魔法少女まどか☆マギカR‐18 (七音)
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 前日譚 鹿目まどか

 

 

「う~ん……うぇっひっひっひ……ひっく……」

 

 

 耳元に聞こえる、女性が発してるとは思いたくない呻き声を意識の外に追いやり、無言で脚を進める。

 腕時計を確かめてみれば、現在、午前0時を少し回ったところ。予定より少し遅い。

 自分は今、人通りなど全く無くなっている通い慣れた順路を、厄介で大きな荷物――直属の上司である鹿目詢子に肩を貸してひたすら進んでいた。

 

 

「うぇへへぇ……。な~あぁ、やっぱりもうちょっと飲もぉぜぇ~? せっかくのめでたい日なんだしよぉ~?」

 

 

 部長は、赤ら顔でそう言ってのける。短時間でアレだけ飲んだというのに、まだ足りないらしい。

 お酒が好きなのは結構だけど、ザルじゃないんだからもうちょっと気をつけて欲しいのだが……。

 言った所で聞きやしないだろうと、頭を振る。

 

 本当に、勘弁して下さい。あんまり遅くなると、自分が怒られるんですから。

 

 

「んだよぉ、連れないねぇ……。うぃっく、そんなんだから、いつまで経っても童貞なんらぞぉ?」

 

 

 関係なくないですか? あと、下品ですよ。

 

 相変わらず、酒に酔うと下ネタが多い……。まぁ、他の人が居る時は口に出さないし、気を許されている証拠なんだろうけど。

 ともかく、それを諌めながら視線を前に向ければ、少し先に目的の家が見えてきた。

 見えてきましたよ、と告げると、部長は片手を上げ、自宅に向かってブンブンと振り始める。

 

 

「ん~? おぉお、愛しの我が家ぁ~」

 

 

 バランスを崩しそうになる体を支えながら、安心感にほっと息をつく。

 ようやく、酔っ払いの介護から開放される。

 

 

「……おい、今なんか失礼なこと考えなかったか」

 

 

 ……気のせいですよ、きっと。

 

 下からねめつける様な視線に、思わず苦笑い。

 なんで酔ってても勘だけは鋭いんだ、この人は……。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ただ~いまぁ……っとと」

 

 

 下ろしますよ、と断りを入れて、部長を玄関先に下ろす。

 すると、いつもの様に家の奥から、部長の旦那様――知久さんが、水の入ったコップを片手に姿を現した。

 

 

「お帰り、詢子さん。……いつもすまないね、家の詢子さんが迷惑を掛けて。事前に連絡までくれて、助かってるよ」

 

 

 態々頭を下げてくれる知久さんに、気にしないでください、と苦笑いしながら言葉を返す。

 

 もう馴れましたし、普段は逆にお世話になりっ放しですから。

 こうして少しでも恩返しが出来れば、自分も嬉しいです。

 

 

「そう言ってもらえると嬉しいよ。ほら、お水。飲める?」

 

「う~ん……んくっ、ごくっ……ぷはぁっ……ん~」

 

 

 コップの水を一気飲みした部長は、そのまま知久さんに抱きつき、甘える様にして頬ずりしている。

 普段の姿からは想像もできない有様だ。社内にある部長のファンクラブの会員達にこれを見せたら、きっと鼻血を噴いて喜ぶ事だろう。

 その後すぐ、血涙を流して悔しがるだろうが。

 

 

「それじゃあ、僕は詢子さんを部屋に運ぶから。上がっていってくれるかい? コーヒーでも淹れるよ」

 

 

 知久さんの気遣いに、頂きます、と返事をして靴を脱ぐ。

 部長が酔い潰れる度にこうして家まで送っているため、最早、定例文となったやり取りだ。

 最初の頃は、部長の旦那さんだから失礼があってはいけないと緊張したりもしたのだが、知久さんの親しみ易い人柄のおかげで、今では見習うべき人生の先輩として頼りにしている。

 だからこそ、少し心苦しいと思う事もあったりするのだが……。

 そんな事を思いながら、勝手知ったる鹿目家へとお邪魔させてもらう為に靴を脱ぎ、向きを正していると――

 

 

「……あ」

 

 

 ――背後から小さな声が聞こえて、振り返る。

 階段を下りてくる少女。

 黄色のパジャマにカーディガンを羽織り、普段ツインテールに結んでいる髪は、ポニーテールへと変わっていた。

 

 

「こ、こんばんわ……」

 

 

 驚きつつも、その少女に対し、こんばんは、と挨拶を返す。

 

 鹿目まどか。

 

 市立見滝原中学校に通う中学生で、上司である鹿目詢子さんの長女。

 そして。

 自分にとっては、生まれて初めて出来た、可愛いらしい恋人でもあった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 きっかけは、今日と同じ様に、酷く酔っ払ってしまった部長の世話を、同期に押し付けられた事だった。

 同期と言っても、彼等は自分より年下だ。

 

 就職活動に失敗し、他に遅れること数年。

 ようやっと取れた優良企業の内定に歓喜し、精一杯働こうとはしていたが、元より人付き合いが苦手な方だった為か、瞬く間に出来上がったグループに入り込む事が出来ず。

 結果、仕事以外では滅多に話す事も無く、飲み会にだって誘われた事が無かった。酒は嫌いだったが、それでも、誘われないのは寂しいもので。

 そんな自分を見かねたのか、色々と世話をしてくれるようになったのが、部長――当時は次長だった、鹿目詢子さんだった。

 仕事に引っ張りまわされ、無理矢理飲みに連れて行かれ。いつの間にか部署まで変わっていて。

 最初は迷惑にしか思えなかったが、しかし、その日々は充実していて。気が付けば、詢子さんの補佐をするのが当たり前のようになっていた。

 鹿目の腰巾着、と揶揄される事も多かったが、長い間、彼女に着いて仕事をする内に、その程度の陰口なら笑って流せる程、自分に自信も持てていた。

 

 そんなある日。

 次長から部長への昇進祝いの飲み会で、珍しく酔いつぶれた彼女の送迎を押し付けられた。

 そして、酔っ払いの口から零れる吐瀉物と道案内に苦労しながら辿り着いた家で、彼女――まどかと出会ったのだ。

 

 最初は、どう接して良いのか、戸惑って。

 次に会った時、笑顔が凄く可愛い事に気づいて。

 気がつけば、飲みに行った時に、部長が酔い潰れてくれる事を期待してしまう自分が居た。

 

 会えた時には、酒の勢いも借りて、色々な話をした。

 自分の事、彼女自身の事。

 会社での事や、学校で起きた事。

 不思議と何でも話す事が出来て、彼女も色んな事を話してくれた。

 話が弾んでしまい、翌日の学校に差し支えてしまった事もあり、その時は、部長と知久さんの両方に軽くお叱りも受けた。

 

 そして、短い逢瀬を重ねるうちに、ふと我慢できなくなり、デートに誘った。

 驚く彼女の顔を見て、後悔しそうになったが、彼女は赤い顔を俯かせながら、OKをしてくれて。

 そんなこんながあった末、ごく最近、晴れて恋人同士となったのである。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「今日は、何が原因だったんですか?」

 

 

 リビングで、向かい合って椅子に座りながらそんな事を思い返していると、彼女の方から話しかけてきてくれる。

 原因、というと、部長が羽目を外した原因だろうか……?

 

 それなら多分、部長なりにお祝いしてくれたんだと思う。

 酒は飲めるけど、好きなわけじゃないって知ってる筈なのに、こうやって飲みに誘われるのは少し困るけど。

 祝ってくれようとするのは、素直に嬉しい。

 

 

「お祝い? 何か、あったんですか?」

 

 

 不思議そうに首を傾げるまどかに、今日、昇格が決まった事を話す。

 

 

「しょうかく……? ……えぇ!? す、凄いじゃないですかっ、おめでとうございますっ」

 

 

 彼女は、まるで自分の事の様に喜んでくれている。

 その姿に少し気恥ずかしくなり、同期にはもっと上にいる奴も居るんだけど、と付け加えてしまう。

 

 

「それでも凄いよ――じゃなかった、凄いですよっ。よかったですねっ」

 

 

 それでも、と言って祝福してくれるまどかへ軽く笑い掛けながら、自分もお礼を返す。

 

 ……ありがとう。

 でも、二人きりなんだし、無理に敬語を使わなくても良いよ?

 

 

「……ぇはは、ごめんなさい……。なんか、あなたとお話してると、安心しちゃって……」

 

 

 まどかは、はにかみながら嬉しい事を言ってくれた。そんな彼女に悪戯したくなって、今度はちょっと軽口を叩いてみる。

 

 こっちは、結構ドキドキしてるんだけど。……可愛い女の子と二人っきりで。

 酒も入ってるし、変な気分になっちゃうかも……?

 

 

「ふぇっ!? ああああの、それはっ……」

 

 

 大いに慌てて、顔を真っ赤にするまどか。

 可愛らしい慌てっぷりを見れた事で満足し、冗談だよ……半分だけ、なんて、再び微笑む。

 

 

「あ……うぅ、酷いよぉ……」

 

 

 少し頬を膨らませ、彼女は不満げな表情を見せる。

 そんな表情すら可愛いのだから、女の子というのは反則だ。

 

 

「………………」

 

 

 くすぐったい様な、そんな沈黙が広がる中、知久さんが妙に遅い事に気付き、その疑問を口に出す。

 

 

「……確かに。着替えに手間取ってるのかも。私、ちょっと様子見てくる」

 

 

 流石にそれを手伝うわけにも行かず、頷いてそれを見送る。

 今日は疲れたし、酒のせいで少し眠くなってきているので、出来るだけ早く戻ってくれると助かるのだが……。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ……遅い。

 

 あれからもう、十分程時間が経っている。家に上がらせて貰ってからも合わせれば、二十分くらいか。

 いつもなら、知久さんの淹れてくれた美味しいコーヒーを飲み終えている頃なのだが……。

 やっぱり、少し様子を見に行ってみようか……。ドア越しに声を掛けるくらいなら平気だろうし。

 そう思い立ち、リビングを出て部長の寝室へと向かう。

 ちなみに、帰りが遅くなる事が多いため、知久さんとは別室だそうだ。末っ子のタツヤ君も、知久さんの部屋で寝ているらしい。

 

 そんな事を思い出しながら廊下を歩いていると、ドアの前で立ちすくむまどかを見つける。

 声を掛けようと思ったのだが、彼女は身を屈ませながら、ドアの隙間を食い入るように覗き込んでいた。

 手が届く程に近づいても、まどかは気が付かない。そこまで来ると、ドアの向こうから微かな声が聞こえてくる事が分かった。

 興味を引かれ、まどかの後ろからそれを覗き込むと、広がっていた思いも寄らない光景に息を呑む。

 

 

 

 

 

「……はぁっ、あっ……もっと……もっと……」

 

「はぁ、はぁ……詢子……詢子っ……」

 

 

 

 

 

 そこには、あられもない姿で絡み合う、上司とその旦那さんが居た。声を押し殺し、気付かれない様にしている所が、また生々しい。

 確かに、あんな美人に甘えられれば、こうなっても仕方ないと思うけども。男としては、とても理解できるけども。

 自分の存在を忘れ去られてしまったようで、なんとも複雑である。

 

 というか、こんな声も出せるのか、部長……。

 まずい、ちょっと、興奮してきた……。

 

 なんだか気まずくなり、自分の下に居る恋人の様子をうかがってみれば――

 

 

「………………」

 

 

 ――彼女は、その光景に釘付けになっている様だった。

 心なしか、頬は上気しているように見え、体はもじもじと揺れている。

 

 ……まずい。なにがどうこうとは言わないけれどこれはマズイ。

 

 とにかく一旦ドアから離れようと、小さく声を掛けたのだが、まどかは気づいてくれない。

 仕方なく、驚かせないように、ゆっくりとその肩に手を置く。

 しかし――

 

 

 「っ……!! ○△□×~!?」

 

 

 ――よほど驚いたのか、まどかは大きく体を跳ねさせ、自分で自分の口を押さえながら振り向く。

 慌てて、しーっ、と合図をすると、まどかはカクカクと頷く。幸い、部長達には気づかれなかったようだが、いつばれるとも分からない。

 とりあえず、絵面はちょっと間抜けだが、このまま退散するとしよう。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……はぁ、吃驚した……」

 

 

 再びリビングに戻ると、椅子に座り込み、二人で大きく息を吐く。まどかの言葉に、そうだね……ごめんね、と返しながら、自分はテーブルに肘をついて頭を抱える。

 よりにもよって、上司とその旦那さんの絡みを娘さんと一緒に目撃するとか、想像もしてなかった。

 男の視点から考えるに、多分、知久さんが我慢できなくなったんだろうけど、普段から穏やかな人だった分、余計に衝撃が大きい。

 眠気も吹っ飛んでしまったし、生でSEXを見たのも初めてだったせいか、むしろ目が冴えてしまった気がする。

 部長とも、明日からどんな顔して会えば良いんだろうか……。

 

 

「……どうしよう。私、初めて、見ちゃった……」

 

 

 動揺の感じられる声に顔を上げると、まどかはまた顔を真っ赤にして、同じく俯いていたようだった。

 予想外のタイミングで、両親の濡れ場を目撃してしまった彼女のショックの大きさたるや、想像に硬くない。やはり、取れる手段は限られるだろう。

 

 ……気づかなかった振りを、するしかない。

 

 

「……うぅぅ、でも……」

 

 

 未だにもじもじとしている彼女にそう声を掛けたものの、やはり、すぐに忘れるのは無理だろうと思う。

 なにしろ自分だって、こうして話している間にも、瞼の裏にさっき見たものがチラつくのだから。

 

 

「………………」

 

 

 なんとなく、視線が絡む。

 自分もいつかは、彼女と、ああいう事が出来るのだろうか。

 正直に言えば、今すぐにだってしたいくらいに大好きなのだが、それをしたら社会的にも物理的にも死ぬ。

 

 主に部長の拳のせいで。

 棘付きのメリケンサックとか、超似合いそうだ。

 そして、血の海に沈む自分と、返り血を浴びてニヤリと笑う部長……。

 

 嫌な未来予想図に悪寒が走り、頭を振って考えを振り払う。

 アルコールも抜け切っていないし、このままここに居たら、ホントに変な気分になりそうだ。

 

 ……今日はもう、さっさと家に帰って寝るよ。

 

 

「あ……もう、帰っちゃうの……?」

 

 

 そうまどかに告げ席を立つと、彼女は少し寂しげな表情を見せ、そんな表情に後ろ髪を引かれて、脚が止まってしまう。

 いつの間にか、距離が近づいていた。身長差があるせいか、自然とまどかは上目遣いになっている。

 

 

「……ん……」

 

 

 肩に手を置くと、瞼が閉じられた。

 引き寄せられるようにして、彼女の唇を奪う。

 もう何度か、同じ様にキスをしていたが、鼓動が早まるのは止められない。

 

 

「……はぁ……ちょっと、お酒の匂いがする……」

 

 

 そう言われて慌てて口に手をやり、ごめん、と謝る。

 考えれば、ついさっきまで飲み歩いていたのだから、酒臭いに決まってるじゃないか。こういう所に気が回らない自分が、少し情けない。

 だが、彼女は首を振りながら言葉を重ねた。

 

 

「あ、えと、嫌って訳じゃなくて……やっぱり、大人なんだなって、思って……」

 

 

 まどかの小さな手が、スーツの裾を摘んでいた。

 十以上歳が離れているのだから、小さく感じるのは当然で。

 信頼してくれる上司に内緒で、その娘に手を出している自分は、きっと、間違いなく、ろくでもない人間なのだ。

 だけど――

 

 

「……あっ……ん……」

 

 

 ――この、小さな手を離す事は。

 自分には、出来そうもなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「はぁ、はぁ……。さやかちゃん、おっはよ~」

 

「お? おはよ、まどか。でも遅いよー、もう先に行っちゃおうかと……」

 

「ご、ごめんね」

 

 

 弾む息が、白く煙らない程度には暖かくなった、三月の朝。

 通学路を小走りに駆け寄るまどかへ、彼女の友人である美樹さやかは、挨拶を返しながら腰に手を当てる。

 何時もの待ち合わせ時間より十分ほど遅れて来たまどかは、それに謝りつつも、もう一人の友人の姿が無い事に気づく。

 

 

「あれ、仁美ちゃんは?」

 

「ん? 明日は日直ですからお気になさらず、って昨日言ってたじゃない。あたし達もとりあえず歩こ、あんま余裕無いし」

 

「そう、だっけ? すっかり忘れちゃってた。本当にごめんね」

 

「はいはい、いちいち謝らない。いつもの事なんだし。ほら、行こ?」

 

「それはそれで酷いよぅ……」

 

 

 小学生からの付き合いの長さ故か、歯に衣着せぬさやかの物言いに、まどかはちょっと落ち込んでしまう。

 確かに寝坊は少しだけ……。本当に少しだけ、普通の人に比べれば多いかもしれないけれど、それが原因で遅刻した事だけは無い。

 だから、そんな風に言わなくても……なんて、思ってしまうのだ。

 

 

「ん、ふぁあぁぁ……あぅ」

 

「お~、大っきなあくび。夜更かしでもした?」

 

「うん、ちょっと。なんだか寝付けなくて」

 

「ありゃ、めっずらしー。悩み事? 何だったら、このさやかちゃんに相談してくれても良いのだぞぉ?」

 

 

 純粋に心配し、さやかは言う。

 彼女からすれば、まどかという少女は、どこか「ぽややん」とした印象の、危なっかしい子だった。

 時々、何もない所で転んだりするし、お昼を食べた後の授業なんか、しょっちゅう幸せそうに舟を漕いでいる。

 けれど、最近の女子中学生には珍しく、殆ど夜更かしなんてせず、先に上げた様に寝付きも良いまどかが朝から大あくびを見せるなんて、本当に珍しいのだ。

 

 

「ううん、違うの。悩み事とかじゃなくて……。どっちかっていうと、凄く、嬉しい事で……」

 

「あ、やべ」

 

 

 ――が、頬に手を当て、うっとりと目を閉じる彼女の姿に、さやかは自らの失策を悟る。

 ああ、スイッチが入っちゃった、と。

 

 

「昨日ね、ママから『今日は飲んで帰るから』って連絡があって、もしかしたらと思って課題をやりながら待ってたら、やっぱり、ママを送ってあの人が来てくれたんだぁ」

 

「あー、そーなんだー」

 

「それでね、話し声に気付いて下に降りてみたら、階段の所でばったり会っちゃって。

 心の準備が出来て無くって、とりあえずこんばんわって挨拶したら、あの人も『こんばんは』って、優しく笑ってくれて……」

 

「へぇー……それって普通の事なんじゃ……?」

 

「それからリビングでちょっとお話したんだけど、なんと! お仕事で昇格したんだって! これって凄いよね? やっぱり、お仕事をちゃんと頑張ってるんだなぁ」

 

「そりゃーお仕事ですからねー………………るねるねーるね」

 

「だけど私、それにビックリしちゃって、つい敬語を忘れちゃったの。そしたらね、『二人っきりなんだから気にしなくても良いよ』って、言ってくれて……」

 

「ほぉー………………ほけきょ」

 

「でもねでもね? それに安心してたら、今度は『可愛い女の子と一緒で変な気分になっちゃうかも』、なんて言うんだよ? 私もぅ、恥ずかしくって、顔が熱くなっちゃった」

 

「はぁー、さようでー………………モン○暮閣下」

 

 

 逐一入れられるちゃちゃに気付こうともせず、まどかは昨晩の出来事を語り続け、隣を歩くさやかはうんざり顔。

 小学五年生の頃からの、長い付き合い。それなりに彼女の事を理解しているつもりではあったが、まさか、恋愛関係で先を越されるなどとは、露にも思っていなかった。

 

 

(それが、この様だもんなぁ……)

 

 

 彼女との出会いの当初から、さやかには幼馴染である想い人が居り、今も片想いを続けている事は知っているだろうに、この親友は自分だけさっさか恋人を作りやがったのである。

 おまけに、事ある毎に起こったイベントを語りながら、周囲に糖分を撒き散らす。それを間近で浴びるさやかの体重が、ここの所、微妙に増え続けているのは、おそらくこいつのせいだ。

 まぁ、「やってらんねぇ」的な感じで食べるお菓子のせいも、少しはあるだろうが。

 しかし、悪気無く惚気まくるまどかにうんざりはするものの、幸せそうである事に変わりはなく、直接見定めもした結果(まどかを介してさやかが画策した)、大分年上なのが気に掛かるけれども、彼にならこの子を任せていいと思えた事もまた事実。

 さやか自身、先の想い人が事故に遭って酷く落ち込んでしまった時には、このカップルにとても励まされたのだ。

 だから、出来る限り応援したい気持ちも、勿論あるのだが――

 

 

「それから……ち、ちょっと飛ばして、また二人っきりになって……」

 

「ふーん、飛びます飛びまース○シウム光線」

 

「もう遅いから、あの人は帰るって言ったんだけど、私はなんだか寂しくなっちゃって……。

 でも、私は何も言ってないのに、それを分かってくれて、それで、優しく……ぇへへ♪」

 

「あーそーですかーグラ○ム・カー」

 

 

 いい加減ひっぱたいてやろうかこの全自動お惚気娘が。

 羨ましいんじゃ見せ付けおってからに。通報したんぞ?

 

 ――と、内心で、冗談ながらに辟易するさやか。

 頬を両手で覆い、顔を真っ赤にする彼女の姿はとっても可愛らしく、クラスに居る隠れファン(小動物みたいでぐっと来るらしい。さやかも激しく同意した)が見たら、きっと身悶えして大喜びすることだろう。

 が、辛い。辛いもんは辛い。辛いったら辛い。

 

 

(まぁ、あいつ等はあくまで愛でる事が目的みたいだし、変な事にはならないだろうから安心……してたのがこの様なんだってば。いい加減学べー、あたし)

 

 

 もう勘弁して欲しいのが本音だけれども、彼女が恋愛に関して一歩先んじているのは確か。

 どうにも羨ましくて、さやかは、口元を妙に色っぽく感じる笑みで飾るまどかを観察し、想いを馳せる。

 もし、彼と――幼馴染のあいつと、こんな関係になれたなら。

 それはさやかにとって、幼い頃から夢見ていた、最良の未来予想図に他ならない。

 彼女は相手の方から告白されたらしいのだが、ヴァイオリン一直線な彼の事。それを期待するのは無理っぽい。

 ならば、自分の方から想いを告げる事になるが――

 

 

(いやいやいや無理無理無理。んな事が出来るならとっくに彼氏彼女になってるよ……)

 

 

 ――溜息をつきながら、きっと無理だと諦める。

 いや、諦めきれないからこそ、この想いは燻るのだが、やはり、女子としては気付いて欲しいのだ。

 こんなにも、焦がれているのだという事に。

 ついでに、まどかから聞かされた告白のシチュエーションは、夕暮れの観覧車の中で、ちょっと強引に奪われたファーストキッス付き。

 恋に恋する乙女にとって垂涎の的。超羨ましいのである。何度、脳内で自分と彼に置き換えて妄想したことか。

 

 

(けど、今の恭介に、そんな余裕無いもんね……)

 

 

 さやかの幼馴染――上条恭介は、今も尚入院しており、毎日を苦しいリハビリに費やしている。

 そんな状態の彼に想いを伝えたとして、きっと、重荷になってしまう。きっと、今以上に苦しめてしまう。

 

 

(そんなの、嫌だもん)

 

 

 ――だから、今はこれでいい。このままが、良いんだ。

 

 それが最善のはずだと、また自分へ言い訳をして、さやかは思考を切り上げる。

 けれど、胸に込み上げる苦さは誤魔化し様が無く、隣で未だモジモジする親友の幸せぶりが、なんだか、嫉妬させる。

 ごちゃ混ぜになった気持ちが、普段なら余裕で聞き流せる惚気を耐えがたく感じさせ、さやかは、投げやりな気持ちのまま口を開く。

 

 

「……はぁ。ねぇ、まどか。そんなに好きなら、もういっそのこと押し倒して貰えば?

 なんだったら口裏あわせぐらいするから、お泊りでもしてさー。きっとあの人も大喜びでルパンダイブしてくれると思うよー」

 

「え? 押し倒………………っ!! そ、そんなっ、私まだっ……さ、さやかちゃんのエッチィイッ!!!!!!」

 

「あだぁ!?」

 

「あっ、ご、ごめん、ごめんねっ」

 

 

 しぱぁん、と小気味良い音が通学路に響き、さやかの背中に紅葉が咲く。

 予想外の反撃を受けて涙目になり、まだって事はいつかはいいんかい、とか思いつつ、彼女はひぃひぃ背筋を逸らす。

 そんな背中を優しく撫でながら、今度はまどかが考えを巡らせる。

 

 

(やっぱり、したいのかな。……えっちな、事……)

 

 

 ここまで過剰に反応してしまったのは、やはり、昨夜目撃してしまった情事が原因だろう。

 初めて見る、両親の――男女の睦み合い。

 目に焼きついた艶かしさは一晩経っても頭から離れず、今朝は随分とぎこちなく食卓を囲むことになってしまった(程よく炒まったウィンナーも残してしまった)。

 けれど、忘れられなかったのは、それだけではない。

 

 

(パパも、ママも、凄く幸せそうだった)

 

 

 その行為が性的な快感を伴う事を、知識としては知っていたが、それだけでは説明できないものを感じたのだ。

 言葉で言い表そうとしても、それは上手く形にならない。自分の頭の残念さが、少し嫌になってしまうけれど、それでも、考えるのを止められない。

 

 もし。

 もしも、あの人に求められたりしたら。

 

 

(私、断れる自信なんて……。ううん、もし、本当にそんな事を言われたりしたら……)

 

 

 ――むしろ、嬉しい、かも。

 

 まどかは、そんな風に思ってしまう。

 十歳以上年上の、母の部下である男性。

 今ではなりを潜めているが、彼とこんな関係になるまで、まどかの心はある種の諦観で占められていた。

 

 どんくさくて、何の取り得も無くて。誰かの役に立ちたいと思っていても、そのビジョンはあまりに漠然で、行動にも移せない。

 きっと、成長してもこれは変わらず、普通に学校を出て、就職して、結婚して……。

 ありふれた、つまらない人生を送るのだと、思い込んでいた。

 そんな諦観を呆気なくぶち壊したのは、それこそありふれた、誰にでも起こりうる出来事。

 

 恋、だった。

 

 最初はこんな関係になるだなんて、予想もしていなかった。

 けれど、いつのまにか、彼の事を考える時間が増えていて、些細な仕草が気になったり、次会った時に何を話そうか、なんて考えるようにもなり。

 気がつけば、漠然とした将来への不安は、胸を焦がす想いに。自信の無さは、変わりたいという渇望になっていた。

 そしてそれ等は、恋の成就によって、またしても簡単に解決してしまう。

 大好きだ、と言われるだけで、胸が一杯になった。家族や友達から言われるのとは、また違う感触が、心を震わせた。

 誰かに好きだと言って貰えて、誰かを好きだと言えるのは誇らしい事なのだと、教えて貰った。

 

 

(私は、いつも貰ってばっかり。こんなんじゃ、恋人失格だよね)

 

 

 だから、少しでも何かを返したくて、そういう事を勉強しようと、女の子向けの雑誌――ちょっと過激な内容の物も買ってみたのだが……。

 それは目が眩むような内容ばかりで、一冊読むのに二週間もかけてしまった。

 

 曰く、「キス以上を求められないのは気持ちが冷め始めてる証拠かも?」とか。

 曰く、「初エッチを許す平均的な交際期間は、ズバリ二ヶ月♪」とか。

 曰く、「年上の彼に飽きられないためには、彼の色に染まるしかないっ☆」とか。

 

 ぶっちゃけ、あんまり参考にしたくなかった。二ヶ月とか短すぎる。無理です。……けど、実録・体験談と銘打ってあったのだし、あながち嘘ばかりでもないはず。

 彼はかなり年上だし、本当は、キスをしたり手を握ったりだけじゃなくて、もっと恋人らしい事も、したいのかも知れない。

 もし、自分が子供なせいで、我慢させてしまっていたら。それが原因で、あの人が、遠くに行ってしまったら。

 ……考えただけで、目の奥がじんわりしてしまう。

 

 

(そんなの、絶対やだ。やっと胸を張って、好きだって思えるようになったのに)

 

 

 唇を指で触って、昨日のキスを確かめる。

 少し大きな、男の人の唇。

 重なった時の柔らかさ。

 僅かに香ったアルコールの匂い。

 抱き締められ、包まれた時の体温。

 

 ――それを知っているのは、私だけが、いい。

 

 

「……ねぇ、さやかちゃん。さっき言ってた事、今度の週末に、お願いしてもいい?」

 

「ぅおおぉ、ヒリヒリするうぅう……ぅえ? 良いけど……あれ、あたし何て言ったっけ?」

 

「だ、だから、その……あ」

 

 

 勇気を振り絞るまどかの言葉に、さやかはとりあえず頷くのだが、痛みで混乱しているのか、自身の発言を思い出せずにいた。

 説明しようとしたけれど、気恥ずかしくてまどかが口篭ってしまったその時、丁度、校舎から予鈴のチャイムが響いてくる。

 

 

「うわっ、まずいよまどかっ!? 走ろっ!!」

 

「あ、う、うんっ!」

 

 

 詳細を有耶無耶にしたまま、二人は遅刻を免れるために走り出す。

 だが、走っているだけにしては、奇妙な鼓動の跳ね方に、まどかは困惑し、そして――

 

 

(お願いしちゃったんだから、もう、後には引けない、よね。……うん、後は、私が勇気を出すだけ。……頑張れ、私っ!)

 

 

 ――不思議と、不快ではない高揚感に、決意を新たにするのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 大きな満月が、夜空に浮かんでいる。

 辺りに暗がりが広がる中、要所要所に点けられた電灯の下に、靴音が響く。

 自分は今、疲れた体を引きずり、溜息をつきながら、住み慣れた1LDKの部屋に向かってアパートの階段を登っている。

 部長を家に送り届けた日から、既に数日が経っていた。

 

 まどかとキスをした、あの後すぐ。

 ひょっこり戻ってきた知久さんに驚き、色々誤魔化しつつも、素知らぬ振りをしてコーヒーを一杯頂いてから帰宅した。

 一晩寝て起きてショックも抜けたのか、部長ともいつも通りに仕事は出来たのだが、あの日以降、やけに頼まれる仕事が増えた上に、微妙に面倒くさいと言うか、チマチマしている。

 昇格したのだから当たり前といえばそうだし、いつもの事でもあるのだが、何か妙だ。

 ふと気付くと、部長が何かを考える様な顔で、こちらを見ているも多くて。

 まるで何かを探られている様な、そんな気がしている。

 もしかしてあの日、覗いていたのがばれているのだろうか。それとも、娘に手を出されている事に気付いたとか。

 

 ……両方とも、ありそうで怖い。

 

 一応、本気で責任を取りたいと思っているが、やはりまだ部長に認めてもらえる自信は無い。少なくとも、今のままでは門前払いが関の山だろうし……。

 いや、そもそもあんな可愛い子と恋人で居られる時点で、奇蹟のようなものだ。

 当たり前の話だが、まどかがずっと自分の事を好きで居てくれる保障なんか無い。

 

 このままでいたら、いつかきっと、愛想を尽かされてしまうんじゃないだろうか。

 自分なんかよりも若くて、良い男を見つけた方のが、彼女の幸せに繋がるんじゃないのか。

 自分は、どうするべきなのか。

 どうしたら、あの子と幸せになれるのか。

 

 そんな不安を抱えながら歩いていると、自分の部屋に繋がるドアが見えてくる。

 だが、その前に小さな人影が立っているのに気づき、暗がりに目を凝らす。

 

 

「……あ、お帰りなさい」

 

 

 言いながら、人影はこちらに向き直る。

 立っていたのは、大き目のバックを手に提げ、制服の上に薄手のスプリングコートを羽織るまどかだった。

 

 た、ただいま……。あ、とりあえず、上がって?

 

 

「うん。お邪魔します」

 

 

 困惑しながらも彼女に返事をし、その手を引いて家の中に招き入れる。どれ程待っていたのか、小さな手は少し冷たくなっていた。

 電気を点けると、割と綺麗に片付いたリビングが目に入る。恋人が出来てからというもの、小まめに掃除を続けておいて本当によかった。

 まどかをソファに座らせた後、自室に戻り、部屋着へと着替えてから、二人分のコーヒーを淹れる為にキッチンへ。知久さんの影響で淹れ始めたものだが、最近ではすっかり趣味の一つになっている。

 彼女の分を少し甘めにして、それを手渡す。

 

 

「あ、ありがとう……」

 

 

 律儀に御礼をするまどかに、どういたしまして、と返しながら彼女の隣に座り、何かあったのか、と事情を尋ねる。

 まだ恋人関係になる前に二~三回程、友達連れで遊びに来た事はあったが、今日のように帰宅待ちをされたのは初めてで、少し心配になった。

 

 

「あ……えっと……」

 

 

 その問いに、まどかは顔を俯かせ、コーヒーカップを握り締める。彼女の表情は、真剣そのものだ。

 よほど重要な事なのかと自分も緊張し始め、口を湿らせるためにコーヒーを啜り――

 

 

 

 

「……じ、実は……今日は……ぉぉお、お泊りに来ましたっ!!」

 

 ごふぅっ!? げっほ、ごほっ……!!

 

「きゃっ!? だ、大丈夫っ!?」

 

 

 

 

 

 ――予想していたのとは違うベクトルの驚きにコーヒーを噴出し、噎せ返る。

 まどかが背中を摩ってくれていたが、それに何も返せない程に驚いた。

 自分は思わず、ぬなな何を言ってるんだ、と噛みまくりながら聞き返す。

 

 

「……だめ……?」

 

 

 間近で首を傾げる彼女に不覚にもキュンとしてしまったが、とりあえず、頭に浮かんだ疑問をそのままぶつける。

 

 何でいきなりこんな事を?

 部長が許可するわけが……。

 

 

「あ、それは平気。さやかちゃんに口裏合わせてもらうから」

 

 

 さやか、というと、あのどっちが名前だか分からなくなりそうな元気娘の事か……。随分と手回しの良い事で……。

 というかあの子、この家に来た時は物凄く警戒してなかったか? 釘も刺された気がするのに、それが一体どうして……う~ん……。

 

 それは分かったけど、でも、どうしてお泊りなんて……?

 

 

「……そ、その、あれから、色々、調べたんだけど……。お、男の人って、その……え、Hな事、しないと、辛いんだよね……?」

 

 

 男としては否定し辛いその言葉に、まぁ、そうだねぇ……と、視線を逸らしながら頷く。

 あれ……? なんでこんな問答してるんだ……?

 

 

「もう、付き合い始めて、結構経つし……雑誌とかだと、このくらいでするのが、普通だって……。

 そ、それに、その……この間の、ママ達のを見ちゃってから、その……意識、しちゃって……」

 

 

 まどかは、両の指を突き合わせながら、頬を赤くし、上目遣いにこちらの様子をうかがっている。

 そんな様子も可愛いと思ったのだが、ここは心を鬼にして、雑誌の情報なんて鵜呑みにしない方がいい、と諭す。

 本当に、最近の女の子向けの雑誌は載ってる内容が異常だと思う。

 

 

「で、でも……は、初めては……す、好きな人が、いいって、言うか……。さやかちゃんにも、『そんなに好きなら押し倒してもらえば?』って、言われちゃって……」

 

 

 あんの小娘まどかに何吹き込んでやがんだ適当な事言いやがって今度会ったら覚えてろよ吠え面かかせてやる。

 

 

「……わ、私じゃ……だめ、ですか……?」

 

 

 潤んだ瞳で見つめながら、まどかは返事を待っている。

 本当なら、二つ返事で受け入れたい。だが、社会人としての理性がそれを押し留めた。

 

 やっぱり、まだ早すぎる。

 

 

「でも……!」

 

 

 言い縋ろうとする彼女の肩に手を置きながら、自分はゆっくりと話しかける。

 

 自分だって、したくない訳じゃない。

 むしろ、誰かの手に渡る前に、全部自分の物にしたい位だ。

 

 

「それなら……っ」

 

 

 だけど。

 今、そんな事をしたら、まどかの人生の選択肢が狭まる事になる。

 こんなに早くそういう事を経験してしまったら、後で後悔するかもしれない。

 まだ中学生なんだから、焦る必要なんて――

 

 

「……いやっ!!」

 

 

 ――と、そこまで口に出した所で、突然、体に衝撃が走る。

 まどかが、まるで体当たりするかのように飛びついて来ていた。

 

 

「あなたから見れば、私は子供かもしれないけど……それでも、ちゃんと本気なのっ。

 今は側に居てくれても、いつか離れて行っちゃいそうで、怖くて……ずっと、ずっと好きで居て欲しいから……だから……私……っ」

 

 

 彼女は、縋りつくようにして声を絞り出している。その、泣きそうな声を聞いて、ようやく理解した。

 

 不安なのは自分だけじゃ無かったんだ、と。

 

 彼女よりもそこそこ長く生きている自分ですら不安に悩まされているのだから、当の本人だって、不安を感じていて当然だ。

 そんな時に、深く絆で結びついている両親の姿を見て。きっと、それを真似ればあんな風になれると思って、こうして必死に繋ぎ止めようとしてくれているのだろう。

 いつも、一緒に居る時は、笑顔で居てくれたから。それを見ていれば、自分は幸せだったから。その裏に隠してあった不安に、気付けなかった。

 自分の不甲斐無さが嫌になるのと同時に、そんな自分をこれ程まで想ってくれるまどかに、胸が熱くなる。

 

 

「あっ……」

 

 

 気が付けば、きつく、彼女を抱きしめていた。

 その温もりが、どうしようもなく嬉しくて。

 自分も、まどかを欲している事を自覚した。

 

 

「………………」

 

 

 腕の中で、彼女は瞑目している。

 それに顔を寄せて、静かに囁く。

 

 本当に、いいんだな。

 

 

「……っ……」

 

 

 まどかは、無言で頷く。

 そんな彼女に、言い訳がましくも言葉を続ける。

 

 ……は、初めてだから、上手くできないぞ?

 

 

「……! 本当っ? ……嬉しい、かも……」

 

 

 もう、絶対手放さないからな。

 一生、逃がさないぞ?

 

 

「……うん……」

 

 

 その言葉を聴くと、まどかはゆっくりと体を起こし。

 大きな瞳で、上目遣いに見つめながら、小さく呟いた。

 

 

 

 

 

「……私を、あなたの物にして下さい……」

 

 

 

 

 



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【らぶらぶな】少女M・Kの場合【初体験】

 

 

 制服の上着を脱ぎ、シャツと、チェック柄のスカートだけになって、まどかはベッドの上に横たわる。

 薄暗い部屋の中、満月の光に照らし出されたその顔は、やや上気しているように見えた。

 

 

「あ……うぅ……」

 

 

 偶然に視線が重なると、まどかは恥ずかしそうに視線を逸らす。

 そんな彼女へ微笑み掛けながら、覆い被さるようにベッドに乗り、顔の位置を合わせる。

 

 

「あ……ん……む……ちゅ……」

 

 

 無言で唇を合わせ、硬く閉じられたそれを開いて欲しくて、彼女の唇を舌でなぞる。

 

 

「ふぁ……んちゅっ……ちゅっ……」

 

 

 おずおずと開かれたそこに遠慮なく自分の舌を進入させ、まどかの舌を絡め取る。

 ちゅぷ、ちゅぷ、と生々しい水音が頭の中に響き、それと共に、背筋へゾクゾクと弱い快感が走った。

 だがもう、それだけで満足はできず、気づかれないようそっと彼女の胸元へ手を伸ばす。

 

 

「……ぷぁっ……れるっ……ん、んぅっ!?」

 

 

 厳つい手がまどかの控えめな膨らみに触れると、彼女は驚き、身を捩ろうとする。

 それを少々強引に押さえ込み、口内をねぶりながら胸を揉みしだく。

 

 

「あっん……やっ……ちゅっ……もぅ……んちゅっ……」

 

 

 まどかはキスの合間に、仕方ない、といった風に声を漏らすと、体の力を抜き、身を預けてくれる。

 そのまましばらく小ぶりな胸の弾力を楽しんでいたが、肌との間に存在する布達が本来の柔らかさを伝えてくれない。

 もどかしい思いをしながら、空いている方の手で、シャツのボタンを外していく。

 

 

「あっ……ん……」

 

 

 それに気づいた彼女は、一瞬、止めようと手を伸ばしかけるが、ゆっくりとベッドの上に戻し、為すがままを受け入れる。

 全てのボタンを外し終えシャツの前を開くと、彼女らしい、可愛らしいデザインのブラジャーが眼に入った。

 

 

「やぁ……は、恥ずかしい……」

 

 

 言いながら、まどかは両手で自分の顔を隠してしまう。

 そんな彼女の姿に、自然とまた微笑みながら、ずらすよ、と一声掛け、ブラジャーに手を添えてゆっくりと上に

 

 

「……ひゃんっ」

 

 

 頭頂部で一旦引っかかるように動きを止めるが、構わず更に上へと押し上げる。

 すると、ぷるんっ、と揺れながら、桜色をしたそれが顔を見せた。

 

 

「うぅぅ……」

 

 

 恥ずかしそうに、体を縮こませるまどか。

 少々苛虐心が刺激され、驚くだろうなとは思いつつも、いきなり口に含む。

 

 

「ひゃぁっ!? あっんぅっ!!」

 

 

 案の定、彼女は大きく反応を示し、刺激に耐える為か、ベッドのシーツを強く握り、体をプルプルと震わせる。

 可愛らしい様子に、苛めたいという欲求は一応満たされたものの、満足かと言われれば程遠く。

 空いている方の胸も手でこね回しながら、口の中にある方も舌で転がす。

 

 

「ひゃっ、あぅ、んっ……ふっ、んっ……」

 

 

 ただ転がすだけでなく、吸い上げたり、舌で押し込んだり。

 手で弄んでいる方も、摘んだり、指で軽く弾いたり、挟み込んだりして楽しむ。

 その度に、まどかの体がピクピクと反応し、切なげな吐息が漏れる。

 

 

「はぅ、はっ、んくっ、ふっ、ふぅっ、あんっ」

 

 

 舌が疲れ始めるまでに反応を楽しみ続けていると、彼女も刺激に馴れ始めたのか、躊躇い無く快感を声に乗せ始める。

 けれど、甘い声が耳に届くと、もっと恥ずかしがるまどかの声が聞きたくなってしまい、最後に一際強く吸い上げながら、ちゅぽっ、と音を立てて胸元から顔を離す。

 

 

「ひぁんっ」

 

 

 まどかが声を上げ、ビクッ、と体を揺らす。

 顔を覗いてみれば、瞳は潤み、頬を真っ赤に染めて、呆ける様な表情をしていた。

 今までに見た事のない、淫靡な表情を引き出せた事にかなりの満足感を得るのだが、それに比例する様に。

 

 まだ、まだ、足りない。

 もっと、もっと、より深く。

 彼女の全てを引き出したい。

 

 そんな強い欲求が生まれて、一旦は離した顔をもう一度近づけ、体に舌を這わせながら、下へと動く。

 

 

「ひゃっ、くふっ……や、やめて……く、くすぐった……あははっ」

 

 

 先程までとは違って、一転、無邪気な笑い声を上げるまどか。

 だが、舌がへその辺りに来ると、また声が変わり始める。

 

 

「……だ、だめ、だって、ば……そこ、は……おへそ……ふぁっ」

 

 

 すべすべで、吸い付く様な感触のお腹に舌を這わせ、その中心にある穴をほじる様に、舌を差し込む。

 彼女は明らかに色を含ませた声を上げ、体を反らせた。

 

 

「ふぁっ、ひっ、んぁっ……だ、だめっ、き、きたない、よぉっ……ぁんっ」

 

 

 あまり強くすると痛くしてしまうかも知れないと思い、奥までは入れず、その代わり、何度も何度も、舌を入れては出すを繰り返す。

 

 

「あっ……ひぅっ……んく……ぅんっ……」

 

 

 その度に、まどかはポコポコとお腹に力を入れ、反応を返す。

 完全に快感を得る為のスイッチが入ったのだと悟り、再び体から顔を離し、彼女を抱きしめるように引き起こして、スカートの上から太ももを撫でる。

 

 

「はぁ……はぁ……んっ……はぁ……」

 

 

 荒い息を漏らすまどかに、触っても良いか、と尋ねながら、ゆっくりと、太ももに添えた手を下にずらす。

 すると、見ているこちらが心配になる程に顔を赤く染め、胸に顔を埋めて小さく頷き、ほんの少しだけ脚を開く。

 

 

「……っ」

 

 

 太ももを撫でていた手を内側に回し、焦らすように、上へと移動させる。

 そのまま直接触る事はせず、ショーツの周囲を迂回して、今度は下腹部を撫で回す。

 

 

「……っ……ぅ……ふ……ぁ……」

 

 

 間接的な刺激がもどかしいのか、胸に顔を埋めたまま、まどかは小さく息を漏らす。

 吐息が胸に当たり少々くすぐったかったが、じっと我慢し、今度は手を下にずらして、ショーツの上から彼女の恥部をゆっくりなぞる。

 

 

「ぅあっ!? ……く、ふっ……」

 

 

 小さな体が跳ねる。

 ショーツをなぞる指には、ぬるぬるとした液体が纏わりつき、男性を受け入れ始める準備をしている事を知る。

 だが、それよりも驚いたのは、愛液に濡れたショーツが彼女のそこにぴったりとくっついてしまっている事だ。

 と言う事は、まどかには、まだ生えていない……?

 

 

「やぁ……やっぱり、恥ずかしい……私もう、中学生なのに、全然……」

 

 

 今にも泣き出しそうな声で、まどかは恥ずかしいと声を漏らす。

 そんな姿が愛おしくて、胸の中に在るまどかの頭に軽く口付け、可愛いよ、と囁く。

 

 

「あぅ……うぅぅ……」

 

 

 まどかは抱きつく腕に力を込め、胸板に顔をぎゅっと押し付ける。

 頭を撫で、直接触るよ、と断ってから、いよいよショーツの中へと手を滑り込ませた。

 

 

「あっ、まっ……んひっ……あっ、やぁ、っ……」

 

 

 そこは強い熱を帯びていて、おしっこを漏らしたのかと思う程、びしょびしょに濡れていた。

 これなら無茶をしても大丈夫か、と一瞬思ったが、敏感な部分である事を思い出し、思い留まる。

 代わりにゆっくりと指を縦に滑らせ、触れた花びらをこれまたゆっくりと、円を描くようになぞった。

 

 

「ふぁあ……あぁ……ぁあっ……んっ……んぅ……ふっ……くっ……」

 

 

 動きに合わせ、まどかは甲高い声を上げ始める。

 指を差し入れたい衝動に駆られたが、内側を傷つける事を恐れ、入り口付近だけを、丹念に、解すためにこね回す。

 

 

「んっ……ふぁ……ひんっ……あ……ふ……ふぅ、んっ……」

 

 

 ふと気になり、自分でした事は、と聞いてみる。

 

 

「ふぇっ!? ……あ……う……ど、どうしても、言わなきゃ……だめ……?」

 

 

 まどかは驚きに顔を上げ、そう問い返す。

 嫌なら無理には……と更に返せば、しばらく躊躇するように沈黙した後、顔を俯かせながら、彼女は口を開く。

 

 

「……い、一回、だけ……。あなたの、事、考えてたら……なんか、むずむずして……。

 でも……途中で頭が真っ白になって、怖くなっちゃって……。それからは、一度も……」

 

 

 羞恥を堪え、震える声で、まどかは告白する。

 

 あの、まどかが。

 いつも、純真無垢な笑顔を見せてくれていた、あのまどかが。

 自分の事を想い、そんな事をしていた。

 

 その事実に堪らなく興奮し、彼女の唇を強引に吸い上げ、指を激しく上下させる。

 

 

「んむっ……ふぁっ!? やっ……だ……むぅ……ちゅっ……つ、強……ひぅっ……あっ、あっ、あっ」

 

 

 唇から首筋へとキスの対象を変え、空いていた手でまた胸を弄び、ショーツの中の手をくねらせる。

 まどかの息が徐々に荒くなり、体が震え始めた。

 背中は大きく仰け反り始め、脚がピクピクと痙攣をする。

 その様子に、流石にやりすぎたかと心配になり、少し休ませる為に、ショーツの中の手を引き抜こうとした。

 だが、その手がうっかり、小さな突起物に触れてしまい――

 

 

「ひゃあっ!? ん、あぁぁああぁっ!! ……あぁっ……あ……う……」

 

 

 ――まどかが一際大きく跳ね、同時に、今だショーツの中にあった手に暖かい液体が掛かる。

 直後、彼女は全身から力を抜き、くたっ、とベッドに倒れこむ。

 口元からは涎が垂れ、蕩けきった目は、呆然と宙を見つめていた。

 その姿から、自分の手が彼女を絶頂に至らせたのだ、という事に気づく。

 

 

「あ……うぅ……ふぅ……はぁ……んっ……」

 

 

 まどかは、荒い息遣いを続けている。まだ快感の余韻が続いているのだろう、時折、体を揺らしては声を漏らしていた。

 淫らな姿に、雄としての本能が鎌首をもたげる。

 気が付けば乱暴にズボンのベルトを外し、下半身を露出させていた。

 自分の分身は、まさしく怒張という表現がふさわしい程に、今にもはち切れそうに。

 濡れそぼり、もはや役割を果たしていないショーツを強引に引き下げ、脱がせるのももどかしく、脚の間をくぐるようにして腰を近づける。

 

 

「……え? ……ひっ」

 

 

 まどかが声を上げたが、それすら耳に入らない程興奮していた。

 そしてそのまま、彼女の恥部に先端をあてがい、入り口を確かめる為に擦り付け――

 

 

「ひぁあ!?」

 

 

 ――ぬりゅ、とした刺激に、まどかは再び体を反らせる。

 自分も、ただ擦り付けただけだというのに、そのあまりの快感に思わず息が漏れた。あやうく、それだけで射精してしまいそうなほど気持ちが良かった。

 

 だが、ここで出したくない。出すなら、まどかの中で。

 

 そんな勝手な願望を達成する為、目を閉じ、必死に射精感を我慢する。

 しばらくしてようやく落ち着き、大きく息を吐く。そして、再び挿入しようと目を開けると、思わぬものが視界に入り、煮え滾った思考を冷却する。

 

 

「……っ……」

 

 

 まどかは硬く瞼を閉じ、端に大粒の涙を浮かべていた。肩を震わせながら自身を抱きしめ、耐え忍ぶよう、じっと何かを待っている。

 その姿に、自分がどれほど身勝手な行動をしていたのかを知り、大きな罪悪感が込み上げた。

 後ずさり、腰を離して、彼女を抱き起こしながら、ごめん、と謝る。

 

 

「……ぁ……うぅ……ぐすっ……」

 

 

 肩に額を乗せ、首に腕を回しながら、まどかは小さく嗚咽を漏らす。

 頭と背中を優しく撫でながら、自分は、彼女への想いを言葉に乗せる。

 

 焦って、ごめん。

 でも、どうしても、まどかと繋がりたい。まどかの全てが欲しい。

 だから……。

 

 

 

 

 

「……スンッ。……うん……。私も……あなたと、繋がりたい……。あなたが、いい……」

 

 

 

 

 

 まどかはそう言うと、頬に小さく口付けてから、もう一度ベッドに横たわる。

 覆い被さる様にして、腰を近づけ、手を握り。

 入り口にもう一度先端をあてがい、いくよ、と声を掛ける。

 

 

「……ん……来て……?」

 

 

 こちらを真っ直ぐに見つめ、まどかは頷きを返す。

 その言葉に誘われるまま、ゆっくりと、彼女の中に自分自身を埋めていく。

 

 

「……う、あ゛っ!? うぐっ……いっ……」

 

 

 握った手に、痛いほど力が篭る。

 先端に何か引っかかるような抵抗を感じたが、それはすぐに破れ、更に奥へ。

 やはり痛いのだろう。まどかは辛そうな声を出すのだが、暖かい肉壁を押し広げ、竿を飲み込ませていく感触に夢中になり、留まる事なく突き進む。

 自分自身、女性の中に分け入るのは初めてだった為、歯止めが利かなかった。

 

 

「……うぁっ……はっ……はっ……」

 

 

 やがて、何かに突き当たる感触がして、腰を止める。まだ自分には、少しだけ奥へと進めるだけの余裕が残っていたが、まどかの体の大きさから考えて、ここが限界なのだろう。

 初めて男性を受け入れる彼女に、これ以上無理を強いるのも嫌で、そのまましばらく動きを止める。

 と、格好つけてはいるが、実際には、ただ挿入しただけで射精してしまいそうな快感に襲われ、動けないだけなのだが。

 

 

「……あぁ……入っ、てる……奥、まで、ぇ……」

 

 

 まどかは、苦しげに息を漏らしながら、それでも満足そうに呟く。

 だが、痛むのは変わりないのか、目の端からは涙が零れていた。

 心配になり、それを拭いながら、大丈夫か、と声を掛ける。

 

 

「……うん、大丈夫……。嬉しいの……。これは、嬉しくて……。痛いけど、その何倍も、幸せだから……だから……」

 

 

 健気な言葉に、小さく頷く。

 ゆっくりと腰を引き、徐々に竿を引き抜いて――

 

 

「ひっ……ぁ……ぐっ……うぅ……ん……」

 

 

 ――限界まで引き抜いたそれを、もう一度、彼女の中に埋めていく。

 

 

「いっ……ひあっ……くっ……うっ……あっ……」

 

 

 まどかの漏らす、痛みが混ざった声を頼りに、ゆっくりと前後の動きを繰り返す。

 

 

「ふっ……うっ……んぁ……うぅ……んっ……」

 

 

 彼女の中は、まるで熱に浮かされている様に熱く、ぎゅうぎゅうに締め付けてくるのに。

 溢れ出る愛液と、膜が破れた事による軽い出血が滑りを良くし、また挿入を促す。

 

 

「ふぅっ……んぅ……あっ……あぅ……あんっ……」

 

 

 その締め付けは、挿入する時はまるで拒むかのように強く抵抗するが、引き抜こうとすると、逆に縋りつくように竿に絡み付いてきた。

 与えられる快感は凄まじく、次第にまどかの事を気にする余裕がなくなっていき、腰の動きがどんどん早くなっていく。

 まどかの小ぶりな胸が、動きに合わせてプルプルと揺れていた。

 

 

「んっ、うっ、ふっ、ふっ、あっ、あぁ、んっく、ぅん」

 

 

 彼女の声も、痛みを感じているとは思えない程に艶を含み始め――

 

 

「あっ、あっ、んっ、んぅっ、あんっ、あぅっ、はっ、ひぁっ」

 

 

 ――その声に突き動かされて、無心に腰を動かす。パンッ、パンッ、と腰を打ち合わせる音が響く。

 腰を動かすたびに、じゅぷっ、じゅぷっ、と繋がりあった部分から、愛液と共に音が漏れる。

 思考は快楽の中へと完全に埋没し、ただ、貪るように腰を叩きつける。

 

 

「あっ、ひゃっ、んっ、あはぁっ、あんっ、あっ、あっ」

 

 

 唐突に、限界は訪れた。下腹部から熱いものが竿を駆け上り、今にも爆発しそうな程に高まる。

 白熱する思考の中で、それを無意識に感じ取った自分は、まどかの名を叫び、一際強く、その最奥に先端を突き立てた。

 

 

「んぁあっ!?」

 

 

 瞬間、熱い迸りが、まどかの中に放たれる。

 

 

「あ、ああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!」

 

 

 受け止めるまどかは、またも大きく体を仰け反らせ、甘い叫び声を。

 内側が別の生き物の様に蠢き、竿をしごき上げ、経験した事のない、麻薬の如き快感が全身を駆け巡った。

 彼女の両脚が腰に絡み、より深く、最奥へと先端が押し付けられる。

 

 

「あ、ああぁ、ああ、ぁぁ、ぁああ」

 

 

 竿が脈打つたびに、まどかが声をあげる。同時に壁が蠢いて、より射精を促す。

 自分でも驚くほど長く、射精は続いていた。

 

 

「あぁ……あ……はぁ……はぁ……」

 

 

 ようやっと射精が終わると、へたり込むようにしてまどかの上に倒れこむ。

 荒い息遣いが、耳元で響く。

 余韻が抜け、自分が彼女に圧し掛かっている事に気づき、ゆっくりと体を起こすと、目と目が合った。

 

 

「……ん……」

 

 

 どちらからともなく、ただ、触れるだけのキスをする。

 

 唇が離れると、まどかは優しく、柔らかい微笑みを浮かべてくれるのだった。

 

 

 

 

 

「………………大好き………………」

 

 

 

 

 




 まどっちマジ天使。


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 前日譚 巴マミ

 

 

 夕暮れ時。かつては逢魔ヶ時とも呼ばれていた時間帯。

 赤く染まる街並みの中を一人、家路に着いていた。今日に限って友人達は全員先約があり、一人では寄り道する気にもなれず、黙々と脚を動かす。

 場所は既に、住宅街に入っている。周囲には同じ制服を着た学生達の姿がちらほらと見受けられた。

 彼等の姿を横目に自分は、今日の夕飯は何かな、などと適当な事を考えていた。

 

 そんな中、ふと気付くと、見覚えの無い四つ辻に立っていた。

 適当に歩いている内に、道を逸れてしまったのだろうか。それにしたって、こんなに狭い路地がこの近辺に在っただろうか……?

 頭を捻っていると、不意に、背後に気配を感じた。

 何の気なしに振り返ってみても、そこには何の変哲も無い道が広がっている。

 

 気のせいかと思い、早く家に帰ろうと歩を進める。だが、しばらくすると、再び見知らぬ四つ辻に出くわす。

 ――違う。よくよく見れば、覚えがあった。

 ここは、ついさっき自分が通り過ぎたはずの道だ。マンホールの蓋に奇妙な絵柄が刻まれていたので、それが印象に残っていた。

 それが今、なぜか目の前にある。

 

 再び、背後に気配。

 だが、振り向いてもそこには何もない。

 

 心臓が早鐘を打ち始めた。

 歩くスピードを速め、先程と同じように真っ直ぐ進む。

 また、マンホール。

 背後に気配。

 

 振り向かずに、今度は右に曲がる。しばらく進むと、今度は目の前にマンホールは無かった。

 ほっと一息ついて辺りを見回し、息を呑む。

 左の道に、奇妙な絵柄が落ちていた。

 

 背後に気配はしなかった。

 代わりに、小さな音。

 

 

『――――――ペタ』

 

 

 恐怖に駆られ、走り出す。

 何度も、何度も。適当に道を曲がっては、四つ辻に出くわす。

 手の平に汗が滲む。緊張と恐怖から、喉がカラカラに渇く。

 それでも、速度を緩める気にはれなかった。

 

 ふと突然、地面が軟らかくなったような感触がして、たたらを踏みそうになる。通り過ぎ様に見たそこには、あの奇妙なマンホールがあった。

 それでも走り続けながら周りを見渡すと、それが切っ掛けだったのか、道がどんどん変化していった。

 やがて、それは周囲の景色にも及び始め、統一感の無い――いや、逆に、何かに“統一されてしまった”ような、尋常ならざる世界へと姿を変えていく。

 

 本能が、激しく警鐘を鳴らす。

 

 逃げろ。

 ここから逃げろ。

 考えている暇なんて無い。

 脇目も振らずに駆け抜けろ。

 

 肺が悲鳴を上げ、脚が疲労でどんどん重たくなっていく。

 それなりに体は鍛えていた方だから、普通の不審者相手ならもう逃げ切っていても良いはず。

 

 

『――――ペタ――』

 

 

 だが、背後に感じる気配は、距離が開くどころか、まるでにじり寄る様に迫りつつあった。

 周囲の風景は、既に常識外の物へと変貌を遂げていた。

 どこにも焦点を合わせる事の出来ない、ピントのずれた風景からは、まるで、子供が虫を解体して遊んでいる時のような甲高い笑い声が響く。いっそ無邪気にすら感じるその声が、心を切り刻む。

 いつの間にか、日は暮れていて。

 中空には、街灯と思しき光が、ぼんやりと漂っていた。柱なんて、どこにも見当たらないのに。

 

 

『――ペタ――――』

 

 

 うるさい程の笑い声の中でも、その音はハッキリと耳に届いた。

 耐えられなくなり、一体何なのかを確かめようと振り向いてみると、丁度、暗がりから何かが顔を出す。

 

 それは確かに、人の形に見えたが。

 それには、顔が無かった。

 否、顔どころか、人として必要な部分の尽くが欠損し、尚且つ、人ではありえない配色をしていた。

 

 出来損ないの球体間接人形――そんな表現がピッタリだった。それなのに、時折痙攣する様な人間くさいその動きが、より異常さを際立たせる。

 背筋の、腰の上辺りに、冷たい物が降りる感じがした。

 足がもつれて、強かに顔を地面に打ち付ける。

 痛みに呻き、それでも逃げ続けようと必死に顔を上げると――

 

 

『ペタ――――――』

 

 

 ――目の前に、無貌の面が在った。

 

 息が止まる。

 悲鳴を上げられない。

 目を離す事が出来ない。

 身震いすら出来ない。

 

 停止した思考の中に、一つだけ浮かんだのは。

 

 

 “死”と言う言葉だった。

 

 

 

 

 

「――――――ティロ・フィナーレ!!」

 

 

 

 

 

 なにか、耳に綺麗な音が聞こえた気がした、その瞬間。

 黄金色の糸によって宙へと絡め取られ、重い砲撃音と共に、“死”が消し飛んでいく。

 

 

「大丈夫ですかっ!?」

 

 

 それが、自分に掛けられた言葉だという事に気付かぬまま、ただ反射的に、綺麗な音のする方へと顔を向ける。

 

 

 

 

 

「お怪我は有りませんか? もう、安心で――」

 

 ……天使?

 

「――え………………えっ!?」

 

 

 

 

 

 視線の先には、白銀の銃を胸に抱えて慌てる、美しい天使が立っていた。

 

 これが、自分と巴マミとの、出会いの顛末である。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「へぇ~、そんな事があったんですかぁ」

 

「くぅ~、マミさん、スゴイなぁ。かっこよすぎですよっ!」

 

「も、もうその辺にして? あんまり褒められると、恥ずかしいわ……」

 

 

 ガラスで出来た三角形のテーブルを囲みながら、対面に座る後輩二人が、目をキラキラさせている。

 その視線を受けて、巴さんは照れ隠しをするように紅茶へ口をつけた。窓から差し込む夕暮れの光に照らされて、その横顔はとても魅力的に見えた。

 ここは、巴さんの自宅――自分にとっては、ご近所さんの家となる。

 テーブルの上には、彼女の淹れてくれた紅茶と美味しそうなパウンドケーキ。

 そして、一際場違いなタッパーが一つ置かれていた。中身は、自分が親に頼まれてお裾分けしに来た筑前煮である。

 

 ……ホントに、場違いにも程がある。

 

 自分は今、自分よりも先にお邪魔していた少女二人――ホントについ先程、巴さんに助けられたという後輩達に、彼女との関係を説明するため、その出会いを語っていた。

 勿論、天使うんぬんは恥ずかしいので省いたが。

 

 

「そっか~。てっきり、マミさんの彼氏かと思ったんだけどなぁ~、あたし」

 

 

 ショートカットの後輩――美樹さんが、腕組みをしながら言う。

 その言葉に内心ちょっと嬉しくなったのも束の間――

 

 

「もう、からかわないで? 魔法少女にはそんな事してる暇なんてないのよ? 見回りとかもしなくちゃいけないから、デートなんかも出来ないしね……」

 

 

 ――ハッキリと否定する巴さんの言葉に、心が抉られる。

 もう何度か聴いた言葉だったが、こうもスッキリキッパリ言い切られると、脈が無いと言われてるみたいで辛い。

 

 あの日から、ずっと。

 何かにつけて、彼女の事が気になり始めて、彼女が学校でも有名な『高嶺の花』である事を知って。

 助けてもらったお礼だと理由をつけて、色々と接点を持とうとしたが、やっぱり身の程知らずな恋なのだろうか。

 何も出来ない、キュウべえとやらの姿すら見えない一般人が魔法少女に恋をしても、叶わぬ夢なのだろうか。

 しかし、優しく後輩に語り掛けるその横顔を見るだけで、どうしようもなく胸は高鳴る。

 そんな諦め切れない想いを胸に仕舞う為、誰にも気づかれないように、小さく溜息をついた。

 

 

「……ふむ……」

 

「あれ? どうかしたの、さやかちゃん?」

 

「え、いやいや、なんでもないから、気にしないで?」

 

「……? うん……」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 数日後。

 自分は、いつものようにおかずをお裾分けするため、巴さんの家のドアの前に、十分程前から仁王立ちをしていた。

 何でそんな事になっているのかといえば、未だにインターホンを押すのに緊張するからである。

 母親に片思いをしている事を知られたのが運の尽きだった。巴さんの家の事情を知った事もあり、恋の応援も兼ねて、こうしてちょくちょくおかずを持たされては訪ねているのだが、どうにも馴れない。

 だが、いつまでもこうしていたら確実に不審者扱いされてしまう。さっさとおかずを渡して、家に帰ろう。

 そう考え、震える指をボタンに伸ばした瞬間――

 

 

《ズガンッ!!》

 

 がふっ!?

 

「……あら? ……え、あっ!? ご、ごめんなさいっ!!」

 

 

 ――内側からドアが開かれ、顔面を打ち付けられた。

 結構勢いがあったためか、だいぶ痛い。

 

 

「ほ、本当にごめんなさいっ、まさか居るとは思ってなくて……」

 

 

 鼻を押さえて屈んでいると、巴さんが心配そうにそれを覗き込む。

 安心させたくて、大丈夫……だから……と言いながら体を起こすが、同時に、鼻の穴から何かが垂れる感覚が。

 

 

「ああぁっ、血が……っ、直ぐに手当てするから、中に入って!!」

 

 

 鼻血くらい大した事は無いのだが、慌てた彼女に手を掴まれ、部屋へと引っ張り込まれる。

 その手の柔らかさにドキッとしてしまい、為されるがまま、巴さんの家に上がってしまった。

 

 

「そこに座っていて? すぐティッシュ持ってくるからっ」

 

 

 ソファに連れて行かれて、言われるがままに腰を下ろすと、彼女はすぐさまティッシュの箱を持ってきて、それを使って優しく顔を拭い始める。

 流石に恥ずかしくて、自分で出来るから、と止めようとしたが、巴さんは気にも留めなかった。

 

 

「いいから、じっとして? ……う~ん、魔法使ったのが早い、か」

 

 

 言うが早いか、彼女の手の平に光が生まれる。眩しさが収まると、そこには小さなオレンジ色の宝石の様な物が出現していた。

 やんわりと放たれる暖かな光に触れれば、ジンジンと熱を持っていた鼻の痛みが、スッと引いていく。

 

 

「これでよし。……どう?」

 

 

 言われて、自分の鼻を確かめてみる。

 ついさっき強打したのが嘘のように、痛みは消えていた。鼻血も止まっている。

 大丈夫そうだ、と巴さんに声を掛けると、彼女は安心したような笑みを浮かべた。

 

 

「よかった……。本当にごめんなさい。ちょっと出かける用事があったものだから。……そういえば、アナタは? 何か御用事?」

 

 

 それを聞いて思い出し、小脇に抱えたままだった包みを渡す。

 

 いつものおかずだけど、迷惑じゃなければ……。

 

 

「あ……。いつも、ありがとう。小母様にも、迷惑かけちゃって……」

 

 

 そう言って恐縮し始める巴さんに、自分は慌てて声を掛ける。

 

 これは母の趣味みたいなものだし、むしろ、受け取って貰えた方のが助かる、かな。

 でないと、無理やり自分が食べさせられる事になるし……。

 

 

「ふふっ、ありがとう。小母様の料理、美味しいもの。嬉しいわ」

 

 

 それを聞くと、彼女は再び微笑みを返してくれる。

 その柔らかい笑顔をずっと見ていたかったが、巴さんはふと何かに気付き、立ち上がる。

 

 

「ごめんなさい、本当なら、お詫びにお茶でも淹れたいんだけど、待ち合わせがあって……」

 

 

 ……待ち合わせ?

 い、一体誰と……。

 

 まさか男かと思い、ついうっかり聞いてしまったが、彼女は特に気にした様子も無くそれに答える。

 

 

「美樹さんと鹿目さんよ。今、魔法少女のお仕事を見学してもらってるの。

 契約するしないは別にしても、魔法少女がやるべき事は、知っておいて貰った方が良いと思って」

 

 

 彼女の言葉を聞いて、自分の考えが杞憂であると知り、ほっと息をつく。

 

 なんだ……さやか達か……。

 それなら安心だ……。

 

 思わずそう口に出すと、巴さんは意外な反応を示す。

 

 

「さや、か? ……随分と、仲良しになったのね……?」

 

 

 彼女はそう言って微笑んでいる。

 だが、なぜかその姿に、威圧感のような物が感じられて、すんごく怖い。

 

 あれ? 何この反応? ……でもこれって、もしかして嫉妬してくれてる……?

 

 だとしたらとても嬉しいのだけど、流石に、そう呼ぶようになった経緯を説明するわけには行かない。

 そんな事したら、出会った当日に巴さんの事が好きなのがさやかにバレて、その縁で、彼女に色々と恋愛相談に乗ってもらっている事が知られてしまう。

 実際、話していても楽しいし、気の合う男友達のような感覚で名前で呼ぶようになったのだが、まさかこんな事になるとは……。

 仕方なく、まぁ色々あって、なんて適当な言い訳をすると、彼女は今までに見た事の無い、なんとも言えない表情を見せた。

 

 

「そう、なんだ……。あ、えっと、悪いんだけど、そろそろ……」

 

 

 しかし、その表情は瞬く間に消えてしまい、それを取り繕うようにして、巴さんは時計を見やる。

 流石にその意図には気付き、頷きながら立ち上がって玄関へと向かう。彼女も包みを解いてタッパーを冷蔵庫に仕舞った後、同じく玄関へ。

 そのまま一緒に玄関を出て、鍵を閉める巴さんを見守る。

 

 

「……えっと、それじゃ、私、行くから……」

 

 

 そう言って、こちらに背を向ける彼女。

 少し迷ったが、無言で見送るのもあれだと思い、いってらっしゃい、と声を掛けた。

 

 

「……!」

 

 

 すると、巴さんは何故か驚いた顔で振り返った後、その表情を照れているような笑顔に変え、挨拶を返してくれたのだった。

 

 

「い、行って来ます……」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 巴さんが嫉妬(?)してくれた日から、更に数日。

 自分は今、巴さんの家で小さなクッションに座り、彼女の淹れてくれる紅茶を待っている。この間のお詫びにと、今日はお茶会に誘われたのだ。

 今までにも何度かお邪魔した事はあったが、先の一件もあって、殊更緊張してしまっている。

 

 好意的に受け取れば、嫉妬してくれたという事になり、まだ脈があるという事に繋がる。

 だが、悪く取れば、出会ってすぐの後輩を名前で呼ぶ馴れ馴れしい男、と思われたのかもしれない。

 自分でも極端な考えだというのは分かるのだが、男女交際に興味が無いと、常々宣言している巴さん相手だ。

 油断はしない方が良い、という事にする。

 

 

「お待たせ。今日は、アッサムのストレートにしてみたの。シュークリームと一緒にどうぞ」

 

 

 そんな事を考えているうちに、巴さんがテーブルの上に、ティーカップと、大きめのシュークリームが乗ったお皿を並べてくれる。

 辺りに漂う紅茶の香りが、鼻をくすぐった。

 待ちきれなくなり、頂きます、と声を掛けてから、紅茶を一口。瞬間、芳しい香りが鼻を通り抜ける。

 

 やっぱり、美味しい。

 ティーバッグや、ペットボトルで売っている物とは、全然違う。

 

 素直に感想を伝えると、彼女は嬉しそうに微笑む。

 

 

「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しいわ。シュークリームも食べてみて? きっと気に入るから」

 

 

 言われるがまま、カップを一旦置いて、シュークリームをかじる。勧めるだけあって、やはりこちらも美味しい。

 特に、シューが柔らかいタイプじゃなくて、サクサクなのが自分好みだ。

 ……そう言えば、前に来た時にそんな話をしたような気がする。もしかして、覚えていてくれたのだろうか。

 尋ねてみると、巴さんは笑顔のまま頷く。

 

 

「勿論、大事なお友達の好みだもの。しっかり覚えてるわ」

 

 

 ……そっかぁ……嬉しいなぁ……。

 

 友達。友達って言われた。まだそういう位置づけだって、分かっちゃいたけどやっぱり寂しい……。

 まぁ、学校でも高嶺の花扱いで、男友達なんてまるで居ない彼女が、こうしてハッキリ友達だといってくれるだけでも、前進してると思おう。

 そうでもしないと心が折れそうだ。

 

 

「……そ、それでね? ……その、特に、意味は無いんだけど……。わ、私の事も――」

 

《PiPiPiPiPi、PiPiPiPiPi、PiPiPiPiPi》

 

 

 ――と、巴さんが何かを言い掛けた時、携帯の着信音が響く。

 ごめん、と謝りながらそれを確かめれば、発信者の欄には『美樹さやか』の名前があった。

 不思議に思い、なんとなくその名を呟いてしまう。

 

 

「……美樹、さん?」

 

 

 幾分、温度が下がったように感じるその声に顔を上げると、巴さんはまた“あの”表情を浮かべていた。

 

 

《PiPiPiPiPi、PiPiPiPiPi、PiPiPiPiPi》

 

「……出ないの?」

 

 

 ……出ても、良いんでしょうか?

 

 

「ええ、どうぞ? ……私の事なら、気にしないで?」

 

 

 彼女は、微笑を浮かべながらそう言う。

 とても綺麗だと思うのに、なぜに自分の口元は引きつっているのだろうか。

 しかし、出ないわけにも行かないので、震える指で通話ボタンを押す。

 

 

『あ、先輩!? もう、出るの遅いぃっ!!』

 

 

 耳元で、さやかの声が響く。

 それに謝りながらも、手早く済ませようと用件を尋ねる。

 

 

『っと、そうだったっ。あのねっ、今、まどかと一緒に病院に居るんだけど、グリーフシードが孵化し《ブツッ ツー、ツー、ツー》』

 

 

 突然、通話が途切れた。

 切れる直前に聞こえた不穏な言葉に戦慄し、慌ててリダイヤルするが――

 

 

『お掛けになった電話は、電波の届かない所に在るか、電源が……』

 

 

 ――ついさっき通話できたばかりだというのに、それは繋がらなくなっていた。

 先程とは別の理由で、指が震え始める。

 

 

「……どうしたの? 何か、あった?」

 

 

 それに気付いたのか、巴さんが心配そうに声を掛けてくる。

 彼女の声にはっとし、慌てて、今聞いた内容を伝えた。

 すると表情は一変。瞬く間に、凛々しい魔法少女としての顔が表れる。

 

 

「グリーフシードが、病院に……? マズいわ、すぐに向かわないと……!!」

 

 

 立ち上がり、玄関に向かう巴さん。

 その背中を追いながら、多分、その病院は見滝原中央病院だ、と告げる。少し前に、よく友人の見舞いに行くのだと、さやかから聞いた事があった。

 彼女はしっかりと頷き返し、玄関の扉を開けてその身を光に包む。

 

 

「……それじゃ、行って来ますっ」

 

 

 変身を終えた巴さんは、空中に身を躍らせた。

 その背に、気をつけてっ、と声を掛けはしたが……。それしか出来ない自分が、情けなかった。

 悔しさに歯噛みしながら、空を舞う彼女の姿を目で追い続け――

 

 

 

 

 

 ……あ、白……。

 

 

 

 

 

 ――飛び込んできた魅惑の三角地帯に、釘付けになってしまった。

 ……ってバカッ!! 何考えてんだよこの非常時にっ!? これから巴さんは命がけで戦うんだぞ!? それなのに、この大バカッ!!

 

 マンションの手すりに頭を打ちつけて必死に忘れようとしたが、先程見えた白い布地は、全然脳裏から消えてくれなかった。

 ……そういえば、家もどうしよう。彼女は鍵も掛けずに助けに行ってしまった。

 家捜しして鍵を見つけるなんて論外だし、鍵を開けっ放しで帰るわけにも行かないし。失礼かもしれないけど、中で待たせてもらうしかないだろうか……?

 巴さんが姿を消した方角を見つめ、しばらく考えた後。結局、中で待たせてもらう事にして、もう一度家へと入っていく。

 

 見ちゃった事は、後で何度でも謝るから。

 だからどうか、どうか、無事で……。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 現実を刳り貫いて作られた、異空間。

 尋常でない形に歪められた命の跋扈するそこに、今、銃撃の二重奏が響いていた。

 

 

「待ちなさい、巴マミ! その魔女は私が――くっ!」

 

 

 硝煙の匂いを漂わせるのは、白と黒色系統で纏められた防護服に身を包む、暁美ほむら。

 彼女は眼前に躍り出た使い魔を、毎分九百発の銃弾の雨で反射的に四散させる。

 《ミニUZI》――イスラエルで開発され、小型化されたサブマシンガンのフルオート射撃は、大の男でも制御の難しい反動をもたらすが――

 

 

「邪魔よ……!」

 

 

 ――彼女はそれを片手で押さえ込む上、逆の手には、ショットガンである《レミントンM870》まで構えられていた。

 それを左手で一発。再装填の時間を惜しみ、SMGを投げ捨てて右持ちにスイッチ。

 ポンプしながら更に三発。放たれる1/12ポンドの鉛玉は、硬い外皮を持たない使い魔を効果的に引き裂いていく。

 魔力で補強された肉体と、幾たびも繰り返した時間の中での戦闘経験が、小柄な少女にアクション映画さながらの豪快な射撃を可能とさせていた。

 が、いとも容易く敵をあしらうその顔には、焦りの色が浮かんでいる。

 

 

(どうするの、このままじゃ……!)

 

 

 このままでは、“また” 繰り返されてしまう。

 その事実が、どうしようもなく焦らせる。

 しかも――

 

 

「す、すっご……何、転校生って、こんなに強かったの……?」

 

「二人とも、格好良い……!」

 

 

 ――先んじて、結界に潜り込んだのが仇となった。

 華麗な銃撃戦に見惚れる、美樹さやかと鹿目まどか。

 ほむらはこの二人から離れられない。離れようものなら、使い魔に抵抗する術を持たぬ彼女達は、瞬く間にその餌食となるだろう。

 

 予定としては、一人結界に残っているはずのさやかを護り、孵化した魔女を即行で狩るはずだったのだ。

 しかし、実際に囚われていたのは二人。マミも想定していたより遥かに早く結界深部に到達した。おまけに、魔女の孵化まで前倒し。

 まどかを護るために咄嗟に飛び出してからは、済し崩しでほむらが二人の護衛、マミが魔女と対峙する事になってしまった。

 妙なところで物分りが良いベテランにも困ってしまう。

 

 

「――ふっ!」

 

 

 その困り者は、ほむらと違い、硝煙を身に纏ってはいなかった。代わりに漂うのは、金色に似た色の、魔力の残滓。

 彼女の使用する武器も、また銃――古式ゆかしいライフルド・マスケット。

 それは、後天的に習得した魔法によって作り上げられる、魔法銃であった。

 幾つものマスケットが腕の一振りで生まれ、放たれる魔力弾は致命の一撃。

 少女の細腕に指揮される古銃の騎兵達が、次々に雄叫びを上げ、留まる事無く使い魔を食い破っていく。

 

 

「――はぁ!」

 

 

 くるくる、廻る。

 

 マスケット銃での射撃。

 それで終わらずストックを使った殴打に繋げ、遠心力を加算して使い魔を薙ぎ倒す。

 役目を終えた銃は魔力へと霧散し、その隙にまた使い魔が殺到。

 迎え撃つのは、同じ大きさの黄金以上に価値を秘めた美脚による蹴打。

 ついでに、周囲へ突き立てた予備のマスケットも掬い、またも放たれる弾丸が使い魔を塵に還す。

 

 優雅に、華麗に、鮮烈に。

 巴マミは、魔弾と踊る。

 

 

「さて、と。せっかくのとこ悪いけど」

 

「……っ! 待って! そいつは……!!」

 

 

 使い魔をあらかた一掃し、結界の主である魔女を前に、マミが発した言葉。それを耳にし、ほむらは戦慄する。

 何度か聴いた覚えがあり、そして、絶望に散る兆しの台詞。

 彼の魔女の特性――まるで脱皮するかのように拘束をすり抜けられる事を、彼女は知らない。そのせいで、マミは幾度もほむらの前で命を落としたのだ。

 ならば、せめて情報だけでも――

 

 

「一気に決めさせて貰うわよっ!!」

 

 

 ――と、声を上げようとした時には、遅かった。

 マミは魔女の座る椅子の足をストックで叩き折り、落ちて来た小さな体を、そのままクルリと踊ってフルスイング。

 次いで、宙を舞う標的を四連の一斉射撃(ティロ・ボレー)が追い、風穴を開ける。

 落下地点には既にマミが待ち構えており、仕上げの準備に更に一発。魔力の弾丸は、彼女の祈りを象徴するリボンへと変化し、魔女を空へと吊り上げる。

 それを見送りながら、マミは手に持つマスケットへ更なる魔力を流し込み、砲台へと変化させた。

 

 

「ダメッ! そいつに大技はっ!?」

 

「安心して暁美さん。外したりなんかしないわ……。一発で仕留めてみせるっ!」

 

「違うのっ! その魔女は――」

 

「ティロ・フィナーレッ!!」

 

 

 懇願にも似た叫びは、しかし、彼女に届かず。

 一つたりとも同じ世界は無かったというのに、悲劇だけが、録画されているように繰り返される。

 

 砲撃音。

 

 体を貫かれ、砲弾と化したリボンに封じ込まれるはずだった魔女。

 だが、それは唐突に口をリスの如く膨らませ――

 

 

「……え?」

 

 

 ――内側から、全く別の存在が姿を現す。

 数十メートルはあった距離を一瞬で詰める長躯の持ち主は、まるでピエロのように笑みを浮かべて見えた。

 口元が開く。

 覗くのは、カミソリに似た鋭利さを持つ、全く光沢の無い牙。

 

 

(……あ、私、死ぬんだ)

 

 

 意外なほど冷静に、マミは自分の置かれた状況を把握していた。

 高威力砲撃の反動で、身動きは取れない。

 この距離では、ほむらも助けに入ることは叶わないだろう。

 間違いなく、死ぬ。

 

 

(鹿目さん達に、格好良い所、見せたかったんだけどな)

 

 

 スローモーションになる世界の中、ジワジワと迫る死の顎を見つめながら、彼女は想いを馳せる。

 自らの人生に。

 その想い出に。

 

 真っ先に浮かんだのは、マミに憧れているのだと言ってくれた、可愛らしい後輩達。

 こんな光景を見てしまって、泣いてしまわないだろうか。

 心に傷を負わないだろうか。

 友達には、なれたのだろうか。……分からない。

 

 それに、先ほどから声を張り上げてくれていた、もう一人の魔法少女。

 理由は分からないけれど、あの子はこの事を予測していたから、あんな風に。

 意地を張らないで、もっと素直に忠告を聞き入れていれば良かった。

 そうすれば、こんな所で――

 

 

(……でも、別に、いっか)

 

 

 ――死ぬのも、いいかも知れない。

 仲間が出来たところで、またいつか、 “あんな事” になるかも知れない。

 それに、生きていたところで何があるというのか。

 誰も待っていない家に帰って、返事の返らない「ただいま」を言って、一人でご飯を食べて、一人で戦って、一人で怪我をして、一人で眠る。

 そんな、空虚な繰り返し。

 

 

(私に出来るのは、それだけ。ずっと一人ぼっちで、誰にも知られず、誰にも認められず。ずっと、一人で。だったら……)

 

 

 ここで終わっても、お父さんとお母さんに会えるなら、別に――

 

 

 

 

 

『気をつけてっ』

 

 

 

 

 

 ――嫌だ。

 

 

(……あ……)

 

 

 不意に、沸き上がる感情。

 思い出してしまった、背中を押す声。

 制御されない奔流が、マミの心をかき乱す。

 

 

(……死にたく、ない)

 

 

 彼は、帰らない私を心配するだろうか。

 

 

(……死にたくない)

 

 

 彼は、私の死を悼んでくれるだろうか。

 

 

(死にたくない)

 

 

 彼の泣き顔は、なんだか、嫌だ。

 

 

(死にたくない!)

 

 

 溢れ出たそれは、一瞬にして、マミに様々な想いを自覚させた。

 魔法少女になった時の、最初の気持ち。

 救えなかった命の分まで生きるという誓い。

 自分の帰りを待ってくれているかも知れない、一人のクラスメイトへの、淡い想い。

 

 死にたくない。

 まだ、生きていたい。

 まだ、彼に言えていないことがある。返事を聞いていないことがある。

 やってみたい事だって、まだ、沢山。

 まだ、まだ、まだ――!

 

 

 

 

 

《ガチン》

 

 

 

 

 

 ――けれど。

 時は無常に針を進めて。

 刃の噛み合う音が響いた。

 

 

 

 

 

「――え?」

 

 

 まだ生きていると気付けたのは、襟元の後ろを引っ張られ、強かに打ちつけた臀部の痛みのおかげだった。

 

 

「……っ、ふぅ、間に合った……」

 

「暁、美、さん……?」

 

「マミさんっ! よ、良かったぁ……!」

 

「だ、大丈夫ですかっ!? だいじょぶですよねっ? マミさぁんっ!?」

 

 

 一度、大きく息をつき、ふぁさ、と長い髪をかき上げるほむら。

 念のため、マミの必殺技に合わせて固有魔法を――時間停止を準備していたおかげで、間一髪、命を拾うことが出来た。

 でなければ今頃、帽子に飾られたソウルジェムごとパクリといかれていただろう。

 しかし、安心している暇も無い。

 茫然とするマミへ駆け寄るまどか、さやかを背に、ほむらは一歩前に進み出た。

 

 

「巴マミ。貴方の魔法とあの魔女の特性とは相性が悪すぎる。私が相手をするわ。貴方は、彼女達を守って」

 

「……あ。え、えぇ、分か、った、わ」

 

 

 我に帰ったマミは、動揺を無理やり押さえ込み、立ち上がる。

 膝が震えている。鼓動も早く、冷や汗も止まらない。

 だが、まだ戦いは続いているのだ。今は、余計な事を考えている暇は無い。この二人を護ることに集中しなければ。

 そう判断してからの彼女は見違えた。

 リボンで守護領域を形成し、未だ何処からとも無く生まれ出でる使い魔に視線を配り、接近すら許さない。

 いつも通りの、経験豊富なベテラン魔法少女の姿。

 

 

「……マミ、さん……?」

 

 

 だから、気付かない。気付いても、何も言えない。

 瞬く間に消えてしまった危うい色を、見間違いだと思わせるほど、マミは、強がりが得意だったから。

 自分に嘘をつけるほどに、得意だったから。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 気がついた時、マミは一人に戻っていた。

 時間停止を駆使し、魔女を手玉に取るほむらは――その能力を知らないマミからすれば、瞬間移動でもしているかのような一方的な戦いを終えた後、グリーフシードも回収せずに立ち去ってしまった。

 背中に向けて感謝の言葉を投げたものの、彼女は一瞬振り返っただけ。

 その後は、マミの事を心配し続ける後輩達を家に送り届け、また、一人の家路。

 

 

(私、何してるんだろう)

 

 

 ぼんやりと、そんな事を考える。

 自分を慕ってくれる後輩を助けるため、勢い込んで結界に飛び込んだというのに、この体たらく。逆に心配までかけてしまった。

 それに、暁美ほむら。

 あれほど明確に――敵対しているといっても過言ではなかったというのに、彼女は助けてくれた。

 去り際に向けられた視線に篭もっていたのは……安堵? 不安? ……それとも。

 

 

(……分からない)

 

 

 彼女の目的、彼女の能力、彼女の祈り。

 分からない事だらけ。

 ほむらの事だけではない。マミは、自分自身の事も分からなくなり始めていた。

 

 

(あの時、私は何を考えていたの)

 

 

 魔女の大口に捉えられそうになった、正にその瞬間、マミの思考は死に逃げた。

 戦いの運命から開放される事を、両親が居る永久の畔に向かう事を、望んでしまった。

 なんて、情けないのだろう。

 

 

(そんなのダメよ。私は、誓ったんだから)

 

 

 そう、誓ったはずなのだ。

 救えなかった命に。この手をすり抜けてしまった、掛け替えの無い人達に。

 強くなると。

 もう二度と、あんな悲しみを、誰かに味わわせてなるものか、と。

 なのに――

 

 

「……っ」

 

 

 思い出すだけで、体が震える。恐怖に身を裂かれ、脚が竦む。

 怖くて、怖くて、仕方ない。

 戦いたくなんて無い。今すぐ何処かへ逃げてしまいたい。

 後輩達の前では強がって居られたのに、一人になってしまえばこれだ。

 これが、本当のマミ。本当の、自分。

 

 

(それでも、戦わなくちゃ……。私には、これしか無いんだもの)

 

 

 ――他の生き方なんて、知らないんだもの。

 

 自らの体を抱き締め、マミは空を見上げる。

 太陽の赤を、夜の帳が覆い隠そうとしていた。

 昇り始めた月が、滲む。

 

 

「……さて、と。夕飯、作らなくちゃ」

 

 

 言葉に出す事で、彼女は込み上げそうになった物を振り払う。

 いつの間にか、自宅の前にまで戻って来ていた。

 ドアの横にある窓からは、他の家とは違い、明かりが漏れたりしていない。

 

 

(やっぱり、帰っちゃったよね)

 

 

 なんて事は無い。

 いつも通り。

 ただ、暗い部屋に帰るだけ。

 なのに、何故だろう。

 

 

(あぁ……)

 

 

 温もりが、恋しい。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ガチャリ、と言う音に、落ちかけていた意識が覚醒する。いつの間にか、ソファで舟を漕いでいたようだ。

 部屋に差し込む光も、すっかり暗くなってしまっている。

 緊張感がなさ過ぎな気もするけれど、部屋全体になんとも言えない良い匂いが漂っていて、妙にリラックス出来てしまったのだ。仕方ない。

 そんな言い訳染みた事を考えつつ、慌てて立ち上がり玄関の方へと向かえば、制服姿に戻った巴さんが立っていた。

 

 

「……え? どうして……」

 

 

 驚いた表情を見せる、普段通りの姿に心底ほっとし、自然と微笑みながら、お帰り、と声を掛ける。

 

 

「あ………………た、ただいま」

 

 

 出迎えの言葉に、巴さんは戸惑いの表情を見せたが、やがて、はにかむようにして言葉を返してくれた。

 その笑顔に見蕩れていたい気もしたが、事態の推移も気になり、矢継ぎ早に問いかける。

 さやか達は無事だった? 怪我はない? と。

 だが、その質問をした途端、彼女の表情は曇り始めた。

 

 

「……えぇ、無事よ。ちょっと、手こずったけど……。暁美さんが、助けてくれたから……」

 

 

 暁美――確か、キュウべえを攻撃してきた、転校生の魔法少女だったか……。

 正直、目に見えないキュウべえがどうこうされたって、自分は気にもならないが、巴さんが酷く怒っていたのを覚えている。

 しかし、個人的にはむしろ、まどかちゃんに執着しているような様子の方がよっぽど気になるのだが……。

 

 

「……ねぇ……?」

 

 

 考え込んでいると、不意に巴さんが話しかけてくる。

 その顔には、読み取りづらい、いくつもの感情が混ざり合ったような、複雑な表情が浮かんでいた。

 

 

「そんなに、心配だった? ……美樹さんの事」

 

 

 彼女の問いかけに首を捻りながらも、そりゃまぁ……と答える。

 可愛い後輩達が命の危険に晒されていたのだから、心配するのは当然だ。

 まぁ、その何割かは、相談相手が居なくなると困るからという打算が無かったわけではないが。

 

 

「……そっか……。じゃあ、私の事は……?」

 

 

 ……え?

 

 再びの問い掛けに、なんだか妙なものを感じて、思わず聞き返してしまう。

 

 

「私の事は、どうなの……? 二番目くらいには、心配してくれてる……?」

 

 

 巴さんの口から出る言葉に、流石に様子がおかしいと感じ、更に聞き返す。

 

 あ、の。どうかした?

 

 

「……答えて、くれないの……?」

 

 

 彼女の手が、制服を掴む。

 突然近くなった距離に緊張が走り、言葉が詰まる。

 

 

「………………」

 

 

 その間も、巴さんはこちらを見つめ続けていた。

 上目遣いの視線に、胸の鼓動が早くなる。そのせいもあってか、思考が全然まとまってくれない。

 

 なんなんだこの状況? なんでこんな事になってるんだ?

 嬉しいけど、これからどうすれば良い? あれか、ガバッと行って良いのかこれは。

 いやいやいやまずいだろそんな事したら只の変態だろ………………誰か助けてぇ!?

 

 

「……そっか……言えないんだ……」

 

 

 脳内で悲鳴を上げていると、服を掴んでいた手が解かれ、彼女は背を向けた。

 緊張が溜息と共に出て行くが、それよりも、背を向けてしまった巴さんが気になり、後姿に問いかける。

 

 ……巴、さん? 一体、どうし――。

 

 

「もう、いいの」

 

 

 こちらの言葉を遮るように、巴さんがそう呟いた時。

 目の前に光が溢れ。

 次の瞬間には、視界が暗闇に染まった。

 

 

 

 

 

「……やっと、気付けたのに……盗られるくらいなら……いっそ……」

 

 

 

 

 



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【途中まで】少女M・Tの場合【逆レイプ】

 

 

「ごめんなさい……。突然、こんな事をして……」

 

 

 視界が閉ざされた中、耳に心地よい声が届く。

 ベッドが軋む音と、体が沈み込む感覚で、彼女が隣に腰掛けたのが分かった。

 自分は今、彼女――巴マミが魔法で作り出したリボンによって、両腕と腰の辺りを、ベッドそのものに拘束されている。

 視界も同じようにリボンで塞がれてしまっていて、状況が把握できない。……どうしてこうなった。

 

 一体、何で……?

 

 

「いいの……。アナタは、気にしないで? 全部、私のせいだから」

 

 

 藻掻きながら問い掛ければ、再びベッドが軋み、顔に暖かい息が掛かった。

 

 

「……でも。気付いてくれないアナタも、悪いんだからね……ん……」

 

 

 次の瞬間、唇に温かい物が触れる。

 それが巴さんの唇だと気付いて、驚きに身を捩るが、その温度はすぐに離れていく。

 

 

「私、初めて、なんだから」

 

 

 呆気に取られ、え、と間抜けな声を出している間に、再び体温が近づいて来た。

 頬に手が添えられ、心地よい体重が体に圧し掛かる。

 

 

「……んっ……これで、二回目……む……三回……ちゅ……ん、ん……」

 

 

 思考は止まり、抵抗する事も出来ず、雨の様に降ってくるキスを受け続ける。

 最初は、触れるだけ。

 しかし、段々と行為は大胆になって行き、やがて、啄ばむように唇を吸い始める。

 

 

「……んぅ……っはぁ……れるっ……」

 

 

 その柔らかさに、次第に夢中になっていき、頭がボーっとして来た。

 すると、今度は舌が唇を舐め、口の中へ侵入しようとしてくる。

 意外な程の積極性に再び驚き、思わず歯が閉じてしまう。

 幸い、噛んでしまう事はなかったが、彼女は諦めず、歯の汚れを舐め取ろうと歯茎に沿って舌を蠢かせる。

 

 

「……はっ……ちゅるっ……んっ……ちゅっ……」

 

 

 まさかそんな事をされるとは予想もできず、ゾクゾク、と快感が背筋を走り、食いしばっていた奥歯が緩んでしまう。

 

 

「……ん……ちゅぷ……む……ん……ちゅ……」

 

 

 その隙に、巴さんの舌はすんなりと口内に侵入し、舌を絡め取られてしまった。

 事前に、飴でも舐めていたのだろうか。

 何度目かも分からないキスは、仄かに甘い味がした。

 

 

「……っは……ふふっ……」

 

 

 唇を離した彼女は、胸板に手を置いて体を起こす。

 小さく笑うと、その細い指で体をなぞる。シャツのボタンが外れて行き、地肌が空気に触れた。

 

 

「すごい……全然違うんだ」

 

 

 呟くと、巴さんはペタペタ体を触り始める。そのくすぐったさに思わず息を吐き、身悶える。

 ……そういえば前に、こんな風に悪戯された事があった。まぁ、服は着ていたし、相手が男だったのが悲しいが。

 ふと、そんな事を思い出し、苦笑いする。

 

 

「……むっ」

 

 

 それをどう勘違いしたのか、彼女は不機嫌そうな声を上げ、覆い被さるようにして再び体を密着させてくる。

 

 

「今は、私の事だけを、感じて……? ……ぁむ……ちゅろ……」

 

 

 耳元で呟き、そのまま耳たぶを甘噛みして、次に、耳全体に舌が這った。

 それは耳の穴にまで及び、経験した事の無い感覚に声が漏れる。

 そして、段々と下へ降りていく。

 

 

「……はぁ……んちゅっ……れる……む、ちゅ……」

 

 

 耳から顎。

 首筋から鎖骨。

 下へと移動しつつ、キスをし、舌を這わせる。

 まるで奉仕さながらの愛撫に、体が勝手に悶えてしまう。

 

 

「……む……ちゅっ……はむ……」

 

 

 胸元まで来た所で、おもむろに乳首へと舌先が向けられ、口に含まれる。

 想像していなかった刺激に、体が跳ねた。

 

 

「あ……気持ち、いい……? ちゅぱっ……」

 

 

 その反応に気を良くしたのか、巴さんは執拗に乳首を吸い上げ、責め立てる。

 くすぐったいような、もどかしい性感への刺激で、またも声が漏れてしまう。

 

 

「……ちゅうぅ……っぷぁ……んちゅぅ……」

 

 

 下半身に血が流れ込むのが分かった。

 男性でも胸を責められれば気持ちいいと聞いた事はあったが、視界が隠されている分、得られる情報に意識が集中してしまい、その快感は数段上に思えた。

 

 

「……あ……」

 

 

 硬さを増したそれが巴さんの体をわずかに押し上げると、気付いた彼女は体を起こす。

 

 

「良かった……。気持ちよくなって、くれたのよね……?」

 

 

 安心したように呟き、彼女はズボンの上からそれを撫で回す。

 今までのとは違う、直接的な性感への刺激に、体が勝手に反応を返してしまった。

 

 

「クスッ……苦しいよね? ……今、外に出してあげるから……」

 

 

 悪戯っぽく笑い、巴さんはベルトを外し始める。

 恥ずかしさに体が動き、必死に抵抗しようとするが、腰の辺りが固定されている事で大した身じろぎも出来ず、ズボンが下ろされ、下着までもが脱がされていく。

 だが――

 

 

「……きゃっ!?」

 

 

 ――興奮から既に硬直していた竿が勢いよく飛び出すと、それに驚いたのか、彼女は小さな悲鳴を上げる。

 

 

「………………」

 

 

 しばらく、無言が続く。

 けれど突然、ツンッ、と先端に何かが触れ、反応した竿が跳ねる。

 

 

「わ……。ピクピクしてる……」

 

 

 考えるに、好奇心に負けた巴さんが指でつついたのだろう。

 次の瞬間には、細い指と、ざらざらした――なにか手袋の様な物に包まれ、内心求めて止まなかった刺激に、呻き声を上げてしまった。

 

 

「あ、ごめんなさいっ……。痛かった……?」

 

 

 それを痛みによるものだと勘違いした巴さんが謝る。

 しかし、彼女はその手を離そうとはせず、ゆっくりと上下させ始めた。

 

 

「このくらいなら、平気?」

 

 

 触れるか触れないか、絶妙な力加減で動く小さな手の感触に、腰が揺れる。

 だが、先程声を上げたのを心配しているのか、その力は快感を得る為には少し弱すぎ、段々ともどかしさが募って来た。

 

 

「……ん……」

 

 

 すると、与えられていた刺激が途切れ、プチプチ、となにかを外す衣擦れの音が耳に届く。

 かと思ったら、今度は竿全体が、ふわふわとした柔らかい圧力に包まれる。

 再び与えられた未知の感覚に、またも呻き声が上がってしまう。

 

 

「うふふっ……。なんだか、分かる? こんな事、他の子じゃ出来ないんだから」

 

 

 自慢げに言って、巴さんはそれを上下させる。

 肌と肌が直接擦れる感触と柔らかさに、それが彼女の豊満な胸である事が理解できた。

 

 

「……んしょっ……結構っ……難しいっ……んっ……」

 

 

 彼女にとっても初めての事なのだろう。勝手が分からないのか、その動きはたどたどしい。

 しかし、閉ざされた視界が想像力を掻き立て、そこにあるであろう光景を夢想し、柔らかい圧力の中で、一段と硬さが増していく。

 と、不意に上下が止み、圧力の中から先端だけが飛び出る。

 

 

「れろっ」

 

 

 喉から、まるで女の子が上げるような、短い喘ぎが出てしまった。

 先端を、竿を包む胸とはまた違う熱さを持った、湿り気のある物が撫で上げたのだ。

 間違いなく、舌で舐められたのだろう。

 

 

「……あはっ……はむ……」

 

 

 だが、彼女はそれが効果的であるのを本能で悟ったのか、小さく笑って先端を咥え込み、同時に小刻みに胸の上下を再開する。

 

 

「むっ、じゅっ、はぁっ、んむっ」

 

 

 敏感な部分が、一際熱い彼女の口内で舐め上げられ、吸い上げられた。

 竿は柔らかな暖かさに包まれながらも、感じる圧力は段々と高まり、上下にしごかれ続ける。

 

 

「じゅぷ、ぷぁっ、はむっ、ちゅうっ」

 

 

 限界が、近かった。

 それに耐えようと体に力が篭り、ベッドが軋む。

 

 

「じゅぱっ、れるっ、む、ふっ、じゅるっ」

 

 

 それでも止まらない快感に我慢が限界を超え始め、堪らず、声が出た。

 

 ……駄目だ、もう、出る……。

 

 

「ぷは……ふふっ……」

 

 

 すると巴さんは、意地悪をする様にまた小さく笑って、その動きを止めた。

 へ、と呆けた声をあげ、困惑していれば、腰の辺りに掛かっていた体重が無くなり――

 

 

「まだ、だぁめ」

 

 

 ――彼女は、再び竿を弄び始めた。

 

 

「まだ……もうちょっとだけ、我慢して……? ね……?」

 

 

 先端に手で触れたり。

 竿をしごいたり。

 キスをしたり、舐めたり、しゃぶったり。

 

 何度も何度も、定期的に刺激しては、それが止み、達する事も出来ず、萎える事も許されない。

 そんな繰り返しに、理性が削られていく。

 

 

「出したい? ぴゅっ、ぴゅっ、って、出したい……?」

 

 

 どれ程時間が経ったのか分からなくなった頃、巴さんが竿を指でなぞりながら尋ねる。

 その問いに、首を激しく上下に振って頷く。

 

 

「じゃあ、ちゃんと言って……? どうして欲しい……?」

 

 

 迷いは、ほんの一瞬だけ。

 

 もう、限界だから、お願いだから、最後まで……出させて、下さい。

 

 

「……ふふ。ちゅっ」

 

 

 情けない懇願を聴くと、巴さんは満足そうに笑い、先端にキスをする。

 だが、彼女の気配はすぐ様、また離れていってしまう。

 なんで、どうして、と疑問が頭を駆け巡り、体が暴れだしそうになる。

 

 

「……出すなら、ココで……」

 

 

 ベッドが軋み、巴さんが体勢を変えたのが分かった。

 唐突に視界を覆っていたリボンが取り払われ、久方ぶりに彼女の姿が目に入る。

 

 

「ね……?」

 

 

 そこには、かつて、自分を助けてくれた時と同じ衣装の。

 けれど、大きく胸をはだけ、別人の如く艶めいた表情をする巴さんが、腰の上辺りで膝立ちになっていた。

 生唾が、渇いた喉を下っていく。

 

 

「ほら……。もう、準備……出来てるから……」

 

 

 彼女はスカートの端を指で摘んで、ゆっくりと、それを上に持ち上げていく。

 下着は、着けていなかった。

 スタンドライトに照らされた彼女の恥部は、テラテラと光を反射し、洪水のように愛液が太ももを伝って落ちていた。

 

 

「ぅんっ」

 

 

 巴さんが腰を下ろし、先端と恥部が接触する。だが、彼女が動いてくれたのはそこまでで。

 ほんの少し先に待つ熱へ身を埋めたくて、獣のように激しく体を藻掻かせる。

 

 

「………………」

 

 

 巴さんが、無言のまま手をかざす。

 体を拘束していたリボンが消え去った。

 もう、止まれなかった。

 

 

「きゃんっ!?」

 

 

 すぐ様、体を跳ね起こして巴さんを組み伏せる。

 全力疾走した直後と変わらない荒い呼吸をしながら、入り口に先端をあてがう。

 

 

「……っ……」

 

 

 巴さんは、熱を帯びた瞳で、じっとこちらを見つめていた。

 その熱に魅せられて、一気に腰を推し進める。

 

 

「……ひ、ぐ……んぁあっ!?」

 

 

 微かに、何かを破る感触。だが、それ以外の抵抗は全く無く、彼女の中へ吸い込まれていく。

 それと共に、全てが決壊した。

 

 

「ひ、ぁあっ!? あ、熱、い……!?」

 

 

 今まで散々我慢させられていた熱い滾りが、巴さんの内に向かって激しく放たれる。

 熱を感じてか、彼女も体を震わせた。

 体を反らせ、瞼を硬く閉じて、こちらの背中に腕が回り、腰にも脚が纏わりつく。

 

 

「あ……あぁ……ん、んっ……」

 

 

 やがて、巴さんの内に全てを出し終えると、荒く、長い息を吐き、体から力が抜ける。

 その間も彼女の内に収めた竿は、柔らかく刺激され続けた。

 

 

「はぁ……はぁ……ん……」

 

 

 背中に回っていた腕から力が抜け、少し体を起こすと、巴さんの顔が視界に入る。

 その様子を見る限り、痛みは感じていなさそうで――いや、むしろ快楽に蕩けてしまっているように見えた。

 

 

 

 

 

「……お願い、もっと……もっと、アナタを……感じたい、の……」

 

 

 

 

 

 そう言って彼女は、潤んだ瞳で、淫らに微笑む。

 理性が、飛んだ。

 他の事なんか、もう、どうでもよくなった。

 

 

「ふぁ……あんっ」

 

 

 試しに腰を引くと、その声は甘く、また中に戻ろうと、腰を突く。

 

 

「あ……んっ……あっ……は、ひっ……あぁっ」

 

 

 柔らかく、全てを包み込むように、巴さんの内側は竿に絡みつく。

 それを味わうために、ゆっくりと腰で円を描き、かき回す。

 

 

「あ、んっ……はっ……んくぅ……ぅうんっ」

 

 

 動きに合わせて、彼女が甘く嬌声を上げる。瞳から涙が零れ、陶酔する口元からは涎が一筋垂れていた。

 普段、理知的な巴さんが、そんな痴態を見せてくれる。

 酷く高揚感を覚えた。

 

 

「あぁぁ……き、気持ち……いい……んんっ……もっと……深、くぅ」

 

 

 彼女のねだる声に応え、腰の動きを一旦止めて、より奥へ進むため、腰と腰を密着させる。

 先端がなにか硬いものに触れ、それをグリグリと押し上げるようにしながら、目の前でプルプルと揺れている、たわわな果実の頭頂部を強く吸い上げた。

 

 

「ひっ!? ん、あっ!!」

 

 

 巴さんが体を海老反らせ、顔にマシュマロが押し付けられる。

 軽く絶頂に至ったのか、根元まで完全に埋まった竿を、肉壁が絡め取るように蠢く。

 それが収まるのを待たずに体を起こし、腰を前後させ始める。

 

 

「んぁあっ、あっ、あぁっ、奥、奥がぁ、ぁはんっ」

 

 

 先程までとは違い、かなりきつく、それなのに柔らかいまま、竿が締め付けられる。

 奥へと進むたび先端が行き止まりに触れ、押し上げる度、巴さんの甲高い声が部屋に響いた。

 

 

「ぁあんっ、や、あぁっ、あんっ、んんっ」

 

 

 腰を打ち付けるたび、パンッ、パンッ、と肉のぶつかり合う音がした。

 まるで、融けてしまうのではないかと思う程、その中は熱くて。熱が繋がっている部分を伝わり、自分にまで伝染する。

 もう、彼女を啼かせる事しか、頭の中には残っていなかった。

 

 

「あ、ひっ、ん、んぅ、ぅっ、ぁっ、やぁんっ」

 

 

 とろとろした愛液が竿に纏わりつき、そのぬめりが、また快感を呼び起こす。

 腹の中程に、痺れが生まれた。

 感電しているみたいな感覚を吐き出そうと、腰を激しく前後させる。

 

 

「くぁ、ぁう、ふぅっ、んふっ、ふぁんっ」

 

 

 それに合わせて、彼女も小さく、腰を揺らし始める。

 快感に、脳内が白く染め上げられていく。

 マミ、と、口が勝手に名前を呼ぶ。

 

 

「あ……」

 

 

 途端、彼女の顔に、情欲とはまた違う色の喜びが浮かんだ。

 その微笑みには、淫靡さは欠片も無く。

 一輪の花のような、可憐さを感じた。

 

 

「あっ、んっ、あぁっ、あんっ、あっ、ぁあっ、はぁっ」

 

 

 しかし、その微笑に似合わない大胆さで、彼女は腰を動かし始める。

 痺れが急速にせり上がり、今にも弾けそうなそれを堪えながら、膣内に出すぞ、と乱暴に宣言する。

 

 

「あっ、うっ、うんっ、なかぁっ、なかにっ、きてぇっ」

 

 

 彼女の言葉が、最後の枷を取り払った。

 抱き潰してしまう程の力を込めて、その体を腕に抱き。

 渾身の力を込めて腰を突き出しながら、獣の如き声を上げ、最奥に痺れを吐き出す。

 

 

「ふぁっ!? ぁく、ぁあぁぁああんんんっっっ!!!!!!」

 

 

 叫びと共に、千切れるかと思う程、締め付けが強くなる。

 二度目とは思えない激しい勢いと量で、彼女の内側を白く染め上げた。

 奥歯をギリギリとかみ締める。

 そうしなければ、意識が飛んでしまいそうな程、気持ち良かった。

 

 

「はっ、あっ……あ、つい……の、がぁ……たく、さん……んぁぁ……」

 

 

 快感に揺らぐ声が、耳元で聞こえる。

 うわ言のようなその声には、誰にでも分かる程の充足感が込められていた。

 腰を引き、竿が抜けると、彼女は寂しげな声を上げながら体を震わせる。

 

 

「あ……んぅっ……」

 

 

 その声を聞きながら、気だるさに襲われる体を投げ出し、彼女の横へ仰向けに横たわる。

 二人分の、荒い息遣いが響く。

 目を閉じ、悦楽の余韻に浸っていると、投げ出していた掌の上に重みを感じた。

 ただ、重なるように、巴さんの手が乗せられていた。

 

 

「……ふぅ……ふぅ……」

 

 

 荒い息を整えながら、先程までと違い、不安げな瞳でこちらを見つめている。

 少しだけ、迷ってから。

 マミ、と小さく呼びかけて、その手を握る。

 

 

「あ……っ」

 

 

 ただ、手を握っただけなのに。

 ただ、名前を呼んだだけなのに。

 彼女は――マミは、嬉しそうに目を細め、顔を綻ばせた。

 

 

 

 

 

「……アナタの事が、好き……大好きよ……」

 

 

 

 

 




 マミさんにマミマミされたい。


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 前日譚 美樹さやか

 

 

 コンビニから、自宅であるアパートへの帰り道。

 買ったばかりの安っぽいビニール傘を打つ雨の音に、憂鬱になっていた。

 たかが百円といえど、無用な出費である事は確か。万年フリーターの身としては、面白くない。

 春先と言う事もあり、寒くは無かった。ポツポツと点在する街灯が、小さな水溜りをいくつも照らし出している。

 

 

「………………」

 

 

 ――が、その中に突如として人影が現れて、驚きに心臓がキュッっとする。

 

 ショートカットの少女。

 

 近くの中学校の制服を着ている事から、まだ学生である事が分かる。

 少なくとも、こんな時間に、傘も差さずにうろついていて良いはずが無い年頃だ。

 しかもその表情は、世の中に絶望しきっていると言わんばかりにどんよりとしていた。

 只ならぬ雰囲気に気圧され、危険物を迂回する様に、大きく道を逸れる。

 挨拶を交わしただけで不審者扱いされるこの御時勢。こんな危険な物件には、関らないのが賢い選択だ。

 

 

「………………」

 

 

 しかし、こんな風に距離をとっている事がバレるのもよろしくはない。

 様子を伺いながら、気付かれない事を祈りつつ、いよいよ真横を通り過ぎる。

 その時、街灯に照らされた彼女の横顔が目に入った。

 

 

「………………」

 

 

 雨に濡れてしまっていて、涙を流しているのかどうかも分からなかったが。

 その顔は、何かを堪えているように見えた。

 どうしようもなく悲しいのに、それを押し殺してしまっている様な、そんな風に見えてしまった。

 

 脚が止まる。

 少女の後ろ姿を見送りながら、迷う。

 関ったって良い事なんてない筈だ。

 まかり間違って通報なんかされたら、仕事と生活と社会的地位がヤバイ。

 無視した方が良いに決まってるのだ。

 

 ……それなのに。

 

 

「……え……」

 

 

 気が付けば。

 その背中を追いかけて、傘を差し出す自分が居た。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 薄い扉の向こう側から、水の音が響く。

 ちょっと無理をして、きちんと風呂付の部屋を借りていたが、役に立ってくれてよかった。だがそれよりも心配なのは、今現在シャワーを浴びている彼女の事だ。

 自分でも、随分としどろもどろになっていたのが分かるのに、彼女は抵抗する事無くこうして部屋まで着いてきて、あまつさえ、勧められるままシャワーまで浴びている。

 一体何があれば、あそこまで自失できるのだろうか。

 気にはなるが、それは、聞いても良い事なのだろうか。

 

 聞くか聞かないか、どちらにしても、女の子を部屋に上げる事すら始めての自分には荷が重過ぎる気がする。

 どうしようかと頭を抱えていれば、ガチャ、という音がして扉が開き、少女が姿を現す。

 

 

「………………」

 

 

 ん……うぉあっ!?

 

 ――が、その姿に思わず声が出た。

 男物の、ワイシャツ一枚。彼女はそれしか着ていなかった。

 ちゃんと、紐でサイズ調節できるジャージのズボンとか渡しておいたはずなのに。

 驚き、手で顔を覆いながら背を向けたが、眩しい太ももが目に焼きついて離れなかった。

 心臓がバクバク音を立てているのが分かる。

 

 

「………………」

 

 

 そんな中彼女は、トスッ、と軽い音を立てて、対面のクッションではなく、なぜか同じベッドに座り込む。

 近すぎもせず、かといって離れているわけでもない、絶妙な距離。

 緊張が高まる。

 

 

《ピィィイイイーーーッ!!》

 

 

 ――と、その時、火に掛けておいた薬缶から、沸騰を知らせる音が鳴る。

 助かった、と内心ホッとしながら、コーヒー飲むか? と声をかけ、備え付けのキッチンへと向かう。

 コンロの火を止めて、もしもの時のために買っておいた色違いのマグカップに、これまた、もしもの時のために買っておいた、封を開けてすらいないコーヒーの蓋を開ける。

 自分の分は、なんとなくブラックのまま。

 彼女の分には、多めの砂糖と、火傷しないように牛乳を少し。

 淹れ終わったそれを両手に持ち、ベッドの方へ戻る。目の前に差し出すと、彼女はおずおず、その手には大きく見えるマグカップを両手で受け取った。

 

 

「……あり、がと……」

 

 

 初めて聞く彼女の言葉に少し驚いたものの、なんとか笑顔を返し、ベッドの向かいにある小さなクッションへ座った。

 そして、彼女がコーヒーに口をつけるのを見届けてから、自分もコーヒーを啜る。

 

 

 

 

 

「……甘すぎ……」

 

 ……苦っ。

 

 

 

 

 

 全く正反対の感想を、同じタイミングで呟く。それが可笑しくて、苦笑いを浮かべる。

 正直に、失敗した、と言いながら少女を見ると、彼女はああ言いつつも、無言のまま、甘過ぎるだろうコーヒーを啜ってくれていた。

 

 そのまましばらく、無言が続いた。

 

 彼女の制服は一応干してあるが、乾燥機なんて持っていないし、乾き切るには時間が掛かるだろう。そもそも、乾燥機に入れても良い物なのだろうか。

 そういえば、これからどうするかも決めていない。家に送っていくにしても、男物の服を着せていくわけにはいかない。

 となれば、適当に服を買ってこなければならないのか。女物の服は高いというし、出来れば勘弁して欲しいのが正直なところだ。

 って言うか、まだ名前すら知らない。一応、聞いといた方が良いか……? あぁでも、変な風に勘違いされたら……。

 

 

「……ねぇ……」

 

 

 そんな事をつらつら考えていたら、不意に声が掛けられる。

 顔をそちらに向けると、カップを握りしめたままに、こちらを見つめる少女が。

 瞳には、先程までは感じられなかった明確な意思のような物が、ほんの少しだけ見えた気がした。

 

 

「……なにが、目的なの……」

 

 

 少女は、暗い声でそう問いかけるのだが、自分は質問の意図を捉えられず、は? と聞き返してしまった。

 だが、それを無視して彼女は続ける。

 

 

「……どうせ、体目当てなんでしょ? だったら、好きにしなさいよ……。もう、どうなったって良いんだから」

 

 

 そう言いながら、彼女は空になったカップをベッサイドに置き、視線を向けてくる。

 

 

「ほら……来なさいよ。あたし、中学生だよ……? こんなチャンス、滅多にないんじゃないの……?」

 

 

 暗い微笑み。

 どこからどう見ても、自棄になっているとしか見えなかった。しかし、そうはっきり言われて、自分の中にも不埒な考えが浮かぶ。

 よくよく見れば、中学生にしては随分と発育が良い。

 シャツ越しにも胸の大きさが分かるし、その太ももには染みどころか、傷一つ見受けられない。表情が暗すぎるのを鑑みても、顔立ちは十二分に整っていた。

 本人が良いと言っているんだ……バレなければ良いだけの話。

 彼女の言った通り、こんなチャンス、もう二度とは訪れないだろう。

 

 

「……!」

 

 

 無言で立ち上がる。それを見て、少女が一瞬、体を震わせたように見えた。

 けれど、それでも脚は止めない。

 

 

「……ぁ、っ……」

 

 

 少女の前に立つ。

 うつむき、目を逸らしている彼女の肩が、小さく震えているのが分かった。きちんと閉じられていないシャツの胸元から肌が覗いて、胸が高鳴る。

 体を低くし、そんな彼女と視線の高さを合わせ――

 

 

 

 

 

《スコンッ!!》

 

「あいたっ!?」

 

 

 

 

 

 ――思いっきり、デコピンを食らわす。

 突然の衝撃に驚いたのか、彼女は額を両手で覆い、困惑した表情を見せる。

 それは、想像していたよりもずっと可愛らしく見えた。

 

 

「……な、なにすっ――」

 

 

 お断りします。こちとら、こう見えてもロマンチストなんだ。こんな形での初体験とか、御免被る。

 

 

「……え?」

 

 

 呆ける少女の頭を撫でながら、出来る限りの優しい声で、諭すように声をかける。

 

 何があったのかは分からないし、無理には聞かないけど。

 そんな風に自分を粗末にしちゃ駄目だ。こんな事してたら、君の事を大切に思ってくれる人が、きっと悲しむ。

 君だって、大事な人がこんな事をしてたら辛いはずだ。だから……。

 

 

「――ない癖に――」

 

 

 少女の肩が、震え始める。

 呟いた声が聞き取れず、首をかしげていると――

 

 

「何も知らない癖に、適当な事言わないでよっ!!」

 

 

 ――頭を撫でる手を振り払いながら、彼女は声を荒らげた。

 

 

「こんな体、どう大事にしろってのよっ!? もう……もう、あたしは……っ」

 

 

 言いながら、大粒の涙を流し始める少女に、自分はオロオロと手を彷徨わせる。

 

 こんな、体……? ま、まさかこの子、レイプでもされたってのか……?

 だとしたら、失敗したってレベルじゃねぇぞ――対戦車地雷踏んづけたぁ!? どどっどっどっどどうしよう……!?

 

 

「……グスッ、先輩に、八つ当たりして、友達にだって、あんな酷いこと言って……ヒック……まどかはあたしの事、心配してくれてたのに……それなのに……っ」

 

 

 内心、酷く慌てるこちらの気を知らぬまま、少女は嗚咽を漏らし続け、手の甲で涙を拭いながら肩を大きく揺らす。

 そんな彼女の口から出た言葉に、自分は“ある事”を思い出し、一縷の望みを賭け、ゆっくりと問いかける。

 

 ……大事な、友達だったんだ?

 

 

「……う、んっ……辛い、時、ずっと側に居て、くれたのに……それを、あたしはっ……」

 

 

 少女は、小さく頷く。

 それを確認してから、更に言葉を重ねた。

 

 これから、どうしたい?

 このまま、喧嘩別れしたままで良いのか?

 

 

「……スンッ……それは……やだけ、ど……でもっ……あたしには、そんな資格……」

 

 

 唇を歪め、再び俯きそうになる彼女に、自分は畳みかける。

 

 ……資格なら、十分持ってるじゃないか。

 

 

「え……?」

 

 

 友達を傷つけた事が辛くて泣いているんだから、きっと、それで十分だ。

 傷つけた事を後悔して泣けるなら、それは、君がその子の事を想っている証拠だ。そんな君の友達なら、きっと許してくれる。

 それとも、そのまどかって子は、一度険悪になったくらいで友達を見捨てるような、そんな薄情な子なのか?

 

 

「……なっ、ま、まどかはそんな子じゃないわよ!? あの子はっ……優しすぎるくらい、良い子だもん……。あたしとは、違う……」

 

 

 自分を卑下しようとする少女の頭をもう一度撫でながら、自分は再度、微笑みを。

 

 君だって優しい子だよ。

 失敗して甘ったるくなったコーヒーだって、飲み干してくれたじゃないか。

 

 

「そ、そんなの、理由になって――」

 

 

 大丈夫っ。

 

 

「……!」

 

 

 尚も否定しようとする言葉を遮る様に、言葉を被せる。

 驚いて目を丸くする彼女の姿は、やはり、自分の知る女の子の中でも上位に入るくらい、可愛らしい。

 

 君は良い子だ。誰がなんと言おうと、保証する。

 きっとその子も、君の事を大好きでいてくれてるよ。君がまだ、その子の事を大好きなのと、同じで。

 だから、大丈夫だ。

 

 

「……ホント、に……?」

 

 

 かすれる声で呟く少女に、我ながら上出来だと思う、満面の笑みを浮かべて頷くと――

 

 

「……っ」

 

 

 その顔が、クシャクシャに歪んで――

 

 

「うわぁぁぁあああぁあんんんっ」

 

 

 ――胸に飛び込んで、堰を切ったように、大声で泣き始める。

 小さな背中をポンポン叩き、大丈夫だから、と、何度も、声をかけ続けつつ、思う。

 

 ……ギャルゲーって凄いなぁ……。

 あと、やっぱこの子、おっぱいでけぇ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 女の子って怖い。

 

 目元を赤く泣きはらした少女――美樹さやかの話を聞いて思ったのは、それに尽きた。

 明日、告白するという宣言。

 一見、正々堂々とした行動にも取れるけど、相手の性格を熟知した上でそういう事をしたのなら、それは立派な牽制行為にもなる。

 まだ出会って数時間も経ってないが、この弱弱しい姿から判断するに、さやかちゃんはきっと、そういう事には奥手な子なのだと思う。

 穿った見方かも知れないが、自分にはその仁美という女の子は、相当な策士に思えた。

 

 ……本当なら、こんな体、なんて言った理由も聞きたかったが、話さないという事は話したくない事なのだろうし、ここはあえて、聞かないでおこうと思う。

 この様子なら、想定していた最悪の事態には陥っていないみたいだし。

 というか、なんなんだその幼馴染の恭介って野郎は。

 こんな可愛い子に想いを寄せられるとか死ぬほど羨ましいんですけど?

 しかも二人同時とかふざけんな。こちとら小中高と灰色の青春を送っていたというのに。

 もげろ爆ぜろ捻じ切れろ。

 

 

「……仁美は、あたしより可愛いし……あたしじゃ、勝てっこないよ……」

 

 

 膝を抱えて隣に座る彼女の声に、暗黒面へ落ちそうだった思考が引き戻される。

 その顔は、先程までに比べればかなりマシに見えたが、やはりまだ随分と気落ちしている感がある。

 ここはやはり、偉大なる先人の知恵、ギャルゲーの力を借りた方が良いかもしれない。

 さっきみたいに、ちゃんと通用してくれれば良いが……。

 

 

「勉強も、運動も……。性格だって、あたしなんかよりずっと女の子してるし……。あたしは、ただ、好きなだけだもん……。こんなあたしじゃ、恭介だって……」

 

 

 膝に顔を埋め、くぐもった声でそう言う彼女に、自分は再び声をかけ始める。

 

 それのどこがいけないんだ?

 

 

「え……」

 

 

 一番大事な物は、ちゃんと持ってるじゃないか。

 それが無かったら、きっとどんな相手とだって結ばれない。

 それとも、その恭介って奴の事を好きな気持ちも、負けてるって思う?

 

 

「それ、は……。でも、怖いの……。もし、ダメだったら……もう、側に居れなくなったり、喋ったりできなくなったら……。そう思うと、怖くて、何も言えない……」

 

 

 ……それで、そんな風に諦めて、後悔するのか?

 

 

「……っ、後悔、なんて……」

 

 

 さやかちゃんが、わずかに顔を浮かせた。

 その反応に期を見て、強気に言葉を重ねる。

 

 きっと、後悔する。

 何も出来ずに、ただ時間だけ過ぎ去って、それで後悔する。

 あの時、こうしていれば。

 あの時、ちゃんと伝えていれば、って。

 

 

「………………」

 

 

 このまま何もしなければ、その後悔に、今までの想い出も染まってしまう。

 それで良いのか? 君にとって、恭介って奴との想い出は、そんな簡単に諦められるものなのか?

 

 

「……そんなわけ、ない……」

 

 

 なら、ちゃんと伝えなくちゃ。ありのまま、全部。

 大丈夫。君には良いところが沢山ある。

 出会って数時間も経たない人間が分かるんだから、きっと、そいつも。

 自分よりも、君の良い所を沢山知ってるはずだ。

 

 

「……で、も……」

 

 

 少しずつ、暗かった声音が変わり始めていた。

 それを後押しする為に、態と茶化すようにして、自分はサムズアップして見せる。

 

 大丈夫っ!! 初対面の男を誘惑する勇気があったんだから、きっと言えるSAっ☆

 

 

「あ、あれは違っ……!! ――って、うわっ、あたしってばなんて格好っ……!!」

 

 

 反論した所で、ようやく自分があられもない格好をしているのに気付いたのか、さやかちゃんは慌ててワイシャツの裾を引っ張り、体を隠そうとした。

 その姿に苦笑いしながら、着替えてくれば? と提案する。

 

 

「……の、覗かないでよ?」

 

 

 それは覗けという振りですか?

 

 

「携帯どこだっけ……警察警察っと……」

 

 

 ちょっ!? マジで勘弁してっ!?

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……それじゃ、あたし、帰るね」

 

 

 生乾きの制服に着替え、さやかちゃんは玄関に向かう。

 それを見ながら、本当に送らなくて平気か、と声を掛ける。

 

 

「うん……もう、平気。いっぱい泣いて、スッキリしたから。ちょっと気持ち悪いけど、乾かない内に帰った方が、雨宿りしてたって言い訳がきくしね」

 

 

 彼女の言葉に、なるほど、と頷きながら、玄関の扉を開けようとする背中を複雑な気持ちで見送る。

 結局、他人の恋を後押しするような形になってしまった。

 こんなんだから女の子とちょっと良い感じになっても、最終的には友達止まりなのかも知れない。

 一体何時になったら、彼女居ない暦=年齢の壁を打ち破れるのか……。

 

 

「……あの、さ?」

 

 

 ――なんて考え込んでいたら、いつの間にかさやかちゃんは、こちらを振り返っていた。

 

 

「……その、初対面なのに、色々、迷惑かけちゃって……。本当に、ごめんなさいっ」

 

 

 言いながら、彼女は深く頭を下げる。

 突然の行動に面食らっていると、姿勢を正し、こちらを真っ直ぐに見つめて来た。

 

 

「まだ、ちょっと頭がぐるぐるしてるけど……でも、ちゃんと向き合おうと思う。

 後悔は、したくないから。まどかにも……ちゃんと、謝る。

 こんな風に思えるのは……多分、その……。あ、貴方のおかげ、だと思うから……」

 

 

 一度、言葉を区切り。

 深呼吸してから、さやかちゃんは柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

「ありがとう」

 

 

 出会ってから初めて見る、その表情は。

 うっかり惚れてしまいそうな程、透き通っていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 黄昏の赤に染まる、噴水公園。

 多くの人々が憩う中、一人、ベンチに佇む少女。

 物憂げな視線の先には、伸びた影を引き連れる木々の群れ。

 ただ静かに見つめ続ける彼女は、声をかけるのが躊躇われるほどの、寂寞たる様だった。

 

 

「……さやか。やっと見つけた」

 

 

 そんな事を気にも留めず――あるいは、あえて無視して歩み寄るポニーテールの少女。

 向けられた声に気付き、ベンチに座る少女――美樹さやかは、そちらへ首を巡らせる。

 

 

「……杏子」

 

「ったく、どこほっつき歩いてたのさ? 散々探し回ったんだぞ?」

 

 

 きつい口調と裏腹に、ポニーテールの少女――佐倉杏子は笑みを浮かべている。

 彼女はさやかの隣へ勢い良く腰掛けると、何処に持っていたのか、ポテトチップスの入った細長い缶の蓋を開け、薄塩味のそれをパリパリ頬張った。

 

 

「なんか、悪いね。手間、掛けさせちゃったみたいで」

 

「………………。どうしたのさ、らしくない」

 

「うん……。なんて言うのかな。全部、終わっちゃって。気が抜けちゃった」

 

「終わった……」

 

 

 珍しくしおらしいさやかの言う「終わった」という言葉に、杏子はあまり良い結末を描けなかった。

 長年、幼馴染に想いを寄せていたという彼女。

 活発で、考えた事も、割と包み隠さず表に出してしまう彼女が、胸に秘そうとまでした慕情。

 しかし、それを成就するのに立ちふさがった障害は、如何ともし難いもので。

 もがき苦しむ様を直に見て――ましてや、原因の一端まで担ってしまった事のある杏子としては、苦虫を噛み潰している気分だった。

 

 

「結局、あたしはさ。恭介のためって誤魔化しながら、自分の願いを叶えようとしてたんだよ。

 恭介の腕を治せば、また、一緒に学校行ったり出来る。一緒に過ごすことが出来る。……あたしの想いに、気付いてくれる、って。

 ほーんと、ばっかみたい。不純だよねー。そんな事、あるはず無いのに。……本当に、後悔するところだった」

 

「……なぁ、さやか。アンタ、もしかして」

 

「うん。振られちゃった。一足遅かったみたい。

 あ~あ、こんな事なら、学校さぼって色々と考えるんじゃなかったなー。

 ……ちゃんと、恭介の事が好きだったんだって言えただけ、マシだとは思うんだけどさ」

 

「………………」

 

 

 遠くを見つめる、儚い微笑。

 いつかの危うさは感じさせない、そんな表情に、しかし杏子は苛立ちを募らせる。

 

 

「さやかは……」

 

「え?」

 

「さやかは、それで良いのかよ。アンタは、その恭介って奴の為に契約したんだろ? 魂を捧げたんだろっ? なのに、気持ちを伝えるだけで満足だって言うのかよっ!?」

 

 

 詰め寄るような勢いに、さやかは目を丸くする。しかし、杏子自身も驚いていた。

 なぜ、こんなに苛立っているのか。

 なぜ、こんなにさやかへ肩入れするのか。

 なぜ、彼女の想いが遂げられない事を、残念に思うのか。

 自分で理解できないからこそ、苛立ちは加速し、怒りに顔が歪む。

 けれど、そんな彼女の様子を見て、さやかは小さく笑みを零す。

 

 

「杏子ってやっぱり、根は良い人だよね?」

 

「………………はぁ!? い、いきなり何言ってんのさアンタはっ!?」

 

「だってさ、杏子は今、あたしのために怒ってくれてるんでしょ? ……ありがとね。でも、これで良かったんだよ」

 

 

 動揺する杏子を微笑ましく見つめながら、さやかはベンチを立つ。

 そして、数歩歩いて立ち止まり、大きく背伸び。

 

 

「本当はね。全部バラしちゃおうかな、とも思ったんだ。

 恭介の腕を治したのはあたし。一番早くに好きになったのもあたし。だから、あたしを見て。あたしを、好きになって。……そんな風に。

 でも、そんな事したら、恭介は本当に、あたしを好きになってくれるから。好きになろうって、努力してくれるだろうから。それってさ、なんか違うでしょ?」

 

「……分かんねぇよ、そんなの」

 

「少なくとも、あたしにとってはそうなの。そりゃあ、うちの親はお見合い結婚だし、そういう関係になってから育むものもあるんだとは、知ってるけど。

 今、この事実を知られたら、そういう事すら出来なくなっちゃう。あたしは、愛されるのを待つだけになっちゃうと思うから。

 ……愛されるより、愛したい派なのですよ、さやかちゃんは」

 

 

 腰に両の握り拳を当て、さやかは胸を張って言う。

 切なげで、それなのに何故か、力強さを感じるその姿を、杏子はただ見つめ続ける。

 

 

「たとえ、恭介の心に触れる事が、出来なくなったとしても。

 あたしの想いは伝わった。恭介は、あたしの想いを嬉しいって言ってくれた。

 十分だよ。祈りは確かに、叶ったんだもん。これ以上を望んだらバチが当たっちゃう。

 恭介が、あたしの気持ちを覚えていてくれるなら、大丈夫だから。

 ……いつかは、知ってほしいって思うけど。それはきっと、今じゃない。だから、いいの」

 

 

 夕日に陰る表情は、彼女の背にする太陽が眩しくて、見ることも叶わない。

 目の前に居る少女の見せた強さに、杏子はまた驚いていた。

 

 彼女は、たった一つの祈りの為に――事故で失われた幼馴染の腕を回復させるために、己の全てを捧げたと言って良い。

 肉体を。平穏を。――魂を。

 そうとは知らず、知らされず。ただ、無邪気に願ってしまった。

 真実を知らされた時など、目も当てられぬ有様だった。……杏子自身も含めて。

 なのに――

 

 

(……なのに。なんでさやかは、さやかのままで居られるんだ)

 

 

 ――彼女は、笑っているのだ。

 誰かの為に魂の祈りを捧げ、それが報われることを信じて、愚直に献身を呈す。

 だから、その結末は自分と同じで――変わらずには居られないと、そう思っていたのに。

 彼女は、変わらない笑顔を、見せつける。

 

 

「――かちゃあぁんっ!」

 

「ん? あれって……」

 

 

 その時、遠くから名を呼ばれたことに気付いて、さやかは振り返る。

 こちらに駆け寄るのは、彼女の親友――つい先日、一方的に悪意をぶつけてしまった少女の一人、鹿目まどかだった。

 

 

「アタシが呼んだんだよ。キュゥべえを通じてな。まどか……だっけ? アイツ、ずっとアンタの事を探してたみたいだったからさ」

 

「……そっか。そういう子だよね、まどかは」

 

 

 自嘲するように、けれど、とても嬉しそうに、さやかはまた笑う。

 あの子のことだ。きっと、自分の事などほったらかしで探してくれたのだろう。

 彼女が悪い訳ではないのに、それでも自分を責めて、謝ろうとしてくれるだろう。

 知っている。そういう子だと、よく、知っている。

 

 

(ちゃんと、謝らなくちゃ。……うん、約束したもんね)

 

 

 そう、心の中で確かめて、さやかはまどかに向き合い、そして――

 

 

 

 

 

「まどか……あたし――」

 

「さやかちゃあぁぁあああんんんっっっ!!!!!!」

 

「――ぐふぇ!?」

 

「さ、さやかぁぁあああっ!?」

 

 

 

 

 

 ――勢いを殺さず飛び込んで来た頭突きを鳩尾に喰らい、もんどりうって倒れこんだ。ついでにゴシャッと噴水の角へ後頭部を強打している。

 魔法少女で無ければ、火サス並みの悲劇が起きていたことだろう。

 

 

(な、なんで、なんで? なんであたしってば心だけでなく体も痛い目に遭ってんの?

 酷いこと言った仕返し? それとも反抗期? あたしゃそんな子に育てた覚え無いぞえ?)

 

 

 直接ソウルジェムに痛みを流し込まれるのと変わらないように思えるそれに、さやかの思考はメチャクチャである。

 しかし、流石に謂れ無きダメージを負わされた気がした彼女は、後頭部を擦りながら、腹部に顔をうずめるまどかへ文句をつけようと体を起こし――

 

 

「お゛、ぁあ゛、あ、う゛……な、何すんのよぉ!? 死ぬかと思っ――」

 

「っすん、ひっく、さや、か、ちゃん……ご、め……わた、しぃ……」

 

 

 ――何も、言えなくなってしまった。

 離さないと言わんばかりに縋りつき、まどかは嗚咽を漏らす。

 

 

「ごめん、ね……あの日、追いかけなくちゃ、いけなかったのに……私、出来なかった……。

 私、弱くて……甘えてばっかりで、さやかちゃんに、辛いこと、押し付けちゃってた……」

 

「……まどか」

 

「でも、それでも! 私はさやかちゃんに笑ってて欲しい! 自分勝手って言われてもいい! 嫌われたっていい!

 ……さやかちゃんは、私の……大切な、友達だから……だから、幸せになって、欲しい……。そのため、なら……さやかちゃんのためなら、私は……!」

 

「だめ」

 

「……え」

 

 

 ぎゅっと、まどかを腕に抱き、さやかはその言葉を遮る。

 同じ女の子のはずなのに、妙に小さくて、柔らかくて、あったかい。

 そんな彼女を、抱き締める。

 

 

「あたしのためにまどかを犠牲になんてしたら、彼氏さんに顔向けできないよ。……なにより、あたしがあたしを許せなくなる」

 

「……で、も」

 

「デモもストも無いの。それに、今のあたしには、そんな事よりもずっと大事なことがあるし」

 

「大事な、こと?」

 

「そうだよ。先に言っちゃうんだもん、ずるいよ……」

 

 

 舌足らずに鸚鵡返すまどかへ、さやかは――

 

 

 

 

 

「酷いこと言って、ごめんね。

 八つ当たりなんかして、ごめんね。

 ……友達って言ってくれて、ありがとね」

 

「……あ」

 

 

 

 

 

 ――そう言って、笑いかける。

 あの日……あの戦いの最中に見せた、己を省みぬ凄絶な笑みとは、まるで違う。

 静かで、澄んだ微笑み。

 

 

「う……うわぁああんっ!」

 

「あぁもう、ほら、泣かないの。可愛い顔が台無しだぞー?」

 

 

 それが嬉しくて、まどかは溢れるものを堪えようとはしない。

 幼い子供のように、心置きなく、わんわん泣きじゃくる。

 彼女をあやし、頭を撫で続けるさやかは、やはり静かに笑みを浮かべていて。

 

 

(なんか、嘘みたい。全部、あの人の言う通りになっちゃった)

 

 

 思い返すのは、昨晩出会い、胸を借りてしまった、見ず知らずの男性。

 どうしてあんなに素直になれたのか。……さやか自身、よく分かっていない。

 けれど、彼が掛けてくれた言葉達は、何故か心の深くに染み入り。そして言われた通り、まどかはまだ、さやかの事を友達だと思ってくれていた。

 その身を捧げようとまで、してくれて。

 

 全て、無くしてしまったと思っていた。

 何も知らぬまま、魔法少女になって。その真実を知って、自棄になって。

 想いを告げる資格も、友達も、戦う意味すら、無くしたと思っていた。

 

 

(でも、全然違った)

 

 

 ただ、見失っていただけ。

 思い通りに行かなかった事ばかりだけど、それでも、変わらず側に居てくれる優しさのおかげで、本当に無くさずに済んだ。

 それどころか、こんなにも想ってくれる親友が居たのだと、確かめることが出来た。

 こんなにも大切なものを、あっけなく見失うだなんて。

 あぁ、なんて……。

 

 

「……あたしって、ほんと、バカ……っ」

 

 

 不意に、涙が零れた。

 恋に破れた時にも流れなかった涙が、今になって。

 

 

「さやか、ちゃん……?」

 

「だめ、だった……あたし、ふられちゃった、よ、ぉ……」

 

「……! そ、んな……!」

 

「うぁ、ああぁ、うわああぁぁあぁぁああっ!」

 

「さやかちゃん……な、泣かないで……泣かないでぇ……うぅぅ……」

 

 

 さやかの目から流れる涙を指で拭いながら、しかし、そうするまどかも、顔はぐしゃぐしゃに。

 涙が涙を誘い、二人はやがて、互いをきつく抱き締め合う。

 おそらくは、一人では耐えられない悲しみも、二人であれば乗り越えられると、無意識に悟っているのだろう。

 この温もりが、自分を救ってくれると、本当で知っているのだろう。

 

 そして、そんな彼女達を無言で見守っていた杏子は、唐突に気付く。

 

 

(……そっか。アタシは)

 

 

 ――さやかの事が、羨ましかったんだ。

 

 杏子が過去に失くしたものを、持ち続けている彼女が。

 とうの昔に諦めてしまった道を、迷い、戸惑い、覚束無いながらも歩み続ける、彼女が。

 

 最初、その存在を知った時に覚えたのは、侮蔑にも似た感情。

 それはさやかだけではなく、杏子にとって特別な意味を持つ存在――かつて共に在り、袂を分かった優しすぎる先輩、巴マミにも向けられていた。

 裏切りに等しい形で傷付けたにも関わらず、マミはさやかを受け入れ、さやかはマミを慕った。

 かつての杏子と同じように。

 けれど、その二人の在り方は、一般的な魔法少女から見れば異端としか言いようがなかった。

 魔女も使い魔も関係なく、人々の命を護るために全霊を傾ける。非効率で、リスクばかりを背負い込む、そんな在り方。

 

 杏子は苛立った。見せ付けたくなった。

 そんな生き方は損をするだけだと。もっと賢い生き方を、アタシ達はするべきなんだ、と。

 さやかの祈りが、他人のために使われたことを知って、それはもっと顕著になった。

 人が何かを祈るのは、結局の所、自分のためなのだ。

 どんな理由をつけても、どんな綺麗事を唱えても、突き詰めていけば、自分が満足するために祈る。人間とは、心とは、そんな身勝手な物の塊。

 それを履き違えて、自分を誤魔化したまま誰かの為に祈ったりすれば、最後に待つのはあまりにも惨めな結末だ。

 ――かつての杏子と、同じように。

 

 いつの間にか、杏子はさやかに、そんな結末を迎えて欲しく無いと思うようになった。

 報われて欲しいと、思うようになった。

 アタシはダメだったけど、せめて、コイツくらいは。

 誰かの為に、たった一つの願い事の為に己を捨てたバカなヤツが、幸せになって。ついでに、マミの本当の仲間になってくれたなら。

 思えば、杏子は彼女に、過去の自分を重ねていたのだろう。

 

 ……でも、結局はダメだった。

 想いを寄せていた少年に拒まれ、おまけにソイツは、彼女がその身を犠牲にして居る事を知らない。

 どれだけ苦しみ、どれだけ傷つき、どれだけ悲しんだのかを知らないまま。

 仕方が無いとは言え、あまりにも報われない。なのに、彼女は……。

 

 

(もし、アタシも、さやかみたいに。……もっと優しさへ、素直になれていたら。アタシは……)

 

 

 今も、マミの隣に居て。

 二人で一緒に、戦って。

 さやかとも、違う出逢い方が出来たかも、知れない。

 

 ――今のアタシとは、違うアタシで、居られたのかも知れない。

 

 

「……あ~あ。見てらんないよ、ったく……」

 

 

 溜息と共に呟き、杏子は噴水に背を向ける。

 呆れたような口振り。しかし、口元を飾るのは、優しい苦笑い。

 きっともう、大丈夫だろう。

 

 

(今のさやかは、あの頃のアタシとは、違う)

 

 

 少し視線をずらせば、遠方に、抱き合う彼女達を見つめる二人分の影。

 目尻に輝きを乗せ、少し悲しそうに、けれど優しくそれを見守る、先輩魔法少女。

 そして、普段と変わらぬ無感動な顔をしながらも、決して目を離そうとしない、黒髪の魔法少女。

 こんなにも沢山の人に想われ、それを素直に受け入れられた、彼女であれば。

 

 

「きっと、大丈夫さ……」

 

 

 後ろを確かめもせず、再び呟く。

 だが、確かに。

 それは、必要のない行為であったのだろう。

 

 

「ぅう、ぐ、んっ、うあぁぁあっ」

 

「……っ、すんっ、あ、ぅうぅ……」

 

 

 黄昏の中、二人の少女は、人目を憚ること無く、泣き続ける。

 嬉しさと、寂しさと。その両方を抱えて。

 それぞれに異なる感情を秘めた、二対の瞳、一つの背中に見守られているのを、知らぬまま。

 胸の奥に誰もが持つ、魂という名の宝石を、涙で洗い流していく。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 あれから数日。

 何事も無かったように、いつもと同じ、退屈な日々を過ごしていた。

 ちゃんと友達とは仲直りできたのか。さやかちゃん自身の気持ちはどうなったのか。

 連絡先も知らない自分には、知る由も無い。

 出来る事なら、上手く行っていて欲しい。あんなに良い子なのだから、是非とも幸せになって欲しい。

 恭介とやらはもげて欲しいが。本気で。EDになれ。

 

 ……彼女、欲しいなぁ。

 

 自身の現状を振り返り、その情けなさに溜息をつきながら、暮れ始めた太陽に照らされたアパートの門をくぐる。

 

 

「あ……オッス、久しぶりっ」

 

 

 すると、横合いから不意に声を掛けられた。

 顔を向ければ、そこには、あの日と同じ制服に身を包む、さやかちゃんが立っていた。

 驚き、おう、とぶっきら棒に返事をしてしまったが、彼女は気にしていないのか、笑顔で話しかけてくる。

 

 

「ごめんね、いきなり来ちゃって。ちょっと話したい事があるんだけど、時間いい?」

 

 

 問いかけに対し頷きながら、上がっていくか? と聞くも、さやかちゃんは首を横に振った。

 

 

「ううん、直ぐ済むから。改めて御礼を言いに来たのと、ついでに、報告だけしときたかったの」

 

 

 言いながら、彼女は居住いを正し、あの日と同じ様に頭を下げる。

 

 

「本当に、ありがとうございました。おかげで、まどかとも仲直りできたし、恭介にも自分の気持ち、伝えられたよ」

 

 

 顔を上げた時に浮かんでいた表情は、晴れやかな笑顔だった。釣られて、自分も笑顔になる。

 この分だと、告白も上手く行ったのだろう。

 少し――いやかなり羨ましいが、こんな風に笑っていられるなら、それはきっと良い事なのだ。

 そう思い、よかったな、と声をかけたのだが、さやかちゃんの口からは思わぬ言葉が発せられる。

 

 

「……うん。まぁ、一足遅くて、フラれちゃったんだけどね?」

 

 

 事も無げに言ってみせる彼女に驚き、どうして、と問いかけてしまった。

 

 

「ん~、なんか、長く友達で居過ぎたって言うか……そんな感じ。仁美の告白も受けちゃってたし、しょうがないよ……」

 

 

 さやかちゃんは苦笑いをしながら、指で頬を掻く。

 それを見て、自分の中にはモヤモヤとした、不快な感情が生まれた。その正体は、自分でも直ぐに理解できた。

 ――嫉妬、羨望、怒り。

 そんな感情を、彼女をフッた恭介に対して抱いたのだ。どうやら自分は、思っていた以上に、さやかちゃんの事が気に入っているらしかった。

 暗い感情を抑えきれず、そいつの目は節穴だな、と悪態を吐いてしまう。

 

 

「あははっ、そうかもね。でもその分、手先は器用なんだよ? 恭介のヴァイオリンは凄いんだからっ」

 

 

 だが、それを聞いても、彼女は穏やかな笑みを絶やさない。

 それ程までに想われている恭介という男が、どうしようもなく、羨ましかった。

 

 

「……恭介の事は、駄目だったけど。

 でもね? あいつのヴァイオリンだけは、好きで居ようって思うの。

 ……好きで居たいって、思えるんだ。これだけは、絶対に、誰にも負けないから」

 

 

 さやかちゃんは、誇らしげに胸を張る。

 その姿が眩しく見えて、強いんだな、と目を細めながら呟く。

 

 

「えへへ、そうですとも。恋を知った女は強いんだからっ。

 ……それじゃ、あたし、もう行くね? ……本当に、ありがとう」

 

 

 彼女は、微笑みながら背を向ける。

 後姿がゆっくりと小さくなるにつれて、自分の中には、胸が締め付けられるような焦りが生まれた。

 このまま見送ったら、もう二度と、会えなくなるような気がして。

 だからつい、あのっ、と去っていく背中に声をかけ、呼び止めてしまった。

 

 

「……? なに?」

 

 

 しかし、振り返る彼女に、なんと言って良いのかが、分からない。

 散々迷って、目を泳がせて、咄嗟に出たのは――

 

 ……コーヒー、飲んでかないか?

 

 ――なんて言う言葉だった。

 

 

「え?」

 

 

 さやかちゃんは、突然の誘いに首をかしげている。それも当然だ。ついさっき上がってかないかと言って断られた相手に、同じようなこと言ってどうする。

 なんでこう、ギャルゲーの助けが無いと、気の利いた台詞一つ浮かばないんだっ。

 変に思われたに決まってる……どうしよう……。

 

 

「……クスッ」

 

 

 顔を背け、頭を掻き毟りながら、あ~う~唸っていると、小さな笑い声が聞こえた。

 視線を向けると、彼女は足を戻し、少し身を屈ませるようにして、じっとこちらを覗き込んでいる。

 慌てて再び顔を背けたが、自分の顔は少し、熱くなっている気がした。

 

 

「……甘いのが、いいな」

 

 

 その言葉に呆気に取られ、動きを止めていると、さやかちゃんはこちらの腕を取り、アパートへと引っ張って行く。

 

 

「ほらっ。コーヒー、淹れてくれるんでしょ? 早く早くっ」

 

 

 微笑みながら、そう言う彼女に。

 自然と、自分も笑みを返していた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 その日から、色気のいの字すらなかった生活は一変した。

 連絡先を交換してからと言うもの、毎日のようにやり取りを繰り返し。

 二日と置かず、さやかちゃんは家に遊びに来てくれて、その度に、彼女は甘いコーヒーを飲んで行った。

 

 他にも、買い食いをして歩いたり――

 

 

「……ねぇ、本当に食べるの? その《桃色ドリあんぱん》……すっごくイロモノっぽいんだけど……?」

 

 ……いや、せっかく買ったんだし、一口だけでも………………ぶほぁっ!?

 

「ちょ、ちょっと!? 大丈――く、くっさ!! なに、なにこれ!? ち、ちょっと、近寄んないで!?」

 

 ぐほっ、えほっ……さ、さやかちゃんが買えって言ったんじゃないか……死なばもろとも……ぐふぉっ。

 

「ぎゃーーーっ!? 来ないで、来ないでってばーーー!!」

 

 

 彼女をからかって遊んだり――

 

 

 ……本当に、さやかちゃんはいつも必要以上に元気だな……。

 

「ん? 当ったり前よっ。さやかちゃんはいつだって元気がとりえですからねっ――って、必要以上てどゆ事?」

 

 いやいや。特に深い意味は。でもそれ、元気以外にとりえが無いみたいに聞こえる。

 

「むっ。そんなこと無いわよ!! 例えば……例えば……え~と……」

 

 ………………。

 

「……か、可愛い、とか?」

 

 ……うん、そうだね。(うざ)可愛いね。

 

「ねぇあんた心の中で馬鹿にしてない? あたしの目を見て言いなさいよ」

 

 ウン、ソウダネ。(ウザ)カワイイネ。

 

「可愛いの前にある微妙な間はなんなのよ!? あ、コラ!! 逃げんなぁ!!」

 

 アハハハハ。サヤカチャンハ(ウザ)カワイイネェーーー。

 

 

 二人だけで、食事に行ったりもした――

 

 

「いや~。初めて来たけど、美味しいね~、ここのパスタ」

 

 本当に。値段も手頃だったし、良い所教えてもらったよ。

 

「うんっ。今度、まどか達とも来てみよっかな……ん? あれ、あんた、なんでトマト残してんのよ?」

 

 ……え? あ、いや……生のトマトは、苦手で……入ってると思ってなくて……。

 

「えぇ? 何言ってんのよ、好き嫌いはダメでしょ? 勿体無い……ほら、口開けなさいっ」

 

 い、いや、ホントにダメなんだって!? 勘弁して!?

 

「食べ物を粗末にしちゃだ~め!! ほらっ、あ~んしなさいあ~んっ!!」

 

 だから無理だっ――むごぉ!?

 

「ぃよしっ、勝った!!」

 

 

 彼女との関係も、急速に近づいていた。

 それこそ、さやか、と呼び捨てにする事を許される程に。

 本当に、楽しかった。

 明日が来るのを待ち遠しいと思ったのは、久しぶりだった。

 出来る事なら、いつまでもこうしていたかった。

 

 しかし、そんな日々は。

 始まった時と同じように、唐突に変化を迎える事となった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ……魔法、少女?

 

 

「うん……。さっきあんたを襲ってた使い魔と、その親玉の魔女を倒すのが、あたし達の役目ってわけ」

 

 

 驚きの連続で、思考が麻痺し始めていた。

 バイトからのいつもの帰り道。奇妙な空間に迷い込んで怪物に襲われたかと思ったら、颯爽と現れた、コスプレみたいな格好をしたさやかに助けられた。

 その周囲には、似たような格好をした女の子が二~三人居たが、驚きのせいかあまりよく覚えていない。

 さやかは彼女達と少し言葉を交わした後、呆然とする自分に付き添い、家まで送ってくれて。

 そして今、自分は家でベッドに腰掛け、起こった出来事の説明を受けている。

 正直に言えば、自分の頭を疑いたかった。

 

 魔法。

 契約と奇蹟。

 魔女と使い魔。

 そして、魔法少女。

 

 今まで空想上の存在だったそれ等が、現実に存在する。

 俄かには、信じがたかった。

 

 

「やっぱり、信じられないよね? ……証拠、見たい?」

 

 

 頭を抱えていると、対面に立ったさやかが声を掛けてくる。

 反射的にそれへ頷けば、彼女は手の平に美しい青の宝石を乗せ、集中し始めた。

 

 

「……むっ」

 

 

 力を込めるような声。すると、宝石から一本の刀が飛び出し、チャキ、と音を立てて、さやかの手へ納まる。

 手品にしても有り得ないと感じるその光景に、再び呆然としてしまう。

 

 

「……ちょっと、吃驚するかもしれないけど。心配しないでね?」

 

 

 言いながら彼女は、逆の手を刃を撫でるように走らせる。

 慌ててベッドから立ち上がり、何してるっ!? と叫びながらその手を掴む。

 

 

「あっ、だ、大丈夫だってば……よく見て?」

 

 

 そう言われても、なんて思いながら、とりあえず傷を確かめようとする。

 が、どういう訳か、その傷は瞬く間に塞がっていった。傷口の断面も、この目で、間近で確認した。

 手品なんかでは、無い。

 

 

「これが、証拠。有り得ないでしょ? その気になれば、痛みも殆ど感じなく出来るの……。そういう風に、作り変えられちゃった……」

 

 

 ……作り、変えられた?

 

 どういう事かと思案していると、その答えはさやかの口からもたらされた。

 

 

「……魔法少女はね、奇蹟の代償に、体から魂を抜き取られるの。そしてその魂は、魔法を使うための道具になる。それが、ソウルジェム」

 

 

 いつの間にか、彼女が持っていた筈の刀は消え去っていた。

 代わりにその手に乗っていたのは、先ほど見た、海のような青の輝きを放つ宝石。

 

 

「魔法少女にとって、肉体は只の操り人形なんだよ……。

 奇蹟の代償として、魔女を狩るためだけに、死んだ体を動かして、生きてるフリをしてるだけ……」

 

 

 宝石を握りこみながら、さやかは硬く目を閉じる。

 理解が追いつかない。それが今の自分の現状だった。

 『魔法少女』と言う単語から、日曜の朝アニメっぽい感じかと思っていたのに、なんだこれは。

 奇蹟の代償に魂を弄られて、戦わされる? 普通逆じゃないのか? 戦った末に願いが叶うとかじゃないのか?

 そんなの、借金のカタに働かされてるようなものじゃないか。

 どうして、こんな事が……。

 

 

「気持ち、悪いよね……? 見た目は人と同じでも、ゾンビみたいなものだもん……幻滅したでしょ……?」

 

 

 さやかは、自嘲するように小さく笑う。

 そんな顔を見ているのが嫌で、すぐ様、そんな事ないっ! と強く否定し、彼女の肩を掴んで瞳を見つめる。

 

 

「あ……っ……」

 

 

 しかしさやかは視線を逸らしてしまい、気まずい沈黙が生まれる。

 動けないまま、時間だけが過ぎていく。そんな中、麻痺していた頭に、ふと疑問が浮かぶ。

 奇蹟の代償として魔法少女になるのなら、さやかは、なにか奇蹟を願ったという事になる。その願いさえなければ、さやかはこんな事にならずに済んだのに……。

 見当違いの怒りだと自分で分かっていたが、どうしても、何を願って魔法少女になったのか、尋ねずにいられなかった。

 それ聞くと、さやかは少し言い淀むものの、しばらくして根負けしたかのように答えを口に出す。

 

 

「……事故で動かなくなった、恭介の腕を、治す事……それが、あたしの祈り……」

 

 

 また、恭介。

 どうして、いつも……っ。

 

 悔しさに、知らず奥歯をかみ締め、肩を掴む手に力が篭った。

 

 

「ち、ちょっと、痛い……」

 

 

 あ、ごめっ……。

 

 彼女の痛がる声に気付き、謝りながら手を離す。

 再び、沈黙。

 

 

「……あたし達、もう会わない方が、いいかもね……?」

 

 

 耳が痛くなる程のそれを破ったのは、さやかの別離を促す言葉だった。

 その衝撃に、なんで、どうして、と詰め寄るが、彼女は冷静に言葉を続ける。

 

 

「魔法少女にはね、もう一つ、秘密があるの……。それは……このソウルジェムが、濁りきった時……魔女になるっていう、運命……」

 

 

 自分の喉から、言葉にならない息が洩れた。

 開いた口を、塞ぐ事が出来ない。

 

 

「だから、側に居ない方が良いんだよ。絶対に、傷つけたくないから」

 

 

 思考が止まる。

 さやかの言葉が、耳を通り過ぎていく。

 

 

「ホントはね? あんたに会ってすぐ、この事を教えられたの。でも、あんたと居ると楽しくて……。自分が、人間じゃないって、言えなかった。……言いたく、なかった」

 

 

 彼女の頬を、何かが伝う。

 それは、とても尊く、とても、寂しそうに見えた。

 

 

「……騙してて、ごめんね。……さよなら。一緒に居られて、嬉しかった……っ」

 

 

 視界から、さやかの姿が消える。

 側に在った気配が、少しずつ遠ざかって行く。

 訳が、分からなかった。

 麻痺しきった頭の中に、さやかの言葉が木霊する。

 

 

 魔法少女。

 魔女。

 奇蹟。

 代償。

 魂。

 恭介。

 祈り。

 側に居ない方が良い。

 さよなら。

 一緒に居れて、嬉しかった。

 

 

 

 

 

 ガチャリ、と、ドアの開く音がした。

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 気がつけば。

 その背中を追いかけて、抱きしめている自分が居た。

 

 

「な、なにして――」

 

 

 行くな、と、ただ一言、口に出す。

 

 

「……!」

 

 

 開きかけたドアが、閉じていく。

 さやかは、困惑したように声を上げる。

 

 

「だ、駄目だってば。あたしは、魔法少女なんだから。いつか、魔女になっちゃう……。

 一緒に居たら、あんたを不幸にしちゃう。だから、関らない方が、あんたの為に……」

 

 

 弱弱しい声で、必死に拒絶しようとするさやかの言葉を、嫌だ、と拒否し返して。

 腕に力を込め、小さな体を強く抱きしめる。

 さやかの肩が揺れ始め、涙を押し殺しているような、悲痛な声で彼女は言う。

 

 

「駄目、だってばぁ……。あたし、もう、人間じゃない……化け物、なんだからぁ……」

 

 

 尚も拒絶しようとするさやかに、自分は語気を強める。

 

 ……そんなの、知った事か。

 

 

「……っ……でも……」

 

 

 変わらない。

 例え、命の在り方が変わっても、魂の形が変わっても。

 心は、変わってないはず。

 だからそんな風に、泣いて、苦しんで。

 だったら、何も変わってなんかいない。

 人間かどうかなんて、関係ない。

 どんな存在だろうと、さやかの事を好きな、この気持ちは変わらない。

 

 

「……っ……」

 

 

 さやかの体に、一瞬、力が篭る。

 我慢していた物を吐き出すように大きく肩を揺らし、大粒の涙が、抱きかかえた腕に落ちた。

 そして彼女は、首を傾け、肩越しに振り返り、こちらを見つめる。

 

 

「でも……でも、ぉ……」

 

 

 固く結ばれた唇からは、未だ戸惑いの声が漏れていた。

 不謹慎だが、その泣き顔が、とても愛おしくて。

 この気持ちを伝えたくて、ゆっくり顔を近づけ。

 さやかの頬に左手を添え、触れるだけの、拙い口付けを交わす。

 

 

「……!」

 

 

 さやかは、少しだけ体を強張らせた後、ゆっくり、その力を抜いていった。

 そして、左手を、自身を抱く右手に重ね、右手を、頬をなでる腕に添えてくる。

 

 

「……ぁ」

 

 

 やがて、唇が離れ、見つめ合う。

 もう一度、さやかの頬を撫で、その髪に顔を埋めながら、伝わったか、と囁く。

 

 

「……うん」

 

 

 問い掛けに対し、さやかは恥ずかしそうに、小さく呟く。

 そして、少しだけ体を離し、向き直るようにして、視線を重ねる。

 彼女は一度、照れた様子で視線を逸らしたが、直ぐに顔を戻し、上目遣いで見つめながら、恐る恐る口を開く。

 

 

「……あの……ね……? まだ……もう、ちょっとだけ……。今度は……あたしの気持ちも、伝えたいから……。だから……ぁ……む……」

 

 

 言葉が終わるのを待たず、さやかの背に手を回し、もう一度、唇を重ねる。

 彼女もこちらの首に腕を回し、体を密着させ。

 そうして、何度も、何度も。

 お互いの気持ちを伝え合った。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 長い間、気持ちを確かめ合った後。

 ただ静かに、二人で抱き締め合っていた。穏やかな沈黙が広がり、互いの鼓動だけを感じていた。

 そんな沈黙の中、さやかの静かな声が聞こえる。

 

 

「……ね……あの日の続き……あんたと出逢った日の続き、しよっか……?」

 

 

 腕の中でそう言う彼女に、今度はこちらが戸惑う声を漏らす番だったが、その顔を見るに、さやかの意志は固いようだった。

 

 

「……やっぱり、あたしは、魔法少女だから。

 どうしても、戦わなくちゃならないし……いつか、死んじゃうかもしれない。

 だから、ちゃんと伝えられるうちに、全部伝えたいの。後悔、しないように」

 

 

 その真剣な表情と、ひた向きな言葉に、拒否をしようとは思えなかった。

 むしろ、彼女が自分を選んでくれた事が、嬉しくて堪らなかった。

 それでも、一応礼儀として、さやかの頬を撫でながら、いいんだな、と問いかける。

 

 

「うん……でも、やっぱり、変かな……? 失恋して、まだ一月経ってないのに、こんな事……」

 

 

 彼女はそう言って、不安げに顔を俯かせてしまう。

 それを安心させたくて、再び顔を寄せ、嬉しいよ、と声をかける。

 

 

「……うん……」

 

 

 胸板に顔を埋め、さやかは吐息を漏らす。

 その肩を抱きながら、そう言えば、と思い立ち、ちょっとしたお願いをしてみる。

 

 もう一度、変身して見せてくれないか?

 あの時は気が動転していて、よく見られなかったし。

 

 

「え? いいけど……ま、まさか、変身してするの? 初めてなのにっ?」

 

 

 別にそういう訳ではなかったのだが、慌てるさやかの様子を見て、それも良いかも、と思ってしまう。

 それが顔に出ていたのだろう、彼女は怒ったような声を上げた。

 

 

「もうぅ、このスケベッ!! なんであたしこんなのに……」

 

 

 文句を言いながらも、腕の中からすり抜けて、さやかは部屋の中へと戻っていき、その手にソウルジェムを握り締める。

 そして、少し離れた所まで行くとこちらを振り返り、手を掲げた。

 

 

 

 

 

「それじゃ、するから……ちゃんと見ててよねっ、あたしの、もう一つの姿……!!」

 

 

 

 

 



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【この子は】少女S・Mの場合【ドM】

 

 

 青く眩い光が収まると、そこには、見慣れぬ衣装を身に纏ったさやかが立っていた。

 

 

「じゃじゃ~ん! どうよ! さやかちゃんの魔法少女姿はっ!!」

 

 

 彼女は得意げに、その場で一回転して見せる。

 スカートとマントが、ふわりと舞う。

 

 

「さ、ご感想は?」

 

 

 胸を張って尋ねる彼女に、率直な疑問を投げかける。

 ……パンツ、穿いてないの? と。

 先程、随分と際どい所まで捲れたのにそれらしき物が見えなくて、ちょっと不安になってしまった。

 

 

「へ……? ……んなっ!? は、穿いてるに決まってんでしょっバカッ!!」

 

 

 それを聞くと、さやかはスカートを両手で押さえ、顔を真っ赤にしながら怒りだす。

 

 

「全くあんたは……っ! もっと他に感想ないのっ!? 凄い、とか、可愛い、とかぁ!!」

 

 

 言いながらプリプリと怒るさやかに、『お前は何を言ってるんだ』といったような表情で、自分は反論する。

 

 ……だって、さやかが可愛いのは当たり前じゃないか。

 

 

「えっ………………ま、まぁ、分かってるなら、いいのよ、分かってるなら……ぁはは」

 

 

 ストレートな表現に照れたのか、さやかは一瞬硬直し、赤い顔を逸らしながら、頬を指で掻いている。

 そんな彼女に近づき、剥き出しになった肩に両手を置く。

 

 

「……! ……っ」

 

 

 ぴくっと体を揺らし、こちらに視線を向ける。

 しかしまだ照れているのか、うつむいて必死に顔を逸らしていた。

 胸元では、白い手袋に包まれた小さな両手が握ったり開いたりを繰り返している。

 顔を近づけ、さやか、と彼女の名を呼ぶ。

 

 

「……う、ん……」

 

 

 戸惑いながらも、小さく返事をして、彼女は顔を上げる。

 もう何度かした行為だというのに、緊張からか、その唇は真一文字に固く結ばれていて、瞳は潤み始めていた。

 

 

「……っ」

 

 

 更に顔を近づけると、その瞳まで閉じて、体を小刻みに震わせ始める。

 気を張っている姿も可愛らしいのだが、あまりされ過ぎるのも嬉しくない。

 と、ある事を思いつき、不意打ち気味に彼女の頬へキスを降らせる。

 

 

「……え? なんで……んむっ!?」

 

 

 そして、気を抜いた所で唇へと標的を変え、一気にさやかの口内へ舌を差し込む。

 

 

「んっ……むっ……」

 

 

 一瞬、驚きに体を硬直させるが、段々その力は抜けて行き、おずおずと、胸板に手が置かれる。

 

 

「ちゅる……んぅん……ん、ふっ……」

 

 

 口の中に、さやかの匂いが充満する。

 彼女の出すくぐもった声が、少しづつ感情を昂らせていく。

 

 

「ふっ……ちゅ……ちゅう……ふは……」

 

 

 長い間、そうやって唾液を交換していると、不意に唇が離れる。

 さやかの顔は、夢でも見ているように、ぽう、としていた。

 その表情に劣情が滾り始め、彼女の腰を抱いてベッドへと誘う。

 抵抗は、無かった。

 

 

「………………」

 

 

 ベッドに仰向けに寝そべったさやかは、また恥ずかしそうに顔を背けていた。

 柔らかい感触の髪を撫で、出来るだけ安心させようと、自分は微笑みながら声をかける。

 

 嫌な事はちゃんと拒んで欲しい。……いいか?

 

 

「……ん……」

 

 

 赤い顔を背けたまま、小さく頷く。

 もう一度笑いかけ、大きく開いた胸元へ指を引っ掛ける。

 

 ずらすぞ。

 

 

「……っ」

 

 

 返事は無かったが、抵抗も無かったため、そのまま捲るように指を下げる。。

 その中からは、年の頃を考えればなかなかの大きさの胸が顔を見せる。呼吸に合わせて、ゆっくりと上下していた。

 我慢できず、触るよ、と声をかけて、返事も待たずに両手を伸ばす。

 

 

「んっ……いちいち、断らなくても、っ、だいじょぶだから……好きに、して……?」

 

 

 悶えながらのさやかの言葉にありがたく従い、遠慮せず、頭頂部を舌で弾くように舐める。

 

 

「ひゃんっ……むぅっ……んっ……ふっ……」

 

 

 甲高い声を上げ、さやかの体が小さく跳ねる。

 抗議の視線がこちらを向くが、止まらない舌と手による刺激に耐えるようにして、再び顔を逸らす。

 姿を観察しながら、女性特有の柔らかさを存分に楽しんだ。

 

 

「んっ……くっ……ぅんっ……っ……」

 

 

 両の手で、ふよふよと揺らすように揉みながら、頭頂部を舌で押し込む。

 

 

「ん、ふっ……んんっ……はっ……」

 

 

 ほじくるように舌を動かすと、押し殺した声が漏れ聞こえ、気持ち良くなってくれているのが分かり嬉しくなった。

 そして、膨らみを手で弄びながら、ベッドに肘を突いて体を支え、逆の手で体をまさぐる。

 

 

「んっ……あっ……やぁ……」

 

 

 手が下に滑り、お腹からスカートの上へと移動すると、さやかは嫌がるような声を上げて、僅かに体をくねらせる。

 その声と仕草が、普段と違って色っぽく、ドキッとして手が止まってしまう。

 それが何だか、ちょっと悔しくて。胸の高鳴りを気付かれたくなくて、体を起こし、さやかを気遣うふりをして誤魔化そうとする。

 

 さっきも言ったけど、嫌なら拒んでも良い。今なら、まだ我慢できるから……。

 

 

「……あ……ううん、大丈夫だから……。続けて、欲しい……」

 

 

 ちっぽけなプライドから出た言葉でも、彼女は嬉しく思ってくれるのか、小さく微笑み、そう言ってくれる。

 申し訳無いのと同時に、その笑顔をもっと汚したいという、邪な気持ちが湧く。

 それに抗う事が出来ないまま、スカートの中に手を差し入れ、ショーツに指を掛ける。

 

 

「……うん……」

 

 

 視線で続けて良いか問い掛けると、恥ずかしそうに、しかしハッキリとさやかは頷く。

 それを受け、指を下へずらしていく。

 半ばまで脱がせると、純白で、飾り気の無いそれを片足から外し、脚の間へと体を滑り込ませる。

 

 

「あっ……っ……」

 

 

 一層、顔を赤くしたさやかは、硬く目を閉じ、羞恥に耐えていた。

 自分は彼女の恥部へ、息が掛かる程に顔を寄せる。

 少し湿り気を帯びたそこは、きちんと手入れされた恥毛が、控えめに覆っていた。

 

 

「ん、ふっ……」

 

 

 吐息に反応して、さやかは声を上げる。

 あまり驚かせないためにも、まずは太ももへと口付け、次第に内側へ近づけていく。

 

 

「ひゃうっ……ふっ……ん……」

 

 

 こんな事をされるのは、もちろん初めてなのだろう。

 戸惑いを混ぜる、しかし、甘みの篭った声が、それを教えてくれる。

 

 

「あっ……く……あっ、やぁ、だ、だ……めぇ……」

 

 

 段々と、舌が恥部に近づく。

 いつの間にか、さやかは上半身を起こし、こちらを覗き込んで嫌がるそぶりを見せた。

 しかし彼女の顔には、真逆の言葉が書いてある気がして、入り口の周囲を大きくなぞるようにして舌を這わせる。

 

 

「んひっ……あっ……くぁっ……」

 

 

 その刺激に甘い悲鳴を上げ、背中を反らせる。

 徐々に舌を動かす範囲を狭め、少しの間離れて焦らし、入り口をほじる。

 

 

「ひ、あ!?」

 

 

 さやかは先程よりも大きな声をあげ、刺激から逃げようと、頭を押さえつけてくる。

 自分は、細いその腰に腕を回し、押さえつける力に負けないよう強く引き付けて、再び舌を挿入。

 

 

「あ……んっ……くぅ……」

 

 

 歯を当ててしまわぬように気をつけながら、膣内を舐め回す。

 独特の強い匂いと、少ししょっぱい味が口に広がる。

 不思議とそれ等に対しては、全く不快感を感じなかった。

 

 

「ふぅっ……んん……んっ……」

 

 

 気持ちが良いのか、彼女は腰をくねらせている。

 頭を押さえつけていた手には、もう力が篭っていない。

 

 

「あぁぁ……あっ……ぅんっ……」

 

 

 一度引き抜き、今度は舌の腹で、全体を舐め上げる。

 

 

「はぁっ……っあ……ぅ、ぁあ……」

 

 

 さやかの腰が震え、甘い声が揺れ始めていた。

 それに予兆を感じて、最も敏感であろう部分を唇で吸い上げる。

 

 

「ひっ!? や、めっ、~っ! ~~っ!!」

 

 

 声にならない叫びを上げ、さやかは腰を浮かせる。

 顔がそれに押し上げられるが、唇は離さず、強弱をつけながら吸い続けた。

 

 

「はっ……あっ……ぅあっ……」

 

 

 合わせて、彼女は体を打ち震わせ、やがてベッドに腰を崩落とし、荒い息遣いを始める。

 

 

「はっ、はっ、はぁ……はぁ……ひ、ひどい、よぉ……止めて、って……はぁ……言ったのにぃ……」

 

 

 非難の声を上げるさやかだったが、その顔は緩み、目はトロン、と閉じかけていた。

 そんな様子を見ながら彼女の頭に手を伸ばし、自分は微笑む。

 

 ごめん……。でも、凄く可愛い。

 

 

「……むぅ……」

 

 

 またも照れてしまっているのか、今度は完全に目を閉じ、頬を少し膨らませて、拗ねた表情を見せるさやか。

 苦笑いしながら、しばらくそうして頭を撫でていると、彼女はゆっくり体を起こし、ある一点を見つめる。

 

 

「……あ」

 

 

 その視線は、ズボンの前を押し上げ、大きく自己主張する股間に向けられていた。

 

 

「あたしだけなんて、ずるい……。そっちのも、見せてよ……」

 

 

 さやかは、言いながら太ももの上で手を滑らせる。

 正直、我慢するのも辛くなっていた。ベルトを外しズボンを降ろすと、下着から竿が飛び出し、大きく反り返った。

 

 

「わっ………………ほぁ………………あ、えと……いい……?」

 

 

 ズボンから飛び出たそれを、さやかは目を丸くして見つめる。

 そして、おずおずと手を伸ばしかけてから、ふと気付き、触っても良いかと聞いてくる。

 頷き返すと、彼女はそそくさと手袋を外し、ゆっくり手を差し伸ばす。

 

 

「……じ、じゃあ、失礼して……」

 

 

 しなやかな手が竿に添えられ、さやかの体温が直接伝わる。

 

 

「熱くて、硬い……」

 

 

 柔らかい手の感触が心地良くて、溜息をするように息を吐く。

 それが伝わったのか、彼女は緩やかに手を上下させ、何かを探って顔を覗き込んでくる。

 

 

「気持ち、いいんだ……? ふふっ、情けない顔しちゃって……」

 

 

 小さく笑い、挑発的な目をすると、さやかは手の動きを少しづつ早めていく。

 刺激に竿がピクピクと跳ね、声が漏れる。

 情けないが、それだけでも射精してしまいそうな程に興奮は高まっていて、ちょっと待って、と、咄嗟に声を出す。

 

 

「ダ~メッ! さっき好き勝手してくれた、お返しなんだからっ! ほらほらっ!」

 

 

 だが、さやかは悪戯でもするみたいに無邪気に微笑み、手の動きを更に早める。

 コツでも掴んだのか、手首を使い、緩急をつけたその動きに、急速に射精感が高まって行く。

 

 

「……ぁはっ、なんか、可愛いかも……はむっ」

 

 

 何を考えたのか、さやかは突然、先端を口に含んだ。

 先端をヌルッとした生暖かい粘膜が包み込む。

 それが、決め手になった。

 

 

「……ん……んっ、むぐぅ!?」

 

 

 暖かい口内に、全てを吐き出していく。

 驚いたのか、さやかは顔を離そうとしていたが、頭を手で抱え込み、押さえつける。

 自分にも少しは理性が残っていたようで、腰を突き入れる事はせず、ただ、精を放つ快感に酔いしれる。

 

 

「むっ……ぐ……んんんっ……」

 

 

 さやかは苦しげな声を出し、その目に涙を浮かべるが、なぜか最初のような抵抗を見せず、ただ耐え忍んでいた。

 全てを出し終えると、大きく息が洩れ、自然と手に篭っていた力が抜けていく。

 

 

「……ん……ん、ぐ……」

 

 

 すると、さやかはゆっくり体を起こし、小さな涙を零しながら、両手で口を覆う。

 その顔を見て正気に戻り、ごめんっ、と慌てて謝りながら、枕元にあるティッシュを数枚取り、彼女の口元に寄せる。

 

 無理しないで、吐き出して良いから……。

 

 

「……っ、っ……」

 

 

 だが、さやかは大きく首を横に振り、それを拒否する。

 

 

「……っ……んくっ……はっ、はぁ、ケホッ、ケホッ……」

 

 

 硬く目を閉じ、必死に精液を嚥下すると、さやかは大きく息を吐き、咳き込む。

 彼女の背中を撫でながら、無理しなくても……と声をかけると――

 

 

「……だって、男の人って……こうした方が、嬉しいんでしょ……? どうせなら、喜んで欲しいし……」

 

 

 ――口元を手で拭いながら、上目遣いに、そう言った。

 初めて尽くしで不安だろうに、献身的に尽くしてくれるさやかの姿に、心が鷲掴みにされた気がした。

 

 

「……あっ……ん……」

 

 

 何も考えず、ただ彼女を抱きしめる。

 無性に、そうしたくてしょうがなかった。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 無言のまましばらく抱き合っていると、耳元から小さな笑いが。

 どうしたのか聞いてみると、さやかは懐かしむような声を出す。

 

 

「……あの日、あんたと遇えてなかったら。きっと、こんな幸せ、知らなかったんだろうなって……そう、思って……」

 

 

 言いながら、さやかは体を後ろに倒す。

 それに引かれて、自分も彼女の上に四つん這いに。

 

 

 

 

 

「初恋は、あげられなかったけど……。それ以外の初めては、全部、あんたにあげる……。貰って、くれる……?」

 

 

 

 

 

 真っ直ぐに目を見つめ、想いを伝えてくれるさやかに、自分もハッキリと頷き、言葉を返す。

 

 他の奴になんか、渡さない。

 さやかの全部が、心が欲しい。

 

 

「うんっ。嬉しい……」

 

 

 さやかは、穏やかな笑みを浮かべ、一筋、涙を零す。

 軽く、その目元にキスをしてから、自分は体を起こす。

 そして、硬さを取り戻す為に、竿に手を添え、彼女の恥部に先端を擦り付ける。

 

 

「んぁっ……むっ、ん……」

 

 

 ぬるぬるとした入り口を上下すると、さやかは一瞬、甲高い声を上げるが、手の甲を口元に当ててその声を隠してしまう。

 

 

「む、んんっ……ふっ……」

 

 

 それが寂しくて、彼女の声を引き出そうと、今度は突起部を先端で責め立てれば――

 

 

「ん、はっ、んっ、む、ぅっ……も、もう、いいでしょっ、早く、してよぉ……んっ、決意が、鈍っちゃう……んぅっ……」

 

 

 ――合わせてリズムを刻み、焦れた声を上げるさやか。

 その声をもう少し聴いていたい気もしたが、既に竿は硬さを取り戻していたので、彼女の言葉に従い先を少し埋める。

 

 

「……う……ひっ……っ……」

 

 

 先端が全て埋まった辺りで、急に抵抗感が強くなる。

 早く、もっと奥まで進みたい衝動に駆られるが、じっと我慢し、さやかの様子を伺う。

 

 

「はぁ……はぁ……んっ……」

 

 

 荒く息をし、両手でシーツを掴み、必死に耐えてくれている。

 視線が絡むと、さやかはシーツを離し、何かを求めるように手を差し出す。

 合っているか自信は無かったが、その手に自分の手を重ねると、指が絡みついてきた。

 

 

「……ん……」

 

 

 握り合った手をベッドに落とし、さやかの頬にまたキスを落としてから、いくぞ、と囁く。

 

 

「……来て……」

 

 

 小さく頷いたのを確認してから、強い抵抗を破るために、体重を掛けていく。

 

 

「ひ、ぎっ!? ……ぐぅ、はっ……あ゛っ……」

 

 

 押し潰されそうな圧力が、竿全体を襲う。

 それは、挿入しているこちらが、少し痛みを感じる程だった。

 

 

「ぐっ……うっ……い、たぃ……」

 

 

 繋いだ手にも力が篭り、さやかは歯を食い縛って、痛みに耐えている。

 が、その痛がりようを見て疑問が生じる。確か聞いた話では、魔法少女は痛みを制御できる筈……なのに何故……。

 疑問をそのままぶつけると、彼女の震える声が返ってきた。

 

 

「だっ、て……あんたが……っ、くれる、物だもん……勿体無くて……っ。全部……心に、刻みたい、から……っ……痛みも……全部……」

 

 

 さやかの健気な言葉に胸が詰まると同時に、彼女だけに痛みを強いて良いのか、迷いが生まれた。

 それを感じ取ったのか、彼女は絡めていた指を解き、その手で頬を撫でてくれる。

 

 

「いいの……あたしは、大丈夫だから……好きに、動いて……? ……もっと、痛くして……」

 

 

 さやかの言葉と、頬に触れた指が、とても愛おしく感じる。

 彼女に応えたくて、しかし、必要以上傷つけないよう、ゆっくりと腰を動かす。

 

 

「うくっ……あ゛……」

 

 

 さやかの中は、強い抵抗感で竿を受け入れる。

 感じる刺激はとても強く、快感を辛いと思うのは、初めてだった。

 

 

「う……ぃっ……くぁっ……」

 

 

 それでも、直に体温を感じられるのが嬉しくて。

 男の欲望を気丈に受け止めてくれる、彼女の声が堪らなくて、腰の動きを止めようとは思えなかった。

 それをしっかり伝えるため、気持ち良いよ、と言葉に出す。

 

 

「……う、ん……あたし、も……嬉しいよ……痛いのに……なん、か……それが、いいの……」

 

 

 痛みを堪え、涙を流しながら言うその表情に。

 もっと苛めたい、もっと鳴かせたいという気持ちがそそられ、一旦、さやかの中から竿を引き抜く。

 

 

「あっ……やだぁ……まだ……やんっ」

 

 

 ねだる声を無視し、さやかの体を強引にひっくり返して、その腰を持ち上げ――

 

 

「え? や、やだっ、こんなかっこ――」

 

 

 ――嫌がる声を再び無視し、一気に奥まで竿を捻じ込む。

 

 

「――ひんっ!?」

 

 

 一瞬、悲鳴のような高い声を出した後、さやかは体を小刻みに震わせた。

 合わせて、ゾワゾワと痙攣するように肉壁が竿を締め付ける。

 さっきまでより奥に届いた先端にも、コリコリとした物が当たり、気持ち良い。

 

 

「あぁぁ……あ……う……」

 

 

 さやかは、ベッドに頬を押し付け、口を半開きにして、虚ろな声を漏らす。

 そんな顔も堪らなく獣欲を誘い、彼女への気遣いも忘れて、腰を動かす。

 

 

「あっ、やっ、だめ、だめぇっ」

 

 

 表面上の拒否も、もはや火に油を注ぐだけで、形の良いお尻を両手で掴み、我武者羅に腰を叩きつける。

 

 

「やぁ、あひっ、ぅぁあ、あぁっ」

 

 

 ジュブ、ジュブ、と下品な程に音が立ち、震え続ける壁と、先端に当たるしこりが高みへと導いていく。

 

 

「やっ、やあっ、へ、変に、変に、なる、うぅっ」

 

 

 さやかの声が響くたび、腰の動きが誘われ、腰が動くたびに、さやかが蕩ける声を上げる。

 そのどちらもが、確かに主導権を握っていた。

 

 

「あぁ、うぁ、ぁぁあ、ひっ、あんっ」

 

 

 だが、お互いに高め合った熱が勝手に溢れそうになり、それをより奥へと放とうと、本能的に突き進む。

 

 

「や、やらぁ、それ、やぁっ、ひぁっ」

 

 

 刺激が強すぎるのか、さやかの声は呂律が回っていない。

 腰の中を、熱が上り始める。

 

 

「あっ、くぅっ、んっ、あぁっ」

 

 

 限界を感じる中で、彼女と共に達したいと感じ、その背に被さって、片手で胸を、もう片方で恥部の突起を擦る。

 

 

「きゃうっ!?」

 

 

 激しい締め付けと共に、さやかは一際大きく、高い声を上げる。

 同時に、自分も彼女の内へ、熱を解き放つ。

 

 

「~~~っ!!! ~~~~~っっっ!!!!!!」

 

 

 快感に、腰が震える。

 さやかが、声にならない声で絶頂を示す。

 

 

「……はっ……はぁっ……はっ……」

 

 

 全てを放ち終え、体を放すと、さやかは横向きに倒れこむ。

 口はポカンと開いたままで、意識はまだ、絶頂の淵に居るようだった。

 だが、そんな彼女の手が、誘うかの如くこちらへ。

 

 

「……ぁ……ぅ……」

 

 

 その手に導かれるまま、今一度体を被せると、差し出された手が顔に触れ、引き寄せられる。

 やがて、その距離は無くなり――

 

 

「……ん、む……ちゅっ……」

 

 

 ――何かを確認し合うように、深いキスが交わされた。

 

 

 

 

 

「……好き、ぃ……大、好き……」

 

 

 

 

 




 さやかはさやかわいい。


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 前日譚 佐倉杏子

 

 

 傾き始めた太陽が街並みを照らし、建物達の影が伸びを見せ始めている。

 その影を追うようにして街中から離れ、足を東へと向けた。

 

 今日は日曜日。現在、午後二時三十分。

 昼食を消化しきった頃を見計らい、着慣れた安物のランニングウェアを着て、柔らかな日差しの中、散歩を兼ねて、まだ見慣れぬ街をランニングしている。

 隣には、愛犬であるメスのラブラドール・レトリバー、メロゥが元気に併走していた。

 もう十一歳――人間に換算すれば六十歳くらいのはずだが、衰える様子は見せず、こうしてすこぶる元気で居てくれる。

 

 親の仕事の都合でこの街に引越してきてから、早一週間。

 荷物の運び入れや転入手続きで忙しかったが、最近ようやく落ち着いてきた。

 結局、いつものように両親は仕事に行って帰ってこず、一人で荷物を解いていたので、こんなに時間が掛かってしまった。

 仕事でハイスペックな分、家庭では廃スペックな両親をサポートするのが自分の役目とはいえ、引越しは流石に初めで。

 学校もあったため、ちゃんとした散歩の時間が取れず、メロゥには退屈な思いをさせてしまっていたが、今日は久々に、一日コイツに付き合ってやろうと思う。

 

 真新しいビルの間を縫うように進んでいると、やがて、背の高い建物が少なくなっていく。

 前方には、川を跨ぐように架けられた大きな鉄橋が見えている。それを越えれば再開発された地区は途切れ、昔ながらの風景が広がっていた。

 放棄されたかつての工業団地でもあるそこは、今ではガラの悪い連中がたむろする場所となっているらしいが、自分には縁遠い場所だろう。

 

 解体途中で放置されたアパートを迂回しながら、道なりに進む。

 確か地理的には、ここは既に隣の街、風見野市である。

 今でも多くの人達が住むこの辺りでは、なぜかレンガ造りの家が多く見られ、地面の舗装にもレンガが使われていた。

 その建築様式は、近代的な見滝原の物とは大きく違い、まるで異国に足を踏み入れたかの様な情景が広がっている。

 

 

「ワンッ!!」

 

 

 だが、それに見惚れていた時、急にメロゥがリードを引っ張り、近くの雑木林の中へ向かおうとする。

 いつも大人しいあの子がこんな事をするのは初めてで、軽く握っているだけだったリードは、簡単に手から離れてしまった。

 その隙にメロゥは、林の中に在ったらしい坂道を上っていき、後姿がどんどん小さくなって行く。

 慌ててそれを追い坂道を登っていくと、その先には小高い丘があり、見慣れぬ建物が建っていた。

 

 古びた教会。

 

 つい脚が止まり、その教会を眺める。そこは、手入れされずに伸びきった草が覆い、人が住んでいる気配は無かった。

 もしかして、メロゥはここに入っていったんだろうか……?

 生い茂る草を踏みしめながら、少しだけ隙間の空いた扉に手を掛ける。錆び付いた蝶番の立てる不快な音を聞きながら、何とかそれを開くと、教会の内部が目に入ってきた。

 

 頂点から少しずれた位置にある太陽から注ぐ光が、割れたステンドグラスを通して室内を照らす。

 内装は全て朽ち、かつての様相を忍ばせるだけだったが、それだけに、とても儚く、美しく見えてしまった。

 木製の階段を上り、祭壇の上へ。

 そこにある小さな演壇には、くすんだ色の燭台が乗っていた。

 指でなぞってみると、その埃の量から、主を失って長い時間が経っているのだと分かる。

 

 誰も訪れないのに、ただ残り続ける教会。

 無性に寂しくなった。

 

 

 

 

 

「ここは私有地だ。無――」

 

 ひょぁあっ!? 

        《ゴリッ》

           おぐっ!?

 

「――断で、入るな……」

 

 おおぉおぉぉおおぉおぉぉおぉ……。

 

 

 

 

 

 背後からの突然な声に驚き、飛び上がった体が演壇の角に当たった。

 それが丁度脇腹を抉って、床を転がりながら悶絶する。

 ちょ、まぢで痛い!! い、息がっ!! 息が出来ないっ!!

 

 

「……ぷっ、あははははははっ!」

 

 

 笑い声に気づき、床に転がったまま、涙目で見上げる。

 そこには、こちらを指差し、腹を抱えて大笑いするポニーテールの少女が居た。

 彼女の隣には、行儀良く座り込む、姿を消した筈の愛犬の姿。

 

 

「ふっ、くくくっ、ひ、ひょあって……。あは、あっはははははは!」

 

 

 ……ど、何処のどなたか、存じませんが……そんなに、笑わないでぇ……。

 

 

「ふ、ふふ、いや、わりぃ………………ぷふっ」

 

 

 痛みと恥ずかしさで、鼻の奥がツンとしてくる。

 ちくしょう、なんだこの状況……いてぇ……。

 

 それから、ややあって。

 結局、彼女の笑いが収まったのは、脇腹の痛みが引き始めたのと同じくらいだった。

 体を休めるために階段へ腰を下ろすと、彼女も笑い疲れたのか、隣に座る。

 メロゥはさも当然の様に自分の隣ではなく、見知らぬ少女の脇に陣取った。

 なんでだ……。

 

 

「あ~、笑った笑った。こんだけ笑ったのは久しぶりだよ」

 

 

 目尻に溜まった涙を指で拭いながら、少女は未だ笑顔を浮かべている。

 なんだか悔しくて、そりゃ良かったな、と脇腹を擦りながら半眼で睨む。

 だが、彼女には全く効果が無いのか、窘めるように口を開く。

 

 

「ま、不法侵入の罰ってとこだろ? その位で済んでよかったな」

 

 

 自分だって同じ穴の狢だろうに、とその言に対し反論すると、少女は一瞬顔を曇らせるが、すぐにまた強気な表情を見せる。

 

 

「……っ、あ~、アタシは良いんだよっ。不法侵入してる奴を注意する為に入ったんだからっ」

 

 

 ……苦しい言い訳。

 

 

「おら」

 

 

 おぅふっ、や、やめ、ごめんなさいっ。

 

 

「素直でよろしい」

 

 

 思った事をつい口に出してしまったら、少女はその手で脇腹を攻撃して来た。

 鋭い痛みに、体を曲げながら咄嗟に謝ると、彼女は割かしすぐにその手を引っ込めた。

 

 

「んで? なんでこんなとこに入って来たんだ?」

 

 

 なんで上から視線なんだ、なんて思ったが、口に出すとまた攻撃されるかもしれないので、それを飲み込み正直に言う。

 

 仕方ないじゃないか、メロゥが――その子が勝手に行っちゃったんだから。

 こんなの初めてだし、こっちだって吃驚したよ。

 

 

「へぇ、お前、メロゥていうのか……。良い名前じゃん」

 

 

 それを聞くと、少女は優しげな笑顔をメロゥに向け、その頭を撫でる。メロウも随分と気持ち良さそうにしていた。

 自分に懐くのには一~二ヶ月掛かったのに。……なんだこの悔しさは。

 彼女は恨めしい視線を向けられていることに気付かぬまま、メロゥを撫で、優しく語りかける。

 

 

「良かったな~、ちゃんと迎えが来てくれて……」

 

 

 その表情には慈愛が満ちていて、ステンドグラスから差し込む光と相まって、幻想的にすら感じた。

 

 

「でも、飼い主ならちゃんとリード握っとけよな? 事故とかに遭ったらどうすんだよ?」

 

 

 ――が、こちらに向ける視線はどちらかと言えば冷たく、その落差にガッカリしてしまう。結構可愛いのに。

 そして、内心、自分でも失敗したと思っている事を突かれた事にイラッとしてしまい、つい乱暴な口を利いてしまった。

 

 分かってるよ、んな事。引っ越してきたばっかだから、多分、メロゥも戸惑ってるんだろ。

 こっちだって、好きでこんな寂しい所に来た訳じゃないっての。

 

 

「……寂しい?」

 

 

 それを聞くと、少女が呟くようにして聞き返してくる。

 そこに反応されるとは思っていなかったので、なんとなくだけど、と言葉を濁す。

 

 

「………………」

 

 

 彼女はそれきり黙りこんでしまった。初対面の少女と二人きりで、この状況はすこぶる気まずい。

 ……いや、無理に会話する必要なんて無いじゃないか。このまま帰ってしまえば良いんだ。どうせ二度と会う事も無いだろうし。

 そう思い、立ち上がろうと脚に力を入れた瞬間――

 

 

《ぐぅ~》

 

「……ん?」

 

 

 ――空気の読めない腹が、空腹を訴えた。それが耳に届いたのだろう、少女もこちらに視線を向けている。

 そういえば、冷蔵庫に何もなかったから、昼飯は軽く済ませただけだった。

 散歩が終わったら適当に買い食いしようと思っていたのだが、自分で考えていたよりも腹の虫は短気だったらしい。

 流石に恥ずかしく、腹に手を当てながら俯いていると、隣に居た少女が突然立ち上がり、二~三歩階段を下りる。

 そして、服のポケットから真っ赤なりんごを取り出して、振り返った。

 

 

「……食うかい? 腹、減ってるんだろう?」

 

 

 唐突な申し出に困惑していると、彼女は押し付けるようにしてそれを渡してくる。

 

 

「いいから、食っとけって。ホントはアタシが食うつもりだったけど、そんな気分じゃないしね」

 

 

 りんごを渡し終えると、少女はメロゥの頭を一撫でしてからこちらに背を向け、扉の方へと歩いていく。

 錆び付いた扉に手をかけ、それをくぐろうとした時、ふと気づいたように彼女が振り向いた。

 

 

「それ食ったら、さっさと帰れよ。ここには、悪い噂があるからな。……祟られるかも知んないぞ?」

 

 

 ……悪い噂?

 

 鸚鵡返しに聞き返すと、少女は唇を歪に吊り上げる。

 

 

「ここはね、無理心中した牧師一家の教会なんだよ……。そんで、死んでる事にも気づかない哀れな長女が、出るんだってさ……?」

 

 

 その口振りは、淡々としていて。

 それ故に、真実めいて聞こえてしまった。

 反応を返す事ができず、口を噤んでいると、少女は肩の力を抜くように、ふっと笑った。

 

 

「……ま、信じるかどうかは、アンタしだいって奴。じゃ、もう来るなよ」

 

 

 止める間も無く、彼女はそのまま去って行く。

 思わず伸ばしかけた手が宙を彷徨い、行き場を無くして膝の上に落ちた。

 右手にある、鮮やかな色をしたリンゴを見つめ、服で拭ってから、かじる。

 

 それは、あまり甘くなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 一週間後。

 先週と同じく、いつものランニングウェアへ袖を通し、メロゥを連れて家を出る。

 この前は途中でトラブルがあったものの、ランニングのコースとしては結構良いルートだった気がして、あの日の足跡を辿るよう、脚を進める。

 だが、その景色は、先週とは些か趣を変えていた。

 

 突発的異常気象による、スーパーセルの発生。

 

 幸い――というか、奇跡的・天文学的な確立で、人的被害は生じなかったものの、高層ビルのいくつかは倒壊し、他にも多くの建物が被害を受けていた。

 運よく、引っ越した家は見滝原の隅っこだった為、自分の家は被害を受けずに済んで助かったのだけど、破壊の爪痕は生々しく姿を横たわらせている。

 おかげでいくつもの道路が寸断され、交通網にも多大なダメージが残るそうだ。

 だが、危うく住宅街へと到達しそうだった時、スーパーセルは急激に速度を低下させ、発生した時と同じく、突如として姿を消した。この異常な事態に対し、専門家達は首を傾げ、大いに頭を悩ませているらしい。

 また、倒壊した物の内幾つかには、明らかに爆発物が使用された形跡が残っていて、災害に乗じた某国のテロではないか、という声も上がっている。

 ま、両親の勤め先は無事だったし、自分にはあまり関係の無い事だが。

 

 そんな事を考えていると、視界に入ってくる建物の形が変わり始め、風見野市に入った事が分かる。こちらには被害らしい被害は無いようで、至って平穏そのものだ。

 と、メロゥが併走するスピードを落とし始める。それに習って自分も走る速度を落としてみると、すぐ近くに、あの教会へと続く道が見えてきた。

 メロゥは、まるで誘うようにこちらを見上げた後、その道へ進もうと脚を動かすが、今度はリードを引っ張るような事をせず、ギリギリの所で立ち止まって、再びこちらを見つめる。

 もしかして、またあの教会に行きたいのだろうか。

 

 ……あの子も、居るのだろうか。

 

 どちらかと言えば、メロゥはラブラドールらしからぬ、気難しい性格だ。

 小さい頃、里親として引き取ったは良いものの、両親には懐いて自分にはなかなか懐かず、苦労をした覚えがある。

 だが、あの少女は瞬く間にメロゥを手懐け、そのメロゥはこうして、彼女が居るであろう場所に向かおうと誘っている。

 少し――大分――かなり――滅茶苦茶悔しいが、やはりメロゥは、あの少女の事が好きになったのだろう。

 しかし、悔しいからと言って、初めてこんな風に自己主張するメロゥの気持ちを無碍にする事も出来ず、溜息をつきながら、坂道を登り始める。

 その後姿を、メロゥは満足げに尻尾を振りながら着いて来ていた。

 

 程なく丘を登り終え、視界に教会の姿が入ってくる。

 被害は無いと思っていたが、やはりこちらでも風は強かったのだろう。

 先週来た時にはまだ付いていた扉が、教会の中に向かって倒れてしまっていた――大部ガタついていたし、仕方ないかもしれない。

 ドアの外れた入り口をくぐり、祭壇を見上げると、そこには予想通り、ポニーテールの少女が立っていた。

 

 

「ワンッ」

 

「……ん? アンタ等は……」

 

 

 彼女はこちらに背を向けていたが、メロゥの声に振り返り、こちらを見下ろす。

 

 

「もう来るなって、アタシ言ったよね? ……なんで来た」

 

 

 その言葉には、明確な拒絶の意思が乗っており、視線は冷たかった。

 少女らしからぬその迫力に気圧されそうになったものの、隣に居るメロゥの気配に助けられ、気を取り直し、口を開く。

 

 それは、分かってたけど……メロゥが、どうしても来たがってたんだよ。だから、仕方なく……。

 

 

「メロゥが……?」

 

 

 

 冷たかった視線は、隣に居るメロゥに向かうとその温度を和らげる。

 少女は、ポケットに手を入れたまま、肩をすくめる様な動作をすると、ゆっくりと階段を降りて来て、メロゥの側にしゃがみ込む。

 

 

「全く……。アタシに会いに来ても、なんもくれてやんないぞ……?」

 

「クゥン……」

 

 

 相変わらず落差の激しい対応に面食らうが、メロゥは嬉しそうに鼻をピスピス言わせて、自分を撫でる少女の手を受け入れている。

 その光景を見ていると、胸の内に、ふつふつと湧き上がる感情があった。

 ――ああ、そうか、これが。

 気付かれぬよう、静かに瞑目し、一度深呼吸をしてから、自分は意を決して少女に話しかける。

 

 ……なぁ、この後、時間あるか?

 

 

「……ん? まぁ、暇っちゃあ、暇だけど……なんだよ?」

 

 

 彼女はこちらを見上げ、胡乱気な視線を向ける。

 それに負けぬよう、腹に力を込めて。

 はっきりとした言葉で、告げる。

 

 ……勝負だっ!!

 

 

「は?」

 

「ワフ?」

 

 

 そう――この感情は、嫉妬だ。

 長年一緒に生活してきて苦楽を共にしたと言うのに、どこの馬の骨とも分からない女にメロゥを寝取られて堪るかっ!!

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 行け、メロゥッ!

 

 

「ワンッ!!」

 

 

 掛け声と共に、澄み切った青空をフリスビーが駆ける。

 緩やかに弧を描くその軌跡をメロゥが追いかけ、やや高度が下がった所で、後ろ足を力強く伸ばし、跳躍。見事、その口にフリスビーを咥える事に成功する。

 メロゥは、それを咥えたまま勢い良く反転し、一直線にこちらへ。

 それを迎えようと、自分は両手を広げしゃがみ込む。

 

 

「……お? お~、よしよし。良く取れたな、偉いぞ~、メロゥ~」

 

「ワンッ、ハッ、ハッ、ハッ……」

 

 

 ――のだが、メロゥは真横を通り過ぎ、その斜め後ろに立っていた少女――佐倉杏子の元へ嬉しそうに駆け寄った。

 そんな姿を見せ付けられ、自分は芝生に膝を落とし、両手を地面に突きながら咽び泣く。

 

 ……何故だ、何故だメロゥ!? 一緒に過ごしたあの十一年間は嘘だったと言うのか!?

 

 

「アンタも大げさだね~。別にいいじゃん、このくらい。な~メロゥ~、よ~しよしよし」

 

「ワンッ!!」

 

 

 メロゥを褒めちぎりながら、彼女はふてぶてしく言い放つ。

 あの後、自分達は場所を移し、見滝原と風見野の境目辺りにある、とある運動公園にやって来ていた。

 もちろん、自分と彼女、どちらがよりメロゥに好かれているかを確かめるためだ。……が、あれだけ意気込んだと言うのに、結果はこの様である。

 

 ……いいや、まだ、まだだ。まだ勝負は始まったばかり……。これから、嫌と言うほどメロゥとの絆を見せ付けてやる……!!

 

 

「ふ~ん……。ま、暇だから良いんだけどさ。んじゃ、次アタシな」

 

 

 佐倉は、メロゥから渡されたフリスビーを手に取ると、少し離れてから、助走をつけて腕を振りかぶり――

 

 

「……そらっ、取ってこぉいっ!!」

 

「ワンッ!!」

 

 

 ――勢い良く振り抜く。

 思いの他、そのフリスビーは高く飛び、それを追うメロゥの姿は、瞬く間に小さくなった。

 

 

「ありゃ、力入れすぎたか……?」

 

 

 彼女は、失敗した、という顔つきでメロゥを見送っているが、それに胸を張って答える。

 

 メロゥなら大丈夫さ。

 見てな。

 

 

「……おう」

 

 

 そのやり取りの間にも、メロゥの姿は随分と小さくなっていた。

 そして、遠くで小さな影が高く跳躍し、またしても、見事にフリスビーをキャッチして見せる。

 

 

「おぉっ、結構跳ぶなぁ」

 

 

 佐倉の感心するような声が、メロゥを褒めてくれているようで、少し誇らしい。

 そして、再びこちらに戻ってくるあの子を迎えるため、腕を広げる。

 

 さぁメロゥ、この胸に飛び込んで来いっ!!

 

 

「ワンッ!!」

 

「よ~しよし、ちゃんと取れたなぁ、凄いぞメロゥ~」

 

 

 なんでだぁぁあああ!!!!!!

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ………………。

 

 

「……ま、まぁ、こんな日もあるって。偶々、偶々だよ、きっと……」

 

「ワゥン……」

 

 

 ………………。

 

 

「あ~……え~と……そ、そうだ! うんまい棒食うか? ほら、いっぱいあるぞ?」

 

 

 ……コンソメボディブロー味……。

 

 

「そんな味あったか……? ……あ、あった。ほら」

 

 

 膝を抱え、差し出されたそれをモソモソと食べながら、自分は敗北感に打ちひしがれていた。

 二十戦全敗。

 あの手この手でメロゥの気を引こうとしたが、その尽くは佐倉の前に敗れ去った。

 最後の方なんて、彼女も気を使ってメロゥを呼んだりしなかったのだが、それでもメロゥは彼女を選んだ――最初から呼んでなかった気もするが。

 今はこうして、心配そうに側に居てくれるが、やはり悔しい。

 これが、NTRかぁ……新しい世界だ……。

 

 

「……め、メロゥは、えっと、ラブラドール、だっけ? やっぱり、随分と人懐っこいんだなっ、一回会っただけなのにこんな――」

 

 

 ……自分に懐くには二ヶ月掛かりました……。

 完全に懐くのには更に一年掛かりました……。

 

 

「――あ~、っと……ド、ドンマイ……?」

 

 

 ……はぁ。

 

 溜息をつき、芝生に寝転がる。柔らかい風が吹き、佐倉の長い髪が風にそよぐ。

 運動後の心地よい疲労感が体を襲い、このまま眠ってしまいそうだった。

 

 

「……なんか、悪かったな。アタシ、もう行くよ」

 

 

 だが、その沈黙が気まずかったのだろう。彼女は立ち上がり、この場を去ろうと背を向けた。

 それを見てメロゥもすっくと立ち上がり、側へと歩み寄る。

 近づくメロゥに気付いたのか、佐倉は一旦立ち止まり、視線の高さを合わせて優しく微笑む。

 

 

「じゃあね、メロゥ。ご主人と仲良くするんだよ」

 

「クゥン、クゥン……」

 

 

 そう言い残すと、彼女はもう立ち止まろうとはせず、ゆっくりと、公園の外に向かって歩を進める。

 メロゥは、彼女との間をぐるぐると回るようにして、迷うように行ったり来たりしていた。そんな姿を見て、なんと言うか、諦めがついた。

 しかたない、と溜息をつきながら立ち上がり、自分は佐倉の背中に呼びかける。

 

 また、会えないか?

 

 

「……は?」

 

 

 こちらを振り返った彼女の顔に浮かんでいたのは、呆気に取られた表情だった。

 メロゥの一番を取られたのは、正直悔しい。だけど、佐倉と一緒に過ごした時間は、楽しかった。

 まぁ、人見知り・犬見知りの激しいメロゥと一緒だと、散歩仲間もなかなか出来ず、ずっと一人だったせいもあるのだろうけど。

 メロゥの行動に一喜一憂し、これほどはしゃいだのは子供の頃以来だった。彼女だって、あの様子からしてメロゥの事を憎からず思っている――と思うし。

 それなら、友達になれるかもしれない。そう思ったのだ。

 

 

「いや、でも……」

 

 

 佐倉は、困ったような素振りをし、自分とメロゥの間で視線を迷わせる。そんな彼女へメロゥと共に近づきながら、話しかけ続ける。

 

 メロゥがこんな風に誰かを好きになったのって、初めてなんだよ。

 このままお別れしたんじゃ、メロゥが寂しがるだろうし、なにより……。

 

 

「……なにより?」

 

 

 勝ち逃げされるなんてプライドが許さんっ。

 こっちが勝つまで、嫌でも付き合ってもらうからな、覚悟しろよ? な、メロゥ?

 

 

「ワンッ!!」

 

「………………」

 

 

 佐倉は、口をポカンと開けて、こちらを見つめている。

 それに自分は不敵な笑みを返し、メロゥはつぶらな瞳を期待で輝かせる。

 

 

「……ったく」

 

 

 やがて、開きっ放しだった唇が弧を描き――

 

 

「しょうがない。特別に付き合ってやっても良いけど、その代わり、アタシが勝ったらなんか奢れよな?」

 

 

 ――メロゥの頭を再び撫でながら、彼女は挑発的な笑顔を見せる。

 

 

「ま、この様子じゃ、どうせ次もアタシの勝ちだろうけど? 逃げるんなら今のうちだよ?」

 

 

 ……言ってろ、今度は絶対に負けないからなっ!

 

 

「ワンッ、ワンッ!!」

 

 

 佐倉の言葉に、強気に返事を返す。

 不敵に笑いあう二人の周囲を、メロゥが楽しそうに走り回っていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 この日を境に、日曜の散歩の時間に、新しい仲間が加わった。

 昼に運動公園で待ち合わせをして、日が暮れるまで二人と一匹で過ごす。勝負は今もって負け越していて、毎回ご飯を奢らされたが、それでも楽しかった。

 しかし、奢るのに掛かる金額が結構な負担になり、少しでも節約しようと、自作のお弁当を持っていく事もあった。

 最初から負ける時の事を考えていては勝てる物も勝てないのだろうが、佐倉は遠慮無しにバカスカ食うので、こっちの方が安上がりなのである。

 幸い料理には自信があったし、彼女もそれを気に入ってくれたので助かった。

 

 そんな関係が一月ほど続くと、流石に佐倉の事も少しは理解出来ていた。

 多少露悪的な部分があるものの、根は真っ直ぐで、良く笑う優しい子なのだ。きっとメロゥも彼女のそんな所に惹かれたのだろう。

 未だに、名前と風見野に住んでいる事位しか知らないのはちょっと寂しいが、あの笑顔を見るに、心配するような事は無いと思う。

 

 それを理解してからと言うもの、変な対抗意識は全く無くなり、メロゥを挟んで、自然と名前で呼び合うようになった。

 仲良くなり過ぎたのか、別れる時間になってもメロゥが離れようとせず、結局、家まで来る事も多くなって、その流れで夕飯をご馳走したりもした。

 そして、普段から両親が不在がちなのを知ってからは、気軽に家にも上がるようにもなり、休日ともなれば、朝からずっと一緒に居るのがもう当たり前だ。

 普通なら、男子学生の一人暮らしなんて警戒すると思うのだが、彼女は特に気にしていないようで。

 最近では毎日の散歩も一緒にするようになっている。

 

 いつの間にか、杏子とメロゥと自分、並んで昼寝が出来るぐらい、互いに気を許していて。まるで、生意気な妹が出来たような、そんな感じだった。

 

 

 だから、その時の自分は、考えもしなかったのである。

 この気の置けない関係が、悩みの種になるだなんて。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「佐倉さん、それは恋よ」

「杏子、そりゃ恋でしょ」

 

「……へぁ?」

 

 

 異口同音の二重奏に、少女は思わずフォークを取り落としてしまう。

 三角テーブルを囲む二人――巴マミ、美樹さやか。その視線を一身に集めるのは、今回の相談者である佐倉杏子であった。

 現在、一同が集まる巴家には、奇妙な沈黙の帳が降っている。

 そして、それに耐え切れなくなった杏子は、プルプル震えながら口を開く。

 

 

「……ナ、ナニイッテンダヨ、オマエラ。アタシハ……」

 

「うわ、すっごい棒読み。っていうか、どう聞いてもそうとしか思えないって。ねぇ? マミさん」

 

「ええ、ホント。でも、ちょっと嬉しいわ。佐倉さんもしっかり青春してるのね」

 

 

 きゃっきゃうふふ、とでも表現しようか。

 口元をもにょもにょさせる杏子を放って、マミとさやかは笑い合う。

 

 ――大事な、相談があるんだ。

 

 そう集められた二人にとって、彼女の言い分はあまりに可愛らしく、笑みが浮かんでしまう内容だった。

 が、相談した杏子の方からすれば、置いてきぼりにされた上で笑われたようにも感じられてしまい、気恥ずかしさも手伝って、彼女はテーブルをバンッと叩いて声を荒らげる。

 

 

「そ、そんなんじゃねぇって! アタシは――」

 

「一緒に居ると楽しいのに苦しい」

 

「――ぅぐ」

 

 

 しかしそこへ、マミの一撃。

 

 

「名前を呼ばれるだけでなんかドキッとする」

 

「ぁう」

 

 

 さやかの追撃。

 

 

「えぇと、後は、一人になるといつの間にかその人の事を考えてたり……」

 

「最近は外食だと物足りなくて、家まで押しかけてるんだっけ?」

 

「……もう、やめてくれよぉ……イジメだろこれぇ……」

 

 

 最後に、二人揃っての口撃に止めを刺され、杏子は涙目になってガラステーブルに額を押し付ける。

 彼女自身が、とある少年と出会ってから、己の身に起きた変化を説明する時に使った言葉の数々。

 それは他人の口から発せられたというだけなのに、銃弾にも等しい殺傷力で胸を打ち抜いた。汗顔の至りとは、正にこの事だろう。

 恋。

 よりにもよって、恋。

 あまりにも自分に似合わない事柄を突きつけられ、杏子は「ん゛あ゛~」と唸り続ける。

 

 

「で、どんな人なのよ、その男の人って。杏子をこんなにする位だから、よっぽどのイケメンか、それとも口説き上手だったり?」

 

「……んなんじゃねぇよ。アイツに口説かれたことなんて一度もねぇし。まぁ、顔は………………そ、そこそこ? だとは、思うけど」

 

「ふふっ。そっかぁ、そうなんだぁ」

 

 

 鷹揚に頷きながら、ご満悦な顔のマミ。

 それがまた妙にこそばゆくて、杏子はつい悪ぶった物言いで返す。

 

 

「な、なんだよマミ。顔のついでにキャラまで崩れてんぞ?」

 

「酷い言い草……。まぁ、気分が良いから許してあげます。それよりも、佐倉さんはその人のどんな所に惹かれたの?」

 

「………………散歩中に自転車で轢いた事は一回あるな」

 

「杏子、それは流石に苦しいよ。……ほい」

 

「……ぁむ」

 

 

 苦し紛れなお惚けに突っ込むさやかは、不貞腐れる口元に、小さく切り取ったショートケーキを運ぶ。

 杏子は無言のままにそれを頬張り、満足そうな鼻息を漏らした後、渋々といった様子で所見を述べ始める。

 

 

「なん、つーか。最初はただの暇潰しだったんだよ。

 アタシはマミ達みたいに学校行ってる訳じゃないし。街をブラブラするのにも飽きてきてたし。

 だけど、意外と、楽しくてさ……。アイツ、本当にコロコロ表情変えるんだよ。

 嬉しい時はガキみたいに歯を見せて笑うし、悔しい時はそれこそ歯軋りするし。見てて飽きないっていうか……」

 

「ふんふん。それでそれで? 他には?」

 

「……う、ほ、他? えーと……後、は……。

 作ってくれるメシが、美味い、し。なんだかんだで、イイ奴だし。一緒に居て、落ち着くって、ゆーか。

 ………………んぁああっ!? やっぱアタシ帰るぅ!!」

 

「マミさん、確保ぉ!!」

 

「大丈夫、逃がさないわっ!」

 

「んべっ!?」

 

 

 言っている内に恥ずかしくなったか、杏子はその場を逃げ出そうとするのだが、瞬時に展開された拘束魔法に脚を捕られ、べちん、とフローリングへ顔面から墜落。

 リボンに一本釣りされながら恨み言を残す。

 

 

「お、お前、等……ここまでするかぁ……?」

 

「全く、相談してきたのはそっちでしょうに。しっかし、恋愛相談ならまどかも呼べば良かったんじゃない? ほむらは……まぁ、あれとして」

 

「……いや、あんま多くに知られたくなかったし。なんか、二人で出かける約束もしてるみたいだったし……」

 

「ああ。あの二人、仲良いもんね~。まどかに彼氏さんが居なかったら、そっちの趣味があるんじゃないかって疑ってるとこだよ、ほんと」

 

 

 さやかの脳裏に浮かぶのは、一見クールで本当にクールな黒髪ロングの美少女。

 しかしその本性は、ちょっと危ない気配が漂うほどに、さやかの親友である鹿目まどかへ親愛を傾ける、まどか大好き人間である。

 きっと彼女は今頃、大好きな子の隣で鼻息荒く無表情にはしゃぎまくるという、器用な真似をしている事だろう。

 今まで歩んできた苦難の道を思えば当然かも知れないが、それにしたってあれな気がするさやかだった。

 

 

「そうかしら? 私には、少し違うように思えるのだけど」

 

「あれ、そーですか?」

 

 

 ――が、未だにぶーたれる杏子の身嗜みを整えながら、マミは首を傾げた。

 

 

「ただ単に、距離を計りかねているみたいにも見えるの。浮かれている、って言えば良いのかしら。

 それに暁美さん、鹿目さんと一緒の時でも、ふと寂しげな表情をする事があるのよ。

 まるで、何かを懐かしんでいるような……けど、胸に何かが(つか)えているみたいな……」

 

「……そうなのか?」

 

「え、いや、どうかな……? あたし、全然気付かなかった……」

 

「まぁ、あくまで私の主観として、ね? 本当の所は、暁美さん本人にでも聞いてみないと」

 

「ですかね~。とりあえず、ほむらの話はここまでって事で。今はそれより、杏子の初恋の方が重要でしょ!」

 

「うっ……だ、だから、アタシは、そんなんじゃ……」

 

 

 話をさて置き、ズビシッ、と人差し指を突きつけられ、杏子は狼狽える。

 だって、恋、なのだ。

 本来なら、さやか達と同じく学校に行かなければならない身でありながら、自分の力だけで生きる事を強いられた彼女が、必要無いと放り投げてしまった事柄の一つ。

 さやか達との出会いによって、それと同時に諦めていた様々な物――他者との絆や、己が力を振るう意義も取り戻せたと思っていたら、こんな余計な物まで。

 別に悪い事ではないのだろうが、あまりにも唐突な気がして。自分がそんな事態に陥るだなんて、想像だにしていなくて。

 だからこそ、杏子はそれを素直に受け入れられず、俯き加減に認めようとはしないのだが、そんな彼女にさやかは呆れ果て、ちょっとした例え話を始める。

 

 

「まぁだ認めないの? んじゃあ、こんなのはどう? 杏子の好きな人って、高校生なんでしょ? その人がもしも今、女子高生と密かに合コンとかしてて、王様ゲームとかでラブラブしてたら――」

 

「よし、ちょっとアイツ締めてくる」

 

「――ぬぇええっ!? だ、だめだよ杏子、ちょっと落ち着きなって!? もしも! もしもの話なんだからっ! そんな一狩行こうぜ的な気軽さで変身しないでってばぁ!」

 

 

 ――が、しかし。それを聞いた瞬間、杏子はすっくと立ち上がり、深紅の衣装に身を包む。

 その表情に病み(誤字ではないカモ)を見たさやかが必死に縋りつかなければ、架空の女子高生との浮気疑惑によって、件の彼は酷い目に遭っていた事だろう。

 まぁ、そもそも浮気とか言える関係性ではないのだが。今の所は。

 

 

「ほら、どうどうどう。とにかく座って! ……たく、これだからツンデレは」

 

「ツンデレってのが何かは知らねぇけど、使い方が間違ってるのと褒められてないのは分かるぞオイ」

 

「う~ん、今のは美樹さんがちょっと悪いわね……。それじゃあ、こんなのはどうかしら? 佐倉さん、目を閉じてくれる?」

 

「え? う、うん……」

 

 

 とりあえずは落ち着いたのか、変身を解き、再び腰を下ろす杏子へ、今度はマミが。

 言われた通り、胡坐をかきながらも目を閉じた彼女は、静かに次の言葉を待つ。

 

 

「それで、よく思い出してみて。

 その人と一緒に居ると、嬉しくて、楽しくて。だけど、見つめてると胸が苦しいから、目を逸らしたくなって。

 でもそうしたら、いつの間にかどこかへ行ってしまいそうで、目を逸らせなくて、もっとドキドキする。そんな覚え、ないかしら?」

 

「………………」

 

 

 杏子は答えない。

 けれどその顔は、明らかに、瞼の裏へ誰かを想い描いていて。

 そんな彼女を可愛く思いながら、マミ自身も瞼を閉じ、その体験を言葉にしていく。

 

 

「初めは特別な存在じゃなかった。言葉を交わす事があったとしても、気持ちを分かち合おうとは思っていなかった。

 だけど、彼は話しかけてくれた。ぎこちなくだけど、笑いかけてくれた。何度も、何度も」

 

「……何度、も」

 

 

 二人はそれぞれに、違う人物を思い出す。

 マミは、かつて命を助け、そのお礼と称して、色々な関わりを持つ事になった少年を。

 杏子は、かつてを過ごした場所で出会い、不覚にも大笑いさせられてしまった少年を。

 共通しているのは、胸に秘めた想いの差はあれど、彼等に働きかけられなければ、二人共、こうしてはいなかったであろうという事実。

 

 

「そして段々と、胸の中で彼の存在が大きくなっていく。

 話した事を思い出して、つい一人で笑っちゃったり。会えない時間が寂しくなったり。彼の笑顔を思い浮かべるだけで、不思議と心が温かくなる。

 どうしてだか分からないのに、心地良くて。でも時々、胸を締め付けられるようで……」

 

「笑顔……」

 

 

 杏子の脳裏で巡る、共に過ごした時間。

 飾らず、気負わず、遠慮なんかせずに笑い合った時間。

 マミの言った通り、段々と心を占めて行った、平凡な存在。

 こんなにも悩ませる、厄介で……少しだけ、特別にも思える、“アイツ”。

 

 

「私も、最初はこの気持ちに自信なんか無かったの。でもね? ある時、ふと思ったのよ。

 この人の声が、笑顔が嬉しい。側に居てくれるのが、とても幸せ。……他の誰にも、渡したくない」

 

 

 そこでマミは、ちら、と視線を滑らせた。

 向けた先に居る、真剣な顔をしたショートカットの少女は、頭上に「?」を浮かべて首を傾げて。

 くすり、小さく笑ったマミは、彼女に何も言わず視線を戻す。

 

 

「そして、ようやく気付いた。私は、もうとっくに、彼に恋してたんだ、って。

 この気持ちが、きっと、好きっていう気持ちなんだ、って。

 佐倉さんはどう? 貴方はその人に向けた気持ちを、どう呼びたい?」

 

「……ん……」

 

 

 問い掛けられ、より深く、杏子は己が内を探る。

 初めて声をかけた時の、間抜けな悲鳴。

 遊びに誘われ、子供のように、一緒にはしゃいだ公園。

 作ってくれたご飯が美味しくて、それを素直に褒めた時の、はにかみ。

 陽だまりの中、揃ってうたた寝をし、目覚めた時、隣に誰かが居る安心。

 気を抜き過ぎてしまったのか、偶然帰って来た彼の両親に見つかって恋人と勘違いされた時、驚くほど跳ねた心臓。

 

 そして、彼自身にそれを否定された時の、奇妙な寂しさ。

 言い繕い、誤魔化しながら同意を求められ、とりあえず笑い返していたけど、その実……。

 

 

「……あ」

 

 

 ――と、そこまで考えて、杏子は気付く。

 普段は嫌でない笑顔なのに、それが苦しかった。これは、さやかとマミが言っていた事の証明では、と。

 あの日から、杏子はおかしくなった。彼と過ごした時間を思い返して思い出し笑いをしては、関係を否定される言葉に沈み込む。

 楽しくて苦しい。嬉しくて寂しい。そんな、甘い矛盾。

 どんなに鈍い人間でも、ここまでお膳立てされれば、理解する他に無い。

 

 自分が、恋をしているのだ、という事実を。

 

 何かが杏子の胸に、すとん、と落ちた。

 ようやく、収まるべき所に落ち着いたような、そんな感覚。

 この気持ちを、彼への感情をどう言い表すかと問われたなら、それは彼女と同じく、きっと――

 

 

「あぁ……。アタシは、アイツの事が……」

 

 

 

 

 

 ――好き、なんだ。

 

 

 

 

 

「ん、へへ」

 

 

 なんだか無性に、あったかくて、むず痒くて、おかしくて。

 杏子は、パーカーの袖に半分隠れた手を胸の上に置き、緩やかに目を細めて、軽く顔を伏せ、頬を染める。

 今の彼女を美術の題材としたなら、きっとその作品には、「恋」や「乙女」というフレーズが似合う事だろう。

 

 

「マ、マミさん、どうしよう、どうしようっ!? なんか杏子が物凄く可愛いんですけどぉ!?」

 

「ちょっと美樹さん、揺らさないで、手ブレしちゃうわ?」

 

「……お前等なぁ」

 

 

 そんな少女に見惚れる二人は、隣り合う肩を揺らしたり、携帯のカメラを向けたりと騒がしい。

 余韻に浸る間も無く現実に引き戻され、恋する乙女の顔はぐんにょりである。

 

 

「さて、と。これで目出度く、佐倉さんが自分の気持ちを確認できたわけだけど……」

 

「むしろ、問題はここからですよねぇ……」

 

「うぇ? こ、今度は何だよぉ?」

 

 

 ややあって。

 マミは紅茶を一口含んだ後に隣を見やり、それを受けたさやかは、腕組みをしながら、ある問題を定義する。

 

 

「ねぇ杏子。確かあんたさ、毎日のようにその人ん家にお邪魔して、ときどき一緒に昼寝までしてるって言ってたよね」

 

「……そう、だけど。や、やっぱマズイかな? 厚かましい、かな……?」

 

「………………。あたしね、杏子の事、可愛いと思う。それこそ、男だったら絶対に放っておかないくらい」

 

「か、かっ? なんだよもうさっきからぁ! 恥ずかしい事、言うなっての……」

 

 

 珍しい、正面切っての褒め言葉に、杏子はもじもじ顔を逸らす。

 が、「そこが問題なのよ」と、さやかは更に言葉を続ける。

 

 

「そんなあんたが無防備に隣で寝てるのに、襲いかかったりイタズラしないなんて、そっちの方が問題よ! つまりは女として見てないって事じゃない?

 だって男子高校生だよ? 性欲の塊だよ? 目の前で可愛い年下の女の子がおへそ出して寝てたりしたら、普通は襲うでしょ?」

 

「………………え」

 

 

 折角、年頃の女の子として自覚が出て来た所でそれを全否定され、ピシッ、と凍り付く杏子。

 視線だけを横に向ければ、マミも苦笑いを浮かべていた。

 

 

「後半の意見はともかく、意識されていないっていう可能性は、否定できないわね……。

 私も一回だけだけど、寝ている間に胸を悪戯されたし……。気づかない振りは、してあげたんだけど」

 

「ぅおぉ、さ、さっすがマミさん……! 先輩もその黄金ボディの魅力には抗えなかったか……!

 あえてイタズラさせ、バレてないように思わせておいて実は……。恋愛上級者のテクニック、勉強になります!」

 

「え、あ、そ、そう? ……ま、まあ、参考までに、ね?(ど、どうしよう、恋人になってからって言いそびれちゃった……)」

 

 

 キラキラしている尊敬の眼差しに、苦笑いの質が変化した事を、さやかは気付かない。

 それを受けながらも微妙に視線を逸らすマミは、内心でどうしようかと思い悩む。

 何故なら、マミの恋はテクニックもへったくれも無い、偶然と勢いに任せた代物だったからだ。

 なのに、なんでこんな尊敬を受けているのか。

 見栄を張って「私が誘惑して手を出させたの」だとか「女はちょっと積極的な位で丁度良いのよ?」だのと言ったのが原因である。

 後輩の前で格好付けたい気持ちは誰にでもあるだろうが、それが原因でいつかバレるんじゃないかと悩んでいるなら世話は無い。

 

 

(……ううん。やっぱり、早い内に撤回するべきだわ。失望されるかも知れないけど、これ以上、傷が深くならない内に……!)

 

 

 しかし、格好付けたがりであると同時に、今は亡き両親にしっかり礼儀を躾けられているマミにはそれが心苦しく、また、バレた時の反動が怖くもあり、さっさと真相を吐露した方が良いと思い至る。

 何度か静かに頷き、意を決した彼女は、おもむろに口を開き――

 

 

「あ、あのね、二人共。私、本当は――」

 

「……なぁ、マミ。アタシって、女としての魅力、無いのかな……」

 

「――え? そ、そんなこと無いわ? 美樹さんの言った通り、佐倉さんは可愛らしいと思うわよ?」

 

 

 ――それは、酷く落ち込んだ杏子の声に、遮られてしまった。

 咄嗟に慰めの言葉へと変換するも、彼女の顔は暗いまま。

 

 

「でもさ……アタシ、マミみたいにおっぱいデッカくないし……」

 

「む、胸の大きさは関係無いと思うわ、佐倉さん」

 

「可愛げも無いし、ガサツだし、大飯喰らいだし……。イタズラ、されてないし……」

 

「いやいや杏子? 何もイタズラされるのが恋の始まりって言ってる訳じゃないんだよ?」

 

「けど、さぁ……」

 

 

 いつに無く気弱な姿に、二人は杏子を励まそうと言葉を尽くす。

 が、それでも彼女のテンションは盛り下がり、ついには膝を抱えて顔を埋めてしまった。

 敵を前にして不敵な笑みを絶やさず、常に冷静さを失わなかった彼女が、これ。

 恋とは、げに恐ろしき物である。

 

 

『完っ全に落ち込んじゃってますねぇ……。ほんと凄いわ、杏子の好きな人。あの杏子をこんなにしちゃうんだから』

 

『……ええ。どんな人なのか興味が湧くわ。でも、いい変化よ、きっと。応援してあげなくちゃ!』

 

『ですねっ!』

 

 

 心で通じ合い、二人は笑う。

 そして早速、さやかは杏子の肩を叩く。

 

 

「ほらほら、落ち込まないで? 杏子は可愛いって! 【 彼 氏 持 ち 】なあたしが保証するから、ね?」

 

「この状況で惚気るとか嫌味かお前ぇ……」

 

「そうじゃなくって! ピンチはチャンス! 逆に考えれば、意識されてないってのは武器にもなるんだから!」

 

「どういう事、美樹さん?」

 

「話を聞く限り、意識されないくらい自然な距離感は築けてるって事ですよね?

 だったらそれを利用して、ちょっと過激なスキンシップも出来るはず!

 そして、例の人が我慢出来なくなった頃合を見計らって、さっきのしおらしい姿を見せれば……。

 我ながら完っ璧な作戦! 名付けて、《オーバー・スキンシップ&ギャップ萌え作戦!!》」

 

「ギャップ、ね。なるほど……」

 

「もえ……って何だ? なんか燃やすのか?」

 

 

 マミの問いに、さやかは「むっふん」と胸を張り、ドヤ顔で解説。

 肝心の杏子には微妙に意味が通じていないが、勢いに乗ったさやかは止まらない。

 

 

「要するに、マミさんがやったみたく、誘惑して襲わせちゃえばいいのよっ!」

 

「ゆ、誘惑って……! アタシはまだ、そんな関係は……その……」

 

「ああ、違う違う。何も本当にヤっちゃえって訳じゃなくって、杏子なら普通に返り討ち出来るでしょ。

 だから、襲い掛かってきた所を適当にとっちめて、それを許す寛大さを見せ付けながら、

 『本当はアタシも……』

 とか言っちゃえば、きっとめでたくゴール・イン! よ!」

 

「あの、美樹さん。それ、美人局って言うんじゃ……?」

 

「細かい事は言いっこ無ぁし! それに、マミさんだってそれで先輩をGETしたんじゃない?」

 

「う゛。い、いえ、それ、は、そうなん、だけど、ね? と、時と場合が、ね?」

 

 

 巧妙に事実を捻じ曲げて伝えているのに、加害者である事だけは何故か正解しており、またも頬を引き攣らせるマミ。

 そして、そう言えば言い訳の途中だった、という事も思い出した彼女は、今度こそ否定しようと――

 

 

「う、ううん、そうじゃなくてね? 私ホントは――」

 

「……そっか。そうだよな、マミっ!」

 

「――えぇ!? 何がっ!?」

 

 

 ――した瞬間、勢い良く顔を上げた杏子に遮られた。

 本日二回目である。

 

 

「こんなとこでウジウジしてるなんて、アタシらしくないよなっ!

 ギャップ、燃え? とかいうのはよく分かんないけど、とにかくやってみるっ!

