第二特異点´ AD.0060 羅馬抹殺同盟 カルタゴ (らるいて)
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1話

 すでに人理が修復され、あとは正しき姿へ収束するだけの時代。既にカルデアの人間達は帰り、人々の記憶も消えかかっていたその世界に、人理修復を良しとしない男が居た。青年から壮年に差し掛かろうかという歳の男だ。男は世界を救うべく、抑止力によって召喚されたサーヴァントだった。だが男は自らに課せられた使命に逆らった。世界を救おうという意志はあったが、男にとってこの時代は、救わねばならない国は憎悪の対象であった。男が生きていた時代から三百年近く下ったこの時代においても、この国は変わらず繁栄していた。それどころかこの後も千年以上続く、まさに千年帝国となることを、英霊となった男は知っていた。男はそのこと自体は痛恨の極みであれ、認めている。だが、男にはどうしても、愛した祖国を滅ぼしたこの国を救うという選択を取れなかった。故に男はこの国の神祖とこの時代の皇帝の戦いを、どちらに与することもなく静観していた。彼とて世界を愛する英霊であり、もしもこの国でさえなければ迷わず人理修復に力を貸しただろう。だが彼とて心ある人間であり、もしも人理焼却を成そうとするものが神祖でなければ、彼は多少心にしこりを抱えても人理焼却に、この国を滅ぼすことに加担しただろう。現実はどちらでもなく、この国の過去と現在の戦いに過ぎないモノであったが故に、男は戦わないことを選んだ。

 男はそのまま自身の消滅を待っていたが、世界は更なる選択を要求した。使命を放り出し怠けていた男の目の前には、聖杯の欠片があった。破壊の大王に取り込まれ、彼女が倒される時に零れ落ちた僅かな断片。大部分がカルデアによって回収された、その残骸だ。人理の戦いに参加しなかった男は、迷いながら、その欠片に手を触れた。それはサーヴァントとしての本能だったのかもしれない。男は特に願ったわけでもなかったが、聖杯の欠片はご丁寧に男の深層心理に眠る根源的な願望を映し出した。みずからに聖杯からの膨大な魔力が流れ込んでくることを把握した男は、新たな戦いが、それも己を中心として始まることを予期した。人理を崩壊させる願望など持ち合わせていなかった男は、それでも、かの国との再戦を故国の存続を切望していた。故にだろう。男は驚きながらもその聖杯の働きを妨げることなかった。より明確な男の思念を受け取った聖杯の魔力は、確固たる形を成す。この国と、ローマと戦争するために必要な人材の召喚。軍隊の整備。かくて人類を救うために世界により召喚されたその男は、人理の敵となった。

 

 

 

 ロマニ・アーキマン、通称Dr.ロマンは普段通り特異点の観察と捜索を行っていた。いざことが起こってしまうと現地に向かえないロマンは足手まといになってしまうことが多い。ダメ人間を自称するロマンであっても、人類存亡の危機とあってはそれを良しとするほど堕ちてはいない。こういった異変の感知は、うまくいかないことも多いが、積極的にやっている。

 普段通りのことが普段通りにすめば楽でよかったのだが、残念ながらロマンはある時代に異常を発見した。AD.0060。第二特異点セプテム。裏切り者であるレフ・ライノールが糸を引いていた特異点。ローマ帝国同士によるつぶし合いとでも言えばいいのか、始祖ロムルスを主とする歴代皇帝が、当代の皇帝ネロが統治するローマを滅ぼそうとした。最終的にレフは倒れ、特異点もマスターであるぐだ男と、そのサーヴァント、デミサーヴァントではあるが、マシュ・キリエライトが人理を復元した時代と地域だ。

 人理が復元される際の揺り戻しだろうかとしばし観察を続けるロマンだったがどうも違うらしい。揺り戻しであれば徐々に小さくなる異常が変わる様子を見せない。つまりは何らかの原因により人理復元に問題が発生しているという事だ。

 ロマンはぐだ男とマシュを呼び寄せ、レイシフトするように頼んだ。

 

 

 

 レイシフトしたぐだ男とマシュが最初に耳にしたのは怒声と剣戟、眼にしたのは互いに切りつけ合う兵士たちだった。レイシフトした地点というのは安全が確認されている場所だ。いきなり岩の中にいるだとか地面の中だとか危険地帯だとかそんなではまともに人理復元に集中できない。当然、戦場なんて場所にレイシフトされる危険性は、なくはないが、ほとんどないと言っていい。つまり、現状は明らかな異常事態。マシュは直ちにロマンに連絡を取ろうとする。

 

「ドクター! 戦場にレイシフトしてしまったようです」

「――なんだって――介入され――――!? ――高魔力――――にげ――!」

 

現状の確認を優先したマシュを責めることはできない。流れ矢からマスターを守る姿は正しくシールダーのクラスに相応しいモノであった。十二分に守り切れるはずだった。それがただの兵士や竜牙兵ならデミサーヴァントであるマシュの敵ではない。

 だがそれがサーヴァントであるならば別だ。離脱や防衛ではなく状況把握を優先したマシュは防げなかった。

 

「先輩!」

「あれ? 意外といい反応。少しは成長したのかな? やっぱり、アサシンみたくはいかないね」

 

銀色が閃く。それを察知した瞬間にマシュはぐだ男を守ろうとする。だが、遅い。閃きはぐだ男を貫く。マシュの妨害により途中で止まる。剣が引き抜かれると同時に苦悶の声を挙げ倒れるぐだ男。マシュは攻撃してきた敵、サーヴァントを見、驚愕する暇もなく、意識が逸れる。

 目の前の敵が晒した隙を、見逃す程サーヴァントは甘くはない。マシュの持つ巨大な盾を蹴るとわずかにできた隙に剣を突き入れる。

 マシュは盾を軸にし身を翻し攻撃を避ける。その勢いのままに盾で相手を殴りつけた。剣で受けた相手は勢いを殺すように3メートルほど後ろに下がる。

 そこでマシュはようやく声を挙げる。親愛と敵意に揺れる複雑な感情をそのままに声を出す。

 

「何故ですか! ブーディカさん!」

 

マシュは一目見た瞬間に敵性サーヴァントの真名を看破した。共に特異点を修復した英雄。ブリテンの勝利の女王ブーディカ。心優しき慈愛の人である彼女が敵であるとは信じ難かった。だが、何も言わずに攻撃をされた。ぐだ男はその攻撃を受け、今、地に伏している。急所には届かなかったとはいえこのまま対処せねばどうなるかはわからない。明確な敵対行動だ。いかなる理由があるかはマシュには分からないが敵である事だけは確か。理性ではそう判断してもやはり情はある。僅かな希望を含んで、マシュはブーディカに問いかけた。

 

「何故? 何故って? 私がローマを滅ぼそうとすることのどこが可笑しいかな!? むしろ教えてほしいよマシュちゃん!」

「おかしいです、貴方は、こんなことをするような人ではっ!」

「そんな人じゃないって? くだらない! 私たちの屈辱も、絶望も、嘆きも悲しみも怒りも憎しみも! 分からない! わかる筈がない! だって君はあの英霊なんだから! 失う事を知らないんだから! 知ったような口を聞かないで!」

 

マシュの問いかけに答えたブーディカの瞳に浮かぶは憎悪。かつてマシュに向けられた親愛の情は欠片も見えなかった。それでもなお食い下がろうとするマシュの言葉を遮るように、一歩踏み込んだブーディカの剣がマシュを襲う。先のような奇襲ではない。正面からくる攻撃をマシュは防いだ。

 

「ブーディカさん!」

 

 その後に続く畳みかけるかのような攻撃も、マシュは凌いだ。しかし次第に押されていく。ぐだ男を心配する焦りと、純粋な身体能力、ステータスの差だ。共に戦った時よりもステータスが上昇している。マシュも成長し強くなっているがブーディカはそれ以上だ。だが、サーヴァントは成長しない。故にステータスの上昇なんてありえないのだ。故にこそマシュは気が付いた。ブーディカは何らかの要因でステータスが上昇している。かつてと違い戦車に乗っていない。精神に変異が見られる。これらからマシュは推察した。ブーディカの異常な強化の正体を。

 

「こんなにステータスが、まさかバーサーカーに!?」

「あはははは! 惜しい! 狂化スキルはあるけど、セイバーだよ。私は!」

「っ!」

 

ステータス的に恵まれていないライダーから最優のセイバーに。その上で狂化までついているとするならば、そのステータス上昇は1ランクでは済まない。それ以上に、セイバークラスであるというならば彼女の宝具は当然、かつての約束されざる守護の車輪

(チャリオット・オブ・ブディカ)ではない。約束されざる勝利の剣(ソード・オブ・ブディカ)。勝利の女王の異名に従わぬ、確定せざる、勝利への願望。

 

「そろそろ、終わらせようかな。マシュちゃん。頑張ったけど、もうおしまい。約束されざる(ソード・オブ)――」

 

高まる魔力。対抗するにはこちらも宝具を開放するしかない。しかし。ただでさえ重傷を負い、命の危機にあるぐだ男だ。宝具の真名解放をすれば、これ以上の負荷を掛ければ最悪、命を落とす。その不安が、一瞬、マシュを躊躇わせた。

 

「――っ!? 仮想宝具 疑似展開(ロード)

「――勝利の剣(ブディカ)

 

間に合わない。宝具の直撃を受ける。仮にも盾のサーヴァント。生きていられる目算もあるが、それだけの傷を負えばもはや勝ちはない。それでなお必死に宝具を展開しようとする。

 

「――黄の死(クロケア・モース)

 

――どこからともなく聞こえてきた真名解放の言葉と同時にマシュの目の前に降り立つ丸い影。直後に発生した膨大な魔力同士のぶつかり合い。それにより発生した余波がマシュとぐだ男を襲うが、それは想定よりも一段遅い。

 

人理の礎(カルデアス)!」

 

二つの対人宝具のぶつかり合いで発生した暴風とも呼ぶべき余波は周囲の兵士たちを吹き飛ばすが、宝具を発動させたマシュ、その後ろにいるぐだ男は、魔力を消費した影響か、軽くうめき声を上げただけで体への被害はない。

宝具同士の競り合いは、僅かにブーディカが押し負けていた。二つの宝具のランクはBとB+。本来であればブーディカの振るう約束されざる勝利の剣(ソード・オブ・ブディカ)では勝てない。しかしブーディカのスキル、女神への誓いがその差を極僅かなものにする。かつて勝利の女神に誓った相手に対する補正。ブーディカの場合はローマという大敵だ。そう。乱入者とは。

 

「カエサルさん!」

 

ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの養父。カイザーの語源。中世ヨーロッパに定められた九大偉人が一。偉大なるローマにあって、群を抜いた輝きを放つ偉人。ガイウス・ユリウス・カエサルその人である。

 

「ふっぬぅんっ!」

「うぅっあぁぁっ!」

 

カエサルの気合の籠った声と同時にブーディカは弾き飛ばされる。ブーディカとの競り合いを制したカエサルはマシュに振り向くことなく声を掛ける。

 

「やれやれ。おかしいと思って様子を見に来れば、実に厄介な状況に難儀な敵と来た。しかし、しかしだ。これも愛しいネロの頼み。私がやらないわけにはいくまいて。ぬ、ふん!」

「おまえはっ!」

 

カエサルが長い口上を述べる間にもブーディカは体勢を建て直しカエサルに襲い掛かる。ブーディカの眼には既にマシュやぐだ男の姿はない。ただ、憎い殺さねばならない相手が映るのみだ。

カエサルはブーディカの攻撃を受け、そのまま力で押し返そうとする。」

 

「ぐ、む。時に! 良きマシュマロをもつ少女よ。名乗る前に名をばらすのは良くない。実にぃ! 良くないが、状況が状況だ仕方あるまい。此処は私に任せてゆくがよい。こんな場所では満足に治療もできまいて。あそこにネロの本陣がある」

 

攻撃を受けながら、口を止めようとはしないカエサル。それがブーディカの精神を逆撫でる。扇動EX、カエサルの所有するスキルだ。スキルの性質上人の話を聞かない人間に効果が無い、などということはない。狂化していようと僅かなりとも知性がある以上、激昂させることに限れば、十分な効力を発揮する。まして、自身に憎しみを抱く対象であれば猶の事。口を開くまでもなく、無視すればそれだけで逆上するというものだ。

 

「っ! ありがとうございます」

「この、豚が! とっとと死ね!」

 

ブーディカはぐだ男を背負って逃げ出すマシュを追おうという素振りすら見せず、目の前の大敵を睨みつけていた。

 

 

 

 無事、ネロのいる本陣まで引き、ぐだ男の治療を終えると、ネロから状況説明がなされた。破壊の大王アルテラを撃破し、ぐだ男達が去ってから一月ほどが経ち、記憶もおぼろげになった頃に事件が起きた。

曰く、消えた筈のサーヴァント、それもかつて共に特異点を修復し、ネロのローマを守るために戦ったサーヴァント達が現れ、襲ってきた。しかし、かつて神祖に従いネロに試練を与えたサーヴァント達、カエサルやカリギュラをはじめとするかつてローマに君臨した英雄たちが味方として現れた。偉大なるローマの君臨者たちの活躍によりサーヴァント達の出現も収まりかけた。だが、全てを決着する筈だった戦いに、ネロ達ローマ軍は大敗を喫した。軍は壊滅。ネロとカエサルが命からがら逃げ延びたくらいで他の英雄たちは皆、戦死した。状況は振り出しに、いや、より悪くなっていると言えた。

圧倒的優位にいたローマを壊滅させ窮地に追いやった敵性サーヴァント。ネロが顔を青くし、震えながらも呟いたその名は。

 

「ハンニバルだって!?」

 

いつのまにやら通信が回復したロマニがその名を聞いて驚く。

 

「うむ……さしずめ、カンネーの戦いと言ったところか。ローマが誇る偉大なる英雄たちは、須らく奴一人の手によって、ただの一度の戦いで、いなくなってしまったのだ……」

「いや、それは仕方ない。ハンニバルはローマ史上最大の敵とまで呼ばれる、大戦術家だ。サーヴァントとして対ローマの側面が強くなっていると考えるならローマの英雄達が敗れたとしても合点がいく……これはまずいことになったぞ」

「確かに、一度負けたのなら、今の戦力的にも厳しいかもしれません……」

 

カルタゴの雷光。ローマ史上最大最強の敵。現代にさえ通用する戦術を二千二百年以上昔に考え、実践して見せた、戦術を完成させたとさえ呼べる最高の戦術家。彼に比肩する戦術家は数少ない。

それを思案するロマニとマシュ。大敗故に自信を喪失した様子のネロ。

 

「――それでもハンニバルはローマに負けた」

「ザマの戦いですね」

「そうだ、スキピオだ! 大スキピオが居ればハンニバルにだって勝てるぞ!」

 

暗い空気になる場を変えるため、周囲を元気づけるためにぐだ男が声を出す。それに反応したのはマシュ。続いてロマニがあぁっと声を上げる。だが、それもネロに否定される。

 

「大スキピオは、あの戦いより前に荊軻に……。荊軻はその場で打ち倒したが、今思い返せばこれもハンニバルの指示だったのであろうな……」

「そんな……大スキピオがもういないなんて、どうすればいいんだ……」

「……今、この世界には、もっとサーヴァントがいる筈です」

 

マシュが口を開く。冬木、オルレアン、ローマ、オケアノス、ロンドン、アメリカ。六つの特異点を超え、成長したマシュはいままでの経験を元に、ある希望を見出した。六つの特異点。共通して見られたのは多様なサーヴァントが召喚されたこと。たとえ、一度の敗戦で味方がいなくなっても、まだ、まだ他に野良サーヴァントはいる筈。

 

「だったら、そのサーヴァント達を集めましょう。私たちに思いつかないようなことも、他のサーヴァント、英雄ならばきっと、考えつくはずです。今はとにもかくにも仲間が必要です」

「――すごいな、マシュ」

「そ、そんなこと……」

「それしかないか。でも、そうするにせよ、ハンニバルを抑える必要があるよ。あんまり荒らされると人理復元できなくなる可能性が……」

「ドクター。少しネロさんの魔力を調べてください。前も違和感がありましたが、大きくなってませんか?」

「え? ……本当だ。これは一体……まさか、そんなことが……。でもじゃないと説明が付かないし……。うん。マシュの言う通りネロの魔力量が増えて、不安定になっている――たぶん、ネロが、この特異点の基盤なんだ」

「――どういうこと?」

「特異点は一定以上従来の歴史からズレると元に戻せなくなる。定礎が崩壊してしまうんだ。普通定礎ってのはもっと抽象的で、広範囲なものなんだけど、この特異点では、何故かそれがネロに集約されてるんだ。つまり、ネロが生きていればこの特異点が決定的にズレることはない。ネロを連れてハンニバルから逃げ続けて、仲間を集めるってことは可能になる。」

 

かくして、ネロと共に、ハンニバルから逃げる人理修復が始まった。

 

 

 

 マシュやぐだ男から最大の敵と認識を受けている左目に眼帯をつけた男、ハンニバル・バルカは自身を召喚した者の元へ向かっていた。進軍を中断してまで戻ってきたのは呼び出されたからだ。オドアケル、ブーディカといった対ローマの英雄達も彼らを従えるハンニバルも、皆、共通の主を持つ一介のサーヴァントに過ぎない。世界に召喚されてなお、世界を滅ぼす決断をしたいうなれば裏切り者のはぐれサーヴァントは他に居た。

 目的地の部屋はハンニバルが以前見た時よりも数段禍々しい魔力を放っていた。悍ましいものを感じながらもハンニバルはその扉を開け、自らを呼び出した者を呼ぶ。

 

「おい、何の用だ、親父」

「ん? おぉ、ハンニバルか。よく来た」

 

ハンニバルが親父と呼ぶ人物。あだ名や愛称などではなく、正しい意味でのハンニバルの親父。ハルミカル・バルカだ。親子だけあって互いに面影を感じさせる。しかし、二人を見比べて、ハルミカルが親と判断する人間はいないだろう。サーヴァントが自身の全盛期の姿で召喚される都合、ハンニバルとハルミカルの見かけ上の年齢は逆転している。ハルミカルは第一次ポエニ戦争を戦ったカルタゴの将軍であり、あのローマを相手に不敗を誇った名将。当然この頃の壮年期の姿だ。ハンニバルは死の直前、老年期の姿だ。ハンニバルに言わせれば終ぞ果たせなかったとはいえ、幼き日の父との誓いを守ろうと生き抜いた人生の証明だからだ。故に左目は既に失明しており、普段は眼帯を付けている。

 

