Entrance~剣の章~ (Boukun0214)
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この世界について
とある少女


彼女の名前は『フィル』。
異界から武力の世界へとやってきた。
少女と呼ぶには、少し大人びてるかもしれない。

これは、そんな"彼女"の物語。


 

 

さて。そろそろ寝ようか。

 

そんなことを考えていた。既に私は寝巻きに着替えており、あとは眠りにつくだけだ。

 

いや。まだ日記を書いていなかった。

せっかく貰ったんだ。書いておこう。今日で、七日目。いや、もしかしたら、日記というよりは"見聞録"の方が正しいかもしれない。それほど大層なものでもないか。

本当に突飛な話だ。私が異世界に行ってしまうとは。正直、未だに実感はない。魔法がない世界だそうだ。ここは。しかし、技術のレベルは非常に高く、夜でも火ではない灯りが町を照らし、町では時々、馬に引かれなくても走る乗り物を見かける。魔法もないのに、大したものだと思う。いや、魔法がないからでこそ、なのかもしれない。

さて、と。

ペンでまだ白いページを突っつく。

今日は・・・特になにもしていないな。

この世界に慣れてそこそこ落ち着いてきて、特に出掛けることもなかったので目新しいものもない。それにしても、七日目にして話のネタに困ることになるとは。早過ぎやしないか。まあ、この家の主、今私が世話になっている人がとてものんびりしているというか、まあ、旅人でもないし、当然なのだが。出掛けない日の方が多いと思う。

当然、いつかは帰りたい。そのためには、情報が少しでもいいから必要だ。しかし彼には彼の都合があるだろう。私はただでさえ厄介になっているのだし、我が儘を言うのも筋違いだ。身の程知らずもいいところだ。

 

「・・・起きてる?」

 

ふいに、部屋のドアがノックされた。

例の、"彼"だ。

 

「起きてるが。」

「うーんとね、お茶いれたんだけど、飲むかなあって。」

 

青髪黒目の青年が部屋の戸を開けた。彼がこの家の主であり、私を置いてくれている、恩人だ。名前は、"ライカ"という。

 

「あ、日記帳、使ってくれてるんだ。なんか嬉しいな。」

 

この日記帳は、ライカが私にくれたものだ。

「とりあえず、記録するのは大切だよね。」

だそうだ。彼がこれをくれなければ、私は日記を書くことなんて人生ですることはなかったかもしれない。

 

「とは言うものの、何を書こうか悩んでしまってて。日記を書くのは難しいな。」

「ふふっ。そうかな。慣れれば結構楽しいよ。」

 

そういうものなのだろうか。彼は全体的にのんびりとしていて、見た目は若いのだが、中身は結構老けてる印象がある。いや失礼な話だが。

ライカが持ってきてくれた紅茶をすすった。少し渋い。彼の淹れるお茶は、いつも濃い。多分、彼はそのくらいが好きなのだろう。私も嫌いではないが、いつもはもう少し薄いものを飲んでいた。

 

「紅茶のことでも、書くか・・・?」

 

日記で紅茶のことを書くのも可笑しな話かもしれないが、生憎、本当に何も思い付かない。彼が一緒に持ってきてくれたお茶菓子をつまんだ。

ふと、なんとなく、頭に魔方陣を思い浮かべた。

 

風魔法(ウィンドスペル)斬撃(スラッシュ)

 

ぼそっと呟く。

そのとき、淡い緑色をした魔方陣が手元に現れ、一迅の風と共にクッキーが真っ二つに切り裂かれたのだ。正直、使えるとは思わなかった。

この世界でも、魔法は使える。これは、かなり大きな発見かもしれない。この世界でも、私のもといた世界と共通のものがあるということは把握していた。

第一に『眼の力』。私の世界では魔眼と読んでいたが、この世界では"武眼"と呼ぶらしい。やや語呂が悪い。

第二に『属』。主な住民は属と呼ばれ、天使、悪魔、獣人、人間、鬼、妖精、竜人。この七つで成り立っており、この世界では、どうやら属ごとの国に固まっているらしい。

 

この世界の特徴は、ここの住民が"武器"と呼ぶ道具だろうか。形状は所謂殺傷能力があるものだけでなく、懐中時計や本などの日用品も武器になるらしい。そして、この世界の住民は武器を一人1つ、一生使い続けるそうだ。人生の相棒といったところだろうか。

余談だが、ライカの武器は弓矢だった。

その形状は持ち主が戦闘意識を持つことで変化し、様々な効果をもたらす。魔法の無い世界、というよりは、不思議な武器がある世界、武器が生きている世界といった方が良いのかもしれない。生きているかどうかは、まだ推測の域だが。

 

私は、日記に魔法が使えたと言うことを書いた。忘れることはないだろうけれども、念のため。まあ、他に何も書くことがなかったと言うのが本当のところだ。

私は、ペンを置いて日記を閉じた。まだほとんどのページが白紙だ。この日記が埋まる頃には、私は元の世界に帰れるのだろうか。

 

なんにせよ、私には情報が必要だ。

どんなものでも構わない。私は、この世界にいつまでも居座る気はない。

異世界に行けたのだから、帰る道も、絶対にあるはずなのだ。



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日記に書けそうな日

憂鬱な朝だ。

 

いや、この世界での朝は、とりわけ目覚めたあとは、とても憂鬱な気分になる。別にこの世界の朝が原因というわけではない。

ただ、夢であって欲しかったと。何度も思うのだ。おかしな夢を見ただけだと。それならば、どれだけ救われるだろう。

でもこれは現実で、きっと私はもとの世界では行方不明になってしまっているのだろう。

 

そんな、考えていてもどうにもならないようなことを朝から、ベッドでぐだぐだと考えるのが、近頃の日課になってしまっている。嫌な日課だ。

 

「・・・起きないと。」

 

重い気持ちとは裏腹に、疲れがとれて軽い身体を起こして部屋を出る。

既に、"彼"は起きていた。というか、私が寝坊していただけかもしれない。

 

「おはよう。もうちょっとでご飯できるから。」

「えっと、なにか手伝えることはあるか?」

 

彼は、すでに朝御飯の支度をしていて、エプロンをして、バンダナで前髪を上げていた。

一人暮らしは長いのか、料理はかなり手慣れているようで、私が手伝えることはあまりない。というか、ほとんどない。いや、全くない。

 

「うーん、じゃあ、ちょっと食器を用意しててくれないかな。」

「わかった。」

 

言われた通り、小さな洒落た食器棚から、食器を取り出していく。ほとんどが木製で、あまり重たくない。それに、置いたときによっとぽど強く置かない限りは大きな音がしないので、木製の食器は少し好きだ。

 

まあ、すぐに並べ終わってしまったのだけれども。それもそうだ。二人分の食器なんて、ましてや比較的量の落ち着いた朝食だ。五分もかからない。またすぐに手持ち無沙汰になる。座って待っているというのも気が引けるし、だからと言って立って待っているのもどうかと思うし。

 

そんなふうに考えていたら、いつの間にか料理を皿に盛り終わったライカが、私に話しかけてきた。

 

「あ、そうだ。フィル、今日、ちょっと出掛けようと思うんだけど、一緒に来る?」

「わかった。私も行く。」

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここまでが、今朝の回想。

私は、この世界に来て初めて、人の集まる場所に来ていた。誰が呼び始めたか、ここの通称は、『ペーパー街』。"人間属"しかいない街。

確かに、見渡す限り人、人、人、人。

確認できる範囲であれば、羽も生えてなければ角も生えてない。耳も丸耳で、髪の色も染めている一部を除けば、黒や茶、そして金髪など。この地域は、金髪は少ないみたいだけれども。

住民が非常に多く、一目で栄えているのがわかる。所狭しと並ぶ店は、食料に日用品、雑貨、贅沢品などなど、必要そうなものは大体揃っていた。

 

「人多いから、はぐれないようにね。」

 

そう私に言った、青髪の青年の後を付いていく。そういえば、彼の髪の色は青だ。目の色は薄い水色。青目はそう珍しくもないが、人間で、この髪の色は珍しい。

それに、この一週間、彼が仕事らしい仕事をしているのを、見たことがない。

なにも知らないんだな。と、何となく思ってしまった。たかが一週間の関係なのだが、少しだけ寂しく思う。

 

そんな彼に付いていくと、狭い路地を抜けた先、人の殆どいない、"街の裏" に来た。

そこの、一つの建物へ入っていく。

中は昼間なのに薄暗く、少しだけ埃っぽい。

 

「おはよう。元気?」

「おー。ライカか。今日は何の用だ?」

 

ライカが店の奥へと挨拶をすると、奥の物陰で、影が動いた。

 

「ちょっとね。同居人の紹介。」

 

奥から、店主と思わしき男が歩いてきた。

年齢は、ライカと同じくらいだろうか?気怠そうな雰囲気を身に纏い、口に加えたキセルを近くの台に置いた。

頭はバンダナで覆われていて、ボサボサに伸びた髪が少しだけはみ出している。

 

「ふぅん。その子?」

 

彼は、私のことをじろじろと見て、その後にライカに、呆れたような声で言った。

 

「お前、そういう趣味があったとはなぁ。」

「人聞きの悪い。ただの居候だよ。それに、捕まるよ。。。流石にね。」

「まあ、お前にそんな度胸はないか。」

 

彼らが会話をしているのを横目に、店の中を見渡した。ガラクタが積み上がっている。

それらをよく見ると、そこにあるのは大量の武具と防具。剣に槍、盾に甲冑の一部など、誰が見ても戦いに使うものばかりだ。

 

「それよりさ、サタ、なんか面白いものない?」

「サタって呼ぶなよ。・・・俺はただの武器屋でいい。」

「僕のことさっき名前で呼んだんだし、いいじゃん。」

 

彼はライカの言葉を聞き流して、男は私に握手を求めた。

 

「俺は武器屋だ。・・・生憎、名乗るのが好きじゃないんでね。だから嬢ちゃんも、名乗らなくて良い。」

「私は・・・」

 

私が、この世界で語れる肩書きが、居候以外に無いことに気がついた。

 

「ライカのところで、居候を、してる。・・・よろしく。」

 

肩書きが居候というのもなかなかに悲しいものだ。なんとかならないのか。

 

「それにしても、いつ来ても汚いよねぇ。掃除したら?お客さん来ないよ?」

「生憎、お前みたいな物好きが一定数いるから客足は安定してるんだよ。」

「じゃあ、物好きなお客様の興味を持ちそうなものはあるかな?」

「しつこいな、ちょっと待ってろ。」

 

武器屋は、店の中のところどころにあるガラクタの山を漁る。金属が擦れる音がガシャガシャと、静かな店内に響いた。

 

「・・・確か、この辺に・・・これだな。」

 

彼が山の中から取り出したのは、一振りの細身の剣だった。窓から入る僅かの光を反射して、その刃は鈍く光る。その光は、僅かに緋く、そしてどこか黒っぽかった。

 

「ライカ、これ、持ってみ。」

 

武器屋に放り投げられ、ひゅっと空気を斬りながら飛んできた剣を、ライカは受けとる。

彼は受け取ったときに少しだけバランスを崩したのか、前屈みに転びそうになってしまった。危ない。

 

「うぉっと。。。あれ?おおー。」

 

ライカは何かに気がついたようで、目を輝かせながら剣を振り回している。ひゅおんひゅおんと音を鳴らし、空を裂く。そこまで店は広くない。・・・危ない。

 

「あ、フィルも持ってみる?」

 

無言で頷くと、ライカが私に剣を手渡した。

剣は小さいものでも相当重いらしいので、私は身構えた、のだが。

 

「・・・軽い?」

 

とても軽いのだ。特に鍛えていない、女の私ですら片手で軽々と振り回せる程度には。

試しに、少し持ち上げて降り下ろしてみた。

殆ど腕に負担がない。確かにそこには質量があるのに、まるで重力の影響を極限まで無視しているようだった。

 

緋色金(ヒヒイロカネ)空帝石(くうていせき)の合金だ。空帝石の反重力は、合金にしてもある程度は生きるらしい。」

「緋色金って・・・。なんでこんな高級品がここにあるのさ。」

「んー。拾った?」

「えぇ。。。」

 

どうやら"ヒヒイロカネ"とやらは相当な品物らしく、ライカは半ば呆れていた。それにしても、"反重力"を持つ鉱石があるとは。ある程度、ということは、純粋にその物質だけなら、浮いてしまうのだろうか。とても興味深い。

 

「もしかして、また戦場巡りしてるの?危ないからやめなって。」

「いーだろ。俺の勝手だ。それに、魂で縛られてない武器は、そうでもしないと手に入らないからな。」

「はー。縛られてない素でそれって、持ち主は相当、運が良いんだね。僕なんて木弓だよ?やっぱりこの格差は酷いと思うんだけど。」

「お前のはもう散々"進化"してるだろ。」

「そうだけどさぁ。。。」

 

わかっていたが、会話についていけない。それどころか知らない単語が出てきた。後でライカに訊いてみよう。

 

「じゃあ、今日はこのくらいで帰ろうかな。」

「あ、もう帰るのか。結局冷やかしかよ。」

「まあまあ。今度来たときはなにかしら買うからさ。」

 

少しの雑談をしたあと、ライカは例の剣を武器屋に渡し、軽く微笑んで、そう言った。

 

「そうだ、フィル、もし何かあったら、ここに来なよ。ああ見えて、サタは結構頼りになるから。」

「おいおい。面倒ごとには巻き込むなよ?」

 

武器屋は抗議の声を上げるが、ライカは軽く手を挙げて、店を出た。私もそれに続く。

 

彼の友人の店を出て、そういえば、彼が初めて私以外の者と会話をしているのを見たことに気が付く。

変わった交遊関係だなと、少しだけ思ってしまった。

 

「じゃあ、付き合わせて悪かったね。買い物に行こうか。」

 

私が思考の輪を廻し始めようとすると、青髪の青年はこちらを振り返った。

 

「ああ。」

 

昨日と違って、日記のネタには困らなそうだ。



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少し知った

 

雲が適度にある、天気の良い昼下がり。

少し懐かしさを感じる、人の少ない森の中。

 

 

氷魔法(アイススペル)刺突(スタブ)

 

言霊は精霊の力を借り、魔方陣となり、現実に作用をもたらす。水色の光を宿った魔方陣が私の突き出した右手の前で展開する。それは一瞬空気に解け、空間に収縮し、そこには無かった鋭い氷の礫を創り出した。

 

「おおー!」

 

その礫が的に突き刺さると同時に、私の横に立つ青年は、驚きの歓声を上げた。

 

 

 

私は、自分がもといた世界のことを彼に説明するため、魔法を見せることにしたのだ。この世界でも魔法が使えることはこの間わかったのだし、彼には色々と世話になっているのだから説明の義務くらいはあるだろう。

 

「すごいねぇ。魔法って。」

「色々あるけど、こういうのが一番分かりやすいかと思った。」

「あ、火とか出せるの?」

 

先日、武器屋に行ったときのような無邪気な顔で私に問い掛ける彼は、好奇心旺盛な子供のように感じた。

 

「えっと、炎魔法(ファイアスペル)弾発(バースト)

 

うろ覚えな呪文を口にする。

手元を基点に赤色の魔方陣は現れ、そして、炎が弾けた。

 

「あつっ。」

 

手元を基点にしたのは不味かったか。

ややローブの袖が焦げてしまった。あとで直そう。

 

「すごいなぁ。マッチ要らずだね。あ、冬とかは暖炉の火の管理が楽になるかも。」

 

・・・なんというか、そう。家庭的だ。発想が。

彼が炎魔法を使えるようになったとしても、多分、やることがその辺の主婦と変わらないような気がする。いや、この世界には魔法がなくても、簡単に火を起こせる道具が色々とあるので、多分必要ないだろうけど。確か、マッチとか言っていたものを良く使っているような気がする。

 

「面白いものを見せてもらったお礼っていうのもなんだけど、ちょっと僕も、何かしようかな。」

 

そう言って、彼は背中に背負っていた弓を構えた。

彼が弓を構えているのは、もしかしたら初めて見るかもしれない。構えた弓は、背負っていたときは確かに、とても簡素な弓だったにもかかわらず、その一部が光り、立派な、見栄えのする装飾があしらわれる。

青緑を基調にした、どこか不思議な弓には、普通の装飾だけでなく弓の上下の関板からは刃がついており、一目で戦うために特化した作りであることがわかる。

 

「行くよ。」

 

彼は矢に弓をつがえ、それを放つ。引き絞り、放つ。

いくつも連続で放ったその矢は一つも外れることなく的に突き刺さる。見事だ。

ふと、彼が何かを引っ張るような仕草をした。

 

理解するのに、少し時間がかかった。

的がこちらに吹っ飛んできた。

彼の仕草から察するに、見えない糸のような物が矢に付けられていて、それを引っ張ったのだろう。

 

「"魔法"を見せてくれたお礼。っていうのは、変かな。この世界では、皆、一人一つずつ武器を持っている。その武器には、何か、普通の物理法則ではあり得ない力が宿ってるんだ。僕の場合は、放った矢が糸みたいなもので繋がってるって感じかな。あと、武器はある程度は、思い通りになるんだ。」

 

彼が弓を置いて、手をかざす。

すると、弓が彼の手にスーっと吸い込まれるように持ち上がった。

 

「ほらね?」

 

こうやって、法則をねじ曲げる力が魔法なら、この世界の武器はそれに非常に近しい。とても、興味深い。

 

「"この世界では皆、戦士だ。己の武器を持ち、その力で他を、時に退け、時に従え、時に殺め、時に守る。それがこの世の(ことわり)であり規則(ルール)だ。"」

「・・・それは?」

「王様が昔、戦争を始めるときに言ってたんだって。もう何十年も昔の話だけどね。」

 

戦争。そう聞いて私が一番最初に連想したのは、彼らが兵士となり戦う姿だった。

 

「僕ら人間の連合国、"ワイズモータレルム"はいくつかの国家と戦争状態にある。それがこの国の背景だよ。」

 

少し間を開けて、彼はクスリと笑う。

 

「変な話、この戦争はもう何百年も続いてるんだ。・・・そのための、"勇者"なんてものも使ってね。馬鹿なことだよ。愚かだ。」

 

「・・・」

 

彼に何を言おうか、少しだけ迷ってしまった。それが不味かったのかもしれない。何でもいいから言えばよかったのかもしれない。無神経に、もっと聞けばよかったかもしれない。

 

スッと、彼が見向きもせずにナイフを放った。

 

「ひっ・・・」

「物騒なこと考えてるならどっか行きな。次は当てるよ。」

 

ナイフが飛んでいった先の草むらから、男の悲鳴が聞こえた。ライカの声は恐ろしく冷静だ。

しばらくして、草むらが少しだけ揺れるとライカはため息をついた。

 

「・・・逃げたか。まあ、こういう物騒なやつらがいることがあるから、気を付けようってことかな。この国では。今のは多分、物盗りの類いだろうけど。」

 

今のところ、完全に物騒なのはライカであると私は思うのだが。

 

「は、はぁ・・・。」

「うん。まあ、僕らの武器みたいには行かなくても、何かしら護身用は持っておいた方が良いかもね。」

 

そう言って彼は、弓を背中に背負った。

いつの間にか、弓は元の簡素な木弓に戻ってしまっていた。先程感じた不思議な力は感じない。

 

「今度、サタの店にでも行こうか。・・・あそこはフリーの武器が沢山あるから。」

「ああ。」

 

ライカに何かを訊こうと思っていたが、忘れてしまった。しかし大したことはなかったと思う。

帰りながらでも、思い出したら訊こう。

 

「・・・私は、どんな武器がいいと思う?」

「そうだねぇ。まあ、帰りながら考えようか。」

 

少しだけでもこの世界のことが分かったのだし、進展したということにしよう。とても断片的でも、知らないよりはずっといい。

 

そうして、二人で森を歩いて帰った。

いつの間にか、日が傾いていた。



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異物と武器屋

「武器を買いに行こう。」

 

朝食の前に、彼がそう言った。

 

「あ、ああ。」

「いやぁ、先に言っておかないと忘れそうで・・・」

 

何日間か共に生活をしてきて思ったのだが、彼はかなりマイペースな方だろう。まあ、ただそれを私が気にしなければ良いだけの話なのだが。

彼は朝起きるのがかなり早いようで、日が昇るとほとんどすぐに起きているようだ。そんなに早く起きて何をしているのかというと、朝御飯を作ってくれていたり、あとは本を読んでいたりなどなど、かなり気ままに過ごしている。

いや、下手に詮索するのもなんだし、と、思考を目の前の朝食に移す。野菜のスープに近所で買ってきたパン。私が元いた世界に比べるとやや色が少ないような気がするが、別に美味しいし、この世界の食べ物はこういうものなのだろうと勝手に納得をしている。

 

「・・・武器って、あの、"武器"か?」

 

この世界の住民が扱えるような、あの特別な武器は私でも持てるようなものなのだろうか。

 

「あーいや。違う違う。それじゃなくて、持ち主を失った、フリーの武器だよ。無いよりある方がマシでしょ?女の子だしね。護身用として。」

「持ち主を失った、ということは、()()()()()()()、ということなのか・・・?」

「うん。そういうこと。別に持ち主が死んだところで武器が消える訳じゃあないからね。それを使わせてもらうんだ。基本的に、そういう武器なら誰にでも使えるんだ。サタの店にあるのは全部それだよ。」

 

()()()の店には大量の武器があったと思う。あれ全てが死んだ者の遺品だと思うと、ゾッとする。戦場巡りと言っていたのはそういうことか。そんなことをしていて祟られたりしていないのだろうか。

 

「どんな武器が良い?僕は短剣なんかがオススメだけど。少し鍛えれば誰でもある程度は扱えるしね。」

「短剣とかって、どのくらいの重さなんだ・・・?私はあまり腕力に自信がないのだが。。。」

 

正直なところ、私は普段、辞書より重いものは水を汲みに行ったときのバケツとか、食材の買い出しの帰りのカゴとか、その程度しか持たない。この間の軽い剣は例外として、私の腕力で振るえるのだろうか。

 

「うーん・・・あった。はい。」

「!」

 

彼はどこから取り出したのか、手に持った短剣を私に軽々と放り投げた。

 

「おっととと!!」

 

何てことをするんだこの男は。

咄嗟に両手で柄の部分を持てたから良かったものを、怪我をしたらどうするつもりだ。。。

 

「お、重っ!」

「うん。こんな感じ。見た目よりはずっと重たいんだよね。少し運動した方がいいかも。」

「うっ。」

 

とりあえず、テーブルの上に置く。とてもじゃないがこれを振り回せるとは思えない。いつも彼が側にいるとは限らないのだから、魔法が常にこちらでも使えるとは限らないのだから、鍛えておいて損はないだろう。

しかし、運動か・・・。

 

「はぁ。。。」

 

ため息をついて、スープを口に運ぶ。

うん。美味しい。今はそれで良しとしようか。。。

 

 

 

 

 

 

「おーい。ちょっと買い物に来たよー。」

 

ライカが薄暗い店の中に呼び掛ける。

奥の方で、気怠そうに立ち上がる姿が見えた。

 

「今行くっての・・・。」

 

ここに来るのは二度目になる。相変わらず、言っては悪いが店と言うよりは物置か廃墟の方が相応しいような状態だ。少しくらい整理しても良いだろうに。

 

「今日はね、フィルの・・・」

「やぁ。お嬢ちゃん。今日は何の御用事で?」

「武器を買いに来た。まあ、ライカの提案だが。」

 

ちらりと横を見ると、武器屋にスルーされたライカが少し不満そうな顔で頷いている。

 

「まあ、そういうわけで、なにか良いやつ無いかなーって。彼女まだ武器持ってないから。」

「初めての武器で曰く物(いわくもの)を御求めとはなぁ。。。」

 

困ったように目を閉じ、頭を掻いた。

 

「じゃあ、ちょっと失礼。」

 

彼が眼を開くと、彼の黒かった瞳は、オレンジ色に輝いて私を見透かした。この世界の属の全てが使える特殊な能力。"武眼"だ。

彼は少しの間、私の事を見た後に、こう言った。

 

「お嬢ちゃん。・・・武器食った?」

「は?」

「いや。こんなパターンは初めてでな。。。」

「どうしたの?」

 

一人で呟き始めた武器屋に、ライカが話し掛ける。

 

「魂が、二つある。」

「えっ。」

「・・・。」

 

その二人の話を聞きながら、私は少しの可能性を見出だしていた。

魂が二つ。・・・少し、心当たりがある。

今までの情報を、少しだけ生かすとするなら、そう考えてきたことが、ひとつだけある。

 

「・・・武器屋。ひとつ、質問いいか?」

「なんだい?」

「この世界の武器に、魂はあるのか?」

 

私の予想が正しいのであれば、その答えは・・・

 

「ああ。持ち主が生きていれば、だけどな。」

 

やっぱり。

 

「それにしても、()()()()って、どういうことだ?」

 

え?

