IS 女尊男卑の世界に転生しちゃった俺は兵器開発で逆転を狙いたい (砂糖の塊)
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1話

初投稿です。ゆっくり書いていきます!よろしくお願いします!


 

カコン、と鹿威(ししおど)しが小気味よい音を立てながら、竹筒に溜まっていた水を排出する。それによって驚いた小鳥がチュンチュンと鳴き、青空へと羽ばたいた。

手入れの行き届いた日本庭園。錦鯉の泳ぐ池が朝の日差しを反射してキラキラと光っていた。

 

そんな朝の爽やかな景色を目の前に俺はふぁぁ……と大きな欠伸をしながら背伸びをした。

 

「……眠ぃ……」

 

ポリポリと頭を掻きながら中庭に面した板張りの廊下を通って、リビングへと向かう。お手伝いさんが朝早くから磨いてくれたらしく、ピカピカと光を反射する廊下は、朝イチの目には優しくないほどだった。

 

「坊ちゃん、おはようございます」

「あぁ……おはよう、ご苦労さま……」

 

庭の植木を剪定していた中年のおっさんに挨拶を返す。名前は知らない。家に出入りする人が多すぎてイマイチ覚えきれないのだ。

 

向こうも俺と顔を合わせるのは初めてだったらしく、お互い曖昧に会釈をしながら俺はリビングの障子を開けた。

 

「あら、おはよう秀人(ひでと)

「おはようございます、秀人様」

「おはようございます」

 

障子を開け、ドッジボールが出来そうなくらい広いリビングへと入る。ちなみに純和風な外観とは違って家の中の大体の部屋が板張りになっている。生活のしやすさを考えてのことだそうだ。

俺が部屋に入ると、途端に室内にいた俺の母親と、お手伝いさん達が一斉に挨拶をしてきた。

 

「おはよう……」

もはや当たり前になってしまった朝の挨拶を済ませ、席につく。途端にカチャカチャと目の前に食器が並べられ、後ろからファサ、と白いエプロンが掛けられた。

 

「自分でやるからいいよ……」

 

テキパキと数人のお手伝いさんが動き回り、俺の前に豪華な朝ご飯が並べられていくのを見て、俺はいつもの如く申し訳なくなる。

 

「いえ、私共の仕事ですので」

 

長年家で働いてくれているらしい背の高いお手伝いさんが眼鏡をくい、と上げながら応える。そう言われても、慣れないものは慣れない。俺としては、醤油差しとかオーブントースターとか欲しいものが全て手の届く範囲にあって、自分でやる方が落ち着くのである。

 

「秀人様、お食事の御用意が出来ました」

「あ、ありがとう……」

 

チラッと母さんの方に目をやると、母さんは既に食事を終えたようで、紅茶をゆっくりと飲んでいた。

「えっと……一緒に食べない?」

「お気持ちは嬉しいのですが……私共の食事は別に用意させて頂いておりますので……」

 

壁際に並ぶお手伝いさん達にも声をかけてみるも、申し訳なさそうに断られてしまった。しょうがない、今朝も1人で食べるか。

 

「いただきます」

 

手を合わせ、朝食を食べ始める。今朝は和食だった。照りのある焼き魚をご飯と一緒にかきこみ、味噌汁を啜る。うん、今日も旨いっす。

 

「秀人様、今日は何時頃にお帰りなさいますか?」

 

お手伝いさんが作ってくれた朝食を味わっていると、眼鏡のお手伝いさん(確か、田中さん)が声をかけてきた。

 

「そうだなぁ……そういえば友達が家に来ないかって誘ってくれてたな……」

「ご学友のお宅までお送り致しますか?」

「いや!?いいよ!学校からすぐだし!」

「それでは何かお土産を用意させますね」

「あぁ……お菓子とか?」

「はい、ただいま帝都中央ホテルのパティシエに洋菓子の注文を……」

「……やっぱり帰りに自分で買って持っていくから」

「秀人、駄目よ。失礼のないようにちゃんとしなくちゃ」

 

黙って俺と田中さんの話を聞いていた母さんが口を挟んできた。

 

「秀人はまだ小学生なんだから、1人で買い物なんて出来ないでしょ」

 

いや、普通に出来るんですけど……。俺は言いかけた言葉をぐっと飲み込んだ。そうだ、俺はまだ1人で何か買ったことがない(・・・・・・・・・・・・・)ことになってるんだった。

 

 

俺は俗に言う転生者だ。地獄落ち間違いなしと言うくらい自堕落な前世を送っていたにも関わらず、神様の気まぐれか何らかの書類ミスかで世間一般から見て、いわゆる上流と言われる家庭の長男として転生し、甘やかされる毎日を過ごしている。ただ、流石に前世と同じ過ちは繰り返すまいと勉強も運動も一定の努力はしているつもりだ。

英語と中国語はもう話せるし、高校数学くらいならもう予習が終わっている。それに運動会のかけっこでは断トツの一番になれるくらいにはね。

 

「秀人がもし誘拐でもされたら……お母さんは生きていけないわ……」

 

俺が誘拐されるところを想像したのか、陶磁器の様な白い肌を青くし、大きな瞳を伏せる母さん。息子の俺から見ても中々に美人だと思う。そして、俺もそんな母さんのおかげか結構イケてる顔立ちらしい。自分ではよく分からないが、前世に比べて小学校でのモテ方が全く違う。母さんには感謝するばかりだ。

 

「今誘拐と言ったかぁ!?」

 

障子がバン!と勢いよく開き、熊の様な大男がリビングに入ってきた。田中さんを除くお手伝いさん達の肩がビクッと震える。かくいう俺も障子に背を向けていたせいで、チビるかと思うくらい驚いた。

 

「ち、違うよ、もしも誘拐されたらっていう話……」

「なんだ!良かったぞぉ!もし秀人が誘拐でもされたら……」

「されたら……?」

「地の果てでも追いかけて、犯人を血祭りに上げてやる」

 

犯人の皆、逃げて。

 

物騒なことを言いながら、大男は物凄い力で座っていた俺を抱き上げた。暑苦しい、汗臭い、男臭い。どうせなら母さんかお手伝いさんに抱っこしてもらいたい。それならフローラルな香りに包まれて朝から癒されるのに……。

 

「父さん、俺朝ご飯食べてるから……」

「おぉ!?そうか、悪いなぁ!!」

 

大男改め、父さんは馬鹿みたいにでかい声でそう言うと、ダンクシュートを決めるような腕の動きで俺を椅子に戻した。

 

「もう、あなた!秀人が怪我したらどうするの!?」

「すまん、でも絶対落とさんから大丈夫だ!!」

 

「ふぉおおっ!!!」と叫びながら力こぶを作る父さん。朝から暑苦しいのでやめてほしい。まだ春先なのになんでタンクトップ1枚なんだろうか。色々言いたいことはあったが、1番思うのはやっぱり……母さんに似て良かった、ということであった。

 

こんな筋肉ゴリラと呼びたくなるような父さんだが、実は凄い人らしい。俺の苗字でもある『紺野』は第二次世界大戦前からある日本でも有数の企業らしく、父さんはそんな会社の3代目社長を任されている。『紺野重工業』と言えば大型トラックやタンカー、果ては自衛隊が採用している戦車のパーツまで製造している大企業だ。前世には『紺野』なんて名前の会社は無かった為、始めのうちはピンと来なかったが、最近ようやくその凄さが判ってきた。

そんな凄い会社社長の長男である俺もゆくゆくは……つくづく恵まれた環境に転生できたものだと思う。だから、俺も今のうちから精一杯努力しなくては……。

 

2度目の人生で9回目の春。俺は美人な母さんと、屈強で男臭い父さんと、沢山のお手伝いさんに囲まれて何不自由ない生活を送っていた。

 

そう、あの日までは……。



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2話

 

その年の秋のことだった。先月10歳の誕生日を迎えたばかりの俺は、いつものように小学校まで迎えに来てくれた車に乗り、家へと帰っていた。成金感漂う胴長の車の中で、俺は運転手さんの様子がどこか慌ただしいことに気がついた。

 

「どうかしたんですか?」

「い、いえ?何もありません」

 

そう言ってバックミラー越しに微笑む運転手さん。だが、その視線はキョロキョロとせわしなく泳ぎ、額からは汗が滲んでいた。腹でも痛いのかな……。トイレにでも寄ろうかと提案しようと思ったが、ふと運転手さんがさっきからチラチラと空を見上げているような気がした。

 

「何か飛んでるんですか?」

 

俺も釣られて窓の外に目をやると、そこには飛行機雲が幾筋も走っていた。いや、ただの飛行機雲ではない。交差していたり、大きく蛇行していたり、それに数が多すぎる。まるで────────ミサイルのようだ。

 

「これは……?」

「だ、大丈夫です。すぐにお家までお連れしますから……」

 

運転手さんは焦ったようにそう言うと、アクセルをゆっくりと──だが確実に踏み込んだ。

 

 

「ただいま」

「あぁっ!秀人!無事でよかった!」

 

玄関の扉を開けた途端、母さんに抱きつかれた。力加減を忘れているのか、腕

が首に回されて苦しい……。タンタンとタップして解放を求める。

 

「あ、ごめんなさい!大丈夫!?」

 

俺の顔が酸欠の為に真っ赤になっているのに気づいた母さんが慌てて俺から身を離す。

 

「だ、大丈夫……それより、何があったの……?」

 

前世の記憶では小さい頃にこんな戦争のような状況に陥ったことは無かった。2度目の世界でだけ起こっていることなのか……?いや、今日に至るまでの大体のことは、前世と同じように起こっている。国際情勢に変化がないとすれば戦争なんていう大事が簡単に起こるはずがない。

 

「おぉ……秀人。大丈夫だったかぁ」

 

奥から父さんも出てきた。心なしか顔色が悪い。俺を心配してくれていたのだろうか。それもあるかもしれないが、どうも違うらしい。その証拠に俺の顔を見るとそうそうに再び奥に引っ込んでしまったからだ。

 

一体何が起こってるんだ。俺はテレビを見るため、靴を脱ぎすてると慌てて父さんの後を追いかけた。

 

 

テレビには映画のような光景が写っていた。自衛隊や報道機関のヘリがバラバラと低空を飛ぶ中、遥か高空を凄いスピードで飛んでいく白い物体。ヘリに乗っているらしいカメラマンが必死にその姿を追おうとするが、全く捉えきれていない。そして次々と遠くの方で起こる爆発。距離がある為にイマイチ迫力に掛けるが、間違いなくミサイルが飛んできているらしかった。白い物体が飛行機雲を青空に描きながら飛んでいく中、風船を針で割るかのように飛行機雲の軌跡の近くで連鎖的に爆発が広がっていく。

 

「凄い……」

 

姿こそ見えなくても白い物体が俺達を守ってくれているのが判った。俺は思わず声を漏らしてしまう。他に飛行機雲が見えないからもしかしたら1機で戦っているのかもしれない。新型の戦闘機か?それとも無人機か?

少し考える余裕が生まれたせいか、画面の下方の方に表示されているテロップに目が行った。そこにはこう書かれていた。

 

『巡航ミサイル多数飛来。味方IS1機が迎撃中か』

 

「…… IS?」

 

前世でISと言えば中東を拠点とするテロ組織しか知らない。あと週刊誌でやってた恋愛漫画。残念なことにそのどちらも襲い来るミサイルを撃ち落としてくれそうにはない。

「……新開発された有人パワードスーツらしい」

 

首を捻る俺に、父さんが説明してくれる。そういえばニュースでチラッとそれらしいことを言っていた気がする。食事中はテレビを見ないし、自分の部屋にもテレビを置いていないのでほんとにチラッと聞いただけだったが。

 

「日本の篠ノ之博士とか言うのが開発したらしくて……何でも女性にしか操縦出来ないそうだぁ」

 

苦虫を噛み潰したような父さんの声が聞こえるが、俺はそれどころではなかった。IS?篠ノ之博士?女性にしか操縦できない?一つ一つの情報がまるでパズルのように組み合わさり、俺の記憶の中に1つの心当たりが生まれる。

 

「父さん……もしかしてISの正式名称って……インフィニット」

「あぁ、知ってたのか?そうだぁ、正式名称は────────インフィニット・ストラトス。厄介なことになりそうだなぁ……」

 

父さんはゴツゴツした指で顎をジョリジョリと撫でながら、独り言のようにそう呟いた。

 

俺は呆然とテレビを見つめる。迎撃をあらかた終えたらしい白い物体をやっとカメラがズームによって捉えていた。そこには確かに前世、ライトノベルやアニメで見た『白騎士』なんて名前のついた機体が映っていた。

 

ということは……ここはあの小説の中の世界と言うことなのか……?父さん、どうやらほんとに厄介なことになったみたいだよ……。俺は途方に暮れながら、ズームで映される白く輝くISを何時までも見つめていた。



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3話

 

IS。インフィニット・ストラトスと呼ばれるパワードスーツが世間に発表されてから、早くも3年が過ぎた。結局あの夥しい数のミサイルを撃ち落とした『白騎士』の操縦者は分からないままらしい。だが、あの事件が良くも悪くもISの存在を世界中に知らしめるきっかけになったのは間違いなかった。

 

あの後すぐに各国の会議の場が開かれ、ISの使用、開発を強く制限する通称『アラスカ条約』が締結された。IS開発者である篠ノ之束博士を擁する日本も国際社会の強い要請を受け、その条約に批准することとなった。だが、国防の手段が今までの兵器からISに移り変わったことは誰の目にも明白であり、日本はISを保有することによって、核保有国以上の抑止力を持つ、世界トップクラスの軍事大国となった。

 

それは、思った以上に俺達の生活を根底から揺るがすものだったらしい。

 

まず、技術分野において。ISの絶対数こそは開発の鍵を握る篠ノ之博士の失踪によって、全世界で467機と大きく制限されてしまったが、副次的な装備やシステムに於いて多大な技術革新がなされており、俺達の生活に転用された技術のおかげで各分野において大きな進歩が見られている。例えば、液晶技術やディスプレイなんかは前世の世界に比べ、20年は先に進んでいるんじゃないかと思う。それぐらい篠ノ之博士の功績は偉大なものだった。ただ、失踪したせいで国内の評価はそこまで高くないのだが……。

 

次に社会構造について。ISが女性にしか動かせないものであると判明した結果、国防において、女性が主戦力となった。男性が殆どを占めていた自衛隊の中にもIS専用の部隊が創設され、女性の階級の方が高いなんてザラになってしまったらしい。それどころか基地司令部や幕僚の一部を除いて、殆どの要職を女性が占めるようになってしまった。いつか女性が国防の全てを担う日もそう遠くない、と感じてしまうほどである。

それによって起こっている問題が、行き過ぎた女性優遇社会だ。戦前、戦後の世界においてあった男性が女性より上の立場にあり、男性中心に回っていた社会は今や完全に逆転され、俺達男は若干肩身の狭い生活をおくらざるを得なくなっている。反論したいのは山々だが、ISの存在によって今や女性の方が喧嘩も強くなってしまったのだ。男と女に分かれて戦えばどちらが負けるかなんて火を見るより明らかだろう。

 

この世界は『女尊男卑』と呼ばれる時代を今迎えようとしていた。

 

「はぁ……」

「どうした?風邪か?」

「いや、ちょっと考え事してただけだよ」

 

さて、俺は今父さんに連れられて、紺野重工業の製造工場を訪れている。最近、ウチで製造しているのはISの消耗部品、主に駆動部のモーターなどである。

本来であれば、社長の一人息子とは言えまだ中学1年生の俺がここに居るのはおかしいのだが、ある理由があった。

 

* * *

3年前のあの日、テレビで『白騎士』を見たあの日である。あの晩、父さんは渋い顔をしながら焼酎を体格に合わないくらいチビチビと飲んでいた。

 

「あなた、大丈夫?」

「あぁ……」

 

心配して声を掛ける母さんに気のない返事を返す父さん。そんな父さんの様子にピンときた俺は口を開いた。

 

「……あのISのことだよね?」

「……そうだ。アレが天下を取る日はそう遠くない……そうなれば紺野重工はもう終わりかもなぁ……」

 

珍しく弱音を吐く父さん。いや、あれだけの性能を見た上で、ISがどれだけ価値のあるものかを理解したのだからむしろ有能なのだろう。だが、負けるわけには行かないのだ。俺達にも生活があり、紺野重工が雇う従業員とその家族にも守るべき生活がある。それに……行き過ぎた女尊男卑に俺自身いい加減腹が立っていた。

 

「……提案があるんだけど」

「なんだ?」

「重工業部門の中に新たに情報部を作ったら?ISに関する技術データとか部品の情報を集めるんだよ」

「それは紺野でもあのロボットを造るってことか?それはちと厳しいんじゃねぇか?」

 

突然こむずかしいことを言い始めた我が子を父さんが訝しげに見つめる。俺は首を横に振って、話を続ける。

 

「違うよ、多分あのISは篠ノ之博士にしか造れない技術が使われてると思う。だけど複製できるパーツもあると思うんだ。例えば消耗部品とか。大量生産に関しては完全に紺野の独壇場なんだから、早いうちにIS関連部品のシェアを取っておいた方がいいんじゃないかと思って」

「「……」」

 

夕方のうちに考えていたことをペラペラと話す。だが、自慢げに話し終えると同時に聞こえるはずだった歓声が聞こえない。父さんの方を見ると、パクパクと池の鯉のように口を開閉させながら母さんと顔を見合わせていた。

 

「……秀人……あなた、それ自分で考えたの……?」

「……う、うん、そうだけど」

「……キャー!!」

 

突然母さんが黄色い歓声を上げ、俺に抱きついてくる。何だよ!急に!?俺の案はどうなるの!?

 

「秀人、やっぱり貴方凄く賢いわね!私達から生まれたとは思えないわ!」

「ちょ!?母さん」

 

思い切り胸を押し付けてながら頭を撫で回してくる母さん。

 

「秀人ぉ……」

「な、何?」

「お前、明日から学校終わってからでいいから会社にも顔出せぇ」

 

俯いてブルブルと震えていた父さんだったが突然ガバッとはね起きると、俺の手を握りしめてきた。

 

「秀人、お前の言う通りだ。俺は社長だ。諦めちゃいけねぇ、どうしてでも生き残って家族と社員を守らなきゃならねぇんだ。その為ならネジでもバネでもなんでも造ってやるぅ!」

「う、うん」

「よぉし、明日から会社来て、お前も指示出せぇ!部下を何人かあててやるから」

「う、ぇ……?」

「ダメかぁ?」

 

俺の手をすっぽりと握りながら熱く話す父さんに俺は思わず首を縦に振ってしまった。

 

* * *

 

「秀人さん、例のデータ収集が一息つきそうです」

 

父さんと一緒に工場を見て回っていると、1人のひょろっとした若い男性社員が近づいて、ぼそぼそと耳打ちをしてきた。一緒にホッチキスで留められた紙束を俺に手渡してくる。

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

いかにも優しそうな雰囲気の彼にお礼を言うと、綺麗に90度腰を曲げたお辞儀をして立ち去っていった。いや、俺の方がずっと年下なんだからタメ口で良いのに……。そう思ったが、ふと隣に父さんがいた事を思い出した。そりゃ社長がいる横でその息子に馴れ馴れしくは出来ないよな。申し訳ない……。

 

「例のデータってなんだ?」

「あぁ、ちょっとデュノア社について調べて貰ってたんだ」

「デュノア……フランスのIS大手かぁ……流石に業務提携は相談しろよ」

 

流石に中学生の判断でそこまで決めねーよ!俺は内心ツッコミを入れつつ、慌てて手を横に振る。

 

「違うよ、調べてもらってたのはデュノア社の社長の家族関係だよ」

 

そう答えながら俺はペラペラと受け取った報告書を捲る。……あった。数枚捲ったページに探していた人物の顔写真がプリントされていた。俺と同い年の彼女……シャルロット・デュノア。これから彼女が俺の、いや俺達紺野重工業にとって重要な存在になるだろう。

 

「父さん、突然で悪いんだけど。フランスに留学してきていいかな」

「あぁ?お前、まだ中1だろぉ?」

「フランス語は話せるし、森本さんにも着いてきてもらうから」

 

ちなみに森本さんというのは、さっき俺に報告書を渡してくれた優しそうな青年社員のことだ。

 

「……何ヶ月だ?」

「うーん、1ヶ月もあれば充分かな」

「……秀人、お前何しに行くんだぁ?」

 

思ったより短かったのか、父さんが拍子抜けしたような声を上げる。確かに1ヶ月では語学留学にしろ何を学ぶにしろ短すぎるだろう。だけど、安心して欲しい。決して遊びに行くわけじゃないから。

 

「将来のコネを作ってくるよ」

 

俺は呆れたような表情の父さんにニッコリと笑い返した。

 

 




次回、シャルロット出します。微エロはそのうち。エロは気長に待っててください


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4話

 

3週間後、午前8時。俺と森本さんは空港のロビーにいた。

 

「秀人さん、忘れ物はないですか?」

「……大丈夫ですね」

 

20代前半でまだ入社したばかりの森本さんと俺が並ぶと兄弟のように見える。だが精神年齢は……やっぱり森本さんの方が上だな。前世の俺は確か大学2留だったし。

 

「それじゃ行きましょうか」

 

心なしか森本さんのテンションが高い。

 

「いやー飛行機乗るの、高校の修学旅行以来です」

「へー、そうなんですか」

「秀人さんは初めてですよね」

「そうです。海外に行くのも初めてです」

 

前世の修学旅行は確か九州の方だった。森本さん……修学旅行海外行ったのかな……羨ましい。

 

「そういえばパスポートって間に合ったんですか?」

「ええ……まぁ……」

「……聞かないことにしますね」

 

森本さんが引きつった笑みを浮かべている。いけないいけない。暗黒スマイルが出てしまっていたらしい。俺は人差し指で無理やり口角を戻しながら、ガラガラとキャリーケースを引いて搭乗カウンターへと向かった。え?パスポート?あるよ……ただ、一応大企業の息子ですから、急に欲しくなったら……ね?用意できるんですよ……父さんのコネに感謝。

 

スムーズに搭乗手続きが終わり、飛行機の中に乗り込む。気を遣ってか、森本さんが窓際の席を譲ってくれた。正直嬉しい。

 

CAさんのちょっとした注意事項を聞き流し、いよいよ飛行機が滑走路の中を動き始める。こんなでかい機械が空を飛ぶなんて不思議だ。

 

「離陸しますよ」

 

何故か隣の森本さんが自慢げに声を掛けてくる。はははと笑って聞き流すとすぐに身体が僅かに後ろに引っ張られるような感覚があった。窓の外に目をやると白く大きな翼が滑走路からグングンと離れていくのが見えた。

 

おぉ……飛んでる。フランスまでおよそ12時間半。俺はゆっくりと背もたれにもたれ掛かり、目をつぶった。

 

今回、フランスに行く1番の目的は『シャルロット・デュノア』だ。男としてIS学園に転校してきたフランスの代表候補生。確か前世に読んだ展開ではデュノア社の社長を勤める父親に引き取られるまでは母親と2人で暮らしていたはずだ。そして残念なことに母親が病死してしまい、天涯孤独になってしまう、と。

 

そこで今回、母親がまだ治る見込みのある段階で彼女のもとを訪れ、強引に恩を売りつけてシャルロット・デュノアを我が紺野重工業専属のテストパイロットにしてやろうという作戦だ。既に森本さんをはじめとする情報部の働きで、シャルロットとその母親の実在(デュノア姓は名乗っていないようだが)と、現在住んでいる住所は判っている。

 

シナリオとしてはこうだ。

 

森の近くにポツンと建つ粗末な木造の平屋。窓際のベッドには見るからに具合の悪そうな女性が横になっている。

『こほっこほっ……しゃ、シャル……』

『お母さんっ!今お薬貰ってくるからっ!』

『だ、ダメよ……それは貴方のご飯を買う為の……』

『ううん!私お腹空いてないもん!それよりお薬飲んで早く良くなって、ね?』

 

バーン!ドアを乱暴に開け、土煙と共に俺と森本さんが家の中へとなだれ込む。勿論2人とも黒いスーツにサングラス姿だ。

 

『邪魔するでぇ!』

『だ、誰ですか!?』

『わてら通りすがりの紺野重工っちゅうもんや、そんなことはどうでもええねん、お嬢ちゃん。ちょっと取引せんか?』

『と、取引……?』

『あぁ、シャルちゃんにちょっと一緒に日本に来てもらってな。テストパイロットになってもらいたいねん』

『だ、ダメです……コホン……娘をそんな外国になんてっ……ゴホッ……連れていかせません!』

『……その見返りはなんですか?』

『だ、ダメッシャルッ!』

『おたくのお母さん。そこでしんどがってはるお母さん居はるやろ?わてらが責任もって面倒見たろ……森本はん』

『はい……』

 

俺がパチンと指を鳴らすと、後ろで控えていた森本さんが手に持っていたアタッシュケースを開ける。中にはギッシリと現地通貨のユーロが詰まっていた。

 

『こんだけあれば、どんな大病院でも入院さして貰えるやろ』

『こ……これでお母さんが……』

『だ、ダメ!シャルロット……私のことは大丈夫だから……』

『ほら、シャルちゃん。どうすんねん?何も捕って食おうなんて思てへんで』

『シャル!』

『…………お願いします。お母さんを助けてあげてください』

 

母親を守るようにベッドに覆いかぶさっていたシャルロット・デュノアが俺の前まで来て頭を下げる。

 

『へへっ、決まりやな……』

『ダメッ、シャル!行かないでっ!』

『ごめんねお母さん……またいつか会えるよね……』

 

シャルロット・デュノアはバイオレットの瞳に大粒の涙を浮かべながら、それでも気丈に母親に向かって微笑んだ。俺と森本さんはアタッシュケースを床に転がすと、そんな彼女の腕を強引に引き外に連れ出す。

 

『シャルっ!シャルぅっ!』

 

咳混じりの悲痛な叫びは何時までも草原に響いていた……。

 

最高にワルだな。ゾクゾクするぜ。

 

シミュレートを終えた俺はゆっくりと目を開け、満足げに微笑む。丁度目の前にCAさんが来ていたらしく気味悪がられた。あっ、オレンジジュースお願いします。

ストローでズゾゾゾとオレンジジュースを飲みながら、ふと隣の森本さんの方に目をやると雑誌を顔に被せて眠ってしまっていた。ビジネスクラスだから若干変な姿勢になってしまっている。……結構頑張ってくれてるからな。寝かせておこう。俺は有能な人には優しいのだ。CAさんにタオルケットを頼んで、森本さんに被せた後、窓の外をぼんやりと眺める。

 

既に雲の群れを見下ろせる高さにまで飛行機は上昇していた。これがよく言う高度1万フィートの世界なんだろうか。本来なら上に広がるはずの雲が下にあって、自分より高い物が全くない。そんな非現実的な景色に俺は見蕩れてしまっていた。

 

……『白騎士』もあの時こんな景色を見てたんだろうか。

 

* * *

 

気がついたら飛行機は着陸態勢へと入ろうとしていた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。小さく伸びをして隣を見ると、森本さんはまだすやすやと寝息を立てていた。流石に揺り起こすと、むにゃむにゃと言いながらゆっくりと目を覚ました。早く夢の世界から着陸してください。

 

フランスのパリ国際空港に降り立った俺達。時差のせいでフランスは昼を少し過ぎた所だった。そういえば機内食食べてない。もしかしたら寝ぼけて断ってしまったんだろうか。

「着きましたね……どうしますか?」

「とりあえずどっかで昼食べて、住所の所に行きますか」

「了解しました」

 

カバンからタブレットを取り出し、何やら打ち込む森本さん。やがて俺の方に向けられた画面にはなかなか美味そうなサンドイッチの画像が表示されていた。

 

「そこにしますか」

「あ、すみません。これはこの前家で作ったクラブハウスサンドの画像でした」

「……」

 

紛らわしいわ!

森本さんの小ネタを流しつつ、市街地へと向かうバスに乗り込む。シャルロット・デュノアの住む地域までは市街地の中心を通る地下鉄に乗っていくのが便利だ。

 

昼を適当に食べ終え、ガタゴトと地下鉄に揺られ、目的地へ向かう。報告書に寄ると、地下鉄を降りて更にバスを数本乗り換えた後歩かなければならないらしい。日が暮れるまでに着くといいけど。

 



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5話

 

『僕、日本人か?』

『は、はい』

 

3本目に乗り換えたバスに乗ってうとうとしていると、おじいさんに訛りのある英語で話し掛けられた。

 

『こんな田舎に***かい?』

『あ、フランス語でも大丈夫ですよ』

 

聞き取り難かったので、こちらからフランス語で答えると、おじいさんは驚いた表情を浮かべた。若干誇らしい気持ちになる。ちなみに森本さんも英語、フランス語は話せるらしい。ハイスペックだな……。

 

『……おたくの弟さん凄いね』

『い、いえ。秀人さんは……』

『お、お兄ちゃん……俺、凄いでしょ!』

 

生真面目に訂正しようとした森本さんを遮り慌ててジェスチャーを送る。観光に来た兄弟を装う方が、印象に残らなくていいからだ。

 

『あ、あぁ、流石俺の弟!』

『あははは……』

2人で口裏を合わせ、なんとか誤魔化す。おじいさんは信じてくれたらしく、ニコニコとしていた。

 

『誰かに会いに行くのかい?』

『えぇ……この子なんですけど。知ってます』

 

俺はガサガサと報告書をめくり、シャルロット・デュノアの顔写真を見せる。文書自体は日本語で書かれているので特に見せても問題はないはずだ。

 

『どれ……あぁ、シャルちゃんか』

『お知り合いですか!?』

 

森本さんが驚いた声を上げる。確かにまだ乗り換えも残ってるのに、こんなところで知り合いに会うとは思わないよな……。

 

『村のはずれにお母さんと住んでる子じゃろ?可愛らしいし、優しい子でなぁ』

『へー……お母さんの具合が悪いとか聞いてませんか?』

『あー……そういや最近見てないな……具合良くないのか?』

『少し体調崩されてるみたいですね』

『そうか……お大事にって言っといてくれ。また見舞いにでも行くから、とな』

『わかりましたぁ』

 

そう言うとおじいさんは次のバス停で降りていった。ひらひらと手を振るおじいさんを見送った俺達はふぅ……と小さな溜め息をつく。

 

「どうやら、報告書の通りのようですね」

「流石情報部です」

「いやいやそんな……」

 

謙遜する森本さんを横目に、俺は先ほどのおじいさんのシャルロット・デュノアに対する評価を思い出していた。可愛くて、優しい。どうやら原作と変わりない人物らしい。少しホッとする。

 

「あ、秀人さん。次が終点みたいですよ」

 

森本さんにそう言われ、慌てて降りる。森本さんは荷物が多くて大変そうだ。アタッシュケースに2人分の黒スーツが入ったカバンまで持ってもらっている。

 

「少し持ちますよ?」

「これぐらい全然大丈夫です。『運転手さん。この住所の場所に行きたいんですけど』」

 

俺の申し出を手で制し、運転手に報告書の一部を見せる森本さん。運転手はすっと人差し指で前方を指さした。

 

つられて前を見るが1面背の高い向日葵畑が生い茂っていて、家らしきものは見えない。

 

『あの……』

『この畑をずっとまっすぐ、赤い屋根の家だ』

 

低い声でそれだけ言った運転手はそのまま走り去ってしまった。

 

「さて……歩きますか」

「はい……」

 

再び荷物を背負い、向日葵畑に向かって歩き始める。既に辺りには夕日がさしていた。ホントに日没まで着けるんだろうか……異国で野宿は嫌なんですけど……。

 

広い向日葵畑の中に細く続く道を歩き続けると、一気に景色が開けた。目の前にはちょっとした丘があり、奥は森になっている。その手前、今の俺達が丁度見上げるような位置に赤い屋根の家は立っていた。

 

「着きましたね」

「えぇ……」

 

流石に大荷物を持っての移動はきつかったのか、膝に手を当てて息を整える森本さん。ご苦労様です。

 

「着替えましょう。スーツを出してもらっていいですか?」

 

ジーッと布製のカバンを開ける森本さん。夕焼けに照らされた彼の顔がすぐに驚愕にゆがんだ。

 

「どうしました!?」

「あ、あの……間違えて……アロハシャツ持ってきちゃいました」

「え……?」

 

そう言ってピラっと中に入っていた布を広げる森本さん。水色をベースに赤いハイビスカスが大胆に施された、ハワイアンな服がお目見えする。

 

……普通、黒スーツとアロハシャツ間違えますかね。

 

「すみません、前日まで仕事で……寝不足だったものですから」

「修学旅行と勘違いしちゃいました?」

「……しちゃいました」

「はぁ……」

 

俺は深い溜め息をつく。機内では森本さんのこと有能とか言ってたけど全部撤回だボケ!どこの世界にアロハシャツで人身売買の取引に行く奴がいるんだよ。トロピカルランドで秘密の取引をしたジンとウォッカレベルの滑稽さなんですけど。

 

「一応サングラスはあるんですけど」

 

それも修学旅行セットだろうがぁ!!!ちょっと自慢げに出すんじゃねぇよ!!

 

そう言っても他に着替えはなく、着てきた私服は汗で湿っている。仕方なく俺達はアロハシャツに着替え、サングラスをつける。

 

「「……」」

 

はい、完全に観光客です。本当にありがとうございました。

 

「……出直します?」

「え?ここまで来て?」

 

とは言っても俺も結構やる気が削がれてしまっている。俺は形から入るタイプなのだ。Tシャツとジーパンで神輿担げって言われたら嫌だろ?それと同じです。

 

なんとなく出直す方向に意見がまとまりかけたその時だった。

 

「きゃーっ!?お母さんっ!?」

 

家の方向から女の子の悲鳴が聞こえた。俺は一目散に走り出す。森本さんもアタッシュケースを引っ掴んで俺に続く。

 

「大丈夫!?しっかりして!?」

 

泣きそうな少女の声が尚も聞こえてくる。大丈夫だ。シミュレーション通り、後は落ち着いて、金でシャルロット・デュノアを連れ帰るだけだ。

 

丘を登りきった俺は少し傾いた木製のドアに手を掛けると、走る勢いのまま家の中に飛び込んだ。



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6話

向日葵畑に時折吹き抜ける強い風が、向日葵と私のワンピースの裾をバサバサと揺らした。

 

オレンジのリボンが着いた白い麦わら帽子を飛んでいかないように押さえながら、私は向日葵畑の中を走り抜ける。今日は村のロイさんの所でお手伝いをすることになっていた。

 

村に着き、ロイさんのお家を目指す。太陽の日射しが眩しいこの時間帯に外を出歩いている人は私以外には見当たらなかった。

 

「やぁ、シャルロット」

「はぁ……はぁ……ロイ、さん……遅れてごめんなさい」

「まだ時間になってないから大丈夫だよ」

 

ロイさんはこの村で唯一のお医者さんだ。自分のお家を診療所にして、ケガから病気まで1通りなんでも見てくれる。私のお母さんもついこの間診てもらった。最近元気がなくて心配していたが、働きすぎによる体調不良らしい。私がもっと頑張ってお母さんに楽させてあげないと。

 

ロイさんの診療所でのお手伝い、といってもその内容は別段特殊なものではない。薬瓶が並ぶ棚や床を布巾で拭いたり、部屋の隅に押しやられたカルテやら請求書の紙束を整理するだけだ。

あとは……。ロイさんの話し相手になったり……うん。

 

「シャルロット、少し休憩しようか」

「え、まだ初めてすぐですよ……?」

「いいから」

 

ロイさんは有無を言わさずといった口調でそう言うと、私の腕をつかんでやや強引に椅子に座らせた。

 

「紅茶を淹れたんだ。飲むだろ?」

「……はい。いただきます」

 

お手伝いに来た私の方が紅茶をご馳走してもらうのもおかしな話だけど、ロイさんの好意に素直に応じる。

 

カチャカチャと2人分のティーカップを用意して、鮮やかな紅色の紅茶を注いだロイさんは私の目の前の背もたれ付きの椅子に腰を下ろした。

 

そして、ポンポン……と自分の膝を軽く叩く。

 

「…………はい」

 

少しの沈黙の後、私はコクンと頷いて椅子から立ち上がり、そのままロイさんの膝の上にポスっと腰を下ろした。

 

「いい子だシャルロット……」

 

私のお腹に左手を緩く巻き付けながら、ブロンドの髪を撫でるロイさん。スゥーと深く息を吸い込む音が耳に届く。

ロイさんはほぼ毎回こうして私を膝に乗せ、頭を撫でたり、お腹を摩ったりしてくる。結婚しておらず、子どものいないロイさんは、私のことを娘みたいだとよく言ってくれる。私にはお父さんがいないのでよく分からないけど、これが親子のスキンシップなのかな……。

だけど私ももう13歳になる。男の人の膝の上に座ったり、お腹を触られたりするのは正直恥ずかしい。けれども、これも『お手伝い』だから……そう言い聞かせ、羞恥心や服越しに肌を触られる言いようのない感覚を我慢する。

 

「シャルロットがうちの子だったら良かったのにな……」

「あ、あはは……そ、そろそろお掃除再開した方が……」

「もう少しこのまま……」

 

結局、『お手伝い』の殆どの時間を私はロイさんの膝の上で過ごすことになった。

 

夕方家に帰る時間になり、ようやく私はロイさんの膝から解放された。

 

「はい、これいつもの」

「すみません……ありがとうございます」

 

ロイさんから白い封筒を受け取った私は頭を下げ、家を出る。村を抜け、向日葵畑の中を歩きながら封筒の中身を開けてみた。

 

中には20ユーロ入っていた。節約すればなんとか2、3日分の食費にはなりそうだ。良かった……。お母さんが元気になるまでは私が代わりに働いてお金を稼がなくてはならない。学校に行くためのバス代と時間が勿体なくて中学校も休みがちになってしまっている。

 

「どこかでちゃんと働いた方がいいのかな……」

 

お母さんには大反対されるだろうけど、お母さんが働きすぎているのは誰の目にも明らかなのだ。今良くなってもまたすぐに体調を壊しかねない。

とは言っても中学校も卒業していない私を誰が雇ってくれるだろうか。

 

私は唐突にさっきまで一緒にいたロイさんの表情を思い出してしまった。柔らかな笑顔に混じる、品定めするような目。お母さんがいつも櫛を通してくれるブロンドの髪もお腹も出来れば触られたくなかった。

 

けれど仕方が無いのだ。13歳の小娘である私がお金を稼ぐ為に与えられる選択肢なんてそう多くない。お母さんの為にも、自分の為にも────────仕方がないのだ。

 

 

もやもやとした気持ちのまま、家へと戻る。向日葵畑を抜けた丘の上にある家。それが私とお母さんの暮らす家だ。余り大きくないし新しくもないけど、私はこの家が気に入っていた。

 

「……ただいま!お母さん!」

 

玄関の前で深呼吸して、笑顔を作った私は勢いよくドアを開く。辺りにはもう夜が訪れようとしていた。お母さん、心配してないかな。

 

「ごほっ、おかえりなさい。今日もご苦労様」

「うん、今日もお手伝い頑張ってきたよ!」

「そう……ありがとうね……コホッコホッ」

 

ベッドで横になっていたお母さんが笑顔で出迎えてくれた。凄く美人なのに、体調が悪いせいで痩せて顔色も悪くなってしまっている。

 

「今、ご飯作るからね」

「うん……ごめんなさいね……」

「大丈夫だよ。お母さんはゆっくりしてて」

 

手を洗い、エプロンを身に付ける。今日はラタトゥイユにしよう。お母さんに料理を教わってて良かった。

 

「シャルは将来何になりたいの?」

 

キッチンに向かい、食材を切っているとお母さんの声が聞こえてきた。キッチンのあるダイニングとお母さんの寝室はドアもなく繋がっている為、こうして料理をしながらでも会話が出来る。

 

「うーん……なんだろうね」

 

先ほど考えたばかりのタイムリーな話題に内心ドキドキしながら私は曖昧な返事をお母さんに返した。

 

「……シャルだったら何にでもなれるわよ」

「えへへ、そうかな……」

「そうよ。優しいし、器用だし。パティシエールなんて向いてそうね」

 

お菓子作りは小さい頃からお母さんと一緒にしていたせいで、今でも私の趣味のひとつだ。専ら最近はそんな余裕もないんだけど……。

 

「パティシエールか……でも私、すぐに働きたいなぁ」

 

パティシエールになるにはきっと料理の専門学校に行ったり、職人さんに弟子入りしなければならない。今の私にはそんな時間的余裕も金銭的余裕もない。

 

「あら、どうして?」

お母さんが意外そうな声を上げる。

 

「だ、だって……勉強とかあんまり好きじゃないから……だから働きたいな」

 

私は嘘をついた。勉強は楽しいからむしろ好きだ。でも『お金がないから少しでも早く働きたい』なんて口が裂けてもお母さんには言えない。

 

「そう……」

 

お母さんは少し寂しそうにそう呟き、静かになってしまった。もしかしたら私が嘘をついてるのがバレてしまったのかもしれない。私も少し気まずくなりながら、黙々と料理を作り続けた。

食材を切り終え、後は鍋で煮込むだけになった。辺りは完全に日が落ち、少し寒くなってきている。どこか遠くの方で人の声がするのはきのせいだろうか?

「……寒い……」

 

私はワンピースとエプロンをしても丸出しの両腕を擦りながら、隣の部屋を覗く。お母さんは寝てしまったのだろうか?

 

「お母さん?もうすぐご飯できるよ────────っ!?」

 

ひょいとベッドを覗き込んだ私の目に飛び込んできたのは、ベッドの上で前屈みに倒れてぐったりするお母さんの姿だった。シーツの上には真っ赤な血がついていた。

 

私は頭が真っ白になって叫ぶ。

 

「お母さん!?大丈夫!?しっかりして!!」

 

慌てて駆け寄るがぐったりとしたお母さんの反応はない。どうしよう!?救急車呼ばないと!でも、こんな村はずれの家にくるまでどれくらいかかるのだろう。

 

「ゴホッゴホッ!」

 

お母さんが激しく咳き込み、新たに口から血がポタポタとシーツの上に落ちる。私は泣きそうになりながらお母さんの背中を摩ることしかできなかった。

 

「誰か……助けて……」

 

涙混じりの声で呟く私は無力だった。

 

その時である。バーンっ!と凄い音をたてて玄関の扉が開いた。私は思わず玄関の方に目をやる。そこには、派手な花柄のシャツを着てサングラスを掛けた男の子が立っていた。肌の色からしてアジアの方の人だろうか?

 

観光客?なんでこんな所に?予期していなかった男の子の登場に私の頭がぐるぐると混乱してしまう。

 

その男の子は私の姿をサングラス越しに見つけると、流暢なフランス語で叫んだ。

 

「シャルロット・デュノア!!お前の母親を助けてやる!!だから俺の奴隷になれこの野郎っ!!」

 

「……へ?」

 

腕に血を吐くお母さんを抱えているのも忘れ、私は素で間抜けな声を上げてしまったのだった。




次回は普通に主人公視点に戻ります。


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7話

『シャルロット・デュノア!!お前の母親を助けてやる!!だから俺の奴隷になれこの野郎っ!!』

 

叫んだ後、俺はその内容を激しく後悔する。しまった。吐血しているデュノアの母親とシャルロット本人を見て思わず熱くなってしまった。

 

『……へ?』

 

シャルロット・デュノアもポカンとした表情で俺の方も見ているし、後ろから追いついてきた森本さんも「秀人さん……」と残念そうな声を上げている。

 

いかん、俺のペースに戻さなければ!

