佐藤浩志の普通とはほど遠い日常 (はるのいと)
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第一章 「僕の純潔を返せっ!」

日本全国で多い苗字ランキング第一位はサトウ。名前の方はヒロシだそうだ。

サトウヒロシ――良く言えばこの名前は日本のスタンダードである。

そして悪く言えばどこにでもある普通の名前ということだ。

因みに僕の名前も佐藤浩志(さとうひろし)だ。

このような事を口にすると、大概は皆は ”そんなに自分の名前を卑下するなよ” と、悲しげな表情を浮べる連中が多い。

誤解しないで欲しいのだが、僕はただ一度として自分の名前を卑下した覚えはない。

何故なら僕という人間は普通という言葉をこよなく愛する ”没個性男子” だからだ。

 

周りを見渡すと自身の個性をみがく事に必死な人種たちであふれている。

奇抜なファッション・斬新なメイク・過剰なダイエット等々……。

皆一応に美しくそして目立つために必死な努力を日々重ねている。

忌憚(きたん)なき意見を言おう。

これは突き詰めて考えていくと、異性にモテる為だけの行為だ。

 

例えば細マッチョが良い例だろう。

これは程よく筋肉のついたしなやかな体の事を指す言葉だ。

女性の多くはこのような細身の体型の男性を好む、と何か本で読んだ事がある。

だがなんの努力もしないでこのような体は手に入らない。

日々の筋トレに加え高タンパクな食事と糖質制限――。

全国の細マッチョはそれなりに努力をしているのだ。

 

これはひとえに美しい女性と素敵な時間(・・)を共にしたい、というエロく不純な動機のなせる業である。

おっと、話しが脱線したので元に戻そう。

結局、何が言いたいのかというと、個性などというものはその程度の事なのだ。

 

だから僕はいつものように心の中でこう叫ぶ――。

没個性上等、普通最高っ! 意味のないオリジナリティーや、はりぼてだらけの個性なんてクソくらえだっ!

このように全くもってくだらない事をウダウダ考えながら、僕はいつものように電車にゆられていた。

すると真向いの席から鋭く突き刺さる強い視線に気付く。

顔を上げるとそこには一人の少女が僕を見つめていた。

 

日本人形を思わせる、肩口辺りで切り揃えられた綺麗な黒髪。

透き通るような白い肌。黒目がちな大きな瞳はどこかネコ科を思わせる。

自称美少女評論家の僕から言わせれば10点満点中……文句なしに10点である。

 

うーん、それにしても……これは ”見つめている” というよりも ”睨んでいる” といったほうが言葉的にはしっくりとくる。

何故なら目の前の美少女は眉間にくっきりと皺を寄せて、明らかに憤慨した表情を浮かべているからだ。

こんな美少女のお知り合いなど、当然ながらいるはずもない。

加えて僕は女性を怒らせるような事が大嫌いだ。

だからこそ目の前の見知らぬ美少女が、憤慨している理由が全く分らなかった。

 

って言うか、さっきから全く瞬きしねえなこの女……。

因みに先程、目が合った瞬間から僕は彼女と同様に眉間に皺を寄せながら、鋭い眼差しを返していた。

こう見えても売られた喧嘩は必ず買う。

そして僕はこのようにくだらない争い事だけには、絶対に負けたくない性分なのだ。

 

男子高校生と美少女の睨み合いは、それから15分ほど続いた。

その後、程なくして美少女は静かに溜め息を漏らしすと、僕を一人残してふくれっ面のまま下車していった。

勝った……勝負を挑んでおきながら、敵前逃亡とは何とも情けないヤツだ。

そこには勝手に勝負に参加して、勝手に勝ったと思い込み、勝手に喜んでいる男子高校生姿の姿があった。

言うまでも無くそれは僕だった。

 

一人きりになった僕には、当然のことながら周りにいた乗客たちからの ”このガキ、あの女の子になんかしたんじゃねえ?” 的な視線が容赦なく降り注いでくる。

あっ、ハメられたっ! あのクソアマ……今度会ったら有無を言わさず顔面パンチだ。

そう心に誓いながら拳をにぎりしめていると、隣に座っていた老婦人(推定65歳)が僕に声をかけてきた。

 

「お兄ちゃん、彼女と喧嘩でもしたのかい?」

 

「彼女? 何のことですか」

 

「いまさっき電車から降りてった、あの可愛らしい女の子だよ。随分とお兄ちゃんのこと睨んでたじゃないの」

 

老婦人の言葉に、周りにいる乗客たちの耳がデカくなってゆくのが、手に取るように分る。

タブロイド紙よろしくの下世話な興味――。

よしっ、ここは一つ僕の得意技(・・・)で切り抜けよう。

 

「あれはね、ただの嫌がらせですよ」

 

「嫌がらせ?」

 

「ええ。いま、女子校生の間で流行っているゲームです」

 

「ゲーム?」

 

「はい。まずは先程みたいに、見ず知らずの男性を睨むわけです。そうするといまお母さんが勘違いしたように、カップルの喧嘩だな? と周りは思う訳ですねえ。そうやって男性に気まずい思いをさせて、精神的苦痛を与える最低のゲームですよ。これが原因で最悪 ”ガンミサレティックシンドローム” という、精神疾患になる事も稀に有るそうです」

 

「あらー怖いっ。でもそんな悪戯をして一体何が面白いのかねえ」

 

「まあ、若気の至りってやつでしょうねえ。彼女たちも一刻も早く自分たちの過ちに気付いて欲しいものです」

 

少し遠くを見つめながら、僕はしみじみと呟いた。ちょうどその時だった電車が目的地の駅へと到着する。

 

「それでは僕はここで」

 

礼儀正しく一礼すると、ゆっくりと降り口へと向かう。

すると老婦人は僕の背中に声をかけてきた。

 

「親切に教えてくれて、有難うね」

 

「いえいえ、それではお気をつけて」

 

 

あのようなお人好しの老人たちが、卑劣な詐欺に引っかかるんだろうなあ……。

僕は駅の階段を上りながらしみじみとそう思った。

すると背後から聞きなれた声が鼓膜に届く。

 

「お年寄りにいい加減な知識を刷り込んじゃダメでしょっ!」

 

「僕は嘘なんて言ってないよ」

 

「じゃあ何なのよ、ガンミサレティックシンドロームって! そんな病気無いでしょ? って言うか人が話してる時は、ちゃんとこっちを見なさいっ!」

 

相変わらず彼女は礼儀に口うるさい……。

溜め息交じりで振り返ると、そこには予想通りふくれっ面を浮かべる美少女がいた。

 

(だん)美鈴(みれい)――。

胸元まで伸ばされた艶やかな栗色の美髪。

光の加減によって表情を変える色素の薄い瞳。

一見するとハーフにも見えるその容姿は、常に我が校の男子生徒たちを魅了していた。

かくゆう、僕もその一人である。

 

「別に詐欺のような悪意のある嘘じゃないだろ?」

 

「でも嘘は嘘でしょ」

 

「じゃあ、壇蜜(・・)さんは嘘を吐いた事はないの?」

 

「私はあんなに際どい恰好はしないわよっ!」

 

「こりゃ失敬。でも際どい恰好はしなくても、嘘くらいは吐いた事あるだろ?」

 

「いいえ、無いわ」

 

「ふん、それこそが嘘だ」

 

「……浩志君は相変わらず意地悪ね」

 

壇さんは呆れ顔で溜め息を漏らした。

彼女は同じクラスになって以来、僕の事をファーストネームで呼ぶ。

クラスメイトの男子生徒の中で唯一、僕だけを……。

もう一度言うぞ、僕だけをだっ!

この状況に対し没個性男子は色めき立ち、そして大いに暴走した。

それは ”男はつらいよ” の主人公も真っ青の超ド級の勘違いだった。

 

事件が起こったのは今から、ちょうど2か月前の放課後だった。

その日の空は夕焼けがとても美しく、二人きりの教室は(あかね)色に染まっていた。

これ以上ない程のにロマンティックな状況……よし、イケるっ! 僕は心の中で呟いた。そして意を決して行動に出たのだ。

 

「壇さんて好きな人とかいるの?」

 

「えっ……突然どうしたのよ」

 

「いやあ、壇さんってモテるから好きなヤツとかいるのかなあ、と思って」

 

「……うん、いるよ」

 

壇さんは僕から視線を逸らすと、照れくさそうに俯いた。

はい、来たっ! これはどう考えても間違いない……。

 

「それって、もしかして僕?」

 

「えっ、どうしてそう思うの?」

 

「だって壇さんって、僕のことだけ名前で呼ぶから……」

 

「ああ、そっか」

 

壇さんは納得するように、手のひらをパチンと合わせる。

そしてすぐに気まずそうに俯くと、静かに口を開いた。

 

「うちのクラスって佐藤って男子二人いるじゃない? ややこしいから区別してただけなんだけど……」

 

えっ? 一瞬、自分の耳を疑った。 いいや、まだ諦めるな。まだ可能性はあるっ!

 

「因みに他意は?」

 

「ごめん、皆無」

 

はい、終了――。

 

「じゃあ……お疲れっした」

 

僕は鞄を手に取ると、逃げるように教室をあとにした。

もう、嫌っ! いっつも、いっつもこうじゃないっ!

赤面する顔を両手で覆いながら、僕は夕日が差し込む廊下を全速力でかけ抜けた。

 

その後は3日間学校を休んだ。

この顔から火が出て消火不能になるような出来事から、僕は彼女に素っ気ない態度をとるようになっていた。

それは自身の尊厳を守る為には、しょうがない行動だった……。

いいやここは潔く認めよう。僕はこのようにかなり器の小さい人間なのだ。

 

唯一の救いといえば壇さんがこの一人勘違い男の所業を、他の人間に口外しなかったということであろう。

想像したくもないがもしそのような自体に陥れば、僕はストレスの余りハゲ散らかしていたことだろう。

その優れた容姿と同様に、どうやら彼女は性格の方も美しいようだ。

 

「僕が意地悪? なら言わせてもらうけど、壇さんの方こそ少しは男心を理解した方が良いと思うよ」

 

「どういう事よ?」

 

「おたくの一挙手一投足が、我が校の男子生徒に多大な影響を与える、って事だよ」

 

「……どういう意味?」

 

小首を傾げる美少女――この天然小悪魔がっ!

僕はそう心の中で叫ぶと、彼女を残して足早に駅の階段を上って行った。

 

 

 

翌日の電車内は昨日と打って変わって快適そのものだった。

辺りを見回しても例の ”ガン見女” の姿は見当たらない。

実に優雅なひと時だ……と言いたいところだが、いまの僕にはそんな余裕は微塵もなかった。

理由は自明――。

簡単に言うと愚母が、おもいっきり寝坊をしたのだ。

そして普段から目覚まし時計を掛けていない僕も、当然のように寝過ごした。

あのババア、今日という今日はただじゃおかねえ……。

僕はそう思いつつ昨日と同様に、眉間に皺を寄せながら電車に揺られた。

 

 

 

「遅いっ!」

 

「あっ、すんませーん」

 

教室に到着すると、既に朝のホームルームが始まっていた。

僕は担任である海老名みどり子に苦笑いを向けながら、足早に窓際の席へと向かった。

うん? 僕はもう一度、教壇の前で眉間に皺を寄せている担任に目を向けた。

すると彼女の隣には見知った顔があった。

おいおい、嘘だろ……。

そこには昨日のガン見女が相変わらずの表情で、僕を睨みつけながら佇んでいた。

 

一体これはどういうことだ。

僕は眉間に皺を寄せながら静かに席に腰を下ろした。

状況から察して、どうやらガン見女は転校生らしい。

ヤツは相変わらずの挑戦的な眼差しを、僕に向けながら自己紹介をしている。

全くもって気に入らねえ……あまりの苛つきに鼓膜が外界の音を遮断してゆく。

 

暫くするとガン見女は自己紹介を終えたらしく、担任に促されるままに僕の隣の空席へとすたすたと向かってきた。

それと同時に遮断されていた、外界の音が徐々に回復しつつある。

丁度その時、ふと黒板に目を向けてみた。

黒柳徹男……黒板には確かにそう書かれている。

 

ふん、ったく何ともふざけた名前だ。親の顔が見てみたいもんだよ。

僕は窓の外に視線を移すと、頬杖をつきながらニヒルに微笑んだ。

それにしても黒柳徹男とはねえ……。

もうちょっとで、あのお昼の顔として有名なご婦人と同じ名前じゃないか。 

ホントに全くもってあり得ないよ。

 

 

しかし、徹男とはなあ……

 

 

               うーん、徹男ねえ……

 

 

                             ……て、徹男っ!!!

 

僕は慌てて黒板に視線を戻す。

するとそこには何度見ても、やはり黒柳徹男という名前があった。

えっ、何で? どういうこと? あの子、女じゃないの?

いいやどう見ても女でしょ。ねえ? うん、間違いないよっ!

だよなあっ! あれっ、あれっ……。

僕は完全にパニックに陥った。

そんな際どい精神状態のまま黒板を呆けた顔で眺めていると、ガン見女もといガン見男は僕の目の前まで来ていた。

そして不機嫌そうな顔から一転すると、天使のような微笑みを浮かべたのです。

 

「愛してるよ、ヒロちゃん」

 

黒柳徹男はそう言って僕の唇を優しく塞いだ。

その瞬間、思考力は完全に宇宙の彼方へとぶっ飛び、頭の中が真っ白になった。

体が硬直してしまい全く身動きがとれない。

一方、教室は歓喜と怒号に包まれている。そんな中、僕は心の中で静かにこう呟いた。

 

ああ、いままで大切に守ってきた()純潔(・・)が……。

 

佐藤浩志・16歳。

普通という言葉をこよなく愛する、健康優良没個性男子高校生。

だが僕のファーストキスは普通とは程遠い形で、転校してきた()()()に突然奪われたのだった。



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第二章 「僕は人間椅子じゃねえっ!」

先程の喧騒がまるで嘘のように、1時限目の授業はいつもと変わらぬ様子で始まった。

教壇では教科担任の豊島が頭をハゲ散らかしながら、日本史の解説を長々と行っている。

相変わらずコイツの授業は耳が疲れるなあ……。

何故なら声がこもっているうえに滑舌が酷く悪いため、なにを説明をしているのか全く要領を得ないのだ。

これは人にものを教える立場の人間としては、致命的な欠陥だった。

 

全然なに言ってんのか分んねえ……。

ったくこんだけ生徒がいるんだから、誰か一人くらいツッコめよなあ……。

っていうかその前に、いま僕が置かれてるこの状況を誰かツッコめよっ!

現在、僕は窓際の席で人間椅子と化していた。

太腿の上にちょこんと腰を下ろしているのは、ついさっき僕に熱烈なキスをかましてきた黒柳徹男であった。

 

ヤツは僕の首筋に両腕を絡めながら、ウットリした表情を浮かべている。

さながらお姫様抱っこ状態だ。

授業中にも関わらず欧米人も真っ青のこの大胆な行動――。

普段の豊島なら問答無用で一喝するはずだ。

だがあの口うるさい日本史大好きオヤジは、今日に限って事なかれ主義を貫いていた。

 

「あのう……黒柳君――」

 

「いやっ、名前で呼んで」

 

「ええと……じゃあ、徹男君――」

 

「呼捨てで」

 

ヤツは潤んだ瞳を僕に向けてきた。

いや、可愛い……ああ、違う違うっ!

騙されるな浩志、こいつは女の子ではないんだっ!。

僕は心の中で自分自身に何度も言い聞かせた。

 

「悪いんだけど、そろそろ降りてくれないかなあ……」

 

「いーやーだっ!」

 

「太腿がヤバいくらいに痺れてるんだよ。このままじゃ、脚がぶっ壊れちゃうんだけど……」

 

「絶対にいーやーだっ!」

 

ヤツは大声で駄々をこねると、僕の胸に顔を埋めた。

もしこれが女の子であれば何の問題もない。

相手が望む限り、何時間でも人間椅子になってくれよう。

だが悲し事にヤツは男の娘なのだ……。

 

「あのう、先生」

 

「うん? どうした、佐藤」

 

 

「いや、どうしたじゃないでしょ。授業中にこの状況ですよ。教師として注意とかしなくていいんですか?」

 

「注意? ああ、注意か……」

 

豊島はいま気付いたかのように言うと、ずれ落ちた眼鏡を溜め息交じりで上げた。

そして僕に(まとわ)りつく男の娘に、教師らしく厳しい眼差しを向けたのだ。

 

「こらっ! 駄目だぞ、黒柳……よしっ、じゃあ授業再開だ」

 

おいっ、ハゲっ! よしっ、じゃねえよ。

なんだ? いまの気の抜けた炭酸水のような注意はっ!

いつもの粘着質なお前は一体どこに行っちまったんだよっ!

 

その後も黒柳徹男はトイレと昼食以外は、僕の太腿を椅子代わりにして、さも当たり前のように纏わりついてくる。

その様子は新婚さんも真っ青のデレデレ感満載であった。

どうしてこの僕が徹男の暴挙を断固拒否しないのか?

不思議に思った方も多いだろう。

理由は単純だ。僕と離れるとヤツは大声をあげて泣きじゃくるのだ。

 

こんな事をカミングアウトするのは誠に遺憾なのだが、僕は女性の涙にめっぽう弱い。

勿論、ヤツが女子でないことは重々承知の上だ。

でもね、見た目は完全に美少女なの……。

僕が徹男を拒否出来ないのは、こういった情けない理由からであった。

 

それにしても、教師連中のあの淡泊な態度はどういうことだ?

誰一人としてヤツに、教師らしい注意をする人間がいないのだ。

そしてもう一つ僕には大きな疑問があった。

なんでコイツ、当たり前のように女子の制服着てるわけ?

