我が名はスカサハ、影の国の女王哉 (Marydoll)
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影の国の動乱編
孤独、未だ痛み


スカサハ憑依物
異様にメンタルが弱いのは仕様
後で、ガールズラブっぽくなるけど、それでも良いなら


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影の国の女王と言われれば、その多くは武勇の誉れでもって説明されるのが常である。

程度の差はあれど、万人が彼女を強者として語り、一度たりとも見たことがないはずの女に夢想し、その武功を褒め讃える。

影の国とは、今や人世には属さない幽世を漂う、何千年と続く、神話の建造物である。命あるものが行くには余りにも困難な道程が待ち構え、それを試練とする武者達の目指す一つの領域であった。幽世にありながらも人世と繋がるその有り様は、未だその時代に有り余る神秘が満ち溢れていたことの、ある意味での証左でもある。

そんな国を支配する女王の名はスカサハ。

曰く、不死の魔女。

神をも多く討ち果たし、それ故に死すら奪われた武芸者の極みたる女。

彼女は、誉れある死者たちを迎え入れては軍勢と成し、そうやって多くの弟子を有していた。彼女に師事を仰げば、その多くが大成し、強者となって名を馳せた。そして、それと同時にスカサハという女の名も、限りなく広く知れ渡っていったのだ。

そんな噂を聞きつけ、多くの者が喜び勇んで影の国を訪れようとしてーー死んでいった。

生者を引き込まんとする広大な平野を走り抜け、暗闇の森を抜け、世にも悍ましい魔物が跋扈する大海を渡ることで、ようやくと影の国のある島まで辿り着ける。さらには神であっても生半であれば易くは通れないであろう七つの硬い城壁を超え、スカサハの居城のすぐ側に(・・・・・・・・・・・・)生息するあまりにも強大に過ぎる魔物と蛇の群れを物ともせずに影の国の門を叩いた者のみが、その輝かしい栄華の約束を手に入れることが出来るのだ。積み重なった屍の数は数え切れず、誰に弔われることもなく風の前の塵と化す。資格なきものには報いを、そうでなければこの城までーー

しかし、幾ら何でも困難極まりないのでは? とそう問われれば、その試練が作られた背景には、スカサハの手が回らなくなってきたという事情もあったのである。只でさえ100近くの弟子を師事するというのに、次から次へと人はやってくる。その上、そうしてやって来た大半が1日と持たずに去っていく。嫌気が差したと言われれば、確かにその通りであろうか。そんな事態があったが故に、スカサハは弟子を選別するための試練を、こうやって用意したのだった。

もっとも、それ以来一人として師事を願うものが訪れてこないため、魔女も魔女で酷く困り果てたと言う。

ーーと、こんな風に影の国の女王のことを語れば、幾らかの語弊や誤解が生まれてしまうだろうか。

ここまで素晴らしき栄光を聞けば、誰もがスカサハの凜とした鋼のような精神か、或いは静謐なる水面のような精神を想起することだろう。

しかしそれこそは大きな誤りであった。

数々の伝説は、確かに全て事実かそれに準ずるものであるーーが、そのどれもが本質ではなかった(・・・・・・・・)のだ。

これは影の国の女王、スカサハの物語である。

けれど、その物語の本来の趣旨を極々簡単に、分かり易く説明するというのならば、そうーー

そう、これは。

一人の女の努力によって結ばれる、小さな恋の物語である。

 

 

 

 

紅に妖しく光る髪が、その背を追いながら揺れていた。肩を揺らしながら、今にもすれ違う者共もを喰い千切ってしまうのではないかというほどの刃のような雰囲気を纏いながら城の廊下を早足で歩く。

影の国の女王、スカサハ。

体のラインを余すことなく曝け出す、蠱惑的な戦武装。冷たいようで、しかし万物を抱く母親のような柔らかな面立ちは、けれど戦に臨むのではないかというほどに引き締まっている。

そんなスカサハに、語りかける声が一人分。

 

『今日は機嫌が悪そうね』

「……ああ、うん。今日は何か大きなことが起こる予感がするんだ。気張り過ぎているのかも知れないがな」

道を行く間にすれ違うものの中で、スカサハに話しかけたものはいなかった。野生の猛虎が街を闊歩しているかのような緊張感が張り詰める中でそのような行為に踏み切れる勇気を持つものは、残念ながらこの場には存在しない。ならば、一体何者なのだろうかーー

 

『また夢を見たの?』

「ああ、見たよ。判断し難いが、中々に骨の折れそうな夢だった」

 

声の彼女は(愛らしいその声音から勝手に想像して)、己のことを聖なる泉の妖精であると言った。曰く、名前はマブ。もう共に過ごして長くなるその妖精のことは、スカサハもあまり気にしなくなっていた。自分の頭の中だけで聞こえる声を、ついに老衰して幻聴まで起こるようになったのかと嘆いたような過去は、もちろんスカサハもなかったことにしている。

彼女、マブの言う夢とはつまりスカサハの見る未来視、予知夢のことである。何か重大な事態が発生する前日には、必ずといってスカサハは未来の夢を見ていた。それが功を奏したことは多く、今では有用な能力の一つであるとスカサハ自身考えている。

 

『ふーん。どんな夢?』

「知りたいか?」

『ふふ、もちろんっ。貴方の事は全部知りたいわ、スカサハ?』

「んん、それは少し、困ってしまう」

 

(じゃ)れ合うようなやり取りは、スカサハがマブに良く心を許していることを教えてくれる。長い付き合いになる同性であるマブは、スカサハにとって気の合う女友達のようなものであった。例えその姿を見ることが出来なくても、スカサハはそれを構いはしなかった。

マブのくすくすという微笑に、スカサハも少しだけ糸が解れたように歩調を遅めた。なんだか、夢で見た未来が、それほどまでに危険視する必要があるとも思えなくなったのだ。その調子でスカサハは立ち止まり、窓から外を眺める。

 

「……今日」

『うん』

 

窓から、どこか遠いところを夢想するように目を細め、スカサハは重た気に言った。先までの愉快な感覚は影も形もなく、重鈍な嵐の気配を感じる。

その神妙そうなスカサハに、マブも小さな頷きだけで返答する。

 

「影の国の門が壊される」

『それは……どうして?』

「分からない。けれど、予知夢がそこのみを映したということは……」

 

スカサハは一息ついて、それからガラスの奥に見える黒い雷雲を睨みつけた。不吉な様相をするそれらが、なんだか疎ましく感じられた。

言葉を途絶えたスカサハのそれをマブが引き継ぐ。

 

『大事なのは門が壊されたことか、それを行った誰かそのものであるということ?』

「恐らくは」

『………………』

「心配するな。私は……負けないさ」

『…………ええ。それは全然、心配してないのわかってる』

 

なにか思案気なマヴの様子に、スカサハは内心首を捻る。一体どうしたことだろうか。

また歩みを再開しながら、スカサハは彼女の次の言葉を待った。

 

『………………ふふふ、なーるほど』

「? 何か言ったか?」

『いいえ、なあんにも。だけど、それほど警戒する必要はないと思うわ、今のところ……だけれど、ね』

「そうか……まあ、お前がそう言うならば、そうなのだろうな」

マヴの言葉もあって、スカサハは密かにほうと深い息を吐き出した。気張りすぎという自己評価は存外に的を得ていたようだった。理解しがたい夢を見たのは、長くこの能力を利用してきて今朝が初めてのことであった。それに、今回のものはとても短い。多少不安になるのも致し方のないことであろう。けれど、マブの言葉と夢の内容を照らし合わせれば、やはり心配しすぎなのだろうか。

自身を納得させるように二、三度頷いて、スカサハは門へと向かうために城の正面扉を使用人達に開かせる。

先から胸中で鳴り響いて収まらない、胸騒ぎから耳を逸らして。

 

 

 

 

スカサハにとってオイフェは、愛らしい妹であると同時に、どうしようもなく愛おしい一人の女性であった。

自分とは違って、一人で多くのものを背負い、数多の雨風に晒され、それでも散ることない麗しの花。オイフェは、スカサハにとっての代え難き憧憬であったのだ。

どんな日も、眠ってしまえば夢を見る。既に人の身を逸脱し、睡眠など必要としないはずのその身体は、けれどスカサハを酷く熱心に暗がりの中に誘き寄せた。そうやって、肌を舐めるような夢は、温かくて掛け替えのないあの頃へとスカサハを誘き寄せる。

彼女は、夢の中でスカサハにこう問い掛ける。

 

「泣きたいのならば、泣けばいいだろう」

なんてずるい人なのだろう。スカサハは、その言葉にこそ涙を流しそうになる。

そんなスカサハの様子に顔を顰めて、けれどもオイフェは目を逸らしたりはしなかった。まるで彼女自身を責めるように手を強く握りしめ、暫くしてから力を緩める。

 

「何故そうまでして傷つくことを恐れる? お前は……」

「ダメだよ」

 

スカサハは意を決したと哀しげに伏せていた顔を上げて、オイフェに言う。逃げてはいけない。涙を流したりは、決して出来ない。

何故なら彼女は……

 

「私は、強くならなければいけない」「………………」

「だって、私はスカサハ」

 

いつか、影の国を支配する、女王となる者。

 

「だから、私は逃げてはいけないの」

「……莫迦が。立ち止まることは、悪ではないだろう」

「だけど、停滞は罪になる」

 

悪だけが、全ての罪を証明する手段ではないのだ。いつか、そうこの身体はいつか生者の理を超越して、死者にもなれない中途半端なものになってしまう。その時、スカサハは本当に立ち止まらずに、歩み続けることができるのだろうか。

孤独に侵されてしまうことは、ないのだろうか。

 

「流されるのもまた力だ。真に弱き者は、流れに乗ることすら出来ないのだから」

けれど、それは強さではない。スカサハは否定する。力があることは、決して進歩を証明するすべてではないだろう。

彼女は、オイフェははあと息を吐いた。仕掛けられた罠であったかのように極限まで伸ばされていた糸は、絡まることもなく朽ちて消えてしまった。オイフェの溜め息は白く空気を濁らせて、無為に消えていく。寒さは、傷みをも凍らせるのだろうかーー否。傷みなど感じていない、痛みなどを背負ったりなんてしていない。スカサハは舌を強く噛む。

そんな様子を見て、オイフェはとても傷ついたような、或いは安心するような面持ちで憮然と言う。

 

「その強がりは、相変わらずだな。釣り合っていない身の丈は、いつか身を滅ぼすぞ、スカサハ」

それは……分かっていることだ。だからこそスカサハは闘っているのだ。どんな苦難をも乗り越えられるように、必死なのだ。罪を赦さない罰さえも、強さを厭わない弱い心根さえも、すべてを悉く超越して、スカサハは死の国を治めるのだ。

だから……

もう、なにも言わないでーー

 

「……………………」

辛いのだ。

痛いのだ。

そうやって自身の未熟を問われるのは。まるで責められているかのように感じてしまうのだ。オイフェにそのようなつもりがないことは、スカサハにも分かっていた。けれど、そうではない。スカサハが本当に許せないのは、そんな彼女の優しささえも逃げるための言い訳にしてしまいそうな自分が、すぐ近く、けれど余りにも遠い何処かで泣いている気配が、ずっと忘れられない自分自身なのだ。

親とはぐれ、道を違えてしまったことを涙するように、スカサハはオイフェを見つめる。それは懇願であり、信念でありーーけれどオイフェにとっては、ただ寒さに震える孤児の慟哭にしか聞こえない。

 

「…………………………馬鹿者が」

 

ーーありがとう。

スカサハは、とても嬉しそうに笑った。

 

……ねえ、オイフェ?

 

 

 

 

その広大で寂寞の極みを体現した平原を目にした時、クー・フーリンはおもわずと漏らした。

なんだこれは?

草木は縮れて枯れ果て、目に見えるだけで幾つも白骨化した骸が散乱している。濃厚な死の気配が、その地に蔓延る悪辣な死霊たちの存在を刻々と知らしめてくる。常人ならば、それを見せるだけで死に至らしめるだろう。成る程、最初の試練にしては困難過ぎると思われても、分からなくもない。無理して理解しようとすれば、だが。

 

「んだよ……この程度か(・・・・・)?」

 

その場に人が居ればブラック過ぎる冗談の類かと勘違いするかもしれない。そうでなければ、ただの気狂いと判断するだろう衝撃の台詞である。しかし、彼にそのような言葉は通用しない。

何故なら彼の名はクー・フーリン。彼は炎神の子であるのだから。

 

「まあ、これが試練だって言うなら超えてやるさ」

 

クー・フーリンはけらけらと笑う。それから身体をほぐすようにしながら準備運動を始める。

一通り身体中をめぐって、そして全身を小さく引き絞ったーー瞬間。

空気が大きく引き裂かれた(・・・・・・)

超大な弾丸が通り抜けたのかとでも言わんばかりの破裂音が、物静かな暗闇の世界を打ち壊した。

もちろん、何かしらの武器が用いられたわけではない。

それはただクー・フーリンが一歩目を踏み出した音(・・・・・・・・・・)であった。

そうやって世界を一周してしまうのではないのか、そう思えるような平野を十歩目にして渡り切り、その調子で深い闇の森林さえも突き抜けたーー

ところで、はたと立ち止まる。

生者を死の世界まで招き入れる平野を越えれば、次にあるのは空をも呑みこむような海、海、海。

 

「はん、まあ妥当なところか? 平野、森、海ーーじゃあ次は何だ?」

 

クー・フーリンは、余裕に溢れる笑顔でまた、身体にぐうっと力を込め始めたーー

 

 

 

 

スカサハは、使用人たちを後ろに下げて、開け放たれた門の真ん中で仁王立ちしていた。一切のブレもなく数時間、その場に直立し続けていた。しかし、幾らかの間隔を持って何度かその身体がぶるりと震える。苛立ちか焦りが、それとも恐怖かーースカサハは僅かに顰められた顔で、遥か遠方を睨みつける。

門番たちは、内心酷く恐れ戦いていた。かのスカサハをして、ここまで気を揉む事案が起こっていることに恐怖を感じていた。しかし、だからこそ疑問も残る。敵襲ならば、理解出来る。だが、その割には抗争に入る準備は為されない。それが従者たちの困惑を助長していた。

 

「……………………」

『すごいね、あれ(・・)

「…………ああ、そうだな」

 

たった今、海の上を(・・・・)疾走する男を二人で眺めながら神妙に言う。成る程、予知夢はこのことだったのか、マブはスカサハにそう言った。けれどスカサハは違う意味でその出来事を恐怖していた。

ーーそうか、今日だったのか。

急激な運命の流転を確信して、スカサハは目を閉ざした。あの調子でいけば、ものの数分でこの場に辿り着くだろう。その時、スカサハはいったいどうすれば良い?

ある意味では、これがスカサハという女の、最大の存在意義であると言える。そして、スカサハもこの時のために今まで苦痛と苦難をその身に受けてきたのだ。どれ程の痛みにも、傷にも、臆しながらも屈することは決してないままに。

クー・フーリンという英雄を、育てる為に、今まで生きてきた。

 

「…………全員、下がっていろ」

『…………どうするの?』

 

どうする?

決まっている、示すのだ我が決意を。何よりも、その恩恵を授けねばならない男が、それで満足できるかどうかを知る為に。

スカサハは瞳を固く閉じて、右手の指ををこめかみの辺りで擦り合わせる。そしてそのまま大きく横に開かれた腕、その先には悍ましく赫色に照り輝く長槍。その尋常ならざる気配に、後ろに下がった使用人たちは、二歩三歩とさらに後ずさる。

 

「来い。私は……私は、ここに居るぞ」

 

 

 

 

 

大地全体を覆い尽くす黒を薙ぎ払いながら、クー・フーリンは全速力(・・・)で進行していた。振り払われた腕が、生物らしきものの肉体を破砕する音を立て続けに鳴らしていた。

海を文字通り渡ってきたクー・フーリンが、海辺に足を付けた瞬間に、それらは万軍を成して襲い掛かってきた。

彼らは人ならざる者共。人の身を超越していながら、かねてより影の国の女王に隷属する供奉たち。

初撃は、空から。

蜂のような図体の襲撃者を、まさしく羽虫を払うかのように振り払った。それから、真っ黒に染まっていた視界が開かれる。なんと、無造作に振るわれたその左腕が、空から覆い尽くす魔なる者を消滅させた(・・・・・)のだ!

クー・フーリンは一撃にして千近くの魔物を滅ぼしてから、ぽつりと漏らした。

 

「ちっ、失敗した(・・・・)

 

その言葉通り、面倒そうに端正な顔が顰められた。後ろで縛られた青い髪が、風に揺られたーーつい先ほどまで無風であったはずの場所で。感じた気配にクー・フーリンは全力で前方に(・・・)躍り出た!

そうやって彼此数分の時間、幾百万の魔物共を薙ぎ払いながら駆け抜ける、目の端に映った開かれた門に向かって。

見えた光明ににやと凶暴な笑みを深めて、駆け出すーー瞬間。

目が、合った。

クー・フーリンは、時間が止まってしまったような感覚に襲われた。背筋に冷たいものが走り抜ける。

なんだ、あれは?

炎神の子クー・フーリンをして思う。あれには勝てない。

地力ならば、或いは同等か上回っているだろう。神の血を引くクー・フーリンの潜在能力はあまりにも広く深い。だが、それでも勝てない。彼は確信してしまった。己の敗北を、そしてあの女が何者であるのかを。

魔物を蹴散らす勢いそのままに、クー・フーリンは女の横を通り抜けて城内に駆け込んだ。急停止によって巻き上がった粉塵と暴風が、宮中の庭に襲いかかる。使用人は必死にその場に留まろうと足を踏みしめる。敵襲か?

