「昭武たちも名物対決に参戦してくるんだな……。桜夜ちゃんあたりが料理が出来そうで強敵になるかもしれない」

 

「良晴さんのおっしゃる通り、桜夜どのは尼見習いの経験があります。おそらく参加者の中ではもっとも料理には秀でているでしょう」

 

「新味たこ焼きじゃないのが救いだな。というか十兵衛ちゃんに負けたら岐阜城の厨房送りだけど、俺と十兵衛の二人が昭武たちに負けた場合はどうなんだろ?」

 

「その場合はそうね……、疑わしきを罰してあんたが厨房送りかしら」

 

町娘・吉に扮した信奈が座敷席で良晴に告げる。

この勝負は元はといえば良晴の痴漢疑惑(光秀によるマッチポンプ)を晴らすためのものである。ゆえに良晴はもともと不利な立場にいた。

 

「ふふん。サル先輩には万が一にも勝ち目はありませんよ。高貴で賢い十兵衛はこの日のために最高級の食材を仕入れてきたのです。熊野家が何をするかはわかりませんが、たこ焼きでなければ私の敵ではないですね」

 

良晴に向かって大威張りをする光秀。熊野家は眼中になかった。

 

『この、尾張のういろう問屋の跡取り娘、吉が勝負の様子を実況してあげるわ!解説役は納屋の今井宗久よ!』

 

『お料理も、ちょっと工夫でこの美味さ。今井宗久でおま』

 

メガホンっぽい紙の筒を持って信奈が大声をはりあげる。

 

『制限時間は半刻!はじめっ!』

 

信奈の号令と共に各屋台が調理を始める。

 

「良晴さん、申し訳ありません。予熱を忘れていました!」

「やべえ、出遅れたぜ。残り時間が減っていく!」

「七輪の薪に火をつけましょう……ああ、薪が湿気ってしまっています!」

「拙者に任せるでござる!」

慌てる良晴と半兵衛の横で五右衛門が焙烙を七輪に投擲。

ドオオオオーーーーーン!!と派手な音を立てると同時に良晴の屋台が崩壊した。

 

「にゃああ〜。火力の調整をしくじったでござる、面目無い」

 

『サル陣営、自爆!』

『相良はん陣営は気合が空回りや。……ほんまにたこ焼きが焼けるのか心配になってきはりました』

 

「いや、普通に火打ち石を使えば良かっただろうに。馬鹿だなー」

 

あまりの間抜けさに昭武も唖然とする。

 

「昭武殿、よそ見をしていても手は動かしておいて下さい。そおすが出来ても馬鈴薯が切れてなければ本末転倒です!」

 

桜夜がそおすを調合する手を緩めずに昭武に怒鳴りつける。一人だけ戦場のテンションになっていた。

 

「ああ、すまない。……あれ?芽がうまく切り取れねえや」

 

このように、良晴と昭武の屋台が手こずっている間に光秀が犬千代を顎でこき使いながらたこ焼きの調理を進めていく。

 

「予熱はじゅうぶん。ほら丁稚、きりきり働くのです」

 

「……むっ犬千代は、丁稚じゃない」

 

犬千代が不満そうな顔をするが、光秀は黙殺。

その後、迅速かつ的確に最高級の食材たちをたこ焼き器にぶち込んだ。

さらにたこ焼き器に油を入れる際「この永楽銭の穴を通して油を入れてやるです。通らなければただにしてやるです」と旧主・斎藤道三の若かりし頃の芸を披露する余裕を見せる。

 

「なんちゅう香ばしい香りや……」

「買うた!明智屋の至高たこ焼き、買うた!」

 

これには、会合衆の大半が大盛り上がり。料理を出すまでもなく、光秀の勝利が定まろうとしていた。

 

 

光秀がたこ焼きが固まるのを余裕綽々と待つ一方、良晴と昭武は手を焼いていた。良晴は屋台の復旧に苦労し、昭武は馬鈴薯の皮むきに手こずっている。

 

「くそっ!このままじゃ刻限までに作れねえ!」

 

はじめに行動を起こしたのは昭武だった。

 

「でやあああ!」

 

馬鈴薯を何個も頭上に放り投げ、包丁を刀と同じ方式に持ち替える。

 

「ちょ、昭武殿。何をやってるんですか⁉︎」

 

「危ないから一歩下がってろ桜夜」

 

そうして桜夜を下がらせると昭武は包丁を四度馬鈴薯の落下するタイミングに合わせて斬りつける。すると馬鈴薯は均一な立方体に姿を変えた。

 

『すごい!!馬鈴薯がきっちり斬れているわ!』

『料理に用いるのはどうかと思わぬことはありまへんが、見事な腕前』

 

これには実況の信奈と宗久もびっくり。

 

「いちいち皮などむいていられるか。要は毒があるところを切り取ればいいだけだろ?」

 

「乱暴すぎますがその通りです」

 

苦笑しながら桜夜は昭武の行為を黙認した。

これ以後、昭武が怒涛の勢いで馬鈴薯を切り続け、桜夜が馬鈴薯を油の中につけていく。

昭武と桜夜が作るのは棒状に切った馬鈴薯を揚げたもの、未来で言えばフライドポテトだった。

 

「この時代にフライドポテト⁉︎」

 

その意図に気づいたのは良晴ただ一人。

とかく馬鈴薯が切れれば後は揚がるのを待つだけのフライドポテトはそんな時間がかからない。

一番早くに出来上がり、信奈たち審査員の前に並べられた。

 

「つけダレとして塩と納屋さんのそおすを基にあらゆる食材を混ぜ込んだ新たなそおすの二つを用意しました。好みの方をつけて召し上がってください」

 

「桜夜は昔から料理が得意だったから楽しみですね」

「そうなの?」

 

ちゃっかりと審査員席にいたのは秋貞と優花。

 

「というかなんでお前らがそこにいるんだ。立場的にオレがそっち側だろう?」

 

「確かにそうですが、私は馬鈴薯の扱い方を知りませんから」

「あたしは美食家って理由でここにいるんだよ」

 

「ああ言えばこう言う………まあいいや」

 

昭武は諦観めいたため息をついた。

 

「よくわからない芋を揚げただけじゃない。美味しいのかしら?」

 

信奈はフライドポテトをまじまじと見やる。

これは昭武や為五郎を別にして馬鈴薯の芋の存在が極めてマイナーなものであることを示していた。

 

「とにかく食べてみてくれ」

 

昭武が促すと信奈をはじめ、審査員がフライドポテトを口にする。

 

(一応、為五郎と助左衛門が太鼓判を押している一品。先入観さえ取り払えば、強いはずだ)

 

成功例はあるものの、昭武たちは緊張している。

この名物対決、過半数を取れなければ勝ちにはならないのである。二者択一ならともかく三つ巴の場合だと抜きん出て美味しくなければ勝てない。

 

(その点今回、相良が自爆してくれたおかげで二者択一になったのはありがたいな)

 

しかし、昭武たちの心配は杞憂だった。

 

「なにこれ⁉︎ものすごく美味しい!」

 

優花が美味しさのあまり席から飛び上がる。

優花に一歩遅れて試食を終えた面々が感動の声をあげる。

 

「芋がほくほくして美味しいわ」

「この二つのつけダレも気が利いてはりますな」

「いくら食べても飽きが来えへん。これだけでも名物の資格を充分満たしてはる」

「なるほど、新食材の南蛮揚げですか……。料理に堺の持つ進取の気風をも内包させるとは、素晴らしい」

 

今井宗久、津田宗久の二人も昭武と桜夜のフライドポテトを絶賛する。

 

(我々の読みは正しかったですな。これで布石は充分に果たせたと言えましょう。これからは我々の時代です)

 

為五郎と助左衛門が美味しさと明るい将来を夢想して表情を綻ばせる。

この後も劣勢だった良晴が揚げたこ焼きを思いつき、これまた大絶賛されるなど光秀にとってプレッシャーがかかる場面が続いた。

 

「まずいです。ソースではあのつけダレやあやしげなマヨネーズには勝てないです。かくなる上は、こちらも必殺の調味料を使うですっ!」

 

「……そんなもの、あった?」

 

犬千代が首を傾げている間に、光秀は屋台の中から一つの壺を持ち出す。

 

「松平元康どのに頼んだ最高級熟成八丁味噌です。これで信奈様が喜ぶこと間違いなしです!」

 

「あんの馬鹿!焼きが回ったか!」

 

意気揚々とせっかくの絶品たこ焼きに味噌を塗りたくる光秀に昭武が絶叫する。

しかしそれでも光秀は止まらず、ついに怪物を作り上げてしまった。

 

「さあさあ。これを喰いやがれ、ですっ!」

 

それから先は地獄だった。

審査員は建前上食べねばならないので、ものすごく嫌そうに怪物をぱくり。

 

「こんなの勝家ぐらいしか喜ばねえぞ……」

 

濃尾の面々はまだマシだった。しかし会合衆は二口三口しか食べられなかった。

 

「ううう……。苦いよ……不味いよ……」

 

もっとも悲惨だったのは優花だった。

理性が食い意地に抗えず、心ならずも怪物を口に運んでいく姿は一同の悲哀を誘った。

 

「確かにこの味噌は高級品。たこ焼きも完璧の仕上がり。料理の完成度はこの場の誰よりも抜きん出ている。そやけど、素材の調和がとれとはん、台無しや。焦りがそのまま料理の出来にあらわれましたな」

 

宗久がピシャリとダメ出しする。

 

「そんな……まさか……!」

 

光秀が落胆して崩れ落ちる。

もはや光秀の敗北は避けられぬものになっていた。……はずであった。

 

「やったですうううううう!」

 

なんと、光秀が勝ってしまったのだった。

それも他の二人に大差をつけての勝利だった。

 

「なんだこりゃ……」

 

この結果に昭武たちも呆然とする。

 

「津田宗及が明らかに手を回しましたね……。わたしたちは馬鈴薯の有用性を会合衆の方々にある程度示せたので、不利益らしい不利益はありませんが……」

 

「相良にとってはキツイだろうな……」

 

(相良の場合は自らの進退がかかっている。明らかに光秀に勝っていたにもかかわらず、不正によって負けたんだ。その無念は察して余りあるだろうな)

 

昭武たちの危惧通り、名物対決のあと相良軍団は立腹して京に帰ってしまった。

 

「さて、オレたちはどうするかな……」

 

「わたしは京に戻ります。これ以上政務に穴を空けるわけにはいきませんから」

 

「そういえば筒井城に二千の兵を置いたままだったな……。オレらは筒井城に寄ってから京に戻るわ」

 

昭武と桜夜はその場で別れて各々の目的地に向かった。

 

昭武たちとは別の場所では今井宗久、津田宗及、半田為五郎、納屋助左衛門の四人で集まって話し合っていた。

 

「いや、津田どの。よくぞこれだけの票を買い取りましたな」

 

「もう少しいい勝負になるとは思っていたんですがね。あの味噌のせいでかなりの痛手です。……それより半田様、いえ納屋さんもそうですが、あなたたち、手前が皆を買収するのを黙って見過ごしましたね?なぜです?」

 

「なにしろ、たこ焼きの独占権を手放すんや。あんたらが買い取らなんだ相良はんの「揚げたこ焼き」はそれがしの独占物とさせてもらおう」

 

「おおっさすがはわいの元主人。がめついですなぁ」

 

「助左衛門、かくいうあんたも何か企んではるんやろ?」

 

「ええ、わいらは主人とは違って「ふらいどぽてと」の販売権を他の会合衆に二千貫で売りつけますわ。ああ、津田はんは要らないんでしたな」

 

宗久と助左衛門のこれらの発言は津田宗及を追い詰めた。

 

「なるほど……名より実を取った、というわけですか」

 

「わいらの目的は「ふらいどぽてと」を通じて馬鈴薯の需要を増やすこと。あれだけの高評価をいただければ、かなり売れるでしょうなあ。そして馬鈴薯の仕入先は今年は南蛮頼りじゃが、来年からは飛騨・熊野領に変える」

 

「そううまく事が運べば良いですな。しかし、織田連盟は京の公家衆にはすこぶる不評だとか。気をつけねばなりませんよ」

 

堺の双頭と新興勢力の四人が互いの腹を探り合う。

 

(まだ私は諦めたわけではありません。堺は必ずや私のものにしてみましょう)

 

これにて名物対決は一応の決着をみる。されど、まだもう一波乱あるであろうことはこの場にいる一部の人間には明らかだった。

 

 




読んで下さりありがとうございました。
以後、舞台は京と大和に戻ります。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第三十一話 多聞山・清水寺の戦い 前編

第三十一話です。
そろそろサブタイを考えるのがしんどくなって来ました。今話のサブタイは個人的にイマイチなので後で変わる可能性があります。

*10/23に前話に加筆した部分からの続きになっています。今話を読む前に念のため前話を再読することを推奨します。

では、どうぞ


名物対決が終わり、昭武たちが大和行きへの準備を進めていると為五郎が昭武に歩み寄って来た。

 

「昭武様。先ほど津田宗及と話して思い出したことですが、過日、天王寺屋に松永様と近衛家の牛車が入っていくところを見たと丁稚が話しておりました」

 

「なんだと⁉︎」

 

これは昭武にとって衝撃的な知らせだった。

 

(近衛前久と津田宗及、松永久秀。この三者が手を組んでいたというわけか、なるほどな……。目的は間違いなく京から織田連盟を排斥することだ。多分武田と長尾が和睦し、武田が上洛するというのはこいつらが意図的に流した虚報か。本気で武田が上洛を行うつもりなら徹底的に情報操作をして和睦の情報すら流さないようにするだろうからな)

 

昭武の予想は半ば外れ、半ば当たっていた。

武田と長尾が和睦を結んだことは事実であり、近衛たちが意図的に流したものであるが、信玄は現状では上洛するつもりはなかった。

ここで視野を畿内に転ずる。

今、織田連盟の軍は武田と長尾に備えるためにそれぞれ領国に帰っており、畿内には京にいる光秀軍千程度と筒井城の熊野と加治田兵の混成軍二千しか兵がいない、もぬけの殻。

 

(まずいな、大和と京は馬で飛ばせば一日とかからない。仮に松永が蜂起すれば京はほぼ間違いなく失陥する!)

 

「為五郎、知らせてくれて有難い。もう時間はねえな。今すぐ筒井城に向かう!」

 

昭武たちは馬を飛ばして筒井城に急行した。

筒井城に着いたのは夕刻。昭武が着くと同時に美濃に行った斎藤利治の妻、佐藤堅忠と筒井順慶が出迎えた。

 

「昭武どの、そんなに急いで……。何かあったんですか?」

 

「ああ、奥方どの。軍を動かす準備を頼む。松永がそろそろ動き始めそうだ。仮に動かなかったとしても今は京に兵力を集中させた方がいい」

 

「はぁ、言われてみればそうですね。わかりました。すぐに準備をさせましょう」

 

堅忠が去ると今度は白雲斎が昭武の前に現れる。

 

「昭武よ。松永久秀が多聞山城から一万以上の軍を率いて京の方角に向かっていると配下から報告があったがどうする?」

 

畿内の事態は明らかに悪い方向へと進んでいた。

 

「ついに行動を起こしやがったか……。ならば話は早い。手薄になった多聞山城を落とす。流石に本拠地で敵軍にうろちょろされれば、気になって松永の進軍速度も落ちるだろうよ」

 

「昭武どの、多聞山城を攻めるというのなら私も連れて行ってくれませんか?左近を迎えに行きたいのです」

 

昭武と白雲斎の話に順慶が割り込む。やはり松永が相手となれば黙っていることができなかったのだ。

 

「順慶どの。かなりの強行軍になるが、構わないな?」

 

昭武の想定では、多聞山城を落とした後は京へ救援に赴くつもりであった。

 

「ええ、私は再起をするつもりこそありませんが、これでも戦国の世を生きる大名でした。倍返しはしてやりたいんですよ」

 

問われた順慶は昭武の目を真正面から見据え、口の端を吊り上げて答えた。

これには順慶を(亡国の姫大名)と無意識のうちに侮っていた昭武も鼻白む。

かつて掲げた「大和一国の統一」という野望の炎が絶えても順慶の心には今なお消えぬ熾火があった。

 

(夢半ばで破れた私なんぞを助けるために多くの者が散っていきました。そして左近に至ってはまだ私のために働いてくれています。これだけの忠を尽くされてまともに報いてやれない主には私はなりたくないのです)

 

それは主としての意地であり、これを通すために順慶は再び武器を取ったのだ。

 

「殿、私を忘れないでくださいよ」

 

さらに筒井城の天井裏から盛清が現れる。

 

「盛清……お前もう大丈夫なのか?」

 

「多聞山城では不覚を取りましたが、城内の構造は把握済みです。必ずやお役に立てましょう」

 

「大丈夫なら構わないが……無茶はするなよ」

 

「はい!善拠します」

 

盛清は年相応の幼さで返事を返す。

これでひとまず大和方面の役者は揃った。

一時間ほど待つと堅忠が準備を終えて、二千の兵を集め、隊列を組ませて大手門前の広場に集める。

その先頭で昭武は叫んだ。

 

「んじゃ、これより多聞山城に進軍する!松永久秀!多聞山城での借りを返してやるぞ!」

 

「「「おおおおおおお!!」」

 

陽はすでに沈んでいるというのに二千の兵が掲げる松明のおかげで周りがよく見える。

 

(今回の戦の最大の敵は時間だな。多聞山城をどれだけの速度で落とせるかが鍵か)

 

********************

 

熊野軍が多聞山城に着いたのは丑三つ時であった。

 

「こうして見ると存外恐ろしいものだ」

 

月明かりに照らされる多聞山城は妖しくも美しい。

されどそれは味方、あるいは中立の立場だからこそ感じ得るもので、敵となってしまえばそんな余裕はない。ただただ不気味さだけが際立つだけである。

 

「島左近の救出は儂と盛清が行こう。昭武と優花と順慶は外で攻めておれ」

 

「白雲斎どの。私も同行します。そうでなくては私が来た意味がないでしょう?」

 

「オレも順慶どのに着いていく。これはオレの個人的な興味だがな、島左近をこの目で見てみたい」

 

「何を馬鹿なことを言っているのだ。お前ら、特に昭武」

 

白雲斎が呆れ笑いを浮かべる。

 

「いや無鉄砲なことを言ってるのは分かるが、そこをどうにか頼む。あと言い訳臭いが、入り込んだついでに城代を始末できれば陥落も早められるだろう」

 

「よかろう。……しかし昭武よ。最近、勝定に似てきおったな。自ら無茶をすると決めると周りの言うことを一切聞かぬところが特に」

 

「親父に似て悪いことはあまりないから良いではないか」

 

「武兄、言い合っている暇なんてないでしょ。城攻めは私に任せてさっさと左近ちゃんを助けてきなよ」

 

見兼ねた優花が仲裁した結果、分担は昭武が主張したもので多聞山城の攻城が始まった。

 

 

多聞山城内に侵入した昭武は盛清の案内を受けながら駆けていた。

 

「昭武よ。総大将の討ち取りか、島左近の救出かどちらを優先するのだ?」

 

敵兵を一刀のもとに斬り伏せながら白雲斎が問う。

 

「どちらも大事だが、判断がつかない。それに加えて松永が京にいても多聞山城の傀儡を動かせるのも問題だな」

 

「ほう、ならば傀儡の始末は儂がしよう」

 

「白雲斎、盛清ですら手玉にとった相手だぞ?無茶じゃないのか?」

 

「これしき、無茶とは呼べぬ」

 

そう吐き捨てると白雲斎は刀で飛び出してきた傀儡を一閃した。

 

「いや、斬りつけたぐらいでは傀儡はやられないらしいぞ」

 

「昭武、良く見てみろ」

 

白雲斎に促されて昭武は切り倒された傀儡を見やる。しかし、傀儡はピクリともしなかった。

 

「あれ?動いてねえな」

「お師匠様、何故こうなるのですか⁉︎」

 

昭武と傀儡に煮え湯を飲まされた盛清は驚きを隠せない。

 

「術理はわからぬが、傀儡である以上術者と傀儡の間に動きを伝える何かがある。それを儂は術者の気とみた。ゆえに気ごと傀儡を斬ってみたが正解だったようだな。傀儡以外にも手応えを感じた」

 

「手応えって……。気なんて白雲斎が気を扱える忍者だとしても、そもそも斬れるようなものではないと思うんだが……」

 

「気を斬ることができるのは儂の力ではない。この刀の力だ」

 

そう言って白雲斎は刀を昭武たちに見せる。

 

「いつもの忍者刀じゃないんだな。普通の刀だ」

 

「この刀の銘は童子切、作者は安綱。童子切安綱と言えばわかるだろう?」

 

淡々と刀の説明をする白雲斎。それに昭武は違和感を覚えた。

 

「ちょっと待て。白雲斎、今なんと言った?」

 

「童子切安綱、と言ったが?」

 

「聞き間違いじゃなかったか……」

 

とんでもない名刀の登場に昭武が動揺する。

童子切安綱。

源頼光が酒呑童子を斬るときに使用した刀でこのことから童子切安綱と呼ばれる源氏重代の刀で足利将軍家の重宝であった。江戸時代になると同じく足利将軍家の重宝、鬼丸国綱と並んで天下五剣の一つに数えられる名刀である。

 

「なんでそんな大業物を白雲斎が持っているんだ……!」

 

「摂津平定の際に三好三人衆から奪ってきた」

 

三好三人衆は御所に足利義輝を襲ったのち、彼が三人衆の軍勢に抗するために畳に突き立てた名刀の幾つかを持ち去っていた。その中の一つに童子切安綱が含まれていたのだ。

 

(オレもわりと無茶なことをやってるが、熊野家中で一番無茶苦茶なのは白雲斎じゃないだろうか……)

 

昭武はそう思ったが口には出さない。

 

「で、白雲斎。その刀には何の力があるんだ?」

 

「退魔だ。酒呑童子を斬り伏せたこの刀は数百年過ぎた今でも陰陽道と同質の気を帯びている。ゆえに振るえば陰陽師でなくとも気を捉えて斬ることができる」

 

「もう驚くのが疲れてくるくらいだな、それ……。じゃあ白雲斎。傀儡は任せた」

 

どっとため息を吐いてから昭武たちは白雲斎と別れ、先に進む。

傀儡が白雲斎に向けて集中運用されているせいか、別れた後はあまり進路を妨げられずに地下牢への隠し扉前にたどり着いた。

 

「殿、こちらです!」

 

盛清が扉を開くと下り階段が現れる。

地下牢は煌びやかな城内とは打って変わって石壁に石畳とひどく殺風景なものであった。

 

「多分、高さ的にここは石垣の中に位置しているようだな……」

 

「傀儡はお師匠様が防いでくれていますが、容易くこちらに回せるでしょう。お急ぎを!」

 

盛清に促されて、昭武たちはさらに足を速める。しかし、すぐに足を止めざるを得なかった。

 

「まさか傀儡が全て出払うほどの敵が現れるとは……、ようやく俺の出番が来たというわけだな」

 

黒い装束を纏った中年が昭武の前に立ちはだかったからである。

 

「忍びか……」

「いかにも」

 

誰何の声に忍びは堂々と答える。

 

(風格からして相当できるな。実力は白雲斎には届かないだろうが、盛清以上はあるかもしれん)

 

ただならぬ敵の出現に昭武は震えた。

 

「陣羽織から判断するにお前は星崎昭武か。総大将がわざわざ侵入してくるとはな……。死にたいのか?」

 

「んなわけあるか。オレはただ好奇心を満たしに来ただけだ」

 

「ふっ、要らぬ好奇心は身を滅ぼすぞ」

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず、って言葉をお前は知らないのか?今回の事態はどちらかと言えばこちらだろう」

 

「減らず口をよく叩く奴よ。まあ良い。戦えばどちらが正しいかわかるだろう……!」

 

そう言うと忍びがバックステップして昭武との距離を取る。そして懐から苦無を幾つか取り出し、昭武目掛けて投げた。

投げられた苦無は凄まじい速度で飛んでくる。

昭武は刀を振るって苦無を撃墜するが、何本かは撃墜できず、昭武の体を掠めた。

 

「どうやら毒は塗ってないみたいだな……」

 

塗られていればこの時点で昭武の命はない。

 

「俺の本貫は、水準以上の成果と最低限の手間の両立よ。ゆえに毒を塗るなどいう手間は好まぬ。塗らずとも急所を貫けば容易く人は死ぬのだから」

 

「なるほど、な……」

 

このような独自の美意識を掲げている忍びは大概手強いことを昭武は身内でもって知っている。

 

(このままではいずれ奴の言葉通り急所をやられる。踏み込んでみるか……)

 

昭武がダン!と強く石畳を踏み切り、忍びの懐に切り込みをかける。これは剣士としての昭武がもっとも得意とする動作である。

 

「ちっ、まるで忍びのような速さだな。武の保証はしかと持っていたか」

 

苦無を投擲して切り込みを止めようとするも昭武に当てることは叶わない。忍びは舌打ちした。だが、昭武もまた忍びを一刀のもとに斬り捨てることは叶わなかった。

 

「挙動が速い。やはり忍びは怖いな」

 

苦無投擲に見切りをつけた忍びが苦無で昭武の薙ぎを受け止めたからだ。

これよりは刀と苦無の近接戦が繰り広げられる。

こちらになると昭武が有利であった。薙ぎ、突き、払いなど様々な斬り方ができる刀に対して苦無は刺突と斬りつけしかできない。さらに刀身が短いため、攻勢をかけようとしても昭武の刀が先に届くために断念せざるを得ず、総じて受け身になってしまう。

 

(一瞬だけでも構わぬ。隙を作らねば……)

 

忍びの本心としてはさっさと苦無を放り投げて忍者刀を抜きたかった。一振り抜ければ互角に戦え、二振り抜ければ優勢となる。

だが、そのことは昭武も分かっているため、忍びに息をつかせぬ攻勢をかけている。

しかし、忍びもさるもので昭武の攻勢を苦無で受けつつ、足払いをかけるなど逆転の機会を狙っていた。

いつ絶えずとも知れぬ打ち合いが続く。近接戦での攻防における両者の力量は拮抗していると言っていい。

 

(これは、些細なことで勝敗が変わりますね)

 

横で立会いを胃を痛めながら見ている盛清はそう断じた。

そして、その言葉通り些細なことが形勢を変える。

忍びの何度目かの足払いをかけたその時、わずかな腰の動きで見切った昭武が忍びの足を踏み台にして高く飛び上がったのだ。

 

「避けるにしては動作が大きいぞ!」

 

踏まれた足の痛みを無視して忍びが苦無を昭武の胸に投擲し、忍者刀を一振り抜いた。

 

「うぐっ!」

 

苦無が深々と刺さり呻く昭武。だが、だからといって体勢を崩しはしない。

刀を大上段に構え、落下と共に忍びに斬りつけた。

 

「ぐっ、何という力よ……!」

 

昭武の膂力と重力が組み合わさった一太刀はとてつもなく重い。並みの忍びでは間違いなく一刀両断されているだろうが、忍びは一点の無駄なく忍者刀に己が力を伝えることでかろうじて受け止める。

しかし、それも長く持たず次第にジリジリ押されていき、ついに忍びは石畳に打ち据えられた。

 

「これで終わりだ!」

 

昭武が忍びにとどめをささんと刀を構える。対する忍びはうち据えられた時の衝撃で忍者刀を失っており、忍びにとっては絶体絶命の瀬戸際に立たされていた。

盛清たちにも忍びの絶命は不可避と思われている。が、この忍びの命への執着には凄まじいものがあった。

 

「それはどうかな?」

 

忍びが不敵に笑うや否や、地下牢中に白煙が漂い始めた。

 

「煙玉でも使ったようだな、盛清!」

 

「はい!」

 

昭武が盛清の名を叫ぶと地下牢の入り口近くに盛清は跳躍した。

 

「ちっ、読まれていたか!」

 

跳躍した先には忍びの姿がある。煙を出したと同時にここまで駆けていたのだ。追いかける盛清に舌打ちしつつ、忍びは苦無を乱投して盛清の足止めを図る。

こと苦無の扱いに関しては盛清より忍びの方が技量は上である。

そのため結局、盛清は苦無を弾くのに時間を割いてしまい、忍びの逃走を許してしまった。

 

「殿、申し訳ありません!」

 

「いい。ここまで痛めつければしばらくはオレたちの邪魔をしようとは思わないだろう。これ以上の追撃はいらん。今は島左近を助け出すのが先決だ」

 

 

再び先頭に立った盛清が周囲の警戒をしつつ、昭武と順慶を先導する。

数日前は久秀に邪魔された。

昭武も盛清も打つ手がない明らかな敗北だった。

その当時、久秀が形だけは織田方だったため軍勢で攻め寄せることが憚られて久秀の独壇場とも言える暗闘をせざるを得なかったのだ。

しかし、今は違う。小細工などせずに島左近を拝むことができる。

鉄格子の向こうで左近は訪問者を待っていた。

 

「……嘘、でしょう?」

 

左近は自分の目を疑った。

 

(順慶様が私の前にいる……。それにこの前の忍びも)

 

盛清がなすすべもなく久秀の傀儡に絡め取られたのを見た時、左近は(自分が鉄格子の外に出れる可能性はもう残されていない)と密かに諦めていた。

 

(私は、このまま友の頸城を外すために死ぬと決めていた……。けれど、こんなのを見せられたら諦められなくなるじゃない……!)

 

「左近!助けに来ました!もう貴女を私の、いやっ私たちのために苦しめさせはしない!」

 

順慶が左近に向かって叫ぶ。その双眸にはきらりと光るものがあった。

 

「盛清!今回最後の仕事だ。牢を開けろ!」

 

「承知です、殿!」

 

盛清が事前に牢番から奪っていた鍵で左近の牢を開ける。

牢が開くとすぐに順慶が牢の中に分け入り、左近を抱きしめた。

これには左近も耐えられなかった。

 

「順慶様……!よくぞご無事で……!」

 

泣きじゃくりながら左近もまた順慶を抱き締め返す。

 

「ごめんなさい……!怖かったよね……!辛かったよね……!」

 

まるで赤児をあやすかのように順慶は左近に優しい言葉をかける。

順慶は左近に対して強い罪悪感を持っていた。筒井家最後の戦の時、順慶は逃げ延びるために左近の進言「左近を囮にして脱出」を採用した。大名が生き延びなければならないと理屈では分かっていても心が保たなかった。

 

「いいんです。順慶様、貴女がこうして生きていた。それだけで私は報われました」

 

左近の微笑みはとても透き通っていて、それは順慶の心の傷を見事に塞いだ。

しばし再会の余韻に浸る左近と順慶。話したいことはいくらでもあった。しかし急いでいる昭武の手前そういうわけにはいかない。

二人は可能な限り早く、気を切り替えると二人揃って昭武と盛清の方に向き直り、深く頭を下げた。

 

「昭武どの、今日のご恩は決して忘れません……!」

 

昭武にとっては松永の情勢を探るために首を突っ込んだに過ぎない。順慶にはそれが分かっていた。

ゆえにただそれだけの接点に関わらずここまで助けてくれたことに深い感謝を抱いたのである。

 

(星崎昭武、この人がそうだったのね)

 

左近が昭武を仰ぎ見る。

初めて見る昭武の姿は左近の心に鮮烈な衝撃を与えた。

 

********************

 

「やはり、仕事は選ぶべきだったな……」

 

順慶が左近と感動の再会を果たした頃、早々と多聞山城を脱出していた忍びがボヤく。

忍びは久秀からこの依頼を受けた時、あまり乗り気ではなかった。

傀儡によりすでに充分に硬い城をさらに硬めるための仕事だった。これは攻城を得意とする忍びの目には面白みのない仕事に写った。

しかし出番が少なくとも普通の仕事を受けるよりも格段に多い給金がもらえる。それだけの理由で忍びは唯々諾々と久秀に従って来たのだ。

 

「やはり俺は攻めに用いるべきだろう。たとえ畿内で気軽に雇える腕利きの忍びが俺だけだったとしてもな」

 

書き忘れていたことだが、この忍びの名は伊賀崎道順という。

「伊賀崎入れば落ちにけるかな」と言わしめた、日の本全体の忍びの中でも屈指の攻城巧者だった。

 




読んで下さりありがとうございました。
あれだけ堺で引っ張った以上、戦は長めに書かないとっていう強迫観念に駆られた結果、こうなりました。
次話で三章は終わりになると思います。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第三十二話 多聞山・清水寺の戦い 中編

第三十二話です。
美濃動乱①とかを除けば、初めて前後編に収まりませんでした。
どうやら原作沿いとオリジナル展開の平行進行は中々に字幅を取るようです。作者の頭も二つを擦り合わせるのに必死だったので、時系列やら誤字やら細かいところを間違えていそうな気がします。

では、どうぞ


左近救出が成ったとほぼ同刻。

白雲斎が多聞山城の城代を討ち取り、松永方の武将が降伏したため多聞山城の戦いは終わった。

多聞山城の天守で昭武は軍議を行っていた。

 

「見ての通り多聞山城は落ちた。今からオレたちは清水寺に行って光秀の救援をするが、順慶どのと左近どのはどうする?同行しないなら護衛のために手勢を割いて筒井城まで送ってやるが」

 

「昭武どの。私たちごときのために手勢を割いてはなりません。分隊長の言ですが、京の松永勢は一万を越えていると聞きました。対する昭武どのの軍は二千足らず。この状況で手勢を割くのは愚者のすることです」

 

左近は情勢と照らし合わせて丁寧かつ辛辣に昭武の好意を断った。

 

(毒舌だが理にはかなっているな)

 

せっかくの好意を無碍にされた形となるが、昭武は左近に感嘆していた。左近が稀に見る直言の士であったからだ。

 

「それに、私にはまだ為すべきことがありますから」

 

(こうして私が助けられた以上、宗厳も助けないと後味が悪いじゃない。今も不本意に剣を振るうことを余儀なくされている宗厳のことを思うとやせ衰えて力が出ないはずなのに五体に力が湧き上がってくるわ。もう貴女は松永に縛られなくてもいい。そのことを宗厳に伝えてあげなくちゃ)

 

順慶と同じように左近もまた大事な人のために軍旅に加わることを決めた。

 

「そうか。ならばこのまま京に進軍するだけだな」

 

昭武はそれを見届けると鷹揚に頷く。

 

「昭武よ、少しいいか?」

 

「なんだ白雲斎。何か考えがあるのか?」

 

「ああ、これは提案なんだが……」

 

白雲斎が昭武に耳打ちをする。話し声が収まると昭武は「いいぞ」とまた鷹揚に頷き、白雲斎の言を容れた。

 

 

夜明け前の京の都を童子切安綱を右手に携えて白雲斎は駆けていた。

すでに何度か松永兵とやり合ったため、白雲斎の顔と童子切安綱には血がべったりと付いていた。

 

「松永軍は弛んでいるな……。傀儡で兵の質をある程度誤魔化すことが可能だとはいえ、傀儡への傾斜が激しすぎる……」

 

松永家の兵六人を鎧袖一触に斬り殺したのちに白雲斎がボヤく。

今白雲斎が斬り殺した兵たちは久秀の馬廻を務めていた松永軍中でも剛勇で知られた者たちであった。

今、京の都では松永兵が各所に闊歩していた。これは久秀が兵たちに光秀と義元が立て籠もる清水寺を攻撃する前の最後の余暇を与えたためである。息抜きをする兵たちに紛れる様な形で久秀の傀儡も見張りのために闊歩していた。

松永軍が京を占領する一方、混成軍は京と奈良を結ぶ大和街道の途中にある槙島城で馬の交換を行っている最中で京にはまだ到着していない。

白雲斎が熊野軍二千の到着に先立って京で松永軍に対して童子切安綱を振るっている理由は久秀の傀儡を狩るためであった。

 

(松永久秀の傀儡は日の本は無論、唐国や天竺にもなく、さりとて南蛮にも属さない術だということは体感して分かった。昭武や琴平桜夜が言うにこの傀儡の術は回教興隆以前の条支国や波斯に由来するものの可能性が高いらしい。儂は童子切で無理やり斬り伏せることができるが、陰陽師にとっては術理が分からぬ異形の術。相良の小僧麾下の今孔明ですらまともに戦えるか怪しいだろう)

 

白雲斎はそこまで読みきり、昭武に進言をしていたのだった。

 

余暇の最中に白雲斎に襲いかかられた松永兵は恐慌状態に陥って白雲斎からどうにか逃げおおそうとして討たれ、動じない傀儡は丹念に刈り取られていく。

多聞山城に引き続き、京の傀儡が底をつく寸前までに陥ったその時、ふと白雲斎の鼻腔に花神の匂いがした。

 

「松永弾正少弼久秀。松永弾正、松永霜台、蠍。わたくしを指す言葉がいくつもありますゆえ、お好きなように覚えていただければと存じます」

 

十文字槍を携えた久秀が白雲斎の前に現れる。

 

「出たか。大元が」

 

「貴方には、いくら傀儡を出しても粉微塵にされてしまいますから仕方なくわたくしが出張らざるを得なかっただけですわ」

 

久秀が苦笑する。

白雲斎は久秀にとっては初めて出会った天敵とも言える存在だった。

 

「お前を相手にすることを勘定には入れていないが、よかろう。お前を討ち取れば、戦は終わる」

 

「うふふ、せっかちな殿方は嫌われますわよ? 甲賀からきた余所者でありながら、その才幹で戸隠全ての忍びを屈服させ戸隠忍びの頂点となった戸沢白雲斎どの?」

 

久秀が含み笑いを浮かべる。

 

「お言葉を返そう、露骨に迫ってくる女子も同じことと。尤も多くの場数を踏んだ貴女ならお分かりだろう? 蘭奢待で何十年もサバを読んでいる松永久秀どの?」

 

それを白雲斎は慇懃無礼に振る舞うことで迎撃した。

挑発し合う白雲斎と久秀。

いずれどちらからともなく童子切安綱と十文字槍が振るわれ、ぶつかり合うかのように思われたが、そこに割り込む一つの影があった。

影は白雲斎を視野に捉えると一跳躍し、刀を抜いて白雲斎に斬りかかる。

 

「ッ!!」

 

白雲斎はその影の一撃を童子切で受けた。

 

「そういえば彼女がここにいたことを忘れていましたわ」

 

「白々しい。初めからここに伏せていたのだろう。そうでなくてはお前は単身儂の前に現れるという愚行を演じるはずもない」

 

白雲斎は久秀の挙動をある程度読みきっていた。ゆえに影の速くかつ強力な一閃を防ぐことができたのである。

 

「防がれたならこうする」

 

影の刀が童子切の上を滑り、白雲斎の首へと向かう。白雲斎はそれに気づき、飛び退くも顎髭の一部を切り取られた。

だが、白雲斎もただでやられはしない。飛び退いたと同時に苦無を三本、影に投擲しうち二本を影の肩と腹に的中させる。さらに中空で体勢を整え、影に向かって苦無二本を追加投擲して追撃した。

白雲斎による息もつかせぬ逆撃。密かに戸隠由来の術をも使ったこの攻撃に耐えられる者は、雷源や一義、長堯などかなり限られている。

しかし影は、耐えてみせた。

 

「ほう……」

 

白雲斎が目を細めながら影の方を見やる。

非常に整った中性的な顔立ちに長い睫毛と黒い髪のショートカットをしている美少女だった。

 

「柳生石舟(宗厳)か、なるほど。いい人選をしたものだ」

 

戦国畿内の武力最強は剣豪将軍・足利義輝であるが、次強の地位は三好長慶の弟、十河一存とこの柳生宗厳が争っていた。

この三人の中で今現在日の本にいるのは柳生宗厳のみ。事実上の最強と言えた。

この時、白雲斎は久秀が全力をもって自分を始末しにかかっていると察した。

 

(儂の武力ならば松永、柳生の順に始末することができるが、松永が傀儡だけの術者とは考えにくい……。傀儡は討ち漏らしはあるがほとんど狩った。逃げるか)

 

一度決めた白雲斎の行動は早い。

煙玉を何個も使って目くらましを行い、神がかりの速さで駆けて京の都を脱した。

 

「逃げてしまいましたか……。仕方ありませんね、逃げに徹した戸沢白雲斎を仕留めるのはそれこそ神の御技。潔くこの場は諦めますわ」

 

この後、久秀は連れてきた一万千の手勢を六千と五千に分け、自らは六千の隊を率いて清水寺を囲み、五千の隊を結城忠正に与えて京の南に配置した。

 

***************

 

白雲斎と久秀が暗闘を繰り広げていた頃。

光秀は清水寺に京に残る全ての軍を集めた。

 

(前田どの、竹中どの、蜂須賀どのの三人がいないです。まさかサル人間を追いかけて美濃に行ってしまったですか)

 

光秀は名物勝負で不正をして勝ち、そのせいで良晴は美濃に行くことになってしまった。

 

「光秀様、どうなされますか?」

 

桜夜が光秀に問い掛ける。

 

(もう十兵衛とは呼んでくれないですか……)

 

桜夜と光秀は濃飛同盟の宴の時に打ち解け、友人関係にあった。

上洛戦の時は自由時間を与えられるとたまに二人で碁や食事を楽しむほどの仲であり、その桜夜にあだ名で呼ばれなくなったことは光秀に罪の意識を再燃させるのに充分だった。

 

(宗久どのにも言われましたが、織田・熊野家では家臣団とは家族であるそうです。私はその流儀を知らなかったとはいえその和を乱すような真似をしでかしてしまったです。こうなるのはある種当然のことです)

 

光秀は瞑目する。暫し息を整えると瞳を開いた。

 

「ここを守るです。幸いなことに信奈様は美濃に向かっておりますし、昭武殿は筒井城の熊野・加治田混成軍と合流しました。援軍のアテはあります」

 

「十兵衛殿、あなたは……」

 

光秀の目論見に気づいた桜夜は絶句する。

 

「桜夜どの、皆まで言わないでほしいです。最悪の場合は桜夜どのには義元様を連れて逃げてもらいますよ? 二人とも討ち死にしては駄目です」

 

敵は六千、味方は八百。

その上篭るのは寺で守備力は期待できない。

しかし、こうするほかなかった。

 

「まあまあ。光秀さん桜夜さん、頼りにしていますわよ!この程度の危機、あなたたちの知恵でどうとでもなりますわよね?」

 

おーほほほ、とこの後に及んでも高笑いする義元だけがご陽気だった。

 

「御意。京を守るは、明智光秀。この命に代えましても最後まで義元様をお守りいたします」

 

この時、光秀はこの地に我が身を捨てがまる覚悟を固めていた。

 

 

夜が更けると同時に清水寺に松永軍六千が押し掛けてきていた。

 

「明智十兵衛光秀、参る」

 

光秀は自ら前線に立ち、種子島を撃って敵の名だたる将を討ち取り、松永軍を怯ませる。

桜夜は狭隘な廊下に陣取り、長堯直伝・五人組連携で松永軍を捌いていく。

 

「皆の者、僕たちは五人組と戦っている松永軍の後背を貫くっ!!」

 

宗晴は平湯兵八十を率いて松永軍を思わぬ方向から強襲した。

この三者の試みは能く松永軍の侵入を阻み、夜明けから数時間で落ちると思われた清水寺は正午になっても落ちることはなかった。

 

「ここまで粘られるとは……、お見事です」

「そこの女、どこの誰ですかっ⁉︎」

 

突如光秀の前に久秀が現れる。

 

「うふ、我が名は、大和は信貴山城主、松永弾正久秀。以後、お見知り置きを。すぐに、末期の別れとなりますけれど」

 

「この女が……⁉︎」

 

光秀は思わず目を見開いた。

天下三大悪人の筆頭とも言える松永久秀がこのようなたおやかな美女だったとは到底思えなかったのだ。

 

「槍は宝蔵院流にございます」

 

「宝蔵院流、もしや弾正どのは興福寺のご出身でしょうか?」

 

「ええ、そのとおりですわ」

 

「その信心深き方が足利幕府を滅ぼし、奈良の大仏を焼き払い、今こうして天下布武を妨げんとするのですか。仏の道を見失いましたか!」

 

「仏の道ではありませんが、わたくしは今、道に迷っていますの。長慶様を失って以来、わたくしは寄る辺を失くしました。今は織田信奈さまがわたくしの新たな寄る辺としてふさわしいお方かどうかか知りたいと思っております」

 

「ならば、わざわざ謀反など起こさず、信奈様の隣で見極めればそれで充分ではないですか!」

 

「不充分ですわ。人は、追い詰められた時にこそほんものの姿をさらけ出すのですわ。……あなたご自身のほんものの姿も、じきにさらけ出されましょう」

 

蠱惑的な笑みを浮かべながら久秀が十文字槍の穂先を光秀に向ける。

 

「そうですか……!では!」

 

それを見た光秀は種子島を捨て、腰の刀……明智近景を抜き放つ。

 

「ついに抜きましたわね……。気高く美しき姫よ。名をお聞かせ願いたいですわ」

 

「織田家臣、明智十兵衛光秀。剣は鹿島新当流、免許皆伝」

 

名乗りながら光秀が新当流奥義、一の太刀を繰り出した。

しかし、久秀は紙一重で躱した。

 

「まさしく今の太刀筋は一の太刀、ですわね」

 

久秀が目を見開く。

 

(種子島の名手である上に、柳生新陰流開祖、柳生宗厳と同等の剣士でもあるというのですか……)

 

なんでも一流にこなせる光秀は戦国の世に最も適応しているとさえ言える奇跡的な天才だった。

 

(こんな武将すら麾下に納めうるとは織田信奈、いかほどの大器なのでしょうか)

 

久秀の心中で織田信奈への期待が高まる。だが、まだ足りない。

 

「くすっ。あなたのような英傑と出会うと、わたくし、どうしようもなく、殺して差し上げたくなってしまいますの!」

 

久秀が光秀に急接近する。

そして光秀の攻撃可能範囲ギリギリに近づくと囁くような声音で光秀に告げた。

 

「そういえば、あなたがそれだけの熱を上げている織田信奈さまですが、先程近江路で刺客に撃たれてお亡くなりになられたそうですわね……」

 

「…な…なんですと?」

 

この時、隙を作らぬよう心がけていた光秀の心に隙が生まれる。

光秀は久秀の言を聞いて天が崩れたような感覚に陥った。

 

(あの、信奈さまが……死んだ⁉︎相良良晴を追って私の、せいで⁉︎」

 

心の間隙に打ち込まれた楔が間隙を徐々に広めていく。

心の変化は身体にも作用する。

ついに光秀は久秀を前にして刀を持った腕をだらりと垂らし、無防備になってしまった。

 

「うふ、わが春花の術に、かかりましたわね」

 

勝利を確信した久秀の十文字槍が、光秀の命を刈り取るべく彼女の白い首筋に迫る。

 

(しまったです……!)

 

遅まきながら光秀が意識を取り戻すも、もはや後の祭り。

 

(申し訳ございません、信奈さま。ごめんなさい、相良先輩)

 

光秀は静かに目を閉じた。

 

 




読んで下さりありがとうございました。
三章もそろそろ大詰めです。
……今思えば、三章はわりと忍びが出張ってきてますね。
相手が久秀で暗闘の必要性が上がるからでしょうか。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第三十三話 多聞山・清水寺の戦い 後編

第三十三話です。
無理矢理、前中後の三話に収めました。
そのため難産でしたし、文量も一万を越えました。
いつか分割したり、書き直しをするかもしれません。
それと多分今話が一番ぶっとんだ話かもしれないです。

前置きが長くなりました。では、どうぞ


清水寺の戦いが始まった頃。

京の南郊、伏見において結城忠正率いる松永軍五千と昭武率いる混成軍二千の戦いも始まっていた。

 

「兵力は二倍以上か……」

 

「昭武どの。此度の戦いはあまり兵力差は問題にならないと思うわ」

 

指揮をとる昭武の隣に桜夜の代わりの軍師として左近が侍っている。

「それはどういうことだ?」

 

「結城忠正は異質な人材が多く集まる松永軍の中でもとりわけ異質な武将よ。彼はキリシタンであり、畿内で名の知られた剣豪であり学者でもある。けれど、一番異質なのは降霊術を使えることよ」

 

「降霊術か……。確かすでに死んだ人物の霊を体に宿す術か…」

 

「ええ、そうよ。結城忠正は過去の名将たちを己が身に憑依させることができる。無論、本物と比べると随分見劣りするけれど厄介なことは確かね」

 

「それはつまりどの名将を憑依させるかによって戦い方が違うってことか。確かに厄介だな……」

 

昭武たちは相手についてよくわからない状況で戦うことを強いられることとなった。

 

「とりあえず、やることは一つだね」

 

そんな中、優花が生え抜きの兵を率いて、忠正の軍に侵攻する。

 

「狙撃して!」

 

命を下すと同時に優花兵が馬上から分隊長に対して矢を放つ。

井ノ口による鉄騎隊の設立は優花兵の対抗心を煽り、構成員の三割が流鏑馬の達人という悪魔じみた練度につながった。

指令系統の破壊は敵が自前の連絡手段を構築していない限り、どの相手であっても甚大な効果を発揮する。

そういった意味で相手がわからない今の状況では最善手と言えた。

 

「兵を使い物にならなくする……。その戦い方、何処かで見たことがあるな」

 

しかし、忠正には通じなかった。

 

「斉射せよ!」

 

忠正は自陣から五百の鉄砲隊を前線に送り、優花隊に向けて斉射したのだ。

如何に弓の達人と言えども、有効射程が鉄砲に並ぶ者はそうはいない。半ば一方的に優花隊は好餌となってしまった。

 

「ごめん武兄、やらかした!」

 

優花はそのことに気づいて早めに優花兵を撤退させたが、肩を撃ち抜かれるなどして多くの優花兵が兵として機能しない段階に追い込まれる。

昭武はその間、忠正隊の側面に強襲をかけたが、堅固な槍衾によってこれまた多くの兵が地に沈んだ。

 

「どうなっているんだ……。まるでオレたちの手が全て読まれているみたいだ……」

 

昭武は忠正に対してもはや気味悪さを感じていた。

本人は何気なく呟いたのだが、実はこの昭武の言は半ば正鵠を射ていた。

 

「俺が二度も熊野の小僧のやり口に屈するわけがないだろう。熊野の次世代は馬鹿ばかりなのか?」

 

忠正の傲岸不遜に馬上で指揮する姿は、雷源が見たならば自分の目を疑うだろう。

忠正が己が身に憑依させたのは、かつて雷源によって親不知で討ち取られた越後の奸雄、長尾為景であったからだ。

 

(この者は熊野家の軍略を身を以て知っていてなおかつ熊野家への恨みがある……。このような者が二度と与えられないはずの機会を与えられたのなら、必ず死にものぐるい(まぁすでに死んでいるが)で恨みを晴らすための策を考えるだろうよ)

 

苦戦する混成軍を眺めて忠正(為景)は不気味に笑うのであった。

 

 

午前八時の時点で混成軍は前線を支えるのがやっとという状況にまで追い詰められていた。

二千近くいた兵のうち三百が数時間の間に戦闘不能となり、ただでさえ数の上で劣勢だった混成軍をさらなる死地に追いやっていた。

前線が崩壊していないのは、優花が最前線に出て単独で敵の分隊長を射殺しているからだが、焼け石に水だった。そして前線を破られれば、迎え撃つ方策は忠正に読まれ切っているのでない。

この状況に昭武と堅忠は頭を抱えていた。

堅忠はそもそもが文官だったところを利治の妻になり、武官を兼任せざるを得ない中やっているためこの状況ではものの役に立たない。

昭武は軍略の才はあるのだが、いかんせん経験不足でその才を十二分に発揮できているとは言いがたく、熊野家の軍略の体得者でしかない。

こんな二人が幾ら策を考えても為景が入った忠正の想像の上をいくようなものは作れない。

混成軍の劣勢を苦々しく思っている者は織田連盟の将だけではなかった。

 

「このままでは……」

「ダメよね」

 

筒井順慶と島左近。

二人は客将として未だ織田連盟に降伏はしていないものの、熊野家に力を貸していた。

 

「結城忠正……。よっぽど熊野家との戦いに通じたものを口寄せしたのね。そうとなれば、熊野家が指揮を執っている以上勝てないわ。音に聞く熊野雷源が率いていれば状況はまた違うかもしれないけど、今の昭武どのでは荷が重いわ」

 

左近が今の状況を淀みなく説明する。

 

「どういうこと?と聞きたかったですが、私には貴女が為さんとすることがわかってしまいました。貴女のことですから自分がその役目を務めるのでしょう?能力、性格的にぴったりですが、いまいち重みはありません。ここは私がやりましょう」

 

順慶が怪しげに笑うとすぐ、混成軍本陣は恐慌に見舞われた。

 

「順慶どの。何を言っているんだ⁉︎」

 

突然順慶に刃を突きつけられ、昭武が慌てふためく。

 

「ですから、この戦だけ私と左近に指揮権を譲れと言ったのです」

 

「左近がそう言ったのか?」

 

「提案したのは左近です。しかし容れたのは私ですね」

 

「じゃあその刃は何のためなんだ⁉︎」

 

「受け入れられなかった際に自刎あるいは昭武どのを弑するためですね。まぁどちらに転ぶかはその時次第ですが」

 

順慶はずっとにこにことした笑みを絶やさずに浮かべていた。

この状態になった順慶の苛烈さは左近でさえ恐怖する。昭武も例外ではなかった。

 

「わかった。そこまで言うなら任せよう」

指揮権が昭武と堅忠から順慶と左近に移譲されたことは混成軍中に混乱を呼んだ。

前線にいる優花は「武兄は無駄なことはあまりしないから」と兵士たちを宥めたため、前線の守備に綻びが生まれることはなかったものの、それ以外の兵士達は大挙して本陣に押し寄せた。

 

「なんであんたが俺らの指揮を執っているんだ!」

「そうだ!負け軍師なんかに従っちゃいられねえぜ!」

 

不満を持った兵が順慶に言い募る。中には刃を突きつけている兵もいた。

 

「おい、お前ら落ち着け!勝つために必要なことだ!」

「しかし殿!」

 

昭武が説得と刀による峰打ちを使い分けて兵を鎮めるも昭武とその近習だけでは数が少なすぎて全兵を抑えきれない。

ついに昭武たちの手を逃れて、順慶に摑みかかる者が現れた。

 

「まずった!」

 

順慶はそのまま兵に押し倒されるかと昭武は思ったが、そうはならなかった。

順慶は掴みかかってきた兵を頭から股まで一刀両断したのだ。

 

「うわあああ!!」

「やりやがった!!」

 

これには押し寄せてきた兵も動揺し、閉口した。

 

「鎮まって下さい。これ以上昭武どのの手を煩わせないように。今はまだ手加減をしてくれていますが、そのうち私と同じことをせざるを得なくなるでしょう」

 

順慶が冷ややかな視線で兵たちを睥睨する。

並々ならぬ気迫に兵たちが息を呑む。

 

「皆さんが私たちを受け入れたくないのはよくわかりました。しかし、これも昭武どのの命令です。従わぬ者はこのように処されても文句は言えません」

 

普段温厚な人物が途端に冷たくなると、怖さが増す。

此度の順慶はこの法則を余すところなく利用した。

(順慶を追い詰めると何をされるかわからない。ならば素直に従おう)

そのような機運が不満を持つ兵たちに急速に広がり、本陣の騒動は鎮圧された。

 

「さて、準備は整いました。左近、出てきていいですよ」

 

再び笑顔になって順慶が左近を呼ぶ。

 

「うわ、見事に鎮まっているわね……。順慶様、何をやらかしたのかしら……」

 

呼ばれた左近がドン引きしつつ、陣立てを再編する。

順慶のもたらした恐怖のせいか十分ほどで再編は終わった。

 

 

「昭武どの。此度は宗厳とよくやった戦術を行うつもりよ。昭武どのの武勇は畿内でも比肩する者はほとんどいないし、平湯兵は日ノ本のどこよりも精強な精鋭。だから宗厳の代わりも充分務まるわ」

 

そう言って左近が提案した策は穿ち抜きと呼ばれるものだった。

これは島津家中興の祖と呼ばれる島津日新斎が考案した戦術で、先頭に立つ大将を中央突破させるために縦陣を敷き、先頭の兵が倒れれば後続が補填に回り、全兵を死ぬまで使い潰す。

そのため勝つにしろ負けるにしろ多大な被害を被るという禁じ手じみたものであり、最終手段と言えた。

 

「ここまで押しこまれた以上、逆転するには将の首を獲るしかない。この策であなたを敵本陣に送るために、多くの兵たちが死ぬことになるけれど……」

 

気まずそうな顔を浮かべる左近。

この策は彼女にとってあまり気持ちの良い策ではなかった。

かつて久秀との戦いで追い詰められる度にこの策を用い、久秀を退かせるために多くの将兵の命を代償にしてきた。

特に一番最初の穿ち抜きで筒井三家老の一人、松倉右近を犠牲にしたのは忘れられない。彼自身は満足して逝ったが、左近の心中にはしこりが残った。

 

「采配を任せた以上、オレがとやかく言うつもりはない。お前がそれを最善と信じたならそれでいい」

 

このように軍の指揮権を半ば強奪された状況でこんな策を提示されれば、大概の将は難色を示す。が、昭武はそうではなかった。

 

「本当にそれでいいの⁉︎」

 

これには左近も驚愕した。

 

「良いに決まっている。期待しているぞ左近どの」

 

再度問われるも昭武は首を縦に振る。

 

(信じられない……!どうしてこの人は私をそんなに信頼できるの?家臣でも、同盟国の将でもないただの居候に等しい存在なのに……!)

 

昭武の半ば無用心とも言える信頼は左近を激しく動揺させた。

 

「ん? 何を驚いているんだ左近どの。順慶どのにあれだけ愛され、清廉な忠義を捧げた左近どのがわざわざオレたちを貶めるようなことをするとは思えない、それだけのことなんだが……」

 

昭武の左近を見る目は素面だった。

それはただ単に事実を物語っているだけで虚偽が入る余地はない。

 

(……この人の器は果てしなく大きく、様々な物を抱え込めてしまう。一度懐に入れた人物を疑うことを好まないという欠点があるけれども、それは美点にもなり得る。同時代に織田信奈がいなければ、五年早く熊野家が興っていたならば、この人は天下に手が届いてしまう……!)

 

左近は打ち震えた。そして惜しいと思った。

 

(もし私がこの人に仕え、支えてあげたなら今からでも天下に手が届くのでは……)

 

そんな益体も無いことすらも考えてしまった。

しかし、左近は自らに二君に仕えずという掟を課している。ゆえにこの仮定は実現することはない。

 

「とにかく私も先頭に立つわ。今は武を振るえるだけの余力はないけど、あなたの補佐をしなきゃ」

 

それから数十分後、平湯兵三百が縦列に並び、忠正の横陣に突撃を開始した。

 

「昭武どの、ここよ!」

「わかった、突っ込むぞ!」

 

左近が昭武と共に馬に乗りつつ、練度が低い兵が固まっていたり、陣形が綻んでいる部分を昭武に教える。そこを昭武が平湯兵と共に的確につき崩す。

この組み合わせを反復することで、平湯兵三百は十五倍以上の忠正軍に対して対等以上に渡り合っていた。

対等以上に渡り合えたのは、指揮が昭武と堅忠から順慶と左近に代わり、為景の知識を元に戦っていた忠正が突然の相手の動きの変化に対する反応に戸惑って一歩遅れたことも大きい。

しかし、やはり被害も大きかった。昭武と左近が陣を突破し、忠正(為景)の眼前に着いた頃には、平湯兵の一割が討ち死にし、半数以上が手傷を負っていた。

 

「親とは違って堂々と攻めてくるか……」

 

忠正(為景)が馬上で薙刀を扱きながら感嘆する。中央突破され、目の前に敵将が到達しても奸雄の魂は動じることはない。むしろ、好戦的になっていた。

 

「お前が、結城忠正か」

 

昭武が問う。

 

「この身体の持ち主は確かに結城忠正だ。だが、中身は違う」

 

「降霊術、か……。眉唾ものだと思っていたが、事実だったみたいだ」

 

「それは俺も口寄せされるまでは同じ様に思うていた。が、実際に俺が忠正の身体の中に入っている以上、信じるほかあるまい」

 

そう言って忠正(為景)が豪快に笑う。

 

「守護の時も関東管領の時もそうだが、俺は負けっぱなしでいることがとにかく気に食わぬ。星崎昭武よ、俺は今嬉しく思うぞ。熊野勝定が相手ではないにしろ、熊野家をこうして叩き潰す機会を再び与えられたのだからな!」

 

忠正(為景)が薙刀を昭武に向けて一閃する。

昭武はどうにか槍で受けたが、すぐに弾き飛ばされた。

 

「忠正曰く、武力は身体に依存すると聞いて些か不安ではあったが、生前と比べても遜色がない。忠正よ、よくぞここまで鍛えたものだ」

 

(もしかして結城忠正が憑依させたのは……!)

 

昭武を武勇であしらえる将は武勇で鳴らした名将のほとんどが当てはまる。だが、熊野家に対するこの造詣の深さと関東管領と戦ったという経歴が合致する武将は一人しかいない。

この時、昭武と左近は全てを察した。

 

「もしかして、お前は長尾為景なのか……⁉︎」

 

「気づくのが遅いわ、たわけが」

 

「なんてこった……!」

 

これには昭武の表情が凍りつく。

 

(長尾為景なんて本気を出した親父が徹底的に嵌め切って漸く勝ちを拾った相手じゃねえか…!果たして今のオレが勝てるのか……?)

 

懸念を抱きながらも昭武は槍を構える。

 

(いや、勝たなきゃならねえ。そうでなくては順慶どのたちの覚悟が台無しになる)

 

「うおおお!!」

 

怯懦を裂帛でごまかしながらも昭武が忠正(為景)に刺突を繰り返す。

 

「ガキにしては中々だが、俺には届かぬ」

 

それを忠正(為景)はいとも簡単に弾いたのち、薙刀の石突きで昭武の腹を突いた。

 

(当てられたのは石突きのはずなのに、まるで牛にぶつかられたような衝撃だ……!親父はこんな化け物と何度もやり合っていたのか……!)

 

昭武の身体が馬上から離れ宙を舞う。どうにか着地をしたものの、多量の血を吐いた上に着地した衝撃により、足が痺れてすぐには動けない。

 

(ちっ、動きたくとも動けん……)

 

「不甲斐ない。これでは溜飲を下げられぬではないか」

 

忠正(為景)が吐き捨てると昭武に薙刀を振り下ろす。

その刹那、忠正(為景)の体勢が揺らぎ薙刀は空を切った。

 

「まだ足掻くか」

 

昭武が足がおかしくなることを覚悟で無理矢理跳躍し、忠正(為景)の馬を槍で貫いたのだった。

 

「よい……しょ、と」

 

馬から引き抜いた槍を杖代わりにして昭武はゆらりと立ち上がる。

 

「しぶとさは養父譲りか。だが、もはや動けまい」

 

「や、まだ右手は動く。なら戦えるさ」

 

忠正(為景)が昭武に向かって駆ける。昭武は納刀している刀に手を添えた。

 

(もう本当に足は動かねえ。この一太刀で勝負を決めなければ終わるな)

 

目を閉じ、全神経を集中させる。

 

(目を逸らしちゃいけねえ。オレに迫り来る死から。挑まぬ者、前に進めぬ者から消えるのが、この乱世だ)

 

不意に、昭武は良晴の姿を思い浮かべていた。

 

(相良から聞くには本来今川義元と斎藤道三は死にゆく運命だったという。しかし、現にこうして二人は生きている。相良の手助けがあったようだが、本人たちが生きようと挑まねばそうはならなかっただろう)

 

忠正(為景)の凶刃が眼前に迫る。それを昭武はしかと捉えた。右腕に力が宿る。

 

(だから俺はまだ死ぬつもりはない。泰平をもたらしていないし、相良に勝ててもいないからな!)

 

昭武の刃は忠正(為景)の薙刀が振るわれる前に、見事忠正の腹を裂いた。

 

「ちっ、最後の最後に化けおったか……」

 

忠正(為景)が呻く。しかし忠正はまだ立っていた。

 

「まずい、まだ立てるのかよ⁉︎」

 

勝機を逸したと昭武が絶望する。

 

(もう、どうにもならねーぞ……!)

 

今度こそ昭武が死を確信したその時、忠正はなぜかへたり込んでしまった。

 

「はあ、はあ、はあ。何たることだ……。あと一押しだというのに身体が動かぬ……」

 

忠正の呼吸は荒く、時折吐血していた。

 

「やはりね」

 

昭武と忠正(為景)の一騎討ちを固唾をのんで見守っていた左近は訳知り顔で頷く。

 

「どういうことだ左近どの?」

 

「忠正の今の状態は降霊術の術理によるものよ。長尾為景ほどの名将を統御することは術者に多大な労力を要求するの。そもそも一人の身体に二人分の魂を維持することすら常軌を逸しているわけだし」

 

「つまり、オレの一撃で為景を維持するだけの体力が失われたということか」

 

「そういうこと。こうなった術者はものの役に立たないわ。忠正を斬首すればここの戦は終わる」

 

左近が忠正の始末を促す。しかし、昭武はそうしなかった。

 

「全兵に武装解除を命じろ。そうすれば命までは取らねえ」

 

忠正はこの昭武の降伏勧告に頷き、兵を武装解除させた。忠正自身は筒井城に拘禁され信奈の沙汰を待つ身となる。

 

「わりと時間を食ったな……。もう清水寺が落ちてるかもしれんがさっさと京に入るぞ」

 

ぼろぼろになった足を再度酷使し、左近の助けを借りて昭武は再び馬上の人となった。

 

 

昭武たち混成軍が清水寺の門前に到着したのは十一時頃であった。門前では砂塵が巻き上げられている。

 

「織田軍、入れるわけにはいかない」

 

「……手強い……!」

 

砂塵の中央では宗厳と犬千代が一騎討ちを繰り広げていた。

 

「犬千代をここまで押し込むとは尋常の武人ではないわね。十兵衛を助けなきゃいけないのにこのままじゃ……」

 

「犬千代ーー!頑張ってくれ!」

 

犬千代の他にも信奈、良晴、半兵衛、五右衛門の四人がいる。

犬千代は宗厳に食らいつくもすぐにも討ち取られてしまいそうであった。

 

「信奈公!相良!何が起きている!」

 

「昭武!大和から援軍に来てくれたのね!けど、この剣豪が邪魔して清水寺に入れないの!」

 

「というか、なんでお前ら軍を率いてねえんだよ。死ぬ気か?」

 

「仕方ねえだろ!美濃に戻る暇がなかったんだからよ」

 

「それにしたってなぁ……」

 

昭武と信奈たちが話している間に、左近が昭武の後ろから飛び出し、宗厳に向かっていく。

 

「宗厳!私と順慶様は無事よ!もう貴女に久秀に従う理由はないわ!」

 

「え、左近?」

 

左近の叫びが宗厳に届き、宗厳は目を見開かせる。

 

「ほんとに、左近だ……!」

 

正確に左近の姿を認めた宗厳は犬千代を無視して左近の元へ走り出す。

そして左近に抱きつき、悲泣の声をあげた。普段、あまり表情に変化がない宗厳であったが、この時ばかりはその均整が取れた顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。

順慶もまた抱き合う二人を見て泣いていた。

 

「生きてて、よかった……!」

 

この言葉をこの三人の誰が発したのかはっきりしない。

はっきりしない理由はこの言葉は三人が共有した思いそのままであり、誰が言っていたとしても違和感がないからであった。

とかくこの時、漸く筒井家は再びの結集を果たすのだった。

 

********************

 

視点を清水寺に戻す。

春花の術にかかった光秀の首に久秀の十文字槍が迫り、それを光秀は避けも受けもできず、為すすべもなく命を刈り取られる。

……はずであったが、光秀は討ち取られていなかった。

 

「やらせるかああっ!」

 

良晴が久秀の十文字槍を弾いたのだ。

 

「一騎討ちを邪魔するとは無粋なことを……。何者ですか」

 

「織田家武将、相良良晴!」

 

「え、相良先輩……?なんでこんなところにいるですか……?」

 

突然現れた良晴に光秀は動揺する。

 

「昭武たちの援軍と一緒に来た!あと来たのは俺だけじゃない。半兵衛も、犬千代も、五右衛門も、信奈もここに来てる!」

 

「ちょっ、理解が追いつかないです。どういうことですか?」

 

「話は後よ、十兵衛!」

 

信奈がいつの間に登っていた本堂の屋根から久秀に向けて種子島を撃ち込む。

 

「信奈さま⁉︎」

 

光秀が信奈を視認する。久秀の言と異なり、無傷だった。

 

「こんなこと、ありえないです。この光景は私の願望、夢に過ぎないです」

 

しかし、まだ久秀が穿った楔が残っているのか光秀は信じきれない。

 

「確かに人生はひとときの夢みたいなものだ。俺だってずっと夢の中にいるんじゃないかって思う時もある。だが、十兵衛、聞いてくれ!」

 

そんな光秀を見兼ねたのか良晴は叫んでいた。

信奈がどれだけ光秀を買っているのかということを。

信奈がどれだけこの日ノ本にとって大事な人物であるかということを。

 

「忘れないでくれ!この国が、この世界がいま必要としている人間は信奈なんだ。四百年後の世界から来た俺が言うんだから間違いねえ。あいつは日ノ本どころか世界の人々にとってかけがえのない存在なんだ。頼む十兵衛、もしもこの戦で生き延びて、それでも道に迷ったら、今この燃える清水寺の血に塗れた修羅場を思い出してくれ!お前を救うために乗り込んできて、種子島を撃ち込み続けている信奈のあの姿を思い出してくれ……!」

 

良晴は半ば祈っていた。祈ることで運命に抗っていた。

光秀にはこの良晴の悲痛な戦いを理解することはできない。だが、信奈を一途に思う気持ちは伝わってきた。ついでに良晴がただのお調子者ではないことも。

光秀の瞳に力が蘇っていく。

 

「うふ……明智さまは我が術で心を操れる御仁かと思いましたが、どうやらその猿面の男の言葉のほうが力が強いようですね」

 

光秀の籠絡を諦めた久秀は兵に号令をかけ、再び清水寺は乱戦下となる。

 

「さて、松永どの。直接顔を合わせたのは多聞山城ぶりか?あんたには散々苦労させられたぞ」

 

「松永久秀!漸くあんたに一矢を報いる機会が来たわね」

 

松永兵とは別に昭武と筒井家の面々も久秀の前に現れた。

 

「ふふふ、貴女方三人が再びわたくしの前に結集するとは……」

 

久秀が目を細める。

舌先と傀儡によって絡め取ったはずが、熊野軍の介入で全て強引にひっぺがされていた。

 

(星崎昭武……飛騨の山猿と蔑んでいましたが、その本質はあだ名と同じく獅子のようですね)

 

「松永久秀、何を思って叛乱を起こしたか知らんがこれで終わりだ! 優花!」

 

「りょーかい!みんな、斉射して!」

 

昭武が優花を呼び、優花が優花兵に下知する。

その間わずか数秒。久秀に精密な軌道で矢が何本も飛んでいく。

 

(白雲斎を前もって京に忍ばせておいたから盾になる傀儡もそうはいないだろう。これで終わりだ)

 

しかし、そんな昭武の思惑は外れ、優花兵による斉射は傀儡によって防がれてしまった。

 

「なっ⁉︎」

 

「うふ、星崎どの。わたくしが為すすべもなくやられるとは少々考えが甘いかと。白雲斎どのは確かにわたくしにとっては天敵ですが、だからこそ対策を講じておいたのです」

 

白雲斎の存在を知った久秀は意図的に動かす傀儡の数を抑え、一部の傀儡に気を供給することを停止することで白雲斎の探知を欺き、温存していたのだ。

この傀儡の登場で、一人織田連盟側で挙動が変わった人物がいる。

 

「……あなたは……ただの侍では、ないのですね」

 

その人物とは、陰陽師軍師竹中半兵衛だった。

 

「ええ。仏道なども学び、今は松永久秀などと名乗っていますが、わたくしの出自は流浪の幻術使い。陰陽師にとっては不倶戴天の敵ですわ」

 

「幻術使い、ですか」

 

昭武たちのように意図的に海外の情報を仕入れようとしなければ、幻術の起源を知り得ることはない。これは半兵衛とて例外ではなかった。

 

「わたくしは、あなたのような強い陰陽師を見ると年甲斐もなく技比べがしたくなってたまらぬ性分ですの。それに、問いたいこともありますし」

 

「……なんですか?」

 

「織田信奈さまは神をも仏をも怨霊をも恐れぬ方。わたくしたちのような闇の者にとっては信奈さまこそ真の大魔王。陰陽師にとって織田信奈さまこそが真の敵。あなたはちゃんとわかっているはず。それを、なぜ」

 

問いかける久秀に半兵衛はうっすらとした微笑みを返した。

 

「それで、いいのです。これ以上、わたしたちは薄暗い闇の秘術を乱用してこの国を乱してはならないのです。もう、民を守れる力など残っていないのですから。あやかしの者はまばゆい日輪の光の前に静かに消えるべき時が来ているのですよ」

 

「では、あなたはもしや……」

 

(まさか、そこまでのことを考えていたとはな……)

 

久秀と未だ姿を隠している白雲斎は半兵衛の大志を即座に理解した。

それからは半兵衛と久秀の戦いが繰り広げられるが、やはり白雲斎の読み通り久秀有利で推移していた。半兵衛が傀儡の術理を理解していないことが大きかったのだ。

前鬼が何度も呪を用いて傀儡を薙ぎ払ってはいるが、久秀がすぐに復活または新しい物を投入して、いたちごっこになってしまっている。

 

(このままでは今孔明の敗北は必至、か)

 

「やはり、お主の相手は儂がせざるを得ないようだな」

 

満を持して、白雲斎が久秀たちの前に現れる。

 

「うふ。白雲斎どの、傀儡狩りはもう終わったのではないですか?」

 

「儂を欺くとは、さすがは天下三大悪人と言ったところよな。が、松永。お主はもう負けている」

 

そう言うと白雲斎は童子切安綱を振るい、瞬く間に傀儡を全滅させる。

 

「うふ、まだわたくしには傀儡はありますが、どこが負けているのでしょうか?」

 

「松永、お主の傀儡なんぞどうでも良い。摂津の方角を見てみろ」

 

白雲斎に促される形で久秀が摂津方面を見やる。そこにはフロイスを先頭に畿内のキリシタンたちが清水寺に向けて行軍していた。

 

「あれは耶蘇教の者たち⁉︎ 武器を取らないはずの宣教師に武器を取らせるなんて……⁉︎」

 

「そして儂を見よ」

 

再び促されて久秀が白雲斎の方へ向き直る。

白雲斎の身体が何の支えもなく宙に浮いていた。

 

「それは、その術は……!」

 

「天の岩戸の扉の力で得たものだ。お主なら知っているだろう」

 

久秀は白雲斎に見せられた二つのものを見て戦慄していた。

フロイスの行軍は南蛮の象徴。

白雲斎の秘術は日ノ本の象徴。

この二つが相良良晴と星崎昭武という管を伝って信奈のもとで混じり合う。

久秀にとっては南蛮と日ノ本は不合一のものであった。どうしても分け隔てられるものであった。

しかし、信奈の前ではその理は通用しない。

 

「型に縛られるな松永久秀。存外、人間という生き物は自由なものだ」

 

白雲斎のこの一言がダメ押しとなった。

 

(この人は違う。日ノ本にかつて現れた数多の英傑とは全くもって違う。この人ならばきっと……)

 

この時、信奈に抵抗してきた蠍はついに、自らの完全敗北を認めた。

 




読んで下さりありがとうございました。
三章は次話(分割した場合は次次話)で終わります。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。

*降霊術についての設定
・術者が霊に自らの身体を貸し出す。
・霊は生前と比べるとやや劣化する。
・口寄せした霊の格が高ければ高いほど維持するのに術者の体力をより多く消費する。
・武力は術者の身体に依存し、知識は霊と術者の知識の両方を使える。(だから項羽とか呂布を口寄せしてもあまり意味ない)
・頑張っても二日しか持たない。




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第三十四話 島左近

第三十四話、三章最終話です。
エピローグみたいな感じですね。

では、どうぞ


 

 

焼け落ちた清水寺で、松永久秀は信奈に再度降伏した。

信奈が久秀が仕えるに値する武将であることを半兵衛やフロイス、白雲斎が身を以て証明したからこそのこの降伏であった。

清水寺の戦いが終わると信奈は御所に参内するために自らに正四位下・弾正大弼を、良晴には従五位下・筑前守を、光秀には惟任の姓と正六位下・日向守を与えさせ御所に参内し、今川義元は無事に将軍宣下を受けることができた。

これで織田連盟は今川幕府を傀儡とした織田政権に発展を果たす。

後日、参議・琴平宗方が近衛前久に働きかけるような形で雷源もまた従四位下・左衛門中将を、昭武には従五位下・越後守を、桜夜にも昭武と同位の越中守を与えられた。

琴平宗方はその苗字から分かるように琴平姉弟の実父であり、飛騨の公家屋敷に住んでいた時分に、雷源に乞われて学び舎の講師をしていた人物であった。

 

「まさか、京で雷源どのと子供達に会えるとは思わなんだ」

「この前、上洛した時は顔を出せなくてすまなかったな。偽報に踊らされて帰らざるを得なかったんだ」

 

雷源と宗方は久闊を叙したのち話し合い、熊野家の在京武将は宗方邸に滞在することとなった。

 

********************

 

「はあ……」

 

京に新しく与えられた屋敷で、島左近は昭武から送られた書状を片手に溜息をついていた。

清水寺の戦いののち、筒井家もまた昭武を窓口に降伏を打診し織田家臣となっていた。

 

「どうしましたか左近?」

 

「順慶様でしたか。なんか織田家臣になってから仕事に身が入らなくて……」

 

昭武からの書状の内容を言うには憚られたため、左近は咄嗟に嘘をついた。

 

「そうですか。まぁ誰しも初めての家では戸惑うものです。私も家臣の仕事なんて生まれて初めてですから正直てんてこ舞いですよ。焦らず行きましょう」

 

順慶は優しく左近に言葉をかけるが、左近は自らの不調の理由はわかっている。

 

(星崎どの、なんて書状を送って来たのよ……!)