これらの疑問には何か裏があるに違いない。

僕はさり気なくヤツに探りを入れることにした。

 

「なあ、徹男」

 

「なあに? ヒーちゃん」

 

4時限目が終わる頃には僕の呼名は ”ヒロちゃん” から ”ヒーちゃん” に格上げになっていた。

因みに16年生きてきて、ヒーちゃんと呼ばれたのは初めてだ。

男・佐藤浩志……その呼名には幾分テレます。

 

「お前さあ、なんで女子の制服着てんの?」

 

「だってこっちの方が可愛いもん。ヒーちゃんもそう思うでしょ?」

 

「うん、そうだね」

 

ダメだ、全く会話かみ合わねえ……。

こういう手合いを相手にするのは、経験上かなり疲れる。

よしっ、焦っても仕方がない。ここは一つ根気よく行こう。

 

「うちの教師連中は随分とお前に甘いな」

 

「そりゃそうだよ。だって()のパパはここの理事長も務めてるもん」

 

教師連中の事なかれ主義な態度。

さらりと女子の制服を身に(まと)う黒柳徹男――。

謎はあっさりと解けた。

要するにヤツは金持ちであり、権力者の息子であり、男好きの男の娘なのだ。

そしてその厄介なヤツにどういう訳か見初(みそ)められたのが、普通お求め・普通を愛し・普通の生活を送る事を至極の喜びと感じていた、普通の男子高校生であるこの僕だ。

 

うーん、これは忌々しき事態である。

おいそれとコイツを邪険に出来ない状況だ。

何故ならそんな事をすれば、親馬鹿な理事長は権力を笠に着て僕を学園から追放する、という暴挙に出る可能性があるからだ。

かといってこのままでは僕は確実にそっちの世界(・・)へと、引きずり込まれてしまう。

こう見えても自他ともに認める流されやすい男なのだ。

現にいまもこの状況が苦にならなくなってきている。

マズイ傾向だなあ……。

よしっ、ここはひとつお互いの為に男らしくビシッと言っといた方がいいだろう。

 

「徹男、この際だからはっきりと言っておくぞ」

 

「なあに?」

 

「僕は女の子が好きだ」

 

「うん、知ってるよ」

 

「だから男の娘とは付き合えない」

 

「うん、知ってよ」

 

「そ、そうか……分っているんならそれでいいんだ」

 

「大丈夫。僕はもうすぐ、正真正銘の女の子になるから」

 

「女の子になるって……どうやって?」

 

「オペするの」

 

「……オペ?」

 

「うん、ちょん切っちゃうの」

 

「ああ、切っちゃうんだ……」 

 

「うん、タイでね」

 

「ああ、タイね……いいとこだよねえ、微笑みの国」

 

僕は眩暈と寒気を覚えつつ、窓の外に目を向けた。

そこにはいまの僕の心とは裏腹に、晴天の空が広がっている。

ちょん切っちゃうんだ、タイで……。

 

 

 

時刻は16時12分――。

教室の掃除も終了したころで、心と体に経験した事のない倦怠感が襲ってきた。

原因は自明だ。いまは早く帰ってぐっすりと眠りたい……。

廊下を歩きながら僕は心底からそう思った。

因みにいま現在も、僕の隣には微笑みを浮かべる徹男の姿がある。

どうやら一緒に下校するつもりのようだ。全く、勘弁しろよ……。

 

「おい、見ろよ。あいつ、本当は男なんだってよ」

 

「うそっ、マジでっ? 女にしか見えねえじゃん」

 

「まあ、そうだけどよ……でも正直キモくねえ? だってあれ完全にオカマだぜ」

 

「はははっ、オカマって、お前言い過ぎっ!」

 

廊下で(たむろ)していた男子が、頭の悪そうな笑い声をあげた。

隣に目を向けると、徹男は悲しげな顔で俯いていた……。

べつに正義感が強いわけじゃないし、格好つけるつもりもない。

ましてや隣の男の娘に同情するつもりなんてさらさらないよ。

だけどキミらさあ、人として口に出して良いことと、悪いことがあるでしょうが……。

僕は溜め息まじりで徹男の耳元へ顔を近づけると ”嘘泣きしてごらん” と(ささや)いた。

 

「嘘泣き?」

 

徹男は大きな瞳をパチクリとさせ、小首を傾げてみせた。

 

「大丈夫だから、ほら早く」

 

すると徹男は安心するようにこくり頷いた。

途端に廊下で泣き叫ぶ見た目は美少女の男の娘――。

何事かと周りにいた生徒たちが、ぞくぞくと集まってくる。

 

「一体どうしたんだ、徹男君」

 

「あの人が……あの人が僕の事をオカマだって」

 

僕のわざとらしい問いかけに、徹男は泣きながら廊下で屯していた男子たちを指さした。

すると周りにいた生徒たちからは ”ひどーい” やら ”最低” 等と言った罵声が上がりだす。

あっという間に吊し上げをくらう男子生徒たち――。

我ながら自分の手は一切汚さない、卑劣でナイスな作戦……。

罵倒される男子生徒を見つめてながら、僕はニヒルに口角を上げた。

 

「ヒーちゃん」

 

「うん? なんだ」

 

「……ありがとう」

 

瞳を潤ませお礼の言葉を述べる徹男――。

ま、まずい。ヤバいくらいに可愛いんですけど……。

僕は照れ隠しのため、ぶっきら棒に返事をすると、足早に下駄箱へと足を向けた。

 

 

 

校門を潜ると学園の前には、黒塗りの高級外車と運転手が待機していた。

徹男の姿を捉えると運転手は、後部座席のドアを静かに開けた。

徹男は当たり前のように車に乗り込んでゆく。

そして僕に笑顔を向けながら手招きしてきた。

どうやらこのバカ高そうな高級車はヤツ専用の送迎車らしい。

せっかく江戸川乱歩先生よろしくの、人間椅子から解放されたんだ。

放課後くらいはゆっくりと休ませて頂きたい。

僕は得意の嘘八百を並び立て、徹男からの自宅ご招待をなんとか回避した。

 

その後、僕はヤツを見送ると安堵から本日何度目かの溜め息を漏らした。

そしていつものように、とぼとぼと歩きながら緑川駅を目指す。

そんな時だった、いつかのように壇さんが背後から声をかけてきた。

話を聞くと彼女も緑川駅へ向かうということだったので、僕ら二人は程なくして一緒に歩き始めた。

 

 

 

「お疲れモードみたいね」

 

「当たり前だろ。こっちは1日中、人間椅子にされた挙句に、ずっと抱きつかれていたんだ。疲れない方がどうかしてるよ……」

 

緑川駅の構内――。

僕らは電車を待つ間、近場のベンチに腰を下ろしていた。

すると壇さんはにやけ顔を浮かべながら、僕の顔を覗きこんできた。

 

「それにしても随分と濃いキャラの子に好かれたもんね。どう、急にモテモテになった感想は?」

 

「10年分の厄が一気に訪れた気分だ」

 

壇さんは屈託なく笑い声をあげた。他人事だと思って、この小悪魔美少女は……。

 

「でもさあ、ホントに可愛かったよね? 徹っちゃん」

 

「ああ、変な棒と玉さえなけりゃな」

 

「もう、下品っ!」

 

「こりゃ失敬」

 

因みにいましがた壇さんが言った、徹っちゃんとは徹男の渾名(あだな)だ。

ヤツは転校初日にして既にファンクラブが作られるという、快挙を成し遂げていた。

しかも会員数は初日にして、全女子生徒の約半数を占めているらしい。

いつの世も女性は中性的な美少年が好きだという事だ。

因みに隣の美少女にも、当然ながらファンクラブは存在する。

徹男とは打って変わって、こちらの会員は一部の百合系女子を省けば、その全てが男子生徒で占められていた。

その人気は他校にまで及んでいるらしい。全くもって僕には全く縁のない世界である。

 

「そんな事よりこれからどうするの? もしかしてホントに付き合うとか?」

 

「さっきも言っただろ、徹男には必要(・・)のない(・・・)モノ(・・)がぶら下がっているんだ。女性経験もない僕には荷が重いよ」

 

「へえ、経験ないんだ」

 

「恥ずかしながらね」

 

「ふうん……それは良かった」

 

「良かったってどういう意味?」

 

「ヒ・ミ・ツ」

 

「その気もないくせに、思わせぶりな態度で男心を弄ぶのが趣味?」

 

「別にそんなつもりじゃ――」

 

「壇さんにそのつもりがなくても、男は勝手に勘違いする生き物なんだよ」

 

そう、僕は常に勘違いをする。そして一人で勝手に傷つく。

いまも心拍数と血圧が上がっているのが手に取るように分る。

僕は顔がお猿さんのおケツになる前に、丁度良く到着した電車に彼女を一人残して乗り込んだ。

 

うーん、ちょっと言い過ぎたかなあ……。

だが余りにも可愛い小悪魔っぷりだったので、照れ隠しでついキツめの言葉を浴びせてしまった。

フェミニストの僕とした事が……。

まあ、別にいいか。向こうもどうせ僕の言う事なんて、いちいち気にしてないだろうし……。

僕はそう思いなおすと、電車に揺られながら暫しの惰眠(だみん)をむさぼった。

 

 

 

「息子よ、よく聞きなさい。母さんは常日頃から、恋愛には色々な形があってもいいんじゃないか、って思ってるの」

 

「へえ、初耳だな。それで、結局さっきからババアは一体何が言いたいんだ?」

 

「今度、ババアって言ったらマジで殺すわよ」

 

夕食(ゆうげ)のさなか我が佐藤家では先程から愚母の浩子が、息子に対して何やら遠回しの助言を繰り返していた。

そしてそんな愚母の隣には、愚妹の浩恵がニヤケ顔で僕らの会話を聞いている。

何となく気にいらないので、あとでぶん殴ってやろう。

 

「言いたい事があるならハッキリと言え」

 

「別に母さんはアンタが本気なら、その()()()と付き合ってもいいと思ってるの。だけどね――」

 

「ちょ、ちょっと待てっ! 話が全く見えてこない」

 

「えっ? だってアンタ、今日転校してきた男の子に一目惚れしたんでしょ?」

 

愚母がそう言った時だった、我が愛しの愚妹がすうっと食卓から腰を上げる。

そしてそそくさと、その場をあとにしようとした。

 

「おいっ、妹。どこに行くつもりだ?」

 

「えっ? ちょ、ちょっと自分の部屋に……」

 

「まだメシが半分以上残ってるじゃないか。体調でも悪いのか?」

 

「う、うん。最近ちょっとダイエットしてて――」

 

「ダイエット? バレバレの嘘を吐くな。いいから、取りあえず座れ」

 

僕は愚妹の言葉を遮ると鋭い視線を向ける。

すると愚妹は目を泳がせながら、即座に椅子に腰を下ろした。

 

「お前は愚母に一体なにを吹き込んだんだ? 正直に言わないと、鼻の穴にチューブワサビを突っ込むぞ」

 

愚妹は観念したのか正直に話し始めた。

因みに我が愚妹は僕と同様に呼吸するかのように、嘘八百を並び立てる……。

要するに血は争えないということだ。

愚妹の話によると今朝の大事件は、中等部にまで飛び火しているらしい。

そして事の真相はかなり捻じ曲げられていた。

因みに僕の愚妹は我が学園の中等部に在籍している。

具体的に言うと強引にキスをしたのは僕でされたのは徹男、という図式になっていた。

 

可勘弁してくれっ、そして爆死しろ中坊どもっ!

事の発端は伝言ゲーム形式に伝わっていった噂が原因だった。

いまでは僕は美少年愛好家とないっているらしい。

終わった、何もかも……僕は力石ふうに呟いた。

これで限りなく0に近かった彼女が出来るという確率は、完璧に0になってしまったようだ。

明日からは恐らく耐え難いイジメが始まる事だろう。

こうなっては不本意ながらこちらも戦う準備をしなければならない。

僕は気合を入れるために愚母にお代わりを求めた。

 

「おいっ、ババア、おかわりを頼む。大盛りで――」

 

その瞬間、目の前が真っ暗になり、気が付くと僕は自室のベットで朝を迎えていた。 

愚妹の話ではババアと言った瞬間、ヤツは強烈な右フックを、僕の顎下にヒットさせたらしい。

当たり前のように僕はKO――。

そして愚妹に首根っこを掴まれながら、強制的にベッドへと連行されたそうだ。

僕とした事が……。

ババアが元全日本女子ボクシングのチャンピョンだった、という事をすっかり忘れていた。

リビングに向かうと昨日の剣幕がまるで嘘だったかのように、愚母は鼻歌交じりでマズい朝食の準備を始めていた。

それもその筈である。僕が昨夜のように虐待を受けるのは日常茶飯事だったからだ。

 

 

 

朝食を終えると僕は制服に着替えはじめた。

今日は恐らく長い一日になることだろう。

ババアの右フックで気合も入ったことだし、いざ戦場へと向かうか。

僕は玄関の姿見をみつめるとニヒルな笑みを浮かべた。

よく見ると左顎が若干腫れている。軽く触れると激痛が走った……。

も、ものすっげえ痛い……もしかしてこれ折れてんじゃねえ?

ったく……少しは手加しろやっ、クソババアっ!

僕は玄関先で愚母にそう叫ぶと、颯爽と戦場である学園へと向かった。



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第三章 「僕の脳内は崩壊寸前だっ!」

まだ二年以上ある高校生活――さて今後の展開をどうするか?

僕はいつものように電車に揺られながら、近い未来の自分を想像していた。

人の噂も75日――。

世間で人があれこれ噂をしていても、それは長く続くものではなく、やがて自然に忘れ去られてしまうものだ、ということを表したことわざである。

だがこのことわざは現代社会ではあまり通用しない。

ネット社会では一度拡散した情報は消えることがないのだ。

そして学園中に広まった僕が ”美少年好き” だという噂も、余程の一発逆転が無い限り消える事はないだろう。 

 

ここは心機一転、普通男子からオネエキャラへと変貌を遂げる、というのはどうだろう? 

芸能界を見ても彼らは着実に勢力を伸ばしている。

それは何故か? 恐らく嫉妬を生みにくいからだろう。

女性は自分よりも容姿の優れた者に、多少ならずとも嫉妬する。勿論、男性も叱りだ。

だがジェンダーのオネエたちにはそれがない。

いくら美人であろうが恰好がよかろうが、それは ”敵” にはなりえないからだ。

故に誰からも好かれる可能性が高いということになる。

だから僕もオネエキャラへの転身を――

 

 

”次は緑川駅、緑川駅、降り口は右側に変りまーす”

 

 

さてと、おバカな妄想はここまでにしていざ戦場へと向かおう。

こうなったら出たとこ勝負だ。まあ、命まで取られることはあるまい。

それに最悪の場合は徹男に頭でも下げて、事の真相を語ってもらえば済むはずだ。

僕はそのような甘い考えを抱きながら、駅の改札を通り抜けた。

 

 

 

「この変態野郎っ! 私たちの徹ちゃんに何てことしてくれたのよっ!」

 

「いやあ、そう言われましても……」

 

場所は1年F組の昼休みの教室――。

早朝から続く僕への抗議活動は時間を増すごとに支援者の数が、雪だるま式に増加していった。

そしていま現在では(おびただ)しい数の徹男ファンたちが教室の前に大挙していた。

無論、一部の薔薇系男子を省けばその殆どが女子生徒である。

そして僕はといえば女子生徒たちの口から発せられる罵詈雑言を、先程からクレーム処理係の如く真摯な態度で受け止めていた。

だがそれもそろそろ限界だ。そこで僕は最終兵器を投入することにした。

 

ヘルプ徹男っ! 僕は教室に響き渡るように大声で叫んだ。

だが待てど暮らせどヤツが現れることはない。

その理由はいたって簡単である。本日、黒柳徹男は欠席していた。

担任の話ではどうやら夏風邪をこじらせたらしい。

あ、あの野郎、今度会ったら絶対タダじゃおかねえ……。

 

因みに事の真相を知っているクラスメイトたちは、誰一人として僕を庇う者はいなかった。

というか本当のことを語っても誰も信用しないのだ。

常軌を逸した怒りというものは、ときとして人の思考力を奪う。

要するにいまの彼女たちに何を言っても無駄だ、ということである。

 

「取りあえず土下座しなっ! 話はそれからよ」

 

土下座コールが何処からともなく巻き起こった。

なるほど、女子のイジメは陰湿だと聞いていたがあながち的外れでもないらしい。

ふん、だが舐めるなよ。僕を一体誰だと思ってる? ”健康優良没個性男子” だぞ。

その程度の事でこの場が丸く収まるなら土下座でも土下寝でも、いいや靴すらも舐めてくれよう。

僕はそう心の中で呟きながら、ゆっくりと土下座の体勢に移った。

 

「土下座なんてすることないよ」

 

聞きなれた涼しげな声が背後から聞こえてきた。振り向かなくても相手は自明だ。

 

「ちょっと何よ、アンタ」

 

 

「もう、その辺したら?」

 

 

壇さんは女子生徒を(いさ)めると、颯爽と僕のもとへと訪れた。

その様子は勇ましく美しい、ジャンヌダルクのようだ。

 

「アンタには関係ないでしょ? 男子にちょっと人気があるからって、調子に乗ってんじゃないわよ」

 

「あのう、壇さん僕なら平気だから――」

 

「男がそう易々と土下座なんかしちゃ駄目よ」

 

ジャンヌダルクはそう言うと、女子生徒に視線を移す。

そして自信満々の笑みを浮かべると、涼しげな声でこう続けた。

 

「別に調子になんて乗ってないわ。でもね、自分の彼氏(・・)が、冤罪で責め続けられてるのを、黙って見てるわけにもいかないでしょ?」

 

「……彼氏?」

「……彼氏?」

 

僕と女子生徒は同時に小首を傾げた。

 

「そう、彼氏」

 

壇さんそう言って僕の腕に絡みつく。

そして甘えるように、静かに肩口へと頭を預けてきた。

 

「ウソついてんじゃねえよ。こんなのがアンタの彼氏なわけないじゃんっ!」

 

「信用できない?」

 

「当たり前でしょっ!」

 

そりゃ信用できないよねえ。僕も全く同意見です。

どうやらキミとは馬が合いそうだ。

例えばかりに日本の資本主義が崩壊したとしても――。

例えばかりに宝くじ1等が10年連続当選したとしても――。

例えばかりに隕石が落ちて地球が大爆発したとしても――。

僕が壇美鈴の彼氏になる、ということは天地がひっくり返ってもあり得ない。

だがこの世界は時としてありえないことが起こるのだ。

そう、それはいつも突然に……。

 

「そう、なら仕方がないわね」

 

壇さんはそう言って微笑むと、僕の顔を両手でそっと包み込む。

そして優しく唇を重ねてきた。

 

 

プスッ……プスップスップスッ       

     

                      脳内崩壊 回線ショート 要再起動……。

 

 

それからの記憶は緑川駅に到着するまで殆ど無かった。

当然のことながら授業のことなど、皆無といっていいほど覚えてない。

かろうじて記憶に残っているのは愚母が作ってくれた弁当の中身は、サバ味噌の缶詰が一つ入っていただけということくらいだ。

因みに白米も箸もそして缶切りさえも無しだった。

この嫌がらせ以外の何ものでも無い弁当の件は、いまとなっては些末な問題だった。

僕は緑川駅のベンチに腰を下ろしながら静かに瞳を閉じる。

因みに隣には徹男と同様に先程いきなり僕の唇を奪った、壇美鈴さんが無言のまま腰を下ろしていた。

 

「あのう、壇さん……先程はお助け頂き――」

 

「お願い、美鈴って呼んで」

 

壇さんはおねだりするように、上目づかいで見つめてきた。

途端に僕は冷凍マンモスの如く、ガチガチに固まってしまう。

すると彼女は噴き出すように笑い声を上げた。

 

「冗談だってっ!」

 

「はあ……と、いいますと?」

 

「さっきのキスはブラフ(はったり)よ、ブ・ラ・フ! だってあれくらいしないと、収集つかなかったでしょ?」

 

「まあ、そうなんでげすが……」

 

「それにね、私にとってキスなんて大したことじゃないから」

 

「えっ、そうなんでげすか? じゃあ、何度もご経験を?」

 

「ええ、しまくりのヤリまくりよ。だからあんまり気にしないで」

 

壇さんはそう言ってにこやかな微笑を向けてきた。

ショックッ! 浩志、大ショックッ!