 女はちょっと強引に迫った方が良いんだもんなっ! な、マミ?」

 

「え? あの、ちょっと違うような……積極的な方がとは言ったけど、強引にとまでは――」

 

「その意気だよ杏子! あたし達も全力で応援するから! ね、マミさん?」

 

「あ、ええ、勿論。応援も、サポートもするわ? でもその前に私の話を――」

 

「サンキューな、マミ! さやか!」

 

 

 ハイテンションな二人に三度四度と無視され、いくら初恋を自覚したからって浮かれ過ぎじゃない? もう片方はともかくとして、なんてマミは思い、同時に焦る。

 何故だか分からないが、このままで居ると、とっても不味い事になる気がする。

 何と言うか、最悪に近い形でバレる上に生暖かい視線に晒される末路が見える気がするのだ。

 そんな、針の筵の方がまだマシに感じられる未来を変えるべく、彼女はまたしても声を上げ――

 

 

「……ふ、二人共、お願いだから私の話――」

 

「でも杏子? ギャップ萌えっていうのは、積極的なだけじゃ駄目なんだからね? 引くべき所はすっと引かないと」

 

「そ、そうか? うぅ、やっぱムズいな……」

 

「だいじょぶだいじょぶ。なんせこっちには、既に実践済みのお手本が居るんだから」

 

「おお、そういやそうだな」

 

「――え」

 

 

 ――例によって、それは空回り。

 無言のまま、「私?」とマミは自分を指差し、二人が「うんうん」頷く。

 純粋に信じてくれている、二対の視線。

 寄せられる期待。

 奇妙な圧力。

 罪悪感。

 

 

「………………そうね。時には強引な方法も必要だけど、度を越すと逆効果だから、気を付けないとね?」

 

「おお~」

 

「さっすがマミさん! あたし達以上に経験豊富な大人の女! そこに痺れる憧れるぅ!」

 

「う、うふふ、そんな事、無いわ? ふ、ふふふ……」

 

 

 それ等に負けたマミは、明後日の方向を向きながら実にそれっぽい事を言い放ち、この場を乗り切ってしまうのだった。

 彼女にとって最悪の結末が、今、ここに確定した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 玄関の扉を、特に挨拶もせず開け放つ。どうせ両親は帰って来て居ないので問題は無い。

 全く、早く帰ろうとした時に限って、先生に用事を頼まれるとか、災難にも程がある。おかげで余計に疲れてしまった。

 

 杏子と出会ってから季節は移り変わり、もう夏が始まっていた。

 日照時間が延び始めているため、日はまだ沈んではいないが、時刻は既に夕食時になっている。

 多分、メロゥの散歩は杏子が済ませてくれていると思うけど、流石に今日はもう帰ってしまっただろう。

 ここ最近は夕飯を一緒に食べるのが当然になっていたので、なんだか物足りない気がする。

 

 だが、溜息をつきながら靴を脱いでいたら、ふと違和感に気付いた。

 普段は暗い筈の居間に、電気が点いていた。家を出る時にはちゃんと消したはずなのに。

 怪しんでいると、居間へと続くドアの反対側――洗面所兼脱衣所の扉が、ガチャリと音を立てて開く。

 

 

「ふぅ~、サッパリした~。……お? お帰り。風呂、もらったよ~」

 

 

 そこから姿を現したのは、濡れた髪をタオルで拭く、黒いインナーとデニム地のホットパンツという姿の杏子だった。

 唖然とし、なんで、と口から疑問が洩れてしまうが、彼女は全く悪びれずに言い放つ。

 

 

「え? いや、散歩から帰ってきて、メロゥと遊んでたら汗かいちゃって」

 

 

 そうじゃなくて、どうやって家に……?

 鍵は……?

 

 返って来た答えに首を横に振りつつ、再び問いかけると、杏子はポケットを探り、何かを取り出した。

 

 

「どうやってって……コレ。オバさんからこないだ貰った奴」

 

 

 その手にあったのは、引き出しに仕舞いっ放しになっていた予備の鍵だ。キーホルダーに見覚えがあるので間違いない。

 そういえば少し前、久々に帰って来た両親に、杏子と昼寝しているのを見られて、恋人が出来たと盛大に勘違いされたばかりだった。

 しかも、『メロゥが懐くのなら悪い子な訳がない』という理由で両親に気に入られ、自由に家を使って良いという許しまで出ていた。まさか鍵まで渡しているとは思わなかったが……。

 確かに杏子なら信頼できるが、家の親は相変わらず、仕事以外では頭の螺子が二十~三十本くらい外れているんじゃないかと思う。

 そんな事を思い出し、頭を抱える自分だったが、しかし杏子はどうでも良いと、居間への扉を開きながら言う。

 

 

「んな事よりさ、アタシ腹減った。早くメシ食お~よ」

 

 

 ……それについては同意見だけど、まずは、そのポタポタと雫を垂らす髪をちゃんと乾かして欲しいんだけど? 床がびしょ濡れになるし、風邪ひくぞ?

 

 

「え? 良いじゃん別に、めんどい。どうしてもって言うんなら、アンタがやってよ」

 

 

 その指摘に、杏子は不満そうな声を上げ居間に入っていく。

 本当なら怒る所なのだが、そこそこ長い付き合いで彼女の性格は理解している。このまま放って置くと、本当にそのままにするだろう。

 仕方なく、洗面所からコードレスドライヤーと櫛を持ち出し、居間の椅子に座っていた杏子の髪を梳かし始める。

 

 

「~♪」

 

 

 彼女は気持ち良さそうに目を閉じている。

 その髪は、櫛が全く引っかからないほど滑らかで。

 同じシャンプーを使った筈だろうに、なぜかほんのり、甘い香りさえする気がした。

 

 

「なぁ、今日の晩飯は?」

 

 

 体を反らせ、こちらを見上げる杏子に、少し悩んでから答える。

 

 ……今日は、豚肉の特製ニラだれ炒めと、若布と豆腐の味噌汁に……あとは、キャベツ刻んで、漬物とかで良いか?

 

 以前にも作った事があり、好評だったメニュー。食欲が低下しがちな夏にぴったりの、ピリ辛でご飯が進む一品だ。

 それを聞くと、彼女は満面の笑みを浮かべ、再び目を閉じる。

 

 

「あ~、あれかぁ。いいんじゃない? はやく食いたい~」

 

 

 子供のように体を揺らす杏子を、大人しくしろ、と叱り付け、ドライヤーを動かす。

 完全に気を許しているのか、彼女は椅子にもたれ掛かって力を抜いている。

 出会った当初の冷たい態度とは比べ物にならないその姿に、苦笑いしてしまう。

 

 ――ただ、願わくば。

 もうちょっと、女の子としての自覚を持って欲しい。

 ダボついたインナーの襟元から、見えそうで見えない先っちょにドキドキするのは、心臓に悪いんです。

 

 

 そう、悩みの種とは、杏子の無防備さについてである。

 こういう姿を見せてくれるという事は、信頼されている証だとは思う。思うのだが、思春期の男子学生にはちょっと刺激が強すぎるのだ。

 ……実際、何度かお世話にはなったけれども。

 なんかこう、後ろめたい気持ちが湧き上がって仕方ない。

 妹のように思ってはいても、やはり杏子は余所様の女の子な訳で。

 こんな風に無防備な姿を晒されていては、いつか我慢できなくなって襲ってしまうんじゃないかと、自分を信じる事が出来ない。

 

 だから、煩悩を抑えられるかと思って、般若心経を覚えてみた。割と高確率でお世話になってしまう辺り、効果は薄いみたいだが。

 運動で発散しようと、いつも以上にメロゥと遊んだりもした。杏子が途中で乱入してきて、彼女の汗の匂いにドギマギしたが。

 必要以上に接触しないよう、注意だってした。悪戯のつもりなのか、余計にベタベタするようになって逆効果だったが。

 

 傍から見れば羨ましい環境だと、自分でもそう思うが、本当に悩んでいるのである。

 今までの、兄妹のような関係が、心地良過ぎて。

 うっかり男女を意識してしまったら、今まで通りに接する事が出来なくなりそうで。

 こんな事を考えてるのが知られたら、杏子は、離れていってしまいそうで。

 ……また、メロゥと二人だけになってしまいそうで。

 

 それだけが、本当に怖い。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「はぁ~、食った食った~。ご馳走様っ」

 

 

 食事を終え、杏子は椅子に寄りかかりながら、満足げにお腹を擦っている。彼女の言葉を背に、お粗末様、と返しながら食器を水に浸す。

 その後、メロゥに夕飯のドライフードを与え、自分も体を休めるため、テレビの向かいにあるソファへと腰を下ろす。

 リモコンを押せば、バラエティー番組が流れだした。

 

 

「……よっと」

 

 

 それが気になったのか、杏子は椅子から立ち上がり、ポスッ、と音を立てながら、隣に腰を下ろす。

 なんとなく、並んでテレビを見つめる。

 杏子は、買い置きのチョコレート菓子をデザート代わりにパクついていた。

 画面の向こうで、国民的アイドルとされているグループのメンバーが、大して面白くも無い話に爆笑している。

 いつの間にか、食事を終えたメロゥも足元に寝そべっていて、退屈そうに欠伸をしていた。

 

 特に印象にも残らない、そんな内容だったが。

 二人並んで、ただぼんやりとする時間が、とても心地良かった。

 

 しばらくそうしていると、空腹が満たされたのもあり、眠気が込み上げてくる。

 うつらうつら、首が舟を漕ぎ始め、次第に瞼が重くなってきた。しかし、トスッ、と何かが落ちてきた衝撃に、意識が覚醒する。

 太ももに重さを感じ、顔を下に向ければ、そこには浅い寝息を立てる杏子の横顔があった。

 

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 

 しばらく、ぼ~っとそれを眺めた後、柔らかそうな頬を指でつついてみる。

 

 

「……んっ……すぅ……」

 

 

 小さく声を上げると、彼女は寝返りを打つようにして、顔を脚に擦り付ける。

 その様子に微笑ましくなるのと同時に、ちょっとした悪戯心が湧いて来た。

 試しに、聞こえるかどうかの小さな声で、起きないと変なとこ触るぞ、なんて囁く。

 

 

「……んん? ……ん~……」

 

 

 その声が聞こえたのか、杏子は再び寝返りを打つ。

 驚いて、ワキワキとさせていた手がビクッとする。

 

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 

 しかし、彼女は仰向けに体を直すと、そのまま寝息を立て始める。

 ほっと溜息をついたが、このまま引き下がるのも何か負けたような気がして、その体に手を伸ばし、寝返りを打った際に捲れたらしい、インナーの裾から覗くへその近くに指を落とす。

 

 

「……んっ……すぅ……」

 

 

 少し寝息が乱れたが、それは直ぐに穏やかな物に戻る。

 ドキドキしながらも、今度はその周囲をなぞるように、人差し指で円を描く。

 

 

「……んっ……ふっ……」

 

 

 悶えるような声を漏らし、杏子は小さく身を捩る。

 その、もどかしさを堪える顔が可愛くて、ついついくすぐるように、手を上に登らせていく。

 

 

「……ん……っ……ぅ……」

 

 

 動きに合わせて、黒いインナーが捲れて行く。

 

 

「……ぁっ……」

 

 

 やがて、うっすらと浮かぶ肋骨に触れる所まで来ると、杏子が上ずった吐息を漏らす。

 それが耳に届いた瞬間、自分が何をしようとしているのかを悟って顔をしかめる。

 自分は一体、何をしているんだ。

 彼女は自分を信頼して、こうして無防備な姿を見せてくれているのに……。それなのに、眠っている女の子に悪戯するなんて、ただのクズじゃないか。

 煩悩を払うように頭を振り、捲れてしまったインナーを戻そうと、裾を下に引っ張る。

 だが――

 

 

「……なんで、止めんのさ……?」

 

 

 ――それを杏子の手がそっと掴み、静かな瞳が見上げてくる。

 心臓を射抜かれた、そんな気がした。

 慌てて、言い訳をしようと口を開こうとするのだが、掴まれた手がある場所に導かれて、息を呑む。

 

 

「……んっ」

 

 

 なぜか杏子は、掴んだ手を自分の胸の上に置いた。

 インナーの下に何も着けていない為か、彼女の体温と柔らかさが、手の平に伝わる。

 

 

「……アンタとなら、いいよ。……そういう事、しても」

 

 

 杏子の瞳に、熱が篭る。

 それに焦がされる様に、自分の顔も熱を持ち始めていた。

 

 

「アタシはさ、アンタと出会った頃は、一人だった……。一人でいいと思ってた。きっと、それが報いだから」

 

 

 奔放な彼女には似つかわしくない、報い、と言う言葉。

 それが気になりはしたが、口を挟める様な雰囲気ではなく、上手く聞き出せる程の冷静さも失っていて、ただ、杏子の言葉に耳を傾ける。

 

 

「けど、その頃から、色んな奴と知り合って。

 アンタとメロゥにも、会うようになって――誰かが側に居てくれる暖かさを、思い出せた。

 今まで、散々悪い事してきたアタシに、こんな事願う資格、無いのかも知れないけど。それでも……」

 

 

 そこまで言うと、彼女は体を起こし、手を握ったままこちらに向き直る。

 顔には、今までに見た事の無い、真摯な表情が浮かんでいた。

 

 

「それでもアタシは、アンタと居たい。アンタと、メロゥと、ずっと。だから……」

 

 

 小さな手に、きゅっと力が篭る。

 初めて触る杏子の手は、思っていた以上に小さく、柔らかくて、すべすべとしていた。

 

 

「………………」

 

 

 彼女の目が、答えを求めている。

 だが、自分の口から出てきたのは、いきなりそんな事言われても……なんていう、情けない言葉だった。

 それが不満なのか、杏子はムッとした顔で言う。

 

 

「いきなりじゃ、ないって……。アタシ、結構前から、色々してたんだけど……?」

 

 

 静かだけれど、精一杯な“何か”のこもった言葉に、首を捻る。

 

 色々……?

 という事は、まさか、最近薄着だったのは夏だからじゃなくて……?

 

 

「……うん」

 

 

 じゃあ、妙にスキンシップが多かったのは……?

 

 

「……わざと」

 

 

 ……さっきのも、寝たふり……?

 

 

「……っ、そうだよっ、全部アンタの気を引こうとしてたんだよっ!! ……言わせんな、恥ずかしい……」

 

 

 杏子は、顔を赤くして俯いている。これも、初めて見る表情だった。

 それに加え、彼女の口から出た言葉のせいで、嫌でも緊張は高まってしまう。

 

 

「………………」

 

 

 普段と違って弱弱しい、女の子らしい表情を見せる杏子に、なんと言えば良いのか分からず、居間には沈黙が広がる。

 テレビから流れる音声が、異国の言葉のように聞こえた。

 空気を読んだのか、いつの間にかメロゥは足元から居なくなっている。

 繋いだままの手には、じっとりと汗が浮かんでいた。

 

 

「……だぁっ、もうっ!! しおらしいのなんてアタシの柄じゃないってのっ!! ギャップ萌えなんて知るかぁ!!」

 

 

 だが、杏子は突然繋いでいた手を放り出し、変な事を口走った。

 ……ギャップ萌え? え?

 杏子ってば意外と計算高い?

 なんて事を思い浮かべていると、彼女はずいっと体を寄せて詰め寄る。

 

 

「で? どうなんだよ? アンタはあたしの事、どう思ってるんだよっ?」

 

 

 杏子の顔が、吐息を感じるくらい間近に在った。

 だからこそ、緊張は限界を超えてしまい――

 

 ……ふ。

 

 

「……ふ?」

 

 

 ……風呂に入ってきますっ。

 

 

「え、あ、おいっ!?」

 

 

 ――自分が選択したのは、とりあえずその場から逃げ出すという、実にヘタレた行動だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 服を脱ぎ捨て、体も洗わずに湯船に飛び込む。

 普段ならこんな事はしないが、そんな事も分からなくなるくらい、混乱していた。

 天井を見つめていると、杏子と過ごした今までの時間が頭の中を駆け巡る。よくよく考えれば、様々なサインがあった気がした。

 

 例えば、杏子の存在が両親にばれた時。

 両親の誤解を解こうと必死に弁解する自分を、彼女は曖昧に笑いながら、見ているだけだった。

 ……そうだ、段々思い出してきた。

 杏子がやたらベタつくようになったのも、あの頃からだ。服の隙間から覗く肌色成分に、やたらドキドキするようになったのも、確か……。

 

 どうして、こんな大事な事に気付かないで――――――違う。

 

 気付かないふりをしてただけだ、きっと。

 気の置けない関係を崩したくなくて。

 この街に来て、初めて出来た友達を失いたくなくて、自分を誤魔化していただけだ。……なんて情け無い。

 杏子の事は、勿論好きだ。

 どちらかと言えば――いや、間違いなく美少女だし、あんな事を言われれば嬉しいに決まってる。

 両親にだって覚えは良いし、メロゥも懐いているし、断る理由なんてあるはずが無い。あの笑顔がずっと側に居てくれるなら、それはとても幸せな事だと思う。

 

 ……ん、あれ、だったら逃げる必要なかったんじゃ?

 

 杏子の方から言ってきたという事は、事実上、両想いな訳で。

 両想いであれば、今まで通り側に居られる訳で。

 そこまで考えが至り、湯に浸かりながら後悔に頭を抱える。

 

 あぁぁぁぁ、失敗したぁ……。逃げたりしないで、あの場でちゃんと答えればよかったんだ……。

 そうすりゃ今頃、思う存分イチャイチャ出来てたかも知れないのにぃっ!?

 あぁもぅ、ここからどうすりゃ挽回できるんだよぉっ!?

 

 だなんて、バシャバシャ音を立てながら奇妙な踊りをしていた、その時。

 ガチャ、とドアの開く音がした。

 脱衣所に繋がっている擦りガラスには、なにやらゴソゴソと動く人影が映っている。今この家に居る人間は、二人だけ。

 という事は、必然的にその向こうにいるのは――。

 平坦な声で、何してるんですか、と問いかけて見ると、聞きなれた声が、聞きなれない声音で返ってくる。

 

 

「……アタシも、もっかい入る」

 

 

 ……なんで?

 

 

「アンタが逃げるからだろっ。……マミだって、女はちょっと強引な方が良いって言ってたし……」

 

 

 何処のどなたか存じませんが余計なこと言わないで頂きたいっ!! まだ心の準備がっ!?

 と、顔も知らぬ誰かに恨みの念を飛ばしている間に、擦りガラスが勢い良く開け放たれる。

 思わず、ちょっと待ってぇ!? と叫びながら、両腕で視界を遮り、顔を背ける。

 けれど、そんな自分に、杏子は自信たっぷりに宣言するのだった。

 

 

 

 

 

「うっさいっ、答えてくれるまでは意地でも離れないからなっ、覚悟しろっ!!」

 

 

 

 

 



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【一緒に】少女K・Sの場合【お風呂】

 

 

 天井に湯気が昇っていくのを、無心に眺める。

 普段ならゆっくりと浸かれる広さの湯船が、今日に限ってやけに狭い。

 

 

「……いつまで、そっぽ向いてんのさ?」

 

 

 顔のすぐ近くから声が聞こえ、小さな背中が寄り掛かって来た。その感触に、揺れる水面と同じように、自分の心臓も揺れる。

 お団子に縛り上げた髪から漂う香りが、鼻をくすぐった。

 本当なら、その裸体を目を皿にして凝視したい所なのだが、実際に出来る状況となると、緊張と照れで視界の端にすら入れる事が出来なかった。

 

 

「ちゃんと、見ろってば……。アタシだって、恥ずかしいんだかんな……」

 

 

 しかし、彼女――杏子にとってはそれが不満らしく、視線を下ろす事を要求してくる。

 その言葉には、抗いがたい魔力のような物を感じ、いいのかなと思いつつも、錆び付いた機械の如くぎこちない動きで顔を下ろす。

 だが、一度目にしてしまうと、もう視線を離せなかった。

 

 

「………………」

 

 

 火照ってほんのり赤くなった肌を、雫が伝っていく。それを追うと、杏子の引き締まった肢体が目に入る。

 アスリートのように無駄のない体の上に、女性らしい膨らみが二つ――その頭頂部は、つんと上を向いていた。

 更に視線を下げると、緩やかな曲線を描く腹部の下に、全く毛の生えていない丘が見えた。

 年齢を尋ねた事は無かったが、もしや、それが当然の歳だったりするのだろうか。

 その事に気がつくと、心臓が爆発したかのような早鐘を打ち始め、今まで必死に押さえ込んでいた煩悩が股間へ流れていく。

 

 

「……ひゃっ!?」

 

 

 程なく、硬さを増したそれの頭が、杏子のお尻を撫で上げてしまう。

 

 

「な、何すんだよっ……っと、あっ……」

 

 

 驚いて体を起こし、こちらを振り向く杏子だったが、そのせいで己の体が惜しげもなく晒されている事に気づくと、体を縮め、ザブンッ、と勢いよく湯船に体を沈める。

 それを見て自分も恥ずかしくなり、脚を閉じて硬くなったものを隠す。

 

 

「………………」

 

 

 杏子は更に湯船に沈み、口元まで湯に漬けて、息でコポコポ音を立てている。

 なんだか視線が股間に向いている気がして、激しく気まずい。どうすれば良いのか、何をしたらまずいのか……全く見当もつかない。

 意味のない思考ばかりが頭を巡り、刻々と時間が過ぎていく。

 そんな時、杏子が動いた。

 

 

「……っ」

 

 

 水面から顔を上げ、狭い湯船をこちらに近づく。

 突然の行動に焦っていると、杏子は脚の隙間に体を滑り込ませ、止める間もなく抱きついてくる。

 胸板に彼女の柔らかい膨らみが密着し、竿がお腹との間に挟まれた。

 一瞬で頭が沸騰し、口をパクパクさせながら、自分は全身を硬直させる。

 

 

「やっぱり、驚くよな? 急に、こんな事して……」

 

 

 杏子はそう言いながら、首筋に顔を埋める。

 言葉と共に出る吐息が、くすぐったい。

 

 

「でもさ、アタシは、本気だから……ちゃんと答えてよ。……もし迷惑なら、アタシは……」

 

 

 彼女の不安そうな声が、耳を打つ。

 こんな行動を起こされるまで、その気持ちに気付こうともしなかった馬鹿な自分だが、流石にもう逃げるわけには行かない。

 湯の下に見えるその背中を眺めながら、躊躇いがちに、自分で良いのか、と尋ねてみれば――

 

 

「アンタが良い。アンタ以外じゃ、ヤだ」

 

 

 ――杏子は、ハッキリと宣言してくれる。

 その言葉が胸に染み入り、温かいような、切ないような、色々な感情が込み上げて。

 溢れそうになった様々な気持ちを込めて、彼女を抱きしめる。

 

 

「あ……ぇへへ……」

 

 

 肌がより密着し、互いの体温を感じる。

 心臓は痛いほど高鳴っているのに、どうしてか、心はとても落ち着いていた。

 しかし、そんな情緒も鑑みず、自分の分身は、杏子のお腹の感触に硬さを増していく。

 

 

「あ、えと……」

 

 

 それを感じたのか、彼女は体を離し、少し不安気に口を開いた。

 

 

「あの、さ……アタシ、どうしたら良い? こういう事、あんま知らなくて……」

 

 

 尻すぼみな言葉と戸惑う表情に、自分はこれから、何も知らない少女を汚すのだという事を実感し、背徳的な喜びが満ちる。

 

 

「あ、んっ……ちょ、ちょっと……んっ」

 

 

 杏子の体に手を添え、そのまま下に滑らせて、形の良いお尻を揉みしだく。

 そして腰を引き寄せ、股の間に竿を滑らし、脚を閉じさせる。

 

 

「うぇ? え、え?」

 

 

 困惑し、キョロキョロする彼女を抱きしめ、そのまま閉じていてくれ、と頼む。

 

 

「……? ……分かった……」

 

 

 素直に従い、脚を閉じる杏子。

 太ももと恥部の間に、竿が挟み込まれる。

 腰を前後させ始めると、すべすべした肌の感触が気持ちよかった。

 

 

「んっ……ん……」

 

 

 お湯の中だからか、抵抗は殆どなかった。

 竿の上部に少しだけ違う感触があり、それが杏子の恥部だというのが分かる。

 

 

「う……ん……っ……」

 

 

 強い刺激ではなかったが、その分、余裕を持って快感を楽しむ。

 しかし、彼女にとってはそれがもどかしいのか、杏子は吐息に合わせて、小さく喘ぎ声を漏らしていた。

 

 

「は……ぁ……ん……」

 

 

 顔を覗いてみると、眼を閉じ、刺激を感じる事に集中しているようだった。徐々に吐息も熱を帯び始める。

 それと比例して、竿へ掛かる圧力が強まっていく気がした。

 

 

「ふぅ……ふっ……んっ……」

 

 

 杏子の吐息は、だいぶ荒いものへと変わっている。

 小さい腰が、こちらの動きに合わせてゆらゆらと揺れていた。

 

 

「んん……うっ……く……」

 

 

 抱きしめ合う腕にも力が篭り、胸板に杏子の胸が擦れ、二つの硬いしこりが存在を主張する。

 

 

「あっ……ぅんっ……ん……」

 

 

 緩やかに高まりあった熱が形を持ち始め、やがてそれは、彼女の中に入りたいという欲に変じる。

 杏子のお尻越しに上下して見える先端は、自分でも始めて見るほど大きく張り詰めていた。

 それを伝えるため、もうそろそろ……と耳元で囁く。

 

 

「はぁ……ふ、ぅ……うん……いいよ……」

 

 

 赤い顔で返事を返す杏子は、胸板に手を突いて体を起こす。

 

 

「………………」

 

 

 体から湯を滴らせ、湯船のふちに腰掛けると、期待と不安の入り混じった表情でこちらを見つめる。

 熱っぽい視線を受けながら、杏子の太ももに手を置き、閉じられた脚を押し開く。

 

 

「あっ……っ……」

 

 

 嫌がり、彼女は脚に力を込めるが、手の平で内側を撫で続けると、それはゆっくりと開かれていく。

 奥には、ぴったりと閉じられた一本の線があった。

 

 

「うぅ……」

 

 

 両脇に指を添え、少しだけ左右に開く。

 

 

「んっ」

 

 

 その内側は綺麗なピンク色をしていて、お湯とはまた違ったもので濡れそぼっていた。

 思わず、綺麗だ、なんて呟くと、彼女は恥ずかしそうに目を逸らす。

 

 

「へ、変な事言うな、ばか……ぅぅ……」

 

 

 杏子が体を揺らすたび、その中もピクピクと反応を示す。

 入り口の小ささに、本当に入るのかと少し心配になったが、今更止まる事もできず、自分も立ち上がり、彼女に腰を寄せる。

 

 

「……あっ、ちょっと待った!!」

 

 

 だが、先端が触れる直前、杏子が声を上げる。

 これからと言う時に止められて、少し鼻白むものの、どうかしたか、と聞き返す。

 

 

「……ぁ~、そ、の……ま、まだ……ちゅー、してない……」

 

 

 ………………ぷっ。

 

 

「な、なんだよっ、笑うなぁっ!!」

 

 

 杏子の口から出たあまりにも可愛らしい要求に、小さく吹き出す。それに怒ったのか、彼女は両手でポカポカと殴りつけてきた。

 ごめん、と謝りながら、殆ど力の込められていない腕を掴み、顔を寄せる。

 

 

「っ、と……ん……」

 

 

 すると一転、杏子は大人しくなり、しばらくこちらを見つめた後、目を瞑って顔を上に向ける。

 小さく、杏子、と彼女の名を呼びながら、唇に唇を重ねた。

 

 

「……っ、ん……」

 

 

 柔らかいそれを啄ばむように、軽く吸う。

 上下の唇を、自分の唇で挟み込み、何度も、離れそうになっては元に戻る。

 

 

「ん……んむ……んぁ……」

 

 

 次第に、杏子の唇が開き始めた。

 薄目でそれを確認してから、舌を出して、と要求する。

 

 

「ふぁ……え? ……こ、こぉ……?」

 

 

 口を大きく開き、杏子は小さく舌を出す。

 すかさず口に含み、舌同士を絡ませた。

 

 

「んむっ!? ふ、んっ……」

 

 

 驚く彼女の頭を逃がさぬように手で支え、深く口付ける。

 少し、チョコのような甘い風味がするのが、杏子らしい。

 

 

「ふぁっ……ちゅっ……ちゅる……んんぅ……」

 

 

 当初の目的も忘れ、無心に彼女の口内を犯し続ける。

 

 

「ん……ふ……ちゅぅ……ん~……」

 

 

 知らず、体を寄せ合っていたのか、竿の先端が杏子のお腹に触れ、ピクッと揺れる。

 その柔らかい感触に、忘れかけていた欲望が蘇り、唇を離す。

 

 

「ふはっ……はぁ……はぁ……」

 

 

 呆けている杏子の恥部に、今度こそ先端を触れさせ、いいか、と尋ねる。

 

 

「……ぅ、ん……」

 

 

 杏子は、伸ばした腕を首に巻きつけ、小さく頷く。

 それを確認してから、彼女のお尻に手を置き、少し持ち上げるようにして、腰を前へ。

 

 

「……う……くぅ……」

 

 

 先端が埋まると、急に狭くなるような抵抗感を感じたが、それを通り過ぎると、彼女の中に全てが埋没した。

 

 

「うぁ……っく……」

 

 

 まず感じたのは、心地よい熱さだった。

 湯に浸かっていたせいか、元々杏子の体温が高いのか。

 どちらかは分からなかったが、正直、この気持ち良さの前では、どうでもいいと思える。

 

 

「ふっ……ふ、ぅ……ん、くぅ……」

 

 

 しかし、耳に届く苦しげな息遣いに気付き、無理をさせたか、と杏子を気遣う。

 

 

「……んっ……大丈夫……あんまり、痛くはない、けど……ちょっと、苦しい……」

 

 

 そう言うと、首に絡めていた腕を解き、彼女は自分のお腹を撫でる。

 

 

「はぁ……っ……自分でも、吃驚だよ……こんなとこまで来てる……」

 

 

 杏子は目を閉じながら、静かに微笑む。

 しかし、穏やかな表情と相反して、自分の中には劣情が燻ぶる。

 

 

「んぁっ……おぃ……くぅっ……」

 

 

 腰をゆっくりと前後させると、苦しげに眉をひそめ、咎める声を出す。

 そんな杏子に謝りながら、自分は腰の動きを続ける。

 

 ごめん……。もう、我慢できない。

 

 

「んっ、く……ったく、しょうがないなぁ……」

 

 

 すると杏子は、ふっと体から力を抜いて、再び両手を首に絡ませ、微笑む。

 

 

 

 

 

「好きに、しなよ……。全部、アタシが受け止めてやるから……」

 

 

 

 

 

 彼女の微笑からは、清らかさすら感じられたが。

 それにすら肉欲は滾り、衝動的に腰を突く。

 

 

「うぁっ……んっ……」

 

 

 杏子が苦しそうに喘ぐ。

 それは、消えかけていた理性をかろうじて繋ぎとめるが、それでも動きは止められない。

 

 

「ふぅっ……ん、んん……」

 

 

 彼女の内側が竿を締め付ける。

 かなり、きつい締め付け。その分、強く杏子を感じた。

 

 

「く、ぁ……う……」

 

 

 しかし、まだ刺激に馴れないのか、彼女の声は苦しげで。

 せめてそれを和らげようと、深く突き入れるのを止め、浅い所の往復を小刻みに繰り返すと――

 

 

「あ、うっ、ぅん、んっ」

 

 

 ――杏子の息のリズムが変わり、乗せられる色も変化し始めた。

 

 

「ふっ、んんっ、ふ、ぅ、ぅあっ」

 

 

 綺麗な鳴き声に聞きほれながら、浅く抽送を繰り返していると、時折、体が大きく反応を示す部分に気付く。

 中程手前の、上側。

 そこを先端のくびれで引っかいてみれば――

 

 

「あんっ……へっ? 今の……ぅあんっ」

 

 

 ――苦しげな声から一転、杏子は甲高く喘ぐ。

 彼女自身、自分の声に驚いているみたいだった。

 しかし、そんな声を引き出せたのが嬉しく、内心のほくそ笑みを隠しながら、腰の位置を落とし、斜めに擦り上げるようにして突き出す。

 

 

「ひゃ、ぁんっ、ちょ、ちょっとま、やっ、あんっ」

 

 

 戸惑う杏子を余所に、腰の動きが止まらない。

 基本は浅く、たまに深く。

 狭くて熱い、杏子の内を行き来する。

 

 

「あん……あんっ、やぁっ……あ、う」

 

 

 湯船が、バシャバシャ、と大きく音を立てる。

 次第に我慢が出来なくなり、腰のストロークも大きくなる。

 

 

「んあっ、はっ、あっ、あぁっ」

 

 

 だが、苦しかったであろう深さにも、杏子は甘く吐息を漏らし始める。

 表情も、明らかに、悦びに感じ入っているように見え。

 いつの間にか、結っていた筈の髪は解け、濡れた肌に張り付いてしまっていた。

 

 

「はあぁ、あ、くぅ、ん、んんっ」

 

 

 そんな彼女の表情に、尚更、興奮は高まって行き。

 今にも出て行ってしまいそうな欲を堪えながら、杏子に最後の確認をする。

 

 ……このまま、出してもいいか……?

 

 

「あんっ、あっ、や、んっ、だめ、なか、は、だめぇ、赤ちゃん、が、あぁっ」

 

 

 彼女は、熱に浮かされる切ない声でそれを嫌がる。

 けれども、反応したのは自制しようとする理性ではなく、杏子の全てを穢したいという征服欲で。

 既にギリギリだった興奮はそれに後押しされ、あえなく、彼女の中に白濁とした性欲が暴発してしまった。

 

 

「ひゃっ!?」

 

 

 その勢いは、自分でも分かるほど激しく。

 ドロドロとした粘液が、かつて無い量で放出される。

 

 

「うぁ、ぁあああぁぁぁっっ!!!!!!」

 

 

 最奥を叩かれたからか、杏子は足をピンと伸ばし、体の内と外を、両方痙攣させる。

 

 

「あっ……あ……はっ……はぁっ……はぁ……は……はぁ……」

 

 

 長い射精が終わると、同時に杏子の体が倒れ込んで来た。

 

 

「はぁ、ぁ……なに、これ……なんか、飛んで……」

 

 

 荒い息遣いが耳に届き、全てを出し切って冷静になった頭へ心配が過ぎった。

 すぐ様、解けてしまっている髪の上から彼女の背中を撫で、大丈夫か、と声を掛けると――

 

 

「はぁ……はぁ……大丈夫な訳、無いだろ……このばかぁ……ちゃんと……責任、取れよなぁ……?」

 

 

 ――胸板の上で、杏子はそう話す。

 荒い息遣いを感じながら、彼女を抱きしめ、まだ一度も伝えていなかった気持ちを言葉にする。

 

 ……好きだ。

 ……杏子の事が、好きだ。

 

 

「……あ……」

 

 

 その言葉に返事をする様に、杏子も背中に腕を回し、ゆっくりと口を開く。

 だが――

 

 

 

 

 

「……うん……でも、アタシはちょっと違うかな……」

 

 

 

 

 

 う、んぇえ゛!?

 

 ――予想もしていなかった言葉に、喉から変な声が出てしまった。

 

 

「……ぷっ、くくくっ」

 

 

 しかし、それを聞いた杏子は、クスクスと笑いながら、体を離し。

 満面の笑みを浮かべながら、もう一度、口を開いた。

 

 

 

 

 

「アタシは、アンタの事が大好きだっ」

 

 

 

 

 




 杏子をあんあん言わせたい。


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 前日譚 暁美ほむら

 

 

 二月二十二日、火曜日。

 

 相変わらず、何も起きない、退屈な日々。

 退屈しのぎに談話室の漫画や小説を読んでみたりしてるけど、どの病院もほとんど同じ漫画しか置いてなくて、つまらない。

 パパもママもお仕事で忙しくて、滅多に会いに来てくれないから、いつも一人ぼっち。

 時たま頼んでいた本を持って来てくれるけど、すぐに帰ってしまうし。早く続きも読みたいけど、これ以上迷惑はかけたくないし……。

 どうして私だけ、こんな体なんだろう。パパやママは、普通なのに。

 

 なんで、私だけ……。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ストレス性の胃潰瘍――それが悪化した事による、早期胃癌。

 幸いにも発見が早かったため、内視鏡による手術と、一週間ほどの短期入院で済むが、発見が遅れていたらと考えると寒気がする。

 まさか、こんな形で人生初の入院を経験する事になるとは、思いも寄らなかった。

 自分からしてみれば、ちょっと胸焼けが酷いくらいにしか思っていなくて、至って健康なつもりだったのだが……。人生、何があるか分からないものだ。

 

 ここは、つい先日入院した病院の中庭。

 漂白されたような白さの壁に落ち着かず、病室を抜け出し、ベンチに座って日向ぼっこをしながら、最近読み始めたライトノベルのページを捲っている。

 ここ最近は、『~が~で~する』のような説明タイトルのラノベしか出ておらず、正直期待はしていなかったのだが、暇つぶしにと読み始めてみれば、これが面白かった。

 読まず嫌いなんてするもんじゃないと痛感し、最新刊まで大人買いして一気に読み進め、今もこうして読み返している。

 現在三ヶ月連続刊行中で、来月の二十日には最終巻が出る予定となっている。とても楽しみだ。

 

 そんな事を思っていたら、不意に風が吹き、ツン、と頭に何かが当たったような感覚がした。

 目を向けてみれば、ひらひらとベンチの上に舞い落ちる、紫色の栞があった。ディフォルメされた可愛いネコのイラストが書かれている。

 一体どこから……?

 何の気なしにそれを手に取り、周囲を見渡してみれば、中庭に面した上階の窓から、こちらを見下ろしている人が居た。

 

 自分と同じく眼鏡をかけた、三つ編みの少女。

 

 視線が合うと、彼女は慌てた様子で室内へと引っ込んでしまった。

 もしかして、この栞は彼女が落としたものなのだろうか。そうじゃなくても、確かめるくらいはした方がいいか……?

 しかし、そう思ってから悩む。

 いきなり見ず知らずの男が尋ねて行ったら、吃驚されるんじゃないだろうか。目が合っただけで慌ててたみたいだし、あの見た目からして引っ込み思案そうだ。どうしよう……。

 顎に手を当て考え込んでいると、中庭から続いている廊下を歩く看護師さんの姿を見て、思いつく。

 そうだ、看護師さんに頼んで渡して貰えば良いんだ。そうすれば直接会わずに済むし、もし間違ってたとしても受付とかで預かって貰えるはず。我ながら良いアイディアだ。

 

 そう考えて、適当な看護師さんを捕まえようとした、その時だった。

 

 遠くから救急車のサイレンが聞こえてきて、病院内の気配が騒がしくなる。

 看護師さん達は、患者を不安にさせないためか、表面上はいつも通りに見えたが、漂う空気が緊迫している気がした。

 緊急患者の搬入口の方角も、にわかに慌しくなり始めている。

 もしかして、何か大きな事故でもあったのだろうか……?

 流石にこの状況では、落し物を渡して貰うためだけに捕まえるのも気が引けてしまう。しかし、やはり初対面の人に会いに行くのも、また気が引ける。

 そのまましばらく悩んでいたのだが、忙しそうにする看護師さんに迷惑をかけるのも嫌で、結局、自分で届けようと考え直した。

 

 栞とライトノベルを片手に、エレベーターへと足を向けながら、ふと思う。

 今回は流石に仕方ないかも知れないが、こんな風に他人に気を使ってばかりだから、いつの間にかストレスが溜まっていたのかも知れない。

 もうちょっと自分勝手になった方が、この世界はきっと生き易いのだろう。

 今まで、ずっと。

 いつも他人の顔色を伺い、場の空気を呼んで、それを壊さないようにするのが当たり前だと思ってきた。それが自分の処世術で、今までそれで生きて来たのだから、悪い事だとは思わない。

 けれど、健康が脅かされたとなれば、話は別だ。

 

 

 他人に嫌われないために、自分の意見を殺す。

 そんな生き方は、変えた方が良いのかも知れない。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 人通りのほとんど無い廊下を、スリッパの音が響いていく。

 通り過ぎた部屋の数から考えるに、次の部屋がさっきの少女の部屋となる。

 大きめの引き戸の横には、部屋に滞在する人物のネームプレートが付けられている。確かめてみると、そこには『暁美ほむら』という名前が刻まれていた。

 ほむら――平凡な自分の名前と違い、格好良い名前だ。先程チラッと見た時の印象とは随分と違う。

 まぁ、この部屋がさっきの少女の部屋であるか、まだ確証はないけど。

 若干緊張はしていたが、このままで居るのも据わりが悪いので、意を決して、病室のドアをノック。

 

 

「ひ、ひゃいっ!!」

 

 

 すると、中からは上擦った少女の声が。

 その可愛らしい声に安心すると共に、緊張が深まる。

 だが、ノックした手前、黙っている訳にも行かず、なるべく落ち着いた声で中の少女へ呼びかける。

 

 さっき中庭で、紫色の栞を拾った者なんですけど、落としませんでしたか……?

 

 

「あっ……。え、と……は、はぃ、わ、私の、です」

 

 

 その返事に、思わず溜息をつく。

 間違ってなくて良かった……。しかし、まだ渡していないのだから、安心しきるには早い。

 控えめに、入っても良いですか? ともう一度声をかけると、室内からも再び声が返る。

 

 

「は、はいっ……。ど、どぅぞっ」

 

 

 極度の緊張が伺える返事に、逆になんだか落ち着いてしまい、ちょっと苦笑いしながら、ゆっくりとドアを引く。

 視界に入って来たのは、小さめのサイドテーブルと、その上に乗る花が生けられた花瓶。そして、ベッドの上で半身を起こす、薄紫のパジャマに身を包んだ三つ編み眼鏡の少女。

 見た目通り引っ込み思案な子なのか、こちらの姿を確認した後、彼女はすぐに視線を逸らしてしまう。

 ゆっくりと近づいてみると、やはりガチガチに緊張している様子が伺えた。

 どんな病気かは分からないが、個室に入院しているのを考えれば、必要以上に負担をかけるのも良くないだろう。ここは早いとこ栞を返して、立ち去った方が良さそうだ。

 そう思い、どうぞ、と出来るだけ優しい声で、手の中にあった栞を彼女へ差し出す。

 

 

「あ、ありがとう、ござい、ます」

 

 

 躊躇いがちに小さな手を伸ばし、彼女はそれを受け取る。

 その時、彼女が胸元に抱えていた文庫本の表紙が見えて、気がつく。

 彼女が読んでいるのは、自分が今読んでいるのと同じタイトルのラノベだった。

 枕元を見てみれば、今までの既刊が枕の横に積まれている。

 

 

「……あ」

 

 

 少女の声に顔を戻すと、彼女の視線はこちらの手元に寄せられていた。その中には、既に読み終えている最新刊。

 積まれた既刊をよくよく見てみれば、どうやら最新刊だけが抜けているらしかった。

 試しに、少女に向けて問いかけてみる。

 

 ……もしかして、まだ読んだこと無い? この巻。

 

 

「えっ!? あ、えと、その……そう、です。ごめんなさい……」

 

 

 その問いに答えながらも、なぜか謝ってくる少女。

 なんで謝られたのかはよく分からなかったが、とりあえずそれに手を振り、謝らなくても、と返して考える。

 確か前の巻は、鬼とも思える引きで終わっていて、早く続きを読みたいと感じさせてくれる終わり方だった。

 正直、あそこで読むのを止められるのは、かなり酷だと思う。

 広い病院内で、こうして出会えた同好の士。自分はもう読み終えているのだから、貸してあげてもいいのだけど……。

 

 

「………………」

 

 

 謝ったきり沈黙を保つ少女。この気まずさが、行動する事を躊躇わせる。

 見知らぬ男から本を貸されて、喜ぶ女の子が居るだろうか……。

 まぁ、本当に読みたい本であれば喜ぶだろうが、押し付けがましくは無いだろうか。

 目の前の少女からは、強く主張すれば、簡単に意見を押し殺してしまいそうな、そんな弱さを感じる。

 例え善意からの行動でも、押し付けるような形になれば、それはもう独善だ。

 

 本当に、どうしよう……。

 

 ――と、そこまで考えて、思い至る。

 さっき看護師さんに話しかけられなかったのもそうだが、今考えている事も、結局は同じだ。必要以上に周囲へ気を遣い過ぎなのかもしれない。

 そうだ。これは切っ掛けだと思えばいい。自分を変えるための、切っ掛け。

 もし、受け入れて貰えたなら。

 その時はもう少しだけ、自分の思った通りに行動してみても、いいのかも知れない。

 緊張を誤魔化すため、一度瞑目し、軽く深呼吸。そして、おずおずと口を開く。

 

 あの……?

 

 

「は、はいっ!? ごめんなさいっ……」

 

 

 話しかけられて驚いたのか、彼女は咄嗟に謝る。

 その慌て具合に、やはり緊張は解れてしまい、自然と微笑みながら本を差し出す。

 

 

「……え?」

 

 

 もし良かったら、読んでみない? もう読み終わってるから、貸してあげるよ。

 

 

「えっ……あ、でも……ご迷惑、ですから……」

 

 

 予想通り、彼女は遠慮がちに首を横に振る。

 しかし一瞬だけ、その顔が嬉しそうに輝きかけたのを、自分の目は見逃さなかった。

 

 ……続き、気にならない?

 

 

「う。そ、それは……」

 

 

 言葉に詰まり、チラチラと差し出された本を見る彼女。

 やはり、読みたいという気持ちが強いのだろう。それを後押ししようと、自分はもう一度本を勧める。

 

 自分の事は気にしないで? せっかくこうして同じ趣味の人に会えたんだし、感想とか話し合おうよ。

 同室の人は皆、年配の人ばっかりだから、話が合わなくて退屈だったんだ。

 

 

「……いいん、ですか?」

 

 

 躊躇いがちに尋ねる彼女に、微笑みながら頷く。

 もっともらしい言い訳にも聞こえるが、これは本当の事だ。

 気の良い人達ではあるのだけど、やたらとお菓子を勧めて来るし、演歌と健康食品と病歴の話しかしないし……ぶっちゃけ辛い。

 

 

「………………」

 

 

 そうこうしている間も、彼女は迷っているみたいに、手を伸ばしかけては引っ込めている。

 

 

「……っ」

 

 

 だが、やがてそれが本の表紙に触れると、意を決したように喉を鳴らし、しっかりと本を受け取った。

 そして、両腕でそれを胸に抱き、俯いたまま。

 嬉しそうな声音で、感謝を告げた。

 

 

「……ありがとう、ございます……」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 二月二十三日、水曜日。

 

 今日は、吃驚する事が沢山ありました。

 閉め切った病室が息苦しくて、換気をしようと窓を開けたら、風にお気に入りの栞が飛ばされてしまって。

 どうしようと思ってその行方を眺めていると、それは、中庭のベンチに座っていた男の人に当たって。

 私の栞を拾ったその人は、何かを探すように周囲を見渡した後、急に顔を上げて、それが私の視線と重なりました。

 

 私と同じ眼鏡をかけた、年上っぽい男の人。

 

 吃驚して、慌てて部屋の中に戻っちゃったけど、栞の事が気になってもう一度覗いてみたら、その人は姿を消していて。

 その時の私は、お気に入りの栞が取られてしまったと思って、凄く悲しくて。

 枕に顔を埋めて、いきなり吹いてきた強い風に八つ当たりしようかと思ったほどでした。

 だけど、私が悲しみに暮れていた時、突然、ドアがノックされました。

 こんな時間にドアがノックされるなんて、初めての事で。驚いた私は、ドアの向こうに奇妙な返事をしてしまって。

 けど、もっと驚くような事が、そのすぐ後に起こりました。

 

 なんと、一度目が合っただけの、あの男の人が、わざわざ栞を届けに来てくれたんです。

 その事に混乱した私は、自分がパジャマ姿である事も忘れて、部屋へ招き入れてしまいました。

 男の人はそんな事、気にも留めていないみたいだったけど、本当に恥ずかしかった……。

 私のいるベッドに歩み寄ったその人は、優しく声をかけ、栞を手渡してくれました。

 でも、お医者さん以外の男の人がこんなに近くまで来るのも、初めてで。

 緊張で胸が痛くなってしまった私は、顔を見ようともせず、俯いたまま、お礼を言う事しかできませんでした。

 思い出してみると、随分と失礼な態度だ……。後でちゃんと謝らないと。

 

 そんな時、逸らしたままの視界に思わぬ物が飛び込んできて、私は「あっ」と声を上げてしまいました。

 男の人の手には、私が今読んでいるのと同じタイトルの小説。しかも、まだ持っていない最新刊があったからです。

 私の手には、その一つ前の巻があって、男の人もそれに気付いたみたいで。

 読んだこと無い? と聞かれて、それがなんだか、自慢をされているみたいに感じて。

 だけど、そんな風に感じてしまった自分が凄く嫌で、私は、咄嗟に謝ってしまいました。

 男の人は、謝らなくても、と言ってくれましたが、やっぱり自己嫌悪。

 

 でも、一番驚いたのはこの後。頭の中で自分を責め続けていたら、男の人は私に本を差し出して、読んでみないか、と言ってくれました。

 一瞬、続きが読めると思って嬉しくなっちゃったけど、でも、知らない人にそこまでしてもらうのは悪い気がして。

 私はせっかくの申し出を遠慮してしまいました。本当は、もの凄く読みたかった癖に。

 けど、その人は私の気持ちを見透かしたみたいに、続きが気にならないかって、ちょっと意地悪な質問をしてきて。

 内心をズバリ言い当てられた私は、上手く答える事が出来ませんでした。

 そんな私に、男の人は更に本を薦めてくれて。優しそうなその笑顔に助けられて、私はようやく、本を受け取る事が出来ました。

 

 その後、男の人は満足そうにもう一度微笑んで、また来るね、って言って、部屋を去って行きました。

 そしてようやく、まだ名前も聞いてない事に気付いたんです。私って、ホント馬鹿だ……。

 また来るって言ってたし、その時はちゃんとお名前を聞いて、ちゃんとお礼を言おう。

 その時のためにも、まずはちゃんと本を読み込まなくちゃ。これを書き終えたら、もう一度最初から読んでみようっと。

 

 

 こんなに長く日記を書いたのは、久しぶり。

 いつもこんな風に、色んな事が起きればいいのになぁ……。

 

 ……やっぱり駄目。そんな事になったら、私の心臓が持たない。

 早く、治りたいなぁ……。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 中庭で栞を拾い、三つ編み眼鏡の少女――暁美さんと出会ってから、数日が経過した。

 その間に自分の手術は無事終わり、経過も良好。明日には退院となる。

 病院に滞在するのも、今日一日で最後。

 明日には、彼女とも会えなくなる。

 それをきちんと伝えるため、先日借りた推理小説を手に持ち、ようやく通い慣れ始めた廊下を歩く。

 

 この数日の付き合いで判明した事が一つある。それは、暁美さんは意外とお喋りである、という事だ。

 事、本に関しては饒舌になり、話すという行為自体に熱中しているようにも見えた。聞けば、幼い頃から入退院を繰り返し、友人は殆ど居ないらしい。

 ご両親も仕事で忙しいため、滅多にお見舞いには来てくれないらしく、会話をする機会に飢えていたのだろう。

 医師や看護師さん達とも、あまり長く話す事は出来ないだろうし……。

 そこへ来て同じ趣味を持つ自分が現れて、色々と触発されたのかもしれない。

 と、そんな事を考えているうちに、暁美さんの病室の前に到着していた。

 慣れた手付きで、控えめにドアをノックすると、部屋の中から、相変わらず緊張した返事が聞こえてくる。

 

 

「は、はいっ。どちら様ですか……?」

 

 

 その問いかけに自分の名を告げると、ドアの向こうから「ど、どうぞ……」と返事が返り、失礼します、と一声かけてからドアをスライドさせる。

 ベッドの上では、パジャマの上にガウンを羽織った暁美さんが、本を片手に待っていてくれた。

 ……いや、待っていてくれた、と言うのは、流石に自惚れかも知れないが。

 でも、自分自身、彼女と話す事は楽しいのだから、彼女もそう思ってくれている事を願おう。しかしそれ故に、明日にはお別れしなくてはならないのが寂しい。

 それを隠すように、こんにちは、と勤めて明るく挨拶をしながら、手近な椅子に座る。

 

 

「はい……。こんにちわ、お兄さん」

 

 

 軽く頭を下げ、挨拶を返す彼女に、借りていた推理小説を差し出し、素直な感想を告げる。

 

 面白かったよ、この本。普段、推理物とかはあまり読まないんだけど、凄く良かった。

 暁美さんに勧められてなかったら、一生読んでなかったかも。

 ありがとう。

 

 

「あ……。良かったです、気に入って貰えて」

 

 

 本を受け取った彼女は、嬉しそうに微笑み、大事そうに両手で抱える。

 その後、本の内容について、あれやこれやと話しに花が咲いた。好きな登場人物や、ミスリードの狡猾さ、主人公やヒロインの心情などなど……。

 話す事は尽きなかったが、しかし、いつまでも引き伸ばすわけにも行かず、それが一段落した辺りで、おもむろに口を開く。

 

 あの、さ……暁美さん。話したい事が、あるんだけど……?

 

 

「……? はい、なんですか?」

 

 

 笑顔のまま小首を傾げる彼女に、一瞬言葉が詰まりそうになるが、きちんと話すべきだと思い直し、もう一度口を開く。

 

 実は、ちょっと前に、手術が無事に終わって、経過も良好でさ。

 それで……。明日、退院、するんだ。

 

 

「……え……」

 

 

 その言葉を聞いて、彼女の表情は一変した。

 笑顔が抜け落ち、落胆したみたいにその肩も落ちる。

 

 

「……っ……そう、なんですか……。良かったですね……おめでとう、ござい、ます……」

 

 

 暁美さんは、胸に手を当て、何かを必死に堪えているような、そんな強張った表情で、お祝いの言葉を掛けてくれる。

 その言葉に、ありがとう、と返しながらも、自分の言葉がそんな表情を強いてしまったのだと思い、とても心苦しかった。

 だが、それと同時に、ある不謹慎な感情も沸き起こる。

 

 それは嬉しさ。

 

 少なくとも、こんな表情を見せてくれる程には、彼女にとって自分の存在は大きいのだと感じて、嬉しくなってしまった。

 無論、自分の勘違いかも知れない事は分かっている。

 でも、彼女は別れを惜しんでくれている。そんな風に感じてしまって。

 言おうかどうかと内心迷っていた言葉はそれに後押しされ、すんなりと口から出す事が出来た。

 

 それで、さ……。

 退院しても、お見舞いに来て、いいかな?

 

 

「……え……なんで……?」

 

 

 なんでって……。

 折角、こうして友達になれたのに、このまま会えなくなるのは寂しいし……。

 

 

「……とも、だち……? 私が……?」

 

 

 えっ。

 

 

「えっ」

 

 

 ………………あれぇっ!? 友達だと思ってたの、自分だけぇ!?

 

 

「えっ……えっ」

 

 

 困惑する暁美さんの表情を見て、恥ずかしさに頭を抱え込む。

 

 なんと言う事……友達以前のラインで止まっていたとか、予想外にも程がある……。

 折角、勇気を振り絞って、いい台詞で決めるつもりだったのにっ。

 あぁぁああぁぁあぁ、恥ずかしくて死にそうぅぅ……。

 

 

「え、あ、あのっ、ち、違うんですっ、私、その、吃驚しちゃっただけでっ、う、嬉しいですっ、とってもっ」

 

 

 ……ホントに……?

 

 

「はいっ、勿論ですっ。本当に……嬉しい、です」

 

 

 暁美さんは身を乗り出すようにして、慌てふためきながらも、必死に弁解してくれている。

 その表情を見て、彼女が嘘を言っていない事を悟り、溜息と共に胸を撫で下ろす。

 

 良かった……。本当に、良かったぁ……。

 

 

「は、はい……ごめんなさい、勘違い、させちゃって……」

 

 

 暁美さんは、体を縮めて恐縮してしまっている。そんな彼女の様子を見ながら、思う。

 どうして自分は、彼女の言葉に、こんなにも意気消沈したり、喜んだりしているのだろう。

 

 友達だから? ――違う。

 今までにも、友達と喧嘩したり、笑い合った事はあった。

 だけど、言葉一つに、こんなにも心が震えた事は無かった。

 

 じゃあ、女の子だから? ――これも違う。

 職場に女性は居るが、別にあの性悪女共に何言われようと、腹立たしいだけで他に得る物は無い。

 いや、そもそも仕事でなければ、積極的に関わりたいとも思えない。

 

 

「とも、だち……友達、かぁ……」

 

 

 暁美さんは、何かを確かめる様に小さく呟き、はにかむ。

 それを見て、ゆっくりと胸が高鳴っていき、ようやく気付く。

 

 自分が彼女に、恋をし始めている事に。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 二月二十八日、火曜日。

 

 今日も、お兄さんがお話に来てくれました。誰かに本をお勧めするのは初めてだったけど、気に入って貰えて本当に良かった。

 でも、その本の話をする中で、お兄さんが明日、退院する事を知りました。

 それは、とても喜ばしい事のはずなのに。私の胸は、どうしようもなく苦しくなりました。

 

 原因は多分、ずっと一人で、ただなんとなく本を読み続ける日々を、思い出してしまったからだと思います。

 

 出会ってからというもの、お兄さんは毎日のように私の病室を訪れてくれました。

 そして、つっかえつっかえな私の言葉を、いつも笑顔で聞いてくれて。

 本なんて、時間を潰すために読んでいただけだったのに、誰かとお話しする事で、あんなにも楽しい気持ちになれるのを知って。

 だから私は、それに夢中になって、いつか終わりが来るなんて、想像もしてなかった。

 

 もう、お兄さんとお喋りする事が出来なくなる。

 

 それを自覚した途端、私の胸は、針に刺されたみたいな痛みに襲われました。

 けど、それに気付かれてしまったら、きっとお兄さんは心配してしまうだろうから。

 必死に痛みを我慢して、お兄さんに、何か返事をしました。

 痛みを表情に出さないように、それだけに集中してたから、何を言ったのかは良く覚えていません。

 お兄さんが、ありがとう、と返してくれたので、変な事は言っていないと思うけど……。

 でも、それきりお兄さんも黙り込んでしまって、部屋には気まずい雰囲気が漂いました。

 その時の私には、それがとても辛くて。どうせさよならするなら、早く行ってくれないかな、なんて、とても酷い事を考えてしまいました。

 だけど。その辛さは、お兄さんの言った一言で、簡単に消えてしまいました。

 

 また、お見舞いに来たい。

 

 お兄さんは、そんな風に言ってくれました。

 その言葉に驚いていた私は、妙な返事をしてしまったみたいで、なんだかしっちゃかめっちゃかになっちゃったけど。

 でも、ついさっきまで感じていた胸の苦しさは、跡形もなく消え去っていました。

 

 どうして、お兄さんはいつも、私が欲しいと思っていた言葉をくれるんだろう。

 こんな私を、友達だと言ってくれて、あんなにも、優しくしてくれるんだろう。

 分からない……。

 分からないけど、でも……。

 

 お兄さんと、またお話が出来る。

 私にはそれが、とても嬉しい事に感じられました。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 いつものように、控えめに病室のドアをノックすると、少しだけ緊張しているような声が返ってきた。

 

 

「は、はい、どうぞっ」

 

 

 それに小さく笑いながらドアをスライドさせ、声の主に向かって軽く手を上げ、こんにちは、と挨拶。

 こちらの姿を確認した暁美さんは、嬉しそうに顔を綻ばせ、自分を歓迎してくれた。

 

 

「はいっ。こんにちわ、お兄さん」

 

 

 その笑顔に、心が温かくなる。

 ただお見舞いにやって来るだけで、彼女は本当に喜んでくれて。

 今となっては、この笑顔を見るために来ているといっても、過言ではないかもしれない。

 

 

「いつも、ありがとうございます。お休みの日に、わざわざ来てくれて……。ご迷惑じゃ、ないですか……?」

 

 

 しかしその笑顔は、すぐに不安そうに歪んでしまった。

 おそらくは、こちらの都合の事を気にしてくれているのだろう。

 それが無用な心配である事を教えたくて、彼女の頭を撫で、微笑みかける。

 

 心配しないで? 自分が勝手に会いに来てるだけなんだから。

 暁美さんと話すのは楽しいし、好きでもない相手のお見舞いになんて、来やしないよ。

 

 

「すっ!? ……あ、そうか……。は、はい、ありがとう、ございます……っ」

 

 

 ……なにやら驚いていたが、なんだろう……? まぁ、暗い顔は消えてくれたし、良しとしよう。

 とりあえず、立ちっ放しなのもあれなので、いつもの椅子に座ると、すぐ脇のテーブルにパンフレットのような物が乗っているのに気付く。

 よく見てみると、それはとある中学校の入学案内だった。壁に張られたカレンダーを見てみれば、十六日と二十五日の所に印が着けてある。

 そう言えば、先週来た時にもうすぐ退院して学校に行くんだって言ってたっけ……。

 確かめるつもりで、もうすぐ学校だね、と聞いてみると、彼女は嬉しさと不安がない交ぜになった、複雑な表情を浮かべた。

 

 

「はい……。そうなんですけど、ちょっと不安で……」

 

 

 そう呟く暁美さんに相槌を打ち、続きを促してみれば、彼女は不安気な声を返す。

 

 

「私、転校の挨拶とか、凄く苦手で……。緊張すると胸が痛くなるし、質問責めにあったりすると、頭が真っ白になっちゃって……」

 

 

 その言い分に、自分は酷く納得してしまった。なんと言うか、見た目通りの悩み。

 挨拶でテンパり、質問されて慌てる彼女の姿がいとも容易く目に浮かぶ。

 しかし、彼女にとっては真剣な悩みなのだ。茶化してはいけないと思い直し、顎に手を当てて考える。

 

 

「……?」

 

 

 暁美さんは、考え込むこちらを見て首を捻っている。

 とりあえず、すぐに思いついたアドバイスは、最初から趣味を明かす、と言う事だ。

 偶然とは言え、同じ小説を読んでいた事が切っ掛けで自分達は仲良くなったのだから、あながち間違いでもないはず。

 しかし問題は、女の子の趣味として、世間一般で認められているかどうかだ。

 女の子の流行なんて知らないし、下手したら趣味が切っ掛けでイジメに発展、なんて事も在り得るかも知れない。……まぁ、極端な例ではあるけど。

 普通の女の子なら、やっぱりお洒落とかファッションとか、そういう物に興味があるんじゃないだろうか……。後は恋愛くらいか?

 

 

「……どうか、しました?」

 

 

 しかし、ほとんど病院から出た事のない彼女にそれを言うのは酷だ。どうすれば……。

 と、そこまで考えた所で閃く。

 病院の中でも、少しならお洒落できる所はあるじゃないか。

 

 ……ねぇ、暁美さん。イメチェンしてみない?

 

 

「え? イメチェン、ですか?」

 

 

 突然の言葉に驚いたのか、彼女は目を丸くしていた。

 それに構わず、自分は提案を続けてみる。

 

 そ、イメチェン。髪形変えたり、コンタクトにしてみたり――は、今は無理だから、眼鏡だけ取ってみたり。

 見た目が変わると、意識も変わるって言うし、どうかな? これを期に、転校デビューとか。

 

 

「えぇ……? む、無理ですよ、そんな……」

 

 

 だが、暁美さんはあまり気乗りがしないらしく、消極的な返事を返す。

 しかしその顔を見るに、どうしても嫌、という感じではなさそうだ。

 これなら、もうちょっと押せば……。

 

 大丈夫だって、暁美さんの髪、すっごく綺麗だし。

 三つ編み解いてストレートにすれば、大分印象変わるんじゃないかな?

 

 

「き、綺麗だなんて、そんな……でも……うぅ……」

 

 

 ちょっとだけ、試してみようよ?

 きっと……いや、絶対似合うからっ、ね? 一回だけっ。

 

 

「う~ん……」

 

 

 顔の前で両手を合わせ、頼み込んでみる。

 すると彼女は、しばらく迷った後、おずおず、といった様子で口を開く。

 

 

「……じ、じゃあ、一回だけ……。後ろ、向いててくれますか……?」

 

 

 心の中で大きくガッツポーズをし、分かった、と言って後ろを向く。

 背後からは、リボンを解くシュルシュルという音が聞こえる。

 それから、髪を整えたり何だりしているのだろう、衣擦れの音も。

 

 

「え、と。終わりました」

 

 

 しばらく待っていると、背後から声が掛かり、ちょっとだけ期待しながら振り向く。

 これが漫画なら、垢抜けない文学少女が眼鏡を取ってみると超美人だったりするのだろうけど、流石に現実には、そんな事は起こらな――。

 

 

「……ど、どう、ですか……? 変じゃ、ないですか……?」

 

 

 ――――――。

 

 

「……? あ、あの……?」

 

 

 ――――――綺麗だ。

 

 

「………………うぇええっ!?」

 

 

 自分の口から思わず洩れた一言に、暁美さんは、ボンッ、と効果音を付けたくなる程の勢いで真っ赤になる。

 うっかり漏らした言葉がどれほど気障ったらしい物なのかは、自分自身、顔の熱さで理解していた。

 しかしそれでも、慌てふためく彼女から目を逸らす事が出来なかった。

 

 三つ編みを解き、眼鏡を外しただけで。

 目の前の少女は、垢抜けない文学少女から、深窓の令嬢へと変貌を遂げていた。

 長い間結われていただろうに、その髪には全く癖が付いておらず、サラサラと肩や胸に落ちている。

 不安気にこちらを伺う姿は著しく男心をくすぐり、どうしようもなく保護欲を掻き立てた。

 こんなの、卑怯である。

 

 

「ぁあぁぁの、わわ、私ぃぃ……」

 

 

 舌を噛むのではないかと心配になる程、暁美さんは動揺している。その様子に見蕩れながらも、自分の心には酷い焦燥感が生まれていた。

 まさか、暁美さんがこんなに美人だなんて思わなかった。それ自体は嬉しい誤算だが、しかし、美人であればこそ付き纏う問題がある。

 もしも、自分が中学生だったとして。

 転校生としてこんな美人が来たら、放って置くだろうか。いいや、あの頃の自分なら、何が何でも御近付きになりたいと考えただろう。

 そしておそらく、そんな考えを抱く男子中学生は、転入先である学校に五万と居ると思われる。

 

 暁美さんはもうすぐ退院する。そうすれば、自分と彼女の関係はどうなるのだろうか。

 年齢も離れていれば、生活する時間帯も違うし、自然と疎遠になってしまうのが普通だ。

 そしていつしか、彼女も恋をして。

 だけどその時、自分は、間違いなく隣に居ない――――――少なくとも、このままでは。

 

 

「うぅぅぅ……」

 

 

 赤い顔で、恥ずかしそうに俯き、シーツをぎゅっと掴む暁美さん。彼女の隣に、自分以外の男が立つ。

 考えただけで、胸をナイフで突き刺されたような、強い痛みを感じた。

 しかし、このまま何もしなければ、高い確率でそれは現実になる。

 迷っている暇は無かった。

 

 あ、あの、暁美、さん……。

 

 

「ひゃいっ!? な、なんですかっ!?」

 

 

 ビクッ、と驚いて体を跳ねさせる彼女に、そう声をかけたが、二の句が告げずに口篭もる。

 今更になって、怖くなった。

 もし、今から言う言葉を拒否されたら。

 そんな事になったらどうしようと、弱気な事を考えてしまった。

 

 

「……あの……? お兄さん……?」

 

 

 ……駄目だ、弱気になるなっ!!

 変わるって決めたじゃないか、あの日……この子に本を受け取って貰えた、あの日にっ。

 このまま何も言えなければ、さっき想像した事が現実になるかもしれないんだ……。

 そんなの、嫌だ――そんな未来、認められるかっ!! さっきあれだけ気障な事を言えたんだ、もう一回くらい、言えるはず……!!

 

 

「……どうか、したんですか?」

 

 

 目を閉じて、深く、深く、深呼吸をして。

 彼女を真っ直ぐに見据えて、口を開く。

 

 ……暁美さん。

 

 

「……? は、はい……」

 

 

 来週の日曜日……。

 退院祝いに、二人で遊びに行かないか。

 

 

「……え……」

 

 

 その言葉が余程意外だったのか、暁美さんは目を丸くして呆然とする。

 自分は、そんな彼女の大きな瞳を見つめながら、じっと返事を待つ。

 

 

「……? ……えっと……え? ……あ、の……それって……?」

 

 

 こちらの意図を確かめるように、彼女は呟く。それにしっかりと頷き、言葉を返す。

 

 暁美さん――いや、ほ……ほむら……ちゃん。

 自分と、デート、して下さい。

 

 

「……っ!?」

 

 

 自分の口から出た明確な言葉に、彼女は再び顔を真っ赤に染める。

 全てを言い切った達成感からか、それを可愛いと思える程、自分の心は凪いでいた。

 

 

「あああのっ、えぇえっと、その、ぉ……」

 

 

 段々と声が小さくなって行き、それと共に、彼女の体も縮こまる。

 

 

「………………」

 

 

 病室には、もどかしい沈黙が広がって。

 しかし、それが続くに釣れ、凪いでいた心に波紋が沸き立つ。

 やっぱり、駄目なんだろうか……。もうちょっとオブラートに包んだ言い方をした方が良かっただろうか……?

 ……良く考えたら、出会ってからまだ二週間程しか経っていない。

 そんな男からの誘いに、色良い返事なんて期待できるのだろうか。

 

 不安に苛まれ、つい、頭を俯かせてしまった、その時。

 唐突に、沈黙は破られる。

 

 

「――かで――」

 

 

 沈黙を破ったのは、か細い声。

 その声に惹かれ、俯いていた顔を上げてみると。

 

 

「私なんかで……良かったら……」

 

 

 暁美さんは――ほむらちゃんはそう言って、はにかんだ笑顔を見せてくれた。

 

 その笑顔は、自分が知る女性の笑顔の中で、一番輝いているように思えた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 三月十三日、日曜日。

 

 今日も、お兄さんがお見舞いに来てくれました。

 こんな風に、定期的にお見舞いに来てくれる人なんて今まで居なかったから、本当に嬉しい。

 けど、それが負担になっていないかが不安で、つい暗い顔をしてしまったら、お兄さんは優しく頭を撫でてくれて。

 子供扱いされて悔しい反面、嬉しかったりもして、ちょっと複雑。

 

 それはともかく、今日はイメチェンをしてみよう、と言う事になりました。

 転校デビューって言ってたけど、正直、髪形を変えたりするだけで変われるなら、こんなに悩まないと思う……。

 でも、お兄さんは妙に食い下がって来て、しかたなく、一度くらいならと思って、私はそれに挑戦してみる事にしました。

 自分では大して変わらないと思っていたけど。けれど、それを見たお兄さんは、私の事を、綺麗だ、と言ってくれて……。

 パパ以外の男の人に、そんな事を言われたのは、記憶にある限りでは、生まれて初めてで。

 自分でも、顔が真っ赤になっていくのが分かりました。

 

 しかし、その後にお兄さんの言った、二人で遊びに行こう、と言う言葉は、私を更に混乱させました。

 私にはそれが、デートに行こう、と言っているみたいに聞こえてしまって。

 デートなんて、私には一生縁の無い……本の中でしか体験できない事の筈で。

 それが勘違いである事を確かめたくて、恐る恐る聞き返すと、お兄さんは真剣な声で、デートをして下さい、と言い直しました。

 

 ……私の事を、ほむらちゃん、と、名前で呼んで。

 

 その響きに、私の胸は、自分でも吃驚するくらいに跳ねてしまって。

 なのに、いつもなら感じるはずの苦しさは、全く感じなくて。

 いつもと違う反応を返す心臓に慌ててしまった私は、ただただ、うろたえる事しか出来ませんでした。

 何か言わなくちゃ、そう思っているのに、何て言ったらいいのかが、分からなくて。

 

 だけど、その時、思わぬ事が起こりました。

 口が勝手に、私なんかで良かったら、と返事を返していたのです。

 なんでそんな事が起きたのかは分からなかったし、言った後に急に恥ずかしさが襲ってきて、胸が押し潰されそうでした。

 

 でも。

 眼鏡を外しているから、視界はぼやけていたのに。

 その返事を聞いて、お兄さんが、嬉しそうに微笑んでくれた気がして。

 私の胸は、また一つ、大きく跳ね上がりました。

 

 それから後の事は、あまり良く覚えていません。

 いつの間にか、待ち合わせの時間と場所を決めて。

 ようやく正気に戻ったのは、お兄さんが部屋を出て行く時、照れ臭そうに、もう一度、私の名を呼んだ時でした。

 それを見送ってからというもの、私の体は、どこか変になってしまったように感じました。

 私を呼ぶお兄さんの声を思い出すだけで、胸はとても苦しくなるのに。

 痛いどころか、逆になんだか、胸が暖かくなるような、そんな感じがして。

 こんなのは、生まれて初めてでした。

 

 もしかして、これが恋、なのかな……。

 デートに誘われたんだから、勘違いしても、良いんだよね……?

 お兄さんは、私の事……好きなんだって……。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 約束の日。

 

 

 彼女は、現れなかった。

 

 

 じくり、と胸が痛んだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ダブルカラム式マガジンに、9x19mmパラベラム弾を一つずつ詰めて行く。

 テーブルの上には、既に十五発のそれが詰められた弾倉と、弾込めを待つ空の弾倉、箱詰めされた銃弾とが犇いていた。

 魔女や使い魔を相手取るには威力が心許なく、牽制程度の役割しか果たさない口径の銃――《ベレッタM92FS》。

 しかし、数千数万と放った銃弾のおかげか、この銃は、彼女にとって己が腕の延長になっていた。

 戦いでは何が起こるか分からない。であれば、どんな事態にも対応できるよう、攻撃力は低くとも、信頼性の高い武器は必要だ。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 溜息。

 椅子の背にもたれれば、キシリ、と音が鳴る。

 細かい作業による疲労を解きほぐそうと、少女は――暁美ほむらは、目を閉じて体を反らせた。

 下ろした長い黒髪が、床すれすれで遊ぶ。

 

 

「ようやく、ここまで」

 

 

 呟く言葉には、万感の想いが乗せられていた。

 時間遡行者。

 彼女を表現するのに、これ以上的確な言葉は無いだろう。

 望まぬ結末を覆すため、命を懸けるに足ると信じた命を救うために、インキュベーターと契約を交わし、無数の一ヶ月を繰り返して来た。

 その旅路は、幾多の絶望に塗れた、苦しい物だった。本当に、苦し過ぎて、悲し過ぎて。

 しかし、立ち止まれば自分が壊れてしまう事を悟っていた彼女は、いつしか、心を冷たい殻に覆う事で、感情の揺らぎを押さえつけるようになっていた。

 そんなほむらが、思わず声に熱を込めるほどの好条件が、この時間軸では発生していたのだ。

 

 

(巴マミは生存。美樹さやかも魔女化を免れ、佐倉杏子の参戦は確実。まどかも……魔法少女の体の事を知った今、契約する可能性は低い)

 

 

 もっとも、過去の時間軸では、それだけでまどかの契約を押し留めるには至らなかった。

 それが可能となったのは、とある人物が存在していたからである訳だが、思い出すと色々我慢できなくなりそうなので、とりあえずその存在は頭の中から追い出す。

 

 巴マミはほむらが手ずから助け、その後のアフターケアにも時間を割いた。

 まぁ、彼女が魔法少女の体の真実――抉り出された魂が、物質化されてソウルジェムに変じているというのを乗り越えられたのは、ほむらのみならず、まどか、さやかの励まし。

 そして、彼女自身の恋人の存在も大きい。

 未だ明かされていない、もう一つの秘密――魔女化の真実も心配ではあるが、打ち明けるのは、きちんと明日を迎えてからになるだろう。

 

 それに、美樹さやか。

 今までで最良とも言える世界での唯一の痛手は、彼女が魔女化を回避したプロセスを見逃した事だ。

 一度魔法少女となったなら、恋煩いの果てに絶望し――魔女へと堕ちなかった例は無い。

 それが、この時間軸ではどうだ。ほむらはとうに諦め切っていたというのに、彼女はそれを乗り越え、それが切っ掛けで、佐倉杏子という強力な魔法少女の助力まで得られた。

 このプロセスをパターン化できれば、たとえ――

 

 

「……っ!!」

 

 

 ズダン、と、勢い良くテーブルを殴りつける。

 あまりに力を込め過ぎたためか、拳はわずかに赤く滲み、銃弾がパラパラ零れ落ちた。

 

 

(パターン化? ふざけないで。そんな事、出来るはずが無い。出来て良いはずが無い。

 私は、どこまで驕っていたの。これじゃあ、奴等と――インキュベーターと同じ……。

 心を物として扱う、奴等と同じ。こんなんじゃ、救える命も、救えるはずが無かった)

 

 

 唇を噛むほむらの胸中に渦巻いているのは、自らへの失望。

 今まで彼女は、たった一人の少女を――鹿目まどかを救う、それだけの為に、他の全てを切り捨てて来た。

 誰も彼もを救えるほど、強くは無かったから。

 まどかだけしか救えなくても、それでも満足だと、思えたから。

 

 けれど、それはやはり、“ほむら”の願いでしかなかったのだ。

 誰かを大切と想い、守ろうとするのは尊い行いであろう。が、守られるその人が、犠牲となった者を悼まないとは限らない。

 ましてや、それが友人であったりしたならば、尚更だ。

 想いは先走り、すれ違い、離れて行く。

 共に過ごした時間が、過去へと追いやられて行くように。願うほどに遠ざかる、明日のように。

 

 十重二十重と失い続け、肩へと圧し掛かる重さに、いつの間にか、いつの間にか。

 優先順位を付けて、命を、自分勝手に取捨選択していた。

 確実に守るため。それは正しくもあり――

 

 

「……いいえ。私は逃げていただけ。皆と、向き合う事から」

 

 

 ――同時に、逃げでもある。

 魔法少女の祈り。胸に抱えたそれぞれの痛み。理解する事、される事。

 全てを無視し、諦める事で。手順を簡略化し、単純化し、効率だけを考える事で。

 ほむらは、求める理想と、襲い掛かる現実に立ち向かっていた。

 そして、尽く失敗。

 徐々に彼女は心を閉ざして行き、まどかの事だけを考えるようになった。

 そうすれば、最初の想いを忘れずに居られるだろうと思ったから。その方が、楽だったから。

 だから、彼女以外の命なら失われても仕方が無いと、諦めていたのだ。

 

 だが、誰が責められようか。

 ほむらはまだ子供なのだ。一番多感な時期に、初めて出来た友達を失い、それを取り戻す事を祈ってしまっただけの、哀れな少女なのだ。

 過ごした時間がずれる事で、誰からも理解されない孤独を抱えてしまった彼女が、必死に自分を守ろうとした手段を、誰が責められるだろうか。

 

 

(それも、もう終わり)

 

 

 それに、先に上げた、運命の悪戯としか言えない出来事の連続によって、それは改められている。

 何度繰り返そうとも、今日この日まで、全員で生き長らえてはくれなかった、かつての仲間達。

 それが揃っている。まさしく千載一遇。これを逃せば後は無いと思える好機。

 

 ――なんて、心強いのだろう。

 

 目を閉じ、天井を仰ぎながら、ほむらは思う。

 こんな感覚、久しく覚えが無い。

 強大過ぎる敵を前にして、臆する事すら取り忘れてしまうような、温かく心を鎧う、何かを。

 いつの間に、忘れてしまっていたのだろう。

 

 

「………………」《ピッ》

 

 

 ふと思い立ち、ほむらは携帯電話を操作する。

 数時間前、この部屋に集まり、明日の事を打ち合わせた仲間達の写真。

 勝手に撮られ、勝手に押し付けられたデータを、彼女は一つ一つ表示して行く。

 

 

「巴、マミ」

 

 

 最初に写し出されたのは、地図に目を落とし、真剣な横顔を覗かせる、巻き髪の少女。

 彼女ほど気高い人を、ほむらは他に知らない。

 己の私利私欲で戦う事を良しとせず、常に誰かのために命を賭け、故に孤独を耐えていた彼女。

 ほむらが魔法少女となった最大の切っ掛けはまどかだが、それに踏み切れたのは、きっと、頼もしい背中を知っていたから。

 その生き様は、在り方は、確かにほむらへ影響を与えていた。

 

 

「美樹、さやか」

 

 

 次は自分撮りの、笑顔でピースサインを構える、ショートカットの少女。

 彼女ほど情の深い人を、ほむらは他に知らない。

 愛するが故に心を濁らせる事を余儀なくされていた彼女だが、それは想いの強さの裏返し。

 まだ、ほむらが弱かった頃。その明るい笑顔に励まされた機会も多かった。

 決して、反目したい訳ではなかった。見捨てたい訳ではなかったのだ。

 

 

「佐倉、杏子」

 

 

 三番目は、自身を隠すようにカメラに向かって手をかざす、しかめっ面なポニーテールの少女。

 彼女ほど不器用な強さを持つ人を、ほむらは他に知らない。

 大切な家族を失い、己が祈りを見失いながらも戦い続け、いつしか、自分本位な生き方をするようになった彼女。

 だが、その心根は変わること無く、誰かの為に殉じる強さを持ち合わせていた。

 戦いの中で知り合えなかったが、別の出会い方があったなら、きっといい友人になってくれただろう。……もしかすれば、遅くは無いのかも知れない。

 

 

「……鹿目、まどか」

 

 

 そして、最後に写し出されたのは、お茶菓子として出したクッキーを咥えている所を撮られてしまった、目を丸くするツインテールの少女。

 彼女ほど優しい人を、ほむらは他に知らない。

 優し過ぎて。容易く自分を犠牲にするほど、優し過ぎて。ほむらが祈りを捧げる事になった彼女。

 初めての出会いで、その存在に憧れた。二度目の出会いで、並び立とうと思った。そして、三度目の別れで、「何も知らない私を助けて欲しい」と、願いを託された。

 

 今まで、それを果たす事は出来なかった。

 ほむらの魔法――時間遡行は、ただ時間を遡る物ではない。過去の可能性を切り替え、数多の平行世界を横断する事で、それを可能としている。

 ただの一つとして、同じ世界は無かった。ただの一人として、同じ命は無かった。

 まどかだけでは無く、マミも、さやかも、杏子も。他の人達だって。

 それを救えなかった事が、今、堪らなく哀しい。

 

 

(でも、だからこそ)

 

 

 もう、失いたくないのだ。絶対に。

 この世界には、笑顔が満ちている。この手で作り上げたものではないけれど、掛け替えのない幸せが、確かに。

 あの子が……皆が、笑ってくれているのだ。

 ならば、今度こそ守る。ほむらは、全身全霊を賭して、それを守る。

 

 

「もう楽な方へ逃げたりしない。誰かを見捨てたりしない。諦めたりなんか、しない……!」

 

 

 冷酷なまでにロジカルで、慈悲の無い世界がようやく見せてくれた、たった一つの優しい未来。

 奇蹟のような幾つもの偶然を、必然へと変えるために。

 例えこの身を捨てたとしても、ふいにする訳には行かない。

 

 

「……あ」

 

 

 ――と、決意を新たにしていたほむらの中に、ある言葉が蘇る。

 

 

『ほむらちゃんが、私の事を大切に想ってくれてるのは、何と無くだけど、分かってた。

 私を見る目が、あの人と、少しだけ似てたから。それは、とっても嬉しい。

 ……でも、ほむらちゃんはどうなの?

 自分の人生を、尊いって思ってる? 家族や、友達や……自分自身の事を、大切にしてる?

 私、嫌だよ。ほむらちゃんが犠牲になる未来なんて』

 

 

 それは、あの時の――どうしてそこまで必死になるのかと問われ、皆の前で、全てを打ち明けた時の、まどかの言葉。

 貴方が生きていてくれるなら、私はどうなってもいいと告げた時の、彼女の想い。

 

 

『私は、ほむらちゃんと出会って、いろいろな事を知った。この世界の事、魔法少女の事、自分の事。

 だから今度は、ほむらちゃんに知って欲しいって思う。ほむらちゃんが今まで、私のために蔑ろにしてしまった物の事を。

 友達と遊んだ時の楽しい気持ちや、美味しい物を食べた時の幸せな気持ちや……誰かを愛し、愛される喜び。ちゃんと、知って欲しい。

 だから……。だから必ず、生きて帰って来て。私、信じてるから。ほむらちゃんとも一緒に居られる未来を、信じてるから』

 

 

 未来。

 もし、何もかもが上手く行って、望む明日を勝ち取る事が出来たなら。

 そこに、自身の姿を書き加える事が、許されるなら。

 

 

「……私、は」

 

 

 一体、何を望むのか。何を、臨めばいいのか。

 大切な友の未来だけを求めて、自らの全てを投げ打って来たほむらには、そこに己の姿を描く事が出来なかった。

 どうしてもその輝きに、自身の影が霞んでしまう。

 

 

「でも……」

 

 

 何かが、あったような気もするのだ。

 遠い、昔に。

 まだ見ぬ明日へ期待を膨らませ、胸を焦がしていた。

 ……そんな、何かが。

 

 

 

 

『ほ■■ちゃ■』

 

 

 

 

 

 不意に、耳をくすぐる声。

 頭を撫でてくれた、優しい手付き。

 微笑みながらこちらを見つめる、誰か。

 その温度に身震いし、ほむらは自分を抱き締める。

 

 

(今は、駄目)

 

 

 何も分からないけれど、今、あれに身を委ねてはいけない。

 今のほむらに必要なのは、敵を照準する眼と、銃を構える腕と、引き金を弾く指。

 そして、魔力を生み出す機械仕掛けの魂のみ。

 それ以外に必要ない。求めてはいけない。

 

 ――求めてしまえば、この、心は。

 

 無言で立ち上がり、整備済みの《ベレッタ》に弾倉を滑らせ、スライドを引いてチャンバーに弾丸を送り込む。

 グリップを握る右手を若干押し出し、左手で体に引き付け、フロントサイトとリアサイトを合わせる。

 向ける先には、空中パネルに映し出された仇敵――ワルプルギスの夜。

 

 

「……今度こそ」

 

 

 必殺の意志を乗せた視線のまま、弾倉を排出。

 本体を斜めにし、再びスライドを引いて今度は排莢。

 弾倉が収まる手で、宙に踊るそれを――

 

 

「私は、明日を……!」

 

 

 ――掴んでみせる。

 

 拳の中に弾丸を確認。迷いを振り切ったほむらは、窓辺に歩み寄る。

 見上げた空には、その髪に似た色の、分厚い雲。

 優しさも、温もりも。

 自らを労る全てを振り払い、ほむらは、明日の方角を見つめる。

 

 

 あの夜が、やって来る。

 明けた事のない夜が、やって来る。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 急ぎ足に、視界を雲が横切って行く。暮れかけた夕日に照らされたそれは、明るいオレンジ色をしていた。

 地上では穏やかな風は、遥か上空で一体どれほどの強さになっているのだろうか。

 夕暮れの川縁に寝そべりながら、ぼんやりと雲を眺め、そんな事を考えていた。

 

 ほむらちゃんとの関係が絶たれてから、既に二ヶ月が経とうとしている。

 なんの事はない、何回かお見舞いに行っただけの、薄い関係だ。

 最初は意図して思い出さないよう勤めていた彼女の事も、日々の生活に段々と霞んで行き、思い出す事も少なくなっていた。

 ……思い出す余裕すら、無くしていた。

 

 突発的異常気象による、スーパーセルの発生。

 

 人的被害は無いものの、建造物への被害は相当な物で。自分の仕事先も、その被害を受けていて。

 結果、自分は職を失った。

 幸い、失業保険の申請は受理されたものの、次の就職先はまだ見つかっていない。

 それでも、もっと甚大な被害を受けている人だっているのだから、自分はまだ幸運な方なのだ。それは、理解しているのに。

 どうしてもやる気が湧かず、こうして街をぶらついては、時間を潰していた。

 

 そんな中、冷え始めた風が頬を撫で、軽く身震いをする。

 体を起こすと、対岸に、風力発電用に設置された巨大な風車が見えた。

 夕日に陰るそれは、まるで何かの墓標にも見えて。

 

 ――馬鹿らしい。気落ちしていると考える事まで暗くなる。さっさと家に帰って、飯でも食おう。

 

 そう思い、側に投げ出していた小さなリュックを手に取ると、僅かに開いていたチャックからある物が覗く。

 包装がヨレヨレになった、あの小説の最終巻と、それに挟まれる、ネコのイラストが描かれたピンク色の栞。

 あの日、ほむらちゃんに渡そうとして、渡せなかったプレゼント。

 

 

 じくり、と胸が痛んだ。

 

 

 我ながら女々しい。自分の分は買ってあるし、さっさと処分すれば良いのに。

 もう渡す事の出来ないだろう物を、こうして後生大事に持ち歩いているのだから。

 リュックからそれを取り出し、じっと見つめる。

 胸に湧き上がるモヤモヤとした感情に任せ、握り潰すほどの力を込め、川に向かって手を振りかぶり――

 

 

『私なんかで……良かったら……』

 

 

 ――やがて、それは力無くだらりと下ろされる。胸に去来したのは、どうしようもない虚無感と無力感。

 それを吐き出したくて、深く、深く溜息をついたが、それは心臓にこびり付いてしまっているようで。

 仕方なく、鉛の様に重いそれを引きずりながら、半分以上沈んだ太陽を背にして、家路に着く。

 

 

 じくり、と胸が痛んだ。

 

 

 河川敷の土から、固いアスファルトへと地面が変貌していく。それをぼうっと見つめながら、考える。

 

 どうして、こんな想いをしているんだろう。

 どうして、こんな想いをしてまで、生きてるんだろう。

 自分は、何を望んでいた……? 何をしたかった……? どうなりたかった……? 将来の夢って、何だっけ……?

 

 なりたかった自分の姿すら思い出せず。

 これからどうすれば良いのかも分からない。

 目隠しをして暗がりを歩くような、不安定な未来――不安だらけの世界。

 しかし、それでも生きていかなければならないのだから、さっさと頭を切り替えなければいけない。

 なのに、どうしても、彼女の顔が頭から離れない。

 

 あぁ、辛い、苦しい――――――寂しい。

 

 どうして、あの子は来てくれなかった?

 どうして、あの子は何も言わずに消えてしまった?

 どうして、どうして、どうして……っ。

 

 こんな想いするくらいなら、いっそ出会わなければ良かった。

 こんな想いするくらいなら、いっそ――

 

 

 

 

 

 ――いっそ、生まれなければ良かったのに。

“――いっそ、生まれなければ良かったのに”

 

 

 

 

 

 ゾワリ、と背筋が凍りつく。

 

 ……なんだ、今の声は。

 

 まるで、地獄の底から掬い上げたような、絶望に塗れた甲高い声。

 あまりに現実感に乏しい、しかし、悪い意味で心を鷲掴みにして離さない、少女の声。

 幻聴だと必死に自分に言い聞かせながら、それでも不安を隠しきれず、辺りを見回してみると。

 周囲の景色は、奇妙な雰囲気を漂わせる空間へと変貌を遂げていた。

 ついさっきまで踏み締めていたアスファルトは、奇妙な柔らかさを持つ“何か”へと変わり。

 最果ての見えない空間には、ありえない光景が広がっていた。

 

 魚。

 折り紙で作られたそれが、宙を泳いでいる。

 それだけではない。ぬいぐるみ、クレヨン、カラフルな積み木――あらゆる玩具が、そこら中に浮いている。

 常軌を逸した光景に息を呑み、思わず後ずさる――

 

 ……ぅ、あっ!?

 

 ――が、地面を踏むはずだった足は空を踏み抜き、後ろに倒れこむ。

 唐突な浮遊感に驚く間もなく、全身に冷たい物が纏わりつく。

 驚いて見開いた目に、泡となって空気が立ち上って行くのが見えて、ようやく気付いた。

 

 これは、水だ。

 

 咄嗟に手で口と鼻を塞いで周囲を見回してみれば、周囲には半透明な薄い膜のような物が出現していて、自分はそれに閉じ込められている事が分かった。

 更に、外側にも同じ物が、何処からともなく吊るされているのが見える。

 それはまるで、夏祭りの縁日で売られている、ヨーヨー釣りの水風船。

 違うのは、満タンにまで水が満たされ、弾む気配すら見せないこと。

 

 状況を理解できないまま、本能的に逃げ出そうとして、薄い膜をどうにか破ろうと、空いている手で必死に爪を立てる。

 しかし、ゴムのように伸び縮みするそれは、全く破れる気配を見せず。

 瞬く間に息が苦しくなり、動く事すら出来なくなっていく。

 気が遠くなり、限界を超えた窒息感に、口が勝手に開いてしまう。

 その瞬間、まるで生き物のように肺へ満遍なく水が進入し、異物感に喉元を掻き毟る。

 

 

 何だ、これ。

 何だよこれ。

 何なんだよ。

 何で自分がこんな目に……?

 

 

 藻掻きながら、ただそれだけを考える。

 しかし、その問いには誰も答えてくれる筈がなく。

 経験した事のない、例えようのない恐怖が押し寄せる。

 

 すると、唐突に苦しさが消え、同時に体が弛緩して行くのが分かった。

 ゆっくりと、視界が狭まっていく。

 ぼんやりとする意識の中で、あぁ、これから死ぬんだなと、どこか他人事のように感じている自分が居た。

 その視界に、水中を漂う文庫本が見えて。それを失いたくなくて、手を伸ばす。

 指が、微かに触れた――

 

 

《パンッ》

 

 

 ――瞬間、鈍色の光の線が走り、何かが弾ける様な音がした。

 気付いた時、体は重力に従って柔らかい地面へ叩きつけられ、その衝撃に意識を取り戻して、肺に溜まった水を必死に吐き出す。

 

 

「はぁ、っ、はぁ……なんとか……はぁ……間に合った……やっぱり、不便ね……」

 

 

 鈴の音のような声が響き、反射的にそちらを確認する。

 落下の衝撃で眼鏡が飛んでしまったため、視界はボヤけてしまっていたが。

 そこには長い黒髪を翻す、一人の少女が立って居るように見えた。

 

 

「……怪我は、無いですか?」

 

 

 少女はこちらに歩み寄り、心配そうな言葉をかける。

 だが、その声には聞き覚えがあり、喉から勝手に出た言葉が、驚愕に震えた。

 

 ……ほむ、ら、ちゃん……?

 

 

「……え……?」

 

 

 彼女は、戸惑うように脚を止める。

 

 

「貴方は……何処かで……?」

 

 

 そして、同じく戸惑うような声で、こちらに問いかける。

 しかし、生命の危機を脱したのを自覚したからか、自分の意識は急激に遠くなって行き、その問いに答える事は出来なかった。

 

 

「あっ、し、しっかり……!?」

 

 

 最後に耳に届いたのは、あの頃を思い出させる、どこか懐かしい、慌てふためいた声だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 頭の下に、柔らかい感触がある。まるで人肌のようなその温もりに、なんだか心が落ち着く。

 いつの間に寝ていたのだろう……? なにか、随分と苦しい夢を見ていた気がする……。

 眠っていた筈なのに、気だるさが取れていない――というより、むしろ酷く疲れてしまったような……。

 駄目だ、思い出せない……。

 理由の分からない疲労感に、自然と喉から呻き声が洩れる。

 

 

「……あ、気がつきましたか?」

 

 

 すると、予想外の方向から声が降ってきて、眠気が吹き飛ぶ。

 閉じたままだった目を開くと、こちらを見下ろし、首を傾げる影があった。

 眼鏡をかけていないため、視界はボヤけてしまっているが、聞こえた声はまだ少女と言って良い位の年頃に思える。

 

 

「動かないで下さい」

 

 

 彼女はそう言うと、何かを取り出すような仕草をし、それを顔に降ろしてくる。

 近づくにつれ、物の輪郭がはっきりと見えるようになり、こちらを見下ろす少女の顔がはっきりと見えた。

 長い黒髪に、同じく黒いカチューシャをつけた、とびっきりの美少女。

 普段なら声をかけようとすら思えない程、自分とは住む世界の違いを感じさせる、そんな容姿の少女。

 しかし自分は、その顔に見覚えがあった。

 

 ……ほむら、ちゃん……?

 

 

「……はい。お久しぶりです」

 

 

 彼女は――ほむらちゃんは、そう言ってうっすらと微笑を浮かべる。

 その微笑みは、見惚れる程に美しかったが、記憶の中にある彼女のそれとは、随分と雰囲気が違って感じた。

 喋り方は妙に落ち着いているし、背筋をピンと伸ばしたその姿からは、かつての弱弱しさは微塵も感じられない。

 そして、彼女とのやり取りに奇妙な既視感を覚えて、訝しむ。まるでついさっき、同じ問いかけをしたような……。

 けれど、どうしてもそれを思い出せず、なんで、と口から声が洩れる。

 

 

「倒れていたんです、この公園の近くで。覚えてませんか……?」

 

 

 だが、彼女は別の解釈をしたのか、そう言って心配そうに見下ろす。

 なんとなく顔を横に向けてみれば、視界に大きな噴水が入ってきた。

 何の因果か、ここはあの日、ほむらちゃんと待ち合わせをしたあの公園のようだった。

 設定された時間になったのか、ライトアップされた水が、噴水から滾々と湧き出す。

 

 水……。

 水……っ!?

 

 それを見た瞬間、あの異常な体験が脳裏を過ぎって、慌てて体を起こし、自分の体を確かめる。

 

 

「あっ……あの……?」

 

 

 ほむらちゃんが心配そうな声を上げるが、それ以上に、自分は混乱していた。

 服が、濡れていない。あの時確かに、全身ずぶ濡れになった筈なのに。

 じゃあ、あれは夢だった……? いや、そんな筈がない。

 あの苦しさが、確かに忍び寄る死の感覚が、夢な訳がない。

 しかし現実には、濡れていた筈の服は乾いている。

 訳が分からない。自分は、頭をどうにかしてしまったのか……?

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 だが、混乱しきっていた頭を、唐突な謝罪の言葉が引き戻す。

 隣に視線を向けてみれば、ほむらちゃんは俯き、膝の上で、小さな文庫本を握っていた。

 包装がヨレヨレになった、あの本を。

 

 

「私は、貴方との約束を、破ってしまった……。いいえ、それだけじゃない」

 

 

 彼女は、体を小さくし、本を両手で握り締める。

 

 

「貴方に名前を呼ばれるまで、私は、約束した事すら、思い出せなかった……。本当に、ごめんなさい……っ」

 

 

 謝罪し、頭を下げるその姿を見て。

 自分の胸に湧き上がったのは、とても複雑な感情だった。

 

 再会できた事の、強い喜び。

 何を今更という、激しい怒り。

 そして、すっかり変わってしまった彼女への、酷い困惑。

 

 どれもが本当の気持ちで、なのに、それ等の境目が曖昧で、入り混じる。

 

 

「………………」

 

 

 結局、彼女の言葉に返事を出来ぬまま、時間だけが過ぎていく。

 しかし、彼女はその間もずっと頭を下げ続けていて。

 その居心地の悪さに負け、自分の感情を整理できない内に、頭を上げてくれ、と硬い声を出す。

 

 

「……っ……」

 

 

 それを聞いた彼女は、ゆっくりと体を起こし、伏せられていた顔が見えるようになる。

 だが、それを見た瞬間、胸の中のわだかまりがゆっくりと解けて行くのが分かった。

 現金な物だなと、自分で思い、苦笑してしまう。

 

 

「……? あ、の……?」

 

 

 もう、いいよ。

 怒ってなんて、いないから。

 

 

「あ……」

 

 

 言いながら、そっと微笑む。すると彼女は、強張っていた頬を緩ませた。何かを必死に堪えるような、強張った表情を。

 そう、頭を上げた時に彼女が浮かべていたのは、自分が退院すると言ったあの時と、全く同じ表情だったのだ。

 確かに、見た目も雰囲気も、随分と変わってしまったかもしれない。

 しかし、その大元の部分は変わっていないのだと、今ので分かった気がする。

 

 ……ひょっとしたら、また勘違いかも知れないけど。

 けれど。

 そう、信じたかった。

 

 

「……でも、私は……」

 

 

 しかしほむらちゃんは、まるで歯噛みするように唇を歪め、また俯いてしまう。

 おそらくは、罪悪感を感じているのだろう……。二ヶ月近く約束をすっぽかしていたのだから、誰でもそう感じて当然かもしれないが。

 自分としても、まだ釈然としない部分は残っているが、折角こうして再会できたのに、気まずいままで別れたくない。

 でも、ただ気にするなと言っても、彼女の性格からして、余計に苦しめてしまうだけだろうから。

 だから――

 

 じゃあ、これから自分の言う事をしてくれたら。そうしたら、本当に許してあげる。……どう?

 

 

「……はい。私に、出来る事なら……」

 

 

 ……その本、受け取ってくれないかな。元々、君にプレゼントするつもりだったし。

 

 

「……え?」

 

 

 それで、あの頃みたいに、感想を言い合おうよ。

 またここで、待ち合わせしてさ?

 

 

「……っ……」

 

 

 ――だから、こんな風に。

 自分に都合の良い提案をしてみる。

 

 

「貴方は……どうして……っ」

 

 

 しかし、ほむらちゃんは俯いたまま、声を震わせて。

 泣かせてしまったかと思った自分は、慌てて言葉を重ね、言い繕う。

 

 い、嫌なら、無理にって訳じゃないけどさ? ほむらちゃんにも、色々あるだろうし。

 その本だってボロボロだし、もう持ってるなら捨てちゃっても――。

 

 

「……嫌、です……そんな事、しません……」

 

 

 けれど。

 言い訳じみた声に顔を上げた彼女は、少し潤んだ瞳で、真っ直ぐにこちらを見つめ――

 

 

「大事に、します。ずっと、ずぅっと……」

 

 

 ――とても大事そうに、包装がクシャクシャになった、小さな本を胸に抱えて。

 

 ほむらちゃんは、はにかむような笑顔を見せてくれた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 五月十五日、日曜日。

 

 あの夜から、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。日記をつける事に意味を失ってから、随分と時間が経ってしまった。

 だけどもう、私の知らない未来は始まっている。きっとこの時間は、奇蹟のような物だから。

 何があっても忘れないように、こうしてまた、日記を付け始めようと思う。

 

 思えば、この時間軸では色んな事があった。

 

 まどかに年上の恋人が居たり、巴マミに彼氏が出来たり、美樹さやかが魔女化しなかったり……。

 聞けば彼女は、まどか達と喧嘩別れをした日に、見知らぬ男性に運よく拾われ、心を救われたのだという。

 そしてその後、美樹さやかは上条恭介ではなく、自らを救ってくれたという男性と恋人同士になった。

 幸せなのは結構だけれど、休み時間の度に惚気話を聞かされて、正直ウンザリしている。

 最近では佐倉杏子も、とある男子高校生とよく一緒に居るらしい。

 今度出刃亀してみようと、美樹さやかは皆を誘っている。悪趣味だとは思うけれど、でも、少しだけ見てみたい気も――。

 

 書き出してみたら、全然色んな事じゃなかった。全部、男性が関っている。

 奇妙な縁、だと思う。

 

 そして、今日。

 私自身にも奇妙な縁があった事を、思い出す事が出来た。

 まだ、私がインキュベーターと契約する前。ほんの少しの間だけ、一緒に本を読んだ、あの人。

 

 私は、ずっと忘れてしまっていたのに。

 あの人は、魔女の口づけを受けていたにも関わらず、変わってしまった私を、分かってくれた。

 あの日交わした約束を、忘れないでいてくれた。

 考えてみれば、当たり前なのかもしれない。

 私にとっては何年も前の約束でも、彼にとっては、ほんの数ヶ月前の出来事なのだから。

 それ程までに、私と彼の時間は、ずれてしまっている。

 

 だけど。

 消え去ってしまった、あの頃の私を。臆病で引っ込み思案だった、弱虫の私を覚えてくれている人が居た。

 その事が、なんだか嬉しかった。

 

 あの日まで、私はまどかを救う事だけを考えて生きて来た。

 あの夜さえ越えられれば、自分なんかどうなっても良いと、そう思っていた。

 けれど、今思えば、随分と独りよがりだった気がする。

 何度繰り返しても、まどかを救う事が出来なくて。いつの間にか、誰も信じられなくなって。

 その内、私自身の事すら、信じなくなっていたのだと思う。

 立ち止まる事はなくても、心の何処かで最初から諦めて、次があると慢心して……。

 

 そんな私を助けてくれたのは、皮肉にも、信じる事を止めた筈の、かつての仲間達だった。

 大切な人を――家族や友人、愛する人を守るために懸命に戦う、魔法少女達だった。

 繰り返す事の出来ない、たった一度の人生を生きる彼女達が。その想いが、私を、永遠の迷路から出口へと導いてくれた。

 

 どれほど感謝しても、感謝しきれない。

 絶えず変化して行く日常が、愛おしい物だったのだと、初めて知った。

 大切な友達と笑い合える日々が、こんなにも嬉しいと、思い出す事が出来た。

 

 この奇蹟の時間をくれた彼女達に、どうすれば報いる事が出来るかは分からない。

 けれど、今までの私では、誰も信じられない私では、居たくない。

 彼女達のように、心から誰かを愛し、守り抜く。そんな人に、私はなりたい。

 

 奇蹟なんかに頼らずに。今度こそ、自分の力で、変わっていきたい。

 

 まずは、あの人がくれた小説を読んでみようと思う。内容なんて、すっかり忘れてしまったけど。

 もう一度、読み始めてみようと思う。

 

 皆と一緒に、新しい私を、始めてみようと思う。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ……あの頃のほむらは、可愛かったなぁ。

 

 

「言いたい事はそれだけかしら?」

 

 

 不可抗力だったんですごめんなさいもうしません。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 ほむらは、仕方ない、といった風に溜息をつく。現在の自分とほむらの構図はこうだ。

 ここはお呼ばれしたほむらの住むアパートの一室。自分は、床に直接正座をさせられていて。

 私服姿――長めのスカートに黒いタイツ、薄い紫色のブラウスと、その上から大き目のベストを着たほむらが腕組みをし、仁王立ちでこちらを見下ろしている。

 その手には、彼女が日記をつけているノートがあった。

 

 いつものようにデートをして。その後、ほむら家にお邪魔して、彼女がお茶を淹れに行ってくれている間。

 机の上に出しっ放しだったそれは、換気の為に開けていたのだろう、窓から入った風によって捲れてしまい、うっかりその内容が目に入ってしまった。

 そして、いけないとは思いつつも、あの頃を思い出してついつい読み進めてしまい、今に至る。

 

 

「幾ら恋人同士とは言え、親しき仲にも礼儀は必要だと思うのだけど?」

 

 

 冷たい目で見下ろすほむらに、仰る通りで……と平伏する。

 自分と彼女の関係は、出会ってからの半年と言う時間の中で、大きく変化していた。

 

 彼女と再会してからと言うもの、不思議とやる気を取り戻した自分は躍起になって仕事を探し始め、それが功を奏したのか、程なく再就職が叶った。

 そこは個人経営の小さなパン屋で。初めて尽くしの馴れない仕事には苦労したが、それでも、新しい事を始めるのはとても刺激的で、楽しかった。

 しかも、偶然にもそのお店は、ほむらの住んでいるアパートのすぐ近くでもあり、彼女はよくパンを購入しに来てくれた。

 そして、仕事の合間に少し話をしたり、休みの日には、あの公園で待ち合わせて本の話をしたり。

 ゆっくりと関係は深まって行き、いつしか、自分とほむらは、恋人と呼べる関係になっていた。

 まぁ、魔法少女とか、時を遡る能力とか、色々と吃驚はしたけれど……。

 

 勿論、最初から全てを信じられた訳ではない。

 しかし、目の前で変身されたり、映画やドラマでしか見た事のない物騒な物を見せられては、信じるしかなかった。

 彼女と再会した日に起きた出来事も、魔女と使い魔の話を聞いて、やはり夢ではなかったのだと知った。

 どうやら、あの水は使い魔の体の一部だったらしく、逃げようとした使い魔がそれを回収しようとした結果、ああなったらしい。

 更に、あのスーパーセルから街を救ったのが彼女達、魔法少女である事を知った時は、正に度胆を抜かれた。

 彼女達の活躍が無ければ、数千人単位の被害が出ていたのだろうから、本当に感謝だ。

 

 そして、ほむらが時間を遡った理由――それを聞いた時、本当の意味で、全ての疑問は解決した。

 彼女の変貌振りにも納得が行ったし、友達を救う為に命がけで戦ってきた彼女が誇らしく、より好きになる事もできた。

 ……まぁ? 自分よりも、そのまどかとか言う友達を優先された事に、ちょっと嫉妬はしたが。

 しかし、自分と違って、その子は放って置けば命を落としてしまうのだから、どちらを優先するべきかは比べるまでもない。

 自分の事も、戦いに巻き込まないために会わないようにしていて、その結果として忘れられてしまったのだから、あんまり怒れないし。

 ……うん、でもやっぱちょっと悔しい。

 

 と、そんな事を思いながら額で床を擦っていたら、頭上からほむらの声が降って来る。

 

 

「……まぁ、出しっ放しにしていた私にも非はあるし、それはいいわ。でも――」

 

 

 許してくれるのかと思って上げようとした頭が、最後の「でも」に硬直した。

 

 

「――“あの頃は”って、どういう事なの……?」

 

 

 ほむらの声に、部屋の温度が若干下がったような気がする。

 恐々、視線を上に向けてみると、予想通り、絶対零度の瞳がこちらを見下ろしていた。

 普通の人ならそれに気圧されてしまうのだろうが、自分にはその後ろに隠された感情が透けて見えてしまい、つい顔がにやけてしまう。

 

 

「……っ、何を笑っているの」

 

 

 強気に言葉を重ねるほむらだが、やはりどうにも微笑ましく、にやける顔を隠さずに立ち上がる。

 

 

「あ……ま、まだ、話は終わって……!」

 

 

 そして、怒った振りをし続ける彼女を強引に抱きしめ、言う。

 

 さっきのは、間違い。

 今のほむらの方が、何百倍も可愛い。

 

 

「……ずるい……貴方は、いつもそうやって……」

 

 

 腕の中で、ほむらが悔しそうに呟く。

 だが、抵抗はせず、むしろ体重を預けるように、彼女は寄りかかってきた。

 全く、昔の自分自身にすら嫉妬してくれるとは、なんとも恋人冥利に尽きる。

 

 

「……っ」

 

 

 しかし、不意に彼女の手が背中に回り、その手がきつく握り締められる。

 いつもは自分が求めるばかりで、滅多にこんな事してくれないのに。

 不思議に思い、どうした? と声をかけると――

 

 

「……怖いの」

 

 

 ――先程までとは打って変わり、弱弱しい声でほむらは呟く。

 

 

「今が、幸せすぎて……。まどかが居て、巴マミや、美樹さやか、佐倉杏子が――皆が居て。

 こんな私を想ってくれる、貴方まで居てくれて……。こんなの、幸せすぎて……」

 

 

 背中に回された腕に、まるで、縋りつくように力が込められる。

 

 

「だから、本当は、夢なんじゃないかって……。目が覚めたら、私はまだ、あの迷路に取り残されているんじゃないかって、怖くて……」

 

 

 彼女の声には、隠しようのない不安が感じられた。

 以前の自分なら、そんなのおかしいと一笑に伏していただろうが、ほむらという恋人が居る今なら、少しは分かる気がする。

 今、この腕の中に在る温もりが、泡沫の夢だったとしたら――考えただけで死にたくなる。

 だが彼女は、これ以上の苦しみを幾度となく味わってきたのだ。

 

 大切な友達を失って。それを取り戻すために、何度も時を繰り返して。

 そして今、ようやく夢見た未来を掴む事が出来た。

 しかし、夢見ていたからこそ、本当に夢なのではないかと、不安に駆られている。

 この小さな体の中に、一体どれ程の悲しみと諦めを抱えていたのか。

 自分には、想像する事しかできない。

 いや、想像した所で、それは彼女が体験した苦しみの万分の一にもならないだろう。

 

 だからこそ。

 もう、苦しむ必要はないのだと、教えたくて。

 ほむらの肩に手を置き、体を離して。

 今にも泣き出しそうな顔で見上げる彼女に、キスをする。

 

 

「んっ……」

 

 

 軽く触れるだけだったそれは、すぐに離れ。

 ほむらの額に自分の額を押し当て、目を閉じ、囁くように話しかける。

 

 ……夢なんかじゃ、ないよ。夢であって、堪るもんか。

 

 

「……あ……」

 

 

 自分は、ここに居る。

 ほむらの隣に、ちゃんと立ってる。

 ……もう、大丈夫だよ。

 

 

「………………」

 

 

 もう、強がらなくたって良いんだ。

 ほむらは一人じゃない。

 友達が――仲間が沢山、居るじゃないか。

 それに、頼りないだろうけど、自分だって側に居るから。

 

 

「……っ……」

 

 

 ほむらの肩が震える。

 くっ付けていた額を離し、目を開けてみると、彼女の瞳は、零れそうな程の涙で溢れていた。

 

 一緒に、歩いて行こう。

 一緒に、同じ時間を生きよう。

 ……大好きだよ、ほむら。

 

 

「……あな、た、は……ずる、い……っ」

 

 

 溢れてしまったそれを隠すよう、彼女は縋りつく。

 

 

「どうして、いつも……そうやって、私の欲しい言葉ばかり……こんなの、ずるい……っ」

 

 

 胸に擦り寄るほむらを、もう一度、優しく抱きしめる。

 本当は弱虫で、泣き虫で。

 だけど、大切な友達を守る為に、優しさを冷徹さで覆い、誰も信じず、傷つきながら一人で戦い続けた少女。

 そんな彼女が、こうして、自分にだけ涙を見せてくれている。

 

 堪らなく、愛おしかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……スンッ……はぁ……あまり、見ないで……」

 

 

 照れ臭そうに、ほむらは顔を逸らす。

 だが、そう言う割りに、その手は服の袖を掴んで離さない。

 そんな、意外と見栄っ張りな所に苦笑いしながら、口を開く。

 

 ……もう、大丈夫?

 

 

「ん……大丈夫」

 

 

 はにかみながら、ほむらは頷く。

 彼女との間には、なにか、甘酸っぱい雰囲気が漂うのだが、それがどうにも苦手だった自分は、気恥ずかしさを誤魔化そうとふざけて見せる。

 

 ……良かった。これでも駄目だったら、ほむらの体に、もぉおっと恥ずかしい事して教えるしかなかったしね?

 

 

「……! ……っ」

 

 

 すると案の定、彼女は顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 だが、こんな風にふざけた後といえば、無言で体の一部をつねられるのが自分とほむらのお約束だ。

 そのため、襲ってくる痛みに耐えようと、眼を瞑って身構える。

 しかし、いつまで経ってもその痛みはやって来ず、おかしいなと思い目を開いてみると――

 

 

「………………」

 

 

 ――ほむらは、少し赤くなった眼で、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 その眼に魅入られて、呼吸が止まる。

 

 

「……貴方なら、いいわ」

 

 

 袖を掴んでいた手が離れ、自分の手と、彼女の小さな手が重なる。

 細い指が、絡みつく。

 

 

「本当は、こうして触れ合っていないと、まだ、ちょっとだけ不安なの……。こんな事するのは、まだ早いのかもしれないけど……。

 でも、貴方に寄りかかるだけじゃ、嫌だから……。だから、もう不安になんてならないように……」

 

 

 そして、見詰め合ったまま。

 

 ほむらは、ゆっくりと、自身の願いを告げた。

 

 

 

 

 

「私が、貴方の物である証を……刻んで欲しいの……」

 

 

 

 

 



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【初体験は】少女H・Aの場合【らぶらぶで】

 

 

 すぐ隣に、温かい温度を感じる。

 視線を横にずらしてみれば、そこには、自分と同じ様にベッドに座り込む少女――恋人である、暁美ほむらが居た。

 

 

「………………」

 

 

 膝の上で手を組み、静かに佇むその姿は、傍から見れば一枚の絵画にも見えるだろう。

 しかし自分には、彼女の緊張が痛い程伝わってくる。

 頬は確かに上気しているし、組まれた手の指は忙しなく動き、視線も定まっていない。

 試しに、そっと肩を抱いてみれば――

 

 

「……っ!!」

 

 

 ――こうして、大きく体を跳ねさせる。

 小刻みに震える肩。ただでさえ赤かった顔が更に朱へ染まり、ほむらは顔を俯かせてしまう。

 気持ちは分からなくもないが、どうしてもその表情を見てみたくて、顔を寄せる。

 

 

「……っ……」

 

 

 するとほむらは、おずおずといった様子で顔を上げ、至近距離で視線が絡む。

 長い睫毛。形の良い大きな目。その瞳は、うっすらと潤み始めていた。

 堪らず、細い顎に手を添え、唇を寄せる。

 

 

「……んっ……」

 

 

 彼女の長い髪から、花のような香りが漂う。

 

 

「ん……む、ぅ……んん……」

 

 

 顔に暖かい吐息がかかり、柔らかい唇が触れる。

 その唇は、とても滑らかで、ふわふわとしていた。

 

 

「は……っん……む……」

 

 

 夢中に唇を吸い続け、ほむらが悩ましげな声を漏らす。

 

 

「ん……はぁ……」

 

 

 互いに、荒くなり始めた息を整えようと、間近にあった顔が離れ、同時に唇も離れる。

 

 

「………………」

 

 

 お互い、何も言葉を交わさず、無言のままだったが。

 何か、胸に火が点いた、そんな感覚を覚えた。

 それに身を任せるようにして、ほむらをベッドに押し倒す。

 

 

「あ……」

 

 

 彼女は、ほんの少しだけ抵抗する素振りを見せたが、少し力を込めるだけで、簡単に抑え込めてしまい。

 黒いタイツに包まれた脚の間へ自分の片膝を突き、四つん這いになるようにして体を被せる。

 

 

「………………」

 

 

 こちらを見上げるその眼には、不安以上に、大きな期待が込められているように思えた。

 勿論、それは自分も同じであり、躊躇すること無く、再び顔を寄せる。

 

 

「……ん、ん……」

 

 

 先程と同じように、唇が重なる。

 違ったのは、彼女の唇は僅かに開かれていた事で。

 その中を蹂躙しようと、自分の舌を蠢かせる。

 

 

「ん……ちゅっ……ちゅる……」

 

 

 ほむらの舌を絡め取り、自分の口内へと導く。

 小さな舌の熱と感触に、ゾクゾクした。

 

 

「はっ……む、ちゅ……ちゅうっ……」

 

 

 今まで数える程しか許されなかった、深い口付け。

 我慢していた分を取り戻そうと、ひたすら唇を貪る。

 

 

「じゅる……ぷぁ……ん~……」

 

 

 じゅるじゅる、と唾液が啜られ、その音がより興奮を高めた。

 

 

「ちゅうぅ……っは……ちゅ……む……」

 

 

 いつの間にか、ほむらの腕が背中に回っていて、小さな手がシャツを握り締めているのが分かる。

 その小ささに、彼女がまだ幼さを残す少女である事を思い出し、そんな相手にこれから自分がする事と、キスの興奮とが相まって、分身がガチガチに固まっていくのを自覚した。

 

 

「んぅ……は……はぁ……」

 

 

 糸を引きながら、唇が離れていく。

 しかし、ほむらの顔は未だに陶然としており、キスの余韻に浸っている事が窺えた。

 その隙に、彼女の着ていたブラウスを肌蹴させ、白い肌を空気に晒す。

 

 

「……あっ」

 

 

 その感覚に正気を取り戻したのか、ほむらは嫌がるように身を捩った。

 だが、時既に遅く、意外な色をした彼女の下着が姿を見せる。

 

 

「……う、ぅ……」

 

 

 レースで縁取られた、フロントホックの黒いブラジャー。

 てっきり、少女らしい白とか暖色系の物かと思っていたので、少し驚いた。

 

 

「……ごめん、なさい……私、小さくて……」

 

 

 だが、それを勘違いしたのか、ほむらは顔を逸らし、か細く呟く。

 少し悪い事をしたとも思ったが、恥ずかしそうにする顔も堪らなく可愛くて、そんなこと無いよ、とホックを外す。

 

 

「……っ」

 

 

 ブラジャーの前を開けると、彼女の控えめな胸が露わになった。

 ほむらは眼をぎゅっと閉じ、羞恥に耐えるためか、体をもじもじと揺らし、ベッドの上で両の拳を握っている。

 動きに合わせて、桃色の頭頂部が揺れていた。

 

 

「……んっ……ふ……」

 

 

 驚かせないよう、するよ、と声をかけてから、白い肌に指を這わせ、口を着ける。

 敏感であろう先端を避け、柔らかで張りのある膨らみを弄ぶと、彼女は押し殺した声を漏らす。

 

 

「う……あっ……っ……」

 

 

 膨らみに舌を這わせ、指で先端の周囲に円を描く。

 目に見えて、しこりが硬くなっていくのが分かった。

 

 

「ん……んっ……ぅ……」

 

 

 それでも直接は触れず、頭頂部だけを避けるようにして刺激を続ける。

 

 

「ぁ……ふ……う、ぅ……」

 

 

 上目遣いにほむらの様子を伺ってみるれば、彼女の顔には、悦びと共に不満気な気配が見えた。

 しかし、それに気づかぬふりをして、わざとらしく尋ねてみる。

 

 ……どう? 気持ちいい?

 

 

「……ん、っ……気持ち、良い、けど……その……んっ」

 

 

 彼女が答える間も、手は膨らみを揉みしだき、舌が先端に触れるギリギリで蠢く。

 その刺激に、ほむらは切なげな表情を見せ始めるのだが、逆に意地悪を続けたくなってしまい、どうかした? と惚ける。

 

 

「……う……っ……意地悪、しない、でぇ……あっ」

 

 

 懇願するような甘い声に、彼女の望む事をしてあげたくなるが、それをぐっと堪えて、もう一度尋ねる。

 

 して欲しい事があるなら、ちゃんと言って?

 ……ほむらの口から、聞きたい。

 

 

「……! ……ううぅ……」

 

 

 綺麗な眉がひそめられ、困りきった声を漏らす彼女。

 やはり、直接口に出して言うのは、彼女にとって恥ずかしい事なのだろう。口を開いては閉じを繰り返している。

 

 

「はぅ……んっ……わ、分かったから……っ」

 

 

 だが、止まっていた刺激を再開して後押しすると、ほむらは観念したのか、小さな声で呟く。

 

 

「――も――って」

 

 

 あまりに小さい声が聞き取れず、首を傾げていたら、それすら意地悪されているとでも思ったのか、彼女は赤い顔で、目をぎゅっと瞑り――

 

 

「だ、だから……ち……乳首も……いじって……」

 

 

 ――とても恥ずかしそうな、哀願するような声を、喉から搾り出す。

 堪えていた衝動は突き動かされ、桃色をした頭頂部にむしゃぶり付く。

 

 

「ひあっ!?」

 

 

 

 待ち望んでいたであろう刺激に、彼女の体がビクッと跳ねる。

 それに構わず、片方を唇で強く吸い上げ、もう片方を指で弾く。

 

 

「んっ、く……ぅ、う……あっ……」

 

 

 ほむらが感じやすいのか、それとも散々焦らしたせいなのか。

 先端を舌や指で転がす度、彼女の体はピクピクと反応を返してきて。

 それが嬉しくて、調子に乗って更に強く頭頂部を責め立てる。

 

 

「んんっ……ふ、ぁっ……あっ、う……」

 

 

 吸い上げるのを止めて甘噛みしてみたり、人差し指と中指で挟み込んでクリクリと弄ってみたり。

 

 

「ひっ……やっ、あ……あぁっ……」

 

 

 余程気持ちが良いのか、ほむらはそれに耐えようと、胸元にあるこちらの頭に腕を回し、脚に膝が挟まれた。

 それに押し上げられるようにして、彼女の恥部に自分の膝が触れる。

 

 

「ふ……ふ、ぅっ……あっ……」

 

 

 そのまましばらく、ほむらの胸で楽しんでいると、膝の部分がしっとりと濡れ始めてきたのを感じる。

 見れば、彼女は恥部を腰に擦り付け、自慰でもするように悶えていた。

 

 

「はぁ……ぁ……あ、ん……」

 

 

 視線を戻してみると、ほむらは恥ずかしそうな表情をしながらも、快感を得ようと腰を擦り続ける。

 その様子に、自分が一方的に求めているわけではない事を悟って、内心安堵した。

 だが、同時にもっと、彼女の恥ずかしがる顔を見たくなり、腰の動きに合わせて、こちらも膝を動かしてみる。

 

 

「ひぃあっ……あんっ……あ、あ……」

 

 

 ほむらの喉から飛び出た声には、明らかに喜色が見て取れた。

 その声に、もっと彼女を喜ばせたいと感じて、胸への愛撫も再開する。

 

 

「あ……や……やぁ……いゃ……んんっ……」

 

 

 ほむらの体が震え、合わせて、声も揺れ始めた。

 表情は既に蕩けきっていて、嫌がる素振りを見せながらうわ言をもらす彼女。

 それでも、膝や手、舌の動きを止めず、無心に愛撫を続けていると――

 

 

「あ、あ、あっ、く、ああぁあっ!!」

 

 

 ――彼女は体を海老反らせ、硬く瞼を閉じ、両脚で膝をきつく挟み込む。

 

 

「ん、んんんんっ、はっ、はぁ……はぁ……はぁ」

 

 

 痙攣するような震えに心配になったが、やがてほむらの体から力が抜け、背中がベッドに落ちる。

 荒い息を整えながら、口元から涎を垂らし、虚空を見上げるその表情は、とてもいやらしい気分を誘った。

 窮屈さに我慢しきれなくなり、彼女の顔の横に移動し、ズボンと下着を一緒に引き下げれば、下着から竿が飛び出て、彼女の蕩けた顔を隠す。

 

 

「……はぁ……ふ、ぅ……? ……っ!?」

 

 

 ほむらは、しばらくぼ~っと見つめた後、それがなんなのかを悟って、慌てて視線を逸らす。

 だが、尚も腰を近づけ顔に寄せると根負けしたのか、ゆっくりとそれを視界に入れる。

 

 

「どうすれば、良いの……? どうすれば、貴方は、喜んでくれる……?」

 

 

 竿をじっと見つめながら、ほむらは尋ねてくる。

 その問いに、口でしてみて欲しい、と素直に答えると、彼女は少し困ったように視線を彷徨わせた後、小さく返事を返す。

 

 

「……! ……っ……わ、分かったわ……」

 

 

 体を起こすほむらに高さを合わせて、自分もベッドに膝立ちになった。

 躊躇いがちに、彼女は体を寄せる。

 

 

「それ、じゃあ……始めるわ……」

 

 

 そう言うと、ほむらはこちらの太もも辺りに手を置き、更に体を寄せる。

 反り返る竿のすぐ側に、彼女の綺麗な顔があった。

 

 

「は、ぁ……」

 

 

 手で前髪を寄せながら、大きく口を開く。

 

 

「……っ」

 

 

 だが、まだ躊躇いが残っているのか、一度は開かれた口が閉じてしまう。

 ……よく考えたら、初めてなのに酷な要求をしてしまったかもしれない。

 今更ながら罪悪感が込み上げ、無理ならしなくても――

 

 

「はっ、んむ……」

 

 

 ――と、言いかけた時だった。

 いきなり竿が深く咥えられ、纏わりつくヌメリに呻き声が洩れる。

 夢想していたよりも、その中は遥かに熱かった。

 

 

「むっ……っ……ちる……」

 

 

 熱に慣れる暇もなく、彼女はたどたどしくも、頭を上下させ始める。

 

 

「んっ……むっ……じゅっ……」

 

 

 柔らかい唇が竿を緩やかに締め付け、熱い口内が先端を包み込む。

 

 

「じるっ……むぅ……ちゅ、る……」

 

 

 口の中で、舌がそれを舐め上げると、まるで電気が走るような快感に、竿が勝手に跳ねてしまう。

 

 

「ぷあっ……はぁ……は、ん……」

 

 

 驚いたのか、彼女の口が一旦離れる。

 と、今度は細い指が輪っかを作り、竿を上下にしごきながら、舌が先端のくびれを重点的に責め立てた。

 

 

「れ、る……どう、かしら……? ……ちゅ……」

 

 

 ほむらが、上目遣いにこちらの様子を伺っている。

 与えられる快感に悶えながら、途切れ途切れに、凄く、気持ちいい、と伝えると、彼女は満足げに呟く。

 

 

「……良かった……ぁむ……んん……」

 

 

 ほむらは再び、先端を口に含む。すると今度は、尿道をほじるように舌を蠢かせる。

 たまらず大きく声が洩れ、急速に射精感が高まる。

 

 

「んっ……ん……ふ、んぅ……」

 

 

 竿をしごく指が強く上下し、舌が満遍なく先端を舐め回す。

 我慢が出来る筈もなかった。

 

 

「……んっ! はっ……あ、熱っ……」

 

 

 出て行く事を教える間もなく、白濁とした精液が吐き出される。

 一瞬、彼女の口内にそれが吐き出されるが、急な射精に驚いたのだろう、ほむらは口を離してしまう。

 それでも射精は止まらなくて、彼女の顔に熱い粘液が降りかかる。

 

 

「あ、ぁと……ぁ、っ……」

 

 

 受け止めてくれようとしたのか、ほむらは両手で先端を包み込む。

 すべすべした感触に射精は助けられて、次々に吐き出される精液が、細い指に絡みつく。

 

 

「すごい……熱くて、ドロドロして……」

 

 

 竿の脈動が終わり、ベッドに腰を落とすと、彼女は指についたそれをしげしげと眺め、弄ぶ。

 しばらくそうしていたと思ったら、何を思ったのか、ほむらはそれを口に含んでしまった。

 

 

「んむ……変な、味……ちゅぷ……」

 

 

 言いながらも、彼女は手に纏わりついた精液を、舌で舐め取っていく。

 

 

「はぁ……ちゅ……んむ……ぇる……」

 

 

 指の間、手の平だけでなく、顔にかかった分も、指で摘み取っては口に。

 

 

「ん……は、あ……んむ……」

 

 

 目の前に広がる淫靡な光景に、萎える筈だった分身が、力を取り戻し始めて。

 ほむらが全てを舐め終える頃には、完全に硬さが復活していた。彼女と一つになりたいと、本能が訴えかける。

 それを抑えようとする気は毛頭なく、思うがまま、彼女の肩を押し、ベッドに倒す。

 

 

「あ……」

 

 

 押し倒され、小さく声を上げるほむらの目を見つめながら、言葉を紡ぐ。

 

 ほむらと、一つになりたい。

 ほむらの初めて、貰っていいか……?

 

 

「……うん……私も、貴方にあげたい……。もっと、恥ずかしい事、して……?」

 

 

 彼女は目を細め、小さく頷いてくれる。

 その返事に嬉しくなり、思わずそのまま腰を寄せようとしてしまうが、しかし、このまますれば妊娠させてしまうかもしれない。

 流石に中学生を孕ませるわけにも行かず、少し体を離して、脱ぎかけのズボンに忍ばせておいたゴムを取り出す。

 初めてなのだから、本当はこんなもの着けずにしたいのだが、彼女の事を考えれば我慢するしかない。

 

 

「あ、待って……?」

 

 

 すると、それを見たほむらが声を上げる。

 何かと思い首を傾げると、彼女は体を起こし、言葉を続けた。

 

 

「初めては、着けないで……。私なら、大丈夫だから……」

 

 

 内心、喜びはしたものの、理性がそれを押さえつける。

 

 例え安全な日でも、万が一って事が……。

 

 

「ううん、そうじゃなくて……。生理、止めてるから。だから、そのままで……」

 

 

 ほむらの言葉に、疑問は膨らむ。

 止めてる――という事は、ピルでも飲んでいるのだろうか……? しかし、中学生に手に入れられるような物ではないはず……?

 と、そんな事を考えていると、彼女の口から答えを聞く事が出来た。

 

 

「魔法少女は痛覚を制御できるけど、それの応用で、魔法で止めているから……繰り返している間に見つけた、裏技」

 

 

 ……魔法と言う物は、随分と便利らしい。

 だが、少し都合が良すぎる気もして、迷いが生まれる。

 信じていない訳ではないのだが、どうしても万が一の事が頭を過ぎってしまう。

 

 

「だから……」

 

 

 しかし、その迷いを感じ取ったのか、ほむらは見せ付けるようにして、脚をゆっくりと開いていく。

 彼女の手がタイツの上を滑り、それ越しに見える濃い黒の上で止まると、指がタイツを摘み、小さく引き裂く。

 ショーツが横にずれて行き、彼女の恥部が晒される。

 愛液によって、そこはしとどに濡れそぼっていて――

 

 

 

 

 

「……そのままで、直接、奪って……」

 

 

 

 

 

 ――雄を誘う猥らな声に、簡単に迷いは打ち砕かれた。

 街灯へ集る羽虫の如く、身を焼かれる事も考えず、熱に身を投じようと腰を近づけ、場所を確かめるために先端を擦り付ける。

 

 

「んっ……もう少し、下……んん……」

 

 

 彼女の声に従い、竿を下に押し下げると、先端が軽く埋まり始める。

 その感触が堪らなくて、ぐいぐい、と自分自身を埋めていく。

 

 

「ん……うっ……ぅ、あっ!?」

 

 

 そして、何かを強引に突き破るような感触が、ほむらの純潔を奪った事を知らせてくれる。

 耐え切れない興奮に、自分自身を根元まで埋めようと、より深く、より奥へと掻き分けて行けば、先端が何かしこりに当たり、それが最奥だと分かった。

 

 

「……んいっ……く、ぅっ……はっ……あ、ぁ……」

 

 

 様子を伺ってみると、彼女は苦しげに息を漏らし、目尻に小さな涙を浮かべていた。

 既に一度達していたためか、体を気遣う位の余裕はあり、指で涙を拭いながら、大丈夫か、と声をかける。

 

 

「……う、ん……痛みは、消してるから……平気……」

 

 

 気丈に振舞い、ほむらはそう言ってくれる。

 しかし、無理をさせているんじゃないかと心配になり、彼女が落ち着くまで待とうと、その頬に手を添え、額にキスをした。

 

 

「……ん……」

 

 

 ほむらはこちらの手に頬ずりをして、静かに目を閉じる。

 少しの間、そうして沈黙を保っていたが、その間も絶え間なく、きゅうきゅうと締め付ける彼女の壁に我慢できなくなり、動くよ、と囁く。

 

 

「……うん……きて……」

 

 

 すると、ほむらはうなずきを返しながら、同じように小さく囁く。

 微笑み返しながら、頬に添えていた手で彼女の手を握り、少しゆっくり目に腰を動かす。

 

 

「は、ぅ……ん……ふ、ぁっ……」

 

 

 ほむらの鼻に掛かった声と共に、内側が締め付けを強め、複雑に絡みつく。

 先端には最奥のしこりが押し付けられ、その周囲にツブツブとした感触があり、溜息が出るほどの快感が襲って来た。

 おそらくは、これがいわゆる、名器という物なのだろう。

 他に比べられる経験はないが、それでも、この快感は並みの物ではないと感じた。

 

 

「あ……はっ……ぅあっ……」

 

 

 一度出していなかったら、三往復もしない内に果てていたであろう、強い快感。

 それに四苦八苦しながら馴れない腰の動きを続けていると、不意に、別方向への刺激が加えられる。

 見れば、ほむらが目を閉じながら、緩やかに腰を動かせていた。

 

 

「は……はぅ……んっ……」

 

 

 こちらの動きに合わせるようにして、小さく揺れる腰が、快感を加速させる。

 彼女の中は、ニュルニュル、と滑らかに竿を受け入れるのに対して、引き抜こうとすると、嫌がって離れようとしない。

 

 

「んぁっ……あっ……あ、くぅ……んん……はっ……」

 

 

 ほむらの嬌声が部屋に響く。

 気がつけば、彼女の体が跳ねてしまうくらいに、大きく腰を突き動かしていた。

 

 

「あっ……あんっ……ぁあっ……ゃんっ……あ……」

 

 

 だが、ほむらはそれにすら動きを合わせ、緩やかな揺れを、激しいグラインドに変化させる。

 小さな胸が、その動きにぷるぷると弾む。

 

 

「ん、は……ふっ……うぅっ……うっ、ん……」

 

 

 息が荒くなり、快感に思考が飲み込まれていく。

 激しい動きの中、腰がガクガクと揺れ始め、勝手に熱が高まっていった。

 

 

「……お兄、さん……あっ、う、んぁっ」

 

 

 そんな時、ほむらの口から、懐かしい呼び方が洩れる。

 けれど、記憶の中の無邪気な声とは違う、色欲に艶めく声が脳を犯す。

 

 

「ぃっ……あ……や……あんっ……あっ」

 

 

 頭の中が、ほむらへの想いで埋め尽くされる。

 溶け合うように重なる熱と、耳に届く甘い吐息だけが、今の自分が感じられる全てだった。

 

 

「はっ……は、お兄さん……んっ、っく、お兄、さぁん……ぁんっ」

 

 

 永遠に、このまま快楽を貪っていたい。

 何もかもを忘れて、ずっと、ほむらと繋がっていたい。

 そんな気さえしてくる。

 

 

「あ……あ……気持ち……い、ぃ……あんっ……あぅっ……」

 

 

 しかし、竿の根元が熱く脈打ち始め、限界が近い事を感じた。

 それでも尚、快感を得ようとする本能は治まる事がなく。

 空いていた手でほむらの体を抱きかかえ、そのまま後ろに倒れこむ。

 必然的に騎乗位のような体勢となり、彼女の体重で、最奥のしこりが先端へ強く押し付けられる。

 

 

「……はっ!? ……あっ……っ……っぁあ……」

 

 

 

 刺激が強すぎたのか、彼女は目を白黒させ、口をパクパクと開閉し、体を撃ち震わせていた。

 同時に内側も締め付けを一段と強くし、彼女が絶頂に至った事を感じさせる。

 自分へも、あやうく達してしまいそうな快感が与えられたが、歯を食いしばってなんとかそれを堪え、それで出来た僅かな猶予を惜しむように、激しく腰を突き上げる。

 

 

「あっ、ま、待っ、て、んはっ、だめ、やっ、だめぇっ、まだ、いって、あんっ」

 

 

 ほむらの声が甘く弾け、その顔に、乱れた髪が汗で張り付く。

 口ぶりからして、彼女はまだ、絶頂の中に居るようだった。

 しかし、自分も限界が目前まで迫っていて、それに応える余裕はなかった。

 

 

「やぁっ、あ、んぅっ、苦、し、あふっ、んんんっ」

 

 

 逃げようとするほむらの腰を手で押さえつけ、ズンズン、と突き上げる。

 それに耐えるためか、彼女は空いていた手を胸板に突き、爪を立ててきたが、その痛みですら、本能を諌めるには至らず。

 今にも出て行ってしまいそうな熱を、より熱くするため、我武者羅に腰を跳ね上げる。

 

 

「あっ、あ、ぁ、ま、た、来る、また、あっ、あぁっ」

 

 

 ほむらが体を震わせながら、荒い吐息の中に、絶頂の気配を滲ませる。

 もう、我慢する事は出来なかった。

 ほむら、と彼女の名を叫び、腰に添えていた手を引き、最奥を突き破るような勢いで、愛欲を解き放つ。

 

 

「あっ!?」

 

 

 ほむらは大きく体を反らせ、繋いでいる手に力を込める。

 腰が幾度と無く打ち震え、何度も何度も竿が脈打つ。

 

 

「やぁぁあああっ!! んぁっぁあああああっっっ!!!!!!」

 

 

 彼女の内側は、それに合わせるようにキュウッ、と一際強く締め付け、快感に脈動は助長される。

 

 

「は、あ、ぁぁ、あぁぁ、はっ、はぁっ……」

 

 

 やがて、最後の一滴までをほむらの中へ吐き出し終えれば、同時に彼女の体が倒れ込んで来た。

 

 

「はぁ……は……んっ……」

 

 

 荒い息遣いが、胸板に掛かる。

 抱きしめるようにしてその背中を撫でると、艶やかな黒髪の感触が、手に心地良かった。

 

 

「はぁ……はぁ……ふぅ……ふ、う……」

 

 

 そうしている内に、乱れていた息は落ち着きを取り戻し、ほむらが体の上で身じろぎをする。

 体を起こし、こちらを見下ろす彼女。

 

 

「………………」

 

 

 視線が絡み合う。

 なんとなく、名前を呼びたくなって。

 ほむら、と、小さく呟く。

 

 

「……あ」

 

 

 すると、彼女の目が細くなって、唇が弧を描き。

 

 泣き笑いのような、儚く……それでいて、とても幸せそうな笑顔を浮かべてくれた。

 

 

 

 

 

「………………だいすき………………」

 

 

 

 

 




 ほむらはまどかと俺の嫁。


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【彼女達の】おまけ【お茶会】

 

 

「それじゃ、改めましてぇ……」

 

「マミさんっ」

 

「ご卒業……」

 

「おっめでと~!!」

 

《パンッ、パンパンパンッ!!》

 

 

 さやか、まどか、ほむら、杏子――四人の少女のかけ声と共に、クラッカーの音が鳴る。

 拍手をしながら、笑顔で自分を祝福してくれる彼女達を見て、本日の主役であるマミは、なにか眩しい物でも見ているように目を細めた。

 

 

「皆、有り難う。わざわざ集まってくれて……」

 

「いいんですって、気にしないで下さいっ」

 

「そうですよ、マミさんっ」

 

「まぁ、アタシにとってはケーキの方がメインなんだけど……。めでたい事に変わりはないしね」

 

「相変わらず素直じゃないわね……」

 

「うっせ」

 

 

 口々に喋りだす四人の仲間達を、マミは順繰りに眺める。

 彼女自身は、自分の定位置である三角形のテーブルの一番短い辺。その右側にさやかとまどか、左側には杏子とほむらが座っている。

 今日は、つい先週、めでたく市立見滝原中学校を卒業し、恋人と一緒に市内の高校へ合格したマミを祝うために開かれた、小さなパーティーの日。

 卒業式の時にも集まりはしたが、仲間内でも一度パーティーをしようとさやかが提案し、ささやかながらも、こうしてパーティーが開かれた。

 

 つい半年ほど前まで、マミは、こんな事が出来るとは夢にも思っていなかった。こんなにも大切な仲間達が出来て、こんな風に自分が祝って貰えるとは。

 だからこそ、彼女達の楽しげな声が耳に届くだけで、胸がじんわりと温かくなって行くのを、マミは確かに感じていた。

 しかしそんな中、この中で唯一、魔法少女ではないまどかが不安そうな声を上げる。

 

 

「でも私、本当に参加してよかったのかな……? 一人だけ魔法少女じゃないし……。結局、全部みんなに任せっきりにしちゃって……」

 

「もう、まどかってば、ま~だそんな事言ってるの? もう済んだ事なんだし、気にしない気にしない」

 

「そうよ鹿目さん? 貴方が居てくれたからこそ、私達はこうして出会えたんですから」

 

「さやかちゃん、マミさん……」

 

 

 仲間内の集まりという題目が、まどかにとっては少し気がかりだったのだろう。

 半年ほど前、この街で繰り広げられた戦い。その中で、彼女にはこの星の誰よりも強い魔法少女になる素質がある事が判明した。

 しかし、その最中に起きた様々な出来事を通じ、まどかは魔法少女にならない事を、傍観者で居続ける事を選択した。

 その選択を後悔はしていなかったが、今尚、日常の裏側で繰り広げられている魔女との戦いを知っている身としては、心苦しい物がある。

 そんな事もあって、ちょっと居心地が悪そうにする彼女に、さやかは気にするなと声をかけ、マミも小さく微笑みかける。

 

 

「きっと貴方が居なければ、私と美樹さんは知り合えなかったでしょうし、美樹さんが居なければ、こうして佐倉さんとも仲直りできなかったでしょうし……」

 

「……まぁ、そうかもね……?」

 

「そして、貴方を救おうとする暁美さんが居なかったら、私はあの時、魔女に食べられちゃってたかもしれないもの」

 

(……実際、食べられた事もあるのだけど)

 

 

 かつての戦いを振り返るマミの話を聞き、ほむらはつい、過去に渡り歩いた世界での出来事を思い出してしまった。

 この時間軸では幸い助ける事が出来たが、過去に幾度か、救援が間に合わずに命を落とした事もあるのだ。

 しかし、この場でそれを言うほど空気が読めない訳でもなく、彼女はその事実を胸の奥深くに仕舞い込む。

 その間もマミはまどかに語り続け、見る人を安心させてくれる、朗らかな笑みを浮かべた。

 

 

「きっと、何もかも貴方が切っ掛け……。貴方はその名前の通り、この仲間関係の“かなめ”なの。だから、そんなに自分を卑下しないで?」

 

「あ……」

 

「そうそう。前にも言ったけど、魔法少女にならずに済んでラッキーって程度に思っておけばいいんだよ。半端な覚悟じゃ、魔法少女は務まんないんだからな」

 

「杏子ちゃん……。うん、でもね?」

 

 

 マミの言葉に杏子が同意し、窘めるような口調でまどかに言う。

 それが彼女なりの気遣いである事に気づいていたまどかは、一旦はそれに頷くものの、皆の顔を見回すようにして続ける。

 

 

「私は、知ってるから。さやかちゃんも、マミさんも、杏子ちゃんも。そして、ほむらちゃんも。

 一杯傷ついて、それでも頑張って戦ってくれた事、知ってるから。だから、何度でも言うね?

 …………この街を守ってくれて、ありがとう。皆に出会えて、友達になれて、私、凄く嬉しいっ」

 

「鹿目さん……」

 

「まどか……」

 

「ちぇ、やっぱ調子狂う……。こんな御人好しには、魔法少女なんて絶対に無理だな」

 

「……そうね。でも、そこがまどかのいい所よ」

 

「……ぇはは、自分で言ってて、ちょっと照れちゃった……。そろそろ、ケーキ食べよっか? 折角、皆で作ったんだし」

 

「おっ、待ってました~!!」

 

 

 照れ臭さを隠すように、まどかは大きな箱をテーブルへ載せ、外枠を取り上げる。

 その中には、かなり立派な苺のショートケーキが鎮座していた。

 待ちかねていた杏子が歓声を上げ、それを見たマミも驚きを隠さない。

 

 

「わぁ……! これを、皆が?」

 

「はい。昨日はマミさん、デートだって言ってたから、私の家に集まって皆で作ったんです。マミさんみたいに上手じゃないから、定番のになっちゃいましたけど……」

 

「そんなこと無いわよ、凄く美味しそう! 皆凄いわっ」

 

 

 満面の笑みで褒め称えるマミ。

 それに胸を張りながら、さやか達が応える。

 

 

「いや~、苦労しましたよ~。ケーキ作りなんて、あたし初めてでしたし」

 

「ホント、大変だったよな~。……なぁ、早く食おうよ~」

 

「えぇ、本当に大変だったわ。つまみ食いしようとする貴方達を止めるのは」

 

「うっ」

「ぐっ」

 

「ぁはは……」

 

 

 ほむらの突っ込みに、さやかと杏子が言葉を詰まらせ、まどかが苦笑いする。

 事実、この二人はじゃれ合うばかりでほぼ戦力外だったのだが、マミの前で見栄を張りたいのか、彼女達はほむらに反論をし始めた。

 

 

「あ、味見は大事な事でしょ!? それに、ちゃんとあたし達も手伝ったじゃない、切ったり、混ぜたり……」

 

「そ、そうだそうだ!! 後は………………混ぜたり、切ったり……」

 

「……杏子ちゃん、それ同じ事だよ?」

 

「正確に言うと、苺を切った側から味見したり、生クリーム混ぜながら硬さを見るためと言っていちいち舐めたり、だったけど」

 

「ごめんなさい」

 

「反省してます」

 

「うふふっ、もうそのくらいにしましょ? 今、お茶淹れるわね。美樹さん、佐倉さん、手伝ってくれる?」

 

「勿論ですよっ」

 

「じゃあ、アタシお皿出すな?」

 

「ええ、お願い」

 

 

 ほむらの切れ味鋭い突っ込みに耐え切れず、うな垂れるさやかと杏子。それを見かねて、笑いながらもマミが助け舟を出す。

 すぐさま体を起こした二人は、更なる追求から逃れるためか、ここぞという勢いで彼女の手伝いを開始した。

 

 

「全く。……ふふ」

 

「あははっ」

 

 

 そんな彼女達を、まどかとほむらは、微笑ましく見守るのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 真っ白な、雪のような生クリームの大地に、フォークの槍が深く突き刺さる。

 それが抉り取った大地には、黄色いスポンジの層と、生クリームと苺の層が見て取れた。

 一直線に宙を泳いだ塊は、やがて、真剣な顔をする少女の口の中へと仕舞われる。

 

 

「……ど、どうですか?」

 

「………………(ごくっ)」

 

「………………」

 

「……っ……、……」

 

 

 四人の少女が固唾を呑んで見守る中、真っ先にそれを頬張った今日の主役が頬を緩ませた。

 

 

「……うん、凄く美味しい! こんなに美味しいのは初めてかも!」

 

「ぃやったぁ~!!」

 

「良かったわね、まどか」

 

「うんっ。でも、ちょっと照れちゃうな、マミさんの作ってくれるケーキみたいに完璧じゃないし……」

 

「そんなこと無いわ。初めてでこれだけ美味しいんですもの、吃驚しちゃった」

 

「……なぁマミ、もういいよな? 食べていいよな?」

 

「くすっ。ええ、どうぞ?」

 

 

 さやかに「マミさんが食べるまで食べちゃ駄目!」と言われ、御預けを喰らっていた杏子が焦れたように催促する。

 それに微笑み返しながらマミが許可を出せば、杏子は瞳を輝かせてケーキにかぶりつき、皆もフォークを動かし始めた。

 

 

「やたっ、いっただっきま~す、ぁむ……んん~♪」

 

「ホント、杏子は幸せそうな顔して食べるわよねぇ」

 

「当たり前だろ、美味いもん食ってる時が、人間一番幸せなんだからっ」

 

「美味しいわね、まどか」

 

「うん。結構上手に出来たかも♪」

 

 

 和気藹々と、楽しいお茶会は進んでいく。

 皆が笑顔を浮かべる中、同じように微笑んでいたマミは、ふと何かを懐かしんだ声を。

 

 

「でも、こうして皆でお茶会をするのって、もう何回目位なのかしら?」

 

「さぁ? アタシ等が参加するようになってからは週一で集まってたから、単純に……二十回くらい?」

 

「……それ以外でも、結構集まっていたから、実際にはもっと多いわね」

 

「私達がマミさんと会ったばかりの頃は、毎日お邪魔させて貰っちゃってたよね」

 

「そうそう。おかげで、家に帰ってから地獄のカロリー計算……。マミさんの用意してくれるケーキ、めちゃうまなんですもん」

 

「わ、悪い事しちゃったかしら? 同じ年頃の女の子が家に来てくれるのなんて滅多に無かったから、嬉しくて……」

 

「あ、いえいえ、んなこた無いですよ。でも、今思うと、材料費とか結構かかっちゃったんじゃ?」

 

「ううん、平気よ。お菓子作りは趣味みたいなものだし、食べてくれる人が多くなってむしろ助かったわ。前は一人で食べなきゃいけなかったし」

 

 

 紅茶に口をつけながら、マミは言った。

 しかし、当時の孤独感や、この友人達とのすれ違いも思い出してしまったのか、その顔は渋そうに歪んでしまう。

 

 

「そう言えば、あの頃はまだ、キュゥべえに騙されてるって知らなくて。暁美さんにも辛く当たってしまって……。本当に、ごめんなさいね?」

 

「あ……」

 

 

 マミの謝罪を耳にし、ほむらは少し瞑目して、自分が歩んで来た道を思い返す。

 

 自分が魔法少女となる切っ掛けとなったまどかを救うため、幾度と無く時間を遡って、その中で、マミは様々な面をほむらに見せた。

 未来から来た事を信じて貰えなかったり、魔法少女の真実を知って錯乱してしまったりと、色々と苦労してきた事は、確かに事実。

 だが、今となっては、それも仕方の無い事だったのかも知れないと、ほむらは思う。

 彼女には彼女なりの苦しみがあって、しかし、自分はそれを解決できなかった。彼女だけでなく、他の仲間達も……。

 まどかだけを救うんじゃなくて、もっと周りをよく見渡せば、これほど遠回りする事は無かったかもしれない。

 

 まだ魔法少女ではなかった、あの頃と同じように。こうして笑い合える間柄に戻れたのは、奇蹟のような偶然の積み重ねの結果。

 今までの自分の努力はなんだったのかと、少し腑に落ちない気もするけれど、終わり良ければ全て良しとも言うし、今はもう彼女への悪感情は消え去っている。

 まぁ、他にもっと苦労した件があるし。

 主に美樹さやかとか、美樹さやかとか、美樹さやかとか。

 ついでに、海藻みたいな髪形したNTR娘とか、鈍感すぎるヴァイオリンマニアとか。

 どうして彼女達はああも毎回、何か恨みでもあるのかと思う程に致命的なタイミングですれ違ったのか、本当に不思議でならない。

 ……実は、一度だけ時間停止して、耳元で鬱憤を叫んだ事があるのは内緒だ。

 思考が横道に逸れてしまったが、ほむらは頭を小さく振ってそれを追い出し、気まずそうにこちらを伺うマミへ微笑む。

 

 

「……気にしないで下さい。確かに、色々と大変な事もありましたけど。でも、今は幸せですから。だから、大丈夫です」

 

「……そう。ありがとう、暁美さん」

 

「いえ……」

 

 

 小さく微笑み合うマミとほむら。

 そんな、珍しく殊勝な態度を見せるほむらを茶化す様にして、さやかは話しかける。

 

 

「ほむらも変わったよね~。あの頃はマミさんの事も『巴マミ』ってフルネームで呼んでたのに、今は『巴さん』だもんね」

 

「そ、それは、あの頃は色々と、余裕が無かっただけで……やっぱり、先輩だし……」

 

「でも、初めて『巴さん』って呼ばれた時は、正直吃驚しちゃったわ」

 

 

 当時――とは言っても、まだ一ヶ月も経っていないのだが、その時の事を思い出してマミは微笑む。

 いつもの様に皆でお茶会をし、その中で彼女は不意に、顔を真っ赤にし、モジモジとしながら上目遣いで「と……巴、さん」と、マミの名を呼んだ。

 あの時の可愛らしさと言ったら、女同士であるにも関わらず、思わず抱きしめたくなる程だった。

 しかし、彼女からして見れば心苦しい思い出なのか、彼女はシュンとして謝罪の言葉を口にする。

 

 

「う……ご、ごめんなさい……」

 

「あ、違うの。勿論嬉しくてだから、ね?」

 

「……はい。ありがとうございます」

 

 

 そんな様子に慌て、両手を小さく振りながらマミが言うと、ほむらは安心したのか、小さく微笑んで礼を返し、二人はもう一度笑い合う。

 それを見て思う所があったのか、さやかは駄目元で、ほむらにある提案をしてみる。

 

 

「……うむ! 一件落着、と言った所で、そろそろあたし達の事もフルネームで呼ぶの止めない? まどかだけじゃなくて、あたしの事もさやさやって愛情込めて呼んでよ~」

 

「残念、好感度が足らないわ。出直してくるのね」

 

「ちぇ~、なんだよ~けち~」

 

 

 しかし、それに返って来たのはにべも無い返事。

 内心、こんな返事が返ってくるだろうと予想はしていたものの、それがちょっとだけ寂しくて、さやかは唇を尖らせる。

 けれど、足らないという事は、いつかはそれに達するという事。なら、いつかきっと名前で呼ばせてやると、さやかは心の中で決意するのだった。

 そして同時に、ほむらを信頼し始め、まどかに並ぶ友達だと思うようになった切っ掛けでもある、ある出来事を思い出す。

 

 

「しっかし……。そっかぁ、あの戦いから、もう半年近く経つんだね~」

 

 

 感慨深そうに、さやかが呟く。それに釣られ、他の魔法少女三人もある戦いを振り返る。

 四月の中頃にこの街を襲撃した、ワルプルギスの夜との戦いを。

 

 ワルプルギスの夜。

 

 今まで、幾人もの魔法少女達が挑み、そして倒し得なかった、超ド級の魔女。

 発生起源は今を持ってして不明だが、元である魔法少女の精神に多大な影響を受けるその姿から判断し、少なくとも中世より後の時代から活動していたのではないか、とほむらは推測している。

 その力は、紛れも無く最凶の魔女に相応しい物で、それを打ち倒した事を皆が実感したのは、ワルプルギスの夜が消えてしばらくした後。

 街を厚く覆っていた雲が晴れ、太陽の光の温かさに触れた時だった。

 

 

「……苦しい戦いだったわね」

 

「確かに、ギリギリだったもんな。アタシ等全員、魔力も限界だったし」

 

 

 マミが苦々しく呟き、杏子がそれに頷く。

 事実、ワルプルギスの夜を倒せたのは、この四人を持ってしても奇跡としか言いようのない事なのだ。

 

 時間停止と言う特異な固有魔法を使い、他のメンバーを補助しながら、銃火器や爆発物による攻撃を行う、暁美ほむら。

 後方からの高威力砲撃と、ワルプルギスには効果が低かったものの、リボンによる拘束魔法を使うベテラン魔法少女、巴マミ。

 マミと同じ程度のキャリアを持ち、槍による中・近距離の遊撃を担当した、佐倉杏子。

 そして、砲撃に集中するマミの護衛に着き、治癒魔法で皆の傷を癒す傍ら、隙在らば、ほむらの時間停止で接近戦を挑んだ、美樹さやか。

 

 誰一人欠けたとして成立せず、その上で、綱渡りをするかのようなギリギリの戦いだった。

 そして、身を削り、魂を磨り減らすような攻防を幾度となく繰り返した結果、限界まで魔力を引き出した魔法少女達の総攻撃によって、ワルプルギスの夜は倒れる。

 しかし、その時点でグリーフシードは既に尽き、後は魔女化する前にソウルジェムを砕くしか、人としての心を守れないほど彼女達は疲弊していた。

 だと言うのに、彼女達はこうして今、お茶とケーキを楽しんでいる。勿論、それには理由がある。

 

 

「“アレ”が出てきてくれなかったら、あたし達、魔女になる前にソウルジェム砕くしかなかったもんね~」

 

「えぇ、本当に。初めて“アレ”を見た時は、凄く吃驚したけど……」

 

「ま、“アレ”のおかげで、同じ街に魔法少女が四人居てもグリーフシードの取り合いする必要が無いんだし、いい事じゃん」

 

「そうね……“アレ”があるからこそ、消耗を気にせず、今は魔女も使い魔も掃討できているのだし。でも……」

 

 

 言いながら、チラ、と皆が“アレ”に視線を向ける。

 部屋の片隅に鎮座するそれは、強烈な存在感を放ち、部屋の統一感を著しく奪っていた。

 

 

「……すっごく大きいよね、ワルプルギスの夜のグリーフシード」

 

 

 皆に釣られて、そちらに視線を向けたまどかが呟く。

 五人の視線を集めていたのは、人間の子供ほども大きさのある、黒曜石のような輝きを放つ巨大グリーフシードだった。

 皆が覚悟を決め、いざソウルジェムを砕こうとしたその時、晴れ上がった空から突然、これが落ちてきたのだ。

 直撃しなくて良かった、とは、その場に居た四人の共通の感想である。

 

 

「まさか、こんなに大きいだなんて……。しかも、見た目以上に重いから運ぶのだけで苦労したし。暁美さんの魔法が無かったら、きっと大変だったわね……」

 

「ですよねぇ。それに、あたしん家は親が居るから置けないし、杏子もホームレスだったから論外だし……」

 

「オイ、誰がホームレスだ。ちゃんとホテルに泊まってたっての」

 

「……私の家でも良かったんですけど、巴さんの家の方が、何かと都合が言いのは確かですから」

 

 

 マミの住むマンションは、見滝原市の中心に程近い場所に建っているため、ほむらの言う通り色々と便利なのだ。

 少し足を伸ばせば、街の中心街にも、郊外にも行けるので、この四人の活動拠点としては理想的な立地なのである。

 

 

「まぁ、これがあれば、高校生になって時間が合わなくなっても皆と会えるから嬉しいんだけど……。インテリアとしては、ちょっとね……?」

 

 

 しかし、マミからしてみれば、それが家に在る事のメリットは少し違うようで、少し恥ずかし気に彼女は言う。

 そんなマミの心中を察したのか、皆は次々に言葉を重ねる。

 

 

「大丈夫ですよ、マミさん。こんなの無くたって、あたし達はマミさん家に遊びに来ますからっ。ケーキもあるしっ」

 

「さやかちゃんてば、もう。でも、時々でいいですから、お邪魔させて貰えると私も嬉しいなぁ。ね、ほむらちゃん?」

 

「……まどかが、そう言うなら」

 

「アタシはケーキが食えるならいつでも来るぞっ?」

 

「皆……」

 

 

 にっこりと笑うさやか。

 さやかに同意し、対面のほむらにも笑いかけるまどか。

 仕方ない、といった風に零しつつも、同じく笑顔のほむら。

 そして、おそらくは本気でケーキ目当てで来てくれるであろう杏子。

 彼女達の優しい言葉に、不覚にもマミは目尻に涙を浮かべてしまうくらい感動してしまっていた。

 

 

「あ、でも、お邪魔しちゃうと悪いですから、先輩とイチャつきたい時はちゃんと言って下さいね? 流石に自重しますから」

 

「も、もう! 変な気を遣わないで!」

 

「あははっ、ごめんなさ~い」

 

 

 けれど、湿っぽくなりそうな気配を感じ取ったさやかが話にオチを付け、マミは照れながら声を上げる。

 悪戯が成功した子供のように笑うさやかだったが、しかし、気になる事を思い出したのか、すぐさまその笑顔を引っ込めて彼女は問う。

 

 

「んで、話は戻るけど、キュゥべえの話だと、普通のグリーフシードとは違うんだっけ?」

 

「……ええ。通常のグリーフシードに比べて、穢れの許容量が信じられないくらい高いらしいわ。

 それこそ、ワルプルギスのグリーフシードに孵化寸前まで穢れが溜まった時、それを回収する事で、あいつ等のノルマが達成できる程に。

 まぁ、世界中の魔法少女の穢れを集めたとして、数百年はかかるそうだけど」

 

「魔法少女の希望から絶望への感情相転移――魔女化の際に発生するエネルギーの回収。本当に、ふざけた話よね」

 

 

 先程までとは打って変わり、珍しく怒りを露にしてマミが呟く。

 実際に契約を交わし、事後報告の形でそれを知った彼女達の怒りは、やはり相当な物だ。

 世界へ絶望を撒き散らす存在だと教えられた魔女。

 それを打ち倒す存在として魔法少女が存在するのに、その実、魔力を使い過ぎ、ソウルジェムに穢れを溜め込み過ぎれば、敵である筈の魔女へと変貌してしまう。

 更には、魔法少女の肉体と魂の切り離しまで勝手に行われ、魔法を使うためのデバイスであるソウルジェムは、その名の通り、切り離した魂を物質化した物だったのだ。

 実質、自分の存在を石に転じられたような物なのだから、正常な人間なら怒りを覚えて当然である。

 彼女の怒りに同調するよう、さやかもまた腕組みをしながら、難しい表情を浮かべる。

 

 

「確か、それを使って宇宙の寿命を延ばす……んでしたっけ? ったく、そんなの割りに合わないっつーのっ! そもそも、その寿命だって尽きるのは何億年先の話だってのよ!」

 

「あんまり、ピンと来ないよね……? それに、幾ら願いを叶えて貰っても、それと引き換えに戦い続けなくちゃいけなくなるなんて、そっちの方が酷すぎるよ……」

 

「えぇ……。都合の良い奇蹟を与えて置きながら、最後には絶望に突き落とす。まるで、どこぞの笑うセールスマンよね」

 

「笑う……?」

 

「セールスマン……?」

 

「……暁美さん、それって何かの登場人物? もしかして、ドラマとか?」

 

「……え? み、皆、知らないの?」

 

 

 ほむらの例えに、まどかと杏子が首を傾げ、マミが詳細を尋ねる。

 彼女からして見ればかなり的を射た例えだったのに、思わぬ反応が返ってきてしまって、皆の顔を見回しながらほむらは焦り出す。

 そして、一人だけその例えを理解できる資質を持ち合わせていたさやかは、「可哀想だな~」とは思いつつも、彼女の今後を思ってそれを指摘する。

 

 

「前々から言おうと思ってたんだけどさ。ほむらって時々、もの凄く古い漫画で物事を例えるじゃない? あたしは分かるからいいけど、普通の中学生は藤子不二雄なんて知らないわよ?」

 

「そんな……!? あんなに面白いのに……!?」

 

 

 さやかの指摘に、ほむらは意外にも、かなりのショックを受けた。

 長い入院生活で、周囲とは多少趣味がずれている事は自覚していたけれど、あれほど含蓄のある漫画を知らないなんて……!? と。

 彼女の恋人が結構年上であり、その例えにも問題なく着いて来てしまうのが理由の一つでは在るのだが、当の本人はそんな事を露知らず。

 ほむらは、年齢の割りに早く感じる事となったジェネレーションギャップに、むぅう、と唸りながら、大いに苦しむのだった。

 

 

「はいはい、丁度良いし、辛気臭い話はここまで! 折角のケーキが不味くなるし、もっと楽しいこと考えなよ」

 

「……そ、そうね。何もこの半年間、戦ってばかりいたわけじゃないものね?」

 

 

 妙な雰囲気に成りかけていたのを無意識に察知したのか、杏子がパンパン手を鳴らす。

 そして、変な質問をしてしまったのかと内心ビクついていたマミが真っ先にそれに乗っかり笑顔を浮かべ、それに呼応する三人も口々に思い出を振り返る。

 

 

「うんうんっ。皆でご飯食べに行ったり、カラオケ行ったり、映画に行ったり……」

 

「体育祭とか、文化祭とか……。あ、夏には仁美ちゃんの別荘にお呼ばれもしたよね、女の子だけで」

 

「そう言えば。私、海に泳ぎに行くのなんて子供の時以来だったから、ちょっとはしゃいじゃったわ」

 

「お~、楽しかったよな。なにより、メシが美味かったし」

 

「……ホントに、色気のない子」

 

 

 杏子の言う通り、確かに志筑邸の別荘で出てきた料理の数々は、一般庶民が普段お目に掛かれない高級食材を専属のシェフが調理した、頬が落ちる一品ばかりだった。

 確かに同意できるのだが、しかし、花より団子を地で行く杏子に、いつの間にか復活したほむらは呆れ交じりの溜息を漏らす。

 そんな彼女に、珍しくさやかが突っ込んだ。

 

 

「あれ、そう言う割りに、ほむらも杏子並みにがっついてなかったっけ?」

 

「そ、そうだったかしら……?」

 

 

 ケーキを頬張りながら、恍けるように視線を逸らすほむらに、まどかは可笑しそうに微笑む。

 

 

「てぃひひ、ほむらちゃん、意外と食いしん坊なんだよね? それにカナヅチだし」

 

「……しょうがないじゃない、ずっと入院してたんだし……。病院食って美味しくなかったし……」

 

「ちょっと意外だよな。ほむらって結構何でも出来るようなイメージあったけど、こうして付き合ってみるとそうでもないし」

 

「でも私、ちょっと安心しちゃった。ほむらちゃんにも苦手な事ってあるんだなぁって」

 

「……ひ、人の体は陸上で生活するように出来ているのだから、別に、泳げ無くたって……」

 

 

 頬を赤く染めながら、ほむらは必死に強がって見せる。

 きっと、これが恋人の前であれば、彼女は違った反応を見せるだろう。

 

 時間遡行と言う特殊な魔法を用い、幾度となく時間を繰り返しては、最良の結果を求めて来たほむら。だからこそ、ここにいる仲間達は、遡行を始める前の彼女の事を知る事が出来ない。

 彼女の両親と元主治医を除けば、かつて三つ編み眼鏡の文学少女だった事を知るのは、魔法少女になる前に知り合い、数ヶ月前に再会を果たした、とある男性のみだ。

 色々あった末、現在その男性とほむらは交際中であり、本人は自覚していないが、かなり甘々な日々を過ごしていたりする。

 しかし、先の見えない時の迷路を彷徨う内、心は徐々に磨耗し、一番大切な友達であるまどかにすら、かつては冷徹な態度を取ってしまっていた。

 今ではそんな事はないのだが、今さら素直に甘えたり拗ねたりする事も出来ず、ほむらはちょっと後悔していた。

 クールな転校生なんてキャラ付けするんじゃなかった。もうちょっと、ワルプルギスを倒した後の事を考えておくべきだった、と。

 そんなほむらを励ますためか、マミは「そうだ」と言って両手を合わせる。

 

 

「それなら、彼氏さんを誘って、二人でプールにでも行ってみたら? 確か、近くのホテルに温水プールがあった筈だけど。そこで泳ぎを教えて貰うといいわ」

 

「温水プール、ですか……?」

 

 

 そういったレジャー施設の知識に乏しいほむらは、鸚鵡返しに問い返す。

 彼女の頭にある建造物の知識といえば、何処に爆薬を仕掛ければどんな風に倒れるか、レンズ効果を上手く発生させるにはどうすればいいか、などといった殺伐とした物だけなのだ。まるで傭兵である。

 そんな事実を知ってか知らずか……まぁ、間違いなく知らないだろうが、さやかはマミの言葉を補足する。

 

 

「あぁ、あのでっかいホテルの奴ですよね。今年改装して出来たばっかの。夏の間は結局あいつと泳げなかったし、あたしも行こっかな~」

 

「へぇ、そんなのがあるんだぁ……。でも、そういう所って、結構入場料かかるんじゃ……?」

 

 

 まどかの中学生らしい心配に、マミが諳んじるように、少し上を見上げながら答える。

 

 

「そうでもないみたいよ? 食事できる場所もあるみたいだし、デートには持って来いじゃないかしら?」

 

「……なんか妙に詳しいな。行った事あるのか? マミ」

 

「あ、違うの。実は、高校の入学式が終わったら、秋休みにでもそこに泳ぎに行こうって、彼に誘われてて……」

 

「ほっほう、先輩も積極的になったもんだ……。こりゃ、あたしのアドバイスが利いておるな?」

 

「……さぁ、どうかしらね?」

 

 

 さやかがニヤつきながら言った言葉に、マミは照れ臭さを隠すように恍けてみせた。

 が、実の所、マミの恋人はさやかから受けたアドバイスをすっかり忘れてしまっていたりする。……不幸なすれ違いの末に起こった、とある事件のせいで。

 その事件については後述するが、このデートも、秋入学の高校への受験勉強のせいで、マミの水着姿を見られなかった事が悔しくて堪らず、下心満載で誘っただけなのだ。

 欲望に忠実なその選択は、男にとっては非常に共感できる物だろう。誘われたマミとしても満更ではないのだから、何の事はない、お似合いのカップルなのである。

 

 

「……むふふ、でもぉ、マミさんはまた新しく水着買わなくちゃいけないんじゃないですかぁ~? 先輩に揉まれ過ぎて、大きくなってたりしてっ」

 

 

 そんな幸せそうな彼女を見てからかわずには居られないのか、さやかは両手を顔の側でワキワキとさせながら、マミにセクハラ染みた心配をする。

 しかし、それを聞いたマミは、普段なら叱り付ける所を、顔を赤くして俯いてしまう。

 

 

「……そうかも知れないわね」

 

「え」

 

「……実は最近、またブラがキツくなってきたのよね。大きいサイズだとあんまり可愛いのがないし、困っちゃうわ」

 

「なん……だと……」

 

 

 マミの言葉を聞き、さやかは某オサレ漫画の定番台詞を、正しいと思われる使い方で呟く。

 しかし、そういった知識のなく、胸の大きさにコンプレックスもない杏子はそれを華麗にスルーし、純粋にマミを心配する。

 

 

「確か、でっかいと肩が凝るんだって? 大変だよな。アタシはあんま気にしたこと無いけど」

 

「悩まずに済むなら、それに越した事は無いわ。男の人にもよく注目されちゃうし、良い事なんて無いわよ? 実際」

 

「……けしからん、実にけしからんですよマミさんっ。やっぱり、揉まれると大きくなるってホントなんですね~。あたしも、もうちょっと大きくならないかなぁ」

 

「いや、でもさ――」

 

 

 ワイワイと盛り上がる一角を見つめながら、まどかとほむらは意図せずして全く同じ行動を取った。

 ゆっくりと、自分の体に視線を落とす。

 凹凸の少ない体はそれを遮る事をせず、背筋を伸ばしたままでも、自分の太ももを確認できた。

 そして、おもむろに自分の胸をムニムニ触った後、未だに胸の話をし続けるマミとさやかの胸部を見やる。

 

 

「こんなのってないよ……」

 

「大丈夫、まだ大丈夫。お兄さんに揉んで貰えば、きっと……」

 

 

 二人の悲しい呟きが、豊満な胸部装甲を有するマミとさやかの耳に届かなかったのは、きっと神の思し召しなのだろう。二人の姿に気づいた杏子は、内心で彼女達の事を祈る。

 どうか、あの子達が健やかに成長してくれますように、と。

 ……実は最近、自分も少し大きくなり始めている事への、ちょっとした罪悪感を込めて。

 と、そんな事をしている間に話の内容が変わっていたようで、さやかは唐突に杏子へ話を振って来る。

 

 

「……そう言えば杏子、あんた学園祭で屋台全部制覇したんだって? よく食べ切れたわね?」

 

「ん? あ~、そう言えば、そうだった……。でも、なんでさやかが知ってんのさ?」

 

 

 さやかに言われ、杏子は頷くのだが、彼女達と学園祭を廻ったのはまだ恋人と合流する前だったため、その後の行動を知られている事を疑問に思う。

 それに答えたのは、今度は重点的に揉んで貰おうと心に誓い、何とか絶望的な胸囲(誤字に非ず)から立ち直ったまどかだった。

 

 

「あはは……。杏子ちゃん、凄く目立ってたよ? 泣いてる彼氏さん引っ張って、屋台を制覇した可愛い女の子が居るって」

 

「うぇ、マジか? 全然気付かなかった……」

 

「ま、杏子は色気より食い気、だもんねぇ~?」

 

「うっさいな~、いいだろ別に? ちゃんとアイツには代金支払ったんだし……」

 

「……体で、とか」

 

「ぐほっ!? ほ、ほむらっ、テメェ!?」

 

 

 罰が悪そうに杏子が呟いた言葉に、まどかと同じく立ち直ったほむらがカマをかける。

 見事に引っかかってしまった杏子は大きく咳き込み、その原因を作ったほむらを赤い顔で睨みつけるのだが、当のほむらはそ知らぬ顔で紅茶を啜っていた。

 

 

「冗談よ(図星ね)」

 

「ほ、ほむらちゃん、駄目だよ、もう……(図星、なのかな……)」

 

「そうよ、暁美さん?(図星なのかしら……?)」

 

 

 そんなほむらをマミとまどかは窘めるのだが、内心、杏子のとったであろう行動の大胆さに驚いていた。

 だが、この場でそれを追求するのは流石に可哀想だと思ったのか、みな言葉を飲み込む。

 しかし――

 

 

「はは~ん、杏子、あんたさては図星でしょっ!! やっらし~んだ~」

 

「さぁやぁかぁぁああ……!」

 

 

 ――他の皆が気を遣って触れなかった地雷を、自分からわざわざ踏みに行く。

 それが安定のさやかクオリティ。

 案の定、それを聞いた杏子はテーブルに両手を突いて、身を乗り出すようにさやかを威嚇する。

 

 

「お、落ち着いて杏子ちゃん、ケーキ食べよ? もう、さやかちゃん、めっ」

 

「はぁ~い……ごめんなさぁい」

 

「ったく……ぁむ」

 

 

 しかし、喧嘩するほど仲が良い、と言うのは彼女達にぴったりの言葉で。このやり取りにもすっかり慣れたまどかは、杏子の気をケーキで逸らし、さやかを叱り付ける。

 さやかが素直に謝ると、杏子は腹を立てた素振りを見せながらも、ケーキを消化する作業へと戻っていった。

 そんないつものやり取りを微笑ましく見守っていたマミは、ふとある事を思い出して杏子に問いかける。

 

 

「そう言えば、佐倉さん。確か、来年度から見滝原に通うのよね? 準備は出来てる?」

 

「え? あぁ、うん。まぁまぁ、かな。オジさんとオバさんが、後見人……? とかになってくれるらしいし。……しょ、将来の娘のためなら、幾らでもお金は出すからって……」

 

 

 つい数ヶ月前まで、杏子は魔法を駆使し、決して道徳的ではない方法で金品を手に入れ、それで生活をしていた。

 現在ではきっちり更生し、犯した罪は消せないまでも、自分を支えてくれる恋人とその両親には恥じぬ生き方をしようと、この秋から学校に通う事になっているのだ。

 その切っ掛けをくれた大切な家族の顔を思い出し、少し照れながら言う杏子に、マミは慈愛の篭った視線を向ける。

 

 ここに居る仲間達には既に周知の事実だが、彼女は自らの祈りを、家族の喪失という悲劇で締め括ってしまった。

 そして、当時の杏子の荒んだ背中を、実際にその眼で見たマミにとっては、彼女に新しい家族が出来た事が嬉しくて仕方ないのだ。

 

 

「そう……。いい人達なのね」

 

「……うん。アタシには、勿体ない位だよ、ホント」

 

 

 マミの言葉に、杏子は満面の笑みを持って返す。

 そう言うマミ本人も、中学生になってしばらく経った頃、家族で食事へ行く際に遭遇した事故で、両親を失っている。

 一人だけ生き残り、尚且つ、生き延びる為に交わした魔法少女の契約のせいで、青春を投げ捨て、戦いに没頭する日々。

 しかし杏子と同じく、今では彼女にも、それを支えてくれる大切な人が出来た。一度失っているからこそ、それがどれほど得難い物であるか、彼女達は知っている。

 

 悲しみに負け、一度は道を違えた二人。

 それでも、心のどこかで互いを思い続けていた彼女達は、再びこうして笑いあえる幸せを――自分達が掴んだ幸せを、静かにかみ締めていた。

 

 

「でも、良く合格したよね。家の学校、結構偏差値高い筈だけど……。あっ、まさか裏口入学とか!?」

 

「裏口……? そりゃ、学校なんだから裏口の一つや二つあるだろ。何言ってんださやか?」

 

「……やばい、本気で心配になってきた。ちゃんと編入試験受けたんだよね、杏子……?」

 

 

 そんな風にニコニコ笑っている杏子を、やはりからかわずにはいられないのか、さやかはいつもの調子で言うのだが、思わぬ返答が帰って来て別の心配が湧き上がる。

 荒んだ生活を送っていた割りに純粋なのは知っていたが、裏口入学という言葉すら知らないとは、流石に予想外。

 受験戦争と関わった事がないのもその原因の一つなのだが、世間の荒波に揉まれて大変な事にならないか多分に心配になったさやかは、もう一度杏子に問いかけた。

 

 

「……? ああ。テストなら受けたよ。何個か満点取ったし」

 

「えっ、うそぉ!?」

 

「す、すごいね、杏子ちゃん」

 

「そうかぁ? あんなの、ただ覚えりゃいいだけじゃん。ラクショーっしょ」

 

 

 杏子は、事もなげにそう言ってみせる。

 いつだったかマミが、「勉強が出来る事と、魔法少女として有利な戦い方が出来るかどうかは別」と言っていたが、この結果を見る限り、そうとも言い切れないらしい。

 勉学については完全に格下と見ていた杏子が実は頭が良かったと知って、さやかは非常に悔しがり、見栄を張ろうと胸を張った。

 

 

「うぐぐ、なんか悔しい……。い、いいのよ、時代は人間力!! コミュ(ぢから)さえあれば、どうとでもなるっ。きっとっ」

 

「……上条恭介は寝取られた癖に」

 

「ぐっさぁっ!?」

 

「さ、さやかちゃぁぁん!?」

 

 

 ――は良いものの、ほむらの冷静な突っ込みに急所を突かれたのか、さやかは胸を押さえて仰け反り、後ろに倒れこむ。

 

 

「……となるとでも思ったかぁ!? あたしにはあいつが居るからいいのっ」

 

 

 ――かと思えば、意外にも素早く復活した落ち着きのない彼女は、自らの恋人の姿を思い出しながらまた胸を張る。

 それを見て、まどかはほっと胸を撫で下ろす。

 

 

「び、びっくりさせないでよぉ……」

 

「なっはは、ごめんごめん。でも、ホントにそうだしね~。

 今にして思えば、振られて良かったとも思うんだ、あたし。恭介とも、前より仲良くなれちゃった気がするし」

 

「そう言えばそうだよね。私、仁美ちゃんや上条君とも、ぎこちなくなっちゃうんじゃないかって心配してたんだけど」

 

「そこら辺は、ほら。さやかちゃんの人徳って奴? ……と言うより、お互い幸せだからかもしれないけどね。

 ……確かに、あたしが望んでいた形とはちょっと違う形になっちゃったけど。こんなのもありかなって」

 

 

 この五人の中で、一人だけ失恋という経験を持つ彼女。

 だが、その苦い経験からでも、何がしか得る物があったのだろう。

 普段の元気一杯な顔とは違い、さやかは少し大人びた表情を見せる。

 

 

「アタシには幼馴染とか居ないし、よく分かんないけど。さやかが良いって言うんなら、それも良いんじゃない?」

 

「こういうのも、雨降って地、固まるって言うのかしら?」

 

「……そうかも知れませんね」

 

「実際、雨にも降られたしね~。あいつが居てくれなかったら、どうなってたんだろう……。

 ま、今ではあの二人に負けない位ラブラブなんですけどねっ。なんて言ったって、こないだなんかあたし、お姫様抱っこされちゃって♪」

 

 

 そんな、幸せの絶頂に居るさやかは、世に言うバカップルの例に洩れず、自分の頬に両手を当て、イヤンイヤンと体をもじもじさせながら惚気話を披露し始める。

 

 今では幸せそうな彼女だが、その実、魔女化の一歩手前まで心に呪いを溜め込み、追い詰められた事があった。

 長年片思いをしてきた相手――幼馴染である上条恭介に告白すると、友人である志筑仁美に宣言され、同時期に知らされた、魔法少女の肉体が魂の抜け殻であると言う事実に思い悩んだからだ。

 そして、親友のまどかにそれを当り散らし、そんな事をしてしまった自分と、思い通りにならない世界に絶望して、一人雨に濡れていた、そんな時。

 見ず知らずの男性に傘を差し出され、危うい心を、優しく解された。

 結果、さやかは魔女化を免れ、上条恭介にもきちんと思いを告げ、悲しい結末ではあったが、決着をつける事が出来たのだ。

 まるで一昔前のドラマみたいな出会い方をしたその男性は、今では彼女の恋人となっている。

 

 そんな経緯があって、しかも、まだ恋人になってから半年と経っていないのだから、惚気たくなるのは仕方のない事なのかもしれない。

 だがしかし、それを聞いたまどかは、とても疲れた表情を見せてさやかに言う。

 

 

「……さやかちゃん。その話、今日だけで三回目だよ……?」

 

「累計だと、次で二桁ね」

 

「う。そ、そんなに言ってる、あたし……?」

 

「……正直、ウザいわ。早乙女先生みたいで」

 

「ちょっ!? 嘘でしょ!? そ、そんなこと無いよね、ねぇ、まどかっ?」

 

 

 見滝原中学校一の面倒な女教師、早乙女和子に例えられて事の重大さを実感したのか、さやかは悲壮な顔付きでまどかに詰め寄り、肩を掴んで揺さぶる。

 早乙女和子、三十ピー歳。

 今年の三月末に、目玉焼きの焼き加減が原因で恋人と破局して以来、未だに新しい恋人が出来ず、担当である英語の授業での例文にすら影響が出ている。

 可哀想ではあるが、そんな女性に例えられれば、誰だって否定したくもなるだろう。

 しかし、まどかは気まずく視線を逸らしながら、悲し気に呟くのだった。

 

 

「……うぇはは……ノーコメント……」

 

「……ガーン……超ショック……」

 

 

 まどかの言葉に、多大なショックを受けてうな垂れるさやか。

 

 

(まさか、あの先生と同じ様な行動をしていたなんて……。

 と言う事は、まさか三十過ぎても結婚できない? いやいや、あたしにはあいつが居るんだからそんな事は……。

 あれ? でも、早乙女先生も恋人自体はちらほらと居たような……。

 ……って事は、いつか捨てられる? ………………………………………………ヤバイ、考えただけで死にたくなった)

 

 

 そして、絶望的な未来を想像した彼女のソウルジェムが、ゆっくりと濁りだす(比喩的な表現で、実際にはそんな事はない……といいな)。

 自らも早乙女女史の面倒臭さを知っているマミは、そんなさやかを慰めようと言葉を尽くす。

 

 

 

「え、ええっと、そんなに落ち込まなくても……。惚気たくなる事ぐらい、誰にだってあるわよ。ね?」

 

「……で、ですよねっ? マミさんにだって、惚気話の一つや二つありますよねっ?」

 

「え? ええ、まぁ……」

 

「あ、マミさんのだったら、ちょっと聞いてみたいかも」

 

「……そうね、興味あるわ」

 

「確かに、マミからはそれっぽい話聞いた事無いもんな」

 

「そ、そんなこと無いわよ? 普通よ、普通……」

 

「その普通を聞きたいんですよマミさんっ。あたしも参考にしたいし」

 

「え、え……そ、の……」

 

 

 思わぬ方向に飛び火した話を避けようと、マミは適当に誤魔化そうとするのだが、皆は眼を輝かせて話に食い付いて来る。彼女は困りきった素振りを見せているが、実は内心、喜んでいたりする。

 恋人が出来てからというもの、学校での高嶺の花扱いは緩和したが、それでも、急に友達が出来るわけはなく、なかなかこういった惚気話はした事がないのだ。

 この仲間内で相談された事はあっても、なかなか自分の事は言う機会が無かったり……。

 もうお気づきだろうが、先程さらりと言った「デートに誘われてるの」発言は、彼女の中では惚気に入らないらしい。

 この辺りに新しい友人が出来辛い理由があるのだろうが、それを仲間達が指摘しないのは、マミを傷つけるのが嫌なのか、それとも、彼女と同類だから気にもしていないだけなのか……。

 真偽の程はともかく、マミは渋々といった様子(もちろん嘘)で語り出す。

 

 

「毎朝、起こしてあげる、くらいかしら。家がすぐそこだし。後は、一緒に学校に行ったり、一緒にお弁当食べたり。

 帰って来てからも、夕飯を食べに来てくれたりとか………………た、たまに、泊まっていってくれたり、とか……」

 

「おぉ~」

 

「……いいなぁ、マミさん」

 

「……ふむ」

 

「ふ~ん、確かに普通だな」

 

「あ、あら、そう……?」

 

 

 しかし、自分からして見ればとても幸せな惚気話を杏子に一蹴され、マミは地味に凹む。

 そんなマミに気付いていないのか、さやかは言い切った杏子に興味を示す。

 

 

「ほぉ? それはどういう事ですかな? あんこさん……て、そう言えば、あんたはもう同棲してるんだっけ?」

 

 

 ――が、言ってる最中に思い出したのか、さやかは確かめるように言い換える。

 確か、恋人と初めて想いが通じ合った少し後に、ホテル住まいから引越しをしたと聞かされた事があった。

 そして今では完全に恋人の家へ住居を移し、寝食を共にしているらしい。

 しかし、はっきり同棲と言われた事で意識してしまったのか、杏子は顔を赤くして声を上げる。

 

 

「あんこって言うなっ。……それと、同棲じゃなくて、居候だろ。変な言い方すんなよ……」

 

「照れない照れない。んで、杏子にはなんかないの? 惚気話」

 

「ねぇよそんなもん………………あ」

 

「……? どうかしたの、杏子ちゃん」

 

「え、あ、いや……」

 

 

 不意に言葉を途切れさせた杏子に、今度はまどかが問いかける。

 それに対しても、杏子は歯切れの悪い返事を返すのだが――

 

 

「……いってらっしゃいのキス、とか」

 

「うぉぁあああ!? な、なんで!?」

 

 

 ――今まで沈黙を保っていたほむらの口から出た言葉に、杏子が過剰に反応を返す。

 言ったほむら自身も的中するとは思っていなかったのか、その声に若干目を丸くしている。

 

 

「……これも冗談のつもりだったんだけど……?」

 

「………………あ゛」

 

「あらあら」

 

「くっふふ、らぶらぶですなぁ~」

 

「ね~」

 

「……ぐぁあああ!! アタシの事はもう良いだろ!? ほむらはなんか無いのかよ、そういう話!?」

 

 

 二度もカマ掛けに引っかかり、皆に微笑ましく見つめられて恥ずかしさが頂点を極めたのか、杏子はガシガシと頭を掻き毟りながら、同じ目に遭わせようと原因たるほむらに話を振る。

 

 

「……ごめんなさい、話の流れを切るようで申し訳ないけど、特には。先週もデートをしたくらいで――」

 

「え」

「え」

 

「――え?」

 

 

 流石に罰が悪そうにしていたほむらは、しかし、杏子の振りに答えられるだけのネタを思い出せず、正直にそう答えたのだが、まどかとさやかがそれに奇妙な反応を返す。

 

 

「……どうする、まどか。ほむらってば、バレてないつもりみたいだけど」

 

「……ど、どうしよっか……?」

 

「何かしら……?」

 

「鹿目さんと美樹さんは、何か知ってるの?」

 

「何だ何だ?」

 

「で、でも、言っていいのかな……?」

 

「う~ん、どうしよっか……」

 

「心当たりが無いのだけど……?」

 

 

 こそこそと話し続ける二人と、それに加わろうとするマミと杏子。

 そんな四人を見ながら、本当に心当たりが無いのか、ほむらは首を傾げた。

 先程の仕返しのつもりなのだろう、杏子は困惑するほむらを余所に、まどか達に話の続きを催促する。

 

 

「いいじゃんいいじゃん、アタシも話したんだから教えろよ~」

 

「……うん。あたしが言うより、まどかが言った方がダメージがデカそうだし、まどか、よろしくっ」

 

「えぇえっ!? そんなぁっ!?」

 

「な、なに? なんなの、まどか……?」

 

「あ、うぅぅ、えっと……ほ、ほむらちゃん、さ……」

 

「ええ……」

 

 

 顔を赤くし、俯きながら、まどかは口を開く。それを見据えながら、ほむらは背筋をピンと伸ばす。

 傍から見れば百合ん百合んな告白シーンにも見えるが、まどかはこれから言う事が恥ずかしく、ほむらは何を言われるのかと戦々恐々としていて、なんともちぐはぐな空気が漂う。

 そして、そんな空気をまどかの一言が打ち破る。

 

 

 

 

 

「……さ、最近、初Hしたでしょ……?」

 

「ほむぶっ!?」

 

 

 

 

 

 予想外にも程がある言葉に、ほむらが思いっきり吹き出す。

 幸い、口には何も含んでいなかった為、テーブルを汚す事は無かったが、能面の如きほむらの表情と違い、その思考は愉快な程に焦りまくっていた。

 それもそのはず、まだその事実は誰にも話しておらず、言うような事でもないと、心に秘めていたからだ。

 

 

「……な、何の事かしら……?」

 

「あはははははっ、な、何今の、ほむぶっ、って、あっははははは!」

 

「わ、笑わないで頂戴、佐倉杏子!!」

 

「まぁ、おめでとう、暁美さんっ」

 

「え、えぇ、あり、がとう……うぅ……何で……」

 

 

 とりあえず知らん振りをするほむらだったが、杏子の爆笑とマミの祝福に後戻りできない事を悟り、恥ずかしさに俯く。

 思わず「何で」と呟けば、さやかとまどかが顔を見合わせながらそれに答える。

 

 

「何でって、バレバレっしょ、あれは」

 

「うん。私もすぐ分かっちゃったもん」

 

「……わ、私、どこか変だったかしら……?」

 

 

 二人の言葉に、自分がどんな行動をしていたのか気になったほむらは、それを問い質す。

 すると、さやか達は若干呆れ気味な表情を浮かべながら、当時のほむらの様子を説明した。

 

 

「そりゃあ、ねぇ? 意味深にお腹を擦りながら、普段滅多に見せない微笑みを浮かべてれば、ねぇ……」

 

「うん……。ほむらちゃん覚えてないだろうけど、あの時、早乙女先生が荒れて大変だったんだよ?」

 

「ついでにほむらの事を狙ってた男子連中にも伝わったみたいで、軒並み血涙流してたわね」

 

「そ、そうだったの……?」

 

 

 そう言われて、ほむらは数日前の自分の行動を思い返してみる。

 確かに、恋人と結ばれ数日経った後も、下腹部に残る甘いうずきに、頬が緩むのを止められなかった。

 確かにそうだったけれど、しかし、学校では隠せていたつもりだったのに。

 あの緩みきった顔を誰かに見られていたと考えると、その途端、ほむらに激しい羞恥心が襲いかかる。

 

 

「でも、仕方ないよね? 凄く嬉しい事だもん。私、ほむらちゃんの気持ち分かるよ?」

 

「あたしもそうだったっけ……。一日中ニヤニヤして、親に気持ち悪がられたよ」

 

「は~、おかしかった……。ま、そりゃねぇ。二~三日は違和感が残って、どうしても思い出しちゃうもんな」

 

「……確かに、思い出しちゃうものねぇ」

 

「……あまり、優しくしないで……恥ずかしくて死にそう……」

 

 

 微笑みながら、次々に賛同の言葉をかける仲間達に追い討ちをかけられ、ほむらはテーブルに突っ伏して真っ赤になった顔を隠す。

 そんな彼女を見ながら、一人、マミだけは皆と別の事を思っていた。

 

 

(言えない。別の意味で忘れられない初体験になったなんて、皆の前では言えない)

 

 

 彼女達と出会ってしばらく経った頃、男っ気がまるで無かったマミに突如恋人が出来た事で、色々と質問責めにあったが、彼女達へは自分が誘惑して彼に手を出させた、と誤魔化し続けた。

 そのおかげか、皆からは大人の女性扱いをされて非常にいい気分だったのだが、それも長く続くと重荷になる。

 実際には、知らず知らずの内に好意を抱いていた現在の恋人が、マミに内緒で恋愛相談していたさやかと仲良くなり、名前で呼ぶようになった事に嫉妬を覚え、魔法を使って逆レイプを敢行したのだ。

 直前に、魔女との戦いで危うく死にかけ、精神が不安定になってしまったのも大きな理由であろうが、この事実を知られたら、間違いなくドン引きされる。

 そう思っているマミは冷や汗を隠し、それっぽい台詞でまたも誤魔化す事にした。

 

 ちなみに数日後、このパーティーに対抗して彼氏達が行った男子会にて、マミの恋人が半ば強制的にこの話をさせられる事となる。

 そして、その伝で仲間達にも逆レイプの事実が知られてしまい、しばらくの間、マミは皆に生暖かい眼で(なぜかまどかには畏敬の念を持って)見られる事になるのだが、それはまた別の話。

 それはさておき、さやかはいい具合に盛り上がった話の流れを、まどかへと誘導し始める。

 

 

「さて、順番で行くと、次はまどかかぁ、これは期待出来ますなぁ?」

 

「え? わ、私も話すの?」

 

「だって、この五人の中で一番彼女暦が長いのまどかじゃない。ここは是非、先輩としての力の差を見せてよぉ」

 

 

 いきなり話を振られ、まどかは戸惑うのだが、さやかはしたり顔で彼女を肘で突っつきながら催促する。

 さやかの言う通り、このお茶会に参加している中で一番早くに恋人を得たのはまどかであり、更に言うならば、一番早く“大人”になったのも彼女だ。

 それを聞いた当時のさやかは、相手がかなり年上なのを知っていたため、もしや無理矢理されたのではないかと、自分がそのお膳立てをした事も忘れて酷く心配したりもした。

 しかし、幸せオーラ全開のまどかに取り越し苦労である事を悟り、彼女の口から洩れる破壊力抜群の惚気話には相当に辟易したものだった。

 だが、最近ではそれも落ち着き(実際にはさやかが惚気出すようになって我が身を省みただけなのだが)、全く言われなくなるとなんだか物足りない気もするのである。

 

 

「えぇ? 時間の長さは関係ないと思うけど……。あ、えっと、じゃあ、一個だけ」

 

 

 さやかの言葉に困った表情を見せるまどかだったが、しかし何かを思い出したのか、首元をモゾモゾと探り、服の下に隠していたネックレスチェーンを取り出して見せる。

 それに通された、銀色の輝きを放つ小さな輪を見取ったほむらは、首を傾げながらまどかに問う。

 

 

「それは、指輪?」

 

「うん。婚約指輪」

 

「へぇ、そうなん――だぁぁあああっ!?」

 

「マジかよっ」

 

「……こっこここっ婚約ぅ!? いいい一体いつの間にそんにゃ事に……!?」

 

「暁美さん、落ち着いて? でも、本当にいつの間に?」

 

 

 特にもったいぶる事もなく答えるまどかに、いつも通りに相槌を打とうとしたさやかは、その内容を理解した途端、驚きの叫びを上げる。

 同じく杏子も声をあげ、ほむらも再度まどかに問いかけようとするのだが、余程慌てているのか言葉を噛みまくり、鶏になったり猫になったりと忙しい。

 そんなほむらを宥めながらも、マミもそれが気になったのか、まどかに同じ質問をする。

 

 

「えっと、マミさんの卒業式の、すぐ後に。このパーティーの事とか色々計画してたから、言うタイミングが無くて……」

 

「そうだったの、気を遣わせてしまったわね……。ともあれ、おめでとう、鹿目さんっ」

 

「よかったな、まどか」

 

「うんっ。ありがとう、マミさん、杏子ちゃん」

 

「あ~、ホントに吃驚した……。でも、おめでとっ。ちなみに、プロポーズの言葉は何だったんですかぁ?」

 

 

 マミ達の祝福の言葉に、まどかは幸せ一杯な、満面の笑みを持って返す。

 驚愕から回復したさやかもそれに続き、さながら芸能リポーターの口振りで更なる情報を聞き出そうとする。

 

 

「え、えっと、ね……? 『これからもずっと、まどかの隣に立っていたいから。あと二年、待っててくれるか?』って……」

 

「おおぉ、意外とシンプル。だがそれが良い!」

 

「そうだな。変に飾ってるより、分かりやすくていいじゃん。アタシはいいと思うけど」

 

「ええ、想いが込められていれば、それに勝る物はないと思うわ。本当に良かったわね?」

 

「はいっ」

 

「……はっ……そ、そうね。手を出しておいて逃げるようなら、コンクリ詰めにして海に沈める所よ」

 

 

 仲間達の言葉に、まどかはもう一度笑みを浮かべて深く頷く。

 その笑顔を見て、ほむらもようやく再起動するのだが、祝福するには完全に出遅れた感があり、仕方なくまどかの恋人を指して(割かし本気で)言う。

 しかし、それを聞いたまどかは、不貞腐れるように頬を膨らませた。

 

 

「あぅ……。ほむらちゃんまでママと同じこと言わないでよぉ。そんな無責任な人じゃないもん……」

 

「あら、と言う事は、お母様にはもう……?」

 

 

 まどかの言葉から、彼女の母親は既に関係を知っているのだと悟ったマミがそう言うと、まどかは小さく頷く。

 

 

「はい、指輪を眺めてる所を見つかっちゃって……。でも、ママにはもっと前からバレてたみたいなんです。メールとか、出かけるタイミングとかで」

 

「うぇ、そうだったの? じゃあ、お泊りのアレとかも……?」

 

「やっぱり、途中からバレてたみたい。良い機会だからって、こってり怒られちゃった」

 

「……仕方ないわ。何だかんだで、私達はまだ中学生なのだし。交際自体は反対されなかったんでしょう?」

 

「うん。『アイツなら浮気の心配もなさそうだし、いいんじゃない?』って。でも『中学生に手を出した落とし前はつけさせるけど』とも言ってたから……。酷いことされないと良いんだけど」

 

「怖ぇな……。でも、付き合いを認めて貰えただけ良かったって考えなよ。親父さんも認めてくれたんだろ?」

 

「あ、ううん。パパはまだ気づいてないみたいなの」

 

 

 母親の言葉を思い出し、恋人の安否を心配したまどかが不安に表情を曇らせる。

 そんな彼女に、杏子はポジティブに考えた方が良いと言いながらその父親を引き合いに出す。

 しかし今度は首を横に振るまどか。

 

 

「ママが言うには、パパって恋愛に関してはすっごく鈍感なんだって。それで、丁度いいからまだ秘密にしておいた方がいいって」

 

「あれ、そうなの? なんか意外。まどかのパパって気配り上手だし、かなりモテそうなのに」

 

「それは、そうだったみたい。『ライバルが多くて、既成事実作んのに苦労したよ』って言ってた」

 

「へぇ。なんかアタシと気が合いそうだな……。でも、何で秘密にすんだ? いい人そうだったし、ちゃんと話せば認めてくれるんじゃ?」

 

 

 その話を聞いて、杏子は彼女の母親に親近感を覚える。彼女自身、煮え切らない態度を取る恋人(当時はまだ恋人ではなかったが)に迫った経験があり、他人事の気がしなかったのだ。

 だが、親近感を覚えたが故に、なぜわざわざ秘密にするのか理解できず、杏子は疑問に思う。

 今食べているケーキを作りに、まどかの家にお邪魔した時。

 突然お邪魔する事になったにも関わらず、にこやかに微笑み、快く迎え入れてくれたあの父親なら、正直に話しても無碍にはしないだろうと杏子は思うのだ。

 

 

「うん、私もそう思うんだけど……。『男親ってのはそういうもんだから、ちゃんと責任とって貰える年齢になるまでは、パパを不安にさせないように。じゃないと血の雨が降るぞ?』って……」

 

「ぶ、物騒だな、おい……」

 

「流石にそれは無いんじゃ……」

 

「よねぇ……」

 

「……分かる気がするわ。まどかがお嫁に行くと知った時の、ロボライダーとかバイオライダーに変身できそうな、お父様の気持ち」

 

「ええっ、なんで!? ていうかやっぱり例えがよく分からないよ!?」

 

「今度は仮面ライダー……。しかもBLACK・RXて。どんだけ好きなのよあんたは……」

 

 

 まどかにとっては、いつも優しい父親がそんな事をするとは思えず。

 また、この優しい少女の父親がそんな事を出来るのかと、仲間達もそれを否定するのだが、一人、ほむらだけは肯定の言葉を返し、まどかは驚く。

 そんな彼女を余所に、ほむらはこの時間軸に遡行してきた当初の事を思い出していた。

 

 彼女が、その母親の部下である会社員の男性と交際している事実を知ったほむらは、しばらくムンクの叫びっぽい形相を浮かべた後、時間遡行の間に磨き抜いたスニーキング技術を駆使してその詳細を調べ上げた。

 勿論、まどかが騙されたりしていた場合、相手の男を物理的・社会的に抹殺する為に、だ(後々考えて、実行していたらまどかも傷つけてしまっていたであろう事に気づき、冷や汗をかいた)。

 だがしかし、思いのほか健全なお付き合いを重ねた上で恋人同士になった事を、デート場所の監視カメラの映像から理解したほむらは、断腸の思いで彼女達の仲を(勝手に)認めたのだった。

 きっとこの気持ちは、実の父親である鹿目知久氏の親心にも通じるだろうと、ほむらは(勝手に)思っている。

 そして、ワルプルギスの夜を越えた後、我慢しきれなくなって銃を後ろ手に脅しをかけようと接触した時。

 まどかへの気持ちを確かめるためにした問いかけへ、視線を逸らさず、つっかえながらも真っ直ぐな想いを語って見せた彼であれば、まどかと共に幸せになってくれると、信じてもいる。

 

 ……けれど。

 ほむらは、どうしてもある事を確かめたくなり、紅茶で唇を湿らせてから、おもむろに口を開く。

 

 

「……ねぇ、まどか」

 

「な、何、ほむらちゃん」

 

「……今、幸せ? まだ、魔法少女になりたいって、思ってる?」

 

「え? …………ん、と」

 

 

 その質問は、かつて、あの渡り廊下で交わされた問答と同じ真剣さを漂わせていた。

 まどかの今を考える限り、幸せであるのは間違いないと、普通なら思える。そのために幾度となく時を繰り返し、絶望を乗り越えて来たのだから、これ以上の喜びはない。

 何のおまけか、自分まで幸せになってしまった事に不安を覚えた事もあったが、恋人のおかげで、最近は素直に幸せを感じる事も出来る。

 しかし、どうしても。

 自分に都合のいい結果を無理矢理に作り出したような、そんな気がしてしまうのだ。

 

 

「今は、思わない、かな……?」

 

 

 だが、ほむらの言葉をしっかりと受け止め、それに投げ返された柔らかい微笑みが、そんな気持ちを消し去って行く。

 

 

「さやかちゃんと仁美ちゃんに、マミさん、杏子ちゃんに、ほむらちゃん。

 大事な友達が、こんなに沢山居て。

 私の事を大好きだって言ってくれる、パパや、ママや、タツヤも。……あの人も、居てくれて」

 

 

 なにか、形のない物を握り締めるように、胸元で小さく手を握り。

 瞼を閉じて、その裏へ大切な人々を思い描きながら。

 まどかは、確かな幸福を言葉に乗せる。

 

 

「これ以上幸せな事なんて、私、思いつかない。

 だからもう、魔法少女にはなりたいって思わないと思う。

 だって、もう願い事は叶っちゃってるもん」

 

「……そう。良かったわね」

 

「うんっ」

 

 

 もう何度目かは分からないが、それでも飽きること無く、まどかとほむらは微笑み合う。

 この世界は、あいも変わらず悲しみと憎しみを繰り返し、希望の光は容易く陰ってしまうほど弱弱しい。

 けれど、この笑顔は。

 ほむらにとって、どんな暗闇の底でも余す所無く照らしてくれる、太陽の光にも思えるのだった。

 そして、そんな太陽は恥ずかしげに俯き、自らも相談事がある、と口を開く。

 

 

「……それで、ね? この際だから、皆に相談したい事があるんだけど……。いいかな?」

 

「えぇ、勿論よ」

 

「後輩の相談に乗るのも、先輩の役目ですもの。遠慮しないで?」

 

「そうそう。大船に乗ったつもりで、さやかちゃんに話して御覧なさい?」

 

「さやかはともかくとして、言うだけ言ってみなよ。アタシも、まぁ、力になれる事なら手伝ってやるからさ?」

 

「ともかくとしてってどう言う事? 言っとくけど、あたしはまどかの親友なんだからね? まどかだってあたしを信頼して相談――」

 

「ありがとう、皆……。それで、なんだけど……」

 

「――あれ? なんでスルーするの? ねぇなんで?」

 

 

 スルーされた事にさやかは焦りを募らせるが、まどかはこれからする相談の事で頭が一杯なのか、その言葉には答えない。

 断じて恋愛事に関して彼女が頼りにならないからでは無い。決して無い。本当に無い。少なくともまどかはそう思っている。

 そして、照れ臭そうな少女の口から出た言葉は、四人を大きく狼狽えさせた。

 

 

「そ、の……え、Hの時、最後までしないで男の人を満足させるには、どうすればいいかな、って……」

 

「あ~……え?」

 

「お、おぃおぃ」

 

「……き、急にどうしたの? 鹿目さん」

 

「ママに言われたんです。『来年は受験が控えてるし、成長にも影響が出るから、少なくとも高校生になるまでは禁止!』って。

 でも、我慢させちゃうのは可哀想だし、ちゃんとしてあげたいんですけど、いつもして貰うばっかりだったから、よく分かんなくて……」

 

「……ごめんなさい、私は、力になれそうも無いわ……」

 

 

 経験回数がまだ一回の身では流石に助けになれそうも無く、ほむらは力になれない事を悔やんで目を落とす。

 実際のプレイ内容を比べると案外そうでもないのだが、二人がそれを知るなずも無く、彼女は慌てて手を振り、ほむらと、他の皆にも声をかける。

 

 

「あ、いいの、気にしないで? 恥ずかしい事だし、皆も無理に相談に乗ってくれなくても……」

 

「……ちなみに、まどかはどのくらいだったの? 回数とか」

 

「……えっと、週に、一~二回くらい。お仕事で忙しいから、週末にしか会えないし……。さやかちゃんはどう?」

 

 

 さやかに問われたまどかは、体を縮めながらも相談主が隠してはいけないと思い、正直にそれに答え、今度は逆にさやかに同じ質問を返す。

 

 

「うぇ!? あ、あたし!? ……え~と、し、週に二回か、三回、ぐらい……かな? 最後までするって訳じゃないけど……」

 

「そうなの? じゃあどうやって……?」

 

「どうやってって……それは、く、口とか、手とか、ふともも……ぬぁああ!? あたし何言ってんのぉ!?」

 

「そっかぁ……。やっぱり、喜んでくれるのかな……?」

 

「さ、さぁ? 嫌がられてはいないと思うけど……。マ、マミさんはどうですかっ?」

 

「えっ!? わ、私は……」

 

 

 思わず赤裸々に答えてしまったさやかは、それから逃げるため、自分よりも恋人歴の長いマミに話を振る。

 流石に性生活をバラすのは恥ずかしいのか、マミも言葉に詰まってしまうのだが――

 

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 

 ――無言のまま、期待に満ちた視線を向ける後輩三人に根負けし、おずおずと口を開く。

 

 

「……み、三日に一回、くらい……? 家が、近いし……」

 

「おぉ……」

 

「そ、それで、マミさんは、どんな……?」

 

「………………」

 

「うぅん、と……大体は、美樹さんと同じ、なんだけど……後は、胸とか……」

 

「ふむ、胸、かぁ」

 

「胸……」

 

「……っ」

 

 

 マミの言葉に、さやかはなるほど、と納得するのだが、彼女のように重装甲を纏っていないまどかとほむらは落ち込んでしまう。

 やはり胸か、そんなにおっぱいがいいのか、と。

 世の男性全てにそれが適応されるとは彼女達も思っていないが、それでも悔しいものは悔しいのだ。

 

 

「……契約すれば、おっぱい大きくできるかな……?」

 

「ちょ、まどかぁ!? だ、駄目よ!?」

 

「分かってるけど、でもぉ、だってぇ……」

 

 

 そして、悔しさに負けそうになったまどかは、さっき自分が言った言葉も忘れて、奇蹟に縋ろうかな、などと思ってしまうのだった。

 本気ではないと分かっていても、その言葉にほむらは大いに慌て、自身の胸を抱えながら涙目になるまどかを諌める。

 ほむらの焦る声を聞いて、流石にまどかも自重するのだが、まだ諦めきれないのか、未練がましく言葉を続けて――

 

 

「だ、大丈夫よ鹿目さん。まだ成長期なんだし、焦る事ないわ?」

 

「うぅ、はい……」

 

「……ほっ」

 

 

 ――そんなまどかをマミが励まし、揉まれて大きくなったその人の言葉に少しは希望が持てたのか、今度は大人しく忠告に従う。

 ほむらがほっと溜息をつき、話はこれで終わりかと思われたが、なぜか一向に話に参加してこない人物が居ることに気付いたさやかは、その人物に話を向ける。

 

 

「あれ、そう言えば、さっきからなんで黙ってんのよ、杏子?」

 

「うぇ!? あ、アタシは……」

 

 

 急に振られたせいか、杏子は驚きに体を跳ねさせる。

 彼女を見て、そう言えば、とマミも参加を促す。

 

 

「佐倉さんはどう? 私から見れば、そういう事に厳格な印象があるのだけど……」

 

「え、えっと……」

 

「そうそう、元とは言え、クリスチャンなんだし……なんだっけ、て、てい……?」

 

「……貞節、かしら?」

 

「そう、それっ。あたしもそんな気がするんだけど、実際どうなのよ?」

 

「アタシ、は、その……」

 

「……杏子ちゃん、無理に答えてくれなくてもいいんだよ? もう十分助けて貰ったし……」

 

「うぐっ」

 

 

 内心、参加せずに済ませたいと祈っていた杏子だったが、しかし、自分だけ黙っている事に後ろめたさも感じてしまい、しばらく迷った後、躊躇いがちに口を開く。

 

 

「……アタシ、は……」

 

「……アタシは?」

 

「……ま、毎日……」

 

「……えぇ!?」

 

「まぁ」

 

「ふわぁ……」

 

「……意外ね」

 

「だ、だってっ!! ………………断れないじゃん………………気持ち良いし」

 

 

 語られた思わぬ言葉に、皆はそれぞれ驚いてみせる。

 こういう反応をされるだろうから黙っていたかった杏子は、いっそ口に出して楽になってしまったのか、破れかぶれに自分の気持ちを表す。

 

 

「………ぁあ、もうっ!! 分かってるよ、自分でも盛り過ぎだって!! ……でも嬉しいんだよっ……アイツに、求められるのが……。だから、応えてやりたくて……」

 

「それは……分かるけどさ……」

 

「確かに、そうね……」

 

「ですね……」

 

「えぇ……」

 

 

 杏子の言葉は、愛する男性を持つ他の四人にとっても共感できる物だったのか、彼女達は静かに頷く。

 けれど、毎日となると流石に体が心配になり、さやかがそれを口に出す。

 

 

「でも杏子、ちゃんと避妊とかしてる? 万が一出来ちゃったりしたら大変だよ?」

 

「そうね。私達もまだ学生だし、気をつけないと……」

 

(今、もの凄く『お前が言うな』って突っ込みたくなったのは何故かしら……)

 

 

 ほむらの受信した電波はともかくとして、さやか達の意見がもっともである事と理解できる杏子は、少し不貞腐れながらも愚痴をこぼす。

 

 

「分かってるよ。ちゃんと、アイツの方から言ってくれるし……。でも、結構高いんだよな、アレ」

 

「そうだよねぇ……。かと言って、安物だと逆に不安になるし……」

 

「それでも大事な事よ。私達、本当ならまだこんな事しちゃいけない歳なんだし。暁美さんも気をつけてね?」

 

「……はい。でも、大丈夫です。魔法で止めてますし」

 

「え、魔法少女ってそんな事も出来――」

 

「その話、詳しくっ」

「その話、詳しくっ」

「その話、詳しくっ」

 

「えっ」

「――ぅわわっ」

 

 

 話の流れから、マミはこの中で一番経験の浅いほむらに注意を促すのだが、そんな彼女が放った一言へ魔法少女達が一斉に食いつく。

 その勢いに、詰め寄られたほむらは勿論、言葉を遮られたまどかも驚いてしまった。

 

 

「……く、詳しくも何も、言葉通りなのだけど……?」

 

「それ、本当なんでしょうね? 嘘だったら酷いんだからねっ?」

 

「何でそんなに必死なの、美樹さやか……。元々、魔法少女はそういった体調に影響され難いようになっているの。

 それにちょっと魔力を上乗せして止めているだけよ? 事実、魔法少女になってからは、生理に悩まされる事はほとんど無くなったと思うのだけど……?」

 

「……おぉ。言われてみれば、確かに。全然気付かなかったわ」

 

「……そうなの? 私、魔法少女になってから来たから、良く分からなくて」

 

「あ、アタシも。こうしてみると意外と便利かもな、この体」

 

「………………」

 

 

 魔法少女達のやり取りを聞きながら、まどかは口元に握り拳を当て、考え込む。

 その姿に不穏な物を感じたほむらは、先んじてそれを窘める。

 

 

「……まどか、駄目よ?」

 

「ふぇ!? わ、私何も言ってないよ!? ……ちょっと羨ましいなって思っただけで――」

 

「だったら、僕と契約して魔法少女に《パンッ》ぎゅっぷいっ」

 

「――きゃっ!!」

 

 

 慌てて言い訳をするまどかの背後に、何処からともなく現れた白いネコのような動物――キュゥべえは、台詞を全て言い終える前に生涯の幕を閉じる。

 その命を奪ったのは、一瞬の内に格納空間から取り出した小型の拳銃《ワルサーPPK》を構えるほむらだった。

 銃弾が貫通して床や家具を傷つけないよう、二十二口径を選ぶ辺り、実に殺り慣れている。

 だが、こうなる事は予測出来ていたのか、すぐさま新しい固体が現れ、自らの遺体を経口摂取で回収し始めた。

 

 

「出たわね、この白い■キ■リ」

 

「酷いじゃないか、ほむら。いきなり撃ち殺すなんて……。はむはむ」

 

「ちょっと、駄目よ暁美さん」

 

 

 魔法少女の真実を知る彼女達にとっての憎い相手、しかも無限残機の異星人相手とは言え、いきなり発砲したほむらを、マミは諌める。

 

 

「部屋が硝煙臭くなっちゃうから、ここでは銃は禁止! 撃つのなら外で!」

 

「僕の事はもう心配してくれないんだね……。きゅっぷい」

 

 

 しかし、その理由はなんともアレで、自分の残骸を捕食し終えたキュゥべえはどことなく寂しげに呟く。

 感情を持たない彼らの事、それすらもおそらくは、経験上身に着けた反射行動なのだろうけれど。

 

 

「自業自得よ。貴方と契約したおかげで生き延びられた事には感謝するけど、説明責任を怠った事についてはまだ怒ってるんですから」

 

「やれやれ。さっきは出遅れてしまったけど、このタイミングであればまどかと契約できると思ったんだけどなぁ。無駄足だったかな……」

 

「あ、当たり前だよ、そんな理由で契約なんかしないもんっ」

 

 

 エネルギー回収ノルマ達成の目処が立ったとは言え、より多くエネルギーを回収するに越したことは無いと、キュゥべえは定期的にまどかを魔法少女に勧誘し続けている。

 その度に、どこからともなく飛んできた弾丸や剣、槍によって命を落としているのだが、それでも懲りない所に、彼等にとっての“個”の価値という物が伺えるだろう。

 そんなキュゥべえに、普段は温厚なまどかも流石に嫌気が差していたのか、彼女はキュゥべえの死を意識から追い出し、契約する気はないとはっきり告げる。

 

 

「ふむ。別に珍しい理由ではないんだけど、君はそう感じるんだね。参考になるよ」

 

「え、どういう事?」

 

 

 その言葉に、キュゥべえが冷静に返すと、彼(?)の言った事が気にかかったまどかは問い返す。

 あらかじめ答えを用意していたのか、キュゥべえはスラスラとそれに答え始めた。

 

 

「魔法少女になると、痛みや生理反応の制御が出来るようになるのは皆知ってると思うけど、それが目当てで契約する子も少なくないんだよ。

 君達の年頃の女性体は、性的な快楽に溺れ易い傾向にあるからね……。ついでに願いも叶えられて一石二鳥だったと言った子も、何人か居るよ」

 

「うわ~、そんな子が居るんだ……。信じらんない」

 

「あんまり、褒められた事じゃないわね」

 

「だな……」

 

「下品ね」

 

 

 あまりにも明け透けな顔も知らない魔法少女達に、同じ魔法少女であるさやか達は顰蹙を隠さない。

 しかし、その様子にキュゥべえは首を傾げる。

 

 

「あれ。でも君達も、結構な頻度でセックスしてるじゃないか。マミや杏子はほぼ毎日、さやかだって二日と置かず――」

 

「ちょっ!?」

「やだっ!?」

 

「え、さやかちゃん、マミさん……?」

 

「……これは、また……」

 

「お、おいっ、どう言う事だよ!? 嘘ついてたのかお前等!?」

 

 

 そう、実はさやかとマミは、まどかの節度ある交際の報告の後に、自分達の本当の事を言ったら皆に引かれるんじゃないかと、嘘の申告をしたのだ。

 杏子の爆弾発言もあり、何とかバレずに話が進んで、少し罪悪感を感じると共にかなり安心していたのだが、思わぬ形で実情を暴露されてしまい慌てふためく。

 

 

「い、いや、その、ちがっ……はっ。まさかキュゥべえ、あんた覗いてたんじゃないでしょうね!?」

 

「覗くだなんて心外だなぁ。確かに、魔法少女の情報は常に収集してるけど、それだって君達の体調管理のためなんだよ。無理して倒れられては困るからね」

 

「………………そう、覗いてたのね」

 

 

 どう言い訳しようかと必死に頭を回転させるさやかだが、その中で、何でキュゥべえが知っているんだと気づき、まさかと問いかければ、彼は当然だと言わんばかりに説明する。

 それを聞き、先程からずっと顔を俯かせていたマミは酷く平坦な声を出す。

 

 

「恥ずかしがることは無いよ。この国の法律に照らし合わせると確かに違法だけれど、君達の大儀を考えれば小さな問題――あれ。なんでリボンで拘束するんだい、マミ」

 

 

 マミが羞恥心に耐えかねているのだと判断したキュゥべえは、恥じることは無いと言葉をかけるのだが、それは火に油を注ぐような物。

 先に言った通り、感情を持たない彼等ではそう考えても仕方ないのだろうが、数千年の長きに渡って魔法少女に携わって来た存在にしては、お粗末な思考ルーチンとしか言いようが無かった。

 案の定、羞恥心を怒りに変換したマミは、キュゥべえを逃がすまいと無言で魔法を発動、黄金色のリボンでその体を宙に固定する。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

「まどか、少し離れましょう」

 

「……う、うん」

 

「さやか、マミ、後で覚えてろよ。とりあえずこれは貰っとくぞ?」

 

 

 それを見て、さやかも無言で立ち上がり変身、キュゥべえに向かって剣を構える。

 危険と判断し、ティーカップを持って席を立つほむらに促され、まどかもティーポットを手に避難。

 一人だけ馬鹿正直に性生活を披露してしまった杏子も、テーブルに残っているショートケーキと、さやかとマミの分の皿を確保してから、同じくその場を離れた。

 そして、生命の危機だというのにキュゥべえは落ち着き払い、いかにも肩を竦めているような声で言う。

 

 

「やれやれ。事実を指摘しただけだというのに、君達は時折そうして過剰に反応するね。訳が分からないよ」

 

「美樹さん。やっておしまい」

 

「了解っ!! 死ねこの淫獣!!」

 

「ぎゅっぷいっっっ」

 

 

 こうして、赤裸々な性生活を暴露された魔法少女二人の手によって、本日二体目のインキュベーターが天に召される事となった。

 

 余談だが、このパーティーが行われた月、見滝原で謎の死を遂げるインキュベーターの数は三桁に及んだそうな。

 また、他の魔法少女にもキュゥべえの覗き騒動は伝播し、半年近く、世界中のインキュベーターが魔法少女の部屋から締め出しを食らったとさ。

 

 

 ざまぁである。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「それじゃあ、マミさん。お邪魔しました」

 

「……お邪魔しました」

 

「しました~」

 

「ご馳走さん。また今度な」

 

 

 玄関前で、四人はそれぞれ別れの挨拶を口にした。

 一人ドアの内側に立つマミは、彼女達の顔を見回しながら笑顔で答える。

 

 

「ええ。皆、また気軽に寄ってね? 待ってるから」

 

「はい。またメールしますね」

 

「さ~て、アタシはさっさと帰るかな。今日の晩飯は何かなぁ~」

 

「杏子、あんたあれだけケーキ食べてまだ食べるの? いい加減太るわよ?」

 

 

 別れの挨拶を済ませるまどか達を余所に、未だに食欲を見せる杏子の言葉を聴いてさやかが突っ込む。

 キュゥべえの処断が終わった後、恥ずかしさから嘘をついていた事を素直に謝った二人。

 まどかは「恥ずかしがる気持ちも分かるから」と快く許してくれたのだが、嘘をつかれた事が面白くなかった杏子は、二人の分のケーキと引き換えにそれを許したのだ。

 結果、彼女のお腹の中には半ホール分のショートケーキが収められる事となったのだが、杏子からすれば、それは満足に足る物ではなかったらしい。

 

 

「いいんだよ、アイツの飯は別腹っ。それに、食っても殆ど太らないしな、アタシ。むしろ、どうしてケーキ食ったぐらいで太るのか不思議なんだけど」

 

「……杏子。あんた今、世界中の女子を敵に回したわよ」

 

「……? なんで?」

 

 

 さやかの物言いに、ダイエットなどという言葉にまるで縁のない杏子は、実に不思議そうに首を傾げる。

 基礎代謝力が高いのか、彼女は幾ら食べても太る気配を見せないのだが、世の女性達からすれば羨ましいにも程がある体質だろう。

 その証拠に、二人の会話を聞いていたマミも頬に手を当て、溜息をつきながら羨望の眼差しを向けるのだが、しかしそうも言っていられない、と腕まくりをして見せる。

 

 

「ホント、羨ましいわ……。さてと、私も腕によりをかけなくちゃ!」

 

「あれ、マミさん、もしかして……?」

 

 

 マミの様子を見てピンと来たのか、まどかが尋ねてみると、彼女は少し照れながらそれに頷く。

 

 

「えぇ。実はこの後、彼が夕飯食べに来てくれる予定なの」

 

「……じゃあ、早めに切り上げて正解でしたね。御邪魔する訳には行きませんし」

 

「気にしてくれなくても良かったんだけど、でもありがとう。ちゃんと準備したかったから、今回は助かっちゃった」

 

「先輩も幸せ者だね~。こんなに甲斐甲斐しい恋人持って」

 

「ふふ、ありがとう、美樹さん。それじゃあ、またね?」

 

「は~い」

 

「マミさん、さようなら」

 

「……失礼します」

 

「またな~」

 

 

 再びの挨拶の後、マミの姿はドアの向こうに消えていく。

 それを見送ると、四人は揃って、マンションのエレベーターに向かって脚を進め始める。

 

 

「それじゃ、皆で一緒に帰ろっか」

 

「つっても、アタシは逆方向だし、マンション出るまでだけどな」

 

「まどか、途中まで送っていくわ」

 

「うん。ありがとう、ほむらちゃん」

 

 

 季節柄、日の落ちるのが早くなり始めていて、西から差し込む太陽の光は、既に茜色に染まっていた。

 冷たい風を避けるため、自然と身を寄せ合い、仲睦まじくマンションから出る自動ドアをくぐる。

 

 

『皆、大変だっ』

 

「げっ、キュゥべえ!?」

 

「チッ、今日はやけに多いわね……」

 

 

 ――と、突然、四人の頭に声が響く。

 それがキュゥべえからのテレパシーだと気付くと、さやかとほむらは露骨に嫌そうな顔を浮かべ、次いで転送された彼の言葉は、その表情を再び一変させるに十分なものだった。

 

 

『魔女の気配が複数、固まって移動してるっ。かなり強い邪気だよっ』

 

「なんですって……!?」

 

「マジかよっ!?」

 

 

 グリーフシードの制限が無くなってからというもの、魔女も使い魔も区別なく掃討しているおかげで、この街での魔女の出現率はかなり低くなってきている。

 とはいえ、全てを狩り尽せる訳ではなく、こうしてキュゥべえが魔女の気配を知らせてくるのは珍しい事ではない。しかし、魔女が複数、しかも固まって移動するというのは妙だ。

 魔女は本来、結界の奥深くに潜み、使い魔を介したり、偶然結界の近くを通りかかった人間を引きずりこんだりして、彼等の魂を糧とする。

 その結界は往々にして、人目に付かない寂れた場所か、逆に人が多く、負の感情が集まりやすい場所に敷かれるが、あまりに死者が出すぎれば人が近寄らなくなるため、魔女の縄張りが重なる事はまずない。

 この性質上、より良い場所を求めて移動する事はあっても、複数の魔女が同じ所に出現するなんて、在り得ないのだ。

 それを熟知している杏子とほむらは、この奇妙な事態に不穏な気配を感じ、戦慄する。

 

 

『こんな嘘ついても、ボクにメリットは無いよ。ここ数ヶ月、君達は積極的に魔女や使い魔を狩っていたから知らせたんだけど。それとも、余計な事だったかい』

 

「……余計ではないけれど、空気は読んで欲しかったわね、貴方も魔女も。ごめんなさいまどか、送っていくのは無理そう」

 

「ううん、気にしないで? まだ明るいし、急いで帰れば大丈夫だから……けど……」

 

「……?」

 

 

 折角、穏やかな気持ちのままで一日を終える事が出来る筈だったのに、突然の闖入者のせいでそれがぶち壊しになり、ほむらは不機嫌そうに顔をしかめる。

 それでもなお自分を気遣う彼女に、まどかは大丈夫だと手を振るのだが、その顔は別の理由によって曇り始めてしまう。

 表情からだけでは、流石にまどかの胸の内を図り切れず、ほむらが首を傾げていると――

 

 

「良かった、皆まだ居た……!」

 

「え、マミさん、なんで……?」

 

「そうですよっ。先輩への手料理はいいんですか?」

 

 

 ――背にしていた自動ドアが開き、その向こうから、料理の準備をしている筈のマミが姿を現す。

 彼女にもキュゥべえからのテレパシーは届いていたのだろう、その表情は既に魔法少女としての物に切り替わっていた。

 

 

「魔女が来てるって聞いて、のんびり料理なんてしてられないわよ! 私も出るわ!」

 

「だな。数が居た方が確実だし……。ま、ケーキ食ったし、腹ごなしには丁度良いんじゃない? アタシ、先行くよっ」

 

「ええ! 彼が帰ってくる前にパパっと片付けて、夕飯の支度しなきゃ!!」

 

 

 言うが早いか、杏子とマミは、一瞬でその身を魔法少女の衣装に包み、キュゥべえが示した方角に向けて跳躍する。

 

 

「私達も行くわよ」

 

「うんっ。じゃあ、まどか。気をつけてね?」

 

「あ、うん……」

 

 

 それに続き、ほむらとさやかも魔法少女へと変身。

 跳躍しようと、脚に魔力を流そうとした、その時――

 

 

「……あの、ほむらちゃんっ」

 

 

 ――跳び立とうとしていた背中を、まどかの声が呼び止める。

 振り返ったほむらの目に映ったのは、胸元で硬く手を握る、まどかの真剣な表情だった。

 

 

「……何? まどか」

 

「私、魔法少女じゃないから、こんな事ぐらいしか……。応援くらいしか、出来ないけど……」

 

 

 一度、そこで言葉を切って。

 まどかは深呼吸をし、自分の気持ちの全てを、ただ一言に乗せる。

 

 

 

 

 

「頑張って」

 

 

 

 

 

 その言葉は、ほむらの胸に、柔らく、暖かな細波を起こした。

 彼女は、それによって胸の内に生まれた物を隠すこと無く。

 直視すれば誰もが魅了されてしまうような、心からの微笑を浮かべ、まどかに応える。

 

 

「……ええ、十分よ」

 

「……うん」

 

 

 微笑み、視線を重ねる二人。言葉は少なかったが、彼女達の間には、確かな絆を感じる事が出来た。

 さやかはそれを優しく見守っていたのだが、それっきり彼女達は二人だけの世界に入ってしまったようで。

 自分が止めないといつまでもこうしているんだろうなぁ、と判断したさやかは、仕方なく、茶化すようにして二人の間に割って入る。

 

 

「相変わらずラブラブですな~、まどほむは。でも、ちょっと寂しいぞぉ、あたしには何にも無いの~?」

 

「そ、そんな事無いよ? さやかちゃんも、怪我しちゃ駄目だよ?」

 

「んっ、気をつける。でもその前に、まどか分を充電しなきゃ~、うりうり~♪」

 

「ふわっ、も、もうっ、さやかちゃん、駄目だよぉっ」

 

 

 仕方なくとは言ったが、やはり親友を取られてしまったようで寂しかったのか、さやかはまどかに抱きつき、彼女に頬をすり寄せる。

 まどかの方も満更ではないのか、口では駄目だと言っても、その顔は笑っていた。

 そんな親友同士のじゃれあいに、ほむらもまた少し嫉妬を覚えるのだが、流石に自重したのか、小さく苦笑した後、背を向けながら呼びかける。

 まどかとの時間を邪魔された事への、ちょっとした意趣返しを込めて。

 

 

「じゃれるのはその位にしなさい。……行くわよ、さやか」

 

「はいは~い………………あれ? え、ちょっとほむら、今なんて――」

 

「ふふっ」

 

 

 唐突な変化に、さやかは目を白黒させてほむらに問いかける。

 それに答えず微かに笑い、ほむらは跳躍する。

 そして、彼女を追うようにさやかも。

 

 

「あ、ちょっとぉ!? ……それじゃ、行ってくるねっ」

 

「うんっ、皆、がんばれ~!!」

 

 

 跳び立つさやか達に、まどかは大きく手を振り、激励を飛ばす。

 その声を背に受けながら、ほむらは思う。

 

 

(まるで、本当に飛んでいるみたい)

 

 

 勿論、その背中には、翼なんてあるはずも無い。

 しかし。

 

 

「お、やっと来たか」

 

「急ぎましょう、被害が出てからでは遅いわ!!」

 

 

 近くのビルの屋上で合流を待っていた先輩魔法少女二人。

 槍を肩に担ぎ、何処に持っていたのか、お菓子を咥えながら不敵に微笑む、佐倉杏子。

 凛々しい表情で、魔女の反応のする方角を見据える、巴マミ。

 

 

「ごめん、おまたせっ」

 

 

 少し慌てながら急ぎ足で合流する、美樹さやか。

 そして。

 

 

「―――――――――!!」

 

 

 未だにこちらに手を振り続ける、鹿目まどか。

 彼女達の気配を感じると、ほむらはこう思うのだ。

 

 

 

 

 私の選んだ道は、とても険しく、苦しい物だったけれど。

 それを歩んだ事で、今、この瞬間があるのだとしたら。

 この道を選んだのは、きっと間違いではなかった。

 ……翼なんて、いらない。

 そんな物なくても、皆と一緒なら。

 きっといつまでも、何処まででも、飛んで行ける。

 

 輝ける、未来へ向かって。

 

 

 

 

 

「さぁ、行きましょう! どんな魔女が相手でも、この四人が揃っているなら、もう何も怖――」

 

「言わせないわよっ!?」

 

「――え?」

 

 

 

 

 




 和子先生に『BBA結婚してくれ』と言ってみたい。


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【彼氏達の】蛇足なおまけ【交流】

 

 

「皆、掴んだ?」

 

「はい」

 

「大丈夫ですよ」

 

「OKです」

 

「掴みました」

 

 

 小さな箱から突き出た割り箸の先端を掴み、小さな円形のテーブルの周囲を、五人の男達が車座になって座っている。

 むさ苦しい事この上無いが、彼等の表情は真剣そのもので、このくじ引きによって己の運命が決まるかのような、そんな雰囲気すら漂っていた。

 

 

「じゃ、行くよ。せーのっ!!」

 

 

 この中で一番の年長であり、彼等が今居る部屋の主でもある青年の掛け声と共に、割り箸達が引き抜かれる。

 その先端につけられていた札を目にした瞬間、彼等は悲喜交々、様々な表情を浮かべた。

 

 

「よしっ、自分は『自分』のままっ。いや~、助かった~」

 

 

 喜んだのは、先程の掛け声の主である、駅前に集合する時に目印代わりに着た、背広姿の青年。

 

 

「『俺』……。一番年下なのに、いいのかな……?」

 

「こっちは『僕』か。なんか、すっごい違和感が……」

 

「『私』、ね……。変な感じだ。一人称に引っ張られそう……」

 

 

 普段と特に変わらないのは、背広の青年の左側に順に座る、同じく目印代わりに、それぞれの通う学校の制服を着た二人の少年と、眼鏡を掛けた青年。

 

 

「……よりにもよって『あっし』ってなんだぁああ!? なんでこんなもん入れんだよさやかぁぁあああ!?」

 

 

 そして悲しみに暮れるのは、眼鏡の青年の右に居る、この5人の中で中間あたりの年頃のラフな服装をした青年。

 絶対に必要になるからと、恋人に渡された、一人称くじ引き(ハズレあり)。

 特に中身を確認しなかったのも悪いのだろうが、まさか自分でハズレを引く事になるとは思っても居なかった彼は、そのショックにうな垂れる。

 

 

「ま、まぁまぁ、くじ引きだし、仕方ないよ。こうしないと、訳解んなくなっちゃうし」

 

「ですよね~。僕等、顔も名前も年齢も全然違うのに、一人称だけが同じ“自分”って、凄い確率っすよね」

 

「ホントに。自己紹介した時、俺も吃驚しました」

 

「うん、私も。事実は小説より奇なりって言うけど、実際に出くわすと反応に困るね」

 

「あっし……あっしって……どこの三下でやんすか……」

 

「……以外にノリノリじゃないっすか、『さや彼』さん」

 

 

 年齢もバラバラで、一見、共通点が無さそうなこの五人だが、その実、共通点が二つある。

 先に述べた一人称がその一つ。

 そして、もう一つは。

 

 

「一人称もそうだけど、この場に居る全員の恋人が同じ学校っていうのも、結構凄いですよね。ほむらから色々聞いてはいましたけど、やっぱり驚きです」

 

「ですね……まぁ、俺とマミは卒業しちゃいましたけど」

 

「そう言えば、『杏彼』君の通う高校に、巴さんと一緒に合格したんだって? おめでとう、『マミ彼』君」

 

「あ、有り難う御座います。『まど彼』さん」

 

 

 そう、彼等の恋人達は皆同じ、市立見滝原中学校の生徒なのである。

 一部(と言うか半数以上)、犯罪染みた年齢差のカップルが居るのは気にしてはいけない。

 

 

「しかし、なんだって急にこんな、男ばかりの集まりを? 『さや彼』さんの企画なんですよね?」

 

「ふふふ。良くぞ聞いてくれました『ほむ彼』さんっ!!」

 

「お、復活した……。で、なんなんすか?」

 

 

 眼鏡の青年が投げ掛けた疑問に、うな垂れていたラフな青年が起き上がり、胸を張って答える。

 

 

「ぶっちゃけ大した理由はありません!!」

 

「――って無いんかぁい!? 休みの日に呼び出しといてそれは無いでしょ!?」

 

「あっはっは、流石に冗談だよ『杏彼』くん。この間、じぶ――あっし等の彼女達がパーティーやったのは知ってるよね?」

 

「あ、ええ。友達の家でケーキ作るんだ~って、杏子が張り切ってましたから」

 

「んで、その話を聞いた時に思ったんだ。お互いの存在は彼女を通じて知ってたけど、一堂に会した事は無いなぁって」

 

「確かに……。普通に暮らしてたら、俺達、接点とか無さそうですし」

 

 

 青年の言葉に、制服を着た少年の片方――見滝原中学校の制服である詰襟を着た少年が同意する。

 企業勤めのサラリーマンに、中学生と高校生、フリーターにパン屋の店員。事実、恋人という接点が無ければ、彼等は互いの名も知らぬまま、人生を終えていただろう。

 

 ※ ちなみに、先程から彼等は互いの名前をちゃんと呼んでおりますが、諸事情により、皆様には音声を加工してお届けしています。ご了承下さい。

 

 

「さやか達の事を考えると、きっと長い付き合いになるだろうし、ここらで一度、面通ししておいてもいいんじゃないかな、と。

 それで、『まど彼』先輩に連絡とって場所を提供して貰って、さやかを通じて皆さんを御呼びした訳です」

 

「……先輩? と言う事はもしかして、お二人は前からのお知り合いで?」

 

「はい。実際に会ったのは少し前なんですけど。実はこの秋、就職が決まりまして。そこがなんと、『まど彼』さんが勤める会社だったんですよ」

 

「お互い、さやかちゃん経由で前から顔は知ってたんだけどね。休みの日に、道に迷ってた『さや彼』君と偶然会って説明会に案内したんだけど、自分も吃驚したよ」

 

 

 眼鏡の青年が尋ねると、二人は顔を見合わせながらしみじみと頷いて見せた。

 美樹さやかという恋人が出来るまで、自由気ままなフリーター生活を続けていたラフな青年だったが、彼女と結ばれてからというもの、将来の事を真剣に考える様になり、今まで遊び半分だった就職活動にも熱が入った。

 それが功を奏したのかどうかは分からないが、運良くとある会社の選考を通過し、見事内定を獲得する事が出来たのだ。

 一次選考を通ったのは運が良かっただけとも取れるが、二次選考・面接と、こうも上手く事が運んだのには、その会社に実際に勤めている背広の青年のアドバイスに寄る所が大きい。

 それ故か、ラフな青年は彼に多大な感謝の念を抱き、先輩と呼んで慕っているのである。

 

 

「へぇ、そうなんだ……。世の中って狭いですね。俺も、『杏彼』さんと同じ高校になったのはホントに偶然ですし」

 

「うん。私も、この集まりで常連さんに会うとは……。名前だけは知ってたから、もしかして、とは思ってたんだけど」

 

「あはは、何時もおまけして貰って、正直助かってます。杏子、『ほむ彼』さんとこのパンが好きですから」

 

「ありがとう。そう言って貰えると、私も嬉しいよ」

 

「意外に繋がってるもんなんですよね、人間関係って。で、ですね?