 

「森本さん。とりあえず救急車……いや、ヘリを呼んでください!情報部のフランス支部で1つ保有してましたよね?」

「は、はい。ただ今」

 

すぐに森本さんはどこかに電話を掛け、二言三言何かを話した。そしてシャルロット・デュノアの方に向き直る。

 

『こんばんは、お嬢さん。僕達怪しい者じゃないんだ。ちょっとお母さん診せて貰うね』

 

フランス語でそう言いながら、ベッドの上でぐったりとしている彼女の母親に近づき、脈を取ったり、瞳を開いたりしている。

 

「秀人さん、今すぐ生死に関わるようでは無さそうです」

「っ、そうですか」

「あ、僕ちょっと医学も齧ったことあるんです」

 

森本さんのハイスペックぶりに少し引きつつ、改めてシャルロット・デュノアの方に向き直る。

突然の来訪者に驚き、キョロキョロと心配そうにする彼女。写真で見るよりも実際のシャルロット本人は幼く、可愛らしく見えた。

 

『今すぐ死んだりはしないそうだ。安心しろ。ヘリを呼んだからもう少しすれば病院に運べる』

『は、はい……』

 

まだ状況を飲み込めていないらしく、俺の話にただこくこくと首を振るだけの彼女。ただ、死ぬことがないと聞いてやはり安心したのか、紫色の彼女の瞳にはじんわりと涙が滲んでいた。

 

『あの……どちら様ですか?』

『それも後でゆっくり話す。今は母親の手でも握っておいてやれ』

『は、はい……』

 

テキパキと動き回り、彼女の母親の口元の血を拭ったり、タブレットを見てはヘリの現在位置を確認している森本さん。彼に任せておけばなんとかなるだろう。ただ、やはりというか何というかアロハシャツを着ていることが状況のシリアスさをどこかに吹き飛ばしてしまっている。いや、まぁ俺もなんだけどさ……。

 

30分ほどしてヘリが到着した。情報部らしい数人の男性と白衣を来た女性がヘリから降りてくる。冷静に、そして迅速にシャルロットの母親をストレッチャーに乗せ、簡易な酸素導入を行った後、ヘリに運び込まれる。

 

「秀人さん、初めまして。紺野重工フランス支部長の朱里と申します」

「初めまして、いつもご苦労様です」

「今回フランスに来られたのは……」

「はい、そのことも明日お話させて頂きます」

 

わかりました、と朱里さんは短く言って、ヘリの方に駆け戻る。そして驚くことに操縦席に入ると、すぐにヘリは離陸していった。

 

「……情報部の人って何でも出来るんですか?」

「秀人さんがそういう方たちを集めたんじゃないですか……」

 

なにを言っているんだといった様子で答える森本さん。そうか……俺のせいだったのか。

 

『あ、あの……』

 

後ろから少女の声が聞こえる。そういえばすっかり忘れていた。今回の旅の主目的なのに。

 

『お母さんを助けて頂いて……ありがとうございました』

 

そう言って頭を下げるシャルロット・デュノア。だが心なしか彼女の顔色が悪い。

 

『どうした?何かまだ困ってることがあるのか?』

『あ、あの……今、家にお金が無くて……ごめんなさいっ、絶対お返ししますので』

 

泣きそうな顔で、申し訳なさそうに頭を下げてくるシャルロット。あぁ、そんなことか。

 

『ヘリを呼んだのも病院に運んだのもこちらの勝手だ。金は要らん』

 

手をヒラヒラ振りながら答えると、驚いて目を見開き、パクパクと口を動かす彼女。金のことはどうでもいいんだ。何なら俺達の方から更に払うくらいだし。

 

『それより、話があるんだが。聞いてくれるよな?』

こくこくと彼女が首肯するのを見て、俺と森本さんは再び彼女の家へと入る。

 

『ラタトゥイユの良い匂いがしますね』

 

へぇ、この匂いがそうなのか。俺もクンクンと鼻を動かし、家の中に漂う料理の匂いを嗅ぐ。確かに美味そうな匂いだ。それにしても森本さん……それフランス語で言っちゃいます?

 

『よ、良ければ召し上がってください……』 『いいんですか!?』

 

恐る恐るといった感じでシャルロットが答える。ほら!気ぃ遣わせちゃったじゃん!それに対して、森本さんはパァっと顔を輝かせて喜ぶ。頼むから有能なのかポンコツなのかはっきりしてくれ。

 

『えぇ、弟さんも食べられますよね……?』

 

そんな森本さんの様子が可笑しかったのか、クスリと笑った彼女は俺の分の皿も食器棚から取り出してくれた。あ、何かすみません。

それよりまた弟と勘違いされてしまったらしい。まぁ今なんてアロハシャツまでお揃いなんだからそう思われても仕方ないのかもしれないが……。

『はい、どうぞ』

 

促され、食卓についた俺達の前にラタトゥイユとやらが載った皿が置かれる。遅れて席についたシャルロットの方をチラッと見ると明らかに彼女の前の皿だけ量が少ない。

 

『おい……』

『いただきます!うおっ!凄く美味しいです!』

 

シャルロットに何か言おうと口を開こうとするが、森本さんの声によって妨げられる。てめっ、森本っ!やっぱりお前ポンコツだろ!?

 

申し訳なく思いシャルロットの方を見ていると、そんな俺の視線に気づいたのか彼女が優しく微笑み返してきた。

 

『お、弟さんも食べてください、ね?』

『……いただきます』

 

フォークで口に運ぶ。トマトベースの野菜煮込みって感じか?空腹だったのもあるが……ホントに美味い。

 

『……美味しい』

『ふふっ、ありがとう』

照れくさそうに笑う彼女。そういえば母親が病気で寝たきりということはこの料理はシャルロットが作ったのか。料理の腕といい、この人当たりの良い性格といい、報告書と原作の通りの人物のようだ。

 

***

 

『さて、話したいことがあるんだけど』

 

食べ終えて一段落したところでいよいよ本題を切り出した。それに反応した森本さんがアタッシュケースやら必要な物を取りに席を立つ。

 

『はい』

 

食器を洗っていたシャルロットだったが大人しく指示に従い、俺の正面に座った。森本さんが準備出来たという合図を送ってきたので、俺は話し始める。

 

『さて、シャルロット・デュノア』

『ちょ、ちょっと待ってください。私、デュノアなんて苗字じゃありません』

『……?』

 

俺と森本さんは顔を見合わせる。あれ?人違い?いや、そんな訳ないだろう。これはあれだ。シャルロットの母親が彼女に父親について何も教えてないんだ。俺はしばらくの間、脳内で彼女に話すことをシュミレートした後、口を開く。

 

『いや、君は確かにシャルロット・デュノアだ。デュノアという名前に心当たりは?』

『……デュノア社くらいしか……』

 

おぉ、やっぱり知っていたか。そりゃフランスを代表する世界有数のIS関連企業だからな。テレビか新聞で聞いたことはあるだろう。

 

『そう、君はそのデュノア社社長の娘だ』

『っ!?じょ、冗談ですよね……?』

 

シャルロットの瞳が動揺により激しく揺れる。

 

『いや、確かだ。なんならDNA鑑定でもしてやる。君は確かにデュノア社社長であるアレン・デュノアとお母さんとの間に生まれた子だ』

『そんな……』

『だが、そんなことは今問題にしていない』

『そんなこと!?』

 

シャルロット・デュノアの表情が驚愕と嫌悪に包まれる。確かに自分の出生に関わる秘密を軽く済ませればこんな反応されてもおかしくない。なので俺は素直に頭を下げる。

 

『すまん、確かに語弊があった。だけど聞いて欲しい話が他にあるんだ』

『……すみません。続けてください』

 

拍子抜けしたような様子のシャルロットもぺこりと頭を下げてきた。俺は森本さんに視線で合図を送り、アタッシュケースを食卓の上に載せる。

 

『な、何ですか?』

『シャルロット・デュノア。君をこれで買いたい』

 

そう俺が言うと、森本さんにアタッシュケースが開かれ、中から並べられた札束が出てくる。

 

『……へ?』

『50万ユーロある。これで君に我が紺野重工業のテストパイロットを引き受けて貰いたい』

『……ごめんなさい、状況が理解出来ないんですけど……』

『紺野重工業は3年後を目処に本格的なISの開発に移るつもりなんだ────────あぁ、ISって分かるよな?』

『あの、女性が乗るロボットですよね……?』

『その認識で間違っていない。我々も直にISを造る……ただ、残念ながら我々はまだ基礎研究に着手したばかりのレベルなんだ。このままでは世界基準に到達する前に倒産してしまう』

 

嘘ではない。ようやく国内に流通するIS消耗部品のシェアこそ絶対的なものになってきたが、自分達でISを開発するとなると、俺達はまだ赤ん坊のようなものだ。何も出来ないし、殆ど何も分からない。

 

『はぁ……』

『そこでだ。君にフランスの代表候補生になった上で、日本のIS学園に通ってもらいたい。そこで我が社のIS開発を手伝ってもらいたいんだ』

 

現在、代表候補生として選ばれている人達にはことごとく企業や研究所が既にバックについている。つまり俺達、紺野重工業が自由に研究開発を行うのには、まだ代表候補生の候補にも選ばれていない奴を『青田買い』するしかないのだ。

 

『わ、私がですか!?あ、ISも見たことないのに!?』

『それは大丈夫だ。君のIS適性はAだから』

 

俺は彼女に自信を付けさせるため、即座に断言する。原作ではそうだったのだから、この世界でもシャルロット・デュノアは素晴らしいパイロットになるだろう。

 

『……どうして分かるんですか?それに私の為にわざわざ日本から来られたんですか?』

 

初対面でこれだけ断言する俺にようやく胡散臭さを感じたらしい。俺や森本さんやアタッシュケースの中を訝しそうに見つめる。

 

『言いたいことは尤もだろう。確かに俺達は怪しすぎる。ただ、例え君が騙されたところで何のデメリットがあるんだ?』

『……?』

『金は置いていくからお母さんの治療費に使える。それにIS学園に入学出来る16歳まではフランスで過ごしていい。日本に来るまでの生活と身の安全も紺野重工業がサポートしよう。代表候補生になれば国家の後ろ盾もつくし、もしどうしても嫌になればISに乗ること自体辞めればいい。それで俺達との関係もなくなる。破格の条件だと思うがね?』

『お母さんの治療費に……』

 

やはり1番食いついたのはそこだったようだ。俯いて顎に手を当てゆっくりと条件の中に不利益がないか考えている。

 

「秀人さん……それでは我々に余りに不利です」

 

焦ったように森本さんが耳打ちしてくるが、俺は気にしない。知っているからだ。目の前に座る彼女が受けた恩をあっさり忘れるような子ではないことを。

 

『さて、どうするんだ?我々と手を組むか、このまま母親が死ぬまで一緒にここで暮らすか』

『……いします』

『聞こえないな』

『お願いします!私を貴方達の会社のテストパイロットにしてください。お母さんを助けるなら何だってしますから!』

『よし、なら契約成立だ』

 

俺は内心ほくそ笑みながら彼女に向かって手のひらを伸ばす。恐る恐るそれを受ける形で握手を交わしたシャルロットの前に森本さんが紙束を置いた。

 

『あの……これは?』

『契約書だ。こちらからは少なくともIS学園に入学してもらうこと。それとある程度の行動の制限等を課させて貰う。君の安全を守る為にもね』

『これ全部ですか?』

『今日じゃなくても構わない。明日か明後日にでも出してくれ』

シャルロットは小さく溜め息をつき、黙々と契約書に目を通し始める。文書はフランス語で書いたから問題ないはずだ。俺は契約が上手く成立しそうなことにホッとして小さく溜め息をついた。後ろで控えていた森本さんが話しかけてくる。

 

「お疲れ様です、秀人さん」

「あぁ、ありがとうございます」

「秀人さんって絶対年齢詐称してますよね」

「……えぇ、実は25歳なんです」

「……全く笑えない冗談ですね」

 

そんなことを2人で話していると、ふとシャルロットが口を開いた。

 

『あの、お二人はこのあとどうされるんですか?』

『どうって……ホテルに帰りますが』

『バス……多分もうありませんよ』

『えっ?』

 

森本さんが驚いた声を上げる。俺も壁際にかかった時計を見るが、まだ夜の8時過ぎだった。

 

『もうバス無いんですか?』

『この辺りは田舎ですから……』

 

マジか……。泊めて貰えないかな……。俺は期待を込めて森本さんの発言を待つ。

 

『仕方ありませんね、野宿しますか』

『えっ』

『の、野宿ってもうすぐ11月ですよ!?』

『仕方ないですね。女性と1つ屋根の下で眠るのは問題でしょうし』

 

慌てて反論するが、渋い表情を浮かべ『ねっ?』とシャルロットに同意を求める森本さん。急にどうしてそんな真面目なこと言い出すんだ!?このままいくとアロハシャツで11月の夜風を浴びることになるんだぞ!?

 

『わ、私は別に構いません。家で寝てください』

『え?いいんですか?』

 

よっしゃあ!!俺は心の中でガッツポーズを作りながら、目の前の天使に感謝を捧げる。

 

『ありがとう。デュノアさん』

『……いえ』

 

『デュノア』と呼ばれた彼女は馴れないらしく、しきりに首を傾げながら契約書の束を持って部屋に戻っていった。なお、自分のベッドを使うよう彼女は言ってきたが、それは断った。そこまで厚かましくはなれないです、はい。

 

ダイニングの床に雑魚寝した俺と森本さん。暗闇にぼんやりと浮かぶ天井を眺めていると、森本さんが口を開いた。

 

「こうしていると、大学時代を思い出します」

「……旅行ですか?」

「いえ、1度比叡山の方で仏教修行をしていた時期がありまして、その時は御堂に雑魚寝していたな、と」

「森本さんって人生経験豊富過ぎませんか?」

 

そんなことを話しているうちにいつの間にか俺達は眠りについていた。そして朝ふと目が覚めると俺達に1枚ずつ毛布が掛けられていた。シャルロットさん、マジ天使。

 



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8話

「ん……?」

物音に目を覚ますと見慣れない天井が見えた。……あぁ、そういえばシャルロット・デュノアの家に泊めてもらったんだった……。流石に背中が痛い。

 

『ご、ごめんなさい……うるさかったですか?』

首だけを回して声の方を見ると、エプロンを来た彼女が立っていた。手にはフライ返しを持っている。朝食の用意をしていたらしい。その物音でダイニングで寝ていた俺が目を覚ましてしまったと。

 

『いや……おはよう……』

 

申し訳なさそうな彼女に挨拶を返しながら、隣に寝ているであろう森本さんの方に目をやる。だが、そこには既に彼の姿は無かった。

 

「おはようございます、秀人さん」

 

すぐ近くから声が聞こえてきた。

 

「おはようございます……」

「先に朝ごはん頂いてます。『デュノアさん、これ凄く美味しいですね!』」

『あ、ありがとうございます……』

 

日本語で俺に話しかけながら、フランス語でシャルロットに声を掛ける森本さん。昨日に引き続いてシャルロットはもじもじと照れたように身体の前で両手を弄っている。

折角なら俺も起こして一緒にご馳走になほうよ……森本さん。そういえば彼がポンコツなのは昨日の段階で嫌というほど認識していた。諦めるしかないか……。

 

俺も起きるか。大きく伸びをするとポキポキと骨がなる音がした。フローリングの上で寝るなんて何年ぶりだろうか。前世ならしょっちゅうやっていたが、畳に慣れてしまった今では身体中が悲鳴を上げているのが分かる。

 

『だ、大丈夫……?』

『あぁ……悪いんだけど、俺にも何か食べる物ある?』

『う、うん……貴方の分の朝ごはんも作ったけど……』

『そうか、ありがとう。掛かった分のお金は後で森本さんにでも請求してくれ』

 

「えっ!?」とハムを咥えた森本さんが驚いた表情を俺に向けてくる。違うから。経費として計上してってことだから。だからそんな心配そうな顔で俺の方を見てこないでください。

俺は森本さんのポンコツ加減に頭を抱えたくなりながら、席につく。食卓の上にはパンとハムエッグと簡単なサラダが並んでいた。

 

「いただきます」

フォークを使って食事を摂る。和食でない朝ごはんも久しぶりだ。うん、美味しい。シャルロットはもう食べたのかな。

黙々と食事を口を運んでいると、森本さんが口を開いた。

 

『秀人さん、今日はどうされますか?』

『えーっと、とりあえずデュノアさんが契約書を書き終わるのを待って……』

『あの……もう書き終わりました』

『えっ?』

 

そう言って彼女は一旦自分の部屋に戻ると、紙の束を抱えて戻ってきた。受け取ってみると、数十枚に及ぶ契約書の全てに丁寧な字でサインがしてあった。彼女の方をチラッと見ると僅かに目元に隈が出来ていた。1晩で仕上げたのか。その真面目さは敬意に値する。ただ……。

 

『姓が違う。これでは契約が効力を発揮できない』

 

一通り目を通した俺はそう言って、彼女に契約書を突き返した。そう、サイン欄には『シャルロット・リシャール』と母方の姓が使われてあったのだ。『シャルロット』なんてヨーロッパではありふれた名前であり、苗字が違えば全くの別人が該当してしまうことになる。そもそも本当の苗字を昨日教え、それからも彼女を呼ぶときはフルネームか苗字だったのに、何故『デュノア』を使わないのか。俺は彼女を睨みつける。すると、僅かにたじろぎながらも、彼女は俺の方を見つめ返してきた。

 

『まだ私が『デュノア』であるという説明をして頂いていません』

『……説明すればフルネームを書くのか?』

 

こくん、と彼女が頷く。それなら、これ以上揉めるより説明した方が早い。

そう判断した俺は、原作によって知っていた情報に加え、紺野重工の情報部が手に入れた詳しい経緯を掻い摘んで彼女に説明した。

具体的には、シャルロットの母親とデュノア社長が15年程前に愛人関係にあったこと。だが、シャルロットを妊娠したことによりその関係がこじれ、手切れ金と共に社長が一方的に関係を解消したこと。以来シャルロットの母親は現在の場所に引越し、1人で彼女を育ててきたことを時系列に沿って説明した。

 

『そんな……』

 

話を聞いたシャルロットは俯いて両手を握りしめている。確かに13歳の少女が知るにはいささか重すぎる内容だろう。だが、いつか知る事実。原作では母親が死んでしまった後という最悪のタイミングてその事実を知ることになるのだ。それに比べれば、昨日初めてあった知らない外国人の子どもに教えられた方がまだマシじゃないだろうか。……マシだよね?

 

『……貴方はどうしてそのことを知ってるんですか?』

シャルロットから尤もな質問が飛んでくる。

 

『あぁ、実はデュノア社からIS開発に関するデータを入手しようと思ってな。フランスに紺野重工の支社を作って情報を集めてたんだ。デュノア社長と君との関係はその過程で知った』

 

半分本当で半分嘘だ。確かにフランスにある紺野重工業の支社はデュノア社に関する情報を今も集めているし、少し前まではシャルロットとその母親に関する情報も調べてもらっていた。

だがその前段階。なぜそもそも世界中に複数あるIS開発企業の中でデュノア社からデータを得ることを選んだのか。それについての答えにはなっていないし、そのことは答えられない。『原作から得た知識を元に君に目をつけたんだ!』なんて言えば頭が可笑しいと思われて終いだろうし。

 

『そう……ですか』

 

だが、彼女は俺の答えである程度の納得をしてくれたようだ。

 

『お母さんが元気になれば1度ゆっくり話してみればいい。恐らく俺の話したこととさほど食い違ってないはずだ』

『……はい。あの……契約書を』

 

小さく頷くシャルロットに再び契約書を渡すと、彼女は自分の部屋へと戻っていった。契約書の中身に目を通す必要はないから、さほど時間はかからないはずだ。

 

さて……どうするかな。冷たくなってしまったハムを咥えながら俺はこれからのことについて思案する。そんな俺を見て、ずっと黙って話を聞いていた森本さんが口を開いた。

 

「あの、秀人さん」

「……?なんですか?」

「一旦フランスの支社に行ってきてもいいですか?デュノアさんのお母さんの入院手続きや他の必要な書類を取ってきます」

「あぁ、そうですね。お願いします」

 

すっかりシャルロットの母親のことを失念していた。病院に運んで終わりではない。原作では確か今から半年後くらいに死んでしまうほど重い病気にかかってしまうのだ。キチンとした検査をすれば今の段階でも癌か何かの兆候が見つかるはずだ。

 

俺は森本さんにその辺りの手続きを一任することにした。

 

「何か他に取ってくる物はありますか?」

「えっと……パソコンとプリンタと、日本と仕事のやり取りを出来る物を持ってきてもらえますか?ここ、電波きますよね?」

「……えぇ、大丈夫でしょう。心配なら無線機器も持ってきますね」

「お願いします」

 

森本さんはテキパキと自分の分の荷物をまとめると、自室でサインをしているだろうシャルロットに一言声を掛け、出ていってしまった。

窓から森本さんの姿が見えなくなり、俺も残っていた朝食をかきこむ。俺もこれからまだまだすることがある。シャルロット・デュノアにもテストパイロットになる為の準備をしてもらわなければならない。IS学園に通うために日本語、文化作法、IS工学……etc。学んで貰うことも沢山ある。

 

一ヶ月でどれだけ教えられるかな……。

 

俺はフランスでの残りの日々を思い描きつつ、シャルロット・デュノアが契約書を持って部屋から出てくるのを待った。

 

 



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9話

『』表現についてですが、一人称者から見た母国語の台詞を「」で、その他の言語の台詞を『』で表記しています。じきに統一しますので、シャルロットの日本語が上達するまでしばらくお待ちください。


 

最悪だ……。私はもう何度目になるか分からない溜め息を、目の前に座る彼に気づかれないようにしてついた。

 

「おい、はやく続きを読め」

『……ワ、ワタシノイエノ……ナカニハ……オオキナツクエガ……』

 

彼に急かされるようにして私は持っている本に書かれた文を読む。表紙にはフランス語で『日本語入門』と書かれていて、中には見たことのない文字(ヒラガナとカンジと云うらしい)がズラズラと並んでいた。

 

「あ、あの……」

「なんだ?」

「もう少し簡単な文にしてもらえませんか?」

「……駄目だ。1ヶ月間である程度話せるようになってもらう必要がある」

 

今の教材が難しすぎる、と彼に頼んでみても目の前に座る男の子は高圧的な台詞と共に首を横に振るだけだった。

 

コンノヒデトと名乗る彼が家に来てからもう1週間が経とうとしている。はじめのうちはモリモトというニコニコと優しそうなお兄さんも居てくれたのに、仕事があるらしく帰ってしまったらしい。

後に残ったのは同い年なのにやたらと乱暴な言葉遣いと高圧的な態度を取る彼だった。彼の苗字とモリモトさんの彼に対する接し方からして、私がテストパイロットとして契約することになった紺野重工業の御曹司、それが彼だということは予想できる。だから私との関係は雇い主と労働者の関係にある。でもそれにしたってもう少し柔らかく話してくれたっていいんじゃないだろうか。

 

「1ヶ月後に何かあるんですか?」

「俺が日本に帰る、だからそれまでにある程度の上達を見たい」

 

私は彼が居なくなる日がはっきりした喜びと共に、あと3週間以上もこんな毎日が続くのかと思うと、お腹のあたりが痛くなる気がした。

 

「分かったならとっとと文章を読め。ある程度平仮名は読めてきてるんだから、スラスラいけるだろ」

 

褒められてるのか怒られているのか分からないような台詞を聞きながら、私は泣きたくなるのを我慢して日本語を読み続けた。

 

 

やがて、お昼を告げる鐘の音が村の方から聞こえてきた。

 

「よし、日本語の勉強はここまで」

「はふぅ……」

 

パタンと本を閉じた彼の横で、私は机につっ伏す。疲れた。頭が痛い。だが、そんな泣き言を言ったところで許してもらえるほど、目の前の彼は甘くないのだ。

 

「昼食の後はISの基礎知識について勉強するから」

「……はい」

 

抵抗しようにも『日本語、IS工学その他紺野重工業が要求するテストパイロットとして必要な諸々の知識を学習する』という契約書にサインをしてしまっている。首に鎖が繋がれた気分だ。

 

いつか本当にISに乗ることが出来たら、目の前の彼を思い切り殴りたいと思う。

 

「ほら、昼だ。早く食べろ」

 

机に突っ伏したまま野望を募らせていると、目の前にコトリとお皿が置かれた。顔を上げると美味しそうな湯気を上げるパスタが置かれていた。

 

「あの、これ……」

「この前森本さんに持ってきて貰った食材で作った。家のものはフライパンくらいしか使ってないから安心しろ」

 

聞きたかったのはそういうことではないのだが……どうやら食べてもいいらしい。私はおずおずと渡されたフォークを受け取り、くるくると巻いたパスタを口に入れる。そして私は驚きのあまり口元を抑えた……美味しい!

 

「お、美味しいです!」

「それはどうも」

 

彼は何でもないことのように答え、傍らに置いたノートパソコンを弄りながらパスタを口に運んでいた。料理を褒められても嬉しくないんだろうか? 私はこの前『美味しい』って言ってもらえて凄く嬉しかったんだけど。

 

それより……。

 

「あの、何かしながらご飯食べるのは良くないと思います」

「あ?」

彼がパソコンの画面から顔を上げ、私の方を見てくる。心なしか機嫌が悪くなって、私の方を睨みつけてきている気がする。怖い……。それでも私は勇気を振り絞って続けた。

 

「しょ、食事中にパソコン弄るのは良くないと思います。自分で作ったご飯でも感謝しながら食べないと……」

 

ゆっくりと彼の手が持ち上がる。叩かれる!そう思った私は固く目を結び、衝撃に備えて身構えた。

 

あれ……?

 

だがその衝撃はいつまで経ってもやってこなかった。

 

恐る恐る目を開けると、何事も無かったかのように彼は食事を続けていた。ただ一つさっきと違うのはノートパソコンが閉じられて食卓の端に置かれている。

 

「……?どうした?」

「い、いえ、あの……ありがとうございます」

 

ポカンとした私を不思議に思ったのか彼が首を傾げてきた。私は慌てて両手を振りながら、何故かお礼を言ってしまった。何に対するお礼だろう。叩かれなかったこと?素直に私の忠告に従ってくれたこと?

 

彼も私と同じことを思ったのか、変なものを見るような目で口を開く。

 

「別にお礼を言われるようなことはしていない……ただ、君の言うことが尤もだと思っただけだ」

 

意外だった。今までの態度からして、ただ甘やかされて高圧的な態度を取っているだけだと思っていたからだ。そんな彼が私の忠告を『正しいから』という理由で素直にパソコンを片付けてくれた。

いつもより早口で話した後、照れたように顔を背けてしまう彼。そんな目の前の男の子の様子にどこか可愛らしさと親近感を感じた私は、自分の頬が自然と緩むのが分かった。

 

「……シャルロット」

「え?」

(きみ)、じゃなくてシャルロットと呼んでください」

「……何の為に?」

「あ、貴方と……仲良くなりたいから……じゃダメですか?」

ふむ、と彼は少し顎に手を当て、考える素振りを見せた。

 

「分かった……その代わり俺も『貴方』じゃなくてヒデトという名前がある。だから──」

「分かりました。ヒデト……よろしくね」

「……急にフレンドリー過ぎないか?」

「え?でも私達友達になったんですよね?」

「……そうだったのか」

 

目の前の男の子は呆れたようにそう言い、しばらく何か考えるように遠い目をしていたが、やがて再びもぐもぐとご飯を食べ始めた。

 

再び会話がなくなるのがどういう理由か凄く嫌だった私は慌てて口を開いた。

 

「そういえば森の中に凄く綺麗な湖があるんですけど」

「へぇ、そうなのか」

「よ、良かったらお昼から私が案内しま──」

「残念だが昼からはISの勉強がある。ははっ、もう忘れたのか?」

 

ヒデトはそう言っていたずらっぽく笑った。改めて見たその顔は今までよりカッコよく見えた気がして、私は慌てて目を逸らし、パスタをくるくると巻く作業に戻った。

 

「ほら、早く食べろ。50万ユーロ分は働いてもらうからな」

 

相変わらずぶっきらぼうで高圧的な口調のヒデト。それでもそんな口調の中にどこか暖かさがあるような気がして、私は素直に首を縦に振った。

さっきまではとにかく早く日本に帰って欲しかったはずなのに、今ではもっと仲良くなりたい気持ちの方が大きくなっている。早く食べ終わってもっと沢山ヒデトと話してみたい。ヒデトのことを知りたい。

 

私は湧き上がるワクワクとした想いを胸に急いでパスタを口に運ぶのだった。

 

 

その後、いきなり敬語を使うのをやめた私を見て、ヒデトが愕然とするのはまた別のお話。

 



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10話

IS学園に入学するまで、もう少し序章らしきものが続きます。20話までには本編に入るのでもう少しお待ちください。あと、もしかしたらR-18タグを取るかもしれません。何らかの形で正確にお伝えできればと思っています。


ヒデトが家に来て2週間が経った。日本語とISの勉強は相変わらず続いているけど、あんまり上達した気はしない。勉強はあんまり苦手じゃなかったんだけどな……。

それに比べて家の中、特にダイニングの様子はガラリと変わった。お母さんが座って編み物をしていた窓際の揺り椅子は部屋の端に移動させられ、ヒデトが使うエアベッドが置かれている。モリモトさんに頼んで持ってきて貰ったらしい。

あと、突然うち宛に大きな冷蔵庫が届いたのは驚いた。毎日村まで材料を買いに行くのを面倒くさがったヒデトが注文したらしい。冷蔵庫が大きくなってお料理が楽になるのは

私も嬉しいけど……ヒデトもうすぐ日本に帰るんだよね?

 

そういう訳で着々とうちの中にヒデトの領土が広がってきている。もしお母さんが今すぐ帰ってきてダイニングに置かれた機械類やベッドを見たら、驚いて腰を抜かしてしまうだろう。お母さんと私の寝室だけは何としてでも守らないと……。私は心の中で固く誓う。

 

 

「これ、シャルロットのか?」

ダイニングに置かれたエアベッドに寝転んでいたヒデト。ふと目に止まったのか、玄関扉の脇に掛けていた白い麦わら帽子を手に取った。

 

「う、うん。お母さんに買ってもらったんだ」

「……いつも着けてるのか?」

 

白をベースにワンポイントで私の好きなオレンジ色のリボンが着いた麦わら帽子。お母さんが誕生日に買ってくれたもので、私はとても気に入っていた。

 

「そうだね、外出するときはいつも着けていくかな」

「ふーん……」

 

ヒデトは私の返答にうわの空で返事をすると、やけにジロジロと帽子をひっくり返したりして眺めていた。何さ、聞いてきたのはヒデトじゃないか。折角お気に入りの帽子を自慢できると思ったのに……。そういえば少し前からヒデトは完全に私が敬語を使わないのを気にしなくなった。友達として認めてもらえたんだろうか?

 

そっけないヒデトにむくれていると、突然家の電話が鳴った。

 

「はい、もしもし」

「シャルロットかい?私だ、ロイだよ」

 

受話器からは聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

「ロイさん、お久しぶりです。どうされました?」

「明日、家にまた手伝いに来て欲しいんだ。いいね?」

「あ、あの、私──」

「頼んだよ」

 

私が何か応える前にブツッと音を立てて電話が切れてしまった。

 

「知り合い?」

 

私が受話器を置くのを待ってヒデトが話しかけてくる。

 

「う、うん……村の人。明日お手伝いに来てくれって」

「シャルロット、お前そんなことまでやってたのか?」

「だ、だってお母さん働けないから……私が頑張らないと……」

私のはっきりしない言い方に、お金のやり取りがあることを察したのか、ヒデトは一瞬バツの悪そうな表情を浮かべ、ポリポリと頭を掻いた。

 

「それなら余計にもう手伝いなんてしなくてもいいんじゃないか?」

 

そう言って彼は部屋の隅に置かれたアタッシュケースを指さした。中には50万ユーロが手付かずの状態で残っている。お母さんの入院費と治療費に当てる大切なものだ。

 

「あれはお母さんの為に使わないと……それに、これからもし断るにしても1度会って謝らないと駄目でしょ?」

「まぁ……それはそうか」

 

私の言い分に納得してくれたのか、ヒデトが小さく頷いた。

「なら、明日の分の勉強は今日やるか」

「えぇっ!?今日は日曜日だからお休みって……!」

「事情が変わった。休みは明日に変更することにする」

「私はお手伝いに行くんだけど……」

「えぇ?そうなのか?まぁ頑張ってくれ」

 

白白しく答えながらベッドから降りたヒデトは、どこからか分厚いISの解説書とノートを取り出した。どうやら本気らしい。

 

「はぁ……」

 

私は大きな溜め息をつき、彼の隣の椅子に腰掛けた。

 

 

***

 

翌日。

お昼すぎになり、ロイさんの家に出発する時間になった。いつもロイさんがお手伝いを頼むのはこの時間だからだ。

 

「それじゃ、ヒデト。行ってくるね」

「おう、まぁ適当にやって帰ってこい」

「そこは応援してよ……家の中、汚さないでね」

「分かってるよ」

 

まるで親子のような会話をした後、家を出ようとした私はあることに気がついた。

 

「あれ?私の帽子は?」

 

いつも掛かっているはずの場所にあの麦わら帽子がない。キョロキョロと辺りを見回すと、ヒデトが思い出したようにベッドの陰から白い麦わら帽子を取り出した。

 

「すまん、忘れてた」

「もう!雑にしないでよ!」

 

私は彼から受け取った麦わら帽子をひっくり返したりして汚れが付いていないか確認する。良かった……特に何も変わった様子はないみたい。

 

「何もしてないよね?」

「別に?……匂い嗅いだくらいかな」

「最っ低!」

 

ヒデトに向かって抗議の叫び声を上げながら、私は自分の頬が熱くなるのが分かった。べ、別に臭くないよね……?

 

「嘘だ、素で置き忘れてた」

「!?……どっちにしても駄目でしょ!」

「悪い、とっとと行け」

「もうっ!知らないから!」

 

全く反省した様子のない彼に背を向けいよいよ出発しようと靴を履き替える。

 

「そうだ、1つだけ」

「何!?」

 

後ろから聞こえてくる声に振り返ることなく応える。

 

「その帽子はお前を守ってくれる。何か困ったことがあれば帽子に頼め」

「はぁ……?」

 

突然、不思議なことを言い出すヒデト。言っている意味が分からず首を傾げる私を見て、彼は楽しそうに笑った。

 

「まぁ、本当に困ったときに俺の話を思い出してくれればいいから」

「う、うん……」

 

ヒデトに押し出されるようにして私は家を出た。時々だけど、ヒデトが言っている言葉の意味が分からないことがある。

 

そういえば初めて会ったときも私に「奴隷になれ!」って言ってきたんだった。あのときは本当に危ない人が家に入ってきたと思った。結局その認識はそこまで間違えてなかったけど。

 

「ふふっ」

 

派手なシャツを着て、家に飛び込んできたヒデトの姿が脳裏に浮かんで、私は思わず笑い声を上げてしまったのだった。

 

村には15分ほどで着いた。ロイさんの家を目指しながら、今日伝えるべき内容を頭の中で復習する。

 

まず、お母さんが倒れたけど、命に別状はないこと。これは噂によって村のかなりの人が既に知っているだろうけど、ロイさんにはお母さんを見てもらったこともある。娘である私の口からちゃんと伝えるべきだろう。

 

もう一つは、テストパイロットとして働くことになるからもうお手伝いは出来ないということ。私を頼りにしてくれていたお婆ちゃんもいたりするので心苦しいが、仕方がない。私の雇用主が非常にうるさいのだ。だからこれからはお金を貰わずに、出来る範囲のことをやりたいと思う。

 

そんな考え事をしている内にロイさんの家に着いた。呼び鈴を鳴らすとすぐにドアが開き、ロイさんが顔を見せた。

 

「やぁ、シャルロット。よく来たね」

「こ、こんにちは」

「中へお入り」

 

ロイさんに促され、家の中へと入る。2週間振りに訪れた診療所兼家の中は、またカルテや医療器具らしきものが床に散らばっていた。

 

「今日も片付けてくれるかい?」

「は、はい」

 

ロイさんに言われ、床を綺麗にしながら私は用件を伝えることにした。

 

「そういえばお母さんのことなんですけど──」

「あぁ、都会の病院に運ばれたそうだね。夜にヘリが飛んできていたから村中驚いていたよ……よくそんなお金があったね」

笑顔で話すロイさんの目が僅かに光った気がした。

 

「あ、あの……そのことなんですけど。実は私……日本の会社のテストパイロットをやることになって」

「へぇ……凄いじゃないか」

「それで、あの……勉強することも多いですし、日本語も覚えなきゃいけないので……これからお手伝いはお断りさせて頂こうと思います」

「そうか……それは残念だ」

 

しょぼんと、目に見えてロイさんが項垂れる。頼りにしてもらえてたんだという喜びとともに申し訳なさが頭をもたげる……。私はそんな申し訳なさを振り払うように床掃除に全力を注ぐことにした。

 

「ま、また時間に余裕があればお掃除しに来ます!」

「そうか、それはありがたい……ところで一緒に住んでる男の子とは仲良くしているみたいだね」

後ろに立つロイさんが話しかけてくる。男の子とはヒデトのことだろう。

 

「は、はい……はじめのうちは中々仲良くなれなかったんですけど……最近は─────」

 

そこまで話したところで、ふとあることに気づいた。そういえばロイさんはどこでヒデトのことを知ったのだろうか?ヘリで運ばれたお母さんのことならまだしも、家に来てからほとんど外に出ないヒデトのことを村の人が知れるとは思えない。

それに私も『日本の会社のテストパイロットをやる』としか言っていないのだ。どうしてロイさんはヒデトのことを知っているんだろうか?

 

「あの、ロイさんはどこでヒデトのことを───」

 

ロイさんの方を振り返った私の目前に迫っていたのは、茶色い何かだった。

 

ガツン!と頭に鈍い痛みが走り、視界がぼやける。

 

「君がいけないんだよ……シャルロット……」

 

徐々に暗闇に落ちていく意識の中で、ロイさんの呟きだけがぼんやりと聞こえてきていた。



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11話

まだまだ普通の描写が続き、エロに入る気配がないのでR-18タグを一旦外します。どうしても書きたくなったら別枠で投稿させていただきます。楽しみにされていた方居られればすみません。


11話

 

「まぁ、本当に困ったときだけ俺の話を思い出してくれればいいから」

「う、うん……」

 

シャルロットを半ば強引に送り出し、俺はダイニングに置かれたエアベッドに向かってダイブした。ゴシゴシと顔をシーツに擦りながら、先ほどまでの会話を内省する。

 

いかんな……。

 

自分でもわかっていた。シャルロットと話すときは意識せずにどうしても高圧的で上から目線な話し方になってしまう。いやこの言い方も正しくない。『意識しすぎて』高圧的な態度を取ってしまうのだ。丁度小学校低学年の男子が気になる女の子に意地悪したり、嫌なことを言ってしまったりする感じに近い。

1ヶ月の間とはいえ、ブロンド髪のフランス美少女と一つ屋根の下で暮らしているのだ。これが照れずにはいられますか?いや、居られない(反語)

 

それでも小中学生ならまだしも、俺は社会人まで経験し、2周目に入った転生者だ。シャルロットに対する態度が幼稚過ぎるのはわかっていた。

 

よし、これからはもう少し紳士な態度を心掛けよう。俺は固く決意する。そして、ベッド脇からノートパソコンを取り出し、起動させた。カーソルを動かし、デスクトップ上の『あるソフトウェア』を起動させる。数瞬のタイムラグの後、画面上にのどかな村落の風景が3Dマッピング化されて表示される。正確にはこの家から歩いてすぐの所にある村である。その中を少し早めの速度で移動するオレンジ色の点が一つ。もうお察しの方も多いだろう。これがシャルロットの現在地である。

 

…………。

 

どうしてシャルロットの位置情報が分かるのか。正直に話そう。昨日、シャルロットがいつも使っていると言った白い麦わら帽子にGPS発信機を取り付けたからである。勿論、バレないように小型のものをリボンの影に隠すようにして着けた。ついでに半径10kmほどの範囲で使える盗聴器も。

 

紳士な対応を心掛けようと決意した矢先の、このストーカー紛いの行為。だが幻滅しないで欲しい。これから先、シャルロットが日本に来るまでの安全は紺野重工業が確保することになっている。これもその安全対策も一環なのである。誘拐、拉致等、ISのパイロットには常に危険が伴う。それらから彼女と、紺野重工の情報を守る為にこれは必要なことなのだ。勿論、彼女が署名した契約書にも、小さい字で書かれてある。読んでない?それは私共の責任ではありませんな。

 

心の中で、散々言い訳をしつつ、俺はパソコンの画面に再び視線を落とした。シャルロットが既にどこかの家に入ったのか、点の動きが非常に細かくゆっくりしたものになっている。どうやらロイさんとやらの家に到着したらしい。

 

シャルロットの話的にはロイさんとやらは独身の中年男性という感じだった。13歳の少女をお手伝いと称して家に招く中年男性(独身)……犯罪の匂いがプンプンする気がするんだが。俺はパソコン画面の右下に表示されたウィジェットに目をやった。これで盗聴器の受信機のオンオフを変えられる。

 

聞いてみよっかな……。心の中で好奇心というなのやっかみ根性が頭をもたげる。いやいや、オッサンの魔の手からシャルロットを守ることに繋がるかもしれないですし。……その手段も盗聴という立派な犯罪行為なんだけどね。

 

俺の中の天使と悪魔が熱くせめぎ合う。聞くべきか聞かざるべきか……。

 

結局、盗聴装置のテストということで俺の中の天使と悪魔は満面の笑みで手を取り合った。

 

ポチッとな!