おもわずとそう思う。

 

「……………………」

『…………』

 

豪快な着地(・・)の状態のまま片膝をついていたクー・フーリンは、ゆっくりと顔を上げる。図らずも、首を垂れるような姿になっていたことを、気付いていながら気付かぬふりをして。

睨み合うこと数十秒。

先に動いたのはスカサハの方。

ゆっくりとクー・フーリンの目の前まで近付いて、立ち止まる。彼の姿を見下ろしながら、片眉を吊り上げて言う。

 

「貴様、名は?」

「クー・フーリン」

「我が師事を仰ぐか?」

「応」

「覚悟はあるのか?」

「応」

スカサハは目を閉じて、しばらくの間口を閉ざした。どこか迷っているかのような姿に、クー・フーリンもどうかしたかと思う。心配はしていなかった。しかしマブは違う。何度か声をかけるが、それでもスカサハは答えなかった。

それから長い時間をかけて己の中のあらゆる感情を押し殺して、重々しく目を開き、スカサハは言った。

 

「お前は……私を認めるか?」

「……………」

 

小さく目を見開き、クー・フーリンは思わずと笑った。けらけらとした快活な声であった。

クー・フーリンは言った。

 

「認めよう。アンタは俺の師だよ、師匠」




改稿の理由は活動報告にあるので、読んでおいてください


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契り、未だ果たされず


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オイフェにとって、スカサハという女は余りにも不可解に過ぎる存在であった。彼女は、自分のことは棚に上げても、齢幼い頃から大人しく、謙虚で、深慮遠慮を図り取れる聡明さを有していた。大人顔負け、というのとも少し違う。彼女の有り様はもはや老年のそれに近しいものがあった。

大人気な子供、というならばまだわかる。理由の如何は測り難くとも、理解と納得は出来る。

しかし、スカサハのそれは違う。それも、全くといっていいほど。子供の姿をした大人、とそう言い表す方が遥かに彼女に見合っている。

この二つは似ていて、けれど背反している。

スカサハのオイフェを見る目には常に愛情と、何より庇護の感情が見え隠れしていた。それは、オイフェを守るべき弱者であると見定めた瞳。つまり、少なくともスカサハにとって、オイフェは下にいるものであったということ。

悪い意味では、ないだろう。

見下しているわけでも、自分を過分に評価しているわけでも、またないはずだ。血の繋がりの真偽を気にすることなく、ただオイフェがスカサハにとって妹であるからという理由であったのだろうと、オイフェは述懐する。

「お前、私を舐めているわけではないだろうな」

 

光が見える。

温かくて、眩しくて、どうしようもないくらいに輝いている黄昏の光明が窓から差し込んでいた。

スカサハの部屋は、余りにもものが少ない。ベットと鏡台、タンスに小さな丸テーブルと椅子が二つあるだけ。しかもそのテーブルと椅子も、オイフェがこの部屋に入り浸るようになった辺りに突然増えたものであるのだ。それを考慮すれば、やはり彼女の私物は少なすぎると思われても仕方のないものであった。実際、オイフェもそう思っているし、何度もスカサハに苦言を呈したこともある。質素を通り越して無機質な部屋は、いっそ気味の悪さすら滲み出ているような気さえする。飯事の道具を取り揃えて並べただけ、とでも言うような雰囲気を醸し出しているのだ。

舐めている、と言われた当のスカサハは、小さく首を傾げて疑問を投げかける。

 

「…………どうして?」

 

本当に質問の意味を理解できていないようだった。オイフェは嘆息してしまう。まあ、そんなところだろうとは思っていた。ただ、そう問わずにはいられなかったというだけのことだ。

どうしてそんな問い掛けをしてしまったのか、オイフェ自身にもよくわからなかった。自分の気持ちを、自分自身で汲み取れない状況に苛立ちを感じる。果樹酒を一口煽って、喉元を灼く熱諸共呑み下す。けれど、長年感じていた焦燥にも似た、煮えたぎるような思いに、堰の役割を果たすには能わない。

 

「お前は、私を弱者として見ているのではないだろうな……とそう言ったんだ」

「そんなこと……」

 

オイフェの責めるような言葉に、スカサハは眼を伏せてしまう。麗しいその面には陰が差し、一見素面のようでも楽しげであった表情も陽の光を閉ざして、翳ってしまう。

思わず失敗した、と臍を噛む。

凛とした見た目の割に、痛く精神の脆さを抱えたスカサハは、特に、咤や叱責には過敏な反応を示す。スカサハは、そしてオイフェは彼女の努力の程を理解している。それを努力不足だなどと言ってしまえば、スカサハは死神にでも出会ったのかというほどに傷ついてしまう。刃物の前に押し出された生娘は、ただそれに怯えてうずくまってしまうことしかできないのだから。

けれど、今のオイフェはそんなスカサハの様子さえ苛立たしい。

どうしていつもそうなのだ。

お前は強いはずなのに、どうしてそんなに己を卑下してしまう?

どうして、お前はいつも私をそんなーー

 

「ーーその眼だ」

「…………えっ?」

 

気づけばそうぽつりと漏らしていた。口がオイフェの意思に反して空転する。果樹酒で塗れた歯車は、決して止められない。一度回り出したら、もう螺子ごと叩き壊さなければ、止まれない。

夜色の夕陽が身に染みて、痛ましい。節々からぎしりぎしりと何かが毀れていく音が幻聴となる。奥底から響く不快音は、けれどオイフェの胸から湧き出るものであった。

 

「その眼が、私には許せない。気に食わない、なんだその眼は」

 

一度覗き込めば、あとはそこへと落ちるまで。語るに落ちるとはまさにこのことか。そしてもう、決して後戻りは出来まい、どうしようもないのだこの感情は。

 

「お前は私を何だと思っているんだ。私の為すこと総てを児戯に等しく見ているのか? 巫山戯るのもいい加減にしろよスカサハ」

 

それは、逢魔が時、ここ一時の夢か。泡沫のように消えゆく言葉の数々は、しっかりと彼女に届いているのだろうか?

「お前が私をそんな風に見るから……お前は、そんなに愚かではない。弱くもない。なのにお前は、いつも私を、何のつもりなんだ……」

「ーーねえ、オイフェ」

 

はっとする。

オイフェは、その名を呼ばれて顔を上げる。

目の前には、しとと此方を見つめるスカサハの赫い瞳。優しげに口元を緩ませ、嫋やかな仕草でオイフェの頬に両の手を当てる。冷たいその手はオイフェの激烈な熱を鎮めて、消し去ってしまった。そうやって、しゅんと落ち着いたオイフェの様子にくすりと微笑んで、スカサハはその手を離してしまう。自失するオイフェを他所に、スカサハは机を回って、まるで下女のようにオイフェの前に膝をつけた。

 

「あのね、オイフェ」

「……………………なんだ」

「私はね、とても強いの」

 

気の弱いスカサハが、そう言うのに息を呑む。不意を打たれてオイフェは思わずとたじろいでしまう。

オイフェを下から覗き込むように見つめて、スカサハは言う。

 

「私はこれから、もっともっと強くなる。それはきっと、ほんとのこと」

 

当然のことだ。オイフェはそう言ってしまいそうになる。

卑屈にすら見えるスカサハであるが、それはスカサハの精神性がそうさせるのであって、周りがそうさせるわけではない。むしろ誰もが彼女を褒め称える。美しく強い一人の少女に、総てが魅了されてきたのだ。それは天性の才能とも言える。武も知も、何もかもが秀でている彼女が、弱きになるはずがあり得ない。

しかし、そう言うのは何故だか憚られた。大木のような固い意志が、そこにあるからなのだろうか?

それともーー

 

「だから、ね? 貴女は何も、心配しないで」

「…………お前は」

「お願い」

「………………」

 

縋るように潤む瞳も、微かに震える肩も、総てがまるでか弱く見える。

違うだろう? 違うはずだ。

お前は強い。そうであるはずなのに。これから先を生きる彼女は、いったいどれ程の苦痛をこの小さな身体に負うのだろうか。どれ程の重責を、その細腕で抱え込むというのだろうか。

私が居ながらも、それでも孤独の中を生きようと、そう言うのか。

 

「……………………」

「ーーーーーーー」

 

ーー違う。

それは決意にも似た否定。無情な現実を強く否む。

彼女はーー

スカサハは、決して独りなどではない。

オイフェは、スカサハの枯れ果てた樹木のような弱々しい身体に、ゆっくりと腕を回す。折れないように、けれど熱だけはしっかりと伝わるように、徐々に、徐々に、力を込めて行く。

耳元にスカサハの吐息が触れる。華のような薫りが混ざり合い、倒錯的な劣情を表層に浮かばせる。椅子からゆっくりと床に座り込み、スカサハの身体に纏わり付くように身体を重ねていく。

気づけばオイフェは、上下に重なり合うようにしてスカサハにしなだれ掛かっていた。スカサハの仇顏を間近で見つめる。少し擽ったげに首を振るうスカサハに、ゆっくりと顔を近づける。

次は、互いの吐息が触れ合い、混ざって、天に上っていくよう。顔を突き合わせ、今にも唇がついてしまいそうになるまで、絡みつき、纏わり付いて、抱きしめる。

けれど、熱っぽい身体の中、オイフェの中の冷静な何処かが、寸前でその行為を食い止めた。

きっとーー

きっと、スカサハは立ち止まりはしないだろう。オイフェを置き去りにして、何処か遠いところに消えてしまうのだろう。このままでは、本当に彼女は冷たい闇の中を、たった独りで手探りに歩まなければならないのだろう。

だとするならば。

オイフェに出来ることは、いったい何があるだろうか。

支えは、いるまい。彼女は独りでも歩いていける。

ならば、私が見るべきはーー

 

「ーースカサハ」

「…………なあに?」

 

心地よさそに眼を閉ざしていたスカサハが、ゆっくりとその瞳を覗かせる。少し動かすだけで唇がくっついてしまいそうな距離感を気にすることなく、オイフェの言葉を受け入れる。

 

「私はいつかーー」

「………………」

 

生唾を飲み込む。

これしか、きっと、方法はないのだ。彼女に報いるために、オイフェに出来る最大の報いは。

 

「お前を殺そう」

 

見つめる。

眼を逸らしたりはしない。

 

「いつかお前が苦しみに耐えかねて、もう一歩も歩けなくなってしまった時には、私がお前を、その苦しみから救い出そう」

 

予感していた。彼女にとっての最大の救いは、きっと『死』であると。

ならば、その思いにこそ従うべけれ。オイフェは眼を閉ざした。

 

「だから、必ず、何処にいたとしても、お前の今際のその時には、かならず私の処へ帰ってこい」

 

ーー絶対に。

 

スカサハは眼を見開いた。

そして緩慢な動きでオイフェの肩に手を回して、強くつよく抱きしめる。

返事はもはや、決まっていることであった。

 

 

 

 

『とんでもない男ね』

「……まったくだな」

 

呆れたようなマブの声に、スカサハもまた同様の声色であった。しかし、その声には幾ばくか以上の喜色も込められているように思えた。

クー・フーリンがこの影の国の門を叩いて(正確には通り抜けただけであるが)から、既に五ヶ月の時が経っていた。それはつまり彼の師として過ごす日々が五ヶ月間続いたことと同義。それなりに長い時間が経ったことで、クー・フーリンはそれなりの成果を発揮していたーーのであれば、スカサハも良しと笑って言えたであろう。それはもちろんクー・フーリンの修練の速度が余りにも遅かったからーーなどではなく、況や全く出来ていないというわけでももちろんない。むしろ逆、つまりスカサハの業の習得のスピードがあまりにも早過ぎるのだ。

他の弟子ならば、未だ槍の振るい方を懇切丁寧に説明している頃であろう。良く出来た者でも、スカサハの槍術そのものを教える段階まで至るものなどいなかったーーいや。そも他者が何千年と高め続けた武技の業を、ほんの一端とは言えど高々数ヶ月で垣間見ようというのが虫の良すぎる話なのだ。だが、クー・フーリンは違った。

五ヶ月という歳月は、人と人とが互いの人となりを知るには十分な時間であっても、その者の担う役割をも極められるのに十分な時間などでは決してない。短い。余りにも短いのだ。

 

『……………………』

「成る程な。太陽神ルーの血。高すぎる膂力も、その才も。そう言われれば納得できるだろうーーだが」

 

それだけでは到達できない何かを、クー・フーリンは有している。

たった今、スカサハの弟子、影の国の戦士、合わせて百三十人(・・・・)を次々と無力化していくクー・フーリンを高い場所から眺めながら、スカサハは恐ろしさと同時に耐え難き歓びも感じていた。

それはクー・フーリンの最上の才を実感し、その成長が確かとなってきた頃から、ずっと付き纏う酔いのような感覚。

オイフェをして謙虚と、そう評されるスカサハは、そのような誉れ高き男の師となれたことをーー何より、そのような『英雄』に師として認められたこと(・・・・・・・・・・・)を、誕生日を祝われた生娘のように喜んでいたのだ。

 

『…………ねえ、スカサハ?』

「…………?」

 

聞こえたマブの声は、少しだけ不機嫌そう。それとも、拗ねたよう?

スカサハはどうかしたかと問いかけた。

 

『いえ、そうね……これは言ってもいいことなのかしら……?』

「図らずも気になるような言い方をするな、なんだ?」

『うーん、まあ、いいかしら……』

 

マブは、何かしら自身の中で納得したらしく、うんうんと頷いて(そんな気配を感じて)、スカサハに言う。

 

『最近、夢は見る?』

「ーーーー…………いや、見ない……」

『そう』

 

スカサハは首を捻る。確かに最近夢は見なくなっている。だが、それは予知するに足らない日々が未だ続くというだけのことだろう。なんらおかしいことではない……はずだ。

しかしマブの唸り声に、スカサハは何だか不安になってくる。ここまで何か一つのことに不安げなマブを、今まで見たことはなかったからだ。

 

「なにか心配事でも?」

『……いいえ、心配事というか。えっと、おかしいとは思わない?』

「……? 何がだ?」

『だってーー』

 

二人の人間が、二人がかりでクー・フーリンを抑え込もうとするのを見て、スカサハは嘆息した。マブも瞬間黙り込む。失望、とは違う。何故ならクー・フーリンの強さは例外中の例外、その始まりからして特異的であるのだから。ならばこれは、何だろうか。

クー・フーリンが、最後まで粘る二人を同時に地に叩き伏せたのを確認して、それからマブはスカサハに言った。

 

『だって、クー・フーリンが貴方を驚かせなかった日って、どれくらいあるの?』

「ーーーーあ」

 

スカサハは思わずと声を漏らした。なんということか。

 

『彼が庭を全壊させちゃった時とか、加減を間違えて森を吹き飛ばした時とか、一大事ーーとは言わなくても、後々面倒なことになる事案ではあったはずでしょう?』

「いや……いや、なるほど」

 

クー・フーリンの存在が起こした問題は、先に挙げた二つ程度では当然収まりえないほどにある。それこそマブの言う通り、彼がスカサハを驚かせたり、呆れさせたりしなかった日が思い当たらないほどに。

 

「どういうことだ?」

『分からないわ。もちろん、クー・フーリンが貴方の敵ではないから、という理由づけもできるけれど』

 

それは、余りにも自身に都合の良いような解釈だ。希望的観測とも言える。

スカサハはまた、自身の中で鳴らされる警鐘を耳にしたような気がしていた。これから何か、大きなことが起こりそうな予感がしていた。

けれどスカサハは、内心その予感を否定する。何かあるならば、夢がそれを教えてくれるだろう、そう思っていたからだ。例え最近、その予知夢が行われなかったとしても、数ヶ月それが無かっただけでは、長年の能力を信頼してしまうのはやはり仕方のないことであったーーここで。

ここでもし、スカサハがこの現象に、多少の関心を向けていれば、どうだっただろうか。予知夢が起こらないことに、より一層に不信感を抱いていれば?

これから先に起こる出来事を、食い止めることは、出来たのだろうか。後悔先に立たずとは、きっとこのことだろうかーー

この予知夢のことを知っているのは、この世でたった三人のみ(・・・・)。ならばまさか、何者かによって予知夢が起こらないよ(・・・・・・・・・・)うな策を巡らされている(・・・・・・・・・・・)はずもない。

スカサハは、倒れ伏した戦士たちを全て介抱して、医務室まで連れて行く手伝いを終えて、庭の真ん中、つまらなさそうに欠伸をし出したクー・フーリンをちらりと流し見てから歩き出した。

まだ、クー・フーリンの修行は終わっていない。スカサハは彼の元へと急いだ。

やはり、胸騒ぎは途絶えることなく、続いていたのだけれど……

 

 

 

 

こちらに向かって歩いてくる女を見て、クー・フーリンは槍を担ぎながら自身も彼女の方へと歩み出した。

初めは奇妙な女だと思っていた。

けれど、それはクー・フーリンの大きな間違い、勘違いであった。

スカサハは思ったよりも遥かに分かりやすいタイプの人間であった。その長年鍛え抜かれた戦士の立ち振る舞いがなければ、正直、村の真ん中を歩いていてもただの綺麗な女だとしか思うまい。そんなちぐはぐな雰囲気を、スカサハは纏っていた。

クー・フーリンは思う。

恐らく、スカサハには戦闘に関する数多の才能があるーーが。

致命的なまでに、戦士としての(・・・・・・)才能が欠如していると。

これでは力があるだけの小娘だ。師であるスカサハに対して慇懃無礼にも等しい評価であるが、だからこそクー・フーリンは、彼女の凄まじさをしっかりと感じていた。

どれほどの年月、それを為してきたのだろうか。

怖かったはずだ。苦しかったはずだ。なにせ、彼女の根底にあるのは死に対する隠しきれない臆病さ。生きることへの渇望であるのだから。自ら戦火の真っ只中を突き抜けなければいけないその役目を、彼女は自らその背に追うことを良しとしたのだ。その決意には、いったいどれほどの思いの丈があるのかーークー・フーリンには、決して理解出来ないことだろう。何より彼自身が、それを実感していた。

 

「おう、師匠。取り敢えず言われた通り後始末までしておいたぜ」

「そこを誇っても意味がないことだろうが。それより、お前、何故槍を使わなかった?」

 

そう、クー・フーリンは先までの訓練において、ただの一度も武器を持たなかった。

影の国の戦士たちを見下しているわけではないはずだ。クー・フーリンの快活で心地の良い性格は、そのようなことを思わせもしない。

「そりゃあ、まあ……なんつうか」

「おい……」

「あァ、だから。意味ねえだろ? 俺が槍を持ってたら」

「どういうことだ」

 

恥ずかしげに頭を掻いて、クー・フーリンは言う。

 

「俺は、強い」

「ーーーー」

 

どこかで、誰かが言ったような台詞であった。スカサハは息を呑む。

 

「そんな俺が、武器持って何百人相手にして暴れ回ったって、誰も成長しねえだろ?」

「…………」

 

目を丸くするスカサハに、案外かわいいところもあるじゃないかと、クー・フーリンは思う。いや、もしくはそもそも、こうやってころころと切り替わる表情のように愛らしい性格だったのかもしれない。常に周囲に気を張りながら生活するスカサハは、随分と苦労していることだろう。こうやって不意に見れるスカサハの本来の一面を見ることは、クー・フーリンにとってもそれなりに面映いことであった。仮初めの姿に染まってしまっても、やはり芯は簡単には変わるまい。ならば、やはりこれこそがスカサハの本来の姿の一端であるのだろう。

 

「俺は、アンタの弟子だ。それはつまり、影の国の戦士の一人であるということに相違ない。ならば、戦友たちの為に事なすのも、当然のことだろう?」

「…………ふん」

 

ぷいと逸らされたスカサハの顔は、なんだかとても嬉しそうに見えた。錯覚であるはずもない。クー・フーリンはまた、けらけらと笑った。

そんな風に小馬鹿にしたように笑うと、スカサハは不機嫌そうにクー・フーリンの肩を槍の穂先で(つつ)いた。可愛らしい反撃であるーーように見えるが、不治の呪詛が掛かった槍で刺されそうになったクー・フーリンは慌てて後退する。そうなると始まるのはいつも通り師弟による命がけの追いかけっこである。

そんな二人の関係であったが、クー・フーリンは自身に追い縋るスカサハの姿が、けれどもどこか、満足そうにも見えるような気がしていた。

 

 

 

 

オイフェは、自身に付き従う勇猛なる戦士たちに向かった大いに叫んだ。

 

ーー進軍を開始する、と。




取り敢えず過去編が終わったらそのままfgo北米神話大戦まで飛ぶ予定

改稿の理由は活動報告にて、読んでおいて下さい


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誉れ、未だその身を焼き

妖精マブという存在は、一応原作キャラの別の姿です
オリキャラではありません





後において、妖精マブという存在は、余り知られることはない。それはスカサハを含めて何人(なんぴと)もその姿を見たことがないから……というのもあるが、むしろこの場合は、そちらよりも知られた名(・・・・・・・・・・・)が存在しているからというのが一番の理由であるだろう。

聖なる泉の精霊と、後々そう呼ばれるようになった彼女の、真の名前とはーー

 

 

 

 

打鉄の音が、森の中で大きく反響した。

男の持つ黒い槍が、二度三度と回転しながら、目前の女に襲い掛かる。驚異的な速度、重さーーそして何よりそれを支える、根底の技術。それら全てが完璧に噛み合った、最上の技であった。

しかし、それが幾ら素晴らしい槍さばきであっても、それを受け止める相手が脆弱であれば、意味はない。そもそも、その真の力が発揮される前に打ち倒されてしまうからだ。

故に、その男の優れた技術をこうも明確に確認できるのは、何よりそれを総て抑え込む、女の存在があってこそのものであるのだ。

男、クー・フーリンは駆け抜ける勢いのまま、身の丈以上は余裕で超える漆黒の長槍を、まるで手足の延長であるかのように使い熟していた。

スカサハは、そんなクー・フーリンの暴虐の嵐を総て、身体捌きまで確認しながら(・・・・・・・・・・・・)いなし続けていた。

都合十二連撃。

上上下、左右左ーーッ!