 ハルミカルは以前この地に特異点が発生した時、つまりマシュやぐだ男が初めて第二特異点に来た際に既に召喚されていたが、ローマと協力することを拒絶し、ネロとロムルス、どちらの陣営にも付かなかった。ただ傍観だけしていた怠け者だったのだが、なんの因果か聖杯の欠片を手にして、人理の敵となった。

 

 ハルミカルは考えた。滅ぼすにしても戦力が足りない。補充するにしても欠片に過ぎぬ聖杯では、新たなサーヴァントの召喚は不可能。故にハルミカルは先の戦いの折にすでに世界に召喚されていた英霊たちの残滓をかき集め再召喚した。その際に属性をわずかに書き換えることで、かつて人理修復の為に戦った英雄たちを、今度は焼却の尖兵として用いることを可能とした。例えば、ブーディカもこれにより復讐者としての側面が強くなり、ローマと戦う事を鬼気として承知した。

 兵力をそろえたハルミカルだったが、想定外の事態が生じた。抑止力である。収束しかけていた特異点が再び歪み始めたことで、カウンターが発生した。ハルミカルが先の戦いの英霊を召喚したのと同じように、今のローマの味方として歴代ローマの英雄たちが召喚された。戦線は膠着し、否、大帝国の英雄たちをハルミカルやブーディカでは抑えきれなかった。徐々に劣勢へ陥ったハルミカルは新たな手段を投じた。彼をして自らを超えると認めざるを得ない最高の戦術家、後世においてまで最高と呼ばれる戦術家、ローマ史上最強の敵、ハルミカル・バルカの愛息子、ハンニバル・バルカの召喚である。それまでの戦いで脱落した英雄や兵士を吸収し、力を得ていた聖杯の欠片を用いて自らの霊核を分割。それを触媒として息子、ハンニバルを召喚を図った。何の縁もない存在であれば決して成功せず、自滅するだけに終わったであろう無謀は、親子の縁によって奇跡的に覆された。その時、古今最高の戦術家、ハンニバル・バルカはこの世界に現れた。霊核が損傷したハルミカルは戦う力を失ったが、それ以上に強大なサーヴァントがローマの前に立ちふさがることになったのだ。

 召喚されたハンニバルが真っ先にしたことは、彼の天敵足り得る存在、かつて彼を破ったスキピオの抹殺だった。再戦の欲求は持っていたがそれ以上に戦いに勝利することが重要であった。アサシンのクラスをもっていた荊軻は命を捨てろという命令に本望と笑い、死地に向かった。果たして荊軻は自らの命と引き換えに、スキピオの暗殺に成功した。ハンニバル側がサーヴァントの数で劣っていた以上、一対一の損害比は通常であれば悪手である。だが、それを覆せるのがハンニバル・バルカという英雄だ。満を持してハンニバルは残りの兵力を以ってローマとの決戦に挑み、圧倒的な勝利を飾った。ローマの英雄たちはただ数名を残して一掃された。

 

 散っていったローマの英雄たちの魂を取り込んで力を増した聖杯の欠片が、現在ハンニバルとハルミカルの目の前にある疑似聖杯だ。もはや新たなるサーヴァントの召喚までも可能とした、欠片と呼べぬ万能に近き願望器。聖杯の欠片を核として数多の英霊たちの魂により補完し、辛うじて形を保っている巨大な魔力の塊、疑似聖杯。掛けられた望みはローマの崩壊。その望みはこの特異点におけるローマの主、ネロ・クラウディウスに対する呪いとしてその形を表している。これこそがマシュが感じ、ロマニが検出したネロの魔力の異常。

 

「見ろ。ようやく呪いが効果を発揮する」

「……まだ自我を保ってるのが恐ろしくてならねぇよ。ほんとバケモンだな」

「ネ……ロ…………」

「あぁ、まったく手こずらせてくれる」

 

ネロに掛けたのは呪いである。だというのになぜ、ネロに起きた異常が魔力だけなのか。それもサーヴァントと戦えるという都合のよい効果だけなのか。それは疑似聖杯の最も核に近い部分に存在する魂。それがロムルスのモノだからに他ならない。かつて聖杯の最も近くにいた英霊の魂が、その存在を嗅ぎつけ、ネロの下に現界することもなく魂のみでハルミカルの妨害をした。ロムルスという強大な魂が、呪いの矛先をずらしているが故に。だが、それも限界だ。先の戦いでこの疑似聖杯に流入された数多の魂は、膨大な魔力となりたとえロムルスであっても御しきれないものとなった。これ以上の魂を流し込めばロムルスの自我は完全に押し流され全ての呪いがネロに向かう。そこで起こる事象はローマの崩壊。人理の破綻だ。

 

「……奴らがきたらしいな」

「あぁ。少しズレてな。境に出てきやがった。」

 

順当にいけばハルミカルの勝利、ローマの崩壊は揺るがない。ただ一つ。想定された懸念があった。人理修復機関カルデア。ハンニバルの先の戦いにより収束しかけていた人理は完全に歪んだ。特異点はここに復活を遂げたのだ。であれば、かの機関が動かぬはずがない。近いうちに現れると想定することは、ハンニバルにとってもハルミカルにとっても当然のことだった。だからこその対策。聖杯の力を用いて、ぐだ男とマシュの出現地点に工作を仕掛けていた。それこそ戦場の只中にぐだ男とマシュが召喚された理由で在り、即座にブーディカが襲ってきた理由である。ハンニバル本来の作戦は自らの陣中に召喚してサーヴァント複数で討ち取るというものであったが、これもロムルスの妨害によって出現地点がズレた。ロムルスは先の戦いによる大量の魂の流入以来沈黙を保っていた。だからこそハンニバルも手が回らないと予想したのだ。しかし、ぐだ男達は両軍が激突するその境に出現し、前線に出ていたブーディカが戦闘を行ったものの、カエサルが現れぐだ男達を逃すことになった。戦力を自陣に集中していたハンニバルは追撃をすることができず、仕方なしに引き上げた。

 

「だが、まぁ。次はねぇよ」

 

そういうと笑ってハンニバルは部屋から立ち去る。ハンニバルが居なくなり一人になったハルミカルは疑似聖杯を眺めて。呟いた。

 

「……だが、保険は必要だろう。なぁ、ハンニバル」

 

ハルミカルは息子を信じていないわけではない。むしろこの上なく信頼している。ハンニバルに不可能であれば、他の誰にも不可能であると確信するほどに。だからこそ聖杯という奇跡に不可能を祈るのだ。ローマの滅亡を、祖国の存続を祈るのだ。

 

「戦えない戦士は、戦場に必要ないからな」

 

ハンニバルの勝利をこの目で確かめたい。それだけの思いで無力となった今も醜くこの世界に居座っている自分自身を自嘲しながら、ハルミカル・バルカはつぶやいた。

 

 

 

 ネロとマシュ、そしてぐだ男は国を周りサーヴァントを探すことになった。本来ならばそんな時間的猶予はないところであったが、帝都すらを囮として、サーヴァントを探す時間を作る、カエサルの案で解決した。直に攻め寄せるだろうハンニバルという大敵に対するための苦肉の策。ネロは拒絶したが、カエサルとの舌戦の末言い包められてしまった。あのカエサルに言葉で挑んだ時点で、ネロの敗北は確定していたようなものだった。ネロにとってどこか釈然としない思いを抱えたままの出立となったが、ネロは既に飲み込んだようで強いサーヴァントを集めると息を巻いていた。

 




二章を読んだ時から考えていたお話。ハンニバル出てほしかっただけ。


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2話

バッサリカットしていきます。


 花の帝都ローマ。ローマ帝国の象徴とも呼べるその都市は、一人の将軍の手によって陥落した。将軍の名はハンニバル・バルカ。ローマ史上最強とまで謳われたローマの宿敵。かつての歴史で成し得なかった大業を彼は今一度のチャンスを以って成し遂げた。帝都を失ったローマは国としての機能を失った。後の千年帝国はここに消滅し人理は崩壊する、はずだった。

 

「どういうこった、こりゃ……」

 

ハンニバルは困惑していた。帝都を落とした達成感はひとしおだったがそれ以上に不可解なことがあったからだ。帝都陥落により今回の戦は勝利に終わる筈だった。少なくともハンニバルはそう予測していた。ハンニバルの父、ハルミカルの願いがネロ・クラウディウスへの呪いという形になっていようとも、その根幹にあるのはローマへの執着だ。であればその象徴を奪い取ったのだから願いは遂げられ、いよいよもって人理はその形を保てなくなるはずなのだ。すくなくとも、ハルミカルの望みが順当に叶えられていればそうなってしかるべきだ。

 だというのに、崩壊の兆しはない。現在は敵対しているとはいえ、世界の守護者たる英霊が、世界崩壊の際に何一つ察知できないなんてことは在り得ない。しかし、ハンニバルはその予兆をまるで感じない。それは世界が崩壊に向かっていないことを示している。

 

「ありえねぇ」

 

ハンニバルはひとりごちた。ハンニバルが真っ先に思いついた要因はネロ・クラウディウスだ。ハンニバルはネロが帝都を捨てて逃げるような質には見えなかった。だが現実としてネロはこの場所に居なかった。故に周囲がどうにか逃がしたと考えた。そこでハンニバルは守将のガイウス・ユリウス・カエサルの事を思い出した。カエサルはずいぶんと口が達者だった。あの男が説得したか、気絶させて運び出した可能性も否定できなかった。

 思考が逸れかけたハンニバルは、頭を振って再び人理が崩壊しない理由を考え、そしてある答えに到達した。

 

「いや、ありえねぇ」

 

だがハンニバルはその答えを自ら打ち消した。いくらなんでもあり得ないと考えたからだ。あるいはそう思いたかった。人理において重要な事がローマ帝国の存亡ではなく、ネロ・クラウディウスの存在だなどと、世迷言に過ぎない仮定を思いついた自らを自嘲した。ハルミカルが執着し、ハンニバルが倒さねばならぬ大帝国が、こと人理において一個人にすら及ばぬなどと、客観的にも主観的にもありえないことだった。

 

かくてハンニバルは自らの考えを否定した。その先にある可能性に思い至っていながらも、ひとまずそれから目を逸らし、目の前の戦いに集中することを決めた。ハンニバル・バルカの敵は、ハルミカル・バルカの望みは、ネロ・クラウディウスではなくローマ帝国そのものである。故にこそ、ハンニバルはローマが完全に崩壊するまで、人理が崩壊するまで闘う事を選んだ。

 

 

 

 カエサル戦死。その知らせは共に来た帝都陥落の報以上にネロに衝撃を与えた。ネロからしてもぐだ男からしても、予想の範囲内の出来事だったとはいえ、想定するのと現実として叩きつけられるのでは大きく異なった。その報を聞いたネロは頭痛がすると一日部屋に籠り、次の日以降も調子が悪そうにしていた。ネロの魔力の乱れも大きくなっており、ロマニの観測とマシュの感覚により、それはぐだ男たちも知る事となった。

 たとえ、調子が悪かろうと、人理を救うためのこの戦いで停滞するわけにはいかない。時間は味方ではないのだから。それはぐだ男達だけでなくネロも知っていた。だからこそ、一日喪に服した後はもう歩みを止めることはなかった。ただ味方を求めて、歩みを進めた。

 

 

 

 仲間探しを始めて一月半。帝都が陥落してからは一週間ほどが過ぎ、ぐだ男が出会い、仲間に引き入れたサーヴァントは四騎。ハンニバルを相手取るには心もとない数ではあったが、これ以上は待てなかった。ネロの体調が日ごと悪化の一途を辿っていたからである。之以上の猶予はない。故に。四騎の英霊にマシュとネロを加えて、計六の戦力でハンニバルに対する。正真正銘、最後の、背水の戦い。これで負ければ人理は崩壊する。敗北の許されない戦いだ。

 

 

 

――――かくて決戦の時は来た。

 

 

 

 これより起こるは、ハンニバルがハルミカルに召喚されてから、三度目の大きな戦い。一度目はハンニバルの完全勝利。ローマのサーヴァントのほとんどを打ち取る圧勝。二度目もハンニバルの完全勝利といって差し支えない大勝。帝都を落とし、先の戦いで取りこぼしたサーヴァント、かのガイウス・ユリウス・カエサルをも討ち取った。だが、それでローマが敗北したわけではないことを、ハンニバルは知っていた。かつて二度の大敗から戦術を吸収しハンニバルの前に現れたスキピオ・アフリカヌスのように、皇帝ネロは敗戦を重ね、ハンニバルから逃げながらも新たな仲間と共にハンニバルに三度対する。

 だからだろう。この戦いはザマだと、ハンニバルは直感した。ローマとハンニバルが逆の立場になって、カンネーを再現したかのような戦い。ハンニバルが、ローマに敗れた瞬間。ハンニバルは憂鬱を自らの心に隠せないが、勝機が無いわけではない。

 スキピオがいない。酷く情けなく感じるがこれは大きい。英霊は既に完結した存在であるが故に、その特性を過去に縛られる。互いの実力はどうあれ過去に敗れた存在が相手では、英霊はその力を十分に発揮できない。天敵が存在しない、それだけで戦いの結末は未知数に成り変わる。

 ハンニバルの取る戦術はひどく単純。ザマのころと何も変わらない。圧倒的な突破力を以ってして相手の金床を突破し、反転包囲する。ハンニバル側が包囲できない理由も分かりやすい。同じ作戦を取ろうとしたら練度が上の方(ローマ)が勝つに決まっている。だかろこそハンニバルはかつて自らが編み出した、戦術の完成系とも呼べる包囲戦術を超えなければならない。そのためにハンニバルがかつて用意した象は、スキピオにうまくいなされ効果を発揮しなかった。今回も象はいる、それもとびきりの象、ダレイオス三世が居る。だが、それだけではない。今回は、象だけが突破力ではない。象を超える突破力を持つ切り札を持っている。ハルミカルが召喚したはいいが、使い勝手が悪すぎて今まで闘いにつれてこなかった英霊。反逆の闘士スパルタクス。奴を以って敵の金床を突き破る。

 ハンニバルは負けるつもりはない。勝機が薄いことも重々承知だ。だがすでに火蓋は降ろされた。

戦いの命運は全て、正面のスパルタクスとダレイオス三世に掛かっている。両翼が破られる前に中央を突破すればハンニバルの勝ち。できなければ負け。酷く分かりやすい。あとは待つだけ。狂達が敵を食い破るか、敵の刃が此処に届くのが先か。

 

「賽は投げられた、か。カエサルはうまいこといいやがる。カカカカ」

 

ハンニバルは先に討ち取った男を思い出しながら笑って遠く正面を見据える。

 

 

 

 スパルタクスは笑いながら突き進む。腕を一振りすると行く手を遮るものは消えて失せる。元より彼を止める事はサーヴァントにさえ難しい。サーヴァントでない兵士たちなど障害にすらならない。視界を遮るだけの物体だ。

 

「ハハハハハハハハハハ!」

 

只進むスパルタクスの前にいままでとは雰囲気の違う存在が立ちふさがる。サーヴァントである。盾と槍を持ち、燃え盛る鶏冠を持つ兜を付けながら体はむき出し、鎧など付けていない、スパルタクスよりは小柄であるが筋骨隆々の戦士。それを知覚しようとスパルタクスは止まらない。彼にとって立ちふさがる全ては圧政者に他ならない。ひたすらに前進制圧。圧政者を倒すそのためだけにまた腕を振るう。

 

「ハハハハハハハ!」

「ぬぅ! ふんぬぁ!」

 

笑いながら振り下ろした金棒はその盾で防がれる。立ちふさがるはサーヴァント。スパルタクスの一撃を受け止めた彼の名はレオニダス。かつてテルモピュライにて百万を超えるともいわれるペルシャ軍を相手に戦った三百の戦士たちの長。この時代、一度目の人理修復でぐだ男達の前に立ちふさがった強敵。その力を信頼し今回ぐだ男が用意した、最高の金床。自らの意志ではないとはいえ、世界の滅亡をたくらむ一派に与したことをひどく悔やんでいたレオニダスには、ぐだ男の誘いは天命にも等しかった。かつて敵対した自身を信じ、これ程の重役を預かることになった。レオニダスは彼の誇りにかけて、相手が誰であろうとこの地で食い止めることを誓った。彼の誓いは果たされ、スパルタクスはその進撃を一時停止した。

 

 だが、金槌の役割をするのはスパルタクスだけではない。ダレイオス三世と彼の率いる不死の一万騎兵がスパルタクスごとレオニダスを轢き潰そうと迫り、そのまま彼らを押し潰した。しかし。そこで突撃は止まる。轢き飛ばされたレオニダスは傷つきながらも立ち上がる。スパルタクスは突撃してきた死兵を受け止め叩き潰す。レオニダスは弾き飛ばされながらも騎兵たちの勢いを止めた。彼一人では食い止めることはできなかっただろう。だが、彼の周囲にはレオニダスと同様に二つの金槌を食い止めるべく立ちふさがる戦士たちが居た。

 レオニダスの宝具。炎門の守護者。一万もの軍勢を召喚するダレイオスとは比にならぬほどの小勢。三百ばかりの戦士を召喚する宝具だ。三百人で一万人の突撃を食い止めるなど、常識に当てはめればできる筈がない。いや、常識外の集まりであるサーヴァントをして、正面から激突して、完璧に受け止めきるなどというのは異常と呼ぶしかない珍事である。だが、彼らはかつて百万を相手に国を守り切った戦士達。確かにかつて百万を相手取った時には友軍がいた。それでもその中核を担ったのはスパルタ軍だ。彼らはそのスパルタ軍の中から選りすぐられた最精鋭。なれば、高々数十倍程度の戦力差がなんだというのだ。レオニダスはそのスパルタ随一の頭脳で計算してみせた。

 

「敵は一万。我らは三百。一人当たり四十人も倒せばおつりがくる!」

 

おぉ、と感嘆の声を漏らすのは周囲の戦士達。なんて的確な判断能力。我らが一騎当千の猛者である以上戦力比は……とにかく容易い。口々に自らの長を褒め称える炎門の守護者達は、レオニダスが槍を天へ掲げると言葉を止める。槍の穂先が天から正面の敵へ移される。敵を見つめ裂帛の気合を叫ぶ。

 

――ディス・イズ・ア・スパルタ!