 それだけじゃなくて、魔法少女の事を語り合う仲間も欲しいなぁって、ちょっと思いまして。

 魔法少女が一つの街に4人も居て、しかも協力体制を取ってるなんて、滅多に無い事みたいだし」

 

「やっぱり、魔法少女の事を知っている人って少ないみたいだからね。外では話せない事だし、男同士でないと話し辛い事も多いだろうと思ったから」

 

「……なるほど、いいかも知れませんね。私も、ちょっと気になってる事があったし……」

 

「気になる事、ですか?」

 

「えぇ、まぁ……。そう言えば、まだちゃんと確認してませんでしたけど、全員“知ってる”って事でいいんですよね?」

 

 

 ラフな青年と背広の青年がこの集まりの趣旨を説明する中、眼鏡を掛けた青年が“魔法少女”という単語に気づき、重ねて皆に問い掛ける。

 何故ならその単語は、知る者にとってはとても意味深い物であり、逆に知らない者にとっては、日常で使用すると奇異の対象として見られるかもしれない言葉だったからだ。

 いい年齢の男達が、日常的に魔法少女なんて単語を使えば、変な目で見られるのも当たり前だが。

 ともあれ、皆はその質問に頷き、それぞれに答えを返す。

 

 

「はい、俺は知ってます」

 

「僕も聞きました。幸い、襲われた事とかは無いですけど」

 

「あっしも勿論。初めて聞いた時は、流石に頭抱えましたけどね」

 

「自分も、まどかと暁美さんから聞かせて貰ったよ。半年くらい前には、具体的に何とは言われなかったけど、色々と相談されたりしたから……」

 

 

 背広の青年は、腕組みをしながら当時を思い出す。

 相変わらず仕事に追われる日々ではあったが、その中で、彼の恋人である鹿目まどかは、何かに悩んだり、落ち込んだ様子を見せる事が多かった。

 時には、「魔法でなんでも一つだけ願いが叶うとしたら」などという質問をされ、それに対し「中学生と付き合ってる事がばれても逮捕されない世界にして欲しい」と答えてちょっと引かれたり……。

 勿論、真面目な相談もされたのだが、それを通じて、まどかが何か妙な事に関わっているのを悟り、その身を案じた彼は、どうにかして事実を聞き出す事に成功したのだ……と言っても、全ては終わった後だったが。

 

 最初から全てを信じる、とは行かなかったものの、彼女の友人である暁美ほむらと、以前接触した時に得ていた断片的な情報も加味して判断し、真実であると確信するに至る。

 この事を受け、彼はまどかに同席して貰い、現役の魔法少女であるほむらから、後にきちんと説明を受けた。

 それを聞き、一歩間違えれば、まどかが戦いの運命に巻き込まれていたかもしれないと知った時には、随分と肝を冷やした。

 今現在、魔法少女として現役で戦っている彼等の恋人達には申し訳ないが、彼女が魔法少女にならなくて良かったと、彼は思ってしまうのだった。

 

 

「……あの頃は、大変でしたね。ワルプルギスの夜とか、魔法少女の真実の事とか」

 

 

 そして、詰襟の少年が、背広の青年に続く様に呟く。

 半年程前に、見滝原市を襲ったスーパーセル。

 何も知らない一般人にとって、正しく抵抗しようの無い天災とされていたその正体は、魔法少女の天敵――しかも、その中でも最大最強と伝えられてきた、ワルプルギスの夜と呼ばれる魔女だったのだ。

 だが、真に驚くべき事は、魔女とは、魔法少女の魂が絶望に屈して生まれる、悲しい存在であった事。

 希望を振り撒く魔法少女から、絶望を撒き散らす魔女へと生まれ変わり、望まぬままに命を奪う、呪われた存在。

 過去に幾度と無く地上を蹂躙し、数多の被害者を生み出してきた彼の魔女は、この街に住む四人の魔法少女の手によって打ち倒され、その悲しい運命の輪は砕かれた。

 

 しかし、それに至る過程で知らされた、魔女が魔法少女の成れの果てであるという事実は、彼等の恋人達の心を打ちのめし、決して浅くはない傷跡を残したのだった。

 そして、恋人がその様な運命に巻き込まれていると知った時の彼等の心情は、語るべくも無い。

 

 

「本当に。全部終わった後に、話を聞かされただけだけど……。怒りで頭が真っ白になるなんて、初めての経験でしたよ、私」

 

「ホントですよね。あの時は、マミも酷く落ち込んじゃって、俺も辛かったです。精神的にも、肉体的にも。三日ぐらいは付きっ切りでしたし」

 

「やっぱり、相当堪えたんだろうね。肉体的にもって事は、寝ずに付き添ってたり……? 大変だったね」

 

「あ~、えっと……。そんなとこです、はい」

 

 

 自らを労うラフな青年の言葉に、しかし、詰襟の少年は曖昧な笑顔を浮かべた。

 それもその筈、確かに恋人である巴マミが立ち直ったのは、ひとえに彼の愛情によるものだったのだが、その過程はどうしようもなく桃色だったからである。

 何をどうしたかを語ろうとすると非常に長くなるので割愛させて頂くが、一つだけ確かなのは、最高記録は大幅に更新した、という事実。若さ故なのだろうが、なんとも羨ましい限りである。

 しかし、この真面目な空気の中、情事を思い出してニヤける訳にも行かず、彼は理性を総動員し、何とかそれを飲み下す事に成功した。

 その間も話は続き、もう一人の男子学生――高校のブレザーを着た少年が疑問を挿む。

 

 

「僕はあんまり詳しくは聞いて無いんすけど、魂のある場所が変わっただけで、肉体そのものは変化してない、って認識で良いんですよね?」

 

「それで合ってると思うよ。私もほむらから聞いただけだけど、魔力で回復が出来るってだけで、普通に子供とかも産めるみたいだし」

 

 

 魔法少女は、その契約の時に魂を抜き取られ、それをソウルジェムへと物質化される。

 それは、肉体と精神を切り離し、戦闘による負荷――痛みや恐怖を軽減する為に行われる物であり、肉体を改造されたに等しい訳だが、如何な技術によるものか、肉体の機能そのものはさほど変化していない。

 故に、事実に気付く事無く、戦いで命を散らす魔法少女が大多数だが、彼等の恋人達はその恐るべき真実を乗り越え、未来を歩もうとしている。

 非日常に身を置くしかない彼女達にとって、愛する人との絆を生み出せるという事実は、僅かばかりではあろうが、きっと救いになる事だろう。

 

 

「子供、か……。まだ大分先の話っすけど、不幸中の幸いですね」

 

「うん……。まぁ、そうでなかったとしても、別れる気なんて、私には毛頭無いんだけどね。一緒に生きようって、決めてるから」

 

「……僕も。その程度で気持ちが変わるくらいなら、最初から杏子を選んでませんよ」

 

「ですね。俺も、マミと一緒に居たいって気持ちは変わらなかったし」

 

「勿論、じぶ――あっしも。今更、他の男になんか渡しませんぜ?」

 

「……皆、凄いね。まどかは魔法少女にはならなかったし、自分は殆ど部外者みたいなものだけど、尊敬するよ。本当に愛してるんだね」

 

 

 魔法少女の恋人。

 

 先に述べた事実を鑑みれば、このメルヘンチックな単語が、どれ程の重みを持つのか。

 もし、自身がその立場になったとしても、彼等と同じく、変わらぬ想いを抱き続ける自信はある。

 が、実際に目の前でこう言い切られてしまうと、背広の青年は敬意を抱かずにいられなかった。

 彼にとってそれは、男として目指すべき、愛の形の一つだろうと思えたから。

 

 

「あ~、はは。なんか、そう直球で言われると、恥ずかしいでやんすね……。でも、『まど彼』先輩も凄いじゃないですか。聞きましたよ~あの話」

 

「え? 何の事……?」

 

「あ、俺も聞きましたよ。おめでとうございます」

 

「え? ありが、とう? え? 何?」

 

「恍けなくてもいいですよ? 杏子にこの話を聞くまではどんな人かと思ってましたけど、ちゃんと責任感のある人みたいで、安心しました」

 

「………………まさか」

 

 

 背広の青年の言葉に、ラフな青年が照れた様に言葉を返すのだが、心当たりが無かった彼は首を傾げる。

 しかし、それに続いて皆から掛けられた言葉によって段々と輪郭が浮かび始め、彼の口元がひくついていく。

 

 

「……あれ? プロポーズなされたんですよね? 鹿目さんに。ほむらからそう聞いたんですけど」

 

「……なんで、広まってるんだ……。色々と危ないからまだ秘密にしておいてって、あれだけ言ったのにぃ……」

 

 

 眼鏡の青年の言葉を聞き、背広の青年はテーブルに肘を突き、頭を抱え込む。

 女子中学生とサラリーマンが恋人関係にあるなんて、例え責任を取るつもりであっても、世間に知られればムショまっしぐらな事実。

 だからこそ、まだ秘密にしておいて、とあれ程頼んだのに、どうしてこんな事に。

 

 もう結婚してうん十年経つのに隣の県で未だにラブラブ生活を送っている父さんに母さん。息子はしょっ引かれるかも知れませんごめんなさい。

 

 なんて彼が心で呟いていると、眼鏡の青年が慌てた様子で声を掛け、皆も再びそれに続く。

 

 

「だ、大丈夫ですよ。ここに居る皆、通報しようとか考えてませんからっ。ね?」

 

「勿論ですよ。ってか、あっし等も同じ穴の狢ですからね。条例怖い」

 

「僕等も黙認されてるってだけですから。応援しますよ。な、『マミ彼』君」

 

「はい。色々大変でしょうけど、頑張って下さい」

 

「……ありがとう、皆……(部長には、ばれてないよな……? いや、どちらにしても、とうとう正式な御挨殺の時が来たのか……)」

 

 

 皆の応援を一身に受け、背広の青年はほっとすると同時に、ある種の諦観を抱く。

 プロポーズをした事を後悔してではなく、もしばれていたと仮定した場合、まだ中学生の娘に手を出された彼女の御両親の心中を察すると、それはもう煮え滾る様な怒りに満ちているだろうと想像出来るからだ。

 仕事では勿論の事、私生活でもかなり逞しい事が伺える、彼の上司にして、まどかの母親である鹿目詢子(夜の主導権は流石に旦那さんにありそうだが)。

 殺されるまでは行かないにしろ、半分~五分の四殺し位は覚悟しておいた方が良いのではないかと、彼は思うのだった。

 後日、懸念通りに体をくの字に曲げる事になるのだから、それはあまり間違っていなかったりもする。

 

 

「さてさて、お目出度い話題も出た事ですし、何時までこうしててもアレですから、そろそろあっし等も交友を深めるとしましょうか?」

 

「でも、何話します? 僕等、共通点なんてそれこそ、一人称と彼女の学校ぐらいしか……」

 

「ふふふふふ、抜かりは無いよ『杏彼』くん」

 

 

 ブレザーの少年のもっともな質問に、発言主であるラフな青年は不敵に笑いながら、後ろ手に荷物を漁る。

 

 

「はいっ、さやか謹製トークダイス!! これがあれば何とかなるでしょ?」

 

「……用意がいいですね。態々作ったんですか?」

 

「ええ。さやかが一晩でやってくれました」

 

 

 掲げられた彼の手には、いかにもお手製らしい手の平サイズのサイコロがあった。直前までお題が分からないよう、それぞれの出目には丁寧にシールまで張られている。

 それを見て眼鏡の青年が呟くと、ラフな服装の青年がそれに胸を張り、一緒に取り出したメモを読み上げ始めた。

 

 

「そいじゃ、ルール説明を。ダイスを振った人は、その出目に書かれたお題に沿ったトークをする事。

 パスは一人一回まで。パスをする場合は、その質問を投げる先を指名する事。パスをパスする事も可能。

 次に振る人は、お題に答えた人が指名する事。ただし、集中攻撃は厳禁ですよ? 出来るだけ皆に回るようにお願いします。

 お題に答えられず、パスも出来ない場合は罰ゲーム用のダイスを振ってもらいますので、ご注意を」

 

「……結構ちゃんとしてますね」

 

「相変わらず、そういった事にはまめだね、あの子は。物事を楽しもうとする姿勢に余念が無いというか……」

 

「はい、おかげで色々と楽しませて貰ってます。そういや、『まど彼』さんは、あっしよりも前からさやかと知り合いなんですよね」

 

「うん、まぁ。まどかと付き合い始める前後に、何度か遊びに来たから。その前からも話には出てきてたし。

 今思うと、まどかに相応しいかどうかって、見定めるつもりだったんじゃないかな。その割りにゲームばっかりしてたけど」

 

「……目に浮かぶわぁ。本来の目的そっちのけで遊びまくるさやかの姿」

 

 

 瞼に浮かんだのは、何事にも全力で、真っ直ぐに向き合う反面、一度道を逸れるとしばらく帰って来ようとしない恋人の姿。

 この部屋にお邪魔した際も、きっと最初は背広の青年が言った通り、彼を見定めるつもりだったのだろう。

 しかし、一旦遊び始めるとそれに夢中になって、日暮れ近くまで粘って遊ぼうとする姿が容易に想像出来るのだった。

 

 

「あはは……まぁ、まどかを案じてくれてた訳だし、いい子だと思うよ?」

 

「そう言って貰えると、助かります……ん? よく考えたら、ここにいる皆は、さやかに会った事あるんでしたっけ?」

 

 

 背広の青年の慰めを受けて、ラフな青年は恐縮しながら右手で頭を掻いていたが、ふと思い付いた疑問を口にする。

 

 

「僕はありますよ。杏子に会いによく来てくれますし。鹿目さんや巴さんが一緒に遊びに来る事も結構あって。でも、暁美さんにはまだ会った事が無いかな」

 

「ん、そうなのかい? ほむらも結構お店にも来てくれるんだけど……擦れ違ってるのかな。

 とりあえず、美樹さんには私も会った事があるよ。最近では、よくベーグルを買いに来てくれるから。

 でも、『杏彼』君と違って、巴さんには会った事が無いかな。鹿目さんも、写真で見た事があるだけだし」

 

 

 顎に手を当てながら「一回だけですけど」と眼鏡の青年は付け加える。

 前に一度、恋人であるほむらに多大な影響を与えたというその少女を見てみたくて、写真を見せて貰った事があった。

 携帯で撮られたそれに写っていたのは、どんな表情を取ればいいのか分からない、といった様子で目を泳がせているほむらと、彼女と腕を組み、満面の笑顔を浮かべるツインテールの少女。

 その微笑ましさに、思わず「可愛いなぁ」と彼は呟いてしまったのだが、ほむらはそれを悪い方に捉えたらしく、以来、写真は見せて貰えなくなってしまったのだ。

 興味本位だったし、誤解も直ぐに解けたのでそれは構わなかったのだけれど、以降、写真を見せて、と頼むと、むすっとしながら「や」と拒否するほむらが可愛らしく、ほくほく顔をしていたりする。

 

 

「自分は、暁美さんにはまどかと一緒に何回か会った事があるけど、巴さんには会う機会が……。巴さんだけじゃなくて、佐倉さんにも、か」

 

「俺は皆と会った事ある、かな。マミの家によく集まってるからっていうのもあるんでしょうけど」

 

「なるほど、結構ばらついてますね~。あっしはさやかと遊ぶついでに皆と会った事あるんですけど……っと、話が逸れちゃいましたね。言い出しっぺですし、最初はあっしが振ろうと思うんですけど、いいですよね?」

 

「自分はそれでいいよ」

 

「僕もいいっすよ」

 

「はい、お願いします」

 

「私もそれで。無茶なお題が無いと良いんですけど……」

 

「あはは。流石にそんな事は………………ほいっと」

 

「何で答えないんすか『さや彼』さん!?」

 

 

 眼鏡の青年の懸念を否定できる要素を見つける事が出来ず、ラフな青年はとりあえずサイコロをテーブルに投げた。

 ブレザーの少年の突込みが響く中、それはコロコロと転がり、ある一面を上にして動きを止める。

 その面に張られたシールをラフな青年が捲ってみると、女の子らしい、丸みを帯びたカラフルな一文が書かれていた。

 それを見て、剥がしたシールを丸めながら彼は頭を悩ませる。

 

 

「『恋人とのデートでの失敗談』って……いきなりハードル高くないか、さやか……」

 

「失敗談、ねぇ。どうする、言い辛いならパスする?」

 

「う~ん……。いえ、なんか負けた様な気になるんで、行きます」

 

 

 口篭るラフな青年に、背広の青年が気を遣って声を掛けるが、彼は首を振り、右手で頬を掻きながら、思い返す様に話し出す。

 

 

「一番失敗しちゃったのは、やっぱり、さやかと付き合い始めて最初のデートの時かなぁ……」

 

「最初のデートすか。ちなみに何処に行ったんですか?」

 

「隣街の水族館。情けないんだけど、さやか以外の女の子と付き合った事って無くて……。

 でも、付き合う前から色々と遊びには行ってたから、とりあえず、まだ行った事が無くて、それでいて定番っぽい場所を選んだんだ。けど……」

 

「……けど?」

 

「付き合う前は平気だったのに、恋人同士ってのを意識しちゃうと、なんかこう、緊張しちゃって。上手く話せなくなっちゃって……」

 

「あ、分かります。俺もそうだったし……。変にかしこまっちゃうんですよね」

 

「そっか。やっぱり、そういうもんだよね? さやかもそうだったみたいで、借りて来た猫みたいに大人しくなっちゃって。

 何か話しても反応が無かったり、逆に変な反応されたり、近寄っても逃げられちゃったりして、色々と大変だったよ……。今となっては、良い想い出なんだけどさ」

 

 

 当時を思い出したのか、ラフな青年はふっと笑い、目を細める。

 待ち合わせよりも三十分早く来たのに、さやかはそれよりも先に来て待っていた事。

 普段よりもお洒落をした彼女が可愛すぎて、直視出来ず、チラ見しか出来なかった事。

 こちらから近寄ると逃げてしまうのに、歩幅のせいで少しでも距離が離れそうになると、小走りで寄って来るさやかが、なんだか可笑しかった事。

 そんな彼女に、帰り際、イルカの形をした髪留めをプレゼントして。

 さっそく身に着け、「似合う、かな……」と言いながら、頬を染めてはにかむ姿に、思わず抱き締めてしまった事。

 自身の失敗を差し引いたとしても、どれもこれもが、彼にとっては何より大切な想い出だった。

 

 

「……なんか、失敗談て言う割りに、最後に盛大に惚気られた気がするんですけど、私」

 

「なはは、すいません。でも、これ以外に失敗って思い付かなくて……。何だかんだで、かなり上手く行ってますから。この間だって――」

 

「あぁうん『さや彼』君達は凄く仲がいいからねぇ羨ましいよそれじゃあ次自分で良いよね? ほぃっと」

 

「――む、語りたかったのに……。まぁ、次の機会でいいか」

 

 

 ラフな青年の言葉を遮る様にして、背広の青年はサイコロを手に取る。何故なら、これから始まるであろう彼の惚気話は、非常に、とぉっても長くなる事が分かっていたからだ。

 産まれて初めて恋人が出来る喜びは、同じ境遇だった事もあり、とてもよく理解出来るのだが、それにしたっていい加減にウザイのである。

 会う度に恋人をお姫様抱っこした時の感想や、彼女に言われて嬉しかった事などの惚気話を聞かされるなんて、何の拷問だ。

 そんな事もあって強引に割り込んだ訳だが、前日の打ち合わせの電話で背広の青年がウンザリした甲斐もあってか、ラフな青年は大人しくサイコロの行方を見守った。

 動きを止めたサイコロの上面に張られたシールを剥がすと、新たなお題が目に入った。

 

 

「『恋人と初めて手を繋いだ時の思い出』ね……手、か……」

 

 

 呟き、背広の青年は思い返す様に視線を上に向けるのだが、やがて口元を覆う様に手で隠し、視線をテーブルに落とす。

 

 

「どうかしました、『まど彼』先輩?」

 

「いや、ちょっと、思い出したら恥ずかしくなって来て……。こんな事、誰かに話すとは思ってなかったから……」

 

「……下手に誰かに話したら即通報ですもんね、私達……」

 

「まぁ、しょうがないんだけどね。その分幸せだし……。ゴホン、それじゃあ……」

 

 

 咳払いをし、にやけた口元を誤魔化す彼は、それでも上がってしまいそうな口角を必死に下げつつ、口を開く。

 

 

「さ、三度目のデートの時に。夕暮れの、観覧車の中で……。まどかに告白したのも、その時だったかな……」

 

 

 当時、まだ交際はしていないものの、互いに意識し始めていた彼等は、上司兼母親には秘密で、幾度かデートを重ねていた。

 その中で、まどかという少女の心に触れ、柔らかな笑顔に魅了されていった彼は、年齢的な障害を考え抜いた上で、想いを告げようと決める。

 そして、気心が知れ始め、少し遠出をした三度目のデート場所である遊園地にて、日が暮れ始めた頃、話したい事があると理由をつけて観覧車に乗り、告白した。

 告白を聞いた途端、まどかは夕日に照らされていても分かる程に顔を真っ赤にしながらも、しばらくして小さく頷き、OKの返事をしてくれたのだった。

 観覧車から降り、帰宅の途へ着く二人の手は、ぎこちなくも、しっかりと握られていた。

 夕日に照らされる二人がやたらと唇を気にしていたのには、また別の理由があったのだけれど。

 

 

「……凄いっすね。少女漫画みたいで……」

 

「い、いいじゃないかっ。自分でも似合わないって分かってるんだから、勘弁してくれ……」

 

 

 二十代半ばにして、中学生でも恥ずかしさに悶死しそうな恋愛を経験した彼は、それを十分に理解しているのか、赤くなった顔を片手で隠す。

 しかし、それを見ても尚、ブレザーの少年は羨ましそうな視線を向ける。

 

 

「あ、いや、そういうつもりじゃ。むしろ羨ましい位で……」

 

「ん? 『杏彼』君だって、手を繋いだりとかはした事あるんじゃない? 佐倉さんとかなり仲が良いって、さやかから聞いてるけど?」

 

「あ、えっと、そっちじゃなくて……ま、まぁ、いいじゃないすか。次、どうしますか? 『まど彼』さん」

 

「……? そうだね……。じゃあ、折角だし、『杏彼』君、お願い出来るかい?」

 

「はい、大丈夫っす」

 

 

 言葉を濁しつつも、指名を受けた彼はサイコロを手に取った。彼が羨ましいと言ったのは、おそらく、告白のシチュエーションの事なのだろうと思われる。

 人の恋路は千差万別、それこそ十人十色であろうが、彼が恋人である佐倉杏子に想いを告げたのは、なんと風呂場なのである。更に付け加えるなら、初めてキスをした場所でもあり、始めて彼女と結ばれた場所でもあった。

 場所によって想いに貴賎がある訳では無いと思っていても、もうちょっとムードのある場所で告白したかったなぁ、とも彼は思っていた。

 ぶっちゃけてしまうと、風呂に入る度にそれを思い出して、『辛抱堪らん!!』状態になってしまい、割と大変なのだ。

 そうこうしている内にサイコロは少年の手から離れ、テーブルを転がる。動きを止め、天井を見上げる面に張られたシールを剥がすと、次のお題が開示された。

 

 

「『恋人が出来て変化した事』……もしかして、このサイコロのお題って恋人縛りだったりするんじゃ……?」

 

「かも知れないねぇ。でも、丁度良いんじゃない? 面識無い人も居るみたいだし、彼女紹介も兼ねてさ?」

 

「まぁ、それもそうですね。にしても、変化した事かぁ……」

 

 

 ラフな青年の言葉に頷いた後、少年は少し考え、自身の思い出を振り返る。

 

 

「……やっぱり、家の中が賑やかになりましたね。それまでは殆ど、一人暮らしのようなもんでしたから」

 

「そういや、これもさやかから聞いたんけど、今は佐倉さんと同棲してるんだっけ? 親御さん公認なの?」

 

「はい。色々あって、夏頃から。と言うか、親の方が乗り気だったりして……嬉しい事なんですけど。

 うち、小学校の頃から両親が共働きで。親といるよりもメロゥ――あ、飼ってる犬なんですけど、その子と居る時間の方が長い位だったんです。

 でも、メロゥが杏子と引き合わせてくれて、一緒に住むようになってからは、随分と賑やかになって。……食費が大変っすけど」

 

「あはは、やっぱりそうなんだ。いつも沢山買って行ってくれるしね」

 

「はい……。でも、僕が作った料理を、美味しいって言って食べてくれる人が出来たのが、一番嬉しい変化っすね。メロゥが居てくれはしましたけど、やっぱり、一人ぼっちは寂しいですから……」

 

 

 必要に迫られて習得した筈の家事技能。成長するにつれ、それは次第に、彼にとっての趣味にもなりつつあったが、一人で摂る食事は、やはり味気なかった。

 どれだけ上達しても、それを食べるのは彼一人で、誰も、褒めてはくれなくて。三人で暮らせば丁度いい筈の広さの家も、一人と一匹には広すぎた。

 その事を強く感じるようになったのは杏子と出会ってからで、だからこそ、誰かが側に居てくれるという幸せを、彼女とめぐり合えた奇蹟を、感謝せずには居られなかった。

 とは言いつつ、裏では、同棲一週間にして隠し持っていたエロ本を全て焚書されるという、男にとって辛すぎる試練もあったりしたのだが、その分彼女がサービスしてくれるのだから、差し引きはむしろプラスだろう。

 

 

「……うん。マミも、同じ様な事を言ってました。誰かが側に居てくれるって、それだけで心の支えになるって」

 

「……その通りだと思う。人の温もりって、ただ側に在るってだけで、随分と安心させてくれる物だから。それが大好きな人なら、なおさら。

 僕にとって杏子がそうだったみたいに、巴さんにとっては、『マミ彼』君がそういう存在なんだよ、きっと。という訳で、次は『マミ彼』君にお願いしようかな?」

 

「どんな訳ですかっ。……まぁ、だと、嬉しいんですけど。えっと、それじゃあ、行きます」

 

 

 ブレザーの少年の言葉に、詰襟の少年は照れた様に鼻を掻き、サイコロを握る。

 内心、そうあって欲しいと思っていたけれど、誰かから実際にそう言われると、どこかくすぐったくて、それを誤魔化そうとして、彼は手に取ったサイコロをテーブルに投げる。

 また新しい面を向けて動きを止めたそれのシールを剥がすと、また次のお題が。

 

 

「『恋人に直して欲しい所』ねぇ。『マミ彼』君にはなさそうかな? ラブラブみたいだし」

 

「いえ……。実は、一つだけ」

 

「あ、そうなんだ? 意外……。で、どんな?」

 

 

 一番に反応したのはブレザーの少年で、先の口振りから、お題にある様な不満を持って居なさそうだと感じてそう言ったのだが、詰襟の少年は意外にも難しい顔をして見せる。

 再び彼が問い掛けると、少年は重々しく口を開き始めた。

 

 

「………………甘いんです」

 

「……ん?」

 

「お弁当に入ってる卵焼きが甘いんですよっ!!」

 

「……は? 卵焼き?」

 

「はいっ。大分前から作ってくれてるんですけど、なんか違うんですよっ」

 

 

 半眼になるブレザーの少年を余所に、詰襟の少年は握り拳を作って力説する。

 

 

「しょっぱいおかずの中に一つだけ甘いのが入ってるのって、どうしても、ハンバーグの隣にリンゴを入れられた様な違和感があって。言い合いになった事も何度か……」

 

「へ、へぇ……本当に意外だ……なんかこだわりでもあんのかな……?」

 

「みたいです。珍しくマミが強く主張して来て。で、食べられないほど嫌いでもないから俺が折れたんですけど、最近甘いのに慣れつつあるのがちょっと悔しくて……」

 

 

 卵焼きの味以外にも、き○こ・たけ○こ戦争、コアラ○マーチVSア○フォート、カントリーマァ○のチョコかバニラかなど、結構どうでもいい事で彼等は喧嘩していた。

 それもまた仲が良い証なのだろうが、傍から見れば、やはりバカップルのじゃれ合いにしか見えなかったりする。

 ラフな青年との付き合いで、その気配を敏感に感じ取る事が可能になっていた背広の青年は、少々呆れ気味に呟く。

 

 

「別にいいと思うけどなぁ、好みが変化するくらい……。というか、彼女にお弁当作って貰って学校でイチャイチャ出来るだけ十分恵まれてるじゃないか……自分は学生時代にそんな思い出無いよ……羨ましい……」

 

「分かりますっ。分かりますよ『まど彼』先輩っ。あっしも出来ればさやかと同じ年頃に生まれて、学校でイチャつきたかった……!! 恥ずかしいのを我慢しながら手を繋いで学校とか行きたかった……!!」

 

「……そうだよね。クラスの皆から冷やかされたり、一緒に屋上でお弁当食べて『はいアーン』とかされたり、一緒に寄り道しながら帰ったりしたかった……!!」

 

「『まど彼』先輩……!!」

 

「『さや彼』君……!!」

 

「あ、あはは……つ、次は、『ほむ彼』さん、頼みます……(全部経験があるって言ったらこの人達面倒臭い事になりそうだから黙ってよう……)」

 

 

 がっちりと手を握り合う二人を見ながら、少年は苦笑いを浮かべた。

 恵まれた学生生活を現在進行形で送っている彼には分からない事だろうが、灰色と言うよりはねずみ色な青春時代を送っていた彼等にとって、そういった行為は羨望の的なのだ。

 勿論、今現在はとても幸せなのだが、それはそれこれはこれ、羨ましいもんは羨ましいのである。何だかんだでこの二人の馬が合っているのは、こういう所が似通っているからかも知れない。

 

 

「盛り上がってますね……。まぁ、私も分からなくも無いですけど。じゃあ次、振りますね」

 

 

 自身も彼等と同じ様な青春時代を送っていた眼鏡の青年は、一応の理解は示すものの、ちょっと付いて行けないなぁ、とも思い、そそくさとサイコロを振る。

 未だに手を握り合っている彼等を横目に新しいシールを捲ると、そこには『本日のスルメ!!(もう一枚捲ってみよう!!)』という意味不明な単語が。

 

 

「……するめ? あぁ、あの番組か。一瞬分からなかった……洗剤とか貰えるのかな?」

 

「いやいやいや、流石に用意してませんって。変なネタ仕込むなよ、さやか……。おはようからおやすみまで暮らしをストーキングするつもりか」

 

「あはは……。まぁ、とりあえずもう一枚捲ってみますか」

 

 

 眼鏡の青年は、中学生なのによく知ってるなぁ、なんて思いながらも、自らのお題を確かめる為に再びシールを捲る。

 しかし、そこに書かれていたのは、『良い子の何でも相談室!! 振った人の心配事を皆で解決してあげましょう!!』という、なんとも適当なお題だった。

 

 

「………………これ、手抜きじゃない?」

 

「すいません本当にすいません。後で叱っておきますから」

 

「はぁ……。丁度、相談したい事はあったし、いいタイミングではあるんだけど……」

 

「相談事、ですか。俺達で役に立てます?」

 

「勿論。というより、事情を分かってる人にしか相談できない事だから」

 

「それって、魔法少女関係って事すか……?」

 

「うん。さっき言った気になる事って言うのは、この事なんだよ……」

 

 

 苦言は呈したものの、実はある悩み事を抱えていた彼は、背筋を正し、真剣な表情で胸の内を語りだす。

 

 

「ワルプルギスの夜のグリーフシードの存在は、皆さん、知ってます?」

 

「……マミの家に置いてある、あのでかい奴ですよね。ソウルジェムの穢れを取る……。

 確か、凄い穢れの許容量が高くて、アレのおかげで、マミ達は魔法少女同士で争わず、魔女にもならずに済んでるって……。それが?」

 

「……まだ大分先の話だけど、それが回収される時、インキュベーターのエネルギー回収ノルマが達成されるって、ほむらから聞いて。

 もし、インキュベーターがノルマを達成したら、奴等はどうするんだろうと思って……」

 

「どうって……うーん……」

 

「……さっさと地球から撤退するんじゃないかな。魔女とか使い魔とか、ほったらかしにして」

 

「『まど彼』さん? いくらなんでも、それは……」

 

 

 眼鏡の青年が投げた質問に、詰襟の少年が口篭ると、険しい顔をした背広の青年が、代わりに答える。

 その口から出た意見に、少年は思わず反論しそうになるが、彼は眉間に皺を寄せながら言葉を重ねた。

 

 

「詳細を説明する事も無く、最後には絶望に落とす為に女の子に奇蹟を売り歩き、挙句、『譲歩している』と言い切る奴等だよ。

 目的を達成したら、何のアフターケアもしないで、自分の星に帰ると思う。そんな事をしても、奴等には何の利益にもならないだろうしね」

 

「そんな事……。あいつ等にとっても人間は……こんな言い方ヤだけど、貴重なエネルギー源なんすよね?」

 

「確かに、効率を考えるなら、人類が滅亡しない様に、魔女の発生数とかを密かに管理している可能性もあるけど……。でも、奴等がそれをするとしたら、“地球”にしか人類が居ない場合、じゃないかな」

 

「……それって、地球以外にも、俺達みたいな人類が居る星があるかもしれないって事ですか……?」

 

「人型じゃないけど、知的生物ならインキュベーターっていう前例があるからね。可能性は低くないと思うよ。他の星にも人類が存在するって考えれば、奴等にノルマが設けられているのも、納得出来る」

 

 

 ノルマとは、一定時間内の労働の基準量を表す言葉。

 もしも、感情エネルギーを回収できる対象が人類のみで、それも地球にしか存在しないなら、そんな物を設けたりせず、末長くエネルギーを回収する事だろう。

 勝手に滅びたりしない様に積極的に介入し、管理しようとすらするかもしれない。

 が、インキュベーターはそれをしようとせず、人類への干渉も行ってはこなかった――魔法少女への勧誘以外には。

 それはすなわち、人類の行く末に頓着していないという事――他にもエネルギー回収の当てが在るという可能性に繋がる。

 種族的な倫理観により介入が出来ない可能性もあるかも知れないが、どちらにせよ、積極的な介入はこれからも為されないのではないだろうかと、彼は考えていた。

 

 

「……実はあっしも、前々から考えていた事が。あいつ等、人類に悪意を持ってる訳じゃないって言ってるみたいですけど、本当なんですかね」

 

 

 背広の青年の言葉の同調する様に、今度はラフな青年が自らの考えを述べ始める。

 

 

「このままだと、何時か地球が魔女や使い魔で埋め尽くされそうな、そんな気がして……。

 だって、魔法少女はあいつ等との契約でしか生まれないのに、魔女や使い魔が増えるルートは二通り在る。現に、魔法少女が4人居るこの街でも、未だに魔女は発生し続けてる。……完全ないたちごっこですよね?

 更に言うなら、魔法少女として活動すると言う事は、魔女になる可能性を孕む事でもあるからして……。あいつ等が始めた事なのに、まるで事態を収拾する気が無い様に感じるんですよ」

 

 

 そう、末永く人類と付き合おうと考えているのならば、現状での魔女と使い魔の発生率は高すぎるのだ。

 魔法少女から魔女が、魔女から使い魔が、そして、使い魔から再び魔女が。

 それ等を魔法少女が打ち倒すよりも、このサイクルは早く輪環してしまう。

 もしかすれば、彼等には解決する術があるのかもしれないし、未だ人類が増え続けている事を考えれば、相対的な釣り合いは取れているのかもしれない。

 しかし、それはあくまでインキュベーターの考え方であり、一人一人が感情を持つ人からして見れば、あまりに非情な、受け入れ難い考え方でもある。

 

 

「私も、お二人と同じ考えなんです。もしもインキュベーターが地球を去れば、新たな魔法少女は生まれなくなり、それなのに魔女は生まれ続ける。

 いや、逆に、使用済みのグリーフシードを回収出来なくなるから、魔女が加速度的に増える事になる。

 ワルプルギスの夜のグリーフシードが、穢れで充填されるまでの数百年。……これが、人類に残された猶予。

 それまでに、この歪な魔法少女システムを壊す方法を、考えなきゃいけないと思うんです。私達には、それ位しか出来ないから……」

 

「魔法少女システム、か……。やっぱり、まだ全部終わったわけじゃないんすね……」

 

「と言っても、まだ具体的なプランがあるわけじゃないんだよ。私は、ただのパン屋の店員だから。頭を捻る事は出来ても、限度が……」

 

「そうですね……。何か特別な力や才能がある訳でも、ましてや、エントロピーの法則を覆す様な新しいテクノロジーを開発出来る程、頭も良くない。どう逆立ちしても、あっし等は凡人ですもんね……」

 

「それ、なんですけど……」

 

「……? なんだい?」

 

 

 おずおず、といった様子で手を上げたのは、詰襟の少年。

 それを見た眼鏡の青年に促されると、彼は意見を口にし始める。

 

 

「魔法少女の事を広く知って貰う事って出来ないんですか? ソウルジェムの事とか、魔法の事とか研究して貰ったりとか。国を挙げてそういう事をして貰えれば、きっと直ぐに……」

 

「……確かに、誰かに知恵を借りるっていうのは間違ってないと思う。この集まりだって、そんな意味合いもあるんだろうし。でも、直ぐにって言うのは、ちょっと無理かも知れないよ」

 

 

 少年の意見に、眼鏡の青年は一部同意するものの、それに対し、彼もまた自論を呈す。

 

 

「インキュベーターがどれ程の時間を掛けてこの技術を完成させたのかは分からないし、それを模倣出来る程、まだ人類の技術力は高くないと思う。

 感情からエネルギーを取り出したり、魂を――精神を物質化したり。明らかにオーバーテクノロジーだからね……。

 それに、広く知られるって言うのも、あまり良くないんじゃないかな。考えたくは無いけど、魔法の力を人間同士の争いに利用されたりなんかしたら……」

 

 

 目も当てられない事になる、と、彼は首を振る。

 彼が知る限りでも、魔法とは著しく条理を覆す力。その存在を多くの人々が知ったとして、平和的に利用されると言い切れるだろうか。

 アルフレッド・ノーベルが発明したダイナマイトが、本来の目的とは違う、戦争に利用されたように。

 誰かの為に祈る事が出来る少女達の心を、利用されたりしたら。

 一部の人間の繁栄と引き換えに、多くの少女が魂を犠牲にさせられる――そんな事も、あり得るかも知れない。

 

 

「……そう、ですよね。やっぱり、甘いですよね……すいません……」

 

「……いや、私の方こそ、ごめん。折角言ってくれたのに、こんな言い方しちゃって……」

 

「でも、このまま何もしないで居たら、それこそ何も変わらないっすよ? 何か、行動しないと……」

 

「……だからって、何の準備も無しに魔法少女の事を広めたりしたら、最悪、魔女狩りならぬ、魔法少女狩りみたいな事も起こるかも知れない。慎重にならないと……。

 それに、ソウルジェムの問題もある。さやかだって、体の事を受け入れるのに大分時間がかかったんだ。他の魔法少女達が、それを受け入れられるかどうか……いや、そもそも、信じて貰えるかどうかも……」

 

 

 彼等は忘れがちだが、この街に居る魔法少女達の様に、己の体の真実を知って尚、立ち上がる事の出来る者は少ない。

 殆どの場合、魔法少女は単独で行動し、他の魔法少女とは縄張りを争う競争関係にある。……ましてや、それが魔女と戦い、生き延びる為に必要なグリーフシードを集める為なのだから、譲れる筈も無い。

 そんな境遇に居る魔法少女が真実を知れば、例えその場を持ち堪える事が出来たとしても、孤独に魂を濁らせ、いつか魔女へと堕ちる事だろう。もしくは、単なる戯言と一蹴されるか、悪意ある虚言とみなされ、排除されるか。

 

 そして、もしも具体的な解決策が無いまま、魔法少女の全貌が知れてしまったら。

 街中でふとすれ違う少女が異能の力を持ち、その果てに、人の命を狙う存在に変化する可能性があると、知られてしまったら。

 きっと、彼が危惧した事は、現実となる。

 暗闇にすら鬼を見る様に、誰かを疑う心の暗がりにこそ、本当の鬼は住むのだから。

 

 

「……結局、俺達に出来る事って、殆ど無いんですね……」

 

 

 詰襟の少年の一言を境に、部屋に重苦しい静寂が広がる。愛する人の未来を真剣に憂い、その助けになりたいと思うからこそ、彼等は悩む。

 完全無欠のハッピーエンドを迎えるために、越えなければならない壁の高さを感じ、深く思い悩む。

 共に戦う力も無ければ、知恵も高が知れている。

 他人の助けを借りようにも、きちんと理解し、真摯に協力して貰えるかが分からない。

 諦めろ、と言わんばかりに突きつけられる現実に対抗策を見出せず、彼等は押し黙る。

 

 

「……暗くなっちゃ駄目だよ」

 

 

 その沈黙を破ったのは、小さな笑みを浮かべる、背広の青年の声だった。

 

 

「確かに、難しい問題だけど。だからって暗い顔してたんじゃ、いい案も浮かばないよ。笑う門には福来たるってね?」

 

「でも……」

 

「不安になる気持ちは分かるけど、だからって焦ってもしょうがないよ。まだ猶予はあるんだから、じっくり考えればいい。

 それに皆、諦めるつもりなんてないんだろう? だって、大切な人の未来が掛かってるんだ。

 ……まどかだって、魔法少女になる可能性がゼロになった訳じゃない。あの子の未来が掛かってるんだとしたら。諦められない。……諦められる筈が無い」

 

 

 不安げに顔を歪める詰襟の少年に笑い掛けた後、背広の青年は、テーブルに乗せていた手を握り締める。

 鹿目まどかという少女は、極普通の、何処にでも居る少女だ。

 ぬいぐるみが好きで、ちょっと運動が苦手で、でも、思い込んだら少し頑固になる。……時には、どちらがより互いを想っているか、なんて事で痴話喧嘩をしたりもする、可愛らしく、優しい少女だ。

 しかし、その優しさは、大切な人に理不尽な不幸が襲い掛かったりすれば、自らを犠牲にする事を厭わないであろう、危うい一面も持ち合わせている。

 魔法少女の真実を全て知った今、安易に契約をする事は無い筈だが、それでも。

 目に見える形で選択肢が残されているという事実が。いざという時に縋る事の出来る、確実な奇蹟の存在が、一抹の不安を呼び起こす。

 

 

「魔法少女達が、何千年も抱えてきた命題。ひょっとしたら、自分達が生きている間には、解決出来ないかも知れない」

 

 

 一度、悔しげに瞼を閉じ。

 しかし、再び開かれたその目には、柔らかな光が宿っていた。

 

 

「でも、それならそれで、未来に想いを託すっていう事だって、立派な選択肢だと思うんだ。自分達の、子や孫に。そして、これから先も生まれるだろう魔法少女と、彼女達を愛する人達に。

 諦めないで欲しいっていう想いを。奴等には――インキュベーターには絶対に理解できないだろう、想いをね。きっと、そうやって伝えられて来た想いが、今の世界を形作ってるんだから」

 

 

 彼は言う。

 だからこそ、今まで誰も倒す事の出来なかったワルプルギスの夜を、倒す事が出来たんだから、と。

 だからこそ、諦めない限り、いつかきっと道は拓ける、と。

 

 

「それに、何も出来ないなんて事は無いよ。少なくとも、君達にしか出来ない事が、確実に一つある」

 

「俺達にだけ……?」

 

 

 問い返す少年に微笑みながら、彼は胸を張ってそれに答える。

 

 

「笑顔で居る事。笑顔で、彼女達を迎えてあげる事。

 こうして自分達が生きていられるのも、こんな風に悩んだり出来るのも、魔法少女達が命を賭けてくれているからなんだ。だから、それに報いる為にも、せめて笑っていようよ。

 大切な人が笑ってくれている日常がある。……そこに、帰る事が出来る。きっとそれは、彼女達にとって、何よりの希望になると思うんだ」

 

「希望、ですか……」

 

 

 何処にでも転がっている様な、当たり前の光景。

 多くの人が無意識の内に享受する、極普通の幸せ。

 しかし、そんな些細な幸せこそが、日々を生きる糧になる事を知っていた彼は、確信を持ってそう言い切る。

 

 

「なんて、偉そうな事言ってるけど、自分が勝手にそう想ってるだけなんだけどね? 仕事に疲れた時、まどかの笑顔を思い浮かべたり、電話で声を聞けたりするだけで、また頑張ろうって思えるからさ」

 

「……なるほど。一理ありますね」

 

「本当に、そうっすね。僕等が暗くなってちゃ、いけないですよね?」

 

 

 しかし、真面目に語ってしまったのが照れ臭いのか、誤魔化す様な微笑を浮かべる背広の青年。その言葉に眼鏡の青年が頷き、ブレザーの少年もそれに続く。

 青年は、彼と同じく仕事を持つ者としての共感から。少年は、誰も居ない家に帰る寂しさを知っていたから。

 大切な人から貰った温かさを思い出せたからか、部屋に漂っていた重苦しい空気は、段々と霧散していく。そして、この流れを途切らせない様にと、ラフな青年も少しふざけて、サムズアップして見せる。

 

 

「さっすが『まど彼』先輩、いい事言いますねっ。一回り年下の女の子を口説いただけの事はありますっ」

 

「褒めてんのか、それ? ……まぁ、事実だけどさ。さ、とりあえず、今日はここまでにしよう。課題があるって分かっただけでも十分な成果だよ。折角の集まりなんだから、暗いまま終わるのはあれだしね?」

 

「……そうですね。必要なら、また集まれば良いんですしね? だったら、もう一回行かせて貰います。私も一度くらい、人前で惚気話とかしてみたいですから」

 

「あ、だったら、ちょっと待って下さい。確か……あった」

 

 

 頷き、笑顔でサイコロを振ろうとする眼鏡の青年だったが、それをラフな青年が止め、再び背後の荷物を漁り始める。

 振り返った彼の手には、また別のサイコロが乗せられていた。

 

 

「二週目からは、もうちょっと踏み込んだお題が書かれたLvⅡトークダイスを使うようにって、さやかからの指示が。なんで、これ使って下さい」

 

「LvⅡ? ……なんだか、そこはかとなく不安なってきたんだけど……?」

 

「大丈夫ですって、まだLvⅡですから。もっと上がありますし」

 

「……余計に不安になる情報を有り難う……」

 

 

 先程までとは別のベクトルで不安そうな表情をしながらも、眼鏡の青年は新しいサイコロを受け取り、少し躊躇いがちにそれを振る。

 彼の心情とは裏腹に、軽快にテーブルの上を転がるそれは、ある面を上にして停止する。

 その面に張られたシールを不安に揺れる指が捲り、提示された新たなお題は。

 

 

「『恋人の体の中で、一番好きな部分』……? ほ、ほんとに露骨になって来たね……むぅ……」

 

 

 今までと違い、かなり直接的なお題に面食らうものの、惚気たいと言うだけあってか、彼は割合直ぐにその答えを見つける。

 

 

「……一番好きなのは、髪、かな。なんか、癖になりません? 女の子の髪を触るのって。細くて、柔らかくて、サラサラしてて……。

 ほむらの髪って、凄く手触りが良くて。指で梳いてると、妙に落ち着くというか……。気がつくと、つい触っちゃってるんですよね」

 

「あ、分かります。杏子も髪長いですから。男と女で、髪質って全然違うんですよね~。長いと髪形変えたりも出来ますし」

 

 

 普段から、読書デートなどで二人の時間を静かに過ごす事の多い彼だが、そんな中、ふと一息ついた時に、静かにページを捲るほむらの髪を指で掬い、悪戯してしまう事がある。

 彼女は、それを嫌がるポーズはするものの、積極的に止めようとせず、結果、読書をほったらかして、いちゃいちゃいちゃいちゃするのがお決まりのパターンだ。

 と言っても、それで済んでいたのはつい最近までで、二人の想いが通じ合い、男女の関係になった今では、そんな事したらわっふるわっふるな展開が繰り広げられるのだろう。

 

 そんな眼鏡の青年の言葉にブレザーの少年が同意し、彼もまた思いを馳せる。

 同じ家に住んでいるだけあって、お風呂の後に杏子の髪を乾かすのを手伝ったりするわけだが、最近では、髪形をいじって遊んでいたりするのだ。

 一回、アゲアゲ風に盛ってみた事もあり、その時は流石に怒られたが、ああでもない、こうでもないと言いながら彼女と触れ合う時間は、彼にとって、とても心が安らぐ時間だったりする。

 

 

「髪型かぁ。まどかも時々変えてるけど、ロングも良いかも知れない……。頼んで伸ばして貰おうかな……」

 

「あっしはショートのが好きだけどなぁ。でも、ロングのさやかも一辺見てみたい気はしますね~」

 

「俺はセミロングくらいが一番良いと思いますけど。結ってる時と下ろしてる時で、全然雰囲気も変わるし。変化があって、見てて楽しいですよ?」

 

「ま、人それぞれだね。でも、そこまで言うなら、次は『マミ彼』君に語って貰おうかな?」

 

「うわ、薮蛇だった……。うーん、簡単なお題だと良いんですけど……」

 

 

 唐突な二度目の指名に、詰襟の少年は苦笑いを浮かべるものの、気を取り直してサイコロを振る。

 そして、動きを止めたサイコロから慣れた手付きでシールを剥がすのだが、その下に隠されていた文を読み、彼は目を丸くした。

 

 

「……『初めてのキスの思い出』……?」

 

「……うーん。やっぱり、こういう流れになって来たか。もうそろそろパスを考えるべきかも……」

 

「パスします『杏彼』さんお願いしますっ」

 

「……って早っ!? え? どうかしたの?」

 

「アハハハハ。ナンデモナイデスヨ? エエ、ナンデモ……(魔法で拘束されて無理矢理されたなんて言える訳が無い……。そんな事言ったらマミが誤解される……!)」

 

 

 眼前で手を振りながら、詰襟の少年は引きつった笑いを浮かべ、そんな事を思った。

 まだ、彼が恋人と交際を始める前。自分が片想いをしていると思っていた彼は、その想いが、後輩である美樹さやかにバレたのを切っ掛けに、彼女へ恋の相談をした。

 この時、その気の置けない人柄と、打てば響くノリの良さに直ぐ親しくなり、名前で呼ぶようになったのだが、実はこれ、さやかの作戦でもあった。

 彼女からして見れば、後輩にすら「さん」付けで接する彼の硬さを無くせば、この二人は上手く行くんじゃないかと考えたからで、事実、それは上手く行く。

 出会って直ぐに名前で呼ぶほどに仲良くなる事で、マミの嫉妬心と危機感を煽るという、想定の斜め上な過程を経てだったが。

 

 その結果、彼に対しての好意が暴走したマミの手によって、既成事実は成立したのである。初めてのキスも、その時に交わした。

 美少女に無理矢理犯されるという稀有な経験をした彼だが、それ故に、初めてのキスと初めての逆レイプ(別に複数回されるつもりもないだろうが)の思い出がセットになってしまっているのだ。

 羨ま――もとい、可哀想――いや、やっぱり羨ましい事実だが、彼にとっては嬉しくも恥ずかし過ぎる思い出。初対面の人物も居る中で、まだ中学生の彼に、そんな事を言える度胸がある筈も無かった。

 

 

「……なんか、怪しいなぁ……? でも、僕もちょっと遠慮したいかなぁ……って訳で、『まど彼』さん、お願いします」

 

「えっ? 自分は、その、だね……大体さっき言っちゃったと言うか、大して面白くもならないだろうし……『さや彼』君、どう?」

 

「あ、あっしですか? いや、吝かではないんですけども………………あ~、やっぱあっしもパス! 『ほむ彼』さんどうぞ!」

 

「……あれ? 何時もだったらノリノリで話し出すのに……?」

 

「あ、あはは。あっしにだって恥ずかしい事ぐらいありますよ、流石に……」

 

 

 そして、恋人とのファーストキスと初体験を風呂場で済ませてしまったブレザーの少年も、詰襟の少年と同じくパスをし、背広の青年にお題を投げる。

 しかし、少女漫画みたいという評価を地味に気にしていた彼もまた、お題をラフな青年に投げた。

 先程、惚気話を妨害された彼なら快く話してくれるだろうと思っての事だったが、しかしまたしてもお題はパスされてしまう。

 

 魔法少女である事を知られ、別れを告げるさやかを抱き留めながら、思いの丈をぶつけて、やや強引に。

 彼にとっての初めてのキスの記憶は、そんな、少々ドラマチックな物だった。

 彼自身、よくそんな事が出来たものだと思うし、自分を褒めてやりたいとも思うのだが、その時さやかに掛けた言葉は、素面で口にするにはかなり恥ずかしい台詞でもあったのだ。

 それを言わなくても想い出は語れるのだろうが、今回は恥ずかしさが勝ったのか、胸に秘める事にしたようだ。

 別に、直後、彼女と魔法少女コスでいたした初体験は関係無い……かもしれない。

 そんな訳で彼も質問を投げた訳だが、投げられた眼鏡の青年もまた難しい顔をする。

 

 

「あ~、実は、『後で皆にからかわれるから、直接的な事は言っちゃ駄目』って、ほむらから口止めされてて。だから、ごめん。『マミ彼』君、犠牲になってくれ」

 

「戻って来たぁ!? なんでそんなに息ぴったりなんですかぁ!?」

 

 

 眼鏡の青年にとっては非常に微笑ましい思い出だったのだが、その恋人にとっては、兎にも角にも、そういった事は秘密にしておきたい様だった。

 まぁ、疲れて居眠りをしている彼にキスしようとしたのに、直前で目を覚まされ、慌てて離れようとしたら後ろに転んで、挙句スカートが捲りあがってしまったなんて、赤っ恥でしかないのだろう。

 普段は冷静沈着、しかし日常的な場面で見せるこういった隙に、彼は魅力を感じていたりもするのだけれど。

 そんなこんなで、廻り廻ってお題が帰って来てしまい、詰襟の少年は頭を抱えるのだが、ふと気づいたように顔を上げる。

 

 

「そ、そう言えば、罰ゲーム用のサイコロ振れば、お題は変わるんですよね? だったら俺そっち振ります!」

 

「ん? まぁ、そうなるけど……どうなっても知らないよ? かなりはっちゃけたって言ってたから……はい、罰ゲーム用のLvⅣダイス」

 

「LvⅣ……っ……いや、行きますっ!!」

 

 

 LvⅣ。

 ただの数字である筈のそれに、少年は奇妙な圧力すら感じたが、それでも、恋人の秘すべき事実を守らんと、己を奮い立たせ、震える手でそれを転がす。

 軽快に転がる筈のそれは、やけにゆっくりと動きを止める。緊張した面持ちで詰襟の少年がお題を隠しているシールを捲ると、それは彼だけでなく、他の四人の表情をも変化させた。

 

 

「『恋人との……』」

 

「『初体験の……』」

 

「『思い出を……』」

 

「『語りなさい!!』……!?」

 

「………………終わった(……こうなったら、嘘でもついて誤魔化すしか……!)」

 

 

 少年は、諦めた様に天を仰ぎ見た後、テーブルに突っ伏す。真実を隠そうとしてより困難な道を選んだら、逆に核心を突かれてしまったのだから、それも仕方ない。

 そして、この状況をなんとか切り抜けるため、咄嗟に嘘をつこうと頭を回転させる彼だったが――

 

 

「さやか……流石にこれは引くって……あいつ、夜中に変なテンションで作ったな、これ……」

 

「うーん、と言うか、『マミ彼』君は真面目そうだし、まだそういった事をした事ないんじゃ……?」

 

「私も、そんな気が……ここは振り直すか、いっそのこと前のお題に戻してあげた方のが……」

 

「そっちの方が良いかも知れないっすね。また変なお題になったら可哀相ですし」

 

「う、ぬ、ぐ……や、優しさが痛い……」

 

 

 ――そんな彼を庇おうとする周囲の優しい気遣いが、逆に追い詰める。

 この場を嘘で乗り切る事は出来る。しかし、折角の交流の場でそう言う事をしてしまったら、その因果は後々自分に返ってくるのではないだろうか。

 なにより、どんな形であれ、大切な思い出である事も確か。嘘なんかで誤魔化したくないというのも、本当の気持ち。

 だがしかし、本当の事を話したらまず間違いなく引かれる……。自分だってそうする、多分。

 どうする……!? どうすればいい……!? 助けてマミ○もん!!

 年齢の割りに生真面目な少年の頭に、「誰が狸よ!?」という幻聴が響く中、追い詰められてしまった彼が選んだ答えは――

 

 

 

 

 

「初めてのキスは……ベッドに拘束されて無理矢理されました……(もうどうにでもなぁれ~)」

 

「え……?」

「は……?」

「ベッド……?」

「拘束……?」

 

 

 

 

 

 ――いっそ全部ぶちまけて楽になろうという、やけくそ気味なものだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

『巴マミの黒歴史公開中……』

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……凄いね、色んな意味で(まどかから聞いてた話と二百七十度くらい印象が違う……)」

 

「家に遊びに来た時には、そんな人に見えなかったんだけどな……(……緊縛プレイか……)」

 

「人は見かけによらないねぇ……(こういうのも怪我の功名っていうのか……? にしたって、一歩間違えたら修羅場じゃん……綱渡り過ぎだろ……)」

 

「……なんか、ごめんね? 無理に話させちゃって……(逆レイプとか予想外過ぎる……。随分アグレッシブな子なんだなぁ……)」

 

「ハハハ……気にしないで下さい……なんだか、体が軽いんです……ふ、ふふ、ふ……もう何も怖……」

 

「『マミ彼』君それ以上はいけないよ? 正気に戻ろう? 私が悪かったから、ね?」

 

 

 詰襟の少年の話を聞き終えた皆の反応は、上記の様な物だった。しかもそれぞれが、憐れみとも、慈しみとも取れる微妙な表情をしてしまっている(約一名、不埒な事を考えている奴もいるが)。

 直接会った事がある者は、その時の印象から。話に聞いていただけの者も、彼女の人柄が伺えていただけに、ギャップは大きいのだろう。

 まぁ、普通の男性にとって、逆レイプなんてエロ漫画の中の出来事なのだから、仕方ないかも知れない。当の被害者ですら、経験するまではそう思っていたのだから。

 そして、そんな被害者の男子中学生を追い詰めてしまった負い目もあるのか、彼等は場の空気を換えようと、やや強引に話題を作る。

 

 

「で、でも、美樹さんてそう言う事、得意みたいですね? うちの杏子もアドバイス貰ったらしいですし」

 

「あ、あぁ、そう言えば。まどかも、最後の一押しはさやかちゃんから貰ったんだっけ……。

 あの時は余計なお世話とも思ったけど、あれがなかったら、まどかともこんなに上手く行ってなかったかも知れないなぁ……」

 

「そ、そうなんですかぁ。美樹さん、大活躍してますね」

 

「……そうですね……俺も、結局はさやかちゃん――じゃない、美樹さんのおかげでマミと恋人になれた訳ですし……感謝はしてます……」

 

「あはは、褒めすぎですよ、皆さん。っと、『マミ彼』君、無理に苗字呼びしなくてもいいよ? 友達同士なんでしょ? 流石に呼び捨ては許さんでやんすが」

 

「あ、すいません……。でも、嫌じゃないですか? 恋人がそんな風に呼ばれるの……?」

 

「……自分も、勝手にさやかちゃんって呼んじゃってたけど、本当に良いの?」

 

「勿論ですよ。男女問わず友達が多いのも、さやかの良い所ですから。さやかも、いきなり苗字で呼ばれたりしたら傷つきそうですしね。これからも仲良くして貰えると、あっしも嬉しいです」

 

「……はい。有り難う御座います」

 

 

 鬱々としていた少年の顔に笑顔が戻り、ようやく部屋の空気は軽くなる。

 それにほっと息をつき、背広の青年は彼に声を掛ける。

 

 

「さて、じゃあ、次はどうしようか。誰が振る?」

 

「あ、そうですね……。じゃあ、『まど彼』さん、お願い出来ます?」

 

「ん、了解。優しいお題だと良いんだけど……」

 

 

 前もって犠牲者が出てくれたおかげで傾向は分かったものの、何か対策がある訳でもなく、背広の青年は苦笑しながらサイコロを振る。

 そして、祈る様な気持ちで新しいシールを捲れば――

 

 

「『自分の恋人に一番似合う表情』かぁ……なんか拍子抜けだけど、助かったかな」

 

 

 ――そこに書かれていたのは、LvⅡという割には、予想外に甘いお題だった。

 安堵に再びほっと息をつくと、彼は殆ど考える事無く、お題に答え始める。

 

 

「まどかに似合うのは、やっぱり笑顔、かな。なんか、こう、見てると優しい気持ちになれるというか、自然に笑い返せる様な……」

 

「あ、僕、ちょっと分かります。釣られて笑顔になっちゃう様な、そんな柔らかい雰囲気なんですよね」

 

「俺も分かるかも……。マミとの事、親身になって応援してくれましたし。良い子だと思います」

 

「そういや、さやかも言ってましたね。色々とすれ違う事もあったけど、今のさやかがあるのは鹿目さんのおかげだ、って」

 

 

 まどかとさやかの二人は、まどかがこの街に越してきた、小学校の頃からの友人である。

 その関係性は、引っ込み思案だったまどかを、快活なさやかが引っ張るというものだったが、まどかはその事に悩んでいた時期もあった。

 一方的に守られて、その隣で笑っているだけの自分は、さやかになにも返せていないのではないか、と。

 しかし、人の気持ちが完全な一方通行になる事は滅多に無い。

 まどかがそう思っていたとしても、さやかは確かに、彼女の笑顔に励まされ、支えられていた。それこそ、その笑顔を曇らせてしまった自分を、呪いたくなるほどに。

 しかし、そんな彼女も、今では立派な魔法少女となり、大切な人達の笑顔を護る為に戦っている。

 例え、魔法少女にならなくとも、まどかの抱え込んだ途方も無い因果は、多くの人と結ばれる強い絆として、様々な影響を及ぼすのかもしれない。

 

 

「きっと、そんな子だからこそ、ほむらも頑張れたんでしょうね。やっぱり、私も一度ちゃんと会ってみたいなぁ」

 

「……あはは、嬉しいけど、やっぱり照れるね。まぁ、まどか以上に笑顔の似合う子は居ない、って感じかな?」

 

 

 ただの惚気話に、意外にも多くの賛同を得られた事で、背広の青年は照れ臭そうな笑みを浮かべるのだが、やはり、恋人を褒められたのが嬉しかったのだろう。

 少々大げさな事を言いながら、彼は胸を張る。

 んが――

 

 

「そいつは」

 

「ちょっと」

 

「納得」

 

「出来ませんね」

 

「……へ?」

 

 

 ――彼が最後に付け加えた「まどかが一番!」的な発言に、他の四人が大いに釣られる。

 自分の恋人こそが最高の女性だと信じて疑わない彼等は、それを主張する為、我先にと発言を開始した。

 結局の所、どいつもこいつもバカップルなのである。

 

 

「『まど彼』さんの気持ちは分かりますけど、笑顔だったら杏子にこそ似合いますって。いつも屈託の無い笑顔を見せてくれますし、他にも、明るくて活動的で、健康的な魅力だって溢れてるしっ」

 

「健康的な魅力だったらさやかが一番でしょ、常識的に考えて。それに、笑顔が可愛いだけじゃなくて、苛めて困らせたりしても可愛いんだからっ」

 

「マミだって可愛らしさでは負けてないですっ。色々言いましたけど、ちょっと寂しがり屋なだけで、包容力もあるのに、ちゃんと甘えたりもしてくれるんだから。甘え上手なマミこそ一番だっ」

 

「聞き捨てなら無いね。甘えてくる女の子が可愛いのは認めるけど、甘えたいのに素直に甘えられなくてもじもじする女の子だって可愛いはずっ。と言う訳でやっぱりほむらが一番だよっ」

 

「………………」

 

 

 各々が主張するうちに、どんどんと論点がずれていくのだが、それに気が付かないほど、彼等は本気で語り続ける。

 そして、そんな彼等の熱気に飲まれ、口を噤んでいた背広の青年だったが――

 

 

「……皆、言ってくれるね。だが、負けんぞっ。まどかの魅力は笑顔だけじゃない! ちょっとしたスキンシップの時に見せる照れた様な上目遣いこそ最高に可愛い!!」

 

 

 ――熱に当たり過ぎてのぼせてしまったのか、彼もまた恋人自慢に参加を表明してしまった。

 こうして、ストッパーの居なくなった彼等の論争は加速していく。

 

 

「確かに照れ顔の女の子は可愛い……。けど、そういった初々しさでもやっぱり杏子がっ。なんせ、未だに人前で手を握ったりするだけで顔真っ赤にするんだから!!」

 

「いや、初々しいのも良いけど、ベタベタしまくるのだっていいじゃないかっ。最近じゃあ、さやかの方からスキンシップしてくれるし……。ちょっと積極的な彼女だって、男としては嬉しい筈!!」

 

「確かに、否定出来ない……。マミも最近、妙に色っぽくなったしなぁ……。でも、そういった意味ではマミが一番セクシーですよね。なにより大きいし!!」

 

「君とはとことん分かり合えないみたいだね。あえて主張せず、控えめである事の良さが理解出来ないとは……。スレンダー美人なほむらこそ最高だ!!」

 

 

 対抗する様に、競う様に、彼等は自らの恋人の魅力を語る。

 ワーワーギャーギャーと、語り口もどんどんヒートアップし、ついにはテーブルに乗り出し、顔を突き合わせながら己が主張を繰り返す。

 

 

「まどかは――!」

 

「杏子が――!」

 

「さやかの――!」

 

「マミを――!」

 

「ほむらと――!」

 

 

 彼等は知らない。

 隣の部屋に住む、もう直ぐ魔法が使えるようになるかもしれない年頃の男性が、今まさに壁殴り代行業者に電話しようとしている事を。

 彼等は、知らない。

 

 

 

 

 

「まどか!!」

「杏子!!」

「さやか!!」

「マミ!!」

「ほむら!!」

 

 

 

 

 



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【救済の】一発ネタ・ハーレム【伽藍】※BADEND注意

 

 

『もういいの。もう、いいんだよ』

 

 

『もう、苦しまなくていいんだよ』

 

 

『もう、悲しまなくていいんだよ』

 

 

『私が全部、受け止めてあげるから』

 

 

『私が皆、救ってあげるから』

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「――様、小父様?」

 

 

 はっ、と、意識が覚醒する。

 ……なん、だろう。

 何か、形容し難い夢を、見ていた気がする。雲の上を歩いているみたいな、足元の覚束無い不安定感と、妙に心地良い浮遊感が、気だるい体に残っていた。

 ぼうっと周りを見渡せば、薄暗い部屋に飾られた、質素な調度品が目に入る。

 どうやら自分は、部屋の片隅にある椅子に腰掛けているらしかった。

 

 

「……どうかしました、小父様?」

 

 

 顔を向けると、部屋の中央にあるキングサイズのベッドの周囲に、個性的な衣装を身に纏った少女達が居た。

 ベッドに座り込んでいるのは、黒と桃色の二人の少女――ストレートヘアの澄まし顔をした少女と、俯き加減の顔を少し紅く染めたツインテールの少女。

 対面側では、ショートカットの蒼い少女が、緊張した面持ちでベッドの上に膝を抱え、ポニーテールの紅い少女が浅く腰掛け、脚をパタパタとさせていた。

 そして、ベッドから少し離れ、こちらを心配そうに覗きこむ、巻き髪の黄色の少女――先程の声の主は彼女だ。

 少女達に共通しているのは、その衣装と、もう一つ。

 こちらに向けている視線に、確かな熱量が込められている事だった。

 

 

「今日は、私からですよ? 小父様」

 

 

 黄色の少女は手を差し伸べ、にっこりと微笑む。

 

 ……私、から。

 ………………ああ、そうか、そうだった。

 

 思考の空白に少女の――巴マミの笑みが染み入り、ようやく頭がハッキリして来る。

 これから自分は、彼女達五人を。

 美しく可愛らしい、この少女達を、抱かなければいけないのだ――そういう、契約だ。

 それを思い出すと、夢見心地だった意識に、性欲が滾るのを感じた。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 差し出された手を握り返し、椅子から立ち上がって、二人でベッドへと歩く。

 マミは、小さく笑いながら器用にブーツを脱ぎ捨て、ベッドの上に身を乗り出す。

 自分もネクタイを投げ捨てながら革靴を脱ぎ、彼女を追う。

 

 

「……あっ」

 

 

 そして、ベッドの中央辺りで、逃げる彼女の腰を捕まえて向き合い――

 

 

「……ん……は……んちゅ」

 

 

 ――数瞬、見つめ合ってから唇を奪う。

 一度だけ確かめる様に触れてから、深く舌を絡ませる。

 

 

「……ふ、ん……んぅ……」

 

 

 柔らかい唇と、熱い舌の感触。

 目を閉じ、無心に楽しんでいると、胸元に置かれていたマミの手が服の間へと滑り、肩から腕を撫でる様にして下ろされ、前を開けていたジャケットは、それだけで脱がされた。

 

 

「んちゅ……う、ん……」

 

 

 腕に沿って下ろされた手は、そのままズボンの上へと移動し、今度は股間の辺りをまさぐり始める。

 薄目を開けて顔を見てみると、彼女は目を瞑ったまま、カチャカチャとベルトを外そうとしていた。

 その手付きは慣れたもので、目を閉じているというのに、いとも簡単にそれは外されてしまい、ズボンが下ろされ、少女の手に触られて硬くなり始めていた竿が露出する。

 

 

「んん……んぁ……」

 

 

 細い指が緩やかに竿をしごき、柔らかな刺激によって、竿は硬度をどんどんと増して行く。

 

 

「ん、は……ぇる……」

 

 

 その間も、深くキスは交わされていた。

 唇が離れ、空中で舌だけを絡ませる。

 何時の間にか、マミも閉じていた瞼を開けていて、舌だけでなく、視線も複雑に絡み合う。

 唾液が、銀色の糸を引いていた。

 

 

「……れる……っちゅぱ……はぁ……そろそろ、準備、しますね……?」

 

 

 しばらくすると、彼女はそう言って体を低くし、こちらの腰の辺りに顔の高さを合わせる。

 そしてそのまま、躊躇い無く竿を口に含み、頭を上下に動かす。

 

 

「大きい……はぁむ……ん、じゅ……ぷ」

 

 

 頭の動きに合わせて、竿全体にヌルヌルとした熱が纏わり着く。

 

 

「ん、ぷ……も、ぐ……む、ぅん」

 

 

 唇で竿を緩やかに締め、舌を絡ませ、袋を手の上で優しく揉み解す。

 根元まで口に含み、もごもごと言いながら吸い上げる。

 大胆で、それでいて丹念な奉仕。

『自分が仕込んだ技術といはえ、随分と上達が早い』

 褒めるつもりで、動き続ける頭を撫でながら呟く。

 

 上手になったね……。

 本当に、マミちゃんはエッチな子だ……。

 

 

「んぅん……じゅる……ん、ぷ」

 

 

 否定したいのか、マミは非難染みた視線で上目遣いをするが、それでも竿から口を離そうとはしないのだから、間違ってはいないと思う。

 しかも、そうしている間にも、彼女はスカートの中に空いた手を差し入れ、自分自身の準備も忘れない。

 本当に、末恐ろしい。

 少しだけ彼女の未来が心配になり、苦笑いを零す。

 

 

「ん、むぅっ……じゅっ、じゅっ、じゅるっ」

 

 

 だが、それが気に入らなかったのか、マミは口を強く窄めて、舌を蠢かせる。

 強い刺激に、射精感が急速に高まっていった。

 

 

「んっ、んっ、ふっ、ぅんっ」

 

 

 このまま続けさせて、果てても良いかも知れないと思ったが、しかし、折角の一番手。

 口で出してしまっては勿体無いと考え直し、やや強引にマミを引き剥がし、ベッドに押し倒す。

 

 

「んぁっ、やぁ、小父様、どうしてぇ……?」

 

 

 先程と同じ非難の視線を向け、どうして、と尋ねる彼女に、いきり立つ物を見せながら問う。

 

 あのまま出して、本当に良かったの……?

 一番濃いの、何処に出して欲しい……?

 

 

「……あ」

 

 

 その問いに、マミは顔を赤らめ、目をとろんとさせながらも、はっきりと答える。

 

 

「……なかに、ください。小父様の、一番濃いの、沢山、欲しいの……」

 

 

 言いながら、マミはM字に脚を開き、ショーツをずらして、自らの濡れそぼった恥部を広げて見せつける。

 綺麗なピンク色をしたそこは、十分に濡れそぼっているのが簡単に見て取れた。

 そして勿論、彼女の要求を拒否出来る男など、居る筈も無く――

 

 

「ん……あぁぁっ!!」

 

 

 ――早速、無遠慮に、一気に奥まで竿を押し込む。

 甲高い悦びの声を聞きながら、小刻みに痙攣するマミの内側を擦り上げる。

 

 

「ひぁっ、あっ、くぅ、ふ、太、いぃっ」

 

 

 思わず感嘆とした溜息が洩れた。

 竿の根元までが完全に飲み込まれ、全体をくまなくしごき上げられる感触。

 柔らかく、むちむちとしていて、それでいて瑞々しい肉感。

 十代半ばとは思えない蠱惑的な肢体は、その全てが、男を喜ばせる為に在ると言っても過言ではないだろう。

 

 

「あふっ、んんぅ、ふっ、あんっ」

 

 

 マミちゃんの中、凄いよ……。

 こんなに深く咥え込んで……そんなに欲しかったの……?

 

 

「あっ、はっ、あ、う、うんっ、欲しかっ、たのぉ、あぁっ」

 

 

 呆けた様な視線を向け、マミは快感に打ち震える。

 合わせて、弾む胸に指を沈めると、衣装の上からでも、硬いしこりが激しく自己主張しているのが分かった。

 手の平でそれを押し込んだり、指で弾いたりしながらも、腰の動きは止まらない。

 

 

「……ねぇ、おっさん。アタシも……」

 

 

 そうして、マミの体を存分に楽しんでいると、横から不意に声を掛けられる。

 視線を移すと、そこにはベッドに四つん這いになり、小さく腰を揺らす紅い少女――佐倉杏子が居た。

 順番を待ち切れないのか、顔には切なげな表情が浮かんでいる。

 

 

「マミばっかじゃなくて、アタシの事もかまってよ……」

 

 

 こちらに近づく彼女は、上体を起こし、短めのスカートをたくし上げる。

 下に隠されていたショーツは、随分と湿り気を帯びているのが見て取れた。

 

 

「なぁ、おっさぁん……」

 

 

 潤んだ瞳でこちらを見上げる杏子。

 可愛らしい懇願を無視できる筈も無く、彼女に向かって手を差し出すと――

 

 

「……かぷっ」

 

 

 ――彼女はその手を取り、指を口に含む。

『小さな舌が、指を絡め取ろうと蠢き、少しこそばゆいのと同時に、普段は勝気な彼女にそんな事をさせいてる事実が、興奮を高めていく』

 

 

「んぁ、あっ、小父、様ぁっ、あっ」

 

「……ちる……ん、にゅぁ……んむ……」

 

 

 硬さを増した竿でマミを突き上げ、杏子の下を指でくすぐる。

 少女達の痴態と、重なる声。

 

 

「杏子も、あんな表情するんだ……」

 

「マミさん、凄い……えっちな音……」

 

「……っ……ん……」

 

 

 ふと周囲を見渡して見れば、残る三人の少女もこちらに釘付けになり、頬を赤らめたり、体を揺らしている。

 彼女達の顔を見ていると、あまり待たせてしまうのも可哀相――と言うよりも、早く皆を犯したいという欲望が強くなり、腰の動きをより早める。

 

 

「やぁ、ぁっ、早いの、好きぃ、もっと、激しくぅっ」

 

「……ん゛~……ちゅうぅぅううう……」

 

 

 その動きにマミが嬌声を上げると、杏子は不満気に眉を寄せ、より強く、指をちゅうちゅうと吸い上げる。

 可愛らしい無言のおねだりに、仕方ないな、と苦笑いを漏らし、彼女に顔を近づけ、指の代わりに舌を絡ませた。

 開放された指は、そのまま杏子の恥部をショーツ越しに撫でる。

 

 

「んむっ……ふっ、んんっ! ……ふはっ」

 

 

 くぐもった声を出しながら、与えられた快感に身を震わせる杏子に、言い聞かせる様に告げる。

 

 もうちょっとだから、我慢して……?

 準備して待っていれば、直ぐにしてあげるから……。

 

 

「……ん、わかったから……早く……」

 

 

 舌を離すと、杏子は大人しく身を引き、ペタン、と女の子座りをして、自分のスカートの中に手を差し入れる。

 その様子にもう一度笑みを浮かべた後、スパートを掛ける為にマミへ視線を戻す。

 

 

「あ、あぁ、小父様、小父様ぁっ」

 

 

 快感に蕩けきった、猥らな顔。

 腰に合わせて弾む声。

 服の中で窮屈そうに揺れる胸。

 強引に胸元を引き裂き、開放されたそれの吸い付くような手触りをもにゅもにゅ楽しみながら、激しく彼女を突き上げる。

 

 

「ひぃっ! あっ、あ、ぃっ、はんっ」

 

 

 頭頂部を少し強めに摘み上げる。

 少々の痛みも、今のマミにとっては快感の一部らしく、彼女の声が更に高まっていく。

 同時に、内側の圧力も高まっていき、竿を熱が駆け上る。

 我慢する必要も無いと感じ、行くよ、と宣言してから一拍の後、一番奥を擦り上げ、彼女を穢す。

 

 

「あぁっ!? ふぁぁあああ!!!!!!」

 

 

 熱が激しく奥を叩く熱に、マミは大きく体を反らせ、絶頂を示す。

 竿が、ビク、ビク、と脈打ち、合わせて内側が激しくざわめく。

 

 

「あ……ふ……んぅ……小父様の……熱いのが、いっぱい……」

 

 

 やがて、彼女の体はゆっくりと弛緩していき、荒い息が吐き出される。

 良かったよ、と声を掛けながら竿を引き抜くと、小さなタイムラグの後、収まりきらなかった精液がとろとろ溢れ出てきた。

 自分の分身からも、だらしなく白い糸が伸びている。

 

 

「……ふ……あ……はぁ……」

 

 

 絶頂の余韻に浸りながら、うつろな目をするマミの姿は、雄の本能である支配欲を十二分に満足させてくれた。

 が、唐突に、紅い影がそれを隠してしまう。

 

 

「やっと終わった……。次はアタシだよ?」

 

 

 それは、マミの上に覆い被さり、背中越しにこちらを見ながら、小さなお尻をさらけ出す杏子だった。

 恥部を覆っているショーツは愛液でびしょびしょになり、太ももにまで滴っている。

 

 

「なぁ、早くぅ……アタシもう、我慢出来ないよ……」

 

 

 こちらを見つめながら、快楽をねだる杏子。

 彼女の言葉に誘われるまま、小さなお尻を撫でながらショーツを下げて、恥部を露出させる。

 未だ硬さを維持する竿の先端を擦り付けると、改めて解す必要が無いほど、準備が整っているのが分かった。

 

 

「んぁっ……こらぁ、焦らすなぁ……あんっ」

 

 

 杏子の漏らす可愛い声を聞きながら、彼女の中に先端を埋没させる。

 すると、彼女は震える様な吐息を漏らし、悦びを表す。

 

 

「あぁ……っ……は、ぁっ……んっ、ふっ」

 

 

 その姿に下卑た笑いを浮かべながら、もっと彼女の声を聞きたくて、浅く抽送を始める。

 

 

「ひぁ……あ、く……んあっ……」

 

 

 狭い入り口を、小刻みに、何度も何度も行き来する。

 その度、ぢゅぽ、ぢゅぽ、と卑猥な音が立ち、射精直後の敏感な先端を、強い快感が襲う。

 

 

「あ、ひ……んっ……やっ……」

 

 

 杏子ちゃんの入り口、小さくて気持ち良いよ……。

 これじゃ、直ぐに出しちゃうかも……。

 

 

「う、うっさいっ……アタシのがちっちゃいんじゃなくて……おっさんのがデカ過ぎ……んぁっ」

 

 

 弱点を責めてたられ、杏子は大きく体を震せわる。

 そのうち、体を支える事も出来なくなったのか、彼女はマミの上に倒れこむ。

 丁度、マミの豊満な胸の谷間に、杏子の頭が収まった。

 

 

「はぁっ……あ……んちゅ……んむぅ」

 

「やんっ、佐倉さんっ……もぅ……あっ」

 

 

 すると、杏子は甘える様に胸に顔を埋め、それにしゃぶりつく。

 母性でも刺激されたのか、マミは杏子を優しく抱きしめるのだが、それでも、艶っぽい声を隠そうとはしない。

 

 

「可愛い……赤ちゃんみたい……私のおっぱい、美味しい……?」

 

「んぁっ……あくっ……わ、分かん、ない……ひぁんっ……んむっ」

 

 

『あいからわず、この二人は仲が良い』

 それは良いのだが、可憐な少女が絡み合う姿を見せつけられては、男として頑張らずには居られず、愛液が泡立つほどに素早く出し入れを繰り返す。

 

 

「くっ!? あぁぁっ!? あっ、は、ぁっ、んっ!」

 

 

 元々きつかった入り口は、その刺激に合わせてぎゅうぎゅうと竿を締め上げる。

 まるで、手で強く握り締められている様にも感じた。

 

 

「あっ、ひっ、お、おっさん、駄目っ、早、くぅ! アタシ、もう、いっちゃ、うっ!」

 

 

 しばらくすると、杏子が切羽詰った声で射精を懇願し始める。

『そう言えば、同時に達しなれけば効果が低いのだった。本当ならもっとゆっくり楽しみたいのだが、それとひかきえにこの快楽を得ているのだから、ここは彼女の望むままにするとしよう』

 

 

「あっ、あんっ、あ、んんっ、ぅあっ、やぁっ」

 

 

 浅かった侵入を深くし、竿全体で杏子を感じる。

 入り口はとても狭いのに、彼女の奥は包み込む様に柔らかく、その差異が快感を助長する。

 

 

「うっ、お、くがっ、掻きまわ、されてっ、あふっ」

 

 

 しかし、一度射精して余裕がある為、このままでは杏子が先に達してしまうかも知れない。

 仕方なく、もっと強く彼女を感じる為、左手の小指で、ヒクヒクと動くお尻の穴をほじくる。

 

 

「……えっ? やっ、そっちはだ、めぇえっ!?」

 

「いっ!? さっ、佐倉さん、そんなに強く掴んじゃ……!!」

 

 

 その途端、杏子の内側が急激に締め付けを強くする。

 流石にこの刺激には慣れていないのか、彼女は弓なりに体を反らせ、マミの胸を握り締めて耐えようとしていた。

 絞られる様にも感じるその窮屈さに思わず呻き、それでも、腰は止められなかった。

 瞬く間に、竿の根元に熱が集まり始める。

 

 

「もぅ、痛かったんだから……悪い子には、お仕置きしないと……ん~、ちゅっ」

 

「んむっ、マ、マミッ、ぅんっ、やっ、ひっ、くぅぅ、ふあぁっ」

 

 

 胸を潰されそうになった仕返しか、マミは少し体を起こし、杏子に口付けながら、支える様にして彼女の胸を撫で回す。

 それを見ながら、自分も腰を動かし続け、小指を捻ってお尻の中をくすぐる。

 

 

「やぁっ、やだぁっ、アタシ、も、だ、んっ、んんんんんっっっ!!!!!!」

 

 

 二人掛りで責め立てられては耐えられなかったのか、杏子は自分よりも少し早く絶頂に達し、更に体を引き絞りながら、内側をきゅうぅっと締め付ける。

 それに助けられ、彼女が達するのとほぼ同時に腰を押し付けて、最奥に勢い良く熱を吐き出す。

 

 

「ああ、ぁあぁぁ……なかで、ビクビクって……はっ……は、ぁ……」

 

 

 熱を感じ、杏子は腰を震わせる。

 二度目にしては長い射精を受け止めると、彼女はそのまま、くたっ、とマミの上に再び倒れこむ。

 

 

「お疲れ様、佐倉さん……凄く可愛かったわ……」

 

「……あ……マ、ミ……んっ」

 

 

 そんな彼女をマミが優しく抱き止め、二人はそのまま深く口付け始める。

 ……この分なら、杏子の事はマミに任せて大丈夫そうだ。

 そう判断した自分は、左手をぷらぷらと揺らし、ベッド上部に備え付けてある除菌用ウェットティッシュを取りに二人の元を離れる。

 事前に綺麗にしておいたのか、指は特に臭わず綺麗なままだったが、流石にお尻に入れていた指で触られるなんて嫌だろうし、常識的に考えて。

 

 

「あっ……ん……んっ……あ……はっ」

 

 

 目当ての物を探して視線を動かすと、その直ぐ側で、ベッドの手すりに寄りかかり、胸をはだけてオナニーをしている少女が居た。

 大きく開かれたその脚には、水色のストライプ柄のショーツが引っかかり、片手で恥部の突起を弄りながら、胸を強く揉みしだいている。

 蒼い少女――美樹さやか。

 

 

「……あ……っ……」

 

 

 視線が合うと、彼女は気まずそうに顔を逸らしてしまった。

 そんなさやかに、邪魔な衣服を脱ぎながら近づき、指をティッシュで拭った後、眼前にヌラヌラとテカる竿を突きつけると、彼女は一瞬だけ戸惑ってから、それにしゃぶり付く。

 

 

「……ん、くぷ……はむ……杏子と、マミさんの味がする……」

 

 

 いざ行為を始めると、先程の戸惑いは何処へやら、さやかは夢中に舌を這わせる。

 小さな舌が横合いから竿を舐め上げ、彼女の舌が触れた場所に、じんわりと熱が生まれた。

 すると、だらしなく垂れ下がっていた竿が瞬く間に復活し、二人を相手にした疲労すらも回復していく。

『癒しの祈りで魔法少女のけやいくをした彼女の体には、変身時、常に治癒の魔力がめぐっおてり、その体液には、ただふるれだけで男をたぎせらる、強壮剤の様な効果があるらしい』

 この能力の為、彼女の順番は何時も中盤で、それは体力回復の時間でもあった。

 

 

「んぷ……ぁ、むん……ちゅろ……」

 

 

 さやかは目を閉じ、口に含んだ先端を、舌で舐め回す。

 自分からは見えない竿の裏側を舌が撫でると、体が勝手にピクピクと反応した。

 

 

「ふ、ぐ……くちゅ……ん゛ぅ、う……」

 

 

 その間も、自身を慰める手は動きを止めていない。

 自在に形を変える二つの膨らみを見ていると、自分もそれを楽しみたいと感じ始め、彼女の頭に手を置き、動きを止めるように促す。

 

 

「……ん、ぁ……何……? ……あ」

 

 

 こちらを見上げ、小首を傾げるさやかから少し離れ、体の下に手を差し入れて、ベッドの上に全身を滑らせる。

 その上に跨り、腰を下ろしてしまわない程度に高さを調節して、彼女の胸元に竿を落とす。

 

 

「え? ……あ。……んしょ……ん、む」

 

 

 何を要求しているのか悟ったのか、彼女は己の胸でそれを挟み込み、その間から飛び出た先端を半分ほど咥える。

 先程までの湿った快感に加え、新しく竿に与えられる、温かい感触。

 しゅ、しゅ、と肌の擦れる音がし、快感に緩む自分の顔を、さやかはじっと見つめている。

 男は視覚で興奮するらしいが、この光景を見て興奮しない男は、逆におかしいだろう。

 

 

「ぢるっ……ぷぁっ……ん、ちゅう……」

 

 

 水音を立て、唇が離れては吸い付く。

 絶え間の無い刺激と治癒の魔力によって、竿は何時に無く膨張している。

 しかし、自分だけ気持ち良くさせられるというのも男としては面白くなく、少し体を反らせながら右手で背後を探り、彼女の剥き出しになった恥部に手を置く。

 

 

「ん……っん!? ……ふ、んんっ……」

 

 

 驚いたのか、ぴく、と体を揺らし、さやかの動きが乱れる。

 だが、こちらを見上げる視線に抵抗する意思は感じず、そのまま手を下にずらして行き、濡れた穴を探り当て、静かに中指を差し込んで行く。

 

 

「は、ぁ……ぁあ、あ……あむ、んっ……」

 

 

 指一本でも窮屈なそこは、まるで処女の様にきつく締め付けるのだが、潤んだ壁はむしろ悦びに蠕動している。

 さやかの口から洩れる声もまた、震えていた。

『だが、感情が高ぶった事に影響さてれか、竿に流れ込む魔力が大きくなり、更に硬さを増してしまう』

 言い様の無い昂りに呻き、力が篭もった指が内側を撫で上げると、彼女は体を大きく跳ねさせる。

 

 

「んんっ! じゅっ……ぢうぅっ」

 

 

 同時に先端への吸引も激しさを増し、射精感を募らせる。

『このまま出てしも、一応の効果はあるしらいが、少女にいい様にされて出すというのは、癪に障る』

 なので、まだ根元までは入れていなかった中指を深く挿入し、下腹部の裏側――所謂、Gスポットの付近を撫で上げる。

 

 

「ぁはっ! あっ、はふっ、ちゅうぅっっっ」

 

 

 強い刺激に、さやかは一旦口を離してしまうものの、負けじと再び先端に強く吸い付き、胸の上下を加速。

 返って来た快感に、うぉ、と情けない声を上げてしまうが、こちらも負けるかと、指を小刻みに震わせる。

 が、しかし――

 

 

「……んぶっ!? ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛っ!!」

 

 

 ――自分で感じていた以上に精力を取り戻していたのか、我慢し切れなくなった欲が溢れ、彼女の口内を飛び跳ねる。

 僅かに悔しさを感じたが、それ以上の気持ち良さが、頭を塗り潰す。

 彼女自身、軽く達しているのか、入れたままの中指が、きゅうきゅうと締め付けられていた。

 

 

「……ん……ふ……ふー……んっ……っく……ぅん」

 

 

 最初の射精と変わらない量の精液を、さやかは慣れた様子で飲み下していく。

 やがて、細い唾液の糸を引きながら竿が離されるのだが、それは、欲を吐き出す前よりも大きく張り詰めていた。

 射精した筈なのに、まるで出した気がしなかった。

 

 

「……んふっ……ふぅ……はぁ……」

 

 

 入れたままだった指を引き抜くと、さやかは小さく鼻に掛かった声を漏らすが、少し疲れてしまったのか、目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えていた。

 そんな彼女の体を、ベッドに膝を突きながら下に移動し、片足を持ち上げて、恥部に先端を擦り付ける。

 

 

「……んっ! あ、やっ!? あたしはもういいからっ、入れない――で、ぇえっ!?」

 

 

 驚き、体を離そうとするさやかを押さえつけ、ゆっくりと、掻き分ける様に挿入。

 すると、想像していた通り、まだ誰も受け入れた事のない様な締め付けが、竿全体を襲う。

 

 

「い、や……駄目……ぬい、てぇ……」

 

 

 口では嫌がっていても、体は正直……なんて、陳腐な表現だが、今の彼女にはそれがぴったりだ。

 でなければ、細めた眼を潤ませ、口を開けたまま涎を垂らすなんて、色に爛れた表情を見せる事などないだろう。

『男の吐き出すせえいきには、魔力の元なとる霊力が大量にこめらてれいて、それをねまんくを介して吸収する事で、魔法少女は余剰魔力を得る事が出来る。その際、魔法少女本人が快感を感じてるいと、吸収率が格段にアップするらしい』

 彼女だってそれを求めてここに居るのだから、本気で嫌がってはいないのだ。

 

 

「あ……あ、ぁ……ひ、ぅ……」

 

 

 その証拠に、自分は全く動いていないのに、さやかの内側は激しく蠢き、男を悦ばせようとしている。

 溢れんばかりの愛液が竿に纏わり付き、流れ込む魔力によって、更に大きさと硬さを増していく。

 

 

「あ、やぁ、あっ……中で、膨らんでる……広がっ、ちゃうぅっ……」

 

 

 それを感じてか、彼女は更に眼を細め、大きく口を開け、唇を戦慄かせていた。

 淫靡な表情にそそられて、ついつい腰を突き出してしまう。

 

 

「うあっ!? あっ、やっ、動か、ないでぇっ!」

 

 

 だが、さやかの魔力によって精力が回復しつつある自分には、この締め付けはかなりきつい。

 うっかりすると、このままでも射精してしまいそうな――まるで、数日間、自慰もせずに精液を溜め込んだ様な、そんな感じだった。

 そのため、じっくりと、馴染ませる様に、少しずつ竿を引き抜いては、また挿入する。

 

 

「はぁ……あっ、くぅっ……んっ……はっ」

 

 

 さやかの魔力によって肥大化した竿は、全てを入れなくても簡単に彼女の奥を突く事が出来た。

 目視はしていないが、硬さも大きさも、既に普段の三割増位にはなっていそうだ。

 しかし、余り派手に動くと、杏子の時とは逆に自分が先にイってしまうかも知れないので、最小限の動きで奥をグイグイと押し上げるに留める。

 

 

「い、やぁ……奥、は……駄目、ぇ……ひっ」

 

 

 相変わらず、さやかの言動は一致していない。あくまで、自分からは求めていないつもりの様だった。

 そんな彼女に、ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべながら、言葉を突きつける。

 

 本当は好きな癖に……。

 正直に言えば、もっと気持ち良くしてあげるよ、さやかちゃん……?

 

 

「……ち、違、う……そんな事、ない、もん……あたしは、こんな事……」

 

 

 ……あと一押しすれば、この態度も直ぐに変化しそうだ。

 自分は、腰の動きを一旦止め、さやかの下腹部を――丁度、竿が埋もれている辺りを手の平で下に押し付ける。

 そして、そのまま腰を一突き。

 

 

「う゛ぁっ!? や、だっ……押さない、でぇっ……形、分かっちゃう……ぅっ!」

 

 

 彼女は苦しげに声を上げるが、やはりその表情は色欲にときめいている。

 しかし、それに惑わされる事無く、腰の動きを止め、微動だにしない。

 

 

「あ……え……」

 

 

 予想通り、さやかは切なげな表情のまま、こちらを見つめる。

 その姿を優越感に浸りながら眺め、無言のままに、彼女の言葉を引き出す。

 

 

「う……う、ぅ……」

 

 

 しばしの逡巡。

 そして――

 

 

「……お、願い……もっとぉ……」

 

 

 ――さやかは、自身の欲する事を、叫ぶ様に口にする。

 

 

「奥をゴリゴリされるの、好きなのぉっ! だから、もっとしてぇっ! 嫌な事も、恭介の事も、全部忘れさせてぇ!」

 

 

 ようやく聞けた本心に、自分は腰を突き出して応える。

 

 いいよ、忘れさせてあげる……。

 嫌な事も、恭介君の事も、全部……。

 

 

「オジさんっ、あ、くっ、オジさん、オジさぁんっ!」

 

 

 さやかは、縋りつく様にこちらに抱き付き、全身を密着させてくる。

 とても柔らかい抱き心地だった。

 しかし、それに酷く興奮する一方で、頭の奥に、小さく、冷たいしこりが生じた。

 

 ……恭介って、誰だ……?

 彼女の知り合い……なのだろうけど、なんで彼女は忘れたがってるんだっけ……?

 

 

「はっ、あっ、オジさんの、硬いの、すきぃ、あんっ」

 

 

 だが、その冷たさを、圧倒的な快楽の熱気が押し流していってしまう。

『あぁ、そうだ……。だでれもいいし、どもうでいい……。今は、この快感に集中しなければいなけい』

 

 

「やっ、はんっ、ぅあっ、あ、ひっ」

 

 

 限界が近い事も忘れ、我武者羅に腰を打ち付ける。

 先端が奥を激しく突き上げ、肉のぶつかる音が響く。

 

 

「あ、っ、きもち、いいよぅ、あ、ふっ、んっ」

 

 

 さやかの両脚が腰に絡み、逃さぬ様に拘束してくる。

 その声を聞く限り、彼女も同じく、急速に絶頂に至ろうとしているように感じた。

 

 

「もっ、と、えぐってぇっ! なかに、だしてぇ! あんっ!」

 

 

 射精を求める哀願に、それは確信へと変わり、知った事により、ギリギリで欲を押し留めていた枷が弾け飛んだ。

 

 

「ん、ああぁっ!? でて、るぅっ!! 熱いの、たく、さんんっ!!」

 

 

 先端を押し付け、最奥に直接、欲望を注ぎ込む。

 さやかの内側がゾワゾワと蠕動し、吸い付く様にそれを飲み込んでいく。

 どれ程の量が出たのか、結合部からは、引き抜く前から白濁とした液が漏れ出していた。

 

 

「んっ……あ……はっ……は、ぁ……」

 

 

 荒く息を吐きながら竿を引き抜くと、更に大量の液が零れ落ち、さやかは失神したかのように、力無く体を横たえながら、途切れ途切れに短い喘ぎ声を漏らしている。

 しかし、それを見下ろす自分の中では、情欲が激しく燻られていた。

 薬物でも使ったみたいに、全く疲労を感じない。

 いきり立つ竿は、彼女の魔力によって、自分でも見た事が無い位に大きくそそり立っている。

 まだ、足りない……もっと、もっと犯したい。

 突き動かされる様に、ただそれだけを思う。自分の中にこんな強い欲望が在るだなんて、知らなかった。

 

 

「はぁ……う……あ……」

 

 

 このまま、呆けているさやかにもう一度分身を突き立て、無理矢理に起こすのも良い。

 

 

「あっ、ぅんっ、もっと、舐めてぇっ」

 

「ぴちゅ、んぁ、マミ、も、ほらぁっ」

 

 

 それか、背後でシックスナインの体勢になり、互いの中に吐き出された精液を啜り合うマミと杏子を、また犯しても良いかも知れない。

 だがしかし、それではいけない。そんな事をしたら、今まで放置していた残りの二人が可哀相だ。

『彼女達全員を犯すという契約で、自分はここいにるのだから、それはまもならくてはいけない』

 早く、彼女達も犯してやらないと……。

 

 

「あっ……んっ……だ、め……まど、か……んっ」

 

「ん~……ちゅ……ちゅる……っは。ほむらちゃん、気持ち良い……?」

 

 

 我慢出来そうも無い欲望を解き放つ為、残る二人の姿をベッドの上に探すと、彼女達はその片隅で百合の花を咲かせていた。

 黒の少女――暁美ほむらの股の間に、桃色の少女――鹿目まどかが顔を埋め、フリルたっぷりのスカートに包まれたお尻を揺らしている。

 

 

「まどかぁ……あっ……き、気持ち、いいの、ぉ……あっ」

 

「……ぁはっ、ほむらちゃん、可愛い♪ もっとしてあげるね……?」

 

 

『ほとんうに、いつもこの二人は……。ほうっおてくと、すぐに彼女達だけの世界にはいてっしまう』

 少女達がいやらしく絡み合うその姿は確かに美しいのだが、それを見せ付けられる自分は、堪った物ではない。

 ましてや、さやかとのセックスで、数週間分の性欲を溜め込んだ程にいきり立っている身では、目の前に餌をぶら下げられた馬の様な物で。

 荒い鼻息を隠さず近づき、それでもこちらに気づこうとしないまどかのスカートに手を入れ、フリルに隠された尻を探り当てる。

 

 

「ん……ひゃっ、お、おじさん? 何……んぁあっ!?」

 

「あ、ふ……ぇ……? まどか……?」

 

 

 そして、何時の間にかショーツを脱いでいたらしい、剥き出しになった恥部に、確認も取らず竿をねじ込む。

 瞬間、彼女の内側はそれを拒む様に強く締め上げ、快感を与えてくれる。

 思わず、少しだけ欲望が先走ってしまった。

 

 

「あっ……う、ぅ……いきなり……なんて、酷い……や、ぁっ」

 

 

 ――が、まどかからして見れば、いい所で邪魔をされてしまった様な物なのだろう。

 涙目で背中越しにこちらを睨みつけながら、彼女はほむらの体をよじ登り、竿を引き抜こうとする。

 しかし――

 

 

「んひっ!? ……あっ……ん、んっ」

 

 

 ――こんなに気持ちのいい中から黙って追い出される訳も無く、もう少しで先端が抜け切るという所で腰を突く。

 一緒に膝も動かして、自分の腰とまどかの尻を密着させる。

 

 

「だめだ、よぉ……。今日は、ぁ、私、最後なの、にぃ……」

 

 

 口では強がっていても、やはり直接的な快感には敵わないのか、まどかの声は震えている。

 それでも必死に歯を食いしばり、また竿を吐き出そうと体を捩るが――

 

 

「ひあんっ!! だめ、なのにぃっ、うぁっ……ごめ……ね、ほむら、ちゃ……あっ!」

 

 

 ――ギリギリの所で、また腰を突く。

 ついに耐え切れなくなったのか、彼女は己の下に居るほむらに縋り付き、切なげに彼女の名を呼んでいる。

 こうしていると、いたいけな少女を無理矢理犯している様で、後ろ暗い笑みが自然と零れてしまう――まぁ、実際少女なのだが。

 はは、と短く笑い、腰が勝手に動きまくる。

 

 

「はっ、あっ、んく、んぁっ、あ、ひっ」

 

 

 けれど、まどかを犯す事で得られる快感は、今の自分には少々強過ぎたようで、一分と経たない内に、限界が近づいて来た。

 このまま出して、その分を回数で補ってもいいのだが……。

 

 

「あぁ……まどかが……こんなに、やらしい顔を……」

 

 

 彼女の下で、熱の篭もった吐息を漏らすほむらの顔が視界に入り、ある一興を思い付く。

 それを実行する為、パン、パン、と音がするほどに強く腰を叩きつけ――

 

 

「ひぁっ、んっ、あっ、あっ、あぁっ! ……えっ?」

 

「……? まどか、どうし……あぐっ!?」

 

 

 ――射精寸前でそれを引き抜き、その直ぐ下にあるほむらの内側へと滑り込ませる。

 まどかとはまた違った感触が竿を包み、寸前で止められていた欲が、どくん、どくん、と吐き出される。

 

 

「あっ……ひ、ぁっ……なん……でっ」

 

「え……えっ……おじ、さん?」

 

 

 困惑する様な表情のまどかと、唐突な熱を感じ、驚きに眼を剥くほむら。

 挿入した竿に直ぐ様絡み付き、猥らに蠢くほむらの内側を、脈打つ度に迸る精液が白濁と染め上げる。

 本日五発目とは思えないほどに、大量に出た。

 

 

「こ、の……終わったなら、早く……抜きな、さい……っ」

 

 

 彼女はうっとりとした顔をしながら、それとは裏腹に、強気な言葉を口にする。

 

 強がっちゃって、まぁ……。

 本当に、ほむほむは可愛いね……。

 

 

「変、な、呼び方、しないで……うぁっ!」

 

 

 そんなほむらの中を、出した精液を塗り込める様に数度往復した後、竿を引き抜く。

 こぽ、と、ゼリー状になるほど濃縮された精液が、小さな穴から漏れ出す。

 

 

「うぅぅ、そんなぁ……。え、あっ、んあっ、やぁんっ!」

 

 

 そして、再びまどかの中に。

 今度は、先程より余裕を持ってその感触を楽しむ。

 

 

「あ、ひっ、んくっ、ひゃぁあっ……えっ、またぁ!?」

 

「ひっ!? っは、は、ぁっ、や、やめっ、やあっ!」

 

 

 そしてまた、ほむらへ。

 二人の少女の中を比べる様に、幾度か抽送しては引き抜くを繰り返す。

 

 

「あっ、きたぁっ、あんっ、あ、ひぁっ」

 

「んっ、は、あ、やぁっ、こな、いでっ」

 

 

 まだ未成熟ながらも健気に締め付け、竿を離そうとしないまどか。

 子種を絞るのに最適化された様に、複雑に竿に絡みつくほむら。

 

 

「ん゛っ、あっ、ふぁっ、あぁあ、う、ぁんっ」

 

「あ、はっ、はぁ、ぁはっ、やっん、ふっ、ぅうんっ」

 

 

 性質は違えど、どちらも、男の欲を存分に満たすだけの素質を持ち合わせていた。

 そんな中を交互に行き来すれば、瞬く間に果てそうになってしまうのも、仕方ないはずだ。

 だが、ほんの少しだけそれを堪え、まどかの中に在った竿を引き抜き、ほむらの中に。

 

 

「あん、あ、んっ、あ、あ、もぅ、い、く、あっ! ……ぇ、あ……」

 

「あっ!? あひゅっ!? だめっ、いっちゃ、うぅぅっ!!!!!!」

 

 

 同時に果て、先と遜色の無い勢いと量の精液が射精された。

 快感に飲まれ、脳の奥が熱く、ぼんやりとしてくる。

 喉からは、熱病患者の様な呻き声が勝手に出てしまう。

 

 

「な、なんで……? なんでぇ……?」

 

「あ……あっ……また、出され……ちゃった……凄い……たく、さん……っ……」

 

 

 再び困惑するまどかと、絶頂に締め付けを強くするほむら。

 余韻に浸りながら、切ない顔をするまどかに、どうしかした……? とわざとらしく笑ってみせる。

 

 

「だ、だって……だって、わたし、も……」

 

「はぁ……はぁ……ん……ん゛ぁっ!? やっ、やんっ!!」

 

 

 赤く染まる頬を隠し、彼女は顔を背ける。

 口篭るまどかに、なおもほむらを突き上げながら言う。

 

 さぁ、どうして欲しい……?

 早く言わないと、またほむらちゃんの膣内に出しちゃうよ……?

 

 

「そ、そんなっ……で、もぉ……」

 

 

 今にも泣き出しそうな声を出すまどか。

 そんな彼女を無視する様に、殊更、強くほむらを責め立てる。

 

 

「まど、かっ、あ、無理、しないでっ、んぁっ、貴方の、分まで、わたしがっ、頑張る、からぁっ」

 

「……ほむら、ちゃん……」

 

 

 口ではまどかを心配しつつも、明らかに悦楽に浸るほむらの声。

 どう聞いても、自らが快楽を貪りたいが為の、言い訳にしか聞こえなかった。

 

 

「――も――」

 

 

 小さな声がした。

 その声は、しっかりと自分の耳には届いていたのだが、だからと言ってそのまま願いを叶えてしまうのでは面白くない。

 まどかに覆い被さり、その耳元で、薄ら笑いを浮かべながら囁く。

 

 もっと、大きな声で……。

 さやかちゃん達はちゃんとおねだり出来たよ……? さぁ、まどかちゃん……?

 

 

「……あ、うぅ……」

 

 

 躊躇う様な吐息を漏らした後、彼女はほむらの上から体を退かし、その隣に仰向けになる。

 そして、両手をこちらに伸ばしながら、声を振り絞る。

 

 

「わたしにも、して……。おじさんのでたくさん擦って、奥に一杯、出してください……っ!」

 

 

 にたり、と邪な笑みが浮かぶ。

 それを隠さないまま、良く出来ました、とまどかを褒め、竿をほむらから引き抜き、彼女の中へ。

 

 

「あぅっ!? いっ、ひぁあっ、ん、ぁっ」

 

 

 待ち望んでいた硬さを受け入れ、まどかは喘ぐ。

 

 

「あ、ふっ、もっ、と、もっとぉっ、んあっ」

 

 

 苦しげな息遣いに悦楽を混ぜ、もっと欲しいとオスを誘う。

 自分の意思なのか、それとも、彼女の声に惑わされているだけなのか。

 分からない、けれど、どうでもいい。今は只、この幼い少女を穢したくて堪らない。

 

 

「あ……や……ぉ……ぉ、おじ、様……ぁ……」

 

 

 だが、ついさっきまでそれを受け入れていたほむらは、綺麗な顔を寂しさに歪ませてしまっている――随分と、素直になった様だ。

 二度射精したおかげか、精神的な余裕も随分と取り戻しており、そんな彼女を慰めてあげようと、指を二本束ねて、精液と愛液の交じり合った、白い粘液を漏らす穴を塞ぐ。

 

 

「ひぁうっ!? ゆびがっ、あっ、ふ、うっ!」

 

「あっ、あっ、は、ひあっ、ゃあ、あっ」

 

 

 一方、まどかへも、小さな体を包む様に覆い被さり、犬の様に腰を振る。

 首に絡みつく小さな手を感じながら、彼女の薄い胸の頭頂部を指で摘む。

 

 

「んんっ、あっ、おくっ、もっ、おっぱい、もぉ、きもち、いいのぉっ、あんっ」

 

「ひっ、あっ、やぁ、かきまわ、さない、でぇっ、はっ、もれ、ちゃうぅっ」

 

 

 未成熟な壁を押し広げ、最奥を何度も小突く。

 中身を掻き出す様に、指の腹で内側を撫で上げる。

 その度、まどかとほむらの体が小さく跳ねた。

 

 

「んくっ、あっ、はっ、ひぅっ、んんっ」

 

「あうっ、んっ、は、ぁ、やんっ、あっ」

 

 

 体と一緒に跳ねる、可愛らしい声達。

 まるで、少女の形をした楽器を爪弾いている様な、奇妙な感覚。

 

 

「あっ、ふぁ、あんっ、んぁっ」

 

「ひぁ、くっ、あ、ふっ、んっ」

 

 

 それが奏でる音階が、自分の精神を高揚させていく。

 もっと、ずっと、この感覚に包まれていたい。なのに、自分の体は、それがもたらす快感を受け止め切れない。

 七度目だというのに、もう熱が竿を上り始めていた。

 

 

「ちょっとおっさん、さやかとほむらにだけ二回なんて不公平じゃん! アタシ等にもちゃんとしろよな?」

 

「そうですよ、小父様? ……嫉妬しちゃうわ、鹿目さんも暁美さんも、こんなに可愛がって貰って……」

 

「あ……の……オジさん……あたし……も……疲れたらで、あたしのなかで……ね? ……ぴちゃ……」

 

 

 音色に釣られてか、背後に居た少女達が、何時の間にか側へと擦り寄って来ていた。

 杏子とマミは、今相手をしている二人の側でその行為を眺め、さやかは空いた腕に縋り付き、こちらの首筋にぺろぺろと舌を這わせている。

 口々に愛欲をねだる彼女達の顔には、少女らしい幼さの中に、淫乱な女としての側面がありありと浮かんでいた。

 

 

「やぁ、んっ、杏子ちゃ、マミ、さ、見ない、でぇ! あっ!」

 

「違、うっ、これはっ、違うのぉっ! んぁっ、あっ、ひぅ!」

 

 

 乱れた顔を観察されるのが余程恥ずかしいのか、まどかとほむらは涙で瞳を潤ませる。だが、その体はむしろ、見られる興奮によってより反応を良くしていた。

 ああ、この場に居る少女達の、なんと淫らで、なんと可愛らしい事か。

 彼女達を独占できるという事実は、男として――いや、雄として、これ以上無いと言える喜びだった。

 それが、快楽を伴った電流となって全身を駆け巡り、自身の限界を近くに感じ取る。

 

 

「あっ、ほむら、ちゃん、ほむらちゃぁんっ!」

 

「まど、か、ひぅんっ、まろかぁっ、あふっ!」

 

 

 手を繋ぎ合い、二つの楽器は高く鳴り響く。

 下半身に凝り固まる熱に腰を痙攣させ、うわ言の様に何度も、出すよ、と繰り返し。

 腰を押し付け、竿を根元まで捻じ込みながら、親指の腹で恥部の突起を押し込む。

 

 

「あぐっ!?」

 

「ひ、い!?」

 

 

 少女の内側を、白い熱が蹂躙する。

 指にも、きゅうっ、と締め付けられる感覚がし、それと共に、温かい液体が手に掛かった。

 

 

「っひぁぁぁあああああ!!!!!!」

 

「んあっ! んぅううう!!!!!!」

 

 

 命を、吸い上げられる様な気がした。

 熱を吐き出す度に、途轍もない、しかし、とても心地の良い虚脱感が体を襲う。

 

 

「こん……なに……たくさん……魔法少女、なのに……妊娠、しちゃうよぉ……」

 

「あ……は、ぁ……いっちゃっ、た……まどか、と……一緒……に……は……ん……」

 

 

 倒れる様に、後ろへと体を傾けると、涙と汗で酷い事になっている二人の姿が視界に入った。

 まどかも、ほむらも、その穢れとは無縁そうな容姿とは、想像もつかない乱れ様だった。

『はめじて、おかたしとにきは、ずいぶとんなわきめれたかのに、こもうかるわものなだのらか、おんなといういものきはおろしそい』

 

 

 ――あ、れ、自、分は今、何を考え、て――

 

 

 

 

 

 パチン、と、ブレーカーが落ちる様な音と共に、脳髄に痛みが走る。

 まるで、外れてしまった関節を無理矢理に戻した後の、鈍く、重い痛みが。

 

 

 

 

 

 ……なんだ、これは。

 何を考えていたんだ『自分』は。なんで、こんな状況を受け入れていたんだ。

 魔法少女? 魔力? そんな物、存在する筈が無いじゃないか。

 なんで疑わなかった、こんな、怪し過ぎる光景を。

 薬でも盛られて、犯罪に――児童売春や、そういった事を斡旋する犯罪者の仕事に巻き込まれてしまった、とでも考えた方が、まだ説得力がある。

 唐突に、自身の置かれている状況の異常さに気づいた『自分』は、思わず少女達の側から後退る。

 

 

「小父様……? どうかなさったんですか?」

 

「あ……オジさん……? なんでそっち行っちゃうの……?」

 

 

 変容した態度に、少女達は心配そうな声を掛けてくるが、それに込められた親しみの感情が、より違和感を際立たせた。

 そうだ、そもそも『自分』には、この場に居る五人の少女と、何時、何処で、どうやって知り合ったのか、という記憶が全く無い。

 既知の間柄だと主張するのは、頭に直接書き込まれた様な歪な記述だけで、それを裏付けるだけの積み重ねを、『自分』の中に見つけられない。

 なにか、暗示にでも掛けられていたのか……? なんにせよ、普通じゃない……!

 そう思い、『自分』の頭をハッキリさせようと、頭に手を当て、ここに至るまでの経緯を振り返る。

 ……が、思考を廻らせる中で、他にも見つけられないものがあるのに、気づいてしまった。

 

 ここは何処で、『自分』は、誰だ?

 

 名前も、年齢も、生年月日も、血液型も、顔も、嗜好も、何もかも、思い出せない。

 彼女達は『オジサン』と呼んだ――ならば、少なくとも彼女達よりは長く生きて居なければならないのに。

 今の『自分』には、あの椅子に腰掛けている以前の記憶が無い。

 自我を支えるだけの、人生と呼ぶべき物が、見当たらない。

 

 急に、体の中が空っぽになって行く様な、薄っぺらい紙切れになってしまった様な、そんな気がした。

 

 ゆっくりと、砂に埋もれて行く感覚。

 足元から、じわじわと、何かが這い寄ってくる。

 呼吸が震え、やけに遠くから響いて聞こえた。

 指先が痙攣し、視点が定まらず、舌先がチリチリする。

 考えれば考えるほど、『自分』の存在が、薄くなっていく。

 

 

 

 

 

「だめ、だよ」

 

 

 

 

 

 頭の中に直接、無視し難い声が響いた。

 

 

 

 

 

「それ、いじょう、かんがえ、ちゃ、だめ、だよ」

 

 

 

 

 

 心臓が押し潰される。

 そんな気がする程の、圧力を感じた。

 視界に、影が過ぎる。

 

 

 

 

 

「ぜんぶ、わたし、が、して、あげる、から」

 

 

 

 

 

 近づいてくる、底知れない少女達の微笑み。

 こちらを見つめている様で、その実、何も映してはいない、アカイ、虚無の瞳。

 五つの口から発せられた筈の言葉は、何故か重なる事無く、最初から一つの音声であるかの様に聞こえた。

 

 

 

 

 

「なんど、でも、さいしょ、から、して、あげる、から」

 

 

 

 

 

 逃げ惑う視線が捉えられ、それを通じて、脳に何かが流れ込む。

 と、感じていたはずの圧力は霞の様に消え、今度は逆に、心から重さが無くなっていく。

 重さと一緒に、疑問も、疑念も、消えていく。

 

 

 

 

 

「もう、かんがえ、なくて、いい、んだよ」

 

 

 

 

 

 頭の中を、白い光が埋め尽くしていく。

 

 

 

 

 

「だから、また、さいしょ、から、ね」

 

 

 

 

 

 光で満ちるまでの、ほんの一瞬の間。

 なぜか、奇妙な既視感を感じる、魂を弄ばれる感覚を感じながら、ふと思う。

 

 先の言葉が本当なら。

 もし『自分』が、幾度と無くこの情事を繰り返しているのだとしたら。

 あの快楽を、永遠に楽しめるのだとしたら。

 それは、とても、幸せな事ではないだろうか。

 

 この部屋には、未来が無い変わりに、過去が必要無い。

 苦しみも、悲しみも無い。

 痛みも、憎しみも、孤独も、諦めも。

 あるのは、享楽と愉悦だけ。

 他に必要な物なんて、もう、何も無い。

 

 あぁ、そうか。

 彼女達の言う通り、もう、考える必要なんて、ないのだ。

 自分は今、天国に居るのだから。

 

 

 ――パチン。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 無数の光が、星の様に瞬いている。

 何処までも、果てしなく続く暗がりの中に、重力を無視して、数多の“椅子”が浮かんでいた。

 それに腰掛けるのは、薄ぼんやりとした、半透明の人影達。

 

 男、女、子供、若者、壮年、老人。

 

 様々な人々が、まどろみに身を委ねる子供の様に、穏やかな表情を浮かべ、凍り付いていた。

 彼等の胸元には、まるで鼓動のように揺らめく、蝋燭の炎の如き小さな輝き。

 細く、今にも消えそうなほどに弱弱しいかと思えば、燃え尽きる直前の如くに、また輝く。

 幾度と無くそれを繰り返すそれこそが、無数の星の正体だった。

 

 そんな彼等の中心に、巨大な何かがある。

 見る人が見れば、それは魔法少女達が持つソウルジェムに似た形をしていると分かっただろう。

 だが、それが放つ印象はまるで正反対のものだった。

 内に収まるべき輝ける魂は既に失われ、不気味に脈打つ赤黒い肉塊が在るだけ。

 

 

『誰かの助けになりたい。皆を幸せにしたい』

 

 

 そう願った筈の少女は、その存在を魔に堕としても尚、それを愚直に実行する。

 自身が望んだ奇蹟を為し続ける。

 だから彼女は、人であった頃の様に、己の未来を夢見る事はない。

 自分自身が、夢を見せる側に立ってしまったから。

 

 彼女は、全ての人を幸福な夢に繋ぎ止める為に、終わらない夢を描き続ける。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

『もういいの。もう、いいんだよ』

 

 

『もう、苦しまなくていいんだよ』

 

 

『もう、悲しまなくていいんだよ』

 

 

『私が全部、受け止めてあげるから』

 

 

『私が皆、救ってあげるから』

 

 

 

 

 

『だ■ら、あ■■たちは、た■、す■■れて■れば■いの。え■■んに』

 

 

 

 

 




 クリームヒルトの内部は、まどか☆マギカポータブル特典ディスクから。
 また、魔力の元=霊力の部分はBeginning Storyの0稿より、設定を拝借しています。


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【とある少女と】番外編その1【雨の日の午後】

 3000字程の小ネタです。一発ネタのお口直しにでもお読み下さい。


 

 

 しとしと――と、雨が降っていた。

 私は、窓際に近い二人掛けの小さなソファへ座りながら、窓ガラスにぶつかり、弾ける雨粒を眺めている。

 昨日の夜から降り始めた雨は、昼過ぎになっても未だに降り続けていた。

 風は殆どなかったものの、湿気を含んだ空気と暗い雲に覆われた空は、外出しようという気分を少なからず削いでいた。

 

 

「雨は嫌いじゃないけど、休みの日に降られると、ちょっと気が重いね」

 

 

 投げかけられた言葉へ振り向くと、そこには、両手にカップを持った眼鏡を掛ける男性。少し――いや、大分年上な、私の恋人が立っていた。

 彼の言葉に、そうね、と頷き、麦茶で満たされたそれを受け取る。

 私は今、彼の部屋に居る。

 この雨が降っていなければ、普段通り公園で待ち合わせをして、そのまま何をするでもなく街を歩くか、新しく買った本を薦め合ったりするはずだった。

 しかし、この雨ではそれも出来ず、毎週末のデートは中止になり。

 

 ……けれど、それを電話で話した後。

 一人で窓から景色を眺めていたら、何故か分からないけど、唐突に、彼に会いたくなってしまって。

 居ても立ってもいられず、気が付けば、傘をさして彼の家に押しかけてしまっていた。

 

 

「……雨は、嫌い?」

 

 

 彼はそのまま隣に座り、麦茶を一口啜ってから、不意に問いかけてくる。

 首を傾げると、彼は心配そうな視線を私に向けていた。

 

 

「いや、なんか辛そうな――悲しそうな顔をしてる気がして。勘違いなら、ごめん」

 

 

 茹だるような残暑を和らげてくれる、貴重な雨。しかし言われてみれば、彼の言う通り、私は雨が好きではなかった。

 それは、薄暗い雲と降り注ぐ雨を見ていると、あの頃を思い出してしまうから。

 ずっと一人で、誰の事も信じられなかった、あの寂しさを思い出してしまうから。

 

 なんだ、簡単な事だった。彼に会いたくなったのは、ただ単に寂しかっただけ。

 ほんの数ヶ月前まで、一人で居る事に何の疑問も、感慨も抱かなかったのに。

 私は、随分と弱くなってしまったみたいだった。

 その事に気づいて、小さく笑ってしまう。

 

 

「どうかした?」

 

 

 不思議に思ったのか、彼は再び問う。

 そんな彼に首を横に振りながら、私は問いの答えを口にした。

 

 確かに、雨は嫌いだったけど。でも、今はそうでもないみたい。

 

 

「それは、どうして……?」

 

 

 ……こんな季節でも。

 貴方と、こうしていられるから。

 

 

「え? ……っと」

 

 

 体重をかけ、彼の肩に頭を乗せる。二人の間にあった雨に冷える空気がなくなり、お互いの体温が直に伝わる。

 いつもなら、こんな事は恥ずかしくて出来ないのに、どうしてだろう。

 隣に彼が居て、静かな雨音が響いているだけで、こんなにも素直になれる。

 こんな風に甘える事が出来るなら、あんなに嫌いだった雨も、好きになれるかもしれない。

 

 私は、孤独に耐えられなくなるほど弱くなった。でも、きっとそれで良い。

 弱くなった代わりに、今の私には、沢山の仲間が居て。

 唐突に襲う寂しさを埋めてくれる、大好きな人が居る。

 

 この弱さは、私を強くしてくれる。

 そんな、気がする。

 

 

「……っ」

 

 

 彼は照れているのか、私の方を見ようとはせず、かなりの勢いでカップを傾けている。

 いつもは彼の方からこういう事をして来る癖に、いざされる側となると恥ずかしいらしい。

 自分の行動に、好きな人が照れてくれるというのは、存外嬉しいものだった。

 彼も、こんな気分だったのかも知れない。……いい事を知った。

 こんな表情が見られるのなら、これからは、もうちょっと勇気を出して甘えてみよう。

 

 長い沈黙が支配する部屋の中に、静かな雨音だけが響く。

 まるで子守唄の様にも聞こえるそれが、私にはとても心地良かった。

 

 

「……ぐ~……す~……」

 

 

 気づくと、すぐ側から寝息が落ちてきていた。確かめてみれば、彼は空になったカップを手に持ったまま、ソファに寄りかかって居眠りをしていた。

 やっぱり、仕事で疲れていたのかもしれない。

 彼は最近、職種を変えたばかり。私の前では、新しい事を始めるのは楽しいと強がっていたけれど、それでも疲れないわけではない。

 私が押しかけなければ、一人でゆっくりと休む事が出来たのに。そう思うと、少し心苦しいのだけれど。

 それ以上に、初めて見る彼の穏やかな寝顔が、私は嬉しかった。

 寝顔は前にも一度見た事があるけど、あの時は色々あって魘されてたし……と言うか、あれは気絶……?

 

 ……うん。私が彼の寝顔を見るのはこれが初めて。そうしよう、うん。

 自分を強引に納得させ、私は彼の寝顔の観察に入る。

 

 

「……す~……くか~……」

 

 

 彼が言うには、他人に嫌われるのが嫌で、常に周りに気を遣い、それに疲れてしまう小心者。

 だと言うのに、今の彼は格好を崩して、口を少し開けたまま居眠りするなんていう、だらしのない姿を見せてくれる。

 ほんの少しだけ、呆れて。

 でも、やっぱり嬉しかった。

 これが、あばたもえくぼ、という奴なのかもしれない。

 

 私から言わせれば、誰にでも優しくて、どんな時でも他人を気遣う事が出来て……。私のして欲しい事を、いとも容易く看破してしまう、ずるい人。

 嬉しい時には、一緒に喜んでくれて。

 辛い時には側に居て、おどけて見せてくれたりする。

 ずるくて、優しい、大切な人。

 

 そんな彼の寝顔を見ながら、私は、耳に届く寝息に聞き入っていた。

 

 ……そう言えば、少し前に読んだ恋愛小説に、今の私と似たシチュエーションがあった気がする。

 でもその内容は、主人公の少女が、図書室のソファで居眠りをしていた思い人を見つけ、しばし寝顔を見つめた後、密かにキスをして別れを告げるという、悲しい物だった。

 

 

 別れ。

 

 

 彼と私の関係はまだ始まったばかりだけど、もしかしたら、そんな結末になる事も、あり得るかも知れない。

 胸に、チクリ、と痛みが走る。

 

 この世界には、永遠の幸せなんてない。

 彼も、私も。

 いつか、この世界から消えてしまう。

 胸に抱えた想いと一緒に。

 時の流れの遥かな高みから見れば、私達の一生など、それこそ瞬き程の一瞬なのだろう。

 

 少しだけ、不安になった。

 今目の前にいる彼も、私が瞬きをしてしまえば、目の前から消え去ってしまう気がする。

 そんな馬鹿みたいな事を考えて、私は本気で不安になっていた。

 

 

 彼を起こさないように、静かにソファから立ち上がる。

 

 

 だから、確かめたくなった。

 彼が今、そこに居て、ちゃんと触れられる存在なのだと。

 

 

 小さなサイドテーブルにカップを置き、身を屈め、距離を詰める。

 

 

 だから、これはただの確認行動。

 決してやましい行為ではない……はず。

 

 

 雨音を遠く感じるくらい、鼓動がうるさい。

 

 

 だから、彼だって、許してくれる。

 ……一応は、恋人同士、なんだから。

 

 

 吐息を感じた。

 

 

 

 

 

「……ん……あ、寝てた……?」

 

 #$%&@*¥!!!!!! あ、あのっ、これはっ、ちがっ――きゃっ!?

 

「……あっ!? だ、大丈……ぶふっ!?」

 

 

 

 

 

 直前で、目が合った。

 それに慌てた私は、喉から奇妙な音を発した後、言い訳しながら後ずさるのだけれど、足がもつれて盛大に尻餅をついてしまった。

 ……かなり、痛い……。

 あぁ、もう……。どうして私はいつもこうなんだろう。肝心な時にばかり失敗して……。

 あの頃から、全然成長してない……。

 

 痛みと悲しみで、私の目尻にはうっすらと涙が溜まって行く。

 

 

「……あ、あの……その……し、下、下!」

 

 

 そんな私に、彼はそっぽを向きながら言葉をかけて。

 

 下……? 一体何の………………っっっ!!!!!!

 

 言葉の意味を悟り、ガバッ、と翻ったスカートを両手で押さえる。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。見られた、あの反応は間違いなく見られた。

 何でこんな時に限って子供っぽいのを穿いて――ってそうじゃない! そっちじゃない!

 まだキスもしてないのに下着を見られたのが問題なのよ私! こっそりキスをしようとしていたのに失敗しちゃった事が問題なのよ私ぃ!

 

 

「……あはは」

 

 

 あわあわと私が慌てていると、彼の小さな笑い声が聞こえた。

 わ、笑われた? もしかして、失笑されてる……?

 あぁぁ……うぅ……いやだ、もう……どうして、私は……穴があったら入りたい……いえ、むしろ穴を掘ってでも埋まってしまいたい……。

 

 あまりの恥ずかしさに、私は両手で顔を覆い隠す。失敗した事は勿論、こんな醜態を晒してしまっては、彼にがっかりされたかもしれない。

 それが恥ずかしくて、悔しくて。

 目尻からは、勝手に涙が零れそうになってしまう。

 

 

「……ぃしょっと」

 

 

 そんな時、彼の気配が、ゆっくりと近づいてくるのが分かった。

 けど、彼がどんな表情をしているのか、見るのが怖くて、私は俯いたまま。

 

 

「……隠さないで」

 

 

 彼は私の側にしゃがみ込み、顔を覆っている手を、そっと剥がしていく。

 少し戸惑いながら、恐る恐る視線を上げてみると、私の目に飛び込んできたのは、予想していたのとは少し違う彼の顔だった。

 

 穏やかで、慈しむ様な微笑み。

 

 いつも彼が浮かべている表情と、似ているようで、違う。

 目が合った瞬間、その瞳に魅入られたみたいに、視線を逸らせなくなってしまった。

 魔法なんて、彼は使えないはずなのに。

 

 

「………………」

 

 

 穏やかな笑顔が近づいてくる。

 何か、言って欲しいのに。

 こんな時に限って、彼は私に意地悪をする。

 

 

「………………」

 

 

 瞼が、勝手に下がっていく。

 

 

「………………」

 

 

 また、吐息を感じた。

 

 

 

 

 

 雨音が消えた。

 

 

 

 

 



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【巴マミの】後日譚その1【生きる意味】

 

 

 通い慣れた朝の通学路。普段なら鼻歌交じりでも通えるその道を歩くのに、自分は今、かつて無いほどに緊張している。

 それは何故かと言えば――

 

 

「………………」

 

 

 ――左隣を静々と歩く、見目麗しい少女。つい先日、正式に恋人同士となった、巴マミのせいだ。

 チラ、と横目に様子を伺ってみれば、彼女もそうしていたのか、ばっちりと視線が重なり、慌てて視線を前に戻す。さっきからずっと、この繰り返しである。

 その様子からは、先日の様な積極性は伺えず、まるで借りてきた猫の様に大人しい。

 ……と言うよりは、戸惑っている、のだろうか。正直に言えば、それは自分も同じ――いや、むしろ自分の方が戸惑いは大きいと思うのだけど。

 それなりに良好な関係を築けているとは思っていたが、よもや恋愛相談をしていた後輩との関係を疑われた挙句に逆レイプなんて、それなんてエロゲ? って話だ。

 まぁ、途中から自分も理性を失って、二発連続で膣内射精なんて危険な事をしてしまったのだから、こちらも悪いのだろうが……。

 

 

「………………」

 

 

 直ぐ隣に感じるおどおどとした気配に、なんと話しかけていいのか、まるで分からない。

 今朝だって、マンションの出口で待っていた彼女に、「い、一緒に、学校行かない……?」と誘われ、それに対して、はい、と一言しか答えられなかったのだ。

 とても情けないけど、自分はまだ十五年しか生きていない子供――まぁ、一部大人には成ってしまったんですが。女の子を喜ばせる会話術なんて心得ている筈も無い。

 ホントに、どうすりゃいいんだろう……。

 と、頭を捻っていた時、ふと左手に、柔らかい感触が一瞬だけ擦れる。

 

 

「……っ!」

 

 

 着かず離れずの距離で歩いていたせいか、歩くのに合わせてぶらぶらと揺れていた左手が、彼女の空いていた右手に擦れたのだ。

 思わず、ピクッ、と体が反応し、距離を取ってしまいそうになったが――

 

 

「……あ、の……」

 

 

 ――彼女は、少しだけ頬を赤く染め、そわそわと右手を揺らめかしている。

 それを見た瞬間、自分の脳裏には、彼女が望んでいるだろう事が簡単に浮かび上がった。

 なぜならそれは、自分も望んでいた事で。

 かつては、そんな事をしてみたいなぁ、などと妄想だってした事があったからだ。

 しかし、いざそれを現実の物にしようとすると、緊張と恥ずかしさから、体が動かない。

 

 

「………………っ」

 

 

 彼女も、同じ様に感じているのだろうか。何か言いたげに開きかけた唇は、やがて諦めたかのように閉じられてしまった。

 しゅん、と肩が落ち、背負う雰囲気も少しだけ暗い物に変わっていく。そんな様子を見て、自分の心の中には、込み上げる物があった。

 きっと、あの日。

 彼女はありったけの勇気を振り絞って、あんな行動を取ってくれたのだろうと思う。

 そのおかげで、自分達は互いを想う気持ちに気づけたのだから、手段の強引さは、まぁ、置いておこう。

 とにかく、彼女も勇気を振り絞ってくれたんだから、今度は自分の番だ。

 ……嫌がられるかも、知れないけど。その時は、その時だ。

 

 

「……あ」

 

 

 震えそうになる左手をなんとか制御し、自分は、彼女の手を握る。

 柔らかく、ほっそりとした手。

 その温度に、手の震えは収まるどころか、逆に激しくなっていく。

 

 

「――がとう」

 

 

 風に溶けてしまう程、小さな声。キュッ、と手が握り返され、指と指が絡み合う。

 手の震えは、何時の間にか止まっていた。

 けれど、より一層近くなった彼女との距離に、今度は心臓が激しく高鳴り始めるのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「おい、そこのリア充」

 

 

 にやける顔を机に突っ伏して必死に隠し、全く頭に入ってこない授業を耐える事、数時間。

 何時の間にか、教室は昼休みの喧騒に包まれていた。

 だと言うのに、自分の手にはまだ彼女の温もりが残っている気がして、どうにも頬が緩んでしまう。

 

 

「おい、聞いてんのか」

 

 

 しかし、何時までもこうしていては、昼飯を食べ損ねてしまう。早いとこ弁当を食べてしまわないと。

 そう言えば、彼女を誘って一緒にお昼と言うのも悪くな――

 

 

「無視してんじゃねぇよ!? しまいにゃ泣くぞゴラァ!?」

 

 

 ――うるさいなぁもう。何、栄田?

 

 

「おぅっ、ようやく気づいたかっ」

 

 

 隣の席から実にウザい友人の声が届き、あまりにもしつこいそれに仕方なく返事を返す。

 そこに居たのは、なぜか椅子の上に立ち、腕組みをしながらこちらを見下ろしている騒がしい友人、栄田だった。

 

 

「ったく、今までの休み時間も尽く無視しおってからに。あまりの寂しさに見っとも無く泣き喚く所だったぞ親友?」

 

 

 何の用かって聞いてるんだけど? 《ゲッシゲッシ》

 

 

「あっ、ちょっ、あぶっ、やめてくださいっ」

 

 

 栄田は、非常にウザい笑顔を浮かべて、情けない事を偉そうに言い張る。

 彼をジト眼で眺め、椅子をゲシゲシ蹴飛ばせば、瞬く間にその笑顔は剥がれて行った。

 

 

「はぁ……はぁ……危なかった。くっ、このリア充め、我等がアイドルを奪っただけでは飽き足らず、この俺の命までも奪おうと言うのか!? なんと罪深い……っ」

 

 

 だが、何時もならこれで大人しくなる筈の栄田は、背もたれに縋り付きながらも芝居掛かった口調を崩さず、先程から人の事をリア充リア充と呼び続けている。

 流石に変だと想い、なんで名前呼ばないんだ? と聞いてみると――

 

 

「うるさいっ! 裏切り者であるキサマなどリア充で十分だっ! もう名前なんて呼んでやらんっ!」

 

「そうだそうだっ!」

 

「このスケコマシがっ!」

 

 

 ――その問い掛けに、栄田はクラスの男子を伴って声を返してきた。

 ちなみに二人目は備前君、三人目は椎名君という名前である。

 この三人以外の男子達も、直接は何も言っては来なかったが、皆が皆、神妙な顔でその言葉に頷いていた。

 

 

「……キサマは今日、我等が巴嬢と一緒に登校して来たな? ――しかも、ラブラブ恋人繋ぎをしながらっ!?」

 

 

 そして栄田は、全男子の代表を務めるかの様にして、こちらを指差しながら否定しようの無い事実を突きつけてくる。

 誰がお前等のだ、とも思ったが、否定のしようが無いのでとりあえず、そ、そうだけど……と答えたら、彼等は凄まじい形相で絶望を表現し始めた。

 

 

「巴嬢と同じマンションに住んでいるだけでも羨ましかったというのに……。たった一日の間に何があったのだぁ!?」

 

「そうだ……なんでだぁ……」

 

「この……うぅぅっ……」

 

 

 何があったと聞かれても、事実を包み隠さず言ったら自分は殺されるんじゃないだろうか。

 もしも自分が逆の立場だったなら、多分そうするだろうし。

 

 

「……だが、それが巴嬢の選択だというのならば、我等は大人しく引き下がろう。彼女の幸せこそ、我等の望むものであるのだから――――――どぁがしくぁしっ!!」

 

「だがっ!!」

 

「しかぁしっ!!」

 

 

 ともかく、栄田達はより勢いを増して詰め寄ってくる。目は血走り、息も荒く、往来でこんな様子だったら間違いなくしょっ引かれるだろう有様だ。

 前々から騒がしかったが、自分が彼女と交流を持ち始めてからは特にうるさい気がする。

 やっぱり、そう言う事なのだろうか……いや、単に面白がってるだけかもしれないし……。

 

 

「よもや、不埒な真似はしておらんだろうな? あのたわわに実ったスイカップを揉みしだいたりしておらんだろうなぁ!? もししていたら握手してください!! 間接パイタッチ万歳!!」

 

「間接ッ!!」

 

「パイタァッチ!!」

 

「うわぁ……」

 

「最っ低……」

 

 

 ……あぁ、うん。多分後者だ。なんで彼等はこうも残念なんだろうか。そんなんだから、『見滝原の口を開くと残念な美形』のトップⅢを独占してるのに。

 今正に、その言動のせいでクラスの女子達が冷たい視線を向けているのにいい加減気づいて欲しい。正直、自分まで君等と一緒の枠には含まれたくない。

 顔面偏差値的には含まれたくても無理だけど。……あれ? 何でだろう、泣きたくなって来た。

 

 

「お~い、リア充く~ん。お客さんだよ~。あとよっしー達うるさい。いい加減にしないと殴るよ?」

 

「なんだとこの貧乳が。お前に指図される謂れはな――」

 

「――せぃやっ!」

 

「ごっふぁあっ!?」

 

「あぁっ! リーダー!?」

 

「すげぇ! 昇○拳だ!?」

 

 

 ――と、背後からクラスメイトの堂本さんから声が掛かった。彼女は確か、栄田の幼馴染だったか。

 ……って言うか、もう自分の呼び名はリア充で固定? 三年のこの時期にあだ名変更?

 宙を舞う栄田(下の名前が義之なのでよっしー)を見上げ、そんな事を考えつつ、教室の入り口へ振り向くと――

 

 

「……あ。こ、こんにちは……」

 

 

 ――両手に小さな包みを提げ、小さく頭を下げる、今話題の彼女が居た。

 突然のご本人登場に、栄田達は驚いて静かになってしまっている――いや、栄田は悶絶しているだけだ。

 自分も、ついさっきまでお昼に誘おうとしていたその人が向こうからやって来て、少し驚いた。

 衆人環視の中、少々気恥ずかしい気もしたが、態々出向いてくれたのだ。ともかく、声を掛けよう。そう思い、静かに席を立って彼女に近づき、用件を尋ねる。

 

 ……えっと、どうかした? 巴さん。

 

 

「え? ………………むぅっ」

 

 

 だが、自分の問い掛けに対して、彼女は不満気に、頬を軽く膨らませる。

 予想外の反応にしばらく呆気に取られたが、その原因には直ぐに気が付いた。多分だけど、苗字で呼ばれたのが気に入らないのかもしれない。

 栄田達が巴嬢と呼ぶのに釣られて、つい何時もの様に呼んでしまったけど、失敗だったか……? しかし……。

 

 

「………………」

「………………」

「………………」

 

 

 クラスメイト達の視線を一身に集める中で名前を呼ぶとか、羞恥プレイにも程がある。

 いや、もっと恥ずかしい事を経験済みなのだから、大した事は無い、けど……あぁ、もう、埒が明かないっ。いずれは皆にバレるんだから、腹を括ろうっ。

 

 う゛ぅんっ……ど、どうかした? ……む、マ……マミ……さん。

 

 

「……もう。さん、は要らないのに」

 

 

 ぷく、と膨らませた頬をしぼめ、彼女は人差し指でこちらの胸を《つん》と突く。

 恥ずかしさにつっかえながらも、ごめん……マミ、と小さく付け加えれば、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

 

「あ……うん。ふふっ」

 

『ざわ……ざわざわ……』

 

 

 ――が、そのやり取りを見て、顎が尖がりそうな気がする効果音と共に教室がざわつき始めた。

 しかし、目の前に居る彼女はそんな事気にも留めず、手に提げていた包みをこちらに見せる。

 

 

「あ、あのね? アナタも確か、お弁当だったでしょ? 良かったら、お昼、一緒にどうかなって……」

 

 

 ……いいの?

 

 

「えぇ、勿論……あ、先約とかがあるなら、気にしないで? その、いきなりだし……」

 

 

 ないっ、先約なんて無いからっ。と言うか、こっちから誘うつもりだったから……。

 

 

「そう、なの……? 良かった。一緒、ね……?」

 

 

 マミは、安心したみたいに小さく微笑む。少し照れ臭かったが、顔は自然とそれに微笑み返し、うん、と頷く。

 砂を吐いている様な「ぐふっ」という男達の声が聞こえた気がしたけど、ここはあえて無視しよう。

 けれども、ガラス張りの教室で彼女とお弁当を食べたりすれば、客寄せパンダになる事は確実。早急に場所を変えるべきかも知れない。

 むしろ、さっきから背中に突き刺さる女子達の生暖かい視線が、どうにも……。

 耐え切れなくなった自分は、急いで自分の鞄から弁当の包みを取り出し、行こうっ、と一声掛けて、彼女の手を取り教室を走り去る。

 

 

「……え? あっ」

 

 

 しかし、ガラス張りの壁達は、やはり視界を遮る事をしてくれず、他のクラスの男子達からも、力の篭もった視線が集まっているのを感じた。

 どうしてこんなデザインなんだ、設計者は露出狂か!? と、頭の中で恨みを唱えながら、階段に足を掛ける所まで来ると、男子生徒の総意とも言える栄田の魂の叫びが、背後から響いた。

 

 

「……リア充爆発しろぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおっ!!!!!!」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 所変わって、教室棟の屋上。高いフェンスに覆われ、生徒達に解放されているそこは、とても日当たりが良く、この時期は絶好の昼食ポイントだ。

 ――絶好の、ポイントなのだ。

 

 

「……ねぇ、あれあれ」

 

「うっそ、マジだったの……」

 

「なんであんな奴と……」

 

「釣り合わねー……」

 

「あ、マミさんだ。マミさ~……んん……?」

 

「おぉお? これは……!」

 

 

 そう、注目の的である。

 息を切らせ、勢い良く屋上に飛び込んできた自分とマミは、先客である生徒達の視線を嫌というほど集めてしまっていた。

 何で逃げる先にこんな場所を選んだんだ自分はこの大馬鹿!? なんか見覚えのあるツインテールと斜めショートカットまでいるし!?

 

 

「えっと……とりあえず、座りましょう? こっち、空いてるみたいだから」

 

 

 自分と同じく、マミも居心地が悪いのだろう。繋いだ手を引き、人目を避ける様にして屋上の片隅へ。しかし、それに合わせて、彼等の視線もついて来ている。

 あぁ、ホントに失敗した……無意識とは言え、もうちょっと人気の無い場所を選べば良かった――訳知り顔でニヤニヤするなそこの斜めショートカット!!

 好奇の視線に背を向けながら、自分とマミは隣り合って腰を下ろす。視線は感じるものの、話し声が気にならない程度には離れられて、ほっと一息。

 

 ……ごめん、勝手にこんなとこに連れて来た上に、変な注目集めて……。

 

 

「あ、いいの、私は平気だから。確かに、ちょっと恥ずかしかったけど、それ以上に嬉しいもの。さ、お弁当、食べましょう?」

 

 

 無理矢理に連れて来た挙句、要らぬ注目を集めてしまった事を謝ると、彼女は首を振ってたおやかに微笑んでくれた。

 それに一安心して、自分は頷き返す。

 

 ……うん。でも、その前に、手を離して貰えるとありがたい、かな……?

 

 

「……あっ、ご、ごめんなさいっ」

 

 

 繋ぎっぱなしの手を示してそう言うと、マミは慌てて、バッ、と手を離す。自分から言った事ではあるけれど、なんだか少し寂しい気もする。

 でも、それを気取られるのも情けない気がして、いそいそと弁当の包みを解く彼女に習う。

 そう言えば、女の子と二人っきりで弁当を食べるなんて、記憶にある限りでは、生まれて初めてかも知れない。

 昨日までは、相談ついでにさやか達と度々一緒に食べていたけど……ん? 彼女が出来たのに、他の子を呼び捨てって、良いのか? ……いや、良くない。

 誤解は解けたといっても、必要以上に不安にはさせたくないし。うん、今度から呼び方を改めよう。

 と、そんな事を考えていたら、マミがこちらの手元をじっと見ている事に気付く。

 

 えっと、どうかした?

 

 

「……お弁当箱、大きいなって思って。男の子って、そんなに食べられるの?」

 

 

 マミの問いに、普通だと思うけど、なんて答えながら彼女の持つ弁当と見比べれば、彼我の差は二倍近くあった。

 中身を覗くと、ミニハンバーグ、ホワイトアスパラのベーコン巻き、コンニャクと野菜の炒め物、卵焼きにプチトマトと、中々に豪勢な気がする。

 しかし、その量はどちらかと言えば少なく、ご飯も控えめだ。

 自分としては、むしろマミのお弁当の少な過ぎる気が――もしや、無理をしてダイエットとかしてるんじゃ……?

 心配になり、マミの方こそ、その量で平気なの? と聞いてみたら――

 

 

「ええ。私、ゆっくりと食べる方だから、少しの量でも大丈夫なの。それに、お茶会とかでケーキとか食べるし……ちょっと少なめにしておかないと……」

 

 

 ――という、少し恥ずかしそうな答えが返って来た。

 ……女の子って、大変だ。しみじみとそう思う。

 大して気にせずに済む男に生まれて、良かったのかも知れない。きっと、世の女の子達は皆、マミの様に涙ぐましい努力をして体型を維持したりしているのだろう。

 そんな彼女の気苦労を労りつつ、無理しない様にね、と言いながら、自分の弁当の蓋を開ける。

 すると、目に飛び込んできたその中身に思わず、え゛、と声を漏らしてしまった。

 

 

「……どうしたの? ……あ」

 

 

 そこには、ご飯+ご飯の上の海苔+昨夜の残りである鶏の唐揚げだけという、白・黒・茶の侘しい三色弁当があった。

 しかもご丁寧に、海苔は文字の形に整えられていて――

 

 

『おそくなった バツです れんらく しなさい!』

 

 

 ――などと書かれていた。

 おそらく、母はこの為だけに早起きして、チマチマとハサミで海苔を刻んでたりしたのだろう。

 確かに、慣れない後始末とかで手間取って帰るのが遅くなってしまい、心配させてしまったのは悪かったけど。

 よりにもよって恋人との初お弁当の日に、こんなに手の込んだ手抜きをしなくても……。よく蓋にくっ付かなかったな、この海苔。

 

 

「ごめんなさい……。やっぱり、小母様にも心配かけちゃってたのね……」

 

 

 あ、いや、そんなに気にしないで。

 色々と急ではあったけど、でも、マミとこういう関係になれて、その……幸せ……だから。

 そっちの方が、自分にとっては大事な事だから。

 

 

「そ、そう……ありがとう……」

 

 

 申し訳無さそうにするマミに、慌てて言葉を返すと、彼女は目を細め、再び頬を染める。

 その表情が妙に色っぽく感じて、昨日のアレを思い出してしまった自分は、ニヤけそうになる口元を硬く引き締める。

 必然的に沈黙が生まれ、気恥ずかしい様な空気が漂った。

 

 

「あ、で、でも……」

 

 

 思い付いた様に、マミが声を上げる。

 見ると彼女は、小さな弁当箱から、アスパラのベーコン巻きを箸で摘み上げていた。

 

 

「お肉だけじゃバランスが悪いし……少し、食べない? はい、アーンして?」

 

 

 え、あ、でもそれじゃ、マミの分が……。

 

 

「いいから。ね? アーン♪」

 

 

 恥ずかしさから一度は遠慮してみたのだが、マミは微笑みながらこちらに箸を寄せる。

 同時に、背後から重苦しいプレッシャーも感じたのだが、目の前で笑みを浮かべる彼女からの誘惑には抗えず、おずおずと口を開いて、ベーコン巻きを口にする。

 

 

「……どう?」

 

 

 ……おいしい。

 なんか、今まで食べて来た物の中で、一番美味しい気がする。

 

 

「それは、ちょっと褒め過ぎじゃない?」

 

 

 いや、ホントにっ。

 何でこんなに美味しいんだろう……とにかく、凄く美味しい!

 

 

「もぅ……大袈裟なんだから……」

 

 

 苦笑する様に呟くマミだったが、その表情は満面の笑みで。

 その笑顔からにじみ出る嬉しさが自分にも伝わり、釣られて笑顔が浮かぶ。

 もう、周囲の視線は気にならなかった。

 そんな物が気にならない位、自分の頭の中は、幸せで満ち満ちているのだった。

 

 

 

 

 

「マミさん、凄く幸せそう。邪魔しちゃ悪いよね?」

 

「だね~。見てるこっちが恥ずかしいったら……ほんと、羨ましい。いつかは、あたしも……」

 

「……さやかちゃん」

 

「……さぁて、あたし達は行こっか。偵察任務はミッションコンプリート! 速やかにその場を撤退せよ~!」

 

「あっ、もう、さやかちゃん! 待ってよぉ!」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「はぁ、はぁ……ごめんなさい! 待たせちゃった?」

 

 

 ううん。今来たとこだから。

 

 

「そう……良かった」

 

 

 小走りに駆け寄ってくるマミに向き直りつつ、自分は笑いかける。

 まるでデートの待ち合わせの様な会話をしているが、別にそういう訳ではない。単に、昼休みの終わりに今日は一緒に帰ろうと約束をして、それの待ち合わせだ。

 ……だと言うのに、妙に心がうきうきするのは、やっぱり浮かれているんだろうか。

 

 

「えっと、それじゃあ、帰りましょうか?」

 

 

 そう言うマミに、うん、と頷き、歩き出す。

 彼女は今朝と同じく、自分の左側を、半歩ほど遅れて着いて来ていた。

 

 

「……♪」

 

 

 マミは無言だったが、その顔はどこか楽しげで、心なしか、足取りも軽い様に感じた。

 一緒に帰るというだけでこれだけ楽しそうにしてくれるなんて、正直予想外だ。とか言いつつ、自分自身も、想像していた以上に楽しかったりする。

 もう、なんと言えばいいんだろう。ちょっと古い表現だが、人生バラ色とは、こういう事なのかもしれない。

 これで――

 

 

「おのれ……おのぉぉれぇえぇ……」

 

「くそ……くそっ……くそぉお……」

 

「チクショウ……ちくしょぉお……」

 

 

 ――背後から聞こえてくる、纏わり付くような怨霊の声さえ無ければ、もっとこの状況を楽しめるのに。

 

 

「……あの……お友達……?」

 

 

 多分、そうなんじゃない、かな……?

 

 

「疑問系なんだ……?」

 

 

 困り気味の笑みを浮かべるマミにはそう答えたものの、正直に言えば、今の彼等とは関わりを持ちたくない。

 だからこそ、昇降口でマミを待っている間からひしひしと感じる視線を無視していたのだ。

 が、まさか着いて来られようとは思わなかった――しかも、付かず離れず、声を掛けるには微妙な距離を保っている為、注意する事も出来ないし。

 逃げようにも、実は彼等、身体能力だけは異様に高いので、逃げたら逃げたでデッドヒートが繰り広げられる事になるだろう。

 あぁ、ホントに面倒臭い……。

 

 

「やっぱり私、迷惑、掛けてる……?」

 

 

 溜息をつき、頭を抱えていたら、隣に居たマミが申し訳なさそうに呟く。

 そんな事、と首を振って否定しても、綺麗に整えられた眉は歪められてしまう。

 

 

「なんだか、今日はやけに注目されちゃってるみたいだし……。

 やっぱり、普段一人ぼっちの子がいきなりこうゆう事しちゃったから、悪目立ちしてるんじゃないかって、心配で……。

 私自身、こんな事が出来るなんて想像もしてなかったから、つい浮かれちゃって……」

 

 

 悪目立ち、はしてるかも知れない。なにせ、男子生徒の穢れた憧れの的であるマミと、こうしてイチャイチャしているのだから。

 今まで魔法少女としての活動に専念して来たせいもあってか、彼女は自分自身の交友関係や噂などに無頓着な所があった――内心は違っただろうけど。

 それこそ、学校中の男子のアイドル的存在である、と自分が言っても、お世辞としか受け取ってくれなかった程だ。

 こうしてみると、彼女は自分自身に――“魔法少女ではない巴マミ”という存在に、自信を持っていない様にも感じる。

 しかし、今日一日で学校中の男子を敵に回してしまった事を考えれば、彼女が非常に魅力的な女の子である事は明白。

 それを知って欲しくて。

 自分が大好きな女の子に、もっと自信を持って欲しくて、自分は、半歩後ろを歩く彼女に振り向きながら言う――

 

 確かに目立ってはいるかも知れないけど、でも、好きな子と一緒に居られるんだから、全然平気。

 むしろ、こんなに可愛い彼女が居るんだから、もっと見せびらかしてもいい位……って、えぇ!?

 

 ――のだが、しかし、口から出していた台詞は、途中で驚きに途切れてしまった。

 

 

「……っ……」

 

 

 何故なら、マミは大粒の涙を目尻に浮かべ、堪えきれないといった様子で肩を震わせていたからだ。

 その様子に、自分は慌てふためいてしまう。

 

 えっ、えっ、何っ!? 自分、なんか変な事言った!?

 

 

「あ、ううん、違うの……私、嬉しくて……」

 

 

 ……嬉しい?

 

 どう言う事だろう、そんなに特別な事を言ったつもりは無かったのだけど……。

 

 

「だって、初めてちゃんと、好き、って言ってくれたから……」

 

 

 ………………え? い、言ってなかった?

 

 いや、そんな事は………………………………………………あった。

 思い出してみると、初Hの後、両想いだ、とは言った事があったけど、まだきちんと好きだと言ってなかった。

 ホントに、何をしてるんだろう自分は。こんな大事な事を忘れるだなんて。

 あまりにもうっかりな自分の頭を小突きつつ、言葉一つに、こんな風に喜んでくれるマミの目元を指で拭いながら、自分は改めて宣言する。

 

 安心して? これから先、何十回でも、何百回でも言ってあげるから。自分は、マミの事が大好きだって。

 

 

「……うん……うんっ」

 

 

 マミの目元から涙が消え、代わりに零れたのは、喜びの薫る笑顔。

 自然と見つめ合い、二人の距離が狭まっていく。

 そして、マミの顔が少し上を向き、自分は体を屈めて。

 もう直ぐ唇が触れるという、その瞬間――

 

 

「きゃおらぁぁあああ!!!!!!」

 

「モルスァッ!!!!!!」

 

「まそっぷ!!!!!!」

 

「きゃっ!?」

 

 

 ――至近距離から突如として発せられた奇声三重奏に、ビクッ、とそちらを振り向く。

 しまった……雰囲気に流されて尾けられている事をすっかり忘れてた……!

 見れば、栄田・備前君・椎名君の三人は、荒い息をつき、血の涙を流して立っていた。あ、いや、良く見ると目の下から赤いマジックで線が引いてあるだけだった。

 どこまでも手の込んだ事を……。一体何が彼等をここまで駆り立てるのか。

 

 

「裏切った……」

 

「裏切ったな……」

 

「僕達の気持ちを裏切ったんだ!!」

 

「えっ、な、なにっ……?」

 

 

 いつもと違い、椎名君、備前君、栄田の順に恨み言を連ねる三人。

 余程驚いているのか、マミはうろたえながらこちらの背中に体を隠してしまう。

 

 

「あの日、誓ったじゃないか!? 生まれた時は違えども、童貞を卒業する時は同じ年、同じ月、同じ日、同じ店でって!?」

 

「それでもまだ!」

 

「素人童貞だがな!」

 

「……お店?」

 

 

 そんなイカ臭い誓いをした覚えは無いっ!!

 

 あまりにも酷い物言いに思わず突っ込んでしまったが、栄田達はそれを意に介さず恨み節を炸裂させる。

 

 

「っていうか、何さりげなくキスしようとしてんだよぉ!? さてはあれか!? もう経験済みなのか!?」

 

「正直に言ぇえ!! 何処まで行ったぁ!?」

 

「何回しやがったぁ!? 教えてエロい人!!」

 

 

 な、何でそんな事言わなきゃいけないんだっ。

 

 と反論しつつも、実際何回したんだろうと考えてみたが思い出せず、何回だっけ? と小声でマミに聞いてみる。

 

 

「ご、ごめんなさい。私もあんまり覚えてなくて……その、十回以上からは数えてなかったし……」

 

「じゅっか……!? そ、そん、な………………ん? んんん?」

 

「むっ?」

 

「どうしたリーダー?」

 

 

 マミの声が聞こえてしまったのか、ショックに膝を折りかけた栄田だったが、ふと首を傾げ、それに続くはずだった備前君と椎名君が彼に問い掛ける。

 すると栄田は、とても重大な事を思案している顔で呟く。

 

 

「もう経験済みと言う事は、だ。つまり、お前とキッスすれば、巴嬢との間接キッス成立という事に……」

 

「なん……」

 

「だと……」

 

「………………え」

 

 

 ………………え゛?

 

 

「ふ、ふふ、ふふふのふ……漲ってキタァ!!」

 

「え、ちょ、マジで?」

 

「流石にそれはちょっと」

 

 

 眼を爛々と輝かせる栄田に着いて行けないのか、備前君と椎名君は顔を引きつらせていた。

 それに気づいていないのか、栄田は鼻息荒くにじり寄って来る。

 

 

「ふっひぇっひぇっひぇ……さぁ、あっついベーゼを交わそうではないか親友ぅ……」

 

「リーダー……」

 

「そこまで飢えて……」

 

 

 ………………マミ。

 

 

「………………ええ」

 

 

 自分とマミは顔を見合わせ、静かに頷き合う。

 この瞬間、間違いなく、二人の心はシンクロした。

 

 

 ………………さよならっ!

「ごめんなさい、失礼しますっ!」

 

 

「ぬぁ!? 逃げたぁ!?」

 

「そりゃあ逃げるわなぁ」

 

「誰でもそうする。俺でもそうする」

 

 

 栄田に背を向け、自分達は手を取り合って脱兎の如く逃走を開始した。

 友達に、しかも男に唇を狙われるとか、悪夢以外の何物でもない。

 どうしてこうなった……ホントにどうしてこうなった!?

 

 

「ふひっ、逃がすかぁ!! 巴嬢と間接キッスじゃああ!!」

 

「あっ……。あ~、行っちゃったよ。ここまで暴走するのも珍しいなぁ、どうすんべ」

 

「ま、気持ちは分かるけどな。しゃーない、追うべ。流石に御友達から御ホモ達にランクUPはまずいだろ」

 

 

 追い縋ってくる、魔女の使い魔とも遜色の無い禍々しい気配に鳥肌を立てながら、自分とマミは走り続ける。

 しかし、それでも何処か楽しかったのは、この日常がいつか、かけがえの無い想い出になると、知っていたからだろうか。

 

 片手に在る感触に、嬉しさを感じながら。

 きっとこれから、こんな馬鹿騒ぎが何時までも続くのだと、そう思った。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 はぁ、と溜息をつきながら、屋上のフェンスに寄りかかる。今は丁度、昼休みの時間帯だ。

 教室棟と違い、自分が今居る特別棟の屋上は、普段は施錠されて立ち入り禁止なのだが、抜け道というのはどんな物にも存在するのである。

 マミと正式に恋人関係になってから、一週間ほど経ったある日。

 何時もなら彼女と一緒に弁当を食べているはずの時間に、自分は一人で、人気の無い特別棟の屋上で黄昏ていた。

 

 

「よう。どうしたリア充? 巴嬢に浮気でもばれたか?」

 

 

 突然の闖入者に驚きもせず、そんな事しないよ、と声を返す。

 何時の間にか、ここへ立ち入る抜け道を伝授した張本人である栄田が、側に立っていた。

 

 

「……本当に元気が無いな。何時もなら『そんな事する訳ないだろ僻むなこの童貞が』とか言いそうなのにって誰が童貞だぃっ!?」

 

 

 一人騒がしく、栄田は喋り続ける。

 しかし、それに答えられる気分ではなかった自分は、うん、と適当に相槌を打つだけだった。

 そんな自分を見て、彼は溜息を一つこぼし、近くのフェンスに寄りかかる。

 

 

「……突っ込みも無しか。寂しいのぅ……本当にどうした? 巴嬢と何かあったのか? 何時もなら一緒に弁当食ってるだろうに」

 

 

 あったと言えば、あったんだけど……。理由が、分からないんだ。

 それに、会おうとしてもすれ違って。まるで、避けられてるみたいで……。

 

 

「ふむ……喧嘩でもしたか? いや、昨日の今日でそれは無いか。殺意が湧く位ベッタリだったもんなぁ」

 

 

 そう、ベッタリだった。より正確に言うなら、一昨日の夜――マミが街の巡回から帰って来た時から、様子がおかしかった。

 何時もの様に、見回りに行く彼女を見送って。

 しかし、帰って来た時の彼女は、出迎える自分に何も返さず、そのまま抱きついて来た。

 何かあったのかと聞いても、マミは「なんでも無いから」と言うばかりで、でも、背中に回した腕を解いてくれそうも無くて。

 背中を撫でたりしながら何とか宥め、しばらくすると、彼女も少しは落ち着いた。けれど、彼女は服の袖を掴んで離してくれず、そのまま初のお泊りとなったのだ。

 自分としてもマミの事が心配だったし、それ自体は問題なかったのだが……。

 彼女の家に泊まる事を告げた電話口の向こうで、母はこうのたもうた。

 

 

『あらあらあらあらあら。避妊はしっかりね? お財布の中に仕込んであるから。しっかりと物にして来なさい。娘が出来るわ! やったね私!』

 

 

 家の母はもうどうしようもないと思う――ホントに入ってたし。しかも二つづりほど。何で気づかなかったんだ自分は? 財布パンパンだったよ……。

 それは置いておくとして、まだ不安そうな表情をするマミにそんな事するのも気が引けて、初めて見るパジャマ姿や、湯上りの良い匂いに悶々とする一夜を過ごす事になった。

 離れてくれなかったので、勿論添い寝である。当然、眠れなかった。

 ……実は、彼女が寝ている間に、つい胸を触ってしまったりもしたのだが、天使の様な寝顔を見せるマミに罪悪感を覚え、それ以上の行為に踏み込む事は出来ず、余計悶々した。

 

 そして次の日も、彼女は自分から離れようとしなかった。登校中は勿論、授業の合間の休み時間も、その度に顔を見せに来たりして。

 おかげで、早乙女先生に授業中ずっと指名され続けたり、全方位から男子達の殺意の波動を感じたりと、徹夜明けの身には、ホントに辛かった。

 この日は見回りも休むことにしたのか、家に帰ってからも長く一緒に過ごして……。

 嬉しいと言えば嬉しいんだけれども、四六時中ベッタリというのは、思いの他、体力を要するものだった。

 流石に一日経って落ち着いたのか、二日連続でお泊りするような事は無かったけれど……。

 

 更に次の日――つまりは今日になると、今度は逆に、全く顔を見れなくなってしまった。

 朝は先に出てしまっていたし、メールで何か用事があったのかと聞いても、返事はそっけない。

 おまけに、昼休みにマミのクラスに顔を出してみれば、後輩の女の子と教室を出た後らしかった――おそらくは、あの三人の内の誰かだろう。

 そんな日もあるだろう、とは思うけど。

 一昨日からの彼女の態度を知っている自分には、それがどうにも腑に落ちなかった。

 

 

「巴嬢からは、何も聞いてないのか? 単に用事が重なってるだけ、とか」

 

 

 ……なんにも。だから困ってるんだ。

 

 

「そうか……何か、心当たりはないのか? 心配事や、悩み事とか……」

 

 

 普段はあれこれとうるさい栄田だったが、自分達を心配してくれているのか、頼んでもいないのに話を聞いてくれる。

 こういう所があるから、なんだかんだで、彼と友達で居られるんだろうと、自分は思う。

 ……そして。

 実を言うと、栄田の言う心当たりには、既に目星を付けてあった。

 自分に対してマミが口篭る事といえば、それは、余計な心配をかけてしまう様な事――つまりは、魔法少女関連。

 

 ここ一~二週間で、マミを取り巻く環境は大きく変化していた。

 まず、さやか……ちゃんが、好きな男子の腕を治す為に、魔法少女になった。

 自分にとって、それはなかなかに喜ばしい出来事だった。ずっと一人ぼっちで戦っていたマミに、ようやく仲間が出来たのだから。

 少し前に転校してきた暁美さんとも、命を助けられて以来、そこそこ良好な関係を築いているみたいだったし、これからはマミの負担も少なくなると、純粋に喜んでいた。

 しかしそこへ、また新たな魔法少女が――マミの元パートナーだったという、佐倉杏子が現れ、さやかちゃんと反目し合う仲となってしまった。もしかしたら、その事が原因かもしれない。

 

 佐倉杏子は、さやかちゃんが使い魔を倒そうとしていたという理由で攻撃を仕掛けて来たらしい。人を食い、グリーフシードを孕む前に倒しては、意味が無い、と。

 マミも詳しくは話したがらなかったのでよくは知らないが、随分と利己的で、好戦的な考えを持っている魔法少女の様に思える。

 もしもそんな彼女に、マミと一緒に居る所を見られでもしたら……最悪、魔法少女同士の戦いに巻き込まれるかもしれない。

 元々、魔法少女としての活動には関わらない様にと、マミは自分に強く言い聞かせて来ていた――必ず護れる訳ではないから、と。

 だからこそ、不用意に接触したりしないように、こうして避けられているのかも知れない。

 

 でも、そうすると昨日までの行動が説明できないのだ。

 頭が良いマミの事だから、避けようとするなら、まず誤解されないように説明してからそうするだろうし、もっと早くにそれを思い付いてもいい筈。

 ……結局の所、心当たりはあっても、全く確証が無かった。その事実が、どうしようもなく気分を重くする。

 

 

「……あるのか? 心当たり」

 

 

 栄田の言葉に、うん、と頷いたものの、でもさ、と口は勝手に言葉を続ける。

 

 どうして、マミは話してくれないんだろう。

 確かに、自分じゃ力になれない事かも知れないんだけど……話を聞いてあげる位は、出来るのに。

 でも、無理に聞き出したりしたら、マミに辛い思いをさせるかも知れないし、もしかしたら、余計なお世話になるかも知れない。

 ……そう思うと、踏ん切りがつかなくて……どうしたらいいのか……。

 

 

「……ふむ」

 

 

 自分が口にした情けない言葉に、栄田は少し考え込んでからフェンスを離れ、こちらに向き直る。

 

 

「なぁ、知ってたか? 実は俺、結構お前の事、尊敬してたんだぞ?」

 

 

 唐突にそんな事を言い出した彼の顔には、普段の飄々とした物の中に、整った顔立ちに見合う真剣さが滲み出ていた。

 

 

「なんせ、俺達、巴嬢非公式ファンクラブ、T・K・Mがやりたくても出来なかった事を、一人でやって見せたんだからな」

 

 

 ……TKM? 何それ?

 

 聞いた事の無い略称に首を捻ると、栄田は土曜の夜にフィーバーっぽいポーズで説明し始める。

 

 

「(T)巴嬢を・(K)影ながら見守りつつも・(M)マミマミし隊の略だ!! 代表は俺!! メンバーは俺と備前と椎名の三人!!」

 

 

 思っていた以上に人数は少なかった。

 が、その途中で聞こえた妙な単語が引っかかり、半眼になって自分は尋ねる。

 

 少な……っていうかマミマミって何? 変な事とかしてないだろうな?

 

 

「紳士に向かって何を言うかっ。精々ちょっと際どい盗撮写真を売り捌いていた位だ!!」

 

 

 うん。死ね。

 

 

「うぐぅっ!? じょ、冗談だヨ!? 逆に盗撮野郎とかから護った影の実績があるんだってバ!?」

 

 

 恋人として看過すべきでない事実を胸を張って言う栄田の首に、思わず手が伸びた。

 その腕をタップしながら言い訳染みたうめきを発する彼に、自分で分かる程に黒い笑みを零しながら詰問する。

 

 ……ホントに? もしも嘘だったら……。

 

 

「マジマジ大マジ!! だからこの手をヘァンズフルィして!? ニェックがツウィスツしちゃうから!? トゥルスツミィ!?」

 

 

 相変わらず、栄田の英語は激しくウザい。

 が、言ってる事がホントなら恩人でもある訳だし……仕方ない、ここは開放しよう。

 

 ……ふぅ。ごめん、悪かった。

 

 

「はぁ、はぁ、いや、俺もちょっとふざけ過ぎたな……あ~、何処まで話したっけ……?

 あぁ、TKMのとこだっけか……この集まりはな、まだお前と知り合う前に……一年の頃に作ったんだ。

 その頃はメンバーも沢山居たんだぜ? 備前と椎名はその頃からの付き合いだし」

 

 

 そうだったんだ……。

 しかし、一年の頃からファンクラブって、凄いなぁ、マミ。

 

 

「それだけ巴嬢が人気だったって事さ。まぁ、非公式の集まりだったし、本人は知らないだろうけどな。

 俺達も、本当に影から見守って揺れる乳にハァハァしてるだけだったし……あ、ごめん、拳を振りかぶらないで? ……でも、そんな時に、あの事故が起こった。お前も知ってるだろ」

 

 

 ……うん。マミから、聞いたから……。

 酷いよな。あんなに大きな事故だったのに、マミから話を聞くまで、自分はそんな事があったなんて、忘れてた。

 

 

「仕方ねぇって。俺だって巴嬢が関わってなきゃ、『ふーん』の一言で済ませちまうかも知れない。そんなもんさ」

 

 

 自嘲気味に言う自分を、栄田は慰めてくれる。

 マミが両親を失った交通事故。

 殆どの車が、交通管制によって制御されるようになった今の時代には珍しい、多くの死傷者を出した高速道路での事故は、自分にとってあまり印象強いものではなかった。

 精々、運転好きな父さんがしかめっ面をしていた位の印象で、彼女に直接話を聞いた時に、ようやく思い出した位だった。

 そうして、いかに他人の命に無関心だったのかを、自分は思い知らされたのだ。

 

 

「あの事件以来、巴嬢は笑わなくなった。当たり前だよな、両親を失ったんだから……。

 皆、彼女を腫れ物に触るみたいに接したよ。勿論、俺達も。

 どうしたらいいか、わかんなかったからさ。ま、元々接触なんて殆どした事無かったけどな」

 

 

 ………………。

 

 

「何とかしてあげたいと思ってても、結局何にも出来なくて……時間が経つに連れ、巴嬢はまた笑う様になったけど。

 でもそれは、無理をして気丈に振舞ってる様にしか見えなかった。……見るに耐えなかったよ。

 そんな彼女を追い回すのも不謹慎だってんで、集まりも自然消滅。

 反動か、俺達は色々と馬鹿をやらかすようになって……。お前とつるむ様になったのは、その頃かなぁ」

 

 

 ……つるむと言うか、絡まれてただけだと思うんだけど。

 

 

「あれ? そうだっけか?」

 

 

 確か、栄田と直接関わるようになったのは、三年に上がって直ぐの頃。

 二年から三年へは、そのまま繰り越しで上がるため、元々同じクラスではあったのだが、二年の頃はまだ大人しく、ただのクラスメイトでしかなかった。

 しかし、それは嵐の前の静けさの様な物で、三年になってからというもの、色々と騒がしくなった栄田・備前君・椎名君の三馬鹿トリオの行動に突っ込んでしまったのが切っ掛けで、纏わり付かれる様になったのだ。

 まぁ、大変ではあったけれど、基本的には善人だし、とても楽しい日々だった。

 二年のクラス替えで友人とは疎遠になってしまっていたし、栄田達と出会わなければ、中学生最後の一年間は、受験勉強に追われるだけのつまらない物になっていたと思う。

 そうか、今と比べて、あの頃妙に大人しかったのは、そんな理由があったのか。……全然知らなかった。てっきり、悩みとは無縁の人生を送っていると思っていたのに……。

 内心、栄田の事を誤解していた事に気まずさを感じたが、それに気づく事無く、彼は楽しげに笑って見せる。

 

 

「まぁ、細かい事言うなよ。今じゃ俺達、見滝原のおバカルテットとして有名だろ?」

 

 

 え? ちょ、なにそれ? 自分達そんな風に呼ばれてたの!?

 

 

「うんにゃ、今考えた」

 

 

 うぉいっ。

 

 思わず脱力しそうになった体を、フェンスに縋り付く事でなんとか耐えた。

 そんな自分を見てからからと笑いながら、栄田は語り続ける。

 

 

「……んで、こんな風に馬鹿やってる内に、また時間が過ぎて。誰も彼もが彼女に気を遣う内に、巴嬢の側には、誰も居なくなっちまった。

 高嶺の花とはよく言ったもんだよ。見つめる事は出来ても、誰も手に取る事は出来やしない――とか思ってたら、今年に入っていきなりお前と急接近じゃん? 吃驚したぞ?」

 

 

 いや、本格的に仲良くなったのは、結構最近なんだけど……。

 同じマンションに住んでるのに気づいたのも、栄田の言うように今年になってからだし……。

 

 更に付け加えるなら、それはマミに命を助けられた時期でもあるのだが――流石にこれは秘密にしておこう。

 

 

「ほんと、もったいないよなぁ……。まぁ、さっき自分で言ったけど、興味が無い人間の扱いなんて、そんなもんかもな。

 でも、そんなお前が。あの事故以来、すっかり人を寄せ付けなくなっちまった巴嬢に、あっという間に近づいて、友達になっちまった。

 そして、俺達が……いや、誤魔化してもしょうがないな。俺が見たくて堪らなかった、心からの笑顔を、お前は彼女から引き出した。正直、羨ましくて仕方なかったよ」

 

 

 栄田は目を伏して、小さく笑う。

 その姿を見て、自分は確信した。

 やはり栄田は、マミの事を……。

 

 

「おぉっと、勘違いすんなよ? 俺はもう、自分の気持ちには決着はつけてある。元々、半分諦めてたけどもさ……」

 

 

 しかし、彼はその確信を、こちらに向けて人差し指を立て、真っ直ぐに顔を見据えて、あっさりと否定する。

 

 

「お前の隣に居る巴嬢を見て、これでもかっ、て位に分かっちまったからな。俺は、彼女の一部分しか見てなかった――見ようともしてなかったんだって。

 変な事して嫌われるかもしれない、余計なお世話かもしれないって、色んな理由をつけて、理論武装して。結局、何もしなかった。

 なっさけないよな? 今なら幾らでもおちゃらけて、話しかける事だって出来るのに。辛そうにしてる女の子に、慰めの言葉一つ掛けられなかったんだから」

 

 

 栄田は空を見上げ、眩しそうに目を細める。

 その口元からは、先程の小さな笑みは消えていた。

 

 

「だけど、お前は違った。何の気負いも無く彼女に接して、話をして、笑い合って。俺がしたくて、でも諦めちまった事を、やってのけた。

 巴嬢の過去を殆ど知らなかったってのも、確かに理由の一つだろうけど。でも、そんなの関係無い。

 お前は行動して、俺は行動出来なかった――いや、しなかったんだ。それが、俺とお前の差。

 だから俺は、お前の事、凄い奴だって思うんだよ。目の前でイチャコラ見せられると、流石に殺したくなったけどな?」

 

 

 最後にわざと、茶化す様にそう言って。

 何時もの様に彼は笑う。

 

 

「だからさ? こんなとこで油売ってないで、巴嬢の側に居てやれよ。避けられてるなら、いっそ待ち伏せでもしちまえ。

 彼氏彼女だからって油断してると、昔の俺みたいにタイミングを失って、ただ見つめる事しか出来なくなっちまうかも知れないぞ」

 

 

 ……マミの力に、なれるかな、自分は。

 

 

「大丈夫だって、お前なら。

 巴嬢がなんに悩んでるのかは知らんが、お前ならきっと、何かの形で助けになれるさ。

 お前で駄目なら、きっと他の誰にも出来やしない。自信持てよ? お前は俺の、親友なんだからさ?」

 

 

 栄田は臆する事無くこちらを見つめて、そう言ってくれた。

 彼は一体、どれほど悩んだのだろう。

 自分よりも早くからマミを見つめ、彼女が苦しむ姿を見て、どんな思いで、自らの想いを諦めたのだろうか。

 とても、苦しかったと思う。大好きな人が思い詰めているのを、ただ見つめ続けるのは。

 

 だから彼は、そんな事にならないようにと忠告してくれて。

 そして、彼に辛い思い出話をさせてしまった自分の事を指して、親友と言ってくれる。

 この事実が嬉しくて。でも、彼の心中を思うと、切なくて。

 それを隠そうと、自分も小さく笑う。

 

 

「ん? どうした?」

 

 

 いや、いつもそうやって真面目にしてれば、さぞかしモテるだろうになぁ、と思って。

 自分が女だったら、今ので惚れてたかも。

 

 

「……気持ち悪い事言うなよ。ってか、俺はいつでも大真面目だぜぃ?」

 

 

 真面目にふざけるから駄目なんだよ、この残念美形……ん。

 

 

「……お?」

 

 

 おもむろに、右手を差し出す。

 栄田はそれを見て、少し戸惑う様な顔をしたが、ん! と更に主張すると、やがて、照れ臭そうに右手を差し出す。

 その手を握り、彼に負けない様に、臆する事無く笑顔を浮かべた。

 

 どうなるかは分からないけど……自分なりに、やってみる。ありがとう、親友。

 

 

「……へへっ。おうよ!」

 

 

 力強く手を握り返す栄田は、何時もの調子で笑い、白い歯を見せながら、それに答えてくれた。

 

 

「しっかし、男と握手なんかしてもなぁ? どうせなら、女の子の柔らかい肌にタッチしてぇよぉ……」

 

 

 なんだよ? 栄田が握手して欲しいっていったんだぞ? この間。

 

 

「へ? ……んな事言った……あ!? まさかっ!?」

 

 

 栄田が驚愕に顔を歪める直前、自分は手を離してその場から逃げ出す。

 己の言った言葉を思い出した彼は、両の拳を振り上げながらそれを追いかけて来た。

 

 

「キサマ、まさか揉んだのか!? 揉みやがったのか!? マジかよぉぉおおお!?」

 

 

 さぁ、どうだろうね?

 ……凄かった、とだけ言っとくよ。

 

 

「てんめぇふざけんなこの裏切り者!! お前なんか親友じゃねぇ!! 今この場で成敗してくれるわぁ!!」

 

 

 はははっ、遅い、遅いよ栄田!

 

 

「んがぁぁあああ!! モゲろやこのリア充がぁぁあああ!!!!!!」

 

 

 広い屋上を、鬼ごっこをしているように逃げ回る。

 そんな風に親友とふざけながら、ふと見上げた視界に映ったのは。

 雲一つ無い、澄み切った青空だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 コツ、コツ、と、靴音が近づいてくる。

 既に日は完全に落ちていて、代わりに月が昇っていた。

 足音の主も、その姿を影に隠していたが、自分にとってその気配は、とても簡単に判別できた。

 

 

「……え? どう、して……」

 

 

 何時ぞやと同じ様に、マミは驚いた表情を見せる。そんな彼女に、おかえり、と声を掛けながら、マンションの手すりに寄りかかっていた体を起こす。

 昼休みが終わった後、栄田に発破を掛けられた自分は、さっそく彼女に連絡を取った。

 だが、一緒に帰ろうと誘っても、街の見回りがあるからと断られ――「昨日はサボってしまったから」と言われては、無理も言えず、仕方なく、彼女の自宅の前で帰宅を待つ事にしたのだ。

 まさか、九時を過ぎるとは思っていなかったが。前もって母に許可を貰っておいて良かった。

 しかし、心底驚いているその顔を見ると、やはり嫌がられてしまったのかと感じ、軽く頭を下げる。

 

 ごめん。どうしても、会って話がしたかったから……迷惑だった?

 

 

「……ううん、そんな、事……上がって? 今、紅茶を淹れるから」

 

 

 マミは、そう言ってドアを開ける。

 すれ違う際、一瞬だけ合った視線は、気まずそうに逸らされた。

 胸がざわついたが、ここで逃げるような真似は、したくなかった。

 

 彼女と交際を始めてから、ほぼ毎日上がらせて貰っている家だったが、気のせいか、少しだけ雰囲気が違うようにも感じる。

 自分の定位置――三角テーブルの短い辺の直ぐ隣に陣取り大人しく待っていると、茶器の載ったトレイを持つマミが姿を現す。

 

 

「……お待たせ」

 

 

 何時もの様に、慣れた手付きで紅茶を注ぐ。

 しかし、何時もの静かな微笑みは無く、彼女は無表情に手を動かしている。

 

 

「……どうぞ」

 

 

 勧められるまま、紅茶に口をつける。

 やっぱり、美味しかった。普段と様子は違っても、染み付いた長年の習慣は健在らしい。

 どこかほっとするその味に、美味しいよ、と素直に伝えれば、彼女はようやく無表情を崩す。

 

 

「良かった……ちょっと、自信なかったから」

 

 

 そう言って、マミは苦笑する。

 ……おかしい。

 事、紅茶やお菓子に関しては揺ぎ無いこだわりを持っていた彼女が、こんな事を言うなんて。余程参っているのか、それとも、体調が悪かったり……?

 そんな心配が形となって、勝手に口をつく。

 

 やっぱり、一昨日から様子が変だ。ホントは何かあったんじゃ……?

 

 

「……っ、それは……」

 

 

 だが、それを聞くとマミは再び表情を硬くする――所か、今までに見た事が無いほど、苦しげに顔を歪めてしまう。

 

 ……何をしているんだ自分は。自分が不安だからって、今現在、悩みに直面してるだろうマミを追い詰めてどうする……っ。

 こんな顔をさせたかったんじゃない。

 こんな事が言いたいんじゃない。

 ちゃんと伝えなきゃ、今の自分の気持ちを、ちゃんと。

 

 決意を新たに、自分は、硬く握り締められた彼女の手に、そっと手を添える。

 

 

「……っ」

 

 

 ぴくん、と体を揺らし、今度は驚きに目を見開くマミの手を優しく包みながら、自分は言葉を重ねる。

 

 ごめん、無理に聞きだそうとするつもりは無かったんだ。

 マミが言いよどむ位なんだから、とても重要な事なんだろうし、言えない事だって判断したなら、自分はそれを信じるから。

 でも……。

 

 

「……ぁ」

 

 

 どんな事があっても、自分はマミの側に居るから。自分は、マミの味方だから。

 それだけは、知っていて欲しかったんだ………………信じて、欲しいんだ。

 

 

「………………」

 

 

 マミは、何を言うでもなく、ただじっと、こちらを見つめていた。その視線が妙に気恥ずかしく感じて、自分は今思い付いた様に付け加える。

 

 そ、それと、もし大丈夫なら、一日に一回は、こうしてちゃんと会って、話をしたい、かな……。

 折角恋人同士になれたのに、会えないのは寂しいし……あはは……。

 

 

「………………私、も」

 

 

 何を情けない事を言っているんだ、と笑って誤魔化そうとしていると、握られていた拳が解かれ、指が絡められる。

 

 

「私も、ね。今日一日、アナタと離れていて、凄く、寂しくて……胸がきゅうって、痛くなった。

 だから、こんな風にアナタの温もりを感じられるだけで、凄く嬉しいの……でも、ね……?」

 

 

 そこで一旦言葉を区切り、マミは、絡めた指を力無く弄ぶ。

 

 

「この温かさを感じてる手も、寂しさに痛くなる胸も。全部、ニセモノ……作り物だったの」

 

 

 ニセモノ……? 何を言って……。

 

 

「この体は、ただの操り人形で、ソウルジェムから距離を離されるだけで死んでしまう、魂の抜け殻なんですって……。

 暁美さんの言う通りだった……キュゥべえは私達の事を、利用しているだけだったの。

 キュゥべえたちの役目はね……? 私達の体から魂を抜き取って、ソウルジェムに、変える事なんだ、って……」

 

 

 マミは、崩れ落ちる様に床に片手を突き、体を震わせる。

 その顔は伏せられていて、どんな表情が浮かんでいるのか、窺い知る事は出来なかった。

 

 

「その事を知って、どうしようもなく怖くなって……だから、アナタの優しさに縋って……。

 けど、そうしたら今度は、アナタに知られたらどうしようって、作り物の体だって知られたらどうしようって、もっと怖くなって……。

 だから、離れようとしたの。嫌われたく無かったから、先に、嫌いになってしまおう、って……。

 でも、無理……どうしても、アナタの事が頭から離れない……こんな風に気にかけてくれるアナタを、嫌いになんてなれない……っ。

 この大きな手も、少し癖っ毛な所も、考え事をする時に耳たぶを触る癖も、全部、大好きなの……っ」

 

 

 嗚咽を漏らすマミの手の震えを感じながら。

 空いた手で自分の膝に爪を立て、思う。

 

 どうして、彼女がこんな目に遭わなければいけない。どうして、彼女ばかりが泣かなきゃいけない。

 

 驚きのあまり、言われた事の半分も理解できているか怪しかったが、彼女がどれほど心を痛めているのかは、その姿を見て感じられた。

 事故で両親を失い、生き延びるために魔法少女になったマミ。

 自分だけが生き残ってしまった事にすら悩み、しかしそれでも、必死にその勤めを果たそうと頑張ってきた。

 なのに、この仕打ちは何だ。どうしてマミばかりが、辛い思いをしなくてはいけないんだ……っ。

 

 

「だけど、私もう、分からなくなっちゃった……こんな体で、どう生きていけばいいの……? 私は、何の為に戦ってたの……?

 痛いのも、辛いのも、寂しいのも我慢して。お父さんとお母さんの分まで、立派に生きるんだって、そう思って、頑張ってきたのに……。

 それなのに、勝手に、こんな体にされてるなんて……こんなの……っ……あんまりよ……っ……挙句、美樹さんまで巻き込んで……っ」

 

 

 パタ、パタ、と雫が落ちる。

 若草色のカーペットに、小さな染みがいくつも作られては、瞬く間に吸い込まれて消えていく。

 

 

「罰なの……? あの時、自分だけ助かろうとしたから、こんな目に遭うの……?

 だったら、魔法少女になんて、ならなければ良かった……契約して、生き延びなければ……。

 あ……違うか……私、抜け殻だもの、ね……ニセモノ、だもの……」

 

 

 何かに気づいた様に、マミは顔を上げる。

 涙で濡れた顔には、怯えにも似た表情が浮かんでいた。

 

 

「本当の私は、キュゥべえと契約したあの日に、死んじゃってたんだ……。

 だったら、ニセモノの私が頑張ったって、何の意味も無い……。

 私が魔法少女になった事に、最初から意味なんて無かったのよっ……!!」

 

 

 違う!! 意味が無いなんて、そんなの、絶対に違う!!

 

 

「あ……っ」

 

 

 自分でも驚くほど、大きな声が出ていた。

 握り合っていた手を解き、彼女の両肩を掴んで、叫ぶ様にして声を上げていた。

 

 マミが魔法少女になった事に意味が無いなら、今までマミに助けられた命はどうなるんだ? 今、目の前に居る自分はどうなるんだ!?

 

 

「それは……っ、で、でも、きっと私なんか居なくても……私以外にも、魔法少女になれる子が、アナタを……」

 

 

 ……確かに、そうかも知れない。でも自分は、マミに助けられたんだ。

 この命はマミがくれたんだ。何があっても、それは変わらない。

 いや、命だけじゃない。他にもいろんな物を、自分はマミから貰ったんだ。

 

 

「……え?」

 

 

 誰かを好きになる優しい気持ちも。

 好きになって貰えるかっていう不安も。

 想いが通じ合う喜びも。

 全部、マミがくれた物なんだ。もし他の魔法少女が助けてくれたとしても、こんなに沢山の物をくれるのは、きっとマミだけだ。

 

 

「……私、だけ……?」

 

 

 ニセモノなんかじゃない。マミがそう思っていても、自分にとってのマミは。

 魔法少女で、命の恩人で、凄く可愛くて、焼きもち焼きで、お菓子作りが得意で。

 ……たったひとりの、愛する人なんだ。

 

 

「……あ」

 

 

 マミが魔法少女になった事に――生きてる事に意味が無いのなら、この気持ちまで無意味だって事になる。

 だから、意味が無いなんて、言わせない。

 マミを想うこの気持ちに意味が無いなんて、マミにだって絶対に言わせない!!

 

 

「……アナタは……」

 

 

 無我夢中で叫び続け、息が切れてしまっていた。

 息が苦しくて、なんだか呼吸がし辛くて、渇いた喉に何とか唾液を送り込もうとするが、上手く行かない。

 そんな時、ふと、マミの手がこちらに伸ばされた。

 

 

「私の為に、泣いてくれるの……? こんな、私の為に……」

 

 

 そっと、触れられて。

 自分の頬を流れるものに、ようやく気づいた。

 息苦しい筈だ。自分は見っとも無く、涙と一緒に鼻水まで垂らしていたのだから。

 途端に恥ずかしくなり、それを拭おうとするのだが、自分の手よりも早く、マミの手に握られたハンカチによって顔が拭われる。

 

 

「……いいの……?」

 

 

 怯えていた瞳に、小さな輝きを取り戻して。

 マミは、確かめる様に問い掛けて来る。

 

 

「私は、アナタを、生きる意味にして、いいの……? アナタを護る為に、生きて、いいの……?」

 

 

 その問い掛けに、勿論、と強く頷き返す。

 すると彼女は、緩やかに目を細め、その眦から一筋、雫を零す。

 

 

「そっか……私、もう一人ぼっちじゃ、ないんだよね……? アナタが、居てくれるんだよね……?」

 

 

 そして、マミはそのまま体を寄せ、首筋に顔を埋めながら、背中に細い腕を回し、自分もそれを強く抱き返す。

 シャンプーの微かな甘い匂いが鼻をくすぐり、彼女の体の小ささに心が震える。

 

 側に居よう。

 彼女に守られる事しか出来ない、弱い自分だけど。

 そんな自分でも、彼女の生きる意味になれるのなら、ずっと、側に居よう。

 

 心の中で、静かにそう誓い。

 その証を刻みたくて。

 この絆を、より深く結びたくて、目の前にあるマミの首に口付ける。

 

 

「……んっ、あ……」

 

 

 恥ずかしげな声を聞きながら、今度は、まだ乾かない涙の跡を唇でなぞる。

 

 

「や、ん」

 

 

 くすぐったいのか、体を悶えさせるマミをそっと押し倒す。

 視線を重ね、精一杯の愛しさを込めて、マミ、と名前を呼ぶ。

 

 

「……うん」

 

 

 すっ、と瞼が閉じられる。吸い寄せられる様に彼女の顔に影を落とし、深く口付ける。

 

 

「んん……ん……っ……」

 

 

 マミの手が、掻き抱くように背中を蠢く。

 それを通して、自分が彼女に強く求められているのを感じた。

 けれど。

 もう、キスだけでは止まれないほどに、互いの鼓動は高まっていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 通い慣れた通学路。

 普段なら鼻歌交じりにスキップしてでも通えるその道を、自分はえっちらおっちらとお年寄りの様に歩いている。

 その隣には勿論、彼女が居てくれた。

 

 

「……本当に、大丈夫? やっぱり、魔法を使って回復した方が……」

 

 

 い、いや、グリーフ、シードにも、限りが、あるし……自業自得、だから……うぐっ。

 

 

「あっ、無理しないで? ほら……」

 

 

 腰を押さえて呻くと、マミが駆け寄り、体を支えてくれる。

 それが嬉しいのと同時に、彼女の温もりが昨晩の事を思い出させ、顔が熱くなった。

 

 結局あの後、大いに盛り上がってしまった自分達は、そのまんまイタしてしまったのだ。なんと言うか、歯止めが効かなかった。

 初体験以来していなかったり、前日に散々我慢させられたのもあったのだろうけど、まさかあんな事になるとは。

 母に持たされたアレが無ければ、ホントに危なかったかもしれない。二桁なんて初めてだ――最後の方なんか、何も出てなかった気がする。

 そんなこんなで、自分の腰周りは洩れなく筋肉痛である。ついでに言えば寝不足だ。

 彼女の方は全くなんともなさそうで、少々不公平さも感じたが、彼女の背負った運命からして考えれば、その位の役得はあるべきだろう。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 ――と、マミの顔が小さく綻ぶ。

 無言で首を捻っていると、彼女は笑みを浮かべたまま語りだす。

 

 

「なんだか、不思議なの。こんな気持ち、生まれて初めてで、なんて言っていいのか分からなくて」

 

 

 少しだけ、困った様に。

 けれども、マミはとても嬉しそうだった。

 

 

「きっと、これから先、色んな事があると思うの。嬉しい事や、楽しい事。それだけじゃなくて、辛い事も、悲しい事も……」

 

 

 彼女にそう言われ、自分も思いを馳せる。

 マミと共に歩む未来。

 きっとそれは、とても幸せで。

 しかし、彼女が魔法少女であるが故の波乱も、待ち受けているのだろうと思う。

 

 魔法少女としての戦いは、何時まで続くのか。今回の件で明らかになった、キュゥべえの役割と、それに伴う彼等への不信。

 そして、個人的に気になっている、ソウルジェムと穢れの問題。穢れを放置すると一体どうなるのか――明言がされていない事に、より強く疑問を抱くようになった。

 解決の糸口は、キュゥべえの姿と一緒で全く見えないし、どんな結末になるかなんて、想像もつかない。

 

 ――いや、例え、どんな結末になろうとも。

 自分は、マミの側に居よう。

 彼女に貰った気持ちが、大切だから。あの誓いを、嘘にはしたくないから。

 

 自分の誓いを知らない筈のマミは、しかし、弾むようにステップを踏み、自分の前へと回り込んで、そっと手を包み込む。

 

 

「でも、アナタの温もりを側に感じていれば。どんなに辛く、悲しい事でも、耐えられる気がする。そう思うと、なんだか、すっごく体が軽いの!」

 

 

 そうして、マミは。

 今、自分達の上に広がっている青空と同じ、晴々とした笑顔を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

「アナタが側に居てくれるなら。未来にどんな困難が待ち受けていたとしても、私、もう何も怖くないわ!」

 

 

 

 

 




 フラグが立ったよ! やったねマミちゃん!


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【佐倉杏子の】後日譚その2【帰る場所】

 

 

 土曜の早朝。

 普段なら二度寝でもしている時間に、自分は珍しく早起きをして、これからやって来る、とても大事な人を待っていた。

 今まではこんな風に緊張なんてしなかった筈なのだが、なんと言うか、どうにも照れ臭くて仕方ない。

 そんな訳で、掃除する必要が無いほど綺麗な居間を片付けようとしたりして、今もなんとなく、洗面所で鏡を見てしまったりしている。

 映っているのは、長年付き合ってきた見慣れた顔。

 他人と違う所なんて、母さん譲りで少しだけ高い鼻と、ちょっと日焼けしている所ぐらいだろうか。

 けれど、ちょっとでもいい印象を持って欲しくて、前髪を弄ってみたりもした――ま、大して変わらないんだけども。

 

 

《ピンポーーーン!》

 

 

 ――と、そうこうしている内に随分と時間が経っていたのか、玄関のチャイムが鳴らされる。普段ならそんな事しないで、遠慮無しにドアを開けて家に上がり込むのに。

 やっぱり、彼女も緊張していたりするのだろうか? だとしたら、ちょっとは気が楽なんだけど……。

 洗面所から出て、玄関のドアの前で一旦止まり、はー、ふー、と深呼吸。

 そして、ゆっくりとドアを開く。

 

 

「……お、おはよう」

 

 

 うん。おはよう、杏子。

 

 

「……えと、ふ、不束者ですが、これから、よろしく……」

 

 

 ドアの向こうには、何時もの服装――デニム地のホットパンツに黒いインナー、緑色のパーカーを着て、手に小さなバッグを提げるポニーテールの少女が立っていた。

 

 佐倉杏子。

 

 自分にとって彼女は、つい最近まで妹のような存在だった。

 しかし、数日前に想いを告げられ、自分達の関係は、兄妹から恋人同士へとランクアップした。

 そんな彼女がなぜ朝っぱらから家を訪ねて来たのかと言えば、今日から彼女もこの家に住むからである。

 

 始めて杏子と結ばれたあの日。彼女はそのまま、この家に泊まっていった。

 一緒のベッドに少しだけ離れて横になり、取り留めの無い話をして。その中で、彼女が既に両親を失い、ホテル暮らしをして居る事を知った自分は、彼女にこの家に住む事を提案したのだ。

 最初は杏子も、この申し出を受けるのを渋ったのだが、翌日、両親に電話して二つ返事でOKを貰うと、苦笑いをしながらも受けてくれたのだった。

 しかし、妙に畏まった杏子の挨拶に可笑しくなり、ちょっとそれは気が早いんじゃない? なんて笑いかける。

 

 

「う、うっさいな……。いつかはそうなるんだから、別にいいじゃん……。それとも、責任取らないつもりかよ?」

 

 

 すると、彼女は不貞腐れた顔をして、可愛らしく睨みつけて来る。

 その言葉に、改めて自分達の関係が変化した事を認識してしまい、照れながらも、いや、とるつもりだけど、さ……と返す。

 

 

「……なら、間違って無いじゃんか……」

 

 

 杏子も照れているのか、強気な口調と裏腹に、その言葉尻はしぼんでいる。

 会話が途切れ、恥ずかしさにそわそわしながら、二人で玄関に立ち竦む。

 

 

「ワンッ!!」

 

「どわぁ!?」

 

 

 ――と、突然、杏子の背中に毛むくじゃらの物体が圧し掛かった。

 ……なんで君がここに居るんだメロゥ。今日はまだ庭に繋いだままのはずなのに。

 よくよく見てみれば、首輪が無い。確かに、暴れるような事もしないから緩めにはしておいたけど、まさか外したのか? どうやって?

 

 

「ちょ、ちょっと、メロゥ! お、重っ、こらっ、やっ、くすぐったいってば!」

 

「ハッ、ハッ、ハッ」

 

 

 メロゥは尻尾をブンブン振りながら、杏子の顔を舐めまくっている。

 そうか、そんなに杏子の事が好きか。自分はもう過去の存在なんだね、メロゥ……。

 思わず涙が出そうになったが、しかし、この愛しさと切なさの鬩ぎ合いにも、もう慣れた。自分は涙を振り切って気丈に振る舞い、メロゥとじゃれ続けている杏子に声を掛ける。

 

 とりあえず、家に入ろう? 今日はやる事がいっぱいあるんだし。

 

 

「あ、うん。おじゃましま~す……」

 

 

 本日の予定は、杏子用の日用品や家具の購入だ。殆ど使っていない両親のベッドとかを使い回そうかとも思ったのだが、ここは心機一転、杏子のために新しく購入する事に決めたのだ。

 食器とかも、今までは来客用の予備を使用していたが、ついでに用意しようと思っている。勿論、予算は両親から支給済み。

 事前に部屋は掃除してあるけど、家具を運んで貰ったり、新しく買った布団を一回洗ったりすれば、一日仕事になるだろう。

 でも、二人でやれば、きっとそれも楽しくなる。そう思うと、自分の心は少なからず弾んでしまうのだった。

 けれど、杏子が家に上がる時に発した言葉が間違っている事に気づき、違うだろ? とそれを指摘する。

 

 

「へ? 何がさ?」

 

 

 今日からこの家は、杏子の家にもなるんだ。

 自分の家に帰って来た時はなんて言うんだっけ?

 

 

「……あ。え、と……ただい、ま?」

 

 

 ん。お帰り、杏子。

 

 

「……にへへ」

 

 

 挨拶を交わすと、杏子は、ふにゃ、と擬音を付けたくなる様な、柔らかい笑みを浮かべた。

 今、この瞬間から。

 自分と杏子の、新しい生活が始まるのだ。

 

 

「ワンッ!!」

 

 

 ――訂正。

 自分と、杏子と、メロゥ。

 三人での、新しい生活が始まるのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 トントントン、とスリッパの音を立てながら階段を上り、自分の部屋を通り過ぎて、隣の部屋のドアをノック。

 同時に、部屋の中に居る人物に向かって、朝だぞ~、と声を掛ける。

 

 

「―――――――――」

 

 

 ――返事が無い。

 この分だと、彼女はまだ夢の中に居るのだろう。昨日も、「慣れないベッドだとまだ良く眠れない」とかなんとか言っていたし。

 しかし、昨日と違い今日は月曜日。自分は学校があるし、早めに起きてご飯を食べて貰わないと困る。

 なので、ここは家主権限を行使させて貰う事にしよう。

 確認してみた所、鍵は掛かっていなかったので、そのままそ~っとドアを開け、部屋の中を覗きこむ。

 

 元々空き部屋だった部屋に、必要最低限の家具を運び込んだだけの、殺風景な部屋。

 それでも妙な生活感が感じられるのは、一昨日、一緒に買ってきたばかりの真新しいカーテンが、網戸を通る風に揺れていて、同じく真新しいベッドの上で、シーツに包まって眠る杏子が居るからだろう。

 

 

「……くぅ……すぅ……」

 

 

 ゆっくりと近づき、ベッドの側で屈み込む。

 その寝顔は、起こすのが躊躇われるほど微笑ましかったが、甘やかしてはいけないと思い直し、その肩を優しく揺する。

 

 杏子? もう朝だぞ?

 

 

「……ん゛~……まだ、ねむぃ……」

 

 

 朝飯、もう作るよ?

 

 

「……朝ごは……なに……」

 

 

 ぐずる杏子に朝御飯の存在を告げると、彼女は目を閉じたまま問い返してくる。

 その姿に苦笑いしながらも、今朝の献立を上げていく。

 

 今日は洋風。トーストとベーコンエッグに、昨日いっしょに作ったポテトサラダの残り。食べる?

 

 

「……食べる……」

 

 

 むくり、杏子はそう言いながら起き上がった。

 まだ寝ぼけ眼な彼女の頭を一撫でし、顔洗っといで、と言い残して、一足先に一階へ戻る。

 

 居間に戻った自分は、トースターに食パンを四枚セットして台所へ。

 冷蔵庫から出した細長いベーコンのパックを開けて、取り出した二枚を手早く半分にし、油を引かずにテフロン加工のフライパンの中に投入。

 火を弱めに調節し、冷蔵庫にベーコンを仕舞うついでにポテトサラダの入ったボウルを取り出す。

 小鉢に移し終えた頃には、ベーコンの片面にいい具合に焼き目が付いているので、それをひっくり返してもうしばらく。

 

 その間に皿を用意して――そうだ、バターとケチャップも出しておかないと。

 ついでに、ベーコンエッグ用の皿をフライパンの近くに持って行き、カリッとなったベーコンを皿に移して、一旦火を止める。

 冷蔵庫からバターと杏子が使うケチャップ(自分は塩コショウ派)、卵を二つ取って、フライパンに少しだけ油を足し、再び火を付け卵を投入。この時も火は弱めにしておく。

 白身の縁がふつふつと固まってきたら、水を入れて蓋をする。

 

 バターとケチャップを手にテーブルに戻ると、丁度良くパンが焼き上がった。

 熱さに手こずりながらも、急いでそれをトースト用の皿に二枚ずつ移し、フライパンの前に戻って目玉焼きに集中。

 頃合を見て火を止めて、待つ事少し。蓋を取れば、白身が固まって、黄身もトロトロな目玉焼きの完成。

 

 うむ、今日も程よく半熟だ。

 

 

「えっと、お、おはよう」

 

 

 ヘラで切り分けて皿に移そうとしていたら、パジャマから部屋着に着替えた杏子が顔を出した。

 作業を止めずに、おはよう、と返し、椅子に座る彼女の前に、ベーコンエッグの乗った皿とフォークを置く。

 そのまま自分の分も置いて、新品の色違いのカップに、杏子の好きな濃い目の牛乳を注いで再びテーブルに戻る。

 

 

「あ……さんきゅ……」

 

 

 杏子はそれを、やや照れた様子で受け取る。ん……? 何で照れているんだろう……?

 不思議に思い、どうかしたのか? と聞いてみれば、彼女はカップに口をつけながら呟く。

 

 

「いや、やっぱ、寝顔を見られるのって、ちょっと恥ずいなって……」

 

 

 ……なにを今更、昨日も見られたじゃないか。

 ついでに言えば、直ぐそこのソファでも見られた事があったと思うけど?

 

 

「あ、あん時のはフリだったから別に……くあぁ、思い出しちゃった……」

 

 

 想いを告げた時の事を、その後の情事付きで思い出してしまったのか、杏子はカップを額に当てて、顔の上半分を隠す。

 釣られて自分も思い返してしまい、少々恥ずかしくなる。

 あれはあれでいい思い出のような気もするが、やはり、男としては少々情けない気もした。

 

 ……いや、始まりがちょっとあれでも、ここから挽回すればいい。

 そうだとも、もう恋人同士なんだから、いっそ今飲んでる牛乳の代わり別なミルクを飲ませるくらいの勢いで――――――朝から何を考えてるんだ自分は。

 童貞を卒業して間もないとは言え、いくらなんでも酷すぎる。もうちょっと自重しなければ。

 と、そんな事もあり、頭を切り替えようと、バターを塗ったトーストを齧りながら別の話題を切り出す。

 

 そう言えば、バイト探すって言ってたけど、どうなった? て言っても、昨日の今日じゃまだ……。

 

 

「ん? ……あぁ、見つかったよ。ファミレスの店員。店長さんが話の分かる人でさ、ちょっと事情話したら即採用してくれたよ。

 水曜辺りから来てくれって言われてる。ホント、お人好しが多すぎて不安になってくるよ、この街……あむっ」

 

 

 言いながら、杏子はトロッとした黄身をベーコンで掬い口に運ぶ。満足気な顔を見ながら、相変わらずの行動力に感心してしまった。

 聞いた話では、杏子は現在十六歳(その割に発育が――とか思っていたら射殺すような目付きをされたので怖かった)。

 学校へは行っておらず、亡くなった両親が残してくれた遺産を頼りに暮らしてきたらしい。

 自由気ままな生活に少々羨ましさも感じたが、彼女は一念発起、学校は無理でも、せめて働きたいと言って来たのだ。

 正直、雇ってくれる所なんてあるのか? と思ったのだが、少しでも自立して行きたいという彼女の熱意は本物で、自分もそれを応援したのだけれど……。

 

 大丈夫なのか? いきなり接客業なんて。結構大変だって聞くけど?

 

 

「だいじょぶだって。客に振りまく愛想くらい、アタシにもあるんだからさ? 自慢じゃないけど、猫かぶりには自信があるし」

 

 

 胸を張って杏子は言う。威張る所か? なんて返しながら、しかし、自分の不安は別の所にあったりする。

 誰かに聞かれれば間違いなく惚気と取られるだろうが、彼女は可愛いのだ。

 

 大事な事だからもう一度言おう。 可 愛 い の だ 。

 

 そんな彼女がファミレスのコケティッシュな制服に身を包んで「いらっしゃいませー!」なんて笑顔で言ってくれたら、男は皆、彼女自身をお持ち帰りしたくなるに違いない。

 客商売という立場上、変な客にもちゃんと対応しなければいけないだろうし、正直、かなり不安だ。

 だが、可愛い子には旅をさせろ、と昔の人も言っている。ここは涙を呑んで、その背中を押してあげるとしよう――後でこっそり様子を見に行こうかな。

 

 その後も他愛ない話を続け、それと共にテーブルの上の朝食も減っていく。

 けれど、ふと時計を見てみれば、もう直ぐ家を出ないといけない時間になってしまっていた。やっぱり、楽しい時間は過ぎるのが早い。

 慌てて残りを片付け、牛乳で喉を潤すと、杏子もちょうど食べ終わる所で、揃って「ご馳走様」と手を合わせる。

 

 

「もう時間だろ? 食器とかはアタシが片しとくから、準備しなよ」

 

 

 うん、ありがとう。

 

 テキパキと席を立って動き出す彼女に礼を言いながら、鞄を取りに二階へ。

 別の意味ではまだ心配だが、この分なら、店員さんとしての仕事は特に不安はなさそうだ。むしろ、働き者として可愛がって貰えるに違いない。

 バイトか……自分も、ちょっと経験してみた方がいいのだろうか。ま、追々考えよう。

 そんな事を考えながら、鞄を手に階段を降り、居間への扉を通り過ぎながら声を掛ける。

 

 じゃ、いって来る!

 

 

「おーう」

 

 

 返事と共に、パタパタとスリッパの音が近づいてくる。

 靴を履き終えて振り返ると、杏子がわざわざ見送りに来てくれていた。

 先程は着けていなかったエプロンを着け、こうして見送ってくれる様は、まるで新婚夫婦のようでもあり、勝手に顔が綻んでしまう。

 けれど、嬉しさを隠す事も無い。自分はそのまま、彼女に微笑み掛ける。

 

 それじゃ、掃除とか洗濯とか、頼むな?

 

 

「ん! 任せときなって! 住まわせて貰うんだから、そのくらいはね」

 

 

 またも胸を張る杏子。

 その頼もしい姿に一際大きく微笑みながら、自分は玄関のドアを開ける。

 

 じゃ、行ってきま――

 

 

「あ、ま、待ったっ」

 

 

 ――と、その途中で声を掛けられ、挨拶も止まる。

 何かと思い、どうした? と振り向きながら尋ねると、杏子はなにやら、人差し指同士をもじもじ絡ませていた。

 

 

「え、え~と、さ。あの……」

 

 

 ……? あ、お昼は冷蔵庫に作り置きしてあるのがあるから、レンジで温めて食べていいよ? 外に食べに行ってもいいし。散歩は、帰って来てから一緒に行こう。

 後、来ないとは思うけど、何か集金の人が来たら、居間の引き出しの右から二番目に封筒毎に分けてあるのが――。

 

 

「そうじゃなくてっ! ……はぁ、もういいや。ちょっと耳貸して」

 

 

 不思議に思ったが、とりあえず言われるがままに耳を寄せると、杏子の両手が頬を挟み、ぐぃっ、と真正面に向き直させる。

 

 

「んっ」

 

 

 唇に、柔らかい感触が一瞬だけ触れた。

 眼前に寄った杏子の顔に呆然としていると、彼女はそのまま、くるっと後ろを向き、眼だけ振り返って小さく呟く。

 

 

「ぃ、いってらっしゃい」

 

 

 ……杏子、今の……。

 

 

「いいから行けってばっ! 遅刻すんぞっ!」

 

 

 顔を真っ赤にする杏子の脚に蹴りだされ、自分は玄関を後にする。

 パタン、と閉まるドアの向こうで、なにやら床を転がっている様なドタバタしている音が聞こえてきたが、とりあえず、彼女に言われた通り学校に向かう。

 中学時代から乗り続け、ちょっと軋む音のする自転車を漕ぎ出してしばらくすると、ようやく、まるで新妻が愛する夫にするが如く、「いってらっしゃい」のキスされたのだと気づく。

 どうやら、ギャップ萌え作戦は未だ継続中のようだ。

 

 ペダルを漕ぐ脚が、勝手に早くなった。

 強く感じるようになった風に、しかし、顔の熱は全く冷めてくれなかった。

 

 今日は、暑くなりそうだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 杏子が引っ越してきてから二週間ほど経った、週末の夕方。自分達は、居間でテレビを見ながらくつろいでいた。

 画面に映っているのは料理番組。やたら直感的な表現を多用するコックと、やたらくたびれたアシスタント。そして、なぜか毎回観覧席に居る熱狂的な女子中学生が名物である。

 適当な解説に女の子が歓声を上げる横で、疲れた顔のアシスタントさんが的確に情報を捕捉する様は最早コントに近いが、面白いので自分は好きだ。

 

 ふむ。今度作ってみるかな、苺のリゾット。

 

 などと考えていたら、ちょうど番組は終了。CMが始まった。

 背伸びついでに時間を確認してみると、この後の用事に丁度良い時間になっていたので、ソファに仰向けになり、ロッキーを齧っている杏子に声を掛ける。

 

 杏子、ちょっと買い物行きたいんだけど、付き合ってくれないか?

 

 

「んー? いいけど、何買いに行くのさ?」

 

 

 逆さまの顔でこちらを見上げて(見下ろして?)ロッキーをひょこひょこさせながらの質問に、自分は財布を確認しながら説明する。

 

 今日の夕飯。いつものスーパーで肉のタイムセールがあるんだよ。

 でも、お一人様一パックまででさ。今日はそれでカツレツのつもりなんだけど。

 

 

「カツレツ……うん、分かった! 準備してくる!」

 

 

 献立を伝えてみれば、杏子は眼を輝かせ、ガバッと体を起こし二階へと上がっていく。上着でも取りに行ったのだろう。

 現金だなぁ、と苦笑いしながら、先に玄関に向かい靴を履く。自分はこのまま外出できるような格好なので、特に問題は無い。

 

 

「……お、お待たせ」

 

 

 しばらくすると、背後から階段を下りてくる音がして、声が掛けられた。なんだか、上着を羽織るだけにしては妙に時間が掛かっていた気がする。

 不思議に思いつつも、待つために座り込んでいた腰を上げて、遅かったな、と振り向きながら言うのだが――

 

 

「……な、なんだよ」

 

 

 ――そのまま自分の口は、ポカン、と開かれた。

 真っ白なワンピース。

 余計な装飾も何もない、ただ純白のそれを、杏子は身に纏っていた。髪型も、いつものポニーテールからサイドテールに変わっている。真っ黒だったリボンも、薄いオレンジ色に。

 ついぞ見た事の無い彼女の女の子らしい格好に、自分は開いた口を閉じる事が出来なかった。

 

 

「……ぅ、や、やっぱ、似合わない、かな……?」

 

 

 だが、それを否定的に捉えてしまったのか、杏子はワンピースの裾を指でいじり、肩を小さくしてしまう。

 恥じ入るような表情に、はっ、として、慌ててそれを否定する。

 

 ご、ごめんっ、そうじゃなくて! 吃驚したけど、その、凄く似合ってる、というか、なんというか……か……可愛い、と、思う……。

 でも、何で突然……? そんな服、家にあったっけ……?

 

 

「い、いやさ。こないだ、知り合いと色々話してたら、ちょっと服装の話になって。

 んで、あんまりこういう……女の子っぽいの持ってないって言ったら、お古を押し付けられちゃってさ。

 ……正直、あんま似合わないって思うし、胸の所がダボダボなんだけど、折角だし……」

 

 

 似合わないなんて、今の杏子がそんな事言ったら、他の誰にも似合わなくなっちゃうって。

 ……その知り合いって、もしかして、マミ、って言う人?

 

 

「え? そうだけど……巴マミっていう名前の。でもアタシ、マミの事話したっけ?」

 

 

 あ、うん。前に一回、名前だけ言ってたよ。

 そっか……後で、色々お礼を言わなきゃね。

 とにかく、今の杏子はすっごく可愛い! 保証するっ!

 

 

「そ、そっか……なら、いいけど、さ……ほら、早くいこーぜ?」

 

 

 マミ、という女性に用意された嬉しいサプライズに、またも見事に嵌ってしまった自分だが、それを置いても杏子のワンピース姿は可憐で、勢い込んで褒めそやす。

 すると安心したのか、杏子は小さく笑みを浮かべ、こちらの手を引いて玄関を出る。

 手早く鍵を閉めた自分達は、繋いだ手を離す事無く、そのまま目的地に向かって歩き出す。

 なんだか、当初予想していたものより、随分と展開が変わってしまった。

 こんなに可愛らしい女の子が隣に居たのでは、買い物というよりは軽いデート気分になってしまう――ま、行き着く先がスーパーで、目的は特売の肉という所に所帯臭さが残るけれども、それはそれ。

 今は、隣を歩くとびきりの美少女を、ご近所さんに見せびらかすとしよう。

 

 

 そして、家を出てから約二十分ほど。繋いだ手に汗をかいた頃に、ようやくスーパーに到着した。

 自動ドアを潜れば、クーラーで冷やされた空気が全身を襲い、汗を浚って行く。まるで地獄で仏に会ったような気分になり、あ゛~、と思わず気の抜けた声を出す。

 

 

「っはー、涼しー」

 

 

 杏子も同じ気分なのか、軽く目を閉じてワンピースの胸元をパタパタとしていた。

 が、そのせいで際どい肌色成分が見え隠れしているのを、自分は慌てて注意する。

 

 あの、杏子? 気持ちは分かるんだけど、その、もうちょっと動きを控えめにした方がいいと思うんだけど……?

 

 

「ん? なんだよ急に?」

 

 

 いや……ほ、他の奴に見られると、嬉しくない物が覗けるからさ。自分はすんごく嬉しいんだけど。

 

 

「……! こ、このヘンタイ! 言いながら鼻の下伸ばすなバカ! ほら、行くぞ!」

 

 

 彼女は急いで胸元を押さえ、ふくらはぎに軽く蹴りを入れた後、籠を取って歩き出す。

 大して痛くも無い足を押さえ、その後姿を、待てってば杏子! なんて言いながら追いかけると――

 

 

「え……? あれ? もしかして杏子? どうしたのよ、そんなにお洒落しちゃって?」

 

「ん……? ……げっ、さやか!? なんでこんなとこに!?」

 

「げっ、てなによ? ちょっと酷くない? ……あ、それってこの間、マミさんがプレゼントしてた奴? な~るほど~、可愛いじゃない!」

 

「う、あ、あんま見んなよ……」

 

 

 ――唐突に横合いから声を掛けられ、そちらに振り向いた杏子が仰け反る。

 見ればそこには、結構有名な中学校の制服を着たショートカットの少女が、杏子を指差して驚きの表情を見せていた。

 その後の反応を見るに、互いに知り合いみたいだが……。

 気になって、友達か? と聞いてみると、杏子は少し気まずそうに答える。

 

 

「えと、まぁ、そんなとこ。でも、本当に何でこんなとこに居るんだよ? こっち、さやかん家の反対じゃん?」

 

「いや~、見ま――学校の用事で遅くなっちゃって。

 ついでだから、切れちゃってたマーガリンを買おうとしてたんだけど、なんでか売り切れでさ~。

 近所のスーパーもコンビニも全滅で。こうなったら意地でも、ってこっちまで買いに来ちゃった」

 

 

 手に提げた袋からマーガリンの箱を取り出し、少女は快活に笑う。

 なんだか一瞬、杏子と目配せしたように感じたけど、気のせいか……? しかし、杏子の友達にこんな子が居たなんて、ちょっと意外だ。

 いや、自分が知ってる事が彼女の全てな訳ではないのだし、先の巴マミさんも含め、良い事なのだろうけど。

 などと考えながら、ぼうっと二人の会話を聞いていると、不意にショートカットの少女がこちらに向き直る。

 

 

「杏子の彼氏さんですよね? 色々と話は聞いてますよ~? 同棲の事とか。あたしの名前は、美樹さやかって言います。

 市立見滝原中学校二年! ぴちぴちぴっちな十四歳! そして 【 彼 氏 持 ち !! 】 よっろしくぅ!」

 

 

 ぴちぴちぴっちて鮮魚かい。えっと、とりあえず、よろしく……?

 

 なんだろう、この独特なハイテンション。最後の情報はサムズアップ&ウィンクしてまで強調する必要あったのだろうか。

 とりあえず突っ込んでしまったが、自己紹介してもらったのだし、自分もそれで返そう。

 そう思って、自分は、と口を開こうとしたのだが、美樹さんは視界からスススッと移動し、こちらの周囲を旋回する。彼女の視線は、()めつ(すが)めつ、といった風にとても厳しい。

 ……本当に何なんだこの子。

 

 

「ふ~む、なるほどなるほど。健康的に日焼けした爽やかスポーツマン系って感じ? おまけに家事万能で料理が得意、と」

 

「……なんだよ。言いたい事があるなら言えよっ」

 

「いやいや~。やりますな、あんこ先生? こんな優良物件見つけちゃってぇ。まぁ? あたしの 【 彼 氏 ! 】 だって負けてないけどさ?」

 

「あんこって呼ぶなって何回言えばわかんだよ!? 後、何かに付けていちいち惚気んな!!」

 

 

 ……仲が良いなぁ、君ら。

 

 というのが、このやり取りを見て思った正直な感想だった。

 こんな風に誰かとじゃれ合っている杏子を見るのは初めてで、ちょっと新鮮だ。なんか微笑ましい。もしかして、自分が杏子とじゃれている時も、こんな感じなのだろうか。

 二つも年下の筈なのにこうして名前で呼び合っているのだから、結構深い仲なのだろうけど……一体、どんな知り合いなんだろう。少し、気になる。

 

 

「さ~てと、邪魔しちゃ悪いし、あたしそろそろ行くわ」

 

「行け行け、さっさと行け。あ、誰にも言うなよ? 言ったら酷いかんな?」

 

「はいはい。全く、相変わらず照れ屋なんだから……っと、最後に一個だけ」

 

 

 杏子に素気無くあしらわれ、肩をすくめて自動ドアに向かおうとする美樹さんだったが、何かを思い出したのか、ふとこちらに振り返る。

 

 

「杏子の事、よろしくお願いしますね? ……何時か、その時が来たら。杏子の全部、受け止めてあげて下さいね」

 

「お、おぃ」

 

「それじゃあ、失礼します! 今度、遊びに行かせてくださいね~!」

 

 

 今までの笑顔から一変、美樹さんは真剣な眼差しをこちらに向けた。

 けれどそれも一瞬、再び笑顔に戻った彼女は、そのまま自動ドアを潜って夕暮れの街に消えていく。

 

 ……面白いけど、なんか、変わった子だね。

 

 

「まぁ、ね……でも、いい奴なんだよ。さやかのおかげで、アタシは、ここに居られるようなもんだしさ……」

 

 

 そう、なんだ……。

 

 

「ま、人生色々さ。それより、早く行こーよ? でないと、タイムセールが始まっちゃうし」

 

 

 そう言い残し、杏子はまた先を歩く。

 見慣れた筈の横顔に、彼女のまだ見ぬ一面が垣間見えた気がした。背中を追いかけ、並んでその横顔を見つめても、それはもう見当たらない。

 

 何かを、言おうとして。

 何も思いつけないまま、自分はまた、彼女の手を取る。

 柔らかく返って来る指の力に、何故か、ほんの少しの寂しさを感じた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 息を潜め、ひたすら耳を澄ます。

 予想通り、自室と廊下を隔てるドアの向こう側から、小さな開閉音が聞こえてきた。意識して拾おうとしない限り、決して気づかないだろう程の足音も。

 それは徐々に離れて行き、数秒後には全く感じ取れなくなってしまう。

 完全に気配を感じなくなったのを見計らって、自分はベッドを抜け出し、上着を羽織って居間へと降りる。

 

 杏子と暮らし始めて一ヶ月と少し。

 騒がしかった当初と比べて、この生活にも慣れ始めた自分は、妙な事に気付いた。

 切っ掛けは、本当に偶然だった。

 夜中にトイレに起きてみると、自室を出ようとする、何時ものパーカーを羽織った杏子と鉢合わせしたのだ。

 彼女は少し慌てたような素振りを見せたが、「トイレに起きただけだから」と言ってそのまま部屋に戻っていった。

 その時は寝ぼけていたので大して気にはしなかったのだが、よくよく考えるとおかしい。

 トイレに起きたのが本当だとしても、ベッドから抜け出すのに何かを羽織る必要がある季節では無いのに。オマケに髪まできちんとセットされていたとなれば、こんな深夜に、杏子はどこかへ出かけようとしていた事になる。

 

 一体何処へ、何をしに……?

 

 それを確かめたくて、ここ二~三日、欠伸を噛み殺しながら、こうして耳を澄ましていた。

 出来れば自分の勘違いであって欲しかったのだが、嫌な予感は的中してしまった。

 そして、それを知った今ですら、自分は悩んでいる。

 直接、何処へ行っているのか問い質すか。今まで通り、彼女から話してくれるのを待つか。それとも、彼女の後を尾け、何をしているのか探りを入れるか。

 

 直接聞いたとして、彼女は答えてくれるだろうか。もしも答えてくれなかったり、誤魔化されたりしたら……。

 おそらくは、後者の方が確率が高い。美樹さんとどうやって知り合ったのかを聞いた時も、「ただの偶然」としか答えてはくれなかったし。

 それなら、彼女の方から話してくれるのを待つしかないのか? でも、それでいいのか? 男として、恋人として。

 しかし、だからって尾行なんてしてしまったら、彼女を信じていない事の何よりの証左になってしまう。

 ……でも。

 

 

『杏子の事、よろしくお願いしますね? ……何時か、その時が来たら。杏子の全部、受け止めてあげて下さいね』

 

 

 美樹さやかという少女の言葉。

 杏子の友人だという彼女の言葉が、どうしても気に掛かるのだ。

 まるで、自分のまだ知らない、とても重要な事が隠されている様な気がして。

 それは、こちらから踏み込もうとしなければ決して辿り着けない、杏子の心の奥底にある様な気がして。

 

 杏子と結ばれた日、彼女の口から出た、報いという言葉。

 その重みを、自分は慮る事しか出来ない。ひょっとしたら、恋人にでも触れて欲しくはない事なのかもしれない。

 そして、こんな弱気な事を考えている自分は、あの頃と同じ様に、この関係が崩れるのを――変化してしまうのを、怖がっているだけなのかも知れない。

 

 ……なぁ、メロゥ。どう思う?

 

 

「――~ゥウ……ワゥン?」

 

 

 庭に面した窓をスライドさせ、返事が貰える訳でもないのに、寝ていたメロゥに話しかける。

 大きくあくびをした後、こちらを真っ直ぐに見つめ返すつぶらな瞳には、情けない顔をした自分の姿が見えた気がした。

 結局、一人ではなんにもする勇気が無いのだ。

 だから、こうしてまた、メロゥに頼っている。自分と杏子を結び付けてくれた、この子に。

 自分と同じくらい――いや、ひょっとしたら、自分よりも杏子の事を好きなメロゥであれば、随分と時間が経ってしまった今でも、彼女を追いかけて、見つけ出してくれるような気がして。

 

 何時だって自分は、この子に励まされてきた。

 一人が寂しくて、泣きながらご飯を食べていた時も。家族の事で色々言われて、小学校で仲間外れにされそうだった時も。

 ずっと隣には、メロゥが居てくれたのだ。

 

 

「………………」

 

 

 ふと、メロゥは立ち上がり、こちらに顔を寄せて頬を一舐めした。無意識にその体を抱き締めると、このぬくもりを始めて感じた時の事が思い出される。

 そう言えば、自分とメロゥも、最初は全然仲良くなかったのだった。

 幼かった自分は、それでも仲良くなりたくて、メロゥの事を知ろうとして、色々な失敗をした。

 うっかり尻尾を踏んづけてしまって吠えられたり。毒だと知らずに玉ねぎの入った食べ物を与えてしまったり。散歩が面倒臭くて、放ったらかしにしてしまったり。本当に、酷い飼い主だったと思う。

 勿論、今ではそんな事は絶対にしないし、心もちゃんと通じ合っていると思う――ま、メロゥにとっては二番目になっちゃったかも知れないが。

 

 そうだ。そうだった。自分とメロゥとの絆は、沢山の失敗の上に築かれた物だった。

 どんなに失敗しても、どんなに嫌われそうになっても、一人で孤独を抱えているのが嫌で、諦められなくて。

 そうしている内に、自分とメロゥは、本当の家族の様にになれたんだった。

 ああ、本当に。この子には助けて貰ってばかりだ。

 

 もう一度、メロゥの瞳を見つめてみる。

 その中にあった弱弱しい影は、もう消え去っていた。

 

 こんな風に、彼女を疑うような事をしている自分は、器の狭い男なのかもしれない。

 けれど、知りたい。

 今まであえて尋ねようとはしてこなかったが、自分はもっと、杏子の事を知りたいと思っている。

 失敗を恐れて縮こまってるなんて、多分、自分らしくない。例え、それで嫌われても、謝ろう。許してもらえるまで、何度でも謝ろう。

 もっと深く、沢山の杏子を知って。

 もっともっと、好きになりたいから。

 

 ……頼りにしてるぞ、メロゥ。

 

 

「ワフ」

 

 

 そうして。

 自分とメロゥは、夜の街に駆け出した。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 想像していたよりも、メロゥは迷い無く脚を進めてくれた。家を離れ、人気の無くなった道を迷い無く進むその姿は、とても頼もしかった。

 が、先に進むにつれ、視界に入る景色に見覚えがある事に気づき、首を捻る。

 最初は勘違いかとも思ったが、首を巡らせていると、不意に気づく。今、自分達が走っているのは、いつもの散歩コースを逆に辿るような景色なのだ。

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ……」

 

 

 そして、メロゥが立ち止まったのは、あの教会へと続く坂道。

 いつもとは順路が逆だったせいか、メロゥが止まってくれなければ見落としてしまう所だった。薄暗い影の中に在るそれは、今にも何かが這い出してきそうな気配すら感じる。

 

 この先に、杏子が居るのか……?

 

 呟いた言葉に、メロゥは脚を踏み出す事で返事をする。

 それに着いて行きながら、自分は考える。自分にとっては、今と同じ様に、メロゥに誘われて辿り着いたに過ぎない場所だが、もしかしたら、杏子にとっては違うのかも知れない。

 あの日、彼女はおそらく自分よりも先にあの教会に来ていた。そうでなければ、メロゥが突然走り出した理由も無くなってしまう。あの寂れた教会には、彼女にとって何か特別な因縁があるのかも……。

 そう思い、強く足を踏み締めようとした、その時だった。

 

 

「グルル……」

 

 

 突然、メロゥが立ち止まって唸り出す。あまりに唐突な変化に驚きつつも、少し屈んで近くで様子を伺う。

 これは、怯え? ――いや、警戒してるのか?

 しかし、メロゥの見据える先には、ただ暗がりが広がっているだけだ。

 ……ま、確かに陰鬱な気分になるし、子供の頃からお化け屋敷とか苦手だった自分にはそれだけで十分に心に来るものがあるけれど、メロゥがそれを警戒するとは思えない。一体、どうしたのだろうか……?