風のように流麗で、稲妻のように鋭く、何より速い。常人に、風を避ける術も、稲妻を耐える力も存在しない。ならびスカサハも当然、条理を逸脱した業でもってクー・フーリンを迎え撃つことになる。尋常ならざるクー・フーリンのそれを、スカサハは難なく逸らし躱し受け止めてーー大きく弾き返した!

バランスを崩されーーることもなく、その場でくるりくるりと回転して後方へ突き飛ばされた威力を他方に分散する。そうして槍を力強く握りしめて、数回転分の勢いを乗せたままにスカサハへと叩きつける。

 

「ーーチィっ」

思わずと出た舌打ちは、クー・フーリンのもの。かつて森の一角を消し飛ばした(・・・・・・)彼の膂力の大半をもってしても、ただ純粋に力があるだけではスカサハには届かない。

こともあろうかスカサハは、蛮神が如き力の奔流を、その槍を手放すことで(・・・・・・)受け流して見せたのだーーが、しかし。そうしてしまえばスカサハは無防備、左後方から両の手で振り抜いた槍を右手で二度三度と廻して背を通し左手へと渡す。そうやって回転の威力をもう一度スカサハに叩きつけようとするーーしかし。

その寸前でクー・フーリンは、左手でもう一度槍を回転させる。

無理やり引き戻された槍の後方への力を利用して、二歩三歩と後退するーースカサハの持つ槍を(・・・・)回避しながら。

先程彼方へと飛ばされた槍が、いつの間にか再び手元に喚び出されていたのだ。不思議な術である。が、スカサハという存在を考えれば当然のこと。

彼女は死の国の魔女。その程度の力など、それこそ手品のようなものであろう。

後退するクー・フーリンを追撃するスカサハは、やはり仮の槍ではなく身体全体を俯瞰していた。

クー・フーリンは雨霰と繰り出される槍の穂先を目先すれすれで回避しながら、思い馳せるーー

 

(クッソ、が! 手ェ抜いてやがるなこの女っ!)

 

なんということか、攻防が開始して一分半。すでに互いに千近い攻防を繰り広げていながら、彼女のそれが未だ本領ではないと言うのだ、この男は。

 

「オォっ……らアッ!!」

 

下から翻るように煌めくスカサハの槍を、クー・フーリンは自身の槍を寸前で滑り込ませて弾くーーしかし防げてはいない。

 

(相変わらずとんでもねぇっ……普通相手と()ってることを気にしないで(・・・・・・)いるなんて出来ねえっつうの!)

 

そう、スカサハは今日クー・フーリンにこう言ったのであった。

 

ーーお前の技術は我流が強すぎるきらいがあるな。所々、根本的な身体捌きに無駄が見える。正せ、今日中に(・・・)

 

その結果がこれである。

此方は自身の一挙一動、スカサハの数手先まで嗅ぎ分けながらの全力であるというのに、この女、それらを総て軽くいなして、気にしているのは足運びやら筋肉の使い方やらと……余りにあんまりな話だ。

さらにスカサハは、クー・フーリンが身体の有用な動かし方から逸脱した時に限って、攻勢を強めてくる。それはつまり、有用な動かし方をしなければ防ぎきれないレベルの攻撃を仕掛けてくるということであるのだ。

 

(スパルタだの鬼だの言ってたがよぉ。これはいくらなんでもーー!)

 

これが、スカサハの才が為す奇跡の数々である。指導者としての溢れんばかりの才が輝いていた。太陽の神の子であるクー・フーリンでさえ、防ぐのが手一杯の攻撃でありながらーークー・フーリンはその一線をぎりぎりで(・・・・・)保ち続けていた。

もちろんそれはクー・フーリンの力でもある。だが、何よりもスカサハの導きがあってのものでもあるのだ。

内心罵倒に近い叫びを上げながらも、クー・フーリンは必死にスカハサの攻撃に抵抗して見せた。

それから結局。

本当に『一日中』クー・フーリンを扱き続けたスカサハは、それでも満足そうにはせずに、倒れ伏す彼を置いて城へと戻っていった。

息も絶え絶えな彼は、微かに差し込む月を全力で睨みながら誓うことになる。

 

ーーあの女、いつか絶対ぶっ倒してやる。

 

 

 

オイフェがスカサハの異常をしっかりと確認したのは、存外に遅まきのことであった。

まず最初に変わったのは、口調。

生来より似通った容姿と相まって、まるで自身の写し絵であるかと錯覚してしまいそうなほどに、それはオイフェのものにそっくりであった。弱気な発言も鳴りを潜め、豪胆で厳か、大人の身体に近づいてきた青春時代、スカサハは酷く歪に変貌した。

次に変化したのは、オイフェに対する態度であった。

今までは見せていたか弱い一面を、オイフェにさえも見せなくなったのだ。

彼女が心の底から甘えられるのは、父でもなければ母でもなく、ただ一人オイフェのみであった。それを心の何処かで誇らしく、甘美なことに思っていたのは確かであり、それによって満たされていた自尊心のようなものの存在も、確かに否定できない。けれど何よりオイフェが胸を打たれたのは、スカサハが自ら槍を持って戦に出ようとした時のことであった。

力はあった。万人の集団であろうとも打ち勝てるような強さもあった。けれどスカサハには、それをもってしても補えないほどに臆病さがあった。そんなスカサハが、戦場に出るだなんて……

スカサハの戦果は目まぐるしいものがあった。一人で小規模とはいえども、洗練された騎馬隊を滅ぼしたのだ。初陣でこれなのだ。スカサハに次は、次はと期待の念が集まるのは当然のことであった。それを彼女も当然であるかのようにその背で持って答える。その、余りにも小さな背中で。

悲しいことだと、オイフェは思った。

けれど、そんなスカサハの姿を、彼女は黙殺していた。彼女にその決心をさせたのはきっと自分であるから。スカサハの想いを否定することなど、オイフェには出来なかった。

気付いて、思い知らされた頃には、もうかつてのスカサハはどこにもいなかった。それを辛く思ってもどうしようもない。むしろ、そんな文字通りスカサハの身に余るような賞賛や賛辞を一身に浴びたスカサハが、影で怯え、涙しているのではないのか……そんなことに恐怖を感じていた。

スカサハは自らの手で自身の退路を絶ったのだ。それも完璧に、一切の隙もなく。もうあの頃の気の弱い、幼い少女のようなスカサハの居場所は、何処にも存在しないのだ。だったら、きっとまた周りを気にして静かに涙を堪えようとしているスカサハは、いったいどこに逃げ込めばいいのだ?

退路は無い。逸れる脇道も、彼女が悉く壊していく。ならば前進あるのみ。

そんなスカサハの姿を側で眺めて数ヶ月、オイフェはなんとなくスカサハの意思に気づき始めた。

あの日の、二人だけの契りを思い出す。

彼女はきっと、オイフェのことを信じていたのだ。愚かしくも、いつか果てるその時には、オイフェが自分のことを救ってくれるのだと、そう確信していたのだ。

オイフェはそんなスカサハに、ただ一言だけこう告げることにした。

 

「道を違えるな。決して、他者に惑わされてはいけない」

「ーーーーああ、わかった」

 

スカサハは強くなった訳ではない。ただ弱さをひた隠しにしているだけなのだ。もしいつか、そんなスカサハの芯にある弱味に漬け込むような存在が現れた時、スカサハに抵抗する術は、おそらくないだろう。

ーーだから、その時は私が。

スカサハを守ろう。

彼女は、ただ自身の道のみを行き、その上で死なねばならない。そして、そんな彼女を、私だけが許してあげられるのだから。

オイフェは、そう決心したーーだから。

オイフェは今、この場にいるのだ。

影の国にたどり着くまで、あと三日。

スカサハを惑わす妖精を、塵一つ残すことなく、滅ぼすためにーー

 

 

 

 

「ーーーーなんだと」

『? どうかしたの?』

 

スカサハは、目を覚ましたと同時に思ったーー私は夢を見ているのか?

朝の未だ紫色に照る空の向こうから不吉な気配を感じた。まさか、そんなことがーー?

何時になく真剣そうな表情のスカサハに、マブは問いかけた。

 

「ーー戦だ」

『なんですって?』

 

スカサハは急いで身支度を開始して、ものの数秒でそれを完了した。扉を飛び出すようにして、廊下を早歩きで進む。道行く使用人達に戦士らを集めるように頼み、自身は、いまやスカサハの一番弟子とも言えるほどの、あの男の所へーーと。

 

「師匠」

「クー・フーリン。話は聞いたな」

「応とも」

 

スカサハ同様に、彼女の下に一番に向かっていたらしい彼と、自然に横並びになって歩く。慌ただしげにあちこちを行ったり来たりする人の群れの間を縫いながら二人は進む。

「敵はどこのどいつだ? 前触れ一つもなかった訳では、ないんだろ?」 「…………敵将は、おそらくオイフェという女だ」

 

一瞬強張ったスカサハの表情を、クー・フーリンは見逃さなかった。自身の感情を常に隠そうとするスカサハの考えを的確に見抜くために、クー・フーリンがこの師の元にいる間に培ってきた技術である。

後の世でコールド・リーディングとも呼ばれるようになるそれは、実際クー・フーリンには大いに役に立つものであったーーなぜなら。

スカサハがクー・フーリンに隠そうとすることは、いつも重要なことか、もしくは危険なこと。この二つであるからだ。

 

「オイフェ?」

「一応、私の妹だ。血の繋がりは定かではないが」

「妹、ねぇ。なんでそんな奴がここに攻めてくる?」

「分からない。が、理由もなくこのようなことをする女ではないのは確かだ」

 

まだ、交渉の余地も、あるかもな。

スカサハがそう言うのを聞いたクー・フーリンであったが、この時、クー・フーリンが驚いたのは、スカサハから感じられる、オイフェへの無上の信頼に対してであった。

これは一筋縄ではいかない問題なのだろう。

臆病さを隠し持つこの女は、それでいて自身の芯や決意を曲げたりは決してしない。ならば、スカサハのオイフェへの信頼もそうそうに揺らぐものではなく、それは戦にあたって余りにも愚かしい感情だ。

だから、クー・フーリンはこう言った。

 

「じゃあ、その女は俺が相手する」

「なに?」

「アンタは戦の指揮官として必要な存在だろう? だったら、この国で上から数えたほうが早い俺がそいつと闘う」

「……オイフェは、お前よりも強いぞ」

「なにを今更、俺はいつもテメェより強い相手()と闘ってきたんだぜ? 今更なにを恐れる」

 

そう、彼はスカサハの一番弟子、クー・フーリン。故に、彼女の強さの証明を買って出るのは常に自分でなければならないのだ。それは、固い信念。決意の表れ。スカサハを見つめて、逸らさない紅い瞳は、真っ直ぐに前だけを見据えていた。

だから、折れたのはスカサハの方であった。

 

「………………分かった」

「あんがとよ、師匠」

「子が発つ時の親の気持ちも、なんとなくわかったよ」

「あん?」

 

スカサハは疑問符を讃えるクー・フーリンの目の前に手を出した。そこにあったのは一振りの長槍。紅い槍であった。

 

「ーーこれは?」

「我が魔槍を、お前に託そう」

「本気か? いや、正気か?」

「失礼なことを。だが、その位の気持ちで行け。オイフェは、強い」

 

クー・フーリンは一度躊躇ったように手を空中でふらふらと揺らしてから、ゆっくりその槍を手に取った。

手に馴染む。まるで遥か昔から共にあったかのように。

 

「当然のことだ。それはお前のためだけに創り出されたものなのだから」

 

呪詛を刻もう。

その身に、我が槍を持つ資格を。

クー・フーリンは、歓喜していた。そして、勝たねばならぬと誓いを立てる。

 

ーーだからだろうか。

 

途方もない高揚感故に、クー・フーリンはその時、スカサハの顔を見ていなかった。

そう。

まるで、親に見捨てられた孤児のように歪められた女の顔を。クー・フーリンは、気づくことができなかったのだ。

ーーこれが、二つ目の失敗。

彼ら彼女らの物語において、クー・フーリンは最後の最後で大きな過ちを犯してしまった。

恐怖という名の種は、いつか芽吹き疑念へと変わりーーそれは最期に怨讐へと堕ちていく。

ーー結局ここまで、妖精の思い通り……

 

 

 

意気揚々と立ち去っていったクー・フーリンの背を、最後まで眺めていたスカサハをーーその女は見つめていた。

これで、良い……!

ここまでは完全に計画通り。

後はあの女を滅ぼし、クー・フーリンとスカサハの関係に走った小さな亀裂を、自分が広げてしまえば、それで全てが完了する。

そうすれば彼女はーー

スカサハは己の物に……

遠いどこかの地で、女が妖しく笑い声をあげた。

遂に、(まこと)に孤独の道を進み始めたスカサハに、優しく声をかけてくれる存在は、もう一人として居なかった。

オイフェとクー・フーリンは殺し合う。

スカサハは既に、苛立たしげに頭を掻き毟った後、クー・フーリンとは逆の方向へ向かって、歩き始めていたーー



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策謀、未だ破られず

次でオイフェとの戦争は決着して、その次あたりから北米に渡る予定です


クー・フーリンがその女と出会ったのは、まさしく戦場の渦中であった。混戦の中で、一際異彩を放つその女を見たとき、ああこいつがと納得する。

雰囲気はスカサハのそれにそっくりだ。しかし、芯にあるものはスカサハの数段固いものであろう。

それはスカサハがどうこうといったものではなく、ただその女の決意が余りにも強固であるというだけの話。クー・フーリンをして、芯だけは何者にも勝ると思っていたスカサハの数段上をいくだろう。

燃えるような紅い髪も紅蓮の瞳も、スカサハのそれとは幾ばくかの違いはあれど、そう変わりないものに見える。姉妹と言われれば納得せざるをえない。容姿も、雰囲気も、その多くがスカサハに似通っていた。

 

「てめえがオイフェか?」

「分かっていて尋ねるのは、些かナンセンスと言わざるを得ないな、クー・フーリン」

 

クー・フーリンもオイフェも、互いを怨敵であるかのように睨みつけていた。それは、恐らくそうだろうと、その程度に過ぎない直感が告げる、明らかなまでの指標の相違。つまり彼女の生に価値を見出したか、死に見出したかの違い。それは背中合わせ。近くにあるが故に、互いへの理解は容易に出来てしまう。

しかし、その睨み合いに終止符を打ったのは意外と言うべきか、オイフェの方からであった。

その視線が向けられたのは、クー・フーリンの持つ紅い長槍(・・・・)。穿つように睨みつけてから、クー・フーリンに強く問い掛ける。

 

「ーーその槍。スカサハのものか?」

「ある意味では、な。だが、これは我が師から頂戴した誉れの槍。お前に測れるものと思うなよ」

 

どうして分かったのか、というのは愚問である。誰よりも長くスカサハを思い続けてきたオイフェに、それが分からないはずもあるまい。

もうこれ以上の会話は無意味であった。始まる前から、出会う前からの因縁はここで決着するだろう。

その一歩を踏み出したのは、いったいどちらが先であったのだろうか。

 

 

 

 

地の利はこちらにある。

スカサハは、軍の先頭に立って深い森の中を疾走していた。陽の光も十分に届かない上に、木々の根が大地から顔を出していて、ただ歩行することさえも困難極まりない森の中を、スカサハは駆け抜けていた。

そもそもからして、この地はスカサハの領土。彼女は森の構造の大半を把握しているし、何より、影の国の女王の足を止められるほどの阻害物にはなりえない。

そんな森の中にも、起こるべく戦争に向けて、防衛のための罠が多く張り巡らされている。そして、その総てを十全に把握するスカサハと、その優れた武将たちは、それぞれの軍を率いてオイフェの軍に攻勢を仕掛けていた。

地の利は、こちらにある。ならば態々相手を待ってやる必要もない。

こちらが先に動き、相手の軍の行動を操作する(・・・・・・・)。横から唐突に攻勢を仕掛けられれば、どれほど洗練された武人たちであっても混乱してしまうだろう。それは当人らにも当然の如く分かることであり、そうならないように行動するのも当然のこと。だからスカサハは、そんな彼らの優秀さをこそ利用することにしたのだ。

こちらの動きに合わせて、相手方の動きも変化する。敵陣に攻め込もうという立場にある以上、可能な限り同等の、欲を言えば優勢な状態で戦を初めたいというのは、なんらおかしなことではないだろう。そんな人の当然の意識を逆手に取る。そうすることで罠の張り巡らされた場所へと誘い込み、それを叩こうというのだ。作戦としては明瞭で簡単なこと。そしてだからこそ、成功してしまえば一気に形勢が傾くことになる。

スカサハは自身の数万の軍を三つに分けた。その内二つを左右からの遊撃に、自身の率いる軍を正面から突入させるようにして。

この戦い。スカサハの首を取れば終わり、またオイフェの首を取れば同様に収束するだろう。故に、遊撃を十分に気にしながらも、オイフェ軍はまずスカサハを取りに来るーーそんな確信を、スカサハはしていた。

スカサハは、戦場を疾走するーー

 

 

 

 

オイフェ軍は、スカサハの軍の遊撃部隊を(・・・・・)処理するために、森の中を移動していた。

正面からこちらに向かうスカサハの存在を、魔の御技によってしかと確認してから、その軍隊を、スカサハと同じように分けることにしたのだ。

二つは遊撃部隊の相手を、一つは遠距離からの攻撃部隊ーーそして、大楯と超長槍を構えた、歩兵部隊を一つ。

オイフェは、スカサハの考えを総て理解しーーその上でスカサハを完全に忙殺する腹積もりであったのだ!