やっぱり人は見た目では分らないもんなんだなあ……。

こんなに清純そうな顔して、しまくりのヤリまくりだなんて……。

あんな事やこんな事もしちゃってるわけだ。

それはもう得も言われぬ快楽の極致であり、そして彼女は理性を吹き飛ばしてめくるめく悦楽の世界へと――。

 

「ちょっとっ!」

 

「はい?」

 

「いま、私で変な妄想してたでしょ?」

 

「失敬だな、そんな訳ないだろ」

 

はいっ、うそっ! モロにしてました。

彼女が声をかけてくれなかったら、もう少しで引くぐらいの淫語(いんご)が頭の中を駆け巡るところだった。

 

「そう? ならいいけど」

 

壇さんは渋々納得すると、ゆっくりとベンチから腰を上げた。

そして丁度良くホームに入ってきた電車に乗り込んでゆく。

 

「それじゃ明日からよろしくね(・・・・・)、浩志君」

 

「はあ……こっちこそ」

 

微笑みながら手を振ってくる壇さん――。

僕は呆けた表情を浮かべながら、その言動の意味も分からずにそう返した。

明日からよろしくねって、一体どういう意味だろう……。

 

 

 

憧れの人からのキスはたとえお情けだったとしても、やはり徹男のそれ(・・)とはやはり違うものだった……。

正直、いまも顔が火照り頭がボーっとしている。

もしかして……これが噂に聞く恋ってやつなのだろうか?

僕はそんなことをあれこれ考えながら、自宅のドアに手をかけた。

 

「ただいま――」

 

「この鬼畜野郎がっ!」

 

ドアを開けるとそこには鬼の形相を浮べた愚母が、ファイティングポーズを作りながら駆け寄ってくる姿が見えた。

 

ボカッ……プツン――そこで僕の記憶は途切れた。

 

 

 

気が付くと僕はリビングのソファーに寝かされていた。

目の前では、愚母が申し訳なさそうな表情を浮かべている。

僕は先程とは全く違う意味でボーとしている頭を強引に振った。

 

「おい、ババア……帰宅した息子に対して、いきなり渾身の右ストレートとは一体全体どう了見だ?」

 

「ホントごめんっ! また浩恵が……」

 

愚母は自身の顔の前で手のひらを合せる。

そしてその言葉と態度から、僕は瞬時にして全てを理解した。

まただ、またあの虚言癖の仕業だ……。

僕は溜め息を一つ漏らすと、愚母に視線を合せた。

 

「今度は愚妹になんて吹き込まれた?」

 

「アンタが学園のアイドルを無理やり犯したって……」

 

犯した? ……途端に急激な眩暈が襲ってきた。

 

「一体どうしたら、そんな与太話を信じることが出来るんだ?」

 

「ホント、すまん……でも、ちょっと待ってて!」

 

愚母はそう言うと一端、キッチンへと消えていった。

すると何やら言い争いをしている声が聞こえてくる。

そして暫くすると、嫌がる愚妹の首根っこをつかみながら戻ってきた。

 

「さあ、下手人はコイツよ。アンタの好きにしなさい」

 

「ババア、チューブわさびを……」

 

僕はポツリと呟く。すると愚妹の顔は見る見るうちに青ざめていった。

 

「いや、そ、それだけはやめて……」

 

愚妹は謝りながら、必死に足元に縋りついてくる。

当然の事ながら僕はそれを即座に払いのけた。

 

「お兄ちゃんの左瞼をよく見てごらん。どうだ、赤黒く腫れあがってるだろ? これはお前が何気なく吐いた嘘が原因で出来た、本来あるはずのない内出血だ」

 

「ご、ごめんなさい。お兄ちゃん許し――」

 

「人とは相手を許すことの出来る唯一の生物だ」

 

僕は愚妹の頭にそっと手のひらを乗せた。そして慈愛を込めて優しく撫でてやる。

 

「だが同時に人には、堪忍袋の緒ってものが存在するんだ。分るな? 我が妹よ」

 

愚妹はこれ以上の抵抗は無駄だと判断したのか、潔く鼻の穴を広げながらあられもない姿を晒してきた。

僕は慣れた手つきで、愚妹の鼻の穴にチューブわさびを差し込むんでゆく。

 

「じゃあ、いくぞ?」

 

「バッチ来いっ!」

 

僕は力一杯チューブわさびを握りしめた。

途端に愚妹の絶叫が佐藤家のリビングに木魂する。

人生最大の苦しみをとくと味わえ、そしてついでに死ねっ!

先程、ババアが放った矢吹ジョーにも匹敵するような渾身の右ストレート――。

 それが原因かどうかは定かではないが、僕の心に芽生えつつあった、壇美鈴への淡い恋心はこの頃には綺麗さっぱり何処かへと吹き飛んでしまっていた。

果たしてこれは良いことなのだろうか? それとも……。

様々な問題を抱えつつ、こうして健康優良没個性男子の怒涛の1日は愚妹の絶叫と共に騒がしく終了したのであった。



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第四章 「僕が不運なのは一体誰のせいだっ!」

雲一つない綺麗な青空――。

爽やかな日差しが、朝の教室に優しく降り注いでくる。

担任が訪れるまでのわずかな時間を、クラスメイトたちは雑談などを交わしながら楽しげに過ごしていた。

だがそんな和やかな空気をぶち壊す、男子生徒が一人。

なにを隠そう、それはこの僕だ。

 

「大切な人が苦境に立たされているっていう時に、その原因を作った張本人(・・・)が夏風邪をこじらせて欠席とは、一体全体どういう了見だろうな。 ええ? 徹男よおっ!」

 

「ご、ごめんひゃはい」

 

「そのうえ、そのピンチを救ってくれた恩人(・・)に対して、感謝をするならまだしも、こともあろうか出会いがしらのドロップキックとは、如何(いかが)なものじゃないのか。ええ? 徹男よおっ!」

 

「ほ、ほんひょうに、ご、ごめんひゃはい」

 

昨日の大事件――。

僕と壇さんの熱烈なキス。

徹男はその事実をどこからか聞きつけたらしい。

そして嫉妬に狂った野郎は、登校中の壇さんを見つけるやいなや、背後から彼女の後頭部に、強烈なドロップキックをさく裂させたそうだ。

 

現在、僕は自身の席に腰を下ろしながら、ここ2日間で腹の奥深くに溜りに溜まった怒りの数々を、黒柳徹男にぶちまけていた。

徹男はそれを先日と同じように、僕の太腿にちょこんと腰を下ろしながら聞いている。

だが一昨日とは大きく異なる点が一つあった。

それはヤツの鼻の穴には、僕のツーフィンガーが第一関節までめり込んでいる、ということだった。

 

「皆がお前のあられもない姿を見ているぞ。どうだ、恥ずかしいだろ?」

 

僕は教室の外からこちらの様子を(うかが)っている、 ”徹男親衛隊” たちにニヒルな笑みを向けた。

 

「は、はひゅかしいれす」

 

「一体どこの恥かしい穴に、指を突っ込まれてるんだ? ほら、言ってみろよ」

 

僕はそう言うと、必殺のツーフィンガーをぐいっと持ち上げる。

すると徹男の可愛らしい鼻の穴が(あら)わになった。

 

「ひゃ、ひゃめれー」

 

「このド変態っ、もういい加減にしなさいよっ!」

 

いささか暴走機関車ぎみの僕を壇さんが諌めてきた。

朝一番でドロップキックをかまされたにも関わらず、なんともお優しいことで……。

僕は彼女の手前、渋々といった表情を浮かべながら、諸悪の根源である徹男を開放した。

 

その後、暫くして担任の海老名みどりが出席簿を胸の前で抱えながら現れた。

そしていつものようにホームルームが始まる。

相変わらず徹男は当たり前のように、僕に抱きついたままだった。

野郎のこの奇行にも、クラスメイトたちはさして驚く様子はなくなっている。

そしてなにを隠そう、僕自身もその一人だった。

人間の慣れというものはかくも恐ろしいものである。

そんな中、僕は隣の席に座る美少女に小声で声をかけた。

 

「壇さん、なんでその席に座ってんの?」

 

「みどり先生に聞いてみたら ”別にいいよ” っていうから」

 

「答えになってないんだけど……」

 

「別にいいじゃん。そんなことより、その顔どうしたの?」

 

壇さんは僕の顔を覗き込こんできた。

途端にババアの右ストレートが、フラッシュバックしてくる。

いつか必ず背後から金属バットでぶん殴ってやる……。

 

「まあ、ちょっとね」

 

「あっ、もしかして私のファンクラブのヤツらが?」

 

「いやいや、それは違うよ」

 

「本当?」

 

「ああ、()のところはだねどね(・・・・・・・・・)

 

昨日のキスの一件以来、僕は当学園の全男子生徒から、殺気のこもった鋭い眼差しを浴びせられていた。

因みにいまの僕の肩書は学園のアイドル・壇美鈴の彼氏、という立ち位置になっている。

言うまでもないがこれはただのフリ(・・)だ。

まあ、予想はしていたのでさして驚くこともない。

これではれて、僕は学園の殆どを敵に回したことになる。

いま思えば数日前の普通このうえなかった日々が、懐かしく思えてならない。

僕は未だ抱きついたままの諸悪の根源を静かに見下ろす。

するとそこには天使のような寝顔を浮かべる男の娘の姿があった。

 

「ヒーちゃん、むにゃむにゃ……愛してるよー」

 

「僕の制服に……ヨダレを垂らしてんじゃねえっ!」

 

 

 

4時限目の授業は数学の小テストだった。

ハッキリ言うと大の苦手科目である。

というよりも得意科目など最初(はな)っから存在しない。

自分の口から言うのもなんだが、僕はかなり頭が悪い。 

誤解されては困るのだが、これは単純に勉強が苦手だという意味だ。

学校で習ってきた勉強が、社会に出て役に立つとは到底思えない。

学生時代にもっと学ぶべきことはたくさんあるはずだ。

 

因みにこれは勉強が出来ないヤツが必ず一度は言う、現実逃避の台詞である。

まあ、僕の場合は違うのだが……だいたい――。

僕がそんな自己弁護を繰り返しているさなか、隣では苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる徹男の姿があった。

ヤツはパイプ椅子に腰を下ろし、先程から非難の眼差しを僕に向けている。

 

不機嫌な顔の理由は簡単だ。人間椅子に座れないからである。

先程、僕は徹男にとある提案を持ちかけた。

それは ”人間椅子、1日3時間までルール” というものである。

正直なところ一日中、人間椅子になっているというのは、 ヤツが幾ら小柄とはいえ肉体的に厳しいものがある。

そしてなにより無いに等しい僕のプライドが許さない。

当然ながら徹男はこの提案を断固拒否してきた。

だが僕が放った必殺の一言が、野郎の首を縦に振らせることとなる。

僕の一大事にそばにいなかったヤツが、そんなわがままを言う資格があると思うか?

とまあ、このような経緯を経ていまに到るというわけだ。

 

 

 

「ヒーちゃん」

 

黙れ、いまはテスト中だっ!

 

「ねえ、ヒーちゃん」

 

だからいまはテスト中だって言ってんだろっ!

 

「ねえ、ヒーちゃんってばあ」

 

ものすげえ、しつけえ……。

 

「ねえ、ヒーちゃんってばっ!」

 

「ヒーちゃん、ヒーちゃん、耳元でうるせえよっ! いまはテスト中だって――」

 

「うるせえのはお前だっ、佐藤っ!」

 

 

 

なんでこうなるんだ……。

悪いのはどう考えても、テスト中にしつこく話しかけてきた徹男のほうだろうが。

現在、僕は河合(数学教師)の一喝により恥ずかしながら、廊下に立たされていた。

これで両手に水の入ったバケツを持たされていたら、完全に一昔前の漫画である。

こっちはちゃんと授業料を払ってるんだぞ、これは明らかに不当な扱いだ。

河合の野郎……絶対にマスコミに訴えてやるっ!

 

結局、僕は授業が終了するまで廊下に立たされていた。

テストは全て解答済みだったので、その点に関してはさほど問題はない。

それにしても野郎(てつお)はなんでテストの真っ只中に限って、あんなにしつこく話しかけてきたんだ?

まあ、ヤツのことだからどうせくだらない用件だろう。

 

さてと、待ちに待った昼食のタイムだ。

つまらない学園生活の中で、唯一の楽しみといっても過言ではない。

僕・徹男・壇さんの3人は、机を繋ぎ合わせ昼食の準備を始める。

その様子はさながら仲良し3人組といった感じであった。

当然のことながらクラスメイトたちの鋭い視線が、僕の体中に突き刺さっていたのは言うまでもない。

とはいってもそんなことはもう慣れた。いまとなっては逆に心地いいくらいだ。

 

それにしても立ちっ放しだったせいか、いい感じに腹が減ったなあ……。

今日の弁当はかなり期待できると僕はふんでいた。

なぜなら昨夜の驚くべき勘違いにより、可愛い息子の顔に青痣を作ってしまったことを、愚母はかなり反省していた。

ゆえに今日は相当に気を使っているはずだからだ。

では――僕はそう呟きながら弁当箱を開けた……。

途端に自分の目を疑った。何故ならそこには一枚のメモ書きあるだけだったからだ。

 

 

昨日は本当にごめんなさい。とても反省しています。

                              母より

 

面と向かって言えないからって……。

ふん、ったく相変わらずシャイなんだから……。

僕は久しぶりに、清々しい微笑みを浮かべた。

 

「どうしたの? ニヤニヤして」

 

壇さんは小首を傾げながら、僕の顔を覗き込んできた。

 

「人っていうのはね、怒りが臨界点を超えると微笑みを浮かべるものなんだよ」

 

「へえ……それにしても個性的なお弁当ね」

 

「今日、恐らく僕は母を殺すと思うよ」

 

「ヒーちゃん、これあげる」

 

徹男はそう言って僕の空の弁当箱に、自分のおかずたちをどんどん詰めていく。

それはどれも美味しそうで、そしてとても高級感に溢れていた。

 

「いいのか?」

 

「うん。いいの、いいの」

 

「じゃあ、遠慮なく。いただきます」

 

うん? これはなんだろう……。

僕は見た目からは、全くなにか想像もできない物体を口に運んだ。

な、なにこれ、すんげえ美味いっ!

 

「徹男、これなに?」

 

「フォアグラのソテー」

 

「えっ、フォアグラっ! ち、ちょっと、私にも一つちょうだい」

 

壇さんは僕の弁当箱から、フォアグラのソテーを一つ摘んだ。

そしてぱくっと頬張ると、至福の表情を浮かべた。

 

「味はどう?」

 

「美味しい……私、初めて食べた」

 

「徹男、お前いつもこんな高級なもの食べてんの?」

 

「うん、そうだよ」

 

「家でも?」

 

「うん」

 

「こんなカロリーも値段もお高いもんばっかり食べてたら、そのうち痛風になるぞ。ったく金持ちのやることは……良いか? 徹男、僕は別に(ひが)んでるわけじゃないんだぞ。でもなあ、毎日毎日こんな贅沢を――」

 

「ヒーちゃん、今日お家に遊びに来る?」

 

「行く」

 

僕は間髪入れずに答えた。考えるまでもない。

こんなナイスなお誘いを断るのは馬鹿のすることだ。

 

「徹ちゃん、私もいい?」

 

「うん。美鈴ちゃんなら大歓迎だよ」

 

「食べ物で釣られたな」

 

「ふん、そっちこそ」

 

こうして僕らは食べ物の誘惑に釣られ、放課後は黒柳家の家庭訪問とあいなった。

そうと決まればこうしてはいられない。

僕は昼食の手を一端休めると、ジャケットからスマホを取り出した。

そして愚母と表示された液晶画面をタップする。

程なくしてヤツが電話に出た。

 

「ババア、今日の夕飯はいらねえ。それと弁当の件だが帰ったら、きっちり落とし前をつけさせてもらうから覚悟しとけ。それと当然自覚しているとは思うが、貴様は人としても母親としても失格だ。風邪ひけ、そして死ねっ!」

 

僕は一気にまくし立てると、愚母の言葉を待たずに通話を終了した。

その後、当然のことながらババアからの着信は120件を超えた。

面倒なので全て着信拒否に設定していたのは言うまでもない。

 

「お母さんになんてこというのよっ!」

 

壇さんが非難の眼差しを向けてきた。

キミは愚母を知らないから、そんなことが言えるのだ。

これでも僕はヤツに優しくしているほうなんだよ。

普通ならとっくの昔に、バット殺人が起こっているはずだ。

僕は心の中で反論すると、止まっていた昼食を再開した。

すると不意に頭の隅にあった疑問が蘇ってきた。

 

「あっ、そういえばテスト中なんか用でもあったのか?」

 

「うん」

 

「どんな用件だ?」

 

「ヒーちゃんの回答、一つずつズレてたから教えてあげようと思ったの」

 

「……ズレてた?」

 

「うん」

 

「回答が?」

 

「うん」

 

「……ってことは僕は0点か?」

 

「うん」

 

「徹男……そういう大切なことは今度からちゃんと伝えてね」

 

「うん、分ったっ!」

 

本日の教訓――。

人の話はちゃんと聞きましょう。それでは、おあとがよろしいようで。



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第五章 「僕がスケベで何が悪いっ!」

ロールスロイス・ファントム――。

新車価格は5000万円を超える、セレブ御用達の超高級車である。

僕のような庶民には手が出せないどころか、一生乗車することもないだろう。

だが現在その高級車に、僕はニヒルな笑みを浮かべながら乗車していた。

隣には(かしこ)まった様子の壇さんと、天真爛漫にはしゃぐ徹男の姿がある。

ふん、全くもって子供だな……それにしてもコイツはどんだけ金持ちなんだ?