 

「言ってたろ。()()()()()()()って。魂が二つある身体もそうだし。思えばライカが突然ガキを家に住まわせるのも変な話だしな。」

「い、いや・・・。」

 

訝しげな目で私の事を見てくる武器屋から、私は思わず目を逸らした。別に隠していたわけではないが、あまり知られるべき事ではないと考えていたので、墓穴を掘ったことに気が付く。もはや後の祭りだ。

チラリとライカの方を見ると、ライカは頷いた。

 

「良いんじゃない?こんなだけど悪い人じゃないしね。」

 

ずいぶん適当だな。。。

しかし、別に隠す必要性があるわけでは無いのだ。話してしまっても良いのだろう。どう説明しよう。

少し考えれば、すぐに思い付いた。

 

炎魔法(ファイアスペル)装着(ドレスアップ)

 

赤い魔方陣が、私の右手を包み込む。

埃っぽい店の中が、炎で照らされた。

 

「・・・おいおい、今度はなんだよ。。。」

「うーん、まあ、見ての通り、訳アリでさ。」

 

 

ライカと一緒に彼に説明をした。

私のこと、魔法のこと、あの"穴"のこと。

そして私のいた世界のこと。

私が、元の世界に帰る術を捜していること。

 

 

「で、魔法ってのはその()()とやらが宿っていて使える、と。じゃあ二つ目の魂はその聖霊のか。。。」

「どう?納得した?」

「いや・・・納得も何も、何度も色んな魔法ってやつを目の前で使われたし、納得しなくても信じるしかないだろ。。。」

「なんか、すまないな。混乱させてしまったようで。」

「いや、俺も変に疑ったしな。それにしても、別の世界・・・か。」

「興味ある?」

「いや。別に。」

 

まだ少し腑に落ちないような顔をした武器屋が、そうだ、と言って立ち上がる。

 

「お嬢ちゃんには、この武器が良いかもしれないな。」

 

店の奥、と言っても、動ける空間はほとんどガラクタ、もとい商品が埋め尽くしているのだが、そこから一本の杖を持ってきた。

 

「つっても、勝手なイメージだけどな。魔女にはこれがお似合いだろ。」

 

武器屋が手に持った杖は、仄かに蒼く透き通るような色をした柄、その上には、明るい緑色の石が木の根に絡まるような装飾がついている。

手渡されたそれを持ってみた。長さは、私の肩くらい。ひんやりとした感覚が、それが金属でできているということを思わせる。少し重いが、持てなくはない。

 

「おお・・・。」

「あ、フィル、それにする?」

「これで、良いのなら。」

「サタ、これいくら?」

「それは貸しにしておくよ。魔法使いの武器なんざ良くわからないしな。」

 

少しして、彼は続ける。

 

「それに、柄はともかくその妙な石はどうもこの世界のものじゃないみたいだ。これはお嬢ちゃんに、ぴったりじゃないか?」

「へえ。この世界のものじゃないって、どうしてわかったの?」

「この間、例の"穴"を見てな。そこから落っこちてきたんだ。穴ってのが向こうと繋がってるなら、そういうことだろ。」

 

武器屋の言葉に私はつい反応してしまった。口が勝手に動いたのだ。

 

「その穴を見たのはどこだ!」

 

少し大きな声が出すぎてしまった。私の声が、三人しかいない店のなかに響く。

 

「・・・その、教えて欲しい。」

「ん?ああ。・・・東ミスリ地方だ。そこにある小さな村に立ち寄ったときにな。穴を見つけたのは、その帰りだけど。」

 

武器屋が、ちらりとライカの方を見る。

 

「うーん、遠いねえ。自動車使わないと一月はかかりそう。」

「あ、ああ。そうだな。使って二日はかかった。」

「フィル、そろそろ帰ろうか。長居しちゃったね。」

 

ライカが下ろしていた荷物を肩に掛ける。

そして店の出口までさっさと歩いていった。私もその後を追う。

 

「じゃあね。サタ。また今度来るよ。」

「その、杖、すまない。」

「あいよ。毎度あり。」

 

ドアを開けると、外の光が目に刺さった。埃っぽい空気にも、いつの間にか慣れていたみたいだ。外が変に澄んでいる。

 

空間魔法(ヴォイドスペル)収納(チェスト)

 

一度立ち止まり、杖を魔法でしまう。

前を見ると、既にライカは先に歩いていってしまっている。あわてて、その背中を追いかけた。



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旅路の準備と

ここに来るのは三度目になる。

まさかこんなに短期間に来ることになるとは思っていなかったが。

 

今日は旅の準備をしに、ペーパー街に来ている。

相も変わらず人が多い。ただの商店街というだけでなく、都心部に近いのがその原因なんだそうだ。言われてみれば、人混みの向こう側に城壁が見える。城はあそこにあるのか。少し見てみたい。

 

それは今度の機会にしよう。今は、旅に必要なものを揃えなければ。ちなみに、当然ながら代金はライカ持ちだ。申し訳ないが、この世界のお金を持っていないので致し方無い。素直に甘えよう。これを気にするのは何度目だろう。どこかで日雇いの仕事等あればいいのだが。

 

「まずは上着かな。隠しポケットがあるやつ。それとある程度のお財布をふたつ。」

「二つ?」

「うん。ひとつはダミー。もうひとつを隠しポケットに入れておくんだ。旅人のスリ対策の基本だね。」

「なるほど・・・。」

 

ライカが衣服を扱っている店に入っていった。上着はローブじゃ駄目なのだろうか。

 

「いらっしゃい。お兄さん、今日はどんなのをお探しで?」

「この子に、動きやすい旅人用の服とかお願いできるかな?」

「その嬢ちゃんは旅人かい。最近多いんだよねえ。新しく旅人になる若者が。流行りなのかねえ。」

「流行りかは知らないけどね。確かによく見かけるかも。」

「だろう?で、こんなのどうだい?女性物で、胸の裏側のところに隠しポケットがある。ちょっとローブ脱いでくれるかな?」

 

店の女店主が、ライカと何気なく会話をしながらてきぱきと服を取り出して広げ、私の肩に別々のサイズを合わせていく。比べるのもどうかと思うが、武器屋のところとは偉い違いだ。いや、そんな店だらけだったら普通に困る。

 

「うーん、ちょっと大きいか。あ、お嬢ちゃんはどんな戦闘職(ジョブ)なんだい?良かったらそれに合わせて選ぶけど。」

「えっと・・・」

「あー、彼女はまだ駆け出し(ノーヴィス)なんだ。どれでも当たり障りないもので良いよ。」

 

あとで聞いた話、通常、旅人は旅人の連盟に入って、戸籍で管理されるらしい。ここで、自分の戦い方、もとい戦闘職を決めて登録するそうだ。これに入っているとなにかと国からの補助を受けられる代わりに、有事の際は戦争に参加しないといけないとのこと。

私は戸籍がないから気にしなくていい。というか、そもそも入れない。しかし、一応入らないといけないことにはなっているが入らない人もかなりいるそうなので、別に不自然でもないそうだ。

 

「うん。これなんかどうだい。きっと似合うよ。それにしてもほっそいねえ。こんなので戦えるのかい?」

「まあ、彼女はトリッカー向きだから。。。」

「じゃあ、奇術師(マジシャン)あたりか。どんなの出来るか聞いていいかな?」

「火を出したり、氷を出したり、そんな感じかな。」

「なるほど。ならこれでいいね。動きやすいし、ポケットも多いから色々と仕込めるよ。それに防火防水なんでも来いさ。」

 

魔法使い(マジシャン)?いや、別の意味か。

この世界に魔法はない。でも、いいな。これからはそう名乗ろうか。居候では締まらないから。あと私が名乗りたくない。そのくらいのプライドはあっていいだろう。

 

「どう?」

「あ、ああ。じゃあ、それで。」

「オッケー。いくら?」

「2400ソルね。まいど。」

 

・・・高価い。"ソル"とは、この国の通過だそうだ。

確か、前に買い物に来たときのパンは1斤で50ソル位だったはずだ。48倍・・・。それとも、食物の物価が安いだけなのだろうか。それに、私が見てきたのは十数日程度だが、やはり彼が仕事らしい仕事をしているのを見たことがない。でもお金には困っていないと言っていた。

考えないようにしていたが、気になるものは気になる。

 

「ああ、そうだ!奇術師(マジシャン)なら手袋も無いとね!どうだい?買っていくかい?」

「どうする?」

「あ、いや。手袋は持ってる。」

 

店主が、わざとらしく他の商品もすすめてくる。

抜け目ない。さすが商人と言ったところかもしれない。お陰で考えていたことが吹き飛んだ。そこは感謝しよう。手袋は確か、空間魔法(ヴォイドスペル)でしまっていたはずだから大丈夫だろう。繋がっていることは確認できたし問題ない。

 

「ああ、あと。お財布だ。なにか手頃なのある?」

「仕込みのやつなら、こっちで十分かねえ。」

「あ、じゃあもうひとつはそっちの革のやつで。」

「あいよー。」

 

結局、旅人用の上着と小さな財布を2つ買って貰って店を出た。旅に必要なもの。あとは何があるのだろう。こんなことならその手の本を読んでおけばよかった。その手の知識は任せっきりだったが、これからも全部そうというわけでもないだろうし。先の備えで読んでおこうとは前々から思っていたし、良い機会だから、この世界の文化を調べがてらライカに図書館にでも連れていって貰いたい。というか、純粋にこの世界の本を読んでみたい。明日にでも頼んでみようか。

 

 

「・・・うん。まあ、ひとまずはこれで良いかな。他に必須ってほどのものはないし。」

 

その後はいくつか店をまわり、"マッチ"と呼ばれる火を起こす道具や、しなやかで折り畳めるのにとても丈夫な金属(?)で作られた水筒、あとは非常用の傷薬と包帯を買った。

 

「どうする?まだ日が暮れるまで時間があるけど。観ていきたいところとかある?」

 

ライカのこの質問に、私は当然ながらこう答えた。

 

「なら、図書館に行ってみたい。・・・いいか?」

「いいよ。ちょうど近くに良いところがあるんだ。」

 

 

 

 

案内されたのは、この国の城の内部。ペーパー街に来たときに目にはいった城壁の向こう側。ライカは門番と面識があるようで、普通に入れてしまった。

 

『グラディエルム国王立図書館』

 

一人で立った入り口の、豪勢な装飾をされた名札の文字をたどる。一般人立ち入り禁止の文字が私の頬をひきつらせる。

 

「あ、僕はちょっと用事があるから行ってくるよ。図書館の中にいてね。」

 

ライカよ。

ここまでは求めていない。



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一国の姫と勇者

この国は、人間属の国『ワイズモータレルム』。

古代の大戦で人間属の小国が同盟を組んだのがその起源とされている。軍事国家だ。

主な領土はハスカル大陸の中部及び南部。そしてその周辺の島々。北側に位置する山脈により、竜人の国と隔てられている。

象徴としている勇者の武器は鎌。水の力を宿すとされている。グラディエルムでは勇者の死後、闘技大会を開きその優勝者に勇者になるための挑戦資格を与えられるのが大きな文化的特色であり、その武器に不適合の場合、再考査となる。勇者になった場合、城に仕え、護衛を任されることになる。

また、この種属は他の種属と比べて非常に知性に優れており、他の種属にはない様々な発明品を生み出したため、この世の文明を作り上げているのはまさに人間という種属なのである。その点、砂漠で隔てられた隣国である鬼は野蛮でーーー

 

 

「ふぁ・・・。」

 

先程から様々な文献を読んでいる。本を読むのは好きだが、どれも大差のない内容で飽きてしまった。その上、決まった情報の後はいつも、いかにこの人間が他の種属より優れておりいかに他の種属が愚かであるかを論じるものとなっていた。ペーパー街に人間以外が居なかった理由がわかった気がする。

そして、この世界は何かと争いの絶えない世界であることも、文献を見て良くわかった。どの歴史書も戦史ばかりだ。この世界の住民は、なかなか戦いが好きなようだ。なかでも、少なくともこの国の文献には、"決闘"という文化がある。

なんでも、賭け事の一種のようで、先に要求したものを勝者が得られるものだとか。歴史書を読んでいるとターニングポイントは大抵、それが絡んでくる。

物騒だ。

 

「・・・。」

 

この広い図書室に、司書と思わしき人物が一人。

この量の本を一人で管理しきれているとは思えないが。静かなのでまあよしとしようか。

しかし、あまり高価くなさそうな本は粗方読んでしまった。裕福な生活などしたことがないので、本もいつも古本を漁っていた。ああいう高級品は変に気が張ってしまい読めない。装飾だけであと五冊は買えそうな見た目のものばかりだ。流石城内図書館。早く帰りたい。こんなところでホームシックを味わうとは思っていなかった。その帰りたい家が、どっちなのかはわからないが、とにかく帰りたい。貧乏人が来て良い場所ではない。まあ、今は本当に無一文だけど。はは・・・

 

ガチャッ!

「・・・!」

 

心の中でふてくされていると、急に図書館のドアが開いた。そちらの方に目をやると、小綺麗なドレスに身を包んだ、十数歳ほどの少女が駆け込んできた。

 

「姫様ぁー!!!!いい加減にしなさぁーーい!!!!」

「・・・ごめんなさい!」

 

廊下の方から怒鳴り声が聞こえたかと思うと、少女は私のローブの中に潜り込んできた。

 

「ちょ・・・ひゃっ!な、なにを・・・」

「・・・シッ!」

 

少女はモゾモゾと私のローブのなかを探り、どうやら私の膝の上に座り、その小柄な体をぴったり私の体に沿わせることで落ち着いたようだ。・・・落ち着かない。

 

「・・・ここですね!!!!もう逃がしませんよ!!!!」

 

半開きになっていた図書室のドアを思いっきり足蹴にして、大きな鎌を背負った女性が入ってきた。

 

「すみません、姫様を見ませんでしたか?」

 

その女性は早口で私に問う。恐らくさっきの少女のことだろうが、隠れに来たのだからその意思を尊重した方がいいのか。

ちらりと先程から受付で本を読んでいる司書に視線を送ると・・・いない。逃げたか。私も逃げたい。

 

「・・・失礼します。」

 

そしてその女性は、私に近づき、私のローブの前を開いた。

 

「・・・げっ。」

「・・・。」

 

大鎌の彼女は微笑んだ。

 

 

 

 

「・・・先程は失礼しました。姫様の分まで謝罪させてください。」

「あ、いや。。。別に。」

「もう良いじゃない。彼女だってそう言ってるのだし。」

「元はと言えば貴女のせいでしょう。それとも、明日来る家庭教師に伝えましょうか?」

「うっ・・・ごめんなさい。」

 

ここは図書室ではなく小綺麗な客間。

目の前には頭にコブを作り、不貞腐れた少女と、鎧のような服のような、使用人服の所々を甲冑の一部、胸当てや籠手などで覆った、妙な格好をして大鎌を背負った女性がいる。

 

「ああ、自己紹介がまだでした。私はエレナ・グロウスと申します。武器はこの、水鎌(すいれん)アクーペで、人間属の"勇者"をやっております。エレナと御呼びください。」

「よ、よろしく。」

「ふん。お客様の前だからって猫被っちゃって。」

「そして、生意気な口をお持ちなですが、これでもこの国の王女、シオン様です。」

「・・・ねえ、エレナ。私のこと嫌い?」

 

シオン、と紹介された少女と、この勇者エレナはかなり仲が良さそうだ。勇者は護衛をしていると本に書いてあったから、それでだろうか。

 

「私は姫様のことが大好きですよ?あー、私悲しいです。まさか姫様にそんな風に思われていたなんて。」

「白々しいわ・・・。」

 

勇者はほぼ棒読みで、取って付けたように言ってのけた。姫様がため息をつく。勇者のオモチャにされているような雰囲気だ。こんなので良いのか。

 

「・・・私は、フィル。男のような名前だが、まあそこはれっきとした女だ。」

「今日はどうしてここに?王室図書室は一般に解放はしていませんが。」

「ああ、いや、実は連れてきてもらった身なんだ・・・。図書館に行きたいと言ったらここに。」

 

まあ当然、私のような余所者が来るような場所ではないんだろう。というかそもそも図書室で待っていないといけないことを思い出した。

 

「あ、、、私はあそこで待っていないといけないんだ。すまない。戻っても良いか?」

「じゃあ、せっかくですし一緒に行きましょう。広いから迷ってもあれですし。えっと、フィルさん。ほら、姫様も。」

「あ、私はフィルでいい。・・・敬称は慣れない。」

「フィル、何の本を読んでいたの?小説?伝記?それとも歴史書?」

 

姫、シオンがひょこりと顔を覗き込む。

 

「あ、歴史書を読んで、いま、した。」

「敬語じゃなくて良いわ。折角、公でもなんでもない出会いなんだから。お友達になりましょう?」

「・・・なら。し、シオン、よろしく頼む。」

 

このお姫様はどうやら、堅苦しいものはあまり好かないタイプのようだ。私もあまり好きではない。少し、気が合いそうだな、何て思ったりした。友人らしい友人はこの世界に来てから初めてだ。というか、思えば同性の友人なんて初めてかもしれない。

少し、浮かれてしまいそうだ。

 

「じゃあ、行きましょうか。もしかしたらもう待っているかもしれませんしね。」

「その、ここに連れてきてくれたのはどんな人?」

「えっと、髪が青くて、弓矢が武器で、まあ・・・何をしてるか、よくわからない。」

 

本当によくわからない。一週間以上は一緒にいるが、どうにも、特徴が掴めないのだ。しかしそれだけで、誰を指しているかは通じたようだった。

 

「もしかして、ライカ・ユナイティムさんの事ですか?」

「あー、たまに見るわね。」

「陛下とお知り合いのようですよね。」

「彼はいつも何をしに来てるの?父上は何も教えてくれないのよ。」

「・・・いや、私も知らない。彼と知り合って、まだ日が浅いんだ。」

「ふぅん、そういえば彼、弟が居たはずよね。確か・・・」

「姫様。」

 

シオンの言葉を遮るように、エレナが首を振る。何かあったのだろうか。まあ、聞かれたくないことなのだろうから、詮索はするまい。・・・気にはなるが。すごく。

 

「そういえば、彼とはどういった関係で?」

「えと、・・・その、彼の家に、居候、させてもらっている。。。」

 

また使ってしまった。自己紹介で居候。何か貢献しているわけではないので、本当にただ世話になっているだけなので、そうなのだけれども。

 

「へぇ、それはまた。・・・どうしてそんなことに?」

 

興味を持たないでくれ。正直説明に困る。どう説明すれば良いのだろう。異世界から来ましたなんてそうほいほいと受け入れてもらえることでもないだろう。

 

「えっと、家に、帰れなくなっているところを、たまたま、拾って貰ったというか。」

 