 

昭武から送られた書状は左近に対する引き抜きであった。

今まで左近は何度か同様の内容の書状をもらったことがあるが、今回のものは特別だった。

 

(私は二君には仕えない。そう思っているけれども……)

 

その有能さと多聞山城で見せた行動力、そして何よりも伏見で預けてくれた信頼。

それらは左近にとって非常に快いもので、忘れがたいものであった。

 

(ああ、やっぱり左近は昭武どのを憎からず思っているみたいですね……)

 

そんな左近を順慶は温かい目で見ていた。

左近が自分に嘘をつく時を順慶はだいたい予想がついている。

順慶の自分に身近な人間相手の洞察と情勢判断の手腕は、左近にも勝る。これは十にもならぬ年から大名をやってきた経験がもたらした余禄であった。

 

*******************

 

遡ること数時間前。

 

「やはり、半兵衛を諦めるべきではなかったかな?」

 

伏見での大苦戦を思い起こして昭武はひとりごちた。

 

(あの時、結城忠正は完璧にオレたちを対策していた。順慶どのや左近どのがいなければ、間違いなくオレたちは敗退し、その結果、織田政権が瓦解していたかもしれない)

 

雷源の軍略は紛れもなく非凡なもので、確かな戦果を約束するものではあるが、それは相手が雷源の軍略を知らぬ者、知っていても対策を立てられない者だった場合に限られる。

 

(多分、親父はそれがわかっていて半兵衛を引き抜けと言ったんだろう)

 

仮に、熊野家が半兵衛を引き抜けたなら熊野家の軍略の型が雷源式と半兵衛式の二つになる。それでも対策されることはあるが、行き詰まることは少なくなるのは疑いなかった。

 

(ついでに言えば、熊野家の人材にも偏りがあるからな……)

 

熊野家の人材は概ね二つに分けることができる。

一つは、雷源を中心とする越後や一揆衆時代からの家臣。この区分には主に、一義や長堯、四万、山下時慶が挙げられる。

二つは、昭武を中心とする若い世代の将たち。こちらは桜夜や長近、井ノ口が当てはまる。

どちらも大将とそれの代わりを務める副将、戦術の駒足り得る猛将、戦に必要な物を整える幕僚は備わっている。しかし、ただ一つ、それらを勝利のために有機的に動かす軍師だけがいなかった。

 

(ただ、軍師と言っても並みの軍師ではダメだ。この乱れた天下を泰平に導くんだ、この大業を成すにはやはり今孔明とあだ名された竹中半兵衛ぐらいの軍師でなくては荷が勝ちすぎる)

 

昭武は今まで見聞きしてきた人物たちを脳裏に思い浮かべる。

 

(思い当たるのは、やはり島左近か。畿内のめまぐるしい権謀術数の海を順慶どのを担いで泳ぎ切ったその手腕は山本勘助など他の軍師では持たざるものだ。天下となるとやはり畿内の権謀術数と関わざるを得ないから、いつかは必要になる。それになによりも伏見で采配を預けた時、不思議と嫌悪感を全く感じなかった。軍師は主君の生殺与奪を預かる存在。左近ならば任せてもいいかもしれない)

 

「まぁ左近どのは義理堅いから話を受けてはくれなさそうだがダメでもともと。一度だけ勧誘してみるか」

 

だいたいこんな経緯で左近に書状が送られたのだった。

 

 

書状を送った翌日、昭武は単身左近の屋敷に赴く。

左近の屋敷は昭武たちが宗方邸に移った時に空いた物を転用しているため迷うことはなかった。

 

「来たわね……」

 

屋敷の門前で左近が昭武を待っていた。

多聞山城で痩せ衰えた体躯は数日間の休養を得たことで、今はすでに回復している。その姿は美麗な姫武将が多く所属している織田政権でも頭一つ抜きん出た美しさを有していた。

 

「その様子だと書状は読んでくれたみたいだな。これから話すことはできれば余人には聞かせたくないことだ、人払いは済んでるか?」

 

「ええ、入って」

 

左近に促され客間に通される。疑ってこそいないが、一応周囲の気配を伺ってから昭武は腰を下ろした。

 

「では、話させてもらおう。……と言っても、一言で済んでしまうことだから、屋敷の中に入る必要はなかったかもしれないが」

 

昭武は軽く咳払いをすると、左近を正面に見据える。

 

「左近どの。オレを泰平の世を齎す英傑に導いてくれないか?」

 

言い終わると昭武は静かに跪いていた。

 

「オレが命運を預けても良いと思える軍師はしばし考えたが左近どの、貴女しかいなかったんだ」

 

「……っ!」

 

昭武の言葉は左近を激しく動揺させた。

 

(惜しいわ、昭武どの。もし私が飛騨に生まれていれば、或いは貴方が大和に生まれていれば、私は貴方にこの忠義を捧げたでしょう。けれど……)

 

現実はそううまくいかなかった。

昭武は越後に生まれて飛騨に流れ、左近は大和で筒井順慶という昭武とはタイプが違うがとても仕えがいがある主君を見つけた。

いかに左近の心が惜しんでも、頑強な理性と矜持は一度仕えた主を捨てることを許せなかった。

 

「……ごめんなさい。その話、聞かなかったことにするわ……」

 

「……左様か。では、オレは屋敷を出よう」

 

残念がりながら昭武はそのまま屋敷を辞した。

一人部屋に残された左近もまたそのまま部屋に留まりしばし時を過ごした。

 

 

その日の晩、左近のもとに順慶が訪れた。

左近は寝る寸前だったが、周章てて飛び起き順慶と対面した。

 

「順慶様、こんな夜更けにどうしたのですか?」

 

「明日の朝にしようと思ったけど、大事なことだから今すぐ来たの。左近、心して聞いてね」

 

順慶の言葉に背筋が伸びる。何か企んでいるのではないか、と左近は気が気でなかった。

実際のところ順慶は確かに何かを企んではいたが、それは左近の思うようなことではなかった。

だが、それは後になって分かることで現に左近は緊張している。

 

「貴女をクビにするわ」

 

一瞬、時が止まった。

 

(え、クビ?どうして?私何かした?それとも誰かに讒言された?)

 

いくら突拍子なことをするのに定評のある順慶の言にしたってこればかりは信用することはできなかった。

 

「どうして、ですか。私に何か、落ち度がありましたか……?」

 

「貴女に落ち度はありませんよ。しかし、大名から一武将に転落した私では、もはや貴女に棒禄を払えないんです。それに、大和統一という夢を捨てた今の筒井家には貴女の居場所はもうありません」

 

「だったら、棒禄なんていらないから隣に侍らせてください……!」

 

「ダメです。それが知れ渡ってしまえば、私の武将としての評判が落ちてしまいます。流石に功に見合った禄を払わないのは武将としてはまずいですから」

 

これでもかとばかりに順慶は左近を突き放す。

全て演技に思えるかもしれないが、順慶の言葉は棒禄に関わること以外は本心であった。

 

(今の貴女には筒井家よりもふさわしい場所が現れました。松永による貴女の評は私も知っています。確かに私では左近の才の枷になってしまうことでしょう)

 

やはり順慶は左近をもう自分のもとに縛り付けたくはなかったのだ。無論、親友を手放すことは自らの身を切るほどの痛みを伴うが、今の順慶は全くおくびにも出さず、世間体にこだわるやや酷薄な武将を演じていた。

 

(私はこんな不器用な送り出し方しか知りません。他の送り出し方では、貴女がこっちに戻って来てしまうから。貴女は私に十分に仕えてくれました。ですから今度は、私にそうしてくれたように昭武どのを支えてやってください)

 

そう願いつつ、順慶は懐から書状を取り出して順慶に手渡した。

 

「これは、私が書いた貴女の推薦文です。これを持って織田政権の他の武将に駆け込んでください。さすれば貴女のことですから、信奈様でも、長政様でも、昭武どのでも快く家中に迎え入れてくれることでしょう。……今挙げた三家のうち、とりわけ熊野家が飛騨は寒いと聞きます。くれぐれも風邪を引いたりしないように」

 

順慶が優しく微笑む。

 

「…あ…あ…あ、順慶様……!」

 

事ここに至って左近は順慶の意図を読み取った。そして嗚咽した。

 

(ありがとう、順慶様。そしてごめんなさい……!)

 

左近はすぐさま屋敷を出て、宗方邸に向かった。しかし、そこに昭武の姿はなく、門番に言われたとおり順慶は焼け落ちた清水寺の跡地に向かった。

 

「昭武どの!」

 

左近が昭武の姿を捉えたのは清水の舞台で昭武はそこで満月を見ながら一人酒をしていた。

 

「ん、左近どのか、よくもまあこんなところにわざわざ……、何か用でもあるのか?」

 

突然の左近の登場に昭武は目を見開く。

 

「決めたわ。私、貴方に仕えることにする」

 

「心変わりしてくれたのか、ありがたい。……だが、順慶どのたちが、許してくれたのか?」

 

「ええ、順慶さまは許してくれた。宗厳も多分許してくれていると思う」

 

左近が頷きを返すと、昭武は懐から杯を一つ取り出し、酒を注いだ。

 

「ならば一緒に酒を飲もう。月も良い具合だしな」

 

「そうさせてもらうわ」

 

昭武の隣に左近が腰掛け、杯を受け取る。昭武はそれを見届けると杯を天に掲げた。

 

「その杯を受け取った以上、これからのオレたちは同志だ。共に泰平の世を、まばゆき新しい時代を見に行こうじゃねえか」

 

昭武と左近が乾杯して、同時に酒を飲む。

二人ともこの月夜の酒の味を生涯忘れることはなかった。

 

 




読んでくださりありがとうございました。
三章はこれで終わりますが、次の章は原作沿いで金ヶ崎か、雷源伝の補完もののどちらかにするか悩んでいて未定です。
誤字、感想、意見などあれば、よろしくお願いします。


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第三十五話 金ヶ崎前夜

四章です。
後書きに重大なお知らせがあるので目を通して下さい。

では、どうぞ


 

今川義元を将軍とする今川幕府の開府後、信奈は今川幕府の名の下に畿内周辺の諸大名に祝いのために京に使者を派遣するよう書状を送った。

つまり、畿内の諸大名の色分けを行なったのだ。

畿内の諸大名にとって使者を出せば織田政権に味方したことになり、使者を出さないことは織田政権と敵対することを意味する。

結果として畿内のほとんどの大名は使者を出して来た。

一方で阿波讃岐に逃れた三好政勝と三好政康、越前の朝倉義景とその隣国、若狭の武田家は使者を送らなかった。

この結果から信奈は地理的な条件などを勘案してから若狭征伐に踏み切ったのだった。

 

「とは言っても若狭征伐はただの口実だろうな。そうでなくてはこんなにも攻め急がない」

 

攻め落として間もない若狭武田家の本城・後瀬山城にて昭武が呟いた。今回の若狭征伐にも在京熊野軍は昭武、桜夜、左近、宗厳を将として参陣していた。

 

「朝倉家の同盟国に浅井家がいるからかしら?文句を言わせる前に潰すつもりね」

 

昭武の右に侍る左近が断言する。

朝倉家と浅井家の関係は朝倉宗滴が六角定頼と浅井家初代の浅井亮政の戦いを調停したことから始まる。

この際に宗滴が亮政をよく手助けしたことから両家は戦国にも珍しい強固な友好関係が結ばれた。

長政が織田家と同盟をする際に政略結婚を条件としてしきりにあげたのも長政の父、浅井久政が織田家と朝倉家の家柄の差を気にして納得しきれなかったからである。

ゆえに朝倉を攻めると浅井に知られれば織田政権と軋轢、下手をすれば離反を招きかねなかった。

 

「理屈はわかるが、やはり無理やりだと思うな。このままうまく行けばいいが……」

 

昭武が危惧するも織田軍の予定が変わるわけではない。嫌な予感を感じつつも従うほかなかった。

 

 

織田政権が越前に入り、敦賀に侵攻したのと同刻。

浅井家の本城・小谷城で長政は突如久政に呼び出されていた。

 

「長政。すでに織田信奈は我らとの約定を破って越前へと攻め入り、金ヶ崎城へと攻めかかっているという。だというのに、我ら浅井家に文の一つも寄越してこない。信義にもとる畜生の行いよ。わしは隠居の身ゆえ嫌々ながら静観したが、もはや我慢ならぬ。織田家は浅井家の盟友にあらず。今すぐ軍を起こして盟友たる朝倉家を救え」

 

この久政の言葉は長政を震撼させた。

今、浅井家が織田家を裏切れば織田政権の遠征軍三万が敵地に孤立する。こうなれば信奈は容易く破れ、織田政権はあっけなく瓦解してしまうことは違いなかった。

 

「ですが、父上。既に織田家と浅井家は縁戚関係にありますが」

 

久政が、長政の耳元に顔をよせて耳打ちする。

 

「お前たちは女同士。縁戚関係など詭弁でしかないではないか」

 

久政はお市姫が織田家の長男、津田信澄であることを知らない。ゆえにそう信じ切っていた。

実際はしっかりと縁戚関係が結ばれており、堅い男女の愛においても結ばれているのだが。

 

「お聞き下さい、父上!」

 

「黙れ、長政!もはやわしは黙りはせんぞ。わしの邪魔をするというのならそなたの家督はしばしわしが預かる!」

 

久政の決心は固かった。

その後久政は家臣に命じて長政を竹生島に幽閉させる。

長政は一応、逆に久政を竹生島に押し込めることができる状態にあったが、この時ばかりは自らが家督を継ぐ時、一度久政を幽閉したことが引け目となりできなかった。

 

「わしは、織田信奈などではなく、そなたに天下人になってもらいたいのじゃ。このような好機は二度とない。許せ、長政よ」

 

連行されゆく長政を見やって久政は呟いた。

 

********************

 

越前金ヶ崎城を落とした織田軍三万は、怒涛の勢いで木ノ芽峠へと向かっているところだった。

木ノ芽峠を織田軍が越えれば、朝倉義景は一乗谷城に孤立する。こうなってしまえば朝倉家の滅亡はもはや秒読みと言えた。

北国から京への通り道である越前を落とし、そこを一大拠点となし、しかるべき時に加賀を落として熊野軍と協力し対長尾景虎の防衛線を構築する。

これが信奈の構想であり、これを実現させるために信奈は朝倉討伐を急いだ。

しかし、その足はすぐに止められることになる。

京にいたはずの良晴が必死の形相で駆けて来たからだ。

 

「浅井家が、謀反した。織田軍は今、この小豆袋のように京への退路を断たれている」

 

良晴が手に持っている小豆袋は小谷城から逃亡した信澄が託したものであった。

信澄自身は浅井家の手に落ち、竹生島に抑留されている。

 

「サル、何を言ってるの?長政はどういうわけか勘十郎と仲良くしてるじゃない。朝倉と織田の間で板挟みになるけれど長政だって天下布武を成すために越前を抑える必要があることはわかっているはず……」

 

はじめ信奈は良晴の言うことを信じられなかった。

 

「長政は久政に家督を取り上げられたらしい。無断で攻めたことに腹を立てたんだろう」

 

「確か浅井は六角に臣従し、朝倉と盟を結ぶことでようやく家中を整えることができたと聞く。それを主導したのは久政だ。六角はともかく朝倉と手を切るのに耐えられなかったという線はあるな」

 

「そう…、嘘では、ないのね…」

 

良晴と昭武が説いてようやく信奈は事態を飲み込めた。

 

「ああ、そうだ信奈!今すぐ撤退しろ!ここで前後から敵を受けて戦えば全滅するぞ!」

 

「わたし自身が囮になる。しんがりをつとめて……」

 

信奈がその先を言おうとするが長秀が制止した。

 

「なりません姫。この退却戦のしんがりは、全軍玉砕する他はありません!」

 

「でも、わたしはここにいるみんなを死なせたくない。わたしが降伏すれば……」

 

「それはなりません。姫!天下布武を諦めなさるおつもりですか?」

 

長秀は首を振った。久秀までもが降伏しても「此度の例ではどうしても信奈は殺されてしまう」と諌める。

 

「姫。この織田家は、いえこれからの日ノ本は、姫なしには立ち行きません。この場にいる家臣の一人に、しんがりの役目を……死を賜りますよう。天下布武の大号令を発した以上、犠牲は出ます。お覚悟を!」

 

「……そんな命令……できるわけが……!」

 

信奈は逡巡する。

この場にいる誰もが信奈に負い目を感じさせてはならないと思い、名乗り出そうとする。が、一歩先んじた者がいた。

 

「ここは俺だろ!」

 

相良良晴である。

 

「サルッ⁉︎」

 

織田の家臣団に動揺が広がる。

相良良晴は決して武闘派とはいえない武将である。

そんな彼が真っ先に名乗り出るとは皆思えなかったのだ。

だが、昭武は違った。

 

(やはりお前か……)

 

昭武は美濃動乱の折に良晴の忠義を垣間見ていた。そのため昭武からすれば名乗り出ない方が不思議であった。

 

「今はねねがいるがそれでも俺はもともとこの時代にはいない人間なんだ。ここで俺が出ないなんて選択肢はない」

 

「でも、死んじゃうのよ……⁉︎あんたまでいなくならないでよ……!」

 

もはや信奈はここが家臣の前であることを忘れて良晴に泣きすがっていた。

 

「いつもそう……!わたしが好きになった男の人はみんなみんなみんな……!」

 

「大丈夫だ信奈。他の家臣なら確かにそうかもしれない。だが、俺が本当に藤吉郎のおっさんの代わりなら生き残れるはずだ」

 

泣きじゃくる信奈の頭に良晴は手をやって諭すように言った。

 

「ほんと?」

 

「ああほんとだ。俺は、お前の運命を変えるために、この世界に来た」

 

良晴は泣き続けている信奈の体を抱きしめていた。

もう、誰も咎めようとはしなかった。

 

「お前が無事に京へ帰り着いて、そして俺が生きて戻ってきたら……今度こそ、天下一の恩賞をよこせ」

 

「……うん。わかった」

 

信奈はこくりと頷き、良晴は信奈の体を手放す。

良晴は、悲しさを押し殺して微笑んでいた。

 

 

殿が良晴に決まり、多くの武将が陣払いをする中ただ一軍だけ陣払いの準備をしていない軍がいた。

昭武率いる在京熊野軍二千である。

 

「昭武どの、用意はできましたか?」

 

「すまん桜夜、少し待ってくれ。弾薬をまだ兵に割り振ってないんだ。さっき相良のアレが盛り上がり過ぎて言い出す機会を逃したんだが、熊野軍五百も相良に加勢する。んでその五百を率いるのはオレだ」

 

「そうでしたか」

 

想定外の淡白な反応に昭武は目を見開いていた。

 

「桜夜、お前は驚かないのか?」

 

「はい。むしろ当然かと」

 

桜夜が首肯する。桜夜は昭武が弾薬の割り振りをしていると言った時に全てを察していた。

 

「相良どの、ですね?」

 

今度は昭武が首肯する番であった。

 

「あいつには負けたくないんだ。このまま普通に兵を退いてしまったら多分もうあいつと同じ舞台に立てなくなる。オレはそれが恐ろしくて仕方ない」

 

今、昭武を突き動かしているのは良晴に対して負けを認めるわけにはいかない、あわよくば勝利をという意地である。そのためならば今の昭武は命だって厭わない。

これがいつしか天下泰平の志に次ぐ昭武の譲れないものになっていることは美濃以前から昭武に付き従ってきた者にとっては周知の事実だった。

無論、桜夜はそれを知っていて苦笑いを浮かべている。

 

「わたしとしては行って欲しくないのですが……、きっと昭武どのは言っても止まらないのでしょう?ですから一つだけ、お願いしたいことがあります。

ーーーー必ず生きて帰ってきて下さいね」

 

「ああ、行ってくる」

 

そう笑顔を浮かべて桜夜は死地へと向かう昭武を見送った。

だが、昭武の姿が見えなくなると桜夜は泣き崩れてしまう。

そんな桜夜にただ見てることしか出来なかった左近はかける言葉が見当たらなかった。

 




読んで下さりありがとうございました。
いきなりの金ヶ崎です。
それで重大なお知らせの内容なのですが、原作最新刊を見たところなんとまあ宗厳さんが出てきてしまいました。それもこことは違ってナイスミドルです。
このおかげで宗厳さんについて原作通り(左近との友達設定は崩さない)にするか既存のまま姫武将にするか悩んでおります。
なのでここらで一度、読者の皆様にアンケートで決めて頂きたいのです。アンケートは活動報告の方にすぐにあげますのでお願いします。


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第三十六話 金ヶ崎の退き口(前編)

第三十六話です。
結局のところ宗厳さんは原作を反映させないことになりました。

では、どうぞ


「よう相良、殿の準備はすでに出来てるか?」

 

「昭武⁉︎なんで⁉︎お前は殿じゃなかっただろ⁉︎」

 

 突然、殿部隊の中に見知った顔を見つけて良晴は動揺していた。

 

「いや、ハナから殿をやるつもりだった。お前たちには伝えそびれたのは申し訳ないと思っている」

 

「熊野家の嫡男なのにいいのか?死ぬ確率の方が高いんだぞ⁉︎」

 

「別に構わん。仮に俺が倒れても優花がいる。それに桜夜や左近のように領国経営の要になるやつらは本隊の方に置いてきたからな」

 

 良晴はどうにか翻意させようとしたが、昭武の意志は固く、それを肯んじることはない。

 

「……わかった。正直なところ兵はもっと欲しかったんだ。昭武が加勢してくれて助かる!」

 

 結果的に良晴の方が折れた。

 良晴が率いているのは、しんがりに志願した精強な男足軽五百人だけ。光秀から鉄砲も五十丁借りているが、朝倉軍が二万に達するほどの数であるので、どうにも多勢に無勢であることは否めない。これに熊野軍五百が増えても戦力差の変動はさしてないが、いないよりはマシであった。

 

「わたしもいるよ」

 

「あ?」

 

 いつの間に紛れ込んだか分からないが、宗厳も殿部隊の中にいた。今度は昭武が驚く番である。

 

「ちょっと待て。なんでお前がいるんだ」

 

 昭武が首を傾げる。良晴のもとに赴く前は確かに宗厳は桜夜たちの護衛についていたはずである。が、現に宗厳は良晴の陣に来てしまっている。

 

「左近たちには宗矩と三厳をつけた。彼女たちもわたしには及ばぬとはいえ剣の達人。役目は充分果たせる」

 

 宗矩の名を挙げられて昭武は納得した。宗厳と宗矩の容姿は血が繋がっているにしてもあまりに似過ぎていた。ゆえにその気になれば、昭武を誤魔化すことができたのだ。

 

「とはいえ、左近にはバレただろう。何か言われなかったのか?」

 

 問いかけると宗厳は首を振る。

 どうやら左近は咎めなかったらしい。

 

「わたしは剣。誰かのために血を流し、浴びることによって満たされ、鋭くなる剣。だから、そんなわたしがここにいない方がおかしい」

 

 逆に昭武に「何故そんなことを問うのだ」と言いたげに首を傾げる始末だった。

 先ほど桜夜が昭武の意図を読み、引き止めることを諦めたように、それと同様のことが左近と宗厳の間でも行われていたのである。

 昭武はそれを察し、同時に(こいつも中々頑固なもんだな)と妙な感慨を抱いた。

 

「石舟が出るのであれば、儂も出ざるを得まい」

 

 すると、今度は昭武の背後から声が聞こえる。声の主は分かっているので昭武は振り返る必要性を感じなかった。

 

「なんだ白雲斎。お前もいたのか」

 

「……儂には驚かないのだな」

 

「そりゃあお前相手にいちいち驚いていたら寿命が保たないからな。慣れざるを得ないだろうよ」

 

 そう昭武がボヤくと白雲斎は低い声で笑った。

 

 ********************

 

「あの馬鹿は目的地に着いただろうか?」

 

 織田軍が撤退し始めたのと同刻。

 能登・七尾城にて、光教は眼下に七尾湾を見据えながら重泰に問うていた。

 

「越賀登三国の沖に時化などは確認されておりません。おそらく定刻通りに着いていることでしょう」

 

 重泰に「そうか」と短く返し、光教は黙考する。

 能登の覇権の分け目となった渡辺町の戦いから今に至るまでの三年間、光教は能登に蔓延る遊佐・温井一党の残党を掃討してきた。

 その甲斐あってか遊佐続光は長尾景虎を頼り越後に亡命し、能登は光教の手に一統された。

 しかし、そのまま安泰という流れにはならなかった。

 熊野家が飛騨を瞬く間に統一し、越中の西半をも版図を加えた大国として君臨したのである。

 光教はこの新しく強大な隣人への対応を決めかねていた。

 

(取り敢えず此度は敵対側についた。武田に浅井朝倉の三家を敵に回しては上洛し、政権を得たばかりの織田政権では抗し得ないと判断してな……)

 

 だが、光教はそれでも対応について考えることをやめられなかった。

 最終的な去就を定めるにしてはあまりに情報が少ないと感じていたからである。

 

(此度の馬鹿がそれを測るための試金石になるだろう)

 

 ********************

 

 金ヶ崎では苛烈な戦いが繰り広げられていた。

 追う朝倉軍二万に、山道を逃げる良晴たちしんがり千。

 圧倒的不利な状況にありながらも良晴は陽気に笑っていた。

 

「俺のゲーム知識によれば、このイベントは金ヶ崎の退き口と言ってな。俺が藤吉郎のおっさんのかわりとしてこの世界に呼ばれたなら、必ず信奈も俺も生きて京に帰れるはずだ!」

 

「それならいいが、注意を疎かにするな。今もあそこの敵兵がお前を狙撃せんとしているぞ?」

 

「うわ、まじだ。気づかなきゃ死んでた!」

 

「やれやれ。思い込みの強い男よな」

「鉛玉に当たって死んでくれるなよ。それではつまらぬ」

 

 良晴の隣で前鬼と白雲斎が笑う。

 公家然とした優男と白髯をなびかせる老人である。

 いずれも異能力は持っていた。

 

「相良。結果がわかっても過程が分かんなきゃ今どうすりゃいいか分かんねえぞ」

 

 昭武が矢弾を惜しんで、山道に転がっている石を拾っては手当たり次第に投げている。宗厳もこれといった飛び道具が使えないので、昭武に付き合っていた。

 投石は某武田の四天王が使っているように地味なことこの上ないが、弓や銃と違って矢弾の残量を気にする必要がないことから投擲物としては極めて実用的であった。

 

「そうだ相良良晴。貴様はこの金ヶ崎の退き口をいかにして生き延びるというのか?われらを蹴散らせば逃げる本軍を捕捉できる、と敵の士気は高いぞ」

 

「そうだな半蔵、こうして逃げてばかりもいられねえ!織田軍の本隊を無事に京に帰すのが俺たちの仕事だからな!」

 

「われらは千に満たぬほどの人数。まともにぶつかれば蹴散らされるぞ」

 

「幸いにも十兵衛ちゃんから借りた分と昭武の隊を含めれば百丁の種子島がある。朝倉勢の追っ手を銃撃しながら敗走しよう!」

 

「悪くねえな」

 

 昭武が頷きを返すも、白雲斎は否定的だった。

 

「だが、この状況では満足に弾込めができぬだろう。一度足を止めて斉射せねば効果は薄いぞ」

 

「じゃあダメか。どうしよう?」

 

 良晴が種子島の使用を断念しかけた時、良晴の後方の足軽が口を開いた。

 

「大将、やりましょう。足止めして撃てば、敵の動きを止められるんですよね?勿論、足止めした者は斬り死するしかなくなりますが、我らはそれでもかまいません」

 

「そうだそうだ!」

「よく言った!」

 

 この足軽の提案は他の足軽達の喝采を浴びた。

 皆、良晴のためならば自分の命を投げ出す覚悟はすでにできていたのだ。

 

「馬鹿やろう!そんな真似ができるか!俺はお前らの誰一人だって捨て殺しにしたくねえ!俺も戦う!」

 

 良晴が啖呵を切る。

 

「大将、それはダメです。それでは、大将が撃たれてしまうかもしれないじゃないですか!ここは割り切って俺たちを肉の盾にしてください!」

 

 が、足軽も聞き入れない。

 良晴を真摯に見つめる足軽の目に虚飾はない。まっすぐだ。

 良晴はもうこらえ切れなかった。

 

「それでも、俺はお前らを一人たりとも死なせたくねえ!そりゃ俺だって生きて帰りたい……。だがな!人の命に重さなんてないんだ!それにお前らだって、家族とか友達だとか、お前らが帰ってくることを待っている人がいるだろうが!なのにどうしてそんな簡単に命を捨てられる⁉︎

 俺には家族がいない……っていうか、生きる時代が違って会えない。だが、お前らは違うだろうが……!だからさ、無理かもしれないけど……全員で生きて帰ろうぜ!」

 

 良晴の心の叫びがしんがり部隊に響く。大将が心から自分達を心配しているのだとわかり、多くの足軽は感涙した。

 

(やっぱ武家らしくないな、お前は)

 

 昭武もまた神妙な面持ちで聞いていた。

 意地のために身を投じた昭武にとっては少し耳に痛い。

 

(……オレも生きて帰らねば。あいつらを泣かせるのはあまりに心苦しい)

 

 

「方針は決まったようだな。だが、朝倉軍が背後まで近づいて来ている。前鬼が霧を張り巡らせ進軍を阻もうとしているが、焼け石に水だぞ」

 

 白雲斎が朝倉軍が肉薄して来ていることを知らせる。

 

「俺自身が鉄砲隊を指揮する。種子島を押し出して敵を威嚇しながら逃げる!だが野郎ども、斬り死はするなよ!」

 

 逃げ続ける良晴は意を決してここで反転。山道を駆ける朝倉軍と対峙した。

 二万の大軍が与える圧力は凄まじく、覚悟を決めていたが、良晴は身じろぎする。

 

(怖いが、もう戦うしかない!)

 

「種子島の撃ち手百人が必要だ!この中に種子島を使えるやつはいるか?」

 

 良晴が問いかけるも昭武が率いて来た兵しか出てこない。

 良晴の兵も昭武の兵も一人で十人以上を相手取れる豪傑ばかりだったが、日頃から訓練を受けている昭武の兵と違って良晴の兵は傭兵が主体で、訓練を受けたりはしていなかった。

 

「おい、なんで種子島持ってるのに射手がいないんだ?」

 

 昭武にジト目を向けられる良晴。

 

「悪い昭武。十兵衛ちゃんから種子島借りたけど、射手は十兵衛ちゃんと一緒に逃げてることを忘れてた!」

 

「んで、どうするよ。もうしんがりの後ろの方は斬り合いになってるぞ。宗厳なんかすでに飛び込んで斬り合いに参加してるし」

 

「ふっふ。相良良晴はマヌケな猿面冠者のおっぱい好きだが、実はなんぞ名案があるのであろう。未来の芸無知識とやらで」

 

 このからかうような前鬼の一言が良晴の脳内に電流を走らせる。

 

「ーーそうだ!三段撃ちだ!」

 

 閃きさえすればあとは良晴のもの。出来るだけ簡略に三段撃ちの概要を足軽達に説明した。

 一口に三段撃ちといってもいくつか諸説がある。

 良晴が閃いたのは最も有名であろう射撃を三分割してローテーションさせるといったものではなく、撃つ係と弾込めする係に分業して射撃間隔を短縮させる方である。

 この方法ならば、射手が足りなくても運用が可能であり、今の状況には適していた。

 

「なるほど、それならば問題ないな」

 

 昭武も頷き、良晴は即座に隊を編成する。

 山道は狭隘なので、百丁の種子島で銃撃すれば、朝倉軍を乱すことができる。

 良晴が種子島を構える。

 

(こうして種子島を撃つのは墨俣以来だな……)

 

「よいな相良良晴。撃つことを迷うな。迷えば、お前が死ぬぞ」

 

 隣で涼しい顔をしていた前鬼が、言い放つ。

 

「銃撃の機はオレが指図する。いいな?」

 

「あ、ああ」

 

 朝倉軍が中軍まで迫って来ている。

 昭武は目を凝らして、どこに敵が固まっているかを確認する。

 そして、腕を下ろした。

 

「右方の三つ盛り亀甲の旗が密集する地点に向かって、撃てえええええーーーー!!」

 

 昭武の合図と共に種子島の轟音が山谷に木霊する。

 半数が鉄砲に不慣れなため、命中率は低い。

 だが、前鬼が事前に仕掛けた霧のおかげで不意を突くことができた。朝倉軍の先鋒が慌てふためく。

 

「種子島は単発じゃ!もう撃たれる心配はない!」

 

 そう叫んで敵将が軍を落ち着かせようとするが、その将が良晴が放った二発目に斃れる。

 

「次だ!」

 

 もう一度、昭武が腕を下ろす。

 すると、朝倉軍の先鋒が崩れた。

 

「服部党、参る」

 

 こうして生まれた綻びを半蔵は見逃さない。

 半蔵と共に十数名の忍びが朝倉軍の先鋒に突進し、奮戦し、煙幕を張る。

 

「わたしの敵を、取らないで」

 

 一人で数十人を斬り伏せる活躍をしていた宗厳が忍び達に文句を言うが、聞き入れるわけがない。

 それどころか半蔵に「そこを退け、小娘。死ぬぞ」と言われる始末である。

 半蔵たちは少しだけ朝倉軍に仕掛けたのち、引いた。

 すると天地を揺るがすほどの大爆発が起こる。

 半蔵は朝倉軍の中にほうろく玉を仕掛けていたのだ。

 

「今だ!引け!」

 

 しんがり部隊は再度反転し、逃走を再開する。

 

「よくやったぞ相良良晴。仕掛けたほうろく玉を炸裂するまで朝倉軍の先鋒をあの場に釘付けにできた」

 

「敵は減ったけど、とても熱かった……」

 

 後方にいたはずの半蔵と宗厳が気づけば良晴と昭武と一緒に並走している。

 

「宗厳、あの爆発の中でよくまあ生き残れたな……」

 

「咄嗟に敵兵を盾にした。盾にした敵兵は丸焦げになった……」

 

「半蔵!いくらなんでも残虐すぎるじゃねえか!爆弾で足軽たちを吹き飛ばすなんてよ!」

 

「能登の渡光教と同じことをしたまで。これでかなり時間を稼げたが……ほうろく玉は残り一つ。もはやあてにはできまい」

 

 以後は前鬼の霧、良晴と昭武の指揮による三段撃ち、半蔵と白雲斎の撹乱、宗厳の堯勇。この四者を巧みに組み合わせてしんがり部隊は五度も山中で朝倉軍の追撃を振り切った。

 退却途中の良晴は様々な姿を昭武たちに見せた。

 士気を下げないための空元気。

 追い詰められたのにも関わらず泰然と構えられる胆力。

 全て良晴の将としての器量の高さを示すものである。

 

(強いな)

 

 心中で昭武は感嘆する。そしてだからこそ、食らいつく価値があると笑った。

 

 




読んで下さりありがとうございました。
金ヶ崎は前後編を予定しております。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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第三十七話 金ヶ崎の退き口(後編)

第三十七話です。
熊野家のバトル回です。
昭武と渡曰く馬鹿の差別化が割と大変でした。
では、どうぞ


 

 

深夜。

しんがり部隊は若狭へと進路を定めた。

さしもの朝倉軍も若狭まで逃げれば追ってこないと良晴が考えたからである。

しかし、越前と若狭の国境の山を登りきった時。

前鬼は眉を顰めた。

 

「どうやら土御門が朝倉側についたらしい」

 

「土御門?」

 

「日ノ本の陰陽師の頭領だ。かつては安倍姓を名乗っていたが、今は土御門と名乗り、戦乱の京を避け、若狭に隠棲している連中よ」

 

「安倍ってことは安倍清明の子孫か……」

 

「その土御門が何を思ったのか、お前を討ち取る気になったらしい。この先に結界を張ってわれらを待ち伏せている」

 

結界と言われて、良晴と昭武は辺りを見回すが、山しか見えない。

 

「結界が狭まっているな……どうやら向こうから来たようだ」

 

前鬼が言うとほぼ同時に、谷底から一人の少年が糸に引かれるようにして山頂へ昇ってくる。

 

「こいつが、土御門か……?」

 

「そうだよ。ボクが、土御門家当主、土御門久脩《つちみかどひさなが》。そろそろ京に帰ろうかなって思ってね。となると京の支配者に取り入るために手土産が必要になるでしょ。それが君、織田家のサルなんだ」

 

土御門久脩はまだ幼い。武家が元服する年にすらなっていないのだ。こうは言っているものの、その実は持っている力を使ってみたいという欲求の方が強い。

 

「よく若狭まで逃げてきてくれたね。織田信奈はとっくに近江まで逃げてしまったけど、君の首さえ取れれば、浅井さん朝倉さんも喜ぶだろうね……」

 

久脩が不敵な笑みを浮かべて、指をパチンと鳴らす。

すると夜空に数十体に及ぶ異形の式神が現れた。

 

「なんて数の式神だ……。前鬼、どうにかならないのか?」

 

「俺の力はこのあたりでは弱いと言ったろう。やつらの数には敵わぬ」

 

前鬼が首を振る。

式神には、直接的な武力は通じない。

だが、何事にも例外はある。

白雲斎が良晴の前に進み出て、闇を舞う式神の群れに対して獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「数は揃えたようだな。だが、松永久秀の傀儡に比べれば劣る」

 

「……へぇ。自信があるんだね。でも、ボクの式神軍団には通じないよ」

 

「知ったことか。……ちょうどいい、白雲斎の名の由来。この場で見せてやるとしよう」

 

言うと白雲斎が空高く跳躍し、腰の童子切安綱を抜き放つ。そして、式神を間合いに捉えると右脚で宙を蹴って間を詰め、一閃した。

斬られた式神は真っ二つとなり、夜空に溶けていく。

 

「なっ⁉︎式神に刃は通らないはず!何故だ!」

 

「瑣末なことよ」

 

久脩が驚くが白雲斎は気にも止めず、虚空を蹴って次の式神の前に跳び、斬り捨てる。

これを反復させることで、白雲斎は苦も無く式神を次々と断ち切り、闇へと還していった。

式神軍団を問題にしないほどの戦闘力。だが、この場にいるほとんどの者はそんなことを気にしてはいなかった。

 

「なんで、白雲斎はずっと空を飛び続けているんだ……⁉︎」

 

良晴たちは呆然として白雲斎の戦いを眺めていた。

桶狭間の戦いの時に半蔵が重力を感じさせない動きをしていたが、今回白雲斎が見せたソレは常軌を逸している。

 

「これが、噂に聞く飛雲《ひうん》の術か……」

 

周りがどよめく中、半蔵だけは落ち着いていた。

彼だけは白雲斎の秘術の内容を僅かながらではあるが、事前に知っていたのだ。

飛雲の術。すなわち、空を飛ぶ術。

戸隠の秘術の中には空を飛ぶ術はいくつかあるが、その中でも最高峰の滞空時間と飛行速度を誇る。

白雲斎の武力、知略の高さはもちろんこの術を習得しているがゆえに白雲斎は戸隠における最強の忍びと目されている。

 

「相良の小僧よ。式神はあらかた始末した。今のうちに進軍しろ」

 

白雲斎が地に降りて良晴に促す。

 

「すげえ、まるで格ゲーのキャラみたいだ……。なあ、あのまま空を飛んで、式神を倒し続けることはできないのか?」

 

「無理だな。あれは中々に体力を使う。暫く間隔を開けねば、儂の身体は力の負荷に耐えられず飛散するぞ」

 

飛雲の術に限らず、戸隠の秘術は術者に過度な負担をかける。それは白雲斎にとっても例外ではない。戦闘目的の飛行の場合は一度の使用につき、十五分前後が限界だった。

 

「わかった。みんな!早く山道を下るんだ。森の中に入ってしまえば、空から式神に狙われにくくなる!」

 

そう良晴が命を下すが、うまく事が運ぶとは限らない。

良晴たちがいる山頂に若狭側から登ってきた者たちがいた。その数は八百。全員武装をしていた。

 

「やあ、遅いじゃないか」

 

「はあ、はあ……、ようやく追いついたぞ。ってか式神と人間の兵を比べるんじゃねえよ。人間が勝てるわけがないだろ……」

 

肩で息をしながら、大斧を担いだ武装集団の頭領が久脩にぼやく。八百の兵もまた息を切らしていた。

どうやらかなりの強行軍をしてきたらしい。

 

「これはまずいな……」

 

その人物の姿を見て、今度は昭武が眉を顰めた。

 

「誰なんだ?この武将は」

 

「相良は知らないのか。あいつの名は穂高正文《ほだかまさふみ》。能登の渡光教の腹心で山岳戦の名手だ!」

 

昭武がそう言うも、未来知識にはない武将のため良晴の反応は薄い。

 

「織田のサルに飛州の金獅子、見事に大物ばかりだな。光教に言われて船に揺られて若狭くんだりまで来てみたが、おかげで楽しめそうだな」

 

穂高が大斧を構える。

その姿にただならぬ雰囲気を感じて良晴は後ずさりした。

 

「相良、ここは俺に任せてくれ」

 

良晴に対して昭武が槍を構えて一歩前に進みでる。

 

「ここで隊を二つに分ける、オレの隊と相良の隊だ。オレはここで踏み止まって穂高を抑える。その間にお前は若狭側に逃げてくれ」

 

「昭武、お前……!」

 

「勘違いするな。死に急ぐわけじゃねえ。この山頂で穂高と土御門のガキを同時に相手をしたらオレたちはお陀仏だ。だが、お前を先に逃がせば必ず土御門のガキはお前の首につられて山頂を去る。そうなれば少しは生き残る確率が上がるだろうよ」

 

「だが、俺は……!」

 

いくら昭武が言を尽くしても、良晴は死地となった山頂に昭武たちを置き捨てることに対する嫌悪感を拭い切れなかった。

 

「ちっ、やっぱこうなるか……。前鬼!半蔵!気絶させてでも相良をこの場から脱出させろ!」

 

昭武が叫ぶと同時に前鬼が良晴を羽交い締めにして山頂から引き離し、半蔵が良晴の隊に指示を出して穂高の隊を突破させようとする。

 

「宗厳!相良の撤退の手助けだ!穂高の隊に斬り込め!」

 

「承知した」

 

宗厳を先頭に昭武隊三百が突っ込み乱戦状態となる。

 

「くっ……、昭武!絶対生き残れよ!約束だからな!」

 

前鬼に拘束されながらも良晴は叫ぶ。

昭武はそれに振り返らずに左手を挙げて応えた。

 

「大分かっこつけたな、星崎昭武。正直痺れたぜ」

 

穂高がにやにやと笑みを浮かべている。

 

「かっこつけ、か。オレはただ理屈を並べただけなんだがな……」

 

穂高の物言いに昭武は嘆息した。

 

「まあいいさ。やることは決まってるんだ。ーーそこを退け、星崎昭武。さもないと死ぬぞ」

 

「お前こそそこを退け、穂高正文。ああは言ったが正直、相良が心配でならねえ」

 

昭武と穂高がそう叫び、馳違う。

振るわれた斧と槍がぶつかり、甲高い金属音が辺りに響いた。どうやら一合目は互角らしい。

だが、すぐに昭武が穂先を穂高の心臓に構え、穿つ。されど、穂高に柄を当てられて穂先を逸らされる。

 

(こいつ、力だけの武将じゃねえな)

 

昭武は心中で舌打ちした。

しかし、それは穂高も同じで(挙動が速え。俺っちの苦手な手合いだな)と毒づいた。

二合やり合って、両者は互いの力を認識する。

感触としてはほぼ互角、それ故にやはり一瞬の失敗が命取りになる。

その後も昭武が十文字槍を突いては薙ぎ、穂高は差し出された槍を斧の柄で巧妙に弾きつつ振り下ろすに足るだけの隙を伺うといった攻防が繰り返される。

二十合ぐらい打ち合いが続いた頃には、山頂には良晴隊の姿も久脩の姿もない。

 

「どうやら俺っちはてめえの目的を遂げさせちまったみたいだな」

 

穂高が悔しげに呟いた。

 

「そのようだ。相良もしっかり逃げている。……どうだ?ここで一騎討ちを終わりにしてみるか?」

 

「馬鹿言え。こんな楽しいこと終わらせちゃダメだろ」

 

「そうかい」

 

穂高は獰猛な笑みを浮かべ、昭武は苦笑する。

 

(敵の分裂を果たした以上、一騎討ちをし続けてもオレたちが釘付けになるだけだ。早くケリをつけるのが望ましいな。……ここで仕掛けてみるか)

 

昭武が再度、穂先を構えて心臓を突かんとする。

 

「その攻撃はさっきも見たぞ!」

 

無論、穂高は柄を当てて、昭武の槍を逸らす。

 

(よし、今だ!)

 

だが、昭武は仕切り直さず、ダン!と強く地面を踏んで穂高に接近、懐に入り込もうとする。

だが、穂高もさるもの。斧を大上段に構えながらバックステップをして踏み込まれた分の距離を取っている。

そして、振り下ろしの範囲内に昭武が入ったことを確認してから裂帛の叫びを挙げつつ一振必殺の一撃を繰り出した。

 

「おりゃああ!!」

「んぐっ!ああああ!!」

 

穂高の必殺の一撃を昭武はなんとか槍の柄で持ってその一撃を食い止める。

穂高の膂力は凄まじく、昭武の下の地面がめり込んでいく。

昭武の槍の柄にぴしりと亀裂が走った。穂高の膂力が槍の耐久値を超えたのだ。

 

(おいおい、まじかよ……)

 

知らず、昭武の首筋に冷や汗をかいていた。

 

「勝ちに逸ったな。それが命取りになった」

 

「いや、まだ勝敗は決まらんよ」

 

そう不敵に笑ったのちに昭武は力を振り絞って再度地面を踏み切り、間合いを詰める。

その右手に武具は握られていない。

 

(この状況でも攻める気かよ⁉︎)

 

支えを失った穂高の斧が地面に突き刺さる。咄嗟に穂高は斧から手を離し、後ろに飛び退くが、既に昭武は穂高に肉薄していた。

 

「これで王手だ!」

 

昭武が大きく右腕を振り上げる。

そして穂高の顎を視認すると、渾身の力で振り抜いた。

 

「うおっ……!」

 

殴り飛ばされた穂高の身体が宙を舞い、かさりと地に落ちる。

 

「正文様!」

「大将!」

 

宗厳に攻め立てられていた穂高隊であったが、穂高が地に落ちると同時に、昭武隊を放っておいて穂高を中心に円陣を組んで穂高を守る。

こうして穂高隊に産まれた綻びを昭武は見逃さなかった。

すかさず穂高隊に自ら斬り込んで突破口を開く。

 

「白雲斎、宗厳。撤退を再開するぞ!これ以上やったら兵数で潰される!」

 

昭武が命じられて、昭武隊は穂高隊の間隙を抜いて若狭側へと下っていく。山頂の戦いが始まる以前は三百以上の兵がいたが、二百人弱にまで減っていた。

 

***************

 

以後、昭武は穂高の追撃を受けながらもどうにか若狭街道へ出てひとまず朽木谷へ向かった。

若狭街道は先行した長秀、光秀によって整備されており、今までの道と比べると歩きやすい。

しかし、穂高の追撃は苛烈なもので昭武たちは酷く疲弊していた。

 

「昭武よ。朽木谷は確か、浅井の勢力下にあったはずだ。通っていいのか?」

 

「……分からねえ。街道が整備されて間もないからもしかしたら浅井から織田家に鞍替えしているのかもしれない。そろそろ糧食も乏しい。補給を受けられればいいが、そこまでは期待できないか」

 

「そういえば、若狭街道で相良隊を一度も見かけなかった。もしかしたら相良隊は未だ山中の中を彷徨っているのかも」

 

宗厳が若狭の方角を見やってつぶやく。

敵の分断も果たしたが、その代償として相良隊の消息が知れなくなっていた。

 

「じきに、朽木谷に入る。場合によっては交戦の覚悟をしておけ」

 

軍を引き締めさせながら、ついに隊が朽木谷に至る。

だが、昭武の予想に反して朽木谷の主・朽木信濃守は昭武隊を手厚く歓迎した。

その時の信濃守の挙動が怪しかったが、白雲斎が久秀の仕業と見破り、いらぬ心配だとわかって昭武は安堵した。また、信濃守から桜夜たち含む織田の本隊がほぼ無傷で京まで逃げ切ったが、信奈が重篤な傷を負ったことを知った。

情報を得た後は、しばし朽木谷で休息を取る。

朽木谷が安全地帯といえど長逗留をするわけにはいかないのだ。

 

(近江には入れたが、まだ道行きとしては半分ぐらいだ。幸いにも朝倉軍や穂高隊が襲ってくることはもうない。だが、落武者狩りがある。油断はできないな)

 

少しでも効率的に休みを取ろうとして昭武が畳に横たわる。

半刻ほど仮眠して昭武が起きると、朽木谷には三人の訪問者が来ていた。

光秀と犬千代、元康である。京から良晴を救い出すために隠密として若狭街道を逆走していたのだ。

 

「星崎どのは生きていましたか。相良先輩はどうしたんですか?」

 

「明智殿か。オレと相良は越前と若狭の国境で別れた。それからのやつの挙動はちっとも分からん。元康公たちは朽木谷に来るまでで見なかったか?」

 

「いえ、見てないですね〜」

「見てない……」

 

犬千代と元康が首を横に振る。

 

「ということはまだ若狭国内にいるのか……?」

 

「若狭にいるとなれば話が早いです。さっさと行くです!」

 

話を聞いた光秀たちはすぐに若狭に向かう。

だが、三刻もすると朽木谷に犬千代と元康、半蔵が戻って来た。半蔵は常通り無愛想だが、犬千代と元康の表情は沈鬱なものになっていた。

 

「おい……、どうしたんだお前ら。相良は?明智殿はどうなったんだ⁉︎」

 

おそるおそる昭武が問いかける。

しかし、元康と犬千代は口を噤んだままで答えようとはしなかった。

 

「半蔵、あいつらはどうなったんだ?」

 

しびれを切らして半蔵に問いかける。

 

「相良良晴はしんがり部隊を助命するために自らを爆破して果てた。明智光秀はそれを見て、土御門へ斬りかかろうとしたが、土御門の罠にかかり地割れの中へと消えた。恐らく生きてはいまい」

 

半蔵は眉ひとつ動かさずに淡々と事実を述べた。

 

「……人に死ぬなとあれだけ言っておきながら、てめえは死にやがって……!」

 

昭武は強く拳を握りしめ、畳を何度も殴りつける。

 

「オレが隊を分けたからか……?オレと一緒に行動していたのなら白雲斎を頼るなり、銃撃戦をするなり式神と戦う手段はまだあった……!」

 

自責の念に駆られ、昭武は慟哭する。

だが、事実として山頂で隊を分けなければ、空から式神軍団が陸からは穂高の精兵が容赦なくしんがり部隊を刈り取り、昭武と良晴は共倒れになっただろう。

 

「半蔵の言葉を疑っているわけじゃないが、相良を探しに行くぞ!この目で見なきゃ認められねえ」

 

「ならぬ。今は退却に専念しろ。この兵数では落武者狩りに何度も遭ううちにすり切れるぞ」

 

「だが!」

 

逸る昭武を白雲斎が諌めるが、理性が薄れている今の昭武は聞きいれようとはしない。

白雲斎は、舌打ちして続けた。

 

「もう一度言うぞ。急くな昭武。儂の考えが正しければ相良の小僧はまだ死んではおらぬ」

 

「それは本当なんですか〜?」

「……嘘なら、許さない」

 

元康と犬千代も白雲斎の言葉に反応する。

 

「あくまで儂の推測に過ぎぬ。根拠はあるが、朽木谷では敵地に近すぎるゆえ話せぬ。間者にでも聞かれれば、相良の小僧がさらなる危機に晒されることにもなろう。一刻も早く京に帰れ。話はそれからだ」

 

「……わかった。お前の言う通り、ひとまず京に帰ろう。それでいいか?」

 

かくして元康、犬千代を伴って昭武は帰京する。

一部とはいえしんがり部隊の生還に京の人々は沸き立ったが、凱旋する本人のたちの顔色は土気色をしていた。

 

 




読んで下さりありがとうございました。
次話あたりで原作4巻の範囲は終わります。
誤字、感想、意見などあれば、よろしくお願いします。


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第三十八話 畿内戦線の終幕

第三十八話です。
書きたかったのは昭武たちなのに、穂高の主張が強すぎてサブタイが見つかりません。

*3/7に後半の変更と加筆を行いました。

では、どうぞ


 京に帰ってきた昭武は白雲斎と半蔵から良晴の生存の可能性とその根拠を詳細に聞いた。

 

「なるほど、微塵隠れか……。確かにあの場なら前鬼がいたから使えたな……」

 

 微塵隠れとは、伊賀の秘術のひとつで自分が助かるために他の忍びを自分に見立て殺すことで敵の目をごまかすという島津も真っ青な術だった。

 

「いかにも。本来ならば、式神が去った後に相良良晴を掘り起こす腹積もりだったが、姫が来てしまったからな……。そちらを優先しなければならなかった」

 

「まあ、お前はあくまで松平に仕える忍び。致し方ないとしか言えないな……」

 

「サル晴さんには悪いことをしてしまいましたね〜。ですが、状況は分かりました。すぐにでも人数を集めてサル晴さんを迎えにいきましょう〜」

 

「そうだな、元康公。オレと犬千代どのは、信奈公に報告しに行ってくる」

 

 話を聞いたのち、本能寺の前に昭武は常宿にしている琴平邸に向かった。

 良晴を助けに行く手前、時間が惜しいのはわかっている。だが、それでも桜夜には顔を見せておきたかったのだ。

 

「昭武どの!生きて帰って来てくれたんですね。よかった……!」

 

「ああ、桜夜。どうにか帰って来ることができた。約束は果たせたかな?」

 

「ええ。それで良晴どのはどうなりましたか?昭武どのが帰ってきたのなら彼も……」

 

 桜夜に問いかけられて昭武は言葉に詰まる。

 昭武が帰ってきた以上、誰もがそのことを二つ目に聞いてくるのは仕方ないことである。しかし、良晴の生死が定かではない現状ではそれは昭武には辛いことに思われた。

 

「それは、本能寺で話すが……、信奈公はどうした?朽木谷で銃撃されて深手の傷を負ったと聞いたんだが……」

 

「目を覚まされましたが……今は、報告を控えた方がいいかもしれません」

 

「や、そういうわけにはいかないだろ。信奈公のところへ案内してくれ」

 

 桜夜の言葉に不穏な物を感じつつも、昭武は急いだ。

 

 ********************

 

 本能寺、控えの間。

 犬千代を引き連れて昭武は目覚めたばかりの信奈の前に姿を現していた。

 

(重篤だとは聞いていたが、意識はあったか。だが……)

 

 昭武は信奈に違和感を覚えていた。

 何というかいつもの覇気がないのである。

 隣に侍っている松永久秀の距離がいつもより近いのも怪しい。

 

「犬千代……?どこに行っていたの……?十兵衛たちはどこ?サルは……」

 

 今の信奈は情勢に疎かった。

 だから、昭武と犬千代は一部始終を伝えた。

 報告を聞いている信奈は起きているというのに、まるで微睡みの中にいるようで昭武は信奈が本当に報告を聞いているのか疑わしかった。

 

「それで、サルと十兵衛は……?」

 

 信奈の問いに、昭武と犬千代は答えられない。

(今の信奈に残酷な現実を伝えてしまえば、確実に心が壊れてしまう)と危惧したのだ。

 

「信奈様、もう一杯お飲みなさいませ」

 

 それを見兼ねたのか、久秀がさらに信奈に薬を与える。名医の曲直瀬ベルショールは止めにかかったが、久秀は聞き入れない。

 

「それでは昭武どの、犬千代どの。申していただけませんか?」

 

 久秀に促されて、犬千代が口を開く。

 

「良晴は足軽たちを助ける為に自爆して果てた……!光秀も土御門久脩の手に掛かって……!」

 

「そう、そうなの……」

 

 信奈は糸が切れた人形のようにこくりと頷いた。

 

(これは、夢なのよ。悪い夢なの……)

 

 そう念じても、信奈の双眸から涙が流れていく。

 不意に昭武は半蔵のトリックを信奈に説明したい衝動に駆られたが、

 

(残念なことにまだ助けられるという確証がねえ。ぬか喜びさせるだけになるかもしれない)

 

 そう戒めてぐっと飲み込んだ。

 

「報告は以上だ。オレは負傷兵の収容のためにまた朽木谷に戻る。んで、オレがいないうちに在京熊野軍を動かしたいのなら左近に話を通してくれ」

 

 信奈と久秀にそう告げて昭武は本能寺を立ち去り、すぐにしんがり隊を再度召集する。

 しんがり隊の他にも、元康と半蔵と桜夜が同行している。

 

「昭武どの。相良どのを助けるならば急いでください。信奈様はあなたが去った後に、叡山を焼き討ちにすると決意なされたようです」

 

「桜夜、それは本当か?だとしたらとんでもないことになるぞ」

 

「はい、間違いなく信奈様の信望は地に堕ち、仏門は全て敵に回ります。そうなってしまえば……」

 

 桜夜は懸念していた。ここで信奈が焼き討ちを強行したならば、仏門すなわちにゃんこう宗も敵に回す。

 成り行き上、飛騨熊野家は飛騨のにゃんこう宗の棟梁ということになっているため、場合によっては織田政権からの離脱を余儀なくされるかもしれないと。

 松平家もまた、たぬき信仰とお猫様信仰の狭間で家臣が揺れているため、結果家臣の統制が取れずに熊野家と同じ末路を辿るだろう。

 つまるところ、信奈が叡山を焼くまでに良晴を救出できなければ、織田政権は全同盟国を失って瓦解してしまうリスクが浮上するのだ。

 

「目指すは若狭国内。目的は山猿の捕獲だ。急がないと浅井朝倉に先を越されるぞ!」

 

 かくして、昭武たちは再度北上する。

 

 ********************

 

 時はしんがり部隊が京に帰還する少し前に遡る。

 叡山。

 京の鬼門を抑える霊山にして、この姫武将全盛の世にあってもなお女人禁制を貫く古刹である。

 今、叡山の根本中堂にて不滅の法灯を前に、三人の男たちが顔を揃えていた。

 信奈を主体的に裏切った、浅井久政。

 信奈の討伐目標国である越前の国主、朝倉義景。

 そして、比叡山の僧兵の首魁である正覚寺豪盛の三人である。

 この三人は叡山の掟である女人禁制を盾にして勝家と長秀率いる織田軍を凌いでいた。

 そんな彼らの前に新たに二人の少年と青年が姿を見せた。

 

「朝倉さん、浅井さん。サルは死んだよ。木っ端微塵になった。首までぐちゃぐちゃになってしまったのは残念だけどね」

 

「星崎昭武には結局逃げられちまった。中々の遣い手だったぜ!」

 

 土御門久脩と穂高正文である。

 

「そうか。星崎昭武に逃げられたのは癪だが、所詮は織田の尻馬に乗っただけの将に過ぎぬ。放っておいても大して困るまい」

 

「やけに昭武の扱いがぞんざいなあ……」

 

 義景の舌鋒の鋭さにに穂高がため息をつく、曲がりなりにも一騎討ちをした相手である。コケにされるのは悲しいと思うぐらいには昭武に情が湧いていた。

 

「いいかい。織田勢を滅した暁には、土御門家を京に再興する。そして日の本全土に散った流れ陰陽師は安倍晴明公の直系であるボクが頭領として束ねる。そういう約束だよ」

 

「なんだよ久脩。てめえはそんな大それたことを狙っていたのかよ。だったら俺っちもなんか頼むか……。そうだ、加能越三国の守護職を渡の奴にくれてやってくれ。俺っちは美女を一人もらえればいいや」

 

「好きにするがいい。余は俗世の政には興が湧かぬのだ。加能越など風流に比べれば取るに足らぬ」

 

「朝倉さん。ボクのお願いは?」

 

「構わぬ。京の時の流れがいにしえの世に回帰する……余にしてみれば実に喜ばしいことであるからな」

 

 朝倉さんは話がわかるなあ。と久脩が笑う。対して穂高は少し眉を顰めた。

 

(朝倉義景。実力はあるものの、風流狂い。泰平の世ならそれでいいかもしれねーが、厭世家ってところが乱世では厳しいかもしれねえ。これじゃ万人はついて来ねえ気がするぞ)

 

 チャラそうな外見と軽薄な言動から一見してちゃらんぽらんに捉えられることが多いが、穂高の嗅覚には秀でたものがある。

 そうでなければ、松本平で信玄に最後まで抵抗するなんて真似はできない。

 

(かといって織田もな……)

 

 顎に手をやり、考え込む。

 今の織田家の情勢は厳しい。

 相良良晴と明智光秀は消え、織田信奈は不明。

 叡山に柴田勝家、丹羽長秀といった主力が張り付き、星崎昭武率いる在京熊野軍は大勢を決するだけの力を持ち得ない。

 濃尾を守る斎藤道三は、江南に再進出した六角と武田に挟まれて動けない。伊勢の滝川一益も六角が邪魔になる。

 飛騨の熊野軍もまた能登の渡光教と武田に挟まれている。

 織田軍は今、敵中に孤立しているのだ。

 

(さらに言えば、四国と丹波からも反織田政権の軍勢が進軍して来ているっぽいしな……)

 

 だが、穂高はそれでも織田家が完全に敗北したとは思えなかった。

 そう思う根拠は若狭に渡る前に光教が穂高に告げた言葉にある。

 

『穂高、織田信奈は理性と行動の自由度の高さにおいて傑出した将だ。だが、追い詰められると情動が勝る。ゆえに時に利害や慣例、制約をも踏み越えて考慮しなければ、こちらが足元を掬われるぞ』

 

(渡の予想は馬鹿にできねえ。考えたくはねえが、憎さ余って女人禁制の掟を踏み越えて攻めてくるかもな)

 

 この穂高の予感が現実のものになるとは未だ叡山の誰にも分からない。

 

「がはは、勝ったな朝倉どの。柴田も丹羽も姫武将。叡山の女人禁制の掟を戦に利用するとはおぬし、なかなかの知恵者よのう」

 

「余はただ、女たちを血なまぐさい戦に巻き込みたくなかったのだよ。風流人としてね。女とは……館に閉じ込め、毎晩着せ替え、飽くまで眺め、ひたすらに愛でるもの。小笠原流の礼法と弓馬術を共に修めた教養人たる正文ならわかるであろう?」

 

「はぁ、そうっすね」

 

 分からないからこそ、穂高は隣で繰り広げられる義景の風流談義を苦笑いで聞き流していられた。

 

 ********************

 

 昭武たち良晴捜索隊は強行軍でその日の深夜には江狭国境まで到達していた。

 天候は雨であり、過日に良晴が久脩と穂高を相手にした決戦を繰り広げた場所は一面の泥濘と化していた。

 

「またも朽木谷までは相良の姿を見ることはできなかったな……」

 

「でも、これで相良どのは近江には到達していないことが、わかりました。おそらく水坂峠の近くにいるはずです」

 

「いや、それも解らぬぞ」

 

 桜夜と昭武が顔を見合わせていると、先行した半蔵が戻って来ていた。

 

「半蔵、それはどういうことだ?」

 

「相良良晴を埋めた穴の中を見たところ、相良良晴の姿はなかった。おそらく自力で穴から脱出したのだろう」

 

「まずいな、確かその時の相良は満身創痍だったはずだ。まともに動けるとは思えない」

 

「俺もそれは考えた。だが、穴の近隣を探せども、姿も亡骸も見えぬのだ」

 

 この半蔵の言葉に昭武たちは凍りついた。

 完全に良晴の消息の手がかりを失ったのだから当然だろう。

 初冬の夜の雨に打たれれば、人間の体熱など容易く奪われる。それが、瀕死の良晴ならなおさらである。

 昭武は良晴を救える刻限が思いの外短いことを察した。

 

「こうしちゃいられない。ここから隊をさらに分ける。雨を凌げる場所を基点にして相良を探すぞ」

 

 昭武の言に、皆が頷く。

 話し合いをした結果、昭武と桜夜、元康と半蔵の二隊に別れて良晴の捜索を始める。

 捜索隊は洞窟や大木の根の下など、様々な所を落武者狩りと戦いながら、手当たり次第に探した。

 そして昭武の隊が八つ目の洞窟の中に踏み入った時にようやく良晴と死んだと目されていた光秀も発見する。

 

「相良、お前生きてたんだな……。光秀どのも生きてたし本当によかった」

 

「ああ、どうやら十兵衛ちゃんが助けてくれたみたいなんだ。十兵衛ちゃんがいてくれなかったら俺は間違いなく泥の中に倒れたままいつか首を獲られていたに違いない」

 

「ふふん、相良先輩。これで清水寺での借りはなしですよ?あ、でも種子島はちゃんと返して下さい。利子はトイチで勘弁してやります」

 

「なぁ、十兵衛ちゃん。トイチはちょっと横暴過ぎないか?」

 

 いつの間にやら漫才調になってゆく良晴と光秀の会話は昭武にとっては騒がしくも嬉しいものがあった。

 だが、今はそれを楽しむだけの時間はない。

 

「お前らには色々言いたいんだが、後で言うわ。とにかく今は叡山に急げ。お前らの仇討ちと称して信奈公が叡山を丸焼きにしたがってるからな」

 

「なっ、そんなことをしてしまえば、織田家に民がまつろわなくなります!」

 

 この昭武の言葉は、良晴光秀双方によく効いた。

 

「信奈にそんな残虐な真似をさせちゃダメだ!出来る限り飛ばしてくれ!」

 

 

 

 こうして良晴たちは昭武たちに護られながら叡山の信奈の元に到達した。

 到着した良晴を見て信奈は理性を取り戻し、叡山焼き討ちを取り止める。

 その後、御所を介して織田政権と浅井朝倉の間に和睦が結ばれた。

 これにて、織田信奈の上洛から始まる畿内で起きた一連の騒乱はひと段落ついて在京熊野軍と松平軍は帰国の途につく。

 

 だが、昭武たちが帰り着く前に雷源が在城している富山城に火急の書状が届けられていた。

 

「まさか、な……」

 

 使者から受け取った書状を開いた雷源は思わず独語していた。

 書状に書かれていた内容がそれだけ衝撃的なものだったのである。

 熊野家の戦いはまだ、終わらない。

 

 

 

 

 




読んでくださりありがとうございました。
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第三十九話 大戦の到来

三十九話です。
では、どうぞ


 熊野家にもたらされた火急の書状とは、玄仁から雷源に向けた能登の渡光教への共同作戦の誘いだった。

 

「殿、どうするおつもりで?」

 

 一義もまた表情には出さないが、驚いていた。

 熊野家と玄仁の間には確執がある。それも十年単位のものだ。

 神通川の戦い以降は、両軍共に互いを仮想敵あるいは潜在敵として扱っていることは公然の秘密だったのだ。

 

「……能登を獲るならば、加賀と手を組んだ方がいいに決まっている。能登唯一の平野が広がる羽咋郡一帯を行軍路として使えるからな……。だが……」

 

「なぜ、急にそんなことを、ということですか」

 

「ああそうだ。確かに玄仁は竜田派を嫌っている。渡辺町の戦いの時だって宗滴に邪魔をされたが、温井・遊佐に加担しようとしていた。だが、俺たちを巻き込んでまでということはなかった……」

 

 沈思黙考し書状の裏にある何かを雷源は必死で読み取ろうとした。だが、首を横に振った。

 

(ダメだ、情報が少なすぎる。まったくもって玄仁の変心の理由が見えない)

 

 その時、頃合い良く白雲斎が雷源の前に現れる。

 

「勝定よ、そのことだがどうやら仲立ちをした者がいたようだ」

 

「誰だそいつは?」

 

「能登の前国主、畠山義綱」

 

 その名を聞いた時、雷源の疑問は氷解した。

 畠山義綱。渡辺町の戦いののち、渡光教によって七尾城から追放されたとされる姫武将であり、能登退去後はどうにかして能登を自らの掌中に取り戻さんと気を吐いていた。

 彼女ならば熊野家を巻き込む動機も玄仁の反熊野感情を棚上げにさせるだけの才もある。

 雷源達には預かり知らないことだが、義綱は能登奪還後は竜田派を禁教にするという約定を交わし、玄仁を懐柔していた。

 

「……渡光教の実力は高い。とりわけ防衛戦ではそれが顕著なものとなります。我らが参加しなければ、義綱と玄仁の連合では勝ち目は薄いかと」

 

 一義は暗に共倒れを狙えと上申していた。軍事的な賭けを好まない一義らしい策ではある。

 だが、この時すでに雷源は心中で決断を下していた。

 

「手を組むか、玄仁と。足並みを合わせられればという条件が付くが熊野家にとっては躍進の好機だ。最悪でも七尾の町と渡辺町の利権だけは確保するぞ」

 

 七尾の町と渡辺町。能登が誇る海港都市であるこの二つを抑えれば、熊野家は敦賀以東の日本海の海運を一手に握ることが出来る。

 能登は国土こそ狭く石高も低い弱小国のように思われるが、こと海運に限っては半島であるがゆえの長い海岸線と良港が多さが相まって日ノ本有数の繁栄を享受していた。

 ここを熊野家が獲れたならば財政が一気に潤い、軍拡においても内政においてもやれることの幅が広がり、なおかつ同じく日本海貿易を主軸として軍資金を稼いでいる長尾家に対する牽制にもなる。

 雷源はすぐに了承の旨を書いた書状を玄仁に送った。すると四日後には玄仁からの返書が来る。返書には一月後に尾山御坊で軍議を行うとあった。

 

「というわけで一義、富山城に一万三千の兵を集めてくれ。少しぐらいなら長尾に備えた分も回して構わない」

 

「長尾から引き抜いてよろしいので?」

 

「ああ構わん。尻垂坂あたりの野戦築城も済んでいるだろう。それにこれからの時期は雪が降る。となると親不知を長尾の大軍が通るのは無理だ。心配ねえよ」

 

「御意」

 

 一義が頷いて軍の招集のために雷源の前を後にする。

 だが、少し違和感を覚えていた。

 

(殿は表では迅速果断に見えるが、それは事前に思考を幾度も巡らせておいた物をさもその場で決断したかのように振舞っているゆえのこと。……だが、此度だけは本当にその場で決断されたのかもしれない。どことなく性急な気がする)

 

 少しの違和感が、瓦解の端緒となる綻びを生むことがある。

 果たして、これを見過ごしていいものか。

 一義は顔には現れないが、戸惑っていた。

 

 米

 

 雷源が軍備に動き始めてから一週間程が過ぎたころ。

 能登・七尾城にて、叡山からようやく帰って来た穂高は畿内戦線の一部始終を光教に報告していた。

 

「……というわけだ。辛くも織田信奈は浅井朝倉の猛襲をやり過ごしたぜ。すげえ豪運だよな」

 

 報告を聞いた光教は顎に手をやった。

 

(あの挟み撃ちを凌ぐとはな……。いよいよ織田信奈の異才ぶりが際立ってきたか……)

 

「んで、どうすんだ。包囲網から脱退して織田政権側につくか?あくまで俺っちの意見に過ぎねーが織田についた方が良さそうだぞ」

 

「穂高、それは出来ぬ話だな」

 

「あ、なんでだよ?」

 

「すでに熊野家が能登攻めに動いているからだ。一昨日、草の者からの報告があった。なんでも対長尾の兵まで引き抜いているらしいな」

 

「それ本当かよ。しかも、ぜってえ大戦になるやつじゃねえか」

 

「穂高、嫌がるのはまだ早い。どうやら加賀衆も軍備を整えているようだ」

 

「渡、ちょっと待て。加賀衆の狙いも……もしかして……!」

 

「ああ、そうだ。能登を狙っている」

 

「うっわ、考えうる限り最悪なやつじゃねーか」

 

 穂高が思わず天を仰ぐ。

 光教が淡々と言っているが、事実として能登にとっては最悪な事態であった。

 

「……それで、どうすんの。迎撃の手筈は整えてんのか?」

 

「一応な。そうでなくてはさしもの俺とてここまで落ち着いてはいられまい」

 

「そうか、やはり渡はそうでなくちゃな。で、俺っちはどうすればいい?どうせ将の配置はすでに割り振ってんだろ?」

 

「まあな。お前はここに置くつもりだ」

 

 そう言って光教が畳の上に能登の地図を広げ、ある一点を指差す。

 その地は荒山峠と言い、熊野領である氷見と七尾城の中間に位置していた。

 

「熊野家は必ずそこを進軍路として使うはずだ。この七尾城を落とすためには一度、七尾城の直前にある勝山城で兵を集めなければならないからな。もしここを抜かれれば、それを実現させてしまうだろう。決して抜かせるなよ」

 

「なるほど、わかったぜ!んじゃ軍備を整えてくるわ」

 

 光教の配置に穂高は納得がいったように頷きを返し、光教の前を後にする。

 残された光教は再度、顎に手をやり考える。

 

(一度の撃退ならうまくいく。されどその撃退は敵軍に手酷い打撃を与えるものでなくてはならない。特に熊野家にはな。そうでなくては、後が続かなくなる……!)