 

彼らの叫びは大気を揺らし、戦場に鳴り響いた。

 

 自らの前進の邪魔をするならば敵であるというひどく単純明快な思考回路を以って、友軍であるはずのダレイオスをも敵と認識したスパルタクスは本来の敵も味方もなく暴れまわる。

 

 狂気に身を落としたダレイオス三世は、其れでなお誇り高き戦士たちの姿を見て感嘆を示し、全力を挙げて屠ろうと決意する。此処をスパルタクスに押し付けて、一万の内の三千でも残して突撃すれば、突破はできる。だが、王の誇りがそれを良しとしない。戦士の全力には全力を以って答える。暴風王ダレイオス三世の誇りは狂気に落ちてなお、些かたりとも曇ってはいなかった。

 

 質では炎門の守護者が勝る。数では不死の一万騎兵がはるかに勝る。不死性に特化したもはや屍人のそれである兵たちは、五体が四散すれども僅かな時と共に蘇る。であればこそ、この戦いは際限なく湧き続ける文字通りの死兵をどれだけの時間、炎門の守護者達が凌げるかという性質のものになる。

 事実上無限の兵に対する三百は、そう長い時間持つはずがない。事実、これが不死の一万騎兵でなければ、いかなレオニダスと言えども突破されていただろう。だが忘れてはいけない。炎門の守護者達が戦った大軍はなんであったが。百万の大軍勢。そう、百万のペルシャ(・・・・)兵。そう、彼らはダレイオス三世の国(ペルシャ)から祖国を守り抜いたのだ。かつて百万を凌いだ彼らが、一万程度の兵で抜ける筈はない。

 かつての絶望的な戦いと比べれば、この程度の数の差はないも同然。レオニダスと、彼の召喚する英雄たちによって、ハンニバルの金槌の動きは完全に止まった。

 

 

 

 

 

 レオニダスはよく耐えていた。彼と彼の戦友の活躍により、長らく金槌は止められていた。だが、戦局は動くものだ。

 傷つき、四肢はへし折れ、槍も突き刺さり、その場から動けぬような困難な状況下にスパルタクスはいた。いかに不死身にも近い耐久力を持つスパルタクスと言えど、限界はある。自らの肉体を顧みない戦いぶりに加えて、敵は精鋭スパルタ軍。味方の筈のダレイオスとは互いに殺し合いを始める。そんな有様では限界が来るのはレオニダスより早かった。いまスパルタクスはレオニダスによって抑え込まれ、もはやただ消滅を待つしかないような状況下にいた。レオニダスは、スパルタクスにとどめを刺そうと最後の一撃を振るう。

――直前。スパルタクスの体が弾けた。

 

 スパルタクスの宝具、疵獣の咆哮は受けたダメージを魔力として貯蔵する宝具だ。致命的な傷をいくつも受けたスパルタクスが蓄えた魔力は通常の聖杯戦争であれば一撃で終わらせ得るほどの圧倒的な破壊力を生み出した。その破壊を受けた、その場に居た戦士たちは皆、跡形も残さず消滅した。僅かに離れた位置に居た戦士も甚大なダメージを受け吹き飛ばされた。そして、レオニダスも例外ではない。否、レオニダスこそがこの宝具の直撃を受けた。レオニダスは防衛能力に特化した英霊であるが、それでもこの宝具を耐えきることはできない。疵獣の咆哮の直撃を受けたレオニダスの体は爆散した。レオニダスという英雄は、この時代から消滅した。

 その場には筋肉の怪物と形容する他ない異形のみがいた。スパルタクスだ。瀕死の重傷を負った彼は、その宝具により周囲一帯を吹き飛ばすと同時、魔力に因って自らの肉体を修復、さらに強靭なものへと作り変えた。元より巨体のスパルタクスであるが、さらに肥大化しその身長は三メートルに届こうかとしていた。

 邪魔するものを倒し、さらなる怪物へと変わったスパルタクスは笑い声をより大きくしていた。それは圧政者を倒したことに依る歓喜。だがいつまでも喜んではいられない。圧政者は無数にいる。それらすべてを打倒するまでスパルタクスは止まらない。

 

 ひとしきり笑い終えたスパルタクスは歩みを進める、否、進めようとした。しかし、動けなかった。スパルタクスの脚には槍が突き刺さり、スパルタクスを地面に縫い付けていた。レオニダスは消滅した。ぐだ男の用意した金床は消滅し後はただ突破されるのを待つだけのはずだった。だが、レオニダスが死してもその意志までも死んだわけではない。スパルタクスの足元には左の手脚が千切れ飛び、右足も辛うじてつながっているだけで今にもねじ切れそうな無残な有様の戦士がいた。とても戦えるようには見えない状態の戦士だが、確かにスパルタクスの足を地面に縫い付けたのはこの戦士だ。戦士はスパルタクスに吹き飛ばされ、致命傷を負いながらも戦闘続行スキルにより世界にしがみつき、致命傷のまま左腕だけでスパルタクスの下にまでたどり着き、その槍をスパルタクスの足へと深々と突き立てたのだ。スパルタクスは大きく笑い、金棒を振り下ろした。

 

「ディス、イズ、アッ゛……スパル、タ゛ァア゛――!」

 

血を吐きながら、自らの炎門の守護者たる誇りを断末魔として叫び上げて戦士は消滅した。だが、槍は残る。僅かであっても敵を食い止める、彼の意志が残っているかのように。それでもスパルタクスは、狂戦士は自らの足の肉をちぎりとり前進を再開する。だがその歩みはまたすぐに止められることになる。レオニダスが消滅し、消えた筈の炎門の守護者達がそこに居たからだ。

 

 テルモピュライの戦いにおいて百万に対したのは、レオニダスを大将として祖国の為に闘い抜いた三百の戦士達。確かにレオニダスは炎門の守護者達の長だ。だが、彼らはそれだけの存在ではない。彼らはダレイオスの不死の一万騎兵のような英霊に満たない兵達ではない。300人全てがレオニダスと伍する英霊。レオニダスが戦場で倒れた後も戦い続け、四度ペルシャの大群を押し返した、一騎当千の猛者達。王の死後であってもその戦意は些かの曇りもない。否。偉大なりし王の死を無駄にせぬために、より高まる。

 レオニダスの宝具炎門の守護者は三百のスパルタ兵を召喚し、共に戦う宝具。だが、その真価はレオニダスの消滅後にこそ発揮する。通常の聖杯戦争では決して役に立たぬ効果。だが、此度の戦いは尋常の聖杯戦争ではない。たとえレオニダスが朽ち果てようと、味方がハンニバルに届くまで、三百の内ただの一でも残れば勝ち。故にこそ彼らは命を投げ打って戦う。これこそ彼らの本懐。これこそ彼らの運命。強大な敵を、防ぎきる。彼らが一人一人と命を散らすその間に、仲間が必ず敵を打倒する。彼らの死は犬死ではない。そうはさせない。一人減る程に、一人いなくなるほどに。彼らの戦意は高まり続ける。たとえ百万対一になろうとも彼らの心は砕けない。其れこそ彼らの矜持。友の為、家族の為、国の為、世界の為に戦う。彼らの屍の上にこそ愛しき人々の幸福があるのだから。

 

 

 

――炎門は未だ開かない。

 

 



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3話

 戦場の中央でレオニダスが死闘の果てに世界を去った頃。ハンニバルから見た左翼でも一つの戦いに決着がつこうとしていた。此処はぐだ男にとっての本命とでも呼ぶべき場所。ぐだ男自身もこの場に居合わせている。ぐだ男とマシュ。それから新たに味方に引き入れた、かつてこの特異点に存在しなかったサーヴァント。この戦力で敵陣を突破し、ハンニバルに包囲戦を仕掛ける。故にこそ此処にいるサーヴァントは一等のものだ。ハンニバルが此処に配置し、ぐだ男達が此処で出会ったサーヴァントはブーディカ。ハンニバルは突破力を重視した部隊が来るのを読み切り、比較的守勢に長けたブーディカを此処に配置したのだ。

 

 

 

 

 

 対するは三騎のサーヴァント。一人はデミサーヴァントであると考えれば二.五なのかもしれない、とにかく三騎のサーヴァントが対していた。ハンニバル側は勝利の女王、ブーディカ。カルデア、ローマ側はマシュと、この特異点で新たに仲間に引き入れたサーヴァント。黒く豪奢な服に身を包み、透き通るような白い肌と髪を持つ長身の紳士。かつてオスマン帝国と戦い、幾度と退けた防衛戦の名手。故国を守るための残虐な行いが歪められ、後世吸血鬼のモデルとなった無辜の怪物。ワラキア公ヴラド三世。

 

 

 

 串刺し公ヴラド三世。ぐだ男達が発見し、仲間に引き入れたサーヴァントの中で、唯一この特異点で存在を確認されていなかったサーヴァントだ。残る三騎は皆、かつてこの特異点でぐだ男とマシュに敵対したサーヴァントだった。

 だからといってぐだ男たちとヴラドが初対面であるという事にはならない。第二特異点より以前、第一特異点オルレアンでぐだ男はヴラドに遭っている。その時ヴラドは、魔元帥ジル・ド・レェによって生み出された偽りの聖処女ジャンヌ・ダルクの配下として、バーサクランサーを名乗っていた。出会ってすぐに仲間内の喧嘩にも近い形で真名が明らかになったため、ぐだ男がそう呼んだ事はおろかそう認識していた時間ですら皆無に近かったのだが。

 今回ぐだ男達が出会ったヴラドはかつてと違い、バーサクの付かない通常のランサーのクラスで現界していた。狂化の付かない本来の姿の彼としてだ。ぐだ男もマシュも当初は警戒していたものの、少し話すとヴラドが理性を保っていることに気が付いた。すると緊張も緩み、無事に仲間に引き入れることに成功したのだ。戦力が増えて喜ぶ中でただ一人、ロマニだけがかつていなかった英霊が召喚されたことに疑問を持ったが、ロマニはそれだけ現状の特異点がかつてのそれに迫る程に大きくなっているのだと解釈した。世界が召喚した新たな助っ人だと考えたのだ。

 

 決戦に挑むにあたって、ヴラドはマシュと共にハンニバル包囲の指揮をとることになった。元来防衛戦を得意とし金床になろうと考えていたヴラドであったが、両翼がいち早く突破する事が大切であるとの判断と、なによりマシュが絶対的な信頼を寄せ、自らをも超える防衛戦の達人レオニダスを信じ、攻勢に回ることとなった。マシュでは突破力に欠け、レオニダスも同様。故に突破力を重視すると、最大の防衛力を持つレオニダス一人に敵を受け止めさせる他に手段がなかったのだ。決定すると必然的にマシュと共に行動することになった。他の二人は纏めて引き入れたサーヴァントであるためそのまま行動させた方が連携もとり易かろうという気遣いと、ヴラドならばうまくマシュとぐだ男を導けると信じられたからである。

 

 そして、実際に決戦に挑み、ヴラドとマシュ、ぐだ男の前に立ちふさがったのはマシュにとって姉とさえ呼べるような存在。ブーディカであった。

 

「あーあ。マシュちゃんだ。久しぶり。また会うなんてね。君とは殺し合いたくなかったんだけどなあ。でも仕方ないよね。マシュちゃんが、いや、うん。お前がローマの味方なら私の敵だ」

 

ブーディカは戦場において不釣り合いなほど気安く話しかけたが、それも束の間。自ら意志を完結させるとマシュとぐだ男、ヴラドを相手に襲い掛かってきた。

 

 

 ブーディカのクラスはセイバー。高いステータスと強力な宝具による安定したステータスをもつ最優と名高いクラスだ。さらに、狂化によるステータス上昇が加わることによりそのステータスは大英雄が数多いるセイバーの中でも上位に位置するほどのモノとなっている。宝具は約束されざる勝利の剣(ソード・オブ・ブディカ)。そして、ライダーの時所有していた約束されざる守護の車輪(チャリオット・オブ・ブディカ)。一度召喚されたモノの残滓を集め再召喚するという、特殊な過程を経たが故にブーディカの相反する二つの面を象徴する宝具を同時に所有するという、本来在り得ない事象が起きていた。

 マシュのクラスはシールダー。護る事に特化したクラス。故に攻撃能力は低く、武器は持ち得ない。普段盾として使っているものを武器として利用することで攻撃をする。必然その宝具も守備的なモノになる筈だが、マシュは真名解放を不完全な形でしか使えない。デミサーヴァントの名のとおりの半人前。元となった英霊が強力であったことと、既に幾多の修羅場を潜り抜けてきたが故に、戦力外というほどではないが、それでも、親しいモノとの戦いは初めて。満足に動けるかは分からなかった。

 ヴラドのクラスはランサー。三騎士に数えられる優秀なクラスであるが、ヴラド自身はランサーの中で突出した存在ではない。ステータス的にブーディカ相手に打ち合う事は可能、だがそう長くはもたない。特筆すべきは固有スキルの護国の鬼将。自らの国、領土を守護する際に領土内において大規模な能力の上昇を与えるスキルである。領土はあらかじめ地脈を確保する事でも代用することができサーヴァントとしては領土など持っているはずが無い為こちらが主となる。宝具は極刑王(カズィクル・ベイ)。自身の領内に無数の杭を発生させ相手を串刺しにする対軍宝具。故に、護国の鬼将が発生しない場所では自らの体内から杭を生み出す程度の対人宝具にまで弱体化する。もう一つ、宝具があるにはあるが、これはヴラドが自らの命を捨ててさえ使用を拒絶する宝具である。つまり、ヴラドが此度の戦いで使える宝具は、ないと言えた。

 

 宝具とはサーヴァントの奥の手であり、魔術師によってはサーヴァント召喚は宝具召喚であると断言するほど重要なものだ。宝具を満足に使えるサーヴァントと使えないサーヴァントでは、よほど地力に差がない限り、後者に勝機はない。そしてヴラドもマシュも、ブーディカを圧倒できるだけの地力は持ち合わせない。むしろ狂化の分だけ負けているとさえいえる。故にぐだ男達がこの戦いで勝利する可能性は、二対一とはいえそのままでは薄いと言わざるを得なかった。

 

 

 

 襲い掛かるブーディカの一撃を防いだのはマシュだ。今度こそは完璧に防いだ。当たることが分かっていれば、その動揺を抑えきれぬとはいえ、戦わねばならないのだ。そう、決意した。正確にはしようと今も必死に足掻いている。直接相対して、刃を、マシュは盾だが、交える段になってもその覚悟はできない。マシュはそれができるほどの人生経験を積んでいないし、それをごまかせるほど自らに嘘を付けなかった。ぐだ男もマシュに戦えと命ずるほど非情になれなかった。

 悩むマシュを気にする様子すらなくブーディカは攻撃を続ける。圧倒的とまで呼べるステータス差に真名解放などなくとも追いつめられるマシュ。万全の状態でも勝ち目は薄い上に、迷っていては微少の確率を掴めるはずはない。決着は遠からずついただろう。だが、此処にはマシュの味方がいた。自らの覚悟を見せるといい、果敢にブーディカに挑んだマシュだったが、やはりその動きは精彩を欠き、ヴラドが黙って見ていられるものではなかった。ヴラドは、苦戦するマシュを援護するために、ブーディカに文字通りの横やりを入れた。

 ブーディカは横から迫る槍に気が付くとマシュの盾を足場として、後ろに飛ぶことで避けた。ブーディカが斬りかかってきてから初めて距離が開く。ヴラドはマシュとブーディカを遮るように、マシュの前に立つ。そして、マシュに告げる。

 

「うむ、マシュよ。愛しき者と戦うのは辛かろう。無理をする必要はない。此処は余に任せるがいい」

「ですが、ヴラ、ンサーさん一人では!」

 

ヴラドの声に、咄嗟に真名をばらしそうになるのを誤魔化して、マシュは反論する。自身がサーヴァントである以上、戦い義務があると考えている。戦えない自身に価値はないとまで。余裕のないマシュはヴラドの声に混じったやさしさにも、ヴラドの胸中にある追懐の情にも気が付かない。

 

「苦しさを誤魔化し戦ったとて、果てにあるのは破滅だ。であれば、今貴様は戦わぬ方がいい。ただあの女の激情を受け入れよ。そして認めよ。それこそが、貴様にも彼奴にも、救いとなる」

「人理が、世界がかかっているんです、そんなことは――」

「それは侮辱だ。余が戦士ですらない婦女子に負けると、貴様は言うのか」

 

余裕の無さは、知らず、ヴラドの逆鱗に触れる。殺意とまで呼べるほどの静かなる怒気を向けられたマシュは黙り、一言謝罪の言葉をつぶやいた。

だが、ヴラドの言葉もまたブーディカの逆鱗に触れた。

 

「ただの婦女子だと! そのお前たちの傲慢さが、どれだけ私たちを傷つけたと思ってる!」

 

ブーディかは標的をヴラドへと変え圧倒的なステータスを以って襲い掛かる。

 

「無論。知っている。かつてこの身を以って味わった。国を守り切れぬ苦しさも、愛しき人を失う絶望も。全て」

 

その攻撃は到底ヴラドには出せぬものであったが、それでも尚対応した。従来のステータス差を考えれば即座に決着してもおかしくはない、その一撃一撃を凌ぎながら言葉を紡ぐ。其れは戦いを見るマシュの為。目の前で苦しむ婦女子を救うためだ。

 

「黙れ、黙れ、黙れ! 嘘だ! 分かるなら、止める筈がない! 知っているなら抑えられるわけがない! だって皆泣いていたんだ!」

「故にこそ。貴様は戦士ではない」

 

ブーディカの激情を傷つきながら全て受け入れて、決して浅くはない傷をいくつも受けながら其れでも尚、だからこそ戦士ではないと、ヴラドは断ずる。ブーディカは一瞬絶句し、次に発狂したように絶叫しながら距離を取る。そして剣を構える。同時に魔力が高まる。併せてヴラドも槍を構える。

 

約束されざる(ソード・オブ)――」

 

それは真名解放。不完全な効力すら発揮しないヴラドの宝具では防げる筈もない。待ち受けるのは絶対的な死だ。ブーディカの真名解放を、ヴラドは受け止めることができない。ブーディカの宝具が発動すれば、の話だが。

 

「――極刑王(カズィクル・ベイ)

 

 宝具が発動した。ヴラドの宝具だ。空間が揺らぎ四方八方から襲い来る杭を、ブーディカは真名解放を中断し、薙ぎ払う事で防いだ。だが、杭は尽きない。折られれば新たな杭が。砕けても、避けても数多の杭がブーディカを襲う。

 避ければ避けるだけ、ヴラドやマシュから遠ざかり、更に逃げ場も失われる。切り払えばその隙に別の杭により体が傷つけられる。真名解放する余裕は既に無い。如何に、優れたステータスがあろうとも、ただ一人で総数二万を数える杭を防ぎきれるはずはない。次第にブーディカは追いつめられていった。

 