 

 思わず考え込んでしまいそうになったが、しかし、メロゥは警戒したまま、急ぎ足で再び進み始める。

 自分も慌ててそれを追いかけるが、それはあっという間に早歩きから疾走へと変わり、待てっ、という言葉も聴かず、坂を駆け上っていく。引っ張り上げられるように、自分も走る。

 瞬く間に坂が終わり、幾度か見た廃墟寸前の教会が視界に入るが、何時だったか感じた寂寥感は湧いてこず、影を纏うその姿は凄まじくおどろおどろしい。

 如何にもな洋風の建物がいらぬ雰囲気を醸し出し、本来扉が付いている部分に広がる暗闇は、底の無い穴を覗いているような感覚を覚えさせる。

 思わずそのまま回れ右をしたくなったが、メロゥに引っ張られるがまま、自分は情けなく、ひぃぃ、と声を上げながら教会に突入した――

 

 

《ガッ》

 

 あっ、へぶっ!?

 

 

 ――のだが。

 数歩と進まないうちに、倒れたままの元扉に躓き、その上に倒れこむ。

 顔面がすこぶる痛い上に、舞った埃がもの凄く煙たい。おまけにちょっと口に入った。

 ……なんだろう。この教会に来ると高確率で痛い思いをしている気がする。自分は呪われてるんだろうか。そう言えばこの教会、出るんだったか? ………………思い出すんじゃなかった。

 う゛あ゛あ゛、とゾンビの様に唸りながら顔を上げると、転んだ拍子に手が離れたせいか、薄暗い教会の中を階段の手前辺りまで進んでいるメロゥの尻尾が見えた。

 

 

「グルルルル……ウォン! ウォン!!」

 

 

 まるで、目に見えない“何か”がそこに居るかの様に吠え立て、今にも飛び掛らんと四肢を踏ん張っている。

 立ち上がり、埃を払いながら近づけば、その体毛は逆立ち、酷く興奮しているのが分かった。

 睨み付ける虚空の先には、割れたステンドグラスに描かれた男性的なシルエットと、その脇に在る女性らしきシルエット。それ以外には何も無い。

 しかし、メロゥの剣幕に影響されたのか、この空間自体に異様な気配を感じ取ってしまう。

 

 暗い壁が迫ってくる。

 じわり、じわり、と、横から影が押し寄せてくる。

 

 

「グルル……ゥ? ………………ワン!!」

 

 

 ――が、それを錯覚だと自分に言い聞かせるよりも先に、再びメロゥの様子が一変する。

 ついさっきまで、今まで見た事も無いくらい敵意を露にしていたのに、剥き出しにしていた牙を収め、行儀良くお座りをして、ワン、と一声。

 またしても起きた唐突な変化に、何かの病気かと心配になり、その側に座り込む。

 けれど、間近に見るメロゥの表情は全くもって何時も通りで、余計に混乱が生じる。

 

 一体、なんなんだ……?

 

 訳が分からず、頭を抱えそうになった、そんな時。突如として、祭壇の上に気配が生じた。

 

 

「――はぁ。たま~に見回りに来たら魔女が住み着いてるとか、勘弁してよね? ったく」

 

 

 そこに降り立っていたのは、見慣れぬ赤い服を纏った、見慣れた後姿。

 手には、身の丈を越える巨大な槍が携えられていた。

 

 

「う~ん、今更グリーフシード集めたってなぁ。場所とってかさばるだけだし。

 いっその事、他の魔法少女にでも売りつけて……いや、流石に悪どいか。かと言って無償で配ったら舐められるし……うーん、メンドクサ――」

 

 

 ……杏子?

 

 

「――っ!? ……な……んで……」

 

 

 振り返った彼女の声は、震えていた。

 その顔は、月明かりに陰って見る事が叶わない。

 

 

「どう、し、て……これ、じゃ……」

 

 

 杏、子……その、格好は……。

 

 

「これじゃ、あの時と、同じ……っ」

 

 

 

 

 

 そんな、まさか――まさか杏子に、コスプレ趣味があっただなんてっ!!

 

「だあっ!?」

 

 

 

 

 

 しかし、緊迫した空気の中、自分の口から洩れたのは、そんな能天気な感想だった。

 気が抜けたのか、杏子は崩れそうになった体勢を槍で支えている。

 惜しむらくは、彼女の姿が暗くて良く見えない事だろうか。

 この位置からなら確実に覗けるであろう、短めなスカートの奥にある秘境も隠れてしまっている。惜しい、実に惜しい。

 

 

「な……なん……? ……こ、この格好は、違くて、あの、魔法少女の……」

 

 

 魔法少女……! そういうのもあるのか……! なるほどなー。

 

 杏子の姿をより近くで確認するために階段を上り、そんな事を呟く。メロゥも、それに着いて階段を上って来ている。

 前触れも無く変容するメロゥの態度。

 先程見上げた時には居なかったのに、何処からともなく現れた杏子。

 自分の置かれている状況をもっと深く考えなければいけないような気もしたが、目まぐるしく変化するそれに理解が追いつかなかった自分は、一番分かりやすい欲求を――つまりは、彼女を愛でる事を優先した。

 

 近くで見てみれば、随分と手の込んだ衣装なのが分かる。

 テレビで見かけるような目に痛い色合いと妙に薄い生地ではなく、落ち着いた赤を基調とした衣装。

 支えにしている槍は、作り物とは思えない重厚感を感じさせる――というか、冴え冴えと光る穂先がどう見ても本物にしか見えない。

 

 

「い、いや、だから違……ぁぁあ、もう! 何なんだよぉ!? ……本気でびびったアタシがバカみたいじゃんかぁ……」

 

 

 なにやら酷く疲れた様子で、杏子は溜息を零す。

 しかし、何処か間の抜けた空気はそこで途切れ、彼女は声に険を込める。

 

 

「でも、なんでアンタがここに居んのさ? ……アタシの事、尾けてたのか? ……どうやって」

 

 

 こちらを見ずに、杏子は言う。後ろめたい事をしている自覚はあったので、自分はその問いに、近くに居るメロゥを見下ろしながら素直に答える。

 

 ……少し前に、トイレで鉢合わせしたことがあっただろ? 色々考えてみて、杏子が夜中に外出してるのに気が付いて、気になって。

 それで、メロゥを頼りに追いかけてみたんだ。まさか、本当に見つけられるとは思ってなかったけど。

 

 

「また、メロゥか……。ったく、お前はもう、ホントに……」

 

 

 杏子は苦笑いしながらメロゥの側に膝を突き、両手でメロゥをワシャワシャと撫で回す。その光景に少しほっとしながらも、違和感に気づく。

 彼女の持っていた槍は、何処へ行ったのだろう? あんなに大きい物、手を放すならどこかに立て掛けたりしないといけない筈だろうに。

 

 

「ここに来れた理由は分かったけど、でも、なんでこんな回りくどい事したのさ。気づいてたなら、直接聞けばいい事じゃん」

 

 

 ……そうなんだけど、ただ聞いても、はぐらかされる様な気がしたから。

 今までも色々と話してくれはしたけど、核心の部分だけは、いつも曖昧だった様な気がして。

 ご両親が亡くなった原因とか――前に、美樹さんとどう知り合ったのか聞いた時も、詳しくは教えてくれなかったし。

 だから、悪いとは思ったけど、後を尾けたんだ。

 

 

「……まぁ、確かに、そうだったかもね。でも、だからってこんな事されて、アタシがどう思うかとか考えなかったのかよ」

 

 

 それ、は、その……。

 

 

「……悪い。隠し事なんかしてたアタシが言えた義理じゃ、ないよな……」

 

 

 責める言葉に思わず口篭ったが、杏子は直ぐに首を横に振る。

 そのまま、まるで独白する様に彼女は続けた。

 

 

「分かってたんだ、いつかはバレるって。いつかは、全てを話さなくちゃいけないって――それで、アンタから嫌われる事になっても」

 

 

 嫌うだなんて、そんな事っ!

 

 

「『そんな事無い』なんて、簡単に言うなよな? アタシにとっては、そうゆう事なんだ。それぐらいの、覚悟が要るんだ」

 

 

 否定しようとした言葉は、杏子に先んじて釘を差されてしまった。

 メロゥを撫でていた手を止め、彼女はゆっくりと立ち上がる。

 けれど、こちらを振り向こうとはせず、まるで例え話をする様に呟く。

 

 

「……例えば、さ。アタシが、本物の魔法少女だって言ったら、アンタ、信じる?」

 

 

 試す様な呟きに、自分は、しばらく考えてから答える。

 

 ……優柔不断と思われるかもしれないけど、今は、なんとも言えない。

 まずは、杏子の話す事を全部聞いて、それから考えたい。

 

 

「……それでいいんだよ。さっき言ったばかりなのに、気安く信じるとか言われてたら、アンタの事、嫌いになってたかもね」

 

 

 肩をすくめ、杏子は溜息と共に言う。

 そして彼女は、こちらの目を真っ直ぐに見つめ、今度こそハッキリと問い掛ける。

 

 

「アタシは、アンタに隠してた事がある。

 でも、それを聞いたら、今までのアタシ達じゃ、居られなくなるかも知れない――全部、壊れるかも知れない。

 それでもアンタは、アタシの事、知りたいって思う?」

 

 

 知りたい。自分は、杏子の事をもっと知りたい。

 杏子にとっては辛い、言いたくない事なのかも知れないけど、そういうのも全部ひっくるめて、杏子の事、知りたいんだ。

 

 

「……そっか。なら、アタシも覚悟、決めなくちゃ、ね……」

 

 

 迷い無く答えた言葉に、杏子は微かに目を細くした。

 自分がそう答えると予想していたのか。それとも、逆か。

 彼女は、安心、諦め、どちらとも取れる曖昧な表情を見せる。

 

 

「アンタはさ、奇蹟ってあると思う? ……アタシは、あるって信じてた。あの日までは」

 

 

 唐突に、杏子は再び問い掛けてきた。

 けれど、答えを求めている訳ではなかったのか、彼女はそのまま語り始める。

 

 

「ここはね? アタシの家だったんだ。ここに、親父と、母さんと、妹と。四人で暮らしてた。

 親父の説法は評判が良くて、信者の人達も沢山通ってくれる、自慢の家だったんだ」

 

 

 ここが、杏子の家? そんな、だって、ここは……?

 

 

「大体、アンタの考えてる通りだよ、多分」

 

 

 杏子は静かに頷く。

 じゃあ、あの話は――無理心中した牧師一家とは、杏子の家族の話、だったのか……? そんな事って……。

 血の気が引き、思わず口元を手で覆う。

 そんな様子を見て、杏子は少し瞑目した後、割れたステンドグラスに歩み寄る。

 

 

「親父は、本当に優しい人だった。毎日新聞眺めて、どうして世界は良くならないのかって、本気で泣きそうになる位に。だからかな、親父は考えた。

 今までの信仰の力では救えない人が居る。その人達を救う為には、新しい言葉で、新しい信仰を作る必要があるって。

 ――けど、それは受け入れられなかった。

 本部からも破門されて、ここも、誰も寄り付かない、寂れた場所になった。アタシ等は信者の人達の寄付で食ってたから、食うもんにも困るようになっちまった。

 でも、当たり前だよね? 傍から見れば、胡散臭い新興宗教みたいなもんなんだから」

 

 

 背を向けていながらも、彼女が自嘲しているのが分かる。

 その姿に唇をかみ締めていながら、その言い分に頷いてしまいそうになる自分が居た。

 この国の人間は、世界的に見れば神道、もしくは仏教徒扱いをされているが、その実、神の存在を本気で信じている人なんて皆無だ。

 過去には凄惨な事件が起きた事だってあるし、新興宗教というものに対しての印象は最悪と言っていいだろう。

 

 

「どんなに当たり前の事を話そうとしても、誰も聞いてくれなかった。どんなに言葉を尽くそうとしても、耳を傾けてすら貰えなかった。

 ほんの少しで良い、真正面から言葉を受け止めて貰えれば、正しい事を言ってるって理解して貰えた筈なんだ」

 

 

 確信を込めて、杏子は言う。

 その言葉に、彼女のお父さんの話を聞いてみたかったとも思うが、しかしそれは、自分が杏子の人となりを知っているから。

 もし、彼女と出会っておらず、赤の他人のままだったら。

 自分も、本気で耳を傾けようとはしなかったと思う。悲しいけれど、それが本当の気持ちだ。

 

 ……悲しい? なにが悲しいだこの偽善者が。

 自分を殴ってしまいたい衝動に駆られたが、でも、まだ杏子の言葉は続いている。だから、我慢しなくては。きっと彼女の方が、自分の何倍も苦しい筈なのだから。

 

 

「……辛かった。日に日にやつれていく親父を見るのも。

 心配をかけない様に、必死に笑い続ける母さんを見るのも。

 何が起きているのか分からなくて、腹を空かせて泣くモモを見るのも」

 

 

 モモ。

 初めて聞く名前に首を傾げ、それが杏子の妹の名前だと気付く。

 杏子と、おそらくは、桃。

 とても姉妹らしい名前だと思った。

 

 

「一番悔しかったのは、アタシ自身が、何も出来なかった事。妹に、好きなリンゴを食わせてやる事すら、出来なかった」

 

 

 思い出したのは、最初に彼女と会った時の事。彼女に渡された、あの甘くないリンゴ。

 自分が何気なく齧ったあのリンゴに、杏子は、一体どんな想いを込めていたのか。

 胸が、苦しい。

 

 

「だからアタシは、魔法少女の契約を交わしたんだ。親父の話を、皆が聞いてくれますように――こんな祈りを叶えて貰うのと引き換えに。

 魂を捧げて、体を作り変えて、世界に呪いを撒き散らす魔女を倒す存在になった。力を使い過ぎれば、倒す筈の魔女になっちまうような、矛盾だらけの、魔法少女に」

 

 

 言葉の可愛らしさとは裏腹に、杏子の口から出た魔法少女の実態は、酷くシビアな現実を孕んでいた。

 願いを叶えて貰う代わりに戦う運命を課され、けれども、その力を使い過ぎれば、敵である筈の存在になってしまう。

 まるで、どこぞのダークヒーローさながらだ。

 

 

「と言っても、あの当時はそんな仕組みになってるなんて気付きもしなかったけどね。

 でも、アタシは張り切ってたよ。アタシの祈りが、本当に叶ったから。契約の翌日には、教会は人でごった返してて、信者もどんどん増えていった」

 

 

 祈りが叶った。

 普通なら、その言葉からはハッピーエンドを想像してもおかしくない。

 しかし、この教会の惨状からは、どうしても幸せな結末を思い浮かべる事が出来なかった。

 

 

「けど、魔女が居る限り、その人達の命が影ながら脅かされる。だからアタシは戦った。親父の言葉で、人の心を。アタシの力で、皆の命を救うんだって。でも、ね……」

 

 

 くるり、と杏子は振り返り、こちらに向き合う。

 瞳に湛えられた感情が、自分には読み取れない。

 

 

「ある時、親父にそれがばれた。丁度、こんな風に、この場所で」

 

 

 言われて、思わず自分の居場所を確かめる。彼女との間にあるのは、朽ちかけて軋む床と、ほんの少しの距離。

 その気になれば今すぐにでも埋められる、この小さな距離が、未だ埋め切れていない、杏子との心の距離にも感じられる。

 

 

「アタシの説明を聞いた親父は、青ざめた顔で街中に飛び出して、ある事無い事叫び始めた。でも、誰もそれに異を唱えなかった。

 その時、ようやく気付いたんだ。親父の話を皆が“きく”んじゃなくて、親父の話が皆に“きく”ようになってたんだって。

 親父はブチ切れたよ。アタシの事を、魔女って呼んでさ。おかしな話だよね? アタシは毎晩、命がけで本物の魔女と戦ってたってのに」

 

 

 皮肉る様に、杏子は笑う。

 けれど、それからは痛々しさしか感じられない。

 

 

「親父は酒に溺れて、説法もしなくなって、暴力まで振るうようになった――そして最後には、母さんとモモを道連れにして無理心中さ。

 ……親父と顔を合わせ辛くて、外をほっつき歩いてたアタシだけが、生き残っちまった。何もかも、アタシが切っ掛けだったってのに。

 親父の新しい言葉を後押ししたのも、勝手な祈りで、それを歪めたのも。

 あの日、もう少しだけ早く帰っていれば、助けられたかもしれないのに……親父の事、止められたかもしれないのにっ! アタシはっ! ――あっ」

 

 

 思わず駆け寄り、細い肩を強引に抱き締める。

 そうしないと、自分自身を傷付け続ける彼女を、止められない気がして。

 

 

「……それからアタシは、自棄になって好き勝手して生きて来た。腹が減ってかっぱらいしたり、魔法でATMぶっ壊して金を盗んだり、もっと酷い事……。

 魔法少女として生き続けるのに必要なグリーフシードを得るために、魔女の使い魔を見逃したりした。そいつ等が人を襲うって、分かってたのに」

 

 

 昂りかけた声は静まり、杏子は再び語りだす。

 その声は、淡々としていながら、多分に苦味を含んでいた。

 

 

「こんなナリして、アタシはろくでもない人間――いや、人間ですらない。

 失望したろ? 誰かの幸せを祈っておいて、皆を不幸にしなきゃ生きられなかった、とんでもない罪人なんだ」

 

 

 腕に弱く力を込め、杏子はこちらの体を押しやる。

 ゆっくりと体が離れて行き、それを惜しむ様に腕が絡んで、重なり合った手が繋ぎ止める。

 

 

「言い訳にしか聞こえないかもしれないけど。アンタと出会ってからは、もうあんな事はしてない。

 魔法で色々誤魔化してだけど、本当に働いて遣り繰りしてる。あの頃みたいに、魔女も使い魔も全部倒してる。

 ……だからって、償いきれるもんじゃないってのも――罪が消える訳じゃないのも、分かってる。

 でも、それでもアタシは……アンタと居たい。アンタと居れば思い出せるんだ。まだ、帰る場所があった頃のアタシを」

 

 

 そこで一旦言葉を区切り、彼女は顔を俯かせる。

 胸元に輝く赤い宝石が、月明かりを湛えて優しく揺らめく。

 

 

「どんなに振り切ろうとしても、どんなに悪い事をしても、アタシは結局、自分の祈りを捨て切れなくて、ずっと燻ってた。

 でも、アタシと同じ様に誰かの為に祈った奴が、今でも笑って、幸せそうにしてるのを見て思ったんだ。

 捨てなくても、良いのかも知れない。アタシはもう、致命的な位に間違っちまったけど。それでも、もしかしたら、あんな風に笑えるのかも知れないって。

 ――やっぱり、諦めたくないんだ。あんな結果になっちまったけど、それでも、親父の為に祈った昔のアタシを、否定したくない。

 虫のいい話だって思う。身勝手だとも思う。だけどアタシは、笑っていたい。救えなかった、親父達の分まで。だから……」

 

 

 伏せていた顔が上がる。

 決意を込めた瞳。期待と不安が入り混じったような声。微かに震える手。

 その全てが、彼女の想いの強さを物語っていた。

 

 

「だから、こんなアタシでも良いなら。側に居させて欲しい。アンタと一緒なら、アタシは変われると思うから……戻れると、思うから」

 

 

 杏子の口から語られた、切なる願い。

 しかし、それに自分が返したのは、呆れたような溜息だった。

 

 全く、何を言ってるんだよ。

 

 

「……え?」

 

 

 そんなの、当たり前だろ?

 自分達は、もう家族なんだから。

 家族は一緒に居るもんだ。

 

 

「……か、ぞく……?」

 

 

 戸惑うように繰り返す杏子。

 そんな彼女に、胸に溢れる愛おしさを乗せて微笑み掛ける。

 

 同じ家に暮らして、同じご飯を食べて――いつも一緒に、笑い合ってきたじゃないか。これが家族じゃなくて何だって言うんだよ?

 そ、れ、に。責任、取らせてくれるんだろ?

 

 

「そ、そりゃ、そうだけどっ。でも、いいのかよっ? アタシは、魔法少女なんだぞ? 普通の人間じゃないんだぞっ!?」

 

 

 握られた手に、強く力が込められる。

 痛い位のそれをしっかりと受け止めながら、自分はそれでも笑ってみせる。

 

 確かに、普通じゃないのかも知れない。でも、それを言うなら元々、杏子は自分にとって普通じゃない存在だよ。

 

 

「……どういう、事だよ?」

 

 

 だって、杏子以上に好きになれる女の子なんて、きっと居ないから。そう思えるくらい、大好きだから。

 杏子が居ない生活なんて、もう考えられない。今更あの家にメロゥと二人で暮らせって言われたって、もう無理だ。

 それ位、杏子は特別な存在なんだ。そこに魔法少女って事実が加わった所で、何も変わりはしないよ。

 むしろ、こっちから頼みたい位だ。ずっと一緒に居て欲しい、って。

 

 

「………………」

 

 

 勝手と思われるかもしれないけど、杏子が帰る場所は、ちゃんとあるから。自分が、杏子の居場所になるから。

 他の人がどう言おうと構わない。自分も、杏子には笑っていて欲しいし……一緒に、笑って居たい。

 誰かを不幸にしてしまったって言うんなら、その人達に分けられるくらいに、沢山、幸せになろう。

 今はまだ無理だけど、ちゃんと大人になったら……そうしたら、本当に家族になろう、杏子。

 

 

「……は、は。なんだ、コレ」

 

 

 肩を震わせながら、杏子がまた俯く。

 

 

「なんで、こんな……バカじゃん……なんで……」

 

 

 彼女はまるで、拒絶するかのような言葉を漏らす。

 しかし、それが違う意味で呟かれたのが、自分には良く分かっていた。

 

 

「なん、で、こんなに嬉しいのにっ、アタシ、泣い、て、っ」

 

 

 何故なら、杏子の伏せられた顔から、幾つもの雫が、光を反射しながら零れ落ちていたから。

 彼女はそのまま膝を崩し、跪くように体を小さくする。

 

 

「クゥン……」

 

「メロ、ゥ……ア、タシ、は……っ」

 

 

 直ぐ様、メロゥが心配そうに駆け寄り、彼女の顔に鼻を寄せた。

 それを撫で、何かを言おうとする彼女だったが、言葉に詰まり、結局、何も言わずに抱き締める。

 自分は、そんな二人を纏めて腕の中に包み込む。

 

 

「う、ぁ、っ、ぁあ、うわぁぁあああっ」

 

 

 胸の中で、杏子の泣き声が木霊する。

 初めて聞くその声に、新しい彼女を見た喜びと、彼女が失ったものへの想いを感じ、自分も涙を誘われた。

 けれど、この涙には、悲しみだけが込められている訳じゃない。

 ようやっと次へと進む事が出来る、未来への希望も、確かに込められている。

 

 きっと、自分達は。

 今日に泣いた分だけ、明日に笑えるから。

 こんな風に涙を流せる事は、とても尊い事なのだと、そう思った。

 

 月光に透ける、欠けた聖母と救い主が。

 それでも尚、優しく見守ってくれているような気がした。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「な、なぁ。やっぱ、変じゃない? なんかおかしな所とか……」

 

 

 無いってば。さっきから何回目だよ?

 

 

「だってさぁ……」

 

 

 朝日が燦々と降る中、忙しなく襟元やリボン、スカートの裾をいじりつつ、杏子は不安げな表情をしていた。

 自分は自転車を押しつつ、彼女は青い鞄を手に提げつつ、転入する予定の中学校に向かって、同じ道を歩いている。

 今、彼女の体を包んでいるのは、市立見滝原中学校の女子制服だ。

 

 季節は移り変わり、夏から秋に。

 杏子と出会ってから半年近くが経とうとして、その時間は、自分達の絆をより深く、確かな物にしていた。

 

 あの夜、杏子の過去以外にも、自分は様々な事を教えられた。

 その中には幾つかの嘘の訂正も含まれていたが、やはり、驚く事も少なからずあった。

 魔法少女、魔女、使い魔、ソウルジェム、グリーフシード、ワルプルギスの夜、仲間達、などなどなど――非常に盛り沢山だった。

 その上、彼女が本当は十四歳の中学生だと知った時には、とても興奮げっふんげっふん吃驚したものだ。

 

 そして、両親にもきちんと話したいという杏子の願いにより、無理に時間を作って貰って、杏子は過去を(もちろん魔法とかは除いて)打ち明けた。

 最悪、引き離される事も考えていた為、どうにか説得しようと必死に頭を下げたのだが、意外にも快く、両親も彼女を受け入れてくれた。

 曰く、「もう家の娘だと思ってたんだけど」との事。なんとも家の親らしいと言うか、何と言うか。

 しかもそれだけではなく、これから先の事を考えて、きちんと学校へ通えるようにしてくれたのだ。

 面倒な手続きやらなにやらも、仕事の片手間にやってくれた。詳しい事は分からないけれど、見事としか言い様の無い早業だった。

 ま、歳を誤魔化してのバイトは、お店に迷惑が掛かるのでバレる前に辞めさせられたが、それは仕方ない。

 何故この手際の良さを家の中で発揮できないのかと、何時もなら呆れる所だが、今回ばかりは二人の大らかさに感謝している。

 きっとこれは、杏子にとって、新しい人生を送るための大きな一歩になってくれる筈だから。

 

 

「でも、いいのかよ? 学校、反対方向だろ? わざわざ送ってくれなくてもさ……」

 

 

 大丈夫だよ、自分は自転車だし。それに、杏子の制服姿も、もっと見ていたいし。

 

 

「……この変態。この格好ではしないかんな? 絶対にしないかんな?」

 

 

 身を庇う杏子の言葉に、酷い言われ様だ、と思わず呟く。

 確かに、彼女が魔法少女だと知って以来、割と高確率で変身して貰ってそのまんまHしたりもしたが、そんなに恥ずかしいのだろうか。

 だがしかし、自分は悪くない。全ては可愛すぎる杏子のせいだ。だから、彼女の制服姿にときめくのも、彼女のせいだ。

 明日か明後日辺り、土下座してみようと思う。

 

 

「……あ」

 

 

 ふと、杏子が声を上げる。

 釣られて前を見てみれば、少し先に、こちらに手を振る四人の少女達の姿があった。微かな呼び声も耳に届く。

 見覚えがあるのは、何度か家に遊びに来てくれた、美樹さんと鹿目さんに、巴さん。そしておそらく、こちらに頭を下げる長い黒髪の少女が、噂の暁美さんだろう。

 態々、こんな所まで迎えに来てくれたようだ。彼女達のような友達が居るなら、自分も安心して杏子を送り出せるというものだ。

 

 

「じゃあ、ここで」

 

 

 自転車の反対側で、彼女は一度こちらに振り返り、歩き出そうとした。

 そのまま見送っても良かったのだが、一緒に家を出たせいで朝の習慣が出来なかったのを思い出し、景気付けも込めて、ちょっとした悪戯をする事にする。

 

 杏子、ちょっと待って。リボンが曲がってる。

 

 

「え? ど、どっちに? こう?」

 

 

 焦ってリボンを直そうとする杏子を、ちょっとこっち、と呼び寄せる。

 素直に首を寄せる彼女に、ちょっと罪悪感を覚えながら。

 リボンをつい、といじり、そのまま肩を押さえて――

 

 

「……うひゃあ!?」

 

 

 ――軽く頬にキスをする。流石に、公衆の面前で唇に行く勇気は無い。

 が、それでも十分に恥ずかしかったのか、杏子は顔を真っ赤にして、手に提げた鞄で攻撃を仕掛けて来た。

 

 

「こ、このっ!? 変態!! バカッ!! スケベー!!」

 

 

 ちょっ、痛、いった、悪かったって! ほら、皆待ってるぞっ!! 早く行かないとっ!!

 

 

「んぁぁあああ! 絶対からかわれるぅぅううう! 後で覚えてろよぉ!?」

 

 

 捨て台詞と共に、杏子は友人達の元へと駆けて行く。

 そんな背中を見送りながら、ふと思い出し、杏子!! と、笑顔でその背中に呼びかける。

 

 

「なんだよ!?」

 

 

 いってらっしゃい!

 

 

「……! ったく……」

 

 

 不機嫌そうに歪んでいた顔は、しょうがない、と言った風に苦笑いへと変化し、更に次の瞬間には、満面の笑みへ。

 そのまま杏子は、制服のスカートを翻し、楽しげに手を振って見せた。

 

 

 

 

 

「いってきま~すっ!!」

 

 

 

 

 




 制服姿の杏子ちゃんは、後で美味しく頂かれました。
 さぁ、次はロッソ・ファンタズマで擬似多人数プレイだ!


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【美樹さやかの】後日譚その3【奇跡の形】

 

 

「……遅いですわ」

 

「……そうだね。どうしたんだろう」

 

 

 ……だねぇ。電話したのがいいかな?

 

 人でごった返す直前の、朝の見滝原駅にて。男二人、女の子一人の計三人で呟く。

 本当ならもう一人、ここに女の子が居るはずなのだが、待ち合わせの時間を二十分過ぎても、その姿は見えなかった。

 こんな事もあろうかと、待ち合わせの時間は早めしておいたのだが、もう直ぐ乗る予定の電車が来る筈。出来れば、そろそろ改札を通っておきたいのだが……。

 全く、自分で朝から遊び倒すとか言っておいて遅刻するとは、けしからん奴だ。

 

 

「ごめーん! 遅れたー!」

 

 

 ……と、ようやく来たか。

 

 噂をすればなんとやら、ようやく待ち人が訪れた。

 遠くから駆け寄ってくる少女の装いは、白いブラウスに紫色のロングスカート。普段の活動的な服装とは些か趣が違うが、これもまた似合っている。

 彼女の名は、美樹さやか。

 付き合い始めて一年近くになる、目に入れても痛くないどころか、色々と回復しそうな程に可愛い、自分の恋人だ。

 

 

「もう、遅刻ですわ、さやかさん」

 

「ホント、ちょっと心配したよ?」

 

「ごめんごめんっ、朝御飯を食べようかどうかで悩んでたら、何時の間にかこんな時間になっちゃってて……」

 

 

 彼女に対しているのは、その幼馴染である少年、上条恭介君と、その恋人であり、さやかの友人でもある志筑仁美さん。

 男の格好は(自分も含めて)見ても面白くないので省くとして、志筑さんの服装は、スカート部分がフリル状になった、薄いピンク色のワンピースという、こちらも可愛らしい格好だ。

 上条君と志筑さん。二人とも顔立ちが整っているせいか、並び立つ姿は、とても絵になっている。

 それはそうと……。

 

 朝御飯はちゃんと食べないとダメだろ、さやか? 体に毒だぞ?

 

 

「だってぇ。向こうに着けば食べ放題でしょ? せっかくだもん、めい一杯食べれるようにしといた方がお徳かなぁ、と」

 

 

 不貞腐れた顔で言い訳をするさやかだが、そんな彼女の気持ちも理解でき、自分は腕組みをしながら、うーん、と唸る。

 

 まぁ、分からないではないけどさ。

 自分なんて、株主優待券を見るのも初めてだし。てっきり、一生縁が無い物だと思ってたよ。

 

 

「あれ、そうなんですか? 父さんが結構貰ってくるんで、皆使ってるものだと……」

 

(わたくし)も、よく図書券とかを頂いて、使わせて貰っているのですけど……」

 

 

 ……聞いた!? ねぇ聞きました、さやかさん!? あいつ等やっぱ住む世界が違うよ!! ハイソックスな連中だよ!!

 

 

「聞いた! 聞いちゃったわよ!! どおりで毎年お歳暮で貰うハムの詰め合わせがやたらめったら美味しいわけよ!! 見せつけおってぇ!!」

 

「それを言うならハイソサエティかと……そんな事ないと思うんだけどな……」

 

「もう、御二人共? ふざけていないで、早く電車に乗りましょう。とっくにホームへ着いていますわ」

 

 

 如実に感じた社会的格差に、手を取り合って騒ぐ自分達を、慣れた様子であしらう志筑さん。

 苦笑気味の上条君と共に改札を潜るその背に、さやかと二人、は~い、と返事をしながら続く。

 ホームに上がれば、既に電車のドアは開いていた。今すぐに出るはずは無いが、それでも早足に乗り込むと、他に乗客の姿は無く、貸切のような状態となった。

 

 

「ちゃんと座れそうですわね。到着まで、どの位でしたでしょうか?」

 

 

 それを狙ったからね。まぁ、その分開園より早く着いちゃうけど。

 時間は、大体一時間と少し、かな。

 

 腕時計を見ながら志筑さんに答えると、隣に居たさやかは、それを聞いて悩ましげな顔を見せる――

 

 

「う~、やっぱり、何か食べてくればよかったかな? お腹鳴りそう……ところで、さ」

 

 

 ――かと思ったら、今度はこちらの上着の袖を引っ張り、上目遣いに見つめて来た。

 彼女はそれきり何も言わなくなってしまうが、チラチラと向ける視線が何を求めているのかは、簡単に想像がついた。

 その期待に応えるべく、摘まれているのとは反対の手で彼女の頭を撫で、笑いかける。

 

 初めて見る服だけど、似合ってるよ、さやか。それに、この髪留め。まだ着けてくれてるんだな。

 

 

「ま、まぁね! せっかく貰った物だし、彼女としては、着けざるを得ないと言いますか……なはは」

 

 

 さやかの望んだ通りの言葉を言えたようで、彼女は頬を緩ませながらも、「えっへん」と胸を張る。その前髪に飾られていたのは、イルカを模った髪留め。

 付き合い初めの頃にプレゼントした安物だが、一年経った今でもこうして着けてくれるのは、やはり嬉しい。

 そんなさやかを、志筑さんも微笑ましく見守ってくれていたが、やがて我慢できなくなったのか、口元に手を添えて笑みを零す。

 

 

「うふふ、さやかさんったら。本当は学校に着けてくる位お気に入りの癖に。意地っ張りですわ」

 

「ちょっ、仁美!? それは秘密って……!」

 

「本当に。うっかりなくしちゃった時には、涙目で学校中探してたものね。でも、僕も似合ってると思うよ」

 

「うぅぅ、あ、ありがとう……でもね恭介。気持ちは嬉しいんだけど、恋人の前で他の女の子を褒めるのはあんま良くないわよ? 女の子はそういうのに敏感なんだから」

 

 

 友人二人に微笑まれて、さやかは恥ずかしそうな笑みを浮かべた。しかし、直ぐさま気を取り直して、上条君へビシッと指を突きつけながら優しく叱り付ける。

 さやかにそう言われると、彼は少し目を丸くしたが、言っている事にも一理あると思ったのか、神妙な顔をして頷く。

 

 

「え……あ、そうだね。ごめん、仁美。つい……」

 

「いいえ、気にしてませんわ。でも、後でちゃんと私も褒めて下さいね? さやかさんの十倍くらい」

 

「お、お手柔らかに頼むよ」

 

 

 意外と強かな志筑さんの要求に、上条君はタジタジとなっている。どうやら、彼女の方が一枚上手の様だ。

 しかし、さやかに伝え聞く鈍感さを考えると、その位の方が良いのかも知れない。

 まったく、言葉では伝えられていなかったとしても、全身から放たれていたであろうさやかの愛のオーラに気づかんとは、不届きな男である。

 今現在、それをひしひしと感じ取っている自分からすれば、どうすればこれに気づかずに居られるのか、とんと理解できない。まぁ、今更理解された所で分けてはやらんが。

 

 なんて密かに闘志を燃やしていると、電車内に発車のアナウンスが流れ、俄かに列車が動き出す。

 立っているのもアレなので、座ろうか? と皆に促すと、自然と横一列、四人並んで座席に座る事に。

 自分の隣にはさやかが居て、その隣に志筑さん。更に隣には上条君が。

 奇しくもそれは、その人との親密さの順序であるとも言えた。

 だが、さやかと志筑さんはともかく、上条君との間にだけは、それだけでは計り知れないほどの溝があるのを、自分は感じていた。

 

 

「さぁて、着いたらまず何に乗ろっかな~? やっぱ、エメラルド・スプラッシュ・マウンテン? それとも、ブラック・サンダー・マウンテンかな?」

 

「両方ともジェットコースターではありませんか。最初は、もう少し落ち着いた乗り物の方が……」

 

「……なんだろう。唐突に漫画を読みながらお菓子を食べたくなって来たよ……」

 

 

 でも、今日一日で、それも出来るだけ改善しなければならない。自分の癖――あまり人見知りしない分、一度苦手と思ってしまうと、その印象に引き摺られて仲良くしようと思えなくなる、悪い癖を。

 恋人とのデートを楽しみつつ、今まで一方的に隔意を抱いていた相手との距離を縮める。

 両方こなさなければならないのが辛い所だけれど、さやかがそれを望んでいるのだから、やり切らなければ。

 ――上手く出来るかどうか、甚だ自信が無いけども。

 

 そんな不安を意に介す事無く、電車はレールの上を走っていく。

 向かう先は、夢の国。世界で一番有名な、ネズミがマスコットのデスティニーラ――

 

 

「ちょっとちょっと? デスティニーランドのマスコットはネズミなんかじゃないわよ?」

「そうですわ? 決して色が黒と白だったり、妙に甲高い声で笑ったりはしませんわ?」

「そうですよ? 変な事を考えてると、黒尽くめの男達に連れて行かれますよ?」

 

 

 ――エスパーかお前等ぁ!?

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ダブルデート?

 

 

『そ。今度の日曜日のデートなんだけど、ちょっと予定を変えようと思って』

 

 

 週末の夜。恋人からの、電話越しの唐突な申し出に、雑誌を捲る手が止まった。

 元々、その日は彼女とのデートの予定が入っていたので問題は無いのだが、それにある一文が付け加えられていたのだ。

 ダブル。

 つまりは他のカップルと、同じ日・同じ場所でデートを行うという事。それ自体は問題じゃないし、彼女と付き合い始めてもう一年。そういう趣向も悪くないとは思うが……。

 

 う~ん、随分と急だな……。とりあえず、聞くだけ聞いてみようか。悔しく話してくれ。

 

 

『くっ、いいわよ……っ。実は、仁美がデスティニーランドの株主優待券を貰ったらしくてね? でも、その期限が丁度来週までなのよっ、なんて事……っ。

 それで、使わないのも勿体無いからって、あたし等にお誘いがあったの。あぁ妬ましいっ!

 しかもっ!! 一日乗り物フリーでフードコートは食べ放題よっ!? くぅっ、あのブルジョアジーめっ! これが格差かっ!? ――ってなにやらせんのよあんたはっ!?』

 

 

 なんだかんだ言いつつ、きっちりノリツッコミしてくれる君が大好きだよ、さやか。

 しかし、デスティニーランドねぇ……。

 

 ベッドの上で「むきーっ」と騒ぐさやかを、電話越しに想像しながら考える。思い返してみれば、遊園地なんて小学校の遠足で行ったきりだ――が、旅行にはあまり良い思い出もなかったりする。

 アトラクションには行列が出来ていて、人気のある奴は殆ど乗れなかったし、中学の京都は熱中症で倒れたし、高校の時の海外旅行なんて、前日にひいたインフルエンザのせいでそもそも行くことすら出来なかった。

 不貞腐れて一人で桃鉄九十九年やりきってやったわ。ああ、なんとも灰色な我が青春時代。

 

 

『んで、どう? 一日遊び倒すつもりだから、結構早起きして、帰りも遅くなっちゃうと思うんだけど、次の日とか平気?』

 

 

 相変わらず寄り道しがちな思考を、さやかの声が引き戻す。こちらを気遣う声に、それは平気だけど、なんて一応は答えるのだが、どうにも素直に頷けない。

 チケットの提供者が、さやかの友達である志筑さんだとするならば、ダブルデートのもう一組のカップルは、必然的に彼女とその恋人になる。

 志筑さんとは、今年のバレンタインデーに起きたとある事件で初対面し、以降、割と仲良くさせてもらっているのだが……。

 

 

『……やっぱり、まだ気になる? 恭介の事……』

 

 

 幾らか声のトーンを落とし、さやかは言う。そんな彼女に対して自分は、うーん、と唸ってしまう。

 そう、気になるのは、志筑さんの恋人であり、さやかの友人でもある人物。

 良家の跡取り息子にして、ヴァイオリンの名手。中学三年で既に身長はこちらと同じ位あり、線の細い整った顔立ちまで持つ、てめぇ何処のギャルゲの主人公だと言わんばかりの少年――上条恭介の事なのだ。

 まぁ、生まれてくる家を選ぶ事なんて不可能だし、ヴァイオリンだって彼自身の努力の賜物なのだろうから、素直に賞賛も出来よう。

 だがしかし、顔のつくりに関しては、神様とやらが居るのならば、その眼前に乗り込んで駄々を捏ねたくなる程の不公平さを感じる。天は二物を与えずとか言うが、嘘っぱちだそんなの。

 

 オマケに人生初の彼女がその幼馴染で、かつてはそいつに片思いまでしていて、今現在も友人として交友があるだなんて、恋人としてはひっじょーに複雑なのだ。

 本当なら、幼馴染だからって、彼氏の居る女の子を呼び捨てにするのもどうかと思うが、それはさやかも同じだし、それだけ“特別”なのだろうから我慢しようと、志筑さんと愚痴を零し合ったりもしている。

 重いとか思われるのは嫌なので、さやかの前で口に出した事は無いが。

 

 

『そ、そりゃあね? 彼女が昔好きだった男と仲良くして欲しいなんて、変な言い草だとはあたしも思うんだけど……幼馴染だしさ。

 こないだの一件で、仁美とは仲良くなれたじゃない? あたしとしてはさ、その調子で恭介とも仲良くなって欲しいなー、なんて、思ってるんだけど……』

 

 

 そんな風にみみっちい事を悩んでみれば、さやかは申し訳なさそうに呟く。電話の向こうで、彼女が困ったような顔をしているのが想像できる。

 少し、罪悪感を覚えた。

 自分でも見当はついている。このもやっとした感情は、見っとも無い、ただの独占欲みたいな物でなのだろうと。自分の好きな人に、自分より長い時間を共に過ごした男が居るのが、気に入らないのかも知れない。

 こんな濁った感情を抱いたのは、初めてだった。こんな自分が居るだなんて、想像すらしていなかった。

 さやかという存在に恋をして、様々な事を経験し、ちょっとした世界の裏側まで知った自分だが、それで得られた物は、手放しで喜べる物ばかりではなかった。この独占欲もそうだ。

 きっと、この暗い気持ちを凝り固めていけば、それは呪いと呼ばれるまでに成長するんだろう。

 

 

『あ、もちろん、無理にって訳じゃないんだよ? 所詮は貰い物だし、都合が合わなければお気になさらず、って仁美も言ってるし』

 

 

 ……いや、良いんじゃないか? 遊園地なんて久しぶりだし、いい年してちょっと恥ずかしい気もするけど、タダ乗りで食べ放題なら行かなきゃ損だろ?

 前に行ったのはもう何年も前だし、うん、ちょっと楽しみになって来た。

 

 

『えっ? ……いいの?』

 

 

 実に意外、と言うような声を発するさやかに対し、もちろん、と笑って答える。

 すると彼女は、明らかにほっとした息を漏らし、次は朗らかにはしゃいで見せた――と言っても見えないのだが。

 

 

『そ、そっかぁ。よ~し、じゃあ今度のデートはデスティニーランドで決まりっ! 一日使って遊び倒すぞ~!!』

 

 

 耳に届く声には、思わず笑顔にされてしまうような明るさを感じ、自分の浮かべていた笑顔もより深くなる。

 けれど、その明るさに照らされたせいか、胸の内の暗い影は、その色をより濃くしたように感じた。

 清濁併せ呑む事ができるのが人間の真骨頂、と何処かで聞いた事があるが、存外難しい。しかし、ならばこそ、自分はそれを乗り越えなければいけない。

 

 世に絶望と呪いを撒き散らし、人知れず命を奪う魔女を狩る、祈りと希望から生まれた存在――魔法少女。

 自分は、その恋人なのだから。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ……で、だ。上条君。

 

 

「……なんですか、突然?」

 

 

 どうして今、自分達は男二人で歩いてるんだろうか?

 

 

「……最初でポン、のせいじゃないかと」

 

 

 隣を歩く少年――上条恭介君の曖昧な笑みに、自分も苦笑を浮かべ、ですよね~、と呟く。

 自分達は今、多くの家族連れで賑わう夢の国にて、隣り合って居歩いている。予想していなかった訳じゃないが、ここまで露骨に二人きりにされるとは思っても見なかった。

 午前中は良かったのだ。

 多少苦手意識があろうとも、間にさやか達が入ってくれていれば気にせずに済み、自分でも意外なほど、すんなり会話ができた。

 それがこんな事になったのは、お昼を食べて、休憩がてら歩いている最中、さやかが二組に分かれようと提案したからだ。しかも、カップル同士ではなく、グーパーじゃんけんで組み合わせを決めよう、と。

 今思えば、志筑さんがそれに一も二も無く賛同した事に疑問を持つべきだった。あの二人、こちらの返事を聞く前にじゃんけんを始め、「最初っ!」「でポンですわ!」と言いながらパーを出しやがったのだ。

 咄嗟の事に、自分と上条君はグーしか出せず、最初で!? と二人揃って唖然としてしまい、その間に彼女達は――

 

 

「うぁちゃー、よりにもよって女同士になっちゃったかー」

「予想外ですわー。でも、じゃんけんの結果ですもの、仕方ありませんわー」

「だよねー。たまには女同士でデートもいいよねー」

「ですわー。と言う訳でお二人とも、また後程ー」

「全てはじゃんけんがいけないのだよ。じゃ! アディオス!」

 

 

 ――などと、流れるような白々しい小芝居をして走り去っていった。それはもう見事な大根役者振りと、陸上選手なライトニングさんも吃驚な逃げ足の速さだった。

 取り残された自分達は、人混みに消えて行ったさやか達の背中をしばし見つめた後、どうしようかと悩んだ挙句、午前中から巡っていたスタンプラリーの続きをする事になった。

 それが一時間ほど前の事だ。

 

 ……はぁ、何でこんな事してんだろ……。

 

 

「えーと、とにかく、次に行きましょう。あと少しですし」

 

 

 一人ゲンナリとしていれば、上条君はそう言いながら歩き出す。自分はその背中を、そうだねー、と投げやりに返事しながら追いかけた。

 残りのスタンプは二つ。これを集め終えれば、自分達の取り敢えずの目標は達成。さやか達と合流する名目も立つ。

 と言っても、携帯の電源は切られているので(既に確認済み)、せめてもの仕返しに、迷子の呼び出しをしてやろうと二人で決めていた。

 そんな共通の目的もあり、それに向かって邁進してはいたのだが……。

 

 

「………………」

 

 

 男二人で黙々とスタンプラリーをクリアするのもあれなので、自分は積極的に上条君に話しかけていて、彼もそれに応えてくれていたが、流石にネタが尽きて来た。

 結果、自分達は無言になる時間が多くなり、それが結構気まずかったりする。

 彼と仲良くなって欲しいと言うさやかの気持ちは、出来る限り汲みたいと思っているが、正直、気が重たい。

 

 実際に対面してみた印象を言わせて貰えば、上条恭介と言う少年は、少し達観した所はあるが、極普通の男子中学生に思えた。

 音楽の才能はあるけれど、それにしか興味が無いわけでもなく、普通にゲームもすれば、エロ本を買おうとして女の人にレジを打たれて恥ずかしい思いをした事もある、極々普通の少年だ。

 自分も経験があるから良くわかる。それが近所のお姉さんなら倍率ドン! 「へぇーこんなの買う歳になったんだぁ」的な事を言われたら更に倍! である。本当に死ぬほど恥ずかしかった。

 が、なまじ共感できる部分があるだけに、それ以外の部分が際立って見えてしまい、それが辛く感じるのだ。

 ……本当に、程度の低い男だ、自分は。

 

 

「あの……?」

 

 

 何時の間にか思考に埋没していたのか、直ぐ横から掛けられた声に少し驚く。

 どうにか平然を装い、なんだい? と返事をすると、彼は躊躇いがちに口を開いた。

 

 

「実は、聞きたい事があったのを思い出して……。ちょっと、質問してもいいですか?」

 

 

 聞きたい事……。別に、構わないけど?

 今なら特別に、スリーサイズと女性遍歴以外なら何でも答えてあげよう!

 

 

「あ、スリーサイズはともかく、女性遍歴なら知ってるんで大丈夫です」

 

 

 ……え? 何で知ってんの?

 

 

「……えーと、さやかから、色々と聞いてまして……本当に、色々と……」

 

 

 上条君は、何故か疲れたような笑みを浮かべながら、奥歯に物が挟まった物言いをする。

 嫌な予感がして、ぐ、具体的には? と頬を引き攣らせて問うたなら、彼は笑っているとも、呆れているともつかない、奇妙な顔をして見せた。

 

 

「聞きたいですか……? 本当に聞きたいですか……? 耳が蛸壺になるくらい聞かされたからいくらでも喋れますけど、本当に聞きますか……?」

 

 

 ……いや、遠慮しときます。何か、ごめん……。

 

 一体どんだけ言ったんださやか――上条君の目が濁ってきたんですけど?

 段々と凄みを増して来る視線に気圧され、自分は咄嗟に謝る。すると彼は、「いえ、大丈夫です」と軽く笑った後、話を戻す。

 

 

「それで、質問なんですけど……。聞きたいのは、さやかの事なんです」

 

 

 さやかの、事?

 そんなの、自分なんかよりも君の方がよく知ってる筈じゃないか。

 

 質問する意味が無いように思えてそう言ったのだが、上条君は首を横に振る。

 

 

「そんな事ありませんよ。僕が知ってるのは、幼馴染としてのさやかだけですから。

 けど、さやかが貴方と付き合うようになって、違う部分が表に出るようになって……。

 それで、僕以外の男の人から見たさやかはどんな感じなのかなって、気になって。本人が居る前じゃ、なかなか聞けませんし」

 

 

 幼馴染ではないさやか。自分はむしろ、それしか知らないのだが。

 子供の頃から一緒に居て、共に育ってきた彼等。自分にも昔は、そんな間柄の友達が何人か居たけれど、上条君と同じ年の頃には、進学のゴタゴタで会えなくなっていて、それっきりだ。

 それを考えれば、彼とさやかの関係はとても稀有な物に感じられた。だからこそ羨ましくも思うのだが、しかし、それを言っても何も変わらない。

 ここは一つ、望まれた通りにさやかの事を語って、気分でも変えよう。

 

 ……第一印象は、弱々しい女の子、だったかな。初めて出逢った時なんかは、特にそう感じたよ。

 

 

「さやかが、ですか?」

 

 

 意外だったのか、上条君は大きく目を見開く。その顔に少しばかり気分が良くなってしまい、思わず自嘲してしまったが、それでも笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

 まぁ、普段の様子だけを見れば、自分だって意外に思うよ。

 最初にそれを知る事が出来た自分は、多分、運が良かったんだ。何時も元気で、明るく笑ってくれてるけど、でも、本当は……。

 今でもその印象は変わってないよ。

 

 

「そうなんですか……」

 

 

 うん。初対面の時も、随分と落ち込んでたけど……でも、そのせいかな。

 別れ際に見たさやかの笑顔が、凄く、綺麗に見えてさ。今考えると、それにやられたんだろうなぁ。

 

 今でも鮮明に思い出せる、あの澄み切った笑顔。今度は自嘲ではなく、自然な笑顔が浮かぶ。

 

 

「凄いや……。さやかと同じ事言ってる」

 

 

 思い返すために上げていた顔を横に向ければ、上条君はポカンと開けていた口を、器用にも楽しげな苦笑に変える。

 同じ事? と首を傾げて見せれば、彼は一層笑みを深くして頷いた。

 

 

「はい。さやかが言うには、さやかが貴方を意識し始めた切っ掛けは、笑顔なんだそうです。

 第一印象は、ただのお人好しっぽい人だったのに、さやかが自棄になりそうになった時には、ちゃんと叱ってくれて。

 その後に、とても優しく笑ってくれて……それに凄く安心したからなんだ、って言ってました。ちゃんと気持ちが通じ合ってるみたいで、羨ましいです」

 

 

 言いながら、上条君は微笑ましい物でも見るように目を細める。

 余りにも真っ直ぐなその言葉に、自分は妙に照れ臭くなってしまい、咄嗟に冗談を言ってそれを誤魔化す。

 

 やめろ! いきなりフェイスフラッシュを向けるなこのイケメンがっ! 心の川が浄化されて一級河川に昇格したらどうしてくれる!?

 

 

「何で褒めたのに怒るんですか!? キン○バスターなんて使えませんよ僕!?」

 

 

 いやぁ、ごめんごめん。

 イケメンに笑いかけられると、ついふざけたくなる発作がありましてね?

 

 

「どんな難病ですかそれ。仁美に言って病院でも紹介してもらいましょうか?」

 

 

 君も結構言うね……。

 

 意外にも突っ込みのレスポンスが早くて驚くが、そこはさやかの幼馴染み故だろう。きっと彼女も、子供の頃からボケ倒していたのだろうし。

 ――上条君への気持ちを、誤魔化す為に。

 さやかの恋人として、一年の時間を共に過ごして来たからこそ、それが分かる。

 彼女は、自分自身の気持ちを素直に伝えることを苦手としているのだ。大切な想いであればある程、それを心の内に秘めてしまい、表に出すのが怖くなってしまう。

 事実、この一年で彼女の方から「好き」とか「愛してる」とか言ってくれたのは数えるほど。

 その分を補うように外では惚気てくれているようだが、要するにさやかは、すこぶる面倒な性格をしているのだ。まぁ、そこが可愛いのだけど。

 

 そんな彼女が始めて恋をし、今尚大切な存在と思っているであろう上条君と、自分は笑い合っている。

 彼との言葉のやり取りは、それなりに楽しい。確かに楽しいのだけれど、彼と笑い合う自分を、冷やかに見つめている『自分』も居た。

 笑っている筈の心の奥底で、それは彼に冷たい敵意を向けている。言葉を重ねる毎に温度は下がり、硬く、鋭く凍っていく。

 

 ――ダメだ。これではダメだ。

 自分は、こんな想いを抱いてはいけない。さやかに相応しいのは、そんな男じゃない。だから、この感情を認めてはいけない。

 好きにならなければ。こんな考えを起こす必要が無いくらい、彼を理解しなければ。さやかだって、それを望んでいるのだから。

 

 

「あ、次、アレですよね? 行きましょう?」

 

 

 ……あぁ。さっさとスタンプラリーを終わらせて、さやか達をとっちめないと!

 

 少し先を指差す上条君の声に応え、歩くスピードを速める。

 彼の前を歩くのは、ただ、なんとなくだ。

 決して、自分がどんな顔をしているのか分からないからでは、無い。

 

 その、筈だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 急ぎ足にアトラクションの入り口に向かう、少年と青年。

 傍目には、歳の離れた兄弟のようにも見える後姿の、十数メートル後方に、そんな彼等を見守る二つの影があった。

 

 

「うーん、見た感じは、まぁまぁ仲良くやってるみたいだけど……」

 

「そうは言っても、油断は出来ませんわ。恭介君は兎も角として、あの方の心中は決して穏やかではないでしょうから」

 

「やっぱ、そうなのかなぁ……」

 

「ねー、おかーさん。あのおねーちゃん達、なんでとーてむぽーるしてるの?」

 

「こら、指差しちゃダメ!」

 

 

 不安げに呟くのは、後ろ髪を斜めにそろえたショートカットの少女、美樹さやか。

 彼女に忠告したのは、緩やかにウェーブの掛かったロングヘアーの少女、志筑仁美。

 揃いのサングラスを掛け、街灯の影に縦に並んで身を隠し(全然隠れられていないが)、親子連れに後ろ指を差される彼女達は、たった今、アトラクションの中へと消えていった二人の男性の恋人であった。

 

 

「っていうかさ、仁美。やけにあいつの事気にしてるような気がするんだけど……どうして?」

 

「それは勿論、さやかさんの恋人だからです。個人的なお友達でもありますし、他意はありませんわ」

 

「ほんとー? 結構頻繁にメールとかしてるみたいだし、あっやしーなー?」

 

「色々と気を揉むものですから。恋人に、仲の良い異性の幼馴染が居るというのは」

 

 

 自分の上に居る仁美をねっとりと見上げるさやかに、仁美は頬に手を添えて溜息をつく。

 それを聞くと、さやかは心外だと言わんばかりに唇を尖らせた。

 

 

「えぇ? そんな事言われたって……。あたしはもう、恭介の事はなんとも思ってないよ? そりゃあ、大事な幼馴染ではあるけどさ……」

 

「分かってはいても、止められないものなんですのっ。お二人にそのつもりが無くとも、余りに仲が良いのを見せられると、どうしても嫉妬してしまって……。

 その辺りの事が互いによく分かるものですから、時々お話を聞いて頂いているんです。私達の問題ですし、恭介君達には言えませんでしたから」

 

「その割りにおもいっきし言っちゃってない?」

 

「互いの恋人には、という意味ですわ。弱音を吐いている所なんて、格好悪くて見られたくありませんもの……」

 

「うーん。あたしとしては、そういうのも見せて欲しい、なんて思うんだけどなぁ……」

 

「……私だって、本当はそう思いますわ。綺麗な部分も、汚い部分も。ありのままを曝け出して、そして、受け入れて貰えたら……。

 でも、思うようには行かないんです。もし拒絶されたりしたら、なんて考えてしまって、どうしても見栄を張ってしまうんです……。難しい、ですわ……」

 

「そうだね……」

 

 

 悔やむように呟く仁美に、さやかは静かに頷く。

 本当に、人の心は侭ならない。彼女自身、そのせいで魂を失いかけた事があるのだから、身に染みてよく分かる。

 ああしたい、こうしたいと思う自分が居る一方で、それを実現できるかどうかは全くの別問題で。

 恋人から、想いを伝える事の大切さを気付かされたさやかですら、今も面と向かって「好き」の一言を言うのに苦労するのに、それが誰かへの嫉妬という良くない感情であれば、胸に秘めたいと思うのも当然かも知れない。

 

 

(でも、それじゃあきっと、駄目なんだよね)

 

 

 しかし、だからこそ話して欲しいと、さやかは思う。

 一番怖いのは、何も言えず、何も伝えられないまま、時間だけが経って心がすれ違う事。

 そうなれば、胸の内に溜まった気持ちは、ゆっくりと濁っていってしまう。良くない“モノ”を呼び寄せてしまう。

 けれども。

 

 

(簡単に出来るなら、誰も悩んだりしない、か)

 

 

 内心を吐露するというのは、存外難しい事でもあるのだ。

 友人であれば気楽に話せる人も居れば、仁美の様に、大切な相手だからこそ話せない人も居て、いっそ赤の他人の方が楽な事だってある筈。

 さやかも過去、恋人に胸の内を明かす事が出来たのは、直前に親友と喧嘩別れをし、それを優しく慰められるという積み重ねがあったからで、そうでなければ、誰にも気持ちを打ち明けられず、手遅れになっていた事だろう。

 本当に、人の心は侭ならない。

 

 

(ま、だからって諦めるさやかちゃんじゃあ、ありませんけどね! あの事件だって、諦めなかったからこそ、ちゃんと解決できたんだし)

 

 

 さやかの思い返したのは、半年ほど前に起きた、見滝原市における不自然な魔女のブッキングの事。

 それに端を発したのは、遠く離れた街に住む魔法少女達による、ワルプルギスの夜のグリーフシード――通称“ワルプルシード”の強奪未遂事件だった。

 幸いにも、それは未然に防ぐ事ができ、首謀者である魔法少女達とも、時間は掛かったものの、最終的には和解することが出来た。勿論、人的被害は皆無だ。

 今では、ワルプルシードの存在はキュゥべえを通じて全世界の魔法少女に公開され、見滝原市全域は、魔法少女にとっての中立地帯となっている。

 余計な諍いを持ち込まなければ、誰でもその恩恵にあやかる事ができ、安易に奪おうとすれば、街に集った魔法少女達によって袋叩きになる、という具合である。

 もっとも、一時期は引っ切り無しに魔法少女が訪れ、管理者だった巴マミが彼氏とイチャつけずに、使い魔とキュゥべえに八つ当たりするという事件も起こったのだが、それはまた別の話。

 

 ともかく、最初は殺し合いすら覚悟した相手とも、言葉を交わし、想いをぶつけ合う事で、今では友達と呼べる間柄にまでなる事ができた。

 その事がさやかにとっては誇りであり、今回の事を計画した理由の一つでもあった。

 だが、何も一日で「二人はマブダチ!」的に仲良くなって欲しい訳ではないのだ。

 さやかにとっての初恋の様に、上手くは行かないかも知れない。

 けれど、そんな経験ですら、決して無駄にはならないから。ゆっくりと、しかし確実に積み重ねる事が、大切なのだから。

 

 

「さぁってと、それじゃ仁美、あたし達も行こっか?」

 

「え? 行くって、何処へですか?」

 

「中に入るに決まってんでしょ? せっかくのデスティニーランド、午前中だけで満足しろだなんて無理ってもんよっ!」

 

「ええ!? それでは、恭介君達を見失って……」

 

「残りは一箇所なんだから平気平気! ほらっ、いこいこっ!」

 

「で、でも……あっ、引っ張らないで下さいっ!」

 

 

 躊躇う仁美を強引に引っ張り、さやかはアトラクションの入り口へと向かう。

 「ホーンとに出るド? マンション」という、著しく泥臭い名前の迷宮型ホラーハウスだが、名は体を現すのか、あまり人の列は出来ておらず、直ぐにでも入れそうだ。

 恋人と幼馴染の仲を取り持つという目的はあるが、せっかくのタダ乗り優待券、遊ばなければ損という物。

 それに、薄暗くて人目を憚れるこの中でこそ、仁美に聞いてみたい事もあったのだ。

 

 

「にっしし、とっころっでさぁ、ひっとみぃん?」

 

「な、なんですの、その様な呼び方? 気味の悪い……」

 

「……恭介とはどこまでイッたのかなぁ? とっくにキスぐらいはしたんでしょお?」

 

「っ!? し、知りませんわ! その様な事!」

 

「いいからいいから。あたしん時は教えてあげたでしょ? そっちも教えなさいよぉ、うりうりぃ」

 

「さやかさんが勝手に喋っただけではありませんの!? い、嫌ですわ! もうっ!」

 

 

 唐突にセクハラを受け、仁美は頬を真っ赤に染めながら、足早に迷宮の中へと消えていく。

 さやかは悠然と、追い詰めるようにその背中を捉え、ニタニタと悪代官よろしく、意地悪な笑みを浮かべるのだった。

 

 

「ぐふふ、よいでわないか、よいでわないか! さぁ、恭介との恋人生活を、熱く詳しくヤらしく語っ――」

 

「い、いやぁ! ダメですわぁ! 人前でなんて、そんなぁ! 私、恥ずかしくて頭が沸騰してしまいますわぁ!」

 

「……素で台詞の選択がエロいたぁどうゆう事よ……」

 

「ねー、おかーさん。あのおねーちゃん達、なんでさわいでるの?」

 

「しっ! 見ちゃいけません!」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「うぉっ、まぶしっ。サングラス、サングラスっと」

 

 

 薄暗かったホラーハウスの外に出ると、太陽の光が瞼を強烈に貫く。

 さやかは眩しさに手をかざすと、すかさず懐のサングラスを装着した。

 

 

「なんだか、ホラーハウスという割りに、お話している間に抜けてしまいましたね。一度も驚いた記憶が……」

 

「だねー、ちょっと物足りないかも……。それはそうと、やるじゃん仁美? なんか、家族の成長記録を聞いてるみたいで、感慨深いわ~。恭介もヤる事はヤってるんだね~」

 

「変な言い方しないで下さいましっ! そもそも、さやかさんがいけないんですわっ。私達の目の前で、あの方との事を色々と語ったりするからっ」

 

「ひ、人のせいにしないでよ? そりゃあまぁ、色々と語ったかもしれないけど、直接的な事は言ってないはず……」

 

「それがいけないんですのっ。肝心な所で照れてお話を中断されると、こう……とにかく掻き立てられるんですわっ!」

 

「相っ変わらず妄想力が逞しい事で……。でも、ちゃんと愛を育んでいるみたいで、さやかちゃんは安心ですよ。ほんと」

 

 

 うんうん、と腕組みをしながら何度も頷くさやか。

 そんな彼女を見つめ、志筑さんは緩やかに目を細くし、淑やかに感謝の言葉を告げる。

 

 

「……それは、さやかさんのおかげ、ですわ。私がこうして幸せで居られるのも、全部」

 

「言いっこ無しだよ、そんなの。あたしがこうしてるのだって、仁美のおかげでもあるんだから。気にしない、気にしない」

 

「……はい。私、さやかさんのお友達で居られて、本当に幸せですわ」

 

「うん。あたしもだよ、仁美」

 

 

 笑い合う二人の少女は、傍目からも仲睦まじく見えた。

 しかし、志筑さんが先に言った通り、少々恥ずかしがりやでもあるさやかは、頬を指で掻きながら照れ臭そうに話を切り上げようとしていた。

 

 

「さ、何かくすぐったくなって来たし、この話はここまでにしよ? 知り合いにでも聞かれたら、恥ずかしくてあたし死んじゃう。壁に耳ありジョージにメアリーってね?」

 

「もう、さやかさんったら。誰ですの? その深夜にフィットネスマシーンでも紹介していそうな二人組みは?」

 

 

 そいつは残念。お前はもう死んでいる。

 

 

「ぎゃあっ!?」

「きゃあっ!?」

 

 

 不意打ちを狙って背後から掛けた声に、二人の少女は飛び上がって驚く。

 期待通りの反応に気を良くした自分は、そんな彼女達に向かって軽く手を振る。

 

 ハァイ、ジョージ(仮)です! 趣味はストレッチをしながら壁に仕掛けた盗聴器を聞く事です!

 

 

「え、えと、メアリー(仮)、です……? 趣味は……え~と、し、障子紙を指でぷすっとやる事です……?」

 

 

 唐突なボケに、上条君は躊躇いながらも後に続いた。

 こういうのは勢いが大事なので、もうちょっと元気が欲しい所だが、慣れていないだろう事を考えれば、及第点といった所だろう。

 

 

「な、なな、なんで後から!? 先に入ったはずじゃあ!?」

 

「び、びっくりしましたわ……ホラーハウスの外で驚かされるなんて、本当に予想外ですわ……」

 

 

 吃驚仰天、といった風に固まっているさやか達に、自分は苦笑しながら事情を説明する。

 

 いやぁ、入ったは良いんだけど、早々に迷っちゃってね?

 そしたら、前の方から覚えのある声が聞こえてきたもんだから、後を尾けさせて貰いました。

 

 

「そういえば、あんたって微妙に方向音痴だったっけね……」

 

 

 そう、実は自分、ちょっと方向感覚がアレなのである。

 おかげで、大事な仕事に遅刻しそうになった事もあって地味に大変なのだが、まぁそれはどうでもいい。

 

 それよりも、だ。なんでこんなとこに居るのかな、お二人さん? 随分前に、別行動しようって言って勝手にさっさか行っちゃった筈じゃないか。

 

 

「そ、れは、ですねぇ……ど、どうしよう仁美!」

 

「……こほん。いやですわ? 単なる偶然です。偶々この近くまで来ていて、偶々ホラーハウスに入ってみたくなっただけですわ?」

 

 

 さやかに小声で相談された志筑さんは、それに答える代わりに、ニコニコと笑みを浮かべて恍けている。十中八九、自分達を尾行して来たんだろうに。

 そう来るのであれば、こちらもそれ相応の対応をさせて貰うしかない。ついさっき仕入れたばかりのネタで対抗させて貰うとしよう。

 

 へぇ、偶然なんだ? ――所でさ、スタンプは貰えないけど、メリーゴーランドにはもう乗ってみた?

 自分は特に好きって訳じゃないけど、志筑さんには似合いそうだよね? ――特に白馬とか。

 

 

「……な、何の事か皆目見当もつきませんが、取り合えず謝りますのでその話はここまでにしましょう!? 出来心だったんですのっ!!」

 

「あの、もうその辺で……僕にもダメージが来ますから、お願いします……」

 

 

 あ、ごめん。そういやそうだね。

 

 勢い良く腰を九十度に曲げる志筑さんと、引き攣った笑いを浮かべる上条君の苦言に毒気を抜かれ、素直に謝る。

 大人しそうな顔をして、よくやるものだ。初でそれとは、羨ましくも末恐ろしい。でも、上手く聞き出すさやかが一番悪いのは当然として、うっかり話す志筑さんもどうなんだろう。

 しかもそのせいで、彼女達の後ろに着いてからというもの、脅かし役の人達の「恨めしや」に妙な気迫が込められ、本当に呪われるかと――気持ちは分かるが、とんだトバッチリだ。

 そんな訳で、ちょっと不機嫌そうな顔をしていると、今度はさやかが申し訳なさそうにして謝ってくる。

 

 

「ご、ごめんね? やっぱり、仲良くなって貰うには、とにかく話すのが一番かなって……」

 

「気を遣わなくても平気だったのに……。そんな事されなくても、きっと仲良くなれましたよね? 僕達」

 

 

 え? あ、うん。自分もそう思うんだけど、そんなに良い笑顔で微笑みかけないで? お尻がムズムズするから。

 

 

「そんな趣味ありませんってば!? 酷い発作ですね、全く……。とりあえず、それは置いておくとして、二人には何か罰を受けて貰わないとね?」

 

「ええー、仲を取り持とうとしただけだったんだし、勘弁してよー」

 

「ダメ。これでも怒ってるんだからね? そうだな……最後のスタンプは、仁美達に取りに行ってもらおうかな? いいですよね?」

 

「あれ、そんなんで良いの?」

 

 

 いやいや、さやか。地図見てみ。

 

 確認の為にこちらを振り返る上条君に、それはちょっと辛いんじゃ、と言おうとしたが、その前に、さやかは拍子抜け、と首を傾げる。

 そんな彼女の前に、パンフレットを兼ねた地図を広げると、彼女はそれをしげしげと眺め、目的地である最後のアトラクションを発見した後、目をパチパチと瞬き、笑顔を浮かべる上条君と見比べ、今度は苦笑い。

 

 

「ねぇ、恭介。なんか、めっちゃ端っこにあるように見えるんですけど?」

 

「うん。ほぼ反対側だね。あはは」

 

「あはは~……仁美ぃ! 何か言ってよぉ!?」

 

「――が、恭介君を――いえ、ここは逆に恭介君が――」

 

「おーい、戻ってコーイ」

 

 

 困り果て、志筑さんに助けを求めるさやかだったが、頼りの子は頭の中が薔薇の園へと変貌しているようだった。

 そんな二人を見て自分達は、仕方ない、と再び笑い、元々考えていた別の案を提示する。

 

 

「それじゃあ、お昼を食べた所にあったジュース屋さんで、ジュースでも買ってきて貰おうかな。ちょっと距離はあるけど、このくらいなら大丈夫だよね?」

 

「あ、うん。それなら何とか。何が良い?」

 

 

 ほっとした様子のさやかに、上条君はミックスジュースを頼み、自分は、炭酸系のを適当に頼む。

 二人分の注文を聞くと、彼女はしっかと頷き、未だにトリップ中の志筑さんの腕を引っ張り歩き出す。

 

 

「ん、了解っ。ちょっぱやで行って来る! ほら仁美、行くよ?」

 

「――うふふ――来ましたわぁ――」

 

「なんにも来てねぇってばよ。さっさと正気に戻れぃ!」

 

「いたっ! い、いきなりチョップは酷いですわさやかさん!?」

 

 

 じゃれあう二人の背中に、気をつけろよ! と声を掛ければ、彼女達は後ろ手に手を振り、走っていく。

 上条君とその背中を見送り、それが見えなくなった頃、彼は笑顔のままこちらに向き直る。

 

 

「さて、と――これで本当に、二人きりになれましたね」

 

 

 背筋がゾワッとした。

 直前に志筑さんの言動を見たせいか、そんな気はないだろうと知っていても“そういう意味”に取れてしまい、ごめん! 自分はさやか一筋だからぁ! と、鳥肌の立つ腕を擦りながら身を捩る。

 

 

「……ちょっと、座りましょうか」

 

 

 ――が、上条君はそれに何にも突っ込んではくれず、出口近くにあった休憩用のベンチに座り込む。

 心に寒風が吹きすさんだが、突っ立っていてもどうしようも無いので、言われた通りに彼の隣に座る。

 チラ、と様子を伺ってみれば、彼は酷く真面目な顔をしていた。

 

 

「少し、話を聞いてもらってもいいですか。今度は、僕自身の話を」

 

 

 ……上条君の話?

 

 

「はい。僕と……さやかの事を。貴方からしてみれば、面白い話ではないと思うんですけど……。どうしても、話しておきたい事があるんです。二人きりで居られるうちに」

 

 

 さやかの事。

 その一言に、スッ、と背筋が伸びた。彼の表情からは、そうさせるだけの真剣さが感じられた。

 無言のままに先を促すと、彼は少し沈黙し、こちらから顔を外して、自らの正面――夕暮れの気配が漂い始めた空を見上げる。

 

 

「もう知ってると思いますけど、僕とさやかは、幼稚園の頃からの幼馴染でした。

 その頃から、さやかは明るく元気で、いつも皆の中心に居るような子で。

 そんなさやかに、僕は何時も助けられて――でも、同時に、酷く劣等感を抱いていたんです」

 

 

 劣等感?

 

 自分の知る限り、何処をとっても完璧に近い少年の発した似つかわしくない言葉に、眉間に皺が寄った。

 だが、真正面を向いている上条君はそれに気づかぬまま、少し恥ずかしげに笑う。

 

 

「あの頃はまだ背が低くて、顔もこんなですから、女の子みたいだって、よくからかわれてたんです。

 それをさやかに助けられて、余計に気にしたり――今思うと、なんて事はないんですけど、子供だった僕には、それがとても悔しかった」

 

 

 想い出を振り返る彼の横顔は、とても優しく、どこか寂しげな雰囲気を漂わせていた。

 これで隣に居るのが美少女だったなら、間違いなく映画のワンシーンに見えるだろう。

 そして、ジャンルは恋愛物であろう映画の主人公は、左手をゆっくりと握り、また開くという動作を繰り返しながら、それを見つめる目線に力を込める。

 

 

「でも、そんな僕にも、胸を張れる特技があったんです。誰にでも自慢できる物が。それが、ヴァイオリンでした。

 どんなに心が荒んでも、嫌な気持ちに負けそうになっても、ヴァイオリンに夢中になっている時だけは、忘れられて。

 ――だから、事故に遭って、この腕が使い物にならなくなった時は、本当に絶望しました。まるで、僕という存在の価値を、根こそぎ奪われたみたいで」

 

 

 根こそぎって、そんな大袈裟な……。

 

 

「大袈裟じゃないです。少なくとも、あの頃の僕にとってはそうでしたし、今でも少なからずそう思ってます。僕にとって、ヴァイオリンはそういう存在なんです」

 

 

 ……そっか。ごめん、今のは、自分が悪かった。馬鹿にするつもりは無かったんだ。

 

 

「いえ。僕自身、度が過ぎてるって思う事もありますから。練習に夢中になって、仁美との約束を忘れちゃった事も、何度かありましたし」

 

 

 自嘲しながら言う上条君に、そいつは酷いな、と返せば、彼も「でしょう?」と言って再び笑う。

 そうして笑い合いながらも、ヴァイオリンへの想いを語る彼の真剣な表情が、目に焼きついていた。

 あれは、本気だった。

 混じりっけ無しの、純粋な情熱。まるで、恋焦がれる少女への慕情を聞かされているような、そんな気にさせられた。

 これ程までに心血を注げるものを、自分は持っているだろうか。これから先、持てるだろうか。思わず、そんな事まで考えてしまう。

 

 

「だから、でしょうか。この腕が治って、またヴァイオリンを弾けるようになって――これ以上の喜びは、無いと思いました。僕には、ヴァイオリンしかなかったから。

 『奇蹟も、魔法も、あるんだよ』

 さやかの言った事は、本当でした。本当に、奇蹟は起きてくれた。この奇蹟をくれたのは、きっとさやかです。

 毎日の様に病室に来てくれて、諦めかけていた僕をずっと励ましてくれた、あの子がくれた物だと、そう思うんです」

 

 

 上条君は、未だ熱に浮かされているような表情で、静かに目を瞑る。

 何も知らない筈の彼は、自身に起きた奇跡の根源を、しっかりと感じ取っていた。

 さやかがこれを聞けば、きっと心の底から喜ぶことだろう。その為にこそ、彼女は己が魂を賭けたのだから。二人は、確かに心を通わせている。

 喜ぶべきだ。あの子が笑顔になるのなら、自分はそれを歓迎すべきだ。

 ……なのに、どうしてだろう。

 悔しくて、堪らない。さやかには聞かせたくない。二人が笑い合う姿を、見たくない。

 

 

「……それなのに」

 

 

 そんな想いが通じてしまったのか、上条君はその顔を悔しそうに歪める。

 握られた拳には、震えるほどに力が込められていた。

 

 

「あの時、さやかが僕の事で苦しんでいるだなんて、全然気づかなかった。僕の体に起きた奇蹟に舞い上がって、幸せで頭が一杯で、あの子が悩みを抱えているだなんて、思いもしなかった。

 その事を知ったのだって、仁美や鹿目さんに又聞きして知ったんです――何時もそうだ。何時も、助けられてばかり。子供の頃も、そして、あの時も。

 僕はさやかに、酷い事をしたんです。腕の事を諦めろと先生に言われて、その事に絶望して、八つ当たりを――目の前で、痛みを感じなくなってた左腕を、血が出る位に痛めつけたりして。

 さやかは、それを必死に止めてくれて、泣いてくれて、それでも僕を励ましてくれた。そんなさやかの気持ちが、嬉しくて……耐えられなくて。だから僕は、あの子の気持ちから、逃げたんです」

 

 

 逃げた、だと?

 

 どう考えても、悪い意味にしか取れない彼の言葉に、知らず、憮然とした態度を取る。

 逃げたというのはおそらく、さやかの気持ちから、という事だろう。あんなにも悩み、苦しんでいた彼女が、勇気を振り絞って伝えた筈の想い。それから逃げたというのか?

 許せない。許せようはずが無い――が、彼は言いながら背中を丸め、両手を握り締めて膝に肘を突き、硬く目を閉じた。

 その姿は、まるで告解しているようにも見えて、自分の口は噤まれる。

 

 

「……はい。急に、怖くなったんです。あんなに酷い事をした僕を、それでも大事にしてくれる、さやかの優しさに。

 一度受け入れてしまえば、僕は多分、それに溺れてしまう。そうなれば、一生、あの子の優しさに縋らなくちゃ生きていけなくなって。

 ――二度と、対等な関係には戻れなくなりそうで、怖かった」

 

 

 恐れの見える項垂れた横顔に、しかし、共感は抱けなかった。

 真に対等な関係なんて、この世にあるのだろうか。親子、兄妹、友人、先輩後輩、上司部下、男と女――恋人同士。

 全く同じものなんて一つも無くて、だからこそ様々な影響を与え合い、変化が起きて、心を通わす。常に変わり続けるその中で、対等な関係を維持するだなんて、無理だと思うのだ。

 

 あるいは、だからこそ、さやかとだけは対等で居たいのだろうか。彼女に胸を張れる自分で居たいのだろうか。

 それなら少しは、分かる気がする。自分も、さやかに恥じぬ恋人でありたいと、そう思うから。

 大切な人から、一方的に優しさを与えられて、それに何も報いる事が出来ないのは……きっと、狂おしいほどの罪悪感に囚われるのだろう。

 でも、その考えは。その、想いの在り方は。

 

 

「仁美と、恋人になって。誰かを好きになるという事が、どういう事なのかを知った今なら、分かります。僕はあの頃、確かにさやかの事が――好きだったんだって」

 

 

 ……っ。

 

 息を呑む。上条君の告白に、自分は頭をぶん殴られたような衝撃を受けた。

 やはりこの二人は、昔から心を通じ合わせていたのだ。運命の悪戯ですれ違い、運悪く結ばれなかっただけで。

 自分はそれに、割り込んだだけ、なのか? ……いや、そんな、事は。

 

 

「別の子を好きになってから気づくなんて、本当にバカですよね――あ、勘違いしないで下さいね? 今更、さやかとどうこうなりたい訳じゃありませんし、後悔は、してませんから」

 

 

 ……どうして? さやかの事が好きだったなら、どうして後悔せずに居られる? どうしてそんな風に言えるんだ?

 

 自分ならきっと、後悔せずに居られない。例え、新しい恋が始まっていたとしても、見捨てる他に無い自分の想いに、必ず後悔してしまう。

 それなのに、君はどうして、そんなにも優しく微笑む事が出来るんだ。

 勝手に口を吐いた疑問に、上条君はこちらに向き直り、視線が重なる。その顔は、穏やかな中にも強い確信を抱いているように見え、とても逞しく思えた。

 

 

「貴方が、さやかの側に居たから」

 

 

 ……自分、が?

 

 

「さやかが一番苦しんでいた時に、一番側に居て、あの子の支えになってくれた貴方が居たから、後悔せずに居られるんです。

 今のさやかは、とても幸せそうです。もし、運命が悪戯して、貴方の居る場所に僕が立っていたとしても、あんな笑顔を引き出せる自信は、ありません。

 だから、さやかを救ってくれたのが貴方で――恋人になったのが貴方で、良かったって思えるんです」

 

 

 ……買い被りだよ、それは。自分は、偶々通り掛っただけで。

 特別な事なんて何も……何も出来ない、ただの凡人で……。

 

 

「そんな事ありません。辛い時に側に居てくれて、気に掛けて貰える。それがどんなに嬉しいか。それに、どんなに救われるか。僕は知っています。

 見ず知らずの女の子にも、その優しさを向ける事の出来た貴方だから、きっと、さやかを助ける事が出来たんです」

 

 

 否定しようと発した言葉に、しかし、見つめる視線は揺るがない。

 堪らず、目を逸らしてしまったけれど、彼はベンチから立ち上がり、こちらの正面に立つ事で、それを許してはくれなかった。

 

 

「だから。貴方に、お礼を言いたいのと、一つ、お願いがあります。

 さやかを助けてくれて、本当にありがとうございました。

 そしてこれからも、さやかの事をお願いします。

 あの子の事を――僕の大切な幼馴染を、世界で一番、幸せにしてあげて下さい」

 

 

 そう言って、上条君は深く頭を下げる。

 ――あぁ、そうだったのか。

 ここに来て、理解した。理解出来てしまった。上条君の事をでは無い。彼を好きになった、さやかの気持ちをだ。

 真っ直ぐなのだ。ヴァイオリンへの情熱も、志筑さんへの想いも、さやかへの親愛も。どこまでも真っ直ぐで、純粋で、それ故に曲がれない。さやかも、志筑さんも、彼のそんな所に惹かれたのだろう。

 認めよう。

 ただ単に、上条君に嫉妬していただけなのだと。全てにおいて恵まれている彼が羨ましくて、子供染みた対抗意識を燃やしていただけなのだと。

 こんな風に言われてしまっては、もう、敵うとは思えない。彼を嫌っていた自分が、恥ずかしくて仕方ない。

 だけど、こんな自分に彼は頭を下げて、ひたむきにさやかの幸せを願っている。せめて、それだけには応えなくては。これでも自分は、彼女の恋人なのだから。

 

 そんな事、言われるまでも無い。自分は、さやかの笑顔が好きなんだ。その笑顔を曇らせる事なんて、絶対にするもんか。

 ……信じて、くれるか?

 

 

「……はいっ」

 

 

 頭を上げた彼の顔には、輝くような表情が浮かぶ。

 唐突に、眩暈がしたように感じて、堪らず顔を背ける。そして、向けて欲しいと言った筈の信頼からも、目を逸らす。

 なんだか、自分が小さくなってしまったような、そんな感覚を覚えた。

 

 

「お~い! 買って来たよ~!」

 

 

 遠く呼びかける声に、上条君と共に振り向き、ベンチから立ち上がる。こちらに駆け寄る二人の少女に、自分は意図して口角を引き上げた。

 自分は今、笑えているだろうか。

 ……笑えていると良い。

 そうでなければ、自分が必死に強がっているだけだという事が、ばれてしまうから。

 あの言葉が、自分に言い聞かせているだけの言葉だと、見破られてしまうから。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……ねぇ、ちょっと」

 

 

 呼び止められたのは、四人で最後のスタンプを集めた後、今度こそカップル同士に分かれて、しばらくして。

 次は何に乗ろうかと、歩きながら地図を広げていた時だった。

 何だ? と後ろを振り返れば、さやかはその顔を少しばかり曇らせていた。

 心配になり、どうかしたのか? と、もう一度声を掛けたのだが、彼女は「ううん」と首を横に振る。

 

 

「それはこっちの台詞。どうかしたの? 何かあった?」

 

 

 近寄り、こちらの頬に右手を添えるさやか。見上げる顔には、こちらの身を案じる様子がありありと見て取れた。

 それは嬉しかったのだが、ついさっき誓ったばかりで、そんな顔をさせてしまったのが悔しくもあり、それを隠すために、別になんとも無いけど? と笑って返事をする。

 

 

「……うそ。あんた、無理して笑ってる。あたしには分かるんだから」

 

 

 しかし、彼女はそれを信じてくれなかったようで、そのまま優しく頬をつねり、真剣な表情で言葉を重ねた。

 

 

「恭介と、何かあったの? もしかして、無理、させちゃった? ……嫌な事があったなら、ちゃんと言って? あたし、バカだから。言葉にして貰わないと、分かれないから」

 

 

 さやかの言葉に、自分の胸は、締め付けられる様な喜びで一杯になってしまう。

 だが、それを表に出すと、余計なモノまで出て行ってしまいそうで、自分はその感情を、無理矢理に押し留める。

 

 大丈夫だよ。少し、疲れただけだと思うから。上条君とだって、別に喧嘩とかした訳じゃないし。むしろ、いい奴だと思うよ……自分は。

 

 

「……ほんと?」

 

 

 ……勿論。嘘なんかじゃないよ。礼儀正しいし、嫌味な所も無くて、話し易いし……イケメンなのはちょっとムカつくけどもさ?

 

 頬に触れている彼女の右手を握りながら、そんな風に、ふざけて笑う。

 少なくとも、自分は笑っているつもりだ。彼から聞いた、さやかが好きだといっていたらしい笑顔を、浮かべていられると思っていた。

 ……けれど。

 

 

「………………」

 

 

 静かにこちらを見つめる瞳と、触れ合う肌から伝わるものが、必死に被り続けた仮面を、いとも簡単に剥がしてしまう。

 持て余していた感情が溢れ、それは、言葉という形を成していく。

 

 ……自分で、良かったのかな。

 

 

「――え?」

 

 

 自分は、上条君みたいに顔も整ってないし、誰かに誇れる才能もないし、家だって普通の中流家庭で……あれほど情熱を注げる物も、持ってない。

 何ていうか、さ。全部、負けちゃってる気がして……自分はただ、好きなだけ……。

 そんな奴が、さやかの隣に居て……恋人で居て、良いのかな、って……。

 

 彼女に投げ掛けたのは、そんな言葉。こう言えば同情してくれると期待しての、あざとい言葉。

 だが、期待した反応は得る事が出来ず、片手を握り合ったまま、長く沈黙が続く。

 

 

「……ねぇ。ちょっと、かがんでくれる? ついでに、目も閉じて」

 

 

 不意に、さやかの開いた手が服を掴む。何? と問い掛けても、彼女は「いいから」と言うばかりで答えてくれない。

 仕方なく、言われた通りに少し体を前傾させ、目を閉じる。すると、こちらの肩に手が乗せられた。

 一体、何をされるんだろうか。まさか、キスでもしてくれるのか――

 

 

 

 

 

《ゴスッ!!》

 

 ぐほぁっ!!

 

「くぉ……キ、キスされるかと思った? 残念!! 頭突きでしたぁ!! ……うぅ、加減間違えたぁ……」

 

 

 

 

 

 ――だなんて思っていたら、額を襲った衝撃に、脳内に星が飛ぶ。

 な、何事だ……? つーか、スッゴイ音が…?

 

 さ、さやか、お、おま、お前なぁ……!? 何してくれんだよ!? シリアスな空気ぶち壊しじゃん!?

 

 

「うっさいわね! ぬぁにがシリアスよっ! ただイジケてるだけじゃない! 自業自得よ!」

 

 

 なにぉお!? ……うぉお、クラクラする……。

 

 

「……はぁ。ほら、こっち」

 

 

 魔法で強化でもされてたんじゃないかというほどに額が痛く、脳みそがグワングワンと揺れている。血が出ていないのが不思議なくらいだ。

 涙目で頭を押さえていたら、溜息を吐くさやかに反対の手を取られ、手近なベンチへと導かれる。

 何度目だろうと思いつつそれに座れば、彼女はこちらの正面に立ち、静かに問い掛けて来た。

 

 

「……ねぇ。もしかしてあんた、忘れちゃってる?」

 

 

 忘れ……? 一体、何の事だろう……?

 唐突に思える質問に呆けていると、彼女は溜息をついて肩を落とす。

 

 

「は~ぁ。ちょっとショック。あたしにとっては、すっごく大事な事だったんだけどなぁ……」

 

 

 酷く残念そうに呟くさやか。その姿に、額の痛みも忘れて、思い出そうと慌て始める。

 大事な物。さやかにとってのそれは、多分、上条君と志筑さんと、魔法少女の仲間達や家族、後は、恋人である自分の事、だろうか。

 だが、忘れている事なんて――ダメだ、思いつかない。

 どんなに考えても、さやかの言った事に思い当たる節が無い。それでも何とか思い出そうと、自分は首を捻って必死に唸る。

 

 

「……ふふ」

 

 

 ――が、彼女はそんな姿を見て微かに笑い、体をかがめて、右手の人差し指で鼻をツンと突いて来て。

 

 

「一番大事な物は、ちゃんと持ってるじゃない?」

 

 

 ……あ。

 

 

「それとも、あたしの事を好きな気持ちは、そんないじけた気持ちに負けちゃうくらいの、弱い物なの?」

 

 

 覚えのある台詞。

 あの日――さやかと出逢ったあの日、必死に頭から捻り出した、あの台詞。

 

 

「あんたの気持ちも、少しは分かるよ。あたしも前はそうだったんだから。自分と仁美を比べて、何にも勝てる所を見つけられなくて。

 でも、一番大事なのはそんな事じゃないって、そう言ってくれたのはあんたじゃない?

 誰かと比べるなんて事、しなくていいんだよ。あんたはあたしを選んでくれた。あたしはあんたを選んだ。それが事実なんだから」

 

 

 身を起こし、彼女は微笑む。

 指が離れると、その胸に頭を抱え、優しく髪を撫でてくれる。

 鼻の奥が、ツンとした。

 

 

「こんな事言うと勘違いされちゃうかもしれないけど。あたしはね、恭介を好きになった事、後悔なんてしてないよ? ……だって、そのおかげであんたと出会えたんだもん」

 

 

 囁く声には、紛れも無い愛しさが込められているのを感じる事が出来て。

 たったそれだけで、全てが満たされてしまう気がした。

 気だるい体も、冷え切っていた心も、瞬く間に癒されてしまう。

 愛する人の温度が、堪らなく心地良い。

 

 

「あたしが、恭介を好きじゃなかったら。仁美が、恭介を好きじゃなかったら。恭介が事故に遭わなかったら。

 あたしが、魔法少女にならなかったら。あの日、まどかと喧嘩しなかったら――あの日、雨が降ってなかったら。

 きっと、一つ違ってただけで、あんたとは出会えなかった。

 これってさ、凄い事だと思わない? こんな偶然、何処を探したって他に無いよ!

 ……だから、あたしは思うんだ。あんたと出会えた事こそが、あたしが祈った奇蹟の、本当の形だったんだって」

 

 

 ――あぁ、君は。

 

 

「だから、不安になんてならないで? あんたのおかげで、私は心を捨てずに済んだんだから。

 誰がなんと言おうと、あんたはあたしにとって、ピンチの時に駆けつけてくれた、白馬の王子様なんだから!!」

 

 

 君は、奇跡と呼んでくれるのか。

 ただ偶然が重なっただけとも言える出逢いを、魂を捧げるに足る奇蹟だと、思ってくれるのか。

 

 

「ま、王子様にしては、顔の造りがちょっと平凡だけどね~? そこだけがちょっと残念かな~?」

 

 

 ……いちいちオチをつけるなぁっ! このぉ!!

 

 

「きゃんっ! こ、こらっ、危ないでしょ!?」

 

 

 さやかの体を抱きすくめ、その勢いのままに立ち上がる。

 自分は、本当に、なんて単純な人間なんだろう。ついさっきまで、あんなに気分が沈んでいたというのに、大好きな人から肯定されるだけで、こんなに楽になってしまった。

 情けないけれど、こうして彼女の優しさを感じなければ、自分はダメになっていたかもしれない。暗い気持ちに負けて、本当に大切なものを失っていたかも知れない。

 だけど、思い出せた。さやかが、思い出させてくれた。あの頃の気持ちを――彼女に恋した時の気持ちを。

 そして、今までよりもずっとずっと、彼女の事を好きになってしまった。

 こんなに嬉しい事は無い。

 

 ……負けるもんか。

 

 

「え?」

 

 

 いつかまた、今日みたいに大切なものを見失う事があっても、さやかを想う気持ちだけは、きっと変わらない。

 この想いこそが、自分の持てる唯一の、そして、一番揺ぎ無い物なんだ。

 才能だとか、家柄だとか、そんなのどうでも良い。

 他の全てで負けたとしても、けど、この場所は。

 さやかに一番近い席だけは、他の誰にも渡さない。

 ……ああ、そうだ。

 この気持ちだけは、この世の誰にも負けるもんか! この世界の誰よりも! 自分が一番! さやかの事が大好きだっ!!

 

 

「ちょ、ちょっと、恥ずかしいから……! やめてよ……!」

 

 

 突然の叫びに、園内に見えた人影がこちらを振り返る。だが、抱き合う自分達の姿を確かめると、皆、柔らかな笑みを浮かべてくれた。

 暖かな視線を浴びせられて恥ずかしいのか、さやかはジタバタと腕の中で藻掻くのだが、そんな彼女を、自分は更に強く抱き締める。

 自分だって、注目を浴びるのは恥ずかしいけど。

 それでも、無性に。

 

 君への想いを、叫びたくて仕方がない。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 遊園地を巡る幅の広い道の真ん中で、誰もが恥ずかしくなるようなラブシーンを演じる一組の恋人達。

 そんな、抱き締め合う二人を――さやか達を遠目に見ながら、同じく恋人同士である少年と少女は――上条恭介と志筑仁美は、苦笑いを隠さない。

 

 

「余計な心配だったみたいだね」

 

「……ですわね」

 

 

 ジュースを手に戻ったさやか達と合流した後、やけに口数が少なくなったように感じた彼等が気になり、こうして物陰から伺っていた訳だが、それは全くの杞憂だったようだ。

 恭介としては、幼馴染を取られてしまった様でもあり、少しばかりの寂しさも感じたが、それ以上に、恋人からの愛の言葉に照れるその顔が眩しく見え、自然と笑顔が浮かぶ。

 

 

「……あの。恭介、君」

 

「ん? なに、仁美」

 

 

 しかし、同じものを見ているはずの仁美は、その顔を暗い色に染めていた。

 

 

「恭介君は、後悔、していませんか? 私を、選んでしまって」

 

 

 彼女を苛んでいるのは、不安。

 さやかと同じく恭介を想い、それ故に正々堂々と決着をつけたくて、彼女はさやかに告白を宣言した。しかし、結果としてそれは、さやかに先んじて、想いを告げる事を可能にする効果を持ってしまった。

 意図していた訳ではない。だが、全く予想していなかった訳でも無い。

 元来、人の心とは矛盾を孕み易い物。恋する苦しみを知る者であれば、彼女の気持ちも理解できるかも知れない。推奨するかは、また別だが。

 けれども、恭介と想いを通じ合わせてから積み重ねた想い出は、決して嘘偽りではなく、仁美としても胸を張ってそう言える。

 だからこそ、悲しみを越えて尚、光り輝くさやかの姿に、自らの汚い部分を再認識させられてしまうのだ。

 

 ――私よりも、彼女の方が。

 

 思わず、そんな事を考えてしまう位に。

 

 

「その言い方、嫌いだな」

 

「……え?」

 

 

 だが、そんな仁美の不安を、恭介は真っ向から否定する。

 

 

「選んでしまった、じゃなくて、僕は仁美を選んだんだ。

 色々あって浮かれてたのは確かだけど、でも、それを間違いだって思った事は、一度も無いよ。

 それが、受け入れなかったさやかの気持ちに対する、礼儀だとも思う。

 なにより、仁美の事が好きで、一緒に居たいと思うのは、紛れも無い今の僕の本心だ。……後悔なんて、あるはず無いよ」

 

「……恭介、君、っ」

 

「泣かないで、仁美。さ、行こう? まだ時間はたっぷりあるんだ。

 もっと楽しまなくちゃ! さやか達になんか負けない位、沢山の思い出を作ろう?」

 

「……っ、はいっ、さやかさんには、絶対に負けませんわっ!!」

 

 

 涙を拭いながら、仁美は差し出された手を握り返す。笑い合う二人の顔に、暗い影は一片たりとも見えはしない。

 指を絡ませ、肩を寄せ合いながら、彼等は騒がしい恋人達に背を向け、歩き出す。

 彼の言葉には、そうであろうとする誓いと、そうありたいという想いが込められている。

 ああ言った手前、恭介だって負けてはいられないのだ。仁美の事を、さやかに負けない位、幸せな女の子にしてあげたいのだから。

 

 

(ありがとう、さやか)

 

 

 遠ざかる気配を感じながら、恭介は祈る。

 気づいた時には既に終わっていた、余りにも拙い初恋と、そして、掛け替えの無い第二の恋に。

 幾許かの寂しさと、明日への期待を望ませる、素敵な終わりをくれた、彼と彼女の未来に。

 

 どうか、幸多からん事を。

 

 

 

 

 

 大好きだぁぁぁあぁあぁぁあぁあぁあぁああっ!!!!!!

 

「やめろっつってんでしょうがぁ!!」

 

 あべしっ!?

 

 

 

 

 




 おい、誰か騒乱罪で通報しろよあのバカップル。


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【暁美ほむらと】後日譚その4【時を駆けちゃった少女】・上

 

 

 ふと、右腕に重みを感じて、意識が浮上する。

 部屋が明るい――と言う事は、もう朝のようだ。確か今日は祝日で、自分も仕事は休みを貰っているはず。

 枕元を左手で探り、時計の時間を確かめてみれば、もう十時半だった。何時もの時間に比べて大分遅い。休みとは言え、寝過ぎだろうか。

 それはいいとして、さっきから感じるこの重さは何なのだろう。

 眼鏡が無いせいで視界はぼやけているが、この至近距離なら流石に目で見て判別できる。

 

 

「くぅ……くぅ……」

 

 

 ――が、緩やかに上下するシーツと、洩れ聞こえる寝息を聞けば、それがなんなのかは一瞬で理解できた。

 ゆっくりとシーツを捲ると、そこには、穏やかな寝息を立てる黒髪の少女――年下の恋人、暁美ほむらが居た。

 美しいその顔に浮かんでいるのは、誰もが思わず笑みを浮かべてしまうほど穏やかな寝顔。もちろん自分もその一人なのだが、それと同時に、まだ少し寝ぼけている頭に疑問が浮かぶ。

 どうしてほむらがここに? 合鍵は渡してあるけど、昨日寝た時は確かに自分一人だった筈。と言う事は、態々忍び込んできたのか? 何故? なにゆえ?

 彼女と恋人同士になって、もう一年以上。恥ずかしがり屋だった彼女も、人並み程度には積極的になってくれていたが、流石にこんなのは初めてだ。

 

 

「……ん、うぅん……」

 

 

 そんな事を考えながら横顔を眺めていると、ほむらは鼻に掛かった声と共に寝返りを打ち、それに合わせて、薄紫のパジャマの下にある胸がポヨンと揺れた。

 

 ――ポヨン?

 

 脳内に湧いた馴染みの無い擬音。思わず眉間に皺が寄った。

 そして、その疑問を解消すべく、無意識の内に手が伸びる。

 

 

「……ん、ふ、ぅ」

 

 

 むにゅむにゅ、と柔らかい感触。

 ああ、そうか。これは夢だ。ほむらの胸がこんな、手に余るほど大きい筈が無い。

 あの子の胸は、自分の手に丁度ジャストフィットする位の控えめな物。不自然にめり込んだ指の間から柔肉がはみ出たりしない。

 

 

「ん、んっ、あっ」

 

 

 しかし、夢とはいっても、この感触は素晴らしい。

 女性の胸なんて、家族を除けば、ほむらのしか触った事が無いけれど、世の男達が大きさに拘る理由が少し理解できたかも知れない。これは良いものだ。

 出来れば、もうちょっとこの夢が続きますように。

 なんて事を考えながら、指先に神経を集中させるため、自分はゆっくり瞼を閉じる。

 

 

「う、っ、ふ、ぅ」

 

 

 この柔らかさを、なんと表現すれば良いだろう。

 擬音で例えるなら、ふかふか、ぷにぷに、ふるふる、ぷよぷよ、といった所だろうか。

 指に合わせて自由自在に形を変えるそれは、触っているだけで幸せな気分を味わわせてくれた。

 

 

「ぁ、は、う、ん」

 

 

 ふと、手の平を押し上げる硬さが生まれる。

 寝ぼけた頭に、本能と呼んで良い部分がそれを教え、ボタンの隙間を通り、ブラのカップの中に手を差し込む。

 布地越しでは伝わらなかった熱が迎え入れ、肌と肌が擦れ合う。

 

 

「んん、んっ、んぅ」

 

 

 指を沈めれば、柔らかい肉の中にそれは埋まってしまい、こちらの手が包んでいる筈なのに、逆に暖かさに包まれる。

 ふにゅり、ふにゅり、というなんとも心地良い感触に、思わずうっとり、長い息が洩れた。

 

 

「は、ぁ、ふっ、あっ」

 

 

 しばらくそれを楽しんだ後、少しだけ手を浮かせ、中指の腹で頭頂部をくりくり弄る。

 軽く押し込むだけで埋まってしまうしこりは、しかし、己の存在を確かに主張した。

 その硬さを楽しむため、柔らかな膨らみを優しく絞るように手の動きを変え、親指と人差し指で頭頂部をしごき、摘み上げる。

 

 

「あ、んぅ、あん、う……ぇ、えっ!?」

 

 

 すると、快感を伴った吐息が、急に戸惑いの声に変わった。

 折角の夢なのだから、もうちょっと色っぽい声を出して欲しいなぁ……と思った次の瞬間。

 

 

「……ぃ、いやぁぁあぁぁあぁああっ!!!!!!」

 

《メキッ》

 

 んがっ!?

 

 

 突如として、顔面を隕石が襲った。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ほん、本当に、ごめんなさい……」

 

 

 場所を移し、男の一人暮しらしい、少し雑多なリビング。

 少女はカーペットの上に正座し、目の前で頭を下げていた。対面に座り、鼻に丸めたティッシュを詰めながら、や……気にしないで、なんて自分は返す。

 未だに顔面はしくしくと痛むが、思うがまま、あの素晴らしい感触を楽しんでしまったのだから仕方ない。

 それにしても……。

 

 君は、誰だ? 何でこの部屋に?

 

 

「あ……そ、それは、その、ぉ……」

 

 

 自分の発した質問に対し、少女はひたすら肩身を狭める。

 そう、余りに似ていたために勘違いしてしまったが、この少女、ほむらでは無かったのだ。

 眼鏡を掛けていなかったから間違えたのではなく、本当に瓜二つだった。艶やかな黒髪も、長い睫毛も、すっと通った鼻筋も。違う所を探す方が難しい。

 いや、明らかに違う所もあるのだが、ほむらの名誉の為にもそこは触れないでおこうと思う。物理的にはもう触っちゃったけれども。

 

 ……と、そう言えば、まだ謝ってなかったね。本当にごめん。余りにも恋人に似てたものだから、つい……。

 

 

「あ、いえ、そんな………………あ、の、もしかしてその人、ほむらって名前じゃ?」

 

 

 あれ? 知り合い? まさか、ほむらの姉妹とか……?

 

 唐突に、少女の口からほむらの名前が告げられた。

 そのため、あの子の知り合いなのかと思ったのだが、しかし、少女は両手を顔の前で振り否定する。

 

 

「やっぱり……あっ、ち、違いますっ、違う、んですけど……何て、言えばいいのか……」

 

 

 彼女の口振りは、いかにも戸惑っていますと言わんばかり。けれど、その様子を見ると、違うと言う言葉が嘘の様に感じられてしまった。

 なぜかと言えば、その仕草すらもほむらに似ていたからだ。より正確に言うならば、魔法少女になる前の、と付け加えなければならないが。

 おどおどこちらを伺う様子。そわそわと両の指を絡ませ、上目遣いになっている姿なんか、特に似ている。

 これならむしろ、ほむらの関係者と思ったほうがよっぽど納得できる。それも、自分の置かれた不可思議な状況を考えれば、おそらくは魔法少女方面の。

 だが――

 

 

「うーんと……えーと……」

 

 

 ――必死に頭を捻っている少女の手元を確かめても、その証は見当たらない。

 この少女が魔法少女であるならば、その左手には、ソウルジェムの待機状態である指輪が嵌められていて、中指の爪には特徴的なマークが印されている筈なのだ。

 それ等には、そこにあると知っていなければ見る事ができない、という程度の認識疎外の魔法が掛かっているらしいが、自分はそれを知っているのだから見れるはず。なのに、それが無い。

 指輪だけなら外せるとの事だが、爪のマークは誤魔化しようが無いだろう。マニキュアで隠せたり出来るのかも知れないが、そこまで用意周到に準備が出来るのなら、あんなに無防備に胸を揉まれやしないだろうし。

 一体、どういう事なのだろうか……それにしても凄かった……。

 

 

「あ、あのぉ……?」

 

 

 あ、はい!? なんでしょうっ?

 

 不埒な事を考えている最中に話しかけられたせいで声が上擦ってしまったが、少女はそれを気にしていないのか、言葉を続ける。

 

 

「信じて貰えるか、自信が無いん、ですけど。私は、貴方の……」

 

 

 ――と、少女が肝心な事を口にしようとした瞬間、玄関の方から『ポーン』と単調なチャイムが鳴った。

 話の腰を折られ、誰だよもう、と文句を言いつつ立ち上がり、中腰になった所で思い出す。

 自分でも、顔が真っ青になり、冷や汗が垂れてくるのが分かった。

 

 ……しまった!? 今日は朝からほむらが来てくれる約束だった!?

 

 

「……え?」

 

 

 今日は二週間に一度の、ほむらが家に掃除をしに来てくれる日なのである。

 自分としては、部屋が少しごちゃごちゃでも気にはならないのだが(勿論、仕事場は別だ)、恋人としては看過できないらしく、折を見て部屋を片付けに来てくれるのだ。

 その後は、二人でゆっくりと休日を過ごし、時々買い物に行ったり、そのまま彼女が泊まって行ったりもする、待ち望んでいた日でもある。

 が、この状況はとても不味い。

 

 

「……来る? ――さんが?」

 

 

 何が不味いかと言えば、ほむらに似たこの少女に決まっている。

 彼女に瓜二つ、それなのに局地的には月とすっぽん、マリアナ海溝とエベレスト山脈のような差のあるこの子と一緒に居る所を見られたら、何が起こるか分からない(我ながら酷い例えだ。後でそれとなく謝ろう)。

 最悪、浮気と勘違いされて――それだけは、避けなければ!!

 

 君! 悪いんだけど、今すぐどこかに隠れて!

 

 

「え? 隠れ……え?」

 

 

 玄関の向こうに届かないよう、小声でそう話しかけるのだが、少女は状況が理解できていないのか、狼狽えるばかり。

 仕方なく少女の手を取り、そそくさ・こそこそ、寝室へ戻る。

 

 

「あ、あのっ、待って下さい、私、話さなくちゃいけない事が……!」

 

 

 ごめん、それは後で聞くから、今は黙ってそこに隠れてて!

 

 

「ま、待って、おと――」

 

 

 必死に何かを訴えようとする少女。それを無視するのは心苦しかったが、今はこの状況をクリアするのが先決。

 そんな訳で、彼女をクローゼットの中へと押し込み、自分は急いで二度目のチャイムが鳴る玄関へと向かう。

 はーい、と返事をし、その扉を開けたなら――

 

 

「あ、おはよ……う……?」

 

 

 ――どうしてだか、朝の挨拶を疑問形にして首を傾げる女の子。今度こそ、自分の恋人である暁美ほむらが立っていた。

 その出で立ちは、小さなリボンのついた白いカチューシャ、黒のジャケットに紫色のブラウス、灰色のプリーツスカートに黒のハイソックスという物。

 部屋の掃除には少し向かない格好かも知れないが、やはり、好きな女の子が着飾ってくれているのは目が楽しい。

 

 

「ど、どうしたの、その顔……?」

 

 

 しかし、ほむらはその顔を心配そうな色に変えてしまう。

 一体どうし――あ、しまった。良く考えたら鼻にティッシュを詰めたままだった。

 

 あ、えっと、実はついさっき起きたばかりで、その、寝ぼけてベッドから落ちちゃって……。

 

 仕方なくそんな風に言い訳をすれば、今度は驚いたような表情を見せるほむら。

 

 

「まだ寝ていたの? それじゃあ、朝御飯は?」

 

 

 まだです、と頭を掻きながら自分は返し、それに心底呆れ返った様子で、彼女は溜息を漏らす。

 

 

「ふぅ……仕方ないわね。掃除の前に、私が軽く何か作るわ。卵、まだあったわよね?」

 

 

 返事も聞かず、ほむらは小さめの1LDKの中へと入っていく。その足取りは非常に軽やかで、口振りとは裏腹に、かなり上機嫌なのが伺える。

 少し前……と言っても、彼女には昔の話だが、まだ病弱だった頃、医師や看護師さんにお世話されてばかりだったのが原因か、今では逆に、誰かの世話を焼くのが楽しいらしい。

 そのおかげで自分も楽が出来るし、鼻歌交じりに家事をしてくれる後姿を眺めるのも乙な物で、なんとも言えない充足感があったりする。

 

 

「っと、そうそう。その前に洗濯機廻しておいた方がいいわね。また溜まっているでしょうし」

 

 

 言いながら、ほむらは洗面所に姿を消し、洗濯機のふたの開閉音が聞こえた。一人やもめの習性か、つい洗濯物を溜め込んでしまうのもお見通しらしい。

 なんだか、このまま結婚なんかしたら、尻に敷かれてしまいそうな気がしないでもない――まぁ、どんなに最速でも後一年は先の話だが。

 どだい、それは無理な話しだし、その前にご両親の理解も得ないと――やはり、あの人に相談するべきだろうか。

 と、そんな事を考えていたら、靴下を片手に彼女がひょっこり顔を出す。

 

 

「この靴下、片方だけ見当たらないんだけれど?」

 

 

 あれ、そう? どっかで落としたかな……。

 

 何時もは寝室で部屋着に着替えた後、脱いだものはまとめて洗濯機の所へ持っていくため、その最中で落としたのかも知れない。

 そう考え、靴下を探そうと部屋に戻ろうとするのだが、一足先にほむらがリビングへと歩いて行く。

 

 

「多分、また寝室ね。時々ベッドの所に落ちているから」

 

 

 あぁ――寝室?

 

 いや、今寝室に行かれるのは不味い! ただでさえ感覚の鋭い魔法少女、うっかり同じ部屋に立ち入られたりしたら即行でバレかねない!

 気づいた瞬間、自分は足早にほむらの前へと回り込み、その進行を押し留める。

 

 く、靴下は自分で回収するから、ほむらは朝御飯作ってくれないか? お腹減っちゃって……。

 

 

「え? でも、先に廻しておけば、その間に食べられるし……」

 

 

 いや、たまには自分でやるよっ。

 そうしないと、いつまで経っても洗濯物を溜め込む癖が抜けないだろうし、ね?

 

 

「……怪しい」

 

 

 へ? あ、ちょっと?

 

 流石にワザとらしかったか、ほむらはずいっと体を寄せ、小さな頭をこちらの体に密着させてくる。

 そのまま、くんくん、と鼻を鳴らしてはその位置を移動させ、右腕の辺りに来た所で――

 

 

「――他のオンナのニオイがする」

 

 

 ――暗い瞳で、そう言った。背筋に、ゾワリ、と悪寒が走った。

 この言い知れない感覚、前に何処かで……あぁ、そうか、使い魔の結界に呑まれた時だ。

 え? という事は自分、命の危機に晒されてる?

 なんて思ったのも束の間、隙を突いて彼女は横をすり抜け、寝室に入っていった。

 殺気から開放されて一息吐くも、安心している場合ではない事を思い出し、ほ、ほむら!? と名を呼びながら後姿を追う。

 

 

「……そこね」

 

 

 彼女の背中に追いついた頃には、彼女は部屋をぐるりを一瞥し、一直線にクローゼットへと向かっている所だった。

 そして、止める間も無く彼女はその扉を開け放つ。

 

 

「………………」

 

「……お、おはようございます……」

 

「……ふぅ……」

 

 

 クローゼットの中で縮こまっていた少女が、目を丸くしながらも挨拶をし、ほむらは、ふぁさ、と黒髪をかき上げた。

 後姿しか見えず、どんな顔をしているのかは想像できない、いや、想像したくなかったが、間違い無く誤解はしているだろうと考え、自分は声を掛ける。

 

 あの、ほむら? これには事情があってね? いや、自分もよくは分かってないんだけど、きっと事情がある筈だから、とにかく落ち着いて――

 

 

「大丈夫。私は落ち着いているわ。でもとりあえず、貴方を殺して私も死ぬわ」

 

 

 ――全然落ち着いてないじゃないか!? 銃をしまって、お願いだから!?

 

 やけに落ち着いた声でそういった後、彼女は振り返りながら、何処からとも無く銃を取り出し、スライドをジャキンと引いてこちらに構えた。

 向けられているのは、デザートイーグルの五十口径仕様。

 どこぞのヤの付く自営業な方々の事務所から拝借してきたと言う、少女の手には似つかわしくない、重厚な大型拳銃である。

 ちなみにその事務所、ほむらの時間停止がまだ健在だった頃、火器・弾薬を密輸入するたびにごっそり盗まれる、という奇妙な出来事によって廃業に追い込まれたそうだ。

 現実逃避気味にそんな事を思い出していれば、ほむらに似た少女はクローゼットから飛び出し、ほむらを宥めようと声を掛け始めた。

 

 

「あ、あのっ、違うんです、私、その人とは、変な事は何も――」

 

「黙りなさいこの泥棒猫。彼が済んだら貴方の番よ」

 

「――あ、ぅ」

 

 

 あんなにもエロく胸を揉みしだかれたにも関わらず、こちらを庇ってくれる少女の言葉に、思わず涙が出そうになったが、それは火に油を注いでしまった。

 ……どころではなく、ガソリンをぶちまけた様な物らしくて、ほむらは背後の少女にそう吐き捨て、爛々と目を輝かせる。

 

 

「私にそっくりで、声も同じで、それなのに、こんな――巴さんみたいに一部分だけ不必要に膨れ上がった女と浮気なんてされたら……皆死ぬしかないじゃない!? 貴方も、私も! ついでにその子も!?」

 

 

 物騒な台詞を言う彼女の背後に、なにか見覚えのある巻き髪のシルエットが見えたのは気のせいだろうか。

 ……いや、そんな事を考えている場合ではない。今はとにかく、この場を切り抜ける事だけに集中せねばっ!!

 

 その解決方法はどうかと思うよ!? そんなので撃たれたら一発で死んじゃうからっ!? 死んだって何も解決はしないよ!?

 

 

「平気よ。ゴム弾だもの」

 

 

 何処で手に入れたそんなの!? それって、殺しはしないけど死ぬほど痛い目見ろって事ですかっ!?

 

 

「理解が早くて助かるわ」

 

 

 ほむらはゴリゴリと銃口を押し付けながら、非常にイイ笑顔でそう言ってのけた。

 あぁ、だめだ、楽しんでいらっしゃる。

 彼女の目を見るに、ちょっと状況に酔っているようにも感じられた。確かに、こんな昼ドラみたいな状況に立たされればそうなってもおかしくは無いが、痛いのは勘弁だ。

 と言うかこの至近距離で撃たれたらゴム弾でも死ぬ。一体、どうすればお仕置きされずに済む……!?

 両手を挙げて、引き攣った笑顔を浮かべながら、それでも最悪の結果を回避するため、必死に頭を回転させていると――

 

 

「ま、待って……お願いだから止めて、お母さんっ!!」

 

「……え?」

 

 

 ――あの少女が、身を切るような叫びを上げていた。しかし、その内容は奇妙なもので、言い間違えたのかとも思われた。

 けれど、ほむらを見つめる少女の目は真剣そのもの――本当に、子が親の喧嘩を止めようとしている様な、切実さを感じさせる。

 思わずほむらと二人、少女の顔を見つめてしまうが、引っ込みが付かないのか、ほむらは再び声を荒げた。

 

 

「……っ、な、何を言っているの、貴方は。私はまだ子供を産んだ事は無いわ! それに……!」

 

 

 そこで一旦言葉を区切ると、ほむらは少女に向き直り、胸を張って言い切った。

 

 

 

 

 

「百歩譲って貴方が私の娘だとして、その胸は何!? 私の娘なら、そんなに胸が大きく成長する筈が無いじゃないっ!!!!!! ………………ぐすんっ」

 

「お母さん……」

 

 

 ……ほむら? 言ってて悲しくなる位なら、いっそ言わないという選択肢もあるんだよ?

 

 

「今度から……そうするわ……」

 

 

 

 

 

 自身の口から出た言葉に傷つき、ほむらは涙目になって俯いた。

 しかし、ダメージを負った事で思考がリセットされたのか、彼女はおもむろに銃をしまうのだった。

 

 

「……とりあえず、言い訳があるなら聞かせて貰うわ。リビングで話しましょう」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 再びリビングへ戻り、今度はテーブルを囲んで三人で座り込む。対面に少女が座り、自分とほむらは隣り合って座っている。

 手元には湯気を立てる日本茶があり、春先だというのに妙に寒く感じる部屋の中、暖かな温もりが心を安らかにしてくれた。

 その湯飲みを両手で包み込み、一口お茶を含んだ後、少女はおずおずと事情を語り出す。

 

 

「……私は、その。二十年くらい先からタイムスリップしてきた、お二人の娘、なんです。名前は、その、言わない方が……」

 

 

 名前――確かに、聞かないほうが良いかも知れない。

 未来から来たという言葉が本当なら、ここで名前を聞いてしまうと、彼女の名前の決定に大きな影響が出てしまう可能性もある。

 と言うか、実の娘のおっぱいを性的に弄ぶとか、人として最低だ、自分。

 どうしよう、えも言われぬこの後ろめたさ。

 ……いや、取り合えず置いておこう。今は彼女の話を聞く事の方が先決だ。

 

 しかし、二十年か。君は今、何歳なんだい?

 

 

「あ、十六、です」

 

「一つ年上なのね……。でも、未来から来たと言うなら、それを証明できる物は持っているの? でなければ、流石に信じることは出来ないのだけど?」

 

「あ、あります。えと、これです……んっ」

 

「!」

 

 

 ほむらの問い掛けに対し、少女は左腕を翳して見せる。少し力を込めると、パッ、と光が弾け、薄い円形の物体が出現していた。

 見覚えのあるそれは、ほむらが魔法少女としての姿になった時、必ず左腕に装着しているバックラーだった。

 細かい細工、ガラスのような部分から覗ける赤みを帯びた砂。おそらく、ほむらの持っている物と同じ物だろう。

 彼女自身そう感じたのか、身を乗り出してしげしげとそれを眺めた後、静かに頷いて見せた。

 

 

「……確かに、説得力はあるわね」

 

「それじゃあ……!」

 

「でも、所持しているだけでは貴方の言う事を信じる事はできないわ。

 物品をコピーする能力で作り出した可能性もあるし、第一、私以外にそれが使えるはずが無いもの。

 それにもう一つ。今、貴方は確かに魔力を発した。私に娘が生まれたとしても、魔法少女になる事だけは許したりしないはずよ。絶対に」

 

 

 そう言うと、ほむらは硬い視線を少女に向ける。彼女のいう事も、尤もだ。

 詳細は省くが、魔法少女は契約の際に、多大な代償を払わなければならない。

 例え、それと引き換えにどんな願いでも一つだけ叶うとしても、その後の結末は酷く残酷な物。愛する娘がそんな契約をしようとしていたら、自分だって必死に止めるだろう。

 しかし、少女はその懸念を一言で消し去ってくれる。

 

 

「あ、大丈夫です。私、魔法少女じゃ、ありませんから」

 

「……どういう事? 貴方、さっき……」

 

「……言っても、大丈夫、だよね……この時代にも、私と同じ人は居るはずだし……」

 

 

 少女は一瞬、迷うような素振りを見せたが、言うべきだと判断したのか、小さく頷く。

 

 

「魔法少女の契約をした女の人から生まれた子供は、高い確率で、魔力を扱う素養を持って生まれるんです」

 

「……っ!? どう、して……!」

 

「えっと、魔法少女って、肉体の維持にも魔力を使うん、ですよね? お腹の中に居る間に赤ちゃんがそれを感じ取って、無意識の内に、魔力を生み出す技能を獲得する……って、キュゥべえが……」

 

「あいつ……やっぱりまだ秘密にしている事が……!」

 

 

 ほむらは憎々しげに顔を歪ませる。自分も少々――いや、かなりの怒りを感じた。

 確かあいつは――魔法少女を生み出す契約を執り行う、異星知性体『インキュベーター』――通称キュゥべえは、魔法少女も問題なく子供を産める、とほむらに説明したはずなのだ。

 しかし、生まれてくる子供に影響があるなんて聞いていない。

 おそらくキュゥべえからしてみれば、聞かれなかったから答えなかったに過ぎないのだろうが、相変わらずの人を食った態度に嫌気が差す。

 けれども、怒りをぶつける相手は自分には見えないし、ここで怒っていても仕方ない。自分は、怒りに握り締められたほむらの拳にそっと手を添え、少女に語りかける。

 

 魔法が使える理由は分かったけど、その事で何か、デメリットはあったりするの? 例えば、魔法少女みたいに、穢れの問題とか……。

 

 

「あ、いえっ、それは平気、です。魔法を使うとすごく疲れる、ぐらいです。キュゥべえが言うには、元々、極稀に私達みたいな人が生まれていたみたいで。……中には、昔の戦争で活躍した男の人も居るみたい、です」

 

「……そう。良かった……」

 

 

 投げ掛けた質問に、少女が否定の言葉を返し、ほむらは、ほっ、と溜息を漏らす。

 考えてみれば、魔法少女が子を生す事自体、ありえない話ではないのだから、魔法少女の子孫が居たとしても不思議ではない。過去に遡るほど女性の初出産年齢は低下するはずだから、可能性はある。

 ひょっとしたら、彼の舩坂弘や、ハンス=ウルリッヒ・ルーデルなんかも、魔法少女の息子――もしくはその子孫だったのかも……。

 

 

「でも、ソウルジェムが無いから、その分、魔力の制御は不安定で……。私がタイムスリップしたのも、そのせいなんです」

 

「……続けて」

 

「うん……じゃない、はい。あの日は私、なんだか寝付けなくって。お水を飲みに起きたらお母さ――ほむら、さんも起きてて。

 ちょっとした好奇心が湧いて、私は、このバックラーを見せて貰っていたんです。昔の思い出話なんかも、聞かせて貰って。

 だけど、このバックラーの中には、使用せずに溜まり続けた魔力が溢れていて、それに私の魔力が反応して、暴走して……気がついたら、この時代に……。

 それで、この時代のキュゥべえと相談して、未来に戻るために色々試行錯誤して、蓄積した魔力を使って時間移動を繰り返して……この部屋に来れたのは、その誤差のせいだと、思うんですけど……」

 

「なるほど、ね。でも、私の娘だからって、都合良く時間遡行の魔法を使えるのかしら……?」

 

「……これも、キュゥべえから聞いた話、なんですけど。私達――第二世代魔法少女の魔力には、方向性が無いらしいんです」

 

「方向性?」

 

「はい。言わば、どんな色にも染められる無色の力、らしいです。普通の魔法少女は、祈りによる定義付けで方向性を決めて、限定する事でその効果を高める……って」

 

 

 少女の説明に、なるほど、と呟く。

 魔法と言っても、どんな事でも際限無く出来るわけではないのは、ほむらに聞いて知っていた。事実、彼女は時間遡行・時間停止という特殊な魔法を使えた半面、攻撃能力を持った魔法を殆ど使えない。

 元々、時間停止は時間遡行の準備期間にのみ使える魔法で、望む未来に至り、事実上、時間停止魔法を失った今、その戦闘能力は全盛期と比べ下がっている。

 そして、新たに銃火器を入手することも難しくなった彼女は現在、新たに弓矢を戦闘に組み込んでいる。

 弓は機械式のコンパウンドボウとボウガンを併用し、放つ矢は自作の炸裂矢だ。

 銃と弓の違いは大きいが、長い戦闘経験のおかげか、敵との距離の取り方や、行動予測の正確さでそれを補い、命中率はかなりの物らしい。

 まぁ、恋人が夜な夜な爆発物を作成している事に思う事が無いわけではないが、そのおかげで自分達は平穏に暮らせるのだから、何も言わないでおこう。

 思考が逸れたが、そういった方向性の定義付けが無い魔力は、正に万能の力とも言える。それに、ほむらの時間に定義付けされた魔力が重なれば――可能性は、無くはない。

 

 

「とりあえず、貴方の言った事が本当なら、私以外でも時間遡行は可能になるわね」

 

「ほ、本当です! 信じて下さい!」

 

「……そうね、信じるわ。でも、それでもまだ、貴方が私の娘であるとは言い切れないわね。無色の力とやらが本当なら、別に私の娘でなくとも発動できるわけだし」

 

「……っ!? そ、そんなぁ……!」

 

「何か、他には無いの? 貴方だけが知っている、家族の秘密とか……こういう話に定番の、ほくろの位置とか」

 

「ほくろ……あ、そう言えば……でも……」

 

 

 一度は否定するものの、ほむらとしても信じたいと思い始めているのか、彼女は確実に信じるための証拠を求める。

 それを受けて、少女は少し考え込み、ぱっ、と頭を上げるのだが、また直ぐに俯いてしまう。

 

 

「心当たりが?」

 

「あ、えっと……どうしよう……言っていいのかな……」

 

「何か、覚えのある反応ね……何を言われても怒ったりはしないから、とにかく言ってみなさい」

 

「う、うん……」

 

 

 少女の逡巡をほむらが後押しし、少女がゆっくりと語りだす。

 未だ親子の確証は無いのだが、自分から見ればそのやり取りは、母親が悩んでいる娘に話を促しているようでもあった。

 そんな中、ほむらはお茶を啜り、少女の言葉を待っていたのだが――

 

 

「ほくろの位置とかじゃ、ないんですけど……お、おっほん。……に、に……二回目のHは、猫耳モード……とか……」

 

「こふっ!? こほっ、ぐぉほっ!! な、何でそれを!?」

 

「えと、その、ぉ、さっき言った思い出話の時に……他にも、色々と……」

 

「もういいわ! お願いだからそれ以上言わないでっ!? 娘になんて事を教えるの未来の私……!!」

 

 

 ――少女の口から出た秘密にほむらは噎せ返り、顔を紅くして動揺している。言った本人である少女も、恥ずかしいのか頬を染めていた。

 噎せるほむらの背中を、大丈夫? と優しく撫でながら、実は自分も動揺していた。

 実の娘と思しき少女にプレイ内容を語られるとか憤死物である。事実だから否定もできないし。

 ちなみに、自分が要求した訳ではない。ほむらが自主的に用意してくれたのだ。それはもう、前後不覚になるくらい可愛らしかった。

 

 

「あのぉ……信じて、貰えました、か?」

 

「えぇ、信じるわ。信じるしかないじゃない……キュゥべえも完全に駆除してたんだから、誰にもバレる筈が無いもの……」

 

「良かったぁ。信じて貰えなかったら、私、どうしようかと」

 

 

 少女は両手を胸に当てて、深く安堵の溜息を吐く。その表情は、やはりほむらに良く似ていた。

 しかし、彼女が未来から来た自分とほむらの娘であるのならば、一体どうやって未来に戻るのだろう。

 ほむらの魔法はあくまで時間遡行。時の順行までカバーできるとは思えないのだが……。

 それを問い掛けてみると、少女はこちらに顔を向き直し語る。

 

 

「バックラーに蓄積されている遡行の魔力の方向性を、私の魔力で逆転させるんです。二十年分溜まってるから、それ自体は時間も置かずに、簡単に出来るんですけど、問題は目印の方で……」

 

「目印?」

 

「私の元居た世界に帰るためには、そこに向かって順行するための、目印が必要なんです。時間の経過で変化しないもので、強力な魔法少女の魔力を分けてもらうのが一番、なんですけど……。

 今までの世界には、マギカ・カルテットの皆さんが揃っている世界が、見当たらなくて……。結局、上手く行かなくって、同じ時代の、別の世界に戻ってきちゃって……」

 

 

 マギカ・カルテット?

 

 聞き覚えの無い単語に、ほむらと合わせて首を傾げれば、少女は誇らしげに答える。

 

 

「今まで誰も倒せなかった最強の魔女“ワルプルギスの夜”を倒した、最強の魔法少女四人組の事です。命名はマミさんで、魔法少女の間では有名ですっ」

 

「……相変わらず絶好調ね、巴さん。という事は、貴方の居た未来にも……?」

 

「はい。さやかさんにマミさん、杏子さんとお母――ほむらさんの四人が、皆さんが居ます。……今までの世界では、もう亡くなってる事が殆どで……悲しかった、です……」

 

「……そう……」

 

 

 ほむらと少女は、二人揃って悲しげに瞼を伏せる。

 聞いた話では、この街に居る魔法少女四人が全員生存する事は、今までに無かったと言う。

 もし少女が、自分達の居る時間軸の延長線上の世界からタイムスリップしたのだとしたら、知っている人、しかも、おそらくは親しい人物が若くして亡くなっている世界なんて、酷く寂しい世界と感じるに違いない。

 自分もそれは同じだし、ほむらにしてみれば、救いきれなかった友人達を思い出してしまうのだろう。二人とも、辛そうだ。

 そんな顔を見ているのが嫌で、自分は努めて明るく声を発する。

 

 でも、この世界にはマギカ・カルテットの四人は揃ってるんだし、問題無いね。

 彼女達から目印になる魔力を分けてもらえれば、確実に未来に帰れるんだろう?

 

 

「あ、はい、大丈夫なはず、です。これは、私の感覚的なものなんですけど、四人分の魔力を分けてもらえれば、確実に行けると思いますっ。やっと、帰れる……!」

 

 

 胸の上で小さな手を重ね合わせ、少女は控えめに喜びを表す。

 泣きそうにも見えるその顔を見て、自分の中には、この子を助けたいという強い思いが生まれていた。

 隣を見てみれば、ほむらと視線が合う。どうやら、同じ事を考えているらしい。ふっ、と二人で笑いあった後、彼女は少女に向けて尋ねる。

 

 

「所で、その魔力はどうやって分けて貰うつもりだったの?」

 

「あ……えと、今までは、その、生きているって分かった時は、事前にどうにかして魔女を倒して、グリーフシードと引き換えに、少しだけ分けて貰ってました。

 それでも、信用して貰える事の方が少なくて……仕方ないから、戦いに割り込んだりして……」

 

「随分と無茶を……今まで、よく無事だったわね」

 

「……怖かった、ですけど、そうしないと帰れないから……私、必死で……」

 

「……そう。でも、もうその必要も無いわね」

 

「え?」

 

 

 首を傾げる少女を余所に、ほむらは椅子から立ち上がる。

 その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。

 

 

「さて、と。貴方の着る服を取ってくるわ。それと、何時までも“貴方”じゃ呼びづらいし、仮にでも名前を決めておかなくちゃね」

 

「え、え? あ、の……もしかして、手伝ってくれるん、ですか……?」

 

「何を言っているの。そんなの、当たり前でしょう?」

 

「………………」

 

 

 然も当然、と言ってのけるほむらを、少女は黙って見つめる。

 ぼう、とした視線が横に滑り、こちらに向けられると、自分はそれに躊躇い無く頷き返す。

 

 例え、この時代ではまだ産まれていなくても、君は自分達の娘なんだろう?

 だったら、それを助けたいと思うのは、親として当然だよ。手伝わせてくれるね?

 

 

「……ぁ、ありがとう、ございます!」

 

 

 ほんのちょっとの間だけ、呆気に取られたような顔を見せた少女は、不意に涙を浮かべて、深々と頭を下げる。

 その姿はやはり、出会ったばかりの頃のほむらと、瓜二つだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 カフェ<レパ・マチュカ>見滝原店。

 一年近く前に開店したこの店は、オーナーがシェフである事も手伝って、料理の美味しいカフェ・レストランとして人気を博していた。

 デザートメニューも豊富で、中には、食べきれば賞金五千円の特大バケツパフェなんていう物もあったりする(要予約)。

 お昼前の、空きの目立つ店内。その窓際席にて。

 自分達は早めの昼食を兼ねた、遅めの朝食を摂った後、これからの事を打ち合わせていた。

 

 

「最初のターゲット――じゃなくて、魔力を提供して貰うのは、巴さんよ」

 

「は、はい……!」

 

 

 食後のレモンティーを一口含み、ほむらは言う。向かい合い頷く少女は、やや緊張の面持ち。

 ほむらと同じく、食後のコーヒーを啜る自分は、そんな二人を笑顔で見守っている。

 なんと言うか、恋人が二人に増えたみたいで、ちょっと幸せだ。

 

 

「もう巴さんは電話で呼び出してあるから、上手く行くかは演技次第。大丈夫?」

 

「が、頑張ります……!」

 

「駄目よ。私はそんな喋り方しないわ。もっと落ち着いて」

 

「あ、はい……じゃない、えと……わ、分かった、わ……大丈夫、必ず成功させて見せるわ」

 

「ん、大分マシね。でも、私も巴さんには基本敬語だから、余り緊張しないで」

 

「……はい。気をつけます」

 

 

 満足そうに頷くほむらに合わせて、結い上げたお下げ髪が揺れる。その目元には、真っ赤なフレームの眼鏡が掛けられていた。

 彼女は何故そんな格好をしているのか。

 それは、せっかくの休日なのに、ただ四人の仲間と会うだけではつまらないから、と、自分が提案したからだ。

 どうしてそれがほむらを昔の姿にしたのかと問われれば、答えは先のやり取りの中にある。

 そう、自分が思いついた事とは、演技をする少女をほむらと勘違いさせ、その後ろから変装した本物のほむらがネタ晴らしをすると言う物。

 いわゆる、ドッキリである。

 最初は二人とも乗り気ではなかったようだが、いざその時となると、こうして真剣な表情をしている。

 友達を驚かすために入念な打ち合わせをしている彼女達の姿は、歳相応の少女そのもので、とても微笑ましい。

 加えて、自分にとっては、昔のほむらと今のほむらを一遍に見られてとても目が嬉しい上に、二人の性格が当時のそれとちぐはぐなせいで、可笑しくてしょうがないのだった。

 

 

「それじゃあ、私はそろそろ向こうの席に行くわ。しっかりね」

 

 

 こちらの顔を順繰りに眺めた後、ほむらは席を立つ。

 ブレの無い足取りを見送りながら、少女と二人合わせて頷くのだが、その後姿が見えなくなった途端、彼女は不安そうな表情を露にした。

 

 

「はぁ。上手く、出来るかなぁ……? 自信、無いよ……」

 

 

 大丈夫だよ。いざとなったら、自分もフォローするから。

 それに、最後はどうせバラすんだからさ。そう思っておけば平気平気。

 

 隣に座る頼りなげな少女を、そう言って励ます。ついでとばかりに頭を撫でてあげると、彼女はくすぐったそうに目を閉じた。

 

 

「わ、私、もう子供じゃない、です……ぇへへ」

 

 

 子供じゃないと主張する割りに、その顔には、隠しきれない喜びの色が見えた。釣られて、自分まで笑顔になってしまう。

 それを隠さぬまま、もう平気? と尋ねれば、彼女ははにかみながら小さく頷く。

 

 

「うん。ありがとう、お父さ――あっ、ご、ごめんなさ……」

 

 

 言いかけて、少女が急に謝る。

 小さく息を吐き、好きに呼んでくれて良いよ、なんて微笑み掛けると、彼女は恐る恐る呟く。

 

 

「……お、お父、さん……?」

 

 

 なんだい、ほのか。

 

 

「……ぇへへ」

 

 

 堪えきれない、といった様子で、少女は――ほのかは笑顔を零す。自然と、自分達は微笑み合う形となった。

 この喫茶店までの道中、ほむらと二人でああだこうだと言い合った結果、未来からやって来た娘の仮名は、「ほのか」となった。

 それを聞いた時、彼女が驚いた顔をしたのが気にはなったが、本人もそれが良いと言うので、決まりになる。

 ……が、自分としては、この名前だと自分との娘というより、ほむらと、その大親友である鹿目まどかさんとの娘な気がして、なんだか負けたような気がしてしまう。

 なのに、胸をじんわりと温めてくれる、こんな笑顔を向けられると、そんなのは些細な問題にも思えた。

 これが、親馬鹿という物なのだろうか。

 

 

『実の娘を口説くとか、良い度胸してるじゃない。お、と、う、さ、ん?』

 

 

 しかし、脳内に冷気を孕んだ声音が響き、思わず不整脈が。

 咄嗟に心の中で、そんなつもりは、と言い訳してしまうが、それがほむらに届く訳も無く、冷や汗が流れる。

 ほのかには聞こえていないようで、彼女は未だニコニコと笑顔を浮かべてくれているのだが……これは、どうしたもんだろうか……。

 なんて考え、乾いた笑みを浮かべてしまいそうになった時、カラン、とドアのベルが鳴り、見覚えのある少女が店に入って来た。

 

 

「いらっしゃいませ~。一名様ですね? お席にご案内しま~す!」

 

「あ、いえ。友人と待ち合わせで……」

 

 

 可愛らしい、エプロンドレスに似た制服を着た店員さんと話す、胸元に大きなリボンの付いたベージュのワンピースに身を包む少女。

 彼女こそ、第一のターゲットである、巴マミさんだ。

 軽く手を上げて合図すれば、それを見つけた彼女は小さく頭を下げ、こちらのテーブルへ優雅に歩み寄る。

 

 

「すみません、お待たせしました。それで、急にどうしたの、暁美さん? 未来に関わる大事な……相……談……」

 

 

 席に着こうとした巴さんだったが、ほのかを見るとその動きは止まり、彼女を凝視して体を硬直させた。

 まさか、一目でばれたのだろうか?

 三人掛けのソファ。その窓際に座るほのかの格好は、下はほむらに借りた黒のプリーツスカートだが、上は自分が着古した男物のワイシャツだ。

 何故そうなったかは察して貰うとして、確かにコーディネートとしてはおかしいのかも……。

 当のほのかは、巴さんの様子に戸惑うような素振りを一瞬見せるも、直ぐに気を取り直し、彼女に声を掛ける――

 

 

「あ、の。巴さん? どうかし――」

 

「駄目よ暁美さんっ!!」

 

「――えっ!?」

 

 

 ――のだが、巴さんはほのかの手を取り、悲しげに顔を歪ませた。

 

 

「貴方の気持ちは分かるわ。好きな男の人に、より良い自分を見て貰いたいという気持ちは。

 でも、そんな風に魔法を使って誤魔化したって、本当の自分に嘘を吐く事なんて出来ないのよ?

 ……ごめんなさい。そこまで悩んでいただなんて、私、全然気づかなくて……」

 

「あ、あの、何の話を……」

 

「いいの、何も言わなくて。もっと自分に自信を持って? そんな事をしなくても、暁美さんはとっても魅力的なんだから! そう思いますよね?」

 

 

 ……え? ……それは、勿論。自分は、ありのままのほむらが大好きですから。

 

 唐突に振られた話に、取り合えず本心をぶっちゃける事で何とか対応する。

 それが満足のいく返答だったのか、巴さんは満面の笑みを浮かべた。

 

 

「ね? だから、体に余計な負担をかけちゃ駄目よ? 貴方一人の体じゃないんだから」

 

「は、はい。そう、です、ね……?」

 

「良かった。分かってくれたのね」

 

 

 余りの勢いに怖気づいてしまったか、ほのかは演技を忘れ、おそらくは素の反応を彼女に返す。

 それを聞いて安心したのか、巴さんはとても晴れやかに笑うのだが、残念な事に、背後で夜叉が御降臨なされた事には気づかなかったようだ。

 

 

「……ええ。よぉく分かったわ、巴マミ。貴方が私をどう思っているのかが、ね」

 

「ひゃん!? つ、冷たっ!? 何っ!?」

 

 

 その御方は、巴さんの首筋にレモンティーの雫をストローで垂らし、驚いた彼女は、飛び上がりながら後ろを振り向いて、またも体を硬直させる。

 

 

「え、え、え? ……あ、もしかして、暁美さん、なの? え? 二人? どうして? 一体、何時の間にロッソ・ファンタズマを習得して?」

 

「ふぅ……。取り合えず、事情を説明するので座って下さい」

 

「……分かったわ……」

 

 

 溜息を吐くほむらに促され、腑に落ちない顔をする巴さんがほのかの対面に座る。

 ほむら自身はこちらの隣に座り、都合、同じ顔をした少女達に、自分は挟まれる事となった。

 

 

「それで、えっと、その子は一体……? ううん、その前に。眼鏡を掛けている方が、私の知っている暁美さんで、良いのよね?」

 

「そうなります。この格好は、まぁ、色々あって」

 

「……似てる、なんて次元じゃないわね。まさか、双子とか?」

 

「あ、いえ。その、私、は……」

 

「……“斯々然々”、という訳です」

 

「なるほど。未来から……」

 

 

 え? 今ので通じたの?

 

 自分の耳が確かなら、ほむらは斯々然々としか言ってないような気がするのだが……。

 

 

「テレパシーと音声を併用した、魔法による高密度情報伝達法なんですよ? と言っても、至近距離でしか通じないし、戦闘中だと安定しませんから、滅多に使う事は無いんですけど」

 

「こういう場合は、やっぱり便利ですね」

 

「その気になれば、普通の人にも使えるんです。私も時々、魔法の事を知ってるお友達と、内緒話とかしてました」

 

 

 問い掛けには巴さんが答え、ほむら達が頷く。

 本当に、魔法って便利だ……。感心すれば良いのか呆れれば良いのか、なんとも難しい。

 が、そんな自分を余所に、少女達の話は続く。

 

 

「それで、私は――ほのか、さん? に、魔力を提供すれば良いわけね?」

 

「は、はい。お願い、出来ますか……?」

 

「もちろん。私でお役に立てるなら、いくらでも協力するわ」

 

「……有り難う御座います、巴さん。このお礼は、近いうちに」

 

「お礼だなんて、そんな水臭い事を言わないで? 私達は仲間なんだから。この位、お安い御用よ」

 

「……はい」

 

 

 穏やかに微笑む二人。

 その間には、友情とは斯く在るべき、と言いたくなる信頼関係が感じられた。だが、それを見たほのかは、何処か不思議そうな顔をして首を傾げている。

 どうした、ほのか? と尋ねてみれば、彼女は小さく首を振る。

 

 

「大した事じゃ、ないんですけど。この頃は、まだ苗字で呼び合ってるんだなぁ、って――あっ」

 

 

 言った後、ほのかは失敗した、という顔で口を覆う。おそらくは、未来の情報を喋ってしまったのに気づいたのだろう。

 これから起きる事件等の情報ではないし、この程度の事なら未来に影響が出るとは思えないのだが……。

 巴さんもそう思ったのか、彼女は楽しそうに笑って見せる。

 

 

「呼び方、ね。そう言えば、暁美さんって呼び方も何時かは出来なくなっちゃうんだから、この機会に変えてみようかしら?」

 

「な、何を、突然。そんなの、まだ先の話で……」

 

「あら、照れちゃって。どうなんですか? その辺は?」

 

 

 え? あ~、はは。どう、なんでしょうね?

 

 意地悪な質問に、自分は曖昧に笑って顔を逸らす。そりゃあ、早くウェディングドレスを見たい気もするけれど、きちんと学校は出てほしいし。……色々と難しい。

 そんな風に思って、なんとなくほむらの方を見れば、彼女もこちらを見ていたのか、ばっちりと視線が重なり、慌てて反対方向へ首を捻る。

 すると今度は、興味津々といった顔のほのかと睨めっこする事になってしまい、仕方なく正面に向き直る。

 が、その先には微妙に座る位置をずらした巴さんが陣取っており、優しくも小悪魔的な笑顔でこちらを見つめていた。

 どうしよう。逃げ場が無い。

 

 

「そ、そんな事より、早く魔力を……」

 

「あら酷い。お互いの呼び方って、結構大事な事よ? ほむらさん? ……ほむらちゃん、の方が良いかしら?」

 

「その呼び方をして良いのはまどかだけよっ!」

 

 

 あれ? 自分も駄目なの? 前は呼ばせてくれたのに。

 

 

「あ、貴方は別だけど、今はもう呼び捨てだし……あぁもぅ、分かったわっ、名前で呼べば良いんでしょう!?」

 

 

 照れ隠しに話を混ぜっ返すと、ほむらは真っ赤な顔で、ヤケクソ気味に宣言する。

 幾度か、はぁ、ふぅ、と深呼吸を繰り返し、彼女は斜め前の巴さんを見据えて、何度も躊躇ってから、ようやく口を開いた。

 

 

「ま……マ……マ、マミしゃん」『……噛ん、だ』

 

「………………何、ほむらさん」『……噛んだ?』

 

「………………噛んじゃった」『お母さん可愛い』

 

 

 皆、心の声が洩れてるよ? 特にほのか、多分だけど逆になってる。

 

 指摘すると、巴さんは「やだ」と指で唇を押さえ、ほのかは両手で「むぐぅ」と再び口元を覆い隠し、ほむらは無言で俯いてしまう。

 

 

「ふ、ふふふ。笑いたければ笑えば良いわ。どうせ私は噛み性よ。これからずっと噛みまみたとか言ってれば良いんだわ」

 

 

 ほらほらいじけないで。誰だって噛む事ぐらいあるんだから。ね?

 

 ぷるぷる震え、いじいじスカートの裾を摘む彼女の頭を、そう言いながら撫でる。

 しばらくはそっぽを向いてつーんとしていたが、何度も優しく髪を撫でていると、やがて、小さく頬を膨らませながら肩に体重を掛けてきた。

 そんな姿を見て、巴さんはくすくす笑いを零していたのだが、ふと何かに気づき、目を丸くする。

 

 

「ちょっと、苛め過ぎちゃったかしらね? ……やだ、もうこんな時間。ほのかさん、バックラーを出して貰える?」

 

「あ、はい。何か、お約束でも……?」

 

「ええ。今日は元々、高校のお友達とランチの予定だったの。何も注文しないで帰るなんて失礼だけど、そろそろ行かなくちゃ」

 

「……いいんですか? 先輩を放っておいて。意外とモテてるって話ですけど」

 

「ご心配無く。偶には、ね? 栄田君――あ、クラスメイトなんだけど、彼に引っ張り回されてるみたいなの。それに、時々こうして離れて、今何してるのかなって考えるのも、結構楽しいものよ?」

 

「……ご馳走様でした」

 

 

 テーブルの下で微かに光が弾け、バックラーが実体化。

 巴さんは、女の子の手と比べると肉厚に見えるそれを受け取りながら、ほむらの精一杯の反撃に、十六歳とは思えない大人びた返答をした。ほむら、完敗である。

 見た目ほど重くないのか、彼女は片手でそれを持ち、空いた左手を軽く握る。

 翻された手の平には、黄色とオレンジ色の中間のような明るい色をした宝石――魔法少女の魂の結晶である、ソウルジェムが乗っていた。

 それが厳かに光を放つと、目には見えない“何か”がバックラーへ流れ、カチ、カチ、と駆動音が聞こえ始める。

 しばしの間があって。彼女は「ふぅ」と息を吐き、同時に、光と音が収まる。

 

 

「こんなものかしら。どう?」

 

「……はいっ、十分ですっ。ありがとうございます!」

 

「いいのよ、このくらい。それじゃあ、私はこれで」

 

 

 ほのかにバックラーを渡し、小さめのショルダーバッグを肩に席を立つ巴さんへ、態々来てくれてありがとう、と見送りの言葉を掛ける。

 彼女はそれに軽く手を振り返しながら、最後にもう一度、くすりと笑った。

 

 

「はい。また何かあれば、ご遠慮無く。ほむらさん、また今度、見回りの時に」

 

「……はい。あの、でも、本当にその呼び方に?」

 

「いいじゃない、こういう切っ掛けでも。ほのかさん……未来で逢いましょう。必ず」

 

「はい、マミさんっ。未来で、必ず……」

 

「ええ。じゃあ、今度こそ失礼します。機会があれば、またお店にも寄らせて貰いますね、お兄さん?」

 

「……マ、ミ、さ、ん?」

 

「うふふっ」

 

 

 笑みと共にちょっとした火種を残し、巴さんは逃げるようにして店の出口へと歩み去る。その後姿が消えるまで、ほむらはジト目で彼女を見つめていた。

 以前、ほむらに「お兄さん」と呼ばれていた事が彼女達に知られてからというもの、からかいついでにそう呼ばれているのだが、なんとも反応に困る。

 可愛らしい女の子達から親しげにそう呼ばれるのは、男としても嬉しいし、一昔前の自分が見れば、唇を食い破らん勢いで羨ましがるであろう、すばらしい環境ではあるのだ――

 

 

「むう」

 

 

 ――が、その度にこうして、占有権を主張するように腕を抱えられてしまっては、ちょっと困ってしまうのだ。

 そして、何より。

 ヤキモチを焼いてくれるほむらが愛らしくて、つい抱き締めたくなってしまうのが、一番困る事だった。

 

 



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【暁美ほむらと】後日譚その4【時を駆けちゃった少女】・下

 

 

「いや~、ごめんごめん。連絡受けた時からまどかと一緒でさ。相談だって言うから二人で来た方が良いかと思ったんだけど、お喋りしながらだったから遅くなっちゃ誰だキサマァ!?」

 

 

 開口一番、第二ターゲットである美樹さやかさんは、掌を下に両腕を掲げて片足立ちという、荒ぶるポーズを取る。

 大きなハートのプリントされたシャツにショートパンツ、白いボーダー柄のパーカーという出で立ちの彼女は、ほのかを見て警戒心を露にしていた。

 その後ろに続く、裾に小さなリボンが飾られたピンク色のワンピース姿の少女――鹿目さんも、警戒とは行かないまでも、大きく目を見開いている。

 

 

「い、いきなり何を、言っているの。私は――」

 

「うるさいこのニセモノめ! 例えそのブァディでお兄さんの事は誑かせたとしても、このさやかちゃんは騙されないわよ! あたしのほむらのおっぱいがこんなに大きいわけが無いっ!!!!!!」

 

「……あ、貴方の物になった覚え――」

 

「酷いよほむらちゃん!!」

 

「――はぅえっ!?」

 

 

 美樹さんの物言いに、何か、溢れ出る感情を抑えようとしたのか、ほのかは米神を揉み解そうと片手を上げたのだが、その手を身を乗り出す鹿目さんに取られ、驚きに素に戻ってしまっていた。

 

 

「あ、あの、ま、まど……」

 

「私達、仲間だった筈でしょ?

 同じ悩みを抱えて、同じ苦しみを分け合って生きて行こうって、あの日、夕日に誓ったのに、それなのに……。

 こんなのって無いよ……。あんまりだよっ、酷すぎるよぉ!!!!!!」

 

「えぇぇぇ」

 

 

 この場面だけを切り抜けば、おそらく万人の涙を誘うほどの切ない声を上げる鹿目さん。

 しかし、前後の繋がりを聞いた人間からすれば、別の意味で涙を誘われる声だった。若干ほのかも引いている。

 それをほむらがどう感じたのかは想像に難くなく、二人の後ろに立つ彼女は、幽鬼の如く陰鬱な表情を見せた。

 

 

「……私、そろそろ泣いても良いと思うのよ……」

 

「そうだそうだー、まどかを泣かすなこの裏切り者ー。冷凍庫っぽい名前の宇宙人の部下の特戦隊の隊長めー……って、誰? このクールな口調の眼鏡っ娘は?」

 

「……私よ」

 

「……ふぉお!? ほ、ほむらぁ!? えっ、あれぇ!? 本当にニセモノだったぁ!?」

 

「ほむらちゃんのばかぁ……お願いだから私にもその魔法かけてぇ……一人だけズルイよぅ……」

 

「え、え~と……」

 

 

 遠回し過ぎて伝わり難いボケをかます美樹さんの言葉を受け、ほむらは髪を解いて眼鏡を外す。それを見て彼女は酷く困惑するが、未だ嘆いている鹿目さんはそれに気づく事無く、場は混沌の極み。

 そんな彼女達を余所に、自分は店員さんに二人分のカフェオレを注文し、取り合えずみんな座りなさい、と声を掛ける。

 割かし素直に従ってくれた彼女達は、気を利かせてくれたのか、それとも騒ぐなという暗喩なのか、瞬く間に運ばれて来たカフェオレを飲むと、その甘さにようやく一心地ついた様だった。

 

 

「それで、本当に誰なの? そのそっくりさん。ほむらって一人っ子のはずでしょ?」

 

「……“斯々然々”」

 

「四角いキュゥべえっと……。はぁ~、未来から。ビックリだわ~」

 

「なんだか、もの凄く手触りが悪そうだね、そのキュゥべえ」

 

 

 鹿目さんの言に、そうだねぇ、と自分も同意する。

 見た目だけは話に聞いたので知っているのだが、四角くなった猫っぽい生き物なんて、想像しただけでゴワゴワ感が凄い。

 ともかく、事情を把握したらしい美樹さんは、腕組みをしながら、うんうん頷き始めた。

 

 

「確かに、そっくりだもんねぇ……。いや、あたしは最初からそんな気がしてましたですよ? ホントに」

 

「わ、私も、そうだと思ってたの! 信じてたよ、ほむらちゃんの事!」

 

「まどか。その言葉、私の目を見てもう一度言える?」

 

「……信じてるよ。ほむらちゃんの事。これからも、ずっと、ずぅっと」

 

「あの、私、ほのかです」

 

「……て、てへっ」

 

「まどか可愛いわまどか」『ふぅ……しょうがないわね』

 

「ほむらー。逆、逆」

 

「……おっほん」

 

 

 鹿目さんのてへぺろに、ほむらは仏頂面のままメロメロになっている。

 うっかり自分も可愛いとか思ってしまったのだが、突っ込みに慌てる彼女には気づかれなかったようだ。助かった。

 

 

「まぁ、そういう訳で魔力を提供して欲しいのだけど、いいかしら」

 

「もっちろん、OKだよ。んじゃ、ちゃっちゃと済ましますか。ほのかちゃん、って呼んでも良い? あ、でも年上か。さんのがいいかな」

 

「あ、いえ。出来れば、その、ちゃんの方が……慣れて、ますから。じゃあ、お願いします」

 

「んっ。任せて、ほのかちゃん!」

 

 

 先の巴さんと同じくバックラーを受け取った美樹さんは、蒼いソウルジェムを取り出して手早く魔力を充填。

 それをほのかに返し終えると、お喋りモードに移行したのか、少女達は会話に花を咲かせ始める。

 

 

「さってと、色々と聞きたい事はあるんだけど、取り合えず、車って何時になったら空飛ぶの?」

 

「ま、まだ飛んでないです……」

 

「ちぇー、なんだー。じゃあじゃあ……」

 

「だめだよ、さやかちゃん。そういう事を聞いちゃうと、未来に影響が出るってよく言うよ?」

 

「あー、それもそっか。でも、そういう意味じゃ、もう影響出てない? 特にほむらとお兄さんには」

 

「そうかしら。私は、特に問題とは思わないけれど」

 

「ほっほう。それはそれは。ほむらってば、だ~いた~ん」

 

「え? どういう事、さやかちゃん?」

 

「だって、相手がお兄さんなのは当然として、必ず女の子が生まれるわけじゃないじゃない? それでも問題ないって事は……」

 

「あっ、あ~……」

 

「な、何を言うの、さやかっ。そんなんじゃ……!」

 

「はいはい、分かってますって。でも、将来的には賑やかな方が楽しいですよね~? おに~いさん?」

 

 

 こら、からかうのは無し。じゃないと割り勘だよ?

 

 どうにも恥ずかしい話題に巻き込まれそうになり、矛先を変えようと脅しをかければ、美樹さんは「ゴチになりま~す!」とすかさず頭を下げる。

 一方、鹿目さんはと言うと、彼女と違い恐縮しきりだ。

 

 

「すみません、私はお役に立てないのに……。ホントに、良いんですか?」

 

 

 気にしないで? こういうのは大人の務めですから。遠慮しないで良いよ。

 

 

「はいっ、ありがとうございます、お兄さんっ」

 

「あ、ならあたし、お昼ご飯の分も頼んで良いですか? まだ食べて無くって。店員さ~ん、イチゴリゾットと、あと、ショートケーキとモンブランとガトーショコラと――」

 

 

 うん、きみはちょぉおおっと自重しようか、美樹さん。

 

 堪らず釘を刺すと、彼女は「冗談ですよぉ」と笑って注文を訂正する。

 ……絶対嘘だ。止めなかったら絶対に財布を空にする勢いで遠慮なく注文する気だった。全く、油断も隙も無いったら……。

 

 追加注文が来るまでは、どこそこのケーキが美味しかった、あの服が可愛いなど、実に姦しい少女達に相槌を打つのが自分の仕事だ。

 実際には話半分だが、伊達に四十を過ぎて女子を名乗る歴戦の猛者と、過去に仕事を共にしていた訳ではない。この位はお手の物である。

 ほのかも加わっている辺り、時代が変わっても女の子特有の盛り上がり方に変わりは無いようだ。

 そして、話が行ってみたいデート場所という話題になった所で、ほむらが美樹さんに声を掛けた。

 

 

「そう言えば、少し意外だったわね」

 

「ん? 何がよ?」

 

「貴方がよ、さやか。週末だし、てっきり彼とデートでもしているのかと思っていたのに、こうして来てくれて。まぁ、おかげで助かったのだけど……」

 

「ほ、ほむらちゃん! その話題は……!?」

 

 

 しかし、美樹さんへと向けたはずの言葉に、何故か鹿目さんが慌てて身を乗り出す。

 どうしたのかと思っていたら、その隣に居た美樹さんはピタッと動きを止め、何処に持っていたのかゴソゴソとポーチを漁り、中からある物を取り出して顔にスチャッと装着した。

 

 

「――よし。うわぁぁあああんっ!! 聞いてよホム○もぉぉおおおんっ!!!!!!」

 

「どうしたの、さや太君。とでも言えば満足なの? このお笑い魔法少女。なにが『よし』よ」

 

「遅かったかぁ……」

 

「あ、懐かしいです。未来でもまだ続いてるんですよ、あのアニメ」

 

 

 それは凄いね。よく話が続くなぁ。

 

 態々、丸眼鏡まで準備する用意周到な美樹さんへ冷たく突っ込むほむらを横目に、自分とほのかは暢気に未来の話をし、鹿目さんは「やっちゃった」的な顔でテーブルに項垂れる。

 

 

「全く、そんな小道具まで用意して。第一、私は未来から――来たのは確かだけど、四次元――ポケットみたいのも持ってるわね……。あれ?」

 

「ほむらちゃん、認めちゃってるよ……」

 

「そんな事はどうでも良いからあたしの話を聞いてよぉ!」

 

「貴方が振ってきたんでしょう!? ……それで、一体どうしたの? 彼に浮気でもされた?」

 

「はぁ? んなわけないでしょありえないじゃん常識的に考えてよ」

 

「私は今、間違い無く怒って良い」

 

「ほ、ほむらちゃん落ち着いて? 私が代わりに謝るから、ね?」

 

「……でも、実際は似たような感じ、なんだよね……」

 

「……え? まさか、あの彼が?」

 

「……大丈夫だよ、ほむらちゃん。ちゃんとオチがあるから」

 

 

 え、オチ?

 

 軽快なやり取りから聞こえた重い話題に、自分とほむらは共に身構えそうになるのだが、鹿目さんの言葉に気が抜けた。

 ……オチ? いや、確かに、他人から見れば壁を蹴り破りたくなるほどのラブラプっぷりな彼女達に浮気話なんて信じられなかったが、それにしたってオチ?

 言い切った当の本人は、まるで結婚して二十年目の家事に疲れた専業主婦みたいな疲弊し切った顔をしている。

 自分の知る限り、何時も笑顔な鹿目さんにこんな表情をさせるとは、一体……。

 

 

「そりゃあね? 今回は当日にデートに誘ったあたしも悪いけどさ?

 『ごめん、先約があるんだ』の一言で済ますのってちょっと寂しくない!? これで今月三回目だよ!? しかも相手はまたまたまた恭介!!

 こないだはゲーセン巡りして、その次は恭介のヴァイオリンを聞かせて貰って、今度はちょっくらヴァイオリンを教えて貰うんだって!!

 仲良くなってくれて嬉しいけど、いくらなんでも短期間で仲良くなり過ぎよ!! なんか寝取られた気分だわ!!」

 

「……心配して損したわ。本当に、本っ当に損したわ」

 

「今日は朝からこの調子なの……私、疲れちゃった……」

 

「……えっと、まどかさん、お疲れ様です。すごく、頑張ったんですね」

 

「うん……。ありがとう、ほのかちゃん。その言葉だけで、あと四十五分は戦えるよ……」

 

 

 あきれ返るほむらと、励ましの言葉に何とも現実的な数字で答える鹿目さん。

 自分も、顔の上に笑顔は載せているが、内心で長~い溜息を吐いていた。つまりは、最近彼氏が構ってくれなくて寂しい、と。

 ……いや、本人にとっては大事な事なのだろうし、個人的な印象を口にするのは止めよう。

 一つだけ言えるとすれば、そんな彼女を愛していると言って憚らない、自分にとっても友人である彼は、意外と剛の者なのかも知れない。

 

 

「ちょっと、みんな聞いてる!? それからね――ん?」

 

 

 言いかけて、美樹さんはパーカーのポケットを探る。

 彼女の携帯電話から、着信メロディーが流れて来ていた。クラシカルなその曲調は、何かの協奏曲だろうか。

 しかし、穏やかな音色に、彼女は不満気な表情を見せる。

 

 

「この着メロは恭介か……何よぅ、いい所で……ん? ……ん………………どぅへへ」

 

「ど、どうしたの、さやかちゃ――あ」

 

 

 唐突に顔を崩し、エロ親父のような笑い声を発した美樹さんに驚いたのか、鹿目さんはその手元を覗き込む。

 すると、得心が行った顔でポカンと口を開き、しょうがないか、などといった風に肩をすくめた。

 どうしたの? と聞いてみれば、彼女は口元に手を立て、小声で教えてくれる。

 

 

「えっとですね、画像が添付されてたみたいで。彼氏さんがヴァイオリンを構えて真剣な表情をしてる横顔が……」

 

「ああ……」

 

「なるほど、ですね」

 

 

 示し合わせたように、三人揃って首を縦に振ってしまう。その位に納得の理由だった。

 ついさっきまであんなにプンプン怒っていたというのに、画像一枚でご機嫌にしてしまうとは、美樹さんの幼馴染である上条君は、彼女の事をよく理解しているらしい。

 しかも、笑い声こそ変態チックだったが、携帯を見つめる彼女は、頬を赤らめ、嬉しそうに目を細めながらにっこりと笑う、見ているだけで幸せが伝わってくるような、恋する乙女そのものだった。

 こんなものを見てしまうと、胸の内にあった“面倒臭ぇ”という気持ちも消し去られてしまう。ここまで好かれているなんて、少し羨ましい。

 

 そんな風に、微笑ましい少女を四人で見守っていると、丁度、注文した料理が運ばれて来た。

 運ばれて来たそれに気づくと、自身が見つめられている事にも気づいたのか、美樹さんは恥ずかしいのを誤魔化すように「じゃ、じゃあ食べますかっ?」とスプーンを手に取る。

 ここで仕返しに追求したりすれば、ケーキを食べたわけでもないのに口の中が甘ったるくなりそうなので、勘弁してあげよう。

 

 

「そう言えば、未来に帰るのには四人分の魔力が必要なんだよね。あたしとほむらの分はいいとして、他の二人はこれから?」

 

「あ、いいえ。マミさんにはもう協力して貰って、後は、杏子さんだけ、です」

 

「そうなんだ。じゃあさ、あたしも着いて行って良いかな?」

 

 

 イチゴリゾットを頬張り、美樹さんは提案する。

 その言葉へ、彼女のついでに注文したシブーストをつつきながらほむらが答えた。

 

 

「それは構わないけど、どういう風の吹き回し?」

 

「いやね? 杏子がほのかちゃんを見たらどんな反応するかなって、気になっちゃって。まどかも来るでしょ?」

 

「う~ん……。私は、やめとこっかな」

 

「あれ、どうして?」

 

「……えと、なんかね。さやかちゃん見てたら、あの人に会いたくなっちゃって。今日はお休みの筈だし、お家に行ってみようかな、なんて……。昨日もちゃんと会ったのに、変、かな」

 

 

 少し自信なさ気に苦笑する鹿目さんに、そんな事は無いんじゃない、と自分は声を掛ける。

 

 誰にだって、好きな人に無性に会いたくなる事ってあるんじゃないかな。

 ましてや、美樹さんに当てられたんじゃ、しょうがないよ。

 ただ、男にも色々と心の準備があるし、連絡は入れてあげたのが良いと思うけどね?

 

 

「はい、そうします」

 

「う~、当てられたって何よぉ、お兄さん。あたしはグチを聞いて貰おうとしただけで……」

 

「え? 一連の流れを読んだ上での惚気話じゃなかったんですか? 未来でも大体こんな感じで……」

 

「それはそれで、ある意味魔法の域ね。取り合えず、さやか? 貴方の愚痴は一般常識で育った普通の人に聞かせるともの凄くイラッとされるから、本当に気をつけなさい。そのうち、早乙女先生にキュッと締められるわよ」

 

「こんなにあたしと皆で意識の差があるとは思わなかった……!」

 

「もう、さやかちゃんったら。あはは」

 

 

 然るべきタイミングで言えば、問答無用でイラッとさせられそうな台詞だったが、照れ隠しで言っているのだと分かっていれば、それも笑顔を誘ってくれた。

 和やかに、穏やかに。

 誰もが笑みを浮かべながら、休日の昼下がりは過ぎていく。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 皆を代表してチャイムのスイッチを押せば、玄関の扉越しに《ピンポーン》というくぐもった音が聞こえてくる。

 しばらくして、「は~い」と少女の声が返り、内側からドアが開かれた。

 

 

「ほむらか? 遅かったじゃ――」

 

「さぁここで問題です! ここに並んだ二人のおなごの内、本物のほむらはど~っちだ!? スリジャヤワルダナプラコッテに行きたいか~!!」

 

「――何でわざわざスリランカに行かなきゃならないんだよ……。ってか、人ん家の前で何やってんだお前等……」

 

 

 ごめんね、騒がしくて。あ、これ、お土産のレパ・マチュカのチーズケーキ。後で二人で食べて。

 

 

「おぉ、ありがとうございます。いつも貰ってばっかで、すんません」

 

 

 礼儀正しく頭を下げる、アーガイル柄のスカートにプリントTシャツの少女――佐倉杏子さんに、いやいや、常連さんだからね、と笑いかける。

 自分達が今居るのは、佐倉さんの自宅――正確に言えば、彼女の恋人である少年のお宅の玄関前。

 喫茶店を出て、恋人の家に向かう鹿目さんと分かれた後、自分達は佐倉さんに連絡を取り、お邪魔させて貰う旨を伝えた上で、こうしてやって来たのだが……。

 

 

「こらー、無視すんなー。ほむら達が可愛そうでしょ、こんな格好までしてんのに」

 

「どう考えたってさやかのせいだろそれ。アタシのせいにすんなよ」

 

 

 玄関先に憮然と立ちすくむほむらとほのかは、さながら、照る照る坊主ならぬ、照る照る少女といった風体なのだ。

 ほむらも眼鏡などを外し、普段の姿に戻っているため、どっちがどっちか、判別は難しい。

 ちなみに、その首から下を覆っている白いマントは、美樹さんが魔力で作り出した物。

 グリーフシードに困っている魔法少女が見たら間違いなく憤慨するだろう、魔力の無駄遣いである。

 

 

「……よく状況がわかんないんだけど、取り合えず、アタシの知ってるほむらは、右側かな」

 

「む、その根拠は?」

 

「ん~……右のは何時も見てるほむらなんだけど、左の方はなんか違和感があるっていうか……。

 あぁ、そうか。そっちの兄ちゃんに似てるんだ。ほら、目元とか口元とか、並ぶとよく分かるぞ?」

 

「――こそ」

 

「ん?」

 

「貴方こそ、私の最高の友達よ!!」

 

「お、おぃ、なんだよ、やめろよ」

 

「……そっかぁ、私、やっぱりお父さんに似てるんだぁ」

 

 

 身体的特徴でなく、顔の作りで判断して貰えたのが嬉しかったのか、ほむらは体をぷるぷる震えさせ、涙を浮かべて佐倉さんの手を上下にブンブン振り回す。

 似ていると言われたのを嬉しく思ってくれるのか、ほのかはほのかで頬に手を当て、はにかんでいる。

 ほむらには、そんなに気にしなくても良いのに、と声を掛けたかったが、おそらくその資格は今朝の時点で失われている。なので自分は、その場は何も言わず、少女達を見守る事に専念した。

 

 

「だぁっ、離せってば! ……とにかく、近所迷惑だから家に上がんなよ。アイツが居ないから、大した持て成しは出来ないけど」

 

「あれ、そうなんだ。何か用事?」

 

「補習だよ補習。あのバカ、英語の小テストで赤点とって、その追試でもダメだったんだよ。おかげで、休み返上で学校行ってんのさ」

 

「あっちゃあ、大変だ~。でも、直ぐ側にこんな誘惑の元が居たんじゃ、しょうがないよねぇ?」

 

「あ~! あ~! き~こえ~ない~! ほらっ、早く上がれってば!」

 

 

 耳に指を突っ込んで、美樹さんのセクハラを遮断する佐倉さん。彼女に案内されるまま、お邪魔します、と声を掛け、自分達は家に上がらせて貰う。

 居間に入ると、きちんと整理整頓された室内が目に入り、家主である少年の几帳面さが伺える。

 高校生と中学生の二人暮らしなのに、こうして整えられた生活空間を見せられると、自分もしっかりしなければ、なんていう思いにさせられた。

 佐倉さんは「今、お茶淹れるから。座っててよ」とキッチンへ向かい、急須の用意をし始める。

 お言葉に甘えて、脚の低い大きなテーブルを囲むソファへ、二人ずつに分かれて座ると、慣れた様子の背中に向けて美樹さんが話しかけ、これまた慣れた様子で、振り返らず佐倉さんが答えた。

 

 

「しっかし、彼氏さんて英語苦手だったんだね。あたし全然知らなかった。結構遊びに来てたのに」

 

「本当に遊んでただけだしな~。アイツもボヤいてたよ。『お婆ちゃんが外国人だからって英語なんか喋れない』って」

 

「そりゃそうだよねぇ……ぇええ!? ちょっ、それホント!?」

 

「え、何が……あぁ、言ってなかったっけか」

 

「初耳だよっ!」

 

「私も初めて聞くわ。彼、クォーターだったのね」

 

「うん。お母さんの方がハーフなんだって。会った事は無いし、もう亡くなってるみたいなんだけどさ……。はい、どうぞ。よければ、お茶菓子も。アイツの作った羊羹なんですけど」

 

 

 ありがとう。

 

 驚く二人を余所に、佐倉さんはお茶と羊羹の盛られた小皿を配りながら説明した。

 茶碗を手に取ると、今度は対面に居るほのかが首を捻る。

 

 

「私は前に聞いた事があったんだけど、もしかして、お父さんは知ってたの? あんまり、驚いてないような……」

 

 

 うん、まぁね。てっきり、皆も知ってると思ってたんだけど……。

 

 今日一日で出会った少女達。彼女達の恋人である男性人五人(自分含め)は面識があり、特に、自分の働くパン屋の常連でもある彼とは仲良くさせて貰っている。その縁で、彼の家族構成を教えて貰った事があるのだ。

 佐倉さんと二人で買い物に来る事が殆どで、その割りに大量に購入してくれる彼等は上得意様でもある。

 が、それを聞くと、佐倉さんは無邪気さの似合うその顔を、訝しげに歪めた。

 

 

「ん? ちょっと待った。お父さん? そういや、さっきも玄関でそんな事を言ってたよな。一体、どういう事だ?」

 

「あ、私は……」

 

「ほのかちゃん待った、あたしに説明させて。う、う゛ん、“斯々然々”!」

 

「まるまるうまうま、ってか。ふ~ん、娘ね」

 

 

 ……何度見ても、奇妙な光景だ。本当に通じているらしいのがまた。

 と、そんな感想はともかく、美樹さんから情報を受け取った彼女は、ほのかを見つめてやや目を細くする。

 それを受けて、ほのかは少し身を硬くするも、視線だけは逸らさない。

 

 

「……ふっ、安心しなよ? 別に、とって食おうって訳じゃないんだからさ」

 

「う。ご、ごめんなさい……」

 

「ま、ほむら達が信じるなら、アタシも信じるよ。アタシ自身、似てるって思ったんだしね」

 

「あ……ありがとうございます、杏子さん」

 

「いいって。それよりも、さん付けは止めてくんない? なんかくすぐったくてさ」

 

「そんな、無理ですよ、そんなの。私にとっては、その……やっぱり、格好良いお姉さん、みたいな感じですし……」

 

「……ん、ま、ならしょうがないけど。……なんか、照れるな」

 

 

 逆に憧憬の眼差しを受けると、佐倉さんはそっぽを向きながら頭を掻く。

 あまり、こういうのには慣れていないのかも知れない。

 そんな彼女を見て、ほむらと美樹さんは顔を合わせ、柔らかに微笑んだ。

 

 

「にしても、杏子も変わったね~」

 

「本当に。随分と丸くなったというか」

 

「ん~、と言うより、優しくなった? っていう気がするんだけどな、あたし」

 

「な、何だよ急に。アタシは元々、おおらかな人間だっての」

 

「そうかしら。一年前の貴方だったら、にべもなく切り捨てていたと思うのだけど。二重の意味で」

 

「うぐ、ん、んな事は……あるかもだけど……そんなにはっきり言わなくてもいいじゃん……」

 

「あ、だ、大丈夫ですよ? 大体は槍を突き付けられるだけでしたし、斬られたのも一回だけですからっ」

 

「……ごめん、マジごめん。余所の世界のアタシって、まだ悪ぶってんだな……」

 

「あっはは……。でも、良い変化じゃない。あたしは今の杏子の方が親しみ持てるなぁ。これも、彼氏さんのおかげかな?」

 

「でしょうね、きっと」

 

「う……だから、そういうの止めろってばっ! それ以上言うと羊羹取り上げんぞっ!?」

 

「おぉっとと、それは勘弁。いただきまーす!」

 

 

 伸ばされた手から逃げるように小皿を手に取り、美樹さんは黒文字(平べったい楊枝)で羊羹を口に運ぶ。

 彼女を皮切りに、自分達もそれを頂く事に。

 滑らかな舌触りと、柔らかな小豆の風味、控えめなのに確かに感じる甘み。市販の物と比べても、遜色の無い味だ。

 

 

「ん~♪ やっぱ杏子の彼氏さんの作るものって、料理でもお菓子でも全部美味しいよね~」

 

「ええ。悔しいけど、私には真似できないわね」

 

「ま、まぁな! そこがアイツの取り得の一つだし。高校卒業したら専門学校行って、そっちの道に進むのもいいかな、って言ってるよ」

 

 

 それは、自分も初耳だなぁ。ちゃんと将来のこと考えてるんだね。

 自分が彼くらいの頃は漠然としか考えてなかったし、凄いよ。

 

 

「っへへ、ありがとうございます。さてと、じゃ、そろそろ魔力を……」

 

「あ、はい。杏子さん、お願いします」

 

「おう。お土産貰った分くらいは、気合入れるかなっと!」

 

 

 ほのかにバックラーを差し出され、それを受け取った佐倉さんは、真紅のソウルジェムを手の平に乗せて「ふっ」と気合いを入れる。

 パァ、とそれが明るく輝くなり、バックラーからは駆動音が鳴り始め、瞬く間に魔力の充填は終了した。

 

 

「ふぅ、こんなもんか。ほい、終わったよ」

 

「お疲れ様でした。……それで、あの。ついでって言ったら、あれなんですけど、もう一つ、いいですか?」

 

「ん? なにさ? 言ってみな」

 

「……メ、メロゥちゃんに、初代メロゥちゃんに触って来ても、いいですかっ?」

 

「メロゥ? そりゃ、構わないけど。今なら庭で日向ぼっこしてるよ」

 

「は、はい! それじゃあ……!」

 

 

 許可を得た途端、ほのかはぴゅーっと早足で庭に面する窓を抜け、サンダルに履き替えて、芝生の上に寝そべっている大型犬に近づいていく。

 小声で話しかけたようで、それに反応したメロゥが起き上がり、ほのかに顔を寄せる。楽しげな笑い声も聞こえて来た。

 

 

「もしかして、未来ででも会った事あんのかな? にしても、初代、か」

 

「……ごめんなさい、杏子。あの子に悪気は無くて……」

 

「気にすんなって。メロゥも十二歳だしね。長生きはして欲しいけど、ちゃんと覚悟もしてるさ」

 

 

 ほのかの口にした、初代という表現。すなわち、彼女の知るメロゥという名前の犬には、二代目以降が存在するという事。

 多分、未来の自分達もこうして交流があり、それで知っていたのだろう。

 けれど、ほのかはメロゥと遊ぶ事に夢中で、未来の情報を漏らしてしまった事に気づいてはいないようだ。

 純真無垢な笑顔からは、その様な事実が待ち受けている事など、想像出来やしなかった。

 

 

「出会いがあれば別れがある。命あるものも、いつかは必ず損なわれる。それが自然の摂理なんだ。

 ……その時が来たら、アタシもアイツも、見っとも無く泣いちゃうんだろうけどさ。

 でも、大切なのは、亡くした事を悔やむより、貰ったものを忘れない事なんだって、思うんだよ」

 

 

 しかし、佐倉さんは淡い表情で、じゃれ合う二人を見つめながら、そう語る。

 彼女の言葉からは、見た目の可憐さからは計り知れない重みと、それを受け止めきれるだけの包容力が感じられた。

 詳しい事情は聞かされていないが、彼女は不幸な形でご両親を失っているらしい。

 それでも――いや、だからこそか、こうして真摯に命へ向き合う姿勢からは、大人である自分の方が学ばされる事が多かった。

 

 

「ま、そうなるのは随分と先の事だろうけどね。まだまだ元気だし、時々イタズラまでして、困ったもんだよ」

 

 

 ――と、そんな表情もほんの僅か、彼女は色濃い苦労の色を顔に乗せた。どうやら、楽しいながらも気苦労は絶えない様だ。

 僅かに笑みが見え隠れする所を見るに、彼と彼女にとっては、それもまた喜びの一部なのだろうけれど。

 

 

「ほんと、もうお婆ちゃんなのに、すっごく元気だもんね。あたしなんか、来るたんびに顔をベロンベロン舐められて涎だらけにされちゃうし」

 

「そうなの? あまり遊びに来た事は無いけど、私の前では大人しい良い子なのに」

 

「……犬ってさ。自分と人との間に、優先順位をつけるらしいんだよな。多分、そのせいなんじゃ?」

 

「あぁ、それ知ってる。あたしん家も、小さい頃は犬飼ってたし……ってどうゆう事よ!? メロゥにとってあたしは玩具扱いって事ぉ!?」

 

「さぁな? メロゥに聞いてみたらどうだ?」

 

「聞いて答えてくれるなら魔法なんていんないわよ!? ……良い度胸じゃない。魔法少女さやかちゃんの実力、メロゥに教育したげるわ!!」

 

 

 怒り心頭、といった感じの美樹さんは、ソファからすっくと立ち上がり、のしのしと庭の方へと歩いて行く。

 その背中に向かって、佐倉さんは呆れ顔で忠告するのだった。

 

 

「あんまはしゃぎすぎんなよ~? ベチョベチョにされても知んないぞ~?」

 

「ふふんだ、見てなさい! きっちり躾けてあげるんだから! さぁメロゥちゃ~ん、お手――」

 

「ワンッ!!」

 

「――ぬわぁ!? ちょ、まっ、あっ、あ゛~!!」

 

「さ、さやかさん!? 大丈夫ですか!?」

 

「……言わんこっちゃない」

 

「ふぅ……。まぁ、さやからしいわね」

 

「ちょっとぉ!? 見てないで助けうひぃ!?」

 

「ワッフ、ワフンッ!!」

 

 

 それは、とても騒がしい――けれど、目尻が勝手に下がってしまうような。

 ありふれた、日常の光景だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 よいしょっと……。これで大丈夫かな。

 

 掛け声と共に、二人掛けのソファをゆっくりと床に下ろす。

 リビングを見渡せば、部屋の中央に、人が寝転がれる程度に大きなスペースが確保されていた。

 

 

「お疲れ様。これなら、なんとか三人で寝られそうね」

 

「うん……じゃない、はい。ごめんなさい、お父さん。わがまま言って」

 

 

 背後から掛けられた声に振り向くと、パジャマ姿の湯上り少女が二人、そこに立っていた。もちろん、ほむらとほのかだ。

 恥じらい、少し俯くほのかに自分は近づき、いいんだよ、このくらい、と頭を撫でる。

 彼女は、最初に着ていた薄紫のパジャマ。ほむらは、この部屋に置いてあるお泊り用の黒いワンピースを着ていた。

 もっとえっちいネグリジェなんかも実はあったりするのだが、流石に今日は自重したようだ。ちょっと残念。

 

 あれから、長く談笑してしまった佐倉さんのお宅を後にし、美樹さんとも別れ、再び自宅の玄関を通る頃には、空は暗がりに包まれようとしていた。

 魔力も提供して貰ったし、その気になれば直ぐにでも未来へ帰る事が出来たほのかだったが、自分はそれを引きとめ、せめて今日一日ぐらい、最後まで一緒に過ごそうと誘ったのだ。

 二人はその提案を快く受け入れてくれて、自分の家には二人の美少女が宿泊する事となった。

 

 ちなみに、ほむらは外泊になる訳だが、ご両親の許可は特に要らないという。

 かつて、心臓を患っていた彼女の治療費を稼ぐため、共働きで家を留守にしがちだったご両親だが、身を粉にして働くうち、重要な仕事も任されるほどの信頼を勝ち得ていたのだそうだ。

 人が良いのか、頼られるとなかなか断れないらしく、娘が完治した今でも仕事は減らず、ほむらの一人暮らし状態は続いている。

 ほむらにとっては寂しい事だろうが、自分としては、彼女が家に入り浸ってくれるので嬉しかったりもした。

 

 それはともかくとして、三人で居る時間は瞬く間に過ぎ去っていき、二人の合作料理に舌鼓を打った後、風呂に入ってさあ寝よう、といった所で、ほのかがあるお願いをしてきたのだ。

 その内容とは、「三人で一緒に寝たい」という、可愛らしいもの。

 仮の親とは言え、断れるはずも無く、こうして自分は力仕事に励んでいた。

 

 

「ごめんなさい、力仕事を押し付けちゃって。汗、かいたでしょう? 布団の用意は私がするから、貴方もお風呂に入って来て?」

 

 

 うん。頼むよほむら。……でもやっぱり、三人で一緒に入りたかった気も――いたい痛いイタイごめんなさいっ。

 

 

「お父さん? エッチなのはダメだよっ!」

 

「ふざけてないで、早く入って来て頂戴! 全くもう……」

 

 

 二人同時に両手の甲を抓られ、必死に謝りながら風呂場に逃げ出す。ちょっと本音が出ただけなのに酷い……。

 涙目になりつつも、手早く服を脱ぎ、自分は浴室に踏み入る。

 一人で長湯する習慣も無いので、さっさと体と髪を洗い、湯船で体を温め、風呂から上がる。寝間着代わりのワイシャツとズボンを着込み、髪を乾かしながら歯も磨いて、寝る準備は完了だ。

 リビングに戻ると、既に布団は敷かれていて、真ん中にほのか、その左隣にほむらが座り込んでいた。

 お待たせ、と二人に歩み寄ると、ほむらはこちらを見て優しく叱りつけてくる。

 

 

「もう上がったの? ちゃんと温まらないと体に悪いって、何時も言ってるのに……」

 

 

 大丈夫。きちんと言いつけどおり、湯船に浸かって三百秒数えました。

 というより、ほむら達が長かったんだよ。なんか、随分とはしゃいでる――いや、騒いでるような声が聞こえて来てたんだけど。

 

 

「それは……気のせいよ」

 

「えっ、そんな、だって私、鷲掴みに――」

 

「 気 の せ い よ 」

 

「――はい、そうでした……」

 

「ええ、ちょっと毟りたくなっただけだもの。それより、明日も早いんだから、湯冷めしない内に横になりましょう」

 

「はいぃ……うぅ、ほむらさん怖い……」

 

 

 言いながら、ほむらは掛け布団を被り、ほのかも渋々それに従う。

 災難だったね、なんて言えばほむらを刺激するかもしれないので、自分は苦笑いを浮かべるだけにして、リビングの電気を消しに行く。

 スイッチを切ると、部屋は一瞬で真っ暗になり、カーテンの隙間から差し込む月明かりだけが頼りとなる。

 恐る恐る脚を戻していたら、「お父さん、こっち」と声が掛かり、握られた手に導かれ、自分も布団へ潜り込む。

 丁度、光が当たっている部分を見てみれば、どうやら、彼女の反対側の手も塞がっているようだ。

 

 

「……なんだか、変な感じです」

 

「……? どうしたの、急に」

 

「この時代に来てからは、ずっと一人で、安心して眠れる事なんて殆ど無くて。だから……」

 

「……そう」

 

 

 ほのかの呟く言葉は、微かに孤独を滲ませる。

 安らいで眠る事を幸せと思えるほど、彼女は心をすり減らしていたというのか。

 一体、どのような日々を過ごしていたのか。それを思うだけで、胸が切ない。

 

 

「……ねぇ、ほのか」

 

「あ、はい。なんですか?」

 

「聞かせてくれない? 貴方が、この時代に来てからの事。この時代で、貴方が見た物。貴方が、感じた事を。……知りたいの。私と同じ魔法を使った貴方が、どんな風に過ごしていたのか」

 

「………………」

 

 

 静かな声。

 闇に慣れた視界には、見詰め合う少女達の姿。

 しばらく、無言でそうしていた後、こちらに近い方の少女は、天井を見上げて語り出す。

 

 

「……私が巡って来た世界は、どれも、悲しみで一杯でした。

 今日、歩いた中だけでも、沢山の未来の面影を見つける事が出来たこの街は、私が最初に遡行した時間では、既に壊れていて、多くの人達が、必死でそれを直している所だったんです。

 私は、処理し切れなかったその瓦礫の中で目を覚まして……。最初は訳が分からなくて、泣きながら、色んな所を彷徨いました。

 キュゥべえを見つけて、あの瓦礫の山が見滝原だって知った時は、全然信じられなかったです」

 

 

 瓦礫の山……。

 この世界では、幸いにも被害は最小限で済み、復興も瞬く間に終えて、今ではすっかり元通りになっているが……。

 もし、ほのかが巡った世界が、ワルプルギスの夜を止められず、蹂躙されてしまった世界なのだとしたら。

 彼の魔女がもたらした被害は、考えたくも無い規模に及ぶだろう。

 

 

「キュゥべえは、基本的に知恵しか貸してくれないし、頼れる人も、誰も居なくて――マミさんも、さやかさんも、まどかさんも、杏子さんも、お父さんも――ほむらさんも。誰も居なかった。

 それでも、諦める事なんて出来なくて、キュゥべえの推測を頼りに、皆を探して、何度も世界を渡ったけれど……その度に、世界は悪くなる一方で……。

 運良く知ってる人に会う事が出来ても、それはやっぱり別の人で。私の存在を否定されてるみたいで、とても、怖かったです……」

 

 

 ほのかは、握る手に力を込める。

 自分の知る人に、その思い出を否定されるというのは、どんな感じなのだろうか。

 想像するに、暗闇にたった一人取り残されるような、そんな、身震いしたくなる恐怖を思わせる。

 自分だったら、耐えられるだろうか。その、魂も凍る孤独に。

 

 

「……幾つかの世界では、キュゥべえも居なくて――命が全て消えてしまったんじゃないかって言うくらいに、世界そのものが壊れている事もあって……。

 ほむらさんは、こんな物を見てきたんだって思うと、すごく苦しくて……私には、辛すぎて……。

 何度も繰り返すうちに、私はもう、帰れないんじゃないかって、思うようになりました。

 こんな目に遭っているのは、私がいけないんじゃないかって。

 どの世界も、私の居た未来には、繋がっていなくて……。まるで、お前は生まれる筈の無い命だったんだって、そう言われてるみたいで……本当に……」

 

 

 やがて、彼女は声を震わせ始める。

 今まで一人で抱え込んでいた、誰にも言えなかった苦しみを、ようやっと吐き出すように。

 彼女は、静かに慟哭する。

 

 

「この世界は、嘘みたいに、優しすぎるよ……。ねぇ? 私、ちゃんとここに居るよね? ちゃんと手を握ってるよね? 夢じゃ、ないよね?」

 

 

 ぽろぽろと涙を零し、ほのかの小さな手が、縋る様に絡みつく。声だけでなく、体も震えていた。

 いつかのほむらと同じ様に、彼女は、形ある不幸に慣れ、曖昧な幸せに怯えている。

 自分は、張り裂けそうな胸にその手を抱え、大丈夫だよ、側に居るよ、と何度も繰り返し、ここにある温もりが嘘ではない事を、強く示す。

 同時にほむらも体を起こし、彼女の頭を腕に抱いて、赤子をあやすように語り掛ける。

 

 

「そんな悲しい事、言わないで。貴方も、私達も。ちゃんと同じ時間に居るわ」

 

「ほむ、ら、さ……」

 

「……ごめんなさい。貴方が苦しんでいるのは、きっと、私のせいよ」

 

「……え?」

 

「貴方が歩いた世界は、多分、かつて私が居た世界。私が、救えなかった世界。貴方はきっと、私の足跡を辿っていたのだと思う」

 

 

 ほむらの足跡を辿る旅。

 それは、たった一人の友を助けるために奮闘し、そして、幾度となく繰り返された、哀しみの道。共に在ろうと誓った自分ですら、どうやっても触れる事のできなかった部分。

 ほのかは図らずも、それに触れ、肌で知る機会を得たのかも知れない。

 けれど、何の前触れも無く世界の厳しさに晒されてしまった彼女を思うと、やはり、胸が痛くて仕方なかった。

 

 

「ずっと、気になっていたの。私の祈りのせいで、因果の糸に絡め取られた世界の事……。

 世界に呪われるべき存在が居るのだとしたら、それは私。幾億もの犠牲を無視したまま、望む未来に辿り着いてしまった、私の方。

 ……貴方の言う通り。この世界は、痛いくらいに、優しすぎる。こんな私が、幸せでいられるんだから。

 でも、私はね、こうも思っていたの。大切な人を助けるためとはいえ、そのために何かを犠牲にしたなら、その報いは必ず訪れる。

 いつかきっと、途方も無い苦しみの中で、私は死ななきゃならないんだって――そう、思っていたの」

 

 

 ほむらの言葉に、自分の胸は更に締め付けられた。

 やはり、まだ苦しんでいたのか。共に過ごした時間の、その裏で、罪の処断に怯えていたのか。自分は、どうしても、ほむらにとっての救いにはなれないのか、と。

 だが、彼女の言葉が過去形になっている事にもすぐに気づき、それを裏付けるように、彼女の浮かべる笑みには、慈愛が満ち満ちていた。

 

 

「でも、今は違う。その考えは、幸せから逃げるための言い訳。自分がしたことから目を背けて、死に逃げようとする、弱い気持ち。

 私のせいで失われてしまった幸福があるなら、その分を補えるくらい、幸せにならなくちゃいけない。

 私には、その義務がある――いいえ、義務とか、そういうのじゃないわ。私自身が、そう在りたいと思えるの。

 掛け替えの無い人と、幸せになるために努力する。そうして産まれた幸福は、きっと、死ぬ事で罰を受けるなんかよりも、尊い事だと思えるの」

 

 

 気づくと、自分とほむらは見つめ合っていた。

 その視線に宿るのは、きっと、愛情と呼べる気持ち。

 

 

「全部、友達からの受け売りだけど、ね? それに、今だって信じられないくらい幸せだけど、希望と絶望の天秤が絶対に釣り合うなら、これで終わるはずが無いわ。

 私達と、この街に住む人々。魔法少女も、そうじゃない普通の人も。この国に住む人、この星に住む人――ううん。もっと沢山の人の未来が、花を咲かせられるはず。

 この世界には、数多の世界から運ばれた幸せの種が、一杯詰まってる。貴方も、その一粒。私達が紡ぐ、幸せの、第一歩」

 

 

 小さく笑い、ほむらは手を差し伸ばす。

 自分はほのかに身を寄せ、その体の上で、手を重ねようとする。

 指先が、一本ずつ触れて。その小ささを感じながら、繊細な硝子細工に触れるように、そっと指を絡ませる。

 触れ合った手の平から伝わる脈動。

 これも、きっと。

 

 

 

 

 

「ほのか。貴方は、私が直接お腹を痛めた子ではないけれど、それでも、私達の娘よ。だから、生まれる筈が無いだなんて、言わないで。貴方は、私の幸せの証――生きた証なんだから」

 

 

 

 

 

 微笑む姿は、全てを包み込むような母の強さを、在り在りと見せ付ける。

 自分にとってのほむらは、例え魔法少女であろうとも、弱弱しく、守ってあげたい存在。だが、そんな彼女も成長し、何時の間にか、こんな強さを見せてくれるようになっていた。

 ……嬉しかった。

 言ってあげたかった事を全部言われてしまったのは、ちょっとだけ悔しいが。

 

 

「……お、母、さん?」

 

「うん。なぁに、ほのか」

 

 

 ほのかは、戸惑いながら、ほむらを呼ぶ。

 ほむらは、愛おしそうに頬を寄せ、ほのかに応える。

 

 

「……お母さん」

 

「……うん」

 

「お母さん」

 

「うん、ほのか」

 

「お母、さ、ぁ……っ」

 

 

 何度も呼び合い、確かめ合って。

 ようやく確信できたのか、母の胸に縋りつき、ほのかはむずがるように雫を流す。

 それをしっかと受け止めながら、決して、こちらと繋いだ手も離そうとはしないほむら。

 そして自分は、そんな二人と手を繋いでいて、温もりだけでなく、溢れる気持ちを伝え合う。

 

 この繋がりは――この絆は、ほむらの言う通り、幾つもの世界の犠牲によって成り立つ、罪深い物なのかも知れない。

 けれど、大切な人の幸せを想い、慈しむ気持ちが間違いだなんて、あっていい筈が無い。

 例え、誰から咎められようとも、自分は、胸を張って言えるだろう。

 

 この愛は、宇宙一つとだって引き換えに出来る、そんな価値が在るんだ、と。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 東の空が、やっと白み始めた頃。

 自分達三人は、アパートの屋上で向かい合い、誰にも知られぬよう、静かに立ちすくんでいた。

 

 

「準備はいい? 忘れ物とか、ない?」

 

「何も持って来てないし、何も持って行けないよ? お母さん。ふふっ」

 

「あ……そうだったわね」

 

 

 くすり、と笑い合う二人だったが、その場には、寂しい空気が漂う。

 ――帰る時が来たのだ。

 

 

「ほのか」

 

「うん」

 

 

 呼ばれると、ほのかは楚々と歩み寄る。開かれた腕の中に納まると、互いの体をきつく抱き締める。

 しばらくそうすると、今度はこちらに顔を向け、自分も腕を広げる事で返事をする。

 

 

「お父さん」

 

 

 ……ほのか。

 

 弾むように飛び込んで来た娘を、愛おしく抱きしめる。

 ただ、名前を呼ぶだけで、他には何も言わない。それでも、伝わる自信があった。

 忘れない。

 この温もりも、あの涙も、繋いだ手の柔らかさも。

 絶対に、忘れないから。

 

 

「……それじゃあ、行くね」

 

 

 温もりが離れ、少しだけ鼻声になりながら――だからこそ、ほのかは強く宣言する。

 初めて会った時と同じ、薄紫のパジャマ姿の。しかし、全く見違える表情をした彼女は、緩やかに、体を魔力の光に包ませた。

 カチリ……カチリ……。ゆっくり、音が響く。

 細い体が宙に浮かび、長い髪がはためく。

 

 

「……お母さん!」

 

 

 ほのかは、カチリ、カチリ、と早くなっていく音を、掻き消すように叫ぶ。

 

 

「私ね、本当はね、お母さんの事、嫌いになりかけてた! お母さんの娘に生まれなければ、こんな辛い思いせずに済んだって! でもね!」

 

 

 涙混じりの声は、最後まで隠していた暗い気持ちを告げる。

 しかし、それだけではない事を、彼女の笑顔が教えてくれる。

 

 

「年下のお母さんに会えて、変わらないお父さんに会えて……。皆に会えて、嬉しかった!

 二人は、本当のお父さんとお母さんじゃないけど、でも、ちゃんとお父さんとお母さんだったから!

 私の居た世界が、どれだけ大切なものか、知る事が出来たから!

 私、この時代に来れて、本当に良かった!」

 

 

 身を包む光に負けないくらい、輝く笑顔。

 微かに身じろぎする気配に、隣に立つほむらの手を取れば、それが細かく揺れているのが分かった。

 自分は、正面を向いたまま、ほむら、と小さく呼びかける。

 彼女が、頷いてくれた気がした。

 

 

「ええ……ええ! 私もよ! 私も、ほのかに会えて嬉しかった!」

 

「うんっ、うん、っ、また、会えるよね? 絶対に、会えるよね?」

 

 

 ああ、会える! 絶対に、直ぐにまた会えるから! だから……!

 

 

「うんっ! またね、お父さん! お母さん!」

 

 

 決して、別れの言葉は使わずに。

 再会の祈りだけを残して、ほのかは光の中に消えていく。

 その姿を、最後まで瞳の中に留めて置きたくて、眩しさを堪え、見つめ続ける。目尻から、何か、落ちる物があった。

 やがて、我慢出来ないほどに光は高まる。それが、ほのかの背にしていた陽光と重なり、つい、目を閉じてしまう。

 それきり、彼女の気配は感じられなくなってしまうかと思ったが、そんな事は無かった。

 降り注ぐ光が。

 太陽の暖かさに混じる、明日へと続く道の光が、それを感じさせてくれた。

 

 この光は、きっと。

 自分達が帰るべき――辿り着くべき明日を指し示してくれる。

 輝ける未来への、道標。

 

 

 

 

 

「あ、言い忘れてた。お母さ~ん! お父さんにおっぱい揉まれた~!」

 

 ちょっ!? ほのかさぁん!?

 

「……詳しく聞こうかしら」

 

 

 

 

 




 箱○の「俺の嫁」にて、CV斎藤千和さんの感情希薄型ヒロインに「ほむら」と名付け、家の中では赤眼鏡を掛けさせてニヨニヨしていたのは筆者だけではないと信じたい。


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【鹿目まどかは】後日譚その5【通い妻】・上

 かなりの粉砕力を自負しております。
 お読みになる前に、色んな物(スコップとか家の壁とか)の耐久力をご確認下さい。


 

 

 見上げる夜空に浮かんだ月が、初秋の澄んだ空気に美しく映えている。

 自分は、休日出勤のせいで疲れ切った体を引き摺り、家への階段を上っていた。

 この仕事も大分板について、それなりに重要な事も任されるようになって来たが、それによるプレッシャーには未だに慣れない。

 数年前に入った後輩が色々と助けてくれているが、それにも限度はある。部長のようにワーカホリック気味でもない自分には、少々キツイ。

 だが、数ヵ月後には、人生で一番大きなイベントが予定されている。その為にも、自分はこの程度でへこたれている訳には行かないのだ。

 

 ……はぁ、でも疲れる……。

 

 しかしながら、本当であれば恋人といちゃつけた筈の日に仕事をしていたという事実は、何とも心と体を重くするもので。

 けれど、目の前にある扉を抜ければ、疲れた心身を癒してくれる存在が待ってくれている。会社を出る前にかけた電話によると、夕食も用意してくれているそうだ。

 自然と期待に胸が躍り、でも、それを表に出すほど子供でもなく、自分は努めて何時も通りに、ただいま、と玄関のドアを潜る。

 すると、部屋の奥からパタパタというスリッパの音が近づいて来た。

 

 

「お帰りなさい、あなたっ。ぉぉお、お風呂にする? ご飯にする? そ、それとも、わわゎわ・た・しっ☆」

 

 

 ……は?

 

 時が止まる。

 目の前には、近くの私立高校の制服に、上から黒猫プリントのフリルてんこ盛りエプロンを着け、ウィンクしながら妙なポーズを取っている、現在十八歳の我が恋人――鹿目まどかが立っていた。

 中学を卒業する前に頼んで伸ばして貰った髪は、今ではお尻に掛かるまで伸びていて、髪形もツインテールからツーサイドアップに変化している。

 交際を始めて、既に四年。

 色々と紆余曲折はあったものの、自分達の関係は非常に良好であり、週末は決まって家事のために来てくれるのである。

 そんな彼女の左手には何故かお玉が握られたままで、右手は綺○星っ(もしくはみ○るビーム)が如くに目の横で構えられていた。

 こういう表現がぱっと思い浮かぶ辺り、後輩に毒されている気がしないでもない。

 

 

「……っ」

 

 

 やったはいいが、やはり恥ずかしいのだろう。まどかの頬はどんどん紅潮して行き、構えた腕がプルプルと震え始めた。

 そんな様子も可愛いなぁ、なんて思いながらも、自分はこの事態を引き起こした原因を推察する――と言うか、ほぼ間違いなくあいつ等だ。

 数ヶ月おきに喧嘩して別れそうになっては、磁石みたいにまたくっ付くを繰り返す後輩バカップルの片割れで、まどかの親友でもある、美樹さやか。

 まどかが突飛な行動をする時は、大抵、いつも、絶対あの小娘の入れ知恵だ。

 一度喧嘩に巻き込まれてデートが台無しになった事もあり、その時は流石にまどかも怒りを隠さなかった。あの静かなる怒りっぷりと言ったら、それはもうあの親にしてこの子ありと言わざるを得なかった。

 

 しかし本当に、相変わらずいい仕事――じゃない、余計な事をしてくれる。

 何時ぞやの「押し倒されろ」と言うアドバイスから、制服・体操服・スクール水着、裸エプロンや妙に扇情的なピンクい下着、猫耳犬耳兎耳、その他諸々、さやかちゃんの思考回路はそん所そこ等の男子高校生よりもよっぽど酷い。

 ……まぁ、おかげで男としては助かっている所も多々あるのだけれど。

 そんな事を考えて時間を潰していると、やがて、沈黙に耐えられなくなったのか、赤くなった顔を両手で隠し、まどかは廊下にうずくまる。

 

 

「何か言ってよぉ……無視するなんて酷い……私、頑張ったのに……もうやだぁ、恥ずかしいぃ……」

 

 

 あ、ごめん。可愛いよまどか?

 

 

「取って着けたみたいに言わないでぇ」

 

 

 メソメソし始める彼女に、慌てた振りをして近づく。

 あえて放置した甲斐あって、その顔は羞恥に染まり、とても可愛らしい。

 最近はHな悪戯をしても余裕で返してくるようになったので、この表情は大変貴重なのである。可哀想かも知れないが、それを見れた事で、内心では満面の笑みを浮かべていた。

 そして、自分はそんな事をおくびにも出さず、またさやかちゃんの差し金か? と知らん振りをして問い掛ける。

 

 

「……うん。定番だけど、絶対に喜んでくれるからって。でも、やってみたら思ったより恥ずかしかったよぅ」

 

 

 そりゃあ、台詞だけならまだしも、ウィンクした上にポーズまで取っちゃなぁ。おまけに制服エプロンだし……。

 

 なんて言いながら、自分は苦笑い。しかし、絶対と言い切る辺り、あのバカップルは既に実行済みなのだろうか?

 ……いや、間違いなく実行済みだ。

 一週間ぐらい前、後輩がにやけ顔でそんな事を惚気ていた。イラッとしたので、コピー頼むついでに書類を顔にブン投げたのを良く覚えている。

 こんなやり取りもまた、恒例になって来ているのが怖い。

 

 

「……う、嬉しく、ない?」

 

 

 しょんぼり、といった様子で、上目遣いに問い掛けるまどか。

 流石に同情してしまい、彼女を励まそうと、小さな体を抱き起こして笑いかける。

 

 そんな事無いよ。

 あの三択は、男にとっては夢みたいなものだからね。

 吃驚したけど、本当は凄く嬉しいよ。まどかは世界一可愛い。

 

 

「……良かったぁ」

 

 

 まどかはそのまま体を預け、胸に心地いい重みを感じる。

 丁度、胸板の上に置かれた頭を優しく撫で、しばらくそうしていると機嫌を直したのか、彼女は満面の笑みを浮かべてくれた。

 

 

「ぇへへ、今日はね? パパ直伝のクリームシチュー作ったの。ほむらちゃんからおすそ分けして貰った新作のパンもあるんだよ。直ぐに食べられるけど、どうする?」

 

 

 そっか。じゃ、腹も減ってるし、まずはご飯にしようかな。

 本当は、まどかを食べてもいいんだけど……?

 

 

「ぁん、だぁめっ! ちゃんと手を洗って、ウガイもして来てくださいっ。あ、背広と鞄、預かるね」

 

 

 抱きしめていた体に手を這わせようとしたが、まどかはするっとそれから逃げ出し、こちらにお玉を突きつける。その薬指には、自分が過去にプレゼントした婚約指輪が輝く。

 慣れた手付きで背広と鞄を回収し、パタパタと部屋の奥へと消えて行く後姿は、堂に入った若奥様だ。

 まだ結婚はしていないが、「何時かはそう呼ぶんだし」という理由で、既に「あなた」と呼ばれているのもあり、気分的にはもう、新婚生活は始まっている。

 

 けれど、もう直ぐそれも、本当になる。

 まどかの卒業を待って。

 自分と彼女は、恋人から夫婦へと、その関係を変えようとしていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「いただきま~す!」

 

 

 いただきます。

 

 テーブルを囲み、挨拶と共に、二人向かい合って手を合わせる。

 その間には、白い湯気が立ち上る具沢山のクリームシチュー。食欲を掻き立てる良い匂いが鼻をくすぐった。

 他にも、ブロッコリーなどの温野菜サラダ、切り分けられたバゲットなどが並べられている。

 一人暮しの頃からは考えられない、暖かな夕食。

 穏やかな時間に幸せを感じながら、早速、シチューを一口。

 

 

「……どう?」

 

 

 ……ん、美味しい。やっぱり、鹿目家のシチューは違うね。

 

 正直な感想を告げれば、彼女は「ぇへへ、やった」と、小さくガッツポーズ。自身もシチューを口に運ぶ。

 なんでも、色々と隠し味があるらしいのだが、知久さんとの約束で秘密なのだそうだ。

 まぁ、自分としては美味しい手料理が頂けるだけで十二分に在り難いのだが。

 

 それにしても、まどかも随分と料理が上手くなったなぁ。最初の頃は酷かったのに。

 

 

「あ、またその話。もぅ、忘れてって言ってるのにぃ」

 

 

 ごめんごめん。

 

 感慨深くて思わず呟いてしまうと、まどかはスプーンの先をこちらに向け、プンプンと怒り出す。

 一応、謝りはするのだが、それも仕方ないと本心では思う。何せ、最初に食べた彼女の手料理は、消し炭になりかけた目玉焼きだったのだから。

 せっかく作ってくれた初の手料理。根性で食べ切ったが、味がどんな物だったかは顔に出てしまっていたようで……。

 それ以来、彼女は専業主夫なお父さんの厳しい料理修行を受け、新しい料理を覚えるたび、この部屋で成果を披露してくれたのだ。

 と言っても、やはり最初の頃は中々上手く行かず、定番の失敗である人参の皮剥きを忘れたり、ロールキャベツが水っぽい肉野菜炒めになったり、鶏の唐揚げの筈が竜田揚げになったり……大変だった(最後のは美味しかったが)。

 だからか、危なっかしかった手付きが段々と淀み無く動くようになって、確実に上達するのを身を持って感じた男としては、嬉しくてつい思い返してしまうのだ。

 

 

「それより、パンも食べてみて? お兄さんの新作で、感想を聞かせて欲しいんだって」

 

 

 言われて、バゲットにも手を伸ばす。

 見た目は極普通のそれだが、口にしてみると大きな違いが分かった。

 改めてトーストしているわけでもないのに、芳ばしい香り。外側は程よくパリパリで、中はふんわりしっとり、柔らかいまま。

 普段はご飯食の人間なのでパンについては詳しくないが、それでもこのパンが美味しいのだけはよく分かる。

 素直にそれを伝えると、まどかも似たような感想なのか「うんうん」と頷く。

 

 

「最近、自分の味を探して色々と試してるんだって。悩んでるのに、すっごく楽しそうだって、ほむらちゃん笑ってた」

 

 

 なるほど、それで。

 

 まどかの言う『お兄さん』とは、自分にとって歳の近い友人でもあり、彼女の同級生である暁美ほむらという少女の恋人だ。最近人気の出始めたパン職人でもある。

 数年前からパン作りを学び始めた彼は、ここ数年でようやく店長さんに認められ、お店で出すパンも焼かせて貰えるようになったそうだ。

 腕前は上々で、丁寧な接客と柔らかな物腰のおかげか、近所の奥様方やOLにも地味に人気があり、何度かアプローチも受けたらしい。

 その都度、「将来を誓い合った人が居ますから」と断っているみたいだが、「それに嫉妬してくれるほむらがもう可愛くて仕方ないんですよっ」とも言っている。

 なんだか、後輩のバカップル菌がうつっているような気がする……が、本人達が幸せそうなのだから、野暮な事は言いっこ無しか。

 

 そう言えば、学校の方はどう? 暁美さんとか、さやかちゃんとか。皆、変わりは無い?

 

 

「うん。みんな仲良しだし、とっても幸せそう。マミさんも、大学で一杯お友達が出来たって。織莉子さん達も同じ大学だし、何時も通りみたいだよ?

 あ、でも、彼氏が居るって分かってるのに声を掛けてくる男の人も居て、困ってるみたい。先輩も気が気じゃないみたいで……。ちょっと大変そうかも」

 

 

 あ~、それは確かに大変そうだ……。

 

 マミ――まどかの一つ年上の少女、巴マミは、現在、隣の県にある大学に通う現役女子大生だ。

 おそらく女性の視点から見ても、誰もが羨むスタイルを持つ彼女であれば、若い男の邪な視線を向けられてしまうのも頷ける。

 もっとも、そのお眼鏡に適った男はこの世に一人だけ。今後一切、他の男なんて歯牙にも掛けないだろう。

 しかし男としては、その恋人である彼の気持ちも理解できた。恋人が少々魅力的過ぎるというのは、何ともやきもきして、やはり心配なものである。

 

 そして、織莉子――美国さん達も何時も通りという事は………………うん、放っておこう。

 知り合って結構経つが、それでも変わらず関係を維持しているなら、外野が何か言うべきでは無い。

 幸せの形は、人それぞれだ。

 

 

「大変って言えば、ほむらちゃんも大変かも。ううん、ほむらちゃんだけじゃなくて、杏子ちゃんも」

 

 

 ん? 何かあったのか?

 

 

「……二人とも、また告白されてるみたいなの。合わせると、今週だけでもう……二十人、かな。卒業も近いし……」

 

 

 そっかぁ……。それはやっぱり、例によって?

 

 

「うん……。ほとんど女の子から。断るのも一苦労だって、最近は二人共、放課後になると何時の間にか消えてるの。もしかしたら、魔法でも使ってるのかも」

 

 

 いや、流石にそれは……無いとも言い切れない、か……。

 

 まどかの言う少女達――先にも上げた暁美ほむらと佐倉杏子の二人には、自分も面識があり、贔屓目に見てもかなりの美少女だ(自分にとっての一番は言うまでもない)。

 中学時代からモテていたらしいが、高校に入り、女性としての魅力が高まるにつれ、虜になる男子学生も増えたようで。

 結果として起こったのが、今尚、見滝原の伝説として語られる、累計三百人斬りの高校生コンビ誕生である。

 一時期は他の女子達との関係も危ぶまれたそうだが、その彼女達に詰め寄られた時、二人は胸を張って堂々とこう言い切ったそうだ。

 

 

『私には、愛する人が居るもの』

『アタシには……ぁ、あ、ぁい……愛してる奴が居るんだよっ!!』

 

 

 言った直後、佐倉さんは真っ赤な顔で壁に頭突きを始め、暁美さんは暁美さんで、右腕と右脚を同時に出しながら歩き去ったらしい。小っ恥ずかしい気持ちも分からなくない。

 だが、それをどう勘違いしたのか、彼女達は“この二人が”デキていると思ったようで、以来、まどかの通う高校では「あの二人はガチだ」という噂が流れたのだそうだ。

 さやかちゃん曰く、「別々の場所で同時に詰問されたのに、同じ様な答えして、よくお兄さんのパン屋で一緒になるのが原因じゃない?」との事。大体正解の気がする。

 幸い、三年には佐倉さんの恋人が居たため、誤解自体は早々に解けたのだが、彼はもう卒業しているし、一度売れてしまった名声は中々消えてくれないようだ。

 

 片や、クールな外見に反して世話焼きな美少女。

 片や、溌剌とした頼り甲斐の中に清純さを見せる美少女。

 

 妹にしたいと企む上級生が出たり、お姉様と慕う下級生が今なお居るのも、無理は無い。

 ちなみに、さやかちゃんには浮いた話なんて全く全然これっぽっちも無い模様。

 然もありなん、である。

 

 

「みんな酷いよね、勝手なイメージで決め付けて。ほむらちゃんは学校にバレたりすると大変だから、杏子ちゃんみたいに証明も出来ないし。……私もそうだけど」

 

 

 うぐ……ごめんね、なんか、色々と……。

 

 やはり、華の女子高生からすると、恋人と大手を振って出歩けないのは寂しいのだろう。スプーンを咥えたまま、まどかは悩ましげに天井を見上げていた。

 実際、彼女を隣に街を歩けば、半々の確立で家族連れと間違われるか、胡散臭い目で見られるかのどちらかだ。

 自分はどう思われたって構わないが、そのせいで彼女が如何わしい目で見られているかも知れないというのは特に耐え難く、心苦しい。

 けれど、謝罪の言葉を聞いたまどかは目を細め、首を横に振ってくれる。

 

 

「ううん、私は良いの。ちゃんと考えて選んだ事だし、大切にして貰ってるの、感じてるから。それにもう直ぐ……ね?」

 

 

 優しい眼差しに、ああ、と強く頷き返す。

 彼女が無事、高校を卒業したら、ようやく結婚に向けた本格的な準備が始まるのだ。

 とは言っても、なにぶん始めての事ばかり。素直に両親達の協力を得る手筈となっている。

 ……の、だが。

 

 なぁ、まどか。お義父さんは――知久さんは、大丈夫かな?

 

 

「もぅ、怖がり過ぎだよぉ。最近、よくお酒飲んでるみたいだけど、ママが言うには『寂しがってるだけさ』だって。安心して? パパもちゃんと、あなたの事を信じてくれてるはずだから」

 

 

 だと、嬉しいんだけどな……。

 

 まどかの実父――知久さんは、自分にとって見習いたい人生の先輩であると同時に、とある事情から、とっっっっっても怖い人物になってしまっていた。

 原因は、当時、まだ中学生だった彼女に手を出してしまう自分の堪え性の無さと、そのけじめとして贈ったプロポーズに、シルバーの婚約指輪である。

 それを部長に――母親である詢子さんに気取られたのを知った自分は、勢い余って、ご両親に交際の告白と、結婚を前提とした今後のお付き合いの許可を貰うため、家庭訪問を敢行したのだ。

 

 門前払いを喰らった上で五分の四――いや、十分の九殺しにされ、通報されてお縄に付くのも覚悟していたのだが、以外にもすんなり家に通され、二人を前に彼女への想いを語らされた。

 それ自体は恥ずかしいながらも平気だったのだが、問題は、「コーヒーを用意するから」と知久さんがキッチンに消えてから。

 自分は、リビングのソファにまどかと隣り合って座っていて、途切れた会話の気まずさを紛らわすため、家庭菜園を眺めていたのだが、視界の外からはコーヒー豆をミルで挽く音と全く違う、まるでエッジをシャープニングしているような音が聞こえて来たのだ。

 

 額に手を当て、「男って奴は……」と一人ごちる部長に、「ぁわぁわ」と狼狽えるまどか。少し首を捻れば確認できよう物を、勇気のなかった自分はそれも出来ず。

 コーヒー淹れてる音じゃありませんよね? なんて問い掛けても、「全く新しい手法だからね」と朗らかに笑みでも浮かべていそうな一言。

 刃物を首筋にでも突きつけられたようなプレッシャーをひしひしと感じながら、しかし、自分はそれに負けず、なんとか交際の許しを勝ち取ったのだ。

 最後に、覚悟していた通り、部長の豪腕によって体をくの字に曲げさせられ、体力をごっそり持っていかれるという代償はあったのだが。

 

 ……あ、思い出した。そう言えばあいつ、さやかちゃんのお父さんとも仲良くなったって言ってたな。

 

 

「え? それって、後輩さんの事、だよね? ……うそ、私、さやかちゃんからまだ何も惚気られてないよ?」

 

 

 信じられない、と目を丸くするまどかに、自分は今日聞いたばかりの――休日出勤だと知ってる筈なのに態々昼休みに電話してきたバカから聞かされてイラッとした話を披露する。

 

 いや、まださやかちゃんには秘密なんだって。

 なんでも、昨日のさやかちゃんとのデートを尾行されて、その帰りに飛び掛られたらしいんだ。

 で、『落ち着いてお義父さんっ!?』とか、『貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはなぁいっ!!』とか言いながら取っ組み合ったみたいなんだけど……。

 そのうち、『当たらなければどうという事は無い!』とか、『年齢の差が戦闘力の差ではない事を教えてやる!』とか、ガン○ムネタで盛り上がって、最後は打ち解けて一緒にガード下で焼き鳥食べたんだってさ。

 

 

「……なんでかなぁ。喜んで良いはずなのに、ちょっと釈然としないよ……」

 

 

 だよなぁ……。

 

 複雑な表情でブロッコリーを齧る彼女に、うんうん、と頷く。

 正直、それで良いのかお前等と、小一時間ほど問い質したい。自分の苦労はなんだったというのか。

 まぁ、それが彼の持ち味だとも言えるのだが……。

 相対した人間の“素の部分”を引き出す事に関して、彼は特に抜きん出ている。本人がその能力をあまり認識していないのが残念な所だが、これを伸ばしていく事が出来れば、今後の仕事にも人生にも、大いに役立つ事だろう。

 部長もそれを考えた今後を見据えると言ってくれたし……楽しみでもある。

 

 

「あ、お皿、空っぽだね。お代わりする?」

 

 

 話をしている間にもスプーンは動き、シチューの盛られた耐熱皿は、何時の間にか空になっていた。

 まだ腹八分目にもほど足りなかったので、まどかの気配りに甘え、頼むよ、とお願いする。

 立ち上がり、笑顔でキッチンに向かう後姿を見ながら、自分は思う。

 

 今感じている喜びが、日常になって。

 それに慣れてしまうのは、とても贅沢な事で。

 でも。

 

 

「はいっ、お待たせしました~」

 

 

 この笑顔は、多分。

 いつまでも曇りなく在ってくれる。

 そう、信じられた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 まどかの手料理を堪能し、狭いキッチンに並んで洗い物を済ませた後のまったりタイム。

 手ずから淹れた二人分のコーヒーが、ソファ前のガラステーブルに乗っていた。

 側に座る彼女は、ブライダル雑誌――間違った使い方をすれば、鈍器や防弾チョッキの役割も果たすであろう分厚さのそれを、熱心に捲っている。

 しかし、その指は先程から一定範囲を行ったり来たり。捲られた紙も、同じ所が繰り返し開かれているようだった。

 不思議に思った自分は、コーヒーのお代わりに立ったついでに彼女の背後へ回り、ソファの背もたれに手を突いて、何見てるの? と頭の上から覗き込む。

 

 

「うん? ウェディングドレス。こういう本は初めて買ったんだけど、凄いんだよ。こんなに一杯種類があるなんて、私、知らなかった」

 

 

 ふ~ん、どれどれ?

 

 今度は肘を突き、見上げていた彼女と顔の高さを合わせる。

 ふわり、と薫る花のような香りを感じながら視線を落とすと、様々な種類の純白のドレス達が紙面に踊っていた。

 純白と言っても白一色ではなく、青み掛かっていたり、レモン色だったり。

 スカートも、フリルで飾られた物、膝丈の短い物。ビスチェのように体のラインをハッキリさせるものなど、本当に色々だ。

 それ等を着てくれるまどかを脳内で妄想し、何か気に入ったのはある? なんて尋ねてみれば、彼女は紙面に顔を落とし、ドッグイヤーの付けられたページを捲る。

 

 

「えっとね……。これなんか着てみたいなぁ、なんて思うんだけど」

 

 

 指し示されたのは、デザイナーズドレスのコーナー。

 外国人モデルの着る、白を基調としたドレスが映っていた。

 胸元には幾つかのルビーを思わせる宝石があしらわれ、肘上の袖からはピンク色の生地が覗いている。

 スカート部分は、前面は膝上と短めだが、後ろはウェディングドレスらしくとても長く、パニエでも使っているのか、ふんわりと広がっていた。こちらも、裾の部分からはピンク色の生地が。

 脚を覆うオーバーニーも同じ色で、真っ白なヒールには羽根飾り。花弁のような手袋と白いチョーカーもセットのようだ。

 男の視点から見ても、とても可愛らしく、華やかなドレスに思える。

 

 これを、まどかが着てくれたなら。

 きっと天使の様に愛らしく、女神の様に美しいのだろう。

 ……んが。

 

 ちょっと、胸元が開き過ぎじゃない? このドレス。

 

 

「え? そうかな。可愛いのに」

 

 

 まどかはそう言うが、このドレス、胸の中央辺りがひし形にざっくりと刳り貫かれているのだ。

 こんなに開いていると、普通にしていても横乳が拝めてしまう。それどころか、手を突っ込んでこねこね出来そうだ。

 自分だけが見るならまだしも、こんな破廉恥なドレス、結婚式には、ちょっと……。

 などと密かに考え、難しい顔をしていたら、彼女はそれを見透かしたのか、「大丈夫だよ?」と笑みを浮かべて見せた。

 

 

「ほら、よく見て。この部分フェイクみたい。ちゃんと布が張ってあるみたいだよ?」

 

 

 ……あ、ホントだ。

 

 言いながら、まどかが雑誌を顔に寄せてくれたので、目を凝らしてみれば、確かに地肌が露出しているわけではないようだ。

 こんな手間を掛けるなら、いっそ刳り貫いたりしなければ良いのに、とも思ってしまうが、それもデザイナーズ所以なのだろう。

 値段を確かめてみれば、その割りに値段は二桁に行っていない。胸元の宝石も、イミテーションなのかも。

 それでも普通のドレスに比べればお高いが、部長に散々振り回されたおかげで分不相応に給料は多いし、貯金もそれなりにあるから、これなら自分が買ってあげる事も出来る。

 しかし、冠婚葬祭にはとにかくお金が掛かる物。レンタルもやっているみたいだし、節約した方が良いだろうか……?

 結婚したとして、二人で住むのに、この部屋は少し手狭だ。引越しも視野に入れておかねば。

 

 まぁ、二人だけで決めるのは寂しいし、今度お邪魔する時にでも、部長達に相談してみようか。

 

 

「うんっ。……ねぇ、あなた?」

 

 

 頷き、雑誌を閉じた彼女は、躊躇いがちに問いかけて来た。

 隣に座り直しながら、なんだ? と問い返すと、少し俯きながら、顔の前で指を軽く組み合わせ、頬を染める。

 

 

「ん、とね。あの時の言葉、もう一度、聞きたいなって」

 

 

 ……あの時? 何だっけ。

 

 

「ほら、お家に挨拶しに来た時に、『幸せにする自信があるのか』ってママに言われて、その時の言葉。……だめ?」

 

 

 あぁ……。え? 今、ここで?

 

 まどかは、瞳に期待を満天に乗せて、こくこく、何度も頷く。

 そんな彼女に対して自分は、参ったな、と頭を掻いた。ここ最近、何かにつけて言わされている気がする。

 あの時口にした言葉は、紛れも無い真実の気持ちであると同時に、自分にとっては誓いにも等しい言葉なのだが、それ故に、何度も要求されるのは恥ずかしいのだ。

 けれど、目をキラキラさせて待つ彼女を裏切るのも……あ、そうだ。

 ふと思いつき、それなら自分も納得できると、彼女に向き直る。

 

 言っても良いけど、その前に。

 まどかが、どうやって十二も年上な男に興味を持って、どんな風に好きになってくれたのかを語ってくれたら。

 それなら良いよ?

 

 

「……ふぁへ!? な、なんで!?」

 

 

 相変わらず、時々変な驚き方するね。

 とにかく、いっつも自分ばっかり語らされてるような気がしてさ?

 それに、まどかの方からそういうの聞いたことって、あんまり無いし。好きとは言ってくれるけど。

 

 

「それは、うぅ……だって、恥ずかしい、し……」

 

 

 それは自分も同じだってば。

 駄目なら言ってあげないよ?

 

 

「……お、怒らない?」

 

 

 え? 怒るような過程があるの……?

 

 もしかして、藪をつついて蛇を出したのだろうか。彼女はそんな風に言う。

 が、言っているうちに覚悟も決まったのか、一度、自身で確かめるようにハッキリと首を縦に振ると、記憶を辿るように、想い出を語り出す。

 

 

「初めて会った時は、ちょっと――ううん、すっごくビックリしたの。

 ママが一人で歩けなくなる位に酔うのも珍しかったけど、男の人に送られてくるなんて、初めてだったから。

 それと、ちょっとだけ怖かったかも。不機嫌そうな雰囲気だったし」

 

 

 釣られて自分も思い返してみたが、確かにそうだったかも知れない。

 元々、賑やか過ぎる飲み会に連れ出されて辟易としていたし、部長の扱い方も知らず、本当に厄介だったのだ。今も酔うと面倒臭いけど。

 それに、お家に上がらせて貰った時、知久さんにちょっと胡乱な目で見られたのもあって、少しイライラしてたかも……。

 

 

「でもね、その次に来てくれた時は時間も早くて、ママもまだちゃんとしてたし、色々とお話もしたでしょ。

 怖いなぁ、って思ってた人が、ママをたくさん褒めてくれて、それからパパにも、これでもかって位に畏まったり……。なんだか、おかしくて」

 

 

 はは、そうだったね。

 

 思い出し笑いをするまどかに合わせ、同じ様に笑顔を浮かべる。

 あの頃は、一人でもなんとか仕事をこなせる様になったばかりで、自分が四苦八苦する仕事でも、片手間にきっちり片付ける部長へ、憧れにも似た想いを抱いていたのだ。

 今となっては、絡み上戸・笑い上戸・駄洒落のち下ネタ上戸を併発する酒癖のせいで、憧れなんて純な感情は粉微塵に砕かれているが、それでも。

 部長の仕事に対する情熱は、誰に劣らぬ輝きで自分を照らしてくれていた。

 そんな人の家へ正式に招かれては――知久さんにも、先日の態度を謝られてしまって、酷く落ち着かず、緊張甚だしかったのを覚えている。

 そして、恐縮しきりだった自分の気持ちを解してくれたのは、今も隣にある、この笑顔だった。

 

 

「ママはあんまり自分の自慢話とかしないから、お仕事で頑張ってるママの話を聞くのは楽しかったし、パパ以外の大人の男の人と話すのも、学校以外では殆ど無かったから。

 時々、ママを送ってお家に来たあなたとお話しするのが、段々と楽しみになったの。

 ……でも、デートに誘われた時は本当にビックリしちゃった。私の事、そんな風に見てたなんて、思っても見なかったから。

 顔が熱くて、気が動転して、ついOKしちゃったけど、本当は後悔してたんだよ?

 ママのお仕事関係の人だから、今更断れないし……。危ない人だったらどうしよう、エッチな事されちゃったりしたらどうしよう、って」

 

 

 ……あ、そう、だったん、です、か……。

 

 数ヵ月後には交際五年目に突入。結婚まで視野に入れているというのに、ここに来て衝撃の新事実。なんと、最初はヘンタイ扱いされていました。

 そりゃあ普通に考えればそれが当然なんですけども。

 ショックです。

 これが、マリッジブルーか……っ。

 なんて項垂れていると、それに気づいたまどかは慌ててこちらの手を取り、にぎにぎと慰めてくれる。

 

 

「……ぁっ……で、でもね? 今は勿論そんな事無いよ? それに、お誘いを受けてよかったって、デートしたその日の内に思えたもん。だから落ち込まないで、ね?」

 

 

 いいよいいよ、どうせ自分はロリコンですよ。

 中学生に恋して手を出してプロポーズまでした三重苦の筋金入りですよ。

 でも、好きになっちゃったんだ。

 惚れちゃったんだからしょうがないじゃないかぁ、うぅぅ。

 

 

「うん、うん、分かってるから。自分の事、そんな風に言っちゃダメだよ? 他の女の子に目移りもしないで、私一筋で居てくれたの、ちゃんと知ってるから。あなたに好きになって貰って、私はすごく幸せ。信じて?」

 

 

 慣れた様子で、彼女は優しく頭を撫でてくれる。

 このやり取りも、ここ数年で最早定番。つまりは、慰めて欲しい時のポーズ。

 いい歳したおっさんがこんな事をしても気持ち悪いだろうに、嫌な顔一つせず受け止めてくれる。

 そんな寛容さに益々惚れてしまうのだから、悪循環もいい所だ。

 

 

「初めてのデートも、最後はこんな感じだったよね。私は意外と楽しかったのに、あなたは失敗ばかりって落ち込んじゃって。

 私は、そんな事ないです、って、こんな風に。それからなんだよ? あなたの事が気になりだしたの」

 

 

 まどかとの、初めてのデート。

 自分も楽しかった事は楽しかったのだが、やはり、男としては失敗としか言えない内容だった。

 

 まず、酒の勢いを借りて誘うなんてのが論外だし、素面に戻った自分は焦りに焦って、無難に映画でも見ようと思ったら劇場で目当てのチケットが売り切れ。

 代わりに見た子供向けのアニメは意外と感動色が強く、二人揃ってボロ泣きして……。どちらかと言えば、自分の方が泣いていた。動物ものは反則だ。

 その後のランチも、行くはずだったお店は身内に不幸があったらしく臨時休業。

 仕方なく近所に出来たばかりのイタリアンレストランに入って、先程見た映画の話や、どんな動物が好きかなど、他愛のない話で急場は凌いだものの、思い通りに行かない焦りは更に募り。

 何とか点を稼ごうと、部長にも褒められた事のある喉を披露するため、ちょっと強引にカラオケへも誘ったが、ネタ的に入れた演歌を辛口評価され、逆に指導を受けた挙句、最後は二人で熱唱する始末。楽しかったのがまた悔しい。

 

 そんなわけで、裏目裏目のデートの帰り道、自分は項垂れて歩いていたのだが、彼女はそれを慰めてくれたのだ。

 丁度、こんな風に。

 

 

「あの日、帰ってからママに聞いたあなたは、難しい仕事に付き合わせてもめげないで、ぶつくさ言いながらでも、最後までしっかりやり遂げようと努力する、有望な人。

 でも、私の前に居たあなたは、感動屋さんで、猫が好きで、歌が上手くて。でも、誤算も多くて落ち込みやすい、ちょっと困った人。

 どっちが本当のあなたなんだろう。何であなたは、私なんかをデートに誘ってくれたんだろう、って、すごく気になったの。

 そして、気が付いたら……あなたの事ばかり、考えるようになってた」

 

 

 頭を撫でてくれていた手が滑り、頬を下って、首筋から胸板へ。

 くすぐられるような感覚に、しかし、身悶えも出来ない。

 乗せられた手を通して伝わってしまいそうなほど、胸が高鳴っていた。

 まるで、まどかに初めて告白した時の様に。

 

 

「だから、二度目のデートは、胸が痛くなるくらい、ドキドキして。……三度目のデートの時にはもう、あなたに惹かれてた。

 この気持ちを知らなかったら、私はきっと、信じられなかったと思う。

 あなたが、私なんかの事を大好きだって言ってくれたから、私は変われた……信じ抜く事が出来たの。

 私自身の事。私が、信じたいと思った人達の事。人の心の、綺麗な部分を。

 このあったかい気持ちのおかげで、私は強くなれた。だから……」

 

 

 目を弓なりに細め、内から滲み出るような微笑みを零し。

 彼女は、トン、と胸に額を押し付けて。

 何度かそれを擦り付けた後、微かに囁いた。

 

 

 

 

 

「私は……。鹿目まどかは。あなたの事が、大好きです」

 

 

 

 

 

 胸に溢れた気持ちが、まどかを抱き締めさせる。

 この、歓喜にも似た気持ちを、彼女にも感じて欲しくて。独り占めするなんて、勿体無さ過ぎて。

 けれど、言葉にすると、きっと陳腐な物になってしまうだろうから。

 一切を誤解無く、余す所無く伝えるために――

 

 まどか。

 

 ――と、ただ、名前を呼ぶ。

 

 

「……ん……」

 

 

 返って来たのは、満足そうな吐息。

 堪らなく、キスをしたくなった。

 背中を二度、ぽんぽん、と叩けば、それを察知した彼女は体を起こしてくれる。

 そのまま、確かめる事も無く顔を寄せると――

 

 

「……待って?」

 

 

 ――唇に、人差し指が押し当てられた。

 お預けをくらい、戸惑いに目を瞬いていると、まどかは得意気に笑って一歩身を引く。

 

 

「さ、私はちゃんと言えたんだから、次はあなたの番だよ? それまでキスはお預け!」

 

 

 ……ちっ、駄目か。

 良い雰囲気になれば誤魔化せるかと思ったのに。

 

 

「ダメですっ! 本当に恥ずかしかったんだからっ! ……こほん、じゃあ聞くね?」

 

 

 咳払いをしながらソファに正座し、居住いを正して、彼女はこちらに向き直る。

 しょうがなく、自分も彼女を真似て足を上げ、胡坐をかいて言葉を待つ。

 

 

「『まぁ、(トモ)の事は置いとくとして……。お前のまどかへの気持ちは分かった。

  気は早すぎるにしろ、責任を取ろうっていう覚悟も理解した。

  ならお前には、この子を絶対に幸せに出来る、その自信があると思って良いんだな?』」

 

 

 ……っ、ふ、くくっ、に、似てない……っ。

 

 

「~っ! 『い、い、ん、だ、な、!?』」

 

 

 全然迫力が無く、むしろ似合わない口調が可愛くて吹き出してしまったが、まどかはぷく~っと頬を膨らませ、ソファに両手を突いて詰め寄って来た。

 その勢いに、仰け反りながらも自分は謝り、なんとか当時を再現しようと気持ちを切り替える。

 

 ご、ごめんごめん……。ごっほん、あ~と……ふぅ……。

 自分は……それは、少し違うと思います。

 

 

「『……なんだとぉ?』」

 

 

 ……駄目だ、やっぱり似てない。

 さっきの言葉を口にした時なんて、本当なら空気が軋むほどのプレッシャーを感じた上に、刃の擦れ合う甲高い音まで聴こえてきて、恐れ慄いたというのに。

 目の前の彼女からは、愛くるしさしか見て取れない。

 そんな気持ちが自然と頬を緩ませ、微笑みを浮かべながら、自分は誓いの言葉を続ける。

 

 上手く言えないんですけど、自分は、こう思うんです。

 幸せにするとか、してあげるとか、なんか、その……。おこがましいかな、って。

 だって、この子が側に居てくれるだけで、笑い掛けてくれるだけで、自分は幸せです。

 それに報いたいと思うのは当然で……それをまどかが、幸せと思ってくれたなら。それすら、自分には幸せで……また、この気持ちを返したくなって。

 そんな風に、幸せを返しあっていけたらと、思うんです。

 

 

「……それで?」

 

 

 口調の真似も忘れ、詰め寄った時の姿勢のまま、彼女は先を求める。

 間にあった距離は、少しずつ失われていた。

 

 自分が、まどかを幸せにしたり、まどかに幸せにして貰うだけじゃなくて。

 二人で一緒に。

 もっと、ずっと、幸せになって行けたら。幸せの環を、作って行けたら。

 ……いえ。自分のこれからの人生を賭けて、作って行きたいんです。

 

 

「……うん……」

 

 

 また、近くなっていく。

 瞳は潤いを湛え、瑞々しい唇が緩やかに開かれていた。

 

 ……彼女がこれから経験する、沢山の苦労や悲しみも。

 その中で分け合って、いつか、笑って話せる想い出に出来るように。

 一番近くに――いつも隣に、居たいんです。

 だから。

 まどかと、結婚させて下さい。

 今すぐは無理でも、この先の未来で、この子の隣に立つ事を許し――んっ。

 

 

「ん、む」

 

 

 全てを言い終える前に、唇は塞がれてしまった。

 一度、触れるだけのキスを交わし、また直ぐに、甘く、深く、舌先を重ねる。

 

 

「ぅ……っは……ん」

 

 

 眼前に愛する人の顔があり、薄目を開けてそれを眺める。

 安心しきっているのか、瞼を閉じ、完全に身を委ねる彼女。

 甘え合うように、深みに嵌るように、絡め合う。

 

 

「っ……はぁ……ぁ」

 

 

 やがて、躊躇いつつ、唇が離れる。

 お預けじゃなかったの? と囁くと、まどかはこちらの首筋に顔を埋め、同じ様に囁く。

 

 

「……いじわる。分かってるくせに……」

 

 

 鼓膜をくすぐる吐息に何が込められているかは、考えるまでも無い。

 何故なら、自分も全く同じ事を、思っているだろうからで。

 だからこそ――

 

 はい、今日はここまでっ。続きはまた今度。風呂入ってくる。

 

 

「え………………ぇええっ!?」

 

 

 ――だからこそ、自分は理性を振り絞って欲望を押さえつける。

 そんな事を言われるとは思っていなかったのか、まどかは一瞬、ぽけぇ、とした後、ソファを立つ自分の後に慌てて続く。

 

 

「あ、あの、今度って、もう明日は学校だし、一週間始まっちゃうし、その、昨日はデートだけだったし、あの……」

 

 

 だからだよ。自分も仕事があるし、明日に疲れを残すような事は駄目です。

 ……そりゃあ、自分だってしたいけど、それと同じくらい仕事も大事だからね。

 

 

「そ、そうだけど、でも……うぅぅ、でもぉ……」

 

 

 泣きそうな顔で体をもじもじとさせる彼女からは、匂い立つような艶めきが感じ取れるのだが、あえてそれから視線を逸らし、脱衣所に向かう。

 正直に言えば、今すぐこの場で押し倒したい。明日の事なんて考えずに滅茶苦茶にしてしまいたい。

 が、部長達からも、婚前交渉は可能な限り避けるようにと、先の挨拶の時にきっっっっっつく言い聞かされている――というか、抉るように叩き込まれたのだ。逆らったら今度こそ、全身の骨という骨を砕かれた上で隈なくブッ刺される。

 ……まぁ、それでも我慢できない時だってあったのだが。バレていないと信じたい。

 

 それに、自分はもう若くない。

 休日出勤に加えて夜もハッスルしたとなれば、間違い無く明日に響く。ここはじっと、我慢の子である。

 そう心に決めて、脱衣所の扉に手を掛けた時――

 

 

「………………」

 

 

 ――小さな手に袖を摘まれ、それは阻まれる。

 振り返ると、頬を朱に染め、上目遣いにじっとこちらを見つめるまどかの姿が視界に入った。

 ……しまった。これは、マズイ。

 彼女にこんな風に見つめられると、なんだかんだで断れないのだ、自分は。

 押し切られる前に、どうにか説得しないと……。

 

 

「……ゃ、なの?」

 

 

 ……っ、いや、そうじゃないけど……むしろ、こっちからお願いしたい位なんですけど、日が悪いと言うか……ね?