 

「……ん?」

 

電波範囲外(ロスト)?ウィジェットに表示された文字に俺は首を傾げる。いや、電波の有効範囲は半径10キロはあるはずなのだ。現にGPS信号はここから1キロほどの距離しかない村の中から発信されている。

 

盗聴器の故障か?いや、昨日付けたばかりだぞ?一応防水だし、バケツにでも突っ込んだならGPS発信機の方も使い物にならなくなるはずだ。

 

ということは考えられるのは……外的要因による故障。具体的には────────強いショックなど。

 

「これは……いきなりヒットしたのか?」

 

俺はタブレット端末の方でソフトウェアを起動させながら立ち上がる。いや、単純に地面に落としたときに壊れたのかもしれない。願わくばそうであって欲しい。だが……他の可能性を捨てきれない。

 

「いきなり世話が焼けるな……!」

 

俺は家を飛び出し、村の方に向かって駆け出した。

 

***

 

コポコポとお湯の沸く音に私は沈んだ意識を取り戻した。徐々に身体中に感覚が戻る中で、頭に鋭い痛みが走った。反射的に右手で抑えようとするが、何かに引っ張られるかのように手が動かない。

 

「何……これ……」

 

右手首には金属製の腕輪が付けられていた。腕輪には鎖が繋がっていてジャラジャラと五月蝿い音を立てていた。

 

「おや、起きたかい?」

 

聞きなれた声。慌てて声のする方を向くとロイさんが立っていた。両手にはいつものように湯気の立つティーカップを持っていて、ロイさん自身もいつものようにニコニコとした笑みを浮かべていた。

 

「ろ、ロイさん……?」

「痛みはないかい?突然殴ってすまなかったね」

 

やっぱり私は殴られたんだ。そう実感するとともにゾクゾクと恐怖心が背中を駆け上る。

 

「は、離してください……家に帰りたいです……!」

「それは出来ないな」

「どうしてですか……?」

「どうして?」

 

楽しそうに部屋の中を歩き回っていたロイさんが突然立ち止まった。そして私の方を恐ろしい形相で睨んでくる。

 

「お前が悪いんだシャルロット……いつかは私のものになると思って、金もやったし……お前の母親も診てやったのに……どこぞの馬の骨かも分からない日本のクソガキと一緒に暮らし始めて……さらには『もうお手伝いは出来ない』だと……?ふざけてるのか?」

 

目の前の大人から向けられるはっきりとした敵意。そこに私の知るロイさんの面影はなかった。身体が勝手に震えだし、眼には涙が滲む。それでも何とか震える声で、彼への赦しを乞う。

 

「ご、ごめんなさい……ロイさんが……そんな風に思ってたなんて……私知らなくて」

「そうだろう、だから教えてあげようと思ったんだ」

 

彼は冷たい笑顔を浮かべると、私の方に近づいてきた。身をよじって彼から距離を取ろうとする私。だが、節くれだった大きな手によって頬を掴まれ、身動きが取れなくなってしまう。

 

「綺麗な顔だ……シャルロット。あの売女の母親とは大違いだ」

「お、お母さんをそんな風に言わないで……!」

 

頬を掴まれ、顔をうんと近づけてくる彼を、私は懸命に睨む。今までずっとお母さんの話を笑って聞いてくれてたのに……。それが嘘だったのだと思うと、ポロポロと涙が溢れた。悔しくて、悲しくて、どうしようもなかった。

 

「もうずっと一緒だ、シャルロット……今日を忘れられない日にしてやる」

 

泣き続ける私に彼はそう言い放つと、部屋を出てどこかに行ってしまった。1人残された部屋で静かに泣き続けた私は、ふとあの麦わら帽子を探した。

お母さんが買ってくれてずっと大切にしていた麦わら帽子。それは机の上に無造作に置かれていた。私を殴ったときに着いたのか上部には大きな凹みが出来ていた。鎖に繋がれながら、左手を限界まで伸ばし、麦わら帽子を掴む。抱きしめると少し安心できる気がした。

 

そういえば……ヒデトが困ったことがあれば麦わら帽子に頼め、と言っていた。あのときは聞き流してしまったが、まさかこんなに早く困り果てることになるとは思わなかった。

 

「ぐすっ……ヒデトぉ……助けて……ヒデト……」

 

返事を返してくれるはずもない麦わら帽子を抱きしめながら、私は2週間しか共に過ごしていない少年の名前を呼び続けた。




寝取られはないので御安心を。


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12話

シャルロットの位置情報が表示されたタブレット端末を手に、俺は村へと繋がる向日葵畑を走る。既に森本さんへは連絡をしておいた。自分1人で解決しようなんていうヒロイックな考えは既に捨ててある。シャルロットの身に何も起こっていなかったとしても、俺が謝れば済む話だし。

 

やがて俺はオレンジ色の点が表示されている地点までたどり着いた。目の前には1軒の大きな家がたっている。玄関にはフランス語で『コークス診療所』と書かれたプレートが掛かっていた。位置情報を頼るならば、少なくともシャルロットの帽子はこの中にあるはずだ。

家の周りを歩きながら、こっそりと窓から家の中の様子を覗き込む。シャルロットの姿は見えないし、誰か家の中にいるような気配もない。……ここじゃないのか?

 

そう思い始めた俺の目が、見覚えのある白い麦わら帽子 を捉えた。オレンジ色のリボンが着いた発信機と盗聴器付きの麦わら帽子。それとよく似たものが床の上に落ちているのが見えた。ただ、昼見た時とは違い、大きな凹みがあった。

 

……この家で間違いないらしい。俺はそう結論づけ、開いている窓を探す。森本さんが到着するまで待っていた方がいいんだろうけど、事態は一刻を争うような状況かもしれない。そう思うとじっとなんてして居られなかった。

 

幸い、キッチンのある部屋の窓が鍵が掛けられていなかった。俺は物音がしないよう細心の注意を払ってコークス診療所へと忍び込む。これでもしシャルロットが見つからなかったら、盗聴に不法侵入と今日だけで大分悪事を働いたことになる。

 

こそこそと家の中を歩き回り、全ての部屋を探してまわる。途中、カルテらしきものが散らばる部屋に落ちていた麦わら帽子を回収しておいた。それと万が一に備えて帽子の近くにあった小さめのビンも拾っておく。

 

シャルロットの話から、この家に住んでいるのは中年男性であることは分かっている。つまり、丸腰では犯人とエンカウントしてしまった際に勝ち目がなくなってしまうのだ。こんなことなら時計型の麻酔銃やサッカーボールが飛び出してくるベルトを用意しておくんだった。俺は準備不足を後悔しながら次の扉を開けていく。

 

だが、シャルロットはどこにも見つからなかった。改めてタブレット端末を見ると、シャルロットの位置情報を示す点は丁度俺と重なりあっていた。……あ、そうか。麦わら帽子は俺が持ってるんだった。

 

これでシャルロットを追う手がかりがなくなってしまったということだ。

 

「どこに行ったんだよ……」

見つからない不安と苛立ちを誤魔化すようにそう呟いたとき、微かに女の子の声が聞こえた気がした。

 

慌てて耳を澄ますと、どうも床に近い辺りから聞こえてくる気がする。……地下室か?

 

少しでも声が大きく聞こえる方へ移動していくと、先程のカルテの散らばった部屋に戻ってきた。

 

「……っ!もしかして!」

 

俺はあることに気付き、急いで床に散乱するカルテをどける。するとそこには案の定、50センチ四方ほどの取っ手の着いた板があった。床に耳を近づけると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 

『……ゃぁ……!……けて……ヒデトぉ!』

 

泣き声と共に俺を呼ぶ悲痛な叫び声が聞こえた瞬間、カッと頭に血が上るのが分かった。なりふり構わず蓋板を外し、地下に踏み込みそうになるのを理性によって何とか踏みとどまる。

 

落ち着け……下手をすると本当にシャルロットが危ないんだ。失敗は出来ない。

 

俺は短く深呼吸をしてタブレットとシャルロットの白い麦わら帽子を傍らに置いた。これで森本さんが来た時に俺とシャルロットがこの中に入ったと気づいてくれるはずだ。でもあの人ポンコツだしなぁ……いや、今は彼を信じよう。

こうして覚悟を決めた俺は静かに、だが出来るだけ早く蓋板を外し、地下へと繋がる梯子を降りた。

 

地下室はどうやらワインセラーだったらしい。ひんやりとした空間に背の高い棚が並んでいる。暗くて周りがよく見えないが、自分の存在がバレてしまう為、灯りも着けられない。

俺は目を凝らしながら、薄灯りを放つ方へと気配を殺して進む。

 

灯りは隣室から漏れていたらしい。地下にふた部屋もあることに驚きながら薄く開いたドアに近づくと、中からは2人分の声が聞こえてきた。

 

『……ほら、これで準備も終わりだ、シャルロット』

『い、いや!離してっ!』

『僕らの初めてをしっかり記録しておくからね』

 

中からはシャルロットの声と共に、低い男の声が聞こえてきていた。悲痛な声を上げるシャルロットとは対照的に、男はどこか楽しそうな様子だった。

ドアの隙間から中を覗き込むと、部屋の中央にあるベッドに寝かされたシャルロットの姿が見えた。右腕に繋がれた鎖がベッドから垂れているのも見える。

 

その手前に、背の高い男の姿が見えた。ベッドの上のシャルロットの方を向いている為、俺からは後ろ姿しか見えない。だが、上半身裸で、三脚に乗るカメラを操作する男の姿は、これからシャルロットに何をしようとしているのか丸わかりであり、俺の怒りを極限まで高まらせた。

 

やがて男がシャルロットの方に近づく。ギシッ……と男の体重が加わったベッドが軋んだ音を立て、少女の泣き声が大きくなる。だが、まだ出ては駄目だ。13歳の俺にできのは一撃必殺の奇襲。充分に近づく前にバレてしまえば、シャルロットを人質に取られてしまう可能性もある。

 

やがて、男がシャルロットに覆い被さるようにしてベッドの上に膝立ちになり────────今だ!!!

 

部屋に転がりこむようにして飛び込んだ俺は、一気に男までの距離を詰め、右腕に持ったビンを振りかぶる。物音に反応した男が俺の方を振り返るのが、まるでスロー再生のように見えた。

獲物を捉える蛇のように左腕が俺の方に伸びてくる。だけど────俺の方が速ぇっ!!

 

男の手が俺を掴むのより一瞬早く、遠心力と腕の力で目いっぱい加速させたビンが男の首の付け根の辺りを捉えた。

 

 

ゴン!!と鈍い音が室内に響き、男が横向きに崩れ落ちる。そのまま彼はズルズルとベッドの脇に落ちていった。ピクピクと痙攣している様子から気絶しているだけらしい。死んでいないことに少しホッとしながら、俺は呆気に取られるシャルロットの方に向き直る。

 

紫の瞳からは大粒の涙が零れ、頬には涙の筋が幾筋も走っていた。チャンスを作る為とはいえ、余計に怖い思いをさせてしまったのは事実だ。俺は泣き腫らした彼女の顔に申し訳なく

なってしまい、頭を下げる。

 

『……遅れてごめん……怖かったな……』

『……ヒデ、トなの?』

『あぁ……俺で間違いない。助けに来た』

『あぁ……ヒデト……怖かったよぉ……!』

 

ホッとしたせいか、余計に涙を溢れさせたシャルロットが俺に抱き着いてくる。女の子らしい良い匂いに心臓が高鳴るのを感じながら、俺は彼女の背中をポンポンと叩いた。

 

『もう大丈夫だから……泣かなくていい』

『うぅ……誰も……ぐすっ、助けてくれないと思ってた……』

『俺は契約は守る主義なんだ。それに……』

『……?』

 

思いついた言葉を言おうか迷っていると、シャルが首を傾げてきた。涙に潤んだ瞳が真っ直ぐに俺を捉える。あぁっ、もう!

 

『それに……シャルロットは友達だから。……友達は助ける』

 

途端に顔を赤らめるシャルロット。いや、絶対に言った俺の方が絶対恥ずかしいから!

 

『……ありがとう……ヒデト』

 

頬を赤く染めながら真っ直ぐに俺の方を見つめてくるシャルロット。先程まで抱きつかれていたせいで、鼻先がくっつきそうなほど俺達の距離は近いものになっている。

 

『は、はやく帰ろうぜ。こんなとこいつまでも居たくないだろ?』

『う、うん!』

 

気恥ずかしくなってしまった俺は、シャルロットの肩を掴んで無理矢理に距離を取った。これ以上見つめあっていれば、何かとんでもないことをしてしまう気がしたからだ。

 

『えっと……鍵は』

 

ちっ……あのオッサンの所か。俺はしぶしぶ立ち上がり、ベッドの脇で気絶してるであろうオッサンの方を向く。

 

『ヒデトッ!!!』

 

シャルロットが悲鳴を上げる。それとほぼ同時に俺は頬に衝撃を感じ、身体が宙を舞うのが分かった。



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13話

 

顔を横から思い切り殴られ、ベッドから吹っ飛ばされた俺はゴロゴロと丸太のように床を転がる。

 

「ぐ……っ……」

 

左頬が焼けるように痛い。額から血が伝うのが分かった。口の中も切れたらしく鉄の味がじんわりと広がる。

 

何とか両手を使って身体を起こすと、気絶していたはずの男が恐ろしい形相で俺の方へと近づいてきていた。完全に油断した。俺のせいだ……。

 

『この……クソガキ……貴様のせいでぇっ!!』

 

男の振り上げた脚が俺の腹部を貫く。肺に残っていた酸素が全て出ていくのが分かった。身体を丸めてなんとかダメージを受け流そうとするが、男はその後も何度も何度も力任せに俺を踏みつけてくる。

 

『ロイさんっ!お願い!やめてっ!』

『このっ!死ねっ!クソガキっ!』

 

シャルロットが泣きながら男に縋り付き、懇願するが、怒りで我を失っているのか男には聞こえていないようだ。

 

シャルロット!いいからお前は逃げろ!

俺は必死に心の中で叫ぶが、顔を真っ青にして男の脚を抑えようとする彼女には届かない。

 

『ロイさん……なんでもしますから……』

『はぁっ……はぁっ……この売女の娘が……』

 

肩で大きく息をする男が、ふと我に返ったようにシャルロットの方を向き直る。『ひっ……』と短い悲鳴を上げた彼女はチラッと俺の方に心配そうな視線を向けたあと、抵抗する様子もなくぎゅっと目をつぶった。どうやら俺の為に自分を犠牲に差し出すつもりらしい。

ふざけるな……!

 

『お……い……この……変態野郎……』

 

シャルロットの肩を掴む男の背中に向かって挑発的な台詞を放つ。咳と共に血の混じった体液が出てきた。

 

『あぁ……?まだ死んでなかったのか?』

『ヒデト!もうじっとしてて!お願い!』

『そいつは……俺の……だ。はぁ……はぁ……汚い手を……離せこの野郎……っ!』

 

満足に話すことも出来ない。視界は既に霞み、身体中がボロボロだった。それでもここで諦めれば、目の前の少女が傷つけられてしまう。そう思うと勝手に口が動き、四肢に力がこもる。自分で思っていたより、俺は熱血系だったらしい。

 

『そんなに死にたいなら殺してやる……!』

『やめてよぉっ!ヒデト逃げてぇっ!』

『……お前が……逃げろ……バカ……!』

 

シャルロットの制止を振り払った男は俺を蹴飛ばして仰向けに転がすと、上に跨ってきた。丁度マウントポジションを取られた体勢になった。弱った身体で精一杯の抵抗を試みるが、はじめから大きく開いた体格さは覆すことは出来ない。やがて男の硬い拳が俺の頬を打ち抜く。

 

1発1発と殴られる度に意識が遠のいていくのが分かった。シャルロットの泣き叫ぶ声も少しずつ遠くなっていく。あぁ……整った顔が台無しだ。折角イケメンに産んでくれたのに……母さんごめん。父さんも……。俺はまた死ぬみたいだ……。ぼんやりと最期が近づいてくるのが分かった。

 

 

 

その時だった。

 

 

パシュッ、パシュッと気の抜けたような音が2回室内に響いた。

 

『ぐあぁっ!!?』

 

その音の直後、俺の上を陣取っていた男が叫び声を上げた。そして肩を抑えて俺の方に倒れ込んでくる。男の肩からは赤い鮮血が噴き出しているのが見えた。

 

『……おっと』

 

俺の目前まで迫っていた男の動きが止まる。見覚えのある赤いシャツが男の首筋に回され、数秒後に男がぐるんと白目を向いた。そしてゴミを扱うのように横にほおり投げられる。

「……すみません。遅くなりました」

『……森本……さん』

 

男が退いたことで視界によく知る人物が映る。いつも通りの目尻が垂れた優しそうな表情に、緊張感のないアロハシャツ。見間違えるはずもなく────そこには森本さんが立っていた。

 

「大分派手にやられましたね。今警察と救急車が来ますので。痛いなら返事されなくて大丈夫です」

 

森本さんは普段と変わらない様子でそう言って、俺の肩を掴んだ。一瞬の痛みのあと、肩が若干動くようになる。どうやら外れていた関節を入れてくれていたらしい。

 

「1人で突入なんて随分と思い切ったことをしますね。たまたま用事で村の方に向かっていなければ……死んでましたよ秀人さん?」

「……」

 

笑った表情のままの森本さん。だがその目は氷のように冷たかった。俺は何も言い返せなかった。ついさっきまで 『死』がすぐ近くにあったのは紛れもない事実だからだ。

 

『……デュノアさんも良く頑張ったね。もう大丈夫だから』

『あ……あの、ヒデトは……?』

『見ての通りボコボコにされてるけど、命に別状はないと思うよ』

 

酷い言い様だがその通りなので、俺は黙って目をつぶった。どうしてかすごく眠たい。森本さんが来て俺も安心したからだろうか?

 

『良かった……う、うぅ……っ!ヒデトぉ!!』

 

我慢していたものか決壊したような勢いの泣き声が耳元で聞こえる。彼女の柔らかくて小さな手のが頬に当たるのが分かった。発熱する肌が冷たいシャルロットの手に当たって気持ちいい。頭が持ち上げられ、後頭部に柔らかさを感じる。これは……膝枕されてるのか?

 

『ごめんね……ごめんね……ヒデト……!』

 

ぽたぽたとシャルロットの頬を伝った涙が、俺の頬に落ちてくる。……今はとにかく眠いんだけど……。彼女の柔らかな手にさすられながら、俺は緩やかに意識を手放した。

 

 

***

 

次に目を開けると、知らない天井が広がっていた。日本の自宅でもシャルロットの家のダイニングでもない。……ここはどこだ?

 

キョロキョロと周りを見渡そうとすると、全身に激痛が走る。痛てぇっ!?なんでっ!?慌てて痛む場所を抑えようと右腕を上げると、チューブが付いていた。

……あぁ、病院か。俺はようやく今の状況に至るまでの経緯を思い出した。……助かったんだな、俺。入院着らしい薄い緑色の服をめくってみると身体中に青アザがあり、至るところに湿布が貼り付けられていた。

 

うわぁ……痛そう。俺の身体だけど。

 

どのくらい寝てたんだろ……時計を探してもぞもぞとベッドの上で蠢いていると病室のドアが開けられた。

 

「起きられたようですね、ヒデトさん」

「あぁ……森本さん」

 

そこには何やら書類の束を持った森本さんが立っていた。今日は黒い落ち着いたスーツを着ていて、優秀そうな雰囲気が漂っていた。

 

「あの……」

質問しようと口を開いた俺を森本さんが手で制した。

 

「今は11月13日現地時間11時25分です。秀人さんは丸々1週間意識を失っていたことになります。ここはパリにある総合病院です。デュノアさんのお母さんもここで入院されています。秀人さんの怪我の具合ですが、全身の打撲。それに右脚と左腕の骨折ですね。幸い内臓の損傷は無し。他に質問はありますか?」

「えっと……シャルロットは?」

 

ペラペラと話す森本さんに気圧されながら俺は一番気になっていたことを尋ねた。

 

「警護を付けて自宅で待機させています。初めのうちは病院にいたのですが余計に憔悴するようだったので返しました」

「そうですか……」

 

やっぱり襲われたことがトラウマになっているんだろう。俺は自分の無力さに骨折していない右手をギュッと握りしめる。

 

「デュノアさん、泣いてました」

「やっぱり……そうですか」

「秀人さんの姿を見てですよ?」

「……?」

 

首をかしげる俺に、森本さんはどこからか手鏡を取り出し、俺の方に向ける。

 

そこには、逆マンガのお手本のように顔を腫れさせた俺の顔が映っていた。内出血のせいであちこちにアザができ、切り傷の上には絆創膏がことごとく貼られていた。

 

「これは……ヒドイですね」

 

自分でも笑ってしまうほど酷い顔だ。

 

「『自分のせいだ』ってずっと泣いて、夜も寝ないようなので帰らせました。自宅にいる今もしきりに秀人さんの様子を護衛に尋ねているそうですよ」

「……!」

「泣かせちゃいましたね、秀人さん」

 

森本さんはそう言うと、ヘラっと笑った。だが、その目はこの間と同じように全く笑っていない。

 

「日本の社長とご婦人にも連絡させていただきました。2人とも凄くご心配されておられて、それにお叱りを受けてしまいました。秀人さん?」

「……はい」

「どうして1人で行かれたのですか?相手が成人男性と分かった上での行動ですよね?」

「……一刻も早くシャルロットを助けたくて」

「その結果殺されかけて、デュノアさんに大きなトラウマを残したのは分かっていますか?」

「……はい」

 

森本さんの声に俺は頷き、項垂れた。森本さんが到着するのがほんの少し遅ければ俺は死んでいたし、もしかしたらシャルロットも殺されていたかもしれない。

気付かないうちに1番危ない橋を渡っていたことに気付き、俺は森本さんの顔が見れなくなってしまう。

 

「我々は組織です。日本では紺野重工業、ここでは情報部フランス支部に我々は所属しています。誰か1人のミスで全体が大きな危機に陥りますよね?」

「……ごめんなさい」

「秀人さん、貴方は社長のたった1人の息子さんで、紺野のこれからの経営の核となる方です。それを理解されているなら、フランスのテストパイロットの少女1人よりも御自身を優先されるべきでした」

「っ!それは────」

森本さんの余りにシャルロットを軽視した言い方に、俺は思わず口を挟む。すると森本さんはヒラヒラと手を振って、俺を制した。再び見た彼の目はいつも通り垂れ下がった優しげなものになっている。

 

「ここまでは秀人さんの護衛としての私の意見です。ここからは世間一般的な見方と私の私情からお話させていただきます」

「……?」

 

突然森本さんの口調が変わったことに俺は戸惑う。

 

「『少女を救う為に、勇敢にも立ち向かった日本の少年!』」

「……?」

「6日前のフランスの大手新聞1面の見出しです。お持ちしました」

そう言って俺にフランス語で書かれた新聞を見せてくる森本さん。確かに1面にはシャルロットが誘拐された記事と共に俺のことがやや大袈裟に書かれてあった。

 

「紺野財閥の御曹司ということで写真の掲載はやめてもらいましたが、日本でもニュースになっていますよ。女尊男卑の中で久しぶりに男性が活躍したニュースだと」

「はぁ……?」

 

俺は事実とかけ離れた新聞の記事に閉口してしまう。シャルロットが口を閉ざしているせい(おかげ)か、ほぼ想像で書かれたのであろう事件の概要がそこに書いてあった。

 

『仲の良い少女の為に危険を顧みず犯人に立ち向かった勇敢な少年』?実際は契約相手に盗聴器をしかけて、たまたまピンチに気付き、ボコボコにされた日本の中学生というのが真実だ。実際は俺なんて何も出来なかったんだ。いたずらにシャルロットや森本さん、日本の両親を心配させただけの無鉄砲なバカ。それが俺だ。

 

「社長もデュノアさんを助けたことを非常に褒めておられました。『さすが俺の息子だ』と。お母様はずっと秀人さんのことを心配されていて、フランスにまで来ようとされていました」

「ははは……」

「実際の秀人さんの姿をご覧になったら卒倒されるでしょうから、何とかお断りしましたが」

「……ありがとうございます」

 

頭を下げる俺に、森本さんは優しげな笑みを浮かべると、ポンポンと肩を叩いてきた。

 

「先程は散々叱らせていただきましたが、秀人さん。素晴らしい勇敢な行動だったと思います。秀人さんのお陰でデュノアさんが外傷なく戻ってこれたことは確かなんです。頑張りましたね」

「……え?」

「貴方より年上の、1人の男として誇りに思います」

 

思ってもみなかった森本さんからの称賛の台詞に俺は目頭が熱くなるのを感じる。そうか……俺は契約相手で友達の、1人の女の子を助けられたんだ。

 

「……ありがとう……ございます」

 

泣いているのを気取られないように、俯いたまま俺は返事をした。森本さんも俺の意図に気づいたのか、泣いていることには触れないでくれた。

 

「とりあえずあと1週間はデュノアさんはお見舞いに来れませんね」

「な、なんで?」

無性に彼女の顔を見たくなっていた俺は思わず素で聞き返してしまう。

 

「早く元通りのお顔に戻ってください」

「……はい」

 

手鏡を手にニコニコと答える森本さんに俺は頷くしかなかった。



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14話

 

俺が目を覚ましてから1週間。気が付けば日本に帰る日が明日に迫っている。思わぬアクシデントのせいで、今回片付けるはずだった要件の多くが未だ終わっていない。

 

だからこうして病室のベッドの上でパソコンとタブレット端末を手に俺は休むことなく作業を続けている。左手が使えないことがこんなに不便だったとは思わなかった。

 

何より気になるのはシャルロットの日本語とISについての勉強だ。1週間意識を失っていた+顔が痛々しすぎてシャルロットが気にするからマシになるまで1週間と、計2週間授業をしなかったせいで予定の半分しか終わらなかった。

あ、顔が痛々しすぎるっていうのは怪我のことだから。決して直視できないほどのブサイクという意味ではないことを強調してお伝えしたい。

 

そんなシャルロットだが、ついに今日お見舞いに来てくれることになっている。同じ病院に入院しているらしい彼女の母親の治療が今日で一区切りつくようなので、まずは母親に会った後、俺の方に来てくれるらしい。

 

ちなみに、シャルロットの母親には初期の肺がんが見つかったそうだ。幸い発見が早かったお陰で完治する可能性が高いとのこと。これでシャルロットは母と死別することは無くなりそうだ。やはり、俺の原作知識は間違ってなかったな、うん。

 

 

若干そわそわしながら、シャルロットを待っていると、ガラッと病室のドアが開いた。パソコンで資料を作っていた俺は慌ててドアの方に顔を向ける。

 

「なんだ、森本さんか」

「デュノアさんじゃなくてすみませんね、秀人さん」

 

森本さんが苦笑しながら病室に入ってくる。森本さんに手痛くお説教を受け、そのあと褒められるという典型的な飴とムチを頂いた俺は、以前より森本さんと砕けた会話をするようになっていた。

 

「体調はいかがですか?」

「大分良くなりました。少なくともシャルロットに会えるくらいには」

 

俺は待機モードにしたパソコンの画面に映る自分の顔を改めて見る。まだ絆創膏や湿布が貼ってあるが大分腫れや切り傷は治ってきたと思う。

 

「それは良かった。……明日の帰国のことで相談に来ました」

「あぁ……なるほど」

森本さんに幾つか資料を渡されながら、俺達は明日の帰国までの打ち合わせと、今回フランスで達成した目標の説明を受ける。本来なら俺がしようと思っていたデュノア社に対する働きかけも森本さんがしてくれたり、多大なる迷惑をかけてしまった。つくづく今回の旅で森本さんには頭が上がらなくなってしまったと思う。

 

「なかなかハードスケジュールでしたよ」

「すみません……帰ったらボーナス出しますから」

「期待していいんですかね?」

「そういえば森本さん……あの日、銃撃ってませんでした?」

「撃ってましたね」

ふと気になった質問に、何でもないことのように答える森本さん。

 

「大丈夫だったんですか?」

「あぁ、フランスは銃規制はありますが、完全に違法ではないんですよ。だから警察には正当防衛の範囲だと説明しました。それに技術面なら、ロシアで要人警護をしていたことがありますので外すことはないと思ってました」

「……それはいつ頃の話ですか?」

「大学の頃のバイトです」

 

ケロッとした笑顔で答える森本さん。人生経験豊富すぎるだろ、とか学生のバイトで要人警護って出来るの!?とかツッコミどころは多々あったが、怖いので聞かないことにした。もしかすると森本さんこそ転生者なんじゃないだろうか。

 

『あのぉ……』

 

室温が2、3度一気に下がったような気がしたところで、再び病室のドアが開き、今度こそシャルロットが顔を覗かせた。やばい、タイミングもあるけど、久しぶりに見たせいで……めっちゃ可愛く見える。

 

『ということで、秀人さん。私はこれで失礼しますね。デュノアさん、ごゆっくり』

『あ、あのっ……』

『?なんでしょうか?』

 

足早に病室を出ていこうとする森本さんを慌てて呼び止めるシャルロット。

 

『あの……助けて頂いてありがとうございました!』

 

そう言って頭を下げる彼女に、森本さんは少し驚いた表情を浮かべる。そしていえいえ、とクールに受け流した後、

 

『ロイ・コークス氏の気持ちが少しだけ理解できますね』

 

意味深な言葉を残して森本さんは病室から去っていった。ロイ・コークスってシャルロットの誘拐犯だよね森本さん!?いや、確かにシャルロットは可愛いけど……。

 

病室に2人残された俺達。シャルロットはもじもじと両手を身体の前で合わせたまま、一向に話そうとしない。あれ?お見舞いに来てくれたんだよね。

 

ベッドの上で身動きが取れない分、居心地の悪い俺は、自分の方から何か話すことにした。

 

『お、お母さんの方にはお見舞い行ってきたのか?』

『う、うん!』

『どうだった?』

『元気そうだった。病気なのに、入院する前より体調がいいみたい』

 

シャルロットがそう言って嬉しそうに笑う。久しぶりに見た彼女の笑顔に俺はドキッと心臓が脈を打ったのが分かった。

 

『そ、そうか……『あの』』

『な、何?ヒデト?』

『いや……俺のは大したことじゃないから。シャルロットが話せよ』

『う、うん……』

 

口を開くタイミングが被ってしまい、お約束のような譲り合いをした後、シャルロットから話してもらうことになった。いや、俺は本当に間を繋ぐ為の世間話でもするつもりだったから、シャルロットを優先するべきだ。

 

『あ、あの……怪我はどう?ま、まだ痛いよね?』

『大体治ってきたぞ。アザも目立たなくなってきたし……まぁ骨折は治るまでまだ掛かりそうだけどな』

 

ヒラヒラと固定された左腕を振って応えると、『そっか……』とシャルロットは申し訳なさそうに俯いてしまった。

 

『べ、別にシャルロットのせいじゃないから。俺が勝手に立ち向かって怪我しただけで──』

『ね……ねぇ』

『ん?』

『どうして私が捕まったって分かったの……?ロイさんの家の場所も教えてなかったよね……?』

『えっと……』

 

俺は言い淀んでしまう。チラッとシャルロットの顔を伺うと、疑っているというよりは単純に不思議に思ったことを聞いてみたという感じだ。

 

『……シャルロットの白い帽子にGPS発信機と盗聴器を付けておいたんだ。ほら、契約書に『テストパイロットの安全を守る』って文があったろ?その一環で』

『そ、そうだったんだ。私、てっきりテレパシーでも使えたのかと思ったよ』

 

あはは、と頭を掻きながら笑うシャルロット。全く俺を疑っていないその笑顔を見た瞬間、俺は本当のことを言うことにした。

 

『ごめん、嘘ついた』

『えっ?』

『シャルロットの身の安全のために発信機を付けたのは本当。だけど、あの時盗聴器のスイッチを入れたのは……お前が知らないオッサンと何話してるのか気になったからだ』

 

言いながら俺は自分の頬が赤くなっていくのが分かった。自らストーカーに近い行為を打ち明けたのだ。恥ずかしい告白をしている自覚はある。別にシャルロットが誰と話そうと俺には関係ないはずなのに……。

 

『そ、それって要するに……ヤキモチってこと?』

『……そうかもしれない。ホントにごめん』

 

俺は素直に頭を下げた。シャルロットからの返事はない。これは変態野郎の認定待ったなしか……。

 

しばらくして恐る恐る顔を上げると、シャルロットは奇妙な顔をしていた。例えるなら、にやけるのを必死に我慢しているような……そんな顔。

 

『ほんとにごめんな?』

『えっ?あっ、いや私っ全然気にしてないから!ちょっとびっくりしちゃっただけで……』

 

俯いたまま話すシャルロット。とりあえず絶交されるような雰囲気ではない。俺は内心、胸を撫で下ろしつつ、気になっていたことを訊くことにした。

 

『そういえば、日本語とISの勉強はどうしてる?テキストは置きっぱなしになってると思うけど』

『え?う、うん一応やってるよ?』

『一応!?』

『ご、ごめんなさいっ!でも最近あんまり寝られなくて……』

 

申し訳なさそうに話すシャルロットの目元には確かに薄く隈ができていた。そういえば俺が怪我したことを気にしてあんまり寝れてないと森本さんが言っていた。

 

そのことを思い出した俺はそれ以上何も言えなくなってしまう。

 

『ま、まぁあと2年あるから。何とか覚えられるだろ?』

『で、でもヒデトはもう帰っちゃうんだよね?』

『あぁ、明日な』

『……やだなぁ』

『ん?俺の教える方が厳しいし嫌だろ?』

『えっ!?あ、あぁ、うん!で、でもそっちの方が覚えやすくていいかなぁって!』

 

慌ててブンブンと両手を振りながら答えるシャルロット。何この反応。俺のスパルタを嫌がってたよな?

 

『でも大丈夫だ。俺が帰ったあとのシャルロットとお母さんの面倒はデュノア社に任せてあるから』

『……えぇっ!?』

 

シャルロットが驚きの声をあげた。

 



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15話

 

3日前、俺はある人物宛てにメールを送っていた。相手は世界第3位のIS生産シェアを誇る大企業、フランスデュノア社の社長である。

 

内容は、デュノア社のテストパイロット生を民間から募集し、『厳正な審査』の結果シャルロットを採用しろ、というもの。

また2年後、IS学園に入学できる年齢になるまで彼女と彼女の母親の生活を保障することも要求として書いておいた。

 

突然、差出人の名前もなくいきなり届いたメールにデュノア社長はどんな反応をするのか、内心ヒヤヒヤしていた。だが、そんな俺の心労は良い意味で裏切られ、メールを出した翌日、社長の方からコンタクトを取ってきた。

メールの内容をどこにも漏らさないことを条件に会って話したいとのこと。どうやら流石に元愛人とその間に出来た子どもの名前は覚えていたらしい。

 

怪我が治っていないことに加え、中学生の俺が交渉しにいけば足元を見られてしまうと言うことで、当日は森本さんにいってもらった。

 

話し合いの場にやってきたのが紺野重工業という日本の企業に勤める人間ということでデュノア社長は驚いていたらしいが、ニコニコした笑顔とは裏腹に、ハッキリと物事を伝える彼は、やはり交渉の場でもいい仕事をしてきてくれた。

 

森本さんが持ち帰ってきてくれた話し合いの結果は以下の通りである。

 

まず、シャルロットと彼女の母親の生活を2年間保障し、そのうえでシャルロットに適性があればデュノア社のテストパイロットとして契約すること。

この件に関してはほぼこちらの要求が通った形になる。デュノア社長にも昔の愛人と、その間にできた血の繋がりのある娘が貧しい生活を送っていることに後ろめたさがあったらしい。それにテストパイロットにする条件も『適性があれば』とのことだが、原作でもシャルロットにはAという人並み外れたIS適性があった。まず安心していいだろう。

 

一方こちら側が守る条件としては、

1.紺野重工業もしくはそれに属する人間がデュノア社長とシャルロットとの関係を口外せず、また公表するとしてもそのタイミングはデュノア社側に一任すること。

2.この契約が紺野重工業とデュノア社が業務提携することを意味せず、あくまでもシャルロットが複数の企業と契約している状態であること。

3.フランスにいる間の、シャルロットとその母の居住先についてはデュノア社側に一任すること。

かなり上から目線な契約を結ぶことになってしまった。森本さんは若干申し訳なさそうにしていたが、しょうがないと思う。世界第3位のデュノア社とつい先日やっとISの開発研究を始めた紺野重工業との間にはそれ程の差が開いているのだ。むしろこちらの要求が両方通せただけで、大成功と言っていいだろう。

 

何はともあれこれでシャルロットは安心して2年間、母親とフランスで暮らせるのだ。母と死別したことで、デュノア社に引き取られ、義母から『泥棒猫の娘』なんて言われて引っぱたかれることもないだろう。

 

 

 

『───というわけで、生活の方は安心していい』

 

俺は少し自慢げに胸を張りながら、デュノア社との契約をシャルロットに話した。正確には契約をまとめてきたのは俺じゃなくて森本さんだけど。ま、まぁ俺にもサッカーで言うならアシストくらいはつくんじゃないかな?

 

シャルロットは突然の話に頭がついてこないのか、目をぱちくりさせながら俺の方を見ていた。

 

『どうした、嬉しくないのか?お母さんと一緒に暮らせるんだぞ?まぁ、ISの訓練とか色々制約はあるだろうけどな』

『…………ぅして?』

『ん?』

『……どうしてそんなに……私の為に色々してくれるの……?』

 

シャルロットの目にはいつの間にか涙が溜まっていた。紫色の瞳を潤ませながら真っ直ぐに俺の方を見つめてくる。

 

『えっ?えぇっと……』

 

突然泣き出したシャルロットにギョッとしながら、俺は質問の答えを探す。

『……シャルロットが必要だから、かな?』

『え……えぇっ!?』

『ん?あ、あっ!?いやそういう意味じゃないから!落ち着いて!』

『そ、そそそうだよね!すぅ……はぁ……』

 

意図せず告白のようになってしまい、一瞬で顔を茹で上がらせるシャルロット。俺は慌てて右手を振って誤解をとく。深呼吸をした彼女が落ち着くのを待って、俺は口を開いた。

 

 

『ごほん……紺野重工業はまだまだIS産業に関しては弱い。生まれたての赤ちゃんみたいなものだ。これから色々なことを学んで、経験して大きくなっていかなきゃならない』

『う、うん』

『そのためには優秀なテストパイロットが必要なんだ。誠実で、勤勉で、こちらの要望を100パーセント満たしてくれるような、そんな奴を俺達は探してたんだ』

『それが私……なの?どうして?私、学校もちゃんと行けてないような子だったんだよ?』

『偶然だったんたけどな……デュノア社と社長について色々調べてる時にシャルロットを見て、こう……ビビビッと来たんだ。この子こそ俺達のテストパイロットに相応しいって』

 

フェイクを入れながら、彼女に熱く語りかける。まさか『原作でIS適性Aだった上に、家庭環境その他諸々の事情を鑑みて判断しました』なんて説明出来るわけがない。

 

『ヒデトに……相応しい……』

 

俯いた顔を若干赤くして、うわ言のように呟くシャルロット。大分その気になってくれているようだ。彼女の様子からそう判断した俺はさらに畳み掛ける。

 

『だからシャルロット。改めて紺野重工……俺達に君の力を貸してくれないか?』

 

そう言って彼女の方に手を伸ばす。彼女は少し驚いた表情を浮かべた後、躊躇うことなく両手で手を掴んできた。これで本当に契約成立だ。

 

『私……絶対ヒデトの役に立てるよう頑張るね』

『おう、シャルロットが強くなるまでは俺達が守ってやる。だから────安心して強くなれ』

シャルロットの瞳の中に強い意志が宿ったように見えた俺は、満足げに彼女の声に頷いた。

 

***

 

とうとう日本へと帰る日がやってきた。朝、いつもより早く起きた俺は車椅子に乗って空港へと向かった。まだ右足と左腕の骨折が治っていないからだ。アロハシャツを着た森本さんがゴロゴロと俺の乗った車椅子を押してくれる。

 

『奥様に見せたら気絶されるかもしれませんよ?』

『ははは……』

 

森本さんの台詞に苦笑いを浮かべながら俺達は空港の出国カウンターへと向かう。

 

『ね、ねぇヒデト。次はフランスにいつ来てくれる?』

 

隣を歩くシャルロットが声を掛けてくる。このあと、シャルロットはデュノア社が所有するホテルに居を移すことになっている。新しい生活が待つ不安も会ってか、病院で別れようという俺を遮って、シャルロットは空港までついてきた。

 

『そうだなぁ、帰ってからも色々忙しいだろうからな……』

 

紺野重工業の経営もまだまだ不安定なものだし、俺が高校をどうするかも考えないと行けない。

 

『ま、また会いに来て……ほしいな』

『来れそうだったらな。ま、どっちにしろ2年後にはシャルロットの方が日本に来るだろ?』

『それは……そうだけどさ』

 

少し拗ねたように顔を膨らませるシャルロット。まぁ、彼女を知り合いのいるあの村から引き離して新しい環境に置こうとしているのは俺だ。シャルロットの精神安定という意味で何かした方がいいかもしれない。

 

『そうだ、これやるよ』

『これって……も、貰えないよ!』

 

ふと思いついた俺は、膝の上に載せていたノートパソコンをシャルロットに差し出す。彼女は慌てて手をブンブンと振り、断ろうとしてくる。薄水色のワンピースが彼女の動きに合わせて揺れた。そういえばワンピース好きだなこいつ。

 

『大体のデータはもう移してあるし、俺のメールアドレスが入ってるから。暇な時にでもメールしてくれ』

『……ホントにいいの?』

 

俺のメールアドレスと言ったくらいから、若干物欲しそうにノートパソコンを見つめてくるシャルロット。まぁ確かに結構高価なものだから貰いにくいのはあるだろう。前世の俺だった

らパソコンを人に譲るなんて考えられないような話だ。

 

『あぁ、時差もあるから電話番号教えてもしょうがないだろうし。受け取ってくれるか?』

『う、うん……ありがとう……』

 

そう言うと、ようやくシャルロットはノートパソコンを受け取ってくれた。ISの技術革新によって小型化の進んだノートパソコンを彼女は大事そうに胸に抱える。

 

『それじゃ、そろそろ行きますか』

 

話しているうちにいつの間にか出国カウンターが目の前に来ていた。ここまで押してくれた森本さんに感謝しつつ、俺はシャルロットの方に改めて振り返る。

 

『えぇ……もう行っちゃうの?』

『あんまり時間ないし、ね?森本さん』

『もう少しだけなら大丈夫だと思いますけどね』

 

寂しそうなシャルロットと俺とを交互に見て、ニヤニヤと笑みを浮かべる森本さん。いい大人が何を面白がってるんですか……。

 

『そうですか……シャルロット、しっかり勉強しろよ?』

 

シャルロットと最後に握手をしながら親戚のオッサンのような台詞を吐く中学生(オレ)。彼女も名残惜しそうに俺の手を握ってくる。

 

『わ、分かった……』

『日本語もな、IS学園では共通語だぞ?』

『分かってるよ!それに……デトの国の……とばだし』

『ん?』

『な、なんでもないっ』

 

ボソボソ話すせいで最後なんて言ったか聞こえなかった。しばらく話せなくなるんだから、はっきり話せよ……。

 

『秀人さん、そろそろ……』

『はい。────じゃあな、シャルロット。また────────』

 

────────チュ

 

最後にシャルロットの顔を見ようと首を傾けた瞬間、彼女の柔らかいいい匂いがして、頬に柔らかい物が触れた。シャルロットの紫の瞳がくっつきそうなほど近くに見えた。やがて離れていく彼女の顔と……唇。一秒一秒がまるでスローのように長く感じた。

 

……え?何……?俺、キスされたの……?

 

『しゃ……シャルロットさん……?』

 

頬に残る感触を確かに感じながら、俺は恐る恐る彼女の方を見た。目の前にしゃがむシャルロットの顔は真っ赤だった。恥ずかしさの為か、その大きな瞳はうるうると潤んでいた。

 

そんな彼女がすうっと息を吸い込み、そして口を開いた。

 

「ヒデト!ワタシもスグニホンにいくカラ!だから……ゲンキでね!!」

 

それは日本語だった。片言で、アクセントも変な日本語。それでも俺が教えていた2週間前より格段に進歩した日本語だった。

 

「お、おう」

『ま、またねっ!』

思わず素の日本語で返事をしてしまう俺。恥ずかしさが戻ってきたのか、またすぐにフランス語に戻ってしまったシャルロットは顔を抑えて走り去っていった。

 

そして……後には俺だけが残された。

 

 

「青春ですねぇ……」

「なっ!?」

 

訂正っ!森本さんもいたんだった!