苦しい。これは迷子と勘違いされそうな気もするが。いや、勘違いではない?むしろ正解なのかもしれない。帰り道がわからないならそれは迷子なのだろうか。

 

「帰る手がかりも、無いし。」

「ところで、何処から来たの?話してる感じ、かなり遠い場所みたいだけど。」

「・・・それは。」

 

どういう返答が正解なのだろう。少しだけ考えていた。しかし、その必要はなかった。

 

「え?」

 

 

 

 

視界が急に、塞がった。

 

「なっ・・・」

 

上から袋のようなものを被せられたようだ。パニックになり、暴れようとするがすごい力で押さえつけられ、動くことが出来ない。

 

撃音(パルス)!」

 

塞がれていない口で、言霊を喚ぶ。

成功した。

 

空気が弾け、私を抑えていた力が弱まった。

その隙に、頭を覆う袋を退かす。

視界が明るくなった。後ろを見ると、布で顔を隠した男が一人。

 

その胸に手を置き、もう一発放った。

どさりと、男が倒れる。

 

そのまま周囲を見渡すと、数人、同じ格好をした者が倒れていた。数は・・・5人か。そして、最後の立っていた男の腕を捻り揚げ、そのまま床へ叩きつけるエレナの姿があった。

 

「・・・ふう。」

 

全員が気絶しているのを確認して、一息をつく彼女。そこから少し離れた場所で、シオンが雑に拍手をしていた。

 

「相変わらずお見事~。」

「い、今、のは・・・?」

 

全く状況が把握しきれていない。

それを察したのか、シオンが説明してくれた。

 

「今のは、私を狙ってたの。よく居るのよねぇ。」

「巻き込んでしまってすみません。自衛は出来るようで安心しました。」

 

私の世界の住民には、生まれたときからひとつ、魔法と同等の力が与えられている。それを"眼"と呼んでいる。

 

「貴女の眼は、緑色なんですね。何の力ですか?」

「私の眼は、その、"音"を操る。」

 

その眼の力を使うときは、瞳に色が現れる。私の場合は緑色。あのときの武器屋の場合は、オレンジ色をしていたと思う。

 

「音、で、フィル・・・か。なるほど。」

 

エレナがぼそぼそと何かを呟く。

シオンが思い付いたように言う。

 

「それって、回りの音を消したり出来るの?」

「多分、出来ないこともない、と思う。」

「あ、フィルさん。姫様に何か言われても絶対に手伝わないでくださいね。多分、城を抜け出すときに使えると思ってます。」

「うっ・・・。」

 

何考えているかはこの護衛にはお見通しのようだ。

というか、ノリが軽いような気がする。一国の姫が拐われかけたというのに緊張感がまるでない。

 

「そ、それより、この男達はどうするんだ?ここに放置っていうわけにも。。。」

「ああ、そういえば。じゃあ、縛って牢にでも放り込んでおきましょう。また襲われても面倒ですし。」

「面倒って、それが貴女の本来の仕事でしょ。」

「別に私は姫様の心配なんてしてないんです。」

「えー。。。」

 

そのとき、一人が意識を取り戻したのか、大きな声を上げて、シオンに後ろから襲いかかった。

 

「ウオオオオオオオオオォォォォォ!!!!」

「寝てなさい。」

 

姫様は振り返りもせずに一言だけ呟いた。

何が起きたか、男は床に張り付き、その周囲の石の床がひび割れる。

 

「ほら。」

 

エレナが目で示した方を見る。そこにいるシオンの瞳は金色に光っていた。

これが彼女の眼の力なのだろう。

 

「姫様は、重力操作が出来るんです。」

「なるほど。。。」

「まあ、あまり使いたくないんだけどねえ。父上がうるさいのよ。その力はあまり使うなって。」

「姫様は眼さえ使えば、ほぼほぼ対応できます。ただ。」

「ただ?」

 

彼女は男の周囲の床を指差して言う。

 

「壊れるんですよ。城が。」

 

確かに、白目を剥いて倒れている男の周囲の床には大きなヒビが入っており、王宮の一室には相応しくない。というか、そもそも床にヒビが入っていたら危ない。

少し部屋のなかを見回すと、上から吊るされたシャンデリアの鎖は接いだ跡があるし、床の石のタイルは所々新しい。家具もいくつか接ぎ木をした跡がある。

 

「・・・なるほど。」

「それはいつもごめんって言ってるじゃない。。。」

「姫様が力を使う度に大工が儲かるんです。それも一回に十万や二十万ソルじゃないのに。勘弁してほしいものです。」

「にじゅっ・・・」

 

今日買ってもらった服があと100着買える。

まだそんなにこの国の通貨のことを理解していないが、かなりの値段ということは解った。

 

「ほ、ほら、さっさとコイツらを牢屋に連れていきましょう。ね?ね?」

「はいはい。じゃあ、姫様が運んでくださいよ。六人も抱えるのは面倒です。」

「はーい。」

 

シオンが瞬きをする。すると、眼は金色に変わり、気絶している男達の体が浮き上がった。なるほど。重力操作は軽減にも使えるのか。

 

「フィルも、ちょっと手伝って。」

 

ただ、できるのは浮かすだけで進行方向を決めるのは、手で押すという極めて原始的な方法だった。()()操作なら、そりゃそうか。

 

「とりあえず、王族の命を狙った罪で極刑は避けられないでしょうね。解っていながらどうして来るのか。」

「色々あるんじゃないの?王家って、何かと恨まれやすいじゃない。」

 

他人事みたいに言ってのけるシオンに、少しだけゾッとした。そんな風に思えてしまうほど、日常なのか。

怖くはないのか。私は命を常日頃狙われるのは御免だ。王家とはこういうものなのか。

 

「ここです。」

 

付いていくと、地下へと続く階段がある所まで来た。

 

「ここからは、私だけで行きます。フィルさんは、姫様をしっかりと見ていてください。」

「わかった。」

「姫様はもう、武眼を閉じて良いですよ。このくらいなら私一人でも行けますから。」

 

彼女は本当に一人で六人の男を担いで、階段を降りていった。あの細い腕の何処からそんな力が出るのだろうか。見た目よりもずっと鍛えているのかもしれない。なにしろ、四六時中あの鎌を背負っているのだ。体力がつかないほうがおかしいのかもしれない。

 

「そういえば、エレナは・・・」

 

少し雑談でもと思い、シオンの方を見るが、そこに人影はなかった。あるのは、『少し出掛けてくる』と可愛らしい文字で書かれた紙だけである。

 

「シオン!?」

 

私としたことが。全く気がつかなかった。拐われたのだろうか?いや、この書き置きを見るに、おそらく、そう、私が彼女と出会ったときの繰り返しだろう。彼女には脱走癖があるのだろうか。それか隠れんぼ好きか。どちらにせよ、早く追いかけないと不味い。さっき襲われたばかりだというのに。危機感はないのか。私のしんみりを返せ。

っていうか、あまり意識はしなかったが相手は王族だ。何かあったらおそらく、私が不味い。

 

「どうかしましたか?」

「・・・あ、えっと、、、」

 

エレナが思ったよりも早く帰ってきた。そして、流石姫専属護衛というか、私の持っている紙切れ一枚で全ての事情を察したようで、まあなんというか端的に表すと、彼女の中で何かが切れる音がした。

 

「フィルさんは南門の方に行って下さい。私は北を固めます。」

「え、ああ。」

「では。」

 

カツカツと少し重そうなブーツを鳴らして姫の世話係は去っていった。心配していないとは口で言っていたが、あの様子を見るとそんなことはないらしい。

私も探しにいこうか。

 

歩き出そうと、身を翻したときに気がついた。

・・・南門ってどこだ?

 

「あれ?フィル?どうしたのこんなところで。」

 

立ち止まっていた私に、不意に聞き覚えのある声が飛んできた。

 

「もしかして、道に迷ったとか?」

「・・・まあ、概ね、そんなところだ。。。」

 

ライカの用事は終わったのか。ついつい立ち話をしそうになってしまったが、心の中で首を振る。

 

「あの、シオン、姫、を見なかったか?」

「ああ。彼女なら。」

 

彼の後ろに、不貞腐れた顔をした少女が立っていた。デジャヴを感じる。

 

「・・・貴方、私、これでも国王の娘なのだけれども。」

「生憎、その国王陛下にもし見掛けたら捕まえてくれって言われてるんです。お姫様。」

 

がっくりと項垂れる彼女が気の毒に思えたが、自業自得だろう。私としては手間が省けたので助かった。

 

「さ、そういうことだから、ちょっとお姫様連れていくよ。あ、フィルも来る?」

「い、いや。。。」

 

シオンを見ると、助けを求めるような目でこちらを見てくる。

・・・まあ、ここで、国王と接点を作っておくのも悪くはないか。。。

面倒なことになりそうだ。。。

 

 

「・・・行く。」



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盗み聞く

どうにも、今日は色々と起こりすぎている気がする。

 

「あ、おお、ライカか。」

「姫様をお連れ参りました。国王陛下。」

 

ライカが、玉座の前に跪く。

その玉座には、中年の、細身の男性が座っていた。

恐らく、彼がこの国の王だろう。

 

「・・・そこの娘は?」

「あ、父上、この者は私の友人です。」

「そうか。ゆっくりしていくと良い。」

 

彼は私を一瞥して、部屋全体に聞こえるように、少し大きめの声で言った。

 

「私は少し、ライカと話がある。すまないが、二人きりにしてはくれないか。」

 

その言葉を聞いた、玉座の間にいた護衛の兵士や、秘書と思わしき男性など、その全員が部屋の外へと向かった。私も、それに合わせて外に出る。というか、シオンも外に出ると言うのに私だけ残るわけにもいかないだろう。

部屋の前の大きな扉には、甲冑に身を包み、片方は大きな両手剣。もう片方は少し短めの槍を持った兵士が立っている。正直なところ、聞き耳をたてようと考えていたが、これでは出来そうにない。

 

「さあ、フィル。下でお茶でも飲みましょ。日が暮れるまでには終わるでしょ。」

「・・・ああ。」

 

仕方がない。出来れば、こういう使い方はしたくはなかったのだが。いや、たまにはこういう使い方もするべきか。少しでも、情報は欲しいのだ。

 

「・・・知覚強化(センサー)

 

ぽそりと呟く。

耳、というか、全神経が音を感じ取れるようになる。同じ建物内の、些細な音でもこれなら感じ取れるだろう。そのうちの、王とライカの会話だけに、()()()()()()

 

 

 

 

「・・・れで?話っていうのは?」

 

よし。聞こえてきた。

 

「仕事の、依頼だ。」

「へえ。虫が良いとは思わないんだ?」

「・・・受けないなら、それでも構わない。」

「いや。受けるよ。この救いようもない僕を拾ってくれてるのはアンタだからね。」

 

暫く、王の声がしなかった。

ただ、荒い呼吸を必死で静かに保とうとしている息遣いが聞こえる。

 

「で。内容は?」

「・・・簡単な、調査だ。ここに行ってきて欲しい。」

「調査団でも組んでいけばいい。・・・こんなところ。」

 

くしゃりと、紙が潰れる音がする。

 

「組んだんだ。30人ほどの調査団を。でも、一人も、戻ってこなかった。」

「そりゃあ、残念だ。・・・いいさ。行ってやるよ。それに、あわよくば僕にも消えてもらえる。とても良い仕事内容だ。」

 

鼻で嗤うような声が聞こえた。

そして、足音と、戸が開いてしまる音も。

 

 

 

「・・・。」

 

あれは、誰だ?

あんなに冷たく話す男だっただろうか。あの男は。

 

「大丈夫?フィル。」

「!・・・いや。ああ。」

 

気付くと、階段の前にいた。

横には、心配そうな顔をした少女がいる。

失敗した。自身の周りへの注意が全くなっていなかった。

 

「大丈夫だ。すまない。」

「そう。なら良いんだけど。」

「・・・姫様。」

 

シオンの肩がびくりと跳ねた。

と、同時に、ドレスの裾を掴み、少し持ち上げ、踵を返す。が、それは勇者である彼女には十分な時間だったらしい。

階段の下にいた彼女は、トンっと、飛び上がり、姫君の豪勢なドレスの襟を掴んだ。

 

「ちょっ、放しなさい・・・っ」

「どうして貴女はいつもいつも勝手に行動するんですか・・・っ!」

 

ひょいっとドレスの襟をつかんだまま持ち上げられる。

いつぞやに絵本で見たモンスターが子供を運ぶ様子に見えて、少し可笑しくなってしまった。

 

「失礼。フィルさん。」

 

そのままシオンが肩に担がれる。

 

「姫様に、お灸を据えなければなりませんので。」

 

目が笑ってない。

これはまあ、自業自得だ。自分の業は早いうちに清算しておいたほうがいい。シオンも、エレナが階段を降りる間、特に暴れもせず無抵抗でいた。抵抗しても無駄だとわかっているのだろうか。

一国の姫の扱いが雑すぎるのはもう愛嬌ということにしておこう。

 

 

 

「で、また一人。か。」

 

この城では客人を一人にすることに対して抵抗はないのだろうか。いや、そもそもライカ同伴前提として城に入ってきたのだ。その必要を感じられていなかったのだろう。

 

探すしかないのだろうか。

なんとなく、いや、理由はかなり明確にあるのだが、顔を合わせにくい。

 

「あれ、フィル。」

「!」

「どうしたの?こんなところで。」

 

振り返ると、見慣れた笑顔があった。

 

「ああ、いや、勇者に姫が連れていかれてしまって。」

「何時もの事だよ。それ。じゃあ、そろそろ帰ろうか。」

 

ライカは、階段を降りていく。

その背中はいつもよりも少し早く行くような気がした。

 

「・・・どうしたの?」

 

私が立ち止まっていると、彼は振り向いた。

窓から差し込む夕日のせいだろうか。階段の下から私を見上げている彼は、何故だかとても悲しく見えた。

 

「行くよ。今日は荷物も多いし。日が暮れると、危ないから。」

「・・・わかった。」

 

彼は、私が追い付いたのを確認するとまた歩き始めた。その後ろを、少し歩幅を大きくしながら追いかける。

 

「そうだ。明日から仕事が入ったんだ。それでね、その場所が丁度、東ミスリだから、ついでに仕事もこなさせてもらって良いかな?」

 

東ミスリ。

武器屋があの、穴を見つけたと言っていた場所だ。

そして、そこに王の言うことが正しければ、行った調査団は誰一人と戻らなかった。

 

「ああ。構わない。」

 

私は即答した。

危険がある場所にでも私をつれていこうとする彼の心境は解らないし、彼の、あの冷たい面も気になってしまう。

いや。どれだけ危険な場所であろうと、私にとってはあまり関係がない。・・・少しの糸口も、私は逃したくない。

 

意識すると、どうしても、帰りたくなるのだ。



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旅の始まり

落ちていく。

 

いや、呑み込まれると言った方が正しいのか。

 

暗くて暗い空間で、ただ止められない推進力が私の身体を何処かへと連れていこうとする。

 

何時からこうしていたのか。時間がどのくらいたっているのかもわからない。

 

 

怖い。

とても、怖い。

 

温度もないこの世界で、何があるかもわからない。何もない"ここ"で。

この先どうなってしまうのだろう。もしも、死ぬまでこのままだとしたらぞっとする。どうしてこんなことになってしまったのか。

いや、どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのだろうか。

 

どうして、私が・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーー!」

 

 

 

目を覚ましたとき、最初に気がついたのは顔が濡れていることだった。

 

「あ・・・」

 

行儀が悪いが、寝間着の袖で顔を拭う。

夢なんて、久しぶりに見た気がする。それも、こんなに悪い夢とは。悪い、とも一概に言えるのかはわからない。それでも、これは私にとっては確実に、悪夢だった。

時計の針を確認するまでもなく、まだ早朝だ。外があまりにも暗い。まだ日が登り始めてはいない。

 

「まだ、早い、か。」

 

手元に小さな光源を作った。この世界には、"電気"と呼ばれるもので灯りをつけることが出来るらしいが、私にはどうにも慣れない。明るすぎる気がするし、こうして魔法が使えればその必要もない。まあ、使えないからこその工夫なのだろうけれど。

 

空間魔法(ヴォイドスペル)開放(オープン)

 

持ち歩いている、という表現が合うかわからないが、私が空間魔法によって収納しているものはもってこれるようだということに気が付いてから、私はどうにかしてこれを利用して帰れないかを模索してきた。

 

まあ、それも無理だとわかったのは、昨日のことなのだけれど。

 

胸のペンダントを握り締めると、不思議と暖かくなるような気がして、安心することが出来る。これは私が向こうから直接身に付けて持ってこれたほぼ唯一のものだ。紅い宝石がひとつ付いた、質素なペンダント。確かに魔力を感じるから、きっと何かの魔道具(マジックアイテム)なのかもしれない。

それを譲ってくれた人には訊くことが出来ないから、真意はわからないけれども。

 

「・・・。」

 

我ながら、随分と繊細になっているものだ。今日の朝から、出発だというのに。いや、それが要因かもしれないけれど。

喉まで出かかった名前を飲み込む。

もしも、この世界でその名前を呼んでしまったら、諦めたことになりそうで怖かった。

思ったよりも、自分は臆病だ。

ただ、気持ちを切り替えよう。それだけだ。

 

空間魔法(ヴォイドスペル)閉鎖(クローズ)

 

自分が持ち合わせてるものでこの時間が潰せるわけではなさそうだった。こんなことなら魔導書の一冊でも入れておけばよかった。

 

「・・・散歩、は、やめておこう。治安は良くないらしいし。」

 

もう一度眠り直すという選択肢も無いことはないが、そんな気はすっかりなくなってしまった。これで私の歳があと五つでも少なければ、ライカの部屋にでも行ったのかもしれないけれど、そうもいくまい。人並みの常識と羞恥心くらいはさすがの私も持っているのだし。

そうだ。買って貰ったあの服を少し調べておこう。荷物はまとめたけれど、身に付ける服のことをすっかり忘れてた。

 

独特の匂いのする茶色い紙に包まれた服を取り出す。

触った感じだと、材料は浅い茶色で硬めの繊維質のようだ。何の植物を編んだものだろう。いや、もしかしたら、他のもので作られているのかもしれない。耐火性もあると聞いたし、植物ではないのかも。

半袖のベストのような部分と、同じ材質で作られた半ズボン、そして複数のベルトで腕に巻き付けるであろう、ポケットのいくつか付いたもの。そして、黒くて長袖のインナーとタイツのようなもの。・・・タイツとか履いたこと無いな。

基本的に身軽でいられるような装備だ。

しかも、それぞれかなり丈夫そうに出来ている。軽く引っ張ったくらいではびくともしない。防具としての性能もある程度あるのだろう。

ガントレットの手首の裏に、隠しポケットがあった。奇術師(マジシャン)の装備としての機能だろうか。このポケットに、恐らくは仕込みをするのだろう。

とはいえども、私には手品師のような技術も知識もない。さてどうしたものか。

 

「・・・そうだ。」

 

とあるアイディアを思い付いた。この方法なら、この装備を見た目以上に強くできそうだ。

やることを決めると、どうやり過ごそうか悩んでいたはずの時間はあっという間にすぎ、その作業が終わった頃には日が登り、少しの眠気を残して今日見た夢の話はすっかり忘れていた。

 

 

 

 

「おはよう。」

「ああ。何か、手伝おうか。」

「じゃあ食器をお願い。」

 

朝食前の、恒例のようなやりとりをする。いつの間にか、この生活が日常になってきていることに、不思議と心地よさがあった。

 

「今日からの仕事だけど、自動車をとってあるから。仕度は終わった?」

「ああ。終わらせてある。」

 

支度、といっても、私の場合はただでさえ少ない荷物を全て、魔法で収納しただけだから特に問題はない。収納しておくだけでも魔力は必要だが、まあたかが服一着と杖一本に日記帳一冊。まだまだ余裕はある。それに、嵩張らないものは鞄に入れてあるのだし。

 

「そう。じゃあ、食べ終わったらすぐ出るよ。」

 

いつもの穏やかな顔だ。

とてもじゃないが、()()()の主とは思えない。あれから、ずっと引っ掛かっているのだ。勿論、彼にも私の知らない顔はあるだろう。それは疑いようの無いことだし、否定する気もない。ただ、別人だと思えてしまうほどに、あのときのライカは、彼は、冷たい声をしていた。

 

「・・・どうかした?」

「あ、いや。。。」

 

彼が不思議そうな顔をしてこちらを見た。私の視線が気になったのだろう。慌てて視線を、手元の朝食に下ろす。彼の食事はなかなか美味しい。最初の頃は少し寂しいような気のした白いパンも、慣れてしまえば気にも留まらなくなる。ただ、時折、あの色とりどりの食事が懐かしくなることも無いことではない。まあそれは、帰ってからの楽しみのひとつにするのがいい。

そう、帰るための旅だ。旅と言えるほどのものでは無いと思うけれど、知らない世界で初めて訪れる場所なら、それは旅と思った方が幾分か楽しめる。今は進んでいたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ううぅぅぅぅ。。。」

 

朝食が口から出てきそうだ。いや、出してたまるか。というか、この閉鎖空間でやらかす勇気がない。先程から、唸る獣のような低い振動で揺さぶられる度に、胃から上がってきそうになる。

 

「・・・大丈夫?」

「あぁ。。。」

 

マトモに話せそうにない。口を開くと多分、アウトだ。私にも、他者の前で恥体を晒すようなことを許さない程度のプライドくらいある。

 

「ジル、安全運転でお願い出来るかな・・・!」

「ハッハッハッ!そいつぁちょっと難しいなァ!」

 

ああ、前の席からの声がやかましい。

この自動車、随分と乗り心地が悪い。小刻みで不規則な揺れが胃を揺さぶってくるし、前の方から油の臭いがしてそれがさらに吐き気を・・・

 

「フィル、本当に大丈夫?」

 

心配そうな声が、何度目か、頭上に響く。

私は今、()()()という乗り物に乗って、東ミスリへと、向かっている最中だ。

 

「ジル・・・っ!」

「だからぁ、ライカが言ったんだろ?明日の早朝に合わせて到着したいって。スピード緩めたら間に合わねーぞ?」

 

ジルと呼ばれるこの運転手は、どうやらライカと顔見知りのようで、先程からこの車を暴走させている張本人だ。もっとも、スピードがこの揺れに関係しているのかどうかはよくわからないが。彼の職業は恐らく、このようにして自動車に客を乗せ、その運賃をいただくといったものだろう。これもあまり普及したものではないのかもしれない。色々とききたいことがあるのだがそんな余裕がない。帰りはどれだけ時間がかかろうと徒歩か馬車でお願いしたいものだ。

 

「・・・あと半日、耐えて。ごめん。」

 

観念したような声が頭上に聞こえてくる。

こんなことなら治癒魔法のひとつでも覚えておけばよかった。。。確か吐き気とかを抑えられるものがあったはず。。。もっとも、呪文が唱えられないから無駄だろうけど。

 

「・・・あ。」

 

前から間抜けな声が聞こえた。

 

「どうしたの?」

「・・・ワリィ。ライカ。エンストだ。」

「はぁ!?」

 

油と煙の匂いが少しキツくなった。

体が前の方へと引っ張られる感覚がする。これは速度が落ちているのか?