 

 光教は考えられるのをやめられない。その双肩にのしかかるものがひどく大切なものだから。

 亡父の最高の作品に、姉代りの優しい従者、愛らしいお馬鹿にその他諸々。

 彼にはあまりにも守りたいものが多過ぎるのだ。

 そうであるから、必然と考える事柄が増えてしまう。

 

 ********************

 

 玄仁の返書が雷源に届いてから一月が流れ、加賀の尾山御坊の大広間に能登侵攻軍の諸将が集っていた。

 主な顔ぶれは此度の侵攻軍の発起人である畠山義綱とその世話役の飯川光誠。

 加賀衆からは玄仁。

 熊野家からは雷源と一義、長尭と昭武に昭武の軍師である左近が出席していた。

 

「玄仁どの。なにやらえらく老けたな」

 

 顔を合わせるや否や雷源が口を開く。

 

「当たり前でしょ。最後にまともに顔を合わせたのは十年前じゃない。松永久秀のような鬼女とは違うのよ」

 

 三十路に足を踏み入れかけている玄仁の容貌は若々しさこそ失ったが、かえって円熟味と艶を増している。行き遅れと揶揄されることこそ多いが、玄仁さえその気になれば男などすぐに捕まえられるだろう。

 彼女がそうしないのはやはり教団に身も心も全て捧げているからであった。

 

「雷源どの、玄仁どの。十年ぶりの対面でお互い言いたいことはあるんだろうけど軍議で話すべきではないんじゃない?」

 

 義綱が呆れ笑いを浮かべながら二人の間に割って入った。

 かつての義綱は加賀友禅を華麗に着こなしていたが、今では酷く簡素な小袖を羽織るだけに留めている。あの加賀友禅は三年の潜伏生活を食いつなぐための金子となったのだ。

 

「此度、あなたたちに集まってもらったのは他でもない、渡光教を打倒するためよ。あの男は私の兄を殺し、国を奪った。許されざる下剋上よ。憎くてたまらない。ようやく兄の仇を討てる機会を掴んだ。だから神経質だと思うけれど、些細なことでも将の間の齟齬を認めたくはない」

 

 義綱は能登を退去してからは、縁戚関係にあった六角家を頼り、北近江の余呉湖畔に小さな屋敷を建ててもらって潜伏していた。

 当初は、すぐに軍事的な後援者を見つけて光教が能登を完全に固める前に奪還を図るつもりだった。

 しかし、光教の能登平定の手腕は巧みで他国の介入する余地がなく頓挫した。義綱は諦めず機を待ったが三年のうちに北近江を治めていた浅井家の家督が久政から長政に変わり長政が六角への臣従をやめたために、支援金が途絶え私兵の扶養にも苦しみ出し、ついてきてくれた家臣の中からも離脱者が相次ぐようになる。

 だが、塗炭のような苦しみの中で義綱は天啓に等しい知らせを受ける。

 渡光教が織田政権に敵対、あろうことか懐刀である穂高正文を援兵に充てたという報告を。

 織田政権の中には熊野雷源がいる。

 つまりこの知らせは北陸無双たる熊野雷源と渡光教が敵対したことを意味していた。

 義綱は奮起した。どうにかして熊野雷源を引き込めないかと。

 彼さえ味方にできれば、渡光教など何するものぞ。

 義綱はこれを能登奪還の最初で最後の機会と見定め、余呉湖畔の屋敷を引き払い、比較的交渉のしやすく、もともと渡光教と敵対している加賀衆の下へと転がり込んだのであった。

 

 そんな経緯であるから義綱主従のこの戦に懸ける思いは強い。

 何があっても退くつもりはなく、彼女たちの数少ない私兵は「主人の悲願のためなら命は惜しくない」と息巻いている。

 また、義綱たちは一応の策も用意していた。

 それを説明すべく、加能越三国の地図を机上に広げる。

 

「私の案は軍を尾山御坊からの軍と氷見からの軍の二つに分けて、はじめに尾山御坊の軍が羽咋郡を通り、坪山砦と末森城を奪って七尾城の喉元の勝山城へ進軍。次に氷見軍が荒山峠を通って勝山城へ進軍して兵を集中。そこから七尾城を攻囲するというものだけど、それでいいかしら?」

 

 義綱に提示された策は、スタンダードなものであるだろう。だが、雷源には一つ気になることがあった。

 

「義綱どの。それでは氷見の海岸線が手薄になるような気がするが……」

 

 加越から七尾城へ至る道は二つある。

 一つは義綱が使う羽咋郡を通る街道。これは能登最大の平野を北上するルートで、大軍を通しやすい。もう一つは雷源の言う氷見から出て、石動山塊を右に廻る海岸線の道である。こちらは羽咋郡のものと比して距離こそ同等だが、険路が多かった。

 また、この二つの街道を繋ぐ脇街道も二つあり、荒山峠を通る道と氷見から羽咋郡へ向かう道の二つである。

 この合計四本の街道をどう活かすか、これが此度の軍議の焦点と言えた。

 

「雷源どの。氷見路は攻めるに難く、守るに易い地形よ。守勢を得意とする渡光教にとっては絶好の地。わざわざ敵の思惑に乗ってやる必要はないわ。渡辺町からの海上侵攻についても心配は無用。渡光教の兵力は多くて五千。二方から迫る私たちの軍に備えるのが限界で、それだけの余裕はないはずよ」

 

「そうか?なら、いいんだがな……」

 

 義綱の説明に雷源は一応は納得する。

 雷源の意見ののちは誰も義綱に意見することはなく、義綱の策はそのまま通った。

 将の配置も速やかに決まり、加賀軍が雷源、一義と長尭に玄仁、義綱。越中軍が昭武、井ノ口、左近となる。兵力はそれぞれ二万と五千。北陸では稀に見る大軍であった。

 左近たちが補給などの手筈を話し合う最中、昭武は心中で(この戦の帰趨がどうであれ、北陸の情勢は一変する。気が引き締まるような思いだ)と来たるべき大戦を見据えていた。

 




読んで下さりありがとうございました。
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第四十話 北陸大戦① 【対峙】

 

 雷源らの加賀軍が末森城を陥落せしめていた。

 末森城の守兵は三百程度で果敢に抵抗したが、衆寡敵せず敢え無く末森城は陥落した。

 

「後は、勝山城を落とすだけね。雷源どの、氷見の昭武どのたちに進軍するように伝令を出してね」

 

 尾山御坊を出でて一週間もしないうちに末森城まで落とせたのが嬉しいのか義綱の表情は明るい。だが、雷源は表情一つ変えていなかった。

 

(未だ、渡光教が本格的な抵抗を始める頃合いではないだろう。おそらくこちらが勝山城に達するか否かのところで迎撃の用意をしているはずだ)

 

 事実、白雲斎の手の者が勝山城に光教が兵を集めていることを雷源に知らせている。

 光教が集めた兵の数は三千で、雷源の予想した数とほぼ同数であった。

 

(だが、此度の戦いは数を当てたとしても優劣は変わらない気がする。光教麾下の将のうち、誰がどこで戦うのか。これが左右するのだと思う)

 

 光教の麾下の武将は雷源から見ても粒ぞろいばかりであった。

 穂高の粉砕力に頼廉の堅守、重泰の砲術、広幸の野戦築城の手腕などいずれも時と場合によっては勝敗の天秤を充分傾けることができるものばかりであり、雷源が警戒するに足りた。

 

 末森城で一日休息を取ってから加賀軍は北上を再開した。

 次の目的地は勝山城。

 七尾城の喉元にあたり、羽咋郡の街道と荒山峠を通る脇街道の結節点で、此度の侵攻における激戦地になると目されている。

 流石に、ここまで来ると常にも増して緊迫感が軍内に漂い始める。

 街道の両側に山並みが広がるようになると勝山城は近い。が、雷源たちは勝山城から一里手前の地点で長大な馬防柵を視界に捉えた。

 

「やはり、ここで足止めを図るつもりらしいな」

 

 雷源の眼前に広がるのは半里はあろうかというほどの長さの馬防柵に二千の兵。残りの千はおそらく両側に広がる山中か、勝山城にいるのだろう、と推測する。

 翻る黒地に白の二頭波頭と青地に白の三階菱、赤銅の軍配と開扇。

 見間違えようがない、渡光教と穂高正文、二人の軍旗と馬印であった。

 雷源はすぐさま玄仁と義綱に使者を出し、軍議を開かせた。

 こういう時に雷源の北陸無双の異名が役に立つ。

 玄仁も義綱も嫌な顔一つせずに、雷源に応じた。

 

「馬防柵で固めたということは、間違いなく種子島の備えはあるはずよ。これで、平野の道は絶たれたわ」

 

 玄仁が悔しげな表情を浮かべている。

 

「それにしても、あれは見事な馬防柵だ。一朝一夕に作れる物ではないな。少なくとも、義綱どのが加賀衆に身を寄せた頃には構想が出来上がっていたのだろうよ」

 

「渡光教という将は余程防戦に手馴れていますな。防衛構想にブレがない。馬防柵一つとってもそれがわかる」

 

「一義、お前がそこまで褒めるとはな……。いよいよ奴の才は本物ということか」

 

「感心するのはいいけど、何か方策はあるの?このままだと身動きは取れないわよ」

 

「方策はある。えらく安直な物だがな」

 

 玄仁に促されて雷源が勝山城近辺の地図を広げ、平野の両側に広がる山地を指差す。

 

「この山中からなんとか小隊が通れそうなところを見繕って通る。勝山城近辺の山地は石動山ほど険しくはない、通れるところは必ずあるだろう。だが、どうせ周到な渡光教のことだ。山中にも即席の砦が作られている可能性がある。押し通るならここだが、大きな被害は免れ得ない」

 

 雷源の策を聞いているうちに玄仁らの表情が曇っていくのがありありとわかる。

 光教の布陣がほぼ完璧に近いものであることを察したのだ。

 雷源は内心舌を巻いた。

 

(どう足掻いてもこれ以上、先に進めないようになっていやがる。昭武達が荒山峠を抜くか、渡光教と穂高正文を暗殺するぐらいじゃないとこの状況は変わらねえ)

 

 だが、昭武と互角の一騎討ちを繰り広げた穂高と警戒心が非常に強い光教を屠ることは白雲斎をもってしても至難の技である。

 ゆえにこの場で出来ることは乏しく、雷源は指をくわえて馬防柵を睨み続けることしか出来なかった。

 

 ********************

 

 少し時は遡り、所変わって越中国氷見にある湯山城。

 昭武達、越中側からの侵攻軍は荒山峠越えのための軍備を整えていた。

 

「殿、此度のそれがし達の役目は助攻となります。少しでも早く、荒山峠を抜いて勝山城に迫ることで光教軍を孤立、あるいは戦線を押し上げることが肝要です」

 

 井ノ口が作戦の要旨を確認する。

 

「だが、それが分からねえ相手じゃねえだろ。必ず荒山峠は先に押さえられているはず。それも穂高にな」

 

「穂高正文の馬印は、羽咋郡側にあると聞きましたが?」

 

「いや、それは偽装かもしれない。聞けば、渡と穂高の旗印が羽咋にはあるそうじゃないか。おそらく奴らは羽咋を決戦の地にしたかのように見えてその実は荒山峠で決戦をするつもりだろう。羽咋では兵力差が酷すぎるからな」

 

 そう昭武は言うも、いまいち論拠が弱いと感じていたため、左近にも意見を聞く。

 すると左近は微妙な表情を浮かべた。

 

「違ったか?」

 

 だが、左近は首を横に振る。

 

「いえ、殿の予想通り、彼らは荒山峠にいると思うわ。けど、あの渡光教がそれだけしか策を弄さないのに違和感があるのよ。彼の手札は豊富。必ずもう一つ並行して策を弄してくると思う」

 

「もう一つの策ね……。心当たりはあるのか?」

 

「多分、氷見路を南下して氷見を獲りにくると思うわ。氷見さえ押さえれば、越中軍は敵中に孤立して捌きやすくなるし、高岡に進軍して私たちの後背を荒らすこともできるから……」

 

 左近の予想は昭武の背筋を凍らせるに足るものであるが、どこか得心いかないところがあった。

 

「だが、左近。戦線を三つ抱えられるほど、向こうに余裕があるのか?奴らはすでに五千のうちの三千ぐらいを羽咋に充てているだろう?」

 

「そうよ、これに荒山峠の押さえと七尾城の守兵を考えれば、それで五千に達する。確かに兵力の余裕は向こうにはないはずなの……。でも、氷見を空にするのは怖いわ。俊盛殿に加えて、私も氷見に残りたいのだけどいいかしら?」

 

「いいぞ。それと千の兵もお前に預ける。対応は八代殿と話し合って決めてくれ」

 

「わかったわ」

 

 左近が頷き、兵の選抜にかかる。

 

 米

 

 氷見の守りを左近と八代俊盛に任せ、昭武と井ノ口の五千は荒山峠へと進軍を始めた。

 氷見から荒山峠の道は山岳地帯を通るため険しいが、飛騨の山々に慣れ親しんできた昭武と井ノ口はものともせず進んでいく。

 

「そういえば、お前と馬蹄を並べるのは上洛以来だよな」

 

「言われてみれば、そうですね」

 

 井ノ口は昭武が登用した人物でありながら、雷源や長尭と組むことが多く、不思議とともに戦うことが少なかった。

 

「美濃と畿内の戦いはいずれも熾烈なものであったと聞き及んでおります。様々な英雄豪傑の類いも存在していたとも。……それがしとしては昭武殿が羨ましいですよ」

 

「やっぱお前は武人、だよな……。オレは必死過ぎて戦いを楽しむ余裕すらなかった」

 

 当時の戦いぶりを思い起こして昭武は苦笑いを浮かべる。伏見の戦いといい、金ヶ崎といい生き残ることしか考えられなかった。

 

「それは致し方ないでしょう。それがしと昭武殿では、背負うものもやるべきことも違いますからな」

 

「道理だが、なんとも釈然としないんだよなあ」

 

 今までの戦いを振り返るにどうしても昭武は泥臭い戦いぶりが目立つ。出来ることならば、昭武もかつての雷源のように颯爽と武勇を振るうなんてことをしたかった。

 届かぬ夢を見る昭武。実際のところ、雷源のそれは冠絶した武芸がなせる技だ。その階《きざはし》には昭武は未だ遠い。

 そのことを悲しんでいると、隣で井ノ口が昭武に問うた。

 

「今回の相手は穂高正文、とのことですが、彼はどのような武人なのでしょうか?」

 

「穂高な……。あれを一言で言うなら抜け目ない将といったところか。力押しと見せかけて実は技巧を凝らしていたり、武田の大軍に居城を攻められても武田軍に痛撃を与えながらちゃっかり生き残っていたりと色々、油断できない」

 

「紛れもなく、英傑の類いですな」

 

「それは、認める。……振る舞いはその限りではないけどな」

 

「と、言いますと?」

 

「なんというか、ガキだった。面白そうなことに首を突っ込んで熱中して楽しむ様はまさにガキだ」

 

 語る昭武の脳裏に金ヶ崎での立会いが浮かぶ。

 あの時の穂高は本当に楽しそうだった。昭武自身も面倒臭さこそ感じていたが、満更ではなかった。

 それ故に、山頂からしんがり部隊の被害を抑えて撤退するという目的を果たすためとはいえ、隙を作って一騎討ちを打ち切りにしてしまったことを武人としての昭武は気に病んでいる。

 

(できれば今度はちゃんと付き合ってやろうかね)

 

 そう思っているうちに峠の山頂が見えてくる。

 荒山峠の山頂は昭武たちが金ヶ崎の退き口で通った越狭国境よりも開けており、その広さたるやその気になれば、野戦築城が可能なほどである。さらに山頂までの道は奇しくも登るに難く下るに易いものであるために作られた砦は必然、地の利を活かした堅固なものになる。

 故に、峠の山頂に逆茂木と櫓が張り巡らされた砦と青地に白の三階菱を掲げた軍勢をも視認した時、昭武は背筋を凍ったような感覚を味わった。

 

「まずい、高所の利を取られた!皆、岩陰や木立に身を隠せ!」

 

 叫んで指示を飛ばすも、遅い。

 砦から山おろしに乗って多量の矢が昭武たちに降り注ぎ、一定の被害を与えて越中軍を怯ませる。

 

「皆の者、竹束を頭上に掲げながら進め!」

 

 射撃戦に慣れた井ノ口が矢を防ぐために指示を飛ばす。が、妙手とは言えなかった。

 竹束は銃弾すら跳ね除けるため、確かに矢を防ぐことはできよう。だが、小さなものでも六尺(180センチ)はあるため此度のような険しい登攀路では兵の足を遅め、疲弊させてしまう。

 穂高はそれを見逃すほど愚かではなかった。

 ようやく砦の前に広がる比較的平らな地点に越中軍の先頭が至ると同時に砦の門を開き、二百の剽悍な兵が出撃する。

 その先頭にいるのはやはり穂高正文。

 穂高は悍馬にまたがり、大斧でもって疲弊した越中軍を斬り払いながら中団にいる昭武目掛けて突撃を仕掛けていた。

 

「見つけたぜ、星崎昭武!金ヶ崎じゃ逃げられたが、今度こそ決着をつけさせてもらうぞ!」

 

 突撃する穂高は笑みを浮かべている。

 

(酒と女は、あくまで平時の娯楽だ。やはり武士は強者との戦いに快楽を見出してこそだろ?)

 

 噂ではその素行の悪さを悪し様に言われることは多いが、穂高にとってはやはり戦が本分であり、弁えるところは弁えている。

 

「やっぱ億劫だが、仕方ないな……」

 

 昭武が穂高の姿を認め、刀を抜いて近づく。

 だが、昭武が穂高に届くことはなく、井ノ口が先に穂高に打ち掛かっていた。

 

「昭武殿は曲がりなりにも大将。頭をいきなり獲れるとは思い召されるな」

 

 槍を一回りさせ、井ノ口が見栄を切る。それを見て穂高は一時表情を曇らせたが、すぐに笑みを戻した。

 

「なんだよ、あんたも中々強そうじゃねーか。いいなぁ熊野軍、豪傑の層が厚い」

 

「貴公の強さは昭武殿より聞き及んでいる。その武勇、それがしの無聊を慰める一助となってはくれまいか?」

 

「願ったり叶ったりだ。んじゃ、行くぜ!」

 

 穂高が馬の背を蹴り、井ノ口に躍りかかる。

 

 荒山峠はさらなる熱狂の渦に飲み込まれようとしていた。

 

 ********************

 

「熊野雷源は砦を抜こうとはしなかったか。存外、堪え性のある男のようだな」

 

 能登国・某所にて。

 渡光教は泰然と状況を整理していた。

 今現在の連合軍は本隊二万が勝山城の手前で多量の種子島を持った二千と山間の野戦築城に置いた千により封殺され、荒山峠をいく別働隊四千が穂高の砦で千五百を相手に死闘を繰り広げている。

 

「やはり、光教さまの戦略はすごいですね。五倍の兵力を足止めするなんて……」

 

 光教の隣で、一人の姫武将が感嘆する。

 彼女の名は長教連。かつては畠山義綱から一字を賜り長綱連と名乗っていたが、渡辺町の戦いのち改めた。

 

「足止めだけでは足りぬ。本隊の方はもう少し血を流させたかったが、まあいい。他の策に比べて取るに足らぬものだ」

 

「大事なのは、次の策。そうですよね?光教さま」

 

「ああ、その通りだ。次が成らねばこの戦は泥沼と化し、散々根回しをした意味が薄くなる。そうなることは避けたい」

 

「でも、良かったんですか?渡辺町の金蔵をいくつも開けて……。今回の戦いはだいぶお金をかけてるみたいですけど……」

 

「いや、実はこれでも出し惜しみをした、と思っている。あの馬鹿のところまでは種子島が回っていないからな。仕方ないから地の利を活かした砦を造らせたのがその証左と言える」

 

「え?この規模でもですか?」

 

 光教の言葉に光連は目を丸くする。

 今の規模でも一国の大名が行える戦の規模からは逸脱しているというのに、それをさらに大規模なものにできるなど俄かに信じ難かったのだ。

 

「連合軍相手に長期戦を行う余力は我らにはない。人口が少なく兵がいないからな。されど、軍費にかけられる金の量ならこちらに分がある。緒戦で流れをこちら側に向け、押し切る。そうでなくては勝ち目がない」

 

 半ば自分に言い聞かせるようにして光教は語る。

 そして語り終えると同時に光教は光連にひとつの命を下した。

 




読んで下さりありがとうございました。
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第四十一話 北陸大戦② 【執念と大義】





 

 井ノ口と穂高の一騎討ちは熾烈を極めていた。

 すでに両者とも八十合は得物を打ち合っているが、未だ決着がつかないのだ。

 

「やっぱりやりやがる……。こりゃ昭武とヤる余力はねえかもな」

 

「貴公こそ。これほどの相手は昭武殿以来だ」

 

 讃えながらも井ノ口は穂先を穂高の腹へ向かわせる。それを穂高は柄を当てて逸らした。

 反応が少しでも遅れれば、井ノ口の槍は穂高を貫いたであろう。

 

「おいおい、油断も隙もないな」

 

 これにはさしもの穂高も苦笑いを浮かべる。

 目標を僅かな隙を突いて高速かつ的確に穿つ。

 これが井ノ口の槍の真髄であり、穂高にとってはもっとも苦手な部類の相手だった。

 だが、だからといって闘志が萎えるわけもなく、むしろ「乗り越えてやる」と穂高は奮起した。

 

「今の一撃を躱すとは見事。それがしの中では少々自信があった一撃であったというのに……。なれば致し方ない、次はそれがしの最速の一撃を馳走してやろう」

 

 言うと井ノ口は後方に飛び退き、腰を落として力を溜める。

 力の限り大地を踏みしめる一方、冷静に体内の力の入りを整える。

 そして穂高の心臓に狙いを定めると、あらん限りの力で地を蹴った。

 井ノ口が、飛んでくる。

 比喩でなしに今の井ノ口は遮ることすら許されない飛槍となっていた。

 これを穂高が弾くことは叶わない。触れたと同時に身体ごと吹っ飛ばされるだろう。

 さりとて、躱せるものでもない。飛槍の速さは穂高が経験したものの中では比較にならないほど速いものだからだ。

 ならば、迎え撃つか。しかし、これほどの速さでは大斧を振り上げるのはもちろん、薙ぐ暇すらないだろう。

 大斧という武器の特性上、刀などの他の武器と比べると初動は遅くなりがちである。それは此度のような一瞬の挙動が生死に直結する場合には致命的な弱点となる。

 だが、そんなことは大斧を得物としてきた時から分かっている。

 大斧を逆手に持ち替え、両腕に込められるだけの力を込める。

 そして迫る井ノ口を見据え、その腹を大斧の石突きで突いた。

 

「なっ……⁉︎」

 

 自身の持ち得る最速の槍。それを見切られた井ノ口は吹き飛ばされながらも瞠目した。

 岩盤に叩きつけられる。その衝撃で槍を失った。

 穂高の腕力と自分が生み出した推進力を逆用された突きは途方も無い威力で、並みの武人ならば吹き飛ばされることなくその場で腹を貫かれて死んでいる。

 

(はは、こんな武人がいたとはな……)

 

 井ノ口は心中で笑っていた。

 これほどの武人と争うことなど、金環党の副頭領のままであったらままならなかっただろう。

 あの頃は、長近を守るために武を鍛える一方、その力を心ならずも民を襲うために振るわざるを得なかった。

 何年も山賊に身をやつしたが、結局のところ井ノ口は高潔さを捨てることはできなかったのだ。捨ててしまえば葛藤も無くなり、楽になれただろうことは分かっていた。しかし、そうして残るのはただの凶刃。自らが望む存在には程遠かった。

 

(倒れている暇か?いや、違うであろう。かつてのようなどうしようもない鬱屈をぶつけていた日々とはもう違う。このまま倒れているままではもったいないではないか……!)

 

 本来ならば、井ノ口の武勇は世に出ることはなかったのかもしれない。歴史の陰に埋没したのかもしれない。

 だが、昭武がそれを防ぎ、さらにその資質に相応しいに舞台をも用意した。

 痛む身体に無理やり言うことを聞かせ、井ノ口は立ち上がる。

 槍は近くには見当たらない。仕方ないので腰の刀を抜き、穂高に突きつける。

 

「まだ、立ち会いは終わってはいないぞ」

 

 井ノ口の身体はすでにぼろぼろで、足取りもふらついている。

 されど、瞳は炯炯と輝いていた。

「与えられた舞台から降りたくない」その一心で井ノ口は立っている。

 

「……あんた、すげえわ。よくあれを受けて立ち上がれる。ぶっちゃけおかしい」

 

「それがしの槍を防ぐ貴殿も大概だろう」

 

 皮肉げに井ノ口が笑う。が、その笑みはぎこちない。井ノ口の身体に余力が残されていないことは明らかだった。

 また、二人を見守る群衆の中で、聡い者は察していた。

 この立会いは間も無く勝敗が決するだろうと。

 

「仕切り直しだ!かかって来やがれ!」

 

 穂高が叫んでは大斧を振り上げ、

 

「言われずとも」

 

 井ノ口は刀を右側面に構えて翔ける。

 馳せ違う。

 井ノ口が繰り出すは左回りの斬り払いとそれを基点にした六連の平突き。得物が変わってもその刃閃の鋭さは変わらない。

 

(刀でもここまでの技量かよ……。だが、惜しかったな)

 

 これが槍で繰り出されたものであったならば、穂高は何も出来ずに討ち取られていただろう。

 だが、槍にリーチで劣る刀であったから穂高は井ノ口の絶技を看破し、井ノ口の左側面へと足を捌くだけの猶予があった。

 井ノ口の背に狙いを定め、振り下ろす。

 されど、大斧の刃がそこに至ることはなかった。

 

「がはッ⁉︎」

 

 脇腹に鈍い痛みを感じる。

 不思議に思って穂高が視線を下ろすと、そこには脇差が突き立てられていた。

 僅かなやりとりの合間に井ノ口は突きが不発とわかると、左手で腰の脇差を抜いていたのだ。

 脇腹から夥しい量の血が流れていく。

 死に至ることこそないが、一騎討ちを続けるに足る余力は失われた。

 井ノ口が追撃のためにさらなる刺突を繰り出す。

 先の平突き六連とはまた違った剛直な一突きである。

 それを穂高は失血して力が入らぬ身体を無理やり動かし、大斧の刃で受けた。

 甲高い金属音があたりに響き、両者の力がぶつかり合う。

 もはや両者ともに十全に戦えるような状態ではない。しかし、それでも一騎討ちは激しい熱を帯びていた。

 はたして、それを為すのは生への渇望だろうか。はたまた雄敵を征する歓びだろうか。

 いずれにせよ、両者の目には互いしか見えていない。

 

「くたばれ!穂高正文ィィィイイイ!!」

 

「砕け散れ!井ノ口虎三郎ォォォオオオ!!」

 

 両者が最後の力を振り絞る。

 されど、天秤は傾かない。二人の実力は結局のところ伯仲していたのだ。

 ついに両者が互いの衝撃に耐えられなくなり、同時に後方へ弾き飛ばされた。

 本当に限界だったのか、両者とも立ち上がることができずにいる。この時をもって井ノ口と穂高、二人の一騎討ちは幕を下ろした。

 戦場を覆っていた熱狂が冷めていく。

 気がつけば、すでに日が暮れて夜の帳が下りていた。

 戦いの最中にこのことに気づいた者は昭武や穂高の副将である島々直成ぐらいしかいない。これほどの長きに渡って両者は一騎討ちを繰り広げ、その場に居合わせた者たちの意識を引き付けていたのである。

 未だうまく動けない井ノ口を収容し、昭武は兵を麓の陣に返す。地の利を押さえられた状態で夜戦を行うことに危惧を覚えたからである。

 考えることは穂高方も同じで島々直成も穂高を収容して越中軍を追撃せずに砦の防備を固めた。

 この後も昭武は連日荒山峠を越えようと砦を何度も攻めるが、島々直成は頑健に抵抗しそれを阻んだ。

 

 

 *************************

 

 荒山峠を抜こうと昭武が奮闘している頃。

 勝山城前の平野にて、両軍は睨み合っていた。

 

「どうやら、若君の戦況は決してよろしくはないようです。穂高正文は一騎討ちにより人事不省に陥っていますが、その副将である島々直成が危なげなくあしらっているとのこと」

 

「島左近を氷見に置いたのが災いしたな。虎三郎もまた人事不省に陥っている状態では戦術の幅が限りなく狭まる。押し続ければ抜けないことはないだろうが、戦力として使えるほど残るかと言われれば微妙だな」

 

 一義の報告に雷源は渋い顔をする。

 

(荒山峠にも砦を作っているのは予想がついた。必ず渡光教か穂高正文を置くこともな……。だが、島々直成か……。奴は目立ちこそしないが、堅実に成果を出す将だ。島左近や虎三郎がいるならまだしも昭武だけでは荷が重いか)

 

 これで別働隊までも光教の手によって封殺されたことになる。

 そして、別働隊があてにならない以上、本隊が取りうる方法は自ずと定まるだろう。

 それを裏付けるかのように義綱の本陣から伝令が到着した。

 

「雷源様、姫様からの命です。曰く「我々は五千で敵左方の山地を抜く故、敵右方の山地を抜いて、馬防柵の裏に回り込め」とのことです」

 

 伝令から齎された情報に雷源は瞑目した。

 このまま、渡光教の手のひらの上で転がされるのか。そう思った。

 

「どう致しますか?」

 

 一義が問いかけると、雷源は悔しさに表情を歪めながら答えた。

 

「……他に策がない以上、そうする他ないだろうな。うちからは俺と長尭が行く。兵数は……二千だな。これ以上は山間では動かしづらい。一義、お前はここで残りの兵を率いて中央の敵に睨みを効かせろ」

 

「了解致した」

 

 かくして本隊はついに強攻を開始した。

 

 米

 

 強攻の開始から二刻。

 能登軍右方の山地にて、雷源は首を傾げていた。

 

「確かに、砦はある。だが、あまりに兵数が少なすぎないか?」

 

 そう雷源が呟くのも仕方ない。

 なぜなら、雷源たちの行く手を遮った砦には、砦を機能させられる限界の人数……約四、五十人しかいなかったのだから。

 

「確かに、そうですね」

 

 これには長尭も頷きを返す。

 雷源はこの地の戦における渡光教の考えは中央を馬防柵と種子島で塞ぎ、堅牢に作っておいた左右の砦を抜かざるを得ないようにして本隊に痛撃を与えることを目論んで組まれていたと考えていた。

 だが、その仮説は目の前の砦を見れば仮説でしかないことがわかる。

 

「何が、したいんだ?渡光教は?」

 

 つまるところ、此の期に及んで雷源は光教の考えが見えなくなったのである。

 

「渡光教が何を企んでいるかはそれがしにもわかりませぬ。ただ、この先に罠があると面倒です。戸沢殿を用いて明らかにするのはどうでしょうか?」

 

 今度は雷源が頷きを返す番であった。

 

「白雲斎からの報告を待つ間に砦を落としておくか……」

 

 雷源が砦を攻める。

 砦の造りそのものは堅牢であったが、あまりの兵数の差は如何ともし難いことを分かっていた能登軍は少し槍を合わせただけで逃散した。

 砦が陥落して四半刻。

 白雲斎が雷源のもとへ帰着する。

 

「勝定よ、やはり長尭の言う通り渡光教は罠を仕掛けていたぞ。山道から平野に出る地点に種子島の隊がいた。数は五百前後だが、山道の出口が狭隘であるが故に蓋をする分には不足はない」

 

「そうか、このまま突っ込んでいたら蜂の巣にされるところだったか。危ないところだった」

 

「して勝定よ。どうする腹づもりだ?」

 

「平野に降りずにここに布陣する。今回は守る気がなかったからいいが、その気になっていればここを抜くのに四百は失っていただろうしな」

 

 米

 

 雷源が容易く砦を押さえた一方、義綱と光誠、玄仁が向かった能登軍左方の砦では熱戦が繰り広げられていた。

 

「臆することはないわ。私たちにはお猫様の加護がある。背教者に負ける道理はないっ!」

 

「此度の戦が私たちの悲願を叶える最後の機会!お願い!みんな力を貸して!」

 

 玄仁と義綱が陣頭に立って戦いながら思いの丈をぶちまけることで兵を鼓舞し彼女達のためならば死ぬことすら厭わない極めて剽悍な精兵に変えていく。

 

「やはり手強いですね。純粋な願いに殉じようとしている人々は」

 

「ああ、変に既得権益を得た畿内の門徒どもとは違うな」

 

 それを迎え撃つのは、竜田広幸と下間頼廉。

 神に殉じようとした彼らの末路を憐れみ、それを誘導し、時には利益を貪る教団に疑問と悲憤を感じて神からの自立を目指した男達であった。

 

「……できることならば、あまり傷を負わせずに帰してやりたいところですが……」

 

「相変わらず広幸どのは心優しい。だが、そういうわけにはいくまい。俺たちには大義があるんだ。渡辺町を発展させることで、乱世に絶望した人々を救いあるいは守り抜くという明確な大義がな。それに比べれば、侵略してきた門徒を討ち取るなんざ些末なことだ……!」

 

「ですが、此度の侵略者の一部も私たちが救うべき人々でしょう?」

 

「そうだ。だが、無理やりにでも割り切れ。俺たちの大義は贔屓目ではあるが圧倒的な正義だ。悩むことすら烏滸がましいほどにな。……そう思わなくては俺もやってられん」

 

 最後の辺りは声が小さく、広幸には聞き取れなかったが、頼廉も頼廉で葛藤を抱えていることは違いなかった。

 けたたましい喊声をあげて、加賀軍が砦を攻め立てる。

 砦は蛇行した山道の頂きに立っている。丸太など隠れるものがあるため、荒山峠とは違って被弾はしにくい。

 しかし山道の道幅が二十寸(約60センチ)しかないために一人が弾幕に臆して隠れれば、後続の足が止まり銃火に晒される。

 今も死兵になれなかった兵が丸太に身を隠して道を塞ぎ、後続の死兵が次々と鮮血の花を咲かせては散ってゆく。

 その様を見て最も苦しんだのは広幸だった。領地を守る将としての建前上、顔には出せないが心中では血涙が流れている。

 

(玄仁どの、早く諦めてくだされ……!私はこれ以上、門徒達を死なせたくはないんだ……!)

 

 だが、この広幸の切なる願いは叶わない。

 銃火による損害で兵数が元々の四割ほどになっても義綱と玄仁は依然として砦を攻め続けたのだ。

 広幸達が相手にしているのはもはや、軍勢ではなく、軍勢の形を借りた途方も無い妄執だった。

 

「士気が高い。本来ならばとうに戦う意志など砕けてしかるべきだというのに、こいつらは打ち崩せば打ち崩すほどさらに鋭く、果敢に攻め寄せてくる……!」

 

 頼廉の背筋につっと冷や汗が流れた。

 

(一揆衆ってやつは大概どこかが壊れているが、こいつらは全てが壊れている。どうやれば、ここまで門徒を狂わせることができるんだ……!)

 

 元来、兵の頭数では玄仁らが四倍以上は優っており、真っ当に戦えば広幸たちに防げるわけがない。今現在防ぎきれているのは蛇行した山道が堀としての機能を果たしているからである。

 だが、その優位は玄仁が比較的道幅が広いところに後方から持ってきた攻城用の梯子を掛け、砦への直登ルートを敷設したことで打ち破られた。梯子を掛けるのにも多くの犠牲を払ったが、玄仁と義綱は気にしてはいない。いや、正確には気にしないようにしていた。

 

(竜田派を討ち滅ぼして、私が正しかったのだと広幸と能登の民に証明する……)

(渡光教を廃して、能登を正しい主である私の手に取り戻す……)

 

「「そのためならば、私はこの犠牲を厭わない」」

 

 米

 

 梯子が幾つも掛けられてからは、もう真っ当な戦いにならなかった。

 玄仁らの苛烈な攻勢に押されて広幸と頼廉は砦を放棄して下山することを余儀なくされる。玄仁はそれを追って平野の能登軍本陣まで進撃したが、熊野軍が平野に残っていた重泰の鉄砲隊に阻まれたために押し切れずに奪取した砦に退いた。

 雨垂れ石をも穿つ。或いは一念岩をも通す。どちらの表現を用いるかは個々に委ねるが、ともあれ玄仁らの流した血と信念はついに能登軍の堅守を突き破ったのである。

 




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第四十二話 北陸大戦③ 【反攻の狼煙】

 

 勝山城近郊で激闘が行われていた頃、氷見では異変が起きていた。

 

「嘘、なんでこんなに……」

 

 氷見の要、湯山城の高楼から遠眼鏡で周辺を見張っていた左近は戦慄していた。

 左近がその目に捉えたのは、北方から氷見へと航行する百五十隻余りの大船団。兵数で言えば少なく見積もっても三千は越えているだろう。

 その大船団の先頭を航行しているのは帆に翻る黒地に白の二頭波頭が刻まれた安宅船。

 ここまでくれば、見間違いようもない。

 左近が恐れていた光教の別働隊である。

 

「来るとは、思っていた。けれどこんな数になるなんて……!」

 

 左近は別働隊があるとしても能登そのものの国力と光教の蓄えを勘定に加えて算出した結果、動員しても精々二千ほどにだろうと考えていた。

 しかし、実際のところ光教が用意したのは四千程でこれは能登だけではなく、越前や若狭からの豪商の私兵や傭兵をも含んでいた。

 光教は自分が能登を領し続けることの利点を日本海を根拠地とする豪商達に説いて回りその結果、越前敦賀の豪商・道川何某と若狭小浜の豪商・組屋何某から二千五百の私兵と傭兵を借り受けたのである。

 船は越前・若狭のものに加えて渡辺町と七尾、穴水に珠洲、輪島など能登の大湊から徴発して補った。

 

「海戦で迎え撃つのは、もう遅いわね。陸に上がるところを叩くしかない!」

 

 高楼を降りた左近はすぐさま麾下の兵千を氷見の港に配し、堅陣を構築した。

 その手際は早く、船団が入港する寸前にはすでに完成していた。

 

「ふむ、中々対応が速いではないか。どうやら星崎昭武は良将を残したとみえる」

 

 光教の目から見れば、左近の陣は即席のものとしてはよくできていた。港の入り口にさして兵が配されていないため、一見すると簡単に湾内に入れそうなものだが、だからといって易々と入ってしまうと揚陸している間に集中砲火を浴びる仕様になっている。さりとて、被害を受けて退こうとしても後続が邪魔して退くに退けないという実にΩ字型の湾の構造をよく理解して練られたものであった。

 

「このままでは、如何ともし難いな。もう少し隠しておきたかったが致し方あるまい。教連よ、これより隠し球を用いる。船内からあれをここに出してくれ。それとお前の父、長続連にも隠し球を出し、船団の先頭に来るように伝令を出せ」

 

「はっ!」

 

 教連が船内から三台の台車を運び出し、光教の指示に従って甲板に並べる。

 それぞれの台車には一門の大筒が載せられており、これらは日本海の交易を通じて博多から手に入れた、「国崩し」あるいは水滸伝に登場する豪傑・凌振の渾名である「轟天雷」と称される火砲である。この大筒たちはあまりに高価なため北陸一の財力を誇る光教でも旗艦用に三門、続連用に二門買い揃えるのが限界だった。

 

「ふわぁ……、何度見ても黒くて大きいです……」

 

「言ってる場合か、早く砲撃の準備をしろ」

 

 何故か恍惚の表情を浮かべる教連を軽くあしらい、光教は指示を下す。

 そして続連からの砲撃の準備が出来たことを知らせる合図を確認すると、光教は采配を振り下ろした。

 

「大筒を放て!」

 

 種子島とは比較にならない爆音が天地海に響く。

 放たれた砲弾は流麗な放物線を描き、左近の陣へと飛来した。

 

「………ッ!」

 

 左近はもう声が出ない。

 南蛮人の往来が盛んな畿内や北九州ならいざ知らず、まさか北陸の大名が大筒を所有しているとは想像すらできなかったのだ。

 

(なんで大筒なんか持ってるのよっ⁈畿内からの横流しでもあったの⁈ ……いや、畿内では輸送に難がある。ならば博多から……!いえ、まさか……!でも、それぐらいしか考えられない……!)

 

 このとき、左近は気づいた。

 渡光教の魔手は自分達が思っていたよりもはるかに長く伸びているのだと。

 また、左近は理解してしまった。

 今の自分では光教に勝てない、と。

 言いようも知れぬ敗北感に沈む左近をよそに、無情にも砲弾が陣に着弾する。

 敵の侵入を妨げるために立てた柵が容易く折れ、弓兵が何人か詰めていた櫓が倒壊して足軽たちがそれに押し潰される。

 

「あわわ、あんなけったいな陣がこうも簡単に……!」

「あかん、俺たちゃここで皆殺しにされてしまう…」

 

 初めて経験する大筒の威力に陣を構成する兵たちはどよめきを隠せない。

 

「思いの外、陣にできた綻びが小さいな……、もう一発だ」

 

 再度、光教が砲撃する。

 すると、左近の陣に先ほどのものよりも一際大きな穴が空いた。

 為すすべもない恐慌が蔓延し陣から兵が次々と逃散していく。左近はもうそれを押し留めようとしなかった。左近自身でさえ今の光教が恐ろしいのだ。兵であればなおさらのこと。押し留めても意味がないと判断してのことだった。

 

「このままじゃ、全滅は必至……!城下町に退いて態勢を立て直す!」

 

 ただ、それでも左近は戦意を失っておらず、戦況の不利を覆すべく城下町でのゲリラ戦に舵をとる。渡光教は悪謀に長けているが、不思議と破壊工作は好まないことを前もって知っていたからである。

 この左近の読みは正しい。実際のところ光教は左近達を追い散らした後の氷見を能登の防衛の要衝として統治するつもりで砲撃は港湾に留めるように下知していたのだ。

 しかし悲しいかな、この時の左近はまるで天から見放されていた。

 確かに渡光教は敵兵をあぶり出すために城下町に火を放ったり大筒で砲撃したりしなかった。だが、代わりに湯山城主である八代俊盛が渡光教に寝返ったのである。

 八代俊盛は神通川の戦いの後に熊野側に従った国人で、未だ服して日が浅く、さらに小勢力によくありがちな保身のための寝返りを躊躇わない気質を持っていた。

 今回の俊盛は光教の大船団と大筒の火力の前に屈したのだ。

 ともあれ、左近率いる熊野軍よりも現地を治める八代勢の方が城下町の地理は知り尽くしている。それ故に城下町に伏せていた左近たちはすぐに八代勢に捕捉され、苦境に立たされることとなる。

 八代勢と熊野軍が噛み合っている間に、光教は悠々と湯山城に入城した。

 

「これで荒山峠の越中軍は死に体でしょうな、渡殿」

 

 光教の隣で長続連が大笑する。此度の氷見強襲において船団の運用と管理を担当していた。

 

「ああ、この氷見への上陸は此度の防戦の要であった。氷見が落ちた以上、戦略を覆された玄仁や義綱は慌てふためくであろう。ここまでくれば、私たちが成すべきことはない。後は天と時の流れに任せるだけだ」

 

「あの〜光教様?島左近はどうするんですか?彼女は知勇兼備で知られた名将。放置すると厄介になると思うんですけど……」

 

「島左近は私達が手を下すまでもない。これはけして傲慢などではない。先ほど八代俊盛に伝者を送っている。『島左近を討ち取るないしは捕らえなければ、貴殿の帰順を認めぬ』とな。こうしておけば、八代勢は死にものぐるいになって島左近を攻め立てるであろう。何しろそうしなければ、帰るべき地を失うのだからな……」

 

 懸念する教連に光教は断言する。

 現状、左近率いる熊野軍はまだ城下町に潜伏しているが、その数は大いに減らされ二百にも届かない。これは八代俊盛でも十分刈り取れる数である。

 

「むしろ、懸念するべきは荒山峠にいる星崎昭武率いる越中軍だ。熊野雷源には及ばぬであろうが、兵の質は此度の戦に参陣しているどの軍よりも高い。あの馬鹿と足並みを揃えねば、万が一もありうる」

 

 信奈もそうであるが、昭武のことも光教は評価していた。

 美濃動乱における挟撃策に、金ヶ崎の退き口での二面策。

 戦況に応じた判断を断行できるその能力は味方に回せば頼もしいが、敵に回せば厄介だと見ていたのである。

 

 ********************

 

 氷見、陥落。

 この凶報はすぐさま、各軍に広まる。最初に届いたのは氷見に一番近い荒山峠で鎬を削っていた穂高隊と越中軍であった。

 

「だははははっ!渡のやつ、やりやがった!」

 

 井ノ口との一騎討ちから数日で傷を癒し、戦陣に復活していた穂高が大笑する。その隣では好々爺然とした老将が茶を嗜んでいた。

 

「さすがは大殿といったところでしょうか。これで、越中軍を挟撃できますな。はてさて、殿はどうなされます?」

 

「わかりきったことを聞くなよ、直成。すぐ強襲するに決まってんだろ?」

 

「はぁ、やはりそうでありますか。であれば殿、準備はすでに下々に命じておりますれば、一刻ほどお待ち願いとうございまする」

 

 島々直成。元は松本平に割拠した小笠原旧臣であったが、武田に服することを望まず、穂高らと共に抵抗を続けた男。穂高とは違って華々しさこそなかれど、ともすれば勢いに任せて突っ走ってしまう穂高の脇を固める良将であった。

 

 穂高が嬉々として攻勢に出ようとする一方、昭武たち越中軍は騒然としていた。

 

「氷見が落ち、左近の行方も知れず。見事に戦況を覆されたな……」

 

 穂高らが築いた砦の直下に設営した本陣にて昭武は苦々しげに歯噛みしていた。

 氷見は昭武達、越中軍の兵站拠点であった。ここを落とされたのは非常に厳しい。

 前には穂高、後ろには光教。いずれに抜けるとしても苦戦は必至。まるで金ヶ崎の退き口の焼き直しで、昭武が判断をし損ずる、あるいは遅れると越中軍は壊滅の憂き目に遭うだろう。

 

「昭武殿、如何いたしますか?」

 

「氷見にとって返す。穂高を離して到着すれば、数は互角。左近を拾って越中に帰れるだろう。ここの陣は捨て置け、胴丸も身につけていないなら放置しろ。着直す時間も惜しい。糧食と武具だけを持っていくんだ」

 

 井ノ口の問いに昭武はすぐさま答える。

 巧遅よりも拙速を尊ぶ。今回の昭武の決断はそれであった。

 

「それでは、伝えておきまする」

 

 こうして越中軍は四半刻もしないうちに隊列を整え、荒山峠を下っていく。直成が穂高に要求していた一刻が過ぎた時には、穂高隊と半里もの差をつけていた。

 

「くそっ!昭武のやつ一目散に逃げやがった!」

 

 越中軍の本陣跡で穂高は地団駄を踏む。周囲に散見できるのは放置されるがままになった足軽達の荷物や雑に引き倒された陣幕。その光景は昭武と井ノ口が厳しく足軽達に持ち物を軽量化させるよう努めた結果生じた物であり、彼らの才幹のほどが伺い知れる。

だが、それでも覆された戦局を好転するには至らないだろうことは穂高にはわかっていた。

 

 

 




読んで下さり、ありがとうございました。
誤字、感想などあれば、よろしくお願いします。


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第四十三話 北陸大戦④ 【道化と善悪】

北陸十年史編 第八話と同時投稿です。


 

 陥落の二日後には、越中軍は氷見に到達していた。その行軍にかかったのは一日と一晩のみと迅速なものだった。

 

「行軍中に貰った伝令によれば、左近は氷見城下北端で持ち堪えているらしい。まずはそれを救出する!」

 

 昭武の号令により、氷見の城下町に越中軍が殺到する。

 その様を見て、驚愕したのは一晩中寝ずに左近を追い回していた八代俊盛だった。

 

「早いッ!越中軍が早すぎるッ!このままじゃ氷見は、わしは……!」

 

 結局、俊盛は左近を裏切ったはいいものの光教に帰順を認めてもらえないまま、この事態に及んでしまった。

 最早、頼るものはない。さりとて、両軍合わせて五千以上に及ぶ敵兵の海を逃走するのも難しいだろう。

 

「敵将、八代俊盛!裏切り者め、報いを受けよ!」

 

 気づけば、井ノ口の分隊が俊盛の後背に迫って来ていた。

 

(ああ、わしは判断を誤った。あの時、恐懼に駆られなければ、こんな無残な死を迎えることもなかったであろうに……)

 

 追いついた井ノ口に背を突かれ、俊盛は絶望しながら世を去った。

 少しでも判断を誤れば、たちまち死に瀕する。彼の死に様はそんな乱世における小勢力の悲哀を端的に表したものであるだろう。

 

 米

 

 俊盛を討ち取ったのち、越中軍は無事左近らを保護し、南へ退かんと城下をひた走る。

 

(氷見を取り返すことはもはや不可能。あとはどれだけ被害を防げるかだな)

 

 今現在氷見には越中軍三千、能登軍四千がいる。昭武たちは兵力に劣り、なおかつ強行軍のあと。さらに氷見の北の街道からは穂高率いる千の能登軍が迫っており、もはや戦を仕掛けても旨味がない。ただ兵を磨耗するだけだ。

 

「殿、渡光教の軍が氷見城下南端に布陣しています!どうやら敵は我らをここで足止めするつもりのようです!」

 

 先頭を一騎馳けする昭武の隣に盛清が参じ、戦況を伝える。

 

「それが事実ならば、いよいよ進退を窮められてしまったか。後方からの伝令によると穂高も早駆けをしているらしいからな」

 

 昭武の強行軍も凄まじかったが、穂高のそれも充分迅速なものだった。俊盛勢と昭武たちが噛み合っている間に軍速を上げ、みるみる差を縮めていたのだ。じきに氷見城下に達してしまうだろう。

 

(立ち止まって考えたくなるが、もう迷うことすら許されないんだろうな)

 

 視界の先に光教のものと思しき軍勢が横陣を組んで城下の南門が防いでいる。数は二千はいるだろう。

 

「致し方ない。渡に向かって突っ込む。できれば鎧袖一触、最低でも二太刀を浴びせてくれ。……往くぞ!」

 

 采配を振り下ろし、越中軍が光教軍に殺到する。

 後年、氷見の戦いと称されたここ数日の戦いのハイライトとされる、南門の戦いはかくしてはじまった。

 

 ******************

 

 氷見陥落の報は、いざ眼前の敵を突破せんとしていた加賀軍にも届いていた。

 

「俺の懸念が当たった、か……。渡光教の持つ鯨海交易の権益を見誤っていたようだな……」

 

 急遽開かれた軍議にて雷源は嘆息していた。

 義綱が示した策は氷見があることを前提にして組まれていたものだ。それが落ちたのだからもはやそれは用を成さない。

 これからの方針を巡って軍議は紛糾した。

 

「勝山城郊外での戦いでは此方が有利! 別働隊はなかったことにして突破する!」

 

「ダメだ。氷見を取られた以上、加賀軍はいつでも背後を取られているということになる。羽咋まで引くべきではないか」

 

 前者は加賀衆と義綱らが、後者は熊野家の武将たちが主だって提唱していた。

 ことこの場に至って義綱が棚上げにしてきた両者の対立、あるいは今回の合戦に臨む姿勢の違いが浮き彫りになってしまった形となる。

 加賀衆と義綱らは能登軍への怨恨から、熊野家は国益のために参加した。

 勝ち続け、進撃をしている時ならばまだいいが、いざ停滞し、知恵を絞る時間が産まれると相反する意見が出され和が乱れる、この摂理にはさしもの雷源も抗えない。

 

(後背を抑えられてまともに戦える軍がこの世にあるものか。出来たとしてもそれは失うものがない奴だけだ。とても俺たちには付き合えるものじゃない。……ここらが、潮時か)

 

 義綱らを見限って雷源が撤兵の準備を密かに始めようと考え始めた時、白雲斎の手の者が新たな報告を持ってきた。

 口伝で情報を入手した雷源は慄いた。

 雷源もまた左近と同様に悟ったのだ。

 渡光教の策略が熊野軍を絡め取っていたことを。

 

「一義、長堯。退くぞ。渡光教め、どうやったか検討はつかないが、俺らが一番やって欲しくないことを一番やって欲しくない頃合いにやりやがった。こうなった以上、もう能登には関わってはいられない」

 

 即断した雷源は一方的に義綱と玄仁に書状を送りつけ、羽咋路を南下する。

 熊野軍を失った加賀軍は戦線が崩壊し、やむなく開戦時の位置まで後退したが、もう上がり目はないだろう。

 

「ああ、なんてこと……。私の能登畠山氏再興の夢が……!」

 

 本陣で雷源からの書状を読んだ義綱は失意の底に沈んでいた。

 とうとう、絶好の機会を逸してしまった。

 義綱の持てる全てを振り絞ってそれでもなお、及ばなかった。

 

(畠山はもう終わりなの?これが、神の思し召しだというの?下克上に屈さなければならないの?)

 

 霧散していく大望、叶わないと知ってしまった絶望。力が及ばない自分への失望。全てが義綱を苛んだ。

 

「醜く生きるよりはいっそのこと……!」

 

 雷源が退いた日の夜、義綱は本陣内の寝台に横たわっていた。

 泣ける限り泣いた。叫べる限り叫んだ。考えられる限り考え、光誠らの今後の道行を定めた。

 後は目の前の杯を、毒を飲むだけだ。

 義綱は生来身体が弱く、何度も病気になった。その度に薬も飲んできた。そしてそれは医者のいないところで病に罹っても対処出来るようにと自らを医者に準ずる存在へと昇華させた。

 目の前の毒はその知識を転用して調合したものだ。

 これを飲めば忽ちに意識を失い、心安らかに死ぬことができる。

 本来、毒死は武家にとっては不名誉の死とされる。

 だが、義綱はむしろそれを望んだ。

 なぜなら義綱は自らを光教の専横を防げず、あまつさえ畠山家を再興させることが出来なかった罪人と見做していたのだ。

 

「……お父様、お兄様、申し訳ございません。私はついに畠山家を再興出来ませんでした。将来を嘱望されておきながら、この体たらく。きっと畠山家累代のお歴々も失望なさっていることでしょう。咎は全て私にあります。今から私もそちらに参ります……!」

 

 毒杯を掲げ、懺悔してから口元に寄せる。

 

(……ああ、叶うならば、一度ぐらいは恋をして見たかった)

 

 終焉が迫れば人間は本性が出る。それは畠山義綱とて避けえぬ定めである。

 畠山再興を掲げたレジスタンスではあってもそこもとは姫武将であり、まだ年若い少女であった。このように思ってもなんら不思議なことではないだろう。

 だが、この僅かな回帰が結果的に義綱を救った。

 幔幕が切り倒され、一人の姫武将が駆けてくる。

 

「なにをしてるのよッ!あなたは!」

 

 玄仁だった。

 玄仁はひたすら怒っていた。

 

「なによ、ただの一度打ちのめされたぐらいで!あなたの夢は大望はその程度だったの⁉︎」

 

「……え?」

 

 義綱は意味がわからなかった。光誠ならわかる。幼い頃からの友にして腹心でここにいて当然とも言える。

 しかし、目の前にいるのは光誠ではなく、玄仁だった。

 事態がわからず呆然としている義綱の手から玄仁は毒杯をひったくり、地面に叩きつける。

 そして義綱の両肩を鷲掴みにして叫んだ。

 

「私だって、散々雷源に良いようにやられたわよ! けど、私は心は折らなかった!なぜかわかる⁉︎兵や将がまだ信じてくれているからよ。私達、頭領は兵や将が信じてくれている限りはたとえどんな悪路でも突き進まなきゃならない生き物だからよ! そうでなくては途上に倒れた者が浮かばれないからよ! それがわからないぐらいなら初めから大望を語るなッ!」

 

 玄仁は北陸のどの将よりも自軍の兵を死なせた将である。それはもっとも別れを経験している将ともいえる。

 にゃんこう一揆では戦に倒れれば猫極楽に召されるとはいえ、現世に残された者の悲しみは深かった。

 それこそ、信仰に狂さねばやっていられないほどに。

 だからだろうか、玄仁は皆が苦しみに逃れる為の指標として苛烈な信仰者を装うようになった。

 私を信じろ、従え、踏襲しろ。

 そうすれば少しは楽になるから。

 ひどく傲慢な考えだ。ひどくその場凌ぎの考えだ。結局のところ偽善に過ぎない。

 事実、雷源と広幸はそれを看破し、そう否定したが教団に救われた玄仁にはそれ以上のことが出来なかった。

 根本的にはまちがっていることは玄仁にもわかっていた。

 だが、それでも救われる人はいる。たとえそれが一時的なものだったとしても。

 

「あなたにはそれだけの覚悟はあるの?再興を掲げる不屈の大将、この道化を演じる為の覚悟が」

 

「私は……!」

 

 玄仁に問われ、義綱は思い出す。

 敬愛していた父の憂いを、兄の非業の死に憤った夜を。または光誠をはじめとする余呉湖の屋敷に集まってきてくれた人々の顔を。

 義綱の瞳に光が戻る。

 

「……その顔を見れば、大丈夫そうね。さ、飯川どの達に顔を見せてあげて。彼女達ずっと心配していたわよ」

 

「……玄仁どの、ありがとうございます」

 

「……別に。広幸が私にしてくれたことをそのまましただけよ」

 

 そう語る玄仁の表情に義綱はどこか痛ましさを感じて、思わず胸を押さえた。

 

(この人はひどく孤独な人だ。もがけばもがくほど、独りへと近づいていく。どうすれば彼女は誠に救われるのだろうか)

 

 ******************

 

 氷見南郊にて。

 昭武率いる越中軍は光教軍を追っていた。

 南門に光教軍を視界に捉えた時はそのまま合戦かと思われたが、接敵寸前で光教軍が南へ進軍を開始したのだ。

 

(渡光教、何を企んでやがる)

 

 そう昭武は警戒はしたが、だからといって軍を止める訳にはいかなかった。

 そのまま氷見に留まれば、穂高に攻められる上に光教に熊野領を蹂躙される可能性がある。

 光教が罠を仕掛けていようが進むしかなかった。

 

「そろそろ頃合いか……」

 

 南門から一里ほど南下した時であった。

 光教が合図を出すと光教軍か急停止したのち回頭せずに昭武達に向かって種子島と弓を斉射する。その動きに乱れはない。

 

「ちっ、これは!」

 

 昭武はそれに気づき、太ももを締めて馬を停止させる。

 

(まさか、ぱるてぃあんしょっとを使ってくるなんてな)

 

 パルティアンショット。かつてパルティア王国をはじめとする大陸の遊牧騎馬民族が用いた戦法で退きながら後方に弓を放ち、敵が疲弊すると同時に反転して乗り崩すという戦術である。

 本来ならば総騎兵でやるこの戦術を光教は弓と種子島を用い、騎馬と足軽混合の部隊でやってのけたのだ。

 一人でさえ走っている時はすぐには止まれない。軍ならばなおさらのこと。

 昭武は光教の策を看破して足を止めたが、事情を知らない後続はそのまま突っ込み斉射をもろに受けた。

 

「隊列が乱れたな。全軍、越中軍を攻め立てよ!」

 

 そして、光教軍が反転して越中軍に攻めかかる。

 射撃からの流れるような攻撃は越中軍の足を止めた。

 

「よーしよしよし、追いついたな。んじゃ行くぜ!」

 

 そこに、越中軍を猛追していた穂高隊が合流し南北で挟撃をかけた。

 三軍が入り乱れ、乱戦となる。

 昭武も光教・穂高両軍を相手に槍を振るった。

 だが、それも長くは続かない。

 どこかで銃声が鳴った。

 昭武の乗馬が甲高い声で嘶くと、崩折れて昭武は馬上から転がり落ちる。槍は失っていないが、体を強かに打った。

 

「被弾したか、ついてねえな」

 

「そうとも。星崎昭武、お前にそもそもツキはないのだから」

 

「誰だ?」

 

 昭武が顔を上げて男を見やる。

 黒い南蛮胴具足に、燕尾形兜。その右手に携えた種子島からは発砲して間もないからか紫煙が漂っている。

 この風貌に昭武は心当たりがあった。

 

「渡光教、か⁉︎」

 

 問われて男が首肯する。が、昭武には信じ難かった。

 

(渡光教に乱戦の中に混じれる程の武勇はねえ。というか、そもそも乱戦の中に混じろうとする筈がないだろう)

 

「驚いているな。確かに普段の私ならばこのような真似はしない。だがその筋を屈して此度、私がわざわざ自ら血風吹き荒ぶ戦場に足を踏み入れたのは星崎昭武、お前に聞きたいことがあったからだ」

 

「聞きたいことだと⁉︎」

 

「ああ、そうだ。なぜお前は天下泰平などという度が過ぎる大望を抱いた? 自国の安定では不足なのか? この場に居続けるのは時間が惜しい、疾く答えろ」

 

「それぐらいのことならかまわん。……そうだな」

 

 瞳を閉じて昭武は思い起こす。

 平湯村の深山で出会った、一人の悲しき少女を。

 その時、彼女はひどく戦乱に疲れていた。

 彼女の身体は華奢で戦うことに不向きであるにも関わらず戦うしかなかった。

 彼女の性格は途方もなく優しくて戦うことに激しい抵抗感を覚える筈なのに、戦うしかなかった。

 今までも自分は似たような戦いたくもないのに戦っている人は数多見てきていたが、彼女は極めつけだったのだ。

 

「オレは理不尽な死と喪失を強い、戦いたくもない人が戦わなければならない世を終わらせたいとその時、明確に願った。ただ、それだけだ」

 

 ふと抱いたささやかな感傷から、昭武は戦い続けてきた。

 

「下らないな。実に下らない」

 

 その感傷を光教は唾棄した。

 

「感傷だけで戦うとは愚かの一言に尽きる。それが一国の安定のためならばまだしも天下泰平だと?断言する。そのままでは、お前は必ず天下を乱すだけの存在となるだろう」

 

「なぜだ?一応理由を聞かせろ」

 

「理由など簡単だ。お前は人の悪性を知らぬ。天下泰平、それが美しい夢だということは認めよう。それを感傷から唱えるお前は善性に比重が傾いている人間だということもな。しかし、それは天下を統べるには不向きだ。人はお前が思っている以上に醜い。天下を取るということは人間の悪性を差配し活かし抑圧することだ。お前なら抑圧こそ出来ようが、他ができない。仮にお前が天下を取ろうが短命に終わるだろう」

 

 権謀術数渦巻く能登を制覇し、人間の悪性を知悉した光教らしい言葉ではあった。

 昭武が悪性にあまり造詣が深くはないのは左近も指摘しているところであり、数少ない弱点であることは昭武も左近に言われ慣れたため自覚していた。

 

「だが、それを補ってくれる仲間は既にいる」

 

「そうだろうな。お前にそれだけの家臣を惹きつける器があるのは事実だ。だが、俺から見れば、それはお前の持つ数少ない悪性の一つと言える」

 

「それこそ善性だとオレは思うが、違うのか?」

 

「ああ、俺はそれを悪性と断じる。ついでに補足もしておこう。先ほど俺は天下泰平を美しい夢と評したが、あれは夢そのものの善悪ではなく、綺麗事の中ではとりわけ優れたものだからだ。あれほど明確な大義はそうは存在しない。事実、そのためならば犠牲を強いられても難色を示すものは多くはないだろう。つまり、お前は確かに希望を提供できるが、大概はそれ以上の戦と死を与えることになる。これを悪を言わずして何と言う?」

 

 口の端を吊り上げる光教。

 昭武にとっては割り切っていたことだったが、改めて突きつけられるとその矛盾がわかる。

 

「悪いことは言わない、星崎昭武。諦めろ。天下泰平などお前には過ぎた夢だ」

 

「そんな風に言われて諦める阿呆がどこにいる。というかこっちは散々話したんだ、お前も教えろ。そうでなくては不釣り合いだ」

 

 しかし、鼻で笑って昭武は光教の勧告を蹴り飛ばし、逆に問うた。

 

「俺の願いは単純だ。渡辺町を守り、来たるべき泰平の世へと繋いでいく。そのためならば、俺は如何なる奸計も厭わない」

 

「……それこそ、いらん恨みを買って渡辺町を滅ぼすんじゃないか?」

 

「それは疑いようもないことだ。だが、俺はお前とは違って叶えられない夢を見ない主義だ。問題あるまい。……さて、もうよかろう」

 

 ここで光教が話を切り、昭武に種子島の銃口を向ける。

 

「警告はした、だがお前は聞き入れないという。なればこその処置だ。星崎昭武、お前は善性で感傷で戦火を撒き散らす救いようもない罪人だ。それこそ長尾景虎に近しい真性の疫病神だ。……赤心から天下泰平を願うのならば、ここで死んだ方がよかろう」

 

 まるで判決文を読み上げるように光教は死を宣告する。

 未だ、昭武の身体から打ちつけた際の痛みは取れていない。

 絶体絶命、昭武の運命はここに窮まった。

 




読んで下さりありがとうございます。
誤字、感想などあればよろしくお願いします。


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第四十四話 北陸大戦⑤【越軍】

 光教が昭武を銃弾で以って弾劾せんとしていた時。

 戦場には変化が起きていた。

 突如、北方から二千の総騎兵が乱入し、穂高隊の後方を蹂躙していたのである。

 その先頭に立つのは、特大の段平をいとも容易く片手で振るう偉丈夫。……北陸無双・熊野雷源であった。

 

「まだ、潰されていないか。数に劣る状況で前後に挟撃されても耐え凌ぐ。昭武め少し一義に似てきたな」

 

「軽口を叩いている暇は無いでしょう、殿。すでに若殿の馬印は倒されておりますれば」

 

「だな、一義。んじゃ、もっと押し込んでみるか」

 

 雷源が命を下すと二千の騎兵が楔形陣を組んで一糸乱れず突っ込み、穂高隊を割っていく。

 鎧袖一触。

 ただの一度の突撃で、穂高隊が粉砕されていた。

 

「くそ、雷源が来るなんて聞いてねーぜっ!当たれば散る。槍を合わせようとするなよ!」

 

 半ば自暴自棄になりつつも、穂高が自軍の被害を減らそうとする。しかし、そうしたところで既に三分の一を削られた穂高隊ではこれからはどうにもならない。

 

(姿を現しただけで戦況を変えやがった。というかそもそも石動山塊の向かい側の勝山城からこっちにこんな短い時間で来れるわけないはずなのに……!」

 

 穂高が歯ぎしりをする。それは昭武の数倍早い速度で駆けつけてきた雷源が自分たちの策の最大の誤算になったことを感じ取ったからだ。

 雷源は練度の低い義勇兵で冬季の親不知を越える、玄仁の厳しい監視と追撃を潜り抜けて千の兵を飛騨まで逃がし切るなど数々の難行軍を果たした名人である。

 総騎兵二千で、氷見の戦線に分け入るなどできて当然であった。

 

 米

 

「報告!氷見側から二千の総騎兵が乱入!背後を突かれた穂高様の隊が苦戦しておりますッ!南の殿の軍を充てなければ挽回は困難かと」

 

 昭武に種子島を突きつけていた光教のもとにも穂高隊の戦況は伝わっていた。

 だが、それは不幸にも光教が種子島の引き金を引いている最中であった。

 

「なんだと?」

 

 報告に俄かに光教が動揺したことで、種子島にも微かな振動が伝わる。

 そうした状態で放たれた弾は、当初狙いを定めていた頭ではなく昭武の右肩に命中した。

 

「外した、か。ならばもう一度だ」

 

 光教が再度狙いを定め直す。今度こそきっちり頭蓋に照準を当てている。……だが、次は引き金が引かれることはなかった。

 

「殿ッ!」

 

 盛清がすんでのところで駆けつけて煙幕を張ったからである。標的を視認できない状態で当てられるほど、光教の狙撃は熟達していない。

 煙幕を張っている間に盛清は昭武を運び出し、それが晴れた時には光教の眼前に昭武の姿はなかった。

 

「流星光底長蛇を逸する、か。いずれにせよ天命ではなかったようだ」

 

 知らず、光教は種子島を下ろして天を仰いでいた。

 

(やはり、天下の乱は収束されつつある。だが、それはけして一人の英傑によるものではなく、何人かの英傑が示し合わせたかのように並行して進めていくものだ。彼ら彼女は己が野望、或いは欲得に従っているつもりであるが、知らず一つの帰結へと進んでいく……。おそらく星崎昭武もその中の一人であり、そうなる資格を有していたのだろう。そして、俺はその中にはいない)

 

 元来光教は広幸らの影響であまり神を信じる質ではない。しかし、目の前でこのようなことが起きれば、流石に運命じみたものを、『天命』の実在を感じざるを得ない。

 だが、光教はわかっていた。収斂された結果、最後に残るのはただ一人の英傑であると。そして、星崎昭武は天命に選ばれず、最後の席には残れないことも。なにせあからさまに天命に愛されていることがわかる存在……織田信奈がいるのだから。仮に信奈ではなくとも長尾景虎が、はたまた武田信玄が及ばずながら役目を果たすだろう。ともあれ、そこに星崎昭武の出る幕はない。

 

(だから、俺は散々忠告したのだ。「お前の夢は徒労に終わる。要らぬ足掻きはやめよ」と)

 

 しかし、昭武は聞き入れることはなかった。曲がりなりにも英傑の類、そう素直に大望を捨てられるような男ではなかったのだ。

 

(星崎昭武の大望はこの天下の誰もが共有するところだ。それは渡辺町とて同じ。だが、徒労に終わるとわかっている道を誰が歩きたがる?少なくとも俺は歩きたくはない。そしてそんな不毛な道を渡辺町に歩ませるわけにはいかぬ)

 

「殿、どう致しますか?」

 

 暫し思索の海を泳いでいたが伝令に声をかけられ、再び目の前の事象に意識を引き戻される。

 

「どうもこうもない。光教隊は全て北進。出来る限り戦闘を避けて穂高隊と合流せよ」

 

「目の前の昭武隊は後一押しすれば、潰せると思いますが」

 

「余計なことをするな。熊野雷源が勝山城を放ってこちらに来たのならそれは能登の戦いが終わったことを意味する。これ以上は蛇足だ。南門で戦うよりは氷見に戻って籠城戦の準備をした方がよい。後続にいるであろう八千に氷見を奪還されれば、こちらが終わる」

 

 雷源に勝山城を放り投げることを決意させた情報は当然光教にも回っている。それは能登から熊野軍を退かせるどころか、熊野家を覇権から引き摺り下ろしかねないものであった。

 

「分かり申した。そのように伝えまする」

 

 伝令が光教の前を辞したのち、光教は昭武隊の騎兵を一人落馬させて馬を奪い、北へ走らせる。南の光教軍は全てそれに続き、雷源軍と交戦を開始した。

 

「足軽隊に告ぐ、一列横隊となりて槍衾を固めよ。鉄砲隊は足軽の後ろにつき、衾の間隙から敵を撃ち抜け!」

 

 接敵する寸前、光教は堅固な騎馬殺しの陣を組み雷源に当たらんとする。

 

「そうくるとは思った。長堯、俺とお前で手勢を二つに分けろ。んで迂回して側面から急襲する」

 

 だが、雷源もそれを読んでいたようで光教の陣が完成する前に馬首を翻し、二千の騎兵が左右に散る。

 

「ふ、そうくるか……」

 

 目論見が外れた形となる光教だが、口の端は皮肉気に吊り上げられたままである。

 

「はは、親切にも敵が進路を開けてくれたな。全軍脚を早めよ。空いた間を直進し、穂高隊と合流する」

 

 そう下知したのち、光教軍は素早い動きで北進を開始する。

 光教は熊野雷源の才幹を半ば信頼していた。普通の将では諦めて騎馬殺しの陣に当たるしかないあの状況でも当たらずに済ませることができると。そして、できるのであればそれを実行するであろうことを。

 これに焦ったのは行動を誘導された雷源だった。すぐに光教軍の後方を突いたが、それもまた光教の予想通り。昭武と同様にパルティアン・ショットを受け、足を止められる。

 騎馬は一度足が止まれば、さして脅威とならず、初動にも時間がかかる。

 こうして潤沢に時間を稼いだ光教軍は穂高隊を収容して氷見へと駆けていった。

 戦場に残されたのは、削りに削られた越中軍二千とほぼ無傷の総騎兵二千。対称的な四千の兵は連戦の疲弊を癒すかのように少し遅めに南下、帰国の途に着いた。

 

 米

 

 南門の戦いは雷源の加勢により、かろうじての痛み分けに終わった。

 だが、連日の強行軍が祟って熊野軍……とりわけ越中軍だった兵の疲弊が著しく、戦場から半里南に下った地点で熊野軍は大規模な陣を張り、一日の休息をとることになった。

 昭武も光教によって深手の傷を負い、自らの陣幕にて安静にしていた。

 

「しかし、撃たれたのがよりにもよって右肩か……。これじゃろくに刀も振るえもしない」

 

 盛清による適切な処置で、痛みはあるものの悶絶するほどではない。だが、添え木やらなにやらで右腕を動かすことはできず回復には一月はかかるだろう。

 

「……退屈だ」

 

 十全に身体を動かせない状況は昭武には苦痛だった。そして、身体が動かせないのならば、自然と代わりに頭が回り出す。

 考えるのは稀代の謀将・渡光教の言葉。南門の戦いの最中にて、昭武に投げかけた言の数々はその脳髄の切れ味に違わず現状の昭武の欠点を端的にそして露悪的に述べたものである。

 それを気にせずにはいられるほど、今の昭武は剛胆ではなかった。

 

「……本当は、わかっている。オレの器が信奈公、いや相良にだって劣ることを。それどころか大名にすら向いていないことを。知っている。オレの才は総軍より一部隊の将、あるいは一人の官の方に適正があり得ることも」

 

 端的に言えば、今までの昭武は意地を張っていた。これらの事実を見極め、あるいは目を背けてきた。

 

「でもさ、仕方ねえだろ。夢を見ちまったんだから。願ってしまったんだから。理性よりも諦めよりも、感情が足を止めることを許してはくれない。……だが、今日だけは感情を理性が追い抜いてしまいそうだ」

 

 沈鬱な気分にそのまま陥ろうとしたその時、幔幕が分けられた。

 

「入るぞ、昭武。怪我の具合は大丈夫か?」

 

「親父か……」

 

 よりにもよってこんな時に。そう昭武は続けそうになったが、どうにか口を噤んだ。

 雷源もまた昭武には長い階の先にある存在に見えている。普段ならば、羨望と盲目が入り混じった純粋な思いで背を追っていた。だが、今はそうした存在ほど昭武を痛めつける。

 

「なんだ、昭武。やけに元気がないではないじゃねえか」

 

 それを感じ取ったのか、雷源が気遣わしげな視線を昭武に向けている。

 

「別に、親父にはあまり関係ねえよ。ただ、退屈なだけだ」

 

「そうか。……ならば、なにも言わん」

 

 妙な沈黙が幕内に漂う。

 数分ほど過ぎたのち、いたたまれなくなって昭武は口を開いた。

 

「……そういえば、今の戦況はどうなってるんだ?ここしばらく軍を動かすのに必死で広域の情報収集ができていなかった」

 

「そっちまで白雲斎の手の者は来ていなかったか。驚け、中々事態は予断を許さないものになっているぞ。まず、浅井朝倉が近江の姉川で信奈どのと対峙しているし、武田が上洛を開始して松平家を遠州の三方ヶ原で叩きつぶした」

 

 能登で熊野・加賀衆と光教が大戦を繰り広げている間、中央も激動の渦の中にいたのだ。

 だが、これはあくまで導入部……オードブルのようなものであり、メインディッシュ……つまり雷源が最優先に伝えたい状況ではない。

 

「中央も荒れているが、北陸もそうだ。それは俺たちが勝山城を放り投げてここまで退いた原因でもある」

 

「そんな不味い事態でも起きていたのか?」

 

 昭武が問いかけると雷源は深刻な表情を浮かべ、重々しく首を縦に振った。今まで昭武は雷源のこれほどまでに深刻な表情を見たことがなかった。

 

「ああ。……長尾景虎が、越軍が動いた」

 

「は?」

 

 自分で聞いておきながら昭武は耳を疑った。

 

「もう一度言うぞ?長尾景虎が魚津城に入って兵を集めている。三日前の情報では越後から連れてきた八千に越中で二千の計一万。俺たちが富山城に戻った頃だと一万三千は越えているだろう」

 

「ちょっと待て、親父!確か親不知は今は雪が積もり始めて通れないはずだろ⁉︎」

 

「ああ、昭武。確かに親不知は使えない。だが、どうやら景虎はもう一つの道を使ったらしい。……海路だ。奴らは船団を組んで八千の兵を輸送し切った」

 

 その手があったか、と昭武は思った。だが、同時に首を傾げた。

 

「なぁ親父。越後に八千の兵を輸送できるだけの船団なんてあったか? 越後は確かに能登に並ぶほどの海洋国家だ。船はあるはずだろう。だが、不思議と水軍の話はまったく聞かない」

 

「そこだ、昭武。その点は俺も疑問に思った。だが、いかなる方法を使ったのか知らんが、すでに奴らは魚津にいる。今は対策をしなくちゃならん」

 

 これではもはや熊野家は越中から動けない。玄仁も光教が氷見から羽咋へ脇街道を通って転進していることを確認すると、戦線の維持を諦めて、すでに占拠していた末森城へ退いた。

 能登から退去しないのは、あくまで能登奪還を諦めないという義綱の強い意志表示であった。

 

 ******************

 

 越軍が大船団を用いることが出来た理由。そもそも越中に進軍した理由。

 これらを求めるならば、時を一ヶ月程前まで遡らなければならない。

 ちょうど、熊野家が軍備を整えていた頃のこと。越後・春日山城の景虎のもとに一通の書状が届いていた。

 それは大戦の予兆を掴み、術策を巡らせていた光教が書いたものだ。

 書状には『畠山義綱が加賀衆・熊野家を糾合して能登を攻め取らんとしている。規定の月日に越中に進軍して熊野家の背後を騒がせて欲しい』という旨が記されていた。

 

「………」

 

 書状を受け取った景虎は毘沙門堂に篭って思索を巡らせる。

 今、景虎の中では秩序と義とがせめぎ合っていた。

 秩序を維持するという理由ならば、光教の要請を蹴って能登畠山家の正嫡である義綱を能登に復帰させる方が正しい。

 だが、光教からは主に経済と海運の分野で手厚い支援を受けてきた。あれだけ義戦を繰り返してもなお越後の財政が傾かないのは光教のおかげだ。これほどの恩義を忘れ、畠山に走るのは義将としては認められないところがあった。

 実のところこの要請は、光教には珍しい賭けだった。どちらもある程度景虎の行動の原理にそぐうものであり、さらには景虎の思考回路が読みづらいものであるために予測できないからだ。

 だが、結果として光教は賭けに買った。

 少しでも光教の要請を受ける可能性を上げるために、光教は越後の豪族の世論を親光教派になるように工作、調略を繰り返したのだ。これが決め手となり、ついに景虎は越中への派兵を決断する。

 そして、その際に光教は渡辺町の蔵を一つ開いてその金を越軍の軍費に充てたのである。これらは越中での兵と軍馬の入手、能登の商人に兵の輸送を手配させるための元手となった。

 

「それにしては、時季が合いすぎているよな……」

 

 魚津の湊で、船舶の管理を任されていた宇佐美定満がぼやく。

 僅か一ヶ月で能登の不利から逆転し、却って熊野家があわや越中を失陥しかねない状況となっている。

 

(越中新川郡の領主にして越中守護代の椎名家も旧領である富山城一帯の分配を受けることを条件にこっちについた。他の豪族もだいたい似たようなもんだ。景虎は領土を取ることはしねえが、負ければ熊野家は衰退に追い込まれるだろう)

 

 そこまで考えて定満は思索をやめた。

 そして自嘲する。

 

「まったく、なに敵の心配をしてんだか。勝定はもう敵だ。敵にしかならねえんだ。袂を分かっておきながらなんてざまだ……!」

 

 そんな定満の思いをよそに時代の潮流はあくまで熊野と長尾の対決へと流れようとしている。

 今の雷源は長尾景虎の憎むべき仇。景虎を崇めている越後の男たちにとっては不倶戴天の敵である。そして越中は雷源の子、星崎昭武にとっては大望に不可欠な土地。

 必ずや激戦になるだろう。

 

 訣別の時が、近づこうとしていた。

 




読んで下さりありがとうございます。
今回で北陸大戦の殆どの部分を占める能登侵攻編は終わりです。
ですが、それで人心地つけるのは玄仁と光教のみ。今度は昭武らが存亡の危機に立たされます。
能登での戦いが雷源伝の後半三話と十年史の能登編の集大成であるならば、熊野軍と越軍の対決は雷源さんの集大成となります。
能登ほど長くするつもりはないですが、がんばって濃ゆい内容にしてみせます。
……と、あとがきが尋常じゃなく長くなりましたが、誤字、感想などあればよろしくお願いします。


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第四十五話 北陸大戦⑥【尻垂坂の戦い】

 

「来るべきものがついにきた。というわけですね」

 

 富山城の西を流れる川、神通川。

 少し前に雷源と玄仁が干戈を交えたその地にて、富山城代を任されていた高知四万は独語する。

 熊野雷源と長尾景虎。

 この両者は北陸の雄として、また因縁からいつかはぶつかると武家ならず民にも語られていた。

 その両雄が遂に相見えるのだ。何らかの感慨を覚えない方が、無理というものである。

 越軍が魚津に到着したと聞いてから、四万はこの古戦場に赴き、解体作業をしていた。玄仁の陣の遺構を対越軍の防塞に転用する腹づもりでいたのだ。最終的にはそれを神通川・常願寺川の間を流れる琵琶川の東岸にある尻垂坂に移設し、馬防柵を並べることになる。

 手早く、なおかつ堅固。この条件を果たすにはそれが最善だったのだが、四万にとって不幸なことに越軍はそれを待つだけの時間を与えてはくれなかった。

 

 米

 

 遺構を尻垂坂に移設して、あと少し出直しすれば完成するといったところで四万は東方に蔦の葉の幟を目視した。

 それは越軍の先鋒、椎名康胤のもので彼女が率いてきた兵の数は三千ほどである。とはいえ、康胤が尻垂坂まで出てきたのは哨戒が目的で当初は戦う予定はなかった。

 

「まだ、砦ができきっていないのに……!」

 

 四万は歯噛みする。

 此度の野戦築城の目的は越軍が得意とする野戦から簡易的なものであるが攻城戦へシフトさせることにあった。野戦ならば一日たりとも保たないが、守城戦ならばむしろこちらの得意とするところ。たとい景虎が自ら出陣しようとも、雷源ら本隊が到着するまで耐えられる公算が高い。

 

「どうするの?高知どの」

 

 傍らにいた神保長職が四万に問い掛ける。四万の護衛として長職は千五百の兵を連れてきていた。

 

「できれば、砦は完成させたいですね。ここを盗られたら戦線は神通川まで押し込まれるでしょうから。ですが、長職どの。援軍が遠い状態で二倍の兵と戦えますか?」

 

「あら、気遣ってくれてるのね。ありがとう。……けれど、今回では逆効果ね」

 

 見ると、口調こそ丁寧だが、長職はありありと怪気炎をあげている。

 

(ああ、やっぱり)

 

 内心で四万は確信した。

 

「わかりました。言っても無駄だと思いますが、やりすぎないようにお願いします」

 

 言われると返事すらせず、長職が兵を椎名勢に進めていく。士気はいきなり最高潮。越軍の後詰が遠くないうちに来援することはわかっているだろうにフルスロットル。

 

「死いいいいいいねえええッ!!殺せえええええええええッ!」

 

 長職は兵の後方に立って声を荒げて督戦する。彼女の本心としては雷源のように単騎駆けして闘争に酔いたかったが、生憎それだけの武勇はない。あったとしても相手の椎名康胤も武勇を持たないため本懐を遂げることは出来そうになかった。

 

「やかましいわッ!ぶち殺されて静かになりなさいッ!」

 

 されど、猛り具合では椎名康胤も負けてはいない。兵一人一人の士気は長職に比べると一歩劣るが、その分冷静さは確保されている。がっぷり乙に神保勢と組み合いつつも数の利を活かして少しでもその勢いを削ろうとしている。

 

(誰にだって、戦わずにはいられない相手はいるのですね)

 

 苦笑しながら四万は築城部隊に命を下す。

 神保長職が椎名康胤への異常な戦意を向ける理由は四万も知っている。

 家柄、勢力、境遇……。

 この両者はあらゆる点において相似の関係にあるが、ただ一つだけ対照関係にある。

 それは、長尾景虎を受容したか否かである。

 両者とも実の父を過去にあった戦……長尾為景と畠山義総が手を組んだ般若野の戦いで亡くしている。

 当然、両者とも初めは自家の再興に努め、為景に復仇を果たそうと夢見た。

 この時はまだ、両者は競争関係にありながら互いにシンパシーを感じていた。だが、それも生き残り戦略で康胤が為景死後に景虎と手を組むと終わる。

 神保も椎名も一国を領するほどではなく、少し力がある豪族程度にすぎない。強きに靡くことも生き残りの戦略としては十分選択肢に入る。それが仕方がないことであることを長職も理屈では理解している。そうでなくては自ら熊野家の帷幕の中に入ることなどしない。が、それでも許せなかったのだ。

 

「仇の家に尻尾を振った親不孝者ッ!あんたなんかもう私は知らない!」

 

「知ったことか!むしろ、復仇に逸る余り御家を断絶させる方が質が悪いわ!」

 

 かくして両者は訣別し、かえって互いを憎むようになった……。

 

 米

 

 このような具合でひどく偶発的に、後の世、諸将に「この戦いが北陸の趨勢を決した」と述懐される尻垂坂の戦いは始まった。

 

「運がないな。あと一日待ってくれたなら多少は楽になっただろうに」

 

 遭遇戦の報を受け、富山城まで進軍していた雷源は嘆息する。

 

「相手が三千ならば、ちと危うい。ずっと行軍し続けているが致し方ない。足を速めるぞ」

 

 だが、雷源の懸念とは裏腹に尻垂坂の戦線は膠着していた。

 

「少しでも休んでください。まだまだ戦いは最序盤に過ぎません」

 

 接敵した当日こそ、血を血で洗う苛烈な消耗戦が行われていたが、翌日に四万が築城を終えてからは神保勢の兵の損耗率が下がり、戦況を五分と五分に引き戻したのである。

 さらにその翌日からは、雷源が先行させていた輜重隊とその護衛兵千が到着し、兵力差も均されていた。

 

「よくぞ耐えてくれた。これでまだ勝ち筋を残せる」

 

 四万をそう賞すと雷源は戦場を三つに分け、諸将を配置した。

 砦の左右には雷源、一義、長堯。

 砦には四万と長職、長近、井ノ口。

 砦の向かい、琵琶川の西岸には昭武、桜夜、優花、左近を置いた。

 この陣割には、何がなんでも越軍を通さないという雷源の意思が見てとれる。

 越軍本隊八千は雷源が布陣して二日後に到着した。先にいた椎名勢二千余りと合わせて兵数は一万を超える。熊野軍は本隊が九千、遭遇戦の残兵が二千ほど。兵力でいえば、両者の差はさしてなかった。

 

「堅陣、だな。しかも、種子島の数が多い。正面から当たればこちらも相応の被害を受ける」

 

 越軍の本陣にて、定満は呟いた。

 

「うむ。されど宇佐美、それは晴天だけのことだろう?雨ないしは雪が降れば、種子島は使えなくなる」

 

「ああ。だから待てばいいのさ。今は十二月だ。一週間も待てば、一日ぐらいは雪の日だってある」

 

 冷静に熊野軍を分析する定満。定満自身は割り切っているつもりだが、景虎の目には、まだ惑っているように見えた。

 

(此度の戦は宇佐美にとっては、無二の親友を討ちに行く戦い。わたしにとっての川中島とほとんど意味合いは同じ。できれば、宇佐美には戦わせたくはなかった)

 

 不意に景虎は川中島で、信玄の首に小豆長光を食い込ませたことを思い出す。

 あの時の哀しみと虚無感は二度と経験したくないものだった。

 しかし、景虎がそう言ったところで宇佐美は聞き入れてくれないだろう。

 宇佐美はどうやら雷源の親友であると同時に彼の運命の見届け人たらんとすることを自らに課しているらしい。

 

(それに……)

 

 もう一人、景虎に気にかかる人物がいる。

 今、傍らに佇む直江大和である。

 直江は第四次の川中島の戦い以降、体調は思わしくなかった。見かけは二十代後半を保っているが、髪には白髪が混じり、時折咳ごむことがある。

 定満もそうであるが、直江も著しく老いてきた。義将として関東、信濃、京と日ノ本を飛び回る景虎の補佐は尋常なものではない。疲労が、身体を蝕んでいた。

 

(宇佐美も直江も老いてきている。今まで二人はわたしを守り、育ててくれた。だから今度はわたしが守らなければ)

 

 ********************

 

 結局、景虎は宇佐美の案にのり、雪が降るまで待つことに決めた。

 だが、それは十二月二十四日の朝に破綻する。

 左近が長職を使って椎名勢を挑発。康胤こそ乗らなかったが、その分隊が乗って長職隊に襲いかかったのである。

 

「椎名勢が突出したか。どうする景虎?」

 

「わたしが味方を切り捨てられる訳がないのは知っているだろう?助けに行く」

 

 言うと、景虎は命を下して前進をはじめる。他の越軍もそれに続いた。

 

「やはり、釣れたわね!全軍、斉射しなさい!」

 

 策のため、前線に出てきていた左近が四万に指揮を飛ばし、前線に出てきた越軍に向かって種子島の一斉掃射をはじめる。

 未だ嘗て経験したことがない鉛の雨が越軍を襲う。

 

(野戦においては明らかに越軍が上。種子島を動員すれば、こちらが上になるけどそうは甘くない)

 

 左近は油断せずに冷徹に突出した椎名勢の盾になった越軍を攻め立てる。だが、左近の懸念通り、越軍の反応はかつて同種の攻撃を受けた他軍と比べると鈍かった。

 戦場における種子島の最大の旨味は、威力や貫通力ではなく音である。これは、兵や馬を恐れさせ敵の士気を下げるのに役に立つのだ。軍の練度によっては一度斉射しただけで潰乱する分隊すらある。

 越軍は足を止めず、動揺した騎馬は死兵と化している乗り手が太股を強く締めて言うことを聞かせた。被弾した乗り手が落馬したが、後続は容赦なく進軍の邪魔だと馬蹄で踏みしだき、前進する。

 足軽も粘り強く、騎馬の進軍を妨げる槍衾を貫き通そうと前進する。

 だが、倒される訳にはいかない。

 左近はすぐにカードを切った。

 

「雷源様っ!」

 

「出番だな?者共行くぞ!」

 

 左近の隣で虎視眈々と戦況を眺めていた雷源が頷く。麾下のそ騎馬二千はすでに全員騎乗を終えていた。

 馬出から雷源らが飛び出し、越軍の足軽を乗り崩していく。

 

「北陸無双、熊野勝定はこの俺だ!心得があるやつはかかってくるがいい!」

 

 段平を片手で振るい、足軽の首を二、三同時に飛ばしながら雷源は咆哮する。

 越軍にとって雷源は怨敵である。すぐに雷源の挑発に乗る者が現れた。

 

「言ったな、熊野雷源!このボクが相手になるぞ!うおおおおおおおッ!」

 

 本庄繁長。

 揚北衆の最年少でありながら、最大の勢力を持つ、景虎に激しく懸想している武将の一人だった。

 

「この景虎様の仇め。突然父君を失われた景虎様がいかに気づいたか、思い知れ!」

 

 繁長の一太刀が宙を斬る。

 直情的で単純だが、威力は凄まじいものがある。

 

(おいおい、これ下手したら昭武でも苦戦するんじゃねーか)

 

 だが、雷源には青臭くみえた。昭武ならば良い鍛錬になるだろうが、まだまだ稚拙なものに見える。

 動作の終了時を狙って、雷源は繁長の胴に軽やかに強撃を叩きつける。繁長は耐え切れず、落馬した。

 

「これで、よし。一度離脱する」

 

「待て、熊野雷源……!まだ一騎討ちは終わっていないぞーー!!」

 

 強かに身体を打ち付けて、立ち上がれない繁長が叫ぶが、雷源はどこ吹く風。騎兵をまとめ、乱戦から離脱した。

 

「おのれ、おのれ、熊野雷源!必ず、必ず、ボクが討ち取ってやるからなあーーーー!!」

 

「……そんな叫ぶなよ。戦はまだ始まったばかり。相見える機会がなくなったわけじゃねえだろうに」

 

 やけに暑苦しい繁長に苦笑しながら、雷源は駆ける。

 その背を繁長の熱が移ったのか、麾下の隊が目を血走らせて迫る。その目には雷源の首しか見えていない。

 

「ふう。骨折りだが、こうしてようやく越軍に綻びを生み出せる。四万、左近。それに虎三郎。任せた」

 

 雷源の騎兵は再び馬出に戻る。

 さしもの繁長隊といえど殺意の対象が砦の中に入ってしまえば、躊躇し、頭も冷えてくる。だが、越軍が冷やしたのは頭だけではなかった。

 

「敵騎馬隊に向けて、斉射せよ!」

 

(しまった……!)