 

 クリティカルに男心を刺激する猫撫で声に、自分は背筋を震わせながらも必死に抵抗を示す。

 しかし、彼女もまた言葉を重ね、畳み掛けてくる。

 

 

「……もう、飽きちゃった?」

 

 

 んなっ!? そ、そんな訳がある筈っ!?

 

 ――と、強く反応してしまったのが悪かった。

 自分達は完全に向き合う形となってしまい、これでは、まどかの精神攻撃を全身で浴びてしまう。

 それに気づいた時には、彼女は素早く懐に踏み込み、避わす間も無く内臓へ向けてジャブを打って(改めてシャツの裾を掴んで)来た。

 

 

「よかった……。私も、あなたとするの……好き、だから……」

 

 

 ぐふっ。

 あ、え、あ、うん、ぁの、うん。

 それは、自分も同じなんだけど、今日はちょっと疲れててね? だから――。

 

 

「……私じゃ、癒せない? ……好きにして、良いんだよ?」

 

 

 げふっ。

 ……ぅ゛……ぁ゛、あ~、あの、まどか? あのな――。

 

 続け様のボディブローにむせ、ともすれば崩れそうになる口元を拳で隠し、KO寸前のふらつく理性を最後の力で奮い立たせて、何とか反撃しようとした、その時――

 

 

「……その、ね……。今日、大丈夫な日、だから……だから……ね?」

 

 

 ――まどかは、カウンター気味にハートブレイクショットを叩き込んで来たのだった。

 

 ……あぁぁ。

 十八になった彼女を紹介しに行った時、見た事も無い俊敏な動きでシャイニングウィザードをかまして来た同類(母さんとは十五歳差)な父さん。

 バトる父と子そっちのけで、まどかと氷川き○し談義で盛り上がってた母さん。

 

 貴方達の未来の娘がエロ可愛くて、息子の理性はボロボロです。

 

 



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【未来の嫁は】少女M・Kの場合2【まだ女子○生】

 

 

 二人同時に着替えるには、少し手狭な脱衣所。

 自分は、着ているワイシャツのボタンを外しながら、しかし、その視線を全く別の物に向けていた。

 

 

「……もぅ。あんまり見ちゃ、やだよ……」

 

 

 同じくブラウスを脱ごうとしていたまどかは、それに気付いて半身を隠す。

 けれど、恥ずかしがる彼女の表情は、自分にとっては扇情的にも感じられ、背中側から腕を回し、ボタンを外す動きを引き継ぐ。

 

 

「……ん」

 

 

 言葉にならない吐息と共に、やんわりと手が添えられるが、それは抵抗と呼ぶにはあまりにも優しく、押し留めるには至らない。

 今、最後のボタンが外され、小柄な身を包む下着が露になった。

 ピンク色の、シルクの上下。

 既にスカートと靴下は無いため、彼女が直接纏うのは、もうそれだけ。

 スルリ、ブラウスが床に落ちる。

 暖かな肌に手を這わせ、段々と上に。それが背中に移動し、ブラジャーのホックを外そうとしても、やはり嫌がりはしない。

 金具が外れ、ブラと胸との間に隙間が生まれて、柔らかな膨らみが露出する――

 

 

「あっ……」

 

 

 ――筈だったのだが、まどかは両手でそれを覆い隠してしまい、ふにゅ、と形を変えるだけだった。

 顔はやや下を向き、頬には赤みが差している。ただ、恥ずかしがっているだけでは、無い。

 焦らされ、誘われ、徐々にお互いの情動が高まり始める。

 それに任せて、もう一度彼女の体に手を添え、今度は下に動かし、女性らしい丸みを帯びたなだらかなラインを撫でる。

 くびれを降りて、指先がショーツのゴムに滑り込み、ゆっくりと引き下げて――

 

 

「……やぁだ」

 

 

 ――もう少し、という所で顔にブラが掛けられ、視界が塞がれた。

 驚いて硬直している間に、触れ合っていた肌は離れ、しゅる、と衣擦れの音とガラス戸が引かれる音。

 温もりの残るブラを顔から剥がした時には、彼女の姿は脱衣所には無く、曇りガラスの向こうに人影が。シャワーの水音も聴こえ始める。

 上手い事、逃げられてしまった。

 軽く苦笑いを浮かべ、彼女を追いかけるように服を脱ぎ捨てて、期待に鼓動を早めながら戸をスライドさせる。

 

 

「………………」

 

 

 湯気の向こうには、長い髪を湯に濡らす、まどかの背中。

 後ろからそれを抱けば、彼女の小さな体は腕の中にすっぽりと納まってしまった。

 中学の頃から身長はあまり伸びず、四年経った今でも百五十台前半。

 自分とは頭一つ分も違い、随分とそれを気にしているようだが、身長と違いきちんと成長している部分もある。

 

 

「あ、んっ」

 

 

 それが、このぷりぷりとした膨らみだ。

 一時期は執拗にこれを責め立てて欲しいとせがまれ、ちょっと困った事もあったが、その苦労の甲斐あって、まどかの胸は見事にサイズアップを果たしている。

 ……と言っても、万年BからギリギリCに上がっただけなのだが。

 それでも、この揉み心地は変わらず柔らかい。

 一緒に湯を浴びているのに、手の平には更に温かい感触があり、彼女の体温が高くなっている事を教えてくれる。

 

 

「だぁめ。まずはちゃんと体を洗ってから、ね? 背中流してあげるっ」

 

 

 しかし、それを楽しめたのも極僅か。

 再び腕から逃げ出した彼女は、一度シャワーを止め、風呂の椅子にこちらを座らせるよう、後ろに廻って肩を押す。

 甲斐甲斐しい申し出には逆らえず、PT製の椅子に腰掛けると、背後からワシャワシャとボディソープを泡立てる音。

 

 

「――ぇいっ!」

 

 

 暫く待っていると、想像していたスポンジの物とは違う感触を背中に感じ、うぉ、と声が上がる。

 胸板には小さな手が這い、背中には滑らかに擦れる肌。

 まどかは、自身の体を代わりとして、背中を流してくれていた。

 それだけでなく、泡をまとう手は体の前面を撫で回す。

 

 肩を、二の腕を、指先を、脇腹を、太ももを、膝裏を。

 隈なく、丁寧に。

 

 慣れた手付きは、過去に何度か同じ事をしているからだろう。どこの小娘の入れ知恵かは言うまでもない。

 が、やはり照れは残っているらしく、「気持ち、いい?」と、落ち着かない声で彼女は確かめる。

 気持ち良いよ、と肯定を返せば、今度は嬉しそうな息を漏らすまどか。

 

 

「良かった……。じゃあ、こっちも……する、ね」

 

 

 躊躇いを乗せる言葉尻と裏腹に、彼女の手は迷い無く股間に滑る。

 期待から既に硬度を増していた竿に指が触れ、喉から呻きが漏れた。

 泡に助けられ、ローションでも使っているような滑らかさで上下に扱かれる。

 だが、あまり強くすると酷い目に遭う(後で滅茶苦茶ヒリヒリする)のは経験済みなので、その手付きはとても優しい。

 

 

「やっぱり、太い……っは……いつも、これが入ってるんだよね……はぁ……ぁ……」

 

 

 手を巧みに動かしながら、彼女自身も興奮し始めたのか、まどかの呼吸は少々荒い。

 しかし、竿を這いずる細さはやはり優しく、緩やかに快感を高めていく。

 手の平で包み込まれ、指の輪で扱かれ、鈴口を小指でくすぐられ、袋を揉み解される。

 滾りが根元に集まり始めた。一週間ほど溜め込んでいたそれは、弱い刺激にも迸ってしまいそうな程。

 けれど、手で達してしまうのは惜しく、愛撫されるだけなのもつまらなく感じて、彼女の手を止めさせる。

 

 ……ありがとう、もう綺麗になったから。

 次は、まどかを洗ってあげる。

 

 

「……う、ん……お願い、しよっかな……」

 

 

 それだけでは済まない事を知っていながら、彼女は従順に従う。

 立ち位置を変え、今度はまどかが椅子に座り、自分はその背後へ。

 見えないのを良い事に、誰かに見られたら間違い無く通報される卑猥な笑みを浮かべ、大量の泡を手に襲い掛かる。

 

 

「ひゃ! あっ、んっ!」

 

 

 まずは脇腹に沿わせ、泡を塗りたくるように体を撫で上げる。

 途中、通り過ぎながら膨らみの頭頂部を弾き、申し訳程度に腕や首筋などを洗って、それが終わったら胸に手を戻す。

 さっきから逃げられてばかりだったが、もう逃がさない。

 心行くまで楽しませて貰おう。

 

 

「は、ぁん……ん……やっ……ぅあ……んっ」

 

 

 手の平全体で捏ねる。

 指を使って揉み解す。

 頭頂部だけを摘んで軽く引っ張り上げる。

 感じ易いまどかの体は、ぴくん、ぴくん、と跳ね回り、ぎゅっと目を瞑ってそれに耐え忍ぶ。

 お湯よりも粘度が高い泡のおかげか、摩擦は限りなく軽減され、触れ合う肌はより鋭敏になっていた。

 後ろへ倒れ込みそうになる彼女を体で支えながら、感じ入るその顔が堪らなくて、可愛い、と耳に直接囁けば、その吐息にすら反応する。

 快感は素直に受け入れる癖に、いつまでも初々しさを無くさない、自分がこの手で色々と教え込んだ少女。

 ……本当に、堪らない。

 

 

「ひ、ぅ……やん……擦り付け、ないでよぉ……あん」

 

 

 互いの体に竿が挟まれているのを勘違いしたのか、それとも気を逸らしたいのか。まどかは、もどかしそうに体を捩った。

 しかし、それは竿に押し付けているようにも思える動きで、彼女の背中と髪の感触に、ビクビクと力が入る。

 もっとそれを感じたくて、こちらも腰を軽く揺らしながら、膨らみを弄くっていた両手を下に滑らせ、下腹部へ。

 左手はへその辺りで止め、小指でその中を優しくほじくり、右手は更に下に向ける。

 

 

「はぁ、っ! あっ! ん、くぅん!」

 

 

 剃っている訳でもないのに、未だに毛の一本も生えない丘を撫で、焼けるように熱い恥部を三本指でなぞると、まどかは大きく背中を海老反らせた。

 彼女は、この体質を子供っぽいと恥ずかしがっているが、自分からすれば、邪魔される事なく手を密着させられるし、この体勢では無理だが、ひくひくと動く様がよく見えるので楽しかったりする。

 それはさておき、ただ指を滑らせる動きを止めて、今度は二本の指――人差し指と薬指を使って、何十、何百と犯したにも関わらず、処女の様にぴったり閉じた花びらを押し開く。

 残った中指の腹を使い、小さな尿道と突起を丁寧に捏ね上げると――

 

 

「ひぅ! あ、ぁっ、んっ! そこ、だめ、ぇっ! ん、んんん!」

 

 

 ――敏感な部分への刺激に眼を剥き、眉をしかめて、唇をかみ締めるまどか。

 その姿に、男としての優越感を覚えながら、とろとろのぬめりが零れる深い穴へと指を差し込めば、今度は「はぁっん!」と悲鳴を上げ、彼女は後ろに体重を掛ける。

 指一本でもきつい狭さを解す様、入り口に指先を留め、のの字を描いて掻き回す。

 

 

「ぁう、ふぁ、あっ、んく、はひっ」

 

 

 声と体をわななかせ、ついに耐え切れなくなったのか、まどかはポカンと口を開き、腰を浮かせて、与えられる昂りに身を任せ始める。

 脚も大きく開かれて、筋肉が弛緩し、内側の窮屈さも和らぐ。その隙に、更に深く指を捩じ込む。

 きゅ、きゅ、とリズミカルに中が収縮し、にゅるにゅるなそこを合わせてくすぐれば、「ひ、んぁ!」と甲高い声を上げて、こちらの二の腕を掴む彼女。

 跡が残りそうな強さに、内側でつい指を曲げてしまった。

 

 

「あひっ!」

 

 

 再びの、短い悲鳴。

 ぎゅうぅ、と指に圧が掛かり、軽く達しようとしているのを悟った自分は、あえて刺激を与えぬよう、ゆっくり、静かに指を引き抜く。

 すると、まどかは呆けた表情で何か問いたげな息を漏らす。

 

 

「ふ、ぇ? ……あ、ぅ……あな、た、ぁ?」

 

 

 言葉はそこで終わったが、「どうしてやめるの?」と彼女の瞳が言っている。

 我慢の限界が近づいていた自分は、その眼差しに対し、指で良いのか? と竿を擦り付けながら誘う。

 

 

「………………」

 

 

 ぷい、とそっぽを向き、まどかは答えない。答えないのが、彼女なりの精一杯の強がり。

 自分は重々承知しており、シャワーのコックに手を伸ばして、もう乾き始めていた泡を落とすために湯を降らせる。

 頭からそれを浴び、一緒に立ち上がりながら彼女を壁に押しやると、無言のままでタイル張りのそれに手を突き、娼婦の如く桃尻を差し出す。

 肩越しに振り向くその顔は、淫靡な期待を乱れ髪に隠す、女の顔だった。

 肌で弾ける水滴が、ぬるく感じる。

 濡れ髪の張り付く背中を指で、つぅ、となぞり、腰のくびれに手を添えて、いざまどかを貫こうとしたその時、ある事に気づく。

 

 ……あ、ゴム持って来てない。

 

 

「……え? ……なんで?」

 

 

 いや、ごめんっ、こうなるとは思ってなかったから……。直ぐに取って――。

 

 

「ううん、そうじゃなくて……なんで、着けるの?」

 

 

 心底不思議そうな顔に、なんでって、と思わず口篭ってしまうが、頭に過ぎる欲望と水滴を振り払い、彼女を諭す。

 

 なんでもなにも、あれは避妊のためだけじゃなくて、病気を予防するための物でもあるんだからな?

 きちんと着けないと……。

 

 

「……でも、私、もぅ……分かってるでしょ? ……ね? 早く、早くぅ」

 

 

 小刻みに腰を揺らし、切ない声で媚を売る姿に、生唾が喉を下る。

 無性に、喉が渇いていた。

 唾液なんかでは、この渇きは癒せない。癒せるのは、目の前にぶら下がる、ようやく熟し始めた果実のみ。

 しかし、ここで踏み止まらねば、後に待つのは鉄拳と包丁による制裁死。

 拳を硬く握り、頬を強張らせ、いや……でも……と情けない抵抗を続ける自分。それを見て、まどかは尚静かに言葉を重ねる。

 

 

「……じゃあ、こう考えて? 私がこのお家に来てるのは、練習のため、なの。

 お料理したり、お掃除したり、お洗濯したり、あなたって呼ぶのも……。

 いつか来る日のための、大事な練習。だか、ら……」

 

 

 言いながら、自らの尻に手を添え、肩幅に脚を開き直し――

 

 

 

 

 

「……赤ちゃん作る練習も、しよ……?」

 

 

 

 

 

 ――細い指で秘所の内側を、くぱ、と晒して、魔女の如く、雄を蠱惑する色香を発した。

 ……こんなの、抗える筈が無い。

 自制心の最後の一片までも絆されてしまった自分は、ふらふらまどかに歩み寄り、再度、その腰に手を添えて。

 

 

「……んっ、んぁ、あ、ぁあ、あぁぅ……」

 

 

 駆り立てる衝動と対照的に、酷く緩慢な動きで、その内側に侵入する。

 押し付けた先端が、ぬぷん、と簡単に飲み込まれ、ずぶ、ずぶ、沈んでいく。

 広がっていく壁は、しかし、隙間無く竿を締め付け、歓喜に打ち震えている。

 幾度と無く分身を受け入れたそこは、ようやく根元までを受け入れてくれる深さを得ていた。

 だが、先に触れる硬いしこりの存在は変わらず、最奥と先端がキスをする。

 久方ぶりの、直接に擦れ合う感覚。最高の占領感に、腰が震えた。

 ぬるいシャワーで静められていなければ、そのまま果ててしまいそうだ。

 

 

「あ……は、っ……ぅ、う……ふ、うっ」

 

 

 一方、まどかは壁に爪を立て、必死にそれに縋り付いていた。

 脚もガクガクと震えて力が入っておらず、自分が腰を押さえていなければ崩れ押してしまいそう。

 ただ繋がっただけでそれほどに感じてくれるのは嬉しかったが、先程彼女が言ったように、自分も、もう我慢は出来ない。

 そのため、望む快楽を得ようと、じわじわ竿を引き抜いて――

 

 

「あふ……ぃ……やぅ……ひあっ!?」

 

 

 ――勢い良く突き刺す。

 途端、きゅうん、と締め付ける柔い肉。反り返る背中と跳ねる声に、飛沫が舞う。

 尋常ではなく溢れ出る愛液が竿を伝い、湯に混じって消えていく。

 しかし、熱さだけが消えずに残り、内なる獣を罠に誘った。

 

 

「はっ、あっ、ひっ、っ! お、奥、ぉく、叩、かない、でぇ! あん!」

 

 

 まどかの出す淫らな声に。

 息の止まるような快感に、溺れそうになる。

 体にぶつかる水音に紛れて、じゅぷ、ぬちゅ、ぱん、ぱんっ、と、繋がり合う部分が激しく音を立てた。

 

 

「あ、あ゛っ、んぐっ、あっ、ひっ」

 

 

 気遣いも何もない、ただ女を貪るためだけの腰突きに彼女は苦しそうな声を上げる。

 けれど、強引に犯されているようなその息遣いには、確かな愉悦が混じっていた。

 竿の中に、込み上げる熱があった。

 それを吐き出す準備として、自分は、よりまどかを恥ずかしがらせるために、彼女の内ももに腕を通し、そのまま片脚を持ち上げる。

 

 

「きゃっ!? え、あんっ、やぁ! こん、なっ、恥ずかし、いっ、やぁあ!」

 

 

 必然的に彼女の体は向きを変え、往復する角度にも変化が起こる。

 だが、四年の間、欲望を受け入れ続けてくれたそこは、どんな角度から突き立てても、確実に喜ばせようとぴっちり絡みつく――まるで、自分専用に誂えられたかの様。

 抱けば抱くほどに、まどかの体はいやらしく成長し、飽きるどころか、益々のめり込む。

 硬く幼かった壁は柔らかく成熟し、締め付けは共に昂ろうと盛んに緩急をつける。

 虜にされていた。離れようなどとは、欠片も考えられない。

 

 

「あっ、くぅんっ! や、あ、ちょっ、と、待ってぇ! 漏れ、ちゃう! 漏れちゃうから、もっと、ゆっくり……ぃっ!」

 

 

 夢中に腰を打ち付けていると、まどかはそう言って片腕を彷徨わせる。尿意でも催したのかも知れない。

 けれど、その悩ましげな哀願には、飢えを一段と強く感じさせる効果しかなく。

 せめて倒れてしまわないように、改めて彼女の下に手を回してから、ごめんっ、と一言謝って抽送を続ける。

 

 風呂場だから、そのまま出して、いいよっ、ほら、強くするぞ!

 

 

「そんな……やだ、ぁ! やだぁ! こんなの、ワンちゃん、みた、いっ! やんっ!」

 

 

 抵抗しているのか、彼女は体を強張らせ、同時に内側も狭くなった。

 しかし、手を壁に突いて、一方の足は抱えられ、唯一床についている脚も、体躯の差で殆ど爪先立ち。

 こんな不安定な状態ではろくに力も入らないのだろう。締め付けは竿を押し出せるはずも無く、程よい刺激を加えるのみ。

 

 

「あな、たっ、はぁ、あなたぁ! もぅ、だめ、だめぇ! いっ、ちゃう! でちゃうよぅ!」

 

 

 必死にこちらを呼ぶまどかの声に、絶頂の震えが混じる。

 自分も、気を抜けばハチ切れてしまいそうに、竿が張り詰めていた。

 腰の動きが単調になり、その分、激しく細かく最奥を突く。

 瞬く間に滾りが登り詰め、共に達しようと、最後に一段と強く叩き付け、叫ぶ。

 

 出すぞ、まどかっ!

 

 

「ひゃうっ!? ぅああぁあぁああっ!!!!!!」

 

 

 ぎりっ、と、絞られるような強い締め付けに促され、まどかの奥へ向けて熱が迸る。

 脚をピンと張り、過たず、共に絶頂しただろう彼女の内は、まるで啜る様にそれを飲み込んでいく。

 微細な痙攣が快感の深さを思わせ、自分もまた同じく、腰を震わせる。

 

 

「は、ふぁ、ひ……まだ、出て……こんな、に……お腹に、いっぱい……んんっ」

 

 

 どく、どく、どく、と、際限無く脈動し、何度も何度も胤を放つ。

 比較的安全な日とは言え、一週間は溜め込んだ濃い物を、このように、奥へ擦り付けながら吐き出しては、本当に子供が出来てしまうかも知れない。

 しかし、そんな危機感すら、最早スパイスの一つに過ぎなかった。

 

 

「は……ぅ、あ……? あ、だ、だめ、や、見ちゃ、見ないでぇ」

 

 

 男の喜びが一段落し、大きく息を吐いていると、唐突に、太ももに温かさを感じた。

 その温度に、ようやくシャワーを浴びたままなのを思い出したのだが、それとはまた違う。

 視線を下ろしてみれば、シャワーに紛れ、まどかの恥部から小水が漏れ出ていた。

 普通なら汚いと思いそうな物を、ぷるぷる震えながら必死に顔を背けようとする姿が可愛らしく感じられてしまい、自分はただ、それを受け止める。

 

 ……たくさん出てるね。そんなに我慢してた?

 

 

「言わ、ないで、ばかぁ、ん、んんぅ、ふっ、う、うぅう」

 

 

 段々と勢いが弱くなり、水の粒がそれを洗い流していく。

 まどかの体からの力が抜け、硬さを失い始めた竿が、ぬるん、と吐き出された。

 崩れ落ちそうになるのを支え、彼女をバスタブの縁にもたれ掛けてから、自分は粗相させてしまった物をお湯で流す。

 

 

「ふ、ぁ……あ……はぁ……ぅあ」

 

 

 くた、と女の子座りをし、股から白濁する粘液を垂らすまどか。

 可哀相な事をしてしまった気もしたが、水を滴らせ、茫然と宙を眺める彼女の肢体には、思わず魅せられてしまう妖しさも在った。

 シャワーヘッドを戻し、立ったままに近づいて、その頭を撫でると――

 

 

「……あ……ぁむっ……んむ……」

 

 

 ――まどかは、だらり垂れ下がった竿を、ぱくっ、と咥え込む。

 彼女の内側とは違った熱さと滑りが襲い、自分は感嘆とした吐息を漏らす。

 反射的にも見えるその行動は、時間を掛けてじっくり教え込んだ賜物だ。

 

 

「ん、ちゅっ、んぱっ、ちゅうぅ」

 

 

 視線は未だ亡羊としているのに、含んだ先端に舌を這わせ、尿道に残った精を吸い出す。

 口に含みながら舌で円周を舐め回し、僅かに頭を前後させて、唇をすぼめ、ストローのようにちゅうちゅう吸い上げるのも忘れない。

 しばらくすると、咥え切れない部分に指が掛けられ、竿が扱かれるのと同時に、袋の方まで優しく揉みしだかれる。

 明らかに熟練しているそのフェラチオは、しかし、自分が進んで仕込んだ訳ではなかった。

 

 

「はぷ、ぢる、むぐ、ふー、んぐ」

 

 

 まどかとの交歓を禁じられて以降も、なんとか恋人の務めを果たそうとした彼女の方から、進んで口での奉仕を申し出てくれたのだ。

 まぁ、結局、我慢が出来なくなった彼女に惑わされ、致してしまう事も少なくなかったが……。

 最初は手で触れるのすら躊躇して、「咥えるなんて一生無理かも……」と言っていたものだが、当時の怖がっていた姿は、今は面影も残さない。

 夢中に奉仕を続け、深く、喉に届きそうなまでに飲み込む彼女に、そんなに美味しい? なんて意地悪な質問を投げ掛けると、案の定、眉を顰めて竿を吐き出す。

 

 

「美味しく、ないよ……洗っても変な味がするし、凄い匂い、だし……。

 でも、舐めてると、頭の奥まで、あなたの匂いでいっぱいになって……」

 

 

 頬ずりをしながらも、扱く手は止めず。

 またもや竿にしゃぶりつき、「くへになっひゃふ」と、上目遣いに訴える。

 ぞくり、背筋に駆け巡る征服感。同時に感じる舌使いは、ツボを心得た入念な動き。

 それだけでなく、先の言葉に、こちらを見上げる情の篭もった視線、微かにくねる腰。……些細な仕草が、どうにも濫りがましい。

 

 

「ぷあ、ん~、じゅる、ちゅぷ……んっ!?」

 

 

 堪らず、まどかの小さな頭を両手で掴み、浅く腰を前後させる。

 一瞬、咎めるような目つきをして、それでも行為を受け入れてくれるのか、ストロークに合わせて吸引に強弱を付け始めた。

 くぽ、くぽ、と大きな音が立ち、射精して間もない竿が再び欲を抱き始め、しかし、敏感に感じすぎてしまうそれは、急ぎ足に階段を駆け上がる。

 

 

「ん、ふ、んぐ、むん、ぅん、っん」

 

 

 短く声を出す彼女に習い、自分の喉も快楽に唸りを上げた。

 あっという間に果ててしまいそうになるが、先程よりも余裕を持って楽しめたのもあり、一度動きを止め、今度こそきちんと断りを入れる。

 

 また、出そうだから、強くしても良いか……?

 

 

「っは、はぁ……うん、ひいよ……おふひに、はふはん、らひて? ……んむっ!」

 

 

 喋れるように口から引き抜いたのに、態々舌を伸ばし、先端を飴の様に舐め溶かそうとするまどか。

 耐えられず、乱暴に腰を突き出す。

 また、愛液に似た粘りを持つ唾液の中に、竿が突き込まれる。

 

 

「ん! ぐ! ふぐ! う! んぅ! むぐぅ!」

 

 

 苦しさに顔を歪め、それなのに、こちらの腰へ腕を回してがっしりしがみ付く。

 目に涙を浮かべ、必死に我慢し続ける彼女の姿は、痛々しいまでの献身を感じさせる。

 が、それに加速させられる欲望は、敢え無く暴発しそうに。

 いくよ、とどうにか告げた瞬間、それは発射されてしまった。

 

 

「んぶぅ!? ……~っ! ……っぐ! ……ん……ふ……」

 

 

 一度目よりは少なめに、けれど、勢いだけは変わらず、まどかの口の中を汚していく。

 脈打つ竿にわずかに遅れ、ぴくん、ぴくん、と彼女の体が跳ねる。

 

 

「ふー、ふー、む、ん゛、んっ、ちぅうぅ」

 

 

 荒い鼻息を誤魔化す事もせず、一際強く吸い付き、えずく寸前まで深く呑み込んで、舌と唇を使って精を吸い出す。

 腰が抜けるような、とでも言えば良いのか。

 素晴らしく心地の良い、骨抜きにされる感覚に、自分は全身を震わせる。

 文字通り、一滴も残さずに吸い尽くされ、それでも無心に吸引を続けるまどかの口から竿を引き抜こうとするが、彼女は最後の最後まで止めようとせず、離れる際には、ちゅぽん、と大きな音が鳴った。

 

 

「ん……ん……っぅん゛……んぁ」

 

 

 口に溜まった物をくちゅくちゅ味わった後、一息に嚥下して、彼女は口を大きく開いて空っぽになった事を示す。

 褒めて貰えるのを期待する姿は微笑ましく、気持ち良かったよ、と頭を撫でてあげれば、まどかは「くすぐったいよぉ」と目を細める。

 そうして、二人でイチャイチャし始めようとしたのだが――

 

 

 

 

 

 ……っくしゅっ! ……っはは。

「……っくちゅん! ……ぇはは」

 

 

 

 

 

 ――思いの他、水に濡れた体は冷えていたようで。

 同時にくしゃみをしてしまい、一拍の間の後、小さく笑い合う。

 入ろうか? と抱き起こすと、まどかも「うん」と頷き返し、内ももを伝う白濁液をもう一度シャワーで洗い流し、ついでに口もゆすいで貰ってから、一緒に湯船に浸かる。

 最初からこうするつもりだったのか、お湯の量は二人で丁度良い位だった。

 手の平で踊らされているような気分に、何故か、悪い気は起こらなかった。

 

 

「はふぅ……。あったかいね」

 

 

 うん、落ち着くね。

 

 バスタブの中で向かい合い、お湯に疲れを溶かす。

 二人だと流石に狭く、互いの脚は触れ合ってしまうが、この窮屈さにも幸せを感じる。

 何を話すわけでもなく、時折、思い出したように脚を絡ませたり、相手のふくらはぎを指でなぞったり。

 子供みたいな悪戯を繰り返しながら、しんわりと染み入る温かさに心を解していく。

 

 ――と、そんな風に気を抜いていたら、脚の間に割って入られる感触。見れば、小さな足が股間に向かって伸ばされていた。

 まどか……? と注意するように名前を呼んでも、彼女は知らん振り。

 やがて、すっかり落ち着いてしぼんでしまった竿が、足先でつつかれる。

 

 

「男の人って、やっぱり不思議。さっきまで鉄みたいに硬かったのに、今はこんなにふにゃふにゃで……」

 

 

 そう言って、ぐにぐに遊び始めるまどか。

 こら、と叱ってみたが、彼女は玩具で遊ぶ子供の様に股間で足をモゾモゾ動かす。

 二度も出した後ではそうそう昂る事も無く、お漏らしさせてしまった罪悪感もあり、仕方なく、為されるがままに悪戯を受け入れる事に。

 こういう所はやはり、まだまだ子供っぽい。

 

 

「んー、まだ柔らかい……。気持ち良くない?」

 

 

 いや、気持ちは良いんだけど……それよりもなんか、くすぐったいような……。

 って言うか、硬くしなきゃ駄目? 二回もしたし、直ぐにはちょっと……。

 

 

「ん……だって、私はまだ一回しか……不公平だよ……えいっ」

 

 

 いきなり刺激の質が変化し、軽く握られたような感覚を覚え、うっ、と声が出る。

 まどかの足の指が、片方は先端に被さり、もう片方が竿の根元を器用に挟んでいた。

 

 

「っしょ、うー、難しい……よっ、むーん」

 

 

 にぎにぎと先端を揉んだり、根元をぎゅっとしてみたり。難しい顔で唸っては、試行錯誤を繰り返す彼女。

 自分は、弄ばれる感触に腰を微妙に悶えさせながら、満足の行くまでやらせてみようと、それに耐える。

 やがて、違うやり方を思いついたのか、先端を握っていた指でも竿を挟み、根元の方を固定しながら、上下に動かし始めた。

 時々、上下させる足を交代し、先端のくびれを押さえて、逆の足で根元までをぎゅうぎゅうと。

 要領を覚え始めた足付きに、三度、竿が硬くなっていく。

 

 

「あ、おっきくなってきた……。痛くない? このままで平気?」

 

 

 こちらを心配しながらも、まどかは貪欲に技能を修得していく。

 小さな足のふにふにした感触に、意外なほど早く、竿は硬度を取り戻す。

 頭ではもう少し休んでいたいと思っているのに……。男は、上半身と下半身が別の生き物だとよく言われるが、こんな様では否定も出来ない。

 再び、彼女の言う鉄の硬さに戻ると、その太さは指の間には収まらなくなる。

 すると、今度は土踏まずを使って竿を挟んできた。

 

 本当に、どこで、覚えてくるんだ……っ。

 

 予想外の手際に呟いて、まどかはそれに困ったような顔で答える。

 

 

「え、と……これは、その……ママ達のを、また見ちゃって……」

 

 

 ………………何時まで経ってもラブラブですね、本当に。でも、もうちょっと気をつけて下さいよ部長。

 思わず脳内で溜息をつく。

 いや、よく考えたら、まどかが積極的に覗いた可能性も……無いと思いたいけど、好奇心旺盛だからなぁ、この子。

 なんて考えていると、股間に置かれていた脚が離れ、代わりに近寄る気配が。

 

 

「ねぇ、あなた……?」

 

 

 体をゆらゆら揺らし、期待に胸を膨らませている表情。

 拒む気なんて起こりようも無く、腕を広げて、おいで、と誘う。

 淡い笑みの後、こちらの首に腕を回し、まどかは腰を浮かせる。

 反り返る竿の上にそれを置くと、彼女自ら腰を下ろし、二度目の挿入。

 

 

「ぇへへ……じゃあ、入れちゃうね? ……あ……っ……ふ、あ……はあぁ……入っ、ちゃった、ぁ……」

 

 

 先端に最奥がぐりぐり押し付けられる。

 自然と抱き合い、肌も腰も密着度を増して、性的な快感とは違う、精神的な充足感を強く覚えた。

 勿論、気持ち良いのも当たり前で、竿に力が入り、勝手に奥を擦り上げてしまう。

 

 

「あひっ! う、くぅ……んんっ……はぁあぁ、あ」

 

 

 ペタリとくっ付いた肌がずれないよう、激しい上下ではなく、緩やかなグラインド。

 互いの呼吸を合わせて、まったりと味わい合う肉感は、愛し合っているのだという実感をもたらす。

 耳元で揺れる喘ぎが、彼女も同じ様に感じてくれているのを、如実に物語る。

 

 

「ぁっ、うぅん、これ、好きぃ、い、奥、擦られる、とっ、ふわふわしてっ、気持ちいいのぉ、あん」

 

 

 蕩けるように甘く、体と共に心も交わる。

 まどかの内は奇妙なほどに熱い。

 おそらく、湯船に浸かって体が火照っているのだろうが、先に乱れた時より遥かに熱く、火傷しそうなそこは、本当に溶かされてしまいそうだ。

 そうなっても良いと感じるのも、間違いでは無いと信じていたい。

 

 

「ふあ、ん! はっ、あっ、ふ! うっ!」

 

 

 きゅっ、きゅっ、と締め付ける間隔が短くなり、首筋に掛かる息も荒く、彼女が急速に絶頂を迎えようとしているのを悟る。

 自分も射精の余韻が抜けきっていなかったのか、三度目だというのに限界を遠く感じず、少し激しく動きたくなり、小さめのお尻を鷲掴みに。

 すると、こちらの胴体も強くカニ挟みされ、間違っても抜けてしまわぬよう固定される。

 まどか、と呼んでみれば、彼女は僅かに体を離し、無言で唇を合わせて来た。

 

 

「ん、むっ、んむぅ、っは、んぅう」

 

 

 キスをしながら、まどかのお尻を持ち上げて、勢い良く引き付ける。

 鼻に掛かった声、絡み付く舌、混じり合う恥部。

 ざぶ、ざぶ、と波打つ湯船の波音が、まるで結合部から響いているようにも聞こえ、腰の中ほどに滾りがうねる。

 

 

「んっ、はぁ! ね、ねぇ、まだ、なのっ? わらひ、も、ふっ、ん、いっひゃう、よぉ」

 

 

 しかし、思っていたよりも早く達しかけているのか、彼女はキスの合間に切願を唱えた。

 もう少しだからっ、と宥めながら竿を膨らませ、柔らか過ぎる内側を削るつもりで抜き差しを継続。

 のぼせそうな頼りない意識の中、ビリビリする性感に集中し、目の前でさえずる唇を塞ぐ。

 

 

「んん、ん! じる、んふっ、っ! っぷあ! ちぅう!」

 

 

 唾液を混ぜあう音とまどかの声が、唇を通じて脳内に反響し、思考を塗りつぶしていく。

 彼女と交わる度に繰り返し感じる、この高揚感。

 快楽に身を任せ、幼くも見える少女の艶姿に心を奪われる。

 このままでは、彼女無しでは生きていけなくなりそうなのに、不安に思うどころか、むしろそう在りたいと願ってしまう愚かしさ。

 けれど、そんな感情も白く融けて、我武者羅に彼女を犯す。

 

 

「あ、あっ、膨らん、で、きたぁ! あっ! また、出してっ! 奥に、赤ちゃんのもと、出してぇ! あっ!」

 

 

 やがて、竿に掛かる圧力が最高潮に高まり――

 

 

「んっ! んんんんんっ!!!!!!」

 

 

 ――それに助けられ、まどかに遅れて自分も解き放つ。

 短時間での三回目、量はあまり多くないが、勢いと熱さだけは逆に、今までで一番だと自信のある射精だった。

 

 

「あ、ひ、うっ……せーし、出てる、よぅ……あっ……熱、くて、火傷、しちゃぅ……んっ」

 

 

 彼女もそれを実感しているのか、最初の時と同じく、茫然と宙を眺めてうわ言を零す。

 何時の間にか息を止めていたのか、自分は射精を終えると大きく息を吐き、深い呼吸で余韻に浸る。

 暫くそのまま抱き締め合い、二人で、男女が繋がる悦びに感じ入った。

 車のエンジンの様に逸る鼓動が、ゆっくり静まっていく。肌を通じる体温は、安定剤の如く心を穏やかに。

 そして、やおら腰を引こうとしたのだが、まどかは「あ、待って」とそれを止める。

 

 

「もうちょっと、このままで……まだ、あなたと繋がってたい……いいでしょ?」

 

 

 ……ああ、分かった。

 

 いじらしい願いに、自分はそう微笑む。

 彼女も「ふふ」と小さく笑い、また首筋に顔をうずめてきた。

 すべすべな背中を撫で、浅い息遣いをうなじで感じる。と、不意に、「……ねぇ、あなた」と唇を震わせるまどか。

 ん? と鼻を鳴らして先を促せば、返って来るのは囁き声。

 

 

「私ね……今、赤ちゃんの名前、考えてるの……。でも、一人だとどんなのが良いのか悩んじゃって……。あなたも一緒に考えてくれたら、嬉しいな、って……」

 

 

 なま、え? 流石に、それは気が早いんじゃ……?

 

 

「でも、ほむらちゃんはもう決めてあるみたいなの。それに、お腹に居る時から、ちゃんと名前で呼んであげたいから……」

 

 

 ……そっか。なら、いい名前を贈ってあげなくちゃな。

 

 彼女に習い、自分も囁き返す。

 今度は彼女が「ん」と鼻を鳴らし、モゾモゾと額を擦り付けられて、ちょっとくすぐったい。

 女の子であれば、ぱっと思いつくのは、母親であるまどかの名をもじった名前。

 まいか、まりか、まなか、のどか……とかだろうか。

 男の子であれば、逆に自分の名前で。

 明日の帰りに、姓名判断の本でも買ってみるか……。

 

 

「ぅ……ね、ぇ、あなた……ぁ」

 

 

 まだ見ぬ我が子に想いを馳せていたら、彼女が再び唇を開く。

 どうした? と今度は言葉で返し、それにまどかは腕を緩め、顔を向き合わせた。

 その眼差しは、疑問や願い事を抱えたものではなく、冷める事の無い熱情を湛えていて。

 

 

「さっきは、直ぐにふにゃって、なっちゃったのに……んっ……どうして、また中で……あ……膨らんでるの……?」

 

 

 ……そう言うまどかこそ、さっきからきゅんきゅん締め付けて、奥が吸い付いてくるんだけど。

 

 

「だって、ぇ……あなたの、が……入ってるん、だもん……嬉しく、て……はぅ」

 

 

 またも男殺しな一言を発し、彼女は身をくねらせる。

 自分だって、愛する人を貫いたままで萎えるほど枯れてはおらず、殆ど意識せずに腰を繰り出す。

 

 

「あんっ!」

 

 

 艶めく声をあげ、体を反らせるまどか。ぷるん、と胸が弾んだ。

 すると、今日はまだ口を使って愛撫してあげてないのを思い出し、それを実行するために背中を丸め、水面の上に出たふくらみを口に含む。

 しゃぶる舌に感じる硬さは、そうしてくれるのを待っていたかのようで、まだ出る筈のない母乳を求めて、ちゅるちゅる音を立てて吸い付く。

 彼女は「ひぁう!」と叫んでこちらの頭を抱え、ぷにぷにした胸の中に顔が埋まってしまう。

 若干の息苦しさを感じながら浅く抽送を再開すれば、途端に狭くなる入り口が先端をくくり、感覚の鈍くなった竿に、また新しい刺激を与える。

 

 

「ぅあん、あな、たぁ、あん」

 

 

 甘える声で呼ばれ、自分の心は二つに分かたれる。

 このまま四度、まどかを犯すか。

 それとも、明日を考えて自重するか。

 疲れた体は、休息を求めて軋む悲鳴を上げている。どうすればいいかなど、火を見るよりも明らかだ。

 けれど――

 

 

「おね、がい……あなたの、で、もっと、気持ち良く、して……私で、気持ち良く、なってぇ……」

 

 

 ――いっそ妖惑と表現してもいい声に、思考は止まり。

 自分は、何度でも愛欲に塗れるため、腰をぶつけるのだった。

 

 



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【鹿目まどかは】後日譚その5【通い妻】・下

 

 

「はぁ~、さっぱりしたね~」

 

 

 ……っぷはぁ。うん、そうだねぇ……。

 

 寝室の扉を開ける、薄桃色のパジャマに着替えたまどかを追いながら。

 どちらかと言うと、色々出してすっきりし過ぎてしまった自分は、一気に飲み干したユン○ル始皇帝液(一本三千円也)を体に染み入らせ、生気のない答えを返す。

 結局、あれからまた一回してしまった。

 まだ若いと喜ぶべきなのか、流され易くて脆弱な理性を恥じるべきなのか。……どう見ても後者か。反省せねば。

 時計を確かめれば、既に時刻は十一時になろうとしていた。つまりは、一時間半近く風呂でイチャイチャしていた事になる。

 ……今夜はよく眠れそうだ。

 

 

「よいしょ」

 

 

 ――と、そんな事を考えつつベッドに座ろうとしていたら、彼女は寝室の片隅にある机に向かい、立て掛けてあった鞄を持ち上げた。

 課題か? と声を掛ければ、腕の中に鞄を抱え、ちょっと困り顔のまどか。

 

 

「うん。すっかり忘れちゃってた……。明日提出だから、急いでやらないと」

 

 

 そう言って鞄を探る彼女に、自分の学生時代の苦労も思い出されたのだが、同時に、おいおい、と呆れてしまう。

 

 という事は、課題もやってないのに誘ったのか?

 全く、駄目じゃないか。学生は勉学が本業だぞ?

 

 

「む~、分かってますよ~だ……四回もした癖に……ふ~んだ」

 

 

 う゛ぐっ。

 

 年上の威厳を示そうと叱ってみたが、ムッとした顔で痛い所を突かれ、言葉に詰まる。

 確かに、歯止めが利かない自分も悪いとは思うが――いいや! あんな誘惑に勝てる男が居るとしたら、その人はきっと悟りを開きかけているに違いない!

 どうかその調子で精進して、民草を生の苦しみから解放して欲しいものだ。居る筈が無いだろうけど。そんな男。

 なんて下らない事を考えていたら、鞄からプリントが取り出された拍子に、何か封筒らしき物――手紙が落ちるのが見えた。

 彼女はそれに気付かず椅子を引いていたので、何か落ちたよ、と代わりに拾い上げる。

 

 

「え? あ、ありが……とぅっ!」

 

 

 うぉあっ!? な、なんだあっ!?

 

 振り向いたまどかは、それに向かっていきなり飛び掛って来た。

 咄嗟に手を上げてそれを回避するのだが、彼女は直ぐ様こちらの体にへばり付き、片足立ちで背伸びをしながら手紙に腕を伸ばす。

 

 

「ああああの、ありがとうっ、拾ってくれてっ、んっ、あのっそれっ、こっちにっ、ちょうだいっ」

 

 

 ぴょんぴょん跳びはね、酷く慌てる様子に妙な物を感じ、その手の届かない高さで包みを空け、中身を拝見する事にする。

 

 えーと、何々?

 ……拝啓。親愛なる鹿目まどか様へ……?

 

 

「あっ、ダメッ、見ないで、返して、お願いっ!」

 

 

 ………………まどか。

 これって、ラブレター、だよね。

 

 

「あ……ぇうぅ……はぃ、そぅです……」

 

 

 肩を小さくし、しゅん、と縮こまるまどか。

 胸の前で手を組み、そわそわと目を泳がせる彼女からは、申し訳なさそうな雰囲気が漂っていた。

 けれど、自分はあくまで冷静に問い掛ける。

 

 いつ貰ったんだ、これ。

 

 

「……んと、お、一昨日に、同じクラスの飯島君から、です……あっ、ちゃんとお断りしたよっ! 本当だよっ!」

 

 

 ……ふふっ、大丈夫だよ、疑ってる訳じゃないから。

 

 まだ湿り気を残す髪に指を通し、くるくると弄んで笑いかける。

 そして、手紙を折り目通りにきちんと畳み、封筒に戻してまどかに返す。

 受け取った彼女は、意外そうに目をパチクリ。

 

 

「いいの? 私が持ってても。ラブレター、なのに」

 

 

 ん、気にならないと言ったら、嘘になるけど……うん、いいよ。

 文面から、本当にまどかの事を好きなんだって分かるし、大切な想いの込められた手紙なのは変わらない。

 取り上げたり、無かった事になんかしちゃ、可哀相だ。

 ……ちょっと上から目線過ぎるかな?

 

 そう言って、最後にキザっぽく笑ってみたなら、まどかもクスリと笑い、丁重に手紙を抱く。

 

 

「……ありがと。私の気持ちは変わらないけど、でも、誰かを好きになれるのって、とっても大切な事だと思うから。ちゃんと覚えていてあげたかったの。あなたのそういう所、大好き」

 

 

 惜しげもなく注がれる愛情が照れ臭く、あはは、と自分はまた笑う。

 ついでとばかりに、少し気になった事を茶化しながら尋ねてみた。

 

 まっ、まどかは可愛いんだから仕方ないさ。

 ……で、そんな君は、今まで一体何人に告白されたんだい? もしかして、三桁いってたりして?

 恋人としては、ちょっと知っておきたい気もするな~。

 

 

 

 

 

「もぅ、そんな事ないよ? うんと、確か……財津くんでしょ、社先輩、生島くんに渡先輩、坊中くん、宇梶くん、田野倉くん、佐藤先輩と六川先輩、久崎くん、パトリックくん、大橋先輩――」

 

 ……ちょっ、い、意外と多いっていうかパトリックって何処の国の人だ!?

 

「えっと、フランス人なんだって。今年、一年に留学してきた子で、女の子みたいに綺麗な顔してるんだよ」

 

 

 

 

 

 指折り数える名前が十を越えた辺りで理解が追いつき、驚愕に打ち震える。

 確かにまどかは世界で一番――いや宇宙で一番に可愛いし、それを愛でたいという男は自分以外にも居るだろうと想像していたが……。

 こうして列挙されると、なんだか、彼女が猛獣の檻にでも放り込まれたような焦燥感を覚えた。

 ううん……と思わず唸ってしまったのだが、そんな様子を見て思う所があったのか、まどかも「う~ん」と悩み始める。

 

 

「ごめんね……。あなたとの事は、学校の皆には内緒だし……。ほむらちゃん達と一緒に居ると、私だけ恋人が居ないみたいに思われちゃうみたいで。

 あなたとこういう関係になる前は、告白なんて……幼稚園の時、隣の組のミツルくんにされた位だったのに……。何でだろう?」

 

 

 み、見る目があるな、そのミツルくんは……。

 

 幼稚園児にしてまどかの魅力に気付くとは、侮れない少年が居たものだ。

 きっと子供の頃の方が、余計な事に囚われず、純粋に誰かを好きと言えるのだろう。自分の気持ちだって、その純粋さに負けているとは思わないが。

 ……と、そこまで考えてようやく気付く。

 彼女はさっき、「こういう関係になる前は」と言った。

 自分が告白したのは、まどかが中学校を二年に上がってかなり経ってから。つまり、それからの四年近くの間――人生初の恋人に夢中になっている間に、彼女は他の男に想いを寄せられ続けていたかも知れないという事。

 そんな素振りなど、全く見せなかったのに……。いや、自分が気付かなかっただけ、か? ……どちらにしろ無様だ。

 また、終わってから気付いたのだから。

 

 

「あ、また……。もぅ、しょうがないなぁ」

 

 

 不意にまどかは苦笑いをし、溜息をつく。

 そして、手紙を机の上に置くと、こちらの手を引いてベッドに向かう。

 座り込んだ彼女は、逆の手で自身の隣をぽすぽす叩き、同じく座るように促す。取り合えず腰を下ろすと、繋いでいた手が強く引かれ、体勢が崩れる。

 困惑する自分を受け止めたのは、柔らかな太ももの感触だった。

 

 

「何を考えているかは分からないけど、そんな簡単に落ち込んじゃだめだよ?

 あなたは、その……ゎ、私の、旦那様……に、なる人なんだし。

 もっと、堂々としてくれないとっ。でないと今日の事、パパとママに言いつけちゃうんだから!」

 

 

 知らないうちに、暗い顔でもしていたのだろうか。まどかは悪戯めいた口振りで励ましてくれる。

 こちらを見下ろす彼女の顔には、少し困っているような、けれども慈しみに溢れ、それなのに恥ずかし気な――奥ゆかしい表情が浮かんでいて。

 その瞳の奥に見えるものと、顔に落ちる毛先が、こそばゆい。

 

 

 

 

 

「もし、嫌な事があったり、悲しい事があったなら、それを半分、私にちょうだい。

 あなたの苦しみも、辛い気持ちも。私が受け止めてあげるから。

 そうして少し休んだら、いつもの格好良いあなたをみせて?

 私が、側に居るから。またあなたが落ち込んだりしても、言ってあげるから。

 あなたは、私の一番大好きな、一番、大切な人だって。何度でも、言ってあげるから

 ……だから、元気出して?」

 

 

 

 

 

 微笑みと共に、目に見えない――喩えようのない感触を伴った言葉が降って来る。

 自然と目を閉じていた。

 浴びせられるそれを、心で感じられるように。

 そして、それと混じり合って自分の内に生まれた、形も覚束無い何かを、確かめるように。

 

 ……なぁ、まどか。

 

 

「……? どうしたの、あなた」

 

 

 まどかを選んで、良かった。

 君に恋した自分を恥じた事もあったけど。

 でも今は、君とこうして居られて――君を愛せて、幸せだ。

 

 

「……ぁ……ど、どうしたの、本当に。いきなり、そんな」

 

 

 繋いでいた手を解いて、上に伸ばす。

 指の背が頬に触れた。

 それだけで傷付いてしまいそうに繊細な――しかし、誰にも穢す事は出来そうも無い、無上の幸福に触れながら。

 瞼を開き、無心に喉を震わせる。

 

 分からない。でもなんか、言いたくて。

 ……愛してる。君を愛してる。

 いつまでも、側に居てくれ。

 君が支えてくれれば、きっと自分は、どんな困難にも立ち向かえるから。

 まどかの事を――君の幸せも、未来も。全部まとめて、守らせてくれ。

 

 

「……ん……」

 

 

 声を漏らすだけで、彼女は答えない。

 けれど、目を伏せ、再び手を取り、上気した頬に密着させる姿が、全てを物語ってくれていた。

 

 かつて、自分とまどかの前で、こう言った少女が居た。

 

 この世界は、幾度となく悲しみと絶望ばかりを繰り返し、その円環に囚われた者達が居る。

 自身もその中に居て、それを後悔はしていないけれど。

 どうかまどかを、そんな救いの無い存在に落とすような事だけは、しないで欲しい、と。

 

 あの時は頷くのが精一杯だったが、今なら、彼女が間違っていると言い返せる。

 世界は、悲しみと絶望だけを繰り返してなんかいない。

 喜びと、希望も。同じ様に生まれているのだから。

 永遠に救われぬ魂もまた、存在はしない。

 まどかと一緒だから、そう言える。……いつまでだって、そう言い張れる。

 まどかと一緒なら。

 だから――

 

 よい、しょっと!

 

 

「えっ、きゃっ!」

 

 

 ――そんな未来のためにも、まずは第二試合を開始することにしよう。

 自分は、まどかを強引にベッドへ押し倒し、無言のまま、その上へ馬乗りになる。

 小さな頭の横に手を置き、体をゆっくり下ろして行くと、何をされそうになっているのかを悟ったのか、彼女は拒むように胸板を押し上げる。

 

 

「だ、だめだよっ、さっき一杯したでしょ? 私、課題やらないと……」

 

 

 それは分かってるんだけどね?

 自分の嫁さんが余所の男に粉掛けられてるのに平然としていられる男なんて、この世には居ないんだ。

 だから、諦めてくれ。

 

 

「ま、まだ結婚してな――あ、やっ、ぁっ! せっかくお風呂入ったのに、また汚れちゃ……んむっ! んっ、ん~っ!」

 

 

 体重を掛けて拒絶を無理矢理に押さえ込み、嫌がるまどかの唇を吸い上げる。

 細い腕が胸板を叩き、キスから逃れようと体がくねる。

 

 

「ふ、はっ、や、む、ぅんっ! ん、っ、~っ、……っ……ん……ふ……」

 

 

 だが、暴れる腕ごと体を抱き締め、舌を差し入れた辺りで抵抗は弱まり。

 やがて、舌と一緒に流し込んだ唾液を彼女の方から啜るようになった。

 存分に口内を犯し尽くした後、糸を引かせながら顔を離すと、まどかは蕩けてしまいそうな表情で、しかし未だに抵抗の意思を示す。

 

 

「は……ぁ……お、お願い、今日はもぅ、だめ……課題、が、ぁ……」

 

 

 辛うじて理性の色を残す、焦点の合っていない視線を受け止めながら。

 うん、それ無理、と無情に宣言し。

 吸血鬼がそうするように、まどかの首筋へと、彼女が己が獲物である証を刻み付けるのだった。

 

 

「や、やぁあんっ!」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 まどろみの気配が少しずつ遠ざかって行き、反対に、現実感が体を侵食する。

 頭の中に電子音が響いているのに気付き、しかし、心地の良い気怠さに身を任せたかった自分はそれを無視。

 暫くすると、胸の上に在った重さが消え、淀む意識に音声らしき物が届く。

 

 

「――ぃ、もし――――あ、ほむ――――、おはよ――――? ど――て、――――――えっ!? ぅ、うそ――ねっ!?」

 

 

 なにやら、騒がしい。せっかく気持ちよく寝ているんだから、もう少し静かにして欲しいのだが……。

 と、目を閉じたままにしかめっ面をして思っていると、陽だまりのような温かさを伴う激しい揺れが、安眠を妨害し始める。

 

 

「お、――てっ! ――あさ――! ――しちゃうぅ!?」

 

 

 ……ん、ん゛~、まだもう少し――。

 

 

「ぉ起っきろぉおーっ!!!!!!」

 

 

 ――うぇひぃっ!?

 

 シーツを剥ぎ取られ、全身を襲った肌寒さに、思わずまどかの様な悲鳴を上げてしまった。

 ……まどかの様なって何だ。

 いや、そんな事より、なんだってこんな起こし方を……?

 慌てて周囲を見渡せば、直ぐ隣に居る、剥いだシーツで裸体を隠す女神が、ぎろっ、とこちらを睨みつけていた。

 

 ……まどか? なんだよ、こんな起こし方しなくても……。

 

 

「いいから早く起きてっ!! もう時間が無いのっ!! このままじゃ遅刻しちゃうっ!!」

 

 

 持っていた携帯を突きつけ、彼女は焦る。

 寝ぼけ眼を擦ってみれば、そこに表示されていた時間は七時五十九分。

 見間違いかともう一度目を凝らしても、七時五十九分。

 七時五十九分。

 

 

『……暁美ほむらが、八時をお知らせします。寝ぼけてないで、さっさとまどかを送って来なさいこのロリコンめが』

 

 

 申し訳御座いませんっ!! ……って八時ぃいいっ!? ヤバイ、遅刻するぅ!?

 

 携帯から放たれるプレッシャーに、反射的に土下座。直後、火急の事態である事に気付き、ガバッと頭を上げる。

 どんなに急いでも家を出るのに十分は掛かって、出社時間がああで、まどかの学校までがこうで――本当にギリギリだっ。

 

 

「だから、さっきからそう言ってるのにぃ! お弁当も作ってないし……ぁあっ、課題もやってない! どうしよぉ! ……もぅっ! あなたのせいなんだからぁ!!」

 

 

 ご、ごめ……けど、人のせいにばっかりしないでくれっ! まどかだって最後の方はあんなに悦んで……!!

 

 

「ぁわ、わっ、わーっ! まだ電話繋がってるんだから変なこと言わないでぇ! ご、ごめんねほむらちゃん! 先に学校行って――ぁ、んぅうっ」

 

 

 ベッドから飛び降り、電話の向こうにいる友人に向かって話していたまどかは、突然、淫らに身を捩る。

 明らかに色の乗った声に驚き、どうした、と自分もベッドを下りながら尋ねてみれば、彼女は顔を真っ赤にして呟いた。

 

 

「……あ、あなたのが、垂れて、きちゃった……」

 

 

 ………………。

 

 

「お、おっきくしちゃだめっ! 早く準備してっ! 私、シャワーだけ浴びちゃうからっ!」

 

 

 うっ、せ、生理現象なんだから仕方ないだろうっ!? と言うか、自分だってシャワー浴びたい……。

 

 

「女の子が優先ですっ! 一緒に浴びたらまたエッチな事されそうだからやだっ!」

 

 

 んなっ! 昨日はまどかの方から一緒に入ろうって言った癖してっ!

 

 

「し、知らないっ、知らないもんっ! とにかくあなたのせいなのっ! もういいでしょっ! あんまり言うと、もうしてあげないんだからぁ!」

 

 

 ちょっ、それは困るっ……あ、いや、止められてるんだからそっちの方が良いのか……いややっぱ困る! ま、まどかぁ!?

 

 

「やだもぅ! ブラブラさせながらこっち来ないでぇ! パンツぐらい穿いてよぉ!」

 

 

 寝室から逃げ出す背中を追い、時間が経つのも忘れ、朝から痴話喧嘩を繰り広げる。

 下らない事に本気になって、喧嘩して。

 けれど、こんな騒がしい日々を誰より望んでいるのは、きっと自分自身。

 この時間が、どんな宝石よりも光り輝く眩さを持つ事に、今はまだ気付かぬまま。

 大切な人と過ごす新しい一日が、また、始まる。

 

 

『……ふぅ。これは駄目ね……え? ……えぇ、その通り。多分、課題を写させてって泣き付いて来るでしょうから、先に行って準備だけしておきましょう。全く、しょうがな《プツン》』

 

 

 ――そして。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「――郎――――……新郎?」

 

 

 聞き慣れない単語が自分を呼ぶ物だと気付き、はいっ、と慌てて返事をする。

 ……いけない、この大事な場面で何をトリップしているんだ自分は。

 ささっと周囲を探ってみれば、右後方からは、ほっとしている様な気配――ベストマンを務める会社の後輩が居る。

 左後方の離れた位置には、同じく肝を冷やしたような顔をしている少女と、ブーケを預かる若干呆れ顔の少女――ブライズメイドの二人、さやかちゃんと暁美さんが。

 そして、直ぐ左隣には、「くすっ」と笑う、純白のヴェールにかんばせを隠した愛しい人――まどかが居た。

 身に纏うのは、いつか彼女と共に雑誌で眺めた、あのウェディングドレス。

 

 このチャペルでは今、自分と彼女の結婚式が執り行われていた。

 やはり、女の子であれば誰もが憧れるのか、まどかの達ての希望で教会式の手順を踏襲しているが、実際には人前式となる。

 そうした理由は、と言えば。

 

 

「……うぉほん。汝は、この者を妻とし。

 良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も。

 共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かとうとも、その魂が尽きる時まで。

 愛を誓い、妻を想い、妻のみに添う事を。

 汝を見守って来た、友と信じる仲間と、心優しき両親に、誓いますか?」

 

 

 ……はい、誓います。

 

 一番は、この誓いの言葉。

 互いを想う気持ちを、あやふやな形の神にではなく、同じ時間を過ごして来た人達に誓いたかったから。

 本当に信仰している人からすれば罰当たりにも程があるのだろうが、どうしても。

 彼等の助けが無ければ、自分は今、ここには居ない。確信を持ってそう言い切れる。

 だからこそ、皆の前でこの気持ちを誓い、自分達のこれからを示して、安心して欲しかったのだ。

 神父役の初老の男性からの言葉に、自分はしっかりと頷き、それを受けた神父さんも満足げに首を縦に振る。

 

 

「では……。新婦、まどか」

 

「……はい」

 

 

 新郎の次は、新婦である彼女の番。

 先の言葉の「妻」を「夫」に変えただけの繰り返しだが、問われてようやく分かった事がある。

 言葉という物は不思議な物で、実際に口にすると、心で想うだけよりも、気持ちはぐっと強くなるのだ。

 人の心は、脆く崩れやすい。

 だからこそ寄り添い、大切な気持ちを忘れぬよう、幾度も言葉を重ねて、強くあろうとするのだろう。

 

 

「――に、誓いますか?」

 

「はい、誓います」

 

「……宜しい。では次に、指輪の交換を」

 

 

 明確に、嬉しさを滲ませるまどかの返答。

 思わず笑顔を引き出されてしまうそれに、神父さんも釣られてしまったのか、目尻に深い皺を浮かべながらも、彼は挙式の進行に勤めてくれる。

 ドレス姿の彼女に向き直ると、こちらに近づく二つの気配――自分の後輩と、その恋人であるさやかちゃん。

 普通はベストマンにだけ預けるらしいのだが、これまたまどかの提案によってこういう形になっている。

 形式に囚われない、人前式ならでは、だ。

 

 

「……先輩」

 

 

 呼ぶ声に、自分はまた頷く。

 公私において付き合いがあり、掛け替えの無い友人でもある彼の手には、エンゲージリングの覗く小さな箱。

 台座からそれを抜き取ると、彼は一歩下がって側に控える。

 まどかは、さやかちゃんに外した手袋を預け、そして、白磁のような左手をおずおず差し出す。

 微かに震えている手を、そっと握り締め、薬指に通すのは、細かなダイヤの埋められたプラチナリング。

 

 

「……っ」

 

 

 嵌められたそれを眺め、彼女は左手を大事そうに胸へ抱える。

 そんなまどかを、さやかちゃんは優しく見守り、頃合を見て指輪を示す。

 

 

「さ、次はまどかの番だよ。頑張って!」

 

「……うん。ありがと、さやかちゃん」

 

 

 指輪を渡し終えると、さやかちゃんも静々、後ろに控え、こちらにも一度頷きを。

 ついでとばかりに後輩の方にもウィンクを飛ばし、こんな時まで仲の良さを見せ付ける。

 まぁ、あくまで主役は自分とまどか。あの二人に負けぬよう、こっちも見せ付ければいいだけだ。

 胸を張り直し、自分もまどかに向けて左手を差し出す。

 ほっそりした手が添えられ、指に通されたのは、女性用に比べてシンプルなデザインのリング。

 ……何故だろうか。冷たい筈の貴金属が、やけに暖かい。

 

 

「ここに、誓約の指輪の交換は為されました。二人の婚姻に賛同頂ける方は、惜しみない拍手を願います」

 

 

 この場に居るのは、自分とまどかの両親、極僅かな親族に加え、彼女との関係を知ってなお応援してくれた友人達だけ。

 おおっぴらに出来ないのもあるが、随分とこじんまりした印象の式となった。

 それなのに、神父さんの求めには割れんばかりの拍手が巻き起こる。

 見渡せば、彼等の顔に浮かんでいるのは、曇りの無い笑顔のみ。

 服の上からくすぐられているような、体が宙に浮いているような、そんな感覚。

 

 

「賛同頂いた全ての方を証人とし、この結婚は成立致しました。最後に、夫婦として初めての口付けを」

 

 

 いよいよ、だ。

 挙式において、最大級に緊張する、一番大きなイベント。

 ここでトチるようなら、自分はこの場で首をくくろう……というのは冗談だが、その位の覚悟はしていた。

 絶対に、失敗だけはしたくない。そんな思いが、ヴェールを上げる手を震わせる。

 隠されていた顔が目に触れれば、鼓動は早鐘の様に高鳴った。

 

 素顔のままにも見える、自然な薄化粧。

 ぷっくりした唇に引かれたルージュは、彼女の好きな淡いピンク色。

 頬に差す赤みは本人の物で、チークとはまた違う。

 瞼が開き、伏せられていた視線が合うと、一瞬で世界から音が消える。他の一切が、もう目に入らない。

 

 ……まどか。

 

 

「うん……」

 

 

 無意識の呼びかけに、彼女は小さく返事をし、もう一度目を閉じる。

 何時の間にか、自分はその肩に手を乗せていて。

 引き寄せられるように、キスをしていた。

 

 

「……ん……」

 

 

 軽く触れただけなのに、それだけなのに、胸が愛しさで満たされる。

 幸せ。

 たったの二文字で表せる言葉の、真の意味。

 語り尽くせない想いを唇で伝えようとしたが、本当に伝えられているかが心配で。

 使い古された、有り触れて、陳腐な台詞が口をつく。

 

 ……愛してる、まどか。

 

 

 

 

 

「……うん! 私も、あなたを愛してますっ!」

 

 

 

 

 

 けれど。

 それに返されたのは、満開の花。

 沸き上がる歓声と、津波のような拍手に、鳴り響く鐘の音。

 ああ、どうしよう。

 嬉し過ぎて、窒息しそうだ。

 

 

「さぁ、新しい御夫婦の退場です! 皆様、盛大なる祝福を!」

 

 

 神父さんの声に、自分とまどかは参列者の皆に顔を向ける。

 向かって左側には、自分の後輩、両親に親族、そして友人達。右側には、先の少女二人と、まどかのご両親に親戚・恩師、そして、自分とも面識のあるまどかの友人達。

 奇しくも、この場に居る友人達の全ては、それぞれに恋人同士。なんとも奇妙な縁だ。

 右肘を差し出せば、すかさず細い腕が絡み、自然に微笑み合う。

 

 

「先輩、おめでとうございますっ!!」

 

 

 側に居た後輩が真っ先に歩み寄り、こちらに握り拳を向けた。

 自分も拳を握って、おう、と軽く打ち合わせる。

 彼は、少年の様に無邪気な笑みを浮かべ、また一歩下がり、拍手を再開。

 

 

「まどか、おめでとう……。本当に、おめでとうっ」

 

「あっ、ちょっとほむら抜け駆けしないでよ! まどかっ、おっめでと~!!」

 

「うんっ! ほむらちゃんも、さやかちゃんも、ありがとっ! 私、幸せだよ!」

 

 

 まどかの方にも二人の少女が駆け寄り、暁美さんは、預かっていたブーケを返しながら祝福してくれる。目には薄っすらと涙まで浮かべてくれていた。

 さやかちゃんも全身で感情を表現していて、心から祝福してくれているのが分かる。

 後ろ髪を引かれながらも、まどかと共に一歩を踏み出せば、左右から幾重にも、何度でも、「おめでとう」と祝福が。

 

 

 最初は色々と心配をかけてしまったが、今日まで、自分達を慈しみ、惜しまず手助けをしてくれた自分の両親と、知久さんに部長。

 この呼び方も、仕事以外では出来なくなるのか。少し、寂しいかも知れない。

 家の両親は、自分達の結婚式でも思い出しているのか、拍手しながら互いをつっつき合っている。

 知久さんと部ちょ――詢子さんは、予想に反して知久さんの方が終始笑顔を浮かべていて、詢子さんの方が事ある毎に涙腺を緩ませていた。

 今もポロポロと涙を零し、泣き笑いの表情で手を叩いてくれて……。意外な面を見てしまった。こんな些細な事も、また嬉しい。

 

 笑顔でライスシャワーを降らせるのは、暁美さんの恋人である眼鏡をかけた男性に、「ちょっと勿体無いかなぁ」と呟く青年。

 そして、「細かい事言わないで下さいよ」と突っ込む癖毛の青年。

 披露宴ではこの三人にも出番があるし、一体どうなるか楽しみである。

 

 彼等の向かい側では、二人の少女が同じく花びらを降らせていた。

 感動しきり、といった様子で涙を流している巴さんに、その隣で困った笑顔を見せる佐倉さん。彼女の持つ花篭からは、なにやら光が漏れていて、舞い散る花びらは虹色に輝く。

 嘆息したくなる美しさに見惚れていれば、彼女は「にしし」と片目を瞑る――心憎い演出だ。

 

 最後列には、自分とはあまり縁が無かったが、志筑仁美さんと上条恭介君のカップル。彼女達もまた、憧れに似た眼差しでこちらを見つめている。

 おそらく、自らの将来を思い描いたりしているのだろう。この挙式が、その一助になれれば嬉しいが……。

 

 最後に、この場には居ないが、祝電を送ってくれたらしい美国さん達。

 色々と難しいだろうが、あのカップル達にも幸福が訪れて欲しい。

 

 

 出口が近づき、厳かに開く扉からは、太陽の光が眩しく射し込む。

 目を眩ませながらも、しっかりとした足取りで歩を進め、自分は考える。

 こんなに幸せで、良いのだろうか?

 まるで、世界中から幸福をかき集めて、一つの宝箱に、ぎゅうぎゅうに詰め込んだような。

 こうしている間にも、この世界には不幸が生まれて、涙している人が居るのかも知れない。

 両手でも受け止め切れないほどの幸せを、自分だけで独り占めして、いいものだろうか。

 そんな事を思ってしまい、何気なく上を見上げて、光の壁を突き抜ける。

 

 

「……わぁ!」

 

 

 迎えたのは、抜けるような広い空。

 挙式が始まった時から太陽を覆っていた、厚く暗い雲は、どこかへ消え去っていた。

 肩からふっと、力が抜ける。

 幸せに不安を抱くだなんて、なんとも情けない。自分は、これで良いんだ。

 今はまだ、幸せを受け取る事しか出来なくても、いつかきっと、この大きな幸せを、誰かに――大切な家族や仲間達に分け与えられる。

 そして彼等も、胸に収め切れない気持ちを感じた時、それを誰かに渡していくのだろう。

 そうやって、この環は広がって。遠い未来で、この星を覆える位になってくれたら。

 希望的観測と言われれば、正にその通り。

 だが――

 

 

「……? なに、あなた?」

 

 

 ――信じよう。

 せめて、今日一日。せめて、この一時だけでも。

 こちらを見上げる笑顔を曇らせるような、悲しみと絶望が。皆の居る小さな世界から、消えている事を。

 そう祈って、何でもないよ、と自分は笑う。

 

 

「変なの……。ねぇ?」

 

 

 すると、右手に絡まる暖かさ。

 組んだ指に触れる小さな硬さは、共に在る未来を誓った指輪。

 それを示すように、きゅっ、と手を握って、肩を寄せて。

 

 まどかは、この世界で一番に輝く笑顔で、笑い返してくれたのだった。

 

 

 

 

 

「二人で、一緒に……。ううん、皆も一緒に。もっと、ずぅっと、幸せになろうねっ!」

 

 

 

 

 




 新妻が エロ可愛くて 腹上死 ――――――ロリコン主任、辞世の句。


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【ふられ男と】番外編その2【面倒な女】

 

 

 初恋、だったかどうかは分からない。

 気が付いた時には、彼女を目で追うようになっていた。

 彼女を愛していたと理解したのは、彼女が居なくなってからだった。

 美しい人だった。

 彼女と幼馴染であった事は、思うに、例えようの無い幸運だったのだろう。

 

 そんな彼女は今日、とある男性と永遠の愛を誓った。引き会わせたのは……どうでもいいか。

 他にも、同じ日、なんと十以上年の差があるカップルまで式を挙げたらしい。

 そう言えば、昔となりの部屋に住んでいた男も、随分と若い女の子を連れ込んでいた。漂ってくるラブ臭に耐え切れず引っ越してしまったが、やっぱ通報しときゃ良かったか……。

 ともかく、目出度い日だ。

 こんな日には、似合わない。三十路過ぎな男の嘆きなど、似つかわしくない。

 だからこうして、喉を焼く酒で涙腺を誤魔化す。

 

 小洒落たバーで出されたウィスキーは、値段の割りに上物の筈なのだが、風味も何も感じない。

 喉が焼ければ焼けるほど、悲鳴を上げたくて堪らなくなった。

 年甲斐も無く泣き喚いて、十年前を呪いたくなった。

 けれど、彼女は幸せそうだった。確かに、幸せそうだったのだ。

 それがどうしようもなく悔しくて、でも、少しだけ安心して。

 ごちゃ混ぜになった感情をぶちまけたくて、空になったグラスをカウンターに叩き付ける。

 

 

 

 

 

 チクショオォオオっ!!!!!! どいつもこいつも末永く幸せになりやがれぇぇえええっ!!!!!! ………………はっ?

「うわぁぁあああんっ!!!!!! 皆私を置いて幸せになってればいいのよぉぉおおおっ!!!!!! ………………ふへ?」

 

 

 

 

 

 予期せず絶叫が重なり、左を向く。

 そこには、エメラルドグリーンのドレスの上にストールを羽織った、アルコールを嗜むには少々早くも見える童顔の女性が、カクテルを前にこちらを見つめていた。

 ハーフリム眼鏡越しの瞳は涙で濡れているのに、あまり悲壮な感じがしないのは何故だろう。

 

 

「あの、お客様。店内ではお静かに……」

 

 

 あ、すいませ……お。

「あ、すいませ……あ」

 

 

 またも声が重なった。

 静かに立ち去るウェイターを尻目に、三つ隣の席を観察すれば、その足元には白い紙袋があり、ドレスを着ている事から、なにかイベント事の帰りかと考えられた。

 にしては連れも居ないようだし、「すんっ」と鼻を鳴らす姿からは……なんと言うか、めんどっちい雰囲気が醸しだされている。

 ……が、どこか引っかかる。

 まるで、昔何処かで会った事があるような、友達の友達のそのまた友達で、微妙に顔の覚束無い知り合いのような……。

 それがどうにも気になってしまい、空いたグラスを片手に席を立つ。

 

 あの。隣、よろしいですか?

 

 

「え、あ、はい。どうぞ……」

 

 

 居住いを正す女性の声には、若干の警戒心が伺える。それも当然だ。

 場末のバー……なんて呼ぶには失礼な位にお洒落な店内といえど、偶然台詞が重なっただけの見知らぬ男に話し掛けられたのだから。

 本当に、吃驚だ。こんな行動を取れるだなんて。

 酒が入って気が大きくなっているのか、それとも、人恋しいだけ、か。

 まぁ、どうでもいい。今はとにかく、この奇妙な慨視感の原因を究明したい。

 

 何か、御ありに? 随分と……辛いご様子ですが。

 

 

「……いいえ、とんでもない。辛いだなんて、あり得ませんよ。……ええ、とても、お目出度い日なんです」

 

 

 お目出度い、ですか。

 失礼でなければ、お聞きしても……?

 

 

「……今日は、教え子の結婚式だったんです。思い出すだけで胸が一杯になるような、とても良い式でした……」

 

 

 それは……目出度い、ですね……。

 おめでとうございます。教え子という事は、御教職に?

 

 

「ええ。もう長い事やっています。特に、新婦さんのお母様とは、学生時代からの友人という事もあって、感慨深くて……」

 

 

 そうでしたか……。

 

 奇遇な事もある物だ。まさか、同じく結婚式の帰りとは。ひょっとしたら、例の歳の差婚な人達の式だったり……流石にないか。

 しかし、教え子の結婚式に呼ばれるだなんて、よっぽど慕われているのだろう。

 なのに、何故この人はこんなにもどんよりとした空気を背負っているのか……?

 

 

「ほら、見て下さい。ブーケまで貰っちゃったんですよ? ふふっ、気を遣わせちゃった。まぁ、もう直ぐ大台に乗る独り身が居るんですもの、当然ですよね……? ふっ」

 

 

 足元の紙袋から小さなブーケを取り出し、彼女は嗤った。

 ……うわぁ。なにこの暗黒微笑。顔が左右非対称になってる。怖ぇ。

 声掛けたの、失敗だったか? お近付きになりたくない類の笑顔だぞ今の。

 

 

「個人的には、お相手の男性はちょおっと問題がある気がするんですよ。初めて聞いた時なんて、本気で通報しようかどうか迷った位ですもの。

 でも私、《生徒を見る目》だけには物凄く自信があるんです。その自信が言うんですよね。

 あぁ、この人を愛してるんだな、この子が選んだ人なら、きっと幸せにしてくれるんだろうな、って。それが分かったら、もう何も言えませんでした……。

 先を越されちゃったのは凄――少しだけ悔しいですけど。

 それよりもですよ! 詢子ったら――あ、さっき言った友人の事なんですけどね? 『和子がそう思うなら一安心だね』なんて言うんですよ!? 酷いと思いません!?

 確かに《男を見る目》は無いかも知れないけど、私は駄目男検知器じゃないってぇのよぉ!!!!!!」

 

 

 途中からヒートアップしてしまったのか、女性は――和子、さん? は、カウンターをバンバン叩く。

 その音に釣られ、周囲の注目を集めると共に、鋭く光るウェイターの眼光。

 

 お、落ち着いて下さい、見られてますから、ね?

 

 

「あらやだ、私ったら……。こほん、まぁ、あの頃はちょっと大人気無かったし、私にも悪い所がちょっとはありましたから、それは良いんです。この話はここまでにしましょう」

 

 

 いや、ここまでも何もそちらが勝手に喋って――。

 

 

「何か問題でも?」

 

 

 いやー今日は晴れて良かったですねー折角のお目出度い日ですからねー。

 

 と言いながら、華麗に手の平を返す。だって怖かったから。今日は厄日だ。もしかして、女難の相も出ていたりするのだろうか。

 ……取り合えず、おべっかでも使って御機嫌とっておこう。

 身の安全のためにも。

 

 それにしたって、そんなに焦る事は無いんじゃないですか?

 もう直ぐ大台って事は、まだ二十代でしょう? こっちなんてもう三十過ぎ――。

 

 

「えっ!? 見えます!? そんな風に見えます!?」

 

 

 うぉあ、あ、はい、見えます、けど。え? 違――。

 

 

「やっだ、もう♪ そんなに煽てたって何にも出ませんよ♪ あ、何か飲みます?」

 

 

 痛、あの、痛いですから、叩かないで……後、気も遣わないで下さい……。

 

 途端、上機嫌になった和子さんは、こちらの背中をバシバシ叩く。この反応からして、大部若く見積もってしまったようだ。

 やっぱり、女難の相、出てるかなぁ。よく考えたら、あいつも年上だったもんなぁ。

 なんて思い、諦めたような心境で、店内上部にある絵画を無心に眺める。

 すると、彼女は唐突にカウンターへ頬杖を突き、顔だけをこちらに向けた。

 

 

「……どうしてかしら。お酒が入ってるとはいえ、初対面の人に、こんな……。

 貴方が悪い人には思えなくて……それに何だか、初めて会った気がしな――やだ、本当に酔ってるかな。忘れて下さい」

 

 

 再び一転、寂しさに彩られる横顔。放たれるのは、酸いも甘いも噛み分けた女の色気。

 ちょっと躁鬱が激しいのが難点だが、その婀娜(あだ)な様に、釘付けにされてしまった。

 ……何故だ。どうしてこんなに気になる。妙な慨視感もそうだが、この人には、こんな表情をして欲しくない。

 この人に似合うのは、もっと――

 

 

「そう言えば。そちらはどうなさったんですか? 私が言うのもあれですけど、妙な事を口走っていらして……何か御ありに?」

 

 

 ――などと、妙な事を考え込んでいた時、今度は彼女の方から質問が投げられる。

 それでようやく、ついさっきまでクダを撒き散らしていたのを思い出す。人生の一大事とばかりに嘆いていたものを、すっかり忘れ去っていた。

 本当に、今日は可笑しい。

 そんな気持ちが口元を苦笑に象らせ、大した事では無いと己に言い聞かせるように、口を開く――

 

 いえ、こちらもお目出度い事なんですよ。

 子供の頃から惚れていた幼馴染が結婚して、今まで見た事の無い笑顔を向けられて、「彼と出逢わせてくれてありがとう」なんて……。

 御礼を……言われた、だけ……で、ぇ……。

 

 

「……うわあ……」

 

 

 ――が、実際口にすると意外にダメージを負ってしまった。思っていたよりも傷は深かったらしい。塩を塗りこまれたような痛みに、涙が零れた。

 和子さんもなんと言って良いのか分からないのか、こちらに向けて手を差し出そうとしては引っ込めるを繰り返す。

 その顔には、労りの念の様な物が込められている気がして、勝手に言葉が引き出されていく。

 

 何が、いけなかったんだ……。

 照れ臭くて想いを伝えなかったから? いつも肝心な事は誤魔化してたから? あの二人を、引き合わせたから?

 どうして、こうなったんだよ……何で……こんな筈じゃなかったのに……。

 若い頃はもっと、思い通りに生きられると思っていたのに……上手くいかない事、ばっかりだ……。

 

 

「………………」

 

 

 見苦しい言い訳に、彼女は何も返さない。

 当たり前だ。

 こんな事ばかりを言って、未練タラタラな男になんて、掛ける言葉は――

 

 

「……飲みましょう!」

 

 

 はへ?

 

 

「辛い事は飲んで忘れるに限ります!

 まぁ、忘れられない事だってあるでしょうけど、誰かと共有できれば、その重みは半分になるでしょう?

 今夜は私がお付き合いします! 派手に行きましょう!」

 

 

 ――無いと思っていたのに、和子さんはこちらの肩をガッシと掴み、声高に宣言した。

 その瞳には、隠さない親しみが込められている。

 一瞬シンパシーを感じ、直後、同類と見做された事で心の一部がずっしり重くなったが、その反対の部分は、本当に軽くなった気がした。

 取り合えず、飲もう。うん、飲んで騒いで忘れよう。色々とあれだけど、女の人が隣に居てくれるだけで大分違う。

 ハズ。

 

 ……よしっ、今日は飲みましょう! とことん飲みましょう! 明日も休みだし!

 

 

「その意気ですよ! よぉし、私も一番高いの注文しちゃいますよ~!」

 

 

 負けませんよ? 独身貴族、万歳!!

 

 

「ばんざーい!! でもいいお話が会ったら即結婚した~い!!」

 

 

 ちょっと、早速裏切らないで下さ――。

 

 

「……お客様」

 

 

 あ、すんません。

「あ、すみません」

 

 

 

 

 

 こうして、幼馴染に振られた男と、《男を見る目》の無い女による酒盛りは開幕し、それは夜半過ぎまで続く事になる。

 早乙女和子という女に出会った事が、己の人生を大きく左右する事を、彼はまだ知らない。

 そして、彼女が自身の《生徒を見る目》が確かである事を実感するのは、古いアルバムの中にあった、とある高校生と教育実習生の写真を見つけた時となるのだが……。

 それも、まだ見ぬ未来の話である。

 

 

 

 

 

 To Be Continued……?

 

 

 

 

 



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【彼女達の】お菓子会社の陰謀なおまけ・上【バレンタイン】

 

 

「これで良しっと。後は冷蔵庫で冷やして、最後にカカオパウダーをまぶせば完成よ」

 

「はい、マミさん」

 

「はぁ~、やっと終わった~」

 

 

 気の抜けた声と一緒に、杏子ちゃんは、ぐで~、と項垂れました。

 私達はその間に、寒天の型へ入れた生チョコレートを冷蔵庫にしまいます。

 

 私こと、鹿目まどかと、お友達の佐倉杏子ちゃんは、先輩である巴マミさんの御宅にて、手作りチョコレートの手解きを受けています。

 生チョコレートなんて、上級者向けのお菓子と思っていた私ですが、寒天の型で固める簡単な方法があるだなんて、考えてもみませんでした。

 しかも今回は、アールグレイの風味が香る、ちょっと大人な味。

 流石はマミさんっ。

 運動に、勉強に、お料理。紅茶にお菓子作りまで、誰もが憧れる格好良いお姉さんですっ。

 

 

「あ、そういや、残った寒天はどうすんのさ。捨てるなんて勿体無いし……」

 

「大丈夫よ。チョコを作り終わったらもう一度溶かして、寒天飴でも作るから。それでおやつにしましょう?」

 

「ぃやったー!」

 

 

 むくり、起き上がった杏子ちゃんは、嬉しそうに万歳。

 くすっと笑いながら、私自身、とっても楽しみだったりします。

 

 今日は、二月十三日。

 女の子にとっての一大イベント、バレンタイン・デーの前日です。

 去年までなら、あと二日後には安くなるチョコがお目当てな、ちょっと――少しだけ――か、かな、り? 残念な過ごし方をしていました。

 けれど、今年からは……。

 

 

「あの人、喜んでくれるかなぁ……」

 

「心配無いわ。こんなに愛情を込めて作ったんだもの。必ず喜んでくれるわ」

 

「はいっ」

 

 

 生まれて初めて作る、愛しい人へ贈るチョコレート。

 それを受け取ってくれる人が、居るんです。

 もちろん、お父さんにプレゼントした事はあるけど、その時とは違って、とても緊張していました。マミさん達と一緒じゃなかったら、失敗しちゃってたかも知れません。

 いつも優しくて、私の事を大切にしてくれるあの人。

 きっと失敗したチョコだって、笑顔で食べてくれると思います。でも、だからこそ、本当に美味しいチョコで笑顔になって欲しいって、そう思うんです。

 

 

「今日は、本当にありがとうございました。教わるだけじゃなくて、作るのまで手伝って貰っちゃって……」

 

「気にしないで? 一人で作るよりも、皆で一緒に作った方が楽しいんだから」

 

「でもさぁ、まどかん家の親父さんって主夫だろ? 自分ちで教えて貰ったのが手っ取り早いんじゃ? それとも、お菓子は苦手とか」

 

「ううん、そんな事は、ないんだけど……」

 

 

 杏子ちゃんの指摘に首を振りながら、私はちょっと苦笑い。

 普通のお家と違って、ママがお仕事に精を出し、パパが家事を担当している我が家。

 お料理の担当もパパで、その腕前は自慢の種です。もちろん、お菓子だってお手の物。

 ……なんだけど……。

 

 

「パパも、手伝ってはくれると、思う。でも多分、すごく悔しそうな顔させちゃうと思うから……。出来れば、目の付かないところで作りたいかなぁ、って……」

 

「あら、もしかして、あまり仲が……? だけど、少し前に公認の仲になったって……」

 

「はい……。表面上はとっても仲良しなんですけど、その……。言葉の端々に、溜めがあるっていうか、なんていうか……」

 

「そういや、血の雨がどうとか言ってたっけか。男同士はメンドーだなぁ」

 

「うん……。二人とも大人だから喧嘩とかはしないけど、あの人の話題を出すと空気が重くて……。ちょっと困っちゃう……」

 

 

 そう。問題は、うちのパパ。

 普段はとっても穏やか、細かい事にも気がつく気配り屋さんなのですが、ひとたび、あの人を前にしたりすると、変な感じになってしまうんです。

 ママ曰く、『娘を取られたから嫉妬してるだけさ』、だとか。

 ……ええと、どんな言い訳をしても結局は同じになりそうなので、これについては何も言えません。

 

 とにかく、倫理的にとてもいけない事をして、同時に、させてしまった自覚はあるけれど、今更無かった事になんてしたくありません。

 だから、パパには可哀相だけど、今年からは世界で二番目に美味しいチョコで、我慢して貰おうと思います。

 ……世界で、なんて。ちょっと大げさだよね。

 

 

「しっかし、料理……ってか、お菓子作りって肩凝るよなー。量はキチンと量んないといけないし、温度とかも重要だし……。やっぱアタシには向いてねぇよー」

 

 

 そんな事を考えていたら、杏子ちゃんは腕組みをして一言。

 うっかり頷いてしまいそうになった私ですが、それより先にマミさんが笑いかけます。

 

 

「まぁまぁ。逆に言えば、分量とかをしっかり量って、時間を守れば必ず成功するんだから。慣れればむしろ簡単に思えるわ。

 それに、彼氏さんを喜ばせてあげたいんでしょう? だったら、お菓子だけじゃなくて、普通のお料理も作れるようにならなくちゃ」

 

「えぇ~? でも、アタシよりもアイツの方が間違いなく上手いし、だったら食い専でも……」

 

「もう、駄目よそんなんじゃ。大丈夫、今日見ていて改めて思ったんだけど、佐倉さんは要領が良いんだし、ちょっと頑張れば直ぐに追いつけるわ」

 

「そうだよ杏子ちゃん! 私なんてこの前、ロールキャベツの筈がシャバシャバな野菜炒めになっちゃったけど、それでも喜んでくれたもん!

 だから頑張ろうよ! ……杏子ちゃん、私より頭も良いし……覚えるのも早いし……手際も良いし……うぅぅ、なんで失敗しちゃったんだろう……」

 

「自分で言って落ち込むなよ、まどか……」

 

 

 歩み寄り、ぽん、と肩を叩いてくれる杏子ちゃん。

 彼女より先に、パパからもお料理を教えて貰っているはずの私は、ですが、未だに失敗続きだったりします。

 きっと、マミさんの言う要領的なものが悪いんだと思います。その前だって、人参の皮をむき忘れちゃったし、切れたと思ったら繋がってたり……。

 でも、今回のチョコ作りは失敗しなかったし、この調子で上達して、立派な……お、お嫁さんになれるよう、私も頑張らなくちゃ!

 

 ちなみに、教えて貰うようになったのは、あの人との関係が知られる前。

 判明した直後のお料理教室では、必要も無いのに玉ねぎをみじん切りして、『いやー今日の玉ねぎは目に染みるなー』なんて、涙を流すパパだったり。

 ちょっと呆れちゃったけど、でも、晩御飯のカレーは炒め玉ねぎがたっぷりで、とても美味しかったです。

 

 

「でも、キッチンに立つようになったらなったで、佐倉さんも大変な気がするわね……。背後、とか……」

 

「え? どういうこ――あ、そっか……。そう、かも……ぇはは……」

 

「……? 背後って? 何かに不意打ちされるわけでも――あ。あ~……なるほど……」

 

 

 マミさんの言った意味に気付いたのか、杏子ちゃんも苦笑い。私達は、三人で顔を紅くしてしまいました。

 背後からの不意打ち。

 それは即ち……その……い、いたずら、されるという事、です。

 具体的な事なんて、とても口では言えないので飛ばしちゃうけど、私の場合、十分置きにちょっかいを出された事もありました。

 やけに近くから覗き込まれたり、耳に息を吹きかけられたり、色んなとこを、触られたり。

 流石に、包丁を持っている時とかは避けてくれますが、それが原因でお味噌汁を沸かしちゃった事もあるし……。

 男の人って、やっぱりえっちです……。

 

 

「ま、まぁ、それはともかくとして。チョコが固まるまでに、詰める容器とか、包装紙を選びましょう? 結構悩んじゃうと思うから」

 

「そ、そうですね」

 

「だな」

 

 

 ぽん、と手を合わせるマミさんに続いて、私達はキッチンからリビングへ移動しました。

 いつもの三角テーブル近くに腰を下ろすと、目の前には、マミさんが用意してくれていた色取り取りの包み紙や、色んな形をした、カラフルなトレイなどが並んでいました。

 色々ありすぎて、本当に迷っちゃいそうです

 

 

「随分とたくさんあるな~。わざわざ買ってきたのか?」

 

「う~ん、そう、とも言えるんだけど、言い切るのも語弊があるような……」

 

「どういうことですか?」

 

「……じ、実はこれ、全部、お店で買ったお菓子の空き箱とかなの。いい値段の物だと、箱も可愛いデザインの物が多くて、あとで何かに使えるかなって。あ、トレイとかはきちんと洗ってあるし、大丈夫だと思うんだけど……」

 

「気持ちは分かるけど、なんかオバサン臭いな」

 

「……あら。そういう子には、この唐草模様の包装紙で十分ね。はい、どうぞ。他のは私と鹿目さんで使いましょう?」

 

「ちょ、おいっ、チョコレートに唐草模様って流石におかしいだろっ、和菓子と勘違いされるって!」

 

「ぇはは……。違うよね? いいお母さんになりそうって、そう言いたかったんだよね、杏子ちゃんは」

 

「あ、うん、そうそう! さっすが、まどかはアタシの事よく分かってんな!」

 

「もう、調子が良いんだから、佐倉さんは……」

 

 

 怒っています、という口振りの割りに、マミさんは優しい眼差し。

 私も、杏子ちゃんも。このやり取りが楽しくて、同じ様に。

 そして、自分で言った《いいお母さん》という表現に、私は想いを馳せます。

 

 いつか、成長して、大人になって。

 大切な人と、愛を育んで。

 その絆が、産まれたとして。

 

 もし、その子が女の子だったりしたら。

 今日教えて貰ったことを、今度は、私が教えてあげたりするのかな……?

 チョコの作り方だけじゃなくて、お料理や、お洗濯や、お掃除とか。

 そして、誰かを想い、信じることの、大切さを。

 

 

「……くすっ」

 

「ん?」

 

「どうしたの? 鹿目さん」

 

「ううん、なんでもないです。あ、このイラスト可愛いっ」

 

 

 少し、気の早過ぎる未来予想に、思わず笑ってしまって。

 それを誤魔化しながら、私は包み紙を選ぶのに集中開始。

 遠い未来に希望を持つことも大切だけど、今はそれよりも、明日の方が重要だもん。

 絶対に気に入って貰えるよう、慎重に選ばなくっちゃ!

 

 

(ちょっとだけ、不安だけど。でも……)

 

 

 明日が、とっても楽しみです!

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「フ~ン、フフ~ン、フ~ン~ン~♪」

 

 

 鼻歌交じりに、あたしはチョコレートをかき混ぜる。

 生クリームも追加して、出来るだけ空気を混ぜないよう、慎重に。

 こうしてチョコを作るのも、もう何度目だろう。

 

 

(最初に作ったのはいつだっけ。確か、まどかん家にお邪魔して、パパさんに教えて貰って……。懐かしいな~)

 

 

 そんな事を思い返しながらも、あたしの手は止まらない。

 今作っているこれは、これまでに作った物の中でも一番だって言えるくらいに重要な、大切な人への贈り物だから。

 手を休めている暇など、これっぽっちもありはしないのだっ。

 

 今日は、恋する乙女の重大イベント、セント・バレンタイン・デーの前日。

 あたしの参加はもちろん確定。だからこうして、手作りの本命チョコを用意している。

 市販品に頼るなど、乙女のプライドが許さんのです。

 

 

(とは言っても、今までとは些か趣が違うんですけどね~)

 

 

 去年までのあたしは、本命を義理と偽って、包装とかもあえて地味な、買って来た物にも見えるようにして渡していた。

 渡したいけど、でも、想いを伝えるほどの勇気は無かったから。

 その癖、作ってる最中は物凄くドキドキして、失敗しちゃったことも多い。

 だけど、今、あたしの胸にあるそれは、あの頃の痛みを伴うような激しさではなく、ありのままの自分で居られる、嬉しさを感じさせて――

 

 

「……ふふ」

 

 

 ――また、一人で笑ってしまう。

 気持ちを偽る必要は無い。

 受け取ってくれるかどうかで、悩む必要も無い。

 喜んでくれるかどうかなんて、考えるまでも無い。

 1000%の確立で、幸せに過ごせる明日。

 分かりきったこの事実が、凄く、嬉しい。

 

 

「どうしたの? 一人でニコニコして」

 

「あ、お母さん」

 

 

 なんて笑いながら、次の準備として、チョコを入れる型を取り出した時、背後から声が。

 柔らかく笑みを浮かべる、あたしとそっくりな顔をしたお母さんは、子ばか(親ばかの反対)なのを差し引いても、結構な美人さん。髪はセミロングで、ちょっとお淑やかな感じ?

 お父さんはよくこの人を捕まえられたもんだと、いっつも感心しちゃう。

 

 

「あぁ、チョコレートね。恭介君の分と……?」

 

「……うん。あいつの分。いや~、二人分も作るなんて、ちょっと大変だよ~」

 

 

 胸を張って答えるあたしの前には、ハート型の枠が二つ。

 一つは、さっき名前の出た幼馴染――上条恭介へ。

 そしてもう一つは、現在【 ラ ヴ ラ ヴ 】な恋人生活を共にしている、あいつへ。

 恋人が居るのに他の男の子へもチョコを渡すなんて、普通に考えればひんしゅく物だろうし、実際いい顔はされなかったけど、やっぱり、恭介は大事な幼馴染であるわけで……。

 それに、去年までとは変化した関係――片想いをしていた彼に向けて義理チョコを贈ることで、また一つ、自分の中に区切りを付けたい、という意味もあったりする。

 もちろん本命には、これでもかってほど愛情を込めて、たっぷりデコレーションもするつもりだから、きっと問題無し……って、思いたいなぁ……。

 

 

「……ねぇ、さやか? その、あんまり何度も聞かれるのは、嫌だとは思うんだけど……」

 

「あ~、また? もう、心配性なんだから」

 

 

 向けられたのは、ちょっと申し訳なさそうな言葉。

 この一週間で何回も繰り返されたそれに、型へチョコを流し込みながら、あたしはぐったり。

 でも、お母さんの心配も分かっちゃうから、無下にも出来ないし。うむぅ。

 

 

「ごめんなさいね。やっぱり、心配なのよ。年上って言っても、精々一つか二つだと思っていたから……。お父さんとお母さんはお見合いだったし、普通の恋愛なんて、憧れはしたけどよく分からなくて……」

 

「う……。まぁ、そうだよねぇ……」

 

 

 そりゃあ、中学生の娘が二十歳過ぎの人と付き合ってたら、親としては気になるよ、普通……。

 去年の春。

 親友と幼馴染による恋の板挟みに、精神的に追い詰められ、周囲にたくさん迷惑を掛けたあたし。

 でもお母さんは、何にも話して上げられなかったのに、それを優しく見守ってくれた。新しい恋に生きるって決めた時も、何も言わず、応援してくれた。

 

 ――んだけど、数日前、あいつがお仕事できる年齢だって口を滑らせちゃってからは、心配そうに質問してくるのだ。

 どういう人なの? どんなお仕事してるの? 背格好は、顔立ちは、趣味は……。

 それはもう、根掘り葉掘り。

 前々から聞かれてはいたんだけど、心配かけちゃうかなぁ、なんて思ったから、当たり障りの無い事だけで濁してきて……。

 

 

(でも、もう誤魔化すのは無理だし……。本当は、ちゃんと話したかったんだし……)

 

 

 ……うん。この際だから、話しちゃった方が良いのかもしれない。

 絶対に話せない部分もあるけど、それ以外の気持ちは、全部。

 

 

「ね、お母さん」

 

「なに、さやか」

 

 

 向き合うために振り返り、テーブルに寄りかかる。

 こちらを見る視線に、今から話そうとしていることが、なんだか恥ずかしくなって。

 あたしは、少しだけ俯いて、眼を閉じる。

 

 

「あたしね。あいつには、感謝してるんだ」

 

「……感謝?」

 

「うん。多分、なんだけど。あの日、あいつと出会えてなかったら、あたしは、こうして居られなかったって思う。

 泣いたり、笑ったり、こんな風に話したり、チョコを作ったりさ?

 ……もしかしたら、あたしの初恋は、お母さんを凄く悲しませる結末にだって、なってたかもしれない」

 

 

 誇張ではなく、本気で思う。

 そのくらい、あの頃は自暴自棄で、周りを省みられなかった。

 自分に降りかかった苦しみに囚われ、それが世界の全てだと勘違いしちゃった。

 友達に当り散らして、先輩に八つ当たりして。でも、そんな事をしてしまった自己嫌悪は、とても苦しくて。

 だからあたしは、罰を求めて、この体を傷付けようとしてたんだ。

 

 

「けど、あいつがそれを止めてくれた。ちゃんと叱って、優しく受け止めてくれた。……そして、好きだって、言ってくれた。

 この嬉しさは、きっと、言葉だけじゃ伝えきれないから。だからね? あたしは、あいつに出会えた偶然を……。この関係を、大切にしていきたいの。

 感謝してるから、とかじゃなくて。この人を好きになりたいって、心から、そう思えたから。……こんな風に思ってるなんて、恥ずかしくって、本人には絶対言えないけど」

 

 

 頭に浮かぶのは、あいつの顔。

 まず、『なんだよいきなり?』なんて、茶化そうとして。

 それから、照れて何も言えなくなって。

 全てを聞き終えたら、強く、強く、抱きしめてくれる。

 想像しただけでニヤけちゃうけど、間違いなくそうしてくれるって、確信がある。

 ……それがまた、恥ずかしいんだけどね?

 

 

「お母さんには、心配かけちゃうと思う。

 でも、あいつは本気で、一緒に居ようって努力してくれてる。あたしも、それに応えたい。

 だから、信じて欲しいんだ。あいつの事を――ううん、あいつを好きだって想ってる、あたしの事」

 

 

 最後に、こう付け加えて、小さく笑う。

 じっと聞いてくれていたお母さんは、そんなあたしを見つめて、同じ様に笑ってくれた。

 

 

「余計なお世話、だったかしら。まさか、こんなに堂々と惚気られるとは思わなかったわ」

 

「……なはは、何のこれしき! あいつの事だったら、話せるネタは一〇八までありますからね!」

 

「はいはい、凄いわね~。でも、近いうちに会わせて頂戴ね? 彼氏さんの事、ますます知りたくなっちゃった」

 

「あ~、いいの~? そんな言い方して。お父さんが聞いたら泣いちゃうよ~」

 

 

 普段はそんな素振りを全く見せないけど、実はお母さんにぞっこんラヴなお父さん。

 ドラマの俳優さんにまで嫉妬するくらいだから、こんなの聞いたら自分の涙で溺死しちゃうこと請け合いだよ?

 なんて思っていると、お母さんもそれは予想済みなのか、人差し指で縦に唇を閉じる。

 

 

「じゃあ、秘密にしておいて貰わないと。お母さんも、彼氏さんの事は秘密にしておくから」

 

「うん、約束っ」

 

 

 くすくす笑い合って、二人だけの約束を交わす。

 仲間外れにするのは可哀相な気もするけど、お父さんにはまだ内緒。だって、彼氏が出来たって知られたら、間違いなくあいつに闇討ち掛けるだろうし。

 愛されてるのは嬉しいけど、ちょっと大変だよ……。この分だと、家の中であいつの話が出来るようになるには、何時までかかるやら。

 あ、そうだ。どうせなんだから……。

 

 

「ね、ね、お母さんお母さん。ちょっと聞いてっ」

 

「あら、どうしたの?」

 

「昨日ね、学校の帰りにあいつの家に寄った時、チョコ欲しい? って聞いてみたんだけどさ」

 

「……どうりで妙に帰りが遅いと……それで?」

 

「そしたらね、あいつってば『くれるんだったら貰うけど』なんて強がるんだよ?

 部屋に上がってからずうっとこっちをチラ見して、さりげなーく雑誌のバレンタイン特集を広げてた癖にさ?男って、なんで変なとこで意地張るんだろう?」

 

「そういうものなのよ、きっと。お父さんだってそうでしょう? ……ところで、お家に上がっただけよね? 変な事はしてな――」

 

「でもねでもね、ちゃんと用意するから、って言ってあげたら、コーヒーのお代わりに行ったついでに、隠れてガッツポーズしてたの! 『よし、よしっ、よぉおっし!!』って、小声で叫んで! もうバレバレ! ほんと、ばかだよね~!」

 

「そ、そうね~。……あの、お母さんそろそろ洗濯物を――」

 

「でねでねっ、戻ってきたらもうニッコニコでさ? 隣にぺったり座って、手を握ったり、『さやか』って名前だけ呼んだり……。んっふふ、もう、もうねっ! きゃー!」

 

「――え? な、なにか、そこはかとなく男女の雰囲気を感じるんだけど? 違うわよね? 気のせいよね? 勘違いよね?」

 

 

 お母さんがさっきからなんか言ってるみたいだけど、上り始めたテンションは全然止まらない。

 今まで、家の中では我慢してたからかな? まぁとにかく、この機会に全部ぶちまけさせて貰おうっと!

 さぁ、あたしの【 彼 氏 自 慢 】はここからだっ!!

 

 

 

 

 

「さ、さやか? 本当に変な事はしてないわよね? 信じていいのよね?

 ……ね~え~? 聞いてる~? さやか~? 無視しないで~? さ~や~か~?」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……これで、完成、っと」

 

 

 ハート型のチョコレートにピンク色の文字を書き終え、私は満足そうに呟く。

 チョコを手作りするのは初めてだったけど、我ながら上出来。

 ……まぁ、少々失敗もしたけど、それはそれ。後で自分で処理しようと思う。

 

 

「いけない、そろそろ寝ないと」

 

 

 時計を見てみれば、随分と熱中していたのか、時刻は既に十一時を回っていた。このまま起きていたら、明日に響いてしまう。

 明日は二月十四日。いわゆる、バレンタインデー。

 最近では友チョコという物が流行っているらしく、まどかも用意してくれるらしいので、自分でもやってみようと思い立ち、こうして人生初のチョコレートを作っていた。

 後は冷蔵庫に入れて冷やすだけ。ラッピングとかは、明日早起きしてやるつもり。

 

 

(まどか、喜んでくれるかな……)

 

 

 なんて事を思いながら使い終えた器具を片付け、寝る準備を整えてベッドに潜り込む。

 何時もの様に枕元で充電している携帯を手に取り、待ち受け画面を表示すれば――

 

 

「……ふふっ」

 

 

 ――写っているのは、少し照れた顔をして、斜めに視線をそらす恋人の顔。

 魔法少女になって心臓が完治し、両親が仕事に精を出す必要は無くなった。

 しかし、今まで張り切っていた分、その勢いを止めるのには時間が必要らしく、未だに帰って来る事は滅多に無い。

 今日は珍しく時間が出来たみたいで、夕飯も一緒に摂る事は出来たけど、電話一本でまた仕事場に戻ってしまったし……。やっぱり、少し寂しい。

 でも、こうして彼の写真を眺めるだけでそれも消えていってしまうのだから、とても不思議。

 

 

「お休み、お兄さん」

 

 

 誰に聞かれる訳でもないのに、こんな風に挨拶をしているのが恥ずかしくて、私は消え入る様な声で呟く。

 今日は電話でしか話せなかったし、夢の中で会えたりしたら、凄く嬉しいのだけど……。

 そんな、少女マンガの主人公のような事を考えながら、私は照れ臭さに顔を布団で隠し――

 

 

 

 

 

「………………って、お休みじゃないわっ!?」

 

 

 

 

 

 ――ある事を思い出して、勢いよくガバッと掛け布団を跳ね除ける。

 

 

「お、お兄さんの分、用意してない……!!」

 

 

 もう、どうして何時もこうなのっ!?

 まどかのくれるチョコに舞い上がって、それにお返しするのに夢中になって、肝心な恋人の分を忘れるなんて、どうかしてる……!

 私は慌ててベッドから降り、冷蔵庫の中身を確認。

 

 

 

「材料がもう無い……」

 

 

 けれど、ダークチョコレートも、生クリームも見事に使い切ってあった。

 失敗する事も考えて多めに買って来た筈が、何故……。

 他の調味料とかお惣菜とかは、一人分でもいつも余らせてしまうのに、なんでこんなタイミングで綺麗に使い切る事が出来るの……?

 

 

「どうしよう……っ」

 

 

 今から材料を買いに行った所で、開いているのはコンビニ程度――まず間違い無く完売しているだろう。

 じゃあ、市販品で済ます? ……そんなの、絶対嫌。

 恋人と過ごす初めてのバレンタイン、そんな物に頼りたくない。

 今の今まで忘れていた私が言えた事ではないかもしれないけど……。

 

 

「うぅぅ」

 

 

 狭いキッチンをウロウロしながら頭を抱える。

 脳裏に過ぎるのは、悲しそうに俯く彼の姿。

 ひとしきり咽び泣いた後、彼は諦めた様な声を上げながら夕日に向かって駆け出し、崖からIcanFly……。

 

 

『いいんだ、どうせ自分は二号なんだ、結局、鹿目さんには勝てないんだぁぁぁああああああっっっ!!!!!!』

 

 

 ……マズイ。

 まどかにだけチョコを渡した事が知られたら、高確率で現実になる気がする。

 しかし、現実にはもうチョコを作っている余裕は無い。残っているのは、ハンマーで砕くしかない程の硬度を持った失敗作だけ。

 味はまぁまぁだけど、アレを食べようとたら歯が欠けてしまうだろうし、溶かして使おうにも装飾用のチョコが無いし……。

 こんな事なら、もうちょっとまどかへのチョコを自重して置けばよかった……。サイズ的にも、文字的にも。

 

 

「……あ」

 

 

 そんな時、脳裏に一つの案が閃く。

 

 

「で、も」

 

 

 ――が、閃いたは良いけど、実際にそれを行動に移すとなると、もの凄く恥ずかしい。

 と言うか、何でこんな事を思いついたんだろう?

 もしかして、巴さんや美樹さやかに毒され始めている……?

 ………………勘弁して欲しい。

 

 

「う~ん」

 

 

 でも、現状での解決策はそれしかない。

 彼も喜んでくれる、と、思う。

 ……そう、信じたい。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 何時までも悩んでいたって仕方ない。

 明日も学校があるし、とりあえず今日は寝よう。

 私は、少しうな垂れながら部屋に戻り、もそもそベッドへ潜る。

 置きっ放しだった携帯をもう一度開くと、彼は相変わらず、恥ずかしそうな表情をしていた。

 

 

「………………」

 

 

 失敗作とは言え、味は問題無い筈。

 後は、実行する勇気だけ。

 

 

「……っ」

 

 

 けれど、想像するだけで顔が真っ赤になっていくのが分かる。

 引かれたりしないかが凄く心配で、グルグルと思考が巡り、その後の展開まで、想像してしまって。

 

 

(……どうしよう)

 

 

 今夜は、眠れそうに無い。

 

 



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【彼氏達の】お菓子会社の陰謀なおまけ・下【バレンタイン】

 

 

 バレンタイン・デー。

 それは、男達の喜びと悲しみ、その両方を一日に内包する、罪深い――あるいは祝福された日。

 

 例年通りなら、自分にとってこの日は、悲しみを呼び起こすだけの呪われた一日だった。

 だがしかし、今年は違う!! ぬぁぜならぶぁ!!

 

 今年の自分には【 彼 女 !! 】が存在し、確実に【 本 命 チ ョ コ レ ー ト !! 】が貰えるからだっ!!!!!!

 

 二十年近い人生で初めて迎える、祝福された恋人達の日! 前日からワクワクドキドキして眠れませんでした!

 日がな一日ニヤニヤして先輩と鹿目部長に「気味が悪い」と言われた上、女子社員達からは義理の一個も貰えませんでした! どぅあがそんな事は気にしない!

 自分にはたった一つの本命チョコがあれば良い!

 モールの中のファーストフード店で待ち合わせ! 定時になったら即行で上がって全速力で向かいます! その後はもちろん自分の家に彼女毎お持ち帰りSAっ☆

 

 テンション上がってきたぜぇぇぇええぇぇぇぇぇぇええっ!!!!!!

 

 

 

 

 

 ――と、気持ち悪く騒いでいたのも、今は昔。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 ……えーと、コ、コーヒー飲むか? それとも、たまには他のが良い?

 

 

「………………」

 

 

 な、何でもあるぞー? アップルティーにシナモンティー、カフェラテに番茶、センブリ茶! 全部インスタントだけど。

 

 

「………………」

 

 

 必死の呼びかけにも、さやかは一向に答えてくれない。

 飲み物はだめ、か……。

 なら次は食べ物だ。確か冷蔵庫にプリンとヨーグルトがあったはず……。

 

 

「……うっ」

 

 

 ――と、冷蔵庫に向かおうとした瞬間、さやかの座るベッドの方から奇妙な音が。

 何かと思いそっちを振り返ってみれば――

 

 

「うわぁぁあああんっ!」

 

 

 ちょっ、おぉい!? な、泣くなよさやかぁ!?

 

 ――ぶわっ、と目尻から雫を溢す彼女の姿。

 唐突な涙に驚き、自分はしばらく手を彷徨わせた後、はぁ、という溜息と共に、後頭部を掻き毟る。

 喜ばしいはずの日に、自分は何故か、ベッドの上で体育座りをする背中のご機嫌取りに勤しんでいた。

 近くのテーブルには、開封済みの本命チョコレートの箱。しかし、それを開封したのは自分ではない。

 

 なんとさやかの奴、幼馴染である上条恭介とやらに渡す義理チョコと、本命チョコを取り間違えやがったのである。

 中身にお金をかけたせいで同じ包装紙になってしまったのだからしょうがないのかも知れないが、初めての本命チョコと他人に開けられたなんて、やはり彼氏としては悔しくて堪らない。

 そして、取り違えられたそれは、彼の恋人――志筑仁美さんの手によって、件のファーストフード店へ届けられたのだ。

 よほど酷い顔をしていたのか、志筑さんには「怒らないであげて下さい」とさやかを庇われてしまい、自分としても薄暗い気持ちを向けたくなんかなくて、彼女との対話に集中する事で、それを誤魔化していた。

 ……だけのつもりが、気付けば、恋人を放ったらかして会話に花を咲かせ――

 

 

「なんで……? なんであたしは、こう、肝心な場面でばっかり失敗しちゃうのよぅ……」

 

 

 うーん、そういう星の下に生まれちゃったとか?

 

 

「ちったぁ慰めなさいよっ! あんたそれでも彼氏ぃ!?」

 

 

 あ~ごめんつい……。

 

 ――結果として生まれたのが、このイジケさやかという訳だ。

 その原因は、志筑さんが思っていた以上の美少女であり、良い所のお嬢様という割りに、気さくで話しやすかったというのもある。

 なんかこう、同じ匂いがするというか、ピンと来るというか。妙に豆“腐”と“麩”の味噌汁が飲みたくて仕方が無くなったんだよなぁ……。

 しかし、恋人の目の前で他の女の子と仲良くしたりすれば、どんな思いをさせてしまうかは言わずもがな。ぶすー、とした顔のさやかに気付いた自分と志筑さんは、早々に店を出て別れたのだが、そうしたら今度は「あたしなんて……」と落ち込んでしまったのである。

 全く、女心って難しい……。

 

 

「あたしだって……。あたしだって、あんたに開けて欲しかったわよ……。ちゃんと目印のカードだって付けといたんだよ?

 けど、いつの間にか鞄の中で取れちゃったみたいで、分かんなくなっちゃったんだもん……二分の一なら当たると思ったんだもん……あたしの所為じゃないもぉん……」

 

 

 ぐすぐすイジけながら、抱えた膝の間に顔を隠すさやか。おかげでパンツが丸見えです。

 こんな状況でなければ、思う存分それを眺めていたいのだが、このまま放っておいたりしたらソウルジェムがギュインギュイン濁りそうだ。

 ちょっと強引にでも、気分を変えて上げなければ。

 

 

「……ひっく。すんっ」

 

 

 しゃくりあげるさやかを横目に、自分で一度頷き、チョコの箱を手にとって隣に腰掛ける。

 そして、わざと目に付くようにして、端っこをパクリ。

 

 

「あ……」

 

 

 やはり気になるのか、無言で咀嚼するのをチラチラ伺ってくる。

 その間にも、口溶けの良いチョコは舌の上で瞬く間に消えてしまった。

 ……っていうか。

 

 やばい、どうしよう。美味すぎて涙出てきた。超美味しい。これが恋人からのチョコか……。

 世のカップル共は毎年こんなもん食ってたのかよ……不公平だっ!

 

 

「え……お、大げさ、だよ……そんなに美味しい訳ない……」

 

 

 いいや、嘘なもんかっ。

 少なくとも自分にとっては、今までの人生で最っ高に美味いし、後にも先にも、これ以上のチョコなんてこの世に無いっ!

 ほら、さやかも。

 

 

「んぇ? ……あ、あ~」

 

 

 不貞腐れるさやかに向かい、歯形が付いたのとは反対側をパキリ。口元に寄せると、おずおず口を開く

 放り込んであげれば、もにゅもにゅそれを噛み締めて――

 

 

「……ん、甘い」

 

 

 ――と、小さな笑顔。

 釣られて自分も笑い、な? 言った通りだろ? とドヤ顔をして見せる。

 

 

「えへへ、そうかも。あ、だけど、一個だけ間違ってる」

 

 

 しかし、笑みを浮かべたまま、さやかは言う。

 どこが? と尋ね返せば、制服の袖で顔を拭い、今度は満面の笑み。

 

 

 

 

 

「これから毎年食べられるんだから、後にも先にもって言うのは変でしょ? 来年も、再来年も、その先もずぅっと。あたしの本命チョコ、嫌でも食べさせてやるんだから!」

 

 

 

 

 

 高らかな宣言に込められているのは、こちらとしても望む所な、楽しい未来。

 でも、嬉しくて緩んだ顔を見せるのが照れ臭くて、自分は少し茶化してみせる。

 

 ……なら、来年からは朝一でプレゼントして貰おうかなー? あ、前の晩から一緒に居れば確実か?

 

 

「へ? ……も、もう、このすけべっ! すぐそういう事言うんだからぁ……。ほらっ、今度はあたしの番っ。あーんして、あーん!」

 

 

 ふくれたかと思えば、それも一瞬。

 彼女はこちらの手からチョコを取り上げ、端を折って口に運んでくれる。

 餌を待つひな鳥の様にそれを待ちうけ、悪戯のつもりで、あむっ、とさやかの指ごと頂く。

 

 

「ひゃ! こぉらっ、くすぐったいってばぁ! あははっ」

 

 

 さやかの顔にはもう、暗い影なんて見えない。

 結構な回り道をしてしまったが、これぞ長年追い求めてきた、恋人と過ごすバレンタイン。

 自分は、どうしようもなく胸が高鳴るこの時間を、彼女と共に、心行くまで堪能するのだった。

 

 ついでに、イチャつく間にガマン出来なくなって、チョコの上に描かれた言葉に従い、今まで使った事のない部分まで愛したりも、するのだが。

 

 

「え、ちょっ、やだ、そっちはお尻――あひんっ!?」

 

 

 ……ちゃんと、ローション&ゴム着きで。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 バレンタイン・デー。

 それは、男達の喜びと悲しみ、その両方を一日に内包する、罪深い――あるいは祝福された日。

 

 恋人が居る自分なら、祝福された日となるはずの今日。しかし、自分はあまりそれに期待していなかった。

 その理由は、恋人である佐倉杏子が食欲魔人だからである。

 というか、去年までまともに学校へすら行けず、荒んだ生活をしていた彼女が、こういったイベント事に興味を持つとは思えないのだ。

 

 まぁ、友達も多いみたいだし、話題には上るだろうけど、同じ家に住んでいる為、チョコを作ろうとしていれば直ぐに分かる。

 が、結局それらしい気配は見えず、この日を迎えてしまった。

 ちょっと寂しい気もするのだが、チョコをねだるだなんて見っとも無い真似ができる筈もない。

 なので、学校から帰ってきた杏子にメロゥの散歩を任せ、それで空いた時間を使い、チョコフォンデュを作っていた。

 作り方を調べた時に自分でも意外に思ったのだが、前もって準備しておけば手早く作れるのである。

 最近は男からもチョコを渡すらしいし、甘い物も大好きな杏子であれば、きっと喜んでくれると思う。

 

 もうすぐ、彼女が帰ってくる時間。

 既にフルーツは切り終えて、串に刺して皿に並べてあるし、後はチョコへ香り付けにリキュールを垂らして――完成だ。

 ちょっくら味見を……うん、初めてにしては中々の出来だ。

 

 

「ただ~いま~」

 

「ワンッ」

 

 

 ――と、タイミング良く杏子の帰宅の声が聞こえる。

 クッキングヒーターを最弱にし、庭に面する窓に近づけば、丁度、メロゥを繋いでいる彼女の姿。

 その手馴れた背中に、自分は声を掛ける。

 

 お帰り、杏子。

 

 

「おう、ただいまっ……って、あれ? この匂い……?」

 

 

 お、気付いた? 早く手を洗って、居間に来て。

 いいもの用意してあるから。

 

 

「……? うん、分かった」

 

 

 漂う甘い匂いに気づいたのか、杏子はくんくん鼻を動かす。

 そんな彼女へ笑いかけながら、一足先に準備に戻る。

 程なく居間の扉が開かれ、食卓に乗った小鍋と切り揃えられたフルーツを見た杏子は目を丸くした。

 

 

「え? これ……チョコフォンデュ、ってやつか?」

 

 

 彼女の驚いた顔に嬉しくなり、今日はバレンタインだからな、と胸を張って説明する。

 

 

「いや、それは知ってるけど。でも、女の方から渡すはずじゃ……?」

 

 

 最近では、男からも渡すんだってさ。

 せっかくだからやってみようかと思って。

 それに、杏子って食べる方にしか興味なさそうだし……。

 

 

「なっ!? ば、馬鹿にすんなっ! アタシだって、チョコの一つや二つ作れるってのっ!!」

 

 

 ……え? も、もしかして、用意してくれてた?

 

 

「あ、当たり前だろ。アタシはアンタの……か、彼女なんだし」

 

 

 照れ臭そうに、頬を指で掻く杏子。

 服のポケットからは綺麗に包装されたチョコレートが現れ、おずおずと差し出される。

 

 

「……ほら。マミと一緒に作った奴だから、味は、確かだと思うけど……」

 

 

 巴さんと? そうだったんだ……。

 

 杏子の言うマミ――巴マミさんとは、自分にとって同じ高校の後輩であり、杏子にとっては、昔馴染みのお姉さん代わりとなる。

 この家に住人が増えてからというもの、何度も遊びに来てくれた彼女は、見事なプロポーションと美貌に加え、お菓子を始めとした料理の腕前まで持ち合わせていた(ついでに彼氏くんも。今では友達だ)。

 彼女に習ったのなら、味は保証付きだろう。また、知らぬ間にお世話になっていたようだ。今度は何でお返ししようか……。

 

 

「は、早く受け取れってばっ!!」

 

 

 あ、う、うん、ありがとう。

 

 そっぽを向きながらの焦れた声に、慌ててそれを受け取る。

 開けてもいい? と尋ね、杏子が頷いたのを確かめてから包みを開ければ、様々な形の一口サイズチョコが。

 

 おお……。これを、杏子が?

 

 

「う、ん……。は、初めてにしては、上手に出来たと、思う……。アンタの作ってくれたのに比べたら、その……手抜きみたいなもん、かもしんないけど」

 

 

 そんな事。嬉しいよ、本当に。

 好きな女の子からチョコを貰うのなんて、初めてだし。

 

 

「そ、そうか? なら、こっちも嬉しいんだけど、さ……。とりあえず座ろーぜ? アタシも、アンタが作ってくれたの早く食べたいしっ」

 

 

 杏子の言に、そうだな、と頷き返し、食卓に向かい合って座る。

 そして、揃って「頂きます」をした後、さっそく星型のチョコを一つ。

 

 ……ん、美味しいっ!

 

 

「ん~! 甘い~! ウマい~!」

 

 

 意図せず、声が重なる。見れば、杏子も苺にチョコを纏わせ、口に運んでいた。

 自分の口の中にも、芳醇な香り(これは、紅茶だろうか?)が広がっている。

 とても初めて作ったとは思えない味だ。

 

 スゴイな、これ。本当に初めて作ったのか? 練習とか無しで?

 

 

「ま、まーな。つっても、マミが付きっ切りで教えてくれたから、ほとんどそのおかげだけど……」

 

 

 それでも、この味を出せたなら立派だよ。

 これは負けかな、チョコの味では。

 

 

「なに言ってんのさ。このチョコフォンデュだって、鼻に抜ける匂いがすんごく良いし、メチャクチャ美味しいって。アタシの方が負けてるよ、これじゃ」

 

 

 そんな、杏子の作ってくれたチョコの方がダンゼン美味しいよ。

 

 

「え? んな事ないって。アンタの作ってくれたチョコのが美味しいぞ?」

 

 

 そんな事無い、こっちの方が美味しいっ。

 

 

「違うって、こっちの方が美味しいっ」

 

 

 ………………。

 

 

「………………」

 

 

 

 

 

 テーブルを挟んで向かい合いながら、無言で見つめ合う。

 その間には、目には見えない火花が散っているように思えた。

 

 

 

 

 

 ……杏子の作ってくれたのが美味しいに決まってるだろ!

 

 

「決まってるってなんだよっ、アンタの作ってくれた方のが美味しいって!」

 

 

 杏子がわざわざ手作りしてくれたんだから、こっちの方が美味しいんだってば!?

 

 

「それならアンタのだって手作りじゃん! こっちのがゼッタイに美味しいんだよ!!」

 

 

 何だよ!?

 

 

「何さ!?」

 

 

 わーわー、ぎゃーぎゃー。

 

 それからしばらく、喧々諤々と不毛な喧嘩は続く事になる。

 結局勝負がつかず、『両方とも美味しい』という当たり前の結果を導き出すのに、自分達は一時間を要するのだった。

 

 後で気付いた事だが、ほったらかしになっていたメロゥは、窓からこちらを覗きこみ、退屈そうに大きな欠伸をしていた様で。

 夫婦喧嘩は犬も食わないと言うのは、本当らしい。

 ……自分で言うのも、ちょっと恥ずかしいけど。

 

 

「ワフン……」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 バレンタイン・デー。

 それは、男達の喜びと悲しみ、その両方を一日に内包する、罪深い――あるいは祝福された日。

 

 当然の如く、自分はマミからチョコを貰える事を期待していた。

 勿論それは叶い、学校から帰って来て、彼女の家で手渡されることになっている。

 少し手間だが、学校で受け渡しとかできる筈がない。そんな事したら、悪友達に冷やかされ、マミのファンに追い掛け回され、その日一日を逃避行に費やす事になるだろう。

 ……実際、そうなった。

 

 はぁ、はぁ、はぁ……つ、疲れた……。

 

 

「大丈夫? 今お水用意するから。座って待っていて?」

 

 

 う、ん……あり、がとう……。

 

 

 ソファに倒れこみながら、自分はマミにお礼を飛ばす。

 中学を卒業して、同じ高校に入学したはいいものの、真新しい制服に身を包む彼女は、瞬く間に一年の――いや、学校のアイドルとなり、ファンクラブは即日発足。二日目でマミとの関係を把握され、三日目には全校男子から四面楚歌である。

 栄田達が居てくれなかったら、新しく友達を作る事も儘ならなかったかも……。

 恋人が美人なのは嬉しい事だけれど、ちょっと勘弁して欲しい。割と本気で。

 

 そして、そんな彼等が今日という日に企む事と言えば勿論、バレンタイン・チョコレートの一時的強奪だ。

 一時的、という辺りに人の良さが伺えるし、日付が変わる頃には返してくれるらしかったのだが、受け渡しがマミの家で行われると知った彼等は、「だったらお前を拉致って今日中に受け取れるか受け取れないか冷や冷やさせたるわぁ!」と、襲い掛かってきたのだ。

 当然、逃げた。せっかく恋人と二人っきりで過ごそうとしていたのに、男に囲まれてむさ苦しく過ごすのなんてごめんだ。

 ちなみに、いかにも栄田が口走りそうな台詞だが、これを行ったのは現ファンクラブの会長であり、むしろ栄田は逃走を手助けしてくれた。

 なんでも――

 

 

『ここは俺に任せて先に行けぇ! ……って人生で一度は言ってみたかったんだぜぃ!』

 

『右に同じく! ここを通りたければ、俺達を倒してからにするんだなぁ!』

 

『左に同じく! 俺、無事に帰ったら堂もっちゃんに告白するんだ……。冗談だけど』

 

 

 ――らしい。

 椎名君だけ別の物をおっ立てている気がする。が、それで助かったのだからとやかくは言わないでおこう。

 栄田、備前君、椎名君。君達の犠牲は三日ぐらい忘れないよ。多分。

 

 

「おまたせ。はい、ゆっくり飲んで」

 

 

 空に浮かぶ栄田達のうざイケメンスマイルを脳裏に思い描いていたら、マミがコップを手に戻っていた。

 ありがとう、と返しながらそれを受け取り、言われた通りにゆっくり流し込む。

 冷えた水が心地良く喉を潤してくれ、走ったせいで火照った体もクールダウンしていく。

 

 はぁ~、ようやく落ち着ける……。ありがとう、マミ。

 

 

「どういたしまして。でも、栄田くん達、大丈夫かしら? 無理してないといいんだけど……」

 

 

 頬に手を当て、マミは心配そうな顔。

 そんな彼女を安心させようと、自分は笑ってみせる。

 

 大丈夫だよ、栄田達なら。

 引き際は心得てるだろうし、童貞を捨てるまでは死んでも死に切れない、っていつも言ってるじゃないか。おかげでドン引きされてるけど。

 例え死んでも、地獄から這って来ると思うよ。女の子を求めて。

 

 

「そ、そうだったわねぇ……。もうちょっと落ち着きがあれば、直ぐにでも恋人が出来ると思うんだけど……」

 

 

 うーん。でも、落ち着き払った栄田なんて、栄田らしくないよ。

 あのまんまを好きになってくれる人の方が、自分は応援できるかなぁ。

 

 ソファへ寄り掛かり、今度はちゃんとした親友の姿を思い浮かべる。

 いつもとなりで騒がしく、友情に篤い、愛すべき馬鹿。

 彼のおかげで今の自分があり、毎日を楽しく過ごせているのだから、そんな彼を幸せにしてくれる存在は、ありのままを受け入れてくれる大らかな人であって欲しいと、勝手ながら思っていたりするのだ。

 

 

「……そうね。きっと、その方が幸せよね。頑張って応援してあげなくちゃ」

 

 

 同意見だったのか、マミもしきりに頷くのだが、最後に一言、呟く様に付け加える。

 応援……どういう事だろう? もしかして、栄田に想いを寄せる子でも知っているのだろうか。

 それはやっぱり、昔から彼の隣に居続けて、優しく見守り続けている、あの子だったり……?

 

 

「さぁ、せっかく皆が助けてくれたんですもの。私達も、今日という日を楽しみましょう!」

 

 

 ……そうだね。せっかくのバレンタインだしねっ。

 

 予想はしてみたものの、それを聞く前に、マミは胸の前で両手をポンと合わせ、二月十四日の本来の目的を思い出させてくれる。

 彼女の言う通り、今はここまでにしておこう。他人の恋路に首を突っ込んで、馬に蹴られたくはないし。

 もちろん、助けになれるなら何でもするつもりだけど、今日くらいは、マミの事を優先させて貰おう。

 

 

「……それで、普通に渡してもいいんだけど……。少し準備をしたいから、このまま、ここで待っていてくれる?」

 

 

 準備……って、何の?

 

 

「それは……まだ秘密。……恥ずかしいけど、私、頑張るから。ちょっとだけ待っていて?」

 

 

 そう言うと、マミはこちらにウィンクを投げ、そのままベッドルームベッドルームに篭もり、なにやら準備を始めた。

 恥ずかしい、頑張る、と言った部分が気になるけど、正直、足の疲れもまだ抜けきっていなかったのでありがたい。

 疲労回復には甘いものが良いって言うし、マミのチョコなら美味しいのは確実。早く食べたいなぁ……。

 

 

《十分後》

 

 

 まだかな~。

 

 

《更に十分後》

 

 

 ……あれ。

 

 

《更に更に十分後》

 

 

 ………………あの、まだ?

 

 

「ご、ごめんね? もうちょっとだけ待って……? 今、覚悟を決めるから……」

 

 

 チョコを渡すのに覚悟が要るってどういう事だ。

 何かと恋人達のイベントには力を入れる彼女。おめかしでもしてくれているのだと思っていたが、そんなに際どい格好なのだろうか。

 ちなみに、去年のクリスマスはミニスカサンタさん。プレゼントが何だったかは言うまでもない。赤玉出るかと思ったけど。

 それは置いておくとして、こうも待たされたら焦れると言うか、どんな事をしてくれるのかと期待が膨らみ過ぎて、緊張してしまう。

 

 

「……もう、いいわよ。入って来てくれる?」

 

 

 ――と、扉の向こうから呼び声が聞こえた。

 その声に導かれる様にして、内心の緊張を隠し、ベッドルームへの扉を開く。

 

 入るよ。随分と遅かったけど、一体なに――。

 

 

「……ハ、ハッピーバレンタインっ! これ、チョコレートよ」

 

 

 ――あ、どうも。

 

 差し出されたのは、見慣れた黄色いリボンの飾られる、ハート型の包み。予想を超えた光景に思わず唖然としながらも、両手で受け取る。

 それを確認した彼女は、胸元を強調するように前屈みになって――

 

 

 

 

 

「……そ、それから……チ、チョコと一緒に、私も、食・べ・て♪」

 

 

 

 

 

 ――と、のたもうた。

 あまりに急な展開で反応に困ってしまった自分は、とりあえずチョコの包みを開ける。

 その間も、視線は胸の谷間に釘付けだ。

 

 

「……っ」

 

 

 恥ずかしいのか、視線を泳がせ、頬を紅潮させるマミ。

 一言で言えば、可愛い。もうそれに尽きる。こんな女の子が恋人だなんて、紛れも無く、人生において最大の幸運だろう。

 が、そんな感慨も吹っ飛ばす彼女の格好にどうしても物申したくなり、自分は一口サイズなハートを口に運びながら、キッパリと告げる。

 

 ……無いわー。あ、チョコは美味しいけど。

 

 

「えぇっ!?」

 

 

 ショックを受けたのか、マミは酷く動揺し、ほぼ全裸に近い体を縮こませた。

 そう、何でか知らないが、彼女は素肌にリボンを巻きつけ重要な部分だけを隠すという、男の妄想を具現化した様な格好をしているのだ。

 ホントになんで? どうしてこうなったの? どういう判断?

 

 

「うぅ……。こ、こういうの、嫌い……?」

 

 

 マミはモジモジと体を揺らす。そのせいで、たわわに実った極上の果実がより強調されてしまい、視界が極楽浄土。

 しかし、そんな事はおくびにも出さず、チョコを頬張りながら問い掛ける。

 

 嫌いではない……というか、むしろ個人的には好きなんだけど。

 ちょっといきなり過ぎる気がする、かなぁ……? 一体なにが切っ掛け……?

 

 

「だって……小母様が、アナタはこういうのが描かれたエッチな本を、持ってるって……」

 

 

 息子の持ってるエロ本の情報を流すとか何考えてんだ母さぁぁぁあああああんっ!! ていうかバレてたのぉぉおおおっ!?

 

 二重の意味で吃驚し、思わず叫ぶ。

 確かに、確かにそういう本を持ってるけどっ! それ一週間前に買ったばっかなんですけどぉ!?

 いつからバレて……っ、も、もしかして、今までのエロ本履歴も把握されてる……? ぅおぁあぁぁあああぁ……。

 

 

「あ、あの、私は気にしないか――はっくちっ!!」

 

 

 全身を駆け巡る悪寒に、思わず頭を抱えてしまう。

 そんな自分にマミは、気にしないから、なんて言い掛けるのだが、途中で口元を手で覆い隠し、ぷるんっ、と胸を揺らしながら可愛いくしゃみ。

 まだ二月だし、そんな格好をしていれば寒いに決まっている。ここは紳士として、早急に彼女を暖める必要があるだろう。うん、そうだ。そうしよう。そうすべきだ。そうする以外に道は無い。

 

 ……ごほん、ご馳走様。美味しかったよ、マミ。

 

 

「スンッ、あ、うん。よかっ……た?」

 

 

 手近な棚に包みを置いて、鼻をすする彼女に歩み寄り、そのまま肩を後ろへ。

 

 

「あ、あの、どうしたの……?」

 

 

 困惑するマミに微笑みながら、だって食べて欲しいんでしょ? と囁く。

 

 

「それ、は……あっ」

 

 

 恥ずかしさからか、返事に窮する彼女を、やや強引にベッドへ押し倒す。

 考えてもみて欲しい。

 男なら誰もが崇め奉りたくなる素晴らしい体付きをしているマミが、エロ漫画でしか見たことの無いエロい格好をしているのである。こんなご馳走を目の前にぶら下げられて我慢できる男がいるだろうか? いや居ない!! (反語)

 さぁ、メインディッシュの時間だ。

 

 

「あ、あのっ、やっぱり、恥ずかしいからやめ――」

 

 

 いただきます。

 

 

「――あんっ♪」

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 バレンタイン・デー。

 それは、男達の喜びと悲しみ、その両方を一日に内包する、罪深い――あるいは祝福された日。

 

 自分にとって、今年のバレンタインは特別な日になる筈だった。

 貰った事が無い訳ではないが、恋人からというのはまだ経験した事は無く、几帳面な彼女であれば、間違いなく手作りチョコレートを用意してくれる筈。

 そう思い、自分は今日という日が訪れるのを、とても心待ちにしていた。そして、早めに店も上がらせてもらい、出迎えの準備を整え、何度も時計を確認しながら、今か今かと待ち人に期待している。

 

 ……そろそろ、か?

 

 

《ポーン》

 

 

 ――と、試しに呟いてみたその時、聞きなれたドアホンの音が聞こえた。相変わらず、時間に正確だ。

 待ってましたっ、と言わんばかりの勢いで立ち上がり、玄関のドアを開くと、その向こうには期待していたその人――

 

 

「こ、こんばんは……」

 

 

 こんばんは。いらっしゃい、ほむら。

 

 ――白い縦編みセーターに黒髪が映えさせる恋人が、少しおどおどした様子で立っていた。

 手荷物は持っていないようだが、それでも問題が無いのが彼女の特徴でもある。気にしなくても大丈夫だろう。

 

 寒かったろう? さ、上がって。

 

 

「……ええ。お邪魔します」

 

 

 何度も来ているというのに折り目正しく一礼し、静かに靴を脱ぐほむら。

 それを待って一緒にリビングへ向かった後は、彼女を先に座らせてお茶の用意だ。

 紅茶好きな共通の友人にお裾分けして貰った物で、淹れ方も一通り教わっている。と言っても、その子の腕前には中々近づけないのだが。

 

 ……はい、巴さんのブレンドティー。今日の点数は?

 

 

「ん……そうね。七十五点、という所ね」

 

 

 まだ七十点台か……。難しいな、やっぱり。こっちは向いてなさそう……。

 

 

「そんな事ないわ。私の舌が肥えてるだけで、とっても美味しい。巴さんは、本当に凝っているから」

 

 

 そうだね、まだあの子には敵いそうもないよ。

 

 巴――巴マミさんというのが、先ほど言った友人の名前だ。

 知り合ったのは去年の冬で、今では大切な友人達である《彼氏連合》の最初の集まりの後。

 その別れ際に、いつか彼氏彼女全員で集まってみよう、と企画され、年末で仕事が忙しくなる前に、パーティーが開かれたのだ。かなりの大騒ぎになったが、とても楽しい一日だった。

 また機会があったら、皆で集まってみるのもいいかも知れない。その時には、自分で作ったパンとかを振舞えるといいんだけど……。

 

 と、そんな事を思いながら、自分もほむらの隣に座り、ストレートティーを一口。

 真新しい茶葉の香りと、爽やかな苦味が口に広がる。手前味噌だが、まぁまぁ美味しい。

 けれど、砂糖も入れない紅茶を飲んでいれば、お茶請けに甘いものが欲しくなるのも当然で。

 

 ……ところでさ、ほむら。チョコ――。

 

 

「……っ」

 

 

 ――お?

 

 

 言いかけた瞬間、ぺた、と引っ付く体温。ほむらがその身を寄せ、ソーサーを持つ腕に手を乗せていた。

 どうかした? と聞いてみても、彼女は「……なんでもない」と一言だけ。なのに、カップをテーブルに戻せば、空いた手に指が絡まる。

 ……今日はやけに積極的だなぁ。これがバレンタイン効果だろうか? 嬉しいんだけど、少し照れるかも……。

 まぁそれもいいとして。

 

 それで、チョ――。

 

 

「……ぁ、あのっ」

 

 

 ――コ?

 

 また、言葉を遮られた。

 バッとこちらを見上げる顔には、危うく見落としてしまいそうなくらいの、僅かな焦りが見える。

 

 

「……き、今日も、両親が帰って来ない、の。だから……え、と……っ、さ、寂しく、て……。また、ここに居させて貰っても……いいかしら……?」

 

 

 それは……勿論。

 構わないけど……。

 

 

「……良かった……」

 

 

 ほっ、と安堵のため息を漏らすほむら。

 ……が、妙だ。今まで、彼女の方からお泊りをねだってきた事なんて無い。

 いつもなら、何も言わずに遅くまでこの部屋に居て、泊まって行く? と誘われるのを待っているだけなのに。

 バレンタイン効果だとしても、なーんか引っかかる。

 

 なぁ、ほむら。何か隠して――。

 

 

「そんな事ないわ。それより、夕飯はもう済ませたの? もしまだなら、私が作りたいのだけど」

 

 

 ――あ、うん。頼むよ……。

 

 言い終える前にまたも言葉が被さり、繋いだ手を解いてキッチンへ向かう彼女。

 やっぱり変だ。

 間違いなく、ほむらは何かを誤魔化そうとしている。他の誰が見逃したとしても、自分だけはそうは行かない。

 

 ……ちょっと待って。

 

 

「っ! ……何?」

 

 

 立ち止まり、ほむらは上半身だけを振り向かせる。

 自分も立ち上がり、そんな彼女の前に回りこんで視線の高さを調節、じー、と見つめてみる。

 

 

「な、何かしら」

 

 

《じー》

 

 

「………………」

 

 

《じー》

 

 

「……ぅ」

 

 

 唇が小さく歪む。

 黒く大きな瞳も、徐々に揺れが大きく。

 それでも自分は彼女との睨めっこを継続。ここまで来たら、根競べだ。

 

 

「……ご、ごめんなさい……」

 

 

 しばらくすると、熱視線にとうとう屈したのか、俯くように顔を背け、がっくり肩も落としてしまう。

 やっぱりか。ほむらがこんな風に隠し事するなんて、珍しいな。

 もしかして、ご両親と喧嘩して家を飛び出してきたとか? そんな可能性も無くは無いと思うけど……。

 とにかく、理由を聞いてみよう。

 

 それで、何があったの? 良ければ話してみて。

 

 

「うぅ……お、怒らないで、聞いて、くれる?」

 

 

 何で怒るのさ。

 バレンタインに肝心のチョコを忘れた訳じゃあるまいし。

 ちゃんと最後まで聞くよ。

 

 

「……ごめんなさいぃ……」

 

 

 ずぅーん、と効果音を付けたくなる落差で更に肩を落とし、ぷるぷる震え始めるほむら。

 あれ、何で今まで以上に落ち込むんだ?

 ……い、いやまさかそんなはず……。

 

 

「チョコ、無いの……」

 

 

 ………………へ。

 

 何故だろう。今、脳が理解を拒否したぞ。

 いやいやいやそんな筈は無い。

 自分の聞き違いだ。絶対そうだ。そうであってくれ……!

 

 も、もう一度、言ってくれる?

 

 

「だ、だから、その。まどかへの友チョコに、材料を使い果たしちゃって。買おうにも、どこも売り切れで……用意、出来なかった、の……」

 

 

 申し訳なさそうに、ほむらが頭を下げる。

 無い。

 バレンタインデーに恋人から貰うチョコが、無い。

 

 ………………ばんなそかな。

 

 

「ほ、本当に御免なさい……」

 

 

 うな垂れ、床に両手と膝を突く。それを見てか、ほむらは何度目か分からない謝罪の言葉を呟いた。

 そ、そんな……恋人達の最重要イベントとも言えるバレンタインに、チョコが無い? うそだろう?

 まさか、妙に積極的たっだのはこれを誤魔化すため?

 純粋に喜んでたのに、罪悪感から来た行動だったなんて……。あんまりだ……。

 

 

「ちゃんと二人分買ってきたのだけど、その……チョコを作るなんて初めてで、結構、失敗してしまって……」

 

 

 ……良いんだ、どうせ自分は二号なんだ……結局、鹿目さんには勝てないんだぁ……。

 

 

「そ、そんな事無いわっ、大好きよ?」

 

 

 ほむらは、慰めるようにそう言ってくれる。確かに、男の中では一番に好かれている自信がある。

 しかし男女の区別を無くすと、自分の上に鹿目さんがランク付けされているような気がしてならない……。というか、この結果から見ればそれは明らかだ。

 いい子だよ? 物腰は柔らかいし、ほんわかとした笑顔を見せてくれる、こんな子が妹だったらと思わせてくれる可愛らしい子だよ? 家の妹と取っ替えたい位だよ? でもそれとこれとは別だよ!?

 切な過ぎて魔女の口付けが復活しそうだ……。

 だけど、ほむらの性格からしてわざとじゃないし責められない……あぁぁああぁ、辛いぃぃ……。

 

 

「……ふぅ。仕方ない、わよね。私のせいなんだし……恋人、なんだから……これくらい、普通……毒されてなんかない……はず……」

 

 

 どこか、自分自身に言い聞かせるような言葉と共に、何かの光がパッと弾ける。ついでに、カサカサとビニールか何かの音も。

 しかし、滂沱と流れ出そうになる涙を堪えていた自分は、それに反応できない。

 

 

「ぁむ………………顔を上げて?」

 

 

 頭上から降ってくる声に、ぇえ? なんて情けない声を出しながら、半泣きの顔を上げると――

 

 

「……んっ」

 

 

 ――突然、唇が重なる。

 半開きになっていた唇の隙間に、ほむらの小さな舌と、小さな甘さが入り込む。同時に、カカオの香りを感じた。

 これは、チョコ……?

 

 

「……ちゅ……ん、ぷ……は、む」

 

 

 彼女は悩ましげに眉を寄せ、たどたどしく舌を動かす。

 反射的に自分も舌を絡ませ、二人分の舌が、チョコレートを瞬く間に溶かしていく。

 

 

「……ん、ん……はぁ……ど、う……? これで、許してくれる……?」

 

 

 荒くなり始めた息を整え、頬を染めながら、ほむらが尋ねる。

 それに対し、チョコは無かったんじゃ……? と、逆に尋ね返す。

 

 

「これは、失敗作、で……。凄く硬いから、無理やり舐め溶かすぐらいしか、出来なくて……」

 

 

 だから、これ……?

 

 

「……いや、だった?」

 

 

 触れ合うほどの距離で絡む、不安そうな視線。

 その手元を見れば、ラップの上にあるチョコの破片達。

 彼女へ答える代わりに、自分はそれをつまみ上げ――

 

 

「ん、む、ぅ」

 

 

 ――同じ様に、唇を重ねる。

 熱い吐息。甘い唾液。

 知らず、ほむらの頭を抱え、床に押し倒していた。

 唇を離さずに盗み見れば、とろん、と目を半分閉じ、紅くなった少女の乱れ顔。

 

 口元から零れる、チョコと混じり合った唾液を舐め上げ、ほむら、と名を呼ぶ。

 ただそれだけで、望みを察してくれたのか。

 彼女は更に目を細めて、こちらの首に腕を回し、掠れる声で囁くのだった。

 

 

 

 

 

「貴方が、満足するまで……好きに、して……あ、んっ……」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 バレンタイン・デー。

 それは、男達の喜びと悲しみ、その両方を一日に内包する、罪深い――あるいは祝福された日。

 

 そして、社会人の男にとって、これ程に面倒なイベントは他に無い。

 なにせ、普段は滅多に話さない女子社員からも、義理チョコという名の商品引換券を渡され、その金額に見合わないお返しを通例として強いられるからである。

 剛毅な部長の居るおかげか、うちの会社には少ない部類だろうが、それでも、去年は両手で数えられるくらいしか無かった義理チョコが、小さめの紙袋とはいえ二つ分。

 

 一体、何故だ。

 

 昇格の効果だとしても、そんな理由でチョコを渡してくる女に、馬鹿正直にお返しなんてしたくない。……のだが、そうも行かないから人間関係は難しい。

 更に言うなら、出社した時から気持ち悪いハイテンションを維持し、ニタニタ笑っていた後輩の分も含まれるのだろう。いい迷惑だ。後で覚えてろよ。

 しかし、そんな憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれる嬉しい出来事が、この後直ぐに待っている。

 

 部長が珍しく、定時で上がれと言ってきたのだ。その理由は、「お前ん家でまどかが待ってるから」との事。

 今日という日を考えれば、何で待っているのかはおのずと理解できる。

 貰えるだろうとは思っていたが、正直、受け取れるのは明日以降になる事を覚悟していた自分にとって、その一言は例え様も無く嬉しい一言だった。

 こんな風に気を利かせてくれるのなら、まどかに手を出した事がばれた時に、臓腑を抉られた甲斐があるという物だ。

 

 ……本気で死ぬかと思ったけど。一瞬だけど走馬灯が見えたし。

 その割りに次の日にダメージが残らない辺り、部長は何者なんだろうか。

 

 まぁ、「夕飯までには 絶 対 に 帰せよ?」と釘を刺されたものの、その程度で済むのならむしろ助かる。本当に、通報されなくて良かった……。

 そんな開放感もあって、自分はいい年こいてスキップなんてしながら、アパートの廊下を急いでいる。

 程なく自宅の扉が見え、ただいま~、と、上機嫌のままにその扉を開く。

 予想通り、誰も居ない筈の室内には明かりが灯っており、ドアの開く音に反応したのか、パタパタとスリッパの音が近づいて来て――

 

 

「あ、あのっ……お、お帰りなさい……あなた……」

 

 

 ――制服姿の可愛らしい恋人が、少々照れ臭そうに出迎えてくれた。

 ご両親の公認となった後、来るべき未来のために花嫁修業を開始した彼女は、こうして「あなた」と呼んでくれるようになった。

 前々から、時々そう呼ばれてはいたけれど、込められる感情が変化したためか、こちらを呼ぶ声は、堪らない響きで鼓膜を揺らしてくれた。

 それが嬉しくて、自分はもう一度、笑顔で挨拶を返す。

 

 ただいま、まどか。

 

 

「今日も一日、お疲れ様でした。……えっと、あ、背広と鞄、お預かりしますっ」

 

 

 うん、じゃあ、お願いします。

 

 まだ少し、たどたどしく。でも、その分を補うように元気良く、甲斐甲斐しい彼女。

 笑みを消させてくれない可愛らしさに甘えると、それ等を胸に抱え、まどかは寝室へパタパタ駆けて行く。

 その後姿を見つめながら、内心、安堵の溜息。

 

 義理チョコの入った袋、気付かれないで良かった……。

 

 玄関の扉を開けてからそれに気付き、慌てて靴箱の影に隠したのだが、なんとかバレずに済んだようだ。

 今の内に、どこかへ隠してしまわないと……とりあえず靴箱に突っ込んでおけばいいか。

 後は、まどかが戻って来ない内に手とかを洗っておこう。これからチョコを食べるんだし。

 そう考え、靴箱の扉を閉めて、そそくさ洗面所へ。

 

 

「ねぇ、あなた」

 

 

 ……っ!? ぬ、な、なんだい、まどか?

 

 ――向かおうとしたら、意外と早く帰ってきた声に驚かされてしまった。

 思わず背筋がピンとするが、なんとか取り繕い、そちらへ振り向けば――

 

 

「これ、なぁに?」

 

 

 ひぃい。

 

 ――小さな手に、これまた小さな、綺麗にラッピングされた義理チョコの一つが。

 あぁぁあぁ、しまったぁぁ……。

 そういえば帰り際に、隣のデスクの人からも「ついでだから」って一つ渡されて、紙袋が一杯だったから内ポケットに仕舞ったんだった……。

 なんて、迂闊な……。

 

 

「チョコ、だよね。これ」

 

 

 初めて聞く、落ち着き払ったまどかの、冷たい声。

 瞳からは光が消えているように見え、一切の表情を浮かべない姿が、凄まじい気配を放っている。

 こ、これが俗に言う、内緒で行った危ないお店の名刺を突き付けられる感覚、か……? キッツイなぁこれぇ。行った事も行く予定も無いけど。

 いやっ、今はとにかく言い訳だっ!

 

 う、うん、まぁ、そうなんだけど。

 義理、義理だから、当然、ね? ほら、付き合いもあるし……。

 

 

「何個、貰ったの?」

 

 

 え、あ……ぃ、一個だけ、だよ?

 自分がそんなにモテる訳ないじゃないか……はは、は……。

 

 

「じゃあ、さっき隠してた紙袋は? どこにいったの?」

 

 

 ……な、何の事でしょうか。そんなの持って――。

 

 

 

 

 

「 出 し て 」

 

 

 

 

 

 はい。

 

 威圧感に負け、すごすご靴箱を漁る自分。

 あぁ、やっぱりこの子、部長と知久さんの娘だ……プレッシャーが半端じゃない……。浮気なんてしたら、一日と経たない内に包丁で刺されそうだ……。

 そんな事できるほど器用じゃないから、ある意味、安心だけども。

 

 

「こん、なに……」

 

 

 足元に差し出した紙袋を覗き、彼女は顔を伏せる。

 だらり、垂れ下がった手は硬く握られ、放たれるオーラは最高潮に。

 うっわぁ……も、もしかしなくても、本気で怒ってる……? 下手な嘘なんかつかなきゃよかった……。

 ど、どうしよう、喧嘩した事なんて今まで無いし、まどかの怒った顔なんて想像がつかない。本当に、どうしよう……?

 そんな風に、どう対応すれば良いのかと困っていたのだが――

 

 

「……むうっ」

 

 

 ――予想に反してまどかは、子供の様に頬をぷく~と、ぱんぱんに膨らませているだけだった。

 つり上がった眉も、怒り肩も、睨みつける顔も。

 どうやら不機嫌さの現れらしいけど、正直、可愛いだけなんですが。

 

 

「ん」

 

 

 ……え? まどか?

 

 なんて思っていたら、シャツの袖をガッシと掴まれ、リビングへ導かれる。

 されるがまま、ソファの前に立たされると――

 

 

「んっ」

 

 

 ――今度は、ぴっ、とそれを指差される。

 座れ、という事だろうか……?

 普段の様子からは考え付かない強気な姿勢に困惑しつつも、逆らう気も起きず、大人しく腰を下ろす。

 

 

「ぇいっ」

 

 

 すると、ぽすっ、なんて軽い音と共に、まどかはこちらの膝の間へ横向きに座り込む。

 体重のせいか、全然痛くは無い。

 そのまま彼女は寄りかかり、胸板を額で擦りながら――

 

 

 

 

 

「……私が、一番最初にあげたかったのに」

 

 

 

 

 

 ――と、悔しそうに呟く。

 考える前に、彼女を抱き締めていた。

 もうなんなんだこの可愛い生き物殺す気か。そうか未来の嫁だった。

 羨ましいぞ未来の自分、羨ましいか過去の自分! 女子中学生――だと危ないな、言い換えよう。十歳以上年下の恋人万歳っ!

 

 

「んー」

 

 

 内心で悶えている間にも、餅の様に膨らむほっぺた。

 指で突っついてみれば、正しくそんな感触が返り、どうしてもにやけ顔が浮かんでしまう。

 

 ああ、もう、本当にまどかは可愛いなぁ。

 

 

「むー。私、怒ってるんですけど」

 

 

 そんなに拗ねないで? 一番最初には貰えなかったけど、でも、一番最初には食べてあげられるから、ね。

 

 

「うー、それだけじゃ、やだもん……。だ、だから……」

 

 

 不満そうに唇を尖らせるまどかは、更に何かを要求するつもりなのか、上目遣いにこちらを見つめる。

 

 

「キ、キス、して……下さい……。貰った数、だけ……」

 

 

 ………………。

 三十個以上あるんだけど、それでも?

 

 

「……ん……」

 

 

 自身で要求しておきながら、頬を真っ赤に染めて恥ずかしがる少女。

 次の瞬間には、その唇を啄ばんでいた。

 ただでさえ可愛らしい少女が、最高にいじらしく、キスをねだっているのだ。

 応えないのは、男じゃない。

 

 

「っむ、っ、ん、ふ、あ」

 

 

 胸の上に手が置かれ、シャツがくしゃりと握られる。

 上唇を挟むキス。

 重ねるだけのキス。

 下唇に吸い付くキス。

 何度も、何度もそれを繰り返し、次第に夢中になっていく。

 

 

「んぅ、ん、っあ、は、ぅ」

 

 

 やがて、時間の感覚が曖昧になり、数えていたキスの回数がどうでも良くなってしまった頃。

 何と無く、唇を離してみる。

 視界に入ったまどかの顔は、既に蕩けきっていて――

 

 

「やだぁ、も、っと、深く……あなたぁ……」

 

 

 ――離れてしまった事が寂しいと、より深くを、切願するのだった。

 

 ……すみません、部長。

 今日も、自重は出来なさそうです。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 バレンタイン・デー。

 それは、男達の喜びと悲しみ、その両方を一日に内包する、罪深い――あるいは祝福された日。

 

 幼馴染の少女と、付き合って一年ほどになる恋人。

 二人の少女からチョコを貰い、男として最高の結果を得られた、十四歳の冬(実は、過去最低記録だったりもするんですが)。

 僕、上条恭介は、恋人である志筑仁美の邸宅内にある彼女の部屋にて、にっちもさっちも行かない状況に追い込まれていた。

 

 

「ただいま戻りました」

 

「……お帰り、仁美。どうだった? ちゃんと返せた?」

 

「ご安心下さい。さやかさんの本命チョコはきちんとお返ししましたし、例の殿方ともお話できました。……やはり、最初は不機嫌そうになされていらしたのですけれど、最終的には、納得して頂けましたわ」

 

「そう、良かった……」

 

 

 ほっ、と胸を撫で下ろ――そうとして出来ないのを思い出し、溜息だけを零す。

 恋人からのバレンタイン・チョコを勝手に開封されてしまうなんて、想像しただけで、僕も苛立ってしまう。

 それを実際にやってしまったのだから、本当なら直接頭を下げたかったのだけど、「いきなりお会いすると拗れかねませんわ」という仁美の提案で、僕は謝罪の伝言を頼んだのだ。

 正確に言うと、頼まざるを得なかった、ですが。

 

 

「ですが、話してみると意外に会話が弾んでしまって……。遅くなってしまい、申し訳ありませんでした……」

 

「あ~、気にしないで。メイドさんとかが色々とお世話してくれたし。直前にトイレ行ってなかったら、ちょっと困った事になってたかも知れないけど……。それで、どんな人だったんだい? 例の人って」

 

「ええと、ですね。率直に申しますと……気の置けない方ですわ。少し、さやかさんに似ています」

 

「……さやかに?」

 

 

 しっとりとした仕草で思い返す仁美を見上げながら、僕は首を傾げる。

 さやかに聞いた――というか無理矢理に聞かされた話では、随分と……うん、まぁ、その、なんだろう。

 とにかく、印象が違うのだけど……。

 

 

「なんと言えばいいんでしょうか。あの方と話していると、こう……同好の士と出逢えたような親しみを感じてしまって。

 気を遣って頂いたのか、あちらの方からも色々と話しかけてくださって、中々に楽しい時間でした。でも、ちょっと馴れ馴れしくしてしまったみたいで、さやかさんを怒らせてしまいました。失敗ですわ」

 

 

 きしり、ベッドが沈み込み、仁美との距離が縮まる。

 困ったような笑みを浮かべる彼女は、同時に、楽しそうにも見えて。

 どうやら怒っているとはいっても、深刻なレベルじゃなさそうだ。

 

 

「やっぱり、僕も会ってみたいなぁ、その人に」

 

「んー、今回はこんな形でしたので、残念でしたけれど……。でも、少し間を置いて、きちんとお話しする機会さえあれば、恭介君とも仲良くなれると思いますわ。

 折角こうして知り合えたのですから、すれ違ったままというのは寂しいですもの。御手伝い致します」

 

「うん、ありがとう。そうだよね? 直ぐには無理でも、いつかは……」

 

 

 仁美へ感謝の言葉を返しながら、僕は思う。

 先ほどから名前の出ている、美樹さやか。彼女との関係を、一言で表すことは出来そうもない。

 幼い頃から共に過ごした、幼馴染。

 僕の弾くヴァイオリンの、一番のファン。

 そして、僕なんかの事を好きだと言ってくれた、女の子。

 さやかの気持ちに、僕は応えられなかった。日常となっていた笑顔の裏で苦悩していた事に、気付こうともしなかった。

 きっと、酷く傷付けたと思う。悲しませたとも、思う。……幼馴染、失格だ。

 

 そんな彼女を癒し、励ましたのが、彼。

 僕が知りもしなかった事をいち早くに察して見せ、僕には出来なかっただろう事を、いとも容易くやってのけた男性。

 是非とも会って、その人となりを知っておきたい。

 たった一人の、大切な親友を預けるのだから。

 

 

「……ところで、さ」

 

「なんでしょう?」

 

「そろそろ、このロープ解いてくれない? 逃げたりなんてしないから……」

 

 

 腕を引っ張って見せると、繋がれたベッドの主柱が、ぎし、と鳴いた。

 ……実は僕、恋人がいつも使っているベッドの上へ、仰向けに縛り付けられていたりする。

 この部屋にお邪魔させて貰い、彼女のくれたチョコを食べ終えた後の事。

 さやかから、「二人で分けてもいいよ?」と手渡されたそれを開封し、明らかに本命と分かる《 Love Me Do !! 》というピンクい文字を目にした瞬間、仁美は指をパチンと鳴らし、どこからか沸いた黒服さん達に括り付けられてしまったのだ。

 抵抗する暇? ありませんでしたよそんなの。

 

 

「……私、今日一日を通して、痛感致しましたの」

 

 

 無視ですかそうですか。

 さっきはああ言ったけど、同じ体勢で居続けるのって結構疲れるんだけどなー。

 寝返りも打てないし、いくらフカフカでも体が強張って辛いよー?

 

 

「私との関係を知っているにも関わらず、恭介君に本命チョコを渡そうとする女子を目で射殺す事、二十三回。

 同じく、席を立った隙に机へ入れられていたチョコを排除する事、十四回。

 ちょっと危ない手段で私達を引き離そうと画策していた不逞の輩を物理的にどうこうする事、二回。

 そして、さやかさんからの豪奢なチョコレート――これは勘違いでしたけれど。

 とにかく、早急に二人の関係をランクアップさせる必要がある、と。あ、義理チョコはきちんとお預かりしていますので、後でお渡ししますね」

 

「今年は妙に少ないと思ったら君の仕業だったのか……」

 

 

 恋人も出来たし、もともと義理以外は受け取らないつもりだったけど、できれば一言だけでも断りが欲しかったなぁ……。

 というか危ない手段って? いつの間にそんな事へ巻き込まれてたの僕達? 物理的にって、まさか《ころころ》してたりしないよね?

 

 

「ですので……ち、ちょっと、早過ぎる気は、するのですが……」

 

 

 きし、きし。

 ベッドを軋ませながら、仁美がにじり寄る。

 その表情に妙な色気を感じてしまった僕は、しどろもどろになりつつも、彼女の真意を問い質す。

 

 

「ひ、仁美? い、いい一体、何をするつもり?

 あの、か、勘違いならとっても恥ずかしいんだけど、もし、も、もしも、僕が想像している通りの……。

 やらしい、事だったりしたら……出来れば、その、もっと、べ、別な形で……」

 

「ご安心、下さい。なんでも、この方法で契った男女は、どんな障害をも乗り越え、固く結ばれる事が出来るらしいんです。

 あいにく、何方かは存じあげませんが、実際にこうして絆された方々もいらっしゃると、風の噂に……」

 

 

 何処の誰だそんな迷惑なGETのされ方した人はっ!? おかげで僕はこの状況なんですがっ!? 謝罪と賠償を要求……したら可哀相、か……。

 良く考えたら、こんな噂を流されているなんて赤っ恥ってレベルじゃないよ。僕だったら新天地を求めて泣きながら引越し頼むよ。

 でも、それはそれっ、これはこれっ!

 

 

「僕はちょっと遠慮したいかなこんな結ばれ方! なにも無理矢理じゃなくて、もっと正攻法でも……ううん、そもそも僕達まだ……っ!」

 

「ごめんなさい……お叱りは、後で……いいえ、今から、たっぷりと……。ですから……」

 

「ちょ、ちょっと、仁美ぃ!?」

 

 

 こちらへ覆い被さるように、彼女の手が、膝が、ベッドを這う。

 蜘蛛の巣に囚われたが如く、身動きすら許されない僕には、それを留める事なんて出来ようも無く。

 そして、年頃の男子中学生としては、恋人のあられもない姿を想像してしまうのもまた、当然な訳で。

 抵抗できないのを、自分への言い訳として。

 僕は、これから繰り広げられるだろう情事に、密かに心を躍らせてしまうのだった。

 

 

 

 

 

「私の不安を、消して下さい……。お慕いしております……恭介、君……」

 

 

 

 

 




 美樹さやかは(性的な意味で)レベルが上がった!
 感度が3上がった!
 色気が2上がった!
 羞恥心が5下がった!
 変態度が―― (あと十五項目ほど続く)


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【美国】スピンアウト編・上の1【織莉子】

 

 

 ちょ、ちょ!? と、とにかく落ち着いて織莉子ちゃん、今は気が動転してるだけで、後で絶対に後悔するからっ!?

 

 

「いいえ。今こうしないと、それこそ私は後悔します」

 

 

 突然な行動に慌てふためき、俺はそれを止めようとソファーベッドから腰を上げた。

 しかし、彼女はそれに耳を貸さず、胸元のリボンを解いていく。

 中学受験を間近に控えた少女達が、必ず一度は憧れるという、質素ながらも格調高い、白樺女子学園の制服。

 身に纏うのは、そんな制服を引き立て役に甘んじさせる美少女。

 長い髪を左でサイドポニーにして、決意に満ちたその表情は、凛々しさの中にも可愛らしさが覗き、まだ幼くも見える顔立ちとアンバランスな程、その肢体からは女性特有の柔らかさが見て取れる。

 

 

「先生。私は、本気ですから。……だから」

 

 

 そんな少女が、目の前で一枚一枚、衣服を脱いでいた。

 心臓はさっきから爆発寸前。見てはいけないと分かっているのに、視線も離せない。

 織莉子ちゃんと知り合ってもう一月以上。彼女の事もかなり理解できていると踏んでいたが、流石にこれは予想外に過ぎる。

 元々、俗世間からは少しずれているような印象で、実際そんな子だったが、ここまでエキセントリックな行動を取るとは……。見誤っていた。

 

 というか、本当にどうすれば良いんだよこれ。

 手を出したりすれば、間違いなく俺の人生が終わる。

 けど、出さなかったとしても、絶対に織莉子ちゃんの心を傷付け、二度と手の届かない存在になってしまう。

 行くも――いやこの場合は逝くか? とにかく地獄、戻るも地獄。俺は今正に、人生の岐路に立たされていた。

 ……どうする? ……どうするよ俺ぇ!? いっそのこと助けに降りて来てくれ爺ちゃぁあんっ!!

 

 

「ちゃんと、見て下さい……」

 

 

 心の中の悲鳴には、もちろん気付いて貰えず。

 無情にも最後の一枚が、パサリ、床に落ちていった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 でっけぇ……。

 

 思わず、白亜の豪邸を見つめて呟く。

 逐一地図と見比べながら、初めて赴いたこの場所。延々と同じ石壁を伝って歩かされていたが、一つの家を囲う物だったとは。

 向かう御宅の苗字に、まさか、とも思っていたのだが、その懸念は当たってしまったようだ。

 ろくでもない先輩から押し付けられた、気の乗らないアルバイト。それでも、今度こそ縁を切る口実が出来たのだから頑張ろうと、心に決めていた。しかし、その結果がこれ。

 マジどうしよう……。初仕事で相手がこれとか、間違いなく荷が勝つぞ……。

 

 

『どちら様でしょうか』

 

 

 うゎあっ!?

 

 ――と、立派な門構えの前で悩む俺に、何か、機械越しの様な女性の声が掛けられた。

 周囲をよく見れば、ちょうど胸の高さにインターフォンが据えられている。先ほどの声はここから聞こえたのだろう。

 

 

『御用が御有りなのでしたら、どうぞお申し付け下さい。そうでないのでしたら、即刻、御引取りを願います』

 

 

 あ、ああ、すみません、違うんです――いや違わないのか? ちょっと待って下さい……。

 

 今にも通報されそうな険のある声に、俺は慌てて鞄を探る。

 ええと、確かここに入れて………………あった!

 

 俺――じゃなくて、僕は、組合から派遣された家庭教師の者です。本日、受け持たせて頂く美国織莉子さんに、面会の約束が……。

 

 

『ああ。話は伺っております。ただいま門を御開け致しますので、そのままお進み下さい』

 

 

 新品の登録証を示すと、得心の行った声が返り、滑らかに鉄門が開く。

 ほっと一安心するも、突っ立っている訳にも行かないので、とにかく言われた通りに脚を進める。

 門と玄関を繋ぐ石畳に、手入れの行き届いた青い芝生。遠目に見えるのは庭園だろうか。

 俺みたいな一般人が思い描く、リッチな豪邸の具現。そうとしか言い様が無い。

 ぼけーっとそれ等を眺めているうちに、重厚な、木製らしい玄関の扉が近づいていた。

 その前にはスカートを穿いた人影があり――

 

 

「先程は失礼を致しました。わたくし、当家に仕える使用人の――」

 

 

 ……メ、メイドさん?

 

 

「――は?」

 

 

 ――全身像を認識した瞬間、目を疑ってしまった。

 胡乱に眉を歪める、少しばかり年上かと思える女性は、その身をメイド服に包んでいるのである。

 先に言った先輩に無理やり行かされた、「お帰りなさいませ♪」的な喫茶店の安っぽい偽物ではない。実用性重視な、クラシックメイド。

 声や言っている事を考えるに、さっき対応してくれたのはこの人なのだろう。

 

 す、すげぇ、本物だ……。

 

 

「……使用人の、奈々瀬と申します。お見知り置きを」

 

 

 少々ジト目になりながらも、静々、彼女は腰を折り曲げてくれる。

 それに習い、僕は、と自己紹介を――

 

 

「中でお嬢様がお待ちです。こちらへ」

 

 

 ――しようとしたのだが、扉を開かれる事で遮られた。

 なんだか、微妙に慇懃無礼な対応をされている気がする。普通に綺麗な顔立ちをしているのがまた、言動をキツく感じさせた。

 そりゃあ変な反応しちゃったし、この家に比べたら俺なんか場違いもいい所なんだけどもさ。

 こっちだって仕事で来てるんだから、もうちょっと柔らかな物腰で接してくれてもいいんじゃないか? はぁ……あ……?

 

 思わず心の中で溜息をついてしまったが、そんな物もすぐさま吹き飛ぶ。何故なら、本日二度目の驚きが、俺を襲っていたからだ。

 広々としたエントランス。

 二階までが吹き抜けとなっているそこは、正しく別世界だったのである。

 シックな赤の絨毯が敷き詰められ、壁沿いには、おそらく俺の一生分の給料で買えるかどうか、という高級感を漂わせる花器。

 一際に目を引くのは、中央奥にある、途中で左右に分かれる二階への階段――その踊り場に飾られた、大きな一枚絵。

 髪をシニヨンに編んだ、女性の肖像画。

 時間ごと切り取られた、浮世離れの美しさ。しかし、垂れ目がちな大きい瞳が親しみを感じさせ……優しい、母親の様な印象を受けた。

 そして、俺と同じく、優しそうな人を見上げる背中。……女の子? ああ、そうか。彼女が――

 

 

「ようこそ、おいで下さいました」

 

 

 瞬間、世界が狭くなった。

 左のサイドポニーを揺らし、黒い長袖のワンピースドレスをふわり翻す少女が、ゆっくりと、階段を下りる。

 手すりに乗せられた細い指のしなやかさ。

 コツ、コツ、と近づいて来る心地良いリズム。

 俺の前に降り立った彼女は、スカートの両端を軽くつまみ、僅かに体を低く。

 異常なほどに高まった集中力が、一挙手一投足を確実に捉えて、目に焼き付ける。

 

 

 

 

 

「初めまして。私が、今日から貴方様の生徒となる、美国織莉子です。どうぞ、よろしく」

 

 

 

 

 

 一目惚れという現象が、現実に起こりえる物なのだと知ったのは、この時だった。

 柔らかそうな髪質に、天使の輪を戴く艶やかさ。

 つぶらな瞳は、まるで本物の宝石の様に――いや、それ以上の輝きを宿し、鼻筋や顎のラインも、高名な彫刻家が身命を賭してようやく削りだせるかどうか。

 こんな、美術雑誌に溢れかえっている野暮ったい表現しか頭に浮かばないのが、悔しくて堪らない。

 家の爺ちゃんが生きていたら、『何を捨ててもお近付きになれ』って言いそうな位に、煌びやかだった。

 

 

「……どうか、なさいましたか?」

 

 

 耳に届いた旋律で、彼女に見惚れている事に気づいた俺は、慌てて言葉を返そうとする。

 

 ……あ、え、はいっ!

 お、俺は――じゃないっ、ぼ、ぼきゅは……ぁ。

 

 

「ふふっ、そんなに緊張なさらないで下さい。私まで緊張してしまいます」

 

 

 ――が、あまりに緊張してしまったせいか、物凄く恥ずかしい噛み方をしてしまった。

 せめてもの救いは、それを見た彼女が口元へ手を寄せ、本当に楽しそうに笑ってくれた事か。

 

 ……すみません。僕は、その、こういった仕事は、初めてな、ものでして……。

 

 

「そうなのですか? ……良かった。実は私も、家庭教師の方をお招きしたのはこれが初めてなんです。一緒ですね?」

 

 

 小首をかしげ、柔らかな笑みを浮かべる少女に、そう……ですね、なんて愛想笑いをしながら、俺は高鳴る心臓の痛みに耐えている。

 先に続いて実感していたのは、どうやら一目惚れというものが、著しく平常心を奪うらしい事。

 流石に十九年も生きていれば、恋の一つや二つ経験がある。

 けれど、こんなのは、初めてだ。体が震え出すのを我慢するのに、全神経を注がねばならないのは、初めてだ。

 

 

「……そうだわ。奈々瀬さん、準備を」

 

「かしこまりました」

 

 

 そんな緊張感の元凶は、ふと何かを思いついたのか、側に控えていたメイドさんに指示を出し、それを受けた――奈々瀬、さん? が姿を消す。

 主語と目的語が抜けているのに通じる辺り、二人の主従関係の長さが伺えた。

 つーか、冗談抜きでサッと消えたんですが。忍者かあの人。

 

 

「あの……先生、と、お呼びしてもよろしいでしょうか」

 

 

 ……! は、はい、どうぞ、お好きなように……。

 そうだ、僕は、なんとお呼びすれば……?

 

 

「そうですね……。先生が良いと思った呼び方で結構です。いっそ、『織莉子ちゃん』、とでも。如何でしょう?」

 

 

 い、いや、今日お会いしたばかりで、流石にそれは。

 無難に、美国さん、でお願いします……。

 

 

「確かに、少し性急でしたね。不躾な物言い、失礼致しました」

 

 

 気を遣ってくれているのか、やけに親しく接してくれる美国さんだが、それに甘える訳にはいかない。きっと彼女だって、俺が断るのを織り込み済みだろう。

 美国。

 今の日本に住んでいて、この苗字から真っ先に連想する人物は、おそらく一人。

 代々、政治家や実業家を輩出してきた家系であり、多方面に大きな影響力を持つ名家の当主にして、現職議員でもある、美国久臣氏。

 その一人娘こそ、彼女――美国織莉子。

 天と地ほども身分の差があるのだ。無礼な真似を仕出かしたら、マグロ漁船に乗せられる……かも知れない。注意しないと。

 

 

「それはそうと先生。お仕事の話の前に、少しだけお時間を頂いても?」

 

 

 ――なんて、それこそ無礼な事を考えていたら、今度は唐突な申し出。

 疑問には思ったが、断る理由も無くて頷けば、「どうぞ、こちらへ」と美国さんは歩き出す。

 ゆったりとした足取りの背後に付くと、俺と比べて少し低い、女の子としては長身な彼女のうなじが目に入る。

 綺麗に結い上げられた髪は解れも無く、真っ白で細いそれを隠さない。

 俺なんて、年がら年中跳ねっぱなしの後ろ髪に、大変な苦労をしているのだが。

 それにしても、本当に綺麗だ……。思わず、指で《つー》ってしたくな――

 

 

「さ、着きました」

 

 

 ――ぅあい?

 

 目的地は案外近かったのか、それとも、見蕩れていて時間感覚が変になったか。あるいは両方か。

 いつの間にか動きかけていた腕は、到着を知らせる声に止まった。ビックリして変な声まで上がってしまう。

 しかし、気付いていない――いや、あえて無視してくれたのだろう。美国さんは数歩前に躍り出てこちらを振り返る。

 そして、その姿を目で追えば、またもや驚きが俺を襲う。

 

 

「我が家自慢の薔薇園です。さぁ、もっと奥へ」

 

 

 何種類ものかぐわしい薫りが混じる、春めいて来たそよ風の中、咲き乱れる薔薇園を進む背中。

 絶妙な加減ではためくスカートに、尻尾の様に揺れる髪。

 美しいはずの花は、後姿だけの少女にすら負け、書割に成り果てる。

 それは、作為的なくらい現実離れして見える光景で。物語の中に飛び込んでしまったような――ウサギを追いかけるアリスにでもなった気分だった。

 ……ウサギ? ……バニー……バニーガール……うわ、超見てぇ。見たら見たで処刑されそうだけど。

 と、馬鹿な想像をしながらも、俺は誘われるように穴の中へと踏み入る。

 

 程なく、薔薇園の中央らしき場所に、高級そうな茶器の乗るテーブルが見えた。

 付かず離れずな位置に例のメイドさんの姿があり、美国さんが手ずからお茶の用意をしてくれている。

 普通なら使用人がしそうなものだが、どうやら美国家ではこれが当たり前らしい。

 

 

「お砂糖は幾つがよろしいですか。それとも、ジャムの方がお好みでしょうか」

 

 

 あー……すみません。

 こういった、ちゃんとしたお茶は、飲み慣れていないもので、その。

 ……お任せします。

 

 

「分かりました。では、私の好みと同じ様に」

 

 

 いい加減とも取れる返事を気に留めず、彼女はティーカップに角砂糖を一つとジャムを一杯。歩み寄れば、甘い香りが強まった。

 メイドさんによって椅子が引かれ、俺は会釈をしながらとりあえず腰を下ろす。

 すると、目の前に先程のティーカップが差し出され、美国さんは「どうぞ」と立ったままにそれを勧める。

 どうぞと言われましても、正直、君を立たせたままで一人お茶を頂くなんて、もうありえない位に居心地が悪いんですが。

 しかし、そんな事を主張できる訳も無く、言われるがままカップを手に。

 

 い、頂きます……。

 

 

「はい」

 

 

 ……注目されてる。めっちゃ注目されてます。

 美国さんだけじゃなくってメイドさんにもガン見されてます。「マズイとか言ったら殺す」みたいな感じです。

 くっそお願いだから止めて下さいメイドさんに蔑まれるとか何処の業界の御褒――

 

 ――あ、うまい。

 

 

「……良かった。気に入って頂けましたか?」

 

 

 思わず素の反応が出てしまう程、美味しかった。

 すうっと口に流れた瞬間、バラが香る。種類なんて分からないが、ついさっき通った花の通路で感じた匂いだ。間違うはずが無い。

 けれど主張し過ぎず、感じた時の様にさり気なく消え、紅茶自体の香りを邪魔しない。まぁ、こっちも種類なんて分からないけど。

 砂糖とジャムが入っているはずなのに、全然くどくもない。なんだか、落ち着く味だ。

 

 ……知らなかった。紅茶って、こんなにうまい物だったんだ……。

 

 

「少し恥ずかしいですが、そう言って頂けると、手作りした甲斐があります」

 

 

 え、手作り?

 

 

「はい。このジャムは、ここに咲いている薔薇で作ったんです。ちゃんと紅茶に入れても大丈夫なよう、試行錯誤しているんですよ?」

 

 

 はー、すっごい……。

 

 としか言えない。今日はなんて日だ。

 初めて尽くしで、驚きっぱなし。吃驚するのにも慣れて来てしまった。

 

 

「……気分はどうですか。落ち着かれましたか?」

 

 

 対面の椅子に座りながら、美国さんは一言。

 それでようやく、俺のためにこの席を設けてくれたのだと気付いた。

 確か、紅茶にはリラックス効果があった気がするし、爺ちゃんも、『緊張してる時は、少し甘い物を口にするだけでマシになる』って言ってたっけか。

 よりにもよって、受け持つ予定の生徒――しかも中学生に気を遣われるとか、駄目過ぎだろう、俺。

 

 わざわざ、すみ――。

 

 

「……先生?」

 

 

 謝りかけて、また思い出す。

 『詫びの言葉よりも、感謝の言葉と一緒に頭を下げられる人間になれ』

 そうだ。今言うべきは、すみません、じゃない。

 

 ……わざわざ、ありがとうございます。紅茶がこんなに美味しいものだと、初めて知りました。

 教える筈の人間が逆に教えられるなんて情けないですが、知る事が出来て良かったです。

 ありがとうございました。

 

 

「あ……」

 

 

 言いながら、頭を下げた。

 どんな反応をされるか、少し不安はあったのだが、次に耳へ届いた声を聞き、間違ってなかったのだと確信する。

 

 

「うふふ。凄いわ、奈々瀬さん。お父様の目に狂いは無かったみたい」

 

「そのようです。わたくしが浅慮でした。では……?」

 

「ええ、お願いします」

 

 

 何だかよく分からないが、どうやらあのメイドさんにも認めて貰えた? ……様だ。

 が、顔を上げた時に彼女の姿は無く、美国さんと二人きりに――

 

 

「先生様、こちらを」

 

 

 うぉ、は、はいっ。

 

 ――なったと思った瞬間、横合いから何かを差し出された。

 B5サイズの小冊子。表紙に描かれる紋章――これは、白樺女子学園の校章か?

 

 

「一学期分の通知表です。参考までに、ご覧になって下さい」

 

 

 はぁ……。じゃあ、失礼して……。

 

 確かに、これから勉強を見させて貰うのだから、どの教科が得意なのか、逆に苦手なのかを知っておければ有り難い。

 そう思い二~三ページ捲ってみるのだが、脳へ飛び込んで来た内容に俺は目を疑う。しかし、何度まぶたを瞬いても、紙面に躍る文字は変わらない。

 ……これは、誰かが何かを教える必要性があるのだろうか。

 俺の手の中にある通知表を見れば、誰もがそう思うはずだ。

 なにせ、それに綴られた評価は、体育と家庭科の二つを除いて、全てが最高評価なのだから。

 

 こんな通知表、初めて見たぞ……。

 

 

「確かに、珍しいかも知れませんね。こんなに凝った通知表を作るのは、白樺か見滝原くらいだと聞いた事があります」

 

 

 いや、そっちじゃなくて……あ~、やっぱりいいです……。

 

 うっかり漏れた呟きに反応され、意味の取り違えを指摘しようとするも、別に間違ってもいなかったので、後ろ髪を撫で付けながらそれを飲み込む。

 事実、こんなに上質な紙を使い、普通なら表紙・裏表紙を含めて四ページで済む物に二十ページもかけるなんて、普通じゃお目に掛かれない。弟が見滝原に通ってはいるが、普段は別々に暮らしているせいで見る機会も無かったし。

 でも、なんか自信無くなって来た……。二つ以外オール10って超人か。その二つだって低い訳じゃないし、備考欄には生徒会長をしてるとまで書いてある。

 俺がやった事あるのなんて、クラス委員がせいぜいですよ。世界が違い過ぎる。

 ……そう言えば。

 

 どうして久臣氏は――美国さんのお父様は、家庭教師なんてお付けになられたんでしょう。この成績なら、そんな者は必要ないでしょうに。

 それに、雇うにしても、もっと……正式な資格を持ったプロの方々が良かったのでは……?

 

 

「……それが、私にも分からなかったんです。お父様はただ、『今の内に美国と関係の無い、普通の人とも接してみなさい』、としか……」

 

 

 美国と関係無い、ですか……。

 

 どういう事だろうか。まぁ確かに、俺と美国家とは全く接点なんてありはしないが。

 家は極普通の中流家庭で、何をやっても直らない跳ねた後ろ髪と、やたら絡んで来るロクデナシな先輩が憎い大学一年生で、女子中学生にときめいている変態だ。係わり合いになる方がおかしい。

 ……自分で考えといてちょっと傷ついた。

 何でこうなったんだ……。俺ってロリコンだったのか? いや、身体付きだけ見ても、美国さん大人顔負けのモデル体形だし……。

 

 

「お父様は、何故、あんな事を仰ったのでしょうか」

 

 

 唐突な問い掛けに、はぃ? と上擦った声が出た。

 美国さんにも届いたはずだが、彼女はそれを無視。静けさを湛える瞳で、空を見上げる。自分自身への問いかけだったのかも知れない。

 とりあえず、またも失礼な事を考えていたのはバレなかった様だ。危ない危ない。本当にしっかりしろよ俺。

 

 

「自分なりに考えてもみたんです。ああ言われたのは、私に至らない点があったからでは、と。でも、それを尋ねても、何も答えては下さらなくて……。

 私はずっと、お父様の恥にならぬ様、努力をしてきたつもりです。

 お父様が立派な方なのは知っていましたけれど、それは、私が優れた人間である証ではない。だからもっと頑張って、精進しなければ、と」

 

 

 自戒している間にも、言葉は紡がれる。勤勉さを窺わせるその姿は、見ているこちらが背筋を正される程。

 この子は本当に十五歳なのだろうか。身体付き的な意味じゃなくて。

 普通なら、まだ遊びたい盛りだろうに。俺が彼女と同い年の頃なんて、比べるのもおこがましい位、怠惰な馬鹿だったのに。

 それとも、これこそが永く続いている名家の証明なのか? やっぱり、違うんだな……。

 

 

「……ですが、一人で考えていても、答えは出なくて。何をすれば良いのか。何を学べば良いのか。お父様の考えている事が分からないなんて、生まれて初めて、でした」

 

 

 ――なんて思っていると、美国さんは一瞬、不安そうに顔を俯かせた。

 年相応の、悩める少女の顔。

 不意打ち気味なそれすら美しく、ずくん、と心臓が脈動する。

 

 

「けれど、先生のおかげで分かった気もするんです。……お父様は、勉強を通じて、それ以外の事を学ばせたいのではないでしょうか。

 先程の先生からは、物事に対する真摯な姿勢を――お父様に通じる誠実さを感じました。……先に、謝らせて下さい。申し訳ありません。

 失礼なのは存じているのですが、生まれ育った環境は、全く違うように思えたのに……。それは、私にとって意外でした」

 

 

 あ、いえ、本当の事ですし、お気になさらず……。

 

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 事実、受けた教育も雲泥の差があるのだろう。

 さっきも言ったが、中流家庭の出だし、学校も一時期以外は真面目に行っていたが、所詮、公立だ。まぁ、勉強以外の事は、小さい頃に爺ちゃんから散々仕込まれたけど。

 物心つくかつかないかの子供にとって、それ等はとても難しいものだったが、不思議と、十年以上経った今でも深く心に残り、不意に脳裏を過ぎっては、その意味を噛み締めさせるのだ。

 つまりは、こんなに評価されているのは爺ちゃんのおかげであって、ちょっと後ろめたくもあるのだが……。

 

 

「何事にも真摯に向き合い、どんな状況でも公正さを失わない。これが、私の目指している物の一つなんです。

 本当はただ、勉強だけをお教え頂くつもりでした。けれど私は、先生の中に模範とすべき姿勢を見ました。ですから、どうかご助力をお願いします。

 勉強は勿論、少しでもお父様に近づける様、どうやってその心の持ち方を身に着けたのかを――人としての在り様を、見習わせて下さい」

 

 

 そう言って次に見せた表情は、決意に満ち、凛々しく背筋も伸ばして、真っ直ぐにこちらを射抜く。

 強い意思の込められた視線から、目を逸らせない。

 本当はそんな立派な人間じゃないと否定しなくちゃいけないのに、褒められた事が嬉しくてそれも出来ない。

 息が止まり、瞬きも忘れて見つめ合う中、俺の顔から零れたのは、自分でも意外な、軽い微笑みだった。

 

 ……信じているんですね。お父様の事を。

 

 

「はい」

 

 

 花が咲く。

 心から誰かを尊敬し、そんな自分自身もが誇らしいのであろう、満開の咲顔。

 表現の一つとしてしか知らなかった言葉だが、ああ、確かに。今の彼女にこれほど相応しいものは、他に無い。

 

 分かりました。僕にどれだけの事が出来るのか、あまり自信はありませんが。

 少しでも美国さんの力となれる様、全力を尽くさせて頂きます。

 

 

「……はい。よろしくお願いしますっ」

 

 

 メイドさんに見守られ、薔薇と紅茶の香りを感じながら、二人、微笑み合う。

 きっと、難しい仕事になるだろう。

 物を教えるのが初めてという事もあるが、それに加えて要求されたのは、明確な形の無い、人としての在り方。

 言葉で伝えるにはあまりに抽象的で、俺の語彙もまるで足りない。一朝一夕で教えられる物でもないし、アルバイトの大学生には無理難題もいい所。

 それに、改めて教える必要なんて無いほど、彼女は実直に思える。

 

 だが、それでも。

 君の咲顔を見つめていられるなら、やってみよう。……なんて、ポエミーな事を考えてしまっていた。

 全く、似合わないったらありゃしない。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「じゃあ……これで。どうでしょう?」

 

 

 机に向かい、ペンを踊らせていた指を止めて、美国さんがこちらを見上げた。

 その斜め後で頭を捻っていた俺は、促されるようにして、ノートに描かれた達筆な文字を覗き込む。

 脳裏に描いていた数式、ヒントとなる参考書の解説、示された答えを照らし合わせれば……。

 

 うん、合ってる……と思います。というか、これで合ってなかったらお手上げです。

 

 

「やっぱり、難しいですね。先生と一緒でなければ、解けなかったと思います」

 

 

 肩の力を抜き、そう言ってくれる彼女へ、買い被りですよ、と苦笑い。

 事実、俺は唸っていただけで、大した事をしてないのだ。いやはや、この子の冴え渡った頭脳には舌を巻く。

 

 ……ところで……。

 

 

「はい?」

 

 

 こてん、と首を傾げる美国さん。

 そんな姿も可愛いなぁこんちくしょう、なんて感じつつも、俺は忸怩たる思いを言葉にする。

 

 ……用意してきた問題をあっという間に解かれて、苦し紛れに鞄へ入れっ放しだった大学の課題を押し付ける家庭教師って、どう思われます?

 

 

「………………こ、個性的でよろしいんじゃないでしょうか? 難しかったですけれど、とても良い刺激になりましたっ」

 

 

 あはは、ありがとうございます。

 優しさに胸を抉られるのってこんな感じなんですねー。

 本当にすみませんでした……。

 

 

「あ、頭を上げてください先生っ! ……そ、そうだわ、休憩、一旦、休憩を取りましょう! 今、お茶をお持ちしますから、あちらに座ってお待ち下さいっ」

 

 

 広々とした部屋の窓際。丁度、陽だまりになっているティーテーブルを指し示し、美国さんは飛び出して行った。

 御構い無くー、と一応は返すものの、本心ではその提案が有り難かったりした。

 一息つかないと、情けなくて、雪みたいに解けて消えてしまいそうだ……。

 

 時は数日ほど過ぎ去り、場所も移って。ここは美国邸の中にある、彼女の自室。

 曰く、「狭苦しい部屋で申し訳ありません」だそうで。

 ……どう見ても俺の借りている、割と快適な1Kの五~六倍は広い。置いてある家具だって、完成度は歴然。値段なんて考えたくもない。

 普通なら嫌味にも聞こえそうな言葉だったが、そう感じさせないのは、美国さんの持つ朗らかな雰囲気のせいだろう。

 それとも、これが惚れた弱み、という奴なのか。まぁ、今はどっちでもいいか。

 はぁあぁ……。

 

 溜息をつきながら、俺は指し示された椅子へと腰掛ける。

 今日は事実上、俺の初仕事の日である。とはいえ、結果はあの様だ。溜息も出よう。

 想像していた以上に、彼女は聡明だった。おそらく、中学・高校で学ぶ事は既に頭へ入っているのだろう。でなければ、大学一年生である俺が詰まった問題を理解できる筈が無い。

 頭が良くて、美人で、やんごとない家柄。

 これだけ揃えばいくらでも増長できようものを、きちんと謙虚さも持ち合わせている。

 完璧な人間も、居る所には居るものだ。

 

 ……あー。それにしても、なんでこう女の子の部屋ってのは妙にいい匂いがするんだ?

 俺の部屋とは比べ物にならん。マイナスイオンでも発生してそうだ。

 ついでに、美国さんは「お父様以外の殿方がこの部屋に入るのは初めてです」とも言っていた。おかげで、落ち着くんだけどもドキドキしてしまうという相反する感覚に苛まれている訳だが……。

 いい年して何やってんだろう俺は、とも思う。

 女の子の部屋に上がって興奮するなんて、まるで中学生だ。本当に、何やってんだろう。

 こんな醜態を晒したんだ。契約を切られる可能性もあるし、いっそのこと深呼吸でもして、存分にこの空気を味わっておくか?

 

 

「お待たせしました」

 

 

 ――と、馬鹿なことを考えている間に準備が整ったのか、ティーセットの乗ったカートを押す美国さんが戻って来た。

 彼女はテキパキとそれをテーブルに並べてくれる。わざわざ、お菓子まで用意してくれたようだ。

 手持ち無沙汰だし、本当は手伝いたかったが、作法も何も分からない門外漢。

 ここは大人しく持て成しを受けよう。

 

 

「本日はニルギリを用意しました。とても飲みやすい紅茶なんですよ。合わせて、クッキーもどうぞ。頂き物で申し訳ないのですが……」

 

 

 いえ、とても美味しそうです。

 

 美国さんは恐縮するが、見た目にも高級感が漂うクッキーだ。多分、これも一枚うん百円のお高い物だと推測できる。

 家庭教師としての威厳はもう地に落ちているし、恥の上塗りも気にし始めたら欝になる。遠慮無くご相伴に与ろう。言葉の使い方は間違ってるが。

 頂きます、と一声かけて、湯気の上るカップに口をつけると、爽やかな苦味を感じた。

 そう言えば、今回は砂糖を入れていない。けど、個人的にはこっちの方が好みだ。それに、一緒に食べるクッキーの上品な甘さをスッキリ洗い流してくれて、これがまた心地良い。

 

 はぁ……美味しい。こんな贅沢を知ったら、普通の紅茶を飲めなくなりそうですよ。

 

 

「まぁ、それは大変。でしたら、次からはもっと美味しいお茶を淹れて、もっと紅茶の虜になって頂きましょうか?」

 

 

 あはは、勘弁して下さい。

 

 ――なんて、二人で笑い合う。

 実を言えば、紅茶よりも君の虜になっているんですが。現在進行形で。

 出会ってからという物、彼女への好感度は右肩上がり。どうにか顔には出さずに済んでいるが、このままでいたら、メーターが振り切れておかしな事になりそうだ。

 ただでさえ、年上としての権威までもが失墜しつつある今、そんな真似は出来ない。少しでも仕事に関係する話をして、意識を切り替えなければ……。

 

 それにしても、驚きました。大学生形無しの知識量ですね。これは、独学で?

 

 

「はい。生徒会長という役目を担っているからには、生徒の皆さんの手本となれる様、頑張っています。

 それに、お父様のお仕事に関係する方がお見えになられた時、お話の相手を勤めさせて頂く事もありますので、勉強だけは疎かに出来ません」

 

 

 ……という事は、学業だけじゃなくて一般教養も自発的に学んでいる、と。

 本当に、凄いですね。なんだか、こちらの方が見習うべき点が多い気がします……。

 

 

「そんな、大した事では。学校の勉強は、予習・復習を繰り返せば良い点が取れますし、教養に関しては、知っているだけでは意味がありませんから。

 無理に詰め込んでも覚えていられませんし、何事もどう活かすか、だと思います」

 

 

 御尤もです。

 

 まぁ、皆がそう出来るようなら、落ち零れなんて存在しないんだけど。

 俺だって、勉強を習慣付けるのにどれだけ苦労した事か。

 それに加えて他の事も進んで学ぶとか、真似できそうも無い。というかしたく無い。本当に完璧超人だなこの子。

 なんていう感想は胸に仕舞っておいて。

 

 でも、それだけ勉強に時間を割いていると、遊ぶ時間……趣味に没頭する時間とか無さそうですね。

 大変じゃありませんか?

 

 

「いいえ。何も、四六時中勉強している訳ではありませんよ? ちゃんとメリハリをつけるようにしています。でないと疲れてしまいますし、薔薇園のお世話も出来ませんから」

 

 

 あぁ、やっぱりあのバラの世話は、美国さんが?

 

 

「ええ。元々は、薔薇が好きなお父様のために、お母様が始めたんです。それを私が引き継ぐ形で……。

 最初は大変でしたけれど、大切に育てた花が、美しくその身を咲かせるというのは、嬉しいものなんですよ」

 

 

 そうでしたか……。

 

 誇らしげに、だが、ほんの少しだけ寂しそうに、彼女は語った。

 美国さんの母親――美国夫人は、幼い彼女を残して世を去っている。

 ネットで調べられる情報だが、その原因は病死。どうやら、生まれた時から体が弱かったらしい。

 夫人もまた良家の生まれで、いわゆる政略結婚だったわけだが、それを抜いても仲睦まじい夫婦だったようだ。

 その分、失われた時の悲しみは深かったと、共感できる。俺自身、物心が付く前に、家族を失った事があるから。

 おそらくあの薔薇園は、二人きりの親子にとって、大切な思い出に触れるための場所なのだろう。

 

 

『悲しみは海ではない。いつか、すっかり飲む干す事ができる』

 

 

 うろ覚えだが、これも爺ちゃんから教わった言葉。ロシアのことわざらしい。

 いつの間にか触っていた、自作の改造ストラップ(爺ちゃんから貰った木のお守り)の感触に、懐かしさを感じながら。

 物悲しくも思える雰囲気を変えるべく、俺は口を開く。

 

 上品な趣味で、羨ましいです。僕の趣味なんて、精々マンガを読んだり、ネットしたり、友達と遊び歩くくらいですから。比べ物になりません。

 

 

「ふふ、趣味なんですから、上品も何もありませんよ。楽しめればいいじゃありませんか。……あ。でも私、よく考えたら漫画って読んだ事がありませんでした」

 

 

 え? それは、珍しいですね。全くですか? 童話とかくらいは……。

 

 

「はい、流石に絵本くらいは子供の頃に。ですが、お友達の方々が話す、いわゆる少女漫画というのは……。面白いのでしょうか?」

 

 

 さぁ……。僕も、少女マンガには手を出した事が……。

 

 っていうか、噂じゃ物凄く過激だって聞くんだけど、勧めていいもんだろうか?

 エロマンガや昼ドラも真っ青な内容を載せてるらしいが……。なんか、悪い事を教えてる気分だ。

 ……やっぱり、少女マンガは止めておこう。初体験には刺激が強いだろうし。

 

 うーん。とりあえず、興味がおありでしたら、僕が持ってるのをお貸ししましょうか。

 なんでしたら今度、持ってきますが。これもある意味、勉強みたいなものですし。

 

 

「そうですね……」

 

 

 少し上を見上げ、自分の顎を指でツンツンする美国さん。

 そのまま少し悩んでいたが、決心がついたのか、大きく頷く。

 

 

「……ちょっとだけ、興味があります。皆さんがお話しているのをただ聞くだけというのも、寂しかったですし。お願いできますか?」

 

 

 分かりました。それじゃあ次の機会までに、読み易い物を厳選しておきましょう。

 楽しみにしていて下さい。

 

 

「はいっ」

 

 

 ぱぁ、と、咲顔が咲いた。

 同じく笑顔でそれを眺めながら、俺は一応、真面目に考える。マンガ初心者にお勧めできるジャンルとは、なんだろう。

 気軽に読めるコメディ物とか、四コマとかだろうか。女の子だし、やっぱり恋愛物か、それとも、スポ魂物もいいかも知れない。

 悩むところだが、個人的には一押しのギャグマンガとかあるし、読ませて反応を見てみたい所だ。

 ……勉強も教えないで何やってんだろうか俺。

 爺ちゃん曰く、『いい加減な仕事で得た金は泡銭と変わらない』、なんだし、真面目に仕事しなきゃ駄目だろ。

 

 

「……ところで先生。少し、質問をしてもよろしいでしょうか?」

 

 

 あ、はい。どうぞ。なんでもお答えしますよ。

 

 ――と、気を引き締めていたところへ、丁度良く質問が飛ぶ。これで少しは、家庭教師らしい事が出来そうだ。

 そう思った俺は姿勢を正し、胸を張って美国さんからの問い掛けを待つ。

 が、どうしてか彼女はやや俯き加減。言い辛そうに顔の前で指を組む。

 

 

「……その。先程、先生は仰っていましたよね。よくお友達と遊び歩く、と」

 

 

 は? ……ええ。確かに言いましたけど、それが?

 

 

「普通のお友達って、やっぱり、そうやってお出掛けとかしたりするものなんでしょうか」

 

 

 ………………んん? これは、どういった意味合いの質問なんだ?

 深く考えなければ言葉通りなんだろうけど、『普通の』って……。

 

 僕にとっては、になりますが、そういうものかと……。

 断られる事もありますけど、お互いに暇が合えば一緒に出かけて、適当なファミレスに入って何時間も話したり、色んな店を冷やかしたり。

 まぁ、時々喧嘩したり、趣味の違いで言い合いになったりもしますが、結局は仲直り出来ますし。

 

 

「つまり、先生にとっての『お友達』とは、特に用事が無くても、会ってお話したり、お出掛けしたり、時折、喧嘩もする間柄、という事ですよね?」

 

 

 そう、なりますね。普通は。

 後は互いの家を行ったり来たり、下の名前で呼び合ったり、あだ名をつけたり、でしょうか。

 ……あの、美国さん? これは、どういった意図の――。

 

 

「……どうしましょう、先生」

 

 

 ――と、そこで言葉を被せられる。

 彼女らしくない様に思える無作法に訝しむが、当の本人は微妙に目を細め、麗らかな日差しの差し込む窓辺を見やり――

 

 

 

 

 

「その方程式に当てはめると、私、お友達が一人も居ません……」

 

 

 

 

 

 ――だなんて、悲しい事を言うのだった。

 その姿は、絵画にして永遠に留めておきたいほど美しいのに、纏う雰囲気は、彼女の上だけ急に雲が掛かったかのようにどんより。

 っていうかなんで唐突にボッチ宣言? 瑞々しい花があっという間にドライフラワーになったぞおい。

 

 ……ぇあ、え゛? み、美国さん?

 

 

「以前から、ずうっと感じていた事なんです。私にとっての『お友達』と、その皆さんとの間には、見えない壁があるような気がして……。

 その証拠に、私は先生と違って、お出掛けに誘われたり、家に招かれた事もありませんし、喧嘩なんて夢のまた夢です。

 これって、本当にお友達と呼べるんでしょうか? ……違いますよね、きっと……」

 

 

 いや、喧嘩を夢見るのはどうかと思うんですが。

 なんて突っ込みたいが、そんな事も憚れるくらい彼女は落ち込んでいる。

 どうすりゃいいんだこれぇ……。と、とりあえず慰めておくべきか?

 

 あ、あの、今のは単なる一例ですからね? 何もそれに当てはまらなくちゃいけない訳じゃないですし、僕の価値観が絶対な訳でもありませんから、ね?

 

 

「いいえ。先生のお話で確信しました……。学校の中では親しくても、それ以外に接点が殆ど無いなんて、やっぱり変ですよ。

 テレビや本の中に描かれた友人関係が特別なんだと思っていましたが、私が変だったんです。

 滑稽、ですね……。今の今まで、自分に胸を張って友達と呼べる人が居ないだなんて、気付きもいませんでした……うぅ……」

 

 

 空っ風に吹かれ、散ってしまいそうな枯れ尾花が目の前にあった。

 図らずも、本人が認識すらしていなかった傷口を抉り、塩を擦り込むような拷問に近い仕打ちをしたのだと理解した俺は、大慌てで花に水を撒き続ける。

 

 いやっ、お、落ち込む必要なんてありませんよっ! 僕だって中学時代は友達なんて居ませんでしたし、数の多さを競うものじゃありません!

 何でも腹を割って話せる、たった一人が居れば十分だってよく言いますし!

 

 

「そう、でしょうか……? でも、そのたった一人すら、私には……」

 

 

 だ、大丈夫です、友達なんてこれからいくらでも作れますよっ!

 美国さんは魅力溢れる人なんですし、自分から働き掛ければ、あっという間に友達百人集まりますよっ、保証します!

 ……そうだ。何でしたら、僕にも立候補させて下さ――。

 

 

「っ! 是非お願いします!」

 

 

 ――いぃ?

 

 テーブル越しに、いきなり手を握られた。

 身を乗り出す美国さんは、両手でそれを包み込みながら、とっても良い笑顔で瞳を輝かせている。

 なんだ、なんだこれ? やっこい。

 何でこんなに食いつかれたんだ? 細い。

 そんなに喜ぶような事か? 小さい。

 ものっそい心臓がバクバクしてるんですが? あったかい。

 くそ駄目だ、頭ん中がメチャクチャにぃ!

 

 

「家庭教師の先生がお友達なんて矛盾している気もしますが、私、とても嬉しいですっ! 先生がお優しい方で、本当に良かった……」

 

 

 あ、はは、よ、喜んで頂けて、何よりです……。

 

 何よりなんですけど、そんなに強く握らないで下さい。まるで心臓を直接握られているみたいで苦しいんです。

 ああでも、もっとこの苦しみを味わっていたい様な気もする。いっその事、これで死んでもいい気さえする。

 本当に何なんだこのアンビバレンス感は。こんな単語、自分に使うとは思ってなかったぞ。

 

 

「……あ。でも先生? 本当にお友達になって頂けるのでしたら、一つだけお願いが」

 

 

 お、願い? あ~、僕に叶えられる事、でしたら……。

 

 

「私なりに考えてみましたが、先生もお友達には、もっと砕けた口調でお話なさるんですよね? でしたら、私にも普段通りの喋り方をして頂けませんか?」

 

 

 普段通り、ですか。

 

 確かに、普通の友達相手なら、「僕」なんて言わずに「俺」で済ますし、敬語なんて使いやしないが……。

 でも、ぞんざいな口を利くには礼儀正し過ぎるんだよなぁ、この子。

 ちょっと考えを巡らせれば、彼女が幼い頃から厳しく躾けられていた事が想像できる。

 多分、俺が本当に雑な言葉遣いをしたとして、美国さんは――無理だろう。

 数日前の俺と同じ様に、「お友達とはいえ、先生をお相手に礼を失するわけには……!」とか言われそうだ。

 かと言って、一方的にタメ口にするのも……うーん……。

 

 

「……実は、ちょっとした憧れでも、あったんです」

 

 

 無言で悩んでいると、彼女は少し恥ずかし気に顔を俯かせた。

 憧れ……。

 こんな、当たり前の事が? どういう事だ……?

 

 

「先生の仰る、普通のお友達の様に。下の名前で呼び合ったり、あだ名を付け合ったり……。一度でいいから、そういう事をしてみたかったんです。

 昔から、私の周りには多くの人が居てくれました。でも、先ほど言いましたが、何か見えない壁の様な物が、その人達との間にはあって……。

 だからかも知れません。私は、必要以上に踏み込む事をしませんでしたし、皆さんもそれを感じて、踏み込んではくれなかったのだと思います」

 

 

 友達。

 この言葉は存外、美国さんにとって大きな意味を持っているようだった。

 憶測に過ぎないが、今まで彼女の側に居たのは、今の俺と同じ、『美国』への意識を捨てられない人間。

 例えば、子供の頃から、砂場で泥まみれになって遊ぶ代わりに、綺麗な服と上品な言葉に飾られる毎日。

 由緒正しい『美国家のお嬢様』に迎合する事を由とする人々で、周りを囲まれる毎日。

 それは……憐れとしか言い様の無い、味気無い日々に違いない。

 あくまで俺にとっては、だが。

 

 

「けれど、先生とお話して、自分で言葉にしてみて、ようやく気付けました。私はただ、待っていただけ。

 自分から踏み込む事を恐れて、いつか、誰かがそうしてくれるのを期待していただけなのだと。……これでは、本当のお友達なんて出来るはずがありません。

 だから、やってみようと思うんです。少し不安ですが、ああ言って下さった先生となら、強い気持ちで、その一歩を踏み出せる気がするんです。

 お願いします……っ。私と――“美国織莉子”とではなくて、“ただの織莉子”と、お友達になっては頂けませんか……?」

 

 

 ぎゅうぅ、と、手に感じる柔らかさ。

 上目遣いの、縋る視線。

 これを無意識にやっているのだとしたら、この子はとんでもない悪女の才能に恵まれている。

 ふと、そんな事を思った。

 

 はぁ……。仕方ない、か。

 

 

「……先生?」

 

 

 呟く声を訝しんで、首を傾げる。

 そんな彼女に向かって、俺は空いた手で後ろ髪を撫で付けながら、苦笑いを見せた。

 

 良いよ、分かった。

 

 

「……あ」

 

 

 仮とはいえ教え子なんだし、何より、友達の頼みだからね。

 後から馴れ馴れしいなんて言わないでくれよ、織莉子ちゃん?

 

 

「……っ」

 

 

 普通に考えれば、即行で首が(物理的に)飛びそうな軽口。

 事実、キザったらしい笑いを浮かべながら、俺は背中に冷や汗をかいている。

 女の子――それも、一目惚れをしている相手にこんな口を利くのは、生まれて初めてだし、繋いだままの手から、心の震えが伝わりそうで怖い。

 なのに彼女は、ゆるり、眦を下げて。

 手に掛ける圧力を高め、そして――

 

 

「……はいっ!」

 

 

 ――また、花が咲く。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「それってさ、仕事してるって言えんの? ただ女の子とイチャイチャしてるだけじゃね?」

 

 

 言うな、弟よ……。

 俺だって自覚してるんだから……。

 

 

「なら良いんだけんどもさー」

 

 

 じるー。

 ワザとらしく音を立ててオレンジジュースを啜る弟の言葉に、俺は胡坐をかきながら嘆息する。

 中央に小さなテーブルがあり、壁際にベッド、その向かいにある付けっぱなしのテレビがニュースを流すここは、今は弟の部屋であり、かつての自室でもあった。

 久しぶりに実家へ帰ってきた週末。

 最近どうよ? なんていう定番の会話から、俺は彼に近況を報告していた。

 そして、つい一ヶ月ほど前から始めたアルバイトの話をした結果が、あれだ。

 ……まぁ、実際そう言われても仕方が無いのだが。

 

 

「俺も噂に聞いた事あんだけど、本当だったんだなー。白女の才媛とか、完璧の体現とか……。兄貴も頭いい方だろうけど、その織莉子ちゃんには――」

 

 

 おいテメェなに気安く名前呼んでんだ捻るぞコラ。

 

 

「あーはいはいこれだから童貞は。昔のリーダーと同じ反応しちゃって」

 

 

 だだだ誰が童貞だぁ!? どっどどっどっ童貞ちゃうわぁ!? 彼女だって居た事あんだぞぉ!?

 

 

「そーですねー。おてて繋いでチュー止まりだったけどねー。俺はそれすら未経験ですがねー。

 とにかく、勉強も敵わなかった訳だ。んで、大体の時間はそれを教える代わりに、兄貴が普段やっている事を一緒にしてる、と」

 

 

 まぁ、そうだな。

 

 

「マンガ貸したり、パズルゲーで対戦したり、ただ単にお喋りしたり?」

 

 

 ……そう、なるな。

 

 段々と目を細める弟に答えれば、彼は一転、得心が行ったような笑顔を見せ、腕組みをしながら何度も頷いた。

 

 

「そっかそっか。いやー羨ましいわー。俺も将来、家庭教師を目指そっかなー。女の子を誑かすだけの簡単なお仕事です、ってか」

 

 

 お前そのオレンジジュース返しやがれ。

 せっかく高いの買って来てやったってのに。

 

 

「だってさー、誰でもこう言うと思うんだけど。本当に遊んでるだけじゃん。それで給料貰うってんだろ? っていうか貰ったんだろ? 羨まし過ぎるわ」

 

 

 そうなんだよなー。それが後ろめたいんだよー。

 

 テーブルに肘を突き、両手で自分の顔を挟み込む。

 言いくるめられたみたいでちょっと不服だが、弟の言葉自体には同意せざるを得ない。

 現在、週に二日の割合でお邪魔させて貰っている訳だが、俺が美国家に滞在する数時間の内、勉強へ当てている時間は半分にも満たないのだ。

 一応は、彼女が普段やっている予習・復習を手伝ったり、俺の作ってきた課題を解いて貰ったりもしているが、それは「あっ」という間に終わってしまうし、だからってまた大学の課題をやって貰うなんて忍びない。

 では、残りの時間をどうしているのか。

 美国さん――織莉子ちゃんたっての希望により、彼女の『お友達』として過ごしているのである。

 

 なんと言えば良いのか……浮かれている、のだろうか。

 一緒にマンガを読んで笑ったり、携帯で出来る無料のゲームで対戦したり。ただそれだけの事に、随分とはしゃいでくれるのだ。

 その時間はとても楽しい物なのだが、日を追う毎に奈々瀬さんのジト目が質量を帯びてきて、肩が重いったらありゃしない。

 ちなみに、「聖☆お爺ちゃん」というマンガが織莉子ちゃんのお気に入り。

 いたくツボに嵌ったらしく、緩んだ顔を見せまいとベッドへ逃げ、枕に顔を埋めてプルプル震えながらシーツをポフポフ叩く姿は、とっても可愛らしくて眼福でした。

 そういや、あの日だけは帰り際、「ぐっジョブです」って奈々瀬さんにサムズアップされたな。もしかして監視されてんだろうか。

 

 

「ま、それはそれとして……本気なのかよ」

 

 

 本気って……何が。

 

 

「そのお嬢様の事に決まってんじゃん。本気で惚れてんのかって聞いてんの」

 

 

 ………………。

 

 呆れた口調の問い掛けに、俺は沈黙しか返せない。

 憎からず思ってはいる。けれど、それでどうにかなる物ではないのだ。

 身分の差、生まれの差、年齢の差。

 想いだけでどうにかなるなら、この世界はもっと、皆に優しいはず。

 だから――

 

 

「本気なら……何にも出来ねぇけど、応援くらいは……」

 

 

 別に、気にすんな。

 人を好きになるのだって初めてじゃないし、振られるのもそうだ。

 色々と考えたけど、今回は相手が悪過ぎる。……諦めるさ。

 契約が終わるまでの、期間限定の友達で終わるよ。

 

 

「兄貴……」

 

 

 ――だから、何も期待しない。

 もし、まかり間違って関係が進展しても、きっと周囲の環境がそれを許さず、押し潰される。

 そんな未来が容易に想像できる程、差があり過ぎるのだ。

 なら、不確かな未来に期待なんかするよりさっさと諦めて、一時だけの、夢のような蜜月を交わしているのだと思った方が、間違いも起こさずにすむ。

 変に傷つくのなんて、真っ平ごめんだ。

 

 それきり、部屋を静寂が支配する。

 唯一の音は、とある大物政治家の逮捕劇を伝えるキャスターの声のみ。

 なんでも、自分の罪を他の政治家になすり付け、幾人もを失脚、自殺にまで追い込んだケースもあったらしい。

 下劣な人間も居たものだ。

 

 

「……あー、やっぱ無理だ。いい機会だし、言わせて貰うわ」

 

 

 ――と、突然、弟は頭を掻き毟り、自分の膝に両手を叩き付けて睨み付けて来る。

 

 

「兄貴さ、その物分りがいい振り、どうにかなんないの? 見ててイラっとするんだよね」

 

 

 は? ……どういう意味だ、おい。

 

 

「意味も何も、言った通りだって。本当は諦められない癖に、上辺だけいい子ちゃんぶって諦めたような振りすんなよ」

 

 

 ……何のつもりだ、お前。いい加減に――。

 

 

「『惚れた女のケツを追っかけるなら、余計な事は無視しろ。ただ、その女の事だけを考えろ』、だっけ? 忘れたなんて言わねぇよな」

 

 

 っ、それは……。

 

 

「兄貴にリーダーの事を相談した時、散々自分で言ってた事だもんな。俺が生まれる前に死んじまった、爺ちゃんの言葉。いつもはそれで説教するくせに、都合のいい時だけ忘れてんじゃねぇよ」

 

 

 違う。忘れてなんかいない。忘れられる訳が無い。

 十五年前――四歳の頃だ。他の事は朧気にしか思い出せないけど、あの人の事だけは、全て思い出せる。

 弟の出産を間近に控えた母と、仕事一筋な父の手を煩わせないために預けられた、母さんの田舎。

 古い日本家屋。厳つい手。低くしわがれた声。

 母さんを生まれてもいない弟に取られたと、酷く拗ねていた俺を諭してくれた、傷跡の残る優しい顔。

 忘れたくなんて無い。

 だからこそ、こうして爺ちゃんから貰ったお守りを肌身離さず持ち歩いているんだから。

 でも……。

 

 だったら、どうしろってんだよ……。

 

 

「は?」

 

 

 相手は由緒正しい政治家の娘だぞ? それにひきかえ、家は先祖代々平民の家系。

 身分違いも甚だしいし、そもそも、織莉子ちゃんはまだ中学生だ。犯罪じゃねぇか。

 こんな気持ちになる方がおかしいんだ……。だから、諦めるのが一番いいんだっ!

 

 

「だぁかぁらぁ、爺ちゃんはそういう事を考えるなって言ったんじゃねぇのかよっ!?」

 

 

 そんな簡単に行く話じゃないんだよ! ちったぁ考えろ馬鹿!

 

 

「考え過ぎて駄目になった奴を知ってっから言ってんだよ! この分からず屋ぁ!」

 

 

 うるさい! 何も知らない癖に、この世間知らずが!

 

 テーブルを叩きながら、俺と弟は激しく言い合う。

 顔も間近に突っつき合わせ、誰かが見ていたら間違い無く止めに入るだろう勢い。

 だが、父は仕事、母は買い物で止める者も無く、互いに胸倉を掴みそうになった、その時――

 

 

《フォン》

 

 

 ――と、買った当時から変更していない、デフォルトのメール着信音。

 出鼻を挫かれ、舌打ちしながらも発信者を確かめれば、そこにあった名前は。

 

 ……織莉子ちゃん?

 

 

「んだよ、あんなこと言っといて、ちゃっかりメアドは交換してんじゃん」

 

 

 うるせぇ。仕事上の連絡に必要だから俺のを教えてあるだけだっ。

 そもそもあの子から直に連絡が来るなんて、これが初めてだっつの。

 しっかし、なんでいきなりメールなんか………………。

 

 

「……ん? どうしたんだよぅおっとぉ!? あっぶね、落とすなよ携帯!」

 

 

 視神経を通じて脳を揺さぶった情報に、俺は硬直。思わず携帯を取り落とす。

 弟が危うくキャッチしてくれたが、処理落ちした思考はまだ固まっていて、先程まで言い合っていた事も忘れ、助けを求める。

 

 や、やび、やばい、どうしよう、どうしようこれぇ!?

 

 

「はぁ? とりあえず落ち着け――っておい兄貴っ、このメール! なんだよやったじゃん! 脈有りだよ脈有り!」

 

 

 い、いいい、や、でも、かか、か、仮にも教師と教え子が、ま、マズイだろ?

 

 

「なに言ってんだよ家庭教師じゃん。無問題無問題。むしろ逆玉狙えるって!」

 

 

 俺はそんなつもりじゃ……! ってか、服、服が無い! 俺、スーツ以外はファッションセンターのしか持ってない!

 

 

「おぅ、そりゃやばいな。よし、買いに行こう! 午後も暇だろ? リーダー達と堂もっちゃん呼んで見立ててやっからさっ」

 

 

 リーダー? ……ああ、こいつが何時もつるんでる栄田君の事か。後もう一人居たっけか?

 それに、堂本さん(堂もっちゃんの事)は確か女の子。

 服選びに女子の視点は重要だ。

 

 そりゃあ助かる……っておい! 俺はまだ行くとは……!

 

 

「いいからいいからっ、ほら携帯持って、財布持って! ……あ、リーダー? 緊急事態発生! 堂もっちゃん連れて駅前に集合してくれっ、家の兄貴に春が来たぁぁあああ!!」

 

 

 かつてないハイテンションの弟に背中を押され、部屋を後にする。

 大きなお世話だ、とか、誰が金払うと思ってる、とか、色々と言いたい事があるのに、俺の口は回らない。

 織莉子ちゃんの送って来たメールは、きっと誰もがそうなってしまう位、有り得ない内容だったのだ。

 ……本当に、予想外だったのだ。

 

 

 

 

 

『織莉子です。

 初めてメールさせて頂きます。

 唐突に申し訳ないのですが、今度の日曜日はお暇でしょうか。

 もしお時間が有りましたら、是非、先生とご一緒したい場所があるんです。

 宜しければ、私と一緒にお出掛けして頂けませんか?』

 

 

 




 苗字しか推測できないからタグ(“名”無し)的にはセーフ!
 ……という事で勘弁して下さい。


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【美国】スピンアウト編・上の2【織莉子】

 

 

「へぇ~。本当に色んな物があるんですねぇ~」

 

 

 あー、うん。そうだねー。

 

 

「あ、見て下さい先生。しつこい跳ねも一瞬で直る寝癖直しだそうです。こんな物も売ってるんですねっ」

 

 

 う、うん、それは分かったから。もうちょっと落ち着いて? 見られるから、ね?

 

 

「……あ。す、すみません。私ったら、はしゃいでしまって……」

 

 

 少し恥ずかしそうに、織莉子ちゃんは舌を見せてはにかむ。

 そんな仕草も恐ろしく可愛い彼女に合わせて苦笑いしながら、俺は自分達の居る場所を見回す。

 白く清潔な、合成素材っぽい床材。

 昼間でも明るい照明に、道路へ面した雑誌コーナー。

 右億の飲料コーナーと、正面奥には弁当やサンドイッチ。

 

 そう。彼女が行ってみたいと言った場所とは、極普通の近所のコンビニエンスストアだったのである。

 もしや可愛い女の子とデートが出来るのかと密かに心躍らせて、精一杯お洒落してみた結果がご覧の有様だよ!!!!!!

 

 お願いだから、誰か俺の事を指差して笑ってくれ。

 馬鹿め。お前なんかを彼女がデートに誘うはずが無いだろう。と罵ってくれ。

 その後で結構ですから、惨めなこの男を哀れんで下さい。

 ああぁあぁ……有頂天になってた過去の俺をカイザーナックル付きでぶん殴りたいぃ……。

 

 まぁ、お洒落ったってガイアが俺に輝けと言ってる訳で無し、日和って少し高級なだけの普段着っぽい格好で纏めたんですがね。

 むしろ、それにかこつけて買わされた堂本さんのゴスロリ服の方が高かったんですがね。どんな趣味やねん。似合ってたけど。

 ちなみに織莉子ちゃんは、細やかな刺繍が高級感を漂わせる、春らしい色合いのツーピースに肩掛けポーチ。これまた良く似合っている。

 つーか、諦めるって弟に言っておいて結局来てるし。何してんだよ、ほんと……。

 

 

「せっかくですから、いろいろ買って行きましょうっ。お昼ご飯とか、おやつとか。お小遣いも多めに貰って来ましたしっ」

 

 

 枯れた笑みを浮かべるこちらの事などお構い無しに、がま口を握り締めて店内を巡りだす彼女。

 どうでもいいけど、なんで普通の財布じゃないんだろう。ブランド物の長財布とか持っていそうなのに。まぁ、妙なギャップがあってこれも可愛いんだけど。

 それに、どうしてわざわざ休日に約束までしてコンビニくんだりまで出向かなければならないんだ? この御時勢、老若男女が一度は利用した経験があるだろうに。

 織莉子ちゃんと一緒なら嬉しいっちゃ嬉しいけど、これも疑問だ。

 カゴを取り、お菓子のコーナーを物色する背中にそれを訪ねてみると、彼女はチョコレートの箱を手に、声だけを返す。

 

 

「私、実は自分の手で買い物をした事が無いんです。お父様とお買い物に行った事はありますけど、支払いをした事が無くて。必要な物は、言えば用意して頂けますから。

 それに日用品――ペンのインクやシャーペンの芯とかは、奈々瀬さんが何時も常備してくれていて、買いに行こうにも行けなくて……。

 大分前、何も言わずにこっそり出掛けてみようとしたんですが、玄関で捕まってしまいましたし……。今回は先生と一緒ですから、何とか許して貰えましたけど」

 

 

 なるほど……。大変だね、箱入り娘っていうのも。

 俺だったら息が詰まりそうだよ……。

 

 

「そうなんですっ。確かに、街を歩けば危険に遭遇する事もあるでしょうけど、過保護すぎると思うんです、私。

 この歳になってお買い物すらした経験が無いなんて、逆に恥ですよっ。……あ、このお菓子、美味しそうです。八百円ですか、安いんですね」

 

 

 ……うん。買い物した事が無いのは確かにちょっとあれかもねー。

 ちなみにそれ、最近発売した、かなり高いけどかなり美味しいって噂の商品だよー。

 

 

「え? そ、そうなんですか。じゃあ……こっちにしましょう。ご、五百円ですっ。お買い得、ですよね?」

 

 

 どこぞの有名料理人とコラボったらしいチョコを棚に戻し、今度はムースタイプの極太ロッキー(梅イチゴ味。個人的にはもうちょっと安ければなぁと思う部類)を両手で示す。

 そうだねー、なんて返事をしながらそれを受け取りつつ、だめだこりゃ、と思った。

 確かに値段的には高くないが、決してお買い得じゃあ無い。もうちょっと庶民の金銭感覚を覚えてからでないと、とてもじゃないが一人で買い物になんか行かせられん。

 奈々瀬さんもきっと同じだろう。笑顔でこの子を送り出しながらも、内心で冷や冷やしていたのが手に取るように分かる。

 おそらく、こうしてお出掛けが許されたのは、奈々瀬さんなりの信頼の証。

 なればこそ、その信頼に応え、織莉子ちゃんの金銭感覚を是正せねばなるまい。これも仕事の内だ。頑張ろう。

 決意も新たに、飲み物はどうする? と促せば、彼女はまたもや瞳を輝かせてガラス扉にかぶり付く。

 

 

「そうですね……。あ、これ、興味があります。“超生命体飲料”……凄いキャッチフレーズですね」

 

 

 手に取ったのは、ビビッドな色合いが有名な炭酸飲料だ。

 ……うーん。俺は好きだけど、いいのか? てっきり清涼飲料とかを選ぶと思ったのに。

 

 

「奈々瀬さんったら酷いんです。小さな頃から、炭酸飲料は体に毒だからって、自分の好きなラムネくらいしか飲ませてくれなかったんですよ。

 だから一度、合成着色料と添加物がたっぷり入った、体に悪い炭酸飲料を飲んでみたかったんです!」

 

 

 そっかー。気持ちは分かったけど、CMに使えそうな輝く笑顔で作ってる人に怒られそうな発言するのは控えようねー。

 というか、小さい頃から? あのメイドさん、そんなに昔から織莉子ちゃんの家に? 俺と大して歳は変わらないように見えたんだけど。

 

 

「はい。物心がつく頃には、もう側に居てくれました。子供の頃からお姉さん代わりで、頼りになる人なんですよ。ちょっと過保護ですけど……」

 

 

 懐かしむ声と綻ぶ顔から、相変わらずの信頼度を見て取れる。

 きっと、俺なんかには立ち入れない位の積み重ねがあるのだろう。

 無条件に信頼できる人物が隣に居てくれるというのは、俺にとってのそれが喪われているのもあるが、少々羨ましい。

 

 

「先生はどうしますか? 普段はどんな物をお飲みに?」

 

 

 ん? もっぱら緑茶かな。

 子供の頃、爺ちゃんにこれでもかって飲まされたから、もう飲まないと落ち着かなくて。

 つっても安物だけどね。

 

 

「なるほど。健康的でいいですね。では、この『土左衛門』を……なんでこんな不吉な名前の商品が……?」

 

 

 さぁ……? 別のにしようか。

 

 ――と、こんな風に楽しく(?)会話しながら、二本のペットボトルをカゴに足し、メインとなるファストフード・コーナーへ。

 ヨーグルトや菓子パンなど、女の子が好きそうな物もあるが、意外な事に織莉子ちゃんはそれを無視。

 真っ直ぐ、カウンター近くのおにぎりが並ぶ棚の前に。

 

 

「うわぁ。凄い種類ですね……。考えた事も無い具が沢山です」

 

 

 唖然とする彼女の言葉に、そうだね、と頷く。

 定番の梅、鮭、おかか、ツナマヨ、高菜は当然。他にも、海老マヨ、オムライス、唐揚げ、ネギトロ、辛子明太子、ソーセージにチャーハンなどなどなど。

 とにかく種類が豊富なのが売りだ。個人的には、海苔がしっとりしてるタイプの鳥五目とか好みだが……。

 今までの言動から察して、これも食べた事が無いのだろう。

 試しに、もしかして食べたこと無い? と聞いてみれば、案の定、織莉子ちゃんは肯定を返す。

 

 

「はい。あ、普通のおにぎりはもちろん食べた事がありますけど、こういった大量生産品は。

 前に無理を言って、海苔がパリパリの作りたてを奈々瀬さんに用意して貰った事も……。ようやっと本物が食べられるんですね……。感動ですっ!」

 

 

 お手軽な感動だねー、とか思ったが、真剣に選んでいる所へ水を差す事も無い。彼女と並んで、俺もおにぎりを選ぶ。

 バランス的に考えれば、隣にあるサラダ系や、甘いサンドイッチも買っておくべきか。うん、そうしよう。

 ……ってあれ。寝癖直しがカゴに入ってる。いつの間に……。

 

 

「ちょっとぉ、邪魔なんですけどぉー」

 

「あ、も、申し訳ありません」

 

 

 カゴの中身を確認して驚いていたら、唐突に不機嫌な声。横を向けば、男連れの女性がこちらを睨みつけていた。

 よくよく観察すると、その男は織莉子ちゃんをだらしなく眺めている。……なるほど、嫉妬か。

 あまり気分はよろしくないが、触らぬ神に祟り無し。すみません、と一言誤り、俺は織莉子ちゃんの肩を引いて道を譲る。

 通り過ぎ様、女性は「ふんっ」と鼻を鳴らし、男は妬ましそうな視線をこちらに。

 うーむ。これが美少女を連れて歩く優越感と弊害か……。この子と一緒だと、本当に退屈しないな。

 

 

「ごめんなさい、先生。私がはしゃいでいた所為で、不愉快な思いを……」

 

 

 謝りながら、しゅん、と肩を落とす織莉子ちゃん。

 先程までの笑顔も、申し訳無さそうに消えてしまった。

 それがなんだか寂しくて、大丈夫だよ、と笑い掛ける。

 

 俺だって、あんな風に目の前を占領されてたら邪魔だなぁって思うし。

 あの人が正直者なだけさ。気にしない気にしない。

 

 

「……はい。やっぱり、先生はお優しいですね。見ず知らずの方にも気を配られて」

 

 

 ………………違うよ。

 織莉子ちゃんの前だから、格好付けたいだけ。

 

 

「――あ」

 

 

 ――って言ったら、どうする?