スカサハの遊撃部隊を捉えたオイフェ軍は、大きく雄叫びをあげて侵攻を開始した。

スカサハの率いる本隊を確認した残り二つの部隊は、前後に分かれて彼女らを迎え撃つ。

しかし、その場に、オイフェの姿は存在しなかったーーオイフェは、ことが十全に運ばれているのを確信した。

故に今、彼女は一人でクー・フーリンと闘っているのだからーー

 

 

 

 

スカサハは前方に展開された数万近くの(・・・・・)長槍兵らを見て、その足を止めた。それに大幅に遅れながら付いて来ていた、率いられた軍隊も停止する。

図ったように(・・・・・・)互いににらみ合う形となったーー罠の密集地帯を挟んで。

スカサハの背後で弓兵、魔術士らが展開される。膨大な敵兵の後方からもその気配が感じられたーー

 

「ふんーー彼女の言った通り(・・・・・・・・)になったか」

 

スカサハは言う。

オイフェがスカサハの首を取りに来るーーとまでは言わずとも、少なくともスカサハの無力化を優先するだろうと、そう思っていたのだ。

妖精マブの『助言』を聞く、その時までは……

 

 

 

『ねえスカサハ?』

「…………なんだ」

 

クー・フーリンに背を向け、その場から逃げ出すように足早に歩くスカサハに、マブから声が掛けられる。胸を鋭く穿つような痛みに、耐えかねるように顔を歪めながらーー今にも涙しそうなその表情のまま、先へと急ぐスカサハに対して。

『敵将が貴女の妹なのは、本当?』

「、……おそらくは、嫌……確実に」

『そう』

 

苦しげに呻くように声を絞り出すスカサハに、マブどこか気分良さげに思えた。声の節々に、何処か先までのクー・フーリンに似た高揚感のようなものが感じられるのだーーしかし、恐怖を振り払おうと躍起になっているスカサハは、そのことには気づかない。

結局、誰に会うこともなく自身の寝室まで戻ってきてしまった。

『スカサハ?』

「少しだけ、静かにしてくれ……」

『聞いてスカサハ』

「マブ……ッ」

 

『聞きなさいスカサハ』

 

スカサハは、かつてないほどにマブが強く声を上げたことにびくりと肩を震わせた。気づかぬ内に自身の身体を守るように抱きすくめながら、スカサハは扉に体を預けて、ずるりずるりと座り込んでしまった。

窓の外からは、悲鳴や絶叫にも似た野次が飛び交っている。混乱しているようであった。指示が明確に届いていない。影の国の戦士にあるまじき姿であった。けれど、スカサハにはそれを責めることができなかった。何故なら彼女は理解しているから。スカサハが、自分が彼処に居ないからーー

 

『オイフェの目的は、たぶん貴女ではないわ』

「ーーーー」

 

耳を塞いで、目を閉ざして、何もかもを暗闇の中に閉じ込めようとするスカサハに、そんな言葉が投げかけられた。

 

「なんーー」

『だって、もしもそうだとするなら、態々戦争にまで発展させる必要なんてないんだもの』

「…………?」

マブは出来の悪い生徒を指導するように、ゆっくり優しく、スカサハを導いていく(・・・・・)

 

『貴女とオイフェの繋がりは固い。だったら、貴女は彼女に呼び出されれば何も疑わずに会いに行くでしょう?』

「…………行く、と思う」

『ええ。それに、久しぶりに二人だけで会いたい、なんて言われたら、貴女なら嬉々として会いに行ったでしょうから。私に分かることが、貴女の妹に分からないはずもないわ』

「だから、オイフェの目的は別にあると?」

『ええ、そう。貴女はそうだとは思わない?』

 

そう言われて、納得する。

確かに筋は通っている。おかしなところも存在しない。マブの言うことが、正しいのかもしれない。

 

『だから、問題はその目的よ。なんのために、何が理由で、オイフェは貴女へ戦争を仕掛けた?』

「…………混乱を、生み出すため」

『混乱を生み出す。一体どうして?』

 

どうして?

どうしてだなんて、そんなことーー分かりきったことではないか。

スカサハはここで、オイフェの考えを理解した。

つまりオイフェは、スカサハを守ろうとしているのだ。

 

「…………私に、気付かれないようにするためだ」

『…………』

「あの子は、私のために何かをしようとしている。それを、私が知ってしまえばきっと……オイフェのことを手伝おうとするから……」

『だから、貴女がオイフェ一個人に関わりを持ちにくい戦乱の中で何かしらを為そうとしている?』

 

スカサハはことりと頷いた。

うな垂れた状態で、しばらく思案気に目を閉じて、大きく深呼吸をする。

オイフェにはスカサハをーー少なくともスカサハという存在を傷つけるつもりはない。

戦争の目的は、『本来の目的』を達成するためのブラフ。木を隠すなら森の中。隠すものが木の葉であるのなら、なお効果を期待できる。

だから、オイフェはーー

「クー・フーリン」

『彼がどうしたの?』

「クー・フーリンだ。あいつに全てを委ねる」

『委ねる…………………そう』

 

何処か満足気に頷いたマブのことを頭の片隅に追いやりながら、スカサハは未だ沈思黙考する。

オイフェは、スカサハにその何かしらの件について関わって欲しいとは思っていないようだ。そして、それはスカサハにも大きく関わる問題。それを解決するためには、スカサハのすぐ近くで行動せざるをえないことだったのだ。

だが、一個人で秘密裏に終わらせられるほどの小さな事案ではない。だからこんなに事を大きくする必要があったのだ。スカサハのすぐ側を歩いても、スカサハがオイフェに気づくことがないようにーーそれはオイフェのスカサハを思う優しさであり、誰にも犯せはしないもの。

だからスカサハはオイフェの意思を尊重して、オイフェに手を貸すために自らが動くわけにはいかないーーそれ故に。

クー・フーリンに白羽の矢がたったのだ。

 

『それで良いの? スカサハ』

「ああ、問題ない」

『ーーーー本当に?』

 

先程まで、扉を開かないように押さえつけ、暗く重たい現実から逃れようとしていた女の姿は、もう何処にもない。

スカサハは右手の指を、こめかみの辺りを擦り合わせてから、右手を横に振るった。

戦の場は、たった今決定した。

 

 

 

スカサハは、大きく声を張り上げて言い放ったーー!

 

「弓兵よッ!」

 

両者の戦意が絶頂する。

「ーーーー放てェッ!!」

 

戦が、始まった。

 

 

 

 

スカサハの叫びを聞いて、マブはその身を痛まし気に震わせた。

 

「あアっ! なんて愛らしい子なのっ?」

 

その可愛らしく、しかしそれ以上に妖艶な顔を赤く染め上げ、身体を捩りながら悶え叫ぶ。

健気で、可愛いーー愚かで臆病なスカサハに思いを馳せながら、マブは喘ぐように息を漏らす。

 

「愚かな子。なんてーーなんて愚かな子なの? 私が貴女をーー」

 

裏切ることなど(・・・・・・・)微塵も視野に入れずに。与えられたものを、飼い慣らされた犬のように喜ぶ、そんなスカサハに、マブは心の底から陶酔していた。

「ああん……いいえ。いいえ違うわ。違うのよスカサハ。これは裏切りなどではないの……」

 

裏切りなどでは、決してない。

だってこれは、貴女の為を思ってしていることなのよ?

マブは森の中で数十人を一気に薙ぎ払うスカサハの勇ましい姿のその背後で、膝を抱えて凍える幼子のか弱さを幻視したーー否。それは幻などではない。事実、スカサハの弱さや臆病さをマブは、何度もなんども目にしてきたのだから。それは、スカサハの本性の一端に過ぎないとしてもーーむしろそうだからこそ、マブはスカサハを自身のものにしてしまおうと躍起になっていた。スカサハの全てを知りたいと願って、望んでいた。

 

「でもあの男。あの男は生意気よ……スカサハのことを傷つけたことにも気づかないで、自分勝手なんだから」

 

どうしてなのかはマブにも分からなかったが、スカサハはクー・フーリンを一人前にすることに、必要以上の情熱を傾けていたように思えた。まるでそれが自身の存在意義であるかのようにーーそれを為すために生まれてきたかのように。

スカサハは自身の命をも賭す勢いでクー・フーリンを鍛え上げていったのだ。それこそ、常人ならば百年経っても終わるまい鍛錬を、たったの一月で修めてしまうほどに。懇切丁寧に教え、導いていった。

ーーそしてその所為で、スカサハは『勘違い』をしてしまったのだ。

クー・フーリンが一人前の戦士になり、その証である自身の槍を授けたことで。

自分の役目は終わったのだと。

自分は存在理由を喪失したのだと(・・・・・・・・・・・・)、思い違いをしてしまったのだ。

あんなに怯えて、自失していたスカサハが、マブが側にいることを思い出した時に見せた、あの安心したような表情それが……

目に焼き付いて離れない。

なんて、なんて子なの…………ッ?

マブは、そんな様子を見てより一層深くスカサハへの慈愛の念を感じていた。

「可哀想に……怖かったのよね? 辛かったのよね寂しかったのよね? でも大丈夫なの。だって私が貴女を護ってあげるから」

 

ずっと、ずっと、ずっといつまでも永遠に。

自身の手の中で眠れば良いのだ。空を飛ぶ夢を見る小鳥のように、そうやって反実した空想にだけ身を浸していれば、貴女は二度と傷ついたりしないのだから。

けれど、小鳥はいつか大きくなって成長して、現実に気付いて檻の外へーー手の内から飛び立ってしまう、だから。

その風切羽を切り落としてしまおう。彼女に気づかれないように。

折れた翼を見れば、きっとスカサハは傷ついてしまうーーならば、最初からそのようなもの、存在しなかったことにする方が良いに決まっている。

だから、スカサハが飛ぶための手段の、その悉くを破壊してしまおう、奪ってしまおう。

「だからーーだからあんな女(・・・・)、貴女には必要ないわよねえ?」

 

マブは、遠巻き(・・・)からその戦闘を眺めて、冷たく言い放つ。

 

マブの見下ろすその闘いーーオイフェとクー・フーリンの熾烈な攻防を童のごっこ遊びであるかのように、くすくすと笑いながら嘲る。

「待っていてね、スカサハ。もうすぐ私が、貴女を助けてあげるんだからーー」

 

 

 

大きく後方に吹き飛ばされたクー・フーリンは、地面を転がりながら態勢を急激に建て直すーー多少の無理を押し通して、彼は前方へと身体を向きなおした。そして無理やりの勢いのままに一歩目を踏み出して、左腕が残像を残して疾駆する。

構えた紅の槍が七度、ほぼ同時に繰り出される。

神速というに是非もない速度。疾風怒濤の槍捌きを、オイフェは冷静に見据えて対処していく。

右半身を狙う槍を、自身の持つ槍で弾きーーそれから六度の猛撃も総て弾いた。

避けようともしなかった。スカサハでさえ、太陽の神の血を引くクー・フーリンの膂力を超えることは出来なかった。だというのにこの女は、その総てを弾き返したというのだ!

スカサハによく似た容姿からは及びつかないほどに、オイフェの槍技は豪腕なるものであった。

スカサハの槍は、例えるならば竜巻である。スカサハ自身を中心に置き、身体をくるくると回転させながら、そうやって威力を増大させることで、その膂力を補う。腕の機動範囲内で振るわれた槍よりも、二度三度回転して増幅した威力で振るわれたそれの方が力強いのは必然。そして、そのような技を、余すことなくクー・フーリンは伝授されていた。つまり、ただでさえ神威の援助を受けた圧倒的な力の奔流が、さらに威力を増したということ。

そんなスカサハやクー・フーリンに対して、オイフェのそれは、例えるならば津波である。前方に向かって突き進む激流。人の身では決して喰い止めることなど叶わない、神罰の顕れ。それこそがオイフェの武技の一番の特徴である。

クー・フーリンの猛攻の総てが、オイフェの手によって跳ね返される。クー・フーリンが全精力をもってしても、オイフェにとっては温いものであったのだ。攻撃こそ最大の防御とはよく言ったものである。今の両者のーーオイフェの状態こそが、まさしくその体現であろう。

叩きつけられるオイフェの槍を、自身の槍で受け止める。

ぎりぎり、ぎしぎしと鬩ぎ合いながら、間近で目を合わせる。

見れば見るほどに、スカサハにそっくりな面立ちである。血の繋がりの曖昧さなど、微塵も問題にはなるまい。どれほどの年月を共に過ごしたとしても、たた隣に在っただけでは決してここまで似通った雰囲気も纏えまい。それはもはや、容姿がどうこうといったような話ではないのだ。それは互いが互いを、此方では測りきれないほどに深い愛情でもって尊重し合ってきたからこそのものである。

その瞳を見るだけで分かる。

この女がいったい何を考えているのかをーー

 

(どいつもこいつもッ……戦闘中に他人のこと考える余裕があるたァ嘗めた話だぜクソがッ……!)

 

鍔迫り合いになったからこそ出来た多少の余裕の中、クー・フーリンは心中で目前の女に悪態を吐く。

スカサハにそっくり。だからこそ分かるこの女の考えていることが。すました顔をしておきながら、内心では心配なのだろう? 今直ぐスカサハの下へ向かいたい気持ちもあるはずだ。何せ、スカサハの話ぶりからもわかるように、この二人は袂を分かってから既に長い時を経ているのだから。彼女のことを一目見たいと、一言だけでも話したいと思う筈だ。

けれど。

 

(今は俺とヤッてんだよッ……目ぇ逸らしてんじゃあねえぞッーー)

 

突然クー・フーリンの槍に込める力が増したことに、オイフェは少し目を見開いた。それとは対照的にクー・フーリンは、くわと目を極限まで見開いて有らん限りの力で吠えるーーッ!

 

「ーーオイフェぇッ!!!」

「チィっ!!」

 

まさか押し返されるとは。そんな思いは胸のうちにあれども、オイフェはクー・フーリンが師スカサハと肩を並べるほどの猛者であるのだ。困惑と驚きの火種は、一瞬にして沈静する。しかし、今の一撃。たった一撃で、オイフェの意識は大きく塗り替えられる。

スカサハの弟子。その程度の認識であった。けれどオイフェは、たった今クー・フーリンを敵と認めた。その信念が、自身を殺しきるものであることを認めた。

故にオイフェは、この戦闘中初めて真面にクー・フーリンの顔を見た。

そんなオイフェの意識の変化を肌で感じ取り、クー・フーリンはその身をさらに引き締める。

押し返した勢いを乗せて、クー・フーリンはオイフェの槍を大きく上に跳ね上げ、無防備となった彼女の腹に全力で蹴りを叩き込むーーがしかし、それを見越したようにオイフェは右脚を振り上げて……

その足裏でクー・フーリンの蹴りを相殺する!

ーー瞬間

暴風が荒れ、粉塵が舞い散り、覆われた視界ーー穿つように一閃!

オイフェの心の臓を寸分の違いなく狙い撃つ神速の槍はーー果たして空を切った。

槍の一突きで大穴を開けた塵の向こうにはオイフェはいないーー

 

「ーーーー」

 

ーー告げる。

クー・フーリンの脳が、身体がーー説明もつかない直感が嗅覚が。

避けろ。避けろ。避けろ。

 

ーー来るぞッ!

 

「ーーーーゥォおおおおおッあらァァァッ!!」

 

振り返りざまーー全霊を持ってオイフェの槍を薙ぎ払う!

ほんの一瞬。閃光のように爆ぜたクー・フーリンの意識が、確定的であった自身の死を極小で回避させた!

滾る身体をそのままに怒涛の攻撃をひとつ、二つ三つ四つーー

一撃一撃が大地を叩き割るほどの威力で、それでもオイフェは一歩も退かず、同等以上の豪槍で迎え撃つ。

数十秒、数百発の応酬は終わることなくまだ続く。

オイフェもクー・フーリンも、ここにきてやっと互いのみに集中しての戦闘を開始した。

二人の真の闘争は、今ここから始まるのだーー

 

それが、この戦の終わる、ほんの少し前の出来事であったとしても……




これはハーメルン初心者故の無知な我が儘なのかもしれせんが、所謂低評価なるものをつける時には、出来れば理由も添えていただけると幸いです

理由が分からなければむず痒い感覚があるので

感想もお待ちしています


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希望、ついに途絶え

これで過去編は終わり

次回からは北米神話大戦です


猛然と槍で斬り払う。

一人一人、戦士としての格は常人のそれを大きく上回るオイフェの兵士たちを、スカサハは一息で数十人薙ぎ倒した。暴風を纏う一陣の暴虐に、兵士たちはたたらを踏む。そしてどうにか態勢を建て直した頃に、降りかかる数百の弓撃。本来ならば幾らかを防ぐことができたであろうが、優に百を超え、さらには身体の軸が確かではない今の彼らでは、それを回避することはできないーーつまり、彼らは死の結果を受け入れるほかなかった。

血肉が抉られ、骨が潰される痛々しい音が連続する。スカサハは気にすることなく戦場を駆け抜ける。

さらにスカサハの動くその周りで、数多の罠が作動する。それは罠の張られた場所を十全に把握するスカサハだからこそできる荒技。自身は敵を引き連れるように罠の合間をすり抜けるーーそれを知らない敵は悉く罠に掛かりその命を落としていく。

しかし、だからといってその罠の存在を警戒しながら、スカサハの弓兵たちの射撃を避けることは不可能。オイフェ軍は、徐々に、けれども確実にその数を減らしていった。

 

「……ッ、投石ッ! 放てッ!!」

 

そんな風に敵の兵士を殺害していきながら、スカサハは敵の遠距離攻撃を封殺する手も、同時に打っていた。

ずらりと並べられた盾を抜くために、弓を使っていてはあまりに稚拙に過ぎる。故、あの防壁を打ち壊すためにスカサハが用意したのは、岩。スカサハの屈強な兵士十数人で運用される投石機による攻撃であった。

数十個の岩石が空に飛び上がり、破砕音を轟かせて地を揺らす。その重量を盾で防ぐのは不可能。オイフェの兵士たちは皆々、潰されひしゃげるか、退避してーー次弾の弓に射抜かれるかして死に絶えていった。

戦争は、スカサハの軍が優勢である。それは偏に、指揮官が存在するかしないかの違いによるもの。スカサハに相当する優れた指導者であるオイフェが居ないというのは、歴然とした唯我の差を生み出していた。

戦場を駆け抜けながらスカサハは遥か遠くの戦闘を気にしていた。

クー・フーリンとオイフェの闘いが、今どうなっているのか。それが気になってしかたがなかったのだ。

その未練を振り切るように槍を大振りして、さらに次の戦場にかけようとするーー

 

ーーその時である。

 

スカサハがちょうど、彼らのいる方向から目を離したのとほぼ同時。

爆炎が空を灼いたーー

 

「ッ!?」

 

スカサハは驚き、そちらに完全に意識を向けてしまう。その瞬間を狙い澄ましたのように、大量の矢がスカサハ目掛けて飛来する。しかし、たかが数瞬の空白如きでどうこうなるような存在ではない。スカサハは槍を一振りし、その全てを払い落とすーーだが、その意識は未だ爆炎の中心近く。つまりオイフェとクー・フーリンの居場所に向けられていた。

 

「なんだあれは……?」

『ーーあれはオイフェの魔術(・・・・・・・)ね。それとクー・フーリンの投槍(・・・・・・・・・・)

「ーーーーッ!』

マブの言葉を飲み込むのに数秒。理解して行動に移すまでは一瞬。スカサハは立ち上る炎の方向へ向かって走り出したーー

嫌な予感がするのだ。

ずっと、ずっと付き纏う、古傷の疼きにも似た焦燥感。なにか、わたしは間違いを犯してはいないか。どこか、可笑しなところはなかったのか。そんなものーーと、思う。だが、そう自分を納得させようとすればするほどに身を焚く既視感の燻りが不吉な音をたてて燃え広がっていく。小さな火種がいつの間にか、もう既にどうしようもない結果に成り下がっていた、『あの時』と同じように。

喪失の予感だけが、スカサハの胸の内を支配していくのだ。

叫ぶーー

 

「マブ! 二人はどうなっているッ!?」

訪ねた相手は、けれども答えを返しはしなかった。それどころかマブの気配すら感じなくなってしまった。

焦燥はそのまま身体に表れる。

どういうことだこれは。

木々の隙間を縫い、加速し続ける。木々の根を踏み潰し、落葉を蹴り飛ばしながらーー次第に熱くなっていく風を身に浴びて。

まだ、叫ぶーー

 

「マブッ、マブッ、マブッ!!!」

 

返事を、二人はどうなった?