 

 その時、繁長は理解した。自分は釣られたのだと。雷源に対する殺意が増幅し過ぎて、冷静さを欠いていたことを。

 弾幕が繁長隊に向かって放たれる。突出した部隊を多方向から貫かんとする銃弾の雨が、降り注いだ。

 

 米

 

「見事に釣れたわね……」

 

 繁長隊の引っかかりっぷりに左近は苦笑していた。

「越軍の各部隊を雷源が自ら煽ってまわり、将を討ち隊を機能不全にする。あるいは、突出させて種子島の砲火の的にする」

 あまりにも無理矢理すぎると思っている策が一定の効果をあげている現状に。

 

「普通の将なら引っかからないわよ。途中で冷静になって引くわ」

 

「普通の将なら、な。だが、越軍は違う。越軍は余りにも景虎に盲目だ。それ故に為景の仇である俺に対しては戦意過多になる。つまり、煽りやすいということだ」

 

 もっとも景虎が厳命すれば、なんとしてでも耐えようとするがな、と雷源は付け加える。

 

「そろそろ景虎もこの状況に気づくだろう。もう一つ何か考えなきゃな」

 

 だが、雷源が新たな策を繰り出す前に戦況は変わる。

 俄かに雲が発達し、ついに雪が降り始めた。

 十二月二十四日。午後四時ごろのことである。

 




読んで下さり、ありがとうございました。
誤字、感想などあれば、よろしくお願いします。


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第四十六話 北陸大戦⑦【永訣の刻】

今更ですが、十年史や雷源伝はweb版の天と地と姫とに準拠しております。(景虎の改名、宇佐美直江らの延命などはオリジナル)


 

 十二月二十四日、十六時ごろ。

 

 戦場に雪が舞い始めていた。

 越軍には待望の雪だった。

 

「雪が降った以上、もう奴らは種子島を使えん!越軍よ、自重するなッ!」

 

 中軍にいた政景が檄を飛ばす。

 それから、越軍の攻勢は激しくなった。

 尻垂坂の砦外にいた軍は鎧袖一触に蹴散らされ、砦に迫る。さりとて、種子島が使えない以上、砦の守りは脆い。

 

「風が変わってきやがった。なんともいけ好かない神の仕業かな?」

 

 景虎に突破された雷源は崩れた戦線を一義と長堯と共に補修しながら、残兵をを砦内に撤退させていた。

 雷源には四万たちを討たせるわけには行かない理由がある。

 

(あいつらは昭武たちの夢を支えるのに不可欠の人材だ。今死なれては困る)

 

 この台詞だけで見るなら雷源はすでに命を捨てているかのように思われるが、雷源は自らも死ぬつもりはなかった。

 雷源の武は非常時ゆえか平素より冴え渡り、開戦からここまでに至るまでに越軍の将をすでに六人この手で討ち取ってなお越軍の死体を量産していた。

 

「越軍は確かに強兵だ。だがな、俺たちとやるには十年早かったな!」

 

 雲霞のごとき越軍に対して雷源はそんな挑発をも繰り出す余裕がある。越軍の兵はそんな雷源を目にすると軍神・長尾景虎に率いられていても腰が引け、逃散する者が後を絶たない。

 この時、この熊野雷源が不死身の鬼神であるとその場にいた誰もが錯覚した。

 しかし、神は残酷なもので景虎への肩入れをやめることはなかった。

 

「うぐっ………がはっごほっ!!」

 

 突如雷源の口から何やら熱い液体が流れている。雷源はおそるおそる手のひらを見やった。

 

「これは、血か……!?ごほっ!ごほっ!ごほっ!」

 

 雷源の喀血は収まるところを知らない。

 

(ここで時間切れを迎えるのが俺の天命だというのか……!!)

 

 咳を繰り返すたびに雷源から力が、命が欠落していく。

 

(俺はもう長くは、ないのか……!!」

 

 知らず雷源は呻いた。

 この一言で一義と長堯は雷源の運命を悟る。

 

(なんと残酷な運命だろうか。ようやく若殿たちが夢への道を歩き始めたというのに、平和ではないものの心安らかに暮らせる日々を得たというのに。全てがこれからだというのに、神とはこんなにも遠慮を知らないのか……!)

 

 長堯は非条理だと憤慨した。一義は口を閉じているが、噛み破った口の端から血が滴り落ちている。

 

(残された時間は少ない。もはや畳の上で死ぬことも叶わない。だが幸いにもここは戦場だ。戦場であるならまだ俺は役に立てる。昭武たちに何か遺してやれる…!)

 

 雷源は二人の目を見据えて、そして下知を与えた。

 

「戦線の補修はもういい。お前たち二人は砦で籠城戦の準備を頼む」

 

「……殿は、どうなされるのですか?」

 

 一義は努めて冷静に雷源に問うた。

 

「俺は、景虎の陣に突撃をかける」

 

「殿⁉︎」

 

 長堯が悲鳴をあげる。それはどれだけ無謀なことか知っていたのだ。だが、雷源は思い詰めているというより、むしろ恬淡としていた。

 

「どのみち俺は生きられねえよ。遠からず訪れるとわかっていたことでもある。こうなった以上、親父たちの二番煎じだが、ガキどもを助けて俺は天に帰るさ」

 

「諦めた、のですか?」

 

「生は、な。だが、未来を諦めた訳じゃない」

 

 そう言ったっきり雷源は百人程度の平湯兵を率いて景虎への本陣への突撃を始めた。その表情は奇しくも為景と同じような傲岸不遜なものであった。

 

「死のうは一定、だが、そうやすやすとこの命くれてやるつもりはねえな」

 

 先頭を一騎駆けする雷源に越軍の様々な将が引きつけられていく。

 中条藤資、安田長秀。どちらも揚北衆の闘将だったが、雷源に一太刀で討ち取られた。

 山本寺定長、長尾景信。この二人も一太刀で斬り捨てられた。

 立ち塞がる将を屠りながら、雷源は驀進する。

 僅かな兵で敵軍を切り開く様は関東遠征の際に景虎が唐沢山城へ救援に向かうために特攻して見せたのと重なる。

 死の間際にありながら、その武力は先ほどよりもさらに鋭さを増していた。

 

「ここに、もう一柱神がいるというのか……!姫様が毘沙門天とするならば、熊野雷源はまさに武甕雷、もはや人では止められないではないか……!」

 

 長尾の兵が畏れ慄き、雷源から我先へと逃散していくのも仕方ない。

 この場にいるのは神ならぬ身でありながら、その域に到った一人の武人。

 家族の夢を守るために無意識のうちに人であるための枷を振り切った超人なのだから。

 だが、軍神・毘沙門天たる景虎も手をこまねいているわけではない。

 

「車懸かりの陣を敷く!」

 

 景虎が采配を振るうと同時に景虎を中心に二重三重の円陣が形成され、回転運動を始める。

 

「どうやら向こうは俺をあの武田信玄と同列と見たらしいな。過剰な評価痛み入る。しかし……」

 

 これには流石に雷源も眉をひそめざるを得ない。

 

(川中島で景虎は車懸かりを封印した。あまりに人を殺しすぎてしまうからだ)

 

 そしてそれを用いたということは景虎は人性を封じ、毘沙門天になりきったこの証左でもある。

 

「……気に入らねえ」

 

 此の期に及んで、人ではなく神として振る舞う景虎に雷源は腹を立てた。

 

「今更、しゃしゃり出てくるなよ毘沙門天。この戦いはそうじゃない。人と人とが、それぞれ身勝手な想いをぶつけ合う舞台だ。観戦ならまだしも首を突っ込むのは頂けない」

 

 雷源は単騎、渦巻く暴威の中に踏み込んでいく。無論、幾千が一心同体となった車懸かりの前ではいくら雷源といえど思うように進めない。

 だが、軍ならどうだろうか?

 正面から二柱の騎馬の長蛇陣が、杭よろしく車懸かりに突っ込んでいく。

 車懸かりは回転して漸く、用をなす。されど、車輪の輻に杭を打ち込まれればどうなるか?

 ーーただの方円陣に成り下がるのだ。

 

「あいつらめ……!」

 

 快調に進むようになった雷源は長蛇陣それぞれの先頭を見やって苦笑した。

 

「普段はちゃんと命令に従うのに、なんでこんな時に限って聞き入れねえんだよ」

 

 苦笑は次第に豪快な大笑となる。

 

「まったく!俺にはもったいない家臣だったよ、お前らは!」

 

 車懸かりがただの方円陣の連なりに成り果てた今、もはや雷源を遮ることはできない。幾人もの武将を斬り伏せ、数百もの越軍の兵を屠りついに景虎の本陣にたどり着いていた。

 

「ケリをつけようじゃないか。長尾景虎!」

 

 雷源の声はとても力強く、到底死期が迫った男だとはおもえない。されど定満は雷源から立ち上る気を見て悟った。

 

(確かに激しい気だ。だが、余りにも激しすぎる。勝定、お前はここで果てるつもりなのか)

 

 その定満の背後からゆらりと一人の姫武将が現れる。銀髪紅眼で色素のない肌、白い行人包。まぎれもない、長尾景虎その人であった。

 

(こいつが、長尾景虎。あの白子の果てにして、俺を仇とするもの。か弱い形こそしているが闘気の量が異常だな)

 

 雷源は景虎の異形に瞠目した。そしてそれと同時に妙な感慨を覚えた。

 

(俺は為景を討ち果たすと同時にとんでもない化け物を生み出してしまったようだ……。真っ当にかつての俺のように俺をつけねらってくれた方がまだよかった。だが、こいつは死んだのが梟雄である為景だったからか、やつの全ての罪を背負い込んでしまった。俺の敵討ちがいかにも為景の因果応報を体現したかのようなものだったのも大きいのかもしれん。だから、自らが人であることを捨てることを選んでしまったのか……)

 

 もはや時間は残されていない。余計な考えを振り払って雷源は景虎に段平を突き出す。

 

「熊野雷源、情のために秩序を乱した悪鬼よ。お前はやはり情のために死ぬのか」

 

 景虎は茫洋とした様子で雷源を見ていた。いや、雷源を見ているようで見ていない。毘沙門天を降ろしているために親の仇ではなく義に仇なす外敵としての概念に塗り潰されてしまっている。

 

「ああ、そうだ。感情を失くしてはもはや人なんて呼べる代物じゃねえからな。だが、感情を失くした結果が神になるとも思えねえ。俺たち人間はどうあがいても人間以上になんかなれねえからな」

 

「毘沙門天を愚弄するか」

 

「その通りだ。俺にはお前が逃避をしているようにしか見えない」

 

「お前に何がわかるっ……!!」

 

 景虎が思わず歯を軋ませる。思わず、毘沙門天の仮面を外していた。

 其れ程に雷源の言葉は痛烈なものであった。だが、不必要に煽っているわけではない。

 

(そうだ、長尾景虎。怒るといい。そうして漸くお前は人に近づけるのだから)

 

 雷源が望むのは、人と人によるエゴの衝突。怒り、復讐心などその最たるものだ。今までの言はそれを呼び覚ますためのものである。

 

「弁論はもういいか、先手はもらう!」

 

 距離を詰めて雷源が段平を振るうと同時に景虎が十文字槍で防ぐ。

 

「お前はおとちゃを討って越後の秩序を破壊し乱した」

 

 防いだ段平を弾き、景虎が断罪の一突き。

 

「そうとも」

 

 それを雷源は笑って受け止める。続いて景虎が十文字槍をもう一振り、それも雷源は何事もないように受け止めた。

 

「流石は軍神。中々に手応えのある一撃だ。だが……」

 

 両腕にぐっと力を込めて段平を押し返す。あまりの膂力に景虎は一瞬、顔をしかめた。

 

「それでは足りねえよ。神懸かりってだけで、倒せるほど俺はやわじゃない」

 

 振り抜かれた段平によって華奢な景虎の身体が後方に吹っ飛ばされていく。

 宇佐美も、直江大和も兼続も初めて見る光景だった。

 

(これが、熊野雷源。かつて越後を席巻した男か……)

 

 直江兼続はこの時初めて、熊野雷源を見た。

 その威風は武田信玄にも劣らず、修羅ぶりは景虎をも凌ぐ。そんなひかえめにいっても図抜けた英傑が敵手ならば、まだ戦慣れしていない姫武将は恐懼に震えて当たり前。

 だが、兼続は雷源にさして恐怖は抱かなかった。冠絶した武勇への畏敬こそあれど、怖くはなかったのだ。

 

(なんだろう。この妙に既視感を覚える、この感覚は)

 

 それは、兼続も二人の養父から与えられていたものだったが、兼続自身がその答えを知るのはもう少し後のことである。

 

 一人、兼続が首を傾げている間、景虎は雷源に十文字槍を何度も振り回して攻撃を繰り返していた。その速さはまさに神速、名だたる武人であっても無傷では済まない。

 しかし、雷源はその全てを捌ききる。だが、皮肉なことにこの武勇が景虎の神性を呼び寄せることになった。

 

「わたしの武がことごとく通じないとは……。流石は北陸無双の将と言われるだけのことはある。しかしそれでもわたしは秩序を乱した者を討ち、義を果たさなければならない」

 

 言うと景虎は瞼を閉じ、十文字槍を放り投げて腰に挿した名刀・小豆長光を抜く。

 ……そこからが軍神の覚醒の始まりだった。

 

「運は、天にあり」

 

 右上から左下への不可視の一閃。

 

「鎧は胸にあり」

 

 一閃を段平で防いだついでに繰り出した雷源の蹴りをつま先で受け止める。

 

「手柄は、足にあり」

 

 雷源の懐に急加速して詰め寄り、

 

「死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり」

 

 雷源の腹に小豆長光を貫通させた。

 

「がああ、ぐ、おおお……!」

 

 雷源の腹から大量の血が溢れ出す。

 平時の雷源なら間違いなく死に瀕している量だ。しかし、雷源はそれでも倒れはしない。

 

(まだ死ねねえ、まだ生きねばならねえ。ここで奴を止めなければあいつらが……!)

 

 口からさらなる喀血を起こしながら、雷源は手が切れるのも構わずに景虎の小豆長光を掴んで不遜に笑ってみせる。

 

「敵討ちに理屈は不要だ、毘沙門天。お前に用はねえ。景虎を出せ」

 

 しかし雷源の顔色はやや青くなっていた。

 雷源の身体はすでに死んでいる。越軍の海を切り開く前から、正確に言えば四年前にザビエルから貰った『仙丹』を飲んだ時から。とうに枯れた身体から無理やり生命力を絞り出し、それをさらに気力と執念で希釈して今まで戦ってきた。

 それを、さらに振り絞る。振り絞る。振り絞る------

 

 ********************

 

(もう、どれだけの時間戦っているのでしょう……)

 

 直江大和が気づいた時には、すでに夜が明けていた。雪は止み、暁光が残雪に反射して瞳に軽い痛みを覚える。

 一晩、景虎と雷源は刃を交えていたのだ。

 とはいえ、両者の戦いはもはや時間だけが勝敗を決することができるものになってしまっていた。雷源の生命力が完全に枯渇するか、はたまた景虎の身体が毘沙門天についてこれなくなるか。いずれにしてもそう遠いことではない。

 

「………!」

 

 定満は歯を食いしばって、両者が終焉へとひたすすむ姿を見守っていた。

 叶うならば景虎と勝定、どちらの終わりも見たくはない。だが、片方が終わらない限りは際限なく戦いが続くという矛盾に苦しんでいた。

 されど、終わらない戦いはない。いつかは終わる。定満が覚悟していた瞬間はすぐに訪れた。

 

「------ あ」

 

 景虎の身体が突如として、糸が切れた操り人形のように崩折れたのである。自分で動かそうとしても身体がついてこない。

 アルビノの虚弱な身体を毘沙門天でリミッターを外して酷使してきたツケを今、払わされたのだ。

 

「……獲ったな」

 

 そんな景虎の見せた隙を、雷源が見逃すわけがなかった。

 段平が景虎に迫る。

 

(ああ、わたしはここまでなのね。数多の罪を犯したわたしにはふさわしい末路。惜しむらくは信玄、弥兵衛、勢多乃。あなたたちにもう二度と、会えないことかしら)

 

 景虎の脳裏に思い起こされるのは、戸隠の神社の鬼ごっこと神が降りた地への些細な冒険。

 

「ごめんね」

 

 そう謝り、瞑目する。

 もはや景虎には自分を終わらせるであろう白刃を受け入れることしかできなかった。

 

 米

 

 景虎が再び目を開いた時、そこには鮮血が舞っていた。

 

「お嬢、様……!」

 

 苦しげに呻く直江大和。

 それだけで、聡明な景虎は全てを察した。

 

「直江ッ!お前……!」

 

「お嬢様、そう怖い顔をなさいませぬように。どのみちわたくしは老い先短い老人です。終わりの時期がわずかに早まり、要因が変わっただけに過ぎません」

 

 痛みに耐えながらも直江大和は恬淡とした笑みを浮かべていた。

 それは少しでも景虎を悲しませたくないという意地の表れか、あるいは密かに恋心を抱いていた人を守れた充実感かはわからない。

 

「与六。お嬢様のことを頼みます。必ずや越後の宰相となりお嬢様を支えなさい。決して「こんなところに来とうはなかった」なんて我儘は言わないでくださいよ?」

 

 だが、直江大和が最後に示したのは、唯一の家族への愛だった。景虎に付き合い、生涯不犯を貫いた直江大和にとって兼続は自らの孤独を埋めてくれた存在だったのだ。

 

(与六。貴女ならば私たちはついぞ見つけられなかったお嬢様を癒しうる物を見つけることができるでしょう。貴女の気位の高さにはほとほと手を焼かせてくれましたが、実のところわたくしは癒されていました。こんなわたくしをも癒した貴女のことです。きっとお嬢様をも癒すことができるのでしょう)

 

「そろそろ、時間ですか……。口惜しいことです……」

 

 呟いたのち、身体を支え切れなくなった直江大和がついに膝を屈した。

 直江大和。景虎を支えた両輪の片割れが今ここに砕け散った。

 しかし、景虎達には、直江大和の終わりを悼む暇すら与えられなかった。雷源が再び段平を大上段に構えている。

 宇佐美が左右を見回す。

 兼続は義父の死の衝撃に打ちのめされていた。すぐに動ける状態ではない。

 兼続以外の近習は雷源の殺気に呑まれてしまっている。

 もう、景虎を守れる者はいない。

 ------宇佐美定満を除いては。

 

(ああ、もう腹をくくるしかない、のか……)

 

 いつかは来る時ではあったのだ。だというのに、覚悟が足らなかった。ずっとこのままでいたい、そう思って決断を先送りにしていた。

 忘れ得ぬ友と、自らの夢の結晶。

 どちらかを切り捨てねばならない。

 それならばーーーー

 

 米

 

「……ぐ、は」

 

 気づけば、雷源の目の前には、定満の足元が見えていた。

 心の臓から止めどなく、血が流れている。

 痛みをこらえて左胸を摩ると、三筋の裂傷を見いだした。

 

(ああ、そういうことか……)

 

 雷源は得心して、定満を見上げる。

 定満は鉄線が仕込まれた手袋を雷源に向けていた。

 

「……見逃すのは、あの時だけだ。二度目はねえ……!」

 

 極度の緊張に体を震わせながら、腰の刀を抜く。

 

「景虎、これは俺の不始末だ。気に病むな、直江の言葉と被るが、いつかは通る道だったってやつだ。お前と勝定が顔を合わせれば、殺しあうしかねえ」

 

 だから、こうなった時は如何なる情を捨てて、勝定を討つと決めていたのさ。いざという時、鈍らせてお前を失わないように。まぁ、結果は鈍っちまったわけだが……。と、定満は苦笑いを浮かべて付け加える。

 

「勝定。お前が長くはないことは分かっている。何か伝えたいことはないか? お前だっているんだろう? 俺と直江にとっての景虎に類する存在が」

 

 雷源は首肯する。その脳裏には昭武と優花の姿が映し出されていた。

 

(俺はあいつらから、様々なものを貰った。生きる理由やら同じ鍋を囲む喜びやら、いずれもあいつらから与えてくれたものだ。余人の目からは、俺があいつらを救ったようにみえるが、実態は違う。俺が、あいつらに救われていたんだ。……であるならば、言うべきことは一つだろうよ……)

 

「……昭武と優花に伝えてくれ。ありがとう、と。俺と共に生きてくれてありがとう、とそう伝えてくれ」

 

「分かった。伝えておく。何があっても必ず、な」

 

「そう、か。ありがたいことだ。流石は俺の親友だな」

 

 破顔して、雷源の頭が地に沈む。

 それを目の当たりにして、もう定満には耐えられなかった。

 

「勝定……!勝定……!」

 

 嗚咽する定満の声はもう、届かない。

 十二月二十五日七時三十六分。熊野雷源は、逝った。

 




ついに来るべき時が来ました。が、北陸大戦はまだ終わりません。エピローグ的な話が一、二話残っています。


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第四十七話 北陸大戦⑧【過ち】

 

 現代の暦にして十二月二十五日七時三十六分。熊野雷源は逝った。

 死因は失血死。引導を渡したのは袂を分かった親友・宇佐美定満だった……。

 雷源の死はすぐさま戦場全体に広がった。

 

「そうか、結局のところ殿は戦さ人として死んだか……」

 

 越軍の方円陣の中で奮闘していた長堯がひとりごちた。つられて一義も口をこぼす。

 

「本懐とは、言えぬであろう。つまるところ殿の願いは平穏であった」

 

「願わくば、畳の上で若殿たちに看取られてから死んで欲しかった。あの人の死に場所はこのような寒々しいところよりはそちらの方が相応しかったように思える」

 

 この長堯の見解は雷源の近くにいたものなら誰もが首肯しうるものだった。

 されど、雷源は逝った。力尽きて残雪の中に沈んだのだ。それは越後の武者にはありふれた死に様だった。

 

 

「ああ………」

 

 砦内にて、四万はやり切れなさを抱いていた。あれだけの強さを持った人でも死ぬのかと世の無常を感じていた。

 

(結局のところ、わたしは殿の家臣にはなりきれなかった。約束を果たせなかった……)

 

 高知四万は平湯村建設に関われなかった。家の事情があったにしろこのことは四万の心に微かな傷をつけていた。

 雷源を慕いながらも、自分はれっきとした家臣ではないと後ろめたさを抱えていたのだ。

 

「いえ、まだ、まだ約束を果たせていないと決まったわけではありません。一つだけ、そうたった一つだけ約束を果たす方法があります」

 

 雷源がこの場にいたのなら、四万のこの方法を否定しただろう。だが、雷源はもうどこにもいない。

 四万はついに断行した。

 

「全軍、越軍に向かって突貫せよ!かの者らは殿の仇!討たずしてどうして殿の家臣と名乗れよう?」

 

 

 そして琵琶川西岸・昭武陣。

 

「親父が死んだ?んなわけがあるものかッ!」

 

 桜夜から報告を聞いて昭武は初めにこう言い放った。

 

「ですが、事実です。受け入れてください」

 

「だが、親父は北陸無双だろう⁉︎ 姫武将なんかにやられるわけが……」

 

 これ以上、昭武は言を紡げなかった。左頬に痛みを感じたからである。

 

「桜夜、お前……!」

 

「いいかげんにしてくださいッ! いくら強かろうが、死ぬときは死ぬのです。わたしに正徳寺で語った決意をあなたは忘れたのですか?」

 

「……忘れてなんかはいない。考えたくはなかったが、あり得たことだ。覚悟を決めていなかったわけじゃない。だが……!」

 

 昭武の双眸に涙が溜まっていく。

 

「つらいものはつらいんだ……!」

 

 この時、桜夜は昭武の悲痛を感じた。

 初めての喪失、それも最愛の父。それは昭武にとっての世界の半分を失ったようなものだったことを知った。

 そして、次に出る行動を予期して身体を震わせた。

 

「越軍を討つ。敵討ちだ。相手が軍神だろうが、知ったことか」

 

「昭武殿、それはおやめください。そんなことを雷源様が望んでいるとお思いですか!」

 

「親父ならば、戦乱の拡大を忌んで望まないかもしれないな。飛騨に流れてきた理由もそれだった。……だが、親父の希望以上にこのオレがそうしたいと思っているんだ」

 

「……そう、ですか」

 

 桜夜は説得に窮した。理屈が通ると思わなかったから、情理を用いたが、それでも通じなかった。

 

(今の昭武殿は狂ってしまっています。それも静かに、執念深く……。このままでは、第二の長尾為景が生まれてしまう……!)

 

 されど、もはや昭武を翻意させる方法など桜夜には思いつかない。

 

「将兵に告ぐ! 未だ父の跡は定まっていないが、この場の軍権はこのオレ、星崎昭武が担う! オレの目的は長尾景虎の打倒! 皆、ついてきてくれるか⁉︎」

 

「お待ちください!今、踏み出せば両越は、もうとりかえしのつかないことに……!」

 

「くどいっ!もう決めたことだ!」

 

 この昭武の言に桜夜は喉を枯らして否やを唱えるが、もう届かない。

 

「手始めにすでに敵討ちを始めている高知隊と合流する。そこまでは全速で駈けよ!」

 

「しかし、昭武様はとても戦えるような状況では……」

 

「確かにそうだ。だが、オレはもはや我慢ならん。今川義元みたいで嫌だが、輿に乗ってでも先陣に行くぞ!」

 

「ははーー!」

 

 かくして最後まで反対した桜夜と宗晴を除いた後陣の全部隊が進軍を開始してしまう。

 それは、雷源がかつて起こしたそれとは似て非なるもの。

 あの時の雷源は為景を討った後のことを不完全であったが考えていた。しかし、昭武はそうではない。憎悪に任せ一点突破をせんとしている。

 

「討ち果たせ、討ち果たせ、目の前を蔓延る仇どもを。駆逐せよ、越軍の全てを。そのために普段は認めはしないが、虐殺(・・)を許可する」

 

 この呪詛じみた檄は昭武の軍全体にすぐさま広がり、越軍に暴虐を行なった。

 捕らえた捕虜の首を容赦無く跳ね、恐れて逃げ惑う越軍の背には火縄を打ち込む。

 

「……死ね」

 

 とりわけ、昭武軍の中で攻勢が激しく、なおかつ残虐だったのは瀬田優花だった。普段は明朗闊達に兵に対して接しているが、此度ばかりは仇を屠るだけの存在に成り果ててしまっている。

 

「頭や心の臓を狙うだけではもう足りない。鏃に毒を塗って。一兵でも多く越軍を屠るの」

 

「しかし、優花どの。毒など武家の戦に持ち込むものでは……」

 

「そんなことを言っている暇はないよ?どうしても嫌ならほうろく玉に替えてもいいけど。……ああ、味方を巻き込まないようにね」

 

 この優花の効率を重視した虐殺ぶりは凄まじかった。与えた越軍への被害はこの尻垂坂の戦いに参加したどの部隊よりも多い。

 しかし、越軍も黙ってみているわけではない。

 越軍の本陣にて唯一動ける宇佐美が政景に指示を出していた。

 

「政景の旦那。この修羅場、任せられるか? 景虎が倒れた今では旦那が出てくれないと越軍は奴らの殺意には対抗できねえ」

 

「引き受けてやるが宇佐美、お前はそれでいいのか」

 

「何が言いたい」

 

「お前はこの尻垂坂の戦いが終わったのち、熊野いやもう星崎か……と手を結ぶつもりなのだろう。だが、それでは越後の諸将……とくに莫大な被害を被った揚北衆は納得しないぞ」

 

「憎しみで争うのは馬鹿らしいだろ?」

 

「つくづく甘いな。そう割り切れるのはお前だけだ。少し思い返してみろ、為景にしろ、雷源にしろ、目の前の星崎昭武にしろ結局のところ割り切れずにこの始末だ。どうあがいても人は憎しみに取り込まれる」

 

「そんなことは知っている。だが、そうしなきゃこの乱世は終われねえよ。まぁそれができないってなら、再起が出来ないぐらいに叩き潰した後、交渉の席に座らせて無理やり言うことを聞かせるさ。……俺はもう躊躇いはしない」

 

「宇佐美、お前……」

 

 宇佐美の苛烈な決断に政景は珍しいことに身体を微かに震わせた。

 

(前からこういう気はあったが……、やはり雷源に引導を渡したことで、変わらざるを得なくなったのだろうな)

 

「俺も俺でやることがある。それまではどうにか時間を稼いでくれ……!」

 

「長話をしている暇はないな……。今すぐ、行くとしよう」

 

 ********************

 

「北条、ぼさっとするな!柿崎、さっさと打ち払え!雷源の遺児どもが迫ってきてやがる。とっとと防備を固めろ!」

 

 政景が前線に出たことで、戦況は一変した。

 景虎の指揮が途絶え、混乱していた越軍に秩序が取り戻されたのだ。謀反常習者であるために今一つ人望がないが、曲がりなりにも一門の筆頭であり、景虎出現以前の越後で最強の武将である。これぐらいは成し得ることの範疇にあった。

 

「奴らは憎しみのあまり、無理な進軍をしている。どうにかして出鼻をくじけ。そうすれば、押し返せる」

 

 軍の乱れが正されたことを確認すると政景はかつて為景の得物だった斬馬刀を担いで前線に馬を走らせる。

 その傲岸不遜な様はやはり為景に似ていた。

 そんな政景の姿を遠くから知覚していたものがいた。

 昭武と優花である。

 

「あれが長尾政景か。奴が出張るということは本陣はもう近い。どうだ優花。射抜けるか」

 

「多分、無理。斬馬刀の刃の幅が広すぎる。射たと同時に気づかれて防がれると思う」

 

「ならば、オレが出るか」

 

 太ももを締め、乗馬に前進の意を伝える。すると、馬は尋常ならざる早さで駆けた。それもそのはず、今の昭武は具足を着用せず、胸当てをしているのみで馬にかかる重みが普段の半分ほどしかない。

 

(怪我の影響で具足が着れない以上、防御に困るとは思っていたが、これはこれでいいな)

 

 景虎もまた騎乗する際はささやかな防具しかつけていない。期せずして昭武は景虎の感覚を一部共有することとなった。

 

「長尾政景、覚悟!」

「ちぃ」

 

 戦場をすり抜け、政景に刀を振るう。

 政景は斬馬刀を盾にして防いだが、反撃には至らず、昭武の後退を許した。

 

「星崎昭武か……」

「そうだ」

 

 政景が呟く間にも昭武は馬を走らせ、政景の周りを旋回する。

 一撃離脱。

 軽装のために政景の一刀を防げない昭武にはその戦法しかなかった。

 左から迫っては右に去り、前から来てはは後ろに抜ける。

 攻撃の予備動作こそ分かりやすいため、政景は防げているが、政景には優花が自らを狙っていることも分かっていた。

 

(瀬田優花。噂から聞くに当代屈指の射手だ。奴がいる限り俺は攻勢には出れん)

 

「やっぱり気づかれてるかぁ。やりにくいなあ」

 

 優花は政景が昭武に痛撃を与えるために斬馬刀を振り上げる、その瞬間を狙っている。

 だが、狙っているのは優花だけではなかった。

 

「瀬田優花どのとお見受けする。覚悟!」

 

 定満の麾下、軒猿もまた昭武と優花を始末せんと虎視眈々と狙っていたのだ。

 

「ああ、いいとこだったのに……」

 

 軒猿の姿を認めるや否や、優花は弓を放り投げる。

 政景に集中し過ぎて、らしくもないことに間合いの中に入られ過ぎていたからだ。

 腰の刀に手を添え、軒猿の挙動を観察する。

 そして、軒猿が優花に飛びかかった時、一条の銀光が宙に閃いた。

 

 




読んで下さりありがとうございます。
ナンバリングで8話も続いた北陸大戦も次回で終わります。
いや、長かった。
次話は9/5に更新するので、それまでお待ちください。
最後に、誤字や感想などあればよろしくお願いします。


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第四十八話 北陸大戦⑨【終戦】

 

 昭武らから後方二百間(約400m)は乱戦となっていた。

 政景が持ち直した越軍の動きは良く、憎悪に任せて無秩序な動きをする熊野軍を追い詰めている。

 

「はあ……、はあ……」

 

 息を切らしながら、四万は越軍の兵を屠る。

 背後を見れば、戦える熊野軍の数は二百を切っていた。

 

「……やっぱり越軍、立て直しが早いわ。……けど、まだ。まだ私は戦える……!」

 

 そうは言っても、それは四万だけの話。

 津波のような越軍の猛攻に対しては、四万の軍はただ侵食される大岩に過ぎなかった。

 

「あがっ!」

 

 突如、四万は苦悶の声をあげる。よくよく後ろを見れば、細身ながらも屈強な越軍の武将が四万の脇腹に槍を突き刺していたのだ。

 

「私は斎藤朝信と申す者。越軍の部将をしている。そなたの名は、高知四万でよいか?」

 

 重厚な声を響かせて、朝信は名乗りをあげる。

 

「かはっ、越後の鍾馗、か。いかにも私が高知四万。ついに雷源様の家臣たりえなかった女よ」

 

「何を言うか。そなたは立派な家臣であるよ。数ある熊野遺臣の中でもこれだけの復仇戦を企図できるものはおらぬ」

 

「違う、違うんだ……!私は、間に合わなかった……!」

 

「……」

 

「私は、勝定様がいない越中の門徒の期待を一身に背負ってきた。いつか、勝定様が帰ってくるとき、今度こそ共に戦うために私はずっと背負ってきたんだ……! だというのに、私はまた、一人残ってしまった……!復仇戦なんて、勝定様を生かすために戦うことに比べれば、禄を食んだ者の最低限の義務でしかない。……私は勝定様に生きていて欲しかった……、もっと頼って欲しかった。ただ、それだけでよかった……」

 

 痛切な四万の慟哭に、朝信は顔をしかめた。

 哀れに思ったのだ。これだけの愛惜を雷源に捧げてなお、自分自身を許せない四万が。

 

(もはや、彼女が自分を許すことはないであろう。そして、守れなかったことを永遠に苦しむだろう。……いささか傲慢ではあるかもしれぬ。だが、彼女を救うにはこうするほかない)

 

 覚悟を決め、朝信が槍に力を込め直し渾身の力で一閃する。すると、四万の身体が崩折れた。

 

「勝定様、いま、お側に参ります。黄泉ではどうかあなた様の家臣に……」

 

 なんともいえないやり切れなさを感じながら、朝信は叫んだ。

 

「まったく、雷源殿も羨ましいことだ。これだけ思ってくれる家臣がいるのだから……! 者共、勝鬨をあげよ。忠臣、高知四万はこの斎藤朝信が討ち取った!」

 

 四万が討たれたことを知った四万隊は一気に瓦解した。

 彼らは雷源の仇よりも四万に同情していた節があるために、戦う理由が失われて呆然としたからである。

 

 米

 

「がはっ……!」

 

 泥濘の中に、星崎昭武は沈んでいた。

 

「あれだけの一撃を受けて、よく生きてるもんだ」

 

 それを胡乱げな目で見ているのは、長尾政景。

 肩に担がれている斬馬刀にはべったりと血がこびりついていた。

 

「それは、まだ死ねない理由があるからだ。親父の仇をことごとく屠る。……その日までは……!」

 

 明らかに昭武は復讐に落ちきってしまっていた。

 かつて、高邁な理想を掲げた青年の姿はいま、そこにはない。

 

「……それは、違う。星崎昭武、いえ弥兵衛。あなたの原初の夢はけしてそんなに哀しいものではなかった……」

 

「おい!まだ……!」

 

 倒れふす昭武に、泥濘の上から哀れむような、悲しむような声がかけられる。信心深くない昭武でさえも神々しいと認めざるを得ない、そして昭武の遥か遠い記憶の中で聞き馴染んでいた声。

 政景がなぜか周章ているが、昭武は特に気にならなかった。

 余力を振り絞って泥濘から起き上がる。

 そこには、儚い少女(長尾景虎)がいた。

 

「……けん、しん……」

 

 目の前の少女の姿はとても痛々しい。白磁の肌には血がこびりつき、その整った顔は青みがかった色彩を帯びていた。

 

(また、お前は戦乱の中を……!)

 

 そんな少女の姿を見て、昭武は思い出す。平湯村の東方の未開拓地にて、戦い疲れ、心が摩耗した彼女と邂逅した時を。

 そして、その時初めて自覚した自らの願望を。

 

(何を、しているんだ。オレは。こんなに将兵に血を流させて……。違う、オレはこんな風景を否定するために戦ってきたんだ。けして目の前の地獄を生み出したかったわけじゃない……!)

 

 酔いが覚め、目の前の惨状が明らかとなる。

 泥濘の中に沈む越軍の姿。

 憤怒が収まり切らず、敵の死体に鞭打つ味方の姿。

 

「オレは、なんて、ことを………!! ああああああああああああああああッ!!!」

 

 そして、星崎昭武は己の犯した大罪に慟哭した。

 

 米

 

「武兄……!」

 

 瀬田優花は、遠くで崩れ落ちる昭武に目を見開いていた。

 軒猿を斬り捨てたのち、再度政景を狙おうとしたらこの始末で、当初は全く意味がわからなかった。

 だが、昭武の前に立つ少女を見て、優花は悟った。

 兄は、正気に戻ったのだと。

 

「どこかで、こうなるとは思ってた。結局、武兄は優しいから。ずっと怒り続けることはできない、すぐに血生臭さを感じて嫌気がさしてやめてしまう、そう思ってた」

 

 慈愛半分呆れ半分で優花は笑みを浮かべるが、すぐにそれは曇った。

 

「けど、ごめん。あたしは多分無理。どうしても憎むのをやめられないみたい。たとえ相手がけんしんちゃんだったとしてもね」

 

 らしくもない自嘲をして、優花は景虎に向けて矢を番える。

 

「多分、武兄はけんしんちゃん、いや長尾景虎と手を取り合うと思う。それが、天下泰平のためだったらきっと。そうなったら、あたしには耐えられそうにないけど、その時はその時。どうにかして我慢してみせる」

 

 だけど、と優花は続ける。

 

「一度だけ、機会が欲しい。あたしがわがままを通すためのただ一度の機会。その時、最高の一射で景虎を狙う。仮にもし、これを外したならきっとあたしは復讐を諦めることができるだろうから……」

 

 全身の力を振り絞り、優花は弦を引く。

 

(届け)

 

 一矢入魂、優花の願いを込めたそれが放たれる。

 戦場で長尾景虎を狙撃しても当たらない。

 これは半ば、定説になりつつある。が、優花はその説を覆した。

 景虎の避ける先をも見抜いて射た、神域の射。

 それは、景虎の命を刈り取れるはずだった。

 そう、刈り取れるはずだった。

 

「あはは……、やっぱり無理だったかな……」

 

 優花は目の前の光景を見て脱力の余りへたり込む。

 今の景虎にはもう一つだけ、壁があったのだ。

 

「景虎アアアアッ!」

 

 長尾政景。景虎に愛憎入り混じった感情を持つ梟雄。

 彼が、我が身を投げ出して優花の矢を受けたのだった。

 優花の矢威は凄まじく、受けた政景は三間ほど飛んだ。息はあるが、重傷は免れない。

 もう一度と、身体に染み込んだ感覚に任せて優花は二本目の矢をつがえたが、すぐに首を振った。

 

「二の射はダメ。射手の恥になる。……それに、これで復讐劇は終わりにしなきゃ。約束だもんね」

 

 優花は弓を再び手放し、空を仰ぐ。その頰には一筋の涙が伝っていた。

 

 ********************

 

 十二月三十一日、渡光教を介して昭武は越軍と停戦を結んだ。

 長尾家は昭武の提案に頷き、その日のうちに細かい規則を定めるために交渉の席を設けた。

 交渉にあたったのは、熊野家からは昭武と桜夜。長尾家からは、直江大和はすでに亡く、景虎と政景が負傷して動けないために必然的に宇佐美定満が出ることになる。

 折しも、昭武は仇と対面することになった。

 

「よくお前らから停戦を申し出てくれた。正直ずっと憎しみ合うことを覚悟していたが、どういう風の吹き回しだ?」

 

 自らを仇としている者が相手だというのに、定満は飄々とした態度で振舞っている。それが何に由来するものかは昭武にはわからなかった。

 

「……戦っている途中で、気づいたんだ。復讐よりも大事な物があると。と言っても、無理やり気づかされたようなものだったが……」

 

 昭武は淡々とした様子で定満に答える。二十五日の戦闘時の昭武の姿を見た者からすれば、まるで憑き物がおちたかのようだった。

 

「そうか、お前は踏み止まれたんだな……。強い男だよ、お前は。……仇に言われても、嬉しくないだろうな。だが、俺はそのことが嬉しくてたまらねえ」

 

 昭武の内心はどうであれ、昭武が踏み止まることができたならば、北陸の中で怨みの連鎖が絶えて凄惨な争いが起きなくて済み、越後の二の舞になることはない。

 

「おっと、世間話はこれぐらいにしよう。詳細を詰めなくてはな」

 

 結果、熊野家と越軍の停戦は以下の条件で定められた。

 

 一、熊野家の後継が不義を成さない限り両家の交戦の禁止

 

 二、常願寺川以東を椎名康胤に返還

 

 一により、両家は戦線の削減を図り、戦力の集中が可能になり、越軍は武田、あるいは関東に兵を進められるようになった。熊野軍は戦線が西に限られるが、雷源没後の混乱を考えれば、利点となる。

 二は、熊野軍の敗北を端的に示すものとなった。

 全体的に優しい条件となっているが、それでも熊野家の力の衰えは否めなかった。

 

「交渉は終わった。……もう、いいだろ」

 

 交渉が終わると、昭武は陣に帰ろうとする。呑み込んだとはいえ憎しみが消えたわけではない。できる限り、定満と顔を合わせたくなかったのだ。

 

「待て、星崎昭武。まだ伝えていないことがある。……勝定のことだ」

 

 だが、それを定満は呼び止める。父のこととあっては聞かずにいられるわけもなく、昭武は足を止めた。

 

「俺と共に生きてくれてありがとう。……奴の遺言だ。復讐しか考えられなかった奴にお前たちは『その後』をくれたんだな……」

 

「……オレたちは、そんな大層なものじゃない」

 

「そして、俺からも礼を言う。奴の人生に彩りを加えてくれてありがとう」

 

 謙遜する昭武に笑いかける定満。

 その表情はどこか雷源に似ていて、昭武はふと泣きそうになった。

 

「言いたいことはそれだけだ。じゃあな」

 

 昭武に背を向け、定満は歩き出す。

 

(これで、やることがまた一つ終わった。残るのは、あと一つだけ……。ケジメをつける時が来たみたいだな)

 

 




読んで下さりありがとうございました。
9話かかった北陸大戦はこれで完結です。
誤字、感想などあればよろしくお願いします。


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登場人物紹介 第一部

メインどころの書き換え、加筆は終了。
残りは折を見て編集します。
方針は姫武将録を見た限り、オリキャラの能力がやけに高めだったため、全体的に下げることです。
外伝の登場人物紹介と一部被る人物もいます。


 

○熊野家

・星崎昭武 序章より登場。完全オリジナル

統率 91 武力 92 知力 82 政治 88

本作主人公。武勇に優れた武将で武功を多く挙げている。

見た目はバサラの家康(青年)に十文字槍を持たせた姿に近い。

武勇だけでなく、やりたがらないが内政もできるオールラウンダー。

性格は温厚だが、雷源を貶されたりすると荒れる。尻垂坂では復讐の権化となり、普段からは一切考えられないほどの暴虐を行なった。ただ、それは一時的なことに過ぎず、根幹は天下泰平にあるので、割と早めに酔いから覚める。覚めた昭武は常に自己嫌悪に苛まれることになる。

二部で国主になる。

 

・瀬田優花 序章より登場。完全オリジナル

統率 85 武力93 知力52 政治50

昭武の義妹。弓に優れた姫武将。

戦場では昭武の露払いを主にしており、生え抜きの将兵は弓の扱いに長けている。

見た目は黒髪のショートヘア。大食いで素直な性格。

雷源に対する考え方は昭武と同様にアイデンティティの根幹である。が、昭武と異なり優花にはこれといった大望がないため復讐心を自制するまでが長く、渾身の一射を外したことでようやく割り切れた。

 

 

・熊野雷源 序章より登場。完全オリジナル

統率99 武力104 知力86 政治56

熊野家当主。昭武と優花の義父。

剣術槍術弓術薙刀を極めた武人でありながら、計略をしばしば用いる策士でもある。元は越後の出身だが、流浪の果てに飛騨にたどり着く。旧名勝定。

自らの過去からか、一門同士で争うことに嫌悪感を示す。

今まで各国を転々としてきたが、根幹とする考えはただ一つ。昭武、優花を育てあげることである。これは復讐が終わった雷源にとっては生きる理由だった。

本人は口にしなかったが、昭武の天下泰平はそうなればいいなと共感している。

病を持っているが、作中最高の武勇を持つ。

最後は景虎を徹底的に追い詰めたのち、定満に討たれた。

 

・宮崎長堯 一章より登場。 完全オリジナル

統率92 武力92 知略75 政治59

雷源に越後時代から仕える。

武勇に優れ、雷源の戦術に欠かせない存在。

熊野家臣中では年が近いこともあって雷源と最も仲がいい。

大聖寺城の戦いで宗滴に右目を斬られ、隻眼となる。

 

 

・荒尾一義 一章より登場。 完全オリジナル

統率95 武力94 知略80 政治42

雷源に越後時代から仕える。

防衛戦に優れ、防衛戦の時は雷源に指揮を委ねられることもしばしばある。

寡黙な性格で冗談が下手。

 

 

・戸沢白雲斎 一章より登場。準史実武将

統率70(対忍だと+10)武力94(式神などに対しては+10)

知略89 政治33

熊野家に仕えてきた戸隠忍び。家中では最高齢。

自分より身分が圧倒的に上、あるいは自分より年上の人間にしか敬語を使わない。

実在はしないが、講談などで真田十勇士の猿飛佐助の師とされている。忍術と調略に優れ、情報操作が得意。

敵に対しては結構容赦がない。

退魔の名刀、童子切安綱を所持している。

 

・ 琴平桜夜 序章より登場。 完全オリジナル

統率83 武力67 知力90 政治93

雷源の教え子。知略と政略に優れる。

容姿は黒髪のポニーテール。

元は一揆衆の総大将だったが、熊野家加入後は昭武の世話役兼宰相になる。人心を惹きつけることに関してはすでに一国の大名並みの実力がある。左近加入後は軍師役を彼女に譲った。

 

・琴平宗晴 序章より登場。完全オリジナル

統率78 武力81 知略64 政治75 二章

雷源の教え子で桜夜の弟。武勇に優れる。

姉に似て顔立ちは整っている。

桜夜の護衛役として働くことが多い。

 

・金森長近 一章より登場。史実武将。

統率81 武力76 知略72 政治83

元は金環党という山賊の頭だったが、昭武に仕え、飛騨三奉行の一人になる。

武勇は微妙だが、強い求心力を持っている。

容姿は黒髪を茶せん髷にして、着物を片肌脱ぎにしている。昭武に仕えるようになってからは赤い外套を纏うようになった。意外にも文官としての才があったため、桜夜の補佐役を務めている。騎馬鉄砲隊設立以後は騎馬や鉄砲の調達もしている。

 

・井ノ口虎三郎 一章より登場。完全オリジナル

統率90 武力91 知略72 政治42

元金環党の副将。長近と共に昭武に仕える。

見た目はノブヤボの信長に近い。

武勇に優れ、山賊らしからぬ誇り高い性格を持つため正々堂々と戦うことを好む。長近とは昔から主従だった。

二十五話以降、鉄砲騎馬隊を率いるようになってから熊野家中でも有力な武将になる。

 

・島左近 三章から登場 史実武将

統率89 武力80 知略91 政治68

元筒井家臣で文武両道の姫武将。

筒井家最後の戦いの際に順慶を逃がすために囮となり、その結果久秀に抑留される。のちに昭武たちに救出された。救出後は桜夜の代わりの軍師として一時的に昭武に力を貸し、戦後正式に熊野家臣になる。

桜夜とは異なり、刀を振るいながらも指揮ができる完全に戦闘向けの軍師。謀略は本来好むところではないが、やれる人材が自分しかいないために止むなくやっている状態。

 

 

・柳生宗厳(石舟) 三章から登場 史実武将

統率71 武力95 知略49 政治46

筒井家臣だったが、親友の左近が久秀に捕らえられたため、心ならずも久秀に従う。現時点で畿内最高の武力を持つ姫武将。柳生新陰流開祖として名高い剣豪でもある。左近が助けられたことを知ると昭武方に従った。

 

・出浦盛清 二章から登場 史実武将

統率32 武力81 知略69 政治40

戸沢白雲斎の愛弟子。年こそ昭武たちより年少だが実力は一流。とはいえ、道順などに比べると劣る。

白雲斎と同じく、戸隠の石由来の能力を持っているが、白雲斎の方針で使い方を教えられなかった。

 

・高知四万 三章から登場 完全オリジナル

統率78 武力69 知略74 政治76

二十代前半で、元雷源の侍女。雷源不在の十年間で越中一揆衆の頭目になる。高知家という越中の没落した名家の出。神保長職と共に雷源に援軍を請い、戦後は熊野家臣となる。

尻垂坂の戦いでは、越軍の先遣隊を押さえる活躍をするが、本戦では雷源死後に復讐の鬼と化す。

しかし、それでも彼女は雷源の飛騨行きに付き添えなかった負い目から自らを雷源の家臣だと認めることが出来なかった。

長尾政景出馬ののち、劣勢へと傾いていく戦場の中で斎藤朝信に討ち取られる。

 

・塩屋秋貞 雷源伝から登場 史実武将

統率45 武力12 知略69 政治86

飛騨三奉行の対商人政策担当。雷源の教え子。出自が商人。熊野家加入までは内ヶ島家に仕えていた。十九歳で見た目は腰まで届く長さのポニーテール。首から下は原作松永久秀より色白で露出を控えたような感じをイメージ。半田為五郎とは知己の間柄。

 

 

・山下時慶 今のところ名前のみ 史実武将。

内ヶ島一族。

 

・山下氏勝 今のところ名前のみ 史実武将。

飛騨三奉行の一人。雷源の教え子で時慶の娘。史実では清洲越しの進言者で弓に優れる。

 

○飛騨の武将

 

・姉小路良頼 序章のみ登場 史実武将

統率50 武力 30 知略 63 政治 76

飛騨姉小路家当主。父である三木直頼死後の飛騨の乱に心を傷める。臆病な性格だが意思は固く、最期は昭武の才幹に飛騨の泰平を託し、切腹した。

昭武が初めて倒した相手。だが、その思いは確かに昭武に引き継がれた。

 

・姉小路頼綱 序章のみ登場 史実武将

統率79 武力85 知略73 政治70

良頼の息子で「飛騨の鷹」とあだ名された英雄。獰猛な性格で武力に優れている。史実では彼が飛騨を統一する。

桜洞城の戦いで桜夜に狼藉を働いている隙を昭武と優花に突かれ討ち死にする。江馬輝盛とはライバル関係にあった。

 

・鍋山顕綱 序章から登場(序章は名前のみ) 史実武将

統率55 武力51 知略59 政治60

良頼の息子で頼綱の弟。鍋山城主。

桜洞城の戦いの後に旧姉小路家を糾合し戦うが、箕輪砦で雷源の策に嵌められ討ち取られた。

 

・江馬輝盛 序章から登場(序章は名前のみ) 史実武将

統率80 武力86 知略71 政治52

兇悪な性格だが、認めた者には深く入れ込む。

二メートル超えの巨漢で武勇に優れる。

熊野家による飛騨統一の最後の壁。

「武士には器に足る死に様を与えられなければならない」という信念を持っており、宿敵である頼綱の不相応な死に様に哀しみと怒りを抱く。そして、ついぞ着かなかった勝敗を飛騨統一ではっきりさせるために八日町で熊野家と交戦するが、井ノ口に討ち取られる。

最期は、自らの死に様に満足して逝った。

 

・牛丸又太郎 一章のみ登場 史実武将

統率46 武力75 知力21 政治14

江馬家臣で昭武と同い年。昭武を妨害して輝盛を助ける。

昭武の追撃で討ち死にする。

彼らを初めとする武士の奮戦を偲び、大坂峠は十三墓峠と呼ばれるようになった。

 

・内ヶ島氏理 一章と雷源伝に登場(雷源伝は名前のみ) 史実武将

雅氏の娘で雷源の教え子。帰雲城主。

一時江馬家に滅ぼされる。雷源から教えを受けたが怠けていたため、さして能力が高いわけではない。

 

○織田家

・織田信奈 一章から登場 原作キャラ

言わずと知れた原作ヒロイン。桶狭間の戦い後、美濃を落とすために熊野家に援軍要請し、稲葉山城陥落後に熊野家と同盟を組む。

熊野家の力は高く買っており上洛や、京周辺の征討、金ヶ崎など多くの戦に参戦させている。

 

・相良良晴 一章から登場 原作キャラ

こちらも言わずと知れた原作主人公。未来知識を持ってはいるが、その知識の中に熊野家に関係するものが何一つないため熊野家を警戒しているものの、半兵衛調略の際に共に行動したため昭武と優花とは仲良くなった。

 

・明智光秀 一章から登場 原作キャラ

織田家臣で元道三の小姓。長良川の戦いで道三側に味方して美濃から離れるが、信奈が美濃を手に入れた後に家臣になる。上洛案の立案者で上洛戦で井ノ口と並んで大活躍し、清水寺では琴平姉弟と協力して寡兵で松永軍を防いだ。

 

・柴田勝家 二章から登場 原作キャラ

織田家の家老で尾張最強の武将だが、脳筋。

 

・丹羽長秀 二章から登場 原作キャラ

織田家の家老で信奈のお姉さん役。物事に逐一点数をつける奇癖を持っている。

 

・前田犬千代 二章から登場 原作キャラ

織田家臣。寡黙な性格で武に優れる。半兵衛調略に行く良晴に同行した。

 

・斎藤道三 一章から登場 原作キャラ

美濃の蝮とあだ名される梟雄で信奈の義父。

昭武と桜夜の戦略に感銘を受け、濃飛同盟を結ぶ。

八日町の戦い後、義龍に謀叛を起こされ、稲葉山城を追放される。再起を図るため長良川で義龍と戦うも敗北。良晴たちの手引きで尾張に亡命した。

 

・斎藤利治(新五) 一章から登場 史実武将

統率78 武力66 知略71 政治60

道三の息子で信奈の義弟にして佐藤忠能の養子。

真面目な性格。

長良川の戦いの際に道三側に味方する。道三が敗北すると熊野家を頼り、稲葉山城に復帰するために昭武たちと共に中濃に攻め込む。加治田城が織田領になったため、織田家に仕える。

 

・佐藤忠能 二章から登場 史実武将

統率 65 武力53 知略61 政治73

中濃三城の一つ、加治田城主。熊野・斎藤連合軍に協力する。

本人は保身のために長良川の戦いでは義龍側につくが、本音は下剋上が好き。

 

・佐藤忠康 二章のみ登場 史実武将

統率66 武力71 知略50 政治51

忠能の息子。加治田城で半兵衛と戦い、討ち死にする。

 

・佐藤堅忠 二章で登場 史実武将

統率60武力45 知略68 政治74

忠能の一族の姫武将。忠康死後、利治に嫁ぐ。嫁いだ後は加治田軍の副将として活躍する。

 

・湯浅讃岐(新六) 二章から登場 史実武将

統率65 武力84 知略44

加治田城所属の一兵士。槍さばきに定評がある。加治田城の戦いの際、忠康が討たれてバラバラになった加治田城兵をまとめ上げて半兵衛に突っ込み、連合軍の勝利に大きく貢献する。戦後、侍大将になり利治の家臣になる。

 

・蜂須賀五右衛門 二章から登場 原作キャラ

良晴の忍びで川賊・川並衆の頭領。三十字以上でかみかみになる。なお今作では三十字以降のかみかみ加減が原作以上に激しい気がする。

墨俣の戦いで良晴をかばって銃弾を受けた。

 

・竹中半兵衛 二章から登場 原作キャラ

美濃随一の陰陽師軍師。ゆえあって戦場では影武者に式神を使っている。織田勢を十面埋伏の計、石兵八陣を用いて二度撃退するが、加治田城の戦いでは優花と桜夜の策と予想もしていなかった讃岐の突撃により敗れた。良晴たちに調略された際、献身的に信奈に仕える良晴に惹かれて良晴家臣になる。

 

・安藤守就 二章から登場 原作キャラ

西美濃三人衆筆頭。半兵衛の叔父。

長良川の戦いの際、義龍政権に付くも自らが道三の片腕だったため、長井道利などと比べると重用されなかった。そのことがきっかけで姪の半兵衛を義龍政権に出仕させる。半兵衛の調略の際に浅井長政に誘拐された。

 

・松永久秀 三章から登場 原作キャラ

天下三大悪人の一人で多聞山城主。

三好長慶死後、足利義輝を襲撃し三好三人衆との戦いで東大寺を焼くなど畿内で大暴れする。

大和で筒井順慶を倒し、その股肱之臣であった島左近を多聞山城で抑留し、宗厳を従属させた。傀儡使い。

清水寺の戦いの後、信奈に降伏する。

 

・結城忠正 三章から登場 史実武将

統率70 武力83 知略81 政治52 (全能力降霊術で更に増加)

松永家臣で降霊術師にして剣豪であり、学者でもあるという多才な武将。

伏見で昭武たちを迎撃し昭武たちを大いに苦しめたが、昭武の一太刀で術を維持できなくなり敗れる。

 

・筒井順慶 三章から登場 史実武将

統率75 武力70 知略76 政治81

前筒井城主。島左近の救出を昭武に依頼した。

亡国の姫大名だが気概は失っていない。生き延びなければならない立場だったとはいえ、左近を置き捨てて戦場を離脱したことに強い罪悪感を持っていた。行動がわりと荒唐無稽で昭武から指揮権を脅し取ったこともある。清水寺の戦い後、信奈に臣従。

 

・稲葉一鉄 二章から登場 原作キャラ

西美濃三人衆。墨俣の戦いで良晴に寝返る。半兵衛の将来を嘱望していた。頑固一徹の語源。

 

・氏家卜全 二章から登場 原作キャラ

西美濃三人衆。墨俣の戦いで一鉄と行動を共にする。同じく半兵衛の将来を嘱望していた。

 

○浅井家

・浅井長政 二章より登場 原作キャラ

近江の大名。信奈に愛のない政略結婚を申し込む。稲葉山城を織田家と連合軍に盗られることを恐れ半兵衛の調略に参加するも、良晴と昭武のせいでペースを乱された末に守就を攫い無理やりに半兵衛を家臣にしようとするが失敗。信奈が美濃を抑えると原作通り盟を結んだ。

四章になると原作通り久政に家督を剥奪される。

 

・浅井久政 四章より登場 原作キャラ

浅井家先代。浅井に無通知で朝倉を攻めたことに憤り、長政から家督を奪取した。

 

○美濃・義龍政権

・斎藤義龍 一章から登場 原作キャラ

道三の息子だが、土岐頼芸の息子であるという風聞がある。道三と仲が悪い。道三が信奈に美濃を譲ろうとしたことに反発して謀叛を起こす。墨俣の戦いで奮戦するが、井ノ口郊外で連合軍に捕らわれた。戦後、信奈によって放逐される。

 

・岸信周 二章のみ登場 史実武将

統率83 武力82 知略77 政治42

中濃三城の一つ、堂洞城主。道三が下剋上した時から戦ってきた猛将で、道三と信奈の父、織田信秀が戦った加納口の戦いでは信奈の従兄を討ち取った。堂洞合戦では昭武達からの内通や降伏勧告をことごとく跳ね除け、徹底抗戦する。最期は妻の坂額と刺し違えて死亡した。

 

・坂額 二章のみ登場 準史実武将

統率58 武力68 知力41 政治39

信周の妻。堂洞合戦の際、自ら刀をとって戦う。最期は辞世の句を詠み信周と刺し違えた。

史実では信周の妻とだけ書かれているが、今作では刀をとって戦う様が平安時代の女武者坂額に例えられていたので坂額と名付けた。

 

・岸信房 二章のみ登場 史実武将

統率71 武力75 知略45 政治36

信周の息子。内通を拒否する際に覚悟を見せつけるために実子を殺した。堂洞合戦では北をまもっていたが、兵が継戦不能になり自らも傷を負っていたので自害した。

 

・長井道利 二章から登場 史実武将

統率51 武力39 知略79 政治71

中濃三城の一つ、関城主。中濃三城による同盟を主導する。

堂洞合戦では援兵を率いて後詰めするが、昭武に奇襲をかけられて潰走した。加治田城の戦いで義龍、半兵衛と共に戦うが、敗北。戦後、関城で籠城の準備を進める。稲葉山城で半兵衛をいぢめ、半兵衛が式神を大量召喚した際にどさくさに紛れて白雲斎に暗殺される。

 

○長尾(上杉)家

・宇佐美定満 雷源伝から登場 原作キャラ

越後一の軍師で雷源の親友。為景に対して反旗を翻すも失敗。戦後為景に降伏した。原作では謙信が生まれた時には為景の元にいたが、今作では謙信が生まれてしばらくしてから降伏した。(そういうことにしないと昭武達の年齢がおかしなことになってしまうため)

四章でいよいよ雷源らとの対決が迫り、少し心が惑っている。

尻垂坂の戦いでも迷っていたが、直江大和が討たれ、景虎までもが雷源に討ち取られようとした時についに決断。

雷源の胸を貫き、討ち取った。

 

 

・長尾景虎 三章から登場 原作キャラ

為景の娘で越後国主。越後の龍、軍神と称される不世出の戦巧者。

昭武の夢の起点ともいえる人物。

彼女の姿を戦場で認めた時、復讐に逸っていた昭武は目が覚めた。

尻垂坂の戦いでは、雷源との壮絶な一騎打ちにより虚弱な身体が保たず、昏倒する。

 

・直江大和 三章から登場 原作キャラ

長尾家臣。定満と共に景虎を育てた。

尻垂坂の戦いで景虎を庇い、討ち死に。

最期に兼続へ景虎を託した。

 

・直江兼続 四章から登場 原作キャラ

長尾家臣。宇佐美と直江大和に育てられた。

戦の経験はまだ浅く、尻垂坂の戦いでは大和の死に動揺して何も出来なかった。

 

○加賀衆

・杉浦玄仁 雷源伝から登場 史実武将

統率80 武力78 知力65 政治59

加賀にゃん向一揆衆の頭目。為景を討った後の熊野一党を率いれるが、雷源の声望に恐怖を抱き、雷源の移住の際に討伐軍を差し向けた。にゃん向宗に全てを捧げた姫武将。竜田派を毛嫌いしている。

狂信者という表情は、門徒たちに別離の苦しみを紛らわせるために示した仮面である。玄仁は教団を否定することができず、雷源や広幸が断じたように偽善に過ぎないが、それでも救われた人はいると信じ、道化を演じている。

 

 

○能登畠山家・渡辺町衆

・竜田広幸 雷源伝から登場 完全オリジナル

元加賀にゃん向一揆衆の将。

一時的に雷源と共に行動する。

雷源が加賀衆を辞めたのち、反旗を翻すも失敗。

能登に逃れて渡光総とともに渡辺町を作る。

 

・渡光教 北陸十年史編から登場 完全オリジナル

統率91 武力82 知略96 政治85

渡光総の息子。

知略に優れた将で、重泰が教育係であったために銃への造詣も深い。

押水の戦いで初陣を果たす。竜田派の禁制に反抗することを決意し、渡辺町での決戦を目論み勝利。戦後能登最大の勢力になる。

渡辺町の戦いの後は三年で能登を平定する。

熊野家に対しては警戒心を持っており、金ヶ崎の退き口では援兵として穂高を派遣する。

北陸大戦では地の利と外交、海運を駆使し、自軍に五倍する連合軍を撃退した。

 

・穂高正文 北陸十年史編から登場 完全オリジナル

統率87 武力93 知略58 政治34

元小笠原家臣。光教と同年齢で作者曰くシリアスブレイカー

武田晴信の松本平平定に最後まで反抗した勇将で、居城失陥後は雷源を頼り平湯村に向かう。しかし雷源に仕官を断られて奨められるがままに渡辺町に流れて渡家に仕官する。端正な顔立ちだが、酒癖が悪く女好き。

渡辺町では新参者だが、すでに光教の右腕の地位を確立した。

北陸大戦では、副将の島々直成と協力し越中軍を防ぎきった。

 

・島々直成

統率83 武力61 知力71 政治50

穂高の副将。

堅実な用兵を得意とする。だが、即戦即決は苦手で、そこを突かれて昭武たちの荒山峠からの撤退を許した。

 

・下間頼廉 北陸十年史編から登場 史実武将

竜田御坊住職。

はじめ石山本猫寺の重鎮であったが、教団の変質に心を痛めていた。

その時、広幸に出会い、雷源の宗教観を聞かされて本猫寺がもはや歴史的な役割を終えたと悟り、竜田御坊住職の話を受けた。

渡辺町の戦いでは、籠城戦の指揮をとった。

 

・鈴木重泰 北陸十年史編から登場 史実武将

光教の教育係。光教より二歳年上。

頼廉に付き従って渡辺町に居つく。

北陸に鉄砲をもたらした。

 

・畠山義綱 北陸十年史編から登場 史実武将

義総の娘にして義続の妹。

加能越一の美少女と名高い才媛。

影の内閣を構築して中央集権を目指している。が、続光の離間により妨げられ再起のために能登を退去する。

四章では、熊野家と加賀衆を糾合してついに能登奪還に打って出る。が、光教に負けた。夢破れ、死を選ぼうとしたが玄仁に喝破され押し止まる。

 

 

・飯川光誠 北陸十年史編から登場 史実武将

畠山家臣。義綱の教育係。

光教と同い年で義綱の影の内閣の一人。

義綱に引けを取らない美少女としても知られる。

義綱に能登退去を進言した。

 

・長続連 北陸十年史編から登場 史実武将

畠山家臣。押水の戦いで光総と共に行動する。

所領が渡辺町の隣の穴水城で義綱の影の内閣の一人。

竜田派禁制以後は渡辺町側に着く。目的はお家の発展。

 

・長教連 四章から登場 半史実半オリジナル武将

光教の家臣で続連の娘。

元は長綱連と名乗っていたが、渡辺町の戦い後に改名した。

 

○北陸の武将

 

・神保長職 三章から登場 史実武将

越中最大の武家。越中にゃんこう一揆衆とは対立していたが、長尾家や加賀衆に対抗する為に手を結ぶ。

尻垂坂の戦いでは、椎名康胤と激しく戦い合う。

 

・朝倉義景 四章から登場 原作キャラ

事跡は原作と変わらず。

 

・正覚院豪盛 四章から登場 原作キャラ

事跡は原作と変わらず。

 

・土御門久脩 四章から登場 原作キャラ

事跡の大筋は原作と変わらないが、金ヶ崎の退き口の際に白雲斎に式神軍団を一蹴されたため、半兵衛に加えて白雲斎にも敵意を持つようになる。

 

○畿内の武将

・六角義賢 三章から登場 原作キャラ

六角家当主で観音寺城主。

上洛の際に織田連盟に支城を全て落とされ、観音寺城を明け渡した。

 