 

「ちと、見てみる。」

 

動きの止まった自動車の中は、動いているときの吐き気はなく、強いて言えば気になることは座席が固いということくらいだ。

しばらく、外からガチャガチャと金属がぶつかるような音が聞こえてくる。そして、自動車の外から声が聞こえた。

 

「すまんな。こっからは別の方法を探してくれ。」

「そ、そんな・・・」

「まぁーな、直すのには結構かかりそうだ。」

「・・・はあ、仕方ないか。フィル、降りるよ。」

 

そんなこんなで、あと一週間の距離を歩くことになったのだ。一週間の旅路は簡単ではないだろうが、この自動車よりはずっとましだ。

それに、旅がずっと乗り物の中なのは、あまりにも味気がない。



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見て、知って、歩く。

「なんでっ!この辺は多いのかなっ!」

 

深い森の中。悪態をつきながら青髪の青年が、矢を穿ちながら応戦する。相手は一人。目的地へと歩き始めてから十数回目の、盗賊の襲撃である。

 

「大人しく金目の物置いてきなァ!」

 

よくもまあ、どいつもこいつも同じようなことばかり言ってくる。テンプレも良いところだ。ここまで来ると実は全員同じヤツで、毎回変装しなおして律儀についてきて、そして全く同じ手法で襲ってきているのではないかと錯覚する。こう見晴らしの悪い場所なら、それも可能だとは思う。可能なだけだが。

 

「・・・一丁あがり。」

 

彼は手を宙で手繰るような仕草をした。それとほぼ同時に、布で顔を覆った盗賊の男は身の自由を失い、ナイフを振りかぶって飛び上がるという、空間に妙な姿勢で固定される。

彼が打つ矢には糸のようなモノが繋がっている。それは彼の思うように実体を持つらしく、そしてそれを先程から、張り巡らせていた。・・・もしずっと同じヤツなら、こうも毎度毎度同じ手にはかからないはずである。

 

「ねえ、全身バラバラになるのと、首が締まって窒息するのと、このままここに放置されて干からびるの、どれがいい?」

 

ライカもここ数回かは苛ついているらしく、いちいち発言が物騒だ。しかも実際に全部出来るらしい。ひとつめとふたつめは糸を引っ張ればよいし、みっつめに至っては本当にそのままにすればいい。私はというと、わりと手持ち無沙汰だ。何かあれば援護で魔法くらいは使おうかと思っていたが、彼の強いこと強いこと。この数日間、ほぼなにもしていない。私自身荒事は好きではないのでとても助かる。

 

「ひぃっ・・・!」

 

彼に脅されて悲鳴を上げるまでが一連だ。ついでに見逃すと、また不意打ちをしてくるのでそれも失敗するところまで。

 

「どうする?コレ。」

「・・・ちょっと私にやらせて貰っても良いか?」

「どうぞ。」

 

やれやれ。あまり使っていて面白い魔法でもないのだけれど。これをすれば時間稼ぎくらいなら出来るし、有効活用しなければ。

 

「・・・闇魔法(ダークスペル)暗盲(ブラインド)

 

盗賊の目元に手を翳すと、黒い魔方陣が現れ、煙のように薄くなって消えた。闇魔法の基礎のひとつ。対象の視力を一時的に奪う魔法。効果は数時間ほど続く。情報の大部分を視覚に頼っている人間なら有効だが、獣人のような視覚以外の五感が鋭い相手には効かないし、天使や悪魔にはこの程度の魔法、効きはしない。意外と使いどころが少ないのだ。

 

「な、なんだ!?目が、暗い!」

 

この男には効いたようだ。この世界に来てからあまり機会がないが、ときどき魔法を使わないと魔力が鈍る。ような気がする。その盗賊はというとやけに混乱していて、少し気の毒になった。まあ良いお灸だろう。このまま引っ掛けておくのもいいかもしれないが、本当に死んでしまうかもしれない。それはやりすぎのような気がする。

 

「おい!目が!おい!!」

「・・・何したの?」

「目が見えないようにした。」

「なんだよそれ!」

「わかった。・・・じゃあ、行こうか。」

 

ライカが手繰り寄せるように手首を振ると、十数本の矢が彼の手元に集まってきた。それと同時に男の体が地面に叩き付けられる。わめきながら土の上を転がる様子は、正直無様だ。こうはなりたくない。

 

「この調子だと、今夜くらいには着くかもなぁ。」

「やっとか。。。」

「疲れた?」

「いや、思っていたほどは。」

 

なんだろうか。この数日で、随分と()()()()()()()に慣れてしまっている自分がいる。悪意に触れ続けるというのは気分が悪い。結果としては助けられたりしたが、私が危なかったときもあったのだし。

自動車を降りてから、六日目だ。最初は平地を歩いていたのだが、歩きならこっちの方が近いということで、途中森を横切ろうとしたら、この有り様である。もしかしたら、この森は盗賊達の縄張りなのかもしれない。

 

「さあ、夜が明ける前に着かないと。」

「どうしてだ?」

「門番が面倒な人でさ。昔ここに来たときに酷い目に遭ったからね。」

 

彼は肩に掛けていた鞄から、フードを取り出して被った。その隙間から彼の、薄い、青い色をした髪の毛が見える。

 

「その、面倒なんだ。色がバレると。」

 

彼は困ったように笑った。その笑顔はあまりにも淋しそうで、そういえば、時折彼はこんな風に笑うなと、思い出した。

先日、王宮で読んだ本のように、この世界の人間は選民思想が非常に強く、また違いに対して排他的だ。人間の髪の色は普通は黒、茶、栗、金、そしてごく稀に赤。現に私の髪色は茶色だ。彼の透き通る空のような髪の色は、苦労しているのだろう。

 

「だから、村に入るのは暗いうちの方が。」

「それなら早めについて日が暮れるのを待つほうがいいのか?」

「夜明けに着くよりはそうだね。」

 

話しているうちに、森が少し開けてきた。切り株が目立つようになっているので、村が近いというのは本当らしい。少しだけ見晴らしがよくなっているから、あの鬱陶しかった盗賊も頻度が減ってくるはずだ。願わくばもう二度と来ないで欲しい。

が、それもつかの間。近くの草むらが微かに揺れる。風はない。

 

「フィル。」

「ああ。」

 

盗賊を名乗るのであれば、気配を消すことくらい巧くなっているようなものだと思っていたが、どうやらライカいわく、「そういう訓練をしていないただの賊みたいなもの」。ただ、油断をして良いような相手ではないらしい。戦力はたいしたことはないが、とても狡猾だからだそうだ。

 

「・・・。」

 

身構えてから数秒が経過した。

ライカが首をかしげる。

 

「逃げた・・・?」

 

試しに茂みの中に数本矢を打つが、どれも土に刺さる音しかしなかった。回収した矢にも不自然なところはない。

 

「・・・まあ、先に進もうか。」

 

まだ気にはなるが、時間としてはそこまで余裕がある、というわけでもないので、先に進むことに決めた。盗賊であれば、ここいらの強さであればライカが居れば問題はないだろう。何より、ここで時間を食って間に合わず、一日この近辺で留まることになる方が面倒だし危険だろう。

 

「いや、やっぱり居る。」

 

ライカはナイフを茂の方に投げた。何か柔らかいものに刺さった音がする。だが、呻き声やそれに類するような声は聞こえない。その代わり、ずるりと引き摺るような音がした。

急に鼻孔を擽るのは鉄と腐肉。

気配が消えたのではない。擬態していたのだ。

その擬態が解け、歪な形をした、人のような、鬼のような姿をした化物。その足元には、おそらくは貪られた後であろう四肢が転がっている。

 

「な・・・」

 

ライカが後退る。ナイフは喰われている死体の方に刺さったようで、相手はこちらに気が付いていない。いや、気がついた上で放置しているのかもしれない。何にせよ、関わらないのが吉だ。

 

「ライカ。・・・村へ急ごう。」

「・・・あれは?」

「知らないなら良い。あとで説明する。まずはここから、早く離れよう。」

 

意識を少し集中させると、目の奥がすっと冷たくなる。気休めではあるが、眼を開き自身発信の音を消す。足音も、息遣いも、それらの音を全て消す。消音(サイレント)。昔はこっそり行動をしたいときに使ってたっけ。こういったとき、音に関する眼を持って生まれて良かったと思う。

私は半ば、ライカを引っ張るように先程までと同様の方向にとりあえず歩いて行った。どんどん木が拓けていく。生活圏が近付いている証拠だ。

 

「ギャァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

森の奥の方から悲鳴が聞こえた。・・・かなり聞き取りにくかったが、恐らく、先程私達を襲った盗賊だろう。目が見えなかったから逃げられなかったのだ。そちらの方へと行ってくれたなら悪いが、非常に助かった。せめてあまり苦しまないことを祈る他ない。

 

「ねえ、フィル、なんなのさ、アレ。」

屍喰鬼(グール)。」

「・・・え?」

「屍を喰う化物。知らないのか?」

「・・・お伽噺の存在だと思ってた。」

「私のいた世界では結構一般的だった。屍を喰らうと言っても、()()()()()()()()()()()()()()。群れるから、もしかしたら近くに他のヤツが居るかもしれない。」

 

それが一番怖い。私のいた世界では、旅人が警戒すべき魔物のうちの一種で、殺せば死ぬが鬼と名前にあるだけあり、鬼属に近い肉体強度がある。要するに全然死なないし、さらには群れるのだ。そして向こうは、此方を見付けてくると基本的にほぼ絶対と言って良いほど襲ってくる。それも喰うつもりで。見掛けたらどれだけ手練れでも少人数であれば逃げるのが定石だ。

 

「・・・もしかしたら、武器屋が言っていた穴から出てきたのかもしれない。」

「それって・・・」

 

むこうも馬鹿ではない。いくら獲物が居るとはいえ、集団生活をして居るような場所には近寄らない。出来る限りの少人数を捕まえて殺して食べる。そっちの方が安全だし、確実だ。

嗚呼、運の悪い。何故よりにもよって屍喰鬼(グール)なんか。どうせなら小さい獣系のモンスターが紛れ込んでくればよかったのに。

 

「とりあえず、村には早く着いた方が良いかもしれない。・・・この世界に屍喰鬼(グール)は存在しないのだろう?」

「うん。・・・・・そんなのが実在するって話は聞いたことない。」

「彼らには生物無生物を問わない変身能力がある。」

「悪魔みたいな?」

「それよりは劣っている。及ばずとも遠からずと言ったところだ。」

 

見た目で見分けるには、捕食のときを狙って観察するしかないらしい。どうしてか捕食のときだけは元の姿に戻るらしい。あと、彼等の知覚はあまり敏感なわけではない。そこは人並みだそうだ。だからある程度離れることができれば問題は少ない。あとは群れていないで、たまたまはぐれて此方にやって来たことを祈るしかない。

 

「村まで、急いだ方がいい?」

「可能なら。」

「じゃあ、急ごうか。僕だけならもう少し早く移動できるんだけど。」

「申し訳ない。私はやはり足手まといだろうか。」

「そういう意味で言ったんじゃないよ。」

「そうか。」

 

夜にはつくと言っていた。逆に言えば日中に着くことはないということだ。この数日間の疲れが溜まっているのも事実だ。足が痛くなっているし、慣れない野宿で寝不足気味でもある。旅に憧れてはいたが随分と簡単ではない。ベッドが恋しい。早く村で腰を下ろしたい。

 

「・・・そういえば、あの、グールみたいなのって、フィルの世界にはよく居るの?」

「珍しい相手じゃない。・・・私は戦ったことはないけど。」

「じゃあ、モンスター、みたいなのが居たり?」

「モンスター、は、まあ、普通に。この世界で言う動物のようなくくりだ。魔物と言うこともある。」

「グールは、モンスター?」

「ああ。私達のような七属に分類されない生物は基本的に皆モンスターだ。」

「・・・じゃあ、混血児(ハーフ)は?」

 

"七属"とは、天使属、悪魔属、人間属、龍人属、鬼属、妖精属、獣人属といった、社会を形成する主な住民の総称である。単に"属"と呼ぶこともある。それはあちらの世界とこちらの世界での共通事項のひとつのようだ。

それにしても、彼が積極的に私のいた世界について質問してくるのはなんだか珍しいような気がした。思えば、魔法にも興味を持っていたようだし、もしかしたらそういった話が好きなのかもしれない。

 

「彼等にも基本的な権利は七属と同等だったはず。・・・一部ではやはり、差別的な扱いもあるらしい。」

「そっか。やっぱりどこも難しいんだね。」

「すまない。余計な情報だった。」

 

彼が自分の髪色を気にするように横目で見たものだから、何かとても傷付けてしまったような気がして、気が付いたら謝っていた。

 

「そろそろ、グールとの距離は平気そう?」

 

ライカは私の言葉には反応をせず、背負った荷物の重心を少し降ろして私に言った。

 

「ちょっと、休憩しようか。・・・村まであと一息だから。」



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捕食された村

「・・・なんだこれ。」

 

東ミスリ村に到着した。

日が暮れてすぐのことだ。

いや、村だったもの、といった方がいくらか適切かもしれない。

 

「た、助け、たす、けて。。。」

 

一人の男が助けを乞う。

だが、もうその必要はないし、助からないだろう。

脚を引き摺る男に、怪物が群がる。そして、その腕を、脚を、首を、引き千切られる。

その後に響いたのは咀嚼音だ。

 

「・・・行こう。」

 

鉄の臭いに吐き気が込み上げる。

消音(サイレント)と暗闇のおかげで、まだこちらは気付かれてはいない。村を囲う高い柵を乗り越えて入ったのは失策だった。何故だか内側からは出ることが出来ない作りになっていたからだ。

 

「うぐぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

さして遠くない位置からの悲鳴。男のものだ。

まだ誰か生きている人が居るのか?

だが、助けに行くには状況が厳しすぎる。何せ、あと死喰鬼(グール)が何体いるか判らない。だが、ライカはそうは思わないらしい。

 

「フィル、行くよ。その、音を消すのは続けて欲しい。少しでも生存者を確保したい。」

「・・・わかった。あまり私から離れすぎないでくれ。」

あまり離れすぎると消音(サイレント)が効かなくなる。あくまでも、私の周囲の音を消しているのだ。二人して走り出すが、あくまでもペースは私に合わせる形になる。

 

「フィル、グールを殺す方法は?」

「・・・頭を撃ち抜くのが一番早い。頑丈だが、不死性はないはずだ。」

「わかった。」

ライカが走りながら矢を放つ。前方を歩く死喰鬼(グール)に命中し、少し痙攣した後、ばったりと倒れる。おそらく即死だろう。恐ろしいほど鮮やかで、そして精度が高い。

「居た!ライカ、右の家の影!」

先程の悲鳴の主と思われる青年を発見する。転んでおり、そこに一体の死喰鬼(グール)が覆い被さっている。

死喰鬼(グール)の脳天だけが撃ち抜かれた。

 

「大丈夫か!?」

 

ライカが駆け寄り、化け物の死体をどかす。

 

「ひっ・・・あ、え、に、人間・・・?」

「ああ。僕らは旅人だ。安全なところはわかる?」

「あ、その、地下牢、なら・・・」

「わかった。立てるかい?」

「あ、ああ。」

 

ライカが青年を立ち上がらせる。脚を引きずっているように見える。これでは走るのは難しそうだ。ライカがその青年に肩を貸す。

 

「フィル、悪いけど、何かあったら迎撃をお願い。これだと矢が打てないから。・・・魔法も、どんどん使ってくれて構わない。」

「わかった。」

 

周囲を家の影から確認する。こうも暗いと遠くがよく見えない。そういえば今夜は満月のようで、その暗闇も少しはマシになっているのだが。

「地下牢の方向は一度来たからわかる。案内するよ。」

そういえば、ライカは一度仕事で来たことがある、といったことを話していた。彼の仕事について気になることはあるがこの際それはどうでもいい。地理を知っているのならとてもありがたい。

「じゃあ、行こう。そんなに遠くはなかったはずだから。」

ライカは青年をほとんど背負うような形で歩き始めた。青年の怪我はそこまで酷くはなさそうだが、血の臭いに死喰鬼(グール)が反応するのはそれはそれで厄介だ。だが、今はその臭いを消す術がないから諦めよう。

 

「地下には、誰か居るのか?」

「その、子供が、何人か。」

「なるほどね。後で民家に入って食料漁っていこう。まずは向かわないとだけど。」

 

ライカに案内をされながら暗闇を進んでいく。幸いなことに死喰鬼(グール)とは出会さずに地下牢へと続く、祠のような場所に来ることが出来た。

「ここで合ってる?」

「ああ・・・。ありがとう。」

「ライカ、ここからどうする?」

「・・・まずは、なんとか出ないと、だよねぇ。」

「無理だ。」

青年が口を開いた。

「出ようと思っても出れないんだ。ここからは。」

「・・・説明してくれるかな。」

祠の中はしんとしていて、声と足音が響く。

「急に、男がやって来たんだ。ただの人間だったし、そのまま村に入れた。そうしたら、それで、あっという間に・・・。」

「それでも、あの化物達は単体じゃそこまで強くないはずだ。ここの村人だってそんなに人数は少なくなかったはずだし、迎え撃てたんじゃない?」

「その男が、妙な力を使ってたんだ。」

「力って・・・」

話しているうちに階段を降りきって、暗いなかに影がいくらか見えてきた。

 

「ただいま。・・・旅の人が来た。」

 

青年が足を引きずりながら、笑って見せた。

 

 

 

 

この祠に居たのは、青年を除くと全員子供だった。

他の場所にも生き残りがいるのではないか、と探しに出ていたところを、襲われてしまったらしい。

 

「なあ、旅の人。アンタらは、どうするんだ?」

「・・・そうだなぁ。」

ライカが考えるような素振りをする。

「フィルは、どうしたい?」

「私は・・・」

どうしたい、か。最終的には帰りたい。その為にここに来た。そして、この死喰鬼(グール)の騒動を見るに繋がっている、もしくはそうであったことは確実だろう。

ただ、訊かれているのはそういうことではない。

「私は、死喰鬼(グール)を退治する。そうしてから、ここを出る。」

私は、なにか義務感のようなものを感じていたのかもしれない。何処の誰がしたのかもわからない不祥事の後始末をするような、そんな感覚だ。

「そう。じゃあ、例の男について話を教えてくれるかな。」

「・・・ああ。」

子供達は皆寝ている。

青年はそれを横目で確認した。

 

「・・・最初、男が来た。」

小さな声で、青年が話し出した。

「それで、村の皆にを集めて、妙な、そう、白い飲み物を渡して、勧めてきた。珍しい飲み物だから一杯どうかって。」

青年の声が震える。

「そしたら・・・村の、みんなが、化け物に・・・それで、どんどん、喰われてって、いつの間にか・・・」

「・・・わかった。もういい。」

「フィル、何かわかったの?」

「・・・死喰鬼(グール)の母乳を飲むと、死喰鬼(グール)になる。彼らの子として生まれたことで死喰鬼(グール)になるわけじゃないんだ。彼らに育てられたことで死喰鬼(グール)になる。」

そして、彼らは必要に応じて変身能力を使う。これによって、里がいつの間にか死喰鬼(グール)に取って替わられた、という話も無いわけではない。

「戻す、方法は?」

「・・・残念ながら。」

私は首を振った。化け物への変化は非可逆だ。それこそ、天使の信仰する神様とやらの所業でもなければあり得ない。

「・・・そうか。アンタ、やけに詳しいんだな。」

「彼女はこの手の専門家でね。僕らは旅をしながらそういう、化け物達を退治して回ってるんだ。」

ライカが、「話を合わせて」とでも言いたげにこちらに視線を送る。

「ああ。・・・あまり、認知されているわけではない。が、そういう、伝承上の生き物も、確認されている。」

そういえば彼はここでは素性を隠したがっていた。フードも深く被ったまま一度も外していないし、何か事情でもありげだ。やはり、差別の問題か。これは、彼の名前を出すのも控えるべきなのかもしれない。

「そういえば、さっき、ここから出れない、みたいなこと言ってたよね?それはどうして?」

「村を囲う塀とか、村の出入口とか、見ればわかるけど、形が変わって、出れなくなってる。」

「・・・そうか。わかった。ありがとう。」

ライカが立ち上がる。

「フィル、ここで待っていてくれ。僕は一度、夜のうちに食料を漁ってくることにするよ。ついでに生存者も。例の男、も、確認できるようならしてくる。」

私がついていく、と言っても恐らく足手まといになってしまうだろう。こういった隠密が必要になる行動は極力少人数が有利だ。

「ああ。気を付けて。」

それならこちらは信じるしかない。夜の闇が彼を隠してくれることを祈ろう。その手助けくらいはできるかもしれない。

闇魔法(ダークスペル)装着(ドレスアップ)