教えて、お願いだからーー

マブ、マブーー

 

「マブッ!!!」

『…………あ』

 

マブの声が、風の音に紛れて聞こえたような気がした。それは微かでか細く、勘違いであったかもしれない。だがスカサハはその小さな声に希望を見出したーー

 

「二人はっ?」

『ダメよ、ダメよスカサハ来てはいけないッ』

 

マブの痛ましい声が聞こえたーーしかし、時既に遅し。

炎の中心近くまで辿り着いたスカサハは、その光景を目にすることとなる。

妖精の策謀はここに完了する。

何処かで、笑い声が聞こえたような気がしたーー

 

 

 

 

鉄の打ち合う音に火花が付き纏う。猛る慟哭の声、声なき沈黙の炎が交わり、混ざり、そして高くたかくへと上り詰めて消え去っていく。

未だ熟しえない己の拙さを恥じて猛る。クー・フーリンは自身の手の甲から弾ける血幕を振り切って槍を振るう。隙を見せれば喰らい付かれる。まるで獣と獣の闘争。そこにあるのは本能のみ。身に染み付いた技も(すべ)もただ、今は目の前の敵を斃すためだけにーー

基礎の、それ以前のもの。誉れ高き師の教えは色褪せたりはしない。一瞬の油断が身を滅ぼす。そのような熾烈な戦闘の中でーーだからなんだとクー・フーリンは赫々たる瞳に紅の光を滾らせる。

スカサハがクー・フーリンにもっとも重きを置いて指導したのは、細やかな小手先の技よりも寧ろ、槍を振るうその基本にこそあった。敵が二度振るう間に、三度四度と槍を振るえるようなはやさを。敵が一を壊す間に、十や二十を打ちこわせるような力を。何度もなんども、もう既に身に付いただろうと、傍目に見ればそう思えるような結果をクー・フーリンが掲示したとしても、スカサハは愚直に長い間、それだけを彼に求めてきた。スカサハはクー・フーリンの才能の丈を知っていたーーそれが、或いは己を直ぐに超越する程のものであることを認めていた。だから彼女は、いつかクー・フーリンがここを立ち去り、自身の導きなく強さを求める時に、クー・フーリンが迷うことがないようにーーそれだけを教え続けてきた。クー・フーリンはいつかスカサハの業をすべて修めるだろう。そうすればスカサハの役目は終わるーーそれからはクー・フーリンが己のみで目指すべき高みがある。その時、きっとクー・フーリンはその悉くを乗り越えていくだろう。スカサハは知っている。彼は生粋の戦士であるーーそれこそ、闘争の中でさらに強くなってしまうほどに。故にスカサハは考えた。今のクー・フーリンに最も必要なのは、強くなることではなく、強くなるための(・・・)基盤であると。誰よりもはやく強く槍を振るうクー・フーリンは、多少の苦手など封殺出来るだろう。そうやって長引く戦闘は、より彼を成長させる。スカサハは、誰よりも、或いはクー・フーリン本人よりも彼のことを案じ、彼の未来を見据えていたのだーー

そんな堅実な攻勢たりえるクー・フーリンの守勢の背後に、オイフェはスカサハの姿を見定める。ならば加減も手心も必要あるまいーー先までの考えも溝に捨ててしまう勢いで追撃の速度を加速させていく。スカサハのことを第一に思えば、その弟子を殺さない程度に行動不能にしてしまおうという考えは、無為自然。

前進それのみを知るかのように、オイフェはクー・フーリンを猛襲する。 轟音と共に空転する武具は、クー・フーリンの槍に阻まれて逸らされていく。力で押し切ることが出来ない。手数で穿ち抜くことが出来ない。クー・フーリンは、ここに来てーーオイフェとの数十分の戦闘の中で、オイフェと互角に闘える程までに成長していたのだーー!

 

「ダァぁらァっ!!」

「ツっシッ!」

 

クー・フーリンの腕が霞んで見える。彼の叫びに、オイフェは小さく吠えることで応える。オイフェの槍が右斜め下から振り上げられ、クー・フーリンの槍を弾き返すーーオイフェの槍はそのまま振り下ろされて……クー・フーリンはそれをオイフェと同様に弾き飛ばす。刃と刃の弾ける細やかな音が迅雷となって地を駆け抜けていく。クー・フーリンはオイフェの連撃の中にある一瞬の隙間を縫って彼女に迫るーーだが、それも寸前でオイフェに阻まれてしまう。だがこの男ーー!

クー・フーリンの戦闘には、序盤の頃とは明らかに異なる点が存在する。それはつまりーー

あり得ぬとは言うまい。オイフェの攻撃をいなしながら後退していたはずのクー・フーリンが、いつの間にか自身の槍の領域の中に居留まり続けているということに、オイフェは極限まで引き伸ばされて希薄な意識で気づいていた。闘争の中で成長するーー?

巫山戯た話である。これは成長などという生温いものではないーーこれは、もはや進化である。小一時間の中で、クー・フーリンの実力は途方もない飛躍をしていた。オイフェは自分の万雷の刺突を全て弾きながら(・・・)、自身に攻撃を仕掛けるクー・フーリンに密かな賞賛を送る。クー・フーリンはオイフェの槍を危なげもなく相殺して、その中で攻撃の一手さえも織り交ぜてきているのだーー

オイフェは幾万もの殺すつもりの攻撃をしている。

だが、クー・フーリンはオイフェのそれらの攻撃を防ぐために幾万も槍を振るい、その上で(・・・・)オイフェを攻撃してくるのだ。

獲物を定めた猛犬も、自分が徐々にオイフェの居る高みに近づいていることを感じていた。気分が高揚する。これが闘争。これが、強者との闘いなのだ! 弱きを殺し、斃すだけでは足りない渇きを満たす殺し合いをーー

クー・フーリンは滾る身体のそのままに槍を振るっていたーーオイフェのどこか冷めたような目線には気づかずに。

次第に自身が押され始めていることに、オイフェは気付いていた。しかしーー他に気づいたこと、もあった。

それはある意味、戦場においては致命的な欠点。現状のクー・フーリンに唯一と言っても良い足りないもの。

それはーー

全力で殺しにくる格上との戦闘ーーそして。

戦士としての青さーー

 

「ーー莫迦が」

 

一閃。

クー・フーリンは、自身の過ちに気付く。

気分の高揚に任せた動きはどうにも単調で、分かりやすい。だから、オイフェはそこに付け入る隙を見たーー

クー・フーリンは気付く。

嵌められたーー!

オイフェに合ったと見た穴は、オイフェ自身が態と作り出した隙ーーという名の罠。オイフェの背を追い、近づいていくの実感する中でーー未だ若輩のクー・フーリンは、自身の槍がオイフェに届く瞬間を錯覚してしまった。不自然なオイフェの隙を、思わずついてしまうほどに。クー・フーリンは高揚していたのだーー

 

「ーーーー死ね」

「ーーーーーーーぉ、おぁラっ!!」

 

全力で突いた槍を、また全力で引き戻す。オイフェの槍が胸を貫くそれを防ぐためにーーそれも単純。

また、失敗した。

オイフェはクー・フーリンの胸元に作られた槍による障壁にーー振り払うようにして横合いから叩きつけた。

必死に引き戻した槍の衝動そのままに、それを後押しするように槍を払われたクー・フーリンは、左腕をそのまま左方に広げるように開いてしまうーー圧倒的な隙。

戻せない。

次の攻撃は避けられない。

不味い、マズイ、まずい。

負けるーー負ける?

クー・フーリンは浮かび上がったその思いに怒りを覚える。負けるだと? 本当にそう思うのかテメェは。クー・フーリンはオイフェの槍による突きが頸に迫るのを遠巻きから見るようにして、感じていた。

ゆっくりと流れる時間。加速する意識。

クー・フーリンは左方に崩れた身体の軸をーー戻さずに許す。

「ーー!」

「グっがぁあっ!」

 

流された力そのままに、クー・フーリンは左方向にーーくるりと回転する。オイフェは目を見開く。

クー・フーリンを殺さんとした死の槍は、彼の髪の一房をもぎ取って、空ぶるーー

オイフェと入れ替わるようにして回転しながら、彼女の背後に回り、そしてーー

槍を振るうーー!

勝った、そう思ったーー

だが、やはりオイフェは感じていたーークー・フーリンの青さを。詰めが甘いとは言わない。確かにこの位置どりは必殺の一撃を生むには最高の状況だーー敵が常人であれば。

クー・フーリンは強い。

しかし、オイフェも強い。それはクー・フーリンをして敗北しかねないほどの、強さ。

振るわれた槍はーーオイフェを穿つことなく……停止した。

 

「ーーーーあ?」

「ーー私は、戦士だ」

オイフェは言う。

 

「ーー魔術師でもあるがな」

 

クー・フーリンとオイフェの足元に光るのはーーエーテルの輝き。

オイフェは振り向きざまに、槍を振るった。それはクー・フーリンの腕を斬りはらい、彼を遠方へと吹き飛ばした。

この勝負、オイフェの勝ちであったーー

 

 

背後に突然現れた女が、存在しなければーー

 

 

 

後悔先に立たず、という言葉は嫌いであった。そんなことを言われても、だったらどうすれば良かったというのか、あなたは私に教えてくれるというの?

自分が次の瞬間に死んでしまうだなんて、思ったりはしない。突然、知らない誰かの身体になってしまって、たくさんの身に余る期待を寄せられても、それに応えてあげよう、だなんてことを言える程に、私は強くなんてないのだから。

私を本当に信じて、愛してくれたのは、きっと彼女だけだった。

私の臆病さを認めて、そんな中で私を傷つけないように、彼女は私のことを考えてくれていた。

私は、彼女のことが大好きでーー

 

あの子がいれば、きっとそれでよかっただったのにーー

 

 

ーースカサハは、その光景を目にすることになる。

これで、希望は絶たれたーー

 

 

 

 

自身の身体に走る激痛に気付いたのは、自分が倒れ伏していることに気が付いた後のことであった。朦朧とする意識で、身に宿った明らかな『呪い』の存在を感じながら、オイフェは無理やり顔を捻り、向ける。

クー・フーリンは、植物のつるのようなものに縛り付けられていた。必死に抵抗しようとするが、どこか力が衰えているように見える。

鋭い痛みが、頭痛として刺さる。

クー・フーリンの槍は、己には届かなかった。才覚に満ち溢れた彼の業に、オイフェは最後まで食らいつきーーそして勝利したはずなのに。どうして私は倒れているーー?

 

この胸を貫いた刃は、一体誰のものだというのだーー?

 

「ーーふふ、フフフフ」

 

頭上から女の声が聞こえる。

胸の傷が、身体にまで広がる痛みに変わるのを苦悶の表情で感じながらオイフェは、その声の主をギロリと睨みつけた。もはや疑いの余地など存在しなかった。

このタイミングで、このように行動に出るものなど一人しか居ない!

「ーーきさッ、まァァァ!」

「あは、あはははーーなんて無様! 本当に無様な姿! あんな男一人に手を拱いて、だからたかが魔術師一人の刃に倒れてしまうのっ!」

見上げた先にいたのは、やはり声の通りーー女。

オイフェには、その余りに短く際どいスカートがもはや淫祀さ以外の何物も表現しないほどに悪どく、醜く見えた。桃色の髪の毛がけたけたと笑う彼女の身体に合わせて踊り狂う。右手に持つ漆黒の短剣に赤く滴るそれを見つけて、オイフェはさらに憎悪の炎を燃やした。

 

「淫鬱な妖精気取りがッ……! 貴様がっーー」

「本当に愚かな女。けれどスカサハとは違って、ただ愚かなだけ。可愛くもなんともないわ」

「ーーぐぅゥォ」

 

全身の骨肉を軋ませながら、血脈を沸騰させるような熱を抱きながら、オイフェは立ち上がろうとするーーだが、出来ない。

オイフェには魔術的素養が大いに存在した。その点に関しては、偉大なる魔女であるスカサハをも上回り、故にその心身を蝕む異常を『呪い』であると評していたーー

だが、違う。

それは寧ろ、『毒』。

妖精マブが、忌々しきオイフェに向けた怨念が発送させた、この世最悪の毒。

かつて当時一番の賢者と、十二の試練を乗り越えた大英雄をして耐え切れなかった、悪蛇の血。

ーーヒュドラの毒を……

 

オイフェに、用いたのだ。

マブはオイフェに怒りと憎しみを感じていた。丁度、オイフェがマブに感じているものと同じように。

「ふふふ、痛いでしょう? 苦しいでしょう? 何せ、神の力にも勝る呪いを受けた蛇の毒。それと『同じ概念』を、貴女の身体に植え付けてあげたのよ?」

「ギィッ、ガッ、ザマッゥ……!!」

「必死になっちゃって……ふふ、でもごめんなさい。貴女が何言ってるかーーぜーんぜんわからないわぁ!」

 

憎悪と怒りが、次第に痛みと熱に押し潰されていくのが分かる。身体中を毒が犯して、壊していく感覚を実感していた。

けれど、オイフェはーー

 

「ナァァァ、メェぇ、ルナよッ! ぐぅクズがぁ……!!」

「あら? 立てちゃうの? 凄いわねえ。ほら頑張ってがんばって。もう少しだけーー頑張ってね(・・・・・)

 

ついに立ち上がったオイフェは自身の槍を、蛮神にも勝らん力で掴んだ。槍を支えに立ち上がるーーしかし満身創痍。今にも前方に倒れ伏してしまいそうな身体を、オイフェは必死に律していた。ここで倒れるわけにはいかないのだ。この妖精マブの、想像以上の悪辣さを知ってしまえばーーここで死するわけにはいかないのだ。スカサハが、もう不必要な傷を、負うことがないように。その芽は全力で潰さなければならないーーやらなければ、ならないのだ……!

身体はーーもう、動かない……

 

ーーしかし。

 

「……何者だ、テメェ」

オイフェの身体を支える者が居た。その立ち振る舞いは彼女に似ている。当たり前か。誰よりも彼女の業を身につけ、彼女に導かれた彼の姿が、今はどうにも眩しくて仕方がない。

羨ましかったのかも、しれない。

スカサハと多くの時を生きた自身でさえ手に入れられない瞬間を、己がものとするこの男が、どこかいらだたしかったのかもしれない。

悔しかったのかも、しれない。

 

クー・フーリンは、槍を右手に(・・・)握っていた。オイフェを支えるのは、彼の厚い胸板ーー左腕は、存在していなかった。

二の腕の半ば辺りからどす黒い血と肉が滴り落ちていた。クー・フーリンはそれを気にせずに、ただ目前の妖精のみを睨みつけている。

 

「…………ふーん? どうして、立てたのかなぁ? 貴方には『ゲッシュ違反の概念』を与えたのに、大したものねーーほんとうに」

「何者だと、訊いている。質問に答えろよ、女狐」

「私? 私はーー」

 

クー・フーリンは、そしてオイフェは、これから遥か未来において対峙する怨敵の名を、今この時、初めて把握することになった。

それを知った時には、もう多くのものが手遅れになっていたとしてもーー必ず討ち果たすと心に誓った怨敵の名を。

妖精マブーーその名を騙る女は、なんと妖艶な笑顔か。嫌らしく、いじらしく、そして死にゆく女を哀れむように自身の名を告げた。

 

ーーそう、彼女の名前は……

 

「ーーメイヴ。私の名前は、メイヴよ……憶えておきなさい、犬っころ」

「……………………」

 

犬と、そう呼ばれた。

クー・フーリンの静かな怒りを、オイフェは間近で感じていた。しかしそれが激情に変遷することはなかった。クー・フーリンは、怒りの中でも冷静さを失うことなく、女をーーメイヴを睨みつける。

ヒュドラの毒、と言った。クー・フーリンも知っている。だからこそ、あり得ない話であるのだ。

百歩譲ろう。

最大限の譲歩をして、ヒュドラの毒そのものを持ち出してきたのならば、理解はできなくとも納得しよう。だが、この女は、そうとは言わなかった。

メイヴはこう言ったのだ、『その概念』……と。

神の呪いにも勝る。まさしくその通りだ。かの蛇の毒は、神さえも恐れたと言われる猛毒ーーだからこそなのだ。

この女が、神の呪いにも等しい怨業を為すことができるという点が、微塵も理解できないし、納得できない。

今尚その身を縛り付けるゲッシュの効用にしてもそうだ。ゲッシュの違反を誘発させた、というのならばわかるのだーーあり得ない。そんな思いが、不覚にもクー・フーリンの胸中に溢れていた。

 

「そういえばぁーー」

「あん?」

 

殺すか?

そう考えたーーだが。

言ったはずだ、妖精の策謀はすでに完了している。手遅れなのだ、数多くチェックをかけられた。彼女は二人にわざわざ告げに来たのだーー戦いの終わりを。

ーーあなたたちの負けだ(チェックメイト)と。

 

「ーーその女、どんな色で燃えると思う(・・・・・・)?」

「ーーーーーーは?」

 

クー・フーリンは驚きに目を見開く。

しかしそれはーーメイヴの言葉に対するものではなく……

自身の身体を強く突き飛ばしたオイフェに対するものであった。痛みで喘いでいたオイフは、メイヴの言葉を聞くのとほぼ同時にーー心臓が焼き尽くされるような熱を感じた。

クー・フーリンに加えられた力は存外に強く、彼はオイフから数十歩以上もの距離離れることになるーーだから。

その場で唯一、確とオイフェの『死に様』を見ることができたはずのクー・フーリンは、それをスカサハに伝えられることが出来なくなってしまったーー何故ならば。

クー・フーリンが思わず地面に付きそうになった左手が存在しないことに気付いてから、身体を捩って態勢を立て直すとーー既にその場は紅蓮の炎に飲み込まれる寸前まで達していたからである。同心円的に広がった『爆炎』は、オイフェを中心としたものであるように、クー・フーリンは思えた。

戦士にあるまじき姿である。戦闘の最中に、クー・フーリンは呆然とその炎を見上げていた。

メイヴは、何処かから嗤い、言う。

 

「オイフェの魔術は、その多くを『火』の属性に偏らせていたのよ。知らなかったでしょう?」

「ーーーーーー」

 

燃え盛る炎は、揺らめきながら天蓋さえも焼き尽くさんばかりに成長していた。まるで生きているかのようにーークー・フーリンにはそう見えた。

「だから、彼女の属性を暴発させたの(・・・・・・・)よ。その結果がーーこれってこと」

 

暴発?