 

楽しそうな声に慌てて振り返るとこれ以上ないほど口角を上げて楽しそうに笑っていた。

ふと周りを見ると何人かが俺の方を見てニヤニヤと笑っていた。くっ、コイツらもさっきの様子を見てたのか!?

 

「最後にご褒美が貰えて、命がけで守った甲斐がありましたね」

「くっ……」

 

楽しそうに俺をからかいながら、出国カウンターの方に歩き出す森本さん。きっとこの時の俺の顔はさっきのシャルロットの顔の赤さといい勝負だっただろう。

 

その後も日本に着くまでの飛行機の中で散々からかわれ、俺は異常に疲れた身体で日本の地を踏むことになるのだった。




これで主人公のフランス出張は終わりです。次回から2、3話ほど書いたあと、本編に入っていきます(予定)


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16話

「ふぅ……」

 

フランスから帰国した夜、俺はお手伝いさんに手伝ってもらいながら、縁側に出してもらったソファーに腰掛けていた。風呂上がりの火照った身体に秋の涼しい風が気持ちいい。ここから一望できる日本庭園からはいつの間にか鈴虫やコオロギの鳴き声が聞こえてきていた。

 

たった1ヶ月だが、既に懐かしさすら感じる日本らしい景色を前に、俺は改めて帰ってきたことを実感する。

 

空港には父さんと母さんが迎えに来ていて大変だった。母さんは車椅子に乗った俺の姿を見るやいなや、駆け寄ってきて俺を抱きしめ、その後家に帰る車の中でもずっと俺にしがみつきながら泣いていた。俺が死にかけたことからくる不安と心配で、夜も満足に眠れなかったらしい。随分と迷惑を掛けてしまったようだ。

 

父さんには拳骨を浴びせられた。そして自分の命を大切にしなかったことをこっぴどく叱られた。正直今度は頭蓋骨が骨折したんじゃないかと思うくらい痛かったが、自分が招いた結果なので、この痛みも甘んじて受け止めることにした。

 

「秀人ぉ……隣いいかぁ?」

 

野太い声にふと顔を向けると、浴衣姿の父さんが立っていた。風呂上がりなのか身体からは湯気が立ち上り、手には水の入った大きなジョッキを持っていた。季節感のない格好だ。

 

「う、うん」

「よっこいしょっと……」

 

頷くと、父さんはソファーではなく、直接縁側に腰を下ろした。熱いから床に座る方がいいらしい。そして俺の側で控えてくれていたお手伝いさんに下がるよう声をかけていた。何か大事な話でもするんだろうか?

 

「秀人ぉ……殴って悪かったなぁ。母さんが泣いてる所見てついカッとなっちまった」

「ははは……俺が悪かったから、大丈夫だよ」

「そうかぁ……?……フランスはどうだった?何か得るものはあったのか?」

「う、うん」

 

父さんに聞かれ、俺は今回フランスでやってきたことを話した。シャルロットをテストパイロットとして雇うことにしたことがメインだ。

 

「───で、今回やってきたことは全部かな。デュノア社とは一応顔合わせだけは済ませたって感じ」

「うむ……そうかぁ」

 

俺の話を聞いた父さんは顎に手を当ててなにやら考える素振りを見せた。

 

「そのシャルロット・デュノアって子がお前が助けてやった女の子か?」

「そ、そうだけど……?」

「随分と1ヶ月の間に仲良くなったんだなぁ……顔赤いぞ?」

「そ、そうかな!?そんなことないよ!?」

 

父さんに指摘され、俺は反射的にシャルロットにキスされた頬を押さえる。頬は熱く感じるほど火照っていた。きっと風呂上がりのせいだけではないだろう。

 

「まぁいい……それでいよいよISの開発に入るのか?」

「う、うん。そのつもり。シャルロットがIS学園に入るまで、IS本体のデータは取れないだろうけど……うちの技術もこのままいけば丁度2年後くらいにIS開発に移れるくらいだと思うし」

「そうかぁ……」

 

父さんは小さく頷くと、どこか寂しそうに夜空を見上げた。

 

「これからはやっぱりISが世界の中心になっていくんだなぁ……」

「まぁ、今の時点では画期的な技術だしね」

「戦車にタンカー……俺たちもこの国の安全の為に貢献してたはずなんだけどな」

「……そうだね」

 

父さんの虚しそうな表情の理由はきっとそれだろう。今まで自分達が持っていた日本の防衛を支えているという自負。それがISの出現によって一瞬にして吹き飛ばされてしまったのだ。そして今ではかつての国防を担っていた男性は大きく見下される女尊男卑の世界になってしまっている。

 

だけど……。

 

「……俺はISが最強なんて思わないよ」

「……!だけどなぁ……戦車か戦闘機と戦ってもISが圧勝するだろ?」

 

父さんが言っているのは『白騎士事件』のことだろう。日本に向かう沢山のミサイル全てを1機のISが尽く撃墜したあの事件。実はあの出来事には続きがあった。

瞬く間にレーダーから大量のミサイルが消えたことを受け、日本の核武装をも考えた各国が威力偵察とばかりに戦闘機やイージス艦を送り込んできたのだ。容赦なく投入される各国最新鋭の兵器。だが、『白騎士』はそんなものがどうした、とても言うようにそれらをあっという間に無力化してしまったのだ。

それによってISがこの地球上のあらゆる兵器を凌駕したものであるということが世界中に知れ渡り、各国が国防の中軸をISへと変更するきっかけになったのだが、そのことについては今はいいだろう。

 

「ISが出来てから既に知り合いの防衛関連企業は何社か潰れちまった。分かるか?俺達男にはもう国は守れないつって見捨てられたんだよ」

 

父さんは悔しそうに顔を歪めながら続ける。

 

「紺野は秀人のおかげで何とかやっていけてるが……秀人……!俺は悔しい……!なんで男が女に絶対勝てないんだ!?俺達が今までやってきたことは何だったんだ!?」

 

月に向かって吼えるように父さんは叫んだ。防衛関連企業を経営する者として、国防を担う兵器を造ってきた技術者として、父さんは少なからず責任と自覚を持って生きてきたのだろう。ISは父さんから、いや全国の男性から国防に対する自覚を無くしてしまったのだ。

 

「父さん」

「……なんだ?」

「確かにISは強い。ミサイルなんか簡単に撃ち落とせるし、戦車も戦闘機もISには絶対敵わない」

「……あぁ、そうだ」

「でもそれは今の段階での話でしょ?昔、戦車や戦闘機が世界を蹂躙したように、今はISがその役割を担ってるだけ。……でもずっと最強な訳がない」

 

俺は身体をずらし、父さんの正面を向いた。そうだ。俺はISに負けたくない。性別によって自分の限界なんて決めさせない。だから俺は……。

 

 

「研究、それに新しい技術の開発。父さん達が今までやってきたことをこれからも積み重ねていけば、きっと────俺達はISに勝てるよ」

「秀人……」

父さんの目が真っ直ぐに俺を捉える。そう、それが俺の出したら結論。ISを超える男でも動かせる兵器を俺が造る。人類を2分する戦争の可能性も、戦闘の際の被害の拡大もあるかもしれない。だけど、それはどんな兵器に置いても同じだ。核兵器にしてもISにしても、世界を持つ者と持たざる者に分けてしまっている。俺はそんな世の中をひっくり返したい。

 

 

 

「……お前には俺とは違う世界が見えてるのかもなぁ……」

「そんなことないって。多分父さんと同じ方向を向いてるはずだよ」

「…………ははは 」

 

しばらくの沈黙の後、父さんは突然笑い出した。しんとした夜の庭園に父さんの笑い声が響く。

 

「はは……お前、いつの間にか逞しくなったなぁ……」

「まぁ……1度死にかけたし」

 

それに1度死んで生まれ変わってるし。

 

「分かった、これからもお前を信じて紺野は進もう。……紺野重工業をISに勝たせてくれ」

 

父さんが頭を下げてくる。その肩はとても大きく見えた。見た目の話だけではなく、1万人を越す従業員を雇う企業の社長という意味で。

 

父さんに言われなくてもそのつもりだ。俺は大きく頷いた。

 

「それでこれからどうするんだ?」

「そうだね……」

 

俺は顎に手を当てて考える。ISに勝つには、誰よりもISに近く、詳しくならなければならない。矛盾しているようだが、敵を知らないことには勝つ為の方法も見えてこないのだ。

 

ISのことを学べて、1番最新鋭のISが見れる場所。それはつまり……。

 

 

「父さん、俺はIS学園に行くよ」

「………………本気か?」

 

月夜に照らされ、父さんの呆れたような表情が見えた。



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17話

 

紺野重工業は日本では有名な防衛関連企業である。戦前から戦車や飛行機などの開発・生産に携わり、戦後の財閥解体に巻き込まれながらも不死鳥のように再興し、今なお日本の機械生産における重要拠点の一つとなっている。

 

そんな紺野重工がIS普及以降、生産しているのが、ISに使われるパーツ。主に関節部、機動部に使われているモーターやスラスターなどである。全世界におけるISコアの個数が467個と限られている為、すぐにIS本体を新規生産するのは難しい。その為、ISに使われているパーツの中でも、比較的消耗の激しいモーターに目をつけ、生産を開始。モーターは戦車などにも使われていた為、信用基盤はあり、瞬く間に国内ISに使われるモーターのうち、紺野重工業が占めるシェアは98パーセントを占めるようになった。

 

ちなみに残りの2パーセントは現在使われていない第一世代のISのパーツであったり、100パーセントを自社開発にこだわった専用機であったりする。

つまり、日本における量産型IS全てに紺野のモーターが使われていると言える。

 

「秀人さん、準備出来ました」

 

白衣を着た男性研究員から声がかかり、俺は椅子から立ち上がった。

 

ここは紺野重工業本社の中にある第5研究室。ISに関する研究開発を行うべく父さんが今から2年ほど前に立ち上げたものだ。

 

フランスでシャルロット・デュノアをテストパイロットとして獲得してから2年。俺は中学3年になった。世間は相変わらず、というかより酷い女尊男卑社会に突入し男性の多くは権力を握った女性の陰に隠れるようにして暮らしている。

 

一刻も早く、ISに勝てるような兵器を造らなければならない。今日はその為の重要な一歩を踏み出す日である。

 

今俺が身につけているのはピチッとした黒いボディスーツ。気密性、断熱性に優れた飛行パワードスーツ専用ボディスーツ……所謂ISスーツというやつだ。

 

それに加え、耳の裏あたりに小さな肌色のパッドを付ける。これひとつで脳波を捉え、電気信号に変換し、微弱な電波を出せるという優れものだ。

 

用意を終えた俺は改めて研究室の中央に置かれた機械の方に向き直る。黒みがかった銀色の光を放つボディ。鎧武者を彷彿とさせる装甲。日本の第二世代型IS、『打鉄(うちがね)』である。父さんのコネを使って防衛省から1週間だけ借りてきたものだ。基本的な解析を済ませ、今日がそのレンタル期限の最終日。

 

「よし……」

 

俺は短く深呼吸をすると、ハシゴを使って打鉄の脚部装甲の上に降り立った。すぐさま数人の作業員が近づいてきて、手作業でアームとレッグのIS装甲を装着してくれる。肩から腰に掛けての装甲は研究員がカタカタとパソコンを弄ると、ウィーンという機械音と共にそれぞれ装着された。

 

「IS起動反応なし。ISコア発光確認出来ず」

 

モニターに目を凝らす研究員が報告していく。……予想通りだ。ISは男には起動出来ない。だが、原作と違うのはここからだ。

 

「分かりました。予定通り脚部、腕部の動作チェックに移ります」

 

周りに待機していた作業員がサッと距離を置く。よし……俺は出来る。ISを前に動かす。それに腕を持ち上げるだけだ。頭の中でそう強くイメージする。

 

ウィィ……ン……

 

するとどうだろう。数瞬遅れてISの右脚が前へと出されたではないか。途端に研究室内にワッと歓声が起こる。

 

「右脚部動作確認。続いて歩行と腕部の確認に移ります」

 

俺はそのまま部屋の中をゆっくりと歩き回り、腕で指定されたダンベルを持ち上げて見せた。研究室の中に割れんばかりの拍手が響く中、俺は心の中でガッツポーズを作る。

 

「やりましたね!秀人さん!」

 

動くのをやめた俺に駆け寄ってきた作業員の1人が声を掛けてきた。

 

「皆さんのおかげです。紺野重工業は技術革新を達成したのです」

 

そう返すと、研究員達は互いに肩を叩きあったりして労をねぎらっていた。俺はIS装甲を外してもらい、モニターを見つめ、渋い表情を浮かべる研究員の元へと向かう。

 

「やはり駄目ですか?」

 

「あっ、秀人さん……はい。モーターとスラスターに反応はあるんですが……拡張領域、ハイパーセンサーなどのIS基本技能は使えそうにありません。唯一ISが起動したと見なされているのか、シールドと絶対防御だけは作動反応がありました」

 

研究員が申し訳なさそうに言うのを俺は手を振って答える。研究員が悪いわけではない。初めから想定していたことなのだ。

 

なぜ、男の俺がISを動かせるのか?それはISに使われている紺野重工製のモーターに秘密がある。IS1機には大小30を超えるモーターが使われている。そのひとつひとつに特定の電波受信によって駆動する仕掛けがついているのだ。そしてその特定の電波は俺の耳の裏についたパッドから流れる仕組みになっている。

 

つまり、IS本体を起動させ、それによって動かすのではなく、モーターという機動部のみを狙い撃ちして全体を動かしているのだ。それはさながら手足に糸のついた操り人形がダンスを踊っているように見せるように。

 

ただし、インタフェースに働きかけている訳ではないので、IS本体についた基本性能はまるで使えない。ハイパーセンサーもイグニッションブーストも、コアネットワークも使えなければ、拡張領域から武器を取り出すことさえ出来ない。

 

だが、それで十分なのである。

 

「本当にこの技術を公開しないのですか?」

 

作業員が声を掛けてくる。心底もったいないといった感じの声だ。

 

「はい。来年の3月までISを動かせる男がいることは秘匿しておきます。その後もこの方式によってISを動かすことは公開しません。なので皆さん、今日のことはくれぐれも内密にお願いします」

「……分かりました」

 

研究室の室長を務めてくれている男性が皆を代表して頷く。つくづく残念といった表情だ。男性の地位向上の為には、今すぐにでもこの技術を世間に向けて公表したいのだろう。

 

だが、それによって得られる男性のメリットは実は極々少ない。電波によってISを動かすこの方法は正攻法とは違う、いわばバグ技のようなものである。

機動部に使われているモーターを遠隔操作しているだけで、あくまでもISを自由に使えるようになったわけではないのだ。その為、これを使えなくするのは容易いだろう。1番簡単な方法は紺野重工業のモーターを外せばいいのだから。

 

「もう少し待っていてください。すぐに篠ノ之博士でさえも驚く開発を皆さんなら達成できますから」

 

俺はそう声を掛けて研究室を後にした。会社の中にある更衣室でISスーツを脱ぎながら、この後のことを考える。

 

とりあえずはこれで俺にもISが動かせるようになった。後は原作通り、受験シーズンに織斑一夏が間違ってISを起動させてしまうのを待つだけだ。その後行われるであろう男性を対象とした一斉検査で俺もISが動かせることが判明するはずだ。何、適性はDでもISを動かせる男であるというだけでIS学園には入学できる。その後は殆ど乗る機会もないだろうしね。

 

着替え終わった俺はポケットからスマートフォンを取り出し、父さんへ電話を掛けた。

 

『はい。紺野です』

『あ、もしもし父さん?俺俺』

『!?か、母さん!つ、つつついにオレオレ詐欺が来よった!これだから俺は携帯なんぞ……』

 

スピーカーから聞こえる野太い叫び声に俺は思わず耳を話した。昔の電話ならまだしもこれだけ音質が向上したこの世界でも俺だって分からないのか……。

 

『父さん……秀人だよ』

『なんだ、驚かせるな』

『……今日、予定通りISが起動出来たからその報告』

『おぉっ!本当かぁ!?まさか本当に入学する気だったとはな……』

 

驚く父さん。

 

『うん。話した通り、IS学園に入ることになりそうだから。あと、この話は誰にも言わないようにね』

『母さんにもか!?』

『母さんにはちゃんと事情話してるから大丈夫。他の人にはバレないようにね。じゃあ』

 

俺はそう言って電話を切った。ほんとつくづく母さんに甘い人である。

 

そういえば……ふと俺はシャルロットのことを思い出した。そういえばここ3ヶ月ほどメールが来ていない。日本に帰ってきたての頃なんて毎日来てたのに……。忙しいのかな?まぁ俺も返す暇ないほど今は忙しいしな。

 

織斑一夏がISを起動させるまであと3ヶ月。それまでにやれることをやらないと。俺は再び研究室に向かって歩き出した。




とりあえずこれで主人公がIS学園に入学することができそうです。次回シャルロット視点で入学するまでのことを少し書いて、本編に入ります。


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18話

シャルロット視点です。


「シャルロット、ちょっといいかしら?」

 

声を掛けられた私は、読んでいた小説から顔を上げた。声のする方に目をやると、ニコニコと笑顔のお母さんが立っていた。

 

「何?お母さん」

「勉強ばかりしてても疲れるでしょ?少し休憩しない?」

 

そう言って私が手に持った小説を指さすお母さん。今読んでいるのは日本語版『ハリーポッター』だ。フランス語版も持っているので訳の確認はしやすいし、何より物語であるからそこまで勉強してる、という感じはしないんだけど……私は素直に本を閉じて立ち上がった。

 

 

ここはデュノア社の所有するビルの中にある1室。お母さんと2人で暮らすには十分すぎるほど広いこの部屋に、私達は2年ほど前から暮らしていた。

 

お母さんのあとをついてキッチンのある部屋に行くと、コポコポと電気ポットのお湯が丁度沸騰していた。テーブルの上にはティーカップが2つと、美味しそうなクッキーがお皿に並んでいる。

 

「用意してくれてたんだね。ありがとう」

 

お母さんにお礼を言いながら席についた私はクッキーを1つ齧った。サクッとした食感と共に口の中に甘いクッキーの味が広がる。

 

「随分と日本語の勉強頑張ってるみたいね」

 

ティーカップに紅茶を注ぎながら話し掛けてくるお母さん。

 

「うん。日本語の本読んだりするのも中々楽しいし、それに──」

「ヒデトくんに言われてるから?」

「う、うん」

 

言おうとしていたことを先読みされて、私は少し頬が熱くなるのが分かった。

 

「ふふっ、シャルはそればっかりね」

「な、何が?」

「つい最近までずっと『ヒデトが〜』って私に話し掛けてきてたじゃない」

「そ、それは……私を雇ってくれてる相手だし……ヒデトは大事な友達だから……」

「あらあら」

 

口元を押さえて楽しそうにを笑うお母さん。病院で初期の胃がんが見つかったお母さんは、半年ほど入院していた。

 

健康状態が悪かったせいで肺炎も併発していたらしい。もう少し早く私が気づいてあげられたら、と思うと胸が痛む。けれどお母さんは、無事に癌を克服してこうして今一緒に暮らすことができている。

 

もしヒデトが居なかったら今の生活はないに違いない。お母さんを入院させてあげられることも、2人で何の心配もなく暮らすことも出来なかっただろう。だから、ヒデトには凄く感謝してる。というか、早く会って恩返しがしたい。

 

「私も1度あってお礼が言いたいんだけど」

「うーん……最近忙しいみたいだから……」

「あら、そうなの?」

 

私は頷く。

ここしばらくヒデトとメールのやり取りをしていない。2ヶ月程前に私が送って以来、返信が無いのだ。それまではどんなに遅くても1週間ほどでメールが返ってきてたのに。

もう1度私から送ってみようかな。だけど、ヒデトにしつこいと思われたくないし……。うーん……難しいなぁ。

 

「早く会えるといいわね」

「う、うん……」

 

私の内心を知ってか知らずか、優しく微笑むお母さんに私はこくりと頷いた。

 

 

***

 

 

デュノア社から直接呼び出しを受けたのは、10月ももう終わろうとしている頃だった。

ヒデトに会えるまでの残りの日数をこっそりつけ始めていた私に、デュノア社長───私の父にあたる人の秘書を名乗る人から電話が掛かってきた。

 

『社長が相談したいことがあるので、明日本社まで来て欲しい』とのことだった。

 

 

翌日、迎えにくれたらしい黒塗りの車に乗って、私は本社へと向かった。デュノア社長と私が親子だということは、極々少数の人にしか知られていない。社長に愛人と隠し子がいた事が知れれば、会社に大きなダメージとなるからだそうだ。

 

その為か、車の窓には一面スモークが掛けられていた。なんだか映画に出てくるマフィアにでもなったような気分だ。

 

車はやがて本社の地下にある駐車場らしき場所に到着した。

 

「車を降りて、ここで待っていなさい」

 

運転手の人にそう言われ、私は車を降りる。車はすぐに走り去っていってしまった。えっと……ここからどうすればいいんだろうか。

 

そう思いキョロキョロしていると、後ろでチンと音がした。振り返ってみると、数機並んだエレベーターのうちの1つが開いていて、中から1人の女性が手招きしていた。

 

「シャルロットさんですね」

 

私と手に持っていた書類とを交互に見た女性が声を掛けてくる。

 

「は、はい」

「昨日電話させていただきました社長の秘書の者です。社長室にお連れしますので着いてきてください」

「……はい」

 

エレベーターに私が乗るのを確認した秘書さんが何やら壁際のタッチパネルを操作する。すぐに身体にGが掛かり、エレベーターが動いているのが分かった。ドアの上に表示された液晶の数字はどんどん増え、30を超えた。

 

「着きました。降りてください」

 

35という数字が表示されたところでエレベーターが止まり、ドアが開いた。フロアにはガランとした長い廊下が続いていて、両サイドに部屋が並んでいるらしかった。私達以外の人の姿は見当たらない。

 

ふかふかと沈むマットが敷かれた廊下を秘書さんに着いて進む。やがて大きな両開きの扉の前で彼女は立ち止まった。扉横の壁に付けられたプレートには『社長室』と金色の文字で書かれていた。

 

「社長、シャルロットさんをお連れしました」

 

ノックと共に秘書さんが部屋の中に声を掛けると、微かな機械音と共に扉が開いた。

 

「お入りください」

 

秘書さんに促され、部屋の中に入る。後ろ手で扉が閉まるのが分かった。

 

広い部屋の奥は一面ガラス張りになっていて、青い空が見えた。その手前には木製のデスクが置かれていて、黒く光る革製の回転椅子が向こうを向いていた。

 

「社長」

 

後ろに立っていた秘書さんに声を掛けられ、ようやく椅子がくるりと私の方へ向く。背もたれの大きなその椅子には私と同じ紫色の瞳の男性が座っていた。

 

この男性が、デュノア社の社長であり、私の実の父親であるクレール・デュノア氏だ。

 

「よく来たな……シャルロット」

「お久しぶりです……社長」

 

低めの声で私の名前を呼ぶデュノア氏に私は頭を下げる。私の中で、彼が父親だという事実はあっても家族だという認識はない。何しろ彼とは私がデュノア社の保護下に入ってから数回しか会っていないのだ。しかもそのどれもがISに関係する用事であり、私とデュノア氏は未だに家族としてどころか、仕事に関する以外の会話をしたことが無かった。

 

「……専用機の調子はどうだね?」

「……はい。基本スペックが高いおかげかとても使い易い機体です」

 

デュノア氏の質問はいつもと同じく、ISに関することであった。私は内心少しほっとしながら、彼の問いかけに答える。

 

IS適性Aと診断され、ISに関する知識もある程度蓄積されていた私は、デュノア社ともテストパイロットとして契約を結んでいた。

自分にISの適性があったことにも驚いたが、なにより驚愕したのがそのIS適性がAであったことだった。まさにヒデトが言ったとおりだったのだ。彼から超能力を使えると打ち明けられてもさほどびっくりしない気がする。

 

そういう訳で、IS適性Aを持ったテストパイロットとしてデュノア社の訓練を受けていた私は、半年ほど前に専用機を受け取っていた。

 

デュノア社が開発している第二世代型IS『ラファール・リヴァイヴ』、それを改造したものが私の専用機『ラファール・リヴァイヴ カスタム』である。原型が量産機である為、汎用性が重視されたこの機体。現在行われている二次改装が終われば、『ラファール・リヴァイヴ カスタムⅡ』として生まれ変わることになり、機体スペックだけで言えば、第三世代型ISにも匹敵するようになるらしい。

 

これで私はやっとヒデトの役に立てるのだ。オレンジ色にカラーリングされた『ラファール・リヴァイヴ カスタム』を見上げる度、私は言いようのない高揚感に包まれていた。

 

 

「そうか、君さえいればデュノアの未来は明るいな」

「……ありがとうございます」

 

私の力はデュノア社の為ではなく、ヒデトと紺野重工業の為に使うつもりだが、私は頷いておく。

日本のIS学園に通うには、フランスの代表候補生になるか、それに匹敵する実力を見せる必要がある。だから今の私にはデュノア社と『ラファール リヴァイヴ』の力が必要なのだ。

 

「ところで今日君を呼んだ件なんだが」

「はい、何でしょうか?」

「少し困ったことになってね」

 

デュノア氏はそう言ってわざとらしく眉を潜めた。

 

続いて放たれた言葉に私は自分の耳を疑った。

 

 

「実は日本の紺野重工業がシャルロットのテストパイロット契約を解除したいと言ってきたんだ」

 

 

しん、と社長室が静寂に包まれる。私が何も反応することが出来なかったからだ。

 

「……そ、それはどういうこと、ですか?」

 

しばらくして、ようやく私は震える声で聞き返した。

 

「どうやら他のテストパイロットが見つかったとかで、君との契約を解除したいそうだ。担当者は『より優秀なテストパイロットしか要らない』と言っていたよ。全く……勝手な連中だ」

「そんな……」

 

デュノア氏はそう言って、1枚の紙を私に見せてきた。契約を解除する旨が書かれたその紙の最後には、紺野重工業の名前の書かれた赤い判子が押してあった。

私は頭を金づちで殴られたような気がした。とても信じられない。そうだ、ヒデトに連絡して確認を……。

 

「私としては反対したんだが一方的に契約解除を通告してきてね……シャルロットとの個人間連絡は全て絶つと言ってきた。……最近メールや電話が通じなくなったりしていないか?」

 

社長の言葉に、私は心当たりがあった。

彼の言う通りヒデトや紺野重工業からここ2ヶ月ほど連絡がない。忙しいからと思っていたけど、契約を解除しようとしてたからだったの……?

 

にわかに信じられない話。だけど今の私の置かれた状況と、デュノア社長の話は辻褄が合っていて……それは私の中で、自分が紺野重工業に───ヒデトに捨てられてしまったんだという可能性を、『事実』にまで押し上げていた。

 

「そんな……頑張ったのに……」

 

思わず床にへたりこんでしまった。後ろに控えていた秘書さんが背中を摩ってくれる。

 

「外国の企業なんて所詮そんなものだ……自分達の利益しか考えずに、結べるのは利害関係しかない。あぁ、シャルロット……可哀想に」

 

デュノア氏にそう言われ、私は必死に否定しようとした。ヒデトはそんな人じゃない!と。だけど、彼が日本に帰ってからの姿を私は知らない。もし、彼が他の優秀な女の子と出会っていたら……そう思うとポロポロととめどなく涙が溢れてきた。

 

ヒデトにまた会うため、彼に恩返しするために今日まで頑張ってきたのに……。

今日までの努力は何だったの?

虚しさと悲しみで胸の中でいっぱいになる。

「シャルロット……安心してほしい。デュノア社は……私は君の味方だ」

 

いつの間にかすぐそばに来ていたデュノア氏が私の頭を撫でる。普段なら嫌悪感さえ覚えるデュノア氏の声は、とても優しく穏やかだった。

 

「デュノア社の専属テストパイロットとして君を迎え入れたい。シャルロットの実力ならすぐにでもフランスの代表候補生になれるだろう」

「代表候補生……」

「あぁ、そしてIS学園に行くんだ。フランス代表としての実力を見せて、シャルロットを裏切った紺野重工業を後悔させてやれ」

 

デュノア氏の提案は、今の私の欲求を性格に捉えていた。日本に行けばヒデトに会えるかもしれない。IS学園で活躍すれば、ヒデトにまた振り向いてもらえるかもしれない。

 

 

 

「「……少し考えさせてください……」

 

呟くようにそう言うと、デュノア氏は驚くほど素直に私を家へと返してくれた。お母さんに心配されながらも、何とか自分のベッドに倒れ込んだ私は、傍らに置いてあるノートパソコンを取り出した。ヒデトがくれた私とヒデトの唯一の繋がり。

 

『ヒデト。久しぶりだね。デュノア社の社長……お父さんから聞いたんだけど、私のテストパイロット契約を解除したって本当?とにかく1度ちゃんとお話がしたいです。返信待ってます。

貴方の友人 シャルロット』

 

「お願い……届いて」

 

祈るような気持ちで送信ボタンを押す。

 

だが、1週間待っても2週間待ってもヒデトからの返信は無かった。

 

 

 

 

11月の半ば、私は再びデュノア本社の社長室を訪れていた。

 

「今まで本当に済まなかった……父親として君の目標を応援させてもらえるか?シャルロット」

 

目にうっすらと涙を貯めながら話すデュノア氏のその表情はとても優しそうで────────小さい頃に思い描いたお父さんの姿とそっくりだった。

 

私はしばらく躊躇い、そして

 

「────────はい、お父さん」

 

彼の手を握り返した。




あともう1話投稿して、IS学園編に入ります。大変お待たせしました。


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19話

3月。あるニュースが全世界を激震させた。日本の15歳の男性がISを起動させたのだ。今まで女性にしか動かせないと思われていたIS。それが男性にも動かせると分かり、世界中で男性及び男子を対象とした検査が行われていた。

 

 

「ったく……だるいよな。男にISが動かせるわけねーじゃん」

「まぁそう言うなって。ここで起動させたらモテまくるぞ」

「マジで!?俺もお前も一気にハーレムが作れるってことか?」

 

前に並んでいる高校生の2人組が話しているのが聞こえてきた。いや、こんな狭い範囲で2人もISが動かせる奴が出るとは思えないんだが……。

 

ここは俺の通う私立中学校の体育館。放課後になって運び込まれた2機のISの前にずらっと列ができている。集められたのはこのあたりに住む6歳から25歳までの男性。皆係員の指示に従い、順番にISに手をかざしては少し残念そうに体育館を出ていく。

 

「ったく……受験が終わってからで良かったよな、秀人」

 

後ろに並ぶクラスメートがうんざりという感じで話し掛けてきた。検査に使われるISの数が少なく、それと反対に検査しなければならない男性の数が膨大である為、かれこれ3時間は待たされているのだ。俺も後ろの彼も暇で仕方がなかった。

 

「まぁ、そうだな」

「お前はいいよなー、難関高校の推薦断るくらい余裕だったんだろ?」

「ははは……」

 

まぁ、多分行かないだろうからな。行かないと分かっているのに貴重な推薦枠の1つに居座るのは忍びない。そもそも俺の『受験』はまだ終わっていない。今日俺はこの場でIS学園に入学する切符を獲得するのだ。

 

前にいた2人組の男子高校生が案の定、反応しないISを恨めしく睨みながら体育館から出ていった。ついに俺の番がやってきた。

 

パッドは既に耳の裏に装着してある。係員に促され、ISの前に立つ。日本の国産第二世代型IS『打鉄』。実証実験でやったのと同じ機種だ。大丈夫。意識を集中させて……。

 

ウィィ……ン

 

モーターの作動する音と共に打鉄の腕部装甲が持ち上がった。

 

「えっ!?」

担当していた女性係員が驚きの声を上げる。

 

「うぉっ!?今動いたよな!?」

「2人目の男性操縦者が出たぞ!!」

「アイツ、秀人か!?」

 

体育館は瞬く間に歓声や驚きの叫び声に包まれた。体育館に響くその声を聞きながら、俺はホッとため息をつくのだった。

 

 

俺が1人目の男性操縦者として名乗りを挙げなかったのは大きな理由がある。それは『関心度の高さ』だ。言い換えれば『疑惑の大きさ』と言ってもいい。

3月に世界で初めて男性でISを起動させた男、織斑一夏は発覚後、徹底的に検査を受け、その後正式に認定されたとニュースでやっていた。それもそうだろう。それまで世界中の男が誰1人としてISを動かせなかったのだ。

 

だが、神のいたずらか、『天災』とも呼ばれる兎耳をつけた科学者のいたずらか、織斑一夏は正式にISが動かせるのだ。俺みたいにバグ技を使うことなく、IS適性Bという女性にも劣らない検査結果を出すことが出来る。だからこそ厳しい検査の目にも耐えられたのだろう。

 

だが、俺にはそれが出来ない。1人目として名乗りを上げれば世界の常識を覆す為の過酷な検査が待っている。その過程できっとISコアを反応させているわけではないことがバレてしまうだろう。

 

『前例』が出来てからの一斉検査によって発見された2人目。俺が滑り込むことが出来るのはそれくらいのポジションしかないのだ。

 

 

ともあれ、織斑一夏よりは非常に簡単な検査を終え俺は帰宅することが出来た。2週間以内にIS学園に入学する為の書類が家に届くらしい。IS適性は案の定Dだった。これが女性なら恐らくIS学園の入学許可は下りていないだろう。大切なのは『例えDでも男がISを動かせる』ということなのだ。

 

検査場から家までは政府機関に属しているらしい女の人が送ってくれた。

誘拐を恐れてか、入学までの3週間ほどを政府の用意するホテルに宿泊するよう勧められたが、俺が紺野重工業の家の者であることを伝えるとすんなりと引き下がってくれた。

まぁ、家の場合、下手なテロリストは入ってこれないようなセキュリティは整ってるからな。最終兵器として、筋肉ゴリラ(父さん)もいるし。

 

家に戻った俺は、父さんと母さんに正式にIS学園に入学することが決まったことを告げた。以前からIS関連技術の進捗状況は話していたので2人ともそこまで驚きは無かったらしい。

 

ただ、IS学園が全寮制の学校であることを話すと、途端に母さんが反対しだした。

 

「秀人と何ヶ月も離れて暮らすなんて嫌よ……1ヵ月フランスに行っただけでも危ない目に遭ったのに」

 

大分2年前に俺が死にかけたことがトラウマになっているらしい。それについて言われると俺も何も言い返せなくなってしまう。後日送られてくるらしいIS学園のパンフレットを見て、セキュリティの高さを納得してもらうしかないな……。

 

とりあえず全寮制の話は保留ということにして、俺は自分の部屋へと戻った。カバンをベッドの上にほおり投げ、机の上のデスクトップ型パソコンのスイッチを入れる。もはや習慣となったメール受信欄のチェック。うん、今日もシャルロットからは来ていない。もう気がつけばここ半年は送られていない気がする。

 

シャルロットは現在、デュノア社の保護の元、生活している。だから怪我や病気でメールを送れないという心配はないと思う。

ということは何か他の理由があるのだろう。俺とメールするのが飽きたとかなら、ちょっとショックだけど、別に構わない。

考えられる中で最悪なのは、デュノア社長、或いはデュノア社自体が何らかの形で関与しているということだ。

 

俺はチラッとメニューバーに表示された時刻に目をやった。時刻は夜の9時半を回ったところ。ということはフランスは……昼過ぎか。なら大丈夫だろう。

 

引き出しからヘッドセットを取り出し、頭に装着する。そしてパソコンを操作し、俺はある人物へとテレビ電話を掛けた。

 

数回のコールの後、ラフなTシャツを着た気の良さそうな男性が画面に映る。

 

「はい、こちら紺野重工フランス情報支部、森本です」

「森本さん、お久しぶりです」

「大分身長伸びましたね」

「そうですかね?自分ではあんまり……」

そう、テレビ電話の相手は2年前に一緒にフランスに行った森本さんである。あの1ヶ月の間に現地で彼女を作ったらしい森本さん。それなら、ということでフランス支部への転勤を提案すると喜んで食いついてきた。それ以来、2年間フランスで情報収集や交渉にあたってもらっている。

 

「彼女とはどうですか?」

「あぁ、ジョセフィーヌのことですか?もう毎晩求められて大変ですよ。情熱的でねぇ……」

「あの……俺一応中学生なんですけど」

「あぁ、すみません。忘れてました」

 

森本さんには以前、彼女(ジョセフィーヌさん)の写真を見せてもらったことがある。確かモデルかと思うくらいの美人だった。そんな美人と毎晩……くそっ、うらやまけしからん。

 

俺は画面の向こうの彼にバレないよう舌打ちをして、本題に入ることにした。

 

「今回電話したのはシャルロットのことなんですが」

「あぁ、彼女も毎晩情熱的に……」

「分かりました……森本さんは来週から南極支局長に就任ということで」

「……冗談ですよ。デュノアさんがどうかされましたか?」

低い声で脅してみると森本さんはホールドアップをしてきた。……ったく、心臓に悪い冗談はやめてほしい。

 

「半年ほど前からメールが来ないんですよ」

「それは、恋愛に関するご相談ですか?」

「違います。今、彼女どうしてます?」

「ちょっと待ってくださいね……デュノアさんは私の担当ではないので……」

 

森本さんはそう言いながら、画面の向こうで何やら別のパソコンを弄っているようだった。

 

「……でました。どうやら昨年の11月の頭からデュノア本社で生活しているようですね」

「本社で?シャルロットの母親は?」

「同じ時期に母親も本社の方に呼び寄せたようです。それからはデュノア社の方からの情報規制が厳しく、今は何をしているかは……」

「それでもデュノアの本社にはいるんですよね?」

 

俺の問いに森本さんはこくんと頷く。デュノア社本社に親子を呼び寄せる……そんな大胆なことをすれば本妻にバレてしまうんじゃないのか?うーん……社長の考えていることが分からない。

 

「その他に進展はありますか?」

「そうですね。社長関連のゴシップなら山ほど出てきてます。どうやら相当の遊び人だったようですね」

「そうですか……」

「それとつい先日、デュノア社の幹部の方と会食に行ってきました」

「おぉ、どうでした?」

「ステーキがめちゃくちゃ美味しかったですね、会社のお金だと思うと余計に……っと、ちゃんと交渉はしてきましたから。落ち着いてください」

 

氷のような目で画面を見つめる俺に、慌てて付け足す森本さん。会社の金で美味しいもの食べれて良かったですね。でも、俺その会社社長の息子なんだよね。

 

「……報告を」

「はい……まず、ISに使われている規格統合についてですが、次の重役会で提案してもらえることになりました。試験的に日本のIS学園で使われている分の『ラファール・リヴァイヴ』の起動部品を紺野重工業で取り扱うことになりそうです」

「それは凄いですね」

 

規格統合が勧めば、紺野重工のIS関連の収益が更に伸びることになる。それに、ISでは練習機として『打鉄』の他に『ラファール・リヴァイヴ』も採用しているのだ。紺野重工業のモーターを『ラファール・リヴァイヴ』にも組み込むことができれば、俺が動かせる機体が増えることになる。

 

「技術部が電気信号でISを動かすことに成功したと秀人さんから聞いていたので、IS学園にある分の『ラファール・リヴァイヴ』の規格統合を優先しました」

 

くぅぅ……有能!森本さんは1を聞いて10を知った上で50のことをしてくれる人だ。これだからこの人を首には出来ない。マイナスに振り切れていた森本さんの印象ゲージが今度はプラスへと振り切れる。

 

「それと、デュノア社長ですが、独断による企業経営が災いして余り幹部からの評判は良くないそうです」

「そうですか。これからも情報収集お願いします。あと、シャルロットの方の情報もできる限り……」

「分かりました。デュノアさんの生理周期からパンツの色まで調べあげますね!」

「南極は涼しくていい場所でしょうね」

「じょうだ───」

 

ブツっと森本さんの顔が映る画面が消え、デスクトップ画面に戻る。俺がテレビ電話を切ったのだ。フランス人の彼女が出来てから下ネタが増えた気がする。……彼はフランスで何をやっているんだろうか。

 

さて……。俺はメールソフトを起動させ、シャルロット宛てのメール作成画面を開いた。

 

『久しぶりだなシャルロット。もうすぐIS学園に入学する時期だが、準備は出来てるか?日本に来るに当たって必要なものがあればメールしてくれ。また会えるのを楽しみにしている。

日本の友人 紺野秀人より』

 

「送信っと……」

 

彼女に届くように、と祈るように両手を合わせながら、俺はエンターキーをタップした。

 

 

IS学園入学まであと3週間。これからの毎日に期待したい。



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20話

しばらくシャルロットは出てきません。前々話以来モヤモヤしてる方も多いと思いますが、もうしばらくお待ちください。


 

4月に入り、とうとうIS学園に入学する日がやってきた。自室で荷物を纏めていた俺はパソコンの方に目をやった。デスクトップパソコンは流石に重くて持っていけない。というか原作では確か、寮の部屋に1人1台パソコンが置いてあった気がする。

必要なソフトやデータはUSBメモリに移したし、ノートパソコンだけでいいだろう。ネットの海から拾ってきたお宝画像や動画コレクションも既にハードディスクに移した。この俺に抜かりはない。

 

ということでしばらく使わないことになったデスクトップパソコンのケーブルを抜きながら、ふとフランスにいる友人兼契約相手のことを思い出した。

相変わらずフランスのシャルロットからは連絡がない。森本さんをはじめとした情報部の人達に調べてもらっているが、未だ有力な情報は入ってきていない。

確かにシャルロット達の住む場所を決める権利はデュノア社側にある契約だが、だからといってこちらからの接触に干渉する権利まで渡した覚えはない。こっちがIS新興企業だからって舐められてるのか?近々森本さんを通して抗議するつもりだ。

 

というかちゃんと入学してくるんだろうな……?

 

一抹の不安を抱えながら、俺は部屋着代わりのスウェットからIS学園の制服へと着替える。白を基調として赤いラインの入ったジャケット。大きな黒い襟が特徴的である。というか、ちょっとデカすぎるんじゃないか?襟にコウモリ付けてるみたいにならないですかね……。女子の制服は可愛いイメージだったんだけどな……。

一応着替え終わった俺は部屋に置かれた姿見に自分を映してみた。まぁ、母さんのおかげによるイケメン補正によってかっこ悪くはない……よな?