 

 

「……っ! て、撤回します……。先生は、意地悪な方、です……」

 

 

 紅くなった顔を隠す様に俯き、解れてもいない髪を直す振り。

 ああ、これだ。

 この表情が、俺を惑わせる。変に期待を持たせる。諦めたく、なくなってしまう。

 ……いや、駄目だ。こんなのは気の迷い。彼女だって、こういった経験は無さそうだし、それっぽい空気に流されそうになってるだけだ。……きっと。

 俺は、良い先生で、良い友達で、いなくちゃ。

 

 さ、まだ何か買う? もういいなら、早く会計を済ませよう。腹減っちゃったよ、俺。

 

 

「はい。これ以上買ったら、食べ過ぎでお腹が裂けちゃいます。あっ、お会計は私に任せて下さいねっ!」

 

 

 気を取り直して催促すると、織莉子ちゃんは笑顔に戻りレジへ向かう。

 コンビニを出て行くカップルを横目にその背を追い、カゴをカウンターに。

 店員さんの「温めますか?」に、「お願いします!」と喰い気味な返事をする姿がちょっと可笑しい。

 そして、滞りなく会計が済み、商品が入った袋を二つ受け取って安心した後は、今後の相談だ。

 

 で、何処で食べようか、これ。

 せっかくいい天気なんだから、外で食べてみる?

 

 

「良いアイディアですっ。なら、いい場所を知っていますよ。少し歩くんですが、五郷(いつさと)公え――」

 

《バシャリッ》

 

 

 話しながら出口に向かおうとしていたその時、不意に、何かの落下音。

 振り向いてみれば、俺達の後ろに並んでいたらしい少女が、財布の中身をぶちまけてしまっていた。

 

 

「あー、大丈夫ですか?」

 

「……はい……」

 

 

 やる気の無さそうな店員さんの声に、それ以上の覇気の無さでか細く答えるショートカットの少女。

 彼女は気だるい顔付きで、落としてしまった小銭を拾い集める。

 幸い、他には誰も並んでいないが、随分おっとりした子の様だ。服装がやけにスタイリッシュで、そのギャップが目を引く。

 ……手伝ったのが良いか? でも、金だしなぁ。変に触るとネコババだの何だの言われそうだし――

 

 

「大丈夫?」

 

「……え」

 

 

 ――と、そんな事を考えている間に、織莉子ちゃんはしゃがみ込む少女へと近づいて、手早く小銭を拾い上げ、唖然とするその子に差し出す。

 それはあまりにも自然体で、俺の懸念が、全くの常識外れな錯覚すら覚えさせる。

 

 

「これで全部かしら?」

 

「う、うん」

 

「良かった。気をつけてね」

 

「あ……」

 

 

 返し終えると真っ直ぐにこちらへ戻り、まるで何事も無かったかの様に「さ、参りましょう」と先導する。

 多分、彼女にとっては本当に、何でも無い事なのだろう。

 ごく当たり前に他人を気遣い、それを濫りに誇りもしない。

 後の面倒まで予想し、考え過ぎて動けなかった俺なんかよりも、この子の方が、よっぽど。

 

 本当に優しい子だね、君は。

 

 

「えっ? ……もう、なんです急に? 同じ手には二度も引っ掛かりませんよ?」

 

 

 口をついた褒め言葉に若干頬を緩めながらも、織莉子ちゃんは澄まし顔。

 どうやら、これもさっきの冗談の続きと取ったらしい。けど、またあの顔をされたら不整脈でも起こりそうだし、これでもいいか。

 

 

『素直に誰かを褒められるのは、誰かに褒められるのと同じくらい意味がある』

 

 

 頭に浮かぶ爺ちゃんの言葉。

 良く覚えてるもんだ、と内心で苦笑し、そりゃあ残念、なんて肩をすくめて見せた。

 すると彼女は、こちらを覗きこむ様にちょっとだけ前屈みになりつつ、「はい、残念でした」、と上機嫌で自動ドアを潜り抜けようとする。

 

 ……あっ、織莉子ちゃん前――。

 

 

 

 

 

《ガンッ》

 

「はぅ゛っ!?」

 

 

 

 

 

 ――が、ちょっとだけタイミングが早く、透明なガラスにおでこを強打してしまった。

 こちらに余所見していた所為もあるだろう。

 コントでしか聞いた事の無い音と、見た事の無い仰け反り具合だった。

 

 

「ぅ、ぃ、痛い、で、す……」

 

 

 ……っく。お、織莉子ちゃん、大丈……夫……ぷっ、ふ、ふっくっく……。

 

 

「うぅぅ……! い、意地悪です、先生は意地悪です!」

 

 

 あ、ちょっと待って織莉子ちゃ――ぶははははっ、ひぃーっ!

 

 

「笑わないで下さいー! もう知りません!」

 

 

 落差のあるイベントが立て続きに起こり、耐え切れなくて、思わず腹を抱えて大笑い。

 それが恥ずかしいのか、彼女はぷんすか怒って早足に歩き出す。

 俺は目に笑い涙を浮かべながら、ずんずん先に行ってしまうその背中を、急いで追いかけた。

 

 ……あぁ、本当にどうしよう。

 そんな風に、可愛く怒った顔を見せられたら。

 ますます、君へ夢中になってしまうじゃないか。

 

 

 

 

 

「……おり、こ……」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……むぅ……」

 

 

 難しい顔に、険しい視線を乗せて。

 ハンカチを敷いた、日当たりの良いベンチに腰掛ける少女が唸っていた。

 固唾を呑んでそれを見守っていると、やがて、ペリッ、という音と共に、表情は一変する。

 

 

「出来ましたっ。凄いですね~。こんな仕組みになっていたんですか~」

 

 

 しげしげ、ビニールの包みを観察する純真無垢な笑顔に、良く出来ました、と、俺は小さく拍手。

 その少女――織莉子ちゃんが手に持っているのは勿論、おにぎりである。

 縦にぐるーっと線を剥いて、左右に引っ張るアレだ。ちなみに具は海老マヨ。

 

 拗ねてしまった彼女の御機嫌を取りながら、コンビニより歩いて約十数分。

 辿り着いた五郷公園は、多くの緑に囲まれ、すり鉢状に段差のついた広場が中央に据えられる、大きな公園だった。

 日曜日である事も手伝ってか、多くの人が集まり、小さな女の子を連れた父親らしい男性など、家族連れも見かける。

 手に包みを提げている辺り、外での昼食が目的らしい。まぁ、それは俺達も同じなのだが。

 

 

「それでは早速。頂きます。……はむ」

 

 

 律儀に挨拶してから、海老マヨおにぎりを両手でしっかり持って頬張る。

 パリッと海苔が音を放ち、耳から食欲をそそった。

 しかし、頬張るといっても彼女の一口は随分小さいらしく、噛み口からは白いご飯だけが覗く。

 

 

「美味しいです……。奈々瀬さんが作ってくれた物とは、また違った味わいがありますね」

 

 

 ほぅ、と一息つき、満足そうな織莉子ちゃん。

 ただのコンビニおにぎりでも、こうして食べる味はプライスレスみたいだ。

 そんな姿に胃袋を刺激され、彼女に習い、頂きます、とおにぎりを食べ始める。具は豚の角煮だ。ついでに言えば、これは奢られた物である。

 コンビニを出た後、俺が食べる分の代金を支払おうとしたのだが、織莉子ちゃんは頑として譲らず、払うから、と言っても「止めて下さい!」なんて言葉が返り、ついにはお札を手に言い合い。

 如何わしい交際を強いているとしか見えない光景は、当然、周囲の注目を集めてしまい、俺達は逃げるようにして公園に飛び込んだのだった。

 いやー、通報されなくて本当に良かった。

 

 それにしても、今日はあったかいね。風も強くないし。

 

 

「はい。絶好のピクニック日和になってくれて、助かりました。ただのおにぎりですが、こうして日の光を受けて、お友達と――先生と一緒に食べるのは、格別です」

 

 

 空を見上げ、眩しさに目を細める彼女へ、ホントにね、と軽い同意をしながら、俺は内心で悶えていた。

 「友達と」のままなら普通に感想として聞けたのに、何でわざわざ「先生と」って言い換えるんだ。

 明らかに好感度の上昇を狙われてる気がするぞ。実際上がったし。どうしてこんなに男心のツボを突くのが上手いんだよ……。つっても、この子は素でやってるんだろうなぁ……。

 もし織莉子ちゃんが男だったりしたら、ギャルゲーの主人公みたいな一級フラグ建築士にでもなりそうだ……。

 

 

「んむ、ん、っん。はぁ……。海老マヨ、美味しかったです。ご馳走様でした。さて、次は……これにしましょうっ」

 

 

 ――と、一銭の得にもならない想像を繰り広げている間に食べ終えたのか、彼女は二つ目のおにぎりに着手した。

 手に取ったのは……今度はネギトロか。

 

 

「ネギトロ……。これって、お寿司のネタじゃあ? あ、もしかして酢飯になっていたり?」

 

 

 いや、前に食べた事あるけど、普通のご飯だったよ。

 というか、あったかい酢飯っておんまり美味しくないんじゃない?

 

 

「……それもそうですね。では、頂きます」

 

 

 あむ、と三角形の頂点をパクリ。

 それを飲み込んでから、二口三口とまた頬張り、ようやく具に辿り着いた――

 

 

「――っ!? ~! ~~っ!!」

 

 

 ――かと思いきや、いきなり口元を手で覆い、目をぎゅうっと閉じて脚をじたばた。

 な、なんだ? 突然そんな可愛い行動を取られても……あ、そういやワサビ入りだったか、このおにぎり。そのせいか。

 随分といい所に当たった様で、織莉子ちゃんは目尻から涙まで零していた。

 それでも必死に飲み下そうとしている姿がいじらしいからまた困る。

 

 

「っ、はぁ、っ、か、から、辛いです、ぅ……」

 

 

 大丈夫? ほら、ジュース飲んで。

 

 彼女の手は塞がっているので、代わりにペットボトルの蓋を開ける。

 差し出してあげれば、それをゆっくり傾け、辛さを洗い流して「ぷはあ」と一息。

 

 もしかして織莉子ちゃん、ワサビ苦手?

 

 

「はぁ……はぃ……。ワサビだけは、どうにも……。他の辛いものは、全然平気なんですよ?

 唐辛子も、マスタードも、辛味大根なんか大好きですし、カレーだって食べられます。

 ……でも、ワサビだけは、駄目なんです。どんなに気をつけて食べても、鼻につーんと来るあの感覚が、絶対に、確実に来るんです……」

 

 

 そう言って肩を落とす姿からは、ただならぬ悲壮感が漂ってきていた。

 意外な弱点があったものだ。勝手な印象だが、食べ物の好き嫌いも全く無さそうだったのに。

 いや、さっきの自動ドア正面衝突事件もあるし、ひょっとしたら、普段は完璧に見せているだけの天然箱入り娘だったりするのか?

 友達が居ないって悩んだり、ジャンクフードに憧れたり、子供舌だったり。こうして見ると、完璧な存在とは程遠い、普通の女の子。

 もしかして、俺の前でだけ、こんな姿を見せてくれるのだろうか。

 個人的にはそんなのもチャームポイントにしかならないから、そろそろいい加減にして欲しい。もしそうなら惚れるぞ。既に惚れちゃってるけど更に惚れ直すぞ。

 

 ……まぁ、好き嫌いは誰にでもあるし、仕方ないよ。

 でも、どうする? まだ半分近く残ってるけど。ツライなら無理して食べなくても……。

 

 

「い、いいえ。そんな勿体無い事、出来ません。が、頑張って食べます……。ぁ、あ……む……っ、ぅ」

 

 

 ジュース片手におにぎりを口へ詰め込む彼女は、まるで苦行に挑む修験者の如き決意の表情。

 どんだけ嫌いなんだ……。俺もらっきょうだけは死ぬほど嫌いだから、喰えと言われたらこんな顔するかも知れないけど、実際に見せられると苦笑いしか浮かばない。

 なんだか、一人で美味しく食べているのが後ろめたくすら感じてしまった。

 

 

「………………っくん。っはぁあぁぁ……。お、美味しかったです……ご馳走様、でした……すんっ」

 

 

 たっぷり十分ほど時間を掛けて、ようやく仇敵を討ち果たした後は、肩で息をしながら小さく見栄を張る。

 それは、親に叱られながら大嫌いな物を食べ終え、ほんのちょっとだけ成長した、小さな女の子の様で。

 微笑ましさを堪えきれず、勝手に頭を撫でてあげそうになる手をビニール袋に誘導し、俺は口直しを勧める。

 

 よーく頑張ったねー、織莉子ちゃん。

 デザート系のサンドイッチも買ってあるんだし、これで辛いのを忘れなよ。

 ほら、すっごく甘いよー。

 

 

「……なんだか、酷く子供扱いをされている気がします」

 

 

 そんな事ないよー?

 ほぉら、生クリームと苺だよー?

 食べないなら俺が貰っちゃうよー?

 

 

「むぅ。……頂きます」

 

 

 若干膨れながら、しかし、甘さへの欲求は誤魔化せないのか、手渡したサンドイッチは瞬く間に消えていった。

 その後も、たびたび会話のやり取りを繰り返しては、食事も進んでいく。

 多めに買った――じゃないな。買って貰ったはずが、結局、おやつ以外は二人で食べきってしまった。おかげで少し腹が苦しい。

 けれど、それすら奇妙な満足感をもたらしていた。

 

 

「はぅ。ちょっと、食べ過ぎてしまいました。おなか一杯です」

 

 

 織莉子ちゃんも同じ感想なのか、苦しそうにお腹を撫でながらも、ご満悦な顔。

 不思議だ。コンビニのおにぎりなんて、一人で食べたら味気ない食事だろうに。

 彼女の言った通り、二人で食べれば、こんなにも充足感を与えてくれた。

 ……不思議なもんだ。

 

 

「先生。ありがとうございました」

 

 

 ――と、空を仰いで満腹感を騙していたら、唐突にお礼を言われてしまった。

 あれ? お礼を言われるような事したっけか? 奢って貰ったんだから、お礼を言うのはむしろこっちなのに。

 

 どうしたの、急に。俺、なんかした?

 

 

「お出掛けに付き合って頂いて、ですよ。私一人でも何時かは来れたと思いますけど、こんなに楽しくはならなかったと思います。

 先生のおかげで、とても楽しいお出掛けになりました。ですから、ありがとうございます、なんです」

 

 

 燦々と降り注ぐ陽光を浴びた花は、この瞬間、間違い無く俺にだけ向けられていた。

 それが、どうにも嬉しくて。ともすれば、だらしなく落ちてしまいそうな頬を隠すため、俺は意地の悪い笑みを顔に貼り付ける。

 

 ……そうだね。俺も本当に楽しかった。

 自動ドアに突っ込んだり、ワサビに悶絶する織莉子ちゃんを見るのは、全然飽きなかったよ?

 

 

「や、やです、もう! 今日の先生は意地悪ですっ! 忘れて下さいー!」

 

 

 あっはっは、どうしようかなー。

 

 こちらの腕を掴み、グラグラ揺らしての抗議。

 珍しく直接的な行為に少し驚きつつ、彼女もこういう事をするのだと知れたのが、また嬉しくて。

 自分の中にある、彼女への気持ちを実感する。

 弟に言われた通り、口ではああ言っておきながら、諦めるつもりなんて毛頭無いのだろう。

 そうでなければきっと、こんな風にからかうのが楽しかったり、触れる手に胸を高鳴らせる事も、無い。

 ああ。この出会いを棒に振るには。

 この気持ちを諦めるには、この子は可憐過ぎる。

 だったら――

 

 ……うん。忘れるのは無理だけど、でも、その代わりに約束するよ。

 また何処かへ行きたくなったら、俺が何処へでも連れて行ってあげる。何か、やってみたい事を見つけたなら、それも手伝ってあげる。

 何時でも、どんな事でも。俺は君の先生で、一番の友達だからね。それで許してくれない? ……織莉子ちゃん。

 

 

「あ……」

 

 

 ――だったらもう、覚悟を決めるしかない。

 年齢の差は、あと数年もすれば気にしなくて良くなる。

 身分や生まれの違いも、俺が死ぬほど努力すればどうにかなる……かも知れない。

 血の滲むような努力が必要になるだろう。

 俺みたいなただの一般人が、彼女と対等の存在になれる可能性なんて、それこそ奇蹟の様な確立だろうし、例え叶ったとしても、当の本人に好かれなければ全くの無意味。

 けれど――

 

 

「えっと、その……は、ぃ……。よ、よろしく、お願いします……」

 

 

 ――微かに頬を染め、恥ずかし気に、膝の上で指を組む姿は。

 そんな不確かな未来をして、希望を見出させてくれるのだった。

 

 会話は途切れ、俺と彼女の間を、穏やかな春の風が吹く。

 揺れるサイドポニーは、その心情を表しているかのようにそわそわ。花も恥らう乙女が、そこに居た。

 俺の言葉がこんな表情を引き出したとなると、やっぱり、希望を抱いてしまうのはしょうがないと思う。

 ……まぁ、あくまで希望的観測だけども。いきなり変なことを言われてびっくりしてるだけかも知れないし。

 っていうか、連れてってあげるとか手伝ってあげるとか、良く考えたら上から目線過ぎないか?

 うぉお、もうちょっと考えてから発言すりゃあ良かった……。

 

 

「……うぅ……。あっ、そ、そうだわ! でしたら先生、私、以前からやってみたかった事があります!」

 

 

 覚悟を決めた端から失敗したんじゃないかと後悔していたら、不意に織莉子ちゃんはポンと手を打ち鳴らし、ビニール袋からある物を取り出す。

 

 

「前から気になっていたんですっ。先生のその後ろ髪、ぜひ私に直させて下さい!」

 

 

 突きつけられたのは、先ほど昼食と一緒に買った寝癖直しと、ポーチから現れた櫛だった。

 ……え? 後ろ髪? あぁ、確かに今日も相変わらずだけどさ。

 

 別に構わない、けど……え、そんなんで良いの?

 

 

「ええ、勿論。では、じっとしていて下さいね」

 

 

 いささか予想外だった発言に困惑していると、彼女はどこか、急かされる様にしてベンチを立ち、俺の後ろへ回りこむ。

 一声、「冷たいですよ」とあった後、しゅ、しゅ、と後頭部に湿り気を感じる。

 そして、首筋にそっと添えられる手に、髪へ通される櫛。ただそれだけなのに、背筋がソクリとした。

 

 ……っ。そ、そんなに凄いかな。俺の髪。

 

 

「はい。まるでパーマを当てたみたいです。でも、会う度に跳ね具合が変化していたので……。一度、櫛を通してみたかったんです」

 

 

 あー。なんか、寝てる時の癖みたいでさ。

 いつの間にか頭の下に敷いちゃうみたいなんだ。

 格好悪いのは分かってるんだけど、しつこくてねぇ……。

 

 

「なるほど、それで。……ん、本当に頑固ですね」

 

 

 優しく、ゆっくりと髪を梳かれる。

 いろいろ試そうとしているのか、頭を撫でるように小さな手が動いていた。

 なんだろう。凄く、心地良い。

 髪を弄られているだけなのに、とても心が落ち着く。

 

 

「先生の髪って、柔らかいんですね。だから癖がつき易いのかも知れません」

 

 

 そう、かな……。

 

 ……なんか、眠い……。

 そっか……昨日の夜は、今日の事を考え過ぎて……あんまり……眠れなかったんだっけ……。

 

 

「あ、動かないで下さい。もう少しですから」

 

 

 船を漕いでしまった俺を、織莉子ちゃんの手が支える。

 強烈な睡魔に、襲われていた。

 暖かい日差し。柔らかな風。落ち着いてきた満腹感。そして、耳の下から顎にかけて感じる、好きな女の子の体温。

 全てが絶妙に絡み合い、極めて効果的に、意識を削り取っていく。

 

 

「せ――い? ど――なさい――た? ……先――」

 

 

 そして、段々と遠くなる声を、子守唄代わりに。

 俺は、優しい指先に、甘えてしまうのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 煌々と明かりが灯り、窓に暗がりへ落ちた風景を飾る美国邸の廊下を、白いネグリジェで身を包み、上機嫌に歩く少女。

 既に入浴を済ませた彼女――織莉子は、この時間、珍しく家へ戻っている父に就寝の挨拶をするため、その書斎へと向かっていた。

 普段はいつも深夜に帰り、朝早くから仕事に出る父。

 一日の内で話せるのは、この家で会談が開かれる時か、母が亡くなってからは必ず一緒に摂ろうと決められた、朝食の僅かな時間しかない。

 だから、こうして会えるのなら、挨拶程度と言えど、欠かしたくないのだ。

 

 

(今日は、とても楽しかった……。色々と恥ずかしい思いはしたけれど……)

 

 

 そんな中、彼女が思い出していたのは、一ヶ月ほど前から、自分の家庭教師を務めて貰っている、一人の男性との事。

 今日はお昼前から、太陽が沈むまで。長い時間を一緒に過ごした。

 歳の近い(それでも四つは離れているのだが)男性と、これどほ長く一緒に居たというのは、織莉子にとって初めての経験だった。

 

 

「……っ。ぁあぁあぁぁ、私ったらなんて醜態をぉぉおぉ……」

 

 

 ……そして人前で自動ドアに突っ込んだり、ワサビに悶絶したのも、当然、初めて。

 今まで、何処の誰にも――父にすら見せた事の少ない無様な姿(自動ドアに限って言えば彼が唯一)。

 記憶と共に蘇った羞恥心に耐えるべく、彼女はフラフラ壁に縋り付き、おでこも着けて熱を冷ます。

 二人で一緒にコンビニへ行った。

 たったの一行で表現できる今日という日には、一行に収まりきらない程のイベントが盛り沢山。

 その上――

 

 

(今日の先生は、本当に、もう……っ)

 

 

 ――共にそのイベントを経験した彼は、今日に限ってやたら意地悪に思えたのだ。

 受けた仕打ちが思い出されて、カアッ、と頭がヒートアップしてしまう。

 涙ぐむまで大笑いしなくたっていいじゃない、と、織莉子は思うのだった。

 そして、あんな酷い様を見られてしまったのは勿論、恥ずかしがる理由は他にも。

 

 コンビニの店内で、「格好付けたいから」と言われた時の、真剣な目付き。

 公園のベンチで、「一番の友達だから」と宣言された時の、柔らかい笑み。

 最後に、織莉子の手に頭を預け、眠り込んでしまった彼の、穏やかな寝顔。

 

 そのどれもが、目に焼き付いて離れない。

 最初の眼差しは、からかわれたのだと分かっていても、脈が早まってしまった。

 二つ目の言葉を聞いた時などは、嬉しさと気恥ずかしさが入り混じり、跳ねた髪を直してあげたい、と変な事を言って誤魔化してしまった。 

 あの寝顔なんて、見ているこちらまで眠くなってしまうくらい気持ち良さそうで、起こしてしまうのが忍びなかったほど。

 別にこれだけなら普通なのだが、勿論それでは終わらない。

 

 いつまでも頭を持っている訳にもいかず、彼を起こさぬよう細心の注意を払って隣に戻り、どうしようかと思案していたのだが、その間に彼は織莉子に向かって倒れ、頭は太ももに着地。

 図らずも、膝枕の形となってしまったのだ。年頃の男性にそんな事をしているという事実は、酷く緊張をさせられた。

 起きた時の飛び上がり様(転げ落ち様?)と、その後の土下座を考えるに、これだけはワザとでは無かったのだろうけれど、とんだ災難である。

 おかげで、しばらくは脚が痺れて動けなかったし、顔を真っ赤にする彼に釣られ、こちらまで大いに照れてしまったのだから。

 

 

(……でも。嫌じゃ、無かった)

 

 

 ――が、積極的に拒否したいとも、思えなかった。

 こんなのは――いや。“これも”、初めてだった。

 

 

「デート、だったのかしら……」

 

 

 消え入るように、織莉子は呟く。

 恋愛関係――もしくは、それに近しい男女が交わす、逢瀬の約束。

 今頃になって、この言葉が浮かんでくる。

 

 少なくとも、思い付いた時はそんなつもりではなかった。

 ただ単に、また一人で行くには踏ん切りがつかなくて。でも、彼と一緒ならそれも叶いそうに思え、思い立ったが吉日とメールを送った。

 何時間経っても返信が来ず、「やっぱり迷惑だったかしら」なんてヤキモキしたものの、承諾の返事が貰えた時など、気になって全く集中出来ていなかった予習を中断。

 携帯を胸に抱えて、どんな服を着ていこうかなんて考えながら、一人くるくる小踊りし、目が回ってベッドに倒れこむほど。

 

 

「……私、やっぱり変だわ」

 

 

 より正確に言うなら、変になってしまった。彼と、出会ってから。

 相手の都合も考えず、思いついたままに外出へ誘うだなんて。

 その返事にあれだけ舞い上がるだなんて、今までに無かった。

 ここまで影響を受けるとは、思いもよらなかった。

 

 

(最初は、全く興味なんて無かったのに。いいえ、それどころか……)

 

 

 ――勉強以外の事では、一切の関わりを持たないつもりだったのに。

 

 実を言えば、家庭教師が来るという事へは、内心――僅かばかりではあるが、反感すら覚えていたのだ。

 敬愛する父に相応しい自分へとなれるよう、常日頃から努力しているつもりではあったが、家庭教師を付けられるという事は、期待されている半面、まだ足りないのだと言われている気もして。

 しかし、父の言いつけに逆らうなど言語道断。「そんな者は必要無い」という内なる不満を押し殺し、大人しく教え“だけ”を請おうと考えていた。

 けれど、実際に会った彼は、見ていて可哀相になるくらい緊張しきっていて。

 その様子があまりにも哀れで、胸に秘していた暗い気持ちは吹き飛び、一方的に隔意を抱きつつあった子供染みた自分を、恥ずかしいとも思った。

 だが、それだけなら、こんなに信頼を寄せる事も無かっただろう。

 

 自己紹介を済ませた後。

 内心の罪滅ぼしと、気の毒なくらいの緊張を解す意味合いも兼ねて用意した茶席。

 そこで彼が見せたのは、大して期待していなかった織莉子にとって予想外な、正直な人柄だったのだ。

 

 

『見知らぬ何かに直面した時が、その人の心根を見る一番の機会になるんだよ』

 

 

 いつだったか、父に言われた言葉。

 これに従って考えるなら、彼の心には、しっかりと誠実さが根付いている事になる。

 知る事の喜びを、感謝の気持ちを素直に伝えられる、真っ直ぐな心を持っている事になる。

 あの時、織莉子自身がああ言った様に。その姿勢は父と――美国久臣とよく似ているのだ。

 

 決して綺麗事だけでは渡っていけない政治の世界を、それでも、「妻と娘に恥じる真似だけはしたくない」と、誠実さを武器に邁進して来た父。

 はっきり言えば、それは時として融通の利かない頑迷さとしても現れ、故に、味方も多いが、敵はそれ以上に多かった。数日前に逮捕された大物政治家も、後者の一人。

 内々のうちに聞かされた話だが、彼の人物を告発するため、以前から準備を進めていたものの、諸事情による計画の前倒しが無ければ、その毒牙に掛けられていたかも知れないらしい。

 

 

(もし、そうなっていたら……)

 

 

 考えただけで、身震いしそうになる。

 己の正義を貫くのは立派だけれど、もう少し御自分の身の安全も確保して欲しい、と。

 しかし同時に、誇らしくもあった。

 

 ――私のお父様は、何処の誰にも負けない、最高に格好良い正義の味方。

 

 こんな事を思い、胸を張れるくらいに。

 そして、そんな父に似た一面を、織莉子は彼に見出した。

 歳は倍以上離れているし、声も、顔立ちも、まるで違うのに。一瞬、父が身に纏う雰囲気を感じたのだ。

 本当に、驚いた。

 

 

(私が先生を信じられるのは、お父様と似ているから?)

 

 

 確かに、それが正解なのだろう。

 そう感じなければ、彼を見習おうとは思わなかっただろうし、昔からの悩み――心を許せる友が居ないのではないか、という事を相談もしなかったはず。

 友達になって欲しい、名前で呼んで欲しい、なんてお願いしてしまったのも、きっと。

 まぁ、父に似ているというだけで信頼してしまうのだから、「ファザコンも大概ね」などと、自分で思ったりもするが。

 けれども――

 

 

(なら、お父様にああ言われたら、私はもっと変になるのかしら……)

 

 

 ――と考えれば、それは間違い無く違う。

 父に、「織莉子の前だから――」と言われても、「そんな見栄を張らずとも、お父様はとても素敵な方です」なんて笑みを返せるだろう。

 あんな風に、顔が熱くなったりはしない。

 同じく、「何処へでも――」と言われても、「ご無理をなさらないで下さいね? こうしてお話できるだけでも十分ですから」なんて、逆に遠慮してしまうだろう。

 あんな風に、微笑み掛けられて苦しくなったりは、しない。

 うたた寝しているのを見かけたって、「やっぱり疲れているのね」と掛ける物を持って来たりはするだろうが、その顔に見入ったり、うっかり膝枕をさせられて太ももに当たる寝息にゾクリ、なんて有り得ない。

 

 

「どうして……?」

 

 

 織莉子は思い悩む。

 父と似ている部分を見つけて、それが切っ掛けで親しくしようと決めた。

 でも、父とは違う部分に気付き、今度はそれにドギマギしている。

 

 

(この感覚は、何? 私は、どうしてしまったの? 先生は一体、私の何なの?)

 

 

 何も期待していなかった、家庭教師の先生。

 お父様と似ている雰囲気を持った人。

 四歳ほど年上な、何時も後ろ髪を跳ねさせている人。

 初めて、自分から作ったお友達。

 初めて、デートをした、男の人。

 

 

(私に、色んな“初めて”を教えてくれる人……)

 

 

 そして、初めての――

 

 

「……やめよう。早く、お父様に挨拶しないと」

 

 

 ――と、そこまで考えておきながら、何故か織莉子は思考に蓋をして歩き出す。

 早く挨拶を済ませ、部屋に戻って休まないといけない。

 明日も早いのだから。何も、今すぐに答えを出す必要なんて、無いのだから、と。

 

 彼女は気付いていない。いや、気付かない振りをしていた。自分が、答えを出すのを怖がっている事に。

 それも仕方無いのかも知れない。初めてなのだ、何もかもが。

 親しい異性が出来たのも。家族やお年寄り以外の人に、名前で呼ばれるのも。からかわれたり、意地悪されたりするのも。

 ……笑い掛けてくれる声に。その表情に、父が向けてくれる親しみと似て、決定的に違う“何か”を、感じたのも。

 

 それが勘違いであったなら、きっと、酷く傷ついてしまうから。

 当たっていたとしても、どう反応すれば良いかなんて、分からないから。

 本当は理解出来ている癖に、自分を守ろうと、予防線を張って。

 生まれて初めて過ごす、友達との楽しい時間を崩さぬ為、ずれた努力をし続けるのだ。

 しかし、封じ込めようとしても、幾度となく蘇る彼の顔に、知らず微笑みながら、彼女は歩く。

 足取りが軽いのは、一体、何の所為なのか。その理由も、鼻歌に消して。

 

 そうこうしている内に、物々しいドアの前へ辿り着いていた。目的地である、父の書斎だ。

 小さく一つ咳払いをし、気を引き締めて、織莉子はドアをノックしようと腕を上げる。

 

 

「例の件、――までお隠――なられ――ですか?」

 

 

 ――と、その時、ドアの向こうから聞きなれた若い女性の声。

 美国家に長く仕えてくれているメイド――奈々瀬 七理(ななせ ななり)だった。

 

 

「相変わらず、君の言葉は耳に痛いな、七里くん。いや、だからこそ側に置いているんだがね」

 

「恐縮です。……が、なればこそ、僭越ながら申し上げます。事はお嬢様に関わるのです。内密に進めてしまっては、尚の事、納得しては頂けないかと」

 

「……分かっては、いるんだが。どうにも、ね」

 

 

 それに答えているのは、先程から思考の中に現れていた人物。織莉子の父である、美国久臣。

 声音から判断するに、苦笑いでも浮かべていそうな気配だった。

 行儀が悪いのは承知していたが、なにやら自分の事を話しているようなので、織莉子は引き続き、耳をそばだてる事に。

 

 

「やはり、お断りするのは難しいのでしょうか」

 

「ああ。古い付き合いだし、今回の件でもかなりの借りを作ってしまった。借りっ放しは、マズイだろう?」

 

 

 ……どうやら、何か約束事の話のようだった。

 それは理解できたが、どう自分に関係するのかは未だ分からず、織莉子は首を捻り――

 

 

 

 

 

「しかし、その代償として要求されたのが、三十も歳の離れた方とのお見合いですか。感心しませんね」

 

 

 

 

 

 ――続く言葉で、息を飲む。

 

 

(お見合い?)

 

 

 確かに、そう聞こえた。

 三十も歳が離れている。そうも聞こえた。

 心臓を直接、冷水に晒されたような。

 そんな感覚を覚えた。

 

 

「言わないでおくれ……。前々から何度も打診は受けていたんだ。そんな折にこの事件。断りきれなくてね。

 それに、お見合いと言っても本当に会うだけだ。これだけ歳が離れていて、まさか本気でもあるまい」

 

「そうとは思えませんが」

 

「根拠は?」

 

「女の感です」

 

「……弱った。そう言われて外れた例がない」

 

 

 困りきっている、父の声。

 普段なら、何か言葉を掛けたくなるそれに、しかし、織莉子は息切れを起こしたかの如く、不規則な呼吸を繰り返す。

 

 

「だが、これはもう決まっている話なんだ。今更反故にすれば、今後の活動にも影響が出るかも知れない。嫌な思いをさせるだろうが、理解して貰わないと……」

 

「だからこそ、お話なさるべきだと言っているのです。御当主の決断です。聡い方ですから、最終的には理解してくれるでしょう。が、心中はお察しできます。言葉を尽くされるべきかと」

 

「……そうだね……。ところで、例の家――師の――はど――い? いい友――――てく――――な」

 

「――? ……ああ、そ――う事――か。相変わ――妙――――で――いを――」

 

 

 段々と、遠くなる声。

 気がつけば、ドアの前から逃げ出していた。

 

 

(お見合い……。私が? まだ、十五なのに?)

 

 

 話の流れからして、そう判断するのが妥当。

 こう見えても、自分は美国家の女。父と母だってそれで結ばれたのだし、何時かはこんな日が来るだろうと、織莉子も覚悟はしていた。

 けれど、こんなにも早いだなんて、想定外だった。

 しかも相手は――

 

 

(三十も、年上?)

 

 

 全身をナメクジが這う様なおぞましい感覚に、鳥肌が立つ。

 三十も上という事は、少なくとも四十代後半。

 父と殆ど変わらない年齢の男が、自分に懸想しているかも知れない。

 ……身の毛がよだつ思いだった。

 

 

(いいえ、お父様は会うだけだと……。なら、お断り出来るはず……)

 

 

 ――そう、そのはずだわ。少なくとも、今回は。

 

 

「……今回?」

 

 

 自分の頭を過ぎった単語に、彼女は気付く。

 確かに、今回は断れるだろう。だが、一度だけだと何故言える?

 前々から打診されていた、とも父は言っていた。借りを返して貰うのにこんな事を要求する男が、たった一度で諦めるだろうか。

 その男だけではない。結婚に適した年齢になれば、それこそ引っ切り無しに見合いが申し込まれるのを予想できる。

 彼女自身の女としての価値もさて置き、それだけの権威を秘めているのだ。美国という血は。

 それに、ありえない事だが、もし……もしも、父が失脚し、弱い立場に貶められたなら。

 窮地を脱するのに、この身を差し出せと、言われたなら。

 

 

「見捨てる事なんて、出来ない……」

 

 

 あの人は、本当に強く、同時に弱い人なのだ。

 愛する妻を喪って、未遂だったとは言え、自殺を計画するくらいに。

 まるでダイヤモンドの如く、硬くて、脆い。

 そんな父だからこそ、育てて貰った恩義に報いるためなら、この貞操を犠牲にする事だって――

 

 

「……そんなの、嫌、ぁ……」

 

 

 ――厭わない、筈だったのに。

 いざ現実味を帯びてくると、恐ろしくて堪らない。

 可能性が限りなく低かったとしても、100%有り得ない未来ではない事が、体の震えを呼び起こす。

 

 

(私は、どうすれば……)

 

 

 頼りない足取りが向かった窓からは、下弦の月が見下ろしていた。

 やがて雲が掛かり、弧を描いていた僅かばかりの光も消えてしまう。

 ガラス一枚隔てた世界に広がる闇は、己の未来を暗示しているようで。

 

 

「先、生……っ」

 

 

 もしかしたら、と期待して呟くけれど。

 不安は消え去るどころか、切なさに取って代わって織莉子を苦しめる。

 

 欠け半ばを過ぎた月が、その顔を隠してしまうまで。

 後、数日しか残っていなかった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ……はぁ。っと、そろそろ着替えなきゃ……。

 

 ボールペンを握っていた左手を休ませようと、一息つく。

 そのついでに時計を確かめれば、そろそろ準備が必要な時間になっていた。当然、美国家へ赴く準備である。

 

 織莉子ちゃんとコンビニデート(と呼んで良いのかは疑問だが)をした週末から数日。

 彼女を想うための覚悟を決めた俺は、真っ先に家庭教師としての名誉を挽回しようと、問題作りに精を出していた。

 しかし、思ったより集中していたのか、あと二十分もしない内に家を出なければいけない。

 ただ覚悟が決まっただけで、こうも気の入り方が違うのだから、人間とは単純な生き物だ。

 ……本当は、前向きな気持ちだけで努力している訳じゃ、ないんだけど。実際は悩み通しだし……。 いや、せっかくこれから織莉子ちゃんに会えるんだっ、暗い顔なんてしてられんっ!

 気持ちを切り替えようと、俺は両手で自分の頬をバシンと叩く。……ちょっと力入れ過ぎた……。

 

 

《ジリリリリッ》

 

 

 ――と、そんな時、机の上に置きっ放しだった携帯から、黒電話を真似る着信音。

 着古したジャージの上着を脱ぎながら画面を確かめれば、園に表示されていたのは見知らぬ携帯の番号。……誰だ?

 一瞬迷ったが、何と無く切る気分でもなかったので、俺は出てみる事に。

 

 もしもーし。どちら様?

 

 

『あ、もしもし? 先生ですか?』

 

 

 は……え、あっ、織莉子ちゃん!?

 

 

『はい、織莉子です。申し訳ありません、突然電話なんて……』

 

 

 予想外の発信者にまたも驚き、思わず背筋を正しながら、いやいやとんでもないっ、と焦る。

 見られている訳でもないのに、ジャージの下とTシャツ姿が恥ずかしい。

 

 あー、っと、どうしたの? 何か用事?

 

 

『ええ……。実はまた、先生にお願いがありまして。時間、よろしいですか?』

 

 

 構わないよ。でも、別に電話までしなくても。どうせこれから会えるんだし。

 

 

『いえ。お願いと言うのは、それに関する事なんです』

 

 

 それ? って事は、今日の家庭教育だろうか。

 もしかして都合が悪くなったとか。うーん、会えなくなるのはちょっと寂しいな……。

 

 

『今日のお勉強なのですが、少し、場所を変えようと思うんです。それをお許し頂きたくて』

 

 

 場所を、ね……。

 

 ごうやら勘違いだったらしい。

 勉強する場所を変える、か。何でそんな……ん? あ、なるほど。

 少し戸惑ったが、織莉子ちゃんの言いたい事が予想できた俺は、一人で頷く。

 学生が勉強する場所と言えば、学校、自宅、図書館など、いろいろ選択肢があるけれども、そういった中で彼女が行った事の無さそうな場所に限ると、ファミレスや喫茶店だろう。

 今度はそこに行ってみたいと言うに違いない。これなら納得が行く。

 

 うん、たまには気分も変わって良いかもね。この間の約束もあるし、大丈夫だよ。

 で、何処に行きたいの? この時間なら――。

 

 

『あ、ありがとうございます。でも、実はもう着いてるんです』

 

 

 ……へ? 着いてる?

 

 どういう事か問い質そうとしたのだが、丁度その時、玄関から来客を告げるチャイムが《ピンポン》と。

 魔の悪さに小さく舌打ちをし、少し待って、と電話に告げながらドアに向かう。

 そして、どちら様ですか、とノブを回せば――

 

 

 

 

 

「こんばんは、先生」

 

 ………………織莉子ちゃん?

 

「はい。来ちゃいました」

 

 

 

 

 

 ――その向こうに居たのは、俺と同じく携帯を構え、もう片方の手にビニール袋を提げる、普段とは違った装いの織莉子ちゃんだった。

 髪型はいつものサイドポニーだが、頭の上にはチェック柄のベレー帽。

 上半身を覆っている……ポンチョ? も同じ柄で、顔には薄く色の着いたサングラスが。

 なんて言えばいいんだろうか……。ステレオタイプな探偵コスチュームにも見える。とりあえず、ものすっごく可愛い。

 が、問題は俺の方だった。

 

 ……ごめんちょっと待っててぇ!!

 

 

「え、せ、先生!?」

 

 

 たっぷり十秒くらい見つめあった後、勢い良くドアを閉める。

 う、うぉああぁぁぁあぁ!? 行きたい場所って俺ん家かよぉおおっ!?

 見られた、よりにもよって織莉子ちゃんに見られたっ!? ジャージにTシャツなんて百年の恋も冷める格好を見られたぁああっ!!!!!!

 ってか、こんな部屋に入れられる訳がねぇじゃん!?

 

 ドアに背中をへばり付けて振り返る自室は、散々な有様なのだ。

 コンビニ弁当の空き箱に、お茶のペットボトルの山。

 脱ぎっ放しの服と雑誌が散乱し、足の踏み場も無い床。

 色んな臭いが混じって淀んだ空気。

 

 ……ど、どうしよう……?

 

 

「あ、あの、やっぱりご迷惑でしたか……?」

 

 

 う、ううんっ! 迷惑じゃないんだけど部屋がちょっと散らかってるんだ!? お願いだから十分――いや五分――さ、三分待ってぇ!?

 

 悲鳴の様な返事を投げ、俺はつんのめりつつも部屋の掃除を開始する。

 とんでもない格好を見られた羞恥心も然る事ながら、せめて人を――女の子を招き入れられる状態にせねば!!

 まずは……空き箱とペットボトルっ。買って来た時の袋に詰めて、えぇと、とりあえずバスルームに放置っ。お湯抜いといて良かったっ。

 雑誌も重ねて縛る――暇は無いから、これもとりあえずクローゼットに……あ、ソファーベッドに敷きっ放しな掛け布団も一緒にして収納っ。ついでに予備のシーツを引っ張り出すっ。

 次は服をごっちゃに丸めて洗濯機に突っ込み隠蔽っ。見えなきゃ良いんだし廻すのは後っ。

 それから一旦窓を開けて、両手にファブ○ーズを構え周囲に散布っ。本当は箒も掛けたいけど、時間が無いしこれで……良くないっ、まだ着替えてねぇ!

 確か、こないだ買って来た奴の上下がまだ――あったっ。ありがとう弟達、今度メシ奢ってやるからなっ。

 さぁ今度こそ……あ、髪も一応は梳かしておかないと……って何でお前はまた跳ねてるんだよ後ろ髪ぃ!? 織莉子ちゃんにやって貰った時は素直に戻った癖しやがって……くっそ駄目だもうええわぁ!!

 

 はぁ……はぁ……っ……ぁあ゛、お、お待、たせ、ぇ……。

 

 

「……だ、大丈夫、ですか? とってもお疲れのご様子ですが……」

 

 

 も、もちのろんさ? ……う゛ぇっほ。

 

 心配そうな織莉子ちゃんの前で、俺は必死に強がって見せる。

 かなりドタバタしたが、ここまでキッチリ三分以内。我ながら神懸かった動き。

 動画撮影とかしていたら、ネットにアップしたい所だ。

 

 

「あの、わざわざお着替えにならなくても、私は別に……」

 

 

 何を言ってるのかな? 俺は最初からこの格好だよ? そういう事にして下さいお願いします。

 

 

「は、はぁ……」

 

 

 壁に手を突き、ワザとらしいモデル立ちですっ呆けながら、最終的にはお願いしてしまう俺。

 そんな姿が阿呆らしいのか、織莉子ちゃんの目は点に。

 

 

「あ。でしたら、良い物がありますっ」

 

 

 かと思いきや、ビニール袋を漁って茶色いガラス瓶を取り出す。

 それは、『ファイト一発!』なCMで有名な栄養ドリンクだった。

 

 

「手ぶらでお邪魔する訳にも行かないので、コンビニで飲み物でも、と思ったんですが、間違えて薬局に入ってしまって……。

 仕方なく、目に付いた物を色々と買ってみたのですけど、役に立って良かったです。どうぞ」

 

 

 それって衝動買いって言うんじゃ……。

 いや、ありがとう、助かるよ。とにかく、上がって?

 

 

「はい。お邪魔いたします」

 

 

 女の子の手には大きく見えるそれを受け取り、俺は織莉子ちゃんを招き入れる。

 しゃがんで脱いだ靴の向きを正した彼女は、帽子とポンチョを脱いで自分の腕に掛けるのだが、その下には意外な物が隠れていた。

 

 あれ。それって、白女の制服?

 

 

「ええ、そうですよ。平日に外出する時は、必ず制服を着用するようにと、校則で義務付けられているんです。

 ……そう言えば、先生にお見せするのは初めてでしたね。どうですか?」

 

 

 その身を包んでいたのは、彼女の通う白樺女子学園のセーラー服だったのだ。

 クルリ、一回転して見せてくれる。

 赤茶色っぽい上品な色合いに、胸元を飾るリボンは黒で、白く縁取りがされている。長袖の折り返しも白く、襟にも同じ縁取り。

 上着と同じ色のプリーツスカート(……で、合ってるだろうか)にまで、裾を白い線が横切っている。

 

 正直に言えば、これまた可愛いのだけど……興奮する。

 結構スカートが短くて、すらりと伸びた太ももが眩しい。あと胸。ぱっつんぱっつんです。十五でこれとか反則だろ。

 が、こんな事を本当に口走ったら、何処からともなく現れた忍者メイドさんに素手で首を刎ねられそうだ。

 なので俺は、良く似合ってるよ、と大いに自重した感想を告げる。

 

 

「あは。褒められちゃいました」

 

 

 しかし織莉子ちゃんは、それでも嬉しそうに顔を綻ばせてくれた。

 自然、二人で笑い合うのだが、玄関で立ち尽くしているのもアレなので、奥へどうぞ、とエスコート。

 歩きながら、彼女は物珍しそうに周囲を見渡して一言。

 

 

「小さくて、可愛らしい部屋ですねっ。ベッドが見当たりませんが……先生は何処でお休みに?」

 

 

 ああ、そこのソファーベッドだよ。

 寝る時は背もたれを倒して、その上で寝るんだ。

 一応、シーツは交換してあるんだけど……まぁ、これにでも座って。

 

 

「ありがとうございます。なるほど、実物は初めて見ました」

 

 

 クッションを敷いてあげると、それに腰を下ろしてソファの弾力性を確かめている。

 暗に「狭い」と言われた気がしないでもないのだが、あの部屋に比べれば本当に狭いのだから仕方ない。

 俺は別段気にも留めず隣へ座り、貰った栄養ドリンクの蓋を回した。

 こんなものに頼らずとも体力は回復しつつあるが、せっかく買って来てくれたんだし、頂こう。

 

 

「………………よいしょ」

 

 

 そう思って瓶を傾けていたら、何故かおもむろに座る位置をこちらにずらした彼女は、頭を向こう側にして、こてん、と横たわり――

 

 

 

 

 

「……先生の匂いがします」

 

 んぐっ。

 

 

 

 

 

 ――だなんて言いやがった。

 あ、危ない、噴き出す所だった! なんちゅう事を言うんだ君は!?

 ってか今、見えそうだった。倒れた拍子にスカートがフワッてなって危うく見える所だった! 超残ね――何でそんなに無防備なのさ!?

 一人暮しの男の部屋に来てるんだって自覚しようよ、そんな事を言われたら誘われてるって勘違いすんぞこの天然娘ぇ!!

 ……なんて突っ込めたらどれだけスッキリする事か……。あ゛あ゛あ゛……。

 

 お゛ふっ。ご、ごめん、もしかして臭かった? ちゃんとファブったつもりなんだけど……。

 

 

「ふぁぶ……? あ、いえ、そういう訳ではなくて……なんだか、安心できて……」

 

 

 安心? そ、そうかな……。

 

 

「はい……。なんとなく、ですけど……。そう、感じて……」

 

 

 体を戻した織莉子ちゃんは、上目遣いにこちらを見つめている。

 緊張が走り、空き瓶を握った手が震え、漂う空気にはむず痒さまで感じた。

 ……いや駄目だ、このままじゃ、雰囲気に飲まれて押し倒したくなる。どうにかして空気を変えなくちゃ……。

 

 あ、そう言えば、よく奈々瀬さんが許してくれたね。

 こんな時間に一人で外出なんて、あの人なら真っ先に止めそうなのに。

 

 

「え。あ、それは、ですね……」

 

 

 苦し紛れの質問に、彼女はビクンッと肩を揺らした。

 途端、視線も逸らし、くるくるサイドポニーを弄りだす。

 この反応、まさか……。

 

 もしかして、家の人に黙って出てきたんじゃないだろうね。もしそうなら……。

 

 

「い、いいえっ、違います! 奈々瀬さんはお父様について朝から外出していて、それで出て来られたんです。一応、書き置きも残してありますので……。ほ、本当ですよ?」

 

 

 無言で携帯を構えると、案の定、織莉子ちゃんは慌てて言い繕う。

 実は非常時に備え、奈々瀬さんの携帯番号は知っているのだ。まぁ、「お嬢様に関する事以外で掛かって来たら……」って凄まれたし、一度も掛けたこと無いけど。

 しかし、久臣氏のお付という事は、秘書技能まで持ってるのか? 近頃のメイドさんって凄い……。あの人が特別なだけか、多分。

 ……なんて感心はしたものの、焦り気味な言い訳には溜息しか出ない。

 

 はぁ……。一体どうしたの? なんか、色々と。いきなり家を訪ねて来たり……しかも奈々瀬さんに内緒で。

 何かあったのなら、話してみて。こう見えても、俺は君の先生なんだから。

 

 

「………………」

 

 

 個人的にはいい台詞を言えたと思ったのだが、彼女の顔は一転、曇ってしまう。

 当てずっぽうだったが、正鵠を射てしまった様だ。シワ一つ無かったスカートが、くしゃり、握られる。

 しばらく無言が続いた後。

 決心がついたのか、背筋をピンと伸ばした織莉子ちゃんは――

 

 

「どうしても、お尋ねしたい事があったんです。……二人きりで」

 

 

 ――こちらの瞳を真っ直ぐに見つめ、そう言った。

 初めて出会った時を思い出させる、強い意思を秘めた眼差しに、一瞬、息が止まる。二人きりで、と付け加えられたのも、理由の一つだ。

 真剣な雰囲気の中、それを気取られるのも情けなく感じ、俺は平静を装って続きを促す。

 

 尋ねたい事って? 俺に答えられる事なら、何でも答えるよ。

 

 

「本当ですか? どんな質問にも、嘘偽り無く答えて頂けますか?」

 

 

 ……まぁ、貯金額とかそう言うのは勘弁して欲しいけど、大体の事は。

 

 

「……そうですか。では……」

 

 

 やたら念押しされて、思わず変な事を口走ってしまったが、特に突っ込みも無いのが寂しい。

 しかし、それだけ重大な事なのだと気は引き締まり、背筋を伸ばして言葉を待つ。

 そして、何度か深呼吸をした彼女は、再び俺を見つめ、静かに口を開く。

 

 

「先生は……。私の事を、どう思っていらっしゃいますか」

 

 

 ――が、その内容を理解するには、しばしの猶予が必要だった。

 どう、思っているか。

 その言葉はまるで、耳に届いた単語以上の意味を、含んでいる気がした。

 けれど、あまりに唐突で。そんな事を聞かれるはずが無いと思って――いや、思いたくて、俺はおためごかしな答えを返してしまう。

 

 ……そりゃあ、大事な友達で、可愛い生徒だよ。当たり前じゃないか、そんなの。

 

 

「違う、違うんです。そうじゃなくて……。それだけ、なんですか」

 

 

 だが、流石に聡い彼女。そんな物では納得できないのだろう、詰め寄られた。

 その様子は、縋り付いて来る様にも感じて。

 重なる視線に潤いを見取り、堪らず顔を背けてしまう。

 けれど、その視界を白い手が横切り――

 

 

「お願いします。大切な事、なんです。目を逸らさないで」

 

 

 ――頬が震える。

 軽く撫でられただけで、万力に捕まったかの如く、体ごと向き合わされてしまう。

 逃げられない。多分、逃げてはいけないのだと、思う。

 おそらく、俺と織莉子ちゃんの求めているものは、同じ。

 そうでなければ、頬を伝う指が、こんなにも熱いはずが無い。

 

 

「不躾だと承知しています。でも、どうしてもお聞きしたいんです。そうしないと、あと一歩を、踏み出せない、から……。だから……勇気を、下さい。先生は、私の事を――」

 

 

 見っとも無い誤魔化しも、下らない意地も。

 触れたままの指に、心ごと溶かされてしまう様な感覚を覚えた。

 体中に響く声は、溺れそうな愛おしさを持って、息継ぎすらさせてくれない。

 苦しさに喘ぎ、酸素を求めて口を開けば――

 

 ……好き、だ。

 

 

「――あ」

 

 

 生徒としての君が好きで。

 友達としての君も好きで。

 だけど、ただの……女の子としての君が、一番、大好きだ。

 

 

「……っ……あぁ……」

 

 

 ――知らず、告白が口をついていた。

 無理やり引き出された所為か、何の飾り立ても出来ず、気の利かない台詞。

 なのに彼女は、酷く安堵した顔を見せ、寄り添う様にこちらの胸へ身を投げ出す。

 当然、動悸は早まり、緊張はより甚だしく。

 でも、通じたはずの想いを確かめたくて、胸の上に置かれた手を、おずおず握る。

 柔らかい細さが、絡みついた。

 

 

「私を、想って下さるなら。その言葉が本当なら、もう一つだけ、お願いがあります」

 

 

 すると、一旦距離が離れ、目尻に浮かんでいたものを指で拭う彼女と、三度、視線が合わさる。

 俺は肩に手を置いて、先程と同じく静かに声を待つ。

 何度も、何度も。言葉になりかけては、鼓動の音に消えていく。

 そんな繰り返しの中、ようやく発せられたのは――

 

 

 

 

 

「……わ、私を……私の事を、抱いて、下さい。今、ここで……」

 

 ………………あんですと?

 

 

 

 

 

 ――という、意味不明な言葉だった。

 いや。

 いやいやいや。

 いやいやいやいやいや。

 

 

「あ、あの、先せ――」

 

 

 ごめん、待った。ちょっと待って。ちょっとだけ時間を頂戴。

 

 硬直する俺に、尚も言い縋ろうとする彼女との間で両手を交差させ、一先ず時間を稼ぐ。

 私を抱いて? それはハグをしろって事ですか? 個人的には大歓迎だけど、前後の状況から考えるとそれは無いよなぁ?

 という事は、性的な意味で食べて欲しい――つまり、Hをしたい、と。

 ……うん。有り得ねぇ。なんか、すっごく冷静になっちゃった。自分でも意外だ。

 好きな女の子に誘われたりしたら、男は一も二も無く飛びついちゃうもんだと思ってたけど、そうでもないらしい。

 今まで縁が無さ過ぎたからか? それはそれで悲しいぞ。……まぁともかくっ。

 

 あー、んー、冗談だよね? 先生あんまり感心しないなぁこういうの。

 

 

「そんなっ!? わ、私は本気で……!」

 

 

 だったら尚更だよ。そんな風に見てくれるのは、男として素直に嬉しい。

 でもね、一生に一度の事なんだ。感情に惑わされて、焦っちゃ駄目だ。

 もっとよく考えて……ていうか実際にしても、もしバレたら捕まっちゃうから。

 第一、あと三年くらい、俺は普通に待てると思――。

 

 

「……っ、感情に惑わされて、それだけで動いて、何が悪いんですか!? 一生の事だから、時間が無いから、私は……っ」

 

 

 諭そうとした言葉は、今にも泣き出しそうな、悲痛な叫びに遮られる。そのまま大きく肩を震わせ、俯いて顔まで隠してしまう。

 こんなに取り乱している姿を見るのは、初めてだった。

 それに、時間が無い? どういう事だ。一体、何が――

 

 

「……お見合いを、する事になったんです」

 

 

 ――は。

 

 息が漏れた。

 見えない手で首を絞められているかの様に、声が出ない。

 お見合い? 織莉子ちゃんが? そんな、どうして、突然。

 急速に状況が推移し、着いて行けなくなりそうだった俺は、事実を確認しようとする事で、何とかそれに食らい付く。

 

 本当、なのか。それ。

 

 

「……はい。お相手は、三十も年上な方です。お父様が、そう仰っていました」

 

 

 お父様って、久臣さんが? しかも三十って……馬鹿な。君のお父さんがそんな事をする訳……。

 

 かなり忙しい人らしく、直接に会った事、話した事は無いが、織莉子ちゃんを愛し、また、彼女から愛されているのは十分に分かる。

 そんな風に愛情を傾けられる人が、こんな事を許すはずが……。

 

 

「もう、決まっている事なんです。お父様への協力の見返りとして。近い内に、私はその方とお会いするでしょう。お父様の友人らしい――でも、まだ顔も名前も知らない、その方と」

 

 

 見返り……という事は、その男も政治関係の人間か?

 何らかの協力を得る代わりに、何かを差し出す。対価を払うのは普通の事だし、人間の暗い部分が凝り固まる政財界。

 エロマンガなんかに良くある、断れない立場に追い込まれて家族を差し出す、なんてのも想像しなかった訳じゃないが、実際に起こるはず無いと思っていたのに。

 織莉子ちゃんには無縁だと、思っていたのに……。くそっ、相手が政治家なんて、手の出しようが無い……っ。

 

 ……いや、ただのお見合いなんだろ? だったら、普通に断れるはず。なら……!

 

 

「はい。私もそう考えました。今回はお断り出来るだろう、と。でも、“今回は”、です。これから先、そうとは限りません」

 

 

 これから、先……?

 

 

「私は、美国家の女です。今はまだ子供ですが、先生の言ったように、あと三年もすれば――いいえ、あと半年もすれば、婚約だって出来ます。

 でもそのお相手は、美国家の繁栄を約束して頂ける方。……そうでなくてはいけません。お母様が、そうだった様に。私は、それを拒めない……。

 お見合いの事を知ってから、何度も、何度も考えました。けれど、駄目なんです。どうやっても、先生と結ばれる未来が、見えないんです。

 何か、都合の良い奇蹟でも起きない限り、私と先生は添い遂げられない。そんな結末しか、思い描けないんです……っ」

 

 

 織莉子ちゃんは、幼子が駄々をこねるみたいに首を振り、制服の胸元を強く握り締める。

 その姿から、抑えきれない悲しみと、諦めきれない思慕の念。そして……抗いきれない宿命を感じた。

 こんな物を見せられては、いやが上にも自覚させられてしまう。俺自身の中にあった、苦い想いを。

 あの日から、彼女と同じ様に考えた。

 いや、もっと前から。彼女を深く知る度に、夢見ていた。この子と結ばれる未来を。何の躊躇いも無く、この想いを誇れる日を。

 

 けれど、どんなに未来をモンタージュしても、あまりに歪で、見るに耐えない仕上がりにしかならない。

 ……足りないのだ。望む未来を得るには、全てが。

 本来なら手を触れるどころか、話す事も許されず、遠目に眺めるぐらいしか出来ない存在。何の奇蹟か、心を通じ合えても、それで打ち止め。

 己の無力が情けなかった。

 好きでいると覚悟を決めたはずなのに、それすら分不相応だと、諦めをチラつかせる小賢しさが、憎かった。

 

 

「結局、駄目になるのなら。私の感じているこの想いには、何の意味があるんですか?

 いつか消えてなくなって。懐かしさと一緒にしか先生を思い出せなくなるなら、どうしてこんなに苦しいんですか?

 ……こんな想いをするくらいなら。普通の家に生まれて、普通に育って、普通に先生と出会って……。普通に、恋をしたかった……っ」

 

 

 雫が零れて、白いシーツに灰色の染みを描く。

 弱く、儚く、凍える少女。

 出来る事なら、強く抱きしめたかった。

 けれど、そうしてしまえば、彼女はそのまま折れてしまいそうで。

 この細い肩に、途方も無い血の重みが圧し掛かっているのだと。

 やっと釣り合ったように見える関係も、危ういバランスの上に成り立っているだけなのだと、分かってしまって。

 安易に触れて崩すのを恐れ、涙を拭ってあげる事すら、出来ない。

 

 

「このままで居たら、私は、先生の事を過去の事にしなければなりません。そんなのは、嫌です。この想いを無かった事にして、未来に進むのは、絶対に嫌。ですから……」

 

 

 化粧っ気の無いその顔は、切望に色濃く染まり、雄の部分を激しく揺らす。

 けれど、ああ言った手前、それに身を任せる事は理性が許さず、でも、と迷いが漏れる。

 

 

「何でも手伝ってくれるって、約束したじゃありませんか。あれは嘘だったんですか。それとも、この身を捧げたなら、私を攫って、逃げてくれますか」

 

 

 それは……っ。

 

 痛い所を突かれた。

 確かに、した。約束したのだ。

 もしこれを破ったら、俺は自分に嘘をついた事になる。この気持ちが、周囲に流されて変化してしまう程度の物だと、認める事になる。

 それだけは、嫌だ。

 しかし、現実に駆け落ちなんて大それた事をすれば、多くの人を巻き込んでしまう。家族にも迷惑を……。だが、手をこまねいていれば、いつか彼女を奪われて……。

 ちくしょう、何でこんなに急なんだ、何で、いきなり……!

 

 俺は……でもっ……俺は……俺、は……っ。

 

 

「……ごめんなさい。無理、ですよね。意地悪な事を言いました。でも、それで良いんです。

 色々と言いましたが、私が美国に生まれなければ、先生と出会う事も無かったでしょう。それを思えば、むしろ感謝すべきなんですから」

 

 

 次から次へと難題を吹っかけられ、言葉に詰まり、明確な意思を示せない俺を、それでも責めず。

 彼女は、静かにソファから立ち上がる。

 

 

「だから、これは私の我侭です。これから先を、『美国織莉子』として生きていくための。まだ子供で――『ただの織莉子』で居られる内の、最後の我侭。……先生……」

 

 

 数歩離れて振り向いたのは、諦めを感じさせる、けれど、酷く綺麗な表情。

 あまりにも朧気で――陽炎の様に、消えてしまいそうで。

 織莉子ちゃん、と名前を呼び、思わず繋ぎとめようとする。

 そんな俺に、彼女は淡く微笑み。

 今一度、自らの願いを口にしながら、何故か制服のリボンに手を掛けるのだった。

 

 

 

 

 

「私に、一生消えない深い傷を、つけて下さい。何があっても、先生の事を忘れられない様に。今夜限りの嘘でもいいから……私を、恋人にして下さい」

 

 

 

 

 



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【Hな】少女O・Mの場合【課外授業】

 

 

 目の前には、美の女神もかくや、という存在が立ち尽くしている。

 レースで縁取られた、上品な白の肌着以外に何も纏わぬその姿は、直視すれば目が潰れるのでは、と勘違いしたくなる神々しさすら感じた。

 体を構成するパーツのそれぞれが、究極の完成度を誇る、調和の取れた美。

 しかし実の所、彼女は――織莉子ちゃんは、非常に不安定な状態でもあった。

 

 

「……先生……」

 

 

 耳をくすぐる、不安気な声。

 証明するのは、身体に絡む細い腕と、僅かにくねる腰。豊満な胸は強調され、くびれ周りの優艶な曲線が麗しさを増す。

 雪の如く白い肌は明らかに紅潮し、羞恥に耐えかねている事を示していた。

 けれど、そんな様子がまた男を誘い、脚が勝手に一歩を踏み出してしまう。

 

 

「あ、っ」

 

 

 すると、一層に身を縮込ませ、合わせて胸が、ぷるん、と弾む。

 母性の象徴とされるそれは小刻みに震え、はっきりと存在を主張している。

 堪らなく男を魅了する肉体を持つ彼女だが、未だ幼い十五の少女。例え本人が望んだとしても、無意識に怖がるのは無理も無い。

 本当なら、見る事も許されないのだ。

 法律でだって禁じられているし、何より、その未来を考えるなら、大人であるこちらが自制しなければいけない。

 

 それなのに。

 誰も触れた事の無い、触れる事の許されない存在に、それを望まれている。

 法の禁じすら霞むほど、興奮してしまっていた。

 誰かの手に渡る前に、全てを穢し尽くしたいと、思ってしまった。

 

 

「……ぅ」

 

 

 織莉子ちゃんの胸に向かって、左手が伸びた。

 触られると思ったのだろう。彼女は身体を緊張させ、目をきつく閉じる。

 だが、決して逃げようとはせず、自分を襲う刺激をじっと待っていた。

 しかし、俺の中にはまだ迷いがあり、肌に触れる直前でそれを止め、空気越しに丸い形をなぞる。

 

 

「っ……ぁ……ふ……ん」

 

 

 それでも、手の平から熱は伝わるのか、まるで愛撫されている様に息を漏らす。

 閉じられていた目蓋が開き、「何故?」と言いたげに首が傾く。

 その瞳を見つめながら、今一度、俺は問い掛ける。いいのか、と。

 

 

「……はい」

 

 

 決意の眼差しは、一向に揺るがない。

 こうしている間も、俺は手を引くべきかどうか、悩んでいるというのに。

 据え膳食わぬは男の恥とも言うが、実際にその状況へ立たされた人間にとっては、むしろ迷いを助長させているとしか思えなかった。

 触れるか、触れないか。

 極僅かにも、何十分にも思える思案の末、俺は――

 

 

「ひ!」

 

 

 ――欲望に負け、左の人差し指で、頭頂部が隠れているであろう場所を、軽く突く。

 びくん、と大きく身体が跳ね、甲高い声も。

 一センチにも満たない接触面積は、膨らみの柔らかさと布の硬さ、相反する二つの感触を確かに伝えてくれた。

 

 

「はっ……ぁ、う……んっ」

 

 

 くにゅり、のの字を描くように捏ねれば、戸惑う息遣いが聞こえた。

 それが快感のためなのかを確認したくて、どんな感じがする……? と尋ねてみる。

 

 

「……変、な、感じが、します……。自分で触って、も、こんな風には、ならなかったのに。なんだか……じりじり、します……」

 

 

 すると、潤んだ瞳がこちらを見上げ、震える唇で答えてくれた。

 間違い無く、嫌がられてはいない。それどころか、むしろ……。

 気付いた瞬間、我慢が利かなくなった。

 衝動的にブラジャーのカップを剥ぎ、手の平で持ち上げるようにして膨らみを掴む。

 

 

「あっ! ……むっ……っん……っ!」

 

 

 一瞬、悲鳴が上がり、彼女は手で口を覆ってそれを隠そうとした。

 しかし、それでも声が出てしまいそうなのか、今度は人指し指の背を噛んで、必至に耐える。

 よほど恥ずかしいのか、まぶたは再び閉じられ、より濃く、頬に赤みが差す。

 そんな、いやらしくも可愛らしい表情に見入りながら、左手は別の意思を持った様に動き続ける。

 

 

「ふっ、う、んぐっ、んっ」

 

 

 伝わるのは、ミッチリと厚みのある、それでいてふかふかな、極上のスポンジを揉みしだいている感覚。

 簡単に指がめり込むのに、強い反発力で元へ戻ろうと抵抗する。本物のスポンジと全く違うのは、しっとりと肌に吸い付いてくる事だろうか。

 素晴らしい揉み心地に、興奮が高まっていくのを自覚した。

 だが、まだ理性が残っている内に、どうしても言っておかねばならない事があるのを思い出し、断腸の思いで左手を引き剥がし、彼女の頬へ添える。

 

 

「え……? 先生……?」

 

 

 いいかい、織莉子ちゃん。

 もし、この事が誰かに知られたら、俺に無理矢理された事にするんだ。

 ……それだけ、約束してくれ。

 

 

「ど、どうしてですかっ? これは私が望んだ事で、先生は何も……!」

 

 

 確かにそうかも知れない。

 でも、切っ掛けはどうあれ、君とこうするって決めたのは、自分の意思だ。

 こんな形でしか、俺は想いを貫けない。

 君への責任を、果たせないんだ。情けないよ……。

 

 

「あ……」

 

 

 自分で口にしながら、あまりにも悔しくて歯噛みする。

 俺の不甲斐無さが、こんな事態を招いた。彼女を苦しめ、追い詰め、こんな事をさせてしまった。

 全ての原因……では無いにしても、一因であるのは確か。

 ならばせめて、最低限の名誉だけでも、守らなくては。

 ……本気で守りたいなら、今すぐ服を着せて、久臣氏の所へ乗り込んで直談判でもすれば良いと、分かっているけど。

 けれど……もう、止まれない。こんな所では、止まれない。

 

 

「……分かり、ました。先生が、そう、望むなら……」

 

 

 そう言う顔からは、不満そうな気配が見て取れる。……それも当然か。

 想いが通じ合って、身体を重ねる。

 本来なら喜ばしい事なのに、その言い訳を強いているのだから(年齢的なネックはこの際、頭から除外する)。

 しかし、俺はワザと気付かない振りをして、ありがとう、と微笑みかけて、顔を寄せ――

 

 

「あ、先せ――んっ」

 

 

 ――開きかけた唇を塞ぐ。

 目を閉じていても、触れた部分を通じて、身体を硬直させたのが分かった。初々しい反応が喜ばしい。

 それを楽しみながら、頬に添えていた手を移動させ、首筋、肩、背中と、滑らかな肌も堪能する。

 

 

「ふ……ぐ……うっ」

 

 

 けれど、同時に苦しそうな声も聞こえた。

 鼻息を感じないし、これは多分、完全に息を止めてしまっているのかも……。

 窒息させてしまう訳にも行かず、一旦、唇を離す。

 

 ……大丈夫? ほら、ちゃんと息して。

 

 

「っはぁ、ふぅ……す、すみませ……びっくり、してしまって……」

 

 

 目を白黒させ、荒く息を整える彼女。

 その背中に両腕を回し、鼻で息を吸って、と声を掛けてから、もう一度。

 

 

「は、はい……。む……ん、ん……」

 

 

 今度はきちんと、くすぐったい息遣いがあった。

 しばらく無心に口を吸い合っていると、ようやく慣れて来たのだろう。

 身体から力が抜け、細い力にシャツが握られたのを感じる。

 

 

「んぁ、んっ、ふ、んちゅ、ぅん、ぇる」

 

 

 すると、唇に今までと違う熱さが這う。何かと思ったが、それが織莉子ちゃんの舌である事はすぐに分かった。

 探るような、たどたどしい動き。どうやら、こういう事にも勉強熱心らしい。

 より深くキスをして歓迎すれば、貪欲に舌が絡み付き、共に昂っていく。

 

 

「は、ん、ちゅる、むん、ふっ、んんん」

 

 

 そんな中、背中を撫でていた手に丁度良くブラのホックが触れ、それを外してみる。

 しかし、唾液を交換し合うのは止まらない。初めてのディープキスに夢中で、気付いていない様だった。ついでとばかりに形の良い小尻を揉んでみても、全く。

 片目を開けて確かめると、彼女は薄目でこちらを見つめ――いや、微妙に焦点が合っていない。本当に熱中しているみたいだ。

 乱れた顔も可愛らしく、胸とはまた違った感触で指を楽しませるお尻に、こちらも夢中になっていく。

 だが、身体全体で感じる艶やかさを、目でも確かめてみたくなり、織莉子ちゃん、と合間をみて名前を呼ぶ。

 

 

「ふ、ぁ……い……?」

 

 

 返って来るのは、寝ぼけている様な声。実際、その顔は夢見心地といった様子だった。

 深い呼吸。視線はぼうっと宙を眺め、耳まで赤く。

 密着していた身体を少し離してみれば、既にずれていたブラの肩紐が完全に外れ、ぽろん、と両の膨らみが零れ落ちる。

 薄桃色の頭頂部は、硬さを宿し始めていた。

 ……鼓動が早まる。

 

 

「はぁ……ふ……ぅ? ……やっ! いつの間に……!?」

 

 

 ――と、ようやく正気に戻ったのか、織莉子ちゃんは両腕でそれを覆う。

 が、細い腕では、十五にしては大き過ぎる物を隠し切るのも不可能で、大部分がムニュリとはみ出ていた。

 恥ずかしがる気持ちも分かるが、もう少し眺めていたい気分だった俺は、その腕を撫で、暗に見せて欲しい事を伝える。

 

 

「うぅ……。な、なんだか、妙に手馴れていませんか? やっぱり、ご経験がお有りで……?」

 

 

 しかし、間が空いたせいで羞恥心も戻ってしまったのだろう。彼女は気を逸らすように問い掛けて来る。

 ただ単に、思いついた事をそのまま実行しているだけなのだが、そんな風に取られるとは思わなかった。

 

 残念ながら、俺も初体験だよ。まぁ男だから、そういう本を読んで色々と知ってるのはあるけど。

 実践するのは、織莉子ちゃんが初めてだ。

 

 

「そう、ですか」

 

 

 明らかに安堵した顔。

 やはり、好意を持つ人の経験値は気になる物。俺としてもそれは同じだから、理解できる。

 とはいえ、彼女は聞くまでも無く、全部が“初めて”だと分かるから、男としては安心であると同時に、とても怖い。

 下手な事をすれば、行為そのものに恐怖感を植え付けかねないのだから。

 女の子にとって、“初めて”とはそういう物だと、例の先輩から聞いた事もある。普段は役に立たない癖して、妙な時に手助けをしてくれるもんだ。

 

 ……だから、もし痛かったり、嫌だと思ったら、教えてくれるか?

 ちゃんと一緒に、気持ち良くなりたいから。

 

 

「……ふふっ」

 

 

 上手く気を配れたと思えたのだが、何故か彼女は小さく微笑む。

 ……やっぱ、もっと男らしく百人切りとか、嘘でも経験豊富なアピールをした方のが良かったか?

 けど、本当の事だし、嫌な思いだけはさせたくなかったし……。

 と、そんな風に苦悩していたら、今度は柔らかく目を細め、首を横に振って見せてくれる。

 

 

「ごめんなさい。でも、嬉しくて。だって私、無理矢理されているはずなんですよね? なのに先生は、こんなにも優しくて。ふふ」

 

 

 そう言えば、そんな設定だったね。

 

 すっかり忘れていた事を思い出し、二人で笑い合う。

 変な感じだ。ちょっと前まで、この世の終わりみたいな気分だったのに。

 こうして触れ合っているだけで、そんな物は消し飛んで行く。

 互いの温もりで不安を打ち消しあい、想いをより確かにする。これが、人が愛し合う理由、なのかも知れない。

 だが、蠱惑的な肉体は優しさだけでなく、蹂躙してしまいたいという邪欲まで引っ張り出し、それ等が混じり合った結果、俺はやや強引に、彼女をソファーベッドへ押しやる。

 

 

「あ……」

 

 

 抵抗らしい抵抗も無く、背もたれを倒せば、そのままベッドに横たわってくれる。

 きしり、フレームを軋ませながら覆い被さると、何も言わなくても、膨らみを隠していた腕が外された。

 羞恥に染まりそっぽを向く顔と裏腹に、豊満な二つの山々は、重力に逆らってそそり立つ。

 ためしに、両手で鷲掴みにしてみると――

 

 

「あんっ!」

 

 

 ――色欲の乗った声と共に、抜群の弾力が指を跳ね返す。

 面白いようにプルプル弾み、揺れる頭頂部の片方を口に含めば、「ひゃ!」と高音が響いた。じゅるり、という下品な音に溶け、それは奇妙な和音へと。

 一々返される反応が楽しく、もう片方を右手で潰しながら、更に左手を下腹部へ向かわせようと、身体の位置を変える。

 

 

「うっ、ん、ふっく、ん……ぁう!」

 

 

 無遠慮にショーツへ侵入させると、殆ど毛の生えていない丘があった。

 上品な生え揃い方をしたそれは、まるで産毛の様に柔らかい。

 

 

「あっ、やっ、そこは――んあうっ!」

 

 

 奥へ下り、十分に濡れていたスリットをなぞれば、身を捩り、敏感なリアクションを見せる。

 それがあまりに大きく、心配になってしまった。

 

 ごめん、痛かった?

 

 

「あ……ぃ、いえ。驚いた、だけ、です……。続けて、下さい……」

 

 

 だが、彼女は小さく首を振り、健気に先を促す。

 ならば、とそれに答えたくなり、愛撫を再開。両手と舌を使って責め立てる。

 

 

「ひっ! くふ、ふ、ぅ! あ、あのっ、やっぱり慣れ――ぅん! あっ!」

 

 

 困惑している様な声が喘ぎに消え、甘美なそれは欲望を加速させた。

 

 

「やっ、あふ、へ、変、ですっ! こ、こんな、のっ、知らな、いっ! ひゃう! ぁんっ!」

 

 

 中指で浅く内側をくすぐり、親指で小さな突起を皮越しに優しく撫でる。

 胸を強めに揉みしだき、搾るように摘み上げる。

 頭頂部を舌で転がし、ふやける程にしゃぶり付く。

 その度に身体が跳ね、零れ出る声は上擦り、指を包む肉壁が熱く。

 

 

「ん、くぅう! や、だめ、だめぇ! なにか、来、るぅ!」

 

 

 ガクガク揺れる腰を浮かし、織莉子ちゃんは迫り来る何かを訴えた。

 それをもっと高みに導くため、細心の注意を払いながらも、性感帯への刺激を強める。

 膜を傷付けない程度の深さで指の出し入れを早め、突起を押し込み、頭頂部を爪弾き、同時に甘噛み。

 

 

「いや、やぁあっ――あああああっ!!!!!!」

 

 

 やがて、痙攣は最高潮へ達し、弓なりに背中が引き絞られる。

 歯を食いしばり、目をぎゅっと閉じて、織莉子ちゃんは快感に耐えようとしていた。

 握り締められた拳が、その激しさを窺わせる。

 

 

「はっ、はっ、はぁ、何? 何で、すか、今の? あ、あぁぁ」

 

 

 しばらくすると、浮き上がっていた身体はベッドに落ちるのだが、余韻から抜け出せないのか、声を震わせ、当惑する彼女。

 間違い無いとは思えるのだが、何分、初めての事。頭を撫でてあげながら確かめる。

 

 大丈夫かい。ちゃんとイけた?

 

 

「……イ、く? これ、が、絶頂、なんですか? こんな、凄、い……」

 

 

 流石に言葉そのものは知っていたみたいで、自分を襲った現象の正体を悟り、またもや目を白黒。

 こうして気持ちよくなる事自体が、初めての様だった。

 

 もしかして、オナニーもしたこと無い?

 

 

「あ……はい……。自慰、ですよね。あり、ません……。お風呂やトイレ以外では、その、触った事も……」

 

 

 ……つまりは、指を挿入した事も、突起を弄った事も無い、と。

 彼女自身すら触れた事の無い場所に、触れたのか。

 この俺が、織莉子ちゃんを。

 生まれて初めて、イかせた。

 恐ろしく、興奮した。

 気を抜けば、本当に無理やり犯してしまいそうな程。

 ズボンが破けそうな位に爪を立て、何とかそれを押さえ込むが、しかし、行為を続けたいという衝動は抑えきれず、ぐしょ濡れになったショーツを引き下げる。

 

 

「あっ、あの、ま、待って下さい」

 

 

 ――が、それを引き止める声に気付いて、動きを中断。

 どうかした? と返事をすると、ゆっくり体を起こし、彼女は続ける。

 

 

「私にも、させて、下さい。勉強も、準備も、して来ましたから……。先生にも、気持ち良くなって欲しい、です」

 

 

 それは、嬉しいけど、でも、無理はしなくても良いんだよ?

 

 

「へ、平気です。じ、直には、怖いですけど。そのために、ちゃんとこれも買って来ましたし……」

 

 

 言いながら、織莉子ちゃんはベッドの側に置いてあったビニール袋を漁りだす。

 何だろう、と思いながら大人しく待っていたら、彼女が取り出したのは……。

 

 そ、それ……コンドーム?

 

 

「……はい。薬局で、ついでに買って来ました。……レジの人が男性で、凄く恥ずかしかったです……」

 

 

 そりゃあ、頑張ったね……。でも、その人も同じ感想だったと思うよ……。

 

 変装っぽい格好をしてはいたが、可愛らしさは隠れるどころかパワーアップしていた。

 そんな子が恥ずかしがりながら栄養ドリンクとコンドームを御購入って、どんな羞恥プレイだ。いきなりハイレベル過ぎるわ。

 絶対、彼氏に無理やり買って来いって言われたんだ、って勘違いされてるぞ。そんでもって濡れ場まで想像されてるよ。

 きっと誰でもそうする。俺なら絶対そうする。やっぱこの子、ズレてるよ……。

 

 っていうか……予想してたんだ。こうなる事。

 

 

「……聞かないで、下さい。意地悪、です……」

 

 

 ぷい、と顔を背け、更にゴムの箱で顔を隠す。

 これは、呆れればいいのか、叱った方がいいのか……。しかし、ここまでさせる位に愛されているんだと考えれば、嬉しくもある。

 それにもう、我慢の限界だ。

 最初のキスをした時から、とっくに分身は硬くなっている。是非、気持ち良くして貰おう。

 そう思い、俺はズボンと下着をまとめて下ろし、ベッドに腰掛ける彼女に向かって下半身を曝け出す。

 

 

「きゃっ。……これ、が」

 

 

 短い悲鳴の後、織莉子ちゃんは、勢い良く反り返ったそれを、しげしげと観察。

 見つめられるだけで、自分でもガチガチに滾るのが分かり、先走りが垂れ始めていた。

 ……何だろう。露出狂の気持ちが分かった気がする。

 自分の局部に、女の子が照れながらも興味を示す様は、意外なほど興奮を高めてくれた。

 こんな変態的な部分があったなんて、ちょっとショックだ……。

 

 

「え、えと……失礼しますっ」

 

 

 ――なんて落ち込んでいたら、竿にふっくらした感触が触り、おうっ、と声が漏れた。

 それはもちろん、彼女の小さな手で。また大きき腫れ上がった竿を、しなやかに撫でる。

 

 

「とても、熱いです……。それ、では……」

 

 

 何度か、確かめるように指でなぞってから、次にゴムの包みを破る。

 再び、恐々と竿を押さえて、先端に被せ、根元に向かって慎重に被せて行く。

 若干タイトなサイズだったが、指の輪で生み出される圧力に、未知の快感を覚えた。

 他人の手で触られているというだけで、こんなにも気持ちが良いだなんて、知らなかった。

 

 

「わ。凄く、薄い……。ふぅ……ぁ……っむ」

 

 

 ぅおっ、ふ!

 

 ――と、感動していたのも束の間、更なる快感に襲われる。

 何を思ったのか、彼女は竿を口に含み、ゴム越しにフェラチオを始めたのだ。

 確かに、「私にもさせて」ってさっき言っていたけど、これは、童貞にはキツ過ぎる……!

 

 ちょ、ちょっと、織莉子ちゃん、待っ――。

 

 

「んっ、むっ、ふ、ふー、っぐ」

 

 

 思わず腰が引けてしまったのだが、それに合わせて頭が動き、離れてくれない。

 指から感じていた体温とは、比べ物にならない熱さ。隔たりがあるというのに、それは余さず伝わって来て。

 それだけでなく、ぷっくりとした唇の柔らかさ、おずおず先端の周囲を舐め回す舌の滑らかさまで分かる。

 ゴムを着けていなかったら、含まれただけで射精していただろう。だが、このままではあえなく発射させられてしまうのだから、大差無い。

 そんな情けない姿を見せるのは嫌で、少し待って、と呼び掛けながら髪を撫でる。

 

 

「むぐ、んー、んぅうぅ、じゅるっ」

 

 

 しかし、全然止めてくれる気配が無く、滾りが竿を上っていく。

 凄まじい勢いで技能を修得しているのか、ただの前後にくねりが足され、吸い付きに強弱が付き、舌は複雑に絡み付いてくる。

 あまりにも、気持ちが良過ぎた。

 このまま一度、出してしまった方が良いのか。

 それとも、快楽から逃れるために無理やり引き剥がすか。

 

 

「んっ、じゅぷ、ちぅうぅ――ぷあ、ぁ、え? 先生?」

 

 

 歯軋りしながら迷い続け、結局、男としての意地が勝って、強引に織莉子ちゃんを引き剥がす。

 キスの時と同じく、また夢中になっていたようだ。

 おもちゃを取り上げられた子供みたいな、「なんで?」という顔が、それを教えてくれる。

 

 

「あの、私、上手く出来ませんでしたか……?」

 

 

 だが、中断させられたのを気にしてか、今度は不安そうな表情。

 波も落ち着き、少しは冷静さを取り戻した俺は、そうじゃなくて、と否定する。

 

 上手すぎて、出ちゃいそうだったから。なんか、勿体無くて。本当に初めて?

 

 

「当たり前ですっ! ……その、口の中で、ピクピク跳ねてくれるのが、楽しくて……。出して頂いても、良かったのに……」

 

 

 ……才色兼備だとは思ってたけど、こういう才能まで持ってるなんてね。

 織莉子ちゃんは、Hな子だ。

 

 

「ち、違います。そんな事ありません。もしそうだとしても、先生の悪影響です」

 

 

 つん、と拗ねて、唇を尖らせる。

 怒らせたのかと焦ったが、チラチラ様子を伺ってくるのを見るに、ただ恥ずかしいだけなのだろう。

 それすら愛らしい少女へ、小さく微笑みながら。

 刺激から開放されても、全く衰える気配を見せない渇望を癒すため、彼女を伴ってベッドに上がる。

 

 

「……っ」

 

 

 次に何をされるかは、分かっているのだろう。

 こちらへ背を向け、膝立ちになり、クチュ、と音を立てるショーツを引き下げながら、「電気を消してくれませんか」とお願いして来た。

 明るい場所で濡れた恥部を晒すのに、まだ抵抗感があるのかも知れない。

 負担は出来るだけ軽減してあげたくて、素直に従い証明を落とす。途端、部屋は新月の暗がりに包まれ、カーテン越しに入る町の明かりだけが視界の頼り。

 

 

「先生」

 

 

 静かな声に呼ばれ、側に戻る。

 まだ暗さへ慣れていない目では、横たわり、もじもじ身体をくねらせる少女の輪郭しか把握できない。

 しかし、火照った肌も。弾む膨らみも。彷徨う視線までもを、想像力が補って余りあった。

 竿が、ビクン、と跳ねる。

 

 織莉子ちゃん。……いいね。

 

 

 

 

 

「はい……。私を、先生の手で大人にして下さい……」

 

 

 

 

 

 迷い無く返った答えに、最後の枷は外された。

 逸る気持ちを抑えながら脚を押し開き、腰を寄せて、挿入するために狙いを定める。

 暗闇でほとんど見えないが、軽く擦り付けただけで水音が立ち、「ひんっ」と甘い声。

 つぷり、僅かに先端が埋まり、それだけで背筋が反るほど気持ち良い。

 そこで一旦止まり、彼女を確かめてみれば、自分の胸の間で両手を握り合わせ、祈るようにしてこちらを見つめていた。

 いや、まだ完全には順応していないし、そんな気がしただけなのだが……間違っているとも思えない。

 なぜなら、視線が合ったと思った瞬間、その影が頷いてくれたから。

 

 

「う……ひぐっ! あっ、ん゛……ふっ」

 

 

 腰を押し出す。

 硬く強張った壁は、かなりの抵抗を見せたが、溢れる愛液のおかげで程好い刺激に軽減されている。

 強い圧迫感が竿を包囲し、理性が追い詰められる。

 止める事なんて、もちろん、出来なくて。

 そして、今――

 

 

「……う゛あ!?」

 

 

 ――純潔を奪った。

 ぎりっ、と内側全体が締まり、また危うい所だった。

 よほど痛いのか、織莉子ちゃんは細かく痙攣し、それに合わせて感じる強弱すら素晴らしい。

 しかし、更なる痛みを与えるのも、無闇に動いて暴発するのも避けたくて、彼女の呼吸が落ち着くまで、突き犯したいという衝迫を奥歯で噛み殺す。

 

 

「く、ぅ……っ……。あ、あ、の……どう、ですか? 私の、なか……おかしく、ない、ですか……?」

 

 

 ようやく慣れて来た視界に、頬を伝う涙が見えた。

 やはり、無理を強いているのだろう。罪悪感と、同時に、背徳感を覚えた。

 聞こえる響きには不安も感じ取れ、せめて安心させてあげようと、素直に感想を告げる。

 

 俺も初めてだから……っ、分か、らない。

 だけど、凄く、気持ち良い。動いてないのに、もう、イきそう、だ。

 

 

「……えへ、へ。褒められ、ちゃい、ました」

 

 

 健気な微笑みには、激しい痛みと、堪えきれない喜色が見える。

 愛おしい。

 ただ、愛おしい。

 それだけで、心も身体も一杯になった。

 この想いを諦めに失うのが正しいというのなら、罪に問われる過ちの方が良い。

 俺は今、正しく間違えられているのだと、そう思いたかった。

 

 

「ふぅ……ふぅ……。どう、ぞ、好きなように、なさって下、さい。先生に良くなって、頂ければ、それで、満足ですか、ら……」

 

 

 続けて発せられた言葉に、欲望は服従を余儀無くされ。

 必要以上に苦しめないよう、僅かばかりの注意を払いながら、ぎこちなく腰を前後させる。

 

 

「あ゛っ……い゛ぅ……んんっ……ふっ」

 

 

 ゆっくり引き抜けば、背中に雷が落ち。

 中に埋めていくと、溶かされそうな炎に捲かれる。

 おかしい。

 ちゃんとゴムを着けている筈なのに、どうして、こんな。

 

 

「は、ひっ、ん゛ぐ、ふう゛っ、あっ」

 

 

 快感と困惑が折り重なり、痛み混じりの声に染め上げられて、腹の奥に形を得る。

 ぎこちなさは段々と消えていき、滑らかな抽送へ。

 

 

「あぁ、うっ、くぅう、ふぐっ、んん゛」

 

 

 緊張しきった壁は、直接に擦れば一瞬で果てるだろう事を想像させた。

 本当に、着けていて良かった。

 でなきゃ、今までに何度イっている事か。

 しかし――

 

 

「ふぁ、あっ、あぅ、んっ、んぅ、んふっ」

 

 

 ――刺激に慣れ、リズムを刻む音が、射精感をせり上げる。

 情けないが、持ちそうに無かった。

 

 ごめ、もう……うっく!

 

 

「うぁ!? 中で、膨ら、んっ!!」

 

 

 一際激しく突いた瞬間、欲が迸った。

 自分で分かるほど、竿は大きく脈動する。恐ろしく長い快感が、襲って来ていた。

 手でした事はそれこそ無数にあるけれど、こんな量を射精した経験は、ついぞ無い。

 これが、女の中。男が皆、夢中になる訳だ。

 

 

「あっ、ああ、あ、ぁ……。は、ふぅ……ふぅ……」

 

 

 跳ねる竿に合わせて、織莉子ちゃんも声を上げる。内側の締め付けも、きゅ、きゅ、と。

 波が治まるまでは、と、その中に留まり、ようやく引き抜けば、精液溜りを膨らませたそれが、ぬりゅ、と吐き出された。

 

 

「ぅんっ。……はぁ……はぁ……」

 

 

 鼻に掛かる吐息を漏らし、彼女は深呼吸で息を整える。

 苦痛から開放された所為か、完全に力を抜いているように見え、両足はあられもなく開かれたまま。

 ……駄目だ。

 これじゃ、駄目だ。

 こんなんじゃ、全然、タリナイ。

 

 

「は、う……ふ……。あの、先せ――いっ!?」

 

 

 手早くゴムを取り替え、射精したばかりの筈なのに、一層硬くなった竿を無理やり捻り込む。

 何かを問おうとしていたらしい声は、悲鳴とも嬌声ともつかない音階で響く。

 不意打ちだったからか、さっきよりも奥に侵入している気がした。

 

 

「あ――あっ――せ、んせ――どう、して……?」

 

 

 息も絶え絶えな質問。

 パクパクと口が何度も開いては閉じ、驚愕を物語る。

 そんな彼女を、覆い被さるように抱き締めながら、俺は耳元で囁く。

 

 ちゃんと俺ので気持ち良くなれるまで、やめないよ。

 ……痛みだけを想い出にされるなんて、嫌だ。

 

 

「そんな、私は……あっ! いや、あ゛、もっと、優し、くぅ!」

 

 

 心外だと言いたげな呟きは、ピストンに掻き消される。

 背中に爪が立てられ、鋭い痛みを感じたが、それでも止まる事は無い。

 いや、むしろその痛みが、自分の願望をハッキリとさせてくれた。

 刻み付けたい。

 この温かさに、苦痛を、快楽を、俺の存在を刻み付けたい。

 身体を通して、心まで犯して、触れられない部分まで汚してやる。

 

 

「あ゛ぁ、あっ、いや、いやぁ、やぁあ!」

 

 

 言葉には嫌がっているとしか聞こえないが、それは確かに甘さを孕んで来ていた。

 ぎゅっとしがみ付かれる所為で、織莉子ちゃんの声が耳元で聞こえる。

 目の前には形の良い耳たぶがあり、反射的にそれを舐め上げ、舌で耳腔を犯す。

 

 

「ひ、ぃ!? だ、だめっ、それ、だめ、ぇ!」

 

 

 瞬間、内側のうねりが激しくなった。……どうやら、ここが好きらしい。

 無意識にほくそ笑み、ピストンの縦から、円を描くグラインドに動きを変化させて、腰を密着。離れられない様に固定する。

 そして、ワザと息を吹き掛けながら鼓膜を揺さぶる。

 

 耳、好き? 中が凄い事になってるよ。

 

 

「ふっ、う! わ、分から、ない、ですっ! こんな、こん、な、あっ!」

 

 

 戸惑いに震えながらも、腕と脚が絡みついて来た。

 それは、俺を求めてくれているのだと、感じさせて。

 グラインドを継続しつつ、意地悪に囁く。

 

 やっぱり、君はHな子だ。初めてなのに、こんなに悦んで。

 

 

「だ、だって、変、なんです、ぅ! 声が聞こえる度、痛みが消え、て……代わりに、じりじり、が、来て、ぁんっ!」

 

 

 織莉子ちゃんの顔は、恍惚に蕩けていた。

 眼は薄く閉じられ、零れる涙もそのまま、口を半開きに。

 すかさず、ぽっかり開いたそこへ唇を重ね、舌と一緒に唾液を流し込む。

 

 

「んぶ、んっ、っくん、んぅう」

 

 

 そして、喉を鳴らす彼女の舌を、今度は吸い上げる。

 身体に巻き付く四肢から力が抜け、それなのに、引き寄せられるが如く密着する肌。

 緩やかな動きに我慢できなくなり、腰の動きはまた縦に。

 すると――

 

 

「ひゅあっ!?」

 

 

 ――先端に、こりゅ、と硬さを感じ、その途端、締め付けが格段に強くなった。

 もしかして、最奥を突いたのだろうか。

 そう思い、もう一度、腰を動かして確かめれば――

 

 

「あひっ! あっ、あんっ! あふ、あ~っ!」

 

 

 ――明らかな嬌声が上がる。

 同時に、堪らない締め付けが竿を襲い、震える背中。

 気遣うだけの余裕も、吹き飛んだ。

 

 

「あ゛っ、あぁ! やぁ、やだぁ、また、来るっ! 来ちゃ、うぅ! 怖い、怖、い、のにぃ!」

 

 

 大丈夫、大丈夫だから、っ、さっきと同じ。

 イくだけだから、安心して? 俺も、また……っ。

 

 

「うぁ、あぁ! いっ、イ、く……? んぐっ、うぁんっ!」

 

 

 身体を起こし、腰のくびれに手を掛けて、我武者羅に突く。激しく、二つの膨らみがバウンドした。

 ……穢したい。

 ゴムなんて外して、この中へブチまけたい。

 この子を初めて孕ませるのも、俺でありたい。

 けど、それだけは、出来ない。あぁ、でも……。

 

 

「せ、せんせ、お、奥は、駄目、でっ! へ、変になりま――ぅんっ! 先生、先生ぇ!」

 

 

 危うい願望に惑う俺を、彼女は何度も「先生」と呼び、それに何度でも、織莉子、と返す。

 意外にも、紙一重で留まらせてくれたのは、少女の喘ぎ声だった。

 ……そうだ。俺は、この子の先生なんだ。

 もう取り返しのつかない事をしているけど、それでも、この子の未来だけは、この子自身が選べるようにしなくちゃいけない。

 だったら……っ!

 

 

「あっ! んっ、来る、来る……い、うっ! ……イ、く、先生の、で、イき、ますっ、ぅ!」

 

 

 達するのが近いと教えてくれる彼女を、殊更に激しく犯す。

 小刻みに奥を小突き上げ、しかし、同時にイくのを避けるため、射精感を堪えながら、片手で恥部の突起も弄ってあげれば、「ひぃう!?」とまた高い声が聞こえ――

 

 

「んぁ!? イッ、くぅう――んんんんんっ!!!!!!」

 

 

 ――程なく、更なる絶頂を迎えた事を、竿に掛かる圧力で感じた。ほんの一瞬だけそれを楽しんで、勢い良く腰を引く。

 そして、引き千切るつもりでゴムを取り外せば、白濁とした粘液が、白無垢の肌に降り注いだ。

 どれほど興奮していたのか、それは下腹部から胸の辺りまで、広い範囲を穢していた。

 

 

「あっ! あぅ! 熱、ぃいっ!」

 

 

 悦楽の波に溺れながらも、感じる熱を、粛々と受け止める織莉子。

 最後の一滴まで搾り出すため、ふにふにした丘に先端を擦りながら、竿を扱く。

 何度か大きく放たれると、その勢いは弱まっていき、やがて、すべすべなお腹の上にダラリと枝垂れ下がった。

 

 

「う、んぅ……はっ……はぅ……ぁ……」

 

 

 脈動が完全に止んだ頃、ようやく彼女も落ち着き始めたのか、僅かに首を起こし、へその辺りに溜まった物を指で掬い――

 

 

「これ、が、精液……。ぬるぬる、して、ます……。ボディソープ、みたい……」

 

 

 ――愛おしそうに、ぬりゅ、ぬりゅ、と自分の肌へ塗りたくる。

 丘の上で、力無く垂れていたはずの竿が、ぴくん、とまた跳ねた。

 それを感じたのか、織莉子は、敏感なままの先端を手の平で包み。

 暗闇の中でも光を放つような、淫靡な花を、咲かせるのだった。

 

 

 

 

 

「もっと、下さい……。もっと、先生の形、覚えさせて……。愛しています、先生……」

 

 

 

 

 




 おりっちはまだ二回ほど変身を残しております。
 ※意訳=スピンアウト編・下に続きます。


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【千歳】スピンアウト編・中の1【ゆま】

 

 

「でぇえりゃああっ!」

 

 

 裂帛の気合と共に、紅い旋風が舞い降りる。

 突き立てられた槍が轟音を発し、食虫花の如き単眼の異形を――魔女を大地に縫い付けた。

 が、捉えたのは単頭。残る複頭が槍の繰り手を絡めとろうと迫り来る。

 

 

「っとぉ」

 

 

 それをステップで危なげ無く回避した少女は、同時に槍へ魔力を通し形態変更、多節槍と化す。

 鞭の様にしなるそれは、空を食んだ複頭に鉄をも砕かん勢いで襲い掛かる。

 

 

「ちっ、やっぱダメか。だったら……」

 

 

 ――が、柔軟性に富んでいるらしいその身体は、殴打による衝撃を軽く受け流してしまった。

 見た目からしてそうだろうと予測していた少女は驚いた様子も見せず、更に一つ跳躍して距離を取る。

 そして、再びの形態変更の後、槍を腰だめに構えて一呼吸。

 

 

『――――――!』

 

 

 あからさまな誘いに、知性を残さぬ魔女は気付かない。

 未だ飢える腹を癒すため、蛇を思わせる動きで、少女を捕食せんと複頭が伸びる。

 

 

「――は」

 

 

 酷薄な笑み。

 刹那、《疾風迅雷》と評すべき斬撃が舞った。

 痛みか驚愕か。大きく見開かれる瞳。

 繰り出される刃は触手を千々に切断。本体と思しき単眼への道を開く。

 

 

『――――――!!』

 

「貰った……っ」

 

 

 少女が駆ける。

 十メートル以上はあろう距離が一瞬で詰まり、その勢いを加算された《打突》が標的を捉えた。

 

 

「トドメッ!」

 

 

 しかし彼女は止まらず、駄目押しに超至近距離からの《三段突き》を。

 

 

『――――――!!!!!!』

 

 

 見た目と違い、魔女は人間の様な赤い鮮血を撒き散らす。

 それが降り掛かるのを厭うたのか、少女はすぐさま離脱。

 槍の間合いを保ち、様子を伺う。

 

 

『――、――、――』

 

 

 だが、過たず打ち込まれた攻撃は、確実に魔女の命を刈り取っていたらしい。

 幾度か痙攣するように千切れた触手をバタつかせた後、異形は自壊を始めた。

 

 

「うっし、一丁上がりっと。……あ~あ、ヤなもん見せやがって……」

 

 

 もう安全だと判断した少女は、何処からともなく棒付きキャンディを取り出す。

 魔女。

 結界に紛れ、人知れず命を糧として存在する、悪意の化身。

 その反応を辿って結界に潜り込んだは良かったのだが、彼女が最深部に到達した時、この魔女は“食事中”だったのだ。

 

 

「……ぁああっ! 胸くそ悪ぃ!」

 

 

 抑え切れない苛立ちを、少女は消えかけた複頭を蹴り上げる事で解消する。

 彼女が気分を害したのは、目の前で命が奪われたからだけではない。

 もう一つの理由は、魔女に食われてしまったある夫婦のせいだった。

 普通に考えて、子供の一人でも居そうだった彼等は、互いを犠牲にして生き延びようとしていたのだ。

 夫が脚を絡め取られ、前を行く妻に縋り付く。妻はそれを足蹴に罵倒を浴びせ、そんな妻を、夫は怒りを露わに離そうとしなかった。

 

 離せ、アンタだけが死ね。

 ふざけるな、オマエだけ逃げる気か。

 

 醜いやり取りで少女が呆気に取られている間も触手は迫り、結局二人は捕らえられ、喰い散らかされたのだった。

 あまりに。あまりにも。

 

 

「畜生が」

 

 

 少女だって分かっていたのだ、こんな事は。

 清廉潔白な人間なんてこの世には存在しない。

 誰も彼もが心に闇を抱え、そんな人間を魔女が食い物にし、その魔女を自分達が――魔法少女が糧とする。

 そういう仕組み。そういう摂理。そういう世界。

 

 だから、どんな事があろうとも、魔法の力だけは自分のためだけに使う。

 助けるのは、気が向いた時だけ。

 

 少女はこれを信条とし、また、覚悟もしていた。

 それによって生まれる悲しみも、憎しみも。全てを背負い込むつもりで居る。

 いつか報いを受けるとしても、もうそんな生き方しか出来そうに無いから。

 だが、こうまざまざと見せつけられてしまったら、どうしても思ってしまう。

 自分達は――人の心は、こんなにも無様な物なのか、と。

 

 

「……はぁ。アタシらしくないね、どうにも」

 

 

 詮無い考えを捨てるため、少女は溜息をつく。

 気が付けば、周囲の景色は一変していた。

 結界の主である魔女が倒れた事で、荒れ果てた植物園のような世界は崩れ、極普通の――新規デパートに客を奪われ、人の居なくなってしまった商店街の一角へ戻る。

 位置的に、先程まで魔女の残骸が残されていた場所には、一つの黒い宝石――グリーフシードが。

 

 

「よっ」

 

 

 ブーツのつま先でそれを掬い上げ、手中に収める。

 背を向けて歩き出し、首だけで振り返る少女の頭に過ぎるのは、しかし、やはりあの夫婦に関する事だった。

 願わくば、彼等が子供を儲けていません様に。

 そうであるなら、自分と同じ思いを味わう人間が、居ずに済む。

 

 

「……いや。アタシには関係無い、か」

 

 

 けれども少女は首を振り、存在するかどうかも分からない誰かへの気遣いも投げ捨てる。

 結界に呑まれた所為で、二人の死体は跡形も無く消滅した。こちらの世界では単なる行方不明として扱われるだろう。

 それを心配する人間も居るかも知れないが、どうでも良い。心配するような資格は、当の昔に失っている。

 世に遍く発生する不幸は、全て因果応報。

 幸福であってもいつか必ず不幸が訪れ、逆もまた然り。そこに余人が関わってもろくな事にならない。

 

 

(でも、だからこそ。幸も不幸も自分で決める。これ以上、後悔なんてしないために……)

 

 

 ――自業自得の人生を、生きるしかないんだ。

 

 瞼を下ろし、決意を確かめて彼女は歩く。

 今はまだ、己の未来を知らぬまま。

 たった一人で、夜の闇へと消えて行く。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 夢を見ている。

 そう気付いた理由は、その光景が有り得なかったからだ。

 

 俯瞰から眺める、極普通の食卓。

 テーブルを囲む一組の親子――父、母、娘。

 和やかに微笑み合い、語らう姿。

 当たり前な光景に違和感を覚えるのは、彼等への見覚え故。

 

 妻と娘を見守る父。

 料理を運ぶ母。

 笑顔でそれを待つ娘。

 有り得ない。

 

 

「――――――」

 

 

 娘が母に向かって何か話しかけている。

 母親は優しく笑い返し、隣に座って頭を撫でる。

 有り得ない。

 

 一人先に箸を伸ばし、料理を頬張る父。

 二人は叱りつけるが、舌鼓を打つ笑顔に釣られてそのまま笑い合う。

 有り得ない。

 

 

「――――――」

 

 

 目の前で語らう三人を見て、なお思う。

 何もかもが、有り得ないと。

 こうであったのなら、どれだけ救われただろうか。

 こうであって欲しいと、どれだけ望んだだろうか。

 

 

『ったくさぁ。いい迷惑だよ、ガキなんて』

 

 

 団欒に重なる、悪意の音。

 

 

『アンタの知ったこっちゃないだろう!? 余計な口出しすんじゃないよ!』

 

 

 やめろ。やめてくれ。

 

 

『何だったら、好きにしたっていいんだよ? 払うもん払ってくれんならね』

 

 

 夢の中でぐらい、あの子が幸せで居たって、いいじゃないか。

 だから、お願いだから――

 

 

『あんな奴、生まなきゃ良かったんだ!』

 

 

 ――もう、やめてくれ……!

 

 

 

 

 

「オジさん」

 

 

 

 

 

 間近に見下ろす、少女の顔があった。

 さっきまでの笑顔とは程遠い平坦な表情。

 普段はツインテールに結んでいる髪の生え際に、痛々しい火傷の痕が見える。

 

 

「おなか、すいた」

 

 

 ……あぁ。今、作るよ。

 

 それを見られているのに気付いていないのだろう。彼女は空腹を訴える。

 返事をしながら、オレは自分の顔を一撫で。窓に見える空とは違う、清々しいとは言えない目覚めに、大きく溜息をついた。

 厭な夢の感触を振り払うために身体を起こす。

 枕元には、ダボダボのTシャツをパジャマ代わりにする幼子が、ペタンと座り込んでいた。

 

 

「ゆま、なにか手伝う?」

 

 

 ……そうだね。なら、布団を脇に寄せておいてくれるか。

 その間にご飯を作るから。

 

 

「ん、分かった」

 

 

 こくり、起き上がるオレへ一つ頷くと、彼女は――ゆまはすっくと立ち上がり、自分の寝ていた小さな布団を片付け始める。

 日の光が薄い生地を通り、そのシルエットを写す。

 病的な細さ。

 ここ数週間で血色は大分マシになったが、それでも同じ年頃の子供達に比べ、かなり発育が悪い。

 原因は分かっている。……分かっていた。

 

 十四畳のワンルームを横切り、洗面所で、胸に込み上げる不快感を顔のベタつきと一緒に洗い流す。

 鏡から睨み返すのは、少し上目遣いになるだけで三白眼になる顔。

 あの女に似ている、悪人面。

 自分の視線から逃れるようにタオルで水分を拭い、キッチンに。

 冷凍庫から凍った袋を取り出し、小さなオムライスを一人分、トレイ毎切り離してレンジへ。

 その間に、近所の業務スーパーで買って来たインスタントのスープやひじきの煮物なども用意。

 解凍されたオムライスを皿に移してちゃぶ台へ並べれば、即席の朝食が完成した。

 

 

「おわったよ」

 

 

 丁度、ゆまがやって来た。

 背後にはキチンと折り畳まれた二つの布団。

 まだ十にもならない少女には重いはずだが、嫌な顔一つしないのは、慣れているからか、それとも。

 ……あまり、確かめたくもない。

 誤魔化す様に小さな頭を撫で、自分の朝食も用意して対面に座り、頂きます、と挨拶を。

 本当ならこんな事しないが、子供の前。面倒でもやっていた。

 

 

「いただきます」

 

 

 一緒に暮らすようになって、こういった習慣事は人並みに改善されている。

 誰かの目があるというのは背筋を正されるものであり、同時に、ちょっとした重荷でもあった。

 結婚願望なんて欠片もなかったが、これが一生続くとなると、世の“正しい親”達を尊敬したくなった。本当に、頭が下がる思いだ。

 

 

「オジさんは、それだけでいいの?」

 

 

 そんな事を考えていたら、ゆまは不意に手を止め、こちらの手元を伺う。

 オレの手にあるのは、大きめのマグカップに入った牛乳とシリアル。

 この子にすれば味気無く見えるのだろう。実際そうだが、もう慣れ始めていた。

 

 良いんだよ。今日は休みだし、体を動かさない日は節制しないとすぐ太るからね。

 おじさんの事は気にしなくていい。

 

 

「……うん」

 

 

 一応は納得したのか、再びスプーンが動き出す。

 正直に言えば、物足りないに決まっている。

 しかし、料理も出来ない三十前の男。食事のほとんどを外食・店屋物で賄っていた身分には、子供一人分とはいえ出費が痛い。

 他にも理由はあるが、とにかく節約しなければいけないのだ。

 

 

「ごちそうさま」

 

 

 ぼうっとしている間にオムライスを食べ終えたゆまが挨拶。

 お粗末様、とそれに返して、食器を片付ける。

 好き嫌いも殆ど無く、用意した物は欠片も残さずに食べてくれるし、まぁ、嬉しいかも知れない。

 

 水に浸してちゃぶ台に戻ると、今度は「テレビ見ていい?」と尋ねる彼女。

 頷き返せば、小さな指がリモコンのスイッチを押し、ニュースキャスターのがなり声が響いた。

 この時間なら子供向けのアニメもやっているのに、この子は全く興味を示さない。気が付けば、いつもニュースを見ている。

 一見、勉強熱心にも思えるが、その理由を考えると心配にしかならない。

 本当に、何をしているんだあの女は……っ。

 

 

「あ」

 

 

 簡素な食事を終え、苛立ち紛れにため息をつくと、テレビを見ていたはずのゆまがこちらを見ていた。

 視線を辿れば、それはオレの手に――いつの間にか握っていた、タバコへ向けられていた。

 

 ……ごめん。吸わないから。

 

 

「んーん。気にしなくて、いいよ」

 

 

 首を振った彼女は、またテレビに顔を戻す。

 とある政治家の逮捕を、画面が伝えていた。

 だが、この子の求めている情報はそんな物ではないのだ。

 本当に必要なのは、彼女の両親の、安否情報なのだから。

 

 

 

 

 

 姉夫婦が失踪してから、もう二週間が過ぎようとしている。

 ある日、仕事を終えて帰宅すると、この子が――姉の娘である千歳ゆまが、自宅の前で待っていた。

 またか……と辟易しつつ、放っておく訳にもいかなくて、酷く冷たくなっていた手を引き、家へと招き入れた。

 良くある事だったのだ。買い物やら用事やらで、娘の世話を押し付けられるのは。

 本当はパチンコに行ったり、男と盛っているだけなのに、下らない見栄だけは忘れない。……本当に、度し難い女。

 ともかく、いつもの様に夕食を食べさせて一晩預かり、翌朝、仕事に出る前に家へと送っていけば、それで終わるはずだった。

 だが、普段なら不機嫌そうに出迎える姉は一向に姿を見せず、鍵の掛かった扉は誰の入室も拒んでいた。

 

 この日から、姉とその夫は姿を消した。

 二日三日程度なら……有り得なくも無い。しかし、四日、五日、一週間と時間が過ぎ、その間一切の連絡も取れず、警察に届けはしたが、一度家を調べに来ただけで、何の音沙汰も無い。

 年間で十万人も行方不明者が出るのだ。期待なんて、全くしていなかったが。

 いや。むしろ、消えてくれて良かったとすら、思っていた。

 これでもう、ゆまが苦しい思いをする必要は無くなると、何も出来なかった自分を棚に上げて、喜んでしまっていた。

 

 けれど、世の中そんなに上手く行く訳が無い。

 オレは今、慣れない子供の世話と、姉夫婦が借りていたアパートの契約に滞納していた家賃、未払いの給食費。

 そして、溜まって行くストレスに――吸えないタバコに、悩まされていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 両脇に警備が立つ開放された出入り口を通り、形ばかりの会釈をしながら建物を後にする。

 歩きながら振り返ると、厳めしいそれは、こちらを見下すようにそびえ立っていた。

 五郷(いつさと)警察署。

 本来、己が身を守ってくれる頼もしい存在。

 しかし今のオレにとっては、忌々しさをも感じさせた。

 

 姉が失踪してから、丁度二週間目の今日。

 仕事中、携帯へ掛かって来た連絡は、事件の経過報告をしたいという物だった。

 小さな自動車修理工場は大して忙しくも無く、暇を貰って出向いたのだが、ほとんど進展は無かった。

 やはり、心のどこかで期待していたんだろう。

 時間を無駄にした事も相まって生まれた、酷く不愉快な感情を誤魔化すために、オレはタバコに火を付け車に乗り込む。

 そしてエンジンをスタートし、ブレーキを離そうとした瞬間――

 

 

《プシー》

 

 

 ――という、エンジンの回転に紛れる、小さくて嫌な音に気付いた。

 思わず顔を覆いたくなったが、とにかく今の状態を確認するため、ギアをパーキングに戻して車を降り、バンパーの下を覗き込む。

 すると案の定、緑色の液体がドバドバと漏れていた。間違い無く問題はラジエーターだ。

 この分だと本体は大丈夫そうだ……ホースが劣化したか? 安いからってウン十年も前の中古車なんて買うんじゃなかった……。

 程度が軽いなら水を追加して工場まで走って行ってしまうけれど、距離がある。その間に冷却水は空っぽになるだろう。

 

 くそ、何でこのタイミングで……。どうすっかな……。

 

 

「……お困りですか?」

 

 

 は?

 

 ヤンキー座りをし、煙を吐きながらボヤいていると、背後から声を掛けられた。

 首を巡らせれば、そこにはスーツに身を固め、髪を丸く結い上げる妙齢の女性。

 結構な美人だ。

 

 

「あ、怪しい者ではなくてですね……。私、石島といいます。どうなさったのかな、と思いまして」

 

 

 あまり縁の無かった美女に見惚れていると、その人は苦笑いをしながら黒い手帳――警察手帳を示した。

 ……多分、睨まれているとでも思ったんだろう。本当にこの目付きの悪さは嫌になる。

 とにかく、話し掛けられたのだから対応しなくては。オレは立ち上がり、彼女へ向き合う。

 

 ええ。ちょっとラジエーターの調子が悪いみたいで。このまま乗って帰るのは不安ですね。

 

 

「そうでしたか……。どうしましょう、レッカーとか必要ですか?」

 

 

 いや、後で同僚に頼んで牽引しますので。

 まだ仕事中ですから、しばらくは置かせて貰う事になりそうですが。

 ……大丈夫ですよね?

 

 

「はい。署の人間に一言、断っておいて貰えれば」

 

 

 ならそうします。……まぁ、問題は帰りの脚なんですけど。

 仕方ないんで、歩いて帰りますかね……。

 

 

「あ、でしたらお送りします。その分だと距離がお有りでしょうし、私もちょうど戻る所ですから」

 

 

 冗談めかして言うと、願っても無い申し出。

 確かにありがたいが……。

 

 よろしいんで? 初対面なのに、そこまでして貰う謂れは……。

 

 

「構いませんよ。皆さんのお役に立つのも警察官の仕事ですから」

 

 

 ……随分と仕事熱心な女性だ。この時代には珍しいな。

 少し引っ掛かる部分はあったが、これを断れば安くないバス代が発生する。

 素直に甘えさせて貰おう。

 

 じゃあ、お願いします。中に戻って話をしてきますので。

 

 

「ええ。その間に車を回しますから」

 

 

 言うが早いか、彼女は車の鍵を弄びながら駐車場の奥へ歩いて行く。

 それが見えなくなるのを待たず、俺も鍵を抜き、署内に戻って車を置かせて貰う旨を伝える。幸い、快諾が得られた。

 再び出入り口を潜ると、正面には赤い車が。

 一世代前のハイブリッドカー。少し前に値下げされた奴だが、それでも三桁は固い代物。

 やはり、公務員というのは給料が良いらしい。羨ましい事だ。

 そんなやっかみにも等しい感想を飲み込み、俺はタバコを携帯灰皿に消して、助手席に乗り込ませてもらう。

 

 お待たせしました。

 

 

「いいえ。それで、どちらまで?」

 

 

 仕事場までお願いします。場所は――。

 

 シートベルトを締め、仕事場の住所とそこへの順路、大まかな目印を伝える。

 彼女は「分かりました」と一つ頷き、車は署の敷地を出て道路の上を進む。

 微かな芳香剤の香りが漂っていた。

 

 

「お好きなんですか? 車」

 

 

 何個目かの信号に引っ掛かった時、不意に話しかけられた。

 はい? と首を捻ると、それを補足するように言葉が続く。

 

 

「あの車、だいぶ古い物ですよね。多分、交通管制の受信・制御装置の搭載が義務化される前の。だから、お好きなのかな、と」

 

 

 ああ。確かにその世代の車ですけど、別に好きではありませんよ。

 知り合いが安く譲ってくれたってだけで。というか、車自体あまり好きでは。

 

 

「え、そうなんですか? でも……」

 

 

 ………………。

 車に関わる仕事をしてるからって、好きじゃなくちゃいけない決まりはありませんしね。

 仕事をしてるからこそ、どれだけ金が掛かるのかも分かりますし、憂鬱になりますよ。

 

 

「そういうものですか」

 

 

 青になった信号に車を進める彼女へ、そういうものです、と返す。

 そこで会話を止めても良かったのだが、オレの中にはある疑問が生まれていた。

 声を掛けられた時から感じていたものが、今のやり取りで大きくなったのだ。

 黙っているのも自分らしくないと思い、オレはそれをぶつけてみる事にする。

 

 ところで……。

 

 

「はい、なんでしょう?」

 

 

 一体、私に何を聞きたいんですか。

 何か聞きたい事があって、親切にしてくれているんでしょう。

 

 

「……そんな事は。本当にたまたま……」

 

 

 生憎と育ちが悪いモンでして。無償の好意をそのまま信じられないんですよ。

 それに、さっきの「でも……」の続きは、『整備の仕事をしているのに』って言いたかったんじゃありませんか。

 事実、私の言葉に貴方は大して反応しなかった。既に知っていたんでしょう、仕事のこと。

 石島さん。貴方は私が“千歳眞子の弟”だと知っていて近づいた。……違いますか。

 

 

「………………」

 

 

 沈黙。

 肯定が返されたと感じた。

 

 

「かなり話の展開は強引ですけど、良い線いってます。刑事に向いてるかも知れませんね、貴方」

 

 

 裏付けるのは、小さく綻ぶ彼女の頬。

 運転中だからか、流し目の様に投げられた視線が様になっていた。

 

 

「半分正解で、半分外れです。

 貴方の事を知っていたのは確かですが、貴方が思っているような事を聞くために近づいたんじゃありません。

 あ、車の調子が悪くなったのは本当に偶然ですよ?」

 

 

 流石にそこは疑ってませんから、大丈夫です。

 でも、外れているって言うのは?

 

 

「貴方のお姉さん“に”関係する事ではなくて、貴方のお姉さん“が”関係しているかも知れない、という事です」

 

 

 微妙な言い回しの違いだが、それの意味する所には違いが出る。

 つまり、姉が何らかの事件に関与していたり、行方不明は別の事件に繋がっている可能性がある、という事か。

 確かにオレの懸念とは少し違った。

 

 

「……このままだと脇見運転しちゃいそうですね。丁度お昼時ですし、食事でもどうですか? 奢りますよ」

 

 

 それは、願っても無い。

 金欠なんで、助かります。

 

 

「あ~……あまり高いのはやめて下さいね? 車のローンが結構キツくて……」

 

 

 ……左様ですか。

 

 前言を撤回しよう。

 公務員にとっても世知辛い世の中になっていたようだ。

 

 しばらくすると、道路沿いに適当なレストランを見つける。

 あまり繁盛していないのか、駐車場にはスムーズに車を置けた。

 二人連れ立って店内に入り、窓際の喫煙席へ腰を落ち着けて注文を終えると、彼女は姿勢を正す。

 

 

「では、改めて自己紹介を。あすなろ市の方で刑事をやっている、石島美佐子といいます。色々と回りくどい真似をして、申し訳ありませんでした」

 

 

 いえ、気にしないで下さい。

 チーズハンバーグ定食でお相子ですから。

 

 

「そう言って頂けると、助かります」

 

 

 あすなろ市――隣の県か。道理で署を出る時に『戻る』と言ったわけだ。

 姉の事件の応援……ではないな。この程度の事件で他県へ協力を仰ぐはずが無い。

 隣接している市ならまだしも、それなりに距離がある。

 

 で、何が知りたいんです。私がお話できる事なんて、高が知れていますが。

 それに、他県の警察の方がどうして五郷で捜査を?

 

 

「あ、違います。私がここに居るのはとても個人的な理由で、仕事じゃありません。

 ですので、法的な拘束力はありませんし、無理に答えていただかなくても、勿論、嘘をつかれても結構です」

 

 

 それは、私が平気で答えを誤魔化したり、嘘をつくような人間であると言いたいんですか。

 美人の割りに、意外と失礼ですね、刑事さん。

 

 

「……貴方の方こそ、普通にしていれば良い人そうなのに、本当に捻くれてますね?」

 

 

 すみません、育ちが悪いモンで。

 

 刺々しい言葉の応酬だが、オレ達の顔に浮かんでいるのは薄い笑みだ。

 挑発を兼ねた、嘘をつくつもりなんて無い、という宣言も通じたらしい。

 これに怒り出さないというのも評価できる。大抵は怒って恫喝してくるものだが……いや、これは悪癖だな。直さなければ。

 

 

「ではまず、確認をさせて下さい」

 

 

 ――と、内心で反省していたら、石島刑事はお冷で唇を湿らせ、こちらを真っ直ぐに見据えた。

 対してオレは、そんな視線を受け流すように体から力を抜く。

 

 

「二週間前、貴方の姉――千歳眞子さんとその夫は、娘であるゆまさんを貴方の家に預けて買い物に出かけ、そのまま消息を絶った。

 以降、携帯にも連絡が付かず、彼女達からの連絡も無い。……間違いありませんね?」

 

 

 ええ、そうですよ。

 より正確に言うなら、預けたんじゃなくて置き去りにした、が正しいと思いますけど。

 それに、買い物じゃなくてパチンコに行った、らしいですが。

 監視カメラに映像が残っていたみたいじゃないですか。

 

 

「……その様で。ともかく、彼等はその映像を最後に足取りが掴めなくなった。

 借金しながらの生活を苦に失踪したにしては、預金は残されたまま。

 家にも現金が残されていて、計画性は感じられず。県警は、何らかの事件に書き込まれた可能性もあるとして捜査を開始した」

 

 

 個人的には全く期待していませんけどね。

 見つかるなら見つかるで、死体になってくれていた方が有り難い。

 アパートも処分できますし。

 

 

「感心しませんよ、そんな言い方。血の繋がった姉弟で――」

 

 

 “あれ”を姉だと胸張って言える人間が、居ますかね。

 聞いているんでしょう、あの事も。

 

 

「……はい。事実、みたいですね」

 

 

 石島刑事は苦い顔で目を細める。

 オレの口の中にも、まだテーブルにないはずのブラックコーヒーの苦味が広がった。

 

 端的に言えば、姉は自分の娘を虐待していたのである。

 表沙汰にはなっていないが、日常的に繰り返されていたそれは、近隣住民にも通報させる程の苛烈な物であり、実の所、捜査が開始されたのはこちらが本命なのだと思っていた。

 昨今、こういった事件で死亡する子供は多い。

 しかもそれが何度も通報を受けていたにも関わらず起こったとなれば、警察のイメージダウンは避けられない。

 ……せめて、ゆまを心から心配してくれる人間が居てくれれば、良いのだが。

 それに、捜査対象はきっと、姉だけではない。

 

 私は、容疑者として疑われている、という事ですか。

 

 

「はい?」

 

 

 一番最初に姉を通報したのは私です。姉夫婦に脅されてそれを撤回してしまったのも、私。

 なんとか虐待を止めさせようとして、何かの弾みに殺してしまった……そう思われても不思議じゃない。

 実際、今日は事件の経過説明だったはずなのに、事情聴取を受けているような感覚を覚えましたからね。

 姉がアレですから、しょうがないとも思いますが。

 

 

「……私の口からは、なんとも。けど……」

 

 

 守秘義務でもあるのだろう。

 言いよどむ彼女は、しかし、視線を逸らさずに言葉を付け加える。

 

 

「私は、貴方がそんな事をするとは思っていませんよ。個人的な意見を言わせて貰うなら、千歳さん夫妻の失踪は事件性が高いと考えています」

 

 

 何故? はっきり言って、ゴミのような人間ですよ。

 発作的に何もかも投げ捨てて逃げ出すくらい、有り得そうですが。

 姉がこうなるまで興味すらありませんでしたが、行方不明者自体、年間で十万人近くも出るんです。

 一々事件として処理していたら、猫の手どころかネズミの手だって借りたくなるでしょうに。

 

 

「……そう、そうです。そうなんですよ」

 

 

 忌憚の無い意見をぶつけると、石島刑事は思いを馳せるようにしばらく目を閉じ、次にテーブルへ視線を落とす。

 

 

「多過ぎると思いませんか」

 

 

 ……何が。

 

 

「この国で――いいえ、この世界で行方不明を遂げる人間が、です。先ほど仰っていましたが、その十万人の内、所在が確認された数はご存知ですか」

 

 

 ……約、六万人程度。確かに少ない気もしますが、昔からこうみたいですし、世界的に見てもそれほど多い訳では。

 

 

「ええ。統計から見ればそう考えるのが普通でしょう。

 災害などで大幅に増えることはありますが、それがこの世界の妥当な数字。

 ですが、私はどうしても違和感を覚えるんです」

 

 

 違和感。

 そう言われても、調べられる限りではさっきの情報が全てなのだ。

 昔からこうだった。

 なら、それが“普通”であると考えるべき。そう思って、納得するしかないじゃないか。

 

 

「取り分け多いのが、原因や動機が不詳とされる行方不明者。去年は二十三パーセントを越えています。

 犯罪に巻き込まれ、そのままにされている可能性も捨て切れませんが、やはり、多い」

 

 

 姉も、そうだと仰る……。

 

 

「分かりません。でも、犯罪に巻き込まれただけとは思えないんですよ。あまりにも唐突な気がします。

 こう……神隠しにでも遭ったような……。得体の知れない“何か”の存在を感じるんです」

 

 

 神、隠し……。

 そう言えば……。

 

 

「……っ! 何か心当たりが!?」

 

 

 何とは無しの呟きに、どうしてか大きな反応を示す石島刑事。

 驚いたものの、オレは気を取り直して、違います、と前置く。

 

 昔の事を思い出しただけです。中学時代、同じクラスの女子が二人、忽然と姿を消した事があったな、と……。

 

 

「そうですか。やっぱり……」

 

 

 やっぱり? どういう事ですか?

 

 落胆したような声だったが、同時に確信を新たにしたようにも聞こえた。

 それを証明するのは、テーブルの上で握られた拳と、遥か遠くを見つめる瞳。

 

 

「私の友人も、中学の三年に上がった頃、行方不明になっているんです」

 

 

 貴方も……。

 もしかして、非番の日にわざわざこうしているのは……。

 

 

「はい。この街に来たのは、別件の捜査中、関係者として浮上した人物の近親者に、彼女と同じ名前の女性が居たからなんです。

 年齢は違いましたし、ただの同姓同名なのは分かっていても、確認せずにはいられなくて……。

 それでも諦め切れなかった私は、何か手掛かりをと、同期に無理を言って情報を貰って、お二人の行方不明を知ったんです」

 

 

 ガラスのコップを握り締め、彼女は悔しそうに眉間へ皺を寄せた。さっき言っていた個人的な理由とは、この事らしい。

 オレにとって、神隠しに合った少女二人は特に接点も無いただのクラスメイトであり、担任から行方不明になったと聞かされても現実感は乏しく、今の今まで忘れていた。

 薄情だと分かっているが、それが真実。誤魔化すつもりは無い。

 

 しかし石島刑事にとっては、その子はよほど大切な友人だった――いや、友人らしい。

 でなければ、事件から十年以上経っているだろう(あくまでオレ個人の見立てであり、実際に何歳かは知らん)今も、こうして探したりなんか出来ない。

 刑事になったのもこれが理由か?

 

 

「これはあすなろ市近辺での話ですが、この数ヶ月だけで行方不明者は数十人に上ります。

 中には、全く素行に問題の無い少女も多数含まれていて。

 まだ事件性があるとはいえない状態ですし、事実、彼女達に関係性は見出せません。ですが……」

 

 

 関係性が無いことそのものに、“何か”を感じる、と。

 

 

「……ええ。ただの勘、ですけれど」

 

 

 重々しい頷きが返り、会話が途切れる。

 いつの間にか、よくある駄目人間夫婦の失踪から大規模な集団失踪へと、話が大きくなってしまった。

 正直に言えば眉唾物だし、鼻で笑いたくなる話だが……。

 

 

「すみません、話が脱線してしまいましたね。こんな事だから、女の癖に、とかよく言われるのに。駄目ですね、私」

 

 

 ……たしかに、証拠に基づいて犯罪を暴くべき刑事が、勘に頼った上で神隠しとか、有り得ませんね。

 

 

「そう、ですよね。話を戻しましょうか。ええと、娘さんは――」

 

 

 ですが。

 

 

「――え?」

 

 

 どちらかと言えば、オレは、貴方の言う事を信じたい。

 最低の人間でも、あの子――ゆまにとっては唯一の肉親なんです。

 どんなに殴られても、蹴られても。タバコの火を押し付けられたって、「ママ」って呼んで離れなかった。

 それに捨てられたとあっちゃあ……悲し過ぎる。

 抗いようの無い“何か”の所為であった方が、まだ、あの子も救われるはずだ。

 

 

「………………」

 

 

 実の親に存在を否定されるよりは、マシなはず。

 ろくでもない人間で、現実には改心する余地が無くとも。

 生きていれば違ったかも知れないと夢想できる方が、幸せだ。

 そう思いながら、オレはお冷を一息に飲み干す。

 

 

「笑わないんですね。この話を聞くと、大抵の人は笑って否定するのに」

 

 

 どんなに荒唐無稽でも、貴方が心を砕いて導き出した結論なのは見て分かります。

 笑ったりなんか、出来ませんよ。

 

 自嘲する石島刑事は、無視できないほどの意気消沈ぶりだった。顔は笑っていても、瞳には明らかな憔悴の痕が見える。

 ……見覚えがあった。これは、疲れてしまっている眼だ。

 古い体制の残る警察内部では、未だ男尊女卑の傾向が強いらしい。

 彼女がどんな気苦労を背負っているのかは想像するしかないが、そんな中でこの結論に至り、それを拠り所にして行動するのは、痛みを伴ったことだろう。

 それに、彼女は真剣だ。真剣に事件へと向き合い、解決するための努力をしているように見える。

 敬意は払えても、馬鹿になんてしたくなかった。

 

 

「……十五年、経っているんです」

 

 

 すると、石島刑事は不意に緊張を解き、背もたれに寄りかかる。

 

 

「レミが行方不明になって、私だけが大人になって。

 でも、心の何処かが、あの時のまま止まっている。……取り残されている気がするんです。

 この気持ちはきっと、あの子を見つけるまで動かない。どんな結末だとしても、知らないままでは、本当の意味で先に進めない」

 

 

 何かを確かめるように胸元へ手を置き、また姿勢を正す。

 浮かぶ笑みには、先ほどまでとは違う気力が満ちていた。

 

 

「ご家族の方に安心して頂きたいのは勿論、これは私自身のためでもあるんです。

 身勝手と存じていますが、どうかお手伝いをさせて下さい。

 過去に決着をつけて、悔いなく前を向くために。

 きっとゆまさんも。少なからず、私と同じ想いを抱いているでしょうから」

 

 

 被害者のためだけじゃなくて、自分のためでもある、ですか。

 

 

「はい。むしろ、比重としては『私のため』の方が大きいかも知れませんけど。刑事失格ですね」

 

 

 いや、そんなことは無いんじゃないですか。

 ただの職業意識的な正義感よりは、よっぽど共感できる。

 オレ好みの答えです。

 

 

「それじゃあ……?」

 

 

 若干、眼を見開く彼女へ、強く頷き返す。

 警察官なんて本当はあまり信用したくないのだが、美辞麗句で固められることを馬鹿正直に語ってしまうこの人であれば、頼ってみても良いかも知れない。

 それで駄目だったのなら……オレの観察眼がその程度だったという事で、諦めるとしよう。

 

 不肖の姉ですが、どうか見つけてやって下さい。

 直接会って一発殴らないと、やっぱり気が済みませんしね。

 

 

「……はいっ。でも、殴るのは駄目ですよ? 暴行の現行犯で逮捕しなくちゃいけません。せめて私が見ていない所でお願いします」

 

 

 それで良いんですか、刑事さん?

 しかし、本当に大丈夫なんですかね。あすなろ市の警察官が他県で行動しても。

 管轄とか、結構うるさいって話に聞きますが。

 

 

「ええ、かなり。でも平気です。つい最近、大きな事件を解決したばかりで、そこそこ発言力は増しましたから」

 

 

 なるほど……。

 

 全ては計算尽く、という訳か。強かな人だ。

 まぁ、その方が頼もしい。

 

 

「お待たせ致しました~」

 

 

 ――と、タイミング良く注文した料理が運ばれて来る。

 オレの前にチーズハンバーグ定食、石島刑事の前にカルボナーラが置かれた。

 気が緩んだせいか、食事をしながらの会話は意外と弾み、それなりに楽しい時間を過ごす。

 

 そして、会計を済ませて自動ドアを出ると、唐突に《pipipi、pipipi……》と携帯の着信音。

 同じ着信音だったのか、二人揃って携帯を取り出してしまい、苦笑いしてしまった。

 確認すると、着信していたのはこちらの携帯だったので、早速それに対応する。

 

 ……もしもし。

 

 

『あ、どうも。わたし、ゆまさんの担任の……』

 

 

 ああ、衛藤先生ですか。どうも。……もしかして、また、ですか。

 

 

『はい……。困るんですよねぇ、こういうの』

 

 

 すみません。あの子もまだ不安定なものですから。

 ご迷惑をお掛けしますが、どうか長い眼で見てあげて下さい。

 お願いします。

 

 

『……そうですね。いや、失礼しました。では、五時間目がありますので、わたしはこれで。ゆまさんのこと、お願いします』

 

 

 はい。失礼します。

 

 通話を切り、はぁ、と溜息。

 石島刑事は黙って様子を伺っていたが、聞き辛そうにしていたので、こちらから事情を話す。

 

 学校からでした。ゆまが、居なくなったみたいです。

 

 

「え!? た、大変じゃありませんかっ! 早く署に連絡を……!」

 

 

 慌てて自分の携帯を弄りだす彼女を、大丈夫です、と宥める。

 

 あの子の行き先は分かってます。

 これで四度目ですから。

 

 

「……四度目?」

 

 

 ええ。申し訳ないんですが、こちらも目的地を変更させて貰えますか。

 出来れば、早いうちに迎えに行ってやりたいんで。

 

 

「勿論です。乗りかかった船ですから。お付き合いします」

 

 

 何かのマスコットらしいキーホルダーの付いた鍵を示し、石島刑事は笑顔を見せてくれた。

 その姿に頼もしさを新たにしながら、オレは車へと乗り込む。

 目的地は、ゆまにとって辛い思い出しかないであろう場所。

 

 ――千歳家だ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 有り体に言えば、安っぽいアパートだった。

 誰もがテレビなどで見た事のある、適当なドアと格子の付いた窓。

 規則的に並んだそれ等のうち、『千歳』とネームプレートが掛けられた部屋の前に立つ。

 

 

「ここに、ゆまさんが?」

 

 

 背後から尋ねる石島さんに、振り向かないまま頷く。

 姉達が失踪してからというもの、ゆまは時折、勝手に学校を抜け出してはこの家に戻っているのだ。

 最初の一~二回は本当に驚き、警察にも連絡したりしたのだが、三度目からはそれもしていない。

 正直、理解できない気持ちがあった。

 この家はゆまにとって、長きに亘り苦しみを強いてきた拷問部屋のはず。それなのに、学校を抜け出してまで親の帰りを待つ。

 何故ここまで慕うことが出来るのか。全く、理解できなかった。

 

 ゆまちゃん。入るよ。

 

 そう告げて、ドアノブを回す。

 鍵は掛かっていなかった。

 

 

「私はここで。何かあったら呼んで下さい」

 

 

 気を遣ったのか、石島さんは部屋の中に立ち入ろうとはしなかった。

 有り難う御座います、と小さく返事をし、オレは部屋に上がりこむ。

 大して広くもない部屋を見渡せば、その小さな身体はすぐに見つかった。

 

 

「………………」

 

 

 二週間前と――オレの家の前で待っていた時と、同じ様に。

 カーテンが閉められている所為で薄暗い部屋の片隅に、体育座りで膝を抱え、ゆまは居た。

 投げ出された赤いランドセルを過ぎて、その右隣へ、無言で腰を下ろす。

 

 

「ねぇ、オジさん」

 

 

 しばらくすると、ゆまの方から話しかけて来た。

 

 

「たばこ、吸って」

 

 

 ……身体に毒だぞ。

 

 

「いい。ママと、おなじニオイだから」

 

 

 そう言う彼女は、こちらを見ようともしなかった。

 仕方なく、一本だけだからな、と火をつける。

 僅かに吸い込み、肺から紫煙を吐き出せば、周囲にタバコ特有の臭いが広がった。

 

 これを吸い終わったら、一緒に帰ろう。

 今日はもう、学校はいいから。

 

 

「……ゆまの家は、ここだもん」

 

 

 ただでさえ小さい体躯をより縮めるゆま。

 呟きには、意固地になっているような気配があった。

 どうしてここまで……。

 

 ゆまちゃん、君のお母さんは、いつ帰ってくるかまだ分からないんだ。だから――。

 

 

「『待ってろ』って、()ってた。だから、待ってないと怒られる……」

 

 

 ――っ。

 

 おそらくは、あの女が何気無く、厄介払いにでも放った言葉。

 それが捩れに捩れ、彼女の呪縛となっていたらしい。どおりで尋ねても理由を教えてくれなかった訳だ。

 話してくれたのは……右の指に挟まるコレのおかげか。

 一体、何処まで深く食い込んでいるんだ……っ。

 

 なぁ。君は本当に、また姉さんと――お母さんと会いたいのか。

 

 

「……え?」

 

 

 ようやく眼が合った。

 くりくりとした小さな瞳は、子供らしい愛くるしさと、その見た目にそぐわない暗さを宿す。

 

 お母さんが帰って来たとして、またあの生活に戻るんだぞ。

 意味も無く殴られて、蹴られて。後に残る傷を付けられる。本当にそれで良いのか。

 君が望んでくれるなら、おじさんの――いや、君のお爺ちゃんの所へ……。

 

 

「……でも、オジさんはゆまのこと、好きじゃない、でしょ?」

 

 

 そんな訳無いじゃないか。

 どうしてそんな風に……。

 

 

「だって、オジさん、笑わない。いっつもコワい顔、してるもん」

 

 

 ……笑わない?

 

 思わず、自分の顔を指でなぞる。

 冷水でも浴びせられた気分だった。

 いつもニュースばかりを見ていると思っていたのに、この子は、ちゃんとオレの事も見ていたのか。

 だが、違う。それは違う。

 

 確かに、そうだったかも知れない。でもそうじゃない。君の事を嫌いな訳じゃないんだよ。

 もっと別な理由があって――。

 

 

「でも、それもゆま達のせいなんでしょ」

 

 

 今度は、違うとは言えなかった。それは確かに、彼女達が俺にもたらした厄介事だったからだ。

 金銭的な問題。仕事への影響。ゆまの世話に使う時間。

 負担になっていないと言えば嘘になる。

 けれど、謂れの無い暴力に晒されていたこの子に、そんな事を言えるはずも無かった。

 

 

「ママも、そうなのかな」

 

 

 沈黙を肯定と受け取ったのか、ゆまはまた俯く。

 

 

「ママも、ゆまのこと好きじゃないから、帰ってこないの?

 パパが家に居ないのは、ゆまがカワいくないからだって、ママ、いつも()ってた。

 ……だから、捨てられたの?」

 

 

 凍えるような声だった。

 助けを求めているようにも聞こえた。

 しかし、それに答えられるだけの言葉が、オレの中には無く。

 ただ、彼女の小さな頭を、左腕に抱きかかえる。

 声とは裏腹に、寄りかかってくるその身体は、温かかった。

 

 

「オジさんの手、ゴツゴツしてるね」

 

 

 ああ、痛かったか。

 

 

「んーん。かたいけど、あたま撫でてくれるから、好き」

 

 

 ……そうか。

 

 出来うる限り優しく、絹糸のような髪を撫でる。

 石島さんの言った通り、この子の心は止まっているのだろう。

 姉がボヤいていたような我侭なんて言わずに、オレの言ったことは良く聞き分け、全く子供らしくなかったゆま。

 確かに肉体的な傷は癒された。だが、その心はどうだ。

 こんな形で放り出されて、平静で居られる訳が無い。表に出せなかっただけで、この小さな体の中に、色々な感情を抱え込んでしまっている。

 

 変わらずに送れる日常の中で――いいや、むしろ平穏にすらなったはずの生活の中で、徐々に徐々に固まっていく、透明な氷。

 それはゆっくりと大きくなって、本来の子供らしさを閉じ込める。

 ……ああ、そうだ。今さら気付いた。

 オレも、この子が笑っている所を見たことが、無い。

 

 何、してんだろうな。オレは……。

 

 

「……オジさん?」

 

 

 唐突に感じた苦味への呟きに、ゆまが不安そうな顔を上げた。

 誤魔化すために煙を吸い込み、吐き出すそれが直接掛からないよう、そっぽを向く。

 

 ゆまちゃん。お爺ちゃんの事は、好きか?

 

 

「おじいちゃん? うん、好き。でも、なんで?」

 

 

 もし仮に――例えば、お母さんが何時まで経っても帰って来てくれなかったら。

 君は多分、お爺ちゃん達と一緒に暮らすことになる。だから聞いておきたかったんだ。

 

 

「おじいちゃん、と……」

 

 

 おそらく、これが一番妥当な選択肢だ。

 娘を虐待していた女の弟よりは、遠く離れて暮らしている祖父母の方が、真っ当に育て上げることが出来るだろう。

 何度も電話を掛けて来てくれたようだし、会った事は無いが、あの人達になら――

 

 

「でもそれじゃ、オジさんが一人になっちゃう。さみしく、ないの?」

 

 

 ――と、そう思っていたら、ゆまはこちらの太ももに手を置き、覗き込むようにして言った。

 まさか、この子はオレの事を心配しているのか? 嬉しくはあるが、正直、余計なお世話だ。

 

 オレは長い事、一人で暮らしてきた。

 幼い頃に両親が離婚し、母は女手一つでオレと姉を育ててくれた。

 けれど、その母も病で呆気無く他界。それからは、歳の離れた姉が母親代わりとなって世話をしてくれて。

 そんな姉に負担をかけまいと、早々に手に職を付け、家を出た。

 

 しばらくは連絡を取り合い、直接会ってもいたが、段々と足は遠退いて、気付けば十年以上。

 子連れになった姉が偶然この街に越して来た時なんて、本当に驚き、喜んだ。だが、その十年の間に姉は変わり果てていて……。

 こんな事なら、再会なんてしない方が良かった。知らなければ、他人事で居られた。

 だから、一人の方がよっぽど気が楽だ。そのせいで何が起きようが与り知らぬ事。どうでもいい。

 

 ……しかし。

 オレの口は、ピクリとも動かなかった。

 寂しくなんてない。

 この一言が。たった一言が、胸から出て行かない。

 

 

「それに、おじいちゃん達のことは好きだけど、ゆま、ここがいい。しらないとこ行くの、コワいよ」

 

 

 その間も、ゆまの言葉は続く。

 良く考えれば、不安になるのも当然だ。

 住み慣れた街を離れるというのは、大人であっても大変な労力を費やす。

 なのに、支えとなるべき両親は行方知れずのまま。……本当に支えてくれるとは思っていないが。

 生活環境を無闇に変えるのも、教育には良くないのだろう、きっと。

 

 ゆまちゃんは、寂しいのは嫌か。

 

 

「……っ」

 

 

 無言の頷き。

 小さな手が、太ももの上できゅっと握られる。

 

 そう、だよなぁ。あんなのでも、親、だもんなぁ……。

 

 

「……オジさんは、ママのことキライなの?」

 

 

 姉さんの事? ……そう、だな。おじさんは――。

 

 問われて真っ先に浮かぶ感情は、ネガティブな物ばかりだ。

 変わってしまった事への失望。変わるのを止められなかった悲しみ。あまりにも身勝手な行動への呆れ。

 それ等を統合して生まれる怒り。憎いと言って良いのかも知れない。

 

 だが、ゆまと話していて思い出した事もあった。

 母が死んでから、親代わりをしてくれた姉。あの頃、姉は優しかった。確かに優しかったのだ。

 母の残してくれた遺産は僅かで、父親には一切連絡が付かず。

 高校を卒業して間も無い女の子が、中学生になったばかりの弟の世話をするのは、どれほど苦労しただろう。

 随分と迷惑を掛けた気がする。色んな事を押し付けてしまっていた気がする。

 それに気づいたのは、姉が疲れ切った目を隠し、強がって笑うようになったからで。

 だからオレは、独り立ちを選んだ。

 

 けれど、今となってはそれも後悔しか呼び起こさない。

 家を出たりなんかしなければ良かった。姉の側に居て、二人で苦労して行けば良かった。

 そうすれば、いつか夢で見た、あの優しい笑顔を、失くさないで居てくれたかも知れないのに。

 姉の事は間違い無く嫌いだ。

 しかし、今の姉を嫌いに慣れるくらいには。

 

 ――好きだった。大好きだったんだよ。眞子(ねぇ)の事。

 

 

「……そっか」

 

 

 今更な懺悔に、どうしてだか、ゆまは安心したような声。

 そしてそのまま、こちらにもたれ掛かってくる。

 

 

「ゆまはね、分かんなくなっちゃった。

 いつもイタイことするのに、ときどき、優しくあたまをワシワシしてくれて。

 けど、またすぐにイタイことされて、いらないって()われて……。

 ほんとはママ達といっしょにいるの、ヤだった。でも、一人ぼっちは――さみしいのは、もっと、ヤで……」

 

 

 微かな震えが、伝わって来ていた。

 オレは、その頭に軽く手を乗せながら、静かに呟く。

 

 なら、一緒だな。おじさんと。

 

 

「……いっしょ、なの?」

 

 

 おじさんはずっと一人で暮らしてた。だけど、本当は一人になんてなりたくなかったんだ。

 でも、そうしなきゃいけないって我慢している内に、何も感じなくなった。

 それが君と――ゆまちゃんと出会ってから。変わったんだ。

 

 

「変わった……?」

 

 

 ああ。

 

 見上げる瞳へ、確かに頷く。

 姉の元を離れて一年近くは、一人暮しの忙しさに眼を回すだけだった。

 それに慣れてからしばらく、開放感に酔いしれ。また時間が経つと、孤独感に苛まれるようになった。

 だが、良くも悪くも人は慣れる。

 家事と仕事に追われるだけのルーチンを繰り返す内に、何も気にならなくなった。

 どうして働きたかったのかも、何時の間にか、すっかり忘れて。

 

 そんな日々に一石を投じたのは、やはりこの子なのだ。

 無感動に送っていた変化の無い日々を壊され、俺は戸惑っていたのだと思う。

 久しぶりに呼び起こされた暗い感情を、持て余していたのだと思う。

 しかし、それがどんなに辛くても、無感動よりはマシだ。

 一切心を動かさず、生きる目的を見失って尚、惰性で呼吸をし続けるよりは。

 苦しんで、悲しんで、怒って。何かを感じ、心を砕く方が、余程。

 

 振り返ってみて、確信する。

 ゆまが居てくれなければ、手遅れになっていた。

 延々と続く平坦な人生に、心を壊死させていた、と。

 だから――

 

 ゆまちゃんのおかげで、おじさんは寂しくなかった。怖い顔してるように見えただろうけど、本当は違ったんだ。

 ……さっきも言ったけど、いつか、君はお爺ちゃんの所へ行かなくちゃいけなくなると思う。きっと、偉い人からそう言われる。

 でも、それまでの間は。その日が来るまでは、おじさんと一緒に居てくれないか。

 

 

「………………」

 

 

 ――だから、これはオレ自身のためだ。

 無償の好意なんかではなく、オレがオレで居る為に、この子が必要なのだ。

 それがたまたま、彼女にとっても救いになれば、それに越した事は無いけれど。

 

 

「オジさんは、さみしんぼさん?」

 

 

 ……はは。そうだよ?

 

 小首をかしげながら可愛く例えられて、つい苦笑いが零れる。

 何だか照れ臭くもあり、ちょっと雑にゆまの頭をガシガシすれば、「わ」と声を上げて彼女も笑ってくれた。

 可愛らしく、笑ってくれた。

 

 一緒に、帰ろう。

 

 

「うん」

 

 

 携帯灰皿にタバコを捨て、立ち上がる。

 右手には、彼女の真っ赤なランドセル。左手には、包んで隠してしまえる小さな手。

 改めて握り直すと、離さないと言わんばかりに力が返る。

 この日、オレはようやく向き合えた気がした。

 ただ一緒に居るだけの他人ではなく、共に暮らす、血の繋がった家族として。

 姉が産んでくれた可愛い姪っ子と、向き合えた気がした。

 

 帰って来たなら、姉とも思いっきりぶつかってみよう。

 そう簡単にあの性格は直らないと思うけれど。

 悪い方向へ変わってしまえたのなら、もう一度、良い方向へだって変われるはずなのだから。

 

 



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【千歳】スピンアウト編・中の2【ゆま】

 

 

『ピクニックですか。楽しそうで良いですね』

 

 

 ええ。二人で簡単な弁当を作って。

 実際、楽しかったですよ。意外とね。

 

 受話器越しに聞こえる明るい声の主――石島さんへ、小さく笑みを浮かべてそう答える。

 日曜の夜。

 何度か繰り返し連絡を取り、だいぶ気心が知れた彼女に、オレはその日の出来事を語っていた。

 

 

『休日に家族サービスだなんて、お父さんぶりが板についてきたんじゃありません?』

 

 

 そうでもないですよ。

 ゆまにせがまれて仕方なく、ですから。

 

 

『ゆまさんに?』

 

 

 意外そうな語尾上げに、そうなんです、と溜息混じりの返答。

 本当の意味で、ゆまと一緒に暮らす決意をしたあの日から。不思議とあの子は、子供らしい一面を見せてくれるようになったのだ。

 食べ物の好き嫌い(今まで出なかったのは好みが一緒だったからの様だ。子供舌も存外、役に立つ)や、一緒に遊んで欲しい、買い物に着いて行きたい、アレが欲しいコレが欲しい……。

 大人しかった頃が懐かしくなる位に、困らせられた。タバコを吸う暇なんて無いほどだった。

 

 

『へぇ……。良い傾向じゃないですか。頼られてる証拠ですよ、きっと』

 

 

 ……ですかねぇ。

 

 だが、何故なのだろう。

 無邪気に笑って我侭を言ってくれるのが、嬉しくもあったのだ。

 釣られて笑うことも多くなり、仕事場と家を往復するだけの生活は、随分と騒がしくなった気がする。

 けど、悪くない。悪くは、なかった。

 

 

「ねー、オジさんまだー? ゆまもお話しーたーいー!」

 

 

 ああこら、引っ張るな。ズボンが脱げる。

 じゃあ、すみません。ゆまと話してあげてくれますか。

 

 

『はい、勿論』

 

 

 交替をせがむゆまへと受話器を渡し、オレはちゃぶ台の近くに腰を下ろす。

 

 

「もしもし、ミサお姉ちゃん? ……うんっ。うん、そうだよっ。楽しかった!」

 

 

 満面の笑みで喜びを表現しながら、ゆまは声を弾ませた。

 その姿を眺めながら、もう一度、今日の出来事を振り返る。

 

 まず、事の発端は昨晩のニュースだ。

 異常気象の所為で、かなり早く開花を迎えてしまった桜の映像を伝えるそれは、おっとり刀で花見に駆けつける人々の姿も映していた。

 ゆまはそれを見て「楽しそう」と呟き、まだこっちでは咲いてないよ、とオレは返した。

 しかし、それでも画面を見続ける彼女に思う所があり、明日出かけてみるか? 弁当でも作って、などと冗談のつもりで言ってしまったのだ。

 すると、「行きたい!」という大きな声が返され、その期待が込もった眼差しに、後へ引けなくなってしまったのである。

 

 

「……うん、サンドイッチ。タマゴと、ハムとチーズと、あとからあげ! ゆまも手伝ったの!」

 

 

 そして次の日――というか今日の朝。

 思い付きだったせいで大した材料も無く、料理経験も乏しいオレが作れる弁当と言えば、サンドイッチ程度だった。

 ゆで卵を作って、ハムとチーズと運良く残っていたレタスに、昨日の晩飯の残りである唐揚げを半分に切ってケチャップと挟んだりする、誰にでも作れる内容だ。

 ちなみに、ゆまが手伝ってくれたのは主に卵。潰したりマヨネーズと和えたり、刃物は使わない安全な作業である。

 それでもボウルから卵が場外乱闘しそうだったので、結局はオレが手を取って、二人でやったようなものだが。

 

 

「でねでね、こーえん行って、お日様のとこにシートひいて食べたの。……うん、おいしかった~」

 

 

 慣れない事をしたせいか、作り終える頃には昼になっていた。

 ジタバタ、「おなかすいた~」と主張するゆまを宥めながら、サンドイッチを包んで近くの公園へと出立。

 風も強くなく、絶好のピクニック日和だった。まぁ、おかげでちょっとイラッともさせられたのだが。

 ったく真っ昼間から恋人と公園でデートとか見せ付けやがってあの小僧。ベンチで膝枕とかされた事ねぇわ。しかもあんな可愛い子に。

 呪うぞ。全身全霊で呪うぞ。

 

 ……それはともかく。

 公園に着いて早々、日当たりの良い芝生に陣取ったオレ達は、お手製の弁当で腹ごしらえをした。

 なんて事は無い。誰もが想像できる味のサンドイッチだったが……自然と笑い合うことが多かった。

 

 

「それからね、オジさんといっしょにお昼寝して……うん……うん。ポカポカでキモチよかったよ~。ミサお姉ちゃんもくればよかったのに」

 

 

 そして、空腹が満たされれば、子供は眠くなるのが当然。

 うつらうつらと倒れそうになるゆまは、こちらの服を掴んで離さず、結局、腕枕を強要された。

 二の腕に頬を擦り付け、満足そうな寝息を漏らす彼女の姿は、愛らしいの一言に尽きた。どうしてこんな存在を傷付けようと思えたのか、姉の気が知れん。

 ……つい一緒になって寝てしまい、起きた時には腕が痺れて動かなくなっていたのには、困ったけれど。

 

 更に付け加えるなら、先程からゆまは石島さんの事を“お姉ちゃん”と呼んでいるが、別に矯正された訳ではない。

 あの日以来、幾度かこの家にも訪れてくれた石島さんは、女同士という事もあってか、ゆまと瞬く間に仲良くなり、自然とそう呼ぶようになったのだ。

 子供というのは本当に、無意識にあざとい生き物である。

 

 

「……? うん。ねぇオジさん、ミサお姉ちゃんが、『何か変なこと考えませんでしたか。妙にイラッとしたんですけど』、だって」

 

 

 ………………。

 ヤバイ、刑事の勘――っていうか女の勘怖い。

 

 ソンナコトアリマセンヨ、って言っておいてくれるか。

 

 

「んー。そんなことありません、だって。うん、ぼーよみ。後でじんもん? だねっ」

 

 

 ゆーまー? ちょおっと電話代わってくれるかー?

 

 

「えー。もっとお話した……ぁ。ゆま、おトイレー」

 

 

 早急に言い訳すべきと判断したオレは、床をカサカサ這って受話器を取り上げようとする。

 すると、ちょうど尿意でも催してくれたのか、ゆまは素直にそれを渡し、トイレへと消えて行く。

 

 はぁ……あのですね石島さん。今のは……。

 

 

『ふふっ、大丈夫ですよ、怒ってませんから。理由は分かりませんし、ちょっとしか』

 

 

 ちょっとは怒ってるんですね。

 まぁ、なんだ。すいませんでした。

 

 

『いえいえ。……でも、羨ましい。私も行きたかったなぁ、ピクニック』

 

 

 吐息交じりの声には、僅かだが弱気な色を感じた。

 

 お疲れ、みたいですね。

 何かありました?

 

 

『ええ……。行方不明者、まだ増えてるんです。しかも、ここの所は女の子ばかり』

 

 

 十代前半から半ば――第二次性徴期に差し掛かった少女の連続行方不明、ですか。

 関連性が見えないとはいえ、どうして表沙汰にしないんでしょうね。

 ……いや、察しはつきますが。

 

 

『はい……。大方の理由は体面の問題です。

 今まで動かなかった事への謝罪も必要ですし、これから動こうにも、手がかりは全く掴めていないまま。

 だったら、市民の不安を煽らないよう公表はせず、水面下での調査を進めるしかない。

 分かっているんです。でも、そうすると出来ない事が多過ぎて……。あのバーコードハゲェ……』

 

 

 よっぽど腹に据えかねる事があったのだろう。

 落ち着いて下さい、と石島さんへ呼びかけるが、殺気の所為か、それは引き攣ってしまった。

 

 

『……っと、すみません。聞かなかった事にして下さい。本当はこんな風に話しちゃいけないのに、どうにも貴方相手だと気が緩んで……』

 

 

 そう、ですか。

 

 お世辞という訳では、ないと思う。

 ゆまを挟んでの交流で、石島さんの人柄はある程度、理解出来ている。

 優しく生真面目で、時折、悪戯っぽい笑みを浮かべるこの人は、色んな事を一人で背負い込み過ぎなのだ。

 そんな人が弱みを見せてくれるのは嬉しいし、気負ってしまう理由も分かるが、このまま行けばその重みに負けて、真っ直ぐな心根に歪みが生じるかも知れない。

 

 ……花見しませんか、石島さん。

 

 

『え?』

 

 

 あと二~三週間もすれば、公園の桜も満開になるでしょう。

 そうしたら、オレと、ゆまと、石島さんの三人で。

 大したモノは作れませんけど、また弁当を用意しますから。

 

 

『……貴方は、もう』

 

 

 唐突な提案に返ったのは、気の抜けたような声。

 電話の向こうに、苦笑いを浮かべる姿が見えた気がした。

 

 

『お気持ちは嬉しいんですけど、それを私がどう思うかって、ちゃんと考えてくれてます? 勘違いで恥ずかしい思いするのは嫌ですよ』

 

 

 ……オレに出来るのは、この位ですから。

 それに、こんな理由でも無いと部屋に篭もりっ放しだし。

 たまには今日みたいに日の光を浴びて身体を干さなきゃ、カビが生えそうだ。

 

 

『ほら、そうやって直ぐ茶化すんだから。でも良いですね、お花見。

 色んな事を忘れてのんびりするのも、久しぶりだし。

 じゃあ、詳しい日程はまた後で連絡します。私もお弁当とか用意しますから。約束ですよ?』

 

 

 ええ。あ、けど、こないだみたいな酒のつまみシリーズで固めるのは勘弁して下さいね。

 流石にこの歳になると塩分過多が気になって。

 

 

『あ、あれは偶々ですっ、その日食べたいなぁと思った物を作ったらああなっちゃっただけなんですっ! 普通のお料理だって出来るんですからね!? 本当ですよ!?』

 

 

 ははは、期待してます。

 

 ――なんて言うものの、別にそれでもいいかな、とかオレは思っていた。

 数日前、平日の夜にも関わらずゆまに会いに来てくれた石島さんは、そのとき手料理を振舞ってくれたのだ。

 まぁ、先に言った通り、メニューは鶏の唐揚げや酢の物など、酒のつまみになるような物ばかりで、普段の食生活が拝めてしまう感じだったのだが、味は格別だった。

 あれなら是非、またご馳走になりたいもんだ。ゆまも気に入ってたし。

 

 

「オジ、さん」

 

 

 ――と、楽しく談笑している間に、ゆまが戻って来たらしい。

 まだ話し足りないのだろうと、俺は背後に振り向きながら――

 

 ああ、ゆま。電話代わる――ゆまっ!?

 

 

『……え。ど、どうかしたんですか?』

 

 

 ――悲鳴に近い声を上げてしまった。

 何故なら、目の前に顔を涙で濡らしてスカートの端を握り締め、しゃくり上げるゆまが居たからだ。

 

 どうした、何があった!?

 

 

「ひっく、ゆ、ゆま……し、死んじゃう、かもぉ……うっく」

 

 

 死……どうしたんだよいきなり?

 何処か痛いのか? それとも、ぶつけたりしたのか?

 その位で人は――。

 

 

「だって……だってぇ……お……」

 

 

 ……お?

 

 

「おまたから、血が、ドバッって……ふいても、止まらなく、てぇ……」

 

 

 へ。

 

 

『あの、もしもしっ! どうしたんですかっ?

 返事をして――《pipipi、pipipi……》――あぁもぅ何でこんな時に!』

 

 

 ぐしぐしと鼻を啜りながら、ゆまはスカートをたくし上げる。

 眼前に晒されたのは、何も身に着けていない少女の下半身と、内股を伝う真っ赤な鮮血。

 酷く慌てる石島さんの声を耳に、オレはそれを凝視してしまった。

 ああ神様。アンタ、何か恨みでもあんのか。

 

 

『もしもし、聞こえてますか! お願い、返事を……!』

 

 

 ………………石島さん。

 

 

『ああ、良かった。大丈夫ですかっ? 何かあったのなら、直ぐに人を――』

 

 

 赤飯って、どう炊けばいいんでしたっけ。

 

 

『――はい?』

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

『……ええと。とりあえず、綺麗にしてあげて下さい。とっても気持ち悪いでしょうから。それから生理用品ですけど、売ってるヤツを全種類一個ずつ買って下さい。

 かなり個人差がありますし、何がいいかは使ってみないと。本当は私が行ってあげられれば良いんですけど、これからまた仕事に出なくちゃ……。

 とにかく、今のゆまさんは凄く不安な気持ちで一杯ですから、出来るだけ側に居てあげて下さい。良いですね?』

 

 

 ――というのが、説明を受けた石島さんのお達しだった。

 安心したのか、呆れ果てているのか。なんとも判別のつかない声だったが、気が動転していたオレにとっては正に天の声。

 一も二も無くご指示に従い、まずは――

 

 

「……また、出たりしないかな……」

 

 

 ……出ないといいなぁ。お湯が汚れるし。

 

 ――風呂場で経血を洗い流した後、湯船に浸かっていた。

 いや、オレが入る必要が無いのは分かっている。別に石島さんの指示を免罪符に一緒に入ろうと言った訳でもない。そんな事をする奴は変態だ。

 本当は、ゆまの身体を洗ってあげたらお湯に入れて、その間に大急ぎでアレを買いに行こうと思っていたのだ。

 が、石島さんの言った通り、ゆまはとても不安になっているらしく、離れようとしてくれなかった。

 だから仕方なく、 仕 方 な く 、一緒に風呂へ入っているのだ。勿論、初めてである。

 流石に泣く子にゃ勝てん。不可抗力なのだ。オレは悪くない……はず。

 

 

「ゆま、ほんとにびょーきじゃないの?」

 

 

 ――と、誰に向けるでもなく言い訳染みた事を考えていたら、ゆまは湯船の淵に頬をつけ、斜めになって問い掛けて来た。

 羞恥心という物が無いのか、幼い身体は色んな意味で全開となっている。

 そっちの趣味がある人間なら大喜びでガン見するだろうが、生憎オレの趣味ではなく、むしろ罪悪感で胸が痛い。

 

 病気じゃないよ。というか、健康に成長出来てる証、だな。

 

 

「でも、あんなに血がドバーって。なのに?」

 

 

 両腕を広げ、大げさに表現する彼女。その身体は、痣だらけなのだ。

 間違い無く姉が付けた物であり、それは全身に及んでいる。

 打撲自体は直っているのだろう。身体を洗ってやっている時も、痛みは訴えなかった。

 けれど、見ているだけで痛々しくて、どうしても直視出来ない。直視して良いものではないのだが。

 そんな気持ちを悟られぬよう、オレは意識して彼女からの質問の答えを考える。

 ……というか、こっちに集中しないとどう答えていいものか分からん。とりあえず、真面目に答えるか。

 

 平気だ。それは初潮って言ってな。大人になり始めた証明みたいなものなんだ。

 

 

「……オトナ? ゆま、オトナ?」

 

 

 大人という表現が嬉しかったのか、ゆまは身体を上下させてジャブジャブお湯を波立てた。

 微笑ましいのはそうなのだが、あんまり騒がれると説明も出来ないので、コラ、と叱りつける。

 

 大人はそんな風にお湯の中ではしゃいだりしないぞ。落ち着け。

 

 

「う。わ、分かったっ」

 

 

 途端、身体を縮込め、少なめなお湯の中で正座してみせる。

 なるほど……。こう言えば大人しくなるのか。活用しよう。

 ともあれ、説明の続きだ。

 

 ゆまは、『妊娠』って言葉の意味、分かるか?

 

 

「あー、オジさんゆまのことバカにしてるでしょー? そのくらい知ってるもん! おなかの中に赤ちゃんがいることでしょ?」

 

 

 コラ、立つんじゃないってば。色々と見えるから。でも、よく知ってたな。偉いぞ。

 

 

「えへへー」

 

 

 全く無い胸――いや、ちょっと膨らみ始めてるか? ……とにかく胸を張るゆまの頭を撫でてやると、得意気に顔を崩してより近くへ座り込む。

 微妙に居心地が悪いが、どんな風に情報を伝えるかを整理する事で、そんな感想も頭から追い出す。

 

 ええと……。女の人のお腹の中には、赤ちゃんを宿す――育てる為の場所があってな。

 さっきの血は、その場所が成長して赤ちゃんを妊娠出来るようになったから出たんだ。

 

 

「そうなんだ……。でも、なんで血がオシッコのとこから出るの?」

 

 

 いや、オシッコの所じゃなくてだな。

 その下にもう一つ穴があって……って、何言ってんだオレ。

 

 

「ふーん。……えっと……」

 

 

 コラコラ触るんじゃない! 大事な所なんだから!

 

 

「ぶー、なんでー」

 

 

 駄目な物は駄目! ……とにかく、そういう物なんだ。

 風呂から出たら、パンツが汚れないようにする道具とか買ってくるから、今日からそれを着けるんだぞ。

 詳しい事は後でミサお姉ちゃんに聞きなさい。

 

 

「はーい」

 

 

 返って来る素直な声に安堵しながら、オレは溜息をつく。

 なんなんだ、この疲労感。

 つい肝心な部分は石島さんに丸投げしちまったけど、そうしなかったら茹で上がってしまいそうだった。

 母さんもこんな苦労したんだろうか……。まぁ、これで質問タイムは終わったはず。もう安心――。

 

 

「ねぇオジさん」

 

 

 ――あ、なんか嫌な予感。

 

 

 

 

 

「赤ちゃんって、どうすればできるの?」

 

 

 

 

 

 思わず両手で顔を覆い、oh...とアメリカンな反応をしてしまった。

 来たよ。来やがったよ。世界中の大人が子供にされて一番困る質問が。

 上手く説明しきる自信がねぇ……。

 適当に誤魔化したら知らん内に妖精さんが性教育とかしといてくんないかなぁ……。

 

 

「ねぇー、オージーさーん。どーすればいーのー?」

 

 

 こちらの苦悩を露知らず、ゆまは腕を掴んでガクガク揺さぶって来る。

 どうする。コウノトリか。キャベツ畑か。それともAV見せるか。アホか見せてどうするそんなもん。

 ううむ……。この年頃ならまだ嘘でも納得してくれそうだが、しかし、子供というのは新しく得た知識をひけらかすもの。

 間違いを教えたら、それが原因で友達に馬鹿にされたりとかも有り得る。

 ここは正しい知識を身に付けさせるべきか?

 

 え、えっとだな……。ぼ、勃起した男性器を、膣液を分泌した女性器に挿入して、陰茎に摩擦刺激を――。

 

 

「んー! むずかしいコトバじゃ分かんないー! もっと分かりやすくー!」

 

 

 ――ぁああ注文が多いなメンド臭ぇ! チ○コをマ○コに突っ込んで腰カクカク振って膣内射精(なかだし)すりゃ良いんだよぉ!

 

 

「あ、そうだったんだ。へー」

 

 

 おいちょっと待て。

 何でそれで分かる。

 

 

「ん? パパとママが前にやってたよ?

 それでママが、(年齢一桁には)に(とても言わせられない)で(卑猥な言葉)してーって」

 

 

 小学生がヤケクソ気味な説明を理解できたのは、親による英才教育の賜物だった。

 本っ当にロクな事しねぇなあの女。地獄に落ちろ。マジで。

 

 

「ふしぎなんだ~。いつもはケンカしてるのに、そのときだけはパパとママ仲良しなんだよ?

 ほかにもね、(自主規制)とか(表現管理)とか(言論統制)とか……」

 

 

 もういい、もう分かったからそういう言葉を使っちゃ駄目だ!

 

 

「え? だってさっきオジさんも……」

 

 

 それはおじさんが悪かったからっ。女の子がそんなこと口にしちゃ駄目なんだっ。

 特に人前で使うのは絶対に駄目! とっても恥ずかしい事なんだからな、分かったか?

 

 

「んん……分かった」

 

 

 不承不承といった様子の返事。頭ごなしに注意されればそりゃあ不満だろうが、他に言い様が無い。

 勿論、現実の女なんて普通に猥談もするし、汚い言葉なんて男よりも使うものだと知っているが、せめて子供の頃だけでも純粋でいて欲しいと願ってしまうのは、やはりオレが男だからなのだろうか。

 

 

(じー)

 

 

 はぁぁ……それにしても疲れた。一日仕事するよりも疲れた気がする……。

 風呂場で性教育とか、血の繋がった親子なら微笑ましいだろう光景なのに、叔父と姪っ子というだけで犯罪チックになるのはなんでだ。

 そういう事をするつもりなんて毛頭無いが、誰かに知られたら間違い無く誤解されるだろう。

 後で口酸っぱく、誰にも言わないように言い含めておかねば。

 

 

「えぃ」《むにゅ》

 

 

 おふっ――てコラコラコラ何やってんだ!?

 

 突如、下半身に柔らかさを感じ、その気持ち良さで変な声が出た。

 慌てて確かめればゆまが、その、あれだ。ナニをフニフニ触っていた。勿論慌てて身を捩る。

 本当に何してんだコイツは……!

 

 

「だってオジさんの、パパのよりちっちゃくてフニャフニャなんだもん。ほんとに入るのかなーって」

 

 

 ちっちゃ――!? こ、これは縮んでる状態なんだ! 必要な時はもっとデッカくなるんだよ!

 

 

「そうなんだー。じゃあ大きくして? ゆま、きょーみある!」

 

 

 う、ぐ……。だ、駄目。

 

 

「えー、またー? さっきからダメばっかりー! つまんなーい!」

 

 

 もう勘弁してくれっ! 後でアイス買ってやるから、クッキーで挟んであるヤツ! ほら、もう出るぞっ!

 

 

「ほんと!? やったー!」

 

 

 花より団子、ご飯よりお菓子が好きな子供らしく、万歳してゆまは喜ぶ。

 どうやら気を逸らす事には成功したようだ。

 危なかった。マジで危なかった。一瞬だけだけど、ナニが反応しかけちまった……。

 よく考えたら、この子と一緒に暮らすようになってから、あんまり自分でしてないんだよなぁ。

 ……興味があるって言うんだからいっその事――いやいやいや駄目に決まってんだろう! 何を考えてるんだオレはぁ!?

 

 そうだ。京都――じゃなくて風俗行こう。

 これは性欲が溜まっているからいけないんだ。決して異常性癖を持ち合わせている訳じゃない。魔が差しただけ。オレは至って正常だ。

 だから明日、風俗に行って乳のデカイ女に抜いて貰おう。

 

 そんなアホらしい事を真剣に、硬く心に決意して。

 俺は急いで湯船から逃げ出すのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「うーん……むーん……」

 

 

 西日が差し込む、十四畳のワンルームにて。

 千歳ゆまは、悩んでいた。

 

 

「んむー……むにー」

 

 

 とても、とても悩んでいた。

 その悩みっぷりと言えば、いつもは必ず子供用の茶碗に二杯は食べる朝御飯が大盛り一杯しか喉を通らず、考え事をし過ぎて疲れた頭は午後の授業を子守唄に変えて。

 そして、学校から帰ってきた今も、こうして腕に抱いたぬいぐるみのような物体を弄んで、ウサを晴らさなければいけない程。

 傍から見れば極めて健康的な食生活を送り、給食を食べて眠くなった言い訳に苦心し、可愛らしい一人遊びをしているようにしか見えないのだが、彼女は本気で悩んでいるのだ。

 

 

「願い事は決まったかい、ゆま。それと、出来れば耳を引っ張らないでくれるかな。あんまり強くされると千切れてしまうよ」

 

「あ、ゴメンねキュゥべえ」

 

 

 腕の中からの声に謝りつつ、ゆまは“それ”をいじくる手を緩めない。

 彼女が悩む原因を作ったのは、奇しくもその声の主であった。

 

 

「ねぇキュゥべえ。ほんとうにどんな願いごとでも叶えてくれるの?」

 

「勿論さ。僕は嘘はつかないよ」

 

 

 外見的には猫に似たシルエットを持つ、真っ白な生物――キュゥべえは、無機質な赤い瞳でゆまを見上げる。

 それを受け止める彼女は、彼(?)が常識的な生き物でない証明である、耳の辺りから伸びる可動部をモニモニしていた。

 

 

「どんな事でも構わない。君が魔法少女として契約してくれるのなら、その対価として、君の願い事を一つだけ叶えてあげられる」

 

「どんなことでも、かぁ……」

 

 

 どんな望みでも叶えられるチャンス。

 しかし、その数はたったの一つだけ。

 これがゆまを悩ませている原因だった。

 

 

「でも、まほーしょーじょのケーヤクしたら、アブないことしなきゃいけないんでしょ?」

 

「そうなるね。僕と契約を交わした少女には、ソウルジェムという物が発生する。

 それを得た者は魔法の力を手に入れ、世界に不幸を撒き散らす魔女と闘う使命も背負うんだ。危険はあるよ」

 

「……んー」

 

 

 ぎゅう、と、ゆまはキュゥべえを抱き締める。

 まだ年端の行かない彼女でも、彼の言う危険がどんな物であるかは想像がつく。

 むしろ、一ヶ月ほど前まで日常的に暴力や誹りに晒されていた彼女だからこそ、それが“ただ危険なだけ”では無い事を、敏感に感じ取っていた。

 

 

「あのさ。まほーしょーじょって、たくさん居るんでしょ。その人達はどんな願いごとしたのかな」

 

「うーん……。例を挙げる事も出来なくは無いんだけど、あまり具体的な事は言えないんだ。

 僕の方から『何を、どんな風に願えば良いのか』助言するのはルール違反なんだよ」

 

「ぶー、けちー」

 

 

 望む答えを得られず、膨れっ面を見せるゆま。

 そんな彼女を見て、キュゥべえは「やれやれ」と呟く。

 

 

「それでも言うとするなら、願い事は自分の為だけに使わなくちゃいけない、という訳じゃないって事かな」

 

「……? ほかの人の願いごとを叶えてもいいってこと?」

 

「そういう事さ」

 

「……そうなんだ」

 

 

 ほへぇー、と感心した息を漏らし、ゆまは考える。

 自分以外の人間と言われて真っ先に浮かべられるのは二人。

 母の弟である叔父と、その知り合いである石島美佐子だ。

 

 

(オジさんとミサお姉ちゃんなら、どんなお願いするのかな)

 

 

 まず思いつくのは、姉と慕う美佐子の願い。

 ゆまは詳しく知らないのだが、彼女は大切な友人を探しているらしかった。

 それを見つけてあげられたなら、喜んでくれるかも――

 

 

(でも……)

 

 

 ――という気は、するのだが。

 それを願ってしまっても良いものか、という気もするのだ。

 美佐子は、「どんなに時間が掛かっても、この手で見つけてあげたい」と、「そのために刑事になったのよ」と、ゆまに語った事があった。

 誇らしげなその姿は、子供ながらに格好良いと思えるもので。

 そんな人の願いを、勝手に叶えてしまったら。

 

 

(よけいな事するな、って、怒られるかも……)

 

 

 ――と、こんな不安が頭を過ぎるのだ。

 かつて、善かれと思ってした悉くを、母に否定された経験があったから。

 美佐子がそんな人間でない事は――母とは比べるべくも無い人である事は知っていても、やはり。

 

 

(……っ、やめたっ。ミサお姉ちゃんじゃなくて、オジさんなら……)

 

 

 万が一の可能性に怯え、ゆまは思考を切り替える。

 次は勿論、叔父の事。

 

 

「ん~、でも~」

 

 

 しかし今度は、叔父の願いそうな事が思いつかない。

 何故なら、既に叶ってしまっている願いがあるからだ。

 ゆまに向かって、「側に居て欲しい」と言ってくれた叔父。

 自分が側に居るのだから、その願いは既に果たされているという事になる。

 喜んでくれている自信があった。

 

 

(オジさん、笑ってくれるようになったもん)

 

 

 そうでなければ、あんな風に優しい笑顔を浮かべてくれるようになる筈がないのだから。

 釣られて笑ってしまうゆまの胸の内が、温かくもならない筈だから。

 であれば、他に叔父が望む事を探すしかないのだが、それがよく分からない。

 何か欲しい物はあるか、何かしたい事はあるか、と聞かれた事はあれど、何が欲しい、何をしたい、というのはまるで聞いた覚えが無い。

 だから、必死に頭を捻って想像するしかないのだが――

 

 

(ゆまなら、おいしいもの食べたり、遊んでもらったり、またいっしょにお昼寝したり……)

 

 

 ――自分が望む事はポンポン出てくるのに、そこから先へ進まない。

 しかもこれ等の望みは、直接ゆまが叔父にお願いしてしまえば直ぐにでも叶ってしまう。

 危険と引き換えになどしなくても、我侭を聞いて貰える。

 この堪らない事実が、ゆまが魔法少女になるのを躊躇わせる大きな理由だった。

 

 

(……あっ、ゆまのことはいいんだってばっ。いまはオジさんのこと! こんどはゆまがオジさんを幸せにするんだ!)

 

「ん、どうしたんだい、ゆま」

 

「なんでもないっ」

 

 

 唐突に首をプルプル振り、それを疑問に思ったキュゥべえが問い掛けるが、ゆまはまた思考に埋没する。

 我侭を言っても怒られないという、彼女にとっては奇蹟に等しい、ありふれた幸せをもたらしてくれた人。

 もっと笑顔になって欲しい。もっと喜んで欲しいと思えるのは、不思議と心が弾む、悩ましい時間だった。

 美佐子には悪い気もするが、一緒に暮らしているとどうしても比重は傾く。

 心の中で「ごめんなさい」をして、ゆまは叔父を優先にしようと決める。

 とは言え、一人で考えていても手詰まりなのは代わらず、結局助けを求める事に。

 

 

「キュゥべえ、やっぱりしつもんっ。オトナのおとこの人って、どんなことが嬉しいのかな? どんなことすれば、喜んでくれるかな?」

 

「それは、一般論としての質問かい。もしそうなら答えてあげられるんだけど」

 

「え、えと、そう! イッパンロンとしてのしつもんっ!」

 

「分かった。願いを決めるために情報を得ようとするのは、正常な判断をするという意味で推奨出来る。協力するよ」

 

「うん。ありがとキュゥべえ」

 

 

 よじよじ、キュゥべえが腕の中から抜け出そうとし、ゆまは名残惜しくも解放する。

 ちゃぶ台の上に陣取った彼は、床にペタンと座り込むゆまと対面。語り始めた。

 

 

「一般的に、人間の成人男性が求める物と言えば、経済力・社会的地位・理想的な交配対象かな」

 

「……? け、けいざ……こうは……?」

 

「……分かりやすく言うと、お金・偉さ・お嫁さんだね」

 

「おー、なるほどー」

 

 

 まだ二桁に一年ほど足りない少女には難しいのかと判断し、キュゥべえは彼女が理解出来るであろう単語で表現し直す。

 

 

「現代社会において貨幣が重要――生活するのにお金が掛かるのは言うまでも無いね。

 持ち過ぎれば災難を呼び寄せる事もあるけれど、足りなければ生きて行けないんだから」

 

「うん、分かる。パパとママ、いっつもお金のことでケンカしてたから」

 

「そうだったね。次に偉さだけど、社会的な地位が高まれば、それだけ周囲の人間から丁重に扱われる――優しくして貰えるんだ。

 未だに年功序列なんていう粗悪なシステムが機能している部分があるし、そういった意味では長生きするというのも重要な事だよ。

 まぁ、これ等もあまりに過ぎれば問題を引き起こすけれど」

 

「そうなんだ~。よく分かんないけど、優しくしてもらいたいっていうのは、ゆま分かる。けど……」

 

「なんだい」

 

「……おヨメさんって、ほんとうに皆、ほしいのかな」

 

 

 幾分、落ち込んだ表情でゆまは言う。その原因は勿論、彼女の両親である。

 ほぼ毎日、下らない理由で夫婦喧嘩を繰り返し、罵りあう二人を見てきたゆまにとって、結婚とは――旦那様とお嫁さんという関係は、不和の象徴として刻まれてしまっているのだ。

 その中で、自分達の関係を否定する言葉も飛び交っていたのだから、無理もない。

 

 

「確かに、一概にそうだと言い切るのも語弊があるかも知れないね。

 深く愛し合う夫婦も居れば、君の両親の様にいがみ合う夫婦も居る。

 はたまた、結婚を嫌がり一人で居たいという人も少なからず居る。

 感情という物は、本当に複雑怪奇だ」

 

「ん……」

 

 

 他人事のような――いや、実際に他人事なのだろう。

 無味乾燥な同意に、ゆまはカーペットを見つめる。

 

 

「でも、生物としての本能的に考えれば、パートナーを求めるのは間違いでは無いよ。命を持つ者は皆、自己保存の性質を持つからね。

 ましてや人間は、子孫を残す行為に強い性的快感を得られるように出来てる。性交渉そのものへ重きを置く人も居るんじゃないかな」

 

「せーこーしょー?」

 

「セックス……じゃ分からないかな。ええと、子供を妊娠するために行う行為なんだけど……」

 

「あ、それなら分かるよ! ママ達がしてるの見たことあるから」

 

「なら話が早いね」

 

「でもキュゥべえ。そういうエッチな事はあんまり話しちゃいけないんだよ? ミサお姉ちゃんが()ってた!」

 

「聞いてきた君が言うのかい……。確かに常識的にはそうかも知れないけれど」

 

 

 むっふん、ドヤ顔のゆまだった。

 数日前に初潮を迎えた彼女は、その時こそ大きな衝撃を受けたものの、女としての先輩である美佐子の助けがあり、無事に身体の事を受け入れた。

 もっともその最中、うっかり風呂場で叔父に言ってしまった事をまた口走ってしまい、何故か叔父も一緒に正座させられ、烈火の如く怒られたのだが。

 今まで笑顔しか見た事が無かったせいか、ゆまは怖くて大泣きしてしまった(叔父は別の意味で泣いていた)。

 しかし、怖いとは言っても、嫌ではなかった。母に殴られる時とは全然違う、柔らかい何かが伝わってくる感覚。

 それは奇妙な事に、怒られているのに嬉しいなんていう矛盾を生むが、これまた奇妙な事に、それすらも。

 ゆまはこの時、この世界には温かい怖さと冷たい怖さがあるのだと、初めて知ったのだ。

 

 ともあれ、今問題なのは身体の事ではない。

 微妙に耳の可動部をグッタリさせるキュゥべえへ、彼女は更に質問を重ねる。

 

 

「それで、その“せっくす”ってキモチいいの? かいかんって、キモチいいって事だよね?」

 

「さっき話しちゃいけないって自分で言っていなかったかい」

 

「いいから答えてよー! ほんとうにキモチいいのー?」

 

「やれやれ……。気持ち良い筈だよ。中には罪を犯してまでセックスしたがる男性も居るし、お金を貰って行為をさせる職業の女性も居るんだ」

 

「へぇー」

 

 

 キュゥべえの言葉を聞き、ゆまはある事を思い出す。

 

 

(オジさんもあのとき、キモチよさそうだった……)

 

 

 それは、あの風呂場での一件。

 好奇心が勝って、いきなり叔父の竿を揉みしだくという暴挙に出てしまった訳だが、その瞬間の叔父の表情は、今までに見た事の無い種類の物だったのだ。

 それがまた見てみたくて、また、手に残るグニグニした感触も忘れられず、ゆまは毎日の様に「いっしょにお風呂はいろー」とアプローチを掛けている。

 当然、結構な確率で突っぱねられ、根負けした叔父が渋々一緒に入ってくれたとしてもガードは固く、「こんどこそは……!」と変な決意を固めていたりもした。

 けれど、あの行為が気持ち良いものなら、納得が行かない部分もある。

 

 

(キモチいいなら、なんでイヤがるんだろ)

 

 

 普通なら拒んだりしないはず。

 彼女自身、叔父に頭を撫でられるのが大好きであり、もっと触って欲しいと思うから。

 ならばどうして、とゆまは思うのである。

 

 

「やっぱり、キライなのかな」

 

「どうしたんだい、いきなり」

 

「……あのね。おとこの人が“せっくす”をイヤがるのって、どういうとき?」

 

「うーん……。僕は人間じゃないから推測でしかないけど、個人的な性的嗜好の問題じゃないかな」

 

「せーてきしこー?」

 

「要するに好みの問題だよ。外見・体付き、服装や体臭、髪の長さや年齢。かなり細かく拘る人も居るみたいだよ。僕には理解出来ないけど」

 

「じゃあ、やっぱり……」

 

「……もしかしなくても、君が言っているのは君の叔父の事だよね。なら、嫌われているという事は無いんじゃないかな」

 

「ほんと?」

 

 

 不安そうに、ゆまは首を傾げる。

 それを受けて、キュゥべえは確かに頷く。

 

 

「ここしばらく、君達の暮らしを観察させて貰っていたけど、極普通の、仲の良い家庭そのものだったよ。

 あれで嫌われているとしたら、この世界の家庭は何処も憎み合っている事になりかねない」

 

「そっか。よかったぁ~。でも、それならなんでオジさんはイヤがるんだろ?」

 

「おそらく、倫理的な問題だろうね」

 

「りんりてき? ……んにゃ」

 

 

 更に首を傾げ、ほぼ真横になってしまうゆま。

 バランスを崩し倒れそうになる彼女を、可動部を伸ばして支えながら、キュゥべえは続ける。

 

 

「道徳的と言い換えても良いかもね。法律で定められていたり、社会通念的に“してはならない”とされているからしない、というのはあると思う。

 例えば、ゆま。君と君の叔父がもしセックスしたりすれば、君の叔父は性犯罪者として逮捕されてしまうんだ。年齢的な問題でね」

 

「えっ!? そ、そうなのっ!?」

 

 

 意外な事実(あくまでゆまにとって)を突き付けられ、ゆまは慌てふためく。

 子供ではあるが、流石に逮捕という言葉の意味は知っていた。

 ついでに言えば、直ぐ側にそれを行使出来る職業の女性が居るのだから、焦ってしまうのも道理である。

 

 

「そうなんだよ。それ以前に、君の成長しきっていない身体はきっと耐えられない。

 年齢的に考えれば、彼に相応しいのは同年代の女性――石島美佐子だったよね。彼女が良いんじゃないかな」

 

「……ミサお姉ちゃん?」

 

 

 言われて思い浮かべる、二人の姿。

 確かに彼等は仲が良い。もしも彼等が自分の両親だったら、と夢想してしまう位に。

 優しくて逞しい父と、厳しくも思い遣り溢れる母。

 それは、ゆまが夢にすら見れなかった、理想の家族像。

 ……なのだけれど。

 

 

(なんか、ヤだ)

 

 

 胸に湧いた気持ち悪さに、ゆまは顔をしかめる。

 仲が良いのだから、何も悪い事は無い。あの二人が笑い合ってくれるのは純粋に嬉しい。

 だが、その時だけ、ゆまは一人になる。

 三人で一緒に居る筈なのに、一人ぼっちにされてしまった様な感覚を覚えるのだ。

 ふとした瞬間、笑い合う彼等の間に、自分が居ない。

 

 

「うぅ……」

 

 

 急に世界が歪んだ気がして、ゆまは顔を拭う。

 少しだけ、服の袖が湿り気を帯びた。

 

 

(もし、オジさん達が“ふーふ”になったら……)

 

 

 自分はここに居て良いのだろうか。

 二人の邪魔にはならないだろうか。

 また、お前なんか要らないと、言われないだろうか。

 

 

(ううん、ちがうっ。オジさん達がそんなこと()うはずないっ)

 

 

 必死に髪を振り乱し、不安を追い出そうとする。

 けれど、一度考え始めてしまえば止まれなかった。

 今、自分を優しく見つめてくれる瞳が変わり。

 笑顔と喜びに満ちた暮らしが、溜め息と気怠さに支配されてしまう未来を、想像してしまう。

 

 

(……ゆまが“こども”だから、いけないの?)

 

 

 かつて、彼女の母は言った。

 子供なんて産まなければ良かった。

 お前なんか何も出来ない役立たずだ、と。

 

 

(ゆまが、“こども”じゃなかったら)

 

 

 きっと色んな事が出来る。

 きっと今より役に立つ事が出来る。

 

 ――きっと、もう、捨てられない。

 

 

「あ、そっか」

 

 

 そうして、ゆまは気付いてしまう。

 自信の胸中にある願いに。

 この祈るような想いを叶えてくれる存在が、居る事に。

 

 

「……どうやら、願い事は決まったみたいだね」

 

 

 今まで、数多の少女の願いを叶えてきた彼は、目敏く気配を察知する。

 赤い瞳が瞬き。

 純真ゆえに心を歪めた幼子は、それがどんな意味を持つのか知らぬまま、祈りを捧げてしまうのだった。

 

 

 

 

 

「うん。決めたよキュゥべえ。ゆまね――」

 

 

 

 

 



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【一粒で】○女Y・Tの場合【二度美味しい】

 

 

「――っ――ん……ふ、むん……」

 

 

 まどろみの中、ふと、快感によって目が覚める。

 何か下半身に、生々しい温度を感じた。

 眼を閉じたまま意識を集中すれば、竿に添えられる幾つかの感触。

 

 

「ぇる……んん……ぷぁ、ぐっ」

 

 

 根元を押さえる小さな手らしき物。

 先端を包み込むねっとりとした熱さ。

 そして、尿道の割れ目をほじるように動く、小さなぬめり。

 これは……しゃぶられている? でも、一体誰に……。

 

 

「ぅぐ……はふ……ん゛っ」

 

 

 耳には、聞き覚えのあるような、無いような……。たどたどしい息遣いが届いていた。

 竿で感じる快感もそうで、明らかに手馴れていない。

 けれど……一生懸命さが伝わってくる、嬉しくなる心地良さ。

 こんなのは、久しく覚えが無かった。

 

 

「む、ちゅう……ぅん……んぶっ!?」

 

 

 随分と長くされていたようで、我慢も利かず、達してしまった。

 だく、だく、と放たれる精は、またも久しく忘れていた、雄の悦びを思い出させる。

 

 

「あっ、わ、わっ、あうぅ」

 

 

 いきなりだったそれを受け止めようとでもしているのだろう。慌てふためく声。少女と呼んでいい印象を受けた。

 まぁ、実際にはどうだか分からないが。

 しかし、久し振りに出せて気持ち良――――――ってマズイッ!

 

 

「ふぇ?」

 

 

 え?

 

 夢精してしまった、と慌ててシーツを剥ぎ取れば、股の間に見知らぬ少女が居た。

 年の頃は、十代半ばから後半、といった所か。

 顔と手に大量の粘液を浴びている事から、先程までしゃぶっていたのはこの子だという事になる。

 が、これは問題だ。非常にマズイ問題だ。

 

 

「ぁわ、あ、あの、えと……」

 

 

 彼女が身に纏っているのは、コスプレ染みた衣装。

 頭に猫耳のついた帽子。首元には大きなリボンと、材質がよく分からない宝石っぽい珠。

 寝る前にキチンと戸締りはしたし、デリヘル嬢をコスプレ指定で呼んだ覚えも無い――というかゆまが居るから呼べない。

 ならば彼女は、余所の家に不法侵入して寝ているオッサンのチ○コを咥え込むマジもんのガイキチさんという事に……!

 ……あ? でも、何処かで見た事ある様な……。

 

 

「うぅぅ、ぇと、ぇと……はむっ! ちゅうぅうっ」

 

 

 おぅふ――ってコラッ! 止めなさい!

 

 

「んにっ」

 

 

 間近に存在する変質者の脅威に戦慄しながらも、どこか顔立ちに見覚えがあって困惑していたのだが、何故かその少女は再び竿へしゃぶりつく。

 吸い出される感覚に思わず喘いでしまったが、これ以上は、と思い慌てて下着を上げながら引き剥がす。

 

 何をしてるんだオマエはっ、一体誰だ!

 

 

「………………」

 

 

 荒くなった詰問に、彼女は答えない。

 相変わらず精液を貼り付けながら、茫然とこちらを見つめていた。

 自分の半分程度しか生きていない様に見える少女が、欲望の滾りを滴らせている。

 男であれば興奮も禁じえない光景だったが、射精したばかりな冷静さが手伝い、オレはもう一度彼女へ問い掛ける。

 

 聞いてるのか? 一体何処から、どうやって入って来た。

 場合によっては……い、色々と身嗜みを整えてから、警察に――。

 

 

「……ま」

 

 

 ……ま?

 

 

「まじゅいぃぃ」

 

 

 ああぁちょっと待て今ティッシュ取るからっ。

 

 ――が、少女はやおら、涙目になって口元を押さえた。

 大急ぎで枕元にあるティッシュを数枚抜き取って、ペッしなさいペッ、と手元へ寄せる。

 

 

「うぅ、なんかイカ臭いぃ」

 

 

 そりゃあ精液なんだから当然――って、何でこんな事してんだ……。

 

 どうしてだか世話を焼かずに居られず、またティッシュを取って粘液を拭ってあげていた。

 少女も大人しく受け入れ、常夜灯の薄明かりの中、顔立ちが判然とする。

 道理で見覚えがあるはずだ。

 彼女は、あの子――ゆまをそのまま成長させたかのような、そんな感じだったのだ。

 

 ……で、オマエは誰だ。どうしてこんな事をした。

 

 

「ぁう……ゆ、ゆまは……あっ」

 

 

 何故か、少女の口からあの子の名前が出た。しかも、まるで自分の一人称であるように。

 だがそれは有り得ない。だってゆまは、オレの隣の布団に寝て――

 

 あれ、ゆま?

 

 ――居なかった。

 今日も一緒に眠りに就いた筈の。

 小さな身体を丸めて寝ている筈のゆまの姿が、無かった。

 

 

「あの、オジさ――」

 

 

 おい。あの子を何処へやった。あの子に何をした。

 

 

「――ひぅ」

 

 

 少女の肩を掴み、低い声をぶつける。

 みるみる顔は青ざめて行き、震え始めるのが分かった。

 

 

「あ、の、違うの、ゆまは、ここに……ゆまが、ゆまで……」

 

 

 バカな事を言うな。あの子はまだ小学生だ。

 オマエとは歳も背格好も全然違う。

 

 

「ほん、本当だよっ。ゆま、魔法で大きくなって……」

 

 

 チッ、ふざけてんのか。

 そんな夢みたいな話、信じられる訳――。

 

 

「……! そう、夢! 夢なの!」

 

 

 急に少女が声を張る。

 その切実さに詰問は止まり、逆に少女は止まらない。

 

 

「こ、これはオジさんが見てる夢で、ゆまは……えっと……オジさんとキモチ良い事するために大きくなったの!」

 

 

 ……はぁ?

 

 しかし、その言い分はなんとも頭の悪いものだった。

 これが夢? こんな生々しい夢があるか?

 例え本当に夢だったとして、それはそれでよろしく無い。

 夢とは、その日起きた出来事の編纂作業であると同時に、無意識の願望すら投影されるという。

 という事はだ。オレはゆまとこういう事をしたいと思っている――あの子に欲情している事になる。

 そんなの、認めてなるものか。

 

 あのなぁ。言い訳するならもっとよく考えてからしろ。

 これが夢だっていうなら、オマエはそれを証明出来るのか。無理だろう。

 

 

「で、出来るもん! ゆま、魔法少女になったんだから、何でも出来るもん!」

 

 

 魔法少女と来たか。俺の性欲はよっぽど堪っているらしい。

 確かに色々と忙しくてまだ風俗には行けていないし、自分で処理も出来てないが、それにしても魔法少女って。

 最近そんな事を言っていたし、ゆまの影響でも受けてるんだろうか。

 

 はいはい、魔法少女ね。なら、魔法でオレのチ○コを倍のサイズにでもして貰おうかね。

 それが出来たら信じてやってもいいぞ。

 

 

「本当!? じゃあ頑張るっ! んしょっと」

 

 

 ぱぁ、と顔を輝かせ、少女はこちらの股座に潜り込む。

 何をするかと思えば、そのまま下着をぐいっとずらし、両手で竿を揉み始めた。

 絶妙な力加減で、あっという間に血が集まってくる。普通に気持ち良い。

 

 ……っておいっ。それじゃ普通に勃たせてるだけじゃねぇかっ。

 そんなの誰にでも出来……る……。

 

 

「この位でいい?」

 

 

 見上げる無邪気さに、何と答えていいか分からない。

 ただ勃起しているだけかと思いきや、それは留まる事を知らず、本当に普段の倍近くまでになった。海外のAV男優にも滅多に居ないサイズだ。

 すげえ。すげぇけど何これ怖い。

 

 ……っ……あの、元に、戻せます……?

 

 

「え、戻しちゃうの? 男の人って、おちんちんが大きい方が自慢出来るって、キュゥべえが……」

 

 

 うんまぁそうなんだけど、とにかく戻してくれ。

 なんかすっごく落ち着かない。

 

 

「分かった……」

 

 

 訝し気な少女の手が再び一撫ですると、竿は急激にしぼんで行く。

 硬さは維持しているのだが、ちゃんと見慣れたサイズまで戻ってくれた。っ、はぁぁ、良かった……。

 いや、少しだけ残念な気もするけど、あんなサイズじゃ普通にするのも苦労しそうだし、まぁいいや。

 

 

「どう? 信じてくれた?」

 

 

 信じるも何も、なぁ……。

 

 腕組みをしながら、俺は難しい顔をする。

 とりあえず、現実で起こり得ない事が下半身に起きたのは事実。

 だが、この生々しい感覚はどう説明すればいい。

 未だ少女の顔は竿の近くにあり、手も添えられたまま。吐息と柔らかさが心地良く、硬度はより増して。

 年若い女の子がこんな事をしてくれるなんて、それこそ現実では金でも払わない限り縁は無いが……。

 もしかして、これが明晰夢ってヤツ、なのか。人間の脳みそって凄いな。

 

 とりあえず、オマエが――君が普通じゃないってのはよく分かった。

 分かったんだけど、本当にゆまなのか?

 

 

「うん、そうだよっ。ゆまの歳でキモチ良い事――セックスすると、オジさん捕まっちゃうんでしょ?

 だから、キュゥべえと魔法少女の契約をして、大人になれるようにして貰ったの」

 

 

 さっきから言ってるけど、キュゥべえってのは……。

 

 

「えっとね。ゆまの願い事を叶えてくれた子で、喋るぬいぐるみみたいで可愛いんだよ!」

 

 

 要するに、魔法少女のマスコット的な、妖精的な何か、という事か。

 このありがちで何の捻りも無い設定。本当にオレの夢かも知れん。

 性教育はして欲しいと思ったが、まさか実践テクニックまで仕込むとは、業の深い脳みそだ……。

 しかし夢とは言え、ゆまと似ている子の少女にエロい事なんてして良いものだろうか。

 元々、将来有望な顔立ちをしていた(姉も笑っていれば美人なのだ)ゆまが大きくなった感じなのだから、容姿は申し分無い。

 身体付きも良く、妙に子供っぽい衣装の胸元を押し上げる膨らみはとても柔らかそうだ。

 でも……。

 

 

「ゆまね、もっとオジさんに喜んで欲しい。嬉しくなって欲しい。男の人は皆、セックスが好きなんでしょ?」

 

 

 そりゃあ、嫌いな人の方が珍しいとは思う、けど……。

 

 

「だったら、しよ? ゆま、もっとオジさんの役に立ちたい。

 どうすれば良いのか、キュゥべえにちゃんと教えて貰ってるから、頑張るっ」

 

 

 身体を起こし、吐息が混ざる距離で、彼女は真剣な眼差しを向ける。

 だが、それには違和感を覚えた。

 “何か”がズレてしまっている。

 声も、仕草も、顔立ちも。全てにゆまの要素を内包する少女の誘い。後ろめたさは当然あるが、男としては嬉しくない筈が無い。

 でも“何か”、致命的にズレてしまっている気がした。

 けれど――

 

 

「あっ。……オジさん?」

 

 

 ――オレの身体は、勝手に彼女を押し倒す。

 一度達してしまっているというのに、自分で驚くほどの滾りが熱を上げていた。

 どうせ夢なんだ。楽しまなきゃ損。ここまでリアルな明晰夢を見たのはこれが初めてなのだ。次はいつ見れるか分からないんだし。

 と、こんな言い訳が頭を巡り、欲情を突き動かしていた。

 

 なら遠慮無くさせて貰うけど、途中で嫌がっても絶対に止めないからな。

 

 

「うん。ゆま、我慢出来るよ。それに、慣れればゆまもキモチ良くなれるんだよね。

 だったらオジさんのついででいいから、ゆまの事もキモチ良くしてくれると、嬉しいな」

 

 

 舌足らずさは消えているのに、一々子供っぽい言動で淫らな行為を求める。

 そのギャップに、不覚にもいじらしさを覚えてしまった。

 

 一人で気持ち良くなったって、嬉しかないよ。

 

 

「え? あぅ」

 

 

 ゆまにそうするみたく、少し雑に頭をガシガシ。

 嬉しそうに目を閉じる顔は、やはりあの子に似ていて。

 胸に湧いた罪悪感を誤魔化すように、そのまま彼女の胸に手を伸ばす。

 

 

「んっ」

 

 

 短い声と共に返って来るのは、極上の弾力。

 色々と楽しめそうな大きさだが、まずは揉み心地を堪能しよう。

 

 

「っ、う、ふ、ぅく」

 

 

 意外としっかりした生地の上からでも、簡単に指が沈み込む。

 指の一本一本を使えば、それにあわせて自由自在に形を変えた。

 やはり、この柔らかさは病み付きになる。

 

 

「っく、うぅ……ひゃ、んははっ! くすぐったい~!」

 

 

 しかし、まだ準備は出来ていないのか、愛撫されているはずの少女は身体を捩って笑い出す。

 ほんの少しだけ腹立たしいのと同時に、無邪気なその様が背徳感を強調した。

 

 ……強くするぞ。

 

 

「えっ――ひうっ、あっ!」

 

 

 乱暴に、膨らみの頭頂部がありそうな場所をほじる。

 

 

「んっ、ん、にゃ、あふ」

 

 

 すると、今度こそ声に甘さが混じり始めた。

 最初は硬くなかった頭頂部も、段々と隆起してくる。

 だが、そうなると少しもどかしい。

 彼女が身に纏う衣装。手触りは良いのだが、そろそろ直接に触りたくなっていた。

 しかしこの服はどう脱がしたものか。構造がよく分からん。

 

 ……な。服、脱いでくれるか。

 

 

「ふあ、は……あ、う、うん、分かった」

 

 

 どうしていいか分からず、結局は脱いで欲しいと頼む。

 すると少女は、若干残念そうな表情を見せながらも頷き、次の瞬間――

 

 

「んっ!」

 

 

 ――緑色の光が弾け、衣装が消え去る。

 本当に一瞬。眩しさを感じたと思ったら、既に肌が見えていた。

 何というフレキシブルな対応だ。流石は明晰夢。

 はは、と、思わず乾いた笑いが出てしまうが、有り難いには違いないので、そのまま少女の肌を撫で回す。

 

 

「や、ん~、やぁ」

 

 

 もうとにかく、すべすべだ。

 途方も無く滑らかで、今まで肌を重ねたどの女よりも瑞々しい。

 年齢的にも、おそらくそうだろうが。

 

 

「ぁ、うぅ、ふっ、んん……」

 

 

 鎖骨、二の腕、腋、脇腹、太もも、くびれ、膝裏。

 手は飽きる事無くまさぐり続ける。

 こんなにすべすべだと、ただ撫で回すだけで心地良い。

 

 

「……あの、オジさん……」

 

 

 ――と、全身を隈なく手で這い回っていたら、彼女が不意に声を掛ける。

 

 

「おっぱいは、触らないの?」

 

 

 ……触って欲しいのか?

 

 

「……うん」

 

 

 小さく、恥じ入るような呟き。

 もじもじ身体が揺すられ、合わせてプルンと弾む膨らみ。

 可愛い。堪らなく可愛かった。

 

 

「ひん!?」

 

 

 衝動を抑えきれず、二つの重みを鷲掴みに。

 全体的に滑らかな肌だが、ここは特にそれが顕著だ。

 どれだけ力を込めようとしても、指が勝手に滑って膨らみを絞ってしまう。

 

 

「うっ、や、あ、ん、にぁ」

 

 

 少女の脇に両肘を突き、胸を弄りながら顔を寄せる。

 至近距離で揺れるそれは、見えない圧力を持って視覚を楽しませてくれる。

 口が寂しくなってきた。

 

 

「あぅ!? やっ、んっ! ふぁ!」

 

 

 両のふくらみを手で寄せ、無理やり形を変えて、二つの頭頂部を一度に口へ含む。

 ちゅるちゅる、と音を立てて吸い上げれば、今まで以上に大きな反応が示される。

 

 

「はっ、ひ、んや、あうぅ!」

 

 

 唇を離すと、それは限界まで硬くなっているようだった。

 試しに指で弾けば、「やぅ!」と声も跳ねる。もちろん反対側は口の中。

 あぁ、女を身体を好き勝手に玩ぶこの感覚。本当に久し振りだ。

 

 

「あ、ひっ! だぁ、おっぱい、食べちゃ、駄目、ぇ……。ゆまだけが、キモチ良くなっちゃ、駄目なの……あっ! オジさんを、キモチ良く……ぅん!」 

 

 

 ガッシとこちらの頭を抱え、少女が喘ぐ。

 顔が柔肉に包まれて息苦しいが、それもまた醍醐味の一つ。

 しばらくその窒息感を楽しんだ後、オレは少女の腕を解いて身体を離す。

 気持ち良くしてくれると言うなら、是非そうして貰おう。

 

 

「う……あ……オジ、さん?」

 

 

 膝を突くのは彼女の頭近く。

 顔の上に竿を固定すると、何も言わなくても舌が伸ばされた。

 何をすべきか、本当に予習済みのようだ。

 

 

「れる、ぇ、は」

 

 

 飴をしゃぶるように舌が一生懸命に動き、キスをするように唇が僅かに含む。

 

 

「んぁむ、ふ、ちゅ、ぱ」

 

 

 その技術はやはり拙いが、そんな事が気にならない位に興奮していた。

 ずっと視線が合っているのだ。

 何処が気持ち良いのか。オレの表情を見て確かめ、懸命にそこを責めようとする。

 実に、堪らない。

 

 

「はっ、はぶ、ん――ぐむっ!?」

 

 

 思わず、少女の頭を持って腰を動かす。

 開かれていた口内に竿が侵入し、苦しげな声が上がる。

 しかし抵抗する様子は無く、ゆるゆる腰を前後させると、それに合わせて口が蠢いた。

 

 

「むぁ、ぐ、んぅ、ん、むぅ」

 

 

 段々と慣れてきたのか、行為はフェラチオの形になっていく。

 それをこのまま楽しんでも良いのだが、余裕のある快感は少し手持ち無沙汰にもさせた。

 やっぱり、一人だけ気持ち良くなるのはつまらない。ここは一つ、彼女にも悦んで貰うとしよう。

 

 ちょっとストップ。身体の位置変えるからな。

 

 

「っぷあ。……うん……わっ」

 

 

 素直な少女の頭を一撫でし、割と軽い身体を持ち上げる。

 そのままオレが下になり、彼女は頭の上下を逆にして上に。

 眼前には、全く形の崩れていない綺麗な割れ目があった。

 

 

「えっと、ゆまはまた舐めれば良いの?」

 

 

 そうしてくれ、と質問に返し、オレは恥部を指で押し開く。

 

 

「んゃ!? お、オジさん、そこ……あっ!」

 

 

 コラ、気持ち良くしてくれるんだろう? ちゃんとしてくれ。

 

 

「わ、分かってる、けど……んぐ、む……ん~!」

 

 

 抗議を受けて、少女は慌てて口に含むものの、それに合わせてこちらは小指を穴に差し入れる。指先に感じる僅かな引っかかりは、おそらく処女膜。

 ビクビク、と激しく震える腰が、この刺激に慣れていない事を教えた。

 ……やはり、これは夢らしい。

 若い頃、一度だけ処女を相手にした経験があるが、その時は指一本で痛い痛いと大騒ぎされて大変だったのに、この子は全く痛がらない。

 おまけに、蒸れたそこは甘い匂いすら漂わせて。

 

 

「んっ、んん、ふっ――ひふっ!?」

 

 

 試しに掻き出した愛液を舐めてみるのだが、やはり甘かった。まるで蜜のようだ。なんと都合の良い夢だろう。

 けれど、それは正に男を夢中にさせる味で。

 もっとそれを味わいたくて、今度は中指を侵入させ、少女の蜜を啜り上げる。

 

 

「あ、あっ! や、ぁひ! やぁ! ぁぁぁ……っ!!」

 

 

 ぎゅむ、と竿を握られ、更に蜜が溢れる。

 指に感じる締め付けもキツく。

 呆気無く達してしまったようだ。

 

 

「はっ、は、ふ……ご、ごめんな、さ……ゆま、一人で、キモチ、良く……」

 

 

 虚ろな声。

 謝る彼女が脱力し、感じる体重は重く。

 ゆっくりとその体を横たえてやれば、涙とヨダレで汚れた顔が、ぼうっと宙を見つめていた。

 

 謝る事は無い。君も気持ち良くなれたんだろう。なら、オレも嬉しいぞ。

 

 

「ぁ、オジさん……ん……」

 

 

 また頭を撫でると、少女は静かに目を閉じて呼吸を整える。

 安心したような顔にゆまの面影を見ながら、対してオレは竿をそそり立てていた。

 媚薬でも飲んだみたいに身体が熱い。

 姪っ子に似た少女へ欲情している背徳感か、久し振りの淫靡なニオイの所為か。多分……両方だろう。

 そろそろ、本番がしたかった。

 

 

「あ……」

 

 

 名残惜しそうな眼を振り切り、仰向けになっている彼女の下半身へ。

 そのまま挿入の体制に入ろうと、腰を近づけるのだが――

 

 

「やっ」

 

 

 ――細い脚が閉じられ、接近を拒まれた。

 顔を見れば、そこは薄暗い中でも分かる不安で彩られていた。

 怖いか? と尋ねると、少女はハッとした顔になり、慌てて首を振る。

 

 

「ん、んーん! 違うの! 吃驚しただけで、ヤじゃないよ! だから……!」

 

 

 怯えるように。縋るようにして半身を起こす彼女。

 何故そこまで……と思わないでもなかったが、こちらとしては好都合。

 内股を擦り、押し広げながら、オレは言う。

 

 最初に言っただろ、絶対に止めないって。ちゃんと最後までするからな。

 

 

「……う、ん」

 

 

 ぎこちなく股が開かれる。

 初めての行為に戸惑う姿は、小さくない罪悪感を呼び起こしたが、その上で腰を近づける。

 理解なんてしたくなかったが、援助交際とかをする連中は、今のオレと同じ心境かも知れない。

 自分より遥かに若い女を犯す。これは、そそる。

 

 

「ぁんっ!」

 

 

 先端を擦り付ければ、甲高い悲鳴が。

 入れるぞ、と一応は断り、返事も無い内にジワジワ沈ませる。

 

 

「あっ……は、入っ……おっきいのが、入って……ぁ、あっ!!」

 

 

 困惑する声に導かれながら、一気に奥まで。

 膜を破った瞬間、それは一層高くなり、強くなった締め付けが気持ち良い。

 若干、浅いか。根元まで埋まっていないのに、先端へ固い感触があった。

 

 

「わ、ぁ……凄、い……。本当に入っちゃ……ぅん……だぁ……」

 

 

 痛みに苦しむのでは、という予想を裏切り、少女は目をパチクリさせて呟く。

 それを聞く限り、彼女が感じているのは、むしろ……。

 

 もう動くからな。

 

 

「あ、うん。でも……」

 

 

 ゾワゾワ、背筋を走る物に急き立てられ、覆い被さるようにして宣言する。

 が、頷く少女は、両手をこちらに差し伸ばし――

 

 

 

 

 

「おねがい。ぎゅって、して」

 

 

 

 

 

 ――と、付け加えた。

 完全に、重な(ダブ)った。

 

 ゆまっ……!

 

 

「……あ。オジさ――あんっ!」

 

 

 掻き抱くように小さな身体を腕に収め、腰を叩き付ける。

 初めてとは思えないほど、その中は熱く、柔らかく、竿に絡みついて来た。

 

 

「んっ! に、ぁ! な、なか、ズン、ズンって……あふ、あっ!」

 

 

 雨音のように嬌声が細かく弾け、行為の激しさを物語る。

 加減が利かないのは、久し振りだからというだけじゃない。

 この、まるで現実感に乏しい、有り得ない“都合の良さ”のせいだ。

 

 

「凄、いっ! あく、ん! キモチ良い、よぅ!」

 

 

 普通なら、初体験でこうまで溶けきった顔は出来ない。

 痛みを置き去りにして、快感だけを掬い上げるような真似、出来るはずがない。

 あぁ、確かにこの子は夢の産物なのだろう。

 だから、こんなに気持ち良いんだ。

 

 

「あんっ! あ゛! んは、ぅ! うあぁ!」

 

 

 バカみたいに興奮していた。

 交尾を覚えたての猿の如く、我武者羅に快楽を貪る。

 身体に細い何かが――腕と脚が纏わりついて来た。

 

 

「オジ、さ、ぁ! もっと、もっとぉ! キモチ、良ぃ、セックス、キモチ良いのぉ!」

 

 

 暴力的にも思えるそれは、しかし彼女の艶めきを増して行く。

 熟練した娼婦の様に追い縋る内側の所為で、急速に登り詰めつつあった。

 

 ゴメンッ、もう、出すぞ……!!

 

 

「ひゃ! うぅ! ……えっ? ()すって――あぅ!?」

 

 

 宣言した瞬間、精が跳ねる。

 

 

「あっ!? あ……! っ……! ~~!!」

 

 

 小水のような勢いで子種が放出し続けた。

 同時に達したのだろう、酸素を求めて口をパクパクさせる少女の内側は、竿の膨張に合わせて絶妙に収縮し、最後の一滴までもを搾り取られる。

 今まで生きて来た中で、最高と言って良い快感だった。

 

 

「ふ、は、はっ、ふぁ、ぁ……あぅ……」

 

 

 短く深い吐息の後、くたり、と纏わり付く力が抜け、こちらも射精の余韻に脱力する。

 快感の後に残されるのは、焼け跡に燻ぶる微かな火の熱。

 これは……間違い無く、起きた時に下着がベチョベチョになっているだろう。

 ゆまに気付かれないよう、早起きして洗う事は出来るだろうか……。

 でも、どうせならもう一度くらい楽しみたい――

 

 ――う、がっ!?

 

 

「ひぐっ!?」

 

 

 ――なんて思っていると、挿入したままの竿に激しい痛み。

 ペンチで握り潰されている。

 そう思ってしまいそうな、異常に高い圧力が加えられていた。

 射精直後の腑抜けた思考も、あっという間に正気へ戻される。

 なんだ、これ……!? 夢なんだから、痛みなんて感じなくてもいいのに……!?

 

 

「あ、ぐ、ぁ……なん、で……」

 

 

 硬く眼を閉じて耐えていたが、一向に治まる気配は無く。

 耳に届く声の主が気になって、なんとか薄目を開いてみると、そこにあった光景にオレは愕然とする。

 何故なら、そこには――

 

 

「ひ……あ……まほ、う……とけちゃっ、た……」

 

 

 ――見慣れた幼子が。苦悶に呻く千歳ゆまが、居たからだ。

 オレの六割程度の身長。うっすらと尖り始めた胸。ぽっこりと膨らんだ幼児体型のお腹。

 何処をとっても見覚えがある。

 唯一違うのは、つい最近、早めに初潮を迎えたそこが恐ろしいほど広がり、男の一物を迎え入れている事。

 音を立てて、血の気が引いていった。

 

 な、んだ、これ。

 あの子は何処に。

 夢じゃなかったのか。

 ゆまを穢した。

 夢の筈だ。

 でもこの痛みは。

 罪を犯した。

 姉と同類になってしまった。

 

 

「ご、ごめ……さ、ぃ……。で、でもまだ、できる、よ? もっと、して?」

 

 

 目の前に居るゆまは、夢である筈の出来事を引き継いで喋り出す。

 何が何だか分からなかった。どこからが現実で、どこまでが夢か。

 確かなのは、首を吊ってしまいたい良心の呵責と、自分の分身に与えられる窮屈な痛み(快感)

 今一度、問わずには居られなかった。どうしてこんな事をしたんだ、と。

 

 

「……ゆまの、こと……見て、ほしかった、から……」

 

 

 数秒、躊躇った後。

 ゆまは舌足らずな声で、絶え絶えに告げる。

 

 

「もう、一人になるのは、ヤ。だからゆまが、オジさんをキモチよく、してあげれば……やくに、立てば……」

 

 

 捨てられないと、思ったのか。

 何かの価値を示さなければ投げ出されてしまうと、まだ、そんな風に思っていたのか。

 そんな事しなくても、良かったのに。

 

 

「ゆま、じょうず、に、できてる、でしょ……? ちょっとだけ、くるしい、けど……ゆま、だいじょぶ、だから……」

 

 

 ――もっとしてもいいから。だから、すてないで。

 

 そうとでも言いたげな彼女に思わず、何を言ってるんだ、と怒鳴ろうとし、寸での所で思い留まる。

 この子を責めるのはお門違いだ。悪いのは、オレ。

 ゆまの心に巣食い続けた孤独に気付かず、もう大丈夫なのだと思っていた――思い込んでいたオレの所為だ。

 もう、側に居られない。

 夢か現かも分からないまま、こんな事をしてしまっては。この子を守る資格、なんて。

 

 ……いや、もう、十分だから。もう、止めよう。

 

 

「オジさん……?」

 

 

 声が震えてしまった。

 零れそうな感情をゆまに気付かれないよう、顔を背けて。

 ゆっくりと竿を引き抜こうとする。

 

 

「ん、に゛ゃあっ!?」

 

 

 ――が、その途端、恐ろしい痛み(快感)が走る。

 鬱血しそうなキツさは、ヤスリで削られているような摩擦をもたらしていた。

 息が、出来ない……っ。

 

 

「あ゛……ひふ、う゛……い゛っ、あっ……」

 

 

 しかし、内臓をかき乱されている筈の、ゆまの表情は。

 痛みとも、苦しみとも違う――明らかな喜悦を浮かべていて。

 今まで経験した事の無い感覚と、罪悪感とがごっちゃになり、抑え込まなければならない欲求が首をもたげた。

 けれど、もう平気だ。あと少しで……抜ける。

 

 

「――な――」

 

 

 そんな時、小さくも、驚くほどの密度を持った音が響いた。

 身体が、ビクン、と反応する。

 恐る恐る、音の発生源に顔を向ければ――

 

 

 

 

 

「やめ、ないで……キモチ、いい、の……。もっと、おちんちん、ほし、ぃ……」

 

 

 

 

 

 ――生まれて初めて見る、純粋にふしだらな貌が、そこに在った。

 ブツリ。

 何かが切れる音がした。

 

 

「うあ゛っ!? ひぅ、やっ、あ、あっ!」

 

 

 勢い良く腰を突き出す。

 未開拓の穴を掘り進むような、無理やりに突き立てる感覚。

 これは、違う。

 “ここ”はまだ、“こういう事”を出来るようにはなっていない。

 男を悦ばせる機能を、獲得していない。

 

 

「ぐ、んっ! おな、か、くぅ! つぶれちゃ、あぅ!」

 

 

 なのに、その事すら気持ち良かった。

 半分も入らないのに、簡単に小突き上げられる最奥が堪らない。

 ああ、こんなのを知ってしまったら、戻れない。

 家族には戻れない。普通には戻れない。

 道を踏み外してしまった。

 後はもう、地獄まで堕ちるだけ。

 

 

「ぇあっ、は、い゛っ! んう゛ぅ!」

 

 

 頭の中には、同じ単語が繰り返し流れていた。

 犯す。穢す。孕ませる。

 女。子供。姪っ子。

 組み合わせてはいけない言葉が羅列し、意味を成さないまま消える。

 気が狂いそうだった。

 

 

「ひっ! あ、ぅん! オジ、さ、オジさ、ぁんっ!!」

 

 

 そんな中でも、本能だけはしっかりと機能し、未熟な胎を欲望で満たそうと腰が動く。

 腰を引くだけで背骨が引っ張り出され、無理やり押し込めば竿の上半分がすり潰される。

 

 

「や、らめ、ゆま、こわれ、ちゃ、うっ! やぁ! あ! あ!」

 

 

 そして、掠れる声が絶頂の兆しを見せ――

 

 ぐ、うあ゛っ!?

 

 

「ひぁ、あああぁああっ!!!!!!」

 

 

 ――考える間も無く、滾りが迸った。

 自分の喉からは獣のような唸りが漏れ、ゆまは背中を反らせ、竿をギチギチに締め付ける。

 押し潰したホースから水を激しく飛び散らせるように、精液が内へ注ぎ込まれてしまう。

 しかし、小さ過ぎるそこからは、引き抜かなくとも白濁液が零れていた。

 

 

「あっ――あ、あ――は――ぁ――」

 

 

 頭の中を白く染め上げる快感に震えながら、それでも何とか腰を引くと、ぎゅぽ、とおかしな音を立てて竿が吐き出される。

 ガラス玉の瞳。

 壊れた人形の如く横たわる彼女の身体には、ポッカリと大きな穴が開いてしまっていた。

 そこから、二発分とは思えない量が、どろり、どろり、と。

 未だ震えが止まらないのは、禁断の快楽の余韻なのか。それとも、取り返しのつかない事をしてしまった後悔からか。

 分からない。もう、何も分かりたくない……っ。

 

 

「……オジさ、ん……」

 

 

 ふと、声が聞こえた。

 底抜けに純真で、今にも壊れそうな――とうに壊れていた少女の呼び声。

 視線を向ければ、そんな彼女が。

 ゆまが、幸福を湛えた眼差しで、暗がりに蹲るオレを、照らしつけていた。

 

 

 

 

「これでゆま……オジさんの、おヨメさんに……なれたよね?

 ずっといっしょに、いられるよね?」

 

 

 

 

 




 でっぱい猫耳魔法少女か。
 それとも、ちっぱい猫耳魔法○女か。
 今夜のご注文は……DOCHI !?


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【呉】スピンアウト編・下の1【キリカ】

 

 

 他人の不幸は蜜の味。

 他人の幸福は毒の味。

 だったらきっと、わたしは毒蜂。

 周囲に蜜を撒き散らし、お腹の中に毒を溜め込む。

 

 あぁ。なんて甘くて、苦いトロトロ。

 もっともっと味わいたいの。

 わたしだけが味わいたいの。

 

 だから。

 みんな、みぃんな、不幸になぁれ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 カン、カン、カン――と、アパートの階段を上る音が響く。

 コンビニの袋を片手に携帯で時間を確認すれば、時刻は午後二時。

 休日とはいえ、昼食には少々遅いかも知れない。むしろオヤツか。

 そう言えば、ここ最近は自分で紅茶を用意していない。

 少し前までは、ちょっとでもあの子に近づこうと、オヤツまで買って毎日のように飲んでいたのに。

 

 ……まぁ、どうでもいいか。

 

 鼻で笑い、自宅のドアを開ける。

 一応、ただいま、と声をかけるが、答えは返らない。小さくため息をつき、靴を脱ぐ。

 奥へ進むと、綺麗に片付けられた室内が目に入った。

 ちょっと前までゴミだらけだったのが嘘のようだ。今となっては、乱雑な部屋が懐かしい。

 

 

「ん……ふふっ……すぅ……」

 

 

 ……ごほん。

 

 目を閉じれば、あの頃がすぐに思い出せる。

 あの子に負けないよう勉強を頑張ったり、弟達と一緒に服を買いに行ったり。

 この部屋で過ごした一夜の事も、鮮明に思い出せる。

 

 

「うふふ……ん~……やぁ、です……」

 

 

 …………うう゛ん。

 

 あの時、胸へ刻まれたものは、決して忘れられないだろう。

 彼女の体温。彼女の声。彼女の感触。彼女の想い。

 何一つとして、忘れていいものは無い。

 

 

「あ……ゃん……そこ、だめ……せんせぇ……」

 

 

 ………………はあぁ。

 

 大きな溜め息。もう呆れるしかない。

 ちゃんと起きなよ、と声をかけて出かけたというのに、この子は一体どんなエロい夢を見てるんだよ……。

 意図して視界から排除していたソファーベッドを横目で見やると、そこにはこんもりした布団の蓑虫が鎮座していた。

 中には間違いなく、真面目な空気をぶち壊しにした張本人が隠れている。

 

 いい加減に――起きんかぁい!!

 

 

「ん、ぁ……? もう、朝ですか……?」

 

 

 布団を強引に引っぺがすと、なんとも現代的なかぐや姫が姿を現した。

 可愛らしさを考えれば、ぺか~っ、と画面効果が入ってもおかしくないのだが、とにかく俺は物申さずにはいられなかった。

 

 もう昼だよ。この不健康優良児。

 

 

「……むっ。それは違います先生! 私、不健康なんかじゃありません! 心も身体もすこぶる健康です!」

 

 

 皮肉も通じないの? もうやだこの天然……。

 

 目を擦った後、元気一杯に反論するのは、なんともアンバランスな少女。

 寝起きの筈なのに全くむくんだりしておらず、化粧の必要性など欠片も感じられない、美しく整った顔立ち。

 それと比例するように、女性から見てもきっと羨望の的であろう、モデルの如く絶妙なバランスの肢体を包んでいるのは、俺が着古してくったくたになったジャージだった。

 

 美国織莉子。

 

 ちゃんと着飾れば、何処に出しても――それこそ、政財界のパーティーのような、華やかな場所こそが相応しい舞台となるであろう美少女は、今。

 だらしなく着崩されたジャージから胸の谷間を見せつけ、「ふぁあ」なんて暢気にアクビをしている。

 誰得だよ。可愛いけどさ。あ、俺得か。

 

 

「ん、いい匂い。朝御飯、買って来てくださったんですね」

 

 

 だからもう昼だってば……ああちょっと。

 起き抜けにジュースとか、せめて口を濯ごうよ。

 

 

「でも、喉が渇いてしまって……」

 

 

 歩けばすぐそこに水道とコップあるじゃん……。

 

 ベッドを抜け出した途端、ビニール袋を漁る美少女を注意するも、返って来るのは言い訳ばかり。

 あぁ、何でこんな事に。

 出会った当初の、清楚で可憐で凛々しく慎ましい勤勉な織莉子ちゃんは何処へ行った。

 今もダラけてるだけで超可愛いけどもさ。

 

 なんて言うか、随分と一般庶民の生活に慣れたよね。織莉子ちゃんは。

 

 

「うぅ、すみません……。俗世に染まるのって、思いのほか心地良くて」

 

 

 この場合、それは堕落と呼ぶべきだと思うよ。はぁ……。

 

 シンクを指差す俺を見て、彼女は肩身を狭くする。

 一応、自覚はあるらしい。

 それでも立とうとしない辺り、本格的にダラつつある気もするが。

 

 

「せ、先生は、こんな私はお嫌い、ですか……?」

 

 

 どうしたもんか、と肩を落としていたら、今度は不安そうな上目遣い。

 ……全く。

 この子は、本当に卑怯だ。

 

 嫌いになれるわけ、無いだろ。

 

 

「あ……」

 

 

 隣へしゃがみ込み、頬に手を添える。

 不安の色は瞬く間に消えてしまい、緩やかに目が細められ、やがて完全に閉じられる。

 何を求められているかは一目瞭然。

 俺は彼女にゆっくり近づき、そして――

 

 

 

 

 

「ちょっと先生君! これはどういう事なのさ!?」

 

 んぁ?

「えっ?」

 

 

 

 

 

 ――背後からの怒声に、キスの中断を余儀なくされた。

 振り返れば、ユニットバスへ続くドアを開け放つ、ショートカットの少女。

 スタイリッシュな服装の印象を崩すのは、片手に握られたトイレ用洗剤だ。

 

 ……ええっと、ただいま?

 

 

「うん、おかえり。それよりもだよ先生君、この家の掃除はどうなってるのさ!? トイレの見えないとこに染みや黒ずみが一杯だったよ!?

 トイレだけじゃなくて浴室全体に細かいカビまで……。こんな場所で織莉子に用を足させてたなんてもう……。気合入れて掃除しちゃったじゃないか!」

 

 

 ドアの向こうを指差し、怒りながら彼女は言う。

 洗剤がチャポチャポ音を立てている事から、だいぶ減っているらしいのが分かった。

 

 つまりは、トイレ掃除と風呂掃除をしてくれた、と?

 

 

「まぁ、そういう事になるね」

 

 

 ……そうか。ありがとう。

 

 いい雰囲気だったところを邪魔されたのはムカついたが、胸を張るドヤ顔は誇らしげ。

 思わずお礼を言ってしまうと、鼻高々といった様子で腰に手を当てふんぞり返る。

 

 

「君に感謝されても嬉しかないが、貰える物は貰う主義なんでね。さぁ! もっと褒め称えるがいい!」

 

 

 調子に乗るなよ(くれ)

 絶対タイミング計ってただろ!?

 

 

「んー? 何の事やらー? 別にそんな意図は無かったけど、何かしようとしてたのかい?」

 

 

 ニヤニヤ、嫌味ったらしく少女は――呉キリカは嘲笑う。

 それを見て俺は確信する。コイツはやっぱり、敵だ!

 

 あのなぁ、俺と織莉子ちゃんは、こ……恋人同士なんだぞ!? なんで邪魔されなきゃいけないんだよ!

 

 

「それはそうかも知れないけど、君が織莉子に相応しいかは別問題だ!

 生半可な男に織莉子を任せられるわけ無いだろう!

 それとも君は、今の自分で織莉子を三次元世界で一番幸せに出来る自信があるとでも?」

 

 

 こんの、人が気にしてる事をぉ……!

 

 

「ふん、ほら見ろ。その程度で織莉子の恋人を名乗るとは情けない。

 というか、人をダシにしてお泊りさせるとか不届き億千万! ちょっとは自重しなよこのロリコン!」

 

「あ……ごめんなさい。やっぱり、迷惑だったわよね……」

 

「ううん、織莉子は何も悪くない。悪いのは常に先生君であって、君に悪い所なんか一ナノだってありはしないよ? ぜーんぶ彼のせいさ!」

 

 

 裏表が激し過ぎやしませんかねぇ呉さぁん!?

 

 華麗な滑り込みで俺を押しのけ、まるで騎士の様に恭しく姫の手を取る呉に叫ぶ。

 ってか、俺はロリコンじゃない! こんなナイスバディしてるんだからノーカンだ!

 

 

「あぁ、ワタシは心配でならないよ織莉子。君の選択を否定したりはしないけど、先生君はあまりに頼りない。

 ここはやはり、ワタシが君を守る盾となろう。そしていつの日にか、ワタシこそが、君を世界で一番愛してるんだと理解してく――」

 

 

 ちょっと待てぃ。

 

 ガッシと肩を掴み、三文芝居の幕を下ろさせる。

 今のは。

 流石に今のだけは看過しちゃいけない。

 

 

「何さ。気安く女の身体に触れないでくれるかい? セクハラだよ」

 

 

 んな事どうでもいい。

 それより、世界で一番に織莉子ちゃんを愛してるのは、間違いなくお前じゃない。

 

 

「……へぇ。喧嘩売ってるんだね。いいよ、買うよ。お代は君の命――」

 

 

 一番は久臣さん――彼女のお父さんと、亡くなったお母さんだ。違うか?