・今井宗久 三章から登場 原作キャラ

堺の豪商。たまにたこ焼き屋台のおっちゃん。

名物対決でたこ焼きの独占権を手放すが、代わりに良晴が思いついた揚げたこ焼きを独占した。堺の中では信奈寄り。

 

・津田宗及 三章から登場 原作キャラ

堺の豪商。ライバルである宗久とは真逆の神経質な性格。

名物対決での光秀の大ポカを他の会合衆を買収して尻拭いするはめになった。光秀とは知己。

 

・半田為五郎 三章から登場 完全オリジナル

堺の豪商で秋貞の知り合い。青田買いが好きで明智光秀や昭武に入れ込み、馬鈴薯が食用に耐えることを示す手伝いをした。このことから熊野家と太いパイプを持つようになる。

 

・納屋助左衛門 三章から登場 史実武将

堺の豪商で為五郎の盟友。今井宗久の納屋で奉公している間に各地を回ったため方言ごちゃ混ぜで喋る。

 

・伊賀崎道順 三章から登場 史実武将

伊賀出身の雇われ忍びで忍びの世界では指折りの攻城巧者。

久秀に雇われて多聞山城の地下牢を守備するが昭武に敗北し、遁走した。

苦無の扱いにも長けている。

 

・琴平宗方 三章から登場 完全オリジナル

やまと御所参議にして桜夜、宗晴の実父。

飛騨に下向していた時に雷源と知り合い、一時期学び舎の講師をする。熊野家が上洛すると関白・近衛前久に上奏して熊野家の主な武将に官位を与えた。

 





術などの独自設定
*童子切安綱についての設定
酒呑童子を斬ったことから刀身に陰陽道と同質の気が宿ったために式神や傀儡などを斬ることができる、退魔刀としての性質を持つようになった。
宿った気は強固で数百年経っても落ちない。

*降霊術についての設定
・術者が霊に自らの身体を貸し出す。
・霊は生前と比べるとやや劣化する。
・口寄せした霊の格が高ければ高いほど維持するのに術者の体力をより多く消費する。
・武力は術者の身体に依存し、知識は霊と術者の知識の両方を使える。(だから項羽とか呂布を口寄せしてもあまり意味ない)
・頑張っても二日しか持たない。

*傀儡についての独自解釈
・術者と傀儡の情報伝達は術者の気で作られた回線で行われる。
・回線を作る時は術者と人形は近いところにいなければならない。


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外伝
雷源伝 第一話(第十三話) 反旗


章名の通り雷源さんメインの話です。全三話ぐらいになると思います。
求めてねーよと言われそうですが、今書かずしていつ書くんだと思ったので投稿します。
では、どうぞ。


時は戦国。

内乱続く越後の地に熊野家という豪族があった。当主の名は熊野定義と言い、彼には二人の子供がいた。長男の政定、次男の勝定である。政定は知略に、勝定は武勇に優れていた。

熊野家は越後守護に代々支えてきた家で定義もそのご多分にもれず、守護の上杉定実に仕えている。

 

「長尾為景許すまじ」

 

定義は常々彼の周りにこぼしている。今の越後は往時のように越後守護が頂点ではなく、越後守護代であるはずの長尾為景が差配していたのだ。定義はそれが気に入らないのである。

だが、勝定は定義の言を違った観点から考えていた。

 

(確かに為景は気に入らない。越後ひいては東国が乱れたのは為景のせいでもある。しかしもう越後守護に力は残っていないし、為景がもし倒れてももう越後の内乱は収まらないかもしれんな……。収めるには………為景よりも遥かに強い力で根こそぎ潰す、か?馬鹿だからこれぐらいしかわからん)

 

勝定は越後の内乱を倦み、憂いていた。しかしどうすれば内乱が収まるかとんと分からなかったのだ。

 

*************************

 

熊野家の館に一人の青年が訪ねてきた。

長身に総髪、そしてかぶいた異相。名を宇佐美定満と言う。

 

「定満どのよく来なさった」

 

定義が親しげに声をかける。

 

「定義の爺さんも相変わらずだな。勝定も元気そうだ」

 

熊野家と宇佐美家は同じ越後上杉氏に仕えてきた関係で交流があり、仲がいい。とりわけ勝定と定満は傾奇者という共通点があったため親友と言える間柄にあった。

 

「定満。今日はどんなうさちゃんを持ってきたんだ?」

 

「おう、今日のうさちゃんは奮発したぜ!なんと、瞳が翡翠で出来ているんだ!」

 

そう言って定満が懐から取り出したのは雷源の手に収まるくらいのサイズのうさぎのぬいぐるみだった。目には最高級の翡翠が取り付けられている。

定満は家名のせいか兜の前立てにもうさぎを象ったものをつけるほどのうさぎ好きなのだ。もっとも、それに理解を示すのは勝定ぐらいで、他は冷ややかな態度を取る。

 

「定満どの、今日は何か用があって来たのか?」

 

定義が苦笑いを浮かべながら問うた。

 

「ああ、それなんだがな……」

 

定満の表情が先に比べて鋭くなる。先のうさぎ狂いからの落差が激しい。軽薄そうな見た目、振る舞いをしているが定満は越後で随一の軍師である。

 

「為景にまた反乱を起こすから、協力して欲しいんだ」

 

「承知した」

 

「って即答かよ!」

 

思わず定満がノリツッコミをしてしまうほどの早さで定義は答える。

 

「何を驚いているのだ定満どの?わし、定義の「定」の字は定実様より賜ったことは知っておろう?考える必要すらないではないか」

 

「いやまあ、定義どのは賛同してくれるとは思ってたが、少しは考えてから答えた方がいいんじゃないか?」

 

「定満……親父にそれが難しいのは知ってるだろう?定実様が絡めばもう無理だ」

 

勝定は呆れ笑いを浮かべる。

 

「けどよ、勝定。心配にならないのか?」

 

「いや、親父の頭は回らなきゃいけない時には回るからな。あまり心配はしてないぞ」

 

定義は上杉定実が絡むと思考停止する癖があるものの、この内乱続く越後で五十後半まで生き長らえている。決して愚かな武将ではなかった。

 

***************

 

熊野館での会談から五日後、定義と定満は反為景派に反乱を呼び掛けた。

 

「わしはこれ以上、あやつが好き勝手に振る舞うのを看過出来ぬ!」

 

「今度こそ為景のやつを引き摺り下ろして敵討ちを遂げてやる!」

 

熊野家と宇佐美家は反為景派の中核とも言える勢力で、二家がそろって反旗を翻したことは、越後中の反為景派にとっては好機だった。

こうして熊野家と宇佐美家のもとには揚北衆を中心に諸家が集った。本庄家、新発田家、北条家などである。また上田長尾家も参加し、越後守護上杉定実からは本人は参加しないものの、麾下の兵五百を援兵として送られている。

 

「また、宇佐美か。いちいち俺に楯突きやがって」

 

宇佐美定満の存在は為景にとって悩みの種だった。かつて定満の父、宇佐美房忠を討ち、定満を除いた一族を皆殺しにことから為景を不倶戴天の敵(為景側から見れば)と見なし、何度も反乱を繰り返してきた。また越後随一の軍略家であり、為景を何度も死の瀬戸際に追い込んだこともある。

その定満が、今まで不動だった反為景派の巨魁、熊野定義と手を組んだのだ。さらに上田長尾家の長尾政景も定満側に加わっている。

 

「厄介な戦だが、叩き潰し甲斐がありそうだな……」

 

為景は直江大和を呼びつけて、動員令をかけた。直江大和に下知をしている間、為景はずっと獰猛に笑っていた。

 

 

為景軍と宇佐美・熊野連合軍の衝突は柿崎の地で行われた。

兵数は為景軍が四千、連合軍が八千と連合軍側が多く、戦の前は連合軍が有利だと思われたが、蓋を開けてみると為景が優勢だった。

 

「よくこれだけの数を集めた……!だが、自由に動かせねば無意味よ!」

 

手品の種としては、為景は揚北衆の軍を中心に集中攻撃を浴びせたのだ。

連合軍参加の揚北衆の諸家は多い、しかしそれを一手にまとめ上げる家がなかった。そのため指揮系統がバラバラで各個撃破が容易だったのだ。

 

「伝令!新発田家が壊滅しました!」

「伝令!本庄家、激しく消耗して撤退しました!」

「伝令!上田長尾家、戦わずして撤退しました!」

 

連合軍の本陣に凶報ばかり伝えられる。

 

「なんてこった……!」

 

定満が頭を抱える。

 

(為景の野郎、弱い所ばかりついてきたな。元々揚北衆はまとまりづらい……俺や定義のじいさんじゃ結局言うことを聞かせきれなかったからな……。定実のじいさんを説得して戦場に連れてくるべきだったか)

 

揚北衆以外にも上田長尾家が戦わずして撤退したことも事態を深刻なものにしている。

上田長尾家は魚沼を根拠地としていて、魚沼はちょうど定義達の根拠地の真南に位置し、しかもそれほど離れていなかった。

……つまり連合軍は背後に上田長尾家という憂いを抱えてしまったのだ。

 

「定満どの」

 

定義が定満に促す。定義も今取るべき手段は何か分かっていた。

 

「ああ、もう戦線が維持できねえ、撤退だ!」

 

「殿はそれがしにお任せを」

 

「一義、頼んだぞ!」

 

柿崎の戦いは為景軍が大勝を収め、連合軍が敗退した。

しかし戦はまだ終わりではない。

為景は退却する熊野家に対して猛烈な追撃を始めたのである。

 

「負ければ死、あるのみよ!」

 

為景の追撃戦は残虐なものであった。

かつて魚沼の長森原にて当時の関東管領上杉顕定もまた為景の追撃戦で首を盗られ、春日山城下に晒された。配下の将兵もそれと同様だった。

今もそうだ。為景が戦をした後は春日山城下は三日間は血の匂いが抜けきらないほどの晒し首が並ぶ。

だが、定義の首は未だに盗られていなかった。

 

「気張れよお前ら!親父には百まで生きて貰わねば困る!」

 

「勝定様!ここまで出張られては困ります!」

 

荒尾一義の率いる軍と、定義の次男である熊野勝定が殿で奮戦していたからだ。

一義の守りの戦における比類ない手腕と越後屈指の武勇のコンビネーションは多大な犠牲を払いながらもどうにか為景を一時退けることに成功した。

 

*************************

 

熊野館に帰還した定義はすぐに白雲斎を呼び出していた。

 

「定義様、戸沢白雲斎にございます」

 

「よく来てくれたのう……。白雲斎、今からわしはお主に最期の命を与える……。心して聞け……」

 

白雲斎は彼にしては珍しく背筋をピンと伸ばして定義の命を聞いていた。

 

熊野軍が熊野館に撤退した八日後、軍の再編を終えた為景が熊野館に来襲した。

熊野館は館と言いつつ、並みの城並みの防衛能力を有していたが、為景の攻勢の前には無意味だった。

熊野家は二日に渡って抵抗してきたが、衆寡敵せず本館にまで為景軍の侵入を許してしまっていた。

本館の片隅、兵糧庫になっている場所で定義は息子二人に語りかける。

 

「政定、勝定。お前達は今から館から離脱せよ。わしはここに残る。それが此度の戦を仕掛けたものとしての義務よ」

 

「親父!定実様に忠義を尽くすんじゃねえのかよ!親父が死んだら誰が定実様を守るんだ!」

 

勝定が定義の胸倉を掴んで食いかかる。定実のことを引き合いにしているが、勝定はただ定義に生きていて欲しかった。

 

「定実様のことは定満とお前達に任せる。さあ、さっさと逃げよ。生き延びて若者の義務を果たせ」

 

「説得は無理か……!ぐっ」

 

勝定が苦々しい表情で定義から手を離す。

 

「……勝定、行くぞ」

 

「離せ、兄貴。親父が残るなら俺も残る!」

 

「黙れ!長堯、昭元、助春、俺を手伝え!」

 

政定、宮崎長堯、星崎昭元、瀬田助春の四人がかりで強引に暴れる勝定を押さえつけて、兵糧庫を後にする。為景兵を個々の武勇で屠りながらようやく本館を出たところ、突如本館の火の勢いが激しくなった。

 

「親父!親父ィィィーーーーーー!!」

 

勝定の悲痛な叫びが辺りに響く。政定もまた静かに泣いていた。

 

 

本館から出たはいいものの、政定達は立ち往生していた。

 

(館の包囲が思いの外堅固だ……。どうにかして隙を作らなければにげられないな……)

 

今、政定と勝定を守っているのは、宮崎長堯、星崎昭元、瀬田助春の三名。初めは十数人の足軽もいたのだが、皆すでに為景の兵によって討ち取られていた。他にも館内には一義や白雲斎がいたが、為景軍が圧倒的優勢な今の状況では助けを求める以前に連絡が取れない。

政定は今いる五人でこの難局を乗り切らねばならなかった。

 

(ここにいるやつは俺以外、皆武勇に長けている。だから俺以外はおそらく門の近くまで行ければ独力で逃げられる。だが先にも考えた通り今の状況ではそれを許してくれないだろう。つまり門近くまでは隙を作る必要がある……)

 

そこまで考えて政定は一つ策を閃いた。そして打ち震えた。

 

(俺が囮になり、他の四人を逃がす)

 

政定は今の策をなかったことにして、暫し考えた。しかし他の策は思いつかず、その策が頭から離れなかった。

政定は分かっていた。

自分が脱出行において一番の足手まといになることを。そして自分と勝定、どちらかしか生きることができないのなら勝定を生かした方が良いことも。

政定は覚悟を決めた。

 

「勝定、今からお前達四人は固まって東側の門を目指せ、俺はここから近い南側の門に向かう」

 

「兄貴まで何てことを言い出すんだ!」

 

勝定は政定の言うことを聞こうとはしない。勝定には父に続いて兄を失うことが耐えられなかった。

 

「長堯、昭元、助春!兄貴の自殺をやめさせろ!」

 

先の政定と同じように勝定は三人に命じる。しかし誰も勝定に従わなかった。

 

「勝定様。もはや政定様に言葉は届きませぬ。政定様の覚悟、台無しになさらぬよう……!」

 

逆に長堯に諌められ、

 

「政定様、お一人では囮になるにしても弱っちくていささか心配ですなぁ……我ら二人も加わるとしよう」

「そうですな、昭元どの」

 

昭元、助春に至っては政定に勝手に付き従っていた。

 

「もう時間はないな。昭元、助春行くぞ」

 

政定は悠然と歩き出す。三人とも決して振り返りはしなかった。

 

 

勝定と長堯は東門から脱出に成功した。東門の兵力は南門に大部分を割かれており、勝定と長堯の二人でも突破可能だった。

 

(兄貴、昭元、助春。生きていてくれよ……)

 

しかし、勝定の願いはついに叶うことがなかった。

翌日、政定と昭元と助春の首が焼けた熊野館の前に晒されていたのだ。

 

「くそ!くそ!くそォォーーーーーーーーー!!」

 

勝定は力つきるまで何度も何度も拳を地面に殴り続けた。

みすみす父親を、兄を、側近たちを死なせた自分と為景に激しい怒りを覚えた。

体力が回復すると勝定は熊野館下の町を歩き回った。

熊野館下の町は為景軍の略奪や放火でもはや廃墟と化していた。住民も殺されるか、連れて行かれるか、逃げているかで人の気配が全くなかった。

しかし、とある一画で勝定は泣き声を聞いた。瓦礫の中に分け入り、泣き声の元をたどる。

たどり着いた先には、ようやく歩けるようになった年頃の男児と女児がいた。二人は勝定が近づくと泣くのをはたとやめた。

 

「ガキども、親はどうした?」

 

勝定が問うと、男児女児双方共に首を横に振る。

 

「いないか…、まあそうだろうな」

そう言うと勝定は道に戻ろうとする。すると男児と女児がその小さな手で勝定の袴を掴んでいた。

 

(そういえば昭元と助春は祝言を挙げたのはいいが、子をまだ仕込んでなかったな)

 

ふと、勝定はそんなことを考えていた。

 

「なぁガキども、親がいないなら俺についてこないか?一人はどうも寂しいんだ」

 

男児と女児は頷いた。

 

「んじゃ、ガキどもでは呼ぶ時不便だから名前をつけることにしようか。そうだな……、男の方は星崎昭武、女の方は瀬田優花、でどうだ?」

 

適当に挙げた名だったが、どこかしっくりくる。

勝定はフッと笑った。

 




読んで下さりありがとうございます。
少々話を急いだために、量の割には内容が薄い上に展開が早すぎるかもしれません。時間があれば加筆します。
誤字、感想、意見などあれば、よろしくお願いします。


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雷源伝 第二話(第十四話) 熊と兎と梟雄と


第十四話、雷源伝の二話です。
文量は過去最大ですが、場面転換の激しさも過去最大です。

では、どうぞ


 

宇佐美家と熊野家の反乱からひと月が経った。

この反乱により宇佐美家は兵と財力のほとんどを、熊野家は当主の定義と嫡男の政定を失い、家臣団は崩壊し、武家としての熊野家は滅亡した。

 

(今まで俺は一族の仇討ちのため、ひいては越後から失われた義を取り戻すために為景と戦い続けてきた……。だが、戦いを繰り広げるうちに俺を信じてついてきてくれる家臣たちを犠牲にし、今回に至っては勝定の一族まで俺と同じ目に合わせちまった……。俺が戦い続けるのは果たして越後にとっていいことなのか…?もうわからなくなっちまったよ……)

 

定満は先の反乱から自らが今まで戦ってきた理由を我武者羅に信じ切れなくなっていた。いくら大義を抱えて戦ってきても為景を喜ばせ、越後を疲弊させるばかりだ、とどこか虚しさを感じていたのだ。

 

(やっぱり為景と戦って勝つっていうのが駄目なのか?越後の乱は武力だけでは抑えられないのか?)

 

定満は思索を巡らせる。その時、自らが姫武将候補として育成している少女、小島貞興が来客を告げた。

 

「お師様、熊野勝定様がお師様との面会を求めております」

 

「勝定か……。そろそろ顔を出してくる頃合いだとは思っていた。通してやってくれ」

 

 

定満の部屋に入ってきた勝定の姿に定満は絶句した。

 

「お前、どうしたんだその格好は⁉︎」

 

いつも雑な茶せん髷は丁寧に結われ、南蛮羽織や虎皮を身につけず白装束を着ていた。

 

「……このひと月間、俺は熊野家の家臣たちを集められるだけ集めた。さらに過去に為景に痛い目に遭わされた連中も集めた。今からこいつらを率いて春日山城に夜討ちを仕掛ける。定満、お前も手伝ってくれねえか?」

 

「断る」

 

定満はこの勝定の願いを跳ね除けた。

今、この状態で春日山城に夜討ちを仕掛けても返り討ちにされることが目に見えている、ということもある。しかし、何よりも復讐に逸る勝定を見て、

 

(もう越後は戦っては駄目だ。怨嗟が巡り巡ってどうにもならなくなる)

 

と確信したからだった。

 

「定満……お前……!」

 

勝定は定満が自分に協力してくれるものだと思っていた。だから定満のこの答えは信じられないものだった。意図せず勝定は定満の襟首を掴んでいた。

 

「定満、お前は為景が憎くないのか⁉︎一族が皆殺しにされ、越後の秩序がズタズタになった!あいつさえいなければ越後は平和だった!」

 

「……離せ、勝定。確かに為景は憎い。宇佐美一族を滅ぼしたのも、秩序がズタズタになったことも許せねえと思っている……」

 

「じゃあなんで俺に力を貸してくれねえんだ!」

 

「為景は気に食わねえが、今はやつの力が越後の秩序を保ってることは否定できねえ……!仮に春日山城で夜討ちをして為景を討ち取ったとしてその後、お前はどうするつもりだ!」

 

「決まっている。定実様に頂点に立ってもらい、俺とお前や他の豪族連中で支えるつもりだ」

 

「勝定、お前は馬鹿だ!それじゃ越後は豪族連中によってさらに荒れ、もはや収拾がつかなくなるぞ!やつらは独立心が強いのはわかっているだろう、今度はお前が為景になるぞ」

 

定満が言うと、勝定は口をぐっと嚙み締める。

 

「……定満。そんなこと言われなくてもわかってる。だがそれは結局のところ理屈に過ぎねえ。お前のように俺が賢ければ、越後のためだと言ってこの怒りを抑えることができたと思う……。だがな、俺は馬鹿だから、それじゃ納得しきれねえんだ」

 

「勝定……!」

 

定満はもう何も言えなかった。

勝定は復讐に染まり、定満は戦を厭う。この両者の考えの相違はもはや手を取り合うことを許さなかった。

 

「今までお前に口喧嘩で勝てた試しがねえ。協力してくれない以上ここでお別れだ。次に会うのは戦場か?まあその時まで会うことはないだろうよ」

 

勝定はそう言って定満の館を辞した。

それから三日後、定満は為景に降伏した。

今までの定満の行いが行いなので為景は「なにを企んでいる」と疑いの目を向けたが、定満はいつものように飄々としていた。だが、定満の腹の中には一つの目論見があった。

 

(もはや武力だけでは越後は治まらねえ。長尾家のガキに俺様が義の精神を叩き込み、義将にすることで次代の越後に平和をもたらしてやるのさ)

 

こののち、定満は長尾虎千代という幼女を見出し、師として導くことになる。が、これはまた別の話である。

 

********************

 

定満の協力を得られなかった勝定は夜討ちの決行を延期した。勝定は当初、定満と協議して春日山城を攻める策の骨子を作り上げるつもりだったのだ。

 

(定満が為景に降った今、策は一から練り直しだ)

 

そのため定満が為景に降ったのは勝定にとって大打撃だった。ちなみに為景に降ったことに関して勝定は不思議と憤ったりすることはなかった。むしろ「当然の判断だな」と思った。

 

「本来なら策を考えるのは定満、あるいは兄貴の領分なんだがなぁ……」

 

勝定はそうボヤくも二人はもう勝定の近くにはいない。

 

「白雲斎、ちと情報を集めておいてくれ。情報がなければ策は作れねえしな」

 

「わかったぞ、勝定」

 

「思いのほか雌伏の期間が長くなりそうだな」

 

勝定の言葉通り、勝定の雌伏は三年にわたる長さとなった。

その間、越後では三分一原の戦いや為景の娘の綾が長尾政景に嫁ぐなど様々な出来事が起きていた。蜂起の好機と言える事態も何度か到来している。

しかし勝定は動かなかった。

 

(まだだ、やるからには為景を仕留めねば意味はない。が、為景の生命力もとい生き汚なさは異常だ。長森原以前、為景は佐渡の本間氏の元に逃げてそこから再起した。俺は上杉顕定の二の舞にはなりたくない)

 

勝定は彼らしからぬ水面下の調略にこの三年間を費やしていた。その手腕は白雲斎の手助けがあったとはいえ、為景や定満、直江大和すら感知しえなかったほどで、勝定の才幹を示すものと言えた。

だが、その雌伏もついに終わりを迎える。

終わりのきっかけは白雲斎がもたらした報告であった。

本猫寺の一揆衆が進軍の用意を進めているというものだった。

 

「白雲斎、一揆衆と豪族共に使者を送れ。兵や俺たちに賛同してくれる義勇兵たちには二月末までに直江津の町南の山中に集まれと知らせよ。俺もすぐそこにいく」

 

二月下旬、勝定が直江津の町南の山中を訪れるとそこには三千の兵がいた。兵の恰好は粗末なものばかりで、胴丸や武具すら持たない者も多くいた。しかし皆、為景に対する憎悪に燃えていた。

 

「皆、よく集まってきてくれたな。領地すらもたねえ俺に味方してくれて有難く思っている。これから俺たちは春日山城に攻め入る!越後のためだとか義のためだとかそういうのは関係ねえ!奴が気に入らねえからぶっ殺す!戦う理由はそれで十分だ!」

 

「「おおおおおおおおおおお!!」」

 

勝定の檄に三千の兵が沸き立つ。普段物静かな部類に入る一義や長堯でさえも野太い声で歓声をあげていた。

 

 

勝定の蜂起の報は直ちに為景と定満の下に届いていた。

 

「為景の旦那、これは少しまずいことになったな」

 

「ああ、まさか春日山城の喉元の直江津で奴らが蜂起するとはな……。全く軒猿め、あやつらはいったいなにをやっていたのだ!」

 

「軒猿を責めるのは酷だぜ旦那。勝定には戸沢白雲斎がついている。あいつは戸隠で石の力を浴びたバケモノだ。ただの忍びに過ぎない軒猿とは実力に違いがありすぎる」

 

「これから越中に進軍しなければならぬというのに面倒なことをしてくれたものよ」

 

一揆衆と同じく為景もまた討伐の準備を進めていた。しかし交通の要衝であり、長尾家の最大の兵站基地である直江津を熊野軍に抑えられたため、もはや一揆衆の討伐どころか越後国内の兵を集めることすらできなかった。

今、長尾家には二つの選択肢がある。

春日山城に籠城して熊野軍を兵糧切れなり豪族への調略による切り崩しを行い自壊させるか、春日山城を放棄して為景の妻の実家である北信の高梨家を頼り、再起にかけるかである。

春日山城の城外で野戦を行って熊野軍を散々に撃ち破るというのもなくはないが、本猫寺の一揆衆並みに高い士気を持つ兵と勝定、一義、長堯といった越後でも屈指の戦上手を相手にするにはあまりに今の春日山城は兵が少なく、為景と定満であっても分が悪い賭けだった。

為景は数分だけ考えた末に後者を選んでいた。

 

為景軍が退いたため、勝定たちはすんなりと春日山城に入ることができた。

 

「まさか、こうした形で春日山城に足を踏み入れることになるとはな……」

 

長堯は感嘆を禁じえなかった。

春日山城は為景が春日山にもとからあった砦に大幅に手を加え、難攻不落の城塞に作り変えたものである。

今まで多くの武将が為景に反旗を翻しこの春日山城を落とそうとしたが、ほとんどは春日山城に辿り着くまでに返り討ちにされ、残りは春日山城の防御力の前に屈した。唯一の例外は先の関東管領上杉顕定のみ。

それが勝定以前の越後の常識だった。

 

(我らが殿は間違いなく熊野家の歴代当主随一の力を持っている……!この長堯、ずっと殿についていきまする……!)

 

ついに感涙に咽び始めた長堯に対し、勝定と白雲斎は至って冷静だった。

 

「勝定よ。長尾政景が飯山方面に向かって進軍しているという報が来た。狙いはおそらく為景と合流することだろう」

 

「そうか。では、一義と長堯を直江津の町の守備に寄こそう。兵は千五百だ」

 

「兵を半分に割いていいのか?それでは各個撃破の恰好の的になるぞ?」

 

「白雲斎、その心配はないぞ。それより一揆衆の様子はどうなっている?」

 

「一揆衆は越後の方に進軍をしている。今は滑川の辺りだろう」

 

「なるほどな……。では白雲斎。一揆衆の頭、確か杉浦玄任といったかな?にこの密書を渡してくれ」

 

「わかった」

 

(思いの外、うまく事が運べているな……。だが、油断はしねえ。為景を完全に嵌め切るまではな)

 

本丸屋敷から鯨海を望みつつ、勝定は時を待っていた。

 

*******************

 

三月上旬、為景は合流した政景と高梨家当主の高梨政頼と共に直江津の町に進軍を開始した。その数は八千。熊野家の二倍弱であった。

亡命して僅か一週間で軍を興したのは、勝定に越後の名目上のトップである上杉定実を担がれるのを嫌ってのことだった。

為景の軍勢は直江津をすぐさま奪還し、春日山城に向かって逃げる一義と長堯の軍を追撃していた。

 

「為景の兵は強い。一人で当たるな。三人組を作って相手をするんだ!」

 

長堯が声を荒げる。

 

「削られ役だというのはわかっているがやはり厳しいか……」

 

為景軍の到来と同時に春日山城に向かって撤退を始めたため、兵数は保たれているが、千五百で八千を相手にするのはいかに一義と長堯と言えど苦戦を強いられる。春日山城まであと少しというところで、一義と長堯の軍の残兵は四百ぐらいにまで減っていた。

 

「突撃だ!」

 

あわや潰乱かというところで、春日山城の方角から為景軍の横っ腹目掛けて騎馬隊が突撃を仕掛けていた。先頭には黒の南蛮羽織を羽織り、長大な段平を片手に持つ大男がいた。

 

「一義、長堯よくぞ堪えた。ここから反撃だ!」

 

勝定の騎馬隊は一義と長堯の軍を収容し、為景の軍を突き抜けるような形であらかじめ城主を調略しておいた根知城…今の地名で言えば糸魚川市に向けて退却を始めた。

為景はすぐさまこれを追おうとしたが、高梨家の損害が激しかったことと、定満が「まずは春日山城を確保した方がいい」と進言したため、その日は追撃を取り止めた。

 

一方退却した勝定たちは直江津糸魚川間の道で風雪と戦っていた。

 

「今日仕掛けるしかなかったとはいえ、これはひどいな……」

 

直江津糸魚川間は糸魚川から先に控える親不知と似たような道で騎馬隊の勝定たちは吹雪の海岸沿いの山道を行軍するほかなかった。

これくらいの吹雪は越後に住む者ならば誰しもが経験している。されどそれは日常生活の場合の話であって、戦を終えた後に経験したものはごく稀だった。

直江津からの撤退戦は熊野の兵から着実に体力を奪い取っていき、吹雪に抗する余力は残っていなかった。

結果として根知城に着くまでに熊野軍の六分の一が寒さと疲労で倒れていった。生き残った兵たちも満身創痍といったところで戦場での活躍は望めそうに無い。

 

「一義、一揆衆はどこまで来ている?」

 

「白雲斎の報告によれば、今日生地を越えたようです」

 

「そうか。こちとら少し厳しいが、策は滞りなくといったところか。明後日ここを立って親不知に向かう。そこで決戦だな」

 

寒さでやや震えているが未だ勝定は笑っていた。

 

 

一夜明けて為景は追撃を再開した。先鋒に政景、中陣に為景と定満、後陣に高梨政頼という布陣である。

 

「熊野勝定め、ちょこまかと逃げおって……お前には武士らしく堂々と戦うという考えはないのか⁉︎」

 

根知城から熊野軍は越中方面に退却したと直江大和から聞いた為景はイラついていた。

為景の信条に堂々とした戦で雌雄を決するべしというものがある。今回の勝定の戦いはそれらを逆撫でするようなものだった。

 

(勝定たちは寡兵の上に浪人が主体だ。まともに当たれば一義や長堯が率いていようと簡単に蹴散らせる。とはいえなぜだか根知まで追いかける羽目になってやがる。俺の知る勝定のやり口じゃないが、明らかに今の俺たちは釣られている)

 

定満はかなりの危機感をおぼえていたが、それを上申しても今の為景は受け入れはしない。また、先鋒の政景も逆上しており、為景ら中陣のはるか前方にいた。

 

(この状況で俺が一揆衆側の人間だったら俺は親不知に伏兵を置き、政景と為景を分断して各個撃破を考える。一揆衆、熊野軍にここまで考えつく奴がいないといいんだが……)

 

そんな定満の期待と裏腹にその分断策は行われた。

為景が親不知に入るとすぐに政景の軍が一揆衆と遭遇し戦いを始め、続いて政景軍の後方に一揆衆の別働隊が山中から現れ、為景と政景は分断された。

 

「くそ、なぜここで一揆衆なんだ!まだ魚津にいるんじゃなかったのか⁉︎」

 

定満は彼にしては珍しく混乱していた。定満は軒猿に索敵を行わせていて、一揆衆の位置は常に把握しているつもりだった。

だが、それは白雲斎によってあらかじめ操作されていたものだったのだ。

 

「為景よ。お前の墓場はここだ!」

 

最後に根知城から親不知のさらに山側に進み、潜んでいた熊野軍が為景軍の横腹に食いついた。

分断された状況での横撃は、軍中に為景と定満がいても対応できるものではなかった。為景の兵がみるみる少なくなっていく。とりわけ一義と長堯の攻勢が凄まじく、為景麾下の将や高梨家の一族を次々と討ち取っていた。

昨日に引き続き吹き荒れる風雪の中に為景が黒い南蛮羽織を見出したのは、高梨政頼がついに退却を始めた頃だった。

 

「お前が熊野勝定か……!」

 

「そうだ。お前が為景で違いないな?」

 

為景が首肯するとすぐに勝定は段平で為景の腹を裂いた。為景は薙刀で勝定の段平を防ごうとしたが、間に合わなかった。

為景の腹から血が噴き出し、吐血して為景は馬上で首を垂れる恰好となる。

 

「やっぱ年には勝てねえか、思えばあんたもう七十を越えてたな。仇討ちにしては盛り上がりに欠けるがその首さっさとはねるとするか」

 

為景の首に向けて勝定は段平を振り下ろそうとする。されど段平がまんじりとも動かなかった。

 

「この感覚には覚えがある……、定満か」

 

「そうだ。今この場に俺が結界を張った。変に動いてくれるなよ」

 

定満が張る結界は軒猿由来のもので、よく切れる鉄糸を張り巡らせるというものだった。白雲斎なら造作もなく破れるが、今は熊野軍と一揆衆の連絡に回しておりこの場にはいない。

 

「そこの兵ども、為景の旦那をさっさと輿に載せて春日山城の方に引かせろ!殿は俺がやる!」

 

定満の指示で為景が馬上から引き下ろされ、撤退する。勝定は結界に邪魔されて追うことができなかった。

 

「定満、お前の努力はおそらく徒労に終わるぞ。俺が与えた傷は深い。春日山城どころか親不知すら抜けられないだろう」

 

「その時はその時だ。で、勝定。仮にお前の言う通りだとしたら今お前は仇討ちを達成したことになる。この後お前はどうするつもりだ?」

 

(三年前は定実の爺さんを支えるとやつは言った。いまはどうなんだ……?)

 

定満の問いは勝定の変わり具合を図るためのものであった。

 

(今さら下らないことを言えば、勝定、たとえお前だろうとここで始末するしかねえ)

 

張り詰めた表情で定満は勝定を見やる。対して勝定は笑った。

 

「仇を討ち終えたなら俺が越後にいる意味はねえ。戦が少ないところに移って、のびのびとガキどもを育てるだけだ。まぁしばらくは越中の一揆衆に世話になる」

 

「本気か?」

 

尋ねる定満の表情は信じられないものを見たかのようだった。

 

「いや、俺が権勢に興味が薄いのは知ってるだろう」

 

(一時復讐に囚われてもこいつの性根は変わらないってことか)

 

定満は顔こそ顰め面だが、心ではどこか安堵していた。親友が悪鬼に堕ちていなかった。それは定満にとって喜ばしいことだった。

 

「勝定、油を売っている場合か。先鋒から政景が来ている。早く宇佐美を撒いて迎撃の用意をしろ」

 

越中の方角から白雲斎が定満の結界を解除して、勝定の目の前に現れる。

 

「勝定、政景の軍がこちらに向かってくるぞ」

 

「わかった。では定満。戦場でまた会おう」

 

そう言って勝定は定満に背を向け、越中方面に向けて進撃を始める。定満もまた振り返り、春日山城へ退却を始めた。

 

********************

 

この一連の戦いはのちに親不知の戦いと呼ばれるようになる。

勝定とその麾下の将兵は越中にゃん向一揆衆に下り、為景は結局春日山城まで退却し切れず、親不知の途中で定満と直江大和、長尾虎千代に看取られて逝った。

越後長尾家の家督は惰弱な為景の息子、晴景が継いだ。

曲がりなりにも秩序を保っていた為景の死後、越後は天文の乱に端を発した内乱が繰り広げられるようになる。

秩序の安定は晴景の妹、虎千代改め長尾景虎の台頭まで待たざるを得なかった。




読んで下さりありがとうございました。
白雲斎がキャラの性質上使いやすくてついつい出してしまいます。彼に頼らずとも話を作れるようになりたいものです。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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雷源伝 第三話(第十五話) 越中での暮らし

雷源さん過去編の第三話です。
以前全三話ぐらいで終わると言いましたが、終わりませんでした。終わるのには後一二話かかりそうです。

では、どうぞ。


勝定が越中にゃん向一揆衆に身を寄せて一年が経っていた。

越中は東に越後、南に飛騨、西に加賀、北西に能登といった四国と隣接している。これに加賀の南隣の国、越前を加えた五国が常に争っていた。

勝定以前の北陸は各国に将星達が煌めく群雄割拠の地であり、越後の長尾為景、越前の朝倉宗滴の対にゃん向宗の双璧に、戦国飛騨国屈指の名将である三木直頼、能登畠山氏の英主の呼び声高い畠山義総、「百姓の持ちたる国」と称される加賀の僧兵を率いる杉浦玄任がそれぞれしのぎを削っていた。この五将の戦いはそれぞれ自国内のいざこざが災いして最終的な決着をつけられず、取っては取られの一進一退で、ある種の勢力の均衡を実現していた。

しかし勝定がその均衡を叩き割る。長尾為景を親不知にて討ち取り、あまつさえ越中にゃん向一揆衆に身を寄せたことは各国の動揺を招いた。越中にゃん向一揆衆はいわば玄任の分隊である。つまり北陸諸国の中で加賀の武力が飛躍的に増大したのだった。

 

「戦を嫌って越中に来たってのに、こっちでも戦、戦、戦か。逃げるところを間違えたか?」

 

越中一揆衆に身を寄せて以降、玄任に命じられて勝定は一揆衆を率いて東奔西走を余儀なくさせられていたのだった。

 

「致し方ないでしょう。仇討ちの副産物と言えど、今の情勢は殿がお創りになったものです。嫌ならばちゃんと落とし前をつけることです」

 

ボヤく勝定に一義はやれやれといった様子を隠さずに言った。

 

「そりゃそうだがな一義。あんまりにも戦に駆り出されすぎて最近では昭武と優花の顔すら見れてねえんだぞ」

 

勝定が熊野館下の町で拾った星崎昭武と瀬田優花はすくすくと育っている。最近では休みの日に暇つぶしで長堯や白雲斎から武芸を教えられていた。

 

「不平を言っても敵は大人しくしてはくれませんぞ……。まあ今は小康状態と言ってよいでしょう。それがしは前線に残りますので、殿は若君達のもとへ顔を出すとよろしい」

 

「悪いな、一義」

 

勝定は嬉々とした足取りで前線を後にする。

相変わらず血なまぐさい日々ではあるが、今の所、勝定は充足感を感じていた。

 

***************

 

越前・一乗谷

 

朝倉家の城下町、一乗谷のとある寺にて会談が行われていた。

寺の中には四人の武将がおり、いずれも見る人が見れば仰天すること請け合いだろう。

 

「此度はわざわざ一乗谷にまで来ていただき誠に有難いことにございます」

 

烏帽子を被った中年の男が頭をさげる。全体的に線が細いが、全身から知性と風雅を醸し出していた。

この男の名は朝倉孝景。

長尾為景亡き今、北陸最大の大名家となった朝倉家の十代目である。政略に優れ、足利将軍家や朝廷、一時的なものであったが加賀の一揆衆と良好な関係を築き、城下町の一乗谷に文化の花を咲き誇らせた英君として知られる。

 

「いえいえ、お気遣いなく」

 

そんな孝景に恰幅の良い中年の男が笑いかける。

名は畠山義総と言い、五大山城の一つに数えられる七尾城を築城し、城下町には孝景と同じように京風の文化を根付かせた。

 

「いやはや、流石は一乗谷といったところですな。この襖絵は実に見事」

 

能越二国の国主そっちのけで寺の襖絵に感嘆しているのは三木直頼。

一豪族から飛騨の南半分を掌握し、飛騨の豪族連合の盟主にまで成り上がった男である。彼もまた城下に京風の文化を広めた。

三者それぞれ風流趣味を持っていたため、話のつかみのつもりで孝景が始めた風流談議が過熱する。

 

「わしはくだらぬ口上を吐くのは苦手じゃ。方々、風流談議は後にして早く話し合いを始めてくだされ」

 

それを軽蔑し切った目で見やるのは朝倉宗滴。

老齢ながら朝倉家の軍事の全てを取り仕切り、畿内に北陸に武威を轟かせる名将で、為景亡き今では彼こそが北陸最強の武将といって差し支えない。

ちなみに本人は風流趣味を嫌っているが何の因果か押しも押されぬ名物茶器九十九茄子を所持している。

 

「む、そうであったな」

 

当主であれど孝景は宗滴にはなかなか頭が上がらない。半ば強引に風流談議を打ち止めにした。

 

「寄り道をしてしまいましたが、此度方々に一乗谷に集まっていただいたのは、熊野一党を麾下に加えて勢力を伸張させた加賀のにゃん向一揆衆に対し、我々はどう相手をするかということを話し合うためです。宗滴、任せた」

 

「任された。名乗る必要はなさそうだが一応名乗っておく。わしが敦賀郡司を務める朝倉宗滴ぞ。各々、一揆衆など個々の家で対処すればよいと考えておるかもしれぬが、わしからすればそれは手温いと言わざるを得ぬ。わしの見立てでは熊野一党の加入は一揆衆の馬鹿どもにとっては正に好機、ここ一年の間、熊野一党を用いて能登南部と飛騨北部で着実に力をつけてきた。そして曲がりなりにも熊野勝定は為景を討ち取った。これほどの将をわしら朝倉はともかく能飛のお主たちが個々で対処などできようものか」

 

宗滴は勝定を警戒していた。敵討ちの為に三年間足取りを掴ませずに潜伏する忍耐強さに、いかなる手段を用いてでも策に引っ掛ける周到さは味方ならともかく敵にしたら厄介極まる。

 

(潰すなら一息に潰す。そうでなくてはわしらが手痛い目にあうであろう)

 

宗滴は上記のことをかいつまんで義総達に説明し、ここに対加賀にゃん向一揆衆の大連合を結成させたのである。

そして連合の第一陣としてまずは越中を能登、飛騨から挟撃を仕掛けることを決定した。

 

*******************

 

熊野一党は勝定を城主として加越国境にある朝日山城を与えられており、そこで一揆衆の幹部として働いていた。

とはいえ、勝定がこの城にいたのは最初の二カ月程度で、それ以後は月に一回か二回軍旅の合間に立ち寄るのがせいぜいで、勝定は未だに城内を把握してはいない。

 

「あー!お父さんまた迷子になってるー!」

「まじかよ親父ぷっくすくす」

 

なので勝定が朝日山城に帰ると本丸で昭武と優花に毎度毎度笑われるのがオチだった。

 

「るせー、覚えられるほど暇じゃねえんだ俺は」

 

それを勝定が少し拗ねたように言い返すのもまた恒例だった。

 

「それでお前ら、勉学とか鍛錬はちゃんとやってるか?俺がいねえからって雑にやったり怠けてたりしないだろうな?」

 

「大丈夫だよお父さん。あたし達いい子だし!」

 

「……そう言う優花は、長堯のおっさんが来るまで勉学をしなかっただろ?」

 

勝定の問いに優花は胸を張って答えるが、その脇で昭武がぼそりと事実を述べていた。

 

「んー武兄?何のことかな?」

 

昭武の言をなかったことにした優花だが、無論勝定には分かっている。

 

「とぼけても無駄だぞ。アホガキ」

 

勝定は優花の目線に合わせてしゃがみ、ため息をつくとしゃがんだままで優花の背後を取り、がっちりと両足で優花を拘束。そして握りこぶしを作り、優花の側頭部に押し当てた。

 

「んぎゃー!お父さんやめてー!」

 

勝定の頭グリグリ攻撃に悶絶する優花。対する勝定の顔は綻んでいた。

 

(やはりこいつらと一緒にいると癒される。叶うならばこの穏やかな時間をいつまでも……)

 

泰平の世ではいざ知らず、乱世においてはこの勝定の願いはとても大それたものだった。無論勝定もそれを承知している。だから昭武や優花に元服して一武将になった時に命を落とす確率を可能な限り下げるために勉学や鍛錬を課している。

現時点では昭武は剣術と槍を優花には弓を鍛えさせている。

 

(昭元も助春も武芸には一日の長があった。あいつらの名跡を継ぐにはやはりそれ相応の武芸がないとな)

 

越中に来たとしても勝定にはまだ越後の影が色濃く残っている。自分が去りしのちの越後が定実の養子縁組がきっかけでまた荒れたことも、定満が直江大和と手を携えて虎千代を育成しているのも全て知っている。

 

(まさか俺に越後への未練があるというのか?バカバカしい、もうあそこには戻るに戻れないだろう)

 

勝定は神妙な面持ちで自問自答を始める。越中に来て以来、これが勝定の癖になっていた。

 

 

結局のところ、今回勝定は朝日山城には五日間しかいられなかった。理由は加賀にゃん向一揆衆の頭目、杉浦玄任が勝定を呼び出したからである。

玄任は尾山御坊(現在の金沢市)にいる。朝日山城からは半日で行ける距離だが、勝定はせっかくの親子団欒を邪魔されて不機嫌だった。

 

「朝日山城主、熊野勝定にごさいまするー」

 

嫌々ながらといった感じで勝定は玄任の元を尋ねる。すると本丸御殿から猫耳を模した兜を見に纏う美少女が姿を見せた。

この美少女こそが、加賀にゃん向一揆衆の頭目、杉浦玄任であった。

 

「せっかくの休暇中に呼び出して悪かったわね。けれどあなたを呼ばなくてはならないほどのことが今起きようとしているのよ」

 

「おおよそ畠山か三木が攻めてきたってことか?白雲斎に聞いたところ能飛両国で出陣の準備をしていたみたいだからな」

 

「流石は勝定、よくわかっているわね。けれど今回は畠山か三木かじゃない。畠山と三木が同時に攻めてきたのよ」

 

「や、殿。それは本当か?あの二家が足並みを揃えるなんて考えられねえ」

 

「勝定、これは事実よ。どうやらあなた達を引き入れたことで周辺国の警戒を買ったみたい」

 

勝定は頭を抱えていた。

 

(やべえな。あの二家の侵攻は越中にとって地勢上南北からのはさみ打ちになる。そして情報源がないが、多分畠山と三木の足並みを揃えさせたのは朝倉だろう)

 

「で、殿は俺にどうしろって言うんだ?」

 

「勝定には猿倉に布陣して三木の迎撃をしてもらうわ」

 

猿倉は富山城と飛騨の高原諏訪城の中間にある。迎撃の場としては妥当と言えた。

 

「分かったが、兵はどれぐらいで?」

 

「畠山の兵が多いから飛騨は少なめ、そうね大体千五百ぐらいかしら。あと、将はあなたとあと一人竜田広幸だけでお願いね」

 

「なかなかに厳しいな……。まぁ承知した。対飛騨なら追い返す算段がないわけじゃない」

 

「ふふ、頼もしいわね」

 

玄任は穏やかな笑みを浮かべて、部屋から去る勝定を見送る。もっともその心中までは穏やかとは言えなさそうであるが。

 

 

玄任に命を受けてすぐに勝定は猿倉に布陣した。率いる兵の数は千五百。副官に加賀にゃん向一揆衆の将、竜田広幸が付いている。勝定の家臣は誰一人いないアウェイだった。

今回、勝定は猿倉に着くとすぐに飛騨・帰雲城主の内ヶ島雅氏に手紙を書き、それを広幸にもたせて送った。

内ヶ島雅氏は三木直頼に従ってはいるものの、にゃん向宗を信じており、にゃん向一揆衆とはできれば敵対したくなかった。勝定はその心理を突いた。

手紙を届けられた雅氏は即座に三木から一揆衆に鞍替えし、直頼の越中侵攻軍から離脱して侵攻軍は混乱、その隙に勝定と広幸が猛攻をかけ、直頼は泣く泣く撤退を決めた。

 

(これで飛騨は片付いた。が、朝倉が噛んでいる以上これで終わるわけがないよな)

 

飛騨勢の退却を見届けた勝定軍はやや早めの速度で加賀方面に転進するのだった。

 

勝定が調略を用いて飛騨勢を引かせた一方、玄任は高岡にて義総率いる能登勢と相対していた。

能登勢の兵力五千に対して一揆衆の兵力は四千。数の上では能登勢が有利だが、戦況は一揆衆優位であった。

 

「お猫様のために!本猫寺のために!しょうにょ様のために!!私たちは生きて死ぬだけよ!」

 

玄任が檄を飛ばしつつ、自ら先陣に立って敵に襲いかかる。それも突出して敵中に孤立することを厭わずに。

玄任は戦場に出るとまるで為景のように(勝定の評)狂い咲きする性格であった。玄任と為景と異なるのはそれが過剰な本猫寺への忠誠心によるものだということである。

玄任が猛攻を仕掛け、能登勢がややひるむ。そこを玄任の狂気に当てられた一揆衆が蹂躙する。玄任の戦いは一揆衆の長所をあますところなく発揮するものであった。

結果として玄任は能登勢を撤退に追い込んだが、彼女の戦い方の性質上、快勝こそすれど自軍の被害もそれなりに大きなものとなった。

 

**************

 

能登勢、飛騨勢の撤退はすぐに一乗谷にもたらされた。

 

「思いの外、早くやられたな」

 

孝景は淡々とした口調ながらひどく驚いていた。

直頼と義総はいずれも中興の祖と言える名将で、決して凡愚というわけではない。

 

「驚きはしたが、想定の範疇。あやつらが敗れた以上予定通りわしが出よう」

 

孝景に対して宗滴はそれほど驚いてはいなかった。意外には思ったが、当初の予定、すなわち直頼と義総に越中を攻めさせ、加賀を戦力的に空白にし、そこに宗滴が攻め込むという構図を変えようとは思わなかった。

 

「彼らの後に宗滴と連戦か。敵ながら一揆衆に同情する」

 

「孝景、勝った気になるにはちと早いぞ。越前と加賀国境の大聖寺城には荒尾一義と宮崎長堯が布陣しておる。あやつらは勝定の股肱の臣で守勢に強い。それも為景に追い回されても持ちこたえる程よ」

 

孝景を諌めると、宗滴は一乗谷の館を後にする。

 

北陸最強の将が今、動いた。

 




読んで下さりありがとうございました。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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雷源伝 第四話(第十六話) 大聖寺城の戦い

雷源さん過去編第四話です。
今話で実際にあった城を使っていますが城の構造は捏造しています。
おそらく城の構造の捏造は今後もあると思います。そのあたりをご了承して頂けると幸いです。
では、どうぞ


宗滴、大聖寺城に向けて進軍開始。

 

この報に大聖寺城の将兵はピリついていた。

北陸に生きる者にとって朝倉宗滴とは圧倒的な武力の代名詞であり、もはや一種のわざわいとすら言えた。

とりわけ九頭竜川の戦いにおいて若かりし宗滴が一万で三十万に対し夜襲突撃を決行し、そのことごとくを殺し尽くしたことは未だに彼ら脳裏に焼きついている。

越後にいた為に一義や長堯は人伝手でしか宗滴の活躍を知らない。が、宗滴が為景に並ぶ、あるいはそれ以上の将であることは感じていた。

 

「ここで宗滴とやりあうことになるとは……。分かっていれば殿を朝日山城に帰すことはなかったでしょうに…」

 

「長堯、過ぎたことを言っても仕方あるまい。今は宗滴を相手にどうするかだ。幸いにも殿は飛騨勢を早々に追い返し、こちらの方に進軍してきている」

 

大聖寺城ははじめ三千の兵がいたが、一義は勝定を朝日山城に送り帰すのに千の兵を護衛につけた。

しかしその後、越中が南北から挟撃を受けたため勝定共々飛騨勢の迎撃に回ることとなってしまったのだ。

 

「方針としては持ちこたえるのが最優先でしょうか?」

 

「それが妥当だな。だが、殿が率いてくる軍勢だけではおそらく足りぬ。玄仁殿の軍勢も加勢してようやく五分に持ち込めるだろう」

 

「確か玄仁様は氷見で畠山勢と戦っておりましたな。位置で言えば殿よりも先にここ大聖寺に来れますな」

 

「長堯の言うことはもっとも。しかし某はそれ以前に玄仁殿が本当にこちらに援軍に来るのか疑問に思う。すでに援軍の使者は送ったが、結局のところ某たち熊野一党は玄仁殿にとっては外様に過ぎぬ。さらに言えば殿の声望は一揆衆をこれまで目の敵にしてきた為景を討ち取ったことで、玄仁のそれより高い。ゆえに殿、ひいては熊野一党が玄仁に疎まれていてもおかしくはない。最悪、ここで某たちを見殺しにして熊野一党の勢力を削ごうと考えるかもしれぬ」

 

「それは……!」

 

一義の想定に長堯の表情が蒼白になる。

 

(玄仁様の行動原理は本猫寺にとって利があるや否やというものだった。それがしたちはにゃん向宗を信じ、恩があるゆえに謀叛を起こすつもりは毛頭ない。しかし仮に殿がひとたび本猫寺に仇なすと決めたならば、それがしたちは迷いなく殿についていく。もしかしたらこれは本猫寺からして見れば危ういと見られてもおかしくはないことであるかもしれない)

 

つまるところ、熊野一党は後ろの味方から背中を刺し貫かれるかもしれない状況下で強大な敵と戦わねばならなかった。

それでも一義は泰然自若に宗滴を待ち受ける。熊野一党の総大将である勝定の不在がいささか不安ではあるが、一義は「やれることをやるだけだ」とある種開き直っていた。

 

「敵軍、数にして一万二千!朝倉宗滴、来ました!」

 

日の出と共に伝令が一義に告げる。告げられた一義はうむ、とだけ言って頷くと軍配を振り下ろした。

 

「各々、迎撃の態勢を整えよ」

 

野太く低い声は重厚感を感じさせる。一義には勝定のような颯爽感を持ち合わせてはいない。しかしそれは兵士達にとって勝定とは別のベクトルの信頼を得られるものであった。

 

 

宗滴軍は兵力を二手に分け、大聖寺城の大手門と搦手を苛烈に攻め立てる作戦をとった。これには城に籠る二将を分裂させる意図があった。

しかし、一義は宗滴の思惑を外れて長堯との連携と連絡を途絶えさせずにうまく凌いでいて、城内に宗滴軍が入り込んでいるものの、大聖寺城に未だ落城の兆しは見えない。

 

「中々に固い。前評判通りじゃな」

 

宗滴が感嘆を漏らす。

もともと守城側が有利または熊野一党の兵が強いということもあるが、何より長堯が越後時代から使用し続けてきた三人組を組んで兵一人を倒すという戦法の強化版、五人組で一人の兵を倒すという戦法が兵の損耗率を引き下げ、継戦可能にしていた。

この戦法は古の唐国が使った伍というものに限りなく近いが、長堯は知らない。ただ為景に追い回される中で試行錯誤を繰り返した結果、戦線が一番長持ちした戦法がこの戦法だっただけである。

 

「分隊に向けて三度斉射せよ!」

 

また長堯の戦法に加え一義は長堯に分隊を率いて駆け回らせて宗滴の分隊を櫓の射点が重なるところに誘引したのちに自らの隊もまた斉射する戦法をとっていた。

宗滴の本隊は宗滴自身の知能が高いため、長堯の誘引には引っかからない。されど分隊長が皆宗滴並みの知性を持ち合わせていることはほとんどなく、その証拠に本隊から離れた位置にいた分隊の過半数がこの誘引に引っかかった。

 

「じゃが、もう意味を成さぬ」

 

しかし、宗滴は戦法を見切るやいなや、分隊長達に逃げる敵を追い回さないよう厳命させ、被害を防いだ。さらに二手に分けていた兵力を長堯隊に集中させた。

 

(隊の硬さはわしが今まで戦ってきた敵の中では最上級ではある。だが将を失っても、兵が減ってもその硬さを維持できるか。見物じゃな)

 

宗滴が先頭に立ち、長堯隊に攻勢を仕掛ける。

熊野一党の兵は精鋭というに足る練度を誇るが、それも宗滴の生え抜きの将兵達には及ばない。

 

「宗滴の対応が早い!」

 

長堯隊に襲いかかる宗滴軍の数は長堯隊の約五倍で、五人組を組ませて戦ってもじりじりと劣勢に追い込まれていく。

戦い始めて数十分ほどで長堯も自ら薙刀を手に取って奮戦していた。

 

(数で押し切られてはいるが、ここを落とさせはしない。殿が来るまで持ちこたえねば!)

 

もはや五人組を維持することができなくなった乱戦下で長堯は敵を斬り伏せ、味方を鼓舞して可能ならば三人組に再編成しながら回った。

 

「ここまでしても崩れぬとは……」

 

この一連の長堯の動きは宗滴に感心半分、薄気味悪さ半分のため息を吐かせた。

 

(あの敵将がいる限りあの隊は最後の一兵になっても戦い続けるであろう。ならばやはり首を獲るしかないか)

 

宗滴が長堯がいる方角に向けて歩みを進める。

 

「長堯様のところには行かせないぞ!」

「わしの邪魔をするでない!」

「ぐわあ!」

 

長堯隊の兵は何度も宗滴を押し止めようと試みたが、止まらない。三人組で足止めしようとしても一撃で三人同時に屠られ、五人組でも同じことだった。

 

「あれが、朝倉宗滴か……!」

 

長堯は返り血で白髪を赤く染めながら己に向けて突撃してくる将を見やる。

 

(自分とは明らかに格が違う……!)

 

この時、長堯は明確に己の死を悟った。

為景と戦いを繰り広げていた時にも何度も死の気配を感じてはいた。されどここまで濃密な死の気配を感じたのは初めてだった。

 

「首を貰うぞ!」

 

宗滴が薙刀を振り下ろす。長堯は薙刀を横にして防ごうとしたが、ほんのわずか遅れ、宗滴の薙刀は長堯の右目を裂いたところで受け止められる。

 

(不覚……!右目はもう使えないか……!)

 

受け止めた衝撃で長堯の身体がぐらりと揺れる。その隙を宗滴が見過ごす訳もない。

 

「ふんぬッ!!」

 

宗滴の横薙ぎが長堯の胴を捉える。

 

「長堯様ーーッ!」

 

大聖寺城内に長堯隊の悲鳴が響き渡る。

この場にいる誰もが長堯の死を予感した。が、結局長堯の胴が分かたれることはなかった。

 

「ッ!何事か⁉︎」

 

横薙ぎの軌道が上に逸れ、長堯の兜を弾き飛ばす。よくよく見れば、宗滴の脇腹に矢が深々と刺さっていた。

 

(これはもしや……!)

 

この矢の主に長堯は心当たりがあった。

近くの櫓の上を見やる。そこには見慣れた南蛮羽織が翻っていた。

 

「待たせたな長堯。よくもまあここまで粘った。あとは俺と一義に任せてもらおう」

 

「殿⁉︎何故ここにいるのですか⁉︎」

 

まさか勝定が大聖寺城に来ているとは長堯は思いもよらなかった。勝定の軍勢は斥候の報告ではこの時点では、小松にいるはずだった。

 

「軍勢は小松にいるが早く大聖寺に行った方がいいと思ってな、五十騎だけで来たんだ。運がいいことに搦手ががら空きだったから非常に楽に来れた。ああ、ちなみに玄仁殿の軍勢はもっと近くに来てるぞ。おそらく今日の夕暮れ時にはここにたどり着くはずだ。というわけで、宗滴。あんたには一度城外に退去してもらおうか」

 

勝定が弓矢を宗滴に向けて放つ。

今度の矢は宗滴の兜を弾き飛ばした。

勝定は主に長大な段平を獲物として扱っているが、剣術だけでなく槍術弓術薙刀も達人の域にある。櫓の上から宗滴を一方的に射抜くことは造作もないことだった。

 

「あの南蛮羽織を撃て!あやつこそが熊野勝定!此度の戦はあやつを殺せばそれで終わりじゃ!」

 

宗滴が射線を勝定に集中させる。が、結局宗滴の命令は実行されなかった。

 

「殿の手をこれ以上煩わせるわけにはいかぬ!!」

 

「「「おおおおおおおおおおおおおお!!!」」」

 

長堯隊が長堯を先頭に死兵と化して突撃を仕掛けたのである。もはや五人組どころか三人組すら組んでいない。だがそれでも勝定に気を取られていた宗滴隊には有効だった。

 

「ぬっ⁉︎わしとしたことが……!」

 

宗滴本人にも長堯の薙刀が迫る。具足にひびを入れられた。

 

「長堯よ、良くやった」

 

長堯隊が生み出した間隙に一義の隊が突っ込み、宗滴の隊を崩していく。

 

(風向きがあやつらの方に吹き始めておる。わしらにとっては向かい風じゃ。じゃが……)

 

「そう易々とわしを吹き飛ばせると思うてか!!」

 

隊を乱されつつも宗滴は苛烈な反攻を行い、再度宗滴隊と一義、長堯隊が乱戦状態となる。勝定は一足軽に混じって武を奮う。

宗滴隊と熊野一党の戦いはもはや不毛な消耗戦となりつつあった。両軍の中で傷を負っていない者は一割に満たず、死傷者がただ量産されるのみで、逃亡することすら困難だった。

両軍の戦いは日没まで続き、熊野一党は宗滴隊の侵入を本丸寸前まで許したが、一義の指揮と長堯の奮戦でかろうじて追い返すことに成功した。

 

日が暮れて一刻ほどが過ぎた時、玄仁の援軍が大聖寺にたどり着いた。

宗滴は即座に大聖寺城外で玄仁を迎撃したが、昼間の一義、長堯の抗戦で兵数を六割ほどに減らされていたことと、兵の疲労があったため、善戦はしたものの退却を余儀なくされた。

 

 

戦後、勝定は夜の大聖寺城内を一人で回っていた。収容し損ねた負傷者を探すという名分で回っているのだが、少し頭を冷やしたかった。

 

(これは酷いな……)

 

何度か激しい乱戦になったため、城内には死体が転がり、血の匂いが充満している。

血の匂い自体は越後時代から慣れ親しんだ匂いのはずなのだが、勝定は強い不快感を感じていた。

 

(正直やめにしたいが、名分が名分だ。しっかり全て回らなきゃな)

 

そう理性を働かせながら、城内を回る。

 

「ううう……うう」

 

すると二の丸の門脇で座り込んでいる足軽を見つけた。背負っている旗印は一揆衆のもので、傍目にも若い。おそらく元服して間もないだろう。

足軽の顔は斬ったか斬られたかわからないが血まみれで、よくよく見ると顔が蒼白くなっていた。

 

「おいお前、大丈夫か?歩けるか?」

 

「…………」

 

勝定が声を掛けるが、反応はない。

 

「仕方ない。担いで帰るか」

 

そう言って勝定が足軽に近づくと足軽がゆらりと立ち上がる。

 

「ああなんだ、立てるじゃねえか。じゃあ次は歩いて帰ろうか。肩は俺が貸してやる」

 

足軽はふらついた足取りで勝定の元に歩いて来る、のではなく、刀を構えてにじり寄ってくる。

 

「ちょっと待て俺は敵じゃねえ!」

 

「……お猫様のため……!……本猫寺のため……!……しょうにょ様のため……!」

 

勝定が制止しようとするが、足軽はうわごとを言うばかりで聞こえてる気配がなかった。

 

「死にさらせぇ!!」

 

裂帛の声をあげて足軽が勝定に斬りかかる。

足軽の刀は勝定の腹をかっさばくと持ち主が力を使い果たして倒れたため、勝定の足元に転がる。

 

「ぬ…」

 

勝定の腹から血が滴り落ちる。幸いにも傷は浅かったため着物を破いたもので止血すると治った。

 

「痛かったぞお前、で大丈夫か?」

 

倒れた足軽に近づき、声を再度かける。勝定は斬られてもやはりこの足軽を助けたかった。しかし足軽の脈を測ったところでそれが不可能であることを知る。

 

(信仰ってやつはこうも人を狂わせてしまうのか?こいつ自体が死んだのは今だが、おそらくこいつの心はとうに死んでいた。戦で心を病むやつはいる。だが、これはねえだろう……!!)

 

勝定は足軽の亡骸を城外の見晴らしの良い丘まで運び、そこで丁重に弔った。そしてそこでとある決意をする。

 




読んで下さりありがとうございました。
次回でようやく雷源伝を終わらせることができそうです。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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雷源伝 第五話(第十七話) 雷源

予告通り、雷源さん過去編最終話です。
エピローグ的な回ですが、文量は多めです。

では、どうぞ


三木と畠山両家による越中侵攻から始まった戦いは一揆衆の勝利に終わる。されどそれは熊野一党の功績によるところ大であった。

無論、玄仁も畠山勢を撃退、大聖寺に急行して後詰するなどすくなからぬ功を挙げている。が、朝倉宗滴の猛攻を防ぎきったという熊野一党の眩い大功の前には霞んでしまう。

今や熊野一党の名声は留まることを知らず、この当時の北陸の名将のことごとくに勝ち抜いてきたため、熊野一党に好意的な者は勝定を「北陸無双」と呼ぶようになった。

 

「北陸無双か……、累計で言えば黒星の方が多いんだがなぁ……。俺が思うにその称号は宗滴の爺さんが持っていて然るべきだろうに」

 

勝定は北陸無双と呼ばれることを好んではいない。いや厳密にはそう呼んで勝定を唆そうとする輩を好んではいない。

大聖寺城の戦いから数週間の間に一揆衆の中では玄仁に変わって勝定を頭目につけようという動きが広まりを見せている。特に人材がいないために加賀にゃん向一揆衆の下風に立たされていた越中にゃん向一揆衆においてよく広まった。

 

(いつだって好き好んで名声を高めようと思ったことはねえ。降りかかる火の粉を払ってきただけだ)

 

この動きを好ましく思わないのは玄仁も同じことだった。

 

(昨今、私を蔑ろにする連中が増えてきている……。私の意志がすなわちしょうにょ様の意志とは言えないけど、私を信任してくれたのはしょうにょ様、それを覆そうとするのはしょうにょ様の、ひいては本猫寺の否定に他ならない)

 

当人達の心境はどうであれ一揆衆の中では両雄並び立たず、玄仁と勝定の衝突は不可避だというのが共通認識となりつつある。

そのような不穏な空気の中、勝定は熊野一党の名だたる将と共に、尾山御坊の玄仁の元を訪ねていた。

 

「今更、私に何か用でもあるのかしら?」

 

熊野一党に対する玄仁の態度は警戒心ゆえにとげとげしい。玄仁はもはや熊野一党を仲間としては見れなくなっていた。

 

「あくまで俺は殿の臣下なのだがな……。別に頭目の座を譲れとかそういったことを目的でここに来ているのではないです。ただ、殿に一つお伺いしたき儀がございましてな」

 

そんな玄仁に勝定はやや困り顔で言う。しかしこの場には勝定以外にも一義や長堯、さらに日頃はまずこのような場に出てこない白雲斎までいる。玄仁の前にこれだけの面子を並べてしまっては、端から見ればまるっきり恫喝にしか見えない。

玄仁も頭目の交替ではないにしろ、相当な無茶を要求されると考えていた。

 

「いや何、そう身構えないでいただきたい。俺に、いや俺たち熊野一党に暇を頂けないかとお伺いに来ただけですから」

 

「なっ⁉︎ なによそれ!」

 

勝定の言ったことはすなわち熊野一党が一揆衆から抜けるということであった。

 

(そんなことをされたら一揆衆全体の軍事力が大幅に減退してしまう……。さらに逃した先が越中の一揆衆だったら……)

 

玄仁の中で最悪の光景がよぎる。確かに彼女にとって熊野一党は目の上のたんこぶだった。されど一揆衆にとってはなくてはならない存在だったのだ。

 

「そんな重大なことはすぐには決められないわね。二、三日考える時間をちょうだい」

 

そう言って玄仁は謁見の間から出て行ってしまう。

 

「やはりこうなったか……」

 

「殿、どうしましょうか?」

 

「玄仁の要望通り、三日間は大人しくする。とはいってもこの様子だと出奔は許してはくれないだろう。だから白雲斎、この三日間で出奔先に渡りをつけて欲しい」

 

「了解だ、勝定。確か飛騨の内ヶ島雅氏でよかったな」

 

「ああ、頼む」

 

勝定と雅氏は勝定が調略して雅氏を一揆衆につけた時より強いつながりを持つようになった。

これは政治的な理由もあるにはあったが、それ以上に彼らが目標としている物が近いというのが大きな理由だった。

「そういえば殿、何故に一揆衆をやめようと思い至ったのですか?告げられた時は理由をおっしゃっていませんでしたから気になりまして」

 

「なんというかな、確かに一揆衆には恩がある。だが、死んだ者は猫極楽にいけるという教義はどうにも信じる気になれないし、認めたくもない。あれは門徒達を死に急がせる。

実はな大聖寺の戦いの後の夜、俺は事切れる寸前の兵にあった。その時そいつに腹をやられたよ。そいつは俺を斬ってすぐに事切れたが、俺と出会った時、すでにそいつは人を斬るだけの肉人形に成り果てていた。

この乱世だ。何かを心の支えにすること自体には文句はねえ。だが、少なくとも俺はもう一揆衆についていく気がしなくなった」

 

「そうでしたか……」

 

「まぁ、ああだこうだと理屈を並べたが、結局俺はこのままここに居続けて昭武と優花がああなってしまうのを見たくないだけかもしれねえな」

 

そう言って勝定は茶目っ気溢れる笑みを浮かべた。

 

(もしやこれが殿を一揆衆を辞めたいと思わせた最大の動機であったかもしれぬ)

 

長堯は知っている。勝定の心は実は熊野館が陥ちた時にその過半が壊れてしまったことを。また長堯は知っている。その壊れた心を繋ぎ止めたのはたった二人の子供であることを。

だからだろうか、長堯は勝定に笑みを返すことができなかった。

 

********************

 

「やはりあなた達の出奔は認められない。あまりにも失うものが大きすぎる……」

 

三日かけて考えたのち、玄仁が出した答えは勝定の予想通り熊野一党の残留を求めるものだった。

 

「やはりこうなったか……」

 

「殿、それ三日前にも言ってませんでしたか?」

 

「そうだが、玄仁がいちいち俺の予想通りの行動をするのが悪い」

 

「とにかく長堯、朝日山城に帰り次第軍勢を整えよ。数は千程度、これ以上の兵はすぐには集められない。その上で俺たち三人別々に任地に向かうふりをして福光城で合流し、飛騨帰雲城に進軍する」

 

「殿、何故千も兵を用いるのですか?我々が出奔する分には兵は二、三百で十分だと思いまする」

 

勝定の命令に長堯が首をかしげる。それに白雲斎が補足を加えた。

 

「長堯、それでは不十分だ。玄仁は我々が好き勝手に兵を一兵たりとも動かせば、即座に我々に対する討伐軍を動かせるようにすでに準備している。儂自ら忍び込んで得た情報だ。間違いはない」

 

「というわけだ長堯。急ぐぞ」

 

 

「結局、私の裁可を仰いだのはなんだったの!もう熊野一党は私の命に背いた謀反人。懲らしめてやりなさい!」

 

熊野一党が朝日山城を出て福光城へ進軍したことを聞いた玄仁はすぐさま討伐軍三千を動かした。

玄仁の軍は福光と飛騨帰雲城の中間の刀利で熊野一党を捕捉した。

 

「そうするように仕向けたわけではないが、どうしてこうも俺の予想通りに動くのか」

 

呆れ半分驚嘆半分で勝定がボヤく。

 

「勝定、それは言い過ぎだ。お前が出奔すると決めた時点で玄仁はこのように動くしかなかったのだ」

 

「そうか?俺がいなければ、一揆衆の軍事力は格段に落ちる。さりとて俺を留めおけば、越中の一揆衆が俺を担ぎ上げようとして不和を生む。帯に短し襷に長しってやつだ。……ああ、なるほど。だから布自体をこの機会に裁断して襷にするつもりなのか」

 

「そうだ、言うまでもないがこの場合の布は我らだがな」

 

白雲斎が勝定に気づかせたように玄仁の目的は一度熊野一党を叩いて一揆衆に従順にさせるというものだった。

 

「理には適っているが、口先だけだな…。決して侮っているわけではないが、玄仁が俺たちに勝つのはちと難しい」

 

「それで殿、我らはどうすればよろしいので?」

 

「とりあえず反転して三斉射だな」

 

「了解」

 

一義の指揮の下、熊野一党の兵が玄仁に向かって回頭する。その動きは洗練されていて玄仁は付け入る余地はなかった。

 

「射よ!」

 

「怯むな!進めえ!」

 

刀利の地にて玄仁と勝定、一揆衆同士が衝突した。

兵の数では玄仁、将の質では熊野一党が優っている。はじめこそ互角の戦いになるかと思われたが、戦況は玄仁優位で推移していた。

 

「相変わらず狂ってやがるな……、為景、いやこの感じは政景か」

 

玄仁の軍の狂いぶりに勝定は辟易していた。

 

「玄仁の兵の損耗は激しいが、ああいう戦い方をされればこちらの兵も相応に減る。戦術でいえば、玄仁は阿呆だ。だが、戦略でいえば今の俺たちに一番手厳しい手を用いる名将だな」

 

今の熊野一党は拠点を持たない流浪人の集まりでしかなかった。これでは玄仁との戦を終えても兵を増やすことなどできない。だから勝定達は慎重にならざるを得ず、精彩を欠いていた。

 

「このまま戦っては不利だな……。うまく逃げるか」

 

「この状況で逃がしてくれるでしょうか?」

 

「やはり無理か?無理ならば逃がさざるを得ない状況に持っていくしかないな」

 

そう言うと勝定はニヤリと笑みを浮かべるのだった。

 

その後、勝定は玄仁の猛攻に同じく猛烈な反攻で対応した。

 

「一人三殺が最低条件だ!出来ると思うなら玄仁をぶっ殺してもいいぞ」

 

勝定も長堯も白雲斎も自ら得物を持って奮戦する。

その姿を見た熊野兵もまた奮起し、刀利の地は両者入り乱れた大混戦の様相を呈していた。

 

 

夜になり、双方はそれぞれの本陣に後退した。

 

「やつらはこれで終わりだと思っているだろうが、俺たちにとってはこれからが本番だぞ」

 

勝定は丑三時まで兵に休息を取らせてから再度出陣した。

出陣した兵の数は二百程度、これだけでは玄仁の軍を打倒するのは難しい。

しかし勝定の隊が玄仁の本陣に差し掛かろうかというところで突如玄仁の本陣に火の手が上がった。

 

(思いつきの策の割にはうまくいったもんだ。敵軍と戦っているうちに自軍の兵を紛れ込ませて敵陣の中に侵入し破壊工作をする……いわば即席の埋伏の毒か、もっと練り込めば中々有用な策になるだろうな)

 

「な、なにが起きているの⁉︎」

 

突如炎上した本陣の中で玄仁は当惑していた。

 

「玄仁様、我らは勝定様に嵌められましたな」

 

竜田広幸に言われて玄仁は自らの敗北を自覚した。

 

「そう、広幸。やはり私では熊野勝定には敵わないのね。今になって遅いけれど、私はすんなりとあの男に頭目の座を譲れば良かったのかしら?」

 

「いえ、玄仁様。その仮定は意味を成しません。あなた様の命で一時彼の麾下に加わりましたが、なにやら彼には権勢を厭うところがありました。私の見立てに過ぎませんが玄仁様が頭目の座をお譲りになっても彼は間違いなく固辞したでしょう」

 

「どうして?私には理解できない。権勢なんて誰しもが欲しがるものでしょう?とりわけ下剋上が横行する今の世の中では、なおさらよ」

 

「いえ、理解するのはそう難しいことではありません。彼には守るべき大事なものがあったのです。それは彼にとっては権勢欲、あるいは信仰心すら凌ぐものだったのでしょう。そしてそれを守るのに権勢は邪魔でしかなかった。それだけのことです」

 

「勝定に翻意がなかったことはわかったわ。けれど今のこの状況をどうにかしなくては……」

 

そこまで玄仁が口に出した時、玄仁の天幕に勝定がやって来ていた。

 

「さて玄仁、お前をどうしてくれようか……」

 

「な、何よ。私をどうする気⁉︎」

 

玄仁が自らの腕で自らを抱きながら後ずさる。

段平を抜いて玄仁に思わせ振りな台詞を吐いてはいるが、勝定は玄仁をどうするか決めていた。少なくとも無体なことをするつもりはない。

 

(片や為景を討ち、越後に居場所をなくした俺たちを自陣営に引き入れた恩人。片や俺の声望に恐怖して討伐軍を送り込んできた敵。白雲斎辺りなら殺せと言いそうだが、恩人を始末するのは為景ですら判断に迷うところだろう。だったら俺が為すべきことは一つ)

 

「玄仁。すぐさま兵を退け。そして俺たちの出奔、いや移住にこれ以上関わってくるな。この二つを守るなら俺たちはお前を殺しはしない。まぁ守らなくても飛騨までご同行を願うだけだが」

 

「わかった。その条件を飲むわ」

 

「そうか、感謝する」

 

こうして熊野一党は一揆衆から抜け、飛騨への移住を成し遂げたのだった。

 

********************

 

「ああ、ようやくこちらに来れた」

 

「遠路はるばるご苦労ですな」

 

飛騨帰雲城にて勝定は雅氏の歓迎を受けていた。

 

「まさか本当に一揆衆をやめてくるとは……いやはや大した行動力で……」

 

「それで雅氏、三木領東方の信濃と飛騨とを隔てる山脈の山麓が開墾するには良いと以前文で言っていたのは本当か?」

 

「本当ですぞ!さらに文に書き損ねたことではありますが、あそこには掘れば温泉が出るらしいのです」

 

「それはいいな。今まで散々戦って来て深手の傷を負った者も多い……。温泉があれば静養もできるだろうな」

 

(開墾には相当な時間がかかりそうだが、これでようやく戦に巻き込まれることのない穏やかな日々を過ごすことができる。……そうだ。一ついいことを思いついた)

 

この日の一昼夜、熊野一党は内ヶ島家中の者と共に宴を楽しんだ。

そして翌日、勝定は熊野一党の兵を帰雲城の広場に一兵残らず集めていた。

 

「先の戦いで戦はもう終わった。これからは「北陸無双の将熊野勝定」は出る幕じゃねえ。だからこれより俺は「熊野雷源」に改名する。そこのところよく覚えておいてくれ」

 

僧風の名に改めたため、熊野一党は雷源が出家したのだと考えた者が多くいた。しかしこれは雷源の決意表明だった。

 