 ヴラドの宝具は、護国の鬼将の効果を受けていなければその真価を発揮できない。護国の鬼将は最初から効果を発揮していた。その能力上昇があればこそヴラドはブーディカの攻撃を凌げたのだ。有効であったからこそ、真名解放がブーディカを追いつめているのだ。発動していないなどという事は在り得ない。だが、護国の鬼将の効果を発揮するためには、そこが領土であるか、土地の霊脈を掌握する必要がある。

 ならばヴラドは霊脈を掌握していたのか。否だ。この戦場になったのは偶然であり、ある程度の予測ができたとしても、時間が足りない。

 ではなぜか。必然もう一つの条件となる。つまり、この戦場はヴラドの領土ということだ。だが、在り得ない。この時代がヴラドの生前の時代であり、此処がルーマニアであるならばそういう事もあり得るだろう。だがここはヴラドが生まれる遥か以前。国もローマだ。ヴラドの領土など砂の一掴みもある筈がなかった。

 この時代。この国は誰のモノだろうか。この時代、ローマは当然皇帝のモノだ。即ち皇帝ネロの領土という事になる。そしてヴラドは自らの特性について、説明していた。それを聞いた一人のサーヴァントの提案によってヴラドにはある物が与えられた。

 戦場になると推測された場所、及びその近辺の土地である。当代の最高権力者ネロが認める以上其れは有効な命令だ。故にこそヴラドは護国の鬼将の効果を十全に受けることができる。極刑王(カズィクル・ベイ)を完全な形で使用することができる。対軍宝具でありながらその全ての殺傷能力を単体へと向けることができる特殊な宝具。それが極刑王。

 護国の鬼将により覆し難いステータス差は、凌げる程度に成り下がり、いかんともしがたい宝具の性能差は、逆転した。

 

 

 

 

 

 そこには地面から生えた無数の杭にその胴を貫かれ、血に塗れたブーディカと、それを成したヴラド。その様を沈痛な面持ちで見つめるマシュとぐだ男が居た。ブーディカの手から力が抜け、剣が零れ落ち、彼女自身が流した鮮血に染まる大地に突き立っていた。だがブーディカは消滅しない。その眼から憎悪が消えることはない。

 

「哀れな……」

「――――!」

 

もはや声を上げる事すらできなくなったブーディカに、その惨状を作り出したヴラドは憐憫の情を向ける。それが癇に障ったのか、ブーディカは微かに動いた。だが気にかける様子もなくヴラドはブーディカを哀れむ言葉を紡ぐ。

 

「もはや戦う事もできまい。そうであってもお前は敗北を認めまい。戦い果てた戦士ならば、いかような結末であれ、いかような無様であれ、いかような末路であれ、その最期を受け入れるものだ」

 

抗う力を失ったブーディカに向けて話し出す。淡々とブーディカという女を評価する。戦闘続行スキルをもつブーディカは致命傷を負いながらも消滅せず、だが反抗する余力もなく話を聞いていた。このままであれば直に消滅するだろうが、ヴラドにその気はなかった。この哀れな女を救わねばならないと、救いを与えて殺さねばならないと考えていた。

マシュはヴラドの話に耳をふさがない。この惨状に目を逸らさない。それをしてはいけない。マシュは、ブーディカを知る義務があった。

 

「故に。貴様は戦士ではない」

 

確信を持った声で、ヴラドはブーディカに告げた。ブーディカはそれでもヴラドを睨みつけるが体は動かない。どうしようもできない己にかつてを思い出し涙をこぼす。その姿を見てマシュが声を上げた。

 

「わかり、ました。そういうことだったんですね。ヴラドさん。ブーディカさん」

 

そういいながらブーディカの方へ歩みを進めるマシュ。ヴラドは黙って、それを微笑んで見送る。

 マシュがブーディカに手の届く位置にたどり着く。マシュはブーディカに語り掛ける。言葉を紡ぐほどに声が震え、小さくなるが、それでも止めはしない。マシュの瞳が潤むがそれを拭おうとはしない。泣きたいのはマシュだけでなく、泣くべきはマシュではなかった。

 

「ごめんなさい、ブーディカさん。私はあなたの苦しみを理解しようともしていませんでした。今も、理解できたわけじゃありません。それでも分かったことがあります。ヴラドさんが気づかせてくれたことです。私は、貴方を否定していました。でも違ったんですね。あなたもブーディカさんなんです。サーヴァントとして、別の側面が強調されただけだったのに、私はあなたの本質を見誤ってました。暴力的で、復讐に囚われてて、私の知ってるブーディカさんと違うからって、拒絶しちゃダメだったんですね。怖いあなたも、優しいブーディカさんも、本質は一緒だったんですね。怒るかもしれないですけど。はっきり言わせてください」

 

ずっと一緒に居た筈のマシュが気づけなかったことにヴラドが気づいた。マシュがするべきことはしっかりブーディカを見る事だったのに、優しいところだけを、自身に都合のいいところだけを見て、マシュはこのブーディカの存在すらをも疑い、否定した。そんな有様で説得なんてできる筈がなかった。自分の理想だけを突き付けて相手の話を聞かないんだから当然だ。

 だからマシュは今度こそ間違えない様に、ブーディカという人間の本質を言葉にする。しなければならない。ヴラドが言ったようにそれのみが今のブーディカを救うことになるからだ。

 

「ブーディカさん。あなたは戦士なんかじゃないんです。もっと、尊いものです。もっと、素晴らしいモノだったんです。ブーディカさんあなたはどこまでも――」

 

――母親だったんです。

 

そう言うとブーディカは声を上げず、涙をこぼしだした。溢れた涙は地面に落ち、乾きかけの血を再び濡らした。先ほどまでのそれとは違う涙。それを見たマシュもとうとう抑えきれなくなり、うるんだ瞳から液体があふれ零れ落ちる。

 

 救済を見届けたヴラドはブーディカにとどめを刺そうとする。

 

「許せ。生き恥をさらさせた。今辱めず御許へ送ろう」

「待って、待ってください」

 

しかし、マシュに遮られる。それに対して疑問を口にしたヴラドにマシュは答えた。

 

「私が、やります。やらせてください」

「そうか。よい」

 

短く肯定の返事を返すと、ヴラドは宝具を解いた。支えを失ったブーディカが地に伏すが、声もなく涙を流すばかりで動こうとはしない。マシュはさらに一歩近づき、別れの言葉を告げ深く礼をする。。

 

「ブーディカさん。気づけなくてごめんなさい。ありがとうございました」

 

顔を上げると自らの目元を拭い盾を振りかぶり、振り下ろした。瞬間マシュはブーディカの声を聴いた気がした。

 

――マシュちゃん。ごめんね。ありがとう。

 

 




ハンニバルから見て右翼の戦い、ぐだ側は孔明とアレキサンダーです。相手はオドアケルです。バッサリカットします。


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4話

 

 ハンニバルは自陣の奥にありながら戦場の推移を把握していた。そして現在ハンニバルの心を占めるのは諦観だった。

 

「届かねぇ、か」

 

左翼でブーディカが消滅した直後に正面で巨大な爆発が発生した。ハンニバルが考えるまでもなく、スパルタクスだ。この爆発により金床を突破できるか期待したハンニバルだったが、その期待は極僅かな時間だった。膨れ上がったスパルタクスとダレイオス三世の魔力の動きが、障害が消失したにしては遅すぎたからだ。スパルタクスはともかく一緒に送ったダレイオスは狂気の中に指揮官としての判断力を保っている。勝機があれば見逃すはずがない。故に、ハンニバルは未だに金床が健在であると考えた。ハンニバルはあの二人の狂戦士を正面に当ててなお、突破ができないとは思っていなかった。ハンニバルの失敗はレオニダスの力量を見誤ったことにある。

 父ハルミカルからかつての特異点の話を聞き、レオニダスが味方に居ない事からその存在は予想の範疇にあったハンニバルだが、その防衛能力は低く見積もっていた。理由はひどく単純で、ぐだ男たちに突破されたからだ。ハンニバルはダレイオスでレオニダスを突破することは難しいと考えていたが、だからこそのスパルタクスだった。ダレイオスとスパルタクスが同士討ちをすることも計算の内だった。宝具の特性上ダレイオスへの損害は軽微であるし、スパルタクスの宝具による魔力蓄積が早まる分むしろ有利に働くとハンニバルは考えたのだ。

 ハンニバルが自らレオニダスを見ていれば、ハルミカルがかつての戦いに積極的に参加していれば、もっとレオニダスについての情報を持っていたならば、ハンニバルが勝利しただろう。そこまで考えてハンニバルは首を振った。意味がないからだ。

 

 既に大局は決した。現段階でそのことに気が付いているのは、ハンニバルを除いてただの一人だ。ハンニバルの右翼で戦いを繰り広げるオドアケルの相手である二人組の一人。三国志における伝説的な軍師。諸葛孔明。その孔明の皮を被った未来人。軽く考えただけで意味の分からない存在であるとハンニバルは笑った。

 

 結局ハンニバルは新たに行動することなく、ただ座して待つことにした。しばらくすれば此処に自らを含めて五騎のサーヴァントと一人のデミサーヴァントが集まることになる。敗戦が確定した以上、話してみるのも一興とハンニバルは考えた。

 

 

 

 以後の戦場はハンニバルの想定通りに推移した。正面は突破できず未だ、立ち往生しており両翼の兵とサーヴァントはハンニバルの本陣への包囲を完成させた。包囲が完成するとぐだ男達が行ったのは敵の残存兵力の掃討。包囲を維持したまま、ハンニバルの金槌、ダレイオスとスパルタクスを襲った。さしもの二人の狂戦士も、数の暴力には勝てず打ち取られた。

 そんな逃げ場を失った状況でやってきたのはハンニバルの配下。二騎のサーヴァントを相手に戦い抜き、無事にここまで退いてきた類稀なる戦闘能力と指揮能力を持つサーヴァント。狂化なども外付けされていない現在ハンニバルが最も頼りにできるサーヴァントだ。

 名をオドアケル。西ローマ帝国の傭兵でありながら、終には西ローマ帝国を滅ぼしイタリア王になった男。ゲルマン人の王。その実績を買われて召喚されたサーヴァントだ。その後は東ローマに屈服し、従属して権勢を誇り、果ては暗殺されるという最期を遂げるのだが、そんなことは西ローマ帝国を滅ぼしたという事実の前に些事と霞んでしまう。サーヴァントとして召喚されたオドアケルは長いものに巻かれる主義と公言してはばからないのだが。

 オドアケルは敗戦の確定した絶望的な状況の中にあって、普段と変わらぬ軽い調子で話しながらハンニバルの前に現れた。

 

「いやぁ、旦那。ありゃむりっすわ。どっちかならともかく両方相手は勝てませんわ」

「お前さんが勝とうが負けようか、変わらねぇよ。ダレイオスとスパルタクスが突破できてねぇんだから、こりゃ俺の失態だ」

 

謝罪をしながらも微かたりとも、申し訳なさを感じさせないオドアケル。ハンニバルはそれに対して自嘲で返答する。

 

「旦那の読みが外れたのだって仕方ないっすわ。人間なんすから失敗ぐらい、ん? 元っすかね? まぁどうでもいいや。旦那ができなきゃそら不可能っすわ。旦那は古今最高の戦術家っすからね」

「最高の戦術家が、この様かい。笑えねぇな」

「自分の戦術に負けて失墜するのは用兵家としての名声っすよ。そして勝ち目のない戦いに挑んだ戦略家としての名声っすよ。戦術家としてのハンニバル・バルカの名は些かたりとも曇らないっす」

 

オドアケルはハンニバルが気を落としているのを初めて見た。驚いたがそれをやはり表に出さず、軽くとぼけてみせて励ます。大将は常に無意味に自信に溢れていなければいけない。打算と同時に戦場に立つものとしてのハンニバルへの尊敬がオドアケルの口を動かした。

 

「んなこた知ってるよ」

 

オドアケルの言葉に一瞬たりとも躊躇わずハンニバルは即答した。当たり前の事をいうなとまで言わんばかりの傲慢にして冷徹な声だ。英雄が自らの軌跡に誇りを持つのは当然のことでオドアケルもそういった矜持を持っている。しかし、ハンニバルのそれは何かが違った。ハンニバルが持つ矜持と、オドアケルの矜持は何か性質が違う。それが具体的に何かまではオドアケルには見当が付かなかったが、だからこそオドアケルはハンニバルに従ってきたのだ。

 

「でなけりゃ俺の名が残る筈もねぇ。けどなぁ、二度目ともなると流石に親父に申し訳なくてなぁ」

「……うすうす感じてたっすけど、旦那ってファザコンっすね」

「カカカカ。悪いか」

 

ハンニバルの次の言葉が出ると同時に、オドアケルにとって心地良い冷えた空気が霧散して、先ほどまでの調子に戻る。オドアケルはわずかな未練を断って会話を続けた。

 二人は敵が、ぐだ男達が来るまでの僅かな時間を軽口を交わし合って過ごした。

 

 

 

 ハンニバルとオドアケルの下に、降伏勧告の使者達がやってきた。ブーディカを撃破したぐだ男、マシュ、ヴラドの三人と、オドアケルを退けたアレキサンダー、諸葛孔明の計五人だ。大将であるネロは頭痛が酷く外に出れる状態ではなかった。どうにか意地で戦場まで来たものの、ずっと寝込み指揮も満足に取れないでいた。

 ハンニバルとオドアケルはやってきた五人を迎え入れあらかじめ用意しておいた卓に着くように促す。先ほどまで戦場の地図や各部隊を表す駒の置かれていた長机だ。

 ハンニバルとオドアケルが一方に、もう一方には孔明とヴラドのみが座った。ハンニバルと向かい合うのは諸葛孔明、オドアケルの正面にはヴラドが座る。ぐだ男とマシュ、アレキサンダーは立ったまま話を聞くことにしたようだ。

 向かい合う四人だったがまず孔明が口を開いた。

 

「一応聞くが、降伏する気はあるな?」

 

半ば確信に近い形で降伏の意志を確認する。孔明はハンニバルとオドアケルが降伏しないとは考えていない。史実を見ても最終的にローマに降伏している二人であるし、何より二人とも闘い続ける人種とは捉えなかった。孔明にとっては問とすら呼べない批准にハンニバルは笑って頷く。

 

「こちらから申し出る予定だったぐらいだ」

「それは良かった。手間が省ける。では聖杯を持つ、首謀者の所まで案内してもらおうか」

 

そこには、敗れたモノの持つ自らへの諦念や勝者への劣等感と言ったものは存在しなかった。あったのは純粋な勝者への賛辞。孔明は予測通りに事が進んだと得心したが、他のものは驚嘆を隠せなかった。潔さとも違うハンニバルの姿が不可思議に感じた。特にヴラドからすればハンニバルの横で不満を隠そうとしないオドアケルや、苦しみもがいたブーディカの方が敗者の姿として相応だと思うほどだ。己ならば、敗北を受け入れた無気力がある。だが、ハンニバルにはそれも、敗者の悲哀もない。どちらかといえば勝者の余裕、否、他人事かのような暢気さの気配すら感じる。

 孔明はハンニバルの態度を追及せず、気にも留めずに聖杯の所へ連れていけという。その言葉に、ハンニバルの様子以上に驚いたのがマシュとぐだ男だった。マシュとぐだ男はハンニバルが敵の首魁と考えていたからだ。それを聞いて孔明は呆れを隠せず顔を顰め、しぶしぶと言って様子で説明した。

 

「まったく。……まず、ハンニバルから聖杯の気配を感じないだろう。聖杯がこの場に無いのは確実だ。次に、聖杯を持つ者が降伏なんてしない。聖杯がある限り勝機は消えない。たとえそれが燃え尽き症候群に常に罹っているような奴でもだ。最後にこの男が聖杯を手にしていたとしたら、遺憾だが。本気で遺憾だが、こと軍略で勝てる奴はいない。まず間違いなく私たちの負けだ」

 

孔明は簡潔にぐだ男達に話すと、ハンニバルの方を向く。そして再び問いかける。これもまた問と呼ぶに及ばぬ只の答え合わせ。分かっていながらも口にすることが重要である。他人が説明して納得させるよりも本人からの言葉の方が信じられやすい。孔明は計算づくでハンニバルに問う。

 

「なにより、貴方に願いはないでしょう。聖杯に託すほどの熱意を貴方からは感じない」

「おう。分かるか。あぁ、折角だ。一つ自分語りでもしていいかい、無理だってんならこのままおとなしくしてるが」

 

ハンニバルは肯定する。その上で嘆願した。これは愚痴だ。ハンニバルを召喚した父親に対する愚痴。今も聖杯の力で見ているだろう敗北を認められない、敗北することを知らない愚者に対する万感の思いを込めた、ただの世間話。ハンニバルにとってこの演説の聴衆はぐだ男達勝者ではなく、父親であるハルミカル。面と向かって言えなかった罵詈雑言の嵐を此処でなら言えるのだ。敗北し父の期待を裏切り部外者となり、未だ完全にカルデアの軍門に下っていない今だからこそ言えるのだ。

 

「お前の言う通り。俺に願いはねぇ。満足して死んだ。失敗もあったし、いや、最期にゃ成功なんてなかったような人生だったが。それに不満はねぇんだ。だってよ。俺は最初の誓いに忠実であり続けた。親父との約束、神への誓いを忠実に、カルタゴの為にローマと戦い続けた。その果てが死だってんならそりゃしかたねぇさ。及ばなかっただけだからな。俺は明確にローマに負けたんだよ。ザマに至っては俺の戦術でだぜ。滑稽じゃねぇか」

 

ハンニバルは嘲けるように笑うと、そこで一度息を吐く。吐き切って、眼を閉じながら思いっきり吸って、目を開いたハンニバルは狂気を宿していた。一息ついただけだというのに何かが明確に変わっていた。敵意はない。悪意もない。ただ対岸の火事を眺めていた人間が、川を渡ってやってきた。それだけだ。マシュとぐだ男は気圧され息を呑んだ。孔明は元から寄っていた眉間の皺を深くした。ヴラドは感嘆の声を漏らし、アレキサンダーも目を輝かせながら笑った。オドアケルは高揚を抑えきれず歓喜の声を溢れさせた。

 

「だってよ、こりゃ戦術(オレ)を超えられないから真似しますっつう降伏宣言だろ? だったら、俺は戦術家としてローマに勝利した。それでいい。それで十分だ。それだけで十分だ。奴らは戦術(オレ)を超えてねぇ。奴らは戦術(オレ)に追いついた。奴らは戦術(オレ)を呑み込んだ。そして奴らは俺を乗り越えた。俺に勝った。ただそれだけだ。どこまでいってもそれだけだ。俺は奴らに負けたが俺の戦術(オレ)が奴らに勝った。だからこそ奴らは俺を恐れた。だからこそ奴らは俺を徹底的に潰しに来た。何故か! 奴らが敗北を認めたからだ。奴らが敵わないと諦めたからだ。奴らが戦術(オレ)に屈したからだ。確かに俺は奴らに負けて奴らは俺に勝った。だがそれだけだ。ただ一つ、最も大きな場所で奴らは戦術家(オレ)に勝ってない」