 

 

「――あ」

 

「先生……」

 

 

 見据えて言うと、呉はポカンと口を開き、バツが悪そうに顔を背ける。

 一方、織莉子ちゃんは柔らかい笑みを浮かべてくれていた。

 

 

「……そう、だね。お父様だけでなく、亡くなったお母様まで蔑ろにするだなんて、至らなかった。訂正するよ。きっと一番は、織莉子のご両し――」

 

 

 そして俺と奈々瀬さんも同率一位で、呉は都合五位以下だ。

 分かったか阿呆。

 

 

「――んんぉおおいっ!? ちょっと感銘を受けてたのに何さそれぇ!?」

 

 

 何って、十日やそこら前に知り合ったばかりの奴に負けるわけ無いだろう。

 俺だって長い訳じゃないけど、時間をかけて愛を育んだのには違いない。

 そこに男女のラヴ・パゥアーを加算すれば、これが妥当な順位なんですー。

 

 

「わ、ワタシの愛に時間なんて関係無い!

 いいや、時も場所も性別すら超越するプラトニック・ラヴだ!

 先生君なんかに絶対負けるもんかぁ!!」

 

 

 言ったなこのぉ!

 

 

「きしゃーっ!」

 

 

 尖った八重歯を剥き出しに威嚇する呉と、髪の毛が絡む距離で睨みあう。

 コイツと出会ったのは十日ほど前。

 一分一秒を惜しむように日々を過ごしていた俺と織莉子ちゃんは、その日もデートをしていた。

 デートと言っても、一目を忍んで街を歩き、隙あらば手を繋いで、キスをして……部屋で身体を重ねる、刹那的な時間だったが。

 遠くない未来に待ち受ける結末を忘れるよう快楽を重ね、そのための儀式として街中を歩いていた所へ、背後から声をかけてきたのだ。

 

 

 

 

 

『あ、ぁあぁあのっ! ゎ、わわゎわ、ワタシの事、ぅおぉおぶぉえで――うっ!? ――っ!!!!!!』

 

 

 

 

 

 ――と、激しくどもりながら。

 凄まじい勢いで舌を噛んだのだろう。涙目になって口を押さえる呉へ二人で駆け寄り、そこで織莉子ちゃんよりも先に彼女の事を思い出した。

 この子は、あのコンビニデートの時に見かけた女の子だ、と。

 まぁコイツはふてぶてしくも、「君よりも彼女に思い出して欲しかったのにぃ」なんて言いやがったのだが。

 そりゃあ直後に自動ドアへ突っ込むなんて事をしでかせば忘れもするよ。

 ともかく、そんな出会いがあって交流するようになり、非常に積極的な彼女は、織莉子ちゃんとあっという間に仲良くなったのだけど……。

 

 毎度毎度、愛の営みを邪魔しやがって……。嫉妬も大概にしろ!

 

 

「はっ、嫉妬ね。いいかい先生君。嫉妬というのは誰かを羨む気持ちだ。自分より上だと認める行為だ。

 ワタシが君なんかにそんな感情を抱くはずが無いだろう。ワタシのはただの嫌がらせさ」

 

 

 あっ、開き直りやがった!?

 でもな、別に俺に対してだけならいいけど、織莉子ちゃんだって迷惑するんだぞ?

 そこら辺まで考えてんのかよっ!

 

 

「考えたに決まってるじゃないか。考えに考えて考え抜いて、それでもってどうしようもなく羨ましいからしてるんだよっ!」

 

 

 さっき羨ましく無いとかそういう旨の話をしてませんでした?

 

 

「うるさいうるさいうるさぁい! ワタシだって織莉子に構って欲しいんだよぅわぁあああんっ!」

 

「あ、ほら泣かないでキリカ。もう、駄目じゃないですか先生。女の子を泣かせたりしたらっ」

 

 

 え? 俺のせいなの?

 

 よよよ……と咽び泣く呉を抱きしめ、その背をポンポンしながら織莉子ちゃんは注意する。

 けどね。

 俺の目が確かなら、ソイツ手に目薬持ってやがるんですけど。

 君に見えない位置で「ドヤァ」って顔してやがるんですけど。

 全くコイツは……。

 

 ……ふ。ま、いいさ。せいぜい今の内に甘えるといい。

 

 

「……なんだい、気色悪い顔して。気でも触れた?」

 

 

 余裕を見せ付ける俺を、呉は嫌そうに――心の底から嫌そうに見る。

 ちょいっと胸が痛かったが、それでも不敵な笑みは絶やさない。

 

 どんな手を使って関心を引いても、織莉子ちゃんに一番(性的な意味で)愛されてるのは俺だからな。痛くも痒くも無いわ。

 

 

「な、なにぉお? そんなことある筈無い! 少なくとも君よりは上だ!」

 

 

 かかった……!

 対抗心からか、織莉子ちゃんに縋り付くのを止めて詰め寄る呉。

 期待通りの反応に俺は目を光らせ、口撃を仕掛ける。

 

 ……織莉子ちゃんと腕を組んだ経験は?

 

 

「うっ」

 

 

 膝枕をして貰った事は? 腕枕をしてあげた事は? ほっぺにでもキスされた事は?

 添い寝しながら「愛しています……」って囁かれたご経験はお有りですかぁ?

 

 

「ぐぬ、ぬぅ……」

 

「うわぁ。大人気ないです先生……」

 

 

 ニヤニヤニヤニヤ。

 目の前にあれば誰でも殴りたくなるウザい笑顔をワザと浮かべる。

 しかし、羨ましくて悔しいのだろう呉は、歯噛みしながら拳を握るだけ。

 そんな姿がいたく加虐心をくすぐり、俺は勝ち誇る(織莉子ちゃんの突っ込みは聞こえないふり)。

 

 ほらほら、どうしたんですか? 俺よりも自分の方が愛されておられるんでしょう?

 何とか言って下さいよ呉キリカさぁあん?

 

 

「む……ぐ……ぅ……」

 

「はぁ……。先生、いい加減にして下さい。お気持ちは分かりますけど、これじゃキリカが可哀相です」

 

 

 なでりなでり。俯く呉の頭を撫でながら呆れる織莉子ちゃん。

 けど、俺もすき好んでこんな嫌味を言ってる訳じゃない。

 

 だってさ……したかった、し。……キス。

 

 

「それは……私だって、そうですけど……。随分としてませんし……」

 

 

 今度は、両手を太ももに挟んでモジモジ。

 熱の篭もった視線が見上げ、自然と見つめ合う。なんだか唇がムズムズしてきた。

 呉さえ居なければ、このまま押し倒して強引に――って、駄目だ。

 あの人の事。ちょっとでもそういう事したら、どんなに厳重に隠しても警察犬の如く嗅ぎ付け、明日のアレがキツくなる。それだけは避けなければ。

 

 

「……ぅぅう」

 

 

 ――と、そんな時、呉の身体がビクリと跳ねる。

 漏れ聞こえた音には濡れる悲しみが漂っていた。

 もしかして今後はマジ泣きか? と少しだけ心配になり、顔を覗きこ――

 

 

「うがあぁぁあああっ!? この口だねっ!? さっきから妬ましい事ばっか言うのはこの口だねぇえっ!?」

 

 

 いへっ!? な、なにふんだ(くへぇ)!?

 

 ――んだら、いきなり飛びかって来たソイツに、思いっきり頬を抓られた。

 痛っ、洒落にならない位に痛ぇ! 全力で抓ってやがるな!?

 そっちがその気なら……!

 

 ほんにゃろぉ!

 

 

「いっふぁ!? なにふんのはへんへぇ君!?」

 

 

 ほれはこっちのへりふだ!

 

 お返しとばかりに、こちらも頬を抓る。

 女の子特有のきめ細かい肌を遠慮無く、しかも両方。

 すると呉も、もう片方の手を使い出し――

 

 

「いぎぎ……っ、お、女のほの肌を何らと思ってるのふぁ!?」

 

 

 女の子扱いはれたかったら、ひょっとは織莉子ちゃんみたいにひおらしくひろよ!

 

 

「言っはねぇ!? うがー!」

 

 

 ふーか、口裏合わへひてくれたんなら二人っきりにひろよ! しゃっしゃと帰れ!!

 

 

 「ぜったひにやらー!!」

 

 

 ――子供のような喧嘩が始まる。

 どちらが先に根を上げるかが、彼女への愛のバロメーターであるかのように。大岡裁きの逆バージョンだ。

 ついでに言えば、織莉子ちゃんが泊まる口実を用意してくれたのに、彼女にへばりついて一日この部屋に居座り続けたお邪魔虫への恨みも篭もっている。

 ずぇったいに負けて堪るか!

 

 

「……いいなぁ、キリカ」

 

 

 そんな風に意地を張り合っていると、予想外の呟きが外から投げられ、「はぁ?」と二人でハモる。思わず指も離れてしまった。

 俺達を見る織莉子ちゃんは、指を咥えて寂しげな表情で。

 

 

「えっと……何が? 君のいう事の意味が分からないなんて業腹だけど、流石に脈絡が……」

 

「だって、そんなに仲良く喧嘩して……。私、先生とはまだ取っ組み合いの喧嘩なんてしたこと無いのに……」

 

 いや、どこが仲良く――真似すんなよな――あ。

「いや、どこが仲良く――真似しないでよ――う」

 

 

 どうしてだか反論まで重なってしまい、なんともいえない顔付きがこちらを見る。

 きっと俺も同じ顔付きをしている事だろう。

 何でこんな時ばっかり息が合うんだよ……。

 

 

「ほらっ、やっぱり仲良しじゃないですか! もういいです、こうなったらやけ食いしちゃうんですからっ。はむ――ふぐぅ!?」

 

「えっ、織莉子? どうしたんだいっ?」

 

 

 プンプン怒り出した彼女は、温まったおにぎりを取り出してムシャリと頬張ったのだが、一口目から悶絶する。

 その有様は、砂漠を一昼夜かけて彷徨った旅人に、ほーら水だよーと騙くらかしながらシュールストレミングの漬け汁を一気飲みさせた様な感じだ。

 これは、多分……。

 

 

「まさか……毒!? 食中毒かい!? なんて事だ、早く救急車を!」

 

 

 んな訳あるか。

 俺用に買って来たワサビ漬けのおにぎり食べちゃったんだろ。

 たまーに辛いのが食べたくてさ。

 

 

「君のせいかっ! なんで分けておかないのさぁ!? 大丈夫かい織莉子ぉ!」

 

「み、水……水、をぉ……」

 

「水だね? ジュースでも大丈夫かい? 今ワタシが口移しで飲ませてあげるからねっ」

 

 

 またんかいコラ。

 口移しにする必要はないだろ。よしんばあったとしてもそれは恋人の役目だ。

 という訳でそのジュースをよこせぇ!

 

 

「あ、横槍入れるなー! この、このっ、あっち行けー!」

 

 

 ちょ、おま、スカートでキックするなパンツ見えてるって!

 

 

「きゃーーーっ!!!!!! 見るなこのへんたーい!!」

 

「みじゅ……もう、どっちでもいいですから、みじゅうぅ……うっ……」

 

 織莉子ちゃあんっ!?

「織莉子ぉぉおおお!?」

 

 

 悶絶しながら天に向かって腕を伸ばす織莉子ちゃんを横目に、呉と二人でペットボトルを奪い合う。

 やがて彼女の手は力尽きたかの如く地に落ち、それに気付いた俺達は、神に召されようとしている大切な人の名前を叫ぶ。

 

 この、騒がし過ぎる日常が。

 俺と愛しい人に残された、短い猶予期間(モラトリアム)だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「――っせ」

 

 

 うぉわぁ!?

 

 突如として、天地がひっくり返った。

 背中から床に叩きつけられ、勢い余った下半身が、でんぐり返しの途中みたいな格好で止まる。

 なんとか受身は取れたけど、首が痛い……。

 胸への触れるような掌底、同時に踵を使った脚払い。その前に近付きながら全身を使ったフェイントも。

 それだけ分かっていたのに、避けられなかった。

 

 

「いつまで寝ているおつもりですか。早くお立ちになって下さい、先生様」

 

「頑張って下さい、先生! まだ十三回目ですよ~!」

 

「そーそー。中途半端に受身なんか取らないで、もっと派手に投げられなよー」

 

 

 気楽に言ってくれるね……。

 

 逆さまの視界で、黄色い声援を送る恋人とその友人に、俺は苦笑する。

 すぐ側には、涼しげな瞳でこちらを見下ろす忍者メイド――奈々瀬さんが立っていた。

 その出で立ちは、いつもと代わらぬクラシカルな給仕服。対して、こっちは汗だく柔道着。

 なんだってロングスカートであんな脚捌きが出来るんだ……。

 あと、応援する気が無いなら帰れ。くっちゃくっちゃガム噛んで風船作ってるスタイリッシュ不登校児。

 

 

「休憩は必要ですか?」

 

 

 冗談、まだまだっ!

 

 

「宜しい。では」

 

 

 ぃよっと。

 

 満足そうに頷き、奈々瀬さんは少し距離を取った。

 勢いをつけて起き上がれば、周囲の景色が目に映る。

 ここは、美国邸の地下にあるトレーニングジム。その一角――畳張りになっている部分で、俺達は向かい合っていた。

 久臣さんが若気の至りで増改築したらしいが、個人でこんな施設を持てるとか、金持ちって超凄い。

 

 

「今度は先生様からどうぞ」

 

 

 え、どうぞって……。

 

 

「もう要領はお分かりになっている筈。何をした所でわたくしには勝てないのですから、お好きなように。悪手であれば是正致しますので」

 

 

 本当に言ってくれますね。事実ですけど……。

 

 言いながら、左足を前、右脚を後ろに。

 この授業も今日で三回目。確かに掴みつつはある。まぁ、何をしたって通用しないという情けない事を、だが。

 俺の勝利条件は二つ。奈々瀬さんに手の平で触れる事。もしくは膝をつかせる事。

 どちらか一方でも達成すれば、御褒美タイムの獲得だ。諦めるわけにはいかない。

 小手先だけの技術は彼女には無意味。技を盗もうとしても高度過ぎて再現不能。

 なら、俺に出来る事は――

 

 行きますよっ。

 

 

「いつでもどうぞ――あらっ?」

 

 

 ――何も考えず、ぶちかます!

 かつて爺ちゃんと相撲をとった時の様に、ただ全力で走る。

 意外そうな顔をした奈々瀬さんは、サッと横へ身を逃がす。

 それを追いかけて俺も方向転換。夜道を一人歩きする女性に襲いかかる変態の如く、両腕を広げて迫る。

 

 

「ほっと。なかなか良い気迫です。が、邪な気配を感じるのは何故でしょうか」

 

 

 そりゃあ勿論、奈々瀬さんをメイド服着た織莉子ちゃんに見立てて、全力でハグするつもりですからね!

 

 

「……どうりで」

 

「先生。後でお話しましょうね」

 

「サイテーだね。織莉子、やっぱり先生君なんかじゃ駄目だよ。もっと別の人を探そうよ。例えばワタシとか」

 

 

 嘆息と、背後へ回ったはずなのにどうしてだか見える迫力の笑顔。

 まずい。正直に言うんじゃなかった。

 それとさりげなく自薦してんじゃねぇこのガチ百合娘。

 自らの失策を悟りながら、今さら止まる事も出来ず、俺はまた地面を蹴る。

 

 そぉい!

 

 

「おっと……。ふぅ、殿方に激しく求められるのは吝かでないのですが、残念ながら先生様はわたくしの好みでは御座いませんので。今日は早めに締めと参りましょう」

 

 

 ヒラリ、ヒラリ、と華麗にスカートを翻していた彼女は、ある一点でその動きを留める。

 真っ向勝負か。これは逃げられない。

 捕まえられる気はあんまりしないけど、今は少しでも早く、少しでも強く脚を踏み込むんだ。

 あの、織莉子ちゃんに比べると残念無念な絶壁に顔を埋める事だけを考え――あれ、なんか萎えるな。むしろ哀しく……。

 

 

「……何だか酷く不快な気分になったので、少し本気を出します。お覚悟を」

 

 

 うわ。奈々瀬さんの背中からなんか立ち昇ってる。

 急に逃げたくなってきた。

 

 あのー、やっぱここらで止めません? 突然ですがお腹がちょっと……。

 

 

「 い い か ら 来 な さ い 」

 

 

 いぇすまむっ。

 

 今にも泣きそうな気分で脚を踏み出す。

 が、踏み出してしまえば吹っ切れた。こうなったら自棄だ、やってやるっ!

 

 胸を……お借りします!

 

 

「生憎と」

 

 

 いざ、メイドさんを押し倒そうと、俺は走る。

 短距離加速のため小刻みに畳を蹴って、身体は前傾。

 白と濃紺が視界を占有。眼前まで迫り、細い腰を捕まえた。

 

 

「予約済みです」

 

 

 んがっ!?

 

 ――と思った瞬間、首を手刀(ギロチン)で落とされた。

 打ち付けられる顔と腹。

 直後、背中には柔らかい重さが。

 

 

「最後で及び腰になりましたね。減点です」

 

 

 か――はっ。

 

 首と頭の付け根を押さえる指。

 背筋に乗る感触から、腹ばいになった俺の上に座られているのが分かった。

 くそっ、またこれかっ。

 悔しいのに、最近ちょっと気持ち良くなって来てる自分が怖いっ。でもやっぱ苦しいぃ……。

 

 

「全く。不純な動機でやる気を出すのは殿方の習性ですが、もっと真面目に出来ないのですか?

 これではお嬢様との屋外デートなんて、夢のまた夢ですよ」

 

 

 ……っ……あ゛、の……。

 

 

「なんですか。仰りたい事があるのでしたら、もっとハッキリと」

 

 

 そ、そろそろ降りて貰えません、か? 流石に、重――。

 

 

「おおっと肘が滑りました」

 

 

 ――いぎぅ!?

 

 

「おおぉ、綺麗なフォーム。流石はメイドさん。やるなー」

 

「な、奈々瀬さんっ、今のは先生が悪いと思いますけど肘は、エルボーは不味いです!」

 

「あらあら。失礼致しました」

 

 

 脳天へエルボードロップをしっかりキメた後、ようやく奈々瀬さんは重――軽い腰を上げる。

 俺はと言えば、織莉子ちゃんに助け起こされ息も絶え絶え。

 

 ぅ、お、織莉子ちゃん、頭が痛い……。割れるように痛いよ……。

 

 

「大丈夫ですか? でも、さっきのは本当に先生が悪いです。撫でてあげますから、ちゃんと反省して下さいね」

 

 

 はーい……。

 

 

「む。う、羨ましい……。ね、ねぇ織莉子。ワタシにも……」

 

「駄目です。私の先生を“なんか”って言った罰よ」

 

「そんなぁ!? きょ、拒否られた……! 織莉子に、拒否られた……!!」

 

 

 久々の膝枕。頭を撫でられる心地良さ。

 ついでに、この世の終わりとばかりに絶望する呉の顔を堪能しながら、息を整える。

 脳を四分割したみたいな痛みさえなければ、このまま眠ってしまいたい位だ。うっかりすると永眠できそうなので寝ないけど。

 

 

「技術的には全く駄目ですが、身体の鈍りは取れたようですね。最初とは見違える粘りです」

 

 

 そりゃあ、こうして家庭教育の度にしこたま投げられて、毎日の様に監視付きランニングを強要されれば、動けるようにもなりますって……。

 

 

「まだ予定量の三分の一もこなせていないのですけどね。先生様強化計画も、先が思い遣られます」

 

 

 両手をお腹の前で組み、奈々瀬さんは「ほふぅ」と溜め息。

 先生様強化計画とは、一週間ほど前に発令された、俺・ビルドアップ・プランである。

 

 織莉子ちゃんと結ばれてからというもの、家庭教師としての時間以外も共に過ごすようになり、生活は一変。

 何もかもが、彼女と一緒に居る時間より後回しになった。

 俺はそれでも大丈夫だったのだが、不味かったのは織莉子ちゃんだ。

 今まで、規則正しく日々をこなして来た彼女が、突然、授業中に上の空になったり、生徒会の仕事を任せてさっさか帰ったりするように。

 これでバレない筈が無い。

 一週間も経たない内に勘付かれ、揃ってお説教(という名の言葉責め。もちろん俺に対してだけ)を受けたのだった。

 そして、その中で判明したのが――

 

 

「それにしても、こんなに急いで先生を鍛える必要なんて本当にあるの? 奈々瀬さん。無理をさせて身体を壊してしまうんじゃ……?」

 

「早い方が良いのです。こういった関係は秘密にしていた時間が長いほど言い出し辛くなるものですから。

 全く、わたくしと旦那様の会話を盗み聞きした挙句、ご自分の事と勘違いされて自ら傷物になるだなんて。旦那様が聞いたら卒倒してしまいます」

 

「いっそのことバラしちゃった方が早いとワタシは思うんだけどねー。ま、織莉子も駄目って言うから協力するけどさ」

 

 

 ――例のお見合い話は、織莉子ちゃんではなくその父、久臣さんの話だったという事だ。

 三十も年上の男ではなく、三十も年下な女の子が、ナイスミドルに恋焦がれていたらしい。

 そりゃ、十五の娘を持つ父親が、策略とはいえ子供と同い年の子とお見合いだなんて、どう話したものか悩んでしまうのも道理である。

 これを知った織莉子ちゃんは、笑えるくらい冷や汗をかきながら笑みを張りつけるばかり。

 仮にふきだしを付けるとしたら、「早まった……!」とか「ヤっちゃった……!?」なんていう台詞が書いてあっただろう。想像だけど。

 

 

「傷物だなんて、そんな言い方ないわ! 私達はただっ」

 

「どう言い繕おうと結果は同じです。お二方は悲劇に酔って愚かな行いを為さいました。

 間にある感情の是非とは関係無く、です。ご自分で良くお分かりでしょう」

 

「本当だよ。確認もせず先生君なん――に身を任せるなんて。ワタシならそんな事にはならなかったのに……。それでも悪いのは先生君だけども」

 

「う……」

 

 

 頭の中の笑顔と違い、現実の織莉子ちゃんは奈々瀬さんに食ってかかる。

 想い合った末の結果を傷物なんて言い方されれば、当然だ。

 しかし、奈々瀬さんatお説教モードと、便乗する呉の言い分も正しく、彼女の顔は悲しげに歪む。これも想像だが。

 だって、柔らかそうな二つの逆さピラミッドに遮られて見えないし。

 あぁ……久しく揉んでないなぁ……。顔を埋めて思いっきり深呼吸したいなぁ……。

 と、馬鹿な事を考えつつ、俺自身も奈々瀬さんに言いたい事があったので、軋む身体をなんとか起こす。

 

 確かに、馬鹿な事をしたかも知れませんね。俺達は。

 

 

「先生、そんな……っ」

 

 

 その言葉を聞き、今度こそ泣きそうになる織莉子ちゃんへ、でも、と付け加えて大きく笑う。

 

 後悔はしてませんよ。

 あの時、織莉子ちゃんと心を繋いでなかったら、こうして笑えてなかった筈です。

 例え勘違いだったって後で分かっても、あの時に動かなかったら、こんな関係にはなれなかった。

 だから、後悔だけはしません。絶対に。

 

 

「あ……」

 

「……はぁ。これだから男という生き物は、全く……」

 

「――チッ。妬ましい、羨ましい、口惜しいぃぃ」

 

 

 しっかりと手を繋ぎあう俺達を見て、奈々瀬さんは額を押さえながらまた溜め息。

 口元には、くっきり刻まれている感情があった。

 けれど、それが否定的な物でない事を、俺も、織莉子ちゃんも、知っている。

 酷い顔をしている呉は無視しよう。

 

 

「まぁ、気付けなかったわたくしにも一因はあるので、これ以上はとやかく言いませんが。

 そうまで仰るならノルマを増やすと致しましょう。明日からは予定の半分までです。お覚悟を、先生様」

 

 

 ……マジですか……。どうしよう、早速挫けそうだ……。

 近頃、変な噂まで流れてるしなぁ……。

 

 

「噂、ですか。どんな内容なんです? 先生」

 

 

 メイドさんに某軍曹並みの口汚い言葉で罵られながら、無理やり走らされてる不審な男が居るって噂。

 

 

「……な、奈々瀬さん?」

 

「前に映画を見て、一度やってみたかったのです。一回きりですし、時間も場所も選んだので人目にはついていないと思ったのですが……」

 

「あー、アレだよね? どっかで聞いたんだけどな。ええと確か……ハート○ャッチ軍曹! 戦場に咲く一輪の花! だっけ?」

 

 

 混ぜるな阿呆! 日本の子供達に朝から何を教える気だ!?

 ……とにかく、そのたった一回の印象が強烈過ぎたんですよっ。

 最近ランニング始めたし、近所の人から不審な目で見られてんですからね?

 

 

「む。まだ先生様が目立つのは不味いですね。然るべき対処をしませんと」

 

 

 頬に手を当て、奈々瀬さんは難しい顔。誰のせいだと思ってんだろうか。

 そして“然るべき対処”をする権限を持つメイドさんってどうなんだ。

 

 

「しかし、この程度で挫けそうになるとは。計画が何のためであるか、お忘れになったのですか?」

 

 

 いや、忘れる訳ないじゃないですか。そんな大事なこと。

 ちょっと愚痴が零れただけです。

 

 

「なら、確認も兼ねて仰ってみて下さい。目的意識を自覚できるかは重要ですので」

 

 

 身体の向きで奈々瀬さんが移動を示し、俺達もそれに続いて、部屋の隅にあるL字ベンチに腰を下ろす。

 そして、差し出されたスポーツドリンクで喉を潤しながら、問いかけの答えも口に。

 

 ふいぃ……。一つ目は、久臣さんに認められる人間になるため、ですね。

 なんだかんだで会えてないですけど、いざ会った時、織莉子ちゃんを任せて貰うには、今のままじゃ駄目だ。

 肉体的にも精神的にも鍛え直して、頼り甲斐のある人間にならないと。

 

 

「はい。旦那様は生まれや育ちで人を判断する方ではありませんが、お嬢様に関しては別。

 子煩悩な所がありますので、生半可な覚悟では投げ飛ばされて御終いです。せめて、それを回避できる位にはなって頂きます」

 

「でも、ぶっちゃけ才能無いよね先生君。前にワタシもメイドさんとやってみたけど、ワタシの方がもったし」

 

 

 うっさい。触れなかったんだから同じだろ。

 

 なんでも、久臣さんは政治家でありながら、柔道の有段者でもあるらしい。

 つまり、お嬢さんを僕にください、と挨拶したら、にっこり笑って大外刈りな可能性があるのだ。

 更に言うと、「私より弱い男に娘は預けられん!」なんて言われる可能性もある得る。

 強くなっておくに越した事は無いのだ。男としても、望む所。

 

 

「でも、やっぱり心配です。

 私のために頑張って頂けるのは嬉しいですけど、そのせいで先生に辛い思いをさせてしまうのは嫌ですから。

 どうか、無理だけはなさらないで下さいね」

 

 

 ん……ありがとう。

 

 労うように、織莉子ちゃんが汗を拭ってくれる。本当に出来た恋人だ。

 俺には勿体無い気もするが、しかし、それじゃあいけない。

 彼女にこそ俺が相応しいのだと、少なくとも久臣さんには認めて貰わなきゃいけないんだ。もっと努力しなくては。

 と言っても、本当に無理をしたら悲しませるだけだし、自分に合ったペースで、だけど。

 

 

「ご安心下さい、お嬢様。わたくし、こう見えてもインストラクターの資格を持っておりますので。無理なく効率的に鍛え上げましょう」

 

 

 そんな資格持ってたんすか。

 シゴキが堂に入ってる訳だ……。

 

 

「確か、他にも持っているのよね。どのくらいだったかしら」

 

「全部で一〇八の資格を所有しております。メイドの嗜みですから」

 

「ほんと、凄いよねー。ワタシは織莉子以外の事を頭に詰め込むなんて出来そうも無いよ」

 

 

 楚々とした仕草で言ってのける奈々瀬さん。

 煩悩と同じ数って、凄いってレベルじゃないぞ。なんだ? 美国家に関わる人間は万能超人じゃなきゃ駄目なのか?

 それに、呉が素直に人を褒めるのも珍しい。コイツなりに尊敬する心は持ってるって事か。

 

 ……話、続けますね。二つ目は、将来的に織莉子ちゃんと一緒に居られる確率を高めるため。

 家庭教師という立場は学生の間しか通用しない。それ以降も共に居るためには、もっと別な職業選択が必要です。

 その中で、俺が就ける確率の高い物が二つ。この家の使用人か、彼女の身辺警護。

 

 

「その通り。旦那様には特に敵が多う御座います。

 使用人は邸宅の警備も兼ねておりますので、共に最低限の身体能力と護身術は求められます故、鍛錬は必要です。

 仕事の上で誠実さをアピール出来れば、お認め頂けるやも知れませんし」

 

「ボディガード……。将来的には必要になると、お父様も仰っていました。

 ちょっと憧れますねっ。古い映画みたいに、先生に守られる私。想像するとドキドキします!」

 

 

 それだと俺、織莉子ちゃんと仲違いした上で狙撃から庇って撃たれなきゃいけないんだけど?

 

 ――という感想は、彼女には届かなかったようだ。頬を染め、妄想の世界に旅立っている。

 確かに俺も憧れるけど、そんな状況になる時点で警護としては大失敗だと思う。

 ちなみに呉は、「ワタシがいつでも守ってあげるのに……」と不貞腐れながら織莉子ちゃんを見つめていた。

 動きが俊敏なのは認めるけど、そのちっこい身体(呉の身長は織莉子ちゃんよりも頭一つ低いのだ)じゃ務まらんだろうに。

 

 

「まぁ、現実的に考えれば使用人でしょうね。

 長く勤め上げれば、わたくしの様な立場になる事も不可能ではありませんから。

 もちろん、有能である事が前提ですが」

 

「むぅ、ワタシもメイドの面接受けようかな……。家事はまだアレだけど、体力には自信あるし!」

 

「残念ながら、この世には労働基準法というものが御座いますので。十六歳になるまでお待ち下さい、呉様」

 

「くそっ、なんて時代だ!」

 

 

 そんな本気で悔しがらなくても……。ごっほん。んでもって、三つ目。

 俺と織莉子ちゃん。ひいては、久臣さん――美国家を守るため、ですよね。

 

 

「その心は」

 

 

 俺達の関係は、言ってしまえば久臣さんのスキャンダル。

 知られれば間違い無く悪意を持って利用されてしまう。けど、俺が一角の人物であるなら、ダメージは限りなくゼロに近くなる。それが狙いです。

 当然、今の時点で知られればそれも叶わないから、織莉子ちゃんとの関係は隠す必要がある、と。

 

 

「ご理解頂けている様でなにより。が、分かっているならご友人の家にお泊りだなんて嘘をつかないで頂きたかったのですが……」

 

「……えっ!? な、何でそれを!?」

 

 

 あー、やっぱりバレてましたか……と苦笑いすれば、奈々瀬さんは「当たり前です」と怒り肩。

 

 

「万が一に備え、先生様の周囲には草を――もとい、警護の者を配しておりますので、丸分かりです。

 休日に遊びにいく程度なら誤魔化しは利きますが、今後は宿泊等は許しません。そのおつもりで」

 

 

 はい確定した。今確定したよーこの人が忍者だって。

 草っていわゆるスパイじゃん。いまどきそんな言葉、役者か本業の人しか使わねぇよ。

 予想はしてたけど、私生活も既に監視付きか……。いや、その草の人もきっとメイドさんだ!

 お早うからお休みまで、暮らしをメイドさんに見守られていると考えればむしろ御褒美! そうとでも思わなきゃやってられるか!

 

 

「そんな……。もう、あのベッドでは眠れないなんて……」

 

 

 ――と、そんな妄想をしていたら、織莉子ちゃんは切なく顔を伏せ、己の身を抱き締める。

 漂う色香は正しく“女”そのものであり、生唾が喉を下った。

 必然的に彼女と過ごした夜の事も思い出してしまって、ちょっと股間が危ない。

 そんな艶めく少女を慰めるのは、隣に座る心配そうなもう一人。

 

 

「しょうがないよ、織莉子。君達の関係は割とヤバイんだから。君のお父様のためにも、ここは辛抱だ。

 代わりと言ってはアレだけど、ワタシの家ならいつだってウェルカムだからさ! 何だったら今日にでも!」

 

 

 ……違った。それは慰めではなく、我欲塗れなお誘いだった。

 

 お前みたいなガチ百合中学生に織莉子ちゃんを任せられる訳ないだろう。

 つーか、奈々瀬さん的には良いんですか? 呉の存在は。ぶっちゃけ怪しいと思うんですけど。

 

 

「なっ!? なんだいその言い方! ワタシのどこが不審だっていうのさ!?」

 

 

 言動の全てがだよ、この泥棒猫め。

 この際だから宣言するけど、織莉子ちゃんは絶対に渡さないからな?

 

 

「ぬぁにをぉうっ!?」

 

「あ、先生、そんな言い方は駄目です! 私にとっては大切な、初めての同性のお友達なんですからっ」

 

「……織莉子……! そこまでワタシの事を……!」

 

 

 うぐ、ごめん……。でも、タイミング的にさ……。

 

 珍しく眉を吊り上げる織莉子ちゃんへ謝るものの、疑念は残る。

 彼女と結ばれて間も無く知り合った少女。

 俺自身、一目惚れを経験した身。小銭を拾って貰ってベタ惚れしてもおかしいとは思わないが、どうにも怪しく感じてしまうのだ。

 こうやって相対していても、底が見えないというか、何というか……。

 

 

「呉様ですか。この方でしたら、なんら問題無いかと」

 

 

 ――が、そんな俺の訝りを、奈々瀬さんは軽く否定する。

 

 

「多少、素行に問題はあるようですが、お嬢様への親愛は確かな物かと。

 何度か直にお会いして、そう感じました。

 先生様が不埒な真似をしようとしたら連絡も頂けるお約束ですので、むしろ協力者ですね」

 

「やった、褒められた――んだよね? 微妙にディスられた気がしないでもないけど、とりあえずワタシは喜ぶよ!」

 

 

 お前、妙に奈々瀬さんと仲が良いと思ったらそういうことか! 裏切ったなぁ!?

 

 

「はっ。もともと信頼関係なんて無かったじゃないか。変な言い掛かりはよして欲しいな。

 長い目で見れば織莉子のためなんだ。例え恨まれようと、ワタシはワタシが、良いと、思う……事、を、ぉ……」

 

 

 想像して泣きそうになる位なら止めとけよ……。

 

 

「恨んだりはしないけど……。うーん、これからはキリカの目も掻い潜らなきゃいけないのね……」

 

「さっすが織莉子、君の心は空の如く高くて広大だね! でも、隠れてヤる気満々なのはどうなのかな!」

 

 

 ふてぶてしい顔に思わず怒りが込み上げたが、段々と尻すぼみになる声で、それも萎える。

 織莉子ちゃんにあんな事を言って貰えれば尚更だ。

 多分、お泊りの密告もコイツなんだろう。

 毎度毎度、邪魔ばっかりしやがって………………あれ、変だな。

 

 密告というか、連絡は間違い無くしたはず。

 なら、あの日のお泊りは無理やり中断させられた可能性もあったわけだ。

 しかし、お邪魔虫が居たとはいえ、織莉子ちゃんは俺の家に泊まっていった。

 もしかして、密告と同時に執り成してもくれた、とか?

 織莉子ちゃんを悲しませたくなかったというなら……。いや、奈々瀬さんが寛大な心で許してくれた可能性もある、か。

 どうにも、掴みきれないな……。

 

 

「まぁ、この協力関係も打算の上で、ですけれど。しっかり代償は要求されましたし」

 

「そりゃあね。織莉子の頼みなら、例え溶岩の中、永久凍土の中へだって行くけど、それ以外をタダでやるほどお人好しじゃないさ。

 あ、そうそう。この前の報酬、まだ貰って無いんだけど、どうなってるのメイドさん?」

 

「用意して御座います。どうぞ、お納め下さい」

 

「うん、どうも。……うっは~! 可愛い~! ラヴ!」

 

 

 悩んでいると、奈々瀬さん達の間でなにやらブツのやり取りが。

 写真らしきものを受け取った呉は、顔をだらしなく崩してそれを抱き締める。

 この反応、まさか……?

 

 な、なぁ呉? その写真って……。

 

 

「ん? もちろん織莉子の写真だっ。しかも幼女時代の激レア生写真さ! 超可愛いよ! どうだい、羨ましいだろう!」

 

 

 お、織莉子ちゃんの幼女時代、だと……?

 

 なんという、なんという危険で蠱惑的な響き。

 よく考えれば、携帯で今の織莉子ちゃんを撮ったことはあるけど、過去の写真を見たことは無い。

 う、羨ましい。心の底から羨ましいぞ……っ。

 

 ……そぉい!

 

 

「おぉっと、危ない危ない。何するのさ?」

 

 

 不意打ち気味に手元目掛けて飛びかかるが、呉は華麗に回避。

 優雅な動きで斜に構え、写真をペラペラ。

 

 何って、言わなくても分かってるだろう? ちょっとだけ! ちょっとだけだから、な!

 

 

「言動が完全にエロ親父だよ先生君。これはワタシが得た正当な報酬だ。君なんかに見せるわけ無いじゃないか。ほーら、取れるものなら取ってごらん?」

 

 

 あっ!? おま、それは!

 

 勿体ぶる呉は、なんとシャツの胸元――おそらくはブラの中へ写真を仕舞った。

 ばいん、と差し出される双丘からそれの端っこが飛び出ているが、そこは、男が無断で手出しできない聖域。

 

 くっ……卑怯だぞ呉ぇ!

 

 

「ふっはっは。負け犬が何か吼えてるねぇ。あぁぁ、地肌に触れる幼女な織莉子。なんと甘美な感触だろう! 最高だね!」

 

 

 変態チックに身を捩る呉だが、俺は歯軋りしながら見つめるしかなかった。

 ちっくしょう……。織莉子ちゃんの目の前で、他の女の胸元に手を突っ込むなんて出来ないし、それ以前に捕まえられるかも分からない。

 くそっ、どうする、どうすればロ莉子ちゃんを入手できるんだ……!?

 

 

「もう、先生ったら。そんなに悔しがらなくても、言って頂ければお見せしますよ? 終わったら、アルバムを一緒に見ましょう」

 

 

 すると織莉子ちゃんが、呆れた笑みを浮かべながらこう提案。

 先ほどまでの苦悩も忘れて、俺は隣に舞い戻る。

 

 お、良いの? 見る見る、見たい!

 

 

「あっ、そんなズルイ! ワタシも見たいー! ね、ね、良いよね織莉子?」

 

「キリカも? しょうがないんだから……。じゃあ、後でみんな一緒に、ね?」

 

 

 服の袖をツイと引っ張り、織莉子ちゃんに甘える呉。

 了承を得れば、「やたっ!」と諸手を挙げて万歳を。もう生写真を持っているというのに、強欲な奴だ。

 ……俺も何かすれば、奈々瀬さんに融通して貰えるかな……。

 あ、そう言えば。

 

 前から聞きたかったんですけど、どうして奈々瀬さんは協力してくれるんです?

 久臣さんにも秘密にしてくれて……。

 

 

「そう言えばそうか。この家のメイドなんだから、むしろ報告は義務?」

 

「あ、私も聞きたいわ。てっきり先生との事を知られたら、拉致して瀬戸内海に“沈”とかするって思っていたのに」

 

「お嬢様はわたくしの事をどう見ていらしたのですか。……別に、大した理由はありません。

 わたくしも女ですから。道ならぬ恋を応援したくなる事も御座います」

 

 

 奈々瀬さんは目を閉じ、少しだけ恥ずかしそうに言う。

 初めて見る表情だ。

 やけに親身な……何かを重ねているような響きも感じた。

 何となく織莉子ちゃんと顔を見合わせれば、柔らかい微笑みが向けられ、確信も無いまま笑い返す。

 

 

「……さて。先生様の意思も確認できましたし、休憩はここまでにしましょう。

 汗を流したらいつもの部屋へ。次は座学を、時間ギリギリまで学んで頂きます」

 

 

 え。も、もうですか?

 

 気を紛らわすように、奈々瀬さんは立ち上がってご無体なことを言い放つ。

 確かに早めに終わったけど、普段ならこの後シャワーを浴びて、織莉子ちゃんの淹れてくれた紅茶を楽しんで帰るだけなのに。

 それに散々身体を酷使させてから勉強って、順番を間違えて無いか?

 居眠りなんかしたら指揮棒で叩かれそうだ……。

 

 ええと……せ、せめて普通にお仕事させて貰えません?

 ここ最近、立場が逆転しちゃってますし、これでお給料を頂くのは……。

 

 

「前から半分遊んでいた分際でよく言いますね。

 勘違いしないで頂きたいのですが、これは旦那様方のためであって、先生様のためではありません。

 お嬢様を愛しておられるのなら、眠気と後ろめたさくらい我慢なさいませ」

 

 

 そこで織莉子ちゃんを引き合いに出すのはずっこいですよ……。

 はいはい、頑張らさせて頂きますー。

 

 

「“はい”は一回で宜しい」

 

 

 はーい……。

 

 ウンザリするも、今後のために気合を入れ直し、俺は腰を上げる。

 とりあえず、汗を流そう。乾いてきて気持ち悪いし。

 

 

「なぁんだ、今日はもう終わりかぁ。んー、先生君の醜態も見飽きたし、そろそろ帰ろっかな……。あ、でも、このままお泊りも捨てがたい……」

 

 

 厚かましいなお前……。

 って、あれ。どうかした? 織莉子ちゃん。

 

 悩みだす呉に突っ込むのだが、いつもなら着いて来てくれる人影が無いのに気付いて振り返る。

 

 

「いえ、ちょっと引っかかることがあって。う~ん……そうだわ、思い出した!」

 

 

 すると、思案していた彼女は、ポン、と手を打ち合わせて満面の笑み。

 

 

「さっきの奈々瀬さんっ。ああいうのを『ツンデレ』って呼ぶんですよね?

 先生からお借りした漫――学術書に載っていましたっ。まさか、こんな身近に居るだなんて、大発見です!」

 

「………………は?」

 

 

 同じく振り向いていた奈々瀬さんの纏う空気が変わる。

 目はうっすら細められ、俺より身長が低いはずなのに、明らかに見下されている感覚。

 口元には、左右対称な綺麗過ぎる微笑み。

 ああ、不味い。超絶怒ってる。

 

 

「全く。

 先生様は博識でいらっしゃいますねぇ(お嬢様に余計な事を吹き込みやがって)

 是非その知識を伝授して頂きたいものです(今からたっぷり頭脳労働させてやるからな)

 覚悟しろ」

 

 

 な、奈々瀬さん? 本心が透けて見えるっていうか最後くちに出ちゃってませんでした!?

 ――いだ、痛い、耳、耳が千切れるぅ!

 

 

「あ、先生、待って下さい! せめて、背中をお流ししますからっ」

 

「何ぃ!? それは聞き捨てならないぞぅ!? わ、ワタシも混ぜろー! というか二人っきりで洗いっこしよう!」

 

「駄目に決まっているでしょう!? 何を考えておられるのですか! 呉様も少しは自重なさいませ!」

 

 

 奈々瀬さんの怒声と共に、俺達は地下を後にする。

 シャワーを浴びている間、脱衣所の向こうにて、織莉子ちゃん&呉の性少女タッグVS奈々瀬さんの激しい攻防が繰り広げられたのは、音に聞こえたので間違いない。

 また、座学の最中にしばき倒された回数が二桁を越え、その度にアルバムを抱えた呉がケラケラ笑っていたのも、言うまでも無いだろう。

 

 

『愛する事を知った女は逞しくなり、愛される事を覚えた男は情けなくなる』

 

 

 爺ちゃんの言葉は、またしても正しかったらしい。

 ……仕事、変えようかなぁ……。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 毒で膨らむわたしのお腹。

 それが子供として生まれるなら、どんな子になるだろう。

 

 男の子? 女の子?

 優しい子? 意地悪な子?

 

 どんな事を教えてあげよう。どんな事を教えてくれるだろう。

 どんな物を好きになるだろう。どんな物を嫌いと言うだろう。

 どんな風に褒めてあげよう。どんな風に叱ってあげよう。

 

 ああ、だけど、わたしの蜜は。

 そんな毒の結晶ですら、綺麗に溶かしてしまうのでしょう。

 

 

 

 

 

 まだ来てないんですけどね。わたし。

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「――でさぁ」

 

「えぇ、そうなの? じゃあ――」

 

 

 隣をすれ違う、恋人らしき男女。仲睦まじいその後姿を遠目に見ながら、深い溜め息をつく。

 平日の真っ昼間。

 早めに大学の講義を切り上げ、駅前通りを歩く俺の身体は、酷い倦怠感に包まれていた。

 先の二人が羨ましいのもそうだが、大元は別。

 ショーウィンドウに映った自分の顔を見れば、明らかにゲンナリとしている。

 三時間。午前中のたった三時間でこれ。

 ただでさえ強化計画の疲れが抜け切っていないのに、とんだ災難だ。何であの人はその気も無い癖に絡んでくるんだろうか……。

 

 はぁ、しんどい……。

 

 

「溜め息をつくと幸せが逃げるって言うよ、先生君」

 

 

 んぁ?

 

 思わず下を向いた視線を戻すと、ガラスに映り込む見知った少女が居た。

 妙にスタイリッシュな左右非対称の私服姿に、織莉子ちゃんと一緒に居る時とは別人みたいな気だるい表情。

 

 ……呉?

 

 

「そうだよ、呉キリカ。何さ、そんな意外そうな顔して」

 

 

 いや、学校どうしたんだよ。また自主休校か?

 

 

「失礼な。世間一般的には平日でも、ワタシにとっては休日さ。今日は創立記念日なんだよ」

 

 

 あ、そうなのか。

 でも本当に意外だな。呉が声をかけてくるなんて。

 基本的に織莉子ちゃん以外はアウトオブ眼中じゃん。

 

 

「よく分かってるじゃないか。単なる暇潰しに、だよ。

 知った顔がお金に困って今にも強盗しそうなくら~い表情してたら、気にもなるしね」

 

 

 振り向きながら返すと、呉は極僅かに口角を上げた。

 そんなに酷い顔をしてたのか……。

 顔をペタペタ触ってみるが、若干油が乗ってるぐらいなんだけど。顔洗いたくなってきたな。

 あと、強盗なんて誰がするか。これ以上余罪が増えたら堪らんわ。

 

 

「で、どうしたのさ。本当に、ほんっとうに暇だから、聞くだけ聞いてあげよう。つまんなかったら即行で帰るけど」

 

 

 腕を頭の後ろで組み、爪先をトントンさせながらのそっけない言葉。

 珍しい事もあるもんだ。口振りはどうあれ、呉が俺の事を心配してくれるだなんて。

 実際、話も聞いて貰った方が良いのかも知れない。

 あの人もいい所はあるんだけど、今日は心底……もう……。うん、やっぱり聞いて貰おう。

 このまま暗い顔してたら、次に織莉子ちゃんと会った時、間違いなく慰めてくれるだろう彼女を感極まって押し倒しちゃいそうだし。

 

 なら、せっかくだし話させてもらうか。実はな――。

 

 

「ところでさ先生君」

 

 

 ――っておい、聞いてくれるんじゃないのかよっ。

 

 

「いや聞くよ。聞くけどもその前に。何だか甘い匂いがしないかい?」

 

 

 は? そう言えば……。

 

 確かに、ほんの少しだけど甘い匂いが漂っていた。

 生クリームみたいなミルクっぽいのと、フルーツっぽいのに、何かが焼けるような……。

 クレープか? この匂い。

 

 

「そうだよね。ヤッパリするよね。あぁ、気になるなぁ。この美味しそうな匂い。

 ひょっとしたら、春の新作か何かが売られているのかも知れない。

 織莉子と今度デートする時に寄れるレベルかどうか、調査しておきたいなぁー」

 

 

 大きく手を振りかぶり、くるくる回って大仰な動作。

 無駄にキレがあるせいか、さながら演劇の如く様になっており、それが逆に呆れを誘う。

 

 ……呉。お前、最初からそれが狙いだったな?

 

 

「さぁ何の事やら。でも、もしこの匂いの元凶を辿ることが出来たなら、ワタシの海の様に広い心は、慈悲深~く先生君の悩みを受け入れてあげる事だろう。さ、奢れ?」

 

 

 どこまでも欲望に忠実だな、ホント……。

 まぁいいけどさ……。

 

 

「うむ。善きに計らえ」

 

 

 むふー、とふんぞり返ってご満悦な呉。

 殿か。それとも姫か。話を聞いてもらうんだから我慢するが、傍若無人にも程がある。

 つっても、見た目はそう言い張っても変じゃないんだよな。着てる服もお洒落だし。

 なんか、織莉子ちゃんと出会ってから周囲の女性密度が高くなってる気がする。

 しかもその中にリアルメイドさんが居るとか、弟に知られたら血の涙を流されそうだ。

 

 と、そうこうしている間に匂いの元へ到着。

 やはりクレープ屋さんであり、苺フェアをやっているらしい。

 運良く人が途切れていたので、手早く二人分のクレープを入手し、呉に手渡す。

 

 

「ん、どうも。むぐ……ん~、味はまぁまぁかな。甘さが足りないよ、甘さが」

 

 

 品評する呉に続き、俺もクレープを口にする。

 苺の酸味と生クリームの程好い甘みに、シナモンが香った。

 まぁまぁどころか、かなり美味しいと思うのだが。これ以上甘かったら頭痛がしそうだ。

 

 

「それで、一体なにがあったのさ。だいぶ疲れた顔してたけど」

 

 

 適当なベンチに腰を下ろすと、早速本題に。

 一先ず、口の端についたクリームを無言で示しながら、俺は言葉を選ぶ。

 

 えっとだな。俺、入学当初から大学で世話をしてる先輩が居るんだけどさ。

 

 

「うん。……うん? なんか引っかかるけど、まぁいいや。続けて」

 

 

 ああ。その先輩がな――。

 

 

「うんうん。ぁむ」

 

 

 ――ウザいんだ。

 

 

「ふーん。………………え? それだけ?」

 

 

 目をクリッとさせ、驚いたような顔。

 一言で先輩を表現するとどうしてもこうなるのだが、やっぱり伝わらなかったみたいだ。

 

 それだけって言うなよ……。本当にウザいんだぞ……。

 教えてないのに朝から匂いを嗅ぎ付けて引っ付いて回るし。

 別にそれはいいんだ? 毎度の事だから。

 

 

「毎度の事なんだ……」

 

 

 流石にアレだと思ったのか、今度は軽く頬をヒクつかせる。

 が、まだまだ、こんなものではないのだ。

 

 その先輩な、「後輩君から非童貞の匂いがする!」って騒ぎ立てやがるんだよ……。

 しかも、講義中まで横から「相手はどんな女?」とか「この裏切り者!」とか言われるし……。

 おかげ様で今日は見知らぬ人からオメデトウって生暖かい祝福されて……もう大学辞めたい……。

 

 

「ひどうてい……? ……っ!? な、なっ、ひ、ひど、ひどっ!?」

 

 

 ようやく先輩の迷惑さが伝わったのか、立ち上がり、クレープを握り潰す彼女。

 その顔は真っ赤で、とても怒ってくれているのが分かった。

 

 そうだろ、酷いだろ? 確かに最良の相手で男にはなったけどさ? あんな風に騒がれたら恥ずかしいよ……。

 

 

「いいぃいや、そ、そうじゃな、や、そうだけどそうじゃ――うんがぁああっ!? このセクハラ魔人ー!!」

 

 

 ……あれ。何か違う。

 先輩に怒ってるのかと思いきや、呉は耳まで赤くして俺を責め立てる。

 なんでこっちが怒られなきゃ……あ、そういうことか。

 

 いつも織莉子ちゃんの事を好き好きって言ってる割に、意外と純情だよな、呉って。

 

 

「当たり前だっ! ワタシはまだ十五だよ!? 先生君みたいに性欲に塗れた脳みそしてなぁい!!」

 

 

 性欲塗れって酷いな……(つべ)たっ。

 

 羞恥に染まる彼女は、潰れたクレープを一呑みにして、持ち手の紙をペシッと投げつける。

 ふむ、近頃の中学生にしては珍しい。この年頃の女の子って、かなり激しく猥談を繰り広げてるって先輩に聞いたんだけど。やっぱり当てにならんな。

 しかし、織莉子ちゃんだってまぁ……エロいんだけどなぁ?

 なんて思いながら首を捻っていると、ぜぃぜぃ息をする呉は、微妙に距離を置いてベンチに戻る。

 

 

「はぁ……。要するに、その先輩はGUY・KITTIYさんってことだろう? ただの似た者同士じゃないか。馬鹿馬鹿しい」

 

 

 おいコラやめろ。

 なんで毎回そう変な例えばっかするんだよ。

 首から下だけ壮絶マッチョなキ○ィちゃん想像しちゃったじゃねぇか。

 

 

「いい気味さ。そのまま筋肉に溺れるがいいよ」

 

 

 ワセリンで窒息死とか御免被る。あー、気色悪い……。

 

 クレープの甘さで、輪になってポージングする猫頭人間を追い出そうとするが、なかなか上手く行かなかった。

 《ムキッ》てやってるぞ《ムキッ》て。

 

 

「ところで、先生君は何でそんな人をいつまでも相手してるんだい? 迷惑ならキッパリ関わるなって言えばいいじゃないか」

 

 

 ――と、指に残った生クリームを舐めながら、呉が一言。

 組まれた脚がやや色っぽくも見えるが、嫌いなら縁を切ればいいというその意見は、やはりまだ子供っぽい。

 

 そんな簡単に割り切れるもんじゃないんだよ、人間関係ってのは。いい所だってあるんだからさ。

 

 

「いい所ねぇ。例えば?」

 

 

 あ~……家族思い、とか。

 最近、お兄さんが病院から退院したらしいんだけど、変に落ち込んじゃってるって心配してたよ。

 んで、励ますために今度の日曜、一緒にご飯食べに行くんだってさ。

 

 

「ふーん……。でもさ、その人って先生君に織莉子の家庭教師を押し付けた人なんだよね? なーんかさぁ……」

 

 

 完全に口には出さないが、顔を見れば言いたいことは分かった。

 自分の仕事をホッポリ出す人間をいい人だと説明されたって、信じられないに決まってる。

 でも、これにだって一応の理由はあったのだ。

 

 俺も最近知ったんだけど、先輩、職場でセクハラされてたらしいんだよ。

 それで、織莉子ちゃんの前に担当した子で辞める筈だったんだけど、かなり強引に引き止められて。

 んで、駄目なら信頼できる人を紹介しろって話になって、俺に白羽の矢が立ったみたいだ。

 

 

「あれ、女の人だったんだ。んん……ねぇ先生君。セクハラは気の毒に思うんだけど、家庭教師って、そんな“なあなあ”な人事で派遣先決めるの?」

 

 

 俺もよくは知らん。けど、先輩って家庭教師としてはかなり才能あったらしくてさ。

 生徒達からの信頼も篤くて、その勧めなら……って事じゃないか?

 さもなきゃ、俺が失敗するだろうと見越して、先輩を呼び戻そうとしてたけど……とか。

 

 

「なーる。……でも、見事に裏切っちゃったよね、その先輩からの信頼。生徒に手なんか出しちゃって。あーやだやだ。穢らわしい」

 

 

 急所を突かれ、うっ、と呻く。

 織莉子ちゃんとの騒動があったから深く考えてこなかったけど、確かに裏切ってしまっている。

 放っておくと面倒事になりかねないしな、あの処女ビッチ。後でそれとなくお詫びをする方法を考えなきゃ……。

 

 

「………………」

 

 

 それきり、気まずいような空気が広がった。

 しかし、二人きりで会うのは初めてだけど、変な感じだ。

 織莉子ちゃんの前では表情豊かな元気少女なのに、今の彼女はニヒルな表情しか浮かべないダウナー系の入った少女。

 セクハラへの過剰反応では普段通りだったけど、やっぱり猫かぶりしてたってことか?

 ……いい機会だし、もっと話してみるべきかな。

 あんま認めたくないけど、織莉子ちゃんにとっては大事な友達なんだし。

 

 さっきから俺ばっか話してたけど、呉の方はどうなんだよ。

 いつもと様子が違う風に感じるんだけど、何かあったのか?

 

 

「……何かあったか、だって? 大有りに決まってるじゃないか!」

 

 

 ――と、何の気無しに心配してみたら、予想外に大きな反応が返って来る。

 ニヒリズムもすっ飛んだ。な、なんか薮蛇だったか?

 

 

「ワタシは君と違って織莉子とデートでも何でも出来る立場なのに、義務教育なんてつまらない制度のせいでその時間がガリガリ削られてるんだよ!? あーーーもーーー! ウサギは寂しいと死んじゃうんだゾーーー!?」

 

 

 頭を抱えて悔しそうに天を仰ぎ、スラリと伸びた脚がジタバタ。

 どこがウサギっぽいのかは定かじゃないけど、本当に織莉子ちゃんの事が好きなんだなぁ、コイツ。

 ま、不本意ながら気持ちは痛いほど理解できた。俺だって、大好きな人と一緒に居たいのは同じなのだから。

 

 なるほどね。それで不貞腐れて、学校サボってる訳か。

 

 

「不貞腐れてなんか無いさっ。単に価値を見出せないんだ。学生生活って奴にね。

 将来役に立つとは思えない勉強。下らない人付き合い。上滑りな会話の応酬。

 そんな事をしてるくらいなら、大切な織莉子と愛を語らう方がよっぽど充実した時間さ! そうだろう?」

 

 

 またもや立ち上がり、芝居がかった主張が繰り広げられる。

 なんともはや、実に中学生らしいこと。見ていて微笑ましくなるくらいだ。

 似た経験もあるし、これも理解できなくは無いのだが、それよりも先に指摘しなければならない事があった。

 

 はいはい、そうですねー。

 創立記念日ってのはやっぱり嘘だったんだな?

 

 

「あ」

 

 

 呆気にとられた後、「しまった」という顔付きになり、最後には言い訳するか逃げるか迷う素振り。

 全く、つまらない嘘なんかつかなきゃいいのに。

 

 そんな顔しなくても、説教なんてするつもりは無いよ。

 

 

「へ?」

 

 

 ん? ……何だよ、意外そうな顔して。

 

 

「や、だって……。絶対、変な正義感振りかざして説教すると思ってたから……。織莉子だったらされそうだし。あ、それならむしろ御褒美だね!」

 

 

 少し前にされた問いかけをオウム返しすると、相変わらずな返答が。

 それに苦笑いしながら、俺は昔を振り返る。

 

 俺も似たようなもんだったからな。偉そうなことは言えないんだよ。

 

 

「……それって」

 

 

 言いよどむ呉へ、確かに頷く。

 

 そ。いわゆる、保健室登校だったんだよ。中学時代は。

 真面目に行ったのは……一年の二学期までで、それ以降はずっと不登校だった。

 まぁ、保健室に通ったのもほんの数ヶ月だけど。

 

 

「先生君が? 苛められっ子だった、とか」

 

 

 いいや、友達だって居たし、勉強も嫌いじゃなかった。部活だってやってたし。

 でも、ある日突然、何もかもが面倒臭くなった。

 今でも理由は分からない。本当に突然だったんだ。

 

 

「……まさか……や、なんでもない。続けて?」

 

 

 続けてって言われても、面白くなんかないぞ?

 

 

「面白いかどうかはワタシが決めることさ。いいから話しなよ」

 

 

 不意に何かを呟きかけた呉は、頭を振ってベンチに戻る。

 間にあった距離は、いつの間にか縮まっていた。

 

 ……ぶっちゃけ、あんまり覚えて無いんだ。あの頃はただ、生きてただけだったし。

 

 

「生きてた、だけ」

 

 

 飯は食ってたし、トイレも行って風呂も入ってたけど、それだけ。

 生きるのに必要なこと以外は何もして無かったみたいで、全部、朧気なんだ。

 二年くらい、記憶にポッカリ穴が開いてるんだよ。

 卒業間近にはなんとか元に戻ったんだけど、理由は結局。

 

 

「………………」

 

 

 いつに無く真剣な表情で、彼女は沈黙を守る。

 その代わりなのか、俺も普段より饒舌に。

 

 まぁ、高校に上がってからは健康そのものだし、二年間遊んでたと思えば何てこと無いんだけど。

 でも一つだけ、後悔してることがある。

 

 

「後、悔」

 

 

 想い出が無いんだよ。

 ずっと待ってくれていた友達が、家族が、その間に積み上げたもの。それが俺にだけ無いんだ。

 あの二年間、俺は家族ぐらいにしか認識されてなかった。世界から消えそうになっていた。死んでいたのと、何も変わらない。

 だからさ、呉はそのままで良いんじゃないか。

 

 

「え?」

 

 

 不思議そうに首を傾げる呉へ向き合う。

 顔には、自信家な彼女らしく無い――年頃の少女らしい、困惑が見えた。

 

 あの頃の俺と違って、呉は生き生きしてる。ちゃんと想い出を積み重ねてる。

 学校なんか行かなくたって、誰かと笑い合えてる記憶さえあれば、それで良いって思うんだよ。

 俺は、だけどな?

 

 

「……そのまま、か……」

 

 

 おそらく、自分自身に向けたのだろう。

 囁きは風に乗って消えて行く。

 物憂げなそれが、あまりにも切なく聞こえて。

 慰めた方のがいいかと、声を掛けようとすれば――

 

 

「ふっ。先生君が先生っぽいことしてるなんて。似合わないったらないね?」

 

 

 ――普段通りの、放胆な声が返って来た。

 本当に何時も通りで、少しだけホッとする。

 

 似合わなくて悪かったな。どうせ俺は似非教師ですよ。

 

 

「“せ”を“ろ”に変えた方がしっくり来るんじゃないかい? ……さてっと」

 

 

 誰がエロ教師だ! と言い返そうとしたのだが、その前に呉はベンチを立ち、クルッと回ってこちらを覗きこむ。

 

 

「先生君、お腹空かない? ワタシは空いた。食べに行こう」

 

 

 は? そりゃあ昼時だけど、さっきクレープ食べたばっかじゃないか。

 

 

「仕方ないんだよ。先生君のつまんない自分語りを聞かされて脳が疲弊してるんだ。カロリーを求めているんだっ。

 本当は織莉子と家族にメイドさん以外と二人っきりでご飯なんてノーセンキューだけど、今日の所は君で我慢してあげる。さ、奢れ!」

 

 

 腰を上げながら、何でそうなる!? と勢い良く突っ込む。

 給料のおかげでまだ余裕はあるとはいえ、流石にそう何度も奢ってたら財布が空っぽだっ。

 

 一緒に行くのはまだしも、ここは割り勘だろ普通は! せめて三分の一くらいは!

 

 

「おや? いいのかい? 織莉子に比べればアフロディーテとヘカトンケイルだけど、その他大勢となら勝てる自信がある。

 一人寂しく食べるお昼と、可愛い可愛い女の子と一緒に食べるお昼。先生君はどっちを選ぶのかな?」

 

 

 不意に、胸が高鳴る。

 自信満々、猫の様に笑う彼女は、なぜだか輝いて。

 そんな風に感じてしまったのを認めたくなくて、俺はお札の枚数を数えることでなんとか誤魔化す。

 

 ……分かったよ。じゃあ、牛丼でいいよな? 安いし。

 

 

「よーし先生君にデートに誘われたって織莉子へメールしよーっと」

 

 

 回転寿司とか如何でしょーかー!?

 

 ボタン操作しながらズンズン進む背中に、慌てて追い縋る。

 横へ並ぶと、その小悪魔は満足そうに一つ頷き、携帯をパチンと閉じた。

 見事にやられてしまったのが面白くない俺は、これってデートじゃないよな……? なんてことを考えながら、彼女の少し先を歩くのだった。

 

 

 

 

 

「本当に、似合わない、よ」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 わたしの瞳に花が映る。

 周囲に毒を撒き散らし、蜜を溜め込む名も無き花。

 

 なんて見苦しい(羨ましい)のだろう。

 なんて汚らしい(綺麗な)んだろう。

 

 刈り取らなくちゃ。

 摘ままなくちゃ。

 汚さなくちゃ。

 

 我慢なんてする必要は無い。

 遠慮なんてする必要も無い。

 

 だって、それがわたしの存在意義なのだから。

 だって、それがわたしの祈りなのだから。

 

 だから、わたしは。

 あんたを不幸にしてみせる。

 

 この、魂にかけて。

 

 



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【呉】スピンアウト編・下の2【キリカ】

 

 

「第一回! 先生とキリカの仲を取り持とう! お互いを褒めちぎれ大会~!」

 

「……は?」

 

 

 何曲か既に歌い終え、空気の温まったカラオケボックスの一室。

 そこで唐突に響いた声を聞き、選曲していた呉は胡乱な顔をする。

 宣言した張本人といえば、俺と呉の視線を真っ向に受け、「わ~、ぱちぱち~」とマイクを持つ手を叩いていた。

 なぜ俺達がこんな場所に居るのか。

 それは、つい先日。見事に奈々瀬さんへタッチが叶った御褒美に、カラオケデートを楽しもうという事になったからである。

 ちなみにタッチした場所が悪かったため、俺の顎は未だグラついていた。具体的に言うとπだ。掴めるほどありませんでした。

 まぁそんな事はどうでも良いとして、織莉子ちゃんの提案は流石に唐突。疑問が口をつく。

 

 ……あの、ごめん。意味が分からない。何? どうしたの?

 

 

「意味も何も、言葉通りですよ先生。お二人に仲直りして頂こうと思いまして」

 

 

 仲直りって……え、なんで? 別に喧嘩も何もしてないんだけど。

 

 思い返してみても、彼女の言うような仲違いはした覚えが無い。

 いつも通り口頭でやり合ってはいるが、それだけだし。

 俺と同じ考えなのか、珍しく織莉子ちゃんから視線を逸らしたまま、呉が答える。

 

 

「そうだよ織莉子ー。そもそも、ワタシと先生君の間に友情なんて存在して無いし、発生する理由も必然性も無い。

 そんな事よりデュエットしようよー。時間が勿体無い。んで、先生君に部屋代だけ出して貰って先に帰らせよう」

 

 

 ――のだが、同意するだけでは飽き足らず、喧嘩まで売ってきやがった。本当にコイツは……!

 

 ふざけんなよおい。せっかくの御褒美タイムにまでついて来やがって。

 呉の方こそさっさと帰れ。俺と織莉子ちゃんを二人っきりにしろ!

 

 

「ざーんねーんでーしたー。ワタシは監視役としてここに居るんだよーだ。

 二人っきりなんかにしたら、監視カメラの映像がアダルトビデオに早変わりしちゃうじゃないか。

 そんなの絶対に許さないからね!」

 

 

 お前、他人の下ネタには過剰反応するのに、自分で言うのは平気なのな。

 っていうか、いくらなんでもこんなとこでしないっつーの!

 

 

「どーだか。じゃあ聞くけど、こんな狭苦しい部屋で織莉子と二人きり。天上の調べが如き美声に酔いしれ、あまつさえラヴソングなんかを歌われたりしたら、押し倒さずに居られる?」

 

 

 う。

 

 下から睨みあげる視線に口篭る。

 確かにそんな状況になったら、押し倒すとはいかないまでも、キスぐらいは良いかなーという気分になってしまうかも知れない。

 でも、奈々瀬さんから「外出中に粘膜接触は禁止です。破ったら削ぎます」って言われてるからなぁ……。

 それにしても、キスだと何も感じないのに、粘膜接触って言われると妙にエロいのはなぜだろう。

 

 

「ほぉら、だから信用できないんだ。織莉子の貞操はワタシが守る!」

 

 

 それはもうとっくに俺の物なんですが。

 恋人同士なんだからHしたって貞操を破ることにはならないんだけど?

 

 

「なっ、え、Hって――っ!? 年頃の女の子に向かってなんてこと言うのさー!?」

 

 

 いや、呉の方から貞操だのなんだの言い始めたんじゃないか。

 ちょっと訳が分からないぞ?

 

 

「うるっさぁい! とにかく先生君はもう喋っちゃダメ! ……あ、ほら織莉子。この曲なんか――」

 

「……すぅ……わーっ!!!!!!」

 

「ひぃい!?」

 

 

 うぐわ!?

 

 きぃーん、と音響兵器が響く。

 可愛らしい声がマイクを通じて爆音となり、鼓膜を突ん裂いた。

 くぅあぁぁ……っ、み、耳がぁあぁ……っ。

 

 

「ひぐぅう……お、織莉子? いきなり何をぉ……?」

 

「私を無視するからいけないのっ。全くもう、すぐそうやって喧嘩するんだから」

 

 

 腰に手を当て、プンプン叱りつけてくる織莉子ちゃん。

 彼女は一つ嘆息し、綺麗な眉を心配そうに歪める。

 

 

「やっぱりちょっと変よ? キリカ。貴方、先生の事を無理に嫌おうとしていない?」

 

「……んぇ? ごめん、聞こえなくて、少し時間を……。うん、よし。で、なに織莉子?」

 

「はぁ……。先生も、何だかキリカに対して壁を作っていませんか?」

 

 

 え? そんなことは……。

 

 呆れる織莉子ちゃんは、質問の対象を俺に変える。

 それに否定を返しながらも、内心で彼女の鋭さに舌を巻いていた。言われた通り、俺は呉と少し距離を置こうとしていたからだ。

 原因は、あの街中での遭遇。

 織莉子ちゃんという恋人が居るにも関わらず、不覚にも他の女の子にときめいてしまったのが理由である。

 と言っても、何か特別なことをしようとしていた訳じゃなく、あんまり砕けすぎた対応をしないよう、心に留めておく程度だったのだが。

 まさかそれを気付かれるとは……。俺の事、よく見てくれてるんだなぁ、織莉子ちゃん。

 

 

「私、寂しいです。二人は私の事を大切に想ってくれるのに、当の本人達は最近言い合いばかり。

 ですから、お互いの長所を見つめ直し、認め合って、関係を修復して頂こうかと。

 喧嘩するほど仲が良いとは言いますけれど、普通の仲良しさんにもなって欲しいんです」

 

 

 にっこり、和やかに褒めちぎれ大会の趣旨が説明される。

 友人同士に仲良くなって欲しい。

 その気持ちは理解できるものだったが、しかし、相手は女の子。

 恋人が居る身で、それはどうなんだろ?

 

 

「……前から思っていたんだけど。織莉子はさ、それで良いの?」

 

「どういうこと?」

 

「こう見えてもワタシは女だ。

 先生君とそんな関係になるなんて万に一つ――いや、億、兆、京に一つも無いけど、織莉子を不愉快な気持ちにさせるのはイヤだし。

 なら、最初から距離を取っておいた方が良いと思うんだけど」

 

 

 俺と同意見だったのか、胸の内を代弁してくれる呉。

 そこまで徹底的に否定されると悲しいけど、とにかく頷いて肯定を投げる。

 

 なんかムカつくけど、俺も呉と同意見だよ。

 俺の気持ちは織莉子ちゃんに向いてるし、他の子と浮気するつもりなんてこれっぽっちも無いけど。

 勘違いされるようなことを敢えてしたいとは思わないかな。

 

 

「あら。それなら大丈夫ですよ、先生」

 

 

 けれど、織莉子ちゃんは自信満々。

 二人の間に腰を下ろし、俺と呉の手を取って言う。

 

 

「だって、二人の一番は私なんでしょう? なら、何も問題はありません。私が独り占めしているわけですし。

 もし万が一、先生がキリカとそういう関係になったとしても、必ず奪い返して見せます。先生の恋人は、私だけ。私は先生の物で、先生は私の物、ですよ?」

 

 

 織莉子ちゃん……。

 

 

「流石のワタシもこれには突っ込まざるを得ない。の・ろ・け・かっ! 頭が痛くなって来た……」

 

 

 絶対無敵な愛の宣言に、胸が温かくなった。

 同時に呉は、おかしなテンションで監視カメラに唾を吐く。

 好かれている自信はあったけど、こうやって直に言われると安心できる。

 まぁ、だからって浮気なんてしないが。むしろ気が引き締まった。

 

 

「うーん、でもやっぱり、そんな事する必要は無いと思うんだけどなー。

 せめて普通に歌おうよー。先生君の良い所を探すなんてメンドクサ――」

 

「御褒美は私のキスよ?」

 

「――イ良し、やろう先生君! これでもかっていうくらい褒めちぎるよー!」

 

 

 はやっ! 変わり身はやっ!

 

 よっぽど俺を褒めるのが嫌なのか、呉は尚も食い下がったのだが、優勝商品の存在に態度を五百四十度転換。

 そりゃあ彼女の唇にはそれだけの価値があるけど……しかしっ!

 

 織莉子ちゃんのキスが景品と言われちゃ、黙ってられないな。その唇は俺のものだ!

 

 

「ふんっ、言うね先生君。だけど、今回ばかりは負けないよ! 目指せ初キッス!」

 

「やる気になってくれたみたいで、何よりです。それじゃあ、まずは先生からどうぞ。

 褒められているか私が判定して、最終的に有効の多い方が勝ちです。頑張って下さいっ」

 

 

 織莉子ちゃんの言葉と同時に、BGM代わりのオフヴォーカルが流れ出す。

 軽快なテンポに助けられ、俺は早速、呉の長所を挙げ始める。

 

 じゃあ、一つ目は……。ファッションセンスが良いよな。

 読者モデルとして雑誌に載っててもおかしくないんじゃないか?

 織莉子ちゃんほどじゃないけど。

 

 

「え。そう、かな。単に他の人と同じじゃイヤだから、ちょっと捻ってるだけなんだけど」

 

「有効です。私では思い付かない組み合わせの時もあって、素敵だなって思うわ」

 

「そ、そうっ? いやぁ、織莉子に褒められるなんて、嬉しいなぁ。

 でも、君の方こそ素敵だよ! スタンダードな着こなしは、素材が良くないと映えないからね!」

 

「ありがとう、キリカ。でも、褒めたのは先生で、褒めるもの先生。はい、貴方の番よ」

 

「あ~、そうだった……え~と……」

 

 

 褒めそやされてご満悦な呉だったが、自分の番になると悩みだす。

 散々、「う~ん」だの「むぅ~」だの唸り続け、答えが出たのは五分後。

 

 

「……それなりに勉強できるよね。前に課題を手伝って貰ったこともあるし。ま、織莉子ほどじゃないけど?」

 

「有効。先生は謙遜されますけど、とても聡明でいらっしゃいますよ。継続して勉強を続けられるのも、凄いことです」

 

 

 あ、ありがとう。

 

 後ろ髪を撫で付けながら、そう返す。なんだか、妙に照れ臭い。

 呉に褒められるのもそうだが、平均水準より遥かに顔面偏差値が高い美少女達にこう言って貰えるのは、何かのプレイじゃないかと勘違いしてしまいそうだ。

 

 次はまた俺か。ん~、運動神経も良いよな?

 奈々瀬さんとも軽く手合わせ出来るみたいだし。

 こればっかりは、勝てる自信が無いよ。

 

 

「はい、有効です。とても真似できないし、本当に羨ましいわ……」

 

 

 心底羨ましそうに、織莉子ちゃんは頬へ手を置く。

 なんでも彼女自身、身体を動かすのは苦手だそうだ。

 運動そのものは出来るのだが、その際、おっぱいがバインバイン跳ね回って痛いのが嫌らしい。

 そういった意味では呉もなかなかの物である訳だが、しかし、痛がるような素振りは見たことが無い。もしかしてパッド戦士だったりするのだろうか。

 と、口に出したら五寸刻みで解体されそうな疑念を知らず、難しい顔で頭をかく呉。

 

 

「むーん。個人的にはあんまり自慢できるとは思ってないんだけどねー。裏技使ってるだけだし……」

 

「裏技?」

 

「やーやー、なんでもないよ。ま、そんな気にすること無いさ、織莉子。いざという時にはワタシがキッチリ守ってあげるからね!」

 

「うふふ、お願いするわ。さ、またキリカの番よ」

 

「うぇーい、そうでした……。んー、何かあるかなぁ……あ、そうだ」

 

 

 またしても悩みだす彼女だが、今度はパッと思いついたらしく、早々に口を開く。

 

 

「さっきの勉強繋がりだけでなんだけど、先生君の字ってすごい達筆だよね。イメージと全然違って」

 

「有効。確かに上手です。何かコツとかあるんですか?」

 

 

 コツかぁ。バランスに気をつけること、ぐらいかな。一方に偏ったりしないようにしたり、時々あえて崩したり。

 後はひたすら書き続けるしかないよ。俺も小さい頃、爺ちゃんに無理やり書かされて矯正されただけだから。

 字が汚いと言葉の内容まで汚くなる、って言われてさ。

 

 

「練習あるのみ、ですか。基本が大事なんですね」

 

「ふぅーん。そう言えばさ、先生君ってお爺ちゃんっ子だよね。どんな人だったのさ?」

 

「あ、私も知りたいです。よく例えとしてお爺様の言葉をお話されていますけど、人柄についてはあまり聞いた事が……」

 

 

 あれ、そうだっけ?

 

 思い出してみると、家庭教育や遊んでいる時、爺ちゃんの言葉を引き合いに出すことはあったが、爺ちゃんについて語ったことは無いような。

 とっくに話した気になってた。

 しかし、あんまり自分語りするような人じゃなかったから、俺もちょっとしか知らないんだよなー。

 

 なんか、戦闘機乗りだったんだってさ。

 三回くらい撃墜されたんだけど、致命傷だけは負わないで帰ってくるもんだから、不死身なんじゃないかって噂されてたらしい。

 

 

「戦争に……。どうりで言葉に重みがあった訳ですね。……あら? でも、それだと年齢の計算が……?」

 

 

 親父は遅くに出来た子供なんだ。

 戦争へ出る前、結婚を約束した人が居たんだけど、戦争中の混乱で行方不明になってさ。

 その人に操を立ててたんだけど、婆ちゃんに押し倒されて、なし崩し的に結婚しちゃったんだって。

 このお守りは、その約束の人に貰った奴なんだよ。

 

 

「そうだったんですか……古そうなストラップでしたけど、そんな逸話が……」

 

「アグレッシブなお婆ちゃんだね……。でも、そうやって自分の家族との想い出を大切に出来るのって、先生君の数少ない、本当に良い所かもしれないね」

 

「あ、有効。キリカ、一歩リードよ」

 

「ほんと!? やった、そんなつもりなかったけどラッキー! キース、キース!」

 

 

 なっ、くそ、先越されたか……!

 

 細かいところも拾ってくれる審判により、早くも差が開いてしまう。

 だが、こんな序盤で躓いてはいられない。

 一つでも多く呉の長所を褒め称え、織莉子ちゃんの唇を守らなくては!

 決意も新たに、じゃあ次は、と、俺は勢い込んで捲し立て――

 

 

 

 

 

《数十分後》

 

 

 

 

 

 ――たのは良かったのだが。

 

 あ~、う~ん……。

 つ、爪がちゃんと切られてる?

 

 

「却下です。それは身嗜みの範囲ですよ、先生。はい、キリカ」

 

「うぇ、もう!? う゛~……。ね、寝癖が凄い!」

 

「却下。私にとっては可愛らしくても、それはだらしない所。はい、先生。……先生?」

 

 

 ………………くっ。

 

 次々にバトンを渡す織莉子ちゃんに、しかし残念ながら、俺は答えることが出来なかった。ネタが尽きたからだ。

 意外と純情な所や、織莉子ちゃんとは違ったベクトルで綺麗な声、ノリの良さ。他にも一杯、一杯褒めた。

 が、そこから先が怪しくなり、身に着けている服やアクセ、キューティクルの保護具合、果ては今日の運勢まで出したのだが駄目だった。当たり前か。

 何とかイーブンに持ち込んであるが、これ以上となると、認めたくない部分――譲れない部分まで褒めなければいけなくなる。

 どうしよう……。

 

 

「もうありませんか? キリカの良い所はまだまだ沢山……あら」

 

 

 沈黙を破る、《プルルル》という音。

 悩み続ける俺達に代わって織莉子ちゃんが立ち上がり、受話器を取る。

 何度か「はい」と頷き、最後に「いいえ、結構です」と付け加え、感謝を述べてそれを戻す。

 

 

「時間だそうです。門限も近いですし、延長はしませんでしたけど、どうしましょう。このままだと御褒美はお預けに……」

 

「えええ!? そんなっ、せっかくの公認キッス・チャンスなのにぃ!?

 先生君さっさと言いなよ! さもなきゃ辞退してよぉ! ワタシは君と違ってまだ一回もしたこと無いんだぞぉ!」

 

 

 回数の問題じゃないだろ! ちょっと待って! 言う、言うから!

 

 残念そうな呟きと、急き立てるライバルに焦り出す。

 時間を確かめれば、確かに帰る約束の時間が迫っていた。

 呉の言う通り、せっかくのオフィシャル接吻を頂けるチャンス、ふいにするのだけは避けたい。

 ……背に腹は替えられない、か。

 爺ちゃん曰く、『本当に欲しいものがあるなら、矜持は捨てろ』、だ。

 

 ごほん。……認めたくは、ないけど。心の底から不本意だけどっ。

 呉の、織莉子ちゃんへの想いは、本物……だと思う。

 

 

「……へっ」

 

「まぁ」

 

 

 素っ頓狂な声を発し、鳩が豆鉄砲を食らったような表情。

 反対に、驚いてはいるが、微笑ましく見守るような表情。

 二組の双眸に見つめられているのが恥ずかしく、俺は背を向けて続ける。

 

 色々とやり合って来たけど、だからこそ分かるっていうか……。

 呉は本当に、織莉子ちゃんの事を大切だと思ってるんだな、って。

 俺だって負けないつもりだけど、そんな風に一途に想えるのは、凄いと思うよ。

 

 

「……なにさ、それ」

 

 

 俺にとって最大限の賛辞だったが、何故か呉は困惑顔。

 次いで、何かを我慢するみたいに足元へ眼を落とす。

 

 

「どうして、急にそんなこと言うんだよ……。そんな風に言われたら、ワタシは……」

 

「……キリカ? どうしたの?」

 

 

 お、おい、何だよ?

 

 予想外の暗い声が届き、腰を浮かさずには居られなかった。

 織莉子ちゃんも同じなのか、心配そうにそれを覗き込み――

 

 

「……んんぁあっ! 分かったよ、認めるよ!」

 

「きゃっ」

 

 

 ――バネの如く伸びた身体に驚き、可愛い悲鳴を上げる。

 呉はといえば、いじけるように膝を抱えて(ちゃんと靴も脱いでる。いつの間に)ブー垂れ始めた。

 

 

「先生君こそ、本物だよ。……わ、ワタシ程じゃないにしても、織莉子の事を愛してるのは伝わってくる。とっくに、理解してるさ。

 織莉子と結ばれるための努力だってちゃんとしてるし、そこいらの男なんかよりはよっぽどシャンとしてる。……認めるよ。先生君は、凄い」

 

 

 呉、お前……。

 

 これまた予想外の展開に、胸が詰まってしまう。

 てっきり、「そんなの当然じゃないか。何を当たり前の事を言ってるんだい?」とか言われて、一笑に伏されると思っていた。

 それがまさか、不貞腐れながらも認めて貰えるとは……。結構、嬉しい。

 

 

「……くすっ。これ以上は、もう出なさそうですね? ここは、私の独断と偏見で勝者を決めようと思います。さ、二人とも目を閉じて下さい」

 

 

 喜びを噛み締めていると、織莉子ちゃんはそう言ってポンと手を合わせた。

 何となく呉と視線が合い、居住いを正して目を閉じる彼女に続き、俺も瞼を下ろす。

 いつの間にか途切れていたBGM。

 壁越しに聞こえる遠い歌声に混じり、衣擦れの音。

 

 

《ちゅっ》

 

 

 頬へ柔らかく、覚えのある感触が。

 口にして貰えるかと思ってたからちょっと残念だけど、これは間違いない。

 と、いう事は……!

 いや、いや駄目だ、堪えろ俺! まだだ、まだ笑うな……!

 

 

「……はい、終わりましたよ」

 

 

 厳かに、商品授与の完了が告げられた。

 それが起爆剤となって、我慢していた歓喜を爆発させる。

 

 

 

 

 

 いよっしゃあぁああ! 勝ったぁあぁああっっれぇえ!?

「いよっしゃあぁああ! 勝ったぁあぁああっっれぇえ!?」

 

 

 

 

 

 俺は勢い良く両手を突き上げ、ソファから立ち上がる。

 が、すぐ側で鏡合せの様に全く同じ動作をする奴が居た。

 呉だ。

 ……え? 何? どういうこと?

 

 

「っぷ、ふふふっ、ぁ、あはっ、凄い、二人ともおんなじ……あははっ」

 

「え? や、え? お、織莉子はワタシを選んだんだよねっ? だって、ほっぺに《ちゅっ》て」

 

 

 いやいや俺だろっ。俺だって《ちゅっ》て――まさか!?

 

 事の原因に思い至り、お腹を抱えて笑い転げる恋人を見やる。

 すると彼女は、「はい」と涙を拭いながら頷いて――

 

 

「今回は引き分けですっ。だから、御褒美も二人分。こんな素敵な二人に……大切な恋人と、大切なお友達に愛されて。私は幸せです!」

 

 

 ――立ち竦む俺達の手を取り、満開の花を咲かせて見せた。

 あまりの美しさに、しばらく茫然。

 

 

「……あはは」

 

 

 ははっ。

 

 やがて、三人で大きく笑い合う。

 全く、この子には敵わない。

 幸せなのはこちらの方だ。

 

 君と出会って、俺の世界は広がった。

 そこで見つけたものは、大きな喜びと、大きな苦悩をもたらしたけれど。

 乗り越えた先には、もっと広い――途方も無い未来が待っている。

 だから、君よりも俺の方が、ずっと幸せだ。

 

 そんな事を思い、俺は笑い続ける。

 この時間が、いつまでも続かないことを知っていながら。

 いつまでも続いて欲しいと、そう願って。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 痛い、いたい、イタイ。

 

 頭が痛い。

 胸が痛い。

 心が痛い。

 

 どうしてこんなに痛いんだ。

 どうして、こんな風に感じてしまうんだ。

 

 分からない、ワカラナイ、わからない。

 

 こんな気持ち、ワタシは知らない。

 こんな苦しさ、ワタシは知らない。

 こんな切なさ、ワタシは知らない。

 

 ああ、そうだ。

 全ては、君と出会って始まった。

 君に出会って、ワタシは変わった。

 君が居たから、ワタシは変わってしまった。

 

 だから、この苦しみも、痛みも。

 きっと、全部。

 

 

 

 

 

『――奴の、せいだ』

「――君の、せいだ」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

《ジャラリ》

 

 

 

 

 

 ……ん?

 

 日が落ち、闇へと呑まれかけた鉄門をくぐって、美国邸を出てからしばらく。

 何かが聞こえた気がした。

 

 今日も今日とて、肉体改造と知識の吸収に励んでいた俺。

 少し前まで、帰る頃には疲労困憊。奈々瀬さんの運転する車に送って貰わなければいけなかったのだが、ここ数日でようやく、自分の足で帰れるくらいになった。

 相変わらずタッチは難しいものの、息が上がる事は少なくなったし、勉強中も居眠りは一桁に留まっている。

 住めば都……とは違うけど、人間、なんにでも慣れる事は出来るらしい。

 

 とりわけ、今回はうるさいお邪魔虫が居なかったのも良かった。

 おかげで織莉子ちゃんの膝枕もゆっくり堪能できたし。疲労を感じないのはこのせいだろうか?

 ま、ちょっとだけ寂しい気もするけれど。織莉子ちゃんだけでなく、奈々瀬さんも物足りないような顔をしていたし。

 体調を崩しているらしいが、大丈夫なのだろうか。

 気が向いたら、織莉子ちゃんと一緒にお見舞いに行くのも良いかも知れない。

 もっとも、「先生君と一緒じゃなくて織莉子オンリーの方が嬉しかったのにぃ」とか言われそうだけども。

 

 と、苦笑いをしながら歩き続けていた時、何かが聞こえたのだ。

 それは、何か重いものを――鎖でも引き摺っている音にも聞こえた。

 だが、辺りを見渡してもそんな物は何処にも無い。

 

 

「――――――」

 

 

 ……あ。

 

 ――が、代わりに人影。

 赤いランドセルを背負う、小学生らしき女の子。半袖のTシャツを着ている。

 後姿だから顔は見えないが、身長から考えて中学年~高学年。どうしてこんな時間にあんな子供が……。

 そう思っている間に、ボブカットの少女は路地裏へと消えて行く。

 ここは丁度、高級住宅街との境目。治安的な意味でも境界線だ。

 さっきの子が向かったのは、その向こう側――治安が悪くなっていく方。

 ちょっと前に、見滝原に通う男子生徒が集団暴行を受けた場所への道でもある。

 

 後を追って、声をかけた方が良いだろうか。

 良識的に考えれば勿論そうだ。

 世の中には、年端もいかない少女を組み伏せて喜ぶ外道(俺の事ではありません)も居る。

 そんな連中の毒牙にかかるのを見逃したとあっては、爺ちゃんに、そして織莉子ちゃんに顔向けできない。

 

 んがしかし。

 問題なのはこれが余計なお世話だった場合。

 見知らぬ少女が路地裏に入っていくのを追いかけ、「君、こんな所に居ちゃいけないよ」と声をかける。

 どこからどう見ても言い訳のしようが無い、完全無欠な変質者だ。

 正直、関わらない方が身の為に思えた。

 

 きっとこの先に彼女の家があるんだ。もしくはその近道とか。

 迷いなく入って行ったし、歩き慣れている感じがした。

 なら、変なオジサンに襲われることも無いだろう。

 そんな言い訳を捻り出し、俺は自分の未来のため、路地裏に背を向けた。

 

 

『こ――にき――い』

 

 

 ……あれ?

 

 ――筈なのに、脚が勝手に少女を追い始めた。まるで誰かに“誘導”されているみたいに。

 どうして。

 慣れたとはいえ、疲れているのに変わりはない。

 余計な事なんかしてないで、早く帰ってごろ寝したいんだ。

 なのに、脚は一向に止まってくれず……織莉子ちゃんの善人っぷりに影響でもされたのか。

 

 そうこうしている間に、少女の消えた曲がり角へ。

 ……ちょっと、確認するだけ。

 後姿を確認したら、きっとこの脚もいう事を聞くだろう。

 自分の行動にそんな理由をつけて、俺は路地裏を覗き込む。

 

 居ない……。

 

 けれど、夜闇でも目立つはずの赤いランドセルは、そこに無かった。

 どこからか入り込む薄明かりに目を凝らし、少し先へ進んでみても、全く気配が無かった。

 おかしい。

 さっきの子がここを曲がってからそんなに時間は経っていないはず。

 俺に気付いて全力疾走したなら納得できるが、だったら「痴漢ー!」とか「助けてー!」だの叫ぶだろう。さもなきゃ防犯ブザーだ。

 それが無いという事は……まさか、本当に攫われた?

 周囲を確認すれば、場違いな物が――暗闇に落ちる、ビニール製のリコーダーケース。

 

 ドクン、と大きく心臓が脈打ち始める。同時に、奇妙な高揚感。

 不謹慎にも、目の前で起きたかもしれない非日常の出来事に、俺は心を揺り動かされていた。

 警察に連絡すべき……いや、誤報になったら不味いし、むしろ俺が捕まるかも知れない。もっと確かめてからの方が……?

 

 

『ば――』

 

 

 ――うぉっと……え?

 

 そんな風に、携帯片手に悩んで歩いていた時だった。

 突然、階段を踏み外したような、肝の冷える感覚を覚え、つんのめる。

 何とか転ばすに済んだが、溜め息をついて周囲を確認すると、我が目を疑いたくなった。

 影に落ちていた壁は白く輝き、剥き出しの配管がまっさらな平面に。

 建物に削られた夜空も、圧迫感をもたらす低い天井に隠れる。

 周りから注意を逸らしたほんの一瞬の間に、世界が一変していた。

 

 迷路、か、これ……?

 

 なぜかそう直感した。

 壁に手を付けば、プラスチックとも石膏ともつかない冷たさ。

 訳が分からない。

 奈々瀬さんに転がされ過ぎて、頭がおかしくなったのか? それにしたってこの状況……幻覚……?

 もしかして拉致られているのは俺で、変な薬を打たれちゃったとか……。洒落にならんぞおぃ……。

 

 試しに歩き出してみたが、迷路は何処までも続く。

 曲がり角、分かれ道、開けた広場、行き止まり。

 とりあえず右手法を使って迷わないようにしているが、終わりが見えない。

 しかも、どこを見ても壁、壁、壁。窓なんて一切無く、光源すら見当たらなかった。

 

 静寂。

 音が無くなり過ぎて、逆に音叉が鳴り響いているのだと勘違いしてしまう、静寂。

 この空間で生きているのは――音を発しているのは、俺だけ。

 ……息苦しい。

 正気が、削られていく。

 

 

『ほ――ら――ち』

 

 

 っ……ん? ……あっ!?

 

 ようやく視界に変化が起こった。

 扉だ。

 飾り気の無い、取っ手と蝶番を足しただけの簡易な扉。

 しかし、今の俺にとってはやっと見つけた大きな変化。

 藁にも縋る思いで駆け寄り、それを開け放つ。

 

 ――うぉおぉったぁ!? あ、危なっ!

 

 

『ちっ』

 

 

 しかし、先に広がっていたのは闇。

 底無しの穴が広がっていた。

 地面だけではない、扉の向こう側にあったのは、“無”だった。

 まるで、そこから世界が切り替わっているよう。

 ゲームの裏側に飛び込んで、ワイヤーフレームすら作られていない、未設定領域を覗いている感覚。

 俺は、白と黒の境目に座り込み、顔を覆って悩み出す。

 ようやく出口かと思ったらこれかよ……。

 それこそ、ゲームとかならここに落ちて先に進むんだろうけど、現実にそんな事したら……。

 いや、そもそもこれが現実かどうかも怪しいんだけど。

 どうすりゃいいんだよ……。こんな事なら、変な良心に従うんじゃ――

 

 

 

 

 

《ドンッ》

 

 

 

 

 

 おわ――あっ!?

 

 次の瞬間、背中に衝撃。

 咄嗟に受身を取ろうとして、空振る。落ちていた。

 重力にしたがってグルリと一回転する視界に残ったのは、少女の姿。

 黒いゴスロリ風の衣装を着て、薄いヴェールに顔を隠す、軽薄な笑み。

 グングン遠ざかり、その小さな姿は見えなくなって行く。

 

 ……って落ち着いて観察してる場合じゃない!

 何なんだこの状況!? 何でいきなり蹴落とされてんだぁ!?

 もう十秒以上落ちてる……このまま地面にぶつかったら、間違い無く潰れたトマトに……!

 血の気はとっくに引いている。

 全身に鳥肌が立ち、感じる速度は鼓動も加速した。

 風の音がうるさく喚き、目に映るものは、ただ影のみ。

 

 どうする、どうする、どうする、どうする、どうする……どうしようもない……っ!?

 

 急に視界が開けた。

 極彩色の世界。

 迫る“何か”。

 絶叫。

 

 

《ブニョン》

 

 

 ――ぬわぁ!?

 

 柔らかいものに包まれて、トランポリンの如く跳ねた。

 ベチンと、今度は硬い物へうつ伏せに叩き付けられる。

 痛いことは痛いが、どうやら死は免れた、らしい。

 ちっくしょう、わけ分からん……。

 なんなんだよこれ……。なんだったんだよ、あのゴスロリ(くまパン)少女……。

 

 

「……先生、君……?」

 

 

 は?

 

 不意に、聞きなれた声がした。

 痛みを堪えて顔を上げれば、そこには変な物体に上半身を預ける見知った少女――呉キリカが。

 しかし、その格好は奇妙なもの。

 女性用の改造タキシードにタイトスカート。そこへ給仕服のエッセンスを一滴。

 変な表現だが、そんな印象の服装に、何故か右眼を隠す眼帯。おまけに全身傷だらけ。頭がパンクしそうだ。

 

 呉? お前、どうして――。

 

 

「先生君、飛び込み前転」

 

 

 ――へ? 何を言ってるぅおうっ!!

 

 気配。

 反射的に身体が動く。

 ずどん、と、一秒前に居た空間が圧縮された。

 無我夢中でそのまま走り、横たわる呉を抱っこして逃げる。

 後を追うように、何度も何度も衝撃が。

 

 あぁぁもう何だよこれぇえっ!? おい呉、何がどうなってるんだぁ!?

 

 

「それは、こっちの台詞、だよ、先生君……。何でこんなとこ、に……。

 っていうか、気安くお姫様抱っこ、しないでくれない……? セクハラ、だよ」

 

 

 んなこと言ってる場合か!? つーかオマエ重い! ちったぁダイエットしろ!

 

 

「相変わらずデリカシーの無い男だね。死ね。今すぐ死んでしまえ」

 

 

 何も分からないまま死んでたまるかぁ!

 

 言い合いながら横目で確かめれば、俺達目掛けて何かを――腕? を振り下ろす、世界中の色を集めたような、カラフルな巨体。

 複合獣(キメラ)――といっても、神話に出てくる定形ではない。

 常に変化し、スライムの様に百獣へ姿を変える。いや、あれは……人形の塊、なのか?

 とにかく異質。三次元に二次元存在が滲み出たかの様な、存在の“ずれ”。

 あり得なさ過ぎて生理的嫌悪を飛び越し、前衛芸術にも見えた。

 

 

「手短に言うと、だね。ワタシは、魔法少女をやっていて、あれはワタシの敵――魔女って、いうんだよ……」

 

 

 はっ? 魔法少女って柄か? その歳で痛々しくない?

 

 

「よりにもよって最初の感想がそれ……? 全く君は――左」

 

 

 言われた通り左へ。

 大質量が掠め、心臓が凍る。

 くそ、織莉子ちゃん家帰りで疲れてるってのに、このままじゃ体力が……。

 

 

「先生君……。ワタシを捨てて、逃げなよ」

 

 

 力無い呟きに、あぁ? とキツい声が出た。

 しかしそれを気にも留めず、呉は苦しげな吐息を零す。

 

 

「今なら、まだ間に合う。そんな、気分じゃない、から……見逃してあげ、よう。だからさっさと、離して……」

 

 

 アホ抜かせ、オマエどう見ても絶不調だろ! 俺が居なきゃ死んでるぞ!

 

 

「そんなこと、無い。この不調は、君のせいだ。ワタシの魔法と奴の相性は、抜群。……すぐに逆転、できる」

 

 

 嘘だ。抱える手には血のぬめりを感じる上、顔色も最悪。

 呉は明らかに強がっている。なんでこんな時まで素直じゃないんだっ。

 

 体調不良まで俺のせいにすんなよ――っとぉ! 例え本当だとしても、このまま置いてけるか!

 

 

「だから――先生君!」

 

 

 っ!? ヤベッ!

 

 長い腕――違う、象の鼻による横薙ぎ。

 走る方向を変えるが、これじゃあ間に合わない……!

 

 

「右向けぇ右っ!」

 

 

 なん、どおっ。

 

 顔へ手がかけられ、身体が強引に右回転。

 同時に呉は逆手を――

 

 

「ステッピングファング!」

 

 

 ――振り上げる。

 黒い爪……じゃなくて牙? が打ち出され、長っ鼻を半分に。相性が良いというのは本当だったらしい。

 けれども、断面から撒き散らされた綿の勢いまでは殺せず、それにまかれて倒れこむ。

 呉と離れてしまわないように抱き締めるのが精一杯だった。

 化け物は――魔女は痛がっているみたいで、血の変わりに真綿を垂らしながら踊り狂う。

 

 

「……どうして」

 

 

 息を整え、しなびていく綿を唖然と見守っていると、腕の中から声が。

 感じる柔らかさに今更ながらドキッとしてしまい、慌てて離す。

 すると、彼女はよろめきながらも立ち上がろうとし、俺はそれを支えようとしたが、指を突きつけられて拒まれる。

 

 

「どうして、ワタシなんかに構う。守ろうとする。こんな事してないで、早く行くんだ。

 あっちに行けば多分、出口がある。早く行かないと、手遅れに、なる……。君を殺すのは、このワタシなんだ。こんな所で死なれたら、困るんだ」

 

 

 なんだよ、そのツンデレったライバルキャラみたいな台詞……。

 

 普段の呉らしくない、弱弱しい拒絶。

 しかし、肩で息をしながら血塗れで強がるその姿は、あまりに気高くて。逆に決意を固くしてくれた。

 

 ……俺が邪魔だって言うんなら、この場から離れる。でも、呉を見捨てて逃げろっていうんなら、お断りだ。

 

 

「だからっ、何でそこまで――」

 

 

 友達だろ、俺達。

 

 

「――っ」

 

 

 信じられないものを見たような、一瞬の空白。

 息を飲んだ呉は、だらん、と腕を落とし、そのままこちらを見つめた。

 俺は真っ向からそれを受け止め、自分を奮い立たせるために大きく息を吸って、宣言する。

 

 それに、友達を見捨てて逃げるような男が、織莉子ちゃんに相応しいとは思えない。

 俺はそんな男になりたくない。絶対に。

 

 

「………………」

 

 

 呉は沈黙を守る。

 彼女の背後で魔女が暴れる騒音が響いていたが、俺達の間では意味を為さない。

 この瞬間。世界には俺と呉しか居なかった。

 

 

「――っふ、くく、あっははははは!! よく吼えたねっ、膝を震わせてる癖に!」

 

 

 唐突に吹き出し、腹を抱えて大笑いを始める呉。

 隠そうとしていた震えを見咎められ、恥ずかしくなった俺も大声に。

 

 うぅうるさいっ、こんな状況で怖がらない方がおかしいだろ! 邪魔なら向こう行くって! だから邪魔って言え!!

 

 

「あぁ、全くもって君はどうしようもない!

 そうやっていつもワタシの思惑を無視して、邪魔をして!

 本当に、ほんっとうに、最悪で、最低で……」

 

 

 うっかり漏れた本音に、彼女は肩をすくめる。

 そして、これでもかと人を馬鹿にしながら――

 

 

「最高の、バカだ」

 

 

 ――楽しげに、笑った。

 心の底から、嬉しそうに。

 不覚にも……可愛いと、思ってしまった。

 

 

「言っておくけど、ワタシは君の事を友達だなんて思ったことは一度も無いからね。初めて会った時から、君はワタシの怨敵だ」

 

 

 けれど、付け加えられるのは、そう思ってしまったのが哀しくなる嫌味。

 なのにどうして、嬉しいのだろう。

 呉がいつも通り笑ってくれるだけで、安心できるんだろう。

 

 ……お前、相変わらず酷いこと言うな。

 

 

「事実なんだからしょうがないじゃないか。まぁ、とにかくそこで見てなよ。チャチャッと終わらせて、次は君の番だからさ?」

 

 

 そう言うと呉は、いつの間にか再生を終えたらしい魔女へ向き直る。

 怒り故か、見るも恐ろしい――色がごちゃ混ぜになった悪魔。

 立ち向かう彼女は、それに比べてあまりに小さい。

 しかし、その背中は頼もしかった。

 先程までの不調が嘘の様に、足取り軽く、彼女は走る。

 

 

「シッ」

 

 

 悪魔の豪爪が振るわれた。

 軽やかな跳躍、回避した呉が黒い牙で地面に縫いつけ、哀しげな――その姿に似つかわしくない、悲鳴が轟く。

 纏わりつく羽虫を嫌がる腕が、また。

 

 

「逃がさない、よっ」

 

 

 四肢を千切ってまでも逃げ出そうとする魔女を、容赦なく攻め立てる。

 瞬く間に悪魔は大地へと磔に処され、もはや断罪を待つのみ。

 その背に降り立った呉は、胸の前で両腕を交差させ、一瞬の溜め。

 再び開かれた腕の先に、合わせて十本の牙。

 

 

「アリゲーター、ファング――!」

 

 

 独楽の様に回転、柔らかい綿を抉り出す。

 哀れにすら思える絶叫の中。魔女の体積がどんどん小さくなり、やがて、綿に混じって小さな人形――ビスクドールが舞い上がる。

 着地し、振り上げられた呉の腕から牙が飛び、それは真っ二つに。

 瞬間、未だ形を保っていた悪魔が弾け、飛び散った綿が雪の様に舞う。

 そんな中、一粒の黒い点が落ちてきて、彼女はそれを手に納める。

 現実離れしていて、それでいて……美しい光景だった。

 

 凄いな、呉って。

 

 

「言ったろ? ワタシは魔法少女。とっても強いんだよ。……さて」

 

 

 手をヒラヒラさせ、ゆっくりと歩み寄る彼女に、こちらも近づいていく。

 が、手が届くまであと二~三歩といった所で、足がもつれて体勢を崩す。

 あっけらかんとした姿に、全てが終わったのだと確信できて、力が抜けてしまったらしい。

 

 

《シュン》

「――チッ」

 

 

 そして、それが紛れもない幸運だったと気付いたのは、後頭部を掠める、鋭い音があったから。

 首筋で感じたギロチンの気配に、力を振り絞って飛び込み前転。

 もう一度繰り返して距離を取ると、地面に黒い牙を突き立てる呉が、眼帯に隠れた瞳で俺を見ていた。

 今のは、俺を狙っていた。

 一度だけなら、仕留めそこなった魔女の……分身とか何かへの追撃に思える。

 だが、あの位置は。

 数秒前にあの位置に存在したのは、俺の、首だ。

 

 ……く、呉? なに、すんだよ。

 

 

「あーあ、まさか連続で回避されるなんてね。本当に君は、予想外、だよ。……忌々しい」

 

 

 ふ、ふざけんなよ!? お前、なんで、なんで、俺を……!

 

 

「何でって、さっき言ったじゃないか。次は君の番だからさ……って」

 

 

 深く食い込んでいた牙を掻き消し、ゆらり、その女は背筋を伸ばす。

 振り返る顔には、いつも通り。変わらない笑みが乗っている。

 それが本気である事を教えて、逆に恐ろしく――いや、違う。

 呉はあんな風に笑わない。

 あんな、貼り付けた仮面のような笑い方、絶対にしない。

 何かが、変だ。

 

 

「頭が、痛いんだ」

 

 

 首を傾げて、彼女は言う。

 

 

「とっても、とっても、トッテモ、痛いんだ。織莉子の事を考えられなくなるくらい、イタイんだ。

 これは君のせいなんだ。ああそうだ。君のせいだ。全部、全て、何もかも、一切合財、君のせいだ」

 

 

 ゆらり、ゆらり。

 左右へ身体を揺らし、近付いてくる。

 俺のせいだと責める声は、なぜか、助けて欲しいと言っているようにも聞こえた。

 それは、女の手が、何かを求めるが如くに差し伸べられていたから。

 

 

「だからね、先生君」

 

 

 しかし、ある一点でその手が翻り、握られる。

 袖口から、黒い何かで塗り固められた牙が、出現した。

 

 

 

 

 

『あんたが、奴を――殺せ』

「ワタシは、君を――殺す」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ぐぁ、ああっ!?」

 

 

 浅く、肉を引き裂く感触と共に、悲鳴が響く。

 魔力牙から滴る鮮血を確認しながら、キリカは不愉快そうに顔を歪めた。

 

 

(気持ち、悪い)

 

 

 別に、初めての経験ではない。

 人の形をした使い魔を切り裂いた事もあるし、赤い体液を撒き散らす魔女と戦った事もある。

 しかし、そんな積み重ねが何の意味も持たないほど強烈な、生理的な嫌悪感を感じた。

 それに――

 

 

(頭が、痛い……)

 

 

 ――頭に巣食い続ける鈍痛が、彼女の動きを緩慢な物とさせていた。

 そのせいで、簡単に勝てるはずの魔女にまで苦戦し、腱を断つはずの一撃は僅かにふくらはぎを抉る程度。

 だが、それにしてもおかしいのだ。

 

 

(攻撃が、全然当たらない)

 

 

 右脚を庇い、体中に浅い傷を負う若者を追いながら、キリカは思考する。

 既に“陣”は敷いた。固有魔法である速度低下も発動中。結界は崩壊を始めていて、壁が崩れて行き止まるのは期待できないが、まだしばらくはもつだろう。

 なのに、彼の動きは一切の遅延を見せなかった。

 それどころか、最初のアレから一度たりとも致命傷を受けていない。

 一度だけなら幸運。けれど、二度三度と続けば自分の力を疑いたくなる。

 体調、体力共に万全とは言えないにしても、間違いなく行動不能に出来ると確信した一撃すら回避したのだ。

 

 

(――いや、外された?)

 

 

 ふと、そう思い至る。

 彼が回避したのではなく、自身の攻撃が外れているのでは、と。

 ならば彼が特別な能力を持っている?

 ――違う。彼からは何の魔力も感じなかった。ただの一般人に回避できるほど、魔法の力は甘くない。

 それなら、やはり魔法が発動していない?

 ――違う。ソウルジェムから間違いなく魔力は流れているし、感覚として発動しているのが分かる。

 であれば――

 

 

「う、ぅっ」

 

 

 ――ズキン、と、鈍痛。

 まただ。脳髄から魂の奥底まで響く、痛み。彼の事を考えている時に、決まって感じる、痛みだ。

 いつから始まったのかは思い出せない。

 でも、最初は指先を針で突いたような、小さなものだった気がする。

 織莉子の事を想うついでに彼を思い出して、その度に痛みを感じて。

 今ではもう、織莉子の事を想うから彼を思い出すのか、彼を頭から追い出すために織莉子を想うのか。

 どちらが正しいのかも、分からなくなっていた。

 

 

「痛、ぃ……」

 

 

 じく、じく、じく――と、思考を直接、虫に食われる。

 耐えられなかった。恐ろしかった。訳が分からなかった。

 どうしてこんなに痛いのか、苦しいのか……切ないのか。

 全然、全く、理解できない。

 それでもたった一つ、分かっているのは――

 

 

「君の、せい、だ……!」

 

 

 ――これが、目の前を逃げる若者のもたらした物であるという事。

 彼のせいで、キリカは織莉子の事を考えられなくなった。

 彼女が知る唯一の、己を示す行為を――愛を妨げる、不届きモノ。

 この愛を知らしめなきゃいけない。切り裂かなきゃいけない。殺さなきゃいけない。

 

 

(そうしなければ、ワタシには、生きている意味が無い……っ)

 

 

 ――誰も、ワタシに、気付いてくれないんだ。

 

 不安が先回りをし、キリカの焦燥を煽る。

 愛さなければ意味が無いと。

 愛せなければ生きていけないと。

 だからそれを邪魔する者は、すべからく排除するのだ。

 痛みを憎しみへと置き換え、彼を睨む。そして今一度、魔力牙を投擲。

 

 

「ひ、っ」

 

 

 耳元を掠め、それは脆くなった壁に突き刺さった。

 が、外れた攻撃にキリカは確信を得る。

 

 

(やっぱり、先生君にだけ当たらないんだ)

 

 

 先のアレは、ギリギリ当たらないようワザと外したのだった。

 彼以外の対象に対しては、一分のズレも無く狙い通りの軌道を描いた。

 即ち、彼さえ狙わなければ良い、という事。

 

 

(それさえ分かれば……)

 

 

 濁った瞳で、歪に嗤うキリカ。

 渾身の力を込めた魔力牙が、若者の通る壁近くに投げ込まれた。

 

 

「――がっ!?」

 

 

 破砕音。打ち砕かれた壁面が身体を打つ。

 若者は対面の壁へ吹き飛ばされ、壁に赤い花が描かれた。

 おびただしい出血。

 全身が打撲傷で埋め尽くされ、破片による裂傷は更に数多く、大きな塊の直撃を受けたらしい一方の足は、あらぬ方向へ折れ曲がっていた。

 

 

「あ――ご――はっ――」

 

 

 背中を強打したせいか、呼吸は途切れ途切れ。

 四肢が細かく痙攣し、傷の深さを物語る。

 

 

「終わり、だ。先生、君」

 

 

 同じく、荒い息のキリカが歩み寄る。

 その顔は、まるで自分が傷を負ってしまったかのように、酷く苦しげだった。

 

 

「……なん、で……だ……んで、だよ……ぉ……」

 

「聞いた、所で、意味なんか無い、じゃないか。どうせ、死ぬんだ……ぐぅ、う」

 

 

 何種類もの体液と一緒に、若者がうわ言を零す。

 一層激しくなる頭痛。

 悲鳴を上げたくなるそれに、不思議と身体は平静を取り戻していく。

 まるで、心と身体が分離でもしているみたいに。

 

 

「最後に一度だけ、彼女の名を呼ぶことを許そう」

 

 

 キリカが腕を振り上げる。

 袖口から一本の牙。

 鎌の如く背中を丸めるそれは、確実に首を刈り取るだろう鋭利な光を放つ。

 若者は震える首を上げ、処刑人の姿を視界に納め、唇を震わせた。

 

 

 

 

 

「なんでだ――キリ、カ」

 

「……っ!」

 

 

 

 

 

 ガキン、と、硬いものに刃が食い込んだ。

 

 

「ふっ――は――へ」

 

「何で……?」

 

 

 首の皮一枚を裂くだけに留まった凶刃に、彼は目を白黒。世界もコントラストを入れ替えた。

 手元を狂わせた処刑人は、己の失態にうつむき、全身を大きくわななかせ――

 

 

「何で君は、いつもそうやってワタシの心を乱すんだっ!? ワタシの愛を奪おうとするんだっ!?」

 

 

 ――若者の胸倉へ掴みかかった。

 

 

「いつも、いつも、いつだってそうやって変な事ばっかり言って! ワタシを玩んで愉しんでるんだろ、この……っ!!」

 

「う、ぐ、っ」

 

 

 喉元を締め上げられ、彼は呻く。

 何度も何度も揺さぶられ、瞳が朦朧と。

 しかし、そんな中で見つけた一筋の光に、閉じかけた瞼を大きく開いた。

 

 

「君さえ、君さえ居なければ、ワタシは愛されたいと願う事もなかった! 羨ましいと思う事もなかった! 知りたいなんて思わずに済んだんだ!」

 

 

 心を掻きむしる絶叫に散るのは、涙。

 穢れない雫が裸の言葉をつまびらかにし、素直さを溢れ出させる。

 宝石のような嘘で身を飾り、愛を高らかに謳っていた少女。

 その奥底で震えていたのは、あまりに初心で、どうしようもなく不器用な――

 

 

 

 

 

「愛は無限に有限なんだ! だからこれ以上、ワタシの――織莉子への愛を奪うなぁ!!」

 

 

 

 

 

 ――恋心。

 

 

「おま、え……それ……」

 

「はあ……はぁ……う、っくぅ……」

 

 

 キリカは分かっていない。

 それが愛の告白に等しいことを。

 貴方に心を奪われているのだと、宣言していることを。

 

 

「……ごめ……な……。気付いて、やれ……なくて……」

 

 

 若者は、それに気付かぬほど愚かではなかった。

 例え身体が冷たくなっていこうとも、胸に灯る温かさを知っている彼は、見てみぬふりなんて出来なかった。

 

 

「……なんで、怒らない。なんで憎まない!? ワタシは君を殺そうとしているんだぞ!? どうして君は、そんなに……」

 

 

 ――優しいのさ。

 

 頬を撫でる震えた指。

 それがうつったのか、キリカの身体もまた震える。

 

 

「どんなに、罵られ、ても。殴られて、も。泣いてる女の子には、優しくするもんだ。……爺ちゃんが、そう言ってた。それに……またお前と、喧嘩……たら、織莉……が、悲し――ごぼっ」

 

「あっ、せ、先生く……ワタシ、なんで、こんな――っ」

 

 

 肺も傷付けていたのか、若者は言葉と共に血を吐く。

 思わず手を差し伸べるが、そうしたのは自分であることを思い出し、キリカの手は触れる直前で握られた。

 けれど、そんな彼女に彼は笑いかける。

 

 

「はっ、あ゛……大丈夫、痛く、なくなってきたから……。それにな、お前、間違ってるよ……」

 

「……え?」

 

 

 いつもなら、「はぁ? ワタシの何が間違ってるって言うのさ!」とか。

 もしくは、「中学生に手を出した淫行教師が他人に間違いを説くのかい?」とか。

 そんな嫌味を返すだろう、珍しく素直な少女に向けて、若者は深呼吸。

 

 

 

 

 

「愛ってのはな。本当に大切な人へ向けている限り、無限大、だ」

 

 

 

 

 

 血と、涙と、鼻水。

 おまけに汗と涎で汚れきった、みっともない有様の、男の妄言。

 なのに、それは。

 キリカにとって、その姿は。

 

 

「……それも、お爺さんの言葉かい」

 

「俺の、だよ。今、思いついた」

 

「どうりで重みが無いわけだ。先生君の言葉は軽々しいよ。まるで君の頭みたいだ」

 

「言ったな、この」

 

「痛っ……。なに、するのさ」

 

 

 普段通りで……比べ物にならないほど静かな、口喧嘩。

 頬を優しく抓られたキリカは、無理やり上げられた口端に、三角の目をして抗議する。

 それを見ながら、若者は最後に一つ、大きく笑った。

 

 

「泣いてる顔も、意外と、可愛いけど……やっぱり……。

 怒ってたり、笑って、たり、する方、が……似合ってる――ぞ――」

 

「……なっ!? 何を言ってるんだよ君はっ!? そんな風に君が惑わすから、私は――」

 

「ご――な、――、こ」

 

 

 トサリ。

 キリカの頬へに添えられていた手が、地面に落ちる。

 目の前にある顔は、瞼を閉じ、哀しげな笑顔を浮かべたまま。

 けれど、確かに命の輝きが抜け落ちていた。

 

 

「……先生君?」

 

 

 キリカが呼ぶ。

 けれど、答えない。

 

 

「……先生君っ」

 

 

 肩を掴む。

 首が、かくん、と揺れた。

 

 

「先生、君」

 

 

 再び、呼ぶ。

 動かない。

 

 

 

 

 

(……うごかない?)

 

 

 

 

 

 だれが。

 ――せんせいくん、が。

 どうして。

 ――しんだ、から。

 なんで。

 ――ころした、から。

 

 

『呉はそのままでいいんじゃないか』

 

 

 だれが。

 ――ワタシ、が。

 どうして。

 ――うばわれそうだったから。

 なんで。

 ――くるしかったから。

 

 

『調子に乗るなよ呉』

 

 

 だれが。

 ――ワタシが。

 どうして。

 ――わからない。

 なんで。

 ――わからない。

 

 

『な、なんか、急激に仲良くなってるな、二人とも』

 

 

 だれが。

 ――ワタシが。

 だれに。

 ――先生君に。

 なにをした。

 ――危害を加えた。

 

 

『あれ、君、もしかしてあの時の……。ほら、コンビニでお金落としちゃってた……』

 

 

 だれを。

 ――織莉子の、想い人を。

 だれを。

 ――ワタシの、友達を。

 だれを。

 ――変わらないワタシを、それでも、見つけてくれるかも知れなかった、人を。

 

 

 

 

 

『なんでだ――キリ、カ』

 

 

 

 

 

「……殺し、た?」

 

 

 生温い、真紅の顔料が手に纏わり着いていた。

 赤錆びた鉄の匂いが、鼻につく。

 

 

「あ」

 

 

 殺した。

 

 

「ああ」

 

 

 殺した。

 殺した。殺した。

 

 

「あああ」

 

 

 殺した。

 殺した。殺した。

 殺した。殺した。殺した。

 

 

 

『――あんたが殺したのよ』

 ――ワタシガ、コロシタ!

 

 

 ジャラリ。

 何か、鎖を引きずるような音と、聞き覚えのない少女の哄笑が、聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」

 

 

 

 

 

《パシン》

 

 

 

 

 

「――あ」

 

 



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【呉】スピンアウト編・下の3【キリカ】

 

 

 うぉおぁあああっ!!!!!! マミるぅぅううぅうぅううぅうううっ!!!!!!

 

 

「きゃあっ!?」

 

 

 襲い掛かる“何か”の恐怖に、思わず身体が跳ね起きた。

 ぜい、ぜい、と息を吐きながら自分を確かめれば、全くもって無傷。痛みも感じない。

 

 ――っはぁあああぁぁぁ……。ゆ、夢、かぁ……。

 

 溜め息をつくと、同時に全身の緊張も飛んでいき、ベッドへ倒れこむ。

 ……あれ。なんだこのフカフカ感。俺ん家のはもっと硬いのに。

 

 

「び、吃驚しました……。先生、驚かさないで下さい……」

 

 

 声のした方へ顔を向けると、そこには織莉子ちゃんが居た。

 手にはタオルが握られていて、上半身だけがベッドの上に見えている。

 すぐ側にへたり込んでいるらしい。

 

 あれ? ここって……。

 

 

「はい、私の家です。目を覚ましてくれて良かった……。ご気分はいかがですか?」

 

 

 よくよく辺りを見れば、憶えはあるが馴染みのない部屋。

 時間は、たぶん夜。証明は点いていないが、月明かりが十分に室内を照らす。

 どうやら、本当に美国邸の一室に居るようだった。なんでこんな所に……。

 

 

「……あの、どうですか? 気分が悪いとか、痛む所とかは……?」

 

 

 あ、平気、だと思う。

 なんでここに居るのかは覚えてないけど。

 

 こう答えると、彼女は大きく胸を撫で下ろし、安心した表情を浮かべた。

 

 

「そうですか、良かった……。ところで先生、マミる、ってなんですか? 意味がよく……」

 

 

 いや、俺にも分かんない。

 口をついたって言うか、そう言わなきゃいけない気がして。

 ……にしても、変な夢だったな……。

 

 

「夢、ですか」

 

 

 問い返す織莉子ちゃんへ頷き、俺は夢の中の出来事を語る。

 帰りの道すがら、裏路地に入り込む少女を見かけたこと。

 注意しようとして追いかけたら、変な迷路に迷い込んでしまったこと。

 そして、その先には怪物と戦う魔法少女――キリカが居たこと。

 以降は……何故か思い出せないのだが、随分とおかしな夢を見たものだ。よりにもよってキリカが魔法少女なん……? なんで俺、名前で……。

 

 

「……先生。そのこと、なんですが」

 

 

 妙なことに気付いて考え込みそうになったのだが、それを織莉子ちゃんが呼び戻す。

 見れば彼女は、とても深刻な顔付きでベッドに腰掛けていた。

 

 

「夢じゃ、ありません。先生が見た光景は、全て現実に起きた出来事。そして、私の祈りで“否定”した事柄です」

 

 

 思わず、は? と眉をひそめる。

 現実に起きた……って、どういう事だ。あんなの、実際に起きるはずが無いのに。

 別世界に迷い込んだような迷路。悪魔の如き怪物。魔法少女。どれも空想の産物としか……。

 夢でなければいけないんだ。そうじゃなきゃ俺は――――――なんだっていうんだ?

 自分で自分の考えていることが引っかかる。

 触れてはいけないものに掠めた、ゾクリ、とする感覚。

 でも、それの正体を知ってしまったら――“思い出して”しまったら、俺は……?

 

 

「キリカ、居るんでしょう。さぁ、入って」

 

 

 俺の様子に気付いていないのか、織莉子ちゃんはドアの向こうへ呼びかける。

 しばらくして、おずおずと木製のそれが開く。

 

 

「……し、失礼、します……。あ、の……先生く――」

 

 

 少女の姿が目に入った瞬間。

 襲い来る牙を幻視した。

 

 うぁぁあああっ!! あ、うぁ!?

 

 

「――あ」

 

 

 ベッドから転げ落ち、後ろに這いずって逃げる。

 思い出した。思い出してしまった。

 肉を裂かれる痛み。骨が砕ける音。失われていく体温。心臓が止まる瞬間。

 俺は、殺されたんだ。アイツに――呉キリカに、殺された……!

 全身を恐怖が支配する。手足は震え、呼吸は速く、浅い。

 数メートル離れた場所で唖然と立ち竦む少女が、ただただ、怖かった。

 

 

「……っ、やっぱりワタシは……っ」

 

「待ちなさいキリカ!」

 

 

 くしゃり、顔を歪ませて部屋を飛び出そうとする彼女を、織莉子ちゃんが引き止める。

 叱咤する声に跳ねた少女は、一歩を踏み出したポーズで釘付けに。

 

 

「言ったはずよ。貴方がした事から逃げるのは許さない。……貴方の、気持ちからも」

 

「……だ、だけど、だけど!」

 

「大丈夫、少し混乱しただけ。今度はきっと大丈夫だから。先生なら、きっと。さあ」

 

 

 泣く子をあやすように、優しく背を撫でる織莉子ちゃん。

 その手に導かれて、また彼女が歩み寄る。

 こちらを見つめる瞳はまるで、家路からはぐれてしまった迷い子。もしくは、捨てられて雨に濡れる子犬のよう。

 しかし、そんな弱弱しい彼女が持つ凶器によって、俺は命を落としたのだ。安心なんて出来るはずも無い。

 けれど、もう一方の視線に込められるのは、切なる願い。

 

 ――キリカから、逃げないで。

 

 こう叫ぶ、篤い瞳。曲がりなりにも恋人だ。そのくらいは分かる。

 怖い。怖い。怖い。怖いけど、でも。

 織莉子ちゃんに失望されるのは、それ以上に嫌だった。

 たとえ恐怖に負けても……弱い俺であっても、あの子は許してくれるだろう。仕方ない、と。

 けど、俺が許せない。

 ここで臆病に負けて、織莉子ちゃんに悲しい思いさせてしまったら、俺は一生、自分を許せなくなる気がした。

 

 

『恐怖は命の大切な友人だが、心にとっては、常に打ち克つべき仇敵だ』

 

 

 ギュッと目をつむる。

 硬く握り締めていたシーツを強引に引き剥がし、よろめきながら立ち上がる。

 ゆるい眩暈。

 石のように重い足を引きずり、弾けそうな心臓を押さえて、一歩、また一歩。

 

 

「………………」

 

 

 手の届く距離まで来た。

 少女の身体は震えている。俺と、同じ。

 瞳が怯えに染まっている。これも、たぶん同じ。

 カラカラの喉に唾を流し、覚悟を決めて。

 恐る恐る手を伸ばし――

 

 

「……ふひぇ?」

 

 

 ――ほっぺたを抓る。

 

 

「う……ぃ……」

 

 

 抓る。

 

 

「い、ぎ、ぎ……」

 

「……あ、あの、先生?」

 

 

 ただひたすらに、抓り続ける。

 

 

「――ったいよ!! 何するのさ!?」

 

 

 やがて、我慢できなくなった少女が振りほどき、ほっぺたを擦ってこちらを睨む。

 知っている。

 この表情を。仕草を。声を。ちゃんと覚えていた。

 

 キリ――呉、だよな。

 

 

「それ以外の何に見えるって言うんだよ! 伸びちゃうかと思ったじゃないか……」

 

 

 ぶつくさ文句を言う呉。

 若干――いや、大分しおらしいのは全然違うけど、あの仮面は剥がれていた。

 まだ身体の芯に震えは残っているが、それをあえて無視し、俺は質問をぶつける。

 

 一体、何があったんだ? あれからどのくらい経った?

 あの迷路は、魔女は、魔法少女って何だ?

 

 

「ちょ、ちょっと待って、いきなり質問責めしないでよ、お、織莉子ぉ」

 

「ええと……。どう説明したものかしら……」

 

 

 途中で気が昂ってきたのか、詰め寄る感じになってしまい、呉が織莉子ちゃんに助けを求める。

 彼女も同じく、困った顔で頬に手を当て、すがる視線を窓際に投げた。

 つい、とそれを追いかければ――

 

 

 

 

 

「僕に助けを求められても困るよ。彼には僕の声はおろか、姿だって見えないんだから。説明のしようが無い」

 

 

 

 

 

 ――白い小動物が、人語を解していた。

 赤い瞳と、驚愕が重なる。

 

 

「……ん、あれ。もしかして、僕の事が見えてぷぎゅるっっっ」

 

 

 うわスゲェなんだこの生き物。触り心地が織莉子ちゃんのおっぱいそっくりだ!

 

 窓へ駆け寄り、グワシ、と小動物を捕まえる。

 ぐにゅりぐにゅり、簡単に指がめり込むその感触は、正しく、間違いなく、まごうことなき、おっぱいだった。

 

 

「あ゛、あの、やめて、潰れる、中身が……っ」

 

 

 んーむ、いや違うな。

 織莉子ちゃんのおっぱいはもっと弾力があって、今にも破裂しそうな……。

 

 

「わ、私の胸の事はいいですからっ。離してあげて下さい先生っ」

 

「しろまるの感触は織莉子のおっぱいだったのか……。そうと知っていれば、もっと抱き締めたり顔を埋めたりしたのに……」

 

 

 織莉子ちゃんの「可哀相ですから」という声に、俺は渋々、小動物を開放。

 ベッドへ逃れたソイツは、「酷い目に遭った……」なんてボヤいていた。

 

 

「まぁ、原因の推測はつくし、見えているなら話は早い。

 僕の名前はキュゥべえ。世に不幸をもたらす魔女を狩る、魔法少女の契約を行う者さ。

 そして、そこに居る二人――呉キリカと美国織莉子が、その魔法少女なんだよ」

 

 

 言われて振り返る。

 織莉子ちゃんは楚々と。

 呉は……とても苦々しい顔をして立っていた。

 

 

「あの日、君に起きた出来事を簡単に説明するとだね。

 魔法による精神汚染を受けたキリカによって、君は殺害された。

 その事実を“否定”するために、織莉子は僕と契約し、魔法少女になったんだ」

 

 

 “否定”するため……?

 

 

「そうだよ。契約を結ぶ際、僕はその代償として、どんな願い事でも一つだけ叶えてあげられるんだ。

 織莉子はその願いを、君が死んだという事実の“否定”として祈ったんだ」

 

 

 はぁ……。

 

 説明を受けても、いまいち状況がつかめない。

 とりあえず理解できたのは、魔法少女という物が実在し、それが生まれる際、願いが一つ叶うこと。

 俺は一度殺されて、それを織莉子ちゃんが生き返らせてくれたこと。

 最後に、あの事態は呉が望んで引き起こしたわけじゃなさそう、ということだ。

 ……やっぱ駄目だ。イマイチ納得できない。

 

 

「実際に見てもらった方が良さそうだね。今の君であれば、例外として関わる事も出来る」

 

 

 頭を抱えていたら、小動物――キュゥべえがベッドの上を歩み寄る。

 ちょこちょこ動く可愛らしい仕草に引き寄せられ、俺も腰を下ろす。

 すると彼(?)はこちらを真っ直ぐに見つめ――

 

 

「行くよ。気をしっかり持ってね」

 

 

 ――瞬間、真っ赤な双輪が意識を襲う。

 視界は揺らぎ、方向感覚も失われ、世界が原初の混沌へ。

 唯一、聴覚だけが耳障りな高音を捉えていて、《パシン》という音と共に、それが止む。

 視点が定まり、ついさっきまで居た室内とは違う場所、違う光景が目に映った。

 

 

『――あ』

 

『しっかりしてキリカ! 一体何があったの!?』

 

 

 裏路地。

 俺は二人の少女を見上げている。

 見覚えのある男の前でへたり込む呉と、その頬を張った織莉子ちゃんを。

 

 

「これは僕の視覚と聴覚の情報だよ。慣れないかもしれないけど、すぐに終わるから我慢して」

 

『織莉子……? なん、で……?』

 

『キュゥべえが知らせてくれたの、先生が危ないって……。あぁ、そんな、脚が……先生……あぁぁ……っ』

 

 

 副音声の様にキュゥべえの声が重なる。まるでテレビでも見させられている感じだった。

 茫然とする呉を置き、織莉子ちゃんは男の――俺の身体を横たえ、ハンカチを裂いて目立つ裂傷に巻きつける。

 その後、折れ曲がった脚を近くに落ちていた鉄パイプで添え木し、今度は髪を結うリボンで固定。

 呼吸の有無を確認して、人工呼吸を始めた。

 

 

『しろ、まる……。なんで……』

 

『織莉子の事かい。数日前から、魔法少女にならないかって話しかけていたんだよ。まともに相手をして貰えなかったけど。

 それで、彼女がどんなことに興味を示しているのかを観察していたら、恋人である彼が結界に不正規侵入させられているのを見かけてね。……でも、どうやら遅かったみたいだ』

 

『遅かっただなんて言わないで! キリカッ!』

 

 

 酷く冷静なキュゥべえの言葉に、織莉子ちゃんが激昂。

 スカートのポケットを探り、呉に向かって携帯を放り投げる。

 

 

『奈々瀬さんへ連絡して! あの人なら五分で来てくれるわ!』

 

『……え……で、も』

 

『いいから早くっ!』

 

 

 怒鳴りつける声に、しかし呉は動けない。

 のろのろした動作でボタンを幾度か操作するが、途中で諦めたように止まってしまう。

 

 

『ダメだ、よ……。もう、先生、君は……』

 

『そんなこと無いわ!! お願い、息をして……! んっ』

 

 

 絶望の泥に首まで浸かったような呉。

 対して、織莉子ちゃんはそれを必死に否定しながら唇を重ねる。

 胸の辺りが数回上下し、次に全体重をかけた心臓マッサージ。

 

 

『織莉子。残念だけど、出血がひど過ぎる。彼はもう』

 

『いいえ、いいえっ! まだなんとかなる! キリカ、早くしなさい!!』

 

『あ、うっ』

 

 

 懸命にあがく彼女は、普段の余裕を捨てて呉に檄を飛ばす。

 反射的にボタンを押せたらしく、ワンコールの発信音。

 微かな声が聞こえたが、答えるものはその場に居なかった。

 

 

『お願い、動いて、動いて……動いて、よぉ……』

 

 

 大きな涙をポロポロ零し、縋るように胸骨を押し下げる。

 けれども、俺の心臓は一向に動かないらしく――

 

 

『はぁ……ん、む……ふうぅ……うぅ、っく……うあぁああぁあっ!!!!!!』

 

 

 ――遂には、慟哭が響いた。

 血に汚れるのも省みず、織莉子ちゃんは大切なモノを抱えて泣きじゃくる。

 

 

『どうして、どうして、こんな……。なんで先生が……こんな目に、ぃ……』

 

 

 悲愴。

 それ以外に表現しようがない、悲劇の一幕。

 目を覆いたくなる光景に、しかし、キュゥべえは瞬き一つせず。

 無理やり見せつけられる、愛しい人の悲しむ姿。

 叫びだしそうになった時、不意に視界が動いた。

 

 

『この打撲傷に隠れた裂傷……見覚えがある。

 どれも致命傷には至っていない物ばかりだけど、この鋭利な切り口は僕の知る魔法による攻撃と、とてもよく似ている。

 まさか、君がやったのかい、キリカ』

 

『……え』

 

『あ――』

 

 

 ビクン、大きく身体が跳ねる。

 成り行きを見守っていた呉は、唐突に舞台へ引っ張り挙げられ、またも呆けるばかり。

 

 

『どういう、事なの、キュゥべえ。……キリカ?』

 

『あ――ぁ――う、ぁ――』

 

 

 呉の顔が青くなっていく。

 ナイフを突きつけられたみたいにガクガク震え、僅かに首を横へ振る。

 けれど、瞳の奥に見える怯えは、それが否定ではないと示して。

 

 

『やはり、間違いない。彼の身体には君の魔力残滓が残っている。状況から判断して、彼が死ぬ原因を作ったのは、キリカだ』

 

 

 全く感情の篭もらない――冷徹とすら思えない機械音声が、咎を刺した。

 

 

『………………うそ、よ、ね。ね、キリカ?』

 

 

 織莉子ちゃんが問いかける。反射的に、意味の半分も理解できていない顔で。

 だが、呉は何も言わない。震えるだけで、何も言えない。赤子のように手足を縮め、自分を守ることしか出来ない。

 それが紛れも無い事実だから。

 常に不敵な笑みを浮かべていた彼女を、こんな風にしてしまうくらい、人を殺したという事実は――俺の死は、重かったのだろうか。

 

 

『うそよ』

 

 

 微笑み。

 とても美しい代わりに、見た者の心すらを切り刻む、自傷の笑み。

 抱えた頭に頬擦りし、乾いたはずの血液が、雫で再び粘度を取り戻す。

 

 

『こんなの、嘘よ。嘘に決まっているわ。ええそうよ。嘘、嘘、嘘、うそ、うそ、ウソ――』

 

 

 狂気が連鎖する。

 心を閉ざしても防ぎ切れない、魂の軋む音。

 もう見たくないのに、目を閉じられない。聞きたくないのに、耳を塞げない。叫んでいるのに、声が出ない。

 悲しみに喘ぐ恋人を前にしながら、慰める事も出来ないなんて。

 こんなの、拷問だ……っ。

 

 

『――ない』

 

 

 そんな時、堂々巡りを繰り返す狂ったオルゴールが、変調を来たした。

 哀悼に暮れるだけの声が、重く、暗く――

 

 

『認めない、みとめない、ミトメナイッ!! こんな結末、私は、認めないっ!! キュゥべえぇええ!!!!!!』

 

 

 ――激しく、金切り声を上げる。

 生まれて初めて見る、強く愛するが故の激情。

 ほつれた髪を振り乱し、血と涙でそれを顔に貼り付けながら、彼女は叫ぶ。

 

 

 

 

 

『今日、この場で起きたことを無かった事に――先生が死ななかった事にしてぇぇえええっ!!!!!!』

 

 

 

 

 

 白く染まる世界。

 奏でられる高周波。

 無機質な、『それが君の願いだね』、という言葉。

 織莉子ちゃんの苦しむような声が聞こえた気がして、存在しない手を伸ばし――

 

 

「先生っ!? 大丈夫ですかっ? 先生っ!」

 

 

 ――身を案ずる温かさに、金縛りは解けた。

 何度も大きな呼吸を繰り返し、痛む心臓を落ち着かせる。

 

 っは、ぁ、はぁ、はぁ……な、何……?

 

 

「キュゥべえと視線を合わせた途端、急に微動だにしなくなったものですから……。数秒でしたけど、呼吸まで止まって……。一体何をしたの!?」

 

「怒ること無いじゃないか。信じて貰うために僕の記憶を転写しただけだよ。手間が省けたじゃないか」

 

 

 ……あんなものを見せておいて、“だけ”と来たか……。

 

 たった一言で、俺のキュゥべえに対する認識は固まった。

 コイツは、他人を全く考慮していない。出来るだろうに、無駄だからしないんだ。常に自分の目的だけを優先して行動している。

 相容れないように感じた。

 

 

「こんなに汗が……。今、拭きますから」

 

 

 そして、優しく汗を拭ってくれる優しい少女が、空々しい。

 献身的に尽くしてくれる一方、あれ程までの狂気を孕むことが出来る。

 人の深淵を覗き込んだ気分だ。

 けれど――

 

 

「あっ」

 

 

 ――それら全部をひっくるめて、彼女を抱き締める。

 すると何もかもが吹き飛んで、ただ愛しさだけが胸に残った。

 あぁ、大切な人を抱き締められる。

 吐息を、体温を、鼓動を肌で感じられることの、なんという嬉しさ。

 生きている事の、素晴らしさ。

 

 ……ごめんな、織莉子。あんな想いをさせて。

 

 

「っ! ……先、生……せんせ、ぇ……」

 

 

 首筋に、温かく伝うもの。

 こちらの背中に腕が回り、心の針を合わせるように、きつく、きつく抱き合う。

 ずっとこうしていたい。

 もう一度死ぬまで、決して離れたくなかった。

 しかし、いつまでも感傷に浸っている訳にもいかない。まだ確認したい事がたくさん残っている。

 

 どう、なったんだ? あの後……。

 

 

「……すん。一触即発、でした。私は正気を失っていて、いつ魔法でキリカを攻撃してもおかしくありませんでした」

 

「ワタシとしては、あの場で殺されても良かったんだけどね。しろまるが間に入ったんだ。ワタシにも魔法が掛けられた痕跡がある、って」

 

「その直後、この家の侍従――奈々瀬七里だったね。彼女が駆けつけて、織莉子とキリカ、そして君を回収。

 周囲の洗浄を他の侍従に指示し、今日に至っている。時間的には、あれから三日ほど経過しているよ」

 

 

 そう、なのか……。

 俺は織莉子ちゃ――の、願いで生き返った。けど、普通の状態じゃなくなってる。

 キュゥべえが見えているってのは、そういう事なんだって考えて良いんだよな。

 最初、お前は僕が見えているのかって聞いた。つまり、見えるはずが無いって事だろう?

 

 

「その通り。記憶力は良いようだね。

 僕の姿が見えるのは、魔法少女になる素質を持った少女か、僕が認可した者だけだ。

 こうなってしまった原因はおそらく、織莉子。君にある」

 

「私に……?」

 

 

 キュゥべえの言に、織莉子……なんか違和感があるな。でも慣れなきゃ。

 とにかく、彼女は涙を拭う。

 

 

「死者の蘇生自体、珍しい願いではない。むしろ、魔法少女の歴史の中で数多祈られてきた、ポピュラーな願いだ。

 けれど、極稀に――万に一つの可能性で、魂が魔法少女のソウルジェムとリンクし、魔力が流れこむ事例があるんだよ」

 

 

 ソウルジェム?

 

 

「契約を行うことで生じる、魔法の源さ。

 普通は契約した本人しか魔力は引き出せないんだけど、今の君なら、練習すれば魔力を引き出せるようになるだろう。

 こういった能力を得た人物は、人の歴史にも数人だけ記録されている。例えば、マグダレーナとその夫とかね」

 

「マグダレーナ……。まさか、マグダラのマリアですか? あの復活の奇蹟は、魔法少女の祈りによってもたらされた、と?」

 

「……そう言えば、先生君も三日眠ってた、よね」

 

 

 驚愕の事実に、キュゥべえは「そうだよ」なんて事も無げに返し、俺達は顔を見合わせた。

 復活の奇蹟。彼の救世主は、ゴルゴダの丘で処刑され、三日後に息を吹き返したという。

 それと同じことが俺にも起こったというのか……?

 

 

「あまりに例が少なくて、根本的な理由はまだ解明できていないんだけどね。

 とりあえず、恋愛関係やそれに類する、深い精神的なつながりを持つ男女の間でしか発生していないのは確かだよ」

 

 

 はぁ……。いや、でもなぁ。

 石をパンに変えられても、俺はご飯派だし、水をワインに変えられてもまだ法的に飲めないし。

 そんな能力が使えるようになっても嬉しくないんだけど。

 

 

「……ふふ。先生ったら、もう。でも、何だか安心です」

 

「うん。先生君はどこまでいっても先生君だ。心からホッとするよ」

 

 

 二人とも、それ褒めてないよな? 遠回しに馬鹿にしてるよな?

 

 腕の中と、少し離れて立つ少女達が笑い、釣られて俺も。久しぶりに笑った気がする。

 キュゥべえは「彼にそんな技能あったかな……」と悩んでいるが、ようやく元の関係へ戻りかけた雰囲気に、肩の力が抜けた。

 

 まぁ、俺の事はもういいや。とにかく生きてるんだし。

 呉だって、魔女とか、他の魔法少女に操られてただけなんだろう?

 そうじゃなきゃあんなこと言わないもんな。だったら――。

 

 

「それは違うよ。ワタシは操られていた訳じゃない」

 

 

 しかし、柔らかくなりかけていた顔を冷やし固め、呉が言う。

 操られてなかった? でも、キュゥべえは魔法による精神汚染がどうのって……。

 

 

「確かにあの時、ワタシは魔法の影響下にあったと思う。

 でも、あの行動を引き起こした原因は――君への殺意は、元々“ここ”にあったんだよ。

 自分の事だから、間違えようが無い。ワタシは君を妬み、心を濁らせ……その隙を突かれたんだ。

 魔法少女の力は、精神状態に大きな影響を受けるらしいからね」

 

 

 自分の胸を拳で叩き、淡々と語る。

 心の奥では殺したいと思われていた。

 面と向かってこんな事を言われればショックに決まっているが、しかし、それを素直には認められない。

 誰にだって魔が差す時はあるし、瞬間的に殺したいほど憎む事だってあるだろう。

 でも、それだけだ。呉はそれを魔法でエスカレートさせられただけだ……と、俺は考える。

 胸の内に悪意を抱く事が罪だというなら、人類は全て、生まれながらに悪人だ。

 俺を殺した責任は問わなきゃいけないけど、彼女だけに責を負わせるべきじゃない。

 

 

「ワタシは君を殺した。自分の心を制御できない、どうしようもない弱さがこの事態を引き起こした。これが変えようの無い事実。それでいいじゃないか。だから――」

 

「駄目よキリカ。そんな風に誤魔化しちゃ。言ったでしょう? 逃げないでって」

 

「……けど」

 

「お願いよ。無理やり歪められてしまっただけで、その気持ちは本当に尊いものなの。

 だから、逃げないであげて。それが貴方に対する罰の一つよ」

 

「……分かった、よ」

 

 

 そんな事を思っていると、俺よりも先に織莉子が窘めた。

 結果だけが大切で、その理由なんかどうでもいいと言う呉へ、哀しげに罰を宣告する。

 おそらく、眠っている間に何度も繰り返されたやり取りなのだろう。

 彼女は諦めたように肩を落とし、次に、目を閉じたまま天井を見上げた。

 

 

「最初は……ね。邪魔だなぁ、としか思わなかった。

 いつも織莉子とくっついてるし、すぐに突っかかって来るし、ワタシと二人っきりにさせてくれないし。

 憎らしくて、喧しくて、煩わしくて。どうしようもない人としか思えなかった。……でも」

 

 

 静かな表情からポンポン出てくる身勝手さ。

 場の雰囲気もわきまえず、鼻くそでも飛ばしてやろうかと思ったが、開かれた優しい眼差しに阻止される。

 

 

「楽しかった。織莉子には想いが届かなかったけど、でもね? 三人で騒ぐのは、本当に楽しかったんだ。

 先生君と織莉子を取り合って喧嘩したり、皆でご飯を食べたり、カラオケ行ったり。

 あんな時間を過ごしたのは、初めてだったよ。とても、とても、楽しくて。……とっても、とっても、羨ましかった」

 

 

 想い出を振り返る顔は本当に楽しげであり、彼女を見る俺達にも笑みがうつった。

 しかし、呉はまた下を向き始め、やがて、切なさを声に宿し始める。

 

 

「君の事が、羨ましかった。知りたくなっちゃったんだ。

 大切な人に愛されるのって、どんな感じなんだろう。大切な人と思いを通じ合わせるのは、どんな感じなんだろう。

 最初は、先生君の事だけ。でも、次第に織莉子の事まで羨ましくなった。ワタシも織莉子達みたいに、愛し、愛されてみたい、って」

 

 

 赤裸々に、羨望を呈する呉。

 誰もが人生を送る上で、幾度となく抱くだろう感情。

 性格を考えれば、正直に告げるのなんて抵抗があるだろうに、彼女は、しっかりとそれを見据える。

 

 

「気が付いたら、先生君はワタシの中で、織莉子と同格の存在になってた。胸の奥に焼きついてた。

 織莉子みたいな――太陽のような眩しい明るさじゃなくて。満ちては欠ける――色んな表情を見せてくれる、月のように優しい、先生君が。

 今なら分かる。先生君が名前で呼んでくれたあの時、心を縛っていた魔法は解けた。

 だから、あの時の言葉は本心なんだよ。織莉子にだけ向けるはずだった愛を、君に奪われてしまったのさ。ワタシは。

 ……一応、言っとく。男の人にこんな感情を抱いたのは……初めて、だから」

 

 

 あっさりと、告白された。

 とても自然で、俺に向けているのだと分からなかったくらい、あっさりと。

 驚く暇もないほどに、すんなり胸へ染みこんで来た。

 

 

「それに君は、初めて出会った時、織莉子よりも先にワタシに気付いてくれたじゃないか。多分、あの瞬間からもう、先生君はワタシの特別だったんだ」

 

 

 ……けど、俺はただ、覚えていただけだ。

 たった、それだけで……?

 

 

「そうだよ。たったそれだけで十分だったんだ。……その程度の事が、本当は嬉しかったんだ」

 

 

 小さな微笑み。

 薄闇の中、差し込む月明かりがそれを彩る。

 腕に恋人を抱いているというのに、見惚れてしまった。

 ……綺麗だった。

 

 

「でもね。そんな風にどっちつかずだったから、分からなくなっちゃった。

 ワタシが愛したのは織莉子。愛したいと思ったのも織莉子。だけど、これから愛していきたいのは? 愛されたいのは?

 愛するだけで満足だったはずなのに、それ以上を望んでしまったから。……その隙を、誰かにつけ込まれて。ワタシは、君を……」

 

 

 頬を伝う銀の糸は、見事に少女の可憐さを際立たせ、芸術の域にまで届かせる。

 惜しむらくは、それが瞬く間に、自責の念で歪んでしまったこと。

 

 

「酷いだろう? ワタシは、織莉子を愛せるような強いワタシになりたくて、違う自分になりたくて、魔法少女になったのに。

 いつの間にか、分不相応にも愛される事を望んでたんだ。

 あの頃と何も変わらない……ひたすら、誰かがこの気持ちに気付いてくれるのを待ってる、弱い子供のままだった……。

 挙句、織莉子の一番大切な人を奪って、ワタシのせいで織莉子は魔法少女なんかに……! 許されていいはずがない……!!」

 

 

 凍えるように身体を抱きしめ、呉は懺悔する。

 聞かされているこちらが、痛々しさに耐えられなくなる、心の底からの後悔。

 思わず、届かないのにその涙を拭おうと、手が伸びて――

 

 

「ええ。私は、貴方を許さない」

 

 

 ――間近から放たれた冷酷な言葉に、それは萎縮してしまう。

 見れば織莉子は、厳しいとも、哀惜に暮れるともとれる、静かな表情。

 そのまま俺の腕を抜け出し、彼女は呉へ歩み寄る。

 

 

「どんな理由があれ、貴方が先生を一度殺したのは事実。絶対に、許さない。

 貴方にそんな事をさせた下種にも、必ず報いは受けさせる。でもその前に、キリカにも罪は償って貰うわ」

 

 

 背筋に怖気が走った。

 地獄の最下層を思わせる、深い、深い――果てしなく深い冷気。

 呉が俺に向けたものとは真逆の、冷静さから生まれる、白い殺意。

 

 

「……良かった。織莉子にまで許されそうだったら、後は勝手に自殺でもするしかなかったからね」

 

 

 しかし、向けられているはずの呉は、何故か安心したような顔を見せる。

 罰を与えられなければ、自ら死を選ぶしかないと。

 そこまで、追い詰められていたのか。追い詰めていたのか、俺は……。

 

 

「さぁ、何でも言っておくれ。

 この街を去れというなら、今すぐ地球の反対側へ飛ぼう。

 代わりに魔女と闘えというのなら、魂が燃え尽きるまで戦おう。

 改めて死ねというなら、ここで――だと迷惑がかかるね。適当な場所で自害しよう。

 だから、永遠に許されなくてもいいから」

 

 

 全てを受け入れる証に、両腕を広げ。

 そして、罪を確かめるように、祈るように手を組み合わせ。

 ――乞い、願う。

 

 

 

 

 

「どうか、ワタシに罰を」

 

 

 

 

 

 ……違う。呉が求めているのは、罰じゃない。

 本当に欲しいのはきっと、救い。罰という名の救済。

 ここで彼女を害してしまっては、何にもならないんだ。

 傷付けられたから傷付け返すんじゃ、それこそ永遠に救われない……!

 

 待ってくれ織莉子、俺は!

 

 

「大丈夫です。私の事を、信じて下さい」

 

 

 冷たい怒りに囚われていると思われた織莉子は、意外にも柔らかく振り返る。

 出会ってから数限りなく見てきた――俺の惚れた、咲顔。

 信じたいと思わせてくれる、力強さ。

 

 

「キリカ。貴方には……」

 

 

 しかし、完全には不安を殺せず、固唾を飲んで二人を見守る。

 言葉を区切り、大きく深呼吸。

 そうして、織莉子の口から告げられたのは――

 

 

 

 

 

「先生の愛人になって貰います! 貴方は永遠の二番手よ!」

 

 教育的指導ぉぉおおおっ!!!!!!

 

「きゃひんっ!」

 

「……は……ほ……へ???」

 

 

 

 

 

 ――それなんて昼ドラ? な、酷い罰ゲームだった。

 なんだ。なんだ。なんなんだ。何を言いやがったこの美少女は。

 シリアスな空気が一瞬でシリアス()になっちまったじゃないか。思わず初めての物理的突っ込みしちゃったじゃないか。

 どうしてくれるこの失速感。どうしてくれるこの凄絶な肩透かし。

 呉の顔がハニワみたくなってるぞ?

 

 

「た、叩かれました、枕で叩かれました! お父様にも叩かれた事なかったのにっ。人生初ですっ。私、嬉しいです!」

 

 

 ええい喜ぶなこのMっ娘ぉ!! どこをどうやったらそんな結論に達するんだよ!?

 

 

「三日三晩寝ずに考えて辿り着いた結論ですっ。先生だってキリカの事は憎からず思っていますよね? だったらいけます、妻妾同衾!」

 

 

 自信満々に浮気を推奨するなぁああ!! ああもう、とにかくやり直しだ、撤回しろこのおバカ!

 

 

「やです! どうしても嫌だと言うなら、私がキリカと関係を持ちます!

 そうしないと、キリカはどこかへ逃げちゃいますっ。

 これ以外で三人一緒に居られる関係は無いんです、撤回なんてしません!」

 

 

 そんなの詭弁だ! ただの屁理屈じゃないか!?

 

 

「屁理屈でもなんでも良いんですー! 私は絶対に譲りませんから!」

 

 

 予想の斜め後ろな提案に詰め寄るも、織莉子は一歩も譲らず、遂にはバイセクシャル宣言まで。

 どうしちゃったんだこの子は? 魔法少女になってネジが飛んだのか? それとも俺が死んでおかしくなっちゃったのか?

 いずれにしても俺のせいじゃん。久臣さんと奈々瀬さんになんて謝ればいいんだ……!?

 

 

「……ふ」

 

 

 ――と、ギャグ時空に呑まれかけた部屋に、小さな声。

 発生源の方向を確かめれば、俯き、身体を震わせていた少女が――

 

 

「ふざけないでよ! なんなのさそれはっ!?」

 

 

 ――怒りに満ちた瞳で、俺達を睨みつけた。

 

 

「馬鹿にしてるのかいっ? そんなのが罰として通るわけが無いだろう!? ワタシは先生君を殺したんだ! 織莉子の、大切な人を……!

 それだけじゃなく、君をこっち側に引き込んだ……。人としての幸せまで奪ったんだよ!? それなのに……っ」

 

 

 全身の毛を逆立てて、猛り狂う呉。

 もっともなお怒りにも見えるが、気になる言葉があった。

 人としての幸せ。

 それはまるで、未来に絶望しか待ち受けていない――何をした所で幸せになれないと、哀しんでいるようで。

 

 どういう事だ? 人としての幸せを……って。

 

 

「……先生君、魔女って覚えてるかい」

 

 

 ああ、と頷く。

 忘れようはずがない。あの迷路の奥で遭遇した、色とぬいぐるみの塊。

 キュゥべえは世に不幸をもたらすとか言っていたが……。

 そういえば、俺を穴に蹴落としたゴスロリ(くまパン)少女。アイツがこの件の黒幕なんじゃ……。

 

 

「魔法少女はね、ソウルジェムを介して魔法を使う。でも、使い過ぎたり、負の感情を溜め込んだりすると、穢れという濁りを生むんだ。

 それが限界に達した時、魔法少女は……魔女になる。ワタシ自身、堕ちかけたから分かる。間違いないよ。

 ワタシは知らされていなかった。織莉子は知る暇すらなかった。一度なってしまえば、もう戻れない。知ってさえいれば……!」

 

 

 ……何?

 

 しばらく、その言葉が理解できずに唖然とし、意味が分かった途端、鼓動が加速し始めた。

 魔女に、なる。魔法少女が。織莉子が。呉が。あの怪物に。

 無意識に顔を向けると、愛らしくベッドへ座り込む“それ”は、さも当然だというように頷く。

 

 

「知らなくてもどうにかなるからね。魔法少女は、そのポテンシャルを維持するために、ソウルジェムの浄化を常に行う。

 事実関係を認識していなくても予防は出来るわけだ。詳細を伏せたところで、何も問題は――」

 

 

 ……っ! ふざけるなよ!

 

 赤熱した感情のまま、キュゥべえに掴みかかる。

 簡単に捕らえられた小動物の首を締め上げるも、そこは発声器官ではなかったのか、呆れた声が。

 

 

「君達はいつもそうだね。

 明確な対処法があるというのに、人としての姿や意識が失われる可能性を知ると、決まって同じ反応をする。

 訳が分からないよ。どうして人間はそんなに、回避できる結末を怖がるんだい」

 

 

 そういう問題じゃないっ!!

 

 奥歯がギシリと軋む。

 もしも視線に熱量があったなら、とっくにこの部屋は業火に包まれているだろう。

 織莉子達が、怪物になってしまう可能性がある。

 あんな理性の欠片もない、生命を害するためだけに存在する、おぞましいモノに。……俺の、せいで。

 怒りが在った。

 なんの説明も無いまま、二人を魔法少女にしたキュゥべえへの。

 そして、こんな事態を招いた元凶である自分自身への、激しい怒りが。

 八つ当たりに等しいそれを、丁度良くぶつけられる存在が助長し、握り潰そうと力が篭もり――

 

 

「先生、止めて下さい。怒って頂けるのは嬉しいですけれど、キュゥべえを苛めないであげて」

 

 

 ――添えられる優しさに、ハッとする。

 

 なんで止める!?

 コイツは君を、織莉子を……!

 

 

「キュゥべえが居なかったら、私は先生を助ける事が出来ませんでした。

 その一点だけで、私にとっては恩を感じる存在なんです。

 それに、例え知っていたとしても、私は絶対に契約しました。だから……」

 

 

 慈悲深い嘆願に、憎しみの炎が静まっていく。

 憎悪自体は消えずに残っているが、意識を焼き尽くそうとする熱は、徐々に引いていった。

 

 ……どうして。どうしてそんな事が言える。

 俺のせいで君は、怪物になってしまうかも知れなくなったんだぞ?

 なんで怒らないんだ。なんで憎まないんだ!? なんで……っ。

 

 

「……私は、先生を愛しています。

 先生さえ生きていてくれるのなら、いくらでもこの魂を捧げます。

 末に待ち受けるのが、化け物としての死であったとしても同じこと。

 その程度の絶望で私の想いが潰えると思ったら、大きな間違いです」

 

 

 キュゥべえを投げ捨て、行き場のない感情を喚く俺に向けられたのは、聖母の如き献身。

 魔女へ身をやつすかも知れない未来を、その程度と言ってのける、愛の深さ。

 そのまぶしさに、目が眩んだ。

 あぁ、思い出した。このやり取りは、あの時と同じだ。呉の事を名前で呼んでしまった、あの時と。

 彼女も、こんな気持ちだったのか。

 大き過ぎる優しさは、こんなにも嬉しく、こんなにも胸を抉るのか。

 

 

「だったら尚更だ。織莉子、君の先生君は一人。この世にたった一人しか居ない。共に過ごせる時間だって有限だ。

 なのに、何でそれを分け与えようとするのさ? とても正気とは思えない……っ。同情なら、やめておくれよ……。これ以上、惨めになるのは……」

 

 

 心で感じる重みに耐えていると、呉がまた説得を試みる。

 今までの彼女からは信じられない、強い否定の言葉。

 しかし、強がりを維持するのも難しいのか、肩を落とし、気勢も削がれていく。

 

 

「ねぇ、キリカ」

 

 

 それを受けた織莉子は、一度、俺の手をギュッと握り、名残惜しそうに離れる。

 こちらに背を向け、呉に真っ直ぐに向き合い、彼女は胸を張った。

 

 

 

 

 

「愛される喜びを知った女が、狂わずにいられると思う?」

 

 

 

 

 

 壮絶な宣言だった。

 私は既に狂っていると。愛を知った時から狂っているのだと。

 愛が全てを狂わせた。全ては愛のせい。

 

 ――だから、何も悪くない。私も、貴方も。

 

 織莉子はこう言っているのだ。

 そんな意味を内包しているのだと、何故か確信できた。

 

 

「私はね、キリカ。先生と出会ってから気付いた事があるの。それは、私がとっても欲張りだっていうこと。

 欲しいものの為なら、どんな努力だって出来る。どんな我慢だって出来る。

 そして、せっかく手に入れたものを手放すのも、絶対に嫌。だから、私から逃げられるとは思わない事ね?」

 

 

 輝かしい演説はまだまだ続く。

 普通なら恥ずべき事を、それでも誇らしいと、笑顔を振りまいて。

 差し伸べられた手に誘われて、俺は二人の側へ。

 更に輝きを増す希望と、また指を絡ませる。

 

 

「先生は私の一番大切な恋人。貴方は私の一番大切な友達。どちらが欠けても私は苦しむ。なら、両方とも手に入れるわ。

 そして、共に在るなら幸せになって欲しい。キリカにも知って欲しい。愛される喜びを。想いが結ばれる奇蹟を。

 ……確かに、先生が他の女の子と仲良くするなんて、ちょっと辛いけど。

 貴方だったら許せるし、先生ならその分、私を深く愛してくれるって信じているもの」

 

「だ、だから、そんな事する必要は無いんだってば!

 君が我慢する必要なんて無い。君が先生君を独り占めするべきだ、先生君も織莉子を独占するべきなんだ。

 ワタシは、お邪魔虫なんだから……。愛される資格なんて……愛する、資格なんて、もう……」

 

「いいえ。いいえ、違うわ」

 

 

 己に差し出された手を、呉は取れない。

 どこか怯えた表情で、自分には必要ない、と。

 救いを求めておきながら、いざとなると救われる自分を許せない。

 そんな、素直になりきれない少女へ、織莉子は――

 

 

「誰かを大切と想う事に、資格なんて要らない。

 人の心はそんなものに縛られないわ。

 だから、貴方はそれで良いの。

 想うままに人を愛して、良いのよ」

 

 

 ――自身の信じる、愛を説く。

 それは、愛することから逃げないでと、言っているように聞こえた。

 

 

「……む、無茶苦茶、だよ……。ワタシ、は……どうしようもない、バカなんだよ?

 織莉子だけを愛すると決めたはずなのに、貫けなくて。勝手に先生君に嫉妬して、命まで奪った!

 君みたいに誰かを救うためじゃない。自分に自信が無くて、こんなワタシを好きになっては貰えないから、奇蹟に頼った、優柔不断な、弱虫、で……」

 

 

 呉は、自分を否定する言葉を重ね、何度も、何度も、首を振る。

 織莉子は、そんな彼女へ優しく、慈愛の眼差しを注ぐ。

 

 

「……そんな、ワタシ、でも……」

 

 

 やがて、頑なだった心は解けて――

 

 

 

 

 

「君達の、事を……愛して、いい、の?」

 

 

 

 

 

 ――愛したいと言う少女の、素顔が見えた。

 織莉子と顔を見合わせ、どちらからともなく微笑み合う。

 この場にそぐうのはきっと、言葉なんかじゃない。それが分かったから、俺達は彼女を迎え入れるよう、腕を広げる。

 

 

「あぁ……ぁ、あ……」

 

 

 ヨタヨタと歩み寄ってくる。

 まるで、夜道を彷徨っていた迷子が、ようやく見つけた光へ誘われるように。

 両手を伸ばし、雨に頬を濡らせて。

 触れられる距離に届いた瞬間、彼女は首っ玉へかじりつく。

 二人掛りでそれを受け止め、泣きじゃくる背中をあやす。

 握ったままの手と、首に巻きつく腕。それ等の体温を感じながら、俺は思う。

 あぁ、人間は恐ろしい、と。

 

 愛と憎しみ。

 友情と敵意。

 男と女。

 一人だけを想う事が大切であり、愛は無限に有限だと叫んだ呉。

 全てを赦す寛容さを持ち、愛を縛れるものはないと説いた織莉子。

 愛と友情の狭間で迷い、大切なものを傷付けながら、二人を想いたいと言った呉。

 愛したものにはどこまでも優しく、それを傷付ける輩には冷徹な敵意を向けられる織莉子。

 

 数限りなくあげつらえる、矛盾の中で生きる生命。

 どこを探したって、これほど理に適わない存在は他に無いだろう。

 しかし、だからこそ。

 矛盾の中で生まれ続ける人の想いが、この世界を創ってきたのだ。

 人は神にも、悪魔にもなれる。

 全てを生み出す両極の可能性を持つ、人間という生き物が恐ろしい。

 何より恐ろしいのは、俺の腕の中で、その矛盾を体現する少女達。この二人をすら愛おしいと思ってしまう、自分自身の節操の無さだった。

 

 

「さ、もう泣かないで? ちゃんと仲直りしましょう、キリカ」

 

「ずびっ……う、うん゛……」

 

 

 ようやく落ち着き始めた呉をベッドへ座らせ、織莉子が微笑む。

 俺も腰を下ろし、その間には彼女が入るのだが、仲直りってこれ以上に何をするつもりなのだろうか?

 それを尋ねてみると、月光に輝く満面の笑みが返り――

 

 

「もちろん、皆で仲直りのキスです。さ、先生。まずは私達ですよ? ん~……ん゛にゅ」

 

 

 な、ん、で、そ、う、な、る?

 

 ――近寄ってきたキス顔を、遠慮なく両手で押し潰す。

 どういう判断だよ。羞恥心と道徳観念を道頓堀に投げ捨てたのか君は。

 そしてなんでぶっちゃぶれても可愛いんだよ君は。

 

 

「や、やえてくらさい、しぇんしぇい、い、痛いれすぅ……」『あ、先生に思いきり苛められてる……。新・感・覚……!』

 

 

 拘束を逃れようとする彼女からは、心の声(と思しきもの)まで聞こえてきた。

 気のせい、か? ……どっちにしても本気で喜んでるだろう。

 少しマゾっ気あるんだよな、この子。Hの時もちょっと強引にすると嬉しそうにしてたし。

 俺だってそりゃあしたいのは山々だけど、なーんか腑に落ちない。ホントにさっきの聖母様と同一人物か?

 

 色々理由つけてるけど、結局は自分がしたいだけなんじゃないのか? 織莉子。

 

 

「そうとも言いますね。でも、先生が悪いんですよ?

 本当は先生が目を覚ましたら、いの一番にキスをしたかったのに、変なことを叫んで驚かせるから……。

 起きている先生とはまだ出来ていなくて、寂しいんですもの……」

 

 

 唇を弄り、物欲しそうな表情。

 求められるのは男として嬉しいんだけど、でもその言い方はちょっと引っ掛かる。

 なんか、寝ている間にしこたまキスされてないか? 俺は白雪姫じゃねぇぞ……。

 

 それは分かったけど、呉も見てるしさ……。魔法少女に負の感情は良くないんだろ?

 俺と織莉子がキスしてるのを見たら、ソウルジェム……だっけ。濁ったりしないか?

 

 

「ん……大丈夫だと思う。君達はもう、ワタシにとってこの上なく大切な二人だ。

 ちょっと前のワタシなら、歯軋りしながら睨みつけて魔女に八つ当たりしただろうけど。

 今なら幸せそうにしているのを見たところで、こっちも幸せなだけだよ」

 

 

 ということは、濁ってたのか今までは。難儀な存在だな魔法少女って。

 ……ん、そう言えば、魔女って魔法少女が……それを倒すって、事は。……いや、後でしっかり確認しよう。

 魔法少女の事や、魔女の事。それに、ソウルジェムの浄化方法。全部調べて、俺に出来る事を考えよう。

 キチンと考えるけど、でも、今だけは。

 

 

「ほら、お許しが出ましたよ、先生。《我慢しないで》……ね?」

 

 

 胸板にしな垂れかかり、猫なで声で甘える織莉子。

 ……これは、断れなさそうだ。状況的にも、心情的にも。

 諦めたような心持で肩を抱き、顎を持ち上げる。

 眠りへ落ちそうに目が細められ、やがて完全に閉じられた。

 

 

「んむ……んぅ……ちゅ……」

 

「ぅ、ゎ」

 

 

 久しく味わっていなかった唇を堪能する。

 吸い付き、挟み込み、舐め上げ、つつく。

 舌を絡ませて唾液も交換し、互いを味わい尽くす。

 傍から見れば生々しいのだろう、呉の息を飲む声が聞こえたが、織莉子に夢中で気を遣えなかった。

 

 

「ふ、あ、は、はう……。せんせぇ……」

 

 

 涎の糸を引きながら離れれば、織莉子は蕩けた顔で首筋に頬擦り。

 それほど長くはなかったキスなのに、もう満足してしまったようだ。

 求め合うキスによっぽど飢えていたのか、この子がエロく敏感なだけか。……両方の気がした。

 

 

「ぅぅ……」

 

 

 ふと、寂しそうな鳴き声。

 顔を向けると、そこには「ワタシも構って」と幻の耳と尻尾をピコピコさせる子犬。

 何故だろう、やけに可愛い。色んなところを撫でくり回して、喜ばせてやりたい衝動に駆られた。

 と、そんな時、織莉子が僅かに身を起こす。

 

 

「あ……ごめんなさい。次は貴方の番よね、キリカ」

 

「……えっ!? わ、ワタシも? まさか、先生君と!?」

 

「仲直りって言ったでしょう? 当然よ」

 

 

 今さっき気持ちを確かめ合うキスをブチかましたばかりだというのに、なんと彼女は浮気キスまでしろと要求してきた。思わず口があんぐりである。

 本当にどうしちゃったんだ。さっきから妙にテンションも高いし……。

 もしかしたら、本当に三日三晩寝てなくて、正常な判断が出来てないだけなんじゃ……?

 そうだ。なんの脈絡も無く恋人が死に、しかも手を下したのは親友。命を救うために人を超えた存在になり、いつ目覚めるかも分からぬまま看病を続ける。

 ストレスでおかしくなっても変じゃない――というか正常を維持できる方がおかしい。

 やはり、こちらが自重するべきだろう。

 

 あのさ、男としては満更でもないんだけど、恋人の目の前で浮気って言うのは……無理。

 呉はとっても魅力的だと思うよ? でも……な?

 

 

「そ、そうだよ、先生君の言う通りだよっ。

 織莉子だってさっき言ってたじゃないか、他の女の子と仲良くされるのは辛いって。

 先生君の事も……愛してるけど、魅力的って言って貰えただけで、とりあえずは……ね?」

 

 

 困ったような笑みにうんうん頷き、「愛してる」の一言に、ん!? と吃驚していると、織莉子は清々しい表情で言い放つ。

 

 

「あら、大丈夫よ。確かに想像すると胸がシクシク痛むんだけど、それ以上にお腹の奥がキュンってするの。だからむしろ大歓迎?

 もちろん、相手がキリカの場合だけで、知らない女性とだったらどうやって排除するか百通りくらい考えてしまうのだけど」

 

「そんなニッチな性癖のカミングアウト聞きたくなかった……っ! ワタシの中の織莉子像がどんどん穢れていくぅううぅ……っ」

 

「現実なんて、えてしてそんなものよ、キリカ。トイレに行かないアイドルは居ないし、サンタクロースはグリーンランドにしか居ないわ」

 

「ぅえっ!? 実在するの!?」

 

 

 悟った言い方だけど決して誤魔化せてないからな? ちなみに本当に居るぞ、百人近く。

 

 全くもってどうしよう。恋人が想像以上に奔放だった。しかも性的な意味で。

 寝取られ好きとか予想外にも程があるぞ。Mっ気もそこまで行きゃあ大したもんだよ。絶対に褒めねぇけど。

 呆れてものが言えない俺と、ベッドに手をついて現実の厳しさに打ちひしがれつつ、「サンタさんが……」と呟く呉。

 それを見てもまだ諦めないのか、彼女はまだ言い募る。

 

 

「うーん……。じゃあ、こう考えてみて? あなたは先生とキスするんじゃなくて、私と間接キスするの」

 

「へ? 織莉子と、間接キス?」

 

「ええそう。貴方は先生を通じて私と重なる。

 先生の唇に残っている体温を感じ、柔らかさに触れて、甘い蜜を吸うのよ。

 さぁ、素直になって。キリカは《自分を偽れない》。私と間接キス……したくない?」

 

「……し、したい、けど……でも……あの……急に、男の人と、なんて……恥ずかしぃ……」

 

「大丈夫。すぐにキリカも夢中になれるから、安心して。ふわふわで、ぽかぽかで。とっても幸せな気持ちになれるわ」

 

「ふわふわ……。ぽかぽか……」

 

 

 お、おい呉? 口車に乗るなよ? それは悪質な思考誘導だぞ!?

 

 座る場所を変えた織莉子が、呉の隣で蛇の如く誘惑する。

 肩に手を置かれた彼女は、まるで催眠術にでもかかったように、ぐるぐるした眼で俺を見つめた。

 ……正直に言えば、呉の事は可愛いと思っている。手篭めにして許されるなら、メチャクチャにしてやりたいという欲求もある。

 だが、それは邪な願望だ。

 どんなに可愛らしく感じても、俺にはもう恋人が居て、添い遂げたいと考えている。

 例えその恋人からお許しが出ていたとしても、実際にしでかしてしまえば、結婚への道は今度こそ閉ざされてしまう。

 

 

「……先生君……」

 

 

 く、来るな……っ。いくら織莉子が許したからって、久臣さんにはどう説明すればいい?

 娘さんの了承を得てから浮気しました? ふざけんな、俺だったらどんな手段を使ってもブチ殺すわ!

 いや、それより前に奈々瀬さんにバレて、悲しみの向こうへかっ飛ばされる……っ。

 どう誤魔化すつもりだよ? 俺は未来のお義父さんにこれ以上の隠し事するなんて嫌だぞ!?

 

 

「それもちゃんと考えてありますよ、先生。私の能力、《事象否定》は、既に発生した事柄に限りますが、触れた対象のあらゆる事を否定できます。

 物理的な損壊から、価値観の否定による一時的な暗示も出来ますし、相打ち覚悟なら存在そのものまで消し去れます。

 なので、見たものを見ていない事にするくらいは御茶の子さいさいです。むしろ前より誤魔化しやすくなりましたね♪」

 

「……間接、キス……」

 

 

 力尽くで問題を解決するのは先生どうかと思うなぁ!?

 

 随分と都合の良い能力へ戦慄し、ベッドの上を這いずって逃げる。

 四つん這いになってにじり寄る呉の瞳は潤み、その背後で黒幕がたおやかに微笑む。

 た、性質が悪い。考えていた以上に腹黒い。このままじゃあ、本気で浮気を強要される……!

 

 やっぱ駄目だ! これ以上、人としての道を踏み外すわけには……っ!

 

 

「往生際が悪いです先生っ。さぁキリカ、間接キッスよ!」

 

「ふわぽか……」

 

 

 おいこらっ、駄目だってば――んぐっ。

 

 

「ん」

 

 

 なにか、理不尽で非常識な生き物達のトレーナーみたいな号令と共に、呉が圧し掛かってきた。

 抵抗する間もなく押し倒され、無理やり唇を奪われる。

 

 

「っ、あ、むぁ、んう、ぅ」

 

 

 ぷっくりとした柔らかさを、ただ重ねるだけの幼いキス。

 それが段々と貪欲になり、吸いつかれ、挟みこむように。

 もどかしくて口を開けてしまうと、おっかなびっくり、可愛らしい舌が口内をつつく。

 

 

「――んふっ!? んっ、ん!」

 

 

 反射的に、こちらから舌を絡めてしまった。

 織莉子よりも中が熱い。

 織莉子よりも舌が小さい。

 織莉子よりも八重歯が大きい。

 そんなことしてはいけないと分かっているのに、記憶が勝手に比べてしまう。

 恋人に見られながら、その親友とキスをする。

 普通では体験しようのない異常な行為に、抵抗する意志を奪われていく。

 

 ……嘘だ。初めから抵抗する気なんて無かったくせに。

 肩を押さえる手も、上に乗る身体も、跳ね除けようとすればいつでも出来た。

 口先だけで常識を説き、その実、こうなるのを期待していたんだ。

 なんて、ろくでもない。

 

 

「んー、ん~、っはぁ、は、はう、先生、君……」

 

 

 なのにどうして、そんな人間の名を、甘く呼ぶ。

 眉を下げて、眼を細め、寂しそうに舌を離すんだ。

 

 

「これが、キス……凄い……」

 

 

 夢見心地といった様子で、呉が呟く。

 こんなどうしようもない男を愛するのが、嬉しいというのか。

 なんでそうまでして、女は愛に生きる。

 分からないのに、そんな彼女が、愛おしくて仕方ない。

 

 

「……先生っ、んむ、ぅ!」

 

「あ、織莉子……」

 

 

 唐突に割り込むもう一人の女。

 今度こそ、無理やりに唇を奪われた。

 

 

「ん、ふむぅ、んっ、ちゅ、んっぷ」

 

 

 先程の優しいキスとは正反対の、貪るキス。

 ひたすらに快感を求める、恥も外聞も無い、本能の姿。

 

 

「はふ、ちゅる、んぱぁ、はぁ……あ……」

 

「わ、ワタシも、もっと……ん……」

 

 

 息継ぎの合間を縫って、また呉が。

 こちらもさっきまでと違い、積極的に男を求める。

 

 

「んは、ぁ、先生、ん、好き、んっ」

 

「はぁ、む、ん、せんせ、んぅ、くぅん」

 

 

 織莉子としている間、呉は頬や首筋に舌を這わせ、呉としている間、織莉子が耳を甘噛み。

 胸板に二組の柔らかさが押しつけられて、四本の手で身体中をまさぐられる。

 三人分の吐息が重なり、愛に爛れた雫となってシーツを汚す。

 息苦しいほどの欲をぶつけられ、欲情がせり上がる。

 

 

「ん……っ!? お、織莉子、これ……っ!」

 

「え? ……あ、喜んでくれたんですね、先生。嬉しい……」

 

 

 気付かれた。

 身体を押し上げられ、呉はしどろもどろになりつつ、それを凝視。

 対照的に、織莉子は蕩けるような顔で手を伸ばす。

 普段の印象とは真逆の対応を見せる、二人の少女。数少ない共通点は、向けられる愛情と、美しさ。

 もう、我慢できない。

 

 ――等――いな――。

 

 

「……先生?」

 

「わ、ぁ、こんなおっきく……」

 

 

 お前等みたいな美少女にキスされて興奮しない男がこの世に居るかぁぁあああっ!!!!!!

 

 

「きゃっ!」

「ひあっ!」

 

 

 雄叫びを上げながら、全力で二人をひっくり返し、押し倒す。

 上下が入れ替わり、俺の下には、驚くばかりの愛人(予定)と、これから何をされるのかとワクワクしている嫁(未定)。

 世の中、不公平だ。

 なんでこんなエロ娘に誘惑されて、実際にしたら逮捕されるのは男だけなんだ?

 全部こいつ等のせいじゃないか。こんなにエロくて、可愛くて……愛しくて。

 駄目だ。イラつく、ムカつく、ムラムラする。この衝動を、我慢していられない……!

 

 もう、いい……。久臣さんも奈々瀬さんも法律も世間体も知ったことかぁ!!

 ドロッドロになるまで犯してやるからな、このエロ中学生共ぉおおっ!!!!!!

 

 

「きゃー! 先生のケダモノー♪」

 

「え、えっ、ワタシも? ……やんっ」

 

 

 嬉しい悲鳴を上げる織莉子と狼狽える呉へ、服をばら撒きながら襲い掛かる。

 後悔先に立たず、とはよく言ったもので。

 数時間後の罪悪感も鑑みず、俺は、自らの性欲を暴走させるのだった。

 

 

 

 

 

「ねぇ、三人とも。お邪魔なようだから、僕はそろそろ帰っても良いかな。

 ……聞こえているかーい。……聞いてないよね、どうせ。失礼させて貰うよ。せいぜい楽しんでおくれ……」

 

 

 

 

 



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【加害者は】少女K・Kの場合【どっちだ】

 

「うわ……これ、が、男の人の……」

 

「ふふ、怖がらなくても大丈夫よ。すぐに愛しくて堪らなくなるから」

 

「ホントかなぁ……」

 

 

 全裸になった男の股座に、二人の少女。

 誰もが眼を奪われるその美少女達は今、気安い会話と裏腹な行為をしようとしている。

 眼前にそそり立つのは、男の象徴。

 ベッド上に腰掛ける俺の前で、織莉子と呉はそれぞれに座り込み、吐息へ反応する竿を凝視していた。

 

 

「それじゃあ、まずは私がお手本を見せるから。よく見ていてね」

 

「う、うん……」

 

 

 素直に頷く呉へ微笑み、織莉子が顔を寄せた。

 細い指が掛かり、一瞬だけこちらに視線を投げた後、躊躇いなくそれを頬張る。

 

 

「はぅむ、んっ……ん……ふ……んふ」

 

 

 湿り気が先端へ覆い被さり、その熱が快感を生み出す。

 慣れた舌遣いが絡まって、やわい唇が竿を上下に。

 

 

「ふは、おいひ……ぇる、ん、ちゅう、じゅるっ……はふ」

 

 

 落ちてきた髪を上げながら一度吐き出し、唾液でテカる先端の穴をほじる。

 跳ねる竿に吸いつき、啜りながら指がしごく。

 

 

「んく……ん……ん゛……んちゅ」

 

 

 まだ両手で数えられる位しかさせていないというのに、そのテクニックは熟達していた。

 何も言わずとも望まれることを察し、巧みに刺激を変えて悦ばせようと愛情を注ぐ。

 俺が駄目になったのは、きっとこの溺愛のせいもあるだろう。

 

 

「ぷあ、ふぅ……。キリカも、したい?」

 

「……ゎ……え、え!? ワタシ、は、その……」

 

 

 織莉子が場所を空けて、呉に尋ねる。

 眼を皿の様にして観察していた彼女は、織莉子と竿とを見比べ、長く沈黙。

 そして、おずおず手を差し出す。

 

 

「うわ、ゎ、硬ぃ……。えっと……こ、こう? ……れる」

 

 

 指で恐々なぞった後、何度か熱い舌が舐め上げる。

 ちゃんと出来てるぞ、と頭を撫でてやれば、顔から緊張が抜け、躊躇いながら口に含む。

 

 

「ん゛……なんふぁ、<ruby><rb>ヘフ</rb><rp>《</rp><rt>エグ</rt><rp>》</rp></ruby>い……。ぅん、んっ」

 

 

 正直な感想を漏らすも、止めようとはしない。

 口内はまだまだ緊張していて、硬い頬肉を感じる。

 歯を立てないだけ上出来なのだろうが、やはり織莉子に比べると児戯に等しい。

 

 

「んっく、はぁ……これも、間接キスに、なるのかな……はむ」

 

 

 ――が、その拙さは意外な効果を発揮していた。

 見よう見まねのフェラチオ。ざらついた舌。高い体温。

 織莉子とは何もかもが違うのに、彼女へ仕込んでいる時の感覚を思い出し、興奮する。

 ほんの少しだけ、物足りないけど。

 

 

「キリカ。ちょっと……」

 

「ふぁ?」

 

 

 すると、それを敏感に察知した織莉子がサポートに入った。

 先端だけが咥えられ、深く飲みこめずにいる竿の下半分。

 下へ潜り込んだ彼女は、横からそこを責め立てる。

 

 

「貴方はそのまま、ね? ……ん~、ぁむ、んっ」

 

「んぐ、ふ、ぅん……ちゅ、ちゅぅうっ」

 

 

 呉は先端に集中し、眼をトロンとさせながら舌を絡ませ、ちゅぱちゅぱ吸いつくのを覚え始める。

 一方の織莉子は、つー、と袋の方まで下がり、到達するとそれを含んで唇だけで優しくマッサージ。

 二人掛かりで責められては、持ち堪えようがない。

 少しでも長く味わっているために、腰を震わせる事しか出来なかった。

 

 

「んぱっ、な、なんだかピクピクしてきたんだけど……?」

 

「悦んでくれている証拠よ。さ、私に」

 

「あ……」

 

 

 達する気配を感じ取り、また責め手が交代。

 寂しい表情をする呉を横目に、織莉子が「強くしますね」としゃぶりつく。

 

 

「ん、じゅぷ、むっ、んっ、ぢゅるっ」

 

 

 卑猥な音を立てての前後。

 強めに吸いつき、唇で締め上げ、わずかに首をくねらせ、舌で絡む。

 全ての行為が絶妙な配分で竿を刺激し、もう堪らなかった。

 

 っ、織莉子、出る……!

 

 

「ぁ、はい、いっぱい出して、下さい! んっ!」

 

 

 達しそうだと告げれば、より一層に激しく音を立てる。

 下品な水音が部屋に響き渡り、呉は唇をいじりながら見入っていた。

 その荒い息遣いに、彼女が興奮しているのを見取った瞬間、暴発した。

 

 

「んぐっ!? ……ん、っ……ちぅ……」

 

 

 かなりの勢いで射精していた。量も多い。

 して貰うのが久しぶりな上、直前まで女の子二人に舐められていたのだから、当然か。

 受け止める織莉子は、眉をひそめながらも耐え忍び、最後の一滴までもを吸い尽くす。

 

 

「ん゛……っ、ぅん、はー、はぅ……」

 

 

 やがて、細い糸を引きながら身体を起こし、溜め込んだ精液を嚥下する。

 絶対に美味しくなどないはずだが、彼女の顔は、まるで最高級の美酒を味わったかのように恍惚としていた。

 

 

「お、美味しいの? その……せ、せ――き、って……」

 

「そうねぇ……。癖になる味、かしら。キリカも試してみる? 先生、まだまだ元気みたいだから」

 

「う……」

 

 

 呉の問いかけに、織莉子は微笑みながらこちらを見上げる。

 その近くには、達したばかりだというのに硬さを損なわない――むしろ、より怒張している分身。

 ちょっと禁欲を強いられただけでまぁ……。自分でも呆れてしまう。

 そして、それを見つめる呉には、拒否するような気配が全く無く。

 

 

「じゃあ、今度は先生がもっと好きな事をしてあげましょう。先生、横になって下さい」

 

 

 言われるがまま、完全にベッドへ横たわる。

 首だけを起こして見ていると、織莉子はショーツを残して手早く服を脱ぎ、豊満な胸を惜しげもなく晒して――

 

 

「行きますよ? えいっ」

 

 

 うっ、く!

 

 ――抜群の柔らかさに、竿を挟みこむ。

 飛び出た先端へ唾液を垂らし、潤滑油代わりにして上下に擦りだす。いわゆる、パイズリである。

 男はやはり、おっぱいが好きなのだ。

 見るのも、触るのも、味わうのも好きだが、それを使って気持ち良くしてもらうのは、もっともっと大好きなのだ。

 あくまで自論だが。

 

 

「ん、ぃしょ、どう、ですか? んっ、ぁ」

 

 

 あぁ……凄いよ。

 

 脳内で熱弁を振るっている間も、にゅるにゅる、と胸の中を行ったり来たり、飛び出したり包まれたり。忙しい快感を視覚でも楽しむ。

 正直なところ、気持ち良さのレベルで言えばフェラの方が上だったりするのだが、グニグニ形を変える膨らみを眺めるのも、また面白い。

 ついでに上下する頭頂部をつまんでやると、「ぁんっ!」と短く喘ぐ。

 

 

「もう、悪戯しちゃ、やです……。そういうことする人には……ちゅっ」

 

 

 本当は嬉しいくせに、仕返しとばかりに先端へキス。そして口の中へ。

 膨らみの動きが止まり、竿を潰すように押し付けられる。

 ちょっと強めに硬いしこりをいじっても、嫌がるどころか、揺れる腰が嬉しいといって憚らない。

 本当に、この子はどこまでエロくなるのか。

 いっそ俺の手でトコトンまで開発し、最高にエロ可愛い嫁さんにして、それを独り占めする優越感を楽しみたい気もした。……いや、絶対実現しよう。

 

 

「む、胸で挟んで……こう……?」

 

 

 そんな姿を参考にしている呉は、織莉子を真似て自分の胸を動かす。

 イメージトレーニングのつもりらしいが、傍から見れば自分を慰めているようにしか見えない。

 ほったらかしにするのも、可哀相か。

 これからロクデナシの餌食になろうというのだ。せめて、平等に構ってあげなくては。

 

 呉、こっちに。

 

 

「え。うん」

 

 

 手招きすると、素直にちょこちょこ近付いてくる。

 ……そっちの気はないはずの織莉子が、邪険に出来ない理由が分かった。

 名前を呼んだだけで、嬉しそうに尻尾を振って近寄ってくるワンコを、嫌えるはずが無い。

 前なら実に迷惑そうな顔で嫌味を言いながら渋々、だっただろうに。本当に可愛くなっちゃって。

 

 

「なに? 先生く――へ」

 

 

 そんなワンコの胸元を、ゆっくりと肌蹴させていく。

 シャツのボタンが外れていき、薄っすら汗ばんだ肌と、綺麗な形のへそが覗いた。

 無警戒だった彼女はフリーズしてそれを見守り、やがて、再起動を終えてハッとする。

 

 

「ちょ! 先生君、なにを、あの、ダメ……! ぅううぅぅ……っ」

 

 

 慌てて押さえようとするが、もう手遅れ。前が開き、ブラジャーが露わになった。

 すぐ側でもっと恥ずかしい事をしている子が居るのに、それ以上の恥ずかしがり様だ。……もう一人に羞恥心がなさ過ぎるだけか?

 とにかく、丁度フロントホックだったので、そのまま外させて貰う。

 

 

「ぁ、あ、やだ……ぅ、ゃ……」

 

 

 すると、ゆさり、なんて擬音が聞こえてきそうな大質量が飛び出してきた。

 シャツを腕に引っ掛けたままの呉は、今にも泣き出しそうな顔を背け、それでも、懸命に隠してしまうのを堪えてくれる。胸の下でもにょもにょ蠢く指がその証拠だ。

 とっくに興奮していたのだろう、頭頂部は大きく隆起していた。

 

 綺麗だ、呉のおっぱい。

 

 

「っ! そ、んなこと、なぃ……」

 

「あ、大きくなりました」

 

 

 思わず、感想が口をつく。息子も反応してしまったようだ。

 相変わらず、竿にはゆるゆると快感が与えられている。

 恋人に奉仕させながら、その親友の裸体を強引に視姦。

 この後ろめたさは、興奮はどうだ。こんな事が、本当に許されて良いのだろうか。

 

 

「あうっ! や、先生、く、んっ!」

 

 

 しかし、迷いをかなぐり捨てさせるだけの魔力を、それは放っていた。

 指が沈むモチモチした感触。大きいのに大き過ぎない適度なサイズ。健康的な肌色と、しなやかに声を弾ませる敏感さ。

 それをとっても織莉子と遜色は――いいや、比べるなんておこがましい。

 これもまた、世に二つと無い最高の柔らかさだった。

 

 

「は、ふっ! んぃ、触り方が、やらしいよ……うゃ! あ!」

 

「あふ、ん! 凄い、どんどん硬く……ちゅる、ちゅう、ふぁ!」

 

 

 片手に呉を。片手に織莉子を握り、同時に味わう。この二つを例えるなら、やはり果実だろうか。

 織莉子は、最高の品種が最高の環境で育った、最上級品。

 呉は逆に、自然のまま、のびのびと育った極上の天然物。

 それぞれが至高と言って良い、素晴らしい心地良さ。脳の隅々にまで感動が行き渡る。

 あぁぁ……生きてて――死んで良かった……!!

 

 

「ふ、ぅ! ふ……ねぇ、キリカ。そろそろ交代してみない? 少し疲れちゃったわ」

 

「ぁんっ……う、ん、分かった……。やって、みる……」

 

 

 ――と、不意に竿への刺激が止まり、織莉子が交代を頼む。

 もう少し揉んでいたかったのだが、呉は疲れたという彼女を案じてか、すぐさま返事をして移動。

 腰に乗っていた重さが消え、代わりの重さが下半身へ身をかがめる。

 

 

「えっと……こう、だよね? んしょ」

 

 

 再び、温かさに包まれた。

 柔らかくて気持ち良いのは同じなのに、やはりどこか違う。

 体温の違いか、肌質の違いか、それとも。……まぁ、原因はどうでもいいか。

 今は、この快楽を享受できる幸福を味わおう。

 

 

「ええ。そのまま上下に動かしたり、ときどき止まって舐めてあげるの。出来る?」

 

「た、多分……。あの、先生君。痛かったりしたら、教えてくれると、その……ありがたい、かな」

 

 

 ああ、分かった。

 とにかく、思うとおりにやってごらん。

 

 

「うん。じゃあ……よっ、ほっ」

 

 

 促してやると、フェラチオと同様、ぎこちないパイズリが開始された。

 登りつめるには至らないが、硬さを維持するなら十分以上の刺激。言われた事を忠実に再現しようと、必死に動く。

 いじらしくて、吃驚するほど可愛らしい。その分、罪悪感が半端ないが。

 織莉子みたいな超美人と隠れて付き合っているだけでなく、美味しく頂いてしまった上に、その親友でこれまた美人な呉にまで手を出している。

 日本中の男に呪われても納得な非道だ。普段の俺なら、自制だって出来るはず。

 

 

「先生……」

 

 

 ――なのに、この甘い声に絆されてしまう。胸板に頭を乗せられただけで、彼女達以外の事がどうでもよくなってしまう。

 おそらくはこの場に居る皆が、等しく正気を失っているのだ。

 初恋を。恋人を。未来を。それぞれに大切なものを失って。

 誰も彼もが愛に狂い、それを癒そうと肉欲に耽る。ならば、この狂宴も俺達に相応しいのかも知れない。

 全ては、愛のせいなんだから。

 

 

「うふふ、くすぐったいです」

 

 

 うなじをなぞれば、小さな笑い声。

 心臓の音を確かめるように頬擦りされ、鍛えたおかげで引き締まった腹筋を撫でられる。

 そうする事がなによりの安らぎなのだと、緩やかな息遣いが教えてくれた。

 

 

「はっ、はっ、ふ……ん、れろっ、ぇる、ちぅう」

 

 

 肩を抱き、恋人の体温を感じながら、俺は目を閉じて快感に集中する。

 上下からこねる動きに変わり、突き出た先端をザラついた舌が舐める。

 こちらはかなり慣れたようで、穴をつつきながら吸いつくのも忘れない。

 

 

「うぐぐ、難しい……。よっ、ふっ、んっ」

 

 

 しばらくそうしていると、今度は焦りの混じった声が。

 動きが少々雑になり、ローション代わりの唾液も乾いてしまっている。

 摩擦による刺激というか、ただ擦れているだけ。上手くやろうとするあまり、目的を忘れてしまったようだ。

 初めてなんだからしょうがないけど、もうそろそろイきたいのに……。

 

 織莉子、手伝ってやってくれるか。そろそろ……。

 

 

「はい、任せて下さい。キリカ、そっちに回って」

 

「……うん。ごめん、うまく出来なくて……」

 

 

 休んでいるところへ頼むのは心苦しかったが、織莉子は快く引き受け、身を起こして指示を飛ばす。

 拙い自覚はあったらしく、呉も大人しく従ってくれるけれど、若干悔しそう。

 女としてのプライドは、流石の織莉子相手でも発生するらしい。それを引き出したのが俺だと思えば、それすらも可愛らしい。

 

 

「気にしないの。これから覚えれば良いのよ。ほら、私と同じように」

 

「そうかな……? というか、本当に良いのかな、こんなこと……」

 

「私が良いと思ったんだから、い・い・の。変なところで頑固なんだから。さぁ、集中して。ちゅっ」

 

 

 なぁ織莉子、俺の意思はどこに――お、ぅ!

 

 彼女らしくない横暴なご意見へ反論しようとするも、先端にされたキスで途切れる。

 変なのはどっちだ。今更だけど、この状況はあり得ないだろ?

 

 

「ほら、こうやってくっつけて……ぁ、は、んちゅ、ん~、っは……あは」

 

「や、んっ! これ、変……織莉子のと、擦れて……はふ、ちゅうぅう!」

 

 

 二人の美少女が、その胸で竿を四方から囲み、奪い合うようにキスで口撃。

 雄を悦ばせるだけでなく、そうすることで自分達も高まっていく。

 男の夢が在った。

 世界中の男達が高確率で妄想し、時に大金を払って実現させる光景。与えられる刺激はもとより、視覚的なインパクトが凄かった。

 

 

「んふっ……あ、ほらキリカ、先生、またイきそう、今度は貴方が、ね」

 

「うん、うん……先生、君、ワタシにもたくさん、出して? じぅうっ」

 

 

 強烈なバキュームに、欲が急ぎ足で駆け上る。

 先端は完全に呉の口内。

 わずかに露出する竿のくびれも織莉子の唇でついばまれ、おまけに胸で極限まで圧縮されては、辛抱堪らない。

 

 ごめん、織莉子――ぐうっ!

 

 

「はぷっ!? ん゛っ! ん゛ん゛ん゛っ」

 

 

 謝罪と一緒に、滾りが呉を穢していく。

 時間をかけて募らせたせいか、一発目よりも多く、激しい勢いで迸った。

 恋人の前で他の少女に射精する罪悪感が、開放感で塗りつぶされていくのが、また。

 気持ちいいけどこれは、駄目だ。

 こんな事を続けていたら、絶対に馬鹿になる。もう手遅れかも知れないけど。

 

 

「んぐ、ふ……ん゛……ふー、う゛」

 

「あ、脈が凄く長い……。大丈夫?」

 

 

 ようやく脈動を終えた竿から離れ、涙目の呉。

 うまく飲み込めないのか、クチュクチュと音を立てて精液を咀嚼している。

 自分で味わったことなんて無いし、織莉子はああ言っていたが、実際は相当に不味いのだろう。

 大の甘党でもあるし、無理をさせない方が……。

 

 

「……ねぇ、キリカ。飲み込めないなら、私に……」

 

「ふひゃ!? おりほ、なにほ……!?」

 

 

 すると何を思ったか、織莉子はそんな彼女の口元にキスをし、驚いて零れた汁を啜りだす。

 

 

「ん、むっ、は……美味し……んんん」

 

「やっ、織莉……ふ、ぁ、あふ……ん」

 

 

 やがて本格的なキスへと変わり、織莉子は精液と唾液の混ざり合ったドロドロを絡めとる。

 呉は呉で、長らく夢見ていたであろう、愛する人とのディープキスが実現して放心状態。

 ……ああ、なるほど。これは意外と、大丈夫なものなんだ。

 眼前の光景を見て、何となくそう思った。

 恋人が自分以外の人間とキスをしているのを眺めるなんて、憤慨するしか無いと考えていたけれど、それは美しく淫靡であり、嫉妬というほどの感情も覚えなかった。

 二人もこんな感じなのだろうか……。あー、でもこの場合は同姓だしなぁ……。

 男だったらって今考えたら殺意が湧いたし、呉が特別だって考えた方のがいいか。

 

 

「んぁ、んっ!? 先生……? あ……ぁ」

 

 

 なんて事を考えながら、そそくさ織莉子の背後へ回り込み、ショーツを剥いで尻の肉に竿を挟む。もちろん、もっとすごい事をするためだ。

 二発も発射したというのに、全く萎えない。煮え立つ性欲も同じ。三日ばかり禁欲させられたとしても、普段ならこうはならないだろう。

 一度死んだことで生存本能が刺激されたか、キュゥべえが言っていた魔力とやらが機能を増強しているのか……。

 どちらにしても有り難い。これなら、二人を犯して存分に余りある。

 

 

「いれちゃうん、ですか? 私は大丈夫、ですけど……。着けてないのに……?」

 

 

 ああ、そうだよ。

 これから織莉子は、初めて生で犯されて、初めて膣内射精(なかだし)されるんだ。

 それとも、着けた方がいいか……?

 

 

「あ……ふ、うっ……」

 

 

 背中に覆い被さりながら、耳元で吹きかけるように囁く。

 ぶるり、織莉子が震え、膨らみを下から掴み上げる事で、崩折れそうな身体を支える。

 自分がそうされる時を想像しているのだろう、呉は生唾を飲んで見守っていた。

 

 

「来て、下さい……」

 

 

 掠れる声。

 振り返るのは、淫らな期待に笑みを輝かせる、放蕩の女神。

 

 

 

 

 

「先生ので、犯して……。先生の子種で、誰も来た事のない場所を、満たして、下さい……」

 

 

 

 

 

 ニタリ。ろくでもない笑みが浮かんだのを、自覚した。

 我慢する必要もなくなった衝動が、乱暴に突き刺さる。

 

 

「ひぁ!? ――あ! ――ふ、ひっ――はっ!」

 

 

 その瞬間、噛まれたような締めつけを感じた。

 内側が微細に痙攣し、ひだの一枚一枚が竿を舐め上げ、奥へと誘う。

 絡み付く愛液は天然の媚薬が如く熱を高め、感度を数倍に上昇させ――

 

 うあ、ぁ!?

 

 

「あひぅ!? あ、あ、あ――熱――い――」

 

 

 ――気付いた時には、奥に向けて射精していた。

 そんな、馬鹿な。ついさっき二回目を出したばかりなのに。もう三回目だというのに、挿入しただけで、イってしまった。

 皮一枚が無くなっただけで、こんなに違うのか。なんて、勿体無いことを……。

 

 

「え? え? 織莉子、先生君?」

 

「は……ふ、ぅん……う……」

 

 

 困惑しきりな呉に、同じく達し、虚脱した織莉子が縋る。

 咀嚼されていた竿も圧力から開放され、しかし、思い出したようにきゅうきゅう締める不規則さが余韻を長引かせた。

 恐ろしい。これは魔性の女だ。

 名器とかそんな段階の話ではない。全身が男を誘っている。

 手の平に吸いつく火照った肌。脳髄へ沁みる揺れた声。雌の喜びにとろける顔。

 あらゆる部位を使って欲情を昂らせ、犯されようと哀願するのだ。

 

 

「ん゛あ゛っぁ!? あ! やっ! まだイって――ふ、く、ひぅ! うあぁぁ!」

 

 

 そうでなければ、こうして最奥を小突いてしまう理由がない。

 情動が尽きるどころか、噴火の様に溢れ出る訳がない。

 ほんの一ヶ月前までは処女だったというのに、たった数回、男を咥え込んだだけでこの有様。

 本当に不公平だ。こんな女に誑かされて、悪いと責められるのは俺なんだから。

 

 

「や、やぁあっ! だ、だめですっ、これ、かた、ち、が! なま、凄、いぃ!! あ、ゃん!」

 

「あ、あの、先生君、これ大丈夫なの? 嫌がってるみたいにしか……」

 

 

 常軌を逸した嬌声を上げる織莉子に、呉は腰が引けている。

 それも仕方ない。おそらくは見るのも初めてな行為が、これだけ激しいものなのだから。

 自分でもどうかしていると思う。

 俺は今、後の事なんて考えず、彼女の中へ欲を吐き出す事だけを望んでしまっている。色欲に、狂っている。

 

 平気、だよ、本当は悦んでるから。耳にキスしてやれば、もっと悦ぶぞ?

 

 

「……そう、なの? ……織莉子?」

 

「だ、だめ、だめぇ! 今、そんな、ことっ! された、らっ、おかし、くぅ!」

 

 

 呉の胸元で、織莉子は必死に懇願する。襲いかかる快感に怯えて。

 しかし、それがどう見えたのか、その後の行動を見れば一目瞭然。

 

 

「織莉子……ちゅ」

 

「ひっ!? ふぁ、あんっ、あ! やぁあぁぁ!!」

 

 

 身を低くし、織莉子の耳たぶへキスする呉。

 途端、絡みが格段に良くなった。壁のざわつきが激しくなり、別な生き物の集合体の様に複雑に入り組む。

 凄まじいの一言に尽きた。

 堪らず、ぶらぶら垂れ下がる膨らみを掴んで、一気に登り詰めるために腰を振るう。

 

 

「織莉子、んちゅ、可愛い、ん、綺麗だよ、ちゅうっ」

 

「ぁ! は、ふっ! こん、なぁ! また、イっちゃ――ぁん!」

 

 

 織莉子にも再び、大きな波が来ているらしい。

 こちらも根元にせり上がるものを感じ、共に達するため、疼く本能に任せてリズムを刻む。

 そして――

 

 いくぞ、織莉子……!

 

 

「……っ!! せんせ、や、ぁあああぁぁあああぁ!!!!!!」

 

 

 ――宣言と同時に、劣情を垂れ流す。

 全く同じタイミングで絶頂した織莉子の内側は、余すことなくそれを飲み込み、確実に孕もうと多くを吸い出す。

 今まで必死に守ってきた彼女の未来を、穢した。

 歯を食いしばって我慢してきた努力を、自分の手で台無しにした。

 最悪だ。最悪だ。最悪だ。

 こんなに気持ちいい絶望があったなんて、知りたくなかった。

 

 

「は――ぁ――ぁ――ぅ」

 

 

 力を失った織莉子が、くたり、ベッドに横たわる。

 ヌルリと吐き出された竿は、経験した事のない虚脱感に襲われる俺と関係なく、天を突いてそそり立っていた。

 ……どうなってるんだ、一体。

 今までなら、一週間禁欲したって三回も連続ですればクタクタだったのに、四回してもまだ収まらない。

 それどころか、回を重ねるごとに怒張し、発射される量も多くなっているような……。

 証拠に、織莉子の股から溢れる精液は現実離れした多さ。もしかして、本当に人間やめちゃったんだろうか、俺。

 

 

「ん、ふ……ぁ……あっ」

 

 

 ――と、馬鹿な事を考えていたら、織莉子とは違う喘ぎ声が耳に届いた。

 大胆に快楽を貪るのではなく、躊躇いながらもやめることの出来ない、恥らう声。

 少し視線を上げれば、その主が居る。

 

 

「……織莉子の、言ってた事、本当、みたい……。胸が、シクシクするのに、お腹の奥が、もぞもぞ、して……。かゆい、よ……」

 

 

 いつの間にかスカートが外され、びしょ濡れになったショーツへ指を食い込ませる呉。

 くちゅり、くちゅり、と内股を水が伝い、自分で胸の頭頂部も。

 切ない音色は、織莉子と同じく男を誘う求愛の声。気がつけば、その腕を掴んで引き寄せていた。

 

 

「あふっ!? んぁあ!」

 

 

 湿り気の中へ手を突っ込み、指を熱へ差し込む。

 二本をすんなり受け入れるそこは、しかし窮屈な締め付けを感じさせる。

 瞬く間に手がずぶ濡れとなり、愛液がまとわりつく。

 

 

「あ……は、っ……う……ゃあ」

 

 

 猫背になって目を閉じ、口を大きく開けて体温を吐き出す呉。

 身体が小刻みに震え、締まりの無い表情が悦の深さを物語る。

 逃げようとしない辺り、“これ”には慣れているらしい。

 

 今まで何度もしてたな? このスケベ。織莉子は自分で触った事もなかったのに。

 

 

「だ、だって、ぁ! 二人、が、変なこと……よく言うから、うっ、想像しちゃ、って、ぇ……ぁはん!」

 

 

 自分を苛めてくれる腕にしがみ付き、呉は悶える。

 ああ、もう。なんでこんなに可愛いんだ。なんでこんなに可愛い子達が、俺みたいなロクデナシを愛してくれるんだ。

 分からない。分かるわけがない。

 でも――

 

 

「んぁ、ぁ、あ……? 先生君……? あ」

 

 

 ――今は思うままに、愛でていたい。

 織莉子の横へ優しく引き倒し、下半身に。

 ショーツを脱がせ、カモシカのような脚の間に顔を下ろせば、むわっとした女の匂いが。

 

 

「や、やだぁ……そんな、とこ……見ないで……」

 

 

 顔を手で覆い、消え入る声で恥ずかしがる。

 普段とのギャップに心をくすぐられ、綺麗だよ、とそこにキスをする。

 

 

「ひあ!? や、はっ!? いぅ……くぅん!」

 

 

 いつも織莉子にしてあげたように、恥部を舐めほぐす。

 全体を唇で擦ったり、内側に舌を挿し入れたり、小さな突起にまたキスをしたり。

 その度に甘い悲鳴が聞こえ、愛液が溢れ出る。

 ……織莉子より、ちょっと匂いがきつめだろうか。でもその分、味が濃いというか、なんというか。

 織莉子もそうだが、全く形も崩れていないし、本当に可愛い。食べてしまいたいくらいだ。いや、食べるんだけども。

 

 

「ぁ……! なに、これ……っ……熱、い……身体中が、ゾクゾクして、ぇ!」

 

 

 っぷは……。なぁ、呉……いいか。

 

 

「ふ、あ……え、と……」

 

 

 顔を戻し、竿を見せつけると、呉は困ったように視線を泳がせる。

 それが隣に居る織莉子で止まり、静かに静かに身を休めていた彼女が上体を起こす。

 

 

「私なら、気にしないで。こんな幸せを独り占めするなんて、罰当たりだもの。

 貴方も想いを遂げて、キリカ。二人で一緒に、愛して貰いましょう」

 

 

 たおやかに微笑み、汗が玉散る肌を月光で照らす慈しみの象徴は、言葉に出来ない感情を――そして、小さくない迷いを生じさせる。

 自分からしたいとか言ってしまったが、本当に良いのか。この愛を裏切ってしまっても。

 彼女一人に傾けるべき想いを、別の女の子に注いでしまっても。

 後悔、しないだろうか……。

 

 

「……もう。本当に一途な人なんですから……。ね、キリカ。先生にこう言ってあげて……」

 

 

 こちらの苦悩を見抜いたのか、織莉子は呉に耳打ちをする。

 それを聞き、「ぅえ!? それ……!」と彼女は驚くのだが、「お願い」と食い下がられて、逡巡。

 やがて意を決したのだろう、大きく息を吸い込み、胸の上で手を組んで――

 

 

「ぜ……全部、先生君の、せいだ……」

 

 

 ――あの時の言葉を、口にした。

 キュゥべえが教えていない限り、俺と呉しか知らないはずの、歪められた言葉。

 だが、印象が全く違う。

 身を焦がす敵意と真逆の、心を澄み渡らせる情愛をもって、彼女は言う。

 

 

「お爺ちゃんっ子で、頑張り屋で、馬鹿正直で、一途で、一緒に居ると楽しくて……いつも、優しい。

 そんな君だから、ワタシはおかしくなっちゃったんだ。全部、先生君が悪いんだ。だから……」

 

 

 二人が手を繋ぐ。

 互いに見つめ合い、小さく笑って。

 四つの瞳を、こちらに向けた。

 

 

 

 

 

「ワタシ達を夢中にさせた責任、とってよ……。織莉子を愛した、先生君ので……ワタシのことも……愛して」

 

 

 

 

 

 その言葉を聞いて、ようやく悟る。俺はとんでもない勘違いをしていた。

 織莉子が悪いんじゃない。呉が悪いんじゃない。

 愛したからでも、愛されたからでも、ましてや魔法のせいなんかでもない。

 誰かのせいにしちゃだめだ。何かに理由を求めちゃ駄目なんだ。

 全ては、俺の中から生まれた“想い”の結果なのだから。

 

 ……なら、責任はとらなくちゃ、な。

 

 

「あ……」

 

「先生……」

 

 

 今、本当の意味で覚悟が決まった。

 彼女達を狂わせたのは俺だ。だから俺には、二人を幸せにする義務がある。そう決めた。

 愛してくれるなら、その倍は愛し返す。例え憎まれる日が来ようとも、愛し続ける。

 外道と罵られようが、畜生と蔑まれようが、関係ない。

 どんな手段を使っても、彼女達は俺の手で幸せにする。

 この二人を手に入れられるなら、世界を敵に回したって構うものか。

 

 お前達は俺の女にする。心も、身体も、魂も、全部俺のだ。

 他の男のモノになるなんて永遠に許さない。それでいいな。

 織莉子。……キリカ。

 

 

「……はい。私は貴方のモノです。先生」

 

「わ、ワタシ、も……。先生君のモノに……なりたい、だから、あの……」

 

 

 最低最悪な下衆の宣言に、織莉子は最高の笑顔で答え、キリカが可愛くおねだりをした。

 分かっていたとはいえ、迷うことなく返事をした二人に、苦笑いを隠せない。

 それを誤魔化すように腰をすえ、キリカの入り口へ先端をこする。

 

 いくぞ?

 

 

「う、うん……っ」

 

 

 織莉子と繋いだ手を硬く握り、唇をへの字に。

 極度の緊張が伝わって来て、それがまた愛おしくて、彼女の額にキスする。

 

 

「……あ。先生く――ぅあ? あ、や、待って、あ、あ、あっ」

 

 

 目に見えてこわばりが解け、その隙に先端が侵入。

 ぬぷ、ぬぷ、と根元まで滑り込んで、抵抗らしい抵抗もないまま、先っぽが奥に着いた。

 もちろん、膜を破る感触はあったが、それにしてもすんなり入ってしまった。

 顔を確かめても、見えるのは苦しみに喘ぐというよりは、快感に戸惑っているようで。

 

 

「もしかして、痛くないの? キリカ」

 

「う、ん……。な、なんで? なんでワタシ、痛くないの? なんで、初めてなのに、こんな……んっ」

 

 

 キリカ自身、驚いているようだった。

 個人差は大きいらしいが、これは流石に珍しい、か?

 十分にほぐれていたとは思うけれど、痛がる素振りすら見せないとは。

 

 ……キリカは、織莉子よりもすっとエッチな子みたいだな?

 

 

「そ、そんなこと――あん! ちょ、せんせ――くぅ! んっ! やぁあ!」

 

 

 打ち消そうとする声は、奥を突くだけで簡単に消えてしまった。

 はじめは奥を、トン、トン、と。

 段々ストロークを長くしていき、上下左右、彼女の気持ち良いところを探って擦りまくる。

 

 

「は、ぁあ、はぅ! ビリビリ、する、ぅ! 変な感じ、だけど……気持ち、いい、っ!」

 

 

 呆けた目付きで、良くなっている事を教えてくれるキリカ。

 織莉子の中はとにかく柔らかく、どこまでも包み込んでくれる包容力があったが、この中はまだ硬さを残し、健気な抵抗を見せた。

 しかし、引き抜く時には何枚ものひだでしゃぶり付き、拒んでいるのに淫らに誘う、矛盾した快感を与えてくれる。

 突くたびに胸が弾み、視覚的にも大いに楽しませてくれた。

 

 

「……羨ましいわ。最初からこんなに気持ち良くなれて、しかも、直に乙女を奪ってもらって……。嫉妬しちゃう」

 

「あ、ひ! ご、ごめん、ごめん、ね? 織莉子、ぉ! でも、気持ちよ、くて、おりこぉ!」

 

「ふふ、可愛い。どうですか、先生。キリカの中は?」

 

 

 ん……まだ、織莉子よりは硬い、かな。

 でも、一生懸命に吸いついて来て……いい。

 あんまり、もたないかも……っ。

 

 

「ですって。良かったわね」

 

「や、ぁあ、そんなこと、っ、言わない、でよぉ……ぁ! あ、織莉子、なに――ぅん!?」

 

 

 空いた手で自分の顔を隠し、キリカが女の悦びに打ち震える。

 一層笑みを深くした織莉子は、彼女の胸元へ顔を移動させ、揺れ動く頭頂部を口に含んだ。

 締めつけは更にきつく、なのに硬さが和らぎ、より強く、より奥へ到達してしまう。

 情けない。五度目だというのに感度は衰えず、また達しそうに。

 

 キリカ、そろそろ……!

 

 

「ぁ、やっ! ダメ、中はダメだよ!? すごく、微妙な日で……で、できちゃう、かも……」

 

 

 ……それって、精液塗れのナニを突っ込んだ時点で、かなりマズイんじゃあ……?

 

 

「……あ」

 

 

 キョトンとした後、「どうしよう」なんて問いたげな顔。

 間抜けな空気に腰が止まるが、中途半端に抜けていた竿へのしなやかな感触で、うっ、と声が漏れる。

 見れば、それは織莉子の指で。

 

 

「大丈夫ですよ。たった今キュゥべえにテレパシーで聞いてみたんですけれど、魔法少女は“そういうの”も制御できるらしいです。だから、安心して下さい」

 

「え。……そう、なんだ……」

 

 

 テレパシーとか凄いなー、と呆れながらも一安心。

 大丈夫って言われたからつい膣内射精しちゃったけど、万が一もあるし、実はヒヤヒヤしてたのだ。

 つまり、初潮後だけど生で膣内射精し放題、ということか。人生にハリが出そうだ。

 が、問題なのはコイツである。

 

 ……なんで残念そうな顔してるんだ、キリカ?

 

 

「へっ、そ、そんな顔してないよっ? 安心しただけで……」

 

 

 なーんてすっとぼけているが、明らかに嘘だ。

 うん、間違いない。コイツは織莉子に匹敵するドえろ中学生だ。

 

 

「あら、酷い。抜け駆けする気だったのね? 私よりも先に先生の子を宿そうだなんて……」

 

「だ、だから違うんだよぅ! 本当にワタシ――あん!」

 

 

 もう我慢する必要もなくなり、本能のまま腰を突く。

 この胎に好きなだけブチまけていい。

 そう考えただけで、理性は軽く吹っ飛んだ。

 

 

「や、ふ、やっ! おなか、破れちゃうぅぅ!」

 

「あは、先生、凄い……。さ、キリカ。たくさん出して貰いましょう。妊娠できないのに妊娠しちゃうくらい、たぁくさん」

 

「あっ、ひ! い、意味が、分かんない、ぃ! そんな、ぅああぁぁぁあっ!」

 

 

 小刻みに奥を小突くと、絶頂の気配を感じた。

 あと少し、あと少しで一緒にイける。

 だが、どうしてもキリカの口からそれを望んで欲しくて、無言で瞳を見つめる。

 

 

「……あ、ぅ! うぅぅぅうっ」

 

 

 すると、感じ入っていた顔が悔しげに、恥ずかしそうに歪み――

 

 

 

 

 

「だ……だし、て……。先生君の精液で、ワタシのおなか、いっぱいにしてぇ!」

 

 

 

 

 

 ――熱を求める雌の求愛が、部屋に響いた。

 歓喜が、迸った。

 

 

「ひっ!? んんんんんっ!!!!!!」

 

 

 硬く唇を引き絞り、背中を反らせて、キリカも絶頂。

 その内側にたっぷりと、たっぷりと種を撒く。

 肺に溜まった空気を全て吐き出してしまうくらい、深い溜め息が出た。

 

 

「ぁ、ぁ――っ――は、は、ふっ――っぅん」

 

 

 熱に浮かされ、キリカは短く喘ぎ続ける。

 ぬぽん、とこぼれ落ちた竿には、ギトギトの粘液と、根元の辺りに赤い輪っか。

 途方もない充足感だった。

 これがいつか、本気で孕ませるために出来るのだとしたら。

 想像しただけでゾクゾクした。

 

 ……うっ!

 

 

「はむ。ちゅる……」

 

 

 ――と、休む間もなく刺激が与えられ、腰が引ける。

 五回もして、まだ節操無しにいきり立つモノが纏う粘液を、織莉子が舐め取っていた。

 

 ちょ、ちょっと、織莉子?

 

 

「んぷぁ……はぁ……素敵です、まだこんなに逞しくて。……先生?」

 

 

 上目遣いに見つめる視線。

 言葉で言われずとも、彼女が求めるものは分かる。分かるのだが……。

 

 あの、流石に疲れて……ちょっと休憩を……。

 

 

「でしたら、先生は休んでいて下さい。私が上に。……ね?」

 

 

 ……お願いします。

 

 断れなかった。断ったところで、俺が頷くまでしゃぶり続けるんだろう、この子は。

 仕方無しに、ぐったりするキリカの隣へ仰向けに寝転がる。

 織莉子はそそくさと上に跨り――

 

 

「あ、あ……っんぅ! ……ふぅ、う……あは」

 

 

 ――それを一気に飲み込んで、無邪気に……違う。いやらしさたっぷりに頬を緩めた。

 これを無邪気なんて表現するのは駄目だろう。そんなことしたら、世の子供達が全て変態になる。

 

 

「んふっ! ふ、くぅ……ゃ、あっ! どう、ですかっ? せんせ……は、ぁん!」

 

 

 とことん淫らに腰をグラインド。

 最奥へと先端がゴリゴリ押し付けられ、“使われている”感覚に竿がビクつく。

 堪らず、飛ばし過ぎたっ、と手を伸ばすのだが、それすら膨らみへ導かれる。

 

 

「だって、ぁ、気持ち、良くて……っ! こんなの、止められない、ですぅ!」

 

 

 鷲掴みにさせられる胸。飛び散る汗。遊ぶ髪。

 淫蕩に耽る少女は、この瞬間、間違いなく世界で一等に淫乱だった。

 

 

「……ぁの、先生、君……」

 

 

 ふと、すり寄って来る気配を感じた。

 横を向けば、そこには自分の太ももを擦り合わせるキリカが。

 

 

「ワタシ、も……もっと、したぃ……。奥が、寂しい……よ……」

 

 

 お前もか、キリカ……。嬉しいはずなのに、何だか怖い。

 この無限精力、死んだから手に入ったんだよな、多分。

 ということは、もしあの場をうまく切り抜けていたら、普通の人間のまま二人を相手にしなければならなかった可能性が微粒子レベルで存在する……?

 ……俺、どっちにしろ死ぬ運命だったんじゃないか。腎虚で死んで復活を祈られるとか笑えねぇ……。

 なんて、既に存在しない並行世界を偲んでいたら、竿が温かい狭さから解放される。

 

 

「ぁん……ふふっ。言った通り、でしょう? 愛しくて、堪らなくなるって……さあ……」

 

「……う、ん……。ごめんね、二人と、も……ぅあ、あ゛、ぁぁあ……」

 

 

 阿吽の呼吸で入れ替わり、また呉の中を味わわされた。

 苦しげな息遣いで、自分の気持ち良いところを探るべく、好き勝手に動き回られる。

 そして、しばらくするとまた織莉子に。

 

 

「あ、っく、おくぃ、いい……! 奥、つつかれるの、好きぃ……んっ!」

 

「は、ふぁ、や! もっと、もっと、かき回して……ひぅ、はん!」

 

 

 交互に、順番に、入れ替わり立ち替わり。

 二人の都合で犯されて、弱点を覚えさせられる。腰の上で女達が跳ね、淫雑な調べが奏でられた。

 完全に主導権を握られてしまっている。

 気持ちいいけどやっぱり怖い。けど、気持ちいいから本気で抵抗も出来ない。

 逆レイプされる感覚なんて、一生縁がないままでいたかった。

 ……が、彼女達を選んだ男であれば、このまま黙って犯されているようではいけないのだっ。

 

 そぉら!

 

 

「――んぁあああっ!?」

 

 

 タイミングを見計らい、奥が好きだというキリカを突き上げる。

 予想外の衝撃に、彼女は大きく身体を痙攣させて、俺に倒れこむ。

 それを抱きながら身体を起こし、後ろで物欲しそうにしている織莉子ともども押し倒す。勢いがつかないよう、ゆっくりと。

 

 

「あ……ぅ……先生、君……ひどい、よぉ……ぅんっ……」

 

「あら、本当は嬉しいのに? 素直じゃないんだか――ん、あっ! せん、せぇ! 激し……広がっちゃ……あん!」

 

 

 そして、縦に二つ並んだ恥部を下へ移動し、入り口から奥までを蹂躙する。

 こね回すように内側をしばらく味わい――

 

 

「ぁは! ん、ひ! あぁぁ、私、先生ので……あ、やだぁ、抜いちゃ、やぁ……」

 

「んんっ、織、莉子、おっぱい、揉まないで……ひぁ!? それ、ダメッ!?」

 

 

 ――またキリカへ。

 今度は先端だけを、にゅこ、にゅこ、と何度も抜き差し、入り口付近のみの刺激にとどめる。

 十数回ほど楽しんだら、また織莉子。

 

 

「あっ、や、だ、めっ! するならちゃんと、もっと奥ま……で……え……ぁう?」

 

「うふふ、今度は私……んくぅ、あはっ、は、はぁん! 深いぃ!」

 

「ん、んん……や、やっぱりワタシにもっ、先生君、もっとぉ……ひぐ! ふ、やっ!」

 

「んぁ……あ、もうですか……? ね、ほら、先生もっと、私にも、もっと……ぅあん!」

 

 

 十秒か二十秒くらいの間隔で、腰の位置を上げ下げ。

 口では取り合っているのに、織莉子がキリカの色んなところを弄ってあげて、キリカは織莉子の負担にならぬよう身体を浮かせている。

 変わりばんこにねじ込まれるのを、彼女達も明らかに楽しんでいた。

 そろそろ、限界だ。

 

 ……なぁ、二人とも。もう出そうなんだけど、どっちに出して欲しい……?

 

 

「あっ! わ、ワタシ、ワタシ、にぃ! まだ、一回しか、出して貰って、ないからぁ!」

 

「そんな、ずる、ぃ! 私だって、もっと、あふ! 欲しい、の、にぃ! んぁぁあっ!」

 

 

 競うように腰を使い、精をねだる二人。

 この世で俺だけが味わえる、至高の贅沢。あぁ、最高だ。

 弾む吐息すら、離したくない。独り占めしたい。彼女達が、愛しくて仕方ない。

 だから――

 

 いくぞ、キリカ!

 

 

「あ、うんっ、きてぇ! ――ぁ! ああぁぁぁあああっ!!!!!!」

 

「……え……そんなぁ……」

 

 

 ――まずは、キリカに。

 そして素早く引き抜き――

 

 ほら、織莉子に、もっ!

 

 

「え、は、はいっ……んっ! ――んふ、ぅぅうううっ!!!!!!」

 

 

 ――残りを織莉子に吐き出す。

 一足早く達したキリカの身体を、竿を咥える織莉子が跳ね落し、二人の少女がベッドに並んだ。

 射精の余韻を十分に楽しんだ後、俺はその隙間に無理やり入り込み、疲れ果てた様子の恋人達を腕の中で休ませる。

 流石に六回もしては、硬さは維持できなかった。

 

 

「ぁ、はっ、は、はぁ、ふう、ぅ……」

 

「ぅふ、ふ、ぁ、はぅ、うぁ、ぁ……」

 

 

 荒い呼吸が三人分。

 気だるい多幸感に浸りながら、それを癒す。

 

 

「……くー……すー……」

 

 

 しばらくすると、左から安らかな寝息が聞こえてきた。

 疲れて眠ってしまったらしい。

 

 ……はぁ、全く。ヤるだけヤったら即眠るって、本当に……。

 

 

「仕方ない、よ……。織莉子、ホントにこの三日間、眠ってなかったみたいだから……。

 ワタシも、先生君の事が気がかりで、ほとんど休めなかったし……」

 

 

 そう、か。心配かけてたんだよな……。

 ………………ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~。

 

 

「んぇ? ど、どうしたのさ先生君っ? どこか痛むのっ?」

 

 

 心配してくれるキリカの声を嬉しく思いながら、しかし、賢者タイムな頭の中では、自責の念仏が大合唱(こういう表現で良いのかは知らないけど)していた。

 また、やっちまった。しかも今度は取り返しのつかない大事を。

 ここまで存分に楽しんでおいて後悔はしないが、むしろ人生に一片の悔いも残らないくらいだが……。

 

 どうする、これから……? どうやって二人を幸せにすればいい?

 とりあえず、一夫多妻制の国ってどこだ。外国籍の取得ってどうすりゃいいんだ。その国で必要とされるスキルも習得しないと……。問題が山積みだ……。

 

 

「……えっ。な、なんでワタシまで勘定に入れてるのさ? ワタシは、その、織莉子のついでに、時々でも相手して貰えれば……」

 

 

 うっさい。これはケジメの問題だ。

 絶対に愛人扱いなんかしないからな。織莉子もキリカも両方とも俺の嫁にする。そう決めたんだ。

 ……まぁ、順番的には、キリカに二番目になって貰うしかないし、そこは我慢してくれるとありがたいけど。

 

 

「………………バカだねぇ、先生君は」

 

 

 ボケーっとした後、呆れたように笑ってくれる。

 愛情たっぷりにけなされて、バカだとも、と俺は返す。

 

 バカだからこそ、俺は二人を選べたんだ。

 中途半端に賢くて、そちらか選んで両方を悲しませるなら、皆で笑える可能性があるバカな選択の方が俺は好きだ。

 クソみたいな男だけど、どこまでも付き合って貰うぞ。

 

 

「うん……。そんな君だから、ワタシは愛しちゃったんだ。どこまでも、着いて行くよ」

 

 

 相変わらず自分勝手で、いいことを言ってる風に最悪な宣言をしているだけなのに。

 彼女は、眼を細めてそれに頷いてくれた。

 織莉子の言った通り、これ以外に三人一緒にいられる選択肢は、見つけられそうにない。

 無理を通せば道理が引っ込むというし、ここは一つ、無理難題をごり押しして、世間様の道理を轢き殺してやろう。

 

 

「ねぇ、先生君。……織莉子の事、変に思わないであげて欲しいんだ」

 

 

 ……ん? 変にって、どういう事だ?

 

 

「その、さ。色々と突拍子もないことを言ったり、それを実行しちゃったり、とか。

 必死だったんだよ、きっと。ワタシ達を繋ぎとめようとして。

 先生君が寝ている間、本当に悩んでたんだ。織莉子も、これがどんなに常識外れなのか理解してる。

 それでも彼女はこの道を選んだ。ワタシが逆の立場でも、そんなの無理さ。織莉子は凄い人なんだよ。だから……わっ」

 

 

 この愛い奴め。

 

 弁明を繰り広げるキリカを、肩を抱いて引き寄せる。もはや忠犬といっていい尽くしっぷりだ。

 生憎とその主は、反対側で「せんせ……赤ちゃん……」とエロい寝言を呟いているのだが、聞いていたら涙を流して喜んだ事だろう。

 そして、これが逆の配置であったとしても、全く同じことが起きると確信があった。

 

 どんなことがあっても、手放すもんか。

 お前達は最高だ。最高に可愛くて、最高に愛しい、俺の――恋人達だ。

 

 

「……うん……」

 

 

 胸板に顔を乗せ、体重を預けてくるキリカ。

 当たる吐息がくすぐったく、触れ合う肌が心を落ち着かせる。

 

 

「今なら、信じられる気がする。先生君の言ってたこと……。

 ワタシの愛は、先生君と織莉子が居てくれれば、有限じゃなくなるかも知れない。

 限りある時間の中で、限り無い想いを注げるように、なれるのかも。

 こんな風に思えるだなんて、想像もしてなかったよ……」

 

 

 掠れる声で、確かめるように囁く。

 こちらの呼吸に合わせて上下する、幸せ。

 それをしっかと感じながら、両腕にある体温を決して忘れまいと、心に刻む。

 

 

「……ところで先生君?」

 

 

 ――のだが、ふいに顔を上げた右の恋人が、俺に向かってニンマリ。

 

 

「なんでさっきから、どさくさに紛れておっぱい揉んでるのさ?」

 

 

 え? あ、ごめん。無意識だった。

 

 いつの間にやら、腕がキリカの脇をくぐり、膨らみをサワサワしていた。

 どうりで右手が三割り増しで幸せなはずだ。

 

 

「しかも、またこんなに硬くしてぇ……。六回もしたっていうのに、まだ足りないのかい?」

 

 

 膝で股間を優しくグリグリ。いやらしく口角を上げて、含み笑いをされる。

 いじらしい忠犬が、あっという間に悪戯好きな黒猫へ変身してしまった。

 

 ……や、これはだな。不可抗力っていうか……。

 キリカにはまだ二回しか膣内射精してないだろ?

 不公平なのは良くないかなーって……あっはは……。

 

 

「なに? その理屈。……はぁ、仕方ない。こんな性欲魔人を織莉子一人に任せたら、いつか突き殺されちゃう。ワタシが身を呈して守らなきゃね」

 

 

 身体を起こし、上に跨った彼女が腰の位置を合わせる。

 どう見ても、エッチぃ女の子が都合のいい口実を見つけたようにしか見えない。

 しかし、彼女の味を知ってしまった俺には、拒むなんて選択も出来ず。

 極上の肢体を見せつけて微笑むキリカの誘いを、喜んで受け入れるのだった。

 

 

 

 

「だから、もっとして? 先生君。今まで織莉子とした分、ワタシの事も、たぁくさん……愛して?」

 

 

 

 

 




 驚愕の新事実!!
 キュゥべえの揉み心地は織莉子ちゃんのおっぱいだった!?