そういえば今のところIS学園の男子制服は俺と織斑一夏の2着分しか作られていない。原作では1着しか作られなかったことを考えると、少し感慨深いような気持ちになる。

 

「秀人ぉ、準備できたか……おぉ、なかなか似合ってるじゃねぇか」

 

背後の襖が突然開いて、父さんが部屋に入ってきた。後ろにはふくれっ面をした母さんも一緒だ。

 

「うん。いつでも出発できる」

「秀人……本当に行っちゃうの?今からでも入寮の話は辞めにして───」

「母さん、もう決めたことだから。また夏休みになったら帰ってくるよ」

「うぅ……絶対だからね?危ないこともしちゃ駄目よ?」

 

結局、俺がIS学園の寮に入ることに母さんは最後まで首を縦に振らなかった。俺のことを心配してくれるのは嬉しいが、IS学園は全寮制の学校だ。入学するには寮に入るしかない。それに、俺ももう15歳、いつまでも家族にべったりというわけにはいかない。

 

「秀人、頑張れよ」

「元気でね、また連絡するから」

「うん……いってきます」

 

 

両親に手を振りながら、俺は荷物とともに車の後部座席へと乗り込む。車はゆっくりと駅に向かって走り出す。小学生の頃から俺を送り迎えしてくれた運転手さんともしばらくはお別れだ。

 

 

駅で運転手さんに別れを告げ、モノレールの発着するホームへと向かう。臨海部から少し離れた人工島の上にあるIS学園にはこのモノレールを使ってしか行くことができない。

それは『IS学園の敷地はどの国の領土にも属さない』という鉄の規則があるからだ。余裕で日本の領海内にはあるんだが、まぁ形式だけでも独立性を保っているということなんだろう。本当に海のど真ん中につくられても不便だろうし。

 

モノレールの中にはIS学園の制服をきた生徒が結構乗っていた。俺と同じように大きなキャリーケースが傍に置いているのが恐らく新入生だろうな。乗り込んだ途端に一斉に俺の方を見てくるのはやめてほしい。確かにIS学園の制服を着た男子なんて目立ってしょうがないだろうけど。前の世界で言うところの女の子が学ランを来て出歩いてるようなものだし。

 

「ね〜、貴方が世界で初めてIS動かせた男の人〜?」

 

周りの視線にそわそわしながら席に座っていると、突然隣から声を掛けられた。

 

声のした方に顔を向けると、もはや萌え袖と呼べないようなぶかぶかの制服で口元を隠し、眠たそうな瞳をした女の子が座っていた。

 

この子、知ってる……。いや、実際には初対面だが、確かに俺は目の前の小動物系の彼女の名前を知っていた。布仏本音さん……通称『のほほんさん』だ。

 

あだ名の通りのほほんとした牧歌的な雰囲気を漂わせながら、彼女は返事をしない俺に首を傾げた。

 

 

「もしかして〜……コスプレ?」

「こ、コスプレちゃうわ!」

 

慌てて否定する。いや、入学生でもないのに、わざわざIS学園の制服を着てIS学園行きのモノレールに乗車するわけないだろ!?

そんな強者が果たして存在するのか?どんな変態だよ……。

 

突然の鋭い突っ込みに目を丸くする布仏さん。

 

「こほん……ごめん、驚かせちゃったね。コスプレじゃなくて俺もれっきとしたIS学園の入学生だよ。ただ、俺は世界初じゃなくて『2人目』だけどね」

「そうなんだ〜、えへへ、びっくりした〜」

 

落ち着いて自己紹介すると、ようやく布仏さんは笑顔を取り戻した。照れたように制服の袖で後頭部をカリカリと掻いている。

 

「私も今年入学だよ〜、布仏本音──のほほんさんって呼んでね〜」

「俺は紺野秀人、よろしくねのほほんさん」

「よろしく〜、おんなじクラスになれるといいね〜」

 

初対面とは思えないほどの距離で話しかけてくるのほほんさん。なんか一緒にいると昼寝がしたくなるような子だ……。

 

「そうだね〜」

 

若干彼女の話し方に毒されながら、俺はのほほんさんと会話を続ける。

 

それにしても……男性操縦者って2人目が見つかったときも大分ニュースになってたような気がするけど……あんまりニュースとか見ないのかな?

 

終点であるIS学園前に到着したモノレールからは、わらわらと乗客が降りていく。

 

「こ、こんちゃ〜ん、待って〜」

 

困ったようなのほほんさんの声に振り返ると、彼女は自分の身体と同じくらいの大きさのカバンを網棚から降ろそうとしているところだった。

むしろどうやって網棚に上げたんだ?という疑問を飲み込みつつ、俺も降ろすのを手伝う。サイズの割に重量はそれほどでも無かった。中身は着替えとかだろうか。

 

「俺が持とうか?」

「えっ!?凄く重いし、わ、悪いよ〜」

「重さはともかく、これ背負うのは中々大変そうだし」

 

ちょっとした登山家みたいになるし。

 

「う〜ん……」

「なら、俺のカバンと交換しようよ」

 

中々引き下がらないのほほんさんに俺は肩に掛けていたショルダーバッグを外し、彼女に差し出す。中にはこれといって重要なものは入っていない。せいぜい寝間着替わりのジャージくらいだ。別に2つ持っても3つ持っても俺的にはさほど問題ないけど、これでのほほんさんの気が楽になるならいいだろう。

 

しばらく自分のカバンと俺のショルダーバッグを交互に見比べていた彼女だったが、ようやく俺のショルダーバッグを受け取ってくれた。そして袖で口元を隠しながら嬉しそうに微笑む。

 

「……あ、ありがとう〜、こんちゃん……」

「どういたしまして……ところで『こんちゃん』って?」

「あ、あだ名だよ〜、紺野くんだからこんちゃん……駄目かな〜?」

「い、いや構わないけど」

「こんちゃんとかんちゃんって似てるね〜、あっかんちゃんって言うのは私の友達のことなんだけど〜」

 

多分、かんちゃんも知ってる。更識簪のことだろう。それにしてもまさか初対面で俺もあだ名を付けられるとは……。のほほんさんのコミュ力の高さに驚きつつ、俺達は改札の方へと向かう。

キャリーケースとのほほんさんのリュックを背負っているからか、さっきより視線が集まっている気がする。まぁ、傍目から見たら夜逃げしてきたみたいに見えるかもな……。

 

 

改札を出ると、列が出来ていた。

 

「……これ、何の列ですか?」

 

近くに立っている係員らしい女性に尋ねる。

 

「ここは荷物検査場です。生徒の皆さんから1度荷物をお預かりして、危険物や怪しい物がないかチェックします」

「へ〜、結構厳しいんだね〜」

「まぁ、色んな人が集まってくる所だからね……」

 

のほほんさんに笑い返しながら、俺は内心震えていた。HDDの中、怪しい物で溢れてるんですけど大丈夫ですかね……それだけで言ったら俺もテロリストみたいなもんなんですけど。

 

「X線検査だけですので。検査の終わった荷物は各自寮のお部屋まで運びますから、名前と生年月日を受付に伝えてください」

 

そんな俺の内心を知ってか知らずか、係員のお姉さんは説明を追加してくれた。心なしか俺を見る彼女の目が鋭くなっていたのは気のせいに違いない。

 

 

その後、順番を待ち荷物を預けた俺達は手ぶらの状態で、大ホールとやらに向かう。そこで入学式があるらしい。体育館でやらないあたり、流石世界中から来賓が集まってくる天下のIS学園といったところか。

 

「誰か探してるの〜?」

 

誘導に従って新入生席へと歩きながら、きょろきょろと辺りに目をやる俺を、のほほんさんが不思議そうに見てくる。

 

「ちょっとね、友達が1人入学する予定で……」

「へ〜、どんな人なの〜?」

「フランス人で、ブロンドの髪が綺麗な子だよ」

「外国にお友達がいるなんてすごいね〜」

 

のほほんさんのキラキラした目に苦笑いしつつ、俺はその『ブロンドの髪の友達』を探す。勿論、シャルロットのことだ。結局半年ほど前から今日の入学式に至るまで連絡をとることが出来なかった。報告ではデュノアの本社にこもりきりだったらしいが、メールくらいは返してもいいんじゃないかと思う。

 

『それでは、新入生の皆さんは席についてください』

「あっ、そろそろ座った方がいいみたいだよ〜」

「……そうだね」

 

結局、シャルロットの姿は見つけられなかった。まぁこれだけ人が多いし、クラスに行ってから探すか……。

 

入学式自体は割と普通の学校と同じような内容だった。ただ、来賓の挨拶がPTA会長なんかから国連のスタッフに代わり、市長からくるような電報が各国首脳から来ていたくらいだ。

各国のIS学園、引いてはISに寄せる関心の高さが伺える。

 

入学式が終わった俺達はぞろぞろと1年生のフロアへと向かう。思ったより外国人らしい生徒が多くて驚いた。まぁ代表候補生は大国だけから集まってくるわけじゃないし、日本の生徒だけ多いっていうのもパワーバランスが崩れるか。

 

途中、人混みの向こうに織斑一夏を見つけた。知り合いが居なくて不安なのかしきりにキョロキョロと辺りを見回している。後で話しかけに行こう。なにせ、アイツは世界で唯一ISを『ちゃんと』動かせる男だからな。仲良くなれば、紺野重工の実験なんかも引き受けてくれるかもしれない。

 

「あっ、こんちゃんと同じクラスだ〜」

 

教室のドアに設置されたクラス名簿の表示されるディスプレイを見て、のほほんさんが嬉しそうに言う。

 

俺もディスプレイに目をやると、確かに紺野秀人と布仏本音の名前があった。ここは1年1組。ということはシャルロットや織斑一夏とも同じクラスになるはずだ。そう思い、名簿の名前を探す。

 

確かに織斑一夏の名前はあったが、シャルロットの名前がない。他のクラスなのか?原作では1組に途中で転校してくるはずの彼女だが、この世界では普通に入学してくる手はずになっている。それに俺という追加要素もあるし

、もしかしたら違うクラスに編入されているのかもしれない。

 

探しに行くか?

 

「こんちゃん、早く教室入ろ〜」

 

そう思った俺だったが、のほほんさんに手を引かれ1組の教室の扉を潜るのだった。

 



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21話

 

のほほんさんに手を引かれ、教室のドアを潜ると一気に視線が俺のもとに集まってくるのを感じた。好奇心半分、「なんでこんな所に男子が」みたいな嘲笑半分といったところか。

 

のほほんさんと離れ、席につく。俺の席は中央列の前から2番目。中々視線が集まりやすい席であるが前を向ける分楽だ。

 

周囲を見渡すと教室の席は既に8割ほどが埋まっていた。それにしても日本人が多い。クラスの殆どが日本人らしい。

 

「なぁ」

 

そんなことを考えていると、突然前の席から声が掛けられた。視線を前に戻すと、前に座っていた奴が身体ごと俺の方に向けていた。黒髪に曇りのないこの少年のような笑顔。

 

織斑一夏(コイツ)が前の席だったのか。

 

「2人目の男の操縦者って君のことか?」

「多分そうだな、『1人目』の織斑一夏君」

「なんだ、俺のこと知ってたのか?」

「そりゃあれだけニュースでやってれば名前くらい覚えるって」

 

実際にはISの存在がニュースになった時点で君の存在は認識してたんだけどね。あと、なぜかのほほんさんの顔が頭に浮かんだ。いや、彼女は違う。きっと家に電波受信環境がないんだ。それこそN○Kも諦めるくらいに。だから男性操縦者の名前くらい知らなくても当然なのだ。

 

「そうか、じゃあ改めて……織斑一夏だ。よろしくな」

「紺野秀人。仲良くしてくれ」

「秀人が見つかってよかったよ、男は俺1人だけになるところだった」

「ははは……織斑と違って適性はDだけどな」

「一夏でいい」

「そ、そうか?」

 

のほほんさんにせよ、織斑……いや、 一夏にせよ、なんなんだこの距離の詰め方は?俺が消極的過ぎるのか?

 

自分の対人能力が思ったより低かったことに内心凹んでいると、教室の扉が開いた。そして眼鏡を掛けた童顔の大人しそうな先生が入ってくる。

 

「皆さん、入学おめでとう。私は副担任の山田真耶です」

 

教壇に登った先生が手をかざすと、黒板前の空間ディスプレイに『山田真耶』とローマ字付きで表示される。……これ、いるかなぁ。教室前のクラス名簿にせよ、この自己紹介にせよ技術の無駄遣い感が凄い。

 

同じことを思ったのか、単に先生の話を真面目に聞いているのか、クラス全体がシーンと静まり返る。

 

「えっ?えっと……み、皆さんは今日からIS学園の生徒です。この学校は全寮制で───」

 

反応の薄さにたじろぎながらも、なんとか説明を始める先生。遠慮がちな反応がいちいち可愛い。それに本人は意図していないんだろうけど、服からはみ出た豊かな胸が童顔とミスマッチしていて、背徳的なエロさを醸し出している。

ここにオッサンがいれば「おい、誘ってるのかこの巨乳ちゃんは?げへへ」みたいなヤジが飛ばされるのは必至だろう。俺?俺はそんなことしない。ただ、先生の説明に集中するフリして至近距離からの眺めを堪能しただけである。

 

じきに先生の説明が終わり、クラスメイトの自己紹介が始まった。皆が順調に自己紹介を終える中、俺は前の席に座る彼のことが心配になる。

 

そういえば、原作では一夏(コイツ)、一言二言しか自己紹介しなかったんだったな。

 

「次、織斑一夏くん。お願いします」

「はい」

 

山田先生に促され、少し緊張した様子の一夏が立ち上がる。無理もない、クラス中からの視線が集中しているのだ。それに男子生徒という物珍しさもあってかその視線は他の女子生徒に向けられるものよりずっと強いものになっている。

 

「織斑一夏です。たまたまIS適性が見つかり、この学校に通うことになりました。よろしくお願いします」

 

パラパラと拍手が起こる。俺も手を叩きながら内心感動していた。おぉ、普通に自己紹介できるじゃないか。なんだ?他に男子生徒がいるから、そこまで緊張しなかったのか?

 

その後これといった盛り上がりもなく自己紹介は終わった。俺?俺も普通にやったよ、まぁクラスからの視線の強さには参ったけど……。一夏はずっとこれを1人で受け止めてたのか。今更ながら彼には敬意を払わなければならないかもしれない。

 

その後、授業が始まるまでは休み時間となった。一夏はポニーテールにした黒髪の可愛い女の子に連れられて、どこかに行った。

彼女が確か、篠ノ之箒さんだ。箒なんて結構アレな名前だと思うけど、彼女の姉はあの篠ノ之博士だ。下手に名前のことを弄ったりすれば、次の瞬間には頭と胴が離れている、なんてこともあるかもしれない。

「こんちゃん、休み時間だよ〜。お話しよ〜」

「あ……ごめん、ちょっと知り合いを探してくる」

「分かった〜、見つけたら私にも紹介してね〜」

 

俺の傍まで来てくれたのほほんさんにそう断って、俺は立ち上がった。IS学園は1学年4クラス編成だ。ということは1組を除いて残りは3クラス。

3クラスもあればどこかにシャルロットはいるだろう。そんな甘い予測のもと、俺は他のクラスを見に、教室を出た。

 

 

結論から言うとシャルロットはどのクラスにもいなかった。クラスの中を覗くだけでなく、未だ表示されていたクラス名簿のディスプレイにも目を通した。だが、シャルロット・デュノア、あるいはシャルロット・リシャールという生徒はどこにも在籍していなかった。

 

これはどういうことだろう。シャルロットはまだフランスにいるってことか?だがIS学園に入学させるのはデュノア社側も認めたはずだ。向こうとしてもISのデータをより多く取るために学園に入学させるメリットは大きいはずだ。何かが起こっているらしい。早急に森本さんに連絡して状況を確かめないと。

 

そこまで考えたところでチャイムが鳴り、俺は足早に教室へと戻った。

 

教室に戻ると、黒髪のスーツを着た怖そうな先生が前に座っていた。山田先生と何やら笑顔

で話しているが、周囲に発する不機嫌そうなオーラが拭えていない。

あれが1組の担任であり、1年の寮長、更には一夏の姉という中々濃い関わりを持ちそうな肩書きを持つ織斑千冬先生である。ちなみにモンド・グロッソというISを使った競技が行われる世界大会で優勝した経験を持ち、この学園最強の称号をも手にしている凄い人だ。

チラッと織斑先生が俺の方を見た気がした。なんだろう。やはり男子生徒は珍しいのだろうか?

 

織斑先生の軽い自己紹介が終わり(女子生徒からの反応は全く軽くなかったが)、いよいよ授業が始まった。

IS学園入学して1番はじめの授業はやはりISに関することだった。国語や数学もあることにはあるが、この学園には『IS』の座学と実技の時間が週のかなりの時間を占めている。土曜日なんか1日『IS』だ。

 

本当にISへの熱意とやる気がなければすぐに音を上げてしまうことになるだろう。

 

だが、そうは言っても今日は初日。授業内容は半分ガイダンスのようなもので、若干入った教科書の内容もIS開発の歴史という極々初歩的なものだった。

 

「えっと、ここまでで誰か質問はありませんか?」

 

ディスプレイを見ながら授業をしていた山田先生が俺達の方を振り返る。

 

おいおい、先生。こんな基礎の基礎で詰まる奴なんて誰もいやしないぜ。的な雰囲気がクラスを包む。

 

そんな中1人の生徒が、具体的に言えば俺の前に座るもう1人の男子生徒が、恐る恐るといった感じで手を上げた。

おい……お前、まさか……。

 

「はい、織斑くん」

「……わかりません」

「えっと……どこがですか?」

「ほとんど全部……分かりません」

 

クラス内が静寂に包まれる。山田先生もぱちくりと瞬きをした後、オロオロとした様子で「えっと、全部ですか?」なんて言っている。

 

「織斑……入学前の参考書は読んだか?」

 

扉の傍に座って控えていた織斑先生が凛とした声と共に立ち上がった。

 

「えっと、あの分厚い奴ですか?」

「そうだ、必読と書かれた参考書だ」

「……電話帳と間違えて捨てましt──あがっ!?」

 

間髪入れずに名簿でどつかれる一夏。名簿によって起こった風が後ろの俺にまで届く。頭を抑えてうずくまる彼の後頭部にはたんこぶが出来ていた。うわぁ、痛そう。

 

「……後で再発行してやるから1週間以内に覚えろ」

「いっ、1週間であの厚さはちょっと……」

「……やれと言っている」

「……はい」

 

織斑先生にギロリと音のしそうな目で睨まれた一夏は青い顔で頷いた。勉強苦手なんだろうな……。

 

授業が終わり先生2人が教室を出ていく。ぐったりと机につっ伏す一夏。表紙にあれだけ大きく『必読』と書かれた参考書を電話帳と間違えて捨てるのはありえないが、間違いは誰にでもあるし、若干同情の余地はある。

 

「おい、一夏」

「ん?なんだ……秀人?」

「よければ俺が───」

 

「ちょっとよろしくて?」

 

一夏に救いの手を差し伸べようとしたところで声を掛けられた。振り向くと、金髪の美少女が立っていた。くるくると縦に巻かれた金髪。さっそくカスタムされたロングスカート。そして自信に満ち溢れた青い瞳。

 

言わずとしれたイギリスの代表候補生、セシリア・オルコットがそこに立っていた。

 

 



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22話

「んぁ……?」

「まぁ!なんですのそのお返事は!?」

突然割って入ってきた声に間抜けな返事をする一夏に、セシリア・オルコットはわざとらしく驚いた表情を浮かべる。

 

「この私に話しかけられるだけでも光栄だと言うのに!」

「は、はぁ……」

 

ぱちくりと瞬きをする一夏。状況があまり理解出来ていないらしい。

 

俺、こういうタイプ嫌いなんだよなぁ……。

 

そう思いながらも一夏とオルコットの間に割って入る。

 

「えっと、何かな?」

「貴方……紺野さんと言いましたかしら?貴方に用はありませんわ。こちらの織斑一夏さんが余りにも不勉強なようですので一言ご忠告を、と思いまして」

「ちょっとうっかりしてただけだろ?それ以上、一夏の何を知って『不勉強』なんて決めつけてるんだ?」

「秀人……!」

 

後ろで一夏が感動したような声で呟く。やめろ、お前に惚れられたくて言ってるわけじゃない。

 

「あ、貴方……この私が誰だか知った上でお話されてますの……?」

「あぁ……セシリア・オルコットさん。イギリスの代表候補生で、入学試験主席合格した才女だろ?」

「なっ!?お知りでしたらどうしてっ!?」

 

ペラペラと答える俺に、目に見えて狼狽えるオルコット。

 

「だけど残念だったな……筆記試験なら俺がトップだ」

「あ、貴方が……?う、嘘に決まってますわ!私はキチンと先生から……」

「それは筆記と実技を合わせた得点だろ?筆記試験満点だったのか?」

 

出来るだけイラつくような笑顔を心掛け、驚愕の表情を浮かべた彼女を見下ろす。いくら勉強頑張ったって言ってもなぁ。こちとらアラスカ条約締結前からISの勉強始めてるんだよ!

ISにも乗れて、勉強まで俺よりできるなんてたまるかってんだ!!

 

「そ、それでも貴方は実技は駄目でしたのでしょう?私は唯一試験官の方を倒して……」

「ん?俺も倒したぞ?」

 

予定通り、一夏が何でもないことのように口を挟んでくる。

 

「う、嘘……」

「いや、倒したっていうか……何か突っ込んできたから、避けたら壁に突っ込んだまま動かなくなっちゃってさ」

 

一夏が頬をポリポリとかきながら話す。恐らく男に負けてられない、と試験官の先生が気合を入れすぎた結果だと思うが、それでも彼が試験官を『倒した』ことには変わりないのだ。

 

「私だけだと聞きましたが……」

「女子ではってオチじゃないのか?」

 

一夏の返答に完全に言葉を失うオルコット。彼女の中では今、『自分こそNo.1』というアメリカ人的思考が足元から崩れようとしているだろう。イギリス人なのにね。

 

 

「な?分かっただろ?入試主席のセシリア・オルコットさ・ん?」

「っっぅ!?覚えてらっしゃい!いつかこの借りは返してみせますわっ!!」

 

最大限に挑発してやると、彼女は悔しさのあまり目に涙を浮かべながら、教室から出ていった。

 

「ふっ、雑魚が……」

 

捨て台詞をはいて逃げていった彼女の背中に笑みをこぼしていると、のほほんさんが見ていることに気づいた。

 

「の、のほほんさん……これは……えっと」

「こんちゃん今、凄い怖い顔だったよ〜?」

「ははは……そう?」

「こんちゃんって意外と怖いとこもあるんだね〜」

 

のほほんさんは苦笑いのような表情を浮かべながら自分の席へ戻っていった。遠くから俺の様子を伺っているようで、近づこうとするとビクッと肩を震わせる。

 

どうやら完全に怖がられてしまったらしい。ははは……セシリア・オルコット……許すまじ。

 

「ありがとな秀人」

「いや……俺が腹立っただけだから、気にしなくていい」

「お前……いい奴だな」

 

肩を落として席に戻った俺にお礼を言ってくる一夏。のほほんさんの俺に対する好感度と反比例するかのように一夏の中での俺の株が急上昇したようだ。まるで尊敬する先輩を見つめるようなキラキラした目で俺を見てくる一夏。そういえば原作では、コイツホモ疑惑を掛けられるくらい男との距離が近いんだった。……セシリア・オルコット……マジ許すまじ。

 

今日の授業はさっきので終わりだったらしく、俺達はパラパラと寮に向かって移動する。

 

「なぁ、秀人。お前部屋どこなんだ?」

「えっと……1025番だな」

 

先程渡されたルームキーの数字を読み上げる。あれ、この番号どっかで見た気が……。途端に一夏の顔がパァっと明るくなった。

 

「なんだ!俺と一緒の部屋かよ。仲良くやろーぜ」

 

そう言って肩を組んでくる一夏。何度も言うが凄く近い。なんだよ、男と一緒か……。

よくよく考えてみれば当たり前の部屋割りに俺は少し気を落とすのだった。あ、あと原作では一夏と一緒の部屋になる予定だった篠ノ之さん、ごめんなさい。よければ代わってください。

 

「おおっ、中々豪華だな」

 

部屋を開け、中を覗き込んだ一夏が感嘆の声を上げる。

 

「窓際のベッドどっちが使うかジャンケンしようぜ!」

「いや、一夏が使っていい。俺はこっち」

「そ、そうか?悪いな」

 

テンションの違いに少し恥ずかしくなったのか、顔を紅くしてはにかむ一夏を横目に俺はベッドの上に荷物を広げる。荷物検査場の係員さんの話通り、俺のキャリーケースは部屋に届いていた。

 

寮生活に備え、いろいろと詰め込んだ荷物の中からお目当ての物を引っ張り出す。付箋やらメモ書きやらで使い込まれたソレを一夏の方に投げてよこす。

 

「おい、一夏。これ」

「なんだ、これ……あ、必修の参考書か?」

「そう。そこの付箋がついてるページのマーカーがしてある所を優先的に覚えればいい」

「おおっ、マジで!?」

 

一瞬顔を輝かせる一夏だったが、すぐにその表情が曇る。

 

「って8割くらい付箋付いてるんだけど……」

「そうだな。さすが必読、覚えることを出来るだけ絞ってまとめてある」

「あんまり変わらないんじゃないか?」

「よく考えてみろ。覚えることが8割でいいってことは睡眠時間が2割増えるんだぞ?」

「そ、それは凄いな!ありがとな秀人!」

 

途端に喜んで参考書をパラパラとめくる一夏に背を向け、俺はノートパソコンを起動させ、メール送信ソフトを開く。送り先は森本さん、用件は勿論シャルロットの件についてだ。

 

『入学式に出席せず、どのクラスにも在籍していないらしい。どうなっているか調べてほしい』

といった簡単な内容のメールを送ると、5分程で返信が来た。

 

『未だにデュノア本社から出てきていないようです。社長に確認のメールを送りますので、しばらく待ってください』

 

やっぱりシャルロットはまだフランスにいるらしい。何してるんだ……?

 

疑問に思いつつ、俺は先に風呂に入ることにした。

 

「先にシャワー浴びていいか?」

 

シャワールームを覗きながら一夏に尋ねる。洗面所と簡単なシャワー室があるだけの簡単なつくり。トイレは共用らしいが、女子トイレだろ。あと女子には大浴場もあるとか……。これは早々に待遇改善を要求しなければならないようだ。

 

「あぁ、いいぞ。参考書写してるから」

「あ、あとルールを決めよう」

「ルール?」

「あぁ、シャワー室を使うルールだ」

「綺麗に使うとかか?」

 

一夏が不思議そうに首を傾げる。純粋無垢に見える彼だが、原作では男だと思っていたとか何とかでシャルロットがシャワーしているところに入っていったというエピソードがある。

 

俺はれっきとした男なので、『男装していたことがバレる』とかはないが、シャワーくらいゆっくり浴びさせてほしい。

なので鉄のルールを提案することにした。

 

「あぁそれは当たり前だが、『他の奴が使ってる間は洗面所を含めて使ってはいけない』というルールをつくろう」

「それも当たり前じゃないのか……?」

 

キョトンとした表情の一夏。当たり前だよ、ただ残念ながら目の前にいるお前はいささかお人好し過ぎるんだ。

 

「確かに当たり前だ。だが、一夏。例えばの話だが、もしお前が先にシャワーを使ったとする。後で俺が入っている時にふと気づくんだ。『あっ、ボディーソープ切れたんだった』って。その時一夏はどうする?」

「どうするって……ボディーソープの替えを渡しに……」

 

俺は激しく首を振りながら叫ぶ。

 

「はいアウトォォッ!いいか、もしボディーソープ切れ、シャンプー切れ、その他トラブルに気づいても絶対入ってくるなよ?」

「ひ、秀人はそれでいいのか?」

「あぁ、俺の手の平からは石鹸の成分が出てくるんだ」

「嘘つけっ!?すぐわかる嘘つくなよっ!それに、俺が困った時はどうしたらいいんだよ!?」

 

悲痛な叫びを上げる一夏。なぜそんなボディーソープ切れを忘れた前提の話をするんだ。ボディーソープ切れで死にかけたことでもあるのか?

 

「大丈夫だ。意外と手でこすって水で流しただけでも垢は落ちるらしいから」

「全く大丈夫な要素がなかったんだけど……まぁいいや。分かったよ」

 

ようやく納得してくれた一夏に、謎の達成感を覚えながら俺はジャージとバスタオルを片手にシャワーへ向かうのだった。もしこれで覗いてきたら、通報しようという決意を胸にして。

 




はい、セシリア登場回でした。別にセシリアのことが嫌いなわけではありません。そのうち仲良くします。あと、一夏はホモではありません。女の子にそれほど興味がないだけ。


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23話

 

結局その日は連絡が無かった。朝早く目覚め、ノートパソコンのメールリストをチェックしてみる。つい先程森本さんからメールが届いたばかりになっていた。さっそく開封して内容を確かめる。

 

 

『おはようございます。連絡が遅れてしまい、申し訳ありません。つい先程デュノア社から連絡があり、社長とアポを取ることができました。という訳で3日後の4月11日19時からデュノア本社に行ってきます。こちら側からはデュノアさんの身柄の早期引渡しを最優先ということでよろしいですか?

 

P.S.デュノア社側の対応がどうも遅く感じます。意図的に交渉を遅らせているかもしれません』

 

「なるほど……」

 

俺は壁を背もたれにしてベッドに座り込んだまま、ふむ、と考え込む。連絡を取っても即シャルロットを引き渡してこないということは、彼女を離せない何らかの事情があると考えていい。

考えられるのは、シャルロットの専用機開発に何らかのトラブルが起こっている。

あるいはシャルロット自体を手放せないような状況に陥っていることくらいか。

森本さんも言うようにどうもデュノア社はこちらが行動に出ないギリギリのラインを狙って交渉を遅らせているように感じる。それは時間的余裕を得ることで解決できる問題だからなのか、それとも何らかのタイミングを伺っているのかは分からない。だが、余り気分が良くないことは確かだ。

 

『お疲れ様です。デュノア社との面会の件、了解しました。森本さんの言う通り、シャルロットと彼女の母親の身柄引渡しを最優先でお願いします。ごねるようでしたらこちらの持っている情報の開示もチラつかせてください。よろしくお願いします』

 

カタカタと返信のメールを打ち込み、送信ボタンを押す。シャルロットの身柄を引き渡せないのが、デュノア社としてのトラブルなのか社長の個人的な理由なのか分からないが、いつまでも紺野重工が下手に出てると思ったら大間違いだ。

いつまでも契約を守らないのであれば、俺達だって牙を向くことになるだろう。その為にシャルロットと契約してからもずっとフランス支部を現地に残してあるんだ。デュノアのような大企業なら叩けばホコリのように裏話が出てくると言うが、こちら側には既に2年分の『叩いたホコリ』 が溜まっている。

 

ただ……。

 

少し対応が後手に回っている感は否めない。何しろ『シャルロットの母親が死なず、シャルロットが愛人の子でなく、一般公募の中からデュノア社と契約した』という出来事は原作とは大きく逸脱した未来であるからだ。原作に沿っていたのはシャルロットと契約を結びに行った2年前まで。だから状況が変わった現在では、あの頃のように予測のみで動くわけにはいかないのだ。

 

難しい……。

 

「ちっ……」

 

パソコンの画面のスクリーンセーバーには俺の苦々しい顔が写っていた。情報は誰よりも得ることが出来ているはずなのに、大した成果を上げられない自分の無力さにイライラする。

 

気分転換に、久しぶりに筋トレでもするか。最近は紺野重工の研究室に入り浸っていたせいで、体がなまってしまっている。

 

隣のベッドに目をやると、一夏は布団を被ってすやすやと眠っていた。この様子だと起きそうにないな。まぁ、多分夜中まで参考書写してたんだろうし、寝かせといてやろう。

 

一夏を誘うのを諦めた俺は、トレーニングウェアに着替え、こっそりと部屋を抜け出した。

 

 

IS学園の特徴の1つに、その広大な敷地面積が挙げられる。校舎に各学年の寮、IS同士の試合が出来るアリーナが複数に研究施設まであるのだからその広さが分かるだろう。

という訳で、敷地内をランニングしただけでも結構な運動になってしまった。荒い息を付きながら寮へと戻る。俺、こんな体力落ちてたんだ……というレベルだ。

ISコアを反応させられるわけでない俺はPIC───(パッシブ・イナーシャル・キャンセラー)が使えない。これはISの基本機能として設定されている慣性制御による浮遊・加減速を補助する装置である。これが使えないと、戦うことはおろか、飛んだり走ったりということも難しくなってしまう。

 

つまり、俺はそんな基本的な補助装置無しでISを支えなければならないのである。モーターが支えてくれる重量以外の分が俺の身体にのしかかってくることになる。早急に身体を鍛えなおさなければならない。

 

というか、シャルロットが来てくれれば俺がISに乗る必要も無くなるんだけど……。

 

***

 

「おい、トレーニングするなら俺も起こしてくれたら良かっただろ?」

 

部屋に戻り、シャワーを浴びたところで一夏がもぞもぞと起き出してきた。さっぱりした俺を見て、すねたような表情を浮かべる。

 

「熟睡してたから遠慮したんだよ。参考書覚えるのは順調か?」

「まぁ、寝ずに1週間やれば何とか……」

 

いや、さっそく寝てただろ。大丈夫なのか?

 

「とりあえず早く着替えろよ、飯行こうぜ」

「あ、あぁ、ちょっと待ってくれ」

 

一夏の準備が終わるのを待って、食堂を向かう。寮の食堂と行ってもショッピングせんたーにあるようなフードコートくらいの広さがある。寮の各部屋にはキッチンがついているものの、大体の生徒がここで朝食をとるため、食堂は朝から結構な混雑だった。

 

食堂のおばちゃんから食事の載ったお盆を受け取り、空いている席を探す。すると見覚えのあるツインテールの後ろ姿が見えた。のほほんさんだ。仲良くなったらしい女子生徒2人と談笑しながら朝食をとっていた。

 

ここはぜひとも昨日の誤解を解いておきたい。丁度隣空いてるし。俺は一夏を連れてのほほんさんのもとへと移動する。

 

「おはよう、のほほんさん。隣いいかな?」

「こ、こんちゃん?それにおりむーも……おはよう〜」

「おはよう、えっと」

 

声を掛けられた一夏が若干戸惑った様子を見せる。そうか、のほほんさんとは初対面か。

 

「のほほんさんでいいよ〜、みんなそう呼んでるし」

「そ、そうか。よろしく……のほほんさん」

「よろしくね〜」

「お、織斑君と紺野君おはようっ」

「おはよう」

 

のほほんさんと一緒にいた女子生徒との挨拶も終え、俺達は朝食をとり始める。今朝は和食だ。というか朝はずっと和食にするつもりだ。テーブル席に楽しげな雰囲気が流れる中、俺はこっそり隣に座るのほほんさんに声を掛けた。

 

「あ、のほほんさん……昨日のことなんだけど……ごめん」

「昨日〜?なんのこと?」

 

キョトンとした表情ののほほんさん。

 

「えっと……オルコットさんと言い争いになっちゃったとき……俺、変なとこ見せちゃって」

「あぁっ……あれかぁ、えへへ、私こそびっくりしちゃってごめんね〜」

「ついカッとなっちゃって、驚かしてごめん」

「いいよ〜。それにあの後よく考えたら……こんちゃんがそんな酷い人じゃないって思ったしね〜」

 

そう言ってにへらと笑うのほほんさん。丁度朝食も食べ終えたらしく、友達と一緒にお盆を持って立ち上がる。

 

「それじゃあ、また後でね〜」

 

ぶかぶかの袖を振りながら、のほほんさんは去っていった。

 

え、ええ子や……。後に残された俺はのほほんさんの柔らかい性格に1人感動する。

 

「のほほんさんっていい人そうだよな」

「……あれ?お前いつから居たの?」

「ずっと一緒に飯食ってただろ!?」

「そうだっけ?」

 

そういえばそうだった。のほほんさんがいい人過ぎて、一夏 (コイツ)の存在を忘れていた。

 

「早く食おうぜ、授業遅れる」

「お、おう……」

 

不服そうな顔の一夏をよそに俺はご飯をかきこむのだった。

 

***

 

「諸君、おはよう。朝のホームルームを始める」

 

教壇では織斑先生が話をしている。昨日、途中からしか来なかったのは会議があったかららしく、やはりこのクラスの担任は織斑千冬先生で、副担任が山田先生らしい。ちょっと残念な気がしないでもない。

 

さて、今朝のホームルームだが、主な話題は『クラス代表』について。これは来週あるクラス代表戦に出場する生徒を決めるもので、クラス代表はその他にも、委員会に出たりクラスのまとめ役となったりと、まぁ平たく言えば学級委員のような仕事もするらしい。

 

「自薦他薦は問わない。誰かやりたい奴はいないか?」

 

うへぇ……面倒くせぇ。本来なら絶対に任されないよう、目の焦点を黒板から3mほど奥に合わせる高等テクニックを使うところだが、この場に置いてその必要はない。なぜなら誰が推薦されて、誰がそれに異論を唱えるか、俺は知っているからである。

 

「はい!織斑君を推薦します!」

「私もそれがいいと思います」

「えっ?俺!?」

 

1人の女子生徒の発言に続き、パラパラと上がる賛成票に驚く一夏。まぁ驚くのも無理はない。彼女らは織斑が『男』で『織斑千冬の弟』という理由だけで推薦しているのだから。驚くほど浅く、けれどまだお互いのことをそこまで知らないこの時期においては納得しやすい理由である。

 

「他にはいないか?いないなら無投票当選だぞ 」

「ま、待ってください!俺はそんなの……」

 

バン!

 

机を叩いて誰かが立ち上がる音が後ろから聞こえた。教室中の視線が音の発信源に向けられる。振り向かなくても分かる。男にクラス代表を任せるなんて、プライドが許さないような女子生徒。

 

「納得が行きませんわ!そのような選出は認められません!男がクラス代表なんていい恥さらしですわ!」

 

凛とした声が教室に響く。そう。彼女、セシリア・オルコットである。

 

「この私、セシリア・オルコットにそのような屈辱を1年間味わえと!?そもそも……このような文化としても後進的な国に暮らさなければならないだけでも耐え難い苦痛で……」

 

この生徒の殆どが日本人、教職員も日本人というクラスでそれを言っちゃう辺り、度胸はあると思う。

 

「おい、イギリスだって他人のこと言えないだろう?まずい料理世界一で何連覇中だ?」

 

ムッとした表情の一夏が言い返す。いいぞ、もっとやれ。このまま行けば決闘になって、双方とものISの戦闘データが取れるはずだ。

 

「あ、貴方……わたくしの祖国を侮辱しますの……?」

 

わなわなと怒りに震えるオルコット。俺は口を挟まず、ヒートアップしていく2人の会話を見守ることにした。敢えてガソリンを加えないのは、巻き込まれるのを防ぐためである。

 

「〜〜〜っっ!!決闘ですわっ!!」

「あぁ、いいぜ。四の五の言うより分かり易い」

 

やがて我慢の限界が訪れたのか、一夏の方をビシッと指差し、宣言するオルコット。よしよし。今日の授業が終わったところで解析用のカメラを届けてもらうようにしよう。

 

内心で今後の予定を考えていると、ふとオルコットの指先が俺の方を向いている気がした。……いや、後ろの一夏を指さしてるだけだろ。俺はひょいと身体をずらす。

 

だが、彼女の細い指先は俺の方に向けられたままだった。……どういうこと?

「紺野秀人!丁度いい機会ですわ!貴方にも決闘を申し込みます!」

「……へ?」

 

俺だけでなくクラス全体がポカンとした雰囲気に包まれる。今の言い争いに全く俺関係ないよね?なんで俺まで巻き込まれるんだ?