 

熊野一党が開墾を始めてから一年が経っていた。

開墾した場所には多くの住居が建設されている。が、その半分は熊野一党ではなく、越中にゃん向一揆衆の中の雷源を信奉している一派であったり金の匂いを嗅ぎつけた商人だった。

村の名前は平湯村に決まった。由来は平かに湯を楽しむという雷源の願望によるものだ。

また雷源は平湯村ににゃん向宗の僧を招いて寺を建立し、その敷地内で自らと松倉の町に住む商人や公家を講師として学び舎を始めた。表の目的は金銭収入を得ることだが、裏の目的は万が一戦乱に巻き込まれた時、昭武と優花の脇を固める人材を育成することだった。

主な生徒としては琴平姉弟、塩屋秋貞、山下氏勝にあまり真面目ではなかったが内ヶ島氏理がいる。

 

(氏理はともかく他の四人の才覚は中々のものだ。特に琴平姉の内政に関する才は磨けば、朝倉孝景も目じゃない)

 

様々な苦労があるにせよ、飛騨に来てからの雷源は順風満帆な日々を送っていた。

 

「ぬ……?またか……」

 

時折、雷源の心の臓に訪れるこの不可解な痛みに関するものを除いては。

 

 

さらに時は流れて十年後、平湯村もついに戦乱に巻き込まれる。

雷源は姉小路領の村々から一揆衆の総大将に推されていた。

その報告を長堯から聞いて雷源はこう言い放つ。

 

「もはや俺たちの出る幕じゃねえ。昭武達もそろそろ初陣するにはちょうどいい年だしあいつらに任せる。まぁ、あいつらに死なれたら困るから白雲斎をこっそりお守りにつけるが、それ以外は全く関与しねえ」

 

「一揆衆にはそれに異を唱える者もおりましょう」

 

「長堯の言う通りだ。だが、巻き込まれた以上いつ俺たちがどうなるかすらわからない。もしそうなってしまった時、困らねえように俺たちがいなくても出来たという自信をつけさせたいと俺は思う。まぁ我ながら身勝手だとは思うがよ、一揆衆にはそういう具合に話をつけておいてくれ」

 

「はあ……、了解しました」

 

長堯は内心(それは少し厳しすぎないか)と思ったが、飲み込んで書斎を退室した。

 

(この十年であいつらには俺の持てる全てを注ぎ込んだ。昭武と優花は武芸だけなら飛騨でも上位で他の伸びしろも多分にある。それは琴平姉弟にも言えることで、氏勝と秋貞に関してはすでに内ヶ島の内政で辣腕を振るっていると聞く。もう次の時代の下地はできているんだ。おっさんがふんぞりかえってもいいわけがねえ)

 

こうしてまた新たな物語の幕が上がる。




読んで下さりありがとうございました。
雷源伝完結です。
はじめは約3,000字×3話の9,000〜10,000字で終わるかなと思っていましたが、蓋を開けてみれば25,000字を越えていました。
長くなってすいませんm(_ _)m
次話から二章に入ります。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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雷源伝 第六話 雷源の平湯村開拓日記

北陸大戦④と同時投稿です。
時系列は雷源が平湯村に来てから一年後から第一話までの九年間で、雷源の視点で進みます。



 天文廿年三月廿一日

 

 平湯村の開拓に着手して一年が過ぎた。

 思えば、この一年はとても長かった気がする。

 初めは木材が足りず、住居が立てられなかったから、幕営を代替品として開墾を続けたものだ。

 冬の豪雪で幕営がことごとく押しつぶされ、村民全てを俺の屋敷に集めて過ごしたことも記憶に新しい。

 ともあれ、開墾は完了して自分たちの食う物は確保できるようになった。

 食う物が確保できれば、心に余裕が生まれてくる。古来より人を安息を覚えさせる事は生存に必要な物が保証されることだと一義が言っていた。事実、あいつが防衛戦を行うときはそれに一番気を使っている。

 また、一義はこうも言っていた。

 心に余裕があれば、人は思索が深くなる。有益な考えが湧いて出るとも。

 だから、俺はこれを機に備忘録の一つでもつけようと思い立った。ただ、それだけでは少々味気ない気がして、ついでに村の発展とガキどもの成長の記録も記すことにする。

 ……初日の手記はこれぐらいで、いいだろう。

 あいにく俺は筆まめではない。たまに手記をつけ忘れることもあろう。

 この手記を俺以外の誰かが見るとは思えねえが、いたならそれで勘弁してくれ。

 

 天文廿年四月十六日

 

 村の残雪が完全に溶けきっていた。

 これで長かった冬も完全に終わったのだと実感できる。

 越後では、もう少し早かったか。

 この平湯村はかなりの高地にある。それゆえに寒く越後よりも雪が残るのだ。

 溶けゆく雪は諸行無常を感じさせる。冬の間はあれだけ猛威を振るった雪が春には容赦もなく溶けていく。それは無双の豪傑でも死は免れ得ないところにも重なる。……と、俺はらしくもねえ高尚な物言いをしているが、ガキどもは雪遊びができないことを惜しんでいた。まぁそれもそれで諸行無常であろう。

 

 天文廿年五月一日

 

 今日はガキどもと一日中戯れた。

 今までも一緒に遊んだことはあったが、一日まるごとは流石にない。少しは村も軌道に乗り始めたということの証左とも言えるか。

 ガキどもとは、狩りを楽しんだ。

 平湯村の裏の山は広大で、この一年の間に何度か狩りをしたが未だその全容は掴めない。

 ただ、峰のうちの一つに槍ヶ岳と言われる高峰があり、それに関しては修験道の山坊主達が調べ尽くしたらしい。

 

「お父さん見て!こんなに鹿が獲れたよ!」

 

 そんな具合に物思いに耽っていると、優花が昭武に鹿を持たせて、話しかけてくる。

 

「おお、これはすごいなっ!」

 

 無邪気に喜ぶ優花に俺は素直に感嘆する。

 優花に調子を合わせたわけではない、本当に驚かされた。

 優花が仕留めた鹿は二匹だ。

 だが、普通に仕留めたわけではない。二匹とも首筋を一撃で射抜いて即死させている。

 たまに、矢を鹿に当てることこそできるが、当たる箇所が足や尻など致命傷にならないものばかりで、ついぞ射殺せずに失血死させてしまう奴がいる。特にガキが狩りをするとそうなりやすい。

 こういう場合は側から見てる側にしてみればあまりいい気持ちではないし、肝心の鹿そのものの身が緩んでしまいあまり美味しくない。

 考え過ぎと言われりゃそこまでだが、優花はそこまで気づいているのか。

 確認のためにとりあえず聞いてみた。

 

「なぁ優花、お前は意図的に首筋を狙ったのか?」

 

 すると、優花は「うん」と頷き、何食わぬ顔でこう言った。

 

「だって、そうしてあげないとかわいそうでしょ?」

 

 この時、俺は間抜けな面をしているかもしれん。

 すでにこいつは身体で俺が懸念していたことを感じていたのだろう。だが、そこまでならただの聡い奴だ。優花の場合はその先を実践できる。まだ年が二桁にもなっていないが、出来てしまう。ガキの頃の俺は気づくのに一年かかったし、実践するにしたら三年かかった。

 間違いなく、優花は弓に関しては天稟というべきものがある。それも、十年もすれば俺を抜き去るほどのを。

 この技量が武家として振るわれることなく、狩人の技として振るわれんことを。

 何に祈ってるかはわからねえが、とにかく祈りたかった。

 ついでに、昭武の狩りについても聞いてみた。

 優花曰く、下手っぴで最終的には弓を使うのが億劫になって投げ槍で仕留めていたらしい。

 そのことで、昭武を弄ってみる。

 そしたら昭武はそっぽを向いて「食えればいいだろ、食えれば」と嘯いた。

 どうやら奴にはまだ優花の立つ階は遠いらしい。

 

 天文廿年七月十日

 

 暑い日だった。

 平湯に来てすぐは高地だから夏でもあまり暑くはならないだろうとたかをくくっていたが、盆地を舐めていた。まさか、今までで一番暑いところがここだとは。

 さて、暑さはもういい(暑いと書くだけで暑くなってきた気がする)、肝心なことを記そう。

 今日は白雲斎が珍しく村に訪ねてきたのだ。

 あいつは親父や俺に長年従ってきているが、家臣ではない。対等な同盟者という立場だ。だからだろうか、平湯村を作ってもあいつは定住せず、東国を中心に雇われ忍び兼情報屋をしている。情報の受け渡しは専ら文か忍びを介してのものだった。

 そんなあいつが、わざわざ村に足を運ぶ。

 なにやら、村にとって危うい情報でも手に入れたんだろうか。嫌な予感がする。

 

「来たか、白雲斎。だが、お前が来るとは何事だ?長尾政景とか杉浦玄仁が村の場所に気づいたとかじゃないだろうな?」

 

「それは違うな勝定よ。もう少し生温い話だ」

 

 戦々恐々とする俺を見て白雲斎が口の端を吊り上げる。

 

「儂が平湯一帯を離れる機会が増えることが多くなるだろうからな。挨拶をしに来ただけよ」

 

「あ?どうしてだ?」

 

「見ればわかる」

 

 そう言って白雲斎は指を鳴らす。

 すると天井裏から忍び装束を着た一人の少女が現れた。見るからに幼い。年は昭武たちより一つか二つ下だろう。

 

「戸隠で倒れていたのを見つけた。恐らく力を得ようとして石に挑んだのだろう。能力者にありがちな何らかな欠陥はないが気を感じたゆえ、間違ってはいまい」

 

「ああ、なるほどな。こいつを忍びとして育てるつもりなんだな」

 

「左様。こやつ……出浦盛清を忍びにする。……石の力を使わない、優秀な忍びにな」

 

 その言葉に俺は納得した。

 白雲斎は戸隠の石の力をあまり好いてはいない。曰く「人の身には過ぎたる力」だそうだ。

 俺も白雲斎の考えには共感できる。

 伝聞でしかないが、戸隠では一か八か幼子を石に放り出してついぞ力を得られずに死ぬ事例が後を絶たないという。特に真田の事例が最悪だった。

 それは信州真田の庄を治める真田幸隆が自らの双子の子息に石の力を浴びさせたがために、家臣が阿諛追従して自らの子も石に放り込んだことから始まる。

 だが、戸隠の石の力は浴びたからといって全ての者がが異能力を得られるわけではない。むしろほとんどが力を得られずに命を落とす。この真田家の例もご多分に漏れず、多くの子供が犠牲になった。

 大人の事情に子供が犠牲になったという点では、近年では最たるものであるし、古今東西の事例の中でも酷く惨たらしいものだった。

 

「お前にその子の人生を背負う覚悟があるなら俺は何も口出しはしない。良きに計らうといい」

 

「何を今更」

 

 俺が言うと白雲斎は笑った。これ以上の心配は無粋だろう。

 その後は比較的重要度が高い情報のやりとりをして、白雲斎は帰っていった。

 あの白雲斎が弟子をとる。直に話を聞いた今でも少し信じがたいことだ。

 あいつはいつも一人だった。頑なに一人であろうとしていた。そんなあいつが、あまつさえ自ら繋がりを求めるようなことをするとは。

 この平和があいつの心境を変えたのか否かはわからない。だが、その変化は決して悪いものではないように思えた。

 




日記形式はおそらく飛騨編だけです。
元号は原作では描写はないですが、西暦を使うわけにはいかないので仕方なく使いました。


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雷源伝 第七話 雷源の平湯村開拓日記②

 天文廿二年 六月十日

 

 平湯村が出来てから三年が経とうとしていた。

 村の生活の流れが定まり、人々の生活は安定するようになった。

 だが、普通の村ではそれでいいのだろうが、平湯村では不足だ。平湯という地は信越飛三国の三叉路の近くにある。ゆえに少し歩けば、合戦を繰り広げられている場所に至る。この前も、大滝のあたりで姉小路軍と江馬軍が対峙していた。

 ともあれ、思った以上に戦の危機が近い土地柄である以上、俺たちは備えをしなくてはならない。だが、それには金が必要で、近隣の村々と貿易するだけでは足りるわけもない。もっと人口が多い地域と直接繋がるぐらいのことをしなければならない。

 そういうわけで俺は腕っ節自慢の若い衆を連れて堺に向かうことにした。堺は日ノ本随一の商都で、全国の産物が揃う。

 今までの堺との交易は松倉の町の大商人に任せていたため仲介料をだいぶ取られて全盛期に近い武装をするだけの金は確保出来なかったが、これが成ればその問題は霧散するだろう。

 

 

 天文廿二年 七月二日

 

 東山道を歩き続けて、堺に着いた。

 堺を仕切るのは三十三人の会合衆で、一人一人が大商人だ。今回の商談の目標は彼らに絞る。

 東山道方面、北陸方面に商いを拡大したい奴らにとっては護衛の費用を浮かせられる平湯村は魅力的に思えるはずだ。

 

 天文廿二年 七月四日

 

 この日は納屋の今井宗久どのと商談をした。この男は大和出身の堺ではどちらかと言えば新興の商人で、事業拡大を強く考えている。いかにも俺たちにとっては御誂え向きの人物だった。

 結果から言えば、一昨日の俺の見通しは間違っていなかったようだ。宗久どのは二つ返事で俺たちの提案を聞き入れてくれた。

 曰く、護衛にかかる費用は存外馬鹿にならず、経費の削減となる、とのことだ。

 腕っ節の若い衆を連れてきたことが幸いしたのかもしれない。直に彼らの実力を見ることで、宗久どのは俺たちを信用してくれたのだ。

 

 天文廿二年 七月十日

 

 宗久どのと話を着けてからはとんとん拍子で事は進んだ。宗久どのの他、数人ともうまく話を繋げたのだ。これで軍備に耐えうる収入を得られたであろう。

 ついでに種子島と呼ばれるてつはうも宗久どのから頂いた。

 これは日ノ本に来て十年も経たない最新兵器であり、引き金を撃つだけで比較的真っ直ぐな軌道を描いて弾が飛ぶというものだ。

 これの凄まじいところは鍛錬の必要があまりないということだ。

 この種子島の由来は文字通り島津家の領土である種子島から日ノ本に拡散したからであるが、それ以前に南蛮から種子島に伝わった際、島の武家に比べて明らかに身体つきに劣る南蛮人が、弓では届かないところにいる鳥を撃ち抜いたらしい。

 このことから類推するに、種子島を扱うためには視力と器用さ正確さを求められるだけなのだろう。

 筋力は最低限の種子島を構えられるだけあればいいため、撃つだけならば、性差すらも関係ない。守城戦においてはより多くの民を動員できる。

 だが、種子島には致命的な弱点がある。

 そもそも種子島自体が高いのだ。正直、平湯村では年に十艇買えるかどうかというほどである。今回宗久どのは五十艇くれたが、正直貰いすぎではないかと思った。

 

 天文廿二年 七月十一日

 

 この日は宗久邸に新たな来客があった。

 南蛮から来た宣教師とのことらしい。

 昨日の種子島の件で南蛮についての興味関心が高まっていたこともあり、是非とも会ってみたかったのだ。

 名をフランシスコ・ザビエルという。一見繊細であるように思われるが、その実は歴戦の将にも引けをとらない。

 世界を半周するというのはこれほど大変なことだと、俺は思い知らされた。

 俺はザビエルどのに南蛮やキリスト教の話をしてもらうかわりに、南蛮人が未だ訪れていないであろう東国や畿内で良く目にするだろうにゃんこう宗の話を知った。

 すると、意外にも東西で共通することはあった。

 ことわざもそうであるが、にゃんこう宗に教団の掲げる反武家派と今年能登で広幸が開いたらしい武家をも含めた公界を造る(八代様の理想に近いので回帰かもしれん)竜田派があるように、南蛮も教会を重視する旧教と聖書を重視する新教があったのだ。

 

「ヨーロッパでもまた神聖ローマ帝国を中心に旧教と新教の対立が起きています。とはいえ、ただ単に教えの正統性で争っているわけではありません。古豪と新興国、王権や貴族と民衆といった新旧両者の戦いでもあるのです」

 

 ちなみにザビエルどのは旧教派である。というよりも宣教師が新大陸や日ノ本に来るのも新教に対する対抗宗教改革というべき活動の一環だった。

 だが、ザビエルどのは妄信的に旧教が正しいと考えているわけではなかった。

 

「神の教えが世界に広まることはいい。ただ、それを祖国が利益を得るための道具としては使われたくはないのです。……新教はあまりに道具として優秀すぎました。なにせ今まで自分たちを抑圧してきた王権貴族を説得力を持って批判することできるのですから。民衆たちは縋りたくもなるでしょう。同じように私たちの布教も交易関係を持つ端緒としては有用です。さらに今のところ知識を私たちが独占しているような状況ですので、考えたくないことですが間違った知識を与えて日ノ本の人々を私たちの都合のいいように誘い込むことが出来てしまうのです」

 

 ザビエルどのは迷っていたのだ。自らの活動が日ノ本を滅ぼす端緒になるのではないかと危惧を抱いている。なまじ新大陸で日ノ本以上の大帝国が二つ滅ぼされたという前例があるばかりに。

 

「あなたが嫌う考えであるが、俺は日ノ本が滅ぶのは原因にあなたの教えがあったとしても日ノ本のせいだと思う。八百万の神々がおわす日ノ本ならでは、いや俺独自の考え方かもしれないが、宗教はやはり道具だ。とはいえ、利権のための道具ではなく人々が幸せになるための道具だがな。そして、道具にはそれぞれに正しい使い方というものがある。つまりだ、あなたの教えで日ノ本が滅んだ場合はそれはあなたのせいではない。使い方を違えた俺たちのせいにしかならない」

 

 励ましになるかはわからないが、俺はザビエルどのにそう伝えた。

 するとザビエルどのは「あなたは強い人です」そう言って柔和な表情で微笑んでくれた。

 さて、教条的な話はここでよそう。書く側がそろそろ飽きてきた。

 ザビエルどのは世界を旅してきた。だからだろうか、薬学などにも精通していた。

 そのため俺が時々吐血することを伝えると、ザビエルどのは真剣な顔をして、

 

「雷源さま。その吐血はただの吐血ではありません。文字通り自らの命を削っております。私の見立てでは、もう五年も生きられないでしょう」

 

 と、伝えられた。

 

「まあ、そうだろうと思っていた」

 

 そのことに対する驚きはあまりなかった。

 今まで、何をしても吐血は平等にやってきた。理由がわからない以上、考えられるのはただそうなるだけの運命だったぐらいだ。

 つまるところ、ザビエルどのは俺の予想が真実だと証明してくれただけに過ぎない。

 

「となると、やっぱあいつらが元服するまでは生きていられないか」

 

 昭武と優花は現在九歳。それから五年となると十四。早くやればともかく一般的とされる十五には届かない。

 悔しさはある。が、それほど強いものではなかった。なにせ、俺が夢見た奴らとの平凡な生活はすでに叶っているのだから。

 悔いがあるとすれば、将来戦に巻き込まれた時に助けてやれないことだが、俺は一義や長堯たちを信じている。彼らさえ生き延びれば昭武と優花を守り、導いてくれるだろう。

 

「雷源さま。私は薬を持っています。限られた運命を無理やりねじ伏せる薬です」

 

「そんな都合のいいものがあるわけあるか」

 

「この薬は決してそのような物ではありません。たしかに飲めば、数年の延命は叶います。しかし、その代償として身体の全ての生気が使い果たされ、効能が切れれば確実に死を迎えるのですから」

 

 実は、私も使っているのです。

 続けて、ザビエルどのが告白すると俺は思わず息を飲んだ。

 

「世界を回り続けて幾星霜、私はもう本来の寿命が尽きてしまっているのです。今回、日ノ本に来るために私はこれを飲みました」

 

「魔薬の類だろうが、貴重品であることには違いないだろう。なぜ、それを今日初めて会った俺になど……」

 

「雷源どの。あなたは聡く、それでいて強い人だ。しかし、あなたには時が足りなかった。きっとあなたの望みを叶える機会に立ち会うことすら叶わないでしょう。私はそのことを惜しんだのです」

 

 問われるとザビエルどのは悲しげな表情を浮かべて答え、俺の前に件の薬が入った袋を置いていた。

 それに俺が感謝を伝えたところで解散となり、ザビエルどのは定宿にしている小西邸へ帰っていた。

 フランシスコ・ザビエル。

 ただの宣教師、南蛮の情報を伝える人材の枠を超えた人物だった。

 彼のような人物が飛騨に来てくれれば、昭武たちのためになる。かといってザビエルどのに来てもらうには難しいだろう。なにせ飛騨は日ノ本の中でも厳しい環境だ。限られた余命をさらに削らせてしまう。

 とはいえ、教育にさらに力を注ぎたいという熱は収まりそうになかった。

 




読んで下さりありがとうございます。
これからはこちらもぼちぼち投稿を始めようと思います。
誤字や感想などあれば、よろしくお願いします。


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雷源伝 第八話 雷源の平湯村開発日記③

 

 天文廿二年 七月十四日

 

 堺でやるべきことは終わった。そろそろ飛騨に帰る頃合いだろう。だが、その前に一つだけやっておきたいことがあった。

 

「宗久どの。畿内での知識人といえば、誰だろうか?」

 

「堺では、津田宗及はん。京なら山科言継はんに近衛前久はん、琴平宗方はんも忘れてはなりまへん。お武家はんなら細川藤孝はん、松永久秀はんでっしゃろな。他にも名の知れた方々はおられますが、真っ先に口の端に挙げられはるのはこれぐらいやろな」

 

「そうか、やはりその辺りになるよな……」

 

「雷源はん。急にどないしはったん?」

 

「いや、少しでも奴らに何かを残してやりたくてな……。とくに教養なんてそれの最たるものじゃねえか。できればザビエルどのにその役目を担って欲しかったが、無理だしな」

 

 三日坊主という言葉があるが、三日経っても俺の教育熱が冷めることはなかった。むしろ熱くなって来ているような気がする。

 

「ふうむ。しっかりと親父やってはりますな、雷源はん。それがしならば、今挙げた全員に紹介状を送れますわ。しかし、飛騨まで来てくれはる方はおそらくは誰もいないでっしゃろな」

 

 そうだろうと俺も思う。

 昨今の公家はあまりに窮乏しており、地方へ疎開することもあるが、行き先は大内や武田などの家柄が確かなところばかりだ。……いや、そうか。

 ここで俺は一つのことを思い出した。

 

「そういえば、三木直頼が政策として中央の文化を取り入れていた。直頼なら公家を賄う用意もあるだろうし、俺の名も多少は利く。これならば、来てくれる公家もいるのではないだろうか」

 

 そう俺が言うと、宗久どのは少し考えたのち丁稚の為五郎に紙と筆を持って来させ、一筆したためた。

 

「ひとまず琴平宗方はんの紹介状を書きましたわ。それがしが知る限り飛騨に居着いてくれる可能性があるお公家さんは宗方はんだけですわ」

 

「忝い」

 

 宗久どのの厚意に感服し、俺は頭を下げた。

 本当にこの人に会えて良かったと思う。

 

 

 天文廿二年 七月十六日

 

 この日、宗久邸を出て京に向かう。目指すのは琴平宗方邸だ。

 

 天文廿二年 七月十八日

 

 京に着いた。

 姫巫女様がおわす天下の都。堺に来る途中で立ち寄るまではどれだけ栄えているのかと思っていた。

 いにしえの唐・長安を模した整然とした大都市。そんな印象を持っていた。

 しかし、実際訪れればそれは崩れた。

 右京はそもそも人が住むには向かず、放置されて左京を上京下京に分けて用いられ、内裏は修理されずに放置され今では都市に似つかわしくない野原になっている。

 整然とした街並みは影も形もない。規則正しく瓦礫が積み上がっているばかりだ。

 これが、日ノ本の都と言われると少し寂しい。堺や途中の井ノ口の方がそれにふさわしいんじゃないかとすら思えてくる。

 さて、目的地の宗方邸だが上京に住む他の公家の邸宅よりもぼろぼろだった。

 

「公家は全体的に落ち目と聞いていたが、これは想像以上だな」

 

 ともあれ、俺は邸宅の衛士に宗久どのからの紹介状を渡した。するとすぐに中に通され、茶室に案内された。

 ほんの少しだけ待つと、戸が開かれ長烏帽子を被った青年が現れた。

 

「私が琴平民部宗方だ。高名な北陸無双が訪ねてくれてありがたく思う」

 

 彼の姿を見た時、俺は思わず目を瞬いた。

 これが、もしかすると老いというやつなのかもしれん。

 なぜなら、俺は彼にとうに死んだはずの兄貴の姿を重ねてしまったのだから。

 

「……ああ、自分こそが源朝臣熊野越中守勝定にございます。今は出家して熊野雷源と号しております。北陸無双というのはいささか過分に思われますが、自分のことで相違ないしょう」

 

 少し詰まってしまったが、なんとか俺は自己紹介できた。

 

「そんな畏まらなくとも良い。私はかねがねあなたからお話を伺いたかったのだ。いちいち敬わられ言葉を飾られては、本意が伝わらなくなるかもしれないからな」

 

「かたじけなきお言葉。実のところ自分も口元に違和感を感じておりました。お言葉に甘え、これよりは砕けた口調でお話をさせていただきたい」

 

 口元の違和感を拭えた俺は続けて問うた。

 なぜ、俺の様な一介の武士が紹介状があるとはいえ、こうも容易く謁見を許されるほど気にかけられているのか、と。

 すると宗方卿は、

 

「なぜならば、あなたは自らの意志で北陸を旅した武将だ。その数奇なる流離譚。京童だけではなく我ら公家衆、果ては姫巫女様まであらゆる方々があなたの旅に興味関心を持っている」

 

 と、やや熱っぽく答えてくれた。

 俺としてはあまり似つかわしくない表現だが、旅か。確かに越後から越中そして飛騨にと敗戦によらず自分の意志でここまで流れていった武将は我ながらそうはいないと思う。とはいえ、実際は旅なんて風情があるものではなく、どこならば心安らかに暮らせるのか。それを探すための逃避行だった。

 若干意に沿わない解釈をされているが、こちらに興味関心を持ってくれているのはいいことだ。

 宗方どのがせがんだため、俺はお望みどおりにこれまでの半生を語った。

 

「あの流離譚に、まさかそんな理由があったとは……」

 

「おい、なぜ泣く。月並みな話だろうに」

 

 話を終えると、何故か宗方どのは涙を流していた。泣かせるほど劇的に話した覚えはないのだが……。

 

「いや、雷源どのの旅の理由は都では色々と議論になっていてな、曰く権力を握ろうとして失敗した、秩序を壊したのち巻き起こる混乱を遠くから見て楽しんでいるなど、どちらかと言えば梟雄のような碌でもない推測が多かった。ところが、それが実は全て養子のためと言われれば袖を濡らすほかないではないか」

 

 俺すらも引くほどの勢いでまくし立てる。どうやらこの琴平宗方という男はやけに感受性が豊かなようだった。

 今が機会かもしれない。

 そう思い、俺は切り出した。

 

「宗方卿、唐突で悪いが飛騨まで来てはくれないだろうか。俺がようやく見出したところだ。このまま情勢が定まらない畿内にいるよりは、少しばかり遠いがいいかもしれない」

 

「うん?それは話が違うぞ。確かにあなたの半生に心動かされはした。が、私も家族を抱えている。あなたのように情動に任せて動けはしない」

 

 だが、宗方卿の反応は先程の熱弁が考えられないほど淡白だった。

 こうまで切り替えが早いとは。前評判はけして偽りではなかったようだ。

 この日はこれ以上の勧誘は諦め、宗方卿と遊興をして終わった。

 

 天文廿二年 七月十九日

 

 昨日に引き続き、宗方卿の邸宅に俺はいる。が、今日は宗方卿は所用のようで、俺と朝餉を食べると外出してしまった。

 したがって今宗方邸には俺と宗方卿の子供達、数少ない下女しかいない。

 とりたててやることがないため、小規模ながら造営されていた庭園を縁側で眺める。

 しかし、庭園は実に見事であるが、市中に邸宅があるために喧騒が届いてしまい、ましてや俺自身は越後や飛騨で本物の山水に親しんできた人間である。どうしても作り物だということがちらついて没入感を得ることはできなかった。

 そこでふと、頭を中に向けると視界の端に男女二人組の童子が見えた。

 この屋敷にいる童子なんて限られている。

 まちがいなく宗方卿の子供達である、桜夜姫と小次郎(宗晴)(ぎみ)だろう。

 俺が怖いのか桜夜姫が小次郎君の背に隠れており、小次郎君の方はおそるおそる俺の挙動を見計らいながら近づいて来ている。

 

「怖がることはない。そうこそこそとせずに堂々とこちらに来るといい」

 

 促すと小次郎君が俺の左隣に腰掛け、桜夜姫は小次郎君の左隣に座った。

 

「俺は今、無聊をかこっていてな。何か聞きたいことがあるならば、答えることも吝かではない」

 

 どうにも京は俺の肌には合わないらしい。風流に浸るにしても喧騒がいやに耳につき、さりとて市中を歩けば、未だ復興がなされていない町家や神社仏閣がやるせなさを感じさせる。

 ゆえに、なんでもいいから意識を傾けさせる何かを欲していた。

 ならば、と小次郎君は舌足らずながらも口を開く。

 

「単刀直入に聞こうと思う。あなたは私たちをどうするつもりなんだ」

 

 あまりに直裁過ぎて、思わず俺は苦笑してしまった。

 もう少し公家というものは迂遠なもので、そうであるべきと教えられているという俺の偏見を彼は叩き潰した。

 

「どうするつもりって言われてもな、貴公の父に教えを請いたいだけなのだが。飛騨に来てもらうのは、回数を重ねる必要があるからだ。そして、わざわざ飛騨に来てもらう以上は生活の糧もいる。それは俺がどうにか渡りをつけるさ」

 

 今の飛騨の国主は三木直頼だ。彼は政策として文化振興を掲げていて、それの実現に手っ取り早いのが、公家の飛騨国内への移住だ。それを俺は当てにしている。

 

「父上のことは分かった。が、僕たちはどうなんだ。ただ、父上の付属品としての扱いなのか、それに僕はともかくとして姉上をどうするつもりだ。無理やりあなたやあなたの子の妻にさせられるようなことはないのか?」

 

 間違いなく、小次郎君はこちらの方を聞きたかったのだろう。公家を受け入れた家では、公家を扶養した見返りとして受け入れた家の子息とその公家の娘の婚姻を要求することがある。つまりは名家の血を金で買うのだ。

 小次郎君は姉を強く案じていたのだ。

 

「そんなつもりは全くない。むしろ不要だ。俺たちは武家から帰農して民になり、村長の一族とそれ以外の二つだけに分けた。とはいえ、これはあくまで役割の話で決して身分を定めた訳ではない。今は熊野が務めているが、より適した者が現れれば変わるだろうよ。なにより、人に過剰に尊卑をつけては助け合いなどできるはずもないからな。だから、俺たちに血筋は不要だ」

 

 もっとも、三木家の方は別だ。三木家は守護代ではあるが、まだ飛騨国内では国司であった姉小路家の名は健在で統治する名分に姉小路の名跡もしくは高位の公家の血を求めることもあるだろう。

 こうまで言ったところで、小次郎君は納得し舌鋒を納めた。すると今度は桜夜姫が代わって俺に問いかけてくる。

 その瞳はやはり真摯なものであった。

 

「わたし達をどうするかについては伺いました。ですから今度はあなたがたに問いたいのです。お父様の教えを請うてあなたたちはどうするおつもりですか? お父様の教えはそれこそ一介の農夫には不要なものです。どこか矛盾しているように思います」

 

 宗方卿もそうだが、それ以上にこの姉弟は利発だった。思いのほか、ものを知っているし考えも深い。もしかすると下手な武家ではやり込められて沈黙させられるのではないかと思うほどだ。

 こいつら本当に子供か? 実は元服してないだろうな?

 いささか動揺しながらも、俺は答えた。

 

「まあ、農夫には確かに要らないだろう。だが、俺たちは民になったが、時勢は未だ乱世だ。いつ戦に巻き込まれるとも知れない。否応なしに武家として再び力を振るわなければならない時があるかもしれない。全てはその時のためだ。転ばぬ先の杖と言った方がわかりやすいか」

 

 本当は役に立たないことを願いたいが、時勢を全く信用できないのだ。今の飛騨の安泰は三木直頼に依るものが大きい。彼が死ねば、乱が起こる可能性は充分にある。

 だが、この説明では納得してはくれないだろうな。小次郎君に語った内容と矛盾する。実際、小次郎君は胡散臭そうに俺を見ているしな。

 

「今や教団は信じていないが、それでもにゃんこう宗の教義は尊いと思う。『身分血縁を問わず、お猫様の下で平等の公界を作る』これは本猫寺の八代当主れんにょ様の願いだ。平湯村の理念の根底にもある。重ねて言うが、血縁を誇ることはそれに反する。信じられないならば、誓紙でも認めようか?」

 

「いいえ、それには及びません。わたしはあなたを信じます」

 

 どうにか桜夜姫は俺を信じてくれたらしい。そして、あることを俺に教えてくれた。

 

「実際に帳簿を見たわけではないですが、家宰が帳簿を睨んで頭を抱えている姿を見かけました。やはり、我が家の財政は危ういようです。今、わたしたちが都に居られるのは、比較的人品の優れた浪人たちを衛士として雇えているからですが、歳入に比して歳出が多い現状が続けば、それは長くは保たないでしょう」

 

 それは厳しかろう、と思う。畿内の戦乱は間髪入れずに起きている。今の水準を維持できなければ、遠くない未来にこの邸宅は戦によって踏み荒らされることだろう。俺の心には響かなかったが、目の前の出来のいい庭園も台無しになる。それはいささか惜しいことだと思った。

 俺が相槌を打つのを見てから、「ですから」と桜夜姫は続ける。

 

「わたしがお父様に催促してきます。これ以上の好機を逃すのはなんたることか、と。お父様はわたしたちの言葉はある程度は聞いてくれるので、きっと受け入れてくれると思います」

 

 そう市井の悪戯っ子のように微笑んで、桜夜姫は小次郎君をつれて俺の前から去っていった。

 

 その日の夜のことだ。

 寝る前の俺の前に宗方卿が現れて「飛騨に下向する」と口に出したのは。

 




読んでくださりありがとうございます。


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雷源伝 最終話 雷源の平湯村開拓日記④

 天文廿二年 七月廿八日

 

 琴平家の方の準備が終わったので、彼らを伴って飛騨へ帰ることになった。

 三木家や内ヶ島家への書状もすでに出している。平湯村の通商が発達したとはいえど、流石に公家の生活を賄えるほどではない。彼らの支援は必至だった。

 

 天文廿二年 八月五日

 

 三木家、内ヶ島家からの返書が来た。

 どうやら概ね了承はもらえたようだ。だが、条件は付けられた。三木家、内ヶ島家の家臣の子息にも門戸を開けということだ。理由はわからないでもない、いつかは公家の下向に依らずして教養を身につけた人材を国内で賄いたいのだろう。

 こう書くと、宗方卿が使い捨てのように思われるが、俺も宗方卿も納得している。

 もともとよそ者はその土地に何らかの種を持ち込む存在であり、それが開花するまでは世話をする必要があるが、いざその花が咲いて実がなれば役割を終える。それ以上は各々の裁量に委ねられるべきだろう。

 そこに根付いて咲き誇る花畑を見れれば万々歳であるという人がいれば、遠くに在りて花の便りに耳を傾けるのも悪くはないという人もいる。

 そういえば、東山道を歩いている間に一人の御師と遭遇した。それも伊勢神宮や富士のような著名なものではなく、能登の頼幸寺、つまりは竜田派の寺の御師だったのだ。

 試しに教義を訪ねたところ、面白いように俺が考えていたことがちらほら出てくる。

 広幸とは彼が与力についていた間にかなり多くの言葉を交わした。彼は教団を内部にいながらにして二、三歩離れたところから見ている男だった。その視座から練り上げられた言葉は、俺もかなり考えさせられたものだ。

 そんな彼が加賀で反乱を起こしたと聞いた時は驚かされたが、結局は収まるところに収まったのだろう。

 

 天文廿二年 八月十日

 

 桜洞城に着いた。

 平湯村に直帰したいところではあるが、三木直頼との会談がある。この会談の成否は平湯村の将来に大きく影響することは間違いない。必ず成功させなくては。

 

 天文廿二年八月十一日

 

 桜洞城の謁見の間に、俺と宗方卿は参じた。

 謁見の間には俺たち二人と三木直頼とその近習の数人だけがいた。

 

「わざわざご足労ありがたく存じ上げまする。それがしは三木大和守直頼と申しまする。此度、博識で名高い琴平民部卿様に見えたこと、末代までの誇りと致しまする」

 

 上座に居ながら、直頼公は平伏する。いささか大仰な感じは否めないが、宗方卿は自らの政策に必要な存在だから伸びるのもやぶさかではないのかもしれない。

 

「直頼殿。私に対してそのように必要以上にかしこまらなくとも良い。言葉を飾ることに汲々として詮議に実を欠くことは当方は無論、其の方にとっても望ましいことではないだろう」

 

「お心遣い、ありがたく存じます」

 

 直頼公は再度頭を下げると、俺たちが送った書状を掲げて一つ一つ読み上げてゆく。

 

「一つ、此度の民部卿様のお下向にあたり、松倉の町に館を建てること。

 一つ、右の費用は三木家が七割、平湯村が二割、琴平家が一割の割合で負担すること。

 一つ、学び舎は松倉の町に置き、門戸は町人にまで拡大し、これにも三木家は月々一定の支援をすること。

 一つ、三木家は平湯村とその周辺を琴平家の荘園であることを認め、これに年貢、段銭、棟別銭を課してはならない。

 ……これで、合っているか雷源殿?」

 

「合っておりまする」

 

 相槌をうって直頼公を見返す。

 今の四つの条件は俺が三木家に要求することだ。

 前者三つは言わずもがな宗方卿を飛騨に住まわせる際に必要になるものだ。

 これには文句はないらしく、直頼公は呑んでくれた。

 しかし、最後の条件はそう容易く飲み込んではくれまい。それこそそれを詰めるために今回のこの謁見が組まれたようなものだ。宗方卿のお披露目は正直これのついでに過ぎない。

 

「しかし、雷源殿。これはいささか道理に反するのではないか?」

 

 やはり、直頼公は受け入れられないのか表情を歪めた。

 

「と、申されると?」

 

「惚けるでないわ。民部卿様の荘園として平湯村を認めてやるのはやぶさかではない。が、此度わしは平湯村の沿革を聞いた。……実に三年も税を免れおって。わしは飛騨守護代である。ゆえに飛騨国内はわが領地と同じ。荘園となる前の三年間の税、これを全て耳を揃えて払ってくれねば此度の件は承服しかねる」

 

 これがあるから、俺は今日この時まで三木家とは接触を取らずにいた。いざ接触を取れば、間違いなくこちらを家臣団に組み込もうとするだろうから。それでは、越中での日々とあまり変わらない。

 しかし、今は違う。幸運にも琴平家という有力な隠れ蓑を得た。これからは確実に自由と独立が公に保証される。

 それを考えれば、三年間の税など手切れ金にしては安い。

 

「承知致した。では五日後、三年間の税を払ってご覧に入れよう」

 

 幸いなことにその備えはすでにしてあるのだ。

 

 天文廿二年 八月十六日

 

 松倉の町には葛籠を積んだ荷車が列をなしていた。葛籠の中身は全て平湯村に課せられていたはずだった三年間の税だ。

 松倉の町人は誰もが瞠目しているだろう。開拓したばかりの村がなぜこうも金子を持っているのか、と。

 その答えは簡単だ。今までの脱税分をある程度貯蓄として扱っていたことと、何より内ヶ島家臣の子息の学費を請求しないという条件で密約を結び、内ヶ島領の金を得たことだ。

 

「ようやく始まったな……」

 

 町内の神社で宗方卿と直頼公との合同で誓紙を認めたのち、俺は一人呟いた。

 これでようやく平湯村は公に認められた公界として完成したのだ。

 ……懐は凄まじく寂しくなったが。

 

 天文廿三年 三月九日

 

 ついに松倉の町に学び舎が完成した。建物は大きく街区の一つを占拠し、講師もそうそうたる面子を揃えている。

 

「実に見事。こうまでの学府となると、かの足利学校にも迫るのではないだろうか」

 

 直頼公もご満悦だ。

 彼は自らが養ってきた文化政策の精粋をこの学び舎に投じていた。建物はもちろん講師の招聘に関してもだ。

 俺自身はそんなに大きな規模にしても……と思っていたが、張り切っている直頼公を止められる気がしなかったのだ。

 講師陣は豪華で、まずは宗方卿。次に俺と長堯。それに明徳慶俊和尚がいる。

 明徳慶俊和尚は三木家の一門の出で、なんと駿河の宰相として名高い太原雪斎和尚の友人である。一時期共に今川家に仕えていたこともあるそうだ。

 そんな彼を講師として招聘できたことは大きい。

 生徒はほとんどが三木と内ヶ島の出だ。一度昭武たちも通わせようかと思ったが、変に武家とつながりを持たれても困るため諦めた。

 昭武たちには俺自身が宗方卿から教わったことを教えていく手法でいいだろう。

 

 弘治元年 十二月二十日

 

 今日もまた雪が激しい日だった。

 飛騨に来て早六年。学び舎ができてからは二年。

 忙しかったあの頃が過ぎた今、時の流れがやたらと早く感じている。

 だからだろうか、失念していた。

 俺に残された時間はすでにほとんど使い切っていたことを。

 それを思い出させたのは、雪上に散見できる赤い血だまりだった。

 

「ザビエルどのの言った通りか。流石に十年は生かしてくれないらしい」

 

 喀血が止まらず、ついに立っていられる気力さえ奪われた俺は雪上へと崩折れる。

 雪の冷たさと背筋を伝う悪寒が、意識を刈り取っていく。

 今、見事なまでに俺が死にゆく運命だということを如実に突きつけられていた。

 だが、受け入れてやるわけにはいかない。

 昨今、直頼公の病が日に日に厚くなってきていると聞いている。それが事実であるならば、遠からず彼は死ぬだろう。

 三木直頼の死はそれ即ち飛騨の平和の崩壊に繋がる。良頼どのは残念なことに志に資質が伴わないからこれを止められない。

 そんな状況が見えている状態で死ねるわけがない。

 生きねば、守らなくてはならない。

 そう、心が強く叫んでいる。

 俺は余力を振り絞って懐に腕を伸ばし、麻袋を取り出す。

 その麻袋の中にはいつかの霊薬、仙丹が入っていた。

 

「どうか、今一度の命を俺に。せめて、奴らが大人になるまでは生かしてくれ……!」

 

 仙丹で伸ばせる寿命は数年と定かではない。二年かもしれないしはたまた七年かもしれない。

 だから、神なんて信じちゃいない俺でもこの時ばかりは祈った。

 

 できる限り長く、昭武と優花を見守れるように。

 




読んでくださりありがとうございます。
これで、雷源伝というよりも平湯村開拓日記は終わりです。
厳密にはこの後もちらほら話題はあるのですが、わざわざ更新するほどのことじゃないので、ここでお開きとなります。

一応新連載始めたので、そちらもどうぞ。内容は西日本転生ものです。




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北陸十年史編 第一話 もう一人の開拓者 (能登)

またもや誰も求めていないと思いますが過去編第二弾です。
このシリーズでは、雷源伝と序章の間の十年の北陸各地を描写します。

では、どうぞ


 

冬の寒さが一段と増した頃のこと。

能登国・羽咋郡の街道にて一人の男が愛馬にまたがり吹雪の中を北へ北へと駆けていた。

 

(私は負けたのだ。加賀を変えることが出来なかった……!)

 

男の背には矢が刺さっており、見た目にも痛々しい。

この男の名は竜田広幸。過日、加賀にゃん向一揆衆頭目の杉浦玄仁に反旗を翻した謀反人である。

 

(私は信仰のためとはいえ、門徒たちが自らの命を捨て石にしているところを見たくはなかった。勝定どのに教えてもらったのだ。信仰は人の心の支えに過ぎない、ゆえに人そのものをないがしろにする教えは欺瞞でしかないということを)

 

広幸はほんのわずかだけ勝定と行動を共にした。しかし、勝定はそのわずかな時間で広幸の人生を変えたのだ。

勝定はにゃん向宗を信仰してはいたが、教義に常に懐疑的だった。宗教にのめり込むにしては頭が良過ぎたのが災いしたのだろう。初めは教義と法主の言葉の間の矛盾を指摘する程度だったが、越中に亡命する頃になるとこの時代では特異な宗教観を育むに至った。

門徒たちが死兵となることを快く思っていなかった広幸にはそれを受け入れるだけの土壌があったようだった。

「さて玄仁どのは変われるのでしょうか、はたまたさらに教団にのめり込む狂信者になりおおせるのでしょうか。彼女は教団に人生を救われた。思い入れがあるのは分かりますが……」

 

広幸は玄仁の過去を知っていた。それだけに玄仁がにゃん向一揆衆の組織としての体質を変えることに抵抗を覚えることがわかっていた。

叡山などのように破戒僧が跋扈しているのならまた違ったかもしれないが、今のところ本猫寺にはそういった腐敗は見受けられない。

 

「だからこそ私が立ち上がった……」

 

その結果が今の状態である。

かき集めた手勢はことごとく討たれ、広幸が他国への亡命を余儀なくされる。越中ならば広幸に似た思想を持つ者たちが数多くいるが、そのために玄仁に警戒され、国境を封鎖されていた。

 

「それにしても能登廻りで越中に行くのがこれほど大変だとは思いませんでした。よりにもよって吹雪になるとは……」

 

吹雪の中駆けねばならない境遇は勝定に似ていた。しかし、策のために駆けた勝定と異なり広幸のそれは追っ手を撒きながらの逃避行で、日に日に広幸の疲労は色濃くなっていく。

さらに言えば路銀もあまり持ってはいない。

 

(おそらくこのままでは、能越国境どころか七尾の町にすらたどり着かない)

 

この予見通り、その後の広幸は七尾の町まで後一里の地点まで走破するが愛馬がそこで力尽き、広幸は投げ出された拍子に地面に頭を打ちつけ意識を手放した。

 

******************

 

「知らない天井ですな……」

 

広幸が目を覚ましたのは座敷牢の中であった。

 

(昏倒している間に捕らえられたのでしょうか)

 

今やにゃん向宗は北陸を中心に全国区になったが、そのお膝元である北陸ににゃん向宗がそれほど浸透していない土地があった。

それが能登である。

能登は初めこそにゃん向宗がそこそこ浸透していたのだが、能登畠山家を畠山義総が継いでからは一変した。

義総の政策で徐々に能登の教団の勢力が削ぎ落とされ、ついににゃん向教団が解散する事態に陥ったのだった。

加賀衆はそのことを知り能登に攻めよせたが、戦上手だった義総にあっけなく追い散らされた。

それ以後、能登は北陸で唯一にゃん向教団がない国として歩みを進める。教団がなければ教えを効率的に伝えることが出来ないため、にゃん向宗は大きくその門徒の数を減らした。

 

(おそらくここは七尾城の座敷牢。能登から見ればにゃん向教団の人間は敵となります)

 

「む、起きたか。取調を行うので、これより殿のもとへ連行する」

 

広幸が目を覚ましたことが分かると牢番が広幸を外に出し手枷をつける。広幸は目隠しをされながら城内を十数分歩かされ、義総屋敷に到着した。

 

「そなたが、竜田広幸か。大義である」

 

豪奢な装飾が施された謁見の間にて義総と広幸は対面を果たしていた。

 

(この男が、畠山義総か……)

 

恰幅の良い体に柔和な表情。一見して世話好きな中年おやじのように見えるが、そこは畠山家中興の祖。貫禄が違った。

 

「そなたは加賀衆に反旗を翻したと聞く。敵ながら玄仁は有能の将と言える。子飼いの家臣であったそなたが背くだけの訳があったとは思えぬ」

 

「確かに玄仁どのは有能でした。兵を滾らせ、死中に活を見出すことにかけては並大抵の将では及びもつきませぬ」

 

広幸は謀反を起こしてもなお玄仁に敬意を払っていた。

これには、義総も首を傾げた。

 

「はて、それではなおさら裏切った理由がわからないのだが」

 

「ええ。能力面、待遇面での不満は私はございません。されど、私は教団の体質をこそ憎んでいたのです」

 

「そうか。……とは言っても、わしが教団を相手に回したのは家督を継いで五年ぐらいしか経っていない若い頃だ。宗滴どのに言われて越中攻めをしたこともあるが、それでもやはりわしは教団についての理解が不足している。広幸どの、わしに今の教団の状況を教えてはくれぬか?」

 

「承りました。では、簡略に説明致しましょう」

 

雷源去りし後の加賀衆は雷源がいた時分以上に合戦に明け暮れていた。

熊野一党がいなくなったことを好機と見た朝倉宗滴がたびたび侵攻を繰り返したのだ。特に宗滴が大聖寺城を抜き、尾山御坊が攻囲されたのは衝撃的だった。

そしてさらに悪いことに尾山御坊攻囲に連鎖するような形で越中衆が越中の没落した名門で雷源の侍女だった高知四万を主と仰いで加賀衆からの独立を宣言した。

こうした事情により加賀衆は南部と北部の国土防衛を同時に行わざるを得なかったのである。二正面作戦は当たり前、あっちを叩けばこっちが出っ張る。度重なる合戦は加賀の門徒たちを大いに疲弊させ、厭戦気分が蔓延した。

しかし、にゃん向教団はそんな国内事情を物ともせずに門徒たちを信仰心の名の下に煽り続けて戦を継続した。

つまりにゃん向教団は信徒の命よりも宗教的多幸感を得ることを重視していたのだ。そうと決まれば教団に忠実な玄仁は従う以外の選択肢を見出せない。

そして広幸の蜂起へと事態が繋がっていく……という次第であった。

 

「簡略に、と触れ込んだ割にはとても長くなってしまいました。申し訳ありません」

 

「よい、これでそなたが乱を起こした理由がよくわかった。……それで、そなたはこれからどうしたい?」

 

「願わくば越中に渡り高知どのに味方して民を重んじる教団を広めたいと思っております。それが叶わぬとあらば、勝定どのに倣って一介の信者に戻り、戦に縁遠き地にて開拓村を経営しようかと思っております」

 

「なるほどな……」

 

広幸の言を聞いて義総は閃いていた。

 

「前者はともかく後者はわしが叶えてやれるな。今、わしはこの七尾の対岸の地に新しく町場を伴った港湾を作るという計画を進めている。代官にする者はすでに決めているが、村長として現地を取り仕切るのに適任の者がいない。さきの話を聞いてそなたは神に傾斜せず、民のことを思いやることができる義士とわかった。……そなたが村長になってみないか?」

 

「私が、ですか?外様ですらない、敵将である私が?」

 

「ああ、そうだ。そなたが村長の任を受け入れてくれるなら、僧兵の保持は認めぬが能登国内でのにゃん向教団の再建を許そう。受け入れぬならそうだな……、この場でそなたを敵将とみなして斬首刑にでも処そうか」

 

義総が悪い顔を浮かべる。

事実上、広幸に選択の余地はなかった。

こうして広幸は義総に仕えることになったのである。

 

*******************

 

後日。

能登半島の南岸の見晴らしがよい丘にて広幸と代官になる予定の渡光総は開拓予定地を眺めていた。

予定地は礫と砂が混在する痩せた土地で、周囲の人の痕跡は寂れた寒村だけだった。

 

「この地には全くもって何もないのだ。義総様は英邁だが、今回ばかりはうつけにしか思えぬ」

 

光総は薄いながらも能登畠山家の血が流れ、畠山家の一門衆の一人に数えられている武将で本来ならば代官のような仕事は回ってこない。ゆえに光総は自分は左遷されたのではないかと思っていた。

 

「何もないからこそ、邪魔をされずに思い思いの町を作れるのです」

 

そんな光総に広幸は笑いかける。

 

「いや、広幸どの。やけに楽観的だな……」

 

「北陸の信徒たちは忘れていますが、本来にゃん向宗の信徒は陽気な方が多いのです。私など上方の信徒に言わせればまだまだ陰気と言われてしまうでしょうな」

 

義総に仕えたのちの広幸は有り体に言えば吹っ切れていた。

無論、にゃん向教団の変革をまだ諦めていない。されど、以前ほど深刻に考えることはなくなった。

 

(私はここに作ってみせる。にゃん向宗の信徒が誠に幸せに過ごせる理想郷を、乱世に病み疲れ絶望した時に最後の希望足り得る場所を。そうすればきっと……)

 

再起の機会を与えられれた広幸の瞳は今まさに輝いていた。

 

 




読んで下さりありがとうございました。
これからの更新は四章とこの北陸十年史編を並行して行うつもりです。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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北陸十年史編 第二話 発展と衰退の萌芽 (能登)

北陸十年史編第二話です。
しばらく能登が中心となります。
では、どうぞ


 

渡光総と広幸による能登湾北岸の町場新設は三年半の時をかけて行われた。

町割の基準は南北軸に町場と同時に新設した港から輪島へと伸びる街道を、東西軸は七尾から能登湾沿いを経て珠洲へと至る街道を基準にした。

屋敷の地割は表間口を六間、奥行きを三十間として地尻を整えた計画的な街並みが南北軸、東西軸となっている街道の両側に広がった。

新設した港はかなり大規模なもので本港には安宅船五十隻、本港が全て埋まってしまった場合の繋留地として作った比較的小規模な港にも安宅船三十隻が入る。

この新町場ほどの規模の町場は北能登では唯一で、北陸中を探しても比肩しうるのは義総が手塩にかけて育てた七尾と古来より日本海海運の要衝だった敦賀ぐらいのものであった。

しかし、順風満帆に見えている町場開発だが一つだけ重大な問題を抱えていた。

 

「船乗りや行商人を相手にする宿や商店はすでに十分発達したが、人口があまり増えないな……」

 

この新町場……名を渡辺町と言うが、利用する人々の職業的な関係で町場に集まる人々の動きは非常に流動的であり、安定した徴税を行えずにいたのだった。

 

「定住者を集めるにはやはり町場周辺の耕地開発を進めるのが最善だが、土地は痩せている。どうにかならないものか……」

 

渡辺町北隣、二年前に築城した渡辺城で渡光総は頭を抱えていた。

 

「光総どの。私は無理に耕地開発を行う必要はないと愚考します」

 

「と、言うと?」

 

「今現在、義総様は町場では定期市を開くように御触れを出しております。具体的に言えば三日市や廿日市がそうですね。しかしそれではやはり人の流れは安定しません。ここは常設市を開いてもらいましょう」

 

「常設市か、それが真に行われるならば人が渡辺町に居つくだろうな……。しかしそれを行うには問題があるぞ」

 

今の渡辺町は前述の通り行商人と船乗りが支えている。

この二つの人々はひどく流動的で恒常的に渡辺町に来るわけではないので、市の取引量が安定しない。

光総はこの事柄から義総に上申しても受け入られるとは思えなかった。

しかし、広幸はそれに関してはすでに織り込み済であった。

満を持して広幸は光総に提言する。

 

「人の流れを恒常的なものにする方策はすでにあります。にゃん向寺の開基です」

 

にゃん向寺の開基。

それは広幸にとって渡辺町開発の切り札であり、夢の実現における最も重要な足がかりの一つであった。

 

「教団の復活か……!確かにそれならば渡辺町に定住する者は現れよう。あいわかった。その献策を受け入れよう」

 

光総がぽんと膝を叩く。

今や光総と広幸は互いになくてはならない存在になっていた。

 

「それでは私は今しばらく上方の方に行ってまいります。新しく教団を立てる以上、既存の価値観を持つ者を住職に据えるわけにはいきませんので。上方ならば門徒であっても開明的な思想を持つ者もいるでしょう」

 

こうして光総の期待を背負って広幸は上方へと出立することになったのである。

 

******************

 

それから二週間後のこと。

広幸は石山本猫寺にたどり着いた。

広幸が訪れた当時の畿内は三好長慶が江口の戦いにて主君たる細川晴元を散々に打ち破り独立を宣言した直後であった。

そのため本猫寺には三好家を警戒して一万数千もの門徒が集っていたのである。

 

(一万以上の門徒による猫念仏の大合唱はなるほど壮観です。されど、それだけ現世に不安を持っていることの証左とも言えますね)

 

広幸は加賀で生まれ、十二の頃から加賀衆として働いていた。

数十年の働きの末に反乱直前には玄仁に次ぐ立場になっていたが、不思議なことに総本山たる石山本猫寺に足を踏み入れたことがなかったのだ。

 

「少し中に入ってみたいという気持ちはありますが、今の私は彼ら彼女から見れば叛徒。中に入ればたちまち八つ裂きにされてしまうでしょう」

 

広幸は本猫寺には入らず、その門前町の酒場で情報収集を行った。……と言っても正確には酔漢が漏らす愚痴を盗み聞きしていただけだが。

ただ、この方法は割と効果的で一週間ほど張り込んだところ、広幸の脳内の帳簿に急浮上した名があった。

 

(下間頼廉ですか……)

 

下間頼廉。石山本猫寺の中でも大物の部類の人間だった。

しかし、彼は法主の近くにいながらこう酒場で漏らしていたのである。

 

「俺は既存の仏教権威を嫌ってここに来た。されど最近のしょうにょ様は教団の利益ばかり追求している節がある。まだ、叡山のような破戒僧こそいねえが、いずれ似たような状況に陥るだろう……。それではここに来た意味がねえ」

 

頼廉は教団の体質の変容を嘆き、遅かれ早かれ教団が腐敗してしまう未来を案じていた。

にゃん向宗はそもそもが既存の仏教権威に反発することからスタートし、受け入れられた宗派である。

かつて八代法主れんにょは「猫は猫を殺さない。だから人より尊いのにゃ」と言った。しかし今ではその猫を尊いと信じる宗派が互いで互いを打ち破らんと合戦を続けている。

頼廉はもはやにゃん向宗に存在意義はないのではないかと、半ば失望していた。

このことを聞いた広幸はその酒場に通いつめてさらに数日後、再び頼廉と会合を擁した。

 

「少し隣いいですかな?」

 

何気ない風を装って広幸が頼廉に声をかける。

 

「ああ」

 

「いやあ、ありがとうございます。やはりこの店は夜になると人が集まりますね。……それでは、下間頼廉どの。話をば」

 

「なぜ、俺が下間頼廉だとわかった」

 

不意に名を呼ばれて頼廉は目を見開かせた。

 

(よもや、三好の手の者か?)

 

三好長慶の父、三好元長は堺にて細川高国と手を組んだにゃんこう一揆衆に攻められ、自害まで追い込まれた。

ゆえに三好家にとっては本猫寺は怨敵であり、その幹部である頼廉は江口の戦い以後は常に命を狙われる立場にいた。

 

「酒場の情報収集力を舐めちゃいけませんよ。どんなしけた酒場でも得られる情報は貴重なものばかりです」

 

(くっ油断したか……!)

 

わななく頼廉に広幸は笑みを返す。

 

「一応、私の名前も明かしておきましょうか。私の名前は竜田広幸。聞けば思い出すはずですよ」

 

「ああ、思い出した。加賀で反旗を翻した謀反人か。それがどうして石山に……」

 

広幸が三好とは全く関係ない人物とわかると、頼廉は落ち着きを取り戻す。

 

「隠し立てするようなことではないですよ。私はただあなた、正確にはにゃん向宗を信じつつも、教団に対して矛盾を感じている人に頼みたいことがあるからです」

 

「謀反に加担はしないぞ」

 

「謀反なんて何度も繰り返すものじゃないですよ。一度やればもうお腹一杯です」

 

「じゃあ、なんだ」

 

「この度、能登でにゃん向寺院設立の許可が降りたので、あなたに住職をやって貰おうと考えているのですよ」

 

「それはつまり、俺に教団から抜けろと言っているのか?」

 

「端的に言えばそうですね」

 

密談だと言うのにまるで冗句でも飛ばしているかのように軽い調子で話している広幸に頼廉は驚嘆した。

 

(しょうにょさまから聞いた竜田広幸像とはだいぶ違うな。もう少し陰険な人物かと思っていたが……)

 

この差異は頼廉に一層の興味を覚えさせ、一つの問いを生み出した。

 

「広幸どの、あんたはどうしてあの反乱を起こそうとしたんだ?」

 

問われた広幸は先ほどとはうって変わって真剣な表情を浮かべる。

 

「私は熊野勝定どのに教えていただいたのです。宗教は人の心を支えるものだと。そして今、この世に生きていると人々を軽んじる宗教は宗教と言うにも烏滸がましいものであると。ゆえに私は猫極楽を掲げて門徒たちを戦いへと指嗾しているうちはにゃんこう宗、いや本猫寺を認めるわけにはいかないのです」

 

この広幸の言葉で頼廉は本猫寺が歴史的な役割を終えていたことを悟った。

 

(ついに、本猫寺にも反発する勢力が出てきたか……)

 

そして頼廉は決断した。

 

「広幸どの、その件受けさせていただく」

 

「それはありがたいですな。それでは行きましょうか」

 

********************

 

こうして渡辺町に新たな仲間が一人増え、にゃんこう宗竜田派竜田御坊が建てられる。

始めは広幸の反乱が尾を引いて門徒はあまり増えなかったが、時代が進むにつれて一揆を起こすことに恐怖心を覚える門徒が続々と竜田派に宗旨替えするようになり、もう一つのメインストリームとなっていく。

それに伴い渡辺町にも竜田派を信じる門徒が定住するようになった。

義総もまたついに常設市の新設に着手を始める。

ここに、四年の時を越えて広幸が夢見た理想郷の骨子が出来上がり、後は時の流れに身を任せて発展を待つのみ。

しかし、そううまくことは運ばなかった。

さらに一年後に能登を震撼させる出来事が起こる。

畠山義総が病に倒れたのだ。

 

*******************

 

七尾城、畠山屋敷。

そこに光総と広幸は呼び出されていた。

 

「済まぬな……。そなたたちは渡辺町の常設市の件で忙しかっただろうに呼び出してしまって……」

 

「何をおっしゃいますか!私たちはあなた様の家臣、駆けつけぬわけには行きますまい」

 

「ふ、そうか。その忠義、大儀である……」

 

寝台に臥せている義総の声は弱々しい。

すでに義総の天命が尽きかけていることはこの場にいる誰もがわかっていた。

 

「では、その忠臣たちに最後の下知を与えよう……」

 

寝台から残された力を振り絞り、義総が起き上がる。

そして広幸と光総それぞれの目を見据えて口を開いた。

 

「まず一つ、何があっても渡辺町を守れ。あの町は能登から失われてはいけない町……。たとえ我が畠山家が滅んでもあの町だけは守ってくれ……」

 

「承知しました……!」

 

広幸が涙をこらえながら頷いた。

 

「そして二つ。渡辺町が一番大事であるが、やはり畠山家のこれからも捨て置けぬ。わしは政策の関係上、不忠者を家中の重臣に据えざるを得なかった。そのため、わしが死ねばいずれ無念だが畠山家は権力闘争に見舞われる。その時できれば、わしの息子と娘の義続と義綱を守ってやってくれ……」

 

「委細承知……!」

 

光総は全身全霊で拝手した。

 

「そうか、ありがたい……!」

 

そんな二人を見て、義総は笑う。

そして頰を緩めた時、残された力が枯渇したことを悟った。

力が失われた義総の身体が、再度寝台に倒れていく。

 

「義総、様?」

 

広幸が問いかけるも返事はない。

光総が脈を測り、首を左右に振った。

 

畠山義総。享年五十五。

能登の繁栄を願い続けた男は未来に一抹の不安を感じながらも天へと還っていった。




読んで下さりありがとうございました。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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北陸十年史編 第三話 押水の戦い (能登)

北陸十年史編第三話です。
今話では北陸十年史編でもっとも出したかった人物が登場します。

では、どうぞ


 

 

義総死後、家督は嫡男である畠山義続が継いだ。

 

「これよりは私が能登の国主だ。みな、私に力を貸してくれ」

 

義続が言うと、諸将は一斉に平伏する。

この畠山義続という男は義総が生きていた時分に主に外交交渉で成果を挙げており、とりわけ加賀衆とは強い友好関係を育んでいた。

義続の治世は実父である義総には劣るものの、概ね善政と言える。

だが、義総の死の衝撃は強烈なもので家督継承の翌年になると過去に義総によって追放されていた畠山駿河守が玄仁と共同して八千の兵を引き連れて能登に攻め寄せてきたのだ。

 

「おのれ、駿河守!私自ら成敗してくれる」

 

対して畠山義続と温井総貞、長続連、渡光総の四将が迎撃のために六千の兵を連れて出陣した。

両軍は加能国境近くの押水で遭遇する。

布陣は義続軍が中央に義続、左翼に総貞、右翼に続連と光総。

駿河軍が中央に玄仁、左翼に駿河、右翼に駿河の息子である畠山九郎が布陣した。

 

「父上。この戦には何か策を用いないのですか?」

 

義続軍右翼の軍中には光総の嫡男、渡光教(わたりみつのり)の姿がある。

当年をもって十四歳。この押水での戦いが初陣だった。

 

「義続様曰く、敵は戦を知らぬ素人、策を講じる必要はあるまいとのことだ」

 

これを聞いて光教は端正な顔立ちに嘲りを混ぜて嘆息する。

 

「はあ……、不遜を恐れずに言いますが義続様はお馬鹿さんではないですか?確かに加賀衆はにゃん向宗の門徒で武家とは言い難い存在ですが、戦は義続様よりは知っております。少なくとも侮るべきではないでしょうに」

 

「口を慎め光教。義続様と加賀衆の関係は深い。ゆえに義続様はそう激しい戦いにはならぬと思っておられるのよ」

 

「それならばわざわざ出陣せず後方で調略に励めばよろしいではないですか。お言葉ながら義続様の場合はそちらの方が良い戦果を挙げられましょう。たとえ『戦陣に出れぬ臆病者』と称されても要は勝てばいいのですから」

 

「……」

 

光教の舌鋒の鋭さに光総はついに閉口した。

 

(優秀ではあるのだがな……)

 

利発である分、人や物事の脆いところを的確に突いてしまう。

そのため光教は敬遠され同年代に友と呼べる者はなく、父である光総とその盟友となった広幸に頼廉と光教に付けられた教育係、鈴木重泰の四人を除けば人付き合いは皆無と言えた。

 

「さて、父上。呆けている場合でしょうか。総貞殿がそろそろ畠山駿河と干戈を交えようとしていますが」

 

「なぬっ!一番槍を取られたか!ならば二番槍は俺が頂こう!」

 

「私も供をします」

 

「ならぬ。お主は頭は切れるが武芸に関して言えば練達具合がまだ足らぬ。二番槍を狙う俺たちにとっては足手まといになるではないか」

 

「そこについても抜かりはありませんよ。重泰!」

 

「はっ!」

 

そう言って光教は重泰を呼びつけて種子島を持って来させた。

 

「それは、南蛮のおもちゃではないか!」

 

「ええ、種子島ですね。それがどうかしましたか?」

 

「そんなもの、乱戦になれば使い物にならぬぞ。やはりお前は連れていけぬ。皆の者出るぞ!前進!」

 

「ふむ、光総どのも出るか……ならば私達も出ようではないか」

 

光総は光教を一瞥すると号令をかけて畠山九郎の軍勢に攻撃を仕掛ける。続連もまたそれに倣った。

 

「はぁ……、殿達行っちゃいましたね。光教さま、どうします?」

 

「このまま本陣に居座るわけにも行くまい。重泰!私たちも出るぞ!」

 

二将に遅れを取ることしばし。光教主従もまた光総の後を追うのだった。

 

それから数時間後、右翼の戦いは一進一退に推移していた。

 

「これが我らが能登に返り咲く最後の機会よ!ここで死力を振り絞らずしていつ振り絞るというのか!」

 

駿河のひいては九郎の能登への執着には舌を巻かされる物があった。

決して九郎は戦に長じた将ではない。しかし此度の戦いに限っては光総、続連の二将を相手に一歩も引かない戦いを繰り広げている。

そんな中、前線で薙刀を振るっている光総の元に二騎駆けてくる者たちがいた。

 

「父上!」

 

「光教、重泰!ついて来たのか……!」

 

光総は目を見開いた。追い返そうと一瞬思ったが、ここまで来てしまえば帰そうとする方が悪手だと気づいて思い留まったからだ。

 

「これは戦線が膠着してしまっていますね……!」

 

「ああ、今こそ天秤を傾けるために策が必要な頃合いだ」

 

重泰がつぶやき、光教が頷く。

 

「というわけで父上、怪しまれない程度に押されて本陣あたりまでお引きください」

 

「光教、お主はいきなり何を言うておるのだ」

 

「策ですが何か?」

 

「むぅ……」

 

光総が顎に手をやり考える。

 

(確かに、何か動きが欲しいところではあるが……)

 

光教の知略は高いと言えど、まだ初陣の身。ゆえにその策を考えなしに受け入れるには抵抗があった。

しかし、そうも言ってられない事態に陥る。

光総の元に伝令が必死に駆けてこう伝えた。

 

「急報!長続連様、弓に射られて落馬なされました。幸い命に別状ありませんが、もはや前線は維持できません!」

 

「……!光教、お前の策に乗る。具体的に内容を教えよ」

 

「承知しました」

 

それから数分間策の内容を語ると光教と重泰は本陣に帰陣した。

光総はジリジリと意図的に押されて本陣から敵軍が見えるような地点まで退くと、陣形を崩して兵を左右に散開させる。

 

「父上は思いの外、器用な用兵をしますね。策を練る側にとってはありがたいことです。では、重泰」

 

「はい、光教様」

 

光教が重泰に言うと本陣から鉄砲兵百が姿を現す。

この兵たちは重泰が畿内から持って来た鉄砲をうまく扱える北陸初の鉄砲兵だった。

鉄砲兵たちは横陣を組むと照準を九郎の騎馬に合わせた。

 

「のこのこと追ってくるとは、貴様らは凡愚なのか?今よ!鉄砲隊放て!」

 

光教が采配を振るうと同時に戦場に凄まじい轟音が響く。

 

「っ!これは何事か!あ、痛……!」

 

その音は続連が落馬して腰を痛めていたことを忘れて思わず立ち上がってしまうほどであった。

銃後にいる味方の将はこの程度で済んだが、銃口を向けられ、弾幕を貼られた九郎軍は悲惨であった。

 

「ああ!鎮まれ!」

 

馬が騒ぎ、騎馬兵が相次いで落馬し、足軽もまた逃散する。鉄砲百丁の轟音が軍を解体させたのである。

だが、九郎軍の惨劇はまだ終わらない。

 

「凄まじいの一言に尽きるが、音に驚いてこちらの騎馬兵も使い物にならぬな……。まあよい。全軍、九郎軍に突撃せよ!」

 

先程散開した兵達が九郎軍目掛けて左右から挟撃を仕掛けたのだ。

こうなるともはや九郎軍はなすすべもなく、九郎は落馬した後に恐慌した馬の蹄に頭蓋を踏まれて果てた。

 

「ふむ、策がうまく嵌るとはなかなかよいものだ……」

 

戦場を眺めて光教はひとりごちる。

遠くも近くもない未来、渡光教は戦国屈指の知将として名を響かせることになる。

今日の押水の戦いはその端緒と言えた。

 

 

押水の戦いは全体の戦況で言えば一進一退ではあるが、局地的に見れば優劣ははっきりしていた。

左翼では一番槍をつけた総貞の軍が一気呵成に駿河軍右翼に攻め入り駿河軍を壊滅させて駿河を討ち取り、右翼は前述の通り九郎を死に至らしめた。

両翼が壊滅した以上、戦況は駿河軍が絶対的な不利に思えるが、一人戦況を支えていた者がいた。

その人物とは、中央軍にて常通り先頭に立って義続軍を蹴散らしていた杉浦玄仁である。

 

「竜田派など、私は認めない……!」

 

玄仁の薙刀は此度の戦ではいつも以上に鋭い。

怒りに任せて玄仁が薙刀を振るうと義続兵二人が同時に斬り捨てられた。

これは広幸が打ち立てたにゃん向宗竜田派を根絶するという執念がなせる技であった。

非攻専守、政教分離を掲げる竜田派は石山本猫寺、加賀衆にとっては決して認められないもので、とりわけ政教分離に関しては既得権益を持ち始めていた教団重鎮の逆鱗に触れた。

おおよその重鎮達と異なり、玄仁は清廉で既得権益を持とうとはしなかったが、教団を否定したということと創始したのが自らの腹心であった竜田広幸であったことが激しい怒りを抱く理由となる。

 

(広幸、あなたはどうして裏切ったの。私はあれほどあなたを信頼していたというのに……!)

 

故あって親族の顔を知らない玄仁にとって広幸は何の疑いもせずに信頼できる数少ない人物であった。

しかし、いつしか理想、信念など様々なものが違えてしまい、ついぞ二人は共存できなかった。

 

(私が正しいということを私はあなたに認めさせる。そうすればきっと……!)