暴発させて、ここまでの炎を生み出したというのか。クー・フーリンの胸のうちからは、場違いにも、先まで闘争を繰り広げていた女への賞賛の念が込み上げていた。だが、致し方のないことでもあっただろうか。

その炎は、余りにも美しかったのだ。

なんと高貴な魂であるのだろうか。生半な燃料では、ここまでの光を纏いはしまい。

 

「ーーさあ、終わりにしましょう。最期の役者も……素敵なお姫様ももうすぐにここまで辿り着くみたいだから」

「ーーーーッ、あ?」

 

メイヴの言葉に、クー・フーリンは気付いた。遠方より高速で此方まで駆けてくる女の気配を。

クー・フーリンは悟った。己のーー否。自分『達』の敗北を。オイフェもクー・フーリンも、メイヴの策謀の前に敗れーーこうして、一人の女に二度と癒えぬ傷を与えてしまうのだと。

 

炎が収束していくのと同時にーー

 

メイヴの気配は消え去って……

 

クー・フーリンはスカサハの姿を、目の端で捉えていたーー

 

 

 

 

なんだこれはーーと。

スカハサは、今にも風に吹き飛ばされてしまいそうな命の灯火の前に、何処か現実味を感じられずにいた。

分かっているはずなのだ。

だって、自分が彼女のことを見間違えるはずもないのだからーー

だったら、尚更。

これは、一体なんだというのだ。

 

「あ、ァ、ぁ……?」

 

綺麗な女性であった。

彼女は高潔で、とても強いヒトであった。

その焼け爛れた肌には、かつて美貌など微塵も感じられない。焼死体。そう言われてしまえば納得せざるを得ない。その様な人の死に方を見たことがない常人であってもそう思うだろう。けれどーー

それが、オイフェのものであると言われてーー納得など出来るものか。

 

「な、ぃ……これ……?」

 

自身の視界が濡れていることに、気付くことさえできない。

力なく跪き、その痛々しいオイフェの身体を弱く抱き起こす。

わからない。

分からないーーなんだこれは。

 

「おいふぇ、……おいふぇーーオイフェ……?」

「………………ァ」

 

その瞳が、微かに見開かれたような気がした。だが、その瞳は乾ききっていて、もうきっと、スカサハのことなどーー何も見ることが出来なくなっている。もしかしたら耳も聞こえていないかもしれないーーだが。

 

「、ぁ……ァ、ッあ」

「オイフェ? オイフェ? いるーーここに居るッ。私は……」

「う、ぁ、ぁ、い」

「あ、あ、どうして……? どうしたあなたがこんなことに……?」

「っ、ぁ、ぁ、い」

「ーーえ? なに? なんて言った? ねぇ、オイフェっ? オイーー」

 

オイフェの手がゆっくりとスカサハの方に向けられる。スカサハはその手を掴もうとする。離さぬように。嫌だなんで、行かないでーー助けて。

誰かーー

なんで、なんで、なにーー

 

「イヤ、いや、嫌だ……」

「………………………ァア」

 

目がーー閉ざされた。

掴もうとした手は、力無く地面に打ち付けられる。肉片が飛び散ったーー

 

ーー限界だった。

 

ーースカサハを今まで、その場に引き止めていた鎖は崩れ去り、堰が壊される……

 

「ァァァああああーー」

 

オイフェが死んだ。

今、目の前で。

最期の瞬間に、自分を求めてくれたというのに。

それにさえ応えることができず。

オイフェーー死んだ?

死んだ、しんだ?

 

「ーーアアアアアあああああッっ!!!!」

哭き叫ぶ声が、空に響いたーー

 

これで、彼女らの物語は、終わりを迎えた……

 

妖精の笑い声が、聞こえたような気が、していたーー

 

 

 

 

メイヴは、抑えようともせずに、声高く嬌声を上げていた。

 

勝った、

 

勝った、

私の勝ちだ……ッ!

「ふふ、あは、あはははははッ! これでいいのッ。これで、貴方は救われるのッ!」

 

邪魔な女は消えた。

苛立たしい男も、これでスカサハに愛想を尽かされて居なくなるだろう。

 

だったら、あとあの子にはなにが残るーー?

「私よッ! 私だけが貴方を助けてあげられるのッ! ねえ、そうでしょうスカサハ? ねえ、ねえ、ねえッ!」

 

妖精の声が響き渡る。

 

その手にはーー『黄金の杯』。

メイヴは嗤う。

次のステージへ進もうーー

 

 

 

 

 

「ねえスカサハ。あの子をーーオイフェを助けたくはない?」

 




ヤンデレってすごいよね、最後までチョコたっぷりだもん
愛する人のためならば、何をしてもいい感は否めないですよね
態々オイフェの美しい顔を破壊してから殺すところが特に恐ろしい……

オルタ師匠、期待しててね!

感想と評価待ってます


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北米神話大戦イ・プルーリバス・ウナム編
甘美、未だ飽かず


北米神話大戦編、開始

感想に触発されて、数十分で書き終わるこの単純さよ……
もう、甘々にしておいたから期待しててね!

あと、ほぼ連続投稿です。
一話前も見ておいてください


汐宮茜は、とある廊下を歩いていた。その側には彼の頭一つ小柄な少女が付き従っている。彼女はまるで彼の従者であるかのように、青年の素振りひとつひとつを気にしていた。

茜はそんな少女に、優しげな笑みを讃えながら話しかけた。

 

「大丈夫? マシュ」

「はい。問題はありません、先輩。私はすこぶる元気です」

 

そんな青年の笑顔の中に、何処か心配そうな素振りが見え隠れしているのに、マシュ・キリエライトは朧げながら気付いていた。根から善良で、今まで何度も助け合い戦ってきた愛しい彼に、彼女は心配ないと笑って言った。

マシュ・キリエライトは、デミサーヴァントである。

サーヴァントとは本来『聖杯戦争』と呼ばれるとある儀式の際に、魔術師によって喚び出される使い魔であり、戦友でありーーしかし、彼ら魔術師にとっては兵器である存在。伝承や空想の存在が、人々の憧憬や怨念、希望や絶望、ありとあらゆる感情が昇華され、ひとつの信仰となり、またひとつの形としてこの世に現れる高位の魔術的存在であるのだ。

そしてデミサーヴァントとは、そんな彼ら『英霊』が召喚の儀により降臨した存在であるサーヴァントと、一身に同化した者のこと。つまり、この少女は、たった一人で万軍を相手取ることのできるような猛者の力をその身に宿す、茜の武器であり、兵器であり、しかし何よりも、誰よりも大切な後輩であったのだ。

彼らが歩くのは、人理継続保障機関フィニス・カルデアーー通称カルデア。由緒正しきアニムスフィア家が治める、人類史の資料館であった(・・・・)施設である。そんな彼らを呼び出した、カルデアの専属医師であり、本来この施設の所長不在の中、その大半の指導を執るロマ二・アーキマンーー通称Dr,ロマンの居るであろう部屋に向かっている最中であった。

 

「新しい特異点。次はいったいどのような……」

「分からない。だけど、俺たちが頑張って戦わないといけない」

「はい先輩」

 

サーヴァントとは使い魔である。その存在がどれほどまでに稀有であろうとも、その本質は魔術師の従者。彼女は自身のマスターである茜に、素直に頷き同意する。もっとも、マシュが彼の言葉にそうそう異を唱えることはないのではあるが……

二人がしばらく、その長い廊下を歩くと、そこには一人の女性が立っていた。

毛先とその元で、黄色と緑に色が分かれ、無造作に飛ばされた髪の毛がふさふさと左右に揺れる。獲物を狙う獣のように鋭い眼光に反して、その頭部には獅子の耳が可愛らしく乗せられている。尻尾がくねくねとうねり、その女性の尻のあたりで忙しなく動いていた。

美しいその顔を見つけて、茜とマシュは小走りで彼女の元へと駆け寄っていった。

 

「おはよう、アタランテ。今日も元気そうだね」

「おはようございます、アタランテさん」

「……ん、よく眠れたかマスター。私は十二分に漲っている。戦とあらば任せるが良い」

「うん、よろしくね」

 

アタランテは茜に対してうむと頷き、彼の隣に並び立って歩き始めた。

そうやって三人談笑しながらDr,ロマンの元へと向かう。

これから向かう戦場への不安と、頼もしい味方二人が側にいることに喜びを感じながらーー

 

 

 

Dr,ロマンの居場所に辿り着くと、最初に出迎えたのは、その件のロマンではなく、青い髪を後ろで束ねた野性の男。そんな彼の後方には、こちらに手を振る女性の姿が見えた。

そちらをちらりと見て、そんな彼女の実情を知る彼は、その愛らしい仕草になんとなく居た堪れなさを感じてしまう。思わず変な笑いを浮かべて、次にと目前の男に挨拶する。

 

「おはよう、クー・フーリン」

「おう、ちゃんと眠れたか? これから戦だってんだから、マスターが体調不良でてんで駄目ってわけにもいかねえからな」

「うん、大丈夫だよ」

 

そうかそれなら良いと快活に、けらけらと笑うクー・フーリンに、茜と安心したように笑みを浮かべる。彼の心地の良い性格は、いつも茜の不安や恐怖を取り除いてくれる。大英雄クー・フーリンの、その力強い背を見れば、恐れることなど何もないかのように思えるのだ。

 

「やあ、茜ちゃん。元気?」

「うん、元気さ……ダ・ヴィンチちゃん(・・・・・・・・・)

 

なんということだろう。

茜は、目の前の麗しい女性に対してこう言ったのだーーレオナルド・ダ・ヴィンチその人であると。

今や女性体となってしまった『彼』ではあるが、その実力は本物であり、天才の名に相応しい優秀さである。天才故の変人振りに困惑することは多々あれど、茜もダ・ヴィンチのことを深く信頼していた。

 

「それで、ドクター。次の特異点はどこ?」

「僕には挨拶なしかい……? イヤまあ良いんだけど」

 

Dr,ロマンは、相変わらずの茜の態度にため息を吐いて、まあいいかと意識を切り替える。気怠げな雰囲気はそのままに、表情を切り替えるた。

 

「新しい特異点が見つかったんだけどねーーそれが、今までとは少しだけ旗色が違う」

「どういうこと?」

「今回の特異点、その場所はアメリカ合衆国だ」

「アメリカ……」

 

ロマンは神妙に頷いて、話を続ける。

 

「今までは、まだ神秘の有り余った世界で発生した特異点が殆どだった。けれど、このアメリカ合衆国は、人類発展の最大の要因とも言える、近代の国家だ」

「どうしてそんな国で特異点が?」

「それは……まだ分からない。しかしすべきことはただ一つだ」

 

次は茜が頷く番だった。

すべきこと、それはつまり、人類史焼却の原因たる『聖杯』を見つけること。そのために、茜たちは五度、特異点へと向かい闘ってきたのだ。

一つ目は、日本。

そこで茜たちは代えがたき人を喪ってしまった。

二つ目は、フランス。

沢山の人の協力を得て、竜を倒し、オルレアンの歴史を修正した。

三つ目は、古代ローマ。

未だ英霊ではなかった皇帝ネロと共に、広大な欧州の地を駆け巡った。

四つ目は、地平線を望む海。

フランシス・ドレイク船長とその仲間たち、皆で力を合わせ航海した。

五つ目は、イギリス。

そこで、彼らは真の敵の正体を知った。

そして、六つ目はアメリカ。

茜は、まるで遥か昔の出来事であるかのように過去に思いを馳せる。

「レイシフトの準備は出来ているよ。早速だけど、君たちにはアメリカまで飛んでもらうことになる」

「おう。良いぜ、パッと行ってパッと終わらせてやるよ」

「ふむ。確かにその通りだ。我々の準備は出来ているぞ、マスター」

「先輩。私も大丈夫です」

「うん。行こう」

 

レイシフトの始動のアナウンスが鳴る。

四人はまもなく光に包まれていったーー

 

 

 

 

広大な土地の、何処かで鮮血が舞った。

少し蒸し暑い気候。砂埃が風に連れられて視界を小火のように覆っていた。太陽は爛々と空に輝き、雲は雄大で、空は不躾な青。地平線の先の先まで見えそうなほどに広々とした殺風景な場所で、女は、その男を羽虫を払うかのように無造作に薙ぎ払う。

男はーーラーマは驚愕する。自身の力に覚えはあった。彼はインドの叙事詩『ラーマーヤナ』に記される古代の大英雄。薔薇色の瞳は美しく、均整の整った筋肉質な身体は、未来の英雄像に相応しい力強さを感じさせるーーだというのに。

彼はたった今、地に叩き伏せられていたのだ。

その女は禍々しい気配を纏っていた。紅に近い紺色の髪は麗しく、身体のラインを克明に顕す戦装束は艶っぽい。手に持つ槍もまた、目前の獲物に喰らい付きたいと言うように気配を滾らせていた。しかしその雰囲気に反して、こちらを見つめる眼は虚ろで、昏い。まるでラーマのことなど眼中に定めていない。本当に、耳元で羽生きの音が聞こえて鬱陶しかっただけのような、そんな感じ。

ラーマは、血を吐きながら瞠目する。なんという強さ。優れた戦士であるのだろう、この女は。敵ながら賞賛せざるをえない。だが、そうは言っていられない事情も存在する。

ラーマは口元を拭って立ち上がる。女に向かって突き立てられた剣は、けれど焦点を定められずに振れていた。疲れと、痛みーそれ以上の恐怖が、ラーマを支配していた。

この女はサーヴァントである。

それは確かなことのはずだ。この時代は、ラーマの生きた時代に比べて神秘の質が低い。その希薄さは、大気中の魔力が枯渇しているようにさえ思えるほど。そんな時代に、大英雄たるラーマが手も足も出ないような存在がそうそういるとは思えない。禍の気配が隠している故に、確証は持てないが、おそらくそうであろう。

ラーマは荒く息を吐く。

今にも意識が途絶えてしまいそうであった。ラーマは、自身の身体を蝕む呪詛に忸怩たる思いを感じていた。傷が癒えないーーラーマの神秘に満ち溢れた身体をもってしても、その傷は開いていくばかり。あの槍の持つ呪いは、あまりにも強力であった。

 

「ーーまだ立つか、勇武よ」

 

不意に、女が口を開く。

無機質な声であった。何者かの行動を映し出すだけの機械であるかのよう。女は淀む瞳で、哀れむようにラーマを見つめていた。

 

「なぜだ……っ? 其方(そなた)は強い。だというのになぜっ、そのような悪に身を染めてしまうというのかっ!?」

「ーー私は……」

 

ラーマは慟哭する。

強さは、それが如何なるものであろうとも、悪辣たるに用いられるべきではない。彼はそのように考えていた。彼女の業は、その全てが途方もない鍛錬によるものであると見抜いていた。それは、信念と誇りのない半端者では決して届かない高貴さ。この女は確実に、誇り高き正義のもの。だというのに、一体なぜ?

ラーマの問いに、女は溜息をつく。心底、ラーマを軽蔑するその表情に、ラーマは肌を刺すような痛々しさを感じていた。初めて色が込められた美麗の面には、ただ弱々しい生娘の悲しみだけがあったのだ。その力に見合わない態度に、ラーマは奇怪なものを目にしたように頬を歪める。

女の言葉は、失意に塗れた暗黒の声音。

 

「私は、強くなんてないーー」

 

瞬間。

女の腕が振れる。満身創痍のラーマには目にも留まらぬ速度。剣が弾き飛ばされ、ラーマは勢いよく後方に押し飛ばされた。

力なく地を転がって、ラーマは呻き声をあげる。いけない。ラーマは全霊をもってその場から退避しようと力を振り絞る。女の持つ槍が、痛みに耐えかねたような金切りの音を発する。それは悲鳴。彼女の心の内より出づる、混濁な心情である。

膨大な呪詛が撒き散らされる。

ラーマが力を込めて地を蹴るーー

 

傷み番わう死薔薇の槍(ゲイ・ボルグ・リボレーモ)ーー」

 

だが、遅い。

空を切り裂きながら飛翔する槍が、ラーマの心臓を貫く。そのまま貫通した槍は、突然方向転換をして、再び女の手の内に舞い戻った。

倒れ伏すラーマは、まだ死んではいなかった。

 

「心の臓を破壊しても生きるかーー大した死に難さだな」

 

もはや一言も発せられないのか、何も言わないラーマにトドメを刺そうと一歩を踏み出した女はーー唐突に槍を右方に構えた。

女の向いた方、そちらから数体の奇妙な物体が現れるーー

 

「ーーサーヴァント反応を確認。対処します」

 

その言葉とともに、放たれる数多のの弾丸ーーその秒間三十発。

女は槍を回転させながら、右へ左へ身体を揺らしながら駆け出したーー乱入者の方へと。

「敵の武具か……ホムンクルスとは違うらしい」

 

それらは機械的な様相であった。銃弾を放つたびに蒸気を放ち、関節部の軋む音を響かせる。

女はそれらの目下まで数歩で近づくーーそれは何百発もの細やかな弾幕を全て回避した上でのこと。

切り払われた機械兵たちは一様に同じく破壊され、爆発しながら木っ端微塵になってしまうーー女の頬に微かに血が飛び散った。

 

「…………なるほど、人が入っているのか。強化外装。常人を直ちに戦えるようにする点においては優れた思想だな」

 

女がまた振り返ると、そこにラーマの姿はなくーー代わりに数十の機械兵と、数百人の武装兵たちが居た。

女ははあと溜息をつき、槍を回転させて、地を叩いた。

憐れむように、慈しむように、女は、ぽとりと呟いた。

 

「ーー来い。殺してやる」

 

 

 

血に塗れて荒々しく、しかし辿々しい呼吸をするラーマを背負って、男は疾走していた。

彼の名はジェロニモ。かつてメキシコ人による部族の虐殺に立ち向かった指導者である。

ジェロニモは、死に体のラーマを労わりながら、可能な限り負担を掛けないように走っている。彼は恐れ戦いていた。かの大英雄ラーマをしてここまで傷つくほどの敵がいるということに驚愕していた。

態勢を立て直さねばならない。それに作戦も練直しである。

彼はラーマを逃がすために、多くの人命を犠牲にすることにしたのだ。いくら彼らが囮になることを許容したとしても、それは確かに自身が背負い、尊ぶべき犠牲。許されざる取捨選択であった。

あの場を離れて数十秒が経過していたーー皆はまだ闘っているのだろうか。

女が自身らを追ってこないことに安堵しながら、ジェロニモはベースキャンプに向かって、さらに速度を速めていった。

胸中で、彼らの健闘を讃えながらーー

 

 

 

 

兵士たちは、健闘どころか、そもそも戦闘さえ出来ずに死に尽くしていた。女がこちらに目を向けてーーそして次の瞬間に、全員の首が飛んでいた(・・・・・・・・・・)。或いは、自身が死んだことにさえ気づけなかった者もいるかもしれない。数百人もの血が大地を赤黒く照らしていた。陽光が乱反射して、恨みごとさえ聞こえるように思える。

女はつまらないものを見るかのように赤いそれを見てからーー嬉しそうにふにゃりと笑った。

誰かが見ていれば、狂人であると叫んでいたであろう。恐慌して、怒りに訳も分からず叫び散らしていたかもしれない。数多の命を散らしておいて、なんと嬉しそうに笑うのだこの女はーーと。

だが、それには少し語弊があるか。誤解があるのだ。

女が笑った理由は、数多の人間を殺したことに対してではなくーーそうすることで得られる甘美な時間に対するものであった。

女は喜色満面の顔のまま、今にもスキップでもしそうな足取りでそちらへと向かったーー

 

「倒した! 私、全員倒したよ!」

「ええ……ええ、ええ。良い子ねぇ、スカサハは。良い子、良い子」

「うん……うん、うんっ!」

 

女がーースカサハが駆け寄った先にいたのは、桃色の髪が艶かしく揺れる、メイヴのもと。

例えるならば、フリスビーを上手くキャッチできた犬のようであろうか。メイヴはそんな健気なスカサハの様子に恍惚と笑みを浮かべる。スカサハの頬を優しく撫でて、髪の毛で遊ぶ。悪戯に身体を弄るメイヴに、スカサハは嬉しそうに笑った。

 

「うふふふ、素敵ねぇスカサハ。とっても綺麗、そうは思わない?」

「…………分かんない」

「あらそう。じゃあこの話はやめましょう。そうねぇ、それなら……どうだったかしら、敵は」

 

メイヴの問いに、スカサハは首を左右に振る。幼げな仕草に、先までの忌まわしい羅刹の気配は全く感じられない。親に甘える子供のように、頭を揺らしながら、間延びした口調で拙く伝える。

 

「弱かった。変な敵もいたけど……変なだけ。全然強くないの」

「そう……そんな顔しないで? 敵が弱くても、別に構わないでしょう?