 

「昨日の屈辱を晴らすいい機会ですわ!男なら正々堂々勝負なさいっ!」

「はっ!俺達がそう簡単に負けるかよっ!」

 

オルコットに負けじと言い返す一夏。そして「なっ、戦友(とも)よ!」みたいな目で俺の方を見てくる。

 

……どうしてこうなった。オルコットと一夏、2人分の視線を受けながら、俺は激しい頭痛を覚えるのだった。



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24話

 

「ハンデはどうする」

 

俺を巻き込んだまま、一夏がふと思い出したような声を上げる。

 

「あら、早速お願いかしら?」

「いや……俺がどのくらいハンデつけたらいいのかな……と」

 

途端に周囲から笑い声が上がる。何事かとキョロキョロと辺りを見回す一夏。

 

「あはは、織斑くんそれ本気で言ってるの?」

「男が女より強かったのってずっと前の話だよ?」

 

そんな女子生徒達の発言に、自慢げに胸を張るオルコット。ISという女性専用の兵器があり

、それが世界中の兵器を凌駕している今、『女は男より強い』というのはもはや常識になってしまっている。

 

「今からでも、ハンデをお付けしてよろしくてよ?」

「男が1度言ったことを変えられるかよ!なぁ、秀人!」

 

オルコットの提案に即答し、俺の方を見てくる一夏。もう俺も決闘に参加するのは決定事項なのか……。

 

絶対に嫌だと断ることも出来るが、そうしてしまえばクラスメイトからの心象が悪くなり、後々のISデータの収集の際などに協力して貰える可能性が低くなってしまうだろう。なにより俺が決闘に応じればイギリスの第三世代型ISの戦闘をより長時間見ることが出来る。

 

ここは受けておいた方がいい。ただし……。

 

「いや、俺はハンデを貰う」

「ひ、秀人?」

「あら、昨日あれだけ大きな口を聞いておいて、よくハンデなんて頼めますわね。プライドはありませんの?」

 

オルコットが鼻で笑いながら、心底軽蔑したような表情を向けてくる。だが、ここで挑発に乗るような馬鹿ではない。

 

俺には『ISに勝てる兵器をつくる』という目標があるのだ。既に多くの人をその目標に向けて巻き込んでいる。俺1人のチンケなプライド如き簡単に切り捨てられなければ、男がISに勝てる日なんてやってこないだろう。

 

「専用機持ちで仮にもイギリスの代表候補生が、専用機もない男と普通に戦うつもりなのか?イギリスでは変わった『正々堂々』があるんだな」

「くっ……いいですわ!お好きなようにハンデを決めなさい。どのような条件でもわたくしが貴方に負けるなんてあり得ませんもの」

 

祖国を馬鹿にされたことで一瞬顔を真っ赤にして憤慨したオルコットだったが、すぐに冷静さを取り戻し挑発するような笑みを浮かべる。

 

「そうだな……じゃあはじめの1分間、そっちは攻撃することが出来ない、ってのは?」

「ふんっ、それで勝てるとお思いですの?」

「いや、思っちゃいないさ。だけどこれで多少勝負にはなるだろ?」

 

もし初めから相手の攻撃を許した状態で戦えば、ISを走らせること自体ままならない俺は文字通り瞬殺されてしまうだろう。それではデータが殆ど取れず、俺が敗北するというデメリットしかないことになる。

 

「ふんっ、すぐに終わらせて現実を思い知らせて差し上げますわ。織斑一夏、貴方にもね」

 

そう言って俺たちに力強い視線を向けるオルコット。その碧眼には男に負けるはずがないとう絶対の自信が宿っていた。

 

その後、決闘は訓練用アリーナを借りられる週末に行うことが織斑先生の口から告げられ、中断していたホームルームが再開した。

 

 

授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、オルコットは何やら用事があるようで教室から出ていった。

 

「てっきりお前もハンデなんか貰わないと思ってたよ」

 

前に座る一夏がくるりと俺の方に身体を向け、意外そうに聞いてくる。

 

「あぁ……昨日も話したけど、俺のIS適性はDなんだ。適性Aのオルコットと普通にやりあったらまず勝負にならないだろうからな」

「え、アイツってIS適性Aなのか?」

 

そうか、まだこの時点ではオルコットがIS適性Aだと、俺達は知らないはずだった。

 

「……代表候補生に選ばれるくらいだから、Aじゃないかと思っただけだよ」

「なんだ、そうだったのか」

「一夏はハンデ無しで大丈夫なのか?」

「男が1度言ったことを無しにはできないだろ?」

 

当たり前のことのように話す一夏。だが、女尊男卑が進んだこの世界において、今や一夏のように「男だったら〜するべき」と言う奴はそう多くない。なかなかに旧態依然でレアな考え方だと言ってもいいだろう。それを悪いというつもりは全くないが。

 

「それにISのことは全然分からないけど、教えてもらえる心当たりがあるんだ」

「そうなのか?」

「あぁ、秀人も一緒に教えてもらうか?」

「……いや、いい」

俺は首を横に振った。一夏の視線の先には篠ノ之箒の姿があったからだ。

 

一夏が俺とばかり一緒にいるせいで、既に篠ノ之さんの視線を感じ始めている。そんな状況に加え、ISのトレーニングにまで着いていけば、篠ノ之さんからはビームが出そうなほど強い視線を受けることになるだろう。それにトレーニングと言っても篠ノ之さんは剣道しか教えてくれないことは知っているし。

 

「そうか……?お互い頑張ろうな」

 

少し残念そうな表情の一夏は、案の定席を立ち、篠ノ之さんの方へ歩いていった。そして何やら言葉を交わす2人。篠ノ之さんがチラチラと俺を見ながら「……んだ?……紺野とか……奴は?全く男らしくない」とか言っているのは気にしないようにしよう。なんで大事なとこだけハッキリ聞こえてくるんだ。

 

ふと教室を見回すと、大体の生徒が先ほど決まった決闘について話題にしていた。聞き耳を立てたつもりはないが、聞こえてくる声にはどれも、「代表候補生に挑んだ無謀な織斑一夏」と、「敵にハンデをもらった紺野秀人(オレ)」という要素が含まれていた。

 

まぁ、好きに言えばいいさ。いつかは俺が勝つのだから。

さて、決闘の日は週末日曜日。今日を入れてあと4日だ。俺は専用機を持っていないから、恐らく学校の所有する訓練機『打鉄』を使うことになるだろう。

 

そうなると、1人で装着する為に『打鉄』の装甲装着プログラムを紺野の研究室から借りなければならない。それに開発中の武装も取り寄せた方がいい。記録する為の機材も設置しなければならないし……忙しくなりそうだ。

 

***

 

慌しく準備に追われているうちに、あっという間に決闘の日がやってきた。

 

いつも通りの時間に目を覚ますと、珍しいことに一夏は既に起きていた。丁度着替えるところだったらしい。

 

「お、起きたのか?おはよう」

「……おはよう」

 

爽やかな笑顔の一夏に挨拶を返す。いつもなら朝ギリギリまで寝てるくせに……。

 

「痛そうだな、それ」

「……なにかだ?」

 

首を傾げる一夏に俺は無言で彼の腹部を指さす。Tシャツから覗くうっすらと腹筋の割れた彼の腹部には、青痣がいくつも出来ていた。痛々しい内出血の様子から見て、比較的最近ついたものだろう。

 

「あぁ、これか。箒……あ、篠ノ之箒な。俺の幼馴染みなんだけど、剣道やっててさ。久しぶりに扱いてもらったんだよ」

「……ISの訓練は?」

「……そういえばしてないな」

 

ハッとした表情の一夏。

ISのこと何も知らないまま剣道に熱中してしまった。彼はたった今、そのことに気づいたらしい。

 

はっきり言って馬鹿だ。だけど、その愚直なまでに目の前の課題に取り組めるのは凄いことだと思う。きっと、セシリア・オルコットも一夏(コイツ)の愚直さに惚れたのだろう。

 

まぁ、俺には一夏の真似はできない。俺は俺なりにずる賢く、目標に向かってコツコツとやっていくだけだ。

 

 

 

朝食を終えた俺達は、訓練用の第1アリーナへと向かう。決闘する張本人の俺達の他に、パラパラと生徒がアリーナへの道を歩いていた。代表候補生と男のIS操縦者が戦うという噂を聞いて観戦にきたらしい。

 

心配しなくても、記録用のカメラはあらかじめ仕掛けてある。「決闘するアリーナの下見がしたい」と山田先生に頼んだら快く了承してくれた。好きに下見していいと言われたので、遠慮なく観客席の各所に小型の高性能カメラを仕掛けさせてもらった。

 

そのうちのいくつかは撮影した映像が無線でパソコンに送られるものなので、もし見つかって没収されても安全だな。

 

「ねぇ、こんちゃん……大丈夫?」

 

アリーナへと向かう生徒の中にのほほんさんがいた。何故か俺より緊張しているらしく、いつもの間延びした話し方がどこかに行ってしまっている。

 

「まぁ、やるだけやってみるよ。ハンデももらったしね」

 

わざと『ハンデ』という言葉を使ってみてものほほんさんの様子に変化はない。どうやら男女を問わず実力差に応じてハンデをつけることを当たり前だと思ってくれているらしい。俺は少し嬉しくなる。

 

「が、頑張ってね〜……」

「ありがとう。織斑の方も応援してあげてね」

 

俺の様子に少し安心したのか、若干話し方が元に戻ったのほほんさん。彼女に手を振りながら、俺はアリーナのIS待機フロアへと向かうのだった。




次回、主人公の戦闘シーンです。多分あと2、3回しか主人公は闘わないと思いますので、どうかお付き合いください。


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25話

 

一夏と共にアリーナの中にある待機所へと向かう。本来ならISの点検、動作チェックなどを行う場所である。だが専用機を持っていない俺は昨日のうちに、決闘に使う『打鉄』を待機所に持ってきていた。

 

「一夏」

 

女性の声に顔を向けると、篠ノ之さんが壁際に寄りかかって立っていた。どうやら決闘を控えた幼馴染みが心配で待っていたらしい。

 

「おぉ、箒。どうしたんだ?」

「い、いや……昨日の怪我がどうかと思って……」

 

鈍感な一夏と、素直でない篠ノ之さん。そんな2人のギクシャクとした会話を他所に俺は、上着を脱いでISスーツ1枚の状態で『打鉄』の起動準備を始める。

 

エネルギーが完全に充填されていることを確認し、脚部と背中についたスラスターの噴射テストを行う。ここまでは全てノートパソコンから『打鉄』の各所に接続してあるケーブルを使ってチェックをし、命令を出している。ISコアが使えないと、コアネットワークを通したエネルギー残量の確認も出来ないのでとても不便だ。

 

全ての動作確認を終えた俺はいよいよISに乗り込む。ノートパソコンを手に脚部装甲の上に乗り、腕部を除く装甲を順に装着していく。

 

プシッ、プシッという空気の抜けるような小さな音とともに装甲が身体にフィットしていく。傍らにパソコンを置き、両腕部装甲を手動でつける。腕部を最後にするのは、他の装甲をパソコンを使って装着することが出来るようにするためだ。いくら高性能マニピュレーター搭載で、細かい動作が可能と言っても細かいキーボードを打つのには向いていない。

ようやく全ての装甲を装着し終わり、ホッと一息ついた俺は、一夏と篠ノ之さんが呆れたようにこちらを見ていることに気がついた。

 

「えっと……何?」

「……ISの起動ってそんなに時間がかかるものなのか?」

「いや、俺が特別遅いだけだ。何せ男で適性Dだからな、殆ど使えないのと一緒さ」

 

俺は一夏の質問に答えながら、傍らに置いてある小さなコンテナの中から、銃火器類を取り出す。このコンテナは紺野重工の開発部から昨日届いたものだ。持ち運びを考えて本当はコンテナごと持っていきたいんだが、ISと直接関わりのない物の持ち込みは禁止らしい。

 

なので、銃火器を束にしてまとめると、腕部モーターを最大限回転させ、銃火器の束を両腕で抱えあげる。

 

「……大丈夫か?」

「ん?あぁ、やるだけやってみるさ」

「頑張ってくれ……あ」

 

ふと思い出したように声を上げる一夏。

 

「なんだ?」

「今更だけどさ……秀人が先に戦うってことでいいのか?」

「あぁ、俺の方が早く終わるだろうし……それに一夏のISはまだ届いてないだろ?」

 

一夏にはこのあと、専用機である第三世代型IS『白式』が届くことになっているのだ。何せ世界で唯一ISの動かせる男性なのだから、データを取るために専用機を与えられるのは当たり前とも言える。

 

その点俺は一夏より発見が遅かったとかで、専用機の発注は未だされていない。もしかしたら適性Dの(オレ)に専用機を与えるより、他の優秀な女性に与えた方が良いと判断されたのかもしれない。専用機持ちとしてデータを取られたり、検査を受けるのは面倒臭いので、与えられなくても全く構わないのだが……。

話を戻そう。

 

「そういえば俺のISってどうなってるんだ?」

 

一夏が少し不安げに呟いたところで、天井についたスピーカーからガガッ……とチューニングするような音が聞こえてきた。自然と俺達の意識がスピーカーへ向かう。

 

『織斑、お前には国から専用機が支給されている。そちらに着くまで待機しろ。紺野、お前が先にオルコットと戦え』

 

スピーカーから聞こえてきたのは織斑先生の声だった。言われなくても分かってますよ。現に今、出撃しようとしてるだろ。

 

「一夏、そういうわけだから先に行ってくる」

「お、おう。頑張ってくれ!」

「うん。篠ノ之さんも一夏のことよろしく」

「……分かった」

 

2人に挨拶を終え、俺はアリーナへと通じる通路に向かって歩き出す。と言っても余りに遅いのはかっこ悪いので、スラスターによる加速を借りながら、開始位置まで移動した。

 

 

 

開始位置となるピットは観客席の一部の床がせり出すようにして出来ていた。天井のないアリーナからは空が見える。既にオルコットが待っていた。青くカラーリングされたISに身を包み、俺の方を睨んでくる。

 

「レディーを待たせるなんて、日本の男性は本当に失礼ですのね」

「準備に手間取った、申し訳ない」

「てっきり、臆病風に吹かれてお逃げになったのかと思いましたわ」

「まさか」

 

オルコットの挑発を軽く流しながら、俺は改めて彼女の乗っているISを注視する。

 

イギリスの第三世代型IS『ブルー・ティアーズ』。先進的な巨大レーザーライフルを主武装とし、独立して攻撃を仕掛けられるビットというビーム兵器を4基搭載。まさにSF世界の兵器と言っていい。

また、それを操るセシリア・オルコット自体もIS適正A、BT(ビット)適性Aという恵まれた才能を持つ。

 

正面から戦えば勝ち目はない。いや、どう戦っても勝ち目はないのだ。機体スペック、操縦者の熟練度、その他もろもろがまるで違いすぎる。

そうならば俺のやるべきことは自ずと決まってくる。新武装の試験的運用と、データ収集に徹するだけだ。

 

『この試合のハンデマッチルールとして、セシリア・オルコットは開始1分間相手に攻撃を加えてはいけないものとする』

 

またもや織斑先生の声がアリーナに響き、設置された巨大モニターにデジタル時計らしきものが設置された。01:00と表示されている。あれがゼロになるまでオルコットは俺に攻撃を加えられないということだろう。

 

『両者準備はいいか』

 

PICによって俺に声の届く位置で浮遊を続けていたオルコットが、スラスターを使ってピットまで戻る。俺も両腕に抱えていた銃火器を足元に下ろし、両手にマシンガンを構える。

 

 

『それでは用意……はじめっ!!』

 

アナウンスが言い終わるや否や、マシンガンをオルコットに向けて放つ。ダダダダという大音量と共に、反動がIS越しに伝わってくる。

 

「どこを狙ってますの?」

 

全く意に介さずといった感じでスラスターをふかしマシンガンの射線から逃れるオルコット。大丈夫、想定内だ。

 

俺はマニピュレーターを引鉄を引いたままロック。続いて腕部を引き上げ、飛び回る彼女に合わせ、銃口の向きを変えた。弾丸の描く直線が彼女の動きに合わせ、変化していく。

 

「そのような攻撃が当たるとお思いですか!?」

 

まるで蝶のようにアリーナ内を縦横無尽に飛び回りながら、叫ぶオルコット。当たると思ってないし、反応する時間が勿体無いので無視。

 

あらかじめ距離を測っておいた2本の柱の前を順に通過する彼女。1秒かかっていない……つまり軽く200km/hは出てる計算になる。

 

両手からほぼ同時にカチッと弾の切れた音が聞こえた。気がつくと足元には大量の薬莢が転がり、銃口からは煙が上がっている。弾切れだ。

 

俺はマニピュレーターを解除して、サブマシンガンを足元に投げ捨てる。続いて持ち上げたのは、RPGなどに代表される対戦車ロケット砲……それを対IS向きに改良したものだ。それと左手には次のマシンガンを構える。

 

発射口をオルコットの方に向け、砲身を肩に担ぐ。PICが機能していないので、砲身の重量がダイレクトに肩にくる。重いけど我慢。砲身の中程についたスコープを覗き込み、オルコットまでの距離を測る。

 

左手のマニピュレーターを再起動させ、再びマシンガンの弾丸が描く直線がオルコットに向かって伸びる。

 

「同じことを続けるだけなら、猿でもできましてよ!」

 

馬鹿にしたように叫ぶオルコット。先ほどとは違い、今回は明確な目的を持った射撃だが、それを教えてやるつもりはない。俺はスコープを覗き込んだまま、小声で呟く。

 

「近接信管用意」

『近接信管換装中……発射準備完了』

 

耳元で聞こえる機械音声。その合図と共に俺は引鉄を引く。

 

バシュゥッッ!!

 

砲身の中に描かれた螺旋に沿って、凄い速さで砲弾が発射される。マシンガンの銃弾をそのまま大きくしたような直線的な攻撃。

 

だが、同じように避けようとしたオルコットの10mほど手前で突如砲弾が爆散する。

 

「きゃあっ!?ど、どうしてっ!?」

 

砲弾の破片によってシールドエネルギーが削られたらしい。オルコットが一瞬狼狽え、大袈裟なまでの回避行動を取る。

 

……よし。俺は心の中でガッツポーズを取った。今の攻撃が有効だと分かっただけでも大収穫だ。何しろ紺野重工製の砲弾が使われているからな。

 

 

信管とは砲弾に取り付ける起爆装置のことだ。信管には大きく分けて時間設定により爆発する『時限信管』と電波照射によって敵の近くで爆発する『近接信管』がある。

 

本来であれば、砲弾に信管を取り付けるのは発射前にするはずなのだが、俺の使った対ISロケット砲には大きな特長があった。それは砲身に装填した砲弾を電気信号によって『時限信管』か『近接信管』に換装できるのだ。これにより、装填までの時間の節約とより効果の高い信管の選択が可能となる。

俺は発射を終え、モクモクと煙をあげるロケット砲を地面に置き、もう一つある同じ対ISロケット砲を手に取った。冷却期間や装填スピードを考えると、砲身ごと替えたほうが効率がいいのだ。

 

左手のマシンガンでオルコットの飛行ルートを牽制しながら、右手のロケット砲で狙いを定める。

 

バシュゥッッ!!

 

「くっ!うっとうしいですわっ!」

 

先ほどと同じく近接信管に設定していた砲弾は、回避しようとした彼女のやや遠くで爆発する。直撃こそ与えられないものの、爆風と破片によってシールドは少しずつ削られていく。現に会場のモニターには2割ほど削られたオルコットのシールドエネルギー残量が表示されていた。

 

よし、もう1発。

 

そう思い、次のロケット砲を掴もうとしたところで、突如ブザーが鳴った。

 

もしかしてもう1分経ったのか!?

 

慌てて、顔を上げようとした瞬間、後方から衝撃が走った。振り向く間もなく、四方から鋭い衝撃が訪れ、ようやく攻撃されていると分かった。

 

周囲に目をやると、青いビットがぐるぐると高速で俺の周りを飛び回っていた。4基のビットから不規則に発射されるレーザー光線が正確に『打鉄』の装甲に命中していく。

 

モニターには見る見るうちに減っていく俺のシールドエネルギーが表示されていた。

 

なんとか反撃しないと……!

 

衝撃に翻弄されながらも、何とかロケット砲を持ち上げ、オルコットの方に向ける。

 

だが、勝負は既に決していたらしい。ロケット砲を向けた先にいたオルコットは、巨大なライフルを構え、俺に照準を合わせていた。ブルー・ティアーズに搭載された主力兵装、スターライトMk-IIIの銃口が真っ直ぐ俺に向けられている。

 

「これで終わりですわ……っ!」

 

ニヤリと笑みを浮かべ、引鉄を引くオルコット。高速で発射されたレーザーは次の瞬間には『打鉄』のシールドにとどめを刺していた。

 

シールドエネルギーを使い果たし、絶対防御を発動させた『打鉄』がレーザーの衝撃を受けてゆっくりと後ろに倒れる。

 

ドスン……。

 

ピットの固い感触を背中に感じながら、俺は初めて負けたことを実感するのだった。

 

 

 



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26話

 

 

セシリア・オルコットとの決闘に負けた俺は、ピットに戻ってISの解除作業をしていた。

 

シールドエネルギーが0になり戦闘続行不能になった俺は、ピットまでISを動かすことも出来ない。そのため仰向けに倒れたまま整備科の先生にレッカーしてもらったのだが、非常に恥ずかしかった。それに観客席から注がれるクラスメイト達からの冷ややかな視線も堪えた。

 

 

「はぁ……」

 

何とかノートパソコンでISを解除し終え、自分の足でピットの床を踏みしめた俺は、思わずため息をついた。

 

ISを動かすのはやはり疲れる。自分よりずっと大きなパワードスーツを思い通りに動かさなければならないし、それと並行して兵装で相手を狙ってダメージを与えるという動作も行わなければならない。

 

俺は歩行と攻撃を同時に行うことも出来なかったのに、オルコットは飛行と4基のビットを使った攻撃も行っていた。IS基本機能のPICや兵装の補助システムを使えるのもあるだろうが、やはり努力と経験による差が大きいだろう。改めてセシリア・オルコットが並の努力をしてきていないと思い知らされた結果になってしまった。彼女の実力は認めなければならない。まぁ、嫌いなのは変わりないけど。

 

 

アリーナの方からは大きな歓声が聞こえてくる。多分、俺と入れ違いに出ていった一夏と、彼の操る第三世代型IS『白式』が健闘しているのだろう。この決闘で一夏は初めてISを操縦しているとは思えないほどの粘りを見せ、オルコットをギリギリまで追い詰めるのだ。そして辛くも勝利を収めた彼女から、クラス代表の座と手のひら返しの好意を受けることになる。

 

アリーナから一際大きな歓声が聞こえてくる。おそらく決着がついたのだろう。俺は惜しくも負けて帰ってくるだろう友人を迎える為、ノートパソコンを閉じて、立ち上がった。

 

今日は負けてしまった。だが、いつか勝つその日まで俺は諦めないし、勝つための努力を惜しまない。

努力することをやめれば、『ISを操れる』という才能だけで全てが決まるこの世界を認めてしまう気がするからだ。

 

 

***

 

 

「くっそぉ……あと少しだったんだけどな……」

 

時刻は昼過ぎ。アリーナから寮に戻った俺達は、部屋で身体を休めていた。

 

隣でベッドに寝転がった一夏が何度目になるか分からない台詞をぼやく。

 

「初めてでそれだけ出来たなら十分だろ」

 

俺のこの台詞ももう何度言ったか忘れてしまった。

 

「秀人も初めてだったんだろ?撃ちまくってたの、モニターで観てたよ」

「俺は思い通りにISを動かせないから、ああするしかなかったんだよ」

「それでもシールドは削ってただろ?それに、あれだけ撃ちまくれるのもカッコいいよな……」

 

羨ましそうな声を上げる一夏。はじめはボロ負けした俺を慰めてくれてるのかと思ったが、あることを思い出した。

 

「……あぁ、そうか。『白式』には近接兵装しかついてないのか」

「そうなんだよ……どう戦えっていうんだ……」

 

不満げな表情を浮かべ、枕に顔を埋める一夏。

 

そう、彼の乗る第三世代型IS『白式』には、『雪片弐型(ゆきひらにがた)』という近接戦闘用の刀剣しか装備されていないのだ。

それは本来、数種類の兵装を量子化し収納できる拡張領域の殆どが、『零落白夜』という『白式』だけが発動できる単一仕様能力の為に使われているからである。

 

その『零落白夜』も相手のシールドを破り、直接斬撃が通るという近接戦闘に特化したものであるから、尚更始末に負えない。

 

遠距離攻撃、先制射撃による敵の無力化が最も重視されるこの現代に置いて、刀一本で戦うのは少々時代錯誤が過ぎるのではないだろうか。一対一の模擬戦ならともかく、実戦であれば斬撃の攻撃範囲へ接近するまでに確実に撃ち落とされるだろう。

 

もしかしたら『白式』の開発者は戦国時代から来たのかもしれない。

 

そう思えるほど、近接戦闘しか出来ない『白式』の性能には首を傾げるばかりだ。紺野重工の装備開発が進んだ暁には、『白式』にも射撃兵装を装備してやろう。

 

「悩んでても仕方ない、そろそろ昼食いにいこうぜ」

 

『白式』の活用法に悩む目の前の彼の姿に声を掛けながら、心の中で約束してやるのだった。

 

全寮制であるIS学園の食堂は休日ながらも結構な混雑を見せていた。学食を受け取る列にはちらほらとクラスメイトの姿も見え、俺達が列に加わると声を掛けてきた。

 

「2人ともお疲れー、織斑くんは惜しかったね!私、びっくりしちゃった!」

「ほんと、男の人なのに凄いね!」

「やっぱりISの訓練沢山したの?今度私にも教えてくれないかな?」

やはりというか何というか、ろくに移動もせずに敗北した俺より、男でありながらも代表候補生に善戦した一夏に興味の対象はいくようだった。

 

「えっと……」

 

矢継ぎ早に話しかけられた一夏が困惑したような視線を俺に向けてくる。助けてやりたいのは山々だが、俺にはどうすることもできない。

 

「先、座ってるからな」

「え、ちょ、待ってくれよ!」

 

女子に囲まれる一夏を横目に俺は座れる席を探す。できれば俺と一夏の分の2席分確保したいところだが、結構な混み具合だしな……。

 

そう思い、キョロキョロしていると丁度空きのあるテーブルを見つけた。幸い4人がけのテーブルに1人で座って昼食をとっているらしい。

 

相席を頼もうとした俺の動きが止まる。なぜならテーブルに座っていた生徒の後ろ姿はとても見覚えのある金髪だったからだ。

 

セシリア・オルコット(コイツ)……1人で食べてたのかよ……。

 

俺はお盆を持ったまま考える。他の席が空くのを待つか。できればオルコットと一緒のテーブルを囲みたくない。負けて気まずいから、というのもあるが、何より俺は彼女のことが好きではない。

 

だが、食堂はこの混み具合だ。他に空いてる席を探すとなるとそれも一苦労だし、何より早く食べ終えてアリーナの観客席に仕掛けたカメラ類を回収したい。

 

声を掛けようか迷っていると、

 

「あら……」

 

オルコットの方が俺に気付き、見るからに不快そうな表情を浮かべてきた。

 

「何かご用ですの?」

「いや……一夏と席を探してるんだけど空いてる所が無くて」

「……そうですか」

 

オルコットはしばらく悩んだような様子を見せたあと、食べ終えた自分のトレイをテーブルの端に寄せた。そしてティーカップを持ったまま、フンと顔を背けてしまう。

 

場所を空けてくれるとは……正直意外だ。

 

俺は彼女の斜め前の席に昼食の載ったトレイを置き、席につく。

 

「……ありがとう」

「……貴方の為ではありませんわ。一夏さんが温かい食事を召し上がれないのは可哀想だと思っただけです」

「そうですか……」

 

俺にそっけない返事をしながら、彼女はチラチラと周囲に目をやっていた。

 

「あぁ……一夏か?向こうで女子に囲まれてるよ」

「っ……そ、そうですか」

若干残念そうな表情のオルコット。俺と話す間も視線は一夏を取り囲む人混みに向けられている。

 

もしかしてもう惚れたのか……?まだ決闘から2時間も経ってないぞ?チョロインとか言われてるにしても早過ぎる気がするんだが。

 

「そわそわしなくてももうすぐ来るから」

「べ、別に待ってる理由ではありませんわ!ただ、先ほどの試合での健闘を讃えて差し上げようと……」

「そうか」

 

たどたどしい言い訳に付き合うのは面倒なので、適当に返事をし、俺は昼食に手をつける。

 

そんな俺の様子に拍子抜けしたのか、オルコットは自らを落ち着かせるように少し紅茶を含んだ後、再び嘲るような笑みと共に口を開いた。

 

「それに比べて……貴方は期待はずれも良いところですわ。2人目の男性操縦者と聞いていましたけど、あれで本当に『操縦』していますの?」

「まぁ、自分でも酷かったと思ってるよ」

 

言い返さない俺にたじろぐオルコット。先日言い負かされたことが相当堪えているらしい。

 

「っ……そ、それに攻撃も旧式の実弾に頼ってばかりで、美しくありませんわ」

「そっちだってBT兵器にレーザーライフル、エネルギー兵器に拘りすぎだろ。いくら最新鋭つってもさ」

「そ、それは……」

 

言いよどむオルコット。彼女の乗るIS『ブルー・ティアーズ』の主力兵装は言わずもがなレーザー、ビームを使った所謂エネルギー兵器である。

前の世界では、莫大なエネルギーロスや威力等の問題からSF兵器の域を出なかったが、この世界ではISの出現により、一気に実現化の目処がたっている。

イギリスとしても最新式のISにレーザー兵器を搭載し、それをIS学園で運用することで効率よくデータを取りたいのだろう。

そして、それはオルコットにも伝えられているに違いない。だから目の前の彼女は、兵装の話をされ、ここまでわかり易く動揺しているのだ。

 

「オルコットさんも大変だな……」

「な、何ですの急に!?」

「ふと思っただけだ。家のためか国のためか知らないけど……イギリスの代表候補生になって、知り合いもいない日本にまで来て、それで1人で昼ご飯食べてるんだもんな」

「最後のは余計ですわ!?低俗な文化圏にお住まいの方と食べるより、ひ、1人で食べる方が気楽なだけです!」

 

途中まで黙って聞いていたオルコットだったが、最後のフレーズを慌てて否定する。

 

「ふーん……」

 

顔を赤くして、必死に否定するオルコットを見て、俺は彼女のことが嫌いな理由が分かった気がした。

 

オルコット(コイツ)、俺に似てるんだ。プライドが高くて、カッコつけで、人に頼るのが苦手。俺の中の嫌いな部分が写し取られたようにそのまま彼女の中にもある。ようは同属嫌悪というやつだろう。

 

ようやく理由が分かりすっきりした俺は、なおも顔を赤くして如何に自分が1人が好きかを力説する彼女の方に向き直った。

 

「ま、折角こうやって一緒の学校に通ってるんだしさ、仲良くしてよ」

「……あ、貴方とは余り仲良くしたくありませんわ……」

「安心して。俺もオルコットさんのこと大嫌いだから」

「なっ!?貴方っ!?」

「……それでもさ、時々ご飯でも一緒に食おうよ。一夏も呼ぶから」

 

彼女のことは嫌いだが心底悪い奴という訳ではないことは知っている。 人一倍の努力家だが、人一倍不器用。そんな彼女、セシリア・オルコットは俺の提案にしばらく沈黙したあと、

 

「そ、それなら……仕方ありませんわね……」

 

小さく頷くのだった。

 

ちなみに一夏はそれから30分ほどして、食堂の中に少し空席が目立ち始めた頃にようやく解放された。あれ……これなら別にオルコットに相席頼まなくても良かったんじゃ……。まぁ少しは良いこともあったから、良しとしよう。



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27話

その晩、俺は寮のベッドの上でノートパソコンと向き合っていた。

パソコン画面には、午前中に行われた模擬戦の映像が流れている。回収したカメラ映像の取り込みがつい先程終わったのだ。

 

定点カメラの前をすごい速さで通過する『ブルー・ティアーズ』。俺と戦ったときと一夏と戦ったときをそれぞれ比べてみると、後者の方が速度も早く、運動にキレがあるのが判った。俺のときは100パーセントの力を出していなかったということか。随分舐められていたらしい。

 

「いつか本気で戦わせてやる……俺以外の誰かとだけどな」

 

俺は画面に映るセシリアに向け、ボソッと呟いた。できれば俺自身はもうあまりISに乗りたくない。モーター機動によるIS操縦がいかに難しく、鈍重なものであるか、今日の模擬戦で充分思い知らされたからだ。これからは開発者としてできるだけ裏方にいたい。

 

「ん?何してるんだ?」

 

丁度一夏がシャワー室から出てきた。肩に掛けたタオルで頭を拭きながら、ノートパソコンの画面を覗こうと近寄ってくる。

 

まだ今の段階で模擬戦の隠し撮りがバレるわけにはいかない。一夏だけならまだいいが、コイツなら織斑先生や他の代表候補生にポロッと漏らしてしまうかもしれないからだ。そうなれば、俺の行動を悉く深読みされ、いらぬ誤解や敵意まで持たれてしまうかもしれない。

 

というわけで誤魔化そう。俺はすぐに再生している動画を模擬戦の映像から切り替えた。

 

 

「何って、普通にエロ動画観てるけど?」

「なっ!?うぉっ!?」

「一夏も一緒に観るか?」

「観ねーよ!……ってかそんなこと堂々とするなよ!?」

 

チラッとノートパソコンを覗き込み、あられもない姿の男女がアンナコトやコンナコトをしているのを確認した一夏が、顔を赤くしながら慌てて俺と距離をとる。なんだこの男子高校生にあるまじきうぶな反応は。

 

「見たことないのか?」

「い、いや、弾……中学の友達なんだけど、そいつの家で見せられたことはある」

「へぇ」

「で、でも正直、そのときはあんまり何やってるかよく判らなかったんだ。弾が拾ってきた奴で画質も悪かったし」

 

なるほど、完全に興味がないというわけではなさそうだ。だが、それを理性がガッチリ押さえつけていると。両親のいない一夏を姉として、教育してきた織斑先生の影響だろうか?

 

「そうか、俺のは4時間くらいの大作で高画質だから安心して観ていいぞ」

「長すぎるだろ!?観ねーよっ!」

 

一夏はそう言うと勝手に部屋の電気を消してベッドに入ってしまった。ベッドとベッドの間の仕切りを引っ張りだし、完全に姿が見えなくなった向こう側から声が聞こえてきた。

 

「音とか聞こえないようにしろよっ」

「あぁ……あと夜中、シャワーとかでゴソゴソするかもしれないけど放っておいてくれ」

「今日に関してはお前より早くシャワー浴びれて良かったよ……」

 

ホッとしたような呆れ返ったような一夏の声が最後に聞こえ、後は静かになった。どうやらあっという間に寝てしまったらしい。なんだかんだ言って、今日の模擬戦が応えたんだろう。

 

さてと。

 

俺は改めてパソコン画面に向き直る。画面右下には10:22と表示されている。大体7時間ほど時差のあるフランスは今3時過ぎ。ということはデュノア社側と面会のある頃にはこっちは夜中か……。

 

それまでに寝ておきたいのはやまやまだが、今日中にセシリアとの模擬戦の映像もある程度分析しておきたい。

 

「今日は完徹(オール)だな……」

 

最悪なことに明日は月曜日。寝ずに授業にでなければならない可能性もある。俺はため息をつきながら、改めて模擬戦の映像ファイルを開くのだった。

 

 

***

 

午前3時過ぎ。生徒はおろか寮監の先生も流石に眠っているであろう時間帯。シンと静まり帰った部屋には、一夏の微かな寝息と俺がキーボードを打つ音だけが聞こえていた。

 

「ふぁあ……眠ぃ……」

 

目を擦りながら呟く。まぶたの重くなった目にウィンドウの灯りは眩しすぎる。

 

傍らにある目薬を落としていると、ピコンという小さな通知音がパソコンに繋いだイヤホンから聞こえてきた。視線を画面に戻すと、新着メールが1件入っている。差出人は森本さん。まだフランスは夜の8時過ぎ。もうデュノア社との面談が終わったんだろうか。少々不思議に思いながらメールを開く。

 

『こんばんは。つい先ほどデュノア社長との面会が終わったのでご報告させていただきます。まずシャルロット・デュノアさんの件についてですが、どうやらデュノア社の開発した専用機の調整が難航しているそうです。その為テストパイロットとしてシャルロットさんも付きっきりになっているとのこと』

 

なんだそれ。俺は思わず声が出そうになった。

 

確かシャルロットがデュノア社から受け取る専用機は第二世代型IS『ラファール・リヴァイヴ カスタムⅡ』。その名の通り、デュノア社の主力量産機である『ラファール・リヴァイヴ』を改装したものだ。新しい機体を開発するならともかく、既存のISの調整がそこまで難航するだろうか?

どうもシャルロットの身柄引き渡しを引き伸ばす為の口実に思えてならない。

 

森本さんには是非そこの所を追及してもらいたい。俺は期待を込め、続きの文面を追った。

 

『それに関してですが、契約期間の延滞に伴い、紺野重工が負う損害に応じた賠償金をデュノア社が支払うことで合意しました。

また、シャルロットさんの専用機の調整も遅くとも5月上旬までに完了もしくは放棄し、身柄を完全に紺野側に引き渡す旨の覚書も交わしました。

 

それともうひとつ。デュノア社側から正式に紺野重工とIS分野で技術提携をしたいと打診がありました。秀人さんが男性操縦者としてIS学園に入学したことが背景にあるそうです。フランス支部では判断できない案件なので、その件に関しては保留ということにしました。

 

報告は以上2点です。できるだけ早く連絡を頂けると幸いです』

 

メールを読み終えた俺は、ベッドサイドに置いたスマートフォンを手に取り、森本さんに電話を掛けた。

 

「こちら森本です。……秀人さんですか?」

 

数回のコールの後、森本さんの驚いたような声が聞こえてくる。無理もない、向こうもこちらが夜中の3時過ぎということは知っているのだ。

 

「こんばんは、お疲れ様です。できるだけ早く連絡を、ということだったので電話しました」

「早すぎます。他の部屋の方に聞こえたりしないのですか?」

 

そう言われ、俺は一夏の方に目をやる。相変わらず寝息しか聞こえてこないが、深夜に電話していたことを知られない方がいい。

 

「同室の男子がいるので、こちらからはテキストメッセージに切り替えます」

「怪しまれることは避けてくださいね……了解しました」

 

俺は森本さんに断りをいれ、スマートフォンとノートパソコンを無線で繋ぎ、テキストメッセージソフトを起動させた。これでキーボードで打った文面を森本さんに送信できるようになる。

 

『見えますか?』

「大丈夫です」

 

スマートフォンに繋いだイヤホンからは森本さんの返事が聞こえてくる。これで準備は万端だ。

 

『それでは……まず、シャルロットのIS学園入学のことですが』

「はい、メールでお伝えした通り、専用機の調整の難航が主な理由だそうです。シャルロットさんも毎日のように機体チェックに駆り出されているとのことです」

『なるほど、賠償金のことですが森本さんの方から提案されたんですか?』

「いえ、社長の方から提案がありました。それどころか、結構な金額でシャルロットさんとの契約を買い上げ、紺野重工には代わりのテストパイロットを寄越すという話まで出ました」

『それは……断ってもらえましたよね?』

「勿論、充分な信頼関係を築くまでに時間がかかるという理由で、代替パイロット案は断りました。だから安心していいですよ」

どこかからかうような森本さんの声が聞こえる。俺が個人的な理由でもシャルロットと会いたがっていると思われているらしい。……まぁ外れてないけど。

 

「ゴホン……シャルロットさんの身柄は遅くとも5月には引き渡し、それまでの日数に応じて契約延滞金の支払いということで合意しました」

『……ありがとうございます。それと技術提携の件ですが』

「……デュノア社長の口から突然提携の話が出ました。男性操縦者を抱えることになった紺野重工に対して、IS開発の基本的な技術支援を行ってもいいと」

『随分急ですね』

「どうやらデュノア社の第三世代型ISの開発が上手くいっていないことが原因らしいですね。フランス政府から国家指定企業の解除通告もありえるとのことです」

『それはデュノア社側から聞いた話ですか?』

「いえ、紺野の情報部が調べたものですが」

森本さんの話を聞いて、俺はふむ、とモニターの前で考え込んだ。

どの企業にも言えることだが、新製品の開発には結構な額の費用が投じられる。 ISのような先端科学工業ならそれこそ国が傾くような費用が投入されることもあるのだ。それが上手くいっていないとなると、当然トップの責任になる。

つまり今回の件は、第三世代型ISの開発が難航し、経営不振によるリコールを恐れたデュノア社長の策だと考えられる。男性操縦者である俺(ニセモノだが)を擁する紺野重工とパイプを結ぶことで社長としての実績を作りたいと。

 

確かに紺野重工業にはまだまだISの開発に必要なノウハウは不足しているのは事実であるし、デュノア社という世界的企業と提携することはそれだけで大きなメリットとなる。

 

だが……。

 

『技術提携の件ですが、断ってください』

「いいのですか?」

『紺野は既存の企業とは違う形でIS開発に(たずさ)わります。こちら側の技術を漏らしたくありません。それに』

「それに?」

『デュノア社には提携するほどの信用がありません。少なくとも現社長体制では』

 

電話口から笑い声が漏れる。森本さんが笑っているのだ。それもそうだろう。まだ高校に入ったばかりの俺が、世界的企業を信用できないと断言したのだから。

 

「ははは、自分もそう感じます。今の社長はどうも誠実さに欠けているようです。きっと今回の提携の提案も社長の独断によるものでしょう」

『現社長を解任することは可能ですか?』

「まだ無理ですね。今、情報部で必死になってデュノア社幹部の懐柔とスキャンダル集めを進めています」

『分かりました。そのまま継続して情報収集に当たってください』

「はい、また何かあれば連絡します」

 

俺は通話の終了ボタンを押す。イヤホンからは何も聞こえなくなり、再び夜の静寂が耳に入ってきた。

 

デュノア社長のリコールについては今日昨日思いついたものではない。シャルロットを勧誘しにいった6年前から計画ははじまっている。というか、フランスに情報部を常駐させ続ける1番の理由もデュノア社長をリコールし、新しいデュノア社と契約を結ぶためだ。実の娘を会社の存続の為に犠牲にするような奴と、紺野重工業は肩を並べて歩くわけにはいかないのだ。

 

何はともあれとりあえずシャルロットの問題の区切りはつきそうだ。

 

時計に目をやると、4時半。もうすぐ外が白み始める時間だ。

 

「やっと寝られる……」

 

ノートパソコンを片付けた俺はゴソゴソとベッドに潜り込む。問題がやっと一区切りつきそうな安心感からか、瞼はすぐに落ちてしまった。




2016/07/19 曜日を修正しました。日曜日が2日続くことになりそうだったので。


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28話

短めです。


 

空腹感に目が覚めると、眩しいほどの光が目に入ってきた。枕元のスマートフォンを見るといつもより大分遅い時刻が表示されていた。

 

「起きたのか?」

 

足元の方から聞こえる声に寝起きの顔を向ける。制服姿の一夏は、机に向かい何やら勉強していたようだ。

 

「爆睡してた……もう飯食ったか?」

「まだ。もうすぐ起こそうと思ってたんだよ」

 

ポリポリと頭をかくと久しぶりに寝癖がついていた。変な姿勢で寝てたのか。というか変な姿勢でも寝続けられるほど疲れてたのか。

 

「ちょっと待ってくれ……今用意するから」

「……大分疲れてるみたいだな」

 

ヨロヨロと立ち上がり、顔を洗いに行く俺を見て一夏が呟く。

 

「まぁ、昨日寝るの遅かったからな」

「本当に4時間観てたのかよ……」

 

一夏の心配そうな表情が一転、呆れ顔に変わる。そういえばエロ動画観てたことになってるんだった。こっちはそんな暇もなく夜中まで作業してたんだよ!自分でついた嘘がこんなにも精神を削ってくることになるとは……。

 

身支度を済ませた俺は、一夏とともに食堂へと向かった。普段より大分遅い時間帯のためか食堂には空席が目立っていた。

 

カウンターで朝食を受け取り、席を探すと見知った顔があった。大きなテーブルの隅に独りで座り、不機嫌そうな顔で紅茶の入ったティーカップを傾ける彼女。そう、セシリア・オルコットである。

 

「おう、おはよう」

「全然お早くありませんわ。授業に間に合いますの?」

 

俺の持つボードに載った手付かずの朝食を見て、セシリアが呆れた声を上げる。

 

「ちょっと寝坊しちゃってさ」

 

返事をしながら何も言わずにセシリアの斜め前に腰を下ろす。だが彼女は何も言ってくることはなかった。それにこの間は少人数掛けのテーブルに座ってたのに、今日は大勢で座れるようなテーブルの端に座っているのも少し不自然だった。。

「もしかして待っててくれたのか?」

「ななななにを仰るのですか!?そんなはずありませんわっ!!」

 

顔を真っ赤にして否定するセシリア。いや、そんな必死にならなくてもいいんじゃない?