 

ハンニバルは断じて言葉を止めた。最高ランクの軍略スキルを持つ男の自負に、後の征服王でさえ圧倒された。征服王ですら、戦闘王ですら、ガイウス・ユリウス・カエサルでさえも軍略スキルのランクはBだ。ハンニバル・バルカの持つそれに及ばない。此処にいる者はハンニバルほどの生粋の戦術家ではない。ハンニバルの持つ狂気にも似た矜持を、受け入れこそすれ、完全に理解することは不可能であった。ただ一人、オドアケルのみが、このハンニバルに惚れこんだ男のみが聞き惚れていた。

 ハンニバルはいつのまにやら立ち上がっていた己に気が付くと、苦笑いを浮かべて着席する。同時に場の空気も緩む。オドアケルは内心惜しんだがそれは例外だった。ハンニバルは眼帯を掻きながら言葉を続ける。そこにすでに狂気はない。

 

「だからこそ俺は受け容れた。勝ったからこそ俺は負けて受け容れた。根本的に俺は将軍じゃなくて戦術家だったってこったな。まぁそれはいい。負け惜しみみたいなもんだ。聞き流してくれ。でもよ。本当に負けねぇで終わっちまったんなら、それは。負けてねぇのに敗北を受け入れられる人間は、まぁ、そうは居ねぇんだ。だからこんなバカげたことしちまうし、だからこそ奇跡に縋るんだ。敗北しないまま終わっちまったんだったら、そいつが、勝利を望むことがおかしい事はないだろうよ。なぁ、親父」

 

ハンニバルが父を呼ぶ。そこで孔明が真っ先に気が付いた。聖杯を手にしているサーヴァントが誰なのか。ハンニバルが出張るまで、ローマと戦っていたのが誰なのか。

 

「ハルミカル・バルカ、か」

 

つぶやいたのは孔明。それに呼応したわけではないが、この場に居ないものの声が響く。ハルミカル・バルカが聖杯を介して、ハンニバルに話しかける。そこには戦い敗れた戦士へのねぎらいがあった。それ以上に親子の情があった。子供の心を知らなかった親の後悔があった。

 

「――あぁ。よくやったよハンニバル。まったくもってその通りだ。なるほど。お前がその姿なのは望みがなかったからか。悔いが無かったからだったのか。親だっていうのに、子供の事すらちゃんと見れてなかったんだなぁ。だとしたら、お前には悪いことをしたな」

「そうでもねぇさ。俺は、親父と共に戦えて嬉しかった。あんなこと言っても、なんだかんだかつて成し得なかった難事に再び挑む喜びだってあった。感謝してぇぐれぇだ。ありがとうよ」

「――そういってくれると救われる。だからな。ハンニバル。これは最後の頼みだ。俺を見届けてくれハンニバル。俺はこれから激情に身を委ねる。俺は消えるがお前は自由だ。今まで俺に従ったお前が、今度はお前の在るように生きろ。お前が生きた世界を守って見せろ。ハンニバル。俺を敗北させてみろ」

「任せな」

 

短く一言ハンニバルが答えると、ハルミカルの声は聞こえなくなった。ハルミカルはハンニバルとの接続を切った。ハンニバルは明確に野良サーヴァントとなった。これは一つの親子の決別。敗北しても満足した子と、勝ち続け不敗のまま終わった親の必然。子はいずれ親を超える。それが互いに死んだ後、ようやく明言されただけ。そこに隔意はない。敵意もない、憎しみもない。あるのは親子として互いへの愛情と、戦士としての敬意だけだ。

 ぐだ男やマシュ、他のサーヴァント達の視線に気が付いたハンニバルは、眼帯を撫でて気まずそうにオドアケルに視線を向ける。親指立ててのサムズアップ。ハンニバルは観念して声を上げた。

 

「とにかく、これからよろしく頼むぜ」

 

 

 

 結果だけ述べれば、ハンニバル・バルカ、オドアケルの二人のサーヴァントが自らの意志によってぐだ男達に降り人理修復の側に回っただけの事だ。サーヴァントとして、世界の守護者としての本来あるべき姿に戻っただけのこと。強大な敵が一転して味方になるという、慶事。

 決戦に向けて士気を高めるぐだ男達一行。例外は何かに違和感を覚える孔明と、もはや寝たきりとなり身動き一つとれなくなったネロ。ネロが特異点である以上、これ以上時間を掛けている余裕がないと判断したぐだ男達は、そのままハルミカルの待つ場所へ向かう。

 

 

 

 ハンニバルとの通話を終えて、ハルミカルは笑った。自らの息子が、いつのまにやら一人立ちしていた。あの見た目の理由にすら気が付かなかった己も己だが、言わなかった息子も息子だと頭を抱えながら笑った。ひとしきり笑い終えるとはぁっ、と一息吐いて疑似聖杯に向かう。言い換えれば自殺に向かうハルミカルの足取りは今から死ぬと思えぬほど軽いモノだった。

 

 ハルミカルは己が道化に過ぎぬことを知っていた。ハルミカルの願いを歪め、ネロへの呪いへと形を変えさせたものの存在を知っていた。いや、気が付いていた。気が付いて目を逸らしていたのだ。己の激情に身を預けたのだ。だがこの激情をハンニバルが終えるという。いや、ハンニバルは既にローマに勝ったとまで言い放った。本人の言うように狂気に塗れた負け惜しみとはいえ、ハルミカルの心は救われた。ハンニバルは負けていなかったのだと、そのままに心に落ちた。

 だがカルタゴが滅んだ事実は変わらない。だからこそ、ハルミカルは当初の予定通りに自らを聖杯にくべ新たなサーヴァントを召喚する。否。サーヴァントの枠にすら収まらない、文字通りの怪物を召喚する。不完全な召喚になってしまうだろうが構わなかった。その怪物が目的を達成しても良し。ローマは滅ぶ。達成できぬも良し。ハンニバルが勝利するならば、宿敵がその天敵に救われるという愉快極まりない慶事を以って良しと見做す。ザマぁみろと毒づきながらハルミカルは聖杯の前に立った。

 

「よう、待たせたな。今俺がお前を呼び出す。この身を焼き尽くし呑み込んで、欠片に過ぎない霊核に縋りついて降臨すればいいさ。ハンニバルが俺に引導を渡す。お前を諸共に滅ぼす。ザマぁみろ。お前は俺のついでで無様に消えるんだ。嫌なら世界を滅ぼせ。その手でローマを滅ぼせ。それでも万々歳だ。お前がお前でローマを滅ぼす。ザマぁみろ」

 

 ハルミカルは聖杯の前で笑う。聖杯の呪いに語り掛ける。ずっとハルミカルを侵して、激情を燃えたてさせ世界を滅びに向かうように誘導していたそいつに対して、初めての反抗を示した。聖杯に宿る者こそがローマが誇る神祖ロムルスが本当に防ぎ、耐え続けてきた呪いの正体。それこそが、第二特異点セプテムから続くこの特異点の正体。薄々気づいていたからこそ悪意に呑まれてなお、最後の良心でハンニバルを召喚し、その存在に抗おうとしたのかもしれないとハルミカルは追憶する。故にこそそのハンニバルと決別した今、今度こそそれを召喚する。絶望したからではない。希望を抱いたからだ。

 ハンニバルがいる。ハンニバルにより、これは打倒されるだろう。それを信じているからこそハルミカルは道化である事実を否定せず、受け入れて、その思惑に乗る。召喚に挑む。正しく言えば今、召喚せねば、呪いがネロを蝕み人理は崩壊する。召喚すれば、ネロは呪いから一時的に開放される。呪いが姿形を得て世界に現れるからだ。であればこそ、その呪いの人型を倒せば、この特異点での人理焼却は失敗する。

 既に召喚は始まった。膨大な魔力に耐えながらハルミカルは、ザマぁみろと笑う。これより召喚する存在はローマだ。そのローマをハンニバルは殺し、滅ぼす。ローマ帝国はハンニバルによって滅ぼされ、世界はハンニバルによって救われる。あぁ、其れこそまごうことなきカルタゴの、ハルミカル・バルカの勝利に他ならない。

――本当、頼むぜハンニバル。

それがハルミカルのこの世界での、最後の思考となった。

 

 ハルミカルは己の残り僅かな霊核を聖杯に捧げた。疑似聖杯は全ての魔力をその霊核へと注ぎ込む。膨大な魔力により霊核は崩壊し、聖杯の欠片と混ざり合い新たな核を形成する。疑似聖杯はぼろぼろに崩れ落ち、ネロへと与えられた呪いもその核に流れ込む。あふれ出した膨大な魔力はどす黒い靄となり周囲を侵食する。靄に触れた物体は魔力に耐え切れず崩壊する。やがて靄の中で核を基準とした人型が形成される。靄は人型に触れるとその人型をも侵蝕しようとする。しかし人型は逆に靄を吸収する。周囲の魔力は欠片も残さずサーヴァントとしてこの人型に呑まれてゆく。遂には黒い靄は全て、疑似聖杯を形成したすべての魔力は人型に収束した。

 人型は歩く。この世界を滅ぼそうとする呪いが世界に足跡を刻んだ。

 

 

 

 最初に異変に気が付いたのはヴラドだった。まだ何の異常も起きていない、平時と変わらないうちにヴラドは気が付いた。それは生前の因縁。ヴラドであったからこそ気が付いた。魔力が形を成す前に、その存在が世界に降臨する前に、サーヴァントとしての本能とまで呼べる、生前に刻みつけた宿敵の気配。

 

「これは、この気配は! 奴だ!」

 

突如として絶叫にもちかい大声を上げたヴラドに周りのサーヴァントは皆驚いた。事情を聞こうにもヴラドは狂化スキルでも付いたかのように荒れ狂う。

 

「また奴とまみえようとはな! 此度こそは勝利する! 此度こそは世界を守り切って見せようぞ! 我が杭を以って忘れ得ぬ恐怖を! 幾度でも刻みつけようぞ! 故国を穢した蛮族の長よ! ――メフメト二世!」

 

ヴラドがその名を叫ぶと同時。尋常ならざる魔力の奔流を、全てのサーヴァントが同時に察知した。ロマニは魔力異常に押し流されて通信が途絶した。

 

 だがそれに気づく者はいない。気づく機会すらなかった。皆が皆、衝撃を受けていた。

否、ヴラドのみが気づく可能性があった。だがかつての宿敵の気配に高揚した彼は見落とした。宿敵の気配が歪んでいることに気が付きこそすれ、それはハンニバルのいう歪み切った聖杯の魔力によるものと判断した。その歪みの根本的な原因を推察できなかった。その本質を見切れなかった。

 

 

 

 ロマニはあまりの異常に声を失う。通信が途絶することは今までに何度もあった。慣れているからあわてることはない。また落ち着くまでお茶でも持って待てばいいだけだ。だがこれはおかしい。魔力の異常。それよりもなお重大な事態が進行している。かつてない程に、特異点が揺らいでいた。それこそ、人理を纏めて焼却しかねないほどに。かつて、ソロモンが姿を現したという、その時に匹敵するほどに。

 とにもかくにもロマニ一人の手に余る。ダヴィンチちゃんの工房と、そう、外部の協力者にも。ロマニは急いでダヴィンチちゃんに連絡を入れ、ダヴィンチちゃんがやってくると留守を任せて駆けだした。

 

 

 

 取り戻した帝都の一室。皇帝の部屋でネロは目覚めた。ネロは遠くで自らを呼ぶ声を聴いた気がした。

今までの不調が嘘のように気分がいい。犯されるような快楽にも似た爛れた感覚が体を痺れさせる。気分は最高潮。頭痛もしない。特異点が修復されたのだろうとネロは辺りを付ける。自らの不調の原因が、特異点の揺らぎにあると、ロマニに言われていたからだ。ならば快癒の理由は特異点が修復されたからに違いないとネロは考えた。

そして、同時に急がねばならないという焦燥感に駆られた。原因は分からなかった。ただネロはまた推測した。ぐだ男とマシュの下へ行かなければ、特異点の収束が始まり記憶が失われる前にまた別れの言葉を告げなければ、と。

 そうと決まればネロの行動は早かった。宮廷を抜け出して駆けだす。ネロに理由は分からないが、マシュが、ぐだ男が皆が居る方向が分かった。邪魔する部下を押しのけてネロは、本能に任せて火照る体に鞭打って決戦の地へ向かう。

 

 

 

 

 

 あるいはあのカエサルよりも心地よい、あのロムルスよりも安心感のある声がネロにのみ聞こえた。全てを捨ててでも、共にありたいほどの悦楽と官能を乗せた、それでいてどこかで聞いた声がネロの脳内に蕩けた。

――そうじゃ。それでよい。妾と共になろう。

 



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5話

 ハルミカルが自らを聖杯にくべて召喚した、禍とでも呼ぶべき存在は仮初の姿としてメフメト二世を取った。ある意味で最も自らから遠く、またある意味で最も自らに近いその姿は現段階でとれる最善の選択だった。

歪みが広がり壊れかけた世界の中でさえ、禍の存在は許されなかった。世界が禍を排斥しようと、既に焼け果て消失した世界の裏側へ追いやろうと干渉する。その干渉を避ける為に禍はサーヴァントの枠に自らを当てはめる必要があった。外枠さえあればあとは膨大な魔力で改造することはできる。

しかし、禍が最も望む姿は取れなかった。ハルミカル・バルカが、禍が自らの欲望の為に利用し尽くした男が最後の最後、いや最初から最後まで拒絶したからだ。ローマを恨むが故に、ローマそのものとなるを良しとしなかった。ごく小さな断片に成り果て、既に自我も消失したというのに、禍の人型の形成にハルミカルの意志が相応以上に反映されていた。いわば最後の残り香。現界の最初の一歩として、足掛かりとしてその男の霊核を利用したが故に起きたぐだ男にとって都合のいい奇跡。

故にこそメフメト二世。かつてビザンツ帝国、東ローマ帝国を滅ぼし千年帝国の繁栄に終止符を打った稀代の大英雄。それはハンニバルの願望の具現。一つの時代に終焉を齎した黙示録の鐘、キリスト教最大の敵と呼ばれる無辜ならぬ怪物。それは、禍のあるべき姿。両者の折衷。

メフメト二世の姿を取ったそれは動き出す。それにとって最初で最後になる戦い。あるいは戦いとすら呼べぬだろう蹂躙劇を行うために。

 

 膨大な魔力を感知したぐだ男一行であったが、その足は止まることなくその場所へ向かっていた。ネロが寝込んでいると考えている以上、時間に猶予はない。未知が広がっていても進まぬ選択肢は選べなかった。ロマニに連絡しようとしても、魔力の歪みの影響で連絡は取れない。伝令なども来ていない。彼らにできる事はまだ見ぬ敵に対する対策を協議することだけだった。幸いにも彼らの視点で敵の姿は固まっている。推定される敵の名はメフメト二世。ヴラドが確信をもって告げたその名は、他の理解を得るに十分な説得力と道理があった。

メフメト二世。アレキサンダーと比肩する、オスマン帝国における征服王。ヨーロッパの破壊者にしてキリスト教最大の敵。そしてなにより、この場において重大な事実がある。メフメト二世は一つの時代に終焉を齎し新たな時代の幕を開けた、人理を進めた大英雄だ。そう、彼はビザンツ(東ローマ)帝国を滅ぼした。彼の手によって千年帝国は、その繁栄に終止符を打った。

ローマを滅ぼしたというその事実のみで、メフメト二世がこの場に召喚される理由には十分だ。同じ理由で召喚されたオドアケルという前例が居る。だがメフメト二世はオドアケルとは異なり、ローマを完全に滅ぼし正しくその文明を過去のモノにした。ローマに屈しなかった。故にこそハンニバルをも、オドアケルをも凌駕する絶対的なローマの破壊者として彼以上に相応しいものは他にいない。ローマ史上最強の敵(ハンニバル)が敗れた以上、ハルミカルが召喚するのはそれを超える物であるはずだ。であれば、あてはまる英霊は唯の一騎に絞られる。それこそがメフメト二世。中世から近代へと世界を動かした時代の革新者。

ヴラドが心を高ぶらせ、マシュが警戒を強くし、ハンニバルが決意を固め、オドアケルが鼻歌を歌い、孔明が違和感に悩む。その横でぐだ男は何度挑んでも乗り越えても慣れない緊張に息を吐く。後には引けない戦いは否が応にも精神を削る。そこに不思議な心地よさややり甲斐を感じるぐだ男も心の片隅にいるが、基本的に自身は小市民に過ぎないと信じるぐだ男にはいささか荷が勝つ心持ちだった。だからこそぐだ男は空元気でも自身に気合を入れた。重責に押しつぶされない様に。

 

 

 

 はたして彼らは出会った。互いの目的地が交叉するのだから必然だ。ぐだ男達の目的はこのメフメト二世を模った禍を止める事。禍の目的は最後の一欠けらを手にして降臨する事。対する両者だが戦いへのモチベーションは大きく異なる。目的が目の前にあるぐだ男達に対して、禍にとっての目の前のサーヴァント達というのは、自身の周囲を飛び回る蠅のようなものだった。無視するには鬱陶しく不快で、本気で相手取るには弱さも甚だしい。

 だからこそ先手を取ったのは、ぐだ男たちだった。第一手から宝具の開放。全力中の全力。開放された宝具は孔明の石兵八陣(かえらずのじん)とハンニバルの鬼哭啾啾たる雷光(ハンニバル・エラト・アド・ポルタース)。マシュとオドアケルそしてヴラドの宝具は現在の状況で発動できない、あるいは発動しても意味のないものだ。アレキサンダーの宝具もより効果を発揮する場面が存在する。

 発動された二つの宝具のうち石兵八陣は内部の侵入者を惑わせ最終的に死に追いやるという、伝説の陣形を展開する宝具。鬼哭啾啾たる雷光はカンヌエの戦いやアルプス越えと言ったハンニバルの数多の戦績が合わさった宝具であり、戦闘開始時にハンニバルの望むように味方を配置、出現させる。これにより配置、出現した味方にはハンニバルの軍略スキルの補正が更に効果を発揮する。二つの宝具の相乗効果により、圧倒的な力を持つはずのメフメト二世の進行は停止した。

 