この分だと家のほうも相当なもんだろう。

ということはお食事の方も……。

僕は窓から見える景色を眺めながら、再度ニヒルに微笑んだ。

 

 

 

30分程の楽しいドライブを経て、僕らは黒柳邸に到着した。

予想通り……いいや、予想した以上に徹男の家は凄まじい豪邸だった。

綺麗に刈り込まれた芝生が広大な敷地内を覆い尽くし、その中央には大理石の噴水が美しい水しぶきをあげている。

そしてその先にはまるで宮殿ような超豪邸が、強烈なオーラを放ちながら佇んでいた。

 

「……お前の親父はアラブ人でターバンを巻いてたりするのか?」

 

「うん?」

 

徹男は可愛らしく小首をかしげてみせた。

どうやら僕の高等なギャグが伝わらなかったようだ。

 

「……入り口の門からここまで200メートルはあったわよ」

 

壇さんは車から降りると宮殿の如き超豪邸を、溜め息を漏らしながら見上げた。

すると重厚な扉がゆっくりと開き始める。

そして中からはモーニングコートに、身を包んだ白髪の紳士が微笑みながら現れた。

えっ! ヒデじい?

 

「お帰りなさいませ、お坊ちゃま」

 

「うん、ただいま」

 

徹男はリアルヒデじいに、慣れた手つきで鞄を渡した。

テレビなのでよく見る光景だが、実際に目の当たりにしたのは初めてだ。

 

「はじめまして。こちらで執事長を務めております、荒木と申します」

 

荒木執事長は僕と壇さんに深々と頭を下げた。

その優雅な身のこなしは、流石は執事長と言った感じである。

 

「どうも、佐藤です」

 

「は、はじめしまて、だ、壇美鈴です」

 

壇さんは生執事にいたく興奮したらしくカミカミだった。

そんな彼女に荒木執事長は優しい微笑みを向ける。

デキるなこの爺さん……。

僕は執事長のフェミニストぶりを見て素直に感服した。

 

「お坊ちゃま、徹子(・・)様がお部屋でお待ちです」

 

「うん、分った」

 

「徹子様って、お袋か?」

 

「うん。母様に紹介するから二人とも一緒に来て」

 

僕の問いかけに徹男は相変わらず微笑みながら答えた。

それにしても黒柳徹子って……。

普通さあ、黒柳って苗字だったらその名前は絶対にチョイスしないでしょ。

隣では恐らく僕と同じことを考えているであろう壇さんが、必死に噴き出すのを堪えていた。

なんとも不謹慎な美少女である……まあ、可愛いから許すけど。

 

広いホールを通り抜け、長い廊下をひたすら歩くと、 木製の重厚な扉が目に入ってきた。

どうやらこの部屋に徹男の母親こと、黒柳徹子がスタンバっているようだ。

僕は隣で緊張気味の壇さんに小声でこう呟いた。

 

「ここがホントの ”徹子の部屋” だな」

 

「プフッ」

 

「この中に本人がいたらどうする?」

 

「ちょ、ちょっともう止めてよっ!」

 

「ルールル ♪ ルルル ♪ ルールル ♪ これで僕らもいちやく有名人の仲間入りだ」

 

そのようなくだらないやり取りをしていると、荒木執事長が扉に軽くノックをした。

すると中から ”どうぞ” という女性の声が聞こえてくる。

それは涼やかでとても美しい声色だった。

荒木執事長がゆっくりとした動作で扉を開く。

すると部屋の中には、一人の女性が微笑みながら佇んでいた。

 

艶のある長い黒髪と、美しく輝く大きな瞳――。

真紅のドレスに身を包んだ目の前の女性は、妖艶な魅力を放っていた。

うちの愚母とはどえらい違いだ。僕は不覚にも暫しの間見とれてしまった。

 

「はじめまして、息子がいつもお世話になっております。母の徹子と申します」

 

徹子夫人は優雅に頭を下げた。

見た目もさることながら、立ち振る舞いもやはり洗練されている。

僕はそう思いつつ、壇さんと同様に会釈しながら軽い自己紹介で応えた。

 

やっと(・・・)会えたわ、貴方がこの子の思い人ね?」

 

「なぜだか知りませんが、どうやらそうみたいです」

 

徹子夫人の問いかけに、僕は首を傾げながら苦笑いを浮かべた。

自分が一目惚れされるようなイケメンじゃないことは、誰よりも僕自身が一番理解している。

ゆえに徹男がなぜにこの僕を選んだのか、皆目見当がつかなかったからだ。

 

「浩志さんは……あっ、名前で呼んでもいいかしら?」

 

「ええ、構いませんよ」

 

正直、自分ちょっとテレます。

 

「じゃあ、浩志さんは――」

 

「あっ、すみません。その前に一つ良いですか?」

 

「ええ、なにかしら」

 

先程(・・)から僕をお姫様抱っこしている、この女性は一体誰ですか?」

 

突然の出来事にツッコむのがいささか遅れたが、僕はこの部屋に足を踏み入れた瞬間からいきなり見ず知らずの女性に、お姫様のように抱きかかえられていた。

この奇妙な状況にも関わらず、驚くべきことに誰一人として、そのことについて触れる者はいなかった。

よって不本意ながら自分からツッコミを入れたしだいである。

 

55キロの男子高校生を、出会いがしらにいきなり抱きかかえる女性――。

僕は徹子夫人から彼女に視線を移した。

切れ長な目元にほっそりとした美しい顔立ち――。

スラリとした長身に加え短めなヘアースタイルは、宝塚歌劇団の男役トップスターを連想させる。

 

「あのう……そろそろ下ろしてもらっていいですか?」

 

 

「どうして? 突っ立ってるよりも楽でしょ」

 

 

「こんな僕でも羞恥心はあるんです」

 

 

姉様(・・)、ヒーちゃんを返してえ! 早く返してえっ!」

 

徹男が僕を抱えている女性の太腿に縋《すが》りついた。

 

徹華(てつか)さん、早く下ろしてあげなさいっ!」

 

「へーい。折角いい抱き心地だったのになあ……」

 

徹華と呼ばれた女性――。

恐らく徹男の姉であろう人は、不貞腐れながら僕を床に下ろした。

すると徹子夫人が慌ててこちらに駆け寄ってくる。

 

「怖かったでしょ、大丈夫だった? 浩志さん」

 

「ええ、大丈夫で――」

 

僕の言葉は徹子夫人の優しい抱擁(ほうよう)でかき消された。

顔面が彼女の柔らかい胸(推定85のEカップ)に埋もれる。

むにゅむにゅむにゅ……わざとでしょ? って言いたくなるほどに、徹子夫人は自身の胸をグイグイと押し付けてきた。

ああ、たとえここで死んだとしても悔いはない……いや、違う違うっ!

これはかなり由々しき事態である。

何故ならこのままでは僕の意に反して、下半身の野郎が反応してしまうからだ。

 

周りには学園のアイドル、壇美鈴。なぜだか僕に惚の字の男の娘、黒柳徹男。

そしてその姉、黒柳徹華。加えてダンディーな紳士、荒木執事長。

この面子のまえで下半身が元気になるのはご法度だ。

一刻も早く打開策を……そうだっ! 取りあえず、他のことを考えて気を紛らわそう。

 

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ――。

つまらないしがらみに振り回されている人間は愚かだ、ということを表した一休宗純の言葉である。

彼は僧侶でありながら仏教の菩薩戒で禁じられていた、飲酒・肉食や女犯を行っていた。

それにしても僧侶が女人とヤリまくりとは、とんだ生臭坊主もいたもんだ。

恐らく相当な数の女性たちの胸に、顔を埋めてきたことだろう。

本当いつの時代も男というものは、女の胸が大好きだということだ……。

ダ、ダメだ、一休宗純という破戒僧のくだりから入ったのにも関わらず、結局は女性の胸の話に戻ってしまった。

 

「母様オッパイくっつけすぎっ、早くヒーちゃんから離れてっ!」

 

ナイス、徹男っ! だが深層心理的にはバッドだっ!

 

「あら、私としたことが……ごめんなさいね、浩志さん」

 

「いいえ、慣れてますから」

 

慣れてるわけねえ! 

女性の胸に顔を埋めたことなど、うちのババアにベッドロックを決められたとき以来だ。

 

「ふうん、そんなこと言っといて本当はギンギンのカッチカチに、なってるんじゃないのっ! ねえ?」

 

「さあ、興味ないですから」

 

徹華さんの問いかけに壇さんは冷めた表情で答えた。

それにしてもギンギンのカッチカチとは……。

本日2度目ですが正直、自分ちょっとテレます。

そんな僕をよそに徹華さんは腕時計に目を向けた。

 

「あっ、ヤバッ! もうこんな時間じゃん。そろそろ大学に行かなきゃ」

 

彼女はそう言うと僕に顔をむけてきた。

そしてニヤリと微笑むと、足早にこっちに近付いてくる。

も、もしやまたお姫様抱っこか? 

僕は嫌な予感を胸に2~3歩後退した。

 

「逃げちゃ、いーやーだあー」

 

徹華さんはそう言って急速に接近してくると、僕に抱きつき耳元に吐息を吹きかけてきた。

あっ、そこはダメっ……自分、恥ずかしながら耳が弱いっす。

 

「あのう、年頃の男子高校生に、そういうことを気軽にするのは如何なものかと……」

 

百合系フェロモン満載の美女に抱きしめられながら、微かな抵抗を試みる。

だが僕の意見など全く耳に入っていないかのように、彼女はさらに耳もとでこう囁いた。

 

「今日は忙しいから無理だけど、今度会う時は私の体を自由にさせてア・ゲ・ル。言っとくけど私の胸は母様(あのひと)よりも大きくて柔らかいわよ。楽しみにしといてね」

 

卑猥な言葉を耳もとで伝えると、徹華さんは僕の体から素早く離れた。

 

「ですからそういう軽はずみな言動は――」

 

「それでは母様、行ってまいります。またね、ヒロちゃん」

 

この女、全く人の話聞いてねえ……。

 

僕はそんな彼女の背中を眺めながら、次の再開を心の底から楽しみにしている自分に気づいた。

そして同時に自分はかなりのエロガッパだった、とうことにも図らずも気付かされたのだった……。

いいや、正直に懺悔しよう。そんなことはとうの昔から気付いていたことだ。

ここはハッキリとしといたほうが、後々のためにもなるのであえて言うが、僕はドスケベだ。

しかもムッツリ系だった……なんか、すみません。

 

 

 

それにしても、あの姉にしてこの弟――。

どうやら血というのは争えないようだ。

まあ、我が佐藤家も人の家庭のことは、とやかく言える立場ではないのだが……。

そしてやはり1番の強烈なキャラであったのは黒柳徹子さんだ。

彼女は部屋をあとにしようとする僕に、手招きをしながら声をかけてきた。

何だろう? と思いながら、徹子夫人に近づくと彼女は小声でこう伝えてきたのだ。

 

「徹華なんてまだまだ子供ですよ。女は三十路から、浩志さんならお分かりになるわよね?」

 

「そ、そうですね」

 

「今度二人きりでお茶でもどう?」

 

「あっ、い、いいですね」

 

いいのか? ねえ? ほんとにいいのか? 浩志よ

 

「約束よ、浩志さん……」

 

徹子夫人はそう言って艶やかな唇を軽く上げる。

魅惑力半端じゃねえ……。

僕が心底そう思っていると、背中に鋭い視線を感じた。

振り返ると、そこには冷めた表情の徹男と能面の如き顔をした壇さんの姿があった。

二人にこの腑抜けた面を見られるとは……浩志、一生の不覚ですっ!

 

「ヒーちゃん、早くおいでっ!」

 

「あっ、それじゃお母さん、これで失礼します」

 

僕は徹男に手を引かれながら徹子さんの部屋をあとにした。

これが、いまからおよそ10分前に起こった出来事である。

現在、僕らは徹男の乙女ティックな部屋で紅茶を御馳走になっていた。

テーブルに目を向けると、イギリスなどのアフターヌーンティーでよく見かける、ケーキスタンドが置かれている。

その中には果物がたっぷりのタルトや、ミルフィーユなどのケーキ類が沢山入っていた。

 

「年上女性相手に鼻の下伸ばしちゃって……嫌らしい」

 

「誰が鼻の下を伸ばしてたって?」

 

「徹っちゃんも見てたよねえ? このドスケベ親父が嫌らしい顔してたの」

 

壇さんの問いかけに、徹男は頬を膨らませながら何度も頷いた。

 

「ドスケベは認めるが親父はやめろ」

 

「年上女たちに弄ばれちゃって……恰好わるっ!」

 

それにしても、今日は随分と絡んで来るなあ……。

うん? もしやこれはラブコメなどでよく見かける、乙女の可愛い嫉妬というやつなのだろうか。

僕はそう思いながら目の前の美少女に視線を合せる。

そこには唇を尖らせ、眉間に皺を寄せている壇さんの姿があった……。

間違いない、彼女はいま嫉妬の炎メラメラなのだ。

参ったなあ……学園のアイドルがこの僕に嫉妬とは――。

 

「もしかして私が嫉妬の炎メラメラなんて、考えてるんじゃないでしょうね?」

 

思考を読まれたっ! もしや彼女はエスパーか?

 

「一体どれだけ寅さん級の勘違いを繰り返せば気が済むわけ?なんなら以前の勘違いのことも含めて、学園中に事の真相を触れ回ってもいいのよ、私はっ!」

 

ふん、そう出てくるか。それならこっちにも考えがある。

 

壇美鈴よ、あとで吠え面をかくなよっ!

僕はそう心の中で呟くと、静かに土下座の体勢へと移った。

そしてすかさず壇さんのローファーへと、ゆっくりと唇を近づけてゆく。

 

「ち、ちょっと何やってんのよっ!」

 

土下舐(どげな)めだ」

 

「はあっ? なによそれ?」

 

「土下座+靴舐めという古来からある高等な謝罪の一つだ」

 

「……分った、前言撤回。だからそんな愚行は金輪際止めなさいっ!いいわねっ?」

 

「はーい」

 

ふん、他愛もない。誰が本気で靴なんぞ舐めるか。

いくらヤリまくりの小悪魔女子校生とはいえ、僕のへりくだり戦法には流石に引いたようだ。

まあ、正直言うと彼女の靴なら舐めてもいいかな、と一瞬心が動いたのは事実だ。

だがそれは良識ある学園のアイドルの優しさで、図らずも回避された。

相変わらず、ほんとお優しいことで……。

それにしても男の子は母親似が多いと聞いたことがあるが、コイツはあまり母親似じゃないなあ。

僕は美鈴と同様に楽しげに、ケーキを口に運ぶ徹男を静かに見つめた。ということは父親似か?

そうなるとコイツの親父は、かなりのイケメンということになるな……。

 

なにを隠そう僕はイケメンが大嫌いだ。(一人の幼馴染を省いては)

理由は単純明快、苦労しなくても女性にモテるからだ。

要するに男のみっともない(ひが)み根性である。

因みに僕はよく愚母に似てると言われる。

ハッキリ言ってこれ以上ないほどの屈辱的な発言だ。

だが認めたくはないが、確かに愚母と僕はかなり似ていた。

そのことについては神様がもし存在するのなら、是非一言モノ申したい。

僕がそんなことをボンヤリと考えてると、徹男が声をかけてきた。

 

「ひーちゃん、これ見てえ」

 

「おおっ、懐かしい」

 

徹男が僕に見せてきたのは昔流行った、アニメのキャラクターがプリントされたコインだった。

僕も小さい頃にかなりハマって集めていた記憶がある。

そう言えば確かこれはかなりのレア物だったはずだ。

 

「なにか思い出さない?」

 

「そう言えば僕も小さい頃に集めてたけど……それがどうしたんだ?」

 

「ううん、なんでもない」

 

徹男はそう言って少し悲しげな表情を浮かべた。

ヤツにしてはとても珍しい仕草であった為か僕は正直ドキッとした。

とはいえ相手は驚くべきキャラの男の娘だ。

普通このうえない平民が気に病むこともないだろう。

 

 

 

その後は予定通り黒柳邸で夕食を頂いた。

予想通り高級フレンチが僕の胃袋を優しく満たしてくれる。

隣では壇さんが至福の表情を浮かべていた。

一方、僕の向かいではドヤ顔で淡々と食事を続けている、徹男の姿がある。

いつもと違うヤツの雰囲気に加え、明らかにおかしな点がもう一つあった。

 

それは徹男の胸が異常に膨らんでいるということである。

恐らく服の中に風船的なものでも忍ばせているのだろう。

面倒なのでツッコミを入れなかったのは言うまでもない。

因みに夕食の時間になってもは徹華さんが帰宅することはなかった。

べつに期待していたわけではないのでたいして落胆はしなかった……。

いいや、ここは正直に言おう ”カムバック、徹華っ!”