 

「悪い秀人。目の前で味噌汁にハエがダイブしてさぁ」

 

そこへ、アホなことを言いながら一夏がやってきた。俺の前に座るセシリアに気付き、あからさまにゲッというような表情を浮かべる。

 

「お、おはようございます!……い、一夏さん」

 

モジモジと両手をすり合わせながら一夏に尻すぼみの挨拶をする彼女。一夏のせいでその仕草がハエのように見えた気がしたのは内緒だ。

 

「お、おはよう……」

 

昨日とは打って変わったような彼女の態度に驚いたのか、ぎこちなく挨拶を返し、俺の隣の席に着こうとする一夏。だが、それを俺は手で制する。

「おい待て、どうして俺の隣に座ろうとしてるんだ?普通は正面に座るだろ?」

「え?でも秀人の正面って……」

 

そう言いながら視線を動かし、セシリアを見る一夏。俺の目の前に座ろうと思えば必然的に

彼女の横に座ることになるのだ。

 

「こ、紺野さんっ!?」

 

セシリアも俺の意図に気づいたのか、慌てて俺の顔を見てくる。どうせもうすぐセカンド幼馴染みやら、ドイツからの転校生やらで一夏の周りが女子で溢れかえることになるんだ。ならせめて今のうちに甘い汁を吸わせてやろう。

 

「嫌なのか?」

「い、いえ!そういうわけではありませんが……」

「一夏は?」

「オルコットさんが良ければ、俺も別に構わないけど……」

「なら決まりだな」

 

一夏から半ば強引に朝食の載ったボードを受け取り、目の前に置く。気まずそうにセシリアの隣に腰掛けた一夏だったが、おとなしく朝食をとりはじめた。

 

「き、昨日はお疲れ様です……お強かったですわ」

「ありがとう。けどオルコットさんの方が強かっただろ」

「オルコットさんだなんて……せ、セシリアと呼んで頂いて結構ですわ」

「え、でも……」

「分かったーセシリアー」

「あ、貴方に言ってませんわ!?私は一夏さんに……!」

 

はじめはぎこちなく話していた2人だったが、徐々に打ち解け朝食を終える頃には普通に話せるようになっていた。

 

「そういえばこの間はごめん。つい言い過ぎた」

「わ、わたくしの方こそ……よく日本のことも知らずに勝手なことを言ってしまって……ごめんなさい。紺野さんにも……」

 

そう言って俺の方を向くセシリア。申し訳なさからか若干俯き具合になり、憂いを帯びた表情になる。くるくると縦ロールのかかった金髪の髪の奥で儚げに揺れる青い瞳。そんな今まで見た事がない彼女の表情は、お淑やかさが出ているせいかとても綺麗だった。

「え?俺とも何か揉めてたっけ?」

 

そんな彼女の表情にやりにくさを感じた俺はキョトンとした表情を作り、セシリアに向ける。

 

「わ、忘れましたの!?一夏さんの仰ったことより大分心に刺さりましたのに!」

「そうだっけ?」

「謝罪を取り消します!やっぱり紺野さんとは仲良くしたくありませんわ!」

頬を膨らませながらそっぽを向いたセシリア。だが、その表情はどこか微笑んでいるようにも見えた。

 

 

***

 

 

一夏にクラス代表の座を譲るという話はセシリアの口から唐突に朝のホームルームで告げられた。いや、原作を知ってる俺からすればいきなりでもなんでもなかったんだけど。

 

「クラス代表は織斑ということで本当にいいんだな?」

 

織斑先生が念を押すようにセシリアに尋ねる。ついこの間まで、高すぎるプライドと女尊男卑思考を持っていたセシリアの心がわりに、何かあるのではないかと疑っているのだろう。 クラスの女子達も驚いた表情で、彼女の方を見ているし、前に座る一夏なんて固まったまま動かない。

 

「はい、代表候補生としてわたくしも少し大人げなかったですし……男性にも悪い方ばかりでないことは理解しましたので」

 

優雅に、それこそ中世の貴族のような仕草でセシリアはお辞儀をすると席についた。

 

「……と、というわけで……クラス代表は織斑君に決定しましたー。皆さん拍手ー」

 

静まり返った教室を何とかしようと、教壇に立っていた山田先生がパチパチと両手を叩く。それに倣うかのように徐々に拍手が増え、最後には教室にいる全員が一夏に向けて称賛の拍手を送っていた。

 

模擬戦には負けこそしたものの、男性ながら代表候補生相手にあそこまで食い下がった一夏を内心では皆評価していたのだろう。

「一夏、頑張れよ」

「お、おう」

 

拍手に恐縮した様子の一夏に小声で声を掛けると、何とも頼りなさげな声が一夏から返ってくるのだった。

 

さて、クラス代表トーナメントまであと2週間。それまでに中国からの代表候補生が転校してきたり、トーナメントに向けた特訓が始まったりと一夏の周りはドタバタと揉めるはず。

その中で俺はやれるだけのことをやるだけだ。目指せ、最小被害最大利益。




約束とか健気に守って待ち続ける女の子って可愛いですよね。セシリアをヒロインに昇格すべきかどうか迷っています。シャルロット一筋にしないとお叱りをいただく気もするので。
次回鈴ちゃん出します。


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29話

更新がめちゃくちゃ遅くなってしまいました。申し訳ありません。


 

「では、これよりISの基本的な飛行操縦動作の実践をしてもらう」

 

アリーナの中に織斑先生の凛とした声が響く。いつも着ているスーツから白いジャージに着替えたせいもあり、改めて織斑先生が世界的アスリートであったことが思い出される。

 

そんな先生の前にはISスーツに身を包んだ生徒達が綺麗に整列していた。皆、初めてのIS操縦を前にして、真剣さの中に少しの不安が混じったような表情を浮かべている。

俺?俺は紺野重工の研究所で何回も乗ったことがあるし、ついこの間模擬戦もしたばかりなのでISに乗ること自体への緊張感はない。

 

ただ、他の生徒に比べて操縦が格段に下手くそなことは分かりきっているので、それに対する鬱々とした気持ちはあるが。

 

「織斑、オルコット、試しに飛んでみろ」

「えっ、俺?」

 

突然の指名に、驚いて顔を上げる一夏。ちなみになぜ俯いていたかと言うと、周りの女子達が皆、ボディーラインの浮き出るようなピッチリしたISスーツを着ているせいだ。確かに目のやり場に困る。視線を前に向けているだけで変態扱いされかねない。

 

「わかりました」

 

先にセシリアが返答をして、隊列から少し離れる。そして、軽く目をつぶり意識を集中させると、耳に着けられた青いイヤリングが光を発する。

そのイヤリングこそ、セシリアの持つ専用機、ブルーティアーズの待機形態である。兵装を量子化して拡張領域に収納できるのと同じように、IS本体も量子化し、待機形態から呼び出すことができるのだ。

 

つまりパイロットの身体一つあればどこでも瞬時に強力な兵器の展開が可能になる。その運用の軽快さがISが世界各国の主力兵器として採用される理由の一つだと思う。

 

話を戻そう。待機形態(イヤリング)が光を放ったと思うと、セシリアの身体の各所にISの装甲が展開、装着されていく。

ものの5秒と掛からずに、ブルーティアーズを展開させたセシリアがそこに立っていた。

 

「おぉ……」というため息ににた歓声が生徒達から起こる。確かに当たり前のようにISを展開させるセシリアの動きは洗練されていて、無駄が無かった。太陽の光を反射し、蒼く輝くブルーティアーズに身を包んだ彼女からは美しささえ感じられた。

 

「織斑も早く展開しろ」

「えっと……」

「どうした、熟練した操縦者なら展開まで1秒と掛からないぞ」

 

まごつく一夏に織斑先生の檄が飛ぶ。一夏はチラっとセシリアの方に視線を向けたあと、右手につけた篭手(ガントレット)に意識を集中させた。

 

そして

 

「来い!白式っ!!」

 

勢い付いた一夏の声に反応した待機形態(ガントレット)が光を放つ。そして、セシリアよりやや遅く、一夏の身体に白式が展開された。

 

「出来た……」

ホッとしたような表情で腕部装甲を見つめる一夏。

 

「よし……飛べっ!」

「はいっ!」

 

織斑先生の声と共に、ブルーティアーズが空へと舞い上がる。

 

「よし……うわっ!うぉっ!?」

 

それに続こうと一夏も飛び上がるが、PICに全く慣れていないようで、見てるこっちがヒヤヒヤするような飛び方で、上昇していった。

みるみるうちに上昇していく2機を見て、歓声が上がる。ジェット噴射やプロペラエンジンもなく飛行するISは微かに青い粒子を後方に放ちながら、アリーナの上空を飛び回っていた。

 

 

「よしオルコット、急降下と完全停止をやって見せろ」

 

やがて、織斑先生がヘッドセットを通して指示を出す。上空の2人の声はもはや全く聞こえないが、了解したようだ。

 

先にブルーティアーズが垂直に近い形で、下降を初めた。自由落下に加え、スラスターによって更に加速させているのか、みるみるうちにその姿が大きくなる。

地面から3mほどの高さで旋回し、脚部スラスターを軽く噴かせたブルーティアーズは難なく地面へと着陸した。

途端に大きくなる歓声と共に、織斑先生も小さく頷く。

一夏もそれに続こうとしたのか、白式を降下させ初めた。みるみるうちに加速し、地面に近づいてくる白式。ブルーティアーズを上回ろうかという速度に生徒達からは息を飲む声が聞こえる。

 

期待が集まる中、降下してきた白式から一夏の表情が見えた。

 

その表情は引き攣り、地面を目前にした絶望に染まっていた。

 

ドォォォォォン!!

そのまま全く減速することなく、地面へ衝突する一夏と白式。大きな音とともに周囲に土埃が立ち込める。

 

「一夏っ!」

「一夏さんっ!?」

 

悲鳴が起こり、ブルーティアーズの装甲を解除したセシリアと篠ノ之さんが一夏の方へと走り出す。

 

土埃の収まったアリーナの中央にはクレーターが出来ていた。その大きさが全く減速されたなかったエネルギーの大きさを物語っている。その中央には目を回した一夏が倒れていた。幸い、怪我はないようだ。白式のシールドが一夏を守ってくれたらしい。

 

「隕石みたいだったねー……」

 

のほほんさんが小さく呟くのが聞こえる。凄く的を射た感想だと思った。

隕石が地面に衝突することを着陸と呼ばないように、一夏の操縦も『操縦』と呼ぶにはまだまだ早かったらしい。

 

「はぁ……」

 

篠ノ之さんとオルコットさんに介抱される一夏を見てか、織斑先生が額に手を当て大きくため息をついた。

 

 

***

 

昼休み。普通の高校であれば土曜日は休みなのだが、ここIS学園では半日ISの実習訓練がある。だから食堂は平日と何ら変わりない賑わいを見せていた。

 

「っく、痛ってぇ……」

 

昼食の載ったお盆を受け取った一夏が痛みに顔を引き攣らせる。先程の衝突のダメージがまだまだ残っているらしい。

 

「一夏……大丈夫か?」

「一夏さん、よければテーブルまでお持ちいたしょうか?」

 

一夏の前に並んでいたセシリアと篠ノ之さんが揃って心配そうな顔で振り向く。2人とも一夏が医務室から帰ってきて以来、ずっとこんな感じだ。

 

「ちょっと痛むだけだから、ありがとな」

一夏はハハハと乾いた笑い声と共にそう言うと、俺の方に振り返った。

 

「どこで食う?」

「そうだな……セシリアと篠ノ之さんも一緒に食べるだろ?どっか広いとこがいいよな……」

 

一夏にそう返して、周囲を見渡すとこちらに向かって手を振っている女子の姿が見えた。あのダボっとした制服の袖は……のほほんさんだ。

 

「こんちゃーん、おりむー、こっち座れるよー」

「ありがとう……って、え……?」

 

のほほんさんの声に移動してみるが、空いている席が見当たらない。キョトンとしてしまった俺にのほほんさんが慌てて袖をぶんぶんと振った。

 

「空いてるって意味じゃなくてー、私達がもう行くから座れるよーってこと」

「あぁ、なるほど」

 

のほほんさんはいつも通り、仲のいいクラスメートと一緒に昼食を摂っていたらしい。テーブルの上に目を向けると、空になった器が並んでいた。

 

「これからねー、2組の模擬戦を見に行くんだよー」

「へー、2組も決闘するんだ」

チラリと一夏とセシリアの方に目を向けると、2人とも気まずそうに視線を逸らす。

 

「そう、何でも2組のクラス代表に決まってた子に、転校してきた子が喧嘩売ったんだって」

「転校生?この時期にか?」

 

のほほんさんの友達の説明に、一夏が口を開く。

確かに入学してまだ1ヶ月も経っていないこの時期に転校してくるというのは、相当な違和感があるのは仕方がないだろう。

 

「まぁ、色々事情がある人が集まってくる学校だからな」

「それもそうか……どんな奴だろうな」

首をひねりながらも納得したらしい一夏。近いうちに闘うことになるだろう転校生の姿を想像しているらしい。

 

「まぁ……気が強い子だろうな」

 

2組の転校生と聞いて大体の想像がついた俺は、ぼんやりと一夏に答えながら席についた。

 

 

「それで、これから一夏はどうするんだ?」

「どうするって?」

「練習だよ、ISの。クラス代表戦まであと2週間もないだろ?」

「練習か……そうだなぁ……」

 

モグモグと口を動かしながら考える一夏。セシリアと篠ノ之さんの動きが一瞬ピタッと止まる。

 

「……また箒と一緒に練習かな」

「なっ!?わ、私かっ!?」

 

一夏の突然の指名に狼狽える篠ノ之さん。持っていたお椀をこぼしそうになっている。

 

「あぁ、駄目か?」

「い、いや……一夏がどうしても、と言うなら別に……鍛えてやらないこともない」

「なら───」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

つっけんどんな口調ながらも嬉しそうに少し口角の上がった篠ノ之さんとは対照的に、セシリアが慌てて口を開く。

 

「一夏さんっ!ISの訓練ならこの私とするべきですわ!イギリスの代表候補生で専用機持ちの私なら実戦的な訓練が出来ますわ!」

「なっ!?い、一夏の使う武器は刀だ!接近戦なら私の方が教えられる!」

「ふ、2人とも落ち着けって……」

 

ヒートアップする2人を、一夏が慌てて宥めようとする。だが、一夏を巡る争いを一夏本人が止めようとするのは、火に油を注ぐような物だった。

 

「一夏!お前が決めろ!」

「そうですわ!私と篠ノ之さん!どちらと一緒に訓練されますの!?」

「いや……えっと……」

 

一夏が助けを求めるように俺の方を見てくるが、俺は視線を合わすことなく味噌汁を啜る。俺が一緒に訓練してやることもできないし、何より痴話喧嘩に巻き込まれたくない。

 

「一夏!」

「一夏さん!」

「えっと……」

 

2人から眼光鋭く睨みつけられた一夏は、ライオンを前にした小鹿のように弱々しく見えた。

 

結局、クラス代表戦の日まで1日交代で一夏を指導することに決まったらしい。セシリアも篠ノ之さんもお互いを意識し過ぎて、超ハードな特訓になるのは間違いないだろう。

 

一夏……なんとか生き延びるんだぞ。

 



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30話

 

月曜日。目覚ましの電子音で目を覚ました俺は、ベッドの上で大きく伸びをした。カーテンの隙間からはつい先ほど昇り始めたのだろう陽の光が部屋に差し込んでいた。いい朝だ。久しぶりに走りに行こうか。

そう思い、ジャージに着替えていると隣に寝ている一夏がもぞもぞと布団の中で身じろぎした。

掛け布団の隙間から覗く頬には絆創膏が貼られ、部屋の中にはうっすらと湿布の匂いが漂っていた。

 

これはまた扱かれたんだろうな……。

 

俺は痛々しい姿の一夏に心の中で合掌すると、静かに部屋を出た。

 

30分ほど学園内を走り部屋に戻ると、一夏はまだ布団の中で眠っていた。幸い今日はまだ時間に余裕がある。まだ寝かせといてやろう。

 

シャワーを浴び、制服に着替えた俺がシャワー室から出ると、一夏はベッドの上で体を起こし、寝ぼけた顔で壁を見つめていた。

 

「なんだ、起きてたのか?」

「もう……朝か……?」

「そうだ、月曜の朝。気持ちいい朝だぞ」

「そうか……」

 

そう呟く一夏の目はどこか虚ろで、疲れてきっているようだった。昨日1日ゆっくりして、体力が完全に回復した俺とは対照的だ。

 

「大丈夫か?」

「……なんとか生きてる」

「昨日も1日特訓してたみたいだな」

「あぁ、午前中は箒と剣道して……午後はセシリアとISの訓練……死ぬかと思った」

「……何というか、お疲れ」

 

悲壮感漂う一夏に、俺はそう声を掛けるしかなかった。

 

そんな一夏だったが、顔を洗い、朝食を終える頃にはある程度目が覚めたらしくいつもの調子に戻っていった。

 

朝食を終えた俺達は、教室へと向かう。

 

「そういえば今日はセシリア居なかったな」

「あぁ、そういえばそうだな……」

「もしかして、昨日何かあったのか?」

 

尋ねられた一夏は、ふむと顎に手を当て黙り込んだ。昨日の様子を思い出しているようだ。

 

「いや、特に……あ、でも特訓終わりに、説明が細すぎて分かりにくいことは伝えたな」

「へー、セシリアは何て?」

「『合理的かつ科学的な説明が分からないなんて、一夏さんの理解力不足ですわ!』って叫んでた」

「そうか……」

 

大方寮に帰ったあと、一夏に嫌われたんじゃないかと不安になったんだろう。それを気にしすぎて今朝は一緒に朝食を摂ることもしなかったと。

 

だがセシリア、幸か不幸か分からないが、織斑一夏という男は君が考えているよりずっと鈍感だ。気にしすぎても良いことはないだろう。

 

 

教室に入ると、1番にのほほんさんが声を掛けてきた。

 

「おりむー、こんちゃん、昨日の模擬戦見た?」

「いや、見てないけど」

「そんなに凄かったのか?」

「凄かったよー、あっという間に試合が終わっちゃって。転校してきた方が勝ったんだけどねー中国の代表候補生なんだってー」

 

特撮ヒーローを見た小さな子どものようなキラキラした目で昨日の模擬戦の様子を話すのほほんさん。周りを見ても多くの生徒が、昨日の模擬戦について興奮気味に話しているようだった。

 

「へー、一夏も見ておけば良かったな」

「あぁ、どんな奴なんだろう」

「ツインテールでー、私と同じくらいの背の子だったよー」

一夏の呟きに、自分の頭の上に手の平を当てながら答えるのほほんさん。大体150cmくらいか……。

 

「……それってもしかして……」

 

何か思い出したのか、口を開こうとする一夏。

だがその時、ざわざわと廊下の方が騒がしくなった。クラス中の視線が扉の方へと向かう。

 

ウィーンと自動扉が開いたそこには1人の女子生徒が腰に手を当てて立っていた。

 

「一夏!いるんでしょ!2組のクラス代表が挨拶に来てあげたわよ!」

 

小さな背丈とは裏腹に、気の強そうな表情の彼女は、ツインテールにした髪をひらひらと揺らしながらお目当ての人物の姿を探す。

 

「やっぱり……お前、(りん)か?」

 

突然名前を呼ばれ、一瞬驚いた様子の一夏だったが、やはり彼女に見覚えがあったらしい。

 

「そうよ!中国の代表候補生、凰・鈴音(ファン・リンイン)!久しぶりね一夏!」

「久しぶりだなぁっ!帰ってきてたのか?」

 

一夏が覚えていたことが嬉しかったのか、凰さんはニッコリと笑顔を浮かべる。突然のクラス代表の訪問に驚いた周囲がざわざわと騒がしくなっているが、全く気にしていないようだ。

 

「お、おりむー、知り合いなの……?」

「え?あぁ、まぁな。小学校の時の幼馴染みなんだ」

 

クラス全員の気持ちを代弁するように口を開いたのほほんさんに一夏が何でもないことのように答える。

いや、今の返事で2名ほどが物凄く不機嫌な顔になってるのだが、一夏はそれに気づかない。

 

「一夏、あんたもクラス代表になったんでしょ?良かったらこのあと一緒にうぎっ!?」

 

最後まで言い切る前に、彼女の頭にクラス名簿が振り下ろされる。

 

「チャイムはもう鳴ったぞ。早く教室に戻れ」

「ち、千冬さん……」

 

名簿を構えたままじろりと睨む織斑先生に、頭を押さえ、涙目の凰さん。横で一夏が小さく「うへぇ」と呟くのが聞こえた。どうやらあれは食らった人にしか分からない痛みらしい。

 

「織斑先生と呼べ。ほら、早く他の諸君も席につけ。ホームルームを始めるぞ」

「い、一夏っ、また来るからっ!」

 

越えられない壁が織斑先生との間にあるらしく、凰さんは最後にそう言って自分の教室へと走っていった。

 

* * *

 

4時間目の授業の終わりと昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴る。教科担当の先生が出ていった教室では、ガヤガヤとした話し声と、弁当を広げたり、食堂へと席を立つ物音が大きくなる。

 

「秀人ー、食堂行こうぜ」

「い、一夏!ちょっと待て!」

「少しお聞きしたいことがありますわ!」

呼び止められた一夏が振り向くと、セシリアと篠ノ之さんが立っている。

 

「凰さんとはどのようなご関係ですの!?随分仲がよろしいご様子でしたけど!」

「お、幼馴染みと聞こえたが、お前の幼馴染みは私だろっ!?」

「とりあえず落ち着けって、2人とも……」

 

相当な剣幕で詰め寄る2人をまぁまぁと宥める一夏。

「とりあえず食堂行かないか?もしかしたら凰さんも居るかもしれないし」

「そ、そうだな!秀人達にも紹介出来るしな!」

 

一夏は俺の出した助け舟に凄い速さで飛び乗ってきた。そして納得のいっていなさそうな2人に背を向け、そそくさと教室から出ていこうとする。

 

「むぅ……まだお話は終わってませんわ」

「はぐらかしたな……一夏」

「きっと後で話してくれるって」

 

不機嫌そうな2人。他の女子と仲良くしてるだけでこれだけ嫉妬されるのか。俺は一夏の人気っぷりに呆れる反面、少し気の毒に思いながら彼の後を追いかけた。

 

食堂はいつも通り混んでいた。俺達は一足先についただろう一夏の姿を探す。

 

「おーい、秀人。こっちだ」

 

向こうから一夏が手を振りながら歩いてきた。隣には件の凰さんもいる。手に丼の載ったお盆を持っているところを見ると、食事中に一夏に呼ばれたのだろうか。

 

「ちょ、ちょっと一夏?一緒に食べるんじゃないの?」

「えっ?一緒に食べるだろ?秀人達も紹介するからさ」

「はぁ……」

「どうした?」

「何でもないわよっこのバカッ!」

 

一瞬にしてテンションが下がったらしい凰さん。案の定一夏との間に行き違いが生まれていたらしい。なんでこんな鈍感野郎に女の子が寄ってくるのか不思議だ。

 

「じゃあ俺達も昼飯持ってくるから。ちょっと待っててくれるか?」

「……分かったわよ。早くしてよね!このバカ一夏っ!」

 

罵声を浴びせられながら凰さんの元から離れる一夏。

 

「お待たせ、並ぼうぜ」

「……あの方も苦労されてますのね」

「あぁ、こいつのせいでな」

「ど、どうしたんだよ」

凰さんと一夏のやり取りを見て、ある程度2人の関係性が分かったらしいセシリアと篠ノ之さん。凰さんには同情の篭った目を、一夏には絶対零度の視線を向けていた。

 

 

「じゃあ改めて紹介するな。俺の小学校の頃の幼馴染み、鈴だ。転校して中国に行ってたんだけど、IS学園に入学するのを機にこっちに戻ってきたらしい」

 

テーブルに全員がつくのを待ち、一夏が隣に座る凰さんを紹介してくれた。

 

「凰鈴音よ。よろしく」

 

彼女は短くそう言うと、特にそれ以上何もすることなく視線を逸らす。どうやら俺達にそれほど興味がないらしい。そんな凰さんに一夏は俺やセシリア、篠ノ之さんのことを紹介していった。

 

「凰さん、でいいかしら。代表候補生同士仲良くしてくださいな」

「あー、うん。よろしく」

「なっ……」

 

礼儀正しくお辞儀をするセシリア。だが、凰さんは興味無さそうに目を合わすことなく返事をする。

 

「それより……あなたも一夏の幼馴染みなの?」

「そ、そうだ。私が4年生で転校するまで一緒に剣道をやっていた」

「ふーん。ま、どうでもいいけど」

「どうでもいい、だと……?」

 

またしても無愛想かつ無遠慮な言い方に、篠ノ之さんもイラッときたらしい。眉間にシワをよせ、嫌悪感を露わにしている。

 

「ねぇ、そんなことより一夏。アンタもクラス代表になったんでしょ?良かったら一緒に練習しない?」

「え?でももう箒とセシリアが……」

 

戸惑った様子の一夏を後押しするように、セシリアと篠ノ之さんが大きく頷く。

 

「あぁ、残念だが……一夏は私と一緒に鍛えることになっている!」

「わ、私もですわ!それに、闘う相手の2組の方と一緒に練習なんて出来るはずありませんわ!」

「え?関係ないでしょ?クラス代表同士が一緒に練習しちゃいけないなんて決まりもないし。ねぇ、一夏。私の専用機も見せてあげよっか」

 

2人の反論などまるで意に介さずといった態度の凰さん。2人にとる態度とは対照的な人懐っこい笑顔を一夏に向ける。

 

「ま、まぁ1回くらいなら……いいかな」

「やった!じゃあ今日の放課後、待ってるからね!」

 

凰さんは嬉しそうにそう言うと、いつの間にか空になった器を持って立ち上がった。

 

「じゃ、また後でね一夏っ!」

 

そう言ってさっさと食堂から出ていく凰さん。途端にテーブルに残ったセシリアと篠ノ之さんからどす黒いオーラが放出される。

「い、いい一夏さんっ!何ですのあの方はっ!無礼にも程がありますわっ!?」

「一夏!お前は何を考えてあんな奴と仲良くしてるんだっ!?」

「い、いや……前はあんな奴じゃ無かったんだけどな……」

 

顔を真っ赤にして怒る2人を宥めながら、一夏も不思議そうに首を傾げる。

 

「紺野さんもどうされたんですの!?いつもは1つ棘を刺されたら猛毒を返すくらいの方ですのに!」

 

怒りが収まらないのか、セシリアの矛先が今度は俺を向いた。ひどい言い様だ。間違ってはないが。

 

「俺、そもそも話しかけられなかったし……それに見てたら何か可哀想でさ」

「可哀想?鈴がか?」

「どこを見ればそう見えますの?眠ってらしたのですか?」

「いや起きてたから。セシリアが凰さんに相手にされてないところもちゃんと見てたよ」

「ぐっ……」

 

八つ当たりのように衝突してくるセシリアにお望み通りの毒を吐き、俺は一夏の方に向き直った。

 

「多分だけど……凰さん、中国で仲いい人あんまり出来なかったんじゃないか?」

「鈴がか?アイツ、全然大人しいタイプじゃないぞ?」

「いや、性格の問題じゃなくてさ。多分、中国で代表候補生になる為に、色んな物を犠牲にしてきたんじゃないかな?何か見ててそんな気がしたよ」

 

セシリアが何かに気づいたようにハッとした表情を浮かべる。国家こそ違えど同じ代表候補生として、凰さんの苦労が想像できたらしい。

 

「鈴のヤツ……そうだったのかな」

 

一夏がポツリと呟く。

 

自分が傷つかない為に、人1倍刺々しい棘を周囲に張り巡らせ、人を傷つける。まるでハリネズミのようだ。それが凰鈴音という女の子から受けた印象だ。

 

「全部俺の勝手な想像だけどさ。もしかしたら本当に性格最悪なだけかもしれないし。だけどさ、一夏。多分お前にしか凰さんは頼れないだろうから、あんまり冷たくしない方がいいぞ」

「そ、そうだな……気ぃつける。ありがとな」

「いや、それにしても俺、凰さんと全く話せなかったわ」

「……一夏さん以外の方に興味がない様子でしたからね」

「一夏しか見えていないようだったな」

一旦はシーンと静かになったテーブルも、食事を終える頃にはいつもの和やかな雰囲気が戻っていた。

 

 

「そろそろ教室戻るか、一夏」

「あ、わるい。ちょっとトイレ行ってくるわ。先に戻っといてくれ」

 

そう言ってトイレへと向かった一夏を置いて、俺達は教室へと戻る。途中、篠ノ之さんも剣道部の部室に用事があるらしく、俺とセシリアの2人になった。

 

「……紺野さんって意外と他の方のこと見ていらっしゃるのですね」

 

隣を歩くセシリアが、ボソッと独り言のように口を開く。

「そうか?」

「えぇ、初めてあった凰さんのこともあそこまで想像出来るなんて……優しいんですのね」

「初対面の人には基本優しいよ、俺」

「私に酷いことを仰られたのは確か初対面の時だった気がするのですが……」

「そうだっけ?そもそも酷いことなんて言ったっけ?」

「……貴方の性格こそ1番厄介な気がしますわ……」

ため息をつきながら呆れたように言うセシリアに、俺はハハハと満面の笑みを浮かべ、笑い返してやった。

 

 




お読み下さり、ありがとうございます!シャルロット再登場までの目処が立ちました。多分40話くらいまでには出します。


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31話

寮の窓からは、綺麗な月が見える。

隣のベッドで寝息を立てる一夏は疲れきっているのか、全く目を覚ます気配はない。

 

セシリア、篠ノ之さんに加え、凰さんも練習相手に加わったせいでトレーニングの内容が熾烈さを増しているのだ。クラス代表戦まで1週間ちょっと。特訓もいいが一夏自身のコンディションも同室の友人としては心配なところである。

 

枕元に表示されるデジタル時計に目をやった。時刻は夜中の1時過ぎ。おそらく寮の中で起きているのは俺だけだろう。

 

何故こんな時間に、俺はパソコンの画面を睨んでいるのか。

 

それは紺野重工傘下のとある会社からの連絡を待っているからである。

 

予定ではそろそろ連絡が入るはずなのだが……。

 

特にすることもないので、スクリーンセーバーをぼんやりと眺めているとチカチカと受信を示すライトが点滅した。メールが届いたらしい。

カーソルを動かし、メールボックスを開くとそこには確かに『久保エレクトニクス』という送り主からのメールが届いていた。

 

『午前1時20分、予定通り作業を完了。例の機器の設置を完了しましたので、撤収します』

 

どうやら上手くいったらしい。計画が順調に進んでいる安心感からか、自然と口角が上がる。

暗い室内に浮かぶ、パソコン画面の灯りに照らされた俺のにやけ顔……ちょっとしたホラーだな。

そう思った俺は慌てて口元をゴシゴシと擦りながら、お礼のメールを打つのだった。

 

 

***

 

 

さて、日にちが進んで4月の最終週。今週末にクラス代表戦が控えるのを前に、一夏はさらに厳しいトレーニングに明け暮れているようだ。

 

「駄目だ……もう俺は駄目かもしれない」

「もう少しの我慢だろ、頑張れ」

 

今日の分の特訓を終え、シャワーを浴び終えた一夏が力尽きたようにベッドに倒れ込む。

 

「聞いてくれよ、今日の相手はセシリアだったんだけどさ……あいつ、ただひたすら自分の攻撃を避けろって……そんなの、いつか当たるに決まってるだろ!?」

「大変だな、それで上達してる感じはあるのか?」

「多少はな……そりゃあれだけやって上手くならないのはおかしいだろ?」

 

そう言って笑う一夏。心の中で、俺はきっとどれだけやってもISは上達しないんだろうな、と思いながら俺も笑い返した。

 

「そろそろ食堂行くか?」

「そうだな……腹も減ったし、行くか」

 

そう言って一夏が立ち上がったその時。

 

バツンという音と共に部屋の灯りが消えた。それだけでなく、壁のデジタル時計も、ディスプレイも電源が落ち、画面が真っ暗になる。

 

「……またか」

 

外からの夕日だけが室内を照らす中、一夏が呆れたように呟く。耳をすますと、他の部屋からも悲鳴が聞こえてきていた。

 

どうやらまた停電したらしい。

 

この停電は、ここ3日ほどの間に3、4回繰り返されていた。寮長でもある織斑先生からは電気設備の不具合だと説明されている。

 

幸い、完全に日が落ちてからは停電していないので、生徒達の不満も爆発するまでには至っていないが、不便なことには変わりない。パソコンで課題を仕上げていたのに、停電でデータが全て消えてしまったクラスメイトもいた。可哀想だったので、俺のを見せてあげたが。

 

「……あ、ついた」

 

やがて再び灯った電灯を見て、一夏がホッとしたように言った。

 

「困ったもんだよな、これだけ綺麗な寮なのに」

「そうだな。そのうち点検が入るだろ」

 

そんなことを言いながら、食堂へ向かう。

 

 

「全く、日本のインフラ設備はどうなってますの!?」

 

セシリアが夕食を口に運びながら、苛立ちを露わにしている。ちなみに、パソコンで課題をしていて、データ喪失の悲運に見舞われたのは彼女である。

 

「確かにこう何度も停電すると不便だ。おちおちシャワーも浴びていられない……」

 

篠ノ之さんも、憂鬱そうに呟く。剣道部に所属し、毎日人1倍の汗をかいているであろう彼女にとっては死活問題らしい。

 

「何でもこの間電気設備の点検があったばかりらしいですわね。全くどこを点検されたのかしら」

「停電って言うより、あれだよな。家のブレーカーが落ちる感じっぽい」

 

一夏がふと思い出したように口を開く。確かに、あの全ての電源が突然落ちる感じは、一夏の言っているのに近かった。

 

「もしかしたら俺達が電気使い過ぎなのかもな。なぁ、セシリア」

「なっ、どうして私ですの!?」

 

突然振られたセシリアが驚いて目を見開く。

 

「その縦ロールを維持するためにドライヤー使いまくってそうだから」

「そこまで使っておりませんわ!!それにドライヤー如きで停電するのなら、それは設備に不備があるのです!!」

 

むきになって叫ぶセシリア。

 

「まぁ、落ち着けってセシリア。俺ももしかしたら電気使い過ぎてるのかもしれないし、ちょっとずつ節約しようぜ」

「い、一夏さんがそうおっしゃるなら」

 

一夏に言われた途端、しおらしくなるセシリア。

 

「よし、停電が収まるまで縦ロール封印な」

「紺野さんに言われると余計に嫌ですわ!絶対に譲りませんから!」

 

一夏にとる態度とは対照的に、俺の言うことは断固拒否するセシリア。なんだこの差は……これが『日頃の行い』って奴なのか……?

 

「お前達は馬鹿か……」

 

どう見ても設備面に問題があるだろ……とでも言いたげな呆れ顔で、篠ノ之さんが静かにお茶を啜った。

 

 

***

 

 

「ふ、ふっ、せ、セシリア……お前いい奴だな……」

 

次の日の朝、いつものように食堂へと着いた俺は思わず噴き出してしまった。原因はセシリアだ。彼女の縦ロールの掛かり方が明らかに緩い。どうやら俺の言うことを間に受けて本当に電気を使わないように気をつけたらしい。

 

「ふ、ふんっ、お好きなように仰ればいいですわ!現に私の努力で停電は……」

 

少しキューティクルに欠けた髪を手で払いつつ、セシリアが胸を張る。

 

だが、無常にも、彼女が言い終わる前にバツンと食堂の灯りが落ちた。

 

「えぇ、また!?」

「いい加減にしてよもう!!」

 

薄暗くなった朝の食堂のあちこちから非難の声が上がる。

 

「ど、ドンマイ……」

 

顔を真っ赤にして、プルプルと震えるセシリア。何だか申し訳なくなってしまった俺は、彼女に慰めの言葉を送る。

 

「う、うるさいですわっ!!貴方の忠告なんて2度と聞きませんからっ!!一夏さんが来られる前に、髪を直してきます!!」

 

切れたようにそう言って彼女は食堂から出ていった。セシリアが出ていった数秒後、何事も無かったかのように復旧する電気。

 

「悪い秀人、遅くなった。また停電してたな」

「ふ、ふふっ、そうだな」

「どうした?楽しそうだな」

「いや……セシリアがさ……」

 

その後、完璧な縦ロールをかけて戻ってきたセシリアに思わず2人で噴き出してしまい、半泣きになった彼女から罵倒されまくったのはまた別の話。

「まだ怒ってるのか?ごめんな……セシリア」

「い、一夏さんにはもう怒っておりませんわ……ただ」

セシリアの低い声に、彼女の前を歩いていた俺は慌てて前方に向き直った。

 

「紺野さん……よろしければ今日の放課後、模擬戦致しませんか?」

「あ、大丈夫です……」

「あら、日本人の『大丈夫』の意味は分かりませんわ。それは了承という意味でよろしいかしら」

「いや、戦いたくないんですけど」

「大丈夫ですわ、その余計なことしか仰らないお口なんてすぐ吹き飛ばして差し上げますから」

 

にこやかに笑うセシリア。だがその表情と言っている内容のギャップがさらに恐怖心を煽る。

 

「ね?すぐに終わらせますから」

 

そう言って隣に並び、俺の顔を覗きこんでくるセシリア。ブラックホールのような淀んだ彼女の瞳と共に、くるくると巻かれた縦ロールが目に入ってしまい、思わず笑い声が口から漏れる。

 

「……ブルー・ティアー─────」

「ごめんなさい、それはホント洒落にならないです」

 

怒りが頂点に達したのか、笑顔のままISを展開しようとしたセシリアに光の速さで頭を下げる。生身のままISとぶつかったら死んじゃうよ?俺。

 

「……もしまた笑われてしまったら、手が滑ってISが展開されてしまうかもしれませんわね」

 

冷たく微笑むセシリアに俺はガクガクと首を縦に振るしかなかった。

 

「……今日もお綺麗ですね、オルコットさん」

「そういうのも結構ですわ!」

「お前ら……仲いいんだな」

 

少し後ろからほのぼのと呟く一夏に、セシリアが慌てて反応する。

 

「ご、誤解ですわ一夏さん!こんな上品さの欠片も無くて、レディーファーストも知らないお猿さんと仲が良いなんて!」

「ちょっとそれは言い過ぎじゃないですかねぇ!金髪碧眼秀才縦ロール美人さん!」

「やめてください!私だけ褒められたら、私の性格が悪いようではないですか!?」

「はっ、ようやく気づいたか。一夏、こいつ性格めっちゃ悪いぜ。隙あらば悪口言ってくるぜ」

「それは貴方にだけですわ!!一夏さんに余計なこと吹き込まないでくださいな!!」

 

そんな俺達の言い争いを見た一夏は再び、

 

「仲いいなぁ……」

 

と楽しそうに呟くのだった。セシリアはわなわなと震え、俺からフンっと顔を背ける。ちゃんと見ろ。仲良くねぇよ、馬鹿野郎。

 

 

 

「昨日、クラス代表戦の組み合わせが発表された。初戦は2組との対戦だ。さて、いよいよ今週末に迫ったわけだが……どうだ?織斑、自信は」

 

朝のホームルーム。教壇の上に立つ織斑先生に名前を呼ばれ、一夏は慌てて立ち上がる。

 

「えっと、まだ全然弱いですけど……精一杯頑張ります」

「いいか、やるからには死ぬ気でやれ。知り合いだろうが、気を抜くんじゃないぞ」

「は、はい!」

 

姉であり、IS世界王者でもある織斑先生から激励を受け、勢いよく返事をする一夏。クラスからは拍手が起こり、一夏は恥ずかしそうに頭をかきながら、席についた。

 

「それと、先日から起こっている停電についてだが、原因は現在調査中だ。数日前にアリーナの点検を行った業者に再度電気設備の点検の依頼をしている。不便だろうがもう少し待て」

 

織斑先生はそう言って教壇から下り、教室から出ていった。どうやらホームルームは終わりらしい。

担任の出ていった教室は次第にざわざわと騒がしくなり、一夏の席の周りに自然と女子達が集まってきた。

 

「ホント、不便だよね。早く直らないかな」

「ドライヤーの使い過ぎでブレーカーが落ちたかもしれないんだって」

「へぇ……紺野さん、ちょっとよろしいかしら」

「待て、俺は何も言ってないぞ」

 

スッと目から光が失われたセシリアに、俺は慌てて無実を訴える。冤罪でISに襲われるわけにはいかない。

 

「織斑くん、クラス代表戦頑張ってね」

「応援行くからねー」

 

期待の篭ったいくつもの目が一夏に向かって向けられる。

 

そんな目を見て、改めて自分に掛かる期待を実感したのか一夏は

 

「あぁ……頑張る」

 

小さく頷いた。

 




次回クラス代表戦です。


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32話

 

さて、今日は金曜日。英語にも、『TGIF』(Thanks God, it's Friday!)という言葉があるくらい、週末は誰にとっても待ち遠しいものである。

 

だが今日に限っては、金曜日のもつ意味が少し変わってくる。クラス代表戦を明日に控えているからだ。

出場する生徒にとっては、戦う前の最後の晩。

他の生徒にとってはIS同士の戦闘を間近で見られる、一種のお祭りが目前に迫っているのだ。そのせいか、今日のIS学園内の空気はどこかそわそわと浮き足立っているようだった。

 

「はぁー……疲れた……」

 

もはや当たり前のようにボロボロになった一夏が寮の部屋に戻ってくる。俺は眺めていたノートパソコンの画面を閉じ、我らがクラス代表を出迎えた。

 

「お疲れ……ってどうしたんだ?それ」

 

あちこちに小さなアザや擦り傷のある一夏の顔。そこはまぁいい。ここ最近は毎日のことだ。

だが、今日の一夏の頬にはそれに加えて、はっきりとした赤い手形がついていた。どうやら誰かに張り手を食らったらしい。

 

「確か今日は凰さんと練習してたんじゃなかったっけ?」

 

本当なら、今日はセシリアと一緒に練習するはずだったらしいが、放課後突然現れた凰さんが『試合前日は対戦相手と実戦的な練習をした方いい』とか何とか言って一夏を連れ去っていったらしい。

 

ちなみに全部『らしい』と言っているのは、その場に俺は居合わせておらず、後に涙目で悔しそうにハンカチを噛み締めるセシリアから聞いた話だからだ。

 

「いや、練習自体は普通に終わったんだけどな……なんか急に怒りだしてさ」

「怒った?」

「あぁ、小学校の頃に鈴と『大きくなったら毎日酢豚を奢ってあげる』みたいな約束をしたんだよ」

「へぇ」

「それで今日、もじもじしながらそのことを聞いてくるから、ちゃんと覚えてるぞって伝えたのに……鈴のやつ突然キレてさ、ビンタされるわ、馬鹿呼ばわりされるわ……よくわからん」

 

本当に何も分かっていないらしい一夏が不思議そうに首を傾げる。

「あぁ……」

 

一夏の話を聞いて朧気ながら俺も思い出した。確かに原作でコイツと凰さんは小学生のときに約束を交わしていたはずだ。

ただし、それは『毎日酢豚を奢ってやる』なんていう、ラグビー部の先輩と交わすような男臭い約束では無く、

 

『大きくなって一夏の彼女かお嫁さんになったら、毎日お手製の酢豚を食べさせてあげるね、うふふ♪』

 

みたいな、不器用ながらも甘酸っぱい少女の告白だったはずだ。……あ、別に酢豚だから甘酸っぱいとか言ったわけではないのであしからず。

 

 

それをこのアホはどこでどう勘違いしたのか、『毎日飯奢ってやんよ!』みたいなことだと思ったらしい。

 

そりゃビンタの1つや2つ食らわされてもしょうがない。

 

「ったく、鈴もひどいよな」

「酷いのはお前だ一夏。早くシャワー浴びてきやがれ……汗くせぇんだよこの野郎」

「えぇっ!?急に酷すぎるだろ!?」

 

俺の態度が突然豹変したことにショックを受けたのか、一夏はとぼとぼとシャワー室へと入っていった。モテまくり鈍感野郎にはこれぐらいでいいのだ。俺の周りには全くと言っていいほど色恋沙汰なんて無いのに……ちくしょう。

***

 

いよいよ土曜日の朝がやってきた。今日はISの実習訓練も全学年に渡って休みとあって、クラス代表戦が行われるアリーナには続々と生徒達が詰めかけていた。

 

一般生徒の観客席より、少し高い位置にある貴賓席のシャッターも今日は開いている。織斑先生によれば、各国国防省系の閣僚やIS関連企業のトップが数名、視察に訪れているらしい。

たかが学園内の模擬戦に何て大袈裟な……と思うかもしれないが、IS学園にはそれほどの注目が常に集まっているのだ。

 

「おりむー勝てるかな……」

 

俺より1列後ろの席に座るのほほんさんが心配そうに呟く。凰さんの模擬戦で、充分すぎる彼女の強さを目の当たりにしたことで不安になっているのだろう。

 

「多分大丈夫だって。あいつも2週間みっちりセシリアや篠ノ之さんに扱かれてたみたいだし」

「そういえばせっしー達は?」

「一夏と一緒にピットにいるみたい。ギリギリまで操縦法を教えてやるらしいよ」

「おりむーは幸せ者だねー」

一夏にべったりなセシリア達を皮肉ってかのほほんさんが笑う。いや、彼女にそんな悪意はないだろう。

最近セシリアとか凰さんとか気が強い女子ばかり見てきたからつい深読みしてしまう。

 

のほほんさんが隣に座る女子生徒と談笑し始めたところで、俺は改めてアリーナの中を見渡した。

 

現在観客席にいるのは大体150人ほどの生徒。来賓とその護衛、それに教職員を合わせるとアリーナの中には200人ほどの人が居ることになる。

 

この世界が俺の知る原作通りに進むとすれば、一夏と凰さんの模擬戦の最中、このアリーナは正体不明の無人機によって攻撃を受けることになる。

無人機には一夏と凰さんが応戦、最後にはセシリアの援護もあって何とか撃破に成功するはずであるが、この世界でも上手くいくとは限らない。

 

事前に無人機の襲来を周囲に話したところで、信じてくれる者はいないだろう。変わり者扱いされた挙句、実際に無人機の襲来があればスパイと見なされて終わりだ。そうなればもうこの学園には居られない。

 

だから俺はある仕掛けをしてもらっておいた。使わなくて済むに越したことはないが、安全策というのは何重にも張りめぐらせてこそ意味があるのだ。

 

「あっ、せっしー達帰ってきたよー」

 

のほほんさんの声と、ほぼ同時にアリーナ内の巨大なモニターにIS2機分のシールドエネルギーが表示される。

 

いよいよ始まるらしい。

 

ざわざわと騒がしかった会場が次第に静寂に包まれ、期待のこもった視線が観客席から、ピットの方に注がれる。

 

『これより1年のクラス代表戦をはじめる。第1試合は1組織斑一夏、2組凰鈴音。両者とも準備はいいか』

『いつでも』

『あぁ、俺も大丈夫』

スピーカーを通して織斑先生の声がアリーナ内に響く。ISのコアネットワークを通して2人からの返事があった。

 

すぅ……と織斑先生が息を吸い込む音が聞こえた。そして

 

『それでは────はじめ!!』

 

開始の合図と共にアリーナ両端に設けられたピットからそれぞれISが飛び出してきた。

 

両肩についた球状の装甲が特徴的な赤い機体。それが中国の代表候補生、凰鈴音が操る第3世代型IS『甲龍(こうりゅう)』である。

と言っても原作から得た知識なだけで、実際に期待を目にするのは初めてだ。分厚い金属装甲が小柄な凰さんとミスマッチしていて、例えるなら小学校に上がったばかりの女の子がブカブカのランドセルを背負っているところを見ているようだった。

 

だが、そんな印象はすぐに破られた。

 

高速でお互いの位置を入れ替えながら、斬撃し合う両者。機動力に特化しているはずの『白式』に全く引けをとらない機動性である。おそらくパイロットの技能の差だろう。

 

そして一夏の主兵装であり、唯一の武器が雪片弐型という日本刀を模したような剣であるのに対し、凰さんが拡張領域から取り出したのは、刃の部分が大きく分厚い肉切り包丁のような剣だった。

 

随分と重そうで、なおかつ無骨さの漂うその剣をくるくると振り回し、一夏に斬撃を加える凰さん。一夏の構えた雪片弐型がぶつかる度にガンッ!と一瞬後ろに弾き飛ばされることから、相当な衝撃が加わっているのだろう。

 

『くっ!』

 

一夏が体勢を立て直そうと、スラスター全開で甲龍から距離を取ろうとする。

 

『逃さないからっ!』

 

ニヤリと笑う凰さんの顔がモニターに映し出される。それと同時に左肩部の球状装甲の中心が光を放つ。

 

『うぉっ!?』

 

瞬く間に増幅された光が、一夏に向けて放たれる。間一髪避けた一夏の背後、観客席との間に設けられたシールドに着弾したその光は爆発を起こした。

 

ドォォォオオオン!!