ライカを、暗黒が覆う。

「・・・闇夜に紛れる魔法だ。お守り(アミュレット)程度にはなるかもしれない。」

「ありがとう。気を付けるよ。」

彼は牢屋の先の階段を登っていき、その向こうの闇に消えた。・・・そうだ、ひとつ忘れていた。

「おい、脚を出せ。」

「・・・は?」

「怪我してただろう、彼が戻ってくる前に手当てするから。」

青年の右足から、布越しに赤いものが滲んでいる。私に回復魔法は使えないけど、確か包帯くらいなら荷物に入っていたはずだ。

「そのくらいは自分でできる。物だけくれないか。」

「ああ。わかった。」

私は彼に、荷物の中から包帯と、薬を取り出した。薬の方は途中の森でライカが見つけて作った塗り薬だ。彼は薬屋でもやっていたのだろうか。やけに慣れている様子だった。

青年が包帯を足に巻く間、少し手持ち無沙汰で部屋の中を眺める。

そういえば、この部屋の光源はどうなっているのだろう。横目で確認すると、何やら光る石?のような何かが透明な瓶の中に入れられていた。何だろうか。見たことないものだ。

「・・・光氷石(こうひょうせき)、興味あるのか?」

「ああ。」

これは、こうひょうせき、と言うらしい。

「それさ、この辺の地下掘ってると沢山出てくるんだ。あんまり外に流通はしてないから、多分、旅してる人には珍しいんじゃないか?」

「私は、初めて見る。」

「電気ってやつがない、こんな田舎じゃ、結構重宝してる。難点は使ってるとどんどん溶けて、使い道のない液体になるってことだ。」

「でも、便利そうだな。」

この世界ではときどき聞きなれない鉱石の名前が出てくる。命あるものではなく、命のないものに特異性があるのだろうか。

「私の育ったところでは、光源といえば蝋燭やランタンくらいだったものだから。」

「そうか。アンタが居たところも、結構田舎だったんだな。」

「ああ。何もないけど、良いところだった。」

()()()()()()()()。過去形だ。

いつの間にか、あの頃は私にとって思い出になりつつあるのかもしれない。それは、なんだか、とても、怖い。

「そういえば、アンタのツレ、あのー、そう、フードの男。アイツはなんて言うんだ?」

「・・・ああ、いや、えっと、その・・・名前とか、そう、知らないんだ。」

咄嗟とはいえ、なんだ。知らないって。他にもっとこう、偽名とかあっただろう。まあ私にネーミングセンスはないのであまり良い名前にもならないだろうが。でも、実際、私が彼について知っているのは、それこそ名前くらいのものだ。まあ今、それすらも知らないと言ったのだが。

「・・・へえ、アンタらも、なんか変な関係なんだな。」

「まあ、・・・私は彼に、拾われたようなものだから。」

「なるほど。このご時世、珍しいことでもないよな。・・・このガキ達も、親がいないから引き取ったって感じだしよ。」

彼は懐かしむような、悲しむような、そんな目をした。

それにしても、どうしてか、彼にはつい色々と話してしまう。いや、もしかしたら柄にもなくはしゃいでいるのか?新天地に?まるで冒険書のような展開に?それは不謹慎だ。ただ、妙に、何かを話したい気分なのは確かだった。それに、そうでもしないと、ふとしたときに思考が散ってしまう。さっきからずっとそうだ。もういっそ寝てしまった方がいいのかもしれない。

「・・・そろそろ、俺は寝る。旅の人、アンタも毛布ぐらいはあるだろう?生憎、藁はガキが使ってるんで下は石だけど、慣れればどうってことねーさ。」

「ああ。・・・わかった。」

急に青年は寝転がって、目を閉じた。いつの間にか彼の脚には、丁寧に包帯が巻かれている。話している間に終わったのか。

 

眠ろうと思って少し目を閉じたが、そこまで睡魔が迫っているわけでもなかった。それに背中が固くて寝付きにくい。土や木と、石では全然違う。なら気晴らしにと外に出るのは危険だし、私一人だと恐らく囲まれたときに対処できない。急所を一瞬で飛ばせるような魔法を使えれば良いが、私は威力の低いものばかりだ。そもそも戦闘することをあまり考えていなかったのが問題か。

そういえば、この祠は元々なんの為の場所なのだろうか。一目見て祠だと判るような雰囲気、もとい神聖性は感じることができたが、その源がわからない。祠というのだから、何かの信仰のシンボルなり意味はあるはずだ。しかもここに地下牢がある。部屋の角には、使われてこそいないが鎖が何本か。そのうちの一本は断ち切られている。もしかしたら、宗教的な罪人でもここに閉じ込めていたのかもしれない。正直、牢屋の使い道なんてそのくらいなものだろう。

どうでもいいことばかりを考えていたら眠くなってきた。そろそろ私も眠るか。今夜はあまり寒くない。なら、毛布は床に敷いて眠った方がいくらか楽か。

外を見に行った彼に何事もないことを、大自然に祈ろう。

どうか、彼のことをこの夜闇が、捕食者の眼から隠してくれるように。



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潜入、誘導

目が覚めたのは、丁度、彼が戻ってきたときだった。

 

「ごめん。起こした?」

「いや。大丈夫だ。」

 

ライカは背中に膨らんだ袋を背負っており、食料の確保には成功したことがわかった。出るときにかけた魔法は、既に消えている。やはり、一晩もたせるのは私では無理か。

「アンタか。お帰り。・・・どうだった?」

「一通り探したけど、民家みたいな入りやすい場所には人は居なかったよ。食料はある程度手に入れた。」

「・・・そうか。」

怪我をしている彼は、立ち上がらずにライカと会話をする。子供達はまだ起きてはいないが、直に起きるだろう。

「フィル、一度ここを出よう。」

ライカが子供達の方を確認して、荷物を担いだ。

「子供達には僕らのことは伏せておきたい。」

「わかった。」

「そうか。・・・何かあったら、ここを拠点にしても構わないからな。」

「ありがとう。食料は多目に置いておくから、もう出歩かないように。」

ライカは礼をして、地下牢の戸を開けた。

重い錆の音が響く。私も立ち上がり、後をついていく。少し身体の節々が痛い。石よりも土や木の方が幾分か寝心地がいい。次はもう少し工夫して寝よう。

 

 

 

「フィル、とりあえず、これからのことを話そうと思う。」

 

祠を出てから、彼が口を開いた。

「僕らの目下の目標は、この状態の元凶を取り除くこと。君もそれを望んでいる。ここまでは大丈夫?」

「ああ。」

「よし。それじゃあ、本題の前に、拠点に行こう。夜に見付けておいたんだ。」

ライカが、祠から離れて木の多い方へと歩いていく。その途中、数匹の死喰鬼(グール)の死体を見付ける。見ると、どれも頭に何かが刺さったような傷がある。

 

「・・・ライカ、死喰鬼(グール)は?」

「昨日の夜に、粗方殺して回ったよ。」

本来、彼等はかなり、かなり死ににくいモンスターのはずなのだが。しかし彼が一発で頭を撃ち抜き、その命を奪っているのを目の前で見てしまったからきっと、事実なのだろう。

「それにしても、妙な生き物だね。あれは。」

「・・・妙?」

「うん。胃の中が一杯なのに、まだ襲ってくるし。殺気で脅しても野性動物みたいに逃げない。生きるために行動してない、機械みたいだ。」

「・・・機械みたい?」

「ああいや。下手な例えでごめんね。でも、そう感じたんだ。」

はて、死喰鬼(グール)はそのような行動を取るようなモンスターだったか?満腹になれば無理してまで獲物を襲おうとはしないと思ったのだが。それに、彼等は警戒心が強かったはずだ。死の危険を感じてまで戦うような習性はあるとは思えない。

「・・・例の、男は?」

「ああ。言ってなかったね。怪しいのを見つけたよ。」

「もしかしたら、死喰鬼(グール)は操られているのかもしれない。」

「なるほど、ね。」

もしそうなら、相手も私と同じ、つまりはあちらから来た魔導師。おそらくはソイツが、この町を一種の結界にしている。

問題は、結界にすることで何を行うつもりなのか、ということだ。つまりは、外からの侵入は可能な反面、外部への脱出を不可能にしている理由がなんなのか、ということだ。

ただ死喰鬼(グール)を使った虐殺がしたいのなら、別に密室にしなくても良い。何か理由がある。しかし、大規模な魔法にする、というのも考えにくい。その場合は殺すのではなく、何かしらの方法で生け捕りにしなければ意味がない。一度肉体から離れた魂を回収するのは困難だ。それに死喰鬼(グール)をわざわざ操ってまで利用する理由がわからない。

「その、例の男は、何か特徴はなかったか?」

「うーん、・・・暗かったからな。ごめん。あんまりよく見えなかった。」

「・・・そうか。」

何か少しでも情報が欲しいが、そう上手くいくものでもないか。

「いや、でも、魔法、フィルの使ってた魔法みたいな魔方陣はあったよ。・・・紫色に、光ってた。」

「なるほど。ありがとう。」

なら魔導士なのはほぼ確定だ。紫色ということは、恐らく死霊魔法(デッドスペル)だろう。

「・・・ここだ。」

 

林を少し進んだところに、先程、青年と子供達がいたのと同じような、しかしより古びたように見える祠があった。

この村には何か、信仰の対象でもあったのだろうか。

「以前、ここに来たときによく来てたんだ。」

ライカは目を細めた。

「中は昨日調べたから、危険はないよ。あそこよりは快適とは言い難いけど。」

彼の後ろについて祠の中に立ち入った。錆の臭いがして、眉間に皺を寄せる。

「足元、気をつけて。」

「あ、ああ。」

床の石はあちこちが砕けて剥がれていて、老朽化以前に手入れがまったくされていないことがよくわかる。

「フィル。この建物に、僕ら以外が入れないようにする魔法って、使える?」

「すまない。そういった類いの魔法は使えないんだ。物理的に封鎖することならできるのだが。」

やるとしたら氷魔法(アイススペル)で壁を造るのが一番手っ取り早い。その時の気候にもよるが、分厚くすれば物理的に破壊することは困難だ。

「わかった。じゃあ、これから僕らがやるべきことを話そう。」

 

 

 

 

彼の作戦を要約すると

私達の最終目標はここからの脱出で、その為には死喰鬼(グール)と、外に出れない仕掛けが邪魔だ。その両方の解決はこの状況を引き起こした張本人、つまり魔導師を倒すことになる。問題は方法だ。

「・・・先に言っておきたいのだが、恐らく、私がその男を倒すのは無理だと思う。」

「どうして?」

「もしも、相手の使ってる魔法が死霊魔法(デッドスペル)、つまりは死者を操る魔法、死喰鬼(グール)の死体を操っているならば、私の魔力とは単純に桁違いだ。」

「つまり、魔法勝負では勝ち目がない、と?」

「そういうことだ。・・・肉弾戦も、自信はない。」

「うん。大丈夫。最初から元凶は僕がやるつもりでいたから。フィルには、別のことを頼みたい。」

「別のこと?」

ライカは頷き、懐から紙を取り出して広げた。何かの地図か。

「これは昨晩に僕が書いた見取り図。敵の拠点のね。」

それは住居というにはあまりにも大雑把な構造をしている。正方形の建物に、対極方向にひとつずつ入り口があり、そして内部はだだっ広い空間が広がっている。その中央には何かがあるようだが、これはなんだろう?

「・・・この建物は、本来は儀式の場として使われるものだ。中央にあるのは祭壇。本来は贄を捧げる場所だよ。」

「かなりの人数が入れそうだな。ここ。」

「うん。それもそうなんだけど、多分、周囲にはそれなりの数の敵がいると思う。」

「周囲の見張り、ということか?見込みは?」

「おそらく、32人だ。」

「細かいな。」

「分隊を組むのに便利だからね。この人数は。いろんな数で分けられる。しかも常に偶数だから、ペアを決めておけば欠員が誰だかわかりやすい。」

そしてライカは、地図の、建物の周辺に丸を書き込み、矢印で結ぶ。

「フィルには、このポイントにある小隊を無力化、ないしは僕の侵入経路に来ないように誘導してもらいたい。・・・多分、意思みたいなのはないから、行動パターンがわかれば簡単だと思う。」

思う、ということは、不確定な要素だということ。しかし私には戦略を組むことはできないので、彼の作戦に乗る他はない。

「了解した。私の役割は、周囲を囲む兵隊の足止め、ということだな?」

「うん。合ってる。ただし無理は禁物。僕の見立てではフィルの魔法を使って対応できる相手は一度に四人まで。そして仮に相手が学習能力を有していれば一度に二人が限界だと思う。そこは工夫をして対応して欲しい。基本的には攻撃を避けつつ、ある程度引き付けてくれるだけでいい。僕が反対側から入れる隙が作れればそれでいいから、ほんの十数分を稼いでくれればそれで。無理だと思ったらすぐに撤退をして。撤退先は今の祠の地下で。相手が追ってこないのは確認済みだから安全は確保できると思う。」

「ああ。決行は?」

「今日の晩に。」

 

 

 

* * *

 

 

 

日が暮れて、星明かりもさほど届くことのない暗い林が私の待機場所。私の役割は陽動。ただし、戦闘はなし。命を最優先に立ち回る。

手には、あの地下室で貰った光氷石を入れたランタンを持っている。光は結構明るく、足元と周囲を照らせるくらいには強い。ただ、光る石は少しずつ、少しずつ溶けて透明な、水のような液体になってしまう。不思議なことに、何かで包んで光が漏れないようにするとある程度の保存が可能だとか。その為の遮光用の布ももらった。

「・・・・。」

前方の林が途絶えた。

この先に、数名の見張りがいるはずだ。気を引く、・・・少し、やってみよう。

「ピィィィィィ…」

指を口に入れて、笛を吹く。静かな林で音が響く。

カシャン、と。薄い金属の擦れるような音がした。

カシャン、カシャン、カシャン、カシャン・・・

少しずつ近付いてくる。足音のように。数は二つ。二人一組か。明かりの届く範囲まで影が近付いた。

氷魔法(アイススペル)射出(ショット)

青い魔法陣が収縮し、氷の礫となって正面に飛んだ。かなり近くで金属にぶつかる音がする。見なくてもわかる。鎧を装備している。おそらく、今の魔法の威力ではほぼダメージはない。ついでに腐臭。例の男が死霊魔法(デッドスペル)を使っていることを考慮すれば、十中八九相手はゾンビだろう。肉体的に破壊しても生者を襲い続ける化け物だ。

だが、これならどうだろうか。さっきの音で、鎧が振動する音は覚えた。なら、同じ音で衝撃を与える。物が震えたときの音は、その物自体が最も震えやすい音。手を鎧に添え、それを再現する。

撃音(パルス)

ギィン!と、重々しい音が響いた。ガチャガチャと音を立てながら鎧が振動し、一人目の影は倒れる。視界の端で、何かがランタンの光を反射した。咄嗟に転がる。地面を抉るような、大きな剣だった。

「・・・!」

地面が砕け、土埃が舞った。

あんなのに当たったら真っ二つだ。本当に戦闘は避けた方が良さそう。そう思っているうちに、再び剣が振り上げられる。

風魔法(ウィンドスペル)竜巻(トルネード)!」

相手の手に竜巻を発生させ、指を抉じ開ける。剣を取り落とした。地面に刺さった剣は細く変化した。・・・この剣の特性だろうか?大きさを変化させることができる剣、と言ったところだろう。

空間魔法(ヴォイドスペル)収納(チェスト)

剣に飛び付き、空間にしまった。これは没収しておこう。振り回されると危険だし、持っておけば何かの役に立つかもしれない。

「・・・悪いな。」

武器を戦士から奪うのはあまり誉められた行為ではないが、こっちだって命がかかっている。死者に奪われる命じゃない。

さて、ゾンビに物理攻撃はほぼ効かないと考えて良い。大抵の場合、肉全体に術者の魔力が染みており、頭部を欠損させようが命令を遂行させるために動く。スケルトンなら、大抵は頭蓋の空洞に魔力の核ができるからそこを破壊すれば無力化ができる、のだけど、今は関係ない。ゾンビを無力化する手段は大きく分けて三つ。ひとつは解呪(ディスペル)。魔法そのものを解除する。これが一番有効だが、非常に難易度が高く、解きたい術以上の魔力が無いと無理なのでおそらく、私には無理だろう。ふたつめは体が残らない方法で片付けること。これは要するに、高火力で消し飛ばせば良い。そしてこいつはできなくはないが、大人一人を消し飛ばせるような魔法は燃費が悪く、すぐに私の魔力が底をつくので最終手段とする。ではみっつめ、物理的に身動きを封じる。これは罠にかけたり、凍らせたり、確実性は低いが工夫次第で誰にでもできる。一時的なものだが、時間稼ぎなら丁度良い。つまり、採用するのはみっつめ。

「・・・まだ数が少ないな。」

聞いた話では見張りはもっといるはずだ。できれば沢山引き付けて、一網打尽にしたい。だがこう暗いと知覚強化(センサー)で位置と数を確認するしかない。だがあれは、かなり集中力を消耗するし、自分の身の回りへの注意が疎かになってしまう。

「どうするか・・・」

鎧を着て起き上がるのは大変なのか、思ったよりも時間が稼げている。だがそれもそろそろ終わりだろう。姿勢が整ってきている。

・・・・とりあえず、逃げる。

引き付けながら逃げたいがそんな器用な真似はできない。偶然着いてきていれば儲けものとしよう。こうして各所で騒ぎを起こしていれば、警戒はこっちに来ると思うし。

そうと決まれば、早速実行だ。ランタンに布を被せ、光を遮る。視界が完全に真っ暗になる。直に慣れるだろうが、それを待たず、私は一目散に駆け出した。

ぼんやりと、視界にある障害物を認識して、避けながら走る。後方から、ガシャンガシャンと音が聞こえた。結局ついてきている。逃げろ。追い付かれたらどうするか考えてないことに気が付いたが、追い付かれなければ問題はない。

風魔法(ウィンドスペル)装着(ドレスアップ)

右足に風を纏わせ、少しだけ浮かせる。

左足で地面を蹴って、滑るようにして進む。スピードが出るので少しばかり危ないが、暗さにも慣れてきたから平気だろう。物の位置くらいは視認できる。

普通に走るよりも速度は倍以上違う。それに、魔力は消費するが体力は消費しないので基本的にインドアの私にはかなり使い勝手が良い。普通に走るのでは体力が持たないから。

と、前方にまた、ふたつの影を確認した。ボンヤリとしているが、シルエットは今私の後ろにいるゾンビのものと近い。甲冑の形が少し簡素だ。・・・もしかしたら、階級はあっちのが低いのかもしれない。

「どうでもいいな・・・それは。」

そうだ。どうでもいい。死者を縛るものはあってはならない。死者は身分など関係ない。

氷魔法(アイススペル)氷結(フリーズ)

地面に手をつき、氷魔法を展開する。周囲、少なくとも、私を中心にゾンビ四体が範囲にはいる程度の広さの地面を、内部まで凍らせる。パキパキと音を立てて、氷が地面を侵食し、ゾンビを巻き込み、その動きを封じる。氷魔法(アイススペル)は、凍らせるのではなく、氷を創り出す魔法。魔力を込め、氷を厚くすればするほど、物理的な拘束力を増していく。

「・・・よし。」

これで四体。本当はもう少し沢山一度にやりたかったが、慣れないことをするのだし慎重にいこう。

結果として、歪な氷の塊が四つ、その中にゾンビが一体ずつ、という、趣味の悪いオブジェが出来上がった。氷の厚さは大体・・・目測で十センチほどか。全身にこれなら中からの力だけで簡単に出てくることは無いだろう。まだ魔力にも余裕はある。これで、氷が溶けるまでは四体を無力化できる、のだが。

「・・・・・解呪(ディスペル)。」

物は試し。凍らされているゾンビの一体に近付き、手をかざす。魔力を込めると、紫色の魔法陣が現れた。

「まず、は、術式、解析・・・」

魔法陣は基本的に、中心にその魔法の属性を決めるシンボルがある。そしてそのシンボルを囲む円には魔法がどのように発現するか、という詳細が書かれている。解呪(ディスペル)の基本は、それらを解析して、端から魔法陣を自分の魔力で上書きして、魔法の主導権を乗っ取ってしまうこと。そうすればあとは魔法陣を閉じれば解除が可能だし、その魔法を習得しているのであればそのまま自分の魔法として使うことも可能だ。魔導師であれば誰だってその基本は理解している。ただ、このときに元々の使用者の魔力と自分の魔力がぶつかる。より強い、多くの魔力を込めれば相手の魔力に打ち勝ち、コントロールを奪えるが、負けると自分の使った魔力がそのまま暴発して自身に戻ってくるので相手が高等な魔導師であるほど、危険な行為だ。ちなみに膨大な魔力があればいちいち術式を解析しなくても魔法を掻き消せるとか。私には無理だ。それが出来るとしたら、それこそ化物級の魔力タンクだろう。

で、肝心なのは私がこれを解呪(ディスペル)できるかどうかなのだけど。

「・・・・ッ」

無理だ。魔力量が足りずに弾かれてしまった。

魔法陣が消え、指先にビリッとした衝撃が走る。痛い。普通に結構痛い。確実に、相手の方が私よりも、少なくとも魔力量は格上だ。

「・・・次、行くか。」

 

私は辺りを見回した。やはり暗い。

このままでは再びの探索は難しいし、危ない。なので、ランタンの遮光を取ろうとした。

 

そのとき、地面が揺れた。

「・・・!」

遅れて轟音が響く。近くに雷が堕ちたような、そんな音。耳が壊れそうだ。音の方向は、ライカが潜入すると言っていた建物の方から聞こえた。

「何・・・?」

 

取り落としたランタンの中から、淡く輝く石と、光を失った液体が、溢れ落ちた。



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矢蜘蛛

「こんなものか。」

 

彼女は警戒していたし、どのくらいのものかと思ってはいたけど、本当に簡単に事は済んだ。

いつも通りのことを、いつも通りにしただけ。

目の前には、黒いローブを羽織った老人が、無数の矢を受けて蹲っている。

右手でそれらを手繰り寄せる。

それは蜘蛛の巣にかかった獲物のように、だらりと糸に絡まれて吊るし上がった。

これを繰り返して、いつからか、「矢蜘蛛(しぐも)」なんていうアダ名をつけられたのは、もう大分前のこと。どうして今更思い出すのか。

 

老人の体から、紫色の紋様、たしか、似たようなものを僕は見たことがある。魔法を使うときに、魔法使いが顕すもの。魔法陣というやつだった。

 

「・・・・妙な術って、こういうことか。」

さて、何が起こる?