食事の最中、なんどこう叫んでいたか分らない。

 

 

 

帰りは先ほどのファントムが、僕らを自宅まで送り届けてくれた。

至れり尽くせりとはまさにこのことをいうのだろう、僕は心の底からそう思った。

さて現実に戻るか、僕は自宅のしょぼいドアに手をかける。

ガチャ、ガチャガチャ……カギがかけられている。

溜め息を漏らしながらポケットからカギを取り出す。

カギは開いた。だがドアはほんの少しだけしか開かない。 

理由はいたって簡単である。チェーンがかかっているのだ。

僕は再度溜め息を漏らしながら隙間から家の中を覗きこむ。

 

「おーい、チェーンを外してくれっ!」

 

だが待てどくらせど中からの返事はない。

ふと足元に目を向けると、一枚のメモ書きがあることに気付く。 

拾い上げるとそこには達筆な文字でこう(つづ)られていた。

 

昼間かけてきた電話……あのいきなりの暴言に母は大変傷つきました。

よって今晩は外で反省してください。因みにこれは全て貴方の為です。

母は心を鬼してこの選択を選びました。

貴方も肉体的に辛いでしょうが、母も心が引き裂かれるように苦しいということを――。

 

我慢できずに、途中でメモ書きを握りつぶした。

虐待だ、これは明らかに虐待だ。あのババア……。

明日こそは絶対に児童相談所に駆け込んでやる。

僕はそう思いながら、24間営業のコンビニへと歩みを進めた。



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第六章 「僕は神様じゃねえっ!」

徹男との学園生活も早いもので2週間が経過していた。

この頃になるとお互いの思考パターンも、なんとなくだが理解出来るようになってくる。

いまでは壇さんと同様に、僕の数少ない友人の一人となっていた。

とは言うものの相変わらず他の生徒たちからは、厳しいご批判を頂く毎日が続いている。

だが変わり者というのは何処にでもいるものだ。

なんとこの僕にファンクラブなるものが作られたのである。

それは江戸時代に隠れキリシタンが密かに信仰するかのごとく、ひっそりと活動を行っていた。

 

何故なら浩志ファンクラブの会員=即いじめ、という図式が出来上がっているため、大っぴらに活動は出来ないのである。

よって会員数などの情報は一切こちらにおりてこない。

挙句の果てには僕の顔写真で、踏絵を行い異教徒探しを行う始末だ。

この愚行には流石に心の広い僕でも、いささか苛つきを隠せないでいた。

ハッキリ言ってこれなら、ファンクラブなど無いほうがマシである。

人の気持ちが分らないヤツは風邪ひけ、そして死ねっ!

僕は心の中でそう叫ぶと、電車に揺られながら静かに溜め息を漏らした。

 

 

 

教室に到着すると僕の席には小さな人だかりが出来ていた。

何事かと思いながら近づいて行くと、見慣れたクソッタレの姿が目に飛び込んでくる。

この野郎、どの面下げて……。

 

「おお、ヒロっ! 元気だったか?」

 

「どけ、アホ幹」

 

僕は前田幹大に鋭い視線を向けた。

艶やかな栗色の髪とネコ科のような可愛らしい瞳――。

中性的なその見た目は、即アイドルとしても通用しそうであった。

因みに野郎とは幼稚園時代からの腐れ縁であり、誠に不本意だが世間的にいうところの ”親友” というやつである。

 

「なんだよ、人がやっとの思いで退院してきたってのによお……っていうかお前なんで一度も見舞いに来ねえんだよ」

 

「お前は人として最低だ。そんな野郎を見舞うなんていう愚行を、この僕がすると思うか?」

 

因みに幹大は徹男と入れ違いに、2週間ほど入院生活を送っていた。

右腕と肋骨の骨折。全治3週間の大怪我だった。

大怪我の原因――。

野郎は可愛い彼女さんがいるにも関わらず、浮気を何度も繰り返した。

怒り狂った彼女さんはホームセンターで金属バット購入すると、一目散に幹大の自宅へと歩みを進めたらしい。

その後はご想像通り殴打による殴打が繰り返され、程なくして浮気野郎は救急車で搬送された。

 

「相変わらず手厳しいなあ。まだ怒ってんのかよ」

 

「当たり前だ。この人間のクズが」

 

入院中の野郎はこともあろうか彼女さんのフォローを、僕に丸投げしてきた。

その内容は被害届は出さない代わりに今後は二度と自分に近付くな、という男として最低なものだった。

そしてその最低な申し入れを直接告げに行ったのは、なにを隠そうこの僕である。

当然のことながら、僕の左頬にはクッキリと手形の痣が残った。

 

「悪かったって……この通り」

 

幹大は仰々しく頭を下げてきた。

このクズ野郎のせいで、なんど煮え湯を飲まされてきたことか……。

そう簡単に許せるはずがねえっ!

 

「放課後の飲み食い1週間――これでどうだ?」

 

「ふざけるな、そんなことで僕の心の傷は癒えない」

 

「じゃあ、二週間っ! これでどうだ?」

 

「よし、いいだろう」

 

幹大はゆっくりと顔を上げると、微笑みながら握手を求めてきた。

断っとくが、これはなにも食べ物に釣られたわけではない。

人とは許すことの出来る生物だ、ということを身を持って証明したかっただけだ。

僕はやつの手を力強くにぎると、清々しい微笑みを浮かべた。

 

「よくぞ戻ってきたな、親友よ」

 

「ありがとう、我が心の友よ……それよりさっきから気になってることが、一つあんだけど」

 

「気になってること? 一体なんだ」

 

「お前の背中にしがみ付いている、その可愛らしい物体は一体なんだ?」

 

「ああ、これか? こいつはお前がアホ面で入院している間に転校してきた、ミスター・テツオ・クロヤナギだ」

 

「ミスター?」

 

「徹男、ご挨拶しなさい」

 

「ヒーちゃん専属奴隷の黒柳徹男だよー。よろしくねークズ幹っ!」

 

徹男は僕の背中におぶさりながら幹大に微笑みを向けた。

それにしてもクズ幹とは、言い得て妙である。今度から僕も使わせてもらうことにしよう。

 

「あ、あのさあ……徹男って、もしかして?」

 

「ああ、その通りだ。よって現在お前が抱いているであろうエロい下心は無駄、ということだ。分ったか? クズ幹」

 

「……俺はべつにエロい下心なんて抱いてねえよ」

 

「ウソを吐け、これでも10年以上一緒にいるんだ。顔をみれば大体のことは分る。それに――」

 

「朝からなに揉めてるのよ」

 

聞きなれた綺麗な美声――。

振り返ると僕の心のオアシスである、壇さんが微笑みながら佇んでいた。

いつもながら彼女は朝一でも完璧な美少女っぷりである。

そんな中、幹太の瞳がきらりと光るのを僕は見逃さなかった。

 

「久しぶり、美鈴ちゃん。相変わらず可愛いね」

 

「ありがとう、それと()()めごくろうさま」

 

「流石に今回は命の危険を感じたよ」

 

「なら浮気癖を直したら?」

 

「美鈴ちゃんが付き合ってくれたら直るかもね」

 

「ごめん、それ無理。だって私はこの人のものだもん」

 

壇さんはそういって僕の腕に絡みついてきた。

すると周りの男子生徒たちの表情が一気に険しくなる。

因みに徹男は僕が女性から、過度なスキンシップをされることを極端に嫌う。

だがなぜか壇さんだけは特別にそれを容認されていた。

 

「……ウ、ウソだろ?」

 

「ホントよ。もうキスも済ませたし、ねえ?」

 

「はあ……」

 

また、ややこしいことを……。

壇さんの問いかけに僕は曖昧に頷いた。

 

「なによっ、その気のない返事はっ!」

 

「……す、すんません」

 

「はーい、みんな席についてー」

 

丁度のその時だった、教室の入り口から担任の海老名が姿を現した。

ナイスタイミングっ、三十路っ! 心の中でガッツポーズ。

すると幹大は僕の席から腰を上げると、ニヤけた顔を向けてきた。

 

「後でゆっくりと聞かせろよ」

 

野郎はそう言って僕の肩を小突くと、まんざらでもない表情で自分の席へと戻って行った。

この分だと昼休みは野郎からの事情聴取になりそうだな。

ったく面倒くさいこと山の如しだ……。

それもこれもすべてはこの美少女のせいだ。

 

「これ以上事態をややこしくしてどうするんだ?」

 

「別にややこしくした覚えはないわよ」

 

僕の問いかけに壇さんは悪戯っぽく小首を傾げた。

相変わらず小悪魔っぷりが全開である。

だがここは今後のこともあるので、引き下がるわけにはいかない。

というわけで、僕は偉大なるYESマンに頼ることにした。

 

「徹男、ややこしくなったよな?」

 

「うん、超ややこしくなった」

 

徹男は人間椅子に腰を下ろしながら僕の胸に顔を埋める。

そしていささか汗ばんだ(かぐわ)しい体臭を至福の表情で肺に満たした……。

男の娘とはいえ、自分いささか照れます。

 

「ほらみろ、徹男はこう言ってるぞ?」

 

「徹っちゃんは貴方のYESマンなんだから、そりゃ首を縦に振るでしょうよ」

 

「僕はコイツほど公平なヤツを見たことがない。そうだろ、徹男?」

 

「うん、ヒーちゃんの言う通りっ!」

 

徹男は微笑みながら僕の頬を両手でスリスリしてくる。

因みにヤツの掌はスベスベでとても気持ちがいい。

例えて言うなら最上級の絹のようだ……。

男の娘とはいえ、自分こころもち照れます。

 

「なによっ! そんなに私と付き合ってるって思われるのが迷惑なわけ?」

 

「そうは言ってないだろ。だけど現実には――」

 

「ヒーちゃん、喧嘩はメッ!」

 

徹男はそう言って僕の耳たぶを弄ぶ。

そしてロリ系男の娘にはあるまじき妖艶な表情を浮べながら、優しく吐息を吹きかけてきた。

 

「ああ……耳は感じちゃうからヤメテね、っていつも言ってんだろうがっ!」

 

僕のあられもない怒号が教室中に響き渡った。

その後、ホームルームが終わると同時に僕は担任の海老名みどりに腕を引かれながら、生徒指導室に連行されたのは言うまでもない。

因みに生徒指導室でのやり取りはこうだ。

 

「言いたくなければ答えなくていいんだけど……」

 

「なんですか?」

 

「黒柳君のことなんだけどね……貴方たちって、そのなんていうか――」

 

「肉体関係の有無ですか?」

 

「……こ、これまた随分とハッキリ言うわね」

 

海老名はハンカチで汗を拭った。確かにこの貧乳の担任が疑うのも無理はない。

僕と徹男の日々の様子を見ていれば普通の神経の人間なら、当然浮かんでくる疑問である。

だがこのようなプライベートなことを詮索されるのは、どうにも納得がいかない。

ゲスの勘繰り、昔からこのような人の覗き見感覚が大嫌いだった。

だから僕はいつものように得意技で応戦するのだ。

 

「勿論、ヤッてますよ」

 

「ええっ!!!」

 

「ほぼ毎日のようにね」

 

「ほ、ほぼ毎日のようにっ!!!」

 

「ええ、因みに徹男がタチ(・・)です」

 

「マ、マジでっ!!!」

 

この担任は一体何をそんなに興奮してるんだ?

ははーん……海老名(えびせん)のヤツ、もしかして隠れ薔薇好きだな。

よしっ、そういうことならもう少しサービスしてやろう。

 

「あんな可愛らしい顔してアイツ結構責めてくるんですよ。グイグイってね」

 

「えっ! グイグイって?」

 

「そう、高速で」

 

「えっ! 高速で? あっ、ヤバっ鼻血が……」

 

余程興奮したのか海老名は両の鼻から大量の血液を放出させた。

こころ優しい僕は彼女にポケットティッシュを手渡す。

程なくしてつっぺ(・・・)女が完成した。

 

「先生! お願いです、内緒にして……」

 

海老名の両手を握りながら、涙目で懇願す僕――。

すると薔薇好き女教師、真剣な眼差しを向けてきた。

 

「安心して、佐藤君。私、絶対に誰にも言わない」

 

「あ、ありがとう、先生……」

 

貧乳三十路の胸に顔を埋めながら、僕は涙ながらに呟いた。

っていうか、普通騙されるか? と心の中でそうほくそ笑みながら。

 

 

 

「そりゃ災難だったな」

 

「ああ、最悪だ」

 

場所は昼休みの屋上――。

僕は手すりに体を預けながらここ2週間、自身に降りかかった厄災の数々を隣のバカに説明していた。

野郎はそれを神妙な面持ちで聞いていたが、内心は”ざまあみさらせ”とでも思っているに違いない。

でもまあ、今まで愚痴を溢す相手すらいなかったので、その点だけは喜ばしいことだ。

僕がそんなことをあれこれ考えていると ”す、すみません” という蚊の鳴くような声が鼓膜に届いてきた。

 

僕と幹大が同時に振り返るとそこには、黒縁メガネにもっさいお下げ髪の”ザ・地味女”が一人佇んでいた。

制服から察するにどうやら中等部の生徒のようだ。

よく見ると彼女の手にはレター封筒が握られている。

恐らくそれはラブレターであり、そして意中のお相手はモテモテのアホ幹大であろう。

 

「あ、あのうこれ読んでくださいっ!」

 

「あっ、ちょっとっ!」

 

地味女は幹大にラブレターを手渡すと返事も待たずに、全力疾走でその場から去って行った。

その走りっぷりは陸上選手も顔負けであり、地味な見た目とは裏腹にとてもアグレッシブなものであった。

あのてのタイプが急に豹変して、ストーカー殺人とか起こすんだろうなあ……。

僕は身震いしながら親友に哀れな眼差しを向けた。

ヤツも恐らく同じようなことを考えていたようで、珍しく顔を引きつらせている。

暫く無言が続くと幹大は意を決したようにラブレターを読み始めた。

そしてすぐにニヤケ顔を浮かべると、僕にその手紙を手渡してきた。

 

拝啓 時下ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

この度は突然のお手紙、誠に申し訳ありません。

ですが如何してもお伝えしたい事がありましたので、失礼ながら筆をとらせて頂きました。

単調直入に申しますと、私は浩志様の大ファンなのです。

神と言っても過言ではありません。

現段階ではその事実を隠し陰ながら応援させて頂いておりますが、いつかは公に宣言したいと思っております。

もう一度言います、私は浩志様を心の底から――

 

途中で読む気が失せた。この文面、明らかにイターい妄想女子だ。

これはまずいぞ……数か月後、ストーカー行為のすえ、包丁を握りしめたザ・地味女が僕を追いかけ回す姿が脳裏に過った。

 

「悪い事は続くもんだな……心の底から同情するよ」

 

心ない親友の言葉……僕はゆっくりと空を見上げた。

綺麗な晴天だなあ。ああ、鳥になって自由に飛び回りたい……。

佐藤浩志、16歳……この時、心の底からそう思いました。

 

 

 

放課後は久しぶりに親友と街中をぶらつきながら、時間を忘れてくだらない会話で盛り上がった。

自宅に戻った頃にはちょうど夕飯時になっていた。

何故か今日の食卓は”質素こそ命”の佐藤家にしてはとても豪華であった。

そして一番気になったのは中央に置かれた山盛りの赤飯である。

 

「ババア、この赤飯はなんだ?」

 

「お祝いよ」

 

「妹に遅い生理でもきたか? それとも貴様のが上がった祝いか?」

 

言うまでもないが、この後の記憶は翌朝になるまで一切なかった

学習能力のない僕はまたまた懲りもせずに、余計な暴言を吐いた。

そして当然のことながら愚母はいつものように、強烈な左フックを放つ――。

それは狙いすましたようにテンプルに命中して、程なくして僕は気を失った。

因みに昨晩の豪華な夕食は ”祝・浩志ファンクラブ設立” のお祝いだったそうだ。

愚妹の話によると、ババアはまるで自分のことのように喜んでいたという。

いつもながら、やつは単純単細胞だ。

ったく祝いなんて誰も頼んでねえっつうの……。

僕は軽く微笑むと、愚母お手製の不味い手料理をつつきにリビングへと向かった。

 

 



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第七章 「僕は後光なんぞ背負ってねえっ!」

時刻は10時15分――。

混雑する朝のラッシュもピークを過ぎ、現在の電車内は閑散としていた。

当然ながら辺りを見回しても空席が目立つ。席はお好きに選び放題、というやつである。

どうして僕がこのような優雅な時間帯に登校しているのか? 

理由は恐ろしく単純である。要するにただの寝坊だ。

昨夜はとある理由から、思いのほか夜更かしをしてしまった。

 

僕の尊厳の為に一応断っておくが、官能小説を片手に一人寂しくエロい事をしていた、という訳ではない。

おっと、うっかり僕のマニアックな一面を(さら)してしまった。

いまの発言はどうか忘れて欲しい。というか忘れてください。

話が脱線したので元に戻そう。

昨夜は海外で行われているボクシング中継を観戦していた為に、致し方がなく夜更かしをしてしまったのである。

 

言わずもがな僕の隣では愚母も鼻の穴を膨らませながら、一緒にテレビにかじりついていた。

ヤツの影響もあってか僕はボクシング観戦が大好きだ。

何故か闘争心が疼き、気分が高まるのだ。どうやら血というのは争えないらしい。

昨夜の試合は最終ラウンドまでもつれた。

ポイントはチャンピョンが僅かにリード。

誰しもがこのまま判定になだれ込むものだと思っていた。

だが残り30秒というところで、挑戦者の放った強烈な右フックがチャンピョンの左顎をとらえる。

結果、カウント10で挑戦者の逆転KO勝ち――。

 

劇的な試合内容に深夜にも関わらず僕等は大いに盛り上がった。

その結果、テンションの上がった愚母は目覚まし時計をかけ忘れ寝坊。

そして当然のことながら毎朝、ヤツに叩き起こされている僕も、アホ面を浮べながら寝坊した。

 

これ程の完璧な遅刻になると、焦るという気持ちすら湧いてこない。

格闘家が言うところの ”勝ちたいという気持ちすら邪念” といった心境だろう。

このようにどうしようもない遅刻野郎の僕だが、今はそんな事など些末に思えてくるような、のっぴきならない状態に陥っていた。

 

今から語るのはおおよそ、10分ほど前の出来事である。

僕は電車に乗車すると、寝不足を補うため惰眠を貪ることにした。

冷房の効いた閑散とした車内で静かに瞼を閉じる。

すると程なくして隣に誰かが腰を下ろす気配を感じた。

先も述べたように車内はガラガラだ。

 

それにも関わらず何故にピッタリと寄り添うように隣に座る必要が?

よほど人の温もりに飢えてるのか? それとも極度の寒がりか?

僕は瞼を開くと隣に顔を向けてみた。

するとそこには先日、僕にイタ過ぎる手紙を寄こしてきた地味女が、ハニカミながら腰を下ろしていた。

 

これはある意味オカルトである。

緊張しているのか? はたまた極度の口下手なのか?