 

爆発による光と音によって、甲龍の肩から放たれたレーザーがセシリアのBT兵器とは全く異なることを悟る一夏。

 

『まだまだ行くからねっ!』

凰さんの声と共に今度は両肩が光り、一夏に向けて次々と光の砲弾が放たれる。

 

『くそっ!近づけねぇっ!』

 

防戦一方になる一夏。斬撃による攻撃しか出来ない白式を甲龍に接近させることすら出来ない。

 

「くっ……一夏さん……」

 

いつの間にか近くに座っていたらしいセシリアが自分のことのように悔しそうに唇をかむ。

 

「凰さんのあれ……衝撃砲か?」

「えぇ……一夏さんと練習されている時に1、2度見ました。空間圧縮砲の類いだと思われます。私のBT兵器と同じ第三世代型の兵装ですわね」

 

衝撃砲。砲身の中の空気そのものに圧力をかけ、砲弾と共に発射する兵器であるが、前の世界では発射するエネルギーに対して威力が小さすぎる為、殆ど実用化されることはなかった。

 

それがこの世界ではISコアという莫大なエネルギー源、また技術進歩によってここまでの威力を持つまでになっている。

 

「このままいくとまずいな……」

「……何とか接近戦に持ち込めませんと、シールドエネルギーが削られるばかりですからね」

 

俺の台詞にセシリアが同意するが、俺の言っていることはそういう意味じゃない。

 

どうも戦闘が原作に沿ったものになっている。このまま行くと、無人機の急襲も現実の物になってしまうのではないだろうか。

 

一応、用意しておくか。

 

「あら?どこに行かれますの?」

 

立ち上がった俺の顔を不思議そうに見上げてくるセシリア。これだけ白熱した模擬戦が目の前で行われているのだ。この場を離れようとする人を不思議に思うのは当然だろう。

 

「ちょっとトイレ。着いてくるなよ」

「殿方のお手洗いに着いていくはずありませんわっ!」

 

セシリアが立ち上がらないのを確認して、俺は観客席から離れる。通路に入り、向かうのは織斑先生達がいるであろう中央モニタールーム。

 

無人機の接近に備えて、会場を見渡せるカメラ()が欲しい。本来なら自前で隠しカメラを仕掛けたかった所なのだが、今回は来賓が来ることもあってアリーナ内の警備と不審物チェックがより厳重に行われた。だから今回の模擬戦は記録出来ていない。来賓め……。

 

「えっと……モニタールームは……」

 

キョロキョロと左右を見渡し、目的地を探していると、

 

「紺野さん!」

 

後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。振り返ると、金髪を揺らしながらセシリアがこっちに走ってくるところだった。

 

「なっ!?何で着いてきたんだっ!?」

「着いてきたかった訳ではありませんわっ!貴方が落とし物なさるから届けて差し上げたのです!」

 

そう言ってセシリアがポケットから取り出したのは、俺のスマートフォンだった。いつの間にかズボンのポケットから落としてしまったらしい。

 

「全く、変なところで抜けてられますのね。私に感謝していいのですよ?」

「あ、あぁ……ありがとう。確かに受け取ったから早く席に戻った方がいい」

「?貴方に言われなくてもそのつもりですわ。急いで戻りませんと試合が終わってしまいます……ところで紺野さんはこんなところで何を……?お手洗いならずっと前にありましたけど?」

 

ふと気づいたようにセシリアが首を傾げる。彼女の言う通り、観客席からここまでトイレは3箇所ほど通り過ぎている。トイレに行くと行って席を立った人間が、何故かアリーナ内をうろついている。自分でも怪しすぎる状況だ。

 

「えっと……これはだな……」

 

どうセシリアを誤魔化し、観客席に戻ってもらおうか思案していた次の瞬間。

 

ドゴォォオオオッッ!!!

 

「きゃぁっ!?」

 

先程の衝撃砲による爆発音とは明らかに異質の爆発がアリーナに響いた。続いてガラガラと何かが崩れる音が連続して聞こえる。セシリアが思わず耳を塞いでしゃがみこんだ。

 

けたたましく鳴り響く警告音。アリーナの方からは悲鳴とともにシャッターの閉まるアナウンスが聞こえてくる。

 

やられた。無人機に侵入されたんだ。

 

「な、何ですかっこれは!?」

 

未だ現状を飲み込めていないセシリアの腕を引き、俺は走り出す。

 

「こ、紺野さんっ!?」

「いいから着いてきてくれっ!」

 

出来れば俺1人で何とかするはずだったのだが、こうなれば仕方がない。セシリアにも存分に働いてもらおう。

 

俺はセシリアの手を引き、中央モニタールームへの道を急ぐのだった。



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33話

セシリアを連れ、中央モニタールームを目指す。既に無人機との交戦が始まっているのか、アリーナの方からは断続的に爆発音が響いていた。

 

「あった……!失礼します!」

 

自動扉が開くのと同時に、モニタールームに飛び込む。途端に織斑先生が鋭い視線を向けてきた。

 

「誰だっ!?」

「い、1組の紺野です!」

「あぁ、紺野くんでしたか。それにオルコットさんも……」

 

侵入してきたのが敵でないと分かってか、ホッとため息をつく山田先生。先生達の前に並ぶ複数のモニターには、爆発による炎と、もうもうと立ち上る煙が映っていた。

 

「あ、あの……一体何が起こっているのでしょうか?」

 

未だ状況が全く飲み込めていないセシリアが不安そうに口を開く。

 

「……アリーナにて、未確認機の襲撃を受けている。織斑と凰が応戦しているが、侵入の際に制御装置が損傷を受けたらしく生徒の避難が進んでいない」

「そんなっ!?」

 

織斑先生がそう言って悔しそうにモニターに目をやる。そこには、アリーナの中心に陣取り、一夏と凰さんに発砲し続ける巨大な黒いISが映っていた。これが未確認機らしい。

 

そして別角度から撮られた映像には、スラスターをふかしながら未確認機の攻撃を避け続ける一夏達の姿があった。

 

相手の戦力を測りかねているのか、避難誘導の為の時間を稼いでくれているのか、その意図は定かでないが、未確認機と一定の距離をとりながら戦闘を続けている。

 

「お前達どうやってここまで来た?観客席にはシェルターが展開されているはずだ」

 

ふと、俺達がここまで来れたことが変だと気づいたらしい。織斑先生が再び疑念のこもった鋭い目を向けてくる。

 

「えっと……」

 

言い淀む俺の隣で、セシリアが口を開いた。

 

「そ、それは!紺野さんがお手洗いに行かれて、私は落とし物を届ける為に観客席から離れたのです!丁度そのタイミングで爆発が聞こえたましたので、こちらに……」

「……そうか」

 

セシリアの説明を受け、しばらく考え込む織斑先生。やがて、俺達に対する一応の疑惑が晴れたのか、再び視線をモニターに戻した。

 

「山田先生、増援要請は」

「は、はい。既に他の先生方がアリーナに向かっています。ただ……出入口のシェルターの突破に時間を要しているようです」

「そうか……くっ」

 

眉間にシワを寄せ、モニターを睨みつける織斑先生。アリーナで今なお戦っている一夏達だったが、未確認機の火力の前に苦戦を強いられているようだ。表示されるシールドエネルギーの残量がぐんぐんと目減りしていく。特に一夏の方はもう数分と持たない減り方だ。

両手に装備された機関砲を主兵装とする未確認機と、近接攻撃専用の『白式』の相性は最悪らしい。

 

「お、織斑先生っ!私に出撃許可を!」

 

そんな一夏を見てか、セシリアが織斑先生に向かって叫ぶ。今にも飛び出して行かんばかりの勢いだ。

だが、織斑先生は静かに首を横に振った。

 

「駄目だ。敵の交戦能力がはっきりしていない以上、むやみに生徒を出撃させられない」

「ですがこのままだと一夏さんがっ!」

「お前が行ったところで何ができる?模擬戦用に出力調整した武器で充分に戦えるのか?織斑や凰との連携は?」

「そ、それは……」

矢継ぎ早な織斑先生の指摘に言い淀むセシリア。確かに今現在の彼女の実力を持ってしてでも未確認機に勝てるとは限らない。下手をすれば格好の的となってしまうかもしれない。

 

だがセシリアからすればどうだろう。モニターの向こうでは自分の気になる異性が命がけで戦っているのだ。そして、運良く自分には苦しんでいる味方を助けられるかもしれない能力があるのだ。

何としてでも出撃したい、というのは理解できる。

 

それに、俺にとっても彼女が出撃してくれたが都合がいい。というよりモニタールームから出ていって欲しいと言った方がいいか。

 

だから俺は俯いて唇を噛みしめるセシリアに近づき、囁いた。

 

「おい、一夏を助けに行かないのか?」

「……貴方もお聞きでしたでしょう?織斑先生の許可が……」

「そんなことどうだっていい」

 

俺の言葉に思わず顔を上げるセシリア。彼女の2つの碧眼が真っ直ぐに俺を捉える。

 

「確かに教師として生徒の命を守るのが織斑先生の仕事だ。だけど、セシリア。お前は自分の命と一夏の命を天秤に掛けられるんじゃないのか? ……自分がどこで命がけになろうと、自分の勝手だ」

 

セシリアに話しながら俺は、数年前、シャルロットを助ける為、誘拐犯の家に忍び込んだときのことを思い出していた。

あのときの俺もそうだ。後で森本さんに言われて大分反省したけど、確かにあのときの俺にとって『シャルロットを助けること』に自分の命を賭ける価値があるように思えたのだ。

 

「だから、自分で決めろセシリア!」

「紺野さん……私、行って参りますわ……!一夏さんを連れて必ず戻ってきます!」

 

小声ながらも力強い声で呟くセシリア。その瞳には強い決意と覚悟の色が宿っていた。

 

「あぁ頼んだ」

「それでは……」

「……あぁそうだ」

 

こっそりとモニタールームから出ていこうとするセシリアに俺は声をかける。言い忘れるところだった。

 

「……何ですの?」

「敵は地上戦闘が得意なタイプらしい。出来るだけ空中に留まっていた方がいい」

「……分かりましたわ!ありがとうございます!」

 

今度こそセシリアはモニタールームから出ていった。とは言っても自動扉の開閉の音で先生達には気づかれてしまうだろう。

「行ったか……あの馬鹿者が」

「止めなくて良かったんですか?」

「止めても聞かないでしょう……それに、紺野にも唆されたようですし」

「えっ!?」

 

織斑先生のため息混じりの声に、山田先生は驚いた声を上げる。どうやら織斑先生には聞こえていたらしい。マジかよ……大分小声で話してたのに……。元世界王者は色々規格外らしい。

 

「女を戦場に行かせるとはいい度胸だな、紺野」

 

冷たい視線と言葉が織斑先生から飛んでくる。どこか敵意のこもったその視線には迫力があり、思わず後ろに下がってしまいそうだった。

 

「そうですか?俺よりセシリアの方がずっと強いですよ?」

「もし、オルコットに何かあったら……お前はどうするつもりだ?」

「エネルギー残量の少ない一夏と凰さん2人に戦わせるより、セシリアにも出撃させた方が3人とも無事に帰ってくる確率は高いですよね。それに……」

「それに?」

「……きっと、一夏とセシリアなら無事に帰ってくると、俺は信じてます」

 

真っ直ぐに織斑先生に向けて言い放つと、先生は一瞬呆れたような表情を浮かべ、俺に背を向けた。

 

「……あまり動き回るな。じっとしていろ」

 

そして、俺の方を見ることなくそう言った織斑先生は、再び一夏達に向けてオペレーティングを始めた。俺達の会話をオロオロと聞いていた山田先生も各種機器類のチェックと、増援との交信作業に戻っている。

 

ようやく……ようやく俺に関心を向ける人間が居なくなった。俺は小さくため息をつきながら、先生にバレないようにポケットから小さな電子機器を取り出した。

 

 

『……きっと、一夏とセシリアなら無事に帰ってくると、俺は信じてます』

 

織斑先生に俺は確かにこう言った。だが、この台詞には誤りがある。確かに一夏とセシリア、凰さんが協力すれば生きて帰ってこれるだろう。そのことについては確信に近い信頼を一夏達に置いている。

 

だが、俺が『信じてるから』だけの理由で友人を戦場に送り出すように見えるだろうか?

 

……うん、見えないだろう。俺は優しいからな。

 

勿論、今日に備えて用意していたに決まってる。

 

 

EMPというフレーズを聞いたことがあるだろうか? 漫画やSF映画で耳にしたという人もいるかもしれない。

正式名称はElectroMagnetic Pulse、日本語では電磁パルスという名称がついている。

 

電磁パルスは、核爆発や雷によって起こる電磁波の1つであり、周辺の電子機器類に過剰な電流を流すことで、電子機器類をショート、故障させることが出来る。

 

つまり、EMPは見えない爆弾といったところだろうか。

 

前の世界では、アメリカ軍が極々狭い範囲内で電磁パルスを発生させる装置を開発していたが、半径100メートルほどの範囲でしか効果がなく、その使用用途は非常に限定されていた。

 

ましてこの世界において、EMPの戦略的価値はゼロに近い。半径100メートル、地面から数メートルにしか効果のないEMPでISが撃ち落とせるだろうか?

 

答えは勿論NOだ。空を自由に飛び回るISには、その効果が届かないし、電気を貯めておくコンデンサが破壊されてしまえば、EMPは発生させられない。それだけのエネルギーがあるならレーザー兵器にでもチャージした方がまだ有効である、そんな切ない評価を下されているのが、このEMPという兵器である。

 

だが、よく考えてみて欲しい。今日、この場に関して言えば、EMPは絶大な威力を発揮するのではないだろうか。

 

範囲は半径100メートル少しのアリーナの中、しかも敵はその中心に陣取り、殆ど飛行しないことも原作知識から分かっている。

もっと言えば、今回の未確認機は無人機であるのだ。中のパイロットが感電死するという心配もなくフル出力の電磁波を発生させることができる。

 

これほどEMPが効果を発揮しやすいシチュエーションもそうはないだろう。

 

だから、俺は1週間ほど前に紺野重工に依頼し、極秘裏のうちに大型コンデンサを複数基、このアリーナに運び込んで貰っていた。

 

電力の供給源をIS学園から賄っていた為、ブレーカーが落ちやすくなってしまう弊害もあったが、何とか誤魔化すことが出来た。

 

あとは何とかクラス代表戦当日、このモニタールームに侵入し、一夏や凰さんが空中にいるタイミングを見計らって、コンデンサを放電させればいいだけであったのだ。

未確認機の襲撃に合わせ、シェルターも閉じられているから観客席に被害が及ぶこともない。

 

俺のうっかりでセシリアが着いてくるというハプニングもあったが、計画に支障をきたすレベルではない。

 

俺は手元のスイッチを握りながら、モニターを見つめた。

 

アリーナでは、一夏とセシリア、そして凰さんの3人が協力して未確認機の攻撃を防いでいる。セシリアの操る『ブルー・ティアーズ』が増援に来たことで遠距離攻撃が増え、少しずつではあるが未確認機にダメージを与えているようだ。

 

だが。

 

「織斑先生!白式に敵の攻撃が命中!シールドエネルギー残り僅かです!」

「増援はまだか!」

「もうすぐシェルターを突破できるそうですが……織斑くんに退避命令を!」

 

一夏に限界が来たらしい。無理もない。凰さんの操る『甲龍』との模擬戦から、休むことなく未確認機と今現在まで交戦を続けているのだ。近接戦闘用の機体である『白式』のシールドエネルギーが底を尽きるのは当然と言える。

 

俺は手元のスイッチの安全装置を外し、つまみに手を掛けた。タイミングは、未確認機が地上近くに発砲した時。

 

そんな俺の思いが伝わったように『ブルー・ティアーズ』が低空で未確認機の周りを旋回し始めた。

 

未確認機がセシリアを捉えようと、両手に備えつけられた2基の機関砲から弾丸をばら撒く。そのうちの幾つかがアリーナの壁面に命中した。コンクリートが剥がれ、一部の配線がむき出しになる。

 

俺はつまみを回した。

 

 

バリバリバリィッッッ!!

 

雷が落ちたような轟音が響き、一瞬モニターが真っ白になる。

 

「な、何ですかっ!?」

 

山田先生が目を覆いながら悲鳴に似た叫び声を上げる。

やや時間を置いて、その機能を取り戻すアリーナ内のカメラ。電子機器であるはずなのにやけに復旧が早い。もしかしたらテロ攻撃か何かを想定してEMPに対しての対策を施してあったのかもしれない。

 

未確認機はどうだ……?俺は祈るような気持ちで土煙の中に立つ未確認機を見つめる。

 

『バチッ……バチッ……!』

 

未確認機からは黒煙が上がっていた。ボディーの所々は焦げたように茶色く変色し、モーターが使われているような関節部からは火花が散っていた。

 

そして、モニタールームに無線の声が響く。

 

『こちら、セシリア・オルコット!突然の閃光の後、未確認機が沈黙!』

「な、何が起こったんだ……?」

「さぁ……?」

 

突然の事態に、揃って目を丸くする先生達。何が起こったのかも分かっていないだろう!

 

よっしゃああああああ!!!!!

 

俺は心の中で絶叫していた。未確認機に損傷を与えた。サージ電流によってショートしたモーター類はもはや機能しないだろう。

つまり、紺野重工が初めてISを倒したのだ。

 

『これより、遠距離から追撃を加え、未確認機を完全に無力化します』

「了解」

 

無線からはセシリアの声が聞こえてくる。無線越しながら澄んだその声は、まるで俺の勝利を祝福しているようだ。

 

あぁ、これでやっと撃破1だな……。

 

『……って一夏さんっ!?』

 

セシリアの慌てた声に、モニタールームにいた全員に再び緊張感が走る。

 

『うぉぉぉ!これで……トドメだぁっ!!』

「おい!一夏!むやみに接近するな!」

 

無線から聞こえる一夏の雄叫びに、思わず素の喋り方に戻った織斑先生の注意が飛ぶ。

 

モニターの向こうでは、動かなくなった未確認機に一夏が雪片弐型を振りかぶり、高速で接近しているところが映っていた。

「一夏!先生の言うことを聞け!」

 

俺も思わず叫んだ。ヘッドセットをつけていなければ、一夏に声が届くはずもないと言う事を忘れて。

 

沈黙した未確認機。その装甲にはEMPによって起こった電流が大量に残っている。つまり未確認機自体が電気を貯めるコンデンサのようになっている。

そこへ金属製の刀剣で切りつけたらどうなるだろう。

 

『ぐあああああああっっっ!!??』

一夏の叫び声が聞こえてきた。刀剣を介して伝わった電気が、『白式』と一夏を襲ったのだ。

 

「一夏っ!」

「織斑くんっ!?」

 

先生2人の悲鳴がモニタールームに響く中、一夏の乗った白式はプスプスと煙を吐きながら、地面へと倒れ込んだ。それと同時に白式の装甲が解除され、煙を上げる一夏だけが残る。

 

「白式……シールドエネルギー0です……」

 

山田先生の小さな声が聞こえてきた。幸い、一夏の心拍を表すゲージは正常値を指していた。どうやら気絶しているだけらしい。

 

「……」

 

モニタールームの中を微妙な空気が流れる。モニターの向こうでプスプスと煙を上げる一夏は、すぐに飛んできたセシリアと凰さんによって救助された。

 

なんだこの勝ったのに負けたような雰囲気は……。

 

「はぁぁ……馬鹿者が……」

 

静寂に包まれたモニタールームには、織斑先生のため息だけが響いていた。

 

 

 

 




紺野重工の戦果︰撃墜2機(うち味方機1機)←New!


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34話

お久し振りです。本格的な再開はまだですが生存確認がてら少しだけ更新。お待たせして申し訳ありません。


 

「ほんとびっくりしたよー、急にシャッターががしゃーんっ!って降りてきて、出口も塞がっちゃってー」

 

全く緊張感の伝わってこない話し方で、のほほんさんが観客席の状況を話す。

 

「みんな助かってよかったじゃない。でも結局何があったんだろうね?」

「それを説明するために呼ばれたんでしょうが」

 

いつものほほんさんと一緒にいる2人────相川さんと谷本さんが話すのを聞きながら、俺は教室を見渡した。

 

1組の教室には、一夏を除いた生徒全員が集まっている。観客席のシェルターロックが解除された後、直接教室に向かうよう指示されたからだ。織斑先生は点呼をとるためと言っていたが、今回の未確認機襲撃についての説明がされるとみんな考えているらしい。

襲撃直後にシャッターが閉まり、後はずっと閉じ込められていたのだから、何が起こったか知りたいのは当たり前だろう。

一夏は、帯電を食らったあとすぐに医務室へと運ばれていった。医務室まで付き添った篠ノ之さんとセシリアの話によれば、気絶しているだけで命に別状はないらしい。さすがISの絶対防御。確実に搭乗者の安全を守っている。

 

「せっしーも戦ったんだよね?どんな相手だったのー?」

「えっと……織斑先生のお話を聞いてからの方が良いと思いますわ」

のほほんさんの質問に困ったような笑みを浮かべるセシリア。確かに未確認機の情報は今の所機密とされているから、簡単に言いふらさない方がいい。

 

「それもそうだねー」

 

のほほんさんも納得してくれたようだ。

「……ん?」

 

俺はふと、セシリアの様子が気になった。どことなくよそよそしいと言うか、俺に対して距離をとっている気がする。

 

「どうかしたか?セシリア」

「えっ!?い、いえ何でもありませんわっ!?」

「……ふーん」

およそ何も用がない人が取るものとはかけ離れた反応を見せるセシリア。何か言いたいことがあるに違いない。

「そういえばこんちゃんどこに行ってたのー?観客席に居なかったよね?」

「トイレに行こうとしたら、そのタイミングでシャッターが下りてきてさ。モニタールームで先生と一緒に居させてもらってた」

「そうだったんだ。千冬様に守ってもらえるなんてラッキーだったね」

 

相川さんが心底羨ましそうに俺を見てくる。どうやら彼女も織斑先生信者の1人らしい。

IS元世界王者の名は伊達じゃないということか。

 

「あ、あの……紺野さん?」

「ん?何?」

「少しお時間を頂いても───」

 

 

「みんな席につけ。点呼をとる」

 

セシリアが何か言おうと話し掛けてきたところで、丁度織斑先生と山田先生が教室に入ってきた。

 

ぞろぞろとのほほんさん達が自分の席に戻る。そんな中、セシリアは何か躊躇うように視線を揺らしていたが、やがて席に戻っていった。

 

結局何が言いたかったんだ?

 

 

「さて、今回の未確認機襲撃事件についてだが」

点呼をとり終えた織斑先生がおもむろに口を開く。

 

「詳しいことは未だ調査中だ。諸君には状況が明らかになり次第連絡する。だが、テロの可能性を踏まえてクラス代表戦は中止。それと全員、明日は学園から出ないように」

明日は日曜日。たまの休日を学園の中で過ごすよう言われた生徒の一部から不満の声が上がる。

「無断で外出したものには厳罰を与えるからそのつもりでいるように」

 

そう言い放った織斑先生は、足早に教室から出ていった。もしかしなくても、一夏のことで気が立っているのだろう。

 

「そ、それでは皆さん、今日は解散してください……」

 

織斑先生に代わり、申し訳なさそうな表情を浮かべる山田先生の一言でホームルームはお開きとなった。

 

「山田先生」

 

教室から出ていこうとする山田先生を呼び止めた。

 

「どうしましたか?」

「一夏の具合はどうですか?」

「つい先程、目が覚めたと医務室から連絡があったみたいで……織斑先生が向かって居られると思います」

「そうですか……ありがとうございます」

 

山田先生に頭を下げ、俺は後ろを振り向いた。案の定、そこには『一夏』というフレーズを聞いて山田先生の話に耳を傾けているセシリアと篠ノ之さんの姿があった。

 

「……医務室行くか?」

「もちろんですわ!」

 

力強く頷くセシリア。篠ノ之さんも小さく首を縦に振る。きっと2人ともホームルーム中からずっと一夏の容態だけを気にしていたに違いない。

少しホッとしたような2人の表情がそれを物語っていた。

 

 

***

 

 

「一夏さんっ!大丈夫ですかっ!?」

セシリアが勢いよく開いた医務室の扉の向こうには、ベッドで横になった一夏がいた。

 

「おぉ、みんな来てくれたのか?」

 

身体を起こした一夏が、嬉しそうに笑顔を見せる。動き方からして後遺症らしきものも残っていないらしい。

 

「どこか痛い所はありませんか!?頭がぼうっとしたり、耳が聞こえにくかったりは?」

「だ、大丈夫だから……ちょっと落ち着いてくれ」

「ご、ごめんなさい……」

 

矢継ぎ早に質問するセシリアに一夏が苦笑いを浮かべる。一夏と顔がくっつきそうなほどの距離で話していたセシリアが我に返ったのか、慌てて距離をとった。

「全く……心配させるな、一夏……」

「悪い……でもありがとな箒」

 

 

ぶっきらぼうに言う篠ノ之さんに、一夏は素直に謝った。無愛想な態度とは裏腹に、自分を心配して医務室にまで見舞いに来てくれたことに気づいたようだ。

 

「ふ、ふんっ。私は部活があるから失礼する。治るまではじっとしておくんだな」

「あ、おい……」

 

素直な一夏が予想外だったのか、篠ノ之さんは照れ隠しのように医務室から出ていってしまった。

 

医務室の扉が再び閉まると、一夏は俺の方に視線を移してきた。

「秀人もありがとな」

「いやいや……元気そうで良かったよ。お礼なんていい」

 

俺にも頭を下げてくる一夏に、慌てて両手を振る。

結果的には自分で感電した一夏だが、元をたどれば未確認機をEMPで倒そうとしたのは俺だ。責任の大部分は俺にある。一夏は俺が傷つけたといっても過言ではないのだ。

それなのに、一夏から感謝されるというのは、どうしても俺の良心が許さなかった。

 

「未確認機に不用意に接近するのは危険だとあれほどお話したではないですか!」

「ごめん……でも、俺は近接戦闘しか出来ないから……」

「そういう問題じゃないだろ?織斑先生にも怒られなかったか?」

「あぁ、さっき散々怒られたよ……」

 

俺の質問に一夏は顔を青くしながら頷いた。俺達が来る前によっほどきついお説教を受けたらしい。

 

「織斑先生、お説教の他には何か言ってたか?」

「えっと……なんかアリーナの電気系統のショート? とかであのISが故障したらしくて……ラッキーだったなって」

「へぇ……そうだったのか」

アリーナ設備のショートによる、偶発的な放電現象。それが現時点での学校側の見解らしい。EMPのことが疑われていないか、少し心配だった俺は内心胸を撫で下ろした。

 

まぁ仮に調査が進んでコンデンサが発見されたとしても、非常時の電力供給の為の設備として言い訳できる手はずにはなっている。当面は会場よりも未確認機の方の調査が進められるだろうし、俺自身が疑われることはない……と思う。

 

 

そんな矢先。

 

「あの、一夏さん」

 

突然、セシリアが口を開いた。

 

「ん?どうした?」

「本当に織斑先生は機械のショートだと仰っておられたのですか?」

「あぁ、実際に俺も感電したしな。それがどうかしたのか?」

「いえ……」

 

何か考え込むように顎に手を当てるセシリア。少し嫌な予感がした俺は、平静を装いながら2人に話しかけた。

 

「あれだけ広いアリーナだからな。そりゃ、ショートしたら結構な電気も流れるだろ」

「そうだな。俺も不注意だったよ」

 

一夏が頷く。セシリアはチラリと俺の方に視線をやっただけだ。否定も肯定もせずに何かを考えている。

 

これは……少しまずいかもしれない。

 

 

 

「織斑君、精密検査の用意できたわよ」

そこへ医務室の扉が開き、白衣を着た女の人が入ってきた。どうやらこの女性が医務室の先生らしい。

 

「検査ですか?俺は別に……」

「駄目よ、万が一のことがあっては遅いんだから」

「……はい」

「貴方達、申し訳ないんだけど今日はもう寮に戻ってもらえるかしら?」

 

一夏の説得に成功した医務室の先生が今度は俺達の方を向く。

 

「検査ってそんなにかかるんですか?」

 

げんなりする一夏。IS適性が判明したときの検査を思い出したのだろうか。心底嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「夜には終わるわよ。えっと……紺野君だったかしら?織斑君の同室よね?そのつもりしておいてくれる?」

「分かりました。一夏、晩飯の用意はしておいてやるから」

「……あぁ、よろしく」

 

医務室の先生に俺が頷くと、一夏も諦めたのかベッドから立ち上がった。そして先生について医務室から出ていった。

 

 

「さて……俺たちも戻りますか」

 

さっきから何も話さないセシリアに声をかける。今すぐ考えることをやめてほしい。多分、その考えの先に俺が不利になる真実が隠されているから。

 

だが、現実は無情だった。俯いて考え込んでいたセシリアは意を決したように顔を上げて、俺の目を見つめてきた。

 

俺の少しの嘘も見逃さまいとする青い瞳。やがてセシリアは静かに口を開いた。

 

「紺野さん……少しお話があるのですが」

 

 

 

 



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35話

「紺野さん……少しお話があるのですが」

 

俺たち2人だけしかいない静かな医務室に、セシリアの声が響く。

 

「……何?恋愛相談?」

「違います」

 

誤魔化そうとした俺のボケにも、すぐさま冷たい答えが返ってきた。

 

「なら何だろ……はっ!?もしかして俺のことが好───」

「紺野さん……真面目に聞いてください」

 

セシリアは真っ直ぐに俺を見たまま、続けた。

 

「貴方……今回の未確認機襲撃について何か知っているのではありませんか?」

「……なんでそう思ったんだ?」

 

正直、こんなに早く俺が疑われることになるとは思っていなかった。辿るべき証拠も何もない中で、目の前の彼女は強引に、だが間違いなく的確に俺を疑ってきたのだ。否定するのはセシリアの推理を聞いてからでも遅くはないだろう。

 

「……否定なさならないのですね」

「突拍子もないことを突然言われて、驚いてるだけだよ」

「……どうでしょうね」

 

俺から少し距離をとったセシリアは、壁際に背をもたれかけた。蒼い双眼が真っ直ぐに俺を見つめ……いや、睨みつけている。

 

「……俺を疑う根拠は?」

「……そうやって落ち着き過ぎていることです」

「……?」

「攻撃能力も分からない未確認機の襲撃。防護シェルターもないアリーナの真下という状況でも、紺野さんは冷静でした。爆発音が鳴っても驚きすらせず、私を中央モニタールームまで連れていってくださいました」

「もちろん驚いてたさ。身体が勝手に動いただけだ」

 

俺の返答にセシリアが両手を肩の辺りまであげ、首を振った。どうでもいいが、少し芝居がかっているような気がする。犯人を追い詰める探偵にでもなり切ってるんじゃないだろうな。

 

「それだけじゃありませんわ。当日のどことなくよそよそしい動き、紺野さんを追いかけた私をアリーナ席まで追い返そうとしたこと。どれも小さな違和感でした……ですが、紺野さんが今回の事件に関係していると仮定すると、辻褄が合うのですわ!」

 

そこでセシリアは一旦話すのをやめ、人差し指を俺に向かってピンと伸ばした。

 

「どうなんですの!?紺野さん!?」

 

俺は内心彼女に拍手を送った。自分でも気づかないほど些細なことを積み重ねて、よくぞ俺が今回の襲撃事件について事前に知っていたと見抜いた。だが、結論が良くない。俺は犯人ではないし、勿論内通者でもない。というか、もし俺が本当に犯人だとしたら、セシリアはどうするつもりだったのだろうか。2人しかいない保健室で、俺が口封じにセシリアに危害を加えようとするかもしれないのに。

 

色々と詰めが甘いセシリア(探偵)さんに俺は笑顔を向け、口を開いた。

 

「残念だが、全部ハズレだ。セシリア」

「しょ、証拠はありますの!?紺野さんの潔白を示す証拠が!」

「証拠を出すべきなのはセシリアの方じゃないのか?今聞いたのは全部セシリアの主観に基づいた想像でしかない……それに、俺が襲撃事件の犯人でない証拠ならすでにある」

「な、なんですの……?」

「セシリアが今もこうして無事でいることだ」

「……ぁ」

 

少しの間逡巡した後、小さな声を漏らすセシリア。彼女も気がついたらしい。人命を顧みずに襲撃事件を起こすような奴の仲間に、密室で種明かしのようなことをしてただで済むはずがないことに。

 

俺が何の反応もしないことが、1番の潔白を示す証明なのだ。

 

「……え、えっと……ごめんなさい」

 

急にしおらしくなったセシリアが素直に頭を下げてくる。

 

「随分簡単に犯人扱いしてくれるじゃないか、なぁ、セシリア?」

「お、お詫びならいくらでも致しますから……っ」

「傷ついたなぁ……まさか友達だと思ってたセシリアに疑われるなんてなぁ……」

「と、友達……本当に申し訳ありませんっ!紺野さんっ!」

 

わざとらしく肩を落として落ち込むふりをしてみると、わたわたと慌てるセシリア。ついさっきまで勝気に俺を睨んでいた瞳は、アワアワと半泣きになりながら俺を上目遣いで見つめている。

 

「友人を疑ってしまうなんて……私はオルコット家の恥ですわっ……どうお詫びすればいいのか……」

 

予想以上に追い詰められたらしいセシリアが俯いてブツブツと呟く。論理に飛躍があったとはいえ、そう間違った考え方をしたわけでもない彼女を責めるのは可哀想な気もする。

 

「ははっ、冗談だよ。そこまで気にしてない」

「……いえ、私は紺野さんにとんでもないことを……」

「……なら、1つ貸しにしておく。それでこの話は終わりだ」

「……本当に許していただけるのですか?」

「だから気にしてないって」

 

こわごわと顔を上げ、俺の様子を伺う彼女に笑い返してやると、ようやく落ち着いたらしい。深々と頭を下げ、俺に向き直った。

 

「……本当にごめんなさい。ご厚意に感謝致しますわ」

 

そう言って照れくさそうに微笑む彼女。目元の涙を拭いながら笑うその笑顔に少しドキッとしてしまう。

 

「……うん。さて、そろそろ夕方か。ちょっと早いけど食堂行こうか」

「かなり早いですが、何かご用事でも?」

「ちょっとね……新しいモノマネを仕入れてさ。とびきり面白いからのほほんさんにでも見せてあげようかと思って」

「……もしかして……」

 

「『貴方が犯人ですのね!』────大ウケしそうじゃない?」

 

セシリアの方に振り返った俺は、彼女に人差し指を突きつけ、大袈裟に脚色を加えたモノマネを披露する。勿論元ネタはセシリアだ。

 

「……許していただけるのでは無かったのですか?」

 

「疑ったことは許すよ?でも……それとこれとは別じゃないのではありませんか!?」

「やめてくださいっ!恥ずかしいですわっ!」

 

いちいち指を突きつけながら裏声を出す俺を必死で止めようとするセシリア。いつもの元気が戻ったようで何よりだ。……あ、別に彼女を元気づけようとやったわけじゃない。さっきも言ったように『それはそれ、これはこれ』だ。

 

本当、俺って優しいよね……。

 

 

***

 

 

その晩。俺は1人、広々とした自室で寛いでいた。一夏は結局、今晩は大事を取って医務室で泊まることになった。思ったより検査が長引いたと、電話口で一夏が愚痴っていた。

 

間接的にとは言え、一夏が感電した責任の一端は俺にもある。なので、彼には少し悪い気もしたが、ともあれ久し振りの1人の時間を俺は楽しんでいた。

 

ちなみにセシリアのモノマネはのほほんさんをはじめ、かなりの人に受けた。本気で止めようとしてくるセシリアのモノマネも追加でやり始めた頃から、ブルーティアーズを展開されそうな雰囲気だったので止めておいた。終始顔を赤くして恥ずかしがるセシリアは、最後に

 

「やっぱり紺野さんは紺野さんですのね……」

 

と意味深な台詞を吐き、疲れきった様子で部屋へと戻っていった。俺はずっと俺だぞ?何を言っているんだろうか。

 

テレビでも付けようかとリモコンに手を伸ばした所、突然枕元に置いたスマートフォンから電子音が鳴り響いた。ビクッと肩をすくませた後、手に取ってみると画面には森本さんの名前が表示されていた。

 

『はい、もしもし』

『秀人さん!今テレビを観られますか!?』

『今観ようとしていたところです。どうしましたか?』

『すぐに付けてみてください』

 

森本さんにそう言われ、テレビのスイッチを付ける。緊急会見と左上に表示された画面には、見たことのある人物が映っていた。

 

『シャルロット……?』

『……デュノア社が、3人目の男性パイロットとしてシャルロット・デュノアさんを発表しました……』

 

テレビの向こうでは、自慢げに話す壮年の男性と、その横で半ば魂の抜けたように父親の話に相槌をうつシャルロットの姿があった。

 

『……でありますので、デュノア社として、彼の親として今後のIS開発を支援していきたいと思います。また、今回の操縦者発見及び、シャルル専用機の開発には、日本の紺野重工業の協力があり……』

「……はぁ?」

 

デュノア社長の話す内容に頭痛すら覚える。男性操縦者としてのシャルル?紺野重工業の協力?どれも心当たりのない話だ。

 

『……秀人さん?』

『……デュノア社に問い合わせは?』

『既に抗議を伝えました。ですが、もしシャルロットさんが女性であることを話せば、紺野重工業も不正の協賛企業として発表すると……』

『そんなめちゃくちゃな……』

 

だが確かに紺野とデュノア社に接点が無いわけではないのだ。しかもその接点がシャルロット関係なのである。もし、不正を行っていたと言われてもそれを否定しきれる根拠が乏しい。それにこうしてテレビを通して全世界に紺野の名前が公表されてしまった。関係ないのならなぜ日本の特定企業の名前を出したのかという疑問も持たれてしまう。

 

『デュノア社がどうやら深刻な経営不振に陥っているようでして……シャルロットさんを社長の血を引く男性パイロットとして世間に公表して、状況の打開を狙ったものかと』

 

経営不振に陥ったとして、実の娘にそんな業を背負わせるか……くそっ、シャルロットが男性パイロットとして日本にくるルートは上手く回避したと思ったのに。俺の詰めが甘かったのだ。

 

唇を噛む俺はテレビの向こうのデュノア社長を睨む。余裕そうな笑みを浮かべ、シャルロット、いやシャルル・デュノアを日本のIS学園に編入させると話している。

 

記者に促されたシャルロットが立ち上がり、何も話すことなく頭を下げる。後ろに束ねられた金髪が、昔の彼女の姿と重なった。

 

……俺がまたシャルロットを取り戻す。紺野にも、シャルロット自身にも、だ。

 

『戦争です……森本さん』

『……え?』

『デュノア社関連の資料を全部送ってください。それと社長関連の個人情報も全て。紺野の敵を倒します』

『デュノア社を潰すつもりですか?』

『そんな……ただ、綺麗にはしますよ』

 

電話口で森本さんが苦笑する声が聞こえる。そしてすぐにノートパソコンに暗号化された資料が送られてきた。

 

テレビによるとシャルロットが日本に来るのは1週間後。クラス代表戦の少し前くらいだ。出来ることなら『シャルロット』として編入させた方がいいに決まってる。

 

俺は軽く肩をほぐすと、ノートパソコンを手を伸ばした。さぁ……戦争だ。



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