 

「ひ、ひぃ!者共、迎え撃て〜!」

 

その気迫に押されてか義続率いる中央軍は及び腰となってしまっている。これでは玄仁の相手は務まらない。

中央軍は一気に本陣まで押し込まれ、壊乱直前に陥る。

義続は危うく玄仁に討ち取られそうになったが、左翼の温井総貞が玄仁軍の側面を突いたことで九死に一生を得た。

側面を突かれた玄仁は不利を悟り、やや後退して加能国境に滞陣した。

 

********************

 

その後、義続は六角家を通じて本猫寺に通じて和睦交渉を申し入れる。

本猫寺側は畠山駿河親子という能登侵攻の大義名分を失ったため、交渉のテーブルに座らざるを得ない。

交渉は義続が戦での不名誉を返上せんと励んだ結果、本猫寺側から能登からの撤兵を引き出した。義続自身は関係修復を狙っていたが、それでも充分な成果であった。

しかし、それでも義続の権威が揺らいだことは否めない。代わりに左翼で駿河を討ち取った温井総貞、子である九郎を破った渡光総の発言力が向上する。

義続にとってはやや不満が残る結果だが、押水の戦いはこうして幕を閉じた。

 




読んで下さりありがとうございました。
一応、出したかった人物の答えは渡光教さんです。
昭武とはまた違った感じに描写していきたいと思います。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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北陸十年史編 第四話 謀略の渦(能登)

北陸十年史編第四話です。
熊野家に比べるとドロっとした展開になっております。

では、どうぞ

*誤字修正のつもりで編集したらいつの間にか千文字増えてた……。




押水の戦い以後の畠山家中は義総の予言通りに重臣たちの権力闘争が繰り広げられるようになっていた。

主な対立軸は義総時代から政策の要として重用され、義総死後は押水の戦いで発言力をあげた温井総貞と総貞とは対照的に義総時代には政権中枢から遠ざけられていた能登守護代・遊佐続光の二つで、今や互いに豪族・国人を糾合して主家である畠山家を凌ぐ勢力を持つようになっていた。

光総はこの両派閥には属さずに所領が隣接している長続連と畠山義続の妹である義綱の教育係を勤めている姫武将・飯川光誠と共に義続派に名を連ねていた。

尤も、この義続派とは実質は名ばかりで実情は義綱の影の内閣という方が正しい。

影の内閣のメンバーは個々人の思惑は異なれど、足並みを揃えて義綱の大名親政を志していた。

 

とある日のこと、この影の内閣のメンバーは続連の居城、穴水城で続連が開いた茶会に参加していた。もちろん茶会というのはただの建前であるが。

 

「昨今の温井・遊佐の諍いはどうにかならないのかしら……」

 

艶やかな加賀友禅を着た義綱がこめかみを抑える。

加能越一の美少女として名高く、父、義総からも期待を寄せられていた才媛である。

義総は出来れば義綱に家督を継がせたかったが、義総死亡時では十一歳と若かったので、年長の義続が継ぐことになったという経緯がある。

 

「畠山家が直轄軍を持てば、あるいは……」

 

「そう出来れば中央集権を果たすことができるけれど、兄上があの二人に振り回されているうちは無理よね」

 

「中央集権化されて一番割りを食うのは、遊佐続光ですからな。なにせ遊佐家が代々務めてきた能登守護代を否定することになりますし。

 

光総が述べるも義綱は首を振り、長続連もまた義綱に追従して首を振る。

足利将軍家もそうではあるが、畠山家は直轄軍を持たず、軍事活動では専ら家臣の軍を用いていた。それ故に旧来の守護大名は重臣との関係に細心の注意を払う必要があったのだ。

 

「いずれにしても、中央集権を果たすには直轄軍の所持と遊佐家と温井家の討伐は不可欠よ。あの二人をどうしたら出し抜ける?下手に手を出すと却ってこちらが危ないわ」

 

「共喰いさせるのが一番かもしれませんね。これならば、軍を持たない私たちでも出来ることですから」

 

ここで飯川光誠が提案する。

義綱に引けを取らない美貌を持ち、世話係として義綱と長い歳月を重ねた忠臣であった。

 

「確かに、あの両名は対立しているからな……。安直過ぎる気がするが、悪くはないだろう」

 

「ですな」

 

光総が頷くと同時に続連も頷く。

 

「光総がお墨付きをくれたなら間違いは少ないわね。じゃあこれからの方針は両派閥の対立を助長するよう事を進めるわよ」

 

義綱が決定を下したことで、戦略会議が閉幕し、ただの茶会となる。

しかし、彼らはまだ知らない。

これがこの四人が集まる最後の茶会となることを。

 

*****

 

同刻、七尾城下・遊佐館。

今、この場では二人の男が酒を嗜んでいた。

二人の男の名は温井総貞と遊佐続光。余人からすれば、酒を共に嗜むなど及びもつかない関係であるだろう。

 

「まさか、貴殿からこのような提案を聞くことになろうとはな……」

 

当の総貞もいまいち実感が湧いていないのか、つぶやきを漏らす。

 

「いやはや、総貞殿。そこまで驚くことではありますまい。わしが言い出さなければ、貴方の方から持ちかけてきたはずよ」

 

「まぁいずれが持ちかけるにせよ、今この協定を結ぶことは互いにとって大きな利益がある、違いますかな?」

 

「違いない。儂らにはまだ取り払わねばならぬ障壁がある。雌雄を決するのはこれを取り払った後ですかな」

 

総貞が問うと、続光がゆっくりと頷く。

双方共に悪人面になっていた。

昨日の敵が今日の友となり、明日はどうなるかわからない。

だが、それは二人とも織り込み済みであった。

 

(しかし、今になってつくづく先主様が優れたお方であることがわかりましたな。身罷られた後も、我らに睨みを効かせるとは……。だが、それも近日中に終わりを告げる。まっこと素晴らしいことではないか)

 

続光が盃を高く掲げる。

次に酒を飲む時は、その盃に勝利の美酒が注がれるであろうことを強く確信して、続光は最後の一滴を口にした。

 

********************

 

数日後、穴水城からの帰路にて、光総は夜空を見上げていた。

 

(歓談してわかったが、姫様は義総様に匹敵しうるほどの大器だ。それに飯川どのほどの得難い忠臣を得ている。……ここに我が息子が加われば、死角はないだろう)

 

光総は珍しくご機嫌だった。

何しろ義総が没して失った支えがいのある主君を再び見出したのだ。

 

(次の茶会では、光教も呼んでもらうよう頼んでみるかな。姫様たちと光教が合うかどうかは分からぬが、もし手を携えることができたなら姫様は光教の才を使いこなし、いよいよ能登は空前絶後の発展を遂げることだろう)

 

ーーーだがしかし、結果としてその願いは叶わない。

 

「あんたが渡光総だな!」

「俺たちゃあんたにゃ恨みはねえがその命、もらった!」

 

突如、街道脇の山林から山賊が現れて光総を包囲する。その数五十余人。

 

「お主たち、どこの手の者だ」

 

「はっ!死んでいくやつに答えても無駄だろ?」

 

山賊が鼻で笑う。

 

「お主たちこそ隠す理由はないぞ……!仮に俺がここで倒れようとも、光教はお主たちを寄越した奴をいとも容易く調べ上げるからな……!」

 

「そうかい、なら教えてやるよ。俺たちにあんたを殺して来いと言ってきたのは温井総貞・遊佐続光の二人だぜ」

 

この二人の名が明らかになった時、光総は陰謀の全てを理解した。

 

「はは、その二人が手を繋いでいたとはな……。そんなに能登の国主になりたいのか、そんなに権力が欲しいのか俺には理解が及ばぬな……」

 

(俺の存在は奴らにとっては目の上の瘤だったのだろう。凡庸な主を支える経済・軍事面に抜きん出た勢力……その条件を満たすのが俺たち渡辺町だからな。俺たちを倒さねば奴らは下克上どころか、主人を傀儡にすることもできぬ)

 

「ともかく、その二人に伝えておくがいい……。俺が倒れても畠山家はお主たちの思い通りにならぬ。今でこそ謀略の嵐に見舞われているが、それでも未来の大樹の苗は育っている……!姫様が、飯川どのが、光教が必ず能登の未来を変えてくれる。せいぜい今は増長してあいつらの良き肥やしになるがいい……!」

 

光総が愛刀を山賊に向ける。

 

「ふん、やっちまえ!」

 

それに合わせて山賊の首領が号令を下すと、山賊たちが一丸となって光総に襲い掛かった。しかし、光総はそれを一閃して一蹴する。

 

「どうした!その程度では俺を殺せぬぞ!」

 

「ふん言ってろ。まだこっちには手下がごまんといるんだ。おまえはいつまで持ちこたえられるんだろうなぁ!」

 

以後は光総と山賊たちとの乱戦となる。

光総はその持ち前の武勇で山賊を相手に優位に戦ったが、結局のところ数の暴力を捩じ伏せることはできなかった。

途中から光総は山賊と戦うのを諦めて渡辺町へと逃走を図り、山賊たちを撒いたものの、失血からくる倦怠感が彼の歩みを阻害する。

 

(これは、気を抜いたら死ぬな……)

 

死に対する恐怖は光総にはあまりない。

光総は戦場で幾度も死を感じながら生きてきた。彼からすれば、今宵のこの瞬間もいつかの類似品であった。

 

(そういえば広幸も手傷を負いながら単騎で敗走していたことがあったな。。今の俺と似たような気分だったのだろう)

 

こんなことを考えるほど、光総は精神的に余裕があった。

しかし、そんな光総でも一つだけ恐れていることがある。

それは自分が亡き後の渡辺町のことであった。

 

(俺がいなくなれば、渡家の家督は光教が継ぐのだろう。そのことに対する心配はさしてない。だが、俺を排除すれば温井と遊佐の動きが活発になることには違いない。間違いなく、俺が死ぬのに乗じて渡辺町に何らかの圧力をかけてくる。それが軍事的なものか、経済的なものか、はたまた宗教的なものかは分からぬ。だが、義続様を通じて出されてしまえば、非常に厄介だ……)

 

いつの間にか光総の脳裏に渡辺町の姿が浮かんでいた。

 

(広幸と共に町場を作るのはとても楽しかった。俺は今まで何かを壊すことしかしてこなかったからな……。初めこそ左遷されたのではないか、と疑ったが結果的に見れば一番良い仕事をしたのだろう……)

 

そこまで思い至った時、光総はゆっくりと首を横に振った。

 

「何を、考えているのだ俺は。まだ歩ける、まだ死ねぬ、まだ渡辺町の発展を見届けておらぬ。託された思い、一年と僅かで放り投げることの何と不忠なことか」

 

光総が自らを奮い立たせてなおも歩みを進める。

愛刀を杖の代わりにして、前に進む。

だが、ついに終わりの時が来た。

愛刀から手が離れ、うつ伏せに倒れる。立ち上がろうにも足が全く動いてくれない。

 

(すまない、広幸。悪いな、光教。申し訳ありません、義総様……)

 

意識が見えざる手に引かれて奈落へと落ちていく。

もはや、瞳を開くことはかなわなかった。

 

渡光総、享年四十三。

忠義と創造に生きた勇将は、未だ作り上げたものの完成を見ることなく、不本意ながらも舞台からの退場を余儀なくされた。

 

*****

 

(父上、遅いな……)

 

その日の夜、渡光教は父が帰城していないことを訝しんでいた。

 

「広幸、私は少し穴水城の街道の方へ散歩に行ってくる」

 

「この時間に、ですか?」

 

「ああ、朝までには帰ってくる」

 

「はあ、お気をつけて」

 

光教は重泰だけを連れて夜間の街道をひた走った。

そして、渡辺町から一里ほど進んだところで見つけてしまった。

 

「重泰……。私は狐に、化かされているのか……⁉︎」

 

「いえ。……残念ながら、事実かと」

 

重泰が目を伏せる。

 

「はは、そう、か……」

 

(理不尽過ぎるではないか……。俺は父ほど忠義に厚い武士を知らぬ。だというのに、これか……!)

 

光教は信じたくなかった。

父が謀略の渦に飲み込まれたことを。

清らかな忠義が醜い策謀によって報いられたことを。

 

(凡愚であれば容易く命を落とし、才能を有した者が忠義を尽くしても謀略に飲まれて殺される。ならば、いったいどうすれば良いのだ?)

 

懊悩する光教。だが、答えは割と早く出て来た。

 

(……要は強くなければ全てを奪われるのだ。いかな大義、いかな美徳を掲げていようと負ければ問答無用で奪われる。それに他人に自らの生殺与奪を預けるのもよろしくない。もはや忠義が、信頼が、我が身を守ってくれる時代ではない。……で、あるならば俺は如何なる手段を用いてでも強さを求めよう。そして誰からの指図も受けぬ立場になる。そのためならば悪辣な手段ですら用いよう。いくら悪辣と謗られようとも護りたいものを護れればそれで良い)

 

「……重泰。私が能登を獲れば、このような醜い争いを収められるだろうか?」

 

「……光教様がそれを真に望まれるのであれば、叶いましょう」

 

問われて重泰はゆっくりと頷く。それを見て、光教は天を仰いだ。

 

「そうか……」

 

夜空の暗さに隠されて光教の表情は重泰からは伺い知れない。だが、ただ一つだけ、光教の目尻に光るものを見つけた。

 

「光教様、いえ殿。今宵だけはしかと悲しみなさいませ。明日からは覇業が始まります。今のうちに済ませた方がよろしいかと……」

 

重泰が優しい声音で言うと、光教の理性は決壊した。

重泰にしがみついてひたすら泣いた。

聡く、大人びた言動をしていても光教はまだ十四歳でしかない。

悲しみを完全に押し殺すことはできなかった。

 

 




読んで下さりありがとうございました。
史実だと能登はもっとドロドロの権力闘争が繰り広げられますが、今作ではそこまでドロっとさせるつもりはないです。
これ以上シリアスにすると書くのが辛くて……。
誤字、感想、意見などあればよろしくお願いします。


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北陸十年史編 第五話 布石(能登)

北陸十年史・能登編の第五話です。
ぶっちゃけ能登編、筆が止まりません。そろそろ四章も書かなきゃなと思うのですが、当分先のことになりそうです。
では、どうぞ


 

加能国境のにゃんこう宗の寺にて、能登国主・畠山義続と加賀にゃんこう一揆宗の頭目、杉浦玄仁は対面していた。

 

「わざわざ来てくれてありがたく思う」

 

「要件はなに?私も暇じゃないのよ。早く言ってくれない?」

 

玄仁はとても焦っていた。昨日、間者から朝倉宗滴が加賀侵攻の準備を進めている、と報告があったからである。義続が呼びかけた会談に出席したのも能登方面の軍を加越国境に宛行いたかったからであった。

 

「左様か、ならば要件を言おう。加賀衆と畠山家間で和睦を結ぼうと思っている」

 

義続は押水の戦い以後から本猫寺との和睦を模索してきた。義続の目的は遊佐、温井を排除する際に本猫寺に干渉させないためである。

 

「和睦するのは別に構わないわよ。……ただ一つ条件を飲んでくれればだけど」

 

「して、その条件とは何かな?」

 

「竜田派の禁教、弾圧よ」

 

「なっ……⁉︎」

 

玄仁が出してきた条件は義続を震撼させた。

この条件を飲んでしまえば、今のところは義続に従ってくれている渡辺町の面々が離反してしまう。離反はしなくとも義続の後ろ盾を弱めてしまうことになるのだ。

義続は懊悩した。そしてこう口にする。

 

「……考える時間が欲しい。今日の夕刻まで待ってくれないだろうか」

 

この言に玄仁は頷き、ひとまず会談は中入りとなった。

その後、義続は寺内の一室に篭り、誰も入れずに思索を巡らせる。

 

(光総がいない。私を温井と遊佐から守ってくれる能登で唯一とも言える英傑がいない。竜田広幸も私についてきてくれているが元は他国の者、どうしても信用しきれぬ。長続連も駄目だ。軍事力には眼を見張る物があるが、奴は私より光総に従っている。光総死後、どのような動きを取るのか予想ができぬ)

 

思索の果て、義続はついに結論を下す。

 

(不確かな身内より、少しは知っている他勢力の方が幾ばくかマシであろう。それに私を守る武力と言う面では、渡辺町と長家の連合すら越える)

 

そうして義続は玄仁の条件を受け入れ、加賀衆と畠山家の和睦及び盟約は成った。

この報は北陸中に広がる。

無論渡辺町の光教、広幸らにも伝わった。報を聞いた続連も渡辺町に足を運ぶ。

 

「して、どうする?」

 

長続連が光教と広幸に問いかける。

 

「決まっている。禁教にはしない」

 

「私は……、どうしましょうか……」

 

光教は即答したが、広幸は言い淀んだ。

広幸は義総から直に遺言を聞いた身である。

渡辺町も大事だが、畠山家のことも考えてしまう。

 

(禁教をすれば、義続様は本猫寺とやや衰微こそしますが、私たちの経済力と長家の軍事力を後ろ盾として得ることができますね……)

 

「広幸どの。まさか竜田派を禁教にする、と言いださないよな。あんたの、あんたたちの志はその程度ではないよな?」

 

考える広幸に頼廉がさらに問いかける。

頼廉は竜田寺住職である以上、竜田派残存派である。だが頼廉が竜田派を支持する理由は利害だけではない。

 

「光総どの亡き後、いよいよ温井・遊佐が動き始めるに違いない。和睦を推進に温井・遊佐も少なからず関わっていたと聞く。本猫寺側から出された竜田派の禁教。あれはその実は温井・遊佐が工作したものではないだろうか?」

 

「ですが、禁教は義続様の名で出されたものです。抗えば私達は謀反人になってしまいます」

 

この問題の厄介なところがその点であった。

温井・遊佐の計略だと看破していても一蹴することができない。光教や頼廉にはあまり作用しないが、広幸、続連にはある程度の拘束力があった。

だが、ここで続連が口を開く。

 

「私は別に反旗を翻しても構いませんぞ?私の目的は長家を大きく繁栄させること。正道で成らぬというのなら邪道を用いることに躊躇はない」

 

長家は元々、室町将軍直属の奉公人であり、独立した国人であった。畠山家に従うようになったのも義総時代からで、比較的歴史は浅い。そのため長続連の心情の底流にはやはり、畠山家への不羈の念があった。ちなみに畠山家中で長家がかなり多い軍事力を所持しているのは独立時代からの遺産である。

 

「続連どのまでか……!……わかりました。私も覚悟を決めましょう……!」

 

広幸がついに頷き、かくして渡辺町は反義続に転換する。

その後は間も無く評定に移行する。

 

「反逆を起こす以上は必勝を心掛けねばならない。何かよき策はないのか?」

 

「まず初めにお聞きしたい。光教どのは何か腹案と呼べるものはありますか?」

 

「敵は加賀衆と温井・遊佐の連合軍を編成して渡辺町に押し寄せることになると私は考えている。従って戦場は渡辺町近辺になるだろう。だが、近辺は原野が広がっており大軍を遮るものはない。ここは籠城戦をするべきだと私は考えている」

 

「しかし、内浦(能登の七尾湾側)からの補給はありませんぞ」

 

「そもそも私は長期戦を取るつもりはない。短期戦を仕掛けるつもりだ」

 

この光教の発言に広幸たちはどよめいた。

 

「少し言い方が悪かったか。籠城戦と言ったが正確には城を囮とした誘引策と言った方が正しい」

 

その後、光教は事前にある程度考えていた策の一部を語った。

全てを語らなかったのは、この中に内通者がいることを疑ってのことだった。

 

(実に精密な策です。何処と無く勝定どのを彷彿とさせますね……)

 

だが、一部と言えど光教の策は広幸たちを驚嘆させるのに十分なものであった。

 

「という訳で、今のうちから布石を打っておくことにしよう。広幸は渡辺町の外周に新たに海水を引き込んだ水堀を、頼廉、重泰は堺に行って種子島を数百丁買い込んで欲しい。私は今から越前に参る」

 

結局、他の案は出されず光教案をそのまま通して評定は終わった。

 

********************

 

渡辺町から海路を用いて光教は越前・一乗谷に乗り込み、朝倉屋敷にて、渡光教と朝倉宗滴は対面を果たしていた。

 

「渡光教と言ったか。わしに何の用か」

 

朝倉宗滴。七十を超えてなお、朝倉の柱石たる闘将である。

 

「貴方が加賀侵攻の軍備を整えていると聞いている。その侵攻の時期をずらしてくれないだろうか?」

 

「つまり、お主は畠山家、正確に言えば温井・遊佐と事を始めるつもりか」

 

流石は朝倉宗滴と言ったところか、光教の意を一言二言聞いただけで察した。

 

「そうだ。貴方が動けば加賀衆は貴方の相手をせざるを得ない。我らは兵の練度と装備の質こそ高いが攻められた時の補給の当てがない。相手の兵力を減らして僅かでも勝つ余地を残しておきたい」

 

この光教の言を聞いて宗滴は破顔する。

 

「お主、些か熊野勝定に似ておるな。勝定は勝つためにあらゆる手段を尽くして勝とうとする武将だった。親不知で長尾為景を討ち取ったのはその好例よ。二年存在を気取らせずに潜伏し策を練り、幾つかの術策を以って為景からあらゆる選択肢を奪い取り、親不知に誘引した。そして其れは奴の復讐心と生への執着が生み出したものであった」

 

話しているうちに宗滴は知らず眼を細めていた。

 

(戦嫌いの義景ではなくこやつが朝倉家の家督を継いでいたのなら、朝倉家の先行きはまた違ったものになっていたやもしれぬ……。いや、よそう。ないものねだりをしてもどうにもならぬ)

 

「まあ良い。いずれにせよ加賀衆を攻める事に変わりはない。それにお主の策通りに動けば邪魔も入りにくいであろう。老いたりと言えど、わしは朝倉宗滴。加賀を徹底的に叩き、能登へ加賀衆を一兵たりとも向かわせぬことを約束しよう」

 

「かたじけない」

 

光教が頭を下げる。

すると宗滴は立ち上がり、襖を開け放ちながら言った。

 

「渡光教よ。武士とは勝つことが本分。だが、負けても生に執着せよ。この乱世最早合戦に勝つだけでは真の勝利とは言えぬ。乱世の終焉まで生き延びた者こそが真の勝利者よ。このこと、肝に命じておくがよい」

 

宗滴の教えを受け止め、光教は越前を後にする。

次に向かうのは、能登・七尾城下飯川屋敷。畠山義綱、飯川光誠の二人の元であった。

 

「お初にお目にかかる。私は渡辺城主、渡光教と申しまする」

 

「あなたがそうなのね。あなたのことは光総殿からよく聞いていたわ。加能越でも稀に見る大器ってね」

 

「それは些か誇張表現かと……」

 

義綱の買いかぶりに光教は苦笑いを浮かべた。

 

「……それで、何の話をもって来たのかしら?温井・遊佐を排除する策だと嬉しいのだけれど」

 

「姫様、お喜びなされませ。私が此度持ってきた話はまさに温井総貞を除くための策なのです」

 

それから光教は策を語った。

だが、策を聞けば聞くほど義綱の表情は暗鬱なものになっていく。

そして耐えきれなくなって義綱はついに口を挟んだ。

 

「ねえ光教……。これ以外の策ってないの……?」

 

「ありませぬな。全ては総貞を増長させ、油断を誘うことにありまする。……そのためには一時的にと言えど、姫様に苦杯を舐めて頂かなくてはなりません」

 

「光教殿、理屈はわかります。……ですが、これはあまりにも……!」

 

光誠が光教に食ってかかる。だが、光教はそれを気にも留めず平然と言い放つ。

 

「さもなくば、姫様は遠くない未来に反撃の余地すら奪われた事態で同様のことをせねばならなくなりますが、それでもよろしいので?」

 

「……ですが!」

 

光誠は返答に窮した。

光教の推測が非常に不愉快な物であったが、的を得ていたからであった。

 

「光誠、落ち着いて。光教もどうにかして言葉を選びなさいよ。私は光教の策、容れようと思う。そうしなければ温井・遊佐を排除できないなら仕方のないことよ」

 

義綱は嫌々ながら光教の策を容れた。

 

(渡光教、聞きしに勝る苛烈さね……。けど、私はあなたを使いこなしてみせるわ)

 

 

七尾城で光教と義綱らの会合したのと同刻。

渡辺城には一人の訪問者が押しかけてきていた。

茶髪に片肌脱ぎの着物を纏い、右肩には身長よりも長い大斧を担いでいる。顔立ちは整ってこそいるが、表情はややだらしない。

 

「信州・松本平からやって来た穂高正文ってんだ。突然で悪いが、俺っちをあんたらの家臣に加えてくれ!」

 

穂高正文。この軽佻浮薄な浪人がまさか能登の激動の中心で勇躍することになるとは、この時は誰もが予想し得なかった。

 

 




読んで下さりありがとうございました。
次回から作者によるシリアス展開への抵抗が始まります。
……といってもある程度は真面目に書かなきゃいけないので、塩梅が難しいところですね。
誤字、感想、意見などあれば、よろしくお願いします。


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北陸十年史編 第六話 奸臣粛清(能登)

北陸十年史編能登の第六話です。
シリアス控えめにした結果が以下の通りになります。
多分前話までとカラーがだいぶ違うと思います。

では、どうぞ


 

 渡辺町に戻った光教は信州・松本平からの浪人である穂高正文と対面していた。

 穂高正文は元は信濃守護・小笠原長時の配下で松本平にある領地で安穏と暮らしていた武将だった。

 しかし、武田晴信が塩尻峠の戦いで長時を散々に破るとその運命が一変する。晴信の武力を恐れた長時が村上義清の元に家臣を置き捨てて、美女だけを連れて逃げてしまったのだ。

 この後、松本平は無政府状態になり晴信の草刈場となってしまう。そんな中で最後まで持ち前の武勇と指揮能力を活用して晴信に抵抗したのが、この穂高正文であった。

 

「いや〜、聞きしに勝る男前ですなあ、渡どの」

 

(なんだこの軽薄な男は……)

 

 だが、本人を一目見てしまえば、穂高がそのような遍歴を持つ人物だとは大概は思えない。

 光教もその例に漏れず、戸惑いを隠せないでいた。

 

「貴公はなぜ私たち渡家に仕えようと思った?武田晴信にやられた人間ならば、村上義清と言い、貴公の主君と言い例外なく越後の長尾景虎を頼っているだろう?わざわざ能登くんだりまで来る必要があったのか?」

 

 光教に問いかけられると、穂高の表情から軽さが鳴りを潜める。

 

「確かに今までの流れから言えばそうなるのが自然かもなあ……。けどよ、なんつーか俺っちはそれが嫌だった。まぁだからといって盛大に反抗しといて今更武田に降れるわけもない。だからはじめは俺っちは松本平から安房峠を越えて平湯村の雷源公を頼ったんだ」

 

(確かに熊野雷源に頼るのは武田、長尾を選ばないなら妥当な選択ではあるな……。やはりただの優男ではないな……)

 

「けど雷源公に「今の俺たちは武家じゃないからお前を召抱えることができない」とすげなく断られてしまってな。それで行き場に困って雷源公に聞いたら「そうだな……、能登の渡辺町ならいいんじゃないか?」と勧められたから来たんだ」

 

(行き当たりばったり過ぎる……!)

 

 だが、感心できたのはそこまでで、光教は頭を抱えていた。

 

(前言撤回。だめだ、やはりこいつはただの馬鹿だ。力はあるが根本的に馬鹿なのだ)

 

 ついぞ光教はそう結論づける。

 

「まあこんなんでも召抱えてくれたらちゃんと命賭けて仕えるから頼む。この通りだ!」

 

 穂高が土下座をして懇願する。その姿はみっともないと言えなくもない。頼廉に至っては苦笑いを浮かべていた。

 だが、光教は笑わなかった。

 

(こいつはいかにも単純で馬鹿だ。だが、これは一本気と言い換えることもできる。だがしかし、……なぜであろうな。なぜか俺はこいつを捨て置けぬ。少し気にくわないことではあるが)

 

 そして光教は決断する。

 

「良いだろう。穂高正文、私はお前を召抱えることにする。これよりはその武を以って私の覇業を支えてくれ」

 

「!本当か⁉︎ やったぜ!」

 

 こうして穂高正文は光教の家臣となった。

 

 

 

 その日の晩、光教は自室で重泰と酒を酌み交わしていた。

 

「しかし、よろしかったんですか?」

 

「何のことだ?」

 

「穂高正文についてです。あの者が温井・遊佐や飛騨、越中の間者だとは思わなかったんですか?どうにも胡散臭くて……」

 

「その可能性は会う前は私も考えた。この時期に突如仕官してくるなんて『自分は間者です』とわざわざ伝えているようなものだからな……」

 

「では、どうしてですか?」

 

 重泰は不思議でしょうがなかった。

 光総が暗殺に倒れてからの光教は以前と比べると疑り深くなっており、生来の峻峭さと相まって今日のように初めて出会った人物をすぐに自らの陣営に引き入れるという行動をするような男ではなかったからだ。

 

「だらしない表情や軽々しい態度と色々あるが、なにより奴は無邪気だった。まるで童子がそのまま大人になったかのようにな。それで否応無しにこいつは信用できる人材だと思わされた」

 

(もしかしたら、俺はあのような無邪気さに焦がれていたのかもしれないな……。そしてあのような単純な奴が謀略の渦に飲まれるのを見たくなかったのかもしれない。だからか、手元に置きたいと血迷ったのは)

 

 杯を掲げながら、光教は思索に陥る。

 それを見て、重泰は微笑んだ。

 

「そういうことでしたか……。ならば何も言いません。むしろ穂高殿を大事になさりませ」

 

「言われずともそのつもりだ。あれだけの剛の者を冷遇するのはただの愚か者だからな」

 

 光教はそう呟くと、立ち上がる。

 

「重泰、少し席を外すぞ。台所から南蛮渡りの葡萄酒を持ってくる。……そうだ。出くわしたらだが、穂高も飲みに誘うとするか」

 

 光教の足取りは軽く、すぐに重泰の視界から外れる。

 その頃合いを見計らったのか、重泰はぽしょりと呟いた。

 

「割合、素直じゃありませんね。光教様は……」

 

 *****

 

 穂高の仕官から三ヶ月後、広幸の水堀が完成する。頼廉らも三百丁の鉄砲を新しく調達した。

 

「それに近隣の硝石丘からも良き硝石が取れるようになった。軍備は完全に整ったと言っていいだろう」

 

「そうか頼廉。ご苦労であった」

 

 頼廉の報告を受け、光教が頷く。

 

「では、これより私と重泰、穂高は手勢五十人と共に七尾城に参る。姫様と温井景隆の祝言式に参列せねばならないからな」

 

 光教が渡辺町の軍備を整えている間に、畠山義続はついに温井・遊佐の傀儡に成り果てていた。

 今回の温井総貞の孫、温井景隆と畠山義綱の祝言はそれをいかにもわかりやすく示したものである。

 

 光教たちが向かった頃には七尾城内で温井被官の兵が前夜祭で酔いつぶれていた。

 

「うわー酒臭えな。こんなになるまで呑めたのか。俺っちも前夜祭参加したかったぜい」

 

「たわけたことを言うな穂高。お前の酒豪ぶりは凄いが、一度飲むと酔い潰れるまで飲むからな……。私やこいつらに行き渡る酒がなくなるだろうが」

 

「まあ、そうだけどよ……」

 

「冗談とは言い切れぬところが恐ろしいがな」

 

 以前、高価な南蛮渡りの酒を全て穂高に呑まれた経験があったため、光教は穂高に対して酒絡みのことについては厳しく言うようになっていた。

 だが、穂高が好むのは酒だけではない。

 前主、小笠原長時と同じく色好みでもあったのだ。

 

「つーかあんな美人の姫様の相手が温井景隆ってなんか釈然としないんだよな……正直、姫さんと横に並ぶと権力に物をいわせて無理やり抱いたようにしか見えないんだわ。みてくれから言えば、俺っちや渡がくっつく方が妥当だよなあ」

 

「興味ないな。というより政略婚なんてそんなものだろう」

 

 穂高に対して光教は女嫌い……というわけではないが、色欲が比較的少ない人種であった。

 

「しかし、あんたもつくづく冷めてるよな……。あんたほど男前なら引く手数多だろうに」

 

 光教に素気無く返されて穂高がため息をつく。この三ヶ月である程度光教と関わってきたが、どうにもこの点ばかりは理解し難かったのだ。

 

「確かに祝言の申し込みは何度も来た。だが、全て政略婚だからな。そんな女など抱こうとは思えぬ。そもそも信用に置けない」

 

 このように具合に雑談をしていると式が始まり、正装した景隆と義綱が参列者の間を歩いていく。

 

(くっ、畠山家のためと言えど、流石にこれは……!いや、我慢しなきゃ。光教の策通りに行けばこの茶番も結局意味がなくなるんだから)

 

 景隆の隣で義綱は不快感を表情に出すのを我慢していた。

 

(光教どの早くしてください!あなたは畠山家が下克上に屈しても、姫様が酷い目にあってもいいというのですか!)

 

 光誠が光教に何度も目配せする。その姿は事情を知らぬ者が見れば滑稽に見えるだろう。

 

(急くのはわかるが、気にするな。確実に狡猾に仕留めねば意味がないのだから……!)

 

 そう自分に言い聞かせながら光教は静かに機を待つ。

 そして、式が新郎父の話に移り、居城で病の静養をしていた続宗にかわって総貞が壇上に立った時、

 

(今だ!)

 

 光教は、突如立ち上がり畳を強く踏みつけた。

 すると発砲音が式場内に響き渡り、放たれた銃弾は総貞の心の臓を見事に貫いた。

 

(しまった、謀られたか……!儂ともあろう者が油断した、とても油断をした。あと少しで頂点に立てたと言うのに……)

 

 耐え難い痛みの中で総貞は己の敗北を悟った。

 そして地面に崩れ落ちる。

 奸臣はついぞ覇権に至ることなく、舞台から退場した。

 

「うわああああ、温井様が撃たれたああああ!!」

 

 被官の一人が絶叫したのが引き金となり、式場内は恐慌に陥る。

 

「策、成れり!待たせたな穂高、皆の衆。これよりは暴れても一向に構わぬ!」

 

「合点!」

 

 光教が号令をかけると穂高と手勢五十人が式場に分け入り、温井家の面々に強襲を仕掛けた。

 この強襲は功を奏しこの場にいた温井家の一族、被官全てを皆殺しにする。

 だが、光教はこれに留まらず、この虐殺の次第を書いた直筆の書状をわざわざ温井続宗に送りつけた。

 無論、書状を読んだ続宗は光教に激怒し憎悪する。

 そして書状を読んだ翌日。続宗は家臣を呼びつけ、こう命じた。

 

「遊佐続光と加賀衆に使者を出せ!連合を組んで渡辺町を叩き潰すぞ!」

 

 かくして、渡辺町に能登の覇権を握ろうとする勢力が集結する。

 

「これからだぞ穂高。総貞を消すなんぞ大勢の前ではただの些事に過ぎない。父の仇でなければもう少し雑に殺しても差し支えないぐらいにな」

 

「しかし、わざわざ挑発して連合を作らせるなんてな……。武田晴信も大概おかしいと思ったが……、渡、あんたはそれ以上だな」

 

「いや、今回はこれが一番だろう。逐一叩き潰せれば何よりだが、生憎今の渡辺町にはそのような余裕はないからな」

 

 脳髄の中で組み上げられた策を反芻しながら、光教は不敵に笑っていた。

 




読んで下さりありがとうございました。
なんかサブタイ詐欺感が否めません。全て穂高に持ってかれた気がする……。
まぁ、それは置いといて今年の更新はこれで終わりです。なにぶん年末年始がまるまる泊まり込みバイトなもので……。
来年は能登編のハイライト、渡辺町の攻防戦から始まります。






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北陸十年史編 第七話 渡辺町の戦い(能登)

北陸十年史編第七話、能登編の最終話です。
思いの外、淡白な仕上がりとなりました。

では、どうぞ


 温井一党が光教によって斬獲されてから一月後。

 温井一党の生き残りである温井続宗は姻族である三宅一党と遊佐続光を糾合して渡辺町を包囲していた。

 その数は九千強。たかが一国人に過ぎない渡光教を征伐するにはあまりにも過大な兵数だった。

 しかし、ここまで数を集めてもなお続宗は浮かない表情を浮かべていた。それは伝令がもたらした一報によるものだった。

 

「加賀衆が来ないとはな……」

 

 続宗は加賀衆の援軍をあてにしていた。

 杉浦玄仁率いる加賀衆の本隊は宗滴の侵攻や越中への侵攻など数々の戦いで鍛えられてきた精兵だった。仮に玄仁が温井・遊佐に加勢したなら勝利は確実なものになっただろう。

 しかし、加賀衆は光教の策に乗った宗滴が頃合いを見て侵攻を始めたため封殺されていた。

 

「なに、続宗どの。猫狂いの行き遅れなんぞ頼らなくとも彼我の兵力差は五倍ほどよ。勝てぬはずがあるまい」

 

 続光が続宗を励ます。しかし一方で光教を警戒していた。

 

(とはいえ、渡光教は知略でもって温井一党を斬獲した。これは儂ですら出来なかったことだ。おそらく兵力差だけでこの戦は決まるまい。必ずや何らかの術策が必要になる)

 

 その後、続光は使者を七尾城に送る。

 

(使えるものは使っておくか。ただの置き物にさせておくのは少し割りに合わぬからな)

 

 続光がほくそ笑む。

 この一手が戦局を変える大きな一手になる。そう続光は信じていた。

 

 米

 

 一方、渡辺町では、諸将が緊張した面持ちで温井・遊佐軍を見つめていた。

 渡辺城・町は海を南とした逆丁字型になっており、渡辺城は縦線の東の山に位置し、尾根伝いに東北に出ることができるようになっている。

 諸将の配置は丁字の結節点に頼廉。市街地に広幸。東北尾根に光教と穂高、重泰が布陣していた。

 市街地にて広幸が兵の前に姿をあらわす。

 

「これよりついに戦が始まります。しかし、その前に一つみなさんに言うべきことがあります」

 

 広幸が語り出すと兵の間に静寂が訪れる。

 竜田広幸という武将は用兵は並の力量だが、人に自らの言葉を聞かせることに関しては北陸でも類い稀な力量を有していた。

 

「この町は光教どのの父にして私の友たる渡光総が何よりも守ろうとして来た町であり、私やみなさんが夢見てきた争いのない理想郷です。

 しかし、それも今儚くも消えようとしている。光総どのが討たれ、いまはこのように温井・遊佐が包囲しているのです。

 北陸はもはやあらゆる武家、信仰、利害が絡まる止めようもない争いの渦に包まれています。その争いに力がなかったかつての私達は巻き込まれ、望まぬ死、望まぬ殺しを強いられるほかありませんでした。

 もし此度の戦いに負けてしまえば、私達は再びその日々に逆戻りしています。

 ……端的に言います。

 

 私は決してあの頃に戻りたくはないと!

 

 そのために私はこの町を守りたいと考えています。ですが、彼我の力の差は著しく私ではとても力が及びません。……ですからみなさん私を、この町を守るのに力を貸してください……!」

 

 広幸が万感の想いを込めて頭を下げる。

 この広幸の姿は民にとって衝撃的だった。

 曲がりなりにも権力者をやっている人間が民に対して頭を下げる。

 

「こんなにも誠意を見せてくれたのははじめてや……!」

「わかりやした竜田様‼︎ 俺たち、死兵と化して戦いやす‼︎」

 

 感服した足軽達が次々と拳を上げる。一部感激して涙を流す者さえいた。

 

「有り難い。これで戦える……‼︎」

 

 広幸は民に感謝の念を込めてまたも頭を下げた。

 

 ***************

 

 渡辺の戦いは温井続宗が西門に力攻めをかけたことから始まる。

 

「敵は寡兵!一気に打ち倒せい!」

 

 温井兵三千が続宗に従い、西門前の架け橋に殺到する。

 

「まだだ、引きつけよ……!」

 

 対して渡辺町側では西門から頼廉が出張り、機を見計らっていた。

 そして、大半の温井兵が水堀の近くまで至った時、頼廉は軍配を下ろした。

 

「撃てええ‼︎」

 

 頼廉の号令と共に二百丁もの種子島が火を噴く。

 

「種子島か‼︎者共退避せよ!」

 

 続宗がそう指示するも、兵たちは後続が詰まって戻れない。

 また水堀で彼我の距離を確保されているため、温井兵は頼廉たちにとって格好の的となり、長きに渡って銃弾を浴び続けることになった。

 

(そうか、この水堀はこのような狙いがあったのか。種子島の調達もこのため……!光教よ、良き武将に育ったものだ……)

 

 頼廉が心中で感嘆する。

 頼廉は光教の軍略と鉄砲の師であり光教は彼の弟子の中でも段違いの力量を有すに至る。

 

「だが、ここに勝ったからといって全体の勝敗が決するわけではない。真に重要なのは……」

 

 そう言って頼廉は渡辺城の方角を見やる。それに連なる東北尾根でもまた戦が始まっていた。

 

 米

 

 光教は穂高と共に東北尾根に押し寄せる三宅総広率いる三千と対峙していた。

 この三宅総広は温井家の姻族にあたり、温井一党の中でも重鎮だった。

 

「どうやらこちらの方が主攻のようだな。兵数が多い」

 

「そりゃあな。あんだけ渡辺町の防備を固めたら水堀のないこっちに攻めてくるに決まってんだろ」

 

「穂高、山岳戦闘ではお前が頼りとなる。任せてもいいか?」

 

「おうよ。んじゃ、いっちょ期待に応えるとするか!」

 

 穂高は答えると同時に大斧を木に向かって振るう。その膂力は凄まじく一撃で木は倒れ、三宅軍の方に転がっていき一定の被害を与えた。

 

「よーし、お前ら手本は見せたからな!やってみろ!」

 

「「承知!!」」

 

 穂高が軽口混じりに言うと、穂高兵がそれぞれ鉈を取り出し穂高のそれに倣う。

 穂高率いる信州兵は元々は峻険な北アルプスの山々に抱かれて生活を営んでいた民であった。

 そのため能登兵に比べると剽悍でなおかつ山岳戦闘に慣れている。丸太を切り倒して敵兵を薙ぎ倒すという戦術も彼らにとってはいつもの命令でしかない。

 あらかた木が切り倒され、視界がある程度拓けてくると、そこには見るも無残に押し潰された三宅兵の亡骸が転がっていた。

 

「よし、これで種子島を使えるようになったな。では重泰」

 

「はい!」

 

 だが、光教は手を緩めない。

 ダメ押しとばかりに死に体の三宅軍に百丁の鉄砲による三斉射を浴びせた。

 これにはたまらず、三宅兵は壊乱する。

 

「うわ、えげつねえな……。まぁ人のこと言えねえけどよ」

 

 引きつつ、苦笑いを浮かべて穂高は麾下の兵を三宅軍に向かわせる。その後自らも三宅軍に向かおうとしたが、その背を光教に呼び止められた。

 

「少し待て穂高。戦った後、種子島と弾薬を近くに隠しておけ」

 

「あ?城に持ち帰らなくていいのかよ?」

 

「それで構わぬ」

 

「……わかった。渡が無駄なことをするわけがないからな。言う通りにしよう」

 

 穂高が麾下の兵に遅れて三宅軍に分け入り、武勇を振るう。穂高が大斧を一度振るえば五人の兵が、二度振るえば八人の兵が討ち取られる。腕に覚えがあるものが勝負を仕掛けても一合しか打ち合うことができずにで討たれてゆく。

 この武勇は武田晴信に対する防衛戦でも発揮され、これを恐れた武田軍は彼のことを「信州一の大鉈」と渾名した。

 

 穂高が逃げるのが遅かった三宅兵を粗方討ち取ったとほぼ同刻に日没を迎え、両軍は帰陣した。

 この日中の戦いで光教と穂高双方に丹念に擦り減らされ、三宅軍は戦線から脱落した。また、頼廉が担当した渡辺町の防衛戦でも攻め来た続宗の兵の三割が死傷する。

 しかし、それでも彼我の戦力差は四倍はあり未だ温井・遊佐連合軍が優勢であると言えた。

 

 ***************

 

 その夜。

 温井続宗と遊佐続光、三宅総広は東北の陣に集まっていた。

 

「まさか、一日持ち堪えられるとはなぁ……!」

 

 続光が続宗、総広を嫌みたらしく睥睨する。

 

「申し訳ない。あれほど種子島を所有しているとは思わなかったのだ……」

 

「はぁ……、種子島を所有しているのは押水の時点で分かるだろうが」

 

 温井続宗は温井一党の武の重鎮ではあったが、戦上手という訳ではない。どうにも武を振るうことばかりこだわって自制が効かず、理性的な判断、推測を下すことができない武将であった。

 温井総貞が生きている時分は総貞が抑えとなり、理性的な判断を続宗の代わりに下していたためそれでもよかった。

 

(この小僧では、もはや温井は保つまい。畠山義綱は才こそあれど、味方は渡家と長家を除けば弱小国人ばかり。いよいよこの戦に勝てば能登は儂のものになるな……!)

 

 続光は冷笑する。

 

「さて、昨日の失敗はもういい。あの数の種子島は戦況を変転させるのには十分。これを封じなければ、磐石の勝利とはいかぬ。貴殿らには何か策があるか?」

 

 続光が尋ねると、総広が口を開いた。

 

「続光殿、評定の前に東北尾根に斥候を放ったところ、敵の種子島数十丁と弾薬を見つけた。これを奪えば敵の妨げとなり、我が軍にも利する。どうであろうか?」

 

「悪くないな。では種子島の奪取はその方と続宗殿に任せよう。その間儂は水堀を攻める。それでよいか?」

 

 続光の割り振りに続宗、総広双方が頷き、二日目の早朝に攻城が開始された。

 

 米

 

 開戦から数時間後。

 

「重泰よ。敵はどう動いている?」

 

 渡辺城にて光教は重泰に戦況を問うていた。

 

「渡辺町の各門は昨日に引き続き攻め立てられています。ただ、兵数は少ないですね。やはり種子島による損害を憂慮したのでしょうか。東北尾根は種子島、弾薬を置いてあるところに数百の兵が迫っています。……しかし」

 

「『種子島を五十丁も置いてきて良かったのですか?』とでも言いたげな顔をしているな。先んじて答えよう。それで良い」

 

(西門といい、東北尾根といい俺たちは数知れず種子島を撃った。その甲斐あってか奴らは種子島がこの戦の鍵を握ると勘付いただろう。ゆえに奴らは種子島と弾薬を見逃すという選択肢を取り得ない)

 

「重泰。今すぐ兵を三百人ほど集めよ。それも弓や投石を得手とする者をな。この戦は今日で終わらせる」

 

 重泰が光教の前から辞すると光教は一旦目を瞑る。

 その瞼の裏に何が移っているかはわからない。されど、眼を見開いた時、光教は笑っていた。

 

 

 

 穂高が種子島や弾薬を置いた場所では、光教の読み通り続宗と総広が種子島と弾薬を接収しようとしていた。

 

「よし、これを持ち帰ればいいんだな」

 

 種子島を奪えたことから続宗が満足げな顔を浮かべる。

 だが、総広はそう気楽にはいられなかった。

 

(種子島を手に入れることはできた。だが、どうにも守る兵が少なかったように思う。まさかこれは渡光教の策ではないか?)

 

 総広の脳裏に一日目の鮮やかな戦いぶりが蘇る。

 

「続宗様。ここはやはり種子島や弾薬を置き捨てて撤兵致しましょう。この総広、どうにも嫌な予感がしてなりません」

 

「此の期に及んでお前は何を言ってるのだ!種子島と弾薬は何としても持ち帰る!これ以上、遊佐続光に我が温井家を侮らせるわけにはいかぬのだ!」

 

 総広が進言するも、続宗は従わない。

 昨晩の軍議で続光に冷笑されたのが余程堪えていたようで、依怙地になってしまっている。

 

「なれば、疾く退きましょう。この場にいることは危険すぎます」

 

 この進言には続宗は従った。

 しかし、続宗達が一日目の戦場を通過している最中。

 

「読み通り、だな」

 

 火矢と焙烙玉をもたせた兵三百を引き連れて、渡光教が続宗の後背に姿を表していた。

 

「射かけよ!」

 

 光教が号令を発すると共に火矢と焙烙玉が続宗たちに放たれる。

 

「まずい!弾薬を捨てろ!焼き殺されるぞ!」

 

 そう総広が命を下すもどうにもならず、爆炎が温井・三宅軍を舐めていく。

 

「死に絶えろ、権力に群がる寄生虫。あるいは能登の病巣。お前たちがいるから下らぬ人死にが出る。俺はお前たちを否定し、そして糧とする。下らぬ死を跳ね除ける強さを得る為のな……!」

 

 光教の温度のない瞳が、続宗・総広に突き刺さる。そして腕を振り、再度火矢を斉射させた。

 こうして爆炎に続宗と総広も呑まれ、再度温井・三宅軍は壊滅する。

 

「策は成りましたね」

 

「ああ、これで温井軍は片付いた。最早戦力としては使えないだろう。以後は下山して攻城している敵の後背を突く。城内にいる穂高に「厩から騎馬隊を出し、北門の敵を攻めよ」と伝令を出せ」

 

 **********

 

 温井・遊佐軍本陣にて、続光は伝令たちの報告を聞いていた。

 

(温井一党め、言いようにやられおって。お主らなしに儂が五千以上の兵を率いるのは少々骨が折れるわ……)

 

 続光は歯ぎしりした。皺が深く刻まれた額にも玉のような汗をかいている。

 光教が東北尾根を降りてから戦況は渡辺町有利のものとなっていた。当主と重鎮を失った温井軍は使い物にならず、東北陣は奪取され、東門の攻城軍も劣勢を強いられている。北門に至っては穂高率いる三百の騎馬隊が遊佐兵を蹂躙した。

 

(もはや、この戦は取り返しのつかぬところまで来ている。そろそろ引き時か?)

 

 撤退が頭をよぎったが続光は首を振った。

 

(いや、駄目だ。このまますごすごと退けば能登は義綱の小娘による中央集権が敷かれてしまう。そうなれば、生き残ってもこの敗戦で勢力を減退させた儂は能登に居られなくなる)

 

 政略が絡むと、続光の頭はよく回る。

 少しして別の伝令が到着した時、続光は最後の策を閃いていた。

 

 米

 

 光教軍は、東側の敵をあらかた掃討すると北門で待機していた穂高と合流した。

 

「目指すは本陣、遊佐続光の首だ」

 

 光教と穂高が先頭に立って渡辺町の外周を反時計回りに回っていく。

 

「しかしよくまあ、ここまで続光を追い詰めることができたよな」

 

 穂高が敵兵を屠りながら呟く。

 この時点で、渡辺町軍と温井・遊佐連合軍の戦力比は一対三にまで縮まっていた。

 

「温井と三宅を始末できたのがよかった。あれだけで千五百は数を減らせたからな。それに頼廉や広幸の働きも大きい」

 

 光教の言の通り、目立ちこそしないが、頼廉と広幸は自らの何倍もの相手を各門に足止めしていた。鉄砲の利を余すところなく活かせる縄張をしていたこともあるが、何よりも広幸の演説によって高められた士気の力が渡辺町軍を頑強なものにしていたのである。

 

 駆けること暫し。

 ついに光教軍は遊佐続光の本陣に攻撃を仕掛けていた。

 

「来たな。渡光教……」

 

 それを続光は恐れるどころか、心待ちにしていた。

 だが、それは強者と戦うことで与えられる高揚感によるものではない。

 この遊佐続光はどこまで行っても謀士である。

 

「あの方をここにお呼びしろ」

 

 続光がそう伝騎に伝えてしばらく待つと烏帽子兜を被った男が現れる。

 

「これはこれは、義続様。ご足労頂き申し訳ありませぬ」

 

「よい、光教の軍が本陣に攻めかかっている。此の期に及んで私が出ないわけにはいくまい。いよいよ私の出番なのであろう?」

 

 義続は自ら出馬するつもりでいた。当主である自らが出ることで兵の士気の回復を図ろうとしていた。続光も当初は義続を渡辺町征伐の錦の御旗として扱うつもりで渡辺町に呼んだ。だが今では(出馬しても大勢は変わらないだろう)と割り切っている。

 続光はそれを隠して義続に笑いかける。されど目は笑ってはいない。

 

「仰せの通りにございます。では、お覚悟あれ」

 

 続光はそう慇懃無礼に返事をしながら、腰の刀を抜いていた。

 それと同時に続光の近習が義続を取り押さえる。

 

「何をする続光ぅ!」

 

 これには義続も動揺を隠せない。対して続光は黒い笑みを浮かべていた。

 

「なに、儂の策に一環に過ぎませぬ」

 

 そうとだけ言って、続光は刀を義続の心臓に突き刺した。

 刺された義続は痛みにのたうちまわりながら、本陣から逃亡を図ろうとするが、どうにもならず討ち取られた。

 

「さて、お主ら。後は軍中にこう触れ回れ。『義続様が渡光教に討たれた』とな。それと盛光に撤兵させる旨を伝えよ」

 

 義続の最後の策とは主殺しの汚名を光教に着せて、義綱と渡辺町の軸帯を断ち切ることであった。

 

(義綱の中央集権は渡辺町の連中がいなければ叶わない。だが、兄を殺されたとなれば手を組むなんぞ絵に描いた餅にしかならぬ。そして次第に対立し、いつしか義綱の方から儂に泣きついてくるようになるであろう。……儂が本当の仇だとは知らずにな)

 

「ははは、まだ、儂の野望は潰えない……!」

 

 続光は上機嫌に哄笑しながら戦場を去っていく。

 だが、それが負け惜しみに過ぎないことを続光は何よりもわかっていた。

 

 ********************

 

 ともあれ続光の撤退により、渡辺の戦いは終幕を迎える。

 両軍の被害は渡辺町が四百、温井・遊佐軍が四千ほど。渡辺町の圧倒的勝利に終わり、これで温井一党は壊滅、遊佐家は勢力を盛時の六割ほどに減じた。

 対して渡辺町は戦後、すぐに軍を進め奥能登の全土をその掌中に収めた。

 だが、続光が押しつけた主殺しの汚名は能登に大きく陰を落としていた。

 七尾城、畠山屋敷にて義綱は苦悩していた。

 

(これで温井・遊佐一党は大きく力を減らした。けれど……!)

 

 続光が仕向けた通り、義綱は光教らと手を組むことに抵抗感を覚えていた。しかし、今や往時の温井・遊佐一党を凌ぐ渡辺町に対抗できる力はない。

 

「姫様、遊佐続光が面会を願い出ています」

 

 かといって遊佐続光と組んでしまえば、中央集権は叶わない。続光がそれを許すはずがないからだ。

 

「光誠、私はどうしたらいいの?どちらを選んでも畠山家は取り返しがつかないことになる気がする……!」

 

 義綱は端的に言って追い詰められていった。

 そんな義綱に光誠は優しく語りかけた。

 

「そう思われるならば、いっそのこと能登から退去し、再起を図るのも一つの手かと」

 

「どことも手を組まずに七尾城に籠るのはどう?七尾城は堅牢だから攻め落とされることはまずないわ」

 

 しかし、光誠は首を振った。

 

「姫様、それだけはおやめください。七尾湾の制海権は既に渡辺町に握られています。奥能登も渡辺町の支配下で口能登もいずれ渡辺町が取り込むでしょう。補給のない籠城ほど愚かなことはありません」

 

 光誠が強く諌める。いよいよ進退窮まっていた。

 

「わかったわ……。能登を出る。支度をお願い……」

 

 苦渋の決断だった。義綱の双眸から一条の涙が流れる。

 

「申し訳ありません。姫様……!」

 

 光誠もまた瞼を潤ませていた。

 

「光誠、謝らないで。まだ私の夢が潰えたわけじゃない……!」

 

(必ず、私は能登に帰ってきてみせる。渡も遊佐も蹴散らして、能登に平穏をもたらす。畠山家は下克上なんかに負けないんだから……!)

 

 米

 

 加賀国・大聖寺城。

 加賀南部のこの城で宗滴は床に横たわりながらも、細作・伝令からの報告を待っていた。

 宗滴は光教の策に乗り、加賀衆に攻めかかった。が、その途上で病に倒れていた。

 宗滴の年は七十を優に超えている。病に倒れてもおかしくない年ではあった。

 

「報告!能登の渡辺町において渡光教が温井・遊佐軍を撃破!温井方の大将続宗は討ち死にしました!」

 

「そうか。実に痛快な戦をしたものよ」

 

 細作の齎した報に宗滴は破顔した。枯れた身体に血が滾ってくる。

 戦いたいと激しく思った。

 しかし、宗滴にはその時間は残されていない。

 細作が去った後、宗滴は宙を見上げた。眼に映るのは天井であり、見晴るかすような青空ではないことを酷く不満に思った。

 

「口惜しい……!一揆衆を始末しておらぬし、熊野勝定との決着も付けられずじまいで、織田信奈と渡光教の成長を見届けることができぬ……!まだまだ、生き足りぬ」

 

 せめて三年、余命が欲しいと思った。

 それまでに望んだ全てが叶うと宗滴は予感した。

 だが、天は、運命は残酷だった。

 この報告から三日後に宗滴は病没する。侵攻軍の指揮は朝倉景隆が引き継いだが、玄仁の反撃により敢え無く敗退した。

 

 渡辺の戦いと宗滴の死。

 この二つを超えて北陸は新たな時代を迎える。

 




読んで下さり、ありがとうございました。
次回からは四章を投稿します。
とはいえ、北陸十年史編はまだ終わりません。能登編ほど長くするつもりはないですが、他の北陸の国(多分一、二国ぐらい)もいつかやります。
誤字・感想、意見などあればよろしくお願いします。


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登場人物紹介 外伝

 

○熊野一党

 

・熊野雷源 序章より登場。完全オリジナル

統率99 武力104 知力86 政治56

熊野家当主。昭武と優花の義父。

剣術槍術弓術薙刀を極めた武人でありながら、計略をしばしば用いる策士でもある。元は越後の出身だが、流浪の果てに飛騨にたどり着く。旧名勝定。

自らの過去からか、一門同士で争うことに嫌悪感を示す。

今まで各国を転々としてきたが、根幹とする考えはただ一つ。昭武、優花を育てあげることである。これは復讐が終わった雷源にとっては生きる理由だった。

 

・宮崎長堯 一章より登場。 完全オリジナル

統率92 武力92 知略75 政治59

雷源に越後時代から仕える。

武勇に優れ、雷源の戦術に欠かせない存在。

熊野家臣中では年が近いこともあって雷源と最も仲がいい。

大聖寺城の戦いで宗滴に右目を斬られ、隻眼となる。

 

 

・荒尾一義 一章より登場。 完全オリジナル

統率95 武力94 知略80 政治42

雷源に越後時代から仕える。

防衛戦に優れ、防衛戦の時は雷源に指揮を委ねられることもしばしばある。

寡黙な性格で冗談が下手。

 

 

・戸沢白雲斎 一章より登場。準史実武将

統率70(対忍だと+10)武力94(式神などに対しては+10)

知略89 政治33

熊野家に仕えてきた戸隠忍び。家中では最高齢。

自分より身分が圧倒的に上、あるいは自分より年上の人間にしか敬語を使わない。

実在はしないが、講談などで真田十勇士の猿飛佐助の師とされている。忍術と調略に優れ、情報操作が得意。

敵に対しては結構容赦がない。

戸隠由来の能力は持っているが否定的で、盛清は能力に頼らない忍びに育て上げようとしている。

 

 

・熊野定義 雷源伝のみ登場。完全オリジナル

軍攻/軍防73/78 武力33 知略84 政治80

雷源の実父。序章開始時点では故人。

越後守護、上杉定実に熱烈な忠誠を捧げており、宇佐美定満と共に長尾為景に反旗を翻すが失敗。居城に火を放って果てた。

 

・熊野政定 雷源伝のみ登場。完全オリジナル

軍攻/軍防61/80 武力53 知略82 政治78

雷源の実兄。序章開始時点では故人。

知略に優れる。弟である雷源を守るために星崎昭元、瀬田助春と共に囮になる。戦後、為景に首を晒された。

 

・星崎昭元 雷源伝のみ登場。完全オリジナル

武力81

序章開始時点では故人。

政定に付き従い戦った。政定と同じく首を晒された。

昭武が家名を継いだ。

 

・瀬田助春 雷源伝のみ登場。完全オリジナル

武力80

序章開始時点では故人。

昭元と共に戦う。同じく首を晒された。

優花が家名を継いだ。

 

○加賀衆

・杉浦玄仁 雷源伝から登場 史実武将

統率80 武力78 知力65 政治59

加賀にゃん向一揆衆の頭目。為景を討った後の熊野一党を率いれるが、雷源の声望に恐怖を抱き、雷源の移住の際に討伐軍を差し向けた。にゃん向宗に全てを捧げた姫武将。竜田派を毛嫌いしている。

 

○北陸諸国の武将

 

・三木直頼 序章と雷源伝に登場(序章は名前のみ) 史実武将

軍攻/軍防 81/80 武力55 知略78 政治85

良頼の父。序章開始時点では故人。

一国人から飛騨の南半を領土に加え、一時的に江馬家と内ヶ島家を麾下に加えた三木家中興の祖。

 

・内ヶ島雅氏 雷源伝のみ登場 史実武将

氏理の父。序章開始時点では故人。

雷源の親友で元は直頼についていたが、雷源の調略で一揆衆につく。雷源が一揆衆をやめたのち、平湯温泉一帯を開拓するように勧めた。

 

・畠山駿河守 北陸十年史編のみ登場 史実武将

序章開始時点では故人。

義総時代に能登から追われるが、義続が当主になると加賀衆と組んで復権を狙う。

 

・畠山九郎 北陸十年史編のみ登場 史実武将

序章開始時点では故人。

駿河守の息子。父と行動を共にする。

 

・朝倉孝景 雷源伝のみ登場 史実武将

朝倉家当主。序章開始時点では故人。

朝倉家の最盛期を築く。なお軍事の要である宗滴に頭が上がらない模様。

 

・朝倉宗滴 雷源伝・北陸十年史編に登場 原作キャラ

朝倉家の軍事の要。序章開始時点では故人。

熊野一党を招き入れた一揆衆に危機感を感じて、一揆衆包囲網を形成する。宗滴自身は大聖寺城に攻め込んだが、一義と長堯が奮戦したため落とせなかった。

北陸十年史編では、光教に目をかけ渡辺町の戦いを間接的に支援する。そしてその終焉を見届けると共に未練を残しながらこの世を去った。

 

 

○長尾家

 

・長尾為景 雷源伝と三章(身体は別人)で登場 原作キャラ

序章開始時点では故人。

越後守護代で越後守護と関東管領を討ち取った一代の梟雄。

また、定満と雷源の一族を皆殺しにした。

親不知で雷源に重傷を負わされ、その傷が元で死亡する。

 

 

・宇佐美定満 雷源伝から登場 原作キャラ

越後一の軍師で雷源の親友。為景に対して反旗を翻すも失敗。戦後為景に降伏した。原作では謙信が生まれた時には為景の元にいたが、今作では謙信が生まれてしばらくしてから降伏した。(そういうことにしないと昭武達の年齢がおかしなことになってしまうため)

定義死後、復讐を志す勝定と対立し袂を別つ。

だが、情は捨てきれないために親不知では見逃した。

 

○渡辺町

 

・竜田広幸 雷源伝から登場 完全オリジナル

統率71 武力63 知力78 政治81

元加賀にゃん向一揆衆の将。

一時的に雷源と共に行動する。

雷源が加賀衆を辞めたのち、反旗を翻すも失敗。

能登に逃れて渡光総とともに渡辺町を作る。

 

・渡光教 北陸十年史編から登場 完全オリジナル

統率91 武力82 知略96 政治85 四章

渡光総の息子。

知略に優れた将で、重泰が教育係であったために銃への造詣も深い。

押水の戦いで初陣を果たす。竜田派の禁制に反抗することを決意し、渡辺町での決戦を目論み勝利。戦後能登最大の勢力になる。

渡辺町の戦いの後は三年で能登を平定する。

熊野家に対しては警戒心を持っており、金ヶ崎の退き口では援兵として穂高を派遣する。

北陸大戦では地の利と外交、海運を駆使し、自軍に五倍する連合軍を撃退した。

 

・渡光総 北陸十年史編のみ登場 完全オリジナル

序章開始時点では故人。

能登渡辺城主にして畠山家の一門衆。

義総に命じられて広幸と共に開拓に従事する。

義綱の影の内閣の一人だが、政争の過程で遊佐続光らに暗殺される。

 

・穂高正文 北陸十年史編から登場 完全オリジナル

軍攻/軍防93/84 武力93 知略58 政治34 十年史

元小笠原家臣。光教と同年齢で作者曰くシリアスブレイカー

武田晴信の松本平平定に最後まで反抗した勇将で、居城失陥後は雷源を頼り平湯村に向かう。しかし雷源に仕官を断られて奨められるがままに渡辺町に流れて渡家に仕官する。端正な顔立ちだが、酒癖が悪く女好き。

渡辺町では新参者だが、すでに光教の右腕の地位を確立した。

北陸大戦では、副将の島々直成と協力し越中軍を防ぎきった。

 

・下間頼廉 北陸十年史編から登場 史実武将

竜田御坊住職。

はじめ石山本猫寺の重鎮であったが、教団の変質に心を痛めていた。

その時、広幸に出会い、雷源の宗教観を聞かされて本猫寺がもはや歴史的な役割を終えたと悟り、竜田御坊住職の話を受けた。

渡辺町の戦いでは、籠城戦の指揮をとった。

 

・鈴木重泰 北陸十年史編から登場 史実武将

光教の教育係。光教より二歳年上。

頼廉に付き従って渡辺町に居つく。

北陸に鉄砲をもたらした。

 

○畠山家

 

 

・畠山義総 雷源伝から登場 史実武将

能登畠山当主。序章開始時点では故人。

統率78 武力42 知力84 政治90

七尾城を築き城下町を整備した畠山家中興の祖。

朝倉宗滴、三木直頼と共に一揆衆に侵攻した。

また、反乱直後の広幸を引き入れて能登湾北岸の開拓に従事させる。

七尾城で病に倒れた。

 

・畠山義続 北陸十年史編から登場 史実武将

序章開始時点では故人

義総の後を継いで当主になる。

外交官としては優秀だが、戦は下手。

広幸たちを信用し切れず、竜田派を禁制にした。その後温井・遊佐派によって傀儡化され、渡辺町で義綱と光教を離間させるために温井続光に殺された。

 

・畠山義綱 北陸十年史編から登場 史実武将

統率76 武力70 知力76 政治68

義総の娘にして義続の妹。

加能越一の美少女と名高い才媛。

影の内閣を構築して中央集権を目指している。が、続光の離間により妨げられ再起のために能登を退去する。

四章では、熊野家と加賀衆を糾合してついに能登奪還に打って出る。が、光教に負けた。夢破れ、死を選ぼうとしたが玄仁に喝破され押し止まる。

 

・温井総貞 北陸十年史編から登場 史実武将

義総時代から仕える重臣。

押水の戦いで畠山駿河守を討ち取り、家中での発言力を向上させ光総を死に至らしめるが、後日光教に暗殺された。

 

・温井続宗 北陸十年史編のみ登場 史実武将

総貞の子。序章開始時点では故人。

渡辺町の戦いに出陣するが、光教の策に嵌められ焼死する。

 

・三宅総貞 北陸十年史編のみ登場 史実武将

温井家の姻族。序章開始時点では故人。

一日目の東北尾根で光教に惨敗する。二日目も続宗と運命を共にした。

 

・遊佐続光 北陸十年史編から登場 史実武将

統率55 武力39 知力87 政治82

畠山家臣。能登守護代。

義総時代は政権の中枢から追いやられていたが、義続の代になって権勢を強める。政敵である温井総貞と組んで渡光総を暗殺した。

渡辺町の戦いで破れるも、義続を暗殺し汚名を光教に着せることで、義綱との提携の可能性を妨げ、義綱の中央集権構想を頓挫の危機に追い込む。渡辺町の戦い後は能登で光教の統一運動に抵抗するが、あえなく失敗し、越後に亡命した。

 

・飯川光誠 北陸十年史編から登場 史実武将

畠山家臣。義綱の教育係。

光教と同い年で義綱の影の内閣の一人。

義綱に引けを取らない美少女としても知られる。

義綱に能登退去を進言した。

 

・長続連 北陸十年史編から登場 史実武将

畠山家臣。押水の戦いで光総と共に行動する。

所領が渡辺町の隣の穴水城で義綱の影の内閣の一人。

竜田派禁制以後は渡辺町側に着く。目的はお家の発展。

 

 





術などの独自設定
*童子切安綱についての設定
酒呑童子を斬ったことから刀身に陰陽道と同質の気が宿ったために式神や傀儡などを斬ることができる、退魔刀としての性質を持つようになった。
宿った気は強固で数百年経っても落ちない。

*降霊術についての設定
・術者が霊に自らの身体を貸し出す。
・霊は生前と比べるとやや劣化する。
・口寄せした霊の格が高ければ高いほど維持するのに術者の体力をより多く消費する。
・武力は術者の身体に依存し、知識は霊と術者の知識の両方を使える。(だから項羽とか呂布を口寄せしてもあまり意味ない)
・頑張っても二日しか持たない。

*傀儡についての独自解釈
・術者と傀儡の情報伝達は術者の気で作られた回線で行われる。
・回線を作る時は術者と人形は近いところにいなければならない。


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第二部
第四十九話 指導者への問い


第二部のスタートです。


 

 熊野雷源死す。

 新年を迎えて早々の凶報は、すぐさま諸国に広がった。

 

「あのおっさんでも死ぬことがあるのね……。この世って本当に不可思議ね」

 

 未だ雪が溶けきらぬ濃尾平野を眺めながら、信奈は呟いた。

 山本勘助、直江大和に斎藤道三。そして、熊野雷源。

 四者とも先月の戦乱を激しく駆け回り、逝った。

 それは、さながら激流のようで抗うことは許されない。だが、それにしてはあまりに性急過ぎて、まるで時が無理やり未来に向かおうとしたかのようだった。

 

「師走、ね。本当にみんな足早に去っていった。もっと一緒にいてくれてもよかったのに」

 

 だが、時代の潮流に反して人の心はそんなに転変するものではなく、織田信奈でさえもいくらか寂寥の念を禁じ得なかった。

 

 ********************

 

 重い足を無理やり引きずりながら、熊野軍は飛騨に帰着した。

 もう冠たる熊野雷源がいないというのに、撤退する軍は統率が取れていた。

 飛騨に帰った昭武が初めにしたことは平湯村に雷源の遺骸を葬ることだった。

 峻険な飛騨山脈を背後に望むこの丘はかつて昭武が雷源と優花と狩に赴いた地であった。

 

「親父、オレはもう鹿を一射で射止めることができるぞ……」

 

 されど、もうそれを褒めてもらいたい相手はいない。

 そのことが昭武の心に寒風を吹かせるのだ。

 

 

 雷源の葬儀を終わらせたのち、昭武は政務に勤しむようになる。

 日がな一日、執務室に篭もり桜夜や三奉行から報告や書状を受け取っては確認し、新たに作らせた印判を押す。

 昭武は頭が痛い気分だった。

 此度の北陸大戦は未曾有の大戦であった。

 能登の奥深くまで侵攻したのちに反転して越軍を相手にした防衛戦、そして憎しみに捕らわれた殲滅戦。

 無論、金や兵糧、兵の被害も尋常なものではない。

 それらの戦いの全てが収められたのが上がってくる書状であり、自らの夢の対価を容赦無く突きつけてくる。

 

「一月分の税収と貯蓄の半分、さらに常備兵の二割……。これからしばらくは軍を動かすのは控えざるを得ないな…」

 

 昭武は頭を抱えた。そして、父や皆が自分のためにどれだけの苦労を負ってくれたのかを知る。

 

(渡光教もこのような感じだったのか。こうまでされてしまえば、どんな手段を使っても守りたいと思えるはずだ)

 

 一人得心して、昭武は呟く。

 

「今までは常在戦場って感じだったが、久々にこの目で見たくなったな。オレが守らなくてはいけない人々を、支えてくれる人々を」

 

 思いついた昭武の行動は早かった。

 目の前の書状の山を三倍の早さで片付け、執務室を出て『今日はもう働かない』と書かれた紙を執務室の入り口に貼り付ける。

 

「護衛は通りすがった奴を使えばいいか」

 

 このような雑な流れですれ違った井ノ口を捕まえて、昭武は巡察を開始する。

 手始めは居城である桜洞城の城下町、次に北上して飛騨の商都・松倉。その後は東進して平湯村。平湯村から北西に進み、神岡の鉱山と高原諏訪城下を回った。

 

「やはり、雷源様がいなくなったことは大きいようです。民の間にも動揺が広がっております」

 

 高原諏訪城~帰雲城間の山道で井ノ口が言う。

 今まで会った人々はいずれも先行きに不安を感じていた。

 

「親父は紛れもなく北陸の勇将だった。みんな、オレと同じように「あの人さえいれば、なんだって大丈夫だ」って信じていたんだよ。……だから、いなくなってしまえばとても恐ろしく感じる」

 

「確かに雷源様にはそう思わせるだけの力がありました。雄大にして豪壮。さりとて颯爽さをも持ち合わせている。こうまで英雄性を持ち合わせている以上、縋りたくなるのは栓無きこと。それがしもああなりたいと憧れておりました。過去の形でしか語れぬことが残念です」

 

 井ノ口は若い将の中ではとりわけ雷源に目を掛けられていた武将だった。登用したのは昭武だが、下で働いた期間は雷源の方が長い。

 雷源は井ノ口の中に武官としての類い稀な資質を見抜いていたのだろう。そのため、長近から離して側に置き自らの持ついろはを叩き込んだ。

 

「常々雷源様は申しておりました。種子島が来た以上、時代は変わったと。効率的に人を殺せるために野戦の時間は短くなり、山城は単なる的になった。これからの時代は国力を一挙に叩きつけて行うものになると」

 

「なるほどな……」

 

 昭武が顎に手を添え、思案する。

 織田信奈の戦いも井ノ口の騎馬鉄砲隊もお金はだいぶかかっている。だが、それが長期戦に及んだことは一度としてない。

 決戦火力としての火器の使用。これが新しい時代の潮流となりつつあるのは事実だった。

 

(飛騨と越中西部の山間には、硝石を作る村々があったな。そこも視察するか。新川郡の立山近辺まで行けば、硫黄も採れるが、新川郡は越中の東端。越軍を越中から出せない以上、火薬の自家補給は夢のまた夢か)

 

「金環党は今でこそ種子島の専権部隊みたいになっているが、それだけでは不足か……。他の隊にも波及させようか」

 

「そうなると、相当金を使うことになりますね」

 

「ああ。そのためにも金山と硝石村がある次の巡察先の旧内ヶ島領はしっかりと見ておかないとな」

 

 その後も談笑しながら、昭武と井ノ口は帰雲城への峠道を進んでいく。

 話題は両者ともに興味がある武芸や軍事ばかりではあるが、時折、次のような話もする。

 

「そういえば、井ノ口。おまえはなんかないのか?……女絡みの話だとか。おまえは相良に言わせればワイルド風な美形らしい。ワイルドってのはいまいちわからんが野趣じみたかっこよさということだろう」

 

「いや、あまりそういった話はございませんな。それがし、女子の香より硝煙の方が好みでして……」

 

「おいおい井ノ口。それは困る。なんだかんだでおまえはもう我が家の重鎮なんだ。下手な武家よりも格は上。むざむざ家を絶やせる立場ではないぞ」

 

「とは言っても、常に硝煙に塗れたそれがしのような男に嫁が来てくれるとは思えませぬ」

 

「長近は?」

 

「殿、あの方はそれがしの旧主ですよ? 確かに硝煙などを気にするような方ではありませぬが、それがしとなど世間体がよろしくない」

 

「まあ、おまえならそう言うと思っていたがな……はあ」

 

 恐縮する井ノ口を見て昭武は溜息を吐く。

 

(相良の言う鈍感系主人公というやつかな。ちと長近が不憫に思えてくる)

 

 昭武は桜夜を経由してだが、長近が井ノ口に好意を抱いていることを知っている。なんでも金環党を築いてすぐの頃からだとか。幼馴染であると同時に相棒で美形。

 よくよく考えれば、恋心を抱かない方がおかしい関係性である。

 

(恋心、か……。いまいちオレにはわからないんだよな……)

 

 とはいえ、星崎昭武にはいまいち金森長近の心情がわからなかった。辞書的な意味での恋心は知っているが、それで知ってると言えるわけがない。

 

(桜夜や左近に色気を感じることはあるが、それはただの情欲だしな……。景虎と出会った時はただただ哀しみしか感じられなかった。……ああ、でも)

 

 何かに思い至りつつある昭武。

 されど、その行為は井ノ口の言に遮られた。

 

「殿、敵襲にございます」

 

 坂下から上がってくるのは、粗末な武装をした農民たち。数はだいたい三十人ほどか。

 

「反乱か……。あいにくそれを起こされるような悪政は敷いていないつもりなんだがな」

 

「ここは、それがしが防ぎます。殿はどうかお逃げを!」

 

「いや、一息に気絶させて逃げた方がいいな。一人あたり十五人、オレたちなら無力化できないことはないだろう?」

 

「承知しました。それでは迎え撃つとしましょう」

 

 昭武と井ノ口は共に得物を構え、駆け下る。

 峰で一閃すれば二人がもんどりを打ち、石突で突けば三人がふっとぶ。装備に比例してか異様に弱かった。

 

「呆れるほど弱いな。だが……」

 

 そう易々と気絶することなく、動きを鈍らせながらも昭武たちを襲ってくる。武器として使っている鍬や鋤が切り飛ばされてもだ。

 ここまでくれば、昭武には反乱者がどのような者たちか分かってきた。

 

「井ノ口、こいつらはにゃんこう宗の門徒だ! おそらくオレたちでは無力化し切れない! 逃げるぞ!」

 

「御意!」

 

 ついに、昭武と井ノ口は逃走を図ることを決断する。

 どうにか、馬を停めた地点まで抜けると門徒は追いかけるのを諦めた。

 

「にゃんこう宗か……。玄仁が絡んでいるのか? どうにもキナ臭いことになってきたな……」

 

 

 ********************

 

 桜洞城に帰った昭武はすぐに左近を呼び出して、先日のことを伝えた。

 

「殿に襲いかかるにゃんこう宗の門徒ね……。決してあり得ないことではないな」

 

「やはり、玄仁の謀略か?」

 

 昭武が尋ねるも左近は首を振る。

 

「玄仁はおそらく関わってないわ。これはわざわざ関わらずとも起きたであろう出来事だもの」

 

「全然わからん。どういうことだ?」

 

 左近は当然のように語るが、昭武は分からず首を傾げる。その様を見て左近は呆れて溜息をついた。

 

「はぁ……、あんたほんっとにこういったことに弱いわね……。いいこと?これは飛騨熊野家がもともと抱えている宿痾よ。『武家主導の神権政治』これが、熊野家の本質よ。本人は違うと言うだろうけど、雷源様が「北陸無双という英雄性を持った宗教者」だったから武家だろうと飛騨のにゃんこう門徒は崇拝し、押し上げた。けれど、それはあんたたちには適応されない。なぜだと思う?」

 

「オレと優花が二人ともにゃんこう宗に帰依していないからか?」

 

「ご明察よ。結局のところ飛騨は桜洞城の戦い以降は血筋よりも宗教性が指導者に求められているわ。あんたたちを襲ったのも指導者はそうであるべきと言う強硬派よ。本当に飛騨の主人になるならば、あんたは宗教性を持たなくてはならないの。彼らに言わせれば、にゃんこう宗の見習い尼だった桜夜殿の方が正当な後継者になるわね」

 

 左近の言葉は事実だった。

 実際、元からにゃんこう宗を需要していた旧内ヶ島領では熊野家は大名家というよりは、にゃんこう一揆衆の一派として捉えられることが多い。

 大名家ならば、血筋が一番だ。だが、一揆衆でもあるために他の要素が強く介在する。

 

「あり得ないとは思うが、下手をしたらオレと桜夜の間で御家騒動が起こるということか」

 

「ええ、桜夜殿が乗り気ではなくとも向こうが桜夜殿を祀り上げてしまえばそれでもう」

 

 不愉快な想像をしてしまい、昭武の表情が悪くなる。そうなれば内政が回らなくなって飛騨は自壊する。それだけは避けねばならなかった。

 

「なぁ、左近。方法はないのか?」

 

「あんたが尻垂坂で暴れなきゃ弾圧することもできたわ。正直家中の引き締めとしてはちょうど良かった。けれど、今やるのは悪手ね。あまりにもあんたの残虐性が一人歩きしてしまいそうだし」

 

「ああ、くそ。無理なのか……」

 

「話は最後まで聞きなさい。というかさっき言ったじゃない。あんたは宗教性を得る必要性があるって」

 

「いや、だからといってにゃんこう宗に帰依するのはな……」

 

 支持を得るために特定の宗教に帰依するのは、人心掌握では常套手段である。武田信玄は仏教に帰依したし、九州のキリシタン大名は南蛮貿易のために改宗したようなものだ。

 だが、昭武はそういった行為をあまり好まなかった。

 

「国主はそういったことには中立であるべきだ。どちらの意見も平等に聞き、贔屓なく裁く。そうせずには天下泰平などあり得ない」

 

「そう言うと思ったわよ。安心なさい、そんな安直なやり方ではないわ。というか、今それをやるのはあまりにもあからさますぎて、逆に嗤われるわ。ただ、足りないものを持っている人の力を借りるだけよ。……少し耳を貸しなさい」

 

 その後、昭武は思わず絶句した。

 左近に耳打ちされたことは昭武にとってはひどく衝撃的なことだったのだ。

 

「本当ならば今すぐ決断して欲しいけど、今の状況じゃ無理ね……。二週間後までには決めなさい。この二週間こそが星崎家が成立するかどうかの分け目。判断を違えるんじゃないわよ」

 

 言うと左近はすたすたと去ってしまう。

 取り残された昭武は天を仰いだ。

 




読んで下さりありがとうございます。
第二部でついに昭武が国主となりました。が、すぐに問題に足を取られるのは、家臣時代とは変わりません。

さて、ここでお知らせと補足を。
現在ページ再編を行っております。その点でごちゃごちゃしてしまっていることをまずお詫びいたします。
だいたいページ再編に関しては活動報告に書いておりますが、記載漏れがあったのでここに書いておきます。

③ 北陸十年史の飛騨を雷源伝に改名し再編。それと不定期更新化。

個人的にこれを全て書いて雷源さんの掘り下げは完成するのですが、北陸大戦にかまけてしまい、これを書くための感覚を失ったためこのような事態となりました。申し訳ないです。

活動報告を兼ねているためやけに長くなりました。
誤字、感想などあればよろしくお願いいたします。



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第五十話 上杉謙信

 左近が部屋を去ってなお、昭武は動けないままだった。

 昭武が左近に教えられた方法。それは、琴平桜夜との婚姻による祭政一致であった。

 星崎と琴平が一つになることはすなわち飛騨における武家とにゃんこう宗の二重統治体制の打破につながり、なおかつ、特にどちらかを排斥するわけではないので、よっぽどの強硬派ではない限り、異論はでない。

 

(理には適っているがな……)

 

 左近のそれは見事なまでに最適解であることは、少し考えれば分かる。しかし、政略の駒に婚姻を用いる。このことに昭武は拭いきれない忌避感を覚えているのだ。

 

(そこまでして、にゃんこう宗を相手にするべきだろうか。なんだかんだでオレを襲った様な奴らは少数派だ。そいつらのためだけに、桜夜の未来を限ってしまっていいのだろうか……)

 

 この昭武の葛藤は容易に明かせるものではなかった。

 身近な女性といえば優花だが色恋には疎く、桜夜に明かせば大義のために自らを擲つのは目に見えているし、左近にはそれしかないと断じられる。

 さりとて、親しい男性として井ノ口に話したところで彼は恐縮して答えはしないのは目に見えていた。

 

(やっぱ、同年代は頼りにならないな)

 

 だから、昭武は長堯を呼び出した。

 親しみやすいおじさんとして、または人生経験を積んだ誠実な大人としての解答を長堯に期待したのだ。

 

「ふむ、小生の意見に過ぎませんが、よろしいので?」

 

 相談を持ちかけられた長堯はまず、初めに言い放った。

 

「下策、ですな。それで負い目を負う時点で為すべきことではないのは明白です」

 

「だが、武力行使はできない。だとしたらオレの主義に反するが、にゃんこう宗に帰依する他はない……。しかしオレは、人を神から解放したいんだ。あくまで神は迷い苦しんだ人が縋り、頼るもの……言葉は悪いが道具に過ぎない。天下泰平とは、そうした人々を生まない、もしくは救うことも含んでいる」

 

「なるほど、殿の願いを果たすには左近どののそれが一番近いですな。なにしろその苦しんでいる人に戦いや変化を強いることはなく、自然にゆるやかに変えていくことができるのですから」

 

 長堯は続けて言う。

 

「もはや小生はその婚姻を下策などとは言いませぬ。ただ、独り身の妄想に過ぎないやもしれませぬが、祝言とは相手に自らの傍らにいて欲しいがゆえに行うものにございます。であるならば、殿が考えるべきことはただ一つ。利害関係抜きに桜夜どのが隣にいてもらいたい理由です。もし、それがはっきりしているのであれば、同時に伝えなされ。その理由が真実ならば、それはきっと桜夜殿の心に届くでしょう」

 

「それは……」

 

 それこそが愛ではないのか?