光が晴れる前に、周囲に数体の気配を感じる。

何かが突然現れたようだ。魔法の存在を知っていれば、あまり驚きようがない。弓を下げ、短刀を腰から抜く。右からの殺気に刃をあてる。何かを弾いた。光が消え、死喰鬼(グール)のようなモノが、1、2、3・・・6体いる。頭部を貫けば一撃で殺せる。楽な敵だ。しかし、召喚系とは。

「・・・・。」

眼の奥に、意識を連れていく。景色が変わり、音が止まり、時間が滞った。下げた弓を上げ、順番に矢を放つ。僕の手を離れた矢は空中で停止した。それを六度、繰り返す。

「・・・。」

僕は眼の力を解除した。すると、景色は流れ、音が動き、時間は進む。ドスドスと矢の刺さる音が聞こえた。

「・・・これ、で・・・」

老人が、掠れた嗄れ声で口を開いた。ので、喉にナイフを投げる。ストンと、肉と骨の隙間に入る音が聞こえた。

だがその口は、苦痛ではなく、喜色に歪んだ。

「わが・・・えをゴボッ喰ら・・ぼうと・ゴボッ・よえ・・・死霊(デッド)魔法(スペル)ガッ」

口から血が溢れ、半ば溺れながらその男は呪文を紡ごうとした。それを最後まで言わせることなく、僕は彼の頭を短刀で貫いた。

しかし、遅かったようだ。

巨大な魔法陣が、この建物の床に現れた。

さて、何が起こるか。僕に魔法とやらの知識は全くない。とりあえず、何が起きても驚かない程度の心構えはして損はない。

落雷のような轟音が響く。耳が痺れた。

「・・・何が来る?」

意味はないが呟いた。

次の瞬間、寒気がした。

気温ではない。全身を鋭い刃で無数に貫かれるような、生命であるならば、恐らく、誰もが忌諱し、畏れるようなそんな存在感。

形容するならば、死の王。死、そのもの。

そして僕は、その存在を()()()()()。何度として、幾度として命を奪うとは、そういうこと。いつしか(それ)が忍び寄る気配を察するようになり、その瞬間に矢を射ると、例外なく命は途絶える。

「・・・思ってたより、グロいな。」

それは四方から飛んできた淡い光球を吸収し、空間を裂いて現れた。その空間の裂け目は、あの少女が落ちてきた穴に似ている。きっと、それはこの世界のモノではないからだろう。

あの穴からは無数の手が、肉の塊がぶくぶくと無数の手の形を形成して、腐臭と共に此方へと伸びてくる。避けるのは容易いが、攻撃をしても無駄だろう、というのはなんとなくわかった。相手の限度は未知だが、こちらの矢には制限がある。僕が到底敵うことがない、というのもなんとなく察した。

フィルが言っていた。「魔法は術者等のその核になるものを破壊すれば止まる」と。なら、僕がすべきなのはそちらの対処。魔法陣は床に現れていた。建物の破壊が正解か?しかしどうやって?火薬なんて持ってきてないぞ・・・。

そのうち、穴から出現した無数の手は、魔法使いの男の体を捕らえた。その口へ、鼻へ、傷へ、体外から体内へ。肉の塊はその老人の体へと吸収され、そして傷を塞ぎ、驚くべきことにその体を若返らせた。

「・・・・ゴホッ」

もはや老人の面影など無いその男は、口から大量の血を吐き出した。・・・もう何があっても驚くまい。そう思っていたとしても、やはり想定の遥か先を行かれると動揺する。死体同然の男が甦った。そしてついでに若返った。なんだそれは。若返りの眼の話なんて聞いたこともない。魔法はなんでもありなのか。

「貴様は・・・?」

「・・・・。」

答える気など無い。 早く、この建物の破壊をしないと。だがどうやって?爆薬なんて持ち合わせてない。フィルならあるいは。いや、無理だ。そんな隙はない。僕一人ならともかくとして、一人護りながらアレを相手するのは不可能だ。

その証拠に、ほら。一瞬で距離を詰められた。

「ふむ。・・・雑ざりモノか。」

「・・・!」

慌てて距離を離そうとする。が、体が動かない。

「いやなに、こちらでは珍しいと思っただけだ。ほとんど間引かれているものだと思ったからな。」

「お前は・・・」

どうやら僕は、性懲りもなく怖がっているらしい。

かつて無いプレッシャーが筋肉を収縮させ、関節を固定し、視線をぶれさせ、声を震わせる。

「なんだ・・・?」

大方の予想はついていた。

目の前の男は鼻でふっと笑い、虚空のような瞳で言った。

「冥府に居てなお、生に執着する亡霊の類いだ。」

言葉が耳に入るのが早いか、腹に衝撃が、直後に背中に鈍痛が。

空気が肺から逃げる。蹴飛ばされたことに気付くのに、あまり時間はかからなかった。頭は打っていないが、そう何度も食らって良い攻撃ではない。壁に叩きつけられただけで、この身体はボロボロになってしまう。

体制を建て直す前に、瞬きをするような間にまた男が目の前に来る。動きが早すぎる。降り下ろされた右腕は僕の顔面を狙ったものだろうか。避けたら背後の壁から嫌な音がした。

これは死ねる。

逃げる。まずは逃げることを考えねばならない。意識を集中した。息を止めるように、時間を止める。

全て例外無く、自分以外の世界の時間を留める。

「・・・ふう。」

呼吸を整える。身体は動く。痛みはあるが主要な骨は逝ってない。肋が一本程度か。よし。

そしてそのまま、部屋から駆け出した。

出入り口の扉は開けてある。外に出るのは容易だ。しかし、ひとつ想定外のことがあった。

「フィル・・・」

足止めが終わったのか。もしくは全滅させることができたのかはわからない。いや彼女のことだ。何かあったと思って来てしまったのかもしれない。

僕の力にはいくつか法則(ルール)がある。

ひとつ、能力発動時に僕が触れていた物は僕が離れるまで時間停止を受けない。でも、停止した物は僕が触れても動かない。

ふたつ、僕の体を離れた物体は即座にそれまでの運動状態を引き継いだまま停止する。

そしてみっつ、時間停止にはクールタイムがあり、それは僕が能力を使用した長さと一致すること。

つまり彼女を連れて逃げようと思えば、まず時間を動かさないといけない。そうなると少なくとも数十秒のクールタイムが生じる。相手の移動速度を考えると、追い付かれるのは確実だ。彼女をここに置き去りにすると、十中八九鉢合わせる。その場合、彼女がどうなるかは想像に難くない。

この少女を見捨てるか、分の悪い賭けに乗るか。

「・・・。」

いや。答えなんて決まっている。

ここで間違えたら、彼女に手を差し伸べた意味がない。

彼女の手を掴んでその瞬間、眼の力を解除した。

「フィル、走って!」

「!?え・・・!」

無理矢理フィルを引っ張り、建物の外に連れ出す。同時にランタンの布を外して、周囲を照らした。さあ、逃げ切るか。

「詳しいことは後!逃げるよ!」

ああ、賢い子だ。とりあえずは逃げることに賛同してくれたらしい。彼女の運動神経はあまり高い方じゃない。クールタイムが過ぎたらすぐに力を使うことが前提だろう。

「おや、そこの小娘は誰だ?」

「・・・くッ!」

もう来た。速い。いくらなんでも速すぎる。まさかこれも魔法の類いか?しかし魔法陣は見えない。

闇魔法(ダークスペル)暗霧(ミスト)!」

黒い、いや暗い霧が展開される。

フィルの魔法だ。目眩ましか。そして手に持つランタンの中身を彼女はぶちまけた。光源が消え、視界が完全になくなる。

「ライカ、私が手を引く。離さないでくれ。」

フィルが僕の手を引いて駆け出した。見えているのか?この暗闇が。・・・いや、彼女の眼の力は"音"つまりは蝙蝠なんかの超音波みたいなものか。

この調子で逃げることができれば良いが。

しかし、途中まで走って、何かにぶつかった。手を当てて、その平らな、そして強固なものを触る。触れると魔法陣が現れた。

「・・・壁?」

「しまった。ライカ。逃げられない。結界だ。・・・くそっ。」

ああ。どうしてこんなに大切なことを忘れていたのだろうか。僕たちは閉じ込められていたんだ。この村からは出ていけない。それは確かめたはずだろう。どうして思い出せなかったんだ。

でも。

腹を括るのには早すぎる。

僕より先に、フィルが口を開いた。

「・・・ライカ。"アレ"はなんだ?」

「多分、魔法って奴の産物。・・・死体が甦った。」

「・・・なんだと?」

今は少しでも情報が欲しい。追ってこないことを見ると、向こうも暗闇では視界が制限されるらしい。

「甦った、というより、死にかけの男が蘇生して、ついでに若返った、という感じ。」

死霊魔法(デッドスペル)の最上位、冥王降臨・・・」

「マズい?」

「・・・かなり。・・・私はその対策を持っていない。」

「策はある?どれだけ難易度が高くても。・・・多分、マトモに戦って勝てる相手じゃない。」

「私が魔法そのもののコントロールを奪う。その為には、時間と安全の確保。・・・これが最低条件だ。」

「僕は何をすれば良い?」

「まずは魔方陣の、術式を敷いたところ、つまりあそこの建物の中。そこで私が魔法のコントロールを奪う。その間、時間を稼いで欲しい。」

「・・・勝算は?」

「わからない。・・・多分、一割もない。」

「わかった。やろう。」

おそらくは物理戦闘は無意味と考えて良いだろう。あの速さでは何もできないうちに殺される。

「これから僕の手を離さないでくれ。」

・・・あまり長い時間使ったことはない。けど、確実な方法を取るのなら、これしかないだろう。

「・・・僕の眼の力は、僕の触れていないもの全ての時間を止める力だ。これから僕とフィル以外の時間をすべて止める。」

「わかった。」

僕より数段小さい手が、握る力を強める。それを確認して、時間を止めた。

 

星の灯りを頼りに、建物までたどり着く。

「・・・さあ、ここから本番だ。」

「頼むよ。フィル。」

「ああ。・・・解呪(ディスペル)。」

フィルが部屋の中心に手を置き、呟く。

白い光が手元から床に描かれた魔法陣を伝うように広がっていく。

「・・・術式、解析・・・」

僕の手を握る力が強くなった。

「・・・・くッ!」

少しして、フィルの床に置いた右手が閃光のようなものに弾かれた。

「大丈夫!?」

「・・・失敗した。・・・もう一度やる。」

彼女の手は赤く腫れている。

それなりのリスクを伴うようだ。再度挑戦する。

手を置いて、白い光が部屋を照らす。

 

「・・・・駄目だ。もう一度。」

 

また彼女の手が弾かれる。

 

「・・・もう、一度。」

 

強い閃光が手から血を流すほど彼女を傷つけた。

 

「・・・・まだだ。」

 

冷や汗をかいている。かなり辛そうだ。だが僕にできることに集中しないと。

 

「・・・術式、解析、・・・完了!」

 

何度目か。彼女の声と共に、白い光が、紫のような、黒のような、そんな光に変わる。

「・・・・来い、・・・うぁあッ!」

今度は紫色の稲妻が彼女の腕を駆けた。ローブを引き裂いて、その腕から血が溢れた。

「フィル!」

「・・・まだ、行け、る。だいじょう、ぶ。」

「・・・・頑張ってくれ。」

光は消えずに、紫色の光が徐々に白に塗り潰されていく。

「・・・我、この契りの代弁者なり。・・・我、汝の身を束縛から解放する者・・・ッ!」

かなり辛そうだ。

だがこちらも少しずつ余裕がなくなってきている。・・・長時間の使用は体力を大きく奪われる。もっと早めに試しておくべきだったか。ここで決めて欲しい。

「冥府より来たる主よ、いと大いなる定めに還り、その混沌の魂を放ちたまえ・・・!」

先程よりも大きな、大きな稲妻が魔法陣から上がった。

「故に、我、・・・この、契約を、・・・破却する!!!」

強く、手を握った。

白い閃光が部屋を覆う。

そして、その魔法陣が消えた。

「・・・成功、した。」

フィルが膝をついて力を抜くのを確認して、僕は眼の力を解除した。

「ありがとう。お疲れ様。」

随分と消耗したのか、その場でへたり込んでしまった。

だが良かった。これであの脅威が消えたなら、安い。

 

「・・・舐めたことをしてくれたな。小娘。」

「!?」

目の前に、急にヤツが現れた。

 

「魔法を解いたのに!何故!」

率直な抗議にも似た悲鳴が僕の口を飛び出した。

「ああ確かに、魔法を解かれては消える他ない。だが、ひとつ長らえる方法がある。」

一瞬で、その距離が詰められる。

「貴様達の命を喰らうことだ。」

マズい。眼の力は使えない。

だったら白兵戦闘による交戦をするしかない。

右手を振り回した。糸を握って。

部屋に張り巡らせた糸が相手の体を絡め取る。相手の体は徐々に、端から崩壊が始まっている。なら、耐えれば勝ちだ。

「・・・フィル、休んでて。」

 

背後からの返事はない。弱々しい吐息がある。なら良い。僕は弓を掴む。

体力は消耗しているが、動けないほどじゃない。

即座に矢を2本撃ち、相手の両目を狙う。しかし首を捻りかわされた。体を捕らえた()を引きちぎられ、その拳がこちらへと来る。魔法の類いを使わず、近接戦闘をするなら都合が良い。あの瞬間移動は超速度を利用したものではないのだろう。

僕は触れずにその拳をかわした。右手の突きを左に回り込むように避け、腰ベルトのポケットからから投擲用ナイフを取り出す。一連の流れとしてそれを放り投げる。狙いは脚の腱。だったのだが、刃物が弾かれた。どんな肌してるんだコイツ。龍人のような強靭な鱗があるわけでもない。物理攻撃は通用しないと見た方がいいか?

「小癪な!」

男は怒鳴って、僕を蹴りあげた。仰け反って避けると、前髪が男の足を掠めた。やはり、彼自身の体術はあまり大したことはない。素人だ。それに焦りもあるのだろう。あまりに雑すぎる。

束縛せよ(ロック)

「─────!」

突如、僕の右足が動かなくなった。

不味い。魔法か。いや落ち着け。動かなくなった、というよりもこれは筋収縮状態を強制的に引き起こされている感じか。胸ぐらを掴もうと、手が迫る。

「ふっ」

後ろへと倒れる重心を利用して、そのまま手をついてバク転をした。着地は失敗して転んだが、すぐに立て直す。どうやら足首と膝を動かすことはできないが、腰と股の付け根は動く。右足を見ると脚に光る文字のような紋様が巻き付いていた。鎖みたいだ。

魔法か。呪文はフィルのものよりもかなり簡略化されていたけれども、なるほど。やはり呪文からある程度の内容を予測することはできる。

相手の体は光る粒のようなものが空気に解けるように散っていく。これがあとどの程度続けばいいのかはわからないけれども、やはり持久するのが最適解なのか。

糸を、三本ほど引く。

またこちらを殴ろうとした男の腕を絡め取る。微細な振動を起こした状態で軽く引っ張った。微細な振動を起こした細くて丈夫な糸は刃物となんら変わらない。つまり、丁度良い位置に来た腕を切断しようとしたのだ。だが途中で糸が止まった。斬ることのできない部分がある。骨か。ここまで丈夫となると鬼属の体がベースだろうか。

でも、僕の手札が通用することはわかった。

投擲ナイフを弾いたのは単純な硬度が高いのか。それでも、この手段が通じるならば問題はない。

今のコイツは、僕より弱い。

 

「・・・君はもう、僕の巣の中だ。」

 

かつて僕は、矢蜘蛛(しぐも)と、呼ばれていた。

それは忌まわしき、暗殺者の名前だ。



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無題

圧倒的だった。

朦朧としていた意識が定まり、私が彼の姿をもう一度捉えたときには、既にそれは始まっていた。

まるで、己の巣にかかった獲物を弄ぶようだった。

彼の射る矢には彼の手に繋がる、見えない糸が存在する。

ここに来る途中、盗賊を吊し上げたときと、やっていることは変わらないように見えた。

けれど、その意味合いが違う。明らかに違う。

それはあまりにも冷たく研ぎ澄まされた殺意で、それはあまりにも風化してしまった諦観だ。

 

「この村の惨状はお前がやったものか?」

 

ライカが問うた。

 

「さて、な。この体の持ち主の記憶なぞない。」

 

男は口を歪めて答えた。その歯の隙間から紅いものが糸のように地面へ垂れる。

ぎり、と音が聞こえた。同時にその鋼のように思えた筋肉に筋が入る。目には見えない糸が、男を縛り上げたのだ。より強く、より鋭く。

「なら質問を変えよう。お前は亡霊か?それとも、このカルト集団の信仰対象か?」

「それを知って何になる。」

「・・・調査だ。」

男の首に、細く赤い線が走った。そこから染み出るように溢れるものがある。

「おお。怖い怖い。・・・そんな信仰対象、そもそも実在するとも思えん。」

言葉には好奇心と、呆れか。そんな感情が混じっている。ライカの表情は先程から見えない。ただ、声だけはとても冷たく感じられる。

「だろうな。・・・じゃあ、これで最後だ。」

ライカは右手を突きだし、その五指のうちの一本だけ、人差し指だけを虚空に向けた。

「そこの男は、お前の関係者か?」

 

その指先の示したものは、あの、私たちに寝床を提供した、地下の祠に隠れていた青年だった。

 

「・・・ふっ。」

 

堪えきれないというように、片足を引きずる青年は息を漏らした。

 

「あーあ。なんでバレるかなぁ。・・・もしかして、ピット器官でも持ってるのか?」

私たちに見せていたのとは別の表情で、悪戯がバレた子供のような表情で、ライカを見る。

「・・・・。」

「流石、希代の暗殺者様だ。」

 

その青年は、ライカを暗殺者と呼んだ。

瞬間、青年の姿が消えた。

そして数秒後にライカの右斜め後ろから彼は突如姿を現す。だがライカはそれを避けもしなかった。

「・・・言っただろう。ここは()()()()と。」

青年の手には、鋭い刃の持ち手に布を巻いただけのような暗器が握られていた。恐らくは彼の武器だろう。姿を消したのは彼の眼の力か。だがその両者も虚しく、ライカの糸に捕まった。

武器を突き出した姿勢のまま、まるで人形を蒐集家(コレクター)が飾るかのように、固定して吊し上げる。

「クソッ・・・!」

青年がもがきながら罵倒する。

「この状況はお前の計画か?」

「知るか。あの鬼が勝手にやったことだ。脚は痛いが、ここに巣食ってた盗賊団を皆殺しにしてくれたのは感謝してるさ。」

 

その言葉を聞いて、ライカの動きが止まった。

冷ややかな声が響く。

 

「君はあのときの生き残りか。」

 

青年の目が見開かれる。

 

「それが、わかってる、なら・・・!」

「なるほど、それなら君が僕に向ける殺意の意味もわかる。」

それは興味のない小説を読み上げるような声だった。

「ほぼ無人の村に盗賊が住み着いて、君は奪うものがないから生かされていた。運が良かったんだな。」

そしてライカは、少しだけ、口からつい息が漏れてしまったような、そんな笑い方をして、言った。

「僕を殺したいか?」

「ああ。」

青年が頷くと、"糸"が消えた。

つまり青年の体が自由を取り戻した。

()()()。」

ライカが言った。それに呼応するように、ライカの武器、木弓が肥大化したように見えた。

()()()()()()。」

青年の受け答えで、彼の暗器が震えたように見えた。

()()()()()()

ライカが問う。

()()()()()。」

青年が答える。

()()()()()()

ライカが問う。

()()()()()()()()。」

青年が答える。

一瞬だけ、時間の流れが遅くなったような気がした。

そして、本当に一瞬だったのだ。

よく考えれば勝てるはずはない。

遠距離武器である上に攻撃に数刻を要する弓矢と、おそらくは急所に当てれば一瞬で命を奪える道具。その武器のポテンシャルは圧倒的に違う。

けれども青年は一歩も動くことが許されなかった。

決闘とは、この世界において絶対であるという。

それは原初の呪いによく似た、相手と己に同じだけのものを背負わせるというそれだ。

そして彼らの武器が起こす奇跡はそれは紛れもなく、私のいた世界においての魔法に該当する。

現実へと干渉をし、理をねじ曲げる奇跡。

ライカの持つ奇跡は時間操作。

「・・・終わりだ。」

胸に一本の矢を受けた青年は、吐血して、膝から崩れ落ちた。

時の流れには誰も逆らうことはできない。ただ一人、彼だけを例外にして。

 

けれども。

その次の一刻。

 

ライカも同様に、口から血を吐いた。

青年を見ると、その瞳の色は煌々と紫色に輝いている。

そして、青年の掲げた指先は、ライカを指し示していた。

「頭を・・・狙えば、よかっ・・・」

少しだけ青年は笑って、倒れた。その瞳に既に輝きはない。

それは原初の呪いによく似た、相手と己に同じだけのものを背負わせるというそれだ。

カランと、ライカの弓が地面に落ちる。

「ライカ・・・!」

そこで私は我にかえった。

駄目だ。

倒れ込んだライカへ駆け寄り、胸の傷を見る。血が溢れている。どうにかして止めることはできないか。治癒魔法は使えない。私には適正が無かったから。ならばどうする。胸の傷はおそらく心臓を傷つけている。血を止めることができたとして、それに意味はあるのか?