彼女は僕の隣に腰を下ろしてから一言も口を開こうとはしない。

自分から隣に座ってきたにも関わらず、終始無言――。

 

この嫌がらせとも取れる行動に、僕は若干の恐怖を覚えると共に大いに憤慨した。

こちらも彼女に負けずと10分程無言で応戦したが、そろそろ気まずさが臨界点に差し掛かってきている。

という訳で僕は静かに席を移動した。

すると地味女は素早く僕の後を追いかけてくる。

何度、席移動しようと彼女は金魚の糞かの如く僕に付きまとう。

それはまさしくストーカーそのものであった。

その常軌を逸したイタい行動に対し、フェミニストを気取る僕も流石に苛つきを覚えた。

 

「……これは何の嫌がらせかな?」

 

余りのしつこさに僕は逃げ回る事を諦めた。

そして額に薄っすらと浮かんだ汗を掌で拭うと、彼女に冷めた眼差しを向ける。

 

「お、おはようございます」

 

「いやいや……朝の挨拶はいいから、僕が聞いてるのはね――」

 

「あ、あのう……手紙は読んで頂けましたでしょうか」

 

ダメだ、全く話が噛みあわねえ、しかも驚くほどに顔が近い。

それは相手が二重に見える程の距離感だった。

すると彼女の髪の毛から匂い立つ朝シャンの残り香が、僕の鼻腔を擽ってきた。

爽やかなフローラル、それはとてもいい香りだったわけで……。

いかんいかん、なにをこの状況でウットリしてるんだ。相手は激イタの地味女だぞっ!

しっかせいっ、浩志っ!

 

「一応読んだけど……一つ聞いていいかな?」

 

「は、はい、何なりと」

 

「文面から慕ってくれてるのは分ったんだけど……どうして僕なの?」

 

「後光です」

 

「後光って……なに?」

 

「初めてお会いしたとき私はほどけさまの如き、後光を背負う浩志様を見ました。その時、とても感動したと同時に凄く優しい何かに包まれた感覚を覚えたのです。その瞬間から――」

 

「はい、ストップ。うん、キミの言いたいことは分った。もう、お腹いっぱいだから少しの間黙っててくれ」

 

怖え……これは相当キテるぞ。素人目で見てもかなりの重症だ。

現在、彼女に必要なのは僕のような普通の男子高校生ではなく、優秀な心のお医者さんだ。

しかしこのままに放置しておく訳にもいかない。

このての手合いは目を離すと何をするか分らないからだ。

とはいえ傍にいられるのも御勘弁なのです。

さてと、どうしたもんかな……僕は一休さんの如く瞼を閉じて熟考した。

 

ポク、ポク、ポク、ポク……木魚って本当にポク、ポクって聞こえるのかなあ?

テレビとかで見た時はそんな音がしてた気もするけど……。

っていうか木魚の事なんて今はどうでもいいだろうがっ!

よしっ、気を取り直して再度挑戦だっ!。

 

ポク、ポク、ポク、ポク、ポーク? そう、豚肉の事だね。

因みに僕は肉全般が大好きな肉食系男子だ。

なかでも豚肉の生姜焼きは白飯との相性も抜群なので、週2でも構わないと思っているくらいだ……てめえが生姜焼きが好きかどうかなんて聞いてねえんだ、ボケ! カス!

 

よしっ、、三度目の正直だっ! ポク、ポク、ポク、ポク……チーン。

やっとベストではないがベターな考えが浮かんだ。

要するに彼女は僕に対して恋愛感情を抱いているのではなく、単純に偶像視している訳だ。

だから ”この男は尊敬・崇拝の対象になりえない ”と思わせればよいのである。

といわけで僕は真剣な眼差しを彼女に向けた。

 

「ええと……眼鏡さん――」

 

「花村です」

 

「……花村さん、こないだの手紙だけどあの時どうして僕じゃなく、隣のアホ面に手渡したのかな?」

 

「ご、ごめんなさい。私、酷い近眼なので間違えて――」

 

「いいや、それは嘘だ」

 

「えっ?」

 

「キミは僕に手紙を渡すところを、第三者に見られたくなかったんだよ。何故ならそんなところを見られでもしたら、耐え難いイジメの日々が待っているからね」

 

「そ、そんな事ない――」

 

「勘違いしないで欲しいんだけど、僕は別にキミを責めてるんじゃないんだ。誰だってイジメられるのは嫌だからね……とはいえ自分は常に安全圏にいながら実は貴方の ”隠れファンなんです” と言われても僕としては正直なところ喜べないんだよ」

 

「……ご、ごめんなさい」

 

「それにこれは個人的な意見だから、気にしないで欲しいんだけど……申し訳ないけが僕は地味な女性が嫌いなんだ」

 

僕は鼻をほじりながら、これでもかという程のアホ面を花村女子に向けた。

どうだい? 高校生にもなって、真面目な話をこのような態度でする男子なんて嫌だろ?

しかも女性を容姿で判断する最低野郎だぞ? どうだ、これで幻滅しただろ。

僕は静かに花村女子を見据えた。

 

緑川駅、緑川駅、折口は右側に変りまーす――。

 

電車が停車すると花村女子は無言で席から腰を上げる。そして逃げるように下車していった。

致し方なかったとはいえ、女性を(けな)すのは流石に気分の良いものじゃない。

だがこれはお互いの為だ。

何故なら僕のファンになるという事は、現在ではリスクしか生まないからだ。

これからの楽しい学園生活を送っていくうえで、わざわざそんないばらの道を選ぶ必要はないのだ。

今は辛いだろうが彼女もいずれは僕の気持ちを、分ってくれる日が来ることだろう……。

 

ごめんなさい、正直に懺悔します。

彼女の事など小指の先程も考えていませんでした。

僕は単純にあの手のような方々に、つきまとわれたくなかっただけなのです。

神様、もう一度言います。本当にごめんなさい……。

よし、素直に懺悔したんだから神様も(ばち)を与えるような、卑劣な行為はなさらないだろう。

厄介事を片づけた幸福感からか気を緩みだした僕は、もう一度惰眠を貪ることにした。

 

 

 

「ヒーちゃん、何か良い事あったでしょ」

 

「どうしてそう思う?」

 

僕はいつものように徹男から献上されたおかずに箸を伸ばした。

今日も激ウマっ! この分だと痛風になるのも時間の問題だな。だが悔いはないっ!

 

「そんなのヒーちゃんの顔を見ればすぐに分るなりよ」

 

徹男は僕の顔を覗き込んできた。相変わらず可愛い……。

因みにヤツはこの愛らしい見た目や、その厄介な奇行に反して他人の事をよく観察している。

だから僕の微妙な変化にもすぐに気付くのであった。

 

「それって愛の力ってやつか?」

 

「そう、愛の力ってやつだよ」

 

僕と徹男はニヒルな笑みを浮かべると、軽くハイタッチを決めた。

相変わらず熟練漫才師のように、僕らの息はピッタリである。

 

「それで、良い事って何があったの?」

 

壇さんが小首を傾げながら尋ねてきた。

今日も彼女の美少女っぷりは、北半球を駆け巡っている。

 

「実は――」

 

僕は今朝の出来事を、渋くキメながら語り出した。

だが壇さんはすぐにアホらしくなったのか、途中からは殆ど聞いていない。

よって僕の武勇伝を聞いてくれていたのは、偉大なるYESマンであるテツオ・クロヤナギと大親友のアホ幹大だけであった。

 

「お前……それヤバいぞ」

 

僕の話を聞き終えた幹大は厳しい表情で呟いた。

 

「ヤバいってないがだ?」

 

「いいか、その地味子ちゃんにとってお前は神様みたいな存在だったんだぜ。そんなヤツから自己を全否定されるような事を言われたらどうなると思う?」

 

「えっ……どうなるの?」

 

「愛情と憎しみは表裏一体、よく言うだろ?」

 

「だからどうなるの?」

 

「うーん、親友の俺としては言いにくいなあ……」

 

「焦らすのはヤメてっ!」

 

「じゃあ、はっきり言うけどな、地味子ちゃんはお前に憎しみをぶつけてくるぞ。それは慕っていた思いが強ければ強いほど強力にな……ヒロ、駅のホームでは背中に気を付けろよ」

 

嘘でしょ? まさかそんなこと……。

いいや、幹大の言ってる事もあながち的外れじゃない。

っと言うよりこれ以上ない程に的を得ている。

コイツはどうしょうもない程の女好きだが、それ故に異性の気持ちを理解している。

少なくても僕よりかはずっと……。

要するに僕はかなり危険な状況に自分から陥ったということになる。

ま、まずいな、これは喩えて言うなら……いいや、喩えが全く浮かばないくらいに忌々しき状況だ。

 

「大丈夫っ、ヒーちゃんはボクちんが守るっ!」

 

「徹男、お前……もう絶対に僕を離さないでねっ!」

 

僕は涙ながらに徹男の華奢な手を両手でにぎった。

すると同時に壇さんが呆れ顔を向けてくる。

 

「二人ともバカな事やってないで早く食べなさい。もうすぐ昼休み終わっちゃうわよ」

 

「はーい」

「はーい」

 

まあ、悩んだってしょうがないし、花村女子だって命までは取らないだろう。

僕はそう思いつつ止まっていた昼食を再開した……。

いいや、厳密に言うと再開しようとしたのだが、それは叶わなかった。

何故なら徹男から献上された美味なおかずたちは、一人のデリカシーのない男子生徒によって、根こそぎ食べ散らかされた後だったからだ。

 

「超うめえ、これっ!」

 

「幹大よ、貴様はなんで徹男が僕に献上してくれた美味なおかずたちを、何の断りもなく平らげているんだ?」

 

僕の問いかけを無視すると、幹大は最後の楽しみに取っておいたであろう、牛フェレのステーキを頬張る。

そんな野郎の愚行を見て、僕は音も無く席から腰を上げた。

そして野郎の背後に回ると素早くフェイスロックを決める。

 

「吐けっ! 胃に収めた僕の昼食を早く吐き出せっ! そして風邪引いて、こじらせたあげく苦しみぬいて死ねっ!」

 

言うまでもないが幹大が僕の昼食をリバースする事はなかった。

だがその代り野郎は僕の強烈なフェイスロックにより速攻で失神した。

相変わらずのもやしっ子である。

 

それにしても腹が減った……因みに今日の僕の弁当箱の中身は空だった。

先も述べたように愚母は寝坊した為に、弁当を作る暇がなかったからだ。

でもそこは僕の母親だ、転んでも只では起きない。

ヤツは出掛けに僕にこう言って空の弁当箱を手渡してきたのだ。

 

「たとえ空でも弁当箱があるってだけで、気分は随分と違うはずよっ!」

 

常人には考えもつかない奇抜な発想……ヤツは相変わらず鬼才だ。

僕は静かに教室の窓に視線を移す。

そして拳をきつく握りしめると、屈託なく微笑む愚母の顔を思い浮かべた。

 

 



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第八章 「僕の平穏だった日々を返せっ!」

 ダイヤの原石――現在はたいした代物ではないが磨けば輝きを増し、素晴らしい宝石へと変貌を遂げる可能性がある、という喩えだ。これはそのまま人に置き換えることが出来る。

 例えば地味でモッサい眼鏡少女が、その眼鏡を外した途端に美少女へと変貌を遂げる、といったことは2次元の世界ではベタ中のベタだ。だが現実の世界ではそのようなことはまず起こりえない。

 

 眼鏡を外そうが、髪型を変えようが、メイクを変えようが、元の容姿は整形(オペ)でも行わない限り、大きくは変わらないのだ。唯一の例外でいえば写真がある。この魔法の道具を使えば光の加減や角度、あとはメイクなどによっては、容姿の宜しくない人でも美しくなる可能性も無きにしも非ずだ。

 

 結局のところ僕が言いたいのは見た目をあまり気にするな、ということである。ファッションにしてもメイクにしても流行ばかり追いかけていると、後でとんでもないしっぺ返しを食らうことになるのだ。その当時は最先端のメイクやファッションだとしても、数年後にはどうなっているか分らないのである。

 

 記憶だけならまだしも、画像や動画などに残っていた場合は、赤面は避けられないだろう。だから僕は流行を追うことはしない。髪型も幼稚園の頃から全くと言っていいほど変わってない。

 洋服にしても夏なら白いTシャツにリーバイスの501、冬であればセーターにダッフルコートだ。このようにファッションに全く興味のない僕に対し、愚母と愚妹は ”少しは見た目に気を配れ” と失礼千万なご意見を寄せてきた。

 

 その後は言うまでもなく喧々諤々(けんけんがくがく)と醜い言い争いが続いた。そして結局は二人に押し切られるかたちで、僕は今週末に洋服を買いに行くはめになってしまったのだ。全くもって面倒なこと山の如しである。

 

「――っという訳で週末は僕に付き合え」

 

「お前……話長えんだよっ! 最初のダイヤの原石のくだりとか、全然要らねえだろうがっ!」

 

 幹大が憤慨するのも分らないでもない。何故なら ”買い物に付き合ってくれ” この一言で済む話を、僕は10分程意味も無くダラダラと、そして長々と語っていたからだ。

 

 どうして、こんな何の意味も無いことをしたの?  不思議に思う方も多いだろ。まあ、理由は至極単純である。暇だったので野郎をからかっただけだ。

 素直でバカな幹大は最後まで真面目に聞いていたが、壇さんは早々に意味のない話だと見切ったようで、途中から聞く耳も持たずに無言で昼食を頬張っていた。

 

 一方、徹男はといえば人間椅子に腰を下ろしながら、スヤスヤと寝息を立てていた。因みにヤツは極度の低血圧らしく、3日に1回の割合で学校を休む。もしくは遅刻をする。

 しかもいつも眠たげなので、人間椅子に座ると僕の胸に顔を埋めて、すぐに寝息を立てるのだ。これがまた小動物のようで誠に可愛らしいこと山の如しなのである。

 

「ねえ、その買い物ツアー私も参加していい?」

 

「ああ、別に構わないよ」

 

 気のない返事で返したが、頭の中ではミニ浩志たちが真っ裸で歓喜の雄たけびをあげていた。幹大を誘うだけなら、なにも昼食の時間に話すことはないのだ。

 では何故にわざわざ4人が集まったこの状況で、このような話をしたのか? 察しの良い方ならもうお分かりの筈だろう。

 

 そうっ! これはひとえに、幹大を誘ってると見せかけて、じつは壇美鈴に餌を撒いていたのだ。そして僕の予想通り、彼女はそれに食いついた。壇さんが来るということは当然のことながら徹男も来る。ヨシッ! これで週末はかなり楽しくなりそうだ。

 

 それにしても自分で言うのもなんだが、僕は中々の策士っぷりだな。中国でいうところの諸葛孔明、日本ではさしずめ黒田官兵衛と、いったところだろう。うん? 黒田官兵衛といえば、悲運な武将として有名だな……げんが悪いので変えよう――

 

「ちょっと、妄想中のところ悪いんだけど……さっきからあの娘、浩志君のことガン見してるわよ」

 

 壇さんは教室の入り口を気にするように囁いた。

 入り口を背にしているため、僕の位置からは確認は出来ないが、どうやら誰かがこちらを見ているらしい。しかもガン見で……そう言えば壇さんはあの(・・)()と言った――ということは相手は女子ということだ。

 

 僕は俄然興味が湧き、素早く振り返った。するとそこには、中等部の制服に身を包んだ女子生徒がハニカミながら佇んでいた。活発な印象を与えるポニーテル。色白な肌に大きな瞳――制服のスカートが短めなのは、男子の視線誘導が目的だろう。

 

 かくゆう、僕もその作戦にまんまと引っかかった一人である。ともすれ、自称美少女評論家の僕から言わせれば、徹男・壇さんと張り合えるほどの魅力的な逸材であった。

 

「あの娘は誰?」

 

 僕は小声で壇さんに問いかけてみた。知らないわよ――当然の答えが返ってくる。そして数分が経過した頃、野郎は自信満々の笑顔で戻ってきた。どうやら速攻で彼女の心を落としたようだ。これまた羨ましいこと山の如しである。

 

「ダメ、全然ダメっ! なに話しかけても完璧なガン無視っ!」

 

「えっ? じゃあ、なんで自信満々のしたり顔で帰ってきたのよ?」

 

 壇さんは呆れ顔を幹大に向けた。当然、僕も彼女と同意見である。

 

「最後のプライドだよ」

 

「なにそれ、全然意味わかんないんだけど」

 

「ヒロ、お前なら分るよな?」

 

「無論だ。壇さん、キミも少しは男心、というものを理解しといたほうがいい」

 

 正直なところ、野郎の言っていることは全く理解は出来なかった。だが壇さんに僕のニヒルな一面を見せておきたかったので、不本意ではあったが致し方なくキメ顔で乗っといた。その後、幹大はナンパ師のプライドが傷ついたらしく、悲壮感を漂わせながら溜め息を連発していた。

 

 まあ、いい気味なので何のフォローも入れなかったのは言うまでもない。それはさておき、野郎の話ではポニーテール美少女は、やはり僕を見つめているらしい。その瞳は恋する乙女、そのものだったそうだ。

 この事実を聞いた僕は壇さんの手前クール男子を装ってはいたが、頭の中ではミニ浩志が、歓喜の雄たけびを上げながら真っ裸で走り回っていた。

 

「ヨシッ、そういうことなら今度は僕が行こう」

 

 渋めに呟くとタップリとした間を開けながら、僕はゆっくりと腰を上げた。その様子は自分で言うの何だが、まさに ”デキる男” 丸出しという感じである。因みに愛しの徹男は壇さんにお預けすることにした。

 

「少しまえにミルクを飲んで寝ついたばかりだから、静かにしてあげてね」

 

「バカなこと言ってないで早く行ってきなさい」

 

 壇さんの激励を胸に僕は教室の入り口へと歩みを進めた。

 

「キミ、何か用かな?」

 

 僕はそっと壁に手を当てると、優しくポニーテール美少女を見つめた。

 

 所謂(いわゆる) ”壁ドン” のドン無しバージョンというやつだ。そんなイタさ大爆発の僕に、ポニーテール美少女は羨望の眼差しを向けてくる。そして程なくして、照れくさそうに静かに口を開いた。

 

「地味な見た目は捨てました。もう隠れてコソコソ致しません。浩志様、だからどうか私を……私をお傍においてください」

 

ええと、地味な見た目? 隠れてこそこそ致しません? 浩志様?