 

 そう、昭武は問おうとした。が、どうにも恥ずかしくなってやめた。

 

「オレは……」

 

 ********************

 

 北陸大戦ののち、領内が混乱に見舞われたのは飛騨だけではなかった。

 今回の大戦の勝者に属する長尾家でも春日山城に諸将が押しかけるような事態となっていたのだ。

 

「景虎様!どうかお考え直し下され!かの者は北陸の秩序を乱す悪鬼であったはず!なのにどうして、和睦など結ばれたのですか⁉︎」

 

 戦場で再び倒れた景虎は回復すると、諸将を一まとめに集めた場で星崎昭武ら熊野一党との和睦を発表したのだが、揚北衆を中心に諸将が抗議したのだった。

 

「くどい!もう決めたことだ! わたしは星崎昭武とは争わない!かの者は猛省している。ゆえに敵対する理由はもうない」

 

「星崎昭武に戦意がなくとも、こちらはありまする!あの親子によって討たれた我らの輩の無念、いかで晴らすまじか!」

 

「私怨で戦は起こしてはならぬ」

 

「敵討ちであるから義戦にございます。聞けば、景虎様は本陣でお父君の仇、熊野雷源を屠ったと聞いておりまする。景虎様だけ許して我らには許さぬのはいささか御心得違いではありませぬか?」

 

「違う。わたしは熊野雷源を討ってなどいない。それに向こうが本陣に踏み入ったのだ。わたしはあくまで受け身だった」

 

 景虎が弁明するも、諸将は信じてはくれない。

 どうにも軍神という評判が一人歩きして、熊野雷源を討てなかったという事実自体の信憑性が失われているようだ。

 

「ふん、宇佐美よ。だから言っただろう? 揚北衆は納得はすまいとな」

 

 紛糾する諸将の中ただ一人、長尾政景だけが宇佐美に対して冷笑を浮かべている。

 

「んなことはわかってるって言った気がするけどな」

 

「川中島の時は、何かの間違いで収まりがついていた。だが、今回ばかりはどうにもならぬぞ。……おっと、北条が手招きしてやがる。行かねばな」

 

 諸将は散々ごねたが、景虎は聞く耳を持たず諸将は解散した。もともと頑固な景虎を翻意させることは至難の技である。

 ゆえに、翻意させるには尋常ならざる手段を用いるほかない。

 

(昼間の政景の旦那の発言……。北条のやつと繋がっているな……)

 

 夜、居城の琵琶島城で定満は思案する。

 また、いつも通りの展開だった。

 景虎に不満を持てば、政景を旗頭にして武力で言い分を通そうとする。普通の大名家なら処罰ものだが、景虎は異様に甘い。非常に軽い罰に処してそれで終わりだ。そのために武力を用いることを安く見られている節がある。

 

(そろそろ、越後も変わらなきゃな。いつまでも景虎に同じ手間をかけさせたくないし、与六の代になるまでに片付けなきゃ、夢見が悪い)

 

 定満は密かに決意して、政景に一通の書状を認める。

 

(未練はあるといえばある。まだ、景虎を見ていてやりたかった。だが、今でなくちゃいけない。今やれなければ、間違いなく俺はその機会を永遠に失うだろうからな)

 

 悲壮な決意をもって定満は書状を書き連ねる。

 けして、特別なことではないように。

 さりとて、自らの心情を悟られないように。

 疑われはするだろうが、どうにかこちらの思うような流れに運ぶように。

 工夫を凝らして書き進め、どうにかあと一行というところだった。

 

「定満様、何をしておられるのですか?」

 

 折悪しくも定満の屋敷に寄寓していた直江兼続が部屋に入って来てしまったのだ。

 

「お、兼続か。どうした? 今の時間は普段起きている時間じゃないだろう」

 

 定満は筆を下ろして素知らぬ顔で振り返る。

 兼続の姿は普段のような装束ではなく、薄桃の浴衣を着ていた。

 

「いえ、厠からの帰りに宇佐美様の部屋に灯しが点いているのが気になりまして……」

 

「なるほどな……。悪い、事務仕事にやり残しがあったことに気づいたからな。急いでやってた」

 

「でしたら、私が手伝いましょうか?」

 

「いい、ほぼ終わってる。後、一枚分仕上げれば終わるさ」

 

「そうですか……。お身体には気をつけて下さいよ?義父上も亡き現状では宇佐美様が頼りなのですから」

 

 そう言って兼続が部屋を辞する。

 定満はそれを見送ると、書状が露見しなかったことに安堵した。見られていたら、聡明な兼続である。定満の企んでいることを悟り、諌めるだろう。

 そうなった時、自らの意志を押し通せる自信は定満にはなかった。

 定満がこれから為そうとしていることはつまり、そういうことなのだ。

 

(すまないな、与六。景虎を頼んだ。あいつを任せられるのはもうお前しかいねえ)

 

 兼続への罪悪感がこみ上げてくる。しかし、それをどうにか使命感で打ち消し、定満は小姓に書状を託した。

 

 ********************

 

 長尾政景の居城、坂戸城。

 越後と関八州の境にあたるこの地一帯では、何度も合戦が繰り広げられた。

 長尾為景が関東管領上杉顕定を討った長森原の戦い。

 謀反した政景に景虎が対抗した坂戸城の戦い。

 今となっては良晴だけが知り、起きるかどうか定かではないが、景虎死後の御館の乱。

 しかし、此度はそれらの戦跡は全く関係はない。

 城近くにある小さな湖、野尻湖。

 とりたてて何かがあるわけではないこの湖の畔に定満と政景が向かい合っていた。

 

「宇佐美。お前がわざわざ出向くとはな。どうせ碌なことではないだろう」

 

「おいおい、書状に書いた通り船遊びをするだけだぜ?」

 

「はっ、どうだか。お前のことだ、すでにこの辺り一帯に結界を張っているだろう。はなから俺を殺すつもりだったな」

 

「そういう政景の旦那こそ太刀を二振りも佩いてきやがって……。やっぱ看破してやがるな?」

 

 そう、定満が茶化すと政景は獰猛な笑みを浮かべて答えた。

 

「ああ。尻垂坂の戦いからお前の様子がおかしかったからな。お前はいざとなれば手段を選ばない男だ。だが、そこまで至るのに時間がかかる男だった。……しかし、親友たる熊野雷源を始末して漸くその域に至った」

 

 政景の回答に今度は定満が苦笑いを浮かべる。

 

(政景の旦那の言う通りだ。確かに俺は勝定をこの手で討ってから、いよいよ本当に手段を選ばなくなった。変わったというよりは、 擦り切れたという感じが否めないがな……)

 

 思えば、政景と定満は定満が長尾家に降伏してから今に至るまでずっと景虎の裏で権謀術数を争ってきた。その期間は十数年にも及ぶ。

 ここまで長く付き合えば、自ずと互いの手の内は分かってくる。

 

「さて、政景の旦那。そこまで分かっているなら御託はいらないな」

 

 定満が手袋をはめ、政景に向ける。

 すると、政景は腰の一振りを抜いた……

 

 

 

 

 

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 翌日、春日山城には訃報が届いていた。

 宇佐美定満と長尾政景。

 この両者が船遊びの最中に船が転覆して溺死したとのことだ。無論、事実は異なる。対峙した二人は両雄相打ち、共に力尽きた。それを事前に定満に言い含められていた軒猿が隠蔽のために野尻湖に沈めたのだ。

 これは、定満が少しでも景虎に汚れ役をさせたと気遣わせないための方策だった。

 いずれにせよ景虎と兼続の悲しみは尋常なものではなかったが、北条らが計画していた武力蜂起は立ち消えになる。

 政景がいない以上、武力を用いたくとも乱を起こすに足る頭はないのだから。

 宇佐美定満はその身をもって越後を一つにまとめたのだ。

 

 宇佐美定満、直江大和、長尾政景。

 

 三者三様、彼らはそれぞれの形で景虎を愛し、導き、欠くべからざる働きをしてきた。そして、その果てに毘沙門天は結実した。

 だが、皮肉なことに彼らは決してその様なことを望んではいなかった。

 宇佐美と政景の葬儀ののち、景虎は姫大名のまま出家し名を「謙信」と改め、亡命している上杉憲政から「上杉」の名跡を継ぎ「上杉謙信」と名乗りを変えた。

 諸将は関東管領たる山内上杉の名跡を継いだことから、謙信は関東に本腰を入れるのかと推測したが、実際のところは異なる。ただ、彼女は失った物に苛まれることから逃れたい、その一心だったのだ。

 この真意を読める者は上杉家中にはもういない。

 

 かくして謙信は、一人になった。

 




読んで下さりありがとうございました。
大戦の結果は参加したどの勢力にも等しく影響を与えています。その中でも昭武達と今回の上杉家は顕著なものでした。
上杉家は史実にやや遅れて定満が収拾しましたが、昭武達はまだまだで、主に昭武の甘さというか拘りによって滞ってしまっています。が、それがあっての昭武なのでなんとも言えないところです。



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第五十一話 回答

 

 寒々しい空に月と星がよく映える。

 草木も眠る丑三つ時、されど昭武は眠る気になれずに空を見上げていた。

 

(利害なしで桜夜がいて欲しい理由。……まとめきれないな)

 

 長堯に言われた言葉が未だ昭武の中に止まっている。

 やけに仰々しかったが、長堯はつまるところ「桜夜に対して気持ちも示せ」と言っていたのだ。

 昭武は言われた通り、理由を考え始めた。すると、いつの間にかこの時間になってしまっていたのだ。

 

「……こうまで、オレはあいつのことが好きだったのかね。一度、気づいてしまうと面映ゆい物があるな」

 

 ついに昭武は苦笑いを浮かべてしまう。

 まさか事実上一代で北陸の雄に成り上がった自分が一人の少女にこうまで振り回されるとは思わなかったのだ。

 ふと目を閉じれば、桜夜と共に戦った日々が蘇ってくる。

 熊野家は昭武や雷源、井ノ口をはじめとする豪傑たちが集う家だった。彼らの中には破天荒な者も多く、緒戦は自然と苛烈なものとなっていく。そんな中、異彩を放つのが桜夜だった。

 豪傑とは決して言えない、か弱い彼女だが、それでも必死に豪傑たちの中に紛れて戦い抜くその姿は昭武にはひどく眩しいものに思えたのだ。

 

(仮にオレが桜夜と同じ立場についたのなら、オレはきっとどこかで諦めてしまうだろうな。そんなに、オレの心は強くはできていないから)

 

 かくして、いつの間にか昭武はそんな桜夜から目を離せなくなっていた。

 烏滸がましくも守ってやりたい、もっと隣で見ていたいと強く思うようになっていた。

 気づかないようにしていたのは、ただ照れ臭かったからなのかもしれない。

 

「はは、これじゃオレがただのガキみたいじゃないか」

 

 事実、ガキである。少なくとも雷源や長堯が今の昭武を見れば、そう断じる。長堯に至ってはそう断じた上でさらに正面から向き合わざるを得ないように仕向けていた。

 

「行こうか、あいつのところに。気づいた以上、見過ごせない。折角のこの思いだ。鮮度を保ったまま届けてやろうじゃないか」

 

 昭武は馬上にまたがり駆けた。

 行き先は松倉の町の旧琴平宗方邸。今現在では、桜夜と宗晴の別邸として扱われるところであった。

 

 ********************

 

「よう、そろそろ始末は着いたか? あれから一月だ。いい加減余裕ができただろ?」

 

「ああ。そろそろ、というよりもあの戦いの後処理は一週間前に終わっているとも。……ちょうど暇していたところだ。呑むか?」

 

「ははっ、お前はいつも用意がいいな。んじゃご相伴に預かるぜ」

 

 鯨海を臨む七尾城の天守で光教と穂高が美酒を酌み交わしていた。

 二人が顔を合わせるのは三週間ぶりである。

 光教は大戦の事後処理ばかりしており、穂高と遊んでいる暇などなかったのだ。

 

「そういえば、お前の方の仕事は終わらせたか?」

 

 とはいえ、穂高をそのまま遊ばせておくほど能登の人的資源は潤沢ではない。穂高もまた一仕事任されていた。

 

「終わらせた。つーか悪趣味が過ぎるだろ、渡。普通、俺っちをあそこに派遣するか?むちゃくちゃ居心地悪かったぞ」

 

「仕方ないだろう。治政ができる者は全て後処理に使わざるを得なかった。恨むなら自分の脳筋ぶりを恨め。……それで結局、どうなった?」

 

「ああ、それな。流石はお前の策ってとこだ。利害について敏感なはずのあいつですら二つ返事で頷いたよ。精鋭騎兵を二千騎出してくれるらしい」

 

「む。やはり長尾景虎とは違って甘くはないか……」

 

 穂高の報告を聞いて光教は表情を曇らせる。難しいとは前々から思っていたが、想定以上だった。

 

「ん?足りなかったか?」

 

「ああ。正直なところ、四千は欲しかった。いや、あの部隊が本当に来るのであれば最低限の働きは期待できるが、この場合は質より量が欲しかった」

 

「んー、まああいつだからなあ。無駄なことをしたがらない。ましてあんな辺鄙な場所だぜ。一度通ったから分かるが、あそこに軍を通させるなんて絶対嫌がるに決まってる」

 

「伝聞でしか聞いていないが、それほどの場所なのか?あの山道は」

 

「ああ。多分あそこが日ノ本一の険路だな。普通に行軍するだけで何人か滑落するようなとこだし。多分、あそこを無事に通り抜けただけで史に残るぜ」

 

 あっさりととんでもないことを感想を述べる穂高。だが、その語り口がかえって真実味を帯びていた。

 なんとも言えない微妙な空気になったので、両者とも酒をあおる。

 酒は舌を円滑にする。ましてや話好きの穂高がいるのだ。そう沈黙は長く続かない。

 

「そういえば、あの娘はどうなった? ほら、俺っちが三週間前に推挙した浪人。結構頭良さそうだったから推挙したんだが……」

 

 この酒の席から一月前のことだ。

 穂高のもとを訪ねてきた少女がいた。

 名を扇と云い、顔立ちが整っていることは勿論、腰よりも長く伸ばされた流麗な濡羽色の髪に細腰雪肤(さいようせっぷ)と容姿は極めて整っているものの、自らの素性を東国から来たとだけしか明かさない得体の知れない人物だった。

 普通ならば、こんな怪しい人物にまともに取り合おうとはしないだろう。だが、人との距離を基本的に詰めたがる穂高は彼女と語らい、そののち数日間自らの祐筆として用いてその才を認めて推挙したのである。

 

「今の能登には俺っちや頼廉のおっさんとか長家の棟梁のような一軍の指揮を任せられる奴がいるし教連姉妹はお前の策の駒としては充分だろう。統治は広幸のおっさんがいればいい。だが、肝心のそれらをどう動かすのか、それをお前と一緒に考えられる奴がいない。今のところは俺っちがそれを担ってるが、あいにく向いているとは言えねえ。……あいつなら、その役目を果たせると思うんだけどな」

 

 穂高は扇のことを高く買っていた。扇が相当な美少女であるために気に入ったという部分もあるが、何よりも今の能登に必要な人材だという点で扇を信用していたのである。

 

「馬鹿めが、おそらくそうはならないであろうよ」

 

 しかし、光教は首を振った。

 

「確かにあの女の才幹は高い。それこそ経験を詰めば、俺に並ぶ。だがな、それ以上にあの女はいささか向上心が強過ぎる」

 

「そういえばそうだったな。祐筆に置いていた時、何度か祐筆の枠を踏み越えたことは言ってきていた」

 

「そうだろうな。才幹に補強された向上心は、時に主を疎む心に繋がる。ゆえに使い潰すことは出来ても使いこなすことは難しい。推測に過ぎぬが、奴の欲するところは己が才幹を用いて天下に自らの足跡を刻みつけることであろう。そして、それは往々にして下克上という形で現れる」

 

「……で、結局あの娘を雇わなかったってことか?」

 

「いや、雇う。というよりも、すでに使っている。……お前を外交に使っている間にな。ともあれ、これで布石は打てたことになる」

 

「そうかい。相変わらず惚れ惚れせるほど容赦がねえな。あれだけやってまだ足りないか」

 

「叩けるうちに叩く。これが戦国の常道だ。もっとも此度は俺としても蛇足であるとは思うが、あまり元手が要らぬからな、やっても問題なかろう」

 

 ここまで話すと光教は杯を傾け、酒を流し込む。

 

「ふ、話し過ぎたか。戸沢白雲斎が覗いていることを警戒してあえて特定されぬよう話したが、これでは焼け石に水だろうな」

 

 そう言って、光教は再び杯を傾ける。

 それ以後は光教も穂高も言及することはなかった。

 

 ********************

 

 旧琴平宗方邸に着いたのは、早朝のことだった。

 昭武単騎とはいえ、桜洞城から松倉の町に行くには一山越える必要があるためだ。

 

「本当に思いつきだから、伝者を出すことも忘れてしまった。如何にオレが主だとしてもこの時間だしな……。入れてくれるだろうか」

 

 一晩の間に昭武の頭は冷え、門番への取次を躊躇してしまう。いや、正確には桜夜に冷たい対応をされることを恐れているのかもしれない。

 もっとも、仮に桜夜が昭武を追い返したとしても、それは前もって伝者や書状を出さなかったが故の形式的な対応で、決して桜夜が昭武に対して隔意を持っているというわけではないのであるが、今の昭武はとにかく桜夜の挙動の一つ一つに過敏になっているのだ。

 

(ここは一度、昼になるまで時をかけるか?……いや、でもなぁ……)

 

 さりとて、先延ばしにすればいよいよ決断が無駄になることは明らかだった。

 

(ええい、ままよ!)

 

 ついに昭武は決断する。

 門番は早朝の国主の来訪に戸惑ったが、どうにか平静に桜夜が未だ起きていないことを説明し、代わりに宗晴のもとへ案内した。

 かくして宗晴の部屋にて昭武と宗晴は向かい合う。

 

「これはこれは、殿。このような朝に何の御用で?」

 

「桜夜に大事な話があって来たんだが……。まあ、順序は違えどお前にも伝えなきゃいけないことだ。桜夜の前に、お前に話しても問題ないか」

 

「それは、我が琴平家に何か関わりが?」

 

 おそるおそる宗晴は尋ねる。なにしろ朝方に主君が突如やって来て、自らの姉に大事な話があるというのだ。どうしても身構えてしまう。

 

「大いに関係するな。なにしろオレは桜夜に求婚しようとしているのだから。必然と琴平家とは関わらざるを得ない」

 

「はあ……、そうですか」

 

 割合、とんでもないことを宣った昭武に対し、宗晴の反応は存外淡白なものだった。

 

「あれ?もう少しばかり驚かれると思ったんだけどな……。察知してたか」

 

「いえいえ、驚きましたよ。ただ、それ以上に妙にしっくりきていたのです。弁が立つわけではないので、これぐらいの表現しか出来ないんですが……」

 

「そうか、しっくりくる、か……。そういう言い方もあるか。中々悪くない」

 

 何度も頷きながら、昭武は宗晴の言を咀嚼する。

 昭武は桜夜のことを好いていることを自覚していたが、それは決して燃え盛る炎のようなものではなく、それよりか火鉢のように静々と、されど確かに温かみを感じさせるものだった。

 

「そう言ってくれるということは、宗晴。お前はさして反対するというわけではないという訳か?」

 

「はい。相手が殿ならば、姉上が嫌がるとは思えませんので。そうである以上、ぼくがわざわざ立ちはだかる理由はありません。これからは姉上をよろしくお願いいたします。殿」

 

 和やかな笑みを浮かべて宗晴は答え、平伏する。が、一方で昭武はあんぐりと口を開けたまま固まっていた。

 

「どうされました?殿」

 

「いや、意外だったんだ。未来語でいう死酢魂まっしぐらのお前があっさりと認めるなんてな」

 

「……ぼくはですね、どうしたってあなたを認めざるを得ないんですよ。あの時、ぼくは頼綱を姉上の元へ行かせてしまった。聞けば頼綱は姉上を手篭めにしようとしていたそうではないですか。考えたくもないことですが、あの場に殿が駆けつけてくれなければ、間違いなく姉上は女性としては死んでいた」

 

 苦味走った表情で宗晴は述懐する。

 宗晴はずっと悔いていた。桜洞城の戦いの折、姉小路頼綱を足止めできなかったことを。

 

「あの時は、ぼくが姉上を守ると意気込んでいた。けれど出来なかった。だから、ぼくが出来なかったことを成し遂げた殿、あなたこそが姉上の隣にいて欲しいのです」

 

 一方で、宗晴は昭武に自らがそうありたかった理想を投影していた。姉を守り、共に戦う剛の者。昭武は彼が任じられたかったその役目を見事に体現していた。

 

「……宗晴、お前に言われずともそうするよ。なぜならオレはずっと見ていたいんだ、あいつの笑顔をな」

 

 昭武は優しく微笑むと宗晴は破顔した。

 

 

 

 

 宗晴とあらかた話した後、昭武は桜夜の部屋に向かった。

 襖を開くと、部屋の奥で桜夜が正座をして昭武を見つめている。それを見て昭武は心の臓が止まったような気がした。

 

(やべえ……、自覚してしまったら桜夜をまともに見られねえ……)

 

 桜夜への恋心を自覚してしまった昭武には今の桜夜の姿は眩し過ぎた。

 手早く準備を終わらせるためなのか、いつもはポニーテールに結われている髪は下ろされ色気が増しており、さらには普段は割と華美な装いをする桜夜が今は浴衣しか着ていない。だが、それがかえって桜夜自身が持つ清楚さを強調していた。

 

「どうしたんですか、昭武どの?何かお話があるのではないですか?」

 

 昭武の内心を知ってか知らずか桜夜が促す。やむなく昭武は桜夜の対面に座った。

 

「それで、お話というのは? 昭武どのがわざわざわたしの元へ赴くぐらいです。余程重大な内容と見ました」

 

「まぁ、重大な話ではあるが……」

 

 思わず昭武はそっぽを向いて頭をかいてしまう。

 今から桜夜に告げようとしていることは、確かに昭武にとっては重大な内容だ。

 

(しかし、桜夜はそっちの方の話だとは思っていないだろうからなぁ)

 

 何を話しているのか、と。白い目で見られそうで怖い。恋心を抱いていながら星崎昭武は度し難いことに桜夜にそれを晒すことに抵抗を覚えているのだ。

 

「そういえば、昭武どの。少し前に城下で気になる噂を聞いたのですが、ご存知ですか?」

 

「なんだ?」

 

「十二月二十四日、織田軍と武田軍の間で和睦が結ばれた日ですね。その日の夜に信奈様と良晴どのが接吻をしたようです」

 

「ああ、それならオレも聞いた。別段、不思議に思えなかったな。少なくとも金ヶ崎での事を見た人間ならそう思えるだろう」

 

「そうですね、ええ。あの二人の関係は微笑ましいです。わたしたちもかくありたいものですね」

 

 桜夜は優しげに微笑む。

 その笑顔はどうしようもなく昭武を惹きつけて、ついに昭武は腹をくくることができた。

 

「なぁ桜夜。今からオレが言うことは戯言と何ら変わりはしないかもしれないが、聞いてくれないか?」

 

 そこで、昭武は一旦息を継ぐ。

 息苦しさを感じる。まるでいちいち息を使い切る事を余儀なくされているようだ、と思った。

 告げる。

 

「桜夜。オレはお前のことが好きだ。どうしようもないほど愛している。……オレと夫婦になってくれないだろうか?」

 

「何故、そのようなことを?」

 

「何故って言われたってなぁ……。正確に説明できるとは到底思えねえよ。ただ一つ、はっきりと言えるのは、お前の笑顔をずっと側で見ていたい。それぐらいだ」

 

 照れ臭そうな笑みを浮かべて昭武は言う。いくら飛州の金獅子と諸国に名を轟かせたところで、一度惚れた女の前では形無しである。不器用ながらも言葉を紡ぐことしか出来なかったのだ。

 

「そうでしたか。……ああ、嬉しい」

 

 告げられた桜夜は満面の笑みを浮かべていた。

 

(この時をずっと待っていました。桜洞城であなたに助けられてから、わたしはあなたを好いていた。……けれど、あなたがわたしに振り向いてくれるとは思えなかった。だというのに、あなたはわたしを選んでくれた)

 

 昭武が桜夜を愛おしく思う一方、桜夜は明白に恋心を自覚していたが、それ以上に引け目を感じていた。

 

(しかし、わたしは武勇に優れている訳ではありません。故に優花どのや左近どののように昭武どのと轡を並べて戦うことができず、いつも一歩下がったところで守られてばかりでした。……本来ならば、わたしよりも左近どのの方が、あなたの伴侶にふさわしいのです)

 

 だから、桜夜はいま決断を下そうとしていた。それは彼女にとっては我が身が張り裂けそうな痛みを伴うものだが、そうであるべきだと頭の片隅で利口な自分が叫んでいた。

 

「昭武どの、そのお気持ちは嬉しいのですが、わたしにはそれだけの価値はありませんよ?……本当にわたしでいいんですか?」

 

「無論だ。んな馬鹿なこと言うなよ」

 

 言うと、昭武は桜夜を抱き寄せ、唇を重ねていた。

 桜夜はもう何も考えられなかった。昭武が自分を求めてくれている。そうと分かれば、もうどうでもよかった。

 相応しかろうとそうでなかろうとかまわない。今、この時だけはわたしのものだ。誰にも邪魔をさせたくない。

 桜夜は昭武の背に腕を回し、ぎゅっと抱きしめ返していた。

 




読んでくださりありがとうございます。
五十一話ですが、おそらく今話が本作で唯一の恋愛描写になります。
正直、自分は恋愛を書けるような性質じゃあないですが、この二人ばかりは多少無理してでもくっつけてやりたいと頑張りました。

それでは、誤字や感想などあればよろしくお願いします。


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第五十二話 大坂へ

今回から原作6巻の内容に入ります。


 昭武と桜夜は結ばれた。

 しかし、すぐに祝言を挙げられる訳ではない。むしろ、挙げてはならないのだ。

 

「なぜなら雷源様の四十九日の法要が終わってないからよ。知ってるだろうけど、四十九日が過ぎるまでは忌中とされていて、お祝い事への出席や寺社への参拝は控えるのが礼儀なのよ」

 

 二人が結ばれた翌日。琴平別邸に今度は左近が来訪して昭武と桜夜に今後の予定を説明していた。

 

「まだ親父が死んでから三週間ぐらいしか経っていないからな。致し方ない。だが、向こうはこっちの都合に合わせてくれるはずもない。この四十日間で必ずや何かしてくるだろうな」

 

「とはいえ、法要を疎かにすることはできません。昭武どのと優花どのは桜洞城に居てもらわなければなりませんよ?」

 

「そう。だから何かをやるにしても私たち家臣がしなければならない。私の案だと宗晴どのを旧内ヶ島領に派遣するつもりよ」

 

「宗晴をですか?それはやめた方が良いかと。彼自身はそのつもりはないですが、わたしの弟だという肩書きは効き過ぎます、かえって一揆勢に担ぎ上げられるかもしれません」

 

 左近の案に桜夜は否定的だった。

 というより、にゃんこう宗に対してはこの二人の考えは多少のズレがある。

 左近はにゃんこう宗を純然たる国内の敵対勢力と見ており、武力を用いることにさして抵抗感はない。一方で、桜夜はにゃんこう宗を一勢力ではなく、領内の不満分子として見ている。あくまで味方として見ているために武力を用いることには否定的だった。

 

(オレと桜夜が許婚になった時点で、一揆衆は旗頭を用意できなくなった。だが、それは未然防止にもなるが、抑えきれなくなった場合は散発的に起こるようになることも意味する。これで星崎家が倒れるなんてことはなくなるが、恒常的な膿となる。……一長一短だな)

 

 昭武の基本的な思考は桜夜よりである。どうにも民に刃を向けるつもりにはなれなかった。

 

「本猫寺と関係を結べないだろうか?能登はその限りではないが、にゃんこう門徒にとって本猫寺の当主の言葉は絶対。当主と話をして停戦を引き出せれば、そも蜂起が起きないんじゃないのか?」

 

「昭武どの、それは少し厳しいかと……」

 

「それが出来れば、苦労はしないわよ……」

 

 どちらも選ばずに代替案として出した昭武のこの策だったが、二人の反応は辛辣だった。

 それもそのはず、熊野家は雷源が加賀で玄仁と決別したという経緯がある。それでも、雷源本人が門徒であり、国主にまつりあげたのがにゃんこう門徒だったために一揆衆の一派としてかろうじて扱われていたが、門徒ですらない昭武が当主となり「星崎家」となった今ではただの大名家に過ぎない。

 

「だがな、武力をもって抑えると必要以上の反発を招く。そう言ったのは左近、お前だ。それに最近、本猫寺の当主が変わったと聞く。方針の転換がもしかするとあるかもしれない」

 

 先代の本猫寺当主はしょうにょといい、加賀に尾山御坊を築き、畿内の戦乱にも積極的に介入するなど、教団による天下制覇を強烈に推し進めた当主だった。なお、本猫寺一族に次ぐ格を持つ下間姓の人物を抑えて杉浦玄仁を加賀衆の頭領に据えたのも彼女である。

 

「わかりました。そこまでおっしゃられるなら、一度交渉を試みてもいいかもしれません」

 

「けれど、大坂本猫寺までは遠いわ。とても立て込んでいる四十九日の間に向かえる場所じゃない。四十九日が終わるまでは飛騨にいる必要がある」

 

「その間は、一義に任せる。一地域の守備にあたっては一義に並ぶものはいないからな」

 

 かくして、星崎家の当座の方針は定まり、その後の話し合いで使者は昭武と桜夜に決まった。

 

 ********************

 

 ようやく雷源の四十九日が終わり、昭武は行動の自由を得ることが出来た。

 案の定、四十九日の間に旧内ヶ島領で蜂起が起こらんとしており、今のところは一義と内ヶ島領近辺に所領を持つ山下時慶がどうにか宥めすかして武力衝突にはなっていない。

 しかし、一度武力衝突が起きれば際限なくそれは続き、飛騨は姉小路良頼の代のような戦乱の時代に逆戻りするだろう。

 

(そうさせるわけにはいかない。それだけは防がねば。でなくては、良頼公に顔向けできん)

 

 かつて三木直頼から家督を継いだ良頼は、まず古川・小島・向姉小路の三家を打倒したという。力を持たねばどうにもならなかったと嘆じた良頼は初めこそは必要な武力を備えていたのだ。ただ、それも外部からのさらなる力には取るに足らず武田家の飯富源四郎や、それに通じた江馬時盛に攻め込まれ、一時は平湯村周辺を江馬に割譲させられた時もあった。

 結局のところ、良頼には外部からの干渉を跳ね除け、自力で統一するだけの力量はなかったのだ。だから、飛騨はそれぞれの思惑に振り回され、乱が治まらなかった。

 今の飛騨の勢力は主なところが星崎家容認派で強硬的なにゃんこう派や反上杉派は往時に比べると少なくなったが、それでも外部から干渉されやすい情勢にある。故に昭武は今回独力でその内憂を抑え、中央集権を図ることによって飛騨の綻びを取り繕わなければならないのだった。

 

「御前様。大坂に至る前に京にお立ち寄り下さい。近衛様からの左衛門中将の叙任と今川幕府からの飛越両国の守護の補任がございます」

 

「ああ、わかった。……それにしても、御前様か……。やっぱり聞き慣れないな」

 

 どうにもむず痒くて、昭武は馬上で身震いしてしまう。あれから一月ほど経つが、未だ桜夜と夫婦になったという実感は乏しい。

 

(だが、いつかこのなんとも言えない感覚にも慣れていくのだろうか)

 

 

 岐阜、佐和山、大津、京と東山道を進んで行き、昭武と桜夜は大坂の町にたどり着いた。

 大坂の町もまた堺と同様に南蛮貿易が盛んで街路には多くの往来があった。だが、堺と異なることに旅人だと明らかに分かる者以外は大抵猫耳と猫しっぽを着用していた。

 

「大坂本猫寺は一種の公界を形成しています。つまりはにゃんこう門徒であれば、誰でも庇護を受けられ、生活を保障されるのです。渡辺町をはじめとして北陸にも公界は数多ありますが、かなり毛色が違いますね」

 

 街の入り口で買った大判焼きを片手に桜夜が辺りを説明していく。桜夜もまた猫耳猫しっぽを着用しており、その姿を昭武は一度も北陸にいる間、見たことがなかった。

 そのことを問うと桜夜は苦笑いを浮かべながら答えた。

 

「そうですね。北陸ではこれは慣習としては存在しているのですが、あまり実行する人はいません。畿内と違って北陸のにゃんこう教団はより実戦的な方向に発展しています。なので、装飾というよりは定満殿のように兜の前立など武具に猫耳や肉球をあしらう人が多いのです」

 

「北陸と畿内。どちらも同じ神を戴いているはずなのに、こうも違うか……」

 

 大坂の町を興味深げに昭武は眺める。

 喧騒が辺りに響き、人々の表情は明るい。それは北陸のものとは対照的なものであった。

 

(親父から家督を継ぐ以前に、旧内ヶ島領にある公界の一つを見たことがある。その時は飛騨が統一されたばかりだというのに、絶えず何か怯えたような様子だった)

 

 思索と比較をしながら昭武は歩き、桜夜はそれを見守りながら大坂本猫寺の正面門を目指して進んでいく。

 そうしてたどり着いた正門の前では、六人の猫尼僧が待ち構えていた。

 下間一族からなる五虎大将軍と比較的組織的な戦に不慣れな畿内のにゃんこう門徒を調練するために西上してきた杉浦玄仁であった。

 

「にゃにゃにゃ!よくぞここまで来ましたね。わたしは下間仲孝!総州からきた、漫才一筋の猫尼僧です!最近は、ちょくちょく商売に手を出しましたが、ことごとく失敗して首が回りません!名君名高き星崎どの!わたしにお金儲けを教えて下さい!」

 

「ワタシは下間らいりぇんだよ。頼りぇんじゃなくて雷りぇんだから、能登に走った背教者と一緒にしないでね〜」

 

「……頼龍よ。大……猫…の風……当よ。…平……か……の……りなら…を…るこ…ね」

 

「うちが、下間頼旦ですねん。ようわからんが根性でいつのまにか成り上がっとった!まあ、教義は知らなくともやっていける!ほんに大事なのは根性や!根性さえあればいいんやで!」

 

「すまない。本当に他の大将軍の灰汁が強過ぎてすまない。私が下間頼照だぞ。越前担当だ。ああ、怒り眉だからそう思えないかもしれないが、私は本当にすまないと思っているぞ?」

 

 以上が本猫寺が誇る五虎大将軍。序列で言えば、当主一族に次ぐ高位の者たちである。……全くそうは見えないが。

 

「私はいいわよね?勝定の息子なら知らないわけがないだろうから。正直、この中に混じって名乗るのが辛い」

 

(それな。本当にこいつらなんでこんなに癖が強いんだろう?)

 

 姦しく騒ぐ五虎大将軍の隣で、玄仁はこめかみを抑えている。その姿を見て、昭武と桜夜は潜在敵のはずの彼女に密かに同情するのだった。

 ちなみに玄仁も桜夜と同様に慣れない猫耳と猫しっぽを着けている。玄仁の容姿は二十代後半にしてはだいぶ若作りだが、それでも隣にずらりとうら若き乙女達を並べられるとどうにも老けているという印象が拭えなかった。

 

「あなたたちの来た理由は分かっているわ。不戦協定よね?普通の寺院や武家ならば、私達が立ちはだかる理由はないけれど、されどここは天下の笑いの総本山。

 門徒ならざる者、試練を受けずして入寺するべからず。

 この掟には従ってもらうわ」

 

 五虎大将軍を放って玄仁が本題を切り出す。

 

「試練?なんのことだったか……。昔聞いた覚えはあるが」

 

「それはですね星崎どの、笑わない門と笑わせる門。このどちらかを突破することです!今回は桜夜どのがおりますのであまり交渉には問題ないんですが、昭武どのも入りたいのであらば、この試練を受けてください!」

 

「なら、笑わない門だな。正直、北陸と畿内の感性は違すぎる。到底オレじゃ笑わせることは無理だ」

 

 そう昭武は決断し大きい方の門をくぐる。一方で桜夜は門徒であるためにその必要はない。

 

 この時、昭武は身をもって知ることとなる。大坂の笑いがどれだけ徹底されたものだということを。

 




読んで下さりありがとうございます。
原作6巻の部分だけ、新装版とGA文庫版両方を混ぜて書いております。見比べてみるとかなり内容が違ってびっくりしました。
それでは、誤字や感想などあればよろしくお願いします。


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第五十三話 怯える者たち

第五十二話と同時投稿です。


 いつかの冬のことだ。

 男がいた。どうしようもなく凡庸な男がいた。

 一面の銀世界の中に異物のように佇む陣で男は傍らの偉丈夫にこう問われた。

 

「この国はいつだって血を流してばかりだ。八代様はどうも伝承や御文から見る限り、こういうのを嫌っていたようだが……」

 

 その言葉に凡庸な男は申し訳なさそうな表情を浮かべて返した。

 

「みんなみんな、辛かったのでしょう。あの時代はそれこそこの乱世が始まって間もない頃でしたから。先行きが見えなくて恐ろしかった。だからこそ、平等な公界を作るという八代様の思想に惹きつけられた。しかし、それは武家にとってしてみれば、飼い犬に手を噛まれたようなもの。この両者は分かり合えない。ゆえに戦いをする羽目になったのです」

 

「それを言えば、俺は一応武家だがな。でも、今のところは戦い合うどころか、英雄として崇められているが」

 

「ええ、幸いなことにあなた様のようにお武家様の一部もにゃんこう宗を受容してくれました。しかし、虐げられる民達の共同体という側面が強い原始教団では想定されていません。それは立場上、口にすることは憚られますが、教団の基本思想が公界ではなく武家を排した祭政一致の新たな王権の設立へとすり替わってしまっているからです」

 

 悲しいことに彼女の理想は高すぎた。いや、現実が非情過ぎたのかもしれない、と男は思う。

 あまりに非情過ぎる現実は理想を追い抜き、美しい願いを復讐心の依代に変えてしまったのだ。

 勿論、武家や公家の不甲斐なさには男も共感できる。だが、だからといって排除してはならないのだとも思う。

 それは、上に立つ者が門徒に変わっただけの単なる過去の焼き直しであると同時に本猫寺八代当主・れんにょの願いを、にゃんこう宗の原理そのものを否定することに他ならないのだから。

 

 ********************

 

「ようやく、突破できた……」

 

 門をくぐってから一刻が過ぎた頃、痛む尻をさすりながら昭武は桜夜たちの前に姿を現した。

 

「試練達成ぬこ。しかし、少々叩かれ過ぎぬこ」

 

 試練を管掌していたきょうにょが、昭武を待ち構えている。猫耳と尻尾が独りでに動くあたり、いよいよ猫神らしかった。

 

「ともあれお前は試練を果たしたぬこ。であれば姉上との接見を許すぬこ。されど、今姉上は今定例漫談の最中ゆえしばし謁見室で待つがよいぬこ」

 

「はいはーい!案内は下間仲孝にお任せあれ!」

 

 仲孝に促され、昭武は謁見室に向かう。

 部屋に入ると桜夜が先に門徒から饗応を受けながら待っていた。

 

「桜夜さま。どうして私たちを導いては下さらないのですか?」

 

「そうにゃそうにゃ、本来ならば桜夜さまは下間の姓を与えられてもおかしくはないお人だにゃ。なのにどうして田舎侍の家臣に甘んじておられるのかにゃ?」

 

「もはや私たちには、本猫寺にしか居場所がないんです。どうかけんにょさまに合力して共に私たちを導いて欲しいです……」

 

 昭武たちに気づかずに給仕の少女門徒たちが桜夜に懇願していた。その表情はとても切実なもので、昭武が足を踏み入ることを躊躇うほどだった。

 

「星崎どの、戦乱は長くなり過ぎました。大坂はみんな笑顔には見えるんですけど、実はそれは作っているだけなんですよ。漫才を使って怖いのをうまーく隠せてるだけです。本当はみんな武家が恐ろしくて恐ろしくてたまらないんです。だから、みんな自分に少しでも理解してくれる人や神仏に縋りたくなるんですよ」

 

 立ち止まる昭武に仲孝が耳打ちする。それは彼にとって今までで最も乱世に苦しめられてきた民の心情を伝えてくるものだった。

 良くも悪くも平湯村は平均的な環境とは言い難い。武家のものではないが、さりとて民にもなりきれない異郷だった。ゆえに昭武ではどちらの気持ちを完全に汲み取るなんてことはできなかったのだ。その不足を僅かばかり昭武はただ今補ったといえよう。

 そして、それと同時に昭武は気づいた。

 よくよく仲孝を見れば、右手が不自然に強く握りしめられている上に微かに震えているのだ。

 

(ああ、そうか。オレもまた怖がられているのか)

 

 天下泰平と清らかな大義を掲げていたとしても武家である以上、戦を起こす。それに感情に流されたといえど、尻垂坂で殲滅戦を繰り広げてしまったこともあるのだろう。

 その経歴が基本的に誰を相手にしても気丈に振る舞えるだろう仲孝でさえ萎縮させてしまっていたのだ。

 

「オレが、怖いか?」

 

「……失礼を承知で言えば」

 

「そうか……」

 

「それにしても、よく気づきましたね。うまく隠せてるつもりだったんですけど」

 

 堪忍したのか、仲孝が先程とは似ても似つかない儚げな笑みを浮かべていた。

 

「よく見れば、な。どうやら今までお前が会ってきた武家は節穴だったようだ。余程民に興味がなかったらしい。まったく反吐が出るな」

 

 武家が民からの信頼を取り戻さない限り乱世は終わらない。

 民に対して彼らの身体と生活を守ることを約束しているからこそ国は国であることを許されるというのに、なぜ民をここまで軽視できるのか。信頼を失ってしまっては意味がないではないか。

 昭武は、心中で咆哮していた。

 

 ********************

 

「わたしがけんにょです。星崎どの、琴平どの。今日はよろしくお願いします」

 

 対面して早々、けんにょは昭武らに深々と頭を下げる。

 けんにょはこれが戦国大名以上の勢力を持つ本猫寺の当主だと思えないほど陰が薄かった。

 

「雑賀孫市や。あんたらが噂に聞く飛騨の金獅子とその懐剣か。なるほどなぁ……」

 

 矯めしすかしつつ、孫市は昭武と桜夜を観察するやいなや嘆息した。

 

「お堅いやっちゃな、あんたら。北陸特有の生真面目さが出てしまっとる」

 

「それこそお国柄ってやつだ、諦めてくれ。オレも正直穂高以上に陽気なやつと長いこと話せる気がしない。早々と交渉しようぜ」

 

「なんや、せっかちやな……。そんなんじゃモテへんで」

 

「結構結構。こう見えても妻帯者だからな。モテたいなんぞ言ってみろ?とんでもないことになる」

 

「はあ、まったく……ちいとも弄りがいのない男やな」

 

 孫市が昭武への関心を無くし、静かになったことで会談は始まった。

 昭武がけんにょに求めるのは不戦協定。現行当主の声かけがあれば、飛騨で蜂起せんとしている門徒も矛を下ろすはずだと考えていた。

 しかし、けんにょは首を横に振った。

 

「無理、ですね。仮に私が建議したとしても通るとは思えません」

 

「ちょっと待て。本猫寺当主の命令は門徒にとって絶対ではないのか?」

 

「基本的にはそうです。しかし、門徒たちはもはや乱世が終わらない不安に押しつぶされかけているのです。私は抑えようとしているのですが、正直なところうまくいっているのは畿内だけですね。北陸となると現地の声を軽んずることができない状況になりつつあります」

 

「となると、玄仁や瑞泉寺のあたりか?」

 

「ええ、そうですね。実のところ、玄仁さんが従っているために北陸に畿内からの影響力が辛うじて保たれているものです」

 

「逆に言えばうちの門徒に影響力を効かせたい場合は越中の瑞泉寺が従わないと意味がないということか」

 

「理解が早くて助かります」

 

 申し訳なさそうにけんにょは首肯する。

 昭武にとって瑞泉寺は頭が痛い案件だった。

 なにしろ領内におけるにゃんこう衆の中でも最大規模でしかも典型的な抵抗派だったからだ。熊野雷源や高知四万がいた時代は彼ら彼女らに押されていたが、基本的に越中ではこちらの方が影響力が強く、今回の蜂起も瑞泉寺が裏で糸を引いているという疑惑がある。

 それに加え、今まで会談に口を挟まなかった孫市も、

 

「一応けんにょはんは和平派やけどな、基本的には本猫寺は対抗派や。これは畿内でも同じやな。せやから、うちの運営の仕方が当主の独裁ならまだしもあくまで合議制を基本に据えとる以上、うちらが賛成でも不戦は流石に通らん。まぁ、志は同じやから頑張ってはみるけどな、期待はせん方がええ」

 

 と、畿内の方でも不戦は難しいと断ずる。

 

「ならば、御文を出してくれないか? 御文はあくまでも当主自身の意思を伝える手段だ。合議にかけられることはないだろう」

 

 次善の案として昭武は提案するも、これにもまたけんにょは首を横に振った。

 

「御文ならば、確かに私の一存で出せますが、不戦協定に比べれば拘束力はかなり落ちます。それでもいいのならいくらでも書きますが……」

 

「確かに効果はないかもしれません。ですが、本猫寺当主が御文を送ったという事実には変わりはありません。それに、その事実があるとないのではいささか事態が異なってきます。ですので、御文を送っていただけないでしょうか?」

 

「わかりました。今すぐにでも取り掛かりましょう。……戦も一揆も思うように止められないこの身の上ですが、それでも呼びかける意義は確かにあるのですから」

 

 腹をくくったけんにょが、昭武と桜夜の瞳を交互に見遣ったのち頷く。

 その姿はまさしく門徒たちを救わんとする宗教者に違わぬものだった。

 

 ********************

 

「思いのほか、好感触だったな」

 

「ええ、けんにょさまと孫市さまが和平派だったのは不幸中の幸いでした」

 

 けんにょに充てがわれた客室で昭武と桜夜は昼間の会見を振り返っていた。

 

「ああ、まだ当主になって数年もしていないのにすでに貫禄がある。彼女が味方なのは頼もしいな」

 

「しかし、けんにょさまの言う通り、御文では効果は薄いです。ただ今思い出したことですが、確か本猫寺の八代当主……今の本猫寺を事実上作り上げたれんにょさまでさえ、武家に対して怒り狂う一揆衆を止められず、ついに加賀は門徒の国になりました」

 

 思い出した勢いのままに桜夜は語る。

 本猫寺八代当主……れんにょの物語を。

 ただの猫憑きの童女から日ノ本の民による武家への抵抗の象徴となった軌跡を。

 




読んでくださりありがとうございます。
絶え間なく説明回っぽいものが続きましたが、それも今話で打ち止めです。流石に次話では少し進めなければ……。



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第五十四話 野田福島の戦い/意志を持つまで

「にゃー、にゃー、にゃー……」

 

 戦国が始まるよりも昔、今ではもう遠い室町時代末期。

 京の隣に位置する山科の地で、れんにょは生を享けた。父は本猫寺の当主であるが、彼女はけしてそのような貴種として扱われることはなかった。

 頭と尻に生えた猫耳と尻尾。それは賎民と蔑まれていた猫憑きの血をこれ以上、明らかに示すものだったからだ。

 れんにょに味方はいなかった。自らの生母は幼い時分に彼女の前から去っていたのだ。

 しかし、生母は去りゆく時にれんにょに一つの言葉を残していった。

 

「辛い時こそ、笑いなさい」

 

 れんにょは長じてからもこの母の言葉を胸に生き続けた。

 

 そうして三十余年が過ぎて、れんにょは当主になり大谷本猫寺に初めての公界を開いた。

 時代は応仁の乱こそ始まっていないが、関東では享徳の乱が始まり、社会は次第に悪い方に転がっていた。

 この頃のれんにょはこの世の不条理に憤っていた。貴種は民に目を向けず、悪くなっていく社会が弱き者を打ちのめす。

 

(猫憑きであっても、血は真っ赤……人間と変わらないにゃ……なぜ、これが不浄なのか、なぜ叡山の坊主の血は貴いのか……。猫憑きだろうと坊主だろうと、みな最後は土の中にゃ。だったら、命の価値なんてみんな同じはずだにゃ!)

 

 しかし、このような思想を持つれんにょは中央の仏教界からは忌み嫌われた。苛烈な迫害を受け、れんにょは越前の吉崎へと逃げた。

 果たして、この吉崎が、れんにょと門徒たちにとっての運命の地となった。

 

 ********************

 

「三好一党を制圧するのよ!」

 

 昭武らの本猫寺入寺から数日後のことだ。

 織田信奈は織田軍の主力四万を率いて摂津へと侵攻を開始していた。

 今回の目的は美濃と姉川で武田と浅井朝倉に対峙している間に、讃岐阿波から舞い戻った三好長逸と三好政康の征伐であった。

 三好一党は淀川の中洲の野田・福島両砦に籠っており、信奈はそれを包囲するために本猫寺の近くの天満の森に布陣した。

 金ヶ崎のような事態にならないように、良晴が前もって使者を本猫寺に送っているため、後背を突かれる心配は薄い。

 

「あとは、野田・福島の砦を落とすだけね」

 

「はい。三好さえ倒せば、浅井朝倉との膠着も打破できるです」

 

「明智どのの申す通りです。ですが、趨勢は定まってはおりませぬ。捕らぬ狸の皮算用、いささか先走りがちかと。五十点」

 

「しかし、本猫寺が軍を出さなくて良かった。そうでなければ、泥沼の宗教戦争なんてことになったら、天下統一にどれだけ時間がかかるかわからない」

 

 良晴は安堵していた。良晴は史実の織田軍が天下を統一仕切れなかった一番の障害が本願寺だと考えていたのだ。

 

(石山戦争は十年続いた。その間、織田軍は頻発する一揆に足止めを余儀なくされ、各地の平定作業に本腰を入れられなかった。だから、本能寺の変の次にこのイベントは避けなければならなかったんだ)

 

 しかしながら、悲しいかな。

 良晴の安寧はすぐに打ち破られることになる。

 霧の彼方、本猫寺の方向から銅鑼の音と喊声が聞こえてきたのだ。

 

 **********

 

 不戦協定は不可能。

 孫市にそう断じられていながらも、昭武と桜夜は何日も本猫寺に留まり、ロビー運動を繰り広げていた。

 

「門徒であろうが、そうでなかろうが民が徒らに血を流すべきじゃない」

 

 昭武は常々門徒たちにそう説いて回った。武家であるためか、門徒が受け入れるのに時間がかかっているが、それでも星崎家の印象は良くなりつつある。

「根気よくやり続ければ、あるいは……」とやや希望が見えてきた頃のことである。

 

「星崎昭武、琴平桜夜。お前たちには一旦捕虜になってもらうぬこ」

 

 きょうにょが、昭武らの借り部屋に二百の門徒を率いて押しかけたのは。

 

「桜夜。下がっていろ……」

 

 桜夜をかばって一歩踏み出すが、入寺の際に預けたため今の昭武らは丸腰だ。盛清が陰に控えているが、流石に二百を一人で相手に出来る訳もない。

 

「万事休す、というやつぬこ。今日この時をもって本猫寺は織田政権と袂を分かつぬこ。本猫寺は天満の森に陣を張る織田軍をただ今攻撃する……いや、したぬこ」

 

「なっ……」

 

 昭武は驚くばかりだった。

 入寺する前に盛清から三好一党の討伐のために織田軍が摂津に進軍していることと既に良晴が天満の森に布陣するために本猫寺から内諾を得ていることを仕入れていたが、まさか裏切るとは。

 

「策略か? それこそ金ヶ崎のような」

 

「そうぬこ。とはいえ、姉上と私は関知するところではなく、門徒の中で仕組まれたことだぬこ」

 

 本猫寺は完全に一枚岩ではないことはわかっていた。そういうこともあっただろう。

 ともかく、昭武たちは捕らえられ、獄に繋がれる。

 

(これは、不味いことになりました。誰かに、特に信奈様に伝えなくてはなりません)

 

 最後まで陰に潜んだがゆえに誰にも気づかれなかった盛清は直ちに天満の森に布陣している信奈にこれを伝えるべく、本猫寺を脱出。

 天満の森は雑賀衆と強硬派の門徒らに攻め込まれていたが、盛清はこれをうまく乗り切り、信奈の前で跪いた。

 

「本猫寺内に不戦交渉中の我が主と桜夜さまが囚われました!」

 

「なんですって!」

 

 盛清がもたらしたこの報せは信奈にとっては凶報だった。

 北陸大戦で敗戦を喫したとはいえ、星崎昭武は依然として織田家の東方戦略にとって欠かせない役目を担っている。仮に彼を失ったのなら、織田家は北陸一帯の主導権を瞬く間に上杉家に奪われるだろう。

 松平元康が武田に対する東の盾であるならば、星崎昭武はまぎれもない北の盾だった。

 故に信奈は迷わず決断する。

 

「迷う余地もない、昭武たちの解放は掛け合ってみる!けど、今はこの場から離れることが先決。すぐにはできないわ」

 

 織田軍は本猫寺を迂回するように京へ退却。

 野田・福島の戦いは織田軍の敗北に終わった……。

 

 **********

 

 敗走の軍勢から一騎の騎馬が隊列を離れ、京とは真逆の方向の南西に向かって駆けていく。

 この騎馬に乗る者こそが相良良晴。

 彼は久秀に堺で本猫寺との再交渉のために協力者と会うよう言い含められていた。

 

「今度こそ、本猫寺との戦を止めなきゃな……!」

 

 未だ人並みとは言えない馬術をフル活用して良晴は駆けた。

 良晴は、織田信長と本願寺の間で繰り広げられた石山合戦の顛末を知っている。

 頻発する一揆に信長が忙殺されたことはもちろん、一揆を鎮圧するために何度も民を皆殺しにしてきたことも。

 信長は魔王だ。だけど、信奈はそうじゃない。しかし、いざ一揆が起きてしまえば、土地や物資で収まる武家とは違って相手を皆殺しにするまで終われない。

 それが、頻発するんだ。そうなったら信奈はどうしたって魔王になるしかなくなる。そして、それはまた女の子としての信奈である「吉」の死をも意味している……。

 良晴はそのことがたまらなく嫌だった。

 

「どうして、目に見えない、かたちすらないもののために、頭の中で造り上げた観念のために、同じ人間同士が殺し合わなきゃならないんだよ⁈ なぜみんな、信奈のように目の前の現実を生き切ろう、と決断してくれないんだよ? 人間はやはり、どこまでも愚かなのか……?」

 

 摂津の広大な平野に良晴の悲痛な叫びが響く。

 しかし、未来人特有の視点で語られるそれは戦国に生きるほとんどの人々が容易く受け入られるものではなく、ただ広野に虚しくこだまするだけであった。

 

 ********************

 

 越前吉崎は、未曾有の繁栄を迎えていた。

 叡山の僧兵の手が及ばない北陸はれんにょらが理想の公界を築き上げるのにうってつけだった。

 れんにょが女人でも往生できると説いてからはさらに門徒が増えた。これにより本猫寺は今まで宗門に救いを求めたが、爪弾きにされてきた女性門徒の唯一の受け皿と相成ったのだ。

 そうして増えた門徒の中に一人の男がいた。

 名を下間蓮崇という。

 彼はしがない末端の門徒であったが、たまたま官僚的な能力を持ち合わせていたために、れんにょの側近になった。

 もともと差別されていたり、戦火に焼け出された人々が主体である本猫寺にとって彼は得難い人材で、れんにょの言葉を文章化して各地の末寺へと配る御文を発明したのも蓮崇だった。

 だが、蓮崇にはもう一つ、本猫寺にもたらしたものがある。

 それこそが、本猫寺一揆。俗に言うにゃんこう一揆だった。

 

「王権と神権をともに、れんにょさまが。わが師が持つべきである。それこそが戦国乱世を平定し民を安んじる早道なのだ。それに、もはや本猫寺は武家が見過ごせる大きさではなくなっている。いつか、事を起こさねば我々は武家に滅ぼされるだろう」

 

 れんにょに取り立てられた形となる蓮崇は極端なほどに本猫寺を信仰していた。それはあまりに行き過ぎて、ついにはれんにょの考えからも逸脱していった。

 折しも、応仁の乱から数十年。未だに戦乱は収まらない。

 この二つの要素が不幸にも絡み合って、ついに本猫寺一揆は起こってしまったのだ。

 本猫寺一揆は革命戦争だった。

 かつて公家から武家が政治の実権を奪ったように、今度は武家から門徒がそれを奪おうとしている。

 れんにょはそこまで大それたことは考えていない。ただ、身分を問わずみんなが心安らかに暮らせれば、それでよかった。蓮崇の思想とは真逆の思想と言っていい。しかし、ここでも門徒の出身身分が仇となった。多くの門徒がれんにょの思想を飲み込めなかったのだ。

 いつしか「一揆を戦って死ねば、猫極楽に行ける」というれんにょが語った覚えのない言葉が、門徒の中に流れていた。

 

「やっとこの吉崎に理想の公界が実現して、門徒たちの暮らしが成り立つようになったのに、一揆なんてする必要なんてないのに、どうしてまだ戦うんだにゃ? そもそも宗門は人々を救うためにあるにゃ。なのに、そのために大勢の人が死ぬなんて本末転倒だにゃ!お猫様もそれを実現するための手段の一つに過ぎないにゃ。みんなが笑顔になれれば、なんでも良かったんだにゃ!」

 

 ある日、れんにょは蓮崇に詰問した。

 それに対し蓮崇は苦渋の表情で、こう答えた。

 

「師よ。あなたはあろうことか教団のご本尊であるお猫様を否定なされ、冒瀆なされました……門徒たちは、教団はもはやそれ自体が意思を持っているのです。あなたお一人の声で止められるものではない」

 

 この時、現実は理想を追い抜いた。

 一人の童女が抱いたささやかな願いが大衆による復讐の依代に変わった瞬間でもあった。

 れんにょは、当主でありながら吉崎を追われた。もはや、本猫寺は自浄作用を失ったのである。戦いは繰り広げられた。

 夜陰に乗じ、小舟に乗ってれんにょはひっそりと吉崎から離れていく。

 

(この国を門徒とそうでない者のまっ二つに割ってしまったれんにょの生涯はいったいなんだったのにゃ……)

 

 悔いてぽろぽろと泣きながら、それでもれんにょは、

 

「猫が猫を馬鹿にして、なにが悪いんだにゃ」

 

 と、けんめいに笑っていた。

 

 この後、れんにょは山科を経て大坂へと流れ着く。

 北陸の一揆は蓮崇を破門し、追放させても終わらなかった。

 そして、ついに九頭龍川の戦いにおいて朝倉宗滴にことごとく討ち取られ、吉崎は滅んだ。

 

「……このままじゃ、山科も大坂も吉崎と同じような結末になるにゃ」

 

 ふと、れんにょが漏らした呟きがいつしか滅びの予言として門徒内に出回るようになる。日ノ本全てを本猫寺の王国と為し乱世を平定するという「天下布猫」の四文字とともに。

 




読んでくださりありがとうございます。
少しは展開を動かせましたが、説明回は抜けられませんでした。
ざっくりですが、新装版6巻の前半はこのような具合に変わっています。



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第五十五話 打開の一手

一部、リアル古文書ちっくに書いてしまったので、後で現代語訳入れます。


 笑わせる門というものがある。

 それは今まで一度も開いたことがない、いわゆる開かずの門であった。

 曰く、この門は八代当主のれんにょ様が作ったもので中には本猫寺を救う大秘宝があるとされている。

 いつしか大坂に危機が訪れた時、この門が開かれ衆生を救う……。

 これが、れんにょ様が残した滅びの予言の対となるいわば救いの予言だ。

 しかし、だとしたらなぜ織田軍が門前にいる今この時でも門は開かないのだろう。

 当代の当主様たちは、最高の笑いを私たちに届けてくれているというのに。

 けして何かが足りないとは私には到底思えないのだ。

 ……もしかすると、疑ってはならないことなのかもしれないけれど、救いの予言なんて本当は嘘っぱちで滅びの予言こそが真実なのかもしれない。

 

 ……だとするならば、私たちはいったい何のためにここに来たのだろう。

 

 ********************

 

 良晴は協力者であるフロイスと合流するとすぐに本猫寺へと向かった。

 しかし、試練を突破してけんにょとの会見を終えるとすぐにきょうにょの手によって昭武らと同様に抗戦派の門徒に取り囲まれていた。

 

「交渉など、もはや手遅れぬこ。今、我らが大坂から追われれば本猫寺は滅び、予言は成就する……。賽は投げられたぬこ」

 

 良晴を縛るための縄をしごきながら、きょうにょは良晴を睥睨する。

 

「違う! まだ本猫寺は滅びない! むしろ武家と戦えば戦うほど滅びに近づいていくんだ!」

 

 だが、良晴が引くはずもなく、フロイスを庇うように一歩まえに出る。なまじ史実における本願寺の末路を知っているがために引こうにも引けないのだ。

 

「そうね。争えば争うほど、憎しみは増すばかり……。そうなると、穏便に矛を収めることは出来ないかもしれないわ。……けれど、もはや本猫寺と武家は不倶戴天の間柄。もうどちらかが参ったと言うまでは争いを続けるしかないのよ」

 

 きょうにょの隣に立つ玄仁は、良晴に申し訳なさそうな目を向けている。

 

「そういうわけだぬこ。相良良晴、それと星崎昭武にルイズ・フロイス。お前らには死んでもらうぬこ。それが、門徒の総意だぬこ」

 

「きょうにょ!ちょっと待つにゃ!フロイスは武家じゃないにゃ!あくまで中立の立場で訪れているにゃ!それを殺してしまうのはまずいにゃ!」

 

 さすがにフロイスまで害すると言われれば、けんにょも沈黙を守れず、きょうにょに食いかかる。

 

「しかし、門徒からしてみれば異教徒も許すべからざる立場だぬこ。織田家が南蛮との貿易を奨励している以上、なおさら耶蘇教は受け入れることはできないぬこ」

 

 が、食いつかれたきょうにょの反応は淡白だった。というよりも、きょうにょは門徒たちの上に乗っかっているようなものなので、あまり自分の意見を言うつもりはないらしい。

 

「だからといって、天文法華の乱のような宗教戦争なんてやらせるわけにはいかないにょ!せめてフロイスは解放するにょ!」

 

「門徒を納得させられる理由がないぬこ。もはや、天命は定まった。織田家と果てるともなき戦いを繰り返し、本猫寺は滅ぶ、それが八代様の予言でもあり時代の流れだぬこ」

 

「理由なら、あるぞ」

 

 包囲網の外から落ち着いた声が聞こえてくる。

 その声の主人は手鎖を仲孝に引かれた状態の昭武だった。

 

「地下牢にいるんじゃなかったぬこ?」

 

「それはですね。星崎どのと相良どので牢を二つ作ると管理が面倒だからです。どうせなら一ヶ所にまとめた方が楽じゃないですか」

 

「まあ、よいぬこ。それで理由は何ぬこ」

 

「かいつまんで言えば、経済と補給の問題だな。まず、大坂自体が堺と同じく南蛮と日ノ本の交易の比重が高いことだ。南蛮を追い出せば、それだけ距離があまり変わらない堺に流れ、織田を利する。それに、門徒と武家の間の実力差を埋めるために種子島もいるだろう。しかし、それに使う火薬の材料である硝石は南蛮でしか出ない。つまり、自らの首を締めるだけだ」

 

 きょうにょに促された昭武は滔々とフロイスを害することによって生じる南蛮交易への悪影響を説く。この昭武の理屈はこの場にいる誰もが納得のいくものであった。

 

「せやな。硝石がのうなったらうちら雑賀衆は使い物にならへん。無駄飯食いになるぐらいなら紀伊に帰るで」

 

 孫市も昭武に同調する。

 発言権が減っていたとしても、本猫寺の軍事の比重は孫市ら雑賀衆に傾いている。彼女にそこまで言われれば、門徒たちと言えどもさすがに無視できなかった。

 

「……わかったぬこ。しかし、武家である星崎昭武と相良良晴については、妥協はできないぬこ。せいぜいこの場での切腹を取りやめるぐらいぬこ。織田家との和睦交渉の間は人質になってもらうぬこ」

 

 渋々きょうにょは受け入れた。が、やはり本猫寺の武家に対する恨みは激しい。門徒ではない良晴と昭武に温情はなかった。

 その後、細かい条件をきょうにょは告げ、それをまとめた書状を持たされてフロイスと桜夜は解放された。

 期限はひどく短く、一週間しかない。

 さらに悪いことにこの期限に信奈が間に合う保証はどこにもなかった。

 

 ********************

 

 本猫寺の長い間放って置かれた蔵。

 ここを今回きょうにょは即席の牢獄として扱っていた。

 

「もしも信奈が大坂に来てくれなければ、切腹。来てくれても笑わない門を抜けられなければ、切腹。正直言って、怖いな……まだ戦場にいた方が気が楽だ」

 

「まあ、今回は何もできないからな。信じて待つ以外何もできない」

 

 良晴と昭武は男二人で蔵に幽閉されていた。

 フロイスと桜夜はすでに解放され、使者となって信奈の元に向かっている。残された男はただただいつか来る救いの手を待つばかりである。

 

「全く逆だよなあ。俺のいた未来なら幽閉されている女の子を勇気ある男の子が助けるというがテンプレだけど、まさか俺自身が助けられる側になるとは思わなかったぜ」

 

「その未来って確か姫武将がほとんどいないとこだろ。だが、こっちはわんさかいる。だからオレは別におかしくないとは思うぞ。……情けなさが増すのはなんとも言えない気分だが」

 

「はは、それは言えてる」

 

 良晴が乾いた声で笑うが、それが終わると沈黙が蔵の中を支配する。

 死を前に抵抗できない状況に直面すれば、そう容易く明るい気分にはなれないのだ。

 

「なあ、昭武」

 

「なんだ?」

 

「宗教って、なんのためにあるんだろうな。人が幸せになりたいがために、神にすがり、信仰心を抱き、心安らかに生きようとするからこそ、宗教というものがあるんだろう? それなのに、なぜ殺し合わなければならないのか、未来から来た俺にはよくわからねえ。俺の時代でも……宗教戦争は、ずっと続いていたんだ……」

 

 良晴は彼らしからぬひどく悲しげな表情を浮かべていた。

 それに対し、昭武は真正面から良晴の目を見据え、真摯に答えた。

 

「それは誰もが自分の尺度を持っているからだろうな。その尺度の違いを理解して妥協ができればいいが、それが出来ずに考えが凝り固まってしまうから戦争が起きる。……実際のところはどれかが必ず正しいということはありえないはずなのにな。十字軍とかプロテスタントの話を聞くたびにそう思う」

 

「……この国でも、門徒たちはずっと一揆を続けてきたんだ。それは武家が、無責任でだらしなかったからだ。信奈は、その悪循環を終わらせようとしている。一揆が収まらなければ、戦乱は続く、もともとは応仁の乱を引き起こして国を分裂させてしまった武家の責任だが、信奈ならば。信奈には、それだけの覚悟がある」

 

「相良、信奈公だけだと思うなよ? オレだってそうさ。……いつも見てきた。終わらない戦乱に喘ぐ民を、戦うことに苦しむ武家たちを。だから、オレは天下泰平を夢見たんだ。及ばずながら手を貸すぜ」

 

「答えてくれてありがとな、昭武。思いを口に出せたおかげで少し楽になった気がする。思いを心の中に留めることは意外と辛いんだな」

 

 先程に比べて良晴の表情は晴れやかなものになっていた。

 

「まあ、それはお前の性分だろうよ。良くも悪くもお前は素直だからな」

 

 そう、相槌をつきながら壁に寄りかかって昭武は締めようとしたが、壁に身体を当てたと同時に壁がなぜかガラガラと音を立て始めて崩れ、昭武に大量の瓦礫が降り注いだ。

 

「おい昭武! 大丈夫か⁉︎」

 

「ケガはない。が、瓦礫が重くて動かせない。助けてくれ」

 

 良晴はせっせと瓦礫を片付けるが、その中に大量の巻物が含まれていた。

 巻物はとても古いもので、字が達筆なため良晴には一見して何が書いてあるか分からなかったが、昭武が手に取ると目を丸くした。

 

「これは、れんにょの御文だな。飛騨の寺で実物を見たことがある。筆跡も形式もあれにそっくりだ」

 

「なあ、昭武。これってもしかして……!」

 

「ああ! 一発逆転あるかもしれないぞ!」

 

 

 良晴と昭武が瓦礫と御文を分別していると、良晴らから引き離されていた雑賀孫市が蔵に忍び込んで来た。蔵の見張りをしている下間五人衆は良晴らには甘いらしい。

 孫市はまず織田信奈らが本猫寺へ入る際に笑わない門を通ること、信奈が入寺できなければ、良晴と昭武は切腹させられることが決定したと告げた。

 

「ほんま堪忍な良晴はん、昭武はん。軍事以外でのうちの発言力は微々たるもんや。大勢を覆すまではいかんかった」

 

 すまなそうに伝える孫市。

 

(門徒である桜夜が全てを行うという手段は取れないか。これは困ったな…)

 

 一度、笑わない門をくぐった昭武にはその条件の厳しさを身に染みて知っていた。

 昭武の時は十回まで笑ってもよかったのだが、昭武は九回笑わされている。

 

(織田家の陽気な家風だと危ない。相良の命がかかっているとは言えど、本猫寺側の笑わせることへの執念は異常だ)

 

 だが、それ以上の問題もある。

 

「門をくぐること自体が難関やけど、それより笑わない門を越えた後が問題やな」

 

「けんにょと信奈の直接会談、だな?」

 

 良晴の言に孫市は頷く。

 

「せや。両方の提示する条件が噛み合わないんや。うちらも大坂退去は呑めんし、そっちもうちらが出す条件は呑めんやろ? せやからどうしても会談は決裂してしまうんや」

 

「だよな……。ん? ちょっと待て」

 

 そこで昭武は思い出した。

 確か、先程の御文の中に裁判に関係するものがあったはずだ、と。

 昭武はすぐに、御文の山からそれを取り出すと広げて孫市に見せた。

 

「これは、どうだろうか?」

 

 広げられた御文には『蹴鞠に神性有り候。その力、万歳にも比肩し候。自然、訴訟沙汰ある時、これを用いて判断する可く候。然れども今様の蹴鞠には神性有らず、いにしへの蹴鞠をこそ蘇らせる可く候。さすれば、門徒を熱狂せしめ、渦となりて大歓声に変じ大いなる力にならん。断じて鉾楯交わすこと有る間敷候』と書かれていた。

 

「そういえば、蹴鞠は神聖裁判やったな。あまり使われてはおらんかったから半ば忘れてもうた。しかし、いにしへの蹴鞠と言われてもどんなのか分からんし、果たして公家の遊びやった蹴鞠を武家が受け入れてくれるものやろうか」

 

 この孫市の不安はもっともなものであった。いにしへの蹴鞠と言われても手がかりが少なすぎて全く想像ができないのである。それは、古今東西の知識をある程度持っている昭武でも同じことだった。

 だが、良晴は違った。

 

「あ、思い出した。蹴鞠の起源は確か中国だ! 時代考証が合ってるのかはわからないけど、サッカーらしきものを三国志の映画で曹操がやってたのを見たことがある! そうか、サッカーでいいんだ!」

 

「作家ー? なんやそれ」

 

「別に南蛮蹴鞠って言い換えてもいい! この南蛮蹴鞠こそが本来の蹴鞠に近いやり方なんだ。スピーディーな展開で合戦に近い南蛮蹴鞠なら武家も受け入れてくれる!」

 

「なるほど。これを神聖裁判に取り入れれば、御文がある以上門徒は受け入れるしかないし、信奈公もこれに好機を見出すしかない。だが、相良。これは容易にできるものなのか?」

 

「できる。ルールがわかりやすいのも南蛮蹴鞠の売りだ! 蹴鞠が上手い選手を集めてルールを覚えてくれれば、すぐにできる!」

 

 良晴の顔にもはや絶望の色はない。信奈を第六天魔王にしない。その思いを奮い起こすと、並みの武将では及びもつかないほど豪胆になる。

 

(そうだ、それでこそ相良良晴。オレが認めた男だ)

 

 活気を取り戻した良晴を見て、昭武は静かに頷いていた。

 

 ********************

 

 孫市も去り、良晴も寝静まったころ。

 昭武のもとに再度、仲孝が訪れていた。

 

「昭武どの。きょうにょさまがお呼びです」

 

「きょうにょが、か?」

 

「はい」

 

「……ともあれ、行かなくてはならないか」

 

 仲孝に引き入れられ、いやいや昭武はきょうにょの部屋に入る。

 待ち受けるきょうにょの横には玄仁が立っていた。

 

「何の用だ、きょうにょ。切腹にはまだ早いだろう」

 

 きょうにょに対する昭武の反応は微妙なものだった。きょうにょが抗戦派の暴発を抑えているのは理解しているものの、きょうにょが統制したからこそ和睦が難しくなった側面がある。決して敵対心を解いていい相手ではない。

 

「星崎昭武、お前に温情を与えるぬこ」

 

「なに?」

 

 きょうにょの言葉に昭武の動きが止まった。

 

「よく聞くぬこ。織田信奈が到着しだい行われる笑わない門の試練において、お前が織田方を五回以上笑わせることができれば、仮に織田信奈との和睦が成らずとも星崎家との和睦は認めてやるぬこ。勿論、切腹も取りやめてやるぬこ」

 

 これは、昭武にとっては願ったり叶ったりの条件と言えた。閉ざされた交渉の道がまた開かれたのだから。

 しかし、昭武は即答できなかった。

 なにしろそれは飛騨のために良晴を追い詰めることに他ならないのだ。

 飛騨のために良晴を裏切る。国主としてはこちらの方が正解だろう。だが、昭武自身はそれを拒んでいた。

 

「一つだけ、教えろ。何回笑うと切腹になる?」

 

 だから、昭武はきょうにょは問う。

 それは理性と感情、その二つが妥協できる範囲を見出すためだった。

 

「芸の罠は五つで命の蝋燭は二十本。蝋燭が消えれば、全員失格、お前たちは切腹ぬこ」

 

 揺れ動く昭武の心情をよそにきょうにょは淡々と告げた。

 二十本のうち五本。つまりは四分の一である。昭武が笑わせ過ぎた場合、それが致命傷になりかねない数だった。

 

(とはいえ、オレは誰かを笑わせようとした経験はあまりない。なら、大丈夫だろう)

 

 昭武は自分自身を納得させてから頷いた。

 

「……わかった。その条件を受け入れよう。この約定、決して違えてくれるな……!」

 

 かくして、試練の下準備はほとんど完成する。

 

(これで、算段は全て整ったぬこ。織田信奈、必ずやお前を退けて滅びの予言の成就を防ぐぬこ)

 

 決意を新たにきょうにょは下準備に入るのだった。

 




読んでくださりありがとうございました。
全国版を持ってる方ならご存知でしょうが、次はアレです。ギャグなんてシリアス依存症の作者にとっての鬼門ですが、どうにか頑張って書きます。
何かあれば、お気軽にどうぞ。


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