そうであってくれれば、私たちの理想を簡単に叶えられるのだから、ね?」

「…………うん」

 

メイヴは一度スカサハから目を離して、後方へ振り返る。そこには荒れ狂う数千の戦士たちが揃い踏みしていた。彼らはメイヴと、何よりスカサハに付き従う猛者たち。メイヴは鞭を振るって、注目を集めた。

大仰な仕草で、メイヴは語りかける。

 

「さあっ! 仕事よ、私のーー私たちの戦士たち!」

 

手を広げ、腕を振るい、メイヴはそんな現状に酔うように笑う。

 

「敵を殺せッ、敵を殺せッ! 奪って奪って奪い尽くせッ! そして私とスカサハに貢ぎなさいーーあなたたちの命をッ!!」

歓声が鳴り響く。

戦場を与えてくれる偉大なる女王たちに、熱狂して叫ぶ。

万歳、万歳。

なんと素晴らしきことだーー

メイヴは再び鞭を振るい、叫んだ。

 

「さあーー進軍なさいッ!」

 

戦士たちは我先にと駆け出していくーーそんな姿を見ることもなく、そうしようともせずに、スカサハはまた冷めたように目線で空を見上げていた。

虚ろな目で眺める空を見て、スカサハは小さな光に目を凝らしていた。

 

ーー星の位置が変わった……

 

何かが起こる。

そんな予感を胸に仕舞い込んでスカサハは、己を呼ぶ声に嬉しそうに声をあげて、そちらに向かって駆け出していったーー

 




まさかこんなにデレッデレのスカサハが見られるとは、だれが予想しただろうかーー!(ドヤぁ

もっと「私は……! 私をっ、許せないの!」みたいな感じだと思っていた人が多数だと思うの!

そうだった人は挙手!( ´ ▽ ` )ノ

あと、ぐだ男の名前があれだったら感想欄でボロクソに言ってくれていいので。好きなキャラクター二人の苗字と名前を混ぜて、ギリギリ男っぽく持っていっただけですから。

感想と評価待ってます







まあ、その代わり、クー・フーリンと再会したあたりで愉悦満載の鬱展開にするつもりだけど(ボソッ


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夢、未だ果たされず

マシュとぐだ子の百合も書き始めたからそちらもどうぞ

今回は戦いの前座みたいなものなので気楽に読んでください

ちゃんと百合も咲き誇ってますので、最後のあたり


レイシフトが完了して、目を開くとそこは草木が相応に生い茂る場所であった。道が一本続いており、それを辿って視線を上げると、遠方には海が見えた。何処かの島に降り立ったらしい。

全員がいることを確認すると、ロマンの声が聞こえた。

 

『レイシフト、無事完了だね。調子はどうだい?』

「……うん、問題ないよ。マシュたちはどう?」

「問題ありません、先輩」

「おう、俺も問題ねえよ」

「私も相違ない」

『それならよかった。そこは大陸から少しだけ離れたところにある島だね。頑張ったら泳いで渡れるくらい』

「一人で泳いでてください、ドクター」

『辛辣だなっ!?』

 

マシュの悪意なき毒舌にロマンがとほほと苦笑する。その間クー・フーリンはけらけらと笑っており、アタランテは何処か遠方を見つめていた。茜はそれを微笑ましそうに見て、ロマンに問いかける。

 

「これからどうしよう?」

『そうだなぁ、とりあえず、まずはーー』

 

「敵襲だな、マスター」

 

ロマンの言葉を横合いから引き継いだクー・フーリンの声に、茜ははっとする。クー・フーリンの睨む方向、其処には確かにーー人がいる。

クー・フーリンが前に、マシュは茜の側に、アタランテは既に後方へと跳躍していた。

その男を見ると同時に、茜は確信した。あれは狂戦士(バーサーカー)であると。隠す気もないのか、漲って漏れ出でる闘志。こちらを押し潰さんばかりに荒れ狂う殺意の色。高い密度は壁のように茜に迫り、彼は思わず息を詰まらせるーーだが、それもすぐに解消された。それと同等、或いは上回るほどの戦意が、それを相殺したからである。クー・フーリンは、茜たちを庇うように前方に躍り出たあと、じっくりとその男の特徴を捉えようとしていた。戦闘への意欲と喜悦の中にも、たしか戦士としての業がある。クー・フーリンは、こと戦に関しては人一倍に優れた才覚を有していた。

暫く睨み合いが続く。クー・フーリンは外敵を押さえ込み、アタランテとマシュはその一挙一動に注目する。如何なる手管を、あの男が弄したとしてもマスターである茜を護れるようにするため。

だが、意外というか。寧ろあり得ないとも思える出来事が起こる。自我なき狂戦士であると思われていた男の方が先に口を開いたのである。

そこには理性の色が見える。思わず茜は間の抜けた声を発してしまったほどだった。

 

「揃いも揃って良いねえ。槍使いは手練れ、向こうにいる姉ちゃんも相当の弓使いときた。それに未だ熟し切れてないとはいえ、そこの嬢ちゃんも見所がある。敵にするのが、惜しいくらいに良い女だ!」

 

豪快に笑う。

本当に、あり得ない光景を目にしたものである。クー・フーリンも僅かに目を見開き、だが次の瞬間には獰猛な笑みを浮かべていた。マシュは気をさらにぴんと張り巡らせ、アタランテも多少驚きはしたらしいが、直ぐに平常に戻る。

そんな彼らの頼もしい姿に、茜は息を吐いて心身を落ち着かせる。何を恐れる必要があるのか。彼らは強い。今まで何度もなんども戦に出て、勝利してきたではないか。彼等は勝つ。それは疑いようもない。信じなければいけない、彼らのマスターとして。きっと力不足だろう。未熟なのだろう。けれどそれは、自分が戦うのを諦める理由にはならないのだ。

 

「良い女ってのは認めてやるがよぉ。テメェ何でこんな所に居やがる? ここは離れの島だろう。何か守らねばならぬものでもあるのか?」

「……あー、なるほど。俺の早とちりか、こりゃぁ。まあ良い。お前たちがあの姫様んこと助けに来たとばかり思っていたがーー違うにしてもやることは変わりゃしねえわな」

 

何処か呆れたように口調の男に、茜は思う。『姫様』を助けに来たと、男はそういった。実際、ここに飛ばされたばかりの彼等に、その『姫様』という存在を知る由もないし、そんなつもりもなかった。だが、助けに来たという言い方は、つまりその『姫様』ないし、件の彼女が属する陣営は彼ーーそしておそらくは彼等ーーと対立した関係にあるということだろう。茜は考える。何をすべきか、指示を出すのはマスターである自分なのだから。

 

「……マシュは俺の近くに。アタランテは後方から援護ーークー・フーリンは……」

 

茜は一度目を閉ざす。

すべきこと。そう思うこと。まず為すべきはきっとーー

 

「あの男をぶっ倒そう! 話はあとで聞けばいいよね!?」

「くはは! 良いねえっマスター!

分かりやすくて好きだぜ、俺は!」

「んだ、なかなか言うじゃねえか坊主。ただの子守かと思ったが、存外、そういうわけでもないらしい」

 

茜の言葉にクー・フーリンは笑う。男もけたけたと笑った。その合間にアタランテはより後方へと駆け出し、マシュは盾を構える。

男は歓びに満ちた表情で言う。

 

「良いぜ、やろうじゃねえか! 俺の名はベオウルフ! 好きな奴からかかってこいやあっ!!!」

 

開幕は、男二人が大地を踏み潰す盛大な音が、彩ったーー

 

 

 

 

茜たちがベオウルフとの戦闘を開始したのと同時刻。深い森を伐り開いた場所にある集落で、男は呆れたように被りをふった。その視線の先には二人の女。一人は純白の花嫁衣装に身を包んだ金髪の女。陽気に手に持つ奇妙な形をした剣を振り回しては、快活な笑い声をあげている。際どい服装は、己の身体に恥ずべきところなどないという、女の自信に満ち溢れた気心を感じさせる。一方もう一人の女は、女性というよりも少女と言うべきだろうか。身体は一回り以上に小柄。赤い髪は腰のあたりまで伸びていて、その頭には二本の角。絵で見る悪魔のような尻尾は興奮に合わせてふりふりと揺れている。少女は、女が振るう剣に合わせるようにしてマイクスタンドを地面に打ち立てていた。どうやら二人の相性は最高に良いらしく、リズムに合わせて歌えや踊れ。楽しさを隠すことなく見せつけながら、独特なステージを創り出すーー奇怪音によって。

この二人、なんと言うべきか、致命的に音楽への……ひいては芸術への才能が欠如していたのだ。音は悲鳴のよう、声は暴風になる。この調子で数時間。もはや暴力に等しいそれに、男は遂に我慢の限界をきたした。

 

「だあっ! うるせーよッ。たっくよぉ、二人揃ってはしゃぎ過ぎじゃあありませんかねえ。おたくら、ここが戦場だってことちゃんと分かってるわけ?」

「もっ、ちろんだッ! ここは余たちの戦場にして花道ーーそう、その名はハリウッド!」

「ええ、ええ! 目的は違えど進む道は同じ! リサーチは既に済んでるのよ。ここはアメリカ、アメリカと言えばブロードウェイ! この私、トップアイドルには欠かせない試練の一つなのよ!」

「冗談だろ…………!」

 

悲壮感たっぷりの男は、遂に天を仰いでしまう。額に手を当て、今にも頬を涙が流れてしまいそう。全体的に緑で統一された服装は、森の中では見えにくい。外套をはらりと震わせて、二人に向かってせめてもと抵抗及び説得を試みて、その悉くに失敗していた。まず話を聞いていない。そもそも話を聞く気がない。完全に自身らの世界に酔いしれる女二人には、男一人の言葉では届かないのである。嗚呼と嘆く。ここに『あの女』が居なくて良かった。心底そう思って、すぐに嫌と首を振る。逆に居た方が良かったのかも知れない……もう、川で溺れてめだかを掴もうとする人のようである。掴めないものは掴めないし、居ない人間はここに居ない。たらればで救われるのであれば、多分自分はここに居なかったであろう……!

 

「それよりも緑色。あなたはどうしてこんなところにいるのかしら?」

「うむ。それは余も思っていたことだ。其方は何故こんなところにいるのだ?」

「話が通じた……!? ていうかそれを説明に来てんのにアンタらが全然聞かなかったんだろうが……ッ」

 

男の少なからざる焦りと静かな怒りの念を、感じるわけもない阿呆二人。かのローマ皇帝ネロ・クラウディウスと、吸血姫エリザベート・バートリーは、不思議そうに顔を傾げて言う。

 

「なによ、それなら最初からそう言えばいいじゃない」

「うむ、まったくだな。それで、一体何用だ?」

「あぁ、くそッ、ぶん殴りてぇ……ッ!」

 

頭をがしがしと掻きむしって、一応の心情の整理は出来たらしい男、ロビンフッドは、深いふかい溜め息をついてから話し始めた。

この二人も、流石に男の必死さに勘付いたらしい。まあ、何を言われてもブロードウェイとアイドル生活を前にしてしまっては、彼女らには到底納得の及ばない話なのだろうけれど。

 

「ふーん。つまり、変な奴らと変な奴らが揃いぶみで馬鹿騒ぎしてるってこと? 東西に分かれて戦ってるってとこまではちゃんと聴いてたわ」

「ーーまさか!」

「次はなんだよ……ていうかマジでちゃんと聴いてくれませんかね?」

 

嫌に考え込んでいたネロの様子に、いくらこの阿保な皇帝でもことの重大さを認識したかと、一瞬でも思った自分を殴りたくなる。唐突に叫んだ彼女に、ああこれダメなパターンだと察する。

 

「まさか……それはつまりハリウッド消滅の危機なのではないのかッ!?」

「ッ…………!?」

 

そもそもこの時代のこの時期にブロードウェイなんてないーーと、彼女たちを諌めることの出来る人間はこの場にいなかった。ロビンフッドも、特別詳しいわけではないし、土地の形状の特徴を掴むことが出来ても、そこにあるらしい地名まで把握できていない、幾ら何でも不可能だ。

天啓を授かったかのように衝撃を受けたような顔をするエリザベートに、マジでなんなのこいつら、と思いながらも口には出さない。この流れでいけば、目的は違えど協力関係になれるだろうと、そう考えたからであった。

そう、こんな風に……

 

「どういうことよ!? それってつまり私たちのアイドル生命を脅かそうってこと?」

「なんたることだ……ッ。許されぬ蛮行である! おい緑のッ!」

「へいへい、なんですか?」

 

馬鹿だけど……いやまあ、馬鹿だけれども、彼女たちも英霊の一翼を担う者。少なからず押されている状況を打破するためには、やはりまずは数を揃えるところから始めた方が良い。人としては扱い辛いが、戦士としては使い勝手が良い。ロビンフッドの彼女らに対する評価はそのようなものであった。

 

「この場合、私たちはどっちの味方をすれば良いわけっ? 出来るだけ早くブロードウェイを救える方を教えなさい!」

「由々しき事態なり。これは余も一肌脱ぐ必要があるみたいだなっ!」

「まあまあ、そう慌てないでくださいな。取り敢えず、俺の仲間のいるところにーー」

 

意識の切り替えが最初に行われたのは、やはりというか、馬鹿二人の相手をしながらも周囲への警戒を怠っていなかったロビンフッドであった。弓を取り出して、矢を持ち、構える。

急に戦闘態勢に入ったロビンフッドに、こいつ何してんの……と思ったのはエリザベート。彼に少しばかり遅れながらも同様に敵の気配を察知したネロは、むうと唸って剣を前方に向ける。二人の様子にこいつら何してんの……と、そう思いながらもマイクスタンドを握り直して感覚を確認する。

 

「…………二人組だな」

「ああ、足音からしても間違いねえ。三対二ならいけるか……?」

「ちょっとなによ? 説明しなさい緑色」

 

エリザベートの声を聞きながらもロビンフッドは状況が一気に悪化したことに内心舌打ちする。相手より一人多い有利さーーというのは同等の戦士の対立だからこそ存在するものである。三人いても、誰一人として真っ当な戦士ではない時点で、そのようなもの取らぬ狸の……である。

それに敵は全員揃って歴戦の猛者ときた。戦士一人一人にしても質が高い。敵側の出身を考えれば妥当なところではあるのだろうけれど……敵の強さを納得したところで意味はない。

後ろの二人……恐らくネロは問題ないはずだ。皇帝特権ーーあの特殊なスキルがあれば戦士でなくとも戦える。問題は高ステータスであれど精神的に未熟なエリザベートである。『あの女』の影響か、随分と丸くなったようだが、その根底の無邪気さは変わらない。戦士としては完全に不合格ーー少なくとも現状においては。

考えれば考えるほどに最悪な状況である。真綿で首を絞められるよう。敵の気配がゆっくりと此方に近づくにつれて追い込まれていく。

 

「ちょっと、お二人さん……ここ頼みますわ。こっちは狩人らしく行かせてもらうんでね」

「よかろう! 期待しておるぞ緑の」

「ねえ? 説明しなさいよ、ねえ」

 

フードを被りマントを羽ばたかせる。そうしてその場を去ろうとするロビンフッドはーー次の瞬間に姿を消していた。

ーー顔のない王(ノーフェイス・メイキング)

姿を透明にする彼の宝具。彼の伝承が結晶化した、彼独特の力。

その場に、先まで本当に人がいたのか疑いたくなるほどの隠蔽能力である。誰も存在しない空間を見て頷いたネロは、エリザベートに言う。

 

「さてと、我が好敵手エリザベートよ。我らが夢のため、ここは共闘と行こうぞ!」

「いやだから説明…………でもそうねセイバー、よくわかんないけど素晴らしい展開じゃない! ある時には争い、ある時には手を取り合う……!

最高のシチュじゃない?」

「うむうむ! 素晴らしきかな王道展開! 我らが覇道を妨げるというならば、如何なる者でもめっためたにしてやるぞ!」

 

「ーーおや。これは随分と威勢の良いお方々だ」

 

ネロとエリザベートの見る先。現れたのは腰のあたりまで伸びた金髪の男と、目の下の泣き黒子が特徴的な美しい男。二人揃って槍を持ち、一人は愉快そうに、一人は困惑の色を表情に滲ませる。

「いやいや、女王様は敵をーーひいてはサーヴァントを殺せと仰せなさったが、これはこれでなかなか……」

「王よ。可憐なるに手を緩めることなきよう……お願いします」

「分かっているともディルムッド」

 

恭しく言う男ディルムッド・オディナにーーフィン・マックールは笑いながらそう返した。

彼は言う。

 

「それで、可愛らしいお嬢さん方。貴女たちは私達の敵に、間違いはないかな?」

「ふん! 私が可愛いのは当然よ。それに私の邪魔する奴が私の敵じゃないわけないでしょう?」

「ははは、ならば良し。早々に始めるとしようか」

「諒解しました、我が王よ」

 

言葉は要らず、互いは敵。

認めたならば武器を取るのみ。

その場のノリで敵を作るその感覚は最早褒めたくなるほどだが、今更言っても無駄なこと。

満足そうに何度も頷いたネロは、剣を振り上げて叫んだーー

 

「さあ花道を行かんぞ! 虎でも獅子でもかかってこいっ!」

 

 

 

「感じる! 感じるぞ! ははははははははははは!!!」

 

巨大な建造物があった。

その広大な敷地に相応しい高さの門が、多くを歓迎するようでーーそれでいて拒むように硬質に輝いていた。周囲には多くの機械兵たちが歩き回り、恐らく警護をしているらしい。

そんな建物の中。

とある講堂と思われる部屋の真ん中で、男と女が会話していた。

 

「ねえ、ミスターーどうしたの? 突然叫ぶものだから、あたしびっくりしましたわ」

「おお、おお……! ミセス。感じるのだ。天才たる私の直感が告げているぞ! 何か大きな力が、この地を訪れたのだ!」

 

女は、随分と小柄であった。勝気な瞳に優雅な仕草、何処か溌剌さの中に思慮と節度が見え隠れする麗しき令嬢のような女性。

そして男はーー

 

「その素敵なライオン頭(・・・・・)。私は嫌いじゃないけれど、それで吠えちゃったらほんとに獣みたいよ、王様」

 

ライオンであった。

頭部はまさしく、それ。青いスーツと赤いマント、アメコミのヒーローのような様相に……ライオン頭。

そしてその名はーートーマス・アルバ・エジソン。

 

「戦況は我々が優勢になるであろう!