やめろ。駄目だ。疑うな。私に何かできることがあると信じろ。この溢れて止まらない血を止め、私の恩人を助ける道がきっとあると。であればどうすればいい。火で傷口を焼き固める?却下。心臓まで焼いてしまう。では凍らせるか?却下だ。きっと意味がない。風は?光は?闇は?どれも私にできることはなかった。心臓に空いた穴を塞ぐ手段が私には無い。

結局、何もできないまま数秒が過ぎていく。

でも認めたくない。何かここで、何か・・・

ふと、髪に指が触れた。

血に溺れるような音が聞こえ、微かな声がする。

けれどもその声は聞こえなかった。手が落ちて、ぱしゃんと血溜まりを波立たせる。少しだけ、血が顔にかかった。

「あ・・・」

声は出なかった。突然のこと過ぎて思考が及ばない。

最期に彼は何を言ったのだろう。そのことが頭を過ったが、それを現実は許してくれはしなかった。

「愚かだな。」

私でもない、ライカでもない、ましてやライカでもない声がした。

忘れてしまっていたのだ。

けれど、忘却されたところでその存在が終わるわけではない。

既にその影は揺らぎ、半身が崩れ落ちた男がいる。

それは蜘蛛の巣から逃れ、息も絶え絶えに、それでもまだそこに存在していた。そして器が崩れた亡霊は、次の器を求めるのは道理。

「させない・・・ッ」

立ち上がり、右手を広げて陣を描く。

氷魔法(アイススペル)・・・あッ!」

けれど、傷付いた手は魔方陣を描く為の魔力を通すことは叶わなかった。解呪(ディスペル)で無理をしすぎたのだろうか。結局、私に術があったとしても彼を救うことはできなかったのか。

気が付いたら、殴り飛ばされていた。背中に石の柱が激突し、声も出ない。

痛みから逃れようと、意識が沈んでいく。

霞む視界が最後に捉えたのは、一人の影が立ち上がり、歩いて祠を出ていく姿だった。

 

そして、私は絶望の実感も無いままに、闇に沈んだ。



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目が覚めると、すべてが終わっていた。

荷物の回収の為に祠の地下に向かうと、子供達の姿は無く、一人には少し多すぎる荷物だけが置いてあった。

食料は村中を探して、当面分を確保することはできた。その間、人影は見掛けていない。あるのは死喰鬼(グール)の死体だけだ。荷物は空間魔法で収納しているので身軽さの上では問題がない。

一応、地図は頭の中にあるが城下町に帰るのにはどれだけかかるだろうか。

気にしても仕方ないので、死喰鬼(グール)の死体だらけの村から立ち去った。

来るときは盗賊団の縄張りだった森も、静かなものだった。もしかしするとだが彼らもまた、生け贄にされてしまっていたのかもしれない。

何にせよ、二人でいたのが一人になり、そして帰り道も随分と静かになってしまったもので、心細さというよりは絶望感が大きかった。

森を抜けて、夜になり、草原で眠って、朝になり、不思議なことに何もトラブルが起きず、淡々と、人ともすれ違わず、何日も過ごしていき、この世界そのものが死んでしまったような錯覚に陥る。

正直、あの後の記憶が曖昧だ。けれど自分は敗北し、そしてライカを失ったことは確かだった。もしかするとこんな世界に来ていることも含めて長い悪夢かもしれないと思いもしたが、そんなことはなさそうだった。

 

七日ほど、歩いた。

休みながらだし、あとどの程度歩けば良いのかわからないが。その日は、雨が酷くて、どうにか雨を凌ごうと、近くにあった木に、水の染みない布──これは糸のように加工できる鉱石を編んだものらしいが──を引っ掛けて屋根のようにし、その下で休んでいた。空腹感はあったが、食料も余裕があるとはいえ限りもあるので、何もせずに待っていた。

雨の音だけが聞こえていた。ここに来て、こんなに酷い雨は初めてかもしれない。ああ、けれども、故郷の雨季ではこんな感じだった。そう思うと懐かしくも感じる。目を閉じていると、水の音だけが聞こえる。草に跳ねる音。布に溜まる音。幹を伝う音。地面を流れる音。そして、何かが水を踏む音。それは、少しずつ此方に近付いてくる。

───撃音(パルス)

その足下で音を弾かせる。

直後、背後の木に何かが刺さる音がした。

「・・・貴女は。」

ゆっくりと、目を開ける。見覚えのある顔。一度語り合った顔だ。

「君は、エレナ、か。」

この国で最も(つよ)い者。その手で振り下ろされたのは、華奢な身体に不似合いな大鎌。

「どうして、・・・こんなところに。城に居なくていいのか。」

「貴女こそ・・・。」

彼女の口から、疑問が出てくることはなかった。あるいは雨に消されたのかもしれない。

「いえ、そうですね。その辺りも含めて説明をしましょう。向こうにテントを建てています。ついてきてください。」

やや体も冷えてきたので、ここは素直に従うことにした。少し歩くと、草むらの奥に緑色のテントがあった。一応保護色になっているのだろう。意外と、遠目からでは見えなかったりする。

「姫様、ただいま戻りました。」

入り口の布を、雨が入らないように慎重に捲る。

それは、あまりにも質素なものだった。

「お帰りなさい。エレナ。」

黒くて真ん丸とした目がこちらを捉え、すぐに駆け寄ってきた。

「フィル!」

「久しぶり。シオン。」

本当に、こんなところまで来てどうしたというのだろうか。こんなところにキャンプに来た、なんてことではないだろう。少なくとも、ついこの間までここは治安が悪すぎた。

「・・・何か、あったのか?」

嫌な予感が首筋を伝う。

「ええ。端的に言うと、城と城下町が壊滅しました。」

あまりにも事務的に伝えられたもので、実感が情報に追い付かない。

「それは・・・」

どういう状況なのか。

「今からちょうど、八日前・・・になりますね。突然、人を喰う異形の鬼が出現しました。」

エレナの口から語られたのは、恐らくは最悪の結果だった。

いくら国民が全員戦士だろうと、対応には限度があった。理由は、まず一つに数が多かったこと。死ににくいことは問題ではなかったが、二つ目は、同時に各地に"穴"が多発したこと。それは次々と国民を飲み込み、戦いによる被害ではなく、"穴"による行方不明者が深刻だった。

"穴"は以前から確認されていた。突然、空間に出現してはその場にあるものを文字通り消して、跡形もなく"穴"自体も消えてしまう。国民の行き先には心当たりがある。きっと、私の存在()た世界だろう。私はその"穴"に落ちて、こちらの世界に来たのだから。

「戦力の低下に次ぐ低下。更に相手は無尽蔵と、五日としないうちに事実上の全滅となりました。」

「・・・そうか。」

けれど、彼女たちの様子は随分と落ち着いている。そりゃあ、数日あれば整理をする時間もあるだろう。だがそれにしても割り切っているというには何でもなさそうにモノを言う。

「まあ色々ありましたが、今はこうして避難がてら旅をしています。」

びっくりするほど、その姿勢は気楽なのだ。

「こう毎日歩くのも疲れるし、天気が悪いのも気分上がらないけどね。」

びっくりするほど、能天気なのだ。

「それに、私には、姫様をお守りするという使命が残っていますからね。」

さて、この二人は、特に問題がなかった。そこで、私の中に生じた欲求を口にする。

「・・・その、私も、旅に同行させてくれないだろうか。」

できるだけ、簡潔に。

理由はいくつかあるが、一番は多分、一人が辛くなったこと。それに自分では使い方のわからない装備があるし、それが彼女達にとって有益であるかは不明だが少なくとも悪くは働かないだろう。

「・・・失礼ですがその、組合への技能登録は済ませていますか?」

確か、冒険者へのフリーの依頼を紹介する組合のことだろう。基本的に国に属していたはずだ。

「ああ。少し前になるが、ライカに。」

「そのときのクラスは?」

クラス、とは要するにその当人の技能によって大まかに分類したものを指す。私の場合は魔法を使う。しかし、それを語るわけにもいかず、代替案として決めたものだ。

奇術師(マジシャン)を。」

「前衛は行けますか?」

「・・・やろうと思えば。」

肉弾戦能力は極めて低いので、できれば後衛が良い。遠距離攻撃はあるし。

「わかりました。では、基本的には私が前に出ているときの姫様の護衛をしてください。」

「・・・随分と、信頼されてるな。」

彼女にとって私は、前に一度しか会ったことの無い相手だ。まさかこんな大役を与えられるとは思わなかった。

「ええ。姫様の御友人ですから。今日から、よろしくお願いします。フィル。」

「ありがとう。よろしく。エレナ。」

差し出された手を軽く握った。

私には、向こうの世界へ帰る前にやるべきことができた。それをこの二人が協力してくれるかはわからないが、それまでは当面、世話になろう。

折角の、友人なのだから。



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黒白のよっつめ

歩き続けて一週間、そこそこ大きな街に到着した。

名前をカーリルと言うらしい。由来は不明だ。

歩きながら、当面の方針を色々と話した。原則、彼女らの身分は伏せる。英雄扱いされるであろうエレナはともかく、シオンは立場上腐っても王族な為、悪用を考える輩も出ないとは限らない。ただシオンは一般には容姿が知られていないのである程度人前に出たことのあるエレナだけ気を付ければ問題はない。エレナの黒髪碧眼という組み合わせは人間属としては珍しいが、別にいないというわけでもない。一応変装はするので、自ら名乗らない限り平気だろうとの事。現状の短期的課題は路銀の確保。また、城下町を滅ぼした者を見つけて対処するのが当分の長期的課題となる。こちらの手掛かりはほぼ皆無に等しい。

「この街はあまり治安がよくないので、二人とも気を付けてください。」

「はーい。」

物取りには十分な警戒を、ということだがすぐに取り出さないといけない武器やサブの財布等の荷物以外は全部私の空間魔法で収納している為あまり問題はない。

だからといって、サブの財布にもある程度のお金は入っている為、盗まれて良いというわけではないのだけど。

「それにしても、人間が多いな。」

というより、前の都市の例に漏れずやはり人間属しかいない。文献では多種属を見下すような記述が多かったがやはりそういった文化なのだろう。私には馴染めそうにない。

「ここも人間の領土ですからね。」

「私、鬼か獣人くらいしか見たことないかも。」

確かこの二種属は隣国だったか。鬼の国とはあまり仲が良くなく、獣人の国とは中立同盟を組んでいるのだとか。

それにしても人が多い。これははぐれたら大変そうだ。

「今日は何か催しでもあるのか?」

「ああ、確か闘技大会の季節ですね。」

「エレナが昔出たヤツでしょ?賞金あるんだっけ。」

「賞金?」

「ああ、はい。上位四名には順位に応じた賞金がありますよ。折角ですからそれで路銀の確保しましょうか。」

成る程。でもこちらには勇者のエレナが居る。優勝とはいかなくとも上位入賞はできるんじゃないか。

「まあ私は出れませんが。武器を使ったら身分がバレるので。」

「・・・そうなのか。おっと。」

話ながら歩いていると、人にぶつかってしまった。

「はい。あと、フィルさん、物盗りには気を付けてくださいね。」

そしてそのぶつかった人は、目の前でひょいっと、エレナに地面に転ばされた。この間数秒。流れるような瞬間だった。

「さて、今盗ったものを返してもらいましょう。生憎、私達にも余裕があるわけではないので。」

エレナが、真っ黒いフードつきローブで全身を隠した人物の腕を掴み、地面に組伏せたまま言う。周囲の人が一定の距離で私達から離れ、なんだなんだとこちらの様子を気にし始めた。

「・・・くぅっ。」

何度かもぞもぞと身体をくねらせた後、物盗りは観念したのか、私の財布を懐から取り出した。

どうやらぶつかった瞬間にスられたようだった。全く気付かなかった。

「さて、少し場所を変えて話しましょうか。」

碧眼の勇者は、真っ黒いローブごと身体を持ち上げて肩に担いで、路地裏の方へと歩き出した。無抵抗のローブの中身から、ぐぅっと、空腹を告げる音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の状況。

路地裏に合計四名。うち三名が袋小路の奥で壁を背後にした一名を囲っている。多分、第三者から見れば脅しか何かの現場に見えるのではなかろうか。

───空間魔法(ヴォイドスペル)取出(テイクアウト)。そっと、小さな声で呟く。背中に隠した右手の上に空間の穴を開け、そこからパンを一個、取り出す。

「・・・食べるか?」

真っ黒ローブに差し出すと、こくんと頷いた後に受け取って、ガツガツと食べ出した。

「フィル、人が良すぎじゃない?」

シオンに文句を言われたが、このくらいは見逃して欲しい。財布丸々ひとつよりはずっと安いのだから。甘いのは重々承知である。

食事が終わり落ち着いた後、ローブから少女の声がした。私と同じか、少し幼いくらいの印象の声。

「・・・ありがとう、ございました。あと、ごめんなさい。」

背丈は私より少し低い。なので、向こうが顔をあげるまでその容姿がわからなかった。フードの中には、真っ白な髪と、果実のように紅い瞳の少女がいた。アルビノ、と言うのだったか。人間属の中でも特に希少で、日の光に弱く短命。少し汚れているが、その肌も雪のように白く、奥に血の紅が浮き出ている。

「さて・・・普通なら、ここから兵士に突き出すところですけれど、貴女、名前は?」

「・・・リン。」

「それではリン、貴女、腕に覚えは?見たところ長剣を持っているようですが。」

さっきまで気付かなかったが、背中にこれまた黒い鞘に入った剣を背負っていた。本人の白に対して装備品の類いが真っ黒なのは何かのこだわりだろうか。

リンと名乗った少女が頷くと、エレナが話を続けた。

「闘技大会に出ませんか。勿論、賞金を得たら私達にも分けてください。その代わり、当面の食料と宿くらいは提供しますよ。」

おそらく、この条件を飲まなければ兵士のお縄にかかるので実質拒否権はない。やや気の毒ではあるが身から出た錆だ。

「・・・その通りに。」

「ええ。じゃあエントリーしに行きましょう。そこの茶髪の彼女も出る予定なので、二人して頑張ってください。」

「え?」

待った。勝手に話が進んだぞ。

確かにエレナは出れないし、シオンを出すのはエレナが許さないだろうし、消去法としては私が残るのだろうがどうやら私にも拒否権はなかったらしい。

「あー、えっと、フィル、という。よろしく。」

声を出してしまった手前なんとなく自己紹介をしてしまう。それにエレナが続けた。

「申し遅れました。私はエレナ、そっちはシオンです。」

「リン、よろしくね。」

シオンがローブの少女に手を差し伸べる。その握手に、リンは応じた。悪人、というわけではないのだろう。まあだが手慣れてるような気がするので常習犯ではありそうだが。実際私は気付かなかったし。これで隠密行動ができたら盗賊とかできるのではなかろうか。

「とりあえず、闘技場に行きましょう。参加表明をすれば宿が取れる筈です。」

「あれ、シオンとエレナは出場しないのでは?」

「参加者一名を一枠として、その同行者一名までが同じ宿に泊まれることになってるんです。」

「じゃあ私とフィル、リンとエレナが同じ部屋になるのかしら。エレナ、リンと仲良くね。」

「・・・そう、ですね。」

シオンの提案には一理ある。エレナとしてもまだ素性のあまり知れぬリンとシオンを同室にするよりは私とシオンを同室にする方が良いだろう。・・・ついでに、姫様への過保護を少し改善する機会にすれば良いのではなかろうか。本人は不服そうだが納得しているし。珍しく形の良い唇を尖らせているがそれに言及するほど野暮でもない。

「・・・申し込みに行くなら、今日の日没が締め切りのはずだから、早く行った方が。」

リンがぼそぼそと言う。

反射的に太陽の位置を確認したら、既に正午は過ぎている。それでも日没までにそこそこの時間は残っているだろう。

「今日まででしたか。道は覚えているので、案内します。行きましょう。」

 

やや速足でエレナが歩き出した。それに全員が続く。狭い路地を抜けて、近道らしい道を行く。

この一部始終で、私達四人の女旅が始まることになるのだが、それはもう少し先の話だ。



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闘技大会前日の幕間

「ええと、そっちの茶髪のが奇術師(マジシャン)のフィル、黒いのが剣士(フェンサー)ね。」

 

受付で参加登録を済ませ、部屋の鍵を渡された。

部屋はひとつの廊下にいくつも並んでいる。私とシオンの部屋と、エレナとリンの部屋は隣だ。

公式の大きな大会ということもあり、闘技大会のスタッフは身なりも整っていた。与えられた部屋も、しっかりと鍵がかかる上に大きくて清潔なベッドが与えられている。これだけで十分なくらいだ。

 

闇魔法(ダークスペル)(トラップ)盲目(ブラインド)

内側から鍵をかけた上で、念のため、鍵の破壊を条件に魔法を仕掛けておく。半日程度視界を奪う出力だ。まあ発動しないことを祈ろう。

「フィル、何それ?」

「まあ念には念を、と。空き巣対策だ。」

「魔法って便利なのね。他には何ができるの?」

シオンは前から興味があったのか、時々私が魔法を使うところを眺めていたりする。普段は魔力の消費を抑えたいので火を起こしたりする程度だが、今日はあとは食事と睡眠だけだし、良いか。

「例えば・・・氷魔法(アイススペル)造形(メイク)。」

頭に、詳細に果実の形を思い浮かべる。右手の上に魔力の形を頭に浮かべた通りに集めていく。現れた魔法陣は、空気に解けて光となり、また一ヶ所に集まり、果実の形の氷を形成した。

「こういうこともできる。」

少し集中力もいるので難しいが、見た目としてはこの魔法が一番分かりやすい。

「わぁ!触って良いかしら?」

頷くと、シオンは人差し指で氷の塊を突っついた。

「これは溶けたりするの?」

「維持も可能だけど放っておけば溶ける。」

ちなみに維持をするには微量ながら魔力を消費し続けないといけないので、氷魔法は一瞬だけ何かの形状が必要な際によく使う。

「こういうのって、私でも使えるのかしら。」

「・・・わからないが、試してみよう。」

 

随分前の事に思えてしまうが、この服を買ったときに仕込んだ、数枚の紙を取り出した。場所は主に背中や手首、肩、胸等。

「魔法を使うには、本来は魔力というものは必要ないんだ。」

魔力とは言うなれば生き物が持つエネルギーのようなもの。体力の一種だと思えば良い。

「本当に必要なのは代償。その魔法を使うに当たって、()()()()()()()()()だ。」

手首に仕込んでいた紙を取り出す。

手のひらに収まる程度の大きさの紙。そこには、とても簡易的な魔法陣を書いてある。

「まず、この紙に書いてある魔法は氷魔法(アイススペル)。それも形式を指定してないから、ただ氷が出現するだけのものだ。」

腰に射していたナイフを右手に持ち、左手の親指に刃を滑らせる。痛いが、これは我慢だ。

血が一滴、二滴、三滴。魔法陣の中心、そのシンボルに落ちる。

瞬時に、魔方陣が水色の光を放つ。

パキンと音がして、紙の上に雑多な形の氷の小山が現れた。

「と、こういう感じ。もしかしたら、シオンの血でも反応するかもしれない。」

確証はないので曖昧だ。

そこで、部屋に備え付けてあったメモ用紙とペンを使って、試しに風魔法(ウィンドスペル)の、一番単純な魔法陣を書いてみた。

「この魔法は、風を起こすだけのものだ。」

「ここに、血を?」

正直エレナが一緒にいたらできそうにないことだが。

「少しだけでいいから、慎重に。」

ナイフを渡して、指先を傷付けるように示す。よりも前に、ナイフの刃に人差し指を、えいっと滑らせた。思っていたよりこの姫、思いきりが良い。

「これで垂らせばいいのね?」

そうして一滴、二滴、、、三滴。

紙片に染み込んだ赤い液体は、数秒待てど、ただその染みを広くするだけだった。

「・・・駄目か。」

「そっかぁ。残念ね。」

傷薬と細く切った包帯をシオン渡す。

やはりこの世界の住民には魔法が使えないのか?私は別に魔法の仕組みには詳しくはないので、特に考察も続けようがないが。ただ、精霊、つまり魔法使いの命に宿る存在はあくまでも魔法行使においての魔法陣を描く、代償を支払う、という行程を簡略化してくれるモノだ。要するに、魔法陣を紙に描き、代償として血を捧げるという行為で魔法を行使する行程は完了している。

いや私は専門家ではない。前にいた世界では、その専門家と縁があったのだけど。

彼は今元気だろうか、なんて。

「フィル?」

「ああいや。残念だったな、と。」

シオンの不思議そうな顔で思考を打ち切った。私はよっぽどおかしな顔をしていたのだろうか。

「・・・そういえば。シオンの武器って、なんなんだ?」

咄嗟に、でもないが。話題を変えようと出たのはこんな言葉だった。

「私の武器はね、エレナなの。」

特に間も開けずに、やや苦戦しつつ利き手人差し指に包帯を巻きながら彼女は答えた。

「エレナが?」

「本当はね、王族は代々自分の武器を持たないしきたりで。っていうよりも、エレナが使ってる鎌、あれが本来、人間の王が使う武器。それを勇者という役職の者に貸しているって感じね。」