 

 ポク、ポク、ポク、ポク……チーン。前言撤回――現実世界でも2次元のような、ベタ中のベタな奇跡が起こるようだ。もうお分かりだろう。なにを隠そう、この可愛らしいポニーテール美少女は、先日のイターい地味女だったのだ。それにしても……僕は再度、彼女を見つめた。

 

「眼鏡は?」

 

「コンタクトに変えました……おかしいですか?」

 

「いいや、悪くないよ」

 

 正直、ヤバいくらい可愛いっす。

 

「よかったあ」

 

「因みにその髪型は?」

 

「男性はポニーテルが好きな方が多いと聞いたものですから……浩志様はお嫌いでしたか?」

 

「いいや、どっちかといえば好きかな」

 

 はいっ、嘘っ! 自分、これ以上ない程のポニテ好きです。

 

「本当ですか?」

 

「うん……因みにそのスカートの丈は?」

 

「これくらいは普通だと、友人がいうものですから……やっぱり短すぎるでしょうか?」

 

「うーん、どうだろう。少し短すぎる気もしないでもないけど……でもキミの友人がいうんだから、大丈夫ないんじゃないのかな」

 

 いいや、もう2㎝短くてもいいくらいだ。っていうか短くしろっ!

 

「そうですよね」

 

「ええと、これが最終質問になるんだけども……因みにその胸はどうしたのかな?」

 

 僕は制服の上からでも目立つほどに、立派に発育した胸元に視線を移した。先日は余りの濃いーキャラに、その存在には気付かなかったが、彼女はかなりの巨乳女子だ。

 

「こ、これは……元からです」

 

 ポニテール巨乳美少女は顔を赤らめながら俯いた。自分、女性のこういうリアクション……正直、大好物です。

 

「これは決して、エロい気持ちで聞いている訳ではないんだけども……因みにサイズ的には――」

 

「いい加減にしなさい、このセクハラ親父がっ!」

 

 僕の首筋に壇さんの手刀が叩き落された。そして別の部位にも激痛が走る――ふと見下ろすと、徹男が頬を膨らませながら僕の脇腹をつねっていた。

 ま、まずいなあ、ポニテ女子とのやり取りを聞かれたってことは、僕がいままで必死に築き上げてきた清楚キャラの崩壊に繋がる。何とかせねば……。

 

「ヒーちゃん、この女だれ?」

 

 徹男は相変わらず、頬を膨らませながら尋ねてきた。その様子から察するに、かなり憤慨しているようだ。因みに未だ僕の脇腹はつねられたままである。恐らく内出血は免れないだろう。取りあえずこの場を収める為には、僕の得意技で切り抜けるしか道はない。

 

「彼女は……」

 

 浩志、この危機的状況を乗り切るナイスな言い訳をっ! そう、これ以上ないほどのナイスな言い訳をいますぐカモンっ!

 

「彼女は……カブトムシだ。あれは去年の夏のことだった。彼女は心ない小学生たちに捕まりそうになっていた。その時、偶然通りかかった僕は間一髪のところで彼女を助けた。今日はそのお礼に――」

 

「ヒーちゃんっ!」

「浩志君っ!」

 

 脇腹の激痛が急激に増した。そして同時に壇さんの鋭い視線が突き刺さってくる。するとポニテール巨乳美少女の正体に気付いた幹大が、咄嗟に二人の間に入ってきた。頼むぞ、親友っ!

 

「まあまあ、二人とも少し落ち着いて。彼女はヒロのファンだよ、只のファンっ!」

 

「そうなの?」

 

 壇さんと徹男が僕の顔を覗き込んできた。無言で頷くと脇腹の激痛はピタリと止まる。どうやらお許しを貰えたようだ。とは言うものの……浩志よ、カブトムシはねえだろ。

 正直、自分の機転の利かなさにがっかりした。僕がそんな自己嫌悪に苛まれていたところ、ポニテール巨乳美少女が静かに口を開き始めた。

 

「貴女は浩志様の何なんですか?」

 

 ポニテール巨乳美少女は壇さんを静かに見据えた。これは明らかに波乱の予感満載である。

 

「彼女よ。芸人用語でいうところのマジタレってやつね」

 

「へえ、そうですか。では早速のところ申し訳ないんですが、取りあえずいますぐ別れてください」

 

「無理。そんなに彼が欲しければ奪ってみれば?」

 

「はい、そうします」

 

睨みあう二人の美少女――怖すぎる……というか二人とも目がすわっている。すると隣にいた幹大が無言のまま、眉間にしわを寄せながら目配せをしてきた。

 

『おい、この状況を何とかしろっ!』

 

『僕に出来るわけないだろっ!』

 

『大体さっきのカブトムシってなんだよっ! 吐くならもっとマシな嘘を吐きやがれっ!』

 

『うるさいっ! カブトムシのことはもう二度と言うなっ!』

 

 全く意味のない不毛な争いが続く。そんな中、徹男がうつらうつらとしながら、僕に抱っこを強請(ねだだ)ってきた。どうやら、おねむがまだ足りないようだ。

 しょうがないなあ、僕は溜め息を漏らしながら徹男を抱きかかえた。最近の僕はザラメ煎餅のようにヤツに甘々なのだ。

 

 美少女たちの睨み合いを見つめなが、ボンヤリとそんなことを考えていると、スマホが着信を接げてきた。液晶画面に目を向けると、着信相手は愚母であった。ったくこんな時に……僕は溜め息交じりで画面をスライドさせると、顔をしかめながらスマホを耳に当てた。

 

「ドラえもんのどこでもドアって、あれ幾らだっけ?」

 

 受話口からは愚母の能天気な声が聞こえてきた。

 

「どこでもドアか? たしか64万円だったような……」

 

「千葉県南部の旧国名は?」

 

安房(あわ)だけど……」

 

「オランダを漢字一文字にすると?」

 

「うーん、たしか蘭だったような……」

 

「ウルトラマン、第39話に登場する星人は?」

 

「ええと、ゼットンだったかなあ……っていうかババア、貴様いまクロスワードパズルをやってるだろ」

 

「えっ?……や、やってないよ」

 

「バレバレだ。いいか? 僕はいま学校にいるんだ。学生にとって学校とは、社会人でいうところの職場のような場所だ。いちいちそんな下らない用件で電話してくんじゃねえっ!」

 

「母親に向かって何てこというのよっ! アンタなんてね、風邪引いて、そして痛風になった挙句、助かりかけたのに結局はダメで苦しみ抜いて死ねばいいのよっ! このハゲっ!」

 

 そこで通話は一方的に遮断された。あのババア……誰がハゲだっ! こっちは剛毛で困ってるっていうのにっ! 僕はスマホを見つめながら、心の中で叫んだ。そして溜め息を漏らしながら、顔を上げると二人の美少女は相変わらず、まだ睨みあったままだった。

 

♪ けんかをやめて 二人をとめて 私のために争わないで もうこれ以上 ♪

 

 途端に懐メロがおつむに流れ出す。そんな中、僕に抱きかかえられていた徹男が、涎を垂らしながら寝言を呟いた。

 

「ううん、ヒーちゃんそこじゃない、むにゃむにゃむにゃ、もうちょっと右……ああ、そこそこ」

 

 こいつは一体どんな夢を見てるんだか……睨みあう二人の美少女。それを何とかなだめようと必死の親友。可愛らしい寝顔の小動物。相変わらず無茶苦茶の愚母……。

 僕の日常は今日も普通とは程遠いものであった。カムバック、平穏な日々よ……僕は心の底からそう願いながら静かに溜め息を漏らした。

 

 

 

 



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第九章 「僕は現在、モテ期真っただ中だっ!」

 モテ期――人生の中で3回訪れるという、至福の期間。これは性格・生活環境・人間関係によって左右され、期間や度合いも人それぞれだが、人生の運気の中に必ずあるといわれているらしい。

 正直なところ、僕はこのての話は全く信用していない。運気でモテるのであれば誰も苦労はしないのである。 ”現象には必ず理由がある” 男前の物理学者がテレビドラマでいっていた名言だ。僕もこの意見には大いに賛同したい。

 

 棚からぼた餅――思いがけない好運を得ること、労せずしてよいものを得ることのたとえである。僕はこう考える。ぼた餅は棚の隅に置かれており、ほんの少しの力が加わっただけで落ちるように計算されていたのではないか?  となるとぼた餅を置いた人間の意図的な意思を感じる。

 

 要するにぼた餅は落ちるべくして、棚から落ちたということだ。モテ期にも同じようなことがいえる。やつらは運気云々で訪れるのではなく、ぼた餅と同様に訪れるべくして訪れているのだ。因みに誠に手前味噌ではあるが、ただいま僕はモテ期に突入中である。

 

 この数週間の間に僕は美少女にキスをされ、ファンクラブまで作られ、そして地味女からポニーテル巨乳美少女に華麗なる転身を遂げた、花村柚希から告白までされたのだ。これをモテ期といわずして、なにがモテ期といえよう。

 

 先も述べたように現象には必ず理由がある。このモテ期についての僕の考察はこうだ。チベットの高僧、ハック・ソピャウは説法でこう説いている。  ”人間には奇跡の出会いというものが存在する” 

 奇跡というだけあって、勿論それは誰しもが出会えるというわけではない。確率でいうと、ジャンボ宝くじの1等を当てるのと同じくらいだそうだ。

 

 因みにジャンボ宝くじの1等を当てる確率は、1000万分の1である。この1000万分の1という確率だが、東京ドームの収容人数を45000人だとすると、東京ドーム約222個にひしめき合う人の中から、1人が選ばれるのと同じ確率だ。ハック・ソピャウの言葉によると、奇跡の出会いを果たした人間は、必ず複数の異性から同時に好意をもたれるそうだ。複数の異性から同時に好意を持たれる……いわゆるモテ期到来ということだ。

 

 奇跡の出会い――僕にとってそれは徹男のことではないのだろうか? 何故ならやつと出会ってから、この普通中の普通であった僕の日常は劇的に変化したからである。そう、いい意味でも悪い意味でも……。

 

 三幻寺駅、三幻寺駅、降り口は右側に変わります――。

 

 電車に揺られながらそんなことをボンヤリと考えていると、いつの間にか目的の駅に到着していた。因みに今しがた述べた、ハック・ソピャウの説法云々は全て嘘だ。それ以前にハック・ソピャウなる人物など、この世に存在すらしていない。余りに暇だったので久しぶりに、脳内虚言癖がつい出てしまっただけである。あしからず。

 

 

 

 待ち合わせ場所に到着すると、既に全員が到着していた。

 

「ヒーちゃん、遅いー」

 

「すまん、何を着て行こうか迷っちゃってな」

 

「嘘つくんじゃねえ、お前いつもと全然変わんねえじゃんよ」

 

 確かに幹大のいう通りである。何故なら今日の……いいや、今日も僕の出で立ちは白いTシャツにリーバイスの501だ。自分的にはジェームス・ディーンを意識したつもりだったが、そのことに気付いてくれる人物は、恐らく永遠にそしてフォーエバーにいないだろう。

 

「ヒーちゃん、ジェームス・ディーンみたいっ!」

 

 前言即撤回――ここに一人、僕の意をくんでくれるやつがいた。

 

 それにしても、黒柳徹男、壇美鈴、花村柚希、この3人の私服を見るのはお初だ……うん? いいや、徹男は初めて電車で出会った時に私服だったな。今日もあの日と同じく、黒のワンピースに真っ赤なバレリーナシューズを履いている。誠にもって可愛らしいこと山の如しだ。

 一方、壇さんのほうは徹男とは対照的に、ノースリーブの純白のワンピースを着ていた。これまた涼やか&清楚で、誠にもって可愛らしいことマウンテンの如しである。

 

 そしてオーラスは花村さんだ……アカン、アカン、アカンでっ、それはっ! 思わずそうツッコみたくなるような、胸の谷間を強調したキャミソール。加えて露出度の高い、デニムのショートパンツ……全くもってけしからんっ! でもそういう分りやすくエロいのも結構好きかも。

 だが僕を最も萌えさせたのは、彼女が背負っているリュックサックだ。恐らく地味っ子だった頃に使っていたものだろう。非常にマニアックな僕は、恥ずかしながらこういうところにグッときてしまうのだ。そんな不毛な妄想しているとミスター女好きが口を開いた。

 

「それにしても、お三人さんとも実に素晴らしい」

 

 幹大は3人を眺めながらいうと、にやけ顔で更にこう続けた。

 

「まあ、個人的には柚香ちゃんが1番だけどね。ヒロ、お前もそう思うだろ?」

 

こ、これは難題だ。個人的な意見をいわせてもらうと、答えは当然YESだ。だがこの状況で首を縦に振るということは ”軍曹殿、自分はエロいのでありますっ! 先程から花村隊員の胸の谷間が気になってしょうがありません” といっているようなものだ。だがここで首を横に振るのもどうだろう? 

 何故ならショックを受けた花村さんは、もう二度とこのような露出度の高い服を身に纏わなくなるのではないだろうか? それは断じて困る。消費税が上がるよりも由々しき問題だ。さてどうしたものか……取りあえず僕は静かに瞼を閉じた。ポク、ポク、ポク、ポク…………チーン。よし、答えは出たぞ。

 

「ちょっと露出度が高いんじゃないかな?」

 

「や、やっぱりそうですか……」

 

 花村さんは顔を伏せながら落胆の表情を浮かべた。一方、徹男&壇さんの連合軍は、納得するように首を大きく縦に振っている。因みにこの二人は先の一件から花村さんと敵対関係にある。

 

「でもまあ、今日は炎天下の真夏日だし ”夏に露出度の高い洋服を着ないで一体いつ着るのよっ!” っていう至極真っ当な意見があるのも事実だ。だから要約するとね、僕的には花村さんの恰好は、特に問題ないんじゃないかな、って思うんだ」

 

 この悪徳政治家のような、のらりくらりとした意見に、徹男と壇さんの顔つきが一気に曇ったのはいうまでもない。要するに作戦失敗ということだ。因みにどうして今日この場所に花村さんがいるのか? 不思議に思ったかたも多いだろう。簡単にいうとアホ幹大が彼女を誘ったのである。

 昨日起こった壇さんとのいざこざがまだ解決した訳でもないのに……野郎は相変わらずのデリカシーの欠片も無い、卑猥極まりないドスケベ男だ。よしっ、あとで鼻をブン殴ってやるっ! むっつりスケベの僕は心の中で固く誓った。

 

「それよりドスケベ君……あっ、ごめん間違えた、浩志君――」

 

「壇さん、そんな間違いかたはこの世に存在しない。それにいっとくが僕はドスケベじゃない」

 

 ”むっつりスケベだ” と訂正するのは愚の骨頂――僕は静かに言葉を飲み込んだ。そしてしたり顔で更にこう続けた。

 

「男がスケベじゃないと子供は出来ない。今の少子化問題は、日本の男がスケベじゃなくなってきている証拠だ。よってこのアホ幹大はともかく、僕はドスケベじゃない。分ったかい、壇さん?」

 

「少子化問題と日本の男がエロい、エロくない云々は全く別問題よ。一番の最初に打開しないといけないのは政府が――」

 

「よーし、徹男、抱っこしてあげるからこっちおいで」

 

 壇さんが至極真っ当な意見を語り出したので、僕は慌てて徹男にヘルプを求めた。途端に小動物のように飛びついてくる徹男――一方、壇さんと花村さんはそんな光景を、冷めた眼差しで見つめている。僕はそんなことなどお構いなしとばかりに、徹男を抱きかかえると更にこう続けた。

 

「徹男、壇さんは相変わらず小難しいことをいうねえ?」

 

「うんっ、小難しいっ!」

 

「正直、少子化問題のこととか知らないもんねえ?」

 

「うんっ、知らなーいっ!」

 

美少女(・・・)で頭脳明晰だからって、ちょっと嫌味だよねえ?」

 

「うんっ、嫌味っ!」

 

 偉大なるYESマンの徹男は、恐らくなにも考えずに僕の意見を肯定してくれる。このぬるま湯につかる感覚――これが誠に癖になるのだ。一方、理不尽丸出しの文句をぶつけられた壇さんは、いつになく険しい表情を浮かべていた。

 

 こ、これはマズイなあ……どうやら本気で怒らせてしまったようだ。よし、兎にも角にも取りあえずは土下座だ。もしそれでもダメなら土下寝、そして最終的には靴舐めで許しを請おう。僕は心の中でそう呟くと、静かに土下座の体勢に入った。

 

「ちょ、ちょっと何してんのよっ!」

 

「えっ? 怒ってるようだから、取りあえず土下座で謝罪を……」

 

 壇さんは呆れ顔で溜め息を漏らした。

 

「別に怒ってないわよ」

 

「ホントでげすか?」

 

「美少女って言葉が入ってたからね、気分は悪くしてないわ。それに男が簡単に土下座なんてしちゃだめよ。前にも言ったでしょ?」

 

 壇さんは悪戯っぽい表情で小首を傾げてみせた。

 

 ど、どうなの? この小悪魔っぷり。正直いって上半期で一番萌えた。お前もそう思うだろ? そう思いつつ幹大に顔を向けると、野郎は花村さんの胸の谷間を至近距離でガン見していた。

 こ、この野郎……僕は音も無く幹大に忍び寄ると、恐ろしく素早い手刀を野郎の首筋に叩き落した。当然のことながら幹大は即座に気絶した。

 

「ふん、思い知ったか、このクサレ外道がっ!」

 

「浩志様、あ、ありがとうございます」

 

花村さん胸の前で手を組むと、神々しいものでも見るような眼差しを向けてきた。そんな彼女に僕はこれでもか、というほどの爽やかな微笑みを向ける。

 

「礼には及ばない、女性を助けるのは僕の趣味みたいなものだから」

 

 見つめ合う二人――因みに僕は花村さんの瞳を見つめているようで、実際は彼女の胸の谷間を見ているという高等技術を繰り出していた。因みにこの技を習得するのに実に3年の月日が掛かった。そんなむっつりエロス全開の行動をしていると、僕に抱きかかえられていた徹男が大声で叫びだした。

 

「ヒーちゃん、オシッコ漏れそうっー」

 

「えっ! なんでもっと早くいわないんだよ」

 

 トイレを探し慌てふためく僕と壇さん、相変わらず僕に夢中の花村さん、口から泡を吹きながら気絶中の幹大――こうして僕の洋服買い物ツアーは、ドタバタ劇のように慌ただしく始まったのであった。