 メフメト二世は迷う。そこは石兵八陣中。さながら霧の漂う迷宮。陣を満たす呪いの霧が中にいる敵対者の体力を奪い、果てに死を与える。本来であれば直接的な攻撃力を持たない呪いの宝具。方向感覚を狂わせぐるぐると侵入者を逃がさない出口の開かれた死の檻。

 死に至るほどの消耗を与えるとはいえ直接的な攻撃力はないその宝具は、しかしメフメトに数多くの攻撃を与えるのに役立っていた。ハンニバルによって配置された伏兵が絶えずメフメトに矢の嵐を降らせていた。ハンニバルと孔明は現在味方同士であるが、石兵八陣にそれを区別する効果はない。

 しかしハンニバルの召喚した兵は霧の中をまるで平野のように駆け抜けて、メフメト二世にその存在を捕捉させずに攻撃を続けている。ハンニバルの偉業の一つ、アルプス越えが陣という地形に対する耐性を与え、軍略スキルが石兵八陣の効果を軽減する。この相乗効果により、兵は自由に動ける程度の影響しか受けず、陣中を自在に行動できた。

 

 

 地の利を得て、人の和もまた保つ有利な状況で戦いを進めて尚、戦局はメフメト二世に傾きかけていた。理由は単純で、決定打不足である。例えば伝説の聖剣達のような高火力を誇るような宝具は、ぐだ男陣営のサーヴァントの誰も持っていなかった。

 サーヴァントさえ超えるメフメト二世に有効打を与えるには一兵士では力不足、それは束となっても同じこと。ヴラドが時折兵に紛れて杭で突き刺すものの、膨大な魔力は瞬く間にその傷を修復する。オドアケルが斬りつけても変わらない。アレキサンダーが轢き飛ばしても、致命傷には至らず回復する。全員が戦いながら、状況を打破する手段を考えるが決定的な案は誰一人浮かべられなかった。メフメト二世は少しずつ石兵八陣を踏破していった。メフメトに攻撃する兵も、状況に順応したメフメト二世の反撃によって数を減らし、石兵八陣が破られるのも時間の問題だった。

 時間はぐだ男達の敵だった。実際はそうではないが、ぐだ男達は未だにネロが寝込んでいるモノと考えていた。戦いが長期に及ぶほど、ネロの呪いが進行し、ネロが命を落としてしまうと考えていた。一刻の猶予もないという焦りがぐだ男達を進軍させた。その場で待ち受ければヴラドの宝具が十全に機能し、より長い時間メフメト二世を食い止められ、あるいは史実通りにメフメト二世を撤退に追い込むことすら可能であったかもしれない。

 状況判断のミスと呼ぶことはできない。前提条件が狂ってしまえばどのような名将とて判断を誤る。作戦に遊びを持たせ、想定外の事態に対応できるのが名将であるが、根幹から違うのであれば、対応のしようがない。結束を甘く見たばかりにローマを滅ぼしきれなかったハンニバルのように、部下を過信したあまりに唯一の機会を失ったかつての孔明のように、それは前提の一つだった。あるいはより抗い難い、大前提が覆ったが故に大事を成しきれなかった楽毅や呉起のように。ネロの状態が悪いという判断こそが、彼らを窮地に追いやった遠因となっていた。

 

 そして、とうとう、孔明は判断した。誰よりも石兵八陣の効果がわかっているからこそ、孔明が決断した。相も変わらず寄った眉間の皺を深くして、吐き捨てるように、苦々しく、ぐだ男に軍師として進言した。

 

「……ここまでか。ぐだ男、撤退だ。これ以上は陣が持たん」

「分かりました、皆さんに伝えます。――仮想宝具 疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)!」

 

狼煙代わりとしてマシュが宝具を発動した。今回の戦いでマシュはいざというときの為、孔明を除く他のサーヴァントの様に石兵八陣内に入ることなく、ぐだ男の傍にいることになった。そしてマシュに与えられたもう一つの役割が狼煙である。宝具を上空に向かって展開、上空に巨大な盾の魔法陣が浮かぶ。本来であれば敵を防ぐ防壁となるそれは、此度に限り、味方への連絡手段となった。

 もちろん、陣の内側からは霧が邪魔して外の様子は分からない。マシュの宝具開放も見えるわけではない。だが、その魔力の変化は分かる。石兵八陣は魔力探知すら妨害するが、対軍宝具にたいして並外れた耐性を持つハンニバルならばマシュが宝具開放したことに気が付ける。ハンニバルが伝令を送り他のサーヴァントに伝え撤退する。

 殿として残されたハンニバルの精鋭兵を残して、ぐだ男たちはそこから去る。射程外から離れても、もとより撤退用の陣形である石兵八陣は、敵が居なくなるまで存在し続ける。

 

 禍が石兵八陣を突破するとようやく陣は崩壊し、ハンニバルの残党が姿を晒す。そこにぐだ男達はいない。まんまとしてやられた形になった禍は八つ当たり気味に残された雑兵を腕の一振りでつぶす。前方の敵兵は皆吹き飛ばされその存在を消失した。四方に散っていたためそれだけでは皆殺しとはいかなかったが、それも数度同じ作業を繰り返すだけで終わった。

 ひとまず怒りを修めた禍は、やはり奴らは殺すとぼんやりと決意して、まずは当初の目的を果たそうとする。完全体になること。ぐだ男達の相手はその後にしようと、ネロの居場所に歩を進める。

 やはりその途中に、いや今度はちょうどその場所だ。メフメトとサーヴァント達の戦闘時間はネロがぐだ男と合流するには十分な時間だった。戦場と帝都が近かったわけではなくネロの行動が早かった。メフメトの降臨と同時に目覚めたネロは、即座にぐだ男の下へと駆けだしていた。だからこそ撤退しヴラドの領内に入ったぐだ男達と、そこで合流することができた。程なく禍もたどり着く。その時互いの目的は明確に衝突する。

 

 

 

 ぐだ男達がヴラドの領内、護国の鬼将が発動する場所までやってくると、そこには彼らの想定外の人物がいた。病床に伏しているはずのネロだ。呪いによって身動きすら難しい状態に陥ったはずのネロが此処にいたのだ。ネロはぐだ男達をみると喜んで笑いかける。

「ぐだ男! マシュ! よかった、余は間に合ったのだな」

「ネロさん? 何でここに、体はもう大丈夫なんですか」

「おかげさまでな! お前たちが特異点を解決したのであろう?」

 

マシュはすでに解決したかのようにはしゃぐネロを不思議に思いつつ、それでも喜びの感情を出して訊ねる。ネロの回答に首を傾げ、ぐだ男と顔を見合わせるが互いに心当たりはない。ロマニの観測でも、マシュの感知でも、ネロに魔力の異常があった。それがネロの体調に悪影響を与えていたという推測が立てられていた。であれば、その魔力が取り除かれたと考えたぐだ男がマシュに訊ねる。マシュは改めてネロの魔力に意識を向けた。

 

「……これは、ネロさんの魔力異常が直って、いえ、淀みがなくなっている? どういう事でしょうか」

 

マシュには朧気にしか把握できなかったが、ネロの魔力異常が消失したわけではない。魔力の質は異常なままに、その流れが正常になっているという状況が正しい。マシュがこういうことに詳しいだろうと孔明に聞くと、孔明はひどく面倒そうに答える。

 

「分かりやすく言えば、工事中の渋滞が工事が終わった事で解消された、というところだ」

「なるほど、流石孔明さん。分かりやすいような、分かりにくいような説明です。ありがとうございます。ネロさんも戦力に数えられるようになったということですね」

 

その言葉にネロは疑問を持った。特異点は回復した筈。であればいまされ戦力などいらない筈と考えた。

 

「あぁ、そうでした。ネロさん、まだこの特異点は解決してないんです」

「ではなぜ、余は快復したのだ? おかしいであろう? いや、そうではないな。ならばこれよりは余もみずから陣頭に立って――」

 

説明を聞いて喜んだ様子のマシュと、ネロ。ネロは今まで体調不良が原因で満足に戦えていなかったことに申し訳なさを感じていた。今後は役に立てると、共に戦えると言おうとしたが、その言葉は遮られた。

 

「――それについてだが」

「む?」

「貴方には悪いが、今まで通り後方待機だ」

「なぜだ! 余はもう完治している、戦えるぞ!」

「そうです。戦力は少しでも多い方がいい筈。魔力の質から言ってもサーヴァント相手に戦えると思います」

「確かに、魔力的にはサーヴァントにも攻撃できるだろうが、そういう次元の話ではない。何故、ネロの中の淀みが解消されたか、説明できるか」

「い、いえ。できませんが」

 

孔明の言葉に不満を隠そうとしないネロと、戦力が増える事とネロへの好意からネロに賛同して反論するマシュ。孔明はマシュの言葉を認め、その上で関係ないと断じる。

 

「皇帝ネロ自身が特異点であるという話は既にしたな。ではこの魔力の質というのは異常に他ならない。さて、では魔力の淀みというのはなんだ、という話になる。答えから言おうか。それは特異点の揺り戻しだ。世界が元に戻ろうとする力がネロに集約して不調という形で姿を現したと考えられる。それがなくなったということは、特異点に決定的な破綻が起きた、あるいは起きかけているという事だ」

「そんな……」

「早合点するな。特異点が完全に崩壊すればその段階でカルデアのお前たちは異物として排除される。それが人理崩壊だ。まだ此処にいるという事は決定的なズレはまだ確定していない。だからこそ、いまの皇帝ネロは不調だったころよりも不安定な存在といえる。こんな危険物を戦場になんか立たせられるか」

「……分かった。そうまで言うなら、余は、待とう。だが、戦場にはついていくぞ。最後方となってしまうが勝利の瞬間をこの身で味わうのだ!」

「ネロさん……」

「マシュ、気にするでない。孔明の言う事は理に適っておる」

 

しょぼくれた様子を見せたネロだったが、承諾の返事と共に自身を叱咤し、落ち込むマシュも励ました。

 孔明は二人の様子を一瞥すると、二人に聞こえない様にぐだ男に小声で伝える。。

 

「話がある。後で来てくれ」

 

ぐだ男が頷いたのを確認すると、孔明は三人寄らずとも姦しい二人から離れていった。

 

 

 

 孔明に会いに来たぐだ男だったが、そこに居たのは孔明だけでなく、ハンニバル、オドアケル、ヴラド、アレキサンダー。ネロとマシュ以外のサーヴァント達が居た。ぐだ男の到着を確認すると孔明はハンニバルと目配せをして口を開く。

 

「それぞれ決戦に向けて忙しい中、集まってくれてありがとう。他でもないネロについてだ。全員、ぐだ男以外はこの特異点、異常に気が付いているだろう」

 

孔明の言葉にぐだ男以外の四人が頷く。状況を把握できずにきょろきょろと四人を見やるぐだ男。それを見かねたのか、まずヴラドが話し出す

 

「彼奴は確かにメフメト二世の姿を持ち、その気配も、力も持つ。だが、根本的なところで彼奴はメフメト二世と異なっていた。――メフメト二世は断罪すべき蛮族であるが、それでもラドゥが従うに足るものを持っていた。彼奴にはそれがない。故に。アレは余の宿敵(メフメト二世)ではない」

「じゃあ、何かってことになるっすね。此処は自分が説明させてもらうっす。重要なのはアレを召喚したハルミカルの大旦那が何を目的にしたかって事っす。とうぜん大旦那の目的はローマの滅亡っすね。だからメフメト二世。でもってここでネロ嬢。これは推定に過ぎないっすけど、嬢が復活したのはメフメトの降臨と同時っす。で、嬢の不調の原因が特異点にあると考えると、メフメトの召喚と同時に人理が崩壊したってことになるっすねぇ。でもこれおかしい。だって、メフメトの召喚、嬢と関係ないじゃないっすか。確かに大旦那が自分をくべてまで召喚した。魔力的にも聖杯と混ざってる。それで、聖杯が嬢に干渉できなくなったんならわかるっす。願望器としての力を失ってサーヴァントになったんすね。で、嬢への干渉が消えたなら、嬢は完治するはずなんす。流れだけなんて言わずに、質も元に、生きた人間のソレに戻る筈なんすよ。でも、そうはなっていない。何故か。嬢が特異点として――」

「――なげぇ。坊ちゃん固まってるじゃねぇか。簡潔に説明だ、簡潔に」

 

オドアケルは口を滑らかに動かし、舌は止まることなく流れる滝の様に言葉を紡ぐ。一般人ぐだ男には、魔術に関する勉強をしているとはいえ知識不足の彼には、荷が重かった。理解できるところだけ理解しようと必死に聞き入るが、やはり難しい。声を出さずに唸るぐだ男に助け舟を出したのがハンニバルだ。

 

「むぅ、いいところだったんすけどねぇ。旦那が言うなら仕方ないかァ。ネロがマザーハーロットになる」

「端折り過ぎだ。あーマザーハーロットってのは知ってるな。そう、黙示録の獣の主だ。ネロってのはそいつと同一視されることもあってな、ネロが反転するとそうなる。あぁ、メフメト二世じゃなくてマザーハーロットだ。親父のローマぶっ殺すって意志と属性が、ローマ自体でもあるマザーハーロットと合わなかったんだろうぜ。ローマを滅ぼし、キリスト教最大の敵とも呼ばれる男。折衷案には完璧だ。言い換えれば天秤が釣り合ってるってこったな。だがあれがネロと接触しちまえば天秤が傾いてマザーハーロットが降臨する。そうなっちまえば詰み、いや手がねぇわけじゃねぇが、まず詰みだ」

「だからこそ、ネロと接触さえないよう戦う必要がある。前と同じ手だ。ヴラドの上がった火力分で押し切る。できなきゃさらに分の悪い賭けになるな。まぁ、覚悟はしておいてくれ。」

 

ハンニバルの話でどうにか事態を呑み込めたぐだ男は、腹痛を感じた。確かにマシュに話せないような内容だった。精神状態で戦闘力が大きく左右されるのはブーディカの一件でも証明済みだ。深く溜息をつくぐだ男をアレキサンダーが慰める。

 

「元気だしなよ。もうやるしかないんだ。腹くくらなきゃ。大丈夫さ。征服王のパチもんなんぞに、僕は負けないよ。征服王は僕だ。ヴラド公もメフメト二世を押し返してる。ハンニバルと先生は言うまでもないかな。オドアケルもふざけてるようで相当な用兵家だね。マザーハーロットになっちゃったら、まぁ、先生たちの作戦に任せるしかないけどさ」

 

最後に苦笑いを浮かべるアレキサンダーの言葉に、正直まるで心が軽くならなかったぐだ男だが、それでも礼を言ってその場を立ち去った。

 

 ぐだ男はマシュの元に戻ると、すぐそばにいたフォウを抱きしめた。モフモフだった。アニマルセラピーすごいとおもった。

 

 

 




会話がうまくできません。
次話完結予定。


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6話

 霧が漂い太陽の光を遮る薄暗い場所。四方八方には大岩が群立して幾重にも広がるストーンヘンジのよう。諸葛孔明が誇る宝具石兵八陣(かえらずのじん)の陣中だ。

 そこにメフメト二世、その枠を模ったマザーハーロットが居た。不安定さゆえに周囲に魔力をばらまき宝具さえ使えないような醜態、シャドウサーヴァントとなっている彼女は、ひとまず完全なサーヴァントとなることを目標とした。彼女とて好き好んでシャドウサーヴァントなどになったわけではないが、彼女は存在の格が高すぎた。そのままにサーヴァントとして降臨できないほどに。そう、降臨だ。分類するなら神霊に入る彼女が世界に現れることは、現界ではなく降臨。神霊は、よほど存在の格を落とさなければ、神霊としての力の大部分を捨ててようやく、サーヴァントとして世界に現出できる。

 だが、彼女はそれを認めなかった。力を持たぬ己など、ただの小娘。黙示録の獣を従える大淫婦とは呼べぬと。だからこそ彼女は世界に降臨するにあたって二度手間、三度手間の手順を踏んだ。

 

 あのソロモンの興した人理焼却を利用する形で、古代のこの時代に。彼女の同一存在皇帝ネロがローマを統べるこの時代に特異点を生み出した。グランドサーヴァントと化したあのソロモンならばともかく、使い魔に過ぎない魔神柱を誘導することは彼女にとっては容易い事だった。

 だがここで彼女にとって一つ目の誤算が生じた。聖杯からネロに干渉していた彼女に気が付いたサーヴァントが居たのだ。神祖ロムルス。彼女とは根本を同じくしながらも敵対するもの。彼女にとって天敵とさえ呼べる存在。互いに人類史に燦然と輝く足跡を残す千年帝国ローマそのものとも呼べる存在。マザーハーロットがローマのもつ悪辣さを象徴する神霊であるのに対して、ロムルスはローマの国が生み出した人類史への希望を象徴する英霊。

 ロムルスはマザーハーロットの存在に気が付くと、まず聖杯から干渉する彼女の妨害を行った。レフ・ライノールの目を盗み、ネロのローマを相手取り、その上でマザーハーロットの侵攻を防いだ。大英雄の面目躍如と呼べる八面六臂の大活躍だ。皇帝特権のスキルが並々ならぬ貢献をしたことはいうまでもない。

 故に彼が現界している間、彼女はネロに手を出せなくなった。もちろん彼女も黙って見ていたわけはない。ネロへの干渉を止めて他の手段を模索していた。そして彼女は活路を見出した。それは奇しくも彼女たちローマの敵であるハルミカル・バルカ。ローマの全てを恨み、憎んだその男に彼女は姿を見せず正体を隠して手を差し伸べた。破壊の大王に叩き割られた聖杯に自らを移し、ただただ全ての戦いを傍観した男を盤上に引きずり込んだ。

 ここでまた誤算。マザーハーロットが移動した聖杯の断片にロムルスが付いてきた。またしても彼女は彼の手によって邪魔をされ、ハルミカルを傀儡にすることに失敗した。同時に聖杯の機能を互いに奪い合う形となり、聖杯の欠けらは万能の願望器に及びもつかない無能の魔力塊と成り果て、ハルミカルが行う新たな英霊召喚にも失敗することとなった。ハルミカルが独自の発想の転換により、既に召喚されていたサーヴァントの存在濃度をかき集め味方を得る手法を思いつかなければ、彼女の計画はそこで頓挫していたほどだ。

 ハルミカルがローマへの攻撃を開始するとロムルスはハルミカルの手法を真似し、ローマの英霊たちを再び現界させた。マザーハーロットも負けじと英霊を召喚しようにも、それで召喚できるのはすでに居た存在だけだ。ローマ英霊をハルミカルが受け入れない以上、それ以上の英霊召喚は難しくなっていた。それを理解していたロムルスもまた、ローマ英霊より先にネロの味方に付き得るローマならぬ英霊の召喚を優先した。結果、世界の各地に野良サーヴァントが氾濫することになった。