まあ、どうせ私にはあんなおっきな武器、振り回せないけどね。と続けた。この武力主義の国の王族が非武装なのは驚いたが、成る程。常に勇者が共にあればそんな必要もない。いや。彼女の場合はその魔眼が一等級の性能を持っているから、武器が必要ない、の方が近いか。

「あとほら、私が襲われても、基本は眼の異能で潰せば死ぬし。そうでなくてもエレナが助けてくれるから。」

彼女の眼の力。生まれつきの才能とも呼べる超自然の能力は重力操作。故に彼女の暮らしていた城は所々がボロボロで、エレナも口の上では姫より城の修復経費を気にしていた。

実際に私も、己の体重をそれこそ十倍にされでもしたらそのまま地面に伏して圧死する他ないだろう。あいにくそんな負荷に耐えられる体は鬼属くらいのものだろう。いや、無理か。城で普通に潰されていた。

それこそ、先手を打つくらいしか勝ち目はなさそうだ。だとすれば時間への干渉だったりが。

「私よりも闘技大会に向いているんじゃないか?」

「バトルロイヤルならまだしも、一対一じゃちょっと。視界に入らないと潰せないし。」

包帯を結ぶのに苦労していたので、私が身を乗り出してシオンの人差し指に結んでやる。ほそっこい指。正面切っての戦闘は無理か。

「フィルはどうするの?何か作戦ある?」

「ああ。それはいくつか。とりあえずは魔法を小出しにしていくつもりだ。」

私も賞金がかかっているとなれば手を抜くことはしない。とはいえ、こういった場には慣れていないからどうなることか。

「あ、隠さないんだ。」

奇術師(マジシャン)の奇術だと押し通せば問題ない。と思う。」

「貴女って結構雑よね。」

「たまに言われる。」

実際、この世界も()()()()()()の許容はあるのだろうし、あまり気にしてもいないのだ。

それにしても、いけない。今日は何かと思い出す。思い出してしまう。

 

「すまない。私は一度寝る。何かあったら起こして欲しい。」

「わかった。」

備え付けのベッドに寝転ぶ。気温は快適で、毛布を被らずに目を閉じた。

明日から闘技大会か。

賞金はしっかり確認してないが、エレナが旅の路銀としてあてにするくらいはあるのだろう。

どこまで行けるかもわからないが、私は強くなくてはいけない。そう決めた。



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氷の魔法使い

闘技大会当日。

試合形式はトーナメント。

例年として八回程度行われるが、今回は参加者がおおよそ半分少なくて七回。まあ首都の事を思えば無理もないだろう。それよりも首都の情報が未だにこの街、カーリルまで届かないのは不自然さを感じる。

何か情報を裏から管理してるような存在がいるのだろうかと考えたが、とりあえずは思考の隅に置いておく。

 

「フィルさん、くじ引きの結果、貴女の初戦の相手はトレバーさんに決定しました。」

待合室で、スタッフに対戦相手の名前を告げられる。と言われても、別にその名前を聞いてピンと来るものは無かった。当然か。

ちなみに待合室には同行者として登録されている者も入ることができるようなので、試合中、シオンはこの部屋で待っているそうだ。「闘技大会って見ててあまり楽しくないのよ。」だそうだ。私も戦いは好きではないが、その手の試合は見るのは結構好きなのでそんなものかと流した。

装備品の登録は特にないらしい。というか、奇術師(マジシャン)にそれをしても無駄というか、基本的に勝ち残れないとされている職種なので奇術師(マジシャン)は例外的に見逃されている。

 

さて、ルール、というより禁止事項は三つ。

一、相手の命を奪ってはならない。

二、試合中に他者の助けを得てはならない。

三、試合外でステージに立ち入ることを禁止する。

当然ながら、魔法を使ってはならない、何てものはないわけだ。

というわけで一回戦。

ステージは直径二十メートルくらいの円形で地面は土。周囲を私の身長の倍程度の透明な壁で囲まれている。素材については気にしないものとして、多分すごく丈夫なんだろう。その向こう側に観客席がある。観客は何人居るかはわからないが、結構な人数。ああ後、天井がないので風通しが良さそうな感じだ。

冒険服の上に、ローブを着込み、そしてフードを被っている。

「さァァァァァァァ!一回戦、第四試合はコイツらだァァァァァァァ!」

耳をつんざくような大声で司会が叫ぶ。なんだアレは。人間に可能な発声量を遥かに越えている。彼の口元に添えられてある丸い石がなにか関係しているのかもしれない。ああいうのもあるんだなぁ。

「東にはァ!前回四回戦まで勝ち残った、海から来た槍使い、トレバーァァァァァァァ!今年も期待してるゼェェ!!!」

歓声が聞こえる。

うるさい。とにかくうるさい。魔眼を使って、私の耳に届く音を気にならない程度に下げる。音に関する魔眼はこういうとき便利だ。

相手の姿を確認する。上裸で筋骨隆々と言った様相の、スキンヘッドの大男だ。武器はおそらく、背負っている大きな黒光りした槍だろう。当然、あれを振り回してくるのだろうから、受けたらひとたまりもない。

「さて反対の西は、無名の新人!つい最近冒険者登録を済ませたひよっ子の女奇術師、フィルだァァァァァァァ!!!種も仕掛けも忘れんなよォ!!!」

笑い声が観客から響いた。なるほど。こういう風潮か。

「さあ、テメェら命以外、一切合切ぶつけ合いなァ!そんじゃ試合、スタァァァァァァァトォォォォォォォォ!!!!!!」

司会者が吠えた。これが開始の合図。

ここからお互い、遠慮なしの勝負が始まる。

試合終了は、一方の戦闘不能が確認されるまで。

試合相手のトレバーが槍を構える。右手を前に、左手を後ろにして半身の構えだ。

氷魔法(アイススペル)領域(フィールド)

私はポツリ、と。一言。

私の足元に水色の魔法陣が現れ、霧散する。同時に私の立っていた周囲から円を広げていくように、氷が薄く地面を覆い出した。

突っ立っている私へとトレバーが距離を縮める為に大きく踏み出す。丁度良いタイミング。飛び出し、最初に着地する右足までギリギリ氷の膜が広がっている。丁寧につるつるの足場だ。全体重を前へと進めるために踏み出したのだから、そのまま大男は足を滑らせて前のめりにぶっ倒れる。

会場がしんとした。

直後、観客の笑い声、爆笑とも呼べる音が響く。

「おいトレバー!何しょっぱなスッ転んでんだ!」

「こっちはテメェに賭けてんだぞ!!」

「氷か!どうなってんだアイツ!」

「こりゃ大穴かもしれねぇぜ!」

と、まあこんな感じ。観客も楽しんでくれているようで何よりだ。円形のリングは氷で覆われ、石造りの様相が一変する。

風魔法(ウィンドスペル)爆発(バースト)

足元で風を爆発させ、跳躍力を補う。私の身長の三倍程度飛び上がった。結構高い。

相手の姿を俯瞰する。起き上がろうと両手をつき、尻餅をついている。武器からは・・・手を離していないか。

氷魔法(アイススペル)刺穿(スタブ)

複数の氷柱を作り、それを飛ばす。

槍を固定するように、氷柱をトレバーと槍の間にいくつか刺した。槍を体に引き寄せようとすると、太い氷柱に引っ掛かるように。

着地点は、トレバーの目の前。まだ立ち上がれないでいる男の胸に、両手を当てた。

「うおっ!」

前に、医学書で読んだ。

撃音(パルス)

大抵の動物は、心臓に大きな衝撃が来ると気絶するそうだ。

適当な音。音楽で言えば、低めのシの音。

それを心臓の位置にぶつける。

「音階は、この場合関係ないんだけどな。」

 

スキンヘッドの大男は白目を剥いて仰向けに倒れた。気絶だ。念のため心音が続いているか確かめたが、ちゃんと動いている。

狙い通り。

気付くと、観客席はしーんとしている。

そういえば今は、奇術師としてここに立っているんだったな。

なのでとりあえず、司会の方を向いて、お辞儀をした。

 

「・・・勝者は!氷の魔法使い、フィルだァァァァァァァァァァァ!!!!」

 

ウォォォォォォォォォォ!!!と、観客席が盛り上がる。()()使()()という言葉に少しヒヤッとしたが、深い意味はないだろう。

こう、勝利を納めた上で歓声を浴びるのは、思っていた以上に気持ちが良い。煩いけど。

・・・それはそれとして、着地の時から、足が、とても、痛い。



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不覚

最初の試合の感想は、呆気ない、というモノだった。

 

「次からは同じ手は通用しないと思いますよ。」

 

作戦会議、というかエレナから戦い方を教わる夜のこと。

 

「他の選手は、結構情報を仕入れたりしてるものなのか。」

「ええまあ。優勝狙ってるなら当然ですね。フィルは今までこの手の大会の参加経験がありませんから情報が皆無だったのでしょうし。きっと、他の参加者は貴方の戦い方をある程度対策してくると思います。」

 

ちなみにシオンとリンは部屋の隅で読書をしている。運営から提供された部屋は二人部屋だが、ベッドが二つだけというだけで四人入ってもあまり問題ない。まあ、少し狭いが。

 

「じゃあ、次はどうしようか。結構派手に魔法は使っても問題なさそうだったけど。」

「魔法陣?っていうのでしたっけ。あれ、多分異能を開眼してる人にしか見えていなさそうでしたね。」

「異能?」

「コレのことです。」

 

エレナが自分の右目を指で示す。その色が、黒から青に変わった。

 

「フィルも使ってましたよね?」

 

異能を開眼させる······とは魔眼のことを言っているらしい。そういえば魔法という概念が発達してないんだった。この世界は。

 

「前の試合の槍使いは異能を持っていないので、きっと何もわからなかったのでしょう。観客の大半もそうでしょうし。」

「············? ちょっと待ってくれ。魔眼(コレ)って、誰でも使えるものだろう?」

「あー············フィルのいた世界ではそうだったのかもしれませんが、此方では精々、二千人に一人程度ですよ。」

「······そうなのか。」

「ええ。」

 

道理で魔法が発達しないわけだ。······私の扱う魔法の起源は、元々は個体によって違う現象を起こす魔眼を、誰でも扱えるように一般化しようとしたものらしい。魔法陣は魔眼の中に浮かぶ模様を写し取ったもので、それこそが現実を侵食する神秘を形にした物だ。つまり、魔眼がありふれたものでなければそういった発想を起こし、そして実行に移す者が現れる確率はぐっと低くなる。

 

「すまない。話を戻そう。」

「ええと、ではトーナメントの結果、次の相手は一兆鳥銃(ビリオンマスケット)ですね。」

「マスケット?」

「鉛玉を飛ばす飛び道具ですね。命中精度は大したことがありませんが、並みの鎧は砕かれます。」

「恐ろしいな。」

「まあ滅多なことでは死にはしませんよ。あの場所は殺しが禁止されているので。」

 

ルールによって殺しが禁止されていることと殺されないことは別な気がするが、あの領域だけはなにか妙な感覚がした。この世界も私のいた世界と同じルールで動いているなら、もしかしたら魔法に似た何かがあるのかもしれない。

そう、例えば、呪いとか。

 

「ともかく、明日の対策としては氷でなるべく強固な盾を作りながら間合いを積めて燃やすなり切り刻むなり潰すなりすればいいでしょう。」

「······そう簡単にいくとは思えないのだが。」

「何事も経験ですよ。正直、初参加で優勝は無理でしょうし。」

「············。」

 

いや知ってはいたが。手厳しい。当たり前か。

 

「とりあえず次の試合は火力で押しきるのもひとつの手かなと思います。何せ、仕組みがイマイチわからないんですよね。相手の。」

「見た目は軽装なのに、文字通り無数の銃を取り出して撃ってくるんですよ。銃の構造上一発撃つと終わりですけど、それがいくらでも出てくるので実質無限ですね。」

「複製の魔······異能か何かか。」

「かもしれませんね。でも、手品のタネはわかったところで対応できない事が多々ありますし、実際に起きている現象に対して策を練った方が建設的ですよ。」

「だな。どうしようか。実を言えば、氷で盾を作り続けるのはあまり効率が良くなくてな。」

「魔力を使いすぎるとどうなるんですか?」

「貧血っぽくなる。いや、対処法が時間経過しか無い分、貧血より厄介かもしれない。」

 

実際のところ、時間経過以外にも魔力回復方法はあるが魔力の概念がないこの世界に回復薬があるとも思えないので割愛する。

 

「貧血でしたら最悪血を貰えば済みますしね。」

「いや、私はそれはしないが。」

 

吸血鬼じゃあるまいし。

 

「まあその辺は人それぞれですね。」

「相手が撃ってくるのが鉛玉だってなら、炎で融かすのが楽かもしれないな。」

「そんな火力出るんです?」

「出来なくは。」

 

炎を出し続けるのは流石に無理だが、腕に炎の付与魔法(エンチャント)をすれば鉛玉を融かすくらいの熱は出る。問題は腕に玉を当てないと駄目なのと服の袖が燃えること。特に後者はな。替えがないからな。

 

「まさか金属を融かせる程の高温が出せるとは······」

 

 

と、まあ。

 

とかなんとか相談をしたものの。

 

 

 

 

 

第二試合当日。

目の前に立つのは厚手のコートでシルエットを覆った小柄な男だった。

試合開始の合図と同時に、目の前に広がった、空を覆い尽くし、私を取り囲んだのは大量の、それ以外に見えないほどの、宙に浮いた金属の筒だった。

───腕を炎で包めばなんとかなる?

冗談じゃない。この規模は聞いてない。

 

氷魔法(アイススペル)障壁(ウォール)!」

 

私の周囲を取り囲むように、とにかく厚く、八方へ壁を創る。防ぎ、切った。

見ると、壁にはもう亀裂が走っている。これは創り直さないといけない。同じ壁を創るだけなら、あと10回は可能だ。けれど防衛戦で勝てる気もしない。もうこれは、一か八か。

 

付与魔法(エンチャント)(ファイア)

 

服に炎の魔力を込める。

 

付与魔法(エンチャント)(ウィンド)装着(ドレスアップ)

 

風の魔力で、全身の肌を包む。

教わった話だが、空気の層があれば熱を遮断できるらしい。巧く行って良かった。これで服は燃やさずに済む。

ローブのフードを深く被って、出来る限りの防御力を上げる。

 

「3······、2······、1。」

 

深呼吸をして氷の壁を解除する。

同時にジャカジャカと重たい音が幾重にも重なって、また空を覆い尽くすほどの銃口がこちらを向く。

来る、第二波が。

 

私がやることは、脇目も振らずに駆け抜けること。銃に隠れて相手の位置は見えないが、あの銃の群れを抜ければ見付けられるはずだ。

 

音撃(パルス)!」

 

足音を増幅して、地面を蹴る。音とは空気の動きだ。風を纏った身体は、弾き飛ばされるようにして前に推進力を得る。

そのまま真っ正面の銃の群れに突っ込んだ。炎の熱が銃を融かし、燃やし、多少の打撲で先に突き進む。

相手は······いない?

 

「今度は人体発火マジックか。」

 

男の瞳は紫色に発光している。

やっぱり、魔眼による現実干渉。紫色は、主に非実体への干渉を表す。

 

「そちらは随分、異能の扱いが達者だな。」

 

白兵戦には自信がないが、飛び道具相手に距離を離すよりはマシだ。

まずは打撃の一発でも······

 

「────残念。」

 

額に冷たい金属の温度を感じた。

何処から取り出したのか、相手の手には長い銃身が握られていて、その先が私の頭に突き付けられている。

 

発砲音が響いた。



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孔と鬼と勇者

空に、黒い穴が開いているのが見えた。

脳が揺れていて、状況の理解が遅れる。

 

観客の、あれだけ煩かった歓声が消えた。

最初、頭を強く打ったからだと思った。何か感覚が狂っているのかと。

 

それが異常だと気付いたのは、対戦相手が私を抱えて走り出したからだ。

 

「起きろ氷!」

 

氷、とは多分私のことだ。氷の魔術師、なんてあだ名をつけられたのは記憶に新しい。

 

「······いい、下ろしてくれ。」

「動けるか?」

「ああ。」

 

まだ頭が痛いが、地に足をつけて回りの状況を。空を見て、そして地上を見た。

露出の多い簡素な服装、屈強な筋骨、そして何より、頭部にある角。

 

「鬼属······」

「チッ。野蛮な血統が。まさか武闘大会を襲うとは」

 

長い鉄の筒───マスケット銃とやらを持った男が舌打ちをして構えた。

 

空には、暗い孔が空いている。私はその孔に、見覚えがあった。

それは、私がこの世界に来るとき、落ちた孔によく似ている。

 

だけれどその孔からは、鬼属が落ちてくる。何人も、何人も。私達を囲むその数は目算だけで百を越える。

 

「······おい。さっき私に撃った銃の大群は使わないのか?」

「············すまないが、無意味だ。何発撃ってもこの闘技場だと殺せない。」

 

ああ、そういえばそんな呪いが建物そのものにあった。

 

「わかった。私がなんとか逃げ道を作るから援護してほしい。」

 

幸い、天井は吹き抜けだ。氷で足場を作って、なんとか離脱しよう。

 

氷魔法(アイススペル)造形(メイク)!」

 

建造物用の氷魔法。消耗は激しいが、やむを得まい。どうせこの人数を相手にできるほど魔力なんて残ってない。

氷の階段。行き先は闘技場の観客席、その出口の近く。なんとかエレナ、シオン、そしてリンとも合流したいが······

 

「よし!ここを登るぞ!」

「いやぁ、あんたの異能、かなり面白いな。」

 

少しだけ頭がふらつく。逃げたらとりあえず休もう。貧血に近い感覚、魔力切れが近い。

 

 

炎魔法(ファイアスペル)領域(フィールド)

 

 

氷の階段に足をかけたとき、私達を赤い魔方陣が囲んだ。

 

「······!」

 

即座にそれは燃え盛る炎へと変貌する。闘技場全域が、炎の地獄へと様相を変えた。

あの孔から、空にぽっかりと開いた暗い孔から落ちてきた鬼属が、炎魔法を使ったのだ。

動悸が早まる。つまり、あの孔の先には、私の元居た世界がある。生きた武器ではなく、魔法が主流の世界が。

動揺している間に、炎に焼かれ、氷の階段が溶けていく。

 

「っ不味い!」

 

慌てて駆け上がろうとすると、階段の周囲を箒に跨がって飛翔する鬼属がこちらに杖を向ける。

 

「逃がさんぞ、人間属。風魔法(ウィンドスペル)爆発(バースト)

 

突風が私達を襲う。

氷の足場はよく滑るから、簡単に吹き飛ばされてしまう。

 

「ああ······!」

 

不味い。これは本当に不味い。

この様子だと、周囲の鬼属は全員魔法使いだと思って良い。それも確実に私より上等だろう。魔力の残量は僅か。これ以上は動けなくなる。地面に叩きつけられた。

 

先の対戦相手だった男は、先程から銃で応戦しているが相手の魔法の前に太刀打ちができてない。

 

「何なんだお前たちは!!」

 

立ち上がりながら叫ぶ。

何故、あちらの世界から来たのか。あの孔は何なのか。どうして私達を襲うのか。言いたいことは色々ある。

 

「お前達に恨みはない。だが、こちらにも正義があるんだ。」

 

鬼属の一人が答えた。

 

「正義?そんなの知らんさ。どうせ私欲にまみれた下らないものだろう」

 

銃を撃ちながら、男は答える。

 

「煩いな黙っていろ。炎魔法(ファイアスペル)紅炎(プロミネンス)

「なっ······」

 

炎魔法の、最上の火力を出す魔法。太陽に匹敵する灼熱を集めた球体が、ビリオンマスケットの名を持つ男を、一瞬で骨まで焼き尽くした。······炎魔法の基本を習得している私が、あと50年、炎魔法だけを突き詰めようとして、辿りつけるかどうかという境地の魔法。

後に残ったのは肌に感じる痛いほどの熱だけだ。

 

死を意識する。

少なくとも、相手がその気になれば私など一言で殺せることはたった今、証明された。しかもそれが百以上。無理だ。逃げ場がない。

 

「君は、魔法使いか?人間属(ヒューマン)の娘よ。」

 

口の中が乾く。少し震えながら、頷く。

 

「あの孔を通って、こちらの世界に来たのだろう。」

「······そうだ。」

「端的に言おう。私達は、こちらの世界を滅ぼしに来た。」

 

厳かな声だ。

突飛ではあるが、その言葉には嘘はない。

 

「どうして······」

 

理由を聞きたかった。

初対面、そして圧倒的に強い、恐らくは、あちらの世界では相当大成したであろう魔法使いが何故、そんなことを言うのか。

だってあちらの世界に居たときは、もうひとつの世界の存在すらも知らなかったのに。

 

残念ながら、その返答を聞くことはできなかった。

鬼属の魔法使いの首が、一振りの大鎌によって撥ね飛ばされたからだ。

 

「······無事ですか。フィル。」

「エレナ······!」

 

エレナの持つ大釜は水のように透き通った、美しい刃を持つ。それは命を奪った直後でも、一点の汚れもなく輝く。

 

「······少々お待ちを。この程度なら、すぐに片付く」

 

状況に頭が追い付かないまま、頷く。

エレナは大鎌を持ち、担ぐように構えた。

 

────雨が、降り始めた。

 

エレナが、鎌をすっと、音もなく横に振る。

 

一瞬、雨音すら消える。

 

「水よ、刃となれ」

 

私達を囲んでいた、百の魔法使いの首が。

その一瞬で、断たれた。

 

雨に赤色が混じる。

目の前の地獄に脳が理解を拒否した。

 

勇者とは、この国で最も勇き者に与えられる称号。

 

「とりあえず片付きましたね。フィル。姫様と合流しましょう」

 

それは圧倒的な強さを持ち、それを扱うことができることなのだと、今更ながらに悟った。



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