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第十章 「僕は決してダサくはねえっ!」

 オシャレって一体何? 柄にもなく、そのようなことに思考を巡らせてみる。ファッションとは、自己を表現する為の手段の一つだ。当然のことながら、それは個人の趣味嗜好によって大きく様変わりする。

 ボディービルダー。例えば彼らなどは、もう既に筋肉という名の衣服を纏っているといっても過言ではない。したがって彼らにとって最大のオシャレとは、ビキニパンツ一丁なのである。

 もう少し分りやすく説明しよう。良い例が高校球児の帽子だ。頭頂部につけられた、あの不自然な()は、彼等以外にやっている人間はまずいないだろう。だが球児たちにとって、あれはれっきとしたオシャレなのである。

 結局のところ何が言いたいのかというと、オシャレというものは場所や年代、状況や環境等によって様々に変化するという事だ。要するに絶対的なオシャレというものは存在しないし、その逆も然りということだ。しかし、物事には常に例外というものが存在する……。

 

 場所はちょんまげ通りの、某セレクトショップ。店内では個性的なファッションに身を包んだ客たちが、これまた個性的な商品たちを物色している。そんな中、没個性男子こと僕は狭い試着室で、鏡に映る自身の姿を冷静かつ客観的な眼差しで見つめていた。

 

 胡散臭さと卑猥な印象を相手に与える、ショッキングピンクのTシャツ。因みに乳首が浮き上がる程のピチピチ。加えてキンタマがポロリしそうな程に、丈の短いデニムのショートパンツ+膝下までの純白ハイソックス。極めつけは、おでこに巻いた真っ赤なペイズリー柄のバンダナ。

 

 ダ、ダサっ……というかこの格好で街中歩いたら、捕まるんじゃねえ? 因みにこのきっつい全身コーディネートを提案したのは、ファッションリーダーとしても名を馳せている、自他ともに認める女好き、カンタ・マエダである。

 

 正直言って、鏡に映る自分がオシャレだとは到底思えない。と言うよりギリギリのキワキワだ、とさえ思えるくらいに今の僕はかなり厳しい。

 だが選んだのは洋服にはうるさい、オシャレボーイの幹大だ……これは単純に僕の価値観が間違っているのだろうか? それとも、さっき気絶させられたことを根にもって、わざとダサい洋服を? 僕は狭い試着室の中で、被害妄想と疑心暗鬼に襲われた。

 

 そんな中、先程から試着室に籠りきりの僕を案じたのか、徹男が外からノックと共に声をかけてきた。

 どうする? どうするんだっ、浩志っ! この格好で出てっていいのか? 本当に大丈夫なのか? 暫しの自問自答――程なくしたころ、僕は意を決して試着室のドアに手をかけた。

 

「おおっ! いいじゃん」

 

 幹大は指パッチンと共に、満面の笑みを向けたきた。すると徹男や女性人たちからも、同様のリアクションが起こる。僕の予想とは裏腹に、この服装は思いのほか好評を博した。

 

どうやら、僕の価値観がずれていただけのようだ……親友、疑ったりして悪かった。よしっ、ヤツにはあとで大好物のたまごボーロを買ってあげよう。

 僕は心の中でそう呟くと、試着室には戻らずそのままレジへと会計に向かった。今日一日は、このナイスで最先端なファッションで過ごすのだ。

 

 

 

「今日は日差しが強いので、サングラスなどはいかがですか?」

 

 会計の途中、綺麗な女性店員はティアドロップ型のサングラスを勧めてきた。確かに彼女の言う通り、UVは危険だ。僕はそう思いつつ、サングラスを手に取った。

 

「とってもお似合いですよ」

 

 女性店員は、胸の前で手を組むと可愛らしい笑顔を向けてきた。うーん、悪くない……よしっ、これも購入だ。一応断っておくが、女性店員が可愛らしかったから購入したのではない。僕が危惧したのはあくまでUVだ。そこだけは肝に銘じていて欲しい。

 

 結局、セレクトショップではトータル1万5000円の買い物をした。正直なところ結構イタい出費ではあったが、これでオシャレさんの仲間入りを果たせたんだ、安いものだろう。

 

 

 

 当初の目的であった、買い物も無事終了。僕ら一行は喉の渇きと空腹を満たすために、壇さんが行きつけのカフェへと歩みを進めていた。

 そんな中、僕には一つ気がかりなことがあった。恐らく只の勘違いであるとは思うのだが……すれ違う人たちが僕の姿を見た途端、何故だかプっと噴き出すのだ。それだけならまだしも、スマホで写真を撮る輩まで出現する始末だ。流石に不安になった僕は恐々ながら、幹大に尋ねることにした。

 

「おい、本当に僕はイケてるんだろうな?」

 

「当たり前だろっ! ほら、周りを見ろよ。みんなお前に羨望の眼差しを向けてんじゃねーかよ」

 

「羨望の眼差し言うより……笑われてる気がするんだけど」

 

「大丈夫、大丈夫っ! 気のせいだよ、気のせいっ!」

 

 幹大はケラケラと笑いながら一蹴した。だが不安はまだ消えない。取りあえずは、愛しの徹男に聞いてみよう。ヤツなら僕をかつぐ(・・・)ようなまねはしないはずだ。

 

「徹男、僕のファッションどう?」

 

「超最高っ!」

 

 徹男は親指を立てると、可愛らしくウィンクをしてきた。どうやら徹男には本当に好評らしい……だが、どうだろう? ヤツは僕がやることなすこと全てを、アガペーの如き無償の愛で根こそぎ肯定してしまう。

 ゆえに徹男の意見は、当てにならないということだ。とすれば花村さんはどうだろう? いいや、彼女とて徹男と同様だ……そうなってくると、頼れる羅針盤役は只一人ということになる。僕は意を決し、壇さんに顔を向けた。すると彼女は10数メートル程先を、眉間に皺を寄せながら睨んでいた。

 

 壇さんの視線先――そこには、明らかにガラの悪い連中たちに絡まれている、一人の少女の姿があった。なるほど、正義感の強い彼女のことだ、恐らく助けに行こうとでも思っているに違いない。

 だがそうはいかない。今はそんな些末な問題に付き合っている暇はないのである。

 現在、最も重要な案件は僕の恰好が本当に大丈夫(・・・)なのか(・・・)どうかということだ。この重要な問題に比べれば、少女が不良に絡まれ悲痛な思いをしようが、卑猥なことをされようが取るに足らない問題である……なーんてね。

 

「壇さん、義勇心に燃えているところ悪いんだけど、僕の格好って――」

 

「助けてあげて……」

 

 ポツリと呟く壇さん――まあ、当然そうなるわなあ。とは言え、すんなりいう事をきくのも芸がないしなあ……。

 

「見て分かるように相手は3人だよ? ひ弱な僕には無理――」

 

「お願い。助けてくれたら、何でも言うこと聞くから……」

 

 ハイっ、きたっ! ”何でも言うこと聞くから……” 頂きましたよっ! 何でも言う事をきくという事は、あんなことも、こんなことも、そして、そして……あっ、ヤバッ。急激な血圧上昇で頭の血管が切れそうだ。

 落ち着け、落ち着くのよ、浩志っ! よし、取りあえずは軽く深呼吸だ。ふう、はあ、ふう、はあ、ふう、はあ……程なくして、僕は無事に平静を取り戻した。

 

 それにしてもこんな甘美で魅惑的な台詞が聞けるのであれば、クサレ外道の一人や二人、三人、四人の相手くらい喜んで引き受けよう。僕はそう思いつつ額のバンダナをキュッと引き締め直すと、ヒーローよろしくとばかりに、ニヒルな笑みを湛えながら颯爽と悪役のもとへと向かっていった。

 

「ヒーちゃん、頑張ってー」

 

 徹男の声援には振り返らず、僕は背中で語るように片手を振って応えた。完全にヒーロー丸出しである。僕からは見えてはいないが、恐らく女性陣たちは頬を、薄桃色に染めポーッとなっていることだろう。

 

 

「おい、キミたち止めたまえ。幼気(いたいけ)な少女が嫌がっているじゃないか」

 

「なんだ、てめえっ! ……っていうかダサっ、こいつ」

 

 えっ、いま何と? 聞き間違いじゃなければ確かに ”ダサっ” て言ったぞ。いいや、落ち着け、落ち着くんだ、浩志っ! 相手の恰好をよく見るんだ。時代錯誤のヤンキーファッションじゃないか。こんな野郎に ”ダサっ” と、言われたところで何を狼狽することがある? そうだろ? 確かにそうだ。僕は気を取り直し、クサレ外道に向き直った。

 

「もう一度言う、彼女が嫌がってるんだから止めたまえ」

 

「はあ? どっか消えろ、このダサ坊がっ!」

 

 クサレ外道の怒号が通りに木魂すると、ヤツらに絡まれていた少女は震えるように怯えた表情を浮かべた。 ま、まずい。このままでは恐怖の余り、この少女は泣き出してしまう。よし、ここは一つ例の必殺スマイルを繰り出すしかない。

 僕はこれでもか、というほどの慈愛のこもった微笑みを、少女に向けた。恐らくそれが効いたのだろう、少女は途端にプっ、と噴き出し笑みを浮かべた。

 

 よしっ、幼気な少女のメンタルケアはこれで完璧だ。次は本丸のクサレ外道たちの相手だけだ。僕はそう思いつつ、静かに奴らを見据えた。

 ええと、この中で一番強そうなのは……コイツだな。一番ガタイがいい野郎に当たりをつけると、僕はそいつに鋭い視線を向けた。

 

「貴様らみたいなクサレ外道は、大豆の角に頭をぶつけて、豆乳になっちまえっ! このチンカス野郎どもがっ!」

 

 僕の秀逸な挑発が辺りに響き渡ると、案の定クサレ外道の一人が顔を紅潮させながら拳を繰り出してきた。

 素人丸出しの大ぶりな右フック――脇を絞めろ、状態を起こすな、そんなパンチじゃ蚊も殺せないぞ。

 それに運が悪いことにお前の相手は蚊じゃなくてこの僕だ。悪いけどこちとら下の毛も生えてない頃から、トレーニングと称した虐待を毎日のように受け続けてるんだ……元全日本女子の最強チャンプからなっ!

 大ぶりフックを軽いフットワークでかわし、0.2秒で相手の懐に潜り込む――と同時にショートアッパーを野郎の顎下に繰り出してゆく。当たれば脳が揺れて確実に失神コース。だが当然のことながら、寸でのところで止めた。

 

 「おい、次は本気で当てるぞ。それが嫌ならさっさと消えろ……っていうか頼むっ!そうしてくれないと、僕は壇さんのオッパイを――」

 

 言い終える前にヤツらは一目散に逃げて行った。危なかった……折角ニヒルに決めたのに、もう少しで本音を吐露するところだった。僕は義勇心から少女を助けたヒーローというスタンスを保たなければならないのだ。間違っても壇壇さんのオッパイを揉んでみたかったという、不埒な思いから少女を助けたなどとは、絶対に悟られてはいけないのである。

 

「ヒーちゃんお疲れ」

 

 徹男が微笑みながら、労いの言葉をかけてきた。その隣では花村さんが羨望の眼差しを向けてくる。その表情は完全に僕に参っている、といった感じであった。

 ふっ、我ながら罪作りな男だな、僕は……苦笑いを浮かべながら僕は当たり前のようにナルシスト丸出しの自己陶酔を始める。そして今しがたまで、クサレ外道に絡まれていた少女に目を向けた――と同時に愕然とした。

 

 何故ならその少女は幹大の手を握りしめ、涙を浮かべながらお礼の言葉を繰り返していたからだ。助けたのはこの僕だ。幹大は100%何もしていない。

 それにも関わらずこの状況は一体どういうことだ? 本来であれば少女は涙ながらに僕に抱き着いてきて、胸に顔を埋めながら震える声でお礼の言葉を述べるのが然るべきのはずだろ? それが何故に、このような忌々(いまいま)しい事態に陥ったのだ?

 

 理由は単純明快、幹大がイケメンだからである。それ以上でもそれ以下でもない。これには海より広い心を持つ、僕でも堪忍袋の緒が切れた。しかし僕が女性には優しく、をモットーにしているのは、皆も知っていよう。というわけで、ここは一つ慈愛を込めて少女を(・・)めることにした。

 

「おい、女っ! 助けたのは僕だろ? それにも関わらず恩人を差し置いて、そこのイケメン馬鹿に礼をするってのは、一体どういう了見だ? 100字以内で簡潔に述べろ」

 

「別に頼んでないし……っていうか超ダサいんですけど」

 

 少女はそう言って、僕に冷やかな眼差しを向けてきた。小柄な体躯、色白なツインテール。黒目がちな大きな瞳は、どこかで見覚えがあった。ともすれ、文句なしのロリロリ美少女だ。

 いや、いや、今はそんなことはどうでもいい。それより、まただ。またダサいって言われたぞ……これは一体どういうことなんだ? 僕が心の中で自問自答してると、少女の救出を依頼してきた張本人が口を開いた。

 

鈴羽(すずは)、ちゃんと浩志君にお礼を言いなさいっ!」

 

 珍しく壇さんが声を荒げた。隣では徹男が、そうだっ! そうだっ! と言って騒ぎ散らしている。相変わらず可愛げのあるやつだ……っていうかいま鈴羽っていったけど、このと少女と壇さんは知り合いなのであろうか? その疑問はすぐに解決することになった。

 

「浩志? ってことはコイツがお姉ちゃんの彼氏?」

 

 壇さんはコクリと頷いた。

 

 お姉ちゃん?……ああ、なるほど妹か。どうりで目元が似ているわけだ。それにしても僕としたことが、とんだミスを犯してしまった。壇さんの妹ちゃんにあの態度はマズかったなあ……よしっ、今からでも遅くない、路線変更だ。僕はそう思いつつ、鈴羽ちゃんに優しい笑顔を向けた。

 

「妹さん、怪我はなかったかい?」

 

「壇美鈴の妹と分った途端、コロッと態度を変える男……」

 

 冷めた眼差しが僕の瞳に注がれた。こ、このガキ、意外に出来るな……だが所詮は子供だ、僕の敵ではない。

 

「態度を変えた覚えはないよ。僕はね、いつだって女性には優しいんだ。そうだろ? 徹男&花村君」

 

 偉大なる、YESマン&YESウーマンは何度も首を縦に振った。自分の意見が弱いと思った時は、こうやって人を使うんだ。分ったかい? お嬢ちゃん。

 

「太鼓持ちたちに自分に有利な意見を言わせる男……」

 

 相変わらずの冷めた眼差しが、僕の瞳を見据えてきた。前言撤回、このガキはかなりの手練れだ。なぜなら一瞬で僕の本質を見抜いている。これはかなり由々しき事態だ。このままでは、折角築き上げてきた汚れを知らない僕の純朴なイメージが……

 

「全てを言い当てられて、ぐうの音も出ない情けない男……」

 

 も、もう嫌っ! それ以上、僕の心を丸裸にしないでっ! 声に出さずにそう叫んだ時だった、救いの女神が手を差し伸べてきた。

 

「いい加減にしなさい、どうしていつもそうやって憎まれ口ばかり叩くのっ!」

 

「だって――」

 

「だってじゃないっ!」

 

「……ご、ごめんなさい」

 

 姉の剣幕を見て小生意気な妹は途端にしなびた花のように、しおらしくなった。いくら生意気少女とはいえ、姉上には逆らえないらしい。うちの愚妹もこれくらい素直であればいいのだが……そんなことを考えていると、鈴羽ちゃんが姿勢を正し僕を静かに見据えてきた。

 

「この度は危ないところを助けて頂き、誠にありがとうございました。至らぬ点もございますが、今後とも愚姉ともに宜しくお願い致します」

 

 冬羽ちゃんはそう言って頭を深々と下げると、すぐに壇さんに視線を移した。

 

「……これで良い?」

 

 妹の顔を溜め息交じりで見つめると、壇さんは渋々といった様子で頷いた。

 ったく全くもって可愛くねえ、ガキだ……僕が心の中で毒づいていると、おねむの入った徹男が抱っこをせがんできた。しょうがないなあ……抱きかかえるとヤツは速攻でスヤスヤと寝息を立てた。

 天使の寝顔――先程の苛つきが嘘のように消えてゆく。すると壇さんが僕のほうに近づき、耳元でこう囁いた。

 

「さっきの約束はちゃんと守るから……どんなマニアックな要求にも応えて、あ・げ・る」

 

 壇さんの吐息が耳を擽る……

 

          

 

          プスッ……プスップスップスッ

 

                     

 

                     脳内崩壊 回線ショート 要再起動……

 

 気が付くと、僕は自宅のダイニングで夕飯を食べていた。壇さんのあのエロ過ぎる囁きを聞いてからの記憶は、皆無といっていいほど無い。自分がどうやって帰ってきたかさえも、全く覚えていないのだ。まあ、時々あることなので、さして気にも留めていないのだが……僕がそんなことを考えていると、不機嫌な表情をした愚母が、おもむろに口を開いた。

 

「ツッコミ入れるのも嫌だったから、ガン無視ぶっこいてたんだけど……それもそろそろ限界だから、あえて聞くんだけどさあ……」

 

 愚母は僕を見つめると、呆れるように口ごもった。それは出来の悪い子を憂う母親の顔だった。全くもって気に入らねえ。上から目線で人を勝手に憐れんでんじゃねえっ! 僕は愚母に鋭い視線を浴びせた。

 

「おい、ババア。言いたいことがあるんなら、ハッキリ言え」

 

「じゃあ、言うけど……アンタ、その服は一体どういうつもりなの?」

 

「えっ……ダメなの、これ?」

 

 僕の問いかに愚母は溜め息で応えた。すると愚妹が自身のスマホを僕に手渡してくる。画面にはとある画像掲示板が映し出されていた。そして驚くべきことに、そこには僕の姿が乗せられていた。タイトルには……驚異の激ダサ男、発見とあった。

 

 ハ、ハメられた……あ、あの野郎……翌日、血反吐を吐くまで、僕が幹大のボディー責め続けたのは言うまでもない。そして誠に遺憾ではあるが、野郎のせいで僕は学園を代表するダサ男に任命されることとなった。

 というわけで、今回の教訓――慣れないことはするべからず。それでは、おあとがよろしいようで。



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