 という訳で、呉キリカ編でした。
 主人公が超絶オリー主にクラスチェンジしてしまいましたが、あくまで発射回数を増やすためですので、どうかご了承下さい。
 一夫多妻制も、そんな夢物語が通用する世界ではありません。いい思いをした分、奴はこれから残念な目に遭います。
 最後の予告中で拾いきれなかった伏線を回収させてありますので、「ここら辺どうなっとん?」という方はお読み頂けるとちょっとはスッキリするかも?
 ただし、本編よりも更に中二臭いんでそれだけ覚悟しておいて貰えると……。
 一応はこれで完結なのですが、番外編とおまけを一本ずつ考えておりますので、よろしければご期待下さい。
 それでは、失礼致します。


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 Untouchable/Simeon/Omnipotence 予告

 

 

 風が吹いている。空には分厚く、暗い雲。

 今にも雨粒を落としそうなそれが孕むのは、しかし、天の恵みではない。

 数分としないうちに、この星の天上からは――悪意が降って来る。

 

 

「……そろそろね」

 

 

 巨大な鉄塔の上に、二人の少女。

 その片方――重厚な白のドレスを纏い、帽子を押さえる少女が呟く。

 

 

「確認するわ。私達がすべき事は何かしら、キリカ」

 

「しろまるの言ってた例の巨大魔女――ワルプルギスの夜に対抗する魔法少女達の支援。ただし、それと知られること無く、だよね。織莉子」

 

 

 答えるのは、身体のラインを隠さないタイトな黒装束に、右眼を覆う眼帯の少女――呉キリカ。

 期待した答えを得た白い少女――美国織莉子は満足そうに、だが、決して雲から目を離さずに頷いた。

 

 

「具体的な方法は?」

 

「織莉子の固有魔法――《事象否定》で存在感を薄くして、基本は様子見。

 出番がなければそれで良し。ヤバげになったら隠れて支援。イザとなったら美味しいところをまるっと頂き」

 

 

 にぃ、と笑って調子づくキリカを「こら」と叱りつけながら、織莉子はその頭を撫でる。

 叱ると表現はしたが、二人の顔付きや声は楽しそうでもあり、彼女達の周りだけ日の光が差しているような、温かい感情が行き来していた。

 

 

「えっへへ。ま、織莉子の魔法は変則・特化型だから、実働はワタシだねっ。

 といっても、ワタシだって支援魔法は《速度低下》しかないわけだけど。最後の最後まで手は出せそうもないかなー」

 

「そうね……。私達の姿は出来るだけ見せない方が良いのだし、見極めましょう。じゃあ次は、隠れなければいけない理由」

 

 

 尻尾があれば千切れんばかりに振りまくるだろう顔で、キリカは続けた。

 笑みを深くする織莉子も更に質問を重ね、絶好調なワンコが胸を張る。

 

 

「一つ。ワタシ達は彼女達を知らず、彼女達もワタシ達を知らない」

 

「はい、正解。協力を申し出たところで連携を乱すだけだし、受けて貰えるかも分からない。

 ここは先生のご家族が住む街。黙って見ているなんて出来ない。なら、隠れて支援させてもらうしかないわね。

 もちろん、邪魔にならない程度に、だけれど」

 

「だね。んで、二つ。純粋な実力不足。か・な・り、シャクだけど」

 

「……その通り。キリカの攻撃は、見た限り鋭さは一級品だけど重さが足りない。そして私は契約して日が浅く、攻撃方法が確立していない。

 使い魔の迎撃にも苦労するだろうから、そもそも発見されないようにするしかないわ。今後の課題ね」

 

「ふふふ。ま、重さを解決する術はもう見つけてあるんだけどねっ。でもすっごくハデだし、今回は出番無しだよ。……そして、三つ」

 

 

 どこか和やかだった空気が、キリカの表情と共に引き締まる。合わせて織莉子も。

 これから口にすることは、この二人にとってそれだけ重大なことでもあった。

 

 

「先生君の存在は、外部に漏らせない」

 

「えぇ……。制限付きとはいえ、魔力を行使できる男性。詳細も分からない今、私達を通じて存在を広めるわけには行かないわ」

 

 

 頷き合う二人。視線には、確固たる意志が見えていた。

 彼女達が「先生」と呼ぶ若者は、とある理由から、本来魔法少女にしか扱えない魔力を宿すに至った。

 といっても戦闘能力は皆無。魔力の引き出しも安定せず、唯一のスキルといえば、自らの体力を補う程度なのだが。

 しかし、これから先は未知数。

 専門家であるキュゥべえをして、《仕様外》と称させる存在。新たなる可能性が発見され、それが魔法少女にとって有益な物であったなら。

 これから知り合うかもしれない魔法少女達に、それを知られたなら。

 

 ――悪意をもって、利用される可能性もある。

 

 口は災いの元。

 あえて言葉にはしなかったが、織莉子もキリカも、それを危惧しているのだ。

 

 

「……! 始まったみたいね」

 

「おー、ほんとだ。でもケッバケバ。エレガントさの欠片も無いねー」

 

 

 遥か眼下に、不自然な霧。

 まばたきの一瞬で、使い魔達の百鬼夜行が顕現した。

 迎撃の雷火も見える。

 

 

準備はいいかしら(シャル・ウィ・ダンス)? キリカ」

 

当然(オフコース)! 魔力とグリーフシード(ドレスコード)もバッチリさ!」

 

 

 織莉子がしなやかに手を差し出し、キリカが恭しくそれを受ける。

 戯れのようなやり取りは、稀に見る美少女達によって、一つの歌劇へ。

 手と手を取り合い、微笑み合い、二人は――

 

 

作戦(ミュージック)……」

開始(スタート)だっ!」

 

 

 ――ダンスホールへ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

《それは、とある街に災厄が訪れてから、数ヵ月後の物語》

 

 

 

 

 

「アーティファクト、かぁ……」

 

 

 美国邸の一室。高級なベッドの上で仰向けになる若者が呟く。

 かざされる左手には携帯電話が乗せられており、それに付けられたストラップ――木製のお守りが揺れていた。

 

 

「アーティファクト。魔道具、霊器、宝具、宝貝(パオペイ)や、聖剣・魔剣・妖刀などと呼ばれる類……。

 何らかの理由で消滅に至らず存在を維持した、魔法少女の“遺品”ですね。魔力を残している物はほとんど現存していないようですが……」

 

「ワタシ達には無用の長物だねー。そんなもの使わなくても、新しく魔法を組めばいいだけだし。にしたって、先生君のお爺ちゃんの形見はチートだよ。

 肉体的状態異常の無効化、回避への大幅な補正、おまけに週三回までの“幸運”とか。そのおかげでワタシも助かったんだから、お爺ちゃん様々だけどさ」

 

 

 彼の言葉には、二人の少女が続く。

 すぐ側へ腰を下ろす美国織莉子と、隣でうつ伏せになる呉キリカだ。

 三人の距離感は非常に近く、彼等が親密な――特別な関係性であることが見て取れる。

 

 

「そうだね。実に幸運だった。

 あの時点で君がアーティファクトの加護を引き出せたのは、結界の崩壊魔力、長年身に着けたことによる波長の同期、極限状態における精神昂揚など、偶然が幾つか重なったおかげに過ぎない。

 過充電による暴走もあったかな。……終わったよ」

 

 

 そして、寝転ぶ若者の頭上に位置する小動物――キュゥべえが詳しい補足を行う。耳から伸びる可動部が若者の頭部から離れた。

 彼(?)が行っていたのは、ありていに言えば身体検査である。

 織莉子の祈りによって蘇生した際、発生したソウルジェムに仕様外の機能を追加させた存在。

 過去にも例が少ない、“魔法少女の使い魔”とでも呼ぶべきこの若者を調べ、原因を追究することで、キュゥべえは揺らぎを生み出す例外を減らそうと考えていた。

 若者も、己が身に起きた変化を調査してもらう事で、自分の状態の把握に務めようとそれを受け入れている。

 

 

「ソウルジェムとのリンクは安定しているようだ。織莉子の魔力変圧器としての機能も、それなりに果たせるんじゃないかな」

 

「そうか……。それは有り難いんだけど、人の事を部品扱いするな。そこそこ不愉快だ」

 

「的を射た表現だと思うんだけど。

 織莉子は固有魔法が特殊過ぎる上、君へ特性を付与したせいで他の魔法を覚えるリソースが限定されている。

 君はそれを補うために闘いたいんだろう。呼び方なんて些細な問題じゃないか」

 

「……はぁ。そーですねー」

 

 

 ――のだが、この二人……一人と一体の関係は中々に険悪であり、売り言葉に買い言葉というほどでは無いが、辛辣な物言いが飛び交う。

 もっとも、キュゥべえに悪意が微塵もないのは短い付き合いで把握済み。

 若者は軽く溜め息をつき、身体を起こす。

 

 

「キュゥべえ。次に先生を変な呼び方したら、貴方の喋る機能を《否定》するわよ」

 

「やめて欲しいな……。君の魔法は“僕全体”に影響しかねないんだから……。まぁ、本当に使ったら、その時点で君は魔女化するだろうけど」

 

 

 しかし、悪いムードは周囲に伝染してしまったようで、今度は織莉子がキュゥべえにキツい視線を向ける。

 大切な恋人を自分の付属品扱いされれば、黙っていられるものは少ないだろう。

 その迫力に、キュゥべえもたじろいだような既定反応を見せたが、モノマネにも劣る反射行動はすぐにかき消え、火花が散った。

 

 

「はいはい、そこまで。本気で怒ってるわけじゃないんだから、大丈夫だよ。

 これから先も活動するにはキュゥべえの支援が絶対に必要なんだし、うまく付き合っていこう」

 

「……はい……」

 

「賢明な判断だ。他の魔法少女も、君達ほど物分りが良いと助かるんだけど。それが出来ないからこその魔法少女でもあるし、難しいね」

 

 

 場を収めたのは、発端である若者。

 ぶつかり合う視線を身体でさえぎり、硬い表情をほぐすように織莉子の頬をつつく。

 単に、キュゥべえはビジネスライクなだけなのである。

 過度な善意を期待せず、「こういうものだ」と割り切ってさえいれば、むしろ積極的に活用すべき相手。

 腹の底に隔意は抱き続けているが、それを置いても、自分達のために信用すると決めているのだ。

 信頼だけは、絶対にしないが。

 

 

「いくら織莉子の意識がある間は絶対に“死なない”とはいえ、本当なら先生君に危険な真似させたくないんだけど……」

 

 

 ――と、柔らかい頬をプニプニ楽しんでいた若者の膝へ倒れこむ影。

 仰向けになって膝枕を強要したのはもちろん、もう一人の恋人、キリカ。

 

 

「織莉子の魔法は一つで大抵のことが出来ちゃう代わりに燃費が最悪だし、節約のためには出てもらうしか……。ホントはワタシ一人でグリーフシードを集めてもいいのに――」

 

「駄目よキリカ。そんな危ない事、貴方一人に任せるわけにはいかないわ」

 

「そうだぞ? お前だけを危険に晒して織莉子と二人イチャイチャするなんて、後味悪いからゴメンだ」

 

「――こうなっちゃうし。あぁ、愛されちゃって困っちゃうよ。嬉しいけど。んふー」

 

「こぉの。……ま、良いんだよ。俺はこれで良いんだ」

 

 

 余は満足じゃー、なんて声が聞こえそうなキリカの喉を猫にするよう撫でながら、若者が二人を見る。

 返されるのは、頬に手をすり寄せる綺麗な笑みと、喉を鳴らして安心している笑み。

 

 

「もしこの身体になっていなかったら、俺は何も知ることが出来なかった。知らないままにキリカを追い詰めて、いつの間にか失ってたかもしれない。

 キリカだけじゃなくて、織莉子までそうなっていた可能性もある。そうならずに済んだんだ。これでも感謝してるんだぞ?

 それに、愛している女のために身体を張れる。男にとって、これ以上の幸せは無いよ」

 

 

 二人分の幸せを両手に確かめ、強く微笑む。

 まだ防護服すら作成できず、リンク圏外に出れば魔力も使えない。それこそ、死を否定されたことによる不死性を活かして盾になるくらいしか、役に立てないけれど。

 彼女達が一緒なら、どんな痛みでも耐え、どんな恐怖にでも立ち向かえると、若者は信じていた。

 そんな彼の微笑みに、織莉子とキリカも大きく破顔し、己に触れてくれた手を握る。

 

 

「本当は魔力を精力に変換できるようになったのが一番嬉しいくせにー。先生君のエッチー」

 

「一日最低でも二回ずつだものね……。嬉しいけど、むしろこっちが魔力消費の主な原因かしら?」

 

「魔法で一〇〇%避妊できるからって必ず膣内射精ねだってくるお前らが言うか。このエロ魔法少女どもが」

 

「相変わらず爛れた性生活を送ってるね、三人とも。キチンと活動してくれるなら特に言う事は無いんだけどさ」

 

 

 

 

 

《それは、追い求める直人(ただびと)達の物語》

 

 

 

 

 

「きゃああぁぁあああっ!! いやあぁぁあああっ!!!!!!」

 

 

 十四畳のワンルームに、絹を裂くような悲鳴が轟いた。

 

 

「あ、あの、落ち着いて下さい石島さんっ、と、隣に聞こえる……っ」

 

「いや、いやっ、なに、なんなのよこれぇ!?」

 

 

 声の主をなだめるのは、この部屋の住人であるギリギリ二十代の男性。

 顔面は蒼白で、壁の向こうに居るはずのお隣さんをしきりに気にしている。

 真っ昼間から女の悲鳴が発生したら、そりゃあ挙動不審にもなろうものだが。

 

 

「凄い、若い、若返ってる! お肌ピチピチ、目元の小じわが無い、法令線が目立たない! きゃー♪」

 

 

 まぁ、その悲鳴にしても発生原因はアレなのである。

 鏡を手に自分の顔を様々な角度から確認する、十代前半と思しき少女――石島美佐子。

 彼女は本来、男性と同じ年齢の三十路目前なワーキングウーマンだったのだから。

 

 

「ああもうっ、とにかく服を直して下さい、いろいろ見えてるんですからっ」

 

「ミサお姉ちゃん、パンツ丸見えだよ?」

 

「え? ………………ひゃ!? や、やだっ」

 

 

 微妙に顔を背ける男性と、その隣に座る彼の姪、千歳ゆま(大人モード)の指摘で、ようやく自分の身体が縮んでいることに気付いた美佐子は、慌ててしゃがみ込む。

 一回り小さくなった彼女には、ぴったりサイズだったスーツもダボダボ。スカートは落ち、緩くなったタイツとショーツ(紫色)が絶妙な角度で引っ掛かって、大事な所を隠していた。

 当然シャツもずれ、鎖骨から胸元のラインが露わに。本当に紙一重である。

 

 

「えっと、これで信じてくれた? ゆまが魔法少女だって」

 

「……そうね。信じるわ。信じるけど、ゆまさん。これってちゃんと元に戻せるの?」

 

「うん、出来る! ミサお姉ちゃんにかけたのは、ゆまの成長魔法をひっくり返した魔法だから、簡単に元に戻せるよっ」

 

 

 胸を張ってゆまが言う。子供っぽい印象の猫耳付き防護服。その胸元が、ぽゆん、と揺れた。

 彼女もまた、本来は九歳児。十代半ばから後半に見える今の姿は、魔法によって維持されているものである。

 なかなかの才能を有していたらしいゆまは、魔法少女としての“成長”が著しく、契約して数週間足らずで、固有魔法の特性反転までも習得したのだった。

 しかし喜びはしたものの、姿形が変えられれば不安を覚えてしまうのも当然。それが解消され、美佐子は安堵に胸を撫で下ろす。

 

 

「そう、良かった……。でも、どうせだからもうちょっとこのままで……」

 

「別に構わないと思いますけど、元に戻る時は着替えを持って風呂場へどうぞ。目の前で裸になられたら、なんだ。困るんで」

 

「分かってますっ。もう……本当は見たいくせに」

 

「う゛」

 

「……む」

 

 

 胸元を隠し、恥らう少女の流し目で、図星を突かれた男性が呻く。

 なんと言っても、美少女なのだ。元が美人だったせいか、多少――いや、だいぶ幼くなっても、可愛らしさが増大しただけで減った部分は何一つ無い。

 とある理由から性的嗜好に偏りが出始めていた彼にとっては、非常に眼の毒であった。

 そして、そんな彼等を見てちょっと不機嫌になったゆまが、男性との距離をさりげなく縮めた。

 美佐子も気付いていたのだが、理由はきっと微笑ましいものであろうと勘違いし、頭に浮かんだ疑問を優先する。

 

 

「それにしても、どうしてゆまさんは魔法少女に? さっきの話では、何か願い事を叶えるために契約を交わすんでしょう?」

 

「あ、それはね。ゆま、大人になってオジさ――」

 

「……ぉ! 大人になってオレの役に立ちたいって、それでゆまは契約しちゃったんですよ! なっ?」

 

「――んに? う、うん、そうだけど……」

 

「……んん?」

 

 

 ゆまの返答に男性が割って入り、さえぎられた当人は首をかしげ、美佐子が怪訝な顔をする。

 つい焦って代わりに答えてしまった彼だが、美佐子の反応に「しまった」と脳内で呟き、背中で冷や汗をかき始めた。

 何故ならば、役に立ちたいとは言っても、立ってもらったと言うか勃たせてもらったのは性的な意味であり、現役警察官である彼女にそれを知られれば網走送り確定なのだから。

 女の勘というものは、えてして男の秘密を暴くために使われるもの。

 最近、美佐子にプレゼントしてもらった電子タバコをプルプル震える指で燻らせながら、彼はこの場をどう切り抜けるか必死に考える。

 

 

 

 

 

《それは、目覚めるはずのない血脈の物語》

 

 

 

 

 

「――後ろだ痴女っ娘!」

 

「だ、誰が痴女――きゃ」

 

 

 若者の切迫した声にサキが正しく反応し、みらいを抱えて飛びずさる。コンマの差で、彼女達の居た場所を“何か”が通り過ぎた。

 無言のまま織莉子とキリカが遠距離攻撃を放ち、穿たれたコンクリートと廃材から舞い上がった噴煙が、フロアの一角を満たす。

 

 

「やったわ……!」

 

「ちょ、織莉子それフラグ! ほら駄目だったじゃんかぁ!」

 

 

 しかし、そこから逃れる影に仕損じたのを悟る五人は、油断無く暗い壁に注意を注ぐ。

 

 

「……どういう事だ、何で……っ」

 

 

 ――が、判然とした影の正体に、サキだけでなく全員が戦慄する。

 あまりに非常識。

 魔法少女であればまだ納得のしようはあるが、それはあり得ない。何で彼は、胸板に斧を突き立てたまま、平然としているのか。

 

 

「チッ……邪魔、だな」

 

 

 サキが死体と断じ、若者達との諍いを招いた元凶。

 若者と同年代くらいの長髪の青年が、血みどろで立っていた。

 

 

「ねぇ、そこの眼鏡っ娘。彼は死んでいたはずじゃなかったのかい?」

 

「そのはずだっ! 呼吸も脈も止まっていたし、あの出血量で生きているはずが無い、なのに……!?」

 

 

 狼狽えながらもサキは戦闘態勢に移行、打鞭を構え、みらいが倣って杖を構える。

 若者が左腕を前にかざし、織莉子、キリカもそれぞれの武器を。

 

 

「私達をここに集めたのはお前だな……。何が目的だ」

 

「……目、的……はっ」

 

 

 指を突きつける詰問を青年は無表情に鼻で嗤い、緩やかな動きで天井を見上げ、そして、視線だけで自分以外の全てを見下す。

 

 

「そんなの、決まってる――ぐゅぎあっ」

 

「ひっ……!」

 

 

 言いながら突然、胸に刺さった斧を抉る。

 奇声と共に、どこに残っていたのかというほどの出血。肉と骨を削る不快な音。鬼のような形相にみらいが目を背けた。

 が、残る四人は目を離せない。この異常から意識を逸らせば、その瞬間に“やられる”と、理解していたから。

 

 

「いもう、と、の……ソウ、ル、ジェムを……返せ……っ」

 

「――何!?」

 

 

 それを証明するかのように勢い良く斧が引き抜かれ、サキがまたも驚愕。

 妹、ソウルジェム、返せ。

 これ等の単語から導き出される事柄だけが理由ではない。

 噴き出した鮮血が、焔に転じた。壁一面を覆っていた黒い“何か”までもが発火し、結界の如く逃げ道を絶つ。

 

 

「熱っ!? な、にさこれ!?」

 

「まさかアレ全部、血だったのかっ?」

 

「なるほど……。不自然に多い鉄の廃材は、臭いを誤魔化すため……!」

 

 

 若者達が騒ぐ中、青年の姿もまた転じる。

 血塗れの衣服は、燃え盛る焔がそのまま形となったコートに。黒髪、黒い瞳も焔色へ。

 それを見て、サキはある事を思い出していた。

 

 

「赤髪、赤眼、踊る焔血……。間違いない……」

 

 

 いつか友人が言っていた、最新の都市伝説。妹を返せと叫ぶ、火達磨の男。

 狙われるのは、直近に不可思議な奇蹟を見た、もしくは体験した少女――魔法少女のみ。

 これだけなら新手の魔女か、その使い魔と真剣に受け取れたのに、もしかしたらと付け加えられた可能性で、一笑に伏してしまった存在。

 

 

「あいつは、赤帽子(レッドキャップ)……。ニコの言っていた“古き血統”だ! 気をつけろみらい!」

 

「え!? で、でも、こっちは、“遺品使い”と“ジェーン・ザ・リッパー”はどうするの!?」

 

 

 眉唾の“魔法使い”を目前にし、みらいは困惑する。

 そんな二人を置き、赤帽子と呼ばれた青年を厳しい目で警戒していた若者達は、示し合わせたように口を開いた。

 

 

「お願いだから人のこと変な呼び方しないでくんない? 背中がムズムズするからさ」

 

「何で私だけ二つ名が無いんですか!? こんなの不公平ですっ、私にも是非つけて下さい!」

 

「シリアスなムードが台無しだよ二人とも。――来るぞ!」

 

 

 

 

 

《それは、望まれたはずの命の物語》

 

 

 

 

 

「んぎゃっぷ!?」

 

 

 人気の無い路地裏へ墜落したかずみが、女の子らしからぬ悲鳴を上げる。

 うつ伏せでお尻を高くしているせいか、パンツも丸見え。この場に男子が居ないのが、せめてもの救いだろう。

 

 

「ぃぃいったぁああっ! 何するの!? 膝すり剥いちゃったぁ!」

 

「あーもー、ギャアギャア騒がないでよ。ほら、オロナイ○軟膏ー。これでも塗っときゃ治るでしょ?」

 

「ひどいっ!? 見た目がマジカルナースさんなのに治療法が現実的かつ雑っ!?」

 

 

 彼女に続いて――というには優雅すぎる動きで降り立ったユウリが、茶色いキャップの小瓶を投げる。

 文句を言いながらも患部に軟膏をヌリヌリ。かずみは服の汚れを払いながら立ち上がった。

 

 

「それで、私に何の話があるの? こんな風に誘拐しなくたってちゃんと聞くのに。カオル達、絶対に勘違いしちゃってるよ?」

 

「こっちだって好きでこんな事してる訳じゃないの。アイツ等がいっつも口先で誤魔化すから仕方なくなんだってば。分かんない? ……にしても」

 

「な、なに?」

 

 

 ずい、とかずみに顔を寄せ、ユウリはしかめっ面。

 今日初めて出会った少女。しかも、半ば強引に自分を連れ去った相手。

 かずみにしては珍しく、本気で警戒し始めた。

 

 

「ホントにソックリだこと。気持ちは分かるけど、さ……」

 

「……え?」

 

 

 ――ところへ、気になるフレーズが。

 当のユウリは、しかめっ面から生のゴーヤでも丸かじりした苦い顔に。

 そっくり。誰かに似ている、という意味の言葉。

 “自分”を知らないかずみにとって、それは喉から手が出るほどに欲しい情報だった。

 

 

「ま、アタシにゃ関係ないけど。さして仲良くもなかったし。アタシが知りたいのは一つだけ。駄目元だけど、どうしても聞いておきたい」

 

 

 ――が、「何か教えて貰えるかも」という期待を、ユウリは切って捨てる。

 辛うじて拾えたのは、かずみが似ているという誰かと彼女は、あまり友好的な関係ではなかったらしい、ということ。

 まぁそれも、出会った当初から嫌というほど見せつけられた純度一〇〇%なツンデレっぷりを鑑みるに、怪しいのだが。

 と、記憶が無いはずなのに、妙な事だけは覚えているかずみの穿った見方を露知らず、ユウリは真剣な表情で問う。

 

 

「ねぇかずみ。アンタのはとこ――カナミのこと、アイツ等から何か聞いてない?」

 

 

 

 

 

《それは、継ぎ接ぎされた怪物の物語》

 

 

 

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!? くひっ、ひひっぐ、がっ、あ゛、ぎぃいいっ!?」

 

 

 気が狂う白さに囲まれた部屋で、およそ人間とは思えない怪音を発し、少女(少年)が裸身をのたうち回らせる。

 意思に反して暴れる手足は、正しく怪異と呼ぶに相応しい異形。

 魔法で幾重にも封された四方を、それでも深く抉りながら、彼女()は耐えていた。

 

 

「随分と荒れているね。何かあったのかい?」

 

 

 そこへ、まるで今日の天気でも尋ねるような、気楽な声。

 ピタリと狂乱が治まり、少女(少年)は事後の如く気だるい表情で振り返った。

 

 

「やぁ、マイちゃん……。実はね、今日は調子が良かったから、久しぶりに遠出“させて”みたんだけど……。

 そしたらなんと! 初恋の女の子に出くわしたんだよ! 十年ぶりだったけど間違いない! 凄い偶然だよね?」

 

「それはそれは。今日は君の方が“濃い”んだね。とにかく、良かったじゃな――」

 

「でもその子、倍近い歳の男と楽しそうに腕組んでてさ! 明らかに援交だよ援交! ショックで思わず自殺しちゃったよ一回! あはっ」

 

「――ご愁傷様。それで痛みを誤魔化すのにテンション上げてるんだ……。近所迷惑にならない場所で良かったね」

 

 

 床にばらける非常に長い髪を揺らす少女(少年)へ、マイと呼ばれた人影がなんとも言えない表情で十字を切る。

 そんな彼女(?)もまた、人とは言い難い容姿をしていた。

 白髪に赤い瞳。ここまでなら、色んな理由を探せば有り得なくもないだろう。

 しかし、その頭部には人間には不必要な部位――いわゆる猫耳が生えており、その中からは長い可動部が伸びていた。ついでに臀部の辺りからもフワフワな尻尾が。

 動きの端々から感じ取れるあざとさは、男が見れば一瞬で虜になっていただろう。

 

 

「でも、そう命を粗末にされると困るんだけどなぁ。O'zもいい所で負けちゃったみたいだし、手駒が減るのはマズイんだよね~」

 

「O'z? ……ああ、例の赤鬼さんかぁ。妹さんから押し付けられたっていう“全能”も大したことないのかな? それにO'zだとイニシャル逆だし」

 

「ワザとさ。それ、彼の前で口に出さない方がいいよ。いくら君でも十四回目は無いんだから……って、最大の場合は、か。さっき自殺したって言ってたけど、今はどのくらいだい?」

 

「七つ――いや、六つかな……? あぁ、もっと集めないと……。もっと食べないと……。早く会いたいなぁ、カ■ミぃ……」

 

 

 愛おしい名をひび割れた声で呼びながら、彼女()は自分の胎を撫でる。

 まるで、そこに命が宿っているかのように。そこに居る“何か”が、空腹を訴えているとでもいうように。

 よくよく見れば、その下腹部には生殖器が存在しない。胸の膨らみも女性らしさは乏しく、顔立ちは中性的というより、男女に分化する前の幼い印象。

 少なくとも、この場に正しい意味での“人間”は居ないようだった。

 

 

「……の割りに自殺して消費しちゃう辺り、一貫してないよね。もっと強い意思を持つべきなんじゃないかな?」

 

「うるさいなぁ、分かってるよぅ。心を求めるブリキ人形のくせして、偉そうに」

 

 

 不機嫌そうに少女(少年)が言い放つ。

 が、実質お前には心が無いと言われたにも関わらず、マイはむしろ嬉しそうにニッコリ笑う。

 

 

「言い得て妙、だね。なら君は、そうだなー。……トランプ。別の物語だけど、首を狩ろうと寄ってたかる、ぼくの頼もしい兵隊さん。……なんてどうだい?」

 

 

 嫌味の無い、可愛らしい笑顔。

 しかし、致命的に“人間らしさ”を欠いた、作り物のそれへ。

 怪物としか呼べない少女(少年)が、実に“人間臭い”笑みを浮かべた。

 

 

「残念だけど、()は兵隊さんには向かないよ。どっちかっていうと、ルール次第で最強にも際弱にもなる――仲間外れの道化師(ジョーカー)、かな?」

 

 

 

 

 

《それは、交錯する想いの物語》

 

 

 

 

 

「――魔法少女」

 

「……はぁ?」

「……は、ぁ」

 

 

 喫茶店に響いた美佐子の呟きに、青年と少女が“同時に”首をかしげた。

 普通ならそうなってもおかしくない場違いな単語であったが、美佐子にとっては待ち望んだ反応を引き出す会心の一言だった。

 今まで、あの青年は少女の反応を確かめるように、ワザとテンポをずらして返答していたように感じた。

 が、この単語に関しては全くの同時。

 少女の顔にも、「何を言ってるんだろうこのオバサン」という明確な感情が見て取れた。さっきまでは、どんな些細な質問に対しても煙に巻いた態度をしていたというのに。

 間違いなく、このカップルは何かを知っている。テーブルの下で硬く拳を握り、美佐子はそう確信した。

 別に、オバサン扱いされているのを察知して怒っている訳ではない。

 

 

「三日前に起きた廃ビルの炎上・倒壊事件。その現場から、ある物が検出されたわ」

 

「あるもの、ですか。それは何ですか? と聞いても?」

 

 

 少女の問いに、美佐子は笑う。

 

 

「――人間の血液。同一人物の物が、三回は死ねるだけの面積に渡って、ね」

 

「……血、ですかー。怖いね」

 

「そうだ、ね」

 

 

 制服の袖で口を隠し、少女が青年を見る。

 今までと打って変わり、彼は口元をモニョモニョさせ、一筋の脂汗を流す。

 まるで、痛みにでも耐えているかのように。

 

 

「あのビル、床材に問題があったらしくてね?

 特に炎上が酷かった――というか、ワンフロアしか燃えてなかったんだけど。

 その下階の天上との間に、ベッタリと。瓦礫の中から検出できたのは奇跡的ね」

 

 

 美佐子がコーヒーを一口。

 それを真似て、二人もそれぞれの飲み物を口にする。

 

 

「そこで、ちょっとしたお願いがあるの。……貴方の毛髪、提供してくれないかしら」

 

「……おれの、ですか」

 

「世の中、不思議な趣味を持っている人が居るのよ。その人、肝試しついでに廃墟を巡るのが好きらしくて、あの夜もあの地区に居たらしいの。そしてビデオにも撮っていた。

 ワンフロアだけにしか広がらない火災。工作機械でも使っているような騒音。崩壊するビルの五階から飛び降り、無事に着地する髪の長い男性の後姿を。……丁度、貴方くらいだったかしら。背格好は」

 

「………………」

 

 

 不意に提案された青年が、続けられた言葉に押し黙る。

 美佐子はハッキリ提示したのだ。

 貴方を疑っていると。貴方があの事件を引き起こしたのではないかと。

 が、それに答えたのは隣の少女。

 

 

「刑事さん。私は昔、海外に住んでいてね。そのせいか、今でも向こうのドラマをよく見るんだ」

 

「あら、そうなの。帰国子女なのね」

 

「ええまぁ。向こうって勧善懲悪が推奨されてるから、やっぱり刑事物が多くて。

 それで知ってるんだけど……。令状も無いのにこういうことするのって、違法なんじゃない……?」

 

 

 気圧が異常に高まったような感覚。

 見た目は笑顔を浮かべる少女だが、少女らしからぬ迫力が備わっていた。

 上司に叱責されるのにも引けをとらないそれに、しかし美佐子は負けることなく、テーブルへ両肘をつき、同じく笑顔を見せる。

 

 

「ええ。その通りよ。よく勉強してるわね」

 

「だったら、答えはわかりますよね? 私達、そろそろ失礼します。さ、行くよ」

 

「あ、ああ」

 

「――でも」

 

 

 話を強引に切り上げ席を立つ少女と、手を引かれて立ち上がる青年を、たった二音が引き止める。

 そうさせるだけの重みが、その声にはあった。

 

 

「それでも諦めるわけにはいかないのよ。

 上層部は浮浪者の侵入による事故で片付けようとしている。さっき言った映像だって、オリジナルはもう握り潰されているでしょう。

 だけど、もう諦められない。ようやく手が届いたの。……あの人達のおかげで、ようやく確信できた」

 

 

 誰もが思わず眼を奪われるほどの、魅力に満ちた表情。

 何かを強く信じ、何かを心から求める、生きた想いを見せつけられ、二人は動けなくなる。

 彼女の輝く瞳が、焼き付けられてしまう。

 

 

「恋人を庇いたい気持ちは分かるけど、私は彼を罰したいわけじゃないの。

 ただこの街で、この世界の裏側で今、何が起こっているのかを知りたいだけなのよ。私に出来る事を見つめるために。

 何か知っているのなら、お願い、何でもいいから教えてちょうだい。――聖カンナさん」

 

「だから。彼氏じゃないって何度言えば分かるのかな……?」

 

「……おれは、嬉しいんだけどな……」

 

shut,up(黙れバカ)

 

 

 

 

 

《それは、魔法少女達の物語》

 

 

 

 

 

『三人寄ればなんとやら――かずみ、御崎海香、牧カオル』

 

「ぎゃー!! イニシャルGがーっ!!!!!!」

「ちょっとかずみ、落ち着きなさ……ひやぁあ飛んだぁああ!!」

「げっ、ちょ、アタシの方に来るなっ……きゃあああああっ!?」

 

 

『合わせ鏡の裏と裏――若葉みらい、浅海サキ』

 

「むっ。なんかボクとキャラ被ってるヤツが複数居る気がする! 一人称的な意味で!」

「みらい、誰に向かって喋ってるんだ?」

 

 

『恋敵――宇佐木里美、神那ニコ』

 

「う、薄くない! ちゃんと存在感あるもの! ……そ、そうだ。脱げば、脱ぎさえすれば皆の中で一番凄いんだからぁ!」

「そりゃあごもっともだけど、カナミが見てるぞー?」

 

 

『《検■■れま■た》――■■■ナ』

 

「Hocus-Pocus、消されて泣くな――ってね」

 

 

『不治の病のナイチンゲール――飛鳥ユウリ』

 

「……はぁ!? そんな訳ないでしょ!? アタシは単に借りを返したいだけっ。精神衛生上の問題で……す、好きとか嫌いとか、そんなんじゃないんだからっ!!」

 

 

『ジェーン・ザ・リッパー――呉キリカ』

 

「はっ、舐めてくれるなド三流! ワタシの愛は! 先生君と織莉子が居てくれる限り……。無量・大・数、だぁああぁぁあああっ!!!!!!」

 

 

『傾国――美国織莉子』

 

「あら、大丈夫ですよ。霊威兵装の一つや二つ、お父様におねだりすれば、すぐにご用意できますから♪」

 

 

『マギカ・カルテット――巴マミ、佐倉杏子、美樹さやか、暁美ほむら』

 

「何なの、一体……っ」

「ボサッとすんなマミ! アイツ、マジでヤベェぞっ!!」

「で、でも、あれって、あれも魔女でしょっ? だったら何で……」

「……魔女が、魔女を――食ってる」

 

 

 

 

 

《――変革の、物語》

 

 

 

 

 

「“僕達”の理論にはまだ発展の余地がある。それを他ならぬ、この“ぼく”が証明しよう。とくと見ているがいい。多き者達よ」

 

 

 

 

 




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【神名】番外編その3【あすみ】

 

 

 夕暮れの教室。

 下校時刻をとうに過ぎ、人影の残っていてはならないそこに、二つの影がある。

 一つは、担任教師用のデスクに居る、自分の物。

 もう一つは――

 

 

「センセーさぁ、恥ずかしいと思わないの?」

 

 

 ――そのデスクの上に腰掛け、嘲る少女。

 ボブカットで、半袖のシャツにズボン姿。

 西日を正面から受ける彼女は、幼いなりに整った顔立ちを歪め、靴下に包まれた小さな足でこちらの股間をまさぐっていた。

 

 ……っ、か、神名、いい加減に……。

 

 

「恥ずかしくないのかって聞いてるの。十二歳に足で踏まれて、しんせーな教室で汚いモノおっ立てて」

 

 

 ぐ、うぅ。

 

 ぎゅうっ、と竿が押し潰される。

 同時に、たるんだ腹にも足がめり込む。

 

 

「ま、恥ずかしいのは身体もそうだよね~。中途半端に小太り眼鏡で。声だけは辛うじてイケメンなのに、外見と合ってないから違和感バリバリだし。ホントにキモいんですけど」

 

 

 足裏での踏みつけから、つま先で撫でるように。

 円を描く小ささがもどかしい快感を呼び、せめて顔には出さないために、歯を食いしばって耐える。

 が、もう既に二十分。限界が近かった。

 

 

「あれ、イきそうなんだ。ズボンもパンツも脱いでないのに。このままじゃ汚しちゃうよ? いつも皆が授業を受けてる教室でしゃせーしちゃうよ?」

 

 

 意地の悪い顔で、少女は足の動きを活発にする。

 どこをどうすれば気持ちいいのか。

 どこまでの痛みなら程よい刺激になるのか。

 完全に把握されていた。

 

 頼む、今日は着替え、持って、きてないから、っ、だから……。

 

 

「ホントにいいの? やめちゃって。ホントは出したいんでしょ。しょーがくせーの足にイジメられて、ぴゅるぴゅるー、ってさ?」

 

 

 ち、違う、そんなことあるわけ――。

 

 

「……もう、口だけは強情。だから面白いんだけど。さ、《本当のことを言いなさい》」

 

 

 ぐぁ、ぁ……。イ、きたい……神名の足で、出した、い……っ。

 

 意思に反して声帯が震え、行為の続きを懇願してしまう。

 それを聞くと、彼女は歳相応に可愛らしく、不相応に邪悪な笑みを。

 

 

「あは、素直さんだね、センセー。じゃあご褒美あげ、るっ」

 

 

 う、ぁ!

 

 体重をかけて、竿を踏みつけられる。同時に、下着の中で生温かい液体が暴れまわった。

 彼女がそれを助けるように強弱を変えるものだから、あっという間にズボンにまで染みが。

 

 

「は、きったな。ねえ? どんな気持ち? か弱い女の子になじられてイっちゃったのは。気持ちよかった?」

 

 

 ……なにが、か弱い女の子だ、この魔女め……!

 

 精一杯の抵抗を込めて、少女を睨みつける。

 そんな事をしても意味なんて無く、この魂を縛る魔術も解けやしないけれど、上辺だけでも屈しまいと嫌悪をふり絞る。

 

 

「……センセーって、ときどき鋭いよね」

 

 

 ――が、返って来たのは意外なもの。

 全てを悟り、諦めたような表情だった。

 まさか。この程度で傷つく筈がない。しかし、あどけない顔は俯き加減に隠される。

 勢い任せに暴言も吐いてしまった。後が怖いのはもちろん、僅かばかりの良心が痛み――

 

 

「でもムカつく」

 

 

 がふっ!?

 

 ――油断したみぞおちへ踵が叩き込まれた。

 さっきまでのとは違う、痛めつけるための攻撃。

 椅子と共に倒れ、派手な音が立った。

 

 

「さーてと、わたし帰る。せーえき臭いズボンはいて職員室に戻れば? じゃーね、センセー。また明日」

 

 

 振り向きもせず、少女は教室を出て行く。

 這いつくばってそれを見送った後、怒り、悔しさ、情けなさ、その他諸々が混ざった感情をデスクに蹴りつける。

 この状況。あの日と似ていた。

 数ヶ月前――彼女の親類の葬式があった日。

 そして自分が、神名あすみの奴隷(おもちゃ)になった日と、とてもよく似ていた。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 やけに空気が冷たい日だった。

 降り注ぐ陽光が身体を温めても、葬儀場を流れる微風に当たるだけで冷え切ってしまう寒さ。

 今日という日に似つかわしいと言えばそうかもしれないが、心地良いはずもない。

 

 

「………………」

 

 

 そんな中、ポツリと佇む少女が居る。

 黒い八分袖のワンピースを着た彼女は、空を見上げていた。

 周囲に人影もなく、そこだけ時間が止まっているようで。

 

 疲れてないかい、神名。

 

 

「……センセー。うん、大丈夫」

 

 

 声をかければ、勘違いである事が証明された。

 振り返った少女は――神名あすみは、こちらを見上げて儚く微笑む。

 数日前、彼女は親類を失った。理由はよく分かっていない。

 伝え聞いた限り、何者かが家へ侵入。彼女の……世話をしていた親戚親子三人を音もなく殺害。立ち去ったらしい。

 いまいち要領を得ないが、それ以上の事を誰に尋ねる気も起きなかった。

 

 今日は彼等の葬儀が行われる。喪主は神名だが、実際に葬儀屋と段取りを決めたのは自分だ。

 他に親類もおらず、遠方に住んでいるという彼女の父親は仕事のトラブルで街を離れられないようで、仕方なくである。

 いい迷惑……なんて言っちゃいけないのは分かっている。今は自分の事よりも、この子の事だ。

 

 中に入ろう。もうすぐ葬儀の準備も終わるから。身体を冷やしちゃ駄目だよ。

 

 

「……ありがと。ごめんなさい、迷惑かけちゃって」

 

 

 いいんだ。今はそんなこと気にしないで。

 

 大人になり始めた顔に浮かぶ、苦笑。

 本当なら頭を撫でてやりたかったが、身体を低くし、目の高さを合わせるだけに留める。

 軽く微笑み合い、自分達は休憩室へ戻ろうと足を戻す。

 

 

「――ぁ、はぁ、はぁ……!」

 

「オイ待て新人! どうしたってんだ一体、まだ準備の途中だぞ!?」

 

 

 すると、さっきまで話していた場所に駆け込んでくる二人の男性。

 葬儀会社の人間のようだが、様子がおかしい。

 新人と呼ばれた歳若い男は、目に見えて身体を震わせ、肌も土気色をしていた。

 

 

「先輩、おかしいっすよ……」

 

「だから何が? なんだってんだお前は」

 

「なんで、なんで人間があんな……。一体どうすりゃ、あんな顔で死ねるんすかっ!?」

 

 

 大きく取り乱し、彼はもう一人に詰め寄る。

 比較的冷静な、自分と同じ年代と思える男が、己の額を叩きながら嘆息した。

 

 

「……棺桶を覗いたのか。規則違反だぞ。なんだって――」

 

「理由なんてどうでもいいじゃないっすかぁ! とにかくおかしいっすよ!

 まるで、“生きたまま死んでる”みたいだった……。

 死後硬直って、二~三日で解けるんじゃなかったんすかっ? なんで顔だけ、あんな……っ」

 

「俺が知るか、くそ、思い出させやがって。地獄でも覗いたんだろうよ……。

 とにかく、普通じゃない事だけは確かだ。滅多な事を言うな。触らぬ神に祟りなし、だ」

 

「でも――」

 

 

 若い男は、なおも冷静な男に言い縋る。

 まだ会話は続いているようだったが、それは聞くに耐えなかった。

 

 ………………行こう、神名。

 

 

「……ん……」

 

 

 二人を見つめていた神名の手を取り、彼等に背を向ける。

 小さく、冷たい感触。

 手の平と胸の奥に感じるそれに、少しだけ身震いした。

 関係者の休憩室に入れば、また彼女と二人きりになった。

 変な話を聞かせずに済むという安心感と、相対さなければならない重圧。

 

 

「――ぃち」

 

 

 ……? 何か言った?

 

 

「ううん、何も」

 

 

 かすかに握り返す手。

 細さと柔らかさを意識した瞬間、不味いことをしてしまったのに気付く。

 

 ごめん、嫌だったよね、いきなり。

 

 

「あ……」

 

 

 繋いだ手をほどきながら、簡素なパイプ椅子へ導く。

 一瞬、何か言いたげな目をした神名だったが、素直に腰を下ろしてくれる。

 隣へ腰掛けると、彼女が座った時よりも大きく椅子が軋んだ。

 

 

「………………」

 

 

 重苦しい空気が漂う。

 気の利いた会話の一つでもあれば、そんなものを感じなくて済むのだが、場にそぐうボキャブラリーは持ち合わせていなかった。

 ……下手な気遣いしか出来そうにもないけど、黙っているよりはいいか。

 

 のど、渇いてないか。適当に飲み物でも買ってこよう。

 

 そう言って、返事も待たず立ち上がる。

 確か、葬儀場の入り口近くに自販機があったはずだ。

 小銭は――

 

 

「――に」

 

 

 ――と、財布を確認する腕が、何かに引っ掛かった。

 

 

「そばに、いて」

 

 

 喪服の肘を引く、折れそうな指。

 うつむく表情はどんなものか知れないが、胸をくすぐられる感覚を覚えた。

 産休補助教員として、神名の居るクラスを受け持って数ヶ月。

 母子家庭であり、その母親を失ったばかりだった彼女へは、腫れ物に触るような扱いしか出来なかった。

 しかも悪意ある噂まで流されて、自分は助けることも出来なかったのに、こうして頼ってくれる。

 今度こそ、応えなくては。

 

 分かった。どこにも行かないから。

 

 

「ん……」

 

 

 椅子に戻れば、満足そうな瞳が見つめてくる。

 教師として嬉しいのはもちろん、その姿は庇護欲を駆り立てるものだった。

 見た目が災いし、子供達にからかわれてばかりな教職だったが、少しはマシになったのだろうか。

 幼いころ世話になった先生に憧れ、教師になる事だけを夢見て、早二十数年。

 それ以外に興味を持たなかったせいか、純粋に女の子から頼られるなんて、初めてに近いかもしれない。

 大抵は都合の良い小間使いとして扱われるだけだったし……。

 

 

「――さん」

 

 

 ――が、これはまたマズイかもしれない。

 何かを小さく呟く神名は、こちらの手を握ったままなのだ。おまけに彼女の頬へ導かれ、十代前半特有の滑らかな肌を味わっている。

 そんなつもりは無いし、そんなつもりも無いだろうが、生まれてこの方、右手が恋人の身では変な気分になってしまう。

 嫌じゃないのか? と尋ねても、彼女は「そんなことない」と言って頬擦りするだけ。

 

 

「センセーの手、好きだよ。あったかくて、やわらかくて。……あいつ等と違うから」

 

 

 心臓を直接ねぶられた。

 と、そんな勘違いをしてしまいそうなほど、暗い“色”を感じた。

 ……まさか。いや、そんな。ただの噂のはず。

 神名が、引き取られた親戚の家で性的虐待を受けていたなんて、ただの、噂だ。

 

 

「――ょん」

 

 

 また、呟き。

 なまめかしい唇が吐息を漏らす。

 重なる視線に、息が詰まった。

 

 

「ほんとだよ」

 

 

 ぎくり、と背筋が強張る。

 考えを読まれているようなタイミングの言葉。

 だが、少し考えれば間違いであることは明白だ。

 彼女が言ったのは手の話で、虐待の事じゃ――

 

 

「センセーの考えてる事は、全部ほんとだって言ってるの」

 

 

 ――ぇ?

 

 声が掠れてしまった。

 ほんの僅か。見詰め合っていなければ気付けないくらいに、目が細められる。

 たったそれだけで、目の前に居る少女の印象が一変した。

 儚げで、手を尽くさなければ今にも枯れてしまいそうな憐花から、誰の手も借りず、たった一輪で彼岸に咲く、毒の花のように。

 

 

「あ、ひどい。人のこと不吉な花に例えないでよ。傷ついちゃう」

 

 

 ……っ!?

 

 なん、ど、どういうことだ。自分は考えただけで、口になんか出していない。

 表情を読まれた? いや、それだけで花なんて単語が出てくるわけが……。

 そうか、無意識に喋っていたんだ。きっとそうに違いな――

 

 

「あはは、自分を誤魔化すのに必死だ。……本当は分かってるでしょ。わたしが何をしてるのか。自分が何をされてるのか」

 

 

 神名は楽しそうに笑う。

 先ほどまでの大人しさが嘘のよう――おそらくは、こちらが本来の姿なのだと思える、子供らしい笑顔。

 なのに、瞳の中に居る自分が丸裸にされそうで、震えが走る。心の奥底にはりつくヘドロまで晒されそうで、恐ろしい。

 思わず手を引き剥がそうとし――

 

 

「《動くな》」

 

 

 ――金縛りにされた。

 腕はおろか、身体が丸ごと氷漬けに。

 辛うじて動くのは、眼球と内臓。そして、困惑する思考のみ。

 おかしい。どうなってる。なぜ動かない。これは、なんだ?

 

 

「ヒドイよね、センセー。わたし、何度も助けてって言ったんだよ。言葉には出せなかったけど、助けて欲しかったんだよ」

 

 

 石になった手の平が、神名の息遣いで湿る。

 ウットリとした顔で、キスをするように瑞々しいそれが動き――

 

 

「でも無視した。気付いてくれなかった。気付こうともしなかった。ううん、気付いていたのに気付かないフリをしてた。……そうでしょ」

 

 

 ――ザク、と胸を抉られた。

 違う。そんなことない。こう言い返したかったのに、声帯は震えを禁じられている。

 その分、心臓は尋常ではない恐怖に震えて。

 

 ……そうだ。確かに気付いていた。いつも身体の一部を庇っていたし、家へ帰りたくないみたいに下校時間ギリギリまで教室に居た。男に触られるのを怖がっている様子もあった。

 でも、どうすれば良かったんだ。

 心配しても神名は「大丈夫」の一点張り。無理に確かめようとすればその時点でセクハラになってクビ。

 あの先生をマネて休みの日に家へ連絡してみても、たった一回様子を尋ねただけで苦情の電話が一ヶ月続き、教頭や校長にまで注意を受けた。

 今なら分かる。体よく厄介事を押し付けられただけだったのだと。それでもやっと教壇に立てたんだ。なのに……。

 

 

「チッ。ウザいから頭の中で言い訳しないで、よっ」

 

 

 う、わ!?

 

 唐突に、金縛りが解けた。

 引き剥がそうとする直前で止められていたせいか、勢いよく後ろに倒れこみ、派手な音。

 後頭部もしたたかに打ちつけ、目の中に火花が散る。

 頭を押さえながら仰向けに呻いていると、今度は腹の上に重さを感じ、息が押し出された。

 

 

「あは、すごい。センセーのおなか、座り心地さいこーだよ? 無駄な脂肪も意外なところで役に立つね?」

 

 

 じんわりとした熱。布越しでも分かる柔らかい肉。

 神名の小さな身体が、腹の上にあった。子供のように――確かに子供なのだが、無邪気に跳ねて腰を動かす。

 絶対に三十キロ以上はあるはずなのに、まるでそうは感じない。

 けれど、彼女のお尻はちょうどヘソのすぐ下で、微妙に股間への刺激ももたらされてしまう。

 

 

「……へぇ。こんなことで硬くしちゃうんだ。じゃあ、もっといいこと教えてあげる」

 

 

 まだ勃起とは言えない僅かな隆起を、敏感に感じ取られる。

 蔑んだ目をした神名は、座る位置を少し前に、寝そべって身体を密着させ、耳元に囁く。

 

 

「わたしね。お母さんのお葬式の日に犯されたんだよ」

 

 

 鼓動が大きく跳ねた。

 それは一旦平常に戻ったあと、言葉の意味が脳へ染みるにつれ、また早くなっていく。

 ……犯された? レイプ、されたのか、神名が?

 だってまだ、十二歳で、そんな事できる身体じゃ。

 

 

「あいつ等にはそんなことドーデモ良かったの。モノを突っ込む穴さえあればそれでいいって、笑ってたもん。

 今日と同じ、黒いワンピース着てたんだよ。それを無理やり引き裂かれて、腕と押さえられて、口を塞がれて、大事なとこに唾を吐きかけられて、強引に……」

 

 

 にこり。外道の所業を語りながら、優しく微笑む彼女。

 語り口も幼子にするかのように穏やか。

 けれど、笑っていない。

 顔も、声も、放たれる雰囲気すら柔らかいのに、瞳の奥が硬質な光を放つ。

 

 

「お母さんの弟と、その息子二人。三人に、かわるがわる。

 最初の方は必死に抵抗してたんだけど、何回も殴られて気力も無くなっちゃった。それでもあいつ等はやめなかったの。

 一晩中、わたしの中に何度もせーえきを吐き出して、自分の血がついたモノを無理やり咥えさせられたりもしたんだよ」

 

 

 脳が勝手に、その光景を再現してしまう。

 押さえ込まれる神名。抵抗しようとしても大の大人三人に敵うはずがない。

 服を引き裂かれ、ブラもつけていない小さな膨らみが露出する。

 恥ずかしさに隠そうとするも、腕は押さえられ、声を上げられないように口まで。

 息子達に拘束を任せ、男が、彼女を。

 

 

「そう。そんな風に犯されたの。痛かったなー。まるでおなかを刺されて、傷口をかき回されてるみたいだった。こ・れ・で」

 

 

 ……う、あ?

 

 不意に彼女が身体を起こし、同時に快感。

 股間をまさぐられていた。

 止める間もなくチャックが下ろされ、細い指が下着の中から竿を引き出す。

 後ろ手になって見えないはずなのに、行為は正確そのもの。

 

 か、神名? なに、してるんだ、止め――うっ。

 

 

「うわ、あいつ等より太いかも。でね、それから毎晩、犯された。センセー、一回だけ電話してくれたよね?

 あの時もサれてたんだ。いいところで邪魔されたって、おかげで殴られちゃった。いい迷惑」

 

 

 先端に被った皮がむかれる。かと思いきや、すぐさま元に戻される。

 慣れた様子でそれが繰り返され、小さな手が優しくしごき上げた竿は、あっという間に硬く。

 こんなにガチガチになるのは、生まれて初めてかもしれない。

 

 

「フェラチオとか、手コキとか、他にも色々。お尻も犯されたんだぁ。

 このくびれのとこ、好きでしょ。先っぽの穴も気持ちいいでしょ。必死に覚えたんだよ? 殴られないようにって。

 けど、結局は理由をつけて殴られて、客まで取らされそうになって。こんなのが続いたら、いつか殺されちゃうと思ったの。だからね」

 

 

 ――殺しちゃった。

 

 ただ唇が動いただけなのに、そう言ったのだとハッキリ分かった。

 ぶるり、と背筋が震える。

 けれど分からない。これが恐怖からなのか。少女の指が絡みつくからなのか。

 なんで、こんな無邪気に恐ろしいことを言える。

 なんで、女の子の手はこんなに気持ちいい。

 なんで、自分はこんなことをされて。

 あぁ、なんで……。

 

 

「ふふふふふ。センセー、面白いことになってる。

 気持ちいいのに怖い。怖いのにもっと気持ちよくなりたい。頭の中グチャグチャ。

 こんなに面白い顔を見られるなら、もっと別の方法にすれば良かったかなー」

 

 

 べぇ、と出した舌で、逆手の人差し指を湿らせる神名。

 それをこちらの唇に押し当てて、彼女は首をかしげながら――

 

 

「ねぇセンセー。どっちがいい? このまま気持ちよくなって死んじゃうか。それとも寸止めされて助かるか。

 さ、答えてよ。口に出さないで、考えるだけでいいから。……どっちがいい?」

 

 

 ――究極の二択を、突きつけた。

 快楽か、死か。

 気持ちよくなりたいに決まってる。死にたくないに決まってる。しかし、選べるのは一つだけ。

 迷う間も神名の手に玩ばれ、指が口の中へ侵入してくる。

 射精感と、恐怖に、困惑。

 それ等が混ざり合い、思考を放棄しそうになった時、ふと気付く。

 

 神名がこの場で殺人を犯すことは、ありえない。

 

 どんな方法で三人を殺害したのかは分からないが、おそらく証拠は残さずに済んだのだろう。

 が、死体は処分できなかった。でなければ葬儀なんかする必要はない。

 ということは、自分が死ねば死体が残る。立て続けに、しかも葬儀会場で教師が死んだとなれば、必ず衆目を浴びる。

 それすらどうにかする“力”を持っているとしたらそれまでだけれど、そんな都合のいい力、何の代償もなく使える訳がない。

 半年前、見捨てられたから憎まれているのだとしても、この場で殺すことにはデメリットが多過ぎる。

 だから自分は、少なくともここでは殺されないはず。

 

 

「………………へぇ。意外と冷静なんだ。ふふっ、面白~い。同じ男なのに、全然違うや」

 

 

 ちょっとした引っ掛かりから思考が加速。快感を忘れ、自分が助かる理論を組み立てていた。

 それを読み取ったのだろう神名は感心したような顔を見せ、口に突っ込んでいた指を引き抜く。

 なんとか、助かった……のか? 考えに没頭したおかげで意識も切り替わっている。これなら拒絶でき――

 

 ――うっ!

 

 

「じゃあ特別。ちょっと遊んだら記憶飛ばしちゃうつもりだったけど、選択肢を変えてあげるね?

 このまま寸止めされるのと、これから先の人生をわたしのおもちゃ(実験台)として生きる代わり、何度も、何度も。とぉっても気持ちよくなれるの。センセー。どっち?」

 

 

 先端がスッポリと握られた。

 指がくびれを掴み、手の平で縦にグリグリ押し潰される。

 大人しくなりかけた欲望が首をもたげ、今にも射精しそうに。

 だが――

 

 

「……ふふ」

 

 

 ――その直前で、神名は手を離してしまう。

 あともう少しで出せそうなのに、ギリギリ、届かない。

 あと少し、ほんの少し触ってくれれば、イけるのに……っ。

 頼むから、もっと……!

 

 

「くすくすくす……」

 

 

 死ぬ心配がなくなったからか、自分は忌避すべき快楽を求め、頭の中で懇願する。

 しかし彼女は嗤うだけ。

 呼吸で、目で、思考で訴えても、変わらない。

 ああそうか。屈服させる気なんだ。

 決定的な一言を自らの意思で言わせることで、逆らう気力を失わせようとしているんだ。

 そんな手に乗ってたまるか。まだ自分の教師人生は始まったばかり。こんなところで道を踏み外すものか。

 ……と、そう、歯を食いしばり――

 

 頼、む……。おもちゃにでも何にでもなるから、神名の手で、イかせて……!

 

 

「――ご。完全掌握かんりょー。ほら、イっちゃえヘンタイ」

 

 

 う、あっ。

 

 ――決意した、はずなのに。勝てなかった。

 乱暴に指が上下し、達しそうになった先端へ覆い被さって、びゅる、びゅる、びゅる――と、その中に大量の精液を吐き出す。

 粘液が跳ね回り、快感の熱が纏わりつく。

 

 

「ぅわ~、すっごい量。溜まってたんだねー、センセー。……ん……やっぱ気持ち悪いや」

 

 

 ブヨブヨしたそれで遊んだ彼女は、滴り落ちそうになった雫を口に含んだ後、眉をひそめ、喪服で拭う。

 

 

「じゃあまずは、今日のお葬式、ちゃんとこなしてよね。わたしサボるから。今後ともよろしく、ね? わたしのモルモットさん」

 

 

 ……は。い……。

 

 無意識に。本当に無意識のまま、返事していた。

 屈服してしまった。心の奥にあった“何か”を、圧し折られてしまった。

 なのに、そのことに対して、後悔よりも期待を抱いてしまっていたのだ。この時の自分は。

 手で玩ばれただけで、かつて無いほど、一番、気持ちよかった。

 これからもっと、彼女に気持ちよくして貰えるのだ。もっと凄いことをしてもらえるのだと、そう思って。

 

 本当に遊ばれるだけだとは、微塵も考えていなかったのだ。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ねぇセンセー。オナニーしてよ」

 

 

 ……は?

 

 いつの間にか、目の前に女王様が居た。周囲を見回せば、そこは嫌な意味で馴染みのある空き教室。

 真昼を過ぎ、腹を満たせた充足感が身体に残っていた。

 ……またか。またなのか。

 自分の身に起こったことを、ありのまま、順序立てて整理しよう。

 給食を食べ終え、午後の準備をするために職員室へ戻ろうとしていたはずが、空き教室で神名と向かい合っていた。

 が、別段驚くような事でもないし、その原因もハッキリしている。

 

 また“乗っ取った”のか、神名……。

 

 

「うん。だって午後の授業まで暇なんだもん」

 

 

 悪びれることなく、放置された机の上で、珍しいスカート姿から覗く脚をぶらぶら。

 神名あすみ――自らを魔法少女(案外数は多いとのこと)と語った彼女は、精神に影響を及ぼす魔法の使い手だった。

 曰く、それは段階を踏まえるごとに強く影響を与えられるようになるらしい。

 

 レベルⅠ――対象の抱いている表層感情を把握。

 レベルⅡ――対象が今考えている事がわかるようになり、ある程度までの記憶も探れる。

 レベルⅢ――より深く精神に入り込み、記憶の操作が可能となる。暗示をかけ、思うように操ったり、トラウマを抉ることも。

 レベルⅣ――深層意識へ侵入。その人物の根幹を歪めることすら可能になる。

 レベルⅤ――精神だけでなく、肉体までも完全掌握される。ここまでくると自殺も許されず、言葉一つで心臓を止めることだって出来る……らしい。

 

 彼女はこの能力を駆使して生活を送っている。

 父親が寄越した弁護士――財産管理人を隷従させ、事件性を疑う警察は間接的に黙らせ、教師達も彼女の行動を黙認するよう“設定”済み。

 親戚の家は処分が決まっており、今は自分が住んでいるアパートの隣の部屋で一人暮らし中だ。

 もちろん、面倒な事を押し付けるための配置である。主に買出しとか。

 

 自分は既に完全掌握されていて抵抗も出来ず、その上で時折、勝手に身体を動かされるのだ。

 授業を自習にさせられたりはもちろん、色んなイタズラをさせられた。

 洒落で済むレベルだからまだいいが、操られている間の記憶がないというのは不安になる。

 

 ……神名。なんだったら早退してもいいから、授業の準備をさせてくれないかな。これ以上遅れるのは……。

 

 

「だぁかぁらぁ。早退してもつまんないんだってばぁ。センセーん家にあるゲームくらいしかやることないんだもん。だったらセンセーで遊ぶ方が面白いし」

 

 

 あぁそうですか……。

 

 傍若無人ここに極まれり、である。

 どうぜイきそうになってる顔を見て「ぶっさいく」だの「うわ~、必死」だのなじりたいだけなのだろう。

 抵抗したところで楽しませるだけ。

 さっさと事を済ませるため、自分はベルトに手をかけた。

 

 

「そんなに嫌そうな顔しないでよ。今日はいいものあげようと思ってたんだよ?」

 

 

 ――のだが、神名はクスリと渡って机から降りる。

 そして、一歩一歩踏みしめるように近づいて、「地面に手をついて」と要求。

 なんだか怖いな……なんて思いながらも、しぶしぶ言われた通りに。

 ちょうど彼女の腰辺りに自分の顔が来た。

 

 

「んふふ。よぉ~く見て、ね?」

 

 

 すると何を思ったのか、神名はスカートに手を突っ込み、シュルシュル、と何かを脱ぎ始めた。

 いや、何かなんて考えなくても分かるが、あまりに意外で理解が追いつかない。

 

 な、にを、神名?

 

 

「あはは。センセー、すっごいドキドキしてる~。ほらほら、ほぉら、脱げちゃった」

 

 

 細い太ももを通り、飾り気のない、クマのキャラクターがプリントされた女児用の下着が落ちた。

 それを拾い上げた彼女は、わざわざ肌に触れていた方をこちらに向けて見せつける。

 

 

「はい、プレゼント。脱ぎたてホカホカの、しょーがくせーの、パ、ン、ツ。これ使ってオナニー、したくない?」

 

 

 唾がのどを下る。

 痛いくらいに勃起していた。

 鼻面に突きつけられたそれからは、かすかな温もりと、小水の匂い。

 

 ……し、たい、です。

 

 

「わ。今日は素直さんだ。じゃあ特別に、わたしが被せてあげる。おちんちん出しなさい」

 

 

 言われるがまま、大急ぎで下着毎ズボンを引き下ろす。

 勢い余った竿がビヨンと跳ね、そそり立つ。

 神名は焦らすように下着を広げる両手を近付け、たっぷり時間をかけて、彼女の恥部へ触れていた部分と、先端が触れ合った。

 

 

「はい、できた。冷たくなる前にさっさとコスりなさい」

 

 

 しゃがみ込み、自身の膝に肘をついて、間近から竿を見上げる神名。

 命を握られているのだ。仕方ない。自分は悪く、ない。

 そう理性を誤魔化して、彼女に見せつけるよう、強くしごき上げる。

 直接布にこすれる感触。わずかに残った体温。……気持ちいい。

 

 

「あははっ、すご~い。そんなに興奮してるの? もうこんなにおつゆが出てる」

 

 

 下着は歪に形を変え、先走りが染みを作っていた。

 ただの自慰より遥かに気持ちいいのはもちろん、彼女の肌に触れているみたいで異様に興奮する。

 いつもは足で踏まれるか自慰を観察されるだけで、直接してもらったのは数えるほどだった。

 だからこうしていると、神名を汚しているみたいで……。

 

 仕方ない、じゃないか。君みたいな可愛い女の子の下着でするなんて、初めてなんだから。気持ち、いいんだ。

 

 

「……ねぇセンセー。キモいから《しゃべらないで》」

 

 

 ――っ?

 

 唐突に、のどが凍りつく。

 息を吐き出すことは出来るのに、声帯が機能しなくなった。

 喉頭の筋肉をも制御されてしまう、圧倒的な従属感。

 冷たい眼差しと言葉を向けられても、竿だけは熱いまま。

 

 

「あ~あ、見てるだけなのも飽きてきたな~。……ぃしょっと」

 

 

 ふと、神名は立ち上がって机の上に戻る。

 身体がこちらへ向き、微妙に両脚が開いていた。

 影になっているその中には、むき出しの肌が隠れているはず。

 

 

「……見たい? 見たいんでしょ、センセー。女の子の大事なところ。三人の男にさんざん使いまわされた汚いのでよければ、見せてあげよっか」

 

 

 視線に気付いたのか、挑発するようにスカートがずり上がる。

 じわり、じわり。股の間にあった影が面積を小さくしていき、肌色が増えて。

 心臓が力強く血液を送り出す。

 より硬くなったモノをしごきながら必死に頷くと、「はは。みっともない」と短く笑い、彼女はいよいよ――

 

 

「はいどうぞ。あ、見るのはいいけど触ったりはダメだから。センセーは見るだけ。《絶対に触れない》の。いい?」

 

 

 ――己の恥部を白日へ晒した。

 課せられた新しい制約も、“女性”を目の当たりにした興奮でどうでも良かった。

 少しぷっくりとした、無毛の丘。

 脚が開かれ、それに合わせてピッタリと閉じた割れ目もわずかに動く。

 知らず、一歩を踏み出していた。

 

 

「……ふふ、センセーがあんまり必死だから、ちょっと変な気分になっちゃった。……あ、ふっ」

 

 

 集中していなければ聞き逃してしまうほど小さな、つぷ、という水音。

 誰も触れられないはずの場所へ、細い指が侵入し始める。

 

 

「あ、んっ! 今日は、ぁ、大サービス……。しょーがくせーの、ん、生オナニー見ながら、オナニーさせて、あげる……あっ」

 

 

 神名の身体がピクピクと反応し、表情も変わりだした。

 普段は罵るばかりで、二人きりだと嘲りしか見せない彼女が、深く感じ入ろうと目を閉じている。

 可愛らしく思えてしまうのは、そのギャップのせいだけではないだろう。

 

 

「ほら、センセー見て? ゆび、二本も入っちゃうんだよ? ぁ、おマメいじると、すっごく気持ちいいんだよ? エッチでしょ?」

 

 

 指が速度を上げ、クチュリ、音が立つ。

 かと思えば、入り口を広げながら突起をコロコロ。

 ヌメリで光を反射するそこは、悦に合わせて蠢いていた。

 

 

「あんっ! や、だめぇ、臭い息、吹きかけないでよぉ……やん」

 

 

 甘い匂いがする。

 いつの間にか膝立ちになり、顔を間近まで寄せていた。

 荒い息が神名を刺激し、じわ、と愛液が溢れ出る。

 触りたい。指を入れたい。舐め回したい。しかし許されているのは、ただ見つめ、呼吸する事だけ。

 あの下衆三人は、ここへ好きなだけ竿を突っ込めたというのに。

 悔しくて、それなのに、おかしくなりそうなほど興奮して。

 我慢できそうに、ない。

 

 

「……あ。センセー、イきそう? わたしも、だよっ、一緒に、イく?」

 

 

 ガクガクと、首振り人形の如く首をふる。

 言葉にできない熱情が、欲望を加速させていた。

 イきたい。もう、出したい。触れることが叶わないなら、せめて一緒に……!

 

 

「……っはは。このド変態。ロリコン。性犯罪者。あ、イく、イっちゃう……っ」

 

 

 声に出さずとも、彼女はそれを感じ取ってくれる。

 嫌悪感の込められた罵りも、もう快楽の一要因でしかない。

 激しくなる水音。竿をメチャクチャにしごき、そして――

 

 

「んっ、んんんっ!!」

 

 

 ――同時に果てる。

 温かい飛沫が顔へかかり、粘液が女児用下着を穢す。

 バカみたいな勢いがあったらしく、それは手の中から零れ、床にボトボト溜まっていた。

 

 

「あ――は、ふ――んっ――」

 

 

 弓なりに背を反らし、小刻みな痙攣をしていた神名は、やがて全身の力をゆっくり抜いていく。

 満足そうな表情。目尻は下がり、半開きの口元から一滴。

 こんなに可愛らしい顔は。

 女と少女が入り混じった顔を見たのは、初めてだ。

 

 

「はふぅ、スッキリしたー。やっぱりたまには自分でしないとだねー。最近ストレス溜まってたし」

 

 

 ――が、唐突に身を起こし、いそいそポケットティッシュを取り出して、大股開きに指と股間を拭い始める彼女。

 漂っていた淫靡な雰囲気は木端微塵。余韻もへったくれもありゃしない。

 出会ってからというもの、散々イジメぬかれて女性に対する幻想は打ち砕かれていたが、それにしても現実的過ぎて気持ちが萎えてしまう。

 女子児童の生オナニーと、その後始末。

 そっち方面の人間なら大金を払ってでも見たい光景だろうけれど、実際に目にするとやるせない……。

 

 

「センセー。今わたし淑女タイムだから怒らないけど、後でお仕置きだから」

 

 

 超ゴメンなさい。高いプリン買ってきますから許してください。

 ……という脳内謝罪は伝わるだろうか。

 そろそろ発言も許して欲しいんだけど……。あとできればティッシュも……。

 

 

「五百円のやつだからね。《しゃべってよし》」

 

 

 許可と共に、使用済みティッシュが飛んできた。

 仕方なく、それをいったん広げて先端についた残り汁を拭い、手と床に飛び散った精液を拭い去る。

 これくらいの気安いやり取りは大丈夫になったのだと思えば、まぁ進展か。少し前まで何をされるか気が気じゃなかったし。

 そんな事を思いながら発声練習を繰り返し、ついでに彼女へ問う。

 

 ストレスって、何かあった?

 むしろ上機嫌だと思ってたんだけど。最近イジメられてなかったし。

 

 

「ん? 別にわたし、ストレス解消のためにセンセーをイジメてるわけじゃないよ?

 センセーの悔しがったり怖がったり焦ったりする顔が面白いから、実験も兼ねて飼ってるだけ」

 

 

 にこやかな返答。

 内容は最悪なのに、大して嫌だと思わなくなったのは、慣れてしまったからか。それとも快楽調教のせいか。

 自分の奴隷根性へ苦笑していると、神名はポケットから取り出した予備のパンツを穿きながら更に続ける。準備がいいなぁ……。

 

 

「ま、おかげで能力も完全に把握できたし、そろそろ新しい遊びしたくてさ。

 サボって街をブラついてたらちょうどムカつくバカップルが居たんで、そいつ等にちょっかいかけたの」

 

 

 バカップル……。

 本来なら止めるべきなのだろうが、脳裏に浮かんだのはTPOもわきまえず「ダーリン♪」「ハニー♪」なんて呼び合ってイチャつく迷惑な二人組み。

 やっかみなのは分かっているけど、ちょっとだけいい気味だ、と思ってしまう。正直な話。

 

 

「そしたらなんでか女の方には魔法が効きづらくてね? 調べてみたらなんと魔法少女だったのよ。

 妙に楽しそうでイラッとしたから、思わず全力出しちゃった。要領は分かったんだけど、でも結局は失敗しちゃったの」

 

 

 失敗? 珍しいな、君が素直に認めるなんて……。

 

 頑として認めないか、記憶をいじって失敗そのものを他人になすり付けるか。

 普段はそのどちらかなのに、あぐらをかきながら難しい顔。

 というか、失敗ってどんな風にだろう。精神操作魔法に全力……廃人にしちゃったとか……いやまさか……。

 

 

「そんなしょっぱいマネするわけないでしょ。あ~あ、男を殺させるところまでは上手く行ってたのにな~。

 あのままだったら飲まれてたかも知んないとは言え、変なとこでレジストされちゃうし、後で様子見に行ったらその男も生き返っちゃってるし。

 キュゥべえが余計な事しなければ……。ああいう連中が今も笑ってると思うと、胸糞悪くなるんだよねー」

 

 

 ……は?

 

 今、彼女はなんと言った。

 殺させる? 男を……その魔法少女に?

 好き合ってる二人に殺し合いを演じさせたのか?

 

 

「なぁに、意外? わたし、もう三人殺してるんだよ? 今さら数が増えたところで大した事ないじゃない」

 

 

 ……そうだ、思い出した。いいや、無意識に忘れようとしていたのか。

 彼女が既に殺人者である事を。

 友人だけは一人も居ないが、真面目に授業を聞いてくれて、ぬいぐるみとか女の子っぽいアイテムが好きな、どこにでも居そうな少女。

 だがその実、三人の男を恨みに任せて殺害した、人の精神を玩ぶ、魔法少女。

 必要があれば、誰であろうとも、きっと躊躇いなく殺せる。現に彼女は、己が愉悦のためだけに一つ命を奪った。けれど、それは……。

 

 な、なぁ、神名。そういうのは、やめておいた方が良いんじゃないかな。

 いくら物的証拠が残らないったって、頻発すれば注目は浴びるんだし。

 君のお母さんだって、娘がそんな事をするのは望まないと思うんだ。だから――。

 

 

「……ねぇ。センセー」

 

 

 顔付きが変わった。

 容易に見て取れた表情が消え去り、瞳は、こちらを通して何かを見ているように遠く。

 が、それも一瞬だけ。

 

 

「《命じる。窒息しろ》」

 

 

 ――あ゛、は――っ!?

 

 次の瞬間には、睨みつける半眼と共に、死を命じられた。

 肺が勝手に息を吐き出す。

 もう何も残っていないのにそれが続き、横隔膜が痙攣する。

 耳の奥で、グツグツ、と奇妙な音がした。

 痛い。苦しい。酸素が欲しい。このままじゃ、本当に……!!

 

 

「全くもう。ちょっと甘やかすとつけ上がるんだから。

 勘違いしちゃダメだよ? センセーの代わりなんていくらでも用意できるんだからね。

 めんどーだから殺しはしないけど。ほら、《許してあげる》」

 

 

 膝をつき、額で床をこすりながら喘ぐこちらに向けて、特赦が与えられた。

 すぐさま大きく息を吸うのだが、一緒に埃まで吸い込んでしまい、むせ返る。

 

 

「あはっ。そう、これこれ。これがいいの。色んな感情でグチャグチャになった頭の中。まるで万華鏡みたい。

 綺麗な想い出も、嫌な想い出も、ぜぇんぶ混ぜ合わせたメチャクチャな色。わたしだけが見られる色。さいこぉ」

 

 

 ほんの少し。一メートルも離れていない場所から見下ろす神名。

 まるで玉座からそうするよう、彼女はゆったり降り立ち、歩み寄る。

 反射的に後退り距離を取ろうとするが、そのままこちらに跨り、見下ろされた。

 

 

「これからも、精々わたしの御機嫌をとって楽しませてね、センセー。でないと――」

 

 

 ――棄てちゃうよ。

 

 音になっていないはずの声が頭の中で響き、心が冷える。

 思い知らされた。自分が単なるおもちゃなのだと、再認識させられた。

 遊ぶも壊すも、彼女の思うがまま。

 無邪気に残酷な顔も、真面目な児童としての顔も、どちらも真実。天秤の両端。

 この命は、吹けば飛んでしまう、二十一グラムの重り。

 

 自分はもう、この子に逆らうことが許されない。

 この人生はもう、彼女のために消費されるだけのモノ。

 そう、魂へと刻み込まれてしまったのだった。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ん~んん~♪ ふふ~ん~♪」

 

 

 その日、あすみは上機嫌だった。

 すでに放課となった夕暮れの街を、今にもスキップしそうな様子で帰るほどに。

 より正確に言うなら、前日の夜から機嫌が良かった。

 原因は、彼女が“センセー”と呼び、隣人でもある担任教師の男性。

 

 

「あ~、早く帰ってモフりたい~!」

 

 

 彼に貰ったある物の感触を思い出すと、身体がウズウズしてしまう。

 それは、二十センチほどのクマのぬいぐるみ。

 あすみはクマが好きだった。

 きっかけは彼女の母が生前にくれた誕生日プレゼント。貧しく、寂しい生活を送っていた当時の彼女にとって、唯一と言っていい女の子らしいアイテム。

 数日前にちょっと痛めつけた結果、早速ご機嫌取りに彼が用意したのは、それと全く同じものだったのだ。何故だか知らないが、彼は良い意味でも悪い意味でも、あすみの心をくすぐるのが上手い。

 まぁ、所詮は大量生産品。偶然の一致であろうが、それでも幸せ“だった”頃を思い出せて嬉しかったのだ。

 抱きしめて眠った昨日。母の夢が見れたことも、上機嫌を誘ったのかも知れない。

 

 

「……チッ。ヤなことまで思い出しちゃった」

 

 

 ――が、不意に感じた強烈な殺意と、吐き気をもよおす記憶に、あすみの足が遅くなる。

 初めて犯されたあの日。

 母の形見とも呼べるぬいぐるみは、彼女の目の前で首をもがれ、踏みにじられた。

 恨みは晴らしたといえど、こうして脳裏を過ぎっては不愉快にさせる。どこまでも度し難い存在。

 

 

(もっと時間をかけて、ゆっくり殺せばよかったなぁ)

 

 

 仄暗い笑みで、あすみは思う。

 契約の対価として彼女が祈ったのは、自分の知る周囲の人間の不幸。

 結果、彼女を虐げていた男三人は、声一つ上げる事もなく、自分達に何が起きているのかも分からぬまま、数秒、不気味な踊りをして狂死した。

 その間に、人間が一生をかけても味わえない悪意に曝されたのだとしても、まだ足りない。

 もっともっと苦しめて、もっともっと怖がらせたかったと、後悔していた。

 

 

(……なんで、自分には使えないんだろ)

 

 

 奇蹟すらも可能とする魔法という技術。しかしながら、技術である限り万能は有りえない。

 精神を操り、トラウマをえぐることも、癒すことも可能なはずのそれは、自分にだけは決して使えなかった。

 また、担任教師を使って磨きをかけたはずの能力も、通常の人間に比べ、魔法少女には効きが悪い。あの女のようにレジストされる可能性もある。

 時間をかければレベルⅣまでは浸透させられるが、対象の同意が必要なレベルⅤは入念に準備しないと不可能。ただ害するだけなら、トラウマをえぐって攻撃した方が早いと考えられた。

 彼女が思っていたよりも、魔法とは不便な物だった。

 

 

(もし、この力が自分に使えたら……)

 

 

 ――わたしは、どんな生活を送っていただろう。

 

 歩く速度を戻しながら、取りとめもなく考え続ける。

 想像するのは、自分が助かっていたらという仮定の再現。

 

 

(とりあえず、クソ野郎共にマワされた記憶は消すでしょ。膜も再生して綺麗な身体に戻って、それから……それか、ら……?)

 

 

 記憶を消したとして、契約の経緯が不明瞭になり、最悪フリーズしてしまう可能性はないだろうか。

 綺麗な身体に戻ったとして、母は死に、父はあすみを忘れて日常を教授している。

 結局、今と同じではないのか。

 

 

(……ううん、同じじゃない。きっと、今よりも)

 

 

 孤独、であろう。

 母が死ぬ前から、裕福ではない事を理由に友達は居なかった。

 虐待の事実を勘付かれ、クラスの男子達に犯されかけたこともあった。偶然“センセー”が通りかかって未遂でおわったが、露見もせず(もちろん復讐済み)。

 家でも学校でも、心休まる時間がなかった。せいぜい、教室で授業を受けている間くらいが、自分の境遇を忘れられる時間だった。

 それをくれた彼とも、今でこそ奴隷扱いで側に置いているが、そうでなければ私生活で関わる由がない。

 神名あすみという存在は、不幸の上に成り立っている。

 

 

(わたしから不幸を取ったら、なんにも残らない。……そうだよね。でも……)

 

 

 だからこその、力だ。

 不幸無くして自分が成り立たないなら、この身の証は不幸で立てるしかない。

 しかし、だからと言ってこれ以上苦しい思いなんてする必要もない。

 幸福はもろく、厄災は突然に降ってわく。あすみがそうだったように。

 それが誰かの手で為されたとしても、些細な問題。

 

 

(わたしだけが不幸だなんて不公平。だから)

 

 

 ――どいつもこいつも。平等に、不幸にしてやる。

 

 

「さて。そろそろ出てきたら、お二人さん?」

 

 

 唐突に立ち止まり、あすみは背後へ呼びかける。

 彼女が立っている場所は、人気のない路地裏。

 今、背後に隠れている人物達にとって、因縁深い場所であるはずだった。

 

 

「……やはり、バレていたようね」

 

 

 姿を現したのは、二人の少女。

 男であれば生唾を飲みたくなる身体つきが、服の上からでも分かる長身の少女。

 そして、陽炎の如く敵愾心を燃やす、トランジスタ・グラマーな少女。

 

 

「自己紹介は必要かしら」

 

「いらない。そっちのこわ~い顔してるお姉さんに“教えて貰った”から。……美国織莉子さん」

 

「何が教えて貰っただ、この――!!」

 

「落ち着きなさい、キリカ。……なら、私達の用件も察しがつくはずね」

 

 

 今にも飛びかからんとする少女――キリカを制しながら、織莉子が無表情に告げた。

 それに対し、あすみは実に楽しげな様子で答える。

 

 

「もっちろん。さしずめ復讐ってとこでしょ。殺気でバレバレ。こうして相応しい舞台へ案内したんだから、感謝してよね?」

 

 

 両腕を広げ、くるりと一回転。

 姿がぶれ、再び正面を向いた時には、ゴシックロリータ風の防護服を身に纏っていた。

 右手には、棘付き鉄球に鎖で持ち手を繋いだ鈍器――モーニングスター。

 

 

「それにしても、よくわたしに辿り着いたね。わたしの痕跡、記憶から完璧に消しといたのに」

 

 

 握りを確かめながら、今度はあすみが問う。

 答えるのは、また織莉子。

 

 

「完璧過ぎたのよ。

 貴方と接触させられていた時間だけが綺麗に消えていて、操作を受けた部分とそうでない部分がハッキリしていた。

 前後の記憶から行動範囲を特定できれば、あとは簡単だったわ」

 

「街中に誘い込んだのが運の尽きだったのさ。監視カメラにバッチリだ。美国家のマネーパワーを甘く見たな!」

 

「マネーパワーって……」

 

「……あの、キリカ? 事実なんだけど、そんな胸を張っていう事では……」

 

 

 ――なのだが、《ズビシッ!》と指を突きつけるキリカの補足に、間抜けな空気が漂う。

 見事な推理で足跡を辿られたかと思いきや、金に物を言わせて人海戦術でもしたのだろうか。

 反省点を見出しつつも、これだから金持ちは、とあすみは呆れ、織莉子が「おっほん」と咳払い。

 

 

「それはさておき……貴方に問いたい事があります。正直に答えなさい。返答如何によっては――」

 

「ムカついたから」

 

「――何ですって」

 

 

 言葉を遮られ、眉をひそめる織莉子。

 なおも挑発する薄ら笑いを浮かべ、あすみは続けた。

 

 

「どーせ『なぜキリカを狙ったの』とか『どうしてあんな事をしたの』って聞くんでしょ? そんなのムカついたからに決まってるよ。

 わたしね、楽しそうな人を見ると憎らしいの。嬉しそうな人を見ると虫唾が走るの。幸せそうな人を見ると反吐が出るの。

 それを見せつけられる人間がどんな思いをしているかも知らず、好き勝手に見苦しいモノをさらけ出すクソ共が目障りで仕方ないの」

 

 

 ニィィ、と、耳元まで裂けるかのような口端。

 眼はむき出しに、獲物を捉える。

 

 

「だからちょうど良かったー、仕留めそこなった奴等がまた現れてくれて。

 こっちから追いかけるなんてダサいし。

 今度はめんどー臭いことなんてしないよ? この手で直接、砕いてやるんだから」

 

 

 細腕が振るわれ、目にも恐ろしい鈍器が壁を打つ。

 髪を払う程度の気安い動作にも関わらず、車が突っ込んだかと思えるヒビが入った。

 

 

「……神名あすみ。十二歳。幼い頃に両親が離婚し、母親と貧しい生活を余儀なくされる。

 母が過労で亡くなった後は親類の家に引き取られるも、性的虐待を受けた……」

 

「境遇には同情しないでもないけど、だからって他人を不幸にしていい道理はない。報いは受けてもらう。二対一だ、勝ち目はないぞ」

 

「それはどうだろーねぇ。いいから来なよ。

 手足を砕いてダルマにしてから、目の前でもう一度、あの男を殺してやる。

 あんたの恋人、今度はどんな顔して死ぬかな? 楽しみ」

 

 

 興奮とも、嫌悪感とも取れない感覚に猫背になり、臨戦態勢をとるあすみ。

 相容れないことを悟った織莉子達も、同じく。

 

 

「そう。なら……」

 

「……仕方ない、ね」

 

 

 二人が左手を顔の横に構える。

 織莉子は手の平を前に腕を伸ばし、キリカはそれを振り下ろす。

 漆黒と白銀が路地を満たし――

 

 

「教育の」

 

「お時間だ」

 

 

 ――魔法少女同士の戦いが、幕を上げた。

 織莉子が水晶球を互いの中間へ投げ込み、目くらましの粉塵を立てる。

 

 

「――シィッ!」

 

「あはっ」

 

 

 一拍の後、弾丸の速度で黒い魔法少女が突貫。牙持つ腕が叩きつけられ、鉄球と衝突した。

 重さの違いか簡単に弾かれるが、それを意に介さないキリカは怒涛の連撃をくり出す。

 

 

「クソッ、なんで……!?」

 

 

 しかしあすみは、いなし、避け、防ぐ。

 魔法少女の中でも高レベルに位置するだろう速度を、完全に読みきっていた。

 

 

「ほらほらどうしたの? そんなトロ臭い攻撃じゃ、一生かかっても当たらないよ?」

 

「くぅぅ、なんか肝心な時にかわされてばっかだ……っ」

 

 

 いや。正確に言うなら、読み続けていた。

 焦るを募らせるキリカ。彼女のレジストは完璧ではなかったのだ。

 それに気づいたのは、あの強烈な殺意を受けたとき。

 あすみの魔法は射程距離が短い。が、影響下に置くことが出来ればそれは拡大される。その圏内に入って来たキリカの感情を無意識に読んだことで、彼女にまだ“クサビ”が残っていると悟ったのである。

 最終的にかけた魔法のレベルはⅣ。その半分――レベルⅡでも、戦闘においては多大な影響をもたらす。

 いつ、どこを狙って攻撃されるのかが分かっていれば、どんな攻撃も意味はない。例え、目くらましの一瞬で展開された、《速度低下》を受けていても。

 むしろ注意すべきは――

 

 

「――っと! あっぶないあぶない」

 

「キリカ、いったん下がって!」

 

 

 ――今、水晶球で側頭部を狙ってきた、白い魔法少女だ。

 狂気によるレジストの衝撃でしばらく動けなかったため、その後の経緯は分からないが、死に瀕していた男が今も生きていることを考えるに、彼女の祈りは回復か蘇生のたぐい。

 戦闘能力は低いだろうけれど、自由に軌道を描く飛び道具は、厄介だ。

 

 

(やっぱ、あっちを先に片付けるべきかな)

 

 

 そうは思っても、あすみの手にある武器は届きそうもない。

 一つ、不確実な思いつきはあるが、魔法少女相手に使えるかは試した事がない。

 

 

(かわせはしても、こっちも当たらない。どっちにしてもジリ貧か。なら、やるっきゃない)

 

 

 キリカの攻撃は容易く回避できる。しかしこちらの攻撃も速度が半減していて有効打にはならなかった。

 であれば、さっきから遠距離攻撃ばかりしている、重そうなドレスを着た織莉子の方が可能性はあるだろう。

 ポーカーフェイスに覚悟を決め、様子を伺うあすみ。

 と、早速そのチャンスは訪れる。

 

 

「織莉子、ワタシの攻撃は通用しないみたいだ。どうすればいい?」

 

「貴方はとにかく陣を維持して。近寄らなければあの子の魔法は効かないわ。でなければ、私の攻撃も余裕で回避されていたはず……」

 

 

 キリカの肩へ手を置き、織莉子が前に進み出ようとした。

 瞬間――

 

 

(黒いのを介して“クサビ”を打つ!)

 

 

 ――すでに影響下にある対象を中継して、魔法を行使する。

 精神を操る魔法だからこそ出来る、テレパシーの応用。魔力を打ち込めさえすれば、あとは時間を稼いで耐え忍ぶのみ。

 歩み出る織莉子とダブって、紫の色が見えた。

 これは、警戒色。

 

 

「――ぃち」

 

 

 ぐにぃ、と歪な笑い。

 あすみの靴が爆ぜる。

 

 

「させないわ……!」

 

 

 紫から赤。

 織莉子は両手を打ち合わせ、また広げる。その間に幾つもの小型水晶球が出現。雨あられと放たれた。

 が、直前で攻撃色を見取ったあすみは跳躍。壁面を三角飛びして頭上へ。

 あと五秒。

 

 

「そうら!」

 

「くっ――う゛!」

 

 

 織莉子が後方へ飛ぶ。

 それを見越してモーニングスターへ魔力を流し可能な限り――腕一本分、鎖を延長。

 強引に回避するためか、今度は水晶球がドレスを穿つ。鉄球の棘も、服をわずかに千切り、地を砕くに留まった。

 あと三秒。

 

 

「織莉子に触れるなぁああっ!!」

 

 

 激昂したキリカから牙の投射。これは容易く回避。

 その間に体勢を立て直されてしまうも、まだ効力圏内。

 あと一秒。

 

 

「キリカ!」

 

「ん!」

 

 

 一瞬の視線の交錯。おそらくはテレパシー。

 だが、遅い。

 

 

「――に」

 

 

 織莉子の思考が流れ込む。

 キリカを使った時間稼ぎ。

 その隙により高威力・広範囲な飽和射撃の準備。

 

 

「読めてんだよクソ(アマ)ァ!」

 

 

 口汚い罵りと共に、あすみが瓦礫を蹴り上げる。

 それは織莉子の頬をかすめ、割り込もうとしていたキリカの動きを制す。

 驚愕に開かれる瞳。

 振りかぶる鉄球。

 

 ――取った!

 

 

 

 

 

「待っていたわ。この時を」

 

 

 

 

 

 そう思った瞬間、白い魔法少女が笑った。

 

 

「はっ――くぁああぁ!?」

 

 

 脳を直接、揺さぶられたような衝撃。

 平衡感覚が失われ、堪らず膝をつくあすみ。

 

 

(な、なに、なんなの、この情報量!?)

 

 

 攻撃の情報だけを読み取るつもりが、逆に無意味な情報を流し込まれた。

 把握しきれないそれが思考を乱し、脳髄を犯される感覚に悶える。

 ……と、いうよりも。

 

 

「なんつーもん見せんのよあんたぁ!? ほぼAVじゃないのこれぇ!?」

 

 

 なんでこの女は、澄まし顔で恐ろしく卑猥なことを考えているのか。

 あすみの脳へ現在進行形で上映されているのは、女の一人称視点の濡れ場であった。

 もちろん、無修正である。

 

 

「あら、意外と初心なのね。この程度で狼狽えるなんて」

 

「アホかぁ! こんなドぎついヤツ発禁受けるってぇのぉ!」

 

「え、あれ、織莉子? なにがどうなって――あ。そっかそっかそうだった。読まれないように封じてたんだっけ」

 

 

 正常位。側位。後背位。対面座位に駅弁。

 落ち着いた内装の部屋。風呂場。教室らしき場所。屋外。プール。薄暗い倉庫。

 ワンピース。制服。体操服。メイド服。紐水着。バニーガール。スモック。

 オーラルセックス。アナルセックス。ディルドーを使っての二本差し。魔法で膜を再生して処女喪失。ビデオ撮影。

 もう、なんと言えばいいのか。四十八手を網羅しているんじゃないだろうかと、そう思える多彩なプレイの数々だった。しかも濃厚なのにいちいち幸せそうで(ついでにほとんど3p)。

 あすみの一番嫌いな、本物のラブシーンだった。

 

 

「……ってそうだ、読まなきゃいいん――」

 

「いいえ。貴方は《読むのを止められない》」

 

「――なっ」

 

 

 奇妙な感覚がした。

 何か……見えない何かに鎖を巻かれたような。

 いや、それよりも。今の言葉に魔力を乗せる感じは、あすみ自身がいつも使う、精神操作魔法の。

 

 

「な、なんで、止まらないの。いや、いやだ、やなのにぃ!?」

 

 

 狂乱するかの如く、あすみは髪を振り乱し、うずくまる。

 魔法が暴走し、勝手に読心が続いてしまう。

 女の喘ぎ声。愛を囁く男の声。おぞましくて、堪らない。

 

 

「残念だったわね。精神的に“触れている”今、貴方は《私に逆らえない》。抵抗は無意味よ」

 

「く、うぅ……。回復系じゃ、なかったの……? この、色ボケ女……!」

 

「口の悪い子ね。そんなこと言えないようにしてあげましょうか。《もっと深く同調しなさい》」

 

「ふっ!? やぁ、ぁ!?」

 

 

 歯軋りしながら、なおも鈍器を振りかぶろうとするあすみへ、織莉子が更に魔法を重ねる。

 途端、あすみは武器を取り落として身体を震わせ始めた。

 

 

「うぁ、ぁ、なに、これ、ぇ……」

 

「どう? 気持ち良いでしょう、私達の先生に抱かれるのは。特別に味わわせてあげるわ」

 

「精神を操作するってことは、その構造を読み取れる事が前提。織莉子の推測はドンピシャだったね。

 そして、考えを読まれること前提で、大量に情報を送り込み行動不能にさせる。敵ながらちょっと同情するよ」

 

 

 途方もない快感が押し寄せていた。

 口付けられ、胸を揉みしだかれ、内側をこすられ。

 織莉子の記憶を介して、あすみは見知らぬ男に犯される(愛される)

 

 

「う、そだ……」

 

 

 小さな呟きが、路地裏に響く。

 

 

「こんなの、嘘、だ……。セックスが、こんなに、気持ちいいはず、ない……。こんなの、知らな、い……」

 

 

 あすみにとって、この多幸感は未知の物だった。

 彼女にとっての性交とは、男が悦ぶために女の穴を使うというだけの行為。まともな愛撫すらされた経験がない。

 気持ちよくなれることは一切なかった。嫌悪感はあっても、快感はなかった。

 自慰でなら別だが、男根を突き込まれて感じることだけは、絶対に。

 

 

「……憐れだね」

 

「ええ……。幼くして強姦されたあげく、愛する人と心結ばれる幸せも知らない。歪んでしまうのも無理はないわ」

 

 

 ピク、とあすみが反応する。

 顔を上げれば、織莉子とキリカの二人が、憐憫の情をもって見下ろしていた。

 奥歯が軋む。

 全身を染める、性的快感とは違う熱。

 

 

「――むな」

 

 

 純粋な、怒り。

 

 

「わたしを憐れむなぁぁあああっ!!!!!!」

 

 

 激情に任せて立ち上がり、鉄球を振るう。

 横向きのスイング。

 会心と呼べる不意打ちに、織莉子は微動だにせず――

 

 

「こふっ」

 

 

 ――あすみの身体が浮き上がる。

 鉄球の軌道も変化し、帽子を飛ばすことしか出来なかった。

 

 

「……気持ちいい物じゃないね。年下の子を殴るのって」

 

 

 みぞおちに突き刺さるキリカの拳。

 そのまま後方へ飛ばされ、あずみはえずく。

 

 

「殺しても飽き足らないはずだったけど、もうそんな気分じゃないし、先生君にも止められてるからね。特別にそれで見逃してあげよう」

 

「え゛ほっ、えほっ……くそ、が、ぁ……」

 

 

 あからさまな侮蔑を受け、叛骨心に火が付く。

 べっ、と地面に唾を吐き、キリカ達へ向けて悪態を放つ。

 

 

「なに、が、センセーくん、だ……。

 あんた達、近い内に絶対ダメになるよ……? わたしがどうこうしなくたって、絶対に……。

 そんな歪んだ関係、いつか破綻するに、決まってる……」

 

 

 流し込まれていた記憶を見る限り、織莉子とキリカ、それにあの若者は三人で恋人同士。

 美国とは、小学生のあすみですら知っている“ご立派”な家系。そんな不道徳な関係が許されるはずがない。

 

 

「心配は無用よ。そんなこと、百も承知です」

 

「実際、ワタシ達自身も歪んじゃってるしね。いつか破綻するのも織り込み済みさ」

 

「は……?」

 

 

 しかし、二人はさも当然とそれを受け流す。

 ムキになって反論されるのを期待していたのに、肩透かしだった。

 

 

「人はいつか死ぬわ。私達の物語は、必ず死で締めくくられる。つまるところ、人は不幸になるために生きているのよ」

 

「……だったら、なんで? 結局、後に待つのが不幸だって分かってるなら、幸せになる意味なんて……」

 

 

 ――生きている意味なんて、無いじゃない。

 

 無意識に、あすみは心の中で問いかける。

 誰もが不幸になってしまうのなら、何のために生きるのか。

 不幸のために生きるのなら、どうして人間はそれを苦しいと思うのか。

 どうして、あんな思いをしてまで生きたいと思ったのか。

 痛みと困惑。思考がグルグルと巡り、落ち着かない。

 

 

「それこそ君には関係ないだろう。ワタシ達は幸福を感じたいから幸せになる。そのために努力し、ちょっとは我慢もするのさ。たとえいつか、全てが失われる日が来ようともね」

 

「遺される可能性もあるでしょう。遺してしまう可能性もあるでしょう。

 その悲しみを乗り越えるため、私達は想い出を積み重ね、幸せを胸に溜めるのよ。最後の瞬間、笑っていられるように。

 ……まぁ、先生にとっては、ちょっとの我慢じゃ済まないみたいだけれど……」

 

「あー、確かに。思いっきし泣いてたもんねー」

 

 

 脳裏にまた情報が流れ込んだ。

 ついさっきまで精神をなぶっていた若者が、地面に手をついて咽び泣く姿。

 

 

『二人分の責任を取ろうと国外逃亡を計画していたら、恋人達に内縁関係でいましょう宣言をされたでござる……』

 

 

 意味が分からなかった。

 心底、本気で、あすみはそう思った。

 

 

「ど、どういうこと? なに今の? なぜにござる?」

 

「あちゃ、また読まれてたか」

 

「もう除去した方がいいかしらね。それも選択肢の一つというだけなのに、先生ったら本気で落ち込んでしまって。困った人」

 

 

 おっとり、頬へ手を当てつぶやく織莉子。

 困ったというわりに、楽しそうにも見えた。

 ……不愉快。

 

 

「……はっ。なによ良い子ちゃんぶって。わたしと同じことが出来るなら、なんだって出来るじゃない。美国家のお嬢様なんだから。

 片っ端から政治屋共を操って、自分好みに国を――法律を変えることだってさ?

 考えた事もないなんて言わないでよね。断片的な情報からわたしを攻略して見せたんだから、そのくらい思いつくはずでしょ」

 

 

 精神に影響を与える魔法の存在は、状況が教えてくれる。

 けれど、そこから戦術を組み立てたのはおそらく織莉子。

 あすみと同じ効果を発生させられるなら、キリカに残った精神汚染を消し去ることだって可能だったろう。自身が影響下におかれることも防げたはず。

 それをしなかったのは、魔法を使わせるため。

 自分が優位だと思わせておき、最高のタイミングでひっくり返す手腕。あえて読心させた上、一瞬で脳をパンクさせるほどの情報を送り込める思考力。そもそもあすみに勝ち目はなかったのだ。

 これだけのスペックを有する女が、こんな簡単な事を思いつかない訳がない。

 

 

「えぇ、考えたわ。実行しようと思った事もある。でも私は、欲しい未来は努力して勝ち取りたい主義なの。奇蹟のような力に頼るつもりは無いわ」

 

「……予言してやる。あんたの代で美国は潰れるよ。それでもいいの? 大切な“お父様とお母様”が人生を賭けたものをぶち壊しにして」

 

 

 人の口に戸は立てられない。

 今は何とか隠し通せているようだが、きっと長くは続かない。

 そうなればマスコミの餌食となり、父親の威光は穢れ、白眼視される。

 ご立派な血筋も終わりというわけだ。

 キリカの記憶からも知っていることだが、織莉子は両親をいたく敬愛している。

 なのに、彼等が積み重ねてきたものを無為にするような真似は出来ないだろう。

 

 

「そうしなければ私達が幸せになれないというのなら、それも良いかもしれないわね」

 

 

 ――と、思っていたのに。

 あすみの予想を、彼女はあっけなく裏切る。

 

 

「私は。私達はこの愛に生きると決めた。貫くためなら、何を犠牲にすることも厭わないわ。

 もちろん、そうならない道は模索し続けるけれど、他に手段が無くなったのなら、美国を捨てることだって。

 それか、貴方の言った方法で世界を牛耳るのも一興ね」

 

「世界を裏から支配する魔法少女……。まるでラスボスだね! ならワタシは中ボスかな?」

 

「そんなことないわ。二人で一緒に……いいえ、先生も入れて三人でラスボスやりましょう。一緒なら、きっとなんでも楽しいわ」

 

 

 ラスボスっていう例えはいいの? 結構ヒドくない? なんて思いつつ、あすみは慄く。

 こいつ等は、本気だ。

 いまだ繋がっているからこそ理解できる。

 必要とあらば、彼女達は本気で世界を手にかけるつもりだ。

 

 

「狂ってるよ、あんた達」

 

「は? 何を今さら。正気か狂気かなんて、些細な問題だ。

 正しく在って誰も愛する事ができないのなら、狂っている方がマシさ。

 それに、君は人の事を糾弾できるほど正気だとでも?」

 

「……っ……」

 

 

 答えられなかった。

 目の前にいる二人ほど、狂ってはいないと思う。

 けれど、簡単に人を殺そうと思えるくらいには異常。

 一体どちらが、より狂っているのか。異常なのか。そもそも比べる事に意味はあるのか。

 ……分からなかった。

 

 

「覚えておくと良いわ。女という生き物は、愛を知った瞬間に狂い始めるのよ。

 ……さて、と。そろそろ貴方の処遇を決めないといけないわね」

 

 

 沈黙するあすみへ歩み寄り、織莉子がしゃがみ込む。

 迫る指に思わず身を硬くするが、それは軽く額に触れるだけ。

 

 

「《この街に留まる事は許さない》。一週間以内に去りなさい。貴方の力があれば理由付けも容易でしょう。

 それ以降、この街であなたを見かけるようであれば、今度こそ力尽くで排除するわ」

 

「……はぁ?」

 

 

 だが、そうして告げられたのも、耳を疑うほど軽い罰であった。

 彼女の後ろに立つキリカを見るが、特に異論はないように見える。

 寛大な処置――違う。見くびられているだけ。

 少し痛めつければ大人しくなるだろうと、そう思われている。なんて傲慢な女。

 こんな痛み、痛いうちに入らない。あの日々に比べたら、生温い。心を折るには至らない。

 

 

「……後悔するよ、わたしを殺さなかったこと。こんなコケにされて、黙っているとでも――」

 

「勘違いしないで欲しいのだけど……」

 

 

 それを示したくて不敵に嗤うも、織莉子が立ち上がって遮る。

 見下ろす視線は――

 

 

 

 

 

「私は貴方を殺さないんじゃない。貴方に殺すだけの価値が無いだけ」

 

 

 

 

 

 ――まるで、虫を見るかの如き物だった。

 命ある物として認識していない。

 手が汚れるから。後片付けが面倒だから。触れたくもないから。

 本当に、ただそれだけの理由で殺さないだけ。

 

 

「さようなら。愛を知らず、求め方も分からない、憐れな魔法少女さん」

 

「殺しはしない。その代わり救いもしない。これが君への罰だ。

 一人寂しく、孤独に生きるといい。二度と会わないことを祈っているよ」

 

 

 あすみに背を向け、二人は夕日の降り注ぐ街へ戻っていく。

 ついさっきまでの戦いを忘れたように、「帰ったら何しようか?」「奈々瀬さんにまた折檻されてるでしょうから、慰めてあげましょう」なんていうやり取りをしながら。

 日の光に照らされるその背中を、ただ、見送る。

 

 

「――はっ、はぁ! はぁ、っはぁ……!」

 

 

 呼吸するのを忘れていた。

 プレッシャーから開放された途端、全身から汗が吹き出る。手足の震えが止まらない。

 魔女を相手取るのとは比べ物にならない、悪意。

 思えば、あれほど純粋な隔意を向けられたのは、初めてだった。

 “センセー”へそうしていたように、抵抗できないようにしてからなぶるのがあすみのやり方。

 万能感すら抱いていたが、初めて魔法少女と直接対決をした結果が、これだ。

 敗北。失敗。完敗。

 

 

「……ち、くしょう……っ」

 

 

 吐き捨てた言葉が、握り拳と共にコンクリートへ吸い込まれる。

 血の、味がした。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「……はあっ」

 

 

 いつもの定位置へランドセルを投げ捨て、布団に身を投げ出す。

 枕に顔を埋めれば、程よい柔らかさが疲労を拭ってくれた。

 

 

「……くっさ」

 

 

 ――が、同時に加齢臭も。

 ちゃんとカバーを洗って天日干しとかしてるのだろうか、この枕。

 今度は仰向けになり、天井を見上げる。

 見覚えがあったが、しかしここはあすみの家ではない。隣人である“センセー”の家であった。

 

 

「さっさと帰ってきなさいよ、あのウスノロ……!」

 

 

 ――そうしたら、このイライラをぶつけられるのに。

 

 自分勝手なことを思いながら、あすみは布団を叩く。

 苛立っていた。

 とにかく、この感情を誰かにぶつけたかった。

 多少痛めつけたところで、最終的に二~三発ヌいてやれば文句は出ないはず。

 本当に、男とは御しやすい生き物。

 

 

「……くそっ」

 

 

 しかし、どうしようもない焦燥感が精神を煽る。

 この場に居たくない。取るものも取らず、どこかへ行ってしまいたい。

 間違いなく、織莉子に植えつけられた強迫性障害だ。

 何度も抑制を試みたが、魔法の強度はあちらが一枚上手らしく、無駄だった。

 

 

(ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく、ムカつく……っ)

 

 

 一番悔しいのは、このイライラを解消するには、本当に街を出るしかないと分かってしまうこと。

 あの幸せ一杯脳みそ白濁女の言いなりになるしかないことだ。

 

 

「絶対、このままじゃ済まさない」

 

 

 とりあえず、今は従おう。

 魔女の出現率は良かったが、戦いに楽しみを見出していないあすみにとっては歯応えがありすぎる。

 綺麗な想い出は醜悪な欲望に塗りつぶされ、未練も持てない。

 この能力さえあれば、引越し先に魔法少女が居ても縄張りは奪い取れるだろう。

 見限るにはいい頃合だ。

 しかし、必ず。

 

 

(いつか必ずこの街に戻って、仕返ししてやる)

 

 

 街を出る決意さえしてしまえば、少しは焦りが治まってきた。

 身体を起こし、畳を這って近くの机へ。

 

 

「準備は……センセーにやらせればいっか」

 

 

 必要と思えるものは、着替えと、お金と、後は……ぬいぐるみくらいか。意外と少ない。

 これなら自分でも出来そうだが、なんかシャクなので彼にやらせよう。

 次は、学校関係者への記憶の植え付け。家庭の事情、という単語でも入れておけば、勝手に自己補完してくれる。

 財産管理人とアパートの大家にも処置しなければ。やはり手間だ。

 

 

「センセー、どんな顔するかな」

 

 

 それより気になるのは、あすみが街を出ると知った時の、彼のリアクション。

 本人は否定するだろうが、彼は心の奥底であすみの身体を望んでいる。

 もちろん、最初からそうだった訳ではない。葬儀の日、魔法で少し性的嗜好のハードルを下げただけだ。気付いてすらいないだろう。

 今となっては小学生でしか興奮できない、立派な異常性癖の持ち主。

 そんな彼が、唯一欲望をぶつけられる存在と離れなければいけないとなったら。

 

 

(行かないでくれって土下座するかな。それとも着いて来ようとするかな。もしかしたら、最後だからって無理やり犯そうとするかも)

 

 

 想像しているだけで、クスクスと声が漏れた。

 いずれにせよ、見っともない有様を見せてくれえるに違いない。

 なんだかんだで重宝した。泣いて頼み込むようなら、本当にシてやってもいいかも知れない。

 そう思えるくらいには、いいおもちゃだった。

 

 

「……ん?」

 

 

 ふと、机の引き出しが微妙に開いているのに気付く。

 何となく引いて見れば、書類やら何やらでゴチャゴチャしていた。

 弱みでも探れないかとかき回してみたら、その奥に宛名も差出人も書かれていない、無地の封筒が。

 他はなにがしか書かれているのに、これだけ。

 

 

(なんだろこれ。まさか昔書いたラブレターとか?)

 

 

 んなわけないか、と一人でまた笑い、封もされていない中身を取り出す。

 

 

「――え」

 

 

 だが、書かれていた内容が目に入った瞬間、再び焦りが加速する。

 三つ折りにされた紙の上部に、手書きの文字があった。

 退職届。

 

 

(どういう、こと。こんなの書いてるところ、見た覚えない)

 

 

 いや、見た覚えだけでなく、彼の記憶にもなかったはず。

 常に読んでいる訳ではないが、一日一回は履歴を漁って、後で笑ってやるネタを探している。

 あの性格だ。こんな物を書けば嫌でも意識し、記憶に焼きつくだろう。

 なのに、あすみは知らなかった。

 

 

(寝てる間に書かれた? ううん、時間は関係ない。わたしに読まれないくらい、慎重に、注意深く準備してたってこと……?)

 

 

 知る限り、教師という仕事は彼にとって幼い頃からの夢。

 それを辞してまで、逃げたかったのか。

 欲に溺れていたのでは、なかったのか。

 

 

「……違う、でしょ。イジメるのは、わたし。遊ぶのはわたし。捨てるのも、わたし。なのに、なんで」

 

 

 

 

 

 ――いつもわたしだけが、置いて行かれるの?

 

 

 

 

 



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【綺麗な傷跡】少女A・Kの場合【歪んだ心】

 

 

「セーンセ、おっ帰り~!」

 

 

 ごめんなさい何でもしますから締め出すのだけは勘弁して下さい。

 

 

「……は? なにその反応」

 

 

 ……へ?

 

 玄関のドアを開けた途端に向けられた、輝かんばかりの笑顔。

 それが怖くて反射的に頭を下げてしまったのだが、次に向けられたのはつまらなそうな半眼だった。

 しかし、この反応だってもっともであると思う。

 一週間近く前。不興をかって窒息死させられそうになったのを受け、自分は昨日、とあるプレゼントを用意してみた。

 安物のクマのぬいぐるみ。

 うっかり持ち帰ってしまった神名のプリント下着繋がりである。

 可愛いもの好きな彼女であれば気に入って貰えると思ったのだが、しかし返ってきたのはかんばしい反応ではなく、彼女はそれを凝視した後、無言のまま片手にぶら下げて帰ってしまい、今日、学校で会うまで音沙汰もなかった。

 しかも、こんな風に満面の笑みを浮かべるのは「これからイジメるぞ」という合図みたいなもの。どうしても警戒してしまう。

 

 

「せっかく美少女が出迎えてあげたっていうのに、ノリ悪いなー。ほら、早くこっち」

 

 

 あ、うん……。

 

 手を引っ張られ、乱雑に靴を脱いで部屋の奥へ。そのまま敷きっ放しの布団に座らされて、神名も隣に。

 どうやらイジめられる訳ではない、らしい? 顔を見る限り不機嫌そうでもなく……というより、かつてなく上機嫌に見えてやっぱり怖い。

 なんで彼女はこんな笑みを浮かべているのだろうか。何も知らなければ、思いっきり抱きしめたいくらい可愛いのに。

 

 あー、と。なんだか機嫌がいいみたい、ですけど。何か、ありました?

 

 

「ん? 別にないけど。っていうか敬語やめてよ。そんな怖がることないでしょ? これ、命令だから」

 

 

 その気になれば一瞬で命を奪われると実感させられたのに、変わらず接することが出来る人間は少ないと思うんですが。

 しかし、ここで従わなければ本当に機嫌を損ねる。まだ怖いけれど、なんとか今まで通りにしよう。

 

 ……じゃあ、お言葉に甘えて。それで、どうしてこっちの部屋に?

 

 

「えっとさ。もう、わたしとセンセーが出会って半年過ぎてるじゃない? そろそろ次のステップに進んでもいいんじゃないかなー、って」

 

 

 ……なに、その健全な出会い方とお付き合いをして来たけど、いい加減に我慢できなくなった彼女の方から勇気を振り絞ってモーションかける時みたいな言い方?

 自分と神名はそういう微笑ましい関係じゃないし、帰って来たばかりで疲れてるからまずは休ませて欲し痛いですごめんなさい!!

 

 

「人が雰囲気出そうと演技してんだから合わせろ童貞。そんなんだから未だに童貞なのよ。ちょっとは成長しなさいこの童貞」

 

 

 さっきは敬語やめろって言ったのに……。

 

 涙目になりながら、全力でつねられた手の甲をさする。

 なにもこの短い間に三回も童貞って連呼することないじゃないか。別に童貞だっていいじゃないか。

 おかげで病気とは無縁なんだし。

 

 

「調子に乗れとまでは言ってないっつーの。ほら、やり直し。センセーはしたくないの?

 ……それとも、初めてがわたしとじゃ、いや? こんな汚れた身体じゃ、だめ?」

 

 

 あ、そこら辺は事実を反映するんですね。

 う~ん……。神名のお遊びに付き合うのはいいんだけど、これはどういう風の吹き回しなんだろう。こんなのは初めてだ。

 ……考えても意味無いか。どうせ気まぐれに決まってる。

 自分に出来るのは、彼女の望む役割を演じることだけ。そうしなければ身を守れないんだから。

 

 そんなわけ、ない。自分だって、出来るものならしたいよ。

 でも犯罪だし、なにより君は嫌じゃないのか? ……男に、そんな風に触られるの。

 

 

「センセーなら、いい。触って欲しい。この唇も、おっぱいも、大事なとこも。全部、センセーので上書きして欲しいの……」

 

 

 あぐらをかくこちらの膝に手を置き、彼女は間近から上目遣いを。

 ふわふわと揺れる前髪から、かすかな花の香り。

 どうしよう。演技だと分かっているのに、グッときてしまった。

 

 

「……センセー」

 

 

 か、んな……。

 

 まぶたが伏せられ、徐々に、徐々に近付いてくる。

 あぁ、そうか分かった。

 ここで本気になって目を閉じたら、顔に拳か膝がめり込むんだ。その手には乗らな……かったらどうなるんだろう。

 また魔法で罰ゲームを強制させられるのだろうか。恥ずかしいのは勘弁して欲しい。でも痛いのだって嫌だし――

 

 

「ん、ん」

 

 

 ――あれ?

 すぐ目の前に、あどけない顔。

 まつげがクルンとカールしている。

 鼻息が掛かってくすぐったい。

 唇には溶けかかったマシュマロが。

 

 

「んぁ、ちゅ、ん、ぅ、ふ」

 

 

 小さく、熱い何かが、口内へ侵入してくる。

 ハチミツのように甘い。

 反射的に舐め取ろうとすれば、今まで感じたことのない感覚が背筋を上ってきた。

 なんでだ。なんで、本当にキスしてるんだ、自分達は。

 

 

「……っはぁ……ふふっ。センセーびっくりし過ぎ」

 

 

 唖然としている間に、終わってしまった。

 しなだれかかる神名の耳が胸へ押し当てられ、鼓動の早さを知られてしまう。

 

 どうして……。いつもの、冗談じゃ?

 

 

「あ、失礼しちゃう。女がその気かどうかくらい見抜きなさいよ……って、センセーには無理か」

 

 

 また人をけなしながら、今度は股座へ腰を下ろし、横向きにもたれて来る。

 これほど身体を密着させるのは葬儀以来で、心臓はなおさら。

 あまりに小さく、抱きしめてしまえばスッポリ隠せてしまえそうで。

 でも、そうしていいのかどうかも分からず、硬直。

 

 

「しいて言えば、飴をあげたくなったから、かな」

 

 

 飴?

 

 

「さっきの答え。この間はやり過ぎちゃったって、反省してたんだよ? だからそのお詫び的な。

 使わないとクモの巣はっちゃいそうだし。それとも、本当にしたくないの? さっきの言葉は、全部うそ?」

 

 

 乳首をくすぐるようにのの字を書いて、いじらしく問う神名。

 嘘なわけがない。

 正直に言えば、あの日からずっと。手で、足で、言葉で玩ばれていた時からずっとしてみたかった。キスしただけでもうガチガチだ。

 おまけに彼女がそれをお尻でこするものだから、気持ちよくて仕方ない。

 だが、やはり恐ろしい部分もある。

 最後までしてしまったら、自分はどうなる? きっと幼い身体に溺れ、教師としても人としても、最悪の結末を迎えてしまうのではないか。

 

 

「……ねぇ、センセー。なに考えてるのか知らないけど、細かいことは忘れようよ。今はわたしのことだけを見て」

 

 

 こちらの首へ腕を回す彼女の言葉に、妙な違和感を感じた。

 けれど、その正体を見極める時間もないまま――

 

 

 

 

 

「センセ。あそぼ」

 

 

 

 

 

 ――決定的な一言が、囁かれた。

 もう一度。今度は自分から唇を重ねる。

 

 

「んむ、んっ、ふ、そ、もっと、舌からませて……んちゅ」

 

 

 やっぱり、甘い。

 もっと生々しい味を想像していたのに。

 これではまるで、少女マンガのワンシーンだ。

 

 

「っんぁ、は、ね、こっちも。キスだけじゃなくて、こっちも、センセー」

 

 

 担当児童とのいかがわしい口付けに夢中になっていると、神名が少し身体を離し、着ていたシャツをキャミソールごとめくり上げる。

 あばらの浮く、魔法で傷一つなくなった肌を裾がすべり、膨らみきらない柔らかさが姿を現す。

 その頭頂部は、恥ずかしげに頭を隠していて。

 

 

「ちょっと、恥ずかしいかも……。センセーと同じで隠れちゃってるし……あん!」

 

 

 可愛らしくて、許可も待たずにしゃぶりつく。

 わずかな汗の味と、清潔な匂い。前もってシャワーでも浴びてくれていたのか。

 少し残念だ。神名のなら、今はなんだって嬉しいのに。

 

 

「んぁ、ふ、ぅ……んは、やっぱ男って、おっぱい、好きなんだね? っ、そんな必死にならなくても、ぁ、逃げない、のにぃ」

 

 

 優しく頭を撫でながらの、赤ん坊をあやすように穏やかな声。

 また夢中になりつつ、しかし、苛立ちが芽生えた。

 独占欲。

 自分以外にこの少女の味を知っている人間が居る――居たのが腹立たしい。

 そんな気分を紛らわそうと、隠れているものを舌でほじくり出し、吸いついて甘える。

 

 

「んは! はっ、ぁ、セン、セ……ぅ、ふ」

 

 

 もどかしさを堪える、聞いたことのない声音。

 自然と押し倒す形になり、神名の手によって、もう片方の膨らみに指が導かれた。

 驚くほど柔らかい。固まりかけのゼリーみたいな感じだ。なのに、しっかりと形は保って指を跳ね返す。

 

 

「あ、センセー待って」

 

 

 ――と、不意に神名は素の声を上げる。

 普段通り過ぎて、どうかした? と思わずこちらも興奮を忘れて問い返してしまう。

 

 

「シワになっちゃうし、汚れちゃうから。ちゃんと脱ぐ」

 

 

 言うが早いか、彼女は腕の中を抜け出し、一枚ずつ衣服を脱いでいく。

 シャツ、キャミソール、ズボン、パンツ。

 きちんとシワにならないよう畳み、四つん這いになって布団の脇へ。

 普段は傍若無人なのに、こういう細かいところは妙にしつけが行き届いていて、感心してしまう。

 

 

「……ひゃ!? ちょ、センセ……ひっ!」

 

 

 ――が、可愛いお尻を向けられては、我慢など出来なかった。

 小振りな肉を左右へ押し開き、間に見える縦線を舐める。

 

 

「こ、こらっ、ちょっと待ちなさ――いぃ!? あっ!」

 

 

 本当にここへ男を受け入れた事があるのか。

 そう疑いたくなるくらい、綺麗で、美味しかった。

 こういう感想が正しいのか分からないが、とにかく美味しいという他にない。

 嗅覚で体臭を感じ、舌を躍らせて味覚を楽しませ、ヒクヒク収縮する、色素の定着していないお尻の穴を観察する。

 あの日触れられなかった分、余計に興奮していた。

 

 

「う、ぃ! や、やだ、は、くぅぅ!」

 

 

 しかし何故だろう。反応がやけに大きい。

 あまり上手に出来ている自信は無いのに。

 まさか、初めてなのか? クンニされるの。いや、そんなことは……。

 

 

「や、め……ろっつーのぉ!」

 

 

 うごっ!?

 

 ――と、そんな事を考えつつ、溢れ出る愛液をすすり続けていたら、いつかと同じように腹を蹴飛ばされた。

 けれども、どうしてか痛みはほとんど感じず。

 首を捻っていると、神名が赤い顔でツバを飛ばしてきた。

 

 

「わたし責められるのはキライなの! 察しなさいよこのヘンタイ!」

 

 

 ……あ。そうか、そうだ、よね……ごめん……。

 

 よく考えれば、彼女はレイプ被害者なのだ。

 男に好き勝手もてあそばれることにトラウマを抱えていて当然。

 なんで気付けないんだ、自分は。いつも自分の事ばかりを優先して。

 だから救えなかったって、分かっているはずなのに。

 

 

「そ、そんなショボくれないでよ……。びっくりしただけ、だし……。ほら、それよりセンセーも脱いでっ」

 

 

 ……あ、うん、分かった。

 

 後悔の念にうつむいていたら、神名が布団を這い、シャツのボタンを外してくれる。

 上半身が裸になるまであっという間だ。次いでベルトも外され、彼女と同じく全裸に。

 改めて見比べてみると、児童買春の犯行現場にしか見えなかった。

 顔立ちはもとより、第二次性徴期に入ったばかりの身体は細く、膨らみかけの胸はとんがって、普通にしていてもあばらが見える。体毛も薄い。陰毛に至っては生えてすら。

 対する自分にはだらしなく脂肪が付きまとい、へその上まで剛毛が茂っている。筋肉はそれなりについているはずだが、やはり腹が出ていてみっともない。

 

 

「うわー、もうカチカチ。じゃあ今度はわたしの番」

 

 

 しかし、彼女には気になることでもないようで、そのまま脚の間へ身を横たえる。

 分身の横に少女の顔がある視覚効果もあって、硬度はかつてないほどに。

 

 ……って、え? あの、もしかして口で、してくれる?

 

 

「他にどんな選択肢があるのよ。して欲しかったくせに」

 

 

 クスクスと、見慣れた意地悪さで息を吹きかける神名。

 刺激と期待で、竿が跳ねた。

 

 

「んー、見事なカセーホーケー。それじゃ、するよ?」

 

 

 確かめるように視線を上げた後、大きく口を開けて、舌をギリギリまで伸ばす。

 熱が近付いてくるのを感じる。

 ゆっくり、ゆっくり、焦らされる。

 そして――

 

 

「んっ」

 

 

 ――ツン、と触れた。

 覚悟していたよりか、幾分、刺激は弱く思えた。大したことない。これなら耐えられるかも……。

 

 

「ん~……れろぇろ……ん、剥けちゃった。はぅむ」

 

 

 うぁ、ちょ、おぁ、く……!

 

 ――と思ったのだが、しかしそれは思いあがりであった。

 先端の皮に舌が入り込み、くるくる舐めながら押し下げていく。

 ただ触れるだけなら我慢できたのに、声が漏れてしまう。

 それだけでなく、ぱっくり咥えられて熱に覆われてしまった。

 

 

「ん、ぐ、んむぅ、っふ、ふ」

『どう、センセー。気持ちいい? 気持ちいいでしょ?』

 

 

 苦しげな息遣いと共に、頭へ直接声が響く。

 これは多分、テレパシーだ。喋れないからその代わりだろう。

 なにせ神名の舌は今、先端をこれでもかと撫で回し、唇も竿を上下に行ったり来たりしているんだから。

 

 き、気持ちいい、気持ちいいけど、もうちょっと加減を……っ、これじゃ、すぐ……っ」

 

 

「んぷ、ぁ、はふ、んぐぅ、ぅんっ」

『あはは、しょーがくせーのお口で気持ちよくなっちゃうんだ、センセーなのに。どうしようもないね? でも素直さんだったから、もっと凄いことしてあげる』

 

 

 もっと、凄いこと?

 もう射精しそうなのに、これ以上刺激されたら。

 まだ、この中に居たいのに。舐めていて欲しいのに。

 そう思って、動き続ける頭を止めようと、手を添える。

 

 

「う゛っん゛」

 

 

 ――が、その瞬間、全て飲み込まれた。ぐぽん、と根元まで。

 いや、何か……穴に入った? まさか喉に?

 

 神名、っ、ぁ!?

 

 

「ぶむ゛……っ、っ……っん゛」

 

 

 堪らず、出してしまった。

 凄まじい快感と射精感。激しい勢いを、少女の喉へ直接に流す。

 先端が窮屈さに締め上げられ、舌が脈を助ける。吸い出される。

 筆舌に尽くしがたい、未知の感覚だった。

 

 

「……ぉご……かふっ、ごほっ……。はぁ、すっごい量。溺れちゃうかと思った」

 

 

 やがて、射精が終わってへたり始めると、喉奥から竿が吐き出される。

 数回に分けて、たっぷり十秒は発射したと思うが、全部飲んでくれたらしい。

 

 ご、ごめん、神名。勝手に、その……。

 

 

「なんで謝るの? そのためにしてるんだから、気にしなくて良いのに。夢、一つ叶ったでしょ?」

 

 

 う、ん。そうなんだけど……。

 

 確かに、夢にまで見ていた行為だけど、どうしちゃったんだこの子は。

 今までが今までだったし、サービス良過ぎな気が……。

 しかもこれから本番もある……? やっぱり自分、殺されるんだろうか。

 

 

「さぁて、これで終わりじゃないよねセンセー? あむ……ほぁ、ふぇんひになっへ?」

 

 

 言い知れぬ不安を感じていたら今度は浅くしゃぶられ、うっ、と短く喘ぐ。

 ワザとだろう、口に含んだまま喋り出し、声の振動で硬さは瞬く間に復活した。

 

 

「んふ、さっすが童貞。はい、さっさと横になる。いよいよだよー?」

 

 

 逆らえるわけもなく、横になり枕へ頭を乗せる。

 竿が天井を向いて反り返り、神名はその上へガニ股になって腰を近づけていく。

 そして、微妙に位置がズレている先端を握り、自らの恥部へと導き、軽く深呼吸。

 

 

「はぁ……。久しぶりだと、緊張する。……言っててもしょうがないか。行くよ? センセーの童貞、わたしが奪ってあげる。……ん」

 

 

 つぷん、と先っぽがめり込む。

 こちらの胸板に手を置いて、彼女が徐々に下へ。

 

 

「くぅ……ぃ、あ゛」

 

 

 ずいぶんとキツい。

 久しぶりと言っていたし、あの男達が死んでしばらく。指以外は入っていないのだろう。

 でもそれにしたって、とてつもない圧力。未使用の肉を引き裂いているようだ。

 現に、何かが引っ掛かっているみたいな感覚がある。

 

 

「ぐ、ぅう゛――ぎっ!?」

 

 

 ――と、勘違いだったのか、それは間もなく破れ、八割がた侵入した。

 喉奥に入った時と似ているようで、全く違う圧迫感。

 根元近くまで隈なく絞られる。奪われて、しまった。

 ……っていうか、今の感触って。

 

 か、神名? 今なんか、突き破った気がしたんだけど?

 

 

「く、はっ……は? そりゃ、そーでしょ。魔法で膜、再生してたんだ、もん。うぅ、やっぱ、太……。なに? 嬉しくないの?」

 

 

 嬉しいに決まってます。

 でも、こんなに血が……痛みは……?

 

 

「即答しないでよこのロリコン。痛いわよ。太過ぎなの、童貞のくせに。カセーホーケーのくせに。一回出してなかったら、入れただけでイっちゃいそうな、早漏のくせにっ」

 

 

 いだ、痛いっ、腹毛むしらないで!?

 

 慌てて、腹いせに毛を引っこ抜く神名の手を握り、環境破壊を食い止める。

 それにしても、魔法って凄い。処女膜まで再生できるのか。かなりキツくて痛気持ちいいし、本当に嬉しいけど、理由はやっぱり……。

 また失ってしまって、よかったのだろうか。彼女の中ではもう、その程度の価値しかないという事なのか。

 

 

「ん……ほら、いつまでも感動してないで。動くからね。……くぁ」

 

 

 思案に耽るこちらを余所に、神名は指を絡ませ、騎乗位の体勢で摩擦を開始。

 吐息が弾み、同時に竿へ初体験の感覚が。

 気持ちいい。気持ちいいけど、気持ちよ過ぎて何が何だか分からない。

 

 

「はっ、あ゛、うぐぅ、う、い゛」

 

 

 あまりにも狭く、ピッタリくっついていて、境目が判然としなかった。

 擦れているのに、刺激が強すぎて集中できず、まるで溶け合ってしまっているよう。

 

 

「んぐ、ふっ、ふっ、ん゛ぁ」

 

 

 息つく暇もない快楽。

 しかし、恍惚とする脳に響く、気になる音。

 痛みを。苦しみを耐える、少女の声。

 

 あの、神名? 無理をしない方が……。

 

 

「っく、う゛……は、ぁ? なら、さっさ、と、っ、イきなさい、よ……ん゛」

 

 

 そうじゃなく、て……。

 どうせなら、君にも気持ちよくなって、欲しいし……。

 

 

「……? なに言ってるの? わたしが気持ちよくなれるわけないし、なったってしょうがないじゃない」

 

 

 キョトンとした顔で、首を傾げる神名。

 少し、ゾクッ、とした。

 本気で分かっていない。この行為が、本来は互いに快感を得られるものであると、彼女は知らないのだ。

 知る前に。知ってはいけない内に。

 傷付けられ、踏みにじられ、蹂躙された。

 

 

「あっ。……センセー?」

 

 

 抱きしめていた。

 こんな事を思う資格など、こうしている自分には無い。

 けれど。それでもただ――憐れだと。

 

 

「どうしたの? あ、こういうのの方が好き? なら、そっちでもいいよ。今日だけ特別、だからね?」

 

 

 おそらく、読まれてはいないのだろう。

 こんな風に考えていると知られたら、その瞬間、自分は殺される。この子はそういう子だ。

 だから、彼女の勘違いを真実にするため、身体の位置を逆にし、神名を布団へ寝かせる。

 

 

「ん……あ……」

 

 

 押し潰さないように、しかし離れないように。

 肌を密着させて、腰を動かす。

 

 

「は……うっ……っ……ふ……」

 

 

 じわり、じわり。

 竿に愛液を染み込ませながら、窮屈な壁を脱出。

 くびれまでを引き抜くと、倍の時間をかけてまた奥へ。

 苦しめないため最奥は突かず、馴染ませる事だけに努める。

 

 

「く、ぁ……はっ……はぁぁ……」

 

 

 何度もそれを繰り返し、些細な変化も見逃さぬよう、注意を払う。

 見たところ先ほどまでよりはマシなようだ。が、今度はこちらが苦しむ番だった。

 自分の思う通りに動くと、彼女の内側がどれだけ狭いのか、熱いのか、深く感じてしまえる。

 意識が遠くなるくらい、気持ちいい。

 

 っ、神名、まだ、気持ちよくは……?

 

 

「だ、から、気持ちよくなったって、意味無いし、なれるわけないでしょ。

 ついさっきまで童貞だった、くせに、調子乗りすぎ。動きも、単調だし。

 どうせわたしをイかせられるはず、無いんだから。もっと激しく突いて、さっさと終わらせあんっ!」

 

 

 話に気を取られ、ついうっかり奥を擦ってしまったその時、呆れ顔が色欲に染まった。

 

 ……あの。

 なんか、可愛い声が。

 

 

「気のせい。センセーの勘違い。声なんか出してない。あとわたしは可愛くなんてない」

 

 

 横を向き、手の平で必死に顔を隠す、照れた少女。

 どうしよう。

 めちゃくちゃカワイイ。

 

 

「ひぁ!? せ、センセー待って、ぅあ! こん、な、んぃ!」

 

 

 試しに奥だけを狙ってグリグリ押し上げてみれば、クンニした時と同じく、大きな反応が変える。

 思ったとおり、経験豊富とはいっても、その内容には著しい偏りがあるようだ。

 

 こんな風にされたの、もしかして初めて? さっき舐めた時も……。

 

 

「……し、しょうがないでしょ!? あいつら早いし細いし短いし、好き勝手にわたしを使ってくだけだったんだから……。あ、あそこ舐められたのも初めてだったの! 悪い!?」

 

 

 悪いどころか、嬉しくて堪らない。

 この可愛らしい声を引き出したのは、自分が初めて。

 どうしようもなく、興奮する。

 

 

「んっ! ぁ、はん! やだ、これ、ぅ! やだぁ! センセ、ゃあぁ!」

 

 

 押し潰し、擦り上げ、こね、突く。気付けば、思いつく限りの手段を使って、最奥を抉っていた。

 涙目になって、真っ赤な顔で、神名は首をふる。

 魔法で無理やり止めるという選択が思いつかないほど、切羽詰っているらしい。

 そんな彼女の頬を撫でながら、自分は言う。

 

 大丈夫。ここに居るから。ずっと側に居るから。

 だから、もっと一緒に、気持ちよくなろう。

 

 

「……ほんと、に?」

 

 

 対する返事は、小さな声と、大粒の涙。

 

 

「ほんとに、側に居てくれる、の? お父さんみたいに、捨てたりしない? お母さんみたいに、置いてったりしない?」

 

 

 瞳は零れそうな雫をたたえ、手と手が重なる。

 衣服を纏っていないせいか、むき出しの言葉が胸に痛い。

 親指で涙を拭って、大きく頷き返せば、彼女の顔がほころび――

 

 

 

 

 

「うそつき」

 

 

 

 

 

 ――まばたきの間に、反転した。

 ゾブリ、と。

 その無表情に、刃を突き立てられた気がした。

 

 

「男ってほんと単純。安いエサと涙にコロッと騙されちゃって」

 

 

 か、神名? 一体、何を言って……。

 

 

「まぁだトボけるんだ。ま、そうだよね。わたしの魔法に引っ掛からないくらい慎重に準備したんだもんね。でも」

 

 

 仄暗い笑みでクスクス笑いながら、神名は枕の下から何かを取り出す。

 

 

「隠すならもっと厳重にしなきゃ、ね? あ、でもそれだと意識に残っちゃうのか。ほんとに、どうやって書いたんだか」

 

 

 それは、何も書かれていない封筒。

 覚えがある。

 この手で書いた、退職願だ。

 たしかに、自分の書いたものだった。

 

 

「わたしから逃げるつもりだったんでしょう。あんなこと言ったくせに。

 何もかも捨てて居なくなるつもりだったんでしょう。残念、バレちゃった」

 

 

 中身をひらひらさせ、嗤う。

 それは、死刑を宣告されたようなもの。

 自らの意思に従わない存在を、裏切り者を、彼女は許さない。

 ……普通に考えれば。

 

 

「何か言い訳ある? 特別に、聞くだけ聞いてあげる。面白かったら助かるかもよ? しょーがくせーの身体に酔って、平気で嘘つく、セ・ン・セ?」

 

 

 ……神名。

 

 

「うん。なぁに?」

 

 

 それ、日付までちゃんと見た?

 

 

「……へ? 日付? えっと………………ん?」

 

 

 予想外の言葉だったのか、せせら笑う目付きを訝しそうにパチクリ。紙面へ目を凝らす。

 そして、ある一点に注目し、今度は眉間にシワを。

 

 

「あ、れぇ? なんか、だいぶ、前……」

 

 

 うん。それ、あの三人の苦情に参ってた時、発作的に書いた奴なんだ。

 処分するの忘れてただけで、出すつもり無い。

 出したとしても、日付と年号を間違ってるから恥ずかしい思いをすると思うよ。

 

 

「………………」

 

 

 沈黙。

 優越感に浸っていた顔が、みるみる汗ばんでいく。

 視線は縦横無尽に泳ぎまくり、唇が波打つ。ほっぺたも紅潮し、プルプル震える肩。

 やがて、彼女はクシャリと退職願を握り潰し――

 

 

「……き、記憶を失えー!!!!!!」

 

 

 あだっ!? ちょ、神名、やめ、やめてっ!?

 

 ――そのままボコスカ殴りつけてきた。

 わりと本気らしく、眼鏡がズレる。

 

 

「なに? 今までの仕返しなのこんな悪質なトラップしかけて!? わたしに恥をかかせるのがそんなに楽しい!? ばかばかばかばかばかばかぁぁあああぁああっ!!!!!!」

 

 

 いやトラップって君が勝手に先走っただけ……あぁ、とにかく落ち着いてっ。

 

 

「はーなーせー! このヘンタイ、ロリコン、性犯罪者ー!」

 

 

 暴れる神名をなだめるようと強引に抱きしめたのだが、それでも四肢をバタつかせ続ける。

 しかも、身体を動かすという事は筋肉を使うという事であり、筋肉というものは単独で動作する事もなく、然るによって――

 

 あ、ごめん出る。

 

 

「え、えっ? ……んぁ!? なに勝手に、ぅ! ふぐ……あ……あ~ぁもう……」

 

 

 ――膣内射精してしまった。

 最奥へグイグイ押し付けて、キツさの中で爆発させる。

 一人では絶対に味わうことの出来ない充足感。

 諦めたように力を抜く内側は、しかし巧みに精をすすって蠕動してくれた。

 こんなに長く射精できるなんて、初めて知った。人間とは不思議なものだ。

 

 

「この、早漏。こんなグダグダなの初めて……」

 

 

 すみません。気持ちよくて我慢できませんでした。

 

 なんて謝りながら、疑問に思う。

 どうして神名は、魔法を使おうとしないんだろう。

 嫌なら強制すればいい。たった一言を口にすればいいのだから。

 記憶だって本当に消せるし、過去に遡って深く読んでおけばこんな事態にならなかったはず。

 理由は定かでないけれど、でも、分かっている事が一つだけ。

 この心を読んでくれないのなら、口にする必要がある。言葉にして伝える必要があるのだ。

 

 嘘じゃないよ。

 

 

「……は? ……なにが、よ」

 

 

 自分の命は、もう神名の物なんだ。君の許可なくどこかへ行ったりしない。

 君が望んで(遊んで)くれる限り、どんな事でもする。玩具っていうのは、そういう存在なんだから。

 今度こそ、守るよ。

 

 

「……センセー?」

 

 

 身体が少し離れ、視線が重なり合う。

 こちらを見るそれは、まるで驚いているようにも見えて。

 神名は、どれだけの言葉を胸に抱えているのだろう。この言葉を口にするのに、どれだけの想いが必要だったのだろう。

 発端は思い違いからだとしても、さっきの涙。嘘だとは思えなかった。あれはきっと、この子がずっと抱え込んできたもの。

 不幸に慣れすぎて形に出来なかった、本当の願い。

 半年前は自分のことで手一杯だと、誤魔化してしまった。そのせいでこの子は余計に傷ついた。

 償わなくちゃいけない。たとえ、玩具みたいな扱いを受けようとも、自分だけは味方でいなくちゃ。

 引き返すことなんて、出来ないんだから。

 

 

「……そっか。センセーはもう、とっくに……」

 

 

 かすれた声で、何かが呟かれる。

 聞き取れないまでも、拒絶の響きは感じず。

 ただじっと、悟ったようにまぶたを伏せる神名を見つめた。

 

 

「続き、してよ」

 

 

 やがて、つぶらな瞳がそれを捉え、柔らかい笑みが浮かぶ。

 

 

「わたし、まだイってない。センセーはわたしのおもちゃなんでしょ? ならもっと、わたしを悦ばせなさい」

 

 

 一見すれば、静かに愛を告げるような表情。

 だが、実際に口から飛び出したのは、女王の如き不遜な勅令だった。

 なのに、どうしてだか嬉しく思えてしまった自分は、彼女の中でしぼんでいた分身を復活させる。

 

 

「ん……ぁ、は。これ、おもしろい、かも。中でおっきくなって……」

 

 

 抜けてしまわぬよう、揺らす範囲は最小限。

 わずかな刺激でも、ヌメリと体温があるだけで、感じ方が全く違った。

 すぐさま硬度を取り戻し、奥を小突いてしまう。

 

 

「はぁ……あ……あ、ぅん……ふっ」

 

 

 緩やかな抽送。

 ピストン運動にも、今度は感じ入っているようだ。

 薄く目を閉じ、未発達な膨らみが揺れる。

 

 

「もっと……奥だけじゃ、なくて……横っ側、も……」

 

 

 すると、もどかしそうに上体をくねらせ。小さな声が。

 緩んだ口元からは、確かなメスの欲望が垣間見えた。

 求められたのがまた嬉しくて、挿入したまま神名を横向きにさせ、太ももを抱えて、側位で腰を突き出す。

 

 

「あっ、ぁん! なに、これ……ぅ! いつもより、ピリピリ、するぅ……ふぁ!」

 

 

 斜めに擦り上げると、合わせて甲高い音が響く。

 竿へも正常位とは違った快感が走る。

 ほんの少し向きを変えただけで、こうも変わるなんて。……もっと、知りたい。

 そんな衝動に駆られ、次は腰を持ち上げて後背位に。

 

 

「ひいっ! ぃや、変なとこ、擦れて……はっ! うしろ、や、だぁ!」

 

 

 もともと浅い内側だったけれど、こうすると神名の小ささがよく分かる。

 身体を構成するパーツが全体的に細く、弱々しい。それでいて、竿を突き立てれば震えて悦を示す。

 彼女を無理やり犯した男達も知らないだろう、十二歳が男で悦ぶ、艶姿。

 ……滾る。

 

 

「ぁひ! や、だ、だめ、ら、め――んんん~~~!!」

 

 

 我武者羅に腰を振ると、ただでさえ狭かった中が強烈に収縮し、見下ろす背中が弧を描いた。

 枕に顔を押し付けているのか、くぐもった声も聞こえて。

 もしかして、イってくれたのだろうか。うん、間違いない。この震え方、教室で見せ合った時と同じだ。

 

 

「ぁ……あ……うく……ふ……」

 

 

 鼻に抜ける声と共に、ヌルリ、と竿が吐き出される。

 感じるのは、射精したときとはまた違う感覚。これは、優越感、か。なるほど。これは癖になる。もっとしてみたい。

 とは思っても、いかんせん初体験。使い慣れない筋肉を酷使したせいか、疲労も感じていた。

 少し休みたくて神名の隣へ横たわると、彼女は恨めしそうな呟きを。

 

 

「イかされた……。よりにもよってセンセーに、わたしだけ、イかされるなんて……。屈辱……」

 

 

 どうやら、一人先に達してしまったのが気に喰わないらしい。

 ぷくー、と頬を膨らませ、不満顔。

 それがまた可愛くて、思わず笑顔になってしまったのだが、彼女は「む」と目を細め、また仰向けになっていたこちらの上に。

 

 え、神名? まだ休んでた方が。

 

 

「やだ。やられっ放しなんて性に合わないし。攻守交替。枯れるまで絞ってあげる」

 

 

 どこまでも強気な笑みで、柔らかくなりかけていたモノを掴み、強引に挿入。

 子供が遊ぶように動く。

 

 ぅ、あ……! ちょっと、待っ……ぅくっ。

 

 

「ほら、ほらぁ、ぁ、さっきの勢いは、どこいったの? 女の子みたいな、ん、声、出しちゃって」

 

 

 上下に跳ねて、左右に揺れる。

 気持ちよさで喘ぎながら観察すれば、グロテスクな肉塊を、幼い恥部がしゃぶり尽くしていた。

 もう出血は見られず、溢れ出るのは、精液と混じり合って濁った愛液。

 

 

「ぅん! ぁはっ、すごい、さっきは苦しい、だけだった、のに、全然違う……あふ」

 

 

 貪欲に快楽を貪る少女は、淫らに表情を溶かしている。

 明らかに楽しんでいた。

 彼女にとって汚らわしいはずの行為を、積極的に。

 そうさせたのは、彼女を教導する立場――教師である、自分で。

 無視していた背徳感が、唸りを上げて神経を駆け巡る。我慢なんて、出来ない。

 

 神名、もう……!

 

 

「えー、もうイっちゃうの? せっかく良くなってきたのに……。ってそうだ。さっき勝手にナカダシしたよね。妊娠したらどうするつもり?」

 

 

 いやあれは、体勢的に仕方なく……もしかして……?

 

 

「来てないけど、だからって、ん、中に出していいわけないじゃん。それとも、しょーがくせーに自分の子を産ませたいの?」

 

 

 にやり、そんな擬音がぴったりの笑いを浮かべ、彼女が言う。

 流石にそんな事を望むほど鬼畜ではなく、まさかそんな、と反論するのだが、それを聞くと「ふーん」なんて気のない返事で半眼に。

 そして、いつかと同じように身体の上へ寝そべって――

 

 

「おねがぃ。せーえき、中にちょうだい? センセーの赤ちゃん、産みたいの」

 

 

 ――などと、明々白々・嘘八百な猿芝居をかました。

 が、そうだと分かっているのに、潤んだ瞳が、切なげな眉が、瑞々しい唇が、オスを昂らせる。

 

 

「んふふ、やっぱうそつきだ。……ぁはん!」

 

 

 強くなった圧迫感。それにこちらの欲を悟ったのか、神名は手弱女の衣を脱ぎ捨てる。

 腰を振るのは、人の精をすすって生きる、淫魔の如き美少女。

 

 

「出しちゃえヘンタイ、出しちゃいなさいこのロリコン! あんたの薄汚いえーえきで、しょーがくせーを孕ませてみなさい!」

 

 

 づぷ、づぷん、と激しく音が立つ。

 爆発寸前だった滾りも、そんな事をされては留まれるわけがなく。

 

 あすみ、出る……!

 

 

「んっ! んん~~~~~~っ!!!!!!」

 

 

 少女の胎へ、容赦なく白濁液を放出する。

 一拍、二拍、三拍、四拍――何度も脈打ち、染め上げる。

 こんなに出して死にはしないかと、自分で心配になるくらいだった。

 

 

「――っはぁ、はぁぁ、は……気持ち、いぃ……」

 

 

 受け止める彼女も軽く達したのだろう。くて、と胸板に頭を乗せ、呼吸を整えていた。

 背中を撫でてやると、じっとり汗ばんだ肌が吸いつく。硬さを失い始めた竿が、ダラリ、抜け落ちる。

 これが、セックス。女と身体を重ねる行為。

 どうして興味を持たなかったんだろう。今までの人生、大いに損をした気分だ。

 

 

「はぁ。さて、もう一回っと」

 

 

 はい?

 

 聞き違い、だろうか。

 感動に浸っていたところへ、信じられない発言が届いた。

 もう一回? もう三回出してるんですけど? もうそろそろ弾切れしそうなんですけども?

 

 あ、あのせめて十分だけでも休憩――ぅを!?

 

 

「ふ、ぅんっ」

 

 

 底なしの性欲へ戦慄し、せめて休憩をと懇願したのだが、またしても強引に、押し込むようにして飲み込まれた。

 ……あれ、なんか感触が違う。

 さっきまでは、狭くても柔らかい、蕩ける感触だったのに、今居るそこは、熱いのは同じでも、輪ゴムで縛られてしまったみたいな……。

 

 

「ふっふっふ、どこに入ってると思う?」

 

 

 身を起こし、不敵に笑う。

 その下腹部を確かめてみれば、さっきと微妙に位置が違う。

 本来竿が納まるべき場所が、空いているように見えた。けれど、肉で包まれる感触はある。

 ということは。

 

 ちょ、ちょっと、生でお尻は、病気とか……っ!

 

 

「だいじょーぶ、ちゃんと綺麗にしといたから。それに、枯れるまで絞ってあげるって言ったでしょ。

 腹上死寸前までするから、覚悟してよね。エッチが気持ちいいって教えた、センセーの自業自得。

 つーかさっき人のこと呼び捨てにしたよねぇ? 一回しただけで思い上がるな。自分の立場ってものを再教育してや、るっ!」

 

 

 お、う!?

 

 ギチリ、と、痛いほどの締め付け。膣のふんわりしたそれとは、雲泥の差。

 しかし、潤滑液は出ないはすなのに動きは滑らかで、引き千切られそうな快感に意識が飲まれる。

 そんな姿を見下して、彼女は。

 あすみは、無邪気に。意地悪に、輝いてみせるのだった。

 

 

 

 

 

「空っぽになるまで出し尽くして。

 その隙間に、わたしの存在を刻みつけてあげる。

 例えこの先なにがあっても、センセーはわたしのモノなんだから」

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「――年は度重なるストーカー行為によって何度も通報されていました。父親の――」

 

 

 聴覚が女性の声を察知し、眠りの気配が遠ざかる。

 ……テレビ。ニュース。消し忘れたのだろうか。

 とりあえず朝っぽい。時間を確認しなければ。

 

 っぐぁいだぁ!?

 

 ――と、そう思って身体をひねった瞬間、腰へ凄まじい痛みが。

 なんだこれ……!? めちゃくちゃ痛い……! き、筋肉痛?

 っていうか全裸だ、身体がベタベタする、布団が湿ってる上に生臭い!

 どうしてこんな状況になってるんだ!?

 

 

「――不明な供述を繰り返し、自分達が精神鑑定を――」

 

 

 テレビからは、相変わらず女性アナの声。

 なんとか枕元の眼鏡ケースをたぐり、テレビに表示されている時間を確認すると、まだ時間があった。

 これなら学校へ出勤する前にシャワーを浴びられそうだ。

 

 それにしたって、この状況はおかしい。

 全裸で寝る習慣はないし、筋肉痛になるほど腰を使った覚えもない。

 布団だって週に一回は干してるんだから――いやこの濡れ具合はおねしょと言っても間違いじゃ……この歳で?

 いやいやいやそれこそあり得ない。昨日は……ダメだ思い出せない。帰ってきてそれから、どうしたんだっけ。

 酒でも飲んだ? でも家で深酒するほど飲まないし、飲んだならなんで二日酔いしてないんだ。どうなってる……?

 

 

「――てはお天気です。今日は――」

 

 

 腰を庇いながら部屋を見回す。

 と、すぐ脇に折りたたまれた服が置いてあった。せめてトランクスくらいは穿いておこうと手に取り、気付く。

 これ、自分の畳み方じゃない。自分はもっと雑で、こんな綺麗に畳んだりしない。

 寒気がした。

 まさか、誰かがこの家に侵入した? こそ泥? でもそれなら部屋が荒れていなくちゃ……。

 それにこんな悪戯染みたことをして何の得になるっていうんだ? けど他に可能性なんて……ん?

 

 机の上に、妙な物があった。

 趣味に合わず、とても場違いな物。

 小さな、クマのぬいぐるみ。

 何となく手に取れば、ようやく確かな記憶が蘇った。

 これは神名に貰ったものだ。

 

 昨日、突然彼女の父親から連絡が来て、親子一緒に暮らす事がとんとん拍子に決まり、転校する事となった。

 即日転校なんて本来はあり得ないこと(事実、住民票の移動や在学証明書の提出、転入学通知書などの交付はまだ……のはずだ。記憶にない)だが、置かれていた環境と、本人たっての希望もあり、既にこの街を離れている。

 短い間ではあったが、何かと接する機会が多くなった自分達は自然と仲良くなっていて、別れ際、彼女が大事にしていたこのぬいぐるみを渡されたのだ。

 

 

『わたしのこと、忘れないで』

 

 

 ――と。そう言われて。

 ずっと辛い生活を強いられてきた神名。

 今更のこのこ現れた父親に腹が立たないわけでもなかったけれど、これからは彼が守ってくれる。

 血の繋がった親子なんだから、一緒に居られるのならそっちの方がいいに決まってる。

 ……決まってる。

 

 なのに、どうしてだろう。

 とても大切な事を、忘れているような気がした。

 心細い。

 繋いだ手を振り払われたような。

 隣に居た誰かが消えてしまったような。

 心が、軽くなってしまったような。

 そんな気がした。

 

 頭が痛い。

 脳幹から延髄を下り、胸の辺りで冷たく膨張する。

 不意に、甘い匂い。

 発生源は、手の中にある小さなぬいぐるみ。

 あぁ、そうだ。これは多分。

 

 ――ハチミツの、匂い。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「あ~あ~、困ってる困ってる。飼い主が居なくなったからって、いい大人がそんな顔しちゃダメでしょ」

 

 

 おおよそ百数十メートル離れた場所にあるアパート。

 その窓から見える男性を、金網越しに強化した視力で観察していたあすみが呆れて笑う。

 背にはリュックサックがあり、朝方、低めの駅ビル屋上に居る人物としては、いささか若い。

 

 

「本当に良かったのかい。彼の記憶まで操作してしまって」

 

 

 その後姿に向けられる、淡々とした声。

 金網が軋んだ。

 

 

「どういう意味」

 

「言葉通りの意味さ。この街を出るというのなら、最低限――三人くらい操作すれば済む。

 彼の記憶までいじってしまうのは、無駄な気がしてね。

 そもそも、こんなに早く準備を整えるだなんて君らしくもない。織莉子達に負けたのが堪えたのかい」

 

「あんた見送りに来たの。それともバカにしに来たの」

 

 

 ようやくあすみが振り返り、少し離れた位置で座る小動物――キュゥべえを睨む。

 しかし、彼(?)のいう事はもっともであった。

 必要以上の波風を立てぬように街を離れるには、学校関係者――特に、転校の事実を把握していなければならない、校長と教頭。この二人と財産管理人である弁護士へ記憶の植え付けを行えば問題ないのである。

 手続きが後手後手になり、不審がられることはあっても、よほどの酔狂か暇な人間でない限り、首を突っ込まない。それが日本人の美点であり、欠点なのだから。

 

 だが、例の彼はあすみの事情を全て知っているのだから、記憶を操作する必要などない。口頭で説明すれば済む。

 なのに彼女は、上記の三人を、前もって設定していたワードを使って呼び出し五分で記憶を植えつけた時と違い、何時間もかける丁寧さで、自分との記憶を捏造したのだ。

 織莉子から話を聞き、その行動をつぶさに観察していたキュゥべえにとって、無駄としか思えない行為であった。

 

 

「善は急げって言うでしょ。あんな連中が居る街に長居したくないだけ。それに、センセーの記憶いじったのにだって、理由はあるんだから」

 

「どんな理由だい。今後の参考までに、聞かせて貰えると助かるんだけれど」

 

「あんたに教える義理はない……って言いたいとこだけど、気分がいいから教えてあげる。その方がセンセーを不幸に出来るからよ」

 

「不幸に……。意外だね。君にとって彼は、唯一と言っていい、心を許しているように見えた人物だったのに」

 

 

 実に可愛らしい動作で、キュゥべえは首をかしげた。

 見ていた限りでは、あすみが彼と同じように接する人物は他にいなかった。魔法少女の事実を知る人物もまた同じである。

 その上、彼女は身体を許した。

 レイプを受けた女性が再び性交渉を行えるようになるまでかかる時間は相当な物。中には、男であれば肉親にすら触れることも出来なくなる女性だっている。

 極々まれに、そういった行為へ偏った願望を持つ女性もいるが、あすみはそれに当てはまらない。

 そんな彼女が自ら身体を重ねた。信頼している何よりの証拠であるはずだった。

 

 

「はっ。わたしの行動目的は、あんたと契約した時から変わってないの。わたしは、わたしを知った周囲の人間を不幸にし続ける。より長く、苦しむように」

 

 

 悪辣に胸を張り、あすみがキュゥべえを見下す。

 その視線は、人間以上に悪意を醸造する樽として相応しいものは無いと、そう思わせる代物。

 

 

「わたしが植えつけた性癖とはいえ、念願が叶ったのにその記憶を奪われた。それであのザマ。かわいそーじゃない?

 それに、わたし以外じゃ勃たないようにしちゃったから、もう二度とすることも出来ない。男にとって最悪でしょ」

 

「そういうものかい」

 

「そういうもんなの」

 

 

 相槌を打ちながらも、やはりキュゥべえは疑問に思う。

 確かに彼女の行いは悪意に満ちたものであるのだろうが、それは記憶を留めていないと効果が薄いようにも考えられる。

 人の精神は快楽に弱い。

 しかし、味わったことのない快楽を追及しようとする強欲な人間は。実際に追及できる人間はあまり多くない。おそらく彼は“出来ない”側に当てはまると思われた。

 生殖機能を阻害させられたことが一番の痛手であろうけれど、そもそも繁殖対象として特別に優れている点が見られない上、もはや彼にはそういった欲そのものが発生し得ない。苦にすら感じないだろう。

 つまるところ、不幸にするといっている割に、やっていることがチグハグなのだ。

 

 

「これはあくまで僕の意見だけど、契約時の祈りにこだわる必要はないと思うよ。

 魔法少女であることを辞めることは出来ないけれど、力の振るい方は君の自由だ。

 必要だと感じたのなら、生き方を変えることだって可能なはずさ」

 

「……で、それでどうしろって言うの。センセーと一緒に幸せにでもなれって? 冗談やめてよ。

 あんな奴わたしの趣味じゃないし。……そうよ。あんな中途半端に壊れたおもちゃ、必要ない。いらない。いらないんだから」

 

 

 まるで自分へ言い聞かせるように、あすみは繰り返す。

 己が左手を見つめ、そして、ダラリと。

 

 

「わたしは不幸に生かされる。誰かの不幸のため生きる。それだけが、証。だから、半端なわたしも、ここに置いていく」

 

 

 一瞬だけ、彼女は後ろを振り返る。

 視線の先に今は何があったのか、キュゥべえの位置からは分からない。

 しかし、さして意味のない物だったのだろう。「ふん」と鼻を鳴らして、前を向く。

 

 

「さぁってと、行きますか。次の街にはどんな獲物が居るかなーっと」

 

 

 抜けるような青空。

 清々しい空気を肺に吸い込み、あすみは伸びをする。

 が、その頬に一粒、雫が落ちてきた。

 雲一つない空から。

 降るはずのない雨が、たった一滴だけ、落ちてきていた。

 

 

 

 

「サヨナラ……って、言ったもの勝ち、だよね。……センセー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……という訳で本当はわたし、ちえみちゃんのお姉さんじゃなくてお母さんなの。ついでに、貴方が密かに想いを寄せていた花壇のセンセーは、血の繋がったお父さんなのでした! 理解できた?」

 

「訳が分からないです」

 

 

 目の前で仁王立ち、小首をかしげる私そっくりな姉へ向かって、ベッドに腰掛けたまま言い返します。

 本当に訳が分かりません。

 お姉ちゃんが死んじゃったはずのママ? 学校のセンセーが、同じく死んだと聞かされていたパパ?

 これなんて韓ドラ? ドロッドロってレベルじゃないです。あんまりな事実に、理解が追いつきません。

 

 

「いや~、生理来てるの把握してなかったわたしも悪いけど、一発で当たるとか童貞の執念は凄いよね。苦労したわ~」

 

「ええっと、ご苦労様でした……?」

 

 

 十二歳での妊娠出産。

 事実であれば、それはもうとてもじゃないけど大変な事態。とりあえず労うべきかと声をかけます。

 するとお姉ちゃんは、薄い胸(とても二十四歳とは思えません)を張ってふんぞり返りました。

 

 

「ホントホント。最初は太っただけかな~と思ってたのに、日に日にお腹が大きくなってさ? 人目につくし気になるから派手な戦闘も出来なくなって、センセーを呪ったよ。

 あんなに早く子供を作るつもりなんてなかったし、産んだところでキチンと育てられる自信も全くなかったもん。悩んで、悩んで……自殺も考えた」

 

「え?」

 

 

 予想外の言葉に、驚いてしまいます。

 誰に対しても歯に衣着せぬスタンスを崩さず、天上天下唯我独尊を地で行くお姉ちゃんが、そんな弱気なことを考えるだなんて。

 しかし、そんな私へ「でもね」と付け加え、彼女は微笑みを。

 

 

「その度に、ちえみちゃんに止められた。つわりだったり、お腹を蹴られたり。まだ産まれてもいないあなたが、必死に、生きたいって。ちゃんと産まれたいって。何度も、何度も。

 意味もなく泣けてきて……死ぬに死ねなくなっちゃった。なんでか分からないけど、あなただけは何をしても産まなきゃいけないって、そう思ったの。

 そっからはプライド捨てて努力したよ~? この子が産まれるまで匿って下さいって、拡声器持ったまま美国家の前で正座したり、グリーフシード取ってきてもらったり」

 

「グリーフシードっていうのが何かは分からないですけど、それは悪質な脅迫じゃないでしょうか」

 

 

 ときどき遊びに来てくれる私には優しい織莉子さん(すっごく大きな会社の社長さん。独身です)と、会う度にチクチク嫌味を言い合っているのはそれが原因ですよね絶対に。

 どんな繋がりで喧嘩友達になったのか定かじゃありませんでしたけど、こんな理由とは……。

 政治家の家の前で、小学生妊婦が今にも叫びださんと拡声器を構える。

 誰かに見られたら一発で政治生命終了ですよ。迷惑この上ないです。

 織莉子さんの引きつった顔が目に浮かぶ……。今度ひたすら謝りましょう……。

 

 

「とにかく、わたしがこうして生きていられるのは、あなたのおかげ。

 あの時、ちえみちゃんがここに宿ってくれなかったら、半年もしないうちに死んじゃってた。

 感謝してる。あなたのおかげで、わたしは自分と折り合いをつけて生きる術を見つけられた。

 だから、ちえみちゃんはわたしの、一番大切な宝物なんだよ」

 

「お姉ちゃん……」

 

 

 どこまでも澄んだ声で。

 お姉ちゃんは、お腹を撫でながら語ります。

 いつも、「ちえみちゃんはわたしの宝物」って言ってくれてましたが、こんな深い意味があったのだと初めて知りました。

 ……でも。

 

 

「全裸でそんなこと言われたってこれっぽっちも感動できないです」

 

「あっはっは。だよねー」

 

 

 笑って誤魔化そうとしてるみたいですが、流石に無理があります。

 まっぱでお股から、その……だ、男性のアレを垂らしながら言われてもぜんっぜん心に響きません。

 私がこの家に帰ってきてからの出来事を、簡潔に表しましょう。

 

 幼馴染の家へ遊びにいった帰り。

 玄関のドアを開けたら、気を失っているらしいセンセーの上で、お姉ちゃんが積極的に腰を振っていました。

 

 思わず三度見してからゆっくりドアを閉めて、コンビニでチャン○オンでも立ち読みしてこようかにゃーなんて考えましたよ。あ、ちなみに今日は日曜日です。

 まぁその後すぐ、内側からお姉ちゃんが顔だけ出して、「センセー運ぶから手伝って」と言われ、仕方なくビンッビンなアレから必死に目をそらしつつ寝室に運搬。

 ベッドに腰掛け、ことの説明を受けていたわけです。背後には下半身丸出しのセンセーが仰向けに寝てます。ときどき痙攣してます。

 改めて整理するとヒドい。何ですかこの状況? もうホントに訳が分からない……。

 あ、まだ聞いてないこともありました。

 

 

「……で、それがなんでセンセーとセッ……エッ……まぐわってた事に繋がるんですか?」

 

「あ~、それはね。ちえみちゃん美化委員でしょ。センセーがその顧問をしてるのは分かってたから、学校行事とかでは会わないように気をつけてたの。

 けどそしたら近所のスーパーで鉢合わせしちゃって。げっそり痩せて別人みたくなってたから一瞬分かんなかった。強制オナ禁ダイエットって本出せば売れるかも」

 

 

 ということは、センセーはかつて太っていたんですか。今の姿しか知らない私には想像しづらいです。

 他のクラスの女子にもけっこう人気あるんですよ? 邪な視線を一切感じないから安心できるって。

 おかげで苦労してますけど。私的に。

 

 

「んで、顔合わした途端、十二年分の性欲が襲ってきたみたいで、鼻血噴いて倒れちゃったのよ。しかもフル勃起状態で。

 人目があったから、とりあえず集団催眠かけて逃げ出して、車で休ませてたんだけど……。センセーの剛直を見てたら、ムラムラしちゃって……♪」

 

 

 頬を赤らめてんじゃねーですこの淫☆乱医療事務。

 今まで男の人に興味なんか全く示さなかったどころか、寄ってくる側から心をへし折ってたのにどういう事ですか。

 ムラッとしたからお持ち帰りして玄関開けたら即って。鍵もかかってなかったし、誰かに見られたらどうするつもりだったんですか本当に。

 とゆーかまたさらっと非常識な事を……。

 

 

「まぁ、センセーがこの場に居る経緯は千歩譲って“あり”としましょう。でも、集団催眠とか魔法少女とか、本当なんですか?

 単語だけでもありえないのに、二十歳過ぎでなんて無理無茶無謀です、誰得ですか?」

 

「あ、そんな言い方ひど~い。世の中には四捨五入すると三十なのにノリノリで新人教育までやってる人も居るんだから、わりと普通なのに。

 ……ん~。やっぱりちえみちゃん不機嫌? ま、大好きなセンセーのこんな姿を見ちゃったら、しょうがないけど……」

 

「だ、誰がセンセーの事を好きで好きで大好きで堪らないんですか。私は別に……」

 

「そこまでは言ってないんだけど。でもね、ちえみちゃんのことは魔法を使わなくたって分かっちゃうんだよ? 半分はわたしなんだから。ごめんね、驚かせちゃって」

 

 

 ニッコリ、お姉ちゃんは微笑みます。

 平静を装っていましたが、内心であわあわしていたのもバレているようです。

 何だかそれが悔しくて。

 でも、同時にバカバカしくなってきて、「はぁ」と溜め息が。

 

 

「なら、証拠でも出してみてください。私がセンセーをこの世の誰よりも愛おしく想っているという確かな証拠を」

 

「いやだからそこまでは……。全く強情なんだから。夜中にトイレで『せんせぇ』って言いながらオナニーしてたくせに」

 

「おっ!? なっ!? にょわぁ!?」

 

 

 んななななななななにを破廉恥なことをっ!? 聞こえないよう注意してたのになんでバレてるんですかっ!?

 

 

「ちえみちゃん、そりゃあんだけ長くトイレに篭もってたら誰でも分かるよ。もうちょっと回数を自重した方がいいと思うなぁ。うち一つしかないんだし」

 

「お姉ちゃんに言われた……! 意識のない人に跨って腰振る人に言われました……!」

 

 

 両手をブンブン振り回す私を、お姉ちゃんは生温かい瞳で見つめます。

 ひっじょーに恥ずかしくて、思わずベッドへ泣き崩れるのですが、次に彼女は真剣な声を向けました。

 

 

「さて。説明が済んだところで、真面目な話をしよっか。裸じゃアレだし……ほっ」

 

 

 視界の外で、まぶたの上からでも分かる光が生まれたのを感じました。顔を上げるとそこには、見慣れぬ衣装を着るお姉ちゃんが。

 なんて言いましょうか……。黒い花嫁さん? スカートが長くて、フリル一杯で、薄い上品なヴェールを頭に載せています。

 目を離したのなんてたった数秒。こんなに早く着替えるのは、無理。

 呆気にとられながらも、その美しさに閉口してしまいました。

 

 

「ちえみちゃん。キツいことを言うようだけど、あなたのその気持ちは、恋じゃないの」

 

「……は?」

 

 

 ――が、見惚れていた私への言葉は、とても冷たいもの。

 カチンと来ました。

 

 

「どうしてそんなことが言い切れるんですか。お姉ちゃんに私の何が分かると?」

 

「言ったでしょう。この人はあなたのお父さん。無意識にそれを感じて父性を求め、憧れを勘違いしちゃってるだけ。

 センセーだって、特別ちえみちゃんを気にかけてくれるのは、あなたに過去のわたしを見ているから。あなたの想いは、報われない」

 

 

 さっきと同じ、澄んだ声で。しかし冷酷に、彼女は告げます。

 私の胸にある感情が、ただの憧れである、と。

 ……痛い。

 

 

「ち、がい、ます」

 

 

 口が勝手に、その言葉を否定していました。

 拳を握りしめ、キュッと歯を食いしばって。

 私は、目の前にいる“女”を睨みます。

 

 

「センセーは、センセーはちゃんと私を見てくれてますっ。

 宿題を見てくれたり、頭を撫でてくれたり、子供扱いされてばっかりですけど、ちゃんと見てくれてます!

 ……例え、最初はお姉ちゃんを求めてたんだったとしても、今は違う。

 お姉ちゃんは私に嫉妬してるだけですっ、自分が過ごせなかった日々を楽しんでいる、私に!」

 

 

 確信がありました。

 女の子としては見られてなくても、神名ちえみという個人として、キチンと認識され、向かい合ってくれている自信が。

 だって、そうでなくては、こんなに胸が苦しくなるはずがありません。

 触れてくれる手が嬉しくて、でも、子供扱いが悔しくて、切なくなるはずがありません。

 お姉ちゃんはそれが羨ましいんだ。羨ましいから、こんなヒドいことを言うんだ……!

 

 

「……そう。そうかもね……。だとしても、この人と血の繋がりは否定できない。検査で証明だって出来る。

 あなたを娘だと知ったら、今まで通りに接してくれると思う? それでも愛して、道を踏み外してくれると思う?」

 

「それ、は……!」

 

 

 悲しそうな問いに、今度は答えられません。

 この事実をセンセーが知ったなら。

 きっと驚くことでしょう。そして、大急ぎで私という存在の責任を取ろうとするはずです。

 今ならお姉ちゃんと結ばれるのも合法。戸籍とかがどうなっているのか分かりませんが、きっと私達は家族になる。家族になってしまう。

 彼は、私を見て微笑んで。でも、そこに込められる感情は。

 

 

「関係、ない……関係ないもんっ!!」

 

 

 そんなのは、嫌。嫌だったから。

 私は立ち上がり、声も張り上げます。

 

 

「今更そんなこと言われたって、知らない! 出会った時は他人だったのに……こんな後出し、卑怯だよ……。

 関係ないもん……っ……学校のセンセーとか、血の繋がりだとか、どうでもいい!

 わた、しはっ、この人が好き、だもん……絶対に、憧れなんか、じゃ、なぃ……大好き、なんだもん……っ」

 

 

 本当は、分かっています。

 こんなの、子供のワガママだって。この想いが、遂げられてはいけないものだって。

 だてにお姉ちゃんと二人、支え合ってきたわけじゃありません。世間一般の常識くらい、理解できてます。お姉ちゃんがこんな嘘をつかないことくらい、知ってます。

 だけど、大切なんです。初めて心に触れて欲しいと思えたんです。こんな形で終わらせたくない……!

 そんな気持ちが止めどなく涙を溢れさせ、部屋には嗚咽だけが響きました。

 

 

「うん! さっすがわたしの娘! 泣きながらでも自分の意見は曲げないとか頑固にも程がある! 合格合格!」

 

「はぇ?」

 

 

 しかし、不意に人の気配が近付いてきて、バッシンバッシン、私の肩が叩かれます。

 もちろんそれはお姉ちゃんで、彼女は満面の笑みを浮かべていました。

 ついでに抱きしめられたと思ったら、今度は無理やり身体を一回転、ベッドへ向き直させられて。

 必然的にセンセーのイチモツが視界に入り、「ぅわわ」と目を覆ってしまいます。

 というか、今までのやり取りの背景にはずっとアレがあったんですね。まだまだ元気です。シュールだぁ……。

 そう思いつつ、指の間からひっそり覗いていると、お姉ちゃんは耳元でとんでもないことを囁きます。

 

 

「ね。センセーとエッチ、してみたくない?」

 

「………………はぁ!?」

 

 

 とうとう脳みそに虫がわいたんでしょうか。この変態黒花嫁。

 そりゃあ想像してましたよ? センセーとそんな関係になること。ええ認めましょう。毎晩そのネタで自分を慰めてましたとも。

 でもだからって一足飛びに最後までしちゃうのはちょっと……。もっと段階を踏んで、手を繋いだり、キスをしてからが……。

 というか親子なんですよね? 好きな気持ちはまだ変わりませんけど、流石に近親相姦はマズいですっ。赤ちゃんに悪影響がっ。

 

 

「んっふっふ。ちえみちゃん、興味深々だったでしょう? ほら、ここも、ここも。こんなにしちゃって」

 

「ひゃう!? ちょ、や! お姉ちゃんどこ触って――あっ!」

 

 

 突然、身体を電撃が襲います。

 胸と下腹部を這う指。

 穿いていた短パンがストンと落ち、シャツはめくられ、下着の中へ暖かさが進入してきました。

 

 

「おね、ちゃ、ん! ゃだ、だ、めぇ……んくぅ!」

 

 

 スポーツブラの半分がむかれ、硬くなりかけていた先っぽがいじられます。同時に、木綿のパンツの上から割れ目をスリスリされて。

 自分の指でないというだけで、想像を絶する気持ちよさ。

 しかも、白目を剥いているとはいえ、焦がれている人の前で肌を晒してしまっている事実が、熱くさせました。

 

 

「にゅふふ。口ではなんて言おうとも、身体は正直よのう。ほら、場所変えるよー」

 

「は、あ、ふぇ? ……あっ!? 待って、やめ、やめてくださいぃ!!」

 

 

 なんか悪代官っぽいセリフが聞こえたと思ったら、ひょい、と持ち上げられてベッドの上へ。

 しかもセンセーのびんびん様の真上に腰が。

 あの細腕のどこにこんな力が? これならセンセーも一人で運べたんじゃ……いえそれよりもっ、このまま降ろされたら入っちゃう……!?

 

 

「ダメです、無理です、入るわけありませんっ! 私の腕くらい太いんですよっ?

 っていうか男の人ってこんなに大きくなるんですかっ? 昴君のはあんなに小さくて可愛かったのに……」

 

「……なるほど、察したわ。あの日スバルちゃんが泣いてたのはそのせいか。

 ちえみちゃん。いくら幼馴染でもそういうこと言っちゃだめだよ? あの子、ただでさえトラウマ持ってるんだから」

 

「は、はぁ……? 気をつけます……?」

 

 

 どういう事でしょうか。

 少し前、一緒にお風呂入った時に見えちゃって、その時の素直な感想なんですけど。

 ちなみに昴君というのは、小学一年の頃からの幼馴染です。

 私にとっては弟みたいな存在で、今でもよく遊んでいますし、お泊りしたりもします。女の子みたいに線が細くて、どっちかっていうと妹みたいな感じかもしれません。

 ……って、話が逸れちゃってますよ私っ。

 

 

「とにかく無理です、絶対痛くて泣いちゃいますから! それに私もう来てるんですよ?

 お姉ちゃんみたく一発妊娠しちゃったらそれこそ畜生の如き有様じゃないですか!? センセー首くくっちゃいますぅ!!」

 

「相変わらず小六のくせに時代がかった言葉を使うこと……。でも大丈夫、暗示で痛みは快感になるし。

 もし出来ちゃっても、飛鳥さんに治療魔法をかけてもらえば絶対健康に生まれるから♪」

 

「いや社会的に問だ、ぃ――ぅえええっ!? ユウリさんも魔法少女なんですかぁ!?」

 

 

 昴君の親代わりな人までヘンテコな存在とかどういうことですか!?

 まさかこの街の住人、大半が魔法少女だったりしませんよねぇ!?

 

 

「まさか、そこまではいかないって。近いとはいえ見滝原じゃないんだから。せいぜい三割くらいだよ。それよりほら、センセーのおちんちん、すっごく苦しそう。もっと出したいってビクビクしてる」

 

「へ? 私、声になんて出してない……あっ、だからダメ――ぁんっ」

 

 

 驚いている間に、お姉ちゃんが私の身体を下げていきます。

 下着もズラされ、入り口へセンセーのがくっつきました。

 熱い。

 焼きごてを押し付けられたみたい、です。

 

 

「ね? こんなに熱くてパンパン。辛そうでしょ? ちえみちゃんが気持ちよくしてあげれば、きっと悦んでくれる。

 それに、ちえみちゃんもとっても気持ちよくなれるんだよ? これでジュポジュポされると、何も考えられなくなるくらい、気持ちいいの」

 

「あ、う、っ」

 

 

 お姉ちゃんの指が、センセーをしごきます。

 その度に、ピクン、ピクン、と入り口に擦れてしまい、背筋がゾクゾク。

 ……ダメだ。このままじゃ、流されちゃう。どうにかしてお姉ちゃんを止めないと……!

 

 

「ぉ、お姉ちゃんは嫌じゃないんですか? 私とセンセーが……するの。

 それが嫌だから、さっきあんなことを言ったんですよね。

 私を気遣ってくれる気持ちも分かりましたけど、それだけじゃないですよね。だったら――」

 

「え、違うよ。むしろ逆?」

 

「んえ? ぎ、逆……なんで?」

 

 

 ど、どういうことですか逆って。

 私が人としての道を踏み外さないよう、悪役を買って出てくれたんじゃないんですか?

 昔街を出たのだって、センセーに幸せになって欲しかったからじゃ……って、それだとこの言動の説明がつきませんでした。

 一旦は想いを否定しておいて、次にむしろ「ヤれ」と言わんばかりの後押し。もーどーしたらいーんですかぁ……。

 頭を抱えたくなりましたが、そんな私を見て、お姉ちゃんはまたまた満面の笑み。

 

 

「そんなの決まってるじゃない。ちえみちゃんとエッチしてる最中に魔法で起こして、知らぬ間に教え子の処女を奪ってしまったかと思いきや実はその子は自分の娘で、驚愕と罪悪感に苛まれながらも、気持ちよさに負けて膣内射精しちゃうセンセーの快楽堕ちが見たいからだよ?」

 

「極悪な理由でした!?」

 

 

 その行動は人としてどうかと思います!

 自分の欲望を満たすために娘の処女を散らすって、この鬼! 外道! 悪魔超人!

 

 

「うん、そうだよ。お母さんは外道なの。もう取り返しのつかないくらいにね」

 

 

 ――と、声に出さない叫びにまた反応する彼女は、己の左手を何度も握り、呟きます。

 

 

「さっき話したけど、わたしは三人の人を手にかけた。

 そのこと自体は後悔なんてしてない。あのままだったら殺されてたのはわたしだったし、他にも犠牲者が出てたはず。

 むしろ誇ったっていい。あれはわたしの人生で、唯一の善行だって」

 

 

 ……確かに、そう言えるかも知れません。

 聞いているだけで虫唾が走りましたし、そんな人間、死んだところで同情なんて絶対しません。胸がスカッとしたくらいですから。

 身を守ってくれない社会的道徳観念なんてクソ喰らえです。近親相姦はやっぱり別ですよ? 赤ちゃんの将来が掛かってますし。

 

 

「だけど、この世界はどこかで必ず天秤が釣り合うように出来てるの。

 わたしが奪った三人分。いつか必ず、この手からすり抜けていく日が来る。それが、怖い。

 ちえみちゃんを育ててる間は、もう大変で。あなたのために自分を犠牲にしてるって考えれば誤魔化せた。

 けど、センセーと再会しちゃったら無理。意識せずにはいられない。わたしがもう、幸せに慣れてしまっていることを」

 

 

 まるで、とても大きな罪を犯しているような。そんな声音で、お姉ちゃんは告白します。

 幸せでいることが許されないだなんて、そんなのおかしい。

 私はそう思いましたが、これは何も知らない子供の意見。人の命を奪った重みは、本人にしか分からないのでしょう。

 

 

「失われるのがわたしの命ならいい。でもそれがちえみちゃんだったら。センセーだったら。……想像しただけで、辛くて……」

 

 

 ぎゅう、と抱きしめられました。縋るように巻きつく腕は、やはり細くて。

 頭一つくらいしか違わない小さな身体も、震えているみたい。

 いつも元気で、お仕事の苦労なんかも笑い飛ばしていたのに、心の奥では苦しみを抱えていた。

 気付いてあげられなかったのが、悔しいです。

 

 

「わたしは嫌なの。いつかくる不幸に怯えて生きるなんて。そんな生き方をするくらいなら、幸せになんてならなければよかったって、そう思うくらい。

 でも、気付いたのよ。待っているのが嫌なら、自分からぶつかって行けばいいって。

 自分の手で幸せを積み上げ、壊し、報いを受けちゃえばいいって。……どうせわたしは、不幸の上にしか生きられないんだから」

 

 

 肩越しに見えたのは、諦めにも似た、儚い表情。

 けれど、なぜか弱々しさがまるで感じられず。

 たくましくすら思える微笑みにそれを消して、お姉ちゃんは――

 

 

 

 

 

「だから。センセーと、わたしと、ちえみちゃん。親子三人で気持ちよく、トロトロに、不幸になろう? さぁ、Let's 背徳!」

 

「Let's じゃなぁあぁぁあああいっ!! 変な哲学に私とセンセーを巻き込まないで……ぁ、だめ、だめだめだめだめだめ――ひぐぅ!?」

 

 

 

 

 

 ――握り拳の人差し指と中指の間へ親指を挟むという変なハンドサインをした後、容赦なく、肩を押し下げます。

 ずぷん、と。お腹の肉を抉られました。一気に、奥まで。

 ヤっちゃった。ヤっちまいました。

 神名ちえみは人間から犬畜生にランクダウン合体しましたよあっはっは。

 ……あれ? この感覚……?

 

 

「あは、奥まで入っちゃった。捧げちゃったね、親子揃って。同じ年で。どう、痛くない?」

 

「め、めちゃくちゃ痛いに、決まってるじゃないですか……っ。苦しくて、口から内臓出そう、です、うっ。それ、それよりも、何かお腹に、出されてるっぽいんです、けどっ」

 

「ん? あホントだ。ビックンビックンしてる。十二年溜めると七回しても早いねー」

 

「やっぱりぃ!?」

 

 

 なーんか痛いのとは違う熱さを感じるなぁって思ってたんですよねー! どうしてくれるんですかもぉぉおおおっ!!

 このままじゃ親子揃って同じ年で孕んじゃいますっ、子供だか孫だか分かんない子を身籠っちゃいますよぉ!?

 早く、早く抜かないとっ!

 

 

「は、はっ……う゛ぃ、い゛だ、い゛ぃぃ!」

 

 

 ――とは思うのですが、痛くて腰を動かせません。

 男性の象徴は、返しでもついてるみたいに中で引っかかり、激しい痛みをもたらします。

 あんまり痛すぎて、またポロポロと涙が。

 

 

「あぁ、無理しちゃダメ。今おまじないかけてあげるから。ゆっくり息をして……。

 女の子はね、《本当に好きな人とのエッチなら、すぐに気持ちよくなれる》んだよ」

 

「な゛、な゛にを、バカな゛こと――を? ――え、ふあ、へ?」

 

 

 慰めるみたいにパンパンなお腹を撫でられた瞬間、痛みが消え始めました。

 痛みという感覚が、根本から塗りかえられて行きます。

 骨まで溶かす、快感へ。

 

 

「っは、あ、あひっ! お、おか、しい、おかひぃ、です、なんれ、こんら……!?」

 

「呂律が回らないほど気持ちいいんだ? 本当に好きなんだね~、自分から動いちゃって。ちえみちゃんのエッチ」

 

「ち、ちがっ!? これは、抜こうとひて――んあっ」

 

 

 そう、これは抜こうとしてるだけ、なんです。

 抜こうとしても力が入らないから、腰が落ちちゃうだけで。

 そしたら、お腹が押し上げられて苦しくて、誤魔化すのに前後へゆすっちゃうだけ、で。

 私は、エッチなんて、してませ、ん。

 

 

「……う゛……あ゛……」

 

「っ!? せ、センセー!?」

 

「お、目が覚めそう。きっと愛娘の中が気持ちよすぎるんだね。ほらほらどうするの? やめるんだったら早く抜かないとぉ」

 

 

 ふと、センセーが呻き声を上げました。

 わずかに身じろぎして、意識を取り戻しつつあることを示します。

 ニヤつくお姉ちゃんにはイラっとしますが、言う通りにしないととってもマズいことにっ。

 だけど――

 

 

「ぁ……う、くぅ、ん……ゃあ、あ、い、ぃぃ……」

 

 

 ――どうしても、腰を浮かせません。

 むしろ、もっと奥へ押しつけて、今の状態で出されたらって、想像して。

 こんなに気持ちいいのは、生まれて初めて、でした。

 男の人って、気持ちいい。

 センセーのおちんちん、気持ちいい。

 パパのおちんちん、気持ちいい。

 私、こんなエッチな子だったんですか? こんなイヤらしい子だったんですか? そんなのって……。

 

 

「安心して。女の子はみんな、大好きな人の前ではそうなっちゃうの。センセーだって最初は驚くだろうけど、最終的にはガンガン膣内射精してくれるから。ね?」

 

「なん、の、慰め、にも、なりませ、んっ、よぉ……あんっ!」

 

 

 湧き上がる動物的衝動へは、人として軽蔑を禁じえません。

 けれど、お姉ちゃんが肯定してくれる肉欲へは抗えませんでした。

 現に、覚醒に合わせて跳ねるおちんちんで、私は喘いでしまいます。

 やがてセンセーのまぶたが薄っすら開き、こちらの姿を捉えて。

 

 

「おはよ、センセー。十二年ぶりだね。さ、感動の親子の対面だよー?」

 

「お、はよう、ございますぅ……。ぁの、これは、ですねぇ……」

 

 

 私と、お姉ちゃんは。

 つぼみが開くような笑みと、どう言い訳したものかと引きつった苦笑い。

 正反対の笑顔で、未だおぼろげな視線に向け、笑いかけるのでした。

 

 

 

 

 

「………………なんじゃこりゃあ」

 

 

 

 

 




 親子丼 かくも卑猥な 料理かな
 ――あすみん、センセーと共に説教されながらの句。

 という訳で、釣りキャラ番外編、神名あすみ編でした。
 頂いたご感想への返事で近親相姦はアレだなんだと言いましたが、本当は大好きです。変態でごめんなさい。
 考えてあるネタは残すところ後一つ。おりっち最後の変身(濡れ場)でございます。
 あらゆる意味でハードモードな描写をする予定ですので、御留意下さい。
 それでは、失礼致します。


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【女子○学生】スピンアウト編 if...【ハメ撮り調教】※欝展開注意

 めっちゃくちゃ胸糞悪くなる描写が最後の方まで続きますが、最後までお読み頂けるよう、お願い致します。
 途中で我慢できなくなったり、「そもそも欝描写なんて要らんのじゃー」という方は、ページ最下部へ移動し、結末を先にお読み下さい。 
 覚悟がお決まりでしたら、スクロールして本文をどうぞ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザザ、と音が立ちそうな視界の揺らぎ。

 数秒ほど続いたあと、今度は唐突にクリアな描画が開始される。

 映し出された衣服。女性の物らしき足にスカート。視点が上へ滑ると、全体像が浮かび上がった。

 薄暗い部屋にくっきりと浮かぶ、真っ白な長袖のワンピースドレス。お腹の前で組まれた指はほっそりしていて、着ている人物がやはり女性であることを――しかも、かなり若いことを示す。

 胸元は大きくせり上がり、男であれば性欲を持て余すであろう柔らかさが映像を通して伝わってくる。

 

 

「………………」

 

 

 それを誇示する美少女は、あからさまな軽蔑を向けていた。

 眼差しに乗せられる感情の色。黒い嫌悪。赤い憤慨。そして、透明な諦め。

 

 

『さて、これで準備は整った。まずは……自己紹介でもして貰おうかな』

 

 

 視界の外から、姿の見えない男の声がした。

 加工でもされているのか、音声はたわんでいる。

 

 

「……く」

 

 

 屈辱の表情。指が硬く折り曲げられ、唇は歪む。

 けれども、視界は催促でもするかのように上下。

 悔しくて仕方ないといった様子で、少女は口を開く。

 

 

「……美国、織莉子、です」

 

『通っている学校、学年、年齢は?』

 

「私立、白樺女子学園、三年。十五歳」

 

 

 目を閉じ、淡々と。

 単純作業をこなすが如く、少女は――織莉子は続ける。

 まるで、自分の身に降りかかるであろう出来事から目を背けているようであった。

 

 

『じゃあ、これから君は、一体なにをされるのかな?』

 

 

 ――が、それを男が指摘し、整った眉が露骨にしかめられた。

 三分の一ほど開かれたまぶたから、激しい怒りが覗く。

 

 

「この、下衆」

 

 

 恐ろしいほど耳に心地良く、心へ入り込む悪意。

 受け止める男は、しかし笑うだけ。

 

 

『ふはは、口に気をつけたほうがいい。亡きお父様の汚名をそそげるのは誰なのか、分かっているだろう』

 

 

 この場において、どちらが優位に立っているのか。絶対的な決定権が誰にあるのか。

 完全に理解しているが故の、自信の表れ。

 織莉子もまた、自分に断れる理由が無いと悟っているのだろう。

 悲しそうに。

 ただただ、悲しそうに肩を落とす。

 

 

「わ、たし、は、これから……。お父様の名誉回復を条件に、一週間……情婦になります……。妊娠しないよう、薬を飲んで……な、生セックス、します……」

 

 

 あらかじめ指示されていたのか、詰まりながらも、容姿に似つかわしくない言葉を吐き出す。

 おそらくは、穢れなど何一つ知らない少女。

 言い慣れぬ単語で頬は羞恥に染まり、可憐さが際立つ。

 

 

『よく出来ました。さぁ、脱げ』

 

 

 子供でも褒めるような、温かい声。直後、温度は零下に。

 びくり、と震える少女の身体。

 怯えた視線も向けられるが、やがて、同じく震える指がワンピースを脱いでいく。

 パサリ、と床に落ちれば、まさしく生唾物の肢体が露わになった。

 白のレースに縁取られた下着に包まれる、それ以上の白さで輝く肌。

 少しでも晒される部分を隠そうと擦り合わされる太ももは、ガーターベルトによって色気を五割増しに。

 

 

『うんうん、注文通りだ。よく似合っているよ』

 

 

 織莉子が近付いてくる。いや、男が近付いているのか。

 白雪姫の顎に手が添えられ、美しい(かんばせ)で視界が埋め尽くされる。

 

 

「キスは、嫌」

 

 

 けれど、未だ完全には屈していないのか、横顔でキッパリ拒絶してみせる。

 乙女として譲れない領分なのだろう。

 

 

『いいさ。私は無理強いはしない主義だからね。なら、自分で準備しなさい』

 

「どの口が……っ」

 

 

 しかし、それすらも男にとっては享楽を深くするだけのようだ。

 含み笑いに指示され、織莉子は唇を噛み、緩慢な動きでベッドに腰を下ろす。

 

 

「……ん、っ」

 

 

 ショーツを細い指がなぞる。

 ゆっくり上下に。ワザと時間をかけて。

 だが、涙ぐましい抵抗も虚しく、少女の身体は敏感になっていく。

 

 

「……っ……ぅ……く……」

 

 

 声を押し殺し、織莉子は悶える。

 内側へ指を受け入れ、ぬちゅ、と水音が。

 同時に胸も揉みしだいている辺り、存外この行為には慣れているようであった。

 

 

『ズラしてよく見せなさい』

 

 

 男の声。

 ややあってから、二本指でショーツが横へ引っ張られた。

 わずかに口を開く恥部。ジワリと愛液が染み出してきている。

 揺れる淫らな花びらは、羞恥、快感、双方によるものか。

 

 

『もっと入り口を広げるんだ。奥まで見えるように』

 

「……っ……」

 

 

 再び視点が、今度は股間へ近付く。

 前もって準備していたらしいライトの光が、暗闇に隠れる恥部を照らす。

 左右へ広がり、ピンク色の柔肉のうごめく様がくっきりと。

 更に奥には、より白に近い色合いの、純潔の証。

 

 

『あぁぁ、美しい。これをブチ破るのだと思うと、ゾクゾクするねぇ』

 

 

 男が立ち上がったようで、また織莉子の全身が映る。

 が、その顔を隠すのは、醜く凝り固まった欲望の滾り。

 見せつけられ、一瞬だけ怯えに染まる表情だったが、すぐさま憎しみへ取って代わった。

 

 

『おぉ、怖い怖い。そうこなくては。それでこそ美国の血を引く女だ』

 

「っあ!」

 

 

 男の腕が織莉子の髪を掴んでベッドに引き倒す。

 次いで股の間へ腰を割り込ませ、ショーツをズラし――

 

 

「ぃ、いやっ、待っ――ぐぁ!?」

 

 

 ――強引に挿入した。

 何の躊躇いもなく。

 むしろ、痛みを際立たせるよう無遠慮に、突き破った。

 

 

「が、はっ、うぐ、ぅ!」

 

『おっと、すまない。ゆっくりするつもりだったんだが、この日のために我慢を重ねていてねぇ。つい強引に。痛いかい?』

 

「……っ! ……っあ、う、っ……!」

 

 

 視点が上に。織莉子は歯を食いしばり、シーツを硬く握りしめ耐えていた。

 ブラジャーで支えられる大きな膨らみが、小刻みに揺れている。

 また下へ。

 痛々しく広がった恥部から、血が滲み出ていた。

 純白のシーツが、赤に穢れる。

 

 

『さぁて、どうしようか。あまり痛がられると萎えてしまうしなぁ。しかし動かないと気持ちよくはなれない。気持ちよくなれないのなら、意味は無いなぁ。……どうすればいいと思う?』

 

 

 白々しい。

 気遣うだけの優しさを持ち合わせているなら、そもそもこんな事はしないであろうに。

 誰もが薄ら笑いを幻視する態度だったが、けれど織莉子は耐える。

 

 

「ゎ、たしは、っ、大丈夫、ですからっ……。どう、ぞ……織莉子の、身体を……ぉ……お楽しみ、下さ、い……っ」

 

 

 苦痛に歪む唇が、訥々と、決して本意ではないと分かる台詞を口にした。

 痛い。苦しい。やめて欲しい。

 全身がありありと語りかけている。これは、欠片も望んでいない行為であると。

 

 

『それは有り難い。では、楽しませてもらう、よっ!』

 

「っぐぃう!?」

 

 

 しかし、あえて額面通りに受け取る男が、乱暴な抽送を開始する。

 激しく揺さぶられる身体を下って、繋がりあう部分が映された。

 

 

「あ゛、ぐ、い゛っ、っ、うぅ゛」

 

 

 噛み殺そうとする吐息へ混じり、ヌチュリ、ヌチュリ、と音が立つ。

 本人の意思と裏腹に、膣の防御反応が潤滑液を分泌させ、動きを助けていた。

 ライトで照らし出される竿のテカリがそれを証明する。

 赤い染みが、広がっていく。

 

 

『あぁ……くはは、気持ちいいよぉ、織莉子ちゃん。初めてなのに、健気に締め付けてきて。ぉふ』

 

「……っ゛……ん゛……」

 

 

 恍惚とする男の声に、織莉子は何も返さない。そんな余裕など無いのだろう。

 視点が変わり、跳ねる双丘の上に歯軋りする顔。

 受け入れられるというだけで、本当に準備が出来ているわけではないのだ。

 一方には途方もない快感を与えているが、もう一方には耐え難い苦痛を。

 どうしようもなく、通じ合っていない行為だった。

 

 

『うん、無視されるのも寂しいね』

 

「っあ! は、う!」

 

 

 膨らみが鷲掴みされる。

 ムニュリ、と擬音が聞こえてきそうなほど見事な柔軟性が対応し、甲高い声。

 

 

『ほう、胸が好きかい? 絡みが良くなった』

 

「ち、違、う……そんなこと、は……」

 

『まぁそうだろうね。破瓜の痛みを感じながら悦に入ってしまうだなんて、ただの淫乱だろうしねぇ』

 

「……っ」

 

 

 あざ笑う口振り。

 織莉子としても、そんなものを出すつもりはなかったのだろう。

 何とか否定を返すが、実際のところはどうなのか。唇が噛まれる。

 

 

『ぁあぁ、それにしても良すぎるな。もう出してしまいそうだ』

 

「ぇ!? ぃや、いやっ、膣内(なか)は――痛いっ」

 

 

 男が絶頂の兆しを告げると、織莉子は従順さをひるがえして抵抗しようとした。

 が、握り潰さんと膨らみの形を変えられ、途端に大人しく。

 有名ブランドの物であろうブラジャーが無残に引き千切られ、こぼれた頭頂部が雑に摘み上げられる。

 

 

膣内(なか)は、なんだって?』

 

 

 やけにゆっくりと、その言葉は吐き出された。

 ジメジメと粘っこい熱さに、家畜を躾けるが如き冷たさ。両方を内包して。

 織莉子の目が細められる。

 丸めた紙のようにクシャクシャな顔。

 それでも涙を流さないのは、彼女の抱く矜持ゆえか。

 

 

「――、に」

 

 

 けれど、抗いを示せるのは心のみ。

 間もなく、全てを放り投げたらしい、諦めきった表情が浮かんだ。

 

 

膣内(なか)に、出して、く、ださぃ……。わ、私の、子宮を……汚して、ぇ……」

 

 

 その微笑みを、淫蕩と取るか、寂寥と取るか。

 傍から見れば後者だろうが、肉に分身をうずめ、間近で見つめる男には――

 

 

『そうか。そうまで言われては仕方ないな。イくぞ……!』

 

「ぅあ゛っ、あ、っぐぁ、ひ、ぃ!!」

 

 

 ――強力なカンフル剤に他ならなかったようだ。

 視点がまた移動し、パン、パン、と肌同士がぶつかる下半身を。

 受け止める織莉子の不慣れな様子に対し、腰使いは慣れたもの。女を効率良く“使う”出し入れ。

 三度照らされるそこが、淫靡な光沢を放つ。

 

 

『出すぞ、出すぞ――う゛っ』

 

「……っ!? ぃ――!! ――っ――ぅ゛!!!!!!」

 

 

 男が達したのか、動きがピタリと止まる。

 声にならない、悲鳴とすら呼べない音が届くが、視界は静止画のように動かない。

 唯一の変化は、男の耳障りな喘ぎのみ。

 

 

『あ゛ぁぁぁ……そんなに絞られたら、堪らないよ、まだ、止まらないぃ』

 

 

 三十秒はとどまっていただろうか。

 やっと射精が収まったようで、密着していた腰が離れる。同時に竿も引き抜かれ、先端まで出たところで大きく反り返った。

 ベッドの軋む音。ズタズタに引き裂かれた恥部が映される。

 とぷ、とぷ、と。

 薄いピンク色の粘液が流れていた。

 入り口は、まさしく穴を穿たれて口を開いたまま。かすかな震えの原因は、神経を走る電気信号のせいなのか。それとも、彼女の精神を蝕む何かなのか。

 

 

『いやはや、ずいぶん出してしまったよ。薬がなかったら確実に孕んでいただろう。とても良かったよ、織莉子ちゃん』

 

「……ふ……うっ……ぅぅ……」

 

 

 視点が上へ。

 織莉子は、顔の上半分を腕で隠していた。

 固く縛られる唇。

 噛み切ってしまったらしく、端からは血が。

 

 

『初体験だからね。今日は一回だけにしておこう。また明日、よろしく頼むよ?』

 

 

 言葉と共に視点が高く。

 ライトは消え、薄暗い中、横たわる人影を見下ろしている。

 スタッカートを刻む息が、離れていく。

 やがて、全ては闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 映像が切り替わる。

 

 

 

 

 

 一杯に竿が映っていた。

 今にもはち切れんばかりで、既に準備が整っている硬さの向こうに、少女の姿。

 何かに腰掛けている男の股座へ、触れるほどの距離で織莉子が座り込んでいた。

 時間は移っているらしく、人工の物ではない明かりが彼女の美しさを飾る。

 その分、男性器の醜悪さは十割り増しだ。

 

 

『どうだい、明るいところで見るモノは。これが君を女にしたんだぞ』

 

 

 ペチペチと、竿で頬を叩かれる。

 が、屈辱に歪むでもなく、無表情に見つめるだけ。

 どうやら無反応という抵抗を試みているようだ。

 

 

『……ふ。さてさて、処女を失ったばかりで連日酷使させるほど鬼畜ではないし、今日はその綺麗な唇でして貰おうかな。フェラだ。分かるね』

 

 

 些細な反抗に男が嗤い、先端を口元へ突きつける。

 おそらくは、強烈な臭気を感じたのだろう。織莉子がわずかに顔をしかめた。

 やがて、わななく唇が接近し、キスするように触れる。

 

 

『どんな気分だい? 焦がれる男の唇よりも先に、父親よりも年上な老人の亀頭へ口付けた気分は』

 

 

 一瞬、激しい憎悪が渦巻く。

 しかしそれもすぐに消えて、段々と竿が飲み込まれる。

 

 

「ん゛……む……ぐ、ぅ……」

 

『あぁ、無理に咥えなくてもいいよ。まずは先端だけを含んで、舌で味わいなさい』

 

 

 彼女への気遣い――ではない。

 無垢な半紙に墨汁を垂らすが如く、味を覚えさせ、技術を仕込み、己の色に染め上げ、穢すため。

 だが、もっと深い部分で汚れてしまっているのを悟っているからか、やはり抵抗する素振りは見せなかった。

 

 

「ぅ……う゛……っ」

 

『おぉぉ、そう、舐め回すみたいに……。穴や段差もね。あぁぁ』

 

 

 とにかく、この場では奴隷で居ることを選択したらしい。唯々諾々と指示に従う。

 織莉子の舌使いを堪能している様子で、男は更に詳しい手順を示す。

 快感。高揚感。征服感。

 それ等を感じさせる息が震える。

 

 

「ん゛、っ……ぶ……」

 

 

 一方、織莉子は不快感を顔に乗せ始めていた。

 どんな物を味わわされているのか、映像を通じて理解できるほどに濃厚な、嫌悪。もはや隠せるものではないのだろう。

 だがそれでも止めようとはしない。彼女にとっては、自分が穢れることよりも父の名誉の方が重要なようだ。

 懸命に、たどたどしく、男を満足させるために舌を動かす。

 

 

『ちなみに、それは昨日から洗っていない。精液も、膣液も、破瓜の血もそのままだ』

 

「……!? っぐ、げほ、けほっ!」

 

 

 ――が、ろくでもない事実に、竿は吐き出されてしまう。

 無理もない。ただでさえ望まぬ行為に、不衛生な情報まで追加されては。

 今度こそ、射殺さんばかりの鋭い視線が向けられた。

 しかし、直視しているはずの男は全く堪えた様子もなく、眼前で竿を跳ねさせて遊ぶ。

 織莉子は奥歯を軋ませ、数秒うつむいた後、全身から力を抜いてフェラチオに戻る。双眸は、どこかズレた場所を眺めていた。

 

 

『いい子だ。次はもっと深く咥えて、ストローみたく……そう、そうだ。流石に上達が早い。白女の才媛は性技の才能まで持ち合わせているんだねぇ』

 

 

 太い指がサイドポニーを梳く。

 反射的にだろう、嫌がって首をすくめる彼女だったが、そのまま後頭部を捕まえられて逃げられない。

 

 

『しかしだ、今日は時間がなくてね。悪いがさっさと出させて貰うよ』

 

「んもっ!? ぶっ、ん゛っ、ぐぶっ!?」

 

 

 喉奥へ竿が突きこまれ、織莉子が目を白黒。口の端から大量のよだれが零れる。

 男の腰は小さな頭めがけてピストンし、かぽ、かぽ、と間抜けな音が響く。

 

 

『出すぞ。飲み込めっ』

 

「んぶ、む、むぐぅう゛う゛う゛う゛う゛っ!?」

 

 

 すぐに動きが止まり、その口内へ精液が吐き出される。

 身をよじり、拳で叩いて逃れようとするも、たったの腕一本を解けない。

 全てを出し終えると男は彼女を解放し、途端、背を丸める織莉子。

 

 

「おご、ぐ、ぅえええ」

 

 

 絨毯に、白濁液と吐瀉物による水溜りが作られた。

 一瞬、動揺でもしたように視点が揺らぐが、けれど、何をするでもなく見下ろし続ける。

 己の内臓をすら吐き出そうとする少女を、見下ろし続ける。

 

 

 

 

 

 映像が切り替わる。

 

 

 

 

 

 織莉子の全身が見えていた。背景は最初と同じ薄暗い部屋。

 纏っているのは、彼女の通う私立白樺女子学園・中等部の制服。

 今までを考えれば、敵意をむき出しに睨み付けてくるか、あくまで無表情を貫こうとするはずだが、どうしてか彼女は頬を染め、腰をくねらせている。

 

 

『さ、スカートをまくって』

 

 

 男の指示。

 躊躇いながらも、プリーツスカートがめくれていく。

 と、太ももに細いベルトが巻かれていた。据えられているのはピンク色をした機械のコントローラーらしきもの。

 コードは上に伸びており、布が完全にたくし上げられれば、純白のショーツの中へ繋がっているのが分かる。

 

 

『今日一日、どう過ごしていたのか説明してくれるかい』

 

 

 織莉子が近付く――近付いていく。

 白い三角形で視界が占められると、何かが聞こえてきた。

 ブブブ、というかすかな駆動音。

 よくよく見れば、ショーツはびしょ濡れだった。

 

 

「わ、たしは、今日、学校に居る間、ずっと、ろ、ローターを着けたまま、過ごして、いまし、た」

 

『バレなかったかい』

 

「ふ、不審がられまし、た……。けど、なん、とか……」

 

『何回イった?』

 

「……っ、い、イって、ま、せん……」

 

『ほう、それはそれは。よく我慢したね……と。そう言えば電池が弱かったかな。さぞもどかしかったろう』

 

 

 思い遣る口振りを、もはや信じる者は居ないであろう。

 ワザと消耗した電池を用意し、震えが弱まっていくようにしてあった。刺激によって高めた熱を、燻ぶらせるために。

 それが証拠に、男の『ベッドへ』という言葉に対し、彼女は素直に従っている。

 自分で慰めるのはプライドが許さない。男の手によってされるのなら、仕方がない。おそらくは、そんな言い訳で頭が一杯な、“女”の気配。

 視点がベッドに置かれる。

 真正面に織莉子が座り込み、背後へ回る肩から上が見切れた男によって、脚が開かれていく。

 視点の位置が正され、より近くに。

 

 

「あ、あ、ふ」

 

 

 コードが引っ張られる。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 時間をかけて引き抜かれたそれは、愛液でしとどに濡れそぼっていた。

 七日目のセミの羽が如き、弱々しい震えだった。

 

 

「んはぁ!」

 

 

 不意に、織莉子が背筋を反らせる。男の指がショーツを押し込んでいた。

 瞬間、じゅわ、と溢れ出る粘度と嬌声。

 

 

『いい声で鳴くじゃないか。ほら、どうだい?』

 

「……んっ! ふっ、ぐ……っ……」

 

 

 つに、つに、とこねくり回され、何時間も焦らされたであろう身体は敏感に跳ねる。

 感じているのを認めまいとしているのか、彼女は片手でシーツを握り、もう片方の甲を口へ押し当て、声を殺す。

 が、後ろに倒れこみ、近寄ったはずなのに映る全身が快楽を示してしまう。

 

 

『いやはや。一日でここまで締め付けが戻るか。指一本でキツキツだ。やはり若い女は素晴らしい』

 

「う、ぁ! あっく、ぅん! ふ!」

 

 

 布地の脇から中指が侵入して内側をかき回し、親指は布越しに突起をいじる。

 そのたび、少女の顔が女に変わっていく。着実に、開発されていた。

 

 

『素直になってきたねぇ。ご褒美だ、思いっきり気持ちよくなるといい』

 

「え……? あふっ!? やっ! あっ! だめっ、い、ゃ、あっ!」

 

 

 更にもう一本。人差し指が追加され、抜き差しが速く。

 嫌がる素振りも、既に痴態でしかなく。

 やがて――

 

 

「んんんんんっっっ!!!!!!」

 

 

 ――ひときわ大きく飛びはね、同時に潮がまき散らされた。

 よほど強烈だったのだろう。織莉子はシーツを掴んだまま横に倒れこむ。

 視点も横向きに倒れ、荒く息をする少女が、倒れているのに縦に映る。

 

 

『派手にイったね。まるでおもらししたみたいだ。……よっと』

 

「は、ぁ……ふ……? や、だ、今はだ――めぇ!? う、っくぅぅぅ!!」

 

 

 織莉子が歯を食いしばる。

 どうやら、視界の外で挿入されたらしく、身体が上下に揺すられていた。

 

 

『まさか、自分だけ気持ちよくなって終われるとでも? あぁ、まだ二回目だというのに、トロトロで最高だ』

 

「や、あ! あっう! ふ、う! あん!」

 

 

 最初の苦悶は、もう見られない。

 男が言うように、たった二回目にして、織莉子の身体は竿を受け入れる事を覚え始めたらしかった。

 嬌声と、肉のぶつかる音が響く。

 

 

 

 

 

 映像が切り替わる。

 

 

 

 

 

「あっ、ん、んぐ、は、ぁ!」

 

 

 揺れている白。

 切り替わったはずが、くぐもった音も、織莉子の悦ぶ声も繋がっている。

 視点がだんだん離れれば、白い服を着た背中である事が分かった。

 体操服。

 下半身を覆うのは赤いブルマー。

 

 

『どうだい、後ろからは。奥に当たって気持ちいいだろう』

 

「ふっ! っ! ぅ、気持ちよく、なん、かっ、んっ! 苦し、ぃ! だけ、でっ」

 

 

 優越感に浸る問いが降る。

 顔を伏せ、腰だけをうず高く上げる織莉子は、喘ぎ声を噛み殺しながら、必死に言葉で抵抗を。

 

 

『ふむ。ならどうして君は、こちらに合わせて腰を動かしているんだい?』

 

「――っ!」

 

 

 ぴく、と、肉付きの良い尻が震えた。

 それを包んでいるブルマーを撫で、中にまで指を差し込みながら、男は続ける。

 

 

『恥ずかしがる事はない。自然なことさ。人という生き物は適応するものだ。君は何も悪くない』

 

「ぅ、あ、んは……っ」

 

 

 わずかに腰を引く。

 ほんの少しだけ送り出す。

 円を描いて広げる。

 

 

『素直に楽しめばいい。あとたったの三日だ。それさえ過ぎれば、もうこれを味わえなくなるんだぞ?』

 

「くぁ、ひ……ぁ!」

 

 

 抜ける寸前まで一気に抜く。

 数秒の溜め。

 突く。

 

 

『さぁ、好きなように動いてごらん。好きなところを擦ってごらん。とっても気持ちいいはずだよ』

 

「……ぁ……」

 

 

 根元までを収めたところで、男は動きを止めた。

 快楽の音が途切れ、織莉子がほうける。

 腰はかすかに揺らぐが、しかし動く事もなく、時間だけが過ぎていく。

 

 

「――たいに」

 

 

 やがて、潤いを湛えた瞳が振り返り――

 

 

「ぜったいに、イヤ……!」

 

 

 ――明確な拒絶を示した。

 頬は紅潮している。恥部は愛液を垂れ流し、神経を蝕む快感に眉は歪む。

 けれど、瞳の奥にある光だけは、一線を引いていた。

 絶対に自分から求めたりはしない、と。

 

 

『……ふひゃははは! あぁ君はなんて素晴らしい! それでこそだぁ!』

 

「きゃ!? ……うぁ、っあ!!」

 

 

 唐突な高笑いと共に、織莉子の身体がひっくり返される。

 抜けてしまった竿を再び強引に挿入し、ばるん、と弾んだ胸を鷲掴み。

 がむしゃらな様子で腰が振るわれた。

 

 

「んっ! ぐ! んんっ! っっっ!!」

 

 

 激しくなった刺激に耐えるためか、彼女はまた手の甲で口を塞ぐ。

 まぶたもキツく閉ざされ、ひたすらに耐え続ける。

 そんな彼女をあざ笑うかのように上着がめくられ、白磁の肌が晒された。

 視点が急ぎ足で移動し、耐え忍ぶ美少女の真横へ。

 

 

「……んんっ!? ぁく、ぅ! んふっ!!」

 

 

 じゅるじゅる。ワザとらしいしゃぶりつく音。

 ちょぽ、と口を離したような音が続き、またもや吸いつく音が。

 視界の外で行われる行為は、聴覚を通じてその光景を伝えていた。

 

 

『お、ぅ。イきそうだな? 昨日はイきっ放しで結局楽しめなかったし、今日は出すぞぉ? ほら、膣内射精されてイけ織莉子ぉ!!』

 

「――んっ!? んんぁぁあああっ!!!!!! ――あっ――は――」

 

 

 ガク、ガク、ガク――という激しい揺れが、ピタリ治まる。

 しかし織莉子はピクピク振動し続け、閉じていたまぶたが大きく開かれた。

 手の甲も外れ、ポカンとした唇から漏れる吐息。

 明らかに絶頂していた。

 

 

『ちゃんと覚えておくんだぞぉ? これが、膣内射精されてイく感覚、だ。よぉく、覚えて、おけよ……? おぉ……』

 

「ぁ……あぅ……くぅ……ん……」

 

 

 男の喘ぎに合わせ、織莉子も声を上げる。

 精液を受け止め、あらゆる部位をわななかせる。

 くたり、顔が横を向いた。

 光が、おぼろぐ。

 

 

 

 

 

 映像が切り替わる。

 

 

 

 

 

 やけに明るいタイル地の壁に、紺色が映えていた。

 

 

『うん、よく似合っているよ。やはり旧型に限るね』

 

「こんなもの、どこで……」

 

 

 今までに比べて狭い場所――風呂場に立っているのは、いわゆるスクール水着姿の織莉子。

 大きく膨らんだ胸元には名札が縫い付けられ、ひらがなで彼女の名前が書かれている。

 言うまでもなく、顔は呆れに彩られていた。

 

 

『いや、ホントに。世の中には色んな趣味を持った人が居るものさ。そら』

 

「ひぁ!? 冷た……!」

 

 

 男がシャワーを浴びせる。

 湯気が出ていないし、反応を見るに冷水なのだろう。織莉子は身を縮ませた。

 しばらくしてそれが止まり、水を吸って色を濃くした水着を手が這う。

 

 

『この感触、冷たさ、堪らないねぇ。では、さっそく楽しませてもらおう』

 

「……っ……? ふっ、え……え?」

 

 

 責め苦の開始を告げられて身構えるも、困惑に取って代わる。

 視点が身体を下ればすぐに原因が判明した。

 立ったまま挿入している。いるのだが、場所がおかしい。

 竿は水着の下腹部にある裂け目――水抜きへ侵入し、肌を擦っていた。

 

 

『ぉお? これはなかなか……っと。スベスベな肌に、ザラつく布地。ヘソの窪みがアクセントになって、すぐにイけそうだ』

 

「んっ、っ、くっ」

 

 

 紺色の地平が凸凹に隆起しては沈下。

 変則的な体位にも関わらず、男は器用に腰を使う。

 それと反比例するよう、織莉子の出す声は困惑に濡れていた。

 視点が上へ。

 

 

『安心しなさい。一回出したらキチンとセックスしてあげよう』

 

「……! わ、私は――うっ!」

 

 

 何かを言おうとする口は、腹部で感じているだろう熱さで遮られてしまう。

 自らの内側へ何度か受け入れているモノでも、擦れる場所が違えば感じ方も違うのかも知れない。

 くすぐったさを我慢している表情だった。

 

 

『もどかしいかい? しょうがない、もっと楽しんでもいいんだが、可哀相だからもうイくとしよう。……おっ』

 

「け、結構で――あっ、熱、い……!」

 

 

 ふと、男が呻く。

 視点が下に。大きく脈打ち、布地の裏から染み出すほどの精液が映る。

 冷水で冷えた身体へブチまけられる熱。

 どう感じているのか、織莉子は声も震わせていた。

 

 

『ふぅ……。さぁて、お待ちかねの時間だよ。マットへ横に』

 

「っ……ぅ……は、はぃ……」

 

 

 意外なほど従順に彼女は従う。

 視点に背を向け数歩離れ、床に敷かれたマットの上に身を横たえて、顔を背けて男を待つ。

 

 

『いい子だ。ぇえと……よし。それじゃあ行くぞ?』

 

 

 若干の間。

 何かを準備したらしい男だったが、すぐさま織莉子の後を追い、股座へ膝をつく。

 

 

「……は、早く済ませて下さい。課題があるん、ですから」

 

『ふふふ。焦らなくてもすぐにシてあげる、よ!』

 

「ぁん! ぁ、くぅ……んっ」

 

 

 視点を顔に固定したまま、男は視界の外で挿入。

 遠慮のないピストンを開始する。

 

 

「ふっ、う……? は、ぁ……え……?」

 

 

 ――が、またしても彼女の顔は困惑に染まってしまう。

 まるで、予想していた刺激ではないというように。期待していたものではないというかのように。

 横顔には“物足りなさ”が伺える。

 

 

『っくく……。いつもと違ってツマラナイだろう。よく確かめてごらん』

 

「一体、なに、を……」

 

 

 ほくそ笑む声に促され、織莉子が上体を起こす。合わせて視点も恥部へ。

 ゆっくり抽送をゆっくりにした竿が映るのだが、いつもと違う。抜け出る部分に色がついている。

 人の肌ではありえない緑色――コンドームだ。

 

 

「……なん、で?」

 

『こういうのも乙な物なんだよ。ゆるゆる楽しめるからね。君としても後で掻き出す手間がなくなるんだから歓迎だろう?』

 

「そう、ですけど……ん……っ……」

 

 

 視点が顔と恥部を行ったり来たり。

 戸惑う表情。滑らかな腰の動き。

 その落差を無視して、行為は続く。

 

 

「う……ん……ふ……あ……」

 

 

 五分。

 

 

「あっ……は、ぁ……う、くぅ……」

 

 

 十分。

 

 

「は、あっ、んっ、んぅう、んんっ」

 

 

 二十分。

 男は無言に。織莉子は情欲に焦がれる声を上げて。

 顔もとろけ、布越しに分かるくらい膨らみの頭頂部を硬くさせ、連動するように腰をくねらせて。

 しかし――

 

 

『うっ!』

 

「ふぁ――えっ」

 

 

 ――唐突に、視界がブルリと震える。

 ぱちゅん、と突き込まれる音がして、止まった。

 男が達したのだろう。

 

 

『ふぅ……。良かったよ。じゃあ今日はこれでお終いにしようか』

 

「え、あ……は、ぃ……」

 

 

 好き勝手に放ち終え、男は竿からゴムを取り外し、逆さにして当惑を続ける織莉子の上へ中身を垂らす。

 生臭いだろう精液を眺める、彼女の顔は……。

 

 

 

 

 

 映像が切り替わる。

 

 

 

 

 

「んぶ、む、んむぅ、ふ、んっ」

 

 

 いつもの部屋で、竿にしゃぶりつく織莉子。

 またしても衣装が変わっている。今度はメイド服だ。

 ……いや。よく見るとそうは言えないほどに改造されていた。

 

 

『そうそう、もっと胸を押しつけて。ぉう……』

 

「んっ、はぁ、んぷ、んー」

 

 

 たわわな胸が放り出されていた。

 脱いだり引き千切られたりしている訳ではなく、もともとその部分だけがくりぬかれている。

 視界の上部に映るのは、申し訳程度のスカート――もはやただのフリルと呼んだ方がいい物で、ショーツを穿いていない尻は隠れもしない。

 熱心なフェラに合わせてふりふり揺れていた。

 

 

『あぁ、よし、イくぞっ』

 

「んむぅ!?」

 

 

 堪え性がないのか、それとも長くしゃぶられていたのか。呆気なく勢が放たれる。

 おそらく、映っていない時間にもさせられていたのだろう。慣れた様子で織莉子は飲み下す。

 口から竿が吐き出される。細い糸。

 

 

『はぁ……上達したね。さ、今日はもういいよ』

 

「ぁ……」

 

 

 今までの執着が嘘のように、男は素気なく織莉子から離れた。

 彼女からすれば、手早く行為を終えられて喜ばしいはずだ。

 なにせ、否応なく犯され、ほぼ強引に性交渉を強いられてきたのだから。

 

 

「ん、ぅ」

 

 

 けれども、薄汚い欲望の被害者であるところの少女は、唇を歪ませ、腰をくねる。

 静々と後ろへ下がる内股を、液体が伝っていた。

 渇き。

 潤う瞳と恥部から、真逆の感情が溢れていた。

 

 

『……どうしたんだい? 何か欲しいものがあるのなら、おねだりしてごらん』

 

「っ! ち、違います、私は……!」

 

 

 ハッと織莉子は顔を引き締め、自らの身体を抱き締める。

 胸元が強調された。水着の時と同じく、激しい自己主張を見せる頭頂部。

 映像越しでも匂い立つ“女の薫り”が、彼女の本心を物語ってしまう。

 

 

『は、仕方ない。なら命令してあげよう。今から君は性欲処理専用の雌奴隷になるんだ。この一時だけ。

 そして奴隷らしく、主人の情けを懇願しなさい。どんな言葉でなら男が滾るのか、よく考えて。これは命令だ。従わなければこれまでの努力は水の泡だ。出来るね』

 

「……っ」

 

 

 織莉子の喉が鳴る。

 視線は泳ぎ、唇も震え、うつむく。

 

 

「わた、し、は……」

 

 

 逡巡。

 そして――

 

 

 

 

 

「私は、ご主人様専用の、性処理人形、です。どう、ぞ、貴方のモノしか知らない、この穴を、織莉子を、お使い下さい。無責任に、膣内射精(なかだし)して、下さい」

 

 

 

 

 

 ――やおら立ち上がり、短すぎるスカートをつまんで、淫らに微笑んだ。

 

 

『ひは』

 

「あっ!」

 

 

 嗤い声。

 視点が急速に近付き、織莉子をベッドに引きずり込む。

 仰向けに倒れながらも彼女は大股を開き、男が腰を据える。

 

 

『おらっ』

 

「ひぁあんっ!!」

 

 

 乱暴な挿入。

 返るのは悦びの嬌声。

 

 

「あんっ! あっ、ひぅ! あはっ、あぁん!」

 

 

 拒絶していない。むしろ進んで受け入れようとしている。

 当初の苦悶、葛藤などどこへやら、与えられる刺激に感じ入り、高まっていく。

 男から役割を与えられた事で、タガが外れたらしい。

 父の名誉を取り戻すため。強制された行為。折れる名目はあった。

 

 

『そんなに嬉しいか、え? 縋るみたいに絡み付いてきて、あ?』

 

「あっ、は、はぃぃ! 嬉しい、ですっ、ご主人、さま、のっ、嬉しい、ですぅ!」

 

 

 視点が安定しない。

 よほど激しく絡み合っているのだろう。

 顔、胸、恥部。

 ランダムに映される場所が変わり、忙しない熱情を表す。

 

 

『……っく、出すぞ、イくぞ織莉子!』

 

「はい! 来て、出して下さい! 奥に、子宮に出してぇ!」

 

『――ぅぐ!』

 

「んぁああぁぁあああっ!!!!!!」

 

 

 覆い被さるように視点が顔へ近付き、静止。

 絶頂に浸る顔がアップに。

 目は遠くを見据え、口角が上がり、美しい微笑みを形どる。どこまでも美しく、果てしなく深い、微笑みを。

 二人分の荒い呼吸。

 ゆっくり、視点が起き上がった。

 

 

「あ、ん」

 

 

 引き抜かれる竿が映った。

 それを収めていた孔からは、とぷ、とぷ、と粘液が零れ落ちる。

 闇の底から、淀んだ劣情が、とぷ、とぷ、と。

 

 

 

 

 

 映像が切り替わる。

 

 

 

 

 

「あはん、あぅ、はっ、あんっ!」

 

 

 見上げる視界で、二つの膨らみが弾む。薄暗い部屋の中、一糸纏わぬ肌が汗で輝いていた。

 騎乗位。

 男の上に居る織莉子が、腰を巧みに使う。

 悦ばせようとしているだけでなく、自らも悦ぼうとしているのが如実に表現されている、そんなグラインド。

 

 

『おぉ、随分と、積極的になってぇ。気持ちいいかい?』

 

「は、ぁ! ひっ! うく、ぅあん!」

 

 

 呼びかけに、彼女は答えない。

 悔しそうな顔で喘ぎ、同時に悩ましく目を細める。

 それが最後の砦なのだろう。

 迂闊に言葉を口にしてしまえば、また認めてしまう。

 昨日の乱れようは焦らされた結果。どんな快感に襲われようと、意に反して腰が動こうとも、口を噤んでいれば認めずに済む。

 一晩経って、少しは冷静さを取り戻したらしい。

 

 

『素直じゃないねぇ。本当はお父様の事なんかどうでもよくなって来ているくせに』

 

「……! ち、違いま……っ、私は、お父様の、ため、に、ぃ!」

 

 

 しかし、父の事を持ち出されては黙っていられないのか、織莉子がようやく口を開く。

 こんな事をしているのはそれが理由。当然だ。

 

 

「今日を、終えればっ、お父様の汚名、はっ、晴れる、ぅ! そうすれば、お父様を辱めた、犯人を見つけて、っ、罰を……っ!」

 

『……はぁ?』

 

 

 動きそうになる腰を押し留めながらの懸命な言葉に、男は訝る声を。

 しばし沈黙が場を占め、次に高笑い。

 

 

『ふ、ふははははは! そうか、教えられていなかったのか! 知りながら抱かれているものかと……っ。

 そんなに初恋の男の名誉が大事か、その娘を犠牲にしてまで取り戻したいか、あの古猫め! はははははっ!』

 

「……え?」

 

 

 おかしくて、おかしくて、おかしくて堪らない。

 そんな男の様子に、織莉子は目を丸め、揺れる視界で首を傾げる。

 声がだんだん小さくなって行き、やがて、止まった。

 

 

『私だよ。あの石頭を陥れたのは私だ。どうにも邪魔でね、君はそのついでさ。

 こんなにいい身体を見せられては、我慢できなかった。予想以上の絶品だったよ。君を産んでくれたお母様に感謝しなくてはな?』

 

「――――――」

 

 

 あまりに唐突過ぎて、理解できていないのだろう。表情は変わらない。

 父親の名誉を回復するための証拠を握っているらしかったこの男。

 当たり前だ。首謀者だったのだから。

 織莉子は、父を殺した男に、抱かれていた。

 

 

「――てやる」

 

 

 数秒、顔が隠れ――

 

 

「殺す! 殺してやる! この外道ぉぉおおおっ!!」

 

 

 ――狂乱が始まった。

 白い肌が赤熱する怒りに染まり、眼を剥いて首を狙わんと細腕が伸びる。

 が、そうされるのを予想していたのか、男は手際良く片手で両の手首を捕えた。

 

 

『くは、いいぞぉ、締まりが一段と良くなった。もっと怒れ、恨め、憎め。本性をさらけ出してこその人間だ!』

 

「うぁ!? くっ、やめ、あっ! がっ、ぐぅぅぅ!!」

 

 

 上下を入れ替え、捕まえた腕をベッドに押さえつけ、男は獲物を貪る。

 憎しみに支配されていた顔へ、快感の歪みが生じた。

 心の底から憎いだろうに、身体は勝手に反応してしまうのだ。

 おぞましい矛盾。

 憎悪と快楽の狭間で、少女は憐れに玩ばれる。

 

 

「うくっ! うぁ、やめ、なさいっ! この下衆、下郎! 離れなさ、ぃ!」

 

『ああ、あぁぁ、素晴らしいぃぃ。はぁぁ……もっといいことを教えてやろうか。今日、君が飲んだ薬の事だ』

 

「――え」

 

 

 途端、赤が青へ。

 怒りが、恐怖に。

 

 

『そうだよ。あれはね、未認可の、強力な排卵誘発剤だ。いま膣内射精すれば確実に妊娠できるだろう。……父親を殺した男の赤ん坊をなぁ』

 

 

 悪魔が嗤っていた。

 存在し得ないはずの存在が、織莉子の瞳の中で確かに息をしていた。

 

 

「……ぃ、いや、いやぁああっ! やめて、やめてぇぇえええっ! お願い、出さないでぇええぇぇえええっ!!!!!!」

 

 

 なりふり構わぬ拒絶。

 恐怖に狂う寸前で、崖っぷちで立ち止まり、堕ちてしまわぬように背中を反らす。

 けれど――

 

 

『孕め、織莉子』

 

「――あ?」

 

 

 ――無情にも、その背を押す手。

 世界が止まった。

 音も、動きも、鼓動すら。

 

 

 

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁあぁあぁあぁぁっ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 魂を凍らせる金切り声。

 聖域を汚されてしまった、慟哭。

 

 

「ぃ、や、あ、ぁぁぁ……」

 

 

 涙が零れていた。

 今まで一度も映されたことの無い、涙が。

 内に流し込まれた分、押し出されるように。

 

 

『おめでとう。これで君も母親だ。お母様に一歩近づけたぞ?』

 

「――ぁ――ぅ――」

 

 

 場違いな。あまりにも場違いな祝福の声。

 心の底からそう思っているとしか聞こえない、温かさ。

 織莉子は答えない。答えられようはずもない。

 視点が高くなり、その全身が映るのだが、傍目には人形にしか見えなかった。

 股から白濁液を垂らし、命も、魂も抜け落ちて――最初から肉の人形でしかなかったかのような、無機質感。

 

 

『ふ、は。くはは。ァハハハハハハッ! やってやった! やってやったぞ久臣ィ!! ひはっ、ひぃはははははっ!!』

 

 

 哄笑が轟く。

 こちらもまた、狂う寸前――否。すでに狂っていたのを隠していたのだろう。

 恨み。妬み。嫉み。厭意。呪詛。悪意の頂きに住まう、人間の本質。

 薄闇に、黒が染み渡る。

 黒よりも暗い漆黒が、音に乗って滲んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『くははっははははははっ――っぐ!? ごほっ、こほっ、ごめ、ちょ、変なとこ入ったっ』

 

「あ、大丈夫ですか先生?」

 

 

 ――が、突然、激しく世界が揺れる。同時に咳き込み。

 男の物であろうと思われるが、段々と音声のたわみが無くなっていく。最後の方になると若者と呼んでいいくらいの若々しさに。

 更には、ついさっきまで生きた屍よろしく微動だにしなかった織莉子まで復活。

 重苦しい雰囲気は消し飛んだ。

 

 

「ごっほ、ごほ……。あ゛ー、慣れない笑い方したからツバが気管に……」

 

「まぁ大変。でも、凄く悪役っぽい笑い方でしたよ。ゾクゾクしちゃいました」

 

 

 男――若者の背中を撫でているのか、織莉子との距離が近い。

 表情はと言えば、今までと真逆。向けられた人が思わず笑顔になってしまう愛情が込められていた。

 もっとも今の彼女からそれを向けられれば、同時に別な欲望が滾るであろうが。

 

 

「織莉子の方こそ、本気で殺されるかと思ったよ……。んで、まだ続けるの? プレイの一環とはいえ久臣さん勝手に殺しちゃったり、罪悪感がヒドいんだけど……」

 

 

 若者の声には、苦々しい感情が込められていた。

 発言内容を鑑みるに、これまでの陵辱劇は単なるイメージプレイであったらしい。

 ろくでもない話である。

 あの咳き込み以前だけを切り抜けば、間違いなく本物と言えるだけの真に迫る演技だったのだから、残念度は二倍――いや三倍か。

 

 

「いえ、もう十分です。あとで編集しますので。お疲れ様でした。とても良い刺激になりましたけど、魔力を使ってのボイスチェンジャーも効率が悪いですしね。それに、やっぱり唇が寂しくて……」

 

 

 愛おしそうに腹を撫で、織莉子は煌びやかな花を咲かせる。かと思いきや、今度は唇をなぞって物欲しげな顔。

 どうやら、実生活でもキスを禁止する徹底ぶりだったようだ。

 手の施しようが無い。医者達の投げた匙が見事なジャコビニ流星群を描く。

 

 

「……織莉子」

 

「先生……」

 

 

 見つめ合っているらしい。

 すっかり癖になってしまったのか、若者の視点移動は自身の肉体を極力映さず、織莉子の瑞々しい肉体と表情を時間から切り取っている。

 正面で向かい合っていたそれが横顔になっていき、二人の距離がなくなって――

 

 

 

 

 

「ちょおぉおっと待ったぁああっ!!!!!!」

 

「あ、あら?」

 

「げぇ! キリカぁ!?」

 

 

 

 

 

 ――バタン、と勢いよく開いたクローゼットの扉に中断された。

 若者と一緒に動いた視界に映るのは、ミニスカメイド服を着込んだショートカットの少女。

 キリカと呼ばれた彼女は、うつむき加減に身体を震わせ――

 

 

「ワ……タ……シ……も、混ぜろぉぉおおおっ!!」

 

「きゃんっ」

 

「おいキリカ、落ち着けってぉわ!?」

 

 

 ――ベッドに向かい跳躍した。

 若者は押し倒されたようで、馬乗りになるキリカが映る。

 付け加えると、映像の端に表示されたマイナスの符号のつく数字がだいぶ減っている。残り時間は少ないようだ。

 

 

「なーんか最近個別プレイが多い上にお口に出されても飲みやすいなーって思ってたらこういう事だったんだね!? 織莉子ばっかりスルい! さぁ、ワタシのことも犯せご主人様!!」

 

「なんなんだこの強気メイド!? いつからそこに隠れてた!?」

 

「二人がこの部屋に入って台本の読み合わせしてた時からさ! それからずっと見せ付けられてもう我慢できないんだよぅ!」

 

「最初からかいっ……あ、こら待て、お、織莉子、助けてっ」

 

 

 連戦とはいえ、メイド服の美少女に迫られるという羨ましいシチュエーションから、何故だか若者は逃げ出そうとする。

 すると、視界にヌルッと織莉子の上半身が滑り込み、彼女はキリカに向かって一言。

 

 

「もう、駄目よキリカ。メイド服の時は誰に対しても敬意を払うようにって奈々瀬さんに教わったでしょう?」

 

「む、そうだった。じゃあ……ワタシの事を犯してくれやがりませご主人様?」

 

「根本的に何かが違う! それと織莉子、恋人が助けを求めてるんだから止めに入るべきじゃない!? あ、おい何を……」

 

「うふふ。不公平ですから。ね?」

 

 

 ――が、若者の期待していた言葉と正反対なのは誰の耳にも明らか。

 それどころか織莉子によって両腕を押さえられたらしく、視点がグルリ、窓の方を向いて固定された。

 

 

「ちょっと待って、本当に待って、この一週間使いすぎて擦り切れそうなんです、回復できても痛みはあるんです、寝不足なんです、お願いせめて水分補給、あ、ゃ、やめて――い゛や゛ぁああぁぁあああっ!!!!!! ……あっ」

 

 

 ボロ雑巾を引き千切るような野太い悲鳴が上がり、最後に短く途切れた。

 次いで、「あんっ♪」というキリカの声。ベッドはギッシギッシ音を立て、視界も微妙に弾む。

 けれども、ついにタイムリミットがやってきたようで、不意にプツンと真っ暗に。

 

 映像は、ここで終わっていた。

 

 

 

 

 

「ふぅ……。よし、削ぐかあのロリコン二股野郎」

 

「どーせ死なないんだからやっちゃえやっちゃえ。大台に乗りそうなアイアンメイデンなのにこんなの見せられたら堪ったもんじゃないよねー。ね~ちえみちゃ~ん。……あ、動いた」

 

「二重に梅干し食らわせますよ。このなんちゃって小学生孕メイド」

 

「は? あ、なによ何すんむっ――酸っぱ!? あ、いひゃ、痛い、ごめん、ごめんらひゃいぃいいっ!!」

 

 

 

 

 




 NTRかと思った? そうだよ! セルフNTRプレイだよ!

 ……というわけで、“もしも”恋人に「ハメ撮り調教してみませんか?」と輝かんばかりの笑顔で言われたら、なお話でした。
 まぁ、アレです。欝展開とは言いましたが欝エンドと言った憶えはありません。騙されてくれました?
 結末さえ知っていれば「こいつ等……」と生温かい目で見られると思いますので、どうかお許しを。

 さて、これにて固まっているネタは放出完了です。半年にも満たない時間でしたが、お付き合い頂き、誠に有り難う御座いました。
 今後の筆者の活動予定については活動報告に書いておりますので、ご興味があれば覗いてやって下さい。

 それでは、またお目に掛かれる日まで、失礼致します。


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