 局地的勝利を重ねつつも数に押されて劣勢に陥るハルミカルを見て、苦々しい思いでいたマザーハーロットだったが、彼女はまたハルミカルによって降臨の機会を繋ぎとめることとなった。ハンニバル召喚だ。奇跡にも等しい確率で召喚されたハンニバルは、その異名の通り、一度の会戦でローマのほぼすべての英霊を打ち倒すことに成功した。マザーハーロットはその中で特に己と近しい英霊、即ち黙示録の獣の一部である英霊の魂を七つ喰らった。これによりマザーハーロットとロムルスの力は均衡を崩し、ロムルスは徐々にネロを守ることができなくなっていった。

 その後もロムルスの意地とも呼べる妨害は続いたが、とうとうカエサルが打倒されると力尽き、ロムルスはその魂を聖杯の魔力へと変えた。目の上のたん瘤が無くなった彼女はネロへの呪いを進行させた。

 そして三つめの誤算が起きる。呪いの進行よりも早くハンニバルが敗れた。それを受けてハルミカルは聖杯に宿るマザーハーロットを核としてメフメト二世を召喚しようとしたのだ。今までの苦労が水泡に帰してはたまらないと、彼女は呼ばれてやってきたメフメト二世の魂を取り込んで、仕方なしにその器を借りた。そして彼女はメフメト二世として現界したのだ。

 マザーハーロットの想定とはなにもかも違う動きをすることになったが、事ここに至って結果は変わらない。世界に現れた以上、ネロに接触すればそれだけでネロは反転する。そしてマザーハーロットとしての力を振るう事が出来るのだ。彼女にとって重要なのは結果であり、最終的に彼女自身が降臨できればそれでよかった。全て自らの思惑の通りに進んだと都合よく過去を解釈して彼女は頷いた。

 問題は唯一つ。目の前の邪魔な虫どもをどうしてくれようかという事だ。マザーハーロットにとっての最優先が降臨で在る以上、本格的に相手取るのはネロと接触してからだ。彼女は戦闘行為を最小限に抑えながらネロへの最短ルートを辿っていた。

 

 

 

 マザーハーロットが石兵八陣を進む。二度目となると如何に石兵八陣であっても効果は薄れるのか、その踏破速度は前回よりも幾分早い。極刑王(カズィクル・ベイ)が最大の効果を発揮し、何度も何度もマザーハーロットの肢体を貫いていることを含めても尚、早い。

 消耗の度合いで考えれば互いに今回の方が激しかった。宝具を使用するようになったヴラドは当然、オドアケル、アレキサンダーそしてハンニバルといった石兵八陣中にいるサーヴァント達は皆、正真正銘最後の戦いと奮起して激しい攻撃をしている。先より敗北条件が厳しくなったことが理由だ。陣を突破されても一度退けばよかった前回と違い、今回は抜かれればそれはイコールでネロとの接触、すなわちマザーハーロットの降臨だ。マシュはまた外にいるが、今回は狼煙役ではなくネロへの抑えだ。もしネロが堪え切れず突貫し、マザーハーロットと接触すれば戦況が最悪を通り越す。それだけは避けなければならなかった。

 ネロとマシュは自ら動くことのできない状況で焦燥にかられていた。ネロも孔明の言い分は理解していたが、それは真実から幾分ズレた理解だった。ネロは自らが倒されれば人理崩壊につながると考えていたが、実際には接触だけでそうなる。ネロに真実を伝えなかったのは、可能性の排除だ。最悪の場合はネロがそれを認識するだけで、マザーハーロットとの間にラインが形成され反転する。この可能性を否定しきれなかったからこそ孔明はネロに伝えることをしなかった。ネロが戦場に来ることを許可したのも、ネロの性格を考え手の届くところの方がまだ御しやすい、またあまり負の感情を蓄積させるとこれも反転につながると考えたからだ。今のネロはその存在自体がそれほど不安定となっていた。

 

 焦れていたのはネロだけではない。マザーハーロットも、ハンニバルも、今この場で戦う全てのモノが過ぎゆく時をもどかしく思っていた。

 マザーハーロットにとっては想定外の苦戦。一蹴してしかるべき戦力差がぐだ男たちとの間にある筈だった。しかしそれは彼女がシャドウサーヴァントであるが故に宝具を使えない縛りと、彼らの巧みな連携、波状攻撃により拮抗していた。彼女の描いた未来は遅々として近づかず、このままでは彼女自身の消滅とどちらが先か分かったものではない。ネロが不安定であるように、マザーハーロットもまた不安定であった。彼女は彼女自身ではなく仮初の肉体を、無理やり魔力で保っている状態だ。魔力は膨大であっても無限ではない。攻撃を受ける度にわずかずつ魔力が削られていく。此処に至ってようやくマザーハーロットは眼前の虫を敵と認めた。

 ハンニバルにとっても想定以上の敵の強さ。兵の攻撃はダメージを与えられず、魔力を削ることができているかさえ怪しい。ヴラドの宝具の杭も有限であり、すでに底は見え始めている。ヴラドも当然それに気づき、当初ほどの密度での攻撃は行っていない。

 アレキサンダーは戦闘開始時の姿を保っていなかった。重傷を負ったわけではない。彼の持つ自己強化宝具を限界まで酷使した為だ。後の征服王、アレキサンダーの第二宝具神の祝福(ゼウス・ファンダー)。宝具を使用する度に体は神の雷光を纏い強化され、紅顔の美少年から筋骨隆々たる偉丈夫へと変貌する宝具だ。故に今の彼はアレキサンダーではなく、征服王イスカンダルと呼ぶにふさわしき風体を持っていた。イスカンダルとして召喚された時の宝具は持たないが、元よりもつ第一宝具始まりの蹂躙制覇(ブケファラス)はアレキサンダーの強化に伴い、その姿を巨大化させた。ランクはB+からB++に上昇し、威力も上がっている。そして今、三度目となる始まりの蹂躙制覇の真名解放により、マザーハーロットを杭ごと轢き潰そうと迫る。

 マザーハーロットは魔力感知を阻害する宝具の霧に順応し始めていた。サーヴァントに近い魔力体として現界居たが故の適応力が、彼女の魔力感知能力を蘇らせていた。今まで感知できなかった魔力の高まりを察知した彼女はそちらに合わせてカウンターの攻撃を放つ。

 マザーハーロットの一撃と、アレキサンダーの宝具が初めて激突する。魔力量にあかせて放ったそれと、限界まで研ぎ澄まされた魔力のぶつかりは、ひとまず互角。だが、全霊の一撃を放ったアレキサンダーと、余裕をもって放ったマザーハーロットではその後の行動開始に差が出る。マザーハーロットは、宝具との激突により崩壊した腕を再生しながら、もう片方の腕を動きの止まったアレキサンダーに伸ばす。

 アレキサンダーの窮地を救ったのは宝具にして愛馬のブケファラスだった。彼もまた一体の英霊。自らの主を守るため、自らの体を跳ね上げ、アレキサンダーを振り落す。

 ブケファラスを信頼し、手綱を緩く握っていたアレキサンダーは、宝具開放後の硬直もあり、容易く落馬し地面に転がった。そのアレキサンダーをブケファラスは思い切り蹴り飛ばしマザーハーロットとの距離を空けさせる。

 アレキサンダーを標的としたマザーハーロットの腕が空を切る。彼女は邪魔をしたブケファラスを睨むと標的を変える。目の前の馬の鬣を掴むと再生を追えた腕でその首を潰そうとする。

 ブケファラスは主が遠くにいることを確認すると、目の前の敵を睨む。目線が合う。鬣が掴まれ逃れられない。ブケファラスの眼前に死が迫る。瞬間、ブケファラスは決意を固めた。

 アレキサンダーがとっさに状況を把握して、ブケファラスの方を見ると、マザーハーロットの魔力を帯びた腕が愛馬の頭へ迫っていた。同時に、彼は不自然なまでの魔力の高まりを感じる。石兵八陣では魔力を感知できないというのに、彼には分かったそれは、まぎれもなく彼自身のものだ。そして彼はブケファラスの行動を理解し、それを認め、剣を持って駆けだした。

 マザーハーロットの攻撃がブケファラスを潰す直前に、ブケファラスから魔力があふれた。彼女と比較すれば小規模だが、それでも膨大と呼ぶのがふさわしい量。彼女が何が起きたのか理解する前に、ブケファラスは爆裂し彼女もまたその直撃を受けて爆ぜた。

 

 壊れた幻想(ブロークンファンタズム)と呼ばれる技がある。英霊にとって切り札と呼べる宝具を崩壊させることで瞬間的に、限界を超えた魔力を引き出す禁じ手。誰にでも使えるがごく一部の例外を除いて誰も使う者の無いある種の曲芸。代償は大きいが、その効果も絶大だ。

 ブケファラスは英霊だが、同時にアレキサンダーの宝具である。故に彼は彼自身の意志に基づき、自らで壊れた幻想を発動させた。その一撃は確かにマザーハーロットにこれまでにない重大なダメージを与えた。マザーハーロットは消滅こそしなかったモノの、その核である聖杯がむき出しになる程に肉体を欠損した。再生ではなく新たに肉体の構成を行う必要がある程に。

 そしてその絶好の機を見逃すアレキサンダーではなかった。ブケファラスが自決するよりも先に駆けだした彼の剣は、マザーハーロットが新たな肉体を構成するよりも早く、その核を切り裂いた。

 

 

 

 瞬間。世界が叫びをあげた。その核を失い行き場を無くした魔力が、ブケファラスのソレと比較にならない大規模な破壊を齎した。最も近くにいたアレキサンダーは、肉体も魂も魔力に呑まれ、消失した。既に半壊していた石兵八陣もわずかたりとも堪えることができず崩れ去る。石兵八陣内にいた兵は消失し、サーヴァント達も吹き飛ばされる。それに反応できたのは遠くからそれを見ていたネロとマシュだ。

 マシュは瞬時にぐだ男とネロの前に踊りだし宝具を開放する。防御の為だけに全ての魔力を注ぎ込んでなお、衝撃を抑えられず数十メート後ろに押し出される。弾き飛ばされると呼ぶのが正しいような勢いだったが、マシュの全霊の防御は、無事ネロとぐだ男を守り切った。

 マシュは満身創痍で、盾を抑えた右腕はひじの辺りまで押し潰され、左腕も明後日の方向へひしゃげ、赤く染まった肉から白い骨が突きだしている。両足は繋がっているが、踏ん張るために酷使され、雑巾の様に捩り折れている。立つこともままならない有様でマシュはグダ男を見る。

 グダ男は吹き飛ばされた際に片腕が折れ、変な方向に関節が曲がっている。胸の辺りを抑えながら蹲り、浅い呼吸を繰り返している。血を吐くような様子はなく。肋骨が折れた程度で済んだ。放置してしまえば危ないかもしれないが、直ちに命への影響はない。

 ネロは無傷で立ち尽くしていた。ネロは体に何かが流れ込んでくるのを感じた。同時に自分の中になにかどす黒くも心地よい悦楽が浮かんでくることに気が付いた。ネロはそれをなにか悪いものだと感じ抗おうとするが、性行為以上に心地よい脳を痺れさせる官能に押し流され、絶頂に達する。それと同時にネロの意識は反転する。

 

 マザーハーロットはその核を失った。今までメフメト二世を模っていたその基盤を失った彼女は唯の魔力に戻りかけた。しかし彼女はその瞬間に今まで覆った霧も消失したのを知った。ネロだ。ネロが居る。霧が消失するとネロの居場所は手に取るように分かった。最後の力を振り絞って。ネロの下へ向かう。途中魔力の壁にぶつかるが、構わず押し続け、壁が消えると同時にネロの中に入り込んだ。あとは楽だった。ネロとマザーハーロットの相性は良い。この上なくよい。ネロと混ざり合う快楽に任せてネロの精神を犯すとその肉体と精神と魂をむさぼり喰らった。

 かくてネロはマザーハーロットへと成り果てた。マザーハーロットはようやく世界に現界した。

 

 

 

 マザーハーロットの現界と同時。カルデアでは新たな異変が起きた。ひたすらに機器を操作し、どうにか特異点とラインを繋げようと、ロマニ・アーキマンとレオナルド・ダヴィンチの二人が奮闘していた時に、それは起こった。

 

「あぁ、駄目だ。駄目だ。駄目だ。全然つながらない」

「うん、気持ちはわかるけど東洋では言霊という事もあるから、ネガティブな事は言わない方がいい。特に今は緊急事態だ。いかな天才ダヴィンチちゃんでも、すこしムカつく」

「ごめんごめん。よし、これで……これでもか、ダヴィンチちゃんそっちはどう」

「はっはっは。私は天才だからね。当然」

「本当かい!? 何か手が」

「お手あげだね!」

「死んでしまえ!」

 

おしゃべりを続ける二人の表情は、ぐだ男やマシュが見たこともない程、そして今後も見ることが無いだろう程真剣なものだった。彼らが本気になるときというのは大概が異常事態で、連絡が取れなくなるような状況だけなのだから仕方がない。彼らは互いに視線を交わすこともなく、口以上に手を動かし続けている。

彼らの動かす全ての機材が異常を示すものの、突破口はどうにも見つからない。かつて似たような状況を体験したときに、ある程度の対策はしたのだが、効果は無い。彼らはその後も口と手を止めることなく作業を続ける。

 

「いやはや、まいったね。うん? ……おいロマニ」

「どうしたのダヴィンチちゃん」

「いや、そうじゃなくて。これ」

「ん? ……これ、は?」

 

ロマニが見たものは今までにない異常。極限まで高まっていた特異点が急速に消失していく。収束ではなく消失。崩壊ではなく消失。存在していたはずの特異点が通常のそれと違う意味合いで失われる。人理焼却とも異なる完全なる異常事態。時代そのものが、人理から外れる。

ロマニは唯一つ。これと同じものを知っている。人理から外れた人理の観測機関カルデア。もし、カルデアというものを外から観測できるのであれば、その誕生の瞬間はこうなるだろう。二人は淡々と進む特異点の消失を眺めているしかなかった。

 

 




長くなってしまったので平均文字数に合わせて分割です。


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7話

 最初に異常に気が付いたのはマシュだった。どうにか守り切ったぐだ男の下に這い寄って、盾から取り出したスクロールを使う。ぐだ男の傷が癒えると残りのスクロールをマシュ自身に使う。万全とは程遠いが、マシュは戦闘できる程度の状態まで回復する。しかし、ぐだ男は目を覚まさない。気が動転しかけたマシュだが、慌ててぐだ男に触る。呼吸はしている。心臓も動いている。気絶しているだけと分かってマシュは胸をなでおろす。そこでようやく周囲に目を向ける余裕ができたマシュが気づいたのだ。ネロが、魔力を集めている。

 マザーハーロットは周囲に現在も四散し続ける魔力を自らの下へ集め始めた。現在彼女が保有する程度の魔力量では、グランドサーヴァントには及ばない、ただのサーヴァントだ。彼女は神霊あるいはグランドサーヴァントとして世界に降臨したかったわけであって、断じてサーヴァントごときで現界したかったのではない。故に彼女は自らをグランドへ至らせるために、集めた魔力が霧散する前に全ての魔力を集め始めた。魂喰いの応用だが通常のサーヴァントではできないだろう荒業だ。

 

「何を、しているんですか、ネロさん……?」

 

魔力を集めるのに集中するマザーハーロットは答えない。だがマシュは感知する。ネロの魔力の質が、さらに変化している。それは爆発の直前まで存在したはずの魔力。メフメト二世、すなわちマザーハーロットのものだ。メフメトのそれからさらに研ぎ澄まされた邪悪な魔力。故にマシュは行動した。

 

「っ! すみません!」

 

謝りながら盾を取り、ネロの姿をしたマザーハーロットに襲い掛かる。マザーハーロットは魔力を集めるのに集中していたが故にその一撃に対して回避も防御も取ることができず、直撃を受けて吹き飛ぶ。敵から目を逸らす愚行は余裕からではない。むしろその逆。余裕がないからこそ、全てを置いても魔力を集めなければならなかった。ネロがすでにマザーハーロットとなった以上。人理が崩壊する。それを防ぐために、マザーハーロットは集中せざるを得なかったのだ。

マザーハーロットが十メートルほど転がったあと顔を紅潮させながら立ち上がると、そこで彼女はようやくマシュに意識を向ける。そして傲慢な態度でマシュに抗議の声を上げる。

 

「おい小娘、いきなり何をする、危ないであろう!」

「小娘、ですか。やはりネロさんではないのですね」

「ほう。分かるか、分かるかぁ! うむ! だがそれは見当違いというもの。妾はネロでもある。ローマそのものであるのでな。だが、妾はそれ以前に怪物でな。妾が名はマザーハーロット。この世の快楽の全てを貪り喰らう者である!」

「マザー……ハーロット!」

 

胸を張って答えるマザーハーロットの名前を聞いて、マシュは呟くように復唱すると周囲を見渡す。味方がいないか確認したかったのだ。だが、分からなかった。味方の生死は不明。あの爆発、生きている可能性は低い。であればマシュ一人でどうにかしなければいけない。マシュは考えた。魔力を吸収しているという事は、時間経過で不利になる。最悪、先ほどまでの怪物が、否、既にネロの肉体を得ているのだから、それ以上の化け物、神霊マザーハーロットになり得る。ならば、その前に倒さなければならなかった。マシュは、マザーハーロットに襲い掛かる。マザーハーロットは先とは違いマシュの攻撃を認識している。だというのにまた避ける素振りも見せず、防御もせず、受ける。

 

「ゃぁん。……なかなか趣味が激しいのだな。うむ。よい。それに何やら貴様、よくよく見ればとっても妾好み。うむ。許す。今の妾は機嫌が良い。いかような性的倒錯者であっても受け入れよう。さぁ、もっと、気が済むまで妾を甚振るが良い」

「……っへ、変態です、異常者です、すごく情操教育に悪そうな感じです! いけません。先輩、どうしましょう」

 

攻撃を肢体で受け止め吹き飛びながら嬌声を上げるマザーハーロット。仮にも全力を叩きこんだというのにダメージを受けた様子が見られない。その異様な耐久力と後に続くあまりの発言に呆気にとられたマシュだったが、どうにか正気を取り戻した気になって、ぐだ男に指示を求めようとする。気絶しているぐだ男に。マシュがぐだ男を呼んだことで、ぐだ男もマザーハーロットに興味を持たれてしまった。