感じるぞ……! 感じるのだ!」

「……ま、いっか。別に」

 

ライオン頭の天才科学者は、高笑いをあげながら遠吠えする。

 

ーー本当にそれで良いのか、という言葉は……きっと二人には届かないのだろうけれど。

 

 

 

 

目が醒める。

とても近くて、とても柔らかい。そんな人の温もりを感じて、スカサハは甘えたがりの子供のように頬を擦り寄せる。メイヴの膝の上に頭を乗せて、顔を上に向ければ、彼女も嬉しそうに眼を細める。静かな部屋で、二人の微かな息遣いだけが絡み合って解けていく。熱を帯びた身体は周りの空気さえもほんのりと染め上げていくみたい。メイヴの手がやさしくスカサハの頭を撫でると、彼女はとても嬉しそうに眼を細めた。

 

「気分はどう? 嫌な夢は見てない?」

「…………うん。よく分からなけれど、嫌な夢では……なかったと思う」

「そう。それなら良いわ」

 

今現在において、スカサハの予知の能力は不安定であった。かつては明瞭に見えた未来も、今は色と匂い、その感覚だけを伝えるだけのものになっていたのだ。「赤と青と、あと……桃色?」スカサハのそんな言葉に、メイヴは思案げに眉を伏せて、しかし直ぐに子を慈しむ母親のように微笑む。スカサハに嫌なことが起こらなければそれで良い。メイヴはスカサハの頬を撫で、産毛を捏ねる。くすぐったい様子のスカサハは、身を震わせて、むっと頬っぺたを膨らませた。

 

「変なところ触らないでっ」

「うふふ、ごめんなさい。ついつい、楽しくなっちゃって」

「………………たのしい?」

「ええとっても」

「……ん、なら、良いよ」

 

スカサハはそう言って恥ずかし気にはにかんで、メイヴの膝に顔を(うず)める。

ああと、溜め息が漏れる。

なんと甘美なことか。

何時も辛い思いをして、一人傷ついていた彼女がーー今はこんなにも幸せそう。

これで良いのだ。

そうやって、ただ共に、側にいるだけで癒される。怖くなんてない。失うものなど何もない。そんな時間をこれから二人で、永遠に……

 

遠くで戦の音が聞こえるーー

けれど、そのような些事は、今の二人には関係のないこと。

 

妖精と少女は戯れながら、また温かな夢の心地に包まれていったーー

 




エリーちゃんは、たぶん原作よりも阿呆の子になってて、それにつられてネロも愉快になってると思う(当社比)

あと、この作品ではネロとエリザベートはすぐ近くに現界したので速攻で合流。そこに緑茶さんがやってきた……という感じなので、ネロはハリウッドを作るのではなく目指そうとしてる感じになってます。

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狂騒、端を発し

なんかスランプ気味かな

特別優れた文章というわけではないだろうけれど、それでもちょっと調子を取り戻したいなあ。


フィン・マックールは驚きを感じていた。

セイバーと呼ばれた彼女、ネロ・クラウディウスの剣技の、その異様なちぐはぐさに違和感を覚えていたのである。

その剣技……成る程、自信に満ち溢れた先の台詞に違わない優れた業である。だがーーそれでも、弱い。フィンはネロを打ち倒すことよりもむしろ、その違和感を払拭することに意識を向けていた。此方の攻撃は総て通らず、いなされているーーそう、先ほどから今まで、ネロは一度もフィンの攻撃を避けていない(・・・・・・・・・・・・・)のである。避けなくとも良いと考えているーーというわけでないのは、戦いの最中で理解できた。ところどころ、明らかに無理をした動きをすることがあるからだ。フィンは確信していたーーセイバーの強さは、恐らく仮初めのものであるのだと。或いはーーそう、スキルによるもの。剣技のスキルとは、考えにくい。そのようなスキルを持つ人間が、そもそもそのようなスキルを持つとは考えにくいーーというパラドックス染みた理由であったが、フィンはそう考えていた。ならばーー剣技さえも内包する万能系のスキルか……

 

「戦の合間に思考に没頭するとはッ、随分と余裕だな!」

「いやはや、申し訳ない。これは性のようなもの故、気分を害したというなら謝罪しよう」

 

ネロの無造作な薙ぎ払いを、フィンは下方から上方に切り上げた槍で払い上げる。そうやってできたネロの懐の隙に蹴りを放つーー寸前に飛来する三本の矢を、槍を廻しながら地に叩き落とす。

ーー技能という面ならば、むしろこちら。フィンは木々の合間から寸分違わず彼の背後を突く影なる者に感嘆していた。確実に一撃ーー急所を狙い定めた正確な射撃である。だが、フィンは思う。死角というものは、存在するが存在しないものであるとーーつまり、確かに自身には見えない場所、察知できな点は、存在する。しかし、それも自身の感応範囲に入ってしまえばあってないようなものであるーーそして、それは彼方も理解できたことらしい。

ネロの三連撃を弾き返して態勢を攻勢に移すーーそのかたちを崩すように矢が放たれるようになった。戦闘中に、そうやって意識を切り替えたのである。

フィンは良き敵に出会えたことに感謝した。またこちらに斬りかかってくるネロを迎え撃つように構えながら、ディルムッドと少女の戦闘に意識を向けてーー

 

 

 

ロビンフッドは森の中を駆け巡りながら、間近で行われる二つの戦闘を睨めつけていた。

やはりーーと言わざるを得ない。完全に劣勢、それどころか敵は揺らぐ様子すら見受けられない。そもそも純然たる戦士に対して、揃ったのが狩人に皇帝、そしてただの御令嬢である。何方が有利か、優勢かなどということは始まる前から分かりきったことであった。罠を張る時間も、それを他の二人に正確に把握させるための猶予もなかった。それはつまり、正攻法以外の方策を取りようがないということ。ロビンフッドは小さく舌打ちをする。

弓に矢を番える。

疾走する状態のまま、身体を捻り的を捉えるーー限界まで引き絞られた弦がしなり、跳ね返る。

木々と枝々を縫う高速の矢は、しかし届かない。

完全に無勢である。いくら攻撃しても効果がない。

どうしたものか、ロビンフッドが思考を巡らせてーーそして叫ぶ。

 

あのバカが、と。

 

 

 

遠方より、超高速で飛来する矢を払った。

ディルムッドはエリザベートの相手をしながらも、森の影を暗躍する隠者に意識を向けていた。敵の姿どころか、気配さえも察知することができない。何処にいるのか、何処から矢を射ているのか、騎士団生粋の戦士である彼にさえ悟らせないその技量に、ディルムッドは舌を巻いた。

ーーしかしと、彼は思う。

幾ら不可視の敵による奇襲であろうとも、そうやって射られた矢は視認可能なものーーつまり、ディルムッドは、此方に飛んできた矢を、目前に迫ったと同時に(・・・・・・・・・・)対処していたのである。

その様子にエリザベートは内心の苛立ちを隠せないでいた。まず、自身に目を向けないその精神性に苛立っていた。彼女の攻撃をすべていなしながらーーいや、ロビンフッドの射撃に対処しながら、エリザベートと戦闘を行うその姿に、ひどく自尊心を傷つけられたのである。さらに、どこか釈然としないディルムッドの表情にも同様の感情を抱いていた。まるで、自分の存在では手応えを感じ得ないと、そう言うかのような彼の様子に、闘争心を燃え上がらせた。

しかし戦場において不必要な感情は排斥されるべきもの。己の衝動に任せた動きというものは、得てして単調になりやすい。

エリザベートがその苛立ちのままに殴りつけたマイクスタンドが、ディルムッドの槍によって弾きとばされるーーそして続いて、ディルムッドは三方からの矢を振り払った。

 

「やばっーー」

「謝罪はしない。存分に恨め」

 

ディルムッドの槍が、エリザベートの首を貫いーー

 

 

 

 

茜は目前の戦闘を俯瞰し、そして明確に直視しながら戦況を把握することに努めていた。自身のそばから聞こえるマシュの息遣いさえも耳に届くほどに、その意識は研ぎ澄まされていた。

クー・フーリンとベオウルフの戦闘は、熾烈も苛烈、暴虐の限りを尽くしたような激戦であった。

クー・フーリンの槍が四度振るわれる。左右上下、リズムを違え、速度は不可視に近いそれを、ベオウルフは凶暴な笑みのままに押し返す。右、左と身体を揺らしながら、まるで舞踊に興じているかのように楽しげな表情に、クー・フーリンもまた同様の笑みでーー

「ーーーー!」

「フッーーーー」

 

クー・フーリンの攻勢が止むと、次はベオウルフの番ーーと、そう簡単にはいかないのは、ひとえにそうやって途切れた戦闘の合間にベオウルフの頸を穿ち抜かんとする狩人の存在故のこと。

茜は瞬きも疎ましく、戦況を見つめる。こちらが優勢。これは間違いのないことである。ベオウルフとクー・フーリンは、現状ほぼ互角の戦いを繰り広げているーーだが、そこにアタランテの存在が絡めば、形勢は一気にこちらへと傾く。クー・フーリンに対してベオウルフは、ただの一度も、自身から攻撃を仕掛けることが出来ないでいた。

 

「ハアッァ!!」

「ーーぐッあらぁッ!!」

 

高速で飛来する弓射、その三連撃を弾き飛ばすとともに体勢を整えるーー間もなくその身を前方に転じる。

クー・フーリンの朱色の槍を地を這うようにして避け、そのまま飛び上がるように彼の顎を穿たんと拳を振り抜く。

寸前で身体を弓なりに反らして、そして二歩三歩と交代しながら槍を回転させる。

ベオウルフの武具を警戒しながらも、クー・フーリンは獰猛な笑みを絶やさない。そんな獣の姿に僅かに笑みを浮かべたベオウルフは、ああと天を仰いで苦言を呈する。

 

「こう言うのはなんだがーー鬱陶しいな。てめえが引いたクジが最悪だったにしても、やっぱり文句の一つは言いたくなるもんだ」

「ハッ。そりゃあ残念だったな。あの姐ちゃんもあれで可愛げがあるんだぜーーまあ、運が悪かったな」

 

クー・フーリンの言をその獅子の耳でしっかりと聞き取ったアタランテはその麗しい顔を歪めるーー相変わらず口が回る男だ、と。

そんな軽口を聞いたベオウルフはほんの少しの疲れを滲ませながらも快活な笑いはそのままに、変なことを言ったなとその手の槍を二度振るう。

空気を割く音が鳴る。

そんな二人の様子を遠目に眺めながら、マシュは静かに息を吐く。

慣れたつもりはなかった。

けれど、多少の自信は確かに胸の内にある。

だが、それでもーー

高速で流れる三者の行動を睥睨しながら、後ろに庇うマスターである彼を気にしてーーその上、他者の奇襲に備えて広域に意識を配る……などという荒業をこなすのは、その張り詰めた緊張の糸をより一層軋ませる苦行であった。

「それにしてもーー」

 

クー・フーリンは槍を肩に担いで、ぐるりとあたりを見回し、それからベオウルフの後方に聳え立つ城壁に目を向けた。

「結局、ここは何なんだ? 時化た場所にしちゃあ、テメエみたいな男が門番をしてるときた。お姫様っていうのが何処のどいつなのかは知らねえが……」

「そりゃあ、あれだな。わかんだろ?

知りたけりゃ……」

「はん、まあ、だろうな」

 

クー・フーリンは息をついて、槍を肩に担いだ。ある種無防備な体勢を晒す目前の敵に、ベオウルフは眉根を寄せる。

そんな様子を可笑しそうに見やって、クー・フーリンは笑う。

 

「ーーまあ、良いマスターとの巡り合わせは悪い話じゃあねえな。そうだろう……なあ?」

「ああん? ーーッ!?」

 

ベオウルフはクー・フーリンの言葉の真意を問おうとして、口を開いてーーそれから、ぐわと身体を大きく捩らせた。

研ぎ澄まされた『直感』が、闘争の本能が、彼を無意識に最善の行動へと移行させた!

 

「ーーッんだ!?」

 

ベオウルフは後方から飛来した『弾丸』が、己の首筋を舐めて消えていくのを確かに見ていた。

その光の出処に目を向けーーることはできない。

なぜならば、そうーー

己の目の前にいる存在の、その強大さが決してそれを許さないのだから。

その手に持つ槍を、赫く赫く、染め上げて。

男は静かに、闘争の終わりを告げた。

 

「ーー呪いの朱槍をご所望かい?」

 

ーーなあ、マスター。

 

 

 

エリザベートの頸を狙い澄ましたディルムッドの一振りは、結局その目的を果たすことはなかった。

頭上から降り注いだ太陽が如き紅蓮が、膨大な質量と共に、彼に襲いかかったからである。

 

「ーーこれはッ」

 

大きく後方に後退りしたディルムッドも、またその強大な力の奔流に戦闘を中断せざるを得なかったネロとファンも、森の奥から機会を窺う狩人も、みな揃って、その姿を眩いものに目を焦がされたかのように呆然も眺めていた。

ーーなんという神威だ。

フィンは静かに瞠目する。

生半可な力ではない、それこそ、空から太陽の(ほむら)が降り注いできたかのようなそれに、警戒するーーする他ない。

一体何者であろうか。

だが、その答えは意外にも、目前の女の口から聞くことができた。

 

「むっ、この気配ーーまさか『施しの』かっ!?」

「ああ、久しいな、セイバー。あの『月』の……いや、それは無粋か」

「施しの……なんと……」

 

施しの英雄ーーカルナは首肯する。

流石は、とそう言うべきか。ネロが『かつての出来事』を知らないという事実を一目で見抜いた彼は、口を閉ざした。

一方フィンは、ネロの言葉を耳にしたと同時に、既に撤退を視野に入れた行動を開始していた。

ディルムッドの側まで駆け、告げる。

 

「戦況は不利だ。ここは一度退くとしようか」

「……ですがーーいえ、了解しました、王よ。その通りに」

「ああ」

 

森の中に消えていく二人の背を、ネロもカルナも追おうとはしなかった。

剣を大地に突き立てて、一息をつく。ネロはふと、へたり込むエリザベートに目を向けた。

 

「ふむ。好敵手エリザベートよ、ここで一つ休息を挟むとしようか。何やら、これは思ったよりも重大な事態であるらしい」

「お前は、そんなことも知らないで闘っていたのか」

 

ロビンフッドは思う。

そんなことも理解してなかったのかよ、と。

 

「……………………えええぇっ?」

 

結局、急速に話が進むのについていけないまま取り残されたエリザベートは、ただ疑問を言葉にすることもできずに、尻尾を揺らすことしかできないでいた。

 

 

 

李書文という男は、自他共に認める戦闘狂である。

強大な敵との戦闘は、心躍るものがある。

死を実感するたびに、己の強さと弱さを、身の丈を知れる。成長は恐れを抱いていては、あり得ない。

彼は、故に、数十数百と続く槍の激動に、くつくつと喉を鳴らして歓喜していた。

 

「呵々、呵々。愉快……愉快よ、なんとも面映い。童心に帰るとはこのことか。主もそうは思わないか」

 

返答は、鋭い槍の一振りであった。

濃密のどす黒い気の激流を己のそれでいなして、書文はゆったりと身体を揺らした。

一撃ーー互いの槍の穂先が、甲高い音を立ててしなる。

二撃ーー女の下段への蹴りを、己の脚で相殺する。

三撃、四撃、五、六、七、八ーー

神速の応酬は留まるところを知らなかった。

ーー刹那。

書文の気配が揺らぐ。女は目を細めた。

見えぬ三連撃を、彼女は槍をぐるりと往来させて、弾き飛ばす。無防備な腹への蹴りは、如何してか一切の重みが感じられない。まるで空気を蹴るようであったーーそも、己の攻撃がかすりもしていない。

 

「主のような女子がいるとは、思わなんだ。力も、技も、或いはーー全てが儂の数段上をいくとくれば、くく、心躍るのも致し方なしというものよ」

「…………認めよう」

「むん?」

 

女が初めて口を開いた。

冷たい声音であった。無機質な空気の振動でしかなかった。

書文は眉根を寄せる、これは奇々怪々だと。

 

「ふむ……如何様か」

「だから、もう、終わりにしようかーーお前は危険だ」

「大技ということか。面白い。ならば、儂も、応えようか」

果たして、女はーースカサハは静かに槍を構えた。

 

 

癒える気配が一向に見えない傷口に苦しむラーマは大木にもたれ掛かりながらも、大きく息を吸って、ジェロニモに問いかけた。

 

「これから、どうするつもりなのだ」

「そう、だな。先ずはその傷をどうにかせねばなるまい」

「……そう、か」

 

それもそうか、とラーマは渇いた喉を上下させた。自分でも馬鹿なことを聞いたな、とそう思った。

 

「この傷には、明らかに呪いの類が取り憑いているな。これをどうにかせねば、如何様にも出来まい」

「……………………ぐっ」

 

それはラーマ自身も気付いていたことであった。

あの女の槍は、悍ましい呪怨のそれであった。偉大なる英雄、このラーマでさえ恐れ戦くほどに。

「これでも、シャーマンの端くれではあるが、この呪いはどうしようもない。余りにも深く、そして怨みが籠っているようだ」

「ーーーーしかし、治さねばならぬ」

「それは…………その通りだろうが」

 

治せるものなのだろうか。

ジェロニモが傷口の痛ましさに目を伏せるーーそれとほぼ同時。

後方、すぐそば。

余りにも強大な気配を、彼は察知していたーー否。

もうナイフの一振りでも頸を刈り取れるであろうその位置まで何者の接近を許してしまっていたのだ。

 

「ーーーーーー」

「落ち着け」

 

振り返ることすら出来なかった。

凍えるような声であった。

けれど、それは決意の声でもあった。

己とは違い、この気配の『女』の姿を目にしているであろうラーマが、息を呑む音が聞こえたような気がした。

 

「ーーーー其方は」

「何も言うな。その傷は、『アレ』にやられたものだろう?」

「いや………ーーいや、そうだ。其方ならば、これをどうにかできるのか?」

「ふん。忌々しいが、私では不可能だなーーだが、方法は、あるかもしれん」

 

『女』の言葉を聞いたラーマは、鷹揚に頷いた。

「ーー諒解した。ならば、我々はその女傑の元へ向かうとしよう。その名に相違はないか」

「ああ、間違いない。己で名乗っていたよ」

 

ーーナイチンゲール、とな。

 

 

 

 

ベオウルフは、己の胸の『空洞』に手を翳して、倒れ伏していた。

大盾の少女の、その陰に潜んでいたはずの少年がーー己の後方から撃ち込んだ『ガンド』を回避しーーそうするように仕向けられ、結局、彼はクー・フーリンの呪いの槍に対処する術もなく、心臓を抉り取りれていた。

 

「ーーーーかはっ、ハハ……大した手品じゃねえか。侮ってたぜ、正直な話な」

 

そんな少年の代わりに、盾の、マシュ・キリエライトの陰から現れたのは、遠方で矢を射っていたはずのアタランテ。

ーーオーダーチェンジ。

 

少年はベオウルフにそう告げた。

 

「はん、まあ、認めてやるよーーオレの負けだな」

 

苦笑気味にベオウルフは言った、情けねえ。

 

「ーーそれで。汝の言う『姫』というのは、何処にいるのだ?」

「容赦ねぇな、姐ちゃん」

 

アタランテの問いに、ベオウルフは笑うしかない。

彼は告げた。

 

「地下の牢に繋いである。鍵はしてねえから、好きにしな」

「当然だな」

 

そう言い、一も二もなく周囲の警戒に入ったアタランテも、けれど、ベオウルフに静かな敬意を払っていた。そんの女の雰囲気に、ベオウルフはとりわけ気分を害すことも、それどころか何かを思うこともないようだった。

クー・フーリンは言った。

 

「まあ、良い戦いだったぜ。出来れば、次はもっと伸び伸びと闘いたいもんだがな」

 

アタランテの一睨みに、クー・フーリンもまた、ベオウルフのように苦笑する他なかった。

 

 




随分と時間が経ったような気がする。

受験生お疲れ様、よく頑張りました(自画自賛)

数学出来なくて苦労した記憶なんて、ゴミ箱に捨てよう。

遅くなってごめんなさい。


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