 マザーハーロットはぐだ男を見つめる。マシュが間に入りマザーハーロットからぐだ男を守ろうとする。大きな盾で視界に入らないように。少しして、マザーハーロットは頷いた。

 

「……うむ。まぁ。及第点じゃ。お主も妾と床を共にすることを許す」

「な! だめです!」

「あぁん。……嫉妬じゃな? 愛い愛い。うむ。問題ない。ならば二人纏めて面倒みよう」

「むぅ、この! 先輩に! 近づかないで! ください! 」

「うむ。うむ。満足するまで抗うがよい。無為に足掻く様はひどく愉悦を感じるでな」

 

いくら攻撃すれども防御する様子の無いマザーハーロットにひるむことなく攻撃を続けるマシュであったが、ある異変に気が付いていた。攻撃して最初は吹き飛んだ。二度目は転がった。三度目も、四度目も、地べたを転がり土にまみれたマザーハーロット。だが、転がる距離が少しずつ短くなっている。盾で殴った時の感触も徐々に重くなっていく。マザーハーロットは魔力を吸収することで、強くなっていた。

 

マシュの攻撃は、徐々に、通用しなくなっていく。

 

 

 

 

 

 マシュが息を切らせながら盾を振りかぶる。マザーハーロットはそれを楽しそうに見つめる。マシュの全力で振り下ろされた盾はしかし、マザーハーロットをわずかに揺るがせる事すらない。マザーハーロットは既に周囲にばらまかれた魔力の大部分を吸収し、サーヴァントの枠に収まり切らぬ魔力を持つに至っている。ネロが生身であるからこそそれだけの魔力量を宿すことができている。生身の人間だからこそ、サーヴァントの枠にとらわれない。

 

「っそんな……」

「うむ。人が絶望に沈むさまというのはな何故これほど心を浮かせるのか……じゃが。そろそろ飽いた。終わらせるとしよう」

 

マシュがマザーハーロットに与えた傷は既に癒え、遂には手傷を与えることすら不可能になった。マシュの宝具は、マシュが不完全にしか真名解放しかできないこともあり、完全に防御専用だ。マシュにできる最大の攻撃は、全霊の力を以って相手に盾を叩きつけることであり、それが通用しなければ、マシュはどうやっても敵に消耗を与えることはできない。

 マシュと、ネロの体を乗っ取ったマザーハーロットの戦いが始まり既にいくらかの時間が過ぎた。マザーハーロットにとっては魔力を集め、グランドとなるための暇つぶしに過ぎない時間であったが、マシュにとっては人理を救うため、ぐだ男とともに戦う絶対の一線だった。

だが、マシュにはどうしようもない。仲間が現れる様子はない。先ほどの爆発により全滅したのだ。今まで仲間であるサーヴァントと共に戦ってきたからこそ、明らかでありながら問題ににならなかったマシュの弱点。火力不足。盾のクラスであるマシュにとって戦いとは守るためのモノだ。そのためのクラススキル、固有スキルをもつ。敵を防ぎ、決定的な隙を作らせて、仲間がその隙を突く。それがマシュの正攻法。マシュは敵の絡め手を攻める技術も、正面から敵を押し切る力もない。

 決定的に、避けられない敗北を突き付けられたマシュは、膝をつく。ぐだ男へ自らの非力さ、人理を守り切れなかった無力さを謝罪しながら、とどめを刺そうと近づいてくるマザーハーロットを見上げる。

 

「実に良き演目であった。本来であれば褒美の一つでもくれるのじゃが……生憎と貴様にはそうもいかぬようじゃ。うむ。では、さらば――」

 

――マシュの脳裏に過去の記憶がよみがえる。走馬灯だ。マシュの短い人生は、その前半を白い箱庭で過ごしていた。狭いカルデアの施設の、さらに限られた場所だけがマシュの世界。外の情報はドクターロマンの用意した端末からいくらでも得られたが、届かない場所に憧憬を抱くだけだった。それが変わったのはぐだ男がやってきてからだ。

 マシュと初めて会ったぐだ男はいきなり倒れた。マシュの短い人生経験では最適な解答など思いつかず、起きるまで待つという、今から考えれば在り得ない行動を取った。

 世界は動く。マシュがぐだ男に抱いた第一印象は少し変わった先輩にすぎなかった。多くの先輩たちの中の一人。それが特別な存在になったのはレフ・ライノールの暗躍があったからだ。最初のレイシフトで、遅刻したぐだ男以外の先輩たちは皆死に。マシュも生死の境を彷徨い、一度死に天秤が傾いた。それをマシュの中にいる英霊が救った。未だ以ってマシュには彼が何も考え自らを救ったのか理解できていない。

 デミサーヴァントになったマシュにとって、唯一のマスターとなったのがぐだ男だった。マシュはそのことに関してのみレフにわずかばかりの感謝をしてもいいと思っていた。レフが事件を起こさなけらば、マシュは現場のスタッフの一人として働き、ぐだ男と親密になることもなかった。今まで駆け抜けた多くの特異点にも行かず、カルデアでその短い人生を終えただろう。

 そこからの思い出は劇的だ。白黒で、あいまいで、朧気な、変化に乏しい世界が突如鮮烈に輝き始めた。その中心にいるのはいつだってぐだ男だった。焼け野原と化していた冬木。竜が跋扈するオルレアン。新旧乱立するローマ帝国。封鎖された海の旅。霧に覆われた都ロンドン。神話と化学の大戦争をしたアメリカ。その全てが、マシュにとってかけがえのない思い出だ。

 人理を修復する度。新たな特異点へと赴くたびに自らはデミサーヴァントとして成長した。使えなかった宝具が限定的ではあるが使えるようになり、サーヴァントとしての力をより使えるようになり、戦闘の技術を身に付けた。それ以上に成長したのは人間としてのマシュだ。表情が豊かになった。感情が豊かになったから。毎朝眠るのが怖くなった。生きることが、楽しいから。

 人理が焼失する。仕方ないカルデアは、マシュ達は敗北したのだ。世界が滅びる。仕方ない。人類が滅びる。仕方ない。カルデアも滅びる。仕方ない。マシュも死ぬ。仕方ない。全て仕方ない。負けたのだ。及ばなかったのだ。名残惜しいが、仕方ない。

そして、ぐだ男も死ぬ。

 

「――だめ、です」

「――うむ?」

 

だめだ。マシュは、ただ一つ。ぐだ男が死ぬことだけは認められなかった。自らの死さえ受け入れられる彼女が、ただ一つ、全てに変えてでも否定したいことだった。彼が彼女に感情を与えた。彼が彼女に人生の楽しさを教えた。彼が彼女を人間として、育ててくれた。人生の先達、先輩。先生。親。家族。彼女にとって彼が何にあたるのか、どうあってほしいのか。彼女自身には分からない。

彼が他の女の人と話した時の胸を焦がす感情を。彼と共に居る時の胸の高鳴りの正体を。彼と共に戦うときの安心感の理由を。ただ一字の文字であらわされるその思いの名前を彼女はまだ知らない。理解できるほどに成長していない。

 マシュは立ち上がる。盾を手に持ち構える。挫けた筈の戦意が復活する。折れた心が蘇る。諦めきれなかったから。

 

「まだ、まだ、教えてもらってません。もっと、先輩に、あるんです。駄目なんです。教わりたいことも、私だって、先輩だけは、絶対に! だから!」

 

口から出た言葉は、意味の繋がらない単語の羅列だったかもしれない。それでもそれがマシュにとっての全てだ。思考が纏まらないままに吐き出した言葉が、マシュに勇気を与えた。

戦意を取り戻し、立ち上がったマシュを見て、マザーハーロットは目を輝かせた。

 

「はは。そうか。よい、実に良い。最期まで妾を楽しませようというか! うむ。許す!」

 

マザーハーロットが踏み出す。もはやサーヴァントの枠を超え、グランドの階に片足を踏み入れているような状態にある彼女の振るう一撃は、余波だけでサーヴァントを消滅させる。シャドウであり、相性の合わぬ器だったメフメト二世の頃とは違い、十全の力。マシュはそれを宝具の解放で防ごうとする。

 

仮想宝具 疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)!」

 

如何に宝具を用いたといえど、器の違いの前には些事に過ぎない。マシュの全てを賭けた宝具の解放は、マザーハーロットのただの右腕の一振りによって何を守ることなく消滅する――

 

マシュの攻撃は確かにマザーハーロットに通用しないが、それはマシュとマザーハーロットの相性が悪いことを意味しない。むしろ防御面に限れば良いと言える。マシュに力を与えたサーヴァントは純潔の存在。そうあれと定義され望まれて固定された存在であるがゆえに、マザーハーロットでさえ、いや、だからこそ堕落させることは不可能なのだ。

マシュは彼とは違う。マザーハーロットの手管にかかれば堕落することもあり得るだろう。だが、耐性はある。それがマシュの、マザーハーロットの攻撃に対する耐性をも生み出す。耐性と宝具の解放の二つは、確かに強固な防御を発揮する、だが、まだ足りない。まだ、グランドにも届かんとするマザーハーロットとデミに過ぎぬマシュの差を覆すには遠く及ばない――

 

――はずだった。

 

 マシュの展開した巨大な障壁。今まさに崩壊の瀬戸際にある人理最後の防壁。今この瞬間。彼女のこの宝具こそが正しく人理の礎だった。人類最後の希望。その姿は普段のそれとは異なる。普段浮かぶ魔法陣が幾重にも重なり、その中央には十字ではなく聖なる杯を模した紋章が浮かぶ。必死のマシュはそれに気が付かないが、マシュのみならず周囲からの魔力を吸収し強化され続ける不滅の障壁と化していた。

 マザーハーロットが軽い気持ちで放った一撃は、しかし一介のサーヴァントをその宝具ごと消し去るには十分すぎるほどの力が込められていた。マシュと戯れながらも自身の強化を怠らなかった彼女は、既にそれほどの力を得ていた。本来であれば激突した途端、拮抗すらせず紙より容易く破られる。

 しかしマシュの宝具とマザーハーロットの攻撃はぶつかり合い互角に押し合う。驚嘆したのはマザーハーロットだ。彼女の現在の力は主観的にも客観的にも、サーヴァントの出せる域に無い。宝具であれ、その身を滅ぼすような捨て身であれ、絞り出すことのできない圧倒的な暴力だ。それが、デミサーヴァントの宝具如きと拮抗している。

 その鍔迫り合いは、驚愕したマザーハーロットが一歩引く形で幕を下ろす。

 

「あ、ありえぬ。ありえぬぞ小娘。貴様は一体なんだというのだ! 何故防げ、何故凌げた!」

「……っぁ、がっ、はっ……ぅく、まだ」

 

マザーハーロットは気が付かない。マシュもまた気が付かない。互いに気が付ける状況下に無い。マザーハーロットは目の前で理解の及ばぬ現象が起きたが故に。自らの絶対的な自信を傷つけられた混乱故に。マシュは無自覚とはいえ限界を超える力を行使した反動故に。

 

 先に状況を打破しようと動いたのはマザーハーロットだ。原因は不明。理解もできぬ。だが、あの宝具は所詮、軽い攻撃を防ぐので精いっぱいだったもの。全力で掛かれば、今度こそ防ぎきれるはずがない。現在の魔力から考えても、十二分に余裕はある。そう考えた彼女は文字通りの全力、彼女の持つ世界を滅ぼす宝具を以ってして、マシュを殺そうした。

 

「ありえぬが、まぁよい。貴様程度の有様では、どうせ妾には勝てぬ。我が胎内で誇るが良い、妾に全力を出させたことを! 黙示録の獣(テーリオン)!」

 

そう、既に部分的に使用していた宝具の真名を宣言し、宝具の完全解放をなそうとした瞬間、マザーハーロットの魔力が増大し、右腕が大きく音を立てて炸裂した。擦過音を立てながら、ネロの体からマザーハーロットという存在が抜けていく。

 

「……え?」

 

何が起きたか、マザーハーロットは理解を拒絶する。先とは違い理解できる事象だった。マザーハーロットの構成が崩壊を始めているのだ。それは神秘の薄れた現世で権能を行使しようとした存在が受ける世界の抑止の力。しかしマザーハーロットはこの現象を避けるために、手間暇をかけて準備してきたのだ。完全に結実する前とはいえ、すでに宝具の解放ならば可能な筈。そう考えていたマザーハーロットは自らの目の前で起きた事象を受け入れられない。

 

「な、なんで。なにゆえこうなる。だって妾、こうならぬために……」

 

マザーハーロットの目の前でポコポコと泡状で体から抜けていく魔力は、間違いなく彼女自身の一部だった。残されるのはネロの通常通りの肉体。このままではあと一分もしないうちにマザーハーロットは消滅する。

 現実感を失い呆然と右腕を眺めるマザーハーロットはぼんやりとする世界で自問自答を続ける。。

 

 

 

認識を誤った? ありえない。それほどに耄碌していない。

ソロモンの妨害? 否。既にここは世界から独立した妾の世界。干渉は不可能。

ネロとの融合が不完全? 否。ネロの意識は妾に溶けた。

抑止力が想定以上? 否。あれは常に一定の機械的な代物だ。

あの小娘の宝具? 否。アレのせいならば外から崩壊する。

ハルミカルの仕掛け? 否。それほどの余裕与えていない。

ロムルスの叛逆? 否。既に世界から放った。

 

 

 

右腕から魔力が抜けきり、マザーハーロットの制御から完全に外れる。魔力の消失は既にネロの肉体の大半に至っていた。足の感覚を失ったマザーハーロットは地面にくずおれる。それと同時に確度の高い解答に至り、現実を取り戻す。すなわち、ハンニバルの最後の策に、彼女は嵌ったのだ。

 

 

 

マザーハーロットの復活。サーヴァントの枠を超えたグランドに匹敵する怪物。そんなものが復活してしまえば、勝機はまずない。だからこそ防がなければならないと孔明も、アレキサンダーも、ヴラドも考えていた。しかし、最初は彼らの敵として存在したハンニバルと、オドアケルは、万一復活したときに、マザーハーロットのもつ弱点に気が付いていた。

 それはマザーハーロットが持つ自滅因子。この世界でマザーハーロットは復活したとする。だがネロを吸収する以前のそれはキリスト教の敵の側面が強調されたメフメト二世に他ならない。すなわちマザーハーロット自身であるローマを滅ぼした、彼女自身の天敵。

であれば、メフメト二世のその側面。ローマを滅ぼした者としての側面を強化すれば、マザーハーロットは自壊する。そのための札が、こちらにはある。ローマ最大の敵、ハンニバル・バルカ。この世界に異例とも呼べる召喚を成された英霊だ。すでに世界に存在したハルミカルの霊核を分割する形で召喚されて英霊。霊核をある意味で二つもつ二重存在。そのことは、オドアケルとハンニバルのみが知っていた。

奇しくもその召喚方法こそがマザーハーロット打倒の唯一の鬼札となり得た。ハルミカルが自らをくべて召喚した以上マザーハーロットもまたハンニバルと同じようにハルミカルの霊核を憑代の一つに現界している。故にこそ、両者は同一の霊核の欠片を持ち、混ざり合う事が可能だった。

そして、ハンニバルはローマ最大の敵。すなわち、ハンニバルを取り込むことでメフメト二世のローマを滅ぼしたという側面を強化させる。究極の自滅特攻。さらに言えば、それを補助する存在も居た。オドアケルだ。

メフメト二世はそのもう一つの核として聖杯を利用されていることは、明らかな事実だった。それが、聖杯としての性質をわずかでも残すものであれば、脱落したサーヴァントは魔力として彼女に取り込まれる。それは彼女の強化を意味するがオドアケルのみはその例外だ。

オドアケルもまたローマを滅ぼした者。そしてローマに降ったもの。故にこそ脱落後にローマとしてマザーハーロットに取り込まれ、その後にローマを滅ぼしたものとして彼女を内から荒らす。彼女の中のメフメト二世を呼び覚ます。

この二つの手段の完遂によってマザーハーロットは滅びる。滅びずとも、グランドの器を維持できなくなり、戦える場所まで存在が落ちてくる。それを打倒し、ネロを救う事でようやく、幾度も危機を迎えたこの特異点の修復につながる。極僅かな、希望的観測をも交えた願望を基にする、策とも呼べぬ愚行。敗北の確定したかのような賭けに勝利してこそようやく、マザーハーロットを倒すことができるのだ。

 ハンニバルが、万一の為に予め考えておいた、いわば死後の行動策は僅かな効果を齎したが、結果は失敗と呼べるものだった。ハンニバルもオドアケルも想定通りに動き、自滅因子を強くすることに成功したが、それはマザーハーロットの存在濃度を低下させるにとどまっていた。唯一生き残ったマシュは殺され、人理が崩壊しただろう。

それを変えたのが、マシュの突然の強化だ。それによりマザーハーロットの攻撃は防がれ、宝具を使わせた。もとより権能に等しい彼女の宝具は使えば抑止力により世界の外側へ弾かれる代物だ。それに十分耐えられると判断した彼女の判断は、ハンニバルたちの抵抗を計算に入れていなかった。故にこそ彼女は、宝具の発動に失敗し自壊を始めたのだ。

 

 

 

マザーハーロットは未だ動かせる左腕を使い体を無理やり起こす。現状を理解せず、呆然と自身を見つめるマシュに声をかける。

 

「小娘ェ! 妾の負けじゃ。故に貴様が彼奴を倒せ。妾の代わりに世界を救え! この愛おしき世界を壊していいのは妾だけじゃ、妾だけの玩具なのじぇぐっ。ぐぬ、故にこそ、他の者に壊させてなどやるものか。よいな。妾からの命令じゃ、妾を倒した、妾を乗り越えたのだから、貴様が、貴様らが救世主に――! 貴様は誰より――杯に愛され――なら――冠――!」

 

マザーハーロットは叫ぶ。途中、左腕の感覚まで消失し再び地面に叩きつけられるのも、無視してただ思いの丈をぶちまける。恐ろしい敵だとばかり思っていたマザーハーロットの絶叫は、確かにマシュの心を打った。あまりにも呆気ない。何もわからぬままの幕切れだったが、マザーハーロットの心だけはマシュに届いた。

 

「貴方は、貴方も。人類を救うために戦っていたんですね」

 

マシュはマザーハーロットの為に黙祷すると、ネロを背負って未だ気絶しているぐだ男の下に歩き出す。

 

 

 

ほどなくして、ロマニと連絡がつながった。マシュはひどく質問攻めされたが全て無視した。接続を遮断して無視した。ぐだ男が目を覚ますまで、膝の上に置いたくだ男の頭を撫で続けていた。

 

 

 

――戦いは終わった。

 

 




マシュのパワーアップは、中の人が周囲に漂う聖杯の魔力を